リードブック! 没案

 どうも毎日三拝です。
 今回はまた小説の内容が没になったので此方に晒そうかと思った次第。没になった箇所は太宰治の人間失格です。
 なんというかこれを薦めるのは今の物語進行に合ってなかったので没となりました。
 ですが、紹介する文自体は書いてしまったのでもったいなく思い、此方に晒しておきます。

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――太宰治の"人間失格"。

 日本文学に多大なる影響を齎した小説家の太宰治が書き上げた現代でも賛否両論のある中篇小説で、"ヴィヨンの妻"、"走れメロス"、"晩年"に並ぶ代表作の一つだ。
 かの文豪、夏目漱石の傑作"こころ"と累計部数を何十年単位で争っており、日本に収まらず世界中で愛読され若者を中心に共感を得られている。
 内容はとある男の手記にある体験談を読む第三の視点で語られている。始まりの「はしがき」から始まり、終わりの「あとがき」でこの物語は閉じられている。

「恥の多い生涯を送って来ました」

 "人間失格"を読んだ事がない方もこの一文を何処かで聞いた事があるのではないか。
 「はしがき」の次になる「第一の手記」の書き出しがこれとなる。
 掻い摘んで始めから説明すると、この"人間失格"の主人公は幼年期に自分が周囲と感覚がずれている事を自覚する。
 そのずれを隠す為に道化を演じて、周囲と合わせようとした。
 中学時代に入ってから自分が長年演じてきた唯一の生き方である道化をとある切欠で見抜かれそうになったと焦った少年は恐怖する。
 恐怖から解放される為に悪友から薦められた煙草、酒、売春婦、左翼思考などの純粋な少年がもっとも理解し難かったものに浸り始めた。
 それが彼の逃避にして墜落の始まり。
 心中自殺を人妻として自分だけ助かり自殺幇助罪に問われ、高校を放校になったりと悲惨な経験をする。
 そこから先も数ある絶望を経験し、現実逃避を重ね、純粋だった青年は狂っていく。
 遂にはモルヒネの薬中毒にまで堕ちて実家に仕方なく金の無心をする手紙を送るも半ば強制的に脳病院へ入院させられる。
 彼はその場所で漸く自分が人間失格者だと悟った。
 その後の青年は廃人同然となり、幸福も不幸もなく時間が過ぎ行く存在になってしまった、という自白が終わる。
 
「――という話です。どうでしたか?」

 と、紀伊人が穂乃果へ話を振る。
 彼女は可愛らしい線の顎に手を当てて、珍しく何事かを思案するような格好のままだった。
 いつもなら即座に素直な感想を口にするのにこの反応は紀伊人にとって未知のものである。
 かなり過激な部分は省いて説明したつもりだが、やはり一介の女子高生に太宰治の"人間失格"は衝撃的過ぎたのかもしれない。
 この"人間失格"という作品は日本文学の中でも稀にみる後味の悪い結末である。
 それをハッピーエンドに慣れ、バッドエンドに耐性のない現代っ子に聞かせたのだ。その所業はきっと、どんな物語でも最後には報われると夢溢れる希望を根底から打ち崩すようなものだったろう。
 サンタクロースの存在を信じて止まない子供に

「サンタさんはね、本当は居ないんだよ?」

 と、懇切丁寧に教えたような後味の悪さが紀伊人に残っていた。
 小説好きの性というか、なんというか。
 相手を思い遣って作品を見繕った筈だった。これならばまぁ大丈夫だろうと勝手に思い込んで薦めてしまう癖が紀伊人には確かにあった。
 どうやらその悪癖がまた発揮してしまったらしい。
 小説とは時に良薬にも毒薬にもなる。たまたま立ち寄った本屋で出会った一冊の本が人生を大きく変貌させてしまうなど珍しくもない話だ。
 それが多感な時期の思春期真っ盛りである穂乃果には最も当て嵌まる。

(これは失敗だったかなぁ……。同じ代表作なら国語の教科書にも載る"走れメロス"を選べばよかったかも)

 紀伊人は素直に心中で再度反省し、反応が返ってくるまでお茶を飲みながら待つ事にした。
 刻々と時間が過ぎ去る中で変わらず思考に耽る穂乃果。その姿を見詰めること数分後である。

「ねぇ、紀伊人さん……」
「なにかな?」

「この男の人ってなんで逃げてばかりなの?」

 小説の設定を根底から覆す言葉が返ってきた。
 紀伊人は思わず座したままこけそうになる。 


日時:2015年07月11日(土) 17:10

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