Moiその13、人形と人間の違い

 ―――死体の表現

 完全な静止、完全な脱力、完全な物体としての在り方。
 人間の俳優の演技では、決して敵わない、人形ならではの強み。
 たしか、人形浄瑠璃の達人も言われていた。自ら生気を発していないからこそ、糸さえ切れば、すぐに完璧に止まってしまう。
 
 かえって仮想世界、VR内のアバター、あるいはNPCたち。
 これも一種の人形だと言える。自ら動いているわけではなく、ユーザーが動かしてるだけ、電気とコードを介して。
 演算機能やら技術力が高まれば高まるほど、よりリアルな生体としての生き生きさを表現できる。けど、あくまで真似ているだけ。吊っている糸が、複雑に、多くなっているだけ。人形である本質は変わっていない。
 くわえて、完全な生体の模写など求められていない。どれだけの計算資源があっても難しいだろうし、必要もない。表面だけ、そう錯覚してくれればそれで事足りる。
 となると、ソレを一時的にでも切断できる方法があれば、アバターはすぐに『死体』になる。現実の肉体以上に、物理法則のみにしたがう『物』になる。

 さらにかえって、『生きている/オン』と『死んでいる/オフ』の違い。
 コレを自由に切替えるのが、古武術の身体操法の、いわゆる基本にして奥義では?
 筋力ではなく重力・遠心力を、その逆も。肉体を自分の意識から開放する技。相手の顔色やら挙動をみて先読みしようとしている敵からすれば、虚を突かれる。急に目の前から消えてしまったように感じてしまうはず。
 現実世界では、コレをすることは難しい。意識こそが主体だとの感覚がコベリついている人が、大半だから。おそらく、「そうあれ」とも、日常生活やら教育やらで嵌め込まれてしまってもいるから。でも仮想世界なら、違うはず。現実の制約はほぼ無いし、そもそも「そうあれ」とも言われている人形を使ってる。現実で従順だった人は逆に、飲み込みが早くなるはず。

 仮想世界/VRの活用法。
 肉体と人形を併用することで、意識の制約を解く。
 中身/ソフト、多彩なシュミレーションやら正確なイメージトレーニングとして、ではなく、ログイン/ログアウト時に起きる切替の感覚を掴む。
 こういった使用法を、兵士の訓練やら武術の修行として取り入れるのは、アリ?
 
 


日時:2019年09月23日(月) 19:28

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