試合開始から十分と少しが経過していた頃、第三アリーナを包んでいたブーイングの嵐はすっかり静まっていた。観客席にいる全員が、管制室にいる千冬達でさえも唖然として戦いを見ている。
「何、これ……?」
観客席にいた誰かの呟き。それはこの試合を見ている全ての者が抱いていた気持ちの代弁だった。
試合はシールドエネルギーと呼ばれるエネルギーがゼロになった方が負けとされている。これは被弾する事で減っていき、装甲もない生身の部分に当たると搭乗者を保護する《絶対防御》というのが発動し、大きくエネルギーを減らす。
だが未だに三人ともノーダメージ。一発たりとも被弾はしていないのだ。三人の実力が拮抗しているのならあり得るのかもしれない。
「こんな……!」
「何時まで続けるおつもりですの!?」
「…………」
だが、悠斗の対戦相手であるセシリアとシャルロットはこの上なく苛立ち、焦っていた。それらをぶつけるように四機の自律誘導兵器《ブルーティアーズ》を使って四方からセシリアのレーザーが、シャルロットからアサルトカノン《ガルム》のフルオート射撃による雨のような実弾が放たれるも、悠斗は全てを避けていく。
国から期待されている二人の代表候補生からの攻撃を難なく避けていく姿はたった一週間の訓練でどうにか出来るレベルではない。悠斗の稼働時間は一週間毎日やっていたとしても、二十四時間を越えるかどうか。それに対してセシリアとシャルロットは三百を優に越えているのだ。
「っ、弾切れ……!」
「こちらもエネルギー切れですわ……!」
激しい攻撃もいつかは鳴りを潜める。瞬時にシャルロットは量子格納領域から予備のマガジンに取り換える。セシリアは《ブルーティアーズ》を呼び戻し、手持ちのレーザーライフル《スターライトmkⅢ》を構えた。
しかし、幾ら早く整えたとは言え、戦闘中にこの隙はあまりにも大きい。
「また、ですの……!?」
「やる気あるのかな……!?」
「…………」
「何も言わないんだね……それなら!」
だがこの決定的な隙を悠斗は一切攻撃をしなかった。二人が体勢を整えている間、ただ空中に立ち尽くすのみ。手には試合開始から何も持っておらず、戦う意志があるのかすら怪しい。
そう、悠斗がノーダメージなのは二人の攻撃を全て避けているのに対して、二人がノーダメージなのは悠斗が一切の攻撃をしていなかったからなのだ。
どういうつもりなのかと訊いてみても、口は固く閉ざされ開く事はない。しかし、戦う二人を侮辱したその態度は直接口で話すよりも物語っていた。こんなものなのかと。
「それならそれで、やらせて貰いますわ!」
言葉と共にチャージが完了した《ブルーティアーズ》が本体から切り離され、再び宙を舞う。
「遠慮はしないよ。言い訳も聞かない!」
両手に持ったアサルトカノン《ガルム》のマガジンを取り換えたシャルロットが叫ぶ。
二人の燃えるような意志に反応するかのように黒曜の翡翠色の翼がはためいた。
『っ!?』
それは試合開始から十五分が過ぎようとした時だった。それまである程度の距離を取って回避に徹していた悠斗が二人の弾幕を掻い潜り、一気にセシリアへと接近。
「は、速い……!」
「セシリア!!」
世界で最速の黒曜が四機の《ブルーティアーズ》によるレーザーの雨を怯むことなく、隙間を縫うように接近する。その驚異的な速度を一切緩めないで。
シャルロットもセシリアを援護するべく、行く手を阻むように射撃をするも気に止める様子もなく、悠斗は突き進む。
ある程度近付いた瞬間、爆発的な加速力を生み出す《
「きゃっ!?」
突然の加速にセシリアも戸惑うも、咄嗟に右腕でガード。しかし、地上に向けて放たれた蹴りの勢いを完全には止められずに地面スレスレまで高度を下げてしまう。
「くっ、レディを足蹴にするなんて……!」
「セシリア、正面!」
「っ!?」
悪態を吐こうとしていたセシリアが見たのは、翼を広げて目前まで迫っていた悠斗の姿だった。再び蹴りを放とうとしているのか、左足の装甲が変形しており、翼と同色のエネルギーで覆われている。
だがそれも未遂に終わった。セシリアの目の前からいなくなると、僅かに遅れて弾丸が横切る。それは地面に着地した悠斗へ無数に襲い掛かっていくがやはりというべきか、当たらない。
「シャルロットさん、ありがとうございます!」
「お礼は後でいいから!」
「はい!」
シャルロットの必死さに今は何をすべきか悟るセシリア。お互い向ける視線の先には翼を畳み、脚部のローラーだけでアリーナのグラウンドを滑る悠斗の姿があった。
「何で……?」
動揺を隠しきれず、焦るシャルロット。それもそのはず、先ほどまで空中にいたのとは違い、悠斗はただ地面をアイススケートのように滑っているだけ。時折ジャンプしたりもするが、所詮は平面を移動する二次元機動でしかない。
対して二人は悠斗の頭上を取っているため、数的にも、位置的にも圧倒的有利を取っている。簡単に言ってしまえば遥かに当てやすいはずなのだ。
「何で、何で、何で……!?」
だがそれでも当たらない。緩急を付けて、後退しながら不規則に左右に動く悠斗を捉える事が出来ない。
アサルトカノン《ガルム》はフルオートで撃っているとある程度弾がバラけるのに、まぐれで当たる事さえ起きなかった。
シャルロットの混乱を他所に後退しながら悠斗は一回転し、水面蹴りの要領で自分の周囲に土煙を巻き上げる。
「っ、そこっ!」
目眩ましとして巻き上げられた土煙。ハイパーセンサーが即座に熱探知式に切り替えた瞬間、右側から何かが土煙から飛び出すと二人が一斉に射撃。そして小さな爆発が起こった。
「あれは……ライフル!?」
残骸から飛び出してきたのは二連装のライフルで、ISではない。センサーがライフルの熱源に反応してしまったようだ。再び土煙の方へシャルロットが意識を移そうとした時。
「シャルロットさん!」
「っ!」
翡翠の翼を広げた漆黒のISがその手に刀を持ってシャルロットの眼前にまで迫っていた。
「(間に合わない……!)」
これだけの速度が乗った一撃をまともに受けてしまえば耐えられない。瞬時に悟ったシャルロットは固定武装の盾を構える事も諦めて、やがて来るであろう衝撃に備えた。
「きゃあ!! ……えっ?」
来た衝撃に悲鳴を上げるもそれだけ。シールドエネルギーが大きく減ったものの、自分がエネルギーが尽きて失格になったというアナウンスは流れない。
それもそのはず、刀が当たったのは構えてもいない盾の上なのだから。
偶然ではない。この僅かな時間で嫌というほど思い知らされた、悠斗の実力。それを考えればこんな些細なミスなんて、するはずがなかった。
「ふざけてるの……!?」
「…………」
怒りを燃やすシャルロットの考えに至るのも当然と言えよう。目の前の男にとってこの戦いは戦いではなく、遊びの延長線上でしかない。これまでの戦いを考えれば行き着く答えに二人は怒った。
「シャルロットさん、力を合わせれば何とか……!」
「そうだね。一人では無理でも、二人なら……!」
認めざるを得ない。目の前の男には一人では勝てない事を。だが二人ならまだ届きうる可能性がある。
「――――不可能だ」
『えっ?』
そんな二人の小さな希望すら嘲り笑うように悠斗は真っ向から否定した。試合が始まってから初めての発言はやはり機械のように抑揚がない声で。セシリアとシャルロットの間に立つ悠斗は左右にいる二人など一切見る事もなくその続きを口にした。
「誰であろうと、私を越える事など不可能だ」
はっきりと宣言した。誰もが自分には勝てないのだと。
「そんなのやってみなきゃ分からないよ!」
「勝ってみせますわ! あなたのためにも、わたくし達のためにも!」
だとしても引く訳にはいかない。二人は銃口を悠斗に向けると、負けられないという意志を込めた眼差しで悠斗を睨み付ける。
本当の戦いはまだ始まったばかり。
管制室のモニターに映し出されるのは二人からの猛攻も口元を歪める事なく、涼しい顔で避けきる悠斗の姿。しかも最初の頃とは違い、きっちり反撃もしている。
「す、すげぇ……」
「これが白井くんの実力ですか……?」
格納庫で見ていた一夏の言葉に続くように山田が呟く。たった一週間でこれだけ動けるようになるなんて才能があるなんて話じゃない。
山田も攻撃する前から察していた。ISの動きを見れば尋常じゃない事なんて。代表候補生のレベルを大きく越えている。さすが世界に戦いを挑むだけはあると言ったところだろうか。
「悠斗、何があった? 本当に国家代表レベル……いや、これは」
「お、織斑先生? どうされたんですか?」
「……いえ、何でもありません」
千冬は途中で口を閉ざして頭を降った。それどころじゃない。かつて千冬が国家代表として戦っていた誰よりも強い。その時から実力が変わっていないとは思えないが、それでもまともに戦えるのなんて数人しかいないだろう。
「《黒い鳥》……」
「《黒い鳥》? 何ですか、それ?」
「えっ、あ、ああ……お伽噺みたいなものよ。実話らしいんだけどね」
「お伽噺、ですか」
そんな戦いぶりを見て、楯無があるものを思い出して口にした。聞いた事もない言葉に一夏が訊ねる。
「私の家に代々伝わる話でね。何時の話か、お祖父ちゃんか、お祖母ちゃんか分かんないけど実際に見たらしいのよ」
「どんな話なんですか?」
「……神様の作る秩序を壊す、反逆者の話」
「っ」
思わず息を呑んだ。実際はどうであれ、悠斗がやろうとしているのはこの世界に作られた女尊男卑という秩序を壊そうとしているのと同意なのだから。あまりにも話が合いすぎている。
「ああ、聞いた事があるな。ドイツへ行った時にそんな話をしていた。たしか……《ラーズグリーズの悪魔》、だったか」
それを聞いて千冬が思い出したかのように声を漏らした。どうやら世界中に名前が違うだけの似たような話があるらしい。そのどれもが世界を変えるという共通点があった。
二対一という状況でも一方的に戦う悠斗の姿はまさにお伽噺に出てくる英雄だろう。だが圧倒的有利にも関わらず、束は焦るようにプライベートチャンネルで悠斗に呼び掛けていた。
「ゆーくん! もう十五分過ぎてる! 早く終わらせて!」
操縦者と開発者の二人しか知らない制限時間は刻一刻と迫っていた。しかし、悠斗からの返事は来ない。試合と同じく、こちらでも無口だった。
「っ……」
何が起こるかなんて知らない。それどころか制限時間の事なんて知らないはずの箒が両手を合わせて祈るようにしていた。
「(お願いします。多くは望みません。悠斗が無事でいてくれればそれで……)」
固く目を閉ざして祈る姿は何処か悲痛さを感じさせた。時折聞こえてくる声に不安になりながらも箒は祈り続ける。悠斗が無事に帰ってくる事を。
試合は佳境を迎えていた。未だノーダメージの悠斗に対して、セシリアとシャルロットのシールドエネルギーはあと一撃でも攻撃されればエネルギーが尽きて終わってしまうだろう。
だがそんな状況でさえ微塵足りとも二人の闘志は衰えない。そして僅かに呼吸が合うようになってきていた。
「弾頭型の《ブルーティアーズ》でなら!」
シャルロットが追い詰めた先、待ち構えていたセシリアからミサイルが放たれるとそれは意志を持つかのように悠斗を追い掛ける。
「セシリア、さっきの作戦で行くよ!」
「分かってますわ! シャルロットさんもきっちりお願いします!」
「任せて!」
逃げ道を狭めながらプライベートチャンネルを使って作戦を決行すべく、シャルロットが動く。
やがて逃げるのを諦めたのか、悠斗はミサイルの方へと向かっていく。正確にはその先にいるセシリアなのだろう。
その視線も表情もバイザーで顔の大部分を覆われているため、分からないが間違いない。確実にセシリアは狙われている。
「この《ブルーティアーズ》をどう防ぎますか!?」
だがその前にセシリアの言う通り、ミサイルをどうにかしなければならない。これまでの戦いで悠斗がノーダメージで勝とうとしているのは分かった。そして射撃武器を持たないため、誘爆を恐れてミサイルを迎撃出来ないという事も。
ノーダメージで勝とうとしているのはあっている。悠斗はこの戦いで口だけではないと証明するためにも圧勝する必要があった。だが射撃武器は量子格納領域にもあるし、固定武装にも射撃武器はある。
ならば何故使わないのか?
「なっ!?」
答えは単純、使う必要がないからである。
速度はそのままに、ミサイルに肉薄すると持っていた刀を振るった。ただそれだけでミサイルは爆発する事なく、ターゲットだった悠斗の後ろを力なく飛んでいき、やがて地面に激突した。
「《ブルーティアーズ》の制御部分と信管だけを斬った……!?」
ミサイル型の《ブルーティアーズ》は先端部分に思考で制御する装置と起爆させるための信管という部品を積んでいる。それを切り離してしまえばミサイルは爆発出来ない。
確かにISで解析させれば分かる事だが、それを実行しようとする者はいないだろう。一歩間違えれば目の前で爆発して大惨事になるのだから。
「ですが、正面とは……嘗められたものですわね!!」
構わず突き進んでくる悠斗にライフルを構えて発射。放たれたレーザーは真っ直ぐ悠斗へと向かい――――
「えっ?」
鞘に収まっていたもう一本の刀で弾かれた。一気に攻めに転じられるから合理的かもしれないが、あまりにも非常識な防ぎ方だ。
驚くのも束の間、セシリアが持っていたライフルを二本の刀を使って三枚に卸されると次はお前だと睨み付けられる。
射撃型のブルーティアーズで、接近されるというのは最早負けに等しい。近接武装も申し訳程度のナイフしかない事から分かるだろう。
「ふふっ」
しかし、追い込まれたセシリアが浮かべるのは笑みだった。
全ては予定通りに事が進んでいる。刀でレーザーを弾いたのは予想外だったが、何らかの方法で乗り越えて来るとは予想していたのだ。
「今ですわ、シャルロットさん!!」
「うん!!」
自信満々の顔でシャルロットを呼ぶとセシリアの背後から返事と共に飛び出した。
そう、これは二対一の戦い。セシリア一人なら負けているが近接戦闘も出来るシャルロットもいるとなれば話は別である。
二人が考えたのは一人を犠牲にして、返す一撃で沈めるというものだった。単純だが、それ故に嵌まった時の効果は大きい。
「この距離でなら……!」
その言葉と共にシャルロットの固定武装であるシールドの外装が弾け飛んだ。そうして現れたのは誰もが扱える武器の中で最高の威力を持つパイルバンカー。それの杭が悠斗の生身の部分である腹部に押し付けられた。当たれば必ず《絶対防御》が発動し、大幅にエネルギーを減らすだろう。しかも連撃が効くから一気に勝てる見込みも充分ある。
「(当てられる……!)いっけぇぇぇ!!」
何千、何万と撃ち込んできたシャルロットは確信を持って叫んだ。二撃は確実に入れられる、そう信じて。
けたたましい音がアリーナに響くと同時、シャルロットの表情が絶望に歪んだ。その光景を見ていたセシリアも同様に絶望に歪む。
「う、ぁ、ぁ……!?」
「そんな……!」
それもそのはず、目の前にいる男は未だノーダメージなのだから。あまりの絶望にもう一撃撃ち込むのも忘れて呆然としていた。
モニターに映し出されていたエネルギーの残量が一切減っていない事に観客席が騒ぎ始める。
「当たったのに減ってないなんてインチキよ!!」
「卑怯者ー!!」
ハイパーセンサーを使っていた二人には見えていた。インチキじゃなく、悠斗はただ避けたのだ。
ではどうやって避けたのか。これも至極簡単なものだった。ある種の理想的な避け方なのかもしれない。
「…………」
撃ち込まれて飛び出た杭の分、後ろに下がった。ただそれだけ。
今も黙して語らない男は至極簡単で、それ故に最も難しい事をやってのけたのだ。
「勝て、ませんわ……」
「こんなの……違いすぎるよ……!」
遂には二人の闘志も折れてしまった。分かってしまったのだ。自分達との決定的な差を。二人が嵌まれば必中だと思っていた作戦はなんて事はない、目の前の男からすれば児戯でしかなかったのだ。その証拠に冷や汗はおろか、口元を歪める事さえ出来ない。
『きゃあああ!!』
「セシリア・オルコット、シャルロット・デュノア、シールドエネルギーゼロ。勝者、白井悠斗」
諦めて動きが止まった二人を二本の刀が襲う。甲高い悲鳴と共に二人が地上へと落とされ、勝者が決まった。
試合時間、二一分四三秒。それが三人のゴールだった。