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(0) 「……え?」
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(0) 「……」
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(0) 消えてしまうくらい小さな声だが、確かに聞こえてきた疑問の言葉。でも、もう一度好きだと伝えることは出来なかった。
(0) ばさばさと家や木々を叩いているはずの雨の音さえ聞こえない。聞こえるのは、いつもより何倍も大きくて早い自分の心臓の音だけ。見慣れた景色の中にいるはずの自分は、今どこにいるのかさえもわからない。優子先輩だけをまっすぐ見つめていた。
(0)
(0) 時間の感覚もなくなって、言葉にしてからどのくらいの時間が経ったのだろう。ただ俺を苛んだのは、好きだという自覚とか、言えて良かったという安心なんかではなくて、どうしてこんなことを言ってしまったんだという後悔だった。
(0) 中学の頃までは、今考えれば本当に好きだったなんて事はない相手にちょっとのことで勘違いして、失敗すれば黒歴史が一つ増えたと傷つくだけだった。でも多分、この人相手にそうはいかないのだと思う。もしフラれてしまえば、築き上げてきた関係性は崩壊して、俺は黒歴史なんて言葉ではすまないくらい長く残る心残りができる。それは予感ではなくて確信だ。
(0) でも、どうせならばっさり捨てて欲しい。俺なんかでは無理だったと、そう言って欲しい。
(0) 優子先輩はしどろもどろになりながら口を開いた。
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(0) 「あ、あのさ。その、今のって…そういうこと、なんだよね?」
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(0) 「……」
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(0) 「な、なんか言ってよ…」
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(0) 「…さ、さっきのは…その…」
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(0) コンクールのときよりも逃げ出したい。このまま家に帰って、布団に顔を埋めてもがきたい。
(0) それが出来ないのは、優子先輩が俺の腕を掴んだからだった。
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(0) 「……」
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(0) 「…そういうことです」
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(0) 「…そう」
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(0) ふいと顔を逸らす。もうこれ以上は見ていられない。恥ずかしそうに頬を真っ赤にしているのも、何故か目がうるうるとしているのも今の俺には十分すぎる刺激だった。
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(0) 「…あの、嬉しいよ」
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(0) 「え?」
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(1) 「っ!だ、だから嬉しかったって言ったの!……私もいつからとかはちゃんとわかんないけど気になってたって言うか、好きだったから…」
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(0) 半ば投げやりで叫ぶような嬉しかったという響きは、雨の音にかき消されることなく、俺の耳に十分すぎるほどしっかりと届いた。隣にいるんだから当たり前なのに、それがどうも上手く受け止めきれない。
(0) だからその受け皿を探すために、後半になるほど小さくなっていった言葉を一言も逃さないようにとじっと聞いた。
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(2) 「でも、私結構重たいと思う。誰か女子と仲良くしてたら嫉妬しちゃうし、最初に付き合った人とはずっと付き合いたいって思ってるし、甘えたいし甘やかしちゃうだろうし、たくさん会いたいしできるだけ一緒にいたいし…それでも、面倒くさくならない?」
(0)
(1) …なんか今、とんでもなく可愛いものを見た気がする。弱々しくなっていく俺を掴む手を離してはいけないと思った。
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(0) 「まあ、そういう一面も多少は知っています。それを踏まえて、俺は、その…好きだなって思ったんです」
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(0) 「…うん」
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(0) 「それに面倒くささなら俺だって負けてないですし」
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(0) 「確かに」
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(0) 「そこだけハッキリと……」
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(0) 否定して欲しかったわけではないけど、ちょっとくらい否定して欲しかった。
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(0) 「でも、私だってそれは知ってるし、そういうところも嫌いじゃない。面倒くさいなってなることもあるけど、可愛いなって思うこともある。
(0) だ、だからその……」
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(0) だからその。もうここまで言ってくれたのなら、その先を言わなくてはいけないのはきっと俺だ。
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(1) 「…俺と、付き合ってくれますか?」
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(1) 「…はい」
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(0) 「じゃあこれから毎朝連絡してね?それで時間合わせて学校も一緒に行こう」
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(0) 「え?」
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(0) 「いやいや。『え?』って、付き合ったんだからその位いいでしょう?」
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(0) 人二人分。明らかに普段よりも遠い優子先輩は、傘の下から俺を見つめている。
(0) 身長差もあって自然と上目使いになるのは今に始まったことでもないのに、慣れたはずの行動の一つ一つに数分前からドギマギしてしまう。乙女か。
(0) でもしょうがないよね。彼女が出来たの初めてだからテンパっちゃうよね。
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(0) 「まあ連絡するくらいなら構わないですけど……」
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(0) 「やった!あと、帰りも一緒に帰ろ。今まで通り校門で待ち合わせてさ。それからそれから」
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(0) 「ま、まだあるんですか?」
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(0) 「うん。夜も電話するでしょー?それにお昼も一緒に食べたいな?」
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(0) 多いな。何、この拘束。
(0) これに吹部の活動の時間合わせたら、俺の一日のほとんどの時間、優子先輩と一緒になっちゃうんだけど。俺のプライベート…。
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(0) 「……帰り待ち合わせ校門にして一緒に帰るとかはいいですけど、昼一緒に食べるのは嫌です」
(0)
(1) 「がーん。なんでー?」
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(0) 「付き合ってるの、ばれないようにしたいじゃないですか?だから学校行くときも帰る時もせいぜい校門までにしましょう?」
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(0) 「そりゃ、皆に変に気を遣って欲しくないから、できるだけ学校の皆に自分からは言わないようにするけどさ」
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(0) 「自分たちから言わないのは勿論です。それどころか、付き合ってることがばれそうになったら誤魔化します。というか嘘吐いて、付き合ってないって言います」
(0)
(0) 「…何よ。もしかして私と付き合ってるって言うのが皆に知られるの、嫌?」
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(0) 「いや、そうじゃなくて」
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(0) むしろ迷惑被るのはこっちよりも優子先輩の方に違いない。
(0) 顔面偏差値的に考えても、吹奏楽部内のカースト的に考えてもそれは明白だ。一番嫌なのは香織先輩を貶めたこともあって、部内で嫌われ者の地位を未だに確立している俺と付き合ってることで優子先輩が蔑視されること。それだけは何としても避けたい。
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(0) 「ほら。さっき優子先輩も言いましたけど、皆知ったら気を遣うから」
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(0) 「でも、ばれたならばれたでいいでしょう?悪いことしてるわけじゃないんだし」
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(0) 「悪いことしてなくても悪いことされるんですって。禁止です。絶対禁止」
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(0) 「むぅー」
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(0) 「だ、ダメですよ。そんな目で見ても、それだけは俺、絶対に徹底したいっす」
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(0) 「んぅー、意気地無しぃー!」
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(0) 頬を膨らませて、少しだけ目をうるうるとさせている。どれだけ可愛くったって、これだけは耐える!頑張れ、俺!
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(1) 「あ。もしかして、私のことをなんか心配してくれてるの?」
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(0) 「ま、まあ俺なんかと付き合ってるって周りに知られたら、色々……」
(0)
(2) 「…そんなこと気にしなくていいのに。私は…普通に恋人したい、な?」
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(0) 「…ごふっ」
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(0) 「ねえ……は、…は…八幡」
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(0) 「……」
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(2) 「八幡……八幡……。あはは。なんか、恥ずかしいね?」
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(0) か。か。かか。かわええええぇぇぇぇーーー!!
(0) もう何でも言うこと聞いちゃう!朝昼晩、三食一緒にご飯食べるし、朝起きて授業して練習して家帰って、その間ずっと電話する!ちょっと拘束されすぎかなって思ってたけど、もうなんでもする!
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(0) 「わかりました」
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(0) 「え?」
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(0) 「お昼も一緒に食べましょう。学校にも一緒に行きます」
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(0) 「え?う、嬉しいけど急すぎて怖い」
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(0) 「でも優子先輩、下の名前で呼ぶのだけは学校ではやめてください。学校では。学校では」
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(0) 「めちゃくちゃ学校では強調してる…。うん。分かったよ、は、八幡。……八幡」
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(0) 「………」
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(0) 何だか嬉しそうにはにかんで俺の名前を連呼している姿に思わず見惚れてしまっていた。赤く染まった頬に手を当てて、どこかふわふわしてる表情。
(0) 恥ずかしそうに自分の名前を呼ばれるのって、こんなにドキドキするものなの?この感じ、もはやコンクールの時超えてるわ。
(0) だが、そんな自分の様子を俺に見られていることに気が付いた優子先輩はより一層顔を赤くして、それを傘で隠した。
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(0) 「きょ、今日はもうここまででいいから」
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(0) 「え?で、でも」
(0)
(0) 「本当にここまで大丈夫!送ってくれてありがとう!そ、その…明日からもよろしく」
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(0) 「は、はい。よ、よろしくお願いします」
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(0) 「それじゃあ、また明日ね!」
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(0) ああ。あれじゃあまた帰る頃にはびっしょりだ。大雨の中走って帰る優子先輩の後ろ姿は少しずつ遠くなっていく。その背中を見えなくなるまで見送って。
(0)
(0) 「うううおおおおおぉぉぉ!」
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(0) 叫んだ。
(0) もうさっきからずっと叫びたかった。嬉しさと恥ずかしさと感動とこれからへの不安ととにかく色んな感情が混ざっている。気持ちが溢れ出て止まらないとはこういうことを言うのだろう。
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(0) 「うううああああぁぁぁ!」
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(0) そして走った。走っていると、風で傘が全く差せていないが、どれだけびっしょりになっても関係ない。明日風邪を引いたっていいからとにかく叫びながら走りたかった。
(0) 文化祭の熱に浮かされた訳ではないはずだけど、この台風の夜から、俺と吉川優子の交際は始まった。