四ツ谷会館完成から一週間後、本格的な冬が到来し、肌寒く、それでいて天気の崩れやすい時季となった。
そんな寒空の下、人里の通りを四ツ谷会館へと向かう者がいた。上白沢慧音である。
その日、寺子屋が休校だったのを機に、彼女は四ツ谷たちの様子を見に行ったのである。
まだ、会館を任されて日が浅いため、もしかしたら四苦八苦しているのではという心配から来た、彼女なりの配慮であった。
外套を纏った慧音は会館の前に着くと、一呼吸置いて会館の出入り口の扉を開けた。
「失礼するぞ?誰かいるか?」
「はーい!」
会館の中に入って発した慧音の声に直ぐに返事が返ってきた。
パタパタという足音と共に、
小傘は慧音の姿を見て笑顔を作る。
「ああ、慧音先生。いらっしゃい!」
「やあ、小傘……ん?小傘、いつも持っている傘はどうした?」
あの大きくて赤い、一つ目と長い舌と口をつけた傘を小傘が持っていない事に、慧音は疑問を向ける。
それに小傘が直ぐに答えた。
「ああ、あの傘なら私の部屋に置いています。四六時中持ったままだと仕事ができませんから」
「ほぅ?以前は少しの間でも手元から離れていたら落ち着かなくなっていたというのに……」
「あははは~!何か大妖怪になってから、そういう事が気にならなくなっちゃったんですよね~」
慧音の言葉に小傘が苦笑しながら後頭部を掻きながらそう言う。
慧音の指摘のとおり、以前の下級妖怪だった小傘は、唐傘妖怪という習性からか、一時たりとも傘を手放す事は無く、食事の時も寝る時も、それこそ風呂に入る時だって持って入っており、一度として自分から手放そうとはしなかったのである。
しかし、四ツ谷によって大妖怪となった今の彼女はそれを気にする事が無くなった。
それは下級妖怪だった『唐傘お化け』から大妖怪『赤染傘』に進化したのが原因なのかは分からない。
だが、現在の小傘は自身で自分の一部ともいえる傘を手放す事になんら支障を受けなくなっているのは確かであった。
「……ところで慧音先生、今日はどのようなご用で?」
「ん?ああ、そうだった。まだ
「ああ、そうだったんですか?確かにまだちょっと苦労はしていますが、私も他の皆も少しずつ慣れて来ていますので大丈夫ですよ?」
そう言った慧音の言葉に小傘が笑って答える。
その様子に嘘偽り無く無理をしていない事が分かり、慧音は内心ホッとした。
それに対して小傘はここで慧音を帰すのも悪いと思い、慧音を会館に招き入れようと考える。
「よかったら上がっていきませんか?お茶をお出ししますので」
「む、良いのか?……なら、少し図々しいかもしれんが、お言葉に甘えるとしようか。一応、四ツ谷たちにも会っておきたいしな」
そう言って慧音は小傘の案内で会館の奥へと通されていく。
出入り口から直ぐ入った所にある里人たちの遊戯場である広間には、小さな人里の子供たちが会館の備品であるボールを手に遊んでおり、別の所では老人たちが同じく会館の備品である椅子に座って、用意されたお茶や茶菓子を手に楽しく談笑していた。
そんな光景を見ながら、慧音は纏っていた外套を脱ぎながら小傘に声をかけた。
「上手くやっているみたいだな。広間の空調温度もちょうど良い温かさだ」
「まだ、温度調整には時間がかかりますが、そう言っていただけるだけで安心です」
小傘が嬉しそうに響く。
この会館での小傘の仕事は、主に事務と会館を訪れる客たちの相手や掃除、備品を用意するといった雑務、そして会館全体の
会館の地下には小傘専用の鍛冶場が作られており、鍛冶師という副業を行う小傘は、そこで人間妖怪問わず頼まれた金物類などを製作するという作業をしていた。
それ故、鍛冶場にある
この寒い時期、されどこの快適な空間で元気に遊ぶ子供たちや談笑する老人たちを横目に微笑みながら、慧音は小傘と共に会館の奥へと足を運んだ。
二人が向かったのは、従業員専用の仕事部屋、『職員室』であった。
そこでは、経理担当の金小僧が算盤片手にパチパチと玉を弾いて、出た数を書類にしたためていた。
その傍らでは折り畳み入道が金小僧が作った書類を纏める手伝いをしている。
人間の姿に近く、親しみやすい性格の小傘と違い、どう見ても異形丸出しなこの二人は、接客を行う事ができず裏方の仕事へと回っているのである。
職員室にやって来た慧音に気付いた金小僧は、軽く会釈をする。
「あ、慧音先生。いらっしゃいませ」
「やあ、金小僧。折り畳み入道も元気そうだな」
慧音のその言葉に折り畳み入道も軽く会釈をした。
それを見た慧音は次に部屋全体を見回して続けて口を開く。
「……四ツ谷と薊の姿が見えないようだが……二人とも出かけているのか?」
「あ、えっと……」
何故か口ごもった小傘に代わり、折り畳み入道が答える。
「二人なら、今父ちゃんの部屋にいる」
「そうか。なら、一度会いに行った方が良いな」
そう言って慧音は踵を返して、四ツ谷の部屋へ向かおうとするも、それを小傘が
「ちょ、ちょっと待って下さい先生。部屋に向かわなくても、少しすればここに戻ってきますから」
「む、そうか?まあ、二人ともここに戻って来るのなら待つとするが……」
「あ、いえ……あの……戻って来るのは、たぶん薊ちゃんだけ、かな……?あ、あははは……」
「……?」
いまいち要領を得ず、引きつった笑いを見せる小傘に、慧音は首をかしげる。
「薊一人だけ……?四ツ谷は部屋に篭ったままか?ならやはり私が直接四ツ谷の部屋に行った方が二人同時に会えるではないか」
「え、えぇっとぉ……。今は師匠の部屋に行くのは、マズイって言うか……お勧めできないって言うか……」
「一体さっきからどうした小傘?話からして私を四ツ谷の部屋に行かせたくないみたいだが……。!……ま、まさか、あの二人、こんな真昼間から何か如何わしい事でもしてるんじゃなかろうな!?もしそうなら、あの二人はいつの間にそんな関係に!?」
「ふぇっ!?ち、違いますよ!そんなんじゃありませんから!?」
慧音の大胆な発言に小傘が慌てて否定する。
だが、それに追い討ちをかけるかのように、慧音は小傘に問い詰める。
「ならどう言う事だ!?ちゃんとはっきりと説明してもらおうか!!」
慧音の鬼気迫る迫力。その彼女の背後に角と尻尾の生えた獣人としてのもう一つの姿である慧音の幻影が見えてしまった瞬間、小傘は慧音を会館に上げるべきじゃなかったと今更ながらに後悔した。
四ツ谷会館の従業員である薊に任された仕事はいくつかある。
そのうちの二つは、小傘同様、会館の事務や接客、掃除、備品整理などの雑務などであるが、もう一つ任されている仕事があった――。
畳み三十畳分の広さがある四ツ谷の自室は、会館でも一番日当たりの良い場所にあり、快晴の日なんかは、その縁側で日向ぼっこをするには最適の所であった。
しかし今は冬。縁側へと続く面にはきっちりと障子で閉められていた。
代わりに部屋の畳の上には火鉢が置かれ、空調温度設備も手伝って部屋全体をポカポカと暖められている。
その火鉢のそば、畳の上に同じく置かれた木製のリクライニングチェアに四ツ谷は寝そべるようにして座っていた。
いつもの着物の上から半纏を着込み、足にはひざ掛け用の毛布を敷いた四ツ谷は、鈴奈庵から借りた大量の本を
そんな四ツ谷の隣、山積みにされた本の反対側に小さな丸い小机が置かれており、その上には湯飲みとお茶の入った急須、そして今朝買ってきたばかりの小さく切り分けた柿の実をそえた小皿が置かれていた。
そしてその小机の直ぐそばに薊がいた。薊は爪楊枝で柿を一つ刺すと、それを四ツ谷の口元へと持っていき――。
「はい館長、あーん」
「あー……んッ」
差し出された柿の実を四ツ谷はパクリと食べる。
傍から見るとまるで思想相愛のバ○ップルな光景。
しかし、四ツ谷の方は薊の方には全く見向きもせず、その意識も全て手元の本の内容へと注がれていた。
美少女である薊に食べさせられているのにも関わらずである。
だが、薊の方もそれを気にする事は全く無く、黙々と四ツ谷に柿を食べさせ続けていた。
『四ツ谷の世話役』。それが薊に与えられた最後の仕事であり、四ツ谷を敬愛する彼女自身もそれを全うしようとしているに過ぎなかったのである。
したがって、四ツ谷と薊の双方の間には、男女の意識はこれっぽっちもなかった。残念な事に。
しかし、それを黙って見ている事ができない者が今し方現れた。
その者は部屋の光景を目の当たりにし、部屋の入り口で両手
そしてその隣には顔面蒼白となった小傘が佇んでいた。
その二人に薊より先に気付いた四ツ谷が、本から顔を上げて小傘たちに声をかける。
「?小傘と……
「――こンのォ……大馬鹿者がああああぁぁぁぁーーーーーーーーッッッ!!!!」
いきなり慧音に特大の雷を落とされ、それに
次回はこの話の直ぐ後の出来事を書く予定です。