タッ
タッ
タッ
タッ
タッ
タッ
……
パシッ
タッ
タッ
タッ
タッ
タッ
タッ
タッ
タッ
……
パシッ
小さい部屋の中――。
その中を歩く複数の足音が聞こえます……。
一人が壁伝いに歩き、部屋の隅にいる者の肩を叩き止り、代わりに叩かれた者が壁伝いに歩き始め、その先の部屋の隅にいる者の肩を叩き、それを延々と繰り返します。
無限に続くかに思われるこの行動。しかし、かの者たちは気づいているのでしょうか……?
自分たちの中に
其ノ一
それは、日に日に気温が上がり始め、春が間近に感じられるある日の事であった――。
数ヶ月前に四ツ谷会館で居候している『芝垣 梳』は、その日の手伝いを終え、暇をもてあましていた。
この幻想郷にやって来た当初は、あまりの非現実な世界に驚愕する毎日であり、その上『安全地帯』であるはずの人里に密かに人間たちに紛れて暮らしている人外たちがいる事にも、梳は驚きを隠せなかった。
しかもそれが、自分を食べようとしていた妖怪たちから助けてくれた四ツ谷文太郎率いる『四ツ谷会館』の勢力が自身のもっとも身近にいる例であるのだから尚更である。
しかし、それも日が経つにつれすっかり鳴りを潜め、彼女は外の生活同様、何不自由無いと言えるレベルの生活を送れるようになった。
だが同時に、彼女の胸のうちに飛来したのは、どうしようもない虚無感であった。
確かに今は落ち着いた生活ができている、しかしそれは所詮他者から与えられたものに過ぎない。
それに彼女は実質『四ツ谷会館』の一員ではない。ただ行く当てが無くて居候しているだけのただの客人でしかない。
事実、四ツ谷たちも彼女に手伝い程度の事をさせてはいるものの、『仕事』と呼べるモノは決してさせてはいなかった。
梳自身も、それに気づいていたため、四ツ谷たちに対して申し訳ない気持ちでいっぱいだったのだが、今の彼女に『会館から出て行く』という選択を選ぶ勇気が持てなかった。
自分を助けてくれた上、会館に受け入れてくれた四ツ谷たちに深く感謝し、彼らの手伝いをしたいという気持ちも合ったが、その最たる理由が彼女自身、『自分がこれから何をすれば良いのか分からない』と言うモノであった。
両親を失い、帰る場所や夢を失い、迷いに迷ってふとしたきっかけでたどり着いたのがこの幻想郷であった。
ここの生活に落ち着いた当初は、ここでならやりたい事が見つかるのではと淡い期待もあったのだが、変わり映えの無い毎日を過ごすうち、それも希薄になってきていた。
(私……これからどうすれば良いんだろう……?何をすれば、良いんだろう……?)
ぼんやりとそんな事を考えながら、梳は行く当ても無くふらふらと会館内を彷徨う。
そして、何気に正面出入り口から会館の外に出た梳は、俯いていた顔をふいと上げると、その瞬間ある一点に目が無意識のうちに留まった。
会館の真正面にある新築同然の民家。そこはこの会館に足しげく通っている『四ツ谷会館』の正式な一員である薊の住む家であった。
その家の前で、その件の少女――薊が妹の瑞穂の髪をチョキチョキとハサミで切っていた。
大きな布で瑞穂の首から下をすっぽりと覆い隠し、どこかから持ってきた木箱の上に瑞穂を座らせた薊は、左手に持った櫛で瑞穂の髪を梳きながら、右手のハサミで慎重に彼女の髪を切り落としていく。
「…………」
それを少しの間眺めていた梳は、次の瞬間ゆっくりとした足取りで二人に歩み寄った。
やって来た梳に気づいた薊は、瑞穂の髪を切る手を止め、梳に声をかける。
「あ、梳さん。どうも」
ぺこりと軽く会釈する薊に、梳も軽く片手を挙げて答える。
「やっ、薊ちゃん。妹さんの散髪をしてるの?」
「あ、はい。ちょっと伸びてきたのが気になっていたので、切っちゃおうと思いまして……」
そう言いながら薊は瑞穂の散髪を再開する。
それを梳は横から邪魔にならない程度にじっと眺め始めた。しばしの間、ハサミの音だけが辺りに響き渡る。
しかし、次第に梳の胸の内から、どうしようもないうずうずとした衝動が湧き出てきていた。
と言うのは、薊の瑞穂の髪を切る手つきにあった。
別に下手と言う訳でないのだが、あまり散髪に慣れていないのか、所々で不慣れな様子が窺い知れた。
よく見ると、ちゃんと切り揃えられている様に見えて、所々長さがバラバラになっており、髪の左右のバランスも不安定になっているように見えた。
薊自身、ハサミを持つ手がときどき震えており、妹を傷つけないようにおっかなびっくりで髪を切っているのが丸分かりであった。
そんな姉の心境を知らない瑞穂は、空を泳ぐ雲をぼんやりと眺めていたが。
そんな二人の姿に、少し前まで理容師専門学校に通っていた梳の心に、どうやらその手の職人魂の火が点いてしまったようであった。
我慢ができなくなった梳は、薊に声をかける。
「薊ちゃん。ちょっとそのハサミと櫛、貸して」
「え?梳さん……?」
突然の要求に呆然となる薊、梳はそんな薊はから半ばひったくるようにしてハサミと櫛を受け取ると、薊と入れ替わるようにして瑞穂の背後に立ち、静かにハサミと櫛を動かし始めた――。
チョキチョキチョキチョキチョキチョキチョキチョキ…………。
まるで生きているかのように、ハサミと櫛が梳の手で瑞穂の頭の上で華麗に舞い踊った。
慣れた手つきでリズミカルにテンポ良くハサミが開閉し、同時に切り落とされた髪の毛が宙を舞う。
そうして歪だった瑞穂の髪も綺麗に整えられていき、左右のバランスも良くなって来た。
「わぁ……すごい……」
「ふぁぁ……」
美しく動く梳の両手に、薊は感嘆の声を上げ、その技術が頭皮に気持ちのいい刺激として受けたのか瑞穂は力の抜けるような快楽の声を響かせた。
そうこうしている内に、瑞穂の散髪が終わる。
「はい、できたよ瑞穂ちゃん。……えーと、薊ちゃん、ごめんだけど鏡ってある?」
「あ、はい。今持ってきます!」
そう言って、薊は一度自宅の中に入ると、直ぐに頭一つ分の大きさの手鏡を抱えて戻ってきた。
そして瑞穂の前に鏡を掲げ、彼女の今の髪型を映して見せる。
「わぁー、きれー!」
鏡の中の自分の頭を見て、瑞穂は目をキラキラと輝かせた。
今までバラバラだった髪の長さが肩口できっちりと切り揃えられ、櫛で整えられた髪の一本一本も流れるように美しく緩やかに流れていた。
素人目でも分かるほどの散髪する前と後との変化に、瑞穂も傍で見ていた薊もしばしの間魅入っていた。
そこへ梳が薊に声をかける。
「えっと……薊ちゃん。もし良かったら薊ちゃんもしてあげよっか?」
「え?良いんですか!?」
やはり薊も年頃の女の子である。梳のその提案に直ぐ様食いついた。
「あれー?薊おねえちゃんたち、何してるの?」
薊が梳に散髪してもらい始めてすぐ、そこに五人の子供たちがやって来た。
その子たちは毎日のように四ツ谷に怪談をせがみに来る、太一、千草、佐助、蛍、育汰のいつも一緒に行動するメンバーの子たちであった。
いつものように四ツ谷の怪談を聞きに来たのであったが、会館前で散髪をする梳たちを見つけ、太一が代表して声をかけたのだ。
それに髪を切られている薊が答える。
「あ、太一君たちいらっしゃーい。今梳さんに散髪してもらってる所なの。太一君たちはまた館長さんに怪談を?」
薊のその問いに太一は元気良く頷く。
それを見た薊は少し申し訳なさそうに口を開く。
「そっかー。でもごめんね。今館長さん出かけてるの。もうちょっとで帰って来ると思うから待ってる?」
その言葉に、太一たちは少し残念そうな顔をするも、薊の「待ってる?」という問いかけに全員が元気よく頷いて見せた。
そして、ちょっと待たせてもらおうと会館の中へ入る――事も無く、彼ら五人は静かに薊たちを、厳密に言えば梳がハサミと櫛を華麗に動かす手元をジッと見つめていた。
傍から見ていても気持ち良いほど動くその散髪技術や、それを受けている薊の心地よさそうな顔に、五人は同時に興味を持ったらしい。
「…………。よかったら、皆もする?そっちも髪伸びてきているみたいだし」
梳のその提案に、五人は一層目を輝かせた――。
薊の散髪が終り、次は子供たちの番となる。
一番年下の育汰が薊と入れ替わるようにして梳の前に座り、彼の散髪が始まる。
散髪を終えた薊は鏡で綺麗に整えられた自分の髪を眺めながら、梳に声をかけた。
「本当にすごいです梳さん。ここまで髪が綺麗に整えられたのって初めてです」
「あはは……。私ちょっと前までその手の学校に通ってたからね。自慢じゃないけど先生からも、『もう私が教える事は何も無い』って太鼓判押された程なんだよ?」
「へぇ~。『がっこう』って寺子屋の事ですよね?そこの先生からも認めてもらえるなんて、梳さんはやっぱりすごい人だったんですね」
薊のその言葉に梳は少し苦笑しながら続けて言う。
「そんなに持ち上げる事かな?私程の腕を持った人なんてこの幻想郷でもいるでしょ?薊ちゃんたちも一度理髪店に行ってみたらどう?ここにもあるんでしょ?」
「……え?『りはつてん』って、何ですか……?」
唐突に発せられた薊のその言葉に、梳の手が自然と止まり、顔が薊の方へと向けられる。
見ると薊も梳の方を見ており、キョトンとした目を梳に向けていた。
その顔を見た梳はしばし虚空に視線を彷徨わせると、唐突に思い出したかのようにハッとなった。
「……ああ、そっか!この場合『理髪店』じゃなくて『
その言葉に薊もようやく理解したとばかりにポンと両手を叩いた。
「ああ、髪結い処の事だったんですね!
腑に落ちたと言わんばかりに顔を綻ばせる薊であったが、反対にその言葉を聞いた梳は真顔になった。
「……え?『昔は』って……ちょ、ちょっと待って、え?もしかして薊ちゃん――」
「――
少々動揺しながら紡ぐ梳のその問いに、薊は再びキョトンとした顔を浮かべる。
「え、あ、はい……。少なくともこの人里にはそういった専門店はありません。皆髪を切ったりする時は、家族に切ってもらうか、自分で鏡を見ての二択だけです」
「そ、そうなんだ……」
薊のその答えに何やら思う所があったのか、梳は一度視線を下に落とした後、ゆっくりと視線を上げ空を仰ぎ見た。何かを考えるような素振りを見せる梳であったが、その思考は第三者によって中断される。
「おねーちゃん、まだー?」
「!……ああ、ごめんね?」
手が止まっていたため、不満の声を漏らす育汰に、梳は慌てて散髪を再開するのだった――。
「お!なんだなんだぁ?えらく今日は会館前が騒がしいじゃないか。ヒッヒッヒ」
外出(散歩)から帰って来た四ツ谷は会館前で見知った者たちがワイワイと騒いでいるのを見て、そう響きながらやって来た。
それに気づいた太一が四ツ谷に声をかける。
「あ!四ツ谷せんせー、こんにちはー!」
「おー、お前ら。ちゃんと宿題はやってるかー?」
四ツ谷のその言葉に子供たちは元気良く頷いた。
そして、その中の一人、佐助が四ツ谷に声をかける。
「今ねー、梳おねーちゃんに髪の毛切ってもらってるんだよ」
「ほぅ……?」
その言葉に四ツ谷は梳の方へと目を向ける。今現在、蛍の散髪をしている彼女は熱心に彼女の髪を切っていた。
一生懸命に散髪を行う梳を見て、四ツ谷の目が僅かに細まる。
しばし梳を眺めていた四ツ谷であったが、太一が声をかけた事により我に帰った。
「ねぇ、四ツ谷せんせー。また怪談聞かせてよー!」
「ヒッヒ。何だ、またそのために来たのか?しょうがない奴らだなァ~……♪」
嬉しそうに声を弾ませながら、四ツ谷は今日子供たちに聞かせるための怪談を頭の中で厳選する。そうして選んだ怪談を決めた四ツ谷は、その場にいる全員に向かって声を響かせた――。
「良し、なら今日は――『
新章突入です。
本来なら別の噺を書く予定だったのですが、唐突に思いついたので急遽この噺をこの章に差し替えましたw