では逆にこの愛をBSS以外の何と名付ければ良いのか
僕の方が先に好きだったのに、これを略して「BSS」という。
遂げられなかった想いといえば聞こえは良いが、言ってしまえば「告白する勇気もなく燻ったままに、思いを遂げられず絶望する様」を幻視するような概念だと述べ得ることが出来かねないものだ。
よく「NTR」と並べられて「人を選ぶ性癖二大巨塔」と言われることもある概念なのだ。
このように想いを持つ者の情けなさ、未熟さが際立つ概念であるが故に、私はこの類の想念を含む作品には手を出せなかった。
なにせ、恋人との失恋でも、略奪の愛でもないのだ。
(34行省略されています)
そもそも、愛を育むに至っていないのに、そこに雑念怨念を生じ産むのであるから、どうにもならない弱さが見えてしまう。
なんだそれは、と。
適解RTAでは間違いなくないが、ファンブルを踏むことを恐れてサイコロを振らずあくせく足踏みしているだけの展開の薄い物語が、読みたかった訳ではない、という私の嗜好を下地とした妄念が首をもたげてしまうのである。
要するにBSSというのは、思い口にし努力すれば報われる、という若干の理想主義的な考えの人物が陥るものであり、空虚な地団駄以上になり得ない空しいだけの情動しか生まれない通念だと。
そう認識していた私は、考えが甘かったのかもしれない。
古今、物語の形は変わっており、そこに映る人間の有様というのも多様に変化している。
先に言った様な理想主義的な考えの登場人物がいる小説も、それこそ明治期から沢山あったし、なんならば結構な数の学生はそういう人間だったのやもしれない。
BSSに見られる「報われない」主人公や「後から嘆く」登場人物は大勢にいたのである。
ところが、現代においてはそれこそ最初に発言した通りに「人を選ぶ性癖二大巨塔」などと異名が付くほどに、分類化され一般化されたジャンルの形態はつまりは「食わず嫌い」「アレルギー反応」を起こしてしまう。
この作品の主人公は、言わずと知れた原作のヒロイン・ヴァレン何某に惚れて、その努力を周囲の「家族」に見守られながら育つ少年「だった」。
原作の世界に生まれ落ちた少年は、歯車の噛み合わせを致命的に祟られた結果、その努力が報われないままに最大級に裏切られて夭折した。
…という記憶を保持して、気がつけば想い人の運命の出逢いから三年前の街歩きの中に放り出されたのだ。
彼の幼気な心からはその瞬間、想いを諦め楽になるという選択が綺麗さっぱりと消え去ってしまった。
心はまだ幼く、しかし努力をする忍耐は前回由来。
彼のその健気な努力は、周囲の人間の心を否が応でも惹きつける。
この作品の妙はここにある。
現代ファンタジーにおいて馴染み深いものとなった「時間遡行」によって、主人公のBSSはそのまま「かつての想いを今度こそ成就させるため、血反吐を撒き散らしながら襤褸雑巾になりながら突き進む」物語へと昇華しているのだ。
幼い彼の人生の四半数をかけたその想いは、2度目にしてその努力の成果として報われ……
報われるとでも思っているのだろうか。
彼には原作主人公のような運命力はない。
ただ、周りの「家族」に見守られながら脇見することなく生きていた、それだけだ。
長い目で見た時、それこそ神の視点で見た時、彼のたらした血涙はその程度のものになる。
世界は、アイズとベルの恋を望んでいる。
その流れを打ち壊す程の存在意義は、彼には無いのだから。
どうして分不相応な願いが叶うのだろう?
では、運命の流れが決定づけられた世界で、かつてのBSSの涙に駆られて、自壊しながら歩む少年の《喜劇》と名付ければ良いか。
ーおお、恋とは狂気のようなものだ。ー
だから結局そういうこと。
きっと彼はもう止まれない。
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チル姐 2025年06月13日(金) 07:36 ★ (Good:4/Bad:8)