Fate/cross silent (ファルクラム)
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無印編
第1話「始まりの夜」


 

 

 

 

 

 

 

 始まりの記憶は、地獄だった。

 

 沸き上がる炎が周囲を覆いつくす。

 

 肌を焼く熱が、どう猛な獣のごとく、あらゆる感覚を侵食してくるのが分かった。

 

 ああ、そうか。

 

 唐突に、何の前触れもなく悟る。

 

 自分はこれから、死ぬのだと言う事を。

 

 

 

 

 

 まあ・・・・・・良いか・・・・・・・・・・・・

 

 

 

 

 

 ゆっくりと、目を閉じる。

 

 遮られる視界が、全てを覆いつくした。

 

 どうせ、何かを誇れるような人生でもなかったのだ。ここできっぱりと幕を下ろすのも悪くはない。

 

 そう思った。

 

 その時、

 

 不意に、

 

 すぐ傍らに、誰かの気配がうごめくのを感じた。

 

 誰だろう?

 

 些細な好奇心が死への誘惑を上回り、閉じかけた瞼を、もう一度開く。

 

 開いた視界に飛び込んできたのは、1人の女性だった。

 

 長い銀色の髪をした女性。

 

 きれいな人・・・・・・・・・・・・

 

 朦朧とする意識の中で、そんな風に思った。

 

「可哀想に・・・・・・・・・・・・」

 

 女性の手が、優しく髪をなでてくれるのが分かる。

 

 すでに感覚を失っている体にも、その心地よさが伝わってきた。

 

 と、

 

 女性のすぐ傍らに、もう1人、誰かが立つ気配を感じた。

 

 音もなく近づいてきたその人物は、静かな声で女性へと語りかけた。

 

「ここの工房の破壊は概ね完了したよ。もう、ここの連中には何もできないはずだ」

 

 抑揚を感じさせない低く抑えたような声は男のものである。

 

 次いで、男はこちらを見下ろしてくる。

 

「その子かい?」

「ええ」

 

 尋ねる男に、女性は頷きを返した。

 

 2人は夫婦だろうか? それとも恋人?

 

 そんな、どうでもいい思考が、頭に浮かんでくる。

 

 心の中で苦笑する。

 

 おかしなものだ。これから死のうとしているというのに、そんな事が気になるなんて。

 

「・・・・・・・・・・・・あの子と、同じくらいの年齢か」

「そうね」

 

 頷いてから、女性は僅かに目を細める。

 

 悲しみに震えているように見える。

 

 そう、彼女は悲しんでいるのだ。

 

 彼女自身のためではなく、今まさに死にゆこうとしている自分のために。

 

 ああ、

 

 きっとこの人は、とても優しい人なんだろう。

 

 こんな人の下に生まれていたら、自分の人生ももう少し違ったものになっていただろうか?

 

 薄れゆく意識の中で、そんなことを考える。

 

 やがて、視界が暗く霞み、何もかもが闇に飲み込まれていく。

 

 最後にもう一度、目の前の美しい女性を視界に収めながら、

 

 視界は、大いなる虚無に飲み込まれていった。

 

 

 

 

 

 聖杯戦争。

 

 かつて、そう呼ばれた戦いがあった。

 

 7人の魔術師が、7人の英霊を召還、戦いで勝利を得る事によって、万能の願望機たる聖杯の獲得を目指す魔術儀式。

 

 その道程は決して平坦なものではなく、戦いの度に幾多の犠牲者が出てきた。

 

 過去に行われた聖杯戦争は三度。

 

 しかし、そのいずれの儀式においても失敗。聖杯が顕現する事はなかったという。

 

 以来60年余り。

 

 新たな聖杯戦争が行われたという記録は、残されていない。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

第1話「始まりの夜」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 その少女を見た人間は恐らく、10人が10人、「可愛い」と言う反応を示す事だろう。

 

 流れるような銀色の髪に、珍しい深紅の瞳。日本人離れした容姿はそれだけでも目立っている。

 

 まるで西洋人形を思わせる外見ながら、クルクルとよく動く溌溂とした行動力は、愛くるしさが人に形を取っているとさえ思える。

 

 年齢的にはまだ10歳になったばかりだというのに、将来の美貌を約束されている気さえする。

 

 イリヤスフィール・フォン・アインツベルン。

 

 家族や親しい仲間内では「イリヤ」の愛称で呼ばれる少女とは、そんな女の子だった。

 

 御年10歳。

 

 私立穂群原学園初等部5年1組に在籍する小学生である。

 

 終業のチャイムが鳴ると同時に、イリヤは手早く自分の教科書とノートをランドセルに入れて立ち上がる。

 

 ともかく、少しでも早く目的の場所へ行きたいのだ。

 

「イリヤちゃん、一緒に帰ろう」

「ごめーん。今日はお兄ちゃんと帰る日なの」

 

 誘ってくる友人の桂美々(かつら みみ)に、そう言って謝るイリヤ。

 

 イリヤとしても友達と一緒に帰るのはやぶさかではないのだが、今日はそれ以上に優先したい事情があった。

 

 イリヤの友人一同の中では、割とおとなしい性格の美々は、イリヤのその言葉で大体の事情を察してくれる。

 

 イリヤには高校生の兄がいる。

 

 その兄は学校では弓道部に所属しており普段は帰りが遅いのだが、今日はたまたま練習が休みな為、一緒に帰る約束をしていたのだ。

 

「あ、今日はお兄さん、部活お休みなんだ」

「うん、そうなんだ」

 

 嬉しそうに頷きを返すイリヤ。

 

 イリヤが兄と仲が良い事は、友人たちは皆知っている。だからこそ、イリヤの意思を尊重してくれる事が多いのだった。

 

 荷物をまとめ、教室の出口へ向かおうとするイリヤ。

 

 と、

 

 そんなイリヤの背後に、誰かが立つ気配があった。

 

 笑顔を浮かべるイリヤ。

 

 誰が来たのかは、すぐに察する。

 

 振り返ると、1人の少年がイリヤの背後に立ち、まっすぐに少女を見つめてきていた。

 

 髪を中途半端な長さに伸ばし、肌の色がやや白い印象がある。

 

 年齢相応に小柄な少年。

 

 手足はまだ細く、背はイリヤよりも少し低いくらいである。

 

 しかし、何より特徴的なのは目だろう。

 

 年齢的にはイリヤ達と同じなのだが、同年代の子供に特有の、「あどけさな」や「天真爛漫さ」を見て取ることができない。

 

 茫洋とした瞳には光が薄く、表情を読み取ることも難しい。

 

 イリヤとは別の意味で「人形」めいた少年だった。

 

 だが、

 

 そんな少年に対し、イリヤは構わず笑顔を向ける。

 

「あ、ヒビキ、準備できた?」

「ん」

 

 響と呼ばれた少年は、イリヤに対して短く頷きを返した。

 

 素っ気ない感じだが、それは少年にとっていつも通りの反応。だからこそ、イリヤは別段気にすることなく、少年の手を取った。

 

「よし、じゃあ行こう。美々、また明日ね」

「バイバイ、イリヤちゃん、響君」

 

 手を振る美々。

 

 その姿を背に、イリヤは響の手を引いて教室を後にするのだった。

 

 

 

 

 

 穂群原学園の高等部は初等部と隣り合う形で併設されている。その為、互いの校舎を行き来する事もできる。

 

 その高等部の校門前に、響とイリヤは立っていた。

 

「んー、お兄ちゃん、遅いね」

 

 イリヤは先程から、ピョコピョコとジャンプしながら、校門を出てくる学生達の姿を見ている。

 

 その様子を、下校する高校生たちが、微笑ましそうに見つめながら通り過ぎていく。

 

 イリヤと響はこうして時々、兄を迎えに来て高等部の正門に立っている事が多い為、見知っている学生もいるのだ。

 

 だが、待ち人はなかなか姿を現さない。

 

 彼女の兄は目立つ容姿をしている。出てくれば一目瞭然なのだが。

 

 と、

 

 それまでイリヤの様子を横眼で眺めていた響が、スッと腕を伸ばして指さした。

 

「どうしたのヒビキ?」

「来た」

 

 尋ねるイリヤは、響が指示した方向を見る。

 

 するとそこには、自転車を押してやってくる1人の男子学生がいた。

 

 その姿を見つけ、イリヤは大きく手を振る。

 

「おーい、お兄ちゃーん!!」

 

 その呼び声が聞こえたのだろう。相手の方も、自転車を押しながら手を振ってくる。

 

 やや赤み掛かった髪に、柔和な顔付きの少年の顔は、自分を待っていてくれた妹と弟に笑顔を向ける。

 

「何だ、イリヤに響。迎えに来てくれたのか。待たせて悪かったな」

「ううん。ちょうど終わったところだったし」

「問題ない」

 

 イリヤは笑顔で、響は表情を動かさずにそれぞれ兄を出迎えた。

 

 

 

 

 

 衛宮士郎(えみや しろう)、イリヤスフィール・フォン・アインツベルン、衛宮響(えみや ひびき)

 

 この3人は兄妹である。

 

 と言っても、名前からわかる通り、血が繋がっているわけではない。

 

 そもそも彼らの両親からして、色々とあって結婚はしていない。姓が違うのは、その為だった。

 

 そんな中で、両親の実子は唯一の女の子であるイリヤだけ。士郎と響はそれぞれ、両親が、それぞれの事情から養子として引き取った子供たちである。

 

 だが、

 

 長男の士郎、長女のイリヤ、そして末弟の響。

 

 そんな互いの関係などお構いなしに、3人はそれぞれ仲が良い兄妹として、近所でも知られていた。

 

 家族構成は両親と3人のほかに、使用人が2人いる。

 

 日本の一般家庭に使用人がいると言う事は異例、と言うよりも異色に近いように思えるのだが、実際には使用人2人も家族のような扱いになっているため、イリヤ達は全くと言っていいほど気にしていなかった。

 

 以上7人の家族。昨今の日本における一般家庭にしては、なかなかの大家族であると言えるだろう。

 

 もっとも、両親2人は海外関係の仕事で家を空けることが多いため、実質的には兄妹と使用人2人の、合計5人で過ごす事が多いのだが。

 

 その衛宮邸の前に、3兄妹が立っていた。

 

 もっとも、イリヤと響の小学生コンビは、なぜか肩で息をしているのだが。

 

「いや、お前等、何も無理に着いてこなくても」

 

 そんな弟妹達の様子を、士郎は呆れ気味に苦笑して眺めている。

 

 きっかけは士郎の自転車に合わせて走ると言ったイリヤに対し、士郎が「家まで競争」などと言った事だった。

 

 高校生男子が、小学生の弟妹相手に自転車に乗って「競争」も無いと思うのだが、それでも勝負が成立してしまうのが、イリヤと言う少女だった。

 

 彼女の足の速さはなかなかの物であり、士郎が自転車で走っても追随できるほどである。

 

「こんなの、へ、へっちゃらだよ。50メートル走なら、男子にだって負けないんだから」

「付き合わされる・・・方の、身にも・・・・・・・・・・・・」

 

 無理やり笑うイリヤに対し、息も絶え絶えに悪態をつく響。

 

 足の速いイリヤならともかく、響にしてみれば着いていくだけで精いっぱいだった。

 

「まあまあ2人とも。早いとこ着替えて、ジュースでも飲もう」

 

 そんな弟妹達の様子に苦笑しつつ促す士郎。

 

 その意見には、全くの同意だった。

 

 揃って玄関のドアをくぐるイリヤ達。

 

 そんな3人を、落ち着いた感じの女性が出迎えた。

 

「あら、お帰りなさい。珍しいですね、3人一緒だなんて」

 

 使用人のセラである。

 

 この家では家事全般を司っているのがセラである。ちなみに落ち着いた雰囲気で一見すると優しそうだが、怒らせると怖い。ある意味、両親不在の衛宮家が機能を完璧に維持しているのは、セラの存在が大きかった。

 

 一方、

 

「ん、おかえりー」

 

 今のソファーに寝そべり、けだるい感じで3人を出迎えたのはもう1人の使用人であるリズである。

 

 とても「使用人」には見えないが。

 

 テレビの中では、何やらステッキを持った魔法少女風の女の子が、敵に向かって啖呵を切っている様子が映っている。

 

 どうやらリズは、アニメを見ていたようなのだが、

 

 その様子を見て、イリヤが声を上げた。

 

「あー、リズお姉ちゃんッ 先に見ちゃってる!!」

「ずるい・・・・・・・・・・・・」

 

 響も、イリヤに同調するように、静かに抗議の声を発する。

 

 リズが見ているのは「魔法少女マジカル☆ブレードムサシ」のDVDである。

 

 そう言えば今日は、注文したDVDセットが届く日だったことを思い出す。

 

 本来は日曜朝に放送されていた女児向けのアニメだが、魔法少女の可愛らしさと戦闘シーンの秀逸さが相まって、10代、20代と、幅広い年齢層に支持を受けている。

 

 イリヤと、そして密かに響も、このアニメのファンだったりする。

 

「ねえねえリズお姉ちゃんッ 最初から見ようよ。お願いだから!!」

「・・・・・・・・・・・・リズ」

 

 右と左からリズの腕を取り、おねだりするイリヤと響。

 

 そんな弟妹達の様子に、リズは表情を変えずに頷きを返す。

 

 リズは普段からだらけているのだが、基本的にイリヤ達には優しい。

 

 締めるべき所は締めるセラと、やや甘やかし気味のリズ。

 

 対照的な2人だが、これはこれでうまく噛み合い、衛宮家の機能維持に大きく貢献している。

 

 そんな訳で、イリヤ、響、リズの3人は、揃ってソファーに座り、アニメ鑑賞としゃれこむのだった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 高空で、光の弾丸が交錯する。

 

 流星が駆け抜けるが如きその光景は、ある種の幻想的な風景を作り出しており、見る者を魅了する事だろう。

 

 もっとも、

 

 その光景を作り出している者達は、そんな幻想(ロマンチック)とは無縁の状況に置かれていたのだが。

 

 2つの人影が、乱れ飛びながら交錯している。

 

 1人は黒髪を頭の両サイドでツインテールに縛り、赤い服を着た少女。

 

 もう1人は長い髪を金髪の縦ロールにセットし、青い服を着た少女。

 

 そして、両者ともに、手には似たような形のステッキが握られていた。

 

 互いに、年齢は10代後半ほど。

 

 人間が空を飛ぶ、などと言う事態もさる事ながら、2人は先程から人知を超えた戦いを星空の下で繰り広げていた。

 

 金髪の少女が、背後に複数の魔法陣を展開すると、一斉に光弾を撃ち放つ。

 

 対して、ツインテールの少女は機動力に物を言わせて回避する。

 

「だァァァァァァ!! 何で攻撃してくるのよこいつは!! 共同任務だってこと忘れてんじゃないの!?」

《まったく困ったちゃんですねー。結構な本気弾でしたよ、あれ》

 

 怒りをぶちまけるツインテールの少女に対し、手にしたステッキが呑気な声で返事をする。

 

 対して、攻撃を放った縦ロールの少女は、勝ち誇ったような高笑いを上げている。

 

「オーッホッホッホッホッホッホ!! こんな任務、(わたくし)1人でどうとでもなりますわ!! あなたさえいなくなれば、全て丸く収まるんですのよ!!」

《マスターは人でなしと評します》

「黙りなさい、サファイア!!」

 

 こちらもまた、手にしたステッキから冷静な指摘を受けている。

 

 さて、

 

 人間の持つ一般常識に照らし合わせれば、色々と突っ込みどころ満載な光景であるのは間違いないのだが、

 

 それらを踏まえた上で、客観的事実として言える事は、

 

 2人が滅茶苦茶、仲が悪いと言う事だろう。

 

 先ほどから繰り広げられている応酬には、互いに「手加減」という要素が一切見られない。

 

 下手をすれば命を落としかねないレベルである。

 

 それでもなお決着がつかないのは、2人のレベルが相当に高い事。そして両者の実力が、ほぼ伯仲している事が原因だった。

 

 だが、拮抗状態も長くは続かない。

 

 金髪縦ロールの少女は、手にしたステッキを振りかざして叫ぶ。

 

「さあ、わたくしの輝かしい未来の為に、ここで散りなさい。遠坂凛(トオサカ リン)!!」

 

 放たれる、特大の閃光。

 

 流石にまずいと思ったのか、ツインテールの少女は防御姿勢を取る。

 

「だァァァァァァ!? ルビー、障壁張って、障壁!!」

《常に張ってますよ~ ただ・・・・・・・・・・・・》

 

 直撃する閃光。

 

 その中から、黒焦げになった少女が姿を現す。

 

《ここまで強力な魔力砲だと、ちょっと相殺しきれませんね~》

 

 のんきなことを言うステッキとは裏腹に、ツインテールの少女は沸々と湧き上がる怒りを自覚せずにはいられなかった。

 

「・・・・・・・・・・・・痛い」

《まあ、治癒促進(リジェネレーション)も掛けてありますから、しばらく放っとけば治りますよ》

「いや、治るとかそうじゃなくて、今とっても痛い・・・・・・・・・・・・」

 

 そもそもの原因は、向こうが攻撃を仕掛けてきた事にある。

 

 こちらは、たとえ相性最悪な奴であろうとも、最低限の協力はしてやろうと思っていたのに。

 

 「だと言うのにあいつときたら・・・・・・・・・・・・」

 

「まったく、害虫のようにしぶとい女ですわね。とっとと消えてもらえません事」

 

 見下ろす形で、高慢に告げる金髪女を見上げ、

 

 ツインテールの少女は、堪忍袋が完全に切れるのを自覚した。

 

「そう・・・・・・あんたの気持ちはよーくわかったわ。そっちがその気なら・・・・・・」

《凛さん?》

 

 尋ねるステッキを無視して、ツインテールの少女は胸のポケットから1枚のカードを取り出した。

 

 タロットカードを思わせるその絵柄には、弓を構えた兵士の絵柄が描かれている。

 

「この場で引導を渡してやるわよ!!」

 

 対して、金髪縦ロールの少女にも緊張が走る。

 

「クラスカードを抜きましたわね!! ならばこちらも手加減いたしませんわよ!!」

 

 今まで手加減していたのか?

 

 というツッコミはさておき、こちらもカードを抜き放つ。こっちのカードは、槍を携えた兵士が描かれていた。

 

 カードを掲げる両者。

 

 そして、同時に叫んだ。

 

「「限定展開(インクルード)!!」」

 

 それは特殊な力を秘めたカード。

 

 その力を開放すれば、より強力な攻撃が可能になるのだ。

 

 次の瞬間、

 

 シ――――――――――――ン

 

 カードは当たり前のように何も起こらず、虚しい沈黙だけが場を支配していた。

 

「ちょっとルビー、何やってるのよ!! インクルードよ!!」

「どうしましたのサファイア!!」

 

 焦る2人の少女たち。

 

 しかし、何度試みても結果は同じ。カードからは何の変化も起こる事は無かった。

 

 ややあって、赤い少女が持つルビーと呼ばれたステッキが口を開いた。

 

《やれやれですねー もう、お二人には付き合いきれません》

「なッ!?」

《いいですか。大師父がカレイドステッキ(わたしたち)をお二人に貸し与えたのは喧嘩に使わせるためではなく、お二人が協力して任務を果たすためだったはずです。だと言うのに、この魔法の力を私闘の為に使うだなんて、本末転倒も良いところですねー》

 

 絵に書いたような正論を言われ、赤い少女はぐうの音も返せずにいる。

 

 一方、

 

《ルビー姉さんの言うとおりです》

「サファイア!?」

 

 青い少女が持つステッキも口を開いた。こちらはルビーに比べ、幾分落ち着いた印象の喋り方である。

 

《大師父の命令でルヴィア様が私のマスターとなってまだ数日ですが、任務を無視したその傍若無人な振る舞い・・・・・・恐れながらルヴィア様はマスターに相応しくないと判断します》

「なッ・・・・・・・・・・・・」

 

 言葉遣いは柔らかいが辛辣な指摘に、青い少女も絶句する。

 

《 《ですので・・・・・・・・・・・・》 》

 

 ルビーとサファイアは同時に言うと、それぞれの手からスルリと抜け出る。

 

《 《誠に勝手ながら、しばらくの間、お暇をいただきます!!》 》

 

 そのまま飛び去って行く、2本のステッキ。

 

「ちょ、ちょっとー!!」

「コラァッ!! ステッキの分際で、主人に逆らうの!!」

《もっと、わたし達に相応しいマスターを捜して戻ってきますよ》

《失礼します、元マスター》

 

 飛び去って行く、ルビーとサファイア。

 

 と、思い出したようにルビーは急停止して振り返った。

 

《ああ、それと凛さん、ルヴィアさん、一つお教えしますが・・・・・・もう転身は解除しましたので、早く何とかしないと、そのまま落下しますよ》

 

 それだけ言い置いて、飛び去って行くステッキ達。

 

 次の瞬間、

 

 思い出したように、2人の少女は急落下を始めた。

 

「だぁぁぁーッ お、落ちるー!!」

「おのれ、許しませんわよ、サファイアー!!」

 

 悲鳴交じりの捨て台詞を残し、

 

 少女たちは夜の街へと墜落していくのだった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 微かに聞こえてきた振動に、響は顔を上げた。

 

 机の上には、学校で使う教科書とノートが乗っている。

 

 宿題をやっている最中に感じた違和感に首をかしげる。

 

「・・・・・・・・・・・・地震?」

 

 呟いてみるものの、特に揺れが継続して起こっているわけではない。と言う事は、地震の線は薄そうである。

 

 気のせいだろう。

 

 そう思って、宿題へと戻ろうとした。

 

 だが、

 

「・・・・・・・・・・・・」

 

 やはり、気のせいだとは思えない。もし本当に地震だとしたら、もっと大きな本震が来るかもしれないのだ。

 

 響は部屋を出ると、その足で隣にあるイリヤの部屋へと向かった。

 

「イリヤ、いる?」

 

 呼びかけるものの、中から返事はない。

 

 時間を確認すると、いつもイリヤが風呂に入っている時間だと言う事を思い出す。

 

 仕方がない。上がるのを待とう。

 

 そう思い、踵を返す。

 

 その時だった。

 

 キンッ

 

「ッ!?」

 

 何か、警報めいた耳障りな音が、鼓膜の奥で鳴り響いたような気がした。

 

 その正体を探るように、響はスッと目を細める。

 

 今のが何なのか、響には判らない。

 

 しかし、すぐ近くで何かが起こっているような気がした。

 

「・・・・・・・・・・・・外?」

 

 先程の地震と言い、何か気になる。

 

 一応、確かめておいた方が良いと感じた響は、その足で玄関へと向かった。

 

「およ、ヒビキ、どした?」

「ちょっと」

 

 階段を降りようとしたところですれ違ったリズにそう言うと、そのまま玄関を出て外へと向かう

 

 子供らしい好奇心に導かれて、家の裏へと向かう。

 

 そこは屋内では風呂場がある場所のはず。

 

 そこで、

 

「離しなさいってばッ!!」

「いや、だから離れないんだってば!!」

《諦めが悪い人ですね~》

 

 複数の人間が争う声が聞こえる。

 

 覗き込む響。

 

 そこで、

 

 響にとってよく見慣れた人物が、あまり見慣れない格好で、明らかに年上と思われる女性と、手にしたステッキを取り合っている光景があった。

 

「・・・・・・・・・・・・何やってるの、イリヤ?」

「は、ひ、ヒビキ!?」

 

 呼ばれて、イリヤは慌てた調子で振り返る。

 

 その恰好は、ピンク色を基調としたフリフリのドレス。

 

 ありていに言えば「マジカル☆ブレードムサシ」を連想させる、魔法少女風のコスチュームだった。

 

 

 

 

 

第1話「始まりの夜」      終わり

 




主人公紹介

衛宮響(えみや ひびき)

誕生日:11月20日
身長:131センチ  
体重:32キロ
イメージカラー:灰白色
特技:ゲーム(シューティング系、RPG系、アクション系、カードゲーム等)
好きな物:家族、友達、甘い物
嫌いな物:苦い物
天敵:■■■■■

備考
衛宮家の末っ子で、士郎、イリヤの弟。口数が少なく茫洋としており、何を考えているのか分からないところがある。


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第2話「憂鬱の少女」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 晴れ渡る空。

 

 清々しい風。

 

 暖かく降り注ぐ陽光。

 

 そんな爽やかな雰囲気が、朝の登校風景を彩っている。

 

 心地よい空気の中、小学生たちは学び舎に向かって、笑顔で歩いていく。

 

 まさしく、青春と平和、とでも題名をつけたい風景である。

 

 そんな中、

 

 爽やかな風景をぶち壊すような、どんよりした空気を垂れ流す小学生が約1名、トボトボと言った感じに通学路を歩いていた。

 

 そんな姉の様子に、衛宮響は呆れ気味の視線を向ける。

 

「イリヤ、遅い。て言うか、ちょっと鬱陶しい」

「うう、少しは気遣ってよ~」

 

 薄情な弟の言葉に返す返事にも、しかし力が籠らない。

 

 イリヤスフィール・フォン・アインツベルンは今、彼女の取柄ともいうべき「溌剌さ」を完全に失った状態で、重い足取りを引きずっていた。

 

「ヒビキは良いよね、巻き込まれたわけじゃないし」

 

 嘆息交じりに呟くイリヤに、響もかける言葉が見つからなかった。

 

《もー イリヤさん、何を黄昏ているんですか。人生はもっと楽しくないといけまんせんよー》

 

 ひどく能天気な声とともに、イリヤの長い髪の中から星形のプレートのようなものが飛び出してきた。

 

 その星を、ジト目で睨むイリヤ。

 

「何言ってんの。全部、ルビーのせいじゃん」

《いえいえ、全ては運命。私とイリヤさんは、それはもう、赤い糸でハートががっちりばっちりと結ばれているのですよ》

「いや、意味わかんないし」

 

 この、うさん臭さ全開な軽快トークを繰り広げるヒトデ、ではなくて星形の物体は、マジカルルビーと言い、何やら大層な魔術礼装であるという。

 

 今、このルビーとやらと、イリヤは契約状態にあるのだとか。

 

 尚も軽い調子で話しまくるルビーをジト目で睨みつつ、響は昨夜のことを思い出していた。

 

 昨夜の事は、2人にとってあまりにも衝撃的過ぎた。

 

 

 

 

 

「「魔術協会?」」

 

 響とイリヤは、目の前に座る遠坂凛に対し、

 

 あの後、イリヤの部屋に集まって、諸々の説明を受けていた。

 

「そう。あたしはそこから派遣されてきたエージェントって訳」

 

 魔術。

 

 魔法。

 

 今時、そんなありふれたファンタジーなど、小学生だって信じるわけがない。

 

 と、思っていたのだが、

 

《何を格好つけちゃってるんですかねー この年増ツインテールは》

 

 こうしてノーテンキにしゃべるヒトデ、ではなく自称「魔法のステッキ」が現実に存在している以上、認めざるを得ないのだが。

 

 凛と、この魔法のステッキ「マジカル・ルビー」の説明によると、事情はこうである。

 

 彼女たちはイギリスのロンドンにある、「時計塔」と言う場所から派遣されてきた魔術師なのだと言う。

 

 時計塔と言うのは、いわゆる魔術師を養成する学校で、彼女はそこの主席候補らしい。

 

 しかしある日、この冬木市で起こっている魔術的現象を調査するために、この街に派遣されてきたらしい。

 

 しかし、同じく派遣されてきた相手が最悪であり、任務そっちのけで仲たがいするばかり。

 

 そんな彼女達にルビーと彼女の妹は、とうとう愛想を尽かして契約を一方的に破棄。そこで新たな契約者を探している内にイリヤを発見。安全(ごういん)かつ、完全な同意(ごりおし)の元、イリヤと契約を結び現在に至ると言うわけだ。

 

「ははあ、成程」

「・・・・・・・・・・・・」

 

 説明を聞いたイリヤと響は、生暖かい目で2人を見詰める。

 

 何というか、状況がコントじみていて、小学生2人はイマイチどう反応すればいいのか判らないのだ。

 

 何とも、緊迫感が欠ける事甚だしかった。

 

「で、でもさ!!」

 

 そんな空気を一変しようと、イリヤが努めて明るく言った。

 

「しゅ、せき? て事は、一番頭が良いって事なんだよね」

「ん、ま、まあね」

 

 イリヤに言われ、凛は僅かに視線をそらしながら答える。

 

 そんな風に言われて、悪い気はしていない様子だ。

 

 そこへ、イリヤはさらに言い募る。

 

「そっか、優秀な人だから、こういう任務みたいなのも任されるんだね!!」

「ん、すごい」

 

 イリヤの意図を察したのか、響もまた同意するように頷く。

 

 確かに「主席候補」と言うからには、凛が優秀な「魔術師」である事は間違いないのだろう。

 

 目をキラキラと輝かせて、凛を見る子供たち。

 

 対して、凛はと言えば、何とも微妙な表情で視線を逸らしている。

 

「あ~ それは・・・・・・えっと・・・・・・」

《いえいえ、騙されちゃいけませんよ~ イリヤさん、響さん》

 

 口ごもる凛に代わって、ルビーが口を開いた。

 

《本当は凛さん達は、私の制作者である大師父(ジジィ)の弟子にどっちがなるかで揉めて、時計塔の講堂を破壊した挙句、罰として今回の任務に就かされたんですから》

「だまらっしゃいッ あたしの元から飛び出してったあんたに、そんな事言われたくないわよ!!」

 

 出来れば隠しておきたかった事実をあっさり暴露したルビーを、凛はがっしりと掴み、握りつぶさん勢いで掌に力を籠める。

 

 見れば、ルビーの体が、握力に押されて変形していくのが分かる。

 

 そんな2人の様子を見やりつつ、小学生2人は同時に思った。

 

 「何かこの人、色々とダメっぽい」

 

 と。

 

「・・・・・・・・・・・・まあ、話は戻すけど」

 

 さんざんルビーを虐待した凛は、彼女を放り出してから2人に向き直る。

 

「結論から言えば、私たちが時計塔から依頼された任務は、カードの回収よ。こんな感じのやつね」

 

 言いながら、凛はポケットの中に入れておいたアーチャーのカードを取り出す。

 

 弓を構えた兵士の絵柄に、響とイリヤ。

 

「カードって・・・・・・でもこれ、ステータス表記が無いから、ゲームができないよ」

 

 昨今、カードゲーム業界も発展著しい。

 

 様々な分野のカードゲームが出回っており、響達の学校でも流行っていた。

 

「同じのなら、ある」

 

 言いながら、響はモンスターの絵柄が描かれたカードを凛に差し出す。

 

「ダブったから1枚あげる」

「いらないわよ。ていうか、それはおもちゃのカードじゃないの。極めて高度な魔術理論で編み上げられた、特別な力を持つカードなのよ。悪用すれば、それこそ町1つ滅ぼせるくらいの、ね。それと同じようなカードが、この冬木の町には眠っているのよ」

 

 などと言われても、小学生2人にはイマイチ、ピンと来ない。

 

「要するに、町に仕掛けられた爆弾を秘密裏に解体していく、闇の爆弾処理班みたいな感じ?」

「仕事人?」

「・・・・・・斬新な比喩ね。まあ、だいたい間違いじゃないんだけど」

 

 最近の小学生は、何やら知識の偏りが激しいらしい。

 

 まあ、小難しい事を言っても分からないだろうから、それくらいザックリとした認識の方がやりやすいのかもしれないが。

 

「ま、そんな感じで、その爆弾を処理するのに、生身のままじゃきついってんで、特別に貸し出されたのが、このバカステッキってわけ」

《最高位の魔術礼装をバカステッキ呼ばわりとは失礼な人ですねー そんなんだから反逆されるんですよ。私だって(扱いやすい)主人(マスター)を選ぶ権利くらいあります!!》

 

 微妙に本音が漏れた気がしたが、ルビーは断固として凛の手をはねのける。

 

 どうやら、梃子でも契約を解除するつもりはないらしい。

 

 嘆息する凛。この事態は、彼女にとっても予想済みの事だったようだ。

 

「本来なら無関係な人間を巻き込みたくないんだけど、でもこいつはこの通り、まったくいうこと聞かないし」

 

 言いながら凛は、ルビーをイリヤに投げてよこす。

 

「だから、解放されたかったら、なんとかその馬鹿を説得するように。その間、あんたには私の代わりに戦ってもらうわよ」

 

 そう言ってから、凛はイリヤの鼻先に指を指す。

 

「イリヤ、あんたには、あたしの奴隷(サーヴァント)になってもらうからね」

「・・・・・・・・・・・・はい?」

「・・・・・・鯖・・・・・・煮込み?」

 

 対して、意味が分からず、響とイリヤは目を丸くするのだった。

 

 

 

 

 

 そんなやり取りをした後である。

 

 イリヤが落ち込みたくなる気持ちもわかるのだが、

 

「いい加減、シャッキリする」

「うう、薄情な弟を持つと苦労するってのがよくわかるよ」

 

 うっすらと涙を浮かべつつ、イリヤは嘆息する。

 

 もっとも、こうしたやり取り自体が、姉に対する響の気遣いなのだ。

 

「キリキリ歩く。このままじゃ遅刻」

「う~」

 

 たぶん。

 

 こうして、いつもの倍近い時間をかけて学校へと到着したイリヤと響。

 

 下駄箱を開けて上履きを取り出そうとした時だった。

 

「あれ?」

 

 下駄箱の中を覗いていたイリヤが、何やらキョトンとした様子で突っ立っている。

 

 そんな姉の様子に、響も訝りながら近づいた。

 

「イリヤ?」

「これ、は・・・・・・」

 

 中に手を突っ込むイリヤ。

 

 取り出したのは、封筒に入った1枚の手紙だった。

 

 差出人は無い。

 

 しかし、下駄箱の中に入っている手紙、とくれば想像力が大いに駆り立てられるところである。

 

《これはもしかすると、もしかしなくても、ラブでレターなアレですね!! 間違いありません!!》

 

 興奮した調子で喚きまくるルビー。

 

 その横で、響はボソッと呟く。

 

「ベタすぎ」

《いえいえ響さん。情報あふれる昨今においてこそ、こうした古典的な手法が尊ばれるのですよ!! ビバ古典回帰!!》

「・・・・・・よくわからない」

 

 ルビーの言動についていけず、首をかしげる響。

 

 そんな2人の喧しいやり取りの横で、イリヤが手紙を見詰めたまま立ち尽くしている。

 

 流石に未経験の事態の為、小学生の対応能力を超えているらしい。

 

 そんなイリヤに、寄り添うルビー。

 

《落ち着いてくださいイリヤさん。ここは冷静に、冷静に対処すべきところですよ》

「う、うん、わかってる」

「爆弾処理か?」

 

 ジト目になった響のツッコミを無視して、イリヤとルビーはゆっくりと封筒を開いて中身を取り出す。

 

 果たして、中から出てきた手紙の文面は、

 

『今夜0時、高等部の校庭まで来るべし。来なかったら、迎えに行きます』

 

 最後に「遠坂凛」の署名と共に、そんな事が書かれていた。

 

 しかもなぜか定規を使い筆跡を隠そうとしたのか、妙に直線の目立つ字で。知り合い相手に、なぜそんな事をする必要があるのか?

 

「「《・・・・・・・・・・・・》」」

 

 しばし、絶句する3人。

 

 正直、どんなリアクションを取ればいいのか、計りかねているのだ。

 

 ややあって、

 

「・・・・・・ん、もうすぐ、予鈴鳴る」

《そうですね。遅刻するのはよくありません》

「そうだね、行こ行こ」

 

 そう言うと、3人は何事もなかったように立ち去っていくのだった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 その男は一見すると、普通のサラリーマン風の男に見える。

 

 灰色のスーツを着込み、手には小型のトランクを抱え、人の流れに乗るように歩いている。

 

 一見すると普通の、

 

 そう、普通すぎるくらいに普通の動き。

 

 しかし、

 

 その普通の動きが、見る者によっては却って不自然に映るのだった。

 

 サングラスの下にある鋭い眼光は、真っ直ぐに前を見据え、まるで全てを監視するように睨み据えている。

 

「ここが、冬木か」

 

 低い声で囁かれる言葉。

 

 抑揚を抑えた、低い声。

 

 道行く人々は、誰もその言葉に気付かずに歩いていく。

 

 しかし、僅かでも素養がある人間なら、不審な眼差しを男に向ける事だろう。

 

 それほどまでに、男が放つ雰囲気は剣呑な物だった。

 

「・・・・・・・・・・・・ここに、奴がいる、か」

 

 そう呟くと、男は足早に歩き去っていく。

 

 やがて、その姿は雑踏に飲み込まれ、見えなくなっていくのだった。

 

 

 

 

 

「コンパクトフルオープン!! 鏡界回廊最大展開!!」

 

 告げると同時に、少女の姿は光に包まれる。

 

 それは少女がずっと心の中で夢見て来たことだった。

 

 キラキラした可愛らしい衣装を着て、手には不思議なステッキを持って舞い踊る少女。

 

 そして呪文を唱える度に、本来ならあり得ない筈の事が次々と起こる。

 

 自由自在に空を飛び、

 

 他の人間に変身し、

 

 動物や虫と会話する。

 

 そんな素敵な能力。

 

 そして時に、敵を相手に勇敢に戦う。

 

 そんな魔法少女になる事を、ずっと心の奥底で望んできた。

 

 その夢が、ついに叶ったのだ。

 

「魔法少女プリズマ・イリヤ、推参!!」

 

 名乗りを上げて、可愛らしくポーズを決めるイリヤ。

 

 同時に、相棒であるステッキに告げる。

 

「悪い奴等と愚鈍な男は許さない!! ルビー、行くよ!!」

《オーケー、マイマスター!! 魔力集積路二次開放!!》

 

 ステッキに魔力が集中する。

 

 イリヤは、自身の敵を見据えて振りかざす。

 

「行くよ、一撃必殺!!」

 

 今まさに、攻撃しようとした。

 

 次の瞬間、

 

 

 

 

 

 スパァンッ

 

 

 

 

 

「あいたァッ!?」

 

 突然、頭をはたかれ、イリヤは目を覚ました。

 

 見渡せば、ここは戦場、ではなく教室である。

 

 担任の藤村大河(ふじむら たいが)が、丸めた教科書を手に厳しい顔で立っていた。

 

 どうやら、イリヤは授業中に居眠りをしてしまっていたらしい。

 

「イリヤちゃん、授業中に堂々と居眠りをしないように」

 

 大河、クラスメイトから密かに「タイガー」の愛称で呼ばれ、普段から割と親しみやすい、友達感覚で付き合える担任として、クラス内では人気が高い。

 

 が、それはそれ。

 

 担任として、締めるべきところは締めるのだ。

 

 周りのクラスメイト達が、そんなイリヤを見てクスクスと笑い声を立てている。

 

 顔を真っ赤にしてうつむくイリヤ。

 

 そんなイリヤの様子を、離れた席から、響が嘆息交じりに見つめていた。

 

 

 

 

 

 イリヤは根が真面目である為、授業中に居眠りをすることなど、これまでに一度もなかった。

 

 それが今日は違った、ということは、原因ははやり一つしかないだろう。

 

「イリヤ」

 

 さすがに気になった響は、放課後になってから気遣うように声をかけた。

 

「ん、どうしたの、響?」

「大丈夫?」

 

 相変わらず、表情の乏しい顔で話しかける響。

 

 しかしそこに、不器用な弟の気遣いがある事は、イリヤにもわかっていた。

 

 だからこそ、心配そうな顔をする響に、イリヤは笑いかける。

 

「うん、全然平気だよ」

「・・・・・・・・・・・・」

「そんな心配そうな顔しないで。ほら、大丈夫だから」

 

 そういって、イリヤは大きく腕を振って見せる。

 

 そんなイリヤの様子に、響は納得できないものを感じてはいるが、しかし本人が大丈夫と言っている為、それ以上追及することもできなかった。

 

 そんな響の手を、イリヤは半ば強引に取った。

 

「あ・・・・・・・・・・・・」

「ほら、早く帰ろう。今日はこれから、ルビーと魔法の練習するんだから」

 

 そういって、イリヤは駆け出すように教室を出ていく。

 

 それに引っ張られる形で、響の足も自然と速くなるのだった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 そして、また夜が来た。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

第2話「憂鬱の少女」      終わり

 



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第3話「真夜中の邂逅」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 深夜0時。

 

 子供ならばとっくに寝ているはずの時間になると、穂群原学園高等部の校門前に、2つの人影が現れた。

 

「誰もいないよね?」

「ん、大丈夫みたい」

《ドキドキでスリル満点ですね~》

 

 イリヤスフィール・フォン・アインツベルンと衛宮響が緊張した調で頷きを交わすと、閉まったままの門の前に立つ。

 

 1人ノーテンキなルビーにジト目を送りつつ、2人は門を見上げる。

 

 門は子供にはそれなりの高さにあるため、簡単には乗り越えられそうにない。

 

 仕方なく、響がイリヤを肩車して、イリヤが先に上り、その後、イリヤが上から響を引っ張り上げる事にした。

 

「いい、ヒビキ。絶対ッ 絶対、上見ちゃだめだからね!!」

 

 顔を赤くしながら、下にいる弟に言い聞かせるイリヤ。

 

 下から見上げるとスカート中に履いているパンツが丸見えになってしまうのだ。

 

「・・・・・・・・・・・・別に」

「あーッ 今ちょっとどもった!!」

《お2人とも、こんなところで漫才をやってないで、早く行きましょうよ~》

 

 ギャーギャーとわめく姉弟に、冷静にツッコみを入れるルビー。

 

 その後、どうにか2人そろって門を越える事が出来た。

 

 高等部へは、士郎を迎えに何度も来ているので、大体の内部構造は把握している。その為、夜でも問題なく進むことができた。

 

 とはいえ、警備の為に用務員は常駐している。言うまでもなく、見つかれば怒られるのは間違いない。

 

 その為、2人は息を殺すように歩いていた。

 

 それにしても、

 

「うう、やっぱりこの格好、恥ずかしいよ」

 

 イリヤは顔を赤くしながら呟きを漏らす。

 

 イリヤの格好は、学生服や、セラやリズが買ってくれた私服ではなく、ピンク色を基調としたフリフリの多い衣装に身を包んでいる。背中のマントが、どこか鳥をイメージさせるコスチュームだ。

 

 ルビーの力で魔法少女に変身したイリヤだが、やはりこの格好は恥ずかしいようだ。

 

 まあ、最大限大目に見て「コスプレアイドル」にしか見えないような格好である。いかに「魔法少女」にあこがれているとは言え、その格好で街中を歩くのは、羞恥プレイ以外の何物でもないだろう。

 

「イリヤ、もう少しで着く」

「う、うん」

 

 響の背に隠れガード代わりにするようにして、周りを気にしながら歩くイリヤ。

 

 どうでも良いが、響的には歩きにくくてしょうがなかった。

 

 そんな調子でしばらく進むと、校庭の入り口に人影が立っていることに気が付き、2人は足を止める。

 

 向こうも響達の存在に気が付いたのだろう。手を上げて近づいてきた。

 

「来たわね」

 

 遠坂凛(とおさか りん)は、歩いてくるイリヤの姿を見て頷いて見せる。

 

 どうやら、先に来て準備をしていたらしい。

 

「そりゃ、あんな脅迫状出されたら・・・・・・・・・・・・」

 

 対して、イリヤはガックリと肩を落として答える。

 

 何しろ、手紙の末尾に「来なかったら~」などと言う物騒な警句付きで書かれていたのだ。イリヤとしてはこの場に来る以外に選択肢は無かったわけだが。

 

「て言うか響、あんたも来たわけ?」

「ん、イリヤのお守り」

 

 尋ねる凛に、響は僅かに頷いて見せる。

 

 そんな弟を見ながら、イリヤは呆れ気味に嘆息する。

 

「いや、私はいらないって言ったんだけど・・・・・・どうしてもついてくるって聞かなくて」

「・・・・・・まあ、良いけど」

 

 納得したように、凛も肩を竦める。

 

 正直、部外者を立ち入らせるのは彼女としても本意ではないのだが、巻き込んでいる側の凛としては、強くも言えなかった。

 

 それに、姉が心配だと言う響の気持ちも理解できるし。

 

「もっとも、ここから先は、あたしの指示に従ってもらうけど。それでいいわね?」

「ん」

 

 凛の言葉に、響は短く頷きを返す。

 

 次いで凛は、イリヤに向き直った。

 

「で、どんな感じ?」

《さっきまで色々練習してたんですよ。とりあえず、基本的な魔力射出くらいは問題なく行けます。あとはまあ、タイミングとハートとかでどうにかしましょう》

 

 問いかけた凛に答えたのはイリヤ、ではなく、彼女の傍らにいるルビーだった。

 

 放課後、イリヤは響とルビーの3人で、近くの林で魔法の練習をしたのだ。

 

 とは言え、初めての魔法である。そう簡単にいくはずもなく、どうにか「使える」という程度のものでしかなかったのだが。

 

「正直不安はあるけど、今はイリヤ、あんたを頼るしかないわ。準備は良い?」

「う・・・・・・うん」

 

 真剣な眼差しで問いかける凛に対し、イリヤも意識を新たに頷きを返す。

 

 凛の言う通り、この場にあってはイリヤの存在こそが最高戦力と言えた。

 

「じゃあ、行くわよ」

 

 凛はそういうと、グラウンドの中心付近を目指して歩き出す。

 

 その後から、イリヤと響もまた遅れずに着いて行くのだった。

 

 

 

 

 

 4人がやってきたのは、高等部グランドの真ん中だった。

 

 日中なら体育の授業や、部活動などで賑わっているグランドだが、今は夜のとばりに包まれ、不気味な静寂が支配していた。

 

 そのグランドを静かに見つめる凛。

 

 対して、小学生2人は怪訝な面持ちで顔を見合わせると、次いで凛に向き直った。

 

「それで、凛・・・・・・カードは?」

 

 問いかける響。

 

 昨夜、凛に見せられた英霊を宿したカード、というのを回収するのが響達(というかイリヤ)の仕事なのだが、その肝心のカードがどこにあるのか?

 

 見渡しても、だだっ広いグラウンドがあるだけである。

 

 対して、リンは心得ているといった感じに指さして見せた。

 

「カードの位置はほぼ特定しているわ。校庭のほぼ中央、歪みはそこを中心に観測されている。カードもそこにあるはずよ」

 

 指摘されてはみたものの、

 

 どう目を凝らしても、グラウンドには何もない。

 

「中心って、何にも見えないよ」

 

 イリヤも首をかしげながらグラウンドの方角を見ている。

 

 そこに何かがあるのなら、目印くらいはあってもよさそうなものなのだが。

 

 そんな子供たちの反応は予想済みだったのか、凛は頷きを返す。

 

「ここには無いわ。カードがあるのはこっちの世界じゃないの。ルビー」

《はいはーい》

 

 心得ている、とばかりにルビーは返事をすると、直ちに準備にとりあかった。

 

 ステッキの中で魔力が増大していくのが分かる。

 

「わ、これってッ」

 

 驚くイリヤ。

 

 傍らの響も、何かを察知したように警戒した表情を見せる。

 

 そんな2人の足元に、光り輝く魔法陣が出現する。

 

 1人、泰然と佇む凛が静かに状況を見守る中、ルビーが詠唱を始める。

 

《半径2メートルで反射路形成。鏡界回廊、一部反転します!!》

 

 なんだか魔術、というより近未来のロボットアニメ的な言い回しである。

 

 しかし、そのルビーの詠唱に応えるように、魔法陣は光を増していくのが分かる。

 

「な、何するの!?」

 

 状況に戸惑いながら声を上げるイリヤ。

 

 響もまた、足元の魔法陣に不安を覚えて立ち尽くしている。

 

 そんな2人に、凛は淡々とした調子で告げる。

 

「『カードのある世界』に飛ぶのよ」

 

 言ってから、さらに説明するように凛は続ける。

 

「無限に連なる合わせ鏡。この世界を、その像の一つとした場合、それは鏡面その物の世界」

 

 凛が言った瞬間、

 

 4人がいる世界は、グルリと「反転」した。

 

 同時に、風景が一変する。

 

 驚く、響とイリヤ。

 

 基本的な情景は、先ほどまでいた高等部の校舎と変わらない。

 

 だが決定的な違いがある。

 

 それは、

 

「空が、変・・・・・・」

「空だけじゃないよ。周り全部・・・・・・何これ?」

 

 響の呟きに答えるように、イリヤも戸惑いながら周囲を見回している。

 

 周囲一帯、格子状の光に覆われ、その外側に光が渦巻いているように見える。

 

 格子は高等部の校舎全体を覆う形になっている。

 

 しかも、

 

 響も、イリヤも感じている。

 

 見た目だけではない。空間そのものの雰囲気全てが、普通ではなかった。

 

 魔術に関しては全くの素人であるイリヤや響きにもわかる。

 

 紛うことなく、ここが「異界」であると言う事が。

 

 しかし、呆けている暇はなかった。

 

「説明はあとッ 来るわよ!!」

 

 警告のような凛の言葉。

 

 次の瞬間、

 

 沸き起こった闇の中から

 

 ズルリと、

 

 何かが這いずり出てきた。

 

「あれ、何?」

 

 目をこらす響。

 

 やがて、視界がはっきりとしてくる。

 

 黒い衣装を纏った人影。

 

 それは、髪の長い女性だ。

 

 しかし、その目元は不気味な意匠の眼帯によって覆われ、伺う事ができない。

 

 見た目、纏っている雰囲気、全てが不気味さを醸し出している。まるで、物語に出てくる怪物が姿を現したかのようだ。

 

「な、何か出てきたッ キモッ!!」

 

 どうやらイリヤも響と同意見だったらしく、女性を見て腰が引けている。

 

 一方で凛は、この状況を予想していたらしく、すぐさま戦闘態勢に入った。

 

「来るわよッ 構えて!!」

 

 凛が叫んだ瞬間、

 

 女性は襲ってきた。

 

 地を蹴って疾走すると同時に、刃のような爪の生えた腕を振るってくる。

 

「わわッ!?」

 

 とっさに、飛びのいて回避するイリヤ。

 

 ほぼ同時に、凛も響の腕を引っ張りながら後退する。

 

 間一髪。女性の腕は、凛とイリヤが飛びのいた空間を薙ぎ払う。

 

 すさまじい一撃。

 

 まともに食らえば、人間など一瞬で引き裂かれることだろう。

 

 すぐさま、凛も反撃に出た。

 

Anfang(セット)!!」

 

 指の間に挟んだ宝石を、まとめて全て、女性めがけて投擲する。

 

 着弾する宝石。

 

 同時に、視界の中で爆炎が躍った。

 

「爆炎弾・三連!!」

 

 宝石魔術と呼ばれる、その名の通り、宝石や鉱石など、魔力を溜めやすい物質を使用した魔術である。

 

 鉱石は長く地中にある為、それ自体が簡易的な魔術刻印になるのだ。

 

 使い捨てな側面とは裏腹に威力も高く、ポピュラーな魔術形態の一つである。

 

 しかし、

 

 爆炎が晴れた時、

 

「チッ」

 

 舌打ちする凛。

 

 視界の先では、無傷の女性が姿を現したのだ。

 

「やっぱりダメか」

 

 予想していたことである。通常の魔術では、あの怪物女相手に傷一つ付ける事は叶わないのだ。

 

 高い宝石を無駄にしてしまったが、ここは予測を立証できただけでも儲けものと思うことにした。

 

 そして、

 

 凛は視線を、傍らで戸惑っているイリヤに向ける。

 

 あのような敵が相手だからこそ、この少女の存在が生きてくるのだ。

 

「そんじゃイリヤ、あとは任せたわ!! わたし達は離れた場所で見守ってるから!!」

「ちょ、リンさん!?」

 

 抗議するイリヤ。

 

 だが、凛はそんな彼女を無視して響の襟首を引っ掴むと、一目散に逃げだしていった。

 

 無責任な行動のようにも見えるが、魔術が効かない以上、凛自身には打つ手がない。ここはイリヤに頑張ってもらうしかないのだ。

 

 そして、漫才をやっている暇もなかった。

 

《イリヤさん、二撃目が来ますよ!!》

「うえェェェェェェ!?」

 

 放たれた攻撃を、辛うじて回避するイリヤ。

 

 女性は、今度は鎖の付いた大ぶりな杭を放ってきたのだ。

 

 イリヤの前腕ほども太さがあるその杭は、先端が尖っており、当たれば骨くらいは確実に砕けそうだった。

 

 それが、回避中のイリヤの背中をかすめる。

 

「うわわわッ 掠った!? 今、掠ったよね!?」

《接近戦は危険です。まずは距離を取ってくださいイリヤさん!!》

 

 ルビーからの警告は飛ぶ。

 

 戦闘の素人にとって、「距離」は一つの武器である

 

 「なるべく遠距離から削る」と言うのは、ゲームでも実戦でも有効な手段だった。

 

「そ、そうだねッ 取りましょう距離をッ キョリィィィィィィィィィィィィ!!」

 

 眼帯女に背中を見せて、全速力で駆けていくイリヤ。

 

 あっという間に両者の距離が開く。

 

 その様子を離れた校舎の物陰から、凛と響があきれた様子で眺めていた。

 

「逃げ足だけは最強ね、あいつ」

「ん、イリヤが本気を出せば、大人でも追いつけない」

 

 とは言え、逃げてばかりじゃ始まらないのも事実である。

 

《落ち着いてイリヤさん!! とにかく距離を置いて魔力放射で攻撃するのが基本です!! さっき練習したとおりに!!》

 

 ルビーの指示にも焦りが混じり始めているのを感じる。

 

 戦闘においては全くの素人に過ぎないイリヤを、いきなり実戦の場に放り込むのは、さすがに無理があると感じ始めていたのだろう。

 

 願わくば、もう1日早く、その事に気付いて欲しかったのだが。

 

「ええい、もうッ」

 

 叫びながら、イリヤは振り返る。

 

 その視界の先では、髪を振り乱しながら追いかけてくる眼帯女の姿が。

 

「どうにでも、なれェェェェェェェェェェェェ!!」

 

 魔力を込めたルビーを、大きく横なぎにふるうイリヤ。

 

 次の瞬間、

 

 放出された魔力が、カウンター気味に薙ぎ払われた。

 

 直撃を受けて吹き飛ぶ、眼帯の女性。そのまま衝撃に飲み込まれて姿が見えなくなる。

 

「すごッ 何これ!? 滅殺ビーム!?」

 

 その様子を見て、当のイリヤ自身が一番驚いていた。

 

 やがて、煙も晴れて、その中から眼帯の女性が姿を現す。

 

 しかし、その姿は先ほどのように無傷とはいかなかったようで、纏った衣装はところどころ裂け、左腕はダラリと下げられている。その左腕の肩口あたりからは、うっすらと血が滲んでいるのが見える。

 

「予想通りね、効いているわ」

「何が?」

 

 呟く凛に、響が首をかしげながら尋ねる。

 

 先ほどの凛の爆炎には全くの無傷だった敵が、イリヤの攻撃には僅かとは言え手傷を負っている。

 

 この事から、あの眼帯女はゲーム的に言えば「魔防が高い」わけではなく、「魔術は効かない」という概念を備えているのだ。

 

 凛の攻撃は「魔術」だから弾かれたのに対し、イリヤの攻撃はルビーを介した純粋な魔力放射だったから、ダメージが通ったのである。

 

 ようやく、勝機が見えてきた感がある。

 

「効いてるわよッ 間髪入れずに速攻!!」

「もう少し近くで応援したら?」

 

 ジト目の響の突っ込みはスルーしつつ、腕を振り回す凛。

 

 イリヤの方もノッて来たらしく、先ほどから積極的に攻撃を仕掛けている。

 

 しかし、敵もさるものだ。

 

 すでにイリヤの攻撃が単調である事に気が付いたのだろう。素早い身のこなしで回避し、最初の一撃以降は直撃を避けている。

 

 現状、初陣のイリヤでは、取れる戦術の幅にも限界がある。

 

《イリヤさんッ 単発の砲撃タイプでは追いきれませんッ 散弾に切り替えましょう。イメージできますか!?》

「やってみる!!」

 

 ルビーの指示に頷きを返しながら、イリヤはイメージする。

 

 これまで集中させてきた魔力を、今度は広範囲に散らすような感じに想定する。

 

 視界全てを覆いつくすように、

 

 イリヤはステッキを振るった。

 

「特大の、散弾!!」

 

 放たれた砲撃はイリヤの狙い通り、彼女を中心に扇状に広がる。

 

 いかに相手が素早く動けても関係ない。イリヤの攻撃は空間そのものを薙ぎ払っているのだから。

 

 これなら、逃げる間もなく相手を直撃したはず。

 

「や、やった?」

《いいえ、恐らく今のでは・・・・・・・・・・・・》

 

 安堵するようなイリヤに、言葉を濁すルビー。

 

 当てる事には成功したが、これでは威力が拡散してしまって、ほとんどダメージが期待できない。

 

 それを裏付けるように、

 

 衝撃が晴れた時、眼帯女に変化が生じていた。

 

 蛇のように揺らめく長い髪。

 

 その眼前に、血のように赤い魔法陣が描かれているのが見えた。

 

 思わず、背筋に寒いものが走る。

 

 あれが、何か良くない物である事は、素人のイリヤにも判った。

 

「まずいわッ 宝具を使う気よッ 逃げて!!」

 

 焦慮を交えた凛の警告が飛ぶ。

 

 「ほうぐ」とは何の事であるか、具体的には判らない。が、イリヤ相手に予想外の苦戦を強いられている眼帯女が、何らかの必殺技の類を使おうとしている事だけは判った。

 

《イリヤさん、退避ですッ!!》

「え、ど・・・・・・どこへ?」

《とにかく、敵から離れてください!!》

 

 ルビーの指示にも焦りが混じる。

 

 その間にも、魔力の高まりを感じる。

 

 もう、一刻の猶予もない。

 

 回避するよりも、イチかバチか防御に全魔力を回すべき。

 

 凛とルビーの考えが一致した次の瞬間、

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 トン

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 小さな足音が響く。

 

 目を見開くイリヤ。

 

「・・・・・・・・・・・・ひ、ヒビキ?」

 

 驚くイリヤの目の前で、

 

 彼女の弟が、静かに佇んでいた。

 

 眼帯女の、すぐ目の前に。

 

 いったい、いつの間にそこまで移動したのか?

 

 イリヤはおろか、すぐ傍にいたはずの凛ですら、響が移動していたことに気付いていなかった。

 

 眼帯女の方でも、そこで少年の存在に気が付いたのだろう。ハッとなって振り返った。

 

「バカッ 何やってんのよ、戻りなさい!!」

 

 叫ぶ凛。

 

 そんな中、

 

 響は静かに、

 

 そして真っ直ぐに、

 

 目の前の敵を見つめていた。

 

 具体的にどうするのか、とか、

 

 自分に何ができるのか、とか、

 

 そんな事は、一切考えなかった。

 

 ただ、イメージした通りに動く。

 

「・・・・・・・・・・・・ッ」

 

 静かに紡がれる言葉。

 

 一瞬、少年の掌に光が宿る。

 

 そこに握り込まれた物を、

 

 響は躊躇い無く振るった。

 

 次の瞬間、眼帯女の体が縦に切り裂かれる。

 

「な、何それッ!?」

 

 驚くイリヤ。

 

 その視界の先では、鮮血を噴出してよろける眼帯女の姿がある。

 

 対して、響は腕を振り切った状態で静止している。

 

 いったい、先程のあれは何だったのか?

 

 少年の掌には、もう何も握られていない為、眼帯女に手傷を負わせた攻撃が何だったのか、伺い知る事はできない。

 

 しかし、響の攻撃によって、眼帯女が怯んだのは確かである。

 

《今です、イリヤさん!!》

「う、うん!!」

 

 響がいったい何をしたのか、気にならないわけではないが、今はそれよりも、この千載一遇の好機を逃すべきではない。

 

 そう考えてイリヤは動いた。

 

 だが次の瞬間、

 

「・・・・・・・・・・・・クラスカード『ランサー』、限定展開(インクルード)

 

 低く囁かれた声。

 

 同時に、眼帯女の背後で、小さな気配が浮かぶのを感じた。

 

 次の瞬間、一気に仕掛けられた。

 

刺し穿つ(ゲイ)・・・・・・・・・・・・死棘の槍(ボルク)!!」

 

 振り返る眼帯女。

 

 しかし、その時には既に遅かった。

 

 次の瞬間、

 

 繰り出された深紅の槍が、眼帯女の胸を真っ向から貫いた。

 

 眼帯女は尚も抵抗しようとするが、既に致命傷を負った身ではいかんともしがたい。

 

 やがて、その体は光に包まれて消滅していく。

 

 そして、

 

 消滅した眼帯女の影から、1人の少女が姿を現した。

 

 青いレオタードのような衣装に、蝶の羽を連想させるマントを羽織り、髪を後頭部でポニーテールにまとめている。

 

 年齢は、恐らく小学校高学年程度。響きやイリヤと同い年くらいじゃないだろうか? 静かな瞳が、印象的な少女である。

 

「『ランサー』接続解除(アンインクルード)。対象撃破。クラスカード『ライダー』回収完了」

 

 少女の手にある槍が消滅すると同時に、その手には1枚のカードが握られている。

 

 戦車に乗り、手綱を握った兵士のカードである。どうやら、あれが問題のカードだったようだ。

 

 イリヤ達からすれば、戦っている最中に、いきなり横合いからカードを掻っ攫われた形である。

 

 いや、それよりも気になるのは、

 

「えっと・・・・・・誰?」

「さ、さあ・・・・・・」

 

 響とイリヤは、突然現れた少女を見ながら、そろって首をかしげる。

 

 一方の少女の方はと言えば、静かな瞳でこちらを見つめてきていた。

 

 突然現れたこの少女がいったい何者なのか?

 

 凛に視線を向けると、彼女もまた首を振ってくる。どうやら、凛も知らないようだ。

 

 しかし、あの少女の格好。

 

 意匠こそ違えど、どこかイリヤの魔法少女服と似ている印象があった。

 

 取り敢えず、話しかけてみようか。

 

 そう思った時だった。

 

「オーッホッホッホッホッホッホ!!」

 

 突如、鳴り響く高笑い。

 

 その声に、凛が顔をしかめる。

 

「この馬鹿笑いは・・・・・・」

「な、何?」

 

 戸惑う一同の前に、

 

「無様ですわね、遠坂凛!! まずは1枚目のカードはいただきましてよ!!」

 

 派手な声とともに、これまで派手な出で立ちの女性が姿を現した。

 

 長い金髪を、幾重にもロールさせた女性。

 

 まるで自身を見せつけるように現れる。先ほどの少女が静かに現れたのに比べると、随分と派手な登場だった。

 

 何やら、不必要に偉そうである。

 

 もう、何が何だか。

 

 状況を見守っていたイリヤは、あまりに急展開過ぎる状況に、完全に理解が追いつかなくなっていた。

 

 初めての魔法少女。

 

 初めての戦闘。

 

 そして、いきなり現れた、もう1人の魔法少女。

 

 あまりに多くの事が、一度に起こりすぎていた。

 

 そして何より、

 

「・・・・・・・・・・・・」

 

 響に視線を向けるイリヤ。

 

 先ほど、敵を怯ませた響は、いったい何だったのか?

 

 しかも、それだけではない。

 

 響はあの時、隣にいた凛はおろか、イリヤや、あの眼帯女にすら気付かれないまま、目の前に現れた。

 

「響・・・・・・・・・・・・」

 

 戸惑う視線を向けるイリヤ。

 

 対して響は、相変わらず茫洋とした視線を返すだけだった。

 

 と、

 

「相手の宝具に恐れを成して逃げ惑うなど、とんだ道化ですわね、遠坂凛!!」

 

 凛を見下すように、高笑いを浮かべる金髪縦ロールの少女。

 

 のっけから、派手な登場である。

 

 しかし次の瞬間、

 

「やっかましィィィィィィィィィィィィ!!」

 ドゴスッ

「ホウッ!?」

 

 凛の強烈な回し蹴りが金髪少女の延髄にクリティカル・ヒットする。

 

 よろける金髪少女。

 

 しかし、こちらも負けていない。すぐに体勢を立て直して応酬が始まる。

 

「レ、レディの延髄に、よくもマジ蹴りを!! これだから知性の足りない野蛮人は!!」

「何を偉そうに!! 後ろからの不意打ちのくせにいい気になってんじゃないわよ!!」

 

 両者の激しい攻防戦。

 

 その実力は、まったくの互角と言って良い。

 

「・・・・・・何あれ?」

「あわわわわわわ・・・・・・」

《成長しませんねー この人たちは》

 

 そんな2人のやり取りを、響達は呆れた調子で眺めている。

 

 と、その時、

 

 響達が立つ地面に、亀裂が走り始める。

 

 否、地面だけではなく、見えている空にもひび割れが起こり始める。

 

「な、何これ、ルビー?」

《あらー カードを取り除いたことで、鏡面界が閉じようとしているみたいですねー》

 

 もともと、この世界を維持していたのはライダーのカードが持つ魔力である。そのライダーが討伐されたため、空間そのものが崩壊しようとしているのだ。

 

《さっさとしないとまずいですよ。凛さん、ルヴィアさん、脱出しますよー 聞いてますかー? おーい》

 

 ルビーの呼びかけにも答えず、尚も取っ組み合いを続けている凛と、ルヴィアと呼ばれた金髪の少女。

 

 そこで、

 

 動いたのは、ライダーを倒した少女だった。

 

「・・・・・・・・・・・・サファイア」

《はい、マスター》

 

 主からの呼びかけに、ステッキは短く答えると、帰還の為の魔法陣を展開する。

 

《半径6メートルで反射路形成。通常界へ戻ります》

 

 魔法陣は、いがみ合っている凛とルヴィアをも取り込む形で形成される。

 

 やがて、魔法陣は輝きを増し、一同は通常世界へと戻っていくのだった。

 

 

 

 

 

第3話「真夜中の邂逅」      終わり

 



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第4話「転校生は規格外」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「「ふぁ~~~~~~~~~~~あ」」

 

 のっけから、小学生児童約2名が、テーブルに座って大欠伸をかましている。

 

 爽やかな朝だと言うのに、何とも場違いに思える光景である。

 

 その様子を、彼らの兄は呆れ顔で眺めていた。

 

「どうしたんだ2人共、随分と眠そうだな」

 

 衛宮士郎は、向かいに座ってイリヤと響の様子を見て、気遣うように尋ねる。

 

 そうしている間にもイリヤは眠そうに目をこすり、響などは舟を漕ぎそうな勢いだ。

 

「いや、ちょっと2人で、新しいゲームをね・・・・・・」

「嵌ってしまった」

 

 取り敢えず視線を明後日にそらしつつ、そう言って誤魔化す2人。

 

 まさか、魔法少女になって、夜の学校で戦っていました、などと言う訳にもいかないので。

 

 と、

 

「お二人とも」

「「ギクッ」」

 

 背後から聞こえてきた低い声に、思わず肩を震わせる響とイリヤ。

 

 案の定と言うべきか、そこには腰に手を当てて険しい顔をしたセラの姿があった。

 

「あれほど、夜更かししてはいけませんと申し上げているじゃありませんか」

「「ごめんなさ~い」」

 

 お小言を言われ、しゅんとする響とイリヤ。

 

 この衛宮家では、両親が放任主義である反面、教育係であるセラがしっかりと締めるべきところを締めている。

 

 事実上、この家はセラで保っていると言っても過言ではなかった。

 

 結局あの後、凛が後から現れた、ルヴィアという金髪少女とドツキ合いをしているうちに、もう1人の「魔法少女」の女の子が鏡界回廊を反転させ、一同は現実世界へと戻ってきた。

 

 もっとも、凛とルヴィアの2人は、現実世界に戻ってきてもドツキ合いを続けていたが。

 

 何はともあれ、イリヤ達は最初の戦いをどうにか勝利で終えることができたのだった。

 

 最終的に、目標であるカードは手に入らなかったものの、ひとまず、あれだけの激戦を無事に潜り抜けたことは評価すべきだろう。

 

 とは言え、いくつか消えない疑問が残ったのも事実である。

 

「けっきょく、響のあれって何だったの?」

 

 朝食のパンを頬張りながら、イリヤは響を見る。

 

 あの時、イリヤを助けた響の一撃は、いったい何だったのか? 最後まで判らずじまいだった。

 

「んく・・・・・・だから、わからない」

 

 対して、オレンジジュースを喉に流し込み、響は淡々とした調子で答えた。

 

「あの時は、夢中だったから・・・・・・・・・・・・」

「・・・・・・ふうん」

 

 ポツリと呟く響に、イリヤは不思議そうな眼差しを向ける。

 

 どうにも、嘘を言っているようには見えない。

 

 そもそも、響は割と嘘が苦手である。根が素直なせいか、嘘をつけばイリヤでもすぐ判るくらいである。

 

 つまり響自身、なぜあんな事ができたのか、自分でも本当に分かっていないのだ。

 

「そんな事より・・・・・・・・・・・・」

 

 響は、話題を切り替えるように言った。

 

「気になるのは、あの子の方」

「ああ・・・・・・うん、そうだね」

 

 響の指摘に、イリヤも頷きを返す。

 

 響が何を言いたいかは、理解していた。

 

 昨夜、戦闘中に現れて、騎兵(ライダー)にトドメを刺した、もう1人の魔法少女。

 

 彼女がいったい何者なのか、イリヤとしても気になるところである。

 

 しかし、

 

「何となくだけどさ、わたし、この後の展開が読めるような気がするよ」

「?」

 

 躊躇いがちなイリヤの言葉に、響はキョトンとした顔をする。

 

 対してイリヤは、苦笑しながら振り返った。

 

「だってさ、あの子、わたし達と同じくらいの年齢だったよね。て事はお約束として・・・・・・・・・・・・」

 

 意味深に告げられるイリヤの言葉。

 

 果たして、

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「美遊・エーデルフェルトです」

 

 担任の藤村大河に紹介された少女は、静かな声でそう名乗る。

 

 その姿を見て響は、イリヤの予想が外れていなかったことを悟った。

 

 美遊と名乗った少女が、もしかしたら転校してくるかもしれない。

 

 イリヤは出発前、響にそう語っていたのだが、その予想が見事に的中した形である。

 

 壇上に立って自己紹介をした少女は、間違いなく昨夜、あの騎兵(ライダー)を倒した、もう1人の魔法少女である。

 

 まさか、本当に転校してくるとは。

 

「イリヤの戯言かと思った・・・・・・」

 

 呆れ顔の響。

 

 一方で、イリヤはこの「お約束展開」を予想しており、苦笑いを浮かべているところだった。

 

 確かに「似たような年齢の女の子が突然現れ、その翌日にはクラスに転校してくる」と言うのは鉄板の展開と言える。

 

 もっとも、この後の展開については、流石のイリヤも予想外だったのだが。

 

「えっと、それじゃあ席は、窓際の一番後ろ。イリヤちゃんのところね」

「えッ!?」

 

 驚くイリヤをよそに、美遊はさっさとイリヤの後ろの席へと座ってしまう。

 

 対してイリヤはと言えば、背後から送られてくる無言の圧力に完全に気圧されてしまっていた。

 

「な、何か、すごいプレッシャーを感じるんだけど・・・・・・」

《メンチで負けてはいけませんよ、イリヤさん》

 

 ルビーのノーテンキな応援を他所に、イリヤは1時限目の間、変な緊張感を強いられて、授業に集中する事が出来なかった。

 

 休み時間になると、早速と言うべきか、美遊はクラスメイト達によって包囲されていた。

 

 転校生と言う存在は、それだけでアイドル的な扱いをされる面がある。皆、新しいクラスの仲間がどんな子なのか、すぐにでも知りたいのだ。

 

 そんな訳で、クラスメイト達から取り囲まれている美遊。

 

 そんな彼女の様子を、響、イリヤ、ルビーの3人は、離れた場所から眺めていた。

 

《早速囲まれてますね~》

「いろいろ聞きたいけど、これじゃ無理だね」

 

 ルビーとイリヤは、そう言って嘆息する。

 

 とてもではないが、今の美遊に昨夜のことを尋ねるのは無理がある。

 

 と、そこで響が、

 

「なら、この人に聞いてみよう」

 

 この人? 誰の事だ?

 

 響の言葉に、釣られて振り返るイリヤとルビー。

 

 その視線の先には、ルビーとよく似たステッキの先端部分がフワフワと浮かんでいた。

 

 見比べれば、両者は本当によく似ている。

 

 もっとも、中心の星がルビーは五芒星なのに対し、向こうは六芒星、左右の羽根も、ルビーが鳥であるのに対し、向こうは蝶の羽根をしている。

 

 間違いない。昨夜、美遊が使っていたステッキである。

 

《あらあら、サファイアちゃんも来てたんですか》

《姉さん、会えて嬉しいです》

 

 何やらあいさつを交わす、2本のステッキ。

 

 とは言え、ここは教室のど真ん中なわけで、

 

「ちょ、ちょっと、見つかっちゃうよッ とりあえずこっち来て!!」

 

 イリヤは慌ててルビーとサファイアを抱えると、窓際に走り寄る。

 

 その後ろから、響も着いて来た。

 

《紹介がまだでしたねサファイアちゃん。こちら、私の新しいマスターであるイリヤさんと、その弟さんである響さんです》

《サファイアと申します。いつも姉がお世話になっています》

「はあ、どうも」

 

 ぺこりと頭(?)を下げるサファイアに対し、イリヤは曖昧な返事をする。

 

 どうにも、絵的にシュールな光景だった。

 

「ステッキは、2本あったの?」

《はい。わたしとサファイアちゃんは同時に作られた姉妹なんですよー》

 

 尋ねる響に、ルビーは自慢げに言って聞かせる。

 

 魔力を無限に供給し、マスターの空想をもとに、現実に奇跡を具現化させるカレイドステッキ。

 

 そのカレイドステッキは、初めから2本作られていた。

 

 そのうちの1本を凛が、もう1本をルヴィアがパートナーとしたのだが。

 

 先日の騒動で2人ともステッキに見限られ、ルビーがイリヤに、サファイアが美遊に、それぞれ乗り換えたというわけだ。

 

《でも、美遊さんは大したものですねー 初めてなのに宝具を使うなんて?》

「『ほうぐ』って?」

 

 聞きなれない単語に、キョトンとするイリヤと響。

 

 そう言えば、昨夜の戦いでも同じ単語が飛び出したのを思い出す。

 

 しかし、それが具体的にどんな物なのか、響達には皆目わからなかった。

 

 そんな子供たちの様子に、サファイアはルビーに向き直る。

 

《説明してないのですか、姉さん?》

《そう言えば、カード周りの詳しいことはまだでしたね。一度に説明しても混乱させるだけだと思いましたので》

 

 確かに。

 

 余りにも特異な事態が起こりすぎている事を考えれば、一度に多量の情報を与えられても混乱を来すだけだった。

 

 とは言え、戦いも終わった事で、ルビーも説明してもいいと判断したのだろう。

 

《この間、凛さんに見せてもらったカードは憶えていますか?》

「うん、何か、すごい力を持ったカードだって言ってたよね」

「アーチャー?」

 

 凛は、そのカードを回収するのが仕事だと言っていたのを思い出す。同時に「危険な存在だ」とも。

 

 イリヤ達がどの程度理解しているのか判断したサファイアは、説明に入った。

 

《魔術協会は、先に回収した「ランサー」「アーチャー」2枚のカードを分析しましたが、結局、製作者は不明、用途不明、構造解析もうまくいきませんでした。ただ一つ分かったのは、実在した英雄の力を引き出せるらしい、と言う事です》

 

 すなわち、神話や伝承、歴史の中に存在する数多の英雄たちの力を、カードは宿しており、その一部を取り出すことができると言う訳だ。

 

《その力の象徴と言うべき物が「宝具」です。通常の武具を超え、奇跡を成す強力な兵器、又は技。それらを総称して「宝具」と呼びます。私たちは、カードを解して英霊の座へアクセスし、英霊の持つ宝具を一瞬だけ具現化することができるんです。昨夜、美遊様(マスター)が敵を仕留めた「刺し穿つ死棘の槍(ゲイボルグ)」もそうです。放てば必ず敵の心臓を穿つ、必殺の槍です》

《どうも、カード1枚に対し、英霊1人が対応しているようです》

 

 サファイアの説明に捕捉するように、ルビーが言った。

 

 正直、響達には理解が難しい事柄も多い。

 

 しかし、あのカードを使えば、何らかの英雄の力を引き出せる、と言うあたりは、イリヤも響も理解できていた。

 

《お二人も、もう気づいているかもしれませんが、昨夜戦った敵、あれもカードによって引き出された英霊の一部・・・・・・いえ、英霊その物と言って良いでしょう》

《とは言え、どうやら本来の姿から変質しているうえに、理性も吹っ飛んじゃってるみたいですけどねー》

 

 サファイアとルビーの説明を聞きながら、響は昨夜の事を思い出す。

 

 昨夜戦ったライダーは、人の形こそしていたものの、その動きはどこか獣じみていたのを覚えている。

 

 確かに、あれでは英雄と言うより、英雄に倒される悪魔、とでも言った方がしっくりくるだろう。

 

《アーチャーとランサーについては、協会が派遣した魔術師たちによって倒されましたが、ライダーは、そうはいきませんでした。彼女は恐らく「魔術を無効化する」という概念的な守りが備わっていたんだと思います》

 

 魔術が効かない相手では、魔術師は殆ど手も足も出ない。

 

 騎兵(ライダー)の出現によって、魔術協会の回収作業は、完全に頓挫するかと思われた。

 

 そこで、魔術ではなく、魔力そのものを武器として使用できる、ルビーとサファイアの出番となった訳である。

 

 その後、日本に来たものの、任務そっちのけでいがみ合いばかりしている凛とルヴィアを見限り、ルビーはイリヤと、サファイアは美遊と再契約して現在に至る、と言う訳だ。

 

《イリヤ様、響様》

 

 サファイアが、改めてイリヤと響に向き直った。

 

《わたし達も全力でサポートしますので、どうか美遊様(マスター)と協力して、カード回収にご協力ください》

「う、うん。いまいち自信は無いけど、頑張ってみるよ」

《大丈夫ですよ!! 私がついてますから》

 

 気軽に請け負うルビー。

 

 その時だった。

 

「サファイア、あまり外に出歩かないで」

「「ッ!?」」

 

 突如、背後から声を掛けられ、振り返る響とイリヤ。

 

 そこには、いつの間に近づいて来たのか、静かな瞳でこちらを見る美遊が佇んでいた。

 

 その美遊の元へ、サファイアがスッと飛んでいく。

 

《申し訳ありませんマスター。イリヤ様と響様にご挨拶をと思いまして》

「誰かに見られたら面倒。学校ではカバンの中にいて」

 

 そう言いながら、美遊はイリヤを一瞥する。

 

「あ、あの・・・・・・」

 

 声を掛けようとするイリヤ。

 

 しかし、対する美遊は、そんなイリヤに興味はないとばかりに踵を返すと、そのまま歩き去って行った。

 

「な、何か、声かけづらい雰囲気だったね」

「ツンデレ?」

 

 美遊の素っ気ない態度に、唖然とするしかない、イリヤと響。

 

 果たして、美遊にデレ期は訪れるのか? それは、誰にもわからなかった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 唖然、としか言いようがなかった。

 

 まったくもって、「お前のような小学生がいるのか!?」などと、愕然とする思いである。

 

「まさかこんな事になるとは・・・・・・」

 

 イリヤは、苦笑交じりで、惨憺たる有様となったクラスを眺めていた。

 

 今は昼休みを終えて5時間目の体育の時間。

 

 響は体操着に短パン、イリヤも体操着にブルマーという、運動用の恰好に着替えて立っている。

 

 その2人の視線の先では、消沈した様子のクラスの仲間たちがいる。

 

 普段なら、体育の授業前と言う事でテンションを上げているクラスメイト達だが、今日はなぜだか、

 

 皆が皆、「才能の壁」と言う言葉を、小学生にして思い知らされているのだ。

 

 美遊・エーデルフェルトと言う少女は、それ程までに「規格外(EXクラス)」と言ってもいい存在だった。

 

 その美遊はと言えば、そんなクラスメイト達の消沈など知らぬげに、1人、準備運動を行っているのが見える。

 

 まったく、

 

 響は嘆息交じりに呟く。

 

 全ての始まりは、数時間前まで遡る事になる。

 

 

 

 

 

 2時間目、算数の時間。

 

 担任の藤村大河に指名された美遊は、黒板の前に出てチョークを取ると、描かれた図形に、スラスラと計算式を書き始めた。

 

「外接半径と線分OBの比はCOS(π/n)。内接半径は線分OBに等しい。この事から外接半径と内接半径の比はCOS(π/n)となり、面積比はCOS²(π/n)となります」

 

 小難しい計算式を、意図もあっさりと書き連ねていく美遊。

 

 断っておくが、この問題はそんな難しいものではない。たんに円の中に描かれた三角形の面積を求めれば良いだけの事だ。

 

 しかし、美遊の書いた計算式によって、まるで高校受験の問題並みに難しくされてしまっていた。

 

 ちなみに言うまでもないが、書かれている計算式を、半分でも理解できた生徒は、クラス内に皆無だった。

 

「・・・・・・よって、この場合の面積比は4倍となります」

 

 説明を終えた美遊は、淡々とした口調で言って大河のほうへと振り返る。

 

 心なしか、いつも通りの無表情の中にどや顔が混じっているように見えなくもない。たぶん、気のせいだろうが。

 

 一方、

 

 説明された大河は、唖然としている。

 

 教師である彼女にはもちろん、美遊の説明は理解できている。

 

 できてはいる、のだが、

 

「・・・・・・・・・・・・いや、あのー、美遊ちゃん?」

 

 静まり返る教室の中、大河は恐る恐る、といった感じに話しかける。

 

「この問題は、そんな難しく考える必要はないのよ。COSとかnとか使って一般化しなくてもいいの!」

「?」

「いや、そんな不思議そうな顔されても!!」

 

 言い募る大河に対し、美遊はキョトンとした目を返す。

 

 どうやら、なぜ注意されているのか、本気で分からない様子だ。

 

「もっと心にゆとりを持ちなさい!! 円周率はおよそ3よ!! 文句あんのかゴラァ!!」

 

 暴れる大河。

 

 とりあえず、学力がすごいと言う事が分かった。

 

 

 

 

 

 3時間目、図工の時間

 

 1枚の絵を手にした大河は、またしても慄き震えを隠せないでいた。

 

「こ、これは・・・・・・・・・・・・」

 

 そこに描かれた絵は、間違いなく人物画である。

 

 しかし、およそ「人」としての形態を最低限残しつつ、その形状を徹底的に分解、再構成しているのがわかる。

 

「自由に描けとの事でしたので、形態を解体して単一焦点による遠近法を放棄しました」

 

 シレッと説明する美遊。

 

「自由すぎるわ!! つーか、キュビズムは小学校の範囲外よ!!」

「?」

「いやだから、そんな顔されても!!」

 

 またしても、意味が分からないといった感じに首をかしげる美遊。

 

 ちなみにキュビズムとは立体主義とも言われる絵画の美術手法の一つであり、代表的な物でパブロ・ピカソの「アビニヨンの娘たち」がある。

 

 取りあえず、美遊は美術力もすごいらしかった。

 

 

 

 

 

 4時限目、家庭科の時間。

 

 すでに何度目かもわからない絶句をする藤村大河女史。

 

 その目の前では、これでもかと言わんばかりに並べられた美食の数々が、テーブルいっぱいに置かれていた。

 

「パリの有名レストラン、モキシムのコースメニューを再現してみました」

 

 またまたまたしても、淡々と告げる美遊。

 

「いやだから、なんでフライパン1個でこんな手の込んだ料理が作れるのよ!? しかもウメェェェェェェッ!! 何て物食わせてくれるのかァァァァァァッ!! おかわりィ!!」

「先生、少しうるさいです」

 

 うっとうしそうに大河に告げる美遊。

 

 どうやら、家庭科も完璧らしかった。

 

 

 

 

 

 以上の通りである。

 

 天は人に二物を与えず?

 

 そんな言葉は犬にでも食わせておけ。

 

 などと言う、どうでもいい言葉が頭に浮かんできてしまうほど、美遊と言う少女は完璧すぎるくらいに完璧超人だった。

 

「・・・・・・ちょっと、悔しい」

「その気持ちは、判るよ」

 

 ボソッと告げられた響の言葉に、イリヤも苦笑で返す。

 

 5時間目の体育の時間。

 

 響とイリヤは、並んで立ち、視線を同じ方向に向けていた。

 

 そこには、体操服にブルマ姿の美遊が準備運動をしていた。

 

 小学生の枠を超えて中学・・・・・・否、下手をすれば高校生の学力すら凌駕しそうな美遊。

 

 ある意味、今日のクラスは完全に彼女の独壇場と化している感がある。

 

 美遊自身に、その自覚があるかどうかはわからないが。

 

 しかし、

 

「ここまでやられっぱなしなのは癪」

 

 呟く響。

 

 新参の転校生に、こうまでかき乱されたのでは溜まったものではない。ここらで一つ、反撃に転じたいところである。

 

「てなわけでイリヤの出番」

「え、何でわたしなのッ?」

 

 突然話を振られ、キョトンとするイリヤ。

 

 そんな少女に、響は声を潜めるように言った。

 

「今日の体育は短距離走。それなら、イリヤの敵じゃない」

「あ、そっか」

 

 言われて、イリヤは納得したように頷く。

 

 確かに、短距離走はイリヤにとって最も得意な分野である。

 

 これならあるいは、勝てるかもしれない。

 

 一縷の望みは、少女に託された。

 

「イリヤ、がんばって」

「うん、任せて」

 

 弟の激励を受け、イリヤは笑顔で頷きを返した。

 

 

 

 

 

 鳴り響く号砲。

 

 同時に、小柄な少女2人は、同時に地面を蹴った。

 

 疾走するイリヤ。

 

 コンディションはベスト。

 

 いつも通りの疾走感。

 

 これなら勝てる。

 

 確実に勝てる。

 

 そう思った次の瞬間、

 

 駆けるイリヤを追い越すように、黒髪の少女が、疾風のように駆け抜ける。

 

 先にゴールを超える美遊。

 

「ろ、6秒9!?」

 

 驚愕して叫ぶ大河。

 

 見れば、焚き付けた響も、あまりの事態に絶句している。

 

 だが、そんな中で一番驚いていたのはイリヤだろう。

 

 イリヤは自分の足には絶対の自信を持っていた。本気で走れば、大人にだって負けないと自負している。

 

 その自分が、まさかの敗北を喫した。

 

 美遊・エーデルフェルト。

 

 彼女はまさに、完璧を超えた完璧、「ハイパー小学生」とでもいうべき存在だった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 傾く陽。

 

 照らされる夕日によって、下校の道が赤く照らし出される。

 

 そして、夕日の赤は、敗者の背中にも優しく降り注いでいた。

 

「イリヤ、お腹すいたんだけど・・・・・・」

「お願いだから、もうちょっとだけ放っておいて」

 

 道端で体育座りして落ち込んでいるイリヤ。

 

 響が呆れ気味に声をかけるも、反応は薄い。

 

 どうやら、美遊にコテンパンにやられた事が、相当ショックだったようだ。

 

《もう、イリヤさん、いつまでいじけてるんですか? 早く家に帰りましょうよ》

「別にいじけてないよ。ただ、才能の壁を見せつけられたって言うか・・・・・・」

 

 明らかにいじけていた。

 

 響がさらに声を掛けようとした時だった。

 

「・・・・・・何してるの?」

 

 背後から声を掛けられて振り返ると、そこには不思議そうな顔でこちらを見ている美遊の姿があった。どうやら、彼女も今帰ってきたところらしい。

 

「あ、これはどうも、お恥ずかしいところを・・・・・・美遊さんにあられましては、今お帰りで?」

「・・・・・・何で敬語?」

 

 突然、三下風になったイリヤに、美遊は不思議そうなまなざしを見せる。

 

 そんなイリヤに、響とルビーが詰め寄った。

 

「イリヤ、負けちゃダメ」

《そうですよイリヤさん。なに卑屈になってるんですか!! 美遊さんは同じ魔法少女仲間です。学校の成績なんて関係ありません!!》

 

 珍しく正論を言うルビー。

 

 その言葉に思うところがあったのか、イリヤはようやく顔を上げた。

 

 そんなイリヤに対し、美遊が静かな声で話しかけた。

 

「あなたも、ステッキに巻き込まれて回収を?」

 

 思えば、美遊とまともに会話をするのはこれが初めてである。

 

 少し嬉しくなって、イリヤは口を開いた。

 

 改めて見てみれば、美遊も相当かわいらしい外見をしている。イリヤと並んで立つと、それだけで絵になる光景である。

 

 イリヤが華やかな西洋人形なら、美遊は静謐の日本人形のと言ったところだろうか?

 

「う・・・・・・うん、成り行き上仕方なくっていうか、騙されて魔法少女にされたと言うか・・・・・・」

「そう・・・・・・・・・・・・」

 

 それっきり、会話が続かない。

 

 美遊は相変わらず、ジッとイリヤを見つめている。

 

 対してイリヤのほうは、そんな美遊に気圧されたように押し黙っていた。

 

《ちょ、ちょっと、空気が重いですね》

「ん、仲悪いのかな?」

《ここは響さんの軽快なトークで、場を盛り上げてくださいよ》

「無理、ルビーがやって」

 

 響とルビーがヒソヒソと話し合う中、

 

「・・・・・・それじゃあ、あなたは」

 

 美遊のほうからイリヤに話しかけた。

 

「どうして戦うの?」

「え、どうして・・・・・・て?」

 

 質問の意味が分からず、キョトンとするイリヤ。

 

 そこへ、美遊が淡々とした口調で続ける。

 

「ただ巻き込まれただけなんでしょう? あなたには戦う義務はないはず。本気で戦いを拒否すれば、ステッキだって諦めるはず」

 

 その言葉を受けて、響は傍らのルビーを見る。

 

 対して、ルビーはシレッとした調子で、肩をすくめるように羽を動かした。

 

 そんな中、イリヤが苦笑がちに口を開いた。

 

「ほ、ホント言うとね、ちょっと、こう言うのあこがれてたんだ。ほら、これっていかにもアニメとかゲームみたいな状況じゃない?」

「ゲーム・・・・・・?」

 

 イリヤの説明に、美遊はポツリと呟きを漏らす。

 

 どこか、低い調子で告げられる言葉。

 

 だが、イリヤはそれに気づかずに続ける。

 

「まほー使って戦うとか、変な空間にいる敵とか、冗談みたいな話だけど、ちょっとワクワクしちゃうっていうか・・・・・・せっかくだから、このカード回収ゲームも楽しんじゃおうかなって・・・・・・」

「もう良いよ」

 

 イリヤの説明を黙って聞いていた美遊が、低い口調で言い放った。

 

 拒絶を含むような言葉には、どこか失望と諦念の色があるように思える。

 

 踵を返す美遊。これ以上、イリヤたちに用はないという事を、態度で示している。

 

「その程度? そんな理由で戦うの?」

「え、ちょっと、あの・・・・・・」

「遊び半分の気持ちで英霊を打倒できるとでも?」

 

 美遊は最後に振り返ると、立ち尽くすイリヤに冷たい視線を投げかけていた。

 

「あなたは戦わなくて良い。カード回収は全部私がやる。あなたはせめて、私の邪魔だけはしないで」

 

 それだけ言うと、美遊は振り返らずに立ち去っていく。

 

 後には、立ち尽くすイリヤ達だけが残されていた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 なぜ、美遊が怒ったのか?

 

 その理由が判らないまま、3人は家の近くまで戻ってきた。

 

「結局、何だったの、あれ?」

 

 先ほどの美遊の事を思い出しながら、響はぼやき交じりに呟く。

 

 イリヤの言葉を聞いていて、突然怒り出した美遊。

 

 いったい何が気に食わなかったのだろう?

 

「判んないよ。だいたい、巻き込まれたのはあの子だって一緒なのに」

《何か地雷でも踏んだんですかね~?》

 

 イリヤとルビーも、そろって首をかしげている。

 

 ともかく、当の美遊本人があまり多くを語らない性格であるらしいため、こちらとしては判断の材料が少なすぎた。

 

 そうしている内に、家の前までくる3人。

 

 と、

 

「あれ、セラ?」

 

 首をかしげる響。

 

 見れば、家の前に立っているセラが、何やら唖然とした顔で家の反対側を眺めていた。

 

 セラのほうでもこちらに気付いたのだろう。振り返ってこちらを見る。

 

「どうしたの、セラ?」

「ただいま」

 

 近づいて来た2人を出迎えるセラ。

 

 だが、その顔は心なしか強張っているようにも見える。

 

「ああ、イリヤさん、響さん、お帰りなさい。実はですね・・・・・・」

 

 言いながら、家の向かいを指さすセラ。

 

 釣られて、響とイリヤも振り返る。

 

 果たしてそこには、

 

 朝までには確かになかったはずの、超豪邸が、傲然と立っていたのだ。

 

「な、ナニコレェェェェェェ!?」

「ナニコレ? びふぉー・あふたー?」

 

 唖然とする、イリヤと響。

 

 屋敷は洋風なようで、目の前に巨大な門構えがあり、背丈を大きく超える壁がぐるりと囲っている。

 

 庭も広大なようで、見事な樹木が立ち並び、その奥に白亜の壁が遠望できる。

 

 ここからざっと見ただけでは、その全貌を伺い知る事は出来なかった。

 

 「どういう、事?」

 

 恐る恐ると言った感じに尋ねる響に対し、セラは困ったように口を開いた。

 

「今朝、皆さんが学校に行った後に工事が始まったと思ったら、あっという間にこのお屋敷が出来上がったんです」

 

 いかにすれば、これほどの豪邸を半日で建設できるのか?

 

 しかも、昨日までは確かに、普通の民家が存在しており、衛宮家とも近所付き合いがあったほどである。

 

 それらの家庭は、いったいどこへ消えたのだろうか?

 

 もはや、ちょっとしたミステリーである。

 

「いったい、どんな人が住むんだろう?」

「王様、とか?」

 

 門の前で一同が立ち尽くしている時だった。

 

 背後から小さな足音が鳴り振り返る。

 

 するとそこには、

 

 つい先ほど、喧嘩別れした、転校生のクラスメイトが立っていた。

 

「あ・・・・・・」

「美遊」

 

 対する美遊も、足を止めてしばし向かい合う。

 

 重苦しい沈黙が、周囲に流れる。

 

 何しろ、さっきの今である。互いにどんな顔をして相手を見ればいいのか測りかねているのだ。

 

 と、

 

 美遊は視線を外すと、こそこそと豪邸の門の中へと入っていく。

 

「え、ちょ、ちょっと!?」

 

 その姿に、驚くイリヤ達。

 

「ここ、美遊の家?」

「まあ・・・・・・そんな感じ」

 

 美遊は最後にそう言うと、門を閉じて中へと入っていく。

 

 後には、唖然としている響、イリヤ、セラ、ルビーだけが残された。

 

 なんとも妙な感じである。ステッキを持つ2人の魔法少女が、互いにお向かいの家に住んでいる、など。しかも、現状は最悪と言って良いくらいに反りが合っていない2人である。

 

「どうする、イリヤ?」

「いや、どうするも何も・・・・・・どうしよっか?」

 

 ヒソヒソと話しかけてくる響に、イリヤも途方に暮れた感じで答える。

 

 状況が急展開過ぎて、どう対処していいのか判らないのだ。

 

「まあ、どっちにしても・・・・・・・・・・・・」

 

 イリヤは言いながら、ポケットに入れておいた紙を取り出す。

 

「今夜また、会うだろうしね」

「・・・・・・そだね」

 

 それは、凛から再び届いた呼び出し状だった。

 

 

 

 

 

第4話「転校生は規格外」      終わり

 



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第5話「魔術師の城塞」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 そしてまた、夜が来た。

 

 流石に、2度目ともなると、お互いに慣れたものである。

 

 約束の深夜零時。

 

 そこにはイリヤ、美遊、凛、ルヴィア、響が集まっていた。

 

 既にイリヤと美遊は、それぞれ魔法少女(カレイドライナー)の姿に変身している。準備は万端、整っていた。

 

「油断しないようにねイリヤ、響。敵はもちろんだけど・・・・・・ルヴィア達がどさくさに紛れて何してくるかわからないし」

「何で、そんなにギスギスしてるの?」

《お2人の喧嘩に巻き込まないでほしいですねー》

「悪い大人の見本」

 

 イリヤ、ルビー、響の3人からディスられる凛。

 

 どうにも、ルヴィアとの因縁は、簡単に解消できるものでもないらしい。

 

 一方で、ルヴィア・美遊陣営も、既に戦闘態勢を整えている。

 

「速攻でケリをつけますわよ、美遊。開始と同時に距離を詰めて、一撃で仕留めなさい」

「はい」

「あと可能なら、どさくさ紛れで遠坂凛も葬ってあげなさい」

「・・・・・・それはちょっと」

《殺人の指示はご遠慮ください》

 

 サラッととんでもない事を言うルヴィアに、冷静に返す美遊とサファイア。

 

 こちらも、絶好調のようだった。

 

 その間、凛は腕の時計へと目をやる。

 

 零時1分前。

 

 間もなく作戦開始時刻である。

 

 次の相手がどんな存在なのかは判らない。

 

 ライダー戦のように速攻で倒せれば良いのだが、長期戦になると相手も宝具を使ってくるだろう。そうなると、こちらの不利は否めない。

 

 と、そこでふと、凛は響のほうへと目を向ける。

 

 結局、今回も「イリヤのお伴」として着いて来た響。

 

 本来ならこれ以上、関係ない一般人を巻き込むのは凛としても不本意でしかない。

 

 しかしライダー戦の事を鑑みれば、響には英霊に対抗できる何らかの力があるのも事実である。結局、その正体が何なのかまでは判らなかったが、いざという時の保険くらいには成り得る。

 

 凛としても忸怩たる物がないわけではないが、今は少しでも可能性があるなら勝率を上げておきたかった。

 

「時間ですわ」

 

 ルヴィアの宣言が響く。

 

 同時に2本のステッキが詠唱を開始する。

 

《半径3メートルで次元反射路形成。鏡界回廊、一部反転します!!》

 

 地面に描かれた魔法陣が輝きを増し、カードのある世界への道を開く。

 

 高まる魔力。

 

 戦機が立ち上がる。

 

「「接続(ジャンプ)!!」」

 

 イリヤと美遊が同時に叫ぶと、

 

 輝きは一気に増し、一同の姿は鏡界面へと飛び込んでいった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 光が晴れる。

 

 同時に開けた視界は、接続前と同じく橋のたもとであった。

 

 しかし、同じであっても同じではない。

 

 それはライダー戦の時と同じ、格子状の光に遮られた異質な空間だった。

 

 すかさず、戦闘態勢に入る一同。

 

 しかしそこで、

 

「なッ!?」

 

 思わず、全員が絶句した。

 

 空一面に展開された魔法陣。

 

 それも一つや二つではない。

 

 無数の魔法陣が、見上げる空全てを覆いつくしている。

 

 その中央に、1人の女性が浮かんでいた。

 

 長いフードに身を包んだ女性の素顔を伺う事は出来ない。

 

 しかし、あれがカードの持ち主、黒化英霊である事は間違いない。

 

 さしずめ魔術師の英霊、キャスターとでも言うべきか。

 

 外套を翼のように広げた魔術師(キャスター)は、一同を見下ろすように睥睨している。

 

 どうやら向こうも、迎撃準備万端で待ち構えていたらしい。

 

「や、やばッ」

 

 凛が叫んだ瞬間、

 

 一斉攻撃が開始された。

 

 魔法陣から次々と撃ち下される魔力の光。

 

 強烈な閃光が、束になって襲い掛かってくる。

 

 その圧倒的な火力は、想像を絶していると言ってよかった。

 

《魔力障壁展開ッ 凛さん、響さん離れないでください!!》

 

 とっさにルビーが動き、イリヤを中心にバリアを形成する。

 

 そこへ着弾する、魔術師(キャスター)の攻撃。

 

 しかし、

 

 その凄まじい衝撃たるや、展開した障壁が軋みを上げるのが分かった。

 

 状況については美遊達の方も同様であるようだ。

 

 あちらもサファイアが障壁を展開、美遊とルヴィアを守っている。

 

 だが、魔術師(キャスター)の攻撃は、障壁を容赦なく貫通してくる。

 

 障壁の防御力が、攻撃を緩和しきれていないのだ。

 

 やがて、攻撃もひと段落して障壁が解除される。

 

 しかし、

 

「・・・・・・・・・・・・い、痛ァァァァァァいッ!?」

 

 障壁を貫通してきた攻撃に、思わず悲鳴を上げるイリヤ。

 

 見れば響も、ボロボロになって膝をついている。

 

 見上げる空では、既に魔術師(キャスター)が次の攻撃態勢に入っていた。

 

「ま、ずい・・・・・・・・・・・・」

 

 絞り出すような少年の声。

 

 相手はこちらの防御力を貫通してくる事ができる。受け身に回っていたら、あっという間にやられてしまうだろう。

 

 どうやらこれには、凛も驚いているらしかった。

 

「ちょ、ちょっと、何でAクラスの魔力障壁が貫通されてんのよ!?」

《おやー おかしいですねー》

 

 がなる凛に、相変わらず緊張感の欠く返事をするルビー。

 

 などと言うコントじみたやり取りの間に、小さな影が動く。

 

 美遊だ。

 

 立ち尽くすイリヤ達の脇を駆け抜けると、サファイアに魔力を充填し振りかざす。

 

砲射(シュート)!!」

 

 短い叫びとともに、魔力砲を対空で放つ美遊。

 

 収束された魔力の閃光が、真っすぐに魔術師(キャスター)に向かって飛ぶ。

 

 次の瞬間、

 

 美遊の放った砲撃は、魔術師(キャスター)に命中する前にけんもほろろに弾き返された。

 

「なッ!?」

 

 これには、美遊も絶句する。

 

 まさか、必中を狙って放った攻撃が、防がれるとは思っていなかった。

 

 相手が遥かな上空にいる以上、こちらの攻撃手段は遠距離からの砲撃しかない。

 

 しかし今や、その遠距離攻撃も封じられている状態である。

 

 どうやら魔術師(キャスター)も、何らかの魔力防御を用いているようだ。それも、こちらの物よりも遥かに強力な。

 

 考えてみれば、向こうはこれだけの攻撃陣を強いて待ち構えていたのだ。当然、防御も万全と見てしかるべきだった。

 

 事実上、こちらの攻撃手段は封じられている等しい。

 

「何か・・・・・・手段が・・・・・・」

 

 響は状況を見ながら考える。

 

 相手の魔術は強力を極めており、1発でもまともに食らえば最悪の場合、死は免れない。

 

 それほどまでに、戦力差は隔絶していると言っていいだろう。

 

 しかし、相手は魔術師である。

 

 ならば単純に考えて、接近戦にさえ持ち込めれば勝機はある。

 

 響は子供心に、そんな風に考えていた。

 

 問題は、どうやって上空にいる敵を、地面まで引きずり下ろすか、だが・・・・・・・・・・・・

 

「・・・・・・・・・・・・」

 

 再開した魔術師(キャスター)の攻撃に、イリヤと美遊は必死の防戦を繰り広げている。

 

 打ち下ろされる閃光と、それを防ぐ障壁。

 

 しかし、やはり分は魔術師《キャスター》の方にあり、2人の防御障壁は完全には相殺しきれないでいる。

 

 徐々に増えていくダメージ。

 

 このままでは、じり貧は確実である。早急に、何らかの手を打たないと。

 

 相手は空。

 

 こっちは地上。

 

 そこに既に、絶望的な戦力差が存在している。

 

 どうするか?

 

 どうやった、こちらの攻撃が届く距離まで、敵を引きずり下ろすか?

 

「・・・・・・・・・・・・そっか」

 

 何かを悟ったように、響は呟く。

 

 何も難しい事ではないではないか。

 

 周囲では、尚も激しい砲撃が続いている。

 

 そんな中、

 

「イリヤ」

「何、響!? 今忙しいんだけど!?」

 

 障壁の維持に躍起になっているイリヤが、振り返らずに声を上げる。

 

 対して響も、衝撃に耐えながら言った。

 

「次に攻撃が止んだら、一瞬で良いからバリアを消して」

「え、何言ってッ」

 

 響の言葉に、思わず振り返るイリヤ。

 

 だが、響はそれには答えない。

 

「頼んだ」

「ちょ、ちょっとォォォォォォ!!」

 

 謎の行動を取る弟に戸惑うイリヤ。

 

 だが、躊躇している時間は無かった。

 

 魔術師(キャスター)の攻撃が止む。

 

 それと同時に、限界を迎えつつあったイリヤの障壁も解除された。

 

 次の瞬間、

 

 ドンッ

 

 強烈な音とともに、響が地面を蹴った。

 

 同時に、その小さな体は上空へと跳び上がる。

 

 地上ではイリヤや凛が驚いた顔をしているのが分かったが、今はそれに構っている暇はなかった。

 

 相手を地上に引きずり下ろすのは現実的ではない。そもそも、遠距離攻撃が封じられている状態なのだから。

 

 当たらない攻撃に、期待はできない。

 

 だが、こちらから接近する分には不可能ではないはず。

 

 あの魔力障壁は強力だが、それだけに物理攻撃には対応していない可能性が高い。

 

 以上の事を冷静に判断した響は、攻撃手段を決定した。

 

 魔力で強化した脚力で大ジャンプ。そのまま空中で接近して攻撃を仕掛ける。

 

 なぜ、そんな事を考えることができたのか?

 

 なぜ、こんな事が自分にできるのか?

 

 様々な疑問が頭の中で湧いたが、その全てを無視する。

 

 考える事なら、あとでいくらでもできるのだから。

 

 目指す魔術師(キャスター)の姿が、ぐんぐん近づいてくる。

 

 向こうも、まさかこんな手段で接近してくるとは思わなかったのだろう。わずかに見える口元が、驚愕で開かれるのが分かる。

 

「・・・・・・・・・・・・」

 

 飛翔する風切り音の中、響の口が何事かを紡ぐ。

 

 次の瞬間、

 

 掌に光が出現した。

 

 あの、騎兵(ライダー)戦の時と同じである。

 

 だが、騎兵(ライダー)戦の時、その光の正体は輪郭がぼやけてはっきりと見て取ることができなかった。

 

 だが、今は違う。

 

 完全に輪郭が確定された姿。

 

 それは、一振りの日本刀だった。

 

 優美に反り返った、白銀の刃が魔力の閃光に照らされて怪しく光る。

 

 魔術師が、フードの下で大きく目を見開いた気がした。

 

 次の瞬間、

 

「ウワァァァァァァァァァァァァ!!」

 

 振りかざされる刃。

 

 魔術師(キャスター)は防御しようと手を振りかざすが、既に遅い。

 

 次の瞬間、

 

 振り下ろされた刃が、魔術師(キャスター)を袈裟懸けに切り下げた。

 

 手ごたえを感じる響。

 

 刃は、確かに魔術師の体を切り裂いたはず。

 

 だが次の瞬間、

 

「あ・・・・・・・・・・・・」

 

 短い声とともに、響の体は急速に落下を始めた。

 

 当然の事であろう。

 

 別に羽が生えているわけでもなく、何かを足場にしているわけでもない。

 

 響が魔術師(キャスター)と同じ高度まで到達できたのは、単に強烈な「ジャンプ」をしただけの事である。

 

 そして空を飛んでいる物は、必ず落ちる。自明の理だった。

 

 真っ逆さまに落下する響。

 

 正直、響は魔術師(キャスター)にどうやって攻撃を当てるか、と言う事ばかり考えていたため、着地については、あまり真面目に考えていなかったのだ。

 

 下では、イリヤが悲鳴を上げているのが分かる。

 

 そのまま叩き付けられるかと思った。

 

 次の瞬間、

 

 突如、誰かに抱きかかえられる形で、響の落下は止まった。

 

「バカッ 何考えてんのよあんたはッ あんな無茶して!!」

 

 響を抱きかかえた凛は、そう言って少年を叱責する。

 

 どうやら彼女が、落下する響を受け止めてくれたらしい。魔術を使えば、このような芸当も可能になるようだ。

 

 そのまま、響を地上へと下す凛。

 

 そこへ、イリヤ達も駆け寄ってきた。

 

「もうッ 響のバカぁ!! あんな無茶して!!」

「だって、できると思った」

 

 襟首を掴んでくる姉に、シレッと言い訳する響。

 

 一方で、ルヴィア達は、驚愕の眼差しで響を見ていた。

 

 まさか、あんな手段で、敵に攻撃を仕掛けるとは思っても見なかったのである。

 

「説明なさい遠坂凛、いったい、その子は何者ですの?」

「あー、そう言われると、説明が難しいんだけど・・・・・・」

 

 詰問するようなルヴィアに対し、凛は頭を掻きながら言葉を濁す。

 

 何しろ、響本人ですら判っていない事なのだ。それを他人の凛が説明しろと言う方に無理がある。

 

「何はともあれこれで終わった、のかな・・・・・・」

 

 イリヤが息をつきながら呟いた。

 

 その時だった。

 

「まだです!!」

 

 鋭い叫びを発したのは、美遊だった。

 

 その言葉に釣られるように、一同は天を振り仰ぐ。

 

 果たしてそこには、

 

 先ほどの物よりも巨大な魔法陣を展開した、魔術師(キャスター)の姿があった。

 

 先の響の攻撃によるダメージが、無いわけではない。その証拠に、傷口は今も残っている。

 

 しかし、その力が衰えているようには見えない。

 

 むしろ、響の一撃を食らって怒り狂っているようにも見える。

 

「まずいわッ このまま攻撃を受けたらッ!!」

 

 焦った調子で叫ぶ凛。

 

 イリヤや美遊の攻撃は届かず、響の攻撃はリスクが高すぎる。そもそも、あんな行き当たりばったりを2度も許すほど、敵も間抜けではないだろう。

 

「こ、これはもしかしなくても、大ピンチなんじゃ?」

「デッドエンド確定?」

 

 唖然として呟く、イリヤと響の姉弟。

 

 その間にも、上空の魔力が高まっていくのが分かる。

 

「悠長に話している場合かー!!」

「ててて、撤退ッ 撤退ですわー!!」

 

 叫ぶ凛とルヴィア。

 

 急ぎ反射路を形成し、退路を確保するルビーとサファイア。

 

 その間にも魔術師(キャスター)の魔力は嵐の如く荒れ狂い、鏡界面全体を覆いつくすほどに膨れ上がっていた。

 

《半径3メートルで反射路形成!!》

「早く早く早く!!」

《鏡界回廊、一部反転!!》

 

 ルビー達の詠唱が完了し、反射路が形成された時、既に魔術師(キャスター)の攻撃はすぐそこまで迫っていた。

 

 致死量の暴風が迫る。

 

 それ以上、この場にとどまることはできなかった。

 

接続(ジャンプ)!!》

 

 ルビーの声とともに、鏡界面が反転する。

 

 次の瞬間、一同の姿は消え去り、現実世界へと帰還するのだった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 誰もが、地面に座り込んでいた。

 

 紛う事無き敗北に皆、精根尽き果てた感じである。

 

 正直、全員が五体満足で戻ってこれたこと自体、奇跡に思えるのだった。

 

《いや~ ものの見事に完敗でしたね。歴史的大敗です》

 

 いつも通りの軽い口調で告げるルビーだが、その彼女も心なしかボロボロになっているのが分かる。

 

 彼女の力をもってしても対抗できなかった事実が、一同に重くのしかかっていた。

 

「いったい何だったのよ、あの敵は・・・・・・」

 

 よろよろと身を起こしながら、ぼやくように呟く凛。

 

 こちらの攻撃はほとんど通じず、逆に向こうの攻撃は全くと言って良いほど防ぎきれなかった事実には戦慄せざるを得なかった。

 

 と、

 

「ちょっと、どういう事ですの!?」

 

 ルヴィアはサファイアを引っ掴むと、そのリング部分に手をかけて左右にグイグイと引っ張った。

 

「カレイドの魔法少女は無敵なのではなくて!?」

《私に当たるのはおやめください、ルヴィア様》

 

 激昂するルヴィアに、冷静に返すサファイア。

 

 宝石翁キシュア・ゼルレッチ・シュバインオーグの手による、最高峰の魔術礼装。

 

 それを手にする魔法少女、カレイドライナーは強力な魔力を行使する事ができる。その力をもってすれば、いかなる敵も倒せるはずなのだ。

 

 次の瞬間

 

《ルビー・サミング!!》

 ズドッ

「メガッ」

 

 サファイアを虐待するルヴィアの眼球に、ルビーの一撃が突き刺さった。

 

 強烈な一撃を受け、地面に転がるルヴィア

 

「お、乙女の眼球に何て事を!?」

《サファイアちゃんをいじめる事は許しませんよ~》

 

 言いながらルビーは、妹を守るように立ちはだかる。

 

《それに、魔法少女が無敵だなんて、慢心も良いところです》

「ごめん、わたしもちょっと、無敵だと思っていた」

 

 言い募るルビーに、横合いからイリヤが苦笑気味に口を挟む。

 

 アニメの影響故か、魔法少女が負けるということ自体、少女にとっては想像の埒外だったようだ。

 

 対して、ルビーは諭すように言う。

 

《もちろん、大抵の相手なら圧倒できるだけの性能はありますが、それでも相性と言う物があります》

「その相性最悪だったのが、さっきのアレってわけね」

 

 凛が嘆息とともに呟く。

 

 遠距離攻撃ならば無敵だと思っていたイリヤと美遊が、完封されるとは思っても見なかった。

 

「まるで要塞でしたわ。あんなの反則ですわよ!!」

《もう魔術の域を超えていましたね。そりゃ、障壁でも防ぎきれないわけです》

 

 憤懣やるかたない、といった感じのルヴィアに、ルビーもやれやれといった感じに返す。

 

 おそらくは現代の魔術ではなく、失われた神代の魔術。現状の戦力では対抗は不可能だった。

 

 とにかく厄介なのは、あの空中魔法陣と、美遊の魔力砲を弾いた障壁だった。

 

 前者は恐らく、索敵と砲撃を兼ねていると思われる。つまり、索敵範囲に入った敵を自動で攻撃するようになっているのだ。

 

 後者は恐らく、魔力反射平面だと思われる。文字通り、魔力による攻撃を完全にブロックし、反射するのだ。

 

 つまり、空中にある限り、キャスターは無敵に近い。

 

 倒すならば、響がやったみたいに接近して物理攻撃を仕掛けるしかないわけだ。

 

 とは言え、

 

 凛はちらっと、響に目をやる。

 

 前回と違い、今回は響の攻撃手段がはっきりとした。

 

 いったいいかなる手法なのか、響は自分で刀を出してキャスターに攻撃を仕掛けた。

 

 相変わらず、あれが何なのかは判らないが、確実に言えるのは、同じ手は二度使えないだろうと言う事だ。

 

 相手もバカではない。今回は不意を突いたから成功したような物。次は向こうも対策を講じてくると見るべきだった。

 

 次はもっと、確実な手段に訴える必要がある。

 

 やはり、不確定要素にばかり頼る事はできなかった。

 

《あの魔力反射平面も魔法陣も座標固定型のようですし、せめて空でも飛べたら、打つ手もあるのですが・・・・・・・・・・・・》

「と言っても、いきなり飛ぶなんてできるわけないし・・・・・・」

 

 魔術の行使には、強固なイメージが重要となる。

 

 要するに、「思ったことは現実に起こる」と言う事を強くイメージできるか否かが、実現のカギとなるのだ。

 

 とは言え、空を飛ぶことができない人間が、飛ぶことをイメージするのは容易なことではない。

 

 凛やルヴィアも、苦労して飛行魔術を習得したほどである。

 

 これは長期戦も視野に入れて、充分な戦略を練る必要があるだろう。

 

 と、その時だった。

 

「あ、そっか、飛んじゃえば良かったんだね」

 

 やけにあっさりとしたイリヤの言葉。

 

 振り返る一同。

 

「おー、イリヤ、すごいね、それ」

 

 感心したように称賛する響の声が聞こえてくる。

 

 その視線の先には、フワフワと空中に浮きあがったイリヤの姿があった。

 

 高度はそれほど高くはないが、それでも間違いなくイリヤの体は宙に浮かんでいた。

 

「ちょ、ちょっと、何でいきなり飛んでんのよ!?」

「え、何でって・・・・・・・・・・・・」

 

 驚愕する凛に、イリヤは質問の意味が分からないといった感じに答えた。

 

「だって、魔法少女って、飛ぶものでしょ?」

 

 要するに、またしてもアニメの影響である。

 

 古今、アニメに出てくる魔法少女の多くは、何らかの形で飛行魔法が使える設定が多い。

 

 そのアニメを見て育たイリヤの中では「魔法少女は空を飛ぶ」と言うのが、半ば常識となっていたのだ。

 

 何という、頼もしい思い込み。

 

 凛とルヴィア。2人のベテラン魔術師が、思わず絶句したのは言うまでもない事だった。

 

「クッ 負けていられませんわよ!!」

 

 言いながら、ルヴィアは美遊に向き直る。

 

「美遊、あなたも今すぐに飛んで見せなさい!!」

 

 囃すように言い募るルヴィア。

 

 イリヤにあんなあっさりとできたんだから、美遊もできて当然、と思ったのだろう。

 

 対して、

 

「ルヴィアさん・・・・・・・・・・・・」

 

 美遊はぎこちない仕草で振り返る。

 

 何やら、絶望的な事態に直面した、とでも言いたげな表情である。

 

 そして、重々しく言い放った。

 

「人間は、飛べません」

 

 愕然とするルヴィア。

 

 小学生女児にあるまじき、夢の無さだった。

 

「そんな考えだから飛べないんですわッ!! 来なさいッ 明日までに飛べるように特訓ですわ!!」

「あう・・・・・・・・・・・・」

 

 そのまま、美遊の襟首をつかんで引きずっていくルヴィア。

 

 当の美遊はと言えば、無理難題を押し付けられたように困り顔をしたまま連行されていく。

 

 その様子を、残された響達は唖然とした様子で眺めていた。

 

「ま、何にしても、今日のところはこれでお開きね。幸い、明日は学校が休みだし、私もいろいろと戦略を練っておくわ」

 

 凛の言葉を聞き、響とイリヤはドッと疲れるのを感じる。

 

 正直、あれを相手に勝てるのかどうか?

 

 今だ、勝機が全く見えていないのが現状だった。

 

 

 

 

 

第5話「魔術師の城塞」      終わり

 



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第6話「飛べ、美遊!!」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 キャスター戦敗北の翌日。

 

 コンビニに行った帰りに衛宮響が道を歩いていると、何やら向こう側で人目をはばかるようにして歩いている人物を見かけた。

 

「あれ?」

 

 首をかしげる響。

 

 明らかに挙動不審な人物。

 

 気になったのは、その人物がこの辺りでは、あまり見かける事のないような恰好をしていたからだ。

 

 近付いてみると、意外な事に、それが記憶にある人物であることが分かった。

 

「あ、美遊?」

「ッ!?」

 

 声を掛けると、相手が肩を震わせて振り返る。

 

 立っていたのは、最近クラスに転校してきたばかりの美遊・エーデルフェルトだった。

 

 しかし、

 

 その恰好は見慣れた初等部の制服ではない。

 

 丈の長いスカートに長袖のブラウス、前には白いエプロンドレスを着用し、頭にはヘッドドレスまで付けている。

 

 要するに今の美遊は、典型的な「メイドさん」の恰好をしていた。

 

「え、えっと・・・・・・・・・・・・響?」

 

 突然、声を掛けられたせいで動揺したのか、少し後じさりながら訪ねてくる美遊。

 

 どうやら、流石に名前くらいは憶えてくれたらしい。

 

 響の言葉に対し、少し気の抜けたような返事をする美遊。心なしか、普段の冷静な態度が崩れ、目を泳がせているようにも見える。

 

 どうにも「まずいところを見られた」と言った感じの態度である。

 

 対して響の方も、「そこ」にツッコミを入れないわけにはいかなかった。

 

「ところで、何でメイド?」

「は、そ、それは・・・・・・・・・・・・」

 

 言葉を濁す美遊。

 

 どうやら、聞き辛い事を聞いたらしかった。

 

 口ごもる美遊。

 

 ややあって、

 

「実は・・・・・・その・・・・・・」

「?」

 

 言いよどむ美遊に対し、響は首をかしげる。

 

 いったい、どうしたと言うのか?

 

「あの・・・・・・実は私・・・・・・ルヴィアさんのお屋敷で、メイドを・・・・・・」

「ルヴィアの家? あのお向かいの?」

 

 尋ねる響に、美遊は頷きを返す。

 

 後で知った事だが、驚いた事に衛宮邸の向かいに1日でできた超豪邸は、ルヴィアの家だったのだ。

 

 まことに、金と言う物はある所にはあるものである。

 

「で、美遊はそこのメイド?」

「う、うん」

 

 並んで歩きながら、美遊は少しばつが悪そうに、顔を赤くして俯く。

 

 どうやら、この恰好を見られたこと自体が恥ずかしいらしかった。

 

「あの、お願いが、ある・・・・・・」

「ん?」

 

 すがるような美遊の言葉に、響は振り返る。

 

「その、イリヤスフィールには、この事は言わないで・・・・・・・・・・・・」

「・・・・・・良いけど」

 

 気持ちは判る。こんな恰好、イリヤに、と言うより他の人間に見られたくないのだろう。本来なら響にも。

 

 しかし、

 

「イリヤなら、別に、バカにしたりはしないと思う」

「・・・・・・・・・・・・」

 

 響の言葉に答えず、黙り込む美遊。

 

 イリヤなら多分、今の美遊を見れば喜々として褒めたたえるだろう。あれで結構、可愛い物が好きだから。

 

 などと、響は姉の事を思い浮かべる。

 

 しかしまあ、本人が言わないでくれと言っている以上、言いふらすのはよくないだろう。

 

「判った、誰にも言わないでおく。イリヤにも」

「・・・・・・ありがとう」

 

 響の言葉に、美遊は少しだけホッとしたような顔をする。

 

「そう言えば、美遊はどうしてここに?」

「ルヴィアさんのお使いで、コンビニに行った帰り」

 

 そう言って、セブンイレブンの袋を掲げる美遊。

 

 金持ちでも、コンビニなんて利用するのか。

 

 変なところに感心しつつ、響は気になっていることを尋ねてみた。

 

「それで、飛行は?」

「それは・・・・・・・・・・・・」

 

 響の言葉に、美遊は顔を曇らせる。

 

 どうやら、あまり芳しくないようだ。

 

「イリヤも特訓している。美遊も頑張って」

 

 響の言葉に、美遊は無言のまま頷きを返す。

 

 元より、飛行魔法を習得しない事には、攻撃はキャスターに届かないのだ。

 

 ここは是が非でも、美遊に頑張ってもらう必要があった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 美遊と別れた響は、その足で近所の森へと向かった。

 

 周囲に人がいないのを確認し、中へと分け入っていく。

 

 やっている事が事だけに、人目につくことだけは完全にNGである。それでなくても、小学生が1人で行動すれば、それなりに目立つのだから。

 

 森に分け入ってしばらくすると、少し開けた場所に出る。

 

 この場所を知っているのは、響ともう1人。

 

 先にここに来ていた、彼の姉だけである。

 

「イリヤ、差し入れ」

「あ、響、ありがとう」

《おやおや、気が利きますね。将来、良い主夫になれますよ、響さん》

 

 イリヤとルビーが振り返って、響を出迎える。

 

 イリヤはここで、朝から魔法の練習をしているのだ。

 

 取りあえず、イリヤが飛べると言う事が分かったのは大きい。これで戦術の幅もだいぶ広がる事になる。

 

 少なくとも、キャスターと同じ土俵で戦えるだけでも、充分な成果だった。

 

「それで、他には?」

 

 持ってきたジュースを飲みながら、響が尋ねる。

 

 今夜、再びキャスターに仕掛ける手はずになっている。それまでに、少しでも切り札を増やしておきたいところである。

 

「さっき、アーチャーのカードを試してみたんだけど・・・・・・・・・・・・」

 

 イリヤは、そこで言葉を詰まらせる。

 

 英霊のカードは、それぞれ何らかの能力を有しており、その能力はルビーを介する事によって一部を引き出す事ができる。

 

 これを「限定展開(インクルード)」と言う。

 

 ライダー戦で美遊が使った槍も、ランサーの力を限定展開(インクルード)したものである。

 

「弓が出ただけで、矢が無かったから使い物にならなかったよ」

 

 がっくりと肩を落とすイリヤ。

 

 どうやら、英霊カードといえども万能ではないらしい。期待していただけに落胆も大きかった。

 

 アーチャーの場合、出てくるのは弓だけで、肝心の矢は自前で用意しないといけないらしかった。

 

 これでは、何の役にも立たなかった。

 

「そういう響はどうなの? あの刀の出し方とか、判った?」

「・・・・・・さあ」

 

 肩をすくめる響。

 

 イリヤの事ばかりを言ってもいられない。成果が無いのは、響も同様なのだから。

 

 結局、キャスターやライダーを攻撃した刀をなぜ出せたのか、響自身は判らずじまいである。

 

 あれが使えれば、響自身も主力として戦う事が出来るし、イリヤや美遊の負担も減らせるのだが。

 

《まあ、焦っても仕方がありません。地道に行きましょう》

「そうだね」

「ん」

 

 軽い調子のルビーの言葉に、イリヤと響は頷きを返し、再び練習を始める。

 

「美遊さんも今頃頑張ってるだろうし、負けてられないよね」

《その意気ですよイリヤさん》

 

 そう言うとイリヤは、再び魔法少女の装いとなり、ルビーを構える。

 

 と、

 

「あ・・・・・・・・・・・・・」

 

 魔法少女に変身するイリヤの姿を見ながら、響は先ほどの事を思い出していた。

 

「美遊と言えば、さっき・・・・・・・・・・・・」

「うん? どうしたの響?」

《美遊さんが何か?》

 

 言いかけた響に、イリヤとルビーは揃って振り返り、怪訝そうな顔をする。

 

 しかし響は、その先を続ける前に、この件について美遊から口止めされていたことを思い出す。

 

 イリヤには言わないと美遊と約束した以上、それを破るわけにはいかなかった。

 

「ん、何でもない」

「《?》」

 

 内心で、ほっと息をつく響。危ない危ない。危うく口を滑らせるところだった。

 

 本人が嫌がっていることをするつもりは、響にはなかった。

 

 そっぽを向く響に、首をかしげるイリヤとルビー。

 

 そんな3人のいる森の上空に、1機のヘリが差し掛かろうとしていた。

 

 

 

 

 

 一方、

 

 美遊とルヴィアが険しい顔を突き合わせていた。

 

「・・・・・・・・・・・・無理です」

 

 相変わらずの無表情で、低く呟く美遊。

 

 心なしか、その表情にはいつも以上の緊張が見られる。

 

 対して、ルヴィアは諭すように言う。

 

「良いですか、美遊。あなたが飛べないのは、その頭の固さのせいですわ」

 

 確かに、イメージが重要な役割を果たす魔術において、想像力と言うの大切である。それを考えれば、ルヴィアが言っている事は間違いないのだが。

 

 しかし、

 

「・・・・・・・・・・・・不可能です」

 

 相変わらず、硬い表情の美遊。

 

 対して、ルヴィアも一歩も引かない。

 

「最初からそう決めつけていては何も成せません!!」

「ッ・・・・・・・・・・・・ですがッ!?」

 

 叫ぶ美遊。

 

 その足元には吹き抜けるような空。

 

 2人は今、上空を飛ぶヘリの中にいた。

 

《おやめくださいルヴィア様。パラシュート無しにスカイダイビングなど危険すぎます》

 

 サファイアがルヴィアを諫めるように口を開く。

 

 それ程までに、状況は唖然とせざるを得ないものだった。

 

「こうでもしないと飛べるようにならないでしょう!! 体で浮く感覚を実体験でもって知るのですわ!!」

 

 一方で美遊はと言えば、ヘリのドア枠に掴まって下を見ていた。

 

 その体は、恐怖の為にガクガクガクと震えている。

 

 無理もない。既に魔法少女に変身しているとはいえ、高高度に命綱無しに立てば、それは怖いだろう。

 

「美遊はなまじ頭がいいから物理常識にとらわれているんですわ。魔法少女の力は空想の力。常識を破らねば、道は開けません」

《付き合う必要はありません美遊様。拾っていただいた恩があるとはいえ、このような命令は度が過ぎています》

 

 ルヴィアの無茶振りに抗議するサファイア。

 

 だが、ルヴィアは無視して続ける。

 

「さあ、一歩踏み出しなさいッ あなたなら必ず飛べますッ できると信じれば不可能はないのですわ!!」

「・・・・・・・・・・・・ッ!!」

 

 ルヴィアの言葉に、美遊の中では葛藤が走る。

 

 ルヴィアには恩義がある。

 

 身寄りの無い自分を引き取り、多くの物を与え、大切にしてくれている。

 

 だからルヴィアには、感謝してもし足りないくらいだ。

 

 ルヴィアの為ならば、どんな敵とも戦うし、躊躇うつもりはない。

 

 しかし、

 

「いえ、やはり無理で・・・・・・・・・・・・」

 

 最後まで言い切ることを、美遊はできなかった。

 

 その前に、ルヴィアが美遊の体をヘリの外へと蹴り出したからだ。

 

 強烈な悲鳴とともに、高高度から重力の法則に従い落下していく魔法少女(カレイド・サファイア)

 

「獅子は千尋の谷に我が子を突き落とすと言いますわ。見事に這い上がって見せなさい」

 

 ノーロープバンジーを強要された美遊の悲鳴を聞きながら、残ったルヴィアは涙ながらに見送るのだった。

 

 

 

 

 

 などと言うコントじみたやり取りの足元では、イリヤ達が魔法の練習をしているところだった。

 

 取りあえず、飛行のイメージは強固にする事はできた。

 

 まだ俊敏に飛び回ると言う訳にはいかないが、それでも浮遊と着陸は自在に行えるようになっていた。

 

「だいたい、こんな感じかな?」

《万全ではありませんが、急場としては上出来じゃないでしょうか。あとは凛さんの作戦次第でしょう》

 

 そもそも、万全を期するにはあまりにも時間が足りない。たった1日でできる事は多寡が知れいていた。

 

 一方の響はと言えば、さっきから自分の手のひらを見つめてジッとしている。

 

 そんな弟に、イリヤは近づいて話しかけた。

 

「どうしたの、響?」

「ん」

 

 覗き込んできたイリヤに、響は顔を上げる。

 

 その顔は、いつも通りと茫洋としたものである。

 

 しかし、付き合いが長いイリヤには、響が何か悩んでいることを見抜いていた。

 

「・・・・・・やっぱり、判らない」

「ああ、どうやって剣を出すかって?」

 

 尋ねるイリヤに、響は頷きを返す。

 

 自分に何らかの力がある事は判っている。

 

 しかし、それも自在に使う事が出来なければ、文字通り宝の持ち腐れだった。

 

「せっかく、一緒に戦えると思ったのに・・・・・・・・・・・・」

 

 嘆息する響。

 

 正直、響自身、落胆も大きい。

 

 そんな響を見ながら、

 

「まあ、あんまり頑張りすぎないでね」

「イリヤ?」

 

 イリヤは弟に笑いかける。

 

「私も、美遊さんもいるんだし、そりゃ、響も戦えるようになってくれると私は嬉しいけどさ。まあ、何とかなるって」

「・・・・・・・・・・・・」

 

 優しく告げるイリヤ。

 

 そんな姉の様子に、響は視線をわずかに逸らす。

 

 イリヤを守りたい。

 

 危険な戦いをしている姉の助けになりたい。

 

 響の中で、その思いは強く根付こうとしている。

 

 しかし、その為の力をコントロールできないのでは、話にならない。これでは足手まといも同然だった。

 

 と、その時だった。

 

「・・・・・・・・・・・・あれ?」

 

 空を振り仰いだ響が、何かに気付いて声を上げる。

 

「どうしたの響?」

「あれ?」

 

 言いながら、上空を指さす響。

 

 釣られて、イリヤも振り返る。

 

「あれ?」

「あれ」

 

 二人が見上げた視界の先。

 

 そこには、何かが急速に近づいてくる、と言うより落下してくる様子が見えた。

 

 次の瞬間、

 

 2人がいるほんの数メートル先に、上空から降ってきた何かが「落下」した。

 

「だァァァァァァァァァァァァ!?」

 

 悲鳴を上げながら、とっさに響を抱えて飛びのくイリヤ。

 

 ほぼ同時に沸き起こる、衝撃と轟音。

 

 先ほどまで2人がいた場所は、今やちょっとしたクレーターが出来上がっていた。

 

 あまりと言えばあまりな状況。

 

「い、いったい何が?」

「さ、さあ・・・・・・」

 

 空に浮かんでいるイリヤにしがみつきながら、響も唖然としている。

 

 やがて、舞い上がる砂煙が晴れる中、

 

 クレーターの中央で、1人の少女がよろけながら立ち上がる。

 

 取りあえず説明は不要だろう。現れたのは、先ほどルヴィアによって上空を飛ぶヘリから放り出された美遊である。

 

《全魔力を物理保護に変換しました。お怪我はありませんか、美遊様?》

「な・・・・・・何とか・・・・・・」

 

 気遣うサファイアに、精根尽き果てた感じに答える美遊。

 

 高高度を飛ぶヘリから命綱もパラシュートもなしにノーロープバンジーを慣行し、見事に生還した彼女。

 

 ギネスに乗るほどの快挙であるのは間違いない。

 

 言うまでもなく、嬉しくも何ともないが。

 

 と、

 

「美遊さん、何で空から? 必殺技の練習?」

「ライダーキック?」

 

 空中に浮かんでいるイリヤと響が、恐る恐ると言った感じに声を掛けてくる。

 

 まさかライバルの魔法少女が、こんな形で登場するとは、想像だにしていなかった。

 

 対して美遊とサファイアは、イリヤ達を見上げながら呟く。

 

「・・・・・・飛んでる」

《はい。ごく自然に飛んでらっしゃいます》

 

 美遊がこれだけ苦闘し、ついにはヘリから蹴り落されても尚できない事を、イリヤはいともあっさりとやってしまっている。

 

 その事に、美遊は改めて愕然とさせられた。

 

《美遊様、ここはやはり》

「・・・・・・・・・・・・」

 

 躊躇う美遊を後押しするように、サファイアが告げる。

 

 対して、美遊も意を決したようにイリヤを見た。

 

「・・・・・・その・・・・・・昨日の今日で言えた事じゃないんだけど・・・・・・」

 

 恥を忍ぶ美遊。

 

 しかし、飛べない事には全てが始まらない以上、なりふり構っている時ではなかった。

 

「・・・・・・その、教えてほしい・・・・・・飛び方」

 

 美遊の言葉に、響とイリヤは顔を見合わせる。

 

 何しろ、昨日の放課後に、あれだけの啖呵を切った美遊が頭を下げてきたのだ。

 

 それだけ、必死なのだと言う事が伝わってくる。

 

「えっと・・・・・・」

 

 イリヤは響を地面に下しながら、自分も高度を下げて着地する。

 

「そう、言われてもな・・・・・・」

 

 いったい、何を教えればいいのかイリヤ自身、見当がつかない、と言うのが本音である。

 

 「気づけば最初からできていた」と言ってもいい飛行魔法について、どんなアドバイスをすれば良いのか?

 

《イリヤ様は昨日、「魔法少女は飛ぶ物」とおっしゃっていました。と言う事は、そのイメージの元となった「何か」があるのでは?》

「・・・・・・・・・・・・あ」

 

 サファイアの言葉に、短く声を上げたのは響だった。

 

 どうやら、何か思いついたらしい。

 

「イリヤ、あれじゃない?」

「あれ? ・・・・・・ああ、あれか~・・・・・・」

 

 響の言わんとする事に思い至ったイリヤは、少し躊躇うように呟いてから美遊に向き直った。

 

 まあ、案ずるより生むが易しと言う。あれこれ考える前に、実際に見せた方が早いだろう。

 

「ねえ、美遊さん。今から、うちに来れる?」

「え、イリヤスフィールの家に?」

 

 突然の申し出に、戸惑う美遊。

 

 いったい何が始まるのか、測りかねてる様子だ。

 

「イメージの元になった物、見せてあげるよ」

「こっち」

 

 そう言うと、イリヤと響はそれぞれ、美遊の手を取って駆けだした。

 

 

 

 

 

【今だよ、ムサシちゃん!!】

【うんッ!! 雲の中に隠れても無駄だ!! この空で散れ!!】

 

 画面の中で、2本のステッキを剣のように振りかざしたフリフリ衣装の少女が、鋭い軌道を描きながら、華麗な空中戦を演じている。

 

 響とイリヤがハマっているアニメ「マジカル☆ブレードムサシ」の第伍話「空の華」、の回である。

 

 空中に逃れようとした敵を、主人公のムサシちゃんが追いかけてやっつけているシーン。

 

 それを、テレビの前で正座した美遊が、愕然とした顔で眺めていた。

 

「・・・・・・こ、これ?」

「う、うん。私の魔法少女のイメージの大元、だと思う。恥ずかしながら・・・・・・」

「これ、面白い。美遊も見れば?」

 

 しかし美遊は、響達の言葉も耳に入っていないようだ。

 

 まるで、UFOを目撃した人間のように、美遊は、目を大きく見開いてテレビに食い入っている。

 

「航空力学はおろか、重力も慣性も作用反作用すらも無視したでたらめな動き・・・・・・」

「いやー・・・そこはアニメなんだから、固く考えずに見てほしいんですけど」

 

 ぶつぶつと何やら小難しいことを呟き始めた美遊に、イリヤは苦笑交じりにツッコミを入れる。

 

 と言うか、魔法少女アニメを見て、飛行技術について語りだした人間は有史以来、美遊が初ではないだろうか?

 

 そんな主の傍らで、サファイアが感心したように声を上げた。

 

《実体験によらないフィクションからのイメージとは、思いもよりませんでした》

《イリヤさんの空想力はなかなかのものですよー》

「・・・・・・褒めてるの?」

 

 何となく「夢ばっかり見ている」と言われた気がして、イリヤはルビーをジト目でにらむ。

 

《まあ、空想と言うか妄想と言うか、夢見がちなお年頃の少女と言うのは現実(リアル)非現実(フィクション)の境界が曖昧になりがちですからねー》

「・・・・・・褒めてないね」

 

 ガックリと肩を落とすイリヤ。

 

 それはさておき、

 

「これ見れば、美遊もきっと飛べる」

《そうですよ美遊様。イリヤ様に頼んで、お借りしてみては?》

 

 諭すように言う響とサファイア。

 

 しかし、それに対して美遊は、硬い表情のまま首を横に振った。

 

「ううん、たぶん無理。このアニメを見ても飛んでる原理が判らない以上、具体的なイメージにはつながらない」

「美遊?」

 

 怪訝な面持ちでのぞき込む響。

 

 しかし、そんな響に構わず、美遊は何やらブツブツと独り言をつぶやき始める。

 

「必要なのは揚力ではなく浮力だと言う事までは判るけどそれではただ浮くだけだから移動するにはさらに別の力を加えるか重力ベクトルを操作するしかないんだけどでもそんな事あまりに非現実的すぎてとてもじゃないんだけどイメージなんて・・・・・・」

 

 ぶっちゃけ、ちょっと怖かった。

 

 この光景を見るだけでも、美遊の石頭ぶりは重症レベルであることが分かる。

 

 次の瞬間、

 

《ルビーデコピン!!》

 スビシッ

「はふゥッ!?」

 

 いきなりルビーの羽根によるデコピンをおでこに受け、美遊はおでこを抑えて悲鳴を上げた。

 

「い、いきなり何を?」

 

 痛むおでこを押さえながら、抗議の声を上げる美遊。

 

 それに対し、加害者たるルビーは嘆息交じりに行った。

 

《まったくもー 美遊さんは基本性能は素晴らしいみたいですが、そんなコチコチの頭じゃ魔法少女は務まりませんよー?》

 

 言ってから、ルビーは羽根でイリヤを指す。

 

《イリヤさんを見てください!! 理屈や過程をすっ飛ばして結果だけをイメージする!! それくら能天気で即物的な思考のほうが、魔法少女には向いているんです!!》

「何かさっきからひどい言われよう何だけど!!」

「でも間違ってない」

「響ィ あとで覚えてなさいよ!!」

 

 あっさり裏切った弟にがなるイリヤ。

 

 そんな姉弟げんかを無視して、ルビーは再び美遊に向き直った。

 

《そうですね、美遊さんにはこの言葉を送りましょう》

「?」

《「人が空想できる事全ては、起こり得る魔法事象」。私たちの想像主たる魔法使いの言葉です》

 

 今現在、仮に不可能なことであっても、将来、何らかの形で実現するかもしれない。

 

 ならば、思い悩むよりも先に、想像すればいいのだ。

 

 飛行も同じ。イメージさえ確立してしまえば、あとは技術の問題となる。

 

「まあ、つまりあれでしょ」

 

 響と取っ組み合いをしていたイリヤが、向き直って言った。

 

考えるな(Don`t think)!! 空想しろ(Imaging)!!」

 

 そんなイリヤの言葉に対し、美遊はいよいよげんなりした顔を作る。

 

 どうにも、まだ納得していない、と言った感じだ。

 

「・・・・・・・・・・・・あまり参考にはならなかったけど、少しは考え方が分かった気がする」

 

 言いながら、美遊は立ち上がる。

 

 果たして、今回の行動で彼女の中に変化はあったのか?

 

 それは判らないが、取りあえずやるだけのことはやった、と言った感じである。

 

 美遊は、そのまま背を向けて、リビングから出ていく。

 

 だが最後に、

 

「また、今夜・・・・・・・・・・・・」

 

 それだけ言うと、美遊は玄関から出ていくのだった。

 

 そんな少女の様子を、響達は立ち尽くしたまま見送る。

 

《行っちゃいましたねー》

「『また今夜』・・・・・・・・・・・・か」

 

 ポツリとつぶやくイリヤ。

 

 取りあえず昨日の放課後に「あなたは戦うな」などと言われたことから比べると、だいぶ前進した感がある。

 

 と、

 

「大丈夫」

 

 響がポツリと言った。

 

「美遊なら、きっと何とかする・・・・・・と思う」

「何それ?」

 

 怪訝な面持ちになるイリヤ。

 

 対して、響は茫洋とした顔で、美遊が去った扉を見つめる。

 

「・・・・・・・・・・・・何となく?」

「変なの」

 

 笑うイリヤ。

 

 間もなく夜が来る。

 

 戦いの夜が。

 

 相変わらず勝機は薄いが、しかし何となく、勝ち運は向いてきたように思えるのだった。

 

 

 

 

 

第6話「飛べ、美遊!!」      終わり

 



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第7話「魔女との再戦」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 魔術師の用意は万端だった。

 

 実際のところ彼女には、自分が置かれている状況について何も判ってはいない。

 

 自分がなぜここにいて、そしてなぜ戦っているのかも。

 

 しかし、それでも襲ってくる「敵」はいる。

 

 ならば、迎え撃つ以外に無い。

 

 戦って勝つ。

 

 単純にして明解、唯一のルールがそこには敷かれている。

 

 空中に、溢れんばかりに描かれた無数の魔法陣。

 

 その物量は、先の激突時を大きく上回っている。

 

 敵は必ず来る。

 

 それが判っていればこそ、魔術師(キャスター)の備えは万全だった。

 

 果たして、

 

 空間の一角に魔法陣が描かれる。

 

 それと同時に、ピンクと青、2種類の衣装をまとった2人の少女が飛び出してくるのが見えた。

 

「戦闘開始ッ 一気に畳みかけるわよ!!」

「2度目の負けは許しませんわよ!!」

「「了解!!」」

 

 凛とルヴィアの声を背に受け、イリヤと美遊は接続(ジャンプ)から抜けると同時に駆けだした。

 

 それと同時に、響、凛、ルヴィアの3人は橋の下へと入る。ここにいれば、魔法陣の索敵から逃れる事ができるのだ。

 

 そのイリヤ達の目にも、既に戦闘態勢に入ろうとしているキャスターの姿が映っていた。

 

 イリヤは、並んで走る美遊にチラッと眼をやる。

 

 美遊は飛べるようになったのだろうか? それ次第で、戦いの様相はがらりと変わってしまうのだが。

 

 イリヤがそう考えた次の瞬間、

 

《行けますか、美遊様?》

「大丈夫」

 

 サファイアとの短いやり取りのあと、

 

 美遊は地面を蹴って宙に舞い上がった。

 

 「飛んだ」のではない。

 

 「跳んだ」のだ。

 

 美遊は魔力で脚力を強化し、大きくジャンプしたのである。

 

 ここまでは、昨日の響と同じである。

 

 だが、美遊はそこで止まらない。

 

 2度、3度と空中を蹴り、どんどん高度を上げていく。

 

 これが、苦心の末に美遊が導き出した「答え」だった。

 

 結局彼女は、自分を縛る「人は飛べない」と言う概念を打ち破る事は出来なかった。

 

 しかし、イリヤやルビーのアドバイスや、響が昨日やった魔力ジャンプを参考にした美遊は、自ら飛ぶ方法を編み出した。

 

 美遊は魔力で空中に足場を作り、それを蹴る事によって空中を移動しているのだ。

 

 イリヤのように小回りは効かないが、それでも長時間の空中移動が可能であり、空中戦を行う分には十分な効果があった。

 

 その間にも先制する形で攻撃を開始するキャスター。

 

 放たれた砲撃が、容赦なくイリヤと美遊を襲う。

 

 しかし、既に飛行の問題をクリアしている2人はこの攻撃を難なく回避して高度を上げていく。

 

《このまま魔法陣の上まで飛んでください!! そこなら攻撃は届きません!!》

「判った!!」

 

 ルビーの指示通り、攻撃を回避しながら上昇を続けるイリヤ。

 

 その間に、美遊も同じように高度を上げていく。

 

 凛が立てた作戦は、小回りが利き回避に優れるイリヤが囮を担当し、突破力と火力に優れる美遊が攻撃を担当する事になる。

 

 攻撃成功のカギは、イリヤがいかにキャスターの注意を引き付けられるかにかかっていた。

 

 やがて2人は、空中に浮かぶキャスターと同じ高度に達する。

 

 ここは既に魔法陣の上。攻撃が来ることもないし、魔力反射平面の効果も消えている。

 

 つまり、ようやく条件は同じになったのだ。

 

《さあさあ、この空がバトルフィールドですよ!! 敵勢力を排除して制空権を我が物とするのです!!》

「何かテンション高いね!!」

 

 はやし立てるルビーに返事をしつつ、接近を開始するイリヤ。

 

 対してキャスターが迎撃の魔術を放つも、イリヤはそれを巧みに回避してルビーを振りかざす。

 

《低威力で構いません、距離を保って撃ちまくってください!!》

「うん!!」

 

 言いながら、魔力を高めるイリヤ。

 

 ともかく、キャスターの動きを止めることが重要だ。

 

「散弾!!」

 

 放たれる無数の魔力弾。

 

 1発の威力は落ちるが、仕留めるのが目的ではないので、こちらの方が都合が良いのだ。

 

 狙い通り、動きを止めて防御に入るキャスター。

 

 攻撃を仕掛ける、絶好のタイミング。

 

 そこへ、背後へ回り込んだ美遊が仕掛ける。

 

 手にした槍兵のカードを掲げる美遊。

 

「『ランサー』・・・・・・限定(インク)・・・・・・・・・・・・」

 

 ランサーを限定展開(インクルード)して、刺し穿つ死棘の槍(ゲイボルグ)を召喚しようとする美遊。

 

 だが、美遊が槍を出そうとした瞬間、

 

 彼女の目の前にいたはずのキャスターの姿が、幻のように消え去ってしまった。

 

「な、消え・・・・・・・・・・・・」

 

 驚愕に、目を見開く美遊。

 

 次の瞬間、

 

 キャスターの姿は、美遊のすぐ背後に移動して現れた。

 

 不意を突かれる美遊。

 

 とっさに振り返ろうとするが、間に合わない。

 

 そのまま強烈な攻撃を食らって、美遊は地面に叩きつけられてしまった。

 

「ミユさん!!」

《い、今のは!?》

 

 イリヤとルビーが焦って声を上げる中、

 

 地面に叩きつけられた美遊は、辛うじて身を起こす。

 

《申し訳ありません美遊様。物理保護の強化が間に合わず・・・・・・》

「大丈夫、大した事・・・・・・ッ!?」

 

 気遣うサファイアに気丈に答えようとするも、墜落の衝撃で足を負傷しており、思わず言葉を詰まらせる。

 

 直ちに治療に入るサファイア。

 

 だが、それを許すほど、キャスターは悠長ではなかった。

 

 座り込んでいる美遊に、サーチの光が無数にあてられる。

 

 地上に落ちた事で、美遊は再び魔法陣の攻撃範囲に入ってしまったのだ。

 

 見ていたルヴィアが、思わず悲鳴を上げる。

 

「逃げなさい美遊!! そんな集中砲火を受けては障壁ごと・・・・・・・・・・・・」

 

 凛が制止するのも構わず、飛び出そうとするルヴィア。

 

 しかし、間に合わない。

 

 魔法陣が輝き、魔力の砲撃が降り注ぐ。

 

 足を負傷している美遊に、回避の手段はない。

 

 降り注ぐ光。

 

 次の瞬間、

 

 ルヴィアを追い越す形で、飛び出す小さな影があった。

 

「響!!」

 

 悲鳴に近い凛の声が響く。

 

 集中攻撃を受けそうになっている美遊を見た響は、とっさに彼女を助けるべく飛び出したのだ。

 

 響はキャスターの砲撃が届く直前、座り込んだままの美遊を抱えるようにしてその場を離れる。

 

 一瞬の間をおいて、砲撃が着弾。

 

 衝撃で、響と美遊の体は大きく吹き飛ばされた。

 

 降り注ぐ、追撃の嵐。

 

 2度、3度とバウンドする2人。

 

 強烈な攻撃が、小学生2人を翻弄する。

 

 しかし、間一髪で響が間に合ったことで、2人とも大きな怪我をする事もなかった。

 

 降り注ぐ砲撃の嵐を必死に掻い潜り、響はどうにか美遊を連れて橋の下へ向かって駆ける。

 

 あの魔法陣によるサーチは、遮蔽物があれば効果を遮断できる。橋の下に入れば、ひとまず安心だった。

 

 その間、上空では尚も、イリヤが散発的にキャスターに攻撃を仕掛けている。

 

 イリヤが放つ攻撃を、キャスターが防御。

 

 逆に、キャスターの攻撃を、イリヤが回避していく。

 

 しかし、状況は芳しくない。イリヤの攻撃は、ほとんどキャスターに届いていないのだ。

 

 やはり、決め技を持つ美遊が、一時的に戦線離脱したのは痛かった。

 

 しかしどうやら、イリヤとしても単独でキャスターを倒すつもりはない様だ。取りあえず、時間を稼いで美遊が復帰するのを待つ心算らしい。

 

 その間、何とか橋の下へと戻ってくる響。

 

 この下にいれば、キャスターの砲撃を食らう事はない。

 

 と、

 

「この、馬鹿ァッ」

 ゴンッ

 

 戻ってきた響に、凛の容赦ないゲンコツが落とされた。

 

「・・・・・・痛い」

「当り前よ、痛くしてるんだから!!」

 

 腰に手を当ててがなりまくる凛。

 

 またしても無謀なことをした響。ここは、年長者としてケジメをつけなくてはならない場面である。

 

「あんた、どんだけ無茶な事やれば気が済むのよ!?」

「だって・・・・・・」

「『だって』じゃない!!」

 

 反省の色を見せない響に説教をする凛。

 

 しかし、その間に治療を終えたのか、美遊は自力で立ち上がって近づいて来た。

 

「凛さん、もうその辺で。時間もありませんし」

「・・・・・・・・・・・・ったく」

 

 頭を掻きながら、向き直る凛。

 

 この無謀な少年には言いたい事は山ほどあるが、それらは後回しである。お説教は勝った後にいくらでもできる。

 

「響」

 

 美遊に声を掛けられ、振り返る響。

 

 そこには、いつも通りまっすぐにこちらを見据えてきている、美遊の静かな瞳がある。

 

「美遊?」

「さっきは・・・・・・その、ありがとう・・・・・・助かった」

 

 それだけ言うと、美遊は踵を返し、再び魔力の足場を蹴って上空の戦場へと向かう。

 

 その姿を、響は地上から見送るのだった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 空中に戻った美遊は、孤軍奮闘を続けるイリヤの元へ駆け寄る。

 

 ここまでイリヤは、牽制と回避に専念し、どうにかキャスターを引き付ける事に成功していた。

 

「あ、ミユさん、もう大丈夫なの?」

「ええ」

 

 言いながら、サファイアを構えなおす美遊。

 

 合わせるように、キャスターも戦闘態勢に入るのが見えた。

 

 状況は戦闘開始前に戻った形だが、既に先ほどの戦法は通用しないだろう。敵が転移魔術を使える以上、通常の攻撃手段では回避されるのがオチだった。

 

 しかし、

 

「・・・・・・・・・・・・まだ、手はある」

 

 低く、

 

 しかし確信の籠った声で、美遊は言い放った。

 

 まだまだこれから。

 

 勝負を捨てる気は、さらさら無かった。

 

 同時に、戦闘を再開する2人。

 

 互いに魔力弾を放ちながら接近。キャスターに攻撃を掛ける。

 

 対してキャスターも応戦。

 

 空中で激しい撃ち合いが始まった。

 

 さしものキャスターも、イリヤと美遊を同時に相手取るのは厳しいのか、障壁を張って防戦に回っている。

 

 一方のイリヤ達も、キャスターの防御障壁を抜くだけの威力を持った攻撃を撃てず、状況は膠着状態に陥っている。

 

 このままでは、体力的に劣るイリヤ達が先に力尽きてしまう事は目に見えていた。

 

 だが、今度は先ほどとは違う。

 

 前に出るのは美遊ではなく、イリヤ。

 

 本来なら囮役のはずのイリヤが、積極的に前に出て攻撃を仕掛けていた。

 

 素早く接近すると同時に、ルビーに魔力を込めて振るうイリヤ。

 

《速攻ですッ とにかく手数で圧倒しましょう!!》

「判った!!」

 

 ルビーの指示に従い、攻撃を繰り返すイリヤ。

 

 その速攻が効いたのか、イリヤの攻撃が一時的にキャスターを圧倒する。

 

 動きを鈍らせるキャスター。

 

 そこへ、一気に勝負を仕掛ける。

 

「行くよ!!」

 

 魔力を込めたルビーを、鋭く振るうイリヤ。

 

 放たれる砲撃は、散弾。

 

 しかし、その攻撃はキャスターに読まれていた。

 

 イリヤが攻撃に入る直前、キャスターはまたしても転移魔術を駆使して回避行動をとる。

 

 放たれる散弾。

 

 しかし、姿を消したキャスターには当然、命中しない。

 

 その間に、キャスターはイリヤの背後へと回り込み、杖を構えた。

 

 その杖の先端に収束する魔力。

 

 先ほどの美遊と同じ。

 

 そのままイリヤもやられてしまうのか?

 

 そう思った次の瞬間、

 

 イリヤが放った魔力弾は、全て壁に当たったように反射し、背後にいたキャスターに襲い掛かった。

 

 驚いたのはキャスターだろう。まさか、かわしたと思った攻撃を食らうとは思っていなかっただろうから。

 

 答えは魔力反射制御平面である。

 

 イリヤはキャスターが転移魔術で回避することを見越し、敵が張った反射平面を逆に利用する事で、虚を突く作戦を思いついたのだ。

 

 勿論、自分に向かって反射するわけだから、イリヤにも魔力弾は襲ってくる。そのためイリヤは、予め障壁を展開して防御したのだ。

 

 案の定、動きを止めるキャスター。

 

 散弾を数発食らった程度では、大したダメージにはならない。

 

 しかし、キャスターの動きが一瞬でも止まれば、それで十分だった。

 

「今だよ、ミユさん!!」

 

 イリヤの合図に答えるように、

 

 上空に回り込んでいた美遊が、サファイアをまっすぐに構えていた。

 

「弾速最大・・・・・・狙射(シュート)!!」

 

 放たれる魔力砲撃。

 

 イリヤにばかり気を取られていたキャスターの反応が遅れる。

 

 次の瞬間、美遊の攻撃をもろに直撃されたキャスターは、そのまま地面に叩きつけられた。

 

 まさに、先ほどの美遊への攻撃を、意趣返しされた形である。

 

「や、やった!?」

《まだです。ダメージは与えましたが致命傷ではありませんッ 早く詰めの攻撃を!!》

 

 警告するルビーに対し、

 

 動いたのは地上で待機していた魔術師2人だった。

 

Anfang(セット)!!」

Zeichen(サイン)!!」

 

 詠唱と同時に、手に握りこんだ宝石を投擲する。

 

「轟風弾五連!!」

「爆炎弾七連!!」

 

 解き放たれる炎と風。

 

 ここぞとばかりに最大火力で攻撃を仕掛ける凛とルヴィア。

 

 その圧倒的な攻撃力を前に、近くで見ていた響は思わず声を失って見入るほどであった。

 

 やがて爆炎が晴れる。

 

 それと同時に、空を覆っていた魔法陣の群れも消えていくのが見えた。

 

「勝ったの?」

「ええ、魔法陣が消えたと言う事は、倒したとみて間違いないでしょう」

 

 尋ねる響に、ルヴィアが嘆息交じりに答える。

 

 予定より苦戦を強いられたが、これで決着である。

 

 後はカードを回収し、鏡面界が崩壊する前に脱出するだけである。

 

 だと言うのに、

 

「それより貴女、五連って何ですの!? 勝負ドコロでケチってんじゃねーですわ!!」

「う、うるさいッ 成金のあんたとは経済事情が違うのよ!!」

 

 戦いが終わったとたん、早速いさかいを始める凛とルヴィア。

 

 何と言うか、お約束通りの光景には苦笑しか出ない。

 

 その間に、イリヤと美遊も降りてくる。

 

「お疲れ」

「ほんとだよ。すごい大変だった」

 

 やれやれとばかりに肩を落とすイリヤ。

 

 その傍らでは美遊が、相変わらずの無表情で立っている。とは言え、こちらも疲れは隠せない様子だった。

 

「ともかく、これで2枚目。残りは・・・・・・・・・・・・」

 

 言いかけた美遊が、不自然に言葉を止めた。

 

 それと同時に、一同も気づく。

 

 空間を満たすような、強大な魔力。

 

 振り返る視線の先、

 

 そこには、

 

 巨大な魔法陣を従えた、キャスターの姿があった。

 

 顔色を無くす一同。

 

 先ほどの凛とルヴィアの攻撃で完全に仕留めたと思っていたのだが、キャスターは間一髪で転移魔術を使い、回避に成功していたのだ。

 

 高まる魔力が、圧倒的な出力でもって膨れ上がる。

 

「まずいッ 空間ごと焼き払うつもりよ!!」

 

 焦慮を帯びた凛の警告。

 

 キャスターとの距離は離れているが、そんなことは関係ない。巨大な魔法陣は、この鏡面界そのものを焼き尽くせるだけの破壊力を秘めている。

 

 反撃は、もう間に合わない。

 

 反射路を形成して、逃げるだけの時間ももう無い。

 

 ここまでか?

 

 誰もがそう思ったとき。

 

 小柄な影が、一同の中から飛び出した。

 

「ヒビキ!!」

 

 背後から呼ぶ姉の声を背に、響はキャスターに向かって駆ける。

 

 正直、飛び出したのはとっさの行動である。何らかの策があったわけではない。

 

 だが、

 

 なぜかは知らない。

 

 しかし、この状況を打破できる者がいるとしたら、自分だけだと思っていた。

 

 自分の中にある「それ」に、そっと意識を向ける。

 

 掲げる掌。

 

 同時に、響は秘かな声で呟いた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

限定展開(インクルード)

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 次の瞬間、

 

 響の手に、一振りの日本刀が出現する。

 

 背後でイリヤ達が驚きの声を上げる中、

 

 響は刀の切っ先を、キャスターに向けて構える。

 

 次の瞬間、

 

 ドンッ

 

 強烈な踏み込みの音と共に、加速する響。

 

 キャスターの方でも、自分に向かってくる相手に気付いたのだろう。急いで詠唱を完成させようとする。

 

 だが、その前に響は、更に一歩踏み込む。

 

 殆ど、音速を超える勢いの響。

 

 更に一歩。

 

 同時に、詠唱を完了するキャスター。

 

 その強烈な魔力が解き放たれようとした。

 

 次の瞬間、

 

 突き込まれる切っ先。

 

 その鋭い一閃が、キャスターの体を真っ向から貫いた。

 

 血しぶきを上げる刃。

 

 キャスターの体は、まるで獰猛な獣に食いちぎられたように切り裂かれる。

 

 断末魔の悲鳴を上げるキャスター。

 

 同時に、振り返りながら刀を構えなおす響。

 

 警戒しつつ、追撃に備える。

 

 しかし、その必要はなかった。

 

 イリヤ、美遊との戦闘。

 

 凛とルヴィアの連携攻撃。

 

 そして最後の響の一撃。

 

 それら一連の戦闘により、キャスターは既に限界を超えていたようだ。

 

 やがて、魔女の体は幻のように消滅していく。

 

 最後に、響の手元には、魔術師の絵柄が描かれたカードが残されるのだった。

 

 

 

 

 

第7話「魔女との再戦」      終わり

 



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第8話「夢幻召喚」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 響はキャスターのカードを取り、次いで右手に握りこんだ日本刀に目をやった。

 

 昨日に引き続き、また出す事ができたこの刀。

 

 それに、

 

 響自身、驚いた。

 

 出す瞬間、呟いたあの言葉。

 

 限定展開(インクルード)

 

 美遊がランサーの槍を召喚するために使った詠唱。

 

 なぜ、その詠唱で、この刀が現れたのか?

 

 そもそもカードも無いのに、なぜ刀を出せたのか?

 

 これも宝具の一種なのか?

 

 誰の宝具なのか?

 

 尽きない疑問が次々と湧いてくる。

 

 と、その時、

 

「あ、消えた・・・・・・・・・・・・」

 

 展開の限界を迎えたのか、刀はその姿を消し、同時に重みも消失する。

 

 どうやら、展開する時間にも限界があるようだ。そういえば、イリヤがアーチャーの弓を試しに限定展開した時も、そうだったらしい。

 

「・・・・・・・・・・・・」

 

 疑問は山ほどあるが、それはおいおい考えるとしよう。

 

 前回のライダー戦と同じなら、間もなく鏡面界が崩壊を始めるはず。そうなる前に、イリヤ達と合流しないと。

 

 そう思った時だった。

 

「ヒビキィ!!」

 

 名前を呼ばれて振り返る響。

 

 すると、こちらに向かって飛んでくるイリヤと美遊の姿があった。どうやら、迎えに来てくれたらしい。

 

 2人は響の姿を見つけると、側へと降り立った。

 

「もう、またあんな無茶して!!」

 

 響に掴みかからんばかりのイリヤ。

 

 その傍らでは、美遊が相変わらず表情の薄い目を向けてきている。分かりにくいが、こちらも響に対し怒っているようだった。

 

「でも、うまくいった」

「うまくいかなかったら死んでたでしょうが!!」

《まったく反省の色がありませんね、このショタっ子は》

 

 イリヤの手にあるルビーも、やれやれとばかりにため息をついている。

 

 しかし、

 

 響は手の中にあるキャスターのカードに目を向ける。

 

 とにもかくにも、敵は倒した。カードも手に入った。

 

 そして何より、イリヤも美遊も、そして凛とルヴィアも無事だったのだ。

 

 ならば、何も問題は無かった。

 

「ん、これ」

 

 そう言うと、響はキャスターのカードをイリヤに差し出す。

 

「え、良いの? でも、これは響が・・・・・・」

「持ってても使えないから」

 

 躊躇うイリヤに、響は押し付けるようにカードを渡す。

 

 どのみち、カードを使えるのはステッキを持っているイリヤと美遊だけ。ならば、響が持っていても宝の持ち腐れでしかなかった。

 

 ともかく、これで4枚目のカードは手に入った。

 

 反応によると、残りのカードは3枚と言う事になる。

 

「さて、じゃあそろそろ帰ろうか」

 

 カードをしまいながらイリヤは言う。

 

 回収が終わった以上、もうここには用は無い。

 

 小学生である彼らには、明日の授業がある。それを考えれば、さっさと帰って眠りたいところだった。

 

 だが、

 

「待って」

 

 踵を返そうとした響とイリヤを、美遊が呼び止めた。

 

「何かおかしい」

 

 言いながら、美遊は周囲に目を走らせる。

 

 光景はいまだ変わらず、格子状の囲いが空間全体を覆っている。

 

《そう言えば・・・・・・・・・・・・》

 

 美遊(マスター)の言葉を受けて、サファイアが口を開いた。

 

《敵を倒したのに、なぜまだ鏡面界が維持されているのでしょう?》

 

 言われて、その場にいる全員がハッとなった。

 

 確かに、ライダー戦の時は決着するとしばらくしてから鏡面界の崩壊が始まった。

 

 しかし今回は、キャスターが消滅したかなりの時間が経っているにも拘らず、崩壊が始まる気配はない。

 

 訝る一同。

 

 その時だった。

 

 彼方で起こる振動。

 

 思わず、全員が振り返った。

 

「あの方角は・・・・・・・・・・・・」

「リンさん達がいる方だよ!!」

 

 戦慄が走る。

 

 事態は、何か容易ならざる展開を迎えていることを、誰もが漠然と感じてた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 嫌な予感は増幅する。

 

 消えない鏡面界。

 

 先ほどの振動。

 

 何か、想定外の事態が起こっていることは明らかだった。

 

 取り急ぎ、イリヤと美遊は凛達がいる橋のたもとへと戻るべく、空を駆ける。

 

 飛行できない響は走って追いかけてくるが、今は仕方がない。ともかく、状況を確認するのが先決だった。

 

 橋が見えてくる。

 

 果たして、

 

 2人がそこで見た物は、

 

「あ、あれは・・・・・・・・・・・・」

 

 絶句するイリヤ。

 

 その視線の先には、血を流してい倒れている凛とルヴィアの姿がある。

 

 そして、彼女たちの傍らには、全身に漆黒の甲冑をまとった女性が、一振りの剣を携えて立っていた。

 

 まるで死を人の形に象ったような、不吉な姿。

 

 さしずめ剣の英霊、黒騎士(セイバー)とでも言うべきだろうか?

 

 その禍々しい姿に、イリヤも、そして美遊も戦慄を禁じえなかった。

 

「ルビー、これ、どういう事?」

《・・・・・・考えたくありませんが、最悪の事態です》

 

 答えるルビーの声にも緊張が走る。

 

 事態はそれだけ、緊迫しているのだ。

 

「こんな事が、あり得るの?」

《完全に想定外ですが、起こってしまいました》

 

 美遊とサファイアの声も、信じられないと言った感じに発せられる。

 

 もはや、疑いようもない。

 

 1つの鏡面界に、2人目の敵。

 

 イリヤ達は否応なく、連戦を余儀なくされたのだ。

 

「と、とにかく、凛さん達を助けないと!!」

 

 飛び出そうとするイリヤ。

 

 だが、

 

「ま、待ってイリヤスフィール!!」

 

 飛び出そうとしたイリヤに手を伸ばす美遊。

 

 しかし、肩を掴もうとして目測を誤ったのか、掴んだのはイリヤの足首だった。

 

「はヴァッ!?」

 

 飛び出した勢いそのままに、顔面ダイブを敢行するイリヤ。

 

 正直、かなり痛そうだった。

 

 ついでにスカートがめくれ、パンツが丸見えになっていた。

 

 緊迫した状況の中で、何とも間の抜けたやり取りである。

 

「な、何するの!?」

 

 赤くなった鼻を押さえて振り返り、下手人たる美遊に抗議するイリヤ。

 

 流石の美遊も悪いと思ったのか、オロオロとしている。

 

「ご、ごめん。でもやみくもに近づいちゃダメ」

 

 焦りたい気持ちは判るが、状況は極めて不利。

 

 相手は2体目の英霊であり、凛とルヴィアは既に倒されている。

 

 この場にあって戦えるのは、もはやイリヤと美遊だけなのだ。

 

 ならば、一手の差し違えが致命傷にすらなりかねなかった。

 

「で、でも、凛さんとルヴィアさんが!!」

《落ち着いてくださいイリヤさん!!》

 

 尚も焦るイリヤを、ルビーが制する。

 

《生体反応を見てみましたが、反応があります。お二人は大丈夫です!!》

 

 どうやら凛とルヴィアは、何らかの手段で致命傷を避けたらしかった。

 

 取りあえず、一安心だが、

 

「だったら猶更!!」

「だからこそ!!」

 

 言い募るイリヤを、美遊が強い語調で遮る。

 

「冷静に、確実に行動すべきなの」

 

 この場にあっても、美遊の冷静さは失われていない。

 

 自分たちまで冷静さを欠いては、ただでさえ少ない勝機が、完全に失われてしまう。

 

 美遊はその事を判っているのだ。

 

「イリヤスフィール。あなたは、どうにかしてあの騎士の注意を引き付けて。その間に私が・・・・・・・・・・・・」

 

 言いながら美遊は、1枚のカードを取り出す。

 

「これで、トドメを刺す」

 

 それはランサーのカードだった。

 

 キャスター戦では使いそびれたカードだが、この際、それが幸いしたと言える。

 

 刺し穿つ死棘の槍(ゲイボルグ)の威力ならば英霊相手でも有効なのは、ライダー戦で実証済みだった。

 

 基本は先のキャスター戦と同じ。イリヤが敵を引き付けて、美遊がトドメを刺す。

 

「いい?」

「わ、判った」

 

 頷きあう、イリヤと美遊。

 

 2人は同時に動いた。

 

 イリヤは上空に跳び上がると同時に、魔力を込めたルビーを振るう。

 

「散弾!!」

 

 放たれる、無数の魔力弾

 

 キャスター戦の時と同じ。これで相手の動きを止めて、美遊に攻撃のチャンスを与えるのだ。

 

 いかに英霊でも、自分に向かってくる攻撃は回避か防御の姿勢を取ろうとするはず。

 

 そこを、美遊が突く作戦である。

 

 着弾する散弾。

 

 しかし次の瞬間、

 

 イリヤの放った散弾は、騎士に当たる直前、けんもほろろに弾き返されたのだ。

 

「そんなッ!?」

 

 驚愕するイリヤ。

 

 同様に、攻撃態勢に入ろうとしていた美遊も、目を見開いている。

 

 もともと、散弾には目晦まし程度の効果しか無いが、それでも、ああもあっさりと無効化されるとは思っていなかった。

 

砲射(フォイア)!!」

 

 今度は威力を優先した砲撃を放つイリヤ。

 

 ともかく、美遊の攻撃を成功させるためにも、敵の注意を引き付ける必要がある。

 

 だが、

 

 イリヤの視界の中で、セイバーが振り返る。

 

 次の瞬間、

 

 手にした剣が高速で振るわれた。

 

 斬撃は黒い軌跡となりて、空中にいるイリヤに襲い掛かる。

 

 その一撃は、ルビーの展開する物理保護をあっさりと貫き、イリヤの体を直撃したのだ。

 

「あ・・・・・・・・・・・・」

 

 切り裂かれる少女の体。

 

 イリヤ自身、自分の身に何が起きたのか認識できないまま、そのまま真っ逆さまに墜落していった。

 

「イリヤスフィール!!」

 

 その様を見ていた美遊が、思わず叫ぶ。

 

 美遊の視界の中で、上空から落下してくるイリヤ。

 

 振り返り、キッとセイバーを睨み付ける美遊。

 

 イリヤが命がけで作り出してくれた隙を無駄にしない為に駆ける。

 

限定展開(インクルード)!!」

 

 詠唱と同時に、少女の手には深紅の槍が出現した。

 

 構える美遊。

 

 対抗するように、セイバーも剣を構えた。

 

刺し穿つ(ゲイ)・・・・・・」

 

 少女の可憐な双眸が、セイバーを睨み据える。

 

 次の瞬間、美遊は槍の穂先を繰り出す。

 

死棘の槍(ボルグ)!!」

 

 放たれる槍。

 

 その切っ先が、セイバーへと向かう。

 

 刺し穿つ死棘の槍(ゲイボルグ)

 

 それは、アイルランドの光の御子が用いたとされる呪いの魔槍。

 

 放てば、必ず相手の心臓を貫くと言われる必殺の宝具。

 

 因果律を歪めた槍は、「標的を貫いた」と言う事実が先に来てから攻撃を放つ事になる。

 

 故に必中。

 

 故に必殺。

 

 決してかわす事の出来ない攻撃が、セイバーを襲う。

 

 その穂先が、

 

 真っ向からセイバーの胸を貫く。

 

「よしっ」

 

 短く喝采を上げる美遊。

 

 間違いなく必殺の一撃。

 

 刺し穿つ死棘の槍(ゲイボルグ)は、確実にセイバーを刺し貫いた。

 

 次の瞬間、

 

 カウンター気味に放たれた斬撃が、少女の体を切り裂いた。

 

「なッ!?」

 

 思わず、傷口を押さえて後退する美遊。

 

 その表情が、驚愕に染まる。

 

 槍は確かに、セイバーを貫いたはず。

 

 にも拘らず、セイバーは何事もなかったかのように反撃してきたのだ。

 

 見れば、セイバーが着ている甲冑の胸の部分には損傷が見受けられる。

 

 美遊が放った刺し穿つ死棘の槍(ゲイボルグ)は、確かにセイバーをとらえていたのだ。

 

 しかし、当たったと思った槍は紙一重で回避されていた。

 

「そんな・・・・・・必中の槍をかわすなんて・・・・・・」

《直感スキルがかなり高いのだと思われますッ》

 

 美遊の言葉に、冷静に返すサファイア。

 

 だが、その声にも焦りの色がある。

 

 敵に通用する可能性のある唯一の武器である、刺し穿つ死棘の槍(ゲイボルグ)が無力化された今、打つ手はもはや残されていない。

 

 全滅。

 

 その単語は、否が応でも脳裏に浮かんでくる。

 

《あの黒い霧は信じがたいほど高密度な魔力によって構成されています。そのせいで、こちらの魔力砲が弾かれていたのです》

「飛ばしてきたのも魔力(それ)か。だから、こっちの魔術障壁じゃ無効化できない・・・・・・」

 

 走りながら、サファイアとともに状況を整理する美遊。

 

 既に、傷口はサファイアの治癒によって塞がっている。

 

 しかし、たとえ状況を整理しても、事態は覆しようがない。

 

 刺し穿つ死棘の槍(ゲイボルグ)は既に解除され、カードに戻っている。こうなると、もう数時間は使用不能になる。

 

 キャスター戦で消耗し、凛とルヴィアが倒れ、切り札も失った美遊達に、もはや取りうる手段は何もない。

 

 その時だった。

 

 セイバーが振り返り、地面に座り込んでいるイリヤに向き直る。

 

 どうやら、標的を美遊からイリヤに変えたらしい。

 

 そのイリヤはと言えば、お尻を地面につけたまま、震える瞳で自身に迫るセイバーを見据えている。

 

《追撃が来ます。立ってください、イリヤさん!!》

「う・・・・・・あ・・・・・・」

 

 いち早く危機に気付いたルビーが警告を発する。

 

 しかし、イリヤは立ち上がろうとしない。目には涙を浮かべ、恐怖の為に小刻みに震えている。

 

 先ほどのセイバーの攻撃で傷を負った事により、完全に委縮してしまっているのだ。

 

 傷自体は軽傷であり、既に治癒も終わっている。

 

 しかし、戦いの場にあって、初めて傷を負わされたという事実が、イリヤの戦意を奪い去っていた。

 

《イリヤさん!!》

「あ・・・・・・・・・・・」

 

 ルビーの声にも、返事をする余裕がないイリヤ。

 

 そのイリヤに向かって、まっすぐに歩いてくるセイバー。

 

 間もなく、剣の間合いに入ろうとした。

 

 その時、

 

 ザッ

 

 小さな靴音とともに、小さな影が、イリヤとセイバーの間に立ちはだかった。

 

「・・・・・・あ・・・・・・ヒビキ?」

 

 驚いて顔を上げるイリヤ。

 

 その視線の先では、イリヤを守るように立つ響の背中がある。

 

 セイバーの方でも、突如目の前に現れた少年に驚いているようだが、しかしすぐに剣を構え直すのが見えた。

 

 対して、響は静かな目で、その様子を見つめている。

 

 既に打つ手はない。

 

 あのセイバーを倒す手段は、何もない。

 

 そう、

 

 「通常の手段」では。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 不意に、脳裏に浮かぶ光景。

 

 響の目の前に立つ男。

 

 その、脆く優しい微笑みが、響へと向けられる。

 

「頼む」

 

 縋るような、

 

 託すような、

 

 そんな言葉。

 

 だが、

 

 この人の為なら戦える。

 

 この人の為なら、この命をかけられる。

 

 なぜかは判らない。

 

 だが、素直な気持ちで、そのように思えるのだ。

 

「頼む・・・・・・・・・・・・」

 

 男はもう一度、口を開く。

 

「・・・・・・を、守ってやってくれないか」

 

 その言葉は、鼓膜を通り抜け、魂へと染み渡って行った。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 戦う相手は、判っている。

 

 戦う武器も、持っている。

 

 戦う手段も、知っている。

 

 戦う意思も、有している。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 ならば、

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 あとは「実行」するだけだった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 目を開く響。

 

 その視界の中で、剣を構えるセイバーの姿。

 

 既に勝機は無い。

 

 まともなやり方では、あのセイバーに勝てないだろう。

 

 ならば、

 

 「まともじゃないやり方」に頼るしかなかった。

 

 右手の平を胸の前へ掲げる。

 

 同時に、自分の中にある「それ」へ、語り掛ける。

 

「素に銀と鉄。 礎に石と契約の大公。降り立つ風には壁を。 四方の門は閉じ、王冠より出で、王国に至る三叉路は循環せよ・・・・・・・・・・・・」

 

 静かな声で、詠唱が紡がれる。

 

閉じよ(みたせ)閉じよ(みたせ)閉じよ(みたせ)閉じよ(みたせ)閉じよ(みたせ)。繰り返すつどに五度、ただ、満たされる刻を破却する」

 

 その様子に、背後で見ているイリヤと美遊は、唖然とした表情を浮かべている。

 

 いったい、響は何をしようとしているのか?

 

「告げる・・・・・・」

 

 詠唱は、さらに続く。

 

「汝の身は我が下に。汝が命運は我が剣に。聖杯の寄るべに従い、この意、この理に従うならば応えよ」

 

 剣を振りかざすセイバー。

 

「誓いを此処に。我は常世総ての善と成る者。我は常世総ての悪を敷く者・・・・・・・・・・・・」

 

 だが、響はそれに構うことなく詠唱を続ける。

 

「汝三大の言霊を纏う七天。抑止の輪より来たれ、天秤の守り手よ」

 

 斬りかかってくるセイバー。

 

 対して、

 

 長い詠唱とともに、

 

 響は目を見開いて叫んだ。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「          夢幻召喚(インストール)!!          」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 次の瞬間、

 

 沸き起こる強烈な風。

 

 少年の姿は、強烈な密度の風に包まれ、視認することができなくなる。。

 

 イリヤと美遊が、思わず目を覆う中、

 

 やがて、風はゆっくりと晴れていく。

 

「い、いったい何が・・・・・・・・・・・・」

 

 恐る恐ると言った感じに顔を上げるイリヤ。

 

 その視線の先で、

 

 彼女の弟は、その姿は一変していた。

 

 それまでの私服姿ではない。

 

 着物風の黒装束に短パンを着込み、なびく白いマフラーは口元を覆っている。

 

 普段は短めに揃えている髪はいつの間にか長く伸び、後頭部で結ばれている。

 

 そして、手には鞘に納まった一振りの日本刀が携えられていた。

 

 相変わらず表情の薄い眼差しが、目の前のセイバーを睨み据えている。

 

「ヒ、ヒビキ?」

 

 声に導かれ、振り返る響。

 

 その双眸は、姉に対し頷きを向けてくる。

 

 次の瞬間、

 

 セイバーは響めがけて斬りかかってきた。

 

 対して、

 

 響も振り向きざまに抜刀。セイバーの剣を切り払う。

 

 火花を散らす互いの剣。

 

 響とセイバー。

 

 両者の視線が鋭く交錯する。

 

 先に動いたのは、

 

 セイバーの方だった。

 

 払われた剣を素早く返すと、横なぎに斬撃を繰り出してくる。

 

 対して、響も負けていない。

 

 跳躍と同時に空中で前方宙返りを行いセイバーの斬撃を回避。

 

 同時に、少年の小さな体は、セイバーの背後へと降り立つ。

 

 振り返る両者。

 

 同時に、旋回の威力をそのまま乗せた斬撃が繰り出される。

 

 ガキンッ

 

 強烈な金属音とともに、互いに後退する響とセイバー。

 

 両者の体は、互いの剣の衝撃を受けきれず、距離が開く。

 

 だが、

 

「・・・・・・・・・・・・」

「・・・・・・・・・・・・」

 

 剣を構えなおす、響とセイバー。

 

 セイバーは剣を脇に構え、響は八双に構える。

 

 同時に地を蹴る。

 

 疾走する、黒と黒。

 

 お互いの刃が鋭く奔る。

 

 刀を振り下ろす響に対し、剣を擦り上げるように振るうセイバー。

 

 両者、一歩も譲らないまま、互いに剣を繰り出し続けていた。

 

 

 

 

 

 一方、

 

 そんな両者の激突を、イリヤと美遊は茫然と眺めていた。

 

 自分たちが束になっても敵わなかったセイバー。

 

 そのセイバーと、響が互角の戦いを演じている事に、驚きを隠せないでいた。

 

「なに、あれ・・・・・・・・・・・・」

 

 イリヤはポツリと、呟きを漏らす。

 

「どうして、ヒビキがあんな・・・・・・・・・・・・」

 

 視界の先では、尚も一進一退の攻防が続いている。

 

 セイバーが繰り出した袈裟懸けの一撃を、響は後方宙返りで回避。

 

 かと思えば、響が上段から繰り出した刀を、セイバーは剣で防いで押し返している。

 

 現実離れした光景。

 

 魔法少女などと言う現実とはかけ離れた事をしているイリヤですら、今の響の姿は信じられなかった。

 

「ミユさん、あれはいったい・・・・・・・・・・・・」

 

 傍らにいる、美遊に振り返るイリヤ。

 

 対して、

 

「そんな・・・・・・・・・・・・」

 

 美遊もまた、愕然とした表情で響の戦いを見つめている。

 

「ミユさん?」

「なぜ、彼にあんな事が・・・・・・・・・・・・」

 

 まるで、この世ならざるものを見たかのような美遊。

 

 その姿に、イリヤは怪訝な面持ちになる。

 

 確かに、今の響にはイリヤも驚かされている。

 

 しかし、美遊の感じている驚きは、イリヤの物とは異質なように思えるのだった。

 

 その時、

 

 セイバーの強烈な蹴りを腹に受けて、響が大きく吹き飛ばされるのが見えた。

 

「ヒビキッ!!」

 

 地面に転がる少年。

 

 そこへセイバーはトドメを刺すべく、追撃を仕掛ける。

 

 剣を振りかざして響に迫るセイバー。

 

 対して、響はセイバーに受けた蹴りの衝撃から未だに立ち直っていない。

 

「逃げて、ヒビキ!!」

 

 思わず叫ぶイリヤ。

 

 次の瞬間、

 

 斬り込みをかけるセイバーの眼前に、複数の宝石が舞った。

 

 踊る爆炎。

 

 その衝撃に、思わず後退を余儀なくされるセイバー。

 

 イリヤと美遊がハッとして振り返る中、

 

「やってくれるわね・・・・・・この黒鎧ッ」

「取りあえず、響が何であんな恰好をしているのか、説明がほしいところですわね」

 

 苦しげな表情で立ち上がる、凛とルヴィアの姿があった。

 

 どうやら、先ほどの宝石魔術による攻撃は、彼女たちの手によるもののようだ。

 

 とは言え、

 

 先にセイバーにやられた傷は深い。2人とも、傷口から尚も血を流し続けている。このままでは数分と保たないだろう。

 

「リンさん!! ルヴィアさん!!」

 

 駆け寄ろうとするイリヤと美遊。

 

 だが、

 

「私たちの事は良いッ それより、響の援護を!!」

 

 凛の言葉に、2人はハッとする。

 

 先ほどの凛達の援護により、響は再び体勢を立て直していた。

 

 交錯する剣激。

 

 虚を突かれた事で僅かに動揺したのか、セイバーの動きに鈍りが見える。

 

 そこを容赦なく突く響。

 

 剣激が、セイバーの肩先をかすめ鎧に弾かれる。

 

 わずかだが、響がセイバーを押し始めていた。

 

 チャンスである。ここで一気に押し込む以外に、勝機はない。

 

「ミユさん!!」

「ええ。彼を援護する」

 

 2人の魔法少女は同時に動く。

 

 剣戟を交わす響とセイバーを左右から挟み込むように移動すると、同時にステッキを振るう。

 

砲射(フォイア)!!」

砲射(シュート)!!」

 

 左右から放たれる砲撃。

 

 純粋な魔力弾では、セイバーの魔力の壁は破れない。

 

 けんもほろろに弾かれる魔力砲。

 

 しかし、気を逸らすには十分な効果があった。

 

 とっさに防御の姿勢をとるセイバー。

 

 そこへ、響は身を低くした状態で斬り込む。

 

 斬り上げられる剣閃。

 

 その刃は、セイバーの鎧を切り裂き、縦に斬線を刻む。

 

 よろけるセイバー。

 

 そこへ、響が畳みかける。

 

 跳躍と同時に体を捻り込み、独楽のように横回転しながら刀を繰り出す。

 

 銀の閃光が横なぎに走る。

 

 対してセイバーは、態勢を崩しながらも、剣を縦に構えてとっさに防御の姿勢を取る。

 

 そこへ、魔力砲が着弾する。

 

 見れば、サファイアを構えた美遊が、可憐な眼差しを鋭く細めてセイバーを睨んでいる。

 

 美遊の的確な援護に感謝しつつ、響はセイバーに斬りかかる。

 

 だが、セイバーも負けていない。防御、迎撃は不可能と判断したのか、とっさに後退して響の斬撃を回避する。

 

 そこへ、

 

《今ですイリヤさん。奴の動きを止めますよ!!》

「うん、判った!!」

 

 善戦する弟を援護すべく、イリヤが仕掛ける。

 

 魔力を込めたルビーを、大きく振りかぶるイリヤ。

 

「特大の、散弾!!」

 

 放たれる無数の魔力弾。

 

 現状、イリヤが込めることができる魔力の、最大量が放出される。

 

 それは、セイバーの視界を奪うには十分すぎた。

 

「今よ、響!!」

 

 大量の出血に耐えながらも、指示を飛ばす凛。

 

 頷きを返すと、響は地を蹴って斬り掛かる。

 

 対して、イリヤと美遊の攻撃によって気を逸らされていたセイバーの反応は、僅かに遅れた。

 

 繰り出される、鋭い斬撃。

 

 袈裟懸けに振り下ろされる銀閃は、

 

 真っ向からセイバーの体を斬り裂いた。

 

 鎧が砕け散り、崩れ落ちるセイバー。

 

 その様を、響は鋭い眼差しで見つめる。

 

 手応えは、あった。

 

 そう思わせるのに、充分な一撃。

 

 のけぞるセイバー。

 

 だが、

 

「やった!?」

《いえ・・・・・・・・・・・・》

 

 喝采を上げるイリヤに、ルビーが険しい声を発する。

 

《まだです!!》

 

 ルビーの言葉通り、

 

 いったんは倒れかけたセイバーが、踏みとどまって剣を構えなおす。

 

 響の攻撃は、確かにセイバーにダメージを負わせた。

 

 しかし、鎧がダメージを減殺し、致命傷を与えるには至らなかったのだ。

 

 そして、

 

 ボロボロの体で、最後の反撃に出るセイバー。

 

 魔力の霧が最大限に凝縮され、刀身に集中される。

 

 その圧倒的なエネルギー量は、刀身すら覆いつくす勢いで溢れ出す。

 

「まずいッ 宝具を使う気ですわ!!」

 

 ルヴィアの警告が走る。

 

 響は目を細め、セイバーを睨む。

 

 恐らく、あの剣の攻撃が宝具なのだろう。

 

 満身創痍のセイバーが放つ、最後の攻撃。

 

 ならば、

 

「・・・・・・・・・・・・」

 

 こちらも、相応の手段で迎え撃たなくてはならない。

 

 刀を構え直す響。

 

 そして切っ先をセイバーに向ける。

 

 目の前には、暴風のような魔力の塊を構えるセイバーの姿。

 

 あれが解放されれば、たとえ今の響と言えどもタダでは済まないだろう。

 

 だが、

 

「その前にッ」

 

 響は仕掛けた。

 

 1歩、

 

 響の体が加速する。

 

 2歩、

 

 その姿は音速を超える。

 

 3歩、

 

 事象全てを斬り裂く獰猛な獣が牙を剥く。

 

 剣を振りかざす態勢に入るセイバー。

 

 だが、

 

「遅い」

 

 疾走と共に、低く告げられる響の言葉。

 

 次の瞬間、

 

 繰り出された切っ先は、セイバーを真っ向から斬り裂き、食いちぎった。

 

 同時に、収束された魔力が、行き場をなくして霧散する。

 

 セイバーは尚も抵抗しようとしたのか、一歩、前へと出る。

 

 だが、彼女にできたのはそこまでだった。

 

 やがて、光に包まれ、その体は消滅する。

 

 ほぼ同時に、響もまた、力尽きたように地面へと倒れ込んだ。

 

「ヒビキ!!」

 

 駆け寄るイリヤ。

 

 やや遅れて、美遊もやってくる。

 

「ヒビキッ しっかりして!!」

《どうやら魔力切れみたいですね~ 急激に魔力を放出したせいで、意識を失ったみたいです》

 

 様子を見ていたルビーが説明する。

 

 響は静かに目を閉じ、一見すると眠っているだけのようにも見える。既にその姿は、元の私服姿に戻っていた。

 

《心配いりませんよイリヤさん。命に別状はありませんから》

「ほ、ほんとう?」

 

 響の体を抱きかかえながら、イリヤはホッとしたように息をつく。

 

 だが、あまりのんびりもしていられなかった。

 

 既に、視界の中で空間がひび割れ始めている。

 

 キャスター、そしてセイバーが倒されたことで、保てなくなった鏡面界が崩壊を始めているのだ。

 

「話はあと。急いで離界(ジャンプ)するわよ」

 

 凛がそう言って促す。

 

 どうやらセイバーにやられた傷は、治癒魔術で塞いだらしい。ルヴィアも同様に、凛の横に立っていた。

 

「響は私が担ぐわ。イリヤ達は・・・・・・」

「待って、凛さん」

 

 凛が言いかけたのを、イリヤが制する。

 

「ヒビキは、私が連れていく」

「イリヤ、けど・・・・・・」

「あなたの体格では、きついのではありませんの?」

 

 ルヴィアもまた、気遣うようにイリヤに声を掛ける。

 

 だが、イリヤは首を振った。

 

「私がやる。だって、ヒビキは弟だから」

 

 そう言うと座り込んで、気を失った響をおんぶするイリヤ。

 

 言われた通り、2人の体格差は殆ど無い為、かなりの重みがイリヤの背にかかる。まして、今の響は意識を失っているため猶更だ。

 

 立ち上がったは良いが、思わずよろけそうになるイリヤ。

 

 だが、その体が、そっと横から支えられる。

 

「ミユさん?」

「手伝うわ」

 

 静かにそう告げる美遊。

 

 やがて、魔法陣が描かれ、一同は現実世界へと復帰する。

 

 こうして、長い夜はようやく終わりを告げるのだった。

 

 

 

 

 

第8話「夢幻召喚」      終わり

 



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第9話「友情」

 

 

 

 

 

 

 

 

 朝。

 

 小鳥の囀りが聞こえ、すがすがしい空気に満たされる。

 

 気だるげな朝が、それだけで全く違ったものに変わるようだ。

 

 今日1日、頑張ろうという活力が、心の底から湧き出してくる。

 

 そんな中、

 

「怠い・・・・・・・・・・・・」

 

 衛宮響はベッドに横になったまま、億劫そうな口調で呟いた。

 

 その傍らでは、お手伝いのセラが困り顔で体温計を手にしていた。

 

「38度2分。完全に風邪ですね」

 

 昨夜のキャスター戦、セイバー戦と2連戦した後、一同は翌日の予定があると言う事で解散した。

 

 そして翌日。

 

 ベッドから起きた響は、ひどい頭痛と倦怠感に悩まされダウン。セラに抱えられてベッドに逆戻りする羽目になったのだった。

 

「とにかく、今日は安静にしていてください。学校の方へは休むように、イリヤさんに言伝をお願いしますから」

「セラ、過保護すぎ・・・・・・これくらい・・・・・・」

 

 言いながら、ベッドから起き上がろうとする響。

 

 だが、熱のせいで、まるで腕に力が入らず、上半身を起こすだけでも一苦労である。

 

「い け ま せ ん」

 

 少し強い口調で言うと、セラは響をベッドに押し付けた。

 

 そもそもからして響は、万全の状態ですら、腕力でセラにかなわない。そこにきて熱も出ているとなれば猶更である。

 

 あっさりと倒れる響に、セラは諭すように告げると、少年の額に濡れたタオルを乗せる。

 

「今日はおとなしく寝ていてください」

「う~」

 

 うなる響。

 

 だが、駄々をこねたところで、体が動かない事にはどうしようもないのだが。

 

「しょうがないよ、ヒビキ」

 

 傍らに立ったイリヤが、苦笑気味に言う。こちらは特に体調が悪いと言う事もない様子だ。

 

 そんなイリヤを、ジト目でにらむ響。

 

「・・・・・・・・・・・・イリヤ、ずるい」

「な、何が?」

 

 突然の抗議に、首をかしげるイリヤ。

 

 そんな姉を、響は嘆息交じりに見つめる。

 

 同じように夜更かしして戦ったイリヤは何ともないと言うのに、自分だけ熱を出して動けなくなるとは。

 

 何とも不公平な事だった。

 

「とにかく、大人しくしてなよ。タイガにはちゃんと伝えとくから」

 

 そう言って、部屋を出ていこうとするイリヤ。

 

 と、

 

「イリヤ、待って・・・・・・・・・・・・」

 

 呼ばれて振り返るイリヤ。

 

 そんなイリヤに、響は少し言いにくそうに口を開く。

 

「その・・・・・・・・・・・・」

「ん、どうしたの?」

 

 言いよどむ響。

 

 ややあって、少し視線を逸らしながら言った。

 

「・・・・・・給食のプリン・・・・・・持ってきて」

「・・・・・・・・・・・・は?」

 

 思わず、目を丸くするイリヤ。

 

 見れば響の顔が、熱以外の理由でほんのり赤くなっているのが分かる。

 

 相変わらずの無表情なので分かりずらいが、どうやら自分でも恥ずかしいと思っているらしかった。

 

 そう言えば、今日の給食はデザートがプリンだったのを思い出す。

 

 そこでイリヤは、響が学校に行きたがっている理由に思い至る。

 

 要するに、楽しみにしていた給食のプリンを食い損ねる可能性がある為、駄々をこねていたのだ。

 

 微笑みを浮かべるイリヤ。

 

 普段、茫洋としており、何を考えているのか判らない時がある響だが、こういう時は、相応に子供っぽく見える。

 

「判った。持ってくるよ」

 

 笑顔で請け負うイリヤ。

 

 弟が珍しくおねだりしてきたのだ。姉としてはかなえてやりたいと思うのが人情だった。

 

「けど、龍子に取られそう・・・・・・・・・・・・」

「な、何とか死守するよ」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 学校に着いたイリヤは、その足で職員室まで行くと、担任の藤村大河に、響が風邪で休んだことを伝えてから教室へと向かった。

 

 教室内は特に変わった様子もなく、イリヤが入ると、雀花、那奈亀、龍子、美々と言ったいつものメンバーが出迎えてくれる。

 

 彼女たちも、響が来れないと伝えると残念がっていた。

 

 そんな中、

 

「イリヤスフィール」

 

 背後からフルネームで呼びかけられ振り返ると、そこには美遊が静かに佇んでいた。

 

 相変わらず、表情の薄い美遊の様子に、怪訝な顔つきをするイリヤ。

 

 昨日来の共闘もあり、彼女との距離はだいぶ縮められたと思うのだが。

 

「あ、ミユさん、おはよ・・・・・・」

「ちょっと来て」

 

 挨拶をするイリヤに対し、美遊は問答無用と言った感じに袖を引っ張り、窓際へと連れていく。

 

 戸惑うイリヤ。

 

 対して、美遊は周囲に誰もいないのを確認してから切り出した。

 

「その・・・・・・彼の容態は?」

「彼・・・・・・ああ、ヒビキ?」

 

 すぐに、言葉の意味を理解するイリヤ。

 

 美遊がわざわざ尋ねてくる相手となると、響くらいしかいないのだから。

 

「何か風邪ひいたみたいでさ。本人は(プリンの為に)来たがってたんだけどね・・・・・・」

 

 そう言って苦笑するイリヤ。

 

 と、

 

《いえいえイリヤさん、響さんが倒れたのは風邪のせいなどではありませんよ》

 

 イリヤの首後ろ辺りから声がしたかと思うと、髪の中からルビーが飛び出してきた。

 

 どうやら学校に来るまで、いつも通りイリヤの髪の中に隠れていたらしかった。

 

「どういう事ルビー? ヒビキが風邪じゃないって・・・・・・」

 

 首をかしげるイリヤ。

 

 対して、ルビーは心得ているといった感じに説明する。

 

《響さんの容体悪化はずばり、魔力の消費が原因です。昨夜の戦闘で魔力を消費しすぎたせいで、一時的に体調悪化という形で表れているんです》

 

 これは、別段珍しい事ではないらしい。

 

 魔術の使用になれていない初心者の魔術師がよく陥る事態で、魔力消費の加減が分からずに消費してしまったのだ。

 

「ど、どうすれば治るの?」

《簡単な事です。減った物は補充すれば良い。体内の魔力がある程度まで充填されれば、自然と体調も戻ります》

 

 基本的なところでは、普通に物を食べたり、あるいは休んでいるだけでもわずかではあるが魔力は回復する。

 

 魔力という、ある意味で得体の知れない物が対象であるため、事を大袈裟に捉えがちだが、実際には、そう難しい話でもないと言う事だ。

 

《まあ、手っ取り早く回復させる方法は他にもあるのですが・・・・・・・・・・・・》

 

 意味深に言うルビー。

 

 と、

 

《姉さん、それくらいで》

 

 いつの間に出てきたのか、サファイアが姉を制するように言った。

 

《それはまだ、教えなくても良い事です》

《そうは言ってもですねサファイアちゃん。緊急時の補充にはやっぱり、この方法が一番でしょう》

《その時が来たら、説明すれば良い事です。何も今、説明する必要はありません》

 

 何やら口論を始めるステッキ2本に、イリヤは首をかしげる。

 

 いったい、このステッキ姉妹は何を言い争っているのだろう?

 

「それより気になるのは・・・・・・・・・・・・」

 

 そんな一同のやり取りを制するように、美遊は口を開いた。

 

「響がなぜ、あんな事ができたのか、の方が重要」

 

 美遊の言葉に、一同は思案する。

 

 謎の刀を限定展開(インクルード)で召喚し、キャスターにとどめを刺した響。

 

 それに、

 

「あの変身、だよね」

 

 イリヤの言葉に、美遊は頷きを返す。

 

 セイバーに追い詰められ、絶体絶命になったイリヤ達を守るため、変身した響。

 

 黒装束の衣装を着たあの姿。それに、英霊にも匹敵するほどの戦闘力。いずれも、尋常な物とは思えなかった。

 

《思うにですね・・・・・・》

 

 ルビーが口を開いた。

 

《響さんのあの姿、あれは、響さん本人が英雄その物になった、と考えるのが自然だと思います》

「英雄って事は、私たちが戦った奴らみたいな?」

 

 イリヤは、ライダー、キャスター、セイバーと言った、今まで戦ってきた英霊たちの事を思い出す。

 

 つまり、あれと同じ存在に響はなり、セイバーを打ち破ったと言う事だろうか?

 

《これは私の勘なのですが、響さんはキャスター戦で、限定展開(インクルード)を使用しました。つまり、何らかの形でカードの力を行使していると言う事になります。そこから導き出される仮説の一つは・・・・・・》

 

 ルビーは珍しく、難しい口調で言う。

 

《あれこそが、英霊カードの本来の使い方なのではないか、と言う事です》

 

 響が行った夢幻召喚(インストール)は、限定展開(インクルード)よりも強力で、かつ長時間持続した。

 

 それを考えれば、夢幻召喚こそが本来の使い方である、というルビーの説には頷ける物がある。

 

「でも、それだけじゃ・・・・・・・・・・・・」

《ええ、説明がつかない事が多すぎます》

 

 イリヤの疑問に答えるように、ルビーも頷きを返す。

 

 夢幻召喚(インストール)とは何なのか?

 

 なぜ、響にそんな真似ができたのか?

 

 カードはどこにあるのか?

 

 そもそも、響が変身した英霊は、いったいどこの誰なのか?

 

 判らないことだらけだった。

 

 と、その時、

 

「ウオォォォ、今日の給食、プリンじゃん!! ラッキー!! 響の分、もーらいッ!!」

 

 一同の思考を遮るように、龍子の喝采が聞こえてきた。

 

 ハッとして振り返るイリヤ。

 

 そういえば響から、プリンを持って帰るのを頼まれていたのを思い出す。

 

 あの無口な弟が珍しく頼ってくれたのだ。姉としては、一肌脱いでやらねばならない。

 

「・・・・・・ルビー、私負けないよ。可愛い弟の為だもん」

《ここが決戦の時ですよ、イリヤさん。何としてもお宝(プリン)をゲットするのです!!》

 

 テンション上げて騒ぐ龍子を見て、闘志を燃やすイリヤ。

 

 響のプリンは、何としても死守しなくてはならなかった。

 

 そんな中で1人、

 

 美遊だけは、じっと黙って、何かを考え込んでいるのだった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 夢を見ていた。

 

 それがいつの頃の事なのか、もう思い出すことができない。

 

 庭で剣の練習をしている自分。

 

 一心不乱に剣を振るう事がただ楽しくて、日が暮れるまで木刀を振るっている事も珍しくはなかった。

 

 その時、背後から聞こえてきた足音に、剣を振るう手を止めて振り返る。

 

 視界に入る、大柄な体。

 

 巌の如き巨躯を持つその男は、しかしそのいかつい雰囲気とは裏腹に、柔和な顔つきで手を上げてくる。

 

 自然と、笑みを浮かべる自分。

 

 それはまだ、「激動」と呼ばれる時代が始まる前の、ほんのわずかに残った陽だまりのような、暖かな時間の中での事だった。

 

 

 

 

 

「・・・・・・・・・・・・」

 

 目を覚ます響。

 

 熱のせいか、頭の中がぼうっとする。

 

 何か、夢を見ていたような気がするが、内容までは憶えていなかった。

 

 首に力を入れて、窓の方を見る。

 

 どうやら、だいぶ長い時間、眠っていたらしい。窓から差し込む日は、わずかに陰りを帯びているのが分かる。

 

 時計を見ると、既に午後の3時を回っている。

 

 確か、

 

 昼にセラが作ってくれたお粥を食べ、そのあとで薬を飲んでから、ずっと眠っていたのだろう。

 

 おかげで体調もだいぶ良くなった。もう、動くのに支障はない程度まで回復していた。

 

「・・・・・・・・・・・・そろそろ、イリヤが帰ってくる頃かな」

 

 そう言って、響が起き上がろうとした時だった。

 

「まだ、もう少しかかると思う。今日は先生から用事を頼まれてたから」

 

 その声に釣られて、振り返る響。

 

 するとそこには、

 

 メイド服姿の美遊が、ジッとこちらを見つめて佇んでいた。

 

「・・・・・・・・・・・・美遊、何で?」

 

 ここに?

 

 尋ねる響。

 

 言うまでもなく、ここは衛宮家にある響の部屋だ。

 

 数年前まで、響とイリヤは同じ部屋を使っていたが、流石に2人とも成長して部屋も狭くなったことに加え、小学生とは言え男女であることを考慮し、部屋は別々になったのだ。

 

 その響の部屋に、美遊がいる

 

 しかし、美遊はその質問に答えることなく、ジッと響を見下ろしていた。

 

「・・・・・・美遊?」

「あなたは・・・・・・・・・・・・」

 

 ややあって、美遊はようやく口を開いた。

 

「あなたは、いったい何者なの?」

 

 問いかける美遊。

 

 対して、響は質問の意図が分からず、キョトンと首をかしげる。

 

「響だけど? 衛宮響・・・・・・」

「そうじゃない」

 

 響の言葉に首を振りながら、美遊は続ける。

 

「どうして、『あれ』ができたの?」

「あれ?」

 

 キョトンとする響。

 

 対して、美遊は険しい表情で続ける。

 

「英霊の疑似的召喚。対象となる英霊の一部を写し取り、自分自身に転写する・・・・・・・・・・・・」

 

 美遊は鋭い眼差しで、響を睨む。

 

「すなわち、『英霊になる』。夢幻召喚(インストール)とは、そういう事・・・・・・・・・・・・」

 

 昨夜、響がやって見せた「英霊化」について、そう説明する美遊。

 

 その身を英霊と化して、セイバーを破った響。

 

 しかし、あんな事、素人にできるはずがない。

 

 ましてか、響は普通の小学生に過ぎない。魔術の世界を知ったのも、ついぞ先日の事である。

 

 その響がなぜ、いきなり英霊化などという魔法じみた事をやってのけたのか?

 

「答えて。あなたはいったい何者?」

 

 硬い口調で問い詰める美遊。

 

 その視線には、有無を言わさぬ迫力が込められている。

 

 まるで、仇敵を前にして、斬りかからんとしているような、殺気じみた雰囲気を少女は出している。

 

 その瞳を静かに受け止め、

 

「・・・・・・・・・・・・わからないよ」

 

 響はポツリと言った。

 

「え?」

「自分が誰か、なんて判らない」

 

 その視線は、美遊から外れて天井を見つめている。

 

「アイリと、切嗣が拾ってくれる前の記憶が、無いから」

 

 響が衛宮の家の一因になったきっかけは、両親である切嗣とアイリスフィールに拾われた事である。

 

 実際、響の記憶の端緒は、切嗣の腕に抱かれ、運ばれている所から始まっている。

 

 それ以前の事は知らなかった。

 

「それは・・・・・・・・・・・・」

 

 予想していなかった答えに、美遊は思わず絶句する。

 

 目の前の少年が、意外に重い物を背負っていた事に驚いているようだ。

 

 そんな美遊の内心を察したように、響は続ける。

 

「別に・・・・・・ここにいれば、特に不自由はないから。みんな優しいし」

 

 言ってから、響は少し表情を和らげる。

 

 切嗣、アイリ、士郎、セラ、リズ、そしてイリヤ。

 

 みんな響にとって大切な家族であり、皆もまた、響を家族として大切にしてくれている。

 

 それだけで、響にとっては幸せだった。

 

「そんな事より、美遊にも聞きたい事がある・・・・・・・・・・・・」

「・・・・・・・・・・・・何?」

 

 響の言葉に、美遊もまた緊張した面持ちになる。

 

 いったい、何を聞こうというのか。

 

 沈黙したまま、にらみ合う両者。

 

 重苦しい空気が、一気に部屋全体を圧迫する。

 

「・・・・・・・・・・・・何で」

 

 緊迫した空気とともに、口を開く響。

 

 そして、

 

「何でまた・・・・・・メイド服(そのかっこう)なの?」

「・・・・・・・・・・・・は?」

 

 突然の質問に、目を丸くする美遊。

 

 言われてみれば、自分がメイド服を着てここに来ていたことを思い出す。

 

 そんな美遊に、響はキョトンとして続ける。

 

「趣味?」

「い、いや、だから、これは趣味とかじゃなくて、ルヴィアさんのうちでメイドをしてて、今は仕事の途中だったから、その・・・・・・・・・・・・」

 

 顔を真っ赤にする美遊。

 

 どうやら、冷静にツッコまれると恥ずかしいらしい。

 

 まさに、そのタイミングだった。聞きなれた足音が廊下から聞こえてきたのは。

 

 足音は響の部屋の前までくると、勢いよくドアが開け放たれた。

 

「たっだいまーヒビキィ!! 遅くなってごめんねッ でもプリンは持ってきたよ!!」

 

 笑顔のイリヤ。その手には、響が頼んでおいた、給食のプリンが握られている。

 

 因みに、このプリンをゲットするため、イリヤは血で血を洗う死闘を潜り抜けてきたのだが、

 

 文字数の無駄なのでここでは割愛する。

 

 だが、

 

「「「あ」」」

 

 響、イリヤ、美遊

 

 3人の小学生が、同時に声を上げた。

 

 特にイリヤ。

 

 帰ってきてみれば、弟の部屋にクラスメイトの魔法少女(メイド服)が立っているではないか。

 

 これで驚くな、という方が無理な話である。

 

 次の瞬間、

 

「メ、メイドォォォォォォォォォォォォ!?」

《あらあらまーまー これはこれは、何とも良い趣味を、お持ちのようで》

 

 メイド姿の美遊を始めて見るイリヤは絶叫。その傍らではルビーも興奮している。

 

 どうやら2人も、メイド服は美遊の趣味か何かだと思ったようだ。

 

 そんな2人の様子に、苦笑するしかない響。

 

「あ~・・・・・・そう言えば、話してなかった」

 

 以前、偶然メイド服姿の美遊に会った時、彼女から口止めされていたので、イリヤ達には話していなかったのだ。

 

 それがまさか、こんな形でばれる事になるとは。

 

「だ、だからッ こ、これは違ッ ・・・・・・その、私の趣味とかじゃなくて・・・・・・ルヴィアさんに無理やり着せられて・・・・・・仕事をする時は、この恰好でって・・・・・・」

 

 今にも泣きそうなほど、顔を真っ赤にしながらしどろもどろに説明する美遊。

 

 その姿を見て、

 

 イリヤは自分の中で、何かが切り替わるのを感じる。

 

 のちにイリヤスフィール・フォン・アインツベルン(11歳・小学5年生)は語っている。

 

 「何か変なスイッチが入った」と。

 

「・・・・・・・・・・・・ミユさん、折り入って、あなたにお願いがあるんだけど」

「は? 何を?」

 

 何やら鼻息も荒く迫ってくるイリヤに、美遊は本能的な恐怖を感じて後じさる。

 

 だが、イリヤはそんな美遊を追い詰めるように、さらにズイッと踏み込んできて肩を掴んだ。

 

「ちょっと、『ご主人様』って言ってみて」

 

 いきなり何を言い出すのか?

 

 しかし、鼻息も荒く美遊に迫るイリヤは、完全に理性が斜め45度の方向に吹き飛んでいた。

 

「え? この場合、普通は『お嬢様』なんじゃ・・・・・・」

 

 混乱のせいか、微妙にずれたツッコミをする美遊。

 

 だが、ある意味、その選択肢は大間違いである。

 

 今のイリヤに理性的な事を言うのは、人食い熊に念仏を聞かせるに等しかった。

 

「良いから早くッ!!」

「お、おおおおやめください、ご主人様ァァァァァァッ!?」

 

 暴走120パーセントのイリヤを前に、殆ど本能的に叫んでしまう美遊。

 

 と、次の瞬間、

 

「落ち着け姉。あとプリンありがとう」

 ズビシッ

「あうッ」

 

 見かねた響がイリヤの脳天にチョップをくらわし暴走を止めたのだった。

 

 

 

 

 

 取りあえず、落ち着きを取り戻したところで、3人は改めて座りなおした。

 

「やー ごめんね、何か変にテンション上がっちゃって」

「い、いえ別に・・・・・・・・・・・・」

 

 向かい合って座るイリヤと美遊が、ぎこちなく言葉を交わす。

 

 メイド少女と、その彼女に興奮した少女。

 

 気まずくなるのも無理はなかった。

 

 その傍らでは、響が何事もなかったようにプリンの蓋を開けていた。

 

「そういえば美遊・・・・・・・・・・・・」

 

 響はプリンを頬張りながら、美遊を見た。

 

「その恰好で、家の中に入ってきたの?」

「え、ええ。家の方からは、ジロジロと見られてしまったけど・・・・・・・・・・・・」

 

 なるほど、と響とイリヤは同時に思う。

 

 セラの仰天した表情が目に浮かぶようだった。

 

 と、

 

《恥じる事はありません。メイド服は美遊様の正式な仕事着なのですから》

 

 それまで黙っていたサファイアが言った。

 

 それを聞いて、さらに興奮するイリヤ。

 

 現役の小学生メイド(兼魔法少女)。

 

 興奮するのも分からなくはないが、イリヤの場合、行き過ぎててちょっと怖かった。

 

「て言うか・・・・・・・・・・・・」

 

 イリヤはジト目になって響を見る。

 

「ヒビキは知ってたの、この事?」

「ん」

 

 問いかけるイリヤに、プリン片手に頷きを返す響。

 

 響自身、最初に見た時は驚いたが、流石に2度目ともなると慣れた物である。

 

 だが、イリヤの方は、その事に不満があるようだ。

 

「えー 私だけのけ者~?」

「べ、別にイリヤスフィールをのけ者にしたわけじゃ・・・・・・」

 

 ぶー垂れるイリヤをなだめようとする美遊。

 

 と、

 

 そこでふと、イリヤは何かに思い立ったように美遊に向き直った。

 

「ねえ、ミユさん、前から思ってたんだけど、『イリヤスフィール』って、長くて呼びにくくない? 『イリヤ』で良いよ」

「え?」

 

 キョトンとする美遊。

 

 対して、イリヤは笑顔で言った。

 

「私の本名、結構長いし、友達はみんな『イリヤ』って呼ぶからさ。それに、本名で呼ばれるの、結構恥ずかしいし」

 

 確かに。

 

 外国ではどうかは知らないが、日本で「イリヤスフィール・フォン・アインツベルン」などと名乗れば、たいていの人間は驚くものである。

 

 もちろんイリヤは、両親がつけてくれたこの名前を大切に思ってはいるが、それはそれとして年頃の少女には悩みどころでもあった。

 

「ん、美遊も、もう友達だから」

 

 プリンを食べ終えたらしい響も、そう言って頷く。

 

 イリヤ、美遊、響。

 

 ここまで一緒に戦ってきた3人。

 

 互いの主張がぶつかり合う事もあったが、そこには確かに、友情がはぐくまれていたのだ。

 

「そ、それなら・・・・・・・・・・・・」

 

 美遊もわずかに顔を赤くすると、少し躊躇うように言った。

 

「私も、呼び捨てで良い」

 

 その言葉に、

 

 響とイリヤは、顔を見合わせて微笑む。

 

「うん、よろしくね、美遊」

「ん、よろしく」

 

 そう言って、3人は互いの手を握り合うのだった。

 

 

 

 

 

第9話「友情」      終わり

 



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第10話「暗殺者の森」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 接続(ジャンプ)すると、そこは意外な程に狭い空間だった。

 

 天井が異様に低く、更に、周囲は鬱蒼とした森になっており、周囲を見通すことが難しい。

 

「どういう事ですの?」

 

 周囲を見回したルヴィアが、困惑したように言った。

 

「敵はいないしカードも無い・・・・・・もぬけの殻というやつですわね」

 

 戦いを始めて4度目となる夜。

 

 この日も、カード回収の為にやってきたイリヤ、美遊、響、凛、ルヴィアの一同。

 

 いつも通りルビー達の力で鏡面界へと移動したものの、敵が現れる気配が無い為、戸惑いを隠せずにいるのだ。

 

「場所を間違えた、とか?」

「まさか、それは無いわ。もともと鏡界面は単なる世界の境界・・・・・・空間的には存在しない物なの。それがこうして存在している以上、必ずどこかに原因(カード)はあるはずだわ」

 

 疑問を出したイリヤに対し、凛がそのように説明する。

 

 因みに今回、鏡面界が狭くなっているのは、回収すべきカードが減ってきており歪み自体が減ってきている事が原因だと言う。

 

 最初の頃は周囲数キロ四方にわたったと言うから驚きである。

 

「取りあえず、歩いて探すしかないかな」

《んーむ、何とも地味な》

 

 イリヤの言葉に、ルビーが不平を鳴らした。

 

《もっとこう、魔法少女らしく、ド派手な魔力砲ぶっ放しまくって、一面焦土にかえるくらいのリリカルな探索法をですね・・・・・・》

「それは探索じゃなくて破壊だよ」

 

 物騒なことを言うルビーに、ジト目でツッコミを入れるイリヤ。

 

 いつも通りの漫才じみたやり取りを横目に、響は周囲を見回した。

 

 と、その時、

 

「・・・・・・・・・・・・ん?」

 

 ふと、何かの気配が動いたような気がして、響は足を止める。

 

 目を凝らしても何も見えない。ただ鬱蒼とした森が、不気味に広がっているだけだ。

 

「どうしたのよ、響?」

「今、ちょっと・・・・・・・・・・・・」

 

 怪訝そうな凛に、響が答えた。

 

 次の瞬間、

 

 ヒュンッ

 

 小さく、風を切る音。

 

 そのかすかな音をとらえた響は、その方向へと振り返る。

 

 その先にいるイリヤ。

 

「何、ヒビ・・・・・・・・・・・・」

 

 最後まで言い切ることを、イリヤはできなかった。

 

 その細く白い首筋に、

 

 1本のナイフが突きたてられたからだ。

 

「イリヤ!!」

 

 叫ぶ響。

 

 同時に、一同に緊張が走った。

 

 予想だにしなかった奇襲攻撃。

 

 その気配すら、感じ取ることはできなかった。

 

「美遊!!」

 

 すぐにルヴィアの指示が飛ぶ。

 

 同時に、美遊がサファイアを掲げて動いた。

 

砲射(シュート)!!」

 

 魔力砲を放つ美遊。

 

 射線上一帯が、砲撃によって薙ぎ払われる。

 

 しかし、

 

「いない・・・・・・・・・・・・」

 

 手応えの無さに、美遊は警戒心を強める。

 

 どうやら、美遊の砲撃が着弾するよりも早く、敵は回避を終えていたようだ。

 

 と、

 

「あうッ」

「イリヤ!!」

 

 膝をつくイリヤを、とっさに凛が支える。

 

 先の一撃を首筋に受けたイリヤだったが、どうやら一命を取り留めていたらしい。

 

「イリヤ・・・・・・・・・・・・」

《心配いりません響さん。物理保護が間に合いました。薄皮一枚斬られただけです!!》

 

 ルビーの言葉に、響はホッとする。取りあえず、命に別状はないようだ。

 

 しかし、現状は予断を許されない。

 

 敵の正体も、位置も分からない。これでは対策のしようもなかった。

 

「方陣を組むわ!! 全方位を警戒!!」

 

 凛の指示に従い、一同は背中を向け合うように布陣。敵がどの方向から襲ってきても対処できるようにする。

 

「不意打ちとは、舐めた真似をしてくれますわね!!」

「攻撃されるまで全く気配を感じなかったわ!! そのうえ完全に急所狙い。気を抜かないで!! 下手すれば即死よ!!」

 

 凛の指示は的確だった。

 

 相手が分からない状況でとっさに防御に最適な方陣を組み、全方位、いかなる攻撃にも対応できるようにした判断力は見事である。

 

 他の皆も、凛の指示に従って素早く陣形を形成、迎え撃つ体制を整える。

 

 しかし、

 

 結果としてそれらは全て、無意味に終わる。

 

 木立の陰から、

 

 草むらから、

 

 枝の上に、

 

 次々と気配が躍る。

 

 戦慄する一同。

 

 全身を漆黒で多い、顔には髑髏を模した仮面を付けた、不気味な男たち。

 

 その数は、1人や2人ではない。

 

 ざっと見ただけで50以上。

 

 それが響達を完全に包囲していた。

 

「まさか、軍勢だなんて」

「なんてインチキ・・・・・・」

 

 凛とルヴィアも、愕然として呟く。

 

 これまでの敵は、すべて単体だった。

 

 ライダーも、キャスターも、セイバーも、全員が単体で現れた為、こちらは数の力で押し切る事も出来たのだ。

 

 だが、今回はその常識は通じない。

 

 よく見れば、恰好こそ似通ってはいるが、1人1人に違いがある。

 

 小柄な者、大柄な者、筋肉質な者、痩せている者。様々だ。

 

 しかし、たった1つ共通して言えるのは、全員が手には複数のナイフを持っていると言う事。

 

 闇に潜み、標的を一撃のもとに葬り去る。

 

 さしずめ暗殺者(アサシン)とでも言うべきだろう。

 

 そして、

 

 それらのナイフが全て、こちらに狙いを定めていると言う事だった。

 

 あれらを一斉に投擲されたら、それで終わりである。

 

 凛の決断は素早かった。

 

 敵が軍勢である以上、まともなぶつかり合いは明らかに不利だ。

 

 ならば、この場はいったん離脱して、決戦は他日に帰した方がいい。

 

 そう判断した凛は指示を飛ばす。

 

「止まらないでッ 的にされる!! 火力を一転に集中して包囲を抜けるわよ!!」

 

 凛の指示に従い、ルヴィアは宝石を構え、美遊もサファイアを振りかざす。

 

 そんな3人に続いて、駆けだそうとする響。

 

 その時だった。

 

「・・・・・・・・・・・・イリヤ?」

 

 背後からついてきているはずの、姉の気配がない。

 

 振り返る響。

 

 そこで、愕然とした。

 

 イリヤは地に倒れ込み、必死の表情で、こちらを見つめてきていたのだ。

 

「イリヤ、何をッ・・・・・・」

 

 叫ぶ響。

 

 だが、それでもイリヤは起き上がることができない。

 

「か、からだが・・・・・・うごか、ないッ・・・・・・」

《魔力循環に淀みがあります!! 物理保護が維持できません!!》

 

 ルビーの声にも焦りが混じる。

 

 おそらく、先ほどのナイフ。あれに毒の類が塗られていたのだ。

 

 斬られたのが一瞬だった為、致命的な事態にはならなかったようだ。

 

 しかし、たとえ少量でも、体の自由を奪うには十分だったらしい。

 

 地面に倒れ伏したイリヤ。

 

 それを最良の目標と判断したのだろう。

 

 アサシン達は、一斉にナイフを投擲する。

 

 全方位から投げつけられた凶刃。

 

 切っ先が全て、真っすぐイリヤに向かっている。

 

 その様をイリヤは、倒れ伏したまま眺めていた。

 

 迫る刃。

 

 やけにスローモーションに見えるその切っ先は、一瞬後にはイリヤの命を奪う事になる。

 

 もはや避けられぬ運命。

 

 イリヤが恐怖に顔をひきつらせた。

 

 次の瞬間、

 

限定展開(インクルード)!!」

 

 鋭い声が聞こえてくる。

 

 同時に、刀を手にした響がイリヤの前に飛び出し、迫るナイフを全て打ち払った。

 

 そこへ、更に投擲されるナイフの群れ。

 

 対して、

 

 響は刀を腰に構えると、高速で振るう。

 

 鋭く奔る銀の閃光。

 

 その剣閃が、飛んできたナイフを片っ端から切り払う。

 

「ヒ・・・・・・ヒビキ・・・・・・・・・・・・」

「イリヤ・・・・・・立って!!」

 

 必死の防戦を繰り広げながら、呼びかける響。

 

 しかし、毒に侵されたイリヤは、満足に体を動かす事ができない。

 

 狭まる包囲網。

 

 襲い掛かろうとしたアサシンの一体を、響が刀を振るって追い払う。

 

「クッ・・・・・・・・・・・・」

 

 相変わらず薄い表情の中に、響は焦りを見せる。

 

 相手は確実に迫っている。

 

 このままでは、あと数合で完全に距離を詰められる。そうなれば終わりだった。

 

「・・・・・・・・・・・・仕方がない」

 

 響は、己の内にある、最後の切り札に手を伸ばそうとする。

 

 すなわち夢幻召喚(インストール)だ。

 

 感触だが、今回の相手は数こそ多いが(あるいは「だからこそ」と言うべきか)、単体ではそれほど強いと感じない。少なくとも、先日戦ったキャスターやセイバーに比べれば、数段は劣っている。

 

 夢幻召喚(インストール)し、英霊化して戦えば負ける相手ではない。

 

 しかし、

 

 実際のところ、響は今回、自分の中である種の不調のような物を感じていた。

 

 恐らく、先日の戦闘から、未だに魔力が完全には回復していないのだ。

 

 完全に枯渇したわけではないにしろ、消耗し尽くした魔力を回復させるには相当な時間がかかるのだ。

 

 故に今は限定展開(インクルード)が限界であり、この状態で夢幻召喚(インストール)するのは無理がある。

 

 無理に夢幻召喚(インストール)すれば、命にもかかわるだろう。

 

 しかし、

 

 背後には、動くことのできない(イリヤ)

 

 やがて限定展開(インクルード)も限界を迎えるだろう。そうなるとジ・エンドである。

 

 このままでは、彼女を守り切れない。

 

「・・・・・・・・・・・・やるしか」

 

 響は、悲壮な決意とともに呟いた。

 

 

 

 

 

 一方、

 

 響の足元に倒れ伏したイリヤは、奮戦する弟の背中を、見つめる事しかできないでいた。

 

 自分を必死に守ろうとしている響。

 

 しかし、イリヤの目から見ても状況は芳しくない。

 

 そもそも、響が本調子ではない事は、イリヤはとっくの昔に気付いていた。

 

 響本人は隠しているつもりだったようだが、イリヤからすればバレバレである。

 

 全力を発揮できない響。

 

 美遊達も、動けないイリヤをかばって戦っている。

 

 このままじゃ、みんな死んでしまう。

 

 どうすれば?

 

 どうすれば?

 

 空回りする思考の中で、それでも必死に考えるイリヤ。

 

 そこでふと、

 

 先ほど、ルビーが言ったことを思い出す。

 

 あの時確か、ルビーはこう言った。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

《ド派手に魔力砲ぶっ放しまくって一面焦土に・・・・・・》

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 ああ、そうか・・・・・・・・・・・・

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 それなら、簡単だ。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「ん・・・・・・・・・・・・あれ?」

 

 軽いうめき声とともに、イリヤは目を開いた。

 

 いったい、何がどうなったのか?

 

 最前までの記憶が、すっぽりと抜け落ちている。

 

 いつの間にか、体も動くようになっていた。

 

 いまだにはっきりしない思考の中で、イリヤはどうにか、直前の事を思い出そうとする。

 

「えっと、確か、敵に囲まれて・・・・・・・・・・・・」

 

 響達が、動けない自分を守るために戦っていて。

 

 それから・・・・・・・・・・・・

 

「それから・・・・・・どうしたんだっけ?」

 

 周囲を見回すイリヤ。

 

 そこで、

 

「なッ!?」

 

 絶句した。

 

 イリヤを中心に、周囲10メートルほどのクレーターが出来上がっていたのだ。

 

「な、何これ!?」

 

 驚くイリヤ。

 

 と、

 

「イ、イリヤ?」

 

 背後からかけられる声。

 

 振り返るとそこには、サファイアを翳した美遊の姿がある。

 

 その背後には、響、凛、ルヴィアの姿も。

 

 しかし、彼らの表情は一様に驚愕に染まり、まるで信じられない物を見るように、イリヤを見つめていた。

 

 その姿は皆ボロボロで、腕や体から血を流していた。

 

「あ・・・・・・あ・・・・・・みんな・・・・・・・・・・・・」

 

 絶句するイリヤ。

 

 何が起こったのか?

 

 誰が、こんな事をしたのか?

 

 全て、思い出す。

 

 アサシンの群れに囲まれ絶体絶命の状況の中、

 

 イリヤは、自分の中で何か外れるのを感じた。

 

 それは、心の奥底で封印されていたような物。

 

 解ければ、取り返しのつかない事態にもつながりかねないほど、重要な「何か」。

 

 その封印が解かれた瞬間、

 

 イリヤの中にある魔力が暴走。この事態を引き起こしたのだ。

 

「何なの・・・・・・・・・・・・」

 

 全ての記憶が戻ったイリヤは、震える声で呟く。

 

「敵も・・・・・・響も・・・・・・美遊達まで巻き込んで・・・・・・・・・・・・」

 

 限界だった。

 

 そもそもからして、この状況はイリヤが望んだ物ではない。

 

 騙されて、担がれて、乗せられて・・・・・・・・・・・・

 

 その結果がこれである。

 

 仲間を、弟を、友達を、傷つけてしまった。

 

 他ならぬ、自分自身が。

 

「もう、もう嫌ァァァァァァァァァァァァ!?」

 

 叫ぶイリヤ。

 

 同時に接続(ジャンプ)の魔法陣が足元に展開される。

 

 消え去るイリヤ。

 

 後には、茫然とした響達だけが取り残されていた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 朝、起きると既に、イリヤの姿はなかった。

 

 響が着替えてリビングに降りていくと、兄の士郎も、朝練の為に先に出発しており、リビングにはセラとリズだけが残っていた。

 

「ん、おはよ」

 

 声を掛けてくるリズに挨拶を返すと、席について用意してもらった朝食を食べる。

 

「昨夜、何かあったのですか?」

 

 洗い物をひと段落させたセラが尋ねてきたのは、そんな時だった。

 

「・・・・・・・・・・・・何かって?」

 

 対して、響は努めていつも通りに答えた。

 

 昨夜、響が家に戻ると、既にイリヤは帰ってきていた。

 

 部屋の中でセラと何事か話している様子だったので、取りあえず声を掛ける事は出来なかったが、昨日の事が相当にショックだったことは想像に難くない。

 

 とは言え、あれは仕方がない、と響は思っていた。

 

 あの状況では、全員が無傷のまま助かる都合の良い選択肢はなかったと思う。むしろ、全員が無事だった事は喜ばしい。

 

 凛達も別に気にはしておらず、イリヤを責める気はないと言っていた。

 

「昨夜、遅くにイリヤさんが家に帰ってきました」

 

 言いながら、セラはまっすぐに響を見据える。

 

「あなたも、部屋にいませんでしたよね」

「・・・・・・・・・・・・」

 

 少しきつい口調のセラ。

 

 こういう時の彼女は結構怖い。

 

 セラは使用人と言う立場だが、たとえ主人格のイリヤや響が相手であっても、怒る時はしっかりと怒る。

 

 それが夜更かしして出歩いていたともなれば、学校から帰ってきてから、お説教コースになりそうである。

 

「・・・・・・・・・・・・別に。ちょっと、用があって」

 

 苦しい言い訳だとは思ったが、響としてはそれ以外に言いようがなかった。

 

 対してセラは困ったように嘆息する。

 

 その反応に、響は内心で訝った。

 

 こんな曖昧な答えだと、てっきり、もっと追及してくると思っていたのだが。

 

「答える気がないなら、それでも良いです。ただし、今後は夜歩きは控えてくださいね」

「ん、判った」

 

 頷いてから、箸をおく響。

 

「ごちそうさま」

「ちゃんと歯を磨いてから行ってくださいね」

「ん」

 

 立ち上がり、食器を片付けると、その足で洗面所へ向かう。

 

 と、そこで歯ブラシを加えて出てきたリズとすれ違った。

 

「・・・・・・・・・・・・」

「・・・・・・・・・・・・」

 

 互いに無言のまま見つめ合う。

 

 もともと、口数が少なく性格が似通っている両者である。2人そろうと、殆ど会話は成立しなくなる。

 

 と、リズはそのまま響の横をすり抜けてリビングへと向かう。

 

 その直前、響の頭をポンと軽く叩いて行った。

 

 何かを託すような、頼むような、そんな行動。

 

 響は自分の頭に手をやりながら、リビングに入っていくリズを見送るのだった。

 

 

 

 

 

 身支度を終えて家を出る響。

 

 普段ならイリヤと一緒に登校するのだが、今日は先に行ってしまったため、1人で学校へと向かう。

 

 できれば、昨日の事について話をしたかったのだが。

 

 とは言え、教室に行けばどのみちイリヤはいる。話をするなら、それからでも遅くはないだろう。

 

 そう思って、足を速めようとした。

 

 その時、

 

「やあ」

 

 不意に、声を掛けられて、響は足を止める。

 

 振り返る視線の先、

 

 そこには、身なりの整った感じの男が立っていた。

 

 年のころは、おそらく20台中盤くらい。長く伸ばした髪を丁寧にセットし、端正な顔立ちをしている。

 

 西洋紳士、と言った出で立ちの青年は、怪訝な顔つきの響に笑顔を向けてくる。

 

「・・・・・・・・・・・・誰?」

 

 首をかしげる響。

 

 正直、登校途中の小学生に声を掛ける、見ず知らずの大人となると、怪しいイメージしかない。

 

 しかし、そんな響の感情など斟酌せず、男は声を掛けてきた。

 

「良い朝だね。爽やかな朝は、こうして散歩をするに限る。そうすれば、意外に面白い発見もあったりするものだからね」

「・・・・・・・・・・・・」

 

 妙にフレンドリーな言い回しをする男に、響はいよいよ不審そうなまなざしを向ける。

 

 いったい、何が目的で自分に話しかけてきたのか。

 

 だが、男は更に続ける。

 

「君も、今度試してみたらいい。若い内は体を動かす事が何より楽しいだろうからね」

 

 そんなことを言う男に対し、

 

 響は踵を返して歩き出す。

 

 妙な男に構っている暇はない。それでなくても、早く学校に行ってイリヤと話がしたいのに。

 

 そう思って、歩き出そうとした。

 

 その時、

 

「お姫様の容態はどうだい?」

「ッ!?」

 

 思わず、足を止める響。

 

 振り返ると、男は相変わらずの微笑を向けてきていた。

 

「昨夜は、ずいぶんと派手にやらかしたみたいだからね」

「・・・・・・・・・・・・誰だ?」

 

 再度、同じ質問をぶつける響。

 

 しかし今度は、幾分かの剣呑さを滲ませている。

 

 男は、まるで昨夜何があったのか、知っているかのような口ぶりで話している。

 

 響達の戦いは鏡面界で行われているため、現実世界から感知する事ができない。

 

 もし、それでも、中で何が行われているのかわかる人間がいるとしたら・・・・・・

 

 そいつはただの人間ではなく、

 

「・・・・・・・・・・・・魔術師」

 

 低く告げられた響の言葉に、男は薄笑いを浮かべた。

 

「この国には良い言葉がある。こんな時は・・・・・・そう『名乗るほどの者ではない』だったかな?」

 

 人を食ったような言い回しである。

 

 しかしそれだけに、底知れない不気味さを感じずにはいられない。

 

「いずれ、近い内に挨拶に伺う事になるだろう。その時を、楽しみにしていたまえよ、お姫様の騎士殿」

 

 そう言うと、男は響とすれ違う形で去って行く。

 

「クッ」

 

 とっさに振り返る響。

 

 しかし、

 

「いない・・・・・・・・・・・・」

 

 つい、たった今までいたはずの男が、霞のように消え去っていた。

 

 その時だった。

 

「響、どうしたの?」

 

 声を掛けられて振り返ると、そこにはお向かいに住んでいる少女が、不思議そうなまなざしで佇んでいた。

 

「あ、美遊、今ここに・・・・・・・・・・・・」

 

 言いかけて、響は言葉を切る。

 

 あの男が何だったのか? なぜ、自分に話しかけてきたのか?

 

 それが判らない限り、うまく説明することはできなかった。

 

「響?」

 

 怪訝な顔つきをする美遊。

 

 対して、響は首を振って美遊に向き直った。

 

「何でもない。行こ」

 

 そう言うと、響は美遊の手を取って歩きだす。

 

「その・・・・・・・・・・・・」

 

 美遊の方から話しかけてきたのは、それから暫くしてからだった。

 

「今日は、イリヤは?」

 

 やはり、気になるのだろう。

 

 この場に本人がいないとなれば、猶更だった。

 

「判らない。朝起きたら、もういなかったから」

「そう・・・・・・・・・・・・」

 

 そう言うと、美遊も顔を俯かせる。

 

 何しろ、昨夜のことがあるだけに、心配なのだろう。

 

「学校に行ったら、話を聞いてみる」

「そうだね」

 

 頷きあう、響と美遊。

 

 その2人の視界の先で、学校の姿が見えてきていた。

 

 

 

 

 

第10話「暗殺者の森」      終わり

 



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第11話「小さな決意」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 結局、学校に行っても響と美遊は、イリヤと話をする事はできなかった。

 

 勿論、教室にはイリヤがいて話しかけようと思えば簡単な話だった。

 

 しかし、見るからに消沈した様子のイリヤからは、話しかけないでほしい、と言うオーラがにじみ出ており、響も美遊も、話しかけるのを躊躇ってしまったのだ。

 

 そもそも、何度か話しかけようとは試みたのだが、イリヤの方からさりげなく拒絶されてしまい果たせなかった。

 

 どうしたものか。

 

 響はぼんやりと黒板を眺めながら考えていた。

 

 担任の藤村大河が教科書片手に授業を進めているが、その内容は響の頭に全く入ってきていなかった。

 

 イリヤにとって、昨日の事がショックだったのは判るが、美遊も凛もルヴィアも、別に気にしないと言ってくれている。勿論、響自身もだ。

 

 それに何だかんだ言っても戦いに勝ってカードは回収したし、全員無事に戻ってこれたのだ。

 

 過程はともかく、文句無しの大勝利である。

 

 イリヤが気に病む必要は、全く無いのだ。

 

 しかし、それを伝えようにも、当のイリヤ本人がこんな状態では、如何ともしがたかった。

 

 それに・・・・・・・・・・・・

 

 響は登校途中で会った男の事を思い出す。

 

 まるでこちらの事を知っているかのような、人を食った言動。

 

 不気味な存在感を醸し出していた男の存在は、否応なく響の中で残り続けていた。

 

 あいつは何者なのか?

 

 何が目的なのか?

 

 全てが判らないままだった。

 

 その時、

 

 スパァンッ

 

「はうッ」

 

 響の頭に衝撃が走り、思わず机に突っ伏す。

 

 見上げれば、担任の藤村大河が、見下ろすような恰好で立っている。その手には、丸められた教科書が握られていた。どうやら、それで響の頭を叩いたらしい。

 

「授業中にボーッとしないように。何度も名前呼んでるんだから」

「あ・・・・・・・・・・・・」

 

 見れば、クラスメイト達が一斉にこちらを見て、クスクスと笑っている。

 

 今は算数の時間。

 

 響はその真っ最中に、考え事をしていたのだ。

 

「じゃ、響君。黒板の問題を解きなさい」

 

 改めて、大河から指名される。

 

 それに対して響は、ノロノロと立ち上がる。

 

 そして手元の教科書と、黒板の問題を何度か見比べた後、

 

「・・・・・・・・・・・・わかんない」

 

 もう一発、頭を叩かれたのは言うまでもない事だった。

 

 

 

 

 

「なあ、響」

 

 体育の時間、響に話しかけてきたのは栗原雀花だった。

 

 その後ろには、森山那奈亀、嶽間沢龍子、桂美々と言った、いつものメンバーも揃っている。

 

「お前ら、何かあったのか?」

「何かって?」

 

 響ははぐらかすように告げる。

 

 だが、無論の事、そんな事でごまかす事はできなかった。

 

「とぼけるなよ。イリヤも美遊も、それに響、お前も、今日はちょっと様子が変だぞ」

「そーだそーだ、ごまかしきれると思うなよ!!」

 

 雀花の言葉に、那奈亀も追従する。

 

 流石は友人と言うべきか、よく見ている。

 

「くそー イリヤと美遊の野郎ッ よくもあたしにあんな事をッ 反抗期かッ!? 反抗期なのか!?」

 

 何やら泣き始める龍子。

 

 どうやら2人と何かあったらしいが、意味は不明なので取りあえず放っておくことにする。面倒くさいので。

 

「響君はっていうより、イリヤちゃんと美遊ちゃんの様子が変だよね」

 

 そう言ったのは美々である。

 

 イリヤはもちろん、美遊も、今日は様子がおかしい。どうやら、消沈しているイリヤに、同声を掛ければいいか測りかねている様子だった。

 

「ともかくだ・・・・・・・・・・・・」

 

 暴れる龍子を、那奈亀が取り押さえている様子を横目に見ながら、雀花が総括するように言ってきた。

 

「響、お前がなんとかしてやれよ」

「何で?」

 

 自分が?

 

 急に話を振られ、困惑交じりに雀花を見る響。

 

 そんな響の肩に手をやりながら、雀花は言う。

 

「なんだかんだ言っても、お前はイリヤの弟だし、最近、よく美遊ともつるんでるだろ。2人と一番距離が近いのはお前なんだよ」

「ラブか!? ラブなのか!? ハーレムがラブってるのか!?」

「タッツン、うるさい」

 

 騒ぐ龍子を、那奈亀がボディブロー1発で黙らせる。

 

 ・・・・・・割といい感じに決まったが、大丈夫だろうか?

 

 まあ、龍子の事は置いておくとして・・・・・・

 

 そう考えれば確かに、イリヤと美遊、双方に近い位置にいるのは響だろう。

 

 とは言え、だからこそ、と言うべきか、今のこの状況を打破するには、どうすればいいのか、響には見当もつかなかった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 放課後。

 

 結局、イリヤとはほとんど話ができないまま、時間だけが無駄に過ぎてしまった。

 

 今夜にはまた、戦いに赴く事になるだろう。

 

 果たしてそれまでに、イリヤは立ち直ることができるのだろうか?

 

 そんなことを考えていた時だった。

 

「響、ちょっと・・・・・・・・・・・・」

 

 当のイリヤの方から話しかけてきた。

 

「どしたの?」

「ちょっと、行きたいところがあるから、付き合って」

 

 イリヤはそういうと、響の返事を待たずに歩き出してしまう。

 

「イリヤ・・・・・・・・・・・・」

 

 声を掛けても、振り返ろうとしないイリヤ。

 

 いったい、どうしたと言うのだろうか?

 

 と、その時、

 

 背後から気配を感じて振り返る響。

 

 するとそこには、物陰に隠れる形で雀花、那奈亀、美々、龍子が顔を出していた。

 

「何してんだッ さっさと追っかけろ!!」

「男だろッ 根性見せろー!!」

 

 囃し立てる、雀花と那奈亀。

 

 対して、響は嘆息する。

 

 まったく、他人事だと思って好き勝手言ってくれる。

 

 とは言え、これがチャンスなのも事実である。うまくいけば、イリヤを立ち直らせることもできるかもしれない。

 

 そう考えれば、雀花達の言っている事も、あながち的外れではないだろう。

 

 響はランドセルを背負うと、急いでイリヤを追いかけるのだった。

 

 

 

 

 

 歩いている間中、イリヤは無言のままだった。

 

 いったい、何をしようと言うのか?

 

 後ろを歩きながら、響は姉の背中を見つめる。

 

 イリヤの意図が読めず、響は内心で困惑を隠せない。

 

 ただ、

 

 いつも見慣れているはずのイリヤの小さな肩が、今日は更に小さく見えるような気がしたのだ。

 

 やがて、歩いていく先に、

 

「あ・・・・・・・・・・・・」

 

 見慣れた人物の姿を見つけ、響は足を止める。

 

 凛だ。

 

 あちらも授業を終えたところだったのだろう。カバンを手に、イリヤが来るのを待っていたのだ。

 

 とは言え、

 

 凛の表情は険しい。

 

 彼女自身、イリヤの真意を推し量ろうとしているのかもしれなかった。

 

 凛は一瞬、響に視線を向けてから、イリヤに向き直った。

 

「昨夜は勝手に帰っておいて、それで今日は一方的な呼び出しとはね・・・・・・それで、何の用?」

 

 どこか、詰問するような口調の凛。

 

 イリヤも覚悟はしていたのだろう。

 

 神妙な顔で、

 

 どこから取り出したのか、竹の棒を凛に突き付けた。

 

 その先端には、何やら封筒に入った手紙が添えられている。

 

 ちょうど、江戸時代に大名行列に直訴する農民のようだ。

 

「何、それは?」

「辞表です」

 

 よく見れば手紙には「退魔法少女願」と書かれている。どうやら、退職届のつもりらしい。

 

 誰の入れ知恵かは、問うまでもないだろう。間違いなく、イリヤの傍らでノーテンキの浮かんでいる、喋るヒトデの仕業だった。

 

「・・・・・・ま、予想はしたことだけどね」

 

 さばさばした口調で言いながら、凛は竹棒の先から手紙を受け取った。

 

 その態度に、むしろ見ていた響の方が驚いたほどである。

 

 凛にとってイリヤは、言わば唯一の切り札のはず。それを、こうもあっさりと手放すとは。

 

 そんな凛に対し、イリヤはためらいがちに視線を逸らしながら口を開いた。

 

「その、最初は・・・・・・正直、興味本位っていうか・・・・・・面白半分だったの・・・・・・でも、昨日の事で、考えがまかったことを思い知った・・・・・・」

「イリヤ・・・・・・・・・・・・」

 

 イリヤのその言葉に、響は彼女の心情が少し、読み取れたような気がした。

 

 つい忘れがちだったことだが、イリヤは普通の小学生に過ぎない。

 

 そんな彼女が、死ぬような目に会うほど激しい戦いの渦中に放り込まれて、怖くないはずがなかった。

 

 魔法少女の可憐さ、可愛らしさに惑わされがちだが、その実態は血で血を洗う闘争である。

 

 むしろ、曲がりなりにも受け入れている響の方こそが異常であると言えるだろう。

 

 昨夜死に掛けたことで、イリヤは改めて、自分には戦う覚悟も、理由もなかったことを思い知らされていた。

 

 まさに以前、美遊に言われた事そのままだった。

 

 だが、凛はそれでは納得しきれないようにつづけた。

 

「・・・・・・・・・・・・1つだけ確認しておくけど、昨日のあれは、自分の意志で起こしたの?」

 

 昨日、アサシンの群れを一撃のもとに吹き飛ばした大爆発。

 

 あれはイリヤの意志によるものなのか?

 

 あるいは、偶発的に起こった事なのか?

 

 果たして、

 

「ち、違うよ!!」

 

 イリヤは激しくかぶりを振って、凛の言葉を否定した。

 

「あれは・・・・・・あんなの、わたしにできるわけない!! あれはきっとルビーが・・・・・・」

《私単体には、攻撃能力なんてありませんよ》

 

 言い募るイリヤの言葉を、ルビーはにべもなく否定した。

 

《マスターが振るわなければ、魔力砲の1発も撃てません》

 

 つまり、昨日の爆発は紛れもなく、イリヤ自身の力によるものと言う事になる。

 

 そんなイリヤの様子を見ながら、凛は納得したように黙り込む。

 

 要するに、本当の理由はそれなのだ。

 

 戦いが怖くなった、と言うのも勿論、理由の一つかもしれない。

 

 しかしそれ以前にイリヤは、自分が意味不明の巨大な魔力を放ち、美遊や響達まで巻き込んで怪我をさせてしまった事を恐れているのだ。

 

 元来、心根の優しい少女である。

 

 自分が友達や弟を傷つけたと知って、耐えられるはずがなかった。

 

「・・・・・・判った。辞表を受理する」

「・・・・・・良いの?」

 

 キョトンとするイリヤ。

 

 とは言え凛としても、小学生を戦いに巻き込む、と言う状況には大いに無理があると思っていたのだ。

 

 イリヤがどこかのタイミングで、折れてしまう事は初めから判っていた。むしろ、今までよく頑張ってくれたと思う。

 

 そこで、凛はルビーに向き直る。

 

「もう十分でしょルビー。お遊びはおしまい。マスター登録を(わたし)に戻しなさい」

《やなこったです。わたしのマスターはわたしが決めます》

 

 けんもほろろなルビーを足元に叩きつけると、凛は嘆息した。

 

「・・・・・・まあ良いわ。どうせカードは残り1枚だし。それが済んだら、私もルビーもロンドンに帰るわ。それで終わり。もう、イリヤには関わりない事よ」

 

 言ってから、凛は柔らかく笑いかける。

 

「これで、契約は解除よ。お疲れ様。もうあなたは戦わなくていいし、私の命令も聞かなくていい。今日までの事は忘れていきなさい。一般人が魔術の世界に首を突っ込んで、良い事なんて何もないから」

 

 イリヤには感謝している。

 

 ここまで、本当によく頑張ってくれた。

 

 だからこそ凛は、これで良かったと心から思っている。これでこの少女は、普通の日常へ戻ることができるのだから。

 

 次いで凛は、もう1人の少年に向き直った。

 

「響、あんたもよ。結局、あんた能力が何なのは判らじまいだったけど、イリヤとの契約を解除した以上、あんたも戦う必要は無いわ」

「・・・・・・・・・・・・」

 

 それだけ言うと、凛は返事を待たずに歩き出す。

 

 その背中を、響とイリヤは、黙って見送る事しかできなかった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 もう戦わなくていい。

 

 凛に言われた言葉は、響の中で何度も反芻されていた。

 

 確かに、

 

 イリヤが当初、魔法少女を始めたのは成り行きに過ぎない。

 

 ならば、イリヤに同行して響が戦ったのは、成り行きの、さらに成り行きに過ぎない。

 

 理由がない、と言う意味では、響はイリヤ以上に戦う理由が無いのだ。

 

 イリヤがやめるなら、響もやめて良い、と言う凛の言葉は全く持って正しい。

 

 このまま、響自身も身を引くのが正道なのだろう。

 

「・・・・・・・・・・・・」

 

 その最後の踏ん切りが、どうしても響の中で付かなかった。

 

 考えれば考えるほど。

 

 どうしても、脳裏にチラつく物が、思考を阻害する。

 

 そのノイズめいた何かが、どうしても響の未練を引きずっていた。

 

「・・・・・・・・・・・・判ってる」

 

 誰に聞かせるでもなく、響は呟きを漏らす。

 

 自分が何を引きずっているのか、と言う事は小さな少年は理解していた。

 

 脳裏に浮かぶのは、もう1人の魔法少女の存在。

 

 美遊。

 

 たとえイリヤが抜けようと、響が抜けようと、彼女はきっと戦い続けるだろう。

 

 どんなに孤独であったとしても、少女は躊躇う事無く戦場へと赴くだろう。

 

 美遊・エーデルフェルトとは、そういう少女である。

 

 そんな美遊を1人残して身を引くことを、響はためらっているのだ。

 

 しかし、

 

 同時にイリヤの事も、響は捨てきれずにいる。

 

 見方を変えれば元々は、イリヤが響を引きずり込んだと言えなくもない。だと言うのに、イリヤがいなくなり、響だけが残ったとなれば、きっとイリヤは自責の念に駆られる事だろう。

 

 だからこそ、響の中で迷いは大きくなる。

 

 美遊を取ればイリヤを傷つけ、

 

 イリヤを庇えば、美遊が傷つく。

 

 まさに板挟みだった。

 

 リビングの固定電話が鳴ったのは、その時だった。

 

 今この場には、響しかいない。

 

 受話器を取って、電話に出る。

 

「・・・・・・はい、衛宮です」

 

 名乗った瞬間、

 

《あ、その声は響ね!! やっほー!! 久しぶりー!!》

 

 強烈な音量の声を直接鼓膜に叩きつけられ、響は思わず受話器を耳から離した。

 

 この声、そして喋り方。

 

 この2つの条件に該当する人物を、響はこの世で1人しか知らなかった。

 

「・・・・・・・・・・・・アイリ?」

《正解ッ よく覚えてたわね。偉いわー》

 

 電話の相手は、響の義理の母にしてイリヤの実母である、アイリスフィール・フォン・アインツベルンだ。

 

 今は夫である衛宮切嗣(えみや きりつぐ)と共に、仕事で世界中を飛び回っている。

 

 それがわざわざ電話してきたと言う事は、何か余程の事があったのだろうか?

 

《それでね響。私、あと1時間くらいしたら、そっちに帰るから。みんなによろしくね》

「・・・・・・・・・・・・へ?」

 

 言っている事の意味が分からず、響は思わず間抜けな返事をしてしまった。

 

 いったい、アイリは何を言っているのか?

 

「て言うかアイリ、今どこ?」

《今? 今は空港よ。お土産、楽しみにしててねー》

 

 それだけ言うと、アイリは一方的に電話を切ってしまった。

 

 響はと言えば「ツーッ ツーッ」と言う電子音がするだけになった受話器を持って立ち尽くしている。

 

 受話器を置く響。

 

 アイリは相変わらずだった。

 

 破天荒で、いい加減で、大雑把。いつも、突然現れては、その場の空気を完膚なきまでに叩き潰す。

 

「けど・・・・・・・・・・・・」

 

 どこまでも優しい。

 

 響を、この家に引き入れてくれたのも、アイリだった。

 

 コートを取る響。

 

 アイリが帰ってくるなら、イリヤの事はきっと大丈夫だろう。アイリが何とかしてくれる。

 

 そう思える程の存在感を、アイリは持っているのだ。

 

 ならば自分のするべき事は決まっていた。

 

 足音を殺して玄関に向かう。

 

 士郎は今、部屋で勉強中、イリヤは宿題をやっており、セラは台所で洗い物。リズは風呂に入っている。

 

 今ならば、誰にも気づかれずに家を出る事が可能だった。

 

 靴を履き、そのまま外へと出る。

 

 決意に満ちた表情で頷くと、響は夜の闇の中へと駆け出して行った。

 

 

 

 

 

第11話「小さな決意」      終わり

 



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第12話「狂戦士 猛襲」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 廃ビルを前に立つ一同には、既に緊張の色がある。

 

 これから始まるのは最終決戦。

 

 この戦いをもって、全てに終止符を打つ。

 

 その覚悟をもって、各人が戦場に立っていた。

 

 しかし、寂寥感は否応なく感じざるを得ない。

 

 今この場にいるのは、サファイアを含めても4人のみ。

 

 イリヤが抜け、それに伴い、ルビーと響も抜けたことで、大きな喪失感が一同を覆っていた。

 

 だが、やるべき事は変わらない。

 

 鏡面界に行き、黒化英霊を倒してカードを回収する。

 

 ただ、それのみだった。

 

「ラストバトル、行くわよ。準備は良い?」

 

 凛の言葉に、頷きを返すルヴィアと美遊。

 

 この戦いを勝って終わらせる。

 

 その決意も新たに踏み出そうとした。

 

 その時、

 

「・・・・・・いた・・・・・・間に合った」

 

 背後からの声に、思わず一同は驚いて振り返る。

 

 そこには、息を切らして立つ少年の姿があった。

 

「響、あんた、どうしてッ!?」

 

 声を上げる凛。まさか、この場に響が現れるとは思っても見なかったのだ。

 

 対して響は呼吸を整えると、まっすぐに凛達を見た。

 

「行こう」

 

 短い言葉から、彼がすでに行く気満々であることがうかがえる。そもそも、その気がなければ、ここに現れたりもしないだろう。

 

「どうしますの?」

「どうするったって・・・・・・・・・・・・」

 

 ルヴィアが、やや困惑気味に凛へと視線を向けてきた。

 

 正直、この事態は考えていなかったため、どう判断すればいいか困っているのだ。

 

「響、どうしてここが分かったの?」

 

 悩む高校生2人を他所に、尋ねたのは美遊だった。

 

 響にこの場所の事は伝えていない。それなのに、響はこの場所を探り当ててやってきた事が、美遊には不思議に思えたのだ。

 

 対して、響は少し考え込むようにしてから答えた。

 

「・・・・・・何となく?」

「これまたふざけた回答ね」

 

 響の答えに、凛は呆れたように頭を抱えた。

 

 とは言え実際のところ、この場所をピンポイントで探り当てるあたり、この少年自身にもやはり何かしらの特殊な物が備わっていると見て間違いない。

 

 これまでの戦いにおける活躍を鑑みても、響が大きな戦力であることは間違いないのだ。

 

「判った、良いわ。あんたも一緒に来なさい」

 

 最後のカードがどんな物かは知らないが、勝率は少しでも上げておきたい。

 

 そう考えた凛は、響の同行を許可することにした。

 

 美遊の横に並ぶ響。

 

 その様子を横目に見ながら、美遊は不思議そうな眼差しを向ける。

 

 正直、響がなぜ戻ってきたのか、美遊には測りかねていた。

 

 イリヤが抜けた以上、彼にはもう戦う理由は無いはずなのに。

 

 その視線に気づいたのか、響は美遊の方を見る。

 

「がんばろ」

「う、うん」

 

 響の意図は判らない。

 

 しかし彼の存在が、美遊にとってもありがたい事は間違いなかった。

 

「良いわね2人とも。作戦を説明するわよ」

 

 時間も迫る中、凛は一同に告げる。

 

「主力は美遊よ。魔力弾で攻撃を加えつつ、ランサーを限定展開(インクルード)してトドメを刺す。私とルヴィア、そして響はその援護よ。良いわね」

 

 凛の説明に頷きを返す一同。

 

 同時に、美遊の手にあるサファイアが、接続の為の魔法陣を展開する。

 

《半径3メートルで次元反射路形成。鏡界回廊、一部反転します》

 

 輝きを増す魔法陣。

 

 決戦場への道が開かれる。

 

 やがて、一同の姿は光の中へと消えていった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 前回、アサシンと戦った時の鏡面界も狭かったが、今回の戦場は更に狭かった。

 

 鏡面界は、殆ど廃ビル一つを覆う程度の広さしかない。

 

 これならあるいは、簡単に決着するかもしれない。

 

 響達はそう考えた。

 

 しかし、

 

 それが甘い幻想にすぎなかったことは、すぐにわかる。

 

 見上げる視界の先。

 

 給水塔の上に、まるでこちらを見下ろすように佇む影。

 

 筋骨隆々としたその巨体は黒く染まり、身長は優に2メートルを超えている。その巨体に合わせるように横幅による重量感もある。まるで巨大な羆が立ち上がったような感じだ。その存在感は通常の人間の10倍を超えていると言っても過言ではない。

 

 大男の凶相が睨む。

 

 それだけで、周囲の空気が重くなるようだった。

 

「何あれ・・・・・・」

「あれが、英霊ですの?」

 

 凛とルヴィアも絶句する。

 

 あの巨体から繰り出される攻撃力の高さは、既に想像を絶していると言って良い。

 

 まともな戦いでは間違いなく勝ち目はない。

 

 本来なら、距離を置いて魔力砲で攻撃を仕掛けたいところだが、この狭い空間ではそれも難しかった。

 

 そんな中、

 

 小さな影が2つ、いち早く動く。

 

 美遊と響は小動物のように地面を駆けると、一気に大男へと迫る。

 

「美遊」

「うん」

 

 短くうなずきを交わす2人。

 

 同時に、美遊は魔力を込めたサファイアを振るう。

 

砲射(シュート)!!」

 

 放たれる魔力弾。

 

 直撃を受けた大男を、閃光が包む。

 

 そこへ、響が仕掛ける。

 

限定展開(インクルード)!!」

 

 現れた刀を握り込み、美遊の援護射撃の元、斬り込みをかける。

 

 美遊がランサーを使ってトドメを刺す。そのすきを作り出すことが目的だ。

 

 次の瞬間、強烈な咆哮が鳴り響いた。

 

 殆ど物理的衝撃を伴っているかのような咆哮に、接近しようとしていた響の動きが弾かれるように止められる。

 

「クッ!?」

 

 足を止める響。

 

 そこへ、大男が拳を振り翳して突っ込んでくる。

 

 その様子は、大型ダンプが正面から突っ込んでくる様に等しい。

 

 圧倒的ともいえるその光景。

 

 対して、出遅れた響はとっさに回避行動を取る事ができない。

 

 響に迫る巨体。

 

 次の瞬間、

 

 その巨体の表面に、閃光と爆炎が躍った。

 

 響の危機を見て取った美遊、凛、ルヴィアの3人が一斉攻撃を仕掛けたのだ。

 

 しかし、

 

「無傷・・・・・・・・・・・・」

 

 3人が一斉攻撃を仕掛けたにもかかわらず、大男はダメージを負った様子はない。

 

 それどころか、ますます戦意を上げ、こちらを睨みつけてきていた。

 

 相手の攻撃を物ともせず、圧倒的な攻撃力を見せつける。

 

 まるで狂戦士(バーサーカー)とでも言うべき敵だった。

 

 突進してくるバーサーカー。

 

 狙いは、突出している響だった。

 

「クッ!?」

 

 振り上げられる拳を見て、流石の響もうめき声をあげる。

 

 その二の腕だけで、響の胴体ほどもある。

 

 あれで殴られればタダでは済まない事くらい、流石の響にも理解できた。

 

 飛びのく響。

 

 次いで、叩き付けられた拳が、屋上の床を広範囲にわたって陥没させる。

 

「ああッ!?」

 

 思わず、声を上げる響。

 

 その小さな体は、大きく吹き飛ばされて床に転がる。

 

 完全に回避したはずなのに、衝撃だけで響は吹き飛ばされたのだ。

 

「響ッ!!」

 

 すかさず、援護に入る美遊。

 

 魔力砲を次々と放ち、牽制を仕掛ける。

 

 しかし、

 

《駄目ですッ 効いている様子はありません!! 全て体表の表面で弾かれている感じです!!》

 

 珍しく、サファイアが焦った声を出す。

 

 これでキャスターの時のように、何らかの防御手段が用いられているならば話は分かる。

 

 しかし、目の前のバーサーカーは、そういった防御用の魔術は一切使っていない。

 

 攻撃は確かに当たっている。

 

 当たってはいるのだが、その全てが弾かれているのだ。

 

 その状況が、必然的に一つの答えへと導かれる。

 

「じゃあ、あれはまさか・・・・・・・・・・・・」

 

 驚愕とともに、凛は唇を震わせる。

 

 正直、考えたくはない。まさに、最悪の答えである。

 

《間違いないでしょう・・・・・・恐らく、一定ランクに達しないすべての攻撃を無効化する鋼の鎧。それが、敵の宝具です》

 

 サファイアの言葉が、まるで死刑宣告のように響く。

 

 肉体その物の宝具。

 

 殆ど反則に近い敵だ。

 

 だが、現実に存在している以上、相手にしない訳にはいかない。

 

 眦を上げる響。

 

 相手が最高クラスの敵ならば、こちらも最大戦力で臨まなくてはならない。

 

 その幼い双眸は、まっすぐにバーサーカーを睨み据える。

 

「・・・・・・出し惜しみは、無し」

 

 言いながら、手を胸の前にかざす。

 

 同時に、己の内に眠る物へと語り掛ける。

 

 既に1度、経験している事。

 

 ならば、面倒な手順はキャンセルする事もできる。

 

夢幻召喚(インストール)!!」

 

 叫ぶと同時に、その体は光に包まれる。

 

 一瞬、バーサーカーの動きが止まる。

 

 狂戦士をして、何が起こっているのか測りかねている様子だ。

 

 その暴風が晴れたとき、

 

 響の姿は一変していた。

 

 黒装束の上衣に短パン履き、口元は白いマフラーで覆っている。そして手に握られている日本刀。

 

 夢幻召喚(インストール)に成功し、英霊の姿になったのだ。

 

「あいつを引き付ける。美遊はトドメを」

「響!!」

 

 短く言い置くと、響は美遊の返事を待たず、刀を構えて斬り込んでいく。

 

 迎え撃つように、拳を掲げるバーサーカー。

 

 その剛腕が響を捉えようとした。

 

 次の瞬間、

 

 響はまるで巨木に上る小動物のようにバーサーカーの攻撃をすり抜けると、一気に目線の高さまで駆け上がる。

 

 少年と狂戦士。

 

 その視線が交錯する。

 

 バーサーカーの凶相が響を睨み据える。

 

 次の瞬間、

 

 横なぎの刃が、バーサーカーに襲い掛かった。

 

 振るわれる斬撃。

 

 しかし、

 

「ッ!?」

 

 響は思わず息を飲む。

 

 刃は、バーサーカーの頬に当たり、そこでガッチリと受け止められていた。

 

 体表に僅かに食い込んでいるものの、それだけだ。ダメージを与えるには至っていない。

 

 むしろ、斬りかかった響の腕の方に痺れが走っているくらいである。

 

 カウンターとして振るわれる剛腕。

 

 大気を割るほどの一撃は、しかし響がとっさに回避したために空を切るにとどまる。

 

 着地する響。

 

 そこへ、バーサーカーが追撃を掛ける。

 

 拳を振り翳して突進してくる。

 

 巨体に似合わず、その動きは速い。

 

「でくの坊、じゃないッ」

 

 言いながら、響は手にした刀を最高速度で振るう。

 

 激突する両者。

 

 同時に、響は硬質な物体を叩いたような感覚を手に感じ、顔をしかめる。

 

 先ほどの斬撃の時に既に分かっていた事だが、バーサーカーの体表は硬い。鋼鉄をはるかに上回っていると言って良いだろう。

 

 無論、膂力では比べるべくもない。

 

 たとえ英霊化しても、響ではこの怪物に拮抗するのは難しいだろう。

 

 更に、響に向けて拳撃を放ってくるバーサーカー。

 

 その一撃一撃を、響は辛うじて捌いていく。

 

 英霊として強化された視力が、バーサーカーの攻撃を見極め、その威力が最大になる前に、こちらは最速の一撃を加える事で、辛うじて状況を拮抗させているのだ。

 

 しかし、こんな戦い方が長く続くわけがない。

 

 まさに死と隣り合わせの攻防。

 

 響は必死に刃を合わせる。

 

 ほんの1ミリでも読み違えた瞬間、響は攻撃を食らう事になるだろう。

 

 さらに攻撃を繰り出そうと、腕を振り上げるバーサーカー。

 

 そこへ、援護射撃が入った。

 

Anfang(セット)!!」

Zeichen(サイン)!!」

 

 宝石を投擲する凛とルヴィア。

 

 爆炎がバーサーカーの体表面で踊る。

 

 派手な光景が演出されるが、やはり効果は無い。

 

 爆炎が晴れた時、巨人は何事もなかったかのように姿を現した。

 

 だが、

 

「充分・・・・・・・・・・・・」

 

 攻撃を行うだけの時間的余裕はできた。

 

 刀の切っ先を、真っすぐにバーサーカーに向ける響。

 

 凛とルヴィアの攻撃で、バーサーカーは動きを止めている。

 

 今が、攻撃のチャンスだった。

 

「行くッ!!」

 

 呟くと同時に、響は地を蹴った。

 

 加速する少年。

 

 同時に2歩目を踏み出し更に加速する。

 

 バーサーカーが動く。

 

 しかし遅い。

 

 3歩目が刻まれる。

 

 突き出される刃。

 

 その一撃が、バーサーカーの右肩に食い込んだ。

 

 次の瞬間、

 

 野獣の牙に食いちぎられたように、バーサーカーの右半身がえぐり飛ばされる。

 

 手応えとともに、勝機を確信する響。

 

 まだ片腕を吹き飛ばしただけだが、こちらの攻撃が全く通じないわけではない。一定以上の攻撃ならば通るのだ。

 

 ならば、

 

「美遊!!」

 

 合図と同時に、バーサーカーの背後から美遊が仕掛ける。

 

 既にランサーを限定展開(インクルード)済み。少女の手には朱色の槍が握られている。

 

 動きを止めたバーサーカーに対し、刺し穿つ死棘の槍(ゲイボルグ)を手に、背後から急速接近する美遊。

 

 必中の魔槍が、真っすぐに突き込まれる。

 

 その一撃は、過たずにバーサーカーの心臓を貫いた。

 

 鮮血が迸る。

 

 槍の穂先は巨体を背中から突き抜け、胸部まで貫通している。

 

 文句なしに致命傷だ。

 

「よっしゃ!!」

「よくやりましたわ、美遊!!」

 

 見ていた凛とルヴィアも喝采を上げる。

 

 これで終わり。

 

 あとはバーサーカーが消滅し、カードを回収すれば良いだけ。

 

 そう、思っていた。

 

 その場にいる、誰もが。

 

 次の瞬間、

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 突如、バーサーカーが残った左腕で、美遊の体を殴り飛ばした。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 響が、

 

 凛が、

 

 ルヴィアが、

 

 絶句する。

 

 彼らが見ている前で、美遊の小さな体は2度、3度とバウンドして床に転がる。

 

 いったい何が?

 

 驚愕に染まる中、

 

 一同は戦慄とともに目撃した。

 

 バーサーカーの傷が、元に戻り始めている。

 

 響が吹き飛ばした右腕も、美遊が穿った心臓も、煙を噴出しながら元に戻り始めている。

 

「まさか、蘇生能力・・・・・・・・・・・・」

 

 凛が震える声で呟く。

 

 間違いない。傷はどんどん小さくなり、腕も新しく生え始めている。

 

 一定以上の攻撃を無効化する防御力に加え、蘇生能力まであるとは。

 

 あの英霊はいったい、どこまで反則級なのか?

 

「ルヴィア!!」

 

 響は飛び出しながら、声を上げる。

 

「美遊を!!」

 

 言いながら、刀を構えてバーサーカーに再度斬り込む響。

 

 その間に、ルヴィア達は急いで美遊の元へと駆け寄った。

 

「美遊ッ しっかりなさい!!」

 

 美遊を抱き起すルヴィア。

 

 その腕の中で、少女はぐったりとしたまま、苦しそうに呼吸をしている。

 

 傷自体はサファイアが治してくれる。しかし、あまりに大きなダメージを食らいすぎた為、すぐには完治しないのだ。

 

 絶対に近い防御力に反則級の蘇生能力。そしてこの怪力。

 

 もはや、あの英霊自体が無敵の要塞のような物である。

 

 今も響が果敢に挑んではいるが、殆ど、と言うより全く効果は上がっていない。

 

 響の英霊を持ってしても、バーサーカーにダメージを与える事は出来ないのだ。

 

 響は回避に専念しつつ、隙を見て反撃を繰り返しているが、全てバーサーカーの体表に弾かれている。

 

 逆にバーサーカーの攻撃は、一撃でも当たれば致命傷は避けられない。

 

 もはや、敗色は明らかだった。

 

 凛は決断すると同時に、隠し持っていた短剣で階段ルームに続く壁を四角に斬り裂いて道を作る。

 

「撤退するわよ、ルヴィアッ 響!!」

 

 その意見に、2人も異存は無かった。

 

 先導する凛が穴に飛び込み、次いで美遊を抱きかかえたルヴィアが、最後に殿の響が穴に飛び込む。

 

 間一髪。響が飛び込んだ直後、狂戦士の拳が、穴の入り口を殴り吹き飛ばした。

 

 どうやら、巨体が徒になって、バーサーカーは建物の中に入ってこれないらしい。

 

 鏡面界の狭さに苦戦させられた響達だが、ここだけは感謝したいところである。

 

 だがグズグズしてもいられない。あれほどの怪力だ。無理をすれば床や壁を壊して中に入ってくることは十分に予想できる。

 

 そうなる前に、撤退を完了させる必要があった。

 

 階段を下り、廊下を駆け、階下へと逃げる。

 

 なるべく遠くへ。

 

 撤退中にバーサーカーの追撃を受けないように。

 

「ここで良いわッ サファイア!!」

《はいッ》

 

 階段を4つほど下ったところで、凛が言った。

 

 ここまで来れば、バーサーカーもすぐには追いついてこれないはず。

 

 ここで撤退し、次は対策を立ててから再戦するのだ。

 

 ルヴィアが、そっと美遊を地面に下す。既に治癒は殆ど完了している様子だ。

 

 その美遊の手に握られたサファイアが、帰還の為の魔法陣を描く。

 

 その間、凛と響は周囲を警戒。万が一、撤退前に奇襲をかけてくる事を警戒する。

 

《限定次元反射路形成ッ 鏡界回廊、一部反転します》

 

 輝きを増す魔法陣。

 

 バーサーカーが仕掛けてくる気配はない。

 

 このまま、撤退は完了するはず。

 

 誰もが、そう思った。

 

離界(ジャン)・・・・・・》

 

 次の瞬間、

 

 魔法陣が繋がる一瞬前、

 

 天井に亀裂が走り、巨大な影が躍り込んできた。

 

 一同に戦慄が走る。

 

 バーサーカーだ。

 

 どうやら天井を破壊し、最短距離で突っ込んできたのである。

 

 響も、凛も、とっさの事で対応する事ができない。

 

 襲い掛かるバーサーカー。

 

 その拳が、一撃のもとに床をたたき割る。

 

 崩れるビルの床。

 

 運悪く、傷を負った美遊が、その穴の中へと落下していく。

 

「美遊ッ!!」

 

 叫ぶルヴィア。

 

「あッ!?」

 

 声を上げて、落ちていく美遊。

 

 手を伸ばすが、間に合わない。

 

 次の瞬間、

 

 響は迷うことなく穴の中へと飛び込み、美遊に手を伸ばす。

 

 2人はそのまま、崩れる瓦礫と共に、崩落した階下へと落ちていくのだった。

 

 

 

 

 

第12話「狂戦士 猛襲」      終わり

 



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第13話「美遊の想い」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 崩れ落ちるがれきの中、響は空中を泳ぐようにして必死に美遊を追いかける。

 

 バーサーカーの一撃によって崩されたビルの床。

 

 そこに落下した美遊を助けるべく、響は自らも穴に飛び込んだ。

 

 視線の先には、尚も真っ逆さまに落ちていく美遊の姿。

 

 凛やルヴィアの姿は見えない。

 

 彼女たちは落下に巻き込まれなかったのか?

 

 仮に落下しなかったとしても、上にはバーサーカーが残っている。

 

 いずれにしても、無事を祈る以外に無い。

 

 手を伸ばす響。

 

 落下する美遊に、手が届く。

 

 響は美遊の肩を掴み、必死に抱き寄せる。

 

「み・・・・・・ゆッ」

 

 呼びかける響。

 

 しかし、返事は無い。どうやら、気を失っているらしい。

 

 響は美遊の体を抱きかかえ、頭に手をやる。

 

 2人はそのまま、真っ逆さまに落下していった。

 

 

 

 

 

 それは、いつの事だったか?

 

 その日は、朝から妙に浮ついた気分だったのを覚えている。

 

 異変が起きたのは、昨夜の事。

 

 その後すぐに、屋敷の中が慌ただしくなった。

 

 いつもは自分に気さくに笑いかけてくれる使用人も、今日はその余裕も無いのか、挨拶だけして通り過ぎていく。

 

 その空気に充てられ、自分も落ち着かなかった。

 

 父がやってきて、優しく頭を撫でる。

 

 心配し無くても良い。大丈夫だから。

 

 父はそう言うと、屋敷の奥へと入って行った。

 

 その背中を見送りながら悟る。

 

 ああ、そうか。

 

 いよいよなんだ。

 

 喧騒に包まれた屋敷の中、縁側に座って大人しくしている。

 

 どれくらい、そうしていただろう?

 

 退屈さから、足をぶらぶらと振りながら、待っている。

 

 その時だった。

 

 突如、聞こえてくる、元気な泣き声。

 

 ハッとして、顔を上げる。

 

 同時に、パタパタと駆けてくる音が聞こえて。

 

 使用人が、息を切らせて走ってくる。

 

「お生まれになりました!!」

 

 興奮した様子の使用人。

 

 どっちだ?

 

 尋ねると、使用人は、ニッコリ微笑んで答えた。

 

 

 

 

 

「・・・・・・・・・・・・ん」

 

 軽い呻き声とともに、美遊は目を覚ました。

 

 いったい、何があったのか?

 

 体中が、軋むような痛みを発している。

 

 傷自体は既に塞がっているが、受けたダメージまで完全に消せたわけではない。

 

 痛みは尚も、体に残り続けている。

 

《美遊様、ご無事ですか?》

「サファイア・・・・・・・・・・・・」

 

 手の中のステッキから声を掛けられ、美遊の意識は覚醒する。

 

 気を失う前の事を、思い出す。

 

 確か自分は、バーサーカーと戦っていたはず。

 

 しかし狂戦士は一切の攻撃を寄せ付けず、あまつさえ致命傷ですら治癒してしまった。

 

 そして美遊はたった一撃で大ダメージを負ってしまった。

 

 撤退中の事は、意識が朦朧とした為、殆ど覚えていない。

 

 しかし、サファイアが撤退の為の魔術を起動した瞬間、再びバーサーカーの襲撃を受けたのは、何となく覚えていた。。

 

 そこで、美遊の記憶は完全に途切れている。

 

「あれから・・・・・・どうしたんだっけ・・・・・・・・・・・・」

 

 身を起こそうとする美遊。

 

 その時、すぐ自分の傍らに、誰かが倒れているのに気が付いた。

 

「響ッ!?」

 

 手を伸ばし、少年の体に触れる。

 

 既に英霊化は解かれ、響の姿は普段着に戻っている。

 

 美遊は響の体を揺さぶるも反応は無い。

 

《大丈夫です。生命反応はあります。どうやら、気を失っているだけの様子です》

「そう・・・・・・・・・・・・」

 

 サファイアの言葉に、美遊はホッと息をつく。

 

 ともかく、響の事は心配いらないようだ。

 

 そこで美遊は、もう一つの懸念事項に意識を向ける。

 

「サファイア、ルヴィアさん達は?」

《はい、少々お待ちください》

 

 この場にいないルヴィアと凛の事は気になる。どうにか、2人と合流したいのだが。

 

 程なく、サファイアは安堵したように言った。

 

「お二人の生命反応を鏡面界内部に確認しました。移動しているところを見ると、どうやらご無事なようです」

 

 サファイアがサーチした結果、凛とルヴィアの反応は少しずつ動いている事が分かった。それはつまり、2人が自分の意志で移動してい事を意味している。

 

 バーサーカーから逃げているのか、あるいは美遊達を探しているのかは分からない。

 

 しかし生きているなら望みはあった。

 

「2人と合流して脱出しよう」

《同感です。それでは、私が誘導をしますので、美遊様は響様を何とか・・・・・・・・・・・・》

 

 言いかけたサファイア。

 

 その時だった。

 

 突如起こった強烈な振動に、思わず美遊はその場でよろける。

 

 振動は断続的に起こり、徐々に大きくなっている。

 

 地震でない事は間違いない。

 

 何が来たのかは、すぐに判る。

 

 バーサーカーが接近してきているのだ。

 

 このままでは恐らく、ルヴィア達と合流する前に、追いつかれてしまう。

 

「・・・・・・・・・・・・」

 

 美遊はチラッと、響の方へと目をやる。

 

 相変わらず、気を失っている少年。未だ目を覚ます気配はない。

 

 美遊は良い。この場から逃げ、バーサーカーを避けてルヴィア達と合流する事は不可能ではない。

 

 バーサーカーがその巨体故に小回りが利かないのは想定済み。この狭い空間では、美遊の方が素早く動くことができる。

 

 しかし、気を失っている響はそうはいかない。

 

 彼を連れて、バーサーカーから逃れる自信は、美遊にもなかった。

 

「・・・・・・・・・・・・サファイア」

《はい、何でしょう?》

 

 決意とともに、美遊は語り掛ける。

 

「合流は中止。ここで迎え撃つ」

《しかし、それではッ!!》

 

 抗議しようとするサファイア。

 

 しかし、それを無視して、美遊は太ももに巻いたカードホルダーから1枚のカードを取り出す。

 

《おやめください美遊様ッ 美遊様の力では、あの怪物に敵わないのは、既に明白のはず!!》

「大丈夫。手はある」

 

 そう言って、美遊はカードを掲げる。

 

 それは剣を掲げた騎士のカード。

 

 「セイバー」のカードだ。

 

《何をするおつもりですか?》

「響と同じ事。なぜ、彼にもできたのかは分からない。けど、同じことを私なら・・・・・・・・・・・・」

 

 静かに言うと同時に、

 

 美遊はセイバーのカードを地面に当てる。

 

 同時に、魔法陣が形成される。

 

「告げる」

 

 凛と響く声。

 

「汝の身は我に、汝の剣は我が手に!!」

 

 驚くサファイア。

 

 それはかつて、響が夢幻召喚(インストール)した時と似た文言だった。

 

「聖杯のよるべに従い、この意、この理に従うならば答えよ!!」

 

 その間にも、地鳴りはさらに大きくなる。

 

 バーサーカーは、もうすぐそこまで来ているのだ。

 

「誓いをここに!! 我は常世総ての善と成る者!! 常世総ての悪を敷く者!!」

 

 ついに、天井を突き破り、バーサーカーが姿を現す。

 

 怒りに満ちた凶相が、射殺さん勢いで美遊に向けられる。

 

《美遊様ッ 敵が!!》

 

 サファイアが警告を発するが、美遊は構わず続ける。

 

「汝、三大の言霊を纏う七天!!」

 

 美遊に向けて拳を振り上げるバーサーカー。

 

 サファイアが悲鳴に近い声を上げる。

 

 だが、

 

「抑止の輪より来たれ、天秤の守り手!!」

 

 美遊は留まらない。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

夢幻召喚(インストール)!!」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 勢いよく振り下ろされた、狂戦士の拳。

 

 しかし次の瞬間、

 

 一振りの剣が、バーサーカーの拳を受け止めた。

 

 狂戦士は、その狂った瞳に、驚愕の色を見せる。

 

 その機を逃さず、美遊は押し返す。

 

 手にした剣を力の限り振るう美遊。

 

 溜まらず、蹈鞴を踏むようにして大きく後退するバーサーカー。

 

 それは、この戦いが始まって以来、初めて見る光景だった。

 

 狂戦士は、自分よりも遥かに小さな少女に力負けしたのだ。

 

 両者の間合いが開く。

 

 美遊はそっと、背後で眠る響に目をやった。

 

「安心して。あなたは、私が守る」

 

 呟く美遊。

 

 その姿は、先ほどまでの魔法少女の物ではない。

 

 青い衣装の上から、腰と脚部、そして前腕には銀色の甲冑を纏い、手には優美な外見の西洋剣が握られている。

 

 意匠こそ違えど、それは間違いなく、数日前に戦ったセイバーの物だった。

 

「響には、触れせない」

 

 不退転の決意とともに、切っ先をバーサーカーに向ける美遊。

 

「全ての力をもって、今日ここで、戦いを終わらせる!!」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 振動は、足元から聞こえてくる。

 

 その状況が、戦いは尚も続いている事を現していた。

 

「ああ、もうッ このビル、無駄に複雑なんだから!!」

 

 凛は必死に駆けながら、階下を目指している。

 

 その背後からは、ルヴィアも遅れずに続いていた。

 

 とは言え、戦場となる場所まではなかなかたどり着けない。

 

 先の戦闘と、バーサーカーが強引に破壊しながら移動した影響で、通路は各所において寸断され、通れなくなっている場所が多い。その為、2人は焦りばかりが募っていた。

 

「グズグズしている暇はありませんわよ!!」

「判ってるわよッ ったく!!」

 

 舌打ちする凛。

 

 階下で戦っているのは美遊だろうか? それとも響?

 

 いずれにしても、あの化け物相手に子供2人では危険すぎる。

 

 せめて援護に入らない事には。

 

 先ほどから、振動は徐々に増してきている。

 

 それは戦闘がいよいよ激しくなっている事を現していた。

 

 早く。

 

 早く行かなければ。

 

 焦慮が募る。

 

 しかし、

 

「ッ またですわ!!」

 

 ルヴィアが舌打ち交じりに呟く。

 

 またも、瓦礫が行く手を塞いでいるのだ。

 

 足止めを食らう2人。

 

 これでまた、迂回路を探さなくてはならない。

 

「こんな事、してる場合じゃないってのに!!」

 

 苛立ちと共に、壁に拳を打ち付ける凛。

 

 こうしている間にも、階下では戦いが続いている。

 

 それなのにッ

 

「ともかく、他の道を探しますわよ!!」

 

 そう言って、ルヴィアは踵を返す。

 

 それに追随して、凛も駆けだした。

 

 

 

 

 

 死闘は、続いていた。

 

 轟風と共に繰り出される巨大な腕。

 

 巨木をも凌駕するほどの太さを持った腕の一撃を、美遊は低く疾走する事で回避する。

 

 速度において、英霊化しセイバーとなった美遊は、バーサーカーのそれを大きく凌駕していた。

 

 繰り出される剣の切っ先。

 

 先には、響の一撃すら防いだ鋼の肉体(よろい)

 

 その鎧に、

 

 美遊の繰り出した刃は突き込まれた。

 

 貫通する一撃。

 

 さしものバーサーカーも、咆哮を上げる。

 

 それは苦痛の咆哮。

 

 美遊の剣は、確実にバーサーカーの胸板を貫いていた。

 

 だが、美遊はそこで止まらない。

 

「ハァァァァァァァァァァァァ!!」

 

 気合と共に、突き込んだ刀身を斬り下げる。

 

 その軌跡に従い、バーサーカーの体は斜めに斬り裂かれた。

 

 膝を突くバーサーカー。

 

 鮮血が、巨体から噴き出す。

 

 明らかな致命傷だ。

 

 これなら、倒せたか?

 

 美遊も、期待と共に一瞬そう思う。

 

 だがしかし、

 

 見ている目の前で、再び傷の修復が始まったではないか。

 

 やはり・・・・・・・・・・・・

 

 失望と諦念を、同時に浮かべる美遊。

 

 あの程度の攻撃では倒せないのでは、と心の中で思っていたことだが、結果はその通りだった。

 

 またも、バーサーカーの蘇生能力が発動していくのが分かる。

 

 その時、

 

《美遊様ッ》

 

 手元の剣から、サファイアの声が聞こえてきた。

 

 その様子に、流石の美遊も少し驚く。

 

「サファイア・・・・・・その姿でも喋れるんだ・・・・・・」

《これが以前、響様に言っていた夢幻召喚(インストール)なのですね。まさか、私の姿まで変わるとは・・・・・・・・・・・・》

 

 つまり、今のサファイアは剣の形になっているわけだ。

 

 美遊は魔術礼装であるサファイアを解する形で夢幻召喚(インストール)を行っている。恐らくは、その影響だろう。

 

 とは言え、

 

《まさか、美遊様までこのようなことが可能とは・・・・・・・・・・・・》

「・・・・・・・・・・・・」

 

 サファイアの言葉に、美遊は黙り込む。

 

 夢幻召喚(インストール)の事を知っていた事。それを美遊も可能だった事。

 

 それらの事態に、流石のサファイアも困惑を隠せずにいた。

 

 だが、

 

「話は後。敵が来る」

 

 険しい声で言いながら、美遊は剣を構えなおす。

 

 その視界の先では、傷も塞がり、立ち上がるバーサーカーの姿が見えた。

 

 駆ける美遊。

 

 先手必勝。

 

 敵が体勢を整える前に斬り込むのだ。

 

 バーサーカーの懐へと、一息に飛び込む美遊。

 

 その手にある剣が、高速で斬り上げるように振るわれる。

 

 次の瞬間、

 

 ガキッ

 

 ありえない異音と共に、美遊が繰り出した剣はバーサーカーの脇腹に当たり、そこで受け止められていた。

 

「クッ!?」

 

 舌打ちしつつ、素早く剣を返す美遊。

 

 今度は肩口を狙い、袈裟懸けに繰り出される。

 

 だが、結果は同じだった。

 

 剣はバーサーカーの体表によって受け止められ、1ミリたりとも斬る事叶わない。

 

 愕然として、動きを止める美遊。

 

 先程までは間違いなく通っていたはずの刃が、今は通らない。

 

 バーサーカーの肉体は、明らかに先程よりも硬度を増している。

 

 間違いない。もう、美遊の攻撃はバーサーカーには通じないだろう。

 

 最高クラスの防御力に蘇生能力。おまけに進化までする。

 

 今こそ美遊は、バーサーカーの真の能力を理解していた。

 

 そこへ、バーサーカーは反撃に出た。

 

 振るわれた巨大な拳が、容赦なく美遊を襲った。

 

「グゥッ!?」

 

 強烈な一撃を受け、容赦なく吹き飛ばされる少女。

 

 英霊化した事で、美遊の耐久力は上がっている。先ほどのように、一撃で致命傷を食らう事は無い。

 

 しかし、それでもダメージは残る。

 

 額や口元から鮮血を流す美遊。

 

 だが、

 

 しかし、

 

 それでも、

 

 尚、美遊は立ち上がって見せる。

 

《美遊様、お願いですッ もう撤退してください!! 今なら・・・・・・その御姿ならば、響様を連れても、敵を振り切れるはずです!!》

「・・・・・・だめ・・・・・・まだ」

 

 サファイアの説得にも耳を貸さず、頑なに剣を構え直す。

 

《美遊様!!》

「撤退は、しない!! 今ここで、終わらせる!!」

 

 決然と叫びながら、美遊は手にした剣にありったけの魔力を込める。

 

 輝きを増す刀身。

 

 その様は、建物の内部に太陽が出現したかのようだ。

 

《美遊様・・・・・・どうして、そこまで・・・・・・・・・・・・》

 

 茫然として、サファイアは主に尋ねる。

 

 いったい何が、美遊をここまで頑なにしているのか。

 

 対して美遊は、向かってくるバーサーカーを見据えながら口を開いた。

 

「私が負けて・・・・・・響も勝てない・・・・・・そうなると、次はきっと、イリヤが呼ばれる!!」

《ッ!?》

 

 その言葉に、ハッとするサファイア。

 

 美遊が言っている事は十分あり得る。

 

 ここでバーサーカーを倒せなかったら、当然、撤退と言う流れになる。しかし、一度倒せなかった敵を相手に、もう一度同じ戦力で挑むほど、凛もルヴィアでも愚かではあるまい。

 

 となれば、彼女たちが切れる最後のカードを切るしかない。

 

 イリヤを加えた万全の態勢で挑むしかない。

 

 だが、イリヤはもう、戦いを望んではいないのだ。

 

「イリヤも・・・・・・響も・・・・・・初めてだったんだ・・・・・・私を『友達』と言ってくれた人達・・・・・・だから!!」

 

 輝きを増す剣。

 

 その刀身を、美遊は大きく振り翳す。

 

 其はブリテンに名高き騎士王の佩刀にして、人類史に刻まれし最強の聖剣。

 

 振るえば万軍を打ち滅ぼし、担い手に勝利をもたらす絶対の輝き。

 

約束された(エクス)・・・・・・勝利の剣(カリバー)!!」

 

 剣を振り下ろす美遊。

 

 同時に、闇を斬り裂くほどの光が迸った。

 

 

 

 

 

 回復する意識。

 

 その瞼が、光によって埋め尽くされる。

 

「・・・・・・・・・・・・あれは」

 

 呟きが、口を突いて出る。

 

 瞼を埋める、懐かしい光景。

 

 あれはかつて、自分の中にもあった光。

 

 全ての闇を払い、希望を齎す光。

 

 そして、

 

 それを振るう、少女。

 

「・・・・・・・・・・・・ああ、そうか」

 

 少女の姿を見て、笑みがこぼれる。

 

 あの子が、自分を守るために戦ってくれていたのか。

 

 それは光栄であり、同時に嬉しくもある。

 

 まさか、こんな事があるとは。

 

「・・・・・・・・・・・・」

 

 さて、

 

 もう寝るのは十分だろう。

 

 そろそろ、起きる時間だ。

 

 

 

 

 

 閃光が晴れる。

 

 終わった。

 

 崩れ落ちそうになる美遊は、剣を杖代わりにしてどうにか立っている状態だった。

 

 全ての魔力を、今の一撃に込めた。

 

 まさに、手ごたえは十分。

 

 確実に、バーサーカーを葬り去る事に成功したはず。

 

 そう思った次の瞬間、

 

「ああッ!?」

 

 悲鳴と共に、美遊の胸の内から「セイバー」のカードが飛び出し床に転がる。

 

 同時に手からステッキが離れ、美遊の姿は元の魔法少女の衣装に戻ってしまった。

 

 どうやら、先ほどの一撃で魔力の殆どを使い果たしてしまい、夢幻召喚(インストール)が解けてしまったようだ。

 

 それでも、響の時のように意識を失わずに済んだのは、サファイアから常に魔力供給を受けていた為。それが無かったら、彼女も意識を失っていたはずだ。

 

 事実上、美遊の魔力量では宝具は1回の使用が限界だった。

 

「サファイア、すぐに戻ってッ 魔力供給を!!」

《は、はい!!》

 

 急いで戻ろうとするサファイア。

 

 だが、

 

 突如、崩れた階下から伸びてきた手が、サファイアを掴んで床に抑え込んだ。

 

「なッ!?」

 

 驚愕する美遊の目の前に、姿を現す狂戦士。

 

 その体からは煙を発している。

 

 これまでと同様、ダメージを与える事には成功したものの、バーサーカーの蘇生能力を削り切るには至らなかったのだ。

 

 迫りくるバーサーカー。

 

 対して美遊は、見上げたまま動くこともできない。

 

「そんな・・・・・・こんな所でなんて・・・・・・・・・・・・」

 

 サファイアは手に無く、戦う手段を全て失った少女に、もはや成す術は無かった。

 

 自分は死ぬ?

 

 こんな所で?

 

 何を成す事もできず?

 

 絶望が、美遊の胸を支配する。

 

 振り上げられる、致死の拳。

 

 一撃のもとに、少女を粉砕せんと、

 

 振り下ろされた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 次の瞬間、

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 横合いから飛び出してきた小さな影が、美遊の体をさらうようにして飛びのき、バーサーカーの拳を潜り抜けた。

 

「え・・・・・・・・・・・・」

 

 驚く美遊。

 

 目を見開いた先には、

 

「よく頑張ったね。もう大丈夫だよ」

 

 そう言って優しく微笑む、少年の姿があった。

 

 

 

 

 

第13話「美遊の想い」      終わり

 



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第14話「蒼銀の夜明け」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「これはこれは・・・・・・・・・・・・」

 

 迫りくる巨漢を前にして、少年は苦笑せざるを得ない。

 

 その腕には、魔法少女姿の美遊が抱かれている。

 

 それにしても、

 

 何とも、素敵に大ピンチな状況だった。

 

「目覚めてはみたけれど、いきなり随分と、絶体絶命だね」

 

 しかも、

 

 スッと、目を細める。

 

 迫りくる巨漢。

 

 見覚えのあるその姿。

 

「何とまあ、またしても出会ってしまうとは・・・・・・・・・・・・」

 

 苦笑せざるを得なかった。

 

 どうやら、因果の鎖と言うのは、境界を超えた果ての果てまで繋がっているらしい。

 

 一方、

 

「あ、あの・・・・・・・・・・・・」

 

 恐る恐ると言った感じに声を掛けたのは美遊だった。

 

「響?」

 

 目の前の少年は間違いなく衛宮響だ。

 

 だが、何かが違う。

 

 いつもの響じゃない。

 

 美遊は、そんな風に感じていた。

 

 対して、

 

「ヒビキ、か・・・・・・・・・・・・成程ね」

 

 ヒビキは、どこか納得するように頷くと、美遊の体を床へと下した。

 

 それにしても、

 

「うわッ 手、短いな~ ていうか、小っちゃくなってるし。これは完全に予想外だよ」

 

 ヒビキは自分の体を見回しながら、何やら驚いたように呟いている。

 

 そんな少年の様子を、呆気に取られた感じで眺める美遊。

 

 いったい、どうしたと言うのだろう?

 

 だが、そうしている間にも、バーサーカーは徐々に近づいてくる。

 

 顔を上げるヒビキ。

 

 その眼差しが、鋭く狂戦士を射抜く。

 

「ごめん美遊。話は後だ。まずは、あのデカブツをどうにかしないと」

 

 言いながらヒビキは、美遊を背に庇うようにしてバーサーカーに向き直る。

 

 見上げるような巨漢の姿は、小学生2人にとって、小山のごとき存在となって迫ってくる。

 

 その腕が、2人を握りつぶさんと延ばされる。

 

 対して、美遊を庇いながら身構えるヒビキ。

 

 次の瞬間、

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 階上から飛び込んで来た小さな影が、バーサーカーの体を斬りつけた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 体を縦に斬り裂かれ、思わず蹈鞴を踏むように後退するバーサーカー。

 

 対して、バーサーカーを攻撃した人物は、2人を守るように手にしたステッキを構える。

 

 イリヤだ。

 

 弟と親友の危機を前に、小さな魔法少女は間に合ったのだ。

 

「効いたよッ 凛さん!! ルヴィアさん!!」

 

 合図を送るイリヤ。

 

 同時に、サファイアの先端に取り付けられていた宝石が外れる。どうやらあの宝石によって魔力の刃を一時的に形成していたようだ。

 

 同時に、2つの影が戦場に踊り込んで来た。

 

Anfang(セット)!!」

Zeichen(サイン)!!」

 

 飛び込むと同時に、手にした宝石をまとめて投げつける凛とルヴィア。

 

 同時に、無数の縛鎖が出現して、バーサーカーを絡め取る。

 

「「獣縛の六枷(グレイプニル)!!」」

 

 身動きを封じられるバーサーカー。

 

 怪力を誇る巨体を、完全に封じているのが分かる。

 

瞬間契約(テンカウント)レベルの魔術なら通用しますわよ!!」

「あはははは!! 大赤字だわよ、コンチクショー!!」

 

 喝采を上げるルヴィアと、やけくそ気味の凛。

 

 魔術の詠唱にはいくつかのパターンがあり、詠唱無しで発動できる「一工程(シングルアクション)」、一つの事柄を、自らの中で固定化する「一小節」。そして十以上の小節を連ね、簡易的な儀式を行う「瞬間契約(テンカウント)」である。

 

 当然、後者に行くほど威力は上がるが、準備にも時間がかかる。

 

 それでも敢えて今回、凛とルヴィアは実行に踏み切ったのだ。そうでもしなければバーサーカーにダメージを与える事は不可能であると判断したのだ。

 

 一方、

 

 美遊は自分達を助けてくれた少女を、茫然と眺めていた。

 

 イリヤ。

 

 美遊にとって、ヒビキと同等に大切な友人。

 

 だが、彼女は戦うことを恐れ、逃げ出した。

 

 その事を美遊は、責めようとは思わなかった。

 

 戦いに恐怖を感じたイリヤの反応は当然の物だし、何より彼女の分も自分が戦えば問題ないと思った。

 

 イリヤの為に戦えるなら、美遊にとってはむしろ本望だった。

 

 だと言うのに、イリヤはまた戦場(ここ)に戻ってきてしまった。

 

「イリヤ・・・・・・どうして、ここに?」

 

 茫然として尋ねる美遊。

 

 対して、

 

「ごめんなさい」

 

 イリヤは、振り返らずに答えた。

 

「わたし、バカだった・・・・・・何の覚悟もないまま、ただ言われるままに戦ってた・・・・・・ううん、結局はそれさえも、どこかで他人事みたいに思っていた・・・・・・こんな嘘みたいな戦いは現実じゃないって・・・・・・・・・・・・」

 

 魔法少女を夢見た少女にとって、今こうしている事は夢の実現に他ならなかった。

 

 しかしだからこそ、と言うべきか、実際にその力を持ち、自在に振るう事が怖くなってしまったのだ。

 

 しかし、

 

 イリヤは、帰宅した母、アイリとした会話を思い出す。

 

 アイリは愛娘に言った。

 

 力を恐れているのは間違いであり、力その物に良いも悪いも無い。重要なのは、その力を使う人の意思なのだ、と。

 

 そしてイリヤは思い出した。

 

 自分にとって、美遊は、響は、どんな存在なのか、と言う事を。

 

 響は大切な弟であり、美遊は掛け替えのない親友である。

 

 その2人が、今も自分の代わりに戦ってくれている。

 

 ならば、自分は行かなくてはいけない。

 

 2人を助けるために。

 

 その想いが、少女を再び奮い立たせた。

 

「ごめんねミユ・・・・・・ごめんね、ヒビキ・・・・・・・・・・・・」

「イリヤ、もう良い・・・・・・もう良いから」

 

 謝る親友に、そっと寄り添う美遊。

 

 元より、美遊に蟠りは無い。

 

 何より、こうして再び、イリヤと共に立つ事ができるのは、彼女にとっても何よりの喜びである。

 

 と、

 

「さて・・・・・・・・・・・・」

 

 それまで黙っていたヒビキが、頃合いを見計らったように口を開いた。

 

「仲直りも無事に終わったところで・・・・・・あちらは、お待ちかねみたいだよ」

「ヒビキッ!? 何か雰囲気違ってない!?」

 

 普段、あまり見られない弟の様子に、驚愕するイリヤ。

 

 しかし、あまり呆けてもいられない、と言う意味ではヒビキの言うとおりである。

 

 彼らが見ている前で、バーサーカーが縛鎖を破ろうとしている。

 

 凛とルヴィアが放った強力な魔術も、狂戦士が相手では足止め程度の効果しかできなかった。

 

 眦を上げる一同。

 

 間もなく、鎖は千切られる。

 

 その時こそ、最後の戦いだった。

 

「今度こそ、終わらせよう」

 

 言いながら、ヒビキは床に落ちていた「セイバー」のカードを拾い上げる。

 

 そっと目を閉じ、カードを掲げる。

 

 捧げる、祈り。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 お願いだ・・・・・・

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 どうか、もう一度、力を貸してくれ・・・・・・

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 今一度、守り通すために・・・・・・

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 狂戦士の拘束が解かれる。

 

 同時に、ヒビキは目を見開いた。

 

夢幻召喚(インストール)!!」

 

 叫ぶと同時に、展開される魔法陣。

 

 暴風が少年を包み込み、その姿は英霊へと変じていく。

 

 遥かな時の彼方、

 

 最高の騎士王と称された、伝説の騎士を、その身に召喚する。

 

 やがて晴れる風。

 

 その中に立つ少年の姿は、一変していた。

 

 蒼い衣装の上から銀の甲冑を身に纏い、手には装飾の施された剣を握っている。

 

 全体的に美遊がセイバーとなった時と似ているが、細部は所々、変化が見られる。

 

 特に剣は、美遊の時のシンプルな刀身に比べて大振りであり、さらに装飾も多い造りになっていた。

 

「ヒ、ヒビキ、その姿は・・・・・・・・・・・・」

 

 唖然とするイリヤ。

 

 そんな少女に、響は笑いかける。

 

「これで、最後だよ」

 

 告げると同時に、ヒビキは地を蹴って駆ける。

 

 咆哮を上げるバーサーカー。

 

 そのまま障害物を破砕しながら突っ込んでくる。

 

「やれやれッ」

 

 その様子に、ヒビキは苦笑する。

 

「相変わらず、やる事が大雑把だな、あなたは!!」

 

 言いながら、大上段から剣を振り翳す。

 

 同時に、拳を振り下ろすバーサーカー。

 

 両者が激突し、激しい衝撃波が発生する。

 

 だが、

 

 ヒビキは一歩も引かない。そのまま押し返す勢いで剣を振るう。

 

 溜まらず、後退するバーサーカー。

 

 そこへ、ヒビキは追撃を仕掛ける。

 

 地を這うような低い姿勢で剣を振りかざし、一気に間合いの中へと斬り込む。

 

 斬り上げる一閃。

 

 バーサーカーの体は、縦に斬り裂かれる。

 

「やったッ」

「いや、まだだよ」

 

 喝采を上げるイリヤに、ヒビキは険しい顔で首を振る。

 

「彼の宝具は『十二の試練(ゴッドハンド)』って呼ばれる物で、その名の通り、12回殺さないと倒す事ができない。おまけに、同じ攻撃は、次には殆ど通じなくなっているっていう特典付き。まったく、面倒な話だね」

 

 言っている間にも、バーサーカーの傷は塞がっていく。

 

 そこへ、ヒビキは再び斬りかかる。

 

 激突する剣と拳。

 

 ヒビキの振るう剣は、デザインこそ違えど、先に美遊が振るったものと同様、「約束された勝利の剣(エクスカリバー)」である。

 

 しかしヒビキは、この剣を真名解放せずに使うと決めている。

 

 宝具の真名解放は強力だ。特に「約束された勝利の剣(エクスカリバー)」は対城宝具。振るえば強固な要塞ですら粉砕する事が可能なその威力は、正に想像を絶している。

 

 しかし、同時に消耗も激しい。

 

 今のヒビキの魔力では、おそらく宝具の開放は一度が限界。一発放てば夢幻召喚(インストール)は解除されてしまうかもしれない。しかし、その一度でバーサーカーの「十二の試練(ゴッドハンド)」を削り切れるとは思えない。

 

 ヒビキが重視したのは、「一撃必殺」よりも「交戦時間」だった。なるべく長く時間を保たせ、決め手となる一手を探すのだ。

 

 その時、

 

 バーサーカーの周囲で、爆炎の華が躍る。

 

 動きを止めるバーサーカー。

 

 対して、ヒビキはハッとして振り返る。

 

「まったく、あんたは次から次と妙な事をしてくれるわね」

「ほんとですわ。説明がほしいですわね」

 

 そんなヒビキを援護するように立つ、凛とルヴィア。

 

 彼女たちも、ここが正念場である事を自覚しているのだ。

 

 バーサーカーの攻撃をヒビキが剣で捌き、その間に凛とルヴィアが側面から攻撃を仕掛ける。

 

 しかし、それでも狂戦士は揺るがない。

 

 狂った咆哮を上げ、尚も襲い掛かってくる。

 

 振り下ろされる拳。

 

 その一撃を、剣で打ち払うヒビキ。

 

 僅かだが、バーサーカーに苛立ちのようなものが見え始める。

 

 どうやら、自身の怪力をもってしても仕留めきれない事実に、いら立っているかのようだ。

 

 もちろん、相手は理性の無い怪物。気のせいである可能性もあるのだが。

 

 その時だった。

 

 ヒビキの左右に、小さな足音が響く。

 

 振り返れば、2人の魔法少女が、ステッキを手に立っていた。

 

「君たち・・・・・・・・・・・・」

「わたし達も戦うよ」

「ここで諦める訳にはいかないから」

 

 決意とともに言い放つ、イリヤと美遊。

 

 その気高い意志に答えるように、

 

 2本のステッキは輝きを増す。

 

 攻め込んでくるバーサーカー。

 

 対して、

 

 イリヤは、

 

 美遊は、

 

 そしてヒビキは、

 

 真っ向から睨み据える。

 

 ヒビキの手にある約束された勝利の剣(エクスカリバー)

 

 それと全く同じ物が、イリヤと美遊の手にも握られる。

 

 それだけではない。

 

 彼らの周囲に、同様の剣が6本浮かんでいる。

 

 そう、

 

 まるで「万華鏡(カレイドスコープ)」のように。

 

「「「並列限定展開《パラレル・インクルード》!!」」」

 

 同時に、剣を振り被る、ヒビキ、イリヤ、美遊。

 

 襲い来る狂戦士。

 

 だが、恐れるべき何物も、そこには存在しない。

 

 なぜなら、

 

 何よりも大切な友達が、一緒に戦ってくれているのだから。

 

 振り下ろされる剣。

 

 九つの剣から、一斉に放たれる閃光。

 

 バーサーカーは尚も向かってくるが、もはや彼にできる事は何もなかった。

 

 奔流と化す閃光。

 

 その光の中で、バーサーカーは消滅していくのだった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「それじゃあ、行ってきまーす」

「ん、行ってきます」

 

 玄関先で挨拶をする、イリヤと響。

 

 いつも通りの朝の風景である。

 

 兄、士郎は、既に部活の朝練で先に登校している。そしてリズは、まだ朝食を食べている。

 

 見送るのは、セラ1人だった。

 

 因みにアイリは、イリヤを送り出したすぐ後に、とんぼ返りでまた海外へと旅立ったと言う。ヒビキはと言えば、けっきょくアイリと顔を合わせる事も出来なかった。

 

 まったくもって、怒涛のような母である。

 

 いったい何をしに帰って来たのか、と言いたいところではあるが、イリヤの迷いを払い、再び立ち上がらせた。

 

 そんなところは、どれだけ「ぶっ飛んで」いても母親なんだな、と実感させられる。

 

「行ってらっしゃい。お2人とも、車には気を付けてくださいね」

「「は~い」」

 

 見送るセラにそう言うと、イリヤと響は揃って家を出た。

 

 しかし、

 

 その脳裏には、昨夜の光景が浮かべられていた。

 

 

 

 

 

 

 鏡面界を抜け出ると同時に、一同は重たい息をと共に地面に座り込んだ。

 

 絶望的状況を、どうにか潜り抜け、誰もが己の生に対して感謝せずにはいられなかったのだ。

 

 そんな中、

 

《ちょっとちょっと皆さん。どうしたんですか? せっかく勝ったと言うのに、こんなだらけムードで》

 

 1人元気なルビーがノーテンキにそんな事を言ってくるが、今はそれに答える気力もなかった。

 

「さて・・・・・・・・・・・・」

 

 凛は一息つくと、最大の問題を解決すべく振り返った。

 

「そろそろ説明してもらうわよ、響。あんたはいったい何なの?」

 

 鋭い質問に、一同の視線は少年へと集まる。

 

 対して、

 

 ヒビキは苦笑したまま、肩をすくめる。

 

「まあ、説明するのはやぶさかではないんですけど・・・・・・・・・・・・」

 

 何かを躊躇うように言いながら、ヒビキはチラッと、視線を美遊に向ける。

 

 対して、キョトンとした眼差しを返す美遊。

 

 その時だった。

 

 ヒビキの体が輝きを増し、着込んでいた甲冑や外套が徐々に消滅していく。

 

 夢幻召喚(インストール)が解けようとしているのだ。

 

「おっと・・・・・・どうやら、もう時間切れみたいだね」

「ハァッ!?」

 

 納得いかない凛が声を上げるが、消滅は止まらない。

 

 対して、ヒビキは申し訳なさそうに苦笑する。

 

「すみません。これでも無理を重ねているもんで。一応、こうして話していられること自体、ちょっとした奇跡みたいなもんなんですよ」

 

 言ってから、ヒビキは今度は美遊に向き直る。

 

「美遊」

 

 ヒビキは美遊に優しく語り掛ける。

 

「忘れないで欲しい。君の命は、決して君1人だけの物じゃない」

「え?」

 

 驚く美遊。

 

「君を大切に思う人、君を慈しむ人、君の為に戦える人、そして・・・・・・・・・・・・」

 

 ヒビキはやや間を置く。

 

 その脳裏には、果たして何が思い浮かべられているのか。

 

「・・・・・・誰よりも、君の幸せを願っている人」

「・・・・・・・・・・・・」

「それら全ての想いが、美遊(きみ)と言う存在を形作っている。その事を、決して忘れないで」

「響・・・・・・・・・・・・」

 

 自身に向けられる美遊の声。

 

 その言葉を耳にしながら、

 

 ヒビキはゆっくりと瞼を閉じた。

 

 同時に、その胸からセイバーのカードがはじき出された。

 

 そして、

 

「・・・・・・・・・・・・ん?」

 

 目を開く響。

 

 その表情は、先ほどまでの、どこか落ち着いた感じの物ではなく、いつも通りの茫洋とした少年の物だった。

 

「・・・・・・どしたの? 敵は?」

 

 その質問に、一同は嘆息するしかなかった。

 

「まあ、何はともあれ・・・・・・・・・・・・」

 

 訳の分からない事に、これ以上拘泥しても始まらないと思ったのだろう。

 

 凛は気持ちを切り替えるように言った。

 

「これで、全てのカードを集める事ができたわね」

 

 剣士(セイバー)

 

 弓兵(アーチャー)

 

 槍兵(ランサー)

 

 騎兵(ライダー)

 

 魔術師(キャスター)

 

 暗殺者(アサシン)

 

 そして狂戦士(バーサーカー)

 

 7枚のカードが、全て揃った事で、凛達の目的は達成されたことになる。

 

「イリヤ、美遊、それに響」

 

 名前を呼ばれ、子供たちは凛に振り返る。

 

 対して、凛は優しい口調で語り掛けた。

 

「勝手に巻き込んでおいてなんだけど、あなた達がいてくれて本当に良かった。わたし達だけじゃ、多分勝てなかったと思う。最後まで戦ってくれて、本当にありがとう」

 

 ストレートに言われ、3人は少し照れたように顔を俯かせる。

 

 そんな風に言われると、頑張って戦った甲斐もあったと言う物である。

 

「さて、それじゃあ、カードは私が責任もってロンドンまで・・・・・・・・・・・・」

 

 言いかけた凛。

 

 その手から突如、カードが奪われた。

 

「ホーッホッホッホッホッホッホ!!」

 

 そして鳴り響く高笑い!!

 

 見上げれば、いつの間にやって来たのか、ヘリから垂らされた縄梯子に掴まったルヴィアが、勝ち誇るようにカードを掲げていた。

 

「最後の最後で油断しましたわね!! 御安心なさい!! カードは全て、わたくしが大師父の元へ届けて差し上げますわー!!」

「んなァァァァァァ!? あんた、手柄を独り占めする気かこのー!!」

 

 慌てて追いかける凛と、それを見下ろすルヴィア。

 

 終わったとたん、これである。

 

 そんな年長者たちの醜い争いを、小学生3人は唖然として見上げている。

 

 ややあって、

 

「・・・・・・・・・・・・帰ろ」

「そうだね」

「もうクタクタだよ」

 

 「取りあえず見なかった事にしよう。だって疲れたし」

 

 それが、3人の共通する見解だった。

 

 尚も鳴り響く破壊音を背に、響達は家路へと着くのだった。

 

 

 

 

 

 結局、凛とルヴィアは明け方まで追いつ追われつ、最後はいつも通りどつきあった後、大師父から1年間の留学延長を言い渡された。

 

 と言うのを、響達は後で知る事となる。

 

 だが、今は、

 

 別の問題が浮上していた。

 

「・・・・・・・・・・・・なあ」

 

 怪訝な顔つきで声を掛けてきたのは、友人の1人、栗原雀花である。

 

 その視線の先には、響と美遊、イリヤの姿がある。

 

 ただし、真ん中にいる美遊が、左右の手で響とイリヤの腕を掴んで放そうとしなかった。

 

「あんた達、特にイリヤと美遊さ、昨日まで喧嘩してなかった?」

「やー・・・・・・気のせいじゃない? きっと全てが」

 

 苦笑しながら応じるイリヤ。

 

 見れば、美遊を挟んで反対側にいる響も、困惑している様子がうかがえた。

 

 いったい、何がどうなっているのか?

 

 朝、登校してきたら、美遊は2人に引っ付いて離れなくなってしまったのだ。

 

「一夜にして何というデレッぷり・・・・・・」

「響のヤロー、俺たちの知らないところで、イリヤと美遊を同時攻略してやがったな!!」

 

 驚愕する森山那奈亀と嶽間沢龍子。

 

 まあ、龍子の方は、完全無欠に言いがかりなのだが。

 

 とは言え、雨降って地固まる、とでも言うべきか、美遊とイリヤの関係が修復されたのは喜ばしい事だった。

 

 降ったのが雨ではなく、剣と槍と拳だったのは、色々とアレだが。

 

「まー、良いや!!」

 

 何を思ったのか、龍子は美遊に近づき、彼女の頭をベシベシと叩く。

 

「ミユキチも丸くなったって事で、今後とも仲良くしていこーぜ!!」

 

 そう言って大爆笑する龍子。

 

 深く考えない事は良い事なのか悪い事なのか、空気を読まない龍子の行動は相変わらずだった。

 

 次の瞬間、

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「は? どうしてあなたと仲良くしなくちゃいけないの?」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 美遊が放った冷たい一言が、場の空気をいっぺんに氷点下まで下げた。

 

 唖然とする一同を前にして、美遊は冷たい口調で続ける。

 

「わたしの友達はイリヤと響だけ。あなた達には関係ないでしょう。もう、わたし達には近づかないで」

 

 凍り付く教室。

 

 次の瞬間、

 

「うおおおアアアァァァーッ!?」

「な、泣かせたぞー!!」

 

 号泣する龍子と、それをなだめる雀花。

 

 そんな中、イリヤが焦ったように美遊を引き離す。

 

「ちょ、ちょっとちょっとミユー!! 何言ってんのよー!!」

「何を怒っているのイリヤ?」

 

 対して美遊は、本気で意味が分からないと言った感じに、澄んだ瞳でイリヤに言う。

 

「わたしの友達は、生涯、イリヤと響の2人だけ。本来なら1人いれば良い友達が2人もいるんだもの。これ以上は必要ないし、どうだって良いでしょ」

「何それ重ッ!? て言うか、友達の解釈変じゃない!?」

 

 混乱するイリヤ。

 

 いや、だいぶ前からそうだったが、美遊が何を考えているのか、ときどき分からなくなる。

 

「オギャアアアアアアァァァァァァ!?」

「いかん! タッツンがマジ泣きだ!!」

「ちょっとイリヤ、響きでも良い、何とかしれー!!」

「美遊、それは間違い。『トモ』と言う字は『強敵』と書く。だから今から校舎裏にイリヤと行って殴り合った後、真の友情が生まれる」

「そうなの?」

「ヒビキ、嘘教えない!! ミユも信じちゃダメッ!! て言うか、これ以上混乱させないでー!!」

 

 絶叫するイリヤ。

 

 何となく、これからも弟と親友(天然2人)に振り回され、騒々しくも楽しい日々が続いていくのでは、と思う。

 

 大切な人たちと共に描いていく楽しい未来図。

 

 その様子を夢見ながら、

 

 イリヤは自らの胸が高鳴るのを感じるのだった。

 

 

 

 

 

第14話「蒼銀の夜明け」      終わり。

 

 

 

 

 

無印編 完

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「ふむ、どうやら、向こうはひと段落着いたようだな。まずは上々と言ったところか」

 

 使い魔からの報告を聞き、男は笑みを浮かべる。

 

 その報告は、冬木市における戦いが終結したことが告げられていた。

 

「カードは全て魔術協会側が回収した、か。まあ、当然の結果、か」

 

 言いながら、男は周囲を見回した。

 

 そこは、無数の死体が転がる地獄と化していた。

 

 全ては、自分たちを抹殺するために送り込まれた刺客達だった。

 

 もっとも、結果は見ての通りだが。

 

 愚かにも、自分の首を取ろうとやって来た輩たちは、全て、無様に地面に倒れ伏していた。

 

 そんな男の背後に、小さな足音が鳴る。

 

 振り返ると、1人の少女が静かに佇んでいる。

 

 最も、その姿は異様と言えた。

 

 翠緑色した異国風の衣装を着込み、手には大ぶりの弓を携えている。

 

 そして、お尻からは長いしっぽが伸び、頭には獣のような耳が生えていた。

 

「戦闘終了しました。生き残っている者はいません」

 

 少女の淡々とした報告に、満足げに頷きを返す男。

 

 そこへ、もう1人、近づいて来た。

 

 こちらは若い男だ。まだ10代後半くらいだろう。

 

 やはり異国風の出で立ちで、こちらは甲冑を着込み、手には一振りの槍を携えていた。

 

「仕事と言うのはこの程度の事か? これくらいなら、あんた1人でもこなせるだろう」

 

 退屈しのぎにもならなかった、と言わんばかりに男をにらみつける。

 

 対して、男はニヤリと笑みを見せた。

 

「何、こんな物は、主食前の前菜みたいなものだ。君たちに本当の意味で働いてもらうのは、これからさ」

 

 そう言うと、男は踵を返して歩き出す。

 

「さあ、始めようじゃないか、本当の『聖杯戦争』を」

 

 その脳裏に浮かぶのは、1人の少年の姿。

 

 これから、自分たちが行く道に、確実に立ちふさがるであろう存在。

 

「せいぜい頑張り給え。暗殺者(アサシン)の少年よ」

 

 嵐は、

 

 間もなく訪れようとしていた。

 



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番外編1「メイドさん強襲事件」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「オーッホッホッホッホッホッホッホッホッホッホッホッホッ!! オーッホッホッホッホッホッホッホッホッホッホッホッホッ!! オーッホッホッホッホッホッホッホッホッホッホッホッホッ!! オーッホッホッホッホッホッホッホッホッホッホッホッホッ!! オーッ ホッホッホッホッホッホッホッホッホッホッホッホッ!! オーッホッホッホッホッホッホッホッホッホッホッホッホッ オーッホッホッホッホッホッホッホッホッホッホッホッホッ!!」

 

 

 

 

 

 ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

 

 

 

 

 

 

 さて、

 

 のっけから、大変失礼しました。

 

 口に手を当て、自らの足元を見下ろしながら、冒頭の高笑い(ばかわらい)をぶち上げている少女は、見事な金髪を縦ロールにセットした、この家の当主、ルヴィアゼリッタ・エーデルフェルトである。

 

 一方、彼女の足元に蹲り、屈辱の表情で打ち震えているのは、彼女の(一応の)同僚にして、ライバルであり天敵でもある少女、遠坂凛(とおさか りん)である。

 

 因みに凛は今、なぜかメイド服に身を包んでいる。更にバケツの水を頭からかぶり、ずぶ濡れの状態になっている。

 

 何ともまあ、互いの立場を如実に表している、と言えなくもない状況ではある。

 

 もっとも、加害者(ルヴィア)の方はともかく、被害者(りん)の方は、この状況に対して、甘んじて受け入れている訳ではない。無論の事。

 

 そんな年長者たちの醜い争いを、

 

 この屋敷に住み込む、もう1人のメイドである美遊・エーデルフェルトは、呆れ気味に眺めていた。

 

 

 

 

 

「やってられッかァァァァァァァァァァァァ!!」

 

 ガッシャァァァァァァァァァァァァァァァン!!

 

「なにィィィィィィィィィィィィ!?」

「敵襲かァァァァァァァァァァァ!?」

 

 突如、窓ガラスを割って飛び込んで来た人物に対し、部屋の中で仲良くゲームをやっていた姉弟2人は、思わずゲーム機を放り出して、ヒシッと抱き合う。

 

 いったい何が起きたのか?

 

 ここはエーデルフェルト邸の向かいにある衛宮邸。その2階にある、長女、イリヤスフィール・フォン・アインツベルンの部屋。

 

 部屋の中にはイリヤ本人と、彼女の弟である衛宮響(えみや ひびき)がいたのだが、

 

 そこに飛び込んで来たのが、彼女たちの知り合いでもある遠坂凛(メイド服)だった。

 

「あー ッたく!?」

 

 凛は苛立ち紛れに悪態をつくと、イリヤのベッドに勝手に座り込む。

 

「冗談じゃないわよ、ホントに!!」

「ど、どうしてわざわざ窓から・・・・・・」

 

 予期せぬ破壊活動に遭い、ガックリとうなだれるイリヤ。

 

 対して、凛は全く悪びれた様子を見せない。

 

「ムシャクシャしてやった!! あとで直してあげるわよ!!」

《反省の色無しですね、この若者》

 

 呆れ気味に言ったのは、魔法のステッキであるマジカル・ルビーだった。

 

 ルビーは更に続ける。

 

《それにしても凛さん。何ですかその恰好は? さてはとうとう、頭がイカれて・・・・・・》

 

 プププと、笑いを漏らしながらからかい口調で告げるルビー。

 

 だが、その言葉は最後まで告げられることは無かった。

 

 凛はルビーを床に叩きつけると、その体に鋏、カッター、シャーペン、ボールペン、コンパスを次々と突き刺す。

 

 そのあまりの早業に、当のルビーは勿論、イリヤや響も目で追う事は出来なかった。

 

「これ以上、わたしをイラつかせない方が身の為よ?」

《イ、イエス、元マスター・・・・・・》

 

 普段以上に残虐性の高い凛に、いつもはノーテンキなルビーも、身の危険を感じて声を震わせる。

 

「それで、凛・・・・・・・・・・・・」

 

 ようやく落ち着いてきたところで響が口を開いた。

 

「どうしたの? 何その恰好?」

 

 何はともあれ、まずはそこだった。

 

 なぜに凛がメイド服なんぞ着ているのか?

 

 キョトンとした顔で尋ねる響に対し凛も、落ち着きを取り戻すためか、深々と息を吐いてから口を開いた。

 

「わたしだって好き好んでメイド服なんてきてるわけじゃないわよ!! こんな機能性の低い、ヒラヒラした服・・・・・・けど、『これを着ないと働かせない』ってあいつが言うから仕方なく・・・・・・・・・・・・」

 

 悔しさを滲ませる凛。

 

 しかし、話を聞かされた小学生2人は、意味が分からずに怪訝な顔つきをする。

 

「つまり、何したの?」

「情報が断片的過ぎて分かりづらいんだけど・・・・・・」

 

 何がどうなって凛がメイド服を着て、最終的にイリヤの部屋の窓をぶち割る事態に陥ったのか?

 

 その流れが一切見えてこなかった。

 

 そんな中、

 

《鈍いですねー イリヤさんも響さんも》

 

 口を開いたのは、先ほどの拷問から脱出したルビーだった。

 

《つまり端的に言えば凛さんは、金の為にプライドを売ったわけです。ですよね?》

「うぐ・・・・・・・・・・・・」

 

 図星だったのか、言葉に詰まる凛。

 

 ややあって、目をそらしながら高校生少女は、絞り出すように口を開いた。

 

「そうよ・・・・・・今の私にはお金が必要だったの・・・・・・」

 

 

 

 

 

 それは数日前、

 

 カード回収任務が終わった直後の事だった。

 

 屋敷に戻り、落ち着いて身の回りの事を片付けた凛は、愕然とした。

 

 宝石が、無い。1個も。

 

 原因は判っている。

 

 カード回収任務が終わった直後。カードを全て強奪しようとしたルヴィアを追って、凛は大量の宝石を惜しげもなくぶっぱなしまくった。

 

 後先考えずに宝石を消費した結果、今日の、宝石残数ゼロと言う事態に陥った訳である。

 

 宝石魔術を主戦力として戦う凛にとって、宝石は拳銃の弾丸に等しい。それでなくても、日々魔術研究にも宝石は使う。

 

 その宝石が無いと言う事はつまり、魔術師的には終わっているに等しかった。

 

 これは、早急に解決しなくてはならない事態である。

 

 すぐさま街の書店に直行し、タウン情報誌を片っ端から漁る凛。

 

 言うまでない事だが、宝石を買うにはお金がかかる。それも研究に使うともなれば、それなりの量が必要になるのだ。

 

 その為の金を、早急に用立てる必要があった。

 

 普通に、そこらでできるアルバイト程度では埒が明かない。

 

 この際、人体実験の被検体だろうが、財宝発掘の肉体労働だろうが、非合法ギリギリの物でも、金にさえなれば引き受けようと思った。

 

 そんな中、

 

 凛は見つけた。

 

 見つけてしまった。

 

 「それ」を。

 

 

 

 

 

〇ハウスメイド募集

 

 未経験者歓迎

 

 応募年齢:16~20歳(学生可)

 

 必要資格:無し

 

 業務内容:屋敷内の清掃全般

 

 休日:応相談

 

 

 

 

 

 そして、

 

 時給:1万円

 

 

 

 

 

「い、いちまんえんんんんんんんんッー!?」

 

 その瞬間、凛の目が眩んだのは言うまでもない事だった。

 

 

 

 

 

 しかも備考には、

 

〇黒髪ロング、身長159センチ、B77・W57・H80、ツリ目で赤い服の似合う女性は時給5000円アップ

 

 とまであった。

 

「天職だわ」

 

 完全に目玉が金色(かねいろ)になった凛は、その足で面接会場へ爆走、即応募、即面接、即日採用を勝ち取った。

 

 

 

 

 

「早ッ」

「ん、凛は詐欺に騙されるタイプ」

 

 小学生2人の感想をスルーしつつ、凛は続ける。

 

 しかし、

 

 よくよく考えれば、それはあまりにも都合が良すぎる内容だった。

 

 もっと言えば「遠坂凛にとって、都合が良すぎる」内容だったのだ。

 

 そうして迎えた就業初日。

 

 凛は悪夢を見る。

 

 執事のオーギュストに屋敷内を案内してもらっている時、

 

 現れた当主の姿を見て、愕然とした。

 

「あらあらあらあら、それが新しく雇ったメイドかしら、オーギュスト?」

「さようでございます。お嬢様」

 

 姿を見せた金髪縦ロール。

 

 もはや説明不要のルヴィアゼリッタ・エーデルフェルトの姿に、凛は遅ればせながらようやく事態を悟る。

 

 つまり、全てがこの女の計略だったわけだ。凛をこの事態に陥れるために、ずいぶんとまあ、迂遠な手を使った。

 

 壮大すぎる無駄遣い、と言ってしまえばそこまでだが、それを可能にしてしまうのがエーデルフェルト家の財力だった。

 

「とぉーってもよく働いてくれそうですわねぇ・・・・・・」

 

 完全に獲物を捕らえたハイエナの目をするルヴィア。

 

 対して凛は、もはや言葉も出ない。

 

「良い人材を確保したわオーギュスト。みっちりねっとり、バッキバキに教育してあげなさい」

「承知しました。足腰が立たなくなるまで仕事をたたき込むとしましょう」

 

 実に楽しそうな主従の会話を聞きながら、凛は己が獣の巣に落とされた事を如実に悟るのだった。

 

 

 

 

 

「・・・・・・・・・・・・と言う訳で、職場環境は最悪だけど、背に腹は代えられない凛さんは、泣く泣くメイドをやっているのでした」

「はあ・・・・・・とんとん拍子の転落人生だね」

《何て面白・・・・・・痛ましい話なんでしょう》

 

 同情気味のイリヤの横で、若干本音を漏らすルビー。

 

「そっか、そんなにお金に困ってたんだね」

「くうッ 子供にこんな目で見られる日が来ようとは!!」

 

 イリヤの温かい眼差しに、余計に傷つく凛。100パーセントの善意なだけに、ダメージも大きい。

 

「これ、あげる。少ないけど」

「いらないわよ。しまっときなさい」

 

 取りあえず、響が憐れみと共に差し出したブタさん貯金箱は引っ込めさせた。

 

「でも、こうして逃げてきたってことは・・・・・・」

《だいたい予想着きますねー》

 

 嘆息交じりに呟く、イリヤとルビー。

 

 対して、凛も白状するように口を開いた。

 

「・・・・・・仕事内容と給料については何ら文句は無いわ。と言うか、あの時給の為なら大概の事は我慢するつもりでいたのよ」

 

 そりゃそうだろう。

 

 今日日、日本のアルバイトで時給1万5000円も支払う企業など皆無以下である。あるとすれば、よほど裏社会に漬かり切った汚れ仕事くらいな物だ。

 

 今すぐにでもお金が必要な凛にとっては、たとえ仇敵(ルヴィア)に頭を下げてでも耐えていくしかないところである。

 

「でもね!! 何なのよ、あのオーギュストとかいう執事はッ!! わたしのやる事全部にいちゃもん付けて!! 窓枠ツツーって指でなぞって、『貴女の国ではこれで掃除したと言うんですか?』とか言っちゃって!! リアルであんな事するやつ初めて見たわよ!!」

《やめてーッ!? オホーッ!? 千切れる千切れるッ!!》

 

 ルビーをガジガジと歯噛みしながら叫ぶ凛。

 

 と、今度はスイッチが切れたように、ガックリと項垂れると、歯型のついたルビーを放り捨てる。

 

「ううん、でも耐えたのよ、わたし。仕事だもの、お金もらうためだもの、これくらいで負けちゃいけないって・・・・・・」

「緩急激しいなあ」

「カルシウム不足?」

 

 ジェットコースターみたいな凛のテンションに付いていけないイリヤと響。

 

 小学生たちのコメントを無視して凛は続ける。

 

「でも、あの金バカだけは我慢ならなかった!!」

「「怖ッ」」

 

 おどろおどろしく声を震わせる凛に、震えあがる響とイリヤ。

 

「パワハラにも限度があると思うのよね。まあ、詳しくは省くけど、

 

・ケツキック

・雑巾バケツ

・高笑い

・身体的特徴に対する不適切な発言

 

 この辺のキーワードから、察していただけるかしら?」

 

 今度は随分と、判りやすい読解問題だった。

 

「で、まあ、結果として・・・・・・・・・・・・」

 

 

 

 

 

「ふっざけんなァァァァァァァァァァァァァァァァァァァァァァァァ!!」

 ガッシャァァァァァァァァァァァァン!!

「ハボアッ!?」

 

 凛は手近にあった(高価そうな)壺でルヴィアの頭を強打。

 

 現在に至る、と言う訳である。

 

 

 

 

 

「カッとなってやっちゃった」

「お、殴殺事件だァァァァァァ!?」

「家政婦は見た? ミタ? ミタゾノ?」

《人の頭蓋は壺よりも薄いんですよ凛さん!!》

 

 あまりと言えばあまりの事態に、イリヤや響は勿論、普段はふざけ気味なルビーですら、本気でツッコミを入れる。

 

 だが、一同の驚きに対して、凛はイリヤのベッドにふて寝して背を向ける。

 

「大丈夫よ、どうせあいつは殺しても死なないし。て言うか死んでくれたら、それはそれで問題無いわ」

「法的に大問題だよ!!」

「警察呼ぶ?」

 

 ツッコミを入れるイリヤと響。

 

 対して、ふて寝したままの凛は、嘆息交じりに呟きを返す。

 

「・・・・・・・・・・・・ま、元からうまくいくはずなかったのよ」

 

 思えば、仕事内容を把握した時点でやめる。と言う選択肢もあったのだ。多少グレードを落とせば、他に働き口もあっただろうし。

 

 しかし、金に目の眩んだ凛は、そうしなかった。

 

 それが今回の事態に繋がったのだ。

 

 だが、覆水は盆に返らない。起こってしまった事は、覆しようがなかった。

 

「話せて少しはスッキリしたわ。突然悪かったわね」

 

 起き上がった凛は、いつもの調子に戻っていた。

 

 対して、イリヤ達も、落ち着いた調子で話しかけた。

 

「それは良いけど・・・・・・でも・・・・・・」

《これからどうするんですかー?》

 

 事情は分かったが、凛にとって事態は全く好転していないのも事実である。

 

 お金を稼ぐのはどうするのか?

 

「やっぱりあげる?」

「いらないから」

 

 再度、響が差し出したブタさん貯金箱を引っ込めさせると、凛はさばさばした調子で肩を竦めた。

 

「どうするも何も・・・・・・これで私はクビだろうし、他のバイトを探すしかないわね」

 

 要するに、ある程度のお金が入ればそれで良いのだ。割り切ってしまえば、何も最悪な職場環境に甘んじている理由は無い。

 

 その時だった。

 

「それで良いんですか?」

 

 掛けられた静かな声に、一同は窓の外を向く。

 

 そこには、エーデルフェルト家に仕える、もう1人のメイドが佇んでいた。

 

「ミユッ」

「ん、おはよ」

 

 美遊は礼儀正しく「おじゃまします」と言うと、窓際で靴を脱いで部屋の中に上がり込んで来た。

 

 その静かな瞳が、真っすぐに凛を見る。

 

「お金が必要なんですよね、凛さん」

「う、それは・・・・・・」

「うち以上の高給なアルバイトが、他に見つかるとは思えません」

「・・・・・・・・・・・・判ってるわよ」

 

 小学生女児に論破される高校生と言うのも色々あれだが、美遊の言っている事は完璧な正論であるため、凛としても反論の余地は無かった。

 

「けど、これ以上、あのバカの相手はやってられないのよ」

 

 そう言ってそっぽを向く凛。

 

 理屈では判っていても感情が伴わない。そんな感じである。

 

 その時だった、

 

「・・・・・・・・・・・・わたくしが謝罪する、と言っても?」

 

 再び発せられた言葉に、一同は再度、窓の方を見る。

 

 すると今度はそこに、今回の騒動の大元である、ルヴィアゼリッタ・エーデルフェルトが佇んでいた。

 

 この事態には、流石の凛も呆気に取られた。

 

「ルヴィア・・・・・・あんた、どうして・・・・・・・・・・・・」

 

 殊勝な態度で佇むルヴィアに対し、凛も毒気を抜かれたように見つめ返す。

 

 対して、ルヴィアは神妙な顔つきで歩み寄る。

 

「恥ずべきのは・・・・・・わたくしの方だと言う事ですわ」

 

 静かに告げられる、和解への誘い。

 

 それはそうと、

 

「なんでみんな、窓から入ってくるのかな?」

「ん、やっぱ警察呼ぶ?」

 

 ヒソヒソと話し合う、イリヤと響の姉弟。

 

 そんな2人のやり取りを無視して、ルヴィアは続ける。

 

「貴女との確執からつい辛く当たってしまったけれど・・・・・・ようやく気付いたのです。こんな形で貴女を屈服させても意味は無い、と」

「ルヴィア・・・・・・・・・・・・」

 

 これまで見た事も無いようなしおらしい態度のルヴィアに、凛は心を揺らがせる。

 

 そう、

 

 自分だって、別にルヴィアといがみ合いたい訳ではない。

 

 ただ、時計塔以来の確執が長く尾を引き、「やられたらやり返す」と言う習性から抜け出せなくなっていただけなのだ。

 

 凛に手を差し伸べるルヴィア。

 

「貴女との決着は、いずれ正々堂々とつけて見せますわ。けど、それと仕事は別の事。もう、私情を挟むような真似はしないと誓いましょう。だから、帰ってきなさい遠坂凛(トオサカ リン)

 

 ルヴィアは、ただの傲慢な成金お嬢様ではない。

 

 彼女もまた、由緒正しきエーデルフェルトの血統を受け継ぐ、誇り高い今代の魔術師であり貴族なのだ。

 

 魔術師は魔術師らしく、貴族は貴族らしく、卑怯なふるまいは決してしてはならない。

 

 ルヴィアの在り方が、そう語っていた。

 

 対して、

 

「・・・・・・・・・・・・廊下の掃除が、まだ終わってなかったわね」

 

 ぶっきらぼうにそう言うと、凛は立ち上がる。

 

 どうやらそれが、凛にとって和解の受け入れだったようだ。

 

「凛さん・・・・・・」

「ったく、これで逃げたら、まるでわたしが仕事放棄しただけのダメ人間じゃない」

 

 美遊の言葉に対し、照れ隠しのように言う凛。

 

 次いで、ルヴィアを見た。

 

「やるわよ。仕事は仕事。ルヴィア(あんた)がそれを判っているなら、それで良い」

 

 

 

 

 

 その後、

 

 凛は壊れた窓を魔術で元通りに直し、ルヴィア、美遊と共に帰って行った。

 

 雨降って地固まる。

 

 いがみ合っていた2人は和解を果たし、より強い絆で結ばれたのだ。

 

 やはり、自分たちに近しい人間がいがみ合っているのは、子供たちにとっても嫌な事であることは間違いなかった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 と、

 

 ここで終わってくれれば、全てが美しく纏まっていたのだが、

 

 誠に残念なことに、イリヤは見逃さなかった。

 

「見たよね、ルビー・・・・・・ヒビキも」

《見ちゃいましたねー》

「一瞬だったけど・・・・・・・・・・・・」

 

 3人はそう言うと、嘆息交じりに頷きあう。

 

 それは部屋を後にする直前、

 

 凛の背を見ながら、ルヴィアが浮かべた顔。

 

 そこに浮かんだ邪悪な表情は、忘れたくても忘れようがない。

 

「こんな面白い玩具、手放してなるものか」

 

 その表情は、明らかにそう語っていた。

 

「・・・・・・また近い内に、窓割られそうな気がするよ」

《今度は鉄板でも仕込んでおきますか?》

「それか、こっちからかち込む?」

 

 そう言うと、3人はそろってため息をつくのだった。

 

 

 

 

 

番外編「メイドさん強襲事件」      終わり

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

~おまけ~

 

 

 

 

 

「ハアァァァァァァァァァァァァ!? 560万円!?」

「貴女が壊した壺の代金ですわ!! オーッホッホッホッホッホッホ!!」

「373時間はタダ働きですね・・・・・・・・・・・・」

 

 愕然とする凛と、勝ち誇るルヴィア。

 

 1人、美遊は呆れたように嘆息するのだった。

 



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2wei!編
第1話「真昼の襲撃者」


 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 次々と乱立する、漆黒の影。

 

 視界全てを覆うように迫る死の姿。

 

 その全てを見切りながら、

 

 少年は留まる事無く、全速力で駆け抜ける。

 

 甲冑に身を包み駆けるその姿は、さながら蒼銀の疾風のようだ。

 

 たちまち林立する杭が、行く手を阻んできた。

 

 だが、

 

「ハァッ!!」

 

 手にした剣を、鋭く一閃する少年。

 

 それだけで、目の前に乱立する杭が斬り飛ばされる。

 

 開ける視界。

 

 その視線の先に、目指す怨敵の姿がある。

 

 漆黒の外套に身を包み、長い髪を揺らす男。

 

 こちらを見据える病的に白い相貌には、薄い笑みが浮かべられている。

 

 まるで、こちらが突破してくるのを、予め予想していたかのようだ。

 

「ッ!!」

 

 余裕を崩さぬ敵の姿に、舌打ちしながらも、更に駆ける少年。

 

 再び襲い来る杭の群れをかわしながら、少年は更に距離を詰めようとする。

 

 そしてついに、

 

 少年は剣の間合いに、男を捉える。

 

 袈裟懸けに振り下ろされる剣閃。

 

 男は立ち尽くし、少年が振り下ろす剣を眺めている。

 

 間違いなく、必中、必殺の間合い。

 

「貰った!!」

 

 振り下ろされる剣。

 

 その一撃は、

 

 男を捉える事無く「すり抜けた」。

 

「なッ!?」

 

 驚愕する少年。

 

 対照的に、男はニヤリと笑みを浮かべる。

 

 不吉な笑み。

 

 とっさに、身を翻す少年。

 

 そこへ、地中からせり出した杭が殺到する。

 

 後退する少年を追って乱立する杭の群れ。

 

 苦心して詰めた間合いは、瞬く間に引き離されてしまった。

 

 距離を置いたところで、少年は再び剣を構えなおし、男と対峙する。

 

 そんな少年に対し、男は余裕の態度を崩さないまま腰に手を当てる。

 

「まだ、続ける気かね?」

「当然です」

 

 緊張をはらんだ表情で答える少年。

 

 互いの実力が隔絶している事は、少年にも判っている。

 

 このままでは勝てない事も。

 

 しかし、ここで退く気は無い。

 

 自分は託されたのだ。

 

 友から、大切な物を。

 

 ならば、この命尽き果てるその瞬間まで、諦める訳にはいかない。

 

「僕の全てをもって!!」

 

 言い放つと同時に、手にした剣に魔力を込める。

 

 輝きを増す剣。

 

 対抗するように、男も杭を発生させる。

 

「今日、ここで、戦いを終わらせる!!」

 

 言い放つと同時に、少年は剣を振り下ろした。

 

 

 

 

 

 目を覚ます。

 

 ゆっくりと瞼を開きながら、徐々に意識が覚醒するのを感じていた。

 

「・・・・・・・・・・・・夢?」

 

 衛宮響(えみや ひびき)は、茫洋とした意識の中で呟く。

 

 妙な夢だった。

 

 自分は甲冑を纏った騎士の姿となり、圧倒的な力を持った敵と戦っていた。

 

 迫りくる敵の攻撃、それに握った剣の柄の感触。

 

 全てが、リアルだった。

 

 生々しい戦いの感触。

 

 それが、覚醒した今も、響の体には残っていた。

 

「・・・・・・何だったんだろ。変なの」

 

 響が首をかしげる。

 

 とは言え、しょせんは夢の話だ。深く考える事もないだろう。

 

 時計を見れば、もう起きる時間である。

 

 いい加減起きよう。

 

 そう思って響は、ベッドから起き上がろうとした。

 

 その時、

 

『ほビャァァァァァァァァァァァァァァァ!?』

 

 突如、衛宮邸に鳴り響く強烈かつ珍妙な悲鳴。

 

 響は思わずベッドの縁を踏み外し、床に思いっきり頭をぶつけるのだった。

 

 

 

 

 

 心地よい微睡が、少女を包み込んでいる。

 

 朝に感じる、至福の一時。

 

 ともすれば、ずっとこうしていたくなってくる。

 

 けど、もうすぐ起きなければならない。

 

 なぜならば・・・・・・・・・・・・

 

「イリヤ・・・・・・イリヤ、起きろよ。学校に遅刻するぞ」

 

 大好きなお兄ちゃんの声が聞こえてくる。同時に、肩を軽く揺らす感覚があった。

 

 ほらね。

 

 優しいお兄ちゃんは、いつもうこうして、自分を起こしてくれる。

 

 今日だってそうだ。

 

 さあ、起きようか。

 

 いや、待てよ。

 

 ここは少し、焦らすのも手だ。

 

 ちょっとしたいたずら心に、内心で微笑を浮かべる。

 

 せっかくだから、お兄ちゃんをちょっとだけ困らせてやろう

 

「おにいちゃん・・・・・・」

 

 そう言いながら、お兄ちゃんの首に腕を回す。

 

 案の定、困ったような声が聞こえてきた。

 

「おいおい、寝ぼけているのか?」

「えへへー」

 

 笑みを浮かべて、顔を近づける。

 

「おはようのちゅー・・・・・・してくれたら、起きてあげる」

 

 そして、唇が近づき、

 

 

 

 

 

 イリヤスフィール・フォン・アインツベルンの意識は、そこで覚醒した。

 

 いつも通りの朝の風景。

 

 そして目の前にいるのは、大好きな彼女の兄。

 

 ではなく、必死の形相で離れようとしている、親友の姿だった。

 

「イ、イリヤ・・・・・・いい加減、起きて」

 

 今にも泣きそうな目で、イリヤから離れようとしている美遊・エーデルフェルト。

 

 その首は、イリヤの両腕でガッチリとホールドされている。

 

 まさにファーストキス1秒前の状況。

 

 次の瞬間、

 

 

 

 

 

 

「ほビャァァァァァァァァァァァァ!?」

 

 

 

 

 

 

 で、先程の奇声に繋がる。

 

 完全覚醒を果たしたイリヤはベッドから転げ落ちた。

 

 遅ればせながら、自分がいかに恥ずかしい事をしようとしていたのか気づいたらしい。

 

「ご、ごごごごめんミユッ お兄ちゃんと間違え・・・・・・って、いや、そうじゃなくてッ!! これは夢でッ ドリームでッ!!」

「お、落ち着いてイリヤッ 大丈夫ッ まだ未遂だから!!」

 

 動揺しまくるイリヤを、必死になだめる美遊。

 

 次の瞬間、

 

 ボフッ

 

「ほぶ!?」

 

 突如、飛んできた枕を顔面に直撃され、珍妙な声を発するイリヤ。

 

 と、

 

「イリヤ、朝からうるさい」

 

 部屋の入り口から、不機嫌そうな声が聞こえてくる。

 

 振り返ると、イリヤの弟である衛宮響(えみや ひびき)が立っている。

 

 普段、茫洋として表情が薄い少年だが、今は心なしか目が細められている。と言うか、ちょっと涙目になり、おでこはどこかにぶつけたみたいに赤くなっていた。

 

 呆れているのか、怒っているのか、あるいはその両方か?

 

 とは言え、やられた方も黙ってはいなかった。

 

「い・・・・・・・・・・・・」

 

 起き上がるイリヤ。

 

 その手には、枕が握られている。

 

「ったいなーッ もう!! 何すんのよ、ヒビキ!!」

 

 言い放つと同時に、枕を投げるイリヤ。

 

 対して、響は投げられた枕をキャッチ。イリヤに向かって投げ返す。

 

 だが、イリヤも負けていない。響が投げた枕を難なくキャッチして投げ返す。

 

「このッ いい加減にしてよ!!」

「そっち、こそ!!」

 

 朝っぱらから始まる姉弟喧嘩。

 

 その様子を、傍らの美遊はオロオロとして見つめる。

 

「イ、イリヤ、響も、落ち着いて」

 

 そんな美遊の声も聞こえないほどに、白熱する響とイリヤ。

 

 何にしても、朝っぱらから元気の良い事だった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「行ってきまーす!!」

 

 元気に挨拶をして、響、イリヤ、美遊の3人は家を飛び出した。

 

 その足取りは、やや急ぎ気味であり、朝の爽やかな空気の中、小学生3人は風を切って走っていく。

 

「まったくもうッ」

 

 走りながら、イリヤは不満をぶちまける。

 

 その対象は、彼女の斜め後方を走っている弟に向けられていた。

 

「このままじゃ遅刻しちゃうよ。ヒビキのせいで」

「自業自得」

 

 姉の愚痴に対し、素っ気なく返す響。

 

 今日、イリヤと美遊は日直当番なのだ。イリヤはその事を忘れ眠りこけていたわけである。

 

 家の前で待っていた美遊は、仕方なく衛宮家に上がり込み、そして先ほどの騒動につながった、と言う事だったらしい。

 

 駆ける足は、自然と早くなる。

 

 因みに、3人の中で一番足が遅い響は、イリヤと美遊に着いていくだけでも精いっぱいである。

 

「イリヤ、このままじゃ間に合わない」

「うーん、そうだね・・・・・・」

 

 悩むイリヤ。

 

 流石に、漫才じみた掛け合いで遅刻したのでは笑い話にもならなかった。

 

「仕方がない。奥の手で行こう。ルビー!!」

《はいはーい。いっちょ行きますかー?》

 

 イリヤの呼びかけに答え、彼女の髪の中から五芒星形のステッキが姿を現す。

 

 それに合わせて、美遊も囁くように告げる。

 

「サファイア、こっちも」

《仕方がありません。人がいない今のうちに》

 

 美遊のランドセルから、こちらは六芒星型のステッキが飛び出してくる。

 

 マジカル・ルビーとサファイアの姉妹である。

 

 《宝石翁》キシュア・ゼルレッチ・シュバインオーグの手による最高クラスの魔術礼装であるこの2本のステッキは、その担い手に絶大な力を与える事ができる。

 

 ステッキを手に取る、イリヤと美遊。

 

 同時に、ルビーとサファイアは詠唱を始める。

 

《コンパクトフルオープン!!》

《鏡界回廊最大展開!!》

 

 光り輝く、魔法陣が展開される。

 

Die Spiegelform wird fertig zum(鏡像転送準備完了)!!》

Offnunug des Kaleidskopsgatter(万華鏡回廊解放)!!》

 

 2人の姿に、変化が生じる。

 

 イリヤはピンクと白を基調にした、フリフリとした可愛らしいドレス風の衣装に、

 

 美遊はレオタードのようなピッタリとした衣装の上から、白いマントを羽織った姿に、

 

 それぞれ変化する。

 

 イリヤが鳥、美遊が蝶を連想させる姿である。

 

 これこそが、マジカルステッキの担い手が持つ最大の特徴。

 

 イリヤと美遊はそれぞれ、ルビーとサファイアを介する事によって魔法少女(カレイド・ライナー)に変身する事ができるのだ。

 

 空中へ跳び上がる、イリヤと美遊。

 

 当然だが、飛ぶ事ができない響は置いてけぼりとなる。

 

「それじゃあねヒビキ、わたし達、先に行くから!!」

 

 そう言うと、2人は学校に向かって飛び去って行く。

 

 後には、歩いていくしかない響だけが取り残された。

 

「・・・・・・・・・・・・ずるい」

 

 ボソッと呟く響。

 

 そもそも、学校に行くのに魔法少女に変身するな、と言いたいところだが、2人そろって既に姿も見えない。

 

 嘆息すると、響は学校への道を歩き出す。

 

 まあ、飛べない身としては、地道に歩いていくしかないだろう。

 

 それにしても、

 

 響は歩きながら、ここ数か月の事を少し振り返ってみた。

 

 あの夜。

 

 イリヤがルビーと契約して、魔法少女になって以来、響もまた、大いなる戦いがもたらす、流れの中に巻き込まれていく事となった。

 

 英霊の力を宿したカードの回収。

 

 その過程で行われた戦い。

 

 楽な戦いなど、一度もなかった。

 

 あるのは常に、命のやり取りであり、あるいは何かが違えば、響も、そしてイリヤや美遊も、こうして平和な日常を謳歌する事は出来なかったかもしれない。

 

 その戦いの中で、イリヤや美遊には大きな変化が生じていた。

 

 当初、殆ど遊び半分の勢いで参加していたイリヤは、戦う事に対しる責任を自覚し、自らの守りたいものの為に戦うと言う、信念を抱くようになった。

 

 そして美遊は、

 

 最初のころ、彼女は常に1人だった。

 

 何をするにしても人の手を借りず、孤高であり続けた。

 

 そんな美遊も、今では響とイリヤの友達であり、気づけば3人で一緒に行動する仲になっていた。

 

 あの戦い、3人が力を合わせなければ、決して勝つ事はできなかったことだろう。

 

「・・・・・・・・・・・・そう言えば」

 

 独り言をつぶやき、響は自分の胸に手をやった。

 

 あの戦いで響は、何度か英霊の力を借りて敵と戦っている。

 

 英霊の力の象徴を一部具現化して行使する限定展開(インクルード)

 

 自分自身がに英霊の力を宿し、英霊化する夢幻召喚(インストール)

 

 いずれも、英霊の力を宿したクラスカードと言うアイテムがあって、初めて成立する神秘である。

 

 そのクラスカード7枚を集め終えて尚、響には意味不明な事が多い。

 

 まず、響はカード無しで限定展開(インクルード)夢幻召喚(インストール)を行うことができる。

 

 これは異常以外の何物でもない。

 

 魔術協会ですら解析が進んでいないカードの能力を、1歩どころか、殆ど3歩飛ばしで使っているようなものだ。

 

 更に、響が夢幻召喚(インストール)する英霊が何者であるか、と言う事も分かっていない。

 

 全てが謎のまま戦い。全てが謎のまま、戦いは終わってしまった。

 

 勝ったものの、響には何だかすっきりしない物が残されたのだった。

 

「・・・・・・・・・・・・」

 

 考えても仕方がないと、響は思考を切り替える。

 

 響自身の能力について、凛やルヴィアも調べてくれると言っていた。

 

 素人で小学生に過ぎない響が、下手にあれこれ考えるよりも、専門家に任せた方が得策だろう。

 

 そう思って、響は学校へと足を向けようとした。

 

 その時、

 

 

 

 

 

 ヒュンッ

 

 

 

 

 

 突如、耳にする風を斬る音。

 

 その音が聞こえた瞬間、

 

「ッ!?」

 

 響は、とっさの身を翻した。

 

 次の瞬間、

 

 最前まで響が立っていた場所に、細長い棒が突き刺さった。

 

「矢ッ!?」

 

 いったい何が!?

 

 と思う前に体が動いたのは、先に大きな戦いを経験した成果だろう。

 

 殆ど本能で危機を察した響は、その場から大きく飛びのく。

 

 そこへ飛来する、二の矢、三の矢。

 

 強烈な攻撃は、アスファルトの地面を難なく貫通して突き刺さる。

 

 そして、

 

 ついに1発が、響への命中コースを描いて飛来する。

 

「ッ!?」

 

 相手は、響の動きを先読みして、機先を制するように矢を放ったのだ。

 

 高速で迫る矢。

 

 回避するには、完全に時間が足りない。

 

 迫る死を前にして、

 

 響は、

 

 右手を胸に当てた。

 

 同時に、自らの内に存在する物へ呼びかける。

 

 蓋に着いた鍵を開けるように、ゆっくりと手を伸ばす。

 

 次の瞬間、

 

限定展開(インクルード)!!」

 

 叫び放つと同時に、響の右手のひらに光が収束する。

 

 その光が完全に収束するのを待たず、

 

 響は鋭く振り上げた。

 

 飛来した矢は、響に命中する直前に切り払われる。

 

 同時に光がほどけ、中から一振りの日本刀が姿を現した。

 

 これこそが限定展開(インクルード)

 

 英霊の力の一部を借り受け、行使する事が可能となる魔術である。

 

 一部とはいえ、かつて偉業を成した英雄の力を顕現させるわけだから、その恩恵は決して小さな物ではない。

 

 響が使う刀。

 

 これの持ち主が誰かは知らないが、これも例外ではない。

 

 飛来する矢を、次々と切り払う響。

 

 その視線が、彼方にいる敵の姿を捕らえる。

 

 距離にして、およそ200メートルくらい。

 

 背の高い雑居ビルの屋上に、その人物はいた。

 

 獣のような耳に、長いしっぽを持つ、異国風の出で立ちをした少女。

 

 手には大ぶりな弓を持っている。

 

 間違いない。狙撃手はあいつだ。

 

「逃がさな、い!!」

 

 言い放つと同時に、魔力で脚力を強化する響。

 

 同時に大きく跳躍し、手近な民家の屋根へと駆けあがる。

 

 更に飛来する矢は刀で弾き、屋根から屋根へと飛び移り、徐々に接近していく響。

 

 戦いを通じて成長したのは、何もイリヤや美遊だけではない。

 

 響もまた、戦いの中で己がどのようにして戦うべきかを学び取っていた。

 

 相手も、まさか響がこのような対抗手段を持っているとは、思いもよらなかったようだ。

 

 遠目にも、相手が怯むのを感じた響は、ここで仕掛ける事にする。

 

 甘くなった照準をすり抜けるようにして駆ける。

 

 目標となる屋上へ到達する響。

 

 跳び上がりながら刀を構える。

 

 その眼下では、

 

 狙撃手の少女が、弓を構えて待ち構えていた。

 

 放たれる矢。

 

 同時に、響も刀を振り下ろす。

 

 交錯する一瞬、

 

 響は屋上の床に足を着く。

 

 と、同時に、少し離れた場所に、少女も着地した。

 

 響が刀を振り下ろす直前、少女もまた後退して、響の攻撃を回避していたのだ。

 

 とは言え、

 

「・・・・・・・・・・・・誰?」

 

 響は油断なく刀の切っ先を向けながら、少女に尋ねる。

 

 遠目で確認した通り、少女の出で立ちは普通ではない。

 

 歳の頃は、響とそう変わらないように見える。

 

 恰好は、異国の民族衣装風の衣を着て、手には大きな弓を携えている。

 

 それだけなら、単なるコスプレで片付ける事も出来るのだが、頭には獣の耳があり、お尻からは長いしっぽが伸びていた。

 

 明らかに、恰好が普通ではない。

 

 しかも、あの狙撃の能力。

 

 相手が尋常な人間ではない事は、火を見るよりも明らかだった。

 

 目の前の少女が誰で、いったい何が目的なのか?

 

 対して、

 

「・・・・・・・・・・・・」

 

 少女は無言のまま、弓に矢を番えて響へと向ける。

 

 対峙する両者。

 

 その中で、響は次の一手を模索する。

 

 相手の武器は弓。距離を置いている状態では、刀を持つ響の不利は否めない。

 

 だが、夢幻召喚(インストール)していないとは言え、この距離なら魔力で脚力を底上げすれば、詰めるのは一瞬で済む。

 

 条件は、ほぼ互角と言って良い。

 

 仕掛けるか?

 

 そう思った。

 

 次の瞬間、

 

 少女は突如、左手に持った何かを床へと投げる。

 

「ッ!?」

 

 響が息を呑んだ次の瞬間、

 

 床に転がったボールから煙が猛烈に噴き出す。

 

 どうやら、煙幕の類だったようだ。

 

 この煙に紛れて攻撃を仕掛けてくるつもりか?

 

 そう考えて、警戒する響。

 

 しかし、いつまでたっても、煙幕の陰から矢が放たれる事は無い。

 

 そうしている内に、徐々に視界が晴れていくのが判る。

 

 響が見つめる視界の先では、

 

「・・・・・・・・・・・・いない」

 

 既に、そこには誰もいなかった。

 

 どうやら少女は、この場で響を仕留める事は敵わないと感じ、素早く撤退したようだ。

 

 響も接続解除(アンインクルード)して刀をしまう。敵が退いた以上、こちらも戦闘状態を維持する理由は無い。

 

 とは言え、

 

「・・・・・・・・・・・・いったい、誰?」

 

 既に姿が見えなくなった敵に、響は語り掛ける。

 

 敵はいったい誰なのか?

 

 そしてなぜ、自分を狙うのか?

 

 全てが、判らない。

 

 ただ一つ、確実に言える事。

 

 それは、少なくとも自分に敵意を持った何者かが、存在していると言う事だった。

 

 いったい、誰が?

 

 先程の言葉を、もう一度心の中で反芻する響。

 

 しかし、考えたとしても、答えが出るものではない。

 

 結局、その後、謎の敵がそれ以上襲撃を掛けて来る事は無かった。

 

 

 

 

 

 一方、

 

 響を振り切って離脱した少女は、ビルの影までくると、呼吸を整えてスッと目を閉じる。

 

「・・・・・・接続解除(アンインストール)

 

 短い言葉と共に、光に包まれる少女の姿。

 

 ややあって、光の中から現れた少女は、それまでの獣耳と尻尾をはやした姿ではなく、どこにでもいそうな、小学生くらいの恰好に変じていた。

 

 と、

 

「首尾はどうだ、ルリア?」

 

 声を掛けられ、ルリアと呼ばれた少女は振り返る。

 

 そこに立つのは、夏にも拘らず漆黒のライダージャケットに身を包んだ少年。

 

 こちらは10代後半ほどで、ルリアよりもやや大人びた印象がある。

 

優離(ゆうり)・・・・・・・・・・・・」

 

 その姿を見て、少女は明らかに不機嫌そうな顔をする。

 

 どうにも、見られたらまずい相手に見られてしまった、と言った風情である。

 

「尾けてたの?」

「人聞きの悪い事を言うな。お前の護衛は当主殿から言いつかった事だ」

 

 素っ気ない優離の言葉に、ルリアは嘆息するしかない。

 

 そのまま、少女は踵を返した。

 

「おい」

「見ていたなら、わざわざ報告する必要なんてないでしょ」

 

 それだけ言うと、さっさと歩き始めるルリア。

 

 それを追って、優離も不承不承とばかりに着いて行くのだった。

 

 

 

 

 

第1話「真昼の襲撃者」      終わり

 



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第2話「イリヤ×イリヤ」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「海行こうぜ海!! う~~~~~~み~~~~~~!!」

 

 今日も元気だ龍子がうざい。

 

 いつもの如く、クラス内において人一倍・・・・・・否、人五倍元気な嶽間沢龍子(がくまざわ たつこ)の暴走っぷりを、響は茫洋とした目で見つめている。

 

 取りあえず、教室に浮き輪を持ってきてはいけない。

 

「何やってるの、龍子?」

「夏休みの予定だよ。まだ6月だってのにテンション上げちゃって」

 

 やれやれとばかりに肩を竦める栗原雀花(くりはら すずか)

 

 確かに、梅雨は過ぎて気温も上がり、季節は「初夏」と称して良いくらいには過ごしやすくなってきている。

 

 しかしだからと言って、今から1か月以上先の予定に気をやるなど、フライングゲットも良いところだろう。

 

「海? ・・・・・・海に行って何をするの?」

 

 そんな一同のやり取りを見ていた美遊が、キョトンとした調子で口を開いた。

 

 その様子に、響は首をかしげる。

 

 普通、夏に海に行けば、目的は海水浴と相場は決まっている。

 

 だが、美遊の口ぶりは、その常識を知らないかのようだった。

 

「美遊、海には・・・・・・・・・・・・」

「何って、泳ぐに決まってんだろッ あ、女子は全員、スク水禁止なッ!! 各自、最高にエロい水着持参で!!」

 

 響を押しのけるようにして、テンションが暴走を始める龍子。

 

 次の瞬間、

 

「落ち着け」

 ゴッ

「おぐほッ!?」

 

 森山那奈亀(もりやま ななき)にボディブローを食らい、床に撃沈する龍子。

 

 これで少し、静かになった。

 

「美遊、もしかして、海行った事無いの?」

「・・・・・・・・・・・・」

 

 尋ねるイリヤに、難しい顔で頷きを返す美遊。

 

 どうやら、響の予感は正しかったようだ。

 

 それにしても、海にも行った事が無いとは。

 

 転校してきた頃からそうだったが、美遊はどこか浮世離れしていると言うか、世間知らずなところがあるように思えた。

 

 と、

 

「じゃあ、一緒に行こうよ、美遊さん!!」

「え!?」

「あんたの事だから、泳ぎも速いんだろ!! 折角海が近いんだし、行かなきゃ損だよ!!」

「えェ!?」

 

 ここぞとばかりに、美遊に詰め寄る桂美々(かつら みみ)と雀花。

 

 普段、イリヤ、響姉弟以外とはあまり関わろうとしない美遊が、珍しく話に乗ってきたことで、ここぞとばかりに畳みかけているようだ。

 

 案の定、美遊は少し戸惑ったように、視線をこちらに投げてきた。

 

「イ、イリヤと響が行くなら・・・・・・・・・・・・」

 

 結局、そこらしい。

 

 美遊は、友達はイリヤと響、2人だけに限定指定してしまっている。

 

 どうも、美遊の中では「友達」と言う定義を深く捉えすぎている感があるようだった。

 

 とは言え、美遊がそういう返事をする事は、響やイリヤはもちろん、雀花達も承知している事である。

 

 要は、美遊が参加してくれれば、それで良いのである。

 

「うん、一緒に行こう」

「美遊が来れば、楽しい」

 

 そう言って、美遊を誘うイリヤと響。

 

 新しい友達と過ごす、これまでとは違う夏。

 

 それはきっと、楽しい物になるだろう。

 

 期待に胸が膨らむのが分かる。

 

 しかし、

 

 そんな楽しさを他所に、響の中では、不安の影が確実に大きくなろうとしていた。

 

 今朝、響を襲った敵。

 

 その不気味な存在に対して、響は無視しえなかった。

 

 響は脳裏に、今朝交戦した少女の事を思い出す。

 

 獣耳に尻尾を生やした、弓を操る少女。

 

 明らかに尋常じゃない存在に対し響は、

 

「・・・・・・取りあえず、モフモフしてみたい」

 

 興味が尽きなかった。

 

 あの耳はどうなってるのか? あの尻尾は本物なのか?

 

 ぶっちゃけ、触ってみたい。

 

 想像するだけで、ワクワクしてきた。

 

 あの少女は、いったい誰だったのか?

 

 なぜ、自分を襲ったのか?

 

 そう言った事が気にならない訳ではない。

 

 無いのだが、

 

 響の中では、割と優先順位が低いのだった。

 

 

 

 

 

「ヘクチュッ」

 

 可愛らしいくしゃみと共に、ルリアは口元を押さえた。

 

「風邪かい、ルリア?」

「いえ、そんなはずはありません」

 

 首をかしげながら、ルリアは答える。

 

 ここは彼女たちが拠点としている、冬木市の新都にある高級ホテル。

 

 冬木ハイアットと言う名前のこのホテルの、最上階スイートを貸し切り、拠点としているのだ。

 

 当初、拠点はもっと目立たない場所に設ける予定だったのだが、「なるべく豪華な方がいい」と言うリーダーの方針により、この場に拠点が設けられていた。

 

 もっとも、今やこのホテルの最上階は徹底的な魔術的改良が施されている。その為、何人も許可なく侵入する事は許されない「城塞」と化していた。

 

「さて、ルリア」

 

 手にしたカップをソーサーに置きながら訪ねたのは、リーダーである背広を着た男だった。

 

 自らをゼストと名乗るこの男は、一見すると、どこにでもいそうなサラリーマン風の出で立ちだが、その全身から放たれる存在感は、一種異様な雰囲気を作り出し、この場の空気を支配していた。

 

「どうだった、暗殺者(アサシン)の少年は?」

 

 言われてルリアは、先ごろ、自ら襲撃した少年の事を思い出した。

 

 ルリアと同年代くらいの少年。

 

 どこか茫洋として浮世離れした雰囲気をした少年は、しかし、そうした様子とは裏腹に、ルリアの奇襲を直前で察知して、反撃までしてきたのだ。

 

 侮れない。

 

 それが、ルリアの偽らざる感想だった。

 

「大丈夫です。次は仕留めますから」

「頼もしい言葉だ。さすがはルリアだ」

 

 そう言うと、ゼストは手を伸ばし、ルリアの頭を優しく撫でてやる。

 

 その様子に、くすぐったそうに目を細めるルリア。

 

 対してゼストは、諭すように少女に言う。

 

「我々の悲願。その達成が、もう手の届くところまで来ている。どうかそれまで、力を貸してくれ」

 

 そう告げたゼストの瞳は、どこか違う場所を真っすぐに見据えているかのようだった。

 

 

 

 

 

 その日、遠坂凛(とおさか りん)に国際電話をかけてきた相手は、ある意味、かなり因縁ある相手であると言えた。

 

 何しろ、彼女がロンドンから、故郷である日本にとんぼ返りするきっかけを作った人物でもあるのだから。

 

「地脈の正常化、ですか?」

《そうじゃ》

 

 訝りながら訪ねる凛に対し、電話の向こう側にいる人物は、厳かに頷きを返す。

 

 キシュア・ゼルレッチ・シュバインオーグ。

 

 「宝石翁」「魔導元帥」「カレイドスコープ」等々、数々の異名で呼ばれる、現代最高峰の「魔法使い」。

 

 今を遡る事数か月前、魔術師の本場、時計塔において主席候補と言われた凛とルヴィアゼリッタ・エーデルフェルトは、彼の弟子にどちらがなるかで争い、その結果、時計塔の講堂を爆破。

 

 そのペナルティとして、日本に行き、そこで起こっている異変の調査と解決を申し渡されたのだ。

 

 その任務は、紆余曲折を経てどうにか解決したものの、当のシュバインオーグ本人から「協調性の無さ」を指摘され、結果、1年間の日本留学を命じされれたのだ。

 

 要するに、喧嘩で講堂を爆破するようなぶっ飛んだ性格を、1年掛けて直してこい、と言う訳である。

 

 そのシュバインオーグからわざわざ電話が掛かってきたと言う事は、何かしら無視できない事態が起こっていると言う事だ。

 

《地脈を乱して負った原因のカードはお前たちによって回収されたが、あれから2週間余り。未だに回復には至っておらんじゃろう?》

 

 この冬木市の地脈が乱れたのは、クラスカードと呼ばれる7枚のカードが引き起こした魔術的要因が原因だった。

 

 故に、カードを撤去すれば、地脈も回復すると考えられていたのだが、どうやら思惑通り、とは行かなかったようだ。

 

「虚数域への穿孔は閉じたので、自然回復するはずですが・・・・・・」

 

 訝るように言う凛。

 

 本来なら、とっくに現象は回復していなければおかしいのだ。

 

《そうならんと言う事は狭窄しているか栓ができたか、あるいはその両方じゃ。それを解消するには、龍穴からこう圧縮魔力を注入し、地脈を拡張するしかあるまい》

「ちょ、ちょっと待ってください!! そんなの、数十人規模で編成する大儀式じゃないですか!! 二人でどうしろって言うんです!?」

 

 いかに魔術師と言えど、できる事とできない事がある。

 

 師の命令は、凛達にとって無茶ぶりも良いところだった。

 

 しかし、

 

《何を寝ぼけておる。お前たちにはステッキを貸しておるじゃろう》

 

 その言葉に、

 

 凛とルヴィアは同時に「ギクッ」っとなった。

 

 そのステッキとはすなわち、ルビーとサファイアなわけだが、言うまでもなく、あの2本には早々に反逆された挙句、今はイリヤと美遊の手にある。

 

《あれにはろくでもない精霊がついておるが、無限の魔力供給が可能な特殊魔術礼装じゃ。とにかく、それで魔力を地脈にぶち込めばよい》

 

 なんでもない事のように言うシュバインオーグ。

 

 まあ、確かに、ルビーとサファイアがいれば簡単な事は簡単なのだが・・・・・・

 

《念を押しておくが・・・・・・・・・・・・》

 

 シュバインオーグは、声に力を込めて言った。

 

《ステッキは使い方を誤れば極めて危険な兵器と化す。厳重に管理し、誰の目にも触れさせぬのが好ましい。一般人を巻き込むなど、言語道断じゃぞ》

 

 既に、現在進行形で響、イリヤ、美遊(いっぱんじん3にん)を巻き込んでいる凛とルヴィアは、ダラダラと滝汗を流す。

 

 このジジィ、まさか知っているんじゃあるまいな?

 

 そんな風に勘ぐってしまう。

 

「な、なーに行ってんですか大師父―!! あああ当り前じゃないですか!! 判ってますよー!! どーんとお任せください!!」

 

 そう言うと、凛は電話口に向かって乾いた笑いを叩き付けるのだった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 結局、その日はそれ以上、何かが起こると言う事は無かった。

 

 学校を終えた響達は、そろって家路へと歩いていく。

 

 いったい、朝の敵は何者だったのか?

 

 話に花を咲かせるイリヤ達の様子を見ながら、響はそんな事を考えていた。

 

 ぼうっとしているように見えるが、一応、周囲に警戒を向けている。

 

 今、敵が襲ってきたら混乱は避けられないだろう。

 

 美遊やイリヤはともかく、ここには雀花、那奈亀、龍子、美々もいる。

 

 一般人である彼女たちが戦いに巻き込まれでもしたら目も当てられなかった。

 

「そうそう、朝に話した海に行く話だけど」

 

 イリヤが、美遊に向き直りながら言った。

 

「ミユって、水着持ってる?」

「学園指定のなら・・・・・・」

 

 予想通りの返事が返ってくる。

 

 スクール水着と言うのも、あれはあれで、そっち方面の性癖を持つ人々にはたいそう高い需要を誇ってはいるのだが、この際、求められるのは「鉄板」よりも「意外性」だろう。

 

 海に行く以上、普段見られないような姿を見てみたいものである。

 

 と、

 

「何だ、響、さっきからイリヤと美遊ばっかり見て」

 

 雀花が何やら、ニヤニヤしながら響の肩に腕を回してきた。

 

「もしかして、2人の水着姿を想像して興奮してたか?」

「いかんぞ。龍子じゃあるまいし、先走るなよ」

 

 便乗して、那奈亀も悪乗りしてくる。

 

 そんな友人2人に対し、そっぽを向く響。

 

「別に・・・・・・そんなんじゃない」

 

 と、答えては見たものの、

 

 2人の水着姿を見てみたいか、と問われれば、それはもちろん「YES」だった。

 

 響だって男の子である。

 

 それも、あと2年もすれば中学生と言う、微妙な世代でもある。

 

 異性と言う存在に対し、躊躇いがちな興味は、少年の心の中で燻りを見せていた。

 

 イリヤは我が姉ながら、身内贔屓を差し引いても可愛いと思う。彼女の水着姿は毎年見ているが、今年はどんな水着にするのか楽しみでもある。

 

 一方で美遊と海に行くのは、もちろん今回が初めてである。彼女がどんな水着を選ぶのか、それはそれで楽しみだった。

 

 とは言え、それを悟られれば、からかいの集中砲火を浴びる事は間違いない。

 

 その為、響はわずかに顔を俯かせて隠すにとどめるのだった。

 

「あとで水着見に、町に寄ってみようよ。今日買わなくても、どんなのがあるか見てみたいし。ミユならきっと、格好いいのが見つかると思うよ」

「う、うん」

 

 イリヤの提案に、美遊は戸惑いながら頷きを返すのが見える。

 

 流石に、それに響がついていくことはできないだろう。

 

 まあ、それは良い。2人の水着姿を見る楽しみは、海に行ったときに取っておくとしよう。それまでの我慢だ。

 

 響がそう思った時だった。

 

 突如、1台の自動車が、目の前で急停車した。

 

 風圧で、先頭を歩ていたイリヤと美遊のスカートが盛大に捲れ上がる。

 

 イリヤがピンクで、美遊が青と白のストライプ。

 

 後ろを歩いていた響の視界に、2人のパンツがばっちりと映り込んだ。

 

 それにしても、

 

 長い。

 

 目の前にとまったのは、たまに政府要人などが乗っている、車体の長いリムジンである。

 

 次の瞬間、開いたドアから伸びてきた手が、イリヤと美遊、そして響の襟首を掴み、車の中へと引きずり込んだ。

 

 そのまま急発進するリムジン。

 

 その間、僅か数秒。

 

 余りの早業に、残された雀花、那奈亀、龍子、美々の4人は、愕然とする暇すらなかった。

 

 たっぷり1分近く茫然とした後、

 

「・・・・・・・・・・・・ゆ」

 

 恐る恐る、と言った感じに龍子が口を開いた。

 

「誘拐だァァァァァァッ!!」

「お、おまわりさーん!!」

 

 絶叫する龍子。

 

 美々は大混乱して、持っていた防犯用の警笛を吹きならす。

 

 対して、雀花と那奈亀は、まだ冷静な方だった。と言うより、先に龍子と美々が大騒ぎしてくれたおかげで、却って冷静になってしまった、と言ったところだろうか。

 

「落ち着けって、2人とも」

「そうそう、それにあのリムジン、確か美遊んちの車だぞ」

 

 そう言って、那奈亀はリムジンが走り去った方角に目をやる。

 

 車は既に走り去り、影も形も見えなくなっていた。

 

 

 

 

 

 一方、

 

 車の中へと放り込まれた響、イリヤ、美遊の3人は、折り重なる格好で床に転がっている。

 

 あまりにも急すぎた為、3人とも受け身を取る事が間に合わなかったのだ。

 

 だが、

 

「あ・・・・・・・・・・・・」

 

 顔を上げた響が、目の前に座る人物を見て声を上げた。

 

「凛・・・・・・ルヴィア・・・・・・」

 

 先の戦いで共闘した年長の魔術師2人が、真剣な眼差しでこちらを見ていた。

 

 どうやら、この車はルヴィアの車であるらしい。

 

「どうか、したんですか?」

「いきなりこんな事するなんて、ていうか、この車すごくない!?」

 

 ようやく事態を把握した美遊とイリヤも、立ち上がって顔を上げる。

 

 イリヤが驚いた通り、車の内部にも贅が尽くされていた。

 

 見た目通り内装も広く、ちょっとした「お茶会」程度なら、移動中でもできそうなほどである。と言うより、壁に洋酒のボトルが置かれているところを見ると、本当に、そういう歓談の場にも用いている事がうかがえた。

 

 まず、一般人では、お目にかかる事ができない代物であることは確かである。

 

「3人とも、急で悪いんだけど、任務(しごと)よ」

 

 そう言うと、凛は今回の仕事について説明した。

 

 基本的には、シュバインオーグと電話で話した通りである。

 

 冬木市の地脈が正常化しないので、高圧縮の魔力を流して、無理やり通してしまおう、と言う訳だ。

 

 イメージ的には、詰まった水道管に高圧水流を流すような物だった。

 

「成程・・・・・・・・・・・・」

「判ったような・・・・・・判らないような・・・・・・」

 

 揃って首をかしげる、イリヤ、響の姉弟。

 

「まあ、後は着いたら説明するわ」

 

 凛がそう言っている内にも、車は目的地目指して走っていくのだった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 目的地に到着すると、イリヤと美遊はすぐに魔法少女(カレイドライナー)に変身した。

 

 ここは冬木市のはずれにある、円蔵山と呼ばれる山の中腹。

 

 ここに、冬木市を支える龍脈の中心があるのだとか。

 

 この円蔵山には柳洞寺と呼ばれるお寺があり、そこでは50名からなる修行僧が、日々の鍛錬に明け暮れていた。

 

 その円蔵山の森の中へと、一同は踏み入れていった。

 

「うーん、それにしても・・・・・・」

「イリヤ、どうしたの?」

「お腹痛い?」

 

 嘆息交じりの声を上げるイリヤに、美遊と響は怪訝な面持ちで声を掛ける。

 

 対して、イリヤは苦笑気味に答える。

 

「いや、そうじゃなくて、何だか戦いが終わっても、わたしと凛さんとルビーの権力関係は変わってないなって思って」

 

 それを聞いて、響は成程、と思う。

 

 すなわち、イリヤが魔法少女としてルビーを振るい、ルビーが凛をからかって弄り倒し、その凛がイリヤを使役する。

 

 見事なまでの三すくみが成立していた。

 

《イリヤさんも、凛さんの言う事なんて聞く必要ないんですよー》

ルビー(あんた)が私の言うこと聞けば、全部解決するんでしょうが!!」

 

 そもそもの元凶たるルビーに、ウガーッとがなる凛。

 

 どうやらイリヤの言う通り、この3人の関係は当分、変わりそうもなかった。

 

 まあ、騒動の元凶は確かにルビーだが、その騒動を持ち込んだのは凛とルヴィアである。

 

 こんな2人だが、いざと言う時には先輩魔術師として、子供たちの頼りになってくれる。

 

 何だかんだで、頼もしい存在なのだ。

 

 次の瞬間、

 

 ズボッ

 

 随分と間抜けな音と共に、前を歩いていた凛とルヴィアの身長が、急激に降下した。

 

 より正確に言えば、2人の体は、半ばまで地面に埋まってしまっていたのだ。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「「そ、底なし沼だァァァァァァ!?」」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 あがく2人。

 

 しかし、そうしている内にもどんどん沈んでいく。

 

「何でこんな所に致死性トラップがー!? 沈むッ 沈むゥゥゥゥゥゥ!!」

「だ、大丈夫ですかルヴィアさん!?」

「あだだだだだだ!? 何で髪を引っ張るんですの、美遊ー!?」

 

 盛大な(命がけの)コントを、重要な任務前に行う一同。

 

 それを見ながら、小学生3人は同時に思った。

 

 この2人、やっぱダメかも・・・・・・

 

 

 

 

 

 開始早々の間抜けなやり取りを経て、一同はどうにか目的の場所へとたどり着いていた。

 

 中腹に開いた洞穴から中に入ると、そこはかなり広大な空洞と化していた。

 

 どうやら、儀式はここで行うようだ。

 

 とは言え、

 

「道中、危うく死に掛けたわね」

《開始早々、最高におマヌケなデッドエンドになる所でしたねー》

 

 ボロボロになった凛に対し、ルビーが笑みを交えてからかっている。

 

 一方、

 

「うう・・・・・・わたくしの美しい縦ロールが、ゆるふわカールに・・・・・・」

《愛され系ですね》

「すみません・・・・・・」

 

 すっかりほつれた髪を見て嘆いているルヴィアに対し、サファイアは素っ気ない感じで返す一方、元凶を作ってしまった美遊は恐縮した体で謝っていた。

 

「・・・・・・・・・・・・緊張感、無いね」

 

 そんな一同のやり取りを、響はジト目で眺めていた。

 

 とても、これから重要な任務に入るとは思えない様子だった。

 

 だが、おふざけもここまでだった。

 

「やれやれ。ちゃっちゃと終わらせるわよ」

 

 そう言うと凛は、持ってきたバックから、今回の儀式に必要な魔術道具を取り出す。

 

 それは、形容するなら、1本の枯れ木だった。どうやら、これが今回のキーアイテムらしい。

 

 凛はその枯れ木を、勢いを付けて龍脈の起点となる場所へ投げつける。

 

 すると、同時に枯れ木は周囲に枝を張り巡らせ、根元に魔法陣を形成した。

 

 これで、準備は完了である。

 

 地礼針(じらいしん)と呼ばれる魔術道具は、外部から注入された魔術を、直接地脈に流し込むことができる。

 

 この特性を利用して、地脈を正常化させるのだ。

 

「じゃあ、イリヤ、美遊、頼んだわよ」

「は、はい」

「判りました」

 

 頷くと、2人の魔法少女は前に出て、それぞれのステッキを掲げる。

 

 因みに、響は特にする事が無いので、後ろに下がって状況を見守っていた。

 

「魔力注入開始。最大出力よ」

 

 凛の言葉に従い、イリヤと美遊は魔力を注入していく。

 

 徐々に高まっていく充填率。

 

 地脈がどこで詰まっているのかわからない為、ともかくありったけの魔力が、地礼針に注ぎ込まれていく。

 

「充填率・・・・・・60パーセント・・・・・・75・・・・・・90・・・・・・100・・・・・・110・・・・・・115・・・・・・・・・・・・」

 

 そして、

 

「120!!」

 

 次の瞬間、

 

Offnen(解放)!!」

 

 次の瞬間、閃光がひと際大きく迸る。

 

 同時に、充填された魔力により、地鳴りが響き渡った。

 

 やがて、それらも収束し、周囲には静寂が戻ってくる。

 

「・・・・・・・・・・・・これで終わり?」

「一応はね」

 

 何だか拍子抜けした感じの事態に、イリヤはキョトンとした調子で尋ねてくる。

 

 とは言え、これ以上、劇的な事が起こる事は無く、事態は完全に鎮静化していた。

 

「効果のほどは改めて観測しなきゃいけないけど、それはまた今度ね」

「はいはい、作業は完了。早く帰りますわよ。こんな地の底、長居するところでは・・・・・・」

 

 そう言いながら、凛とルヴィアが撤収準備を始めようとした時だった。

 

 突如、

 

 振動と共に、地鳴りが地下大空洞全体に鳴り響き始めた。

 

 地鳴りは徐々に拡大し、規模が大きくなっていく。

 

「ちょっと待って、これは!?」

 

 凛が言った瞬間、

 

 地礼針を中心に、地面に亀裂が走った。

 

「キャァ!?」

 

 思わず飛びのくイリヤ。

 

 地割れは更に大きくなり、注ぎ込んだ魔力が奔流となって噴き出す。

 

「ノックバック!? 嘘・・・・・・出力は十分だったはずよ!!」

「まずいッ 来ますわ!!」

 

 凛とルヴィアが叫んだ瞬間、

 

 魔力が完全に逆流し、大空洞全体に溢れ出す。

 

 凛達の計算は完璧だった。

 

 想定では、イリヤと美遊が注ぎ込んだ魔力で、地脈は正常化するはずだった。

 

 しかし今、想定外の事が起こっていた。

 

 逆流した魔力は、大空洞全体に破壊をもたらし、壁や天井を崩していく。

 

 破壊され、瓦礫が降り注いでくる。

 

「ッ!?」

 

 その様子を見て、響はとっさに胸に手を当てた。

 

 事態は一刻を争う。

 

 この状況を打破するには限定展開(インクルード)では間に合わない。もっと強力な物でないと。

 

 胸に手を当てる響。

 

夢幻召(インスト)・・・・・・・・・・・・」

 

 だが、響に先んじる形で動く人物がいた。

 

 イリヤだ。

 

 この時、イリヤは明確な思考があって動いていたわけではない。

 

 状況は絶体絶命。このままでは全員が生き埋めにされてしまう。

 

 ならば、どうすべきか?

 

 そのやり方を、イリヤは知っている。

 

 否、

 

 誰に教えられたわけでもなく、頭の中に流れ込んで来た。

 

 手を伸ばすイリヤ。

 

 その先にあるのは、凛の制服のポケット。

 

 その中にあるカードの1枚を思い描いて手を触れる。

 

 次の瞬間、

 

夢幻召喚(インストール)!!」

 

 閃光が巻き起こり、イリヤの体を包み込む。

 

 同時に、少女の姿は大きく変わっていく。

 

 フリフリの魔法少女衣装から、赤い外套を纏った兵士の姿へ。

 

 イリヤが夢幻召喚(インストール)したのは、弓兵(アーチャー)のクラスカード。

 

 限定展開(インクルード)したときには大ぶりな弓が出ただけで役立たずの感があったカードだが、その真の姿が姿を現す。

 

 黒のインナーと短パンの上から赤い外套を纏ったイリヤ。髪も、いつの間にか後頭部でまとめられている。

 

 これが、弓兵(アーチャー)の真の姿。

 

 いったいいかなる英霊なのかは分からない。しかし、いずれにしても強力な存在であることは間違いなかった。

 

 手を大きく、頭上に掲げるイリヤ。

 

熾天覆う七つの円環(ロー・アイアス)!!」

 

 次の瞬間、

 

 頭上に7枚の、薄紅色した花弁が浮かぶ。

 

 同時に、降り注ぐ瓦礫が、花弁によって防がれていくのが分かった。

 

「何これ、盾?」

 

 ギリシャ神話におけるトロイア戦争において、トロイア軍の大英雄ヘクトールの放った一撃を防ぎ切ったと言われる最高クラスの防具である。

 

 弓兵がなぜ、そのような盾を使う事ができるのか? アイアスに由来する英霊なのか?

 

 それらは判らない。

 

 しかし少なくとも、落ちてくる瓦礫を防ぎとめる程度の効果は十分にあったようだ。

 

 だが、

 

「・・・・・・・・・・・・あれ?」

 

 瓦礫を防ぎ留めながら、イリヤは奇妙な感覚に襲われていた。

 

 視界が、ぶれる。

 

 いや、視界だけではない。

 

 体の感覚も何だか二重に感じるようになり、聴覚にも妙なエコーを感じる。

 

 いったい、これは何なのか?

 

 そう思った次の瞬間、

 

 視界の光があふれた。

 

 

 

 

 

 いったい、何がどうなったのか?

 

 恐る恐る、目を開ける一同。

 

 全ての瓦礫が止まった時、大空洞の中は静寂に包まれていた。

 

「みんな、無事?」

 

 呼びかける凛に、

 

「な、何とか・・・・・・・・・・・・」

 

 響は手を上げて答える。

 

 取りあえず、怪我はしていなかった。

 

 と、その傍らでは別の声が上がる。

 

「美遊、無事ですの?」

「はい、大丈夫で・・・・・・ッ!?」

 

 ルヴィアの呼びかけに対し、答えようとした美遊が絶句する。

 

 なぜなら、問いかけるルヴィアの頭に巨大な瓦礫が突き刺さっていたからである。

 

「やっぱりだめそうです、ルヴィアさんが!!」

 

 そんなやり取りの中、凛は残る1人を探し求めた。

 

「イリヤッ イリヤ、どこ!?」

 

 問いかける凛。

 

 程なく、小さな声が返って来た。

 

「う~ ここだよ~」

 

 その声に、一同は胸をなでおろす。

 

 取りあえず、全員が無事らしかった。

 

「イリヤ」

 

 姉に駆け寄り、助け起こそうとする響。

 

 だが、

 

「・・・・・・・・・・・・え?」

 

 思わず、絶句して動きを止めた響。

 

 そんな弟の様子に、イリヤは訝るような視線を向ける。

 

「どうしたの、ヒビキ?」

 

 キョトンとするイリヤに対し、

 

 響は指さして見せた。

 

 たどる、その視線の先。

 

 そこには、「もう1人のイリヤ」が存在していた。

 

「「・・・・・・・・・・・・へ?」」

 

 ハモる、2人のイリヤ。

 

 片方は、魔法少女風のフリフリ衣装のイリヤ。こちらはいつも通りの姿である。

 

 対してもう1人の「イリヤ」は、先ほど弓兵(アーチャー)夢幻召喚(インストール)した時のような、赤い外套を着込んだ姿をしている。こちらは、肌が黒いのが特徴だった。

 

 いったい、これはいかなる状況なのか?

 

 事態は、誰もが予想だにしなかった方角へ、転がって行こうとしていた。

 

 

 

 

 

第2話「イリヤ×イリヤ」      終わり

 



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第3話「フライング・サマー」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 何はともあれ、無事に任務は終わった。

 

 多少不完全ではあるが魔力は流し込んだし、結果は後々の再調査で行う事になる。

 

 途中、予期せぬアクシデント(コント)に見舞われたものの、全員が無事に戻ってくることができた。

 

 何はともあれめでたしめでたし。

 

「って、なるわけないでしょー!!」

 

 バンッと勢いよく、テーブルに掌を叩き付けたのはイリヤだった。

 

 ここは衛宮邸の向かい、エーデルフェルト邸の客間である。

 

 ここに今、当主のルヴィアのほか、メイドの凛、美遊、当事者であるイリヤと響、そしてルビーとサファイアのステッキ姉妹が集まっていた。

 

「何なのよー あの黒いのは!? どうしてこんな事になったの!?」

「落ち着いて、イリヤ」

「ん、チョコ食べる」

 

 わめきまくるイリヤを、なだめる美遊と響。

 

 とは言え、

 

 イリヤが荒れたくなる気持ちもわかる。

 

 口に突っ込まれたチョコレートをモキュモキュと食べるイリヤを見ながら、響は今日会った事を思い出した。

 

 落ちてくる瓦礫を防ぐべく、弓兵(アーチャー)夢幻召喚(インストール)したイリヤ。

 

 その結果、まさかイリヤが2人になるとは、誰が予想できただろう?

 

 驚天動地、としか言いようがない事態だった。

 

 と、

 

「判った」

 

 ポムッと手を打つ響。

 

 その顔には、確信に近い自信が満ち溢れていた。

 

「イリヤはスライムだった。だから分裂してああなった・・・・・・」

「な訳ないでしょーが!!」

 

 判って、それかい?

 

 全員が響にツッコミを入れる中、あきらめムードが漂い始める。

 

 「下手な考え休むに似たり」と言うべきか、ともかく前例が無い上に、あまりにも未知の事態である為、誰も明確な答えを出せないのだった。

 

「それよりも、今後、どうするかが問題よ」

 

 凛の言葉に、一同は意識を向けなおした。

 

 あの黒イリヤの正体はともかく、あいつが今後、どう出てくるか、が問題である。

 

《最も可能性が高いのは、今まで倒してきた黒化英霊達みたいに、こちらを襲ってくるパターンでしょうか?》

 

 口を開いたのはルビーだった。

 

 確かに、その可能性は大いにある。

 

 今まで幾度も黒化英霊を倒してきたわけだが、そのどれもが問答無用で襲い掛かって来た。

 

 あの黒イリヤが弓兵(アーチャー)のカードを介して現れたと推測すれば、あの姿こそがアーチャーそのものであるとも言える。なぜ、イリヤと同じ姿をしているか、はさておいて。

 

 とすれば、これまでの黒化英霊同様に、こちらを襲ってくる事は十分に考えられる事態だった。

 

「ともかく、連絡は密に取り合って。もしあいつが出たら、なるべく1人では戦わないように。どんな力を備えているかわからないんだから。必ず誰かと連携して当たる事。良いわね?」

 

 凛のその言葉に、頷きを返す一同。

 

 そこで、今夜のところはお開きとなった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 響とイリヤがルヴィアの屋敷を出たとき、既に外は暗くなりかけていた。

 

 エーデルフェルト邸の広い庭を、小さな影が3つ、並んで歩いている。

 

 響、イリヤ、美遊だ。

 

 家へ帰るイリヤと響を、美遊が見送るために出てきたのである。

 

「は~ それにしても、何度見ても広いお庭だね~」

 

 周囲を見回しながら、イリヤが感心したように呟く。

 

 確かに、エーデルフェルト邸の庭は、それだけでちょっとした運動場ほどもある。よくもまあ、これだけの敷地を確保できたものである。

 

「うん、この家を建てる時に、前住んでいた人には、かなりのお金を払ったって、ルヴィアさんが言ってた」

「お金、有りすぎ・・・・・・」

 

 美遊の説明に、響は嘆息交じりに告げる。

 

 何と言うか、成金の見本のような話だった。

 

 まあ、だからこそ、時給1万5000円などと言う高額バイト料を払えるのだろうが。

 

 そうこうしている内に、3人は門の前までやって来た。

 

「それじゃあね、美遊」

「また明日」

 

 門の前まで送ってくれた美遊に、そう言って手を振る響とイリヤ。

 

 こんな時、家が近所だと便利である。

 

 何しろ、一分も歩かずに家に帰る事ができる。

 

 遅くなった理由も、「美遊の家で遊んでいた」と言えば納得してもらえる。

 

 流石に夕飯の時間までに帰らないと、セラのお説教が待っているが、幸いにして今日はそんな時間でもない。

 

 と、その時、

 

「あ、響、ちょっと・・・・・・・・・・・・」

「ん?」

 

 呼び止められて、美遊の方を振り返る響。

 

 対して、美遊は神妙な面持ちで、響の方を見ていた。

 

「どしたの?」

「その・・・・・・・・・・・・」

 

 言いよどむ美遊。

 

 何か、言いづらい事でもあるのだろうか?

 

 響が怪訝な面持ちで見ていると、意を決したように美遊は顔を上げた。

 

「お願いがあるの」

「ほう、お願い?」

 

 興味をそそられたように、響は不思議そうに瞬きをした。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 翌日。

 

 休日の空は晴れ渡り、初夏の過ごしやすい空気が朝から潤していくのが分かった。

 

 これから気温も上がり、少し暑くなる、と言う予報が出されている。

 

 しかし、そのくらいならむしろ、季節的には当然と言えるだろう。

 

 ともかく、今日1日がとても充実しそうな期待感に溢れている事だけは間違いなかった。

 

 そんな中、

 

「「あ・・・・・・・・・・・・」」

 

 向かい合った2つの家。

 

 エーデルフェルト邸と衛宮邸の門がほぼ同時に開き、顔を出した2人の子供たちが互いの顔を見て声を上げる。

 

 衛宮響と、美遊・エーデルフェルトである。

 

 今日は平日ではないので、2人とも制服ではない。

 

 響は柄物のTシャツの上からYシャツを羽織り、下はジーンズ履き。

 

 美遊もTシャツの上から薄手のカーディガンを羽織り、下はジーンズの短パン。日差しよけの為、頭には鍔広の帽子を被っている。

 

「待っ・・・・・・てないよね」

「う、うん」

 

 ほとんど同時に顔を見せた2人は、ぎこちなく挨拶を交わす。

 

 顔を合わせるのはいつもの事だと言うのに、何だか緊張してしまう。

 

 多分お互い、こんな事は初めてだからかもしれなかった。

 

 とは言え、いつまでも家の前で呆けていたりしたら、それこそご近所で妙な噂が立ちかねなかった。

 

「じゃ、じゃあ、行こうか」

「う、うん」

 

 互いに頷き合う、響と美遊。

 

 そう言うと、2人は肩を並べて歩き出すのだった。

 

 

 

 

 

 話は、昨夜に巻き戻る。

 

 エーデルフェルト邸を出て、自宅に戻ろうとした響を、美遊が呼び止めた。

 

 既にイリヤの姿は、衛宮邸の中に入っている。

 

 それを確認してから、美遊は言った。

 

「その・・・・・・・・・海の事とか、教えて欲しい・・・・・・・・・・・・」

「・・・・・・・・・・・・は?」

 

 もじもじしながら言う美遊に、響は目を丸くする

 

 正直、美遊の言葉は完全に響の予想外だった。

 

 そこでふと、先日の教室での出来事を思い出す。

 

 海に行こうと誘う龍子達に対し、海に行った事が無いと答えていた美遊。

 

 そこで、響に海の事を聞こうと思ったのかもしれない。

 

「凛とかルヴィアとかには?」

「2人は忙しいから、ちょっと聞き辛くて」

 

 別に遠慮する必要はないと思うのだが、そこら辺、2人を気遣うあたり、美遊らしいと言えば美遊らしいのだが。

 

「じゃあ、イリヤには?」

 

 言われて、

 

 美遊は少し躊躇うように視線を逸らす。

 

 何か含む所でもあるのだろうか?

 

 そんな事を響きが考えていると、美遊の方から口を開いた。

 

「その・・・・・・誘ってくれたのがイリヤだから・・・・・・逆に頼み辛いって言うか・・・・・・」

「・・・・・・・・・・・・あ~」

 

 何となく美遊の言いたい事を理解して、響は嘆息する。

 

 要するに、イリヤと海や、そのほか準備の為に出かける前に、響を相手に予習をしておきたい、と言う事らしかった。

 

 何とも面倒くさい話だが、これが美遊と言う少女である。

 

 それに、

 

 親友がこうまでして頼み込んできている以上、無碍にもできなかった。

 

「・・・・・・・・・・・・判った」

「ありがとう」

 

 そう言うと、美遊はにっこりと笑う。

 

 少女のその笑顔は、

 

 響の脳裏に、これまでとは違った景色のように映るのだった。

 

 

 

 

 

 そんな訳で、

 

 響はとりあえず、美遊を連れてマウント深山商店街へとやって来たのだった。

 

 取りあえず、海で遊ぶと言う事を知識として分かってもらおうと考えたのだ。

 

 マウント深山商店街は、深山町に昔からある商店街で、娯楽施設こそ無いものの、ここに来ればたいていの物はそろうと言われている。

 

 海で使う遊具は勿論、水着を売っている店もある。

 

 本来なら、この手の店を探すなら深山町よりも新都の方に繰り出すべきなのだろうが、流石に、小学生2人で未遠川を渡って新都をうろついたりすれば目立ってしまう。誰か保護者同伴ならまだしも、セラやリズには頼めないし、頼みの士郎は間の悪い事に、朝から部活で学校に行っている。

 

 そこで、手軽に行けるマウント深山を選んだわけである。

 

 もっとも、「この後の予定」を考えれば、こっちの方が都合が良かったのも確かなのだが。

 

「色んな物がある」

 

 店に入った美遊は、周囲を見回しながら、感心したように呟く。

 

 ここは商店街の一角にあるスポーツ用品店。

 

 規模的にそれほど大きいとは言えないが、それでもある程度の物品は、ここでそろえる事ができる。今は時期が時期だけにマリンスポーツやレジャー用品などが店頭に並んでいた。

 

「このボールは? 何だか軽いけど」

「ビーチボール。浜辺でこれを打って遊ぶ。ほら」

 

 そう言うと響は美遊の手からボールを取り、2メートルほど離れると、バレーのレシーブの要領で投げてよこした。

 

「わッ!?」

 

 慌ててボールをキャッチしようとする美遊。

 

 しかし、なじみの薄い軽いボールのせいで目測を誤り、指先で弾いてしまう。

 

「あ・・・・・・・・・・・・」

 

 転がって来たビーチボールを、響は拾い上げる。

 

「こんな感じ。だから当たっても痛くない。砂浜でバレーみたいな感じでやる」

「なるほど・・・・・・・・・・・・」

 

 響の説明ではイマイチ、楽しさが分かりづらいが、取りあえず、そういう遊びがあると言う事だけは覚えておいた。

 

「でも、これなら別に海に行ってやらなくても良いはず。何もわざわざ海に行ってやらなくても・・・・・・」

「んー 一理ある」

 

 美遊の意見に、響はあっさりと同意する。

 

「けど、海に行ってやった方が楽しい」

「・・・・・・そう言う物なの?」

 

 尚も納得がいかないと言った感じに首をかしげる美遊。

 

 まあ、そこら辺は、口であれこれ説明するよりも、実際に海に行って体験してもらった方が良いかもしれない。

 

「これは何?」

 

 美遊は次に興味を持った物を手にする。

 

 それは通常の物よりも大きな水中眼鏡と、何やら細長い管がセットになった物である。

 

「潜水用の眼鏡とシュノーケル。これがあれば、水の中でも呼吸ができるから、長く泳げるし、泳いでいる時に周りが良く見える。」

「ふうん・・・・・・」

 

 美遊はちょっと興味を持ったように、顔に当ててみる。

 

 その仕草が、ちょっと可愛かった。

 

「成程。大きな視界が、水中でも物を見えるようにしている訳か。この管を口に銜える事によって、ある程度は呼吸を持続できる。ただし、深く潜りすぎると筒先から水が入るから注意が必要・・・・・・」

 

 何やらブツブツと言い始める美遊。

 

 その様子を、微妙にげんなりしながら見つめる響。

 

 相変わらずの、石頭振りである。

 

「美遊ッ」

「はッ!?」

 

 少し強めに声を掛けると、美遊は我に返って現実に戻って来た。

 

 その美遊の手を取る響。

 

「あ、響?」

「次、行こ」

 

 そう言うと響は、水中眼鏡とシュノーケルを置いて、店の外へと出ていく。

 

 今日の目的は買い物ではない。

 

 少しでも多く、美遊に海の事を教えるのが目的である。ならば、他に見せるべきものはいくらでもあった。

 

 

 

 

 

 次にやって来たのは、水着の専門店である。

 

 冬木市は海に面していると言う事もあり、夏のこの時期は意外にこの手の物を売る店が増える。

 

 そのうちの一つに、美遊を連れてきた。

 

 中に入るなり、目が焼け付くのでは、と思える程、色とりどりのカラーリングが飛び込んで来た。

 

 流石、夏は海水浴客が重要な収入源になると言う事もあり、力の入れようが半端ではない。

 

 水着のタイプも各種揃えてあり、ビキニタイプやワンピースタイプ。競泳水着のようにスポーティな物、パレオのついた大人っぽいデザインの物もある。美遊達にとってなじみのあるスクール水着も隅の方に置かれていた。

 

 流石の美遊も圧倒されたのか、店に入ってからは目を輝かせている。

 

「美遊は、どんなのが良い?」

「・・・・・・判らない。今まで、こういうことを考えた事が無かったから」

 

 そう言うと、美遊は難しそうな表情をする。

 

 予想した答えである。

 

 たぶん、美遊の事だから、水着選びなんてした事無いだろう、と。

 

「普通に、『良い』って思ったもので良いと思う」

「そう言われても・・・・・・・・・・・・」

 

 響の言葉に、更に困った顔をする美遊。

 

 あれこれと水着を眺めた後、少女は響の方に振り返った。

 

「逆に聞くけど、響はどんなのが好き?」

「え・・・・・・・・・・・・?」

 

 まさかの返球に、響は思わず言葉を詰まらせる。

 

 そう返されるとは、思っても見なかったのだ。

 

「えっと・・・・・・・・・・・・」

 

 正直、響も服飾関係に、それ程興味がある訳ではない。服はいつもセラが買ってくれた物をそのまま着てるし、まして女性用水着なんて選んだ事も無かった。

 

 チラッと、美遊に目をやる。

 

 正直、容姿からしてこれほどのハイスペックを誇る美少女である。何を着せても似合いそうな気はする。

 

 年齢相応のワンピース物。少々子供っぽいデザインの物も、かわいらしさを引き立てる上ではありだろう。

 

 美遊の身体能力の高さを考えれば、競泳水着も良いかもしれない。

 

 やや大人びたようなビキニ、と言うのもありだろう。幼さとのギャップが感じられる。

 

 そこまで考えて、

 

 響は自分の顔が、妙に暑いのを感じていた。

 

「・・・・・・あれ・・・・・・何、これ?」

 

 店内は冷房が効いており、熱いはずはないのだが。

 

 自分の中で起きている変化に、戸惑いを隠せない響。

 

 対して、

 

「響、どうかした?」

 

 そんな響を、美遊は怪訝な面持ちで見つめる。

 

 その声に、響は一度深呼吸してから少女に向き直った。

 

 正直、心臓が少し痛いくらいに鳴っているが分かるが、無理やり無視する。

 

「い、今、慌てて決めなくても良い、と思う・・・・・・あとでイリヤ達の意見も聞いた方が良い」

「そう?」

 

 響の態度に不審な物を感じつつも、美遊はそれ以上深く追求してくる事は無かった。

 

 何となく、胸を撫で下ろす響。

 

 だが少しだけ、思うところはある。

 

 もしかしたら、頼めば美遊が、選んだ水着を着て見せてくれたかもしれない。

 

 そう思うと、少しだけ残念だった気もした。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 寄せては返す波の音が、心を落ち着かせてくれる。

 

 浜辺の手前の小高い丘の上に立つと、そこは最早、視界いっぱいに広がる大海原だった。

 

「これが、海・・・・・・・・・・・・」

 

 感嘆したように、美遊が呟く。

 

 その様子を、響は静かな瞳で見つめている。

 

 この反応を見るに、どうやら海に来た事が無い、と言うのは本当の事らしかった。

 

 海の事を教えて欲しいと頼まれた時、響は美遊を、ここに連れてこようと思ったのだ。

 

 あれこれと説明するよりも、実際に連れてきた方が早いと思ったのである。

 

 遊泳禁止区域だが、別に泳ぐわけじゃないので問題は無いだろう。

 

「もう少し、近づいてみる?」

「う、うん」

 

 頷きながら、先を歩く響に着いていく美遊。

 

 近付くにつれて、心地よい潮の香りが強まってくる。

 

 やがて、波打ち際までくる2人。

 

 後ほんの少し進めば、打ち寄せる波が足にかかる。

 

 2人とも靴と靴下を脱ぎ、踝まで使ってみる。

 

 初夏の暑い日差しと相まって、心地良さが伝わってくる。

 

「どう?」

「・・・・・・・・・・・・すごい」

 

 問いかける響に、短く答える美遊。

 

 どうやら本当に、それだけしか言葉が出てこない、と言った感じだ。

 

 そんな美遊の反応に、満足したように笑顔を浮かべる響。

 

 こうして感動してくれる美遊の姿を見れただけでも、連れてきたかいがあったと言う物だ。

 

 そこで、

 

「・・・・・・・・・・・・」

 

 ふと、悪戯心が沸いてくる響。

 

 感動している美遊の横にそっと移動し、

 

 そして、

 

 パシャ

 

「キャッ!?」

 

 突如、顔に海水を掛けられ、驚いて振り向く美遊。

 

 そこには、いつもの茫洋とした顔に、ちょっと笑みを浮かべた響の姿があった。

 

「ひ、響ッ 急に何を、ワブッ!?」

 

 抗議の声を無視して、再び美遊の顔に水を掛ける響。

 

 対して、思わず珍妙な声を上げてしまう美遊。

 

 美遊の顔は既に、割とずぶ濡れな感じになっていた。

 

「・・・・・・そっちがその気なら」

 

 美遊も負けじと海水を手で掬うと、響の顔面目がけてぶっかける。

 

「ウワワッ!?」

 

 思わぬ美遊の反撃に、思わずバランスを崩して倒れる響。

 

 そのまま、海面に尻餅を着いてしまった。

 

 その姿に、思わず美遊も慌てる。

 

「ひ、響、大丈夫?」

 

 海水をかき分けて、駆け寄る美遊。

 

 倒れている響を覗き込むようにした。

 

 次の瞬間、

 

「隙あり」

「キャッ!?」

 

 低い声と共に、美遊の手を取って引っ張る響。

 

 今度は、美遊が海の中に倒れる番だった。

 

 ずぶ濡れになった様態で、見つめ合う響と美遊。

 

 ややあって、

 

「あはッ」

「ふふ・・・・・」

 

 互いに、笑みを浮かべるのだった。

 

 

 

 

 

 砂浜に、並んで横になる。

 

 高い気温が天然のドライヤーとなって、濡れた肌と服を乾かしてくれるのが分かった。

 

 2人ともしばらくの間言葉を発せず、ただ黙って、流れゆく頭上の雲を眺めていた。

 

「・・・・・・楽しかった」

「うん」

 

 響の呟きに、美遊も頷きを返す。

 

 彼女にとっては全てが初体験の出来事であり、感じる全てが新鮮だった。

 

 美遊の口元には、笑顔が浮かべられている。

 

 やっぱり、連れて来て良かった。

 

 その笑顔を見ると、響は心からそう思うのだった。

 

「のど乾いた。ジュース買ってくる」

「あ、じゃあ、わたしも・・・・・・」

「いい。待ってて」

 

 ついて来ようとする美遊を制して、響は自販機のある方向へ歩き出す。

 

 今日は充実した1日だったと思う。

 

 美遊に海の事を教えてあげられたのはよかった。これで、夏休みが一段と楽しみになった。

 

 龍子ではないが、夏休みが待ち遠しくて仕方が無かった。

 

 やがて、自販機がある場所までやってくる響。

 

 そこでふと、

 

 向こう側から誰かが歩いてくるのが見えた。

 

 妙な男だった。

 

 歳の頃は高校生くらいだろうか?

 

 この暑いのに、黒のライダージャケットを羽織っている。

 

 目付きは鋭く、どこか刃物のような危うさを感じさせる。

 

 いったい何なのだろう、あの男は?

 

 何の気なしに、響がすれ違おうとした。

 

 次の瞬間、

 

「せいぜい気を付けろ。寝首をかかれない程度にはな」

「ッ!?」

 

 一瞬、告げられた低い声。

 

 とっさに振り返る響。

 

 しかし、向けた視線の先には、既に誰もいなかった。

 

 最前までは確かにいたはずの男の姿はなく、視線の先には海原が広がっているだけだった。

 

「・・・・・・見間違い?」

 

 な筈は無い。

 

 響の耳は確かに、警告じみた男の声を覚えていた。

 

 「せいぜい気を付けろ」

 

 その言葉が何を指して言っているのか?

 

 照り付ける真夏の太陽。

 

 その暑さの中、

 

 響は言いようのない肌寒さを感じずにはいられないのだった。

 

 

 

 

 

第3話「フライング・サマー」      終わり

 



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第4話「いったい何が!?」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

『今日の運勢最下位は・・・・・・・・・・・・ごめんなさい、かに座のあなた!! 何をやってもうまくいかないかも? 用事が無ければ家から出ない方が吉!! ラッキーカラーは青!! ラッキーアイテムは・・・・・・・・・・・・』

 

 テレビから聞こえてくる運勢占いの結果に、イリヤスフィール・フォン・アインツベルンは、歯を磨きながら眉に皺を寄せていた。

 

 因みにイリヤの誕生日は7月20日、星座はかに座である。

 

 何とも、出足からテンションの鈍る事甚だしかった。

 

 

 

 

 

「何て言うかさー・・・・・・」

 

 イリヤは学校への通学路を、憤懣やるかたないと言った感じで、弟の衛宮響と並んで歩いていた。

 

 テレビの占いを見てからどうにも、朝から足元を掬われたような感があり、釈然としなかった。

 

「聞いてもないのに、『あなたは最下位です』とか失礼過ぎない? そもそも、何を根拠に、あんなこと言ってるんだろう」

「怒るくらいなら見なければいい」

 

 プンプンと言った感じに愚痴をぶちまけている姉に、響は呆れ気味にツッコミを入れる。

 

 とは言え、響にもイリヤの気持ちは理解できる。

 

 最近の朝のニュースでは、殆どの番組でその日の運勢占いを放送しているが、チャンネルごとに結果が変わったりしている。

 

 モノによっては、眉唾と言うにもおこがましいくらい、いい加減なものまである始末である。

 

 いったい、どこに基準を置いているのか、さっぱり分からなかった。視聴率を取れれば、それで良いと思っているのか? などといった勘繰りまで抱いてしまう。

 

 と、

 

《そもそも、運勢に順位を付けている時点でアレなんですがねー》

 

 そう言ったのは、イリヤの髪の中から出てきたルビーだった。

 

 今は周囲に、イリヤと響以外誰もいないので出てきたらしい。

 

《まあ、あんな占い、信じる必要はありません。イリヤさんには、もっと良い神託を授けましょう》

 

 ルビーは意味ありげに笑みを浮かべると、何やら変形を始める。

 

 ややあって、五芒星を囲む円環部分から、2本のアンテナが飛び出してきた。

 

《シークレットデバイス♯18!! 簡易未来事象予報!!》

 

 その変化に、微妙な顔をする響とイリヤ。

 

 正直、ルビーの胡散臭さには慣れてきたつもりだったが、こういう突拍子のない事を時々やってくるから困る。

 

 そんな2人の心情をスルーして、ルビーは説明に入る。

 

《事象の揺らぎをパターン化して、統計情報から近未来を予報します。テレビの占いなんか比較にならない精度ですよ》

「ねえ・・・・・・あなた本当に魔法のステッキなの? もうオカルトなんだか科学なんだか・・・・・・・・・・・・」

「取りあえず、解体してみたい」

 

 イリヤと響のツッコミを無視して、ルビーは話を進めていく。

 

 2人が胡散臭そうに見ていると、ルビーの中からおみくじの短冊のような、長い紙が出てくる。

 

《お、来ました来ました。最初の予報ですよ》

「何か、似たようなの見た事ある・・・・・・・・・・・・」

 

 ジト目で見つめる響。

 

 何だか昔、「道の駅」とかにあった、電子式おみくじ機みたいな感じだった。

 

 そんな姉弟の不審そうな眼差しをさておいて、ルビーは出てきた紙を取り出す。

 

《えーっと、これは・・・・・・・・・・・・「頭上注意」?》

 

 次の瞬間、

 

 ガッシャン

 

 突如、

 

 イリヤのすぐ目の前に植木鉢が落下、地面に当たって砕け散った。

 

「「・・・・・・・・・・・・は?」」

 

 思わず、茫然として目を丸くする、響とイリヤ。

 

 因みに、2人が立っているのは道路のど真ん中。見上げても空しかなく、当然ながら植木鉢が落ちてくるような場所は無い。

 

「な、なにこの植木鉢!? どこから落ちてきたの!?」

「昨夜の刑事ドラマで、こんなのあった・・・・・・・・・・・・」

《ムムム・・・・・・? これはいわゆる、ファフロツキーズ現象》

 

 驚く姉弟を他所に、ルビーはノーテンキに事象を分析している。

 

 因みにファフロツキーズ現象とは、一定空間内に本来ならありえない物が降ってくる現象の事である。原因については飛行機からの落下、竜巻、鳥獣による物等、様々あるが、解明には至っていない。

 

「ちょ、ちょっとやめてよルビー。何か怖い!! また悪戯でも仕込んだんじゃないのー!?」

《いえいえまさかー。あ、次の予報出ましたよ》

 

 速足で歩くイリヤに追随しつつ、次の短冊を出すルビー。

 

 さて、お次は、

 

《飛び出し注意》

 

 言った瞬間、

 

 イリヤのすぐ目の前に、無人のダンプが突っ込んで壁に激突した。

 

「・・・・・・・・・・・・ッ!? ッ!? ッ!?」

《あらまあ、これは危ないですねー》

 

 驚愕で声も出ないイリヤに対し、相変わらずマイペースなルビー。

 

「ど、どう、なってんの、これ?」

 

 流石の響も、唖然としてダンプを眺めている。

 

 ダンプの運転席は空。

 

 運転手が乗っていなかったのは幸いだが、果たして何がどうなれば、このような事態になると言うのか?

 

「なになになに!? 何なのこれ!? 呪い!?」

《あ、また次の予報です》

「ちょ、やめてよ、もー!!」

 

 とうとう走ってその場から逃げ出すイリヤ。

 

 その間にも、ルビーは「予報」を吐き出し続ける。

 

 果たして次は、

 

《猛犬注意》

 

 ルビーが言った瞬間、

 

 どこからともなく表れた数匹の犬が、イリヤに襲い掛かって来た。

 

「だッ ちょッ おかしくない!? おかしくない!? だいたい何で注意報ばっかり!?」

《まあ、これ、こう言うもんですし、えーっと次は・・・・・・・・・・・・》

 

 

 

 

 

《火気注意》

「ギャー!?」

 

《水濡れ注意》

「ニャー!?」

 

《感電注意》

「ビャー!?」

 

《突風注意》

「ウニャー!?」

 

《落とし穴注意》

「ギョエー!?」

 

 

 

 

 

 爽やかな朝に、小学生女児の悲鳴が大ブレイクする。

 

 その様子を、響は呆れた調子で見つめていた。

 

「・・・・・・・・・・・・何、これ?」

 

 正直、これほどいっぺんに起こる災難がすごいのか、その全てを紙一重で回避しているイリヤがすごいのか、イマイチよく分からなくなってきた。

 

 とは言え、この事態が異常であることは間違いない。

 

 その時、

 

「ッ!?」

 

 とっさに気配を感じ、振り仰ぐ響。

 

 視線の先にある民家の屋根。

 

 しかし、

 

 そこには、誰もいなかった。

 

「・・・・・・・・・・・・気のせい?」

 

 てっきり、誰かの視線を感じたのだが・・・・・・・・・・・・

 

 首をかしげる響。

 

 しかし、それ以上は考えても仕方がない。むしろ今は、災難に見舞われているイリヤの方が大事である。

 

 響は踵を返すと、尚も災難に見舞われ続けているイリヤのあとを、急いで追いかけた。

 

 

 

 

 

 一方、

 

 屋根の上では、陰に隠れるようにして顔を出した少女が、走り去る響の背中を見つめていた。

 

「ふう、危ない危ない。ヒビキの奴、何か最近、勘が良くなってるわね」

 

 苦笑交じりに呟く少女。

 

 少年の勘が鋭くなっているのは計算外だった。危うく、見つかる所だった。

 

 自分の目的を達成するためには、なるべく姿を晒したくなかった。

 

 それにしても・・・・・・

 

「イリヤ・・・・・・あれだけの罠を全部掻い潜るなんて・・・・・・多分、幸運と直感のスキルがかなり高いのね・・・・・・・・・・・・」

 

 既に姿も見えなくなっている少女を思い浮かべ、忌々し気に呟く。

 

 なるべく穏便に穏便に葬ろうと思ったのだが、どうやら計画の変更が必要なようだ。

 

「まあ良いわ。まだ時間はあるわけだし。別の手を考えるか。もっと確実な手を、ね」

 

 そう言うと、少女は屋根を蹴って姿を消した。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 美遊は車から降りると、ここまで送ってくれたオーギュストに、ペコリとお辞儀をする。

 

 普段は歩いて登校することの多い美遊だが、今日はたまたまルヴィアの登校時間と重なったため、ついでに送ってもらったのだ。

 

 そのまま走り去る車を見送り、校門に向かおうとする美遊。

 

 その時だった。

 

「ミ・・・・・・ミユ・・・・・・・・・・・・」

 

 かすれた声で名前を呼ばれ、振り返る。

 

 果たしてそこには、なぜかボロボロの姿になり果てた、親友の姿があった。

 

「イ、イリヤッ!? 何があったの!?」

 

 驚いて声を上げる美遊。

 

 イリヤは服も髪もボロボロ。

 

 普段なら「西洋人形」と称しても良いほど可憐な容姿は微塵も見受けられず、そこら辺で適当に拾ってきたモップを杖代わりに、辛うじて立っている感じである。おまけに、お尻には、なぜか犬がガジガジと食らいついていた。

 

「お、おはよう、ミユ・・・・・・そして・・・・・・」

 

 そのまま、前のめりに倒れるイリヤ。

 

「ぐっぱい・・・・・・」

「イリヤァァァァァァ!?」

 

 朝からあまりの展開に、美遊は訳も分からずイリヤに駆け寄る。

 

 そこへ、

 

「やっと・・・・・・追いついたッ」

 

 イリヤを追いかける形で、響が駆け寄って来た。

 

 全速力でここまで走って来たらしく、息が上がっている。

 

 そんな響に、イリヤを抱き起しながら美遊が尋ねる。

 

「響、いったい何があったの? イリヤはいったい・・・・・・」

「美遊おはよ。取りあえず、イリヤ運ぶから手伝って」

 

 そう言うと、倒れているイリヤを抱え上げる響。

 

 状況がいまいちわからない美遊も、取りあえず響の意図を察し、反対側からイリヤを抱えた。

 

 

 

 

 

 穂群原学園初等部保険医の華憐(かれん)は、ともかくやる気のない事で有名な女医である。

 

 保健室に陣取っていながら、医者らしいことは碌にしているところ見た人間は皆無と言い。

 

 それどころか、軽傷程度なら絆創膏一つ持たせて、保健室から放り出す事さえあるくらいだった。

 

 響と美遊の手によって運ばれてきたイリヤを、取りあえずベッドに寝かせはしたものの、その容態をサラッと一瞥しただけで、後は面倒くさそうにため息をついて見せた。

 

「大した怪我ではないわ。せいぜい擦り傷程度よ」

 

 言ってから、華憐はベッドの上のイリヤにビシッと指を指す。

 

「つまらないわね。次来るときは、半死半生の怪我をしてきなさい」

「ははぁ・・・・・・・・・・・・」

 

 余りの言い草に、イリヤも返す言葉が見つからない。

 

 まったくもって、小学校の保健室を何だと思っているのか、この女医には問い詰めてみたかった。

 

 対して、華憐がそれ以上の興味が失せたように踵を返すと、そのまま保健室を出ていく。

 

「まあ、気分が悪いようなら、しばらく横になっていると良いわ」

 

 そう言うと、本当に出て行ってしまう。

 

 あとに残された響と美遊は唖然としたまま、閉じられた戸を見つめる事しかできなかった。

 

「・・・・・・・・・・・・響、ちょっと」

「ん?」

 

 手招きする美遊に続いて、響は保健室を後にする。

 

 2人はそのまま屋上へ続く階段を上がる。

 

 美遊が先だって扉を開けると、朝早いせいか、そこには誰もいなかった。

 

「それで、何があったの?」

 

 美遊がわざわざこの人気のない場所まで自分を連れてきたと言う事は、他の人には聞かれたくないような事を話すためだと、響は理解していた。

 

「それが・・・・・・・・・・・・」

 

 尋ねる美遊に響は、今朝の事をかいつまんで聞かせる。

 

 とは言え、

 

 状況が状況であるだけに、美遊もイマイチ、どんな感想を抱けばいいかわかりかねている様子。

 

 話を聞き終えた後、美遊は微妙な顔を見せていた。

 

「そ、そうなんだ、そんな事が・・・・・・・・・・・・」

「ん、取りあえず、華憐が言っていた通り、イリヤは問題ない」

 

 実際、イリヤのけがは大げさに見えて、かすり傷に過ぎない。放っておいても、すぐに治るだろう。

 

 しかし、

 

「そっちは判った。けど、私が言いたいのは・・・・・・・・・・・・」

「・・・・・・・・・・・・ん」

 

 美遊が言わんとしている事を理解し、響も頷きを返す。

 

 つい先日起こった、イリヤの分裂現象。

 

 その後、イリヤには体調的な変化は訪れていない物の、予断を許されるものではなかった。

 

 それに、

 

 響にはもう一つ、懸念材料がある。

 

 数日前から見え隠れする、襲撃者の存在。

 

 獣耳をした少女や、先日、海に行った際に遭遇した黒ずくめの男。

 

 それらがいったいいかなる存在で、なぜ、自分を襲ってくるのか、未だにほとんどがベールに包まれている状態だった。

 

「美遊、あの・・・・・・・・・・・・」

 

 言いかけた時だった。

 

 響の聴覚が、僅かに風を切る音を感じ取った。

 

 次の瞬間、

 

「ッ!?」

 

 響はとっさに美遊の肩を持ち、そのままフェンスに押し付けるような恰好を取る。

 

「ひ、響!?」

 

 驚く美遊。

 

 2人の顔が、息がかかるくらいに近づく。

 

 互いにまだ小学生。幼さが多分に残っているとはいえ、同時に多感な世代でもある。

 

 異性同士、こんな形で体を寄せ合えば、互いの存在を意識せずにはいられなかった。

 

 だが、

 

 響は美遊を庇いながら、とっさに音の方を振り返る。

 

 次の瞬間、

 

 殺気を伴った一撃が飛来し、それまで2人がいた場所を通過、そのまま屋上の階段がある壁に突き立った。

 

「これはッ」

 

 美遊はハッとなって顔を上げる。

 

 一緒になって覗き込む響。

 

 その視界の先で、

 

 思わず2人は息を呑んだ。

 

 2人が見ている先。

 

 学校から少し離れた場所に立つ、少し高いビル。

 

 そのビルの上に、1人の少女が立っているのだ。

 

 緑色の異国風衣装に身を包んだ少女。頭には獣の耳を生やし、お尻からは長いしっぽが伸びている。

 

 そして、手には一振りの弓が握られていた。

 

「あいつ・・・・・・・・・・・・」

 

 呟く響。

 

 間違いない。数日前、登校途中の響を襲撃した少女である。

 

 噂をすれば、ではないが、こんなタイミングで仕掛けてくるとは、思っても見なかった。

 

「響、彼女を知っているの?」

「ん、ちょっと・・・・・・」

 

 尋ねる美遊に答えながら、スッと目を細める響。

 

「・・・・・・・・・・・・ちょうど良い」

「響?」

 

 立ち上がる響に、視線を向ける美遊。

 

 対して、響はまっすぐに獣少女を見据え続けていた。

 

「捕まえる・・・・・・・・・・・・」

 

 言い放つと同時に、響は軽くジャンプをする。

 

 それだけで、響の体はフェンスの上に舞い上がった。

 

「響ッ 何をするつもり?」

「あいつ、追う」

 

 そう言うと同時に、

 

 響は階下に身を躍らせた。

 

 驚く美遊。

 

 ここは学校の屋上。当然だが、落ちたら命は無い。

 

「ひ、響ッ!!」

 

 慌ててフェンスから下を見る美遊。

 

 だが、

 

 落下中の響は、胸の前に手をかざした。

 

 静かに目を閉じる響。

 

 急速落下する感覚とは裏腹に、心は澄み渡るように落ち着き払っていた。

 

 静かに、

 

 ただ静かに、

 

 己の内にある存在へ語り掛ける。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

夢幻召喚(インストール)

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 低い呟きと共に、少年の姿は閃光に包まれた。

 

 一瞬の後、少年の姿に変じる。

 

 それまで纏っていた穂群原学園初等部の制服ではなく、

 

 黒い着物に、短パン姿。

 

 髪は伸びて、後頭部で纏められると同時に、白いマフラーが口元を覆う。

 

 手には鉄拵えの鞘に収まった、一振りの日本刀が握られた。

 

 そのまま地面に着地する響。

 

 黒装束に身を包んだ少年。

 

 その姿は、既に通常の少年ではない。

 

 これこそが「夢幻召喚(インストール)

 

 遥かな時の彼方。

 

 偉業を成した英霊をその身に纏い、その絶大な力を振るう事の出来る存在へと、響は変化していた。

 

「逃がさない」

 

 低く呟くと同時に同時に、目的のビル目指して駆けだす響。

 

 その様子を、後者屋上に取り残された美遊は、呆れ気味に見つめる。

 

「・・・・・・・・・・・・何だか最近、響がどんどん大胆になってきている気がする」

 

 今は登校時間であり、まだ生徒の目がまばらであるとは言え、一般人に見られたらどうするつもりだったのか。

 

 とは言え、この件は美遊としても捨ておくわけにはいかない。

 

「サファイア」

《かしこまりました。鏡界回廊最大展開》

 

 主の声に応じ、美遊の髪の中から飛び出してくるサファイア。

 

 同時に、美遊の体も光に包まれる。

 

 初等部の制服姿から、可憐な魔法少女(カレイドサファイア)へと変化する。

 

 ステッキを振るう美遊。

 

「響を追う」

《了解しました》

 

 言い放つと同時に、美遊は屋上の床を蹴って上空へと飛び出した。

 

 

 

 

 

第4話「いったい何が!?」      終わり

 



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第5話「伝説の英雄」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 陽光降り注ぐ中、友達と手を繋ぎ、談笑しながら歩く生徒たち。

 

 どの顔にも、これから始まる1日に対する期待と希望に満ち溢れているようだ。

 

 微笑ましさが視覚化されたような、朝の登校風景。

 

 皆が朝の爽快さを満喫している中、

 

 突如、

 

 巻き起こる突風。

 

 悲鳴と共に、少女たちの髪やスカートが巻き上げられる。

 

 一瞬の後、開かれる眼差し。

 

 しかし、そこにはすでに何もなく、ただ呆然と立ち尽くす少女たちだけが取り残されているのだった。

 

 

 

 

 

 民家の屋根から屋根へ、疾走する小さな影が2つ。

 

 その姿は、誰の目にも捉えられることなく駆け去って行く。

 

 先行するのは、深緑の衣装を纏い、獣の耳と尻尾を持つ少女。

 

 追撃するのは、漆黒の衣装を纏った少年。

 

 夢幻召喚(インストール)して、英霊化した響は、突如、奇襲を仕掛けてきた獣少女を追いかけている。

 

 再び響に襲撃を仕掛けてきたあの少女は一体何者なのか?

 

 なぜ、自分たちに攻撃を仕掛けてきたのか?

 

 それは判らない。

 

 しかし、襲撃はこれで2度目。ただでさえ黒イリヤの事とか頭の痛い事が多いのに、これ以上、問題を増やされたのでは溜まった物ではない。

 

 響ならずとも、そろそろ多少の埒は開けたい所である。

 

 何はともあれ、全ては捕えない事には始まらなかった。

 

 民家の屋根を飛び越えながら、駆ける足を更に速める響。

 

 緑色の衣装を着込んだ背中が、徐々にだが視界の中で大きくなり始める。

 

 この分なら追いつける。

 

 そう思った、その時だった。

 

 視界の中で、獣少女が振り返るのが見えた。

 

 その手に構えられる、弓と矢。

 

 照準は、真っ直ぐに響へとむけられている。

 

「ッ!?」

 

 舌打ちする響。

 

 駆けながらとっさに、刀の柄に手を掛ける。

 

 それと同時に、矢は放たれた。

 

 風を切る音が鳴り響く。

 

 まっすぐに、殺気を伴った矢じりが向かってくるのが見えた。

 

 次の瞬間、

 

 響は鋭く抜刀する。

 

 空中に振り抜かれる、銀の閃光。

 

 斜めに走る一閃。

 

 その一撃が、飛んできた矢を両断する。

 

 だが、攻撃はそこで留まらない。

 

 二の矢、三の矢と飛来する。

 

 息をつかさない連続攻撃。

 

 対して、響も負けていない。

 

 手にした刀を的確に振るい、矢の軌跡を遮って撃ち落としていった。

 

 

 

 

 

 響が飛来する矢を次々と切り払う様子を、ルリアは顔をしかめて見据える。

 

 先程から必中を期して放っている攻撃がかわされている事が気に食わないのだ。

 

「地味に厄介ね」

 

 言いながら、再び矢を放つルリア。

 

 合わせる照準は、響の眉間。

 

 逃げながらとは言え、その照準はぶれる事は無い。こんな事は、彼女の能力からすれば何でもない事である。

 

 放たれた矢は、

 

 しかし、またしても響の姿を捕らえる事は無い。

 

 彼の振るう刀によって弾かれてしまった。

 

「やっぱダメか・・・・・・」

 

 舌打ちするルリア。

 

 どうやら、響の能力は侮れないものがあるようだ。やはり万全の状態でなければ、攻撃を当てる事は難しい様だ。

 

 それに・・・・・・・・・・・・

 

 ルリアは、先ほどから響に対してひどくやりにくさを感じていた。

 

 何と言うか、照準を合わせようとすると、視界の中で響の姿がわずかにぶれるような感触がある。

 

 まるで影相手に矢を放っているような、手応えの無さ。

 

「あれってやっぱり、暗殺者(アサシン)って事なのかしらね・・・・・・・・・・・」

 

 相手のクラスが持つスキルが、攻撃を阻害する要因になっているとルリアは考えていた・

 

 となると、遠距離からチマチマと削るような攻撃をしたとしても意味は無いだろう。

 

 これ以上、効果のない攻撃を繰り返しても消耗するだけである。

 

「腹立たしいけど、ここは作戦通りに行きましょう」

 

 呟きながら、前方に視線を向けなおすルリア。

 

 次の手を打つべく、獣少女は速度を速めた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 ルリアを追って響がたどり着いたのは、円蔵山に通じる森の中だった。

 

 ここは以前、イリヤと一緒に魔法の練習をした場所からも近い。響にとっては慣れ親しんだ場所だった。

 

 着地する響。

 

 その視界の先に、

 

 獣少女が佇んでいた。

 

 まるで響を待ちわびていたかのように立ち尽くし、視線はまっすぐにこちらを見据えている。

 

「・・・・・・今度こそ、答えてもらう」

 

 油断なく刀の切っ先を向けながら、響は少女に告げる。

 

 相手の目的、正体、能力。

 

 聞きたい事は山ほどあった。

 

 少年の瞳には既に殺気が籠り、ルリアが少しでもおかしな動きを見せれば、すぐに斬り込む構えだった。

 

「取りあえず、誰?」

「・・・・・・・・・・・・」

 

 問いかける響に、沈黙で答えるルリア。

 

 どうやら、答える気は無い、と言うスタイルらしいが。

 

 ややあって、

 

 少女は嘆息する。

 

「言われた通り、ここまで連れてきた。あとは任せるわよ」

「何を・・・・・・・・・・・・」

 

 突然の少女の物言いに、訝る響。

 

 響に言った言葉ではない。

 

 では、誰に言ったのか?

 

 そう思った、その時、

 

 ザッ

 

 背後から聞こえた足音に、とっさに振り返る響。

 

 そこには、

 

「時間をかけすぎだ。誰かに見られたらどうするつもりだったんだ?」

 

 響の視線の先に立つのは、漆黒のライダージャケットを羽織った、目付きの鋭い年上の少年。

 

 その姿を見て、

 

「あ・・・・・・・・・・・・」

 

 響はすぐに思い出す。

 

 あの、美遊と行った海岸で、すれ違いざまに警告してきた少年である、と。

 

「問題ないわよ、優離(ゆうり)。どうせ、一般人に見られたら、そいつも消せばいいだけの事だし」

「簡単に言うな。情報統制だけでも並の苦労ではない。俺たちは協会のバックアップがあって動いている訳じゃないんだからな」

 

 窘めるように低い声で言いながら、優離と呼ばれた少年は響に向き直る。

 

「さて、衛宮響」

「・・・・・・何で名前を?」

 

 警戒するように呟く響。

 

 とは言え、

 

 響は自分の中で、緊張の度合いが高まるのを、否が応でも感じざるを得なかった。

 

 この状況は、明らかにまずい。

 

 前後を敵に挟まれたままでは、不利は否めなかった。

 

 しかも、優離と呼ばれた男の方は、実力的に未だに未知数。油断はできなかった。

 

 刀を構えたまま、立ち尽くす響。

 

 そんな響に対し、優離は一歩前へと出る。

 

「恨みは無いが、これも仕事だ。お前には、ここで死んでもらう」

 

 そう言うと優離は、ゆっくりと手をかざし、

 

 そして自分の胸に当てる。

 

 その姿に、響は思わず目を見開いた。

 

「あ・・・・・・・・・・・・」

 

 思わず、声を上げる響。

 

 それは、見間違えるはずもない・・・・・・・・・・・・

 

夢幻召喚(インストール)

 

 低く囁かれる詠唱。

 

 次の瞬間、優離の足元に魔法陣が展開される。

 

 光に包まれる少年の体。

 

 衝撃が周囲一帯を蹂躙する。

 

 見ていた響が、思わず顔を覆うほどの衝撃。

 

 やがて、全ての衝撃が収まった時、

 

 優離の姿は一変していた。

 

 異国の武人を思わせる衣装と銀色の甲冑に身を包み、手には大ぶりの槍が握られている。

 

 そして、

 

 離れていても感じられるほどの威圧感。

 

 間違いない。

 

 目の前の少年が、何らかの英霊をその身に宿したことを、響は瞬時に理解する。

 

「・・・・・・クラス『ライダー』。インストール完了」

 

 優離は低い声で言い放ち、手にした槍を持ち上げる。

 

 対抗するように、刀を構える響。

 

「さて・・・・・・・・・・・・」

 

 頭上で槍を、大きく旋回させる優離。

 

 次の瞬間、

 

「行くぞ」

 

 低い声と共に、優離は仕掛けた。

 

 一気に響との距離を詰める優離。

 

 その様に、

 

「速いッ!?」

 

 思わず、響は息を呑む。

 

 それ程までに、優離の動きは速かった。

 

 数メートルはあった距離を、一瞬にして詰めた形である。

 

 繰り出される槍の穂先。

 

 その一撃に対して、

 

 響の反応は、辛うじて間に合った。

 

 刀を盾にして、優離の槍を弾く響。

 

 だが、

 

「グッ!?」

 

 受け止めた瞬間、思わず手に痺れを感じるほどの衝撃を受ける響。

 

 優離の攻撃が響の予想をはるかに上回るほどに重かったため、思わず刀を落としそうになったのだ。

 

 少年の小さな体は、そのまま押し込まれそうなほどの強い負荷が加わる。

 

 しかし、

 

「まだだぞ」

 

 不吉な声が、響の鼓膜を震わせる。

 

 次の瞬間、

 

 優離は競り合いの状態から、強引に槍を克ち上げるように振るった。

 

「なッ!?」

 

 目を見張る響。

 

 その小さな体は、成す術もなく空中に持ち上げられる。

 

 何という膂力なのか。

 

 優離の筋力は、響のそれを大きく上回っている事が、その一事だけで分かる。

 

 空中で錐揉みする響。

 

 その視線が、少し離れた場所に立つ少女の姿を捕らえた。

 

 ルリアは空中にある響に対し、矢を番えた弓を向けている。

 

 その様に、思わず目を細める響。

 

 ルリアは闇雲に逃げてこの場所に来たわけではない。

 

 優離と共謀して響を倒すため、初めからこの場所におびき出したのだ。

 

「これでッ」

 

 必殺の念と共に、矢を放つ優離。

 

 うなりを上げて飛翔する矢。

 

 その鏃が、空中の響を捉えようとした。

 

 次の瞬間、

 

 響の姿は、一瞬にしてその場から消え去った。

 

「なッ!?」

 

 驚くルリア。

 

 その少女の目の前に、

 

 少年は姿を現した。

 

 響は空中で魔力の足場を作りルリアの矢を回避すると同時に、殆ど一瞬にして距離を詰めたのだ。

 

 響は少女の目の前で、刀をフルスイングするように構える。

 

「貰った」

 

 低い声と共に、刀の振るおうとする響。

 

 相手は人間。

 

 これまでの黒化英霊のように、意思無き存在ではない。

 

 攻撃する事に躊躇いを覚えない訳ではない。

 

 だが、それでも、降りかかる火の粉は払わなくてはならなかった。

 

 相手が襲ってくる以上、反撃する事を躊躇う気は無かった。

 

 ルリア目がけて迫る、銀の刃。

 

 響の放った攻撃が少女を斬り裂くか?

 

 そう思った。

 

 だが、

 

「甘いな」

 

 囁かれるような声。

 

 次の瞬間、

 

 ガキンッ

 

 横から伸びた槍の穂先が、響の繰り出した刃を受け止めていた。

 

「んッ!?」

 

 思わず振り返る響。

 

 合わさる優離の視線が、鋭く光る。

 

 同時に、槍を横なぎに繰り出された。

 

 対して、響の反応も素早い。

 

 迫る槍の穂先に対し、とっさに地を這うような低い姿勢を取って優離の一閃を回避。

 

 同時に、体制を整える間ももどかしく、擦り上げるようにして刀を繰り出した。

 

「これでッ」

 

 必中を確信する響。

 

 その刃が、優離の胴を捉えた。

 

 次の瞬間、

 

 ガキッ

 

「なッ!?」

 

 思わず絶句する響。

 

 ありえない異音と共に、響が繰り出した刃は、優離の胴に受け止められていたのだ。

 

 響の刃は、間違いなく優離を捉えている。にもかかわらず優離は一切、出血はしていなかった。

 

「そん、な・・・・・・・・・・・・」

 

 愕然とする響。

 

 次の瞬間、

 

 優離の放った強烈な蹴りが響の腹に当たり、少年は大きく吹き飛ばされた。

 

「グ、ハッ」

 

 そのまま地面を転がり、背後の木の根に当たって止まる響。

 

 腹部に受けた衝撃。

 

 そこから生じる痛みに、響は呼吸が止まるほどのダメージを受ける。

 

 刀を手放さなかったのは殆ど本能的だったが、身動きがほとんどできなくなってしまう。

 

 そんな響を見下ろす優離。

 

「さすがは暗殺者(アサシン)と言ったところか。敏捷と隠密度においては侮れない物がある」

 

 言いながら、槍を持ち上げて穂先を掲げる。

 

「だが、所詮は暗殺者。ギリシャの大英雄の相手としては役者不足だったな」

 

 刃がギラリと光る。

 

「死ね」

 

 槍が降り上げられた。

 

 次の瞬間、

 

 突如、飛来した閃光が、優離の胸板を直撃した。

 

「うッ!?」

 

 流石に予期していなかったのか、衝撃を受けて後退する優離。

 

 ダメージは皆無だったが、衝撃までは殺せなかったのだ。

 

 そこへ、青い影が飛び込んでくると、倒れている響を守るように、手にしたステッキを真っすぐに構えた。

 

「響は、やらせない」

 

 魔法少女(カレイドサファイア)に変身した美遊は、そう言って目の前に立つ優離とルリアを牽制する。

 

 その瞳は、普段の静かさの中に、激情のような炎が宿っているようにも見える。

 

 幼さの残る少女の瞳は、今や明確な戦気を伴って輝いていた。

 

「み、美遊・・・・・・」

「大丈夫、響?」

 

 ようやく起き上がった響を気遣うように、美遊が声を掛けた。

 

 対して、優離とルリアも、突如現れた美遊の存在に警戒を露わにしている。

 

 響1人なら数で圧倒できるが、しかしそこに美遊まで加わるとなると、流石にどう転ぶか分からなかった。

 

「美遊、気を付けて。こいつら、強い」

「うん」

 

 響の言葉に、頷きを返す美遊。

 

 とは言え、

 

 チラッと、響を見やる。

 

 ここまで1人で戦ってきた少年の姿は、既にボロボロである。

 

 親友をここまで傷つけられて平静でいられる美遊ではなかった。

 

 少女の中で、激情は更なる炎となって燃え上がる。

 

 誰であれ、親友を傷つける者は許さない。

 

 美遊の瞳は、そう語っている。

 

 次の瞬間、

 

 両者は同時に動いた。

 

 

 

 

 

 駆ける響。

 

 その手にした刀が、輝きを受けて閃く。

 

 対して、待ち受ける優離も、槍を真っすぐに構えて迎え撃つ。

 

 既に先ほどの激突で、膂力では優離に敵わない事を、響は悟っている。

 

「ならッ」

 

 更に速度を速める響。

 

 そこへ、優離が槍を鋭く繰り出す。

 

 だが、

 

 その穂先が響を捉えようとした次の瞬間、

 

 響は身を捻るようにして優離の攻撃を回避する。

 

「チッ」

 

 舌打ちする優離。

 

 その間に響は、回避の勢いを殺さずに旋回すると、横なぎの一線を優離に繰り出す。

 

 大気を斬り裂く鋭い一閃は、

 

 しかし、それよりも一瞬早く、優離がのけぞるようにして回避したため、捉えるには至らない。

 

「速さも、それなり・・・・・・」

「当然だ」

 

 舌打ち交じりの響に対し、優離は余裕の表情で返す。

 

「この俺に、よりによって『速さ』で挑むとは、愚かにもほどがあるぞ!!」

 

 言い放つと同時に、槍を横なぎに振るう優離。

 

 対して、響は空中で宙返りをしながら、優離の攻撃を回避する。

 

 同時に魔力を足に通して空中に足場を形成する。

 

 立ち尽くす優離を眼下に見る響。

 

 手にした刀は、切っ先を優離に向けて構えられる。

 

 そのまま、空中を蹴って疾走する響。

 

 突き込まれる刀の切っ先が、優離の胸板を捉える。

 

 だが、

 

 ギンッ

 

 繰り出した刃は優離を貫く事叶わず、胸板で受け止められていた。

 

 舌打ちしながら交代する響。

 

 とっさに、後方宙返りを行い、距離を置きにかかる。

 

 そのまま、反撃が来る前に間合いを取り直した。

 

 しかし、

 

 攻撃を当てても、弾かれてしまうのは、やはりこれまでと同じだった。

 

 恐らくだが、優離の防御力の正体は、宝具の類ではないか、と響は読んでいた。

 

 しかしそうなると、あの防御力を破るには、何らかの条件を満たす事が必要になるだろう。

 

 優離が、かつて響達が戦ったバーサーカーと同等か、あるいはそれ以上の防御力を誇っているのは間違いない。

 

 蘇生能力があるかどうかは判らないが、いずれにしても、

 

「厄介・・・・・・・・・・・・」

 

 言いながら響はスッと体を半身引き、刀の切っ先を優離に向けて構える。

 

 相手に絶対防御がある以上、多少の攻撃を繰り出したところで埒が明かない。

 

 ここは一気に、最大戦力で勝負を掛けるべきだった。

 

 対して、優離も槍を構えた。

 

 次の瞬間、

 

 仕掛けたのは響だった。

 

 踏み出す一歩。

 

 少年の体が加速する。

 

 二歩、

 

 響の姿が霞むほどの速度で駆け抜ける。

 

 そして三歩、

 

 獣の牙と化した刃が、優離に襲い掛かる。

 

 その響の姿に、

 

「ッ!?」

 

 思わず息を呑む、優離。

 

 響の動きは、優離の予想をはるかに上回っていたのだ。

 

 それだけではない。

 

 迫る刃に込められた殺気。

 

 その強烈な一撃を前に、

 

 とっさに防御の姿勢を取る優離。

 

 そこへ、容赦なく響の繰り出した突きが襲い掛かった。

 

「グッ!?」

 

 衝撃に、息を詰まらせる優離。

 

 次の瞬間、

 

 響の放った突きは、彼の防御力を上回り、胸板を貫く。

 

 その胸より、大量の鮮血が舞い散った。

 

 

 

 

 

 一方、

 

 響が優離相手に奮戦している傍らでは、美遊もまた、ルリアとの交戦を開始していた。

 

 木々の陰に隠れながら矢を放ってくるルリアに対し、美遊は魔力弾を放って応戦する。

 

 両者の間で交わされる、激しい砲火。

 

砲射(シュート)!!」

 

 美遊が空中を蹴りながら放った魔力弾に対し、

 

 ルリアはとっさに木の幹を足場代わりにして上空へ駆けあがり回避する。

 

 上空で、弓を構えるルリア。

 

 必中の意思を込めて、矢を放つ。

 

 唸りを込めて飛来する矢。

 

 対して、

 

 美遊はサファイアをかざすと、前面の障壁を展開して防御する。

 

「甘いッ」

 

 矢を弾くと同時に、美遊は動いた。

 

 手にしたサファイアに魔力を込めると、薙ぎ払うように放つ。

 

 迸る魔力の閃光。

 

 対してルリアは、木々を飛び移りながら回避する。

 

《敵の敏捷はかなり高いようです。ご注意ください、美遊様》

「大丈夫。考えがある」

 

 サファイアの指摘に冷静に答えながら、美遊は再び攻撃態勢に入る。

 

 木々を縫うように空中を蹴りながら、ルリアとの間に一定の距離を保つ。

 

 同時に、魔力を込めたサファイアを掲げる。

 

速射(シュート)!!」

 

 放たれる無数の魔力弾。

 

 イリヤの散弾に近い攻撃は、放射状に広がり、ルリアに襲い掛かる。

 

 対して、巧みに木の枝を足場にしながら回避に努めるルリア。

 

「その程度の攻撃で、わたしは捕えられないよ!!」

 

 言い放った直後、

 

 ルリアは目を見開いた。

 

 立ち並ぶ木々の向こう。

 

 まっすぐにサファイアを向けた、美遊の姿がある。

 

「弾速最大、砲射(シュート)!!」

 

 放たれる、最高速度の魔力砲。

 

 その一撃が、

 

 真っ向からルリアを撃ち抜いた。

 

 

 

 

 

 胸の傷を押さえ、後退する優離。

 

 対して響は、突きを放った状態のまま、視線を相手に向けている。

 

 手ごたえはあった。響の剣は確かに、優離にダメージを与える事に成功した筈。

 

 しかし、

 

「浅い・・・・・・・・・・・・」

 

 響は険しい顔で呟く。

 

 本来なら必殺確実の攻撃を放ったにも関わらず、響は己の刃が完全には決まらなかったことを自覚せざるを得なかった。

 

 その証拠に、

 

 顔を上げた優離の口元には、笑みが浮かべられていた。

 

「多少は、できるようだな」

「・・・・・・・・・・・・」

 

 相変わらず胸からは血が流れ続けているが、優離の表情には、明らかな余裕が見られる。未だに全力を出していない感すらあった。

 

 目を細める響。

 

 こちらは切り札まで使ったと言うのに、倒しきる事ができないとは。

 

 その時だった。

 

 突如、立て続けに枝を折る音がしたかと思うと、対峙する2人の間を裁くように、少女が落下してきた。

 

 ルリアだ。

 

 敏捷さを発揮して戦っていた少女だが、美遊の強烈な攻撃を受けて撃墜された形だった。

 

 ルリアはどうにか着地に成功したものの、左腕からは血が流れている。

 

 そこへ、追いかけるようにして美遊が、響のすぐ側へと降り立った。

 

「ごめん、仕留めそこなった」

《予想以上に素早かったです》

 

 そう言って詫びる美遊とサファイア。

 

 どうやら、向こうも仕留めきれなかったようだ。

 

 一方、

 

「どうした、もう終わりか?」

「うるさい。少し休憩してただけよ。そっちこそ、血だらけで威張らないで」

 

 揶揄するような優離の言葉に、ルリアは悪態交じりで返す。

 

 どうやら、あまり仲が良い、とは言えないようだが。

 

 構えなおす、響と美遊。

 

 まだ、戦いは終わっていない。

 

 両者の間に、再び緊張が走りかけた時だった。

 

「やれやれ、まったく危なっかしくて見てられないわね」

 

 どこか楽し気にさえ聞こえる陽気な少女の声が響き渡る。

 

 振り返る一同。

 

 そこで、

 

「「あッ」」

 

 響と美遊は、同時に声を上げる。

 

 そこに立っていたのは、

 

 よく見知った人物と、全くうり二つの容姿を持つ少女。

 

 先日来、響達が気にかけている存在。

 

 黒イリヤに他ならなかった。

 

 

 

 

 

第5話「伝説の英雄」      終わり

 



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第6話「予期せぬ凶刃」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 響が、

 

 美遊が、

 

 ルリアが、

 

 優離が、

 

 それぞれ視線を向ける中、

 

 紅の外套を靡かせた少女は、銀に輝く髪を靡かせて、ゆっくりと歩み出てきた。

 

 響はジッと、少女に視線を送る。

 

 やっぱり似てる。

 

 瓜二つ、としか言いようがない。

 

 アーチャーの姿をしたその少女は、肌が黒い事以外は、見れば見るほどイリヤに似ている。

 

 いっそ「黒イリヤ」を正式名称にしてしまいたいくらいである。

 

 そんな中、黒イリヤは嘆息交じりに周囲を見回した。

 

「まったく、ずいぶんとひどい戦い方をしているわね。見てらんないわよ」

 

 言いながら、肩を竦めて響と美遊を見る黒イリヤ。

 

 彼女としては、この戦いに介入する気は無かったのだが、どうにも手ぬるい響達の戦い方に我慢できず飛び出してきた、と言ったところである。

 

 それにしても、

 

 響はジッと、黒イリヤを見つめる。

 

 どっからどう見ても、姉と瓜二つな黒イリヤ。一度並ばせて見比べてみたいくらいである。

 

 正直、これで肌の色が同じなら、弟の響ですら見分けは付かないかもしれない。

 

 だが、それより何より驚いたのは、

 

「・・・・・・・・・・・・喋った」

「は?」

 

 突然の響の物言いに、不審そうな顔を作る黒イリヤ。

 

 だが、そんな黒イリヤの事を、響はマイマジと見つめる。

 

 正直、これまで相手にしてきた黒化英霊達は、どいつもこいつも理性と言う物を持たず、ただ本能の赴くままに襲い掛かって来た、いわば獣にも等しい者たちばかりであった。

 

 しかし、この黒イリヤは違う。

 

 少なくとも言葉を発し、会話をする事が出来る。

 

 つまり、交渉の余地がある、と言う事だった。

 

 意を決し、響は黒イリヤを見た。

 

 そして、

 

「どぅ~ゆ~すぴ~くじゃぽに~ず?」

「響、取りあえず落ち着いて」

 

 いきなり頓珍漢な事を言い始めた響に対し、冷静にツッコミを入れる美遊。

 

 交渉能力が皆無以下な親友に、美遊は軽い頭痛を覚えずにはいられなかった。

 

 ていうか、最初から日本語を使っていただろ。あと発音間違ってるし。

 

 対して、黒イリヤは腰に手を当てて響を見やる。

 

「・・・・・・・・・・・・もしかして、馬鹿にしてる?」

 

 少女の額に浮かんでいる青筋は、たぶん気のせいではない。

 

 もっとも、当の響からすれば、至極まじめにやっているのかもしれないが。如何せん、相変わらずの無表情である為、本気なのかギャグなのか、いまいち判り辛かった。

 

 と、

 

「誰だ、お前は?」

 

 そこで、当然の出来事に警戒していた優離が、槍を少女に向けてきた。

 

 彼やルリアとしては、突然乱入してきた黒イリヤの存在が気になる所であろう。

 

 対して、黒イリヤは余裕の表情で肩を竦めて見せる。

 

「正義の味方・・・・・・って訳じゃないわよ、言っとくけどね。けど、見て見ぬふりをするってのも、何となく後味が悪くってね。それに、こっちの用事の前に、荒らし回られるのも面白くないし」

 

 そう告げると、黒イリヤは突如、両手に白と黒の剣を持って構えた。

 

「悪いけど、ちょっとばかり介入させてもらうわ」

 

 その様に、響は目を見開く。

 

 今、黒イリヤは何の予備動作もなく、何もない空間から剣を取り出して構えたように見えた。

 

 いったい、いかなる手品を使ったのか?

 

 と、

 

「まさか・・・・・・投影魔術?」

「美遊?」

 

 親友が呟いた一言に、響が振り返る。

 

 投影魔術、とは何の事だろう?

 

 字面からして魔術の一種だと言う事は判るが、美遊の口からその言葉が出た事が、響には驚きだった。

 

 そんな美遊の声が聞こえたのか、黒イリヤは僅かに振り返って笑いかける。

 

 次の瞬間、

 

 少女は仕掛けた。

 

 手にした双剣を構えて、優離へと斬り込む。

 

 その様は、まるで地を疾走すして獲物に襲い掛かる黒豹のようだ。

 

 描かれる黒白の軌跡。

 

 対して、優離も手にした槍を横なぎに振るって迎え撃つ。

 

 激突する両者。

 

 神速の突きを立て続けに繰り出す優離。

 

 対して、黒イリヤは姿勢を低くして間合いに飛び込むと、優離の攻撃を回避しながら、同時に右手に構えた白剣を突き込むように構える。

 

 見上げる黒イリヤ。

 

 その視線の先には、攻撃直後で動けないでいる優離の姿がある。

 

 タイミング的に回避は不可能に思える一撃。

 

「貰ったわよ!!」

 

 殆どゼロ距離から放たれた黒イリヤの刃を、

 

 しかし優離は、大きく後退する事で回避してしまった。

 

 距離を置いて着地する優離。そのまま槍を構えなおす。

 

「成程・・・・・・・・・・・・確かに厄介ね」

 

 対して常識はずれな敏捷を誇る優離に、黒イリヤは舌打ちをするしかない。

 

 まさかあの間合いで、攻撃を回避されるとは思っても見なかった。どうやら彼女の能力をもってしても、優離の素早さに追随する事は並大抵の事ではないようだ。

 

 加えて、例の防御力の事もある。仮に攻撃を当てたとしても、大ダメージを与える事は難しい。

 

 常識を超えた機動性に加えて絶対的な防御力。そして高い白兵戦技術。

 

 優離は間違いなく、以前戦ったバーサーカーよりも難敵だった。

 

 後退した優離を追って、更に斬り込もうとする黒イリヤ。

 

 その時、

 

 唸りを上げて大気を斬り裂く音が飛来する。

 

 とっさに振り返ると同時に、左手に構えた黒剣を、切り上げるように振るう黒イリヤ。

 

 斜めに走る剣閃。

 

 同時に、切り払われた矢が、真っ二つになって地面に転がる。

 

 その視界の先では、弓を構えたルリアが硬い表情で黒イリヤを見据えていた。

 

 その瞳は、僅かに細目られたまま黒イリヤに向けられている。どうやら奇襲を狙った一撃を回避され、いら立ちを隠せないでいる様子だ。

 

 さらに攻撃を仕掛けるべく、弓を引き絞ろうとするルリア。

 

 そこへ、

 

 横合いから放たれた魔力弾が、ルリアに襲い掛かった。

 

「ッ!?」

 

 とっさに後退するルリア。

 

 美遊の攻撃である。どうやら、黒イリヤの参戦によって状況が変化したと判断し、攻撃を開始したのだ。

 

 とっさに後退して、美遊の攻撃を避けようとするルリア。

 

 そこへ、美遊が容赦なく追撃を仕掛けてきた。

 

 連続して放たれる魔力弾。

 

 それに対し、機先を制されたルリアは、反撃する事も出来ずに回避に専念するしかなかった。

 

 一方、

 

 響もまた、刀を手に優離に斬りかかっていた。

 

 鋭く突き込まれる切っ先。

 

 それに合わせるように、黒イリヤもまた双剣を振るって攻撃を再開する。

 

 響の攻撃に合わせるように、黒白の剣閃が優離に迫る。

 

 襲い来る2騎の英霊。

 

 その連携した攻撃を前に、

 

 優離は一歩も引かずに迎え撃つ。

 

 横なぎに振るう響の攻撃を槍で受け、黒イリヤの放った黒白の斬撃を片腕で弾く。

 

 その様に、響と黒イリヤは同時に舌打ちした。

 

 絶対的な防御力はいまだに健在であり、2人の放つ攻撃は悉く弾かれてしまう。

 

 逆に、響と黒イリヤが僅かでも隙を見れば、優離はすかさず反撃に転じてくる。

 

 鋭く突き込まれる槍の穂先を、響と黒イリヤはかろうじて回避するだけでも精いっぱいだった。

 

「英霊としての格が馬鹿みたいに高いみたいね。このままじゃ埒が明かないわ」

 

 優離の戦闘力を見抜き、舌打ちする黒イリヤ。

 

 ゲームキャラならチート呼ばわりされてもおかしくない存在であるのは間違いない。

 

「さて・・・・・・・・・・・・」

 

 囁くように言いながら、槍を構えなおす優離。

 

 状況は1対2であるが、それでもなお、自分の方が戦闘力が高い事を、優離は判っている。

 

 恐らく、このまままともに戦ったとしても、負ける事は無いだろう。

 

 対して、警戒するようにそれぞれの武器を構えなおす響と黒イリヤ。

 

 緊張を増した。

 

 次の瞬間、

 

 突如、飛来した魔力の奔流が、優離に襲い掛かった。

 

「ッ!?」

 

 全く予期しえなかった方向からの攻撃に、殆ど反射的に後退する優離。

 

 響や黒イリヤではない。

 

 振り仰ぎ、魔力砲が飛来した方向に目を向ける。

 

 そこへ、ピンク色の衣装を着た少女が飛び込んで来た。

 

「ヒビキッ ミユッ 無事!?」

 

 イリヤだ。

 

 その姿は既に、魔法少女(カレイドルビー)の姿に変身している。

 

「イリヤ、何でここに?」

「保健室で寝てたら、ヒビキとミユが飛び出していくのが見えたから追いかけてきたの」

 

 問いかける響に対し、イリヤは息を整えながら答える。

 

 保健室のベッドで寝ていたイリヤは、それぞれ変身した響と美遊の姿を見つけ、ただ事ではないと感じ、とっさに飛び出してきたのだ。

 

 と、

 

 イリヤの視線が、響と並ぶような形で剣を構えている少女へと向けられた。

 

「あ、あなた、この間のッ!?」

 

 イリヤは黒イリヤの姿を見て、驚いて声を会える。

 

 先日来、姿を見せなかった黒イリヤが、まさか響達と一緒にいて共闘までしているとは思いもよらなかったことである。

 

 対して、黒イリヤの方も、イリヤに視線を向けてきた。

 

「あら、今頃来たの? 随分と余裕じゃない、イリヤ」

 

 皮肉交じりに声を掛ける黒イリヤ。

 

 対して、イリヤの反応は、

 

「しゃべった!?」

《しゃべりましたよ、この黒いの!?》

 

 響と全く同じだった。まあ、無理も無いと言えば無い話なのだが。

 

 ついでに、ルビーも一緒になって驚いている。

 

 黒化英霊と対峙した事があるイリヤ達にとって、黒イリヤが喋ったことはそれほどまでに衝撃的だったのだ。

 

《イリヤさん、早速コンタクトを!!》

「ワ・・・・・・ワタシナカマ、テキジャナイ!!」

 

 どこから取り出したのか、大きなペロペロキャンディを差し出して、黒イリヤとの交渉を試みるイリヤ。

 

 殆ど未開地の原住民扱いである。交渉能力は姉弟揃って同レベルだった。

 

 そんなやり取りの傍らで、

 

「・・・・・・・・・・・・興が削がれたな」

 

 優離は、嘆息しつつ槍を下げた。

 

 敵は4人。対してこちらは優離とルリアの2人だけ。

 

 自分たちの戦力をもってすれば負けるとは思わないが、それでも面倒である事は間違いない。

 

 無理をしてまで勝利を得ようとは思わないし、この場でそこまでするほどの意義を、優離は見いだせなかった。

 

「退くぞ、ルリアッ」

「何を馬鹿なッ」

 

 呼びかけた優離に対し、反発を返すルリア。

 

 その間に飛来する美遊の攻撃を回避。同時に、手にした弓で矢を放ち、対峙する魔法少女(カレイドサファイア)を牽制する。

 

「せっかく、好機が来たのに、ここで退ける訳ないでしょうが!!」

 

 言いながら疾走。同時に美遊に向けて矢を放つルリア。

 

 放たれた矢は三連。すべて連なるように、美遊へと向かって飛来する。

 

 対して美遊はとっさに魔力の足場を蹴って跳躍。自分に向かって飛んできた矢を回避すると同時に、手にしたサファイアに魔力を込めて解き放つ。

 

 放たれた魔力弾がルリアの足元に着弾。少女を大きく吹き飛ばした。

 

「クッ!?」

 

 吹き飛ばされながらも、どうにか空中で体勢を立て直すルリア。

 

 そのまま、優離の側へと降り立つ。

 

 その少女の肩を、優離は掴んだ。

 

「退けと言ってるだろうッ」

「まだッ」

 

 強い口調の優離を振り払うようにして、前に出ようとするルリア。

 

 しかし、

 

 ガシッ

 

「ッ!?」

 

 突如、強い力で肩を掴まれる。

 

 思わず、痛みに顔をしかめるルリア。

 

「いい加減にしろッ ガキの我儘に付き合ってやるほど、こっちは暇じゃない」

「クッ・・・・・・・・・・・・」

 

 低い声で告げる優離に対し、思わず言葉を詰まらせるルリア。

 

 優離の言葉には、有無を言わさないだけの圧力が込められていた。

 

 その優離の言葉に観念したのか、ルリアは悔しそうに唇をかみながら踵を返す。

 

 その時、

 

「逃がさない」

 

 低い呟きと共に、刀を手に斬りかかる響。

 

 しかし、響が2人を間合いに捉える前に、優離とルリアはその場から大きく跳躍。距離を取った。

 

「逃げるの?」

「焦る必要はない。いずれ、お前とは決着をつける時が来る」

 

 問いかける響に対し、優離は静かに言い放つ。

 

「その時は、せいぜい足掻いて見せろ。衛宮響」

 

 そう言うと、踵を返す優離。

 

 その背後から付き従うように、ルリアも去って行く。

 

 と、

 

 最後に、少女の視線が、後から来たイリヤを捉えた。

 

 イリヤの方でも、ルリアの視線に気づいたのか、キョトンとして相手を見つめる。

 

 しばし、視線を交わす2人。

 

 ややあって、ルリアは視線を外すと、そのまま踵を返して優離の後を追いかけるのだった。

 

「・・・・・・・・・・・・終わった?」

 

 呟きながら、ゆっくりと刀を下す響。

 

 結局、あの2人が何者なのか、なぜ自分たちを襲ってきたのか、など、理由は全く分からないままだった。

 

 しかも、口ぶりからすると、今後も襲ってくる気満々なようである。

 

「あいつ・・・・・・・・・・・・」

 

 思い出す、優離の戦闘力。

 

 あの力は、間違いなく響のそれを大きく凌駕していた。

 

 しかも、まだ全力を出し切っていない節すらある。

 

 もし、再び戦う事になったら、果たして自分は、あの男に勝てるだろうか?

 

 それは響にも、判らない事だった。

 

「ねえ、いったい何があったの? どうしてこんな事態に? て言うか、あの人たち誰?」

 

 慌てて飛び出してきたものの、事態に全くついていけないイリヤ。

 

 対して、響と美遊は微妙な顔を見合わせながら答える。

 

「えっと、話せば長くなると言うか・・・・・・」

「ぶっちゃけ、よく分かんない」

 

 結局、ルリアと優離が誰なのか、何の目的で自分たちを襲ってきたのか、と言う事が一切分からなかった。

 

 その事が却って不気味である。

 

 それに、

 

 響は、ルリアが最後にイリヤに向けて見せた視線が気になっていた。

 

 あの憎しみと敵意によっていろどられた視線には、何か怨念じみた物を感じる。

 

 何も無ければ良いのだが。

 

 と、まあ、それはそれとして、もう一つ、片付けるべき問題が響達にはあった。

 

 響は視線を巡らせる。

 

 その先には、つい先ほどまで共闘していた黒イリヤの存在があった。

 

「さて・・・・・・・・・・・・」

 

 そんな響の視線に合わせるように、黒イリヤはやれやれとばかりに肩を竦める。

 

「邪魔者もいなくなったところで、こっちの本題に入らせてもらうわよ」

 

 本題?

 

 何のことを言ってるのか?

 

 一同が訝りを見せた。

 

 次の瞬間、

 

 黒イリヤは、手にした剣をイリヤ目がけて投擲した。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 向かってくる白の刃。

 

 その切っ先が眼前に迫った瞬間、

 

「キャァっ!?」

 

 とっさに尻餅を突く形でよけるイリヤ。

 

 一拍あって、白剣はイリヤの背後にある木の幹へと突き刺さった。

 

「なッ・・・・・・ なななな!?」

 

 あまりな状況に、思わず尻餅をついたまま、ガクガクと恐怖に震えるイリヤ。

 

 木に突き刺さった剣は、尚も衝撃の振動によって「ビィィィン」と震えているのが分かる。

 

 一歩間違えば剣は顔面に刺さり、イリヤの可憐な容姿は見るも無残になり果てていただろう。

 

 回避できたのは殆ど偶然の産物に過ぎない。

 

 しかし、

 

「むう、また避けた・・・・・・・・・・・・」

 

 黒イリヤは、そんなイリヤの様子に不満げな表情を見せる。

 

「やっぱり、無駄に直感と幸運のランクが高いわね。なるべく自然にやっちゃおうと思ったんだけど、朝の奴も全部ぎりぎりで回避されるし」

「朝・・・・・・じゃあ、ダンプとか犬とか・・・・・・・・・・・・」

 

 響は朝のイリヤの様子を思い出して呟く。

 

 朝、イリヤはあり得ないほどの災難に見舞われていた(すべて回避したが)。

 

 だが、話を聞くにどうやら、その全てが目の前の少女の差し金だったと見える。

 

 再び、両手に双剣を構える黒イリヤ。

 

「やっぱり、直接殺しに行くしかないわね」

 

 笑顔から溢れる殺気。

 

 対して、イリヤも立ち上がってルビーを構える。

 

「このッ こうなったら・・・・・・・・・・・・」

 

 ステッキに魔力を込めて振り被るイリヤ。

 

「先手必勝!! 砲射(フォイア)!!」」

 

 放たれる魔力弾。

 

 以前の戦いでは、騎兵(ライダー)にもダメージを与えた一撃である。

 

 その一撃が黒イリヤに命中する。

 

 次の瞬間、

 

 ベインッ

 

 まるで飛んできた羽虫を払うように、黒イリヤは魔力弾をビンタで明後日の方向に弾き飛ばしてしまった。

 

 キラーン、と言う古典的な描写と共に、彼方へと飛び去ってしまう魔力弾。

 

「・・・・・・・・・・・・えっと」

 

 思わず、絶句するイリヤ。

 

 あまりと言えば、あまりな光景だった。

 

 次の瞬間、剣を投擲する黒イリヤ。

 

 その刃は、容赦なくイリヤに襲い掛かって来た。

 

「はわわわっ な、何でェ!?」

《ちょ、ちょっとイリヤさんッ いくらなんでも手加減しすぎです、もっと本気になってください!!》

 

 慌てて逃げるイリヤに、ルビーも焦った調子で言う。

 

 言われなくても、とばかりに振り返るイリヤ。

 

「今度こそッ 全力砲射(フォイア)!!」

 

 再び魔力弾を放つイリヤ。今度は、手加減抜きの全力攻撃である。

 

 しかし、

 

 結果は同じ。

 

 黒イリヤは自分に向かってきた魔力弾を、あっさりと剣で弾いてしまった。

 

「・・・・・・・・・・・・なッ」

 

 一度ならず二度までも、となると流石に平静ではいられない。

 

「何でェェェェェェ!?」

《何か、イリヤさんの出力が激減しています。めっちゃ弱くなっていますよ!!》

 

 イリヤにガクガクと振られながら、ルビーも焦ったように答える。

 

 そんな2人の様子を見て、黒イリヤはクスクスと笑う。

 

「そっか、弱くなってるんだイリヤ。まあ、当然よね。私がここにいるんだから」

 

 楽しそうに笑う黒イリヤ。

 

 口ぶりからするに、イリヤの魔力低下と黒イリヤの出現は、何らかの因果関係がある事がうかがえる。

 

 しかし、今はその事を考えている余裕はない。

 

 黒イリヤは、両手に構えた黒白の双剣をイリヤへと向けて構える。

 

「好都合だわ。ここでサックリ殺してあげるッ!!」

 

 言い放つと同時に、剣を構えて仕掛ける黒イリヤ。

 

 対して、魔力が低下したイリヤには成す術がない。

 

 少女の運命は、ここで蹈鞴てしまうのか?

 

 そう思った次の瞬間、

 

 その目の前に、漆黒の影が飛び込んで来た。

 

 黒イリヤの繰り出す剣を、刀で弾く響。

 

 それに伴い、黒イリヤは後退を余儀なくされた。

 

 その鋭い視線が、薄笑いする少女を射抜く。

 

「・・・・・・何のつもり?」

「何って、見ての通りよ」

 

 詰問口調の響に対し、黒イリヤは肩を竦めて答えると、白剣の切っ先を響の肩越しにイリヤへと向ける。

 

「イリヤにはここで死んでもらうわ」

「そんな事、させないッ」

 

 言い放つと同時に、

 

 響は動いた。

 

 脇に構えた刀を、抜き打つように横なぎに振るう。

 

 迫る月牙の刃。

 

 対して黒イリヤはとっさに跳躍、響の攻撃を回避する。

 

「来るとわかっていれば、いくらでもよけられるわ!!」

 

 そのまま降下の勢いを利用して、響へと斬りかかる黒イリヤ。

 

 刃をそろえて振り下ろされる黒白の剣。

 

 その一撃を、

 

 響は刃を盾にして防ぐ。

 

 火花散る、互いの剣。

 

 響はそのまま、両腕に力を籠め、空中にいる黒イリヤを押し返す。

 

「おっと」

 

 対して空中で錐揉みする黒イリヤは、とっさにバランスを取って着地した。

 

「ヒビキッ!!」

「下がって、イリヤ」

 

 言いながら、前へと出る響。

 

 理由は判らないが、今のイリヤは魔力が低下している。そんなイリヤを前に出すわけにはいかなかった。

 

 再び前へと出る響。

 

 その視線が一瞬、チラッと美遊の方へと向けられる。

 

 対して、

 

 美遊もまた、響の視線の意味を受けて頷きを返す。

 

 双剣を構えて、響を迎え撃つ黒イリヤ。

 

 響の袈裟懸けの一撃を、黒イリヤは黒剣で受けつつ、逆に白剣の切っ先を突き出す。

 

 鼻先に迫る、白の刃。

 

 対して、響はとっさにのけぞるようにして、黒イリヤの攻撃を回避する。

 

 眼前を突き抜けて良く刃。

 

 舞い上がった響の前髪が数本、断ち切られて宙に舞う。

 

 しかし、

 

 攻撃の為、黒イリヤの体が大きく伸びている。

 

 この体勢からでは、とっさに動くことができないはず。

 

「もらった」

 

 一瞬を逃さず、響は刀を返して斬りかかる。

 

 横なぎに迫る刃。

 

 今度こそ、必中のタイミング。

 

 絶対にかわせるはずが無い。

 

 そう思った瞬間、

 

 響の刀は、「何もない空間」を虚しく薙ぎ払った。

 

「なッ!?」

 

 驚く響。

 

 そして、

 

「惜しかったわね。けど、甘いわ」

 

 背後から聞こえる声。

 

 そこには、双剣を振り翳す、黒イリヤの姿がある。

 

「じゃあね響。バイバイ」

 

 そのまま双剣を振るう黒イリヤ。

 

 二振りの刃が響へと迫った。

 

 次の瞬間、

 

 飛来した二条の魔力砲が、黒イリヤに襲い掛かった。

 

「チッ!?」

 

 舌打ちしつつ、黒イリヤはとっさに響への攻撃を断念。後退して距離を取る。

 

「・・・・・・やっぱ、そう簡単にはいかない、か」

 

 顔を上げた視線の先には、それぞれのステッキを構えたイリヤと美遊の姿がある。

 

 苦戦する響を見て、2人が援護射撃を行ったのだ。

 

 視線を巡らせる黒イリヤ。

 

 彼女の背後では、体勢を立て直した響が刀を構えているのが見える。

 

 黒イリヤを包囲するように立つ3人。

 

 その様子を見渡しながら、黒イリヤは嘆息した。

 

 流石に事前準備無しに1対3では、勝ち目は薄いと言わざるを得ない。こっちはあの優離の英霊みたいに化け物じみた実力を持っているわけではないのだから。

 

「まあそれでも、やってやれない事は無いんだけど・・・・・・流石に面倒くさいわね」

 

 黒イリヤは思案するように呟いてから、まるで手品のように両手に持った剣を消し去った。

 

「仕方ない、退くか」

「逃がさない!!」

 

 撤退する意図を示した黒イリヤに対し、急追して斬りかかる響。

 

 しかし、響が振るう刃が届く前に、黒イリヤは大きく跳躍してその場から逃れる。

 

 そのまま頭上の枝へと飛び乗り、間合いの外へと出てしまった。

 

「楽しかったわ、それじゃあね!!」

 

 言いながら木の枝を跳躍し、その場を去って行く黒イリヤ。

 

 後には、呆然と立ち尽くす、響、イリヤ、美遊の3人だけが残されるのだった。

 

 

 

 

 

第6話「予期せぬ凶刃」      終わり

 



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第7話「黒イリヤ捕獲作戦」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「派手にやられたものだな」

 

 戻って来た2人を見て、ゼストが放った第一声がそれであった。

 

 響達との交戦を終え、拠点にしている冬木ハイアットホテルの最上階スイートへと戻っ来た優離とルリア。

 

 戦闘は奇襲を仕掛けた事もあり、終始、優離たちが優勢を維持する事が出来た。

 

 しかし、

 

 それでもやはり、無傷と言う訳にはいかなかったのも事実である。

 

 優離は響の剣を胸で受け、ルリアは美遊の攻撃によって負傷していた。

 

 2人とも軽傷と言っても差支えが無いが、それでもあれだけ有利な状況を作っておいて勝利できなかった事は、痛恨だったのかもしれない。

 

 特に、優離が夢幻召喚した英霊は、古今において最強と称して言い、第1級の存在である。いかに最強の宝具を使用しなかったとはいえ、この結果は決して誇れるものではなかった。

 

「言い訳はしないさ。仕留めきれなかったのは事実だからな」

 

 そう言って肩を竦める優離。

 

 あの時、あのまま更に交戦を継続していても、あるいは勝てていた可能性も十分にあっただろう。

 

 仮に響達4人が同時に相手になったとしても、互角以上に戦えた自信が優離にはある。

 

 しかし、

 

 チラッと、優離はルリアに目を向ける。

 

 それはあくまで、優離1人に対して言える事である。

 

 あの面子を相手にルリアを巻き込み、なおかつ彼女も守りながら戦って勝てると思える程、優離は愚かではなかった。

 

「・・・・・・・・・・・・次は、負けない」

 

 絞り出すような声で言ったのは、それまで黙っていたルリアだった。

 

 その瞳は、どこか暗い輝きを放ち、何かここにはない、別の物を見据えてるかのようだ。

 

 少女の脳裏に浮かぶ、1人の少女。

 

 あの戦いのさなか、最後に飛び込んで来た白い少女の姿が、ルリアの頭から離れなかった。

 

「そうしてくれたまえ」

 

 そんなルリアに対し、ゼストは素っ気ない感じで声を掛けた。

 

「君自身の悲願の為にもね。でなければ、わたしがこうして協力している意味もないと言う物だよ」

 

 皮肉交じりの声。

 

 それに対し、ルリアは悔しさをにじませるように、スカートの裾をギュッと握りしめるのだった。

 

 

 

 

 

「どうしてあそこで退いたの!?」

 

 ゼストの部屋を出て、廊下を歩いていた優離に追いついたルリアは、怒気も隠さずに優離へと詰め寄った。

 

 対して、優離はやや顔をしかめるようにして振り返る。

 

 だが、ルリアは構わず続けた。

 

「あのまま戦っていたら、わたし達が勝っていた筈ッ それなのに!!」

「確かに勝っていただろうな。俺1人だったら」

 

 素っ気ない優離の言葉に、思わず絶句するルリア。

 

 だが、激昂したルリアが何か言う前に、更に続けた。

 

「死を賭して戦えば勝てたかもしれん。が、あの場でそこまでする程の価値があったとも思えん。だから退いた。それだけの話だ」

 

 あの場で退いた事は、戦術的には間違っていなかった。優離はそう思っているのだ。

 

 優離は傭兵である。故に、自分の利にならない事はしない。

 

 リスクとリターンを天秤にかけ、あの場ではリスクの方が高いと判断したため、撤退を決断したのだ。

 

 だが、

 

「そんな事は無いッ あの場で戦っていたら必ず・・・・・・・・・・・・」

 

 納得のいかないルリアは、尚も言い募る。

 

 だが、その言い分を、優離は最後まで聞かずに踵を返した。

 

「優離!!」

「自殺がしたいのなら1人でやれ。こっちを巻き込むな」

 

 そう言うと、立ち尽くすルリアを残して歩き去る。

 

 これ以上の議論は、いくら重ねても無意味と判断したのだ。

 

 ルリアは思い通りに戦えなかったせいで、完全に頭に血が上っている。今の彼女には、どんなに正論を説いても聞き入れる事は無いだろう。

 

 一度、クールダウンさせる必要がある。

 

 それに、

 

 優離自身も。

 

「・・・・・・・・・・・・やっぱり、親父のようにはいかないな」

 

 自分を育ててくれた養父の事を思い出し、優離は嘆息する。

 

 恐らく、今もどこかの戦場を渡り歩いているであろう父。

 

 魔術師であり、同時に傭兵でもある養父は、戦場で両親を失い、自身も死に掛けていた優離を助け、自分の息子として育ててくれた。

 

 幼かった優離に生きる術を教え、魔術の使い方を教え、戦い方を教えてくれたのも養父である。

 

 優離にとって養父は師でもあり、同時にこの世で唯一、尊敬している人物でもあった。

 

 その養父を倣い、優離もまた傭兵の道を歩んできたのだが、

 

 やはり現実は、そう甘くは無かった。

 

 自身の歩む道の険しさを再認識し、優離は再び嘆息するのだった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 黒イリヤとの戦闘から一夜明けた翌日、一同はエーデルフェルト邸に集まって、作戦会議を催していた。

 

 ともかく、状況があまりにも混乱しすぎている。

 

 姿を現し、そして襲ってきた黒イリヤ。

 

 そして相変わらず、目的も存在も不明な優離とルリア。

 

 ある意味、最も情報量で劣っていると言える響達としては、行き止まりに近い現状を、どうにかして打破したい所である。

 

「と言う訳で、作戦会議よ」

 

 そう言うと、凛はホワイトボードを叩きながら言った。

 

 資金稼ぎの為にエーデルフェルト邸でバイトをしている凛は、今は仕事着であるメイド服に身を包んでいた。

 

 とは言え、

 

「美遊も紅茶の淹れ方が分かって来たようですわね。今日のはなかなかですわ」

「ありがとうございます」

「ん、お菓子もらう」

《ちなみに、凛さんがメイドになった経緯については、「番外編」の方をご覧ください》

「何を言ってるの? 誰に言っているの?」

 

 一同、緊張感の欠片も無かった。

 

「ちゃんと聞けェェェェェェ!!」

 

 いら立って机を叩く凛。

 

 この場にあってまじめにやっているのは、彼女だけだった。

 

「悠長に構えてられないわよルヴィア。一般人(イリヤたち)を巻き込んだことは協会には報告していないのに、更にこんな異常事態になったんじゃ、ばれたらただじゃすまないわよ」

 

 凛の言葉に、ルヴィアも心当たりがあるのか、紅茶を片手に黙り込む。

 

 そもそも、このような事態に陥ったこと自体、彼女たちにとっては想定外過ぎるのだ。現状を収拾するには、速やかに事態を解決する必要があった。

 

「でも、あいつ等、強い・・・・・・」

 

 響がクッキーを頬張りながら言った。

 

 実際に刃を交えた響には、黒イリヤや優離の出鱈目さがよくわかっている。

 

 弓や剣をどこからともなく取り出し、更には得体の知れない回避術でこちらの攻撃を防いでくる黒イリヤ。

 

 埒外の機動性と絶対的な防御力、強力な白兵戦能力を誇る優離。

 

 どちらも、厄介と言う言葉では足りないほどの難敵だった。

 

 正直、両方を同時に相手取るのは危険だった。

 

「まず、黒イリヤの方をどうにかしましょう」

 

 凛は一同を見回して言った。

 

「響達を襲ったっていう2人組も気にはなるけど、正体が分からない以上、対処するのは難しいわ。そっちは協会を通じて情報を集めてもらっているから、それを待ってから動いても遅くない」

 

 前門の虎よりも後門の狼。

 

 まずは後顧の憂いを絶つことが肝心、と凛は考えたようだ。

 

「黒イリヤの目的はどうやらイリヤの命みたいなんだけど・・・・・・・・・・・・」

 

 確かに、

 

 あの時の黒イリヤは、はじめは響達と協力して、優離たちと戦っていた。しかし、優離たちが撤退すると、今度は刃を返してイリヤに攻撃を仕掛けてきたのだ。

 

 この事と彼女自身の言動から、黒イリヤの目的はイリヤ本人だと考えられる。

 

 凛は、イリヤに目を向けた。

 

「そのイリヤはなぜか、弱体化している、と」

「う~~~~~~」

 

 凛の指摘に、ガックリと肩を落とす。

 

 昨日、イリヤの攻撃は、黒イリヤに対して全く効果が無かった。

 

 身体的には異常は全く見当たらず、魔力容量と出力だけが大幅に下がってしまっている。

 

 ルビーの分析によれば、イリヤの魔力は最大時の三分の一近くまで低下しているのだとか。

 

 黒イリヤ自身の言葉を借りれば、イリヤの弱体化には彼女の存在が密接にかかわっているのだとか。

 

 それが実際に、どのような事なのかは分からないが、それでも当面の方針は、既に定まっていた。

 

「わたし達の目的は一つ。黒イリヤを捕獲するわよ」

 

 相手の正体も真意も分からない。

 

 しかし少なくとも意思の疎通が可能であり、更にイリヤとも無関係とは思えない以上、黒化英霊の時みたいに、問答無用で倒すわけにもいかない。

 

 まずはとっ捕まえて、洗いざらい吐かせる。これしかなかった。

 

「う、うん、でもどうやって?」

 

 不安減尋ねるイリヤ。

 

 その横で、響が挙手をする。

 

「エサで釣る?」

「いやいや、それは流石に無いでしょ」

 

 イリヤが苦笑しつつ手を振る。

 

 相手は猛獣じゃないんだから、そんなもんで捕まったら苦労はしなかった。

 

 しかし、

 

「そうッ 響、あんた今、良い事言ったわ」

「ん、どうも」

「・・・・・・合ってたんだ」

 

 凛に褒められ、まんざらでもない様子の響。そんな2人の様子に、イリヤは呆れて嘆息する。

 

 エサで釣る。

 

 要するに囮を仕掛け、黒イリヤが現れるのを待って全員で仕掛ける、というのが凛の作戦だった。

 

 だが、黒イリヤが確実に食いつきそうな、そんな都合の良い「エサ」が、果たしてあるだろうか?

 

 訝る一同に対し、凛は意味ありげににやりと笑った。

 

「あるでしょう。極上のエサが、ね」

 

 そして、

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「イヤァァァァァァァァァァァァ!? 何でェェェェェェェェェェェェ!?」

 

 森の中に、少女の悲鳴が木霊する。

 

 何とも犯罪臭のする情景ではある。

 

 その悲鳴の大本。

 

 イリヤスフィール・フォン・アインツベルンは、現在、簀巻きにされて高い木の枝に吊るされていた。

 

 そしてなぜか、その下にはテーブルと椅子がセットされ、フルコース並みの豪華料理が並べられている。

 

「おろしてェェェェェェェェェェェェ!!」

 

 マジ泣きを始めるイリヤ。

 

 その様子を、自信満々な瞳が、藪の中から見つめていた。

 

「完璧ね」

《そうでしょうか?》

 

 自信ありげな凛に、サファイアが冷静にツッコミを入れる。

 

 これが、凛の考えた「対黒イリヤ捕獲作戦」である。

 

 黒イリヤの主目的はイリヤの抹殺。

 

 ならば、そのイリヤ自体を囮にして誘い出し、一気に包囲、捕獲してしまおうと言う作戦。

 

 なの、だが。

 

「・・・・・・・・・・・・」

 

 吊るされているイリヤを見つめながら、美遊は何とも微妙な表情をしていた。

 

 この作戦、彼女にはどう見ても「おバカ」に見えて仕方が無かった。

 

 しかし、

 

「奴の狙いがイリヤなら、たとえ罠と分かっていても無視できないはず。あと、保険として豪華な料理も置いておいたし」

「フッ 貴女の案に乗るのは癪ですけど、完璧な作戦ですわ」

 

 なぜか、凛の作戦を絶賛するルヴィア。

 

 美遊的には、この2人がなぜにここまで自信満々なのか、全く分からなかった。

 

 と、

 

「ねえねえルヴィア、あとであれ、食べて良い?」

 

 ルヴィアの袖をクイクイッと引きながら、響がテーブルの上のフルコースを指差して、そんな事を聞いている。

 

 割と本気で、頭が痛くなってくる美遊。

 

 ぶっちゃけ、もう帰りたくなってきた。

 

 一方、

 

 そんな緊張感皆無なやり取りとは裏腹に、吊るされた状態のイリヤは深々とため息をついていた。

 

「・・・・・・・・・・・・リンさんを信じたわたしがバカだった」

 

 獣じゃあるまいし、こんな見え透いた罠で捕まえられたら世話ない話である。

 

 まったく、もう少しまともに考えてはくれなかったものか?

 

 そんな事を考えた。

 

 その時だった。

 

 すぐ真下で、枝を踏む音が聞こえた為、顔を上げるイリヤ。

 

 果たしてそこには、

 

 件の黒イリヤが、何とも淡白な表情で、こちらを見上げて立っていたのだった。

 

「き、来た・・・・・・・・・・・・」

 

 衝撃が走る。

 

 まさか、本当に来るとは思っても見なかったのだ。

 

 黒イリヤは、不審な物を見つめるように、吊られているイリヤの周りをぐるぐると回っている。

 

 一方で木の上のイリヤはと言えば、ダラダラと汗を流していた。

 

 正直、ここからどうするのか、全く指示を受けていないので分からないのだ。

 

 と、

 

「ん~・・・・・・・・・・・・」

 

 黒イリヤは、何とも微妙な表情で首をかしげる。

 

「何か、あからさまに罠すぎて、リアクション取りづらいわー」

 

 (当然すぎるほどに当然だが)、凛の作戦は黒イリヤに見抜かれていたようだ。

 

 しかし、これが彼女にとってチャンスであるのも確かな訳で、

 

「まあ、良いか。いじらしく台本考えたみたいだし、乗ってあげるわ!!」

 

 言い放つと同時に、右手に構えた白剣を振り翳し、吊られたままのイリヤに斬りかかる黒イリヤ。

 

 その機を逃さず、凛が動く。

 

来たァァァァァァ(フィィィィィィィッシュ)!! 捕縛対象切り替え!!」

 

 手にした拘束帯を大きく引く凛。

 

 次の瞬間、イリヤを捕縛していた布がほどけ、今度は黒イリヤに絡みつく。

 

 どうやら、あれはただ縛っていたわけではなく、魔術を使って拘束していたようだ。

 

 同時にイリヤは、拘束帯の中に潜んでいたルビーで変身、魔法少女(カレイドルビー)の姿になる。

 

 しかし、

 

 次の瞬間、黒イリヤは自身を拘束する布を、手にした剣であっさりと斬り裂いて脱出してしまった。

 

 殆ど時間稼ぎにもならなかった。

 

 だが、こうなる事も事前に想定した合ったパターンだ。

 

Zeichn(サイン)!!」

 

 詠唱に入るルヴィア。

 

 同時に、黒イリヤの足元に、複数の魔法陣が出現した。

 

見えざる鉛鎖の楔(フォオストデア シュヴェーアクラフト)!!」

 

 途端に強烈な拘束力が発現し、さしもの黒イリヤも膝をつく。

 

 重力系の捕縛陣である。どうやら、予め仕込んでおいたようだ。

 

 先程までのおバカな作戦とは裏腹に、凛達もやるべき事はやっていると言う事である。

 

 これならば行けるか?

 

 そう思った次の瞬間、

 

「・・・・・・・・・・・・ふうん」

 

 重力魔法陣にとらわれながら、黒イリヤは感心したように鼻を鳴らした。

 

 同時に、掲げた右手に魔力を集中させる。

 

「けど、狂戦士(バーサーカー)を捕らえた時に比べれば、だいぶ(ランク)が落ちるわ!!」

 

 次の瞬間、魔力を足元に叩き付ける黒イリヤ。

 

 その一撃が、地面ごと魔法陣を叩き壊した。

 

「そんなッ こんな手を使ってくるなんて!」

「クッ イリヤ!!」

 

 絶句する凛達を下に見ながら、イリヤは手にしたルビーに魔力を込める。

 

 元より、イリヤの魔力は激減している。並の攻撃で歯が立たない。

 

 ならば、

 

「取りあえず、今全力の、散弾!!」

 

 放たれる、無数の魔力弾が黒イリヤの周囲に次々と着弾する。

 

 そのうち数発が黒イリヤ本人に直撃するも、やはり効果は薄い。

 

「散弾ってことは煙幕よね。と言う事は、当然・・・・・・・・・・・・」

 

 次の手を要しながら黒イリヤが言った瞬間、

 

 煙を払うように、一振りの短剣が、彼女の背後から突き込まれてきた。

 

 歪かな形の刃を持つその短剣は、「破戒すべき全ての符(ルールブレイカー)」と呼ばれる宝具であり、魔術師(キャスター)限定展開(インクルード)する事によって、使用可能となる。

 

 効果は魔力で構成された物、契約、全てを破壊、無効化する事ができる。

 

 その刃が突き込まれた瞬間、

 

 黒イリヤはとっさに身を捻り、相手の手首を掴み取る。

 

「さすが美遊、いきなりウィークポイントを突いてくるわね」

「クッ・・・・・・」

 

 黒イリヤが戦闘において何らかの魔術を使っているのは間違いない。そこを突くべく、美遊は奇襲による破戒すべき全ての符(ルールブレイカー)の使用に踏み切ったのだが、

 

 どうやら黒イリヤの方が1枚上手だったようだ。

 

 奇襲を回避され、舌打ちしながら後退する美遊。

 

 そこへ、

 

限定展開(インクルード)・・・・・・・・・・・・」

 

 低い声と共に、死角から黒イリヤに接近した響が、手に出現した刀を横なぎに振るう。

 

 その刃が、黒イリヤを捉えようとした。

 

 次の瞬間、

 

 刃は何もない空間を虚しく通り抜けていった。

 

「またッ!?」

 

 絶句する響。

 

 前回の戦いの同じだ刃が当たる直前、黒イリヤはまたしても、攻撃が当たる直前に回避されてしまった。

 

 その黒イリヤはと言えば、響から少し離れた場所でクスクスと笑っている。

 

 いったいどうすれば、一瞬にしてあんな場所まで移動できるのか?

 

 刀を構える響。

 

 その表情には、悔しさが滲んでいる。

 

「・・・・・・・・・・・・夢幻召喚(インストール)できていれば」

 

 その言葉の通り、響は今回、夢幻召喚(インストール)はできない。

 

 ルビーやサファイアから無限の魔力供給を受けられるイリヤや美遊と違い、響の魔力回復手段は全て自前で賄われている。当然、効率は悪いし回復するまで時間もかかる。

 

 先日、夢幻召喚(インストール)で大量の魔力を消費してしまったため、響は今日、夢幻召喚をする事が出来ないのだ。

 

 最大のカードをはじめから封じざるを得ない響。英霊化した状態ですら互角に持っていくのがやっとだったのに、限定展開(インクルード)しか使えない今では、勝負にすらならなかった。

 

「強い・・・・・・・・・・・・」

 

 悠然と立つ黒イリヤを見ながら、響は低い声で呟く。

 

 4人がかりでも押し切る事ができないとは。

 

 しかも先ほどから黒イリヤは、まるでこちらの手の内を知り尽くしたように、全ての攻撃に対応してきてる。

 

 正直、かなりやりにくかった。

 

 そんな中、

 

 イリヤは、この状況について、ひどい違和感を感じていた。

 

 何と言うか、まるで鏡の中の自分と戦っているような感覚。

 

 それが容赦なく、自分に襲ってきている。

 

 これは冗談抜きにして、

 

「すっごい、キモい!!」

 

 次の瞬間、

 

 イリヤの頭すれすれのところに、剣が通り抜けていく。

 

「キモいとは何だァ!?」

「ヒィ!?」

 

 追っかけてくる黒イリヤに対し、逃げるイリヤ。

 

「やっぱ、あんたすごくむかつくわッ ここで死んでください!!」

 

 剣を取り出して斬りかかろうとする黒イリヤ。

 

 そこへ、凛とルヴィアが立ちふさがる。

 

「チッ やるしかないわね!!」

Zeichen(サイン)・・・・・・」

 

 宝石を構える、凛とルヴィア。

 

 だが、

 

「おっと・・・・・・・・・・・・」

 

 2人の動きを見た黒イリヤは、先ほど自分が斬り裂いた拘束帯を拾い、そこに魔力を通す。

 

「外野はちょっと、引っ込んでてね!!」

 

 黒イリヤが言うと同時に、拘束帯は蛇のようにうねって、凛とルヴィアに襲い掛かる。

 

 次の瞬間、2人はあっという間に、背中合わせに纏めて縛り上げられてしまった。

 

「嘘ッ 拘束帯を逆利用された!?」

「ああッ 何か既視感(デジャブ)が!?」

 

 あっさりと戦線離脱する、凛とルヴィア。

 

 何と言うか、役に立たないことこの上なかった。

 

「わーッ 早速やられてるし!!」

《相変わらず使えない人たちですねー》

 

 年長者2人がいきなり脱落した事で、戦況は一気に劣勢に傾く。

 

 その黒イリヤの前に、今度は響が立ちはだかった。

 

「ん、やらせ、ないッ」

 

 言いながら、刀を横なぎに振るう響。

 

 夢幻召喚(インストール)できないとはいえ、戦いようはいくらでもある。

 

 だが、

 

「おっと」

 

 黒イリヤは空中に跳び上がりながら響の攻撃を回避。同時に勢いそのままに、響の肩を蹴りつける。

 

「あッ!?」

 

 そのまま、地面に倒れる響。

 

 そこへ、どこからともなく飛来した剣が、次々と響の体すれすれに突き刺さり、響はたちまち、地面に縫い付けられてしまった。

 

「弱いッ 弱いわヒビキ!! そんなんじゃ、わたしを捕まえられないわよ!!」

「ッ!?」

 

 身動き取れずに歯噛みする響。

 

 その頭上で、青い影が躍った。

 

 美遊だ。

 

 少女はサファイアに魔力を込めると、鋭く振るう。

 

速射(シュート)!!」

 

 イリヤの散弾に近いが、威力はこちらの方が高い。

 

 手数で攻める美遊。

 

 対して、流石に当たるのはまずいと思ったのか、黒イリヤは回避に専念する。

 

「むう・・・・・・遠距離戦(うちあい)は望むところだけど、弓じゃ手加減できないしな」

 

 思案した後、黒イリヤは足を止める。

 

投影(トレース)・・・・・・・・・・・・」

 

 呟くと同時に、少女の手には巨大な石の斧剣が出現した。

 

 そんな巨大な物、振るえるとは思えないのだが、

 

 かと思っていると、黒イリヤは斧剣を自分の前面に持ってきた。

 

 優に少女の背丈を超えるその斧剣によって、黒イリヤの姿は完全に隠れてしまっていた。

 

「取りあえず、ここはごり押しね」

「んなッ!?」

 

 言いながら、距離を詰める黒イリヤ。

 

 放つ攻撃をすべて斧剣に弾かれ、さしもの美遊も絶句する。

 

 魔法少女(カレイドライナー)の弱点は、接近戦の弱さにある。ある程度距離を取って魔力弾を撃ち合う分には有利な戦闘ができるが、近接戦闘(クロスレンジ)まで接近されると、相性の関係で後れを取る事もあった。

 

 それが判っているからこそ、美遊は後退しつつ距離を取ろうとした。

 

 しかし、それよりも早く、黒イリヤは接近してきた。

 

 至近距離で美遊の放つ攻撃を、空中に跳び上がって回避する黒イリヤ。

 

「しまッ・・・・・・・・・・・・」

 

 美遊が気づいた時には既に手遅れ。

 

 彼女の手から、サファイアがもぎ取られていた。

 

「ハロー、サファイア」

《あ、あの・・・・・・・・・・・・》

 

 とっさの事で、いつも冷静なサファイアも完全に戸惑っていた。

 

「そして、グッバイ!!」

 

 言い放つと同時に、黒イリヤは取り出した白剣をフルスイング。サファイアを遥か彼方にかっ飛ばしてしまった。

 

《美遊様ァァァァァァァァァ!!》

「サファイアァァァァァァァァァァァァ!!」

 

 彼方に弾き飛ばされるサファイア。

 

 同時に、美遊は変身が解けて普段着姿に戻ってしまった。

 

「カレイドの弱点は2つ。1つは接近戦の弱さ。そしてもう1つは、ステッキが手から離れて30秒経つか、マスターから50メートル離れると変身解除。ちゃんと持ってなきゃダメじゃない、ミユ」

「クッ・・・・・・・・・・・・」

 

 黒イリヤの言葉に、歯噛みする美遊。

 

 しかし、戦う力を失った少女には、もはやどうする事も出来なかい。

 

 あっという間に数的優位は崩され、残るはイリヤ1人だけになってしまった。

 

「そんな・・・・・・ヒビキやミユまで、こんなあっさり・・・・・・」

《行動が的確すぎます。あの黒いイリヤさん、何か異常ですよ!!》

 

 ルビーの声にも緊張が走る。

 

「さて、イリヤ、お待たせッ!!」

 

 言いながら、剣を取り出して構える黒イリヤ。

 

 対抗するように、イリヤは魔力弾を放つが、

 

「無駄だって言ってるでしょ」

 

 笑みを含むような声と共に黒イリヤが振るった剣が、飛んできた魔力弾をあっさりと弾いてしまう。

 

 先日と同じだ。出力の落ちたイリヤの攻撃は、全くと言って良いほど効果が無かった。

 

「さあ、サクッと死になさい!!」

「クッ!!」

 

 地を蹴って、イリヤに斬りかかる。

 

 黒白の剣閃が、真っすぐに向かってくるのが見える。

 

 振り下ろされる斬撃。

 

 その一撃を、イリヤはルビーを盾にする事で辛うじて防ぎとめる。

 

 火花を散らす両者。

 

 この時、黒イリヤは己の勝利を確信していた。

 

 互いに鍔競り合いの状態になる、イリヤと黒イリヤ。

 

 白と黒の刃が間近に迫り、思わず息を呑むイリヤ。

 

 殺意の籠った刃を実際に鼻先に突き付けられると、否が応でも恐怖を感じてしまう。

 

 もし、その刃に当たろうものなら・・・・・・・・・・・・

 

「・・・・・・・・・・・・いや、待って」

 

 囁くように、イリヤは呟く。

 

 減少した魔力で、まともに戦っても勝ち目はない。

 

 だが、工夫すれば?

 

 例えば、今までよりも、もっと凝縮した形で魔力放出を行えれば、効果範囲は低くとも、より、威力の高い攻撃ができるのではないだろうか?

 

「ッ!?」

 

 とっさにゼロ距離から魔力を放出するイリヤ。

 

 その攻撃は予測していなかったのか、黒イリヤはとっさに距離を取る。

 

「この、悪あがきを!!」

 

 いら立ったように叫ぶ黒イリヤ。

 

 だが、既にイリヤは動いていた。

 

 イメージする。

 

 より薄く、

 

 より鋭く、

 

 より迅く(はやく)

 

 振るわれるステッキ。

 

 放たれる魔力。

 

 その一撃は地面を斬り裂き、黒イリヤへと迫る。

 

「ッ!?」

 

 とっさに、受けるのはまずいと感じたのか、黒イリヤは身を翻して回避する。

 

 直後、彼女の背後にあった大木数本が、纏めて斬り裂かれて地面に転がった。

 

「・・・・・・・・・・・・やるじゃない」

 

 流石の黒イリヤも、その光景に絶句した様子だ。

 

 イリヤは出力の落ちた魔力を、可能な限り薄く放出する事で、本来なら「砲弾」の形となる所を、「斬撃」と言う形になるよう調整したのだ。その結果、攻撃速度と密度がまし、同時に威力も倍加したわけである。

 

 天性の順応力、とでも言うべきか、イリヤは己の中の弱点を見極め、それを補うべく成長して見せたのだ。

 

 恐るべきはその威力だろう。下手をすると、出力低下前よりも威力が上がっている。

 

 ルビーを構えるイリヤ。

 

 これで戦える。

 

 その想いが、少女を強く前へと進ませる。

 

 対して、黒イリヤはニヤリと笑みを浮かべた。

 

 先程の斬撃は確かに驚いたし、受ければダメージは免れないだろうが、逆を言えば「来る」と分かってさえいれば、かわす事も難しくない。

 

 むしろ、これで少しは面白くなってきたと言う物だった。

 

「さあ、これで終わりよ!!」

 

 剣を振り翳す黒イリア。

 

 その刃がイリヤに迫った。

 

 次の瞬間、

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 ズボッ

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・は?」

 

 いきなりイリヤの目の前で、黒イリヤの身長が本来の3分の1くらいまで縮小された。

 

 否、

 

 正確に言うと、彼女の体は胸のあたりまで地面に埋まっていたのだ。

 

「「よっしゃァァァァァァァァァァァァ!!」」

 

 喝采を上げながら、拘束帯を引きちぎる、凛とルヴィア。

 

 同時に、黒イリヤの周囲の地面が一変する。

 

 そこにあったのは、

 

「そ、底なし沼ァァァァァァァァァァァァ!?」

 

 それは以前、凛とルヴィアが嵌った底なし沼だった。

 

 黒イリヤの戦闘能力の高さを知っていた凛達は、最後の手段としてこの底なし沼を用意していたのだ。

 

 まさか、本当に使う羽目になるとは思っていなかったが。

 

 だが、黒イリヤも、このまま済ますつもりは無かった。

 

「地面に擬態させていたのね!! クッ こんな物、すぐに・・・・・・」

 

 言いながら、手に魔力を込めようとする。

 

 この程度の底なし沼、すぐに脱出してやる。

 

 そう思って魔力を練る。

 

 しかし、

 

「・・・・・・・・・・・・あ、あれ!? あれッ!?」

 

 何度試みても、手のひらには何も出現しない。

 

 いったい、どうしたと言うのか?

 

 そこへ、凛とルヴィアがやってくる。

 

「フッ やっぱり、剣を出現させていたのは魔術の一種だったみたいね」

「しかし、何かしようとしても無駄ですわ」

 

 勝ち誇ったように、2人は言い放つ。

 

「五大元素全てを不活性状態で練り込んだ完全秩序(コスモス)の沼!! 『何物にも成らない』終末の泥の中では、あらゆる魔術が起動しない!!」

 

 つまり、

 

 抵抗も、脱出も不可能。

 

 黒イリヤは完全に詰んだ(チェックメイト)状態だった。

 

「間抜けなトラップだと思っているでしょうけど、それに嵌った時点で、あなたの負けは確定したのですわ」

「そう、間抜け・・・・・・フッ・・・・・・フフフ・・・・・・」

 

 次の瞬間、

 

「オーッホッホッホ!! 間抜け!! 間抜けですわー!!」

「底なし沼に嵌るなんて、こっちこそリアクションに困るわー!!」

 

 大爆笑する凛とルヴィア。

 

 因みについ先日、自分たちがリアルに底なし沼にはまった事は、綺麗さっぱり忘れ去られていた。

 

「ほらほら、どうするのー? こうしている間にもどんどん沈んでいくわよー?」

「うぅうぅうぅうぅうぅうぅ・・・・・・ッ!!」

「あらあら、この子ったら泣いていますわ。かわいそうに」

 

 手出しできない事を良い事に、黒イリヤを散々いじめる凛とルヴィア。

 

 何とも大人げない光景である。

 

 その様子を、響、イリヤ、美遊の小学生3人組は、呆れ切った瞳で見つめていた。

 

 そして、

 

「うわ~~~~~~~~~~~~ん!!」

 

 とうとう大泣きを始める黒イリヤ。

 

 その後、「イリヤ達には手を出さない」と言う条件付きで、沼から救出。捕縛に成功するのだった。

 

 

 

 

 

第7話「黒イリヤ捕獲作戦」      終わり

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 その頃、海外某所

 

 なびく銀髪をかき分けながら、女性は何かを感じたように振り返った。

 

 アイリスフィール・フォン・アインツベルン。

 

 イリヤの実母にして、響と士郎の義理の母に当たる女性は、美しい顔に怪訝な表情を浮かべる。

 

「どうした、アイリ?」

 

 尋ねたのは、彼女の夫である衛宮切嗣(えみや きりつぐ)である。

 

 一仕事を終えた2人は、次の場所へと向かおうとしている所だったのだが。

 

「んー・・・・・・何となくだけど、海の向こうでイリヤがまた、ややこしい事態に巻き込まれている気がするわ」

「ああ? 2週間くらい前にもそんな事を言って日本に帰ったな。キミとイリヤの感応は距離では減衰しないのか?」

 

 呆れ気味に言う切嗣。

 

「そんな大したものじゃありません・・・・・・でもそうね、距離は関係ないわ」

 

 対して、アイリは意味ありげに笑みを浮かべる。

 

「これは、ママの勘よ」

「勘、ねえ・・・・・・・・・・・・」

 

 妻の言動を反芻する切嗣。

 

 一見すると根拠の無い戯言のようにも聞こえる。

 

 しかし、アイリの場合、その例には当てはまらない。

 

 アイリの「勘」は、バカにできないのだ。

 

「・・・・・・確かに」

 

 しばらく思案してから切嗣は言った。

 

「例の連中の事もある。気になる所ではあるな」

「・・・・・・・・・・・・」

 

 夫の言葉に、

 

 アイリはスッと表情を消し、険しい眼差しを向ける。

 

 その住んだ瞳の先には、愛しい家族たちの姿が思い描かれているのだった。

 



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第8話「衛宮邸攻防戦」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 薄暗い地下室の中にあって、複数の影が立ち並んでいるのが見える。

 

 響、イリヤ、美遊、凛、ルヴィア。

 

 いつものメンバーである。

 

 そしてもう1人。

 

 そもそもの騒動の発端とも言うべき黒イリヤが、一同に囲まれていた。

 

 もっとも少女の身は十字架に磔にされ、何重にも拘束符でぐるぐる巻きにされている。

 

 特に両腕は魔力を封じる布で、ガッチガチに固められていた。

 

 これだけ厳重に拘束しても尚、油断ならない相手である。何しろ、たった1人でこの場にいる全員を翻弄してのけたのだから。

 

 一同、厳しい眼差しで黒イリヤを見据えていた。

 

「・・・・・・・・・・・・この扱いはあんまりじゃない?」

 

 嘆息交じりに言う黒イリヤ。

 

 とは言え、誰も彼女の言葉に耳を貸さない。

 

 これまでの経緯を考えれば、皆がこれは当然の措置だと考えていた。

 

「まったく、ここまでしなくても危害は加えないわよ」

 

 殊勝な事を言う黒イリヤ。

 

 だが、それも一瞬の事だった。

 

「イリヤ以外には」

「それが問題なんでしょーが!!」

 

 余計な一言に、イリヤが激昂して机を思いっきり叩く。

 

 ともかく、今はまだ安全が確保されたとは言い難いのは確かである。その為、黒イリヤの拘束は厳重にせざるを得なかった。

 

「さて、尋問を始めましょうか。言っておくけど、貴女には黙秘権も弁護士を呼ぶ権利も無いわ」

 

 言いながら、凛は黒イリヤの正面に置かれた机に肘をついて腰かける。

 

 ちょうど、刑事ドラマの取り調べ風景のようだ。

 

「とにかく判らないことだらけなの。全部答えてもらうわよ」

「全部・・・・・・ね」

 

 凛の言葉に対し、思わせぶりな言葉を残してそっぽを向く黒イリヤ。

 

 明らかに、はぐらかす気満々な態度だった。

 

 構わず、凛は始める。

 

「まずは、そうね、あなたの名前を教えてもらおうかしら?」

「名前? そんなの決まってるじゃん。イリヤよ。イリヤスフィール・フォン・アインツベルン」

 

 あっさりと答える黒イリヤ。どうやら、これくらいは話しても大丈夫、と言う事だろう。

 

 とは言え、

 

 半ば予想していたことだが、名前が「イリヤ」と来た。

 

 これはますます、イリヤ本人との関係が気になる所である。

 

「・・・・・・・・・・・・ちなみに、嘘をつく権利も認めないわよ?」

「心外ね。嘘なんてついてないわよ」

「どうだかね」

 

 肩を竦める凛。

 

 とは言え、少なくとも今のところ、嘘を言っているようには見えなかった。

 

「続けるわよ。貴女の目的は?」

「まあ、イリヤを殺す事かなー」

「なら、自分の首を絞めれば良いでしょ」

「わたしじゃなくて、あっちのイリヤだってば」

 

 あくまでもぶれない黒イリヤ。

 

「ああ、もう!! どっちも『イリヤ』じゃややこしい!! えーと・・・・・・黒・・・・・・クロ!! 黒イリヤだからクロで良いわ!!」

「わたしは猫か? まあ、良いけど・・・・・・」

 

 呆れ気味に返す、黒イリヤ改めクロ。

 

 名前も決まったところで、尋問は続けられる。

 

「・・・・・・で、イリヤを殺そうとする理由は何? まさか、オリジナルを消して私が本物になってやるーとか、そんな陳腐な話じゃないでしょうね?」

 

 古今からある、ホラー物の定番パターンである。

 

 ドッペルゲンガーの証明みたいな話だが、意外な事にクロはニッコリと笑みを浮かべた。

 

「よくわかったね。まあ、おおむねそんな感じかな」

 

 これまでの言動からして、あながち嘘とは言い切れない部分がある。

 

 そもそも、イリヤとクロが、見た目以上に何らかの繋がりがある事は間違いないのだ。それを考えれば、「本物になり替わる」という動機事態、充分に成立しうるだろう。

 

「・・・・・・・・・・・・あなたは、何者なの?」

「核心部分? んー・・・・・・ネタバレには、まだちょっと早いんじゃないかなー」

 

 どうやら、ここが境界線(ボーダーライン)らしい。

 

 ここから先は、話す気はない、と言う事だろう。

 

「・・・・・・・・・・・・まあ、良いわ」

 

 そう言うと、凛は立ち上がる。

 

 どうやら、尋問はここで打ち切りのようだ。

 

 ここまでのクロの態度から言って、無理に聞き出そうとしても答えないのは明白である。

 

 ならば時間をかける必要がある。わずかずつでも、手掛かりを探していくのだ。面倒くさい作業だが、今はそれしか手段が無かった。

 

 そんな凛の様子に、クロは拍子抜けしたように首を傾げた。

 

「あら、全部聞き出すんじゃなかったの?」

「聞き出すわよ。いずれわね。でもその前に、イリヤに関する抑止力を作っておきましょうか」

 

 そう言うと、凛はルヴィアに目配せする。

 

 その意図を汲み取ったルヴィアは、突然、イリヤを背後から羽交い絞めにした。

 

「え、な、何?」

 

 戸惑うイリヤ。

 

 そんな少女に対し、ニヤリと笑みを見せる凛。

 

 その手には、1本の注射器が握られていた。

 

「えッ ちょッ ・・・・・・まさか・・・・・・」

 

 この後至る展開を予想して、青くなるイリヤ。

 

 小学生くらいなら、大抵の子供は注射が苦手であろう。

 

 イリヤも、その例に漏れず、注射は嫌いだった。

 

「イ、イヤァァァァァァァァァァァァ!?」

 

 少女の絶叫が、館中に響き渡った。

 

 

 

 

 

「ひ、ひどい・・・・・・・・・・・・」

「ちょっと血を抜いただけよ。大げさね」

 

 腕を押さえて涙を浮かべるイリヤに、凛が呆れ気味に告げる。

 

 そんなこと言われても、嫌いなものは嫌いなのだから仕方がない。

 

 そんな姉に、響がよしよしとばかりに頭をなでてあげていた。

 

 そんな姉弟の微笑ましいやり取りを他所に、凛は準備を進めていく。

 

 皿に入れた宝石を、採取したイリヤの血で浸していく。

 

「・・・・・・・・・・・・何をする気?」

 

 流石に不安になって来たのか、クロは声を低めて言う。

 

 対して、ニヤリと笑う凛。

 

「言ったでしょ。抑止力よ」

 

 そう言うと、人差し指にイリヤの血を付ける。

 

 そして、衣装の関係で露出しているクロのお腹、ちょうど可愛らしいおへそを中心に、文様を描く。

 

 それと同時に、ルヴィアがイリヤの手を取って、クロのお腹に書かれた文様に押し付ける。

 

 詠唱を始める凛。

 

 同時に、文様が輝きを増す。

 

「ちょ、な、何これ!?」

 

 イリヤが驚きを増す中、衝撃と閃光が地下室を満たした。

 

「い、いったい何が・・・・・・」

「さあ?」

 

 見守る響と美遊も固唾を飲む中、

 

 縛られたままのクロがキッと顔を上げた。

 

人体血印(じんたいけついん)の呪術・・・・・・・・・・・・いったい何をしたの!?」

 

 叫ぶクロ。

 

 しかし、それには答えず、凛はイリヤを手招きする。

 

「何?」

 

 怪訝な顔つきで近づくイリヤ。

 

 と、

 

 ゴンッ

「あだッ!?」

 

 何を思ったのか、いきなりイリヤの頭にゲンコツを落とす凛。

 

 すると、

 

「あだッ!?」

 

 突然、クロも頭に衝撃を覚え、悲鳴を上げる。

 

 だが、そこで終わらない。

 

 ギュゥゥゥゥゥゥゥゥゥゥゥゥ

「いややややややややややややッ!?」

「いだだだだだだだだだだだだッ!?」

 

 凛がイリヤのほっぺをつねり上げると、それに合わせてクロも頬に強烈な痛みを受ける。

 

 ギリギリギリギギリギリギリギリ

「ギブギブギブ!?」

「ウーマンリブ!?」

 

 今度はイリヤの腕を取ってプロレス技を掛ける凛。

 

 するとやはり、クロの方も腕に痛みを覚えていた。

 

 ・・・・・・ちょっと余裕そうだったが。

 

 全てが終わった後、イリヤと黒は2人そろって荒い息をついていた。

 

「これは、いったいどういう事なんですか?」

 

 美遊が、イリヤとクロを見比べながら尋ねる。

 

 その一方で、響は2人の様子を眺めていた。

 

「面白そう・・・・・・やってみて良い?」

「やめておあげなさい」

 

 どうやら凛の真似をしてみたかったようだが、呆れ気味なルヴィアに窘められていた。

 

 それはともかく、

 

「痛覚共有よ。ただし、一方的な、ね。主人(マスター)が感じた肉体的な痛みを、そのまま奴隷(サーヴァント)に伝え、主人(マスター)が死ねば、その『死』すら伝える。けど、その逆は無い。シンプルな・・・・・・それ故に強固な呪いよ」

「・・・・・・・・・・・・やってくれたわね」

 

 歯噛みするクロ。

 

 つまり、クロがイリヤを殺そうとして危害を加えれば、その痛みは即座にクロ自身に返ってくる事になる。

 

 それどころか、万が一殺してしまったりしたら、クロも死んでしまう事になるのだ。

 

 勿論、クロが受けたダメージはイリヤに返る事は無い。

 

 抑止力とはよく言ったものである。これで、クロはイリヤに手出しできなくなったわけだ。

 

「そう、つまりこれであなたは・・・・・・・・・・・・」

 

 ルヴィアはクロに、ビシッと指を突きつける。

 

「イリヤスフィールの、『肉奴隷』になったッ と言う事ですわ!!」

 

 自信満々に、とんでもない事を言い放つお嬢様。

 

「いや、ルヴィア・・・・・・それ、違う」

 

 呆れ気味にツッコむ凛。

 

 その傍らで、響が首をかしげていた。

 

「・・・・・・肉・・・・・・団子?」

「ヒビキも違うから」

 

 そう言うと、イリヤは呆れ気味に嘆息するのだった。

 

 

 

 

 

 紆余曲折はあった物の、取りあえず当初の目的だった黒イリヤ(クロ)の捕獲には成功したわけで。

 

 成果としては満足のいくものだった。

 

 その後、クロはとりあえずエーデルフェルト邸の地下室へと監禁しておくことと決まった。

 

 痛覚共有の件も考えると、クロがこれ以上、イリヤに手出しする事は無いだろう。少なくとも当面は。

 

 監禁は、あくまでも「念の為」である。

 

「と言っても、絶対じゃないわ。2人とも、気を抜かないでね」

 

 エーデルフェルト邸の門の前で、響とイリヤを見送りに出た凛が、警告するように言った。

 

 何しろ、自分たちをあれだけ翻弄したクロの事だ。どんな手を使ってくるか分かった物ではなかった。

 

「念のため、これを渡しておくわ」

 

 そう言って凛が差し出したのは「槍兵(ランサー)」のカードだった。

 

 イリヤなら、これを使いこなす事も出来るだろう。

 

「もしもの時は、そいつで遠慮なく貫いてやりなさい。ブスッと」

「わーい、ばいおれんす・・・・・・」

 

 とは言え、ここはありがたく受け取っておくことにした。

 

 「ランサー」のカードをポケットに収めつつ、イリヤは響を伴って向かいの自宅へと戻っていく。

 

「結局・・・・・・あいつが何だったのか、判らないままかァ・・・・・・」

《ややこしい存在っぽいのは確かですけどねー》

 

 嘆息交じりのイリヤに対し、ルビーがノーテンキに返事をする。

 

 確かに、さっきの尋問でも、正体に尋ねたらクロは徹底して答えをはぐらかし、核心に近づけようとしなかった。他の質問にはあっさりと答えたのに、である。

 

 クロの正体。

 

 あるいはそこにこそ、全ての発端があるのかもしれなかった。

 

《イリヤさんの殺害も、何か壮大な目的があるのかもしれませんね》

「壮大ねー」

 

 肩を落とすイリヤ。

 

 向こう(クロ)にどれだけ大きな目的があろうと、巻き込まれるイリヤとしてはいい迷惑以外の何物でもなかった。

 

 玄関をくぐる響とイリヤ。

 

 と、

 

「あれ?」

 

 妙に、リビングの方が騒がしい事に気づき、2人は足を止めた。

 

「お客さん?」

 

 呟きながら、覗き込む響とイリヤ。

 

 次の瞬間、

 

 2人そろって、思わずその場でずっこけた。

 

 なぜなら、

 

「ねえねえ、お兄ちゃん。お兄ちゃんは、どんな女の子が好きなの?」

「な、何だよイリヤ。突然そんな事・・・・・・」

 

 夕飯の支度としてインゲン豆の皮をむいている士郎。

 

 その士郎に背後からまとわりついているのは、見紛うはずもない、今まさに、エーデルフェルト邸の地下室に監禁されているはずのクロだった。

 

 あれから1分くらいしかたっていないと言うのに、さっそく脱走してきたことになる。

 

 いくら何でも、ザルすぎだった。

 

「良いじゃない、教えてよー」

「別に、お前に話すような事じゃ・・・・・・」

 

 しかも、イリヤと同じ容姿なのを良い事に、士郎にべたべたしまくっていた。

 

 当然、イリヤ本人としては心中穏やかなハズもない。

 

「ど、どどど、どうしてあいつがここに!? しかも、な、何でお兄ちゃんと一緒にいるのよー!?」

「士郎、モテ期到来?」

 

 取りあえず、響の戯言は置いておいて、

 

《ははぁ・・・・・・そういう事ですか》

 

 何かを悟ったように、ルビーは言った。

 

「ルビー?」

《判りましたよ。恐らく、クロさんは段階を一つ、繰り上げたのでしょう》

「どど、どういう事?」

 

 部屋の中の様子を伺いながら尋ねるイリヤ。

 

 対してルビーは、一気に核心を突いた。

 

《にゃろうの目的は、ずばり士郎さんです。その為に、本物のイリヤさんが邪魔だったのですねー。けど、手出しできなくなったから、今度は直接接触しに行った、と》

「昨日セラが、そんな感じのドラマ見てた」

 

 暢気な事を言う響を他所に、イリヤは割と深刻な悩みに陥りつつあった。

 

 考えられる限り、最悪の事態である。

 

 このままでは、あいつ(クロ)に自分のポジションを奪われかねなかった。

 

 しかも当然と言うべきか始末の悪い事に、当の士郎はクロがイリヤだと完全に思い込んでいた。

 

 そんな事をしている間にも、リビングの中では会話は続いていた。

 

「そういやイリヤ、何か日焼けしてないか? そんなに肌黒かったっけ?」

 

 そう、唯一、イリヤとクロを見分ける事ができるポイントは、肌の色である。

 

 しかし、

 

「んー 気になる?」

「まあ・・・・・・」

 

 士郎としても、妹の容姿が一変すれば、それは気になるだろう。

 

 対して、クロは見せつけるように脇を露出させながら、挑発的に士郎に迫る。

 

「お兄ちゃん、妹の肌がそんなに気になるんだ。エッチー」

「へ、変な言い方するなよ。俺はただ・・・・・・」

「お兄ちゃんの肌フェチー」

「肌フェチ!?」

 

 完全にクロペースだった。

 

 一方、玄関ではイリヤが、恥ずかしさのあまり悶死しそうな程にのたうち回っていた。

 

 自分と同じ顔であんな大胆な事をされたら、それは恥ずかしいだろう。

 

「何て事・・・・・・テロだわ!! これは兄妹の仲をやばい感じに破壊するテロ行為だわ」

「何で士郎がモテると、イリヤが困るの?」

 

 崩れ落ちるイリヤに対し、不思議そうに首をかしげる響。

 

 そんな響の前に、ルビーがフヨフヨと飛んできた。

 

《おやおや~ 響さんは、まだ気づいてなかったんですか?》

「何が?」

 

 思わせぶりなルビーのセリフに、キョトンとする響。

 

 対して、ルビーはやれやれとばかりに嘆息して言った。

 

《イリヤさんはですね、士郎さんの事が好きなんですよ。だから、あんな風にクロさんが士郎さんにベタベタしているのを見ると、気が気じゃないんです》

「ちょ、ルビィィィィィィ!!」

 

 自分の赤裸々な心情をあっさり暴露してくれた相棒を、引っ掴んでガクガクとぶん回すイリヤ。

 

 対して響は、ますます訳が分からないと言った調子で眉を顰める。

 

「士郎なら、好きだけど?」

 

 要するに、自分も士郎の事が好きなのに、今更そんな事を言われても、と言った感じである。

 

 しかし、

 

《いえいえ、響さんの言う「好き」と、イリヤさんの「好き」は、ちょっと違うんですねー》

「何が?」

 

 反応の薄い響に対し、ルビーは更に続ける。

 

《要するに「Like」ではなく「Love」な訳ですよ~ イリヤさんは士郎さんを、男性として好きなんですね~》

「もうやめてェェェェェェェェェェェェ!!」

 

 床をゴロゴロと転がるイリヤ。

 

 そんなイリヤを、響は首をかしげながら見つめる。

 

「・・・・・・よく判んない」

《響さんだってお年頃なわけですし~ 気になる女の子の1人や2人、いるんじゃありませんか~?》

 

 言われて、

 

 響は自分の周りにいる女子の事を思い浮かべる。

 

 雀花、那奈亀、龍子、美々。

 

 皆、それぞれ仲の良い友人達である。彼女達と一緒にいると楽しいのは確かである。

 

 だが、それでルビーのような存在に彼女たちが当てはまるかと言われれば、しっくりこないのも確かだった。

 

 彼女達とは友達であって、それ以上ではない。と言うのが響の考えである。

 

 では、

 

 美遊、は?

 

「・・・・・・・・・・・・」

 

 いつも無表情で、周りには素っ気ない態度を崩さない美遊。それでいて、響とイリヤにだけは、親愛の情を示してくれる。

 

 なんでもこなす完璧少女でありながら、どこか危うい儚さを持った美遊。

 

 その事を思い浮かべた瞬間、

 

 響は自分の中で、不自然に心臓が高鳴るのを感じた。

 

 この感情はいったい何なのか?

 

 響にはまだ、判らなかった。

 

 とは言え、今はそれよりも解決を急がなくてはならない喫緊の事情があった。

 

 尚も恥ずかしそうに悶えているイリヤに対し、ルビーが口調を改めて言った。

 

《イリヤさん。そうやって恥ずかしがっている場合ではないと思いますよ》

「・・・・・・・・・・・・どういう事?」

 

 意味ありげなルビーの言葉に対し、顔を上げるイリヤ。

 

 ルビーは、そんなイリヤに諭すように言った。

 

《クロさんがしている士郎さんに対するアプローチは、私には本来、イリヤさんが望んでいた事のようにも見えますよ》

「は? 何言って・・・・・・」

《本当は「兄妹の枠を壊したい。それ以上の関係になりたい」。そんな風に思っているイリヤさんの気持ちを、クロさんは直接的に表しているように見えるんですよ。少なくとも、私には・・・・・・・・・・・・》

 

 ルビーの指摘に、イリヤは黙り込む。

 

 確かに・・・・・・・・・・・・

 

 認める事はイリヤにとって、いささか以上に業腹だが、自分の中で、義理の兄である士郎に対する想いが存在しているのは確かだ。

 

 だが、それをストレートに形にするのは、やはり気恥ずかしい。

 

 対してクロは、そんな煮え切らないイリヤの態度を代弁しているかのように、士郎に隠さずに好意を向け甘えている。

 

 見ようによっては、クロの行為はイリヤにとっての理想形であるとも言えた。

 

「だからって・・・・・・・・・・・・」

 

 俯きながら震えるイリヤ。

 

 なるほど、事情は理解した。

 

 クロ(あいつ)の意図も分かった。

 

 しかし、理解はできても、受け入れる事は出来なかった。

 

「許せるわけないでしょうが!!」

 

 次の瞬間、イリヤは大きく腕を振り被った。

 

 

 

 

 

 突如、

 

「ひぶッ!?」

 

 楽しそうに士郎に言い寄っていたクロは、左頬に強烈な衝撃を受け、思わず悲鳴を上げた。

 

「イリヤ、どうした?」

 

 突然見せた妹の奇行に、士郎は思わず豆を剥く手を止めて振り返る。

 

 しかし、今のクロには、それにこたえる余裕すらなかった。

 

「こ、この痛みは・・・・・・・・・・・・」

 

 明らかに殴られた痛みを頬に感じ、目にいっぱい涙を滲ませるクロ。

 

 しかし、どう見まわしても、殴った相手の姿は見えない。

 

 と、なると、残る可能性は・・・・・・・・・・・・

 

「イリヤ、本当に大丈夫か?」

 

 心配そうにのぞき込んでくる士郎。

 

 対して、クロは無理やり笑顔を作る。

 

「だ、大丈夫」

 

 ほっぺの痛みを無理やり堪えながら答えるクロ。

 

 しかし、

 

「何でもないよ、お兄ちゃ、ばあッ!?」

「お兄ちゃば!?」

 

 言いかけた直後、今度は右のほっぺに衝撃を受け、再び奇声を発するクロ。

 

 少女は今度こそ堪えきれず、床の上でのたうち回った。

 

 

 

 

 

 一方、

 

 加害者たる少女も、壁一枚隔てた玄関でのたうち回っていた。

 

「うう、い、痛い、痛い~~~~~~」

《だ、大丈夫ですかイリヤさん? 自分で自分にマジビンタを・・・・・・》

 

 両方のほっぺを真っ赤に腫らしたイリヤが、床にはいつくばってマジ泣きしている。

 

 そう、クロを突然襲った衝撃は、イリヤが自分のほっぺを自分で張り飛ばしたことが原因だった。

 

 当然、イリヤが感じる痛みは、クロにもフィードバックされる。それが、現状の珍妙な状況を作り上げたわけだ。

 

 痛覚共有の意外な活用法もあったものである。

 

 しかし、今ここで、イリヤが出ていくわけにはいかない。そんなことをしたら「2人のイリヤ」を見た士郎が混乱するだろうし、何より、クロの存在は伏せておかなくてはいけないのだから。

 

 イリヤにとって、クロを止めるにはこれしかなかったのだ。

 

 と、いつの間に限定展開(インクルード)したのか、響が刀を出して立っていた。

 

「峰打ちで手伝う?」

《武士の情けです。やめてあげましょう》

 

 取りあえずルビーが止めておいた。

 

 

 

 

 

 そんな中、

 

 リビングでは、クロが最後の力を振り絞って立ち上がっていた。

 

「クッ 最後にせめて!!」

 

 士郎にのしかかるクロ。

 

「うわッ イリヤ、何を!?」

「お兄ちゃんにッ キスを!!」

 

 

 

 

 

「させるかァァァァァァァァァァァァ!!」

 

 涙交じりの絶叫と共に、

 

 イリヤは自分の足の小指を、思いっきり靴箱の角に蹴りつけた。

 

 

 

 

 

 ちょうどその直後だった。

 

 玄関の扉が開き、凛、ルヴィア、美遊の3人が、険しい顔で衛宮邸に飛び込んで来た。

 

「イリヤ、無事!?」

「クロが脱走しましたわ!!」

 

 その3人が見たものは、

 

 足の小指を押さえ、声も上げられないほどに悶絶しているイリヤの姿だった。

 

「・・・・・・・・・・・・何してるの?」

「ん、壮絶な戦いがあった」

 

 そう言って、肩を竦める響。

 

 実際のところ、イリヤとクロの(物理的に)目に見えない攻防は、壮絶さと裏腹にギャグ過ぎて、どう説明したらいいか分からなかったのだ。

 

「それより、クロならリビング」

《今なら動けないはずですよ!!》

 

「ハッ そうだわ。ちょっとお邪魔するわよ!!」

 

 そう言うと、凛とルヴィアは、尚も床に転がっているイリヤをまたいで、リビングへと突入する。

 

「クロッ!!」

「観念なさいッ 逃がしは・・・・・・・・・・・・」

 

 そこで、凛とルヴィアが見たのは、

 

「あれ、遠坂? ルヴィアも・・・・・・いったいどうしたんだ?」

 

 クロを心配して、解放しているクラスメイトの男子。

 

 突然の来訪者に、士郎は驚いて目を丸くしていた。

 

「衛宮君・・・・・・・・・・・・?」

士郎(シェロ)・・・・・・・・・・・・」

 

 思わず高まる胸の鼓動に、2人は茫然とした声を出す。

 

 衛宮士郎。

 

 その存在は、凛とルヴィアにとって、特別な意味を有していた。

 

 次の瞬間、

 

『 『な、何その反応は!?』 』

 

 乙女チックな凛とルヴィアの様子に、期せずして、イリヤとクロは同じことを考える。

 

 やはり同じ想い人(義兄)を持つ者同士、至る答えは一緒と言う事だろう。

 

 今まさに、イリヤとクロ(2人のイリヤ)は、想いを同じくしているのだった。

 

 ・・・・・・・・・・・・こんなタイミングではあるが。

 

 それはそうと、

 

 イリヤの介抱の為玄関に残った美遊も、リビングの様子に聞き入っていた。

 

「・・・・・・衛宮・・・・・・シェロ・・・・・・?」

 

 その2つの単語が、少女の心にざわつきを齎す。

 

 まさか・・・・・・・・・・・・

 

 そんなはずがない・・・・・・・・・・・・

 

 ある訳がない・・・・・・・・・・・・

 

 そう、心に言い聞かせる。

 

 だが一同、呆けているのはそこまでだった。

 

「ごめん衛宮君ッ イリヤちょっと借りていくわね!!」

 

 言うが早いか、凛は床に転がっているクロを抱え上げ、一目散に玄関へと向かう。

 

「それではシェロ、ごめんあそばせッ」

 

 続いて駆け出すルヴィア。

 

 呆気に取られたのは士郎であろう。

 

 いきなりクラスメイトの女子2人が乱入してきたかと思うと、妹を誘拐同然にかっさらっていくのだから。

 

「お、おい、遠坂ッ ルヴィア!!」

 

 慌てて追いかける士郎。

 

 しかし、

 

 士郎が玄関に出ると、そこに凛とルヴィアの姿は無く、代わりに弟と、たった今、連れ去られたはずの妹、そして2人と同じくらいの背格好をした少女が1人だけだった。

 

「あ、あれ? イリヤ、それに響も・・・・・・」

「どどど、どうも、お兄ちゃん」

「ん、ただいま」

 

 まさに間一髪と言うべきか、凛とルヴィアがクロを抱えて外へ飛び出すと同時に、士郎が出てくる前に、3人が玄関の扉を閉めたのだ。

 

 その間、僅か1秒前後の早業であった。

 

 1人、全く訳が分からない士郎は、嘆息しながら頭を掻くしかなかった。

 

「それより、遠坂とルヴィアはどこに行ったんだ? いや、その前に、2人とも、あいつらと知り合いだったのか?」

「あははー、いやー ちょっとね・・・・・・」

「最近、よく遊んでる」

 

 そう言ってごまかす2人。

 

 そんな中、

 

 背を向けていた美遊は、高鳴る鼓動と共に、己の中にある感情が急速に膨らむのを感じていた。

 

 予感はあった。

 

 もう1人、高校生の兄がいると言っていたイリヤと響。

 

 衛宮と言う苗字。

 

 間違いだ。

 

 偶然だ。

 

 そんな事あるはずはない。

 

 考えてもいけない。

 

 ずっと、そう考えていた。

 

 しかし、

 

 聞いてしまった。

 

 その声を。

 

 優しくて・・・・・・でも、どこか孤独な声・・・・・・

 

 いけない。

 

 振り返ってはいけない。

 

 見てはいけない。

 

 出会ってはいけない。

 

 そうすれば、全てが終わってしまうかもしれない。

 

 しかし、

 

 湧き上がる感情の誘惑に、

 

 美遊は逆らう事が出来なかった。

 

「あれ、君は?」

「・・・・・・・・・・・・」

 

 視線が合う。

 

 隠しきれない感情が溢れ出す。

 

 美遊は、殆ど無意識に、口を開いていた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「・・・・・・・・・・・・お兄ちゃん?」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

第8話「衛宮邸攻防戦」      終わり

 



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第9話「通りキス魔」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「お兄ちゃん?」

 

 美遊の口から出た言葉に、その場が一瞬、凍り付いたような気がした。

 

 響とイリヤは、唖然とした様子で親友を見ている。

 

 一方、その言葉を向けられた士郎は、怪訝な面持ちを美遊へ返しながら答える。

 

「え? ああ、うん。イリヤと響の兄ですけど、君は、2人の友達?」

 

 そう問われた瞬間、

 

 美遊の表情は何とも言えない物だった。

 

 悲しみのような、

 

 諦念のような、

 

 あるいは、

 

 寂寥のような、

 

 俯く美遊。

 

 ややあって、ことさら低い声で口を開いた。

 

「はい・・・・・・2人のクラスメイトの美遊・・・・・・と言います」

 

 明らかに、暗い表情の美遊。

 

 その事に、響は怪訝な面持ちでのぞき込む。

 

「美遊、どした?」

 

 しかし、問いかけにも答えず、美遊は黙り込んでいる。

 

 そんな微妙な空気を察したのだろう。イリヤが努めて明るく口を開いた。

 

「そ、そうだ。ミユとお兄ちゃんって、今まで会った事無かったんだよね」

「あ、ああ、そうだな」

 

 相手がイリヤ達のクラスメイトだとわかり、士郎は柔らかい笑みを浮かべる。

 

「はじめまして、俺は衛宮士郎。イリヤとは苗字が違うけど、2人の兄だよ」

 

 しかし、

 

 挨拶する士郎に対して、美遊は尚も暗い表情のままだった。

 

 いったいどうしたと言うのか?

 

 一同が視線を向ける中、美遊は再び口を開いた。

 

「・・・・・・・・・・・・失礼しました。わたしの兄と似ていたもので」

「そっか、君にもお兄さんが・・・・・・」

 

 士郎がそこまで言った時だった。

 

 突如、

 

 美遊が、誰もが驚くような行動に出た。

 

 長い髪を揺らし、少女は士郎の胸の中へと飛び込む。

 

「なッ!?」

「ミッ!?」

 

 傍らで見守る響とイリヤが絶句する。

 

 そんな中、美遊はぬくもりを確かめるように、暫く自分の額を士郎の体に押し付けた後、そっと離れた。

 

「・・・・・・・・・・・・失礼しました」

 

 ペコリと頭を下げ、踵を返して出ていく美遊。

 

 後には、士郎、イリヤ、響の兄弟たちだけが残された。

 

 と、

 

 ボグッ ズドッ

「オグホッ!?」

 

 いきなり左右から響とイリヤに腹パンを食らい、思わず体をくの字に折る士郎。

 

「お、お前ら、いきなり何する・・・・・・」

「ん、別に」

「何となく」

 

 苦悶する兄を尻目に、そっぽを向く響とイリヤであった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 翌朝、

 

 何とも微妙な朝を迎えたイリヤと響は、支度を整えて朝食を済ませると家を出る。

 

 魔法少女だろうが何だろうが、小学生の本分は学校と勉強、あと友達と遊ぶ事である。

 

 それらを疎かにはできなかった。

 

「行ってきまーす」

「ん、行ってきます」

「行ってらっしゃい。お二人とも、気を付けて」

 

 セラの見送りを受けて家を出る、イリヤと響。

 

 そこで、

 

「ごきげんようシェロ!! 家が向かいだなんて、これも運命!! 今日からは是非もなく、わたくしの車で・・・・・・・・・・・・」

 

 ルヴィアゼリッタ・エーデルフェルト(おむかいのおじょうさま)が、満面に素晴らしい笑顔をたたえて手招きしていた。

 

 その様子を、唖然として見つめる、響とイリヤ。

 

 ややあって、事態に気付いたのだろう。ルヴィアもキョトンとした顔で、衛宮姉弟を見やる。

 

「・・・・・・シェロは?」

「お兄ちゃんならとっくに学校に行ったよ」

「ん、部活の朝練。士郎はエース」

 

 弓道部に所属する士郎の朝は早い。特に士郎は、早くに行って弓道場の整備やら準備やらを行う為、他の部員達よりも早く登校する事が多かった。

 

「チィッ 相変わらずのナチュラルスルー!!」

 

 当てが外れたルヴィアは、露骨な舌打ちをする。

 

 あわよくば士郎と親密な仲になってやろう、とでも思っていたらしいルヴィアの思惑は、しかし士郎(どんかん)相手には通じなかったようだ。

 

 気を取り直して、ルヴィアは響とイリヤに向き直った。

 

「まあ良いですわ。折角ですし、あなた達だけでも送りましょうか」

「え?」

「良いの?」

 

 思いもかけず登校の手間が省け、2人は遠慮なく送ってもらう事にした。

 

 の、だが。

 

 その道中は、いささか以上に重苦しい物になってしまった。

 

 なぜなら、車の中に同乗者として美遊がいた為である。

 

 広い車内で椅子に座ったまま、一言もしゃべろうとしない一同。

 

 否が応でも、重苦しい空気がのしかかってくるのが分かる。

 

《むむむ・・・・・・・・・・・・》

 

 流石のルビーも、そんな重苦しい雰囲気に耐えられないかのように、嘆息交じりに口を開く。

 

《何でしょう、この微妙な空気は?》

《姉さん静かに。刺激してはいけないわ》

 

 そんな姉を窘めるサファイア。

 

 と、

 

「昨日は・・・・・・」

「は、はいッ!?」

「なに?」

 

 突然口を開いた美遊に、イリヤと響がそれぞれ反応する。

 

 正直、昨日の美遊の様子を見る限り、どんな感じに彼女と接すればいいのか、2人とも考えあぐねていたところだった。

 

 そんな2人に対し、美遊は構わず、淡々とした調子で続けた。

 

「2人とも、昨日は驚かせてごめんなさい。もう・・・・・・大丈夫だから」

 

 その言葉に、イリヤと響は黙り込む。

 

 正直、感情表現が希薄な部分がある美遊は、ときどき何を考えているのかわからないところがあるのも事実である。

 

 しかしそれでも、今の美遊がどう見ても「大丈夫」ではないのは、火を見るよりも明らかである。

 

 しかし、そこを追求するのは、どうにも躊躇われた。

 

 その為、イリヤはあえて、遠回しに話題を振る事にした。

 

「そ、そんな、謝るようなことは何も・・・・・・ミユのお兄ちゃん勘違いしちゃったんだよね? ミユにもお兄ちゃんがいたなんて、ちょっと意外ー あははは」

 

 乾いた笑いを浮かべるイリヤを見ながら、響は首をかしげる。

 

 果たして、あれが「勘違い」で済ませられるレベルの話だろうか?

 

 美遊は明らかに、士郎が「イリヤの兄」であるとわかっていて、あんな行動に出た節がある。

 

 美遊が何かを隠しているのは明白だった。

 

「美遊、何か・・・・・・・・・・・・」

「響、イリヤスフィール」

 

 口を開こうとした響を制して、ルヴィアが言った。

 

 年上の少女が見せる優しくも厳しい眼差しが、響とイリヤを真っすぐに見据えている。

 

「誰にでも踏み込まれたくない領域と言う物があるわ。過去がどうあれ、今のこの子は『美遊・エーデルフェルト』。わたし達にとっては、それで十分なハズでしょう」

「そう・・・・・・だね」

「まあ・・・・・・」

 

 確かに、ルヴィアの言うとおりだ。

 

 「その人の全てを知りたい」なんて思うのは傲慢以外の何物でもないし、そもそも人の心の内を全てを見通すことなどできるはずもない。

 

 程々を知り、適度な距離を保つ。

 

 一見すると臆病にも聞こえるかもしれないが、それこそが人間関係を良好に保つ秘訣だった。

 

「それに・・・・・・・・・・・・」

 

 付け加えるように、ルヴィアは言った。

 

「あなた達の兄も、もうすぐ『士郎・エーデルフェルト』になるかもしれませんし」

「「「は?」」」

 

 とんでもない事を言い出すルヴィアに、絶句する、小学生3人。

 

 何と言うか、先程まで見せていた立派な態度が台無しだった。

 

 だが、ルヴィアは止まらない。

 

「ああ、そうなればあなた達とも、姉弟、姉妹になりますわね。もう、いっそ今日からわたくしの事を『お義姉様』と呼んでも良くってよッ むしろ呼びなさい!!」

 

 暴走を始めるルヴィア。

 

 そんな中、イリヤは遠い目をする。

 

 そうだ。

 

 自分や響にとって、ミユはミユだ。それで良いじゃないか。

 

 ミユが話したくないなら、今無理に聞き出す必要はない。きっといつか、打ち明けてくれる。その日を待とう。なんだか少し寂しいけど・・・・・・・・・・・・

 

 と、

 

 そんなイリヤの肩を、響がチョンチョンと突く。

 

「浸ってるところ悪いけど、アレ、止めるの手伝って」

 

 そう言って響が指さした先には、尚も高笑いを続けるルヴィアの姿があった。

 

 

 

 

 

 だが、

 

 イリヤも、

 

 響も、

 

 そして美遊も、気づいてはいなかった。

 

 真の嵐は、学校に到着してから沸き起こった。

 

 玄関で靴を履き替え、いつも通りに教室へと向かう、響、イリヤ、ミユの3人。

 

 いつも通りの光景が、そこに広がって・・・・・・・・・・・・

 

「「「イィィィィィィリィィィィィィヤァァァァァァアアア!!」」」

 

 は、いなかった。

 

 突如、立ちふさがるように出現した、嶽間沢龍子、森山那奈亀、栗原雀花の友人3人組が、鬼のような形相でイリヤに向かって突撃してきたのだ。

 

「はい?」

「何事?」

 

 キョトンとする、イリヤと響。

 

 だが、3人の勢いは止まらなかった。

 

「てめこらッ どういうアレだオアーッ!!」

「まさかとは思ってたけど、イリヤって!!」

「あんたの性癖は自由だけど、人を巻き込まないでくれる!?」

 

 口々に言い募る3人に、たじたじになるイリヤ。

 

「な、何ッ!? 何の話!? わたし何かしたっけ?」

 

 どうにかなだめようとするイリヤ。

 

 しかし、それが却って裏目に出た。

 

「「「なんか・・・・・・だと・・・・・・?」」」

 

 一斉に声を潜める3人。

 

 何やら、変なオーラがにじみ出ているように見えるのは気のせいだろうか?

 

 ぶっちゃけ、怖い。いやまじで。

 

 次の瞬間、

 

「「「人に無理やりチューしといて、すっとぼけんじゃねェェェェェェ!!」」」

「えェェェェェェェェェェェェ!?」

 

 この時、一番驚いたのは、間違いなくイリヤ本人だった事だろう。何しろ、朝登校したら、いきなりキス魔呼ばわりされたのだから。

 

「ちょ、ちょっと待ってよみんなッ 何のことか、ぜんぜん分かんないよッ」

「判んない訳ないだろうッ ついさっきの事だぞ!!」

 

 掴みかかってくる龍子の額を押さえながら、反論するイリヤ。

 

「だいたい、わたしがそんな事するわけないじゃん!!」

 

 そうだ、そんな事ある訳がない。

 

 女の子にキスするなんて、そんな事・・・・・・・・・・・・

 

「でもこの間、美遊にしようとしてた」

「ヒィビィキィィィィィィィィィィィィ!!」

 

 何を言ってくれとんのじゃ、この弟様は。

 

 寝ぼけて兄と間違え美遊に迫ったことを暴露され、テンパるイリヤ。

 

 その傍らでは、美遊も顔を赤くしてそっぽを向いていた。

 

「だ、だいたい、おかしいでしょッ わたし今来たばっかりで・・・・・・」

「イリヤちゃん?」

 

 反論しようとするイリヤの肩が、背後から叩かれる。

 

 振り返るイリヤ。

 

 果たしてそこには、

 

 表情を失った顔から、はたはたと涙を流す我らが愛すべき担任、藤村大河女史が立っていた。

 

「わたし、ファーストキスだったの。責任、取ってくれる?」

「せんせェェェェェェ!?」

 

 もはや、何が何だかどうなってんだか?

 

 しかし、これで事態が収拾付かないところまで行ってしまった事だけは確実だった。

 

「おのれイリヤ!!」

喪女(もじょ)のファーストチューまで奪うとは、何たるキス魔!!」

喪女(もじょ)言うな!!」

 

 どさくさに紛れて、ド失礼な事を言う雀花に、ツッコミを入れる大河。何というか、割とノリが良かった。

 

 とは言え、事態は完全にイリヤの処理能力を超えている。

 

 と、なれば、イリヤがとるべき手段は一つ。

 

 クルリと背を向けると、その場から一気に駆け去る。

 

 すなわち、三十六計を決め込む。であった。

 

「逃がすなッ 追えー!!」

「ヒィィィィィィ」

 

 逃げるイリヤを追って、龍子、雀花、那奈亀、大河も駆けだす。

 

 その時、

 

 そんなイリヤを守るように、廊下を塞ぐ影があった。

 

「イリヤは逃げて。ここはわたし達が防ぐ」

「ん、仕方がない」

 

 迫りくる龍子たちの前に、美遊と響が立ちふさがる。

 

「ミユッ ヒビキ!!」

 

 自分を守るために立ち塞がる弟と親友の姿に、思わずほろりと涙を流すイリヤ。

 

 とは言え、

 

「上等だッ!!」

「2人纏めて穢してやんぜー!!」

 

 目を血走らせて突っ込んでくる、友人3人+担任の姿は、響と美遊を戦慄させるのに十分すぎた。

 

 ていうか、割とドン引きするレベルの光景である。

 

「えっと・・・・・・」

「ちょっと、面倒くさい」

 

 ていうか、あんたは自重しろよ担任。

 

 などと言っている内に突っ込んでくる。

 

 先陣を切ったのは、

 

 やはりと言うべきか、この女だった。

 

「うおりャァァァッ 死ねェェェェェェ!!」

 

 勢い付けてとびかかってくる龍子。

 

 これに対し、

 

 響と美遊は、絶妙のタイミングで左右に分かれる。

 

 その間を、虚しく飛びぬけていく龍子。そのまま顔面から床にダイブして滑っていく。

 

 龍子の家は嶽間沢流と言う武術道場をやっており、龍子も師範であり当主でもある父親から一通り武術を教わっている。

 

 の、だが、

 

 本人が武術の才能が「からっきし」な為、全く成果が上がっていない。

 

 今も良い感じに床へ顔面ダイブを決めていたのだが、

 

 取りあえず、受け身だけは超一流なので、放っておくことにする。たぶん大丈夫だろうし。

 

「それはともかく・・・・・・・・・・・・」

 

 床に転がっている龍子から目をそらしつつ、響は背後を振り返る。

 

 そこには、戦闘準備万端の、雀花、那奈亀、大河の姿がある。

 

「こっちの方が問題・・・・・・」

「う、うん」

 

 正直「やりたくないな~」と言うのが、2人の共通の想いだった。

 

 そこには友人を傷つけたくないからという思いがあったから、

 

 と言う訳ではない。残念ながら。

 

 そもそも美遊は、響とイリヤ以外は「友人」とは認めていない。故にその2人を守るためなら、躊躇は無い。

 

 一方の響はと言えば、美遊に比べたら彼女たちに対して友愛の情は持っている。しかし、それでも、ここはイリヤの方が優先だった。

 

「ウオリャァァァ、邪魔するって言うなら、たとえ教え子でも容赦しないわよ!!」

 

 先頭切って突っ込んでくる大河。

 

 いや、担任として、小学校教諭としてそれはどうなんだ?

 

 どこからか取り出したのか、丸めた新聞紙を振り翳して襲い掛かってくる。

 

 とは言え、呆けてもいられない。

 

 大河はこう見えて剣道の達人であり、まだ20代の若さで既に五段を有し「冬木の虎」と言う異名で呼ばれた女傑である。

 

 対して響は夢幻召喚(インストール)していなければ普通の小学生と変わらない。まともにやりあったら勝負にならないだろう。

 

「んッ!?」

 

 とっさに体をのけぞらせて、大河の攻撃を回避する響。

 

 しかし、

 

「フハハハッ 甘いッ 甘いわよ響君!!」

「わッ!? わッ!?」

 

 素早く切り返してくる大河の攻撃を、辛うじて回避していく響。

 

 しかし、思った以上に鋭い攻撃に、反撃の隙が見いだせない。

 

 やがて、

 

「隙ありッ」

 パコーンッ

「あだッ!?」

 

 大河の放った一撃が、響の額に命中。響はその場で尻餅を突く。

 

 涙を浮かべて額を押さえる響。

 

 その響きを、大河は傲然と見下ろしている。

 

「フッフッフ、勝負あったわね」

 

 対して響は、そんな大人げない担任を嘆息気味に見上げていた。

 

 

 

 

 

 一方の美遊はと言えば、響よりは善戦している方である。

 

 掴みかかってくる雀花と那奈亀を掻い潜り、時折鋭く反撃する。

 

 まるで蜂を思わせる動きだ。

 

「ぬうッ 素早いな!!」

「いい加減諦めろー!!」

「誰がッ」

 

 言い募る雀花と那奈亀に、反論する美遊。

 

 このまま時間を稼ぐことができるか?

 

 そう思った次の瞬間、

 

 視界の端に、床に倒れた響が映る。

 

 そして、その目の前で丸めた新聞紙を振り翳す大河。

 

 ちょうど、大河の一撃をまともに食らってしまった直後の事だった。

 

「響ッ!!」

 

 親友の危機に、美遊の注意が一瞬削がれる。

 

 その時、

 

「隙有り!!」

「あッ!?」

 

 一瞬で背後に回り込んだ那奈亀が、美遊を羽交い絞めにしてしまった。

 

「フッフッフ、とうとう捕まえたぞ~」

「しまった・・・・・・」

 

 悔しそうに歯噛みする美遊。

 

 しかし、こうなると流石の完璧少女にもどうにもならない。両腕をガッチリと極められてしまったため、全く身動きが取れなくなったのだ。

 

 そこへ、雀花が手をワキワキとさせながら近づいてくる。

 

「さんざん手こずらせてくれたな~ けど、無駄な抵抗もここまでだ」

「クッ」

「さあ、たっぷり『くすぐり地獄の刑』にしてやるッ 無様に笑い転げろー!!」

 

 言い放つと同時に、雀花は美遊へと襲い掛かった。

 

 

 

 

 

 その様子を、響は床に倒れたまま眺める事しかできないでいた。

 

「クッ 美遊!!」

 

 親友の危機に、何もできないでいる自分。

 

 やがて、

 

「これで終わりよッ!!」

 

 目を血走らせた大河が、丸めた新聞紙を振り下ろす。

 

 次の瞬間だった。

 

「フハハハハハハッ 俺にトドメをやらせろー!!」

 

 いつの間にか復活していたらしい龍子が、飛び込んでくるのが見えた。

 

 相変わらずのタフさである。

 

 その姿に、

 

 響は目を光らせる。

 

 一瞬の勝機。

 

 それを響は見逃さなかった。

 

「ていッ」

「ぬおォォォ!?」

 

 走って来た龍子に、とっさに足払いを掛ける響。

 

 龍子はそのままバランスを崩しつんのめる。

 

 その先には、丸めた新聞紙を振り翳した大河の姿がある。

 

「うわッ ちょッ!?」

 

 とっさによけようとする大河。

 

 しかし、その前につんのめった龍子が頭から突っ込んで来た。

 

 そのまま絡まるようにして正面衝突する大河と龍子。

 

 危機を脱した響は、そのまま立ち上がると美遊の元へ向かうと、そのまま美遊を羽交い絞めにしている那奈亀の背後へ回り込む。

 

「なッ 響!?」

「遅い」

 

 那奈亀が振り返るよりも早く、当身をくらわせる。

 

 対して、美遊を抱えていた那奈亀は、響の奇襲に対して成す術も無かった。

 

「む、無念・・・・・・」

 

 崩れ落ちる那奈亀。

 

 その間に、美遊は拘束から脱出する。

 

「しまッ・・・・・・・・・・・・」

 

 驚いた雀花が身構えようとするが、既に遅かった。

 

 その前に美遊に当身をくらわされ、雀花は床に沈むのだった。

 

 

 

 

 

 戦い終わった戦場に立つ、小さな影が2つ。

 

 響と美遊は肩で息をしながら、周囲を見回していた。

 

 何と言うか、無駄に疲れる戦いだった。

 

「それで響、これからどうする?」

 

 尋ねる美遊。

 

 取りあえず、逃げたイリヤの事は気になるし、そもそも何でこんな事態になってしまったのかが謎である。

 

「それなんだけど・・・・・・・・・・・・」

 

 響は今回の事態に対し、何となくだが心当たりがあった。

 

 雀花達は「イリヤにキスされた」と言っていた。

 

 それに対しイリヤは全く身に覚えがないし、何より騒動の直前までイリヤと一緒にいた響と美遊は、彼女のアリバイを完璧に証明できる。

 

 となると、キス魔(ようぎしゃ)は他にいる事になる。

 

 イリヤの振りをして、手当たり次第にキスしまくっている人物。

 

「・・・・・・クロ(アレ)しかいない」

「・・・・・・そうだね」

 

 ガックリと肩を落とす響と美遊。その脳裏には、同じ人物の顔が思い浮かべられていた。

 

 何とも面倒くさい事態である。

 

 恐らくまた、エーデルフェルト邸を脱走して、今度は学校にやって来たのだろう。

 

「とにかく、イリヤとクロを探そう。これ以上騒ぎが大きくなる前に」

「ん、手分けする」

 

 頷きあう、美遊と響。

 

 と、

 

 そこでふと、思い出したように美遊が言った。

 

「そう言えば、先生たちはどうする?」

 

 床にはまだ、倒れたままの大河たちが転がっている。

 

 このまま目を覚ませば、またイリヤを探して暴れるかもしれない。とは言え、放置して行く訳にもいかないだろう。

 

「取りあえず、縛っとく。面倒だし」

 

 そう言うと響は、フックに掛かっている、誰の物ともわからない縄跳びの縄を取り出し、4人をぐるぐる巻きにしてしまう。

 

 その容赦ない様子に、美遊は呆れ気味に唖然とするのだった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 美遊と別れた後、響は校内を見て回った。

 

 クロは、必ずいるはず。

 

 昨日の事にしてもそうだが、どうやら彼女をどこかに閉じ込めておくことは不可能らしい。恐らく、例の転移魔術を使っているのだろう。

 

 いずれにしても厄介な存在であるのは間違いない。早く見つけないと。

 

 校内をくまなく探した響。

 

 取りあえず、職員室以外は全てを回った。まあ、流石に職員室には潜んでいないと思われるが。

 

 となると、残るは、

 

「あそこ・・・・・・・・・・・・」

 

 呟きながら、頭上を振り仰ぐ響。

 

 そのまま階段を上っていく。

 

 響の予想が正しければ、おそらくクロは・・・・・・

 

 開ける視界。

 

 広がる青空の中、白い雲が悠々と浮かんでいるのが見える。

 

 夏の日差しが徐々に強くなりつつある屋上に出た響は、周囲をぐるりと見まわす。

 

 多分、クロはここにいるはず。校内で探していない箇所は、もうここしかないから間違いない。

 

 そう思った時だった。

 

 ドサッ

 

 背後から聞こえた音に、響は振り返る。

 

 その視線の先では、床に倒れた女子生徒の姿があっら。

 

「・・・・・・美々?」

 

 友人の桂美々が、力なく床に倒れている。どうやら、気を失っているようだ。

 

 近付こうとする響。

 

 だが、

 

「やっぱり、一般人じゃいくら吸っても大した魔力回復にならないわね」

 

 そんなつぶやきが聞こえ、足を止める。

 

 果たして、

 

 物陰から出てきたのは、響達が探し求める人物だった。

 

「クロ・・・・・・」

 

 クロは今、なぜか穂群原小学校の女子制服に身を包んでいる。

 

 イリヤと瓜二つの顔と褐色の肌が相まって、なかなか似合っている。

 

 イリヤや美遊に感じる、どこか人形めいた美しさではない。しいて言うなら、悪戯好きの子猫と言った風があった。

 

 と、クロの方も響の存在に気付いたのだろう。こちらを振り返って来た。

 

「あらヒビキ、遅かったじゃない。もう少し、早く来てくれると思ってたんだけど」

「・・・・・・・・・・・・美々に何したの?」

 

 クロの軽口には答えず、響はストレートに尋ねる。

 

 美々は完全に気を失っており、その様子は明らかに尋常ではない。

 

 身構える響。

 

 もし、クロが美々や龍子達に何か危害を加えたのであれば、響としても彼女を許す気にはなれなかった。

 

 対して、クロは肩を竦めて見せる。

 

「別に、ただの魔力補給よ。この間の2連戦でだいぶ消費しちゃったからね」

「なら、何でちゅー?」

 

 魔力補給なら飯でも食えばいい話であり、別にキスする必要は無いだろう、と響は言いたいのだ。

 

 対して、クロはクスクスと笑う。

 

「何だ、何にも知らないのね、ヒビキは」

「・・・・・・・・・・・・」

 

 そんなクロの言動に、響は少しムッとする。

 

 だが、クロは構わず続けた。

 

「キスする事は、魔力供給の一環なのよ。まあ、他にも方法はあるけど、一番効率が良いのはキスよね」

「・・・・・・・・・・・・嘘」

「嘘言ってどうするのよ?」

 

 言いながら、クロは近づいてくる。

 

 立ち尽くす響に対し、クロは笑いながらそっと手を伸ばし、頬をなでる。

 

「何なら、お姉ちゃんが優しく教えてあげましょうか?」

「・・・・・・・・・・・・」

 

 蠱惑的な少女の姿に、響は思わず心臓が高鳴るのを感じた。

 

 まっすぐに見つめられる少女の瞳。

 

 引き込まれそうになるその瞳を真っすぐに見える。

 

 近付く、少女の顔。

 

 互いの唇が触れ合おうとした。

 

 次の瞬間、

 

「・・・・・・・・・・・・限定展開(インクルード)

 

 響の口から放たれた言葉。

 

 同時に、握り込まれた刀を、容赦なく振るう。

 

 一閃。

 

 その一撃を、

 

投影開始(トレース・オン)!!」

 

 クロはとっさに投影した黒剣で弾いた。

 

「・・・・・・やっぱバレたか」

 

 呟きながら後退するクロ。

 

 その口元には、薄笑いが浮かべられているのが見える。

 

 対して、響は刀の切っ先を、真っすぐにクロへと向けた。

 

「その手には乗らない」

 

 あわよくばクロは、響からも魔力を吸い取ろうと思っていたのだろう。

 

 互いの剣の切っ先を向け合う、響とクロ。

 

 降り注ぐ日差しの中、学校の屋上は一触即発の戦場と化す。

 

 互いに身じろぎしない、少年と少女。

 

 あと一つ。

 

 何かきっかけがあれば、両者は激発し、躊躇いなく互いの刃を交わす事になるだろう。

 

 にらみ合う事暫し。

 

 ややあって、

 

「・・・・・・やめよ」

 

 退いたのはクロの方だった。

 

 手にした黒剣を消し、両手を掲げて見せる。どうやら、これ以上続ける気は無い、というポーズのようだ。

 

 対して、響は油断なく刀を構え続ける。

 

 クロは油断できない。隙を見せれば、どんな手段で反撃してくるか、判った物ではなかった。

 

「まあ、今日のところは、かわいい弟の頑張りに免じて、大人しく戻ってあげるわ」

「・・・・・・・・・・・・」

 

 大人しく、と入っているものの、それは裏返せば、今後も引っ掻き回す気満々と言う事だろう。

 

 前へと歩き出すクロ。

 

 刀を構える響とすれ違う。

 

 その一瞬、

 

「楽しかったわ。また遊びましょう」

 

 そう告げると、クロは屋上から去って行く。

 

 後には、意味が分からないと言った風の響だけが残された。

 

「・・・・・・接続解除(アンインクルード)

 

 低く呟き、刀をしまう響。

 

 いったい、クロは何がしたいのか?

 

 みんなにキスしまくってた理由が魔力補給のためだと言う事は分かったが、それなら何も、学校に来なくても良かったような気もする。

 

 クロと言う少女が、何を考えているのか分からない。

 

 彼女は、いったい何を思って、こんな事をしたのだろうか? 今のままでは、ただイリヤの生活をかき乱しているようにしか見えなかった。

 

 あるいは、それ自体が目的と考える事もできないではないのだが。

 

 とは言え、

 

 響は、足元で眠る美々に目を向ける。

 

 今は彼女を介抱するのが先だろう。

 

 そう考えた響は、美々を背に負ぶい、その足で保健室へと向かうのだった。

 

 

 

 

 

第9話「通りキス魔」      終わり

 



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第10話「爆裂 ドッジ対決」

 

 

 

 

 

 

 

 

「どーゆーことッ!?」

 

 怒り心頭なイリヤは、学校から帰るや否や、美遊と響を引きずるようにして、お向かいのエーデルフェルト邸に突撃すると、ちょうど学校から帰って来たばかりのルヴィアに食って掛かった。

 

「何でちゃんと閉じ込めておかなかったのよッ!? おかげでわたしの学校生活が大変なことになったんだよー!!」

「イ、イリヤ、冷静に・・・・・・」

「ん、取りあえず、これ食べる」

 

 なだめる美遊と、手にしたポッキーをイリヤの口に突っ込む響。

 

 しかし、そんな程度では収まらないくらい、今のイリヤは激昂していた。

 

「な、何ですの?」

 

 対して事態が呑み込めないルヴィアは、イリヤの尋常じゃない剣幕に唖然とするしかなかった。

 

「実は・・・・・・・・・・・・」

 

 戸惑うルヴィアに、美遊が口を開いた。

 

「今日、クロが学校に現れたんです。それで、騒ぎになっちゃって・・・・・・」

「あ、あと、わたしの友達に片っ端からちゅ・・・・・・ちゅーを・・・・・・」

「ん、修羅場った」

 

 小学生たちの説明から大体の事情を察したルヴィアは、やれやれとばかりに嘆息した。

 

 どうやら、こうなる事態はある程度予想していたらしい。

 

「地下倉庫の物理的、魔術的施錠は完璧でしたわ。それこそ、アリの一匹も通る隙も無いくらいに」

「なら、どうして!?」

「わたくしが知りたいですわ。どれほど厳重に閉じ込めても、あの子はそれをたやすく破る。いったいどうやって・・・・・・・・・・・・」

 

 そう言うと、ルヴィアも頭を抱える。

 

 常識的に言ってありえない状況に、手の打ちようがない感じだった。

 

 と、

 

「そもそも監禁なんて、する必要ないんじゃない?」

 

 突然の声に、振り返る一同。

 

 集中する視線の先には、いつの間に現れたのか、テーブルに座ったクロが皿の上の桃をおいしそうに食べていた。

 

「い、いつの間に!?」

 

 身構えるイリヤ。

 

 響と美遊も、いつでも動けるように身を固める。

 

 対して、クロはそんな一同の反応に対し、落ち着き払った様子で、やれやれと肩を竦めて見せた。

 

「どうしてわざわざ閉じ込めようとするのかしら? もうわたしは呪いのせいでイリヤには手出しできないし、誰かに害意がある訳ではないわ」

 

 確かに、

 

 クロの標的は、そもそもイリヤ1人。

 

 そう考えれば、クロがこれ以上、何らかのアクションを起こす可能性は低いとも言えるのだが。

 

「わたしはただ、普通の生活がしてみたいだけ。10歳の女の子として普通に学校に通う。それくらいは、叶えてくれて良いんじゃない?」

「・・・・・・・・・・・・」

 

 まっすぐな瞳で告げるクロ。

 

 その瞳を見つめながら、響は静かに見つめていた。

 

 もっとも、当のイリヤからすれば、そんな綺麗事では納得できないらしい。

 

「うぬぬ・・・・・・こやつめッ 戯言を弄するか!!」

「イリヤ、語調が変!!」

「昨日、時代劇見たから」

 

 ツッコミを入れる美遊と響。

 

 と、

 

「・・・・・・良いでしょう」

 

 不承不承と言った感じに、ルヴィアが口を開いた。

 

「え、ちょっと、ルヴィアさん!!」

 

 慌てるイリヤに構わず、ルヴィアは話を進めていく。

 

「許可なく屋敷を出ない事、他人に危害を加えない事、あくまでイリヤの従妹としてふるまう事。約束できるかしら?」

「勿論。それで学校に行けるなら」

 

 そう言って肩を竦めるクロ。

 

 果たして、どこまで信用できたものか。

 

 とは言え、今は一時的にでも騒ぎを収めるのに必要な措置である。

 

「ルヴィアさん、どうして!?」

「静かに、交渉の一環ですわ。ここは任せなさい」

 

 食って掛かるイリヤを、ルヴィアは静かに窘める。どうやら、ルヴィアなりの思惑があるようだ。

 

「オーギュスト!!」

 

 呼びかけるルヴィア。

 

 次の瞬間、

 

「はい、お嬢様」

「ほわッ!?」

 

 シュタッと言う鋭い足音と共に突如、傍らに初老の執事が現れ、イリヤは思わず驚きの声を上げる。

 

 現れた初老の男性は、エーデルフェルト家に長年使えているオーギュストであり、ルヴィアの信頼が最も厚い人物である。

 

 日本に来るにあたって、ルヴィアが唯一同行させたことからも、彼に対する多大な信頼がうかがえた。

 

「ねえねえ、あの人忍者?」

「執事だよ」

 

 袖をクイクイッと引いて尋ねる響に、美遊が呆れ気味に答える中、ルヴィアはオーギュストを近くまで呼び寄せ、何やら耳打ちを始めた。

 

「戸籍、身分証のでっち上げと転入手続きを。美遊の時と同じですわ」

「承知しました。14時間で終わらせましょう」

 

 何やら、犯罪めいた会話が聞こえてきた気がする。

 

 それにしても、

 

「・・・・・・・・・・・・美遊と、同じ?」

 

 どういう事だろう?

 

 響はチラッと、傍らの美遊を見る。

 

 今の会話から察すると、ルヴィアは以前にも、美遊に関して戸籍やら何やらを偽造した、と言う事になる。

 

 つまり、そうする必要があった、と言う事だ。

 

 と、なると、

 

 響の視界の中で、イリヤをなだめている美遊の姿が見える。

 

 果たして美遊とは、いったい何者なんだろうか?

 

「・・・・・・・・・・・・そう言えば」

 

 ポツリと、呟きを漏らす響。

 

 考えてみれば自分は、美遊の事は殆ど知らない事を、今更ながら思い知るのだった。

 

 もっと知りたい。

 

 自分の親友がどんな人物なのか聞いてみたい。

 

 響の中で、そうした感情が確かに芽生えつつあるのだった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 そんで翌週の事。

 

「クロエ・フォン・アインツベルンです。クロって呼んでね」

 

 本当に、転校してきてしまった。

 

 しかも、当然のように、イリヤ達と同じクラスに。

 

「イリヤちゃん達の従妹なの。みんな、仲良くしてあげてね。ちなみに、私の初めての人なの」

「何言ってんだタイガー!!」

 

 世迷言を言う担任にクラス中がツッコミを入れる中、クロは指定された美遊の隣の席へと座る。

 

「今日からよろしくね、美遊ちゃん」

「・・・・・・・・・・・・」

 

 いけしゃあしゃあと言った感じに告げるクロに対し、美遊もまた、どう答えれば良いのか分からず、呆れかえるばかりだった。

 

 とは言え、これから何事も無く済むとは、関係者一同、誰一人として思っていない。勿論、当事者のクロも含めて。

 

 そして、

 

 その予想は外れる事無く、嵐は速やかにやってくるのだった。

 

 

 

 

 

 2時間目は体育の時間だった。

 

 皆が着替えて公邸へと行く中、

 

「よう、クロちゃんよー ちょーっとツラ貸してくれんかいのぅ?」

 

 何やらメンチ切った感じに、着替え中のクロに詰め寄ったのは、龍子、雀花、那奈亀の3人だった。

 

 対して、クロは突然現れた3人にキョトンと首をかしげる。

 

「え、何? いじめ?」

「いじめじゃねえ!! 尊厳を掛けた果し合いだ!!」

 

 怒鳴り込む龍子。

 

 それにしても、果し合いとはまた、ずいぶんと大仰な話になった物である。

 

「忘れたとは言わせないよ!!」

「先週、俺たちの唇を根こそぎ奪いやがって!!」

 

 言い募る雀花と龍子。その傍らで、那奈亀がうんうんと頷いている。

 

 やはりと言うべきか、先週の「通りキス魔事件」が尾を引いているらしかった。

 

「クッ いずれ時が来たら、兄貴に捧げる予定だったのに!!」

「うっわッ そうだったのかタッツン!? イリヤと同じだな!!」

「何言ってるの!? 何言ってるの!?」

 

 いきなり引き合いに出され、顔を真っ赤にしてがなるイリヤ。

 

 そんなイリヤを無視して、龍子はズビシッとクロに指を突きつけた。

 

「初チューの弔い合戦だ!! ショーブしろ、この野郎!!」

 

 何やら不穏な空気が垂れ流され始める教室内。

 

 一方、

 

 その騒ぎは、隣の教室で着替えている響の耳にも聞こえてきていた。

 

「・・・・・・・・・・・・何やってんだか」

 

 嘆息する響。

 

 もっとも、クロが転校してきた時点でこうなる事は予想していたのだが。

 

 今日の体育は、龍子たちに付き合わされることになりそうだ。

 

 そんな事を考えながら響は、ふと視線を外に向けた。

 

 と、

 

「あ・・・・・・・・・・・・」

 

 校庭の隅。

 

 その視界の先には、

 

「ん~~~~~~」

「どうしたんだよ衛宮?」

 

 突然唸りだした響に、クラスメイトの男子が声を掛ける。

 

 だが、それに構わず、響は体操着の上着を被るようにして着ると、その足で教室の外へと駆け出す。

 

「あ、おいッ」

「ちょっと行ってくる」

 

 そう告げると響は、足早に外へと駆け出した。

 

 

 

 

 

 その頃、

 

 穂群原学園初等部の校庭に生えている桜。

 

 既に花の季節は終わり、葉桜となっている並木。

 

 その内の一本に、その人物はいた。

 

 枝を足場にして、巧妙に隠れている小柄な少女の人影。

 

 ルリアである。

 

 ちょうど枝が多く生い茂っている場所で、周囲の視界からは完全に隔絶している。

 

 まさに、隠れて監視するには完璧なポイントなのだが。

 

「・・・・・・・・・・・・何で私がこんな事」

 

 ルリアは不満げに口をとがらせる。

 

 彼女の任務は、ここから響達を監視する事である。彼らの動向を見て、何か動きがあれば拠点にいるゼストや優離に知らせる事になっている。

 

 しかし、

 

「何もこんな回りくどいことしなくても、正面から攻めればいいのに」

 

 監視はゼストに言われて行っている事だが、ルリアにはそれが何とも悠長な作戦に思えて仕方が無かった。

 

 ルリアと、少々頼るのも癪だが優離もいる。

 

 優離の英霊はギリシャ神話に名高き英雄アキレウスである。

 

 彼の英雄達の師と言われる賢者ケイローンに学んだアキレウス。あらゆる武術を使いこなし、その鋼の如き肉体はあらゆる攻撃を弾く。そして駆ける足は神速を超える。

 

 まさに最強の英雄と称して言い。

 

 ルリアが宿す英霊もまた、強力な力を持っている。

 

 同じギリシャ神話に出てくる神速の女狩人アタランテ。およそ弓兵(アーチャー)としては理想的な存在と言える。

 

 彼らと正面から戦っても勝てる自信が、ルリアにはある。

 

 先日はいささか油断が過ぎて苦戦してしまったのは事実だが、あのような事は二度とない。もう一度戦えば自分が負けるはずなかった。

 

 例えば、夢幻召喚(インストール)すれば、ルリアならこの場からでも教室にいる響達を狙撃する事ができる。

 

 何もまだるっこしい手を使わなくてもよいのに。

 

 いっそ、そうしてしまおうか?

 

 誘惑とも言える考えが頭を上げようとした。

 

 その時、

 

「えと、これくらい?」

 

 不意に足元から聞こえる声。

 

 次の瞬間、

 

「ていッ」

 ドゴォッ

 

「キャァァァ!?」

 

 突然、木全体が大きく揺れ、ルリアは可愛らしい悲鳴と共にとっさに幹にしがみつく。

 

 思わず滑り落ちそうになるのを必死に堪える。

 

 枝にとまっていた鳥たちが、一斉に飛び立っていくのが見えた。

 

 いったい何が起こったのか?

 

 そう思って恐る恐る首を伸ばした時。

 

「やっぱりいた」

 

 その足元。

 

 ルリアが潜んでいる桜の木の根元に、響が上を見上げていた。

 

 どうやら今の揺れは、響が足に魔力を込めて蹴ったためらしかった。

 

 なかなか強引な事をするものである。

 

「衛宮響!?」

「ん、こんちは」

 

 言ってから、響は考え込む。

 

「あれ、時間的にまだ、おはよう?」

「どっちでも良いわよ!!」

 

 どうでも良い事に悩む響にツッコミを入れるルリア。

 

 少女の視線が、鋭く響を睨む。

 

「なぜ、私がここにいる事が分かった」

「ん」

 

 頷きながら、響は校舎を指差した。

 

「あそこから見えた」

 

 少年の答えに、ルリアは歯噛みする。

 

 侮っていた。こちらから見えると言う事は、向こうからも見えると言う事。隠れていたらか大丈夫と思っていたが、どうやら響には通用しなかったようだ。

 

「それで・・・・・・」

 

 ルリアは見下ろすように話しかけた。

 

「わたしに何か用でもあるの?」

 

 いつでも戦闘に入れるように身構えるルリア。

 

 発見したにも関わらず、奇襲をかけずわざわざ近づいて話しかけてきたと言う事は、何らかの意図があっての事だと判断するルリア。

 

「取りあえず」

 

 対して響は、見上げながら言った。

 

「パンツ見えてる」

「ッ!?」

「白」

 

 指摘されたルリアは顔を真っ赤にして、スカートのすそを押さえる。

 

 木の下から見上げる形になっていた為、響の立ち位置からはまさにベストショットでルリアのスカートの中が覗けていたのだ。

 

 潜んでいた枝から飛び降りるルリア。勿論、スカートは抑えたまま。

 

 地面に降り立ったルリアは、そのまま響をにらみつける。

 

「・・・・・・それで、何の用?」

 

 仏頂面で尋ねるルリア。

 

 それに対して響は何も答えず、ジッとルリアを見続けている。

 

 どれくらいそうしていただろう?

 

 焦れたルリアが声を掛けようとした時だった。

 

「ん」

「あ、ちょっと、何を!?」

 

 抗議するルリアを他所に、響は少女の手を取るとそのまま引っ張っていく。

 

「どこに行く気よ!?」

「良いから」

「いや、こっちは良くないから!!」

 

 抗議するルリア。

 

 しかし、その声を無視して、響は彼女を校舎の方へと引っ張って行った。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 そんなわけで、

 

 校庭で対峙した一同。

 

 いよいよ決戦開始、と言ったところであろうか。

 

 意気を上げているのは、やはりと言うべきか彼女達である。

 

 真っ向からクロにケンカを売った雀花、那奈亀、龍子の3人が気勢を上げているのが分かる。

 

 一同が立っているのは、四角く区切ったコートの中。

 

 何の事は無い。

 

 弔い合戦と大仰に言っても、やる事はドッジボールだった。

 

 とは言え、

 

 復讐(?)の名の下に意気上げる初ちゅー奪われまし隊(龍子、雀花、那奈亀)に対し、もう片方のチームは、いかにもやる気が無いと言った風情で佇んでいた。

 

 何しろクロ以外の3人、響、イリヤ、美遊は単なる数合わせで参戦しているだけである。

 

 これでは、やる気を出すほうが難しいだろう。

 

 更にもう1人、

 

「・・・・・・・・・・・・何でわたしが」

 

 納得いかないと言った感じに佇んでいるのはルリアだった。その姿は体操着にブルマーと言う運動服姿だった。

 

 言うまでも無いが、3人に輪をかけて、やる気が感じられなかった。

 

「まったく、響がいきなり予備の体操着貸せなんて言うから、何事かと思ったよ」

 

 ルリアを見ながら、嘆息交じりに呟くイリヤ。

 

 あの後、響はルリアを連れてイリヤの元へと行き、姉から体操服を借りて着替えさせたのだ。

 

 尚、当然の事だが、いきなり現れたルリアに、イリヤも美遊も警戒したのだが、

 

 なぜか響が泰然としているため、受け入れてしまったのだった。

 

「良いのかな?」

「まあ、響が大丈夫って言ってるし」

 

 嘆息する美遊とイリヤ。

 

 イマイチ、(てんねん)の言う事には不安が残るが、取りあえずここは信じる事にした。

 

 そんな中、準備は進められていく。

 

「じゃあ、クロ組VS初ちゅー奪われまし隊の一回きりの勝負よ!!」

 

 ボールを持った雀花が、佇むクロに人差し指を突きつける。

 

 どうやら、彼女達もルリアの参戦について、異論はないようだ。と言うより、完全にクロ以外はアウト・オブ・眼中と言った感じである。

 

「負けた方は勝った方の舎弟になる事!! 公序良俗に反しない限り命令には絶対服従!! アーユーオーケー!?」

「舎弟ねえ・・・・・・で、何を命令するつもりなの?」

 

 呆れ気味に尋ねるクロに対し、初ちゅー奪われまし隊の3人は、口々に言った。

 

「給食のプリンよこせ」 龍子

「宿題写させて」 那奈亀

「夏コミでファンネルになって」 雀花

 

 何とも微笑ましい内容だった。

 

 最後の以外は。

 

 対して、クロは不敵な笑みで返す。

 

「ま、いいんじゃない。それじゃあ、わたしが勝ったら・・・・・・全員1日1回、キスさせてもらうから」

「「「なッ!?」」」

 

 突然の百合的発言に、たじろく3人組。

 

 とは言え、自分たちから言い出した手前、退くに引けないところである。

 

「公序良俗に反しまくっている気もするが、良かろう!!」

 

 言い放つ3人。

 

 戦機は、既にクライマックス気味に高まっている。

 

栗原雀花(くりはら すずか)!!」

嶽間沢龍子(がくまざわ たつこ)!!」

森山那奈亀(もりやま ななき)!!」

 

 それぞれが、勇ましくポーズをとる。

 

穂群原小(ほむしょー)の四神とは、俺たちの事だ!! 簡単に勝てると思うなよ!!」

 

 気合は十分。

 

 まったく負ける気はしない。

 

 ちなみに、「ほむしょーのししん」とやらは、一同、完全無欠に初耳ななのだが、

 

 そこはノリなので気にしない事にした。

 

「おー 格好いい!!」

 

 拍手する響。

 

 と、

 

「で、白虎は?」

「「「・・・・・・あ」」」

 

 至極当然のツッコミが、クロから入り、絶句する3人。

 

 確かに雀花(すざく)龍子(せいりゅう)那奈亀(げんぶ)では、四神と言うには1人足りない。

 

 その時だった。

 

 一陣の風が吹き、場の空気が一変するのが分かった。

 

 その風を纏うようにして、ゆらりと歩む影。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「・・・・・・・・・・・・虎をご所望かい?」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 静かな声と共に、ザッ と、土を踏む音が背後から聞こえ、振り返る一同。

 

 そこにいたのは果たして、

 

「初ちゅー奪われまし隊、隊員ナンバー04!! 藤村大河(ふじむら たいが)、参戦するわよコンチクショー!!」

 

 涙交じりに宣戦布告する藤村大河(びゃっこ)に、喝采を上げる3人。

 

 何と言うか、

 

 理由が理由とは言え、小学生のドッジボール対決に担任教師がガチ飛び入りするとは、大人げないにもほどがあるだろう。

 

 とは言え、見ていた響、イリヤ、美遊は、いい加減うんざりし始めていた。

 

 激しくどうでも良いから、やるならさっさと始めてほしいところだった。

 

 

 

 

 

 そんな訳で、

 

「それじゃあ、試合を始めます。ボールは初ちゅー隊からです」

 

 両陣営が展開を終えたのを見て、審判になった美々が、無駄に長ったらしい名前を言い簡易に略しつつ、決戦の火ぶたは切って落とされた。

 

「ハッハー!! 先手必勝!! ウオラァァァァァァ!!」

 

 全力でボールを投げる龍子。

 

 飛んでくる白球。

 

 対して、

 

「おっと」

 

 狙われたイリヤはボールを両手で受け止めると、あっさりと地面に落としてしまった。

 

 テンテンと、地面に転がるボール。

 

 たちまち、美々の笛が鳴る。

 

「イリヤちゃんアウト!! 外野に回ってください」

 

 喝采を上げる龍子達。

 

 対照的に、クロはイリヤに食って掛かった。

 

「ちょっとイリヤッ なにあっさり当たってるのよ!?」

「えー だって・・・・・・」

 

 対して、イリヤはいかにも面倒くさいと言った感じに答える。

 

「わたし別に勝つ意味ないし。ていうか、あなたが負けてくれた方が都合良さそうだし」

「あー、しししんちゅーの虫か」

 

 思わぬところで足を引っ張られ、嘆息するクロ。

 

 対して、完全にやる気のない調子のイリヤは、そのまま外野へと向かう。

 

「美遊も響も、それからそっちの、ルリアさん、だっけ? あなたも、適当に負けて良いからね」

「う、うん」

「りょーかい」

「・・・・・・・・・・・・」

 

 やる気のないイリヤの言葉に、頷きを返す美遊と響。

 

 ルリアはと言えば、もともとやる気ないとばかりにそっぽを向いている。

 

 そんなやり取りを横目に見ながら、クロはボールを拾う。

 

「ふうん、まあ良いけど。味方がいなくたってこれくらい・・・・・・・・・・・・」

 

 言うが早いか、ボールを構えるクロ。

 

 撃ち放たれる、白い砲弾。

 

 その一撃が、避ける間もなく大河の顔面を直撃した。

 

「一人で勝てるわ」

 

 余裕の表情のクロ。

 

 一方、予期せぬ反撃に、初ちゅー隊は完全に浮足立った。

 

「ウオォォォォォォッ タイガァー!?」

「う、こりゃヒデェ・・・・・・嫁入り前の顔に何て事を!?」

「先生アウトー 外野に回ってください」

「意外に冷静だな、美々・・・・・・」

 

 とは言え、やられっぱなしではいられない。

 

 転がっているボールを拾うと、龍子が反撃に転じる。

 

「おのれッ (タイガ)の敵!!」

 

 放たれる白球。

 

 しかし、その一撃を、クロは余裕で受け止めると、そのまま投げ返す。

 

「ほいッ」

「んなァァァァァァッ!?」

「ウオォォォ ノーバンキャッチ!!」

 

 自分に返って来たボールを顔面で受ける龍子。

 

 すかさず、キャッチすべく走る雀花。ドジボールは当たっても、地面にボールが落ちる前にキャッチすればセーフである。

 

 しかし、

 

 クロの能力は、完全に初ちゅー隊を凌駕している。

 

 勝負が決するのも、時間の問題だった。

 

 

 

 

 

「ん~・・・・・・」

 

 勝負の行方を、響は内野のやや外側で見守っていた。

 

 状況は完全に、クロの独壇場と言ってよかった。彼女の言う通り、一般人程度では束になって掛かってもクロにはかなわない。

 

 しかし、

 

「・・・・・・・・・・・・何か、面白くない」

 

 楽しそうにしているクロを見て、響はポツリと呟く。

 

 クロが楽しそうにしている事が、ではない。彼女が楽しんでくれているなら、それはそれで良い事だと思っている。

 

 だが、このままクロの1人勝ちで終わらせてしまうのは、どうにも納得がいかなかった。

 

 そうしている内に、初ちゅー隊は那奈亀が脱落。こちらも美遊が外れ、人数が減っていく。

 

 そして、

 

 クロが放ったボールを、雀花がキャッチし損ねて地面に転がる。

 

「雀花ちゃんアウトー」

「くそおぉぉぉ!!」

 

 美々の宣告と共に、悔しそうに地面を拳で叩く雀花。

 

 これで初ちゅー隊は、ほぼ壊滅状態に陥ったことになる。

 

 残るは、

 

「まずいッ 内野はもう龍子だけだ!!」

「嶽間沢流武闘術を今に伝える家柄ながら、才能が無くて、てんで弱っちいいタッツンだけだー!!」

 

 内野コートの中で涙目になって、濡れた子犬のように震えている龍子。

 

 普段は強気発言の多い龍子だが、実のところ、仲間内では一番のビビり屋でもある。

 

 そして今、仲間は全て倒れ、自陣に立つのは龍子1人。

 

 孤立無援の状況に、達子はかつて無いほどビビりまくっていた。

 

 と、

 

 その龍子を庇うように、

 

 スッと立ちはだかる影があった。

 

「あら?」

 

 響である。

 

 震える龍子を背に庇うようにして立ちはだかった響は、勝ち誇るクロとにらみ合う。

 

 クロも、そんな響の謎の行動を見て動きを止めた。

 

 向かい合う、響とクロ。

 

「どういうつもり?」

「ん、選手交代。龍子、下がっていいよ」

 

 尋ねるクロに、響は素っ気なく答える。

 

 対して、クロは鼻を鳴らす。

 

 どうやら響は、龍子の代わりにクロと戦うと言っているらしい。

 

 このままではクロの一方的な勝ちは目に見えている。

 

 響的には、もう少しゲームを面白くしたい所だった。

 

 チラッと、視線をルリアの方に向ける。

 

 つまらなくなりそうだったゲームに、少しでも面白みを持たせたくて引っ張り出してきたルリアだったが、今のところ何らのアクションも起こしてはいない。

 

 どうやらあくまで「巻き込まれただけ」と言うスタイルを貫くつもりらしい。

 

 キラーンと、響はひそかに目を光らせる。

 

 そっちがそのつもりなら、強引にでも引っ張り出してやるまでだった。

 

「ま、良いけどね」

 

 そう言って、クロは身構える。

 

 どうやら響の「寝返り」について、容認するつもりらしかった。

 

 どのみち素の状態での響は、身体能力的にそれほど高くは無い。スペック的にはクロにはおろか、イリヤや美遊にも劣る。敵に回ったとしても、それ程の脅威にはならないと思っているのだろう。

 

 足元のボールを拾い上げる響。

 

 視線が交錯する。

 

 次の瞬間、

 

 響は攻撃を仕掛けるべく、ボールを振り被って助走を付ける。

 

 響自身、素の状態ではクロに敵わない事は判っている。

 

 故に、チャンスはこの最初の1球。

 

 ここに賭ける。

 

 足を止め、全力の攻撃態勢に入る響。

 

 対してクロも、衝撃に備える。腰を落として、正面からの速球に備えた。

 

 両者、距離は近い。

 

 クロは響のボールをキャッチすると同時に即座に反撃。回避しようのない一撃でアウトに持ち込む作戦を考えていた。

 

 手に持ったボールを加速させる響。

 

 次の瞬間、

 

「ほいッ」

「んなッ!?」

 

 突如、響は軌道をアンダースローに変え、放るようにしてボールを投げた。

 

 緩やかな放物線を描いて宙に舞うボール。

 

 正面からの速球を警戒していたクロは、完全に虚を突かれた形になる。

 

「わッ ちょッ!?」

 

 とっさに態勢を変えようとするクロ。

 

 しかし、間に合わない。

 

 反撃の為に距離を近づけていた事が、完全に仇となっていた。

 

 次の瞬間、

 

 落ちてきたボールはクロの頭頂に当たり、そのままバウンドして少女の背後へと転がった。

 

「クロちゃんアウト。外野に回ってください」

『おおおォォォォォォ!!』

 

 途端に、喝采を上げる初ちゅー隊。

 

 流石は暗殺者とでも言うべきか、

 

 響の放っただまし討ちのような一撃が、ついに弓兵を仕留めたのだ。

 

「・・・・・・やってくれたわね」

 

 悔しそうな表情で響を睨みながら外野へと向かうクロ。

 

 そんな中、

 

 1人、残っていたルリアがボールを拾う。

 

 今までやる気なさげにコートの隅っこにいた為、初ちゅー隊からは見逃されていた形だった。

 

 しかし今、コートに残ったのは、ルリア、そして響の2人だけ。

 

 否が応でも視線は集まる。

 

「クッ・・・・・・・・・・・・」

 

 響をにらみつけるルリア。

 

 周囲から刺さるような視線。

 

 明らかな期待が混じったその視線に、ルリアは完全に表舞台に引っ張り出されていた。

 

「ん」

「・・・・・・・・・・・・」

 

 向かい合う、響とルリア。

 

 響は相変わらず、茫洋とした瞳をルリアに向けてきている。

 

 その澄まし顔には、どうにも腹立たしさを覚えずにはいられなかった。

 

 そもそも、こんな事になったのは、響が強引にルリアを引っ張り込んだからである。

 

 ここは何としても、吠え面をかかせてやらないと気が済まなかった。

 

「・・・・・・良いわ、乗ってあげる」

 

 次の瞬間、

 

 ルリアが仕掛けた。

 

 放たれるボール。

 

 その一撃を、

 

「ッ!?」

 

 響は真っ向から受け止める。

 

 重い一撃。

 

 だが、

 

 響は足を踏ん張って、どうにか堪えていた。

 

「・・・・・・」

 

 眦を上げる響。

 

 その口元には、うっすらと笑みが浮かべられているのが分かる。

 

 これでようやく、面白くなってきた。

 

 お返しとばかりに投げ返す響。

 

 唸りを上げて飛ぶ白球。

 

 その一撃は、しかしやはり、ルリアによって受け止められた。

 

 投げては受け、受けてはまた投げ返し、

 

 応酬が続く。

 

 その様子を、外野に回った一同は、唖然とした様子で眺めていた。

 

「なあなあイリヤ」

 

 2人がボールを投げ合う様子を見ながら、雀花がイリヤに尋ねてきた。

 

「今更だけど、あの女の子は誰なんだ? 響が連れてきたみたいだけど、友達か何かか?」

「そうだよな。学校じゃ見かけた事無いし」

 

 近くにいた那奈亀も賛同するように頷く。

 

 それに対し、イリヤは微妙な表情をする。

 

 まったく、響も面倒な事をしてくれた物である。おかげでこっちは、どう説明すれば良いというのか?

 

「えっと・・・・・・・・・・・・」

 

 言いながら、視線をルリアへと向けるイリヤ。

 

 今も必死になって、響とボールを投げ合っている少女。

 

 その横顔を見て、イリヤは思う。

 

 何となく、楽しそうだ、と。

 

 前回は戦いの場での対峙だったのであまり意識はしなかったが、彼女もイリヤ達と同じくらいの年齢なのだ。

 

 ならば、本来なら一緒に学校に通って、こうして遊んでいてもおかしくは無い。

 

 ルリアたちの事は、まだ殆ど分かっていない。

 

 しかし、今目の前にある光景こそが、自分たちの本来の形なのでは?

 

 そう思ってしまうのだった。

 

 そうしている内に、

 

「あッ」

 

 ルリアが投げたボールを、響が受け損ねて地面に転がる。

 

 同時に、美々が笛を鳴らした。

 

「響君アウト。初ちゅー隊全員アウトにより、クロ組の勝利となります」

 

 勝敗は決した。

 

 の、だが、

 

 初ちゅー隊の4人も、

 

 そしてクロも、いささか以上に納得がいかない表情をしている。

 

 何しろ、関係者全員が最終的に蚊帳の外に追いやられた状態で決着してしまったのだから。

 

 これでは最初の取り決めも無効となる訳だが、

 

「勝負あったわね。じゃあ、わたしはこれで」

 

 勝者となったルリアは、自分の役目は終わったとばかりに、その場で踵を返す。

 

 これ以上この場に用は無い。と言った感じである。

 

 対して、

 

「で、命令は?」

 

 そんなルリアの背中に、響が問いかけた。

 

 このドッジボールの勝者は、敗者に一つ命令する事ができる。

 

 勝者となったルリアには、その権利があった。

 

 対して、足を止めるルリア。

 

 どんな命令が出てくるのか、と一同が固唾を飲んで見守る中。

 

「・・・・・・・・・・・じゃあ、また」

 

 それだけ言い置くと、ルリアは今度こそその場を去って行くのだった。

 

「何だ、あいつは?」

「何か、よくわかんない子だったな」

 

 雀花達がそう言って首をかしげる中、

 

 響、イリヤ、美遊、クロは、ルリアが残した言葉の意味を、正確に理解していた。

 

 すなわち、「また、今度は戦場で」と。

 

 次に会う時は、再び闘争の場になるだろう。

 

 その事を、4人は感じずにはいられなかった。

 

 

 

 

 

第10話「爆裂 ドッジ対決」

 




因みに私が小学生だったころ、ドッジボールは顔面と膝下はセーフでした。多分、うちのローカルルールだったと思うのですが。


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第11話「暗殺者VS弓兵」 前編

 

 

 

 

 

 

 

 

「クロが・・・・・・逃げた?」

 

 キョトンとした顔で尋ねる響。

 

 その目の前には、深刻な顔をして俯いている、姉のイリヤ、親友の美遊、そして凛、ルヴィアの姿もあった。

 

 ここはエーデルフェルト邸の応接室。

 

 イリヤが自宅の裏庭で魔法の練習していた際に自前テロを起こし、給湯器が破壊された衛宮邸は、修理するまで風呂も湯沸かし器も使えなくなってしまった。

 

 そこで、家族ぐるみで付き合いのある、お向かいのエーデルフェルト邸に風呂を借りに来たわけである。

 

 そして、事件は起きた。

 

 男性陣と女性陣で分かれて風呂に入ったのだが、その際、クロが大浴場の壁を破壊して逃げ出してしまったと言う。

 

「何があったの?」

 

 話を聞いた響は、ややげんなりした顔で尋ねる。

 

 正直、あれだけ苦労して捕まえたクロにあっさりと逃げられた事に疲労感を覚えずにいられなかった。

 

「判んないよ。急に怒り出しちゃって・・・・・・・・・・・・」

 

 イリヤも疲れたように答える。

 

 実際、直前までは多少のぎくしゃくはあった物の、和気あいあいとしたものだった。

 

 だが、会話が進むうちに、突如として激昂したクロ。

 

 そのまま彼女は浴室の壁を破壊して逃げ出してしまったと言う。

 

「・・・・・・・・・・・・厄介」

「確かに。また捕まえなくちゃいけないとなるとね・・・・・・」

 

 凛が頭を抱えながら、響に頷きを返す。

 

 初めに捕まえたときでさえ全員で掛かり、罠に罠を重ねてようやく成功したのだ。

 

 あれをまたやらなくてはならないのかと思うと、気が滅入ってきてしまう。

 

 そんな中、

 

《ふ~む・・・・・・・・・・・・》

「どうしたのルビー?」

 

 悩むような声を上げたルビーに、イリヤは怪訝な面持ちで尋ねる。

 

 対して、ルビーはイリヤに向き直って言った。

 

《何となくですけど私、クロさんが怒った理由について心当たりがあるんですよね~》

「え?」

「どういう意味ですの?」

 

 一同が視線を向ける中、ルビーは語りだした。

 

《あの時、望みを尋ねた凛さんに対し、イリヤさんはこう答えました。「元の生活に戻りたい」と》

 

 確かに。

 

 あの時の事をイリヤは思い出す。

 

 凛としては、今回のカード収集の中心にいるのは、他ならぬイリヤであると感じていた。

 

 そもそも、凛にしろルヴィアにしろ、カードを持ち帰る事が目的であり、他の事は全て些事に過ぎない。

 

 ならば、方針自体はイリヤの意思に沿う形で進めようと思ったのだ。

 

 これについてはルヴィアも同意見であり、必然的に今後の命運はイリヤに託されることとなった。

 

 そこで、イリヤが答えたのが、先ほどのルビーが言ったとおりの言葉だったのである。

 

《拡大解釈かもしれませんが、聞きようによっては「カードにまつわる全ての事を否定したい」と言う風にも聞こえます》

「それはッ・・・・・・・・・・・・」

 

 それはつまり、クロを、

 

 否

 

 カード回収に関わるようになってから出会った全員、

 

 ルビー、美遊、サファイア、凛、ルヴィア。

 

 この場にいる響以外の全員の存在を、否定したに等しかった。

 

 それに対し、イリヤは黙り込む。

 

 正直、そう言った気持ちが全く無かった、とは言い切れない部分もある。

 

 まだ関わって日が浅いイリヤや響にはピンとこない面もあるが、魔術の世界は本来、血みどろである。

 

 己の目指すものの為に他の全てを排し、時に、積み上げられた屍の山を蹴散らして進まなければならない時もある。

 

 あるいはイリヤは、幼い心でそれを感じ取っているのかもしれない。

 

 だからこそイリヤは、自分の中での魔術的世界の象徴とも言うべき、クロを本能的に遠ざけようとしたのかもしれない。

 

「ルビー、イリヤはそんなつもりで言ったんじゃないと思う」

《もちろんです。そして、それはこの場にいるみんなが判っている。しかし、クロさんの立場からすれば、そう捉えられてもおかしくは無い、と言う事ですよ》

 

 響の言葉を肯定しつつ、しかしルビーはクロの心情をそう分析した。

 

 確かに、自分自身の存在を否定するようなことを言われれば、激昂するのも頷ける。

 

 ルビーの考えは、あながち間違いとも言い切れなかった。

 

「ともかくクロの考えがどうあれ、彼女を野放しにできない事には変わりない訳ですから、早急に見つけて連れ戻す必要がありますわ」

 

 ルヴィアの言葉に、頷く一同。

 

 とは言え、クロは間抜けではない。先と同じような手が通じるとは思えない事を考えると、再捕縛には想像以上の手間がかかるであろうことは間違いなかった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 その翌日。

 

 響はイリヤよりも先に家を出ると、真っすぐに学校へ来ていた。

 

 まだ早い時間であるせいか、校内に人の気配は少なく、静寂の中に包まれていた。

 

 響は今日、日直である為、少し早めに登校したのだ。

 

 初夏とは言え、朝はまだ少し涼しい。

 

 ひんやりした空気の中、校門をくぐり、下足棚へと向かう。

 

 正直、クロの事は気になる。

 

 もう一度、あの少女と戦えと言うのであれば無論、躊躇する気は無いが、しかし勝てるか? と聞かれれば首をかしげざるを得ない。

 

 そもそもクロの存在は、響達がこれまで戦ってきた黒化英霊達とは明らかに異なる。

 

 意思があり、会話もする事ができる。

 

 それと共に、戦闘には柔軟性が感じられる。

 

 ただ本能の赴くままに襲い掛かって来た黒化英霊とは、明らかに一線を画する存在である。

 

 それに、

 

 つい先日、学校に姿を現したルリア達の事も気になる。

 

 ここ数日、表立っての襲撃は無いが、それが却って不気味な感もあった。

 

 とは言え、やはり目下の問題はクロの方だろう。

 

 いったい、どこに消えたと言うのか?

 

「・・・・・・ん?」

 

 下駄箱の蓋を開けたとき、中から出てきた紙切れに気付き、響は声を上げる。

 

 何となく覚えのあるシチュエーションだが、響は足元に落ちた紙を拾い、書かれた文章に目を通す。

 

「・・・・・・・・・・・・」

 

 一読する。

 

 やがて、

 

 響は無言のまま下駄箱を閉じると、たった今、入って来たばかりの昇降口の方へと足を向けるのだった。

 

 

 

 

 

 こんな時間に、小学生が1人で学区外を歩いていれば、それだけで怪しまれるものである。

 

 その為、響はなるべく裏路地を通り、人目を避けながら歩いた。

 

 国道を渡り、林に入るころには、かすかな潮の匂いが漂ってきていた。

 

 聞こえる海鳴り。

 

 やがて視界が開け、陽光に照らされて輝く海が目の前に出現した。

 

 打ち寄せる波を目の前にして、響は足を止める。

 

「・・・・・・・・・・・・来た」

 

 短く告げられる言葉。

 

 対して、

 

「ようこそ。ちゃんと1人できたみたいね。偉い偉い」

 

 気配が無いところから、突然聞こえる少女の声。

 

 顔を上げれば、姉と全く同じ顔をした褐色肌の少女が、海岸の岩の上に立ってこちらを見つめていた。

 

 既にアーチャーの英霊化を行い、戦闘準備万端のクロ。

 

 対して、響は無言のまま、手にした紙を放る。

 

 下駄箱の中に入っていた紙には、クロの手書きと思われる地図と、「1人で来て」と言うメッセージが添えられていた。

 

 そして実際に指定された場所がここ、と言う訳である。

 

「呼び出すのは美遊とどっちにしようか迷ったんだけど、あんたの方が面白そうだったから」

 

 そう言って肩を竦めるクロに対し、響は鋭い眼差しで言い募る。

 

「ルヴィアの家に帰って」

 

 いつも通り単刀直入。

 

 と言うより、最小限の言葉で用件だけを一方的に伝える響。

 

 対してクロは、そんな響に鼻白んだように肩を竦める。

 

「やれやれ、相変わらず愛想が無いわね。そんなんじゃモテないわよ」

「余計なお世話」

 

 クロの軽口に、素っ気なく返す響。

 

 だが次の瞬間、

 

「まあまあ、結論を急ぐ事は無いわけだし落ち着いて、座って話しましょう」

 

 突然、肩を引かれたかと思うと、そのまま背後に置かれた椅子に座らされた。

 

「なッ!?」

 

 驚く響。

 

 いつの間に、クロは背後に回ったのか?

 

 そしていつの間に、椅子なんて用意したのか?

 

 そう言えば今までも、一瞬にして場所を移動したり、何もないところから剣を作り出したりしていた。

 

「・・・・・・・・・・・・ワープ、と・・・・・・あとは何?」

「・・・・・・20点。赤点決定」

 

 響の回答に、手厳しい評価のクロ。

 

 それはそれとして、響は警戒するように身構えながら、問いかける。

 

「まだ、イリヤを狙うの?」

「ま、当然ね」

 

 いっそ清々しいと思えるくらいあっさりと答えるクロ。

 

「あの子が、わたし達の存在を否定しようと言うなら、仕方ないでしょ。わたしにはわたしの存在意義って物がある訳だし」

「やり合う前に話し合うべき」

 

 対して響は、そんなクロの言葉を否定する。

 

 そもそも響からすれば、クロの行動は前提からしておかしい。

 

 クロがイリヤに何らかの含みがある事は、これまでの行動からも明らかである。

 

 しかし、それならそれで、まずは話し合うべきだろう。

 

 クロのように、いきなり殺しにかかるのは、響からすれば異質以外に何物でもなかった。

 

「そうね、じゃあ、たとえ話で説明しましょうか」

 

 そんな響に、クロは諭すように言った。

 

「一つのシュークリームを、響とイリヤが取り合っています。シュークリームは分けられません。さあ響、あんたならどうする?」

 

 問いかけるクロ。

 

 対して、響は迷いなく答えた。

 

「真ん中から2つに割って、下を食べて、上をイリヤにあげる」

「・・・・・・分けられないって言ってるでしょ。あと何気に自分の方が大きいし」

 

 食い意地張った回答に、呆れ気味のクロ。

 

 そこで、響は改めて考える。

 

「ジャンケン?」

「・・・・・・ま、辛うじて正解って事にしてあげる」

 

 やれやれとばかりに肩を竦めるクロ。

 

「そう。つまり、分けられない物があるなら、あとは戦って奪い合うしかない。そして、わたしとイリヤが争っているのは、そういう『分けられない物』なのよ」

 

 戦いは避けられない。

 

 イリヤがイリヤである限り、

 

 そしてクロがクロであり続ける限り、

 

 2人が戦う事は宿命であると言って良い。

 

「・・・・・・・・・・・・どうしても?」

「くどいわよ」

 

 尚も言い募る響に対し、クロは切り捨てるように言うと、両手に黒白の双剣を生み出して構える。

 

 左手に持った黒剣が干将。

 

 右手に持った白剣が莫邪。

 

 その昔、中華が春秋戦国と呼ばれていた時代。

 

 名工として知られた干将の為、妻の莫邪が焔を灯して作り上げた名刀。

 

 其は二刀にして一対の、別ち難い夫婦剣。

 

 その刃が、真っすぐに響へと向けられた。

 

「イリヤがあくまでわたしの存在を否定する気なら、わたしはあの子を殺す事に、何のためらいも無いわ!!」

 

 言い放つと同時に、地を蹴って斬りかかるクロ。

 

 黒白の切っ先が、真っすぐに響へと迫る。

 

 対して、

 

 響はその軌跡を真っ向から見据える。

 

 そして、

 

 クロが剣を振り翳した。

 

 次の瞬間、

 

「・・・・・・・・・・・・夢幻召喚(インストール)

 

 低く囁かれる響の声。

 

 巻き起こる閃光と衝撃。

 

 包まれた少年の姿が変貌する。

 

 髪は伸びて後頭部で結ばれ、穂群原小の制服姿は黒衣の着物と短パン姿に。

 

 最後にマフラーが口元に巻かれ、手には鞘に収まった日本刀が握られる。

 

 鞘走る銀閃。

 

 その一撃が、クロの剣を弾く。

 

 蹈鞴を踏むように後退するクロ。

 

 対して、英霊化した響は、刀の切っ先を真っすぐにクロへと向けて言う。

 

「クロがどうしてもイリヤを殺すなら、排除する」

「・・・・・・ふうん」

 

 思い切った響の回答に、クロは感心したように頷きを返す。

 

 どうやら、双方ともに引く気はない、と言う事らしい。

 

 次の瞬間、

 

 2騎の英霊は、真っ向からぶつかり合った。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 先制したのは響だった。

 

 姿が霞むほどの高速でクロに接近。手にした刀を袈裟懸けに繰り出す。

 

 対してクロも負けていない。

 

 響が繰り出した攻撃を干将で防ぐと同時に、動きを止めた響に対して莫邪を横なぎに繰り出す。

 

「ッ!!」

 

 鋭く繰り出される、クロの攻撃。

 

 対して、響はとっさに後退して回避する。

 

 だが、

 

「逃がさな、い!!」

 

 すかさず追撃するクロ。

 

 逃げる響に対し、距離を詰めて双剣を繰り出すクロ。

 

 莫邪を右から、干将を左から切り上げるように繰り出す。

 

 左右、別々の軌跡を描いて迫る刃。

 

 対する響は、

 

「・・・・・・・・・・・・」

 

 自身に迫る刃を見据え、響は頭上に大きく跳躍した。

 

「クッ!?」

 

 舌打ちするクロ。

 

 見上げる視線の先では、

 

 刀を大上段に振りかぶった響の姿がある。

 

 降下と同時に、刀を振り下ろす響。

 

 しかし、その刃がクロを捉える事は無い。

 

 その前にクロは、後退する事で響の攻撃から逃れていたのだ。

 

「まだッ!!」

 

 追撃しようとする響。

 

 だが、

 

 対抗するように、クロは腕を一閃する。

 

 同時に、少女の左右を囲む虚空から、10本近い刃が出現した。

 

 それぞれ形状の違う剣。

 

 その切っ先が、一斉に響へと放たれた。

 

 自身に飛んでくる刃を、真っ向から見据える響。

 

 その切っ先が少年を捉えようとした。

 

 次の瞬間、

 

 クロの視界から、響は霞のように消え去った。

 

 物理的に消えたのではない。

 

 となると、

 

「速いッ!?」

 

 とっさに気配を探るクロ。

 

 その死角から、

 

 刃が突き込まれる。

 

「おっと」

 

 とっさに、軽い調子で回避すると、距離を置いて双剣を構え直す。

 

 直ちに追撃を掛ける響。

 

「音も無く、風のように動き、死角から奇襲を掛ける」

 

 向かってくる響を見ながら、クロは呟くように言う。

 

「まさしく暗殺者(アサシン)の技ね」

 

 繰り出された響の攻撃を剣で弾きながら、クロは次の一手を模索する。

 

 成程、まだ完全には使いこなせていないようだが、響の能力はあれでかなり厄介であることは判った。

 

 それを踏まえた上で、クロは戦略を練る。

 

「よけれるもんなら・・・・・・・・・・・・」

 

 言いながら、両手に剣を構えるクロ。

 

 ただし、今度は右手に3本、左手にも3本。

 

 合計6本の剣が、少女の手に握られている。

 

 いったい、どうするつもりなのか?

 

 息を呑んで動きを止めた響。

 

 次の瞬間、

 

「よけてみなさい!!」

 

 言い放つと同時に、6本の剣を投擲するクロ。

 

 放たれた白黒3対の干将莫邪は、回転しながら空中を浮遊する。

 

 互いに惹かれ合う性質を持った干将莫邪。

 

 その能力を最大限に利用し、投擲と同時に全方位から敵に襲い掛かり、刃を重ね当てる必殺技。

 

 さながら鶴が大空に羽ばたく姿に重ね、「鶴翼三連」と名付けられた絶技。

 

 その強烈な攻撃が、響に襲い掛かる。

 

 対して逃げ場は、

 

 無いッ

 

「クッ!?」

 

 舌打ちと同時に、跳躍して逃れようとする響。

 

 だが、

 

「甘いわよ」

 

 ほくそ笑むクロ。

 

 次の瞬間、響に迫った3対の刃が、一斉に爆発を起こす。

 

「なッ!?」

 

 目を剥く響。

 

 その小さな体が、衝撃で吹き飛ばされて錐揉みする。

 

 それでも、どうにか体勢を立て直そうと、空中でバランスを持ち直す。

 

 が、

 

「甘いって言ってるでしょ」

 

 囁かれた視界の先では、弓矢を構えたクロの姿が。

 

 放たれる矢。

 

 その鏃は、空中の響へと真っすぐに飛翔する。

 

 響にはかわす術がない。

 

 そう思った次の瞬間、

 

 響は何もないはずの空中を蹴り矢を回避。そのまま地面へと降り立った。

 

「・・・・・・成程、魔力で足場を作ったのね。ちゃんと成長してるじゃない」

「・・・・・・・・・・・・」

 

 感心したように告げるクロ。

 

 しかし、当の響はと言えば、それほど楽な状況ではない。

 

 特に、先ほどの爆発は危なかった。

 

 かわしたとは言え、衝撃によるダメージまでは防ぎきれなかったのだ。

 

 倒れまいとして、どうにか足を踏みしめる響。

 

 対して、明らかな優勢を確立したクロは、弓を捨てて再び干将莫邪を構える。

 

 対抗するように、刀を構える響。

 

 だが、

 

「あのさァ響。もしかして、舐めてる、わたしの事?」

「・・・・・・・・・・・・何が?」

 

 突然の物言いに、訝る響。

 

 対してクロは、呆れたようにつづける。

 

「いつまで、片手間で戦ってるつもりなのかって言ってるのよ?」

「・・・・・・・・・・・・」

 

 クロの物言いに、黙り込む響。

 

 対してクロは、莫邪の切っ先を向けながら言った。

 

「本気を出せないのか、出したくないのか? どっちにしても、これ以上、茶番を続ける気なら、ここらで終わらせるから」

 

 本気で殺気を放つクロ。

 

 対して響も、刀を構えながら対峙する。

 

 クロの言わんとしている事は判る。

 

 火力では明らかに、クロの方が勝っている。加えて、クロはまだ、奥の手をいくつか隠している節がある。

 

 このままでは勝てない。

 

 それは響自身、よく理解していた。

 

 ならば、

 

 こちらも切り札(ジョーカー)を切るしかなかった。

 

「・・・・・・・・・・・・」

 

 スッと、目を閉じる響。

 

 己の中にある魔力回路を意図的に動かす。

 

 内に眠る全ての力を引き出すべく、魔力を加速させる。

 

 そして、

 

 クロが見ている目の前で、

 

 響の姿は一変する。

 

 風になびく羽織。

 

 浅葱色に、白の段だらを染め抜いた、目にも鮮やかな文様。

 

 鋭さを増した少年の双眸が、真っ向から少女を射抜く。

 

「ふうん、ようやく本気になったってところかしら」

 

 言いながら、干将莫邪を構えるクロ。

 

 対抗するように、響もまた刀の切っ先を向けて構える。

 

 次の瞬間、

 

 両者は同時に地を蹴った。

 

 

 

 

 

第11話「暗殺者VS弓兵」 前編      終わり

 



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第12話「暗殺者VS弓兵」 後編

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 浅葱色に白い段だらの羽織を風に靡かせ、少年は一気に駆け抜ける。

 

 その姿は、まさしく疾風の如く。

 

 自身に接近してくる少年の姿に、思わずクロは息を呑んだ。

 

「速いッ!?」

 

 一瞬で距離を詰めてきた響。

 

 繰り出される刃が、クロへと迫る。

 

 対抗するように干将莫邪をもって構えるクロ。

 

 剣閃は銀の輝きとなって、数瞬の交錯が描かれる。

 

 鳴り響く剣戟の音。

 

 響とクロ。

 

 互いに一歩も譲らず、剣を繰り出す。

 

 だが、

 

 先ほどまでとは違う。

 

 今度は響がクロを押し始めていた。

 

 鋭く繰り出される刃は全てが重く、クロは両手の双剣を繰り出して、防ぐのもやっとの状態だった。

 

 筋力、敏捷、攻撃の鋭さ。

 

 その全てが、明らかに先程と比べて一線を画していた。

 

 一方、響も、自分の力がクロを凌駕しているのを感じていた。

 

 響が纏った、浅葱色に白い段だら模様の羽織。

 

 「誓いの羽織」と呼ばれるこの宝具は、かつて幕末と呼ばれた動乱の時代。戦火の坩堝と化した京都を守護するために結成された最強の剣客集団「新撰組」の象徴として謳われたもの。

 

 この羽織を纏う時、それは決戦の時であり、決して負けられぬ戦いである事を現している。

 

 そして、

 

 この羽織を纏う時、この英霊は真の力を発揮する事ができるのだ。

 

 かつて対峙した時とは違う。

 

 今や響は、以前は歯が立たなかったクロに対し、余裕をもって追随できるだけの力を発揮していた。

 

 鋭く振るわれる剣閃。

 

 強烈な金属音と共に、破片が光を浴びて散乱する。

 

 その様に、クロは目を見張る。

 

 響の繰り出した強烈な一撃が、クロが持つ干将莫邪を同時に叩き折ったのだ。

 

「あらら・・・・・・・・・・・・」

 

 折れた刀身を見ながら、呆れたように呟くクロ。

 

 同時に後退するクロ。

 

 響が追撃に繰り出した剣閃を、少女はかろうじて回避した。

 

「やるわね。まあまあってところかしら」

 

 余裕の態度を崩さず、再び両手に剣を作り出すクロ。

 

 その両手には、再び黒白の干将、莫邪が握られた。

 

 投影魔術(グラデーション・エア)と呼ばれるこの魔術は、全くの無の状態から物質を作り出す事ができる。

 

 本来、投影された物は一時的な現存しかできない。

 

 しかし、英霊の能力故か、クロは投影した物体をいつまでも維持する事ができる。

 

 その為、クロは自身の魔力が続く限り、たとえ破壊されても、いくらでも剣を作り出す事ができるのだ。

 

 そこへ、響が攻撃を仕掛ける。

 

 間合いを詰めると同時に、袈裟懸けに振り下ろされる響の刃。

 

 対抗するように、クロも両手の双剣を刷り上げるように繰り出す。

 

 激突する、三振りの刃。

 

 次の瞬間、

 

 後退したのはクロだった。

 

「クッ!?」

 

 舌打ちするクロ。

 

 と同時に、両手の干将莫邪が再び打ち砕かれた。

 

「やれやれ・・・・・・・・・・・・」

 

 柄だけになった剣を放り捨てながら、クロは呟く。

 

「この戦闘力・・・・・・もはや暗殺者(アサシン)と言うより剣士(セイバー)に近いわね」

 

 言いながら、再び剣を投影して構えるクロ。

 

 だが、それでも尚、響の勢いは止められない。

 

「チッ!?」

 

 響が斬り下ろしてきた刃を干将で防ぎながら、後退する事で響の間合いから離れるクロ。

 

 対して響は追撃すべく地を蹴る。

 

 弓兵(アーチャー)相手に、距離を置くのは危険と判断する。

 

 クロへと斬り込もうと、刀を振り翳す響。

 

 だが、

 

「・・・・・・・・・・・・なッ!?」

 

 思わず絶句する響。

 

 その眼前には、次々と自分に向かって飛んでくる剣の姿がある。

 

 クロはただ逃げていたのではない。

 

 逃げながら剣をばらまき、響の追撃を絶とうと考えたのだ。

 

 その作戦は成功し、響は足を止めざるを得なくなる。

 

 手にした刀を振るい、飛んできた剣を切り払う響。

 

 だが、動きを止めた響に、クロは狙いを定める。

 

「無から剣を作り出し、矢に変換し魔力を乗せて放つ。『弓兵(アーチャー)』。文字通りの力よね」

 

 放たれる矢。

 

 その一撃が、響のすぐ足元に着弾する。

 

「ッ!?」

 

 襲い掛かる衝撃。

 

 矢に込められた魔力が炸裂し、周囲に衝撃波をまき散らしたのだ。

 

 それにより、大きく吹き飛ばされる響。

 

 どうにか体勢を入れ替えて着地する。

 

 しかし、

 

「わたし、カンニングが得意なのよね」

 

 形勢逆転。

 

 好機を逃さず、クロは動く。

 

「『手元にカードがあります』『目の前に敵がいます』『さて、どうしましょう?』 そういう問題に対し、即『カードを夢幻召喚(インストール)する』っていう答えを導けるのがわたしなの」

 

 接近すると同時に、干将莫邪を振るうクロ。

 

 その攻撃は、直前で辛うじて体勢を立て直した響は、とっさに地を蹴り後退する事で回避する。

 

「わたしはカードの目的も、理論も、設計思想も知らない。それでも答えを導き出せる。過程を省いて、臨んだ結果を得る・・・・・・そういう風に作られた。だから、ほら」

 

 告げると同時に、

 

 クロの姿は、響の背後へと回り込んでいた。

 

転移魔術(これ)も、その一端って訳」

「ッ!?」

 

 振るわれる刃。

 

 その一撃は、確実に響を捉えられるタイミングで繰り出された。

 

 筈だった。

 

 しかし次の瞬間、

 

 響は地面に額をこするぐらいに身をかがめると、全身のバネをいかんなく発揮して、擦り上げるように刀を繰り出した。

 

 駆け上がる、銀の閃光。

 

 その一撃を、クロはのけぞる事でかろうじて回避して見せた。

 

 少女の額から冷汗が噴き出る。

 

 まさに間一髪。

 

 一拍置いて、クロの前髪が一房、パサリと地面に落ちた。

 

 そこで、

 

「・・・・・・アハッ」

 

 ニコリと笑みを浮かべると、後退するクロ。

 

 それを追って、駆ける響。

 

 そのクロの周囲に、再び剣が出現した。

 

 輝く切っ先が、全て真っ向から響へと向けられた。

 

 また時間を稼いで距離を取るつもりか。

 

 そう判断した響は、構わずに前へ出る。

 

 放たれる刃の群れ。

 

 殺到する銀の閃光を前に、響は足を止めずに刀を振るう。

 

 前へ、

 

 一歩でも前へ、

 

 アーチャー相手に遠距離戦(ミドルレンジ以上)は自殺行為に他ならない。

 

 何としても、こちらの間合いまで踏み込むのだ。

 

 やがて、全ての剣を、響は切り払う事に成功する。

 

 眦を上げる。

 

 立ち尽くす、クロの姿が見えた。

 

 刃を振りかぶる響。

 

「これでッ」

 

 腕に力を込めた次の瞬間、

 

 突如、

 

 四方から伸びてきた紐状の物が、響の体を捉えた。

 

 まるで蛇のように、枝を伝って伸びてきた紐は、響の腕に、足に、胴に、首に巻き付いて拘束してしまう。

 

 その間、ほんの数瞬。

 

 あっという間に、響は身動きが全く取れないほどにぐるぐる巻きにされてしまった。

 

「これはッ・・・・・・・・・・・・」

 

 絶句する響。

 

 それは先日、凛達がクロを捉えるために使った拘束符。クロはそれを投影して使用したのだ。

 

「そんなんじゃだめよ響。一つの事に集中しすぎて、周りが疎かになってるじゃない」

「クッ!?」

 

 尚も足掻こう体をよじる響。

 

 しかし、拘束符は少年の細い体をガッチリと拘束して放さなかった。

 

 笑みを含んで言いながら、莫邪を改めて投影するクロ。

 

 その黒い刃を、拘束されて動けなくなった響の喉元に突き付ける。

 

「勝負あったわね」

「クッ」

 

 圧倒的有利を確立したクロは、勝利を確信して笑みを浮かべる。

 

 対して、身動きが取れない響は歯噛みするしかない。

 

「さて、どうしてくれようかしら」

「・・・・・・・・・・・・」

「あなたがどうしても邪魔するって言うなら、しょうがないわね。あなたを殺して、そのあとでイリヤも殺すわ」

「そんな事したら・・・・・・・・・・・・」

 

 クロも死んでしまう。

 

 そう言いながら、響はクロのむき出しのおへそに目をやる。

 

 そこに描かれた痛覚共有の文様は健在である。

 

 つまり、イリヤが死ねば、クロも死ぬわけだ。

 

「そうね。けど、それも良いんじゃない? みんな仲良く死んで、それでおしまいってのも、案外悪くは・・・・・・・・・・・・」

 

 最後まで言い切る事を、クロはできなかった。

 

 その前に、響は僅かに動かす事ができた手首を返して拘束符を切断。自由を取り戻すと同時に、横なぎに斬りかかったのだ。

 

 無理な体勢からの斬撃である為、充分に威力を乗せる事は出来ない。

 

 しかし、クロに対して、防御姿勢を取らせることには成功していた。

 

 響の刀と、クロに手にある莫邪がぶつかり合い火花を散らす。

 

 そのまま少女をにらみつける響。

 

「イリヤはやらせないって言った。だから、クロも・・・・・・」

「無理よ、共存なんて。言ったでしょ。譲れない物が互いにあるなら、争って奪うしかないって」

 

 あくまでイリヤを狙う姿勢を崩そうとしないクロ。

 

 目を細める響。

 

 やはり、やるしかない。

 

 クロを殺さないと、イリヤは守れない。

 

「それ、ならッ!!」

 

 クロの剣を弾く響。

 

 同時に、刀を構える。

 

「ここで、止める!!」

「残念だわ、響!!」

 

 互いの剣が空を切り、閃光が交錯する。

 

 次の瞬間、

 

 飛来した光が、響とクロの間に着弾。しばし、その行く手を阻んだ。

 

「なッ!?」

「これはッ」

 

 驚く、響とクロ。

 

 その間に、

 

 ピンク色の魔法少女衣装を纏った、カレイド・ルビーが降り立った。

 

「間に合った?」

《恐らく。わずかなカードの反応を追ってきてみましたが、案外どうにかなるものですね》

 

 尋ねるイリヤに、ルビーが感心したように答えた。

 

 そこへ、もう1人の少女も、上空から舞い降りてきた。

 

「響!!」

 

 美遊である。こちらもすでに魔法少女(カレイドサファイア)に変身している。

 

「イリヤ・・・・・・美遊・・・・・・」

「学校行っても、先に着いてるはずの響がいなかったから、ルビー達に頼んで探してもらったの」

 

 どうやら、知らない間に心配をかけてしまっていたらしい。

 

 響としては、学校よりもクロへの対処の方が優先と考えて行動したのだが、それが却って裏目に出た感もあった。

 

「2人とも、もうやめて。剣を収めて」

 

 響とクロ、双方を見据えながらイリヤは言う。

 

 これ以上、この場で戦うことに意味はない。

 

 戦うよりもまず、話を聞くべき。

 

 それが、イリヤの考えだった。

 

「て言うか響、何、その恰好?」

 

 初めて見る、響の新選組衣装に、目を丸くするイリヤ。

 

 対して、響はシレッと肩を竦める。

 

「ん、新コス」

 

 などと、突然の事態に緊張感が弛緩し始めた時だった。

 

 突如、接近したクロが、容赦なくイリヤに剣を振るう。

 

《イリヤさん!!》

 

 ルビーの警告に答え、とっさに防ぐイリヤ。

 

 対してクロは、冷ややかな目で自分と同じ容姿の少女を睨む。

 

「何しに来たの今更。いい加減、勝手すぎるわよ」

「・・・・・・・・・・・・」

「『わたしの為に争わないでー』って奴かしら? こんなところにしゃしゃり出てきて、お姫様気取りしないで」

 

 冷たく言い放つクロ。

 

 対して、響も姉を守るように前に出る。

 

「下がって、イリヤ」

「響!!」

「クロは倒さないと止まらない。もう、判り切ってる」

 

 話し合いで止められるなら、とっくに止まっている。クロを止めるには、彼女を倒すしかないのだ。

 

 響は既に、その結論に達していた。

 

 しかし、尚もイリヤは食い下がる。

 

「それって、殺すって事!?」

「・・・・・・・・・・・・必要なら」

 

 僅かに言い淀んだのは、あるいは少年の中に尚も葛藤があると言う証左かもしれない。

 

 いずれにせよ、響は油断なく刀の切っ先をクロへとむけ続けている。

 

「貴女には関係ない事よイリヤ」

 

 そんな中、クロは強い口調で言った。

 

「貴女の望みは『元の生活に戻る』こと。だったらもう、わたし達にかかわらないで。家に帰って、ベッドに潜って、目を閉じて耳を塞いでいれば良い!! それがあなたの望み何でしょう!!」

「ッ!?」

 

 確かに、

 

 昨夜イリヤは、そう言った。

 

 しかしッ

 

 それでもッ

 

「・・・・・・・・・・・・2人とも、嘘つきだ」

「イリヤ・・・・・・」

 

 絞り出すように呟くイリヤに、美遊は気遣うように声を掛ける。

 

 対して、言葉を向けられたクロは、訝るように首をかしげる。

 

「何ですって?」

「・・・・・・・・・・・・私だって、もう分ってるッ クロ(あなた)イリヤ(わたし)だって!!」

 

 その言葉に、

 

「ッ!?」

 

 初めてクロは息を呑んだ。

 

 まるで、隠していたことを看破されてしまったような気分。

 

 そんなクロを見据えながら、イリヤは続ける。

 

「だから、響は嘘ついてる。響には、わたしは殺せないから」

「それは・・・・・・・・・・・・」

 

 図星を突かれ、響は言葉が続かない。

 

 確かに、これまでの戦いでも、クロ相手に躊躇いが無かった、と言えばうそになる。

 

「確かに、わたしは以前、自分の力が怖くて逃げだした。何もかも逃げ出して閉じこもっちゃった。でも、目をつぶっても、逃げ出しても、何も解決しなかった」

 

 少女の強い視線が、クロを射抜く。

 

「わたしがみんなとの出会いを否定したと思った? また目の前の問題から逃げようとしてると思った?」

 

 否ッ

 

 そうじゃない。

 

「わたしはもう逃げないッ 出会った人も、起こってしまった事も、無かったことになんて絶対にしない!!」

 

 それはつらい戦いを生き抜き、少女が至った結論。

 

 逃げて解決する事なんて何1つとしてない。

 

 答えに至る為なら、痛みを恐れずに前に進むしかない。

 

 そして、今のイリヤにはそれができる。

 

 なぜなら、大切な仲間たちが支えてくれているのだから。

 

 対して、

 

「・・・・・・・・・・・・ご高説ありがとう」

 

 クロは、少し躊躇うような口調で言った。

 

「それで、これからどうするの? おうちに帰って仲直りすればいいのかしら? その後は? ずっとわたしの正体を隠したまま生活していこうっての? そんな生活続くはずないわ。現に、今だってかなり無理が出てる」

 

 そこで、

 

 クロは少し、口調を和らげて言った。

 

「ねえイリヤ。日常って何なのかしらね?」

「・・・・・・・・・・・・」

「家族がいて、家があって、友達がいる。わたしには、そんな当たり前の物さえ与えられなかったわ。だって、わたしは『無かったことにされたイリヤ』だから」

 

 無かった事にされたイリヤ。

 

 裏を返せば「あり得たかもしれないイリヤ」とも取れる。

 

 そう考えれば、クロは「イリヤが行きつくかもしれなかった可能性の一つ」と捉えることもできる。

 

 イリヤとクロは、正真正銘、紛れもない同一人物と言う訳だ。

 

「けど、何の奇跡か、わたしは今、ここにいる。考える意思がある。動かせる体がある。だから・・・・・・」

 

 莫邪の切っ先を、イリヤに向けるクロ。

 

「この手で自分の日常を取り戻したいと思うの」

「・・・・・・・・・・・・」

「わたし達は2人。けど、与えられた日常は一つよ」

 

 クロが響に語った、「決して分ける事は出来ず、戦って奪い合うしかない物」。

 

 それは「イリヤスフィール・フォン・アインツベルンとしての日常」に他ならなかった。

 

暫定(いつわり)の日常はもうおしまい!! もう逃げないって言うなら、わたしと戦いなさい!!」

「やらせない!!」

 

 双剣を振り翳すクロに対し、刀を構える響。

 

 再び、激突しようとする両者。

 

 そんな2人を前に、

 

「ああッ もうッ!! いい加減にッ」

 

 叫びかけるイリヤ。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 次の瞬間だった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 突如、

 

 子供たちの頭上を飛び越えるようにして、1台の乗用車が地面に「着地」。

 

 そのままドリフト気味に減速すると、手近な立木にぶつかる形で急停止した。

 

「・・・・・・・・・・・・し・・・・・・・・・・・・て?」

 

 絶句するイリヤ。

 

 これについては、響、クロ、美遊も同様で、完全に硬直して、成り行きを見守るしかない。

 

 いきなり、文字通り降って湧いた状況に、誰もがリアクションを取れずにいた。

 

 と、

 

「もー 久々に帰って来たのに家にいないんだから。勘で探してみたけど、意外と見つかるものね」

 

 ひどくのんびりした、

 

 それでいて、懐かしさを感じる声。

 

 やがて、ガルウィングドアが蹴り開けられ、運転手が姿を現す。

 

 その姿を見て、

 

 響が、

 

 そしてイリヤが絶句する。

 

「やっほー 久しぶりイリヤちゃん。響。元気してた?」

 

 朗らかな笑顔で手を振る女性。

 

「マ、マ、マ・・・・・・・・・・・・」

 

 余りの事態に、ろれつが回らないイリヤ。

 

 傍らの響も、突然の事態に頭がついていかず、ポカンとしている。

 

 次の瞬間、

 

「ママァッ!?」

 

 そう、

 

 それはイリヤの実母にして、響、士郎の義理の母に当たる、アイリスフィール・フォン・アインツベルンに他ならなかった。

 

 

 

 

 

第12話「暗殺者VS弓兵」 後編      終わり

 



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第13話「アインツベルン」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 普段見せたくない私生活を、母親に偶然見られた経験はおありだろうか?

 

 部屋で密かにアニメのお気に入りキャラがするポーズを取ってみたり、格好いいセリフを反芻したり、

 

 いずれにしても、何と言うか、

 

 めちゃくちゃ恥ずかしいのは、間違いないだろう。

 

 で、

 

 クロとの戦いの場に乱入してきたアイリスフィール・フォン・アインツベルンさん。

 

 まさかの母登場に、イリヤと響は同時に顔を青くする。

 

 今の自分たちの状況を傍から見たらどうなるだろう?

 

 小学生4人が集まり、

 

 魔法少女(イリヤ)、魔法少女(美遊)、新撰組(響)、????(クロ)

 

 等々、様々なコスプレをしている。

 

 ・・・・・・・・・・・・あれ?

 

 意外に、「コスプレチャンバラごっこ」でごまかせるんじゃね?

 

 などと響が思った時だった。

 

「あらあらまあまあ、イリヤちゃんったら、いつの間に双子になったの? それに何だか、かわいい恰好ね」

 

 イマイチ、状況が呑み込めていないらしいアイリが、能天気にそんな事を言う。

 

 その時だった。

 

 後方で見守っていたクロが突如、距離を詰めたかと思うと、黒白の双剣を振り翳して斬りかかって来た。

 

 その切っ先が向かう場所に立つのは、母アイリ。

 

 迫る刃。

 

 次の瞬間、

 

「ッ!?」

 

 とっさに、手にしたルビーを振り翳してクロの斬撃を防ぐイリヤ。

 

 クロは思ず、蹈鞴を踏むようにして後退する。

 

 それと同時に、響が刀を振り翳してクロに斬りかかった。

 

 横なぎに振るわれる斬撃を、後退して回避するクロ。

 

 その攻防を、アイリは瞬きすらする事無く見つめていた。

 

「な、何考えてるの!?」

 

 響の攻撃を受けて後退したクロに対し、イリヤが叫ぶ。

 

「ママだよッ わたしの・・・・・・わたし達のママだよ!!」

「アイリ・・・・・・下がって」

 

 イリヤの傍らでは、響が刀を構えて2人を守るように立つ。

 

 そんな中、

 

「会いたかったわ、ママ・・・・・・・・・・・・」

 

 クロが低い声で言い放った。

 

「10年前ッ 私を『無かった事』にした素敵なママ!!」

 

 言い放つと同時に、再び干将莫邪を振り翳して斬りかかるクロ。

 

 対抗するように、刀を振るう響。

 

 互いの刃がぶつかり合い、火花を散らす。

 

「どきなさい、響!!」

「やらせな、い」

 

 低い声と共に、刀を横なぎに振るう響。

 

 しかし、それよりも一瞬早く、クロは上空へと跳び上がり、同時に弓と矢を投影して構える。

 

 狙うは、

 

 アイリだ。

 

「ルビー、物理保護!!」

 

 イリヤの指示に従い、障壁を展開する。

 

 ただし、通常の障壁のように全方位を防御するのではなく、広げた傘のように、一面のみを防御する形態。

 

錐形(ピュラミューデ)!!」

 

 物理保護障壁の前方展開である。

 

 以前、クロとの戦いで使った魔力斬撃のように、魔力を拡散せず狭い範囲に集中させれば、ある程度の威力上昇が可能と分かった事から、イリヤは日々、試行錯誤を重ねてきた。

 

 クロの出現により魔力が低下したイリヤだったが、戦闘力を維持しようと日々、苦心と改良をを重ねている。

 

 ただ手をこまねいていたわけではない。イリヤはイリヤなりに、戦う術を編み出していたのだ。

 

「あんなやり方があるなんて・・・・・・・・・・・・」

 

 見ていた美遊も茫然とする中、

 

 地上に降り立ったクロを見据え、イリヤは厳しい口調で言った。

 

「どうして攻撃するの!? 攻撃してどうなるっていうの!? こんなの滅茶苦茶だよ!! 自分が何してるか分かってるの!?」

 

 言い募るイリヤ。

 

 対して、

 

「・・・・・・んない」

 

 クロは定まらぬ視線のまま答える。

 

「・・・・・・・・・・・・判んないよ・・・・・・自分(わたし)感情(きもち)がわからない」

 

 怯えたような、

 

 寂しさのような、

 

 そんな感情が見え隠れするクロの言葉。

 

 そんな不安定な少女に対し、

 

「いいわ」

 

 アイリは、響とイリヤを手で制して前に出た。

 

「おいで、『イリヤちゃん』」

 

 そう言って、腕を広げるアイリ。

 

「ママ、だめ!! 危ない!!」

「アイリ」

 

 イリヤと響が慌てて構える中、

 

 クロが双剣を構え、アイリに斬りかかっていく。

 

 殺気を滲ませて迫る少女。

 

 アイリはそんな少女に、優し気な笑みを浮かべて迎え入れる。

 

「どうしてイリヤちゃんが2人に増えているかは分からないけど、あなたが哀しんでいるのは判るわ」

 

 迫るクロ。

 

 対して、

 

「抱きしめてあげる」

 

 アイリはそっと、手のひらを差し出す。

 

「・・・・・・・・・・・・でも、その前に」

 

 母の手の平より伸びた銀の針金が、空中で複雑に絡み合う。

 

 綾取りのように紡がれた針金によって、クロの頭上に作り出されたのは、巨大な握り拳。

 

 と言うか、ゲンコツだった。

 

「「「・・・・・・・・・・・・は?」」」

 

 思わず、目を丸くする響、イリヤ、美遊。

 

 次の瞬間、

 

 ゴチィィィィィィン!!

 

 一同が呆気に取られて見守る中、ゲンコツは容赦なくクロの頭に振り下ろされた。

 

 ひとたまりもなく、地面に沈むクロ。

 

 そんな少女を、そっと抱き上げるアイリ。

 

「喧嘩はメッ!! 凶器(どうぐ)を振り回してのケンカなんて言語道断よ」

 

 母親らしく告げるアイリ。

 

 対するクロはと言えば、頭に巨大なタンコブをこさえて目を回している。

 

 流石のクロも、今の一撃は予想できなかったらしい。

 

「マ、マママ、い、いいい今の何!?」

 

 そんな母の様子に、驚愕するイリヤ。

 

 今まで普通の一般家庭にいる普通の母親だと思っていた人が、まさか魔術師(そっち)の世界の人だった。など、誰が想像できようか?

 

 対してアイリは、娘にニッコリとほほ笑んで手をかざす。

 

「そうそう、こういう時は両成敗よね」

「ヘッ!? いや、チョッ!?」

 

 言い終える前に、

 

 ガチコォォォォォォォォォォォォン

 

 イリヤの頭にも巨大なゲンコツが振り下ろされた。

 

 クロ同様、地面に沈むイリヤ。とんだ災難である。

 

 因みに、イリヤとクロは痛覚共有によってリンクしているので、イリヤのダメージはそのままクロにフィードバックする。

 

 因果応報と言うべきか、自業自得と言うべきか、クロは倍の痛みを頭に受ける事になるのだった。

 

 合掌

 

 と、

 

「あ、あの・・・・・・アイリ?」

 

 よせば良いのに、声を掛ける響。

 

 対して、振り返るアイリ。

 

「そうそう、もう1人、お仕置きが必要な子がいたわね」

 

 そう言うと三度、針金でゲンコツを作り出す。

 

 青くなる響。

 

「ちょ・・・・・・ま、待って アイリ待ってッ」

「だーめ」

 

 にこやかに言うと、

 

 ガイィィィィィィィィィィィィィィィン

 

 アイリは響にも、ゲンコツを振り下ろした。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 ただ、剣を振るっていれば、それで幸せだった。

 

 多くの仲間たちに囲まれ、共に生き、共に笑い、そして共に戦う事が出来れば、それだけで満ち足りた日々だった。

 

 勿論、決して楽な道ではない。

 

 薩長の横暴は日増しに強まり、状況はどんどん悪い方向へと流れていく。

 

 やがて始まる、大規模内戦。

 

 味方は敗走を続け、大切な仲間達も1人、また1人と脱落していく。

 

 それでも自分は、前線にあって剣を振るい続けた。

 

 もはや剣の時代じゃない。

 

 侍は時代遅れだ。

 

 そんな声が聞こえてきた。

 

 正直、内心では自分も分かっている。

 

 刀では銃火器に敵わない。

 

 そんな事は判り切っている。

 

 だが、それがどうした?

 

 敵わないから諦めるのか? 敵わないから負けを認めるのか?

 

 否ッ

 

 断じて否だッ

 

 たとえ敵わずとも、

 

 たとえ、戦場の露と消えようとも、

 

 剣に生き、剣に死ねればそれで本望だ。

 

 戦いはやがて、北方へと移り、徐々に味方は追い詰められていった。

 

 だが、そんな中にあって、自分は最後まで剣を振るい続けると決めていた。

 

 

 

 

 

 その日の事は憶えている。

 

 元いた場所から連れ出された自分は、両手を「父」と「母」に握られて、道を歩いていた。

 

 これからどこに行くのだろう?

 

 そんな事をぼんやりと考えていると、母が察したようににっこりと笑った。

 

「これから、あなたのおうちに行くのよ」

 

 おうち

 

 家

 

 当たり前の知識としてそれは知っているが、これからそこに行くと言う事が、イマイチ理解できなかった。

 

 やがて、

 

「さ、着いたよ」

 

 父が静かな声で、そう告げる。

 

 そこは、何の変哲もない、どこにでもありそうな一軒家だった。

 

「ここが、今日からあなたのおうちよ」

 

 母はそう言って、優しく頭をなでてくれた。

 

 手を引かれ、玄関をくぐる。

 

 すると、

 

 そこに立っていた少女が、

 

 自分に向かってニッコリとほほ笑んで来た。

 

 

 

 

 

 目を開く響。

 

 明るい光が視界に飛び込んできて、僅かに目を細める。

 

「・・・・・・・・・・・・ん?」

 

 いつの間にか、ソファーに寝かされていたことに気付く。

 

 いったい、いつの間に?

 

 確か自分はクロと林の中で戦っていて、そこでアイリが乱入してきて、

 

「痛ッ・・・・・・・・・・・・」

 

 頭のてっぺんに感じた痛みが、意識を完全に覚醒させる。

 

 そこは、アイリからゲンコツを食らったところである。どうやら、あれは夢や幻の類ではなかったようだ。

 

「響、大丈夫?」

 

 そんな響を覗き込むようにして、メイド服を着た親友の少女が話しかけてきた。

 

「美遊・・・・・・じゃあ、ここルヴィアん家?」

「うん。響が気を失っている間に運び込んでおいたの」

 

 そう言うと美遊は、響に濡れたタオルを差し出してくる。

 

 タオルを頭に当てながら起き上がる響。

 

 そこはエーデルフェルト邸の応接間だった。

 

 室内には美遊のほかにイリヤとクロ、ルビー、サファイアの姉妹。

 

 そして母、アイリの姿もあった。

 

「おはよう響。目は覚めた? 大体の事情はイリヤちゃん達と、ステッキちゃん達から聞いたわよ」

《すみません、ゲロッちゃいました》

 

 アイリの手のひらの中で弄ばれているルビーが、嘆息交じりに言った。

 

 どうやら響が眠っている間に、だいたいの事情説明は終わっていたらしかった。

 

 そんな中で1人、クロだけがムスッとしてそっぽを向いていた。

 

 家出1日目にしてあっさりと連れ戻された彼女としては、面白くないことこの上ないのだろう。

 

 まあ、こちらとしては結果オーライと言った感じなのだが。

 

「ママ、響も起きた事だし、そろそろちゃんと説明して」

 

 そんな中、イリヤはまっすぐにアイリを見据えて言った。

 

「いったい、わたしは・・・・・・ううん、わたし達は何なの? 何で、こんな事になってしまったの?」

 

 イリヤはチラッと、クロの方に目をやる。

 

 以前イリヤは、自身の力に戸惑った時、アイリに答えをはぐらかされてしまった事がある。

 

 だからこそ、今日はどうあっても答えを聞くまで気が済まなかった。

 

 対して、

 

「・・・・・・・・・・・・良いわ」

 

 アイリは先程までとは打って変わって、静かな口調で言った。

 

「少し、長い話になるわよ」

 

 その言葉に、イリヤ、クロ、響、美遊は、神妙な面持ちで頷きを返した。

 

 

 

 

 

「まさか母親が来るとはね」

 

 そう言って、凛は肩を竦める。

 

 アイリたちへの対応を美遊に任せたルヴィアと凛は、ルヴィアの私室にて、突如会現れたイリヤ母について話し合っていた。

 

「随分と、強引な人だったわ」

「まあ、クロを捕まえてくれた事には感謝ですわね」

 

 言ってから、ルヴィアは気になっていたことを尋ねた。

 

「あの方、魔術師ですの?」

 

 問いかけるルヴィアに対し、

 

 凛は静かに頷きを返す。

 

「イリヤの家の事、調べたわ。おかしいとは思ったのよね。先天性の例があるとは言え、それにしたってイリヤの魔力容量は大きすぎる。魔術の名門出でもない限り考えにくい事だわ」

「では名門だったと? でもアインツベルンなんていう名前は聞いたことが・・・・・・」

 

 魔術師は割と閉鎖的かつ封建的な社会で成り立っている。強大な魔力を有する名門の家柄は、おおむね知られているものである。

 

 だがルヴィアの記憶には「アインツベルン」などと言う名門魔術の家柄は無かったはずだ。

 

「調べるのに苦労したわ」

 

 やれやれとばかりに肩を竦める凛。

 

 それによると、アインツベルンは、表向きはドイツの古い貴族だが、その実態は、どの協会にも属さず、他家とのかかわりを一切絶った単一の魔術一族。魔術体系も方式も一切不明ながら、その歴史は1000年を超えているとの事だった。

 

「イリヤスフィールは、そこの娘? なら、どうしてこんな国に?」

「さあね。何か10年位前からアインツベルンは殆ど活動していないみたいよ。噂では、何か大きな儀式を起こそうとして失敗したって話だけど。まあ、真実を知るのはあの人(イリヤママ)1人だけ。聞いたところで、教えてくれないでしょうけど」

 

 そう言うと、凛とルヴィアはそろって嘆息するのだった。

 

 

 

 

 

 アイリの説明は、子供たちにとっては驚愕するべきものだった。

 

 聖杯戦争。

 

 かつて、アインツベルンをはじめとした3つの魔術一族が主導して行われていた、大規模な魔術儀式。

 

 万能の願望機たる聖杯を顕現させるため、7人の魔術師が7人の英霊(サーヴァント)を従えて殺し合う魔術闘争。

 

 過去に3度行われた聖杯戦争では、様々な理由から、ついに聖杯が顕現する事は無かった。

 

 そして10年前。

 

 第4次聖杯戦争が行われようとしていた、その数年前、突如としてアイリと切嗣はアインツベルンから離反。その時点で聖杯戦争のシステムは崩壊したと言う。

 

 イリヤは、その聖杯戦争の器となるために生み出された、「小聖杯」と呼ばれる存在だった。

 

 その為イリヤには、ある程度の範囲で「望んだ事を叶える力」が備わっていると言う。

 

 心当たりはあった。

 

 イリヤはこれまでも何度か、やり方や過程を飛ばして「結果」のみを引き出したことがあったから。

 

「そうよ。わたしは、その為に生まれた」

 

 口を開いたのは、この中で唯一、おおよその事情が分かっていたクロだった。

 

「生まれる前から調整され続け、生後数か月で言葉を解し、あらゆる知識を埋めつけられたわ」

 

 それはまさしく魔術師が持つ「狂気」の一端を示しているともいえる。

 

 まだ生まれてさえいない子供に対し、そこまでの事をするとは。

 

 アインツベルンもまた、ある意味で魔術師らしい魔術師の家柄であったことがうかがえる。

 

「なのに、あなたはそれを封印した。機能を封じ、知識を封じ、記憶を封じた。普通の女の子として生きるなら、それでも良かった・・・・・・けど、どうしてわたしのままじゃいけなかったの?」

 

 その話で、響は大凡の事が判って来た。

 

 つまりイリヤは、

 

 と言うより、クロこそが、本来、小聖杯として生きるはずだった、ある意味「真のイリヤ」とでも言うべき存在なのだ。

 

「全てをリセットして、1からやり直し、なんて都合が良すぎる。でも誤算だったわねママ。封じられた記憶はいつしかイリヤの中で育ち、わたしになった。そして、ついに肉体を得た」

「・・・・・・・・・・・・」

「いいよ。普通の生をイリヤに歩ませるなら、それでも良い。けど、ならせめて、わたしには魔術師としての生を頂戴」

 

 クロはアイリに掴みかからん勢いで迫る。

 

「わたしをアインツベルンに帰して!!」

 

 クロの魂から発せられた叫び。

 

 自らの生を自らの足で歩む事は、すなわち少女にとって最大の願いでもある。

 

 だが、

 

 現実は少女に対して、どこまでも残酷だった。

 

「アインツベルンはもうないわ」

「・・・・・・・・・・・・え?」

 

 アイリが低く発した一言に、クロは絶句する。

 

 それを追い打つように、アイリははっきりと言った。

 

「アインツベルンはもう無いの。もう・・・・・・聖杯戦争は起こらないわ」

 

 10年前。

 

 切嗣とアイリがイリヤ(クロ)を封印し、出奔した時点で、魔術師としてのアインツベルンは、ほぼ消滅したと言っても過言ではない。

 

 恐らく、もう一度聖杯戦争を起こすだけの力は残されていないだろうし、仮に起こしたとしても、聖杯がアインツベルンに帰する可能性は限りなく低い。つまり、アインツベルンには何のメリットも無いのだ。

 

 愕然とするクロ。

 

 今、彼女の前あったはずの道は、全て閉ざされてしまったのだ。

 

「なに、それ・・・・・・それじゃあ・・・・・・・・・・・・」

「クロッ!!」

 

 不穏な空気を察した美遊が叫んだ瞬間、

 

「わたしの居場所はどこにあるのよ!?」

 

 叫ぶと同時に、クロを中心に衝撃波が吹き荒れた。

 

 部屋の中の調度品が次々と破壊され、響達も思わず吹き飛ばされそうになる。

 

 それが魔力の暴走だと言う事は、すぐに判った。

 

 恐らくクロの感情の乱れが、そのまま魔力を暴走させているのだ。

 

 今まで押さえつけてきた感情が、ついに暴発したのだ。

 

「全部奪われた!! 全部失った!! 何も・・・・・・何も残ってない!!」

「クロッ!!」

 

 何とか落ち着かせようと叫ぶ響。

 

 しかし、クロの暴走は収まるどころか、ますます激しさを増していく。

 

 そんな吹き荒れる魔力嵐の中、

 

 イリヤはまっすぐに、自らと同一の存在を眺めていた。

 

「何て惨めで、無意味なの!!」

 

 クロの暴走は、もはや収まりがつかないレベルになりつつあった。

 

「誰からも必要とされないなんてッ こんな事なら最初からッ」

 

 そこまで、言いかけた時だった。

 

 突如、

 

 クロは自分の中で、何か大きな物を喪失したような感覚を覚えた。

 

 同時に、部屋を破壊した魔力の暴走が、一気に収束する。

 

 いったい何が起きているのか?

 

 一同が見守る中、

 

 クロの体から、白い煙が立ち上り始めた。

 

 同時に、少女の体が、空気中に溶けるように薄くなっていくのが分かる。

 

 ちょうど、砂像が風化していく様に似ている。

 

「クロ、それ・・・・・・まさか・・・・・・」

「そうね・・・・・・たぶん、そう・・・・・・」

 

 尋ねる響に、クロは静かに答える。

 

 魔力切れ。

 

 クロは存在の維持にも魔力を使っている。つまり、ただそこにいるだけでも、僅かずつだが魔力を消費しているのだ。

 

 それを一気に消耗すればどうなるか?

 

 答えはこれ。存在を保てず、待っているのは消滅の運命だった。

 

「呆気ない・・・・・・・・・・・・」

 

 自嘲気味に呟くクロ。

 

 こんな事ならやっぱり、あそこで響に殺されていた方が意味があった気がする。

 

 だが、覚悟はしていた。

 

 自分は所詮、偽物に過ぎない。

 

 最後は、こんな物だろう、と。

 

 徐々に、弱くなる鼓動。

 

 視界は暗くなり、音も聞こえなくなる。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 次の瞬間だった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 突如、

 

 クロの視界が開ける。

 

 その見ている目の前で、

 

 自分の唇に、キスする少女の姿が写り込んだ。

 

 イリヤである。

 

 その身は既に魔法少女に変身している。

 

 同時に、クロは自分の中で魔力が漲ってくるのを感じた。

 

 魔力供給だ。

 

 かつてクロ自身がやっていた事を思い出し、イリヤはとっさに実践したのである。

 

 変身したイリヤは、ルビーから無限の魔力共有を受ける事ができる為、供給しても枯渇する事は無いのだ。

 

 同じ容姿、同一の存在。

 

 まったく同じ姿をした2人が唇を重ねる姿は、たまらないくらいの背徳感を醸し出されていた。

 

 何となく、見ていられなくなって視線を逸らす響。

 

 何と言うか、見ているこっちが恥ずかしくなってくる。

 

 と、

 

 そこで、傍らの美遊と視線が合う。

 

 その美遊も、顔をほんのり赤くしているのが、ここから見ても分かった。

 

 視線が合う2人。

 

「「ッ!?」」

 

 殆ど反射的に、視線を逸らす響と美遊。

 

 何だか2人そろって、何もしていないのに、いけない事をしているような気分になっていた。

 

 ややあって、唇を話すイリヤ。

 

 その瞳は、怒ったような、泣き出しそうな、そんな顔をしている。

 

「勝手に出てきて、勝手に消えないでよ!!」

 

 床に座り込んだクロに、イリヤは叱りつけるように言う。

 

「正直ね、ママの話を聞いてもわたし、あんまりショックじゃないんだよね。おかしいでしょ? 自分が魔術の道具として生まれたなんて・・・・・・そんなこと知ったらふつう、世界観が変わっちゃうくらい大変なことなはずなのに」

 

 そんなイリヤの言葉を、アイリたちは黙って聞き入っている。

 

「でも、わたしが平静でいられるのはきっと、クロが傷ついているからだと思うんだ」

 

 その言葉に、

 

 クロは胸の内に、ほのかな温かみを感じていた。

 

 恐らく、イリヤ自身は気づいていないだろう。

 

 自分が、初めてクロを名前で呼んだ事に。

 

 その事が、クロの絡み合った心情を、柔らかくほぐしていくようだった。

 

「ごめんね・・・・・・・・・・・・」

 

 そんなクロに、イリヤが涙をこぼす。

 

「貴女の苦しみは、本当ならわたしが背負うはずだった。今だけじゃなく、昔からずっと、あなたはわたしの代わりに苦しんでたんだね」

 

 イリヤの言葉に、クロもまた涙を流す。

 

 だが、

 

 現実は尚も執念深く、残酷な手を伸ばしてきた。

 

 そうしている内に、クロの体は再び崩れ始める。

 

「どうしてッ 魔力は供給したはずなのに!?」

《供給ではだめなんですッ 崩壊が止まりません!!》

 

 例えるなら、今のクロは穴の開いた器だ。いくら水を注いでも、底から抜けていってしまう。

 

 底の穴をふさがない限り、助かる術はなかった。

 

「・・・・・・・・・・・・もう、良いわ」

 

 諦めたように、静かな声でクロは言った。

 

 その顔には、涙と共に優しい笑顔が浮かべられている。

 

「消える時に泣いてくれる人がいるなら、わたしの運命にも、ちょっとは意味があった。そう思う事にする」

 

 そう言って、滅びの運命を受け入れる。

 

 だが、

 

「こんな時にまで強がんないでよ!!」

 

 そんな事は許さないとばかりに、イリヤは言い募る。

 

「意味とか無意味とか、そんな理由で決めないで!! 欲しい物があるんでしょう!! だったら願ってよ!! 自分の望みを叶えてよ!!」

 

 それは、少女の心からの叫び。

 

 今まさに消えゆかんとする少女を、この世に引き戻そうとする、切なる願いに他ならなかった。

 

「・・・・・・わたしは」

 

 それに対しクロは、

 

「家族が欲しい・・・・・・友達が欲しい・・・・・・何の変哲もない普通の暮らしが欲しい・・・・・・それより何より・・・・・・・・・・・・」

 

 涙でくれる顔を上げて、

 

 少女は言い放った。

 

「消えたくない!! ただ、生きたい!!」

 

 次の瞬間、

 

 閃光が、包み込んだ。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 そして翌日。

 

 玄関の前を掃除するセラ。

 

 今日も日差しが温かく、良い一日になる予感がする。

 

 間もなく夏である。気温が高くなるようなら、何か涼しいものを用意するのもいいだろう。

 

 そんな事を考えていると、玄関のドアが開く音が聞こえた。

 

 飛び出してくる子供たちを、笑顔で見送る。

 

「いってらっしゃい。車には気を付けて。寄り道しないで帰ってきてくださいね」

「「「はーい」」」

 

 元気よく手を上げる子供たち。

 

 イリヤと響。

 

 そして、クロだった。

 

 あの後、

 

 聖杯としての力が発動したクロは、状態が安定し、存在の崩壊は停止した。

 

 イリヤの想いが、彼女を救ったのである。

 

 その後、クロは正式にクロエ・フォン・アインツベルンとして、衛宮家の一員となったのだった。

 

「クロ、宿題やった?」

「やってなーい。別に良いでしょ、あとでイリヤのやつ写すから」

「写させないよ」

「ん、じゃあ、美遊に頼む」

「それもダメッ て言うか響もやってないの!?」

 

 朝からイリヤの怒鳴り声が響き渡る。

 

 その視線の先では、手を振る美遊の姿も見えた。

 

 これから暑くなり始める夏。

 

 騒がしくも楽しい日常を前に、胸は期待で高鳴るのだった。

 

 だが、

 

 響はふと、足を止める。

 

 イリヤとクロを取り巻く事情は、分かった。

 

 そして、2人が和解し、共に暮らせるようになった事は本当にうれしい事である。

 

 しかし、

 

 どうしても一つ、判らない事があった。

 

 それは、

 

 自分はいったい、何者なのか、と言う事。

 

 アイリの話に、響の事は出てこなかった。

 

 自分が何者で、なぜ魔術を使えるのか。

 

 響の中で、疑問が大きく膨らもうとしたいた。

 

 と、

 

「響、どうしたの!?」

「何してんのッ 置いてくわよ!!」

 

 呼ばれて振り返ると、視線の先でイリヤとクロが手を振っているのが見える。

 

 その姿を見て、

 

 響は遅れないように、足を速めるのだった。

 

 

 

 

 

第13話「アインツベルン」      終わり

 



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主人公設定

登場人物

 

 

 

 

 

衛宮響(えみや ひびき)

 

誕生日:11月20日

身長:131センチ  

体重:32キロ

イメージカラー:灰白色

特技:ゲーム(シューティング系、RPG系、アクション系、カードゲーム等)

好きな物:家族、友達、甘い物

嫌いな物:苦い物

天敵:■■■■■■■■■■■

 

 

 

備考

 

 衛宮家の次男であり、衛宮士郎、イリヤスフィール・フォン・アインツベルンの弟(義弟)。数年前、海外で活動していた切嗣(きりつぐ)とアイリスフィールが一時帰国してきた際に連れてきた少年。以後、彼らの息子として衛宮家に迎えられる。

 

 性格は茫洋としていて捉えどころが無く、感情表現も薄い為、殆ど何を考えているのかわからない場合が多い。そのせいか、実年齢よりも少し幼い印象がある。それでも家族や付き合いの長い友人(嶽間沢龍子(がくまざわ たつこ)栗原雀花(くりはら すずか)森山那奈亀(もりやま ななき)桂美々(かつら みみ)等)は、微妙な表情の変化から感情が読み取れる。

 

 上記の通り感情表現が希薄な為に判り辛いが、家族や友人の事は大切に思っており、彼らが自分に向けてくれる愛情にも深い感謝の念を持っている。特に同い年の姉であるイリヤとは仲が良く、一緒に行動する事が多く、また彼女が困っている際には無償で力を貸す。

 

 体格は同年代の小学生男児としては小柄で、運動神経も良いとは言えない。学校の成績は平均より上であり、上位には入っていないものの、ある程度高い位置はキープしている。

 

 クロエ・フォン・アインツベルンの事も、イリヤがらみで当初は警戒していたが、学校等で触れ合ううちに徐々に打ち解けていく。そして再度の激突と、アイリの仲裁を経て和解、今では完全に家族として受け入れ、イリヤともども「もう1人の姉」と認定している。

 

 美遊・エーデルフェルトの事は、親友として大切に思っているが、同時に最近、他の友人とは違う物を感じるようになり始めている。もっとも響自身、その感情が何なのか気づいていない。

 

 イリヤがルビーや遠坂凛と出会った際に魔術の世界を知り、同時に戦いに巻き込まれたイリヤを守るために協力するようになる。その過程で、美遊・エーデルフェルト、ルヴィアゼリッタ・エーデルフェルト、サファイア等と出会う。

 

 理由は不明ながら、カード無しに限定展開(インクルード)夢幻召喚(インストール)が可能。その能力の詳細については、未だにベールに包まれている。

 

 

 

 

 

限定展開(インクルード)

 

 無銘の日本刀が出現する。刀自体に特にこれと言った特殊な能力がある訳ではないが、この状態でも、本来の担い手の剣技を一部ながら再現する事ができる。

 

 

 

 

 

夢幻召喚(インストール)

 

【クラス】暗殺者(アサシン)

 

【真名】■■■■■■■

【属性】中立 中庸

【宝具】

「誓いの羽織」

「??????」

 

【ステータス】 ※()内は「誓いの羽織」使用時

筋力:C(B)

耐久:D(C)

敏捷:A(A)

魔力:E(E)

幸運:B(B)

宝具:C(C)

 

【クラス別スキル】

〇気配遮断:B(D)

 自身の気配を消すスキル。攻撃態勢に入るとランクが下がる。

 

【保有スキル】

〇心眼(真):B(A)

 修行・鍛錬によって培った洞察力。窮地において自身の状況と敵の能力を冷静に把握し、その場で残された活路を導き出す戦闘論理。

 

〇無形の剣技:A(A)

 型にはまらない剣術の形。無形であるがゆえに、どのような形にも変化できる、実践的な戦闘形態。

 

??????

 

??????

 

 

【宝具】

「誓いの羽織」

ランク:C

種別:対人宝具

レンジ:1

最大捕捉:1人

備考

幕末に活躍した剣客集団「新撰組」の隊士が愛用したと言われる浅葱色に白い段だら模様の入った羽織。これを着用した場合、パラメーターとスキルの一部がランクアップし、ほぼ剣士(セイバー)に匹敵する能力を発揮する。半面、アサシンの最大の特徴とも言うべき気配遮断はランクが大幅に低下する。

 

「??????」

ランク:?

種別:?

レンジ:?

最大補足:?

 

 

 

【備考】

衛宮響が夢幻召喚(インストール)し、英霊化した姿。この状態になった響は、黒装束に短パンを履き、髪が伸びて後頭部で纏められた姿になる。クラスは暗殺者(アサシン)だが、能力的には剣士(セイバー)とのダブルクラスに近い。現状、真名については不明だが、新撰組にかかわる人物であったことは間違いない。

 




普段、ここまで大規模な設定を紹介する事は無いのですが、ちょっと「Fateっぽい」事をしてみたかったので。


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第14話「淡い心」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「立場をはっきりさせておくべきだと思うの」

 

 いきなり何の話だ?

 

 突然発言したイリヤスフィール・フォン・アインツベルンに、一同の視線が集中する。

 

 今は朝食の時間。

 

 家族一同、テーブルを囲んで朝の一時を楽しんでいる。

 

 この場にいるのは、見慣れた士郎、イリヤ、響の兄弟と、セラ、リズの使用人姉妹。

 

 そして帰省している母、アイリスフィール・フォン・アインツベルン。

 

 加えて、先ごろ新しい家族となった、クロエ・フォン・アインツベルンの姿もあった。

 

 これまで以上ににぎやかになった、衛宮家の団らん風景。

 

 そんな中で、若干の苛立ちを含んだイリヤの発言だった。

 

「はあ、立場・・・・・・とは?」

 

 トーストにバターを塗りながら、セラが首をかしげて尋ねる。

 

 本当に、イリヤは何が言いたいのか?

 

 対して、イリヤは険しい表情で、自分の隣を見やる。

 

「もちろんこの、ちゃっかり、わたしとお兄ちゃんの間に割り込んで座っている奴に関してよ」

 

 イリヤが向ける視線の先。

 

 そこには、我関せずと言った感じに、ジャムをたっぷり塗ったトーストを頬張っているクロの姿があった。

 

 因みに、イリヤと士郎の間に座っているのは、嫌がらせなのか、あるいは・・・・・・

 

「クロも家族になったのなら、家庭内のルールは勿論、お互いの力関係についても、最初から取り決めた方がいいと思うの?」

「力関係って?」

「さあ? 腕力ならセラとリズが最強」

 

 イリヤの物言いに対し、リズと響はそろって首をかしげる。

 

 と、

 

「ふむふむ。確かに一理あるわね」

 

 そこで、アイリが食いついた。

 

 どうやら、面白いネタを見つけたようだ。

 

「じゃあ、取りあえず、現在の上下関係から確認しましょうか」

 

 そう言うと、手近にあったホワイトボードとマジックペンを取り、さらさらと書き始めた。

 

 ややあって、ホワイトボードを返して一同に見せる。

 

「こんな感じかしらね」

 

 

 

 

 

1、アイリ

 ―神の壁―

2、切嗣

 ―親の壁―

3、イリヤ

 ―姉の壁―

4、響

 ―坊ちゃまの壁―

5、セラ、リズ

 ―メイドの壁―

6、士郎

 

 

 

 

 

「おお、流石ママ、悪びれもせずに自分を神に!!」

 

 感嘆するイリヤの横で、クロが呆れ気味に見る。

 

「って言うか、何気にお兄ちゃんの扱いがひどくない?」

「良いんだよクロ、俺はもう・・・・・・」

 

 涙を流す士郎は、取りあえず放っておくとして、

 

「で、もちろん、クロは一番下!!」

 

 喜々としたイリヤが、マジックを手に、ランキングの一番下に、

 

 ―兄の壁―

 クロ

 

 と書き加えた。

 

「兄の壁って随分低いところにあるんだな」

「横暴ね。ひどい階級構造だわ」

 

 士郎とクロが、それぞれぼやきを漏らす。

 

 と、

 

 そこでリズが、何かを思いついたように言った。

 

「て事は、イリヤはクロのお姉さん? あとついでに響も?」

 

 その言葉に、

 

「・・・・・・・・・・・・姉?」

 

 イリヤとクロは、同時に反応した。

 

 と、そこへ、

 

「姉、そう、それは・・・・・・」

 

 更に乗っかるアイリ。

 

 

 

 

 

 姉、

 

 それは年長者にして権力者。弟妹が発生した瞬間から、その上に立つことを宿命付けられた上位種である。

 

 家庭内ヒエラルキーにおいては男親を超越した権力を有する事すらあり、特に弟妹に対しては、生涯覆らない絶対的な命令権を持つ。

 

 彼の者曰く・・・・・・

 

「姉より優れた妹などいねェ」

 

 

 

 

 

「まあ、響っていう手のかかる弟がいるんだし、妹がもう1人くらい増えてもいいよね」

「ちょ、ちょっと、勝手に姉の自覚持たないでくれる!? 姉の定義もなんか変だし!!」

「て言うか、イリヤに『手が掛かる』とか言われたくない」

 

 途端に抗議するクロと響。

 

「だいたい、生まれてきた順番で言えば、貴女の方が遅ムガガムグ!?」

「はいはーい。ネタバレ厳禁ね」

 

 勢いあまって余計な事を口走ろうとしたクロの口に、アイリがトーストを突っ込んで黙らせる。

 

 イリヤとクロの出生に関しては、たとえ家庭内でも禁句である。

 

「響は、そこんところどーよ?」

「別にどーでもいい。今までも気にしてなかったし」

 

 尋ねるリズに、あっけらかんとした調子で答える響。

 

 そもそも、響は誰に対しても態度を変える、と言う事をしない為、誰が上だろうが下だろうが、一切合切関係無かった。

 

 そんな中、

 

「あ~ 親父、早く帰ってきてくれないかな・・・・・・」

 

 士郎が嘆息交じりで呟く。

 

 今回、帰って来たのはアイリだけであり、父である切嗣は海外の仕事先に残ったままだった。

 

「パパ恋しい?」

「いや、リズ、このままじゃ男女比の偏りが問題でさ・・・・・・」

 

 確かに。

 

 今の衛宮家は、女:男=5:2と、圧倒的に差が開いていた。

 

 そんな士郎の肩を、響がポンと叩く。

 

 共感して同情しているのか?

 

 と、思いきや、

 

「大丈夫、士郎。切嗣が帰ってきても大して変わらない」

「・・・・・・だよな」

 

 ガックリと肩を落とす士郎。

 

 弟の放った見事なトドメに、それ以上、何も言う気になれなくなるのだった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 一方その頃、

 

 北欧某所に、その男の姿はあった。

 

 ぼさぼさの頭に無精ひげを生やし、ややくたびれたロングコートが風に靡いている。

 

 口に銜えたタバコからは、紫煙が流れ出ていた。

 

 衛宮切嗣(えみや きりつぐ)である。

 

 衛宮家の家長である衛宮切嗣は、鬱蒼とした森の中を1人で歩いていた。

 

 目指す場所は、間もなくである。

 

 ここに来るのは、5年ぶりとなる。

 

 あの時はアイリと2人で訪れ、そして・・・・・・・・・・・・

 

「・・・・・・・・・・・・」

 

 やがて、開けた視界の中で、切嗣は足を止めた。

 

 その視線の先。

 

 そこには、何かの工場を思わせる廃墟が並んでいた。

 

 既に使われなくなって久しいその場所からは、人の気配は一切感じられる事は無く、ただ不気味な静寂のみが、切嗣の再訪を出迎えていた。

 

 更に足を進める切嗣。

 

 そのうち、最奥部にあるラボ跡へと入っていく。

 

 錆びて軋むドアを無理やりこじ開け、中へと踏み入れる。

 

 暗がりの中、用意しておいたペンライトを逆手に持ち、もう片方の手には銃を握りながら奥へと進む。

 

 やがて、目的の場所へとたどり着いた。

 

 そこにあったのは、古びた1台の医療用ベッド。

 

 既に朽ち果て、錆びだらけになった手すりに手を置く。

 

 あの日の事は、今でも覚えている。

 

 自分とアイリは、あの日ここで・・・・・・・・・・・・

 

 そこでふと、

 

 切嗣は、視界の先にある壁に注目した。

 

 一見すると何の変哲も無い壁。

 

 だが、そこに違和感を感じ、切嗣はそっと手を伸ばす。

 

 慎重に指で触れながら、徐々に動かしていく。

 

 と、

 

 切嗣の指先が何か魔術的な因子に触れて止まる。

 

 そっと、指先に魔力を通して触れてみる。

 

 すると、

 

 軋むような音と共に、現れた隠し扉が開かれる。

 

 口を開けた暗闇の中にペンライトを当てながら、奥へと進む。

 

 その視界の中で、何かの装置らしきものが見えてきた。

 

 無数のコードを繋ぎ、その先には何かを観測するモニターが存在している。

 

 そして、

 

 中央に鎮座している、巨大なガラスケース。

 

 ちょうど、人1人が入れるくらいの大きさを持つ、そのケースを見て、

 

「これは、まさか・・・・・・・・・・・・」

 

 戦慄が、切嗣の中で走る。

 

 これらの装置。

 

 それが意味する事はすなわち、

 

「・・・・・・・・・・・・子供たちが危ない」

 

 静かな声が、静寂の中で木霊した。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 姉としての威厳が無い。

 

 休み時間、仲の良い友人4人とトイレに行った際、イリヤがそんな事を言い出した。

 

「あん? 威厳? 何のことだ?」

 

 栗原雀花は、突然そのような事を言った友人に対し、怪訝そうな面持ちを見せる。

 

 対してイリヤは、真剣な眼差しで答えた。

 

「そう、何を隠そう、わたしはクロの姉的存在な訳だけど、どうにも姉っぽい威厳が無くて」

「成程、見るからに無いな」

 

 因みに今、イリヤの頭には嶽間沢龍子がガジガジと齧りつき、首には森山那奈亀がブラーンブラーんとぶら下がっている。

 

 動物園かここは? まあ、似たようなものだが。

 

「しかし、何でまた急に?」

「えー・・・・・・訳あって今、家庭内の権力争いが微妙な時期で・・・・・・・・・・・・」

 

 イリヤはややげんなりした様子で答える。

 

 クロが来たせいで、イリヤ自身の立場が微妙な物になりつつある。

 

 勿論、新しい家族としてクロの事は受け入れているが、それはそれとして既得権益の保護はしっかりとしておきたい所である。

 

 何しろ、相手はあのクロだ。

 

 自分と同じ記憶を持つ、いわば同一の存在と言っても過言ではない相手。

 

 隙を見せれば、あっという間に取って代わられてしまうだろう。

 

「と、とにかく、わたしもちゃんと姉らしく振舞って、クロに認めさせたいのッ みんなは確か姉妹とかいたよね。どうすれば姉っぽくなれるか教えて!!」

「姉っぽく、なぁ・・・・・・・・・・・・」

 

 懇願するイリヤに、一同は困惑したように顔を見合わせた。

 

 

 

 

 

 などと言うやり取りが密かに行われている頃、

 

 響、美遊、クロの3人は、担任である藤村大河に頼まれた資料を次に使う教室まで運んだところだった。

 

「そんな事があったんだ」

 

 響から、衛宮家で起こった事の顛末を聞いた美遊は、呆れ気味に返事をする。

 

「だいたいクロのせい」

「言いがかりね。突っかかって来たのはイリヤの方よ」

 

 ジト目の響に、クロはそう言って肩を竦めて見せる。

 

 この程度の事でむきになる方が悪い。と言いたげな態度だ。

 

 嘆息する響。

 

 前から判っていた事だが、やっぱりクロはこんな感じである。これでは単純に「イリヤが2人になった」と言う以上の苦労に見舞われそうだった。

 

 と、

 

 そこで響は、思いついたことを尋ねてみた。

 

「美遊は、そんな事あった?」

「え、私?」

 

 突然話を振られ、美遊はキョトンとする。

 

「ん、前に兄がいるって言ってた」

「・・・・・・・・・・・・ああ」

 

 要するに、美遊はお兄さんと、どっちが上下かで喧嘩した事は無いのか、と響は尋ねているのだ。

 

 尋ねる響に対し、美遊は少し顔を俯かせる。

 

 不思議そうに美遊を見る響。

 

 そんな響の視線に気づいたのか、美遊はハッとなって口を開く。

 

「うちは、あんまりそういう事は・・・・・・お兄ちゃんと2人だけだったし」

「・・・・・・ふうん」

 

 ちょっと、聞き辛い事を聞いてしまっただろうか?

 

 美遊の反応を見て、響はそんな事を考えてしまう。

 

「さあ、さっさと終わらせて戻ろう。休み時間も残り少ないし」

 

 そう言うと、美遊は持ってきた資料を机の上に置いた。

 

 と、

 

「あッ」

 

 置き方が甘かったのか、書類はテーブルからこぼれて床へと広がってしまった。

 

 慌ててしゃがんで、拾い集める美遊。

 

 と、

 

 拾おうとした書類を、横から伸びてきた手が先に掴んでいった。

 

「あ・・・・・・」

「手伝う」

 

 そこには、一緒になってしゃがんで書類を拾っている、響の姿があった。

 

「あ、ありがとう」

「ん、問題ない」

 

 そう言うと、黙々と書類を拾う響。

 

 その横顔を、美遊はチラッと見つめる。

 

 対して、響は視線には気づかぬまま、書類拾いを続けている。

 

 その響きを見て、自分も慌てて書類拾いに戻る美遊。

 

 そんな2人の様子を、

 

「・・・・・・ふうん」

 

 クロが、面白そうに眺めているのだった。

 

 

 

 

 

「ともかく、クロはもう少し自重すべき」

「わたしはわたしの想いに忠実に生きているだけよ。そこを批判されるいわれは無いわね」

 

 やいのやいの言いながら、教室へと戻る響とクロ。

 

 何だかんだ言いつつも、姉弟としてうまくやっているように見える。

 

 そんな2人の様子を見ながら、美遊はクスっと笑う。

 

 クロが正式に衛宮家で暮らすとわかった時、正直、最初はどうなる事かと思っていたが、心配するほどの事ではなかったようだ。

 

 これなら上手くいくだろう。

 

 そう思って、前へと目を向けた。

 

 と、

 

「や、やあ・・・・・・・・・・・・」

 

 目の前に立っていた人物を見て美遊は、

 

 否、美遊も、響も、そしてクロも、思わず絶句した。

 

 というか、それが最初誰なのか、美遊は気付かなかったほどである。

 

 そこにいたのは、イリヤである。

 

 ただし、普段はストレートに流している髪を、今はなぜかてっぺんが尖がるほどに思いっきりアップにして、更にスクリューも加えている。

 

 さながら、天に向かってそそり立つ大樹のようだ。おまけに、色とりどりの花まで添えられている。

 

「・・・・・・・・・・・・」

「・・・・・・・・・・・・」

「・・・・・・・・・・・・特盛?」

 

 響達が絶句する中、

 

「べ、別に、あなたの事なんか、何とも思ってないんだからね」

 

 何をトチ狂ったのか、いきなりツンデレるイリヤ。

 

 一同が首をかしげるのも忘れる中、イリヤは更に畳みかける。

 

 どこからか取り出した缶ジュースの炭酸飲料を掴むと、3人に向かって突き出す。

 

 そして、思いっきり握力を加え、握りつぶしてしまった。

 

 噴出した炭酸が、響、クロ、美遊に思いっきりブッ掛かる中、

 

「病院行けば?」

「ん、右に同じ」

 

 イリヤは響とクロ(きょうだい2人)から、極寒の視線を浴びせられるのだった。

 

 

 

 

 

 ~それから暫く~

 

 

 

 

 

 イリヤは自分の机に突っ伏したまま、シクシクと泣いていた。

 

 その様子を、友人一同はばつが悪そうに眺めている。

 

「すまんイリヤ、どこかで何かを間違えた」

「何かじゃなくて全部だよね。全部間違ってたよね」

 

 雀花の言葉に対し、胃の腑から絞り出すような声を出すイリヤ。

 

 そんな姉の様子に、響はやれやれとばかりに肩を竦める。

 

 聞けば「姉らしさ」とは何か思い悩んだイリヤは、それぞれ兄弟姉妹がいる雀花達に助言を求めたのだとか。

 

 それによると、

 

 まず、姉がいる那奈亀は、形から入る案を提示し、「姉的な要因を持つ容姿」をする事を提案した。

 

 同じく姉のいる雀花は、普段は素っ気なかったり仲が悪そうにしていながら、いざという時にはさりげない優しさを見せる「ツンデレ」的な性格を提示した。

 

 兄が2人いる龍子は、とにかく「力強さ」を見せるよう提案した。

 

 最後に、弟がいる美々は、その弟からよく「危なっかしい」と心配されているのだとか。

 

「で、全部やった結果があれ?」

「「「「いや~面目ない」」」」

 

 ジト目の響に、4人はそれぞれ頭を掻く。

 

 そもそも、なぜに全部一気にやる必要があったのか? 一つずつ試してみればよかったものを。

 

 と、

 

「先帰るわよ」

「あ、クロ・・・・・・・・・・・・」

 

 そう言うと、クロは振り返らずにさっさと教室から出て行ってしまう。

 

 後には、茫然とした一同だけが残された。

 

「ううう、姉としての威厳どころか、人としてのランクが下がった気がするわ」

 

 さめざめと泣くイリヤ。

 

 因みに今のイリヤを、今朝のアイリ論理に従って表せば、

 

 

 

―バカの壁―

 イリヤ

 

 

 

 となるのではなかろうか。

 

 何と言うか、こうなるとイリヤが哀れに思えてくるのだった。

 

「・・・・・・・・・・・・帰ろ」

「あ、イリヤ」

 

 ランドセルを背負い、教室を出ていくイリヤを、見送るしかできない響。

 

 まあ、これからクロとはいやでも同じ屋根の下で暮らすのだから、早くお互いに慣れて欲しいところである。

 

 

 

 

 

 放課後。

 

 並んで歩く2人の姿が通学路上にあった。

 

 共に今日は用事があって学校に残っていた響と美遊は、肩を並べて家路を歩いていた。

 

「イリヤにも困った」

「まあ、向こうはもっと困っているだろうけど」

 

 やや疲れ気味な響の呟きに、美遊は苦笑を返す。

 

 どっちみち「末っ子ポジション」から変化の無い響としては、イリヤの焦りはイマイチ、ピンとこないと言うのが本音である。

 

 別にイリヤとクロ、どっちが姉だろうと響には大した差は無いのだ。

 

「私は・・・・・・・・・・・・」

 

 静かに口を開いた美遊に対し、響は振り返って尋ねる。

 

 その視線の先にある少女は、どこか遠くを見つめるように瞳をしていた。

 

「お兄ちゃんが、何でもできる人だったから。だから、お兄ちゃんと一緒にいられれば、それだけで幸せだった」

 

 そう告げる美遊の横顔は、やはりどこか寂しそうに感じられるのだった。

 

「美遊のお兄さんって、何してる人?」

「・・・・・・・・・・・・」

 

 問いかける響に対し、美遊は少し黙ってから答えた。

 

「今は、その・・・・・・遠くにいるの」

「遠く?」

「そう。ずっと遠くに、ね」

 

 美遊のその言葉を聞いて、響は何となく理解した。

 

 多分、美遊とそのお兄さんとは、もう会う事はできないのではないのだろうか?

 

 だとすれば美遊を取り巻く孤独は、響などには理解する事も出来ないほど深いのかもしれない。

 

 と、

 

 そんな響の視線に気づいたのか、美遊がニッコリとほほ笑んで来た。

 

「そんな顔しないで、響」

「美遊、でも・・・・・・・・・・・・」

 

 尚も言い募ろうとする響に対し、美遊は真っ直ぐに向き直る。

 

「今の私は、とても幸せなんだと思う。イリヤがいて、ルヴィアさんがいて、凛さんがいて、サファイアとルビーもいる」

 

 そして、

 

「響もいる」

「・・・・・・・・・・・・」

 

 淡く深い少女の瞳が、響を見据える。

 

「美遊・・・・・・」

「ずっと一緒に、いてくれる?」

 

 問いかける美遊。

 

 その姿に、響は数日前にルビーに言われた事を思い出す。

 

 意中の女子。

 

 つまり、好きな女の子はいないのかと問うルビーに、響は明確な答えを返す事が出来なかった。

 

 だが、

 

 目の前にいる儚げな少女。

 

 その姿を見て、その存在を意識するだけで、響はどうしようもなく心がざわつくのを感じていた。

 

 ずっと一緒にいたい。

 

 一緒に色んな事をしてみたい。

 

 今まで、イリヤや、他の友人達には感じる事が無かった感情が、幼い少年の心をかき乱す。

 

 そうか、

 

 響は理解する。

 

 きっとこれが、「恋する」と言う事なのだろう。

 

 もしかしたらイリヤやクロも、士郎に対してこんな感情を抱いているのかもしれない。

 

「・・・・・・・・・・・・うん」

 

 頷く響。

 

 その手が、少女の手を優しく握るのだった。

 

 

 

 

 

第14話「淡い心」      終わり

 



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第15話「パウンドケーキ」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 少女は怒りの表情を隠そうともせず、足音を荒げて廊下を歩いていた。

 

 途中、仲間の男が何事かと声を掛けてきたが無視してやった。

 

 正直、今はそれどころではないのだ。

 

 やがて、目指す部屋の前に来ると、躊躇う事無く扉をあけ放った。

 

「ゼスト!!」

 

 扉が開くのも待ちきれないとばかりに、ルリアは部屋の中へ踏み込むと同時に叫び声をあげた。

 

 そんな少女に対し、分厚い魔術所を読んでいた部屋の主は、やれやれとばかりに顔を上げた。

 

「騒がしいな。いったいどうしたのかね?」

 

 不機嫌も露わなルリアに、億劫そうに問いかける。

 

 対してルリアは、足音も荒くゼストに詰め寄った。

 

「奴らへの攻撃を暫く控えろって、どういう事よ!?」

「・・・・・・ああ、その事かね」

 

 ルリアの物言いに対し、ゼストは納得したように頷いた。

 

 確かに、ゼストはそのような方針を打ち立てていた。

 

 ここ数日、響達との直接的な戦闘は控えさせてきたゼストだが、ここにきて襲撃は控えるように言い渡してきたのだ。

 

 その事が、ルリアには不満であるらしかった。

 

「落ち着き給え、はしたない。レディーにあるまじき行為だとは思わないのかね?」

「はぐらかさないで!!」

 

 窘めるゼストに対し、尚も食って掛かるルリア。落ち着き払った態度が、却って神経を逆なでしている感すらあった。

 

 対して、ゼストは嘆息すると、改めてルリアを見やった。

 

「何も、あきらめるとは言っていないだろう。ただ状況が変わったから、一時的に控えると言っているのだ」

「そんな事ッ」

 

 ルリアの目から見れば、ゼストの決定は怠慢にも見える事だろう。

 

 自分たちの悲願の為には、今すぐにでも繰り出し、敵をせん滅したうえで目的を果たすべきだと言うのに。

 

 対して、ゼストは諭すように言った。

 

「ルリア、君は今の我々の戦力のみで、彼らに勝てると思っているのかね?」

「勝てるわよ」

 

 問いかけるゼストに、ルリアは即答して見せる。

 

 その瞳は、どこまでも曇りのない自信に満ち溢れていた。

 

 だが、

 

「だ、そうだ。君はどう思う?」

 

 ゼストが問いかける。

 

 ルリアに、

 

 ではない。

 

 その背後、開け放たれた扉に寄りかかるようにして、男が一人立っていた。

 

「無理だな」

 

 優離は素っ気ない調子で答えた。

 

「奴等は例の暗殺者(アサシン)の坊主に加えてカレイドの使い手が2人、手練の魔術師が2人、更に件の弓兵(アーチャー)の小娘まで加わったんだろ。戦力的な劣勢は明らかだ」

「加えて、彼らは7枚のクラスカードを押さえている。これまでの戦いでは使っていなかったが、今後は使ってくる可能性が大いにあるだろう。そうなると、現状の戦力では少々心もとない」

 

 ゼストと優離から言い募られ、流石のルリアも黙り込む。

 

 確かに、戦力的に隔絶している事は否めない。いかに最強の英霊を宿しているとはいえ、覆せる戦力差ではなかった。

 

 そんなルリアを見て、ゼストは笑いかける。

 

「なに、心配はいらないよ」

 

 言いながら、机の上に置かれた1枚の紙を取って見せる。

 

 英字の文面と共に、何事かの内容が書かれているのが分かった。

 

「すでに手は打っておいた。近日中には状況を動かせるだろうから、それまで待ちたまえ」

「・・・・・・・・・・・・」

 

 尚も納得のいかない表情を見せるルリア。

 

 しかし、ゼストはそれ以上は何も言わず、再び魔導書を読みふけるのだった。

 

 

 

 

 

 2人が出ていくのを確認したゼストは、魔導書から顔を上げる。

 

 ルリアが焦るのは判る。彼女からしたら、今回の戦いは待ちに待った悲願。何としても達成したい事だろう。

 

 ましてか相手は自身の仇敵ともいえる存在。はやる気持ちは判る。

 

 しかし、ゼストとしては勝ち目の薄い戦いに挑む気は無い。

 

 戦う以上、勝たなければ何の意味も無かった。

 

 その為に取った最良の策が、これである。

 

「魔術協会も一枚岩ではないと言う事だ」

 

 ゼストは魔術協会に所属する旧知の魔術師に連絡を取り、政治的工作を依頼したのだ。

 

 その人物は、時計塔の最高冠位である「王冠(グランド)」の地位にある人物であると同時に政治的能力に長け、あらゆる人物を舌先の技巧で操る事から「八枚舌」などと言う異名でも呼ばれている。

 

 その人物と長年親交があったゼストは、彼を通じて時計塔を動かす事に成功したのだ。

 

 間もなく援軍がこの冬木にやってくる。攻勢をかけるなら、それからだった。

 

「ルリア・・・・・・君には悪いが、悲願なら私にもあってね。ここで負けるわけにはいかないのだよ」

 

 そうつぶやくと、机の引き出しを開け、中から1枚の写真を取り出す。

 

 それは、とある少女を遠方から撮影したものである。

 

 先日の戦い、使い魔の目を通して見た、とある人物。

 

 まさかと思い、ひそかに直接足を運んで確かめてみた。

 

 間違いない。あれは、彼女だった。

 

「驚いたよ・・・・・・まさか、この最果ての地で再び君に会えるとはね」

 

 ニヤリと、笑みを浮かべる。

 

 神など信じないが、この写真を見たときは、本気で天に祈りをささげても良いと思った。

 

 運は間違いなく、自分の方を向き始めているのだ。

 

「待っていたまえ。君は、必ず私の物としてくれる」

 

 そう呟くゼスト。

 

 その視線の中では、友達と楽しそうに談笑する1人の少女が映っていた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 また、これか・・・・・・・・・・・・

 

 傍から見るとわかりにくいかもしれないが、衛宮響は普段通りの無表情の中に、ややげんなりしたニュアンスを混ぜて佇んでいた。

 

 目の前には対峙する2人の姉。

 

 イリヤスフィール・フォン・アインツベルンと、クロエ・フォン・アインツベルンが立っている。

 

 2人は今まさに、激突の時を迎えようとしていた。

 

 睨み合う両者。

 

 戦雲は高まり、今や一触即発と言った感じである。

 

 ここは戦場。

 

 まさに決戦の地である。

 

 因みに、

 

 2人はエプロンに三角巾を装備しているのだが。

 

 ここは穂群原学園初等部の家庭科室。

 

 今は調理実習が始まろうとしている所である。

 

 で、

 

 イリヤとクロがなぜに対峙しているかと言えば、

 

 話は今朝の衛宮邸にさかのぼる。

 

 朝、起きると、兄の士郎が珍しく弁当を作っていた。

 

 士郎は割と器用な方で、家事に関しては殆どの事を自分でできる。特に料理に関しては絶品と言っても良い腕前をしている。

 

 とは言え、普段はセラも調理をするので、衛宮家の食事は当番制になっているのだが。

 

 そこで士郎が料理しているのを見たクロが、今日の料理実習でパウンドケーキを作ることを告げ、できたら士郎に食べてくれるようにお願いしたのだ。

 

 だが、

 

 当然と言うべきが、イリヤがそれを見過ごすはずも無く。自分も作ったら食べて欲しいと士郎に懇願。

 

 そこで対決ムードになり、今に至ると言う訳だった。

 

 どよ~んとジト目になる響。

 

 2人の意地の張り合いに付き合わされる、こっちの身にもなってほしかった。

 

「お腹痛いから帰って良い?」

「だめ。敵前逃亡は重罪」

 

 反転して逃げようとする響の首根っこを、美遊がガシッと掴んで引き戻す。

 

 2人そろって、思う事は一つ。

 

 頼むからいい加減にしてくれ、だった。

 

 

 

 

 

 そんな訳で、調理グループのチーム分けがなされたのだが、

 

 編成は以下の通りだった。

 

〇イリヤチームメンバー

 イリヤスフィール・フォン・アインツベルン

 栗原雀花

 森山那奈亀

 嶽間沢龍子

 

〇クロチームメンバー

 クロエ・フォン・アインツベルン

 衛宮響

 美遊・エーデルフェルト

 桂美々

 

「さ、チーム分けも決まったところで、さっさと始めましょうか」

「ちょっと待てェェェェェェェェェェェェ!!」

 

 笑顔のクロに対し、食って掛かったのはイリヤだった。

 

 何事かと一同が視線を向ける。

 

「このチーム分けはおかしいでしょーが!!」

「何がよ? 厳正なジャンケンの結果でしょ。それに人数もばっちり半々だし」

 

 シレッとした調子で答えるクロ。

 

 しかし、それでイリヤが納得するはずも無く。

 

「何で戦力がそっちに偏ってんのよッ しかも、こっちには1人、マイナス要員がいるし!!」

 

 因みに戦力とは、美遊と美々の事である。美遊は転校初日の調理実習でとんでもない腕前を見せつけてくれたし、美々も普段から料理をしているらしく、腕前は確かである。

 

 一方のマイナス要員とは、

 

 まあ、言うまでも無く龍子である。

 

 その龍子はと言えば、どうやら今日作るものをハンバーグだと、盛大に勘違いしているらしい。

 

 ・・・・・・大丈夫か?

 

 とは言え今更、チームシャッフルをやり直している時間も無く。

 

 イリヤにとっては不本意ながら、なし崩し的に料理バトルは開始されたのだった。

 

 

 

 

 

 まずは下ごしらえからであるが、

 

「響君、料理の経験は?」

「ん、士郎の手伝いでちょっと」

 

 尋ねる美々に、響は頷きながら答える。

 

 プロ顔負けの料理人が2人もいる衛宮家では、小学生組が手伝う事は殆ど無い。セラなどは、やろうとしても「これは自分の仕事ですから」とか言って断ってくるくらいである。

 

 自然、響もイリヤも、ついでにクロも、料理の経験は殆ど無かった。

 

「お菓子の方は全然」

「そっか、じゃあ、そうだね・・・・・・」

 

 美々はテーブルの上を見回してから言った。

 

「美遊ちゃんの方を手伝ってあげて。こっちの準備は、私とクロちゃんとでやっておくから」

「ん」

 

 頷くと、響は美遊へと向き直った。

 

「と言う訳で美遊よろしく」

「うん、よろしく。じゃあ、まず手順を教えるから、響はその通りにやってみて」

 

 そう言うと美遊は、響に手順を教える。

 

 料理とは言ってしまえば計算である。

 

 必要な分量と分量を掛け合わせ、最適解(完成)へと至る道を探る。

 

 そういう意味では、レシピとは方程式に通じる。

 

 要するに、必要な手順から逸脱しなければ、問題なく完成させることができるのだ。

 

「まずは粉を振って。そう、優しい手つきでゆっくりと、ね」

「こう?」

 

 美遊に監督してもらいながら、響はたどたどしい手つきで調理行程を進めていく。

 

 美遊の手がそっと、響の手に重ねられる。

 

「・・・・・・・・・・・・」

「どうかした響? 手、止まってるよ」

 

 キョトンとして尋ねる美遊。

 

 対して、響は慌てて作業を再開する。

 

「ん、何でもない」

「あ、そこはそんな急いでやらないで、もっと丁寧に・・・・・・」

 

 何やら、仲の良い感じに作業を進めていく2人。

 

 その様子を、クロは少し離れた場所から眺めていた。

 

「・・・・・・・・・・・・ふうん、成程」

 

 少し悪戯っぽく笑うクロ。

 

 面白いネタを見つけた。

 

 そんな感じの表情である。

 

 とは言え、そっちの方は後回しである。

 

 目下のところ、先に片付けるべきはお菓子作り対決の方だった。

 

 

 

 

 

 一方、イリヤチームの方も、苦戦しつつもどうにか下ごしらえを終わらせるところまではこぎつけていた。

 

 要するに、余計な事はしなくて良い、という基本的な考えは響達と同じである。

 

 普通の事を普通にやればできるのだから。

 

「よし、あとはこれに、さっき作って置いたバターを混ぜて・・・・・・」

 

 イリヤはそう言いながら、材料を混ぜ合わせていく。

 

 何だかんだ言いつつ順調だった。

 

 あとはこれをこねて生地にして、型に入れて焼くだけ。

 

 そう思った次の瞬間、

 

 横から伸びてきた手が、イリヤの手にした器の中に何かを振りかけた。

 

 振り返るイリヤ。

 

 その先では、満面の笑顔を浮かべる友人、嶽間沢龍子の姿。

 

「タツコがなんか入れたァァァァァァァァァァァァ!?」

 

 叫ぶイリヤ。

 

 その横では、余計な事をぶっこいてくれた龍子に、雀花と那奈亀が制裁を加えている。

 

「何入れた!? 何入れたんだ!?」

「ナ、ナツメグ」

「ナツメグだァ!?」

 

 ナツメグとは、主に肉料理等に使われる香辛料であり、独特の甘い匂いから、臭み消しなどの効果がある。

 

 尚、当然、言うまでも無く、完全無欠に、パウンドケーキには不要な代物である。

 

「ハンバーグには・・・・・・必要だろ」

「しまったッ こいつまだ、ハンバーグを作る気でいやがった!!」

「ナツメグとか、余計な知識はありやがる!!」

 

 ガックリと床に崩れ落ちる龍子。

 

 取りあえず、そっちは放っておく。今は急務が他にあった。

 

「ど、どうする、これ。絶対まずいぞ」

「バターの予備はもう無いみたいだしな」

「ううう・・・・・・・・・・・・」

 

 深刻な顔を突き合わせる雀花、那奈亀、イリヤの3人。

 

 その時だった。

 

「アハハハッ 無様ね、イリヤ!!」

「この声はッ!?」

 

 突如として巻き起こる笑い声に、イリヤは緊張気味に振り返る。

 

 その視線の先には、

 

 椅子の上に立ち、腕組みをしている褐色肌の少女の姿がある。

 

「クロッ!!」

 

 睨み合う両者。

 

 互いの視線が交錯し、火花を散らす。

 

「あっちは楽しそうだね」

「て言うか、遊んでないでクロも手伝ってほしい」

 

 隣の騒動を眺めて嘆息する響と美遊。

 

 授業中に何を遊んでいるのか。

 

 それはそうと、

 

「美遊」

「うん、なに、響?」

 

 ふと気になったことを、響は尋ねてみた。

 

「作ってるのは、パウンドケーキ、だっけ?」

「うん、そうだね。それが?」

 

 何を当たり前のことを聞いているのか? と言った感じに首をかしげる美遊。

 

 対して、

 

 響は微妙な顔で、作業台の上を指差した。

 

「で、これ何?」

 

 そこにあったのは、響や美遊の身長をも上回る、三段重ねの巨大ケーキであり、周囲には生クリームでデコレーションが施され、なぜかてっぺんにはお菓子の飾りまである。

 

「・・・・・・・・・・・・ウェディングケーキ?」

 

 パウンドケーキがいかにすれば、ウェディングケーキになるのか?

 

「材料が余ってたから、つい・・・・・・」

「『つい』じゃなーい!! あれは余りじゃなくてみんなの分の予備よ!! 勝手にこんなんしちゃってからにー!!」

 

 シレッと答える美遊の肩を、飛んできた大河が掴んでガクガクと揺さぶる。

 

 どうやら、予備を使い切ってしまった犯人は美遊だったらしい。

 

「あ、パウンドケーキは私が作っておいたから、大丈夫だよ」

「ん、美々、グッジョブ」

 

 手堅い仕事をしてくれた友人の少女に、サムズアップして見せる響。

 

 とは言え、

 

 尚も騒ぎまくるイリヤとクロ。

 

 大河からお説教されている美遊。

 

 その様子に、響はやれやれとばかりに肩を竦める。

 

 どうにも最近、自分の周りにびっくり人間が増えてきた気がする。

 

 何と言うか最近、「普通」である事が、ひどく贅沢な事であるように思えるのだった。

 

 因みに、

 

 「びっくり人間」の中には、他ならぬ響自身も含まれているのだが、

 

 当の本人は全くその事に気づいていなかった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 その次の休日。

 

 響の姿はエーデルフェルト邸の客間にあった。

 

「そう、そういう風に終わったんだ」

「ん、けっきょくイリヤが勝った」

 

 美遊が淹れてくれた紅茶を飲みつつ、響はそんな事を言う。

 

 結局あの後も、イリヤチームは復活した龍子が、今度はミントの風味を足すなどと言って「フリスク」を入れたりして、散々な目にあっていた。

 

 対してクロチームは、美々が手堅い仕事をしてくれたおかげでちゃんとしたパウンドケーキを作る事に成功していた。

 

 このままなら、料理勝負はクロの一方的な勝利で終わるか、と思われた。

 

 だが、

 

 子供たちはある意味、自分たちの長兄が持つ実力を見誤っていたと言って良かった。

 

 クロのケーキを一口食べて、士郎は美味しさを誉めつつも、それが自分の為に作られた物ではないと見抜いてしまったのだ。

 

 確かに。作ったのは美々なのだが、それを一口食べただけで見破るあたり、料理人としての士郎の実力も計り知れない物がある。

 

 一方、イリヤのケーキのほうは(当然、言うまでも無く)不味かった。

 

 が、それでも自分の為に一生懸命に作ってくれた、と言う事を士郎は感じ取っていた。

 

 結果、士郎はイリヤのケーキに軍配を上げたのだった。

 

「そっか・・・・・・・・・・・・」

 

 静かに答える美遊。

 

 その、どこか寂しそうに見える少女の表情に、響は怪訝な面持ちになる。

 

 そんな響の視線に気づいたのか、美遊は顔を上げて尋ねた。

 

「そう言えば響。今日はどうしたの?」

「ん、そうだった」

 

 響は持ってきたカバンを漁り、中から何かを取り出す。

 

「ん、これ、美遊にあげようと思って」

 

 そう言って差し出す響。

 

 袋に入ってラッピングされたそれは、先日作ったものと同じパウンドケーキだった。

 

「これは?」

「この間、作り方教えてくれたお礼」

 

 どうやら先日。作り方を教わった物を自分で作ってみた、と言う事らしい。

 

「これ、響が作ったの?」

「ん、ちょっと士郎に手伝ってもらった」

 

 答える響に、美遊はクスッと笑う。

 

 そこは嘘でも「1人で作った」と答えても良いところなのに。

 

 何とも、響らしいと言えばらしい答えが、美遊には可笑しくて仕方が無かった。

 

 ラッピングを外して、口に運ぶ。

 

 広がるほんのりした甘味。士郎からのアドバイスなのか、授業ではドライフルーツを使ったところを、こっちは粒チョコが入れられている。それがより、甘さの相乗効果を引き出していた。

 

「ど、どう?」

 

 おずおずと尋ねる響。

 

 対して、美遊は振り返り、

 

 そして、

 

「うん。すごく美味しい。ありがとう、響」

 

 ニッコリとほほ笑む。

 

 その姿に、響は安堵と同時に胸が高鳴るのを感じるのだった。

 

 

 

 

 

第15話「パウンドケーキ」      終わり

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 空港のゲートから出てきた女性は、「美しい」と言うより「凛々しい」と称していい姿だった。

 

 短く切ったベリーショートの髪に、鋭い目つき。スーツを隙なく着こなした姿。

 

 まるで、一振りの美しいサーベルを思わせる。

 

 女は真っ直ぐに出入り口の方へと向かって歩いていく。

 

 と、

 

 そこで目的の人物が立っている事に気が付き足を止める。

 

 見れば、夏にも拘らず、クロのライダージャケットを着込んだ男が、こちらに向かって手を上げていた。

 

「久しぶり。あんたが来てくれるって聞いた時は驚いたよ」

「それはこっちのセリフです。お父上はご健在ですか?」

 

 尋ねる旧友に対し、優離は肩を竦めて見せた。

 

「また戦場だよ。ついこの間、別の戦場から戻ったばかりだってのに、自分の親父ながらまめな事だと思うよ」

「傭兵のサガですね」

 

 そう言いながら、女は右手を差し出す。

 

 優離は父親を介して、この女性と何度か顔を合わせている。その為、女の実力の高さは理解している。

 

 正直、これ以上の援軍は無いとさえ思えた。

 

「何にしても、よろしくお願いします」

「ああ、こっちこそ。お互いの目的の為にな」

 

 そう言うと、優離も女の手を握り返すのだった。

 



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第16話「魔術協会から来た刺客」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 薄暗い地底の世界に、少女1人。目を閉じて腕を掲げ、何やらブツブツと呪文を唱えていた。

 

Anfang(セット)

 

 遠坂凛は今、かつて調査の為に訪れた冬木氏の地下大空洞に立っていた。

 

 前回来た時に行った地脈穿孔作業の結果がどうなっているか調べる為である。

 

 既にクラスカードを回収してから2か月。いい加減、何らかの結果が出てもい頃合いである。

 

Beantworten Sie die Forderung des Abgeordneten(管理者の名において要請する)

 

 静かな声で詠唱する凛。

 

 同時に魔力を込めた宝石を、広げた羊皮紙の上に掲げる。

 

Boden:zur Stromung(地から流)  Stromung:zum blut(流は血に)  Blut:zum Pergament(血は皮に)

 

 そっと、指を放す凛。

 

 宝石が紙の上へと落ちていく。

 

Abscbrift(転写)

 

 静かに詠唱を終える凛。

 

 次の瞬間、

 

 一瞬の閃光と共に、羊皮紙の上に小さな炎がいびつな形で踊っていく。

 

 まるで蛇のようにくねる炎の軌跡は、その筋をなぞるように紙を焦がし、何かを描き出していくのが分かった。

 

「これって・・・・・・・・・・・・」

 

 その様子を眺めていた凛は、やがて羊皮紙上の一点を見据えてうめき声をあげた。

 

 それは紙の左端。

 

 その一点に、凛の目はくぎ付けになった。

 

「嘘でしょ・・・・・・・・・・・・」

 

 驚愕の言葉が紡がれる。

 

「まだ、終わっていなかったって言うの?」

 

 

 

 

 

 暑さで陽炎が立ちそうな地面。

 

 その様子が、いよいよ夏の到来が近い事を告げていた。

 

 夏休みまで、あとわずか。

 

 浮き立つ想いを押さえきれない毎日を過ごしている一方で、現実は尚も最後の追い込みを掛けて来ていた。

 

「暑い・・・・・・」

「言わないでよ。余計に暑くなるから」

 

 ダレた感じで重い足を引きずっているのは、イリヤと響の姉弟たちである。

 

 地面が揺らぐ暑さの中を歩いていては、それだけで体力が奪われていきそうである。

 

 一方、

 

「感謝してよね。わたしがちょっと休もうって言わなきゃ、今頃3人そろって、部屋の中でへばっていたわよ」

 

 クロがちょっと自慢げに胸を反らしながら、そんな事を言った。

 

 今日は休日。

 

 イリヤ、クロ、響の衛宮家3姉弟は、部屋で仲良く宿題にいそしんでいた。

 

 しかし、この熱気では勉強などはかどるはずもなく、

 

 いい加減だれてきた3人は、クロの提案で近くのコンビニにアイスを買いに出かけた次第である。

 

 とは言え、

 

「とか言って、クロはだらけてただけ」

「そうだね。何か納得いかない」

 

 揃って肩を落とす響とイリヤ。

 

 対して、クロはシレッとした感じに肩を竦める。

 

「別に良いでしょ。あとでどっちかのノート見せてもらうし」

 

 要領が良いと言うべきか、既に他力本願のクロ。

 

「自分でやりなよ」

「だって、面倒くさいし」

 

 そう言ってそっぽを向くクロ。

 

 と、

 

「あれ? あれってミユじゃない?」

 

 クロが指さした方向に、目を向けるイリヤと響。

 

 見れば確かに、通りの向こう側にメイド服を着た小柄な少女が歩いているのが見える。

 

 この界隈で、メイド服を着て歩いている小学生など、美遊くらいの物である。

 

「おーいッ ミユー!!」

 

 呼びかけながら手を振るイリヤ。

 

 すると、向こうも気づいたのだろう。少し控えめに手を上げると、そのままこちらに向かって歩いて来た。

 

「みんな、どうしたのこんな所で?」

「ん、美遊、おはよう」

「ちょっと、勉強の息抜きにね。ミユはどうしたの?」

 

 尋ねるイリヤに、美遊は手にしたコンビニの袋を掲げて見せた。

 

「ルヴィアさんのお使い。買ってきて欲しいって言われて」

 

 言われて、一同は美遊が手にした袋の中を覗き込む。

 

 果たしてそこにあったのは、

 

「「「・・・・・・・・・・・・水羊羹?」」」

 

 声を同じくして呟く、響、イリヤ、クロ。

 

 なかなか予想外の中身に、どうコメントしていいのか分からなかった。

 

 見れば確かに、パック入りの水羊羹が数個、袋の中に入っている。

 

「ルヴィアさんが、『これこそアジアの神秘』だって言ってた」

 

 たかだかコンビニの水羊羹に、何を大げさに言っているのか。

 

 微妙な顔をする響達。

 

「お金持ちでもこんな事するんだ・・・・・・」

「ルヴィアの趣味、判んない・・・・・・」

「これだから成金は・・・・・・」

「え、ど、どうしたの、みんな?」

 

 ガックリと肩を落とす姉弟たちに、美遊は意味が分からないと言った感じにオロオロしている。

 

 取りあえず、ルヴィアには金持ちのくせに、妙に庶民的なところがある事は判った。

 

 それにしても、

 

「相変わらず似合ってるよね、ミユ。その恰好」

 

 美遊の恰好を見ながら、クロがそんな事を言った。

 

 今は仕事中なので、メイド服を着ている美遊。その姿が、一同の視線を集めていた。

 

「あの、そんなにジロジロと見るのは・・・・・・」

 

 モジモジした感じで視線を逸らす美遊。

 

 どうやら慣れてきたとは言え、この恰好を見られるのは恥ずかしいらしかった。

 

 と、

 

 美遊の視線が、立ち尽くしている少年と重なり合う。

 

「あ、ひ、響も、その・・・・・・」

「う、うん。ごめん」

 

 言いながら視線を逸らす響。

 

 その様子に、

 

 イリヤとクロは、何となく空気が違う物を感じていた。

 

 何と言うか、夏だから熱いのは当たり前なのだが、この半径1メートルの間だけ、更に気温が高いのは気のせいだろうか?

 

「んー そうねェ・・・・・・・・・・・・」

「クロ、どうかしたの?」

 

 いきなり何事かを考え込むクロに、イリヤが怪訝な面持ちで尋ねた。

 

 対して、ちょっと悪戯っぽい表情を浮かべるクロ。

 

 と、何を思ったのか、クロは2人に近づいていく。

 

「ねえねえ、ヒビキ」

「ん?」

 

 呼ばれて振り返る響。

 

 と、

 

「良い物見せてあげよっか?」

 

 言った瞬間、

 

 クロの手が、美遊のメイド服のスカートに伸びた。

 

 そのまま、思いっきりめくりあげられる。

 

 一瞬の浮遊感と共に、舞い上がるスカート。

 

 その下から、小学生女児らしいほっそりした白い足が見える。

 

 さらにその上、

 

 清純さを表すような、純白のパンツが見える。

 

 まぶしいくらいの白に、赤いリボンのアクセントが可愛らしい。

 

「「あ・・・・・・・・・・・・」」

 

 同時に声を上げる、響と美遊。

 

 響の視界に、美遊のパンツがばっちりと映り込んだ。

 

 次の瞬間、

 

「キャァッ!?」

 

 悲鳴と共に、めくられたスカートを押さえる美遊。

 

「い、いきなり何をッ!?」

「ん~ ちょっとしたサービス?」

 

 抗議する美遊に、シレッとした調子で答えるクロ。

 

 何と言うか、反省の色ゼロである。

 

 と、

 

 美遊が少し上目遣いに、響に目を向けてきた。

 

「響・・・・・・見た?」

「ん・・・・・・・・・・・・」

 

 対して、視線を逸らす響。

 

 しかし、その顔は傍から見ても分かるくらい赤くなっている。

 

「響、見たでしょ?」

「・・・・・・見てない」

「正直に」

「・・・・・・ごめんなさい」

 

 追及する美遊に、響はあっさり白状する。相変わらず、嘘が下手だった。

 

 その脳裏には、まだ美遊のあられもない姿が焼き付いている。

 

 一方、

 

「何してんの、クロ?」

「ん~ 歩みの鈍い亀さん2人を、ちょっとだけ手助けしてやったのよ」

 

 尋ねるイリヤに、クロはシレッと肩を竦めてみせた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 その頃、

 

 地下大空洞での調査を終えた凛は、急いでエーデルフェルト邸に向かった。

 

 ともかく、事は一刻を争う。

 

 あるいは状況は既に最悪となっている可能性すらあった。

 

 まずは状況をルヴィアに話し、そのうえで時計塔に連絡。大師父から指示を仰ぐ必要があった。

 

 だが、エーデルフェルト邸の正面に立ち、門に手を掛けようとした時だった。

 

「・・・・・・・・・・・・え?」

 

 伸ばしかけた手に一瞬、チリッと違和感が走り、凛は思わず動きを止める。

 

 同時に感じる、重苦しい空気。

 

「何なの、これ・・・・・・・・・・・・」

 

 明らかに感じる異質。

 

 それは、放出された魔力の残滓。

 

 エーデルフェルト邸は見た目にはただの豪邸に見えるが、実際には魔術師が作り上げた城塞でもある。

 

 しかし、だからこそと言うべきか、魔力が外に漏れないように入念な計算がされて建てられている。

 

 故に、こんな塀の外にまで魔力が漏れる事はあり得ないのだが。

 

「・・・・・・・・・・・・」

 

 緊張に強張る凛。

 

 何か、良くない事が起きている。

 

 ルヴィアは、美遊は、オーギュストは、果たして無事なのか?

 

 慎重な手つきで、もう一度門に手を掛けた。

 

 

 

 

 

 子供たちがエーデルフェルト邸の門が見える場所まで戻って来たのは、凛が屋敷内に入って暫くしての事だった。

 

「だいたい、クロの行動は極端すぎるよ」

「良いじゃない。心にはも静養は必要だって、どこかの偉い人も言っていたわよ」

「やられる方の身にもなって」

 

 イリヤと美遊からの批判も、どこ吹く風と言った感じのクロ。

 

 その視線は、1人黙って後ろからついてきている弟に向けられた。

 

「響も、嬉しかったでしょ?」

「あ、う・・・・・・・・・・・・」

 

 実に答えにくい質問に、言葉を詰まらせる響。

 

 脳裏に先程見た、美遊のあられもない姿が浮かぶ。

 

 めくれ上がったスカートと、その下から見えた純白のパンツ。そして、恥じらう美遊の顔。

 

 普段茫洋としてとらえどころが無いとはいえ、思春期に入りたての少年にとって、なかなか刺激が強い光景だったのは間違いない。

 

 と、

 

「響」

「ッ」

 

 美遊にジト目で睨まれ、ハッと我に返る響。

 

 恨みがましい美遊の視線に、思わず目を逸らす。

 

 その時だった。

 

「あれ?」

 

 突然、イリヤが何かに気づいたように顔を上げた。

 

「どしたの?」

「いや、何だか様子がおかしいような・・・・・・・・・・・・」

 

 尋ねるクロに、イリヤは首をかしげながらエーデルフェルト邸の方を見る。

 

 釣られて振り返る一同。

 

 しかし、エーデルフェルト邸の方には、特に変化らしいものは見られない。いたって閑静な感じがしているだけだった。

 

「気のせいなんじゃない?」

「そうかな・・・・・・・・・・・・」

 

 尚も納得いかないと言った感じに首をかしげるイリヤ。

 

 しかし、どう見ても異常があるようには見られないのだが。

 

 そう思った時だった。

 

 

 

 

 

 ズンッ

 

 

 

 

 

 微かに、

 

 しかし確かに聞こえた振動音。

 

 子供たちは顔を見合わせると、急いで正門の方へと走った。

 

 中を覗き込んでみる。

 

 しかし、

 

「・・・・・・・・・・・・変化無し」

 

 響の呟きに、少女たちも頷きを返す。

 

 門の格子から見たエーデルフェルト邸には、何の変化も見られなかったのだ。

 

「やっぱり、気のせいだったのかな?」

 

 首をかしげるイリヤ。

 

 しかし先ほど、振動を感じた事は間違いないのだが・・・・・・

 

「ちょっと待って」

 

 そう言って一同を制したのはクロだった。

 

「ミユ、確かこの家って、認識疎外の結界が張ってあったわよね」

「そう。だから万が一、中で何かが起こっていても、普通は外の人間に気付かれる事は無いはず」

 

 淡々と告げる美遊の言葉。

 

 その響きが、不気味な感触を持って包み込もうとしていた。

 

 つまり今、この中では想定を上回る何かが起こっている可能性がある。と言う事だ。

 

「・・・・・・・・・・・・ともかく、開けるわよ」

 

 クロが恐る恐ると言った感じに告げると、門に手を掛ける。

 

 息を呑む一同。

 

 観音開きの門がゆっくりと開かれる。

 

 果たして、

 

 その向こうには、

 

 想像を絶する光景が広がっていた。

 

 豪奢な造りで、見る者を圧倒していたエーデルフェルト邸は、そこにはなかった。

 

 街路樹は軒並みなぎ倒され、敷き詰められた通路の煉瓦はえぐられ、吹き飛ばされている。

 

 芝生にはところどころクレーターができている。

 

 そして何より、あれだけ立派だった家屋は、震災にでもあったように、天井から叩き潰され、無残な姿になり果てていた。

 

 思わず絶句する子供たち。

 

 そんな彼らの視線の中で、

 

 つぶれた屋敷を背に、ゆっくりと歩いてくる女性の姿があった。

 

 髪をベリーショートに切りそろえ、ピシッとしたスーツ姿をした姿は、ある種の精悍さすら感じる。

 

 だが、その身より発せられる雰囲気は、まさしく修羅その物と言えた。

 

「侵入者の警告音が鳴りませんね。見たところ子供のようですが、あなた達も関係者のようだ」

 

 硬い声で告げられる言葉。

 

 殺気すら伴ったその声に、思わず子供たちは身を固める。

 

「援軍だとしたら、一足遅かった」

 

 そう言った次の瞬間、

 

 女は地を蹴って一気に仕掛けてきた。

 

 それに対し、

 

 いち早く動いたのはクロだった。

 

投影(トレース)!!」

 

 短い詠唱と同時に、クロの手に現れる干将・莫邪。

 

 繰り出された、女の拳。

 

 その拳撃を、クロは両手に構えた黒白の剣で防ぐ。

 

 交錯する両者。

 

 女が繰り出した拳を、クロはどうにか弾く事に成功する。

 

 しかし、

 

「クッ・・・・・・・・・・・・」

 

 両手に感じる凄まじい衝撃に、思わず息を呑んだ。

 

 一瞬で、感じ取る。

 

 この女は、強い。一瞬でも気を抜くと返り討ちにされかねなかった。

 

 その時、

 

夢幻召喚(インストール)

 

 低い声と共に、頭上に漆黒の影が躍る。

 

 一瞬の衝撃。

 

 その衝撃を斬り裂くように、

 

 英霊を身に宿した響が、刀を振り翳して斬りかかった。

 

 降下と同時に、刀を繰り出す響。

 

 その一撃を、女は素手で弾く。

 

 次の瞬間、

 

 視線が、空中にある響と交錯する。

 

「ッ!?」

 

 息を呑む響。

 

 繰り出される拳閃。

 

 その一撃を、辛うじて刀を盾に防ぐ響。

 

 しかし、

 

「グッ!?」

 

 空中にあって身動きが取れない響は、そのまま大きく吹き飛ばされる。

 

 どうにか空中で体勢を立て直し、着地に成功する響。

 

 そこへ、

 

「こっちよ!!」

 

 鋭い声と共に、弓兵(アーチャー)の姿に変身したクロも、干将・莫邪を構えて斬りかかる。

 

 同時に、タイミングを合わせて斬りかかる響。

 

 女を左右から挟み込むように斬りかかる2人。

 

 2騎の英霊による同時攻撃。

 

《いけません響さんッ!! クロさん!! その女は!!》

 

 ルビーが思わず警告を送る中、

 

 左右から挟み込むように、女に斬りかかる響とクロ。

 

 響が刀を突き込み、クロは左右の双剣を十字に斬りかかる。

 

 だが次の瞬間、

 

 女はクロの剣閃を拳の連撃で逸らし、同時に鋭い蹴りを響へと繰り出した。

 

「クッ!?」

 

 とっさに受け身を取って後退する響。

 

 その間に、単騎となったクロに女が攻勢をかける。

 

 クロは、先の女の攻撃から、まだ態勢を立て直していない。

 

 そこへ、連撃として繰り出される拳。

 

 対してクロも干将、莫邪を繰り出して必死に抵抗を試みる。

 

 しかし速さも、重さも桁違いである。

 

 防戦一方に追い込まれるクロ。

 

「こいつッ!!」

 

 強引に反撃に出るクロ。

 

 右手に構えた莫邪を横なぎに繰り出す。

 

 しかし、

 

 女は鋭い眼光と共に、クロの剣を打手のひらで受け止めてしまった。

 

「なッ!?」

 

 驚愕するクロ。

 

 恐らく、女のしているグローブには硬化の魔術がかけられているのだろう。その為、刃すら受け止めてしまうのだ。

 

 反撃に繰り出される拳。

 

 しかし、クロも黙ってやられるつもりはない。

 

 女が繰り出した拳を蹴りつけながら空中で宙返り。同時に頭上に大剣数本を投影して射出する。

 

 女の眼前に突き刺さる大剣。

 

 その進路が阻まれる。

 

 しかし、それも一瞬の事だった。

 

 女が無造作に横なぎに振るった拳が、大剣数本を一瞬にして砕き散らす。

 

 ばらばらと地面に散らばる大剣の破片。

 

 つくづく、女の戦力が埒外である事が分かる。

 

 だが、

 

 クロが狙ったのは、その一瞬だった。

 

 砕け散る欠片の向こう。

 

 その先で、弓を構える少女の姿がある。

 

「ばいばい」

 

 魔力を込めた矢を引き絞るクロ。

 

 言い放つと同時に、矢が放たれた。

 

 唸りを上げて飛翔する矢。

 

 その矢を真っ向から見据える女。

 

 だが、

 

「その戦法はもう、見ました」

 

 囁かれた不吉な言葉。

 

 次の瞬間、

 

「なッ!?」

 

 誰もが驚愕した。

 

 何と女は、クロが放った矢を命中直前、己の眼前で掴み取ってしまったのだ。

 

 いかなる技量を示せば、そのような事が可能になるのか。

 

 愕然とするクロ。

 

 そのクロ目がけて、女はたった今、自分に向けて飛んできた矢を投げ返した。

 

 弓を使って放った場合とほとんど違わない勢いで放られる矢。

 

 着弾。

 

 同時に、強烈な爆炎が巻き起こる。

 

「クロッ!!」

 

 悲鳴を上げるイリヤ。

 

 その手が、相棒のステッキに伸びる。

 

 美遊もまた、焦ったようにサファイアに目を向けた。

 

「サファイア、わたし達も、早く!!」

 

 しかし、

 

 主人の焦りとは裏腹に、2本のステッキは沈黙したまま、埒外の猛威を振るう女魔術師を見ていた。

 

 と、

 

「それが、ゼルレッチ卿の特殊魔術礼装ですか」

 

 振り返った女魔術師が、鋭い視線を向けて告げる。

 

「なぜ、あなた達がそれを持っているのかは知りませんが、抵抗しないなら身の安全は保障しましょう」

 

 事実上の降伏勧告に近い言葉に、イリヤと美遊は身構える。

 

 勿論、それを受け入れる気は無い。

 

 しかし、見せつけられた圧倒的な戦闘力。

 

 そして何より、硬直しているルビーとサファイアの様子から見ても、容易ならざる事態である事は間違いなかった。

 

「あなたはいったい、何者なの!?」

 

 問いかけるイリヤ。

 

 対して。

 

《彼女の名は、バゼット・フラガ・マクレミッツ。魔術協会に所属する封印指定執行者です》

 

 答えたのはルビーだった。

 

《わたし達がやってきたカード回収任務。その、前任者です》

 

 封印指定執行者とは、魔術協会が「奇跡」と認定した存在を貴重品と認定し「保護」する存在である。特に、魔術は時と共に衰退していく物も多い。それらの保護は重要な任務であると言える。

 

 と、言えば何やら良い事をしているように聞こえるかもしれない。

 

 しかし実際には保護と言うのは名目で、対象となった存在は、実質的には幽閉、監禁に近い扱いを受けた状態で奇跡の維持に努める物である。

 

 また、魔術師と言う存在は、自らの御業を次の世代に継承する事を旨としている。

 

 しかし封印指定を受けると(それ自体は大変名誉な事ではあるのだが)、次の世代への継承ができなくなる。

 

 それ故、封印指定を受けた魔術師は、魔術協会の手を逃れて逃亡するのが常だった。

 

 しかし逃亡した魔術師が、その逃亡先で何らかの重大な犯罪行為に走る事がある。

 

 そうなった場合、強制的に封印指定を行うべく派遣されるのが、封印指定執行者なのだ。

 

 当然、封印指定執行者は、第一級の戦闘力を持つ魔術師が認定されることになる。

 

 つまりバゼットは、正に魔術協会におけるエース中のエースと言う事だ。

 

「前任者って、そんなものがいたの?」

《はい、美遊様》

 

 尋ねる美遊、今度はサファイアが答える。

 

《そもそも、最初からルヴィア様たちが所持していた「アーチャー」と「ランサー」のカード。それを回収したのが、あの方なのです》

 

 戦慄する。

 

 以前戦った黒化英霊達は皆、どれも強力な者たちであった。

 

 イリヤ達は彼らを、ルビーやサファイアを用い、更に全員の力を合わせる事でようやく全て倒したのだ。

 

 だがバゼットは、その内の2体を単独で倒した事になる。

 

 恐るべき実力者だった。

 

《しかし・・・・・・》

 

 ルビーがサファイアの後を継いで話す。

 

《任務は凛さんとルヴィアさんが引き継いだはず。それがなぜ、今になってあなたが出てくるのです?》

「詳しい事情は知りませんが、上の方でパワーゲームがあったと言う事です」

 

 魔術協会も強固な一枚岩ではない。特に上層部ではいくつもの派閥に分かれ、権力争いに余念がない。

 

 どうやらそうした危ういパワーバランスが、今回の事態を齎したようだ。

 

「・・・・・・すでにこの屋敷からは4枚のカードを回収しました。しかし、あと3枚あるはず」

 

 その言葉に、身構えるイリヤと美遊。

 

 残り3枚のうち、「槍兵(ランサー)」はイリヤが、「騎兵(ライダー)」は美遊が、それぞれ持っている。

 

 そして「弓兵(アーチャー)」は、言うまでもなくクロの中にある。

 

「残りのカードも渡しなさい。抵抗するならば、強制的に回収します」

 

 冷たく告げるバゼット。

 

 もしバゼットがカード回収の完遂を目指すとすれば、クロの中からカードを抉り出す事になるだろう。

 

 その時、

 

「成程ね。そういう事だったの」

 

 聞こえてくる少女の声。

 

 振り返る一同の視線の先では、先程、バゼットが投げ返した矢によって巻き起こる煙が立ち込めている。

 

 その煙が晴れ、視界が効くようになる。

 

 その中で、

 

「ありがと、ヒビキ」

「ん、間一髪」

 

 クロを庇うようにして立つ、響の姿があった。

 

 あの着弾の直前。

 

 体勢を立て直した響が飛んでくる矢を切り払い、クロを守ったのだ。

 

「成程、簡単にはいかないと言う事ですか」

 

 再び剣を構える響とクロを見ながら、バゼットは改めて戦闘態勢に入る。

 

 その時。

 

「・・・・・・・・・・・・一つ、聞かせて欲しい」

 

 口を開いたのは美遊だった。

 

「ルヴィアさん達は、どこ?」

 

 この状況になっても姿を現さない、凛とルヴィア。それに執事のオーギュストの事が、美遊には気になっていた。

 

 対して、

 

 バゼットは、背後に崩れた家屋を顎で指して言った。

 

「彼女達なら、その瓦礫の下です」

 

 言った瞬間、

 

 美遊は迷うことなく、サファイアに手を伸ばした。

 

「サファイア!!」

《は、はいッ》

 

 主の意思に従い、鏡界回廊を展開するサファイア。

 

 少女の身に閃光が走り、その身は魔法少女(カレイドサファイア)へと変身する。

 

 その傍らで、イリヤもまた、眦を上げていた。

 

「・・・・・・ルビー、転身を」

《で、ですがイリヤさんッ》

 

 尚も渋るルビー。

 

 対してイリヤは、己の意思を曲げないまま言った。

 

「今まで何度も危ない戦いはあった。ミユなんか、1人で死地に立ったこともあった。わたし達は死ぬ気でカードを集めたんだ。それを・・・・・・前任者だか何だか知らないけど、勝手に持っていかれるなんて、納得いかない。何より・・・・・・」

 

 イリヤの目が、瓦礫と化したエーデルフェルト邸に向けられる。

 

「友達を傷つけたッ それだけは、絶対に許さない!!」

 

 言い放つと同時に、イリヤの姿が閃光に包まれる。

 

 魔法少女(カレイドルビー)へと変身する少女。

 

 その可憐な姿で、ステッキを真っすぐにバゼットへと向けた。

 

 同時に、女魔術師を取り囲むようにして身構える響、クロ、美遊。

 

 バゼットもまた、周囲を見回す。

 

「どうする、いくら封印指定執行者でも、4対1じゃきついんじゃない?」

 

 挑発するようなクロの言葉。

 

 対して、バゼットは静かに息を吐く。

 

「確かに、少々きついのは、その通りですね」

 

 つまり無理すれば、この場にいる全員を倒すだけの自信があると言う事か。

 

「ですが、ここはあえて、保険を使うとしましょうか」

 

 バゼットがそう言った時だった。

 

 ザッ

 

 草を踏む音と共に、背後に気配が立つのが分かった。

 

 振り返る一同。

 

「お前はッ」

 

 響は驚愕して叫ぶ。

 

 対して、相手は静かな眼差しを向けてきた。

 

「久しぶりだな」

 

 優離はそう告げると、ゆっくりと身構えた。

 

 

 

 

 

第16話「魔術協会から来た刺客」      終わり

 



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第17話「女狂戦士」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 進み出る優離。

 

 対して、

 

 因縁深い響は、身構えるように刀を構える。

 

「・・・・・・魔術協会と、手を組んだの?」

「そんなところだな」

 

 響に答えながら、優離はチラッと視線をバゼットに向ける。

 

「取りあえず、半分は引き受ける方向で良いか?」

「ええ、お願いします。こっちはこっちでやりますので」

 

 頷きあうバゼットと優離。

 

 対抗するように、響達の間にも緊張が走る。

 

 状況は、控えめに言って「最悪」に近い。

 

 バゼット1人だけでも厄介極まると言うのに、そこへ来て最強の英霊を身に宿す優離まで加わるとは。

 

 勝機は無きに等しい。

 

 だが、迷っている暇は無かった。

 

 胸の前に手をかざす優離。

 

夢幻召喚(インストール)!!」

 

 詠唱と同時に、衝撃が優離の姿を包み込む。

 

 同時に異国風の衣装と銀の甲冑が、身を包んでいく。

 

 出現した槍を掴む優離。

 

 ギリシャに名高き最強の英雄、アキレウスをその身に宿した姿がそこにあった。

 

 対して、

 

 響もまた、刀を構えた。

 

「あいつは押さえる。みんなはバゼットを」

「そんなッ ヒビキ1人で何てッ」

 

 声を上げるイリヤ。

 

 優離の実力は、以前の激突で分かっている。響1人では荷が重い事は間違いない。

 

 本来なら、この場にいる全員で掛かるべき相手である。

 

 だが、同時にそれ以上の策は考えられないのも事実である。

 

 単純に2対2に分けたのでは、却って戦力分散につながって危険である。

 

 いたずらに戦力を分断するよりも、ここは最小限の戦力で片方を押さえ、残る全員でもう片方を潰すしかない。

 

「迷っている暇無い。行くッ!!」

 

 言い放つと同時に、

 

 響は優離目がけて斬りかかった。

 

 姿が霞むほどの速度で接近。同時に横なぎの一閃を繰り出す。

 

 対して、

 

 優離は槍を振るい、響の攻撃をあっさりと弾く。

 

「クッ」

「ふんッ」

 

 奇襲を狙った一撃を防がれ、歯噛みする響。

 

 対して、優離は面白くなさそうに鼻を鳴らす。この程度の事は造作もない、と言った感じである。

 

「どうした、それで終わりじゃないだろ。もっと力を見せてみろ」

「言われなくてもッ」

 

 挑発に乗るように、響は再び優離に斬りかかった。

 

 

 

 

 

 一方、イリヤ、クロ、美遊もまた、バゼット相手に戦闘を開始していた。

 

 急ぐ必要がある。

 

 響が優離を押さえてくれている内に、どうにかバゼットを倒すのだ。

 

 仕掛けたのは美遊である。

 

 上空に跳び上がると同時に、魔力を込めたサファイアを構える。

 

砲射(シュート)!!」

 

 放たれる魔力砲。

 

 その一撃に対し、

 

 バゼットは真っ向から向かっていく。

 

 両手を眼前で交差させ、渾身の力で振り抜く。

 

 その一撃が、美遊の放った魔力砲を弾き飛ばした。

 

「なッ!?」

 

 驚愕に目を見開く美遊。

 

 全力で放ったわけではないが、それをこうもあっさりと弾くとは思っても見なかったのだ。

 

 そこへ、美遊を追い越すように上空に影が躍るのが見えた。

 

 イリヤだ。

 

 元より、美遊1人を戦わせる気は無い。

 

散弾(ショット)!!」

 

 放たれる無数の魔力弾。

 

 その一撃一撃は大したことないが、相手の視界を塞ぐには十分な効果がある。

 

 対して、バゼットは防御の姿勢を取りつつ魔力の雨に耐える。

 

「貰ったッ」

 

 動きを止めたバゼット。

 

 そこへ、干将、莫邪を構えたクロが斬り込んだ。

 

 一気に距離を詰めるクロ。

 

 対して、バゼットはイリヤの攻撃で身動きが取れずにいる。

 

「これで!!」

 

 黒白の剣閃を繰り出すクロ。

 

 だが、

 

 ガシッ

 

「なッ!?」

 

 クロが袈裟懸けに繰り出した莫邪の刃を、バゼットは真っ向から受け止めて見せたのだ。

 

「まずは、あなたからだ」

 

 言い放つと同時に、手刀を作るバゼット。

 

 そのままクロの心臓に突き入れ、カードを抉り出すつもりなのだ。

 

「クッ!?」

 

 舌打ちするクロ。

 

 そのまま後退しようとした。

 

 その時、

 

斬撃(シュナイデン)!!」

 

 鋭く研ぎ澄まされた魔力斬撃が走る。

 

 とっさにクロを放し、迎撃の為に腕を横なぎにするバゼット。

 

 その一撃によって、魔力斬撃は吹き飛ばされる。

 

「ちょっと、常識外れすぎないかな?」

 

 対して、斬撃を防がれたイリヤは、呆れ気味に呟く。

 

 クロを助ける目的で放った斬撃なので一応、その目的は達している。

 

 しかし、

 

 イリヤの得意技とも言うべき斬撃が、こうもあっさりと防がれるとは思っていなかった。

 

「イリヤ、クロ」

 

 2人の傍らに降り立った美遊が、警戒を解かないまま語り掛けてきた。

 

「多分、長期戦は不利。一気に勝負をかけた方が良い」

「同感ね。あれ相手に時間を掛ければ、間違いなくこっちが負けるわ」

 

 クロも頷きを返す。

 

 恐らくバゼットは、3人で同時に掛かっても、勝つ事は難しいだろう。

 

 ならば、最大火力で一気に勝負を決するべきだった。

 

「作戦会議は終わりましたか? では、そろそろこちらから行かせてもらいます」

 

 不吉を告げる言葉。

 

 次の瞬間、

 

 バゼットは地面を蹴って襲い掛かって来た。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 せき込むと同時に、喉の奥に溜まっていた血塊を吐き出す。

 

 呼吸が通り、意識が覚醒するのが分かった。

 

「ルヴィアッ」

「お嬢様ッ」

 

 必死に叫ぶ声にようやく目を開くと、そこには遠坂凛と、執事のオーギュストが心配そうに自分を見下ろしているのが見えた。

 

「ここ、は?」

 

 意識が戻ってきたルヴィアは、現状を確認すべく尋ねる。

 

 突如、襲撃してきた魔術協会の封印指定執行者バゼット・フラガ・マクレミッツ。

 

 対してオーギュストと共に迎撃に出たルヴィアだったが、その圧倒的な戦闘力の差は覆しようもなく、一方的に窮地に追い込まれたのだった。

 

「地下の緊急避難路です。屋敷の倒壊直前に、何とか逃げ込みました」

 

 答えたオーギュストもボロボロである。

 

 ルヴィア自身、全身の痛みで殆ど体を動かす事ができない。

 

 それだけ、バゼットの攻撃のすさまじさを物語っていた。

 

「まったく、無茶しすぎよ。屋敷だって、殆どあんたの攻撃のせいで壊れたような物よ」

 

 呆れ気味に言う凛。

 

 異変を感じて急いで屋敷に戻った彼女だったが、そこでは既に戦端が開かれた後だった。

 

 そんな凛に対し、ルヴィアは苦しい中にも不敵に笑って見せる。

 

「良い目晦ましになったでしょう?」

「・・・・・・やっぱり、わたしがいる事を知っててやったのね」

 

 ルヴィアの言葉に、凛は苦笑する。

 

 バゼットとの戦闘の際、ルヴィアと凛は水面下で密かに共闘していたのだ。

 

 普段はいがみ合って殺し合いまがいのドツキ合いをしている2人だが、いざという時には阿吽と称しても良いほどの連携力を発揮する。

 

 おかげで凛は、反撃の為の布石を打つ事に成功していた。

 

 もっとも、それだけでは、あの怪物女を倒す事は出来ない。状況を逆転するには、もう一手必要だった。

 

「クッ・・・・・・」

「お嬢様。動いてはいけません」

 

 立ち上がろうとするルヴィアを支えるオーギュスト。

 

 だが、ルヴィアは構わず立ち上がろうとする。

 

「寝ている場合ではありませんわ。あの女の目的はカード。なら次に狙われるのは・・・・・・」

 

 ルヴィアの言葉に、凛もハッとする。

 

 その脳裏に浮かぶのは、イリヤ、美遊、クロ、そして響の姿。

 

 カードを狙っている以上、バゼットが彼らの事を見逃すとは思えなかった。

 

「行きますわよ」

 

 傷ついた体を引きずって歩き出すルヴィア。

 

 子供たちの無事を祈る。

 

 今はそれくらいしかする事が無い自分たちに、歯噛みせずにはいられなかった。

 

 

 

 

 

 鋭く繰り出される槍の一閃。

 

 その一撃を回避しつつ、響は相手の懐へと斬り込む。

 

 接近する両者。

 

 響は脇に構えた刀を、逆袈裟に鋭く切り上げる。

 

 駆け抜ける銀の閃光は、しかし優離に命中した瞬間、異音と共に弾かれる。

 

「ッ!?」

「無駄な事をする。貴様にも判っているはずだがな」

 

 息を呑む響に対し、余裕の態度の優離。

 

 同時に繰り出される回し蹴り。

 

 対して、響はとっさに後退して回避した。

 

 刀を構えなおす響。

 

 考えるまでも無いが、優離は強い。

 

 最強の英霊をその身に宿している事もあるが、その英霊をほぼ完ぺきに使いこなしている事こそが、優離が最強である事の証左であると言えよう。

 

 響はチラッと、視線をイリヤ達の方へと向ける。

 

 どうやら、向こうも苦戦中らしい。

 

 イリヤや美遊に加え、クロまで加わって尚、足止めが精いっぱいとは。

 

 何とか、優離を手早く撃破して、向こうの応援に行かないと。

 

 そう思った時だった。

 

「よそ見をするとは、ずいぶんと余裕だな」

 

 低く囁かれる言葉。

 

 それと同時に、優離が神速の連撃を繰り出してくる。

 

 流星の如く襲い来る槍の穂先を、響はどうにか刀を振るって裁く。

 

 拮抗する両者。

 

 攻める優離に、防ぐ響。

 

 だが、それも長くは続かない。

 

「クッ!?」

 

 徐々に押され始める響。

 

 優離の動きについていけず、小さな体がよろめく。

 

「もらった」

 

 低い呟きと共に、槍を繰り出す優離。

 

 その穂先が、響の体を貫いた。

 

 次の瞬間、

 

 槍に突かれた響の姿は消失し、僅かに下がって位置に出現する。

 

「残像・・・・・・いや、僅かに捉え損ねた、か」

 

 暗殺者(アサシン)の特性故か、響の気配は対峙していても捕捉が難しい。それ故、優離は攻撃の間合いを見誤ったのだ。

 

 とは言え、

 

 槍を構えなおす優離。

 

 今のは殆ど「まぐれ」に近い。そうそう同じミスを繰り返す優離ではない。次は、確実に当ててくるだろう。

 

「・・・・・・・・・・・・」

 

 無言のまま対峙する響。

 

 最強の騎兵(ライダー)を相手に、暗殺者(アサシン)で対抗するのは難しい。

 

 そもそも暗殺者(アサシン)の専門は奇襲攻撃。こうして姿を晒して正面から戦いを挑むこと自体、本来の形ではない。

 

「・・・・・・・・・・・・なら」

 

 残る手段は、一つしかない。

 

 スッと、目を閉じる響。

 

 己の中に眠る魔術回路を起動し、そこへ魔力を流し込む。

 

 同時に、自らが身に纏う英霊へと呼びかける。

 

 舞い上がる風。

 

 漆黒の衣装の上から、羽織が纏われる。

 

 浅葱色に、白の段だらが染め抜かれた、目にも鮮やかな羽織。

 

 新撰組隊士のみが着る事を許された「誓いの羽織」。

 

 響は己の全てを掛けて、優離に挑むと決めていた。

 

「それが、お前の本気、と言う訳か」

 

 新たな力でもって挑まんとする響に対し、優離もまた緊張の眼差しで対峙する。

 

 今までの響とは違うと言う事を、優離は感じ取っているのだ。

 

 次の瞬間、

 

 響が仕掛けた。

 

 一瞬で、優離との間合いをゼロにまで持っていく。

 

「ッ!?」

 

 その様に、一瞬目を剥く優離。

 

 響の動きは、優離の予測を完全に上回っていたのだ。

 

 横なぎに振るわれる斬撃。

 

 その一閃を、

 

 優離は辛うじて、槍の柄で防ぐ。

 

 しかし、

 

「これは・・・・・・・・・・・・」

 

 呻き声を上げる優離。

 

 手に感じる重みと衝撃。

 

 何より、それまでは簡単に押し返す事が出来た響を、今は押し返す事ができない。

 

 両者は、完全に拮抗していた。

 

 睨み合う響と優離。

 

「・・・・・・・・・・・・それがお前の奥の手か。さしずめ対人宝具、能力強化と言ったところか」

 

 低く呟く優離。

 

 ようやく、本気で戦える相手を見つけた。

 

 そんな感情が見て取れる。

 

「面白いッ!!」

 

 次の瞬間、

 

 両者は弾かれるように同時に動いた。

 

 

 

 

 

 怒涛の攻勢を仕掛けるイリヤ。

 

 己の魔力をルビーに込め、全力で振るう。

 

砲射(フォイア)!!」

 

 放たれる魔力弾。

 

 その一撃を、バゼットは拳の一線で弾き飛ばし、更に少女に接近を図る。

 

 対して、イリヤも手を停めない。

 

散弾(ショット)!!」

 

 無数の分裂した魔力弾が、バゼットへと殺到する。

 

 しかし、もともと、威力よりも手数に重点を置いた攻撃は、しかしバゼットに対し足止めにすらなっていない。

 

 これならどうだ、とばかりにイリヤは三度目の攻撃に入る。

 

 魔力の込めたルビーを、鋭く振り抜く。

 

斬撃(シュナイデン)!!」

 

 放たれる一閃。

 

 これにはさすがに敵わないと思ったのか、バゼットも足を止める。

 

 そして、思いっきり振り抜いた腕が、魔力斬撃を消し飛ばした。

 

「強いッ」

 

 舌打ちしながらイリヤは呟く。

 

 改めて考えるまでもなく、バゼットの強さは常軌を逸している。

 

 イリヤが全力で攻撃しても、足止めにすらなっていなかった。

 

「て言うか・・・・・・・・・・・・」

 

 イリヤは改めて確認できた事実を、やけくそ気味に言い放つ。

 

「わたしが弱いんだよねッ 判ってたけど!!」

《いやー まったくもって出力が足りていません。原作主人公にあるまじき弱さです》

 

 涙目のイリヤに、ルビーが能天気に告げる。

 

 クロの分離によって出力が落ちたイリヤの魔力では、バゼットの相手は不可能に近い。

 

 小学生の創意工夫程度でどうにかできるほど、魔術協会の封印指定執行者は甘くなかった。

 

《ですが、今回はそれが却って好都合です。彼女に対して、「決め技」や「切り札」の類は使用してはいけません》

「そ、それってどういう事!?」

 

 意味深なルビーの言葉に、問いかけるイリヤ。

 

 だが、ルビーが答える前に、今度はクロがバゼットに仕掛けた。

 

「これなら、どうよ!!」

 

 言い放つと同時に、少女の周囲に複数の剣が出現する。

 

 投影魔術で、剣を作り出したのだ。

 

 その切っ先が、一斉にバゼットを志向する。

 

「行けッ」

 

 放たれる剣の群れ。

 

 対して、自分に向かってくる剣を見据え、泰然と佇むバゼット。

 

 次の瞬間、

 

 その両の拳が、迎え撃つ。

 

 高速で振るわれる拳。

 

 腕が霞むほどの高速連撃。

 

 撃ち放たれた剣は、その全てがバゼットを捉える事無く打ち砕かれる。

 

 きらめく銀の光。

 

 陽光に反射するきらめきを前に、

 

 クロはバゼットの背後へと回り込んだ。

 

 転移魔術である。剣による攻撃は最初から囮。そちらを目晦ましにして背後に回り込むことがクロの作戦だったのだ。

 

「貰った!!」

 

 干将、莫邪を振り翳すクロ。

 

 両の刃がバゼットに迫った。

 

 次の瞬間、

 

 衝撃と共に、クロは背後へと吹き飛ばされた。

 

「なッ!?」

 

 腹部への衝撃と共に黒が見たものは、足を大きく振り抜いているバゼットの姿。

 

 完璧な奇襲を掛けたクロ。

 

 だが、攻撃を食らったのは、当のクロ自身の方だった。

 

 並の相手だったら、勝負はそこで決まっていたかもしれないが、バゼット相手にはそれでも足りなかったのだ。

 

「クロッ!!」

 

 叫ぶイリヤ。

 

 だが、その声に反応するようにバゼットが動いた。

 

「次は、あなただ」

 

 距離を詰めに掛かるバゼット。

 

 だが、その前に今度は美遊が立ちはだかった。

 

「やらせないッ」

 

 魔力を込めて、サファイアを振りぬく美遊。

 

 奔流と化した魔力が、バゼットへ一気に襲い掛かる。

 

 だが、

 

 腕を交差させて防御の姿勢を取りなあらも、バゼットは動きを止める事無く突っ込んで来た。

 

 振るわれる拳。

 

 対して、

 

「速いッ でもッ!!」

 

 言い放つと同時に、空中に足場を作って跳び上がる美遊。

 

 そこへ、

 

「ミユッ 合わせて!!」

「イリヤ!!」

 

 2人の魔法少女は頷きあい、同時にステッキを振り被る。

 

砲射(フォイア)!!」

砲射(シュート)!!」

 

 放たれる魔力の十字砲火。

 

 逃れる術はない。

 

 筈だった。

 

 だが次の瞬間、自分のすぐ脇に人の気配が躍り、美遊はとっさに振り返る。

 

 その視線の先には、既に攻撃態勢に入っているバゼットの姿がある。

 

 防御は、間に合わない。

 

 次の瞬間、バゼットの放った拳が、美遊を真っ向から直撃した。

 

「ああッ!?」

 

 文字通り「撃墜」される美遊。

 

 その小さな体は、容赦なく地面に叩きつけられた。

 

「ミユッ そんな!!」

 

 愕然とするイリヤ。

 

 クロに続いて、美遊までやられてしまうとは、思っても見なかったのだ。

 

 そこへ、バゼットが襲い掛かってくる。

 

「遅い」

 

 囁かれる、死神の声。

 

 対抗するように、イリヤもルビーを振り翳す。

 

 動きは、バゼットの方が早い。

 

 対してイリヤは、自身の攻撃力ではバゼットに敵わない事は、既に自覚している。

 

 それ故に、全魔力を防御に回す。

 

 展開される星形の防御障壁。

 

 しかし、それもみるみる内に亀裂が入り劣化していく。

 

 魔力の壁が、バゼットの拳撃に耐えきれずに悲鳴を上げているのが分かった。

 

「クッ これじゃあッ!?」

 

 更に魔術回路に魔力を注ぎ込み、障壁の強化を図るイリヤ。

 

 障壁は辛うじて攻撃に耐えているが、それも時間の問題だった。

 

 障壁が破られれば、無慈悲な拳がイリヤを襲う事になる。

 

《イリヤさん、このままじゃ保ちません!!》

「クッ!?」

 

 ルビーまでが悲鳴を上げる。

 

 全魔力を防御に回して尚、バゼットの攻撃を押しとどめる事は出来ない。

 

 こうしている間にも、障壁は容赦なく削られていく。

 

「まるで亀だ・・・・・・ならば!!」

 

 呟くと同時に、バゼットは手刀を作る。

 

 その手にはめられたグローブに浮かび上がるルーン文字。

 

 それは鋼鉄をも素手で打ち砕く無慈悲な一撃。

 

 放たれる手刀。

 

 それは、辛うじて保っていたイリヤの障壁を、一撃のもとに打ち砕く。

 

《破られましたッ イリヤさん!!》

 

 ルビーが悲鳴を上げる中、バゼットはトドメを刺すべく、手刀を振り上げる。

 

 その攻撃が、イリヤに向かって放たれた。

 

 その手刀が、イリヤを貫かんとした。

 

 次の瞬間、

 

 星形の障壁が、イリヤとバゼットの間に次々と出現する。

 

 その全てを打ち砕くバゼット。

 

 だが、

 

 あと一枚と言うところで、手刀は勢いを止められた。

 

 それはまさに、イリヤの鼻先。

 

 イリヤは障壁を多重展開する事で、強烈極まるバゼットの手刀を防いだのだ。

 

《何とまあ・・・・・・》

「悪あがきを!!」

 

 ルビーの感嘆と、バゼットの舌打ちが重なる。

 

 まさかこのような手段で対抗してくるとは、2人とも予想外だったようだ。

 

 だが、

 

 当のイリヤ自身はと言えば、まだ満足してるとはいいがたかった。

 

 バゼットの攻撃は防ぎとめたが、守ってばかりいては勝てない。

 

 せめて時間を稼ぐには、バゼットの動きを封じるしかない。

 

 更に攻撃態勢に入るべく、腕を振り上げるバゼット。

 

 その瞬間を、

 

 イリヤは見逃さなかった。

 

「ここだッ」

 

 狙うは一点。

 

 バゼットが振り上げた腕の、肘の部分。

 

 そこに、

 

 障壁を作り出す。

 

「何ッ!?」

 

 思わず、驚愕の声を上げるバゼット。

 

 障壁に縫い止められた腕は、ピクリとも動かない。

 

 更に、イリヤは隙を見せずに動く。

 

 障壁をもう一枚展開。バゼットのもう一方の腕も拘束する。

 

 これでバゼットは、完全に身動きが取れなくなった。

 

《障壁の任意座標への展開ッ!? ここまで精密にするなんて!?》

 

 ルビーも感嘆したように叫ぶ。

 

 本来なら防御に使うべき障壁を攻撃に使うなど、誰が思いつくだろうか?

 

 まさに、イリヤの想像力があればこそ、成せる絶技だった。

 

「弱くたって、出力が足りなくたって、戦いようはある!!」

 

 トドメを刺すべく、ルビーを振り翳すイリヤ。

 

収束砲射(フォイア)!!」

 

 必殺の気合を込めて、威力を高めた魔力砲がバゼットに放たれる。

 

 矢の如く突き進む魔力砲撃。

 

 対して、身動きが取れずに立ち尽くしているバゼット。

 

 今度こそ決まった。

 

 そう思った。

 

 次の瞬間、

 

 強烈な破砕音と共に、バゼットの腕を拘束していた障壁が粉砕された。

 

 目を見開くイリヤ。

 

 何とバゼットは、魔力の障壁を力技で粉砕。拘束から脱出してしまったのだ。

 

 同時に、体を捻ってイリヤの魔力砲を回避するバゼット。

 

 必殺の魔力砲は、僅かに彼女のジャケットをかすめていくにとどまった。

 

「避けたッ!? あの状態から!?」

「拘束が二重だったら、貴女の勝ちでした」

 

 驚愕するイリヤに対し、冷静に返しながら再び接近を図るバゼット。

 

 対して、イリヤも慌てて体勢を立て直そうとする。

 

「なら、もう一回拘束して!!」

 

 バゼットの間合いには、まだ少しある。その前にもう一度拘束すれば、イリヤの優離は動かないはず。

 

 だが、

 

 バゼットは、自分の足元の芝生に指を突き入れる。

 

 次の瞬間、

 

 地面そのものを、抉るように持ち上げてしまった。

 

 ちょうど、畳返しを地面を相手にやったような感じである。

 

「ちょッ!?」

 

 これには驚くな、と言う方が無理である。どこの世界に、地面を持ち上げる人間がいると言うのか?

 

 次の瞬間、

 

 バゼットは持ち上げた地面を貫くようにして、イリヤの胴へと拳を叩き込んだ。

 

 悲鳴を上げる事も出来ずに吹き飛ぶイリヤ。

 

 そのまま魔法少女(カレイドルビー)は、背中から地面に叩きつけられるのだった。

 

《イリヤさん!!》

 

 ルビーが悲鳴を上げる中、イリヤは激痛の為に身を起こす事も出来ないでいた。

 

 バゼットの渾身の一撃をもろに食らった形である。障害物越しだったとは言え、耐えられるものではなかった。

 

 そこへ、ゆっくりと歩み寄るバゼット。

 

 その手がイリヤの太ももに伸び、そこに装着されていたカードホルダーを掴み取った。

 

「あッ!?」

 

 そのまま持ち上げられるイリヤ。

 

「やはり、貴女もカードを持っていたようですね」

 

 そのまま「槍兵(ランサー)」のカードを奪い取るバゼット。

 

「これで、5枚」

 

 呟いた。

 

 次の瞬間だった。

 

 バゼットの背後に踊る、小さな影。

 

 手にしたステッキを、躊躇う事無く振るう。

 

「クッ またか!?」

 

 とっさに防御の姿勢を取るバゼット。

 

 その視線の先には、

 

 荒い息のまま立つ、美遊の姿があった。

 

 バゼットの一撃を受けて気を失っていた美遊だが、イリヤの危機に目を覚まして再び立ち上がったのだ。

 

「これ以上は・・・・・・やらせない」

 

 言い放つと同時に、美遊はカードホルダーから「騎兵(ライダー)」のカードを取り出す。

 

《美遊様、それはッ》

 

 事態を察したサファイアが声を上げる。

 

 しかし、それを無視して、美遊は魔術回路に魔力を通した。

 

夢幻召喚(インストール)!!」

 

 叫ぶ美遊。

 

 とっさに防御の姿勢を取るバゼット。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 その時だった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 強烈な衝撃が周囲一帯を薙ぎ払った。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 バゼットが、

 

 イリヤが、

 

 振り仰ぐ先、

 

 そこには果たして、

 

 白き翼を雄々しく広げた、勇壮な白馬の姿がある。

 

 そして、その手綱を引きし少女は、露出の高い衣装に、双眸を眼帯で覆っている。

 

 かつて、響とイリヤが最初に戦った敵と同様の恰好をした少女がそこにいた。

 

「クラスカード『騎兵《ライダー》。夢幻召喚(インストール)完了』

 

 低い声で告げる美遊。

 

 「騎兵(ライダー)」メデューサ。

 

 かつてギリシャ神話に謳われしゴルゴン三姉妹の末妹にして、目にしたもの全てを石に変える恐ろしい怪物。

 

 正確に言えば英雄ではなく、反英雄に相当する。

 

 反英雄とは、その存在は悪と認定されながらも、結果的に多くの人間を救った存在に贈られる称号である。

 

 聖杯は、クラスに合致すれば反英雄であっても召喚の対象とするのだ。

 

 美遊の眼帯越しに、バゼットを睨みつける。

 

「これ以上はやらせない・・・・・・みんなは、わたしが守る!!」

 

 言い放つと同時に、

 

 美遊は突撃を開始した。

 

 

 

 

 

第17話「女狂戦士」      終わり

 



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第18話「斬り抉る戦神の剣」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 強烈な振動が、地下にまで伝わって来た。

 

 コンクリートで固められた壁や天井が軋み、今にも崩れ落ちそうになる。

 

「なに、この揺れ!?」

 

 凛は思わず天井を仰ぎうめき声をあげる。

 

 まるで大地震にでも遭遇したような衝撃と振動。

 

 明らかに普通の状況ではないのが分かった。

 

「バゼットッ!?」

「いえ・・・・・・・・・」

 

 凛の呟きに、ルヴィアは否定的に首を振る。

 

 バゼットの力は規格外だが、彼女は不必要な破壊行動はしないはず。自分たちを仕留め、目的に物を手に入れたなら、すぐに撤収するはず。

 

 何より、衝撃は一回ではなく、断続的に起こっている。

 

 つまり、これらから推察されることは、

 

「この感じ・・・・・・応戦している? だとしたらこれは・・・・・・」

「まさか・・・・・・・・・・・・」

 

 ルヴィアが言わんとしている事を察し、凛も絶句する。

 

 バゼット相手に戦いを挑む相手がいるとしたら、その存在は限られる。

 

 すなわち、異変を感知した子供達、

 

 イリヤ、美遊、クロ、響のうちのいずれか、あるいは全員がバゼットと遭遇し、戦闘状態に突入した可能性がある。と言う事だった。

 

「クッ」

 

 立ち上がろうとして、膝をつくルヴィア。

 

 バゼットとの戦闘のダメージが残るルヴィアは、未だに立ち上がる事すら困難な状態だった。

 

「先にお行きなさいッ 遠坂凛!!」

「ルヴィア!!」

 

 ルヴィアにも判っている。今の自分では足手まといにしかならないと言う事が。

 

 だが凛ならば、

 

 ルヴィアにとっていささか業腹ながら、身動きが取れる凛ならば、あるいは反撃の一手を打てる可能性が残されていた。

 

 頷く凛。

 

 そのまま踵を返して駆けだす。

 

 その胸の内には、焦燥が駆け抜けていた。

 

 上で戦っているのはイリヤか? 美遊か? クロか? 響か?

 

 いずれにしても、今回は相手が悪すぎる。

 

 彼女たちの事だから、カードを使用し、宝具を使えば状況を逆転できると単純に考えている可能性がある。

 

 だが今回の戦いでは、もし宝具を使えば、その瞬間「使用者の死」は確定する事になる。

 

 それだけは、何としても避けなくてはならない。

 

 募る思いを胸に、凛は地下通路を駆け抜けた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 互いに地を蹴る、響と優離。

 

 接近。

 

 同時に互いの刃を振り翳した。

 

 突き込まれる槍の穂先。

 

 その神速の一撃を、

 

 旋風の如き白刃が切り払った。

 

「ッ!?」

 

 息を呑んだのは優離。

 

 決して、手加減していない。渾身の突き込みだった。

 

 だが、その一撃を、響は見事に切り払って見せたのだ。

 

 更に、

 

 響は素早く刀を返し、横薙ぎに斬りかかる。

 

 その動きに、優離は対応が追い付かない。

 

 とっさにのけぞるように回避を図る。

 

 鼻先を霞める白刃。

 

「・・・・・・・・・・・・」

「フッ」

 

 まっすぐに睨みつける響に、口元に笑みを浮かべる優離。

 

 自分の動きに追随してきている響。

 

 その事実に高揚感を感じている。

 

 槍を構えなおす優離。

 

 同時に、響が斬りかかって来た。

 

 浅葱色の羽織を靡かせ、銀の刃が陽光に煌めく。

 

 ぶつかり合う刃と刃。

 

 異音と共に、両者弾かれる。

 

 だが、

 

 互いに踏み止まる。

 

 槍を引き、再び繰り出す優離。

 

 刃を返し迎え撃つ響。

 

 流星雨の如き連続突きと、疾風の如き刃がぶつかり合う。

 

 直視すら困難な程の互いの攻防。

 

 優離は響の一瞬の隙を突き、槍を繰り出す。

 

 向かってくる銀の穂先。

 

 その一閃に対し、

 

 響は大きく跳躍。空中で宙返りしながら、優離の後方へと降り立つ。

 

 鋭く光る、少年の眼差し。

 

 その眼光と共に、刃が逆袈裟に繰り出される。

 

 駆け上がる刃。

 

 対して、

 

 優離は素早く槍を返して防いだ。

 

「クッ!?」

「フッ」

 

 歯噛みする響と、笑みを浮かべる優離。

 

 響の速攻に対し、優離は完璧に対応して見せたのだ。

 

 しかし、

 

 状況は以前と比べても、劇的に変化している。

 

 響は完璧と言って良いほどに優離と互角の戦いを演じて見せている。最強の英霊とぶつかり合い、力負けしていなかった。

 

 その時、

 

 強烈な衝撃波が、2人に襲い掛かった。

 

 思わず、互いに手を止めて振り返る。

 

 その両者の視線の先。

 

 純白の羽根を大きく広げた純白の天馬(ペガサス)

 

 その背に乗り、手綱を引く美遊の姿。

 

「・・・・・・・・・・・・ほう」

 

 その姿を見て、優離は感心したように呟いた。

 

「あれは・・・・・・ライダーか。大したもんだ」

「これで、勝負あった」

 

 響は感心したように呟く。

 

 バゼットの破格さは、実際に戦った響自身も自覚している。

 

 しかし、宝具を解放した英霊に敵うとは思えない。

 

 これで勝った。

 

 響はそう確信していた。

 

 しかし、

 

「果たして、どうかな?」

「・・・・・・どういう意味?」

 

 意味深に呟かれた優離の言葉。

 

 その様子に、響の胸にはかすかな不吉の予感がよぎった。

 

 

 

 

 

 強烈な突進力。

 

 圧倒的な衝撃が襲い掛かる。

 

 その様たるや、あのバゼットが、防御の姿勢を取って尚、防ぎきれなかったくらいである。

 

「グッ!?」

 

 この戦いが始まって以来、初となる苦痛の声を発した。

 

 吹き飛ばされ、地面に弾き飛ばされるバゼット。

 

 それでもどうにか体勢を立て直し、眦を上げる。

 

 対して、

 

 天馬の翼を雄々しく広げて飛翔する美遊。

 

 クラスカード「騎兵(ライダー)」メデューサ。

 

 その圧倒的な戦闘力は、他の英霊同様に想像を絶していると言って良い。

 

 もし、初戦の段階でイリヤや響相手に宝具を解放されていたら、あの時点で響達の命運は終わっていたかもしれない。

 

 再び突撃する美遊。

 

 天馬は殆ど閃光の如き勢いで突進する。

 

 対して、バゼットも、今度は事前に予測しており、大きく後退する事で回避する。

 

 深くえぐられる地面。

 

「・・・・・・仮説はありました」

 

 ジャケットを脱ぎ捨てながら、バゼットが語る。

 

「礼装を媒介として英霊の力の一端を召喚できると判明した時、人間自身をも媒介にできるのではないか、と。しかしカードに施された魔術構造は極めて特殊で複雑。協会はいまだに解析には至っていない。それを、いともたやすく行うとは」

 

 バゼットにも判っていた。

 

 事この段に至った以上、自分もまた本気で掛からないと勝機は無いと言う事が。

 

 対して、美遊もまた勝負を決する構えを見せる。

 

「わたしは、貴女を許さない」

 

 突然現れ、美遊の大切な物を壊しつくしたバゼット。

 

 そんな彼女を許す事が、美遊には絶対にできなかった。

 

「ここで、倒すッ」

 

 言い放つと同時に、

 

 美遊は両目を覆う眼帯を取り払った。

 

 自己封印・暗黒神殿(ブレーカーゴルゴーン)という名のこの眼帯は、自らの内に作用する対人宝具である。

 

 その能力を駆使して、強力なもう一つの能力を封じている。

 

 その封印が、

 

 今、解かれた。

 

 同時に、

 

 美遊の双眸に睨みつけられたバゼットは、自身の体が一気に硬化していくのを感じた。

 

「これは・・・・・・魔眼!?」

 

 魔女メデューサが、見る者を石化させる伝説はあまりにも有名である。どうやら、この魔眼は、その伝説を再現した物であるらしい。

 

 普段は事故封印・暗黒神殿(ブレーカーゴルゴーン)によって封印されている石化の魔眼(キュベレイ)は、宝石級の威力を発揮する。

 

 いかにバゼットと言えども、対抗は不可能だった。

 

 そして、

 

 美遊は勝負をかける。

 

 手にした手綱に魔力を込め、天馬の力を最大限に開放する。

 

 これこそが「騎兵(ライダー)」メデューサの最大の宝具。

 

騎英の(ベルレ)・・・・・・手綱(フォーン)!!」

 

 突撃を開始する美遊。

 

《いけません美遊様ッ 彼女相手に宝具を使っては!!》

 

 サファイアが警告するのも無視して、バゼットに襲い掛かる美遊。

 

 対して、

 

 バゼットの鋭い視線が、突進してくる天馬を睨みつけていた。

 

 彼女は、

 

 この瞬間を待っていたのだ。

 

 敵が切り札を使い、勝負に出てくる瞬間を。

 

 バゼットが荷物として持ち込んだ、細長い筒。

 

 模造紙等を丸めて持ち運ぶ筒に似たそれが、高まるバゼットの魔力に呼応して振動する。

 

 蓋が開く。

 

 出現した大きな球体を、バゼットは拳で受け止め、強く引き絞る。

 

 同時に、球体から刃が出現した。

 

 バゼットは強い。

 

 素手で英霊を屠り、圧倒的に不利な状況でも怯むことを知らない。

 

 だが、

 

 その全てが、バゼットにとっては余技に過ぎないのだ。

 

 全ては、この一撃を放つ為の布石に過ぎない。

 

後より出でて先に断つもの(ア ン サ ラ ー)・・・・・・」

 

 低く囁かれる詠唱。

 

 その間にも、美遊が近づいてくる。

 

 その衝撃はたるや、大地を砕く勢いである。

 

 だが、その状況ですら、バゼットがひるむ事は無い。両眼は真っ直ぐに美遊を見定めている。

 

 そして、

 

斬り抉る戦神の剣(フラガラック)!!」

 

 閃光が、

 

 天馬を貫いた。

 

 と、同時に全てが制止する。

 

 天馬の動きも、突進の衝撃も、美遊自身も。

 

 まるで、「攻撃その物が無かった」かのように、美遊は動きを止めていた。

 

 次の瞬間、

 

 動きを止めた美遊にバゼットが接近。渾身の力で殴り飛ばした。

 

「ミユ!!」

 

 イリヤが悲鳴を上げる中、地面に転がる美遊。

 

 同時に夢幻召喚(インストール)も解除され、元の魔法少女(カレイドサファイア)姿に戻る。

 

 いったい、何があったのか?

 

 そこにいた者は全員、全くと言って良いほど状況を理解できなかった。

 

 それはケルトの光神ルーより伝わりし剣。

 

 逆光剣 斬り抉る戦神の剣(フラガラック)

 

 相手の切り札に応じて発動するカウンター攻撃。

 

 敵の攻撃より後に発動しながら、時間をさかのぼり敵の攻撃を「無かった」事にした上で、自らの攻撃を先に発動し、相手の心臓を抉る因果逆転の魔剣。

 

 フラガが伝承し、現代において尚、現実に使用されている数少ない宝具。

 

 まさに宝具(エース)を殺す宝具(ジョーカー)である。

 

 通常戦闘ではバゼットに敵わず、切り札を使えば確実に負ける。

 

 この戦いは、初めから詰んでいたのだ。

 

《あ、危ないところでした。使用者自らが振るうタイプの宝具だったら、心臓をえぐられていたのは美遊様のほうでした!!》

「クッ・・・・・・・・・・・・」

 

 主の危機に焦った声を上げるサファイア。普段冷静な彼女も、今回ばかりは肝を冷やしたと言ったところだろう。

 

 対して、美遊は起き上がる事も出来ずにいる。バゼットの攻撃によるダメージが、体に響いているのだ。

 

 だが、

 

「ミユ、後ろ!!」

「ッ!?」

 

 クロの警告に、ハッと顔を上げる美遊。

 

 次の瞬間、

 

 バゼットが美遊の足首を掴まえる。

 

 見ていたイリヤが助けに入る間もなく、頭上高く振り上げられる美遊の体。

 

 バゼットは少女の体を、まるでその辺の棒きれのように振り回し、思いっきり地面に叩きつけた。

 

 地面が割れるほどの衝撃。

 

 その一撃によって、美遊の意識は一瞬にして刈り取られた。

 

 沈む美遊。

 

 次の瞬間。

 

 浅葱色の旋風が、バゼットに襲い掛かった。

 

「ッ!?」

 

 とっさに回避するバゼット。

 

 その頬を、僅かに刃が霞めていく。

 

 眦を上げる。

 

 その視線の先には、刀を横なぎに振り抜いた響の姿があった。

 

「次は、あなたか」

「よくも・・・・・・・・・・・・」

 

 響の視線は、倒れている少女たちに向けられる。

 

 イリヤ、クロ、美遊。

 

 彼女たちの力をもってしても、この女魔術師を倒す事は出来なかったのだ。

 

 その時、

 

「俺を忘れていないか?」

 

 低く囁かれる声。

 

 突き込まれた槍の穂先を、響はとっさに飛びのくことで回避する。

 

 振り返る先には、槍を構えた優離の姿がある。

 

 イリヤ達のピンチに、とっさに割って入った響だが、まだ優離との戦闘は継続中である。

 

「・・・・・・・・・・・・」

 

 状況は、正に最悪である。

 

 最強の英霊を宿した優離に加えて、バゼット自身、狂戦士(バーサーカー)と言って良い戦いぶりを示している。

 

 殆ど、英霊2騎を相手にするに等しかった。

 

 だが、

 

「やるしか、無い!!」

 

 言い放つと同時に、響は地を蹴った。

 

 長い髪を靡かせて斬りかかる響。

 

 狙ったのはバゼット。

 

 接近と同時に刀を横なぎに振るう。

 

 その一撃を、

 

 拳で受け止めるバゼット。

 

「・・・・・・速いし、重い・・・・・・だがッ」

 

 腕を薙ぎ、響の体を薙ぎ払う。

 

「対処できないほどではない」

 

 とっさに後ろに飛び、衝撃を逃がす響。

 

 だが、

 

 着地と同時に、神速の突きが襲い掛かってくる。

 

 優離だ。

 

 バゼットと連携して響を追い詰める腹積もりである。

 

「クッ!?」

 

 着地直後で身動きが取れない響は、無理な態勢で優離の攻撃を受けざるを得なかった。

 

 それでも、

 

「まだッ!!」

 

 弾き飛ばされそうになる体を強引に戻し、優離に斬りかかる響。

 

 態勢を崩しながらの攻撃である為、剣速を上げる事ができない。

 

 優離の槍の柄によって、あっさりと弾かれる響の斬撃。

 

 ぶつかり合ったまま、暫し膠着する両者。

 

 だが、

 

「ハァッ!」

 

 そのまま優離は膂力に任せ、槍を思いっきり降りぬくことで響の小さな体を持ち上げる。

 

 宙に浮く、響の体。

 

 その姿は、空中で錐揉みする。

 

「ッ!?」

 

 それでもどうにか体勢を立て直そうともがく響。

 

 だが、

 

「こっちですよ」

 

 不吉な声と共に、振り返る響。

 

 そこには拳を振り上げるバゼットの姿がある。

 

「んッ!?」

 

 打ち出される拳。

 

 空中で身動きが取れない響には、回避の手段が無い。

 

 直撃。

 

 そのまま響は、地面に叩きつけられた。

 

 轟音と共に、地面が割れるほどの衝撃が襲う。

 

 もうもうと立ち込める煙。

 

 地面には巨大なクレーターが出来上がっている。

 

「仕留めたか?」

「恐らく」

 

 クレーターの縁から中を見下ろす、バゼットと優離。

 

 やがて煙も晴れ、視界が開ける。

 

 2人の視線の先。

 

 クレーターの真ん中で、刀を杖にして尚も立ち上がろうとしている少年の姿があった。

 

「・・・・・・・・・・・・」

 

 立ち上がったとは言え、ダメージは大きい。

 

 バゼットと優離。

 

 2人を相手にするのは、やはり厳しいと言わざるを得ない。

 

 だが、それでも・・・・・・・・・・・・

 

 響は再び立ち上がる。

 

 みんなを、守らなくては。

 

 その想いが、少年を前へと進ませる。

 

 それぞれの戦闘態勢を取る、優離とバゼット。

 

 その時だった。

 

 ザッ

 

 ザッ

 

 鳴り響く、2つの足音。

 

 イリヤ、

 

 そしてクロ。

 

 2人の少女たちが、優離とバゼットを挟み込むようにして立ち上がっていた。

 

「これ以上は、やらせないッ」

「出来の悪い弟が頑張ってるんだから、お姉ちゃんとしては、寝てる場合じゃないわね」

 

 既に、全員がボロボロ。戦うどころか、立っている事すら難しい状態である。

 

 しかし、

 

 それでも、

 

 守るべきものの為に、子供たちは再び立ち上がって見せた。

 

 構える、バゼットと優離。

 

 子供たちは自分たちの大切な物の為に戦っている。

 

 ならば、自分たちもまた、それを受けて立たねばならない。

 

 次の瞬間、

 

 一同は一斉に動く。

 

 最後の激突が、始まった。

 

 

 

 

 

第18話「斬り抉る戦神の剣」

 



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第19話「決着」

 

 

 

 

 

 

 

 

 駆け抜ける両陣営。

 

 五つの影が鋭く交錯する。

 

 これが、最後の激突である。

 

 イリヤ、クロ、響の姉弟たちは、既に疲労とダメージでボロボロの状態。これ以上の戦闘継続は、命にもかかわる。

 

 一方、バゼットと優離は、未だに余裕を残している。経験の差と言うべきか、多少の消耗はあるものの、圧倒的有利は動かなかった。

 

 基本的な戦闘構図は、響達の側が攻め手に回る形になっている。

 

 守ったら負ける。

 

 それは、響、イリヤ、クロ、3人が共通する認識だった。

 

 低い姿勢で両手の双剣を構え、斬りかかるクロ。

 

 その前に立ちはだかったのは、最強の英霊。

 

 優離は接近してくるクロに対し、槍を構えて迎え撃つ。

 

「あら、選手交代ってわけ?」

「不満か?」

 

 両者、軽口を交えながら、互いに刃を繰り出す。

 

 黒白の双剣が風を巻き、神速の槍が唸る。

 

「退屈させないでよ!!」

 

 言い放ちながら優離の槍を回避するクロ。

 

 同時に体を独楽のように回転させながら、勢いを付けて干将・莫邪を横なぎに振るう。

 

 鋭い二連撃。

 

 だが、

 

 ガキッ

 

 ありえない音に、思わずクロも苦笑する。

 

 クロが繰り出した剣は、優離の右腕によって受け止められていた。

 

 ここまでの響の苦戦ぶりから考えて予想していた事だが、どうやら本当に、並の攻撃では通じないらしい。

 

「伝説の通りって訳ね・・・・・・・・・・・・」

 

 伝説によれば、女神である母テティスがステュクスの川に浸したため、アキレウスは不死身の体を手に入れたと言う。

 

 どうやら、英霊となっても、その伝説は健在であるらしい。

 

 勇者の不凋落(アンドレアス・アマラントス)

 

 この対人宝具を無効化しない限り、優離にダメージを与える事は難しいと言わざるを得ない。

 

「伝説通りなら、弱点もそのままなんでしょうけどね・・・・・・」

「試してみるか?」

 

 呟くクロに、挑発的に返す優離。

 

 やれるものならやってみろ、という自信が見て取れる。

 

 クロも分かっている。ギリシャ最速の英霊を相手に、ほんの僅か一点の弱点を突くことは不可能に近い事を。

 

「ま、やるだけやってみるわ」

 

 そう言うと、再び干将・莫邪を構え、優離に斬りかかって行った。

 

 

 

 

 

 一方、響とイリヤもまた、バゼットとの交戦状態に入っていた。

 

 刀を構え、駆け抜ける響。

 

 イリヤはその後方から魔力弾を放ち援護する。

 

 前衛が響、後衛がイリヤ。

 

 イリヤの攻撃でバゼットの気を逸らし、響がトドメを刺すと言う作戦である。

 

 一見すると手堅い作戦のように見える。

 

 しかし、2人にはもはや、それしか手が無いのが現状だった。

 

「響ッ」

「ん!!」

 

 イリヤの魔力砲に対し、バゼットが防御の姿勢を取った。

 

 そこへ、響が刀を構えて斬りかかる。

 

 真っ向から振り下ろされる刀。

 

 その一撃を、バゼットは拳を振るって打ち払う。

 

「やはり、ダメージは隠しきれないようですね」

 

 体勢を崩す響。

 

 言いながら、バゼットは響に向けて拳を振り上げる。

 

「動きも、攻撃の重さも、先程に比べて精彩を欠いています」

「だから・・・・・・何?」

 

 苦し気に息を吐きながらも、響はバゼットの放つ拳撃を辛うじて切り払う。

 

 もはや戦う力はほとんど残っていない。

 

 そんな事は、響自身がよくわかっている。

 

 しかしそれでも、

 

「やる事は、変わらない!!」

 

 渾身の力で斬りかかる響。

 

 その攻撃を受け止めるバゼット。

 

 イリヤを、

 

 クロを、

 

 美遊を、

 

 全ての力を持って、皆を守る。

 

 響の念頭には、それしか無かった。

 

 その時、

 

「ヒビキ、下がって!!」

 

 声に応じて交代する響。

 

 そこへ、

 

斬撃(シュナイデン)!!」

 

 放たれる魔力斬撃。

 

 必殺のタイミングで放たれた斬撃は、

 

 しかしバゼットがとっさに後退して回避したため、女魔術師を捉えるには至らなかった。

 

「やっぱり駄目か・・・・・・」

「ん・・・・・・・・・・・・」

 

 滲む汗をぬぐい、荒い呼吸を繰り返すイリヤと響の姉弟。

 

 2人とも、もう分っている。

 

 純粋な実力では、2人掛かりでもバゼットには勝てない。

 

 だが、

 

 勝機はある。

 

 イリヤはそう確信していた。

 

 それは、美遊がバゼットと戦っている時、チラッと見た光景。

 

 バゼットの首筋に着いていた物。あれは確かに血だった。

 

 バゼットの血ではない。彼女は首筋に傷は負っていないはず。

 

 返り血、という線も薄い。その証拠に、バゼットの髪には一切、血が付いていなかった。

 

 ならば?

 

 希望的観測に過ぎないかもしれない。

 

 だが、たとえ一縷であったとしても、賭けるだけの価値がある「勝機」だった。

 

「ヒビキ」

「ん・・・・・・イリヤの思うとおりにやって良い。合わせる」

 

 声を掛ける姉に、頷きを返す響。

 

 多くは語らずとも、その想いは伝わってくる。

 

 刀を構える響。

 

 イリヤの為ならば、いくらでも力を貸す。

 

 それは響にとって、ある種の誓いと言っても良い、堅固な思いだった。

 

 次の瞬間、

 

 響は動いた。

 

 バゼットを中心に、イリヤと挟撃する構えを見せる。

 

 対して、

 

「最後の悪あがきですか。ならばッ」

 

 言い放つとバゼットは、渾身の力で両腕を足元の地面に叩きつける。

 

 轟音と共に割れる大地。

 

 つくづく、彼女が規格外である事がうかがえる。

 

 その一撃で、動きを止める響とイリヤ。

 

 だが、もう1人。

 

 そこに生じた、最後の反撃のチャンスを、見逃さなかった者がいる。

 

 クロだ。

 

「悪いけど、あんたの相手をしてる場合じゃないのよ!!」

 

 言い放つと、繰り出された槍を双剣で強引に弾き、無理やりブレイクポイントを作り出す。

 

 優離が僅かに後退した隙を突き、一気に離脱するクロ。

 

 同時にその両手に出現する、三対六本の干将・莫邪。

 

 それらを、一気に投擲する。

 

 回転しながら飛翔する、6本の剣。

 

 同時に、響とイリヤも仕掛ける。

 

「ん、これでッ!!」

砲射(フォイア)!!」

 

 刀を構えて斬り込む響。同時にイリヤも、魔力砲弾を放つ。

 

 対して、

 

 バゼットは冷静に状況を見極めていた。

 

 恐らく、これが最後の攻撃だと言う事は判っている。

 

「悪あがきも、ここまでです!!」

 

 言い放つと同時に、

 

 強烈な拳の連撃が、縦横に奔る。

 

 粉砕される、干将・莫邪。

 

 同時に、斬りかかろうとしていたクロも、殴り飛ばされる。

 

 更に、バゼットは斬りかかって来た響の腕を真っ向から掴み取り、そのまま背負い投げの要領で地面に叩きつける。

 

 瞬く間に、響とクロの2人を無力化したバゼット。

 

 最後に、飛んでくる魔力弾に向けて、足を振りぬく。

 

 俊足の蹴りがさく裂し、魔力弾は一瞬にして消滅する。

 

 最後の賭けとして行った、3人同時攻撃。

 

 しかしそれでも尚、バゼットを倒すには至らなかった。

 

「・・・・・・・・・・・・終わりです」

 

 低く呟くバゼット。

 

 次の瞬間、

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「まだだよ」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 凛とした叫びが響く。

 

 ハッとして、振り返るバゼット。

 

 果たしてそこには、

 

 身を低くして、ステッキを振り上げる魔法少女(カレイドルビー)の姿がある。

 

 まさに、勝利の確信が生んだ一瞬の隙。

 

 イリヤは己の放った魔力弾と並走して、バゼットに接近していたのだ。

 

 振るうステッキ。

 

 狙うは一点。

 

 バゼットの左ポケット。

 

 そこに収められた一枚のカードこそが、イリヤにとっては唯一にして最大の勝機。

 

 響が、

 

 クロが、

 

 姉弟たちが命がけで作ってくれた勝機。

 

 逃す事は出来なかった。

 

 ステッキ(ルビー)の先端が、バゼットの足に触れる。

 

 次の瞬間、

 

限定展開(インクルード)!!」

 

 詠唱。

 

 それと同時に、バゼットも動く。

 

 イリヤの行動は、彼女にとっても完全に予想外だった。

 

 何を限定展開(インクルード)したのかは知らない。

 

 しかし、発動前に潰してしまえば同じことだった。

 

 振り下ろされる拳が、イリヤの頭部を捉える。

 

 地面に沈むイリヤ。

 

 やはり、駄目だったか?

 

 そう思った次の瞬間、

 

「い・・・・・・・・・・・・」

 

 突如、イリヤの姿が崩れる。

 

 バゼットが驚く中、少女の姿がはじけ飛ぶ。

 

 その中から出てきたのは、

 

《ッたいですねぇッ もう!!》

 

 ルビーだった。

 

 囮である。

 

 イリヤが限定展開(インクルード)した物。

 

 それは「暗殺者(アサシン)」のカード。

 

 ハサン・サッバーハ。

 

 イスラム教の伝承にある暗殺教団の教祖の名。

 

 通称「山の翁」と呼ばれ、暗殺者の語源とも言われる存在である。

 

 ハサンの名はそれぞれ、特殊な力を体得した達人たちに贈られる称号でもあり、召喚される存在によって、使える技も異なる。

 

 イリヤが召喚したのは、「百貌のハサン」と呼ばれ、その能力は、自身の分身を生み出す事にある。

 

 まさに、カード回収時に戦った暗殺者(アサシン)そのものと言えよう。

 

 そしてイリヤ本人は、

 

 バゼットの背後に回り込んでいた。

 

 その姿は、ルビーを手放したことで変身が解除され、元の姿に戻っている。

 

 しかし、

 

 今度こそ、

 

 今度こそ、

 

 策に策を重ね、

 

 技に技を積み、

 

 力に力を塗り固め、

 

 意地に意地を掛け合わせ、

 

 ついに、

 

 イリヤはバゼットに対し、絶対的な優位を確立したのだ。

 

 手を伸ばすイリヤ。

 

 狙うのは、バゼットの首筋。

 

 あと少し、

 

 あと少しで手が届く。

 

 それで、戦いを終わらせることができるはず。

 

 だと言うのに、

 

 体が、それ以上動かない。

 

 変身を解除した事で、今までのダメージが一気に襲い掛かって来たのだ。

 

 バゼットが体勢を立て直す。

 

 勝機が離れていく。

 

 せっかくここまで来たのに。

 

 みんなが必死になって、この状態を作り上げてくれたのに。

 

 あと一歩が、どうしても届かない。

 

 駄目か?

 

 そう思った。

 

 次の瞬間、

 

 突如、地面を突き抜ける形で、黒い閃光が駆け抜けた。

 

 とっさに、のけぞるように回避するバゼット。

 

 この時、

 

 地下にいたルヴィアが地上の戦況を察し、ガンドによる援護射撃を放っていたのだ。

 

 この屋敷はルヴィアの城である。たとえ地下にいようと、地上の状況を知る事は不可能ではない。

 

 ガンドとは北欧神話にある呪いの一種で、指差した人間を病に掛けると言われている。

 

 とは言え、ルヴィアや凛が使うガンドは物理的破壊力を持つレベルに達している。バゼットがとっさに回避行動を取ったのも無理からぬことである。

 

 そして、

 

 のけぞったバゼットの首筋に、伸ばしたイリヤの手のひらが届く。

 

 触れた瞬間、

 

 既に刻み込まれていた魔術が発動する条件がそろった。

 

 展開される魔法陣。

 

 迸る閃光。

 

「クッ!?」

 

 首筋から、己の肉体に何らかの魔力が流れ込んだのを察し、うめき声を発するバゼット。

 

 殆ど本能的に、イリヤから距離を取る。

 

 対して、

 

 イリヤは最早、何もできない。

 

 全ての力を出し尽くし、ただその場に座り込むのみだった。

 

「・・・・・・何をしたのです?」

「・・・・・・・・・・・・」

 

 尋ねるバゼットに対し、イリヤは無言で返す。

 

 もはや、答える気力も残っていないのだ。

 

「答えないのなら、強引に聞き出すまで!!」

 

 そう言って、イリヤに殴りかかろうとするバゼット。

 

 対して、イリヤは最早何もできない。

 

 力を使い果たし、その場から動く事すらできなのだ。

 

 迫るバゼット。

 

 死神の拳が、容赦なく振るわれる。

 

 次の瞬間、

 

 割って入った影が、イリヤを守るようにして立ちはだかり、バゼットの拳を受け止めた。

 

「イリヤは・・・・・・やらせない」

 

 美遊だ。

 

 先にバゼットの攻撃によって気を失っていた美遊が、土壇場で意識を取り戻したのだ。

 

 更に、

 

 バゼットの援護に駆け付けようとした優離に、浅葱色の影が斬りかかる。

 

「やらせない」

 

 切っ先を向けながら響は、低い声で優離に言い放つ。

 

 既に限界を超えて力を振り絞っている状態である。

 

 その時だった。

 

「チェックメイトよ、バゼット!!」

 

 その声に、

 

 一同は振り返る。

 

「凛さんッ」

「凛・・・・・・」

「り、リンさんッ!!」

「リン!!」

 

 子供たちが、一斉に声を上げる。

 

 そこには、急いで救援に駆け付けたらしい凛の姿があった。

 

「随分と、予想を超えた光景ね。まあ、何とか間に合ったようで何よりだわ」

 

 周囲の状況や、バゼット、更には優離の姿を見て、嘆息する凛。

 

 4体2だったとは言え、ほんとうによく持ちこたえてくれた物である。それどころか、凛が残したほんのわずかな布石に気付き、発動までさせるとは思いもよらなかった。

 

 まったくもって、予想外の善戦を見せてくれた。

 

 対して、バゼットは己の首筋を押さえる。

 

 今の自分の状況に、違和感を覚えずにはいられなかった。

 

「・・・・・・首筋に何らかの魔術の発動を感知。それ以降、腹部の鈍痛が止まない・・・・・・いったい、何をしたのです」

 

 問いかけるバゼットに対し、凛はニヤリと笑って見せる。

 

「『死痛の隷属』。主人(マスター)の受けた痛みを奴隷(スレイブ)にも共有させ、主人が死ねば奴隷もまた、命を落とす。あんたが今感じている痛みは、イリヤが感じている痛みってわけ」

 

 それは以前、クロ相手に使った痛覚共有の呪いである。

 

 凛は初戦でバゼットと対峙した際に、通常攻撃に混ぜて、この呪いを放っていたのだ。

 

 触媒には、以前採取したイリヤの血液を使用している。

 

 まさに、逆転の為の、最後の切り札だった。

 

「・・・・・・痛みと、死の共有と言いましたか?」

「そうよ。つまり、あなたはもう、斬り抉る戦神の剣(フラガラック)は使えない」

 

 バゼットの最大の切り札である斬り抉る戦神の剣(フラガラック)は、相手の切り札よりも後に発動し、時間をさかのぼって相手の心臓を貫く宝具である。

 

 相手の切り札をキャンセルしたうえで、自身の攻撃を当てる因果逆転の魔剣。

 

 しかし今、もし斬り抉る戦神の剣(フラガラック)をイリヤ相手に使えば、「斬り抉る戦神の剣(フラガラック)を撃つ事により、斬り抉る戦神の剣(フラガラック)を撃つ前のバゼットが死ぬ」と言う因果の葛藤が発生する。

 

 故に、斬り抉る戦神の剣(フラガラック)は完全に封じたに等しかった。

 

 と、行けばいいのだが。

 

 実のところ、これらは全部、凛のハッタリだったりする。

 

 呪いは本物だが、死は相手に伝わらないし、痛みの伝達にも上限がある。

 

 だが、ハッタリでもなんでも、子供たちが奮戦の末に作ってくれた勝機である。このままブラフで押し通すしかなかった。

 

「・・・・・・・・・・・・50点ですね」

「なッ!?」

 

 バゼットの言葉に、凛は思わず絶句する。

 

「なるほど、これでフラガは封じられたかもしれませんが、所詮はそれだけの事。死なない程度に殴れば良いし、その気になれば自分の痛覚はいくらでも無視できます」

 

 斬り抉る戦神の剣(フラガラック)は確かにバゼットの切り札だが、所詮は戦いにおける一要因に過ぎない。

 

 斬り抉る戦神の剣(フラガラック)無しでも勝つ方法なら、いくらでもあった。

 

「ああ、そう」

 

 呆れ気味に答える凛。

 

 ある意味、予想通りの答えだった。

 

 だからこそ、

 

 切り札はもう一枚、用意していた。

 

「なら、加点をお願いするわ!!」

 

 言い放つと同時に、見せつける羊皮紙。

 

 そこには何か、いびつな形をした模様が描かれている。

 

 まるで無数の頭を持つ蛇がうねる様に似たその模様が何を意味するのか、一目見て理解できた人間は皆無だった。

 

「・・・・・・それは?」

「この街の地脈図。以前、地脈の正常化を行ってね。その経過観察の為に撮ったレントゲン写真みたいなものよ」

 

 それはここに来る前に、凛が行った調査結果だった。

 

 凛はこれを最後の切り札としたのである。

 

 ここには、バゼットならば決して無視できないであろう物が写されているのだ。

 

「問題は左下の方。地脈の収縮点に、何か正方形の形をしたものがあるでしょ」

「確かに・・・・・・・・・・・・」

 

 ちょうど地脈が細くなるポイントがある。そこには凛が言った通り、四角い白い物体が描かれていた。

 

 ちょうど、レントゲン写真に異物が映り込むようなイメージであろうか。

 

「正確には正方形ではなくて立方体。虚数域から魔力吸収を行っている」

「まさか・・・・・・・・・・・・」

 

 凛の言わんとしている事を察し、唸るバゼット。

 

 対して、凛は会心の笑みを浮かべる。

 

 食いついた。そう確信したのだ。

 

「そう・・・・・・8枚目のカードよ」

 

 まさか、

 

 そんな、

 

 誰もが驚愕する。

 

 鏡面界の反応は、事前調査で7つだったはず。

 

 それ故にカードも7枚だと思い込んでいた。

 

「8枚目?」

「地脈の本幹のど真ん中。協会も探知できなかったんでしょうね。カードの正確な場所を知っているのはわたしだけ。地脈を探る事あできるのは、冬木の管理者たる遠坂の者だけよ」

 

 つまり、凛を傷つければ、8枚の目のカードを探す事は出来ない。勿論、彼女の仲間たちについても同様だ。

 

 バゼットの任務が「カードの回収」である以上、8枚目のカードを無視する事は出来ない。

 

「・・・・・・・・・・・・良いでしょう」

 

 ややあって、バゼットは頷いた。

 

 頷くしか、彼女にはなかった。

 

 その様子に、ホッと息をつく凛。

 

 綱渡りのような交渉だったが、どうにか「和睦」に持ち込むことに成功したようだ。

 

 とは言え、

 

 こちらの前線要員は、全員がボロボロ。万が一、バゼットが戦闘継続を決断していたら、今度こそ一巻の終わりだった。

 

 事を「戦闘」のみで判断したら、紛れもない惨敗。交渉で、辛うじて五分に戻した感じだった。

 

「で、そっちのあんたはどうするの?」

 

 そう言って凛が視線を向けた先には、未だに英霊の姿をした優離がいた。

 

 どうやら成り行きを見守っていたらしいが、バゼットとの交渉が完了した以上、今度はこっちの番だった。

 

 言うまでも無い事だが、バゼットに使ったハッタリは優離には通用しない。

 

 もし優離が向かってくるなら、もう一戦有り得るわけだ。

 

 身構える一同。

 

 そんな彼らを前にして、

 

「そうだな・・・・・・・・・・・・」

 

 低い声で呟く優離。

 

 一同が視線を集中させる。

 

 そして、

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「どうやら、それを決めるのは、俺じゃないようだ」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 呟いた瞬間、

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「よくやってくれた、優離」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 何の前触れもなく、

 

 それは出現した。

 

 漆黒の外套に身を包んだ、幽鬼の如き男。

 

 ゼストである。

 

 その姿は、

 

 突如として現れた。

 

 美遊の、すぐ後ろに。

 

「なッ!?」

 

 驚く間もなく、背後から羽交い絞めにされる美遊。

 

 その段になって、ようやく一同も事態に気付いた。

 

「美遊ッ!!」

 

 響は助けに入るべく、軋む体を引きずるように、ゼストへと斬りかかる。

 

 だが、

 

「悪いな。これも仕事だ」

 

 低く囁かれる言葉。

 

 次の瞬間、響は地面へと叩きつけられた。

 

「グッ!?」

 

 顔を上げる響。

 

 そこには、槍の石突を繰り出した優離の姿があった。

 

 倒れる響。

 

 既に消耗しつくした体は、立ち上がる事すらできなかった。

 

「響ッ!!」

 

 手を伸ばす美遊。

 

 響もまた、必死になって手を伸ばす。

 

「み・・・・・・美遊・・・・・・」

 

 だが、

 

 その手が、少女に触れる事は無い。

 

 次の瞬間、

 

 優離と、そして美遊を抱えたゼストは、空間に飲み込まれるようにして消えていく。

 

 それと同時に、響の意識は急速に暗転していく。

 

 魔力切れ。

 

 長引いた戦闘による消耗とダメージにより、響は意識を保つこともできなくなる。

 

 やがて響の意識は完全に闇へと消えていくのだった。

 

 

 

 

 

第19話「決着」     終わり

 



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第20話「遥かなる記憶」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 この感覚は、何度目の事になるだろうか?

 

 おかげで己が夢を見ていると言う事は、すぐに理解できた。

 

 まるで、自分がその場にいると錯覚するほどリアルな夢。

 

 と、

 

 同時に、ひどく暗い雰囲気もまた、伝わって来た。

 

 唐突に、思い出す。

 

 自分は今日、ここを去らなくてはならないのだ、と言う事を。

 

 目の前には、幸せそうな顔で眠る、小さな少女。

 

 自分にとって何よりも大切な存在。

 

 彼女は今、何も知らないまま、幸福の内にいる。

 

 それで良い。

 

 この子は、自分の事など何も知らない。知らなくていい。

 

 ただこれからのこの子の人生が、幸せである事だけをひたすらに願う。

 

 多くの友達に囲まれ、愛する人たちに彩られ、幸福な人生を歩んでくれれば、それだけで幸せだった。

 

 たとえその中に、自分がいなくても。

 

「・・・・・・・・・・・・」

 

 そっと、少女の髪をなでる。

 

 それがくすぐったかったのか、少女が眠りながら笑顔を浮かべる。

 

 できれば、このままずっと、この子の笑顔を見ていたい。

 

 しかしそれすらも、今となっては過ぎたる贅沢だった。

 

 手を放して立ち上がる。

 

 そのまま踵を返して部屋を出ていこうとする。

 

 最後にもう一度振り返り、少女の顔を見やる。

 

「・・・・・・・・・・・・さよなら」

 

 ただそれだけを告げると、

 

 今度こそ戸を閉め、部屋を出ていくのだった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 覚醒する。

 

 開けた視界の中で、そこがどこなのかすぐには判らなかった。

 

「・・・・・・・・・・・・ふむ」

 

 どうやら、何らかの不測の事態が発生したらしい。

 

 だからこそ「自分」がこちらに出てこれたのだ。

 

 ヒビキは自分の体の具合を確かめる。

 

 全身に打撲による痛みと、極度の疲労感。

 

 戦いの後遺症は、今もヒビキ自身を苛んでいた。

 

「妙な気分だね。自分以外の事が要因で、僕自身が辛いっていうのも」

 

 苦笑しながら床を抜け出す。

 

 多少のふらつきはあるが、歩けないほどではないようだ。

 

 もっとも、相変わらず短い手足には、戸惑いを覚えずにはいられないが。

 

 改めて、周囲を見回して状況を確認する。

 

「ここは・・・・・・『彼』の部屋か」

 

 納得したように呟く。

 

 小さな勉強机に小学校の教科書。壁の棚にはゲーム機や漫画本が置かれているのが、何とも年齢相応に見えて微笑ましく感じる。

 

 それにしても、

 

 「彼」が気を失うの最後に見た光景の記憶。

 

 連れ去れる美遊。

 

 伸ばすも触れる事叶わない、「彼」の手。

 

「・・・・・・・・・・・・」

 

 強く、拳を握りしめる。

 

 何もできなかった。

 

 連れ去れる美遊を、ただ見つめている事しかできなかった。

 

 何より、

 

 美遊を連れ去った、男の姿が、脳裏に浮かぶ。

 

 幽鬼の如き、青白い顔をした男。

 

 記憶にある姿とは、だいぶ違っている。

 

 しかし、見間違えようもない。あれは間違いなく・・・・・・

 

「まさか、あの男までこっちに来ていたなんて・・・・・・」

 

 自分の大誤算に、臍を噛む思いである。しかもそれによって最悪の事態が引き起こされたとあっては猶更だった。

 

 まさか、このような形で因縁に絡め取られるとは思っても見なかった。

 

 しかも向こうは、かなり用意周到に今日の事態を想定し準備していた事がうかがえる。

 

 完全に先手を打たれた形だった。

 

「美遊・・・・・・・・・・・・」

 

 連れ去られた少女の事を思い、ヒビキは嘆息する。

 

 とは言え、嘆いている暇など一秒たりともありはしない。

 

 今は行動あるのみだった。

 

 重い足を引きずって、部屋の外に出るヒビキ。

 

 体の各部が痛みを発するが、構っている暇は無かった。

 

 そのまま廊下を歩いて、1階に降りようとした時だった。

 

 傍らの部屋の中から話し声が聞こえ、響は足を止めた。

 

 

 

 

 

 部屋の中には、イリヤ、クロ、凛の姿。

 

 3人とも、浮かない表情を突き合わせている。

 

 無理も無い。

 

 昼間の死闘を潜り抜け、ようやく戦いを終わらせたと思ったら、予期せぬ伏兵の襲撃を受けてしまった。

 

 そして、連れ去られた美遊。

 

 完膚なきまでの敗北だった。

 

「だいたい、どういう事なのよ。あいつら、何でミユを連れ去った訳?」

「判らないわよ。そもそも、あいつらが何者なのかすら把握しきれていないんだし」

 

 尋ねるクロに、凛は頭を抱える。

 

 あの後、大変だった。

 

 とにかく、戦いは収束したとはいえ、美遊は連れ去られ、エーデルフェルト邸は崩壊。どこから手を付ければ良いのかすらわからない状態だった。

 

 そこで凛は、とにもかくにも自分たちの態勢を立て直すことが肝要と考えた。

 

 まず、イリヤとクロには、いったん衛宮邸に戻るように指示した。

 

 あまり帰りが遅いと、衛宮家の人々も心配するだろうと考えての措置である。

 

 その際、気を失っていた響も一緒に連れて行かせた。

 

 更に凛は地下に閉じ込められていたルヴィア(とオーギュスト)を救出。事態の経緯を説明した。

 

 凛の話を聞いたルヴィアは、ただちに美遊奪還の為に動こうとしたが、いかに彼女と言えど、重傷を負った身ですぐに動くことは不可能だった。

 

 現在は新都の方にホテルを借り、そこで静養している。まあ、数日もあれば生活に支障が無いレベルにまで回復するだろう。

 

 それで、だいたいの「事後処理」は完了した。後の事は、また後で考えるしかない。

 

 残る問題は、美遊の奪還だった。

 

「ともかく、早く助けに行かないと!!」

 

 勢い込んだ調子でイリヤが言う。

 

 こうしている間にも、捕らわれた美遊がひどい目にあっているかもしれないと考えると、気が気ではなかった。

 

 一刻も早く助けに行きたいと思うのは当然だろう。

 

 しかし、

 

「どこに助けに行くのよ?」

 

 冷ややかな感じで告げたのはクロだった。

 

 彼女もまた、今日の戦いの傷は決して浅くは無い。特にクロの場合、痛覚共有のせいで、イリヤが負ったダメージも彼女に加算される。

 

 事実上、クロのダメージはイリヤの倍以上と言っても過言ではなかった。

 

 今もダメージの残るクロの体は痛みを絶え間なく発していた。

 

 もっとも、それについてはイリヤも似たような物なのだが。

 

「確かに」

 

 凛もまた、クロの言葉に頷きを返す。

 

「美遊の居場所が判んないんじゃ、こっちとしても動きようが無いわ。一応、使い魔を放って探らせてはいるけど、まだ発見の報告は無い」

「そんな・・・・・・・・・・・・」

 

 凛の言葉に、イリヤは押し黙る。

 

 戦いの最後に、優離とゼストは、妙な転移魔術を使って姿を消している。

 

 あれが何だったのかは分からない。しかしそのせいで、凛の使い魔たちも優離達の行方をとらえきれずにいるのだった。

 

「そ、そうだルビーッ サファイアの居場所を感知する事が出来たよねッ それで美遊の居場所も分かるんじゃ・・・・・・」

 

 縋るように、ルビーを見やるイリヤ。

 

 しかし、

 

 対するルビーの返事は、芳しくなかった。

 

《だめですね。先ほどから探って入るのですが反応がありません》

「そんな・・・・・・・・・・・・」

 

 ルビーの言葉に、がっくりと肩を落とす

 

 その時、

 

 扉が開いた。

 

「美遊達がどこに行ったのか、心当たりならあります」

 

 落ち着いた声で入って来たのはヒビキだった。

 

 部屋に入り、一同を見回し、

 

 絶句した。

 

「「「あ・・・・・・」」」

 

 同時に声を上げる、ヒビキ、イリヤ、クロの3人。

 

 なぜなら、イリヤとクロの姉妹が揃って、Tシャツにパンツのみと言う、あられもない恰好をしていたからだ。

 

 イリヤがピンクで、クロが白と緑の縞々。そこから伸びるカモシカのような足が、小学生ながら魅惑的な雰囲気を作り出している。

 

 華やかで初々しい光景がそこにあった。

 

 自室と言う事で、イリヤもクロも油断していたのだろう。まさか、寝ていたヒビキがいきなり入ってくるとも思わなかっただろうし。

 

「ご、ごめ・・・・・・」

「「出てけバカー!!」」

 

 ヒビキが謝罪をする前に、顔を真っ赤にしたイリヤとクロが手近にあった物を思いっきり投げつける。

 

 哀れ、響は顔面に目覚まし時計と、額に猫のぬいぐるみを食らい、その場に轟沈するのだった。

 

 合掌

 

 

 

 

 

 ~気を取り直して~

 

 

 

 

 

「で、あいつらはどこに行ったのよ?」

「アッハイ」

 

 問いかける凛に、反省の意味も込めて床に正座したヒビキは答える。

 

 因みに、イリヤ・クロの姉妹はヒビキをいったん追い出した後、ちゃんと着替えをしていた。

 

 もっとも、2人そろって、未だに顔が赤いままだが。

 

 とは言え、このままでは話が進まないのも事実だった。

 

 ヒビキも表情を引き締めると、一同に向き直った。

 

「敵は美遊を奪った。となると、その力に目を付けたと言う事です」

「美遊の、力?」

 

 キョトンとして尋ねるイリヤ。

 

 だが、それには答えず、ヒビキはイリヤの机の上に目をやった。

 

 美遊の事に付いて、今ここで、彼女たちに説明する事は出来ないし、またその時間も無い。

 

 今はとにかく、どれだけ状況が不利であろうと、行動を起こさない訳にはいかなかった。

 

 机の上に置かれている3枚のカード。

 

 戦いの後、凛はバゼットとの和平交渉も同時に行った。

 

 その結果、「弓兵(アーチャー)」を除く6枚のカードを半分に分け、3枚を凛達が、残る3枚をバゼットが持つ事で決着したのだった。

 

 そのうちの1枚を、ヒビキは手に取った。

 

「僕は美遊を助けに行きます」

「そ、それなら私もッ」

 

 言いかけて飛び出そうとしたイリヤ。

 

 しかし、戦いの疲労が響き、思わず床に足を取られる。

 

「あッ」

「おっと、危ない」

 

 倒れそうになるイリヤを抱き起し、ベッドに座らせるヒビキ。

 

 弟の思いがけない行動に、イリヤは思わずキョトンとする。

 

「無理はしないで。傷はそっちのステッキちゃんが治してくれたかもしれないけど、ダメージや疲労ってのは、目に見えない形で残るから」

「ヒ、ヒビキ?」

 

 驚いた顔のイリヤにヒビキは笑いかけると、そのまま踵を返して部屋から出ていく。

 

 だが、

 

「待ちなさいよ」

 

 廊下を出て会談に向かおうとしたところで、追いかけてきたクロに呼び止められた。

 

 振り返るヒビキ。

 

 対してクロは、警戒したような表情で言った。

 

「・・・・・・何を考えているの?」

「何をって、何が?」

 

 とぼけるヒビキ。

 

 対して、クロは更に追及するように言った。

 

「率直に聞くわ。あなた、何者? ミユの何を知っているの?」

「・・・・・・・・・・・・」

「ヒビキの姿をしているけど、ヒビキじゃないわね。あなたはいったい・・・・・・」

 

 問いかけるクロに対し、ヒビキはクスッと笑いかける。

 

 勘の鋭い子だ。こんな子が近くにいてくれたなら、彼女も安心かもしれない。

 

「ヒビキだよ。それは間違いない」

「嘘」

「嘘じゃないさ」

 

 ただし、君たちの知っている「ヒビキ」じゃないけど。

 

 ヒビキは言葉の後半部分を故意に言わず、そのまま踵を返す。

 

 唖然としたままのクロを置いて、そのまま衛宮邸の玄関を出る。

 

 見上げる空。

 

 そこに上る月。

 

「・・・・・・こっちでも、見える月は同じなんだね」

 

 当たり前の事にまで感心してしまう。

 

 だが、その辺り前の事が、今は愛おしくさえ感じてしまう。

 

「・・・・・・・・・・・・」

 

 スッと目を閉じる。

 

 掲げるカード。

 

 自らの魔術回路を起動し、魔力を流し込む。

 

 カードの中に眠る英霊。

 

 その相手にアクセスし、呼びかける。

 

夢幻召喚(インストール)

 

 囁くような言葉。

 

 展開される魔法陣が、ヒビキの上から英霊の姿と能力を上書きする。

 

 同時に、ヒビキは上空高く跳躍した。

 

「待ってて、美遊・・・・・・」

 

 呟く言葉。

 

 その姿は月光に照らされながら、夜の街を駆け抜けていった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 冬木市円蔵山。

 

 その地下にある大空洞は闇と静寂の中に包まれ、ただ不気味な姿をさらけ出していた。

 

 鬱蒼とした森の中にあり、本来ならば決して人が近づくはずもない場所。

 

 そこに今、人の気配があった。

 

 闇の中にたたずむ人影。

 

 ゼストである。

 

 その目の前にある物を見て、嘆息するように呟く。

 

「・・・・・・・・・・・・ようやく、ここまで来たか」

 

 感慨が混じる呟き。

 

 蘇るのは遥かな過去の記憶。

 

 もう霞が掛かるほどの遠き記憶。

 

 思い出すのは、苦い敗北。

 

 あの時の敗北がなければ、あるいはこのような無駄な遠回りはせずに済んだかもしれないと言うのに。

 

「しかし、それも今回で終わりだ」

 

 そう言うと、背後を見やる。

 

 そこには、天井から伸びた鎖によって両手を拘束された美遊の姿があった。

 

 既に変身は解かれ、元のメイド服姿に戻っている。

 

 サファイアは、その傍らに設置された檻のようなものに入れられている。こちらも魔術で組まれているようで、どうやらそのせいで、ルビーとの交信も遮断されているらしかった。

 

 少女は眦を上げると、真っ向からゼストを睨みつけた。

 

「あなたは、いったい何者なの?」

 

 問いかける美遊。

 

 対して、ゼストは薄笑いを浮かべて見せる。

 

「判らないか。まあ、無理も無い。何しろ、君と直接顔を合わせるのはこれが初めての事だからね」

「・・・・・・・・・・・・」

 

 自身に語り掛けるゼストの気配。

 

 そのおどろおどろしさに、美遊は背筋に寒気を感じて押し黙る。

 

 目の前の男は何かおかしい。

 

 もしかしたら、

 

 もしかしたら・・・・・・・・・・・・

 

 揺らぐ視界。

 

 内から湧き出る恐怖。

 

 まるで蛇が柔肌をはいずるようなおぞましさが、美遊の心を絡め取っていくのが分かる。

 

「あなたはいったい、誰なの!?」

《美遊様!!》

 

 主を気遣って叫ぶサファイア。

 

 対して、

 

 ゼストは一層不気味な笑みを強める。

 

「それは、君もよく知っているのではないかね」

「え・・・・・・・・・・・・」

 

 美遊が恐怖の為に口を開きかけた。

 

 その時、

 

「ゼスト」

 

 静かな声が、大空洞内に響く。

 

 振り返る先には、こちらに向かって歩いてくる少女の姿があった。

 

「やあルリア。来たね」

「ええ」

 

 ゼストの言葉に頷きを返すと、ルリアは美遊に目を向けた。

 

「ルリア・・・・・・・・・・・・」

 

 少女の名を呟く美遊。

 

 かつて何度も戦った相手。

 

 同時に、一度は心を通わせた相手。

 

 決して、「知らぬ仲」ではない。

 

 ルリアの方でもそれを感じ取ったのだろう。

 

 美遊から逃げるように、視線を逸らす。

 

「・・・・・・これで、悲願は叶うのよね」

 

 願うように言いながら、ルリアは顔を上げてゼストを見る。

 

「わたし達の」

 

 問いかけるルリアに対し、ゼストは優し気に笑顔を見せる。

 

「もちろんだよルリア。本当に、今まで頑張ってくれた。ここまで来れたのは、君のおかげだ」

 

 娘を慈しむようにルリアの頭をなでながら、ゼストは語り掛ける。

 

「こうして彼女を手に入れる事が出来た。もうすぐだ。もうすぐ、わたし達の願いはかなうんだ」

「ええ」

 

 ゼストの言葉に、素直な頷きを見せるルリア。

 

 その様子を、美遊は緊張の面持ちで眺めていた。

 

 彼らの目的。

 

 それは美遊にも判らない。

 

 しかし、決して相容れる事の出来ない存在である事もは理解できた。

 

 座して待てば、取り返しのつかない事態になる。

 

 美遊の直感が、そう告げていた。

 

「クッ」

 

 どうにか、拘束を振りほどこうと体を捩る。

 

 しかし、魔術で編まれた拘束は、力業ではビクともしない。

 

 せめてサファイアを手に取れたら脱出も不可能ではないのだが、

 

「・・・・・・・・・・・・」

 

 チラッと、サファイアに視線をやる美遊。

 

 しかし、こうして2人そろって捕らわれの身となっている現状では、如何ともしがたかった。

 

 と、

 

 その時、

 

 状況を見守っていた優離が、何かに気付いたように顔を上げた。

 

 その気配を察し、ゼストも振り返る。

 

「どうかしたかね?」

「・・・・・・・・・・・・いや」

 

 尋ねるゼストに対し、目を細める優離。

 

「どうやら、勝利の美酒に酔うには、いささか早いようだぞ」

 

 そう言った次の瞬間、

 

 大空洞の天井。

 

 鍾乳石の連なる間に、

 

 人影が躍った。

 

 両手に構えた短い刃が、闇の中でギラリと光った。

 

 振り仰ぐ一瞬。

 

 優離はとっさに、手にしたナイフを振るう。

 

 だが影は、その刃を潜り抜け、弾き飛ばす。

 

「チッ」

 

 舌打ちする優離。

 

 その視界の先に立つ、小柄な人影。

 

 漆黒の衣装に短パンを穿き、その上から同じく黒のコートを羽織っている。

 

 額には髑髏を模した仮面を付けた少年。

 

 その両手には、短いナイフが鋭く握られている。

 

「・・・・・・・・・・・・お前か」

 

 呟く優離。

 

 対して

 

「美遊は、返してもらいます」

 

 ヒビキは静かな、しかし確固たる声で言い放った。

 

 

 

 

 

第20話「遥かなる記憶」      終わり

 



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第21話「暗がりの美遊」

 

 

 

 

 

 

 

 

 ヒビキの動きは素早かった。

 

 優離が態勢を整える前に動く。

 

 手にしたナイフを斜めに一閃する。

 

 その一撃を、辛うじて回避する優離。

 

 しかし、かわし切る事は出来ず、僅かに袖口が斬り裂かれる。

 

 優離を飛び越えるようにして駆けるヒビキ。

 

 目指すは、囚われた美遊の下。

 

 少女を救う為に、暗殺者(アサシン)の少年は駆ける。

 

 その時、

 

夢幻召喚(インストール)!!」

 

 傍らで、少女が動くのが見えた。

 

 衝撃と同時に展開される魔法陣。

 

 吹き荒れる閃光が晴れると同時に、少女は飛び出す。

 

 頭には獣の耳を生やし、尻尾を靡かせる美しい狩人。

 

 ギリシャ神話に伝わる女狩人アタランテ。

 

 その流麗な相貌がヒビキを狙う。

 

 引き絞られる弓。

 

 だが、

 

「遅いよ」

 

 低く囁くヒビキの言葉。

 

 次の瞬間、銀色の光がルリアへと襲い掛かった。

 

「クッ!?」

 

 とっさに攻撃を取りやめ、回避行動を取るルリア。

 

 光の正体は、ヒビキが投げたナイフだった。

 

 ヒビキはルリアが迎撃のための行動を起こすと読み、先んじて牽制を仕掛けたのだ。

 

 態勢を崩すルリア。

 

 弓を引く手が一瞬止まる。

 

 一瞬。

 

 それだけの時間があれば、ヒビキには十分だった。

 

 ルリアをすり抜け、更に駆けるヒビキ。

 

 優離とルリアを奇襲によって退けたヒビキ。

 

 美遊までに至る道が、開ける。

 

「響ッ!!」

 

 少女の叫ぶ声。

 

 その姿に、少年は更に加速する。

 

 もう少し、

 

 もう少しで、

 

 そう思った、

 

 次の瞬間、

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

限定展開(インクルード)

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 鳴り響く、不気味な声。

 

 次の瞬間、

 

 ヒビキの足元から、1本の杭が飛び出してきた。

 

「ッ!?」

 

 目を見開くヒビキ。

 

 避ける暇は、無い。

 

 次の瞬間、

 

 ヒビキの体を、杭が真っ向から刺し貫いた。

 

 縫い止められる、少年の体。

 

 その姿に、

 

 ゼストは手を掲げたまま、冷えた双眸で見つめる。

 

「響ッ!!」

 

 拘束されたままの美遊が、悲鳴じみた声を上げる。

 

 次の瞬間、

 

「・・・・・・妄想幻像(ザバーニーヤ)

 

 串刺しにされたヒビキの口から、低い呟きが漏れる。

 

 次の瞬間、

 

 串に刺し貫かれていたヒビキの姿が、幻のように掻き消える。

 

「残像・・・・・・いや、囮ッ!?」

 

 ルリアが驚いて声を上げる中、

 

 ヒビキはゼストを飛び越え、美遊の元を目指す。

 

「美遊ッ!?」

 

 手を伸ばす。

 

 もう少し、

 

 もう少しで手が届く。

 

 そう思った。

 

 次の瞬間、

 

 突如、襲い来る衝撃。

 

「グッ!?」

 

 その一撃が、ヒビキの小さな体を吹き飛ばす。

 

「響ッ!!」

《響様!!》

 

 悲鳴を上げる、美遊とサファイア。

 

 見れば、

 

 いつの間に接近したのか、英霊姿になった優離が、手にした槍を大きく振るっている姿があった。

 

 ヒビキがゼストやルリアと対峙している隙に夢幻召喚(インストール)した優離。

 

 その圧倒的な力を誇る英霊を前に、ヒビキは成す術無く吹き飛ばされた。

 

「クッ!?」

 

 地面に叩きつけられながらも、どうにか立ち上がるヒビキ。

 

 だが、

 

 そんなヒビキの前に立ちはだかる、優離とルリア。

 

 苦笑する。

 

 その圧倒的な光景を前にして、「勝機」と言う言葉を思い浮かべる事すら憚られる思いだった。

 

「・・・・・・・・・・・・やれやれ」

 

 嘆息する。

 

 自分が纏っている英霊は、それほど強くない。その事は、他ならぬヒビキ自身がよくわかっている。

 

 それでも勝機があるとすれば、最初の奇襲に掛けるしかなかったわけだ。

 

 故にこそヒビキは、攻撃開始と同時に速攻を選択した。

 

 しかし、

 

 ヒビキが後退する間に、ルリアと優離は態勢を立て直している。

 

 わずかな勝機も、今となっては雲散霧消と言わざるを得なかった。

 

「・・・・・・さて、どうしたものかな」

 

 額に滲む汗と共に、呟きを漏らす。

 

 正直、戦力的には「撤退」以外に考えられない訳だが。

 

 しかし、

 

「・・・・・・・・・・・・」

 

 視線の先に見える美遊。

 

 不安げな眼差しが、こちらに向けられてきている。

 

 彼女を残して逃げることなど、論外以下と言ってよかった。

 

 と、

 

「よく来たね、暗殺者(アサシン)の少年」

 

 鳴り響く、不気味な声。

 

 ゼストは、単身で乗り込んできた少年に対し、鷹揚な口調で言った。

 

「正直、予想外だったよ。君が単独で乗り込んでくるなどとはね。いや、それ以前にこの場所を突き止めるとは・・・・・・・・・・・・」

 

 言ってから、笑みを浮かべるゼスト。

 

 その口元に浮かべられた、明らかなる侮蔑。

 

「よもや、ここまで愚かだったとはね」

「・・・・・・・・・・・・」

 

 ゼストの嘲りに対し、ヒビキは答えない。

 

 愚かである事は、他の誰よりもヒビキ自身がよくわかっている。

 

 だがそれでも引けない理由がある。

 

 再び、ナイフを取り出して構えるヒビキ。

 

「まだ、やるつもりかね?」

「当然です」

 

 問いかけるゼストに、ヒビキは不退転の決意と共に答える。

 

 そう、

 

 初めから退く気は無い。

 

 その結果、自分がここで果てようとも後悔は無い。

 

 この身は既に死兵。

 

 ならば、拾った命を再び使い切ってでも、自らの大切な物を守るために戦うのみ。

 

 かつて、「あの人」がそうしたように。

 

「行くよ」

 

 静かに告げると同時に、

 

 ヒビキは仕掛けた。

 

 地を蹴り、外套を靡かせて駆ける。

 

 闇夜に浮かぶ、白い髑髏の仮面が不気味な存在感を放った。

 

 対して、

 

「暗殺者が正面戦闘を挑むなんて!!」

 

 ルリアが弓を引き絞り、矢を放ってくる。

 

 唸りを上げて飛んでくる矢。

 

 その攻撃を、ヒビキの眼差しは正面から見据える。

 

 命中する刹那。

 

 僅かに首を傾げ、回避する。

 

 耳元を霞めていく矢。

 

 それを意識しつつも、努めて無視する。

 

 距離を詰めるヒビキ。

 

 相手が弓兵(アーチャー)なら、近距離に持ち込めば勝機はあるはず。

 

 だが、

 

 当然ながら、優離達もヒビキがそのような行動に出る事は、充分に予想できた事だった。

 

 駆ける響の目の前に、最強の英霊が立ちはだかる。

 

「やらせんぞ」

 

 繰り出される槍の一撃。

 

 対して、ヒビキは槍の軌跡を見極め、体を捻るようにして回避する。

 

 そのまま、相手の懐へと飛び込む少年。

 

 そのままナイフを繰り出す。

 

 しかし、

 

 ガキッ

 

 繰り出した刃は、優離を傷つける事叶わない。

 

 その様に、ヒビキは舌打ちする。

 

 やはり勇者の不凋落を破る事は難しい。

 

 噂では、神聖を秘めた攻撃を繰り出せば無効化できると言う話だが、あいにくだがハサン・サッバーハは神聖から縁遠い英霊と言っても過言ではない。

 

 あとは無理やり力押しで行くか、あるいは・・・・・・・・・・・・

 

 ヒビキはチラッと、優離の踵に目をやる。

 

 英霊アキレウスの弱点。

 

 「アキレス腱」の語源になったとも言われるその場所。

 

 伝説によれば英雄アキレウスは、彼の最後の戦いとなったトロイア戦争において、敵国の王子パリスに弓で踵を撃ち抜かれた結果、その不死性を失い討ち死にしたとある。

 

 英霊の能力と言うのは、伝承や逸話に裏打ちされている部分が多い。それが力の強い英霊となると、より一層強く、そうした面に縛られるのだとか。

 

 だとすれば、アキレウスの弱点も、そのまま残っている可能性が高い。

 

 しかし、

 

 ギリシャ最速の英霊相手に、ほんの小さな踵の一点を狙うのは困難を通り越して不可能に近い。

 

 クロ(アーチャー)ならば、あるいは不可能ではないかもしれないが、アサシンでは難しい物がある。

 

「・・・・・・・・・・・・」

 

 静かに、思考を進めるヒビキ。

 

 八方ふさがりだ。

 

 どうあっても、勝機は無い。

 

 だが、

 

 身構えるヒビキ。

 

 たとえ勝機が無くても、ここで退く気は無かった。

 

 

 

 

 

 一方、拘束されたまま戦いの様子を見守っていた美遊は、気が気ではない様子だった。

 

 2騎の英霊に攻められ、ヒビキは完全に封殺されている。

 

 優離達の勝ちは、どうあっても動かない。

 

 しかし、

 

 美遊はその脳裏から、違和感をいくつかの拭えなかった。

 

 まず、ヒビキが夢幻召喚(インストール)している英霊は、間違いなく暗殺者(アサシン)ハサン・サッバーハだろう。

 

 恐らく、以前収集した暗殺者(クラスカード)クラスカードを使ったのだろうが、しかし今までの衛宮響は戦う際、別の英霊を夢幻召喚(インストール)して戦っていた。

 

 なぜ、今回は別の英霊を夢幻召喚(インストール)しているのか?

 

 更にもう一つ。

 

 先程の、ヒビキの雰囲気。

 

 あれは、いつもの響の雰囲気ではなかった気がする。

 

 普段の響は無口で口調もたどたどしく、見るからに幼い雰囲気がある。

 

 しかし今のヒビキは静かな雰囲気は変わらないが、どこか口調も大人びて年上の印象がある。

 

 いつもの響と違うヒビキ。

 

 あれは、そう・・・・・・・・・・・・

 

 カード収集における最終戦。対狂戦士(バーサーカー)戦の時に見たヒビキと同じだった。

 

 あの時も確か、ヒビキは自身の英霊ではなく剣士(セイバー)のカードを使用して夢幻召喚(インストール)していた。

 

「いつもの響じゃない・・・・・・ううん、違う。あれはいったい・・・・・・」

《美遊様?》

 

 呟く美遊に、傍らで拘束されているサファイアも怪訝な面持ちになる。

 

 しかし美遊は答える事も出来ず、ただ戦いの成り行きを固唾を飲んで見守っていた。

 

 

 

 

 

 そうしている内にも、ヒビキは追い詰められつつあった。

 

 接近戦では優離が完全に抑え込み、距離を取ればルリアの弓が襲い掛かってくる。

 

 対するヒビキは反撃する事も叶わず、後退する事しかできない。

 

 このままじゃ負ける。

 

 それはヒビキにも判っていた。

 

 今も、優離が放つ鋭い横なぎが襲い掛かってくる。

 

 対して、とっさに後退する事で回避するヒビキ。

 

 力でも、速さでも、技でも、魔力でも、ヒビキ(ハサン)優離(アキレウス)に敵わない。

 

 更に、

 

 一瞬の風切り音。

 

「ッ!?」

 

 近くより何より先に、とっさに頭を下げるヒビキ。

 

 そこへ、飛んできた矢が頭のすれすれを霞めて行った。

 

 冷汗が噴き出る。

 

 ほんの数ミリの差で回避に成功した形である。

 

「今のは危なかった・・・・・・・・・・・・」

 

 呟くと同時に、視線をルリア(アタランテ)に向ける。

 

 当の襲撃者たるルリアは、仕留め損ねた事に舌打ちを見せている。

 

 しかし、

 

「・・・・・・・・・・・・これ以上は、まずいか」

 

 元々が1対2の数的劣勢に加えて、こちらは奇襲特化の暗殺者(アサシン)なのに対し、向こうは騎兵(ライダー)弓兵(アーチャー)の戦闘屋2騎。

 

 初めの奇襲が失敗した時点で、圧倒的な戦力差を前に押しつぶされる事は目に見えていた。

 

「だからこそ、仕掛ける」

 

 ナイフを構えなおすヒビキ。

 

 勝負に出ると決めた。

 

 戦気を高める響に呼応するように、それぞれの武器を構える優離とルリア。

 

「死の覚悟を決めたか」

「さて、どうでしょう。これでも長生きはしたいと思っていたんですけどね」

 

 問いかける優離に、軽口で返すヒビキ。

 

 次の瞬間、

 

妄想幻像(サバーニーヤ)!!」

 

 叫ぶと同時に、

 

 ヒビキの姿は2人に分かれた。

 

「・・・・・・」

「なッ!?」

 

 沈黙を持って迎え撃つ優離と、一瞬、絶句して動きを止めるルリア。

 

 百貌のハサンの宝具「妄想幻像(サバーニーヤ)」。

 

 一説によると多重人格者であり、多くの人格と、それぞれに合わせた特技を持っていたとされる百貌のハサン。その特性を最大限に現したのがこの宝具である。

 

 最大で100人まで自身と同じ分身を作り出す事ができる。

 

 作り出した分身は自身と全く同一の存在である為、見分ける事は不可能である。

 

 半面、弱点も存在する。

 

 分身を作れるとは言え、大元の個体は1人だけである。その為、数値的な計算は「1÷多」となる。分身が増えれば、そのぶん1人1人の能力は低下するのは避けられない。2人なら通常の50パーセント、3人なら33パーセント、4人なら25パーセント、といった具合に。

 

 故に多用はできない。

 

 しかし、

 

 向かってくるヒビキの分身。

 

 それに対し、優離は槍の一閃で応じる。

 

 刺し貫かれる分身。

 

 その一瞬の後、霞のように掻き消える。

 

 一方で、ルリアは自分に向かってくる分身の姿に戸惑い、一瞬対応が遅れた。

 

「クッ こいつッ!?」

 

 繰り出されるナイフの攻撃を跳躍する事で辛うじて回避するルリア。

 

 同時に空中で体勢を整えると、弓を引き絞って照準を定める。

 

 放たれる矢。

 

 唸りを上げる一閃は、追撃すべく振り仰いだヒビキの額に見事命中する。

 

 次の瞬間、

 

 そのヒビキの姿も、幻のように消え去った。

 

 やはりと言うべきか、ルリアに向かってきたヒビキもまた妄想幻像(ザバーニーヤ)による分身だったのだ。

 

 そして本命のヒビキ本人は、

 

 2人の間をすり抜ける形でその背後に出現、そのまま囚われてる美遊を目指して一散に駆け出す。

 

 2体の分身に優離とルリアを攻撃させることで二人の注意を引き、その間に美遊の元へと向かう。これこそがヒビキの本命だった。

 

「美遊!!」

 

 手を伸ばす。

 

 今度こそ、その手が少女に届く。

 

 次の瞬間、

 

「やれやれ、学習しない子供だ」

 

 呆れ気味に放たれたゼストの言葉。

 

 次の瞬間、

 

 美遊が見ている目の前で、ヒビキの腹は出現した杭に刺し貫かれた。

 

「なッ!?」

 

 目を見開くヒビキ。

 

 その視界の先で、美遊が絶望に暮れた顔を見せている。

 

「み・・・・・・ゆ・・・・・・・・・・・・」

「ヒビキ・・・・・・・・・・・・」

 

 ヒビキは最後の力を振り絞るようにして、美遊に手を伸ばす。

 

 しかし、届かない。

 

 少年の手は、少女に触れる事叶わず、力を失って下へと下がった。

 

 次の瞬間、

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 杭に刺し貫かれたヒビキの姿は、砕け散るようにして消失した。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「ぬッ!?」

 

 ゼストが初めて、驚愕に染まった声を発した。

 

 それと同時に、軽い破裂音が大空洞内部に響き渡る。

 

「あッ」

 

 突如、拘束を解かれて崩れ落ちそうになる美遊。

 

 その体を、小さな腕が支える。

 

「大丈夫、美遊?」

「響、無事で!?」

 

 妄想幻像(ザバーニーヤ)で作り出した分身は、初めから3体。

 

 それらを優離、ルリア、ゼストに当て、ヒビキ本人はその間に美遊救出に向かうのが作戦だった。

 

 たとえ弱い英霊でも戦いようはある。

 

 先の奇襲失敗から、ヒビキは自身の作戦を練り直していたのだ。

 

「さて・・・・・・・・・・・・」

 

 ヒビキは美遊の拘束を解いたナイフを返し、サファイアを拘束している檻も破壊する。

 

「逃げるよ、美遊。ステッキちゃん」

 

 長居は無用だった。

 

 元よりまともな戦いで勝てないのは百も承知。ならば、この隙に逃げるしかない

 

 ヒビキは美遊の手を取る。

 

 だが、

 

「逃がすと思うかね?」

 

 不気味に鳴り響く、ゼストの言葉。

 

 その手が、己の胸へと当てられる。

 

 その姿を見た瞬間、

 

「まずいッ」

 

 ヒビキはとっさに美遊の手を引く。

 

 次の瞬間、

 

夢幻召喚(インストール)

 

 ゼストの声が響き渡る。

 

 同時に、地面から突き出す無数の杭が、一斉に出現した。

 

 その数は、先程の比ではない。

 

 数百。

 

 下手をすると、数千にも及ぶ数の杭が、一斉に出現していた。

 

 一瞬で地獄と化す大空洞。

 

 地面と言う地面から一斉に杭が突き立つ様は、身の毛がよだつほどの恐怖を見る者へと与える。

 

 しかし、

 

「・・・・・・・・・・・・逃がしたか」

 

 ゼストは低い声で呟いた。

 

 串刺しにした手応えは無い。恐らく、杭が襲い掛かる直前に、効果範囲から逃げられたのだ。

 

「・・・・・・・・・・・・」

 

 臍を噛む。

 

 折角手に入れた美遊を、このような形で奪われるとは思っても見なかった。

 

 見渡せば、既にヒビキと美遊の姿はどこにも見えない。

 

 攻撃に入る一瞬の隙を突いて、この場から離脱してされまったのだ。

 

「・・・・・・やってくれる」

 

 絞り出すような声。

 

 まさかこのような形で足元を掬われるとは、思っても見なかった。

 

「・・・・・・・・・・・・それにしても」

 

 ゼストはふと、先程のヒビキの事を思い出す。

 

 いつもと違う英霊を纏い、いつもと違う雰囲気を見せていたヒビキ。

 

「なぜ、あんな事ができる?」

 

 自問するように呟く。

 

 あの少年の事なら何でも知っている。

 

 だからこそ、確実に言える。「あんな事ができるはずが無い」のだ、と。

 

 と、

 

「ゼスト、何しているのッ 早く追わないと!!」

「あ、ああ、そうだね」

 

 鋭く告げられたルリアの言葉に、ゼストは我に返る。

 

 考えるのは後だ。今はとにかく、奪われた美遊を再び確保しなくてはならなかった。

 

「出口の方へ行った気配はない。恐らく奴らは、さらに奥へ逃げたのだろう」

 

 言ったのは優離である。

 

 優離は今、出口に通じる方向に立っている。もしヒビキ達が通り過ぎれば、すぐに判るはずだった。

 

 その気配が無いと言う事は、ヒビキと美遊は更に奥へと逃げ、隙を見て脱出するつもりなのだ。

 

「すぐに追ってくれたまえ。少年の方はどうとでもして良いが、美遊はなるべく傷つけずに連れてくるように。良いね」

 

 ゼストの言葉を受けて、ルリアと優離は暗闇の中へと駆けていく。

 

 その背中を見送りながら、ゼストはギリッと歯を噛み鳴らすのだった。

 

 苦節20年。

 

 不慮の事情によって道を閉ざされた自分が、ようやくここまでたどり着き、悲願まであと一歩と言うところまで来ているのだ。

 

 それを、よりにもよって、あの少年に余されることになるとは。

 

「許さん・・・・・・許さんぞ、絶対に・・・・・・・・・・・・」

 

 つぶやきは闇の中へ、陰々と響き渡って行った。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 駆ける足を緩めることなく、2人は走り続けた。

 

 少年は少女の手を取り、一寸先も見渡せない暗闇の中を進んでいく。

 

 その様を、美遊は奇妙な感覚で捉えていた。

 

 普段の身体能力を考えれば、こういう光景はあまり見られない。

 

 美遊の方が響より足が速いから、響に手を引っ張られて走ると言う事は今までなかった。

 

 しかし今、この暗闇の中を走るにあたって、頼りになるのは英霊を宿した少年の「目」である。

 

 おかげで2人は、迷う事も足元に躓くこともなく走り続けていた。

 

 掌を介して伝わってくるぬくもり。

 

 その温かさが、今まで囚われていた事への恐怖を、取り払ってくれるようだった。

 

 ああ、

 

 響って、こんなに暖かかったんだ。

 

 そんな思いが、駆ける美遊の胸に去来する。

 

 やがて、

 

「よし、ここまで来ればひとまず安心、かな・・・・・・・・・・・・」

 

 しばらく進んだところで、ヒビキは足を止めて美遊の手を放した。

 

 離れる、少年の手の感触。

 

 その喪失感を、美遊は少しだけ残念に思っている自分がいる事に気づいていた。

 

「やれやれだね」

 

 そんな美遊の様子に気付かないまま、ヒビキは手近にあった鍾乳石を背に座り込んだ。

 

 流石に、ギリシャ神話に名高い英霊2騎を同時に相手にするのはきつかった。

 

 ぎりぎりの戦い。下手をすればヒビキも敗れていた可能性が高い。

 

 だが、彼らがヒビキを倒す事を考えていたのに対し、ヒビキの目的は戦う事ではなく、あくまで美遊の奪還だった。

 

 そこに、唯一の勝機があった。

 

 おかげで響は彼らを出し抜き、こうして美遊を取り戻す事が出来たのだった。

 

「ごめんなさい、響」

「え、何が?」

 

 突然誤って来た美遊に、ヒビキはキョトンとした顔を返す。

 

 対して美遊は、普段の彼女らしからぬ、落ち込んだような表情を見せていた。

 

「わたしが油断して捕まったりしたせいで、響にまでこんなつらい思いをさせてしまって・・・・・・・・・・・・」

 

 そこまで言って、

 

 美遊は言葉を止めた。

 

 頬に感じるぬくもり。

 

 顔を上げれば、ヒビキが美遊に柔らかい笑顔を向けている。

 

 少年の手が、美遊の頬を優しく撫でていた。

 

「前にも言ったでしょ。多くの人たちの想いが美遊(きみ)と言う存在を作ってるって。僕も、その中の1人だ」

「・・・・・・・・・・・・」

「僕は君の為なら、何度でも困難に立ち向かうし、何度でもこの命を掛ける。これは絶対だ」

「ヒビキ・・・・・・・・・・・・」

「そして勿論、『彼』もね」

 

 キョトンとする美遊。

 

 いったい、誰の事を言っているのか?

 

 だが、一つだけ言える事がある。

 

 今目の前にいるヒビキは、美遊の知っている響ではない。

 

 いったい、このヒビキは誰なのか?

 

 と、

 

 そうしている間に、ヒビキの姿が光に包まれる。

 

「・・・・・・っと、今回はここまでか」

「え、響、これって・・・・・・・・・・・・」

 

 ヒビキに起きた変化に、戸惑う美遊。

 

 それは以前にもあった事だった。

 

「さて・・・・・・・・・・・・」

 

 ヒビキは消えゆく声の中で、そっと呟く。

 

「悪いけど、あとはお願いね・・・・・・どうにか、うまく切り抜けてくれ」

 

 そう言うと、スッと目を閉じる。

 

 同時に、胸の中央から「暗殺者(アサシン)」のカードが浮かび上がり、地面に転がった。

 

「・・・・・・・・・・・・勝手な事ばっかり」

 

 少し不機嫌そうに呟く少年。

 

 同時に、響はゆっくりと目を開いた。

 

「響、大丈夫なのッ!?」

 

 問いかける美遊に、響は振り返る。

 

「ん、美遊、無事で何より」

 

 いつも通りの口調だ。

 

 間違いなく、美遊が知っている響である。

 

 その様子に、美遊はどこかホッとする。

 

 先程のヒビキが何者かは判らないが、やはりこっちの響の方が落ち着く物があった。

 

「それより美遊、早くここから出よう」

「そうしたいんだけど・・・・・・・・・・・・」

 

 美遊は不安そうに言いながら、自分たちが来た方向に目を向ける。

 

 大空洞の出口は反対側。

 

 脱出するためには、再びゼストたちがいる場所まで戻らなくてはならない。

 

「何とか、する」

「何とかって・・・・・・・・・・・・」

 

 美遊にも判る。今の響がボロボロな事は。

 

 無理も無い。バゼット、優離と死闘を繰り広げたのは、今日の昼間の事である。

 

 戦闘によるダメージに加えて、夢幻召喚(インストール)で魔力も消費している。

 

 今の響には、もはやまともに戦う力は残っていなかった。

 

《美遊様、響様、英霊の反応が2つ。真っすぐにこちらに向かってきます》

 

 サファイアの警告が走る。

 

 間違いない。優離とルリアが、響達を探して追いかけてきたのだ。

 

「時間・・・・・・無い」

 

 苦し気に息を吐きながら、立ち上がる響。

 

 もう一度夢幻召喚(インストール)して戦うつもりなのだ。

 

 しかし、その足元は見るからにふらついているのが分かる。

 

 それでも響は止まらない。

 

 たとえ己が倒れようとも、大切な人を守るために戦うつもりだった。

 

「響、そんな状態じゃ無理だよ!!」

「だい・・・・・・じょぶ」

 

 構わず、前に出ようとする響。

 

 その背中を、美遊は黙って見つめていた。

 

 この少年は、自分の為に命を掛けてくれている。

 

 負けると判っていても、戦おうとしてくれている。

 

「・・・・・・・・・・・・」

 

 無言の美遊。

 

 その瞳は、何かを決意したように、響を見つめる。

 

 そして、

 

「響」

「ん?」

 

 呼びかけられ、振り返る響。

 

 その肩を美遊が掴み、無理やり振り返らせる。

 

 そして、

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 お互いの唇が重ねられた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 驚いて、目を見開く響。

 

 美遊に、キスされた。

 

 そう認識した瞬間、心臓がそれまで以上に高鳴り、同時に体がカーッと熱くなる。

 

 美遊の腕は響の首に回され、なお一層、2人は強く結びつく。

 

 深く暗い地の底で、

 

 幼い2人が絡み合うように口づけを交わす。

 

 ある種の背徳感すら伴ったその光景は、同時に甘美な輝きを放つ。

 

 ややあって、

 

 美遊は唇を放した。

 

 見つめ合う視線。

 

 紅潮する頬。

 

 熱の籠った互いの吐息。

 

 糸を引く唾液。

 

 顔が上気し、熱いくらいである。

 

「み・・・・・・み、ゆ?」

 

 茫然として呟く響。

 

 対して、

 

「あんまり、その・・・・・・恥ずかしいから・・・・・・」

 

 そう言って、美遊も顔を逸らす。

 

 暗闇の中でもわかるくらい、お互いの顔は真っ赤に染まっていた。

 

 共にファーストキス。

 

 お互い、恥ずかしくてたまらなかった。

 

 しかし、

 

「これで・・・・・・少し楽になったでしょ」

「・・・・・・・・・・・・あ」

 

 言われて、響は気付く。自分の体に、魔力が充填されている事に。

 

 つまり美遊は、響に魔力を渡すためにキスしたのだ。

 

 とは言え、あの甘美な温もりは、少年の脳にしっかりと刻み込まれていた。

 

 しかし、温もりに浸かる贅沢は、そこまでだった。

 

《お二人とも、敵が来ますよ》

 

 サファイアの警告。

 

 それに伴い、響と美遊はお互いに頷きあう。

 

 ここを切り抜ける。それからでなければ何も終える事は出来ない。

 

「行こう、美遊」

「うん」

 

 差し伸べられた響の手。

 

 その手を、美遊は迷うことなく取った。

 

 

 

 

 

第21話「暗がりの美遊」      終わり

 







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第22話「ヒーロー」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 並走するように、大空洞をさらに奥へと走る優離とルリア。

 

 正直、油断していた感はぬぐえない。

 

 美遊を奪還するために、単身で乗り込んで来たヒビキ。

 

 しかし、相手は英霊を夢幻召喚(インストール)したとは言え、こちらもギリシャ神話に名高い英霊2騎。まともに戦えば、こちらが負ける要素などなかったはずだ。

 

 しかし、

 

 ヒビキはその不利な状況を、宝具を使用する事で切り抜けて見せた。

 

 出し抜かれた側としては、面白くないのも当然だろう。

 

「逃がさない。絶対に」

 

 苛立ちと共に、呟きを漏らすルリア。

 

 その獣の如き瞳は、闇に隠れた獲物を捕らえようと光を放つ。

 

 と、

 

「焦るな」

 

 すぐ横を走る優離が、咎めるように警告を発してきた。

 

「焦れば却って、足元を掬われかねないぞ」

「・・・・・・言われなくても分かっている」

 

 対して、顔をしかめながら答えるルリア。

 

 元々、ルリアの中では優離は、鬱陶しい存在でしかない。

 

 常に不愛想。それでいて、言っている事は上から目線でいちいちうるさい。それでいてゼストは彼を信頼しているようなので始末に負えなかった。

 

 たかが傭兵のくせに。

 

 ルリアとしては、そんな風に思ってしまうのだ。

 

 そこに来て説教じみた事を言われるのは、煩わしいことこの上なかった。

 

 とは言え、無駄話もそこまでだった。

 

「ッ」

「あッ!?」

 

 駆ける足を止める、優離とルリア。

 

 その視線の先には、待ち受けるようにして並んで立つ、響と美遊の姿があった。

 

 眦を上げて対峙する、少年と少女。

 

「諦めて投降してきた・・・・・・わけではなさそうだな、どうやら」

 

 呟くように告げる優離。

 

 響達が発する戦気は、彼らが既に戦う決意を固めている事を示していた。

 

 元より、これまでの戦いを鑑みれば、響も美遊も、戦わずして降伏する事は考えられなかった。

 

 そうこなくては。

 

 状況とは裏腹に、優離は心に沸き立つものを感じていた。

 

 傭兵である優離としてはやはり、「狩り」よりも「戦い」こそが望みである。

 

 無抵抗の者を狩るよりも、対等な立場で真っ向からぶつかる事こそが望みだった。

 

 一方、

 

 響と美遊も、互いに顔を合わせて頷きあう。

 

 美遊のおかげで、響の魔力は全快まで回復している。

 

 そして美遊も、サファイアから魔力供給を受け、万全の状態を維持できている。

 

 お互い、戦闘に支障は無かった。

 

「美遊、行こ」

「うん」

 

 互いに交わす視線。

 

 響はゆっくりと右手を胸の前にかざす。

 

 その内にある魔術回路には、既に戦いに必要な魔力が充填されていた。

 

夢幻召喚(インストール)!!」

 

 叫ぶ響。

 

 同時に展開された魔法陣。

 

 生み出された衝撃波が、少年の姿を包み込む。

 

 その中で、響は英霊をその身へと宿していく。

 

 漆黒の衣装に短パン姿。髪が伸び、後頭部で結ばれる。

 

 口元に巻かれるマフラー。

 

 同時に、その上から浅葱色に白い段だら模様の羽織が纏われる。

 

 通常の姿では優離に勝てない。響は今回、初手から宝具を使用して、全力で挑むつもりだった。

 

「サファイア、わたし達も」

《はい、美遊様。鏡界回廊最大展開!!》

 

 響の変身を受けて、美遊もまた動いた。

 

 閃光が、少女の姿を包み込む。

 

 同時にその姿は、魔法少女のそれへと変じていく。

 

 青いレオタード風の衣装に、白いマントがは負われ、髪は左右でリボンによって結ばれる。

 

 可憐な魔法少女(カレイドサファイア)に変身した美遊。

 

「響、援護は任せて」

「ん」

 

 相棒の頼もしい言葉に、頷きを返す響。

 

 対抗するように、優離とルリアもそれぞれ、槍と弓を構えた。

 

 次の瞬間、

 

 両者は同時に地を蹴った。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 疾走。

 

 互いの距離が一瞬にしてゼロになる。

 

 至近まで迫る互いの視線。

 

 ほぼ寸暇の間すら無く、刃が繰り出される。

 

 先制したのは、

 

 優離だ。

 

 間合いの長い槍を武器にしている事もあり、いち早く自身の攻撃態勢を確保。響に向かって襲い掛かる。

 

 繰り出される銀の穂先。

 

 対して、

 

 響はその軌跡を見極め、同時に跳躍する。

 

 頭上高く跳び上がった響。

 

 見上げる優離と、視線が交錯する。

 

 降下。

 

 同時に、腰の刀を鞘奔らせる。

 

 闇を斬り裂く銀の閃光。

 

 振るわれる刃が、優離へと迫る。

 

 対抗するように、槍を引き戻す優離。

 

 その鋭い突きが、降下する響を迎え撃つ。

 

 互いの刃が交錯する。

 

 逆さに振る流星の如く、優離の放つ槍が空中の響へと殺到する。

 

 その穂先が少年の体を捉える。

 

 かと思った瞬間、

 

 いまだに空中にあったはずの響の姿は突如、優離の視界から消え去った。

 

「ぬッ!?」

 

 驚く優離。

 

 次の瞬間、

 

 気配は彼の背後に浮かぶ。

 

 殆ど本能的に槍を振るう優離。

 

 互いの刃がぶつかり合い、闇夜に火花が浮かび上がる。

 

「チッ!?」

 

 舌打ちする響。

 

 空中にあった響は、魔力で足場を作り、同時に最加速で一気に優離の背後へと回り込んでいたのだ。

 

 響の剣閃を振り払った優離は、そのまま槍を返して薙ぎ払いに入る。

 

 対して、

 

 臆することなく前に出る響。

 

 浅葱色の羽織を靡かせ、繰り出された槍の穂先を回避する響。

 

 刃の切っ先が、優離の心臓を目指して突き込まれる。

 

 その素早い動きに、優離の対応が遅れる。

 

 懐へと飛び込む響。

 

 タイミングは完璧。

 

 かわしようがない間合い。

 

 響は全ての力を持って刃を繰り出す。

 

 次の瞬間、

 

 ガキンッ

 

「・・・・・・・・・・・・ッ」

 

 しびれる手首に、舌打ちを漏らす。

 

 響の繰り出した刀は、優離の胸に当たって弾かれる。

 

 やはりと言うべきか、半ば予想した事だった。

 

 勇者の不凋花(アンドレアス・アマラントス)を破らない限り、優離(アキレウス)は倒せない。

 

 響きの繰り出した刀は、切っ先1ミリたりとも食い込むことなく、完全に防ぎ留められていた。

 

「無駄だ」

 

 低く囁かれる言葉。

 

 動きを止めた響へ、容赦ない薙ぎ払いが襲い掛かる。

 

 その強烈な一撃が響を捉えようとした。

 

 次の瞬間、

 

 少年の姿が優離の目の前から消え失せる。

 

 同時に、僅かに後退した位置に出現、刀を構えなおした。

 

 残像すら霞む速度を見せる響。

 

 しかし、それだけでは勝てないのも事実である。

 

「相変わらず、良く動く」

「そっちこそ、硬すぎ」

 

 互いに舌打ち交じりのコメントを交わす。

 

 状況は前回、前々回の時と同じ。

 

 互いに決定打を欠いた状態でのぶつかり合いとなっている。

 

「・・・・・・・・・・・・」

 

 響は息を整えながら、優離を睨む。

 

 ここを切り抜けられなければ、どっちみち勝機は無い。

 

 ならば、賭けに出るしかなかった。

 

 刀の切っ先を向ける響。同時に弓を引くように構える。

 

 そんな響に対し、優離もまた、迎え撃つように槍を構えなおす。

 

「来るか?」

 

 優離が呟いた瞬間、

 

 響は動いた。

 

 

 

 

 

 一方、

 

 魔法少女(カレイドサファイア)に変身した美遊も、ルリアと戦闘を開始していた。

 

 弓兵(アーチャー)のルリアと魔法少女の美遊。

 

 互いに遠距離攻撃を得意とする2人。

 

 その戦闘は響VS優離のように間合いの削り合いではなく、互いに有利なポジションでの撃ち合いとなる。

 

砲射(シュート)!!」

 

 魔力砲を放つ美遊。

 

 手にしたサファイアから、強力な魔力の奔流が迸る。

 

 しかし、

 

「無駄よ!!」

 

 短い叫びと共に、魔力砲を回避するルリア。

 

 その姿は鍾乳石を飛び越えるように、高速で移動していく。

 

 流石は俊足を誇る女狩人アタランテ。

 

 並の攻撃では、彼女を捉える事は難しいだろう。

 

 飛んでくる矢をかわしながら、美遊も牽制の為に魔力砲を撃ち返す。

 

 互いの攻撃が交錯し、周囲の壁や鍾乳石が、流れ弾を受けて吹き飛ぶのが見えた。

 

 互いの攻撃は、相手を捉える事は無い。

 

《相性が同じでは、後は出力の問題にあります。美遊様》

「判ってる」

 

 警告を発してくるサファイアに、頷きを返す美遊。

 

 同じ遠距離攻撃を武器とする美遊とルリア。

 

 こうなると、英霊を身に宿しているルリアの方が有利となるのは必定だった。

 

「大丈夫、手はある」

 

 駆けながら美遊は、戦闘開始前の響との会話を思い出していた。

 

 

 

 

 

「ん」

「え、これって・・・・・・・・・・・・」

 

 響が差し出した物を受け取りながら、美遊はきょとんした顔を向ける。

 

 対して、真剣な眼差しで美遊を見つめていた。

 

「あいつら強い。これが必要になる」

「・・・・・・・・・・・・」

 

 頷く美遊。

 

 響が言いたい事は判る。相手は手加減して勝てる相手ではない事は確かである。

 

「判った。ありがたく使わせてもらう」

「ん」

 

 頷いてから、響は付け加える。

 

「いざとなったら、もう一つの宝具を使う」

「宝具? あの羽織以外に?」

 

 響に宿る英霊は新撰組由来の人物であり、その象徴とも言える「誓いの羽織」が宝具となっている。

 

 だが、

 

「ん、もう一つ、ある」

 

 そう言って、響は自信ありげに頷いて見せた。

 

 

 

 

 

 響が言っていた物が、いったいいかなる宝具なのかは美遊には判らない。

 

 しかし、響が自信を持っているくらいだから、この状況を逆転できるだけの期待も持てる。

 

 ならば美遊は、彼を信じて戦うまでだった。

 

 自身に向かって飛んでくる矢。

 

 対して、美遊はサファイアを掲げる。

 

「サファイア、物理保護!!」

《かしこまりました》

 

 美遊の指示に従い、障壁を展開するサファイア。

 

 飛んできた矢は、魔力の壁によって阻まれる。

 

 一瞬、攻撃が止む。

 

 その隙を突くように動く美遊。

 

 障壁の陰から飛び出しつつ、サファイアに魔力を充填する。

 

砲射(ショット)!!」

 

 放たれる魔力砲。

 

 威力を落として手数で勝負を仕掛ける美遊。

 

 降り注ぐ魔力弾。

 

 対して、

 

「この程度でッ!!」

 

 ルリアは鍾乳石の間を駆け抜けながら、放たれる魔力の嵐を回避してく。

 

 闇夜に俊敏な獣の如く駆ける少女。

 

 同時に、手にした弓を美遊に向けて引き絞る。

 

「今度こそッ!!」

 

 放たれる矢。

 

 対して、美遊は今度も防ごうとするが、

 

《いけません、美遊様!!》

「ッ!?」

 

 サファイアが警告した瞬間、

 

 着弾した矢に込められた魔力が、美遊の眼前で炸裂。少女を容赦なく吹き飛ばした。

 

「よしッ」

 

 襤褸屑のように吹き飛ばされる美遊を見て、会心の笑みを浮かべるルリア。

 

 これで勝った。

 

 そう思った。

 

 次の瞬間、

 

 漆黒の影が疾風のごとく迫り、銀の刃を繰り出してきた。

 

「なッ!?」

 

 殆ど本能的に後退するルリア。

 

 その視線の先に、

 

 漆黒の衣装を身に纏った少女の姿があった。

 

「クラスカード『暗殺者(アサシン)』、夢幻召喚(インストール)完了」

 

 低い声で告げる美遊。

 

 その姿は露出度の高い、漆黒のレオタードに、手には肘まで覆うタイプの手袋をはめ、側頭部を覆うように髑髏を模した仮面を装着している。

 

 暗殺者(アサシン)ハサン・ザッバーハのカードを夢幻召喚(インストール)し、英霊をその身に纏った美遊。

 

 同時に宝具「妄想幻像(ザバーニーヤ)」を発動して分身を作り出し、それによってルリアの攻撃を回避したのだ。

 

 その美遊の姿に、ルリアは舌打ちをする。

 

「衛宮響と言いあなたと言い、ずいぶんと無駄な足掻きをするわね」

「何とでも・・・・・・わたしはただ、友達の為にできる事を全力でやるだけ」

 

 両手のナイフを構えながら、美遊は淡々とした調子で告げる。

 

 ヒビキは、圧倒的に不利な状況の中、それでも自分を助けに来てくれた。

 

 ならば今度は、自分が響を助ける番だった。

 

 意を決し、美遊は再び地を蹴ると、ルリアに対して疾風のように襲い掛かった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 お互いの視線がぶつかり合い、空中に火花が散る。

 

 疾走する響。

 

 その幼くも鋭い相貌が、最強の英霊を睨み据える。

 

 迎え撃つように、槍を突き込む優離の姿が見える。

 

 しかし、

 

「遅い」

 

 低い呟きと共に、更に加速する響。

 

 その小さな体は、既に霞んで見える。

 

 目を見開く優離。

 

 以前、響と対峙した時よりも、さらに速度が増しているのが分かる。

 

 一歩。

 

 響の姿は音速を超える。

 

 いかにギリシャ最速の英霊とは言え、追随できるものではない。

 

 更に一歩、

 

 凶暴な狼が、牙をむく。

 

「餓狼一閃・・・・・・受けろ」

 

 低い呟きと共に、

 

 響は手にした刀を繰り出す。

 

 対抗するように槍を繰り出す優離。

 

 しかし、

 

 響きの方が僅かに速い。

 

 切っ先が優離の胸の中央を、真っ向から捉える。

 

 手応えは、あった。

 

 一瞬の確信。

 

 視界の中では、目を見開く優離の姿。

 

 次の瞬間、

 

 優離は大きく吹き飛ばされ、背後の壁に激突した。

 

 轟音。

 

 大空洞を揺るがすほどの衝撃。

 

 同時に、響は地面に足を付き、自身の体に急ブレーキを掛ける。

 

 視界の先には立ち込める煙。

 

 餓狼一閃。

 

 かつて、魔術師(キャスター)剣士(セイバー)を倒し、狂戦士(バーサーカー)にも大ダメージを与えた必殺の一撃。

 

 3歩踏み込むごとに加速した威力を、そのまま剣閃に集約し、文字通り敵を食いちぎる餓えた狼の牙。

 

 並の相手なら即死確定の攻撃だった。

 

 しかも響は、初めて「誓いの羽織」を装備した様態で、この魔剣を使っている。

 

 威力はかつての比ではなかった。

 

 しかし、

 

「・・・・・・・・・・・・やるな」

 

 晴れつつある煙の中から聞こえる声。

 

 響が身構える中、煙の中から優離が姿を現した。

 

 流石に無傷ではない。

 

 甲冑はひび割れ、胸からは鮮血が噴出している。

 

 しかし、

 

 いまだに優離は自ら立ち、槍を手にしている。

 

「さあ。続きと行くか」

「・・・・・・・・・・・・」

 

 槍を構えなおす優離。

 

 対して、響も無言のまま刀を構える。

 

 餓狼一閃は自身の身に宿る英霊が持つ攻撃の中でも、破格と言って良い攻撃力を誇っている。

 

 正直、今ので仕留めきれないとは思わなかった。

 

「・・・・・・・・・・・・」

 

 今のままでは、なお届かない。

 

 そう、判断せざるを得ない。

 

 その時

 

 ザッと土を踏む音と共に、響のすぐ脇に気配が躍った。

 

 振り返れば、暗殺者(アサシン)姿の美遊が、荒い息を吐きながら立っていた。

 

「響」

「ん、無事で何より」

 

 互いに視線を交わす、響と美遊。

 

 とは言え、2人とも状況は万全とはいいがたい。

 

 魔力を補充して動けるようになったとはいえ、昼間のダメージはいまだに残っている。それがじわりじわりと効き始めていた。

 

 その時、

 

「そろそろ、諦めたらどうかね?」

 

 不意に聞こえてくる、陰々とした声。

 

 振り返る視線の先には、ゆっくりとこちらに向かって歩いてくる、ゼストの姿があった。

 

「・・・・・・・・・・・・」

 

 歯を噛み鳴らす響。

 

 優離とルリアだけでも持て余していると言うのに、そこにゼストまで加わったら、勝ち目など皆無に等しかった。

 

 ゼストの方でもそれが判っているからこそ、余裕の表情で降伏勧告を告げる。

 

「これ以上の抵抗は無意味かつ無駄でしかない。頭のいい君たちには判っているはずだ」

 

 淡々と告げるゼスト。

 

 対して、響は美遊を守るようにして刀を構える。

 

 それに合わせるように、ゼストの両脇に立った優離とルリアも、それぞれの得物を向けてくる。

 

「降伏したまえ。そうすれば、2人とも悪いようにはしないよ」

 

 甘い囁きが鼓膜に染み込んでくるのが分かる。

 

 ここで諦める。

 

 それも選択肢の一つかもしれない。

 

 響の脳裏に、チラッとそんな考えが浮かぶ。

 

 そうすれば、最悪でも美遊の命だけは取られずに済むかもしれない。あるいは、その方が美遊の為かもしれない。

 

 そう考えた。

 

 その時、

 

「響・・・・・・・・・・・・」

 

 囁くように告げらえる美遊の声。

 

 振り返る響の目に飛び込んで来たのは、不安と恐怖に顔を曇らせる少女の姿。

 

 今ここで降伏すれば、美遊の命は助かるかもしれない。

 

 しかしそうすれば、もっと大事な物を失ってしまう。

 

 響は本能的に、それを感じ取っていた。

 

 故に、

 

「やだ」

 

 ゼストを真っすぐに見据え、短く、しかし断固たる口調で言い放った。

 

 降伏はしない。美遊と2人で、最後まで戦い抜く。

 

 その意思を露わにした。

 

「響・・・・・・」

 

 歓喜に顔をほころばせる美遊。

 

 彼女にとって親友であり、今や相棒とも言うべき少年は、決して彼女を裏切る事は無い。

 

 それが判り、少女は嬉しくて仕方が無かった。

 

 対して、

 

「・・・・・・・・・・・・これだからガキは嫌いだよ。物事の道理も考えず、感情だけで動くんだから始末に負えない」

 

 告げられるゼストの声は、それまで以上におどろおどろしく、どこか粘着質のある泥のような印象さえ受けた。

 

 その血走った眼が、響と美遊を舐めまわすように睨みつける。

 

「良いだろう。ならば、もはや手加減する気は無い。2人そろって四肢を捥ぎ、地面に這いつくばらせたうえで、その身をもらい受けるまでだ」

 

 おぞましい言葉と共に、手を掲げるゼスト。

 

 対して、響は身構える。

 

 残された手段は、ただ一つ。

 

 宝具(ジョーカー)を使うか・・・・・・・・・・・・

 

 そう思った。

 

 その時だった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

《合図を送る。タイミングを間違えないように》

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「「・・・・・・え」」

 

 囁くように告げられた突然の言葉に、響と美遊はほぼ同時に顔を見合わせた。

 

 次の瞬間だった。

 

 鳴り響く轟音。

 

 爆炎が闇を斬り裂き、衝撃が大空洞全体を駆け抜ける。

 

「なッ!?」

 

 思わず、顔を覆う響と美遊。

 

 突然の出来事に、思考が追い付かない。

 

 いったい何が起こっているのか?

 

 優離達が何か仕掛けてきたのか、とも思ったが、どうやらそれも違う。

 

 この状況で敵は何もしかけてこない。と言う事は、これは彼らにとっても想定外の事態なのだ。

 

「な、何が?」

 

 そう呟いた時だった。

 

 突如、手首を誰かに掴まれ、強引に引っ張られた。

 

「あッ」

 

 すぐ側で、美遊が声を上げる。

 

 同時に少女もまた、誰かに引っ張られるようにして駆けだしていた。

 

「時間が無い。今のうちに逃げるんだ」

 

 低く囁かれる声。

 

 どこか懐かしさすら感じるその声に、響は心にしみわたるのを感じた

 

 そのまま導かれるようにして走る、響と美遊。

 

 不思議な事に、殆ど来た事が無い大空洞の中を、響と美遊は全くと言って良いほど迷う事無く、出口へと向かって駆けていく。

 

 やがて、視界が大きく開け、同時に涼しい風が2人の頬をなでていく。

 

 見上げる先には、夜空を照らす大きな月が浮かぶ。

 

「外?」

「みたい」

 

 呟くように会話を交わす、響と美遊。

 

 脱出できた。

 

 あの絶望的な状況から。

 

 その実感が、未だにわかなかった。

 

 その時、

 

 ザッと土を踏む音が聞こえ、2人はとっさに振り返る。

 

 警戒も露わに、闇に目を凝らす2人。

 

 やがて、

 

 月光に照らされて、その人物の顔が見える。

 

「・・・・・・・・・・・・あ」

 

 驚いて声を上げる響。

 

 対して、その人物は、自分の息子に対し、優し気に微笑みかけた。

 

「やあ響、久しぶり。少し大きくなったね」

 

 月下に照らし出された相手。

 

 ぼさぼさの頭に無精ひげ。

 

 くたびれたロングコートを羽織った男。

 

 対して、響は茫然とした声で呟く。

 

「・・・・・・・・・・・・切嗣(きりつぐ)?」

 

 衛宮切嗣(えみや きりつぐ)

 

 本物のヒーローが、そこに立っていた。

 

 

 

 

 

第22話「ヒーロー」      終わり

 



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第23話「父と、母と」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 最後の戦いが始まった。

 

 敵は数百。

 

 対して、立て籠った味方は、僅か13名に過ぎない。

 

 怒涛のごとく迫りくる敵。

 

 その圧倒的な戦力差を前に、味方は1人、また1人と倒れていく。

 

 ここは戦場。

 

 自分は1人だけ。

 

 新撰組旗揚げ以来の仲間達は皆、戦いの中で倒れるか、志を異にして去って行った。

 

 そして生き残った者は、更なる戦場を求めて北へと去った。

 

 だが、自分はここに残った。

 

 この国に住まい、この国のために戦う人々。

 

 そんな気高い心を持つ人々を、自分は見捨てる事は出来なかったのだ。

 

 向かってくる敵を、一刀のもとに斬り捨てる。

 

 自分は戦い続ける。

 

 自分の大切な人々を守るために。

 

 その果てに、この命が尽きようとも、後悔は無かった。

 

 やがて、

 

 時代は江戸から明治に移り、侍が闊歩していた時代は遠き過去へと流れ去って行った。

 

 しかしそれでも、

 

 自分は剣を捨てる事は出来なかった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 目が覚める。

 

 霞む視界を調整するように何度か瞬きを繰り返しながら、徐々に慣らしていく。

 

「ん、寝てた?」

 

 覚醒してきた意識の中で、響は呟く。

 

 思い出されるのは、昨夜の死闘。

 

 囚われた美遊を奪還するために大空洞に突入し、優離、ルリアたちと戦闘になった。

 

 善戦はしたものの、圧倒的な戦力差を前に敗北をも覚悟した響と美遊。

 

 そんな2人を助けたのは、

 

切嗣(きりつぐ)・・・・・・・・・・・・」

 

 父の名を、噛み締めるように呟く。

 

 衛宮切嗣(えみや きりつぐ)

 

 衛宮家の家長にして、響の養父。

 

 普段は海外で仕事をしている切嗣が日本に帰ってきていて、そしてなぜ、あの場に現れる事が出来たのか?

 

 色々と判らないことが多すぎたが、おかげで響も美遊も助かったのは確かだった。

 

 そして助けられた響と美遊は、切嗣によって、森の中にある城へと連れてこられた。

 

 冬木市の郊外には鬱蒼とした大森林が広がっており、迂闊に足を踏み込み遭難する人間もいるくらいである。

 

 その森林の奥に、こんな立派な城があるとは思っても見なかった。

 

 何でも、元はアインツベルンが所有する城だったのだが、魔術師としてアインツベルンが衰退した事で、半ば以上放置されてしまったのだとか。

 

 切嗣は疲れ切っていた子供たちの体調を考慮し、家へは戻らず、この城へと連れてきたのだ。

 

 それにしても、

 

 響は目を覚ます直前に見ていた夢の事を思い出していた。

 

 これまでも何度か見た事がある。

 

 初めは判らなかったが、今は何となくわかる。

 

 あれは、自分の身に宿っている英霊自身の事なのだと。

 

 幕末。

 

 侍が栄華を誇った最後の時代。

 

 「彼」は新撰組の隊士として戦場を駆け抜け、刀を振るい続けた。

 

 徐々に追い詰められ、誰もが絶望に沈む中、仲間たちの為に最後まで彼は戦い続けた。

 

 不屈の精神と深い愛情。

 

 死後、英霊の座に迎えられても、彼の精神は損なわれる事は無かったのだ。

 

 そして今、英霊として響に力を貸してくれている。

 

 響の、愛する人達を守るために。

 

 と、

 

「うう・・・・・・ん・・・・・・・・・・・・」

 

 響が寝ているすぐ隣で、誰かの声が聞こえた。

 

 誰だろう?

 

 そう思って、首を巡らせた。

 

 そこで、

 

「ッ!?」

 

 絶句した。

 

 なぜなら。

 

 自分が寝てるすぐ隣。

 

 同じベッドに横になる形で、美遊が眠っていたからだ。

 

 やはり昨夜の疲れがあってか、すやすやと気持ちよさそうな寝息を立てている美遊。

 

「ッ!? ッ!? ッ!? ッ!? ッ!? ッ!? ッ!? ッ!?」

 

 あまりと言えばあまりの事態に、声の上げ方すら忘れる響。

 

 無理からぬことだろう。

 

 思春期入りたての少年にとって、密かに恋している少女と同衾するなど、高いハードルを通り越して山脈を超えるに等しい。

 

 しかもどういう訳か、今の美遊は下着の上からブラウスを羽織っただけという、あられもない寝姿を披露している。

 

 細い下腹部を包む白いパンツと、そこから伸びる細い足が、艶やかな姿を映し出す。

 

 と、その時、

 

「ん・・・・・・朝・・・・・・?」

 

 隣で動く気配を察知したのだろう。小さな呻き声と共に美遊も目を覚ます。

 

 可憐な瞼をゆっくりと開く少女。

 

 そこで、

 

 すぐ目の前にいる少年と目が合った。

 

「・・・・・・・・・・・・あれ、響?」

「ん、お、お、おはよ、み、み、美遊?」

 

 どもりまくる響。

 

 そんな少年を、寝起きの美遊はぼんやりとした視線で見つめる。

 

 今だ、頭が働かない美遊。

 

 寝ていた自分。

 

 そして、その隣にいる響。

 

「・・・・・・・・・・・・ひ、び・・・・・・きィッ!?」

 

 そこで、

 

 ようやく回転を始めた頭が事態を把握した。

 

「~~~~~~~~~~~~~~~~~~!!!???」

 

 「カァァァァァァッ」と言う擬音が聞こえそうなほど、一気に顔を真っ赤にする美遊。

 

 見れば響も、負けず劣らず顔が赤い。

 

 何で? どうして? 何があったの?

 

 2人そろって大混乱に陥る。

 

 しかも、

 

 美遊の恰好は、下着の上から白のブラウスを羽織っただけという、小学生にしては何とも扇情的な格好をしている。

 

 短いブラウスの裾から、すらりと伸びた足。その奥には、白い布地も見えており、

 

「響ッ」

「あ・・・・・・・・・・・・」

 

 響の視線に気づき、とっさにブラウスの裾を押さえる美遊。

 

 対して、ちょっと残念そうに声を出す響。

 

 とは言え、裾の短いブラウスでは完全に隠す事は出来ず、恥じらいの表情と相まり、却って艶めかしい雰囲気が醸し出された。

 

 因みに、響もTシャツに、最近になって履き始めたトランクス1枚と言うラフすぎる格好をしている。

 

 小学生の男女2人、そろってベッドの上で下着姿。

 

 何となく「君たちにはまだ早い」とか「見ちゃいけません」とか、言いたくなる光景である事は間違いない。

 

 が、当人たちにとってはそれどころではない事は、言うまでもないだろう。

 

 2人そろって、ベッドの上で正座して俯いてしまう響と美遊。

 

 こうなると、思い出されるのは昨夜の事。

 

 緊急事態だったとは言え、キスまでしてしまった2人。

 

 特に美遊は、ずいぶんと大胆な事をしてしまった、と今更ながら恥ずかしくなってきていた。

 

 朝っぱらから甘々な空気を垂れ流す2人。

 

 その時、

 

「おっはよー!! 響ッ 美遊ちゃん!!」

「「ドッキーン!!」」

 

 突然、扉がバーンッと開け放たれ、部屋の中へ突入してきた女性。

 

 その豪快な様子に、思わず2人の心臓は跳ね上がった。

 

「あら、どうしたの2人とも?」

「べ、別に・・・・・・ていうか・・・・・・」

 

 響はいまだに「ドッキンドッキン」言ってる心臓を押さえながら、入ってきた相手を見た。

 

「何でいるの、アイリ?」

 

 問いかける息子に対し、アイリスフィール・フォン・アインツベルンは、ニッコリとほほ笑んだ。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 小学生にして、怒涛のような「朝チュンイベント」を体験してしまった響と美遊。

 

 その後、アイリが用意してくれた服に着替え、食堂へと続く廊下を歩いていた。

 

「それでアイリ?」

 

 母の後ろをついて歩きながら、響は尋ねた。

 

「どうしてここに?」

「切嗣に呼ばれたのよ。あなた達を保護したから、この城に来てくれって」

 

 響と美遊を救出した切嗣は、そのまま真っすぐに家へ戻らず、2人をこの城にかくまった。

 

 賢明な判断だと思う。あのまま家に戻っていたら、今度は衛宮邸が戦場になっていたかもしれない。

 

 士郎やセラ、リズを巻き込みたくは無かった。

 

 それにしても、子供たちの知らないところで両親2人が連携を取り合っていたとは。

 

 まったくもって、知らぬは当人たちばかりだった。

 

「で・・・・・・・・・・・・」

「うん、なあに?」

 

 顔を反らしながら訪ねる響に、母は首をかしげながら尋ねる。

 

 対して、響は顔を赤くしながら続ける。

 

「何でその・・・・・・美遊と一緒に?」

 

 2人一緒のベッドに寝かされていたのはなぜなのか?

 

 見れば美遊の顔も、未だに赤い。

 

 やはり、「朝チュンイベント」は、小学生にはまだ刺激が強すぎたようだ。

 

 対して、アイリは朗らかに笑いながら言った。

 

「急な事だから、ベッドが一つしか用意できなかったの。でも、2人ともまだ子供だし、問題無いわよね」

「「問題ある!!」」

 

 万事大雑把なアイリに、ツッコミを入れる響と美遊。

 

 だが、当のアイリはと言えば、事情が分かっていないのか首をかしげている。

 

 何と言うか、自分が思春期の少年少女に大人の階段を上らせてしまったと言う自覚は、このおふくろ様には皆無だった。

 

「まあまあ、積もる話はご飯を食べてからにしましょ。切嗣も待ってるし」

「「・・・・・・・・・・・・」」

 

 うまく逃げられた感があり、ジト目でアイリを睨む響と美遊。

 

 とは言え、これ以上ツッコんでも、こっちが疲れるだけなのは言うまでも無い事である。

 

 2人は深々とため息をつきつつ、前を歩くアイリに着いていった。

 

 やがて、3人は食堂らしき場所へとたどり着いた。

 

 そこで、

 

 子供たちは絶句した。

 

「やあ、おはよう2人とも」

 

 そこでは、既にテーブルに着いた切嗣が、静かに手を上げて待っている。

 

 それは良い。

 

 そこは、問題ではない。

 

 問題は、テーブルの上。

 

 「恐らく」「料理だと」「思われる」「ナニカ」が、これでもかと言わんばかりに並べられていた。

 

「・・・・・・・・・・・・」

「・・・・・・・・・・・・」

 

 2人そろって、入り口に突っ立ったまま、絶句している響と美遊。

 

 成程、一応食べれる食材は使っているらしく、辛うじて「原型」はとどめている物も無くは無い。

 

 が、

 

 ぶっちゃけ、人の口に入れるには、いささか以上に憚られる物ばかりだった。と言うかまず、大根を丸ごと一本丸焼きにしているのはどうなんだ?

 

 そこで、響は思い出す。

 

 そもそも、アイリも切嗣も、料理をしている所は見た事が無い。

 

 正確に言えばアイリは料理する事もあるのだが、その内容は性格通り大雑把で、細かい事をまったく気にしていない、よく言えば豪快、悪く言えば適当な物ばかりだった。

 

 切嗣はと言えば、こちらはアイリに比べれば性格は穏やかで慎重な方だが、やはり料理するイメージは無く、それどころか、普段の私生活でもやや不器用さが目立つ。

 

 そもそもからして、士郎、セラと言う二大シェフがいる衛宮家では、他の人間が料理することなど殆ど無いのだ。

 

 我が家の恥を見られたようで、響は頭が痛くなってきた。

 

「・・・・・・・・・・・・わたしが作り直す」

「・・・・・・・・・・・・ん、ぜひ」

 

 美遊のありがたくも尊い申し出に、響は考える間もなく同意する。

 

 まことにもって、持つべき物は料理上手な親友だった。

 

 

 

 

 

 ~そんな訳で~

 

 

 

 

 

 改めて、美遊が作り直した食事を食べ、出された紅茶を飲んで、ようやく一息つくことができた。

 

「ごちそうさま。美味しかったわ。料理、上手なのね、美遊ちゃん」

「あ、ありがとうございます」

 

 ストレートに褒められ、少し照れたように俯く美遊。

 

 普段、ルヴィア以外に食事をふるまう機会が無かったため、こうして他の人に褒められることに慣れていないのかもしれなかった。

 

「美遊は何でも上手」

「響」

 

 追い打ちを掛ける親友に、美遊は少し顔を赤くして抗議する。

 

 そんな2人の様子を見て、アイリはクスクスと笑った。

 

「あらあら、響がそんな風にお友達を誉めるのなんて珍しいわね。何かあったのかしら?」

「ん、別に、何も無い」

 

 どこか含みのある母の物言いに対し、キョトンとして答える響。

 

 響としては、普通に友人を誉めたつもりである。そこに他意は無い。

 

 だが、

 

「まあ、今のところはそういう事にしておいてあげる」

「ん?」

 

 意味深な母の物言いに、訳が分からず響としては首をかしげるしかなかった。

 

 と、

 

「さて・・・・・・落ち着いたところで、本題に入ろうか」

 

 紅茶のカップを置きながら、それまで黙っていた切嗣が口を開いた。

 

 同時に、少し室内の温度が下がった気がする。

 

 どうやら、和やかな雰囲気もここまでであるらしい。

 

「響、君は何か、僕たちに尋ねたい事があるんじゃないかい?」

「ん」

 

 静かに促す父。

 

 対して響も、真っ向から見据えるように居住まいをただす。

 

 聞きたい事なら、それこそ山ほどあった。

 

 ゼストや優離、ルリアの存在。

 

 連中が、そして響が使っている、「カードを使わずに夢幻召喚(インストール)できる英霊」。

 

 そして、

 

 切嗣とアイリの立ち位置。

 

 2人は明らかに、事の根幹に関わる何かを知っている。

 

 響はそう確信していた。そうでなければ、あの大空洞に切嗣が駆けつけられるはずが無いのだ。

 

 あの場所に来たと言う事は、つまりゼスト達があの場所で何らかの魔術的な儀式を執り行うつもりであったことを知ってなくてはならないはずなのだ。

 

「いったい、何が起きてる?」

 

 尋ねる響に対し、

 

 切嗣は、静かに、

 

 重い口を開いた。

 

「・・・・・・・・・・・・聖杯戦争について、大凡の事情はアイリから聞いているね?」

「ん。切嗣とアイリが、イリヤの為にやめたって」

 

 かつて、聖杯戦争の核となる、聖杯その物として生み出されたアイリ、そしてイリヤ。

 

 しかし切嗣とアイリは、イリヤが生まれた事で決断した。

 

 聖杯戦争を放棄する、と。

 

 そのまま2人はアインツベルンを出奔。聖杯戦争の核となる小聖杯を失った事で、アインツベルンは衰退し、今ではほぼ消滅に等しい状態にまでなっているのだとか。

 

 そして2人は全てをやり直し、イリヤに「普通の女の子として生きる」と言う幸せを与えるために、この冬木の地で新しい生活を始めるに至った。

 

「けど、そこでわたし達が考えもしなかった誤算が生じた」

「誤算?」

 

 硬い口調のアイリ。

 

 その後を引き継ぐように、切嗣が続けた。

 

「アインツベルンが弱体化した事で、そこに収められていた魔術の極秘資料が流出してしまったんだ。その中には聖杯戦争について、重要な部分を占める物も多く含まれていた」

 

 万能の願望機。

 

 手にした者全ての願いをかなえる聖杯。

 

 魔術師ならば、自らの命を投げ打ってでも欲しい物である事は間違いない。

 

「その結果、世界中の魔術師が、聖杯戦争を模した魔術儀式を繰り広げるようになった」

 

 亜種聖杯戦争。

 

 そう呼ばれる魔術儀式、言い換えれば魔術師達による抗争が、世界中で頻発するようになってしまったのだ。

 

 しかし、その多くが、聖杯など望むべくもない、粗悪な代物ばかりだった。

 

 当然だろう。

 

 大元の聖杯戦争は、アインツベルンをはじめとした3つの魔術大家が、持てる全てを結集して完成させた魔術システムである。凡百の魔術師程度に模倣できるはずも無かった。

 

 だが、人の欲望というのは尽きる事が無いらしい。

 

 たとえ偽物と分かっていても、あるいは「だからこそ」と思う輩は後を絶たず、多くの聖杯が生み出された。

 

 そしてたいていの場合、偽りの聖杯は、最後には膨大な魔力を御しきれず、大惨事を巻き起こすのが常だった。

 

「私と切嗣は、それらの亜種聖杯戦争を阻止するために、世界中を飛び回り戦っているのよ」

「それで、いつもいなかった?」

 

 響が衛宮家に引き取られて以来、切嗣とアイリは殆どの期間家におらず、海外を飛び回っていた。

 

 家にいることなど1年に数日、という時もあったくらいである。

 

 だがその間、2人は亜種聖杯戦争を止めるために戦っていたのだ。

 

 結果的にとは言え、原因を作ってしまった者の責任として、そして偽りの聖杯の顕現を防ぐために。

 

「そんな中、ある情報が僕達の元へと舞い込んできた。北欧にある小さな国で、亜種聖杯戦争が開かれようとしている、ってね」

 

 その聖杯戦争は、それまでの物とは、明らかに違っていた。

 

 通常の聖杯戦争では、7人の魔術師が7騎の英霊を呼び出し、サーヴァントとして使役する事で争う事になる。

 

 しかし、その北欧某国で行われた聖杯戦争は違っていた。

 

「彼らは、7人の魔術師にそれぞれ、7騎の英霊を憑依させることで、新たな聖杯戦争を始めようとしていたんだ」

「英霊を憑依させる。それって・・・・・・・・・・・・」

 

 切嗣の説明を聞いて、美遊は呟きを漏らしながら響を見る。

 

 英霊を憑依させる。

 

 言い換えれば「英霊を夢幻召喚(インストール)する」とも取れる。

 

 今まさに、響達が置かれている状況そのものであると言えた。

 

 そこからの切嗣たちの行動は、苛烈且つ迅速だった。

 

 直ちに魔術師の工房を襲撃し、聖杯戦争参加者を悉く抹殺。さらに、聖杯戦争に関する資料そのものも残さず焼却した。

 

 それで終わり。

 

 聖杯戦争の開始は未然に防がれ、2人は次の場所へ向かう。

 

 そのはずだった。

 

「けど、私たちは見つけた・・・・・・いえ、見つけてしまった」

 

 あの日の事を思い出すように、アイリは遠い目をして言った。

 

 燃え盛る炎。

 

 工房全てを灰にする勢いで燃え盛る炎の中で、

 

 アイリは見つけた。

 

 ガラスケースに収められて眠る、1人の少年。

 

 それは、そこにいた魔術師が、自らの手駒にしようとしていた少年。

 

 その身に英霊を宿し、絶大なる力を振るう代わり、聖杯と言う呪いに縛り付けられた少年。

 

「それが君だよ、響」

「・・・・・・・・・・・・」

 

 その時の事は、響もうっすらとだが覚えていた。

 

 炎の中で意識を無くそうとしていた自分。

 

 そんな自分の目の前に現れた美しい女性。

 

 あれは、アイリだった。

 

 そして彼女たちに助けられた自分は、体の回復を待って衛宮家の一員として迎え入れられた。

 

「奴らがなぜ、君を選んだのか、それは判らなかった。しかし僕たちが見つけたとき、既に君は英霊に憑依された状態だったんだ」

「・・・・・・・・・・・・ん」

 

 響はそっと、自分の胸に手を当てる。

 

 そこに宿る英霊。

 

 彼は、これまで多くの戦いで、響を助けてくれた。

 

 響と英霊の彼。

 

 ある意味、数奇とも言える縁によって、2人は結ばれていたのだ。

 

「そして、僕たちは君を家に連れ帰り、息子として育てる事にした。あとは、君も知っている通りだ」

 

 そう。

 

 それ以後、響は士郎やイリヤの弟して、実の子供同然に大切に育てられてきた。

 

「けど、あの男が生きていたのは誤算だった」

「あの男?」

 

 苦い物を吐き出すような切嗣の言葉に、響は不穏な物を感じ取った。

 

 対して、切嗣は続ける。

 

「ゼスト、と名乗っていた男がいただろう。あの男こそが、響がかかわった聖杯戦争の発起人、つまりルールマスターに近い存在だった」

 

 あの時、

 

 切嗣は聖杯戦争に関する全ての施設を焼き払った後、ゼストと直接対決を行ったのだ。

 

 壮絶な戦いの末、

 

 勝ったのは切嗣だった。

 

「切嗣、勝ったの?」

「そんな、相手は英霊を宿しているのに!?」

 

 驚いて声を上げる、響と美遊。

 

 まさか、切嗣は英霊相手に勝利したと言うのだろうか?

 

 しかし、驚く子供たちを前に、切嗣は笑って手を振った。

 

「まさか。彼はその時、英霊化せずに戦いを挑んで来たんだ。まあ、それでも勝てたのはぎりぎりだったけどね」

 

 その時の事を思い出す切嗣。

 

 自身の攻撃を悉くかわし、反撃してきたゼスト。

 

 もし、魔術師同士のまともなぶつかり合いだったら、切嗣が敗れていたかもしれない。

 

 しかし、経験と戦術面において、切嗣はゼストを大きく上回っており、それが決定的な要因となった。

 

 地に伏したゼストに、銃口を向ける切嗣。

 

『これで終わりじゃないぞ』

 

 対してゼストは、恨めし気に切嗣を睨みつけながら、そう言った。

 

「確実に、仕留めたはずだった。生きているはずなんて、無かった」

 

 トドメは指した。

 

 切嗣は間違いなく、ゼストの脳天を銃弾で撃ち抜き、彼を絶命させた。その事は確認している。

 

 だが、ゼストは生きていた。

 

 そして、まるで運命に引き寄せられるように、この冬木へとやって来たのだ。

 

「・・・・・・・・・・・・1つ、聞かせて欲しい」

 

 響は、ずっと気になってたことを尋ねてみた。

 

 それは、

 

「どうして、助けたの?」

 

 ゼストの工房で眠っていた自分。

 

 本来なら響は、そこで殺されていたとしてもおかしくは無い。

 

 亜種聖杯戦争にまつわる、全てを消し去る事が切嗣とアイリの目的なのだから。

 

 だが2人は、響を殺さず、それどころか自分達の息子として育ててくれた。

 

「・・・・・・・・・・・・あなたを見ていたら、どうしても、イリヤと重なって見えたの」

 

 答えたのはアイリだった。

 

「見た感じ、あなたとイリヤが同じくらいの年齢だとすぐに判ったわ。だから、どうしても、殺す事が出来なかった・・・・・・・・・・・・」

 

 どこかで、響がイリヤと友達になってくれたら、そんな風に思ったのも事実である。

 

 母として、

 

 アイリは娘と同じくらいの年齢の少年を、殺す事は出来なかったのだ。

 

「響」

 

 切嗣は、静かに語り掛ける。

 

「アイリも、僕も、心から君を愛している。これだけは信じてくれ」

「・・・・・・・・・・・・」

 

 そう告げる父と、

 

 見守る母。

 

 2人の想いが、無形の愛となって響を包み込んでいる。

 

 そんな風に、美遊には見えるのだった。

 

 

 

 

 

第23話「父と、母と」

 



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第24話「真名解放」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 見詰める視界が、鮮やかな橙に染め上げられようとしていた。

 

 傾いた日によって、緑の森林が照らし出されている。

 

 黄昏時。

 

 幻想的な風景は、ただ見ているだけで心が落ち着いていく気がする。

 

 響は城のバルコニーに立って、眼下に広がる光景を眺めていた。

 

 縁に手を当て、石造りの表面をそっと撫でる。

 

 少し風化して、ザラザラとした感触が伝わってくる。

 

 この城は打ち捨てられてかなりの月日がたつせいで、手入れ不足による老朽化が進んでいる。

 

 その為、切嗣たちから一部の場所には入らないように言われていた。

 

 幸い、このバルコニーは大丈夫なようなのだが。

 

 縁に立ち、響は何をするでもなく、夕焼けに染まる森を見続ける。

 

 とは言え、そんな幻想的な風景も、今の響にはどうでもよかった。その脳裏では、昼間に切嗣たちから聞いたことが思い出されている。

 

 ふと思う。

 

 考えて見れば、自分も随分と数奇な運命の下に生まれたものだ。

 

 亜種聖杯戦争。

 

 その為に作り出され、英霊を宿した自分。

 

 なぜ、自分が選ばれたのか? それは判らない。

 

 単にそれだけの事実を見れば、響は不幸の極みだろう。

 

 しかし今、その運命があったからこそ、戦う事ができる。

 

 みんなを、守る事ができる。

 

 その事だけは、感謝しても良かった。

 

 それに、

 

 切嗣。

 

 そしてアイリ。

 

 自分を拾ってくれたのが2人だったから、今の幸せがある事を実感できる。

 

 2人に拾われ、衛宮家に来た響を、みんなが温かく迎えてくれた。

 

 イリヤ、士郎、セラ、リズ、そしてクロ。

 

 みんな、響にとって、かけがえのない家族である。

 

 その大切な人達を守る為の力が、自分にはある。

 

 その事が、響には何よりも心強く感じるのだった。

 

 その時、

 

「響」

 

 呼びかけられ振り返る。

 

 その視線の先には、真っすぐにこちらを見つめる美遊の姿があった。

 

 傾いた日差しが、少女の横顔を照らし、ある種の幻想的な姿を映し出していた。

 

「ん、どうかした美遊?」

「それはこっちのセリフ」

 

 問いかける響を制するように、美遊は言葉をかぶせた。

 

 ズイッと前に出て響に近づく美遊。

 

 背丈が似たような2人である為、互いの鼻が触れ合いそうなほどに接近する。

 

「何を考えているの?」

「何って・・・・・・・・・・・・」

 

 いつもより少し強引な様子の美遊に、響は少したじろく。

 

 少し、視線を逸らす。

 

「別に・・・・・・」

「嘘」

 

 瞬時に響の嘘を見抜く美遊。

 

 普段無表情なくせに、嘘をつくときは割と表情に出やすい響。

 

 美遊の中では既に、響が嘘をついた時の癖を何パターンか把握している。その為、彼女にごまかしは通用しなかった。

 

「・・・・・・・・・・・・」

 

 無言のまま、響は俯く。

 

 確かに、響は美遊に隠し事をしている。

 

 というより、迷っていると言った方が良いかもしれない。

 

 自分がどうすべきか? どう行動すべきか? 考えあぐねているのだ。

 

 だが、その迷いを美遊に伝える事は憚られる。

 

 なぜなら、その迷いの根幹にいるのは美遊なのだから。

 

 迷う響。

 

 対して、美遊は構わず続けた。

 

「・・・・・・・・・・・・多分、彼らはまだ、美遊(わたし)を諦めていない」

「ッ!?」

 

 美遊の言葉に、響は思わず息を呑んで顔を上げる。

 

 美遊は聡い少女である。

 

 そうでなくても、ここに至る元凶が自分にある事を、彼女は自覚していた。

 

 それ故、少女には響が何を考え、何を迷っているのか、手に取るようにわかっていた。

 

 美遊もバルコニーから眼下を見下ろす。

 

 斜陽によって橙に染まる森林。

 

 幻想的な光景の中で、2人だけの時間が過ぎていく。

 

 永遠とも言える時間は、しかし克明に過ぎ去ろうとしている。

 

 彼女の言う「彼ら」と言うのが、ゼスト陣営の事を言っているのは響にも判った

 

 それについては、響も同感である。

 

 切嗣の援護のおかげで大空洞からは脱出できたものの、それで彼らが諦めるとは思えない。

 

 爆破された岩盤の下敷きになって死んだ、と言う事も無いだろう。

 

 ゼスト達は必ず、ここにやってくる。

 

 再び、美遊を奪うために。

 

 連中がなぜ、美遊を狙うのか?

 

 それは、まだ分からない。

 

 いや、あるいは、

 

「美遊、あの・・・・・・・・・・・・」

 

 言いかけて、響は言葉を詰まらせる。

 

 美遊本人なら、彼女自身が狙われている理由も分かるだろう。

 

 そう思って尋ねようかと思ったのだが、

 

 しかし、どうしてもその先が続かなかった。

 

 そんな響の様子に、美遊はクスッと笑う。

 

「優しいね、響は」

「・・・・・・・・・・・・」

 

 美遊の言葉に、顔を俯かせる響。

 

 その頬が僅かに赤く染まっているのは、夕日のせいだけではなかった。

 

 そんな響から視線を外しながら、美遊は続けた。

 

「切嗣さんとアイリさんを、巻き込みたくないんでしょ?」

「・・・・・・・・・・・・ん」

 

 指摘する美遊に、響は短くうなずく。

 

 今この城は、切嗣が張った認識阻害の結界が張られている。この城にいる限り、敵にみつかる可能性は低いだろう。

 

 しかし、いつまでもここに居続ける事は出来ない。

 

 敵はいずれ、この場所を感知して攻めてくるだろう。

 

 その時、この城にとどまって戦えば、父や母を巻き込む恐れがある。

 

 切嗣もアイリも魔術師として一流かもしれないが、それでも生身で英霊と戦えばただでは済まない。

 

 この戦いに、切嗣がやアイリを巻き込みたくない。

 

 それが、響の本音だった。

 

「どうせ響の事だから・・・・・・・・・・・・」

 

 美遊はどこか呆れ気味に、響を見ながら言った。

 

「自分1人で、あの人たちと戦おうって考えてるんでしょ」

「・・・・・・・・・・・・」

 

 美遊の物言いに、沈黙で答える響。

 

 それも図星だった。

 

 ゼスト達の目的が美遊である以上、美遊を矢面に立たせるのは悪手である。

 

 美遊はこの城に残ってもらい、響1人で戦った方が得策だろう。そすれば少なくとも、最悪の事態は防げるはず。

 

 と、

 

 美遊は両手を伸ばして響の頬を挟むと、無理やり自分の方に振り向かせた。

 

「馬鹿なこと言わないで」

「・・・・・・美遊?」

 

 美遊はいつになく厳しい目を響に向ける。

 

「そんなやり方、私が許すとでも思っているの?」

「それは・・・・・・・・・・・・」

 

 視線を逸らす響。

 

 美遊は割と頑固なところがある。

 

 そんな美遊が、響1人を死地に行かせることを、安穏と見逃すはずが無かった。

 

「響」

 

 美遊はスッと、響の手を取る。

 

 掌に感じる少女の手の柔らかさが、響の心を解きほぐしていくのが分かる。

 

「戦うなら、一緒に。あなたと一緒なら、私も戦える」

「美遊・・・・・・・・・・・・」

 

 強い視線を向ける美遊。

 

 その決意に満ちた視線は、真っすぐに響を捉えて離さない。

 

「私も、戦う」

 

 揺るぎない決意と共に告げる美遊。

 

 少女の温かくも優しい言葉は、悲壮な決意を見せる響の心を包み込んでいくのだった。

 

 

 

 

 

 城を出て、森の中へと入っていく響と美遊。

 

 その小さな背中を、切嗣とアイリは城の窓から優し気な眼差しで見つめていた。

 

「止めないの?」

「無駄だろう。僕らが言った程度で、あの子たちが止まるとは思えない」

 

 小さな2人の姿は、既に木々の陰になってほとんど見えなくなりつつある。

 

 何をするつもりなのか、など、考えるまでも無い。

 

 敵と戦うつもりなのだ。2人だけで。

 

 このまま城で戦えば、切嗣とアイリを巻き込んでしまう事は間違いない。

 

 そうならないようにするため、2人はあえて城を出て決戦を挑む事にしたのだ。

 

「意地っ張りね。もっと子供らしく、親を頼ってくれて良いのに」

「そうだな」

 

 少し寂しそうに呟くと、切嗣はアイリの肩をそっと抱き寄せる。

 

 5年前、響を引き取ると決めた時、躊躇いが無かったと言えばウソになる。

 

 当時、既にイリヤのほかに士郎も引き取っていた2人。

 

 そこに来て、さらにもう1人増えても問題は無いだろうか?

 

 まして響は、イリヤとは別の意味で、聖杯戦争の為に生み出された子供だ。うまくやっていけるかは、掛け値なしの未知数だった。

 

 だが、その不安を、家族のみんなが払拭してくれた。

 

 イリヤは響を弟と言うより友達のように接し、士郎はそんな2人を実の弟妹のように可愛がっている。セラとリズの姉妹も、本当によくやってくれている。

 

 都合で家を空ける事の多い切嗣とアイリにとっては、本当にかけがえのない家族だった。

 

 そして響。

 

 あの無口で不器用な男の子は、あの子なりに家族の輪の中に溶け込もうと頑張った。

 

 そうした1人1人の気持ちの繋がりが、今の衛宮家を形作っている。

 

 それは切嗣とアイリにとって、何物にも代えがたい大切な物だった。

 

「さて・・・・・・・・・・・・」

 

 呟くと切嗣は、手を伸ばして傍らのコートを手に取る。

 

 その顔は、先程まで見せていた父親の物ではない。

 

 戦いに赴く戦士、

 

 否、

 

 魔術師としての顔が、そこにあった。

 

「行くのね」

「ああ」

 

 妻の問いかけに、切嗣は短く答える。

 

 城を出て戦うと決めた響の判断は正しい。

 

 たとえ魔術師としての切嗣が強かったとしても、相手は英霊を宿した存在。まともなぶつかり合いでは勝機は無い。

 

 だが元より、切嗣は「まともな戦い」をする気は無い。

 

 そして、家族が戦っている中、後方で安穏と惰眠をむさぼる気も無かった。

 

「僕は僕の戦い方で彼らを援護する。それだけだよ」

 

 そう言って出ていく切嗣。

 

 そんな夫の背中を、アイリは頼もし気に見つめていた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 必然。

 

 という言葉以外、何も出てこない。

 

 既に何度も経験した事である。

 

 故にこそ、こうなる事は初めから判っていた。

 

 交錯する視線。

 

 響、美遊。

 

 優離、ルリア。

 

 深い森の中で、両陣営は再びめぐり合っていた。

 

「もう、鬼ごっこは終わりか?」

 

 圧倒的有利を確信しているのだろう。優離は余裕の態度で語り掛ける。

 

 落ち着き払った静かな口調。

 

 しかしそこに込められた圧倒的な存在感は、響と美遊を押しつぶさんとしているかのようだ。

 

 対して、響と美遊は挑発には答えずに対峙を続ける。

 

 元より劣勢を強いられている状況だ。無駄な事に思考を割いている暇は無かった。

 

「美遊、話した通りに」

「判った」

 

 響の囁きに、美遊は頷きを返す。

 

 既にこれあるを予期し、作戦は決めてある。

 

 あとは、それに従い動くだけだった。

 

 その時、衝撃が吹き荒れる。

 

 響と美遊が見つめる先。

 

 そこには、それぞれアキレウスとアタランテの英霊を宿した、優離とルリアの姿があった。

 

 これもまた、既に何度も見慣れた事態である。

 

 両陣営とも、決戦の機運は既に十分だった。

 

「因縁も、腐れ縁も今日限り。決着を着けるぞ」

 

 低い声で呟き、槍を構える優離。

 

 対抗するように、

 

夢幻召喚(インストール)

 

 小さく、

 

 しかし力強く呟く響。

 

 発生する衝撃。

 

 視界を塞ぐ旋風が晴れた時、

 

 響は漆黒の衣装の上から、浅葱色の羽織を着た、英霊の姿になっていた。

 

 手にした黒塗りの鞘に収まった日本刀が、鋭い存在感を放っている。

 

 同時に、美遊も動いた。

 

《鏡界回廊、最大展開。美遊様》

「お願い」

 

 サファイアの声と共に、美遊もまた魔法少女(カレイド・サファイア)の姿に変身する。

 

 向かい合う両陣営。

 

 状況は、響達にとって決して楽とは言えない。

 

 しかし、

 

 僅かに、視線を交わす響と美遊。

 

 信じあう2人。

 

 お互いがいれば、恐れる物など何もなかった。

 

 次の瞬間、

 

 ほぼ同時に仕掛ける両軍。

 

 戦いが、始まった。

 

 

 

 

 

 戦いは、遠距離からの撃ち合いで始まった。

 

 交錯する閃光。

 

 美遊の放つ魔力弾と、ルリアが放つ矢が空中でぶつかり合う。

 

 激突と同時に、周囲に魔力の光が舞い散る。

 

 両者、手数は互角。

 

 美遊とルリアは、互いの攻撃を空中で相殺し合う。

 

 その直下を、

 

 2騎の英霊が最高速度で駆け抜ける。

 

「ハァッ!!」

 

 初手から、ギアをトップスピードに入れる響。

 

 それと同時に、幼い視線は冷静に勝機を探っていく。

 

 先の激突で、「餓狼一閃」を使えば、優離(アキレウス)相手でもダメージを与えられることは判っている。

 

 しかし、それだけだ。

 

 響の全力攻撃を放っても、単なるダメージ止まりで終わっている。

 

 必殺の一撃を放っても仕留めきれないとあっては、意味は無かった。そして、2度も3度も同じ手を食らうほど、優離もバカではないだろう。

 

 つまり、響が勝つには、何かしら「もう一手」必要だと言う事だ。

 

 繰り出される槍の穂先をいなしながら、懐深く切り込む響。

 

 身を低くして斬り込んでくる響を見た優離。

 

 互いの視線が至近距離でぶつかり合う。

 

 響は間合いに入ると同時に、右手に握った刀を鋭く横なぎに振るう。

 

「ッ!?」

 

 対して、とっさに後方に大きく跳躍する事で、響の攻撃を回避する優離。

 

 だが、

 

「逃がさないッ」

 

 小さく呟くと同時に、響は刀の切っ先を優離へと向け、追撃の態勢を作る。

 

 同時に、地を蹴った。

 

 加速する少年の体。

 

 その鋭い瞳が、最強の英霊を睨む。

 

 だが、

 

 着地と同時に態勢を立て直した優離もまた、対抗するように槍を繰り出してきた。

 

 槍と刀。

 

 銀の閃光が、黄昏の森を鋭く奔る。

 

 激突。

 

 互いの刃の切っ先がぶつあり合い、金属的な異音が響き渡る。

 

「ッ!?」

「クッ!?」

 

 互いに舌打ち。

 

 同時に、響と優離は衝撃によって強制的に後退させられる。

 

 膂力に勝る優離だが、攻撃の勢いは響の方が強かったため、総じて威力は互角となったのだ。

 

 間髪入れず、響は動いた。

 

 着地した態勢から駆ける少年。

 

 一瞬にして間合いを詰めると同時に、逆袈裟に斬り上げる。

 

 斜めに奔る銀の一閃。

 

 その一撃を、槍の柄で防ぐ優離。

 

 互いに至近距離。

 

 睨み合う、響と優離。

 

 と、

 

「・・・・・・・・・・・・何で?」

 

 睨み合いながら、響は口を開いた。

 

「何で、美遊を狙う?」

 

 ずっと疑問だった。

 

 優離達は、なぜ美遊を連れ去ったのか?

 

 思えばバゼットと共にエーデルフェルト邸を襲撃した時から疑問だった。

 

 魔術協会所属のバゼットとともに現れた優離。

 

 その目的は、初めから美遊だったように思える。その為に響達にバゼットをぶつけ、両者が消耗するのを待ったのだ。

 

 そしてお互いに戦闘が終息に向かったと判断した瞬間、

 

 待機していたゼストが介入。強引に美遊を奪い取った。

 

 そう考えれば、これまでの優離達の行動に辻褄が合う。

 

 あと判らないのは、彼らの動機だけだった。

 

 なぜ、美遊をさらったのか?

 

 なぜ、美遊だったのか?

 

「さあな」

 

 対して、優離の返事は素っ気ない物だった。

 

「あいにく、傭兵は依頼主の意思を実行するのが仕事だ。その意図までは聞かんし、興味も無い。それが鉄則ってものだ」

「勝手・・・・・・」

「好きに言え、だがッ」

 

 言いながら、響の剣を強引に弾く優離。

 

 対して響は後方宙返りをしつつ、後退して再び刀を構えた。

 

 その響を睨みながら、優離は続けた。

 

「お前、一つ忘れている事があるぞ」

「?」

 

 告げる優離に、響は警戒しつつ刀を構える。

 

 対して、

 

 優離は槍の穂先をゆっくり下しながら言った。

 

 一見すると、戦意を放棄したような姿。

 

 しかし、

 

「お前が本気で来るなら、俺も本気で対抗せざるを得ないと言う事だ」

「何を・・・・・・」

 

 不吉な言葉を放つ優離に、訝る響。

 

 対して、

 

 優離は構えを解き、真っすぐに響を見据えた。

 

「騎兵を相手に、屋外で戦うと言う意味を教えてやるよ」

 

 言った瞬間、

 

 優離の中で、魔力が高まるのを感じた。

 

 急速に膨張する輝きを前に、響は不意に悟る。

 

 そもそも騎兵(ライダー)とは、その名の通り何かに騎乗する兵士を指す。

 

 例えばエーデルフェルト邸の戦いにおいて美遊が夢幻召喚(インストール)したメデューサが天馬を宝具にしていたように。

 

 だが、これまでの戦いで、優離はいまだに騎乗型の宝具を使用していない。

 

 優離(アキレウス)には、まだ上がある。

 

 響が全力を出していなかったように、優離もまた切り札を隠し持っていたのだ。

 

 輝く閃光。

 

 その中から、

 

 巨大な何かが出現するのが見えた。

 

「なッ・・・・・・・・・・・・」

 

 それは、響の知識で言えば「馬車」に近かった。

 

 馬があり、その後方には人が乗れると思しき車が付属している。

 

 だが、

 

 見た目からくる凶悪さは、「馬車」などと言うのどかな響を完全に粉砕している。

 

 それはまさに「戦車(チャリオット)」と称していい存在だった。

 

 三頭仕立ての馬は、どれも素晴らしい巨体を誇り、その馬力は計り知れないものを感じる。

 

 その威容、その存在感。

 

 それはまさに戦うために存在する兵器であることを示している。

 

 御者台に飛び乗る優離。

 

 はるかに高い位置から、響を見下ろす。

 

疾風怒濤の不死戦車(トロイアス・ドラゴーイディア)!!」

 

 低い呟きとと共に、

 

 優離は立ち尽くす響めがけて突撃を開始した。

 

 

 

 

 

 魔力を足場にして、上空へと駆けあがる美遊。

 

 同時に、振り上げたサファイアに魔力を充填する。

 

射出(シュート)!!」

 

 ステッキを振るうと同時に、放たれる魔力砲。

 

 その強烈な閃光は、眼下に立つルリアを狙う。

 

 対して、

 

 アタランテを夢幻召喚(インストール)したルリアは、その俊敏な動きで木の枝に飛び移り美遊の攻撃を回避。同時に空中にありながら、手にした弓に矢を番えて構える。

 

 放たれる3本の矢。

 

 その鏃が、真っすぐに美遊へと向かう。

 

 ルリアは一斉攻撃を放つ事で、美遊の動きを牽制しようと考えたのだ。

 

 だが、

 

「この程度ッ!?」

 

 とっさに魔力の足場を蹴って回避する美遊。

 

 その間にもサファイアを振るって魔力弾を放ち、ルリアに攻撃を仕掛ける。

 

 当たらなくても良い。とにかく手数で攻めて、ルリアの動きをけん制する作戦だった。

 

 美遊の攻撃が次々と着弾し、木々を薙ぎ払う。

 

 対してルリアも木の間を駆け抜け、美遊の視界をかく乱して回避する。

 

 手数で攻める美遊に対し、ルリアは逃げながら反撃する。

 

 上空から攻撃を仕掛ける美遊。

 

 しかし、ルリアはそれに対し、樹海をいわば隠れ蓑にして防いでいる状態だった。

 

 美遊からはルリアが見えづらいが、逆にルリアからすれば、上空を飛ぶ美遊は狙いやすい的である。

 

 本来なら頭上を押さえ、有利なポジションにいるはずの美遊が、却って苦戦している状態である。

 

 美遊からすれば、戦いにくいことこの上なかった。

 

「このままじゃッ!!」

 

 攻撃が悉く空を切る中、決定打がなかなか奪う事ができない。

 

 視線をわずかに転じれば、響と優離が戦っている様子が見える。あちらもどうやら、芳しくない様子である。

 

 早く、響を援護に行かなくては。

 

 焦る美遊。

 

 その一瞬の隙を、ルリアが突いて来た。

 

 上空に向けて引き絞られる弓。

 

 番える矢は、

 

 しかし美遊に向かっていない。

 

 はるか上空に向けられる眼差し。

 

「我が弓と矢を持って、太陽神(アポロン)処女神(アルテミス)に加護を願い奉る・・・・・・」

 

 祈りの言葉と共に、矢は天空めがけて放たれる。

 

訴状の矢文(ポイボス・カタストロフェ)!!」

 

 はるか上空に消える矢。

 

 その様を、美遊は怪訝な面持ちで見送る。

 

「いったい、何を・・・・・・」

 

 呟いた。

 

 次の瞬間、

 

 天空より、無数の矢が降り注ぐのが見えた。

 

「これはッ!?」

 

 驚愕する美遊。

 

 ほぼすべての戦場を包み込むように降り注ぐ矢の嵐。

 

 逃げ場は、無い。

 

 訴状の矢文(ポイボス・カタストロフェ)

 

 これこそが、英雄アタランテの宝具である。

 

 太陽神アポロンと、月女神アルテミスに願う事で、敵軍に災厄を齎す。

 

 その効果は、敵軍全てを包み込むほど、大量の矢が天空から降り注ぐ形で現れる。

 

 本来なら大軍勢相手に使うべき対軍宝具を、ルリアは美遊1人にぶつけてきたのだ。

 

「これで、終わりよ」

 

 上空の美遊を見上げて、笑みを浮かべるルリア。

 

 酷薄な呟きと共に、全ての矢が一斉に美遊に襲い掛かった。

 

 対して、目を見開く美遊。

 

 四方から降り注ぐ矢を前に、避ける術はない。

 

 次の瞬間、

 

 美遊は複数の矢を、ほぼ同時にその身に受けた。

 

「あッ・・・・・・・・・・・・」

 

 力なく落下する、少女の体。

 

 その姿に、ルリアは勝利を確信する。

 

 ルリアの視界の中で、急速に落下してくる魔法少女(カレイド・サファイア)の姿が見える。

 

「・・・・・・・・・・・・やった」

 

 さんざん手こずらされたが、ようやく決着が着いた。

 

 ただちに、落下地点へと駆け寄るルリア。

 

 程なく、木々の間に倒れる魔法少女姿の美遊が見えてきた。

 

 落下した際に木の枝にぶつかったのだろう。周囲には折れた木片が散らばっているのが見える。

 

 それらを避けながら近づくルリア。

 

 倒れている美遊は気を失っているのか、目を閉じたままピクリとも動かない。

 

 その姿に、ルリアは満足そうにうなずく。

 

「よし、あとはこいつをゼストの元へ・・・・・・・・・・・・」

 

 言いかけた時だった。

 

 突如、

 

 鋭い風切り音と共に、銀色の光が襲い掛かって来た。

 

「ッ!?」

 

 とっさに飛びのいて回避するルリア。

 

 地面に突き立つナイフ。

 

「何がッ!?」

 

 顔を上げて、襲撃者の姿を探すルリア。

 

 するとそこには、

 

 倒したはずの美遊の姿があった。

 

 同時に、足元で転がっている美遊の姿が崩れ消滅する。

 

 現れた美遊の姿は、漆黒のレオタード衣装に黒い長手袋。側頭部に髑髏の仮面を付けた姿に変わっている。

 

 「暗殺者(アサシン)」ハサン・サッバーハ。

 

 訴状の矢文(ポイボス・カタストロフィ)が着弾する直前。美遊はハサンを夢幻召喚(インストール)する事で分身を作り出し回避したのだ。

 

「クッ!!」

 

 とっさに弓を構え、撃ち放つルリア。

 

 放たれた矢は、真っ向から暗殺者(アサシン)姿の美遊を貫く。

 

 だが、矢を食らった美遊の姿は、再び崩れて消滅する。

 

「無駄」

 

 短い呟きと共に、再び現れる美遊。

 

 焦るルリア。

 

 現れては消え、再び現れる暗殺者(アサシン)美遊に、焦燥は募っていく。

 

 次々と現れる分身。

 

 「暗殺者(アサシン)」ハサン・サッバーハは、弱い英霊である。事実、カード回収時に戦った英霊の中では、火力と言う点で最も劣っていると言って良いだろう。

 

 しかし、それは担い手自身の実力次第で、充分に覆し得る戦力差だった。

 

 サファイアから魔力供給を受けている美遊は、妄想幻像(ザバーニーヤ)によって、いくらでも分身を作り出す事ができる。ある意味、ハサンとの相性は最高と言っても良かった。

 

 そして、

 

 木の枝から、

 

 幹の影がから、

 

 開けた平地に、

 

 岩場の上に、

 

 都合、10人の暗殺者(アサシン)美遊が出現した。

 

 個体の能力は本来の10分の1。

 

 しかし、そんな事は最早関係なかった。

 

 完全にルリアを包囲した10人の美遊。

 

 その手にあるナイフが、一斉にルリア目がけて投擲される。

 

 それはまさに、先程の訴状の矢文(ポイボス・カタストロフィ)に対する意趣返しとも言える攻撃。

 

 四方から放たれるナイフの群れに、目を見開くルリア。

 

「クッ!?」

 

 とっさに跳躍。

 

 膂力を振り絞って上空へと逃れる。

 

 着弾するナイフは、しかしルリアを捉える事ができない。

 

 その時には既に、ルリアの姿は美遊の頭上にあった。

 

「このッ よくも!!」

 

 跳び上がったルリアは、再び弓を構えようとする。

 

 予想外の事で焦ったが、問題は無い。ここから態勢を立て直せば済む事。

 

 そう思った。

 

 次の瞬間、

 

「この時を、待っていた」

「なッ!?」

 

 小さく告げられた言葉に、とっさに振り返るルリア。

 

 そのすぐ横には、

 

 ルリアに並ぶようにして立つ、美遊の姿があった。

 

 暗殺者(アサシン)接続解除(アンインストール)され、元の魔法少女(カレイド・サファイア)姿に戻っている美遊。

 

 そして、

 

 ルリアに向けて真っすぐに伸ばしたサファイアには既に、魔力が充填されていた。

 

「クッ!?」

 

 顔を引きつらせるルリア。

 

 しかし、全てがもう遅い。

 

砲射(シュート)!!」

 

 放たれる閃光。

 

 かわす暇も無く、ルリアを直撃する。

 

 成す術も無く、墜落していくルリア。

 

 少女の姿は、やがて地面に叩きつけられ、身動きを取る事すらできなくなる。

 

 まさに、先程の美遊と真逆の結果になった。

 

 しかし、ルリアは美遊とは違って、分身を使う事ができない。

 

 魔力砲の直撃を至近距離からもろに受けた少女は、もはや完全に動くことができず、地に倒れ伏している。

 

 弓兵(アーチャー)も解除され、普段着姿に戻っている。

 

 ルリアが戦闘力を、完全に喪失したのは明らかだった。

 

 その姿を確認してから、美遊は踵を返す。

 

「待ってて響。今行く」

 

 ルリアは仕留めた。

 

 だが、戦いはまだ終わっていない。

 

 苦戦している響を、援護しなくてはならなかった。

 

 

 

 

 

 その様は、正に怒涛だった。

 

 進路の先にある物を全て、あまねく粉砕し、踏みつぶして押し通る暴力。

 

 およそ人の力で押しとどめる事は不可能に近い。

 

 宝具「疾風怒濤の不死戦車《トロイアス・ドラゴーイディア》」。

 

 英雄アキレウスが持つ最強の宝具であり、彼が生前に使用したとされる戦車(チャリオット)である。

 

 車を引く3頭の馬のうち、2頭は海神ポセイドンから賜った「クサントス」と「バリウス」は正真正銘の神馬であり、人語を介し、その身は不死とさえ言われている。

 

 もう1頭の「ペーソダス」は神馬ではないものの、稀代の俊足を誇った名馬であり、その突進力は他2頭に勝るとも劣らない。

 

 その3頭に曳かれた戦車による圧倒的な突撃。

 

 その様は、もはや最強を通り越して最凶と言って過言ではない。

 

 押しとどめる事ができる存在など、この世にいるはずが無かった。

 

「クッ!?」

 

 とっさに、その場を飛びのいて回避する響。

 

 その視界の中を、駆け抜けていく戦車。

 

 危なかった。

 

 判断が一瞬遅かったら、間違いなく響は突撃に巻き込まれていただろう。

 

 だが次の瞬間、

 

 強烈な衝撃が響に襲い掛かって来た。

 

「グッ!?」

 

 吹き飛ばされる少年の体。

 

 そのまま背中から木に叩きつけられ、思わず息を詰まらせる響。

 

 一瞬、気が遠くなる。

 

 完全にかわしたはず。直撃は無かったはず。

 

 しかし、

 

 優離の突撃は、衝撃波だけで響を吹き飛ばしたのだ。

 

 飛びかけた意識を強引に引き戻し、見上げる響。

 

 そこには、空中に跳び上がり、Uターンしようとしている戦車(チャリオット)の姿があった。

 

 どうやら、あの戦車は空も飛べるらしい。

 

「・・・・・・・・・・・・ずるい」

 

 ちょっと、うらやましいとか思って口をとがらせる響。

 

 だが、遊んでいる暇は無かった。

 

 ターンを終えた優離が、再び戦車を駆って突撃してくる。

 

 巨大な撹拌機とでも言うべきか、あんなものとぶつかり合えば、響の体など一瞬にして肉片以下に粉砕されてしまう事だろう。

 

 とっさに飛びのく響。

 

 しかし、戦車の突撃は、紙一重で回避した程度ではどうにもならない。

 

 響は再び吹き飛ばされ、地面に転がる。

 

 受け身を取る事も出来ず、叩きつけられる響。

 

 破格。

 

 としか言いようがない。

 

 単独でも最強の英霊であるアキレウスが、宝具を解放すればこれほどの力を発揮するとは。

 

 どうにか体を起こす響。

 

 痛む体が、少年を縛り付ける。

 

 見上げる空。

 

 そこには既に、攻撃態勢を整えている優離の姿があった。

 

「終わりだ」

 

 短く告げると同時に、手綱を振るう優離。

 

 突撃を開始する戦車(チャリオット)

 

 対して、響は起き上がる事も出来ない。

 

 その凶悪とも言える姿は響へと迫る。

 

 勝負あったか?

 

 そう思った。

 

 次の瞬間、

 

 突如、迸るような閃光が、優離に向けて放たれた。

 

「なッ!?」

 

 とっさに手綱を引き、戦車(チャリオット)を急停止させる優離。

 

 同時に、飛び込んで来た青い影が、倒れている響のすぐ側に降り立った。

 

「響、しっかり!!」

 

 美遊はとっさに倒れている響を抱えて、その場から飛びのく。

 

 ルリアを仕留めた美遊は、響の危機に間一髪で間に合ったのだった。

 

 一方、

 

 攻撃を邪魔された優離は、舌打ちしながら2人を睨みつけた。

 

 あと一歩のところで、響を仕留めそこなったと言う事実にいら立ちが募る。

 

 しかも、

 

 美遊がこの場に現れた、と言う事は、ルリアは敗れたと言う事だろう。

 

 やはり、戦わせるべきではなかった。

 

 そんな後悔が、優離の中で募る。

 

 元々、ルリアは幼い故か、精神的に不安定な部分があった。そんな彼女を戦わせるべきではなかったのだ。

 

 だが、こうなってしまった以上、もはや言っても仕方のない事だった。

 

 ならば後は、自分がルリアの分も戦い、目の前の2人を倒すのみ。

 

 元より、最強の英霊をこの身に宿した自分なら、響と美遊、2人を同時に相手にしても負ける道理は無かった

 

 一方、

 

 響と美遊もまた、そろって優離に向かい合っていた。

 

「ありがと、美遊」

「うん。けど、これからどうしようか?」

 

 何とかルリアを退けた美遊だが、流石に優離相手にどう戦うべきか、彼女でも考えあぐねているのだった。

 

 響も既にボロボロだ。

 

 この状態で、果たして勝機はあるのか?

 

 そんな中、

 

「美遊」

「え?」

 

 呼ばれて振り返ると、響は真っ直ぐに美遊を見つめていた。

 

「どうしたの?」

 

 問いかける美遊に対し、響はスッと手を伸ばしてくる。

 

「手・・・・・・・・・・・・」

「手? 手がどうしたの?」

「ん、握ってほしい」

 

 訝る美遊。

 

 いったい、響はどうしたと言うのか?

 

 しかし言われるまま、そっと少年の手を握りしめる。

 

 伝わる、柔らかい温もり。

 

 響と美遊は、戦いの場にあって、互いの存在を強く結びつけていく。

 

 そんな中

 

「ここで、終わらせる」

 

 低く呟かれる、響の言葉。

 

 同時に、

 

 少年の瞳は、真っすぐに自らが倒すべき敵へと向けられた。

 

 その手に握られた、

 

 一振りの旗。

 

 朱地に、「誠」の一字が書き込まれた大ぶりな旗。

 

 新選組の象徴たる隊旗。

 

 風を受けて、雄々しくはためく。

 

「・・・・・・ここに・・・・・・旗を立てる」

 

 同時に、旗は地面へと突き立てられる。

 

 次の瞬間だった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 世界が、一変した。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 突き立てられた旗を中心に、黒く塗りつぶされる風景。

 

 冷たい風が吹き込み、同時にその場は黄昏時の密林から、夜の荒野へと様変わりする。

 

 世界が、変わる。

 

 全てが、上書き(オーバーライト)される。

 

「なッ これは!?」

 

 驚愕する美遊。

 

 完全に上書きされた世界。

 

 吹きすさぶ夜の荒野。

 

 他には一切何もない、殺風景な様。

 

 その頭上には、白い月が煌々と周囲を照らし出している。

 

「固有結界、だと?」

 

 優離もまた、驚いて声を上げる。

 

 そんな中、

 

「京都守護職 会津藩預かり・・・・・・・・・・・・」

 

 響は優離を真っ向から見据え、

 

「新選組三番隊組長・・・・・・・・・・・・」 

 

 高らかに言い放った。

 

斎藤一(さいとう はじめ)、参る!!」

 

 

 

 

 

第24話「真名解放」      終わり

 




取りあえず、

沖田さんだと思ってた方々、

平にすいません(苦笑


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第25話「翻りし遥かなる誠」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 新撰組三番隊組長 斎藤一

 

 新撰組幹部であり、初期旗揚げメンバーの1人でもある。

 

 その前半生には謎が多く、江戸の天然理心流試衛館道場で近藤勇、土方歳三、沖田総司等と出会うまでは、どこで何をしており、さらにいつ、どこで生まれたのかすら判然とはしない。

 

 剣術流派についても諸説あり、一刀流、無外流、関口流、聖徳太子流など、様々な説が囁かれているが、未だに解明には至っていない。

 

 しかし、その剣術の才が本物であったことは間違いなく、一番隊組長、沖田総司と並んで、新撰組最強と称されている。

 

 後年、新撰組幹部の中で最後の生き残りとなった永倉新八(ながくら しんぱち)は、このように語っている。

 

 「沖田総司は猛者の剣。斎藤一は無敵の剣だった」と。

 

 新撰組隊内において、斎藤は通常の捕縛任務を遂行する一方で、副長 土方歳三の命により、暗殺や潜入、隊内における粛清と言った、裏の仕事を多くこなす事になる。

 

 武田観柳斎(たけだ かんりゅうさい)谷三十郎(たに さんじゅうろう)と言った、脱退を目論んだ幹部の暗殺にも、斎藤がかかわったとされている。

 

 更に、参謀 伊東甲子太郎を首班とした高台寺党。のちの「御陵衛士」離脱の際には密偵として潜入。土方等に伊東一派の情報を伝え、最終的には七条油小路における伊東暗殺に繋がっている。

 

 やがて戊辰戦争が勃発すると、新撰組は旧幕府軍の先鋒として最前線で戦う事になった。

 

 しかし、時代は既に刀剣による白兵戦から、銃砲火器を大量投入した火力戦へと移行していた。

 

 そんな中で、新撰組は時代の流れに取り残された形となっていたのだ。

 

 圧倒的な火力背景に迫る政府軍を前に、次々と倒れていく新撰組の仲間達。

 

 やがて錦の御旗が敵陣に翻るに至り、旧幕府軍の戦線は完全に崩壊する。

 

 戦意を無くし、逃げ惑う味方。

 

 総大将である徳川慶喜(とくがわ よしのぶ)ですら、前線で戦い続ける兵士たちを見捨てて江戸へと逃亡してしまった。

 

 新撰組もまた、否応なく敗走の流れに押し流されていく。

 

 そんな中でも、斎藤は最前線で剣を振るい続けた。

 

 下総の流山で局長 近藤勇が捕縛、処刑された後も新撰組は更に追い詰められ、北へと転戦を続けた。

 

 その中には、斎藤の姿もあった。

 

 宇都宮城攻防戦において副長 土方歳三が負傷すると、斎藤は一時的に新撰組の隊長代行も務めている。

 

 やがて戦いは東北の地、会津へと移る。

 

 そこで、斎藤は土方等と袂を分かつ事になる。

 

 あくまで戦場を求めて、北へと戦いを続ける事を主張する土方達。

 

 対して斎藤は、会津に残って戦う事を選ぶ。

 

 長く共に戦ってきた会津の人々を、斎藤は見捨てる事が出来なかったのだ。

 

 やがてはじまる最後の戦い。

 

 薩長を主力とする新政府軍が会津若松城を囲む中、斎藤は僅かな同志たちと「会津新撰組」を結成、城外にて遊撃戦を展開する。

 

 だが、やはり多勢に無勢だった。

 

 やがて新政府軍は、小うるさく蠢動する斎藤たちを討伐するため、部隊を差し向けてきた。

 

 襲い来る新政府軍300に対し、城近くの如来堂に立てこもった斎藤たち会津新撰組は、僅か13名。

 

 圧倒的な戦力差の中、それでも斎藤は味方を鼓舞して戦い続け、戦い続ける斎藤。

 

 仲間たちは次々と倒れていくが、それでも斎藤は剣を振るい続ける。

 

 怒涛の如く押し寄せる敵を斬り捨て、突き崩し、なぎ倒す。

 

 斬って、

 

 斬って、

 

 夢中になって、ただ斬って、

 

 そしてついには、生き残ってしまった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 新撰組最強と謳われた斎藤一。

 

 幕末と言う熱き時代を駆け抜けた後も、彼は戦い続けた。

 

 その英雄とも言える剣士が今、

 

 英霊となって響に憑依。

 

 再び愛する者を守るために立ち上がっていた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 周囲に広がる光景には、息を呑む事しかできなかった。

 

 響が手にした旗。

 

 そこに描かれた「誠」の一字。

 

 新撰組の誇りが刻まれた隊旗が、大地へと突き立てられた瞬間、

 

 その旗を基点にするように、周囲の風景は一変した。

 

 否、「塗り替えられた」と言っても良いかもしれない。

 

 それ程までに、変化は劇的だった。

 

 ただ景色が変わったわけではない。

 

 空間そのものが、完全に別の物に変わってしまったのだ。

 

「これが・・・・・・固有結界・・・・・・」

 

 茫然と呟く美遊。

 

 彼女も、実際に目の当たりにするのは初めての事だった。

 

 固有結界(リアリティ・マーブル)

 

 それは魔術の最奥と言われ、「魔法」の一歩手前とまで言われている。

 

 世界そのものを、術者の心象風景で上書きする大魔術。

 

 本来であるなら、一部の最高峰と呼ばれる魔術師のみに許された秘儀中の秘儀。

 

 英霊とは言え、神秘性の薄い斎藤一に扱える代物ではない。

 

 だが、

 

 響達の背後で雄々しくはためく誠の旗。

 

 新撰組隊士数百名の想いが込められた旗。

 

 隊士全ての想いが結集して、この世界を形成しているのだ。

 

 固有結界「翻りし遥かなる誠」

 

 これこそが、響の最後の切り札だった。

 

「美遊、離れて」

「う、うん」

 

 促されるまま、美遊はそっと響の手を放して離れる。

 

 これから始まる最後の激突。

 

 響は全ての意識を、対峙する優離へと集中させる。

 

 少女の視線は、そんな少年の横顔を真っすぐに見つめる。

 

 お願い、響。

 

 負けないで。

 

 美遊の想いが、響を優しく包み込む。

 

 対して、

 

 優離は戦車に乗ったまま、響と対峙する。

 

「固有結界とは驚いたな。まさか、これほどの隠し玉を持っているとは」

「ん、必殺技は最後に使うのが常識」

 

 アニメ的な定番を言いながら、響は刀を構える。

 

 冗談はさておき、優離が「疾風怒濤の不死戦車(トロイアス・ドラゴーイディア)」と言う切り札を切ってきた以上、響もまた相応の力で対抗しなくては勝てない。

 

 それが、この固有結界だった。

 

 果たして、この固有結界の能力がいかなるものなのか、それは実際に戦ってみない事には判らなかった。

 

「良いだろう、行くぞ」

「ん」

 

 睨み合う、響と優離。

 

 互いに視線がぶつあり合い、空中で火花を散らした。

 

 次の瞬間、

 

 両者は動いた。

 

 響は地を蹴り、

 

 優離は手綱を繰る。

 

 接近する両者。

 

 浅葱色の疾風が闇夜に走り、怒涛の如き蹂躙がすべてをかみ砕く。

 

 しかし、根本的な戦力差は変わっていないはず。

 

 宝具を使用し戦車に乗る優離の方が、戦力的には勝っている。単純な激突では響に勝ち目はない。

 

 あらゆるものを蹂躙しつくし、戦車が少年へと迫る。

 

「響ッ!!」

 

 見ていた美遊が声を上げた。

 

 次の瞬間、

 

 少女が見ている前で、少年の体は闇に溶けるように消え去った。

 

「え・・・・・・・・・・・・?」

 

 茫然と呟く美遊。

 

 戦車を駆る優離もまた、突然の事態に警戒しつつ、停止する。

 

 その視界の先で、

 

 刀をだらりと下げて佇む響の姿が浮かび上がった。

 

 しかし、その場所は先ほどまで響が立っていた地点から、僅かに離れている。

 

「・・・・・・・・・・・・何だ?」

 

 優離はいぶかるようにして目を細める。

 

 自分の戦車は、間違いなく響を捉えたはず。かわす暇は無かった。

 

 だが、響は一瞬にして、優離の攻撃を回避し安全圏まで逃れてしまった事になる。

 

「いつの間に・・・・・・」

 

 離れた場所で見ていた美遊にも、響がいつの間に移動していたのか、見極める事が出来なかった。

 

 静かに佇む響の瞳が、戦車上の優離を睨む。

 

「チッ!!」

 

 舌打ちしつつ、優離は蹄を返す。

 

 響が宝具を使い、何らかの効果が現れているのは理解している。

 

 その正体を見極める必要があった。

 

 再び突撃する優離の戦車。

 

 怒涛の突撃が、結果以内の大地を容赦なく揺らす。

 

 その車輪と馬蹄が、響を引きつぶそうとした。

 

 次の瞬間、

 

 またしても、同じことが起こった。

 

 響の姿は霞と消え去り、優離の攻撃は虚しく空を切る。

 

「クッ!?」

 

 いったい、何が起こっているのか。

 

 舌打ちしながら手綱を引き、戦車を急停止させる優離。

 

 響がどこに行ったのか、それをまずは見極めないと。

 

 そう思って、闇の中に視線を巡らした。

 

 その時、

 

「無駄」

「ッ!?」

 

 すぐ背後で、囁かれる不吉な言葉。

 

 息を呑む優離。

 

 次の瞬間、

 

 彼のすぐ背後に、羽織を靡かせた少年の姿が浮かび上がった。

 

 手にした刀を振りかざし、既に斬りかかる態勢に入っている響。

 

「クッ!?」

 

 横なぎに繰り出される、響の刀。

 

 対して優離は、殆ど反射的に腕を振り抜く。

 

 ぶつかり合う、刃と拳。

 

 強烈な衝撃音が、暗闇の空間に鳴り響く。

 

 優離の拳は、辛うじて響の攻撃を弾き返した。

 

 飛びのく響。

 

 地に足を着くと同時に、再び刀を構える。

 

 対して、

 

「・・・・・・・・・・・・」

 

 御者台の上から、優離は無言のまま響を見下ろした。

 

 これで2度。決して偶然ではない。

 

 響は何らかの方法で優離の攻撃を回避し、反撃に転じる手段を持っているのだ。

 

 周囲を見回す。

 

 それが、この固有結界の効果であることは疑いない。

 

 だが、その正体については、未だに文字通り「闇の中」だった。

 

「・・・・・・・・・・・・やむを得んな」

 

 呟くと同時に、

 

 優離は戦車からひらりと飛び降りた。

 

 疾風怒濤の不死戦車(トロイアス・ドラゴーイディア)は強力な反面、小回りが利かず、更に消費魔力も莫大なものとなる。

 

 その突撃を回避し、懐にまで飛び込んでくる力を持った暗殺者(アサシン)が相手では、不利と言わざるを得ない。

 

 このまま無為に維持し続けても魔力切れを起こすのは目に見えている。それよりも、戦車を下りて白兵戦を挑んだ方が有利と考えたのだ。

 

 白兵戦ならば絶大な防御力を誇る勇者の不凋花(アンドレアス・アマラントス)。そしてギリシャ随一と言われる俊足を誇る、彗星走法(ドロメウス・コメーテース)と言う二大宝具で圧倒できる。

 

 弱点(かかと)をさらけ出してしまう不利はあるが、その2つの対人宝具さえあれば、優離の優位性は動かない。

 

 そう考え、優離は白兵戦を選択したのだった。

 

 槍を構え、穂先を真っすぐに響へと向ける優離。

 

 対して、響も刀の切っ先を優離へと向ける。

 

 両者、動いたのは同時だった。

 

 駆け抜ける両雄。

 

 これが、最後の激突となる。

 

 響と優離は、同時にそう思った。

 

 距離を詰める両者。

 

 轟風を唸らせ、槍を真っ向から繰り出す優離。

 

 対抗するように、響も横なぎに刀を振るう。

 

 ぶつかり合う、互いの刃。

 

 闇の中で火花が飛び散る。

 

 衝撃が、互いの体を押し戻す。

 

 先に態勢を立て直したのは響だった。

 

 踏み止まると同時に、素早く刀を返す響。

 

 同時に、今度は逆袈裟に斬りあげるように繰り出した。

 

 斜めに走る銀の刃。

 

 響が繰り出した一撃を、

 

 優離はのけぞるようにして後退し回避する。

 

 僅かに後退して着地する優離。

 

 対して、追撃を仕掛ける響。

 

 一足で間合いを詰めると同時に、刀の切っ先を優離へと向ける。

 

「なめるな!!」

 

 優離は響が斬り込むよりも先に態勢を整えると、間髪を置かずに槍を横なぎに繰り出す。

 

 その刃が響の姿を捉えた。

 

 と思った瞬間、

 

 またも、響の姿は優離の目の前から消え失せた。

 

「ッ!?」

 

 息を呑む優離。

 

 次の瞬間、

 

 襲撃者は背後から襲ってきた。

 

 繰り出された刃が、優離の背中を斬り裂く。

 

「なッ!?」

 

 驚愕に染まりながらも、どうにか振り返りつつ、槍を薙ぎ払う優離。

 

 だが、その攻撃が当たる前に、響は大きく後退して回避した。

 

 勇者の不凋花(アンドレアス・アマラントス)のおかげでダメージは無い。

 

 だが、

 

 得体の知れない攻撃によって、響に先制を許したのは確かだった。

 

 更に、

 

 優離は先程から、ひどい戦い難さを感じていた。

 

 対峙する響。

 

 その姿が、先程から視界の中で霞むように不確かになっているのだ。

 

 まるで虚像を相手にしているような不明瞭な感覚。

 

 目の前に確かにいるはずの響を、優離の感覚は捉え切れていない僅かでも気を抜けば、その瞬間に見失ってしまいそうになる。

 

 これはいったい、どういう事なのか?

 

 斬り込んでくる響。

 

 その姿が、優離にはノイズが掛かったように霞んで見える。

 

「クッ!?」

 

 突き込まれた刃を、どうにか槍を繰り出して防ぐ優離。

 

 代わって繰り出した槍は、響に余裕で回避された。

 

 攻撃のタイミングがずれる。

 

 対応が、どうしてもワンテンポ遅れる。

 

 響の動きを、優離は正確な「イメージ」として補足できていないのだ。

 

「・・・・・・・・・・・・そうか」

 

 ややあって、優離は何かに納得したように頷いた。

 

「それが、お前の能力と言う訳か」

「・・・・・・・・・・・・」

 

 悟ったような事を言う優離に対し、響は無言のまま刀を構える。

 

 気づかれた。恐らく。

 

 優離ほどの戦闘巧者だ。戦っていれば、この固有結界がいかなるものか気づかないはずが無い。

 

 そもそも響は固有結界を展開してから、疾風怒濤の不死戦車(トロイアス・ドラゴーイディア)を回避し、全く気付かせずに背後に回って奇襲をかけ、正面からの戦闘でさえ有利に進めている。

 

 その全てに共通する点は何か?

 

「・・・・・・俺の『認識力の低下』か」

 

 総じて言えば、優離の攻撃は響に当たらなくなっていた。

 

 ゲーム的に言えば「命中率の低下」とでも言えばいいのか。

 

 響が固有結界を展開してから、優離は攻撃の照準を定めづらくなっていた。

 

 響の輪郭はぼやけるようにしか認識できず、間合いも測りづらい。逆に響の攻撃は、ほとんど正確無比と言った感じに、優離に対して奇襲を成功させている。

 

 「取り込んだ相手の感覚を低下させる」

 

 恐らくそれが、この「翻りし遥かなる誠」の能力なのだ。

 

「ん、正解」

 

 あっさりと認める響。

 

 そこまで看破された以上、黙っている事に意味は無かった。

 

 この空間は言わば、徹底的に「暗殺」と言う要素を完成させる為に設えた舞台。

 

 使用者たる暗殺者(アサシン)斎藤一の姿を晦まし、同時に取り込んだ敵の感覚を下げる絶対的暗殺空間。

 

 それが、宝具「翻りし遥かなる誠」の正体だった。

 

 かつて、新撰組隊内においても暗殺者として鳴らし、多くの者を手にかけてきた斎藤一。

 

 その彼の心象風景を映し出し、全てを「暗殺するのに最適な空間」にしたのが、この固有結界と言う訳だ。

 

「成程な」

 

 言いながら、優離は再び槍を構える。

 

 正体は判った。

 

 この空間内にいる限り、騎兵(ライダー)の自分よりも、暗殺者(アサシン)の響の方が圧倒的に有利な事も理解した。

 

 だが、

 

「それだけの話だ」

 

 低い声で告げる。

 

 自身の感覚が低下し、響の動きも把握できない。

 

 ならば、それを前提にして動けばいいだけの話だった。

 

 仕掛ける優離。

 

 間合いを詰めると同時に、槍を繰り出す。

 

 対して、

 

 響もまた仕掛ける。

 

 優離の繰り出す槍を紙一重で回避。懐に飛び込みながら、刀を横なぎに振るう。

 

 鋭い刃が闇を奔る。

 

 刀が優離を斬り裂く。

 

 否、

 

 斬ったのは鎧のみ。肉体には傷一つ付いていない。

 

 固有結界の能力は、相手の感覚を下げる物。戦闘力その物を低下させることはできない。当然、勇者の不凋花(アンドレアス・アマラントス)も健在だった。

 

 お返しとばかりに、繰り出される優離の槍。

 

「ッ!?」

 

 振り向きざまに繰り出された鋭い薙ぎ払いに対し、とっさに刀で受けて防御する響。

 

 流石に密着状態では、感覚低下の恩恵も薄れる。

 

 ここが攻め時とばかりに距離を詰める優離。

 

 槍を短く持ち替え、凄まじい速度で連撃を繰り出す。

 

 対して、響も刀を繰り出して優離の攻撃を弾く。

 

「どのみち、感覚が鈍っているのならばッ!!」

 

 言い放つと同時に、強烈な連続突きを繰り出す優離。

 

 殆ど空間そのものを粉砕するが如き怒涛の攻撃は、「響がいると思われる場所」全てを薙ぎ払うように撃ち放たれる。

 

 対して、

 

「クッ!?」

 

 舌打ちする響。

 

 流石に抗しきれないと判断し大きく後方へ跳躍。そのまま、美遊が佇む場所まで戻って来た。

 

 着地する響。

 

 それをみて、美遊が駆け寄って来た。

 

「響、大丈夫?」

「ん、何とか」

 

 心配そうに問いかける美遊に答える響。

 

 とは言え、状況は良いとは言えない。

 

 優離(アキレウス)の最強宝具である疾風怒濤の不死戦車(トロイアス・ドラゴーイディア)を封じ、感覚の何割かを潰し、それでもなお、互角とはいいがたい。

 

「ほんとに、チート・・・・・・・・・・・・」

 

 言いながら、刀を構える響。

 

「宝具で抑え込めるのは、多分あとちょっと・・・・・・次で決める」

 

 眦を上げて決意を告げる響。

 

「響、信じてるから・・・・・・・・・・・・」

 

 祈るような美遊の言葉。

 

 対して、

 

「ん」

 

 響も、僅かに微笑んで頷きを返す。

 

 対峙する両者。

 

 優離は槍の穂先を真っすぐに響へ向ける。

 

 対抗するように、刀を正眼に構える響。

 

 両雄は地を蹴った。

 

 彗星走法(ドロメウス・コメーテース)を全開にして迫る優離。

 

 その双眸は、向かってくる響を真っ向から捉えている。

 

 感覚低下も、暗闇ステルスも関係ない。

 

 最大戦速で迫り、かわしようない一撃を叩き込む。

 

 それで終わりだ。

 

 繰り出される槍。

 

 その様、正に彗星の如く。

 

 目の前にあるあらゆる存在を吹き飛ばす、決死の一撃。

 

 その一撃を前に、闇の空間すら吹き飛ばされる。

 

 響の体へと突き込まれる。

 

 貫かれる響。

 

 勝利を確信する優離。

 

 これで終わり。

 

 そう思った。

 

 次の瞬間、

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 ザンッ

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 一瞬の斬撃音。

 

 次の瞬間、

 

「ガアァァァァァァァァァァァァ!?」

 

 足から全身に伝播した痛みを前に、思わず優離は身をのけ反らせる。

 

 まるで、全身の神経を一気に引き抜かれたような、そんな強烈な痛みを前に、優離はその場に立ち尽くす事しかできない。

 

 その足。

 

 右の踵から噴き出す鮮血。

 

 勇者の不凋花(アンドレアス・マラントス)唯一の弱点である踵が、鋭利な切り口で真一文字に斬り裂かれている。

 

 そして、

 

 背後で刀を振り切った状態で立つ響。

 

 優離が勝利を確信した、あの一瞬。

 

 響は攻撃を回避し、優離の背後に回り込んでいたのだ。

 

 自身にとって唯一の勝機を突くために。

 

「グッ き、貴様・・・・・・」

 

 最後の力を振り絞り、振り返る優離。

 

 槍を振り上げ、響に向けて繰り出す。

 

 弱点を斬り裂かれて尚、戦いをやめない闘争心。

 

 だが、

 

 響は既に、己が倒すべき敵を真っ向から見据えていた。

 

 左手に刀を持ち切っ先を優離へと向けると、右手を前に突き出し、弓を構えるようにして引き絞る。

 

 迫る優離。

 

 弱点を斬られ、速度こそ落ちている物の、それでも圧倒的とも言える勢いは変わらない。

 

「無明・・・・・・暗剣殺」

 

 低い響の呟き。

 

 次の瞬間、

 

 一瞬で駆け抜ける。

 

 闇を斬り裂く銀の閃光。

 

 その一閃が、真っ向から優離に胸を貫く。

 

 駆け抜ける両者。

 

 背中合わせに対峙する、響と優離。

 

 ややあって、

 

「・・・・・・・・・・・・見事、だ」

 

 低い呟きを漏らす優離。

 

 次の瞬間

 

 鮮血が胸から噴き出す。

 

 崩れ落ちる大英雄。

 

 

 

 

 

 勝敗は、決した。

 

 

 

 

 

第25話「翻りし遥かなる誠」      終わり

 



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第26話「戦いの終わりに」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 ドウッ

 

 大きな音が鳴り響き、大英雄は地に倒れ伏す。

 

 その胸より流れ出た鮮血が大地を染め上げる。

 

 その様子が、彼が既に戦える状態ではない事を、如実に物語っていた。

 

 仰向けに倒れ、動けずにいる優離。

 

 対して、

 

 響は刀を構えた姿勢のまま、その様子を見つめていた。

 

 その息は荒い。こちらも、今すぐにでも倒れそうなほど消耗している。

 

 勝つには勝った。

 

 だが、ぎりぎりの勝利だったのも確かである。

 

 一歩間違えば、地に伏していたのは響の方だったはずである。

 

「やった・・・・・・・・・・・・」

 

 背後で見守っていた美遊も、重い物を吐き出すように呟く。

 

 それだけ、息詰まる攻防だった。

 

 やがて、

 

 美遊のすぐ傍らで、彼女を守るように翻っていた誠の旗が、役目を終えたようにスッと消える。

 

 それと同時に、上書きされていた世界が元に戻っていくのが分かった。

 

 視界が開ける。

 

 固有結界「翻りし遥かなる誠」が解除され、暗闇の荒野から、元の森林へと風景が戻っていく。

 

 黄昏色に染まる森。

 

 そんな中、

 

 美遊の視界の中に、佇む少年の姿があった。

 

 地に伏した優離と、大地に立つ響。

 

 いずれに勝利の軍配が上がったのかは、火を見るよりも明らかだった。

 

 響はついに、最強の英霊を撃破したのだ。

 

「響・・・・・・・・・・・・」

 

 声を掛ける美遊。

 

 と、その時、

 

「あ・・・・・・・・・・・・」

 

 立ったまま、その場で体を傾かせる響。

 

 そのまま力が抜け、崩れ落ちそうになる。

 

「響ッ!!」

 

 見ていた美遊は、とっさに飛び出すと、倒れようとする少年の体を支える。

 

 だが、とっさの事で美遊も支えきる事が出来ず、そのまま2人とも、もろともに地面に倒れてしまった。

 

 特に美遊は、倒れてしまった衝撃で後頭部を思いっきり地面にぶつけてしまった。

 

「い、痛・・・・・・」

「ん、ご、ごめん、美遊・・・・・・・・・・・」

 

 響はばつが悪そうに、下敷きにしてしまった美遊に謝る。

 

 絡み合うように倒れ込んだ2人。

 

 とは言え2人とも、特に響はいいかげん限界だった。

 

 大英雄アキレウスと戦うだけでも命がけだと言うのに、そこへ切り札たる宝具まで使ったのだ。

 

 蓄積された疲労も、魔力消費も半端な物ではなかった。

 

 勿論、美遊も消耗が激しい。

 

 まさに2人とも、限界を振り絞った末の勝利だった。

 

 ゴロリと、並んで横になる響と美遊。

 

 途端に襲ってくる、極度の疲労感。

 

 何と言うかもう、一歩たりとも動きたくない感じである。

 

 どれくらい、そうしていただろう?

 

「・・・・・・・・・・・・ねえ、響」

 

 ややあって、美遊の方から声を掛けてきた。

 

「ありがとう。助けに来てくれて」

「ん? 急に何?」

 

 礼を言う美遊に、響はキョトンとした顔で問い返す。

 

 そんな響に、美遊は寝ころんだまま、柔らかく微笑みかける。

 

「ちゃんとお礼、言ってなかったから」

 

 捕まった美遊を助けに来てくれた響。

 

 勿論、最初に来てくれたのは、あっちの「ヒビキ」だったが、響自身も、美遊を守るために死力を尽くしてくれた。

 

 それが美遊には、とても嬉しい事だったのだ。

 

「ありがとう、響」

「う、うん」

 

 触れ合う手と手。

 

 その温もりに、響はほんのり頬を赤くする。

 

 美遊の為だったら、いくらでも困難に立ち向かう。

 

 美遊のピンチの時は、たとえどんな場所からでも駆けつける。

 

 それは今や、響の中で信念と言っても差支えが無い、深い想いとなって根付いていた。

 

 その時だった。

 

「やれやれ・・・・・・暢気なものだな。ここはまだ戦場だと言うのに」

「ッ!?」

「なッ!?」

 

 突然の声に、とっさに立ち上がり、構えを取る響と美遊。

 

 するとそこには、地面から上半身だけをようやく起こしてた優離の姿があった。

 

 跳ねるようにして立ち上がり、それぞれ刀とステッキを構える響と美遊。

 

 だが、

 

 警戒する2人を他所に、優離はだらりと力なく地面に座っているだけである。

 

 見れば、胸と右足から大量に出血しているのが見えた。

 

 それは響との戦闘によるものである事は間違いないだろう。

 

 既に夢幻召喚(インストール)も解除され、英霊化も解かれている。

 

「そう警戒するな。どのみち、俺はこれ以上戦えんさ」

「・・・・・・・・・・・・」

 

 優離の言葉に、響は沈黙しつつも警戒を解く。

 

 確かに、

 

 どう見ても、優離がこれ以上戦えるとは思えなかった。

 

「・・・・・・・・・・・・なあ、衛宮響」

 

 地面に座ったまま、

 

 優離は真っ直ぐに響を見据えて言う。

 

「お前は聖杯に、何を望む?」

「ん?」

 

 聖杯。

 

 ここでその単語が出てくるとは思わなかった。

 

 だが、優離は構わず続ける。

 

「力か? 金か? あるいは栄光か? お前は何を望んで、聖杯戦争に参加した?」

 

 言われて響は、切嗣に説明されたことを思い出していた。

 

 亜種聖杯戦争。

 

 自分は、その一環として英霊を憑依させられた。

 

 今回の戦いは、その延長線上にある物。そう考えれば、いくつかの事に辻褄が合う。

 

 同じように英霊を宿した敵の襲来。

 

 かつての闘争の地である冬木での戦い。

 

 全てが、かつての亜種聖杯戦争の延長線上にある出来事だったのだ。

 

「・・・・・・・・・・・・別に」

 

 ややあって、響は答えた。

 

「聖杯なんて興味ないし、別に要らない。ただ・・・・・・・・・・・・」

「ただ?」

 

 問いかける優離。

 

 対して、響は傍らの美遊の手をそっと握って言う。

 

「友達を傷つける奴は許さない。それだけ」

「響・・・・・・・・・・・・」

 

 きっぱりと告げる響に、美遊は嬉しそうに微笑みを浮かべる。

 

 響の優しさ。

 

 響の強さ。

 

 響の温もり。

 

 その全てが、今の美遊には愛おしく思えるのだった。

 

 対して、

 

「・・・・・・・・・・・・そうか」

 

 どこか納得したように、優離は呟いた。

 

 そういう事であるならば仕方がない。

 

 そこまで言われてしまったら、もう何も言う事が出来なかった。

 

 負けはしたが、どこかさっぱりした気分になってくる。

 

「・・・・・・・・・・・・すまんな、親父」

 

 そっと、この場にいない父親に対して詫びる優離。

 

 訝る響と美遊。

 

 しかし、詳しく話すつもりは、優離には無いようだった。

 

「まあ、良いさ・・・・・・・・・・・・」

 

 今回は駄目だった。

 

 だが、まだ時間はある。諦めるつもりはない。

 

 また次の手を探すまでだった。

 

「グッ・・・・・・・・・・・・」

 

 うめき声をあげながらも、腕に力を入れて立ち上がる優離。

 

 その姿に、響と美遊は目を見張る。

 

 アキレス腱を斬られ、胸に風穴まで開いていると言うのに、優離は立ち上がって見せたのだ。

 

「何する気?」

「治療してくれる奴を探す。まあ、当てはあるし」

 

 言ってから、優離は思い出したように振り返って2人を見た。

 

「せいぜい頑張る事だな。男なら、自分の女くらい守り切って見せろ」

「・・・・・・・・・・・・」

 

 小学生に言うセリフではないだろう。

 

 だが、意味を理解した響は、顔を赤くして俯く。

 

「響?」

 

 そんな響を、キョトンとした顔で見つめる美遊。

 

 どうやら、前途はまだ少し掛かるようだった。

 

 そんな2人の様子に、苦笑する優離。

 

「じゃあな」

 

 よろけながらも、手を振りながら踵を返した。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「ああ、それじゃあ困るんだよ」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 次の瞬間、

 

 地面から出現した巨大な杭が、背中から優離を貫いた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 絶望的な光景。

 

 響は目を見開き、

 

 美遊は思わず口元を手で押さえる。

 

 2人が見ている目の前で、優離は地面から生えた杭に、腹を刺し貫かれていた。

 

 鮮血が噴き出て大地に降り注ぐ。

 

 と、同時に、

 

 悪辣なオブジェと化した優離の陰から、低い笑みを含んだ声開聞こえてきた。

 

「やれやれ、我ながら見るに堪えない光景だ。傭兵の血など、流したところで一片の価値すら無いと言うのに」

 

 嘲りを含んだ言葉。

 

 同時に、響は動いた。

 

「んッ!!」

 

 駆けると同時に、手にした刀を一閃。優離を刺し貫いている杭を、根本付近から斬り飛ばした。

 

 崩れ落ちる優離。

 

 その陰から現れる、不吉な影。

 

 漆黒の外套に身を包んだ、幽鬼の如き顔の男。

 

「ゼスト・・・・・・・・・・・・」

 

 全ての元凶たる男が、そこにいた。

 

 睨みつける響。

 

 対して、ゼストは口元に嘲笑を浮かべて佇んでいる。

 

「何で、こんな事を・・・・・・・・・・・・」

 

 響は倒れている優離を見ながら告げる。

 

 腹に杭が刺さったまま、地面に倒れている優離。生きているのかどうか、それすらも分からない。

 

 響は怒りの切っ先をゼストに向ける。

 

 優離は響にとって敵である。それは今でも変わらない。しかし少なくとも、これまで幾度もおこなった戦いにおいて、共に全身全霊を掛けて戦った好敵手であったことは間違いない。

 

 その優離が、味方だったはずのゼストの姦計によって致命傷を負い倒れている。

 

 その事に響は、奇妙なまでの怒りを覚えていた。

 

 対して、

 

 自身に怒りを向ける響に、ゼストは首をかしげながら訪ねる。

 

「何で、と言われてもね・・・・・・・・・・・・」

 

 どこか、小ばかにしたような口調のゼスト。

 

 それが響の神経を、不快に逆なでする。

 

「君だって、使い終わって壊れた玩具はごみに捨てるだろう? それと同じだよ。そいつにはもう、利用価値は無い。だから処分した。それだけの事さ」

 

 かつての味方を切り捨てた事を、何でもない事のように語るゼスト。

 

 次の瞬間、

 

 響は仕掛けた。

 

 これ以上、ゼストのたわ言は聞くに堪えなかった。

 

 距離を詰める響。

 

 対して、

 

 ゼストは右手を真っ直ぐに掲げた。

 

 その手のひらに、魔力がこもる。

 

 反応したのは響ではなく、その後ろにいた美遊だった。

 

「だめッ 響、よけて!!」

 

 叫ぶ美遊。

 

 同時に、

 

極刑王(カズィクル・ベイ)!!」

 

 ゼストが言い放った。

 

 次の瞬間、

 

 響の目の前に、無数の杭が乱立するさまが見えた。

 

「クッ!?」

 

 とっさに攻撃を中止する響。

 

 同時に上空へ跳躍。魔力で足場を作りながら逃れる。

 

 見れば美遊もまた、響同様に空中に跳び上がって回避していた。

 

「これは、あの時の・・・・・・・・・・・・」

 

 美遊は息を呑んで、眼下の光景を見つめる。

 

 地面から無数の杭が出現している様子。

 

 それはある、おぞましく血塗られた歴史の再現でもあった。

 

 西暦1462年。

 

 ルーマニアに侵攻した当時のヨーロッパの大国、オスマントルコ帝国の兵士たちは、国境線において身の毛もよだつ光景を目の当たりにした。

 

 それは国境にずらりと並んで打ち立てられた無数の杭。

 

 そして、その先端に刺し貫かれた、およそ2万にも及ぶ味方の兵士の姿だった。

 

 見せしめだった。

 

 当時のオスマントルコ軍は、ルーマニア軍の15倍を誇り、まともなぶつかり合いではルーマニア側に勝機は無かった。

 

 そこで、当時ルーマニア軍を指揮していた大公は、徹底的な残虐性を見せつけてオスマン軍将兵の士気を挫く作戦を立案、実行した。

 

 その人物こそ、ヴラド三世。

 

 のちに吸血鬼ドラキュラのモチーフになった人物である。

 

 ランサー、ヴラド三世の宝具「極刑王(カズィクル・ベイ)」は、このエピソードをもとに再現された物だった。

 

 地面に降り立つ、響と美遊。

 

 ようやくの想いで優離とルリアを倒したと言うのに、またしても強敵が出現した形である。

 

「殆ど共倒れに近い状況になってくれたようだし、こちらとしては大満足だよ。これで、心置きなく君を手に入れられる」

「ッ!?」

 

 睨みつけてくるゼストに、思わず肩を震わせる美遊。

 

 美遊にとってゼストは、いわば「天敵」と言っても過言ではないかもしれない。

 

 先の戦いで攫われた事もそうだが、あの男は美遊の「秘密」を知っている可能性がある。

 

 美遊にとっては、あらゆる意味で嫌悪すべき男だった。

 

 と、

 

「・・・・・・・・・・・・」

「響・・・・・・」

 

 美遊を守るように立つ響。

 

 浅葱色の羽織を靡かせ、手にした刀は切っ先を真っすぐにゼストへと向ける。

 

「やらせない」

 

 短い言葉に、不退転の決意が籠る。

 

 既にして満身創痍。夢幻召喚(インストール)も、いつ解除されてもおかしくは無い。

 

 もう一度、宝具を発動する事は不可能。

 

 だがそれでも、

 

 響は一歩も引かず、ゼストを睨みつけた。

 

 その響に合わせるように、

 

 美遊もまた、サファイアを掲げて見せた。

 

「響、私も一緒に」

「ん」

 

 頷きあう、少年と少女。

 

 次の瞬間、

 

 2人は同時に地を蹴った。

 

 自身に向かってくる、小さな二つの影。

 

 対して、ゼストは容赦なく右手を掲げる。

 

極刑王(カズィクル・ベイ)!!」

 

 叫ぶと同時に、

 

 再び乱立する杭の群れ。

 

 足元の地面から襲い来る恐怖は、想像を絶していると言って良いかもしれない。

 

 本来ならば、足がすくんで動けなくなってもおかしくは無い。

 

 だが、

 

「んッ!!」

 

 響は更に加速して見せる。

 

 杭が次々と突き立てられる中を、構わず速度を上げる。

 

 間合いを詰める響。

 

 跳躍。

 

 同時に、振り被った刀を袈裟懸けに振り下ろす。

 

 迫る、銀の刃。

 

 対して、

 

 ゼストは突き立つ杭と同じ形をした槍を手に取ると、それを振り上げて響の剣を防ぎとめる。

 

 空中の響と地上のゼスト。

 

 視線が交錯し、激しい火花が散る。

 

 次の瞬間、

 

 響は空中に作った魔力の足場を蹴って急降下。手にした刀の切っ先を、ゼスト目がけて突き込む。

 

 強烈な響の一撃。

 

 その攻撃を、ゼストは手にした槍で打ち払う。

 

 火花を散らす互いの刃。

 

 同時に、空中にあった響が払い飛ばされるようにして地面に転がった。

 

「あぐッ!?」

 

 叩きつけられる響。

 

 小さな体は2度、3度と地面にバウンドする。

 

「軽いな、暗殺者(アサシン)の少年!! 軽すぎるぞ!!」

 

 言いながら、倒れた響に槍を突き立てようとするゼスト。

 

 そのまま切っ先を下にして振り下ろそうとした。

 

 だが、

 

「響ッ!!」

 

 叫びながらも、美遊は前に出る。

 

 同時に、魔力を込めたサファイアを振るう。

 

 発射される魔力砲。

 

 その一撃を、

 

 しかしゼストは、槍を振るう事で弾く。

 

「そんなッ!?」

 

 霧散した魔力弾を前に、驚愕する美遊。

 

 同時に、

 

 ゼストは美遊のすぐ眼前に姿を現した。

 

「あッ!?」

 

 逃げる間もなく、首を掴まれる美遊。

 

 そのまま、高々と持ち上げられた。

 

「あッ ・・・グッ」

「あまり暴れないでくれたまえ、お姫様。できれば君を傷つけたくないが、抵抗されれば手が滑る可能性もあるからね」

 

 そう言うとゼストは、美遊の首を絞める手にさらに力を籠める。

 

「かッ ・・・・・・はッ ・・・・・・」

 

 脳の酸素が徐々に欠乏し、意識が落ち始める美遊。

 

 次の瞬間、

 

「やめろォ!!」

 

 接近した響が、手にした刀でゼストに斬りかかる。

 

 その斬撃を、とっさに後退して回避するゼスト。

 

 だが、意識が一瞬、削がれる。

 

 次の瞬間、

 

 気力を振り絞って意識を戻した美遊が、手にしたサファイアをゼストに向ける。

 

 その先端が、魔力の輝きを帯びる。

 

「ッ!!」

 

 殆ど暴発に近い形で放たれる魔力弾。

 

 流石にゼロ距離からの攻撃とあっては、かわしようもない。

 

 ゼストは大きく吹き飛ばされる。

 

 同時に、解放された美遊は、その場に座り込んで大きくせき込む

 

 新鮮な酸素が体中を巡り、意識が回復する。

 

「美遊、大丈夫?」

「な、何とか・・・・・・」

 

 心配そうに尋ねる響にも、苦し気に答える美遊。

 

 だが、

 

「・・・・・・・・・・・・やってくれたな」

 

 苛立ちを滲ませた声に、響と美遊は振り返る。

 

 そこには、

 

 額から血を流す、ゼストの姿があった。

 

 美遊の一撃によってダメージを負ったらしい。

 

 もっとも、それで状況が逆転したわけではない、むしろ、相手の怒りを煽ってしまった感もあったが。

 

「どうやら君たちは、私を本気で怒らせたいらしいな」

 

 言いながら、右手を掲げるゼスト。

 

 その視線には美遊と、少女を守るようにして立つ響の姿を捕らえる。

 

 対して、響も美遊も、もはや抵抗する力は残されていない。

 

「さあ、今度こそ終わりだ!!」

 

 魔力を込める。

 

 そのまま極刑王(カズィクル・ベイ)を発動しようとした。

 

 次の瞬間、

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「2人とも、伏せて!!」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 凛とした叫び。

 

 同時に、強大な魔力弾がゼストを直撃する。

 

「何ッ!?」

 

 突然の事態に、思わず目を見開くゼスト。

 

 そのまま大きく吹き飛ばされる。

 

 地面に転がるゼスト。

 

 しかし、どうにか立ち上がりながら、残った魔力で極刑王(カズィクル・ベイ)を発動しようとする。

 

 だが、

 

「おっと、そうはいかないわよ」

 

 楽し気な声が、頭上から踊る。

 

 次の瞬間、

 

 飛来した矢がゼストの足元で炸裂。巨大な爆発が巻き起こった。

 

「何が・・・・・・・・・・・・」

 

 茫然と呟く響。

 

 美遊もまた、意味が分からず状況を見守る事しかできないでいる。

 

 そんな中、

 

 2人を守るように小さな影が2つ。

 

 敢然と立ちはだかった。

 

「イリヤ・・・・・・クロ・・・・・・・・・・・・」

 

 魔法少女(カレイド・ルビー)と、弓兵(アーチャー)の姿をした姉たち。

 

 イリヤとクロが、振り返って2人に笑みを見せた。

 

「2人とも、無事でよかった」

「遅れて悪かったわね。まったく、無茶しすぎなんだから」

 

 エーデルフェルト邸攻防戦の傷が癒え、どうにか動けるまでに回復した2人は、ルビーの探知機能を使って響達の行方を捜していたのだ。

 

 そして、2人が結界を出たところで反応を察知。どうにかきわどいタイミングで駆け付けたわけである。

 

 イリヤはルビーを構え、クロは干将・莫邪を投影する。

 

「どうするのおじさん? これ以上やるって言うなら、容赦しないわよ」

 

 挑発するようなクロの言葉。

 

 だが、少女の瞳は怒りに燃えているのが分かる。

 

 大切な弟と親友を傷つけたゼストを、許す事は出来ない。

 

 対して、

 

 ゼストはボロボロの身を起こした。

 

 イリヤとクロの連続攻撃を食らい、既に大ダメージを負っている状態である。

 

 その双眸は血走り、執念の籠った視線を送ってきている。

 

 だが、

 

 新たに戦線に加わった、イリヤとクロ。

 

 状況的に、ゼストが不利なのは確かだった。

 

「・・・・・・・・・・・・ここは退こう」

 

 絞り出すような怨嗟の言葉。

 

 同時に、ゼストの背後の空間が、裂けるようにして開かれる。

 

 その視線は、真っすぐに美遊を見据えている。

 

「だが覚えておけ。わたしは諦めるつもりはない。必ず、また戻ってくる。そして、必ずや君を手に入れて見せるぞ」

 

 不吉な言葉と共に、ゼストの姿は空間の裂け目に消えていく。

 

 後には、立ち尽くす子供たちの姿だけが、何もない森の中に取り残されていた。

 

「・・・・・・・・・・・・勝った?」

 

 どこか、実感の湧かない調子で、響が呟く。

 

 連戦に次ぐ連戦。死闘に重ねる死闘。

 

 感覚は完全にマヒし、事実を把握する事が出来なくなっていたのだ。

 

 だが、

 

 優離とルリアは倒れ、

 

 ゼストは撤退した。

 

 紛れもなく、響達の勝利だった。

 

「やった・・・・・・・・・・・・」

 

 呟くと同時に、

 

 響は自分の視界が傾くのを感じた。

 

「あれ・・・・・・・・・・・・?」

 

 そうしている間にも、地面が徐々に近づいてくるのが分かる。

 

 美遊が、イリヤが、クロが、

 

 自分を呼ぶ声が聞こえる。

 

 だが、それに答える事ができない。

 

 やがて、

 

 響の意識は、完全に閉ざされていくのだった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 部屋にたどり着くと同時に、ゼストは手近な場所にあった木の椅子を、力任せに蹴り飛ばした。

 

 ばらばらに砕け散る椅子。

 

 だが、そんな程度で、彼の苛立ちが収まるはずも無かった。

 

 戦場を離脱し、自らの工房である冬木ハイアットホテルへと戻ってきていたゼスト。

 

 その内に猛り狂う、屈辱、恥辱、憤怒。

 

 己の内から出る負の感情によって、己が破裂しそうなほどだった。

 

「クソッ ・・・・・・クソッ クソ、クソ、クソ、クソォ!!」

 

 鳴り響く破壊音。

 

 手当たり次第に調度品に当たり散らしていく。

 

 最高級ホテルの贅を尽くした調度品は、瞬く間に瓦礫と化していく。

 

 作戦は完璧だった。

 

 魔術協会から増援として封印指定執行者を呼んで敵の拠点となっている邸宅を襲撃。そして敵が疲弊したところで、本来の目的である少女を浚った。

 

 そこまでは順調だった。

 

 全てがうまくいくと思っていた。

 

 だが、

 

 あの衛宮響が現れた事で、全てが覆された。

 

 美遊は取り戻され、、彼らを取り逃がす結果となった。

 

 そればかりか、最強の英霊を宿した優離まで倒されることになるとは。

 

 おかげでゼストは一敗地にまみれ、惨めな敗走を演じる羽目になった。

 

「・・・・・・・・・・・・まあ、いい」

 

 ひとしきり暴れた後、ゼストは荒い息を吐きながら、絞り出すように言った。

 

 今回は敗れたが、チャンスはまだある。いずれ態勢を立て直し、改めて美遊を奪いに行くまでだった。

 

「見ていろ、私は決してあきらめない。次こそは、必ず手に入れて見せるからな」

 

 呪いの言葉のように呟いたゼスト。

 

 次の瞬間、

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「悪いけど、それは無理だよ」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「何ッ!?」

 

 突然の声に、振り返るゼスト。

 

 とっさに振り返る。

 

 次の瞬間、

 

 ドンッ ドンッ

 

 連続して鳴り響く銃声。

 

 同時にゼストの両足から、砕けるような激痛が走った。

 

「ぐおォォォォォォォォォォォォ」

 

 鮮血をまき散らして床に倒れるゼスト。

 

 流れ出た血が、高級絨毯を深紅に濡らしていく。

 

「な、何が・・・・・・・・・・・・」

 

 激痛に耐えながら、顔を上げるゼスト。

 

 果たしてそこには、

 

 くたびれたコートを羽織った、ぼさぼさ髪の男が、口元に煙草をくわえて佇んでいた。

 

 鋭い眼光を放つ双眸が、床に這いつくばるゼストを、冷めた目で睨み据えていた。

 

「貴様はッ あの時の!!」

 

 見覚えのある男の姿に、思わず激昂するゼスト。

 

 見間違えるはずもない。それは5年前、一度はゼストの目論見を壊滅に追い込んだ男なのだから。

 

「《魔術師殺し》・・・・・・衛宮、切嗣ッ」

 

 床に這いつくばりながら、恨み連なるその名を叫ぶゼスト。

 

 怨嗟が形となるならば、今すぐにでも刃となって切嗣を斬り裂きかねない勢いである。

 

 それ程までに、ゼストにとって切嗣は憎むべき相手だった。

 

 だが、

 

 それに対して切嗣は興味ないとばかりにそっぽを向き、ゆっくりと煙を吐き出した。

 

「まさか僕も、人生で2度、同じ相手を殺す事になるとは思わなかったよ」

 

 言いながら、ゼストを睨みつける切嗣。

 

 その瞳はどこまでも冷め切り、怒りに震えるゼストとは対照的だった。

 

「だが、君が僕の大切な物を傷つけた以上、僕は君を許す気は無いよ」

「クッ」

 

 静かに告げる切嗣。

 

 対してゼストは、とっさに反撃に出る。

 

 この男だけは許さない。

 

 何としても殺す。絶対にッ

 

夢幻(インスト)・・・・・・・・・・・・」

 

 詠唱しようとした瞬間、

 

 切嗣はゼスト目がけて、躊躇う事無く手にした銃の引き金を引いた。

 

 放たれる弾丸。

 

 胸に3発、腹に4発。間違いなく致命傷だった。

 

「グッ ・・・・・・ガッ ガァッ!?」

「君のやり口は、前に見て知っているからね。先手を取らせるほど、僕は愚かじゃない」

 

 言いながら、鮮血をまき散らすゼストの胸を踏みつける。

 

 肋骨が折れるほどの踏み抜きに、更に悲鳴を上げるゼスト。

 

「言ったろ。君を許す気は無いって」

 

 そのまま銃口を向ける切嗣。

 

 それにしても、

 

 切嗣はフッと笑みを浮かべ、一瞬だけ感慨にふける。

 

 自分では英霊化したゼストに敵わない。

 

 だからこそ切嗣は、この工房で待ち伏せして奇襲をかける作戦を取った。

 

 ゼストの工房は事前に予め調べていたからこそ、できた芸当である。

 

 一点だけ、この作戦には穴がある。

 

 それは、直接的にゼスト達と激突する事となる響と美遊が勝利する事である。

 

 こればかりは、響達の検討を期待するしかなかったわけだが。

 

 彼の息子とその相棒たる少女は、切嗣の期待以上の活躍を見せてくれたようだった。

 

「本当に、よくやってくれたよ。響」

 

 自慢の息子に心からのエールを送ると、

 

 切嗣はゼストの脳天に引き金を引き絞った。

 

 

 

 

 

 響はゆっくりと瞼を開く。

 

 どのくらい、眠っていたのだろうか?

 

 周囲は既に暗くなっており、今が夜だと言う事は理解できた。

 

 周囲を見回すと、そこが見覚えのある場所である事が分かった。

 

「・・・・・・・・・・・・部屋?」

 

 そこは、響の部屋だった。どうやら、眠っている間に運んでこられたらしい。

 

 直前の記憶を、思い出してみる。

 

 確か自分と美遊は優離を倒した後、後から現れたゼストと戦闘になったはず。

 

 善戦はしたものの、やはり2人とも消耗が激しく、徐々に追い詰められた。

 

 もうだめかと思った時、

 

 助けに来てくれたのが、イリヤとクロ、2人の姉達だった。

 

 援軍を得た一同はゼストを撃破。撤退に追い込んだ。

 

 そこで、響の記憶は途絶えている。恐らく、そこで気を失ったのだろう。

 

 と、

 

「響、起きたの?」

 

 傍らから、優しく問いかけられる。

 

 振り返ると、

 

 そこには心配そうな顔でのぞき込んできている美遊の姿があった。

 

「・・・・・・美遊、無事で?」

「うん。あの後、アイリさん達と合流して、響をここまで運んだの」

 

 どうやら、眠っている間に随分と手間を掛けさせてしまったらしい。

 

 聞けば、森の中で倒れていた優離とルリアも、魔術で応急処置を施し、治療可能なしかるべき所に手配してくれたそうだ。

 

 勿論、一般の病院に運ぶわけにもいかないので、恐らくは魔術協会辺りとつながりのある病院に運んだと思われる。

 

 もっとも2人とも、特に優離の方は重症と言うより危篤と言った方が良い状態らしい。手は尽くしたが、助かるかどうかは五分五分だとか。

 

 一方のルリアは、優離に比べればまだ軽い方であるが、彼女もまた意識が戻らず眠り続けているのだとか。

 

 あとは、本人たちの気力次第、としか言いようが無かった。

 

 とは言え、戦いその物は間違いなく響達の勝利だった。

 

 3騎の英霊を退け、美遊を奪還する事も出来た。今は、それだけで十分だった。

 

「ありがとう」

 

 美遊は笑顔を浮かべて響に告げる。

 

「響のおかげで、私はこうしてまた帰ってくる事が出来た。本当に、ありがとう」

「・・・・・・・・・・・・美遊の為だから」

 

 心からの美遊の感謝に対して、響は少し照れくさそうに返事をした。

 

 自分の大切な人がピンチの時は、全てを投げ打ってでも助けに行く。こんな事は、響にとっては「当り前」の事だった。

 

「ところで・・・・・・・・・・・・」

 

 さっきから気になっていたことを、響は尋ねてみた。

 

「どうしたの?」

「何か・・・・・・魔力が戻ってるんだけど、これは?」

 

 響は自分の中で、魔力が充填されている事を不思議に思っていた。

 

 対優離戦、対ゼスト戦で、響の魔力はほぼ使い切ったはずなのに。

 

 それに対し、

 

「それは・・・・・・その・・・・・・・・・・・・」

 

 対して、美遊は珍しく、歯切れの悪い調子で言った。

 

「響が寝ている間に、その・・・・・・補充しておいたから」

 

 その説明で、響も納得する。

 

 魔力切れで倒れた響の体に、魔力を改めて入れておいてくれたらしい。

 

 と言う事は、

 

 要するに「そういう事」なのだろう。

 

 響は「ジト~」っとした目で美遊を睨む。

 

「・・・・・・・・・・・・ずるい」

「な、何が?」

 

 親友の理不尽な物言いに、戸惑う美遊。

 

 対して、響は続ける。

 

「人が寝てる間にするのは卑怯」

「卑怯って、そういう問題?」

 

 首をかしげる美遊。

 

 そんな美遊に対し、

 

「だから・・・・・・その・・・・・・」

 

 響はほんのり赤くなった顔を俯かせる。

 

「・・・・・・・・・・・・もう一回、してほしい」

「は?」

 

 いきなりの事に、思わず目を点にする美遊。

 

 いったい、何を言い出すのか。

 

「・・・・・・ダメ?」

 

 上目遣いの響。

 

 予想していなかった親友の「おねだり」に、美遊もまた顔を赤くする。

 

 だが、

 

 そっと、ベッドに片足を上げる美遊。

 

 そのまま、顔を近づける。

 

 見つめ合う、響と美遊。

 

 上気した頬

 

 お互いの吐息が鼻にかかり、くすぐったい。

 

「響、良い?」

「ん・・・・・・」

 

 互いの背中に手を回す2人。

 

 そして、

 

 ゆっくりと、唇を重ねた。

 

 

 

 

 

第26話「戦いの終わりに」      終わり

 



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第27話「誰が為に」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「じゃ、行ってきまーす」

 

 玄関先で元気に手を振る3人の姉弟に、玄関前を掃き掃除していたセラは笑顔で答える。

 

「行ってらっしゃい皆さん。暗くならないうちに帰ってくるんですよ」

「「「は~い」」」

 

 返事をする、イリヤ、クロ、響の姉弟たち。

 

 暑い盛り、それぞれ開放的な薄着が目立っている。

 

 照り付ける太陽の輝きが、そこへ更なる拍車を掛けていた。

 

 いよいよ本格的な夏シーズンが近づきつつある。

 

 穂群原学園初等部もまた、数日後には終業式を迎える時期に至り、待ちに待った夏休みまでカウントダウンが始まっている所だった。

 

 そんな中、衛宮家の3姉弟が揃って出かけるのは、久しぶりの事だった。

 

 否、3人だけではない。

 

 玄関の前ではもう1人、同行者が既に準備をして待っていた。

 

「おはようミユ。ごめんね、待たせちゃって」

「大丈夫。私も、今来たところだから」

 

 挨拶をするイリヤに、美遊も笑顔を返す。

 

 その美遊も夏らしい軽装に、肩から提げるタイプのバッグを持っている。

 

 今日は4人で揃って、出かける予定だったのだ。

 

 森林地帯での戦いから数日。

 

 響も美遊も、既に傷は癒えて普通に動けるくらいには回復していた。

 

 あの後、

 

 自室目が覚めた響は、大目玉を食らうを覚悟していた。

 

 何しろ無断外泊な上、丸一日以上も連絡無しに家を空けてしまったのだ。

 

 セラからはこってりとお説教されるだろうと予想し、戦々恐々として沙汰を待ってた。

 

 の、だが、

 

 実際には、完全に肩透かしを食らう羽目になった。

 

 意識を取り戻した響を見て、セラは大きくため息をつくと「以後、こういう事はしないように。何かある場合は必ず連絡する事」とだけ言われ、無罪放免となった。

 

 呆気に取られる響。

 

 その視界の端では、帰ってきていたアイリがピースサインをしているのが見えた。

 

 どうやら、事情を知っている母が手を回しておいてくれたらしい。

 

 おかげで命拾いをした感じである。

 

 もっとも、また同じことをやらかそうものなら、今度こそお仕置きは覚悟しないといけないだろうが。

 

 その他、リズは無言で頭をなでてくれたし、士郎も「あんまり心配かけるなよ」と、笑いかけてくれた。

 

 因みに切嗣は、響が目を覚ます前に、また海外へと旅立ったようだ。

 

 忙しい事であるが、事情が事情だけに仕方がない。

 

 今も世界中に燻り続ける亜種聖杯戦争の火種。それら全てを消し去るまで、切嗣とアイリの戦いは終わらないのだ。

 

 寂しくはある。

 

 しかし同時に、自分の信念の為に戦っている父を、響は素直に格好良いと思うのだった。

 

 アイリはもう暫く日本に留まるつもりのようだ。と言う事は、衛宮家にも常には無い賑わいが、もうしばらく続くことになるのだろう。

 

 見上げる空からは、いよいよ強まり始める日差しが降り注ぐ。

 

 あれ以来、ゼストの襲撃は無い。

 

 もう諦めた、と言う事は無いと思うのだが、その沈黙が響にはかえって不気味に思えるのだった。

 

「それにしても、みんなで出かけるなんて久しぶりよね」

 

 大きく体を伸ばしながら、クロが言う。

 

 確かに。

 

 ここのところずっと、戦いばかりだった為、こうして揃って出かけること自体、久しぶりだった。

 

「そうだね。何かホント新鮮な気がするよ」

 

 イリヤも楽しそうに返事をする。

 

 と、

 

「2人とも、今日は・・・・・・・・・・・・」

 

 浮かれる姉2人に、響は静かに告げる。

 

 今日の外出。実のところ響にとっては、物見遊山ではなく、ある目的があっての事だった。

 

「判ってるって。ていうか響、あんたも物好きよね。自分を殺そうとした相手のお見舞いなんてさ」

「あ、それは私も同感かも。けどまあ、その方が響らしいよね」

 

 クロとイリヤは呆れ気味にそう言って笑う。

 

 2人が言わんとしている事は、響にも判る。

 

 どうかしていると言われれば、確かにそうかもしれない。

 

 しかし別に、お互いに恨みがあって戦ったわけではない。だから、見舞いに行くくらいはどうと言う事は無いと思っていた。

 

 それに、

 

 響にはどうしても、彼に会って確かめておきたい事がある。

 

 楽しそうに話しながら歩く少女たちの傍らで、響はこれから見舞いに行く相手を思い浮かべ、眦を上げるのだった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 冬木市新都の一角にある病院。

 

 「大病院」と称しても良いくらいの規模を誇る建物であるが、しかし新都内にはもっと大きな病院がいくつかある為、それほど目立つと言う訳ではない。

 

 しかし、この病院には他にはない特徴が、一つだけある。

 

 病院は裏で、魔術協会と繋がっているのだ。

 

 その為、何らかの魔術的な要因で怪我をした患者の受け入れや、その証拠隠滅等、バックアップについても、万全の体制を整えているのだ。

 

 先の戦いで響と美遊に敗れ、重傷を負った優離とルリアは今、この病院に収容されていた。

 

 収容、と言えば聞こえは良いかもしれないが、実際には軟禁、監視に近い。

 

 一応、傷は手当てしてくれたし、手続きを踏めば関係者との面会も許されている。

 

 しかし、退院したとしても、彼らに自由は無く、魔術協会からの監視を受け入れなくてはならなくなる。

 

 響達が今日、この病院を訪れたのは、優離が意識を取り戻したと聞かされたからだ。

 

 大したものである。

 

 優離は響きとの戦闘によってアキレス腱を断たれた他に胸も貫かれている。さらにその後、ゼストの極刑王(カズィクル・ベイ)によって、腹部を貫通されていた筈。

 

 冗談抜きにして致命傷である。

 

 それが、わずか数日で意識を回復させるとは。いかに治療を施したとはいえ、驚異の回復力だった。

 

 優離が目を覚ましたと言う連絡を受けた響は、凛を通じて面会許可を取り付けやってきたわけである。

 

 受付で病室を聞き、4人そろって階段を上がっていく。

 

 白を基調とした殺風景な廊下や階段。行きかう医師や看護師、入院患者などが、時折会話をしているのが見える。

 

 見た目は普通の病院と変わらない。少なくとも外観だけを見れば、魔術などと言うオカルト的な要因と繋がりがあるとは思えなかった。

 

 恐らく、訪れる多くの一般人は、ここが普通の病院であると思っている事だろう。

 

 それにしても、

 

「ユーリって、こういう字、書くんだ。知らなかった」

「まあ、今まで戦い以外では触れ合ってこなかったからね」

 

 受付で貰った面会許可証を見ながら、イリヤとクロは感心したように呟く。

 

 確かに、今まで戦場以外で会った事が無かったため、優離のフルネームは知らなかったのだが。

 

「あ、ここ」

 

 美遊の言葉に、一同は足を止める。

 

 ネームプレートを見ると、確かに優離の名前がある。どうやら、間違いないようだ。

 

「ん、入る」

 

 そう言ってドアに手を掛ける響。

 

 扉が開かれた。

 

 次の瞬間、

 

「「「「ッ!?」」」」

 

 一同は、絶句した。

 

 扉を開けた瞬間、

 

 そこに立っていた男は、あまりにも予想外だった。

 

 顔の傷痕(スカーフェイス)に野獣のように鋭い目付き。筋骨隆々とした体は、羆ともガチで殴り合えそうな気さえする。

 

 ぶっちゃけ「そっち系」の人・・・・・・・・・・・・

 

 否、

 

 そこらのやくざですら、裸足で逃げ出しそうなレベルの凶悪な面構えだ。

 

 一言で言えば、「化け物じみている」外見だった。

 

 イリヤや響は勿論、普段冷静な美遊やクロでさえ、あまりの事態に恐怖を感じる。

 

「あん、何だお前ら?」

「「「「ヒィッ!?」」」」

 

 極太の声に、思わず4人は抱き合って震えあがる。

 

 取って食われる!?

 

 子供たちがそう思ったのも、無理からぬことだろう。

 

 と、その時

 

「おい、親父」

 

 病室の中から、聞き覚えのある声が呆れ気味に放たれた。

 

 顔を上げる子供たち。

 

 果たしてそこには、ベッドの上で上体を起こした優離が、呆れ気味にこちらを見ていた。

 

「親父は見た目からして凶悪すぎるんだから、いきなり顔出すのはやめろって言ってるだろ」

「何だ優離、お前の知り合いかよ?」

 

 言いながら、優離は響達の方に目をやる。

 

「おかげで、ガキ共が漏らしちまっただろうが」

「「「「も、漏らしてないし!!」」」」

 

 総ツッコミを入れる小学生組。

 

 対して優離、

 

 獅子劫優離(ししごう ゆうり)は、呆れ気味に嘆息するのだった。

 

 

 

 

 

 取りあえず、いったん落ち着こうと言う事になり、一同がやって来たのは、病院の中庭だった。

 

 ボランティアが植えたと言う花壇が周囲を囲み、中にはちょっとした休憩所まである。

 

 そこで一同は歓談していた。

 

「調子はどう?」

「良いように見えるか?」

 

 尋ねる響に、車いすに座ったまま優離は答える。

 

 どうやらこうして、ある程度の回復はしたものの、まだ立って歩けるほどではないらしい。

 

「医者からはリハビリだけでも数年は掛かると言われたよ。傭兵としての復帰は絶望的だ、ともな」

 

 言ってから、優離は思い出したように付け加えた。

 

「まあもっとも、それでも『あいつ』よりはましかもしれんがな」

「あいつって・・・・・・ルリア?」

 

 尋ねる響に、優離は頷きを返す。

 

 ルリアもまた、この病院に収容され、優離と同じ区画に収容されている。

 

 外傷的には優離よりも軽いらしい。しかし、少女の意識は今だに覚めず、眠り続けているのだとか。

 

 優離自身、何度か彼女の病室に足を運んでいるが、未だに少女は目覚めていない。

 

 意思は心因性に起因する昏睡と診断しているが、目覚めるかどうかはもはや本人次第との事だった。

 

「だが、あいつもこれで戦わなくても良い。それだけは、良かったのかもしれん」

「どういう事?」

 

 首をかしげる響。

 

 正直、戦いの場ではあれほど好戦的な姿を見せたルリアだ。目が覚めたら、また襲ってこないとも限らない。

 

 対して優離は手を伸ばし、車いすの背もたれから1枚の新聞を取り出した。

 

 冬木市で発行されているその地方紙は、日付が数日前のものになっている。

 

 優離から新聞を受け取り、目を通す響。

 

 見出しには「冬木ハイアットホテル。最上階スィートルーム、火事により全焼」とあった。

 

「あったね、こんなの。で?」

「その火事にあったホテルの最上階は、ゼストの工房があった場所だ」

 

 響は驚いて、新聞の記事を見直す。

 

 まさかこんな所に、敵の拠点があったとは。

 

 魔術師の工房と言えば、軍の基地と同じ。そこを失えば、大幅な弱体化は免れないはずである。

 

「ゼスト自身がどうなったかは知らん。逃げたのか、死んだのか・・・・・・だがこれで、奴自身の戦力が相当弱体化したのは間違いない」

「そっか・・・・・・・・・・・・」

 

 響は感慨深くうなずく。

 

 何はともあれこれで、戦いに一区切り打てたのは確かだった。

 

 それはそうと、

 

 響は、優離の父親の方に視線を向けた。

 

 優離の父親、獅子劫界離(ししごう かいり)は、魔術師であると同時に、名うての傭兵でもあるらしい。

 

 初回のインパクトが特盛過ぎて、極悪なイメージが大きかったが、実際に接してみたらなかなかどうして、ずいぶんと気さくな人物である事が分かった。

 

 今も、先程驚かせてしまったお詫び、と言ってイリヤ達に売店でアイスクリームをごちそうしているのが見える。

 

 顔に似合わず、愛嬌がある様子だった。

 

 とは言え、

 

「優離のお父さん、顔怖い」

「言ってくれるな。あれで本人は結構気にしているみたいだから」

 

 車いすを押しながら告げる響に、優離は嘆息交じりに答える。

 

 確かに。

 

 さっき響達が界離を見て怖がった時、良い年こいたおッさんが、ずいぶんとへこんだ様子を見せていた。

 

「いい親父だよ。戦災孤児だった俺を拾って育ててくれた。本当に、感謝している」

 

 言ってから優離は、どこか遠くを見るような眼をする。

 

「だからこそ、救ってやりたかった、親父を」

「え?」

 

 優離の言葉に、響は首をかしげる。

 

 そう言えば確か、優離は戦闘で敗北した後、父に、つまり界離に対して詫びていた。

 

 そして、それと同時に優離は、響に対しこう尋ねた。

 

 「お前は聖杯に何を望むのか」と。

 

 だが響は聖杯などに興味は無く、ただ大切な親友である美遊を助けるために剣を振るっただけだった。

 

 ならば優離は?

 

 優離は何の利があって、聖杯戦争に参加したのか?

 

 そう考えた時、答えは自ずと見えてくるのだった。

 

「優離は、聖杯でお父さんを助けたかった?」

「・・・・・・・・・・・・まあ、そんなところだ」

 

 やや躊躇うようにして優離は答えた。

 

 その視線の先では、少女たちと語らう界離の姿もある。

 

 どうやらクロ辺りが積極的に話しかけているらしい。

 

「親父は子供が作れない体なんだ」

 

 告げる優離。

 

 対して、響は首をかしげる。

 

「顔が怖くて女の人が寄ってこないの?」

 

 だから聖杯に頼んでイケメンに変えてもらおうとしたのか。

 

 だったら聖杯なんかに頼ってないで、整形手術でもするべきだろうに。

 

「違う」

 

 響がかましたナチュラルボケに、すかさずツッコミを入れる優離。

 

 優離としてもいい加減、そのネタを引っ張るのはやめてほしかった。

 

「親父の一族は元々、魔術の大家だったらしい」

 

 名だたる魔術師を何人も輩出した獅子劫の家は、世界的にも有名な存在だったらしい。

 

 そのまま行けば順風満帆。何も心配することなく、魔術師としての一生を全うできたことだろう。

 

 だが、往々にして起こり得る悲劇が、彼らを襲う事になる。

 

 衰退。

 

 魔術師としての獅子劫の家は、ある代を境に徐々に衰退を始めたのだ。

 

 それは界離が生を受ける、何代も前の出来事である。

 

 獅子劫一族の者は焦った。

 

 先述した通り、魔術師としての衰退と言う物は往々にして起こる者である。血を重ねれば、いずれは希釈され薄くなっていく。そうして最終的に魔術師ではなくなっていった家はいくらでもあるのだ。

 

 だが自分たちは違う。自分たちは、ああはなりたくない。

 

 そうしてある種の浅ましい妄執は、彼らに禁断の手段を取らせるに至る。

 

 いわゆる「悪魔の契約」である。

 

 内容は「魔術師として大成させる。その代わり、数代後には子孫を完全に諦める」と言う物だった。

 

 こうして、約束された滅びと引き換えに、獅子劫の家は魔術師として持ち直した。それどころか、それまで以上の繁栄を謳歌するに至る。

 

 誰もが絶賛し、称賛は湯水のように浴びせられた。

 

 まさしく我が世の春。

 

 誰もが栄光の美酒に酔い、全てが酩酊の内に過ぎ去っていく日々。

 

 そうした繁栄が、何代にもわたって続き、いつしか呪いの事は忘れ去られようとした。

 

 そんなものは無かったんじゃないか?

 

 自分たちの繁栄は、永久に続くのではないか?

 

 誰もがそう思った。

 

 そして、全てが過去の物となろうとした頃、

 

 奈落は突然に口を開ける。

 

 界離が生まれ、結婚し、子供を成した。

 

 だが、

 

 その子供は生まれてすぐに、死んでしまったのだ。

 

 肉体的には健康そのもの。妻との相性は抜群異常。

 

 だが、子供はできない。生まれてもすぐに死んでしまう。

 

 一族全員が悟った。

 

 「滅び」が、ついに来たのだと。

 

 あらゆる治療を施し、霊薬を飲み、儀式を行っても無駄だった。

 

 やがて、妻とは離婚するに至る。

 

 当然の結果だった。誰も未来の無い者と一緒にいたいなどとは思わないだろう。

 

 罵声を浴びせて出ていく妻を、界離は静かに見送る事しかできなかった。

 

 最後の手段として、遠縁の少女を養子に迎え、魔術刻印を移植すると言う手段まで行った。

 

 だが、やはりだめだった。

 

 界離の魔術刻印を移植した結果、少女は死んでしまったのだ。

 

 もはや、手段は無い。

 

 誰もが絶望した。

 

 そんな中、界離自身は家を捨て、死に場所を求めるように、傭兵として世界中の戦場を渡り歩いたのだ。

 

「その途中で、俺は親父に拾われたらしい」

 

 東欧で起きた紛争。

 

 その戦場の片隅で打ち捨てられるように倒れていた優離。

 

 そんな優離に手を差し伸べたのが界離だった。

 

 今でも覚えている。

 

 ごつい顔に、心配そうな表情を浮かべて手を差し伸べてくれた父。

 

 今だからぶっちゃけると、最初は自分も怖いと思って逃げようとした。

 

 だが界離は、大けがをした優離を手厚く介抱し、名前を付け、自分の息子として育ててくれた。

 

 更に成長してからは、生きるために必要な事もあるから、と魔術の手ほどきまでしてくれた。

 

 勿論、血は繋がっていない為、界離の魔術をそのまま継承する事は出来なかったが、それでももともと素養があった優離は、数年後にはある程度の魔術なら独力で行使できるまでになっていた。

 

 そのような界離の背中を見て育ったからだろう。優離が己の魔術師の在り方として「傭兵」という道を選んだのは、ある種の必然だった。

 

 だが優離は、父が時々見せる寂しそうな表情を忘れる事は無かった。

 

 きっと、自分のせいで殺してしまった養子の女の子の事を思っていたのだろう。

 

「だから、聖杯に願いを掛けようと思った」

 

 伝え聞いた「亜種聖杯戦争」の話。

 

 伝手を頼って、その主催者(ルールマスター)の男に渡りを付ける事が出来た。

 

 それが、ゼストだったのだ。

 

「じゃあ優離は、聖杯でお父さんを助けたかった?」

「ああ。死んだ少女を生き返らせることはできないだろうが、せめて呪いを解く事くらいならできるかもしれないと思ったんだ」

 

 いかに悪魔の呪いでも、聖杯の力をもってすれば除去できるはず。

 

 そう思い、優離は聖杯戦争に身を投じたのだ。

 

「・・・・・・・・・・・・何か、ごめん」

 

 響はシュンとして、優離に謝る。

 

 知らなかったとは言え、結果的に響は、優離の願いを潰してしまった形である。

 

 今更謝っても、どうなるものではないのだが。

 

 そんな響に対して、優離は苦笑しながら、少年の頭をなでる。

 

「気にするな。友を助けたいっていうお前の気持ちも分かる。だから、これは所詮結果だ。お前はお前の、俺は俺の信念を持って戦い、お前が勝って、俺は負けた。だから胸を張れ。そうじゃなきゃ、負けた俺が余程惨めだろうが」

「ん・・・・・・・・・・・・」

 

 優離の言葉に、不承不承ながら頷きを返す響。

 

 その瞳は、界離と語り合っている美遊へと向けられた。

 

 確かに、響も譲れないものの為に戦ったのは事実である。ならば、そこに後悔する事は許されなかった。

 

「・・・・・・1つ、聞きたい事がある」

「何だ?」

 

 ややあって尋ねる響。

 

 今日、優離の元を訪れたのは、これを聞くためだった。

 

 訝る優離に、響は口を開いた。

 

「何で、カード無しで夢幻召喚(インストール)できたの?」

 

 それは、響の中でずっと疑問だったこと。

 

 限定展開(インクルード)夢幻召喚(インストール)は本来、クラスカードを用いないとできないはず。現に、イリヤや美遊はそうしている。

 

 しかし優離、ルリア、ゼスト、そして響の4人は、カード無しで変身を可能にしている。

 

 その違いはどこにあるのか?

 

「・・・・・・成程、そこら辺は知らない訳か」

 

 話を聞いて、大凡の事情を察したらしい優離は、頷きながら呟く。

 

 そして、

 

 スッと手を伸ばすと、響の胸を指差した。

 

「カードはある。そこにな」

「・・・・・・・・・・・・え?」

 

 思わず、自分の胸に目をやる響。

 

 だが、当然、いくら見てもそこには何もない。となると、

 

「それって、もしかして・・・・・・・・・・・・」

「ああ、そういう事だ」

 

 事情を察した響に、優離は頷きを返した。

 

「カードは、お前自身の中にある」

「・・・・・・・・・・・・」

「詳しくは、一緒にいる魔術師にでも聞け。その方が良いだろう」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 その後も、暫くは歓談に耽っていた一同だが、流石に優離の体調に悪いと言う事で、響達は引き上げる事になった。

 

「今日はわざわざ来てもらって悪かったな」

 

 そう言うと界離は、サングラス越しに響達に笑いかけた。

 

 優離の病室を出た響達。

 

 界離はそれを送って、病院の玄関までやって来た。

 

 もっとも、やはりと言うべきか、その魁偉な容貌のせいで周囲の人間からは避けられている様子だったが。

 

 中には露骨に、通報しようとしている人間までいたくらいである。

 

 まあ、何とか回避したが。

 

「また、たまにで良いから来てやってくれ」

 

 そう言って、界離は手を振る。

 

 何だかんだで、やっぱりいい「お父さん」のようだった。

 

 言ってから、界離は響の方に向き直った。

 

「それからなボウズ、今回はうちのバカ息子が世話になった。あいつに代わって礼を言うよ」

「ん」

 

 頷きを返す響。

 

 まあ、あれだけの死闘を演じた仲だ。「腐れ縁」という意味では、確かに世話になったと言えるかもしれない。

 

「優離は良い奴。戦ったけど、別に恨んでない」

「そうか・・・・・・・・・・・・」

 

 ちょっと嬉しかったのだろう。界離は響に笑みを向け、頭をポンポンと叩く。

 

 もっとも、その笑顔も怖かったが。

 

 だが、

 

 そのゴツゴツとした手は硬く、そして温かい。

 

 この人は(外見以外は)どこか切嗣に似ている。

 

 そんな風に、響には思えるのだった。

 

「また来てやってくれ。お前らが来ると、優離の奴も喜ぶだろうからな」

「ん」

 

 本当に良いお父さんである。

 

 優離が界離の事が好きなのも、ちょっとだけ分かった気がするのだった。

 

 

 

 

 

第27話「誰が為に」      終わり

 



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第28話「ウォータードレス・パニック」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 ベッドの上に横たわる響。

 

 その瞳は、静かに閉じられている。

 

 眠っているわけではない。

 

 ただしっかりと瞼は閉じ、浅い呼吸を繰り返して胸郭を上下させていた。

 

 その左右に陣取る、イリヤと美遊。その手にはそれぞれステッキが握られ、響の体の上に翳されていた。

 

 クロ、凛、ルヴィアの3人は、部屋の隅で並んで様子を見守っている。

 

「・・・・・・どうですの?」

 

 神妙な面持ちで尋ねたのはルヴィアである。

 

 自宅での攻防戦による負傷も癒え、動けるようになった彼女は、今回の儀式に半ば以上疑問を抱いて臨んでいた。

 

 正直、俄かには信じがたい話である。果たしてそのような事が有り得るのか、と、今でも疑っているくらいである。

 

 恐らく、この場にいる全員が、同じ考えだろう。

 

 しかしだからこそ、検証してみる必要があるのだ。

 

 ややあって、ルビーとサファイアは振り返った。

 

《ええ、微弱ですが、反応を確認しました。どうやら、間違いないみたいですねー》

《こうしてみると、むしろ今まで気づかなかった方が不思議なくらいです》

 

 答えるルビーとサファイア。しかし、その声もいつも以上に困惑が見られる。

 

 彼女たちにとっても、今回の事態は予想外すぎたのだ。

 

《結論から言うと、カードは響さんの体の中にあります。これまでの状況から見て「暗殺者(アサシン)」のカードと見て間違いないでしょう》

 

 ルビーの出した結論に、一同は息を呑んだ。

 

 先日、病院で獅子劫優離(ししごう ゆうり)に教えられた衝撃の事実。

 

 曰く「クラスカードは、響自身の体の中にある」。

 

 ずっと、不思議だったのだ。

 

 本来ならクラスカードが必要な限定展開(インクルード)夢幻召喚(インストール)を、響はカード無しで行ってきた。

 

 その疑問が、今回の検証で解明された形である。

 

「体の中にって、それじゃあ・・・・・・」

 

 言いながらイリヤは、クロの方へと向き直った。

 

「クロみたいな感じなの?」

 

 体の中にカードがある、と言えばクロもその通りである。彼女もまた弓兵(アーチャー)のカードを体内に取り込んでいる。

 

 イリヤがクロと響を同じと考えるのは、ごく自然の流れだった。

 

《似ている、とも言えるでしょうね》

 

 答えるルビーも、やや歯切れが悪い。

 

 どうやら彼女自身、今回の件に関して確証を持って答えられるだけの材料がそろっていないのだろう。

 

「どういう事?」

 

 緊張の面持ちで尋ねる凛。

 

 凛もまた、出会ってからこれまで響の能力について検証を重ねてはきたのだが、未だ確証と言える物は何一つ掴めなかった。

 

 それだけに、今回の真相については大いに興味がある所だった。

 

《クロさんの場合、先にカードがあり、そこへイリヤさんの魔力を得て肉体が構成された形です。要するに、先天的な事情でカードが体の中に入った感じですね》

「響は違うって言う訳?」

 

 尋ねるクロに、ルビーは頷きを返す。

 

《はい。これは恐らくですが、響さんの場合、元は普通の人間、たぶん、魔術師の素養があるだけの形だったと思われます。そこへ、後からカードを体の中に埋め込まれた、いわば後天的な事情があったと思われます》

 

 要するに、生まれつきカードが体の中にあったクロと、後から外科的にカードを埋め込まれた響、という違いだった。

 

「取り出す事はできませんの?」

《難しい、と言わざるを得ません》

 

 問いかけるルヴィアに、サファイアが答えた。

 

《恐らくカードは、響様の体の最も深い場所・・・・・・魂と融合する形で存在しています。無理に取り出そうとすれば命にもかかわります》

 

 サファイアの言葉に、一同は嘆息する。

 

 事情は大体わかったが、これでは手出しできないのと同じだった。

 

《詳しい事は、もう少し詳しく調べる必要があると思いますが》

「何だって、良い」

 

 ルビーの言葉を遮るようにして言ったのは、当の響本人だった。

 

 目を開けて体を起こす響。

 

「どんな事情だろうと、この力があったから今まで戦ってこれた。それは本当の事だから」

「響・・・・・・・・・・・・」

 

 傍らの美遊が、少年を気遣うように寄り添う。

 

 それに、

 

 響は言葉の後半部分を、己の中で告げる。

 

『この力のおかげで、美遊も守る事が出来たから』

 

 あえて口に出さなかったのは、みんなの前で言うのがやっぱり恥ずかしいからである。

 

 だが、何となく、響が言いたい事を察したのだろう。

 

 美遊はそっと、少年の手を握った。

 

「さて、響の方は、これで終わりよね」

 

 締めくくるように言うと、クロは椅子から立ち上がった。

 

 今日は他にも、用事がある。響の検査については、どちらかと言えばついでにやったようなものだった。

 

 何しろ、もうすぐ夏休みである。色々と準備する物は多かった。

 

「さ、行くわよイリヤ、美遊、響も。色々と回る所が多いんだから」

「良いけど、何でクロが仕切ってるの?」

 

 やや不満げなイリヤだが、拒否する様子も無く立ち上がる。

 

 部屋から出ていこうとする小学生組。

 

 と、

 

「お待ちなさいな」

 

 何かを思い立ったのか、ルヴィアが傍らのハンドバックから自分のカードケースを取り出した。

 

「買い物に行くなら何かと入用でしょう。これを持って、お行きなさい」

 

 そう言って、差し出すルヴィア。

 

 その手には、

 

 誰も見た事のないような虹色のカードが握られていた。

 

「いや、何そのカード!? そんなの見た事無いんだけど!?」

「これさえあれば、この程度の地方都市にあるデパート如き、建物ごと買えますわ」

「いや、そんなの買う気ないから!!」

 

 金銭感覚ずれまくりのルヴィアに、ツッコミを入れるイリヤ。

 

 これだから成金は・・・・・・・・・・・・

 

 その様子を見ていた響、凛、クロの3人は、やれやれとばかりに嘆息するのだった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 バスを乗り継ぎ、駅前まで来る頃には、既に日はだいぶ高い位置まで登っていた。

 

 買い物をするだけなら御山町の商店街でも十分なのだが、どうせなら新都のデパートで買い物をしようと言う事になり、一同はやって来たのだ。

 

「まったく、ルヴィアさんにも困ったもんだよ。ちょっと買い物するだけなんだから、あんなカードいらないのに」

 

 カードは結局、美遊に預けられることとなった。

 

 別にデパートごと買い取る気は無いが、それでも必要なだけ使う分には問題無いだろう。

 

 ここは、ルヴィアからの特別ボーナスだと思っておくことにした。

 

 何しろ今日まで、戦いづくめの日々だった。その為の「報酬」があっても良いころである。

 

 そんな訳で、デパートにやって来た一同だったが。

 

「・・・・・・・・・・・・ねえ」

 

 1人、不満顔の響が口を開いた。

 

「何で連れて来たの?」

 

 今日の買い物は、響にはほとんど関係が無い。着いてくる意味は無かったように思えるのだが。

 

 対して、クロが意味深な笑みを浮かべて近づいて来た。

 

「何言ってんの。響が来た意味ならちゃんとあるわよ」

「どんな?」

 

 訝る響に、クロはそっと、耳元に口を近づけた。

 

 次の瞬間、

 

「ッ!?」

 

 思わず、目を見開く響。

 

 その顔は、見る見るうちに赤くなっていくのが分かった。

 

「どう、来た意味あったでしょ?」

「べ、別に・・・・・・・・・・・・」

 

 あからさまに目を反らす響。どう見ても挙動不審だった。

 

 と、

 

「響、どうかしたの?」

 

 覗き込むように尋ねる美遊。

 

 次の瞬間、

 

 殆ど反射的に顔を反らす響。

 

 その態度に、美遊はますます怪訝な面持ちになる。

 

「響?」

「な、な、何でもない」

 

 明らかに「何かある」と言いたげな態度を取る。

 

 だが、意味の分からない美遊は、首をかしげるばかりだった。

 

「どうしたの、響は?」

「さあね。まあ、良いかげん進展してくれない事には、こっちとしても面白くないしね」

 

 訝るイリヤにそう答えなあら、クロは、ここからどうかき回してやろうかと、思案を巡らせるのだった。

 

 

 

 

 

 一方その頃、

 

 小学生組が出かけた部屋の中では、凛とルヴィアが険しい顔を突き合わせていた。

 

「どう思う、響の事?」

 

 凛は手元の文献を閉じながら、ルヴィアに尋ねた。

 

 正直、衝撃的な事実であったことは間違いない。

 

 響の中にあるカード。

 

 魂との融合。

 

 果たして、いかなる技術を使えば、そのようなことまで可能になると言うのか?

 

「俄かには信じがたい話である事は間違いありませんわね」

 

 答えるルヴィアも、険しい表情で告げる。

 

 その手元には、3枚のクラスカードがある。

 

 「暗殺者(アサシン)」「魔術師(キャスター)」「狂戦士(バーサーカー)」の3枚。

 

 バゼットとの停戦交渉の結果、取り戻す事に成功した3枚である。

 

 「弓兵(アーチャー)」を除く、残る「剣士(セイバー)」「槍兵(ランサー)」「騎兵(ライダー)」のカードは、バゼットの手元にある。

 

 見事に火力の高いカードを取られた形だが、そこは仕方がない。

 

 交渉で五分に持ち込んだとはいえ、戦いは事実上こちらの負けである。バゼットの方に有利な条件が行くのは仕方が無かった。

 

 だが、凛達が今調べているのは、その事ではなかった。

 

 響から聞いた「聖杯戦争」の話。

 

 7人の魔術師が7騎の英霊を呼び出して戦うバトルロイヤル。

 

 まさに自分たちが行ってきたカード回収任務と符合する点が多い。

 

 多いのだが、

 

「・・・・・・・・・・・・やっぱりおかしいわ」

「ですわね」

 

 難しい顔で呟く。

 

 凛とルヴィアも気になって、聖杯戦争に関わるいくつかの資料を、裏ルートを通じて集めてみた。

 

 とは言え、殆どが地下に潜っている代物であり、その貴重な資料も、既に大半が失われている状態だった。その点は恐らく、響達の両親が消して回った結果なのだろうと推察する。

 

 手に入ったのは、儀式に直接関係ない物や、あるいは参加者個人の日記と言った経過記録的な物ばかりだった。

 

 だが、それらを紐解いてみて、凛の中で違和感は増えて行った。

 

 基本的な聖杯戦争の様式は、先述した通り7人の英霊を実際に「召喚」して使役する、という、いわば「代理戦争」的な形を取っている。

 

 どこの聖杯戦争も、カードなど使っていない。ましてか、英霊を魔術師自身に憑依させるなどと言う手法を取った聖杯戦争は、唯一の例外を除いて、どこにも存在していないのだ。

 

「じゃあ、これはいったい何なの?」

 

 凛は手元のカードに目をやりながら呟く。

 

 このカードが英霊の座に繋がっているのは間違いない。

 

 だがその様式は、他の聖杯戦争と明らかに一線を画していた。

 

 唯一の例外は、ゼストが行おうとして切嗣とアイリによってつぶされた亜種聖杯戦争だ。世界中で行われた聖杯戦争の中で、カードを使用して英霊を憑依させると言う形を取っているのはそれだけだった。

 

 では、これらのカードはゼストが作ったのか?

 

「・・・・・・いえ、それもおかしい」

 

 ルヴィアが否定的な言葉を継げた。

 

 もし全てのカードをゼストが作ったとするなら、他のカードは取り出せるのに、響の中にある「暗殺者(アサシン)」のカードを取り出せないのはおかしい。

 

 それに、仮にカードがゼストの手によるものだとしても、町中にばら撒いたのはなぜだ? そんな必要は無かったはずだ。

 

「・・・・・・・・・・・・やれやれ、ね」

 

 凛は大きく息を吐く。

 

 今回の一件で、謎はいくつか解けた。

 

 だが、解けた綻びから、また新たな謎が生まれ出でた感すらある。

 

 衛宮響(えみや ひびき)

 

 これまでの戦いで大きな活躍を、凛達を助けてくれた少年。

 

 しかし、これまでに分かった事と言えば、彼の中にある謎の、ほんの一部でしかない。

 

「いずれにしても、あの子にはまだ、謎がありそうね」

 

 凛としては、そう判断せざるを得なかった。

 

 

 

 

 

 いよいよ夏本番と言うだけあって、デパートの水着売り場は盛況な様子を見せていた。

 

 色も形も様々な水着を各種揃えた販売コーナーは、さながら花壇の花畑を連想させられる。

 

 やはりと言うか、派手な色の物が多い。

 

 見ていると目がチカチカしてくる感じがする。

 

「さ~て、どれが良いかな? 去年はちょっと子供っぽかったから、少し大胆に行ってみようかな」

 

 ラックに掛かっている水着を手に取りながら、楽しそうに選ぶイリヤ。

 

 そのイリヤに、クロがすかさず脇から口を挟む。

 

「別にそんなに気にする事無いんじゃない? 去年とそんなに変わらないんだし」

「むッ そんな事無いもん!!」

 

 途端に突っかかるイリヤ。

 

 たちまち言い合いを始める姉妹たち。

 

 こんな場所に来てまで喧嘩する事も無いだろうに。

 

 姉たちの様子を、響は嘆息交じりに眺めていた。

 

 と、

 

「響」

 

 背後から声を掛けられて振り返る響。

 

 すると、やはり同じように水着を選んでいたらしい美遊が、こちらを真っすぐに見つめていた。

 

「どうしたの?」

「判らない事があるから、いくつか教えて欲しいんだけど」

 

 その言葉で、響は思い出す。

 

 そう言えば以前、「デート」に行った時、美遊は水着の選び方が分からないと言っていた。

 

 あれから色々あって、美遊の水着選びが宙ぶらりんになっていたのだ。

 

 どうやらまた、教えて欲しい事があるらしかった。

 

「ん、良いけど」

 

 頷いたものの、響も女性ものの水着にそれほど詳しいわけではない。選べと言われても、どんな物が良いのか、イマイチ、ピンとこないのだが。

 

 しかし、

 

 響は先ほど、クロから耳打ちされたことを思い出した。

 

 姉曰く、

 

「美遊の水着を選んで、着せる事ができるかもしれないわよ」

 

 との事だったが、

 

 想像してみる。

 

 自分が選んだ水着を着てくれる美遊の事を。

 

「・・・・・・・・・・・・」

 

 見てみたい。

 

 掛け値なしのストレートに、響がそう思うのは無理からぬことだろう。

 

「響?」

「ん、何でもない」

 

 不純な動機を隠しつつ(隠せてない)、美遊に向き直る響。

 

「それで、聞きたい事って?」

「これの事なんだけど」

 

 そう言って、美遊が差し出してきた水着。

 

 青い柄の水着。上下が別々になっている、典型的なビキニ水着である。

 

 これの一体何が、美遊には疑問なのだろうか?

 

「それが、何?」

 

 首をかしげる響。

 

 対して、美遊は手に持った水着を裏返した。

 

「これ」

「ッ!?」

 

 思わず、絶句する響。

 

 美遊が手に持った水着は一見すると普通のビキニタイプだが、裏を返せばボトムの後ろ部分が、極端に布地が小さくなっている。言わば「Tバック」になっていたのだ。

 

「ちょ、美遊・・・・・・・・・・・・」

「これにどんな意味があるのか、よくわからない。この水着はいったい・・・・・・」

 

 狼狽する響を他所に、真面目な顔で率直な疑問を述べる美遊。

 

 そんな、一部の性的嗜好を満たすためのアイテム、真剣に考える必要も無かろうに。

 

 だが、美遊の興味はまだ尽きなかった。

 

「それにあれ」

 

 美遊が再び指し示した物を見て、

 

 響は再度、吹きそうになった。

 

 美遊が指さした水着は、前部分がV字になっているタイプのものだった。

 

 一応、大事な部分は隠せる仕様のようだが、あれではちょっと動いただけで色々と見えてしまうのは間違いない。

 

 因みに後ろは、完全に一本の紐になっており、ほぼ丸見えに近かった。

 

「それから・・・・・・」

「まだあるの?」

 

 ややげんなりしつつ、美遊が指示した方向を振り返る響。

 

 お次は何だ?

 

 そんな思いと共に見た響は、いよいよ脱力しそうになった。

 

 美遊が指さしたのは普通の水着・・・・・・ではなかった、断じて。

 

 一応、分類的には辛うじて「ビキニ」の部類に入るのだろうが、その構成の9割が「紐」によって成り立っている。

 

 布の部分は、局部と胸の先端部分を辛うじて覆う程度しか存在していない。

 

 いわゆる「マイクロビキニ」というやつである。

 

 なぜに一般的なデパートで、あんなきわどいラインナップが売られているのか? あんな物を堂々と買っていく奴はいるのか? 大丈夫かこの店?

 

 尽きない疑問が滾々と湧いてくる。

 

「衣服とは本来、体を隠すためにあるもののハズ。勿論、水に入れば濡れて体調を崩す原因にもなる訳だから、水着の布面積が本来の衣服より小さくなるのは理解できる。しかしあれでは、最低限の衣服機能すら維持できているとは思えない。そもそも衣服には、外的な衝撃から身体を守ると言う面も割る訳で、あれではその機能を完全に放棄しているとしか思えない」

 

 何やら服飾関係の概念を語りだす美遊。

 

 いえ、あれは一部の性的趣向を持つ野郎どもの需要に合わせて開発された代物であって、断じて一般人が手を出していい代物ではありません。

 

 嘆息する響。

 

 何故このデパートは、あんなきわどい水着ばかり扱っているのか? どこにそんな需要があると言うのか?

 

 尽きない疑問はさておいて、

 

「あれでは服としての最低限の機能すら保てていない。いったい誰が、何の目的で着るのか判らない」

 

 判らなくて良いから。

 

 真面目な美遊の言葉に対し、響は嘆息しながら心の中で呟く。

 

 とは言えこれ以上、美遊が危ない水着に興味を持つと(響の心臓的に)まずい。何とかして気を反らそう。

 

 そう思った響。

 

 だが、そうは問屋が卸さない少女が1人。

 

「あら、それ着ないの美遊?」

「え?」

「クロ、何言って・・・・・・」

 

 戸惑う美遊と響。

 

 そんな2人に、クロはニヤニヤと笑いながら続ける。

 

 その視線は、壁に掛かっていた件の危ない水着に注がれていた。

 

「ん~ これ着て見せれば喜ぶと思うんだけどな~」

 

 言ってから、

 

「響が」

「べ、べべ、別にッ」

 

 とんでもない事を付け足すクロに、動揺しまくる響。

 

 そんな響に対し、

 

「響、こういうのが・・・・・・その、好きなの?」

 

 少し躊躇いがちに尋ねる美遊。

 

 少女の頬も、ほんのり赤く染まっている。流石に、これを着ると言う事の意味は理解しているようだ。ひょっとすると、さっきの長い口上も、恥ずかしさを隠していた為なのかもしれない。

 

 そんな美遊を前にして、

 

 響は思い悩んでいた。

 

 何だかんだで、響も思春期の少年である。少女のあられもない姿は見たい。

 

 見たいのだが、

 

 しかし、そんな大胆な物を見る事への抵抗がある。

 

 今、響の中では、天使と悪魔がせめぎ合っている。

 

 因みに、

 

 その天使と悪魔はなぜか、それぞれイリヤとクロの顔をしていたりする。

 

天使イリヤ『だ、駄目だよ響ッ ミユのそんな姿なんて見ちゃ!!』

悪魔クロ『何言ってんのよ。見たい物は見る。もっと素直になりなさい』

 

 グルグルと思い悩む。

 

 見たい事は見たい。

 

 だがしかしッ

 

 いやいや、

 

 思い悩む少年。

 

 と、

 

 クロが何やら、美遊に耳打ちするのが見えた。

 

 すると、美遊は上目遣いで響を見ながら言った。

 

「その・・・・・・響が見たいのなら、私は、別に良い」

「ッッッッッッ!?」

 

 ほとんどトドメとも言える一撃。

 

 それが、少年を理性の崖から欲望の谷底へと突き落とす。

 

「見たい、です・・・・・・・・・・・・」

 

 どこかで「チーン」と言う音が鳴った・・・・・・ような気がした。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 ~そんな訳で~

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 試着室に入って行った少女たち。

 

 その外では、響がポツンと佇んでいた。

 

 その心中は、あらゆる意味で穏やかとは行かなかった。

 

 今、カーテン1枚隔てた向こうでは、少女たちのあられもない姿が展開されている。

 

 そう思うと、気が気ではなかった。

 

《いやー 皆さんどんな御姿で出てくるのか、楽しみですねー響さん》

「ルビー?」

 

 いつの間に出てきたのか、傍らで浮かんでいるヒトデ型ステッキ。

 

 その姿をジト目でにらむ。

 

「何でいるの?」

《愚問ですね。決まってるじゃないですか。皆さんの水着姿をそりゃあもう、ばっちりねっとり撮影するためですよ~》

 

 などと言いつつ、カメラモードに変形するルビー。

 

 成程、動機の是非はともかく、納得の理由ではある。

 

 しかしそれならそれで、ルビーの性格からして、着替えシーンから撮影を始めそうなものだが。

 

《甘いですね~響さん、甘々です》

「何が?」

 

 訝る響。

 

 対してルビーは、胸を張るようにして言い放った。

 

《果物は一番美味しくなってから食べる物。それと同じですよ~ 皆さんが水着姿に着替えて出てきた瞬間を撮るのが楽しいんじゃないですか。まあ、ぶっちゃけ、着替えシーンなら後で私服に戻る時でも撮れますしね》

 

 成程。

 

 力説するだけあって、ルビーにはルビーなりの考えがある事はよくわかった。

 

 取りあえず響は、出歯亀ヒトデをグルグル巻きにしてゴミ箱に捨てておく事にした。

 

 その時だった。

 

「ヒ、ビ、キ」

 

 背後からもったい付けたような声で呼ばれ、振り返る響。

 

 そこには、

 

 Vの字水着を着たクロの姿があった。

 

「・・・・・・・・・・・・」

《オホー 流石クロさん。良いですね良いですね。まさに小悪魔的な可愛らしさですよー!!》

 

 赤面して目を反らす響の横で、復活したルビーが喝采を上げる。

 

 褐色の肌を、赤のVの字で覆っただけのクロ。

 

 一応、体が小さい事もあって、決定的な部分は隠せてはいるが、しかし露出度90パーセント以上の破壊力は、半端な物ではなかった。

 

「どう? どう? ねえヒビキ?」

 

 顔を反らしている響に、しつこく尋ねるクロ。

 

 明らかに、からかい交じりの追及である。

 

 対して響は、

 

「・・・・・・・・・・・・普通?」

 

 と、答えるのが精いっぱいだった。

 

「・・・・・・・・・・・・ふーん」

 

 そんな往生際の悪い弟を、半眼で睨むクロ。

 

 ひょっとしたら、自分の水着姿で「撃沈」できなかったことで、プライドが傷ついているのかもしれない。

 

「なら、これを見てもまだ、そんな風でいられるかしら!?」

 

 言い放つと同時にクロは、

 

 自分のすぐ横のカーテンを、思いっきり引っ張った。

 

「ちょ、何で開けるのォォォォォォ!?」

 

 果たしてその中では、

 

 着替えを終えたイリヤが、顔を真っ赤にして絶叫していた。

 

 その身は白のマイクロビキニで覆われている。こちらも「一応」「辛うじて」局部は守っているが、他は全て丸見えに近い。

 

 それにしても、

 

 クロと言いイリヤと言い、小学生の身でこんなきわどい水着を着ているのは、ある種の背徳的なエロスを感じずにはいられなかった。

 

「ヒ、ヒビキ見ないでッ あっち向いてェ!!」

「んッ!?」

 

 怒鳴られて、慌ててそっぽを向こうとする響。

 

 そんな響に、クロが背後から忍び寄る。

 

「あらあら~? どうしたのヒビキ? ちょっと様子がおかしいわね、風邪でもひいた?」

「べ、別に・・・・・・・・・・・・」

 

 かなり苦しいが、それでも響は持ちこたえる。

 

 普段から割と挑発的なクロと違い、少し子供っぽいところがあるイリヤがアダルティな水着を着ると、破壊力が倍増する事が分かった。

 

 だが、クロにしろイリヤにしろ、響にとっては「姉」である。

 

 いくら刺激的でも、姉の水着姿を見て、そこまで興奮する事は無かった。

 

 と、

 

「そう言えば・・・・・・・・・・・・」

 

 クロはイリヤとの言い合いを中断し、一番奥の試着室に目を向けた。

 

「まだ出てきていない子がいるわね~」

 

 カーテンの向こうで、息を呑む音が聞こえた気がする。

 

 同時に、響もまた緊張を高める。

 

 まだ美遊(さいしゅうへいき)が残っている事を、すっかり忘れていたのだ。

 

「ミユー まだ準備できないの?」

 

 問いかけるクロの声。

 

 対して、

 

「準備はできた・・・・・・けど」

 

 か細い声が、カーテンの中から聞こえてくる。

 

 どうしても、開けるのを躊躇っている。そんな感じだ。

 

「いつまでそうしているつもり? 覚悟極めちゃいなさいよ」

「で、でも、こんな格好・・・・・・・・・・・・」

 

 顔も出せないでいる美遊。

 

 対して、

 

「あーもー!! じれったい!!」

 

 業を煮やしたクロが、思いっきりカーテンを引っ張った。

 

 次の瞬間、

 

「ッ!?」

 

 息を呑む響。

 

 女神が、いた。

 

 美遊が立っている。

 

 その姿は、他2人同様に水着を身に纏っている。

 

 一見すると、普通の青いビキニ姿。何の変哲もない。

 

 しかし、

 

 どうやら美遊は隠しているつもりらしいが、彼女の背後にある鏡が、彼女の後姿をしっかりと映し出していた。

 

 Tバックになった後ろ部分から、美遊の可愛らしいお尻が、ほぼ丸見えになっている。

 

 はっきり言って、表側が普通に見える分、却って裏側とのギャップの度合いによる破壊力が大きかった。

 

「ん・・・・・・あ・・・・・・・・・・・・」

 

 自分が密かに思いを寄せている子が、あられもない恰好で目の前に立っている。

 

 それだけで、響の心は大いにかき乱される。

 

 と、

 

「ほら美遊、今よ」

 

 傍らに寄ったクロが、美遊に耳打ちした。

 

 俯く美遊。

 

 だが、

 

 意を決したように、上目遣いで響を見た。

 

「ど、どう、響? 私、可愛い?」

 

 その威力たるや、

 

 既に瀕死だった響を、OverKillするのに十分すぎる威力を誇っていた。

 

「・・・・・・・・・・・・」

 

 無言のまま、

 

 背後にばったりと倒れる響。

 

 その後の事は、何も分からなかった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「・・・・・・・・・・・・ん」

 

 軽い呻き声と共に、響は意識を覚醒させる。

 

 いつの間に、眠っていたのだろう?

 

 そんな事を、ぼんやりとした頭で考える響。

 

 自分は確か、イリヤ達の水着選びに付き合わされて、それで・・・・・・・・・・・・

 

「響、起きた?」

「ん」

 

 すぐ近くから、声を掛けられて響は目を開く。

 

 すると、

 

 すぐ目の前に、美遊の心配そうな顔があった。

 

 どこかホッとしたように、笑顔を浮かべている美遊。

 

「急に倒れるから、心配した」

「ん、ごめん」

 

 謝る響。

 

 どうやらそこは、デパートのフードコートらしかった。

 

 食事をする客の喧騒に包まれ、食欲をそそる臭いが漂ってくるのが分かる。

 

 どうやら、気絶した響をここまで運んでくれたらしかった。

 

「イリヤとクロは、食べ物を買いに行っている。多分、もうすぐ戻ってくると思う」

「ん、そか」

 

 美遊の説明に頷きながら、

 

 ふと、響は気が付いた事があった。

 

 自分は今、横になっている。

 

 目の前には美遊の顔がある。

 

 そして、

 

 頭の後ろに感じる、柔らかい感触。

 

 それらがつなぐ状況。

 

 響は今、美遊に膝枕されていたのだ。

 

「う、あ・・・・・・み、美遊?」

「どうかした、響?」

 

 キョトンとして尋ねる美遊。

 

 どうやら少女は、自分がいかに大胆な事をしているかと言う事に、気づいていないらしかった。

 

 頭に感じる、美遊の太ももの柔らかい感触。

 

 それは、響を優しく包み込んでいくのが分かった。

 

「・・・・・・・・・・・・ん、何でもない」

「そう」

 

 美遊は微笑みながら、優しく響の髪をなでる。

 

 その心地よさに、身を委ねる響。

 

 やがて、イリヤとクロが2人を呼ぶ声が聞こえてきた。

 

 

 

 

 

第28話「ウォータードレス・パニック」      終わり

 



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第29話「湯煙の向こう」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 その噂の事を耳にしたのは、実家を離れて何年かした頃の事だった。

 

 当時、国外にいた自分は、ほぼ腐っていたと言っても良い。

 

 生きる為なら、何だってやった。

 

 それがたとえ、人の道から外れた事であろうとも。

 

 幸い、自分には「力」があったから、選り好みさえしなければ、食うに困らない程度の額を稼ぐことは、子供でも難しくなかった。

 

 だが、仕事の量が増えるにしたがって、自分の手が汚れていくことだけは理解していた。

 

 そして、徐々に変化していく自分自身が、気にならなくなりつつあることも。

 

 自分は擦り切れつつある。

 

 その事は漠然とだが感じていた。

 

 それで良い。

 

 自分はこのまま、ここで朽ちて死ぬ。

 

 過去に何があったか、どこから来たのかなど忘れて、誰にも知られず路傍のごみずくの如く死んでいくべきなのだ。

 

 そう思っていた。

 

 だが、

 

 その話を聞いた。

 

 聞いてしまった。

 

 ある情報屋から聞いた断片的な噂話。

 

 冬木市

 

 聖杯戦争

 

 カード

 

 大災害。

 

 それらがもたらす不吉な響き。

 

 乾ききり、ひび割れたはずの心に、微かな、しかし確かな鼓動が走るのを感じた。

 

 血が全身に巡り、錆びついていた関節が、軋みを上げて動き始める。

 

逸る想いが、少年を再び立ち上がらせた。

 

「帰らなくては・・・・・・・・・・・・」

 

 自分が捨てた故郷へ、

 

 自分を捨てた故郷へ、

 

 何としても帰らなくては。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 大切な、あの子を守るために。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 目を覚ます響。

 

 視界の中に広がる風景は、見慣れた物で、そこが自分の部屋である事は考えるまでも無く理解していた。

 

 身を起こす。

 

 時刻は、午前6時より少し前。どうやら、目覚まし時計が鳴るよりも先に起きてしまったらしい。

 

「・・・・・・・・・・・・また、夢」

 

 鬱陶し気なため息と共に、呟きを漏らした。

 

 響はこれまで、幾度か不思議な夢を見てきた。

 

 一つは自分に宿っている英霊、新撰組三番隊組長、斎藤一がたどった人生を再現する夢。

 

 そしてもう一つ。

 

 誰とも知れない、男の夢。

 

「あれって・・・・・・・・・・・・」

 

 その夢について、響はある種の確信めいた物を感じていた。

 

 あの夢は恐らく・・・・・・・・・・・・

 

「・・・・・・本当に、鬱陶しい」

 

 苛立ち紛れに呟く。

 

 あれが「あいつ」の夢だとしたら、強制的に見せられる響としては、迷惑千万この上なかった。

 

 テレビだったら、とっくにチャンネルを変えているレベルである。

 

 あいにく、夢見にチャンネルは無いのだが。

 

 と、

 

 そこでふと、響は壁に掛かった日めくりカレンダーに目をやる。

 

 そこに描かれた日付を見て、思い出したように呟いた。

 

「・・・・・・・・・・・・ああ、そっか」

 

 それは響達にとって、待ちに待った日付だった。

 

 

 

 

 

 その日、

 

 穂群原学園初等部の教室では、担任教師が、どう考えても似合わない事をしていた。

 

「盛夏の候、皆様いかがお過ごしでしょうか?」

 

 そんな入りで始まった口上に、クラスメイト一同、一斉に首をかしげたのは言うまでも無い事だった。

 

 集まる視線の先、

 

 黒板前の壇上では、担任教師である藤村大河女史が、一同を見回していた。

 

「夏空がまぶしい季節ですが、皆さんには暑さにも負けず、元気いっぱいの姿を見せてくださいました。蝉の声が岩にしみいるならば、この校舎には皆さんの声がたくさん染み入っている事でしょう」

 

 口上が進むごとに、教室内のざわめきが増していく。

 

『おいおい、どうしちまったんだタイガーは?』

『最後くらい真面目に締めたいんだろ』

『こんな喋り方できたんだ』

『ん、きっと変なもの食べた』

『有り得るな。何しろタイガーだし』

 

 等々、

 

 しかし大河はそれらのざわつきに構わず口上を続ける。

 

「今、皆さまはどんな気持ちでしょうか? 私は少し寂しくもあり、一か月後が楽しみでもあります。この夏に皆さんがどんな経験をし、何を見、何を知り、何を成すのか、二学期また、皆さんに会えるのを楽しみにしています」

 

 対して、生徒側の反応も様々だ。

 

 真面目に聞いている美遊や雀花。

 

 無駄に長い演説に飽きて欠伸をしているクロ。

 

 「経験」という言葉に過剰反応して顔を赤くしている美々。

 

 「夏休み禁断症状」が出始めている龍子と、それをなだめる那奈亀。

 

 一同を焦らすように長々と演説した大河。

 

 そして、

 

「それじゃあ皆さん、大変長らくお待たせしました・・・・・・・・・・・・」

 

 ようやく、全ての口上を終える大河。

 

 その口元に、ニンマリと笑みを浮かべる。

 

 どうやら「真面目モード」はここまでのようだった。

 

 そして、

 

「夏休み開始だ、オラァァァァァァァァァァァァ!!」

 

 次の瞬間、

 

 感極まりすぎた龍子が、限界を超えてばったりと倒れた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 冬木中央駅から電車に乗り、着いた地方駅から、専用の送迎用のバスを乗り継いで到着したのは、山間の温泉地だった。

 

 都会の喧騒とは、また違った活気のあるその場所は、冬木市から比較的近い事もあり、多くの観光客が訪れて賑わっていた。

 

「はあ、ようやく到着したねー」

 

 周囲を見回しながら、イリヤは楽しそうに笑顔を浮かべた。

 

 その様子を、彼女の家族は微笑ましそうに眺めている。

 

 石畳によって舗装された道は趣があり、その両脇には土産物や食堂が軒を連ねている。

 

 行きかう観光客の顔には笑顔が見られ、それだけで心が躍るようだった。

 

 夏休みに入り、衛宮家の一同はそろって、温泉旅行に出かけて来ていた。

 

 日程は1泊2日。

 

 県内にある温泉地に家族そろってやって来たのだ。

 

 ところで、

 

「あの・・・・・・・・・・・・」

 

 中の1人が、恐る恐ると言った感じに手を上げた。

 

「本当に、良かったんですか、私が着いて来ても?」

 

 発言したのは美遊だった。

 

 今回は衛宮家の家族旅行と言う事だが、ルヴィアに許可を取って、彼女も一緒に遊びに来たのである。

 

 どうやら、この場にあって部外者と言う事もあり、恐縮してしまっているらしかった。

 

「あら、気にしなくて良いのよ、美遊ちゃん」

 

 そう言って、アイリが美遊に笑いかけた。

 

 響やイリヤが、どうせ行くなら美遊も誘いたいと言ったのを、了承したのは彼女である。

 

 とは言え、大まかな事情を知っているアイリからすれば、美遊も他人の子とは思っていないのかもしれなかった。

 

「もういっそ、うちの子になっちゃう」

「奥様、シャレになっていません」

 

 朗らかに告げるアイリに対し、セラが恐れながらとツッコミを入れる。

 

 何しろ衛宮家には、士郎と響と言う2人の養子がおり、(名目上の)従妹であるクロまで加わっているのだ。放っておくと本当に、もう1人くらい家族が増えそうな気がする。

 

 とは言え、衛宮邸の収容スペックを考えると、そろそろ人員的に限界である。

 

 メイドとして家事一切を取り仕切っているセラからすれば、そろそろ自重してほしいところだった。

 

「そうそう、遠慮する事無いって」

 

 そんな美遊の首に手を回してクロが言った。

 

「クロ、けど・・・・・・・・・・・・」

「『けど』は無し。そもそも、誘ったのはこっちなんだしさ」

「クロの言うとおりだよ」

 

 イリヤも美遊を見て頷く。

 

「美遊が一緒に来てくれた方が、絶対に楽しいもん」

「イリヤ」

 

 親友の誘いに、美遊の緊張も僅かにほぐれた感があった。

 

 と、

 

 少女の手が、そっと取られる。

 

 顔を上げると、目の前に立った少年が、静かに美遊の手を握りしめていた。

 

「響?」

「ん、行こ、美遊」

 

 そう言うと、手を引いて歩き出す響。

 

 これ以上、美遊が無駄に遠慮する前に、さっさと連れて行こうと言うつもりらしい。

 

 そんな末っ子の強引な様子を見て、他の皆も苦笑しながら続くのだった。

 

 

 

 

 

 衛宮家御一行が予約したのは和の雰囲気漂うホテルで、さかのぼれば創業は明治にまでなる老舗の温泉宿だった。

 

 と言っても、古臭いイメージは無く、近年の温泉ブームに対応するため、若い観光客にも合わせた改装を施され、より現代的な施設に生まれ変わっていた。

 

 売りポイントは源泉から直接引いたかけ流し湯と、それに対応したバリエーションの多い風呂の数々だった。

 

 料理長が腕を振るう料理の数々も素晴らしく、それらを目当てに観光シーズンには泊り客で、キャンセル待ちが出るほどだった。

 

 幸い、衛宮家一行が来たのは夏の観光シーズン前だった為、泊り客はそれほどでもなかったのが幸いだった。

 

 

 

 

 

 部屋に荷物を置いた一同は、早速と言った感じで浴場へと繰り出していた。

 

 露天風呂は岩風呂になっており、高級感と自然観とが見事に調和していた。

 

「は~ 気持ち良いね~ 温泉は日本人が世界に誇る文化だよ~」

 

 などと、温泉文化を誇るように言ったのは、イリヤスフィール・フォン・アインツベルンさん。

 

 因みに彼女は純日本人ではなく、欧州人とのハーフなのだが・・・・・・

 

 まあ、細かい事は気にしないでおこう。

 

 ゆっくりと、お湯の中で手足を伸ばすと、それだけでお湯が全身を包み込んでくる。

 

 西洋風少女のイリヤが裸で湯に入っている姿は、それだけで1枚の絵画のようだった。

 

 そのイリヤの横では、同じようにお湯に手足を投げだした美遊が、微笑みを浮かべている。

 

「うん。外で裸になるのは少し恥ずかしいけど、これはこれで良いと思う」

 

 心なしか、言葉が浮き立っているようにも思える。どうやら、美遊も温泉が気に入ったらしかった。

 

 少女ながら、既に和風美人の風格がある美遊。裸身を晒しているその姿は、既に完成された一個の美と言ってもいいだろう。

 

「ふふん、だから言ったでしょ。来て良かったって」

 

 得意満面なクロが、そう言って笑いかける。

 

 褐色の肌は、和風の温泉とミスマッチ感を出しているが、それが却って一個の異種風景を演出しているかのようだった。

 

「何でクロが勝ち誇ってるの?」

 

 胸を反らすクロに対し、ジト目でにらむイリヤ。

 

 何だか「自分の手柄」みたいな言いぐさが気に入らないようだ。

 

 ともあれ、ここで喧嘩するのも野暮と言う物だろう。

 

 事情はどうあれ、せっかくの夏休み。友達と一緒なら、何をしても大概は楽しい物である。

 

 それにしても、

 

「ふむ」

 

 クロがそれそれ、イリヤと美遊を見比べて呟いた。

 

「どうしたの、クロ?」

「いや~ 何かね~」

 

 意味深な含み笑いを浮かべる少女。

 

「どうやら、この中で一番発育が良いのは私みたいね」

 

 褐色少女の視線が向かった先には、少女たちの胸があった。

 

 既に二次性徴に入り、膨らみかけた胸は、女の子らしい丸みを帯びている。

 

 白い雪原を思わせるなだらかな双丘の上に、ピンク色の突起が恥ずかしそうに自己主張していた。

 

「んなッ!?」

「ッ!?」

 

 クロの発言の意味を悟り、絶句するイリヤと美遊。

 

 とっさに守るように、自分たちの胸を手で隠す。

 

 とは言え、そうした行動は却って、初々しいエロチズムを誘発し、見る者の感情を高める物である。

 

「ク、クロだって似たような物じゃない!!」

「残念でした。どう見ても私の方が大きいしー」

 

 食って掛かるイリヤに、肩を竦めるクロ。

 

 その脇では、顔を赤くした美遊が自分の胸を両手で押さえている。

 

 何とも、ほほえましい光景である事は間違いない。

 

 と、

 

「あらあら、なんだか賑やかねー」

 

 そんな朗らかな声と共に、足音が聞こえてくる。

 

 振り返る3人。

 

 果たしてそこには、

 

「ママも仲間に入れてちょうだい」

 

 優しい笑顔を浮かべた、母、アイリの姿がある。

 

 そして、その母性を現したようなはちきれんばかりの胸は、圧倒的なボリュームを持って鎮座している。

 

 タオルで前を隠しているが、それでも隠しきれていない辺り、その質量たるや推して知るべし、と言ったところだろう。

 

 そのわきに控えているリズもまた、ご立派な双丘を胸に抱いている。

 

 何だか、その後ろにいるセラがかわいそうになってくる光景だった。

 

 とは言え、

 

 アイリとリズ。

 

 2代巨頭が放つ圧倒的戦力差は、小学生同士の「ドングリの背比べ」ごときが敵う存在ではない。

 

 ガックリと肩を落とす負け犬3人組(イリヤ、クロ、美遊)

 

 何とも、哀愁漂う光景だった。

 

 

 

 

 

 少女たちが圧倒的な敗北感を味わっている頃、隣の男湯の方では、

 

 士郎と響の男兄弟がやはり浴室にやってきていた。

 

「ん、くすぐったい・・・・・・」

「こら、動くなって。洗いにくいだろ」

 

 士郎は弟の背中を流してやりながら、そう言って少年を窘める。

 

 そんな士郎の前で、響は縮こまったようにして、無防備な背中を晒していた。

 

 その背中を、士郎は石鹸のついた洗身タオルで丁寧にこすっていく。

 

 対して響は、借りてきた猫のように大人しくなり、士郎にされるがままとなっていた。

 

 脱衣所で服を脱いで、風呂に入るとすぐに、士郎が背中を流してやると言ったのでお願いしたのだが、

 

「結構・・・・・・恥ずかしい、かも・・・・・・」

「うん? 何か言ったか?」

 

 ボソッと呟いた響の言葉は、しかしどうやら士郎には聞こえなかったようだ。

 

 そもそも、士郎と一緒に風呂に入る事自体数年ぶりだ。5年生になってからは、確か一度も無かったはずである。

 

 そんな訳で、響としては奇妙な気恥ずかしさがあるのだった。

 

「それにしても、前から思ってたんだが、」

 

 響の背中をこすりながら、士郎はふと気づいたことを口にした。

 

「響、お前って、結構体小さいよな」

「う・・・・・・・・・・・・」

 

 自分でも気にしている事を言われ、響は言葉を詰まらせる。

 

 実際、響の背は低い。

 

 比較的大柄な森山那奈亀や栗原雀花は勿論、イリヤ、クロ、美遊よりも若干、背が低いくらいである。

 

 クラス内で響より背が低いのは、せいぜい嶽間沢龍子くらいではないだろうか。

 

「・・・・・・去年から、ぜんぜん身長伸びてない」

「そ、そうだったのか」

 

 この背の低さのせいで、クラスでもからかわれる事がたまにある。

 

 図らずも弟が抱えるコンプレックスに触れてしまった士郎は、苦笑するしかなかった。

 

「ま、まあ、小学生の内は男より女の子の方が体は大きいって言うし、そう気にするなって。それに、響の成長期はこれからなんだし。中学生くらいになればグッと伸びるって」

「・・・・・・・・・・・・だと良い」

 

 響は嘆息交じりに呟く。

 

 周りの仲間がどんどん成長していく中で、自分だけ取り残されてしまった感がある。

 

 このまま成長しなかったらどうしようか、などと不安にもなってしまうのだった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 旅館が自慢するだけの事はあり、出された料理はどれも豪華な物だった。

 

 一同はそれぞれ舌鼓を打ち、士郎やセラは食べながらレシピを分析していた。

 

 一部、酔った勢いで、アイリが女性陣にセクハラをかまそうとして、セラが必死に止めようとしている光景が見られたりもした。

 

 何だかんだで、楽しい夜を過ごした一同。

 

 そして、翌朝。

 

 朝早く、誰よりも先に起きた響は、寝ているみんなを起こさないように足音を殺して部屋を抜け出すと、その足で大浴場へと向かった。

 

 この旅館では朝風呂もやっていると聞いて入りに来たのだ。

 

 正直、温泉に来ること自体久しぶりなので、帰る前にもう少し楽しんでおきたかった。

 

 浴衣を脱ぎ、タオルを手に浴室へと入っていく。

 

 寝汗をかいた体を流し、大浴に足を踏み入れた。

 

 途端に、湯に豊富に含まれる酸のピリッとした感触が肌にまとわりつく。

 

「ふう・・・・・・・・・・・・」

 

 お湯の刺激に身を委ねながら、大きく息を吐く。

 

 ここのところ、戦いの連続だった為、これほどゆっくりとした時間を過ごす事が無かった。

 

 刺激の強いお湯が、それらの疲れを一気に洗い流してくれているかのようだった。

 

 と、その時だった。

 

「響?」

 

 湯煙の向こうから駆けられる、聞き覚えのある声。

 

 顔を上げる響。

 

 果たしてそこには、

 

 驚いた顔の美遊の姿がある。

 

「み、美遊ッ な、何でッ?」

「響きこそ、どうしているの!?」

 

 驚く小学生組2人。

 

 響が入った大浴場入り口には、確かに「男湯」の暖簾が掲げられたはず。間違うはずはない。

 

 ならば、美遊が間違ったのか?

 

「わ、私も、女湯の方に確かに入った・・・・・・」

 

 狼狽しながらも、美遊はそう答える。

 

 そりゃそうだろう。寝起きで頭が働かなかったとしても、男湯と女湯を間違えるはずが無い。

 

 実は、響も美遊も知らない事だったが、この温泉には一つカラクリがあった。

 

 大浴場の男湯と女湯は一本の通路で繋がっており、扉1つで自在に行き来できるのだ。勿論、普段はカギが掛けられて通れないようにしてあるのだが、朝の内だけは片方の道を塞ぎ、通路が解放されるのだ。

 

 これは片方の浴場を開放している間に、もう片方の浴場を掃除すると言う意図があるのだが、それと同時に、あえて混浴にする「サービス」でもある。

 

 客の中には、ぜひ混浴で入りたいというカップルや夫婦もいる為、そうしたニーズに答えたものだったが、その結果がこんな形になっていた。

 

 大人勢はその事を知っていたから入ってはこなかったのだが、響と美遊は知らずに入ってきてしまったのだ。

 

「い、今、上がる」

「あ、待って」

 

 戻ろうとする響だったが、その前に美遊が引き留めた。

 

「な、なに?」

 

 なるべく美遊の方を見ないようにしながら、振り返る響。

 

 対して、美遊も直視しないように、視線を背けていた。

 

 間違いなく、今の2人は、湯温以外の理由で顔を真っ赤にしている。

 

「その、響、今入ったばっかりでしょ・・・・・・・・・・・・」

 

 躊躇いがちに美遊は言った。

 

「だから・・・・・・響も入って」

「え・・・・・・でも・・・・・・」

 

 躊躇う響。

 

 言うまでも無く、真っ裸の2人。遠慮するなと言う方が、無理である。

 

「こっちを見なければ、それで良いから」

「・・・・・・・・・・・・」

 

 美遊の言葉に、響の心は揺れる。

 

 確かに、せっかく来たのに、入らずに帰るのは響としても嫌だった。

 

 

 

 

 

 

~そんな訳で~

 

 

 

 

 

 湯船に浸かる、響と美遊。

 

 今、2人は背中合わせで座っていた。

 

 互いに相手を見ず、それでいて同時に入るのは、これが一番だと言う結論に達したのだ。

 

 とは言え、

 

「・・・・・・・・・・・・」

「・・・・・・・・・・・・」

 

 重苦しくも恥ずかしい沈黙が、2人の間に流れる。

 

 響も美遊も真っ裸。

 

 生まれたままの状態である。

 

 背中越しに感じる互いの鼓動が、心なしか早くなっているように思えるのだった。

 

 ややあって、

 

「「あのッ」」

 

 タイミング悪く(良く?)同時に声を掛けてしまう2人。

 

 その事が、却って緊張の度合いを増してしまう。

 

「み、美遊からどうぞ」

「い、いや、響から・・・・・・」

 

 お互い、ますます動きづらくなってしまう。

 

 高まる緊張感。

 

 正に、先に動いた方が負けるッ と言ったところだろうか?

 

 いや、ちょっと違うが、2人はそれくらい緊張していた。

 

 と、

 

「ッ!?」

 

 響は思わず、ビクッと身を震わせた。

 

 なぜなら、いつの間にか背中合わせの美遊の左手が、自分の右手に重ねるように置かれていたからだ。

 

「み、美遊?」

「・・・・・・・・・・・・」

 

 美遊は答えない。

 

 ただ、

 

 その手はしっかりと、響の手を握りしめている。

 

 それに応えるように、

 

 響もまた、美遊の手を握り返すのだった。

 

 

 

 

 

第29話「湯煙の向こう」      終わり

 




因みに、数年前になりますが、「露天風呂の男湯のみ混浴可」と言う温泉に入った時、若い男女の2人連れが入ってきたことがありました。

ただ、一緒に入る方(特に野郎)は嬉しいんでしょうけど、周りにいるこっちからすれば、嬉しい以前に迷惑でしたね。マナー上、そっちの方を見る訳にもいかないし。ゆっくり入っている事も出来ず、さっさと上がりました。やるなら2人っきりの時にしてほしいと思いましたね。

あ、女の人は美人さんでしたけどね。彼女もそうとう恥ずかしそうにしてました。


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第30話「シーサイド・バースデイ」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 澄み切った青空。

 

 吹き渡る涼風。

 

 照り付ける太陽。

 

 遥かに浮かぶ白い雲。

 

 夏。

 

 夏だ。

 

 文句無しの夏である。

 

 ただ、「夏である」。その一言だけで、人の心には浮き立つものが沸いてくる。

 

 体力と気力が溢れて尚あり余る子供ならば、猶更の事だった。

 

 そんな中、

 

 元気一杯、猪突猛進、迷惑千万に駆け抜ける一団があった。

 

「来た来た来たー!! キタよコレー!!」

「ほ、ほんとにやるのッ!?」

「当り前だッ 何の為に何か月にも渡って練習してきたと思っている!?」

「練習したの、これッ!?」

「ん、壮絶な無駄」

「うっさいぞ響!! ここまで来たら止まれるか!!」

「海だーッ!!」

「タ、タツコが決め台詞先走ったよ!!」

「台無しだ!! 台無しだ!!」

「ええい、もう構わんッ!! 予定通りいくぞ!!」

「ちょ、ちょっと待って、そんなにすぐには服脱げな・・・・・・」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

『海だッ・・・・・・・・・・・・』

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 言いかけた瞬間、

 

 走って来た車に、嶽間沢龍子が跳ね飛ばされた。

 

 

 

 

 

「いやー やれやれだな。危うく今日が、タッツンの命日になる所だったぜ」

「轢かれたのが、受け身だけは天才的なタッツンでよかった」

「いや、シャレになってないからね!!」

 

 やれやれとばかりにため息をつく栗原雀花(くりはら すずか)森山那奈亀(もりやま ななき)両名にツッコミを入れるイリヤ。

 

 本日は夏休みを利用して、かねてから計画していた海水浴にやって来たのである。一同、既に水着に着替えて用意万端の状態だった。

 

 それがなぜに、あのような事態に繋がったのか?

 

 発端は、漫画等で見られる、海に来た時の描写の中で、一番ハイテンションな部類に入る「全員一気に服を脱いで水着に着替え、飛び跳ねる風景を再現する」などと言う、割とどうでも良い計画だった。

 

 だがそもそも、いつものメンツでそんな連携が取れるはずも無く、冒頭の感じでグダグダとなった訳である。

 

 因みに、跳ねられた龍子は、至極当然のように無傷だった。

 

「ねぇねぇ、ちょっと」

 

 そんな中、クロが少し困惑気味に声を掛けてきた。

 

「さっきの運転手、せめてものお詫びにッて、1万円置いていったんだけど」

『何ィィィィィィィィィィィィ!?』

 

 クロの手に握られている1万円札。

 

 予期せぬ儲けに、一同は驚愕の声を発した。

 

「マジかよ・・・・・・世間じゃひと轢き1万が相場なのか?」

 

 断じて、そんな相場は無い。

 

「もしかしてうち等、タッツンでひと稼ぎできるんじゃ・・・・・・」

「それ、人道的にもタツコ的に完全アウトだから!!」

 

 不穏な企みをしている雀花と那奈亀に、イリヤのツッコミは止まらない。

 

 ただ、

 

 これだけは言っておく。

 

 「良い子は真似をしてはいけません」

 

 と、そこへ砂を踏む音が近づいて来た。

 

「まったく、道路に飛び出すなんて、二度とやっちゃだめだぞ」

 

 そう言うと士郎は、肩に担いできたビーチパラソルを地面に突きさす。

 

 今回、小学生だけで海水浴に来るわけにもいかなかったので、彼に引率役をお願いしたのだ。

 

 それと、もう1人。

 

「怪我が無かったのは奇跡だな」

 

 士郎の横で、眼鏡を掛けた青年が、やはり呆れ気味に言った。

 

 年齢は士郎と同じくらい。どこか理知的な雰囲気のある男性だ。

 

「イリヤイリヤ」

 

 興味が引かれたのか、那奈亀がイリヤの肩をチョンチョンと突いて尋ねてきた。

 

「あの短髪の方は、イリヤ&響兄なのは知ってるけど、隣のメガネ男子はどなた?」

「あ、そっか。みんなは初めてだったね」

 

 今回、士郎1人では、流石に彼が退屈するだろうと思い、士郎の高校の友達にも出張ってもらったのだ。

 

 と、眼鏡青年の方も、小学生たちの視線に気づいたのだろう。振り返って挨拶してきた。

 

柳洞一成(りゅうどう いっせい)だ。お初にお目にかかる。本日は衛宮との縁により世話になる事になった。よろしく頼む」

 

 小学生相手にも、丁寧なあいさつだった。

 

 一成は円蔵山にある柳洞寺の息子である。士郎の親友と言う事もあり、これまで何度か衛宮家を訪れた事もあった。その為、響、イリヤ、クロ辺りとは面識があった。

 

「ほほーう・・・・・・ほうほうほう・・・・・・」

 

 そんな2人の関係を聞いていた雀花が、何やら思い至ったように食いついて来た。

 

「それで、お二人はどのような関係で?」

「雀花、その手帳何?」

 

 頬を紅潮させながら尋ねる雀花に、響が質問をする。当然のごとく無視されたが。

 

 一方、付き合いの長い那奈亀は、何かを悟ったように雀花の行動を見守っていた。

 

 そんな雀花の質問に対し、士郎と一成はやや困惑したように顔を見合わせた。

 

「関係って言っても・・・・・・まあ、普通の友人関係だよな?」

「ふむ・・・・・・『普通』の一言で済ませられるのも、いささか寂しいな」

 

 確かに。

 

 親友であるならば「普通」という言葉は、いささか足りないのも通りである。

 

 言葉足らずな士郎に代わって、一成が補足を入れる。

 

「俺は高等部の生徒会長もやっていてな。衛宮にはいつも、生徒会の雑務を手伝ってもらっているんだ。堅実な仕事ぶりにはいつも助けられている。衛宮がいなかったらと思うと、俺はどうして良いのか分からんよ」

「何だよ急に。褒め殺しか? 俺は自分ができる事をやれる範囲でやっているだけだ。それに俺がいなかったところで、生徒会長のお前がいればどうとでも仕切れるだろ」

 

 弟妹やその友人の前で親友にストレートな誉め言葉を言われたせいだろう。士郎は少し照れたようにそっぽを向く。

 

 そんな士郎に対し、一成は更に続ける。

 

「いや、お前がいなくてはだめだ。衛宮手製の弁当が食えなくなると、俺の士気に関わる」

「それかよ・・・・・・まあ、張り合いがあって良いけどさ」

「衛宮の味噌汁なら、毎日飲んでも良いぞ」

「毎日は流石に勘弁だ」

 

 断っておくが、

 

 当人たちに他意はない。ただ単純に友人同士、互いを誉め合っているに過ぎない。

 

 過ぎない、のだが、

 

 聞く者によっては、2人の間に無数のバラの花びらが舞っているようにも見えるのだった。

 

「アッ・・・アッ・・・アッ・・・アリガトウゴザイマシタッッ!!」

 

 最後に、雀花が昇天しそうなほど良い笑顔を浮かべてサムズアップした。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 と、まあ、

 

 多少の混乱はあったものの、せっかくの海である。

 

 楽しまなければ損だった。

 

 冒頭の混乱を忘れたかのように、はしゃぎまわる子供たち。

 

 ビーチバレーをしたり、

 

 ビーチフラッグをしたり、

 

 龍子を砂浜に埋めたり、

 

 泳いだり、

 

 素潜りをしたり、

 

 龍子を海に投げ込んだり、

 

 沖のブイまで競走したり、

 

 スイカ割りをしたり、

 

 タツコ割りをしたり、

 

 楽しい時間を、思いっきり満喫したのだった。

 

 

 

 

 

 ひとしきり遊んだあと、

 

 響、イリヤ、美遊、クロの4人は、連れ立って岩場の上までやって来た。

 

 眼下には打ち寄せては引いていく波の様子が、鮮やかに見えている。

 

「え、美遊って、海に来た事が無いの?」

 

 驚いたように、イリヤは尋ねた。

 

 海に来るのが初めてだと言う美遊。

 

 普通、彼女くらいの年齢の子供なら、親と一緒に遊びに来そうなものだが。

 

「正確に言うと2回目。けど、こんな風に遊びに来るのは初めて。だから、どんな風に楽しめば良いのか分からなくて・・・・・・」

 

 美遊は遥か彼方の水平線を見つめて答える。

 

 1度目、というのは以前、響とデートに来た時の事を指している。

 

 因みに、クロとの再戦の時も、戦場は海辺だったのだが、あの時はすぐに戦闘に入った上に、その後でアイリの介入もあって、殆どうやむやにされた形だった。

 

「そんな難しく考えなくても、自由に遊べばいいと思うよ」

 

 相変わらず理屈っぽい美遊に、イリヤはそう言って笑いかける。

 

 深く考えるよりも先に、楽しんだ方が勝ちである。

 

 とは言え、

 

「あれは悪いお手本」

「・・・・・・だねー」

 

 響が指さした方向では、那奈亀が龍子を人間ドッジボールよろしく、雀花に投げつけていた。

 

 流石に、あれはやりすぎだろう。

 

「でも珍しいね。こんな海の近くに住んでるのに、海に来た事が無いなんて」

「少し前まで海外で暮らしていたから。冬木にいたのは小さいころ・・・・・・父と兄と3人で暮らしていた。けど父が病死して、それから海外に引き取られた。こっちに帰って来たのは、つい最近の事」

 

 どこか寂しそうな顔で告げる美遊。

 

 ここまで、彼女が辿って来た道が、決して平坦ではなかったことがうかがえる。

 

「もしかして、そのお兄さんってのが・・・・・・」

「うん、士郎さんによく似た人・・・・・・」

 

 以前、美遊は士郎を兄と勘違いして抱き着いたことがあった。

 

 とは言え、

 

 響は、あの時の事を思い出す。

 

 士郎を兄と呼び、抱き着いた美遊。

 

 あの時の彼女の行動は、どう考えても「勘違い」で済ませられるような物ではないと思うのだが。

 

「      イス   キャン      」

 

 しかし、気になるのも事実である。

 

 美遊は普段、無駄な行動はとる事が少ない。それだけに、あの行動はやはり、謎が多すぎた。

 

「      かーッ すかー!!??     」

 

 加えて、美遊は何か重大な事を隠している節がある。

 

 勿論、悪意を持っての事ではないだろうが。

 

「      アイス      っすかー!?      」

 

 だが、もしかしたら、という思いはある。

 

 もし、美遊の隠している事が、今回の一連の事件のカギだとしたら?

 

「アイス~~~キャンディー~~~」

 

 美遊の事だ。黙っているのには、きっと何か深い意味があると思う。

 

「いかーっすかー!!!???」

 

 誰だって、触れられたくない過去はあるだろう。

 

「アイス~~~キャンディ~~~~~~いかーっすかー!!!???」

 

 やはり、彼女自身の口から告げるのを待つ方が、得策なように思える。

 

「アイス~~~キャンディ~~~~~~いかーっすかー!!!???」

 

 その方が、美遊の為にも・・・・・・・・・・・・ってッ!?

 

「うっさいさっきから!!」

 

 やかましい声に、とうとう我慢しきれずに振り返る響。

 

 次の瞬間、

 

「む?」

「あ・・・・・・・・・・・・」

 

 相手と目が合う。

 

 短く切った髪に、精悍な目付き。

 

 見覚えがありすぎるほどにある人物が、水着にエプロン姿でそこに立っていた。

 

「「「「・・・・・・・・・・・・」」」」

「おや、あなた方は」

 

 絶句する、響、イリヤ、クロ、美遊。

 

 そんな小学生組を前に、

 

 アイスキャンディー売りの恰好をした魔術協会所属、封印指定執行者バゼット・フラガ・マクレミッツが立っていた。

 

「バゼット!?」

「ま、また出たわね、バサカ女!!」

「ん、決着、付けるッ」

「へへへ、変身しなくちゃッ ルビー!! ルビー!!」

 

 慌てふためいて戦闘態勢を取ろうとする小学生組。

 

 対してバゼットは、少し落ち込んだように嘆息した。

 

「・・・・・・子供にそういう反応をされると、流石に落ち込みますね・・・・・・ですが安心なさい。ここであなた方とやり合うつもりはありません」

 

 そう告げるバゼットからは確かに、一切の戦機は感じられない。戦う意思は、どうやら本当に無いようだ。

 

「なぜなら、今の私は・・・・・・・・・・・・」

 

 ドン

 

 という異音と共に、バゼットは背後の幟を指し示して見せた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「ただの、アイスキャンディー屋さんですから!!」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

 

 ・・・・・・・・・・・・・・・・・

 

 ・・・・・・・・・

 

 ・・・・・・

 

 ・・・

 

 ナニソレ?

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 困惑する4人。

 

 対してバゼットは、途方に暮れた感じで語り始めた。

 

「実は先日の戦闘行為で発生した修繕費用ですが、なぜか協会を素通りして私に請求が回ってきまして・・・・・・カードは止められ、路銀も尽きました」

 

 バゼットの説明を聞いて、一同は瞬時に悟る。

 

 ルヴィアの差し金だ、と。

 

 恐らく持て余すほどの財力に物を言わせて魔術協会に根回しし、バゼットに全ての負債を押し付けたのだ。

 

 先の敗戦に対する意趣返しとしては完璧に近い。やってる事はいささか以上にせこいが。

 

「ですが、大した問題ではありません」

 

 キリッとした表情で告げるバゼット。

 

「金など日雇いのバイトで稼げばいい。その気になれば、道端の草でも食べられる」

 

 その宣言を聞いて、

 

 小学生4人は同時に思った。

 

 なんかこの人、色々と駄目っぽい。

 

 と、

 

「何か、この前の時と全然キャラ違うくない?」

「状況も言動も、心なしか顔つきまで駄目っぽく見えるよ」

「ん、どうしてこうなった?」

「これが、封印指定執行者・・・・・・」

 

 ヒソヒソと、小声で話し合う一同。

 

 そんな小学生組に構わず、バゼットは商売道具であるアイスボックスを開いた。

 

「そんな訳で・・・・・・・・・・・・」

 

 取り出したのは、4本のアイスキャンディー。

 

「アイスキャンディー、1本300円。4本で1200円になります。お買い上げ、ありがとうございました」

 

 まさかの「約束された観光地価格(ボッタクリ)」。

 

 強制的にアイスキャンディーを買わされた一同は、もはやツッコム気力すら失せていた。

 

 

 

 

 

 ひと泳ぎして上がって来た美々。

 

 濡れた体をタオルで拭きながらパラソルまで戻ってくると、何やら重苦しい雰囲気がある事に気づいて訝った。

 

「あれ?」

 

 見れば何やら、響、イリヤ、クロ、美遊の4人が「ズ~~~ン」と言う擬音が聞こえそうなほど、暗い雰囲気を漂わせて、手にしたアイスキャンディーをシャクシャクと食べている所だった。

 

 明るい海水浴場に、あるまじき重苦しさである。

 

「どうしたの、みんな?」

「何か、駄目っぽい人に押し売りにあっちゃった」

「? ふーん」

 

 結局、よくわからない美々は、首を傾げるしかなかった。

 

 と、

 

 そこで兄、士郎が荷物を抱えて近づいて来た。

 

「よし、みんな、そろそろ会場に移動しようか」

 

 実のところ、今回の海行き、目的は海水浴以外にもう一つあった。

 

 それは偶然から判った事。

 

 実は、イリヤ、クロ、美遊の3人の誕生日が同じだったというのだ。

 

 これはすごい、と言う事で、その日に合わせて海水浴を設定し、同時に海の家でお祝いもしてしまおうと言う流れになったのである。

 

 の、

 

 だが、

 

「すまん、イリヤズ」

「ぶっちゃけ誕生会とか、海に来る名目でしかなかったから、半分忘れてた」

「ちょっとは歯に衣着せてよー!!」

 

 薄情な友達の言葉に、イリヤは半泣きになりながらツッコミを入れる。

 

 何と言うか、色々と台無しだった。

 

「ま、まあまあイリヤ、そう落ち込むなって。店は俺が予約しておいたから」

 

 そう言って、傷心の妹を慰める士郎。

 

 何はともあれ、一同は荷物をまとめて移動する事にしたのだった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 海の家「がくまざわ」は、龍子の実家が夏だけ経営している海の家である。

 

 本来は「嶽間沢流」と言う格闘術の道場をしているのだが、夏の間はこちらの方が稼ぎが良い為、道場を閉めて、こちらに力を入れているのだ。

 

 士郎は今回の計画に際し、縁のある「がくまざわ」に予約を入れておいたのだ。

 

 早速、一同席に座ると、盛大な宴がは今った。

 

『イリヤ&クロ&美遊!! お誕生日おめでとうー!!』

 

 クラッカーが一斉にさく裂し、紙吹雪が舞う。

 

 テーブルの上には、既に心づくしのご馳走が並べられている。

 

 特に圧巻なのは、かき氷とアイスクリームで作ったバースデーケーキである。普通のケーキではきついだろうと言う事で、士郎が頼んで特別に作ってもらったのだ。

 

 そんな中、ジュースを飲んでいた美遊は、意を決したように口を開いた。

 

「ねえ、イリヤ」

「ん、何?」

 

 アイスを口にしていたイリヤが振り返る。

 

「誕生会って、何をする物なの?」

「んん?」

 

 何だか、根本的な質問をされ、イリヤは首をかしげる。

 

 美遊がなぜ、そんな質問をしたのか、にわかには測りかねたのだ。

 

「誕生会なんだから、誕生日を祝う物でしょ」

 

 至極当然の回答をするイリヤ。

 

 だが、

 

 美遊の疑問は、イリヤが思っていた以上に根深かった。

 

「誕生日って、祝う物なの?」

 

 美遊の問いかけに、

 

 一同が絶句したのは言うまでも無かった。

 

 誕生日は祝う物。と言うのは、半ば以上常識であり、この場にいる誰もが、疑いを持っていない。

 

 美遊の質問は殆ど、「空はなぜ青いのか?」と聞いているのと同次元の話だった。

 

「ず、ずいぶん根本的な質問するなあ、ミユッチは」

「今まで祝って貰った事無いの?」

 

 場の空気を換えようと、質問する雀花と那奈亀。

 

 だが、

 

「・・・・・・ない」

 

 ボソッと返された美遊の言葉が、更に場の空気を重くする。

 

 どうやら、地雷的な質問だったようだ。

 

 次の瞬間、

 

「っかァァァァァァ!! ファンタうめー!! 世界一うめー!!」

 

 場の空気を全く読まない龍子の笑い声が、重苦しい雰囲気を粉砕する。

 

 KYスキルも、たまには役に立つものだった。

 

「あー そうだな・・・・・・」

 

 そこで口を開いたのは士郎だった。どうやら、年長者らしく、一肌脱ぐ事にしたらしかった。

 

「誕生日ってのは、生まれて来た事を祝福し、生んでくれた事を感謝し、今日まで生きてこられた事を確認する。そんな日じゃないかな」

 

 生んでくれたからこそ、今ここで生きていられる。

 

 生まれて来てくれたからこそ、今ここで、こうして皆と笑っていられる。

 

 その感謝の日でもある。と、士郎は言っているのだ。

 

「祝福と・・・・・・感謝と・・・・・・確認・・・・・・」

 

 噛み締めるように美遊は呟く。

 

 対して士郎は、柔らかく笑いかけた。

 

「でもまあ、そんな堅苦しく考える必要はないぞ。誕生日を祝って貰う側は、美味い物を食べて、適当に騒いでプレゼントを受け取る。やる事なんてそれだけで良いんだよ」

 

 そう言うと士郎は、カバンから小さな箱を3つ取り出し、イリヤ、クロ、美遊にそれぞれ手渡した。

 

「3人とも。お誕生日おめでとう」

 

 期待と共に箱を開ける3人。

 

 すると中からは、それぞれ似た意匠のブレスレットが出てきた。

 

 同じシリーズの物と思われるブレスレットは、紐を手首に巻いて装着する物である。

 

 ただ一点。アクセントがついており、それがイリヤが五芒星、クロがハート、美遊が六芒星と言う違いがあった。

 

「うん、可愛い可愛い!!」

「ありがとう、お兄ちゃん。きっと大切にするね!!」

 

 それぞれ、ブレスレットを巻いた手を握って笑うイリヤとクロ。

 

 そして、

 

「ほら、美遊も」

「あッ・・・・・・・・・・・・」

 

 イリヤに背中を押され、美遊は前に出る。

 

 これまであまり経験の無かった事の連続で戸惑い気味だった美遊。

 

 しかし、一同を見回して口を開いた。

 

「・・・・・・・・・・・・生まれて来た事・・・・・・・・・・・・今日まで生きてこれた事・・・・・・・・・・・・」

 

 言いながら、美遊は視線を巡らせる。

 

「イリヤに会えた事・・・・・・みんなに会えた事・・・・・・士郎さんに会えた事・・・・・・」

 

 次いで、

 

 視線を少年に向ける。

 

「響に会えた事・・・・・・・・・・・・」

 

 笑顔を浮かべる美遊。

 

「その全てに、感謝します」

 

 そう告げる美遊の笑顔は、

 

 なぜか、ちょっと泣いているようにも見えた。

 

 だが、それはきっと、悲しくて泣いているのではない。

 

 今ここにいれた事。

 

 今こうして、みんなといれる事への、感謝の涙だと思った。

 

 

 

 

 

第30話「シーサイド・バースデイ」      終わり

 



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第31話「黄昏時の誓い」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 海水浴に行った数日後。

 

 一同の姿は、エーデルフェルト邸の応接室にあった。

 

 先の攻防戦によって全壊したエーデルフェルト邸は、このほどようやく再建が完了し、元の荘厳な外観を取り戻していた。

 

 そのお祝いの挨拶と言う名目でやって来た、イリヤ、クロ、響の姉弟達。

 

 しかし、実際の目的は他にあった。

 

「と言う訳で・・・・・・・・・・・・」

 

 メイド姿の凛は、一同を見回して言った。

 

 その視線の先には当主のルヴィアをはじめ、メイドの美遊、そして衛宮家の3姉弟と、ルビー・サファイア姉妹の姿もあった。

 

 テーブルの上にはお茶とケーキがおかれ、一見すると友人同士集まった、単なるお茶会のようにも見える。

 

 が、その本来の目的は、これから起こる戦いへの作戦会議であった。

 

「これより、8枚目のカード回収、作戦会議を始めるわよ」

 

 凛の宣言に拍手する一同。

 

 そんな中、凛は背後に用意したホワイトボードを指示して説明する。

 

「今回、屋敷の再建と並行して、8枚目のカードがあると思われる地脈付近のボーリング作業を行ったわ。そっちの作業もつい先日完了。地中深くに眠るカードの元までたどり着いたわ。あとはこれまで通り、鏡面界にジャンプして、カードを回収するだけよ」

 

 今回、最大の問題だったのは、カードが地下深くにあって、事実上、地上からは手出しができない事だった。

 

 そこでルヴィアは問題の地脈上の土地を丸ごと買収し、大規模なボーリング作業を展開。目標の地点まで下りていける地下道を建設したのだ。

 

「はいはい、しつもーん」

 

 挙手したのはクロだった。

 

現実界(こっち)はボーリング工事してあるからいいけど、鏡面界(あっち)は土の中なんじゃないの?」

「あ、言われてみれば」

 

 クロの疑問に、イリヤも頷く。

 

 確かに、ジャンプした先が土の中だったらシャレにならない事態である。

 

 その疑問にはサファイアが答えた。

 

《それは大丈夫です。鏡面界は可能性を重ね合わせた状態にありますから》

「どゆこと?」

 

 意味が分からず首をかしげる響。その間にもケーキを食べる手は止めない。

 

 すると今度はルビーが口を開いた。

 

《我々がジャンプする事によって、重ね合わせの中から相対状態を選び取る訳です。まあ、本当の意味での理解はシュバインオーグのじじいにしか不可能ですが、『シュレディンガーの猫』を思い浮かべればわかりやすいかと》

「・・・・・・結局、よくわかんない」

 

 ますます首をかしげる響。

 

 まあ要するに、こちらが地下施設を建設している以上、鏡面界の方でも何らかの地下構造によって、問題の場所まで行けるようになっている可能性が高い、と言う事だろう。

 

 続いて手を挙げたのは美遊だった。

 

「バゼットさんはどうするんですか?」

 

 当然の質問だった。

 

 業腹だが、8枚目のカード回収に行く以上、彼女を無視するわけにはいくまい。

 

「それなんだけど、彼女も同行する事になったわ」

 

 凛の説明に、一同が驚愕したのは言うまでもない事である。

 

 何しろ、あれだけの死闘を交わした相手だ。共闘などできるはずもない。

 

 1人、この事態を先に知っていたルヴィアは、嘆息交じりの落ち着きを見せる。

 

 恐らく魔術協会上層部の方で、何らかのパワーゲームがあったであろうことは疑いなかった。

 

「と言っても、もちろん仲間じゃないわ。どちらが先にカードを手にするか、競争相手ってところね」

 

 つまり、8枚目のカードについては、手に入れたもん勝ちと言う事だ。

 

 それならば、バゼットを出し抜ける可能性は大いにあった。

 

「なら速攻ね。あっという間にケリをつけて、あの脳筋女よりも先にカードを回収しましょう」

「残念ながら、事はそう簡単じゃないわ」

 

 楽観的に言うクロに対し、凛はくぎを刺すように言った。

 

「どゆこと?」

 

 自分の分のケーキを平らげた響が隣のイリヤの分を虎視眈々と狙いつつ、訝るように首をかしげて尋ねた。

 

 対して凛は、より深刻な顔で答える。

 

「8枚目のカードだけど、これまで以上に魔力を吸っている可能性が高い。たぶん、これまでの非じゃないわ」

 

 何しろ、カードがあるのは地脈本幹のど真ん中である。

 

 凛がその存在に気づくまで、カードは地脈を流れる魔力を吸い続けた事になる。

 

 そればかりか、地脈の様子を確認する限り、カードがある周辺のみ、地脈が狭窄しているのが分かる。つまり、それだけ貪欲に魔力を吸い続けているのだ、8枚目のカードは。

 

 カードの英霊が、どれほどの化け物になっているのか、想像すらできなかった。

 

《ならば尚の事、クロさんの言った通り、一瞬で終わらせるべきでは》

「その通りね」

 

 ルビーの言葉に、凛は頷く。

 

「敵は正体不明にして、おそらく過去最大の敵・・・・・・そんな相手に取れる作戦は一つだけ。最大火力を持って、初撃で終わらせる」

 

 つまり、ターンを相手に渡さない。

 

 先制攻撃を仕掛け、相手が対応する前に敵のHPを削り切る作戦だ。

 

 とは言え、今回は一つ、大きな問題がある。

 

 火力不足である。

 

 今回、使えるカードは「魔術師(キャスター)」「暗殺者(アサシン)」「狂戦士(バーサーカー)」の3枚のみ。見事に、火力不足は否めなかった。

 

 つまり今回、今までの戦いでは主軸に置いて来た、限定展開(インクルード)夢幻召喚(インストール)には頼れないと言う事だった。

 

「切り札はクロ、あんたよ」

「あたし?」

 

 凛に言われ、キョトンとするクロ。

 

 確かに、この中で恐らく、最も高火力を有しているのはクロだろう。となれば、他のメンツが隙を作っている隙に、クロが一気にトドメを刺す。というやり方が好ましかった。

 

「それから響」

「ん?」

 

 声を掛けられ、飲み干したジュースをお代わりしようとしていた響は、手を止めて顔を上げた。

 

「美遊から聞いたわ。あんたの宝具の話」

「・・・・・・ん」

 

 響、と言うより、英霊、斎藤一が使う宝具。

 

 固有結界「翻りし遥かなる誠」は、先の獅子劫優離との決戦で使用し、見事に最強の英霊を撃破している。

 

 今回の戦いでも、大いに役に立つことは間違いないだろう。

 

「あんたは万が一の時の保険ね。もし攻撃に失敗した時は、敵を固有結界の中に取り込んで倒す事になると思う」

「ん、判った」

 

 確かに、固有結界の展開には莫大な魔力を使用する。事実上、一度の戦いで一回展開するのがせいぜいである。

 

 そう考えれば「翻りし遥かなる誠」は、切り時を見極める必要があるワイルドカード(ジョーカー)だった。

 

「みんな、これが最後の戦いよ」

 

 凛は総括するように、一同を見回して言った。

 

「持てる手段は全て用いて勝つわよ」

 

 その言葉に、一同は頷きを返す。

 

 決戦の機運は、否が応でも高まりつつあった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 エーデルフェルト邸での作戦開始の翌日。

 

 響の姿は、自宅の門の前にあった。

 

 相変わらず暑い。

 

 振り仰ぐ空から熱気が降り注ぎ、額からはジワリと汗がにじんでくる。

 

 まだ朝だと言うのに、早くもクーラーが恋しくなり始めていた。

 

 夏休みに入って、暑さはさらに増したような気がする。

 

 まあもっとも、元気な盛りの小学生としては、これくらいの暑さがちょうどいいくらいである。

 

 どれくらい待った事だろう。

 

 程なく、向かいの門が開き、待ち人が姿を現した。

 

「ごめんなさい、待たせちゃって」

「ん、大丈夫」

 

 出てきた美遊に対し、響はそう言って手を上げる。

 

 2人とも、軽装に帽子を被った余所行きの恰好をしている。

 

 笑顔で頷きあう2人。

 

 そのまま連れ立って歩き出した。

 

 

 

 

 

 きっかけは、数日前に遡る。

 

 その日、ルヴィアに呼び出された響は、エーデルフェルト邸の応接室で彼女と向かい合っていた。

 

 オーギュストが用意してくれたお菓子とジュースを頬張りながら、響は目の前で優雅に紅茶を飲むルヴィアに目を向けた。

 

「それでルヴィア、話って何? 美遊は?」

「あの子は今、お使いに出ていますわ。だからこそ、あなたに来てもらったのです」

「?」

 

 意味が分からず、首をかしげる響。

 

 美遊がいると、何か拙い話でもあるのあろうか?

 

 取りあえず、ジュースでも飲んでゆっくり話を聞こう。

 

 そんな風に思った時だった。

 

「響、あなた・・・・・・・・・・・・」

 

 ルヴィアが口を開いた。

 

「美遊の事が、好きでしょう」

「ブフゥゥゥゥゥゥゥゥゥゥゥゥ!?」

 

 飲みかけたジュースを、思いっきり噴き出した。

 

 ルヴィアの顔面目がけて。

 

「そ、そそそ、そんな事、無いよ? 無いよ?」

「この状況でごまかせるとでも?」

 

 オーギュストが差し出したハンカチで顔をぬぐいながら、ルヴィアは呆れ気味に言った。

 

 もともと嘘をつくのが下手な響だが、これは論外も甚だしかった。

 

「そ、それで・・・・・・・・・・・・」

 

 そっぽを向いて話を振る響。

 

 自分の心の内を看破されたとあっては、少年としても面白くない。

 

 因みに、

 

 響が美遊に恋心を抱いている事は、姉であるクロにもバレているのだが、当の響はその事に全く気付いていなかった。

 

「話って?」

「他でもない。美遊の事ですわ」

 

 ルヴィアの言葉に、響は神妙な顔つきとなる。

 

 話題が話題だけに、真剣にならざるを得なかった。

 

「あなたは、あの子の事をどれくらい知っていますか?」

「どれくらいって・・・・・・・・・・・・」

 

 ふと考える響。

 

 美遊・エーデルフェルト。

 

 同い年のクラスメイト。誕生日は彼女の方が早く、イリヤ、クロと同じ。

 

 お向かいのエーデルフェルト邸でメイドをしており、対外的にはルヴィアの義妹。

 

 性格は寡黙でクール。どちらかと言えば現実主義者。

 

 学業優秀、スポーツ万能。大抵のことはそつなくこなす万能小学生。半面、理屈っぽくて頭が固く、物事をあまり柔軟に考える事ができない。

 

 ぶっちゃけ石頭。

 

 そしてマジカルサファイアと契約した魔法少女。カレイド・サファイアでもある。

 

「そんな感じ?」

「なるほど」

 

 頷くルヴィア。

 

 彼女自身、実のところ、美遊に関する知識は響とそう大差が無い。

 

「・・・・・・・・・・・・あの時、わたくしの前に現れた美遊は、何も持っていなかった」

 

 ルヴィアは思い出す。

 

 まだこの冬木に来たばかりの頃、

 

 凛とのドツキ合いで離反したサファイアを探している彼女の前に、魔法少女(カレイド・サファイア)に変身した美遊が現れた。

 

 

 

 

 

『事情はこの子から聞きました。カード回収は私がやります。その代わり、住む場所をください。食べる物をください。服をください。戸籍をください・・・・・・』

 

 静かな目は、真っすぐにルヴィアを見つめていた。

 

『私に、居場所をください』

 

 

 

 

 

 そう訴えた美遊は孤独で、放っておくとそのまま消えてしまうのでは、と思うほどだった。

 

 その後、ルヴィアは美遊を家族として迎え入れ、共に暮らし始めたわけである。

 

「けど、あなたも気付いているでしょう。あの子が、何か重大な事をわたくし達に隠していると」

「・・・・・・・・・・・・ん」

 

 ルヴィアの言葉に、響も頷きを返す。

 

 前々から、美遊の言動には不審な点があったのは事実だ。

 

 恐らく、今回の一連の事件の中心には美遊がいる。

 

 漠然とだが、そんな風に響達は感じていた。

 

「あの子が言いたくないというのなら、無理に聞き出す気はありません。しかし、それではいざという時に、あの子を守れないかもしれない」

「それは・・・・・・確かに・・・・・・」

 

 頷きを返す響。

 

 対してルヴィアも、真っすぐに響を見据えて言った。

 

「だから何かあった時には、あなたに美遊を守ってもらいたいのです」

 

 これまで、そうしてきたように。

 

 勿論、響は美遊に何かあれば、全力で彼女を助けるつもりである。

 

 しかし、

 

「何で、そんな事を?」

「決まっていますでしょう」

 

 首をかしげる響に、

 

 ルヴィアは微笑んで告げた。

 

「美遊もまた、あなたの事が好きだからですわ」

 

 言われた瞬間、

 

 響の顔が真っ赤になったのは言うまでも無い事だった。

 

 

 

 

 

 そんな訳で、ルヴィアの勧めもあって、美遊をデートに誘った響。

 

 当初、突然の事で戸惑っていた美遊だったが、ルヴィアの強い勧めもあって、今回のデートに応じたのだった。

 

「それで響、今日はどこに行くの?」

「ん、ルヴィアに貰ったこの予定表に・・・・・・」

 

 言いながら響は、ルヴィアに渡されたメモ紙を広げる。

 

 美遊は勿論、響もデートなど不慣れだろうと言う事で、ルヴィアがアドバイスをくれたのだ。

 

 そのメモ紙を一読する。

 

 

 

 

 

 〇午前中

・高級ブティックで買い物

・ジュエリーショップ巡り

 

 〇昼食

・一流シェフの揃った高級レストランにて食事。

 

 〇午後

・プライベートビーチにて二人っきりの午後を過ごす(既に土地所有者は買収済み)

 

 夕食

・高級ホテルのラウンジレストランをエーデルフェルトの名で貸し切り済み

 

 

 

 

 

 クシャクシャ、ポイッ

 

「響?」

 

 突然、メモ紙を丸めて捨てた響に、怪訝そうな顔をする美遊。

 

 まったく、あの成金お嬢様は。

 

 小学生のデートに、こんなたいそうな計画は不要だと言うのに。

 

「行こ、美遊」

「あッ」

 

 そう言って手を取る響。

 

 そんな少年に、美遊もまた続いて駆け出すのだった。

 

 

 

 

 

「これは、何?」

 

 差し出された物を不思議そうにしげしげと見ながら、美遊は首をかしげる。

 

 丸めた生地に、生クリームとフルーツとチョコレートソースが包まれ、いかにも甘そうな雰囲気を出しているのが分かる。

 

「ん、クレープ。ここのは特に美味しい」

 

 言いながら、響は自分の分のクレープを頬張る。

 

 途端に広がる甘い食感。

 

 このクレープ屋は以前、イリヤと共に食べに来たのだが、響はここのクレープ屋の味が気に入って、何度か食べに来ていた。

 

 美味しそうに食べる響の姿を見つめる美遊。

 

 そして、恐る恐る口を近づけ、

 

 ハムッと口にする。

 

「・・・・・・美味しい」

「ん、良かった」

 

 目を丸くしてクレープを頬張る美遊を見ながら、響は微笑みを浮かべる。

 

 そして、

 

「はい」

 

 そう言って、美遊は自分の分のクレープを響へと差し出してくる。

 

 その様子に、少し戸惑ったような様子をする響。

 

「な、何?」

「響も、食べてみて」

 

 その言葉に、思わず響は心臓を高鳴らせた。

 

 どうやら美遊本人は気付いていないようだが、これは要するに間接キスである。

 

 響の視線は、差し出されたクレープと美遊の顔を往復する。

 

「どうしたの、響?」

「ん・・・・・・」

 

 キョトンとして、首をかしげる美遊。

 

 対して、

 

意を決したように、口を開く響。

 

 美遊のクレープを、ほんの少しついばむように口に入れる。

 

 正直、味なんてほとんど分からなかった。

 

 だが、

 

「どう、美味しい?」

「・・・・・・ん」

 

 笑顔を浮かべる美遊の顔を、響は直視する事が出来ず、ほんのり顔を赤くして俯くのだった。

 

 

 

 

 

「・・・・・・もう、美遊とはゲームやんない」

「え、ひ、響?」

 

 ガックリと項垂れる親友の姿を見て、美遊はオロオロとうろたえる美遊。

 

 発端は、数分前に遡る。

 

 クレープ屋を出た響と美遊は、そのままゲームセンターにやって来た。

 

 ゲーセンも来た事が無いという美遊に、ゲームをやらせてみようと思ったのだ。

 

 まず、お手本として響がやって見せる。

 

 選んだのはオーソドックスな格闘ゲーム。

 

 流石は今どきの子供と言うべきか、響の腕前はなかなかの物で、高得点を叩き出した。

 

 今度は美遊の番である。

 

 どうせなら対戦をやろうと言う事になり、2人はそろって筐体と向かい合った。

 

 最初の一戦は、美遊がまだ操作に不慣れだった事もあり、響が勝った。

 

 だが、操作方法をマスターした美遊が、2戦目にして早くも勝利。3戦目ではパーフェクト勝利を決めるに至った。

 

 その後、何度も戦いを挑むも、響の0勝全敗。

 

 完膚なきまでの大敗だった。

 

 流石は万能小学生としか言いようがない。それに比べたら響は、文句なしの負け犬っぷりだった。

 

 と、

 

「あ・・・・・・・・・・・・」

 

 ふと、足を止める美遊。

 

 釣られて、響も振り返った。

 

「美遊、どしたの?」

 

 美遊の視線を追う響。

 

 果たして、そこにあったのは、

 

「クレーンゲーム?」

 

 ガラスの筐体の中には沢山のぬいぐるみが乱雑に詰め込まれており、天井部分には吊り上げる為のクレーンもある。

 

 ごく一般的に知られているクレーンゲームだった。

 

 中を覗いてみる。

 

 どうやらライオンのぬいぐるみを取るゲームのようだ。

 

「クレーンゲームって、言うの?」

「ん。あのクレーンで釣り上げた物が貰える」

 

 響の説明を聞きながら、美遊は興味深そうにクレーンゲームの筐体を眺める。

 

 その横顔を見ながら、

 

「・・・・・・・・・・・・」

 

 響はコイン入れに500円を投下した。

 

「響?」

「ん、見てて」

 

 響はそう言うと、クレーンを操作する。

 

 操作方法はごく一般的なクレーンゲームと一緒。目的となる場所でクレーンを止めて、あとはクレーンが自動的に動き、目標を釣り上げる事になる。

 

 クレーンの強度によっては釣れなかったりもするのだが、果たして、

 

 止まるクレーン。アームは真っ直ぐに下りていく。

 

 響と美遊が固唾を飲んで見守る中、

 

 クレーンは見事に、目的のぬいぐるみを釣り上げる事に成功した。

 

「よし」

「やったッ」

 

 響と美遊は、喝采を上げて手を取り合う。

 

 喜び合う、少年と少女。

 

 どうやら、先程の格ゲーでの失態は、取り返せたらしかった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 黄昏時が迫る冬木市。

 

 尚も高いままの気温は、この時間になっても無駄な自己主張を続けている。

 

 今夜も熱帯夜になりそうだ。

 

 そんな黄昏に染まる道を、響と美遊は並んで家路へと着いていた。

 

 美遊の腕には、響に取ってもらったライオンのぬいぐるみが抱かれている。

 

 そんな2人の胸に共通して去来する想い。

 

 楽しかった。

 

 良い1日にだった。

 

 海の時のように、みんなでワイワイ騒ぐのももちろん楽しい。

 

 しかし、

 

 時には2人で、こうして出かけるの悪くなかった。

 

「ねえ、響」

 

 そんな中、美遊が唐突に話しかけてきた。

 

「ん、何?」

「今日は、どうして誘ってくれたの?」

 

 尋ねる美遊に、響は返答に窮した。

 

 ルヴィアに言われた事。

 

 美遊を守るためには、美遊の事を知らなくてはならない。

 

 だが、美遊が抱える秘密。

 

 その心の奥底に何が隠されているのか。

 

 果たして聞いても良い物なのかどうか。

 

 今日一日一緒にいても、響には判然としなかった。

 

 美遊の事を知りたい。

 

 けど、

 

 深く知ろうとして、却って美遊に嫌われてしまうのも怖い。

 

 そうした二律背反的な思考が、響を縛り付けていた。

 

「・・・・・・・・・・・・美遊は」

 

 意を決して、響は口を開いた。

 

 まっすぐに見つめ返してくる美遊。

 

 対して、響も見つめ返す。

 

「何を、隠しているの?」

 

 直球ストレートな質問。

 

 下手な小細工を弄する前に、全力でぶち当たる。

 

 ある意味、この上ないほどに響らしい行動であると言えるだろう。

 

「・・・・・・・・・・・・」

 

 それに対して、美遊は答えない。

 

 しかし、

 

 その沈黙が、「秘密」の存在を、何より雄弁に証明していると言えた。

 

 想像通り、美遊には何らかの秘密がある。

 

 それは、間違いないらしかった。

 

「・・・・・・・・・・・・ごめんなさい」

 

 ややあって、美遊の口から謝罪の言葉が放たれた。

 

「美遊?」

「今はまだ、言えない・・・・・・言いたくないの」

 

 そう告げる美遊の顔はどこか寂し気で、

 

 この広い世界の中で、一人ぼっちな、

 

 そんな感じがした。

 

 そっと、美遊の手を取る響。

 

「ん」

「響?」

 

 驚く美遊に、

 

 響は真剣な眼差しで告げる。

 

「大丈夫・・・・・・美遊、大丈夫だから」

 

 美遊の周りにはみんながいる。

 

 イリヤがいる。

 

 クロがいる、

 

 凛が、ルヴィアがいる。

 

 そして、自分もいる。

 

 何かあった時は、自分が美遊を守る。

 

 その想いが今、少年の中で確固たる形となって根付こうとしていた。

 

「ありがとう、響・・・・・・・・・・・・」

 

 美遊は泣き笑いのような表情を浮かべるのだった。

 

 

 

 

 

第31話「黄昏時の誓い」      終わり

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 その日の夜。

 

 仕事を終え、布団に入ろうとする美遊。

 

 ふと、

 

 ベッドの傍らに目をやった。

 

 枕元に置かれているのは、昼間にクレーンゲームで響に取ってもらったライオンのぬいぐるみ。

 

「響・・・・・・・・・・・・」

 

 そっと呟くと、ベッドの中に入る。

 

 そして、手を伸ばしてぬいぐるみを胸に抱きよせる。

 

 その脳裏には、昼間の少年の姿が浮かんできた。

 

 いつも茫洋として、ちょっと頼りないところがある響。

 

 だが、彼はいつも、自分の為に戦ってくれた。

 

 命がけで、自分を助けてくれた。

 

「・・・・・・・・・・・・」

 

 ぬいぐるみを抱く手に、ギュッと力を籠める。

 

 それだけで美遊は、自分の中に温かい安心感が広がっていくのを感じるのだった。

 



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第32話「黒色の悪夢」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 階段を下りていく。

 

 どこまでも続く地下への階段。

 

 複数の足音が奏でる乾いた足音が、壁に反響して不気味に響き渡る。

 

 ここはまさに地獄にまで通じる竪穴。

 

 落ちたら最後。二度とは出られぬ闇の牢獄。

 

 その深く暗き穴を、

 

 一同は粛々と下りていく。

 

「何か暗くて殺風景で・・・・・・エクストラステージにしては華の無い舞台ねー」

「ちょっとクロ。もう少し緊張感持って」

 

 先を行くクロを、イリヤが窘める。

 

 8枚目のカード回収当日。

 

 一同はエーデルフェルト家の財力を駆使して掘った縦穴を、地下目指して下りていく。

 

 作戦通り、地下最奥部まで行った後、鏡面界にジャンプする事になる。

 

「結構。本番こそリラックスして臨むべきです。ただし、集中するのも忘れないように」

「はーい」

 

 更に階下へと降りていく一同。

 

 既に戦闘準備は整っている。

 

 イリヤと美遊は、それぞれ魔法少女に、響は暗殺者(アサシン)に、クロは弓兵(アーチャー)に、それぞれ変身していた。

 

 やがて、底が見えてくる。

 

 ライトアップされたその場所は、サッカー場並みに広い。派手に魔術戦を仕掛けるには十分な広さだった。

 

 時刻は間もなく深夜0時。作戦開始時刻は、刻一刻と迫っているのだが。

 

「バゼット、来ない・・・・・・・・・・・・」

 

 響は階段の上を見つめながら呟いた。

 

 間もなく時間だと言うのに、バゼットが姿を現す気配はない。

 

 あの階段。下りるだけでも5分以上の時間はかかる。今から姿を現しても遅刻は確定なのだが。

 

「遅刻者は放っておいて、先にやっちゃおうよー」

「うーん、それもやむなしかしらね・・・・・・」

 

 クロの言葉に、凛も同調する。

 

 そもそも自分たちとバゼットは「同行者」であって「共闘者」ではない。約束の時間も守れないような相手を、こっちが待つ義理は無いのだ。

 

 ルヴィアが懐中時計を開く。

 

「時間まで、あと5秒・・・・・・」

 

 カウントダウンが始まる。

 

「3・・・・・・」

 

 その時、

 

 階上において、金属を蹴る音がした。

 

「2・・・・・・」

 

 一同が振り仰ぐ中、

 

 階段の手すりを足場にして、何かが垂直に落下してくるのが見えた。

 

「1・・・・・・」

 

 そして、

 

「0」

 

 カウントダウンの終わりと同時。

 

 衝撃と共に、地面に着地したバゼットの姿があった。

 

 その凄みのある存在感。

 

 抜き身の刃を思わせる眼光は数日前、エーデルフェルト邸で激突した時と寸分違わない。

 

 文字通りのジャスト。

 

 封印指定執行者としての姿が、そこにはあった。

 

「・・・・・・・・・・・・始めましょうか」

 

 やや複雑な思いを抱いて、ルヴィアは告げる。

 

 呉越同舟と言うべきか、かつての敵と轡を並べる事への抵抗感は否めない。

 

 しかしこの際、彼女もまた戦力の一つと数える事が求められていた。

 

「配置について!! ジャンプと同時に攻撃を開始するわよ!!」

 

 ともかく役者はそろった。

 

 凛の指示に従い、一同は動き出す。

 

「とにかく、最大の攻撃を放つだけの作戦だけど、もし敵からの反撃を受けたら、守りのかなめはイリヤの物理保護よ。でも、それとは別にしても、イリヤはダメージを受けないように」

「え、何で?」

 

 凛の出した指示の意味が分かりかね、キョトンとするイリヤ。

 

 その傍らで、クロが嘆息した。

 

「痛覚共有の呪い。忘れたの?」

「あ、そうかッ 私が怪我したらクロやバゼットさんまで怪我しちゃうんだ」

 

 エーデルフェルト邸の戦いでは、そのせいで苦戦を強いられたのだ。今回は、その点も考慮しなくてはならない。

 

 しかし、

 

「そんな呪い(もの)、とうに解除済みです。腕は良いが、性格の悪いシスターに払ってもらいました。それ程難解な呪いでもありませんでしたし」

 

 驚く一同に対し、バゼットは事も無げに言い放った。

 

「んー・・・・・・」

 

 響は首をかしげなら凛を見た。

 

「割とイージーモード?」

「・・・・・・・・・・・・」

 

 問いかける響に対し、ばつが悪そうにそっぽを向く凛。

 

 クロに呪いを掛けた時の大仰さから言って、かなり難しい呪いだと思っていたのだが、どうやら半分以上は凛のハッタリだったらしい。

 

 しかし、それなら一つ、大きな疑問が浮かぶ。

 

 それは、

 

 響は視線を、クロのお腹に向ける。

 

 そこに描かれた文様は、未だに健在である。

 

 なぜクロが、呪いをそのままにしているのか、と言う事だった。

 

 だが、考え事もそこまでだった。

 

 床に描かれた魔法陣が輝きを増し、鏡界回廊の扉が開かれる。

 

「呪いがあろうとなかろうと、もはや関係無いわ。この戦いは、先にカードを手にした者が所有権を得る。ただ、それだけの勝負よ」

 

 凛の言葉と共に、

 

 魔法陣の輝きは最大となる。

 

「行きます!!」

 

 鋭く響く美遊の声。

 

 同時に、

 

 視界は大きく反転した。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 歪む視界。

 

 平衡感覚を失い、崩れる足元。

 

 酩酊感にも似たその感覚に酔いそうになる。

 

 現実世界から鏡面界へのジャンプ。

 

 ひどく長いと感じたその酩酊感が収まった瞬間、

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 視界を埋め尽くすほどの地獄が、そこにあった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 予定通り、鏡面界にも現実世界同様の地下空間が広がっていた。

 

 しかし、

 

 その空間全てを覆いつくすほどの、黒い魔力の霧が充満している。

 

 かつて剣士(セイバー)と戦った時と同様、

 

 否、

 

 それをはるかに上回る、莫大で濃厚な霧がとぐろを巻くようにして広がっている。

 

 その中心。

 

 僅かに霧が晴れる一瞬、視界の先に黒々とした人影が見えた。

 

 あれが恐らく、カードの持ち主たる英霊なのだろう。

 

 予想以上の状況に、一同は息を呑む。

 

「惑わされないで!!」

 

 鋭い声を発したのはルヴィアだった。

 

「敵がどんな姿だろうと、すべきことは同じですわ!!」

 

 言い放つと同時に、宝石を手に前へと出る。

 

 途端に、敵の攻撃が始まった。

 

 魔力の霧が形を変えて、ルヴィアへと襲い掛かってくる。

 

 対剣士(セイバー)戦の時に判っていたが、あの霧は攻撃にも防御にもなる。

 

 その一撃一撃が、次々とルヴィアへと飛来する。

 

 だが、ルヴィアは止まらない。

 

 今回、凛が立案した作戦は3段構えとなっている。

 

 作戦の第一撃を加えるためには、もう少し距離を詰める必要がある。

 

 ルヴィアに向けて、触手のように伸びてくる膨大な霧。

 

 視界全てを黒く染める霧を前にして、

 

「想定済みですわ!!」

 

 ルヴィアは不敵に笑う。

 

 そんな彼女を守るように、

 

 浅葱色の影が躍った。

 

「んッ!!」

 

 鋭く抜刀する響。

 

 銀の閃光が縦横に奔り、ルヴィアに殺到しようとしていた霧を切り払う。

 

「ご苦労様、響」

 

 ねぎらいの言葉と共に、ルヴィアは宝石を霧の中心目がけて投擲する。

 

 発動する宝石魔術。

 

 魔法陣が、霧の中心に立っていた黒化英霊を拘束する。

 

世界蛇の口(ヨルムンガンド)!!」

 

 北欧神話に出てくる毒蛇の怪物の名を関したその魔術は、黒化英霊を真っ向から拘束する。

 

 雄たけびを上げる黒化英霊。

 

 作戦第一段階成功。

 

 その隙を、軍師たる凛は見逃さない。

 

「まずは捕縛成功!! イリヤ、美遊、チャージ開始!! 20秒よ!!」

 

 凛の指示に従い、魔力チャージを開始するイリヤと美遊。

 

 その様子を傍らで見て、バゼットは頷いた。

 

「成程。吸引圧縮型の捕縛陣で敵を一か所に集めつつ、魔力チャージの如何を稼ぐ。そして・・・・・・砲台か」

 

 増幅された魔力が、極大の魔法陣を空中に描く。

 

Eine Folgeschaltung(直 列 起 動)

 

 その様子を見ながら、凛は不敵な笑みを浮かべると、手にした剣に複数の宝石をかざす。

 

「魔力の高速回転増幅路・・・・・・お互い妨害とかはしない約束だけど、一応忠告しておくわ。わたし達の前には、出ない方が良い」

 

 次の瞬間、

 

 ため込んだ魔力が、イリヤと美遊の描く魔法陣によって加速し、解き放たれる。

 

打ち砕く雷神の指(トールハンマー)!!」

 

 強烈な雷撃が迸る。

 

 指向性を持つその一撃は、鏡面界そのものを吹き飛ばす勢いで、全てを薙ぎ払っていく。

 

 その先には、拘束されて身動きできずにいる黒化英霊。

 

 避ける事は、不可能。

 

 見事に、直撃を見舞った。

 

 雄たけびを上げる黒化英霊。

 

「やったッ 完全に決まった!!」

「まだよ!!」

 

 喝采を上げるイリヤに、警告を送る凛。

 

 ここまでは作戦の第2段階。

 

 もう1手、残されている。

 

 踏み出したのは、クロ。

 

 その視界の先では、揺らぎを見せながらも立ち上がる黒化英霊の姿がある。

 

 その姿を真っ向から見据えて、弓を構える。

 

投影(トレース)・・・・・・開始(オン)

 

 囁かれる言葉。

 

 同時に、莫大な魔力が少女の手の中に現れる。

 

 収束される光が、1本の剣の形を取る。

 

《凄まじい魔力圧縮です!!》

「あの矢、これまでの物とは格が違う!!」

 

 見ていたサファイアと美遊が、驚愕の声を上げる中、クロは更に魔力を充填していく。

 

 限界ギリギリまで、圧縮された魔力は矢となる剣の中へと注ぎ込まれる。

 

 以前、クロは響に言った。

 

 無から剣を投影し、矢として打ち出す弓兵(アーチャー)の技。

 

 その剣が持つ概念その物を、爆弾として打ち出す絶技。

 

 クロはこれを壊れた幻想(ブロークン・ファンタズム)と呼ぶ。

 

「仕上げよ、クロ!! 最悪、カードごと破壊してしまっても構わない!! 敵が再生する前に撃って!!」

 

 凛の言葉と共に、

 

 クロは解き放つ。

 

 一閃となって飛翔する矢。

 

 今回、クロが矢として使用したのは、聖剣約束された勝利の剣(エクスカリバー)

 

 アーサー王伝説に伝わる最強の聖剣であり、振るえば万軍をも打ち滅ぼす絶対の輝き。

 

 クロが放つ事の出来る、最大最強の一手である。

 

 故にこそ、凛はクロに最後の一手(チェックメイト)を任せたのだ。

 

 

 

 

 

 

 だが、

 

 

 

 

 

 だからこそ、

 

 

 

 

 

 

 クロだけは判った。

 

 

 

 

 

 判ってしまった。

 

 

 

 

 

 視界の先に、突如出現した盾。

 

「ッ・・・・・・・・・・・・」

 

 いかな最強の聖剣であっても、

 

 否、

 

 自分たちの「全て」をぶつけたとしても、あの盾は破れないであろうことを。

 

 着弾。

 

 同時に巻き起こる爆発。

 

 しかし、盾には傷一つ付かず、優美な外見を保っていた

 

 いったいなぜ!?

 

 どこから!?

 

 尽きぬ疑問が沸いてくる。

 

 しかし、事実は残酷にもただ一つのみ。

 

 最強の一撃は防がれ、作戦は失敗した。

 

 かくなる上は、残された作戦はただ一つのみだった。

 

「退却ですわ。戻って立て直しますわよ!!」

 

 ルヴィアの言葉に意義は無い。

 

 元々、今回の作戦は、最大火力を持って、相手にターンを渡さず、一撃で決する事を旨としていたのだ。

 

 その前提条件が脆くも崩れ去った以上、ここに留まる事は愚策以外に無かった。

 

 だが、

 

「では・・・・・・」

 

 一人諦めず、ザッ と言う足音と共に前に出る影。

 

「次は、私の番ですね」

 

 言い放つと同時に、バゼットは矢の如く駆けた。

 

 目を見張る一同。

 

 バゼットは、あの黒化英霊に単騎で挑むつもりなのだ。

 

 そんなの、放っておけるはずが無かった。

 

 その間にもバゼットは距離を詰め、巨大な盾を一足に駆け上がる。

 

「ミユはみんなを連れて脱出して!! 私はバゼットさんを!!」

 

 そう言って前に出ようとするイリヤ。

 

 だが、

 

「無駄よ!!」

 

 少女の腕を引き、強い調子で引き留めたのはクロだった。

 

「もう、間に合わない」

 

 それは、直接攻撃したクロだからわかる事。

 

 敵の持つ、圧倒的な力量差。

 

 それは、人間が叶う物ではない。

 

「あの女は・・・・・・・・・・・・」

 

 次の瞬間、

 

 盾を飛び越えたバゼットに、

 

「死ぬわ」

 

 無数の刃が殺到する。

 

 その全てが、女の体を貫いた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 なぜ?

 

 どこから?

 

 どうして?

 

 どうやって?

 

 死を直前にして、尽きない疑問がバゼットの中で駆け巡る。

 

 突如、出現して自身を貫いた無数の刃。

 

 それは硬化のルーンによって、タングステンをも上回る硬度を誇るグローブすら、真っ向から刺し貫いていた。

 

 やがて、視界を塞いでいた巨大な盾が消え、響達にも状況が把握できるようになる。

 

 その視界の中に浮かぶ、無数の刃。

 

 剣、槍、斧、槌

 

 それらは、黒化英霊の足元にある泥の中から湧き出していた。

 

「■■■■■■■■■■■■■■■■■■■!!」

 

 雄叫びを上げる、黒化英霊。

 

 その衝撃が、地下全体を容赦なく振るわせる。

 

「何・・・・・・あれ?」

 

 響が愕然として呟く。

 

 こんな光景、今まで見た事が無かった。

 

 その視界の中で、

 

 尚も起き上がろうともがく、バゼットの姿があった。

 

「刺創・・・・・・8か所・・・・・・うち、致命傷は腹部の2か所・・・・・・」

 

 その時、

 

 トドメとも言うべき一撃が飛来する。

 

 放たれた剣は、

 

 バゼットの胸を真っ向から刺し貫いた。

 

 心臓を貫いた一撃。

 

 間違いなく、致命傷である。

 

 あれではもう、助からない。

 

 誰もが思った。

 

 次の瞬間。

 

「・・・・・条件、完了」

 

 呟かれるバゼットの言葉。

 

 同時に、電撃の如き光が走り、全ての傷が一瞬にして修復される。

 

 再び突撃を開始するバゼット。

 

 その拳が、

 

 ついに黒化英霊を捉えた。

 

 繰り出される、強烈な拳。

 

 吹き飛ばされる黒化英霊。

 

 その一撃で、地下室の壁が陥没するほどの衝撃が見舞われる。

 

 並の人間なら、即死してもおかしくは無い。

 

「そんな、心臓を貫かれたのに、何で!?」

 

 黒化英霊の攻撃は、確かにバゼットの心臓を貫いたはず。

 

 しかし、その一瞬後には、バゼットは何事も無かったように動き出した。

 

 これはいったい、どういう事なのか?

 

「蘇生・・・・・・・・・・・・」

「へ?」

 

 まるで信じられない物を見た、と言いたげに凛が呟いた。

 

「蘇生のルーン・・・・・・恐らく心停止した瞬間発動したんだわ。それこそ、宝具クラスの魔術を・・・・・・・・・・・・」

 

 つまりバゼットは、初めから敵が強大である事を見越し、「自分が死ぬ可能性」も考慮に入れてここに来たのだ。

 

 仮に致命傷を受けても、すぐに蘇生して戦闘続行できるように。

 

「それじゃあ、正真正銘、バーサーカー女って事ね・・・・・・」

 

 クロが呆れ気味に呟いた。

 

 その間にも、バゼットは黒化英霊を攻め立てる。

 

 壁に叩きつけられ、身動きできない敵に連続して拳撃を叩きつけるバゼット。

 

 一撃一撃が必殺。事実、拳を叩きつけるたびに、黒化英霊の体は欠損していく。

 

 しかし、

 

 終始、攻めに回っているバゼットは、それでも己の不利を感じざるを得なかった。

 

 いかに打撃によって相手にダメージを負わせようとも、相手はすぐさま魔力の霧で自身の体を修復してしまう。

 

 加えて、足元の泥からは、次々と剣や槍が射出され、バゼットを襲ってくる。

 

 しかも・・・・・・・・・・・・

 

 バゼットは、

 

 そしてクロも、

 

 気づいていた。

 

 視界全てを埋め尽くすほどの刀剣。

 

 死の雨としか形容のしようが無いほど、壮絶な光景。

 

 判ってしまう。

 

 それら全てが、一線級の「宝具」であると。

 

 通常、宝具は1人の英霊に1つ。多い者でも3つ。ランクの低い宝具ならば5つ、6つと持っている英霊もいるが、それくらいともなれば「破格」と言って良いだろう。

 

 だがどうだろう?

 

 視界を埋めて降り注ぐ刃。

 

 その全ての宝具であり、その全てを所有する英霊など、果たして存在しうるのか?

 

 だが、

 

 考えている暇は無かった。

 

 一斉に降り注ぐ、宝具の嵐。

 

「来ますわッ!!」

「る、ルビー!! 物理保護!!」

 

 とっさに防御に回ろうとするイリヤ。

 

 だが、天井一面を覆いつくすほどの宝具の嵐を、物理保護程度の障壁で防げるものではない。

 

「宝具相手には宝具よ!!」

 

 前に出たのはクロだ。

 

 掌に集まる魔力が、深紅の花弁を形成する。

 

熾天覆う七つの円環(ロー・アイアス)!!」

 

 クロの作り出した盾が、降り注ぐ宝具の群れを辛うじて迎え撃つ。

 

 だが、それもいくらも保つものではない。

 

 その間にも、突撃を続けるバゼット。

 

 熾天覆う七つの円環(ロー・アイアス)は、徐々に削られ、花弁を散らしていく。

 

「グッ・・・・・・・・・・・・」

 

 軋む盾に、うめき声を漏らすクロ。

 

「ダメッ 盾がもたないッ ミユ、今のうちに脱出してッ 早く!!」

 

 クロの判断は正しい。

 

 ここで戦っても一片の勝ちも見えない。

 

 ならば後日、態勢を整えたうえで再戦を挑んだ方が得策だろう。

 

 即座に同意し、次元反射路を形成する美遊。

 

 一同が離界(ジャンプ)する音を背中に聞きながら、バゼットは尚も突撃を続けていた。

 

 自分を置いて撤退した彼女たちを責めるつもりは毛頭ない。的確な判断だと思うし、立場が変われば自分もそうするだろう。

 

 それに、

 

「これで私には、あの怪物を倒す以外に選択肢は無くなった」

 

 駆ける足を止めず、駆け抜けるバゼット。

 

 もはや、目の前から迫ってくる宝具の群れは、万を超えていると言って良い。

 

 殆ど、敵の軍勢を1人で相手にしているようなものである。

 

 神話の英雄ですら、これほどの戦いを経験した者は少ないだろう。

 

 自身の敵を真っ向から見据え、

 

 バゼットは最大の切り札を切る。

 

 発動する「斬り抉る戦神の剣(フラガラック)」。

 

 敵の切り札に呼応し、その発動前まで遡って先制攻撃を仕掛ける逆光剣。

 

 それが3発。

 

 一斉に放たれる。

 

 しかし、

 

 いかに現代に伝わる宝具だろうが、

 

 最強の切り札だろうが、

 

 万を超す宝具を前にしては、塵以下でしかなかった。

 

 たちまち、吹き散らされる斬り抉る戦神の剣(フラガラック)

 

 だが、

 

 元より斬り抉る戦神の剣(フラガラック)で仕留められるとは、バゼットも思っていない。

 

 斬り抉る戦神の剣(フラガラック)が作り出した一瞬の隙を突き、バゼット本人は黒化英霊の懐へと飛び込んだ。

 

 これが最後のチャンス。

 

 最大の一撃を叩き込むべく、手刀を振り上げるバゼット。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 だが、

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 その鼻先に、槍の穂先が突き付けられた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 距離はゼロ。

 

 もはやかわしようがない。

 

 戦って、

 

 戦って、

 

 あと一手、届かなかった。

 

 突き込まれる刃。

 

 次の瞬間、

 

 バゼットの姿は、黒化英霊から遥かに離れた場所に出現した。

 

「なッ・・・・・・・・・・・・」

 

 余りの事に、驚くバゼット。

 

 先程の敵の攻撃。

 

 あれはぜったいにかわしようが無かったはず。

 

 いったい、何が起こったのか?

 

 困惑するバゼットの傍らで、

 

 雄々しくはためく誠の旗。

 

「ん、何とか間に合った」

 

 響は視線の先に立つ、黒化英霊を見据えながら呟いた。

 

 

 

 

 

第32話「黒色の悪夢」      終わり

 



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第33話「神話の彼方より来たる者」

 

 

 

 

 

 

 

 バゼットの傍らで、大地に旗を突き立てる少年。

 

 彼の姉達もまた、バゼットを取り囲むようにして佇んでいた。

 

 ある種の勇壮さすら感じさせる光景。

 

 雄々しく翻る「誠の旗」は、かつて幕末最強の剣客集団だった新撰組の誇りを形としてあらわした物。

 

 この旗が戦場に翻る時、否が応でも戦機が高まるのが分かる。

 

 同時に、バゼットは気付いた。

 

 周りの風景その物が、一変している事に。

 

 無機質な地下構造体から、月夜の荒野へと周囲の状況が変化している。

 

 単に視覚が変化したのとはわけが違う。

 

 言うならば、世界そのものが塗り替えられているのだ。

 

「まさか、固有結界ですか・・・・・・・・・・・・」

「ん、ぎりぎり間に合った」

 

 旗を持つ響は、冷汗をぬぐいながら告げた。

 

 あの一瞬、

 

 バゼットが槍に貫かれようとした瞬間、

 

 響はほとんどとっさに固有結界「翻りし遥かなる誠」を発動したのだ。

 

 固有結界は性質上、内部に取り込んだ人間の位置を、発動者の任意で入れ替える事が可能となる。

 

 その特性を利用し、死の寸前に運命を囚われていたバゼットを救ったのである。

 

 とは言え、間一髪だった。あとコンマ1秒遅かったら、バゼットは串刺しにされていたところである。

 

「なるほど、これも、その英霊の力と言う訳ですか」

「ん、そんなとこ」

 

 感心したような言葉に、頷きを返す響。

 

 とは言え、「翻りし遥かなる誠」は、本当に最後の切り札だ。これを発動した以上、もう響にあとは無い。

 

 つまり、ここで決着させるしかないのだ。

 

「さて、あとはあいつを、どうやって倒すか、よね」

 

 干将と莫邪を両手に構えながらクロが嘆息気味に告げる。

 

 イリヤがいてくれているから、取りあえず退路の確保は問題ない。

 

 しかし、目の前の黒化英霊(あれ)を放置できないのもまた事実だった。

 

「基本は変わりません」

 

 言ったのはバゼットである。

 

「外からの攻撃が通用しないのなら中から・・・・・・接近し、白兵戦でカードを抉り出す。それしかありません」

 

 言ってから、

 

 バゼットは一同を見回した。

 

「お願いがあります」

 

 それは彼女にとって、ある意味苦渋の決断である。

 

 しかしなりふり構っていられる状態じゃない事もまた、彼女が一番よくわかっていた。

 

「私1人では、あの怪物は倒せない。だから・・・・・・・・・・・・」

 

 眦を上げるバゼット。

 

「力を貸してほしい。あれを倒すために」

 

 その言葉に、

 

 響、イリヤ、クロは笑みを浮かべる。

 

 元より、そのつもりでここに残ったのだ。初めから否やは無かった。

 

「それから、そのままでは戦いにくいでしょう。これを使ってください」

 

 そう言ってバゼットは、ポケットから取り出した物をイリヤに差し出す。

 

 対して、イリヤは、バゼットが差し出した物を見て目を見開いた。

 

「これってッ でも・・・・・・」

「貴女なら使いこなせるはず。今は少しでも勝率を上げておきたい。その為の緊急的措置だと思ってください」

 

 そう言ってバゼットが差し出した物を、イリヤは押し抱くように受け取る。

 

 何であれ、ここはバゼットの判断が正しい。敵が強大である以上、最大戦力を持って挑むべきだった。

 

「それじゃあ、始めるわよ!!」

 

 クロの合図と共に、一同は一斉に動いた。

 

 途端に、黒化英霊も動き出す。

 

 再び始まる、圧倒的なまでの蹂躙。

 

 無数の刃が、五月雨の如く次々と襲い掛かってくる。

 

 対して、

 

 イリヤは掲げる。

 

 1枚のカードを。

 

 そっと目を閉じる少女。

 

 できるはずだ、きっと。

 

 これまで響や美遊が何度もやって来た。それを間近で見てきたのだから。

 

 目を見開くイリヤ。

 

 同時に、詠唱がなされた。

 

夢幻召喚(インストール)!!」

 

 叫ぶと同時に、少女を取り巻くように吹き荒れる衝撃。

 

 魔力が周囲を取り巻き、イリヤの姿は英霊のそれへと変貌していく。

 

 その身は無垢なる純白を纏い、手には絶対の輝きを誇る聖剣が握られる。

 

 ブリテンの伝説に謳われし最高の騎士王。

 

 白百合の如き可憐さを持った、美しき戦乙女の姿がそこにあった。

 

 剣士(セイバー)のカードを夢幻召喚(インストール)したイリヤは、聖剣を真っすぐに掲げる。

 

「行くよ!!」

 

 言い放つと同時に、駆けるイリヤ。

 

 そこへ、触手の如き様相を成した魔力の霧が、一斉に襲い掛かって来た。

 

 全ては、イリヤを刺し貫かんと迸る霧。

 

 だが、

 

「そんな物ッ!!」

 

 手にした聖剣を、縦横に振るうイリヤ。

 

 英霊を身に宿し、剣士(セイバー)そのものと化した今のイリヤにとって、この程度の攻撃など、脅威足りえない。

 

 全ての触手は、聖剣の輝きの前に斬り伏せられる。

 

 霧散する魔力の霧。

 

 その中央で、白百合の騎士は凛とした眦を上げて剣を構える。

 

「■■■■■■■■■■■■!!」

 

 咆哮を上げる黒化英霊。

 

 イリヤの奮戦が彼の自尊心を傷つけたのか、更に魔力の霧を増やし、攻撃を仕掛けようととぐろを巻き始める。

 

 だが、

 

 その足元で強烈な爆発が起きて、大きく吹き飛ばされた。

 

「こっちも忘れないでよね!!」

 

 不敵な声が地下に響く。

 

 後方に布陣していたクロが、弓で援護射撃を開始したのだ。

 

 ケルトの英雄、フェルグス・マックロイの佩刀であるカラドボルグを投影したクロは、それを壊れた幻想(ブロークン・ファンタズム)として使用したのだ。

 

 先程、約束された勝利の剣(エクスカリバー)を使って攻撃した時は謎の盾に防がれてしまったが、今回は完全な奇襲となった。

 

 よろめく黒化英霊。

 

「響のおかげね」

 

 敵の様子を見て、不敵な笑みを浮かべるクロ。

 

 響が固有結界「翻りし遥かなる誠」を展開した事で、黒化英霊の認識力が低下しているのだ。

 

 その為、黒化英霊の照準は定まらず、攻撃の殆どがクロ達を捉えられずにいる。

 

「このまま押し込むよ!!」

 

 叫びながら、聖剣を振り翳して前に出るイリヤ。

 

 だが、

 

 対抗するように、

 

 再び無数の刃が、空中に姿を現す。どうやら、先程バゼットに見せた宝具の一斉掃射を、再び仕掛ける心づもりのようだ。

 

 放たれる無数の刃。

 

 1発1発が必殺以上の攻撃が、白百合の剣士に降り注ぐ。

 

「クッ!?」

 

 自身に向かって降り注いでくる宝具の群れを前に、聖剣を振り翳して対抗するイリヤ。

 

 剣士(セイバー)の名に恥じぬ剣閃を見せ、次々と飛んでくる宝具を叩き落としていく。

 

 しかし、

 

「これじゃ、前に進めない!?」

 

 焦燥交じりに、イリヤは叫ぶ。

 

 宝具の一斉掃射を前に、イリヤの動きは完全に縫い止められていた。

 

 イリヤが示す剣閃を前に、黒化英霊は流石に接近されるのはまずいと思っているのか、物量で押しつぶす作戦に切り替えたらしい。

 

 その作戦は功を奏し、イリヤは完全に足止めを食らってしまう。

 

 さらに増える宝具の群れ。

 

 空間が開き、穂先が次々と姿を現す。

 

 射出される無数の刃。

 

 その一斉掃射が、イリヤへと殺到する。

 

「クッ こんなに!!」

 

 手にした聖剣を必死に振るい迎撃するイリヤ。

 

 だが、どんなに強い剣士がいたとしても、「軍勢」が相手では分が悪い。

 

 このままではじり貧である。

 

 いずれ、さばききれなくなった刃が、イリヤを襲う事になるだろう。

 

 勢い増して少女を押しつぶそうとする黒化英霊。

 

 心なしか、その顔つきまで弑逆味を見せているような気さえする。

 

 更に攻撃を強めようと、手を振り上げる黒化英霊。

 

 次の瞬間、

 

「ん、それはやらせない」

 

 背後から聞こえる、低い声。

 

 振り返る黒化英霊。

 

 その視線の先には、

 

 左手に携えた刀を、弓を引くように構えて切っ先を向ける響の姿があった。

 

 黒化英霊は、全く気付かなかった。

 

 イリヤやクロが激しく攻撃を仕掛けている隙に、響が死角を突く形で背後に回り込んでいた事に。

 

 まさに暗殺者(アサシン)

 

 「翻りし遥かなる誠」の影響で感覚が低下した黒化英霊は、少年の動きを全くと言って良いほどに捉える事が出来なかったのだ。

 

無明(むみょう)暗剣殺(あんけんさつ)

 

 低い呟きと共に、銀の閃光が鋭く突き込まれる。

 

 一閃。

 

 迸るその一撃が、黒化英霊の胸を真っ向から刺し貫いた。

 

「■■■■■■■■■■■■ッ!?」

 

 咆哮を上げる黒化英霊。

 

 その胸元に、響の剣閃によって受けた傷痕が残っている。

 

 だが、それも一瞬の事だった。

 

 結果は先程と同じ。

 

 すぐに魔力の黒い霧が流れ込み、傷口を塞いでいく。

 

 致命傷に近い傷ですら、瞬く間に修復してしまうとは、この黒化英霊が、いかに規格外であるかうかがえる。

 

 だが、

 

「それも、判ってた」

 

 鋭い眼差しを見せながら、響は呟く。

 

 これでも尚、倒せないであろうことは響達も想定済み。

 

 だからこそ、最後の一手を残していた。

 

「今よッ」

「バゼットさん、お願い!!」

 

 イリヤとクロの声に導かれるように、

 

 バゼットが飛び出した。

 

 響の攻撃を受け、黒化英霊は一時的だが完全に動きを止めている。

 

 今が千載一遇のチャンスだった。

 

 開ける視界。

 

 そして、

 

 迸る黒い霧をかき分けるように、進撃するバゼット。

 

 その眼光が、黒化英霊を真っ向から射抜き、間合いに捕捉する。

 

「人1人を仕留めるのに、大仰な攻撃手段はいらない」

 

 硬化

 

 強化

 

 加速

 

 相乗

 

 速く

 

 確実に

 

 ただ

 

 

 

 

 

 心臓(カード)のみを抉り出す!!

 

 

 

 

 

 突き込まれるバゼットの手刀。

 

 その一撃は、

 

 確実に黒化英霊の心臓を刺し貫いた。

 

「うげッ 素手で心臓を!?」

 

 余りの光景に、背筋を凍らせるクロ。一歩間違えば、自分もああなっていたかもしれないと思うと猶更だろう。

 

 だが、甲斐はあった。

 

 バゼットのグローブは、抉り出したカードをしっかりと握りしめていたのだ。

 

 その表面に描かれている絵柄。

 

 そして文字。

 

 Archer

 

「アーチャー・・・・・・・・・・・・」

 

 2枚目の弓兵(アーチャー)カード。

 

 なぜ、同じカードが2枚あるのか?

 

 そう思った次の瞬間、

 

 再び、黒い魔力の霧が、猛烈な勢いで吹き荒れ始めた。

 

 黒化英霊が咆哮し、視界全てが黒く塗りつぶされていく。

 

 こうなると、最早どうにもならない。

 

 バゼットも、響も、巻き込まれるのを避けるために、後退するしかなかった。

 

「馬鹿なッ カードを抉り出して尚、動けるのか・・・・・・・・・・・・」

 

 黒い霧は再び黒化英霊を取り巻き、傷を修復していく。

 

 間違いなく致命傷。

 

 心臓を抉り出されて尚、動ける存在などいるはずが無い。

 

 だが、

 

 黒化英霊の傷は、間違いなく塞がり始めている。

 

 そして、

 

「■■■■■■セイ■■■■■■■■■■■■ハ■■■■■■イ■■■■■■」

 

 おどろおどろしく、絞り出される声。

 

 その場にいた全員が、それを聞いた。

 

 聖杯。

 

 黒化英霊は、確かにそう言ったのだ。

 

 だが、

 

 思考できるのもそこまでだった。

 

 次に現れた剣。

 

 その刀身より吹き荒れた衝撃は、世界をも斬り裂いて迸ったのだ。

 

 後にはもう、何も考える事が出来なかった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 描かれる魔法陣。

 

 同時に、成す術無く立ち尽くしていた美遊、凛、ルヴィアの3人は振り返った。

 

 先の撤退で現実世界に戻っていた3人は、鏡面界に残ったイリヤ達を待って、地下空間にとどまっていたのだ。

 

 鏡面界はどうなっているのか? 残った4人は無事なのか?

 

 尽きぬ焦燥に駆られる事数分。

 

 再び開いた魔法陣から、飛び出してくる影があった。

 

「イリヤッ クロッ 響!!」

「みんな、無事ですわね!!」

 

 地面に転がるように現れた響、イリヤ、クロ、バゼットの4人。

 

 どうにか、命からがら脱出してきた形である。

 

《いやはや、間一髪でしたねー》

 

 今度ばかりは肝を冷やした、と言った感じにルビーがため息交じりに冷汗をぬぐう。

 

 あの一瞬、

 

 黒化英霊が振るった剣は、間違いなく世界をも斬り裂いた。

 

 巻き込まれれば、文字通り一片も残らず消滅の憂き目を見ていた事だろう。

 

 助かったのは、攻撃が襲ってくる直前、ルビーがとっさに鏡界回廊を形成し、そこに一同が飛び込んだからに他ならなかった。

 

「いったい、なにがあったんですの?」

「・・・・・・・・・・・・」

 

 問いただすルヴィアに対し、一同の口は重い。

 

 あの状況で生還できたこと自体、既に奇跡だったと皆が感じていたのだ。何があったかなど、想像すらできない。

 

「・・・・・・・・・・・・地獄」

 

 ややあって、バゼットが重苦しく口を開いた。

 

「いや・・・・・・神話を見ました」

 

 神話。

 

 天地開闢の神話が、正にあの鏡面界で再現されたのだ。

 

 いったいあれは、いかなる存在なのか。

 

 誰も、それを説明できる者はいなかった。

 

「判った事は2つです」

 

 バゼットは一同を見回して続けた。

 

「まず、あれのクラスは『弓兵(アーチャー)』です。この目で確かに見たので間違いないです」

 

 その言葉に、一同は驚いた表情を見せる。

 

 言うまでも無く「弓兵(アーチャー)」のカードは、今もクロの中にある。

 

 2枚目の「弓兵(アーチャー)」には、いったいいかなる意味があると言うのか?

 

「そして・・・・・・我々では、どうあってもあれには勝てない」

 

 自身も愕然とした調子でバゼットは言った。

 

 全戦力を振り絞り、トドメとも言うべき一撃を受けて尚、黒化英霊は立ち上がって来た。

 

 もはや万策は尽きたと言っても過言ではなかった。

 

「もはやカードを回収するのではなく、別の方法を模索すべきでしょう。一度、魔術協会の方にも報告を入れる必要があります」

「同感ね。正直、戦うのは二度とごめんだわ」

 

 今回の敵は、間違いなく過去最強だ。

 

 最大戦力を持って尚、倒しきれなかった以上、何かしら方策を変える必要性に迫られていた。

 

 一同がそう思い、階段の方に向かおうとした。

 

 その時、

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 ビシッ

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 鳴り響く、不吉な破裂音。

 

 とっさに振り返る一同。

 

「何の音!?」

 

 凛が叫ぶ中、

 

 空間に走った亀裂が、一気に大きくなる。

 

「これはいったいッ!?」

「亀裂が広がって、割れていきます!!」

 

 美遊の言葉通り、

 

 目の前の空間は、ガラスの如く、脆く崩れ去る。

 

 そして、

 

 その中から、

 

 不気味な黒い影がはい出してきた。

 

「■■■■■■■■■■■■ッッッッッッ!!」

 

 戦慄に、誰もが声も出せない。

 

 果たして誰が、この事態を想定しえたであろう?

 

 黒化英霊が、鏡面界を突き破って現実世界に飛び出してくる、などと。

 

 余りの事態に、誰もが、動きを止めた。

 

 ただ2人を除いて。

 

「んッ!!」

 

 刀を振り翳し、響は飛び出す。

 

 浅葱色の羽織が靡き、銀の刃は一閃となって突き込まれる。

 

 響の繰り出した刀の切っ先は、黒化英霊の胸を真っ向から捉えた。

 

 突き刺さる刃。

 

 だが、それだけにとどまらない。

 

「ま、だッ!!」

 

 柄を両手で持ち、更に力任せに刃を押し込む。

 

 同時に地を蹴って、ゼロ距離から無理やり加速する。

 

 踏み込みが一歩だった為、惜しくも音速には至らない。

 

 しかしそれでも、密着状態から押し込んだため、威力は絶大である。

 

 吹き飛ぶ黒化英霊。

 

 響の強烈な突進を前に、黒化英霊は背後の壁に叩きつけられる。

 

 同時に、ルヴィアも動いた。

 

「響、もう良いですわッ お下がりなさい!!」

「んッ」

 

 合図と同時に、刀を引き抜いて後退する響。

 

 それを見届けると、

 

 ルヴィアは壁に掌を当てた。

 

Zeichen(サイン)

 

 壁に仕込まれた術式を起動する。

 

 同時に、壁全体に編み込まれた回路に魔力が走った。

 

 連鎖的に巻き起こる爆発。

 

 壁に、天井に、一斉に亀裂が走っていく。

 

「まさか、最終手段をこちらの世界で使う事になろうとは・・・・・・」

 

 ルヴィアはそう言って、自嘲気味に笑う。

 

 今回の敵が強大であろうことは、初めから予想していた事である。

 

 そこでルヴィアは、本当に最後の手段として、地下構造を爆破崩落させ、黒化英霊もろとも押しつぶしてしまう作戦を考えていたのだ。

 

 本来なら鏡面界で使うはずの手段だったが、こうなった以上、仕方が無かった。

 

 一気に崩落を始める地下空間。

 

 亀裂はあっという間に、空間全体に広がっていく。

 

「脱出しますわよッ 生き埋めになるのは(あいつ)だけで十分ですわ!!」

 

 ルヴィアの言葉には一同、否やは無い。こんな所で生き埋めは、絶対にごめんだった。

 

「階段じゃ間に合わないッ イリヤッ 美遊ッ 私とルヴィアを抱えて飛んで!!」

「わ、分かった!!」

 

 直ちに、イリヤが凛を、美遊がルヴィアを抱え上げて跳び上がる。

 

 凛とルヴィアが重力軽減の魔術を使っているため、小学生女児2人は自分達より体格の大きい高校生を難なく抱え上げていた。

 

 その一方で、飛行できない響、クロ、バゼットの3人は、階段の手すりを足場にして垂直に駆けあがっていく。

 

 その間にも、地下空間の崩落は止まらなかった。

 

 土砂と瓦礫は、どんどん眼下に降り積もっていく。

 

「想定外の事が起こりすぎているわッ 敵がこっちの世界に出て来るなんて!!」

 

 絶望を吐き出すように呟く凛。

 

 いかに、あの敵が規格外であるかが分かる。

 

《いったい、向こうで何があったの姉さん? 敵も虚軸の移動手段を持っているの?》

《・・・・・・いいえ、わたし達のやり方とは、まるで違うようですよ》

 

 尋ねるサファイアに対し、ルビーは首を振る。

 

 確かに、

 

 黒化英霊が現実世界に出てきた時、かなり「強引」な印象を受けた。

 

 ルビーやサファイアのやり方が、例えるなら「道を作る」のだとしたら、あの黒化英霊がやったのは「壁をぶち破る」と言った感じだろうか。

 

《恐らく、敵さんが最後に出した奇妙な宝具・・・・・・あの剣が、世界そのものを斬り裂いたのではないかと・・・・・・・・・・・・》

 

 確かに奇妙な剣だった。

 

 一応「剣」の形はしていたが刃らしきものは無く、代わりに螺旋する円筒状の物が、本来なら刀身に当たる部分に存在していた。

 

 果たして本当に、あれを「剣」と呼んでも良いのかさえ分からない。

 

 そもそも世界を斬り裂くほどの力を秘めた剣など、本当に存在するのだろうか?

 

 何にしろ間違いなく、規格外(EXクラス)である事が分かる。

 

「どんな宝具を持ってこようと関係ありませんわ」

 

 美遊に抱えられたルヴィアが、呟くように言った。

 

「160万トンのコンクリートと、720万トンの地層に押しつぶされれば、いかな英霊であろうと耐えられるはずありませんわ」

 

 自信と共に言い放つ。

 

 あるいは、

 

 そう思い込みたかっただけなのかもしれない。

 

 誰もが。

 

 次の瞬間、

 

 視界の陰で、何か黒い物が下から上へ向かって駆けあがるのが見えた。

 

「な、何、今の!?」

 

 凛を抱えたイリヤが、驚愕して叫ぶ。

 

 同時に、何かを突き破るような、重苦しい音が、瓦礫越しに聞こえてくるのが分かった。

 

 そう、

 

 まるで連なった何層もの壁を、無理やり突き破るような、そんな音。

 

 地層が、突き破られている。

 

 ルヴィアはすぐに、その可能性に思い至った。

 

「急いでイリヤッ 早く地上へ!!」

 

 凛に促されるまま、速度を上げるイリヤ。

 

 光が見えてくる。

 

 もう間もなく、地上だ。

 

 やがて、少女の姿が地上へと出る。

 

 それと、ほぼ同時だった。

 

 「それ」が地上へ飛び出したのは。

 

 形容するならまさに、「空飛ぶ船」だろう。船体を中心に、左右には羽のような物が見える。

 

 まずい事態だ。

 

 魔術の第一原則は「秘匿」。一般人に、その存在を見とがめられるわけにはいかないのだ。

 

 今回は最悪、街に被害が出る可能性すらあった。

 

 何とか、街から離した場所で迎え撃たないと。

 

「わたしとイリヤなら飛べます」

 

 そう言って、跳躍の姿勢を取る美遊。今すぐにでも、飛び出していきそうな雰囲気である。

 

 だが、

 

「危険すぎる。近づいたところで勝算は無いわ」

「宝具の投射を誘発するだけでしょうね。そのうち1本でも街に落ちれば大惨事です」

 

 凛とバゼットが難色を示す。

 

 町の上空が戦場になる時点で、こちらの敗北は確定的だった。

 

「なら、海側におびき寄せて、地面に叩きつければ・・・・・・・・・・・・」

 

 今度はイリヤが発案するも、凛はやはり首を横に振る。

 

「仮にそれができたとしても、その後はどうしようもないわ。こっちの全力攻撃は全部防がれちゃったんだし」

 

 絶望感が、一同を支配する。

 

「手詰まりよ・・・・・・こんなのもう、どうしようもないわ・・・・・・」

 

 万策は、既に尽きた。

 

 もはや打つ手はない。

 

 誰もが、そう思い始めた。

 

 その時、

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「豚の鳴き声がするわ」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 突然、背後から声を掛けられ、一同は振り返る。

 

 その視線の先。

 

 闇の中から、ゆっくりと近づいてくる影があった。

 

「まったく、名家の魔術師2人に執行者が雁首揃えてピィピィと。情けないにもほどがあるわね」

 

 暗がりの中から出てきた、その人物。

 

「ん・・・・・・」

「ッ!?」

「あ、あなた!?」

「ど、どうしてここに!?」

 

 見覚えのあるその人物の姿に、響、美遊、クロ、イリヤが同時に声を上げる。

 

 果たしてそこには、

 

 穂群原学園初等部養護教諭の華憐(かれん)が、あまり見慣れない格好で佇んでいた。

 

 

 

 

 

第33話「神話の彼方より来たる者」      終わり

 



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第34話「手負いの獣」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 眠り続ける少女。

 

 その体には、酸素を供給するマスクや、薬液を送るチューブが何本も接続されている。

 

 取り付けられたコードの先には、バイタルを常時測定する機器があり、規則正しい電子音を奏でていた。

 

 もう長い間、眠り続けている少女。

 

 医者からも、目が覚めるのは絶望的かもしれないと言われている。

 

 そんな中、

 

 微かな、

 

 しかし確実に感じた振動。

 

 そのわずかなきっかけが、少女に変化をもたらす。

 

 少女の中にある、常人には無い回路。

 

 それが、先の振動の影響か、静かに動き出していたのだ。

 

 静かに、

 

 ゆっくりと、

 

 体の中を巡り始める。

 

 目を開く。

 

 同時に、何かが起きている事を感じ取った。

 

「・・・・・・・・・・・・」

 

 行かなければ。

 

 その想いが、少女を突き動かす。

 

 手を伸ばし、体に張り付いたコードやチューブを力任せに引きはがす。

 

「・・・・・・・・・・・・」

 

 体を起き上がらせる。

 

 長く動かしていなかった骨と筋肉が軋みを上げる。

 

 痛みが、全身に伝播する。

 

 僅かでも気を抜けば、倒れてしまいそうだ。

 

 だが、

 

 渾身の力でもって、前へと踏み出す。

 

 行かなければ。

 

 ただ、その想いだけが、少女を支えていた。

 

 

 

 

 

 突如現れた、穂群原学園初等部養護教諭の華蓮。

 

 その姿は、常の物とは異なっていた。

 

 白衣を着ているのはいつもの事だが、その下には黒を基調とした衣装を着ている。

 

 そして最大のツッコミどころは、なぜかスカートを履いていない点。そのせいで、下着が丸見えになっていた。

 

「な、何よ、この無礼な女は!? 知り合いなの、イリヤ!?」

「し、知り合いって言うか・・・・・・学校の保健の先生で・・・・・・」

 

 激昂した凛に話を振られたイリヤも、どう答えるべきか迷っている。

 

 まさか保健室の養護教諭が、こんな所に訳知り顔で現れるなど、誰が想像しえただろう?

 

 と、

 

 そんな一同の疑問に答えるように、華憐は振り返った。

 

「はじめまして。折手死亜 華憐(おるてしあ かれん)と申します」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

『      こいつは うさん臭い      』

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 一同が、そう思ったのも無理からぬことだろう。

 

 仕方なく、バゼットが嘆息交じりに補足説明を入れた。

 

「彼女の名はカレン・オルテンシア。聖堂協会所属のシスターで、此度のカード回収作業のバックアップ兼監視者です」

 

 バゼットの説明に、色めきだったのは凛とルヴィアの本職魔術師2人だった。

 

「監視者ッ!? 聖堂協会が絡んでいるなんて聞いていませんわよ!?」

 

 聖堂協会とはキリスト教に端を発する、この世界における最大の魔術組織である。

 

 異端の排除と神秘の管理を目的に活動しており、下部に多くの異端狩り組織を有している。

 

 「神秘の秘匿」を旨とする魔術協会との折り合いは悪く、不倶戴天の敵と言って良い関係にある。

 

 現状は冷戦状態が維持されているが、水面下では壮絶な殺し合いが尚も行われているという噂もある。

 

 そのような事情がある為、魔術協会所属の凛やルヴィアにとっては、カレンの存在は大いに納得いかないところだった。

 

「華憐、保健の先生じゃなかったの?」

 

 尋ねる響に、カレンはシレッとした顔で向き直る。

 

「それはウソ・・・・・・て言うか趣味? 怪我した子供を間近で見るのが楽しくて。マジ超ウケる」

 

 淡々とした口調で説明するカレンを見て、全員が同時に思った。

 

 この人、人格が壊れてる。

 

 と。

 

「表立って動くつもりは無かったのですけど、迷える子ブタがあんまりにも無様で可哀そうだったもので」

 

 一同の反応をガン無視しつつ、カレンは毒舌を交えて説明に入った。

 

「道を見つけるプロセスなんて決まっています。観察し、思考し、行動なさい。あなたがたにできる事なんて、それだけでしょう?」

 

 カレンの言葉は、特に凛達にとっては腹立たしい限りだが、ひたすらに正鵠を射ているのも事実だった。

 

 ここで喚いても事態の解決には一ミリも貢献しない。

 

 冷静に状況を見極め、勝機を探るしかなかった。

 

「・・・・・・・・・・・・街に、明かりがありません」

 

 美遊がポツリとつぶやいた一言に、全員が一斉に振り返る。

 

 見れば確かに。

 

 新都も深山町も、明かりが一切見られない。

 

 いかに深夜とは言え、全く明かりが無いのはおかしい。特に新都は、様々な明かりで溢れているはずなのに。

 

「正解」

 

 カレンが笑みを浮かべて言った。

 

「1キロ四方に人避けと誘眠の結界を張ってあるわ。それが私の仕事だから」

 

 まるで、こうなる事を予測していたかのような手際の良さである。

 

 果たしてこの女は、どこまで把握しているというのか。

 

「さて、これでひとまず人目を気にする必要は無くなりました。では、次に見るべきは何かしら? はい、そこの日焼け少女」

「あからさまな誘導は癪に障るわね。あと日焼け違うッ」

 

 話を振られたクロは、若干苛立ち気味に答える。

 

「決まってるでしょ。あいつがどうするか、よ」

 

 言いながらクロは、上空の黒化英霊を見やる。

 

 相変わらず、空飛ぶ船で浮かんだまま動きを見せていない。

 

 取りあえず、無差別攻撃をする意思がなさそうなのは不幸中の幸いと言える。

 

 と、そこでふと、凛は気付いた。

 

 今までの黒化英霊達とは明らかに違う点。

 

 それは、上空にいるアレは、何らかの意思を持って動いている可能性があると言う事。

 

 その意思を推察できれば、あるいは巻き返しも不可能ではないかもしれない。

 

「何か、アレの意思を推察できそうな情報は?」

 

 問いかけるカレンに、一同は考え込む。

 

 正直、戦うのに必死で、相手の意思など考えている余裕も無かった。と言うのが本音である。

 

 そもそも、本当に意思があるのかどうかすら定かではないというのに。

 

「セイハイ・・・・・・と、発声していました」

 

 バゼットが答える。

 

 確かに。

 

 地下空間の戦いで、あの奇妙な剣を出す直前、黒化英霊は「セイハイ」と、確かに口にしていた。

 

 セイハイ。

 

 聖杯。

 

 その連想は、この場にいる一同の脳内では当然の変換だった。

 

 と同時に、上空の黒化英霊にも変化があった。

 

 船の舳先が回頭し、一路、どこかへと飛び去って行く。

 

「う、動いたッ!?」

「どこへ行く気!?」

 

 色めき立つ一同。

 

 敵が動いたなら、こちらも追わないと。

 

 最悪、全てが手遅れになる可能性すらあった。

 

 そんな中、カレンは1人、冷静に告げる。

 

「聖杯と言ったのでしょう。なら、答えは初めから決まっています」

 

 手袋の包まれた指が優雅に動き、闇の中を真っすぐに指す。

 

 皆が視線を向ける中、カレンは断定するように言った。

 

「今も聖杯が眠る地。円蔵山のはらわた、大空洞です」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 さて、

 

 敵の目的が分かった以上、あとは行動あるのみだった。

 

「ん、先行く」

 

 短く告げると、響は魔力で足場を作り、空中へ跳躍する。

 

 このまま、黒化英霊を追撃するつもりなのだ。

 

「私も行きますッ!!」

「ミユッ わたしも!!」

 

 続けて飛び出す、美遊とイリヤ。

 

 ともかく、迷っている時間はもはや過ぎた。今はひたすら、行動あるのみだった。

 

「いい!! 追うだけよ!! わたし達が追い付くまで交戦はだめ!!」

 

 先行する3人に、凛の指示が飛ぶ。

 

 たとえ追いついても、並の攻撃では倒しきれない事は地下での戦いで分かり切っている。

 

 戦う時は全戦力を結集する必要があった。

 

 と、

 

「あッ そうだッ」

 

 何かを思いついたように、イリヤは空中で振り返った。

 

 一同が訝る中、少女は深刻な顔を向けてくる。

 

「華憐先生・・・・・・いろいろ聞きたい事はあるんだけど・・・・・・」

「今は時間無いのよ!!」

 

 凛に促されるが、イリヤは動こうとしない。

 

 自分の中にある大いなる疑問。

 

 それが解消されない限り、自分は前へは進めない。そう思ったからこそ、イリヤは足を止めたのだ。

 

「わ、判ってる。だから、ひとつだけ・・・・・・」

 

 交わされる視線。

 

「・・・・・・何かしら?」

 

 ややあって、カレンの冷静な声が返る。

 

 対して、

 

「・・・・・・・・・・・・ス・・・・・・」

 

 意を決して、イリヤは言い放った。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「スカート、履き忘れてませんかッ!?」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 それは 誰もが思っていた事。

 

 それは、誰もが触れずにいた事。

 

 一同が愕然とした視線を向ける中、

 

「・・・・・・・・・・・・これは」

 

 カレンは重々しい声で言い放った。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「      ファッションです      」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 言い切った。

 

 因みに、ちょっと照れたように見えるあたり、露出狂の類ではなく、一応の正常な羞恥心はあるようだ。

 

「こ・・・・・・この緊急時に・・・・・・」

 

 指先に魔力を込める凛。

 

 その「銃口」を、イリヤへと向ける。

 

「余計なツッコミしてる場合かァァァァァァァァァァァァ!!」

「ヒィィィィィィッ 善意で言ったのにィ!?」

 

 ぶっぱなしまくるガンドを、必死に避けるイリヤ。

 

「とっとと追えェェェェェェ!!」

「は、はいィィィィィィ!!」

 

 ボケと同様、空気を読まないツッコミは、してはいけないという教訓だった。

 

 

 

 

 

 先行する響は、屋根伝いに駆けながら、空飛ぶ船を追いかけていた。

 

 ともかく、相手の方が速い。

 

 見失わないように追いかけるだけでも精いっぱいの事だった。

 

 しかし、

 

「・・・・・・・・・・・・ん、やっぱり」

 

 空飛ぶ船の行き先を見定めながら、響は呟きを漏らした。

 

 黒化英霊の進路の先。

 

 そこには円蔵山の黒々としたシルエットが浮かび上がっている。

 

 どうやら、事態はカレンの指摘通りに動いているらしい。

 

 相手の行き先が分かっていれば、先回りする事も不可能ではない。

 

 駆ける足を速める。

 

 と、その時、

 

「響ッ」

 

 呼ばれた声に振り返ると、同じように宙を跳躍して追いかけて来た美遊がいた。

 

「響、あまり近づきすぎないで。あくまで追うだけ」

「ん、判ってる」

 

 言いながら、響は更に民家の屋根を蹴って跳躍する。

 

 それに追随する美遊。

 

 本来なら、跳躍とは言え空中歩行ができる美遊の方が素早く移動できるのだが、美遊はあえて響と歩調を合わせて移動している。

 

 追いつくのではなく、あくまで追跡が目的ならこれで十分だった。

 

「あいつの狙いは、やっぱり聖杯?」

「うん。けどあそこには・・・・・・・・・・・・」

 

 言いかける美遊。

 

 そんな少女に、響はキョトンとした視線を向ける。

 

「美遊、どした?」

「・・・・・・・・・・・・」

 

 問いかける響の言葉にも、美遊は答えない。

 

 その小さな胸の内に大きく膨らもうとしている不安感。

 

 この先には、何か良くない物が待っている。

 

 そう思わずにはいられなかった。

 

「美遊・・・・・・・・・・・・」

 

 響がさらに言い募ろうとした。

 

 その時、

 

「ッ!?」

 

 独特の風切り音と共に、殺気を伴った一撃が飛来した。

 

「響ッ!!」

 

 とっさに、障壁を張り巡らせて防御する美遊。

 

 着弾と共に襲ってきた衝撃に、一瞬、2人とも動きを止める。

 

「な、何?」

 

 顔を上げる響。

 

 いったい、何が起きたのか?

 

 恐る恐ると言った感じに視線を上げる先。

 

 果たして、

 

「え・・・・・・・・・・・・」

 

 信じられない物を見た。

 

 そんな感じに、響は思わず目を見張った。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 先行した響、美遊、イリヤとは別に、他のメンバーは車にて移動していた。

 

 ともかく急ぐ必要がある。

 

 イリヤ達には勝手に交戦はするなと言い含めた物の、状況によってはなし崩し的に戦闘開始となる可能性すらある。

 

 彼女たちが暴発する前に、何としても円蔵山にたどり着く必要があった。

 

「アインツベルンが10年前に起こした『願望機』降臨儀式。いわゆる『聖杯戦争』・・・・・・今回の事件は、その残骸が招いたと、少なくとも上の方は見ていたようね」

 

 バゼットの運転するバイクの後部座席に腰かけながら、カレンは冷静な口調で言った。

 

 因みに今、会話の魔術を使用し、隣を並走するエーデルフェルト家の高級リムジン内にいるルヴィア達と、直接会話できるようになっていた。

 

「でも違った。少なくともクラスカードは、わたし達の聖杯戦争とは無関係だった」

 

 答えたのはクロだ。

 

 彼女は8枚目のカードが発覚してから、その存在について母アイリに問いただした事がある。

 

 だが、母から帰って来た反応は「困惑」と「疑問」だった。

 

 アイリは8人目の英霊の事も、クラスカードの事も、何も知らなかったのだ。

 

 と言う事はつまり、本来の聖杯戦争ではない聖杯戦争が、今まさに行われている。そうい事になる。

 

「聖杯戦争は10年前、不完全な形で終結。聖杯は成る事無く、術式は半壊したまま、今も大空洞で眠っている」

 

 ルヴィアは状況を整理しつつ説明する。

 

 言うまでも無く10年前、聖杯戦争が頓挫したのは、切嗣とアイリが幼いイリヤを連れてアインツベルンを出奔したからに他ならなかった

 

「問題は、今何が起こっているか、と言う事」

 

 ここで重要なのは、今回の術式がアインツベルンの物とは明らかに違いすぎていると言う事。

 

 クラスカードの存在。8人目の英霊。

 

 イレギュラーと言う言葉で片付けるには、あまりにも異質すぎた。

 

「では、今回の件はアインツベルンの聖杯戦争とは無関係だと?」

 

 尋ねる凛に、今度はカレンが答えた。

 

「教会は10年前からずっと、大空洞を監視しているわ。その間、術式の起動は観測されていません」

 

 もはや、疑う余地は存在しない。

 

 あらゆる可能性を排除していき、最後に残った物がどんなに突拍子の無い物であったとしても、それが唯一の真実である。

 

 すなわち、

 

 アインツベルンとは関係ない、それとはまったく別の、もう一つの聖杯戦争が存在し、今まさに行われている。

 

 そう断じざるを得ない。

 

 そう考えれば、全ての事柄に辻褄が合うのだ。

 

「では、亜種聖杯戦争が行われていると?」

「その可能性も低い」

 

 問いかけたルヴィアに、カレンが答える。

 

「今回の術式は、粗悪な亜種聖杯戦争とは比べ物にならないくらい精緻かつ複雑な物です。ならば、正道の聖杯戦争が行われている、と判断した方が良い」

 

 その言葉が、一同に重くのしかかった。

 

 

 

 

 

 自身に向けて攻撃を放ってきた相手。

 

 その姿を見て、響と美遊は思わず絶句した。

 

「お前、は・・・・・・・・・・・・」

 

 呟く、響の視線の先。

 

 そこには、

 

 緑の衣装に身を包み、頭には獣の耳を生やし、お尻には長いしっぽを持った少女が、真っすぐに弓を構えて立っていた。

 

「・・・・・・・・・・・・ルリア」

 

 数日前、獅子劫優離と共に響、美遊に戦いを挑み、そして敗れた少女がそこに立っていた。

 

 その鋭い視線は、殺気と憎悪を伴って、響と美遊を睨みつけていた。

 

「・・・・・・・・・・・・どういうつもり?」

 

 苛立ちを滲ませて、響は尋ねる。

 

 正直、今はルリアに構っている場合ではない。一刻も早く黒化英霊を追わないといけないのに。

 

 だが、

 

「衛宮響・・・・・・美遊・エーデルフェルト・・・・・・」

 

 絞り出す声にも、憎悪が滲む。

 

 それは、佇む響と美遊を呑み込まんとするかのようだった。

 

 今更、出て来て何をしようと言うのか?

 

 彼女は敗れ、ゼストも姿を消した。

 

 彼女がここに来る理由は、どこにもないはずなのに。

 

 しかし、そのような疑問をも呑み込むように、ルリアは咆哮した。

 

「私は、お前たちを、許さない!!」

 

 言い放つと同時に、弓を投げ捨てるルリア。

 

 同時に取り出したのは、1枚の布だった。

 

 否、

 

 布と言うにはあまりにもおぞましく、直視しただけで「死」を想起させる。そんな代物だった。

 

 その布を纏うルリア。

 

 同時に、

 

 彼女を取り巻く殺気が、おぞましいレベルにまで膨れ上がった。

 

 目のも鮮やかだった緑の衣装が、どす黒く染まっていく。

 

 ただ見ているだけで、吐き気がするような殺気。

 

 そのまま食い殺されそうな予感。

 

 まるで神話に出てくる魔獣が、闇の中から這い出してきたような、そんなおぞまし印象。

 

 尋常じゃない。

 

 一目見ただけで、響はそう判断した。

 

「・・・・・・・・・・・・美遊、先行って」

「え、響?」

 

 驚く美遊に、響は告げる。

 

「ここは引き受ける。あっちの方も心配だから。大丈夫。もうすぐイリヤ達も来る」

 

 言いながら、視線を円蔵山の方へと向ける。

 

 確かに、今は黒化英霊の方が重要である。

 

「・・・・・・・・・・・・判った」

 

 頷く美遊。

 

 確かに、ルリアにかかずらって時間を浪費してしまっては元も子もない。今は黒化英霊の方に集中すべきだった。

 

「響も、気を付けて」

「ん」

 

 響が頷くと同時に、飛び出す美遊。

 

 だが、

 

「逃がすかァァァァァァァァァァァァ!!」

 

 おぞましい雄たけびと共に、追撃しようとするルリア。

 

 しかし、

 

 次の瞬間、彼女の目の前に、浅葱色の羽織を靡かせた響が立ちふさがる。

 

「相手はこっち。行かせない」

 

 言い放つと同時に、刀を袈裟懸けに振るう響。

 

 その一撃を、とっさに腕を振るって防ぐルリア。

 

 両者は距離を置きながら、離れた民家の屋根へと着地する。

 

 睨み合う両者。

 

「・・・・・・・・・・・・良いだろう」

 

 ルリアは絞り出すように言う。

 

「まずはお前からだッ 衛宮響!!」

 

 言い放つと同時に、

 

 ルリアは響に襲い掛かった。

 

 

 

 

 

第34話「手負いの獣」      終わり

 



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第35話「英霊達の挽歌」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 動いたのは、両者ほぼ同時だった。

 

 跳躍。

 

 疾走。

 

 交錯。

 

 響とルリア。

 

 これまで幾度となく激突を繰り返してきた2人が、今まさに終末とも言える戦いのさなか、最後の激突を繰り広げようとしていた。

 

 刃を手に、高速で迫る響。

 

 闇夜にも鮮やかな浅葱色の羽織を靡かせる。

 

 その斬撃は、ルリアよりも半歩先んじる形で踏み込む。

 

「んッ!!」

 

 間合いに入ると同時に、袈裟懸けに振り下ろされる刃。

 

 その一撃は、正にルリアを捉えた。

 

 まさに必殺の剣閃。

 

 袈裟懸けに斬り下ろされた刃。

 

 だが、

 

「ッ!?」

 

 思わず、息を呑む響。

 

 自身を睨むルリアの眼光は、斬られたにも拘らず殆ど衰えていない。

 

 それどころか、おどろおどろしい殺気はさらに高まっている。

 

「そんな・・・・・・ものかァァァァァァァァァァァァ!!」

 

 咆哮。

 

 同時に繰り出された爪が、至近距離から響に襲い掛かる。

 

 一閃される少女の腕。

 

 その指先の爪は、あらゆる物を斬り裂く、魔剣の如き鋭さを備えていた。

 

「クッ!?」

 

 本能に従い、とっさに後退する響。

 

 大気を斬り裂く軌跡が鼻先を霞め、冷汗は背中から噴出する。

 

 かわした。

 

 と、思った。

 

 だが、

 

「甘いッ!!」

 

 膝をたわめると同時に、ルリアは後退する響を追うように跳躍する。

 

 同時に手は、落ちていた弓を拾い上げる。

 

 引き絞られる弦。

 

 そこにつがえられた矢が、一斉に放たれる。

 

「あれはッ!?」

 

 うめき声を上げる響。

 

 刀で弾くか?

 

 一瞬そう考えた。

 

 だが、

 

 即座にその考えを打ち消す。

 

 殆ど本能的に回避を選択する響。全力で、その場から飛びのいた。

 

 一泊置いて、着弾する矢。

 

 次の瞬間、

 

 衝撃で地面がえぐれ、大きなクレーターが道路に出現した。

 

「なッ!?」

 

 絶句する響。

 

 同時に、襲ってきた衝撃波に対し、とっさに空中で防御の姿勢を取る。

 

 しかし、舌を巻かざるを得ない。

 

 何という破壊力。

 

 この威力は、クロの壊れた幻想(ブロークン・ファンタズム)にも迫る物がある。

 

 とっさに防ぐのをやめて正解だった。もし防御を選択していたら、響の体は吹き飛ばされ、第2撃を防ぐことは不可能だっただろう。

 

 とは言え、

 

 着地と同時に視線を上げる響。

 

 ルリアの能力は、以前戦った時よりも格段に上昇している。

 

 その動きは、鋭く、そして速い。

 

 否、

 

 速すぎるくらいだ。

 

 理由は、

 

 響はチラッと、ルリアに目をやる。

 

 恐らく、彼女が戦闘前に纏った布。あれが原因だ。

 

 恐らくは何らかの宝具。それも、自身の身体能力を底上げする能力を持った、対人宝具の類であると思われた。

 

 さて、

 

 ここで一つ、響の認識は間違っていた。

 

 響が「布」だと思っている物。正確に言えば、布ではなく「皮」である。

 

 それはギリシャ神話の時代。都市国家カリュドンを襲った魔獣の皮。

 

 カリュドン王オイネウスがオリュンポス十二神に生贄を捧げた際。生贄を送る対象に処女神アルテミスを含めなかったことで、怒り狂った女神によって送り込まれた巨大猪。

 

 ただ存在するだけで死を撒き散らすおぞましき魔獣を討伐するために、幾多の勇者が集められた。

 

 その中にアタランテもいた。

 

 戦いは多くの犠牲を出しつつも、最終的にはアタランテが猪を射止め、オイネウスの息子メレアグロスがトドメを刺す事で終結した。

 

 だが、話はここで終わらない。

 

 戦い終わり、戦利品を分ける段階になって、最功労者であるメレアグロスが、魔獣の皮をアタランテに譲ろうとした事で問題となった。

 

 メレアグロスとしては、一番弓を決めたアタランテこそ最功労者と見たのかもしれないが、当のアタランテ自身は、その申し出を謝絶した。

 

 これにより諍いが起こった。

 

 諍いはやがて殺し合いに発展し、多くの者が命を落としたという。

 

 まさに災厄がもたらした、忌むべき獣の衣。

 

 宝具「神罰の野猪(アグリオス・メタモローゼ)

 

 予想通り対人宝具に属するその効果は、響の「誓いの羽織」同様、身体能力強化にある。もっとも、その性能は桁違いだが。

 

 当の英霊アタランテ自身、あまりのおぞましさに生涯使わなかったとされるこの宝具をあえて使用する事により、ルリアは人ならざる身体能力を獲得するに至っていた。

 

「衛宮・・・・・・響・・・・・・・・・・・・」

 

 おぞましく絞り出される少女の声。

 

「お前を、殺す!!」

 

 飛び掛かってくる漆黒の獣。

 

 その様を、響は舌打ち交じりに眺めていた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 状況は、混沌としていた。

 

 先行する形で、大聖杯のある円蔵山へと向かっている黒化英霊。

 

 それを追撃する美遊。

 

 美遊にやや遅れて追随するイリヤ。

 

 後続するクロ、凛、ルヴィア、バゼット、カレン。

 

 そして、突如襲撃してきたルリアとの間で、交戦状態に突入した響。

 

 戦闘は冬木市全域に広がりを見せつつある。

 

 そんな中、

 

 傷ついた体を引きずるようにして、戦場へと向かう人影があった。

 

 その人物はまともに歩く事も出来ず、時折転倒を繰り返しながら、それでも一歩一歩、ゆっくりと前へと進んでいた。

 

 その姿は、薄汚れた入院着を着ており、ふとすると、どこかの病院から脱走してきたかのようにも見える。

 

 当たらずと言えども遠からず、である。

 

 男の名は獅子劫優離(ししごう ゆうり)

 

 先の戦いで響に敗れ、重傷の身で魔術協会に保護されていた男である。

 

「クソッ・・・・・・・・・・・・」

 

 悪態をつきながら、優離は渾身の力でもって立ち上がる。

 

 一歩歩くだけで、その身は激痛が駆け抜けていく。

 

 本来なら、絶対に安静にしていなくてはならないところである。

 

 だが優離は、突き動かされるように前へと進み続ける。

 

 幾度も地面を舐めながら、それでも這うようにして。

 

 己が苦行を受け入れ、ひたすらに前に進む事のみを考える。

 

「・・・・・・・・・・・・駄目だ」

 

 呟かれる言葉は、その場にいない人物へと向けられていた。

 

「ダメだ・・・・・・・・・・・・ルリア、お前はもう、戦うな・・・・・・・・・・・・」

 

 その脳裏には、かつて共に戦った少女の姿が浮かび上がる。

 

 ルリア。

 

 いつも自分に反発していた少女。

 

 それでも、この冬木で共に戦った戦友とでも言うべき存在だ。

 

 彼女の病院脱走に気が付いたのは、ほんの少し前。

 

 優離は躊躇う事無く、彼女を追う道を選んだ。

 

 自分がどうなろうと、知った事ではない。

 

 ただ、彼女を守りたい。

 

 その想いに突き動かされて。

 

 正直なところ、なぜこのような思いが浮かぶのか、優離にもはっきりとは分からない。

 

 ただ、「己の中にいる誰か別の存在」が、語り掛けているような気がした。

 

 どうか「彼女を救ってくれ」と。

 

 いったい、それが誰なのか? なぜ、自分に語り掛けて来るのか?

 

 それは判らない。

 

 だが、ある種の強迫観念とも言える思いと共に、優離は傷ついた体で歩き続けていた。

 

 周囲を見回せば、明らかに様子がおかしい事にも気づく。

 

 恐らく、何らかの結界が張られているのだ。それも広範囲にわたって。

 

 それが示すところはすなわち、何か尋常ではない事態が、この冬木の街で起こっていると言う事だった。

 

 急がなくてはならない。

 

 全てが、手遅れになる前に。

 

 

 

 

 

 強烈な爪による一撃を、辛うじて回避する響。

 

 打ち砕かれたコンクリートの破片が、細かな弾丸となって少年の体に襲い掛かる。

 

「ッ!?」

 

 舌打ちしつつ、空中で態勢を入れ替える響。

 

 そこへ、ルリアが襲い掛かって来た。

 

「死ィねェェェェェェェェェェェェ!!」

 

 繰り出される右の五指。その先に鋭く光る爪。

 

 ほとんど同時に、響もまた手にした刀を繰り出す。

 

 空中で交錯する両者。

 

 だが、

 

 空中にあっては、響の不利は否めなかった。

 

 両者、ほぼ同時に着地する。

 

 次の瞬間、

 

 響の左肩から、鮮血が噴き出した。

 

「・・・・・・・・・・・・完全にかわした、のに」

 

 舌打ちする響。

 

 だが、ルリアの動きは止まらない。

 

 着地と同時に、再び襲い掛かってくる。

 

 連続して襲い掛かってくる爪の連撃。

 

 対して響は、必死に刀を振るって防いでいく。

 

 どうにか仕切り直そうと、距離を置く響。

 

 だが、それも悪手である。

 

 距離が離れたと見るや、ルリアはすかさず弓による遠隔攻撃を仕掛けてきた。

 

「死ねッ 死ねッ 死ねェェェェェェッ!!」

 

 五月雨の如く飛んでくる矢。

 

 数こそ、アタランテ本来の宝具である「訴状の矢文(ポイボス・カタストロフェ)」に及ばないものの、威力は次元が違う。

 

 着弾するたびに襲い掛かってくる衝撃波を前に、響は態勢を維持するのに精いっぱいである。

 

 そして僅かでも隙を見せれば、ルリアは容赦なく襲い掛かってくる。

 

 獣の如き膂力に、人間離れした俊敏性を備えた今のルリアに、響は殆ど追随する事が出来ないでいる。

 

 ようやく攻撃が止んだところで、響は距離を開けて対峙した。

 

 その息は荒く、全身はボロボロに近い。

 

 ルリアの戦いぶり、あれはもはや弓兵(アーチャー)と言うより狂戦士(バーサーカー)のそれだった。

 

 斎藤一も暗殺者(アサシン)剣士(セイバー)のダブルクラスに近い能力を持っているが、アタランテのそれは、更に上を言っていると言えた。

 

「それに・・・・・・・・・・・・」

 

 響はどうにか息を整えながら呟く。

 

 響は戦闘が開始した時点で、既に消耗していた身である。

 

 特に、黒化英霊相手に「翻りし遥かなる誠」を使用してしまったのは痛かった。

 

 あれのせいで、響の残存魔力は、控えめに見ても3割以下になっているのは間違いない。

 

 下手に長引けば夢幻召喚(インストール)の維持も難しくなる可能性があった。

 

「・・・・・・・・・・・・」

 

 勝負を掛ける。

 

 可能な限りの全力でもって、短期決戦を挑むしかない。

 

 とは言え、

 

 相手は狂化した英霊。消耗した今の響では、如何にしても勝ち目は薄いと言わざるを得ない。

 

「それでも・・・・・・・・・・・・」

 

 ゆっくりと、

 

 刀の切っ先をルリアへと向ける響。

 

 ルリアを倒さないと前に進めないのなら、躊躇う気は無かった。

 

 チラッと、視線を円蔵山の方向に向ける。

 

 もう、美遊やイリヤはたどり着いただろうか?

 

 あるいは、黒化英霊と再度の戦闘に入っている事も考えられる。

 

 急がなくてはならなかった。

 

 残された全ての力を振り絞って。

 

餓狼(がろう)一閃(いっせん)

 

 低く囁かれる呟き。

 

 次の瞬間、

 

 響は地を蹴った。

 

 一歩。

 

 更に加速する響。

 

 その時点で、ルリアも動き出す。

 

 両腕の詰めを振り上げ、響を迎え撃つ。

 

 2歩。

 

 音速を超える響。

 

 衝撃波が、容赦なく周囲を圧倒する。

 

 迎撃すべく、爪を振り上げるルリア。

 

 だが遅い。

 

 その前に響は、必勝の態勢を築き上げる。

 

 3歩。

 

 獰猛な狼は、容赦なく牙をむく。

 

 突き出される刃。

 

 その一撃が、ルリアの姿を真っ向から捉える。

 

 吹き飛ばされる少女。

 

 そのまま、背後のブロック塀を破砕した。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 突きを放った状態のまま、立ち尽くす響。

 

 その息は荒く、視線は定まらずにいる。

 

 手応えは、あった。

 

 響の剣は、確かにルリアを捉えたはずだった。

 

 と、次の瞬間、

 

「うッ・・・・・・・・・・・・」

 

 ガックリと膝をつく響。

 

 同時に、夢幻召喚(インストール)が解除される。

 

 英霊化は解かれ、少年の姿は元の普段着へと戻って行った。

 

 魔力が限界だった。

 

 以前のように気を失わないだけマシだが、これ以上の交戦は不可能である。

 

「・・・・・・・・・・・・」

 

 自身を苛む目まいに耐えて顔を上げる響。

 

 これで決まったはず。

 

 もし、そうでなければ・・・・・・・・・・・・

 

 そう思った、次の瞬間、

 

 崩壊した瓦礫の下から、飛び出してくる黒い影があった。

 

 ルリアだ。

 

 一直線に、響めがけて跳び上がってくるルリア。

 

 餓狼一閃を受けた影響だろう。向こうも満身創痍の状態である。動きも、先程と比べて明らかに精彩を欠いているのが分かる。

 

 だが、僅かな魔力残量の差で、ルリアは響に競り勝った形である。

 

「死ィィィィィィィねェェェェェェェェェェェェ!!」

 

 迫る獣の少女。

 

 その爪が響を斬り裂かんと襲い掛かる。

 

 駄目だ。

 

 もはや響は戦う事ができない。

 

 このまま、凶悪な爪に引き裂かれるのを待つのみ。

 

 そう思った。

 

 次の瞬間、

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 人影が、響を守るように2人の間に割って入った。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 優離だ。

 

 傷ついた身で病院を抜け出した彼は、ある種の妄執に導かれるようにして、この最後の戦いの場に間に合ったのだ。

 

「優離ッ!?」

 

 突然現れたかつての宿敵に、驚く響。

 

 だが、それでも結果は変わらない。

 

 ルリアが止まらない以上、その爪は優離を、そして響を引き裂くだろう。

 

 だからこそ、優離は使う。

 

 最後の切り札を。

 

 取り出したのは、一振りの盾。

 

 全面に精緻な意匠を施されたその盾は、一目で凄まじい威力を秘めた宝具である事が分かる。

 

 掲げる優離。

 

 それこそが、女神テティスが息子アキレウスの為に鍛冶神ヘパイストスに作らせた、イリウスに謳われる伝説の盾。

 

 天と地と空、陽と月と星、神と国と人、兵と賊と贄、歌と生と死、そして最果ての海(オケアノス)を現す存在。

 

 英雄アキレウスが、この世に生を謳歌した証。

 

蒼天囲いし小世界(アキレウス・コスモス)!!」

 

 展開される世界。

 

 それは全てを防ぎ留め、包み込んでいく。

 

 狂獣化した英霊とて、その例外ではない。

 

 動きを防ぎ留められ、怒り狂うルリア。

 

 その瞬間を、優離は見逃さない。

 

「今だ、衛宮!!」

「んッ 限定展開(インクルード)!!」

 

 ありったけの魔力を込める。

 

 手の中に現れた刀を握り、斬りかかる響。

 

 動きを止めたルリア相手に、袈裟懸けに斬り下ろした。

 

「ガァァァァァァァァァァァァ!?」

 

 強烈な悲鳴と共に、その場に倒れ伏すルリア。

 

 その体を、

 

 すんでのところで優離が抱き留めた。

 

 少女の体の軽い感触。

 

 だが、傷ついた優離は、支えきる事が出来ずに、地面に倒れ込む。

 

「優離」

 

 駆け寄る響。

 

 その響に、優離はやれやれとばかりに苦笑して見せる。

 

「間一髪だったな」

「ん、無茶する」

 

 少し咎めるような口調で言う響。

 

 優離の体は、戦える状態ではない。それについては半分は響の責任でもあるのだが、ともあれ、そのような体で戦場に来るなど自殺行為以外の何物でもなかった。

 

 その時だった。

 

「・・・・・・その少年の言うとおりだ。あまり無茶をさせるものではない」

 

 突然の言葉に、響は思わずギョッとした。

 

 なぜなら、

 

 言葉を発したのが、優離の腕に抱かれているルリアだったからだ。

 

「ルリア?」

 

 声を掛ける響。

 

 対して、ルリアはどこか遠い場所を眺めるような目をして言った。

 

「因果な物だな、ライダー。よもや今生においても、汝の世話になろうとは。どうやら我らの業はなかなか深いと見える」

 

 どこか古風を思わせる喋り方。

 

 明らかに、ルリアの口調ではない。

 

 対して、

 

「気にすんなよ」

 

 答えたのは、

 

 彼女を抱く優離だった。

 

 こちらもまた、常に見せる物静かな声ではなく、どこか荒々しさを感じさせる物だった。

 

「良い男ってのは、良い女の為に命を掛けるもんさ。それが姐さんの為なら、俺は冥府(タルタロス)にだって喜んで行ってやるよ」

「フン、よく言う」

 

 優離の口から発せられた言葉に対し、憎まれ口を叩きつつも、ルリアの姿をした「誰か」は、まんざらでもないかのように笑みを浮かべる。

 

 次いで、ルリアは響にも視線をやった。

 

「少年、お前もだ。随分と迷惑を掛けた。だが、この娘の事は恨まないでやってくれないか?」

「ん、そんなつもりない・・・・・・けど・・・・・・」

 

 戸惑いながら、響は答える。

 

 ルリアも、そして優離も普通ではない。

 

 まるで、何かが「乗り移った」ように、別の人間の言葉を話しているようだった。

 

 そんな響を見て、ルリアはフッと笑みを浮かべる。

 

「良い子だ」

 

 次いで、優離の方が声を掛けてきた。

 

「小僧。お前も惚れた女を守り通せるくらい強くなれよ。男ってのは、そう言うもんだ」

 

 そう言って、ニヤリと笑う優離。

 

 と同時に、2人の体から光が溢れていく。

 

 光はやがて、粒子となって流れるように天へと昇っていく。

 

 後には、気を失って倒れている、優離とルリアの姿があるだけだった。

 

「・・・・・・・・・・・・今のは」

 

 響は、先のやり取りを思い出して呟く。

 

 優離ではない優離。

 

 ルリアではないルリア。

 

 そう、

 

 あれはきっと、2人に憑依していた英霊。

 

 アキレウスとアタランテ。

 

 遠い世界、

 

 ここではないどこかで共に戦い、共に散った2人。

 

 アキレウスはアタランテを守るために戦い、そしてアタランテはそんなアキレウスを憎からず思っていた。

 

 故にこそ、今回もまた、優離(アキレウス)ルリア(アタランテ)を助けるために、自らの命を掛けて戦場にやって来たのだ。

 

 まさに、時空を超えた絆。

 

 そんな英霊2人の想いは確かに、

 

 今を生きる少年の胸に刻まれるのだった。

 

 

 

 

 

第35話「英霊達の挽歌」      終わり

 



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第36話「果ての運命」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 携帯電話を閉じ、ポケットに押し込む。

 

 必要な措置を終えた響は、傍らに座り込む男へと向き直った。

 

 少年にとって、かつて宿敵だった男は今、全ての役割を終え、穏やかな思いと共に伏していた。

 

「気分、どう?」

 

 問いかける少年の言葉に対し、苦笑と共に返事がなされた。

 

「悪くは無い・・・・・・良くも無いがな」

 

 ルリアを抱えたまま、優離は答えた。

 

 その表情は、心なしか晴れやかなようにも見える。

 

 ルリアの病院脱走を察知し、傷ついた身で戦場へとはせ参じた優離。

 

 間一髪のところで、かつての宿敵たる響を助け、ルリアの暴走を止める事に成功したのだった。

 

 そのルリアもまた、優離の腕の中で静かな寝息を立てていた。

 

 響との戦いで受けた傷痕は見られない。どうやら、英霊アタランテが、彼女のダメージをすべて引き受けてくれたらしかった。

 

 結局、彼女の心を救えたかどうか、それは判らない。

 

 特に、彼女が響や美遊に向けてきた狂気とも言える執着。

 

 狂戦士と化したルリアの心が、敗北によって更なる深みへと落ちている事は否定できない。

 

 もしそうなれば、彼女は再び響達の前に立ちはだかる事になる。

 

 だが、

 

 その事を考えている時間は、響には残されていなかった。

 

「もう行け、衛宮」

 

 背中を押すように、優離は促した。

 

 その真っすぐに見つめる瞳は、友へと送るエールが込められている。

 

「お前にはお前の成すべき事があるのだろう」

「ん」

 

 頷きを返す響。

 

 確かに、こうしている間にも戦いは続いているのだ。早く円蔵山に向かわなくてはならない。

 

「2人の事は、カレンに連絡しといた。あとで回収してくれるって」

 

 バゼットの説明では、カレンは聖堂教会所属で、今回のカード回収任務では重要な役割を持ち、それなりの権限が与えられているのだとか。

 

 彼女なら、優離達を保護してくれるだろうと思い、先程連絡しておいたのだ。

 

 そんな響に対し、優離はいぶかるような視線を向けた。

 

「カレン・・・・・・カレン・オルテンシアか? 聖堂教会の?」

「知ってるの?」

 

 優離の口からカレンの名前が出てくるとは思わなかった響は、意外な面持ちになる。

 

 我らが保険医殿は、ずいぶんと顔が広いようだ。

 

「珍しい能力を持ってるからな。噂に聞いたことがある程度だ。それより、お前の方こそ知り合いか?」

「ん、保健の先生。やる気は無いけど」

 

 響の言っている意味が分からず、首をかしげる優離。

 

 無理も無い。言っている響き本人すら、彼女が何者であるかについてはさっぱり判っていないのだから。

 

 判っているのは、自虐的な露出癖がある事くらいではなかろうか? あと、やたらと子供の怪我を見たがるくらい?

 

 うん、控えめに言ってド変態だな。

 

 まあ、それでも電話で話したら、2人の事は引き受けてくれると言っていた。任せても良いだろう。

 

 踵を返す響。これ以上、時間を浪費する事は出来なかった。

 

 だが最後に、思い出したように振り返った。

 

「ルリア・・・・・・・・・・・・」

 

 優離の腕に抱かれた少女を見る響。

 

「起きたら伝えて・・・・・・ドッジ、またやろって」

 

 それだけ言うと、響は2人を置いて駆け出すのだった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 響も気が付いていなかったが、どうやらルリアと戦っている内に、円蔵山の方に近づいて来ていたらしかった。

 

 少し走ると、柳洞寺の山門が見えてきた。

 

 海に行ったときに引率してくれた一成の実家で、響も士郎について何度か遊びに来たことがある。

 

 もっとも、今はカレンが展開した誘眠の魔術のおかげで眠りについている事だろうが。

 

 見慣れた石段を駆けあがると、古めかしい造りの山門が見えてくる。

 

 とは言え、この石段自体、相当な段数がある。

 

 英霊化も解けた小学生の身には、いささかきつい物がある。

 

 半分も行かないうちに、響の息は上がり始めた。

 

 そもそも黒化英霊、そしてルリアとの戦いによって、魔力だけではなく体力も消耗している。

 

 疲労した身で石段登りはつらかった。

 

 それでも荒い息を吐きながら、最後の段まで駆け上がると、山門をくぐって境内を駆け抜け、神社の裏手へと回る。

 

 目指す場所は、もうすぐだ。

 

 この先では、再び戦いが待っているだろう。

 

 正直、魔力が切れた今の響では、殆ど戦う事は出来ない。

 

 しかし、それでも行かなくてはならない。

 

 こうしている間にも、イリヤと美遊は戦っているのだ。

 

 導かれるように走る響。

 

 やがて、開けた場所に出る。

 

 そこで、

 

「なッ・・・・・・・・・・・・」

 

 絶句した。

 

 響がたどり着いた場所。

 

 そこには、魔力によって生み出された衝撃が渦を巻き、巨大なドームとなって猛威を振るっていたからだ。

 

 あまりの衝撃に、響は自分の体が傾ぐのを感じる。

 

 渦の中心は、響が立っている場所から未だに離れている。

 

 にも拘らず、容赦なく感じる凄まじい衝撃。

 

「何・・・・・・これ?」

 

 余りの光景に、響も言葉が続かない。

 

 いったい、何が起こっているのか?

 

 と、

 

「響?」

 

 背後から声を掛けられ、振り返る響。

 

 するとそこには、立ち尽くすようにドームを見つめる、イリヤと美遊の姿があった。

 

「響、無事だったんだね」

 

 駆け寄ってきた美遊が、心配そうに響の顔を見つめた。

 

「大丈夫? 怪我は?」

「ん、大したことない」

 

 ルリアとの戦いで受けた傷は決して小さな物ではなかったが、まだ動けなくなるほどのものではない。

 

 それよりも今は、2人の無事が確認できただけでも嬉しかった。

 

「良かった・・・・・・・・・・・・」

 

 安堵とともに呟く美遊。

 

 だが、

 

「良くないよ、ちっともね」

 

 突如、あらぬ方向から駆けられた声に、振り返る響。

 

 その視線の先に立つ人物を見て、

 

「・・・・・・・・・・・・は?」

 

 思わず絶句した。

 

 なぜなら、響の視線の先には、

 

 見慣れない金髪の少年が立っていたからだ。

 

 年齢は響と同じくらい、にも見えるが、響自身が同年代としてはやや小柄である事を考慮すれば、少し下くらいなのかもしれない。

 

 だが、問題はそこではない。断じて。

 

 なぜなら、

 

 目の前にいる少年は、衣服を全く身に着けていない、真っ裸だったからである。

 

 先程のカレンと言い、世間では露出がブームなのだろうか? 夏だからと言って色々と出しすぎだろう。

 

「えっと・・・・・・誰?」

 

 尋ねる響。

 

 いきなり出てきた人物に対し、状況の理解が追い付かなかった。

 

 よく見れば、美遊もイリヤも顔を赤くして、少年(真っ裸)の方を見ないようにしている。

 

 気持ちは判る。

 

 思春期の少女たちにとって、同年代以上の男の裸など、見るのも恥ずかしいだろう。

 

 イリヤに至っては涙目になっている。

 

 いったい何があったのか、勘繰りたくなるような光景だった。

 

「僕はギル。もしかして君も、今回の騒動の関係者かな?」

「ん・・・・・・まあ・・・・・・」

 

 イマイチ事態が呑み込めない響は、尋ねる少年(真っ裸)に対し曖昧な感じに返事をする。

 

 対して、ギルと名乗った少年(真っ裸)は、深々とため息をついて見せた。

 

「ほんと、やれやれだね・・・・・・まさかこんな風になっているとは思っていなかったよ。まったく、軽はずみな事をしてくれたもんだよね」

 

 呆れたように言いながら、ギル(真っ裸)は肩を竦める。

 

 何やら見た目の幼さに反して随分と横柄な態度にも見えるが、それでいて鼻に付かないから不思議である。

 

 ギル(真っ裸)は響、イリヤ、美遊をそれぞれ咎めるように睨んで言った。

 

「この責任、どうとるつもり、ねえ?」

「その前にまず、服を着て!!」

 

 ツッコミを入れるイリヤ。しごく、当然の反応だった。

 

 いったい全体、なぜにこうなったのか?

 

 話は、響が到着する少し前に遡る。

 

 先行する形で円蔵山の大空洞上空付近に到着してイリヤと美遊は、そこで信じがたい光景を目の当たりにした。

 

 先に到着していた黒化英霊は、自身の宝具を使って地面を叩き壊し、地表を割って大空洞を掘り起こしていたのだ。

 

 こうして破壊され、断ち割られた地面の下から露出した異様な文様。

 

 それが見えた瞬間、強烈な魔力の衝撃が、渦となって取り巻き始めた。

 

 このままじゃ拙い。

 

 とっさにそう判断したイリヤは、強引に衝撃波の中へと介入。その中にいた黒化英霊を押し出しにかかった。

 

 全力で攻撃を仕掛けるイリヤ。

 

 やがて、限界が来たのだろう。

 

 黒化英霊もカードもろともはじき出された。

 

 そして、

 

 全ての泥を取り去った中から出てきたのが、目の前にいる金髪の少年(真っ裸)だったわけである。

 

 因みに、

 

 押し出した瞬間、ギルの『ピー』を、イリヤの手ががっつりしっかり握ってしまった事が、現在の状況に繋がっている。

 

「少しは恥ずかしいと思わないの!?」

 

 同年代とは言え(あるいはだからこそ)、異性の裸は思春期の子供には刺激が強すぎた。

 

 殆ど悲鳴に近いツッコミを入れるイリヤに対し、少年(真っ裸)は清々しい笑いを向ける。

 

「何だ、そんな事か」

 

 そして、言った。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「僕の身体に恥ずかしいところなんてないから」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 なかなかの大物ぶり。

 

 まさにワールドワイド。

 

 ある意味、覇者の風格すらある。無駄に。

 

 次の瞬間、

 

「ッ!? ッ!? ッ!? ッ!? ッ!? ッ!?」

「うわッ ちょッ!?」

 

 声にならない声を上げて、魔力弾を連射するイリヤ。

 

 それを必死によけるギル(真っ裸)。

 

 まさに、命がけのボケとツッコミだった。

 

 とは言え、流石にこれ以上はまずいと思ったのだろう。

 

 ギル(真っ裸)はやれやれとばかりに嘆息する。

 

「まったくもう。これで良いでしょ?」

 

 面倒くさそうに言って出てきた少年。

 

 その「前」だけを、葉っぱで隠している。

 

「良いわけないでしょーがーッ!!」

 

 悲痛なツッコミと共にイリヤが放った魔力弾が、ギル(葉っぱ)の頭を直撃した。

 

 とは言え、割と本気で、いい加減にしてほしかった。

 

「わかったよ、もう。服を着ろって事でしょ。でも、今の僕じゃ、ちゃんと繋がっているかどうか怪しいんだけどね」

 

 言いながらギルは、

 

 「何もない空間」に腕を突っ込んだ。

 

 その光景に、響、美遊、イリヤは絶句する。

 

 何もない空間を開き、中にある物を取り出す。

 

 それはまさに、地下空間で戦った黒化英霊の能力と同じだったからだ。

 

 つまり、目の前にいる少年は・・・・・・・・・・・・

 

「あー・・・・・・やっぱりろくなものが残ってないんだけど・・・・・・まあ、こんなもんかな?」

 

 言いながら少年は、空間から数枚の衣服を引っ張り出した。

 

 少し軽装のズボンとジャケット。華美にならない程度に付属した装飾品や衣装の造りを見れば、中東から北アフリカあたりにかけての民族衣装を連想させられる。

 

 幼いながらも気品を感じさせられる出で立ちだ。

 

 少なくとも真っ裸よりだったら100倍はマシである。

 

「なにあれ? 空中から服を取り出した・・・・・・」

「同じだ。無数の宝具を出現させた時と」

 

 服を着たギルの様子を見て、呻くように呟くイリヤと美遊。

 

 その答えが行き着く先はすなわち、

 

《間違いありません・・・・・・》

 

 ルビーも緊張の面持ちで告げる。

 

 どうやらこの場にいる全員、同じ見解に達したようだ。

 

《彼は8枚目のカード。その英霊です》

 

 まさか?

 

 なぜ?

 

 一同は混乱の極致に至る。

 

 黒化英霊ではない。

 

 目の前にいる少年は見た目にも人間そのものと言って良い。

 

 そんな一同に対し、

 

「さてと、これでお話しできるよね」

 

 着替えを終えたギルは、そう言ってニッコリ笑って向き直った。

 

 

 

 

 

 一方その頃、

 

 遅ればせながら円蔵山のふもとに到着したクロ達も、大空洞のある場所へと急いでいた。

 

 先程から、周辺一帯の魔力がざわつき始めているのは感じていた。

 

 まだ大空洞までは距離があると言うのに、これだけの魔力の猛りを感じるのは異様としか言いようがない。

 

 何かが起きている。

 

 それも、容易ならざる事態が。

 

 駆ける足を速める一同。

 

 その時だった、

 

「がッ・・・・・・・・・・・・!?」

 

 突然、後ろを走っていたカレンが、何かにつまずくようにその場に倒れた。

 

「なにっ!?」

 

 振り返る一同。

 

 顔を上げたカレンを見て、思わず絶句する。

 

 カレンは口から血を吐き出し、更には目や額からも出血が見られる。

 

 明らかな異常事態だった。

 

 対して、カレンは自分の状態を冷静に見極めながら、苦しげな声で言った。

 

「術式が・・・・・・起動しました」

 

 その言葉に、戦慄が走る。

 

 ここで言うところの「術式」とは、聖杯戦争の物に他ならなかった。

 

 つまり、今まさに、聖杯が起動したと言う事を現している。

 

「その血は?」

 

 尋ねる凛。

 

 こうしている間にも、カレンの出血は続いている。決して重症と言うほどではないが、見ていて気分のいいものではない。

 

 対して、バゼットの手を借りて木の幹に腰かけながら、カレンは言った。

 

「これは監視魔術の反動。気にしなくて良いわ。わたしはただのカナリヤだから」

 

 カレンは魔術の発動を感知した場合、体の各所から出血を起こすという体質を持っている。その為、悪魔狩りなどで重宝されている。

 

 今回の監視者の任を負ったのも、この能力故だった。

 

 今の彼女は、万が一聖杯戦争の儀式軌道が確認された場合、その体に聖痕が現れるように調整されている。

 

 「カナリア」とは、つまりそういう事だった。

 

「それより、一つ分かった事がある」

 

 苦し気に顔を上げるカレン。

 

 どうやら体質とは言え、慣れているわけではないらしい。

 

 だが、自身の傷に構わず、カレンは続けた。

 

「まず、この術式はアインツベルンの物ではない」

 

 その言葉に、一同は息を呑む。

 

 本来の聖杯戦争とは、別の形の聖杯戦争が進行している。

 

 仮説としてあった事実が、ここに来て確定した形である。

 

「疑問なのは、いつ、誰が、どうやって、アインツベルンの術式と、今の術式を入れ替えたのか、と言う事」

 

 土地の地脈を使った術式を入れ替えるなど、簡単にできる事ではない。それも監視者に気付かれずにやるなど、ほとんど不可能に近いだろう。

 

 それこそ「聖杯」でも使わない限りは。

 

「私の仕事はあくまで『監視』。この先の事は立ち入れません。だから、私の知っている情報を、今ここで伝えておきます」

 

 そう言うとカレンは、一同を前にして、これまで自分が見聞きしてきたことについて語り始めた。

 

 初めに異変を感知したのは、今から3か月前の事だった。

 

 それまでほとんど異常が無かったにも関わらず、突如としてそれは起こった。

 

 ある日突然、大空洞の真上に位置する木々が、約180メートル四方にわたって「消失」したのだ。

 

 伐採や掘り起こされた痕跡は無く、文字通り「消滅」してしまったのである。きれいさっぱり、言うならば「初めから何もなかった」かのように。

 

「それとほぼ同時期に、冬木市全体にカードが出現しました。断定はできませんが、この二つの出来事は連動していると、私は考えています」

 

 確かに。

 

 大空洞とクラスカードは、どちらも聖杯に関わる事。それを分けて考える事の方が無理がある。

 

 カレンの言う通り、二つの出来事には何らかの関連があると見るべきだろう。

 

「そして、ここからが重要な事なのですが・・・・・・」

 

 そう前置きするカレン。

 

 対して、凛達も真剣な面持ちで先を促す。

 

 おそらくここからが、カレンの伝えたい最重要事項と思われた。

 

「私は大空洞に出入りする人物の監視もしていたのですが、ある日、入った人数と出てきた人数が合わない日があったのです」

「それは、私の事ね?」

 

 カレンの言葉を受けて、クロが答える。

 

 確かに、クロは大空洞の閉塞穿孔作業の際、イリヤの魔力を得て現界している。

 

 あの時は響、イリヤ、美遊、凛、ルヴィアの5人で入って、出るときはクロも出てきた訳だから、1人多くなっている。

 

「驚いたわ。5人の人間が入ったと思ったら、英霊なのか人間なのか、よくわからない者が増えて出て来たんだから」

 

 苦笑交じりに言いながら、カレンはクロに目を向ける。

 

「でも、増えたのはあなただけじゃないの」

「え?」

 

 カレンの言葉に、驚くクロ。

 

 いったい、他に誰が出てきたというのか?

 

「3か月前、木々が消失し、カードが出現したあの日、入った人間がいない大空洞から、忽然と出てきた人物がいる」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「その人物は・・・・・・・・・・・・」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 突然起こった事態に、イリヤは驚きを隠せなかった。

 

「これは!?」

 

 慌てて、太もものカードホルダーから4枚のクラスカードを取り出す。

 

 「魔術師(キャスター)」「暗殺者(アサシン)」「狂戦士(バーサーカー)」。

 

 そしてバゼットから一時的に預かった「剣士(セイバー)

 

 それらのカードが、まるで生き物のように脈打っているのだ。

 

「いったい、何が起きているの!?」

 

 戸惑うイリヤ。

 

 と、

 

「へえ、君たち、カード持ってたんだ」

 

 ギルが、面白い物を見たように言う。

 

 どこか、不穏な空気が流れる中、少年の目は真っ直ぐに、

 

 もう1人の少女へと向けられていた。

 

「他のカードもここに近づいているみたいだし。やっぱり惹かれ合う物なのかな? ねえ・・・・・・・・・・・・」

 

 ある種の悪意を伴った少年の声が響き渡った。

 

「美遊ちゃん?」

「ッ!?」

 

 その言葉に、思わず息を呑む美遊。

 

「え?」

「何で?」

 

 戸惑いを隠せない、響とイリヤ。

 

 ギルが出現してから、美遊は一度も自分の名前を名乗っていない。

 

 にも拘らずなぜ、ギルは美遊の名を知っているのか?

 

 対して、

 

「・・・・・・まさか、記憶があるの?」

 

 美遊は、驚愕と共にギルに対し視線を向ける。

 

 その胸中に湧き上がる不安。

 

 隠していた事実を、白日の下に引きずり出そうとする悪意。

 

 駄目だ。

 

 この少年は危険だ。

 

 かつて、ゼストに感じた物と同種の危険さを、美遊は目の前の少年に感じていた。

 

「美遊?」

 

 事情が分からず、声を掛ける響。

 

 だが、それに美遊が何か答える前に、ギルが再び口を開いた。

 

「僕はそこらの英霊とはわけが違うから。ごめんね。僕の半身はどうしても、聖杯が欲しいみたいだ。けど、聖杯戦争の続きをするにしても、君がいないと始まらない」

 

 ある意味無邪気に、

 

 ただ淡々と、

 

 少年は事実のみを突きつけようとする。

 

「何せ君は・・・・・・・・・・・・」

 

 対して、

 

 美遊の動きも速かった。

 

 魔力で脚力を強化。同時に地を蹴る。

 

「それ以上口を、開くなァ!!」

 

 冷静な少女らしからぬ、激しい口調。

 

 迸る激情と共に、魔力を込めたサファイアを振り被る。

 

「美遊ッ!!」

「待って!!」

 

 響とイリヤの制止も聞かず、ギルに襲い掛かる美遊。

 

 だが、魔力を込めた渾身の一撃は、ギルの前に出現した不可視の壁によって防がれる。

 

「ッ!?」

 

 美遊は尚を諦めない。

 

 上空に跳び上がりつつ、魔力砲を連続して放つ。

 

 殆ど全力を振り絞るような砲撃の嵐。

 

 美遊は己の全てをぶつけるように攻撃を続ける。

 

 この少年の口は、何としても封じなくてはならない。

 

 少女の目はチラッと、自分の親友たちに向けられる。

 

 イリヤ、

 

 そして響。

 

 美遊にとって、何物にも代えがたい宝物。

 

 ここで折角手に入れた、小さな幸せ。

 

 あの少年は、それを壊そうとしている。

 

 それだけは、

 

 それだけは、絶対に許せなかった。

 

 だが、

 

 嵐のような砲撃にも、ギルの障壁は小揺るぎもしない。

 

 余裕の笑みを持って、美遊を見つめている。

 

「眠ってばかりだった君が、ずいぶんとお転婆になったものだね。けど、その様子だと、もしかして彼らには秘密にしてたのかな? だったら悪かったね」

 

 そして、言い放つ。

 

 決定的な一言。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「ねえ、並行世界のお姫様」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 駆けながら凛は、自分の中にあった違和感が、現実のものとなりつつあるのを感じていた。

 

 以前、バゼット戦の直前、凛は冬木の地脈調査を行っている。

 

 その際に出た結果。

 

 写し取った転写。

 

 そこに描かれた地脈に、僅かな「ズレ」が見られたのだ。

 

 大空洞を中心に、半径400メートルほどを円形に切り取り、僅かに時計回りに回転させたような形の奇妙なズレ。

 

 最初は、何かの間違いだろうと思った。こんな形に地脈がずれるなど、本来ならありえない。

 

 だが、

 

 これがもし、「ずれた」のではなく「入れ替えた」のだとしたら?

 

 「円」なのではなく「球」なのだとしたら?

 

 大空洞を中心にして、立体的に土地そのものを、どこか別の場所と入れ替えたのだとしたら?

 

 その結果、地脈が本当にずれているのだとしたら?

 

 今起きている全ての謎に、辻褄が合ってしまうのだ。

 

 そもそも仮説はあった。

 

 用途、製作者不明のクラスカードが発見された鏡面界。

 

 あそこはそもそも、現実世界と並行世界の鏡界面に当たるのだ。

 

 その行き付く結論とはすなわち、

 

 「大空洞の空間が、そっくりそのまま並行世界の大空洞と入れ替わっている」と言う事になる。

 

 まさか、と思わないでもない。

 

 だが、

 

 本来の形ではない聖杯戦争。

 

 クラスカード。

 

 ずれた地脈。

 

 突如、消失した木々。

 

 そして、いるはずのない人間。

 

 それら全ての状況証拠の指し示す先にある真実は全て、仮設の正しさを証明している。

 

 急がなければ。

 

 駆ける足を速める。

 

 何か良くない事が起こっている。

 

 そう思わざるを得なかった。

 

 

 

 

 

「並行、世界? ・・・・・・美遊?」

 

 響は唖然とした声で呟く。

 

 並行世界。

 

 ゲームや漫画ではよく聞く言葉だが、現実に接する事になると、誰が予想しえただろうか?

 

 果たして、そんなものが本当にあるのか?

 

 そして、そこから来たという美遊は?

 

 驚愕する、響とイリヤ。

 

 その視線の先では、美遊が絶望に打ちひしがれて立ち尽くす。

 

 それぞれの反応を、可笑しそうに見つめる英霊の少年。

 

「ごめんね。人の隠し事を暴くのは趣味じゃないんだけど、でも、状況がこうなってしまったんだからしょうがない」

 

 美遊の受けた絶望などまるで意に介さず、ギルは軽い口調で続ける。

 

「許してね、運が悪かったと思って」

 

 言っている間に、

 

 大空洞を中心に沸き起こっていた魔力の渦に、変化が起きる。

 

「諦めてね・・・・・・・・・・・」

 

 ギルの言葉に呼応するように、

 

 渦の中から何かが飛び出してきた。

 

 その姿に、

 

「なッ!?」

「何あれ!?」

 

 思わず叫ぶ、イリヤと響。

 

 腕だ。

 

 2人の視界の中で、巨大な腕が伸び、空中にある美遊に掴みかかろうとしていた。

 

 まさに「巨人の腕」と称していいその腕は、前腕だけで樹齢数千年の大樹並にある。手のひらに至っては、広げれば大人ですらすっぽり収まってしまいそうだ。

 

「美遊ッ 逃げて!!」

 

 響が叫ぶ中、

 

 しかし、絶望した美遊は、逃げる事も出来ない。

 

「これが君の、運命(Fate)だよ」

 

 ギルの言葉と共に、

 

 広げられた巨大な手が、美遊の体を羽虫のように鷲掴みにしてしまった。

 

「ミユッ!!」

 

 とっさに飛び出すイリヤ。

 

 とにかく助けないと。

 

 その一心で、美遊の元へと向かう。

 

 魔力の斬撃を放つも、腕は堪えた様子も無く、美遊を渦の中へと引きずり込んでいく。

 

 響に至っては、既に魔力の大半を使い果たした状態である為、動く事すらままならない。

 

「ダメだったんだ・・・・・・・・・・・・」

 

 そんな中、

 

 美遊は絶望に満ちた声で、言葉を紡ぐ。

 

「拒んでも・・・・・・抗っても・・・・・・逃げても無駄だった」

「諦めないでミユッ 手を伸ばして!!」

 

 必死に叫び、手を伸ばすイリヤ。

 

 だが、

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「これが・・・・・・・・・・・・わたしの運命」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 告げると同時に、

 

 美遊は手にしたサファイアを、イリヤの方に向けて放り投げる。

 

「美遊ッ!!」

「ミユッ!!」

《美遊様!!》

 

 響が、

 

 イリヤが、

 

 サファイアが叫ぶ中、

 

 美遊の体は渦の中へと引きずり込まれていく。

 

「お願い・・・・・・イリヤ・・・・・・響・・・・・・・・・・・・」

 

 少女の言葉は、絶望を伴って親友たちへと向けられる。

 

「こわして・・・・・・わたしごと、この怪物を・・・・・・・・・・・・」

 

 そうしている内に、変身が解かれる。

 

 魔法少女(カレイド・サファイア)から、ただの小学生の女の子へと戻ってしまう美遊。

 

 その姿は巨人の手のひらに掴まれたまま、魔力の渦へと沈んでいく。

 

「イリヤ・・・・・・響・・・・・・ごめんなさい・・・・・・関係ないあなた達を巻き込んでしまって・・・・・・ごめんなさい・・・・・・今までずっと、言えなくて・・・・・・・・・・・・」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「さよなら」

 

 

 

 

 

第36話「果ての運命」      終わり

 



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第37話「並列夢幻召喚」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 目の前に停車した高級外車。

 

 その運転席から降り立った人物を見て、カレンはフッと苦笑を漏らす。

 

「・・・・・・思ったより早かったですね・・・・・・いや、遅かった、か」

 

 月明かりの下に照らし出された、その人物の姿。

 

 それは、イリヤ達の母、アイリスフィール・フォン・アインツベルンに他ならなかった。

 

 アイリは車から降りると、座り込んでいるカレンに鋭い眼差しを向けた。

 

「何が起こっているのか、説明なさい」

 

 そこにいるのは普段、母親として優しさと、底抜けの明るさを見せるアイリではない。

 

 家族には決して見せない、厳しい表情をしていた。

 

 その姿を見て、カレンはフッと息を吐く。

 

「・・・・・・お嬢様モードですか。個人的には好みませんが、話が早いのは助かります」

 

 お互いの立場上、今は余計な事を言い合っている場合ではない。

 

 アイリもカレンも、その事は充分に承知していた。

 

「聖杯の術式が、起動しています」

「ッ!?」

 

 カレンの言った言葉に、思わず絶句するアイリ。

 

 その言葉はアイリにとって、悪夢にも等しい物だった。

 

「あり得ないわッ あれは単独では動かないッ 私がここにいる限り・・・・・・」

 

 大聖杯は小聖杯があって初めて動く物。そして、今の大聖杯は、その小聖杯であるアイリに合わせて調整されているはず。

 

 つまり、アイリが大空洞に行き、術式を起動しない限り、聖杯は機能しないのだ。

 

「ですから、起動しているのはアインツベルンのとは別の物です」

「それは、どういう事?」

 

 いったい今、この場所で何が起きてると言うのか?

 

「今、大空洞の上に大穴が空き、とてつもない魔が生み出されています。そして、その只中にいるのが美遊とイリヤスフィール。この状況は教会側も想定の範囲外。わたしも干渉できません。だから急いだ方が良いですよ。でないと、どう転んでも、あなたにとっては、あまり愉快な事にはならない」

 

 カレンの言葉に、唇を噛み締めるアイリ。

 

 予定外に起動した聖杯。

 

 そして、その渦中にいる子供たち。

 

 事態は、彼女が予想だにしなかった方向に、進み始めようとしていた。

 

 

 

 

 

 抵抗もむなしく、渦の中に引きずり込まれていく美遊。

 

 その小さな体は、あっという間に飲み込まれて見えなくなってしまう。

 

 響も、

 

 そしてイリヤも、

 

 引きずり込まれていく美遊の姿を、ただ呆然と眺めている事しかできない。

 

 圧倒的とも言える光景。

 

 美遊を掴んだ巨大な腕を前に、子供たちに対抗する手段は無かった。

 

「君たちには感謝しているよ」

 

 絶望に打ちひしがれる2人を見据えながら、英霊の少年は静かな口調で淡々と告げる。

 

「境目で迷子になっていた僕を、実数域の方から見つけてくれたんだからね」

 

 だが、そんな少年の言葉を、響もイリヤも聞いてはいない。

 

 ただ、引きずり込まれていく美遊を見ている事しかできなかった自分たちに対し、無力感に苛まれるのみだった。

 

 やがて、

 

「さよなら」

 

 その言葉を残し、美遊の姿は完全に渦の中へと飲み込まれてしまった。

 

 後には、親友を救えなかった少年と少女。

 

 そして、主に置いて行かれたサファイアのみが、虚しく残されていた。

 

《・・・・・・これが運命なんですか? これが・・・・・・美遊さんの世界の聖杯戦争?》

 

 茫然と呟くルビー。

 

 対して、

 

 全てを見届けたギルは、静かに答える。

 

「そう、イレギュラーが多過ぎるけどね。万能の願望機たる聖杯を降霊させる為の儀式、聖杯戦争。その為に、僕ら英霊まで利用しようって言うんだから迷惑な話さ」

 

 不可視な足場を歩きながら、少年は肩を竦める。

 

 対して、イリヤは緊張の面持ちで振り返った。

 

「・・・・・・ミユも、聖杯戦争の為に生まれたの?」

 

 聖杯戦争の為に生まれ、運命に僅かな齟齬が生じれば、イリヤもまた聖杯として生きていた可能性がある。

 

 それを考えれば、当然の質問だった。

 

 尋ねるイリヤに対し、少年はどこか納得したように頷く。

 

「『ミユも』って事は、君も聖杯戦争の関係者なんだね。まあ、いろんな世界で、いろんな形で行われている儀式だから、珍しい話じゃない」

 

 けどね、と少年は続ける。

 

彼女(みゆ)の場合は特別だ。何しろ、聖杯戦争の為に彼女が生まれたんじゃない。その逆、彼女の為に聖杯戦争が作られたんだから」

 

 酒を注ぐために相応しい器を作った訳ではなく、

 

 器に合った相応しい酒が、後から作られた、とでも言うべきだろうか?

 

 先に中身があったイリヤに対し、器が先にできた美遊。と言う違いだった。

 

 最終的には同じ「聖杯」と言う形になるにせよ、その過程には大きな違いがあった。

 

「彼女は生まれながらにして、完成された聖杯だった。天然物で、しかも中身付き。オリジナルに極めて近いというレアリティさ。人間が聖杯と言う機能を持ってしまった、と言うよりは、聖杯に人間めいた人格が付いてしまったのかな。いずれにせよ、彼女は世界が生んでしまったバグだよ」

 

 ギルがそう言った瞬間、

 

 彼の眼前に、飛び込んで来た影があった。

 

 響だ。

 

 残り少ない魔力で脚力を強化した響は、迷う事無く飛び込むと、渾身の力で少年の顔面を殴り飛ばした。

 

 よろける少年。

 

 そのあどけなさが残る双眸がすっと細められ、響を睨みつける。

 

「・・・・・・・・・・・・なかなか良いパンチだね。万全の君と戦ってみたかった気もするよ」

「美遊を、返せ」

 

 少年の軽口を無視して響は告げる。

 

 殆ど戦える状態には無い響だが、目の前で訳知り顔で語る少年だけは、どうあっても許す事が出来なかった。

 

 対して、

 

 少年は殴られた頬を拳で拭うと、肩を竦めて見せた。

 

「僕にももう無理だよ。ああなってしまってはね」

 

 ギルがそう言った瞬間、

 

 響は、全身から力が抜けるのを感じた。

 

 強烈に襲ってくる虚脱感。

 

 視界が容赦なく歪み、その場に膝をつく。

 

「・・・・・・あ~あ」

 

 そんな響を見下ろしながら、ギルは肩を竦めた。

 

「言わんこっちゃない。今ので完全に魔力が切れたみたいだね」

「クッ・・・・・・・・・・・・」

 

 歪む視界の中で、それでもギルを睨みつける響。

 

 そんな響の視線を、ギルは余裕の態度で受け流す。

 

「怒りなら僕じゃなくて、彼女の運命か、それを利用しようとした大人か・・・・・・・・・・・・」

 

 言っている間に、美遊を呑み込んだ魔力の渦に変化が起こる。

 

 そこかしこに亀裂が走り、徐々に崩壊していく。

 

 その様子を見ながら、

 

「あるいは、理性(ぼく)を失って肥大化した、哀れなこの『僕』にぶつけてよ」

 

 少年が言い放った瞬間、

 

 それは起こった。

 

 まるで繭がはじけるように、内側から出現したそれを見て、

 

 響も、

 

 イリヤも、

 

 身の毛がよだつのを感じた。

 

 あえて言い表すなら「巨人」、あるいは「蜘蛛」だろうか?

 

 大きな胴体を中心に、左右には複数の「足」が見える。

 

 だがその「足」は全て人間の腕の形をしており、胴体部分には不気味な「顔」のようなものも見える。

 

 はっきりと言い表せる対象は存在しない。正真正銘「化け物」としか言いようがない異形生物が、そこにいた。

 

 何より規模が異常だ。

 

 小山の如き巨体は、響達に覆いかぶさらんとするかのように迫ってきている。

 

《これは・・・・・・何という・・・・・・》

 

 流石のルビーも、この光景には声も出せずに絶句している。

 

 対して、

 

「ああ、醜いね」

 

 動き出した怪物の様子を眺めながら、ギルは淡々とした口調で言った。

 

 彼の言葉が正しければ、あの異形の怪物はもう1人の「ギル」と言っても良い存在だ。

 

 しかし、そんなギルの目から見ても、眼下の怪物には嫌悪感を覚えずにはいられない、と言ったところだった。

 

「受肉して切り離された僕は、正直どっちの味方でもないんだけど、それでも、こうするのが一番自然かな?」

 

 そう言うと、

 

 少年は足場から身を躍らせた。

 

 その下には、這い出して今にも動きそうな異形の怪物が控えている。

 

「もうこの戦争は止まらない」

 

 落下しながら、ギルは響達に告げる。

 

「死にたくなければ、カードを置いて逃げるんだね」

 

 そう告げると同時に、

 

 少年の体はヘドロのような、異形の怪物の中へと落着する。

 

 飲み込まれていくギル。

 

 それと同時に、それまで響を支えていた、不可視の足場も消失した。

 

 落下する少年。

 

 もはや魔力も完全に尽きた響は、足場を作る事もできない。

 

 そのまま、眼下の異形生物目がけて落下していく響。

 

 このままでは、彼も呑み込まれてしまう。

 

 そう思った時、

 

「響ッ!!」

 

 叫び声と共に、落下する響の体は空中で受け止められる。

 

 イリヤだ。

 

 弟の危機にとっさに飛び出したイリヤは、間一髪のところで救い上げる事に成功したのだ。

 

 響を抱えたまま、その場から離脱を図るイリヤ。

 

 それと同時に異形の体の中から、先程自ら飛び込んだ少年の姿が現れた。

 

 もっとも、その容姿は先ほどまでの端正な物ではなく、頭から泥をかぶり、下半身は異形の体にうずもれている状態である。辛うじて右目だけは見えているが、その姿は、殆ど黒化英霊と同様の姿になっている。

 

「さて・・・・・・・・・・・・」

 

 全ての準備を終えたギルは、上空を飛ぶイリヤと響の姿を見据えると、右手をゆっくりと掲げる。

 

 同時に、彼の周囲から、無数の刃が出現した。

 

「君たちがあくまで抵抗しようと言うなら仕方がない。僕も相応の手段に訴えるとしよう」

 

 言い放つと同時に、腕を鋭く振るうギル。

 

 それと同時に、出現した無数の刃は一斉に迸った。

 

 間違いない。あの黒化英霊と同様の能力だ。

 

 一斉に射出される刃。

 

 その切っ先が、響とイリヤに殺到する。

 

「イリヤ、来るッ!!」

「判ってる、けどッ」

 

 今にも2人を貫かんとする刃。

 

 対してイリヤは、物理保護障壁を展開すべくルビーを振るう。

 

 だが、その程度で防げる攻撃じゃないのは明白だ。

 

 切っ先が迫った。

 

 次の瞬間、

 

 薄紅色の盾が突如として眼前に展開、2人を狙って放たれた刃を悉く弾き飛ばした。

 

 同時に、転移魔術によって2人のすぐ側に現れた影が、庇うようにしてその場から飛びのく。

 

「何してんのよ、2人とも!! あんなの相手にしてッ!!」

 

 少し怒ったような口調の少女。

 

 クロである。

 

 間一髪で戦場に到着した彼女は、今まさに弟妹達を貫かんとしている刃を見て、とっさに熾天覆う七つの円環(ロー・アイアス)を展開。2人を救ったのである。

 

 クロの援護により、どうにか安全圏まで逃れる2人。

 

 イリヤは響を下すと、改めて怪物を見やった。

 

 美遊とギル。2人を取り込んだ怪物は、いよいよ動きだそうとしているのが分かる。

 

 あれ自体が、もはや1個の災厄と言って良い。あんなのを世に出せば、それだけで大惨事は免れないだろう。

 

「それで、ミユは?」

「ん、あの中・・・・・・・・・・・・」

 

 尋ねるクロに、響は力なく答えた。

 

 怪物に飲み込まれた美遊。

 

 その最後に浮かべた絶望の表情が、今も頭から離れない。

 

 美遊は言った。

 

 「自分ごと、この怪物を壊して」と。

 

 「関係ないあなた達を巻き込んでごめんなさい」と。

 

 「さようなら」と。

 

 運命と戦って、必死に逃げて、最後の最後まで抵抗して、

 

 そうして迎えた結末はこれだった。

 

 今の美遊は、完全に絶望と言う泥の中に埋まってしまっているのだ。

 

「いったい、何があったのです?」

 

 そう尋ねたのは、遅れてやって来たバゼットである。

 

 どうやら、クロとバゼットだけが、先行する形で追いついたらしかった。

 

 到着したら既にこの状態だったのだ。クロもバゼットも、殆ど事態を呑み込めていない状態である。

 

 そんな2人に対し、響とイリヤは起こった事を説明する。

 

 8枚目のカードに相当する少年の出現。

 

 その少年の口から語られた真実。

 

 並行世界。

 

 外の世界からやってきた少女。

 

 美遊。

 

 その間にも異形の怪物からの攻撃は続く。

 

 降り注ぐ刃の嵐を、4人はかわしながら後退するしかない。

 

「美遊は・・・・・・自分ごと壊してって言ってた」

 

 響は、暗い声で告げる。

 

 取り込まれる直前、美遊が言った言葉。

 

 絶望の沈んだ少女は、全てを諦め、己の運命を閉ざす道を選んだ。

 

 その心中がいかなるものであるか、響達に推し量ることは難しいだろう。

 

 と、

 

「だから何よ!?」

 

 クロは激昂したように叫ぶと、響の肩を掴み問いかける。

 

 その真剣なまなざしは、常に見せる余裕と悪戯めいた物ではない。

 

 諦めかけた弟を叱咤する、姉の眼差しで、クロは響を見ていた。

 

「だから諦めるっていうの!? 美遊の事を!? 他でもない(あんた)が!?」

「クロ・・・・・・・・・・・・」

 

 姉の叱咤が、少年の胸を強く打つ。

 

 叩かれたわけでもないのに、痛いほどに熱い想いが、響の中で流れ始めていた。

 

 そんな響に対し、クロは顔を近づけて言い放った。

 

「好きなんでしょ!? だったら助けて見せなさいよ!!」

 

 クロの言葉が、胸に突き刺さる。

 

 そうだ。

 

 そんな事、言われなくても分かっていた事じゃないか。

 

 美遊は助ける。

 

 あの生意気な少年はぶっ飛ばす。

 

 この上ないほどにシンプル。

 

 前提など初めから決まっている。考えるまでもない事だ。

 

「クロの言うとおりだよ」

 

 イリヤが静かに告げる。

 

「逃げてる場合じゃない。わたし達には、しなきゃいけない事があるんだから」

「ん」

 

 姉の言葉に、響は頷く。

 

 だいたい、美遊も美遊だ。

 

 何を、勝手に自己完結して、勝手に絶望して、勝手に諦めてるんだ。

 

 自分が誰で、周りに誰がいて、みんなからどう思われているのか、考えもしないで。

 

「美遊を助ける。そして絶対、ひっぱたいてやるッ」

「ん、お尻ぺんぺん」

 

 そう言うと、イリヤと響は大きく頷きあう。

 

 美遊は必ず助ける。

 

 そしてもう一度、徹底的に、イヤと言うほど、自分がこんなにもみんなから愛されているのだと言う事を判らせてやる。

 

 そうでもしないと、こっちの気が収まらなかった。

 

 接近してくる異形の怪物。

 

 今、

 

 最後の戦いの幕が、切って落とされた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 迫りくる巨大な異形の怪物。

 

 その巨体の上で、

 

 這い出すように、上半身のみを出したギルは、泥をかぶって黒くなった目で、自分の前に立ちはだかる少年たちの姿を見据えた。

 

 どうやら、相変わらず抵抗するそぶりを見せているようだ。

 

 その姿は矮小であると同時に、どこか勇壮とも感じられる美しさがあった。

 

「・・・・・・・・・・・・良いよ・・・・・・実に良いよ、君たち」

 

 圧倒的な差を見せつけられて尚、折れぬ心と精神を持ち、蟷螂の斧を振り翳して向かってくる様は、滑稽であると同時に、どこか胸打つものがあるのも事実である。

 

 古来より、人々が謳う英雄の姿が、時を超えてそこにあった。

 

「不屈の精神、不退転の決意、いつだってそれらは人の心を掴む」

 

 言いながら、ギルは右手を掲げる。

 

 同時に出現する、無数の刃。

 

「だからこそ・・・・・・・・・・・・」

 

 それらが、一斉に射出される。

 

「叩き潰す甲斐がある!!」

 

 

 

 

 

 対して、響は自分に向かって来る宝具を、眦を上げて真っ向から睨み据える。

 

 既にその身に流れる魔力は尽きている。

 

 夢幻召喚(インストール)はおろか限定展開(インクルード)すら不可能だ。

 

 だが、それがどうした?

 

 相手は強大だ。今の響など、それこそ一息で塵の如く吹き飛ばす事ができるだろう。

 

 だが、それがどうした?

 

 武器が無いから戦わないのか?

 

 相手が巨大だから諦めるのか?

 

 否

 

 断じて否だ。

 

 響を衝き動かす物。

 

 響を前に進める物。

 

 それはすなわち、美遊と言う大切な存在への想いに他ならない。

 

 美遊の為なら戦える。

 

 美遊の為なら命を掛けられる。

 

 ただそれだけが少年にとって、決して尽き果てる事のない、絶対無敵の刃に他ならなかった。

 

 次の瞬間、

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

『やれやれ、仕方ないね。ここは「貸し」にしてあげるよ』

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 内から響く声。

 

 同時に、

 

「な、何これ!?」

 

 叫び声を上げるイリヤ。

 

 同時に、彼女の手に握られたルビーも、戸惑いの声を上げた。

 

《こ、これは・・・・・・!?》

《ね、姉さん!?》

 

 驚きの根源は、彼女の目の前にある1枚のカード。

 

 それは、バゼットから預けられ、地下世界でイリヤが使った「剣士(セイバー)」。

 

 そのカードが今、激しく光り輝いている。

 

「・・・・・・・・・・・・」

 

 腕をまっすぐに伸ばす響。

 

 同時に、己の中で目を覚ました「もう1人の魂」も感じ取る。

 

 響の中で共鳴する2つの魂。

 

 僅かに目を細める響。

 

 はっきり言って、面白くないことこの上ない。

 

 よりにもよって「あいつ」の力を借りるなど。

 

 だが今は、その全てを掴んで戦うしかなかった。

 

 手を伸ばす響。

 

 「2人」同時に声を上げる。

 

 

 

 

 

 

 

 

「『来いッ!! セイバー!!』」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 次の瞬間、

 

 飛んできたカードを掴み取る。

 

 同時に、響は己の全てを込めるように叫んだ。

 

「『並列夢幻召喚(パラレル・インストール)!!』」

 

 光に包まれる少年の体。

 

 そのあまりの眩さに、その場にいた全員が、思わず瞼を閉じる。

 

 常に無いほどの、大量の魔力放出が、尋常じゃない事態を示唆している。

 

 やがて収束し、少年の体を取り巻いていく光。

 

 その光が晴れた時、

 

 少年の姿は一変していた。

 

 蒼のインナーに短パン。その上から漆黒のコートを羽織っている。

 

 目にはバイザーが下され、その下から鋭い双眸が光る。

 

 そして、握られた剣。

 

 装飾の多い造りをした剣は銀の刃を闇夜にも鮮やかに輝かせ、一目で名刀である事が分かる。

 

 ブリテンに名高き騎士王。

 

 最優と称される英霊「剣士(セイバー)」。

 

 その勇壮にして凛とした戦姿が顕現していた。

 

「美遊を、返してもらう」

 

 バイザー越しの輝く眼光が鋭く迸り、迫りくる異形を睨み据える。

 

 対して、上半身だけ突き出したギルは、笑みを持って響を睨み返す。

 

 胸の内より湧き出でる歓喜を前に、ギルは迷う事無く己を開放する。

 

「良いよ・・・・・・・・・・・・それでこそ、僕も本気になる甲斐があるってものだ」

 

 呟くと同時に、

 

 無数の刃が出現する。

 

「さあ、僕と奪い合おうじゃないかッ 聖杯(みゆ)をッ!!」

 

 射出される刃。

 

 その一斉掃射を前に、

 

 響は迷う事無く飛び込むんで行った。

 

 

 

 

 

第37話「並列夢幻召喚」     終わり

 




ここで終わらせようかと思ってたけど、文字数が多くなり過ぎたので、決戦は次回への持ち越しとなりました。

ちなみの響のセイバー姿イメージは
「セイバーオルタ」×「謎のヒロインX」×「謎のヒロインXオルタ」×「プロトアーサー」で。
訳が分からない?
俺もだ(爆


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第38話「神々の戦場」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 自身に向かってくる異形の怪物。

 

 8枚目のクラスカードから現れ、美遊を呑み込んだ怪物は、いよいよその、凶悪なでもって、自らに楯突く不遜な存在を叩き潰そうとしていた。

 

 対して、

 

 剣士(セイバー)夢幻召喚(インストール)した響。

 

 その幼くも鋭い双眸は、自身に向かって襲い掛かろうとしている怪物を真っ向から睨み据えていた。

 

 その視界の中で、

 

 空間が一斉に開き、中から刃が無数に現れるのが見えた。

 

 既に見飽きた感すらある、宝具一斉掃射。その発射態勢が整えられる。

 

「さあ、君の力を見せて見ろ」

 

 ギルは言い放つと同時に、

 

 振り上げた右手を振り下ろす。

 

 次の瞬間、

 

 宝具は響めがけて一斉に殺到する。

 

 その刃が、響の眼前に迫る。

 

 次の瞬間、

 

 少年は動いた。

 

 地を蹴ると同時に、手にした聖剣を振り被る。

 

 迫る刃。

 

 対して、響もまた聖剣を振るう。

 

 縦横に奔る銀の閃光。

 

 刹那の間に、飛んできた全ての宝具が叩き落された。

 

「・・・・・・・・・・・・へえ」

 

 その様子に、ギルは感心したような声を上げる。

 

「どうやら、その姿は伊達じゃないみたいだね」

 

 言いながら、再び宝具を射出する態勢に入るギル。

 

 それを見越したように、響も動いた。

 

 低い姿勢で疾走。飛んでくる宝具の嵐を掻い潜り、異形の巨体へと迫る。

 

 速い。

 

 一陣の疾風と化した響を前に、飛んできた全ての宝具は空を切る。

 

 インナーにコート、顔にバイザーを当てた響。

 

 騎士と言うには、いささか軽装である。

 

 これは恐らく暗殺者(アサシン)としての響の特性を、カード自体が考慮した結果、このような姿になったのだと思われる。

 

 だが、容姿はこの際、どうでも良かった

 

 眼前に迫る巨体。

 

 対して、大きく跳躍する響。

 

 少年の姿が、巨体の上へと出る。

 

 振り返るギル。

 

 バイザー越しに睨みつける響。

 

「貰った!!」

 

 聖剣を振り翳した。

 

 だが、

 

「どうかな」

 

 嘯くようなギルの言葉。

 

 同時に、

 

 巨大な腕が、響に向かって殴りかかって来た。

 

「クッ!?」

 

 その様に、とっさに攻撃をキャンセルする響。

 

 とっさに魔力で空中に足場を作ると、その場から飛びのく。

 

 間一髪。巨腕は一瞬速く飛びのいた響をかすめる形で過ぎ去っていく。

 

「まだまだ行くよッ!!」

 

 ギルもまた、攻撃の手を緩めない。

 

 すかさず腕を返し、響を追いかける。

 

 対して、

 

「そんな物ッ!!」

 

 響は聖剣を八双に構えると、空中を疾走。

 

 自身に向かって振り下ろされようとしている巨腕に、真っ向から斬り込んでいく。

 

 鋭く奔る一閃。

 

 その一撃が、巨腕を半ばから斬り飛ばした。

 

 轟音と共に、大地へと叩きつけられる巨腕。

 

 まさに剣士(セイバー)の名に恥じない、剣の冴えである。

 

 だが、

 

「やるね・・・・・・・・・・・・」

 

 そんな響の様子を見て、ギルはニヤリと笑う。

 

「けど、まだまだァ!!」

 

 言い放つと同時に、再び宝具の一斉掃射を開始。上空の響へと殺到した。

 

 

 

 

 

 戦い続ける響の様子。

 

 その様を、イリヤ、クロ、バゼットの3人は、離れた場所から眺めていた。

 

 戦況は、正に一進一退と言ったところであろうか。

 

 剣士(セイバー)夢幻召喚(インストール)した響の戦闘力はすさまじく、地下空間ではあれだけの猛威を振るった敵を相手に、たった1人で状況を拮抗させている。

 

 地力では、響は決してギルに劣ってはいない。

 

 しかしギルの方は、何と言ってもあの巨体である。

 

 凄まじい攻撃力は、一撃でも当たれば響には致命傷になり得る。加えて、件の宝具一斉掃射である。

 

 響は再三に渡って斬り込んではいるものの、ギルの圧倒的な戦力差を前に、押し返されている。

 

 全体的に見て、やや響が有利、と言ったところであろう。

 

 しかし、それは薄氷を踏むような物。一手でも指し違えれば、即座に逆転を許す事になる。

 

「できれば、援護したい所なんだけど・・・・・・」

「無理でしょう」

 

 歯痒そうに呟くクロに対し、こちらも悔し気にバゼットが返す。

 

 既に事態は、人の手に余っている。介入すればそれこそ命取りになる死、何より、却って響の足を引っ張る事になりかねない。

 

 故に、末弟の奮戦を見ている事しか、今の彼女達にはできる事は無かった。

 

 そんな中、

 

「・・・・・・・・・・・・いつの頃からだったのかな?」

「は?」

 

 不意に呟いたイリヤに、クロは不審な眼差しを向ける。

 

 対して、イリヤは響の戦いを見つめながら口を開く。

 

「響の事が、頼もしく思えるようになったのって」

 

 いつも、姉であるイリヤの後を、黙って着いて来ていた口数の少ない弟。

 

 どこか儚げで頼りない少年。

 

 だが今、彼女たちの弟は、誰よりも勇敢に剣を振るい、自分よりも圧倒的に巨大な敵と戦っている。

 

 友の為、勇敢に戦う響の姿を、イリヤは静かに見つめる。

 

 こうしている間にも響は、手にした聖剣で宝具を打ち払い、振り下ろされる巨腕を受け止めている。

 

「響は戦っている。なら、私も私ができる事をしないと」

「そんな事言ったって、もうわたし達にできる事なんて・・・・・・」

 

 何もない。

 

 そう言いかけたクロに対し、

 

 イリヤはキッと、眦を上げた。

 

「あるッ」

 

 凛と叫ぶと同時に、手を伸ばす。

 

「手を貸してッ サファイア!!」

《は、はいッ!!》

 

 呼ばれて、

 

 美遊と放され、消沈していたサファイアが答える。

 

 同時に、少女の手には2本のステッキが握られた。

 

 右手にはルビー。

 

 左手にサファイア。

 

 2本のステッキを構えるイリヤ。

 

 同時に、

 

 少女の姿は、まばゆい閃光に包まれた。

 

 

 

 

 

 視線を合わせる、響とギル。

 

 同時に放たれた無数の宝具を、聖剣で切り払う響。

 

 だが、その胸の内には、僅かな焦慮が芽生え始めていた。

 

 先程から、再三に渡って攻め込んでいる響。

 

 しかし、ギルの攻撃が織りなす圧倒的な手数を前に、その都度押し返されていた。

 

 能力が劣っているわけでは、決してない。

 

 それどころか、確信がある。

 

 (セイバー)の方が、自力ではギル(アーチャー)に勝っている。斬り込む事さえできれば、勝機は十分にあった。

 

 しかしそもそも、弓兵(アーチャー)の本文は遠隔攻撃。接近戦で敵わない事が分かっていて剣士(セイバー)に斬り込ませるはずが無かった。

 

 バイザーの下で、響は目を細める。

 

 このまま攻撃を続けても埒が明かないのは明白だ。

 

 何より、

 

「・・・・・・・・・・・・」

 

 自身の中にある不安を、響は振り払う。

 

 迷っている暇など、そもそもからしてないのだ。

 

 聖剣を構えなおす響。

 

 その姿を見て、

 

 ギルも再び、宝具を放射態勢に入った。

 

 飛んでくる無数の刃。

 

 対して、跳躍して回避行動に入る響。

 

「そんな物、今更ッ!!」

 

 そのまま、聖剣を振り被る。

 

 回避と同時に、攻撃に転じる構えだ。

 

 上空の響を睨むギル。

 

 その視界の先で、聖剣の刃を向ける響。

 

 このまま斬り込む。

 

 響がそう思った。

 

 次の瞬間、

 

「甘いね」

 

 嘲笑と共に不吉に響く、ギルの言葉。

 

 同時に四方八方から一斉に、泥の触手が伸びてきた。

 

「なッ!?」

 

 目を見開く響。

 

 数百。

 

 事によると千に届くかもしれない。

 

 触手は異形の巨体から直接伸びており、その全てが響めがけて殺到しようとしている。

 

 ギルはこの状況で尚、奥の手を隠し持っていたのだ。

 

 無数にある触手。

 

 その全てを斬り飛ばす事は困難を極める。

 

「ちょっと、小うるさいから・・・・・・少し、大人しくしてもらおうかな」

 

 やや苛立ちの混じったギルの言葉に呼応するように、一斉に動き出す。

 

 四方八方から騎士王たる少年に殺到する黒い触手。

 

 対抗するように剣を水平に倒し、抜き打つように構える響。

 

 だが、払いきれるか?

 

 そう思った。

 

 次の瞬間、

 

 横合いから迸った閃光が、黒い触手を真っ向から薙ぎ払った。

 

「えッ!?」

「なッ!?」

 

 今にも響に襲い掛かろうとしていた触手の群れが一瞬にして、全て吹き飛ばされた。

 

 突然の事態に、驚く響とギル。

 

 予期しえなかった事態に、互いの動きが止まる。

 

 振り返る響。

 

 その視線の先には、

 

 ステッキを構えたイリヤの姿があった。

 

 だが、少女の姿もまた、いつも通りの物ではない。

 

 イリヤが着ている衣装。基本的な構造はカレイド・ルビーの物をベースにしているが、色は普段のピンクではなく紫を基調にしており、胸元にはルビーの象徴である五芒星が、そして腹部にはサファイアを現す六芒星が飾られている。

 

 長い銀髪もサイドで結ばれている。

 

 何より特徴的なのはステッキ。

 

 先端部分が水晶状になり、両側には鳥と蝶の羽があしらわれている。ちょうど、ルビーとサファイアが合わさった形だ。

 

 舞い散る薄紫の燐光が、羽毛の如く輝いている。

 

 可憐にして勇壮なる魔法少女の戦姿。

 

 カレイドライナー・ツヴァイフォーム

 

 ルビーとサファイア。2本のカレイドステッキを同時に使用して初めてなされる、いわば「反則技」。

 

 最強の英霊を相手に、まともな戦い方では対抗できない。

 

 響を助け、ギルに対抗する為にイリヤが選んだ戦い方もまた「異形」だった。

 

 イリヤはゆっくりと響の側へと降り立ち、ステッキを構える。

 

「援護するよ、ヒビキ」

「ん、助かる」

 

 力強くうなずく響。

 

 最高の援軍を得て、再び動き出す。

 

 黒いコートを靡かせ、光り輝く聖剣を振り翳す響。

 

 その姿を見て、

 

「アハッ どうやら、まだまだ楽しめそうだね」

 

 ギルはニヤリと笑う。

 

「なら僕も、そろそろ本気で行かせてもらおうかな!!」

 

 言い放つと同時に、空間を開く。

 

 その数たるや、これまでの比ではない。

 

 殆ど、視界全てを埋め尽くす量の宝具が、2人目がけて殺到してくる。

 

 「本気」と言うギルの言葉はウソではない。彼は自身の全戦力を投入してでも、響とイリヤを叩き潰すつもりなのだ。

 

 対して、イリヤはステッキに魔力を込めながら、傍らの弟に言った。

 

「響、そのまま走って!!」

「んッ」

 

 同時に、イリヤは動く。

 

 ステッキに込めた魔力を、魔力弾として打ち出す。

 

 しかし、

 

 その威力たるや、通常時(カレイド・ルビー)とは比較にならない。

 

 魔力の弾丸、と言うよりは、殆ど「槍」に近い。

 

 次々と放たれる無数の魔力槍が、飛んでくる宝具を片っ端から撃ち落としていく。

 

 その様に、

 

「ッ!」

 

 初めて、ギルは表情を変えた。

 

 これまで響と戦っている時も、ギルは殆ど表情に変化を見せなかった。

 

 常に余裕の態度を浮かべていたギル。

 

 だが、その余裕が、イリヤの参戦によって崩れようとしていた。

 

 自身が絶対の確信を持って放った攻撃を、あっさりと跳ねのけたイリヤに対して、ギルは警戒を強めた。

 

 攻撃を開始するイリヤ。

 

 次々と放たれる魔力の槍が、ギルの放つ宝具を撃ち落としていく。

 

 壮絶な撃ち合いが続く。

 

 その眼下を、

 

 黒のロングコートを靡かせて奔る影。

 

 響だ。

 

 姉の援護を受けた騎士王たる少年は、聖剣を振り被るようにして迫る。

 

「このッ!!」

 

 対抗するように巨腕を振るうギル。

 

 幾本かは響によって斬り飛ばされているが、まだ十分な数が健在である。

 

 迫る響を掴み取ろうと、巨大な掌が広げられる。

 

 だが、

 

「もう効かないッ」

 

 短い声と共に、聖剣を振り上げる響。

 

 縦に奔る一閃が、腕を中途で斬り飛ばす。

 

 更に、

 

 体を回転させる響。

 

 遠心力によって得られた威力をそのまま剣に乗せて振りぬく。

 

 その一撃が、更に一本、巨腕を斬り飛ばした。

 

「ッ!? やってくれる!!」

 

 舌打ちするギル。

 

 イリヤを無視して、響に向けて宝具の切っ先を向ける。

 

 眼下に向けて射出される刃。

 

 だが、

 

 その前に、薄紫の羽根を羽ばたかせてイリヤが飛び込んで来た。

 

 物理保護障壁を展開するイリヤ。

 

 放たれる宝具は全て、イリヤの障壁によって弾かれる。

 

 状況は、変化しつつある。

 

 響とイリヤは間違いなく、ギルを圧倒していた。

 

 ギルの攻撃は封殺され、逆に2人の攻撃は僅かずつだが、ギル本人へ届きつつある。

 

 このままいけば勝てる。

 

 そう感じさせるに、充分な状況である。

 

 だが、

 

 事態は、そう甘くはない。

 

 既にイリヤは感じていた。

 

 この戦い方は、自分にとって長くは保たない、と。

 

 それは、少女の全身を苛む痛みが、何より雄弁に主張している。

 

 ツヴァイフォームになった事で、イリヤの魔力量は通常時より確実に上がっている。

 

 攻撃力、機動力、防御力、全てにおいて、通常時とは次元が違うレベルだ。今のイリヤなら、何でもできそうな気さえする。

 

 だが、代償の無い奇跡は存在しない。

 

 イリヤの能力が飛躍的に上がった事も同様である。

 

 ツヴァイフォームになり、あらゆる戦闘力が向上したとはいえ、それでイリヤ本体の能力が上昇したわけではない。

 

 今のイリヤは、血管や神経、筋繊維、リンパ節と言った人間本来の器官を、「意図的に魔術回路として誤認させる」事により、絶大な魔術行使を可能としているのだ。

 

 言うまでも無く、そんな戦い方をしては、イリヤ自身も無事である訳がない。徐々に体は傷ついていく。

 

 つまり戦い続けるごとに、イリヤは己の命を削り続けているのだ。

 

 だが、それでも尚、イリヤは攻撃をやめない。

 

 飛んでくる宝具を撃ち落とし、向かってくる触手を切り払う。

 

 そして、

 

 それは彼女の弟も同様だった。

 

 中にいる「あいつ」は、響に言った。

 

『いいかい。今、君の魔術回路を僕の魔術回路とつなぎ合わせる事で、無理やり魔力を供給している。けど、言うまでも無く、これは本来の使い方じゃない』

 

 諭すような声に、スッと目を細める響。

 

『長く続ければ、君の魔術回路は焼け付き、最悪は命にもかかわるだろう』

 

 うるさいッ

 

『だから、なるべく短期決戦を目指すんだ』

 

 黙れッ

 

 頭に響く声を振り払い、響は伸びてきた触手を切り払う。

 

 まともじゃない?

 

 命に関わる?

 

 だからどうした? そんな事、こっちはとっくの昔に想定済みだ。

 

 あの英霊を倒し、美遊を助け出す。

 

 その為なら、あらゆる運命をも斬り伏せて見せる。

 

 その想いと共に、響は聖剣を振るう。

 

 自身に向かってくる響とイリヤを見ながら、英霊の少年は嘆息する。

 

 劣勢である。それは間違いない。

 

 最強の英霊たる自分が、こうまで一方的に押されるとは思っても見なかった。

 

「どうにも、この姿になってから、攻撃が大雑把になっていけない」

 

 この戦い方は本来、ギル自身の趣味にあった物ではない。

 

 ギル的にはもっと、スマートな戦い方を好む。こうした考え無しに宝具をばらまくやり方は、彼の美学に反していた。

 

 だが、今の彼は「取り込まれた」状態ににある。主導権は無い。

 

 ならば、

 

「どうせなら、もっと大雑把に行こうか」

 

 言い放つと同時に掲げられる巨大な手。

 

 その手が、

 

 空間から巨大な剣を取り出した。

 

 ゴツゴツとした岩を直接削り出したようにも見えるその剣は巨大であり、それだけで小山ほどもある。

 

 千山斬り拓く翠の地平(イ ガ リ マ)

 

 メソポタミア神話に登場する戦神ザババの持つ「翠の刃」である。

 

 「斬山剣」と言う異名でも呼ばれるその刃は、文字通り山一つ斬り飛ばす事も不可能ではないサイズを誇っている。

 

「さあ、受けてみなよ、受けられるものならねェ!?」

 

 言い放つと同時に、千山斬り拓く翠の地平(イ ガ リ マ)を振り下ろす少年。

 

 その圧倒的な一撃が大地を砕き、木々を容赦なく叩き潰す。

 

 だが、

 

 振り下ろされた巨剣の下から、蒼い影が飛び出してきた。

 

 響だ。

 

 振り下ろされた巨大な刃を回避し、斬りかかっていく。

 

 その姿を見て、

 

「まだまだ行くよッ」

 

 少年は、更に千山斬り拓く翠の地平(イ ガ リ マ)を振り翳そうとした。

 

 次の瞬間、

 

 光の翼を広げて、イリヤが飛び込んで来た。

 

「やらせないよ!!」

 

 手にしたステッキから伸びる光の刃。

 

 その一閃が千山斬り拓く翠の地平(イ ガ リ マ)の刀身を中途から斬り飛ばした。

 

 圧巻とも言える光景だ。

 

 少女の放った一閃が巨大な剣を斬り飛ばしたのだから。

 

 折れた刀身が、轟音と共に大地に突き刺さる。

 

 その様を見ながら、イリヤは叫んだ。

 

「今だよッ ヒビキ!!」

「んッ!!」

 

 姉の援護に、バイザー越しに頷く響。

 

 聖剣を振り翳し、斬りかかっていく。

 

 対して、全ての攻撃を封殺された少年は、響の眼前に盾を作り出す。

 

 視界全てを覆うほどの巨大な盾は、地下空間での戦いでクロの攻撃を防ぎ切った、あの盾だ。

 

 聖剣の一撃すら防いだ盾は、正に防御力においては究極と言って良いかもしれない。

 

 だが、逆を言えば、あらゆる攻撃を封殺されたギルには、もはや防御以外の選択肢は残されていないとも言える。

 

 響の眼前に迫る、巨大な盾。

 

 だが、

 

「そんな、物!!」

 

 渾身の力で聖剣を振りぬく響。

 

 斜めに走る銀の光。

 

 その一閃が、目の前の巨大な盾を見事に両断して見せた。

 

 斬り裂かれ、消滅する盾。

 

 これには、流石のギルも予想外だった。

 

「・・・・・・・・・・・・ハハハ」

 

 乾いた笑いを浮かべる少年。

 

 何物をも貫く事能わぬ神の盾。

 

 それを響は、真っ向から両断して見せたのだ。

 

 まったくもって度し難い。

 

 いったいいかなる業を積めば、これほどの力を発揮できるというのか?

 

「・・・・・・友の為・・・・・・愛する者の為、己の命を削るか」

 

 言いながら、手を伸ばす。

 

「ああ・・・・・・君こそが・・・・・・・・・・・・」

 

 抜き放たれる少年の腕。

 

 そこには、

 

 あの地下空間で、鏡面界を斬り裂いた剣が握られていた。

 

 その様に、響とイリヤは目を見開く。

 

 あの剣の威力は、既に身をもって体験済みである。

 

 波の手段での対抗は不可能である事も。

 

 既に「刀身」の円筒は回転をはじめ、絶大な魔力が猛っているのが分かる。

 

「君達こそが、僕の全力に相応しい!!」

 

 振り翳される剣が、周囲に衝撃波を撒き散らす。

 

 あの圧倒的な力を誇る宝具が、再び解き放たれようとしているのだ。

 

「この剣に銘は無い。僕はただ『エア』と呼んでいる。かつて天と地を分けた、文字通り世界を創造した最古の剣さ。感じるかい? 遺伝子に刻まれた始まりの記憶をさ・・・・・・」

 

 泥にまみれた少年の双眸が、真っ向から響とイリヤを睨み据える。

 

世界(ゆりかご)ごと君達を斬り裂き、今ここに原初の地獄を織りなそう!!」

 

 更に吹き荒れる暴風。

 

 その一撃が解き放たれれば、響やイリヤの存在が消し飛ぶだけではない。

 

 間違いなく、冬木の存在が地図上から抹消されるだろう。そこに住む住人ごと。

 

 ならば、

 

 躊躇うべき何物も、響の前には存在しなかった。

 

「・・・・・・・・・・・・イリヤ、下がって」

「え、ヒビキ?」

 

 突然の弟の言葉に、イリヤは驚く。

 

 いったい、ここにきて響は何を言い出すのか?

 

 戸惑うイリヤに、響は振り返る。

 

「イリヤの限界は近い。後は任せて」

 

 響には判っていた。

 

 イリヤが無理な戦い方をしている事を。恐らく、このまま戦い続けたら、イリヤと言う存在そのものの破綻にも繋がりかねない。

 

 だからこそ、後の始末は自分が付けると決めた。

 

「そんなッ それなら響だって・・・・・・」

「それに・・・・・・・・・・・・」

 

 言い募ろうとするイリヤを制して、響は告げる。

 

 その口元には、常には見せない微笑を浮かべる。

 

「お姉ちゃんを守るのは、弟の役目、でしょ」

 

 その言葉に、喉を詰まらせるイリヤ。

 

 ああ、そうか。

 

 響はどこまで行っても、イリヤの自慢の弟に他ならなかった。

 

 姉の想いを背に、前へ出る響。

 

 これが本当に、最後の激突だ。

 

 そしている間にも、少年の掲げる剣に魔力の暴風が集まっていく。

 

 あれが解放されれば、本当に世界が斬り裂かれてもおかしくは無いだろう。

 

 ならば、

 

 こちらも全ての力でもって対抗するしかない。

 

 イリヤに言われた通り、響も決して無傷ではない。これ以上の戦闘続行は命にもかかわるだろう。

 

 だが、

 

 たとえ手足を吹き飛ばされても、ここで諦める気は無い。

 

「・・・・・・・・・・・・」

 

 剣を掲げる響。

 

 全ては美遊を、

 

 大好きな少女を取り戻すために。

 

 迫る異形の怪物を見据えて叫んだ。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

十三拘束解放(シール・サーティーン)!! 円卓議決開始(ディシジョン・スタート)!!」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 其れは、人類史に刻まれし最強の聖剣。

 

 星に危機が迫りし時、真の力を発揮する事が許される神造兵装。

 

 振るえば担い手に勝利をもたらす絶対の輝き。

 

 その絶大なる力故に、普段は厳重な封印が掛けられている。

 

 人が振るうには、あまりにも強大すぎる力。

 

 故に、普段は厳重の上にも厳重な封印が掛けられている。

 

 その封印を解くには、騎士王を含む、13人の円卓の騎士。その半数以上の承認が必要となる。

 

 

 

 

 

「是は、己よりも強大な者との戦いである」

 べディヴィエール、承認

 

 

 

 

 

「是は、精霊との戦いではない」

 ランスロット、承認

 

 

 

 

 

「是は、誉ある戦いである」

 ガウェイン、承認

 

 

 

 

 

「是は、友に捧げる戦いである」

 パーシヴァル、承認

 

 

 

 

 

「是は、愛する者を守る戦いである」

 トリスタン、承認

 

 

 

 

 

「是は、邪悪との戦いである」

 モードレッド、承認

 

 

 

 

 

「是は、私欲なき戦いである」

 ガラハッド、承認

 

 

 

 

 

 そして、

 

 

 

 

 

「是は、世界を救う戦いである」

 アーサー、承認

 

 

 

 

 

 八拘束解除。

 

 これにより、円卓会議は議決される。

 

 聖剣解放に必要な、円卓の騎士十三人中、半数以上の承認。

 

 その必要条件が揃った。

 

 次の瞬間、

 

 全ての拘束が解放され、聖剣は真の姿を現す。

 

 優美な装飾が次々と解かれ、その中より現れ出でる一振りの剣。

 

 真っすぐな刀身に、中央には蒼い装飾のある剣。

 

 解放前に比べて、極シンプルなデザイン。

 

 しかし聖剣は、いよいよ増した凄みでもって、その場に存在している全てを圧倒している。

 

 既にその存在からして、別次元である事が分かる。

 

 あふれ出る魔力によって、空間そのものが歪んでいく。

 

 これこそが、彼の騎士王の佩刀にして、全ての邪悪を斬り裂く事を運命づけられた最強の聖剣。

 

 振り被る響。

 

 ほぼ同時に、少年も手にした(エア)を掲げた。

 

 睨み合う両者。

 

 交錯する視線。

 

 激突する戦気。

 

 次の瞬間、

 

 

 

 

 

 

 

 

 

約束された(エクス)・・・・・・勝利の剣(カリバー)!!」

天地乖離す(エヌマ)・・・・・・開闢の星(エリシュ)!!」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 激突する激浪の如き魔力。

 

 ギルの放つ轟風と、

 

 響が放つ閃光がぶつかり合う。

 

 周囲に撒き散らされる衝撃。

 

 圧倒的な破壊の情景。

 

 その中で、

 

 響は必死に剣を繰り出す。

 

 負けない

 

 負けない

 

 絶対に!!

 

 勝って、美遊を取り戻す!!

 

 たとえ、この身が砕け散ろうとも!!

 

 その執念だけが、響を支え続ける。

 

 その時、

 

「・・・・・・・・・・・・え?」

 

 剣を握る響の手に。別の手が重ねられる。

 

 振り返る響。

 

 そのすぐ隣にある、姉の姿。

 

 イリヤの手は、響の手に重ねられるようにして聖剣を握っていた。

 

「イリヤ・・・・・・」

「弟を守るのは、お姉ちゃんの役目でしょ」

 

 そう言って、ニッコリとほほ笑む。

 

 頷き合う、響とイリヤ。

 

 2人の魔力により、威力を増す約束された勝利の剣(エクスカリバー)

 

 次の瞬間、

 

 閃光が、周囲全てを一気に薙ぎ払った。

 

 

 

 

 

第38話「神々の戦場」      終わり

 



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第38話「異界からの追跡者」

 

 

 

 

 

 

 

 

 少女は闇の中にいた。

 

 あらゆる光を平らげ、音すらも呑み込んだ真なる闇の世界。

 

 それは、少女を呑み込んだ絶望。

 

 二度と日の当たらぬ牢獄。

 

 自分はもう、ここから出る事は叶わない。

 

 なぜならここが、

 

 こここそが、少女の本来の居場所なのだから。

 

 かつて聖杯として生まれ、全ての望みを叶える能力を持って生まれてしまった少女。

 

 望めば、あらゆるものが手に入ったはずの少女。

 

 だが、その奇跡とも言える能力と引き換えに、少女は他の全てを失った。

 

 運命の闇に繋がれ、光を奪われた少女。

 

 だが、もう良い。

 

 もう、良いんだ。

 

 自分はもう、充分だ。

 

 

 

 

 

『美遊がもう、苦しまなくても良い世界になりますように』

『やさしい人たちに出会って・・・・・・』

『笑い合える友達を作って・・・・・・』

『あたたかでささやかな幸せを掴めますように』

 

 

 

 

 

 かつて、そう言って自分を送り出してくれた兄がいた。

 

 お兄ちゃん。

 

 ありがとう。

 

 お兄ちゃんのおかげで、たくさんの楽しい思い出ができたよ。

 

 初めて来た世界。

 

 見知らぬ場所。

 

 最初は不安だった。

 

 けどそれは、本当に最初だけだった。

 

 温かい人たちに、出会えた。

 

 心地よい居場所も貰った。

 

 そして、

 

 友達もできた。

 

 彼らと一緒に楽しい時間を過ごせた。

 

 学校に行った。

 

 買い物に行った。

 

 温泉に行った。

 

 海にも行った。

 

 それに、

 

 デート、もした。

 

 ありがとう。

 

 ありがとう、イリヤ。

 

 ありがとう、響。

 

 たくさん、

 

 たくさん楽しい事ができた。

 

 あなた達の事は、ぜったいに忘れない。

 

 たとえ、この闇の牢獄に一生囚われる事になったとしても。

 

 絶対に忘れない。

 

 だから、

 

 さよなら。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

『美遊ッ!!』

『ミユッ!!』

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 不意に、名前を呼ばれる。

 

 胸がざわつく。

 

 ありえない。

 

 まさか、

 

 そんな、

 

 聞こえるはずなんてない。

 

 2人の声が、

 

 今の自分に聞こえるなど・・・・・・・・・・・・

 

 

 

 

 

 目を開く。

 

 光が、見えた。

 

 自身を覆っていた闇は払われ、飛び込んでくる、暖かな光。

 

 その視線の先では、

 

 一振りの剣を、共に握った少年と少女の姿。

 

 ああ、あれは・・・・・・

 

 あれこそは・・・・・・

 

 2人の雄姿が霞む。

 

 イリヤ、

 

 そして響。

 

 美遊を取り戻すため、命を掛けて戦った2人の姉弟達が今、

 

 美遊に向けて笑顔を見せていた。

 

 響も、

 

 そしてイリヤも、見るからにボロボロで、立っているのもやっとであるのが分かる。

 

 ああ、

 

 自分なんかの為に、

 

 あんなになるまで戦ってくれるなんて。

 

「泣いているとこ、初めて見た」

「ん、そだね」

 

 言われて美遊は、自分が泣いている事に気付いた。

 

 頬を伝う涙。

 

 熱い感触のある滴は、とめどなく溢れて流れていく。

 

 響もイリヤもボロボロである。

 

 最強最後の切り札と言うべき「約束された勝利の剣(エクスカリバー)」を最大開放し、世界を斬り裂くほどの剣を押し返したのだ。

 

 勝った方も、無傷である訳が無かった。

 

 だが、

 

 そんな事は関係なかった。

 

 大切な親友を助ける。

 

 その為だったら、何度だって、誰が相手だって命を掛ける。

 

 それこそが、響とイリヤが持つ、確固たる信念だった。

 

 

 

 

 

 そんな中、

 

 ギルもまた、あふれ出た泥の中から身を起こしていた。

 

 とは言え、自身の最大の攻撃を弾き返されたうえ、「約束された勝利の剣(エクスカリバー)」をまともに受けたのだ、こちらはより以上にダメージが大きい。

 

 渾身の力を振り絞っても、もはや立ち上がる事すらできないでいる。

 

 最強の英霊たる少年は、もはや動く事すらままならない有様だった。

 

「ハハッ・・・・・・・・・・・・」

 

 ギルの口から、乾いた笑みがこぼれた。

 

「まさか、エアが撃ち負けるなんてね・・・・・・」

 

 天地乖離す開闢の星(エヌマ・エリシュ)は、ギルにとって最大最強の切り札である。本来であるならば、並の敵相手に撃ち負けるような事はあり得ない。

 

 慢心は無かった。

 

 むしろ全力以上に全力だったと言って良い。

 

 その証拠に、ギルの頭上では、空が十字に斬り裂かれているのが見える。あれはエアを全力で放った影響だった。空間その物が、衝撃で裂けているのだ。

 

 だが、

 

 イリヤ、そして響。

 

 世界を割るほどの攻撃を放って尚、あの2人はギルを上回って見せたのだ。

 

 チラッと、傍らに目をやるギル。

 

 そこには、弓兵が描かれた1枚のカードが落ちている。

 

 弓兵(アーチャー)のカード。すなわち、ギル自身のカードである。

 

「・・・・・・・・・・・・もう1人の僕も、とうとうカードになっちゃったか」

 

 乾いた口調で言いながら、ギルはそのまま地面に大の字になって横たわる。

 

 同時に、心地よい気だるさが、少年の体を包み込んだ。

 

「ま、半身だけでも受肉できたんだ。これで良しとするかな」

 

 さばさばした口調。そこに蟠りは見られない。

 

 負けはしたものの、諦念にも似た心地よい感情がギルの中にはあった。

 

「あー・・・・・・疲れた」

 

 ギルは最後にそう呟くと、心地よい微睡に身を委ねた。

 

 

 

 

 

 仲間たちが駆け寄ってくるのが見える。

 

 クロが、

 

 凛が、

 

 ルヴィアが、

 

 バゼットが、

 

 皆、焦慮の表情を浮かべている。

 

 みんな、囚われた美遊の身を案じていたのだ。

 

 そして、彼女も。

 

《美遊様ッ!!》

 

 叫びながら飛び出してきたのはサファイアだ。

 

 姉のルビーと融合する事で、イリヤのツヴァイ・フォームを完成させたサファイア。

 

 そのルビーとの融合を解除した事で、イリヤのツヴァイ・フォームも同時に解除され、元のカレイド・ルビーへと戻る。

 

 サファイアはそのまま真っすぐに、美遊の胸へと飛び込んでいった。

 

《美遊様ッ ひどいです!! わたしを置いていくなんて!!》

「サファイア・・・・・・・・・・・・」

 

 珍しく、美遊をとがめるような口調のサファイア。

 

 それも、無理からぬことだろう。ある意味、この中で最も美遊の身を案じたのは、彼女かもしれなかった。

 

 と、

 

「あ・・・・・・・・・・・・」

「ヒビキッ!!」

 

 倒れそうになった響を、傍らのイリヤがとっさに掴んで支える。

 

 同時に、握っていた聖剣も少年の手から滑り落ち、乾いた音共に地面へと転がった。

 

「大丈夫、ヒビキ?」

「ん、何とか・・・・・・・・・・・・」

 

 答えたものの、明らかに「大丈夫」ではない事は明白だった。

 

 地下空間での戦闘、ルリアとの決戦、そして先の異形と化したギルとの激突。

 

 限界など、とうに超えている。

 

 魔力は尽き、それを補うための並列夢幻召喚(パラレル・インストール)。さらに聖剣解放まで行っている。

 

 正直、今すぐ倒れてもおかしくは無かった。

 

 限界と言えば、反則技に近いツヴァイ・フォームを行使したイリヤも同様である。

 

 全身の神経や筋、リンパ節はボロボロ。いかに自動回復が可能なルビーの能力をもってしても、一朝一夕ではどうにもならない、今のイリヤは傷ついている。

 

「まったく、無茶するわ」

 

 呆れ気味に告げるクロ。

 

 嘆息気味に見せるその表情には、死力を絞りつくした弟妹への労いが見て取れた。

 

 とは言え、そういう彼女もまた、イリヤとの痛覚共有によって、ダメージがそのままフィードバックしている状態である。

 

 この場にいる全員が、文字通りの満身創痍。

 

 まさに死力を振り絞った上での勝利だった。

 

「ごめんなさい・・・・・・・・・・・・」

 

 美遊が、消え入りそうな声で告げた。

 

 一同の視線が集中する。

 

 並行世界。

 

 魔術の世界では既に存在が確認されているという話だが、実際にそこから来た人間に会うとは思いもよらなかったことである。

 

「本当は、もっと早く言うべきだった・・・・・・そうしたら、イリヤも、響も、こんな事には・・・・・・・・・・・・」

 

 俯きながら告げる美遊。

 

 自分の秘密を知られたくない。

 

 秘密を知ったイリヤや響に嫌われたくない。

 

 そんな自分の、浅はかな思いが、この事態を引き起こしてしまった。

 

 美遊はそう思っているのだ。

 

 だが、

 

「ん、別に、気にしてない」

 

 イリヤに支えられたまま、響は事も無げに告げる。

 

 驚く美遊に、響は続けた。

 

「言わなくても良いって、前に言ったの、こっちだし・・・・・・」

「響・・・・・・でも・・・・・・」

「ヒビキの言うとおりだよ」

 

 言い募ろうとする美遊を制して、今度はイリヤが口を開いた。

 

「ホント言うと私も、ミユが何か大きな秘密を抱えてるってわかってた。分かってたけど、踏み込めなかったんだ。その秘密を聞いてしまったら、もう元の関係には戻れないんじゃないかって思って・・・・・・」

「イリヤ・・・・・・・・・・・・」

「けど、もう逃げない。ミユは私の友達。友達が苦しんでいるなら、もうほっとかない。だから、ミユもこれ以上、1人で思い悩まないで。あなたは、1人じゃないんだから」

 

 イリヤの言葉に、皆が頷きを見せる。

 

 想いも、

 

 立場も、

 

 全てを超えて、この場にいる全員が、心を一つにしていた。

 

 そうだ、悩む必要なんて何もない。

 

 何か問題が起きても、こんなにも多くの仲間達が支えてくれるのだから。

 

 そう言って笑顔を見せるイリヤ。

 

 そんなイリヤに対し、ルビーが茶化すように口を開いた。

 

《あらあらイリヤさん。そんな事言っちゃって良いんですか? 絶対ひっぱたいてやるんじゃなかったんですかー?》

「あはは、まあ、そのつもりだったんだけど・・・・・・こんな顔見ちゃったら、ねえ?」

《響さんもですよー お尻ぺんぺんするんじゃなかったんですか~? 何なら手伝いますよ》

「・・・・・・空気読め」

 

 KYヒトデにツッコミを入れる響。

 

 その視線が、美遊と重なる。

 

 間に流れる、微妙な空気。

 

 美遊は少し頬を染めて、視線を逸らす。手はそっと背中に回し、自分のお尻を庇うように隠す。

 

「その・・・・・・響が望むなら・・・・・・」

「いや、しないから」

 

 恥ずかしそうに俯きながら告げる美遊に対し、響も少し顔を赤くしてツッコミを入れる。

 

 何を言っているのか、この石頭娘は。

 

 そんな2人のやり取りによって、空気が僅かに和むのを感じる。

 

 戦い終わって、場の空気が緩やかになり始めていた。

 

「まあまあ、積もる話はまたにしよう。今夜はさすがに疲れたよ」

「まったくね。帰って眠りたいわ」

 

 イリヤの嘆息に、クロも同調するように息をつく。

 

 戦いに次ぐ戦いの連続で、誰もがフラフラである。

 

 今後の事もいろいろと考えなくてはいけないが、まずは帰って休みたかった。

 

「ん、帰ろ、美遊」

 

 そう言って手を差し出す響。

 

 対して、

 

「・・・・・・・・・・・・うん」

 

 涙をぬぐい、笑顔で頷く美遊。

 

 その手を、少年の方へと延ばした。

 

 次の瞬間、

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 天を埋め尽くす雷が、闇を斬り裂いて一斉に降り注いだ。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 降り注ぐ万雷。

 

 視界全てを白色に灼く閃光。

 

 強烈な衝撃が、一同の頭上から容赦なく襲い掛かった。

 

 その圧倒的とも言える質量を前に、

 

 その場にいた全員が、地に倒れ伏した。

 

「な、何がッ!?」

 

 驚愕するイリヤ。

 

 彼女だけではない。

 

 響も、美遊も、クロも、凛も、ルヴィアも、バゼットも、

 

 突然の雷撃に誰もが身動きを取れないでいる。

 

 そして、この少年も、

 

「馬鹿な・・・・・・・・・・・・」

 

 突然の事態に目を覚ましたギルは、天を見上げてうめき声をあげる。

 

 その視線の先にあるのは、先の戦いによる爪痕。

 

「エアの斬り裂いた世界の裂け目から・・・・・・・・・・・・」

 

 雷は、天空に開いた裂け目から迸っている。

 

 エアは世界を斬り裂くほどの力を秘めた剣。

 

 その剣によって付けられた裂け目。

 

 つまり、あの裂け目の向こうは今、別の世界とつながっている事になる。

 

 その事実が表すところは即ち・・・・・・・・・・・・

 

「まさかッ・・・・・・・・・・・・」

 

 最悪の可能性が脳裏を霞める。

 

 そのギルの危惧を肯定するように、

 

 雷降り注ぐ天の裂け目から、飛び出してきた3つの人影。

 

 そのうち1体が、地に足を付ける。

 

 その足下にある、弓兵(アーチャー)のカード。

 

 

 

 

 

夢幻召喚(インストール)

 

 

 

 

 

 迸る衝撃。

 

 馬鹿なッ

 

 なぜ、その詠唱が出てくる?

 

 一同が驚愕する中、

 

 「それら」は姿を現した。

 

 男が1人、女が2人。

 

 銀の甲冑に、巨大な剣を持った、静かな目付きの男。

 

 金色の鎧を身に着けた、豊満な肉体を持つ女。

 

 蛮族のような露出の多い恰好に、更に巨大な槌を担いだ小柄な少女。

 

 こいつらはいったい何者なのか?

 

 だが、一同の戸惑いを無視して、槌を持った少女が口を開いた。

 

「はン!?」

 

 面白くなさそうに鼻を鳴らしながら、地に伏した一同を見やる。

 

「ようやく見つけたと思ったら、何か余計なおまけがウジャウジャいるんですけどー?」

「捨て置け。今は最優先対象のみを回収する」

 

 淡々とした声で答えたのは、金色の甲冑を着た女である。

 

 その鋭い視線を倒れている少女に向けると、ゆっくりした足取りで近づいていった。

 

 その眼下に倒れ伏しているのは、

 

 美遊だ。

 

「お迎えに上がりました、美遊様」

「ッ!?」

 

 息を呑む美遊。

 

 そして一同。

 

 こいつらは美遊の事を知っている。

 

 それはつまり・・・・・・・・・・・・

 

「いッ・・・・・・イヤ・・・・・・戻りたく・・・・・・ないッ」

 

 絞り出すような美遊の声。

 

 その心が、内より湧き出る恐怖によって縛られていく。

 

 対して、金色の女は感情の動きを一切見せないまま、淡々とした口調で言った。

 

「・・・・・・そんな口が利けるようになるとは・・・・・・ですが、バカンスはもう、おしまいです」

 

 冷酷に告げられる言葉。

 

 同時に、天空の裂け目がさらに光を増して広がっていく。

 

 あの先にある世界。

 

 それは、美遊が元いた世界。

 

 と、

 

 大槌を持った少女が、乱暴に美遊の首元を蹴りつけた。

 

「うあッ!?」

 

 その乱暴な一撃に、美遊の意識は一瞬にして刈り取られた。

 

「ったく、面倒臭ェな。手間取らせんなよ」

「粗末に扱うな馬鹿者。中身がこぼれでもしたらどうする?」

 

 咎めるように言いながら、美遊を抱き上げる金色の女。

 

 こちらは扱いこそ丁寧だが、問答無用で美遊を連れ去ろうとしていた。

 

「はいはい、まァ 小言は向こうに戻ってからでもいいっしょ。ホラ・・・・・・」

 

 見上げる空から、光が降り注ぐ。

 

「『揺り戻し』だ」

 

 言った瞬間、

 

 光がその場にいた全員を光が包み込んだ。

 

 視界が、あっという間に白く染め上げられていく。

 

 そんな中、

 

 美遊を連れた3人が、踵を返すのが見えた。

 

 美遊が、

 

 このままじゃ美遊が、連れ去られてしまう。

 

 顔を上げる響。

 

 許さないッ

 

 絶対に!!

 

 傍らに落ちている聖剣を掴む。

 

 起き上がる。

 

 ただそれだけで、全身の筋が、骨が、強烈に悲鳴を上げる。

 

 だが、構わない。

 

 たとえ五体が断絶しようとも、

 

 絶対に、美遊を助ける!!

 

 美遊を抱えた金色の女に斬りかかる響。

 

 その剣閃が、真っ向から振り下ろされた。

 

 次の瞬間、

 

 強烈に払われた刃が、聖剣を打ち払う。

 

「やらせん」

 

 それまで黙っていた大剣の男が、鋭い視線で響を睨みながら、聖剣の一撃を防いでいた。

 

 舌打ちする響。

 

 男はそのまま、響の体を振り払う。

 

 だが、

 

「美遊ッ!!」

 

 頭上から響く、可憐な声。

 

 その視線の先には、ステッキを振り翳した魔法少女(イリヤ)の姿がある。

 

斬撃(シュナイデン)ッ!!」

 

 振るわれるステッキと同時に、放たれた魔力の斬撃。

 

 その一撃をよける為に、金色の女は回避行動を取った。

 

 そこへ、赤い外套を靡かせたクロが迫る。

 

「その手を放しなさい!!」

 

 手にした漆黒の洋弓から、矢を放つクロ。

 

 その一撃が巻き起こす爆発によって、金色女の体勢が大きく崩れた。

 

 その隙を逃さず、

 

「い、まッ!!」

 

 響が駆けた。

 

 疾風の如く駆けよる響。

 

 その前に、大槌を持った少女が立ちはだかろうとする。

 

「しつけェんだよ、ジャリども!!」

「邪、魔ァ!!」

 

 振り被った大槌を容赦なく振り下ろす少女。

 

 対して、

 

 渾身の力を込めて、聖剣を横なぎに振るう響。

 

 激突する、聖剣と大槌。

 

 迸る衝撃。

 

 次の瞬間、

 

 押し負けた聖剣が、響の手から弾かれる。

 

「フンッ」

 

 大槌の女は、その様子を見て鼻で笑う。

 

 だが次の瞬間、

 

 響は構わず少女の脇をすり抜けると、そのまま金色女へと迫る。

 

 元より、消耗した身でまともに戦えるとは思っていない。

 

 響は一瞬の隙を突いて美遊を奪還する。その一点に賭けたのだ。

 

「あ、この野郎!!」

 

 追いかけようとする大槌女。

 

 だが、もう遅い。

 

 響の手が、金色女の腕の中にある美遊を掴んだ。

 

 そして、引き寄せる。

 

 次の瞬間、

 

 閃光はひと際大きく迸り、全てを呑み込んでいく。

 

 そして、その閃光が晴れた時、

 

 そこには、全てが消滅し、何もかもが消え去っているのだった。

 

 

 

 

 

第38話「異界からの追跡者」      終わり

 

 

 

 

 

2wei!編      完

 



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3rei!!編
第1話「並行世界」


 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 気が付けば、闇の中だった。

 

 視界全てを覆う闇。

 

 見渡せど、響の瞳には、何も映らない。

 

 真なる闇の世界が、そこに広がっていた。

 

 ここは、どこなのか?

 

 みんなは、どうなったのか?

 

 疑問が次々と湧いてくる。

 

 美遊は?

 

 イリヤは?

 

 クロは?

 

 無事なのだろうか?

 

 と、

 

「戸惑う事は無いよ」

 

 突然の声に、振り返る。

 

 そこに佇む存在。

 

「や」

 

 気さくに片手を上げてくる、その人物。

 

 その人物を見て、

 

 響は露骨に嫌な顔をした。

 

 対して、

 

「そう、イヤそうな顔しないでよ。割と傷つくから」

 

 響の反応を見て、相手は苦笑する。

 

 だが響は警戒するように目を細めながら、相手を睨むのをやめようとしない。

 

 響がいきなり不機嫌になった理由は2つ。

 

 1つ目は、見た瞬間、相手が誰なのか分かってしまった事。

 

 そして2つ目。

 

 それは、相手が他ならぬ、「響自身」の姿をして現れた事だった。

 

「・・・・・・・・・・・・その恰好やめてくれる?」

「あいにくだけど、これはどうにもならないね。僕自身がこの姿を選んだわけじゃないし」

 

 そう言って、相手は肩を竦める。

 

 そんな相手に対し、響は嘆息交じりに言った。

 

「・・・・・・裏ヒビキ」

「・・・・・・人を格ゲーの2Pキャラみたいに言わないで、お願いだから」

 

 ちょっと傷ついたらしく、やや声のトーンが落ちる。

 

 とは言え、

 

 響とヒビキ。

 

 こんな形ではあるが、同じ体を共有する2つの魂が、初めて顔を合わせた事になる。

 

 しかし、なぜこのような事態になったのか?

 

 今まで、響とヒビキは、お互いに顔を合わせた事は無いというのに。

 

「たぶん、お互いの魔術回路を接続した影響だろうね。だからこうして、話をする事も出来る訳だ」

 

 そんな響の疑問に答えるように、ヒビキはそのように説明をした。

 

 確かに、

 

 あの最終決戦時、響はヒビキと魔術回路を繋げる事で強引に魔力供給を受け、剣士(セイバー)夢幻召喚(インストール)した。

 

 あれが無かったら、巨大な力を持ったギルに勝つ事は不可能だっただろう。

 

 それが結果として、交わるはずの無い2人の魂を、こうして引き合わせていた。

 

「でも不愉快」

 

 口をとがらせる響の反応に、ヒビキは苦笑する。

 

 まあ、気持ちは判る。誰だって「自分と同じ顔をした他人」が目の前にいれば不気味がる事だろう。

 

 ましてかヒビキは、これまで何度か(緊急事態だったとは言え)響の体を拝借している。

 

 それを考えれば、響がヒビキを嫌う理由も、判らなくはなかった。

 

「けど・・・・・・・・・・・・」

 

 気分を変えるように、ヒビキは改めて言った。

 

「そんな君と僕でも、目的が共通している以上、協力することはできる筈。違う?」

「・・・・・・・・・・・・」

 

 問いかけるヒビキに対し、響はムスッとした感じに沈黙する。

 

 言っている事は判る。

 

 判るのだが、

 

 そう簡単に割り切れない辺り、響はまだまだ子供だった。

 

「・・・・・・・・・・・・最後に出てきたあいつら」

 

 ややあって、響は口を開いた。

 

 顔は相変わらずのしかめっ面。

 

 やけに長い「間」は、少年の心情を如実に物語っていると言えよう。

 

 許容も割り切りもできないが、取りあえず「我慢」する。

 

 つまり、今の態度が、衛宮響(えみや ひびき)にとって、妥協しうるぎりぎりのラインと言う事だ。

 

「いったい誰?」

 

 あの、ギルとの戦いの直後。

 

 天地乖離す開闢の星(エヌマ・エリシュ)によって斬り裂かれた天空の裂け目より現れた3人の人物。

 

 女が2人、男が1人。

 

 明らかに何らかの英霊を纏ったと思われる連中。

 

 圧倒的とも言える力を持ったあの3人は何者なのか?

 

 それに対し、

 

「・・・・・・・・・・・・」

 

 ヒビキは答えあぐねるように口を閉ざす。

 

 その態度に、苛立ちを募らせる響。

 

「ねえ、ちょっと・・・・・・・・・・・・」

 

 問いかける響に対し、

 

 ヒビキは嘆息気味に顔を上げた。

 

「奴らの名は、エインズワース。今回の一連の事件、その全てにおける元凶だよ」

「エインズワース・・・・・・・・・・・・」

 

 ヒビキが言った言葉を、響は噛み締めるように呟く。

 

「気を付けて。彼らはまだ、美遊を諦めていない」

「美遊を?」

 

 そう言えば確かに。

 

 彼らは美遊を連れ去ろうとしていたのを思い出す。

 

 つまり、あの連中こそが、美遊の聖杯としての機能を狙っている者たちと言う事だろうか?

 

「僕にとっても誤算だったよ。まさか世界を越えてまで追いかけて来るなんて。これじゃあ、何のためにあの人は・・・・・・・・・・・・」

 

 ヒビキはそう言って、唇を噛み占める。

 

 彼もまた、何かを抱えてここまでやって来たのだろう。

 

 響が知りえない何かを。

 

 そんな響を、ヒビキは真っ直ぐに見据える。

 

「前回の戦いで、僕は少し力を使いすぎた。多分、暫くは表に出る事も出来ないと思う」

「え?」

 

 顔を上げる響。

 

 対して、

 

 ヒビキは優し気な笑みを浮かべて言った。

 

「だから、守ってあげて欲しい。僕や『彼』の代わりに・・・・・・美遊を」

「え?」

 

 それはどういう意味だ?

 

 そう問いかけようとする響。

 

 だが、その前に視界が閉ざされていくのが分かる。

 

 全てが黒く塗りつぶされ、ヒビキの姿も見えなくなっていく。

 

「気を付けて。奴らの力は強大だ。1人で戦おうとしちゃいけない。君の友達や仲間たちと、協力するんだ。良いね」

「ちょ、ちょっと待って!!」

 

 手を伸ばす響。

 

 だが、

 

 視界はあっという間に黒く塗りつぶされていった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「美遊を、頼むね」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 突然流れ込んできた冷気。

 

 その唐突とも言える気温の低下を前に、意識が急速に覚まされていくのが分かった。

 

「ハクチュッ」

 

 こぼれ出るくしゃみ。

 

 同時に、響の意識は完全に覚醒した。

 

「・・・・・・・・・・・・ん?」

 

 目を開ける響。

 

 途端に、冷気は容赦なく、薄着の肌を襲ってきた。

 

「え・・・・・・・・・・・・?」

 

 明らかに感じる違和感。

 

 目を開いてみて、驚いた。

 

 白い。

 

 あたり一面、真っ白である。

 

「雪? 何で?」

 

 混乱が襲ってくるのに、さほどの時間は必要なかった。

 

 雪が降っている。

 

 のみならず、積もってもいる。

 

 あたり一面に広がる銀世界。

 

 何で?

 

 どうして?

 

 今、季節は夏のはず。みんなで海に遊びに行ったのは、つい先日の話である。

 

 であるのになぜ、雪が降っているのか?

 

 自分は夢でも見ているのか?

 

 それとも、寝ている間に冬になってしまったのか?

 

 ありえない。

 

 目に見える光景も肌に感じる冷気も、間違いなく本物だ。

 

 さらに言えば、そこまで寝ぼけているつもりは無かった。

 

 本当に、雪が降っている。

 

 これらは全て、現実だった。

 

 周囲を見回してみると、自分が倒れていたのが森の中である事が分かる。

 

 周囲に立ち並ぶ木のせいで、視界がほとんど遮られている。

 

 たぶん、円蔵山のどこかだろう事は想像できるが、しかし具体的にどこなのかは判らなかった。

 

 と、

 

「・・・・・・う・・・・・・ん」

 

 すぐ傍らで、うめき声が発せられるのが聞こえた。

 

 目を向ける。

 

 果たしてそこには、見覚えのある少女が、雪の上に横たわっていた。

 

「美遊ッ!?」

 

 駆け寄る響。

 

 間違いない。美遊だ。

 

 あの最後の局面。

 

 包まれた光の中で、響は確かに彼女の腕を掴んだ。

 

 そのおかげで、離れずに済んだらしい。

 

「美遊ッ 美遊ッ」

 

 肩を掴んで揺り動かす。

 

 僅かに眉をしかめる美遊。

 

 その様子に、響はホッと息を吐く。

 

 良かった。どうやら生きているらしい。

 

 ややあって、美遊はゆっくりと目を開いた。

 

「・・・・・・・・・・・・響?」

「ん、美遊、良かった」

 

 言いながら、美遊を起こす響。

 

 怪我をしている様子はない。どうやら無事なようだ。

 

「ここは、どこ?」

「ん、判んない。山の中」

 

 尋ねる美遊に、響はそのように答える。実際、今起きたばかりの響には、それくらいしか分からなかった。

 

 ややあって、美遊も周囲を見回し、自分が置かれている状況を理解したのだろう。

 

「これは・・・・・・・・・・・・雪?」

「ん、気づいたら降ってた」

 

 目が覚めたら、いきなり夏から冬に様変わりしていた、などと言う事態に襲われて、混乱しないはずが無かった。

 

 とは言え、

 

 美遊は周囲を見回しながら、何事か考え込んでいる。

 

 明らかに、自分とは違う反応に、響はいぶかる様に美遊を見た。

 

「美遊、どした?」

「もしかしたら・・・・・・ちょっと来て、響」

 

 そう言うと、響の手を引いて駆け出す美遊。

 

 いったいどうしたと言うのか?

 

 促されるまま、響は美遊に着いていく。

 

 木々の間を走り、斜面を滑り、倒木を飛び越えた先には、視界が開けた場所に出た。

 

 果たしてそこに広がっていた光景に、

 

「な・・・・・・・・・・・・」

 

 響は思わず絶句した。

 

 まず結論から言えば、ここが円蔵山だろうと言う響の予想は間違いではなかった。

 

 眼下には冬木市の光景が広がっている。

 

 未遠川を挟んで、新都と深山町とに分かれている風景は、間違いなく慣れ親しんだ故郷、冬木市の物だ。

 

 だが、

 

 その姿は、響の記憶にある街の姿とは、明らかに異なっていた。

 

 明らかな殺風景。

 

 街に活気が、全く感じられない。

 

 ここから見ても、街全体が沈んでいるのが分かる。殆どゴーストタウンと見紛わん様相だ。

 

 更に、海岸線も大きく後退している。まるで遠浅の海のようにも見える。

 

 そして何より響を驚愕させた物。

 

 深山町の真ん中を大きくえぐるように、巨大なクレーターができているのだ。

 

 100メートルや200メートルの大きさではない。目測だけでも数キロ四方の直径である。

 

 尋常ではない。まるで戦場跡のような風景だ。前に写真で見た、隕石落下跡を連想させられる。

 

「なに、これ・・・・・・・・・・・・」

 

 異常事態の連発で、響の脳は殆ど機能停止に近い状態になっている。

 

 目に見える事態に対し、脳の処理が追い付かない。

 

 ここは冬木市だけど、響が知っている冬木市ではない。

 

 まだ、夢の中にでもいるかのような錯覚にとらわれる。

 

 本当に、何が起きているというのか?

 

 そんな中、

 

「間違いない」

 

 傍らの美遊が、絞り出すように言った。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「ここは、私がいた世界・・・・・・・・・・・・」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 美遊がいた世界。

 

 それはつまり、

 

「並行世界って事?」

「うん」

 

 尋ねる響に、美遊は頷き返す。

 

 それにしても、「並行世界」である。

 

 ギルがそのような事を言っていたのを、今更ながら思い出す。

 

 正直、話を聞くだけでは半信半疑だし、今でも実感がわいているとはいいがたい。

 

 しかし、こうして実際にこうして体感している以上、否定する事に意味は無かった。

 

「本当に、ここが?」

「そう。わたしがもともといた世界。そして、冬木市・・・・・・・・・・・・」

 

 頷く美遊。その表情は険しく、冗談を言っているようには見えない。

 

 そもそも、美遊はそんなくだらない冗談を言う娘ではない。

 

 つまりここは、本当に「並行世界の冬木市」なのだ。

 

 正直、そんなゲームや漫画みたいな体験を、まさか自分がする事になるとは、響は露とも考えてはいなかった。

 

 そんな中、

 

 美遊はジッと、眼下の街並みを眺めていた。

 

「美遊?」

「・・・・・・帰って、来ちゃった」

 

 懐かしむような、それでいて哀しみ溢れるような、そんな横顔を見せる美遊。

 

 そんな少女を、響は黙したまま見つめている。

 

 考えてみれば、美遊がなぜ、この世界から、あちらの世界に渡ったのか、そこら辺の事情が全く分かっていないのだ。

 

 と、

 

「ハクチュッ」

 

 再び、くしゃみをする響。

 

 考えてみれば文字通り、ついさっきまで夏だったのだ。それがいきなり冬に放り込まれた形である。寒くて当たり前である。下手をすれば風邪をひきかねない。

 

 できれば冬用の服を手に入れたい所である。

 

 勿論、食料や休める場所も確保できれば最高だった。

 

「あのさ、響」

「ん?」

 

 そんな響を見て、美遊は思いついたように言った。

 

「よかったら、私の家に来ない? そこなら多分、服も手に入るし」

「美遊の、家?」

「そう。深山町にある。少し、歩くけど」

 

 今の冬木は、響にとって馴染みの無い街になってしまっている。

 

 しかしそれでも、もともとの住人である美遊がいてくれたら心強い。

 

 それに、単純に「美遊の家」と言う物にも興味がある。

 

「行く」

 

 頷く響。

 

 並行世界などと言う特異すぎる状況に追い込まれ、未だに混乱から覚めない響。

 

 それでも、美遊がいてくれるだけで、心強いことこの上なかった。

 

「案内する。着いて来て」

 

 踵を返して歩き出す美遊。

 

 だが、

 

 響は足を止めたまま、美遊をジッと見つめている。

 

「・・・・・・響?」

 

 怪訝な面持ちで振り返る美遊。

 

 対して、響は意を決したように口を開いた。

 

「美遊、エインズワースって?」

「ッ!?」

 

 響の言葉を聞いた途端、

 

 美遊の顔が、目に見えて引き攣るのが分かった。

 

 知らないはずはない。何しろ、彼女を連れ去ろうとした連中なのだから。

 

「何で、その名前を?」

「ん、ちょっと」

 

 どう説明したらいいか分からず、響は言葉を濁す。

 

 夢の中で「あいつ」から聞いた。などと言ったところで、理解してもらえるとは思えなかったし。

 

「・・・・・・・・・・・・エインズワースは」

 

 ややあって、美遊は躊躇いがちに口を開いた。

 

「エインズワースは、前に私を捕えていた人たち・・・・・・・・・・・・」

 

 まっすぐに向けてくる美遊の視線。

 

 その目は、何か悲しい事を思い出しているようにも見えた。

 

「彼らは(せいはい)を使って、ある大規模な儀式をしようとしている。その為に、私が必要なの」

 

 言ってから、美遊は振り返った。

 

「詳しい話は、落ち着いてから。まずは行こう」

「ん」

 

 美遊が差し出した手を握る響。

 

 いずれにせよエインズワース。

 

 彼らが次の敵になると言う事だけは、響にも理解できていた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 雪の積もった円蔵山を滑るように下りて街に出る。

 

 しかし、山の上から見た雰囲気は、響の勘違いではなかった。

 

 人の気配がない。

 

 まるで本当に、ゴーストタウンと化したような印象がある。

 

「冬だから、みんな出歩かないの?」

 

 極端な話だが、あくまで常識的な範囲の思考で響は尋ねてみた。

 

 こう雪が降っていては、誰も外に出歩きたいと思わないのも道理だろう。

 

「ちょっと違う」

 

 だが、美遊から帰って来た答えは、響の予想を遥かに上回る物だった。

 

「今は冬じゃなくて夏」

「・・・・・・・・・・・・は?」

 

 目を丸くする響。

 

 周囲を見回せば、一面の銀世界。

 

 この光景のどこに「夏」の要素があると言うのか?

 

「この世界では、夏でも雪が降るの」

「はあ・・・・・・・・・・・・」

 

 そろそろ頭が痛くなってきた響。

 

 流石は並行世界とでも言うべきか、答えが斜め上すぎて理解が追い付かない。

 

 いったいどうなっているのか、この世界は。

 

「これでも、冬木はまだ良い方。場所によっては、もっと降る地域もあるから」

「ふーん」

 

 夏に降る雪。

 

 こう書けば、幻想的な感じに聞こえるかもしれないが、現実はそうではない。

 

 まるで白一色に塗りつぶされていくような、そんな重苦しい圧迫感が、街全体を包み込んでいた。

 

「わたしの家、もうすぐだから。あと、この先を曲がれば・・・・・・・・・・・・」

 

 美遊がそう言いかけた時だった。

 

 鳴り響く、独特の風切り音。

 

 響の直感が、一瞬の変化を逃がさなかった。

 

「美遊ッ!!」

 

 とっさに、体当たりを掛けるようにして美遊を地面に倒す響。

 

 それと同時に、降り注いだ閃光が、着弾と同時に地面を抉るようにさく裂した。

 

「ありゃ、外しちまったか。思ったよりやるじゃねえの」

 

 どこか軽薄さを感じさせる声。

 

 振り返る響と美遊。

 

 その視線の先に佇む1人の少年。

 

 短く切った髪に端正な顔立ち。

 

 見た目の年齢は、響や美遊と変わらないように見える。

 

 しかし、

 

 明らかな敵意の笑みを浮かべる少年を前に、響は警戒心を強める。

 

 どこか粘つくような、そんな不快感を少年から感じる。

 

 対して、

 

 そんな響を無視するように、男は背後の美遊に目をやる。

 

「いやー、僕は運が良いのかもね、アンジェリカ達が失敗したって聞いたからどうなるかと思ったんだが、まさかそっちから網にかかってくれるとはね」

 

 その言葉に、響は相手が「敵」である事を確信する。

 

 エインズワースの刺客。

 

 すなわち、敵。

 

「美遊、サファイアは?」

「いない・・・・・・多分、こっちに来た時にはぐれた」

 

 力なく呟く美遊。

 

 共に戦ってきたステッキと離れ、少女の心は寂しさと心細さに支配されようとしている。

 

 眦を上げる響。

 

 その心は、決意に燃え上がっていた。

 

 戦う術を持たない今の美遊。

 

 そんな彼女を守れるのは、響しかいなかった。

 

限定展開(インクルード)

 

 低い呟きの詠唱と共に、響の手には一振りの日本刀が握られる。

 

「へえ・・・・・・・・・・・・」

 

 そんな響の様子に、目を細める少年。

 

 口元には面白そうに笑みを浮かべている。まるで舞台のショーを見ているかのような軽薄さが見て取れる。

 

「それで僕とやり合おうってのか。面白い」

 

 呟くと同時に、少年の腕には1冊の本が出現する。

 

 恐らくは魔術礼装。

 

 そう認識した瞬間、

 

 男は響に閃光を放ってきた。

 

 

 

 

 

第1話「並行世界」      終わり

 



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第2話「蠢く魔物」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 少年の放つ閃光。

 

 五月雨のように次々と遅いかかってくる光の攻撃を前に、

 

 響は刀を手に、臆することなく前に出る。

 

 横なぎに振るう剣閃。

 

 その一撃が、飛んできた閃光を真っ向から切り払う。

 

 目を細める響。

 

 対して少年は、少し驚いたような顔で響を見る。

 

 あちら側におけるギルとの戦いで魔力が尽きた響だが、今は僅かながら回復している。

 

 恐らく並列夢幻召喚(パラレル・インストール)によってヒビキと魔術回路を接続し、彼から魔力を受け取った事で、僅かながら回復したのだろう。

 

 おかげで、不意な敵襲を前にして反撃する事ができる。

 

 響にとってはいささか以上に業腹であるが。

 

 飛んできた閃光弾を、刀で弾く響。

 

 その双眸が、自身を攻撃する少年を鋭く睨む。

 

 対して、笑みを浮かべて響を睨み返す少年。

 

 互いの視線がぶつかり合う。

 

「ハッ 抵抗するっての? 良いさ、やってやろうじゃないの!!」

 

 言い放つと同時に、少年は攻撃の手を強める。

 

 次々と放たれる攻撃。

 

 対して響は足を止め、刀を振るって迎撃に専念する。

 

 魔力が回復したと言っても、今の響では限定展開(インクルード)までが限界だ。

 

 英霊「斎藤一」の能力をそっくり再現できる夢幻召喚(インストール)は、現在魔力不足で使用不能。

 

 響はひどく限定された戦力で、戦う事を余儀なくされてた。

 

 相手の実力が未知数な以上、無理はできない。

 

 加えて、

 

 響は飛んできた光弾に対し、刀を袈裟懸けに振るって弾きながら、背後に立つ美遊を見やった。

 

 彼女は今、正真正銘無力だ。

 

 体の中にクラスカードを埋め込まれている響は、まだこうして戦う事ができる。

 

 しかし、サファイアが手元にいない美遊は戦う術を持たない。いかに彼女自身が小学生として規格外の能力を持っているとしても、常識の埒外にある魔術戦の前では全くの無力だった。

 

 夢幻召喚(インストール)は使えず、美遊を守りながら戦わなくてはならない響。

 

 状況は極めて不利と言わざるを得ない。

 

 加えて相手の実力が未知数とあっては、現状の勝機は極めて薄いと言わざるを得ない。まともに戦っても勝ち目はないだろう。

 

 何と隙を突いて、この場を離脱する。

 

 それしか方法は無い。

 

 更に繰り出された数度の閃光を、響は全て刀で切り払う。

 

 限定展開(インクルード)しかできず、能力が限定されている響だが、足を止めて防御に専念すれば、まだ辛うじて拮抗できるようだ。

 

 だが、

 

 響は少年の手にある本に、チラッと目をやる。

 

 確証は無いがあの本、恐らく宝具の類だと思われる。

 

 だとすれば、この程度で攻撃が終わるはずはないだろう。

 

 その響の危惧を肯定するように、少年は次の手を打ってきた。

 

「へえ、頑張るねえ。じゃあ、僕もちょっとだけ、本気を出そうかな」

 

 そう言うと、少年は手にした分厚い本のページを開く。

 

 その様に、響は僅かな嫌悪感を覚えずにはいられなかった。

 

 あの本が持つ存在感は不気味の一言に尽きた。

 

 全体的に黄色い装丁をしており、何やら生々しい見た目だ。見ているだけでおぞましい気分になってくる。

 

 そのページがめくられる。

 

 次の瞬間、

 

「美遊ッ!!」

 

 殆ど危機本能に弾かれるように、踵を返す。

 

 その響の背後で、

 

 少年は手を大きく掲げる。

 

 同時に、その頭上から巨大な穴が出現した。

 

 まるで奈落を連想させられる漆黒の闇。

 

 その中から、現れる無数の触手。

 

 青い体表に、白い斑模様が入ったその触手は、見る者に生理的な嫌悪感を呼び起こす。

 

 蛇のような、あるいは軟体類のような、巨大な触手が響達を絡め取ろうと、一斉に向かってきた。

 

「響、後ろッ!!」

「クッ!!」

 

 美遊の警告に、響はとっさに振り返りながら刀を振るう。

 

 横一線に奔る銀の閃光。

 

 その一閃によって、斬り捨てられる触手。

 

 だが、

 

「ほらほら~ まだまだ行くよ!!」

 

 触手は闇の中から次々と現れ、響に襲い掛かってくる。

 

 先にギルの異形が繰り出してきた触手に比べれば数は少ないが、実体を伴っている分、こっちの方がリアルで、よりおぞましい。

 

 次々と襲い来る触手を、刀で切り払っていく響。

 

 だが、数が多い。まるであの奈落のような穴から、無限に湧き出てきているかのようだ。

 

 このままじゃ拙い。

 

 敵は無尽蔵に湧いて出て来るのに対し、響の体力は有限だ。足を止めて戦っていたのでは、いずれじり貧になるのは目に見えている。

 

 どうにかして活路を・・・・・・

 

 そう思った時だった。

 

「ひ、響ィッ!?」

 

 悲鳴のような美遊の声。

 

 とっさに振り返る響。

 

 その視線の先では、体中に触手に巻き付かれ、宙に釣り上げられている美遊の姿があった。

 

 ぬめる体表面を持った触手に腕や首、胴、太腿、足を絡め取られ、身動きできなくなった美遊。

 

 その姿に、響は歯噛みする。

 

 対して、その背に笑い声が聞こえてくる。

 

「ほらほら、ちゃんと周りを見ないからこんな事になるんだよ」

 

 響を嘲弄する少年。

 

 どうやら自身で正面から響の相手をする一方で、死角から別の触手を回り込ませていたのだろう。

 

 響は正面にばかり気を取られ、まんまと少年の策にはまってしまった形である。

 

「クッ 美遊!!」

 

 すぐさま、助けに入ろうと踵を返す響。

 

 だが、

 

「おおっと、良いのかな!? 僕に背を向けちゃっても!!」

 

 少年が腕を振るうと同時に、無数の触手が一斉に伸びてくる。

 

 美遊に気を取られ、一瞬注意を逸らした響。

 

 そこへ、触手が四方八方から殺到してきた。

 

「ッ!?」

 

 一歩、対応が遅れる響。

 

 舌打ちしつつ、刀を振るう。

 

 縦横に振るう剣閃は、辛うじて数本の触手を断ち切る事に成功する。

 

 斬られて、地面に転がる触手。

 

 地に落ちて尚、触手はビチビチと、蛇のようにのたうっているのが見える。

 

 響の剣閃の前に、更に数本の触手が斬り飛ばされた。

 

 だが、響の奮戦もそこまでだった。

 

 やがて、無数に伸びてくる触手の群れに、少年もまた呑み込まれていく。

 

 絡みつく、軟体類の如き触手。

 

 もがけばもがくほどに絡みついていく。

 

 腕に、足に、首に、胴に、

 

 触手は容赦なくはい寄って来た。

 

「かッ ・・・・・・はッ!?」

 

 どうにか振りほどこうとする響。

 

 だが、

 

 触手の力は強く、少年の身体もまた宙に持ち上げられてしまう。

 

 これで、ジ・エンドだった。

 

「はい、僕の勝ち~ 思ったより呆気なかったね」

 

 宙に釣り上げられた響と美遊の姿を見て、少年はおかしそうに笑う。

 

 今の2人は、正に少年の手のひらに、命を握られている状態であった。

 

「さてと、どうしようかな。聖杯の子は連れて帰れって言われているけど、そっちのオマケについては、特に何も言われてないしな~」

 

 まるで、おもちゃを品定めするように、響と美遊を見比べる少年。

 

 対して、生殺与奪を完全に握られてしまっている響と美遊は、どうする事も出来ない。

 

 今まさに、少年の気が変わった瞬間、2人の命は奪われてもおかしくない状態である。

 

 ややあって、

 

「うん、そうだね」

 

 少年は、何かを思いついたように頷いた。

 

「やっぱり男の方は殺そう。連れて帰るにしても、邪魔なだけだし」

 

 まるで捕まえた羽虫をちぎり殺すかのように、あっさりと決断する少年。

 

 その様に、響と美遊は、背筋に寒い物を感じずにはいられなかった。

 

 これまで幾度も戦いを経験し、様々な敵を見てきた。

 

 だが、目の前にいる少年は、今までに対峙してきた度の敵よりも「異質」に思える。

 

 まるで、倫理観その物が、根本から欠落したような、そんな不快感を感じさせた。

 

「さてと、それじゃあ、サクッと死んでもらおうかな」

「だ、駄目ッ!!」

 

 声を上げる美遊。

 

 そんな美遊を見て、少年はわざとらしく肩を竦めて見せる。

 

「わがまま言うんじゃないよ、お姫様。邪魔なものは邪魔なんだから仕方ないでしょ。なら、死んでもらった方があとくされ無いしね」

 

 言いながら、触手に指令を送る少年。

 

「ああ、安心していいよ、お姫様。君の事は丁重に扱えって言われてるから。終わったらちゃんと連れて行ってあげる。僕も他の連中に怒られたくないしね」

 

 言った瞬間、

 

 響を捉えていた触手が、圧力を増す。

 

「ぐッ!?」

「響ッ しっかり!!」

 

 歯を食いしばって激痛に耐える響。

 

 しかし、恐らくそう長くは続かないだろう。

 

 人外の化け物を相手に、人の身に過ぎない響が抗する術などありはしない。このままでは早晩、その細い四肢は引きちぎられてしまう事だろう。

 

「やめてッ お願いやめてッ!!」

「あーもー うるさいなー」

 

 悲鳴に近い美遊の声を、面倒くさそうに聞き流す少年。

 

「そんなに焦らなくても、すぐにそのオマケ君は黙らせるから、ちょっと待っててよ」

 

 残酷にそう告げると少年は、更に触手の力を強めていく。

 

 響の四肢が悲鳴を上げる。

 

 苦悶に歪む響の顔。

 

 襲い来る苦痛を前に、意識は既に飛びかけている。

 

 そんな親友の様子に、美遊は苦渋とも言える決意を芽生えさせる。

 

 この状況を打破できる、唯一の方法。

 

 戦えない美遊(じぶん)が響を救うために取れる、たった一つの手段。

 

 すなわち、自分が身を差し出せば・・・・・・・・・・・・

 

 そうすれば、あるいは響だけは助けてもらえるかもしれない。

 

 もはや戦う力を失った2人には、それしか方法が無い。

 

 美遊は意を決して、口を開きかけた。

 

 その時、

 

「だ・・・・・・駄目・・・・・・・・・・・・」

 

 美遊を制するように、響は苦しげな声で口を開いた。

 

 その瞳が僅かに開き、強い眼光で美遊を睨んでいる。

 

 勝手な事するな。

 

 親友の双眸は、美遊にそう語り掛けていた。

 

「響・・・・・・でも・・・・・・」

「そんな事・・・・・・駄目・・・・・・絶対・・・・・・・・・・・・」

 

 美遊が自分を犠牲にする事など、響は望んでいない。

 

 そもそも、この少年がそんな事で響を見逃すとも思えないし。

 

「大丈・・・夫、だから・・・・・・・・・・・・」

「響・・・・・・・・・・・・」

 

 親友の想いに、美遊は胸が熱くなるのを感じた。

 

 響はまだ諦めていない。

 

 この状況でも尚、希望を捨てていない。

 

 だからこそ、幾多の激戦を勝ち抜き、ついには最強の英霊すら打倒したのだ。

 

 美遊の瞳に、力が戻った。

 

 響を信じる。

 

 彼はいつだって、どんな時だって、美遊を助けてくれたのだから。

 

「・・・・・・・・・・・・何それ、シラけるんですけど?」

 

 そんな2人のやり取りを見て、少年は覚めた視線を向けてくる。

 

 睨みつける視線。

 

 その瞳に、残酷な色が宿る。

 

「三文芝居がしたいなら他所でやってよ。まあ、そっちの君はすぐに死ぬんだし、無理な相談か」

 

 そう言って、響を捕えている触手に、更に力を籠めようとした。

 

 その時、

 

 

 

 

 

ザッ

 

 

 

 

 

 地面を踏み鳴らす音が聞こえる。

 

 振り返る一同。

 

 果たしてそこには、

 

 余りにも予想の斜め上な格好をした人物が立っていた。

 

 まず、女性である。そこは間違いない。

 

 年齢的には10台中盤くらいだろうか? 響達よりは年上だが、凛達に比べれば年下にも見える。

 

 髪はショートボブに切りそろえている。

 

 そして、

 

 なぜか体操服を着ていた。

 

 そう、体操服である。学校の授業なんかで使う。

 

 体操着にブルマー履き。胸のゼッケンには「田中」の文字がある。

 

 この真夏の寒い中(※誤字にあらず)、なぜにあのような格好をしているのか?

 

「何、君? 今見ての通り、取り込み中なんだけど?」

 

 少年は不愉快そうに女性を見やる。

 

 対して、女性は虚ろな目で少年を見やる。

 

 無反応な女性。

 

 その態度が、少年の癇を刺激する。

 

「ああ、もう、面倒くさいな。君も死んじゃいなよ」

 

 そう言いながら、本のページをめくる少年。

 

 そのまま女性に対して攻撃を仕掛けようとした。

 

 次の瞬間、

 

「・・・・・・・・・・・・エインズ・・・・・・ワース」

 

 女性の口から、言葉が紡がれた。

 

 同時に、その手が合わさり、魔力の光が収束する。

 

「は? 何それ?」

 

 突然の事態に、驚く少年。

 

 その目の前で、魔力が解放された。

 

 放たれる閃光。

 

 その一撃が、響や美遊を捉えていた触手を吹き飛ばす。

 

「チッ!?」

 

 舌打ちしながら、その場を飛びのく少年。

 

 しかし、完全に回避しきる事が出来ず、少年は閃光の直撃を受けた。

 

「グハァァァァァァァァァァァァ!?」

 

 とっさに防御したのか、ダメージは最小限にとどまっている。

 

 しかし少年は大きく吹き飛ばされ、二度、三度とバウンドしながら地面に叩きつけられた。

 

 凄まじい攻撃力である。

 

 同時に、開いていた異界の穴も消失し、触手たちも完全に消え失せていた。

 

「な、何なんだよ、いったい・・・・・・・・・・・・」

 

 突然の事態に、全くついていくことができずに、困惑する少年。

 

 だが、その隙を響は見逃さなかった。

 

「今だッ」

 

 拘束が解かれると同時に、刀を構えなおす響。

 

 その鋭い双眸が、倒れている少年を真っ向から睨み据える。

 

 低い呟きと共に疾走、間合いに入ると同時に斬りかかる。

 

 横なぎに払われる銀の一閃。

 

 対する少年の対応は、僅かに遅れる。

 

 切っ先が、僅かに少年の腕を斬り裂いた。

 

「チッ!?」

 

 僅かとは言えダメージを負った事に、舌打ちする少年。

 

 響は更に追撃しようと、刀を返す。

 

 だが、

 

 擦り上げるように逆袈裟に繰り出した剣閃は、少年を捉える事無く空を薙いだ。

 

 舌打ちする響。

 

 見れば少年は、とっさに跳躍して響の攻撃を回避。そのまま大きく距離を取っていた。

 

「ああ怖い怖い。これだから野蛮人の相手はやってられないよ」

 

 そう言って嘯く少年。

 

 対して、響は美遊を守るように背に庇いながら、相手を睨みつける。

 

 油断すると、どんな形で襲い掛かってくるか分かった物ではない。

 

 だが、少年はそれ以上襲ってくる様子は無く、肩を竦めて見せる。

 

「焦らないでよ。今日は見逃してあげるって言ってるんだからさ。いずれじっくりと、時間を掛けていたぶりつくしてから殺してあげるよ」

「勝手な事を」

 

 更に斬り込もうとする響。

 

 だが、その前に少年の背後の空間が開き、少年自身はその中へと入っていく。

 

「そんじゃね、せいぜい頑張って。死なない程度にね」

 

 その言葉を最後に、空間の口は閉じ少年の姿も見えなくなった。

 

 危機は去った。

 

 そう判断すると同時に、響と美遊は肩の力を抜いた。

 

 途端に、膝から力が抜けて崩れ落ちる響。

 

 そこへ、美遊が駆け寄って来た。

 

「響、大丈夫!?」

「ん、何とか」

 

 返事をする響。しかし、それが少年なりの強がりなのは、美遊には判っていた。

 

 VSギル戦からのダメージも回復しきらないうちの連戦である。体中、ボロボロと言っても過言ではない。

 

 本来ならゆっくりと休んで、体力と魔力を回復させなくてはならないところである。

 

「それより・・・・・・・・・・・・」

 

 響は自分たちを助けてくれた少女へと目をやった。

 

 体操服を着た「田中」と言う名前だと思われる少女は、茫洋とした瞳でこちらを見ている。

 

 警戒する眼差しを向ける響。

 

 こんな状況である。自分たちを助けてくれたから味方、と考えるにはいささか以上に危険である。

 

 いったい彼女は何者で、何が目的なのか?

 

 美遊を背に庇いながら、慎重に見定める。

 

 と、

 

「・・・・・・・・・・・・あの?」

 

 ややあって「田中」の方から、声を掛けてきた。

 

 それに伴い、緊張を増す響と美遊。

 

 来るか?

 

 そう思った。

 

 次の瞬間、

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「ここは、どこですか?」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「「・・・・・・・・・・・・は?」」

 

 思わず、響と美遊の目が点になったのは言うまでもない事である。

 

 それ程までに、「田中」の言動は斜め上に突き抜けていた。

 

「私は誰ですか?」

 

 質問は、更に続く。

 

 いや、そんな事聞かれても。

 

 と思うのだが、「田中」は本気で質問しているかのように、不思議そうな眼差しを響達に向けてくる。

 

 顔を見合わせる、響と美遊。

 

 同時に、深々とため息をつく。

 

 何だか、一気に緊張が抜けた気がする。

 

 目の前にいる「田中」を見ていると、何だか全てがどうでもよく思えてきた。

 

 そんな2人を、「田中」は不思議そうなまなざしで見つめているのだった。

 

 

 

 

 

第2話「蠢く魔物」      終わり

 



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第3話「不思議系少女」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「ここはどこですが? 私は誰ですか?」

 

 実際にそう尋ねて来た人間がいたとして、果たして如何に答えを返せばいいのか?

 

 Who am I?  Where is this?

 

 果たして彼女は何者なのか? 何を見て何を知るのか? どこから来てどこへ行くのか?

 

 そんな壮大なストーリーが、響と美遊の頭の中を駆け巡った。

 

 ・・・・・・・・・・・・一瞬だけ。

 

「取りあえず、名前はそれなんじゃ?」

 

 そう言って美遊は、少女の胸につけられたゼッケンを指差す。

 

 釣られて、自分の胸元に目をやる少女。

 

「おお、『中田』!!」

「『田中』だと思う」

 

 すかさずツッコミを入れる響。

 

 確かに、「田中」を逆から見れば「中田」になるのだが、この場合は「田中」が正しいだろう。

 

 そんな訳で田中(暫定)の名前が確定したわけだが。

 

「それにしても・・・・・・」

 

 田中は響と美遊を見比べて言った。

 

「お2人はこんな寒いのに薄着なんかして、寒くないのですか? あ、もしかして馬鹿なんですか?」

「・・・・・・・・・・・・」

「・・・・・・・・・・・・」

 

 断じて「体操服ブルマー女」だけには言われたくない。

 

 響と美遊が同時にそう思ったのは、当然の帰結だった。

 

「ま、まあ、それはともかく・・・・・・」

 

 美遊は深呼吸しつつ、話を進める。

 

 薄着の是非について、ここで言い争っても無駄に時間と体力を消耗するだけである。

 

「田中さん、いくつか聞いても良い?」

「はい、どーんと、何でも聞いてください。田中、何でも答えますよ」

 

 そう言って、堂々と胸を張る田中。

 

 何とも頼もしい答えである。

 

 ともかく田中は、その存在からして謎だらけである。

 

 取りあえず助けてくれたところを見ると、決して敵ではないと思えるのだが。

 

「じゃあ・・・・・・」

 

 意を決して、美遊は口を開いた。

 

「田中さんは、いったい何者なの?」

「さあ、判んないです」

 

「どうして助けてくれたの?」

「田中、何かしました?」

 

「さっきの力は何?」

「力って何ですか?」

 

「どうして体操服を着ているの?」

「体操服って何ですか?」

 

 

 

 

 

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

 

・・・・・・・・・・・・・・・・・・

 

・・・・・・・・・・・・

 

・・・・・・

 

・・・

 

 

 

 

 

 つまり、何にも分からない。

 

「田中、もしかしなくても役立たず?」

「田中、罵倒されたです!?」

「響、そんなはっきり言っちゃダメ!!」

 

 ストレートなツッコミを入れる響。

 

 因みに、美遊のフォローも大概である。

 

 まあ、とりあえずここは、「何も判らないと言う事が分かった」と言うだけで、収穫としておくしかなかった。

 

「どうしよう、美遊?」

 

 途方に暮れた感じで尋ねる響。言うまでも無いが、事態はミジンコの足先程も解決していない。

 

 正直、こうなったら彼女だけが頼りである。

 

 状況から考えて、イリヤやクロ達もこの世界に飛ばされてきている可能性が高い。どうにか探して合流できればいいのだが。

 

「そうだね。ここはやっぱり、予定通り私の家に行って・・・・・・」

 

 美遊が言いかけた時だった、

 

 バタッ

 

 背後で聞こえた音に、振り返る響と美遊。

 

 果たしてそこには、

 

 地面にうつぶせに倒れた田中の姿があった。

 

「た、田中ー!?」

 

 突然の事態に、仰天して駆け寄る響。

 

「ど、どした田中―!? しっかりしろー!! 傷は浅いぞー!!」

「ひ、響、取りあえず落ち着いて」

 

 突然の事態に混乱しまくる響。

 

 さっきまで元気だった人が倒れれば、動揺するのも無理はない。

 

 いったい、田中の身に何かがあったのか?

 

 もしや、知らずのうちに敵の攻撃を受けて致命傷になっていたのか?

 

 そんな不吉な予感がよぎった。

 

 と、

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「・・・・・・お・・・・・・お腹がせつないです」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「・・・・・・・・・・・・」

「・・・・・・・・・・・・」

 

 要するに、お腹がすいて動けなくなった、と言う事らしい。

 

 正直、

 

 ぶっちゃけ、

 

 いやまじで、

 

 今の今まで、あえて目を背けていた事だが、

 

 事ここに至って、響も、美遊も認識せざるを得なかった。

 

 この人、面倒くさい。

 

「どうする、これ?」

「取りあえず、2人で運ぼう」

 

 一応は命の恩人な訳だし、置いていく訳にもいくまい。

 

 嘆息しつつ、2人が手を伸ばそうとした時だった。

 

「どうした、行き倒れか?」

 

 背後からの声に、2人は振り返った。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 そこには闇があった。

 

 と言っても視覚的な「暗闇」と言う訳ではない。

 

 だがある意味、そこにある闇は、他のどの闇よりも深く、それでいてドロリとした不快感でもって、その場に存在していた。

 

 顔を突き合わせているのは3人の人間。

 

 髪をツインテールに結った背の高い女性。

 

 目を吊り上げた小柄な少女。

 

 そして、つい先ほど帰って来たばかりの、小柄な少年だった。

 

 そしてもう1人。

 

 壁に背を持たれさせる形で、背の高い男性が佇んでいた。

 

「説明してもらおうじゃねえか」

 

 少女は、少年を問い詰める形で口を開いた。

 

 その口調には、多分に非難の色が見て取れる。

 

 無理も無い。

 

 彼らにとって至上命題とでも言うべき聖杯(みゆ)の「奪還」。

 

 その千載一遇のチャンスにおいて、少年が抜け駆けし、あまつさえ失敗した事が非難の対象となっていた。

 

「何とか言えよヴェイク」

「何とかって言われてもね」

 

 問い詰められたヴェイクと呼ばれた少年は、薄笑いを浮かべながら肩を竦めて見せる。

 

「捕獲対象を見つけたんだから、動くのは当然の事じゃん。そんな事も分からないの、ベアトリスはさ?」

「テメェ・・・・・・・・・・・・」

 

 挑発めいた少年の言動に、ベアトリスと呼ばれた少女は明らかな殺気を滲ませて少年を睨みつける。

 

 一触即発な雰囲気。

 

 今すぐにでも、この場で激突が開始してもおかしくないほど、場の空気は張り詰める。

 

 と、

 

「よせ」

 

 背の高い女性が、そんな一同を制するように言った。

 

 あの並行世界における最終局面において、美遊を連れ去ろうとした女である。

 

 この場にあっては彼女がリーダー格なのか、睨み合っていたヴェイクとベアトリスは、動きを止めて振り返る。

 

「ここで争う事は許さん。今は美遊様の所在が分かっただけでも十分だろう」

「そうは言うけどね、アンジェリカ」

 

 ヴェイクは肩を竦めながら、アンジェリカを見やる。

 

「今回の件、そもそも君達3人がしくじらなきゃ、もっと簡単に収まったはずでしょ。あの世間知らずのお姫様を君らが取り逃がしたせいでこんな事になっちゃったんだから。ねえ」

 

 言いながらヴェイクは、壁際に立つ男に目をやった。

 

「そこのところどうなのさ、シェルド?」

 

 問いかけに対し、

 

 しかし男は答えない。黙したまま腕組みをして、身じろぎせずにいた。

 

「相変わらず詰まんない野郎だな」

 

 シェルドと呼ばれた青年が無反応だったため、ベアトリスが舌打ちする。

 

「ともかく、だ」

 

 アンジェリカが一同を見回して言った。

 

「我らのやるべきことは変わらん。一刻も早く美遊様を奪還し儀式を再開する。その為に、邪魔者は排除する。それだけの事だ」

 

 言ってからアンジェリカは、付け加えるように言う。

 

「『あのお方』の帰還により、我らの悲願はより完成度の高い形で達成されるめどがついた。しかしそれにしても、美遊様が戻らない事にはどうにもならない」

 

 美遊は「取り戻す」。そして、一刻も早い悲願の達成を行う。

 

 それこそが、彼女らの至上命題に他ならない。

 

「そうそう。それに・・・・・・・・・・・・」

 

 言ってから、ヴェイクは意味深な笑みを浮かべる。

 

「いざとなったら、絶好の『餌』もある事だしね」

 

 いかに逃げようと、運命からは逃れられない。

 

 美遊と言う聖杯を手に入れ、自分たちの悲願を果たす為なら、彼らはいかなる非道をも是とする。

 

 なぜなら彼らこそが、真にこの世界の行く末を憂い、あらゆる苦難から人類を救うために立ち上がった「正義の味方」なのだから。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「全ては、我らエインズワースが掲げし正義の名の下に」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 温かい室温に、すぐ近くで何かを茹でる音。

 

 食欲を刺激する微かな匂い。

 

 本能が揺り動かすままに、意識が覚醒した。

 

「・・・・・・・・・・・・んが?」

 

 目を覚ますと同時に、田中はガバッと身を起こした。

 

「何かいい匂いがするです!!」

「あ、起きた」

 

 傍らで様子を見ていた響が嘆息交じりに言った。

 

 その横では、美遊も苦笑して田中を見ている。

 

 できれば、もう少し大人しくしていて欲しいところだったが、

 

 まあ、いつまでも寝かせておくのもアレだろう。

 

「・・・・・・はりゃ? ここはどこですか」

 

 周囲を見回す田中。

 

 そこは細長い印象のある室内で、カウンターテーブルの前にはいくつか丸椅子が置かれている。響達はそこに座っていた。

 

 翻って反対側の壁面には、いくつかテーブル席もある。

 

 そしてカウンターの向こうでは、調理をしているらしい男性の後姿が見えた。

 

「ん、通りすがったラーメン屋」

「響、その言い方は少しおかしい」

「あと、私は誰ですか?」

「田中さんのそれは持ちネタなの?」

 

 言動がずれた2人に、ツッコミを入れる美遊。

 

 普段、美遊自身、割と天然ボケ気味なところがあるのだが、ツッコミ(イリヤ)不在のこの状況では、彼女がツッコミに回らざるを得なかった。

 

 と、そこでカウンターの奥に立つ、この店の店主らしき男が、湯切り笊を片手に振り返った。

 

「起きたか。直にできるからから座して待て」

 

 目付きの鋭い大柄な男性である。引き締まった体躯をしている所を見ると、何か武道系のスポーツをやっていた節がある。

 

「すみません。田中さんを運んでもらって、それに食事も・・・・・・」

「構わん。倒れるほど空腹なのだろう? ラーメン屋の店主として捨て置けん」

 

 礼を言う美遊に対し、素っ気ない口調で返事をする店主。どうやら、この手の職人にありがちな、硬い性格らしかった。

 

 と、

 

「んまそうな匂いがするです!! 何ですかそれは!?」

 

 匂いに食欲が刺激されたらしい田中が、カウンターに身を乗り出して尋ねる。

 

 対して店主は、怪訝な面持ちで振り返って田中を見た。

 

「君はラーメンを知らんのか?」

「知らないです!! でもまるで、小麦を砕いて粉にして、水で練って固めた物を茹でたような匂いがするです!!」

 

 田中の回答は、確かに間違ていない。が、麺類を製法から語る人間は少ないだろう。

 

 店主は不審な面持ちで、視線を響に向けた。

 

「何なのだ、こいつは?」

「ん、こっちが知りたい」

 

 響もそう言って首をかしげるしかない。

 

 記憶喪失らしい田中だが、いったいどこら辺の記憶まで失っているのか、皆目見当もつかない有様だった。

 

 そうしている内に、できたラーメンがどんぶりによそわれていく。

 

「さあ、できたぞ。存分に味わうがいい」

「ありがとうございます」

「ん」

 

 どんぶりを受け取る。

 

 そこで、

 

「それじゃあ、いただき・・・・・・・・・・・・」

 

 動きを止めた。

 

 何と言うか、

 

 赤い。

 

 とにかく、

 

 赤い。

 

 ひたすらに、

 

 赤い。

 

 まるで親の敵と言わんばかりの赤さが、どんぶり一面に広がっていた。

 

「・・・・・・・・・・・・ナニコレ?」

 

 尋ねる響。

 

 対して、店主は何を当たり前のことを聞いているのか、と言わんばかりの表情で振り返った。

 

「麻婆豆腐だが、それがどうした?」

「いや、ラーメンだったよねッ さっきまで!!」

 

 作っていたのは間違いなくラーメンだった。いったい、茹でた面はどこに行ったのか? まさかと思うが、この溶岩のように赤い麻婆の中に溶けて、消滅してしまったのだろうか?

 

 対して、店主は事も無げに言い放った。

 

「麺なぞ飾りに過ぎん。麻婆の海の底に申し訳程度に沈んでいる」

「確かに。麺がある事はある・・・・・・けど・・・・・・」

 

 美遊も愕然としながら、割り箸で麻婆の底をさらっている。

 

 ぶっちゃけ、ラーメンのスープすら無かった。

 

 ともかく赤い。

 

 通常の麻婆でも、ここまで赤い物は断じて存在しないはずだ。

 

 ちょっとレンゲで掬って舐めてみたが、それだけで口全体が鬼のような辛味に蹂躙されてしまった。

 

 ぶっちゃけ、人間の食い物とは思えない。

 

 そんな響と美遊の反応に対し、店主は嘆息しながら言った。

 

「文句の多い客たちだな。連れを見習ったらどうだ?」

「は?」

「連れ?」

 

 言われて、振り返る。

 

 そこには、

 

 ゴクッ ゴクッ ゴクッ ゴクッ ゴクッ

 

 どんぶりを両手で持ち、規則正しい一定の音と共に、中身を口の中へと流し込む田中の姿があった。

 

 そして、

 

「ごちそうさまです」

 

 完食した田中は、どんぶりをカウンター席に置く。

 

「た、食べきった? このラー油の塊を?」

「てか、飲んだね」

 

 冷汗をダラダラと流しながら、田中を見守る響と美遊。

 

 対して、

 

 田中の顔は急速に青ざめる。

 

「口の中とおなかが焼け爛れたようにズンガズンガして、汗と震えが止まらないです」

「いや、死ぬから」

 

 もはや料理の感想ではなかった。

 

 食べたら死ぬ。

 

 いやマジで。

 

 だが、

 

「食べ残しは許さぬ。どうしても無理と言うなら、2人そろって首から下を土に埋め、口から麻婆を流し込んでやろう」

 

 まさに、進路に絶望、退路も絶望。

 

 響と美遊は泣く泣く、目の前に鎮座した殺人麻婆を口に運ぶしかなかった。

 

 

 

 

 

「ごちそ、う・・・・・・さ・・・・・・オウェ」

「も、もう、だめ・・・・・・・・・・・・」

 

 2人そろってカウンターに突っ伏す響と美遊。

 

 何とか完食したものの、もはや喉と胃袋は限界を通り越して、暗黒面に落ちていた。

 

 後半は何を食べているのかすら分からず、ただ機械的に箸とレンゲを、どんぶりと口の間で往復させていたようなものだ。

 

 先程の田中の表現を借りるなら、「口とお腹が焼け爛れたようにズンガズンガ」していた。

 

 殺人麻婆は、小学生2人の胃袋には荷が重すぎた。

 

「うむ」

 

 そんな2人の惨状を他所に、店主は空になったどんぶりを満足そうに見て頷く。

 

「喜べ少年少女。君達はこれで一日分のカロリーを摂取できたぞ」

「あ・・・・・・そ・・・・・・」

「何て、残酷な・・・・・・」

 

 息も絶え絶えな小学生2人には、もはやまともにツッコむ気力すら無くなっていた。

 

 それから暫く腹の重さに悶える羽目になった響と美遊。

 

 それでもどうにか落ち着いてきた頃、ふと思いついたように店主の方から声を掛けてきた。

 

「それにしても、君達は随分と奇抜な格好をしているな。君達の住んでる場所では、そう言う恰好が流行っているのか?」

 

 確かに。

 

 薄着とは言え辛うじて普段着を着ている響と美遊はともかく、流石に体操服ブルマー姿の田中は、誰の目から見ても奇抜そのものだった。

 

 もっとも、

 

「田中、最先端です?」

 

 本人にその自覚はゼロだった。

 

 そんな田中の反応に嘆息しつつ、店主は続ける。

 

「何にしても、観光で来たのなら酔狂な事だ。5年前に起きたガス爆発の影響で避難勧告が出された影響で、今この街には、殆ど人がいない」

「ガス爆発?」

 

 響は円蔵山から見た、街中心のクレーターを思い出していた。

 

 あれがガス爆発の影響だとしたら、いったいどれほどの規模の爆発だったのか?

 

「今では僅かな人々が、街のはずれで細々と暮らしているのみ。このマウント深山商店街も、シャッターが随分と増えてしまった。君達も、目的は知らんが、用が済んだら早々に立ち去る事だ」

 

 素っ気なく告げる店主。

 

 だが、

 

「・・・・・・・・・・・・違う」

 

 傍らから、聞こえてきた声に振り返る響。

 

 見れば、美遊は膝の上で拳を作り、俯いたように下を見ていた。

 

「あれは・・・・・・そんなんじゃない」

「美遊?」

 

 絞り出すような少女の声。

 

 その様子を、店主は鋭い眼差しで見つめていた。

 

「あ、そだ」

 

 そこで、響は思い出したように手を叩くと、傍らの田中を指差して店主に尋ねた。

 

「この人知ってる?」

「随分と浮いたような質問だが、知るはずなかろう」

「じゃあ、この体操服はどこの?」

「このあたりに、学校はもうない」

 

 否定的な店主の言葉に、響は嘆息する。

 

 あわよくば田中の素性が分かるかも、と期待したのだが、どうやら無理筋であるらしかった。

 

 ならば、と、切り口を変えてみる。

 

「エインズワースって知ってる?」

 

 その質問をした瞬間、

 

「ッ!?」

 

 店主の顔が、明らかに変化した。

 

 まるで信じられない物を見た、と言わんばかりに大きく目を見開き、殺気すら伴った眼差しで睨みつけてくる。

 

 何か知っている。

 

 確信と共に、身を乗り出す響。

 

 次の瞬間、

 

「・・・・・・・・・・・・知らんな」

「いや、明らかに知ってるよね」

 

 シレッとした顔の店主に、ツッコミを入れる響。

 

 この店主、明らかに何か知っていて隠している。そう響は確信していた。

 

 だが、店主は言う気は無いとばかりにそっぽを向く。

 

「知らんものは知らん」

「ちょと待・・・・・・」

「そんな事より」

 

 更に聞き出そうとする響を制するように、店主は言った。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「麻婆ラーメン、3つで4800円だ」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「・・・・・・・・・・・・有料?」

 

 は? 何言っちゃってんのこの人? 的な目で店主を見る響。

 

 そもそも、あの流れでどうして有料と言う形になるのか?

 

 ていうか、何なんだその出鱈目な価格設定は。海でバゼットがやっていたボッタクリが可愛く思えるレベルである。

 

「高いし」

「当然だろう。私特製の『辛そうで辛くない。むしろ辛かった事を脳が認識してくれないラー油』を湯水のごとく使っているのだからな」

 

 何をしてくれとんのじゃ。

 

 とっさに美遊に目を向けるも、彼女も困惑した顔で首を横に振る。

 

 言うまでも無く、2人そろって文無し状態である。

 

 向こうの世界で戦いに赴き、そのまま、文字通り着の身着のままこっちの世界に飛ばされてきたのだ。持ち合わせなどあろうはずもなかった。

 

「た、田中、お金?」

「ムニャムニャ何ですかそれ? んまいものですか?」

「・・・・・・だよね」

 

 寝ぼけ気味に答える田中。記憶喪失ブルマー少女に期待するだけ無駄だった。

 

 次の瞬間、

 

 重厚な圧力を伴った殺気が、真っ向から襲い掛かって来た。

 

「食い逃げとは舐められたものだな。だが、ちょうど豚骨が切れていたところだ。文字通り体で支払ってもらうとしよう」

「「ヒィ!?」」

 

 店主の放つ強烈な殺気に、思わず響と美遊は尻餅を突いてヒシッと抱き合う。

 

 どう考えてもラーメン屋の親父が放つ殺気ではない。

 

 手にした肉切り包丁が、処刑用のエクセキューターのようにさえ見えるのが、何とも奇妙な一致感だ。

 

「た、田中ーッ 起きろー!! ダシにされる!!」

「ムニャムニャ、もう二度と食べられないです」

「不吉なこと言ってんなー!!」

 

 コントじみたやり取りの間にも、店主はゆっくりと近づいてくる。

 

「心臓よりも肝臓や腎臓の方が高く売れる事を知っているか? まあ、それはさておいても、最後の晩餐が私の麻婆だった事を幸運に思いながら逝くが良い!!」

「「イ、イヤァァァァァァァァァァァァ!?」」

 

 麻婆の何があんたをそこまでさせる?

 

 と、ツッコミたいが、言うまでも無くそれどころではない。

 

 追い詰められる響と美遊。

 

 その運命が旦夕に迫った。

 

 次の瞬間、

 

 ガラガラガラ

 

「こんにちはーッ おじさんやってるー?」

 

 表の扉が開き、少年が入ってくるのが見えた。

 

 振り返る一同。

 

 はたしてそこには、

 

 「見覚え」と言うには、見覚えのありすぎる金髪の少年が、小首をかしげて立ていた。

 

「・・・・・・・・・・・・あら?」

 

 店内の様子を見て、不思議そうな顔をする少年。

 

 その視線が一同を見回す。

 

 そして、

 

「あ、お取込み中みたいだね。じゃあ、僕は出直してくるよ」

「「ちょっと待てェェェェェェ!!」」

 

 溺れる者は(ギル)をも掴む。

 

 響と美遊は弾かれたように飛び出すと、今にも出ていこうとするギルの肩を両側からガシッと掴むのだった。

 

 

 

 

 

第3話「不思議系少女」      終わり

 



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第4話「囚われの姫君」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 やれやれとばかりに嘆息すると、ギルは背後を見やった。

 

「まったく、せっかく立て替えてあげたのに、その態度は無いんじゃない?」

 

 ぼやくように言った少年の先。

 

 そこには、電柱に隠れる形で、響、美遊、田中の3人が立っていた。

 

 三者三様、それぞれの視線をギルに向けてきている。

 

 ラーメン屋で、危うく店主にダシにされそうになったところ、タイミング良く現れたギル。

 

 結局、代金はギルが支払う形で命拾いした一同。

 

 本来ならギルに多大な感謝をしても良いところなのだが、

 

 しかし何と言っても相手は、先の戦いにおける最大の敵である。素直に好意を受け取れないのも、無理からぬところだろう。

 

「でも、ギルは敵・・・・・・美遊を狙っている」

「野暮なこと言わないでよ。それは黒い方の僕の意思であって、僕自身は別に、君たちをどうこうする気は無いよ」

 

 警戒するような響の言葉に対し、ギルはやれやれとばかりに肩を竦める。

 

 しかし、今にして思い返してみれば確かに、ギルの言うとおりのように思える。

 

 先の戦いにおて、ギルが響達に攻撃を仕掛けてきたのは、あの黒い異形の怪物と融合してからだった。それ以前は、どちらかと言えば、響達に興味を抱いていた節がある。

 

 と言う事は、美遊を取り込んだのも、襲ってきたのも、カードになった「黒い方のギル」の意思だったとも言える。

 

 正直、まだ半信半疑ではあるが、この場では敵ではない。と言うギルの言葉は、信じても良いかもしれない。

 

 だが、

 

「と言っても、君は割り切れないかな?」

 

 ギルは少女を向きながら尋ねた。

 

「ねえ、美遊ちゃん?」

「当り前」

 

 肩を竦めながら訪ねるギルに対し、美遊は即答に近い形で返す。

 

 そもそも、ギルが美遊の正体を暴露しなければ、こんな事にはならなかった、と言うのが美遊の中ではある。

 

 その件については、どう考えても責任転嫁はできない。100パーセント完璧にギルのせいである。

 

 そんな訳で美遊としては、いきなり現れたギルに対し蟠りを消せずにいるのも無理からぬことだった。

 

「美遊・・・・・・一応、こんなんでも命の恩人」

「・・・・・・判ってる」

「ひどい言われようだね」

 

 仲裁に入る響に対し、やや俯きながら答える美遊。

 

 彼女とて判っているのだ。この場にあっては、ギルの協力を仰いだ方が得策であると言う事が。

 

 だがそれはそれ、これはこれ。

 

 そう簡単に割り切れるものではなかった。

 

 ことに美遊としては、心のどこかで「自分の事情に響達を巻き込んでしまった」と言う思いがあるから猶更だった。

 

「ところで、さっきから気になってたんだけど」

 

 ギルは怪訝な面持ちで、もう1人の少女を見ながら言った。

 

「そっちのお姉さんは、どなた?」

 

 尋ねられて、自分に話しを振られたと悟ったのだろう。田中はシュタっと手を上げて前に出た。

 

「田中です!! あなたは誰ですか!? 何する人ですか!?」

「外国語を直訳したみたいな聞き方する人だね」

「ん、記憶喪失だから厄介」

 

 肩を竦める響。

 

 対して、ギルはスッと目を細める。

 

「・・・・・・記憶喪失のお姉さん、ね。召喚時にこの時代の事やエインズワース家回りの知識は入ってきたけど、田中さんの事は判らないな」

 

 ギルが何気なく言った言葉に、響は目を見開いた。

 

「ギル、エインズワースを知ってるの?」

「うん? 勿論だよ」

 

 頷くギル。

 

 その後を追うように、美遊が口を開いた。

 

「そもそも、彼等を召喚したのがエインズワースなの。エインズワースが英霊をクラスカードって形にして、聖杯戦争を起こした」

 

 クラスカード、聖杯戦争、エインズワース。

 

 成程、パズルのピースが少しずつそろってきている感がある。

 

 そんな美遊に対し、ギルは薄笑いを向ける。

 

「詳しいね。流石、聖杯として生まれただけの事はあるよ」

「余計な事は言わないで良いから」

 

 皮肉を聞かせたようなギルの言葉に対して、美遊は険しい表情で少年を睨みつける。

 

 鋭い美遊の視線に、肩を竦めて見せるギル。

 

 美遊とギル。どうにも、この2人、なかなか反りが合わない様子だった。

 

 そんな2人の様子を見ながら、響は話題を変えるように言った。

 

「ん、あとはイリヤ達と合流できたらいいんだけど・・・・・・・・・・・・」

「・・・・・・・・・・・・そうだね」

 

 響の言葉に、美遊もギルから視線を外して頷く。

 

 先の戦闘で、敵はまだまだ未知の戦力を有している事が分かった。

 

 対してこちらは、まともに戦えるのは響くらいの物である。美遊はサファイアがいないし、ギルと田中の実力は未知数に近い。まあ、田中はあの、少年を撃退した力をがあるし、ギルの方は何といっても英霊その物なのだから、期待はできるかもしれないが。

 

 しかし、それは別としても、所在の知れない仲間たちの事は、やはり気がかりだった。

 

 どうにか他のみんな。特に響としては、姉であるイリヤやクロと合流したいと考えていた。

 

 と、その時、

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「イリヤと言う人なら、エインズワースに捕まっていますよ」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「「「・・・・・・・・・・・・は?」」」

 

 突然発言した田中に、響、美遊、ギルは視線を集中させる。

 

 なぜ、田中の口からイリヤの名前が出てくるのか?

 

 いや、そもそもイリヤがエインズワースに捕まっている?

 

 なぜ、田中がその事を知っているのか?

 

 一気に湧き出る疑問が田中に集中する。

 

「・・・・・・・・・・・・1つだけ、思い出したです」

 

 一同の視線を受けながら、田中は告げる。

 

 澄んだ瞳を、どこまでも真っすぐに向けて。

 

「エインズワースを滅ぼす。それが田中の使命なのです」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 高い塔の階段を、アンジェリカが上がっていく。

 

 その手にある銀のトレイには、1人分の食事が乗せられていた。

 

 石造りの壁と床は殺風景で、見ている者に圧迫感を与えてくる。

 

 やがて螺旋状になった階段を上り切る。

 

 そこは豪華な天蓋付きのベッドに小さなテーブルとイス。あとは若干の家具が置かれた、小さな部屋だった。

 

 壁は相変わらず石造りで重苦しいが、そこだけは人が生活するには十分な空間があった。

 

 そして、

 

 ベッドに腰かけている人物に対し、アンジェリカは声を掛けた。

 

「食事をお持ちしました、イリヤスフィール様」

「あ・・・・・・・・・・・・」

 

 対して、少女は顔を上げる。

 

 イリヤだ。

 

 流れるような美しい銀髪に、西洋人形を思わせる愛らしい面立ちに変化はない。

 

 今は、その容姿に合わせたような、可愛らしいドレスを身に纏っている。

 

 ただ現在、自分が置かれている状況に対して戸惑いは隠せていない様子だった。

 

「あ、ありがとうございます」

 

 テーブルの上に食事を置くアンジェリカに、そう言って礼を言う。

 

 対して、アンジェリカは表情一つ変えず、食事の準備を進めていく。

 

 その様子を、イリヤは居心地悪く見守っていた。

 

 やがて、準備を終えたアンジェリカは、イリヤに向かって一礼する。

 

「終わったころに、食器は回収に参ります。その他、何か入用の物があればおっしゃってください。ここから出すわけにはまいりませんが、可能な限り善処します」

 

 そう言って踵を返すアンジェリカ。

 

 と、

 

「あ、あの・・・・・・・・・・・・」

 

 イリヤに呼びかけられ、振り返るアンジェリカ。

 

「何か?」

「あ、いや・・・・・・・・・・・・」

 

 呼び止めたものの、特に用があっての事ではない。

 

 なぜ、自分を監禁しているのか?

 

 なぜ、こんなに待遇が良いのか?

 

 聞きたい事は色々あるが、答えてくれないであろう事は明白だった。

 

 しかし、アンジェリカは律儀に、イリヤが話し始めるのを待っている。

 

 2人の間に流れる、気まずい沈黙。

 

「・・・・・・・・・・・・何でもないです」

「そうですか」

 

 ややあって、そう告げたイリヤに対し、アンジェリカは今度こそ踵を返して部屋を出ていく。

 

 その後ろ姿を、イリヤはため息交じりに見送るのだった。

 

 彼女は、イリヤを捕えて、この城に連れてきた人物である。

 

 こちらの世界に来て、右も左も分からないまま途方に暮れていたところに、奇襲を受けたのである。

 

 イリヤも必死に抵抗はしたものの、対ギル戦でのダメージは大きく、結局敗れ去ってしまった。

 

 こっちに来た当初はクロと一緒だったのだが、戦闘の際にはぐれてそれっきりである。

 

 彼女の事だから大丈夫だとは思うのだが、無事でいてくれる事を祈るばかりである。

 

 それにクロには、万が一に備えてカードも預けてある。うまく、反撃の糸口になれば良いのだが。

 

 その後、気を失ったイリヤは、この城に連れてこられ、気が付いたらこの塔の部屋に監禁されていたのである。

 

 後から、彼らの名前が「エインズワース」であると言う事を聞かされた。

 

 彼らはとりあえず、イリヤに危害を加える気は無いらしい。それどころか、理由は判らないが賓客として扱っている節まである。

 

 勿論、抵抗したり脱出しようとしたりすれば、その限りではないだろうが。

 

「ここ、どこだろ?」

 

 途方に暮れた調子で、イリヤは呟く。

 

 一応、窓はあるので外の様子は判るのだが、そこから見えるのは城の庭だけだった。

 

 今のイリヤは無力である。

 

 ルビーも取り上げられ、今は引き離されてしまっている。

 

 浮かんでくるのは、仲間たちの安否である。

 

 クロは? 響は? 美遊は? 凛は? ルヴィアは? バゼットは?

 

 みんな無事だと良いのだが。

 

 特に美遊。

 

 エインズワースが美遊に固執しているのは、イリヤも察している。彼らの様子から考えれば、美遊はまだ逃げ続けているのだろう。

 

 頼みの綱は響だ。

 

 もし彼が美遊と一緒にいてくれれば、きっと彼女を守るために戦ってくれているはずだ。

 

 確証は無いが、今はそう祈るしかない。

 

「はあ・・・・・・・・・・・・」

 

 そこまで考えて、イリヤはため息をついた。

 

 その内には、戸惑いと不安が満ち溢れていた。

 

「これから、どうなるんだろう?」

 

 敵に捕らわれ、身動きすらままならぬ自分。

 

 他のみんなが、今どうしているのか、知る事も出来ない。

 

 今のイリヤは、全くの無力。

 

 こうして敵の居城で「囚われのお姫様」を演じる以外にない。

 

 それに、元の世界の事も気になる。

 

 士郎、アイリ、セラ、リズ。

 

 みんな、イリヤ達がいなくなったことで、心配しているかもしれない。

 

「・・・・・・・・・・・・」

 

 帰りたい。

 

 みんなのところへ、今すぐにでも。

 

 自らの腕を、ギュッと抱きしめるイリヤ。

 

 そうしていないと、震えが止まらなくなりそうだった。

 

 このままここで、ずっと監禁されたままでいるのか?

 

 そう思うと、暗澹たる気持ちが足元から浸していくのが分かる。

 

「・・・・・・・・・・・・いや」

 

 眦を上げるイリヤ。

 

 弱気になっている場合ではない。

 

 たとえ囚われていても、できる事はあるはずだ。

 

 どうにかして隙を見つけ、反撃の糸口を探す。

 

 それが今のイリヤにできる事だった。

 

 エインズワースは美遊を連れ去ろうとしたし、現にイリヤもこうして監禁されている。

 

 どんなに親切にしてくれていても、彼らは敵なのだ。

 

「どうにかして、ここを脱出しないと」

 

 敵は現在、イリヤの事を殆ど警戒していないに等しい。そこにこそ、イリヤの付け入る隙はある。

 

 どうにか脱出して、ルビーと合流できれば、反撃の手段も見つかるかもしれない。

 

 事態は圧倒的に絶望の中にある。

 

 しかし、イリヤは自分の心が、いっそ奇妙なくらいに落ち着いている事を自覚していた。

 

 

 

 

 

「そんな・・・・・・・イリヤ・・・・・・・・・・・」

 

 話を聞いて、身を震わせる美遊。

 

 親友の身に起こった悲劇を知って、美遊は己の内から湧き起こる絶望感を止められなかった。

 

 イリヤが捕まっている。エインズワースに。

 

 恐らくエインズワースとしては、イリヤを美遊に対する人質にでもするつもりなのだろう。

 

 厄介な事になった物である。

 

「ギル」

 

 そんな中、響はギルに尋ねた。

 

「エインズワースの居場所、判る?」

「そりゃ、勿論わかるけど・・・・・・」

 

 スッと目を細めるギル。

 

「どうする気?」

 

 答えは判っている。

 

 だがギルは、あえて尋ねた。

 

 対して、響は真っ直ぐな瞳で見つめ返して答えた。

 

「イリヤを助けに行く」

 

 響の言葉に、美遊は顔を上げる。

 

 決まりきった応え。

 

 大切な姉が敵に捕まっているなら、何をおいても助けに行かなくてはならない。

 

 そんな事は聞かれるまでもない事だった。

 

 だが、

 

「どうやって助けるつもり?」

 

 ギルは含み笑いを浮かべながら、再度響に尋ねた。

 

「随分とぶっ飛んだこと言ってるけど、相手がどれほど醜悪で根深いか知っているのかな?」

「・・・・・・・・・・・・」

「『エインズワースを滅ぼす』『イリヤさんを助ける』。この2つの願いは殆ど同質だ。けど、どうやってやるつもり? 響はともかく、美遊ちゃんは例のステッキは持ってないんでしょ? 戦闘は不可避だってのに、ずいぶんと頼もしい限りだ。風車に突撃する老騎士だって、もう少しマシだと思うよ」

 

 ギルの言っている事は、辛辣だが正論だ。

 

 今の響達が敵陣に突入する事は、自殺行為と同義である。

 

 だが、

 

「それでも行く」

 

 響は迷いない瞳で、ギルに返した。

 

 ここで引き下がる気は無い。

 

 そんな響に対し、

 

「うん、やっぱり面白いね、君」

 

 ポンと肩を叩くギル。

 

「じゃ、行こうか。僕もエインズワースにはちょっと用があったんだ」

「え?」

 

 1人で勝手に話を進めてすたすたと歩き出すギルを、響と美遊は顔を見合わせながら見つめる。

 

 これはつまり、案内してくれる。と言う事で良いのだろうか?

 

 そんな2人に対し、ギルは肩を竦めて見せる。

 

「このさびれた退屈な街に感謝してよ。じゃなきゃ、僕もこんな気まぐれは起こさないし」

 

 要するに、お互い渡りに船と言う事なのだろう。

 

 ギルはギルで、何らかの目的があってエインズワースに接触しようとしていたのだが、やはり1人では戦力的に不安がある。

 

 そこに都合よく現れたのが響達。と言う事だった。

 

「目的はそれぞれ・・・・・・けど、目指すところはみんな一緒」

 

 そう言うと、ギルは歩き出す。

 

「案内するよ。エインズワースの工房は、あのクレーターの真ん中にある」

 

 そのギルの後を、慌ててついていく、響、美遊、田中の3人。

 

 かくして呉越同舟とでも言うべきか、

 

 エインズワースを打倒し、囚われたイリヤを助けるべく、一同は敵の居城目指して歩き出すのだった。

 

 

 

 

 

第4話「囚われの姫君」      終わり

 



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第5話「再会」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 改めて近くで見ると、壮絶な光景だった。

 

 深山町のど真ん中にできた巨大クレーター。

 

 直径にして数キロ四方にも達するその穴は、まるでこの世全ての絶望を内包しているかのように、不気味な沈黙を保っていた。

 

「ん、やっぱ、すごい」

 

 クレーターの淵に立ち、中を覗き込みながら響は呟いた。

 

 ギルの案内で、エインズワースの工房を目指す一行は、その工房があるとされるクレーターにやってきていた。

 

 因みに、響と美遊はそれぞれ、新しいコートを着込んでいる。

 

 流石に寒いだろうと言う事で、ここに来る前にギルがお金を都合してくれたのだ。

 

 おかげで、寒さだけはどうにかしのいで行動できるようになっていた。

 

「でも・・・・・・・・・・・・」

 

 美遊は背後に立つ田中を見やりながら言った。

 

「田中さんも新しい服を買って貰えばよかったんじゃ・・・・・・」

「御心配には及びませんよ美遊さん。田中はこう見えてポカポカですので」

 

 そう言って自慢げに胸を反らす田中。

 

 だが、

 

 美遊が言いたいのは、寒いからどうこう、と言う事ではない。

 

「さあて、打倒エインズワースッ!! やるですよーッ!!」

 

 気合十分な田中。

 

 しかし、

 

 体操服にブルマー。

 

 そして、新たに購入したジャージの上着を肩に引っ掛け、不必要に情熱の籠った視線で、遥か彼方を見据える姿。

 

 どう見ても「これから部活をする女子」にしか見えない。

 

「狙うは全国です!!」

「田中、それ違う」

 

 明らかに違う方向を向いている田中に、ジト目でツッコミを入れる響。

 

 何となく、普段から全方周囲ボケ軍団に包囲されているイリヤの気苦労が察せられる光景だった。

 

 それはそれとして、

 

「行く前に響、一つ聞いておきたいんだけど」

「ん?」

 

 話を振って来たギルに、響は田中から視線を外して振り返る。

 

「現状、僕たちは君を主戦力にして戦わなくちゃいけないんだけど大丈夫かい?」

 

 確かに。

 

 美遊は戦う事が出来ず、田中は未知数。ギルも、どうやら何らかの事情で、戦う力を殆ど失っている状態らしい。

 

 となると当面、前衛担当で期待できるのは響だけと言う事になる。

 

「ん、大丈夫」

 

 響は迷う事無く頷きを返した。

 

「だいぶ、回復している」

 

 魔力も体力も充実している。今なら普通に戦うくらいなら十分可能だろう。

 

 実は、

 

 何とも「微妙」としか言いようが無いのだが、先程のラーメン屋で食べた殺人麻婆が原因だった。

 

 食べる事も、魔力を回復させる一助となる。

 

 あのカロリー過多の麻婆豆腐を食った事で、響の魔力はそこそこ回復していたのだ。

 

 おかげでどうにか、戦力を整える目途も立った感じである。

 

 しかし勿論、今更言うまでも無く、金輪際、二度と、間違っても、「食べたい」などとは、死んでも思わないが。

 

 固有結界を使えるかどうかは微妙なところだが、しかし通常戦闘には支障が無かった。

 

「いざとなったら、これもある」

 

 そう言って、響がポケットから取り出した物。

 

 それは「剣士(セイバー)」のカードだった。先に並列夢幻召喚(パラレル・インストール)した際に、イリヤから響の手に渡り、そのまま響が所持していたのだ。

 

 確かに、アーサー王の魂を宿したカードならば、戦力として申し分ない。

 

 だが、

 

「・・・・・・ちょっと、見せてもらって良いかな?」

 

 そう言ってギルが手を伸ばしたのはカード、

 

 ではなく、響の体の方だった。

 

 ギルは無言のまま、響の体に手を翳していく。

 

 まるで医者の触診のように、何かを見ているギル。

 

 一同が見守る中、ややあってギルは、少し険しい面持ちで顔を上げた。

 

「・・・・・・・・・・・・ああ、やっぱりね」

「何が?」

 

 1人で納得したようにしゃべるギルに対し、先を促す響。

 

 いったい、何が「やっぱり」なのか。

 

「結論から言うと響。君はもう、そのカードは使わない方が良いかもね」

 

 ギルの言葉に、響は思わず目を見張った。

 

 この戦力不足の中、ギルはいったい何を言い出すのか。

 

 対して、ギルは目をすっと細めて響を見た。

 

「ああ、なるほど。君自身は気付いていないのか」

 

 納得したように呟いてから、ギルは改めて響を見た。

 

「多分、この前の戦いの影響だろうね。君の魔術回路には、深刻なダメージが残っている」

「・・・・・・・・・・・・」

「まあ、それに関しては僕にも責任があるんだけど」

 

 そもそも、響がこのカードを使う事になったのは、ギルと戦う為だったのだ。そう言う意味で、今の状況を作り上げた責任の一端は、確かにギルにある。

 

 沈黙する響に対し、ギルは更に告げる。

 

「これは僕の予想なんだけど響、君ってひょっとして、例の『お侍』以外、本当は使えないんじゃないの」

「・・・・・・・・・・・・良く分かったね」

 

 ためらうような調子で、響はギルの言葉に肯定の意を返す。

 

 ギルの言っている事は事実だった。

 

 以前、響はイリヤからカードを借りて、何度か限定展開(インクルード)を試してみた事がある。

 

 しかし、駄目だった。

 

 何度試しても、どのカードを使っても、響には何の反応も示さなかったのだ。

 

 響が使えるのは、自分の中にある暗殺者(アサシン)のカードだけだった。

 

 だが、

 

「今は使える。違う?」

「・・・・・・ん」

 

 これも、ギルの言うとおりだ。

 

 こうしてカードを手に取ると、その内に秘められた魂の存在を、確かに感じ取る事ができる。

 

 今ならカードを使えるという確証が響にはある。

 

 恐らく並列夢幻召喚(パラレル・インストール)によって、あいつ(ヒビキ)と魔術回路を接続した影響だろう。

 

 言わば、今の響は2人分の魔術回路を有しているに等しい。

 

「多分、君自身の魔術回路は、君の中にあるカードにしか反応しないように調整されていたんだと思う。けど、この前の戦いで無理やりカードを使った事で、本来ならありえない形で魔力が走った。結果、君自身の魔術回路を傷つける事になってしまったんだ」

 

 要するに、大水が起こった時に、普段使っていない水路を開放した結果、元あった水路が決壊してしまったような物である。

 

「でも響は、以前にもカードを使っているはず。その時は何ともなかった」

 

 反論したのは美遊である。

 

 確かに、今まで何度かカードを使っている。

 

 一度目は、鏡面界での対狂戦士(バーサーカー)戦。あの時、響は剣士(セイバー)を使用している。

 

 二度目はゼスト達に攫われた美遊を救出に行ったとき。あの時は暗殺者(アサシン)(ハサン・サッバーハ)のカードを使用した。

 

 だが、

 

「あの時は、あいつが・・・・・・・・・・・・」

 

 言いかけて、響は口をつぐむ。

 

 その両方とも、ヒビキが表に出ていた時だった。

 

「あいつって?」

 

 怪訝な面持ちになる美遊。

 

 だが、ヒビキの事をどう説明すれば良いのか判らない響は、沈黙する以外にない。何しろ、奴の正体については、響ですら把握していないのだから。

 

「ともかく僕が言いたいのは、これ以上のカード使用は自殺行為に近いって事。早死にしたいって言うなら止めはしないけど、僕としては主戦力にいきなり脱落されても困るから、せいぜい気を付けてね」

 

 そう言ってギルは締めくくる。

 

 いちいち癪に障る言い方だが、確かに言っている事は正論だ。

 

 ここで響が倒れれば、この場にいる全員の命運にも関わる。

 

 最強戦力をいきなり封じられたようなものだが、こうなった以上仕方がないが、ともかく暗殺者(アサシン)「斎藤一」は問題なく使えるのだから、今はそれで良しとすべきだった。

 

 と、

 

「話は終わったですか? じゃあ、そろそろ行くですよ」

 

 言いながら、鉢巻を締める田中。

 

 すると、

 

「敵陣は目の前!! さあ、後先考えずにぶっ込むですよ!!」

 

 何やら無駄に気合の入った田中。

 

 なぜかは知らんが、鉢巻を巻くと性格が変わるらしい。とことん、面倒くさい性格をしている。

 

 取りあえず美遊が田中から鉢巻を取り上げつつ、改めて突入作戦開始と行きたい所だった。

 

 が、

 

 再びギルから、待ったが掛かった。

 

「不用意にクレーター内に入るのはやめた方が良い。あっという間に感知されるからね」

「どういう事?」

「このクレーターの中は、全てエインズワースの索敵感知圏なんだ。中央までおよそ1キロ。遮蔽物の無いこの荒野は、あらゆる奇襲を許さない、見えない城壁ってわけ」

 

 正直、厄介極まりなかった。

 

 見る限りの壮絶な光景。この全てが、エインズワース()の巨大さを物語っている。

 

 少なくとも、徒歩で攻め込む案はこれで却下である。

 

「そうだ」

 

 何かを思い出したように、響はポンと手を打った。

 

「ギル、アレ出して。ほら、空飛ぶ船」

「空飛ぶ船? ああ、もしかしてヴィマーナの事かな」

 

 ギルが黒化英霊だった時に使った空飛ぶ船。あれなら、クレーターの中にはいる事無く攻め込めるはずである。

 

 だが、

 

「悪いけど無理。今、僕の財宝は事情があって二分されていてね。主だった奴は『向こう』に取られた状態なんだ。当然、ヴィマーナもあっち持ち」

 

 徒歩はNG、空も飛べない。

 

 早速だが、敵陣突入作戦は、のっけから詰み始めていた。

 

「あとは・・・・・・そうだなあ、何か良い物は無いかあ?」

 

 言いながら、ギルは例の「蔵」の入り口に手を突っ込み、あれこれと引っ張り出し始める。

 

 すると出て来るわ出て来るわ。

 

 ちょっと豪華な装飾品に、儀礼用の置物、高級そうな瓶におもちゃのような物。

 

 それらを引っ張り出しては放り投げるギル。

 

 その様子を見ながら、響は某国民的アニメの猫型ロボットを思い出していた。

 

 猫耳を付けたギル。

 

 意外と似合いそうである。

 

 と、

 

「お、なかなか良いのがあった。これで行ってみようか」

 

 言いながらギルは、空間から何かやら長いひも状の物を取り出す。

 

 どうやら、眼鏡に叶うものが見つかったらしい。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 いよいよ敵陣に突入である。

 

 これから始まる壮絶な戦い。

 

 そして、囚われたイリヤの救出。

 

 そこに臨む以上、最大限の警戒でもって、事に当たらなければならない。

 

 そんな緊張感が身を引き締める最中、一同は、

 

「何でこーなった?」

 

 電車ゴッコをしていた。

 

 長い紐で作った輪の中に入って縦一列に並び、歩調を合わせて移動する、誠に幼心をくすぐる、あの電車ゴッコである。

 

 因みに先頭の子は車掌役となる為、ちょっとした人気ポジションである。たいていの場合、ジャンケンで交代制となるが、チーム内に我儘な子が1人でもいれば、その子が独占してしまい、トラブルの元になったりもする。

 

「なぜに電車ゴッコ?」

「まあ、たまに童心に返るのもオツなもんでしょ?」

 

 ぼやき気味な響に、ギルは笑顔で返す。

 

 因みに先頭が美遊、次に響、三番目がギル、最後尾が田中と言う並びになっている。

 

「田中は超楽しいですよッ もっと早く走りましょう!!」

「いや、楽しんでどーする?」

「緊張感が無い・・・・・・」

 

 1人だけテンションが高い田中に、項垂れた調子でツッコミを入れる響と美遊。

 

 どう考えても、敵地に乗り込もうと言う感じではなかった。

 

「けど、効果はばっちりだよ。これだけ進んでいるのに、奴らに気付かれた様子はないでしょ?」

 

 ギルの言うとおりだった。

 

 既にクレーター内に踏み込んで、だいぶ中まで入っている。

 

 この空間そのものがエインズワースの領土なら、とっくに見つかって攻撃を受けているはずだが、未だにその兆候はない。

 

 どうやら、見た目はともかくこの紐、効果は十分らしかった。

 

「本来なら頭にかぶって使うんだけど、こうして括って使う事も出来るんだ。こうしておけば、魔術的・視覚的に完全な隠匿状態になる。相手が索敵を魔術に頼っている限り、僕らを感知する事は出来ないよ」

 

 これは典型的な魔術師にありがちな事だが、得てして魔術の万能性に頼り切り、他を軽視する傾向がある。

 

 魔術は大抵の事は何でもできるから、それに頼っていれば大丈夫と言う考えである。

 

 名家と呼ばれる者達ほどこの傾向が強く、中には魔術の万能性を妄信して、文明の利器に頼る事を蔑視する者までいる。

 

 だが実際の話、魔術と言えどそこまで万能な代物ではない。化学ほどには応用は効き辛いし、何より死角も多い。魔術に頼り過ぎた結果、却って不覚を取る場面もある。

 

 どうやらエインズワースも、そう言う意味では典型的な魔術師らしかった。

 

「でもさ、ギル」

 

 「電車ゴッコ」でクレーターの真ん中を目指しながら、響は背後のギルを見やった。

 

「もうすぐクレーターの真ん中だけど、何も見えない」

「見渡す限りの荒野です!!」

 

 最後尾の田中も、周囲を見回しながら響の同調する。

 

 いくら進んでも、クレーターの中には何も見えない。

 

 果たして、本当にここで合っているのだろうか?

 

「・・・・・・・・・・・・そろそろ中央だね」

 

 そんな2人の疑問を受けながら、ギルはふと呟く。

 

 そこには、先程までの軽めの調子は無い。

 

 どこか緊張した様子を見せるギル。

 

「ここからは大きな声は厳禁だよ。この布は、音までは隠せないからね」

 

 ギルの言葉に従い、慎重に歩を進める一同。

 

 そうは言っても、やはり何も見えない。

 

 いったい、この先に何があると言うのか?

 

「大丈夫。そのままゆっくり進んで・・・・・・確かここからなら、ちょうど正面に出る筈」

 

 ギルがそう言った瞬間、

 

 突如、暖かい風が流れ込んで来た。

 

「なッ!?」

 

 驚く響。

 

 見開いた視界の先。

 

 そこには、壮大な西洋風の城が佇んでいたのだ。

 

 見上げるような城壁に豪華な庭園。さらには噴水まである。

 

 空気そのものも違う。つい先ほどまでと打って変わって、温かい空気に包まれていた。

 

「何・・・・・・これ?」

 

 突然の光景の変化に、戸惑いを隠せない響。

 

 まさか、クレーターを普通に歩いてきたら、こんな場所に出るとは

 

「ふいー 何だか秋みたいにポカポカして気持ちいいですー」

「田中さん、それは秋じゃなくて春じゃ・・・・・・」

 

 1人、緊張感のない田中。

 

 しかし、今や響達は敵地のど真ん中にいる。

 

 その事を、いやが負うにも自覚せざるを得なかった。

 

「見えない城壁に見えない本丸。こんな派手派手に居を構えておきながら完璧に隠すんだから、まったく魔術師の人ってひねてるよね」

 

 ギルの言葉を聞きながら、響は目の前の城を見上げる。

 

 これだけの城を街のど真ん中に堂々と建てておいて、それでいて完璧に外部の目から隠している。

 

 つまり、これくらいの事は余裕で可能なのだ。響達の敵は。

 

 エインズワース。

 

 改めて、その恐ろしさが染みてくるようだった。

 

「また、ここに来てしまった」

「美遊・・・・・・・・・・・・」

 

 先頭を歩いている美遊の言葉に、響は彼女の中にある葛藤のようなものを感じていた。

 

 美遊は以前、この城のどこかに囚われていた。

 

 そして今は、親友であるイリヤが囚われている。

 

 美遊にとってこの城は、負の感情を詰め込んだ集合体と言っても良いだろう。

 

 そのような場所に、再び戻ってきてしまった事について、彼女の中で忸怩たる物があるのだろう。

 

 とにかくここまで来たのだ。こうなったら、行けるところまで行くつもりだった。

 

「とは言え、どうしたものかな」

 

 ギルはぼやくように呟きながら思案する。

 

 流石に正面突入はまずい。何らかの侵入者避けのトラップが設置されている可能性もある。

 

 そう判断した一同は、ともかく城の周りをまわりながら、他に侵入できそうな場所を探す事にした。

 

「入らないのですか?」

「お城の中にイリヤさんがいるとは限らないからね」

 

 ギルの言う事にも一理ある。

 

 仮に本当にイリヤがエインズワースに囚われているのだとしても、この城の中にいるとは限らない。

 

 故に、ここからの行動には、慎重を期す必要があった。

 

「美遊ちゃん、何か心当たりはないかな?」

「残念だけど・・・・・・」

 

 ギルの問いかけに、美遊は力なく首を振る。

 

「ここにいる間、私は殆ど眠らされていたから、自分が監禁されていた部屋なら、何となく判るんだけど・・・・・・・・・・・・」

 

 そうそう、事態は都合よくは進まないらしかった。

 

 と、

 

「ほえ?」

 

 最後尾を進んでいた田中が、何かに気が付いたように足を止めた。

 

 それにつられて、停止する一同。

 

「田中、どした?」

「あそこに入口があるです」

 

 田中が指示した先。

 

 見れば確かに、城壁の一か所に、通用口らしい扉があるのが見える。

 

 見た限り、特に警戒されている様子はない。

 

「ん、行ってみる?」

「そう、だね。他に入れそうな場所も無いし」

 

 何らかの罠がある可能性も否定はできない。

 

 だが、ここは敢えて、虎穴に飛び込む必要がある。

 

「ギルの意見は?」

「入る事には賛成だよ。どのみち、入らない事には始まらないしね」

 

 どうやら、満場一致と言う事で良いようだ。田中については、みんなが行くなら一緒に行くだろうし。

 

 と言う訳で、一同は扉の中へと足を踏み入れるのだった。

 

 

 

 

 

 扉に入ると、すぐに下へと降りる階段があり、奥には地下水路の光景が広がっていた。

 

 どこかから流れてきた水が、音を立てて地下へ消えていく。

 

 これだけで、ちょっとした地下迷宮を連想させる風景だった。

 

「こんな物、よく作った・・・・・・・・・・・・」

 

 響は周囲を見ながら呟く。

 

 確かに、

 

 これだけの下水整備、そう簡単に作れるものではない。

 

 しかも、これだけの設備を、全て石づくりで行っているのだから猶更だ。

 

 いずれにせよ、一朝一夕でできる代物ではないのは間違いないのだが。

 

「まあ、大方どこかから『持ってきた』んだろうけど・・・・・・しかし、これは失敗だったかな。流石に、こんな場所にイリヤさんがいるようには思えないんだけど・・・・・・・・・・・・」

「ん、確かに」

 

 ギルの言葉に、響は頷きを返す。

 

 確かに、人を監禁するには、いささか不適切なようにも思える。

 

 だが、

 

「誰かいるです?」

「え?」

 

 田中の言葉に、振り返る一同。

 

 見ればそこには確かに、一枚の扉が見える。

 

 しかも、その扉には厳重な錠前が2つも取り付けられている。

 

 いかにも、何か重大な存在を閉じ込めてあるように思える。

 

「まさか・・・・・・イリヤ・・・・・・・・・・・・」

「そんなッ」

 

 殆ど弾かれるように駆け出す、美遊と響。

 

「イリヤッ!!」

「イリヤ、いるなら返事して!!」

 

 扉にとりつき、大声で叫ぶ2人。

 

 果たして、

 

「・・・・・・・・・・・・誰だ?」

 

 返って来た声は、明らかにイリヤの物ではなかった。

 

 しわがれて、ひび割れた男の声。

 

 もう長い間、声を出していなかったような印象がある。

 

 だが、

 

「・・・・・・・・・・・・あれ?」

 

 首をかしげる響。

 

 今聞こえた声。

 

 響にはどうにも、どこかで聞き覚えがあるような気がするのだった。

 

 ありえない話である。そもそも、この世界には響の知り合いなど1人もいないはずなのだから。

 

 しかし、どうにも拭えぬ違和感が、響の脳裏にこびり付いていた。

 

 だが、

 

 そんな響よりも、劇的な反応を示した人物がいた。

 

「そ、そんな・・・・・・・・・・・・どうして・・・・・・・・・・・・」

 

 牢の奥から聞こえてきた声に対し、美遊は愕然とした表情で思わず後ずさる。

 

 対して、牢の奥にいる人物もまた、何かに驚いたような声を上げた。

 

「その声・・・・・・お前、まさか・・・・・・・・・・・・」

 

 2人は、驚愕と共に言い放った。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「・・・・・・・・・・・・美遊、なのか?」

「・・・・・・・・・・・・そんな・・・・・・お兄ちゃん?」

 

 

 

 

 

第5話「再会」      終わり

 



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第6話「悲哀の兄妹」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「・・・・・・・・・・・・美遊、なのか?」

「・・・・・・・・・・・・そんな・・・・・・お兄ちゃん?」

 

 ひび割れた声。

 

 かすれて聞き取る事すら難しい。

 

 しかし、他ならぬ美遊が、兄の声を聴き間違えるはずが無かった。

 

 自分に居場所をくれた兄。

 

 共に過ごしてくれた兄。

 

 そして、

 

 自分の為に、命がけで戦ってくれた兄。

 

 もう、絶対に会えないと思っていた。

 

 その兄が今、生きて目の前にいる。

 

 その事実を噛み占めるだけで、美遊の目には涙があふれて来ていた。

 

 しかし何という事だろうか。

 

 かつて、共に同じ時を過ごした兄と妹。

 

 苦難の末に再会を果たした2人。

 

 その2人が今、暗い地下牢の格子を挟んで対峙している。

 

 まさに、悲劇としか言いようがない状況だった。

 

「そんな・・・・・・お兄ちゃんが、何で・・・・・・・・・・・・」

 

 地下牢の扉に縋りつきながら、美遊は愕然とした声を発する。

 

 自らの兄が、このような場所に囚われているなど、想像すらしていなかった。

 

 そんな美遊の言葉に対し、兄の方も扉に近づきながら答える。

 

「お前を逃がすために戦った後、俺は力尽きてエインズワースに捕まってしまってな。それからずっと、ここに押し込められていたんだ」

 

 言われて、美遊は思い出す。

 

 かつて、限界を超えて戦ってくれた兄。

 

 その兄が自分の知らないところで、こんなひどい仕打ちを受けていたかと思うと、胸が張り裂けそうだった。

 

 そんな美遊に対し、今度は兄の方から声を掛けてきた。

 

「驚いたのは俺の方だ。他の世界に行ったはずのお前が、今こうしてここにいるんだからな。どうして戻って来たんだ」

 

 美遊の兄の言葉には、妹に対しる愛情と同時に、どこか咎めるような口調も含まれてた。

 

 命がけで戦い、ようやくエインズワースの手から取り戻した美遊。

 

 最後には、エインズワースの手が届かぬよう、異世界にまで送り出した大切な妹。

 

 その美遊が、再びここにいる。

 

 生きて再び会えたことは嬉しいが、しかし、今こうして戻ってきてしまった妹に対し、兄として複雑な思いを抱かずにはいられなかった。

 

「色々あったの・・・・・・本当に、色々・・・・・・・・・・・・」

 

 呟くように、兄に告げる美遊。

 

 それに対し、兄もまた沈黙を噛み占める。

 

 ここに至るまでに、美遊が歩いて来た道は決して平坦な物ではなかった。こうして、この世界に戻ってきてしまったのは決して美遊の本意ではなかったが、しかしそれでも、多くの事柄が重なり合ったうえでのことである。

 

「・・・・・・・・・・・・そうか」

 

 妹の重ねた苦労を察したのだろう。美遊の兄は納得したように頷きを返す。

 

 と、そこで、兄は話題を変えるように言った。

 

「それにしても美遊、戻って来たのは良いにしても、どうしてこの城に来たんだ? ここが危険なところなのは、お前が一番よくわかっているはずだろう」

 

 流石に美遊兄も、妹が自分を助けに来てくれた、とは思っていないようだ。

 

 勿論、そうだったら双方ともに嬉しいだろうが、ここで再会できたのはあくまで偶然の幸運だった。

 

「それなんだけど、お兄ちゃん・・・・・・・・・・・・」

 

 美遊は兄に事情を説明した。

 

 友達が、この城に囚われているらしいこと。それを救出する為に来た事。

 

「・・・・・・そうだったのか」

 

 話を聞いて、美遊兄は納得したように頷いた。

 

「そう言えば、奴らが話しているのを聞いたことがある。女の子が1人、高い塔に囚われているって」

「ん、きっとそれ」

 

 美遊兄の言葉を聞いて、響は手を打つ。

 

 幸先良い出だしである。ここで彼に会えた事はまさしく僥倖だった。

 

 と、響の声を聞いた美遊兄が、驚いたように顔を上げた。

 

「あれ、美遊? お前今、誰かと一緒にいるのか?」

 

 兄に言われて、振り返る美遊。

 

 そこで、響と視線が合った。

 

「うん、実は友達が、一緒にいる・・・・・・・・・・・・」

「友達・・・・・・そうか、友達ができたんだな」

 

 妹の言葉を聞いて、美遊の兄は声を弾ませる。

 

 対して、響は促されるように前へ出た。

 

「ん、初めまして」

 

 相変わらず素っ気ない感じの響の言葉に、牢の中にいる美遊の兄が、少し戸惑ったような雰囲気が伝わって来た。

 

「そうか、美遊が・・・・・・あの美遊が、友達をな・・・・・・・・・・・・」

 

 感慨を噛み占めるような、兄の声が聞こえてくる。

 

 美遊に友達ができた。

 

 その事実に、美遊兄は感銘を覚えているようだった。

 

 そこで、美遊の兄は声を上げた。

 

「君、良かったら、名前を聞かせてくれないか?」

 

 促された響は、一瞬キョトンとした。

 

 名乗るくらいは別に良いのだが、こうして改めて乞われるとは思っていなかったのだ。

 

 響はポリポリと頬を掻きながら口を開く。

 

「衛宮響・・・・・・よろしく」

 

 その名前を聞いた瞬間、

 

「なッ!?」

 

 牢の中で、美遊の兄が絶句した。

 

「お前、その名前はッ」

「ん?」

 

 美遊の兄が、何か言おうとした瞬間、

 

「ごめん、話の腰を折って申し訳ないんだけど・・・・・・・・・・・・」

 

 ギルが低い声を発する。

 

 背中を向け、一同を守るようにして立つギル。

 

 振り返る一同。

 

 そんな中、

 

「ちょっと、イヤな客が来た」

 

 緊張した声でギルが言った、

 

 瞬間、

 

 背後から、強烈な風切り音が聞こえてきた。

 

 とっさに、障壁を展開するギル。

 

 激突と同時に、強烈な衝撃が発する。

 

 次の瞬間、

 

 ギルが展開した障壁は一撃のもとに砕け散った。

 

 間一髪。

 

 障壁が砕け散る一瞬前に、響達はとっさに、その場から飛びのく事で奇襲を回避した。

 

 しかし、

 

「ネズミが」

 

 敵意に満ちた声が、地下室全体を圧倒して木霊する。

 

 強烈な殺気によって、満たされる地下室。

 

 対して、ギルはスッと目を細めると、鋭い視線で攻撃してきた相手を睨みつける。

 

「・・・・・・・・・・・・結構、複雑な気分だよ。僕が、その姿に相対するなんてね」

 

 長身で、長い髪をツインテールに結った女性。

 

 アンジェリカだ。

 

 どうやら、不穏な気配を察して様子を見に来たようだ。

 

 ゆっくりと歩を進め、距離を詰めてくるアンジェリカ。

 

 その姿は、既にクラスカードを夢幻召喚(インストール)し英霊化していた。

 

 金色の鎧に身を包み、圧倒的な存在感を持って迫りくる敵。

 

 ただそれだけで、魂を削られるような恐怖感に抉られる。

 

「どうやって侵入したか知らんが、美遊様を置いて下がれ。さもなくば、1人ずつ殺していくまで」

 

 圧倒的な戦力差でもってなされる降伏勧告。

 

 アンジェリカは、一同を見回して言い放った。

 

 その背後には既に複数の空間が開き、内部にある刃の刀身が見え始めている。

 

 対して、響達は緊張も露わに睨み返す。

 

「ギル、あれはもしかして、あなたのカード?」

「そうだね。早速だけど、目的の一つには遭遇できたわけだ。まあ、言うまでも無く、簡単には事は運ばないだろうけど」

 

 美遊の言葉に、緊張した面持ちで頷きを返すギル。

 

 相手は既に攻撃態勢に入っている。いわば響達は、銃口を向けられているに等しい状況だ。

 

 響はスッと前に出ながら、美遊を背に庇う。

 

「響・・・・・・」

「大丈夫、下がって」

 

 言いながら響は、いつでも戦闘態勢に入れるように身構える。

 

 相手は、あのギルと同じ能力を持っている。暗殺者(アサシン)の響がアンジェリカ相手に勝てるかどうか分からないが、それでもいざとなれば、飛び込んで血路を開く事を、躊躇する気は無かった。

 

 響のその態度を見ながら、アンジェリカはスッと目を細める。

 

 来る。

 

 身構える一同。

 

「引く気は無い、か」

 

 言いながら、右手を上げるアンジェリカ。

 

「ならば死ねッ」

 

 言い放つと同時に、右手を振り下ろす。

 

 放たれる刃。

 

 その一閃が、ギルを目指して飛翔する。

 

 次の瞬間、

 

 ギルの目の前の空間が突如として口を開き、飛んできた刃を吸い込んでしまった。

 

「ん?」

「え?」

「はら?」

 

 響、美遊、田中が唖然とする中、ギルはにこやかな笑みをアンジェリカへと向ける。

 

 その笑顔が癪に障ったのか、アンジェリカはスッと目を細める。

 

「貴様・・・・・・いったい何をした!?」

 

 言い放つと同時に、待機状態だった宝具を一斉に放つアンジェリカ。

 

 放たれた刃は、全て矛先をギルへと殺到させる。

 

 致死量の宝具投射。

 

 だが、ギルは慌てなかった。

 

 飛んでくる宝具に対し、次々と空間を開口させ、その全てを取り込んでいく。

 

 やがてアンジェリカの攻撃がひと段落した時、

 

 そこには、笑みを浮かべて平然と立つギルの姿があった。

 

「・・・・・・12本、か。総数に比べれば塵みたいな数だけど、取りあえずは、『ご返却』どうも」

 

 最高に皮肉を利かせたギルの言葉。

 

 それにより、響と美遊は何があったのか大体のところ理解した。

 

 実際にギルと戦った経験のある2人は、今の攻防戦に既視感を覚える。

 

 アンジェリカが放った宝具を、ギルは同じ方法で吸収している。

 

 そこから考えられる事は、アンジェリカが持っていた宝具を、ギルが同じ方法で取り戻した、と言ったところではないだろうか?

 

「お前は・・・・・・」

「こうして改めて見ると、ずいぶんと贅沢な戦い方だってことを実感するよ」

 

 アンジェリカの言葉を制して、ギルは自嘲気味に呟きを返す。

 

「本来、1人の英霊に対し宝具は1つ。そんな神話や伝承に謳われる宝具の原点を星の数ほど有し、それを矢のように無尽蔵に放つ。故にアーチャー、故に最強」

 

 ギルの視線が、真っ向からアンジェリカを睨み据える。

 

「僕のカードの使い心地はどうだい?」

 

 尋ねるギルに対し、アンジェリカは目を見開く。

 

 いったい何が起きているのか、遅まきながら彼女も目の前で不可思議な事をやってのけた少年の正体に気付いていた。

 

「貴様・・・・・・まさか、受肉したのか?」

「さすが、理解が速いね。まあ、受肉と言っても半分だけどね」

 

 本来なら英霊の立場にあるギルは、文字通り実体が固定されておらず、恒久的な魔力供給が無ければ消滅してしまう。

 

 だが、魂の入れ物である肉体を得て、実質的に「復活」を果たす事を受肉と言う。こうなると魔力供給は自前で行える為、他者から受け取る必要なくなる。

 

 今のギルは、その「受肉」を果たした状態だった。

 

「なるほど、財宝の一部がいつの間にか消えていたのは、お前と二分したためか。向こうの世界では随分と遊んできたらしいな」

「君らにとっては幸運だったかもね。完全に受肉していたら、こんな『物語』は僕が塗り替えていたからね」

「・・・・・・カード風情がよく吠える。大人しく私に使われていれば良かったものを」

「ああ、まったく・・・・・・傲慢や慢心まで真似しなくたっていいのに」

 

 ギルとアンジェリカ。

 

 ある意味、同一の存在と言っても過言ではない2人が、言葉の応酬を繰り広げる。

 

 まさに一触即発。激突は不可避となりつつある。

 

「あの、ギル・・・・・・・・・・・・」

 

 そんなやり取りの背後から、響が頃合いを見計らうように声を掛けた。

 

「そろそろ『巻き』でお願い。退屈過ぎて田中が寝てる」

 

 そう告げる響の傍らでは、田中が立ったまま、うつらうつらと舟をこいでいるのが見える。何とも器用な光景だった。

 

 その田中を、美遊が必死に支えているのが見える。

 

 その様に、苦笑するギル。

 

「ああ、ごめんごめん。これもある意味、予定調和みたいなもんだから」

 

 そう言って、肩を竦める。

 

 と、その時、

 

「逃げろ美遊ッ みんなもッ!!」

 

 牢の中から叫んだのは、美遊の兄だった。

 

「その女は危険だッ 早く・・・・・・・・・・・・」

 

 最後まで言い切る事はできなかった。

 

 その前に手かせに込められた魔力が走り、電撃が駆け抜けたのだ。

 

「ガァッ!?」

 

 激痛にのけぞる美遊の兄。

 

 エインズワースもバカではない。予想していた事だが、彼は何か魔術的な拘束を受けているようだ。

 

「お兄ちゃん!!」

 

 苦しむ兄の様子に、悲鳴に近い声を上げる美遊。

 

 しかし悲しいかな、分厚い牢の扉が兄妹の中を無情にも隔てる。

 

 どんなに美遊が叩いても、扉はビクともしない。

 

 扉の中と外。

 

 美遊と兄は、こんなにも近くにいながら、互いに触れ合う事すらできずにいた。

 

 その様を眺めながら、アンジェリカは憎しみを込めるように鼻を鳴らす。

 

「余計な事を言うと寿命を縮めるぞ。まあ、もっとも、貴様らがどんなに足掻いても無意味な事だ」

 

 言いながら、アンジェリカは再び響達の方に向き直る。

 

「どのみち、美遊様以外はここで死んでもらうのだからな」

 

 言いながら、再び空間の門を開き、宝具を展開するアンジェリカ。

 

 今度は先ほど比ではない。狭い空間で出せるだけの宝具を出してきた感がある。

 

 どうやら、物量でもって一気にこちらを押しつぶすつもりなのだ。

 

 その様子を見ながら、ギルは潜入する際に使った身隠しの布を、響の方へと押し付けてきた。

 

「響、合図をしたら。この布を使って、美遊ちゃんと田中さんを連れて逃げて」

「良いけど、ギルは?」

 

 撤退する事には響も異論はない。そもそも、今の響がアンジェリカ相手に、単騎で勝てるとは思っていない。

 

 ここで戦っても勝ち目はない。

 

 イリヤを助ける為にも倒れる訳にはいかない。ここはギルの言う通り、隙を突いて撤退した方が正しいだろう。

 

「どうする気?」

「言ったでしょ。僕の目的は、アンジェリカが持っている僕のカードなんだ。あれを取り戻さないと」

 

 つまり、ギルは己の目的も込めて、この場でアンジェリカを足止めしようと言う事だった。

 

 しかし今のギルは、戦う力の殆どをアンジェリカに奪われている状態だ。その状態で戦うのは、英霊たる少年と言えど命取りになる。

 

 僅かに逡巡を見せる響。

 

 だが、

 

「君には君の目的があるんでしょ。そっちを優先しなよ」

 

 迷う響の背中を押すようにギルは言った。

 

 ここに来たのは互いに目的があっての事。

 

 ギルにはギルの、響には響の、美遊には美遊の、そして多分だが、田中には田中の。

 

 ならば、ここはギルに任せて、響達は先に進むべきだった。

 

「ん、死ぬな」

「そっちもね」

 

 互いに視線を交わし、頷きあう響とギル。

 

 響はそのまま、牢に縋りついている美遊に駆け寄った。

 

「美遊、早く」

「いやッ」

 

 肩を掴む響の手を、美遊は強引に振り払う。

 

「お兄ちゃんを置いてなんて行けない!!」

 

 頑なに言い放つ。

 

 美遊の気持ちは判る。せっかく再会できた兄を、こんな暗い地下牢に置き去りにしていきたくは無いだろう。

 

 しかし、現実問題として、今この牢を破るのは難しい。

 

 こうしている間にもアンジェリカの総攻撃が始まるかもしれない。そうなると、響達の離脱すら難しくなるだろう。

 

「お兄ちゃんッ お兄ちゃん!!」

 

 尚も牢の扉を乱暴に叩く美遊。

 

 それが無駄であると言う事すら、今の美遊には判っていない。どんなに叩いても、少女の細腕ではビクともしない。

 

 まずい。

 

 響の脳裏に焦りが滲む。

 

 ここで拘泥していたら、アンジェリカに捕まってしまう。他のエインズワース側の人間も現れるかもしれない。そうなったら終わりだ。

 

 どうにかして、美遊を説得してここから離れないと。

 

 だが、今の美遊は兄以外の事は見えていない。

 

 今目の前で捕まっている兄を助ける以外、完全に眼中に無いのだ。

 

 運命は徐々に迫ってくる。

 

 その時、

 

「・・・・・・・・・・・・逃げろ、美遊・・・・・・逃げるんだ」

 

 牢の中から、美遊兄が苦し気な声を発してきた。

 

「お兄ちゃん・・・・・・・・・・・・」

「ここで、お前が捕まる事は出来ない・・・・・・早く、逃げるんだ」

 

 美遊の兄なら当然、美遊が聖杯である事は知っているだろう。そして、それ故にエインズワースが美遊を狙っているであろうことも。

 

 だからこそ、美遊の命を最優先にしている。

 

 否、そんな上辺の事ではない。

 

 妹の無事を願わない兄などいない。

 

 妹の美遊は、何としても助かってほしい。彼の中にあるのは、その一念のみだった。

 

「お兄ちゃんを置いてなんて、行ける訳ないでしょ!!」

 

 尚も扉の前から離れようとしない美遊。

 

 対して、

 

「・・・・・・聞くんだ、美遊」

 

 美遊兄は諭すように、静かな口調で言った。

 

「お前が無事であり続ける限り、奴らは俺を決して殺せない。お前は頭が良いから、この意味が分かるだろ」

「お兄ちゃん、それは・・・・・・・・・・・・」

 

 兄の言葉に、言い淀む美遊。

 

 判っている。

 

 判っているのだ、美遊にも。兄が言わんとする事が。

 

 美遊が健在であり続ける限り、エインズワースは兄に手出しはできない。

 

「エインズワースにとって、俺はお前に対する人質だからな。俺を殺して、お前が完全に敵に回る事を、奴らは恐れているはずだ。だから、何としてもこの場は生き延びてくれ」

 

 限りなく注がれる兄の愛。

 

 その事は、美遊にも痛いほどに判っていた。

 

「美遊、ここは退こう」

 

 そんな美遊の肩を、響がそっと掴む。

 

「響・・・・・・でも・・・・・・」

「ここで戦っても勝ち目はない。チャンスを待つべき」

 

 響の言葉に、黙り込む美遊。

 

 彼女にも判っているのだ。

 

 ここで戦っても勝ち目がない事も、

 

 そして、自分が生き延びる事が、結果的に兄を救う事に繋がる事も。

 

 しかし、目の前に囚われている兄。

 

 その兄を助ける事も出来ず退却しなくてはいけない美遊の苦渋は、察するに余りあった。

 

「・・・・・・・・・・・・待ってて、お兄ちゃん」

 

 ややあって、美遊は絞り出すように告げる。

 

「必ず・・・・・・必ず、助けに来るから」

「ああ、頼むな」

 

 姿は見えない。

 

 しかし確かに、美遊の兄は扉の向こうで笑ったような気がした。

 

 だが、別れを惜しむ時間さえ、美遊達には残されていなかった。

 

 無数の宝具を従えて迫るアンジェリカ。

 

 その前に、ギルが小さな体で立ちはだかる。

 

「さあ、行って!!」

 

 言い放つと同時に、ギルは胸に下げた首飾りを投げつける。

 

 この首飾りは日食を象っており、一見するとただの装飾品にしか見えない。

 

 しかし、これもまたギルが保有する財宝の一つであり、身に着けるだけで飛び道具を無効化する事あできるお守り(アミュレット)である。

 

 そして同時に、別の使い方も存在した。

 

 投げつけられた首飾りが、強烈な発光を示して、アンジェリカの視界を白く染め上げる。

 

 視界全てが光に包まれる中、

 

 美遊達は、後ろ髪引かれる思いで駆け出す。

 

「頼んだぞッ 響ッ」

 

 その背中に、美遊の兄の声が聞こえてくる。

 

「美遊を、守ってやってくれッ!! 俺と・・・・・・『あいつ』の代わりに!!」

「・・・・・・・・・・・・え?」

 

 どこかで聞いたような声に、思わず振り返る響。

 

 だが、その言葉の意味を考える暇も無く、3人はその場を後にするしかなかった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 戦闘開始の音は、場内全てに確実に響き渡っていた。

 

 圧倒的な戦力差で戦う事を余儀なくされたギルの事は気になるが、今はそちらに気を回している余裕はない。

 

 不意の襲撃で敵が混乱している。

 

 その隙に何としても、囚われているイリヤを助け出すのだ。

 

「お兄さんは、イリヤは一番高い塔にいるって言ってた」

「場所は大体わかる。多分、私が捕まっていた場所だと思う」

 

 走りながら答える美遊。

 

 その表情には、苦い物が走っているのが見て取れる。

 

 兄を置いてこざるを得なかった事が、未だに彼女にとって後悔の鎖となって絡みついていた。

 

 だが、ギルが命がけで作ってくれたチャンスである。決して無駄にはできない。何としても、イリヤだけでも助け出すのだ。

 

「あそこッ」

 

 美遊が指示した方向には確かに、高い塔が聳え立っているのが見える。

 

 あれ以上に高い塔が見当たらない事を考えれば、あそこにイリヤがいる公算は高い。

 

 だが、

 

「でも、塔は見えていても行き方は判んないです。どうやって行くですか?」

 

 田中の質問はもっともだ。ここからいちいち城の中を通り抜けて、あの塔まで行くのはリスクが高すぎる。行く途中で敵に捕捉される可能性の方が高い。

 

 ならば、

 

「響、お願いできる?」

「ん」

 

 頷くと、立ち止まる響。同時に、塔までの距離を目測で測る。

 

 高い塔であるが、魔力で足場を形成して跳躍すれば、届かない高さではない。

 

「やってみる」

 

 そう言うと、紐を放す響。

 

 魔術回路の調子を確認する。

 

 問題は無い。

 

 回路を起動しようとして響が膝をたわめた。

 

 次の瞬間、

 

「そこまでだ」

 

 低く響く声。

 

 戦慄と共に、強烈な気配を伴った足音が近づいてくるのを感じた。

 

 振り返る一同。

 

 同時に響は、自分が致命的な失敗をしたことを悟った。

 

 ここで、身隠しの布を解くべきではなかった。

 

 ゆっくりとこちらに歩いてくる長身の男。

 

 見間違えるはずもない。あの円蔵山において、美遊を連れ去ろうとした、3人のうちの1人である。

 

 シェルドは警戒するように立ち尽くす3人を見据えて口を開いた。

 

「・・・・・・恨みはない」

 

 低く響く声。

 

 その声が、響達の首を絞めつけるような圧力をかける。

 

 言いながら、シェルドは、その手を胸の前へと掲げる。

 

「だが主家の為、貴様らの行く道、阻ませてもらう」

 

 告げると同時に、シェルドの中で魔力が高まる。

 

 鋭い視線が光った。

 

 次の瞬間、

 

夢幻召喚(インストール)!!」

 

 詠唱と同時に、シェルドの身は光へと包まれる。

 

 その光が晴れた時、

 

 男の姿は一変していた。

 

 銀の甲冑に鋭い眼差し、手には大ぶりの大剣を背負っている。

 

 その姿はまさに剣士(セイバー)と称して良い、威風堂々たる姿だった。

 

 対して、

 

「美遊、作戦変更」

「え、響?」

 

 美遊と田中を背に庇いながら、響は前へと出る。

 

「ここで足止めするから、2人は正面から入って」

 

 言い放つと同時に、響もまた胸に手を当てる。

 

夢幻召喚(インストール)!!」

 

 閃光が、少年の体を包み込む。

 

 同時に、その姿にも変化が生じた。

 

 黒装束に短パン。髪は伸びて後頭部で結ばれ、口元はマフラーで覆われる。

 

 暗殺者(アサシン)の姿に変化する響。

 

 同時に、抜き放った刀を、真っすぐにシェルドへと向けた。

 

「行くぞ」

 

 呟くと同時に、

 

 響は刀を構えて斬り込んだ。

 

 

 

 

 

第6話「悲哀の兄妹」      終わり

 



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第7話「アナザー」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 響とシェルド。

 

 睨み合う両者は、互いの刃を掲げる。

 

 視線がぶつかり合い、大気は容赦なく張り詰める。

 

 静寂の一瞬。

 

 次の瞬間、

 

 両者、ほぼ同時に地を蹴った。

 

 疾風の如く駆ける2人。

 

 高速で背後へと流れる周囲の風景。

 

 衝撃が、周囲に容赦なく撒き散らされる。

 

 そして、

 

 加速する体の疾走感を味わう余裕も無く、互いの間合いはゼロとなった。

 

「んッ!!」

 

 先に仕掛けたのは響だった。

 

 手にした刀を横なぎに一閃する響。

 

 銀の刃が、月牙の軌跡を描く。

 

 対して、

 

 シェルドもまた、背負った大剣を抜き放ち迎え撃つ。

 

 長い。

 

 その大剣に、思わず響は目を見張る。

 

 刀身だけで、響の身長よりも長いだろう。装飾の少ない銀の刀身は、逆に凄みを感じさせる。

 

 響とシェルド。

 

 互いに鋭く奔る互いの刃が、豪華な庭園を舞台に激突した。

 

 金属的な異音と共に飛び散る火花。

 

 そのまま鍔競り合いに入る。

 

 互いに英霊を纏った両雄は、刃を交えて睨み合う。

 

「美遊様を渡せ」

「断る」

 

 シェルドの言葉に、響は即答で答える。

 

 美遊は守る。

 

 そしてイリヤは返してもらう。

 

 己の全存在を掛けてでも、響にとってそこは退けない一線だった。

 

 対して、シェルドはそんな響を静かな瞳で見据える。

 

 長身のシェルドからすれば、小柄な響とは頭二つ分くらい身長に違いがある。

 

 自然、響はシェルドを見上げる形になっているのだが、

 

 しかし響は、己よりも遥かに大きな男を前に、一歩も引く事無く対峙していた。

 

 次の瞬間、両者は同時に動いた。

 

 響を押しつぶさんと、両手で構えた大剣にさらに力を籠めるシェルド。

 

 そのまま押しつぶすか?

 

 そう思った次の瞬間、

 

 響は殆どすり抜けるような形でシェルドの刃を回避。同時に、手にした刀を鋭く斬り上げる。

 

 縦に奔る銀の一閃。

 

 しかし、

 

「遅い」

 

 低い呟きと共に、シェルドは斬り上げた響の剣閃を、のけぞるように回避した。

 

 僅かに及ばず、響の剣閃はシェルドの鼻先を掠めるにとどまる。

 

 舌打ちする響。

 

 そのまま後方宙返りを切りながら、シェルドから距離を取る。

 

 着地と同時に刀を構えながら、響は改めてシェルドを見やった。

 

 数合撃ち合っただけだが、シェルドの強さは滲むように響に伝わってきていた。

 

 剣を使っている事から考えても、シェルドの英霊は間違いなく「剣士(セイバー)」だろう。

 

 何の英霊を夢幻召喚(インストール)したのかは知らないが、「暗殺者(アサシン)」で正面戦闘を挑むのは危険すぎる相手だ。

 

 本来なら暗殺者(アサシン)らしく、死角から奇襲をかけるべき所である。

 

 しかし、既にヒビキの姿はシェルドに認識されてしまっている。こうなると気配遮断の効果は期待できない。

 

 いわば響は暗殺者(アサシン)たる最大の武器を、初めから奪われているに等しかった。

 

 だが、考えている時間は無かった。

 

「ハァッ!!」

 

 接近と同時に、手にした大剣を袈裟懸けに一閃させるシェルド。

 

 銀の轟風が、空間を断絶する勢いで響に迫る。

 

 巨大な刃が、少年の体を斬り裂く。

 

 そう思った次の瞬間、

 

 響は空中で大きく宙返りしながら跳躍。着地と同時に、シェルドの背後へと回り込んだ。

 

「むッ!?」

 

 虚を突かれ、とっさに振り返るシェルド。

 

 その時には、既に響は攻撃態勢を整えていた。

 

「貰ったッ!!」

 

 横なぎに刀を繰り出す響。

 

 自身の機動性をフルに活かした攻撃。

 

 対して、シェルドの対応は全く追いつかない。

 

 そのまま、響の刃は真っ直ぐに迸った。

 

 

 

 

 

 響とギル。

 

 少年たちが命がけで時間を稼いでいる中、身隠しの布で姿を隠した美遊と田中は、そのまま城内へと目指して走っていた。

 

 焦燥は、否が応でも美遊の中で募っていく。

 

 ともかく急がなくては。

 

 以前、この城に囚われていた美遊だが、実のところ、エインズワース側の戦力を正確に把握しているわけではない。

 

 どれくらいの戦力があって、どんな英霊を使えるのか、そう言った情報は一切手元にない。

 

 敵が総力を挙げて迎撃してきたら、響やギルの手に余る可能性もある。

 

 ともかく、2人が時間を稼いでいる隙に、美遊と田中がイリヤを助け出す。その後、戦っている2人と合流して撤退する。

 

 美遊達にできる作戦は、それのみだった。

 

 勿論、美遊にとって囚われている兄の事は、盛大に後ろ髪を引かれている。

 

 しかし今、兄の事まで手を回している余裕はない。

 

 厳重に監禁された兄を助けようとすれば、この場にいる全員の死は免れないだろう。

 

 今はまだ、助ける事は出来ない。悔しいが、それが現実である。

 

 美遊が健在である限り、兄は大丈夫。

 

 そう信じて、今は退くしかなかった。

 

「でも、どうやって、あそこまで行くです?」

 

 田中が遥か彼方の塔を見上げながら、至極当然の質問をしてきた。

 

 確かに、普通に城内を歩いて行ったのでは時間がかかりすぎるし、敵に見つかるリスクも大きいだろう。

 

 どうにかして、最短のルートを見つけるしかない。

 

「サファイアがいれば、あそこまで一気に跳ぶこともできるんだけど・・・・・・」

 

 悔しそうに、美遊は呟く。

 

 今は手元にないサファイアの存在が惜しまれる。彼女がいてくれたら、美遊も戦う事ができるのに。

 

 と、

 

「プップー 人間は空を飛ぶなんてできませんよー。そんな事も知らないなんて、美遊さんはお子ちゃまですねー」

「・・・・・・・・・・・・」

 

 わざとらしく馬鹿にした笑いを向けてくる田中に対し、美遊は沈黙を返す。

 

 たぶん今、美遊は怒って良い。

 

 よりによって「リアルお子ちゃま脳」の田中に「お子ちゃま」呼ばわりされるとは。

 

 しかし、美遊は鉄の精神で耐える。

 

 今はそんなくだらない事に労力を使っている時ではなかった。

 

「・・・・・・ともかく、急ごう」

「ハイですー」

 

 頷きあって駆けだす美遊と田中。

 

「ところで、どうやって空を飛ぶですか? 田中にも教えてくださいですー」

「・・・・・・・・・・・・蒸し返さないで、お願いだから」

 

 ここぞとばかりに、美遊を弄りまくる田中。

 

 冷静な美遊も、そろそろ我慢の限界である。

 

 そんな事をしている内に、城門が見えてくる。

 

 ここをくぐって場内に突入。イリヤがいるであろう塔を目指す。

 

 いかに素早く、塔へ続く階段を見つけられるかがカギである。

 

 そう考えて城門を潜った。

 

 次の瞬間、

 

 2人の視界は一変した。

 

 2人が踏み込んだ先。

 

 その足元が、急に消失したのだ。

 

「え?」

「はい?」

 

 何が起きたのか認識する暇もなく、いきなり落下を始める美遊と田中。

 

 何と言うか、普通に歩いていたら、突然、足元の地面が無くなったような感じである。

 

 そのまま重力の法則に従い落下していく。

 

 同時に身隠しの布も手元から離れ、姿を現した2人は、積み上げられた瓦礫の山を転がり落ちる羽目になった。

 

「クッ!?」

 

 美遊はどうにかバランスを取り戻し、瓦礫を足場代わりにして床へと着地した。

 

 しかし田中はそうは行かず、そのまま転がり落ちて、顔面から地面に突っ込む羽目になった。

 

 やがて、地面に足を着ける2人。

 

 着地に成功した美遊とは裏腹に、田中は顔面から床に突っ込んでいた。

 

「田中さん、大丈夫?」

「ふい~ お鼻が痛いです~」

 

 思いっきり顔面を赤くしながら涙を浮かべる田中。

 

 どうやら、声を出せる程度の怪我であるらしい。取りあえず軽傷なようで何よりである。

 

 しかし、

 

 警戒しながら周囲を見回す美遊。

 

 そこは城門の中などではなく、城の地下と思われる場所だった。

 

 無数のがらくたが山のように積み上げられ、ごみ置き場のような様相となっていた。

 

「ここはどこです? お城の中ですか?」

 

 周囲をキョロキョロと見回しながら、田中は首をかしげる。

 

 城の門を抜けたら風景が一変していたのだ。これで驚くなと言う方が無理がある。

 

 だが、

 

「・・・・・・・・・・・・しまった。そういう事か」

 

 一方、美遊は臍を噛む思いで呟く。

 

 今目の前にある光景。

 

 それがもたらされた意味を、今更ながら思い出していたのだ。自分が犯してしまった致命的なミスと共に。

 

 そして、

 

 美遊の危惧を代弁するような声が、背後から聞こえてきた。

 

「は~い、2名様ごあんな~い。いいところに飛び込んできてくれたじゃんか。飛んで火に入るって奴?」

 

 嘲笑を含んだ声に、振り返る美遊と田中。

 

 その視線の先には、

 

 手に傘を持ち派手な格好をした少女が、凶悪な相貌で美遊達を見据えて立っていた。

 

 ベアトリスだ。

 

 まるで、美遊達がこの場所に現れるのを知って待ち構えていたかのように現れたベアトリス。

 

 そのからくりを理解した美遊が唇を噛み占める。

 

「・・・・・・置換魔術(フラッシュ・エア)

「ご名答。正面突破とか、うちらを甘く見過ぎだっての」

 

 言いながらベアトリスは、手にした傘の先を向けてくる。

 

 置換魔術(フラッシュ・エア)とは、その名の通り「何かと何かを入れ替える魔術」である。本来なら劣化交換しかできない下位魔術に過ぎないが、エインズワース一族は、この置換魔術に特化している。

 

 当然、この魔術を使って工房内を徹底的に改造してある。

 

 美遊は不覚にも、その事を完全に失念していたのだ。

 

「あれ~ 面白そうな事やってんじゃん」

 

 軽めの口調が、地下室に響き渡る。

 

 振り返る美遊と田中。

 

 そこには、

 

「僕も混ぜてよ、ベアトリス」

 

 深山町で襲撃を掛けてきた少年が、へらへらとした笑みを浮かべて立っていた。

 

 その様に、舌打ちするベアトリス。

 

「鬱陶しいな、テメェはすっこんでろよヴェイク」

「手柄1人締めしようっての? それは無いんじゃない?」

 

 肩を竦めながら告げるヴェイク。

 

 その様子を、ベアトリスは舌打ちしながら横目で見ている。

 

 美遊達にとっては、最悪の状況だ。

 

 まさか、丸腰で2人も敵を相手にしなくてはならないとは。

 

 どうする? どうすれば、この状況を切り抜けられる?

 

 必死に考える美遊。

 

 だが、その考えている余裕すら、今の美遊には与えられなかった。

 

「そんじゃ、早速で悪いけど」

 

 言った瞬間、

 

 ベアトリスの傘の先端が、田中の腹に突き刺さった。

 

「サクッと死んでね」

 

 さく裂する魔力の閃光。

 

「田中さん!!」

 

 美遊が悲鳴を上げる中、田中は大きく吹き飛ばされる。

 

 そのまま床に転がる田中。

 

「ワーオッ いきなり派手に逝っちゃったねー 死んだ? ねえ死んだ?」

 

 下品な喝采を上げるヴェイク。

 

 どう考えても、無傷であるはずが無い。

 

 美遊は慌てて駆け寄る。

 

「田中さん、しっかりして!!」

 

 慌てて抱き起す。

 

 だが、

 

 思わず、美遊は目を見張った。

 

 見れば、田中は腹に大きなダメージを負っているようだが、取りあえず外傷らしきものは見当たらない。

 

 ホッとする美遊。

 

 何とも呆れる頑丈さである。

 

 そんな田中の様子に訝ったのは、むしろベアトリスの方だった。

 

「っかしーな・・・・・・胴体吹き飛ばすつもりでぶっ飛ばしたんだけど、何でまだ生きてるわけ?」

 

 自分の思い通りに事が運ばなかったことで、苛立ちを込めて呟くベアトリス。

 

 彼女の思惑では、今の一撃で田中を完全に仕留められるはずだったのだ。

 

「ハハハ、バーカバーカ、失敗してやんの」

「ウルセェ テメェから殺されてェのか?」

 

 挑発するヴェイクに対し、本気の殺気をぶつけるベアトリス。下手をすると、本当にそのまま殺してしまいそうな勢いである。

 

 そんな2人の様子を、美遊は冷静に観察する。

 

 ベアトリスとヴェイクが、仲が悪いのは見ていて間違いないだろう。

 

 現状、唯一とも言える勝機はそこだけだが、しかし実戦力が皆無の状況では、せっかくの勝機も活かし難い。

 

「・・・・・・・・・・・・」

 

 倒れている田中を見やる美遊。

 

 今の自分には力は無い。

 

 戦うどころか、ここから逃げる事すら難しい。

 

 だが、

 

 たとえ戦う力は無くても、諦める事は出来ない。

 

 そう、

 

 あの時の響のように。

 

 「向こう側の世界」における最後の戦いになった、ギルとの決戦。

 

 あの時響は、力尽きても尚、美遊を助けるために戦ってくれた。

 

 今の美遊に求められているのは、あの時の響が見せた勇気だった。

 

 立ち上がる美遊。

 

 田中を背に庇うように立ちながら、ベアトリス達と対峙する。

 

 そんな美遊の様子に気付いた、ベアトリスとヴェイクは口論をやめると、冷ややかな目で睨みつけてきた。

 

「は? 何それ? かかしのつもり? ウケるんですけど」

「・・・・・・・・・・・・」

「そんなんで、あたしを防げると本気で思っている訳?」

 

 嘲笑交じりのベアトリスの言葉に対し、美遊は無言のまま立ち続ける。

 

 美遊とて、こんな事でベアトリスを止められるとは思っていない。

 

 しかし、傷を負った田中を放っておくことも、美遊にはできなかった。

 

「どうすんのベアトリス? お姫様を下手に傷付けたら、絶対アンジェリカにどやされるよ」

「・・・・・・・・・・・・ああ、面倒くせェ」

 

 肩を竦めるヴェイクの言葉に対し、頭をガリガリと掻きながら、ベアトリスはため息をつく。

 

 エインズワースの人間である彼女達としては、美遊を無傷で手に入れなくてはならない。それでなくても、美遊に少しでも傷付けようものなら、堅物のアンジェリカ辺りがうるさく騒ぎ立てるに決まっている。

 

 それを考えれば、美遊の行動はベアトリスやヴェイクにとって、鬱陶しいことこの上なかった。

 

「しょーがねえ、やるか」

「だねー」

 

 言いながらベアトリスが、ポケットから取り出した物。

 

 それを見て、美遊は思わず目を見開いた。

 

 ベアトリスの手には、獰猛な獣人が描かれたカード。

 

 同時にヴェイクは、右手を胸の前に掲げる。

 

 ベアトリスが持っているのは間違いなく、「狂戦士(バーサーカー)」のクラスカードだ。

 

 それにヴェイクの仕草は、響がカードを使用する時のポーズに似ている。

 

 次の瞬間

 

「「限定展開(インクルード)!!」」

 

 同時に叫ぶ、ベアトリスとヴェイク。

 

 同時に、

 

 ベアトリスの右腕が肥大化する。

 

 同じく、ヴェイクの手には、あのおぞましい装丁の本が出現し、更に彼の背後には異界の門が開くのが見えた。

 

 身構える美遊。

 

 状況は加速度的に悪くなっている。

 

 そんな美遊から考える間を奪うように、ベアトリスは動いた。

 

「ちょっと痛いけど我慢してね。まあ、死んじゃったら、その時はごめんねー!!」

 

 言い放つと同時に、ベアトリスは美遊に殴りかかった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 この結果は、ある意味必然であったと言えよう。

 

 目の前にある光景を、アンジェリカは冷ややかな眼差しで睨みつけていた。

 

 勝負開始から僅か数分。

 

 四方八方から伸びた鎖によって雁字搦めにされたギルは、宙に釣り上げられて拘束されていた。

 

「身の程を知るのだな」

 

 アンジェリカは吐き捨てるように告げる。

 

「財の殆どはこちらが有しているのだ。貴様に勝機などあるはずが無かろう」

 

 やはりと言うべきか、戦力差は圧倒的過ぎた。

 

 いかにギルが最高クラスの英霊でも、戦力の大半を奪われた状態では如何ともしがたかった。

 

「逃げた2人も、どうやら捕まえたらしい。残る1人も間もなくだろう。呆気ない物だな」

 

 これでエインズワースの勝利は確定。残る雑魚は放っておいても支障はない。

 

 アンジェリカの頭の中では、既に戦いは終わった物として扱われ始めていた。

 

 だが、

 

「・・・・・・・・・・・・ハハ」

 

 宙に釣り上げられ、拘束されたギルの口から乾いた笑いが漏れ出てきた。

 

 その様子に、目を細めるアンジェリカ。

 

「・・・・・・何を笑う?」

 

 問いかけるアンジェリカ。

 

 対して、ギルも顔を顔を上げる。

 

 泣いているような、しかしどこか座った眼でアンジェリカを見るギル。

 

「そりゃ笑うよ。こんな面白い事の只中にいるんだからね。そんなとき人は、笑うし、怒るし、泣くさ。それこそが人間だろう?」

 

 言いながらギルは、力ない瞳でアンジェリカを見る。

 

「なんて言っても君には判らないか。所詮は人形だしね」

「・・・・・・・・・・・・成程、侮辱されたのだな、私は」

 

 ギルの物言いに対し、静かに頷いて見せるアンジェリカ。

 

 同時に彼女の背後に空間の門が開き、宝具の切っ先が姿を現す。

 

「ならば、その侮辱に応えるとしよう!!」

 

 言い放つと同時に、宝具が一斉に射出された。

 

 

 

 

 

 シェルドの背後を取ると同時に、横なぎに繰り出される響の刃。

 

 鋭い銀の閃光が、シェルドに迫る。

 

 絶対にかわせるタイミングではない。

 

 貰った。

 

 響はそう思った。

 

 次の瞬間、

 

 ガキッ

 

 鈍い音と共に、響が繰り出した刃はシェルドによって防ぎ留められてしまった。

 

「なッ!?」

 

 驚いて目を見開く響。

 

 響の刃を受け止めているもの。

 

 それは剣でも防具でもなく、シェルドの腕だった。

 

 反身を振り返らせながら、シェルドは響が繰り出した刃を手の甲で受け止めている。

 

 刃は、1ミリたりともシェルドを斬ってはいなかった。

 

「無駄だ」

 

 低く呟くシェルド。

 

 次の瞬間、

 

 強烈な回し蹴りが、響に襲い掛かって来た。

 

「ッ!?」

 

 脇腹に膝を叩き込まれ、大きく吹き飛ばされる響。

 

 そのまま地面に転がり倒れ込む。

 

 痛むわき腹を押さえ、どうにか顔を上げる。

 

 どうやらシェルド自身、響の速さを前に有効な攻撃ができなかったと見える。

 

 霞む視界の中で、響は痛みをこらえながら考える。

 

 先程の響の攻撃は、完全に決まったと思った。

 

 だが、結果的にシェルドは、素手で受け止めてしまっている。

 

 間違いない。シェルドは何らかの無敵系のスキルを持っている。それが夢幻召喚(インストール)した英霊の能力である事は間違いないだろう。

 

 ならば、その秘密を解明しないと、シェルドを倒す事は出来ない。

 

「クッ・・・・・・・・・・・・」

 

 どうにか痛みをこらえて立ち上がろうとする響。

 

 だが、その前にシェルドは、手にした大剣を振り被る。

 

 その姿を、響は歯を噛み占めながら睨みつけていた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 ・・・・・・・・・・・・さ・・・・・・・・・・・・

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 ・・・・・・み・・・・・・・・・・・・だ・・・・・・

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 ・・・・・・・・・・・・みゆさ・・・・・・おき・・・・・・

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 誰かに呼ばれたような気がして目を覚ます美遊。

 

 途端に、忘れていた痛みが襲ってくるのが分かった。

 

「クッ・・・・・・・・・・・・」

 

 痛む頭を押さえて、起き上がる美遊。

 

 頭を振って意識を吐き利させると、前後の記憶を思い起こす。

 

 確か自分と田中は、エインズワース城の城門をくぐったら、そこは地下の瓦礫置き場で、

 

 待ち伏せしていたベアトリスとヴェイクに襲撃されて、そして・・・・・・・・・・・・

 

「あ、起きた? ちょうど今、面白いところだよー」

 

 楽しげに聞こえるヴェイクの声に、顔を上げる美遊。

 

 そこで初めて、自分が捕まってしまっている事に気が付いた。

 

「これはッ・・・・・・・・・・・・」

 

 絶句する美遊。

 

 美遊の体は、ヴェイクの触手によって雁字搦めにされ、身動きが取れなくなっている。

 

 予想はしていた事だったが、やはり生身で英霊に立ち向かう事は出来なかった。

 

 田中はベアトリスに滅多打ちにされ、美遊はヴェイクが出した触手によって取り押さえられ、そのまま気を失ってしまったのだ。

 

「そうだッ 田中さんッ」

 

 一緒にここに突入してきたブルマー少女の身を案じ、立ち上がろうとする美遊。

 

 その時、

 

「何だこれッ 超ウケるんですけどー!!」

 

 品の無い笑い声が、地下室に木霊する。

 

 振り返る美遊。

 

 そこで目にした光景に、思わず絶句する。

 

 狂笑するベアトリス。

 

 その目の前では、柱に磔にされた田中の姿があった。

 

 ブルマー少女は体に無数の刃を突き立てられ、力なく項垂れている。

 

「体のどこにブッ指しても、指一本千切れねえッ!! こんな面白い玩具初めてなんですけど!! もしかして、一生遊べるんじゃねえの!!」

 

 歪んだ歓喜を爆発させるベアトリス。

 

 そんなベアトリスの様子を見ながら、ヴェイクもへらへらと笑みを浮かべている。

 

「おーおー、絶好調だねー 後で僕にも変わってよー」

 

 陰惨その物の光景。

 

 対して、囚われた美遊は何もできない。

 

「やめてェ!!」

 

 悲痛な美遊の叫びにも、ベアトリスとヴェイクは薄笑いを浮かべている。

 

 獲物を捕らえたサディストほど残忍な存在はいない。

 

 今や美遊達は、2人の捕食者が織りなす狂った饗宴における、哀れな獲物に過ぎなかった。

 

「やめてッ お願いだから!!」

 

 それでも美遊は叫ぶ。

 

 たとえ、それが無駄だと判っていても。

 

 そんな美遊の姿を見ながら、頭を掻きながらベアトリスは睨む。

 

「ああ、もうッ 鬱陶しいから寝てろよ。あんたを傷つけると、色々とうるさい奴が多いんだからさ、うちにはさ」

 

 言いながらベアトリスは、磔にされた田中を見上げる。

 

「こいつでもう少し遊んだら、あんたの事はちゃんと連れてってやるさからさー!!」

 

 言いながら、ベアトリスは肥大化した拳で、田中の体を殴りつける。

 

「田中さんッ!!」

 

 悲痛な声を上げる美遊。

 

 先程のベアトリスの攻撃から耐えきった田中だが、こうなってしまっては最早、生きているかどうかも分からない。

 

「て言うか、そろそろ僕と代わってよベアトリス。おもちゃの独り占めはずるいよ」

「ダメだ。こいつはぶっ壊れるまであたしが遊ぶって決めたんだ。お前はそこで、指でも咥えてろよ」

 

 狂気に満ちた2人のかいわを聞きながら、改めて自分の無力さを噛み占める美遊。

 

 覚悟を決めたのに、

 

 戦うと決めたのに、

 

 今の自分には何の力もない。

 

 戦う事も、

 

 響達を援護する事も、

 

 田中を助ける事すらできない。

 

 悔しさで、涙がにじむ。

 

 ただ守られるだけの今の自分の、何と情けない事か。

 

「私にも・・・・・・・・・・・・」

 

 戦う力があれば。

 

 強く、そう思う。

 

 敵は強大だ。美遊1人が戦線に加わったとしても、劇的に変化するとは思えない。

 

 だがしかし、

 

 それでも、

 

 この時ほど、美遊は戦う力を欲した事は無かった。

 

 その時、

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 ・・・・・・みゆさ・・・・・・わ・・・しの、こえ・・・・・・か?

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 先程聞こえた声が、再び響いてくる。

 

 聞き覚えのある、その声。

 

 促されるまま、美遊は手を伸ばす。

 

 次の瞬間、

 

 少女の姿は光に包まれた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 アンジェリカは、自分が決定的な失敗をしている事に、まだ気づいていなかった。

 

 射出した宝具。

 

 その動きが、一斉に止まる。

 

 空中で刃に絡みつく、無数の鎖。

 

 それは、数瞬前までギルを拘束していた物だった。

 

「何だ、鎖が、勝手に!?」

 

 それまでアンジェリカの制御下にあった鎖が完全にコントロール不能になり、次々と勝手に動き始めていた。

 

 拘束されていたギルも、解放されて床に足を付く。

 

「僕だってさ、笑うし、怒るんだよ」

 

 静かに告げる少年。

 

 英霊ギル

 

 その真名は「ギルガメッシュ」。

 

 古代メソポタミア、シュメールの都市ウルクを収めた人類最古の英雄。

 

 数多の英雄達の頂点に立つ「英雄王」。

 

 その彼が持つ代表的な宝具は3つ。

 

 世界中のあらゆる財宝を収め、自在に取り出す事ができる「王の財宝(ゲート・オブ・バビロン)」。

 

 かつて天地を斬り裂いた剣、乖離剣エアから放たれる、世界をも斬り裂く魔剣「天地乖離す開闢の星(エヌマ・エリシュ)」。

 

 そして、

 

 その2つに比べれば聊か見劣りはする。

 

 しかし、これこそが、英雄王が最も頼みとする宝具。

 

 かつて天の牡牛を繋ぎ留め、神をも捕縛する力を与えられた鎖。

 

 「天の鎖(エルキドゥ)

 

 遥か神話の時代、英雄王がその生涯において唯一、絶対の友と認めた者の名を冠した宝具である。

 

 英雄王が友その物として愛用する宝具を、不用意に触れれば如何なる事になるか、アンジェリカは全くと言って良いほど理解していなかった。

 

 手元に戻って来た鎖を、いたわるように握りしめるギル。

 

 その瞳は獰猛に吊り上がり、先程まで見せていたあどけない表情は完全に消えている。

 

 深紅の瞳が、殺気を伴ってアンジェリカを睨みつけた。

 

「いい加減、僕の(とも)を勝手に使うなよな。雑種」

 

 

 

 

 

 シェルドが振り下ろした大剣の刃が、少年へと迫る。

 

 圧倒的な重量感を伴って振り下ろされる刃。

 

 その一撃が、全てを粉砕した。

 

 次の瞬間、

 

「・・・・・・・・・・・・何?」

 

 目を見開くシェルド。

 

 振り下ろした大剣。

 

 その手に、人を斬った感触が無い。

 

 あまりにも軽い感触。

 

 次の瞬間、

 

「遅い」

 

 低く呟く、少年の声。

 

 見れば、いつの間にか背後に回った響が、刀を繰り出す態勢を取っていた。

 

「クッ!?」

 

 突き込まれる、響の刃。

 

 その攻撃を、とっさに飛びのく事で回避する。

 

「貴様・・・・・・・・・・・・」

「悪いけど、無敵キャラの相手なら慣れてる」

 

 そう告げると、響は刀の切っ先をシェルドへと向ける。

 

 身に纏いしは、浅葱色に白の段だら模様の入った羽織。

 

 かつて名実ともに幕末最強を謳われた剣客集団「新撰組」の隊士のみが着用を許された「誓いの羽織」。

 

 この羽織を身に纏う時、それは絶対に負けられない戦いである事を意味する。

 

「今度は、こっちのターン」

 

 響は刀の切っ先を真っすぐにシェルドに向けながら告げた。

 

 

 

 

 

 晴れる光。

 

 その中で、少女の姿は一変していた。

 

 ピンクのレオタードを身に纏い、腰回りを覆う白いミニスカートは前が大胆に開き、左右から腰を覆う形になっている。

 

 指先から肘まで手袋が覆い、足には羽をあしらった白いブーツ。

 

 髪は左右のツインテールに分かれ、それぞれ白い羽の髪留めで止められている。

 

 そして、

 

 手には「五芒星に羽根の付いたステッキ」が握られている。

 

「まさかこんな事になるとは」

《同感です。まあ、これも何かの縁です。仲良くしましょう美遊さん》

 

 やれやれとばかりに嘆息する美遊。

 

 対して、ルビーは普段通りの軽い調子で告げる。

 

 カレイドルビー・アナザーフォーム

 

 まさに、異色としか言いようがない即席コンビが、ここに誕生した。

 

 

 

 

 

第7話「アナザー」      終わり

 



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第8話「一進一退」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 状況は、変わりつつあった。

 

 戦力差はいまだに圧倒的。エインズワースがの優位は動いていない。

 

 しかし、反撃を開始した響とギル。

 

 そして、戦う力を取り戻した美遊。

 

 3人が各所において反抗を開始。不利な状況を覆しつつあった。

 

 そもそも、純正の英霊であるギルは元より、響と美遊も、既に多くの戦いを勝ち抜いて来た歴戦の魔術師たちである。

 

 いかにエインズワースが強大な力を持っていたとしても、戦う手段はいくらでも持ち合わせていた。

 

 

 

 

 

 ピンクのレオタードに、白いミニスカート。

 

 白い羽の髪飾りによってまとめられたツインテールにが衝撃に靡く。

 

 鳥の羽を模した白いマントが、恥じらうように少女の姿を覆っている。

 

 その手には五芒星のステッキが握られている。

 

 ちょうど、変身時の美遊とイリヤを足したような姿だ。

 

 カレイドルビー・アナザーフォーム。

 

 本来の担い手であるイリヤではなく、美遊が仮のマスターとしてルビーを使ったため、このような形で顕現したのだ。

 

 とは言え、主が変わったからと言って、その力が衰える訳ではない。

 

 ルビーと言う力を得て、美遊はようやく戦う力を取り戻した形だった。

 

《いやいや、助かりましたよー》

 

 やれやれと言った感じに、ルビーが嘆息する。

 

《イリヤさんが捕まってしまい、私もここに閉じ込められていましたが、美遊さんが触れてくれたおかげで、どうにか脱出できました》

「助かったのはこっちも同じ。偶然だけど、ルビーが近くにいてくれて助かった」

 

 ルビーの言葉に、美遊もまた苦笑しながら頷きを返す。

 

 実際のところ、ここでルビーと再会できたのは僥倖に近い。

 

 本来であるなら美遊にとっては、一緒に戦ってきたサファイアとの合流が望ましいのだろうが、ルビーでも問題ない。

 

 そもそも、ルビーとサファイアは姉妹。その性能には(基本的には)差が無い。

 

 マスター登録も、一時的に美遊に移せば問題無かった。

 

「田中さんは私の後ろにッ」

「は、はいです!!」

 

 促され、美遊の後ろに回る田中。

 

 どうやら突然の事態で、流石の田中も戸惑いを隠せない様子だ。

 

 とは言え、ここからの戦いは壮絶な魔術戦になる。田中には下がっていてもらった方が、美遊にとっても戦いやすかった。

 

 対して、

 

 そんな美遊をベアトリスとヴェイクは、やれやれとばかりに肩を竦めながら見据えていた。

 

「何だかこれ、余計に面倒くさくなってない?」

 

 やれやれと言うヴェイクに対し、ベアトリスは面倒くさそうにガリガリと頭を掻く。

 

「・・・・・・ったく、こっちはあんたをなるべく傷付けないようにやってるっていうのに。判れよな、そこら辺の苦労をよ」

 

 苦々しげに言いながら、ベアトリスの視線が凶悪な輝きを放ちながら美遊を睨んだ。

 

 対して、凛とした眼差しで睨み返す美遊。

 

 少女もまた、一歩も引く気は無かった。

 

「仕方がねえ」

 

 言いながら、ベアトリスは肥大化した右の拳を掲げる。

 

 同時に、ヴェイクは手にした本を開く。

 

「こっからは、お仕置きタイムだ」

 

 言い放つと同時に、2人は美遊に対して攻撃を開始する。

 

 ベアトリスは巨大な腕で殴りかかり、ヴェイクは背後から魔力弾による援護を開始する。

 

 対して、美遊もまた手にしたルビーを振り翳す。

 

 次の瞬間、

 

 両者の姿は、暗い地下室で激しく交錯した。。

 

 

 

 

 

 ギルもまた、状況を押し返しつつあった。

 

 戦力差は相変わらず圧倒的。アンジェリカの優位は動かない。

 

 しかしいくつかの武装。そして何より、自身が最も信頼を置く宝具「天の鎖(エルキドゥ)」をその手に取り戻した事で、金髪の少年は積極的な反攻に転じていた。

 

「そぉれッ!!」

 

 勢いに任せて天の鎖(エルキドゥ)を振るうギル。

 

 四方八方から殺到する銀の鎖が、立ち尽くすアンジェリカを拘束する。

 

 無限とも言える長さを誇る天の鎖(エルキドゥ)は、アンジェリカの姿を完全に包み込む。

 

 更にギルは追撃を掛ける。

 

 王の財宝(ゲート・オブ・バビロン)を開き、奪い返した宝具を一斉開放する。

 

 手持ちの12本全てを、ギルは惜しげもなく解き放つ。

 

 射出される宝具。

 

 対して、アンジェリカはそれを再度、自らの倉に収める事は出来ない。

 

 そもそも、アーチャー(ギルガメッシュ)のカードも、その能力も、本来なら全てオリジナル英霊であるギルの物である。

 

 対してアンジェリカは、カードを使う事によって、いわば一時的に「借りている」に過ぎない。

 

 互いに争えば、最終的な所有権がいずれに帰すかは考えるまでもない事だった。

 

 射出された宝具が、拘束されたアンジェリカに殺到。一斉に突き刺さる。

 

 対して、アンジェリカも抵抗する。

 

 自身の王の財宝(ゲート・オブ・バビロン)から数本の刃を取り出すと、鎖と鎖の隙間にねじ込み、強引に押し広げて引きはがす。

 

 その様子を、ギルは不敵な笑みと共に見つめていた。

 

「やれやれ、置換しただけの偽物とは言え、僕相手だから手加減してしまうのかな? まったく融通の利かない(やつ)だよ」

 

 まるで手のかかる友人を揶揄するように、ギルは鎖を手の中であやしながら言う。

 

 そんなギルを、敵意の籠った視線で睨みつけるアンジェリカ。

 

「・・・・・・・・・・・・鎖の所有権を奪い返した程度で驕るなよ。そんな物で大勢は覆らない」

 

 攻撃用宝具の大半は、未だにアンジェリカが有している。それは事実である。

 

 確かに、まともなぶつかり合いでは、未だにアンジェリカの方に分があるだろう。

 

 だが、

 

「足りないな。もっと吠えなよ」

 

 そんなアンジェリカをあざ笑うかのように、ギルは挑発する。まるで、アンジェリカの存在など、そこらの野犬にも劣る、とでも言いたげな態度である。

 

 対して、アンジェリカも引き下がらない。

 

「財力も門の口径も、貴様は私の足元にも及ばない」

「ああ、それで?」

 

 だからどうした? やれるものならやってみろ。

 

 続くギルの挑発に対し、とうとうアンジェリカは動いた。

 

「全門・・・・・・開放!!」

 

 一斉に開く「王の財宝(ゲート・オブ・バビロン)」の砲門。

 

 その口から、宝具の刃が出てくる。

 

 全ての刃が、ギル目がけて殺到する。

 

 そう思った。

 

 次の瞬間、

 

 ギルが動いた。

 

 「天の鎖(エルキドゥ)」を一斉に伸ばすギル。

 

 その先端が、アンジェリカの開いた門の中に次々と飛び込む。

 

「これはッ」

 

 絶句するアンジェリカ。

 

 ここまで来てようやく、アンジェリカはギルの狙いに気付いたのだ。

 

 彼女が今にも射出しようとしていた宝具は、全てギルが放った「天の鎖(エルキドゥ)」によって絡め取られていた。

 

 ギルが執拗にアンジェリカを挑発したのは、全てこの状況を作り出す為だったのだ。

 

「知ってるかいアンジェリカ? この国には『宝の持ち腐れ』ってことばがあるそうだ。まったく、哀しいくらい、君の為にある言葉だね!!」

 

 言い放つと同時に、鎖を引くギル。

 

 次の瞬間、

 

 アンジェリカが放とうとしてた数百に及ぶ宝具は、他ならぬ彼女自身に切っ先を向けて襲い掛かった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 駆け抜ける響。

 

 その小柄な体が霞むほどの速力を前に、さしものシェルドも後手に回らざるを得ない。

 

 突き込まれる刃。

 

 その一閃がシェルドを捉える。

 

「チッ!?」

 

 舌打ちしながら、響の攻撃を大剣で受け止めるシェルド。

 

 だが、

 

「ッ!?」

 

 重い。

 

 想像以上に重みを伴った響の一撃を前に、思わずシェルドは膝をたわませる。

 

 響の本来のクラスは暗殺者(アサシン)だが、宝具「誓いの羽織」を使用すれば、実質的な戦闘力は「剣士(セイバー)に匹敵する。

 

 現状、響とシェルドの間で、戦闘力の差は皆無と言ってよかった。

 

「クッ!!」

 

 舌打ち交じりに、大剣を横なぎに振るう響。

 

 轟風を巻く、銀の月牙。

 

 だが、

 

 刃の薙いだ空間には、既に響の姿は無い。

 

 空中に跳び上がってシェルドの斬撃を回避した響。そのまま、手にした刀を横なぎに振るう。

 

 一閃。

 

 しかし、

 

「無駄だ」

 

 低い声と共に、シェルドは左腕を無造作に振るう。

 

 それだけで、響の斬撃は弾かれてしまった。

 

「んッ!?」

 

 舌打ちする響。

 

 そのまま空中で宙返りをしながら着地。眦を上げてシェルドを見やる。

 

 対して、シェルドは静かな瞳のまま、響を見据えていた。

 

 膂力はほぼ互角。

 

 防御力ではシェルドが勝っている。

 

 対して、機動力では響が勝っている。

 

 その為、戦況は完全に拮抗していた。

 

 睨み合う両者。

 

「・・・・・・・・・・・・成程な」

 

 ややあって、シェルドが口を開いた。

 

「何が『成程』?」

 

 問いかける響。

 

 対してシェルドは、大剣を構えながら告げる。

 

「たった4人で、我らエインズワースに挑もうとする奴等だ。それなりの勝算があっての事だろう」

 

 シェルドの言葉に、響は思わず苦笑する。

 

 勝算など、全く考えていなかった。ただ闇雲に突っ込んで来ただけである。

 

 だが、そんな事はシェルドには関係なかった。

 

「こちらも、相応の手段で迎え撃たねばならんな」

「・・・・・・・・・・・・」

 

 張り詰める空気。

 

 その様子に、響は息を呑む。

 

 シェルドは何か、切り札を使おうとしている。

 

 切り札。

 

 すなわち宝具。

 

 響の奮戦に業を煮やし、シェルドは宝具を使用する気なのだ。

 

「・・・・・・・・・・・・」

 

 迷う響。

 

 どうする?

 

 こちらももう一つの宝具を使うか?

 

 だが固有結界を張るだけの魔力が、流石に残っているとは思えない。戦闘前には多少補充できたとは言え、満タンには程遠い状態だったのだから。

 

「行くぞ」

 

 迷う響に、シェルドは低い声で告げた。

 

 刀身に充填される魔力。

 

 轟風のような衝撃波が襲い掛かってくる。

 

 対して、

 

 響もまた、刀の切っ先をシェルドに向けて構える。

 

 もし、あの宝具を開放されれば、響の敗北は免れないだろう。

 

 そうなる前に、こちらから仕掛けるしかない。

 

 足に力を籠める響。

 

 そのまま斬り込もうとした。

 

 次の瞬間、

 

 轟音と共に、足元の地面は崩落した。

 

 

 

 

 

 降り注ぐ無数の刃。

 

 それらが一斉にアンジェリカへと降り注いだ。

 

 圧倒的な光景。

 

 アンジェリカは、この一撃で勝負を決するべく、最大出力で攻撃を仕掛けようとしていた。

 

 その判断が、仇となった形である。

 

 ギルが散々アンジェリカを挑発したのは、彼女の自滅を狙ったが故だった。

 

 いかに最強の英霊をその身に宿したアンジェリカと言えど、これほどの数の宝具を一斉に叩きつけられて、無傷でいられるはずが無い。

 

 その黄金の鎧は、次々と引き裂かれていく。

 

 このまま勝負は決するか?

 

 そう思った次の瞬間、

 

「な・・・・・・め・・・・・・るなァ!!」

 

 叫ぶアンジェリカ。

 

 同時に「王の財宝(ゲート・オブ・バビロン)」が開き、中から巨大な剣が出現した。

 

 巨大な刀身が、降り注ぐ刃を跳ねのける。

 

 その様子を見て、ギルは嘆息した。

 

「斬山剣か。こんな狭い地下水道で出すのは、流石に優雅さに欠けるなあ」

 

 見れば、その剣は「向こう側の世界」で、ギルが響やイリヤに対して使った「千山斬り拓く翠の地平(イガリマ)」だった。

 

 イリヤに叩き折られた刀身が、修復されずにそのまま残っている。

 

「付け上がるな小僧。さっきのような搦手が、そう何度も通用すると思うな」

 

 ボロボロになったアンジェリカは、それでも敵意を失わない瞳でギルを睨む。

 

 対して、ギルは余裕ぶった態度で、アンジェリカの視線を受け止める。

 

「似合わないな。怒りの真似事は良しなよ」

 

 小ばかにした口調で言いながら、自身の「王の財宝(ゲート・オブ・バビロン)」を開くギル。

 

「さあ、諦めずに掛かってきなよ。僕の戦力は、まだたったの264本。王の財を持つ者が、こんな小兵に敗けちゃいけない」

 

 挑発を含んだギルの言葉を聞きながら、アンジェリカは確信していた。

 

 確かに「ギルガメッシュ(アーチャー)」は最強の英霊だ。そのカードを使うアンジェリカは最強の存在だろう。

 

 だが、相手はそのギルガメッシュその人である。

 

 自分の特性は、とうぜんギル自身が最も理解している。その長所も、弱点も。そして、それらを踏まえた上での「攻略法」も。

 

 いかに物量で勝ろうとも、相性が最悪ではアンジェリカにとって分が悪かった。

 

「舐めるな、小さき王よ。我らエインズワースを!!」

 

 言い放つアンジェリカ。

 

 その眼前に並べられる、複数のカード。

 

 その様子に、

 

「なッ!?」

 

 思わずギルは、余裕の態度を崩して息を呑んだ。

 

 

 

 

 

 砲火が入り乱れ、触手が大気を食い散らかしながら伸びる。

 

 一斉に殺到してくる敵の攻撃を、美遊は空中を駆けながら回避。同時に、手にしたルビーを振り被る。

 

 本来の相方であるサファイアとは違う。

 

 しかし、基本性能は同じ。

 

 ならば魔法少女として鳴らした美遊に、使いこなせないはずが無かった。

 

砲射(シュート)!!」

 

 放たれる魔力砲。

 

 一直線に飛ぶ魔力の砲弾は、

 

 しかし、ベアトリスの振るった腕の一閃によって、難なく弾かれた。

 

「ハッ しょぼい攻撃、してんじゃねえよ!!」

 

 嘲るように言いながら、美遊に殴りかかるベアトリス。

 

 その一撃を跳び上がって回避する美遊。

 

「そんな物ッ!!」

 

 手にしたルビーに魔力を込め、振り被ろうとする美遊。

 

 だが、

 

《美遊さん、後ろです!!》

「クッ!?」

 

 走るルビーの警告に、とっさに身をかわす美遊。

 

 次の瞬間、美遊を絡め取ろうと伸びてきた触手が、空中に出現する。

 

「ありゃりゃ、失敗か。残念」

 

 触手を操りながら、肩を竦めるヴェイク。

 

 美遊は向かってくる触手を魔力砲で薙ぎ払いながら空中を駆けまわる。

 

 イリヤほどに機動性は無いものの、三次元的に動ける強みは大きい。

 

 美遊はこの機動力を存分に駆使し、1対2と言う圧倒的に不利な状況をどうにか拮抗させることに成功していた。

 

 そして、隙を見て反撃に転じる。

 

 ステッキを振り被る美遊。

 

砲射(ショット)!!」

 

 連続して砲撃を放つ美遊。

 

 イリヤの魔力砲に比べて、連射速度では劣るものの、一撃の威力に優れている。

 

 だが、

 

「むだァ!!」

 

 嘲笑と共に、無造作に振るわれるベアトリスの腕が、美遊の砲撃をまとめて薙ぎ払ってしまった。

 

「クッ!?」

「だから、そんなショボい攻撃効くかっての!! 攻撃するなら、せめてこれくらいやれっての!!」

 

 言いながら、美遊に殴りかかるベアトリス。

 

 轟風を巻いて向かってくる、巨大な腕。

 

 その腕が、空中の美遊を捕えようとした。

 

 次の瞬間、

 

 間一髪。

 

 美遊は後方に大きく跳躍する事で、ベアトリスの攻撃を回避した。

 

 着地する美遊。

 

 対して、ベアトリスとヴェイクも、距離を置いて対峙している。

 

 どうやら、美遊が反撃手段を得た事で、2人とも警戒している様子だ。

 

 しかし、

 

「このままじゃ、勝てない」

 

 美遊はその事を、強く感じずにはいられなかった。

 

 ルビーと合流できたことで、無限の魔力供給を受ける事が可能になった美遊だが、やはり火力不足は否めない。

 

 事実、美遊が放つ攻撃は、殆ど効果を上げていない。

 

 このままでは、いずれ押し切られるのは目に見えている。

 

 美遊が勝つには、もう一手何かが必要だった。

 

《美遊さん、私に考えがあります》

「ルビー?」

 

 首をかしげる美遊。いったい、ルビーは何をしようとしているのか?

 

 そんな美遊の反応に対し、ルビーはどこからともなく1枚のカードを取り出して見せた。

 

《これを使ってください。万が一の時の為に、イリヤさんから1枚だけ預かっていました》

「これって・・・・・・・・・・・・」

 

 受け取る美遊。

 

 その様子を見ていたヴェイクが動く。

 

「カードッ!? やらせないよ!!」

 

 どんなカードだろうと、使わせる前に捕まえてしまえばこっちの物。

 

 そう考えて、触手を殺到させるヴェイク。

 

 四方八方ら、美遊を捕えんと迫る触手の群れ。

 

 だが、

 

夢幻召喚(インストール)!!」

 

 触手が自身に到達するよりも一瞬早く、美遊が叫ぶ。

 

 光に包まれる少女の体。

 

 衝撃が、地下室全体を駆け巡る。

 

「なッ!?」

 

 驚愕して目を押さえるヴェイク。

 

 やがて衝撃が晴れた時、

 

 美遊の姿は一変していた。

 

 薄青のミニスカート風ドレスに身を包み、手には大ぶりな錫杖を構えている。

 

 ポニーテールも普段より伸びて、腰裏まで来ていた。

 

 まるで、絵本の中から飛び出してきた妖精のような可憐な出で立ち。

 

 ゆっくりと、瞼を開く少女。

 

「クラスカード『魔術師(キャスター)』。夢幻召喚(インストール)完了」

 

 静かな声で告げる美遊。

 

 同時に、その背後には大型の魔法陣が展開する。

 

 かつて、美遊達が総がかりでも簡単には倒しきれなかった魔術師(キャスター)

 

 その全ての能力が解放される。

 

「行きます」

 

 静かに言い放つと同時に、

 

 美遊は魔法陣に込めた魔力を解き放った。

 

 

 

 

 

第8話「一進一退」      終わり

 



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第9話「たとえ地を舐めてでも」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 薄青の衣装に身を包み、手には大ぶりな錫杖を掲げる美遊。

 

 まるでおとぎ話に出てくる妖精のような、可憐な出で立ちだ。

 

 儚げな雰囲気が、可憐な美遊の容姿と相まって一個の美を完成させている。

 

 だが、彼女(キャスター)もまた、ただ美しいだけの花ではなく、その人生に名を成した英霊である。

 

 魔女メディア

 

 ギリシャ神話に登場するコルキスの王女にして、血塗られた人生を刻んだ「裏切りの魔女」。

 

 元は王女として純真無垢に育てられたメディア。

 

 そのまま行けば、彼女の運命は順風満帆だったことだろう

 

 だが、アルゴー船の船長イアソンとの出会いが、彼女の全てを狂わせた。

 

 自ら王位に就くためにコルキスの宝である「金羊の皮」を狙っていたイアソンは、言葉巧みに、王女であるメディアに取り入る事になる。

 

 メディアは女神アフロディテの呪いによってイアソンに恋をし、結果として父王を裏切ってしまう。

 

 逃避行の末に、追手として差し向けられた自らの弟まで殺害したメディア。

 

 だが、そうまでして尽くしたイアソンは、結果として王位を奪われ、国を追われる事となる。更には、自分に献身的に尽くしたメディアを裏切り、まるで路傍の石の如く捨て去ってしまう。

 

 怒り狂ったメディアは、イアソンを見限り、壮絶な復讐劇へと走る事となる。

 

 美遊が夢幻召喚(インストール)したメディアは、まだ「裏切りの魔女」と呼ばれる前。

 

 イアソンと出会う前の、純真無垢な王女としての姿であった。

 

 若いとは言え、ギリシャ神話最強と言われる魔術は健在である。

 

「田中さん、伏せていて」

 

 美遊は静かな声で、背後の田中に告げる。

 

「今からここを吹き飛ばすから」

「は、はいですッ!!」

 

 美遊に促され、慌てて物陰に隠れる田中。

 

 魔術師(キャスター)の全戦力を開放すれば、この程度の地下空間、一撃のもとに吹き飛ばす事ができるだろう。

 

 田中には隠れていてもらった方が賢明である。

 

 その姿を確認してから、美遊は錫杖を掲げる。

 

 少女の視線の先に佇む、ベアトリスとヴェイク。

 

 その2人を睨み据えながら、美遊は攻撃態勢に入る。

 

 少女の背後に展開される複数の魔法陣。

 

 出し惜しみはしない。

 

 美遊はありったけの魔力を開放し、5つの魔法陣を同時展開する。

 

 あのカード回収任務の際、美遊達が苦戦した魔術師(キャスター)の能力を、美遊はそのまま使用しているのだ。

 

 高まる魔力。

 

 魔法陣は輝きを増す。

 

 その様子を、ベアトリスとヴェイクは冷めた目で見つめていた。

 

「やれやれ、何か余計に面倒くさくなってない、これ? それにこの火力。ちょっと半端ないかなー」

 

 呆れ気味に言って肩を竦めるヴェイク。

 

 対して、ベアトリスもやれやれとばかりに嘆息する。

 

 美遊がルビーと出会った事。そのルビーがクラスカードを隠し持っていて、美遊が夢幻召喚(インストール)してしまった事。

 

 彼女たちにとって、あまりにも想定外の事が起こりすぎていた。

 

 とは言え、このまま美遊が魔力を開放すれば自分たちの身も危ないのも事実である。

 

「仕方ねえ」

 

 言いながら、狂戦士(バーサーカー)のカードを掲げるベアトリス。

 

「少しだけ、本気出してやりますか!!」

 

 言い放つと同時に、ベアトリスの姿は変化する。

 

 肥大化した腕はそのままに、まるでどこかの蛮族のようなワイルドめいた格好。

 

 何より、その手にはベアトリス自身の身体よりも巨大な槌を持っている。

 

 あの円蔵山の戦いの最後に現れた時と同じ姿。

 

 可憐な美遊とは正反対の、凶悪としか言いようがない、少女の戦姿がそこにあった。

 

 同時に、ベアトリスの身体から強烈な放電が始まる。彼女もまた、美遊の攻撃に合わせて攻撃態勢に入ったのだ。

 

 高まる魔力が、地下室全体に猛っていく。

 

 距離を置いて睨み合う、美遊とベアトリス。

 

 互いの魔力が解き放たれた時、この場が狂乱の巷と化すことは目に見えていた。

 

 そんな中、

 

《ま、まずいですよ、美遊さん!!》

 

 睨み合う状況の中、何かに気付いたルビーが、焦ったような声を発する。

 

「ルビー、どうしたの?」

《あの手甲、あのハンマー、それに額に埋まった石・・・・・・まさか、あれがあの英霊だとすると、わたし達に勝ち目はありません!!》

 

 悲鳴に近い警告を発するルビー。

 

 普段は飄々としているルビーが、ここまで焦るのも珍しい事である。

 

 だが、そうしている間にも魔力は高まっていく。

 

 もはや止める事の出来ない段階にまでなっている。

 

 先に動いたのはベアトリスだった。

 

「消し飛べ、元素の塵まで!!」

 

 言い放つベアトリス。同時に、手にした大槌を振り下ろす態勢に持っていく。

 

 対抗するように、美遊も動く。

 

「行、けェ!!」

 

 魔法陣に込められた魔力を解き放つ美遊。

 

 ほぼ同時に、ベアトリスも大槌を振り下した。

 

悉く打ち砕く雷神の槌(ミョ ル ニ ル)!!」

 

 次の瞬間、

 

 両者の魔力が同時に解き放たれる。

 

 美遊の放つ魔法陣から、迸る閃光。

 

 ベアトリスの雷撃は、空間そのものを噛み裂く勢いで放たれる。

 

 激突する、魔力と雷撃。

 

 次の瞬間、地下室全体が白く染め上げられた。

 

 美遊とベアトリス。

 

 互いの魔力が、一瞬拮抗する。

 

 このまま押し込めるか?

 

 魔法陣に魔力を込めながら、美遊はそう思った。

 

 次の瞬間、

 

「ハッ」

 

 自身に向かってくる閃光を、ベアトリスは嘲笑うように笑みを向ける。

 

「どんなに強かろうがなあ!!」

 

 さらに強まる雷撃。

 

 その力が、徐々に美遊の閃光を押し返し始める。

 

「クッ」

 

 舌打ちしながら、更に魔力を込めようとする美遊。

 

 しかし、一度綻び始めた戦線の崩壊は早かった。

 

 美遊の閃光は、あっという間に、ベアトリスの放つ雷撃によって食い散らかされ、蹂躙されていく。

 

「そんな物、タダの魔術止まりだろ!!」

 

 言い放つと同時に、ベアトリスの放つ雷撃の圧力はさらに高まる。

 

 対して、美遊の魔力は既に限界いっぱいまで放出されている。

 

 圧倒的なまでに、火力が違い過ぎた。

 

《駄目です美遊さん!! このままでは押し切られます!!》

 

 悲鳴に近いルビーの言葉。

 

 それを合図にしたかのように、美遊(メディア)の放った閃光は、ベアトリスの雷撃によって完全に押し返されてしまう。

 

 もはや、押しとどめようがなかった。

 

 そのまま美遊も呑み込まれるか?

 

 そう思った次の瞬間、

 

 美遊を庇うように、両手を広げて雷撃の前に立ちはだかる影があった。

 

「田中さん!!」

 

 悲鳴を上げる美遊。

 

 それは、隠れていた筈の田中だった。

 

 いったい何をッ!・

 

 そう叫びかけた美遊に対し、

 

 田中は振り返って笑いかけてきた。。

 

「痛いのはヤです・・・・・・・・・・・・でも、美遊さんが痛いのはもっとヤです」

 

 優しい声で田中がそう言った瞬間、

 

 全ては、白色の閃光に飲み込まれていった。

 

 

 

 

 

 ずらりと空中に並んだカード。

 

 それに合わせるように、同数の剣がギルに切っ先を向けている。

 

 苦笑するギル。

 

「大した勤勉さだ。君らはいったい、何枚のカードを作ったんだい?」

 

 軽口交じりで問いかけるギル。あれら全てのカードが何らかの英霊に対応していると考えれば、エインズワースが保持する戦力が如何程になるのか、想像もつかないほどである。

 

 しかし内心では、焦燥が募りつつあった。

 

 恐らく、並べられたカードは、それぞれの宝具に対応した英霊が宿っているのだろう。

 

 つまり、カードを介する事によって、宝具本来の能力である「真名解放」が可能となるはず。

 

 アンジェリカは複数の宝具を同時開放する事で、ギルを一気に潰そうと考えているのだ。

 

 そうなると、いかにギルでも勝ち目はない。

 

 ならば、

 

「先手必勝!!」

 

 言い放つと同時に「天の鎖(エルキドゥ)」を射出するギル。

 

 鎖の切っ先は、真っすぐにアンジェリカへと向かい、

 

 そして、

 

 空間に開いた穴に吸い込まれ、そのまま明後日の方向へと伸びていった。

 

「なッ!?」

 

 驚愕するギル。

 

 アンジェリカはギルが先制攻撃を仕掛けてくる事を予想していたのだ。そこで空間を置換魔術で繋げ、鎖の切っ先を別の方向に逸らしたのだ。

 

「これも、前に言ったはずだ。小細工は通用しないと」

 

 静かに告げるアンジェリカ。

 

 置換魔術は彼女たちエインズワースにとって、どんな強固な鎧にも勝る絶対的な防御になり得る。

 

 単調な攻撃では、アンジェリカに対抗する事は難しい。

 

 ならば、とばかりにギルは攻撃のパターンを変更する。

 

 空間が置換されているなら、置換できないほどの広い空間を囲み、全方位から攻撃を仕掛けるしかない。

 

 アンジェリカの周囲をぐるりと鎖で包囲し、間合いを詰めるギル。

 

 そのまま鎖の範囲を狭めようとする。

 

 だが、

 

「それでは遅い」

 

 攻めるギルよりも早く攻撃態勢に入るアンジェリカ。

 

 カードと宝具が同時に解き放たれようとした。

 

 次の瞬間、

 

 強烈な衝撃と共に、2人が対峙する部屋の壁がぶち破られた。

 

 振動と共に襲ってくる衝撃波に、思わず攻撃は中断される。

 

「な、何だ!?」

 

 揺れる足場の上で、辛うじてバランスを保つギル。

 

 突然の事で驚いているのはアンジェリカも同様なようで、思わずその場で膝をついているのが見えた。

 

 と、

 

「うわー、やるならやるで少しは加減してよ。こっちまで吹き飛ばされるところだったじゃんか」

「うるせえ。テメェはそのまま吹っ飛んじまえばよかったんだよ」

 

 壁に開いた大穴から、出てきた2人。

 

 ベアトリスとヴェイクは、互いをののしりながら歩いてくる。

 

 エインズワースの置換魔術は、城内にも影響している。

 

 流石に居住区を兼ねた「本丸」部分には手を加えてはいないが、その外周部分は空間と空間を置換して出鱈目につなげてあるのだ。

 

 仮に外敵が攻めてきても、思っていた場所とは全く別の場所にたどり着き、決して目的地にたどり着くことはできない。最悪の場合、一生城の中をさまよった挙句、野たれ死ぬことになる。

 

 エインズワースの工房はまさに、魔術的に作り出された迷宮と化しているのだ。

 

 その為、美遊達とギルは、全く別の場所で戦っているつもりで、実は壁一枚隔てた近場で戦闘していた事になる。

 

 と、

 

「田中さん!!」

 

 美遊が、倒れている田中に駆け寄っている光景が見て取れた。

 

 その田中はと言えば、ボロボロの状態で瓦礫にもたれかかっている。

 

 流石に起き上がる力も無いのか、ぐったりとして、美遊の呼びかけにも微かな呻き声を返すだけだ。

 

 着ていた体操服とブルマーは完全に吹き飛ばされ、ボロボロの裸身を無惨に晒している。

 

 ボロボロと言えば、美遊もその通りである。

 

 こちらは田中が庇ってくれた事もあり、まだ軽傷で済んでいるが、夢幻召喚(インストール)は解除され、衣装もボロボロになっていた。

 

「あらら、こりゃ、ボロ負けって感じかな」

 

 そんな2人の様子を、苦笑気味に見つめるギル。

 

 状況は、加速度的に悪くなっている事を、自覚せざるを得なかった。

 

 そんな中、ベアトリスは不審な眼差しで田中を見ていた。

 

「あんた、いったい何者だ? 元素まで分解される神の一撃を正面から受けて、何で生きてんだ? 何で原型をとどめてんだ?」

 

 ベアトリスの攻撃は強力だった。

 

 それは美遊の魔力砲を力業で押し返し、地下室を吹き飛ばした事から見ても間違いない。

 

 それだけに、自身の攻撃をまともに食らって尚、生きているどころか、意識もある田中を見て、プライドを傷つけられた様子だ。

 

 とは言え、それも一瞬の事だった。

 

 すぐに、その顔には加虐味が滲み出る。

 

「ヤベェ、マジで玩具に欲しいよ、あんた」

 

 ベアトリスがそう言った瞬間、

 

 突如、伸びてきた鎖が、美遊と田中の体を雁字搦めに巻き付ける。

 

「キャッ!?」

「ふい・・・・・・」

 

 強引に空中に持ち上げられる2人。

 

 そのまま、ギルのいる場所まで引っ張り上げられた。

 

「ギ、ギルッ!?」

「手荒でごめん。でも、これ以上は無理だ」

 

 状況を見極めながら、ギルは冷静な声で告げる。

 

 そもそも、今回の戦いは奇襲を前提にしている。

 

 そもそも今回は敵に気付かれずに侵入し、イリヤを救出した後は速やかに撤退する奇襲が作戦だったはずだ。

 

 だが、アンジェリカに発見された時点で、作戦は既に破綻しているに等しかった。

 

 戦力を整えたところで、ここは敵の陣地内。まともに戦っても勝機は少ないのは通りだった。

 

 その時、

 

 飛び込んで来た小さな影が、アンジェリカに斬りかかるのが見えた。

 

 鋭く振り下ろされる刃。

 

 対して、アンジェリカはとっさに後退する事で回避する。

 

 対峙する両者。

 

 視線が激しく激突し、空間に火花を散らす。

 

 舞い踊る浅葱色の羽織。

 

 響だ。

 

 牽制の攻撃をアンジェリカを退かせた後、響は一足飛びで美遊達の元まで戻って来た。

 

「ん、無事で何より」

「今のところ、ね」

 

 響の言葉に、皮肉交じりの頷きを返すギル。

 

 それとほぼ同時に、アンジェリカの横にはシェルドが降り立つのが見えた。

 

「すまん、小僧相手に手間取りすぎた」

「構わん」

 

 シェルドの言葉に対し、アンジェリカは事も無げに告げる。

 

 真上の庭で戦っていた響とシェルドは、先程の美遊とベアトリスの激突による余波で足場が崩壊し、そのまま地下室に転がり落ちてきたのである。

 

 だが、

 

「どのみち、すぐに終わる事だ」

 

 アンジェリカは言いながら、響達を睨みつける。

 

 状況は既に、エインズワース側にとって完全に有利となっている。

 

 今更、この状況を覆す事は不可能だった。

 

「撤退しよう」

 

 静かな声で告げるギル。

 

「これ以上の戦闘は無意味だ。ちょうど、さっきの衝撃で天井に穴が空いているから、そこから脱出しよう」

 

 見れば確かに、天井部分に巨大な穴が開き、そこから空が見えている。

 

 先程の美遊とベアトリスの激突の結果である。地上で戦っていた響も、あの穴からこの地下に落下してきたのだ。

 

 今なら、確かに脱出も出来るだろう。

 

「でもッ・・・・・・・・・・・・」

 

 ギルの言葉に、食い下がろうとする響。

 

 折角ここまで来たのに。

 

 あと少しで、イリヤを助けられるかもしれないのに、

 

 ここで退くのは、あまりにも無念である。

 

 だが、逡巡する響に対し、ギルはあくまで淡々として告げる。

 

「・・・・・・こんな状態の田中さんを連れて、まだ戦う気かい? 君が玉砕に意味を感じるタイプなら、僕は止めないけど」

 

 相変わらず、辛辣だが的確な物言いである。

 

 響達はここに来るまで、多くの物を消耗しすぎた。

 

 体力、魔力、そして時間。

 

 今やエインズワース側が奇襲の影響から立ち直り、完全に体勢を立て直しているのに対し、響達は消耗する一方だ。

 

 たとえ、ここで死を賭して戦ったとしても、イリヤの元までたどり着けるかどうかわからない。

 

 よしんば万が一たどり着けたとしても、無事に脱出できる可能性は皆無に等しい。

 

 撤退

 

 それしかない。

 

 響にもいやと言うほどわかっていた。

 

「・・・・・・・・・・・・」

 

 響は自分が着ている浅葱色の羽織を脱ぐと、田中の肩に掛けてやる。

 

 対して、重傷の田中は、反応を返す事すらできないでいた。

 

「・・・・・・・・・・・・殿は任せて」

 

 絞り出すような響の言葉。

 

 それは、事実上の敗北宣言に等しかった。

 

「そんな、響ッ それじゃあイリヤは・・・・・・お兄ちゃんは!!」

 

 悲痛な叫びをあげたのは美遊だ。

 

 無念と言う意味では、彼女のそれは響に勝るだろう。

 

 せっかく再会した兄は見捨て、当初の目的だったイリヤを助ける事も叶わず、この城を去らなければならないのだから。

 

「私、だけでも・・・・・・」

 

 自分だけでも残って、ここで兄やイリヤを助けるために戦う。

 

 そう言って、踵を返そうとする美遊。

 

 だが、

 

「ダメ」

 

 少女の腕を、響が掴む。

 

「・・・・・・響?」

「ここで、美遊が捕まったら、全部終わる」

 

 痛いぐらいに捕まれる腕。

 

 その力の強さが、少年の悔しさを如実に表していた。

 

「・・・・・・・・・・・・」

 

 唇を噛み締める美遊。

 

 今や撤退しか選択肢がない事は、美遊にも判っている。

 

 だがしかし、

 

 それでも、

 

 ここまで来て、全てを諦めなくてはならない事の悔しさは拭いきれるものではなかった。

 

「・・・・・・・・・・・・判った」

 

 長い沈黙の後、美遊は頷きを返す。

 

 同時に、両陣営は動いた。

 

「逃がさん!!」

 

 追撃の為、宝具を射出する態勢に入るアンジェリカ。

 

 だが、

 

 その前に響が動く。

 

 アンジェリカの懐に飛び込むと同時に、刀を逆袈裟に振るう。

 

 斬りあげられる剣閃を前に、思わずのけ反るアンジェリカ。

 

 その動きで、宝具射出のタイミングがずらされる。

 

「クソガキがッ!!」

 

 大胆にも斬り込んで来た響を見て、大槌を振り被るベアトリス。

 

 だがそこへ、矢継ぎ早に魔力弾がさく裂した。

 

 美遊だ。

 

 次々とさく裂する魔力弾を前に、ベアトリスの動きは封じられる。

 

 先の激突で美遊は、自分の力ではベアトリスに敵わない事を自覚している。

 

 ならば、下手に大威力の攻撃を行うよりも、手数で攻めた方が得策と考えたのだ。

 

「クソッ チマチマチマチマ、鬱陶しい!!」

 

 振り払うように大槌を振るうベアトリス。

 

 その間にも、響はアンジェリカ、シェルド両名と刃を交えていた。

 

 アンジェリカが射出してくる宝具を回避し、シェルドの剣を弾く。

 

 ただし深入りはしない。あくまで牽制と時間稼ぎが目的だ。

 

 空間より放たれた刃を、刀で弾く響。

 

 そこへ、大剣を構えたシェルドが斬り込んでくる。

 

 迎え撃つべく、響は刀を構えなおした。

 

 その時、

 

「響ッ!!」

 

 背後からの呼び声。

 

 それを受けて手を伸ばす。

 

 その手首に、鎖が絡みついた。

 

 同時に、少年の体は大きく引き上げられる。

 

 間一髪、シェルドの大剣は響の足元を霞めていくだけに留まった。

 

 そのまま地上まで引き上げられる響。

 

 そこでは既にギルと美遊、そしてボロボロの田中が待っていた。

 

「逃げるよ」

 

 短く告げるギル。

 

 無用な言葉はもういらない。こうなった以上、一刻も早く城を離れる必要があった。

 

 だが、

 

「は~い、お疲れちゃーん」

 

 小ばかにしたような軽い口調。

 

 振り返れば、大量に触手を従えたヴェイクの姿がある。

 

「ほんと楽で良いよね。頭悪い奴等はどんな風に行動するのか読みやすいから」

 

 ヴェイクは響達が地上に開いた穴から逃げる事を予測し、先回りして待ち構えていたのだ。

 

「これで手柄は僕の独り占めッ ボロし仕事だね!!」

 

 言いながら、触手に命令を出そうとした。

 

 次の瞬間、

 

 複数の宝具が一斉に飛来。目に見える範囲の触手を吹き飛ばした。

 

「・・・・・・・・・・・・はい?」

 

 一瞬、呆気に取られるヴェイク。

 

 その視線の先には、不敵な笑みを浮かべる金髪の少年が立つ。

 

 ヴェイクが余裕見せて舌なめずりしている間に、ギルは先んじて動いた。

 

 「王の財宝(ゲート・オブ・バビロン)」を開いて先制攻撃を仕掛けたのだ。

 

 触手を吹き飛ばされるヴェイク。

 

 そこへ間髪入れず、響が斬りかかる。

 

 一閃される刃。

 

 その一撃はヴェイクの手首を霞め、僅かに斬られて血が噴き出す。

 

「うわァァァァァァッ!?」

 

 思わず、その場で尻餅を突いて響の刃から逃れるヴェイク。

 

 そこへ、響は更に斬りかかった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 先程から、城内全てに響いている振動。

 

 その様子は、塔の上にいるイリヤの元にまで伝わってきていた。

 

 訝るように、ベッドから顔を上げるイリヤ。

 

「何だろう? 地震、ってわけじゃないよね?」

 

 今も断続的に起こっている振動。

 

 それに、彼方で響く炸裂音。

 

 それらは地震と言うよりも、むしろ・・・・・・・・・・・・

 

「戦ってる?」

 

 誰が?

 

 そう思って、窓に駆け寄るイリヤ。

 

 その眼下では、

 

 必死に刀を振るう、彼女の弟の姿があった。

 

「響ッ!!」

 

 思わず声を上げる。

 

 響は今も、敵と思われる少年目がけて刀を振り下ろしている。

 

 対して、相手は響に抵抗する事も出来ず、殆ど慌てたようにして背を向けて逃げていくのが見えた。

 

 その様子に、思わず涙がこぼれる。

 

 彼女の弟は、危険を顧みず、この城まで助けに来てくれたのだ。

 

 だが、

 

「・・・・・・・・・・・・」

 

 危険すぎる。

 

 イリヤもまた、エインズワースと一度は戦った身だから判る。

 

 並の戦力で彼らに対抗するのは難しいだろう。

 

「逃げて、響・・・・・・・・・・・・」

 

 祈るような気持ちで、イリヤは呟く事しかできなかった。

 

 

 

 

 

 吹き込む冷たい風と共に、目に見える風景が一変される。

 

 優雅な場内の風景から、荒れ果てたクレーター内部へと。

 

 置換魔術の施されたエインズワース工房内を抜け、外の世界へと出る事が出来たのだ。

 

 だが、言うまでも無く、まだ終わりではない。

 

 エインズワース側としては、不遜にも自らの勢力圏に踏み込んだ「賊」を逃がす気は無いだろう。

 

 何より美遊がいる。

 

 彼らにとって、最優先で確保すべき聖杯が転がり込んで来たのを、みすみす見逃すはずが無かった。

 

 クレーターさえ抜けてしまえば、逃走の目も出てくるのだが。

 

「美遊さん、身隠しの布は?」

「ごめんなさい、落としてしまった」

 

 美遊の言葉にギルは内心で臍を噛む。

 

 あの布があれば、姿を隠して脱出する事も容易だったのだが。

 

 ここから数キロ。敵の攻撃を掻い潜りながら、遮蔽物の無いクレーター内を走り抜けるのは不可能に近い。

 

 案の定と言うべきか、追手はすぐそこまで迫っていた。

 

「ハッ 逃がすと思ってんのか、よッ!!」

 

 言い放つと同時に、手にした大槌を投げつけるベアトリス。

 

 対抗するように「天の鎖(エルキドゥ)」で防ごうとするギル。

 

「蛮神がッ!!」

 

 飛んでくる槌を受け止める鎖。

 

 だが、それも一瞬の事だった。

 

 鎖はすぐに吹き散らされ、衝撃波が響達を吹き飛ばした。

 

 散り散りになる響達。

 

 大けがをしている田中などは、地面に伏して起き上がる事も出来ないでいる

 

「クッ!?」

 

 地面に転がりながらも、どうにか顔を上げる響。

 

 そこには、結界を出て追撃してきたアンジェリカ、ベアトリス、シェルドの姿があった。

 

 舌打ちする響。

 

 結界の外まで追ってきたのだ。

 

「そろそろ判れよ」

 

 戻って来た槌を受け取りながら、ベアトリスは小ばかにしたように告げる。

 

「どう足掻いたって、お前らはこっから逃げられねえんだよ」

 

 ベアトリスの攻撃によって、動きを止める響達。

 

 そこへ、大剣を振り翳したシェルドが斬り込んでくる。

 

「逃がさん」

 

 低い声と共に、大剣を振り下ろすシェルド。

 

 対抗するように、響も刀を繰り出す。

 

 激突する、互いの刃。

 

「クッ!?」

 

 衝撃で、大きく後退する響。

 

 辛うじて耐えきった物の、腕に感じる衝撃は半端な物ではない。

 

「美遊様を渡してもらう」

「誰がッ」

 

 吐き捨てるように言いながら、刀を構えなおす響。

 

 対抗するように、シェルドも大剣を構えた。

 

 来るか?

 

 身構えた響。

 

 次の瞬間、

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 シェルドの胸元に、一本の矢が突き立った。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「なッ!?」

 

 驚愕に、目を見開くシェルド。

 

 次の瞬間、炸裂する爆風。

 

 その一撃により、シェルドは大きく吹き飛ばされ、地面に転がる。

 

 矢は更に飛来し、アンジェリカやベアトリスの足元でも炸裂した。

 

「狙撃だっ 避けろ!!」

「チッ!?」

 

 とっさに身を翻すアンジェリカとベアトリス。

 

 矢は尚も飛来し、次々と爆炎を躍らせる。

 

「あのカードだッ」

「またかよッ」

 

 舌打ちするベアトリス。

 

 そのまま、大槌を振り被る。

 

「誰だか知らねえが、こそこそチマチマ、クズカードがッ そんなに死にたきゃ、テメェからぶっ壊してやるよ!!」

 

 大槌に雷撃が集中する。

 

 それが解き放たれようとした。

 

 次の瞬間、

 

 

 

 

 

 

 

 

 

『下がれ、ベアトリス!!』

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 陰々と響き渡る声。

 

 同時に、狂乱に猛り狂っていたベアトリスが、正気に戻ったように落ち着きを取り戻す。

 

 溜め込んだ雷撃も霧散し、消失していた。

 

「な、何が・・・・・・・・・・・・」

 

 意味が分からず立ち尽くす響。

 

 その耳に、先程の声がさらに聞こえてくる。

 

『名乗るのが遅れたようで申し訳ない』

 

 落ち着き払った声。

 

 しかしそれが、却って不気味な響きを伴っている。

 

 そんな中、

 

「この声、覚えておきなよ、響」

「ん?」

 

 立ち上がったギルが、緊張感を露わにした声で告げる。

 

「君達があくまでイリヤさんを助けようとしているなら、この声の主こそが、君達の真の敵だからね」

 

 ギルが言った瞬間、

 

 声の主も告げた。

 

『我が名はダリウス・エインズワース。エインズワース家の当主だ』

 

 その声が、響の中でおぞましい響きをもって刻みつけられるのだった。

 

 

 

 

 

 その頃、

 

 クレーターの淵で、弓兵(アーチャー)の少女は、苦笑気味に彼方の光景を眺めていた。

 

「やれやれね・・・・・・・・・・・・」

 

 視線の先には彼女の弟と親友。それに他数名の姿がいる。

 

「バッカじゃないの。いきなり敵の本丸に攻め込むなんて。美遊までいて、何やってんのよ」

 

 嘆息の中にも、どこか安堵の声が混じっているのが分かる。

 

 あの円蔵山での別れ以来となる、弟の無事な姿を見れた事で、ようやく一息つけた感じだった。

 

「ですが、その無謀さこそ、ある意味、彼の最大の強みなのではないですか?」

「・・・・・・限度があるっての」

 

 同行者の言葉に、やれやれとばかりに息を吐く。

 

「ま、何にしても、ここは再会を喜ぶべきなんでしょうね」

 

 そう言うと、クロエ・フォン・アインツベルンとバゼット・フラガ・マクレミッツは、互いに顔を見合わせて肩を竦めるのだった。

 

 

 

 

 

第9話「たとえ地を舐めてでも」      終わり

 



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第10話「進路暗中」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 また、ここに戻って来たか。

 

 彼方を見つめる脳裏に、感慨深い思いがこみ上げてくるのは止めようがなかった。

 

 特有の空気が、周囲を満たしているのが分かる。。

 

 肌を焼く熱風と、轟く爆音。

 

 視線の先では炎が躍っている。

 

 聞こえてくる銃声は、今まさに戦闘が行われている事を現していた。

 

 ここは戦場。

 

 かつて、自分がいた場所。

 

 そして、再び舞い戻った場所。

 

 戊辰の役終結より11年。

 

 ついに、この時がやって来た。

 

 敵は維新三英傑が1人、西郷南洲と彼に付き従う3万余の薩摩隼人達。

 

 対して、彼らを鎮圧すべく派遣されてきた政府軍は7万。

 

 本来であるならば、倍以上の兵力を誇る味方が圧倒的に有利なハズだった。

 

 だが西郷軍は地の利を得ており、最新鋭の銃火器で徹底的に武装している。何より、中央政府の士族廃止に対抗すべく西郷の元に結集し士気も高い。

 

 不用意に戦闘を仕掛けた政府軍は、各戦線で苦戦を強いられていた。

 

 特に西郷軍の抜刀突撃は強烈である。

 

 日本最強を名実ともに謳われる薩摩の豪剣「示現流」を操る彼らの剣技は、並の兵士では対抗できない。

 

 このままでは戦線崩壊も考えられる。

 

 そう判断した政府軍上層部は、強力無比な西郷軍抜刀隊に対抗する為の特殊部隊を編成した。

 

 警視庁抜刀隊。

 

 軍と警察から、特に剣術に秀でた者たちを参集して編成された、最強の白兵戦部隊。

 

 戊辰戦争終結からまだ10年しか経ていない現在、未だに腕に覚えのある剣客は、数多残っている。それらを結集して、西郷軍に対抗しようというのだ。

 

 それはさながら、かつての新撰組を想起させた。

 

 当然、自分もその部隊に加わっている。

 

「近藤さん・・・・・・土方さん・・・・・・沖田さん・・・・・・みんな・・・・・・・・・・・・」

 

 かつての仲間達に、そっと語り掛ける。

 

 ようやくだ。

 

 ようやく、ここまで来たのだ。

 

 あの戊辰の役で朝敵の汚名を着せられ、虚しく散って行った仲間達。

 

 彼らの敵をようやく撃つ事ができる。

 

 敵は西郷南洲。相手にとって不足はない。先に逝った仲間達へ、これ以上の(はなむけ)はいないだろう。

 

 眦を上げる。

 

 敵が近づいてくるのが見えた。

 

 独特の気合と共に、刀を振り翳して斬り込んでくる敵軍の兵士たち。

 

 その様を見据えながら、

 

 手にした刀をゆっくりと抜き放つ。

 

 慣れ親しんだ愛刀の感触。

 

 大丈夫。

 

 いかに時が流れようが、

 

 たとえ時代錯誤と言われようが、

 

 刀を持っている限り、自分は決して負けはしない。

 

「元新撰組三番隊組長、斎藤一、参る!!」

 

 

 

 

 

 目を覚ます響。

 

 ゆっくりと体を起こすと、自分がベッドの上に寝かされている事に気が付いた。

 

 周囲を見回すと、周りはカーテンで仕切られ、薬品棚や机のような物も見える。

 

「・・・・・・保健室?」

 

 そこは学校の保健室だった。

 

 それで、徐々に記憶が戻ってくる。

 

 エインズワースの工房に潜入したものの、敵の激しい迎撃に遭い、イリヤも、そして途中で会った美遊の兄も助ける事が出来ず、這う這うの体で退却する羽目になった響達。

 

 その響達を、エインズワースの追撃から救ったのは、姉のクロと、彼女に同行していたバゼットだった。

 

 響達はクロ達と合流した後、彼女たちが拠点として当たりを付けていた、穂群原学園初等部にやって来たのだ。

 

 美遊が、拠点には自分の家を提供しても良いとは言ったが、エインズワース側がその事を予期して彼女の家を見張っている可能性もある為、却下された。

 

 その後、響の記憶は途切れている。

 

 恐らく緊張が解けた事で、意識を失ったものと思われた。

 

 その時、カーテンがさっと引かれ、見知った人物がこちらを覗き込んで来た。

 

「ん、バゼット?」

「目が覚めましたか。何よりです」

 

 どうやら、響をここに運び込んでくれたのは彼女らしかった。

 

「どれくらい寝てた?」

「おおよそ3時間と言ったところです。大体の事情は、美遊や同行していた金髪の少年から聞きました」

 

 見れば、外は既に日が落ちて暗くなっていた。

 

 本当に、長い1日だった。

 

 いや、「向こう側の世界」での出来事も合わせれば、丸1日以上、緊張で張り詰めた状態が持続されていた事になる。

 

 クロ達と合流できたことで、響の緊張の糸が切れたのも無理からぬことだった。

 

「そう言えば、美遊達は?」

「全員無事です。今は別室で待機してもらっています」

 

 そう言うと、バゼットは再びカーテンを閉めて出ていく。

 

 その姿が廊下に消えると、響は深々とため息をついた。

 

 結局、何もできなかった。

 

 元々、戦力差は絶望的と言って良いほどに開きがあったのだ。まともに戦えば勝てるはずもない。

 

 紛う事無き惨敗である。

 

 今回の戦いで得られたのは、敵は響達が想像していた以上に強大だという事実のみ。

 

 果たしてこれから、彼らを相手に戦い、イリヤ達を助ける事ができるのか。

 

 響の胸中には、不安しか存在しなかった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 着替えを終えた響が教室に行くと、既にそこには他のメンバーが集まっていた。

 

 予想はしていた事だが、学校の中には人の気配はなく、完全に静まり返っている。

 

 こんな状況じゃなければ、何かの記念日で休校になっているのかと思うほどである。

 

 教室の場所はすぐに判った。

 

 何しろ、向こうの世界での響達の教室だったから。

 

 ドアを開けて中に入ると、一同の視線が響に向けられてきた。

 

「やっと起きたわね、寝坊助さん」

 

 そう言って、からかうように肩を竦めて見せるクロ。その口元には、安堵の笑みが浮かべられているのが分かる。

 

 クロはクロなりに、響の事を心配していたのだろう。

 

 そんな彼女の態度も、今はとても貴重に思えるのだった。

 

 と、

 

「響、大丈夫なの?」

 

 教室に入って来た響に、美遊が心配そうな顔で歩み寄って来た。

 

 何しろ、この中で戦闘後に意識を失ったのは響だけである。美遊としても心配だったのだろう。

 

 美遊の姿を見て、響はホッとする。

 

 絶望しかない戦いだったが、美遊だけでも連れて帰ってこれたのは幸いだった。

 

「ん、何とか」

 

 そう言って、頷きを返す響。

 

 実際、響が倒れたのは緊張感が切れたからであって、別に負傷したわけではない。

 

 ただ、

 

 こうして心配してくれる美遊の優しさは、純粋に嬉しかった。

 

「それはそうと・・・・・・・・・・・・」

 

 響はさも自然に椅子に座っている、年上の少女に目をやった。

 

「ヤッホーッ!! 響さん、おっはよーございまーす!!」

 

 元気に手を振ってくる田中。

 

 突き抜ける大音声に、思わず響はその場でのけ反る。

 

 何とも、寝起きにハイテンションな対応である。

 

「聞いてください響さんッ ギルさんが、新しいお洋服を買ってくれたのですよ!!」

「洋服って、それ?」

 

 響は田中の恰好を見やる。

 

 田中は、再び体操服ブルマー姿に戻っている。

 

 なぜにまた、それなのか? もっと他に色々あったろーに。

 

 響は席に座っているギルに目をやる。

 

 その視線で、大体言いたい事を察したのだろう。ギルは肩を竦めて見せる。

 

「いや~ 田中さんには困ったよ。何しろ、体操服(それ)以外は絶対に着ようとしないんだから。おかげで僕がパシらされる羽目になっちゃったよ」

「ん、ごくろう」

 

 何となくその時の状況が目に浮かぶ。

 

 仮にも王様をパシらせる謎生物。絵的になかなかシュールなのは間違いない。

 

 響としても、ギルに同情せずにはいられなかった。

 

 それはともかく、

 

 響は再度、田中の方を見やる。

 

 その視線を感じ取ったのか、田中は能天気に笑って手を振ってくる。

 

 だが、

 

 傷は無い。

 

 何事も無かったかのように、無傷の田中。

 

 響は怪訝そうに首をかしげる。

 

 ベアトリスの攻撃を食らいボロボロになっていた筈なのに、今はその痕跡すら見つけられなかった。

 

 いったい、どうなっているのか。

 

 田中と言う少女について、謎はますます深まる一方だった。

 

 それはさておき、

 

「全員そろったわね。それじゃあ早速、戦略会議を始めるわよ」

 

 クロはそう言って音頭を取ると、教壇の上に立って黒板にチョークで書いていく。

 

 闇雲に戦ってもエインズワースに勝てない事は、先の戦いで分かった。

 

 彼らを倒し、イリヤや美遊兄を助けるために、しっかりとした作戦立案は必要だった。

 

 今まで始めていなかったのは、どうやら、響が起きるのを待っていたようだ。

 

 それぞれ席に着いたのを確認してから、クロは話し始めた。

 

「今いるこの世界は、わたし達がいた世界ではなく、ミユがいた世界。つまり全く別の並行世界。恐らく、大空洞の周辺、数百メートルごと、この世界に飛ばされてしまったんだと思う」

 

 確かに。

 

 大空洞周辺の時空転移について、凛がそのような仮説を立てていたと聞いている。

 

 こうなってみるとどうやら、彼女の考えは正しかったようだ。

 

 言ってから、クロは視線を美遊へと向けた。

 

「そんな感じよね?」

「だと思う。ここが私がいた世界であるのは間違いないし」

 

 尋ねるクロに対し、美遊は肯定の頷きを返す。

 

 並行世界、パラレルワールド。

 

 正直、魔術と言うファンタジー的な世界に踏み込んでいる響にとっても、未だに信じがたい状況である。

 

 だが、既にそこを論議する段階は過ぎた。

 

 ならば今は、現実を受け入れて先に進むことが求められている。

 

「どうも、皆が飛ばされた時間には、多少の開きがあるようですね。私とクロエは、今から二日前にこの世界にやってきました」

 

 発言したのはバゼットである。

 

 因みに彼女は今、小学生用の小さな学習机と椅子に腰かけている。

 

 大の大人が子供用の机に座っている姿はかなりアンバランスであり、滑稽以外の何物でもない。

 

 まあ、それはともかく、バゼットの言う通り、この世界に来た時間にそれぞれ差があるなら、未だに所在が分からない凛やルヴィアの事も気になる所である。まだこちらに来ていないのか、あるいは・・・・・・・・・・・・

 

 もし来てるなら、一刻も早く合流したい所である。エインズワースが強大である事が分かった以上、ベテラン魔術師である2人の知識と経験は、喉から手が出るほど欲しいところだった。

 

 と、そこで、

 

 響はすぐ傍らから、気持ちよさげな寝息が聞こえてくる事に気が付いた。

 

「・・・・・・・・・・・・田中、寝てる」

 

 響は自分の横でグースカといびきをかいているブルマー少女を見て、呆れ気味に呟いた。

 

 開始30秒。田中は既に夢の世界へと落ちていた。

 

「その子は良いわ。寝ててくれた方が静かだし」

 

 そう言って肩を竦めるクロ。諦め気味な態度を見るに、どうやら彼女も、響が寝ている間に田中のハチャメチャぶりに振り回された口らしい。

 

 まあ、田中は寝ていてくれた方が良い、と言うのは響もクロに同意見であるので放っておくことにする。

 

「それで・・・・・・・・・・・・」

 

 クロはギルの方を見やって言った。

 

「イリヤは、クレーターの中心にある敵の工房に囚われているのよね?」

「ん、たぶん」

 

 問いかけるクロに対し、響も神妙な顔で頷きを返す。

 

 当初、イリヤがエインズワースに囚われている事を示唆したのは田中である。

 

 彼女の言葉だけでは正直なところ半信半疑だったのだが、美遊兄の証言や、その後のエインズワース側の対応を見れば、十中八九間違いないと思われた。

 

「人質?」

 

 ポツリと呟く響。

 

 やはりと言うか、その可能性が一番大きいだろう。

 

 確かに、イリヤが人質としてエインズワースに囚われている以上、響達は大々的な行動はとれない。

 

 しかも、最悪なのはそれだけではない。

 

 万が一、美遊兄やイリヤの命を盾にエインズワース側が降伏を迫ってきたら、響達に選択肢は無い。

 

 その時は、イリヤか美遊か、最悪の場合、選ばなくてはならないだろう。

 

 だが、

 

「たぶん、それだけじゃない・・・・・・・・・・・・」

 

 考え込むように美遊が言った。

 

 振り返った一同の視線が集中する中、美遊は厳しい顔を上げる。

 

「どういう事よ、ミユ?」

「たぶん、エインズワースはいざとなったら、私の代わりにイリヤを聖杯として使うつもりなのかもしれない」

 

 俯きながら告げた美遊の言葉に、一同は思い当たったようにハッとする。

 

 美遊だけでなく、イリヤもまた聖杯としての機能を有している。美遊の代わりにイリヤを使う、と言うのは発想として当然の事である。

 

 エインズワースが、もし美遊が手に入らなかった場合を想定し、スペアとしてイリヤの聖杯としての機能に目を付けたとしたら、ある程度だが、今回の事態に辻褄が合う事になる。

 

 確かに、可能性としては十分考えられる。

 

 だが、

 

「うーん、それはどうかなー」

 

 難しい顔で言ったのは、机の上に足を投げ出して座っているギルだった。

 

「ギルガメッシュ君、態度悪いよ」

「硬い事は言いっこ無しだよセンセ」

 

 クロエ先生からの注意にもどこ吹く風のギル。

 

 だがすぐに表情を戻して、自分の考えを語りだした。

 

「確かにイリヤさんは聖杯としての機能を持っているかもしれない。けど、エインズワースの術式は美遊ちゃんに合わせて調整しているんだ。それを他の聖杯が手に入ったからって、簡単に術式を書き換えられるものではない事くらい、エインズワースだってわかっているはずだ」

「それは・・・・・・確かに、そうだけど」

 

 ギルガメッシュの言葉に、美遊は考え込む。

 

 物にもよるが、複雑な儀式を要する魔術の術式を変えるのは容易な事ではない。聖杯戦争程の大儀式なら猶更である。

 

 美遊の代わりにイリヤが手に入ったから、代わりにそっちを使いましょう。と言う訳にはいかないのである。

 

「でも、それでも時間を掛けてでもイリヤを使おうってエインズワースが判断したとしたら?」

「うん、確かに、その可能性はあるね。けど、それでも尚、ぬぐえない疑問が一つある」

「疑問って?」

 

 尋ねる響に、ギルは頷きながら続けた。

 

「イリヤさんが美遊ちゃんの代わりって説は、エインズワース側がイリヤさんの聖杯としての機能を把握していて初めて成り立つ物だけど、彼らはどこでその事を知ったんだい?」

「・・・・・・・・・・・・あ」

 

 その指摘に、一同はギルが言わんとしている事を響は理解した。

 

 イリヤ(とクロ)に聖杯としての機能がある事は、この場にいる人間のほかは凛やルヴィア、サファイア、イリヤ達の両親である切嗣とアイリ。もしかしたらセラとリズも知っているかもしれない。士郎は、果たしてどうだろうか?

 

 いずれにせよ、事実を知っているのは「身内」のみ。その他に知る人間はいないはず。

 

 まして並行世界の住人であるエインズワースが知るはずもない。

 

 故に前提条件から改めて考えれば「聖杯としてのイリヤの能力を知らないエインズワースが、聖杯としてイリヤを捕えるはずが無い」と言う事になる。

 

「・・・・・・・・・・・まあ良いわ」

 

 議論を締めるようにクロは言った。

 

「エインズワースの思惑はどうあれ、あの子(イリヤ)を助けると言う前提方針は変わらない訳だし」

 

 確かに。

 

 現状の情報のみで、イリヤが囚われている理由を探るのは限界があった。

 

「次に、敵の主戦力よ」

 

 そう言うとクロは、黒板に4体の人間らしき物を書いていった。

 

 腕が片方太い奴。剣みたいな物を持っている奴。ツインテールでちょっと偉そうな奴。触手がうねうねとはみ出している奴。

 

 それぞれ特徴が出ている。の、だが、

 

「クロ、絵下手」

「黙らっしゃい」

 

 響の冷静なツッコミに、ピシリと返す。

 

 しかし指摘されて頬が少し赤くなっている辺り、どうやら彼女自身、そこら辺は自覚しているらしかった。

 

 説明は続く。

 

「さしあたって判っている敵の戦力はこの4人。まず、アンジェリカが使うカード『弓兵(アーチャー)』ギルガメッシュ」

「僕のカードだね」

 

 ギルが笑顔で言う。

 

 先の戦いで「天の鎖(エルキドゥ)」をはじめ、宝具の一部を取り戻したが、それでも無限の財を持つ彼にとっては「一部」と言うにも難がある量だ。

 

 変わらず、アンジェリカの脅威は存在していた。

 

「次にこいつね」

 

 クロが差したのは、剣を持っていると思しき絵だった。

 

「それって・・・・・・・・・・・・シェルド?」

「その長すぎる『間』についてはあとでじっくり話し合うとして、こいつについて判っている事は2つ。『剣を使う事』、そして『攻撃が通じない事』ね。まず十中八九『剣士(セイバー)』と見て良いでしょうね」

 

 クロに言われて、響はシェルドとの戦いを思い出す。

 

 確かに、響の攻撃は殆どシェルドには通じず弾かれてしまった。まるで獅子劫優離(アキレウス)を相手にした時と同じような感覚である。

 

「剣を使い、無敵性がある英霊については、いくつか心当たりがありますが、今のところ判断する材料が少なすぎます」

 

 たとえば円卓の騎士の1人、聖剣ガラティーンの担い手でもある「太陽の騎士」ガウェインは、太陽が出ている昼間はいかなる攻撃も受け付けなかったという伝説がある。

 

 「二―ベルゲンの歌」に登場する英雄で魔剣バルムンクの担い手であるジークフリートは、背中以外全てが無敵を誇ったと言われている。

 

 更にシャルルマーニュ12勇士の1人、聖剣デュランダルの担い手である聖騎士ローランは、足の裏以外はダイヤモンドをも上回る強度を誇ったとか。

 

 シェルドの英霊は、それらのいずれかである可能性がある。

 

「で、そいつは?」

 

 そう言って響が指さしたのは、ヴェイクと思われる絵だった。

 

 大量の魔物を異界から召喚するヴェイクは、脅威と言うよりも厄介な側面がある。

 

 あの能力が相手では、数で押しても倒しきれない可能性があった。

 

「でも、そいつらよりも厄介なのが、こいつよ」

 

 そう言ってクロが差したのは最後の1人。

 

 片腕が太くなっている所から見て、恐らくベアトリスだと思われた。

 

「こいつのカードは、十中八九『雷神トール』だと思われるわ」

《ですね。これは判りやすかったです》

 

 クロの言葉に、ルビーが頷きを返す。

 

 2人の声に緊張感がはらむ。

 

 相当厄介な相手である事は間違いないだろう。

 

 と、

 

「透? うちのクラスの?」

 

 響が思い描いたのはクラスメイトの江ノ島透(えのしま とおる)君(出席番号3番。趣味:しいたけ栽培)だった。

 

「な訳ないでしょ。『ミョルニル=トール』よッ あんたの好きなゲームにもよく出るでしょ!!」

 

 クロのツッコミに、響は「おお」と手を打った。

 

 雷神トール。

 

 北欧神話に登場する最強の神で、主神オーディンをも超える信仰を集める雷神。

 

 もし全力を発揮したら、どれほどの威力を発揮するの想像もつかなかった。

 

「どうにもインチキ臭いんだけど、何にせよあのカードは少し厄介だね。現状、対抗策が皆無なくらいにね」

 

 ギルの言葉に、一同は黙り込む。

 

 重苦しい雰囲気に包みこまれる。

 

 戦力差は圧倒的に一同は黙り込む。

 

 あまりにも隔絶した戦力差。

 

 一同は改めて、自分たちが置かれた状況が厳しい物である事を認識せざるを得なかった。

 

 ややあって、

 

「・・・・・・・・・・・・大丈夫、だよ」

 

 口を開いたのは、美遊だった。

 

 一同が見守る中、美遊は立ち上がると、口元に笑みを見せる。

 

「いくら敵が強大でも大丈夫」

「美遊?」

「私に、考えがあるから」

 

 それだけ言うと、美遊は教室を出ていく。

 

 その後ろ姿を、響はジッと見つめ続けているのだった。

 

 

 

 

 

第10話「進路暗中」      終わり

 



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第11話「不協和音」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 椅子にゆったりと腰かけながら、男は静かに目をつぶっていた。

 

 長い髪に高い背丈。

 

 色の薄い顔は、幽鬼の如く闇に浮かび上がっている。

 

 ダリウス・エインズワース。

 

 エインズワース家の当主であり、美遊を主軸とする聖杯戦争を仕掛けた張本人でもある。

 

 今、ダリウスは大いなる満足感の中にある。

 

 全てが順調の内に運ぼうとしている。

 

 彼は彼の悲願を達成する為に聖杯戦争を起こし、そしてその成就まで、今一歩のところまで来ていた。

 

 計画遂行にあたって多少の瑕疵はあるものの、気にするほどの物ではない。

 

 むしろ、この程度の抵抗が無ければ、張り合いがないと言う物だった。

 

 と、

 

 部屋の中に、新たな気配が入り込んで来たのを察し、ダリウスは目を開いた。

 

「・・・・・・・・・・・・君には感謝しているよ」

 

 話しかけた方角に、人の姿は無い。ただ薄暗い室内の様子が映し出されているのみだ。

 

 しかし、まるでそこにいる人物が誰なのか分かっているかのように、ダリウスは普段の調子で語り掛ける。

 

「君のおかげで、私の計画はより完璧に近い形で成就するめどが立った」

 

 語り続けるダリウスに対し、

 

『お役に立てて何よりですよ』

 

 闇の中から返事が返った。

 

 声の主の姿は見えない。

 

 ただ、不気味な気配だけが、闇の中からにじみ出てきているかのようだった。

 

 そんな相手の様子を見ながら、ダリウスは口元に笑みを浮かべた。

 

「まさか、あのイリヤと言う少女も聖杯だったとはね。聖杯が2つ存在している事の意味は大きい。いざとなれば、2人を基点にして術式を完成させることもできる」

『確かに。聖杯2つ分の魔力を使う事が出来れば、我々の神話が完成する日も早まる事でしょう』

 

 ダリウスの言葉に、闇の中にいる男も頷きを返した。

 

 それにしても、

 

 響達は作戦会議の席上において「エインズワースはイリヤが聖杯である事を知らない」と言う前提で話を進めていた。

 

 しかし結果として、響達の予想は外れていた事になる。

 

 エインズワース側は既に、イリヤが聖杯であるという情報を掴んでいたのである。

 

 いかにして、そのような情報がエインズワースの手に入ったのかは分からない。しかしこれで少なくとも、聖杯の1つが、彼等の手に渡ってしまった事になる。

 

「美遊も間もなく、我々の元へやってくるだろう。その時こそ、計画を最終段階へと進める事になる」

『御意のままに』

 

 ダリウスの言葉に、闇の中にいる男が恭しく頭を下げるのを感じる。

 

 今や、彼らエインズワースを止め得るものは誰もいない。

 

 彼らの悲願は、正にチェックメイトを迎えているに等しかった。

 

 

 

 

 

 そっとドアを開け、周囲を見回す。

 

 右を見て、

 

 左を見て、

 

 もう一度右を見る。

 

「・・・・・・・・・・・・よし、誰もいないね」

 

 イリヤは頷くと、足音を殺しながら廊下へと出た。

 

 暗い城内は、不気味なまでに静まり返っており、殆ど人の気配がしない。

 

 まるで全てが、闇の中に溶け込んでいるかのような印象さえある。

 

 闇の中に、イリヤが着た白いドレスは、いっそ不気味に思える程に美しく映えていた。

 

「うわ~ 何か出そうで怖いんだけど・・・・・・・・・・・・」

 

 先を見通す事の出来ない闇を見つめながら、イリヤは青い顔をのぞかせる。

 

 小学生程度なら当然の事だが、イリヤはホラー系が苦手である。正直、あまり関わりたいとは思わないほどに。

 

 そのくせ止せば良いのに、その手の怪奇番組がテレビがあれば興味本位で見てしまったりするから始末に負えない。

 

 因みに響も、そっち系は割と苦手な方である。

 

 そんな訳で、心霊特番があった夜は、2人仲良く手をつないでトイレに行くのが衛宮家の密かな定番だったりする。

 

 しかし、

 

「・・・・・・・・・・・・」

 

 ゴクリと、生唾を呑み込むイリヤ。

 

 怖い。

 

 しかし、

 

 その脳裏に浮かぶのは、昼間中庭で戦っていた弟の姿。

 

 響は危険を顧みず、自分を助けに来てくれた。

 

 ならば、イリヤもここでジッとしている事などできなかった。

 

「何とかして敵の情報を探らないと・・・・・・できれば脱出の手段も」

 

 今のところ、エインズワース側はイリヤを害する気は無い様だ。だからと言って、いつまでも敵の手の中にいる訳にはいかない。

 

 イリヤは恐る恐る、暗がりの中へと足を進めて行った。

 

 

 

 

 

「・・・・・・・・・・・・まあ、予想はしていた事だよね」

 

 呟きながら、イリヤは深々とため息をつく。

 

 部屋を出て1時間弱。ある程度城の中を探索したが、特に得られたものは無かった。

 

 大半の部屋はカギがかかっていたし、運よく鍵が開いていたとしても、特にめぼしい物が無かったりするのが常である。

 

「やっぱり、そう簡単にはいかない、か」

 

 悉く徒労に終わった事で、嘆息するイリヤ。

 

 歩き続けて、足が痛みを発している。

 

「・・・・・・こんな時、ルビーがいてくれたら回復してくれたんだろうけど」

 

 ぼやくように呟くイリヤ。

 

 まさか彼女も、相棒が親友の少女と行動を共にしているとは思っても見なかった。

 

 それにしても、予想した事ではあったが、やはり脱出の手段は見つからなかった。

 

 そもそも、捕虜であるイリヤを野放しにするほど、エインズワースは間抜けではないだろう。そう考えれば、塔の部屋にかぎが掛かっていなかったのも、イリヤが逃げられないという自信の表れと言える。

 

「これ以上は何もありそうも無いし、今日のところは部屋に戻った方が良いかな」

 

 また日を改めて探ってみよう。

 

 そう言って、イリヤは踵を返そうとした。

 

 その時、

 

「・・・・・・・・・・・・あれ?」

 

 戻ろうとしたイリヤは、廊下の先に目を止めた。

 

 暗い廊下の中で、そこだけ明るくなっている。

 

 目を凝らしてみるとドアが僅かに開き、そこから光が漏れていた。

 

「誰か、いる・・・・・・・・・・・・」

 

 足音を殺して、そっと近づいてみる。

 

 開いていた隙間から、中を覗き込んでみた。

 

 すると、

 

「あれ・・・・・・・・・・・・」

 

 部屋の中は、意外な程飾り付けられ、どこか幼さを感じさせる印象があった。

 

 壁紙は落ち着きのある白系で統一され、棚にはおもちゃやぬいぐるみの類が並んでいる。

 

 どことなく、女の子っぽい雰囲気が見て取れた。

 

 そして、

 

 部屋の中央のベッドに腰かけて、2人の子供がいた。

 

 1人は女の子。イリヤよりもだいぶ年下で、恐らく小学校低学年くらいの年齢ではないだろうか? まだまだあどけなさの残る顔だちをしている。長い金髪を後頭部でポニーテールに縛り、着ている服もどこか高級感がある。

 

 もう1人は男の子だ。こちらは恐らく、イリヤとそう変わらない年齢のようにも思える。短く切りそろえた髪で、やや華奢な体つきをしている。色白で温厚そうな印象のある少年である。

 

 見れば男の子の方が、困惑顔で女の子に何事か訴えている様子だった。

 

「ねえ、エリカ、そろそろ寝ようよ。夜更かししていると、また怒られるよ」

「大丈夫だよ。だってエリカ、まだ眠くないから」

 

 不安げに告げる少年に対し、エリカと呼ばれた女の子は無邪気にそう答える。

 

 何となく、会話がかみ合っていない。

 

 どうやら、少年はエリカと呼ばれた少女を寝かしつけようとしているが、エリカが駄々をこねているらしい。

 

「だいたい、エリカはもう大人なんだから、まだ眠くなんかないもん」

「ああ、またアンジェリカに怒られる・・・・・・僕が」

 

 そんな2人の様子に、イリヤは何となく微笑ましい気分になる。

 

 元気な子供は、とかく夜更かしをしたくなるものだ。

 

 イリヤや響も、よく遊び足りない時は夜中に起きだして、漫画を読んだりゲームをしたりして遊んだものである。

 

 もっとも、大抵は見回りに来たセラにバレて、2人そろって大目玉を食らってしまったのだが。

 

 と、

 

「だ~れ?」

 

 ふと気が付くと、エリカが不思議そうな顔でこちらを見ている事に気が付いた。

 

 慌てるイリヤ。

 

 見付かってしまった。

 

 どうにか隠れないと。

 

 そう思ってあたふたと周囲を見回す。

 

 だが、

 

「そんなとこいないで、お姉ちゃんも入っておいでよ」

 

 いつの間に傍までやって来たのか、エリカはイリヤの手を引いて部屋の中まで引きいれてしまった。

 

 その無邪気な様子に断る言葉も見つからず、促されるままに椅子に座らされるイリヤ。

 

 どうやらエリカは、イリヤが何者なのか気づいていない様子だった。

 

 と、

 

「あの・・・・・・・・・・・・」

 

 目の前に座った少年が、居心地悪そうに話しかけてくる。

 

 無邪気な少女とは対照的に、彼はイリヤが何者なのか気づいている様子である。その為、この状況をどう扱えばいいのか測りかねているらしい。

 

 無理も無い。捕虜の少女が勝手に部屋を出て、こんな場所をうろついているのだ。戸惑うな、と言う方が無理がある。

 

「ねえねえ」

 

 そんな緊迫した空気など意に介さず、エリカは身を乗り出すようにしてイリヤに話しかけてきた。

 

「エリカはね、エリカっていうの、お名前。お姉ちゃんのお名前はな~に?」

「えっと・・・・・・・・・・・」

 

 少し躊躇ってから、イリヤは口を開いた。

 

 どのみちこうなった以上、黙っていても意味は無いのだから。

 

「イ、イリヤ・・・・・・・・・・・・」

「そっかー じゃあ『イリヤお姉ちゃん』だね」

 

 無邪気にそう言うエリカに、思わずイリヤは感動しそうになった。

 

 思えば彼女はきょうだい達から「お姉ちゃん」などと呼ばれた事は無い。

 

 兄である士郎は仕方ないにしても、妹(とイリヤ本人は強く主張している)のクロや、弟の響まで、デフォルトでイリヤを呼び捨てにしている。

 

 それ故に、エリカからストレートに「お姉ちゃん」と呼ばれた事に対し、軽く感動してしまったのだ。

 

 エリカの無邪気な態度は、いい意味でイリヤの緊張をほぐしてくれた。

 

「えっと・・・・・・エリカちゃんは、ここの子なの?」

「うん、そうだよー ここがエリカのおうちなの」

 

 そう言って無邪気に笑うエリカ。

 

 その笑顔には一切の邪気は感じられず、ただあどけない少女があるだけである。

 

 だが、

 

 同時にイリヤは思う。

 

 エリカはこの城の子。

 

 つまりエインズワース()側の人間だと言う事である。

 

 こんな小さな女の子がいる事には驚いたが、同時に油断していい相手でない事も間違いなかった。

 

「あの・・・・・・・・・・・・」

 

 そんな中、もう1人の少年が恐る恐ると言った感じに、イリヤに話しかけてきた。

 

「僕が言うのも何なんですけど、大丈夫なんですか? 部屋抜け出したりして」

 

 やはり彼は、エリカと違ってイリヤの正体に気付いているようだ。

 

 もっとも言動を見るに、積極的に咎めるつもりはないらしいが。

 

「えっと、あなたは?」

「あ、申し遅れました」

 

 促されて少年は、自分がまだ名乗っていなかったことに気付いたらしい。

 

 居住まいをただしてイリヤに向き直る。

 

「僕はシフォンって言います。こちらにいる、エリカお嬢様のお世話係を仰せつかっている者です」

 

 丁寧な物腰の挨拶である。

 

 どうやら彼も、イリヤに対して敵対する意思はない様子だ。

 

 これは今のところ、エインズワース全体に言える事だが、イリヤを賓客として扱っている様子がある。

 

 むろん、これは「聖杯としてのイリヤ」に価値を見出しているゆえなのだが、そこのところの事情について、イリヤには知る由も無かった。

 

 と、

 

「ぶー」

 

 何やらエリカが、プクッと頬を膨らませてシフォンを睨みつけた。

 

「もうッ いつも言ってるでしょッ シフォンはエリカの『お友達』だって!!」

「そ、それは・・・・・・・・・・・・」

 

 エリカの言葉に、シフォンは困惑したような表情を見せる。

 

 自分の主人からこのように言われるのは、ありがたいと同時に恐れ多いという感情もある。

 

 まして、エリカのようなあどけない少女に言われると猶更だった。

 

 そのエリカは、イリヤの手を取る。

 

「イリヤお姉ちゃんも、エリカのお友達になってくれるよね」

「あ・・・・・・・・・・・・」

 

 無邪気に手を取ってくるエリカに、少し気圧されるイリヤ。

 

 ある意味、残酷な光景であるのは間違いない。

 

 イリヤとエリカ。

 

 互いに対極に立つ少女たちが、手を取り合っているのだから。

 

 しかし、

 

「・・・・・・・・・・・・」

 

 キラキラと輝く目で見上げてくる少女。

 

 その姿に、イリヤは己の中の価値観が揺らぐのを感じていた。

 

「・・・・・・うん、そう・・・だね」

 

 そう言って笑いかけるイリヤ。

 

 そうだ、こんな無邪気な少女が敵であるはずが無い。

 

 エインズワースにだって、色々な人間がいるのは当たり前なのだから。

 

 そう思って、エリカの頭を優しく撫でてやる。

 

 その時、

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「私からも、是非お願いするよ」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「ッ!?」

 

 突如、背後から投げかけられた不気味な声。

 

 とっさに振り返るイリヤ。

 

 と、

 

「あ、パパッ」

 

 喜色を浮かべるエリカ。

 

 果たして、

 

 背後にはいつの間に現れたのか、ダリウス・エインズワースが、闇のような瞳でイリヤを見つめ、笑いかけていた。

 

 いったい、いつの間に現れたのか?

 

 全く気配を感じさせる事無く、ダリウスはいきなりイリヤの背後に立ったのだ。

 

 自身に抱き着くエリカの頭を、愛おし気に撫でるダリウス。

 

 一見すると微笑ましい光景のようにも見える。

 

 しかしその姿に、イリヤは背筋から怖気が吹き上がるのを感じていた。

 

 ダリウスの目は、まるで深淵の奈落のように、イリヤを真っすぐに見つめ続けている。

 

 この世の絶望、その全てをため込んだような暗い瞳。

 

 根源から湧き上がる恐怖が、イリヤを縛り付ける。

 

 改めて思い知る。

 

 ここが、敵の城だと言う事を。

 

 そして、

 

 これがずっと、美遊を苦しめていた恐怖の正体なのだ、と。

 

「私からもお願いするよ、イリヤスフィール。これからも是非、娘と仲良くしてやってくれたまえ」

 

 そう言うとダリウスは、不気味な笑みをイリヤに向けるのだった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 夜の帳が下り、静かな闇が街全体を包み込んでいく。

 

 半ばゴーストタウンと化した冬木市は、不気味なまでの静寂に包み込まれている。

 

 眼下に見える風景には、生活の明かりが全く見えず、ただ沈黙だけが夜の支配者として君臨していた。

 

 屋上のフェンス越しに立ち、美遊は彼方をジッと見つめていた。

 

 その目指す視線の先には深山町の中心、あのクレーターがある。

 

 もっとも、今は闇に閉ざされてみる事は出来ないが。

 

 しかし、

 

 あそこに今、イリヤと、美遊の兄が囚われている。

 

 美遊にとってかけがえのない親友であるイリヤと、自分を慈しみ、自分の為に命がけで戦ってくれた兄。

 

 どちらも大切な存在である。

 

 その2人が今もエインズワースにひどい目に合わせられていると思うと、胸が張り裂けそうな苦しみに襲われる。

 

 叶うなら、今すぐにでも助けに行きたい。

 

 しかし、それはできなかった。

 

 今日の戦いで、エインズワース側がどれほどの戦力を持っているかよくわかった。

 

 闇雲に突撃しても勝てない。現に今日だって、返り討ちに遭いかけた。

 

 作戦を立て、戦力を整えたうえで挑まないといけない。

 

 それは判っている。

 

 しかし、

 

「・・・・・・・・・・・・」

 

 拳は、無言のままフェンスを叩く。

 

 判っていても、理解と感情は別物だった。

 

 そもそも、エインズワースの狙いは美遊1人。

 

 兄もイリヤも、美遊に関わってしまったがために、エインズワースに囚われたようなものだ。

 

 見方を変えれば、2人を苦しめているのは美遊自身であるとも言える。

 

「私が・・・・・・・・・・・・」

 

 いけないと判っていても、負の感情はとめどなく溢れてくる。

 

 自分さえ、

 

 自分さえいなければ、

 

 そうすれば、イリヤも、兄も苦しむ事は無かったかもしれない。

 

 自分と出会ってしまったばかりに。

 

 フェンスを掴む手に血が滲む。

 

 広がる痛み。

 

 だが、こんな物は何でもなかった。

 

 イリヤや兄が味わっている痛みを思えば、こんな物は。

 

 その時、

 

「美遊」

 

 背後から呼びかけられる声。

 

 振り返ると、そこには茫洋とした顔で佇む少年の姿があった。

 

「響・・・・・・どうしたの?」

「ん、ちょっと」

 

 そう言うと、響は美遊のすぐ横に立って、同じように街の様子を見つめる。

 

「・・・・・・・・・・・・暗い」

「仕方ないよ。人が殆ど住んでないから」

 

 苦笑しながら答える美遊。

 

 「あちら側」の冬木市は、夜でもそれなりに明るかった。それを思えば、向こうから来た響には、この暗さは異常に映る事だろう。

 

「・・・・・・・・・・・・何考えてたの?」

 

 響が唐突に、そんな事を聞いて来た。

 

 一瞬、心臓が高鳴るのを美遊は感じる。

 

 突然の質問。

 

 闇を見透かしたような響の目が、真っすぐに美遊を見据える。

 

「・・・・・・何って、私は別に、何も」

 

 僅かに視線をそらしながら答える美遊。

 

 流石に少し、苦しい事は自覚している。

 

 響の予想外の質問に、動揺してしまった事は否めなかった。

 

 その動揺を、響は見逃さなかった。

 

「エインズワースの城に行く気?」

「ッ!?」

 

 一気に確信を突く質問を前に、思わず動揺が大きくなるのを隠せなかった。

 

 図星だった。

 

 双方の戦力差は、改めて語るまでも無い。まともなぶつかり合いでは、こちらが必敗は確定している。

 

 戦っても勝てない。他に取りうる手段も無い。

 

 あらゆる思考を重ね、考えに考え抜いた末、

 

 美遊は、その「結論」に達してしまった。

 

 人身御供。

 

 エインズワースの狙いが美遊の身柄なら話は単純。

 

 美遊は自分の身と引き換えに、イリヤと兄を解放するよう、エインズワースと交渉しようと考えていたのだ。

 

「ダメ」

 

 静かに、

 

 しかし強い口調で響は美遊に迫る。

 

「そんな事、させない」

 

 美遊は確かに聖杯であり、エインズワースにとっては喉から手が出るほど欲しい物だろう。

 

 美遊の案で交渉を持ち掛ければ、あるいは話に乗ってくるかもしれない。

 

 だが、相手が約束を守る保証はどこにもない。

 

 これで美遊が相手の手に渡り、イリヤも美遊兄も帰ってこなかったら、完全にこちらの負けである。

 

 いや、そんな上辺の話ではない。

 

 美遊をエインズワースの手に渡したくない。

 

 好きな女の子を敵に差し出したくない。

 

 響の想いの中で、最も強いのはそれだった。

 

「でも・・・・・・・・・・・・」

 

 美遊は響から視線を逸らしながら言った。

 

「もう、これしか方法は無い」

 

 エインズワース側の戦力が強大である以上、戦って勝つ事は難しい事は判明している。

 

 ならばこそ美遊が「自分を犠牲にしてイリヤ達を救う」と考えたのも無理からぬ面がある。

 

 だが、

 

「絶対ダメ」

 

 響は尚も言い張った。

 

「行かせない」

「響・・・・・・・・・・・・」

 

 言い募る響に対し、美遊は少し困ったような表情をする。

 

 響がかたくなな態度を取るのは美遊を思っての事である。

 

 それは美遊にも判っている。

 

 だが、こうしている間にも兄やイリヤが苦しめられているかと思うと気が気でない。

 

 一刻も早く助けなければ。

 

 焦燥は、否が応でも美遊の中で募っていく。

 

「クロとバゼットも合流した。次はきっと勝てる。だから・・・・・・・・・・・・」

「無理、だよ」

 

 響の言葉を遮るように美遊は静かな声で言った。

 

「昼間の戦いで響も分かったはず。エインズワースがどれだけ強いか・・・・・・」

「・・・・・・・・・・・・」

 

 美遊の言葉に、響は黙り込む。

 

 確かに。

 

 敵の戦力、特にベアトリスの雷神トールは厄介だ。

 

 現状、力押しで勝てる要素は皆無に等しいのも分かっている。

 

「だからって・・・・・・・・・・・・」

「危険な賭けは、するべきじゃない」

 

 そう言うと美遊は、踵を返そうとする。

 

 次の瞬間、

 

 その手を、響が掴んで引き戻した。

 

 手首に痛みを感じる美遊。

 

 それほど、響の力は強く、同時に意志の強さを感じさせた。

 

「・・・・・・・・・・・・放して」

 

 低い声で告げる美遊。

 

 その声には、威嚇の要素も孕み始めていた。

 

 だが、

 

「やだ」

 

 頑なな声と共に響は更に力を籠め、美遊の腕をしっかりと握る。

 

「そんな事、絶対にダメ」

 

 そう言って美遊を引き戻そうとする響。

 

 と、

 

「・・・・・・・・・・・・じゃあ響には、何か他に方法があるって言うの?」

 

 ひどく低く告げられる美遊の声。

 

 少女の中で、段々と苛立ちが募り始めていた。

 

 なぜ、判ってくれないのか。

 

 今はエインズワースから、イリヤと兄を助ける事が最優先だ。その為には、美遊が自分の身を交渉材料にするのが最も有効な手段だと言うに。

 

 焦慮を募らせる美遊に、思わず怯みかける響。

 

 そこへ、美遊は更に畳みかける。

 

「他に方法がないなら、もうこれしかない」

 

 今更思い出した事だが、美遊は割と頑固なところがある。

 

 一度こうと決めたら、簡単には意思を覆す事は出来ない。

 

「邪魔しないで、響」

 

 静かに、そして確固たる口調で告げる美遊。

 

 事実上の決別に近い言葉。

 

 その言葉に、響もムッとした表情を作る。

 

 このまま手を放せば、本当に美遊は、1人で城へと向かおうとするだろう。

 

 と、

 

「・・・・・・・・・・・・勝手」

「え?」

 

 ややあって、響は低い口調で言った。

 

 突然の物言いに、足を止める美遊。

 

 対して、少年の瞳は、真っすぐに美遊を見据えて言った。

 

「美遊はいっつも、1人で全部決める。勝手に」

 

 今、響の中には親友である少女に対するいら立ちが募り始めていた。

 

 美遊が自分を犠牲にして、イリヤや彼女の兄を助けようとしている事は響にも分かっている。

 

 確かにエインズワースは強大だ。それは響にも理解してる。

 

 だが、美遊の考えは、「自分達ではエインズワースに勝てない」と言う思いが前提になっている。

 

 その事が、響きをイラつかせていた。

 

 どうして、簡単に諦めるのか?

 

 どうして、もっと自分たちを信じてくれないのか?

 

 そんな思いで、美遊を見つめる響。

 

「結局・・・・・・・・・・・・」

 

 響は小の腕を掴んだまま告げる。

 

 殊更に低い声で。

 

「美遊はみんなを信用していない」

 

 響たちを信用していないからこそ、「自分を犠牲にする」などと言う選択肢を安易に取る事ができる。

 

 響には、美遊が現実から逃げているように見えたのだ。

 

 美遊は自分を犠牲にしているようで、その実、最も安易な選択肢を選んでいる。

 

 響にはそのように思えるのだった。

 

「そんな事は、ないッ」

「あるッ」

 

 否定する美遊の言葉を、強い口調で制する響。

 

 美遊が、

 

 美遊が行ってしまう。このままでは。

 

 その想いが、響の中で膨れ上がっていた。

 

「逃げたって・・・・・・何の解決にもならない!!」

「ッ!?」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 パシンッ

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 乾いた音が、静寂の中に響き渡る。

 

「・・・・・・・・・・・・え?」

 

 その音に驚いたのは、他ならぬ美遊自身だった事だろう。

 

 いつの間にか、響の手を振り払っていた美遊。

 

 その手が今、大きく振り切られている。

 

 掌に徐々に広がる、軽い痛み。

 

 そして、

 

 目の前には顔を横に向けた響の姿。

 

 その頬が、みるみる内に赤く染まっていく。

 

 殆ど無意識だったのだろう。

 

 美遊の手は、響の頬を張り飛ばしていた。

 

 驚いた顔で、美遊を見つめる響。

 

 叩いた方も叩かれた方も、あまりにも予想外の出来事だったのだ。

 

 ややあって、美遊の方から口を開いた。

 

「・・・・・・・・・・・・響には、判らないよ」

 

 眦を上げる美遊。

 

 悲哀と苛立ちが混じり合った美遊の瞳。

 

「私が今、どんな気持ちでいるのかなんて、響には判らない!!」

 

 そう言い捨てると、

 

 美遊はそのまま屋上を飛び出していく。

 

 それを追う事も出来ず、立ち尽くす響。

 

 叩かれて赤くなった頬が、今更ながら痛みを発し始めていた。

 

 

 

 

 

第11話「不協和音」      終わり

 



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第12話「楽園の少女」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 空気が、朝っぱらから重苦しくのしかかっていた。

 

 まるで空気その物が鉛と化したかのような、そんな雰囲気。

 

 発生源たる2人は、それぞれ教室の右と左、窓側と廊下側の端に座り、明後日の方向を向いて朝食のパンを食べていた。

 

 美遊は下を向いたまま、小さな口を開けてパンを頬張っている。

 

 一方の響も、こちらはより態度が露骨で、そっぽを向き美遊の方を見ないで食事をしている。

 

 互いに、険悪な空気を駄々漏れにしているのは明白だった。

 

《う~む・・・・・・・・・・・・》

 

 そんな2人の様子を、ルビーは嘆息交じりに言った。

 

《雰囲気悪いですねー あの2人。いったいどうしたんでしょう?》

「知らないわよ。こっちが聞きたいくらいだし」

 

 そう言って、クロは肩を竦めて見せる。

 

 朝起きたら、何やら微妙な空気を垂れ流していた響と美遊。

 

 おかげで、他のメンバーまでそわそわとした雰囲気になっていた。

 

 クロはチラッと、響と美遊を見やる。

 

 相変わらず沈黙したまま食事を機械的にしている2人。

 

 朝から一切視線を合わせておらず、口も聞いていない。明らかに「何かあった」様子である。

 

「勘弁してほしいよね、こんな時に」

 

 買って来たあんパンを頬張りながら、ギルが呟く。

 

 因みにこれらの食料は、深山町のはずれで辛うじて経営を継続していたコンビニまで買い出しに出かけて手に入れた物である。

 

 穂群原学園初等部を拠点に活動している一同だが、流石に閉じこもってばかりもいられない。その為、外出の必要がある場合は、必ず2人1組で行動するように徹底していた。

 

 これらの食料は今朝、バゼットとクロが買って来たものである。

 

「ただでさえ、こっちは劣勢だってのに、これ以上、無駄に戦力を減らしてほしくないんだけど?」

 

 皮肉めいたギルの言葉。

 

 その言葉は当然、響や美遊にも届いている。と言うより、わざと2人に聞こえるように言っているのは明白だった。

 

 しかし、腹立たしくはあるもののギルの言葉は正しい。

 

 昨日の作戦会議で分かった敵の戦力はそれぞれ、剣士(セイバー)1人、弓兵(アーチャー)1人、狂戦士(バーサーカー)1人、魔術師(キャスター)1人。

 

 対してこちらは弓兵(アーチャー)であるクロとギル、暗殺者(アサシン)の響、実質的には魔術師(キャスター)と、狂戦士(バーサーカー)に相当する美遊とバゼット、そして謎生物の田中となっている。

 

 数的にはこちらが勝っている。しかし、個々人の自力においては敵に圧倒されている状態だ。

 

 エインズワース側の英霊は、明らかに上位の物を取り揃えている。総じて正面からまともにぶつかり合えば、こちらが負けるのは目に見えていた。

 

 そんな中での、響と美遊の仲たがいは、下手をすれば命取りにすらなりかねなかった。

 

「まあ、何にしても、仲直りするならさっさとしてよね。不貞腐れた子達に付き合ってられるほど、こっちも暇じゃないんだしさ」

 

 そう言うと、肩を竦めて出ていくギル。

 

 どうやら深く関わる気は無い、と言う意思表示のようだ。

 

 まあ、ギルの性格からすれば、これは予想できたことであろう。基本的に自分の都合を優先する方みたいだし。

 

 と、

 

「ご馳走様」

 

 パンを食べ終えた美遊は、低い声で告げると、そのまま教室を出ていく。

 

 最後まで、響と顔を合わせる事も無く。

 

 対する響も、露骨にそっぽを向いている。

 

 見ているクロ達からすれば、ため息をつきたくなるような光景だった。

 

「いったい何があったのです、響?」

 

 美遊が出て行くのを見計らい、尋ねたのはバゼットである。

 

 一応、この中では年長者である為、事情を聞いておこうと思ったのだろう。

 

(ギル)の言葉ではありませんが、この状況での仲たがいは危険すぎます」

 

 流石は百戦錬磨の封印指定執行者と言うべきか、その頭の中には、常に戦況の事がある。

 

 対して、

 

「・・・・・・・・・・・・別に」

 

 響は躊躇うように沈黙した後、不貞腐れたように口を開いた。

 

「美遊が悪い」

 

 素っ気ない感じの響の言葉に、クロとバゼットは途方に暮れたように顔を見合わせる。

 

 何と言うか、取りつく島が無いとはこの事だった。

 

 前から思っていた事だが、響と言い美遊と言い、2人そろって、ずいぶんと面倒くさい性格をしている。もっと気楽に行けばいいのに。

 

「あのね、響・・・・・・・・・・・・」

 

 クロが何事かを言おうとした。

 

 次の瞬間、

 

「おっはよーございまーす!!」

 

 場の空気を全く読まない大音声が、教室内に響き渡る。

 

 遠慮なしに教室の中へと飛び込んでくる田中。

 

 シリアスな空気が、色々と残念な感じに粉砕されてしまう。

 

「今日も清々しい朝で田中は元気いっぱいです!! ところで美遊さんはどうしたですか!? さっきすれ違いましたが、返事してくれなかったんですよ!!」

「うるさい」

 

 取りあえず、田中の頭をポコッと殴っておくクロ。

 

 抗議する田中を無視して、視線は弟に向けられる。

 

 そんな一同のやり取りを横目に見ながら、パンを食べ終えた響も立ち上がった。

 

「あ、ちょっと響。話はまだ・・・・・・・・・・・・」

「・・・・・・・・・・・・」

 

 クロの制止も聞かず、響はそのまま教室を出て行った。

 

 その後ろ姿を、クロ達は嘆息交じりに見送るのだった。

 

 一方、廊下に出た響は、特に当てもなく歩いていた。

 

 思い出されるのは、昨夜の美遊とやらかした喧嘩。

 

 結局あの後もここに残っている所を見ると、美遊としても取りあえず、今すぐにエインズワースに投降する気は無いらしい。

 

 とは言え、昨夜の様子から考えて完全に取りやめたとは思えない。

 

 迷っているのか、あるいは取りあえず保留にしたのか、いずれにしても再び昨夜と同じ行動に出るであろうことは想像に難くなかった。

 

 そっと、頬に手を当てる響。

 

 美遊にひっぱたかれたところが、今も痛い。

 

 美遊としても、それほど強くは叩かなかったはず。本来なら、痛みはとっくに引いているはず。

 

 しかし、美遊に叩かれたという事実が、響には重くのしかかっていた。

 

「美遊の、馬鹿・・・・・・阿呆・・・・・・石頭・・・・・・・・・・・・」

 

 本人が目の前にいないのを良い事に言いたい放題である。

 

 昨日のケンカ。響は自分が間違った事を言ったとは思っていない。

 

 そもそもこの戦い、エインズワース側に美遊の身柄が渡れば、その時点でこちらの負けは確定してしまう。

 

 勿論、響だってイリヤの事は心配だ。それに、一度会話をしただけだが、美遊の兄の事も助けたいと思っている。

 

 しかし、その為に美遊を敵に差し出す事は出来なかった。

 

 問題なのは、こちらがエインズワース側に対して大幅に戦力が劣っている事。その為に、正面戦闘では勝機が低い事だ。

 

 とは言え、これはもう仕方がない。今更、大幅な戦力上昇は望めないのだから。仮に凛やルヴィアが今から合流したとしても焼け石に水なのは明らかだった。

 

 何より、

 

 その圧倒的な戦力差を前に、美遊の心が折れかけている事が最大の原因だった。

 

 自分達では勝てないから、最後の手段として自分が人身御供になる。

 

 美遊の考えは、そのように繋がってしまっている。

 

「・・・・・・なら、どうする?」

 

 どうすれば、美遊を反意させられる?

 

 響は考える。

 

 今の自分にできる事。

 

 美遊の為にできる事。

 

 彼女をエインズワースに渡さず、イリヤと美遊の兄を取り戻すには、自分はどうすれば良いのか?

 

 そんな都合の良い方法が、果たしてあるのか?

 

「・・・・・・・・・・・・」

 

 考えが、浮かぶ。

 

 うまく行くか分からない。

 

 ある意味、かなり危険な賭けになるかもしれない。

 

 だが、

 

 やるしかない。

 

 美遊を、

 

 大好きな女の子を、守るために。

 

「・・・・・・・・・・・・よし」

 

 一つ呟くと、

 

 響は踵を返して歩き出した。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 城の中、特定のエリア限定と言う状況ではあるが、イリヤはある程度、エインズワース城の内部を出歩くことを許されていた。

 

 閉じ込められていたイリヤとしてはありがたい事ではあるが、しかしそれは同時にエインズワースの敷いた護りの万全性を如実に示すものでもあった。

 

 すなわち、イリヤは決してここから逃げる事は出来ない、と言う。

 

 先に響達が突入してきた際に見せたエインズワースの置換魔術による結界。

 

 あれがある限り、仮にイリヤが脱出しようとしたとしても、迷宮化している城の区画を突破できず、迷子になってしまう事は明白だった。

 

 現状、何の力も持たないイリヤとしては、大人しくしているしかない。

 

 取りあえず、城の「本丸」に当たる居住区エリアは置換処理されていないようなので、その内部における移動には問題ないのはありがたかった。

 

 そんな訳で、特にする事が無いイリヤは、今日もエリカの元へとやってきていた。

 

「うれしい、イリヤお姉ちゃん、またエリカに会いに来てくれたんだねッ!!」

「う、うん、まあ・・・・・・・・・・・・」

 

 無邪気に出迎えるエリカに対し、やや曖昧な表情で答えるイリヤ。

 

 実際のところ、暇で仕方が無くて来たのだが、少女にそれを告げるのもはばかられた。

 

 それでなくても、エインズワースに敵対関係にあるイリヤとしては、こうして遊びに来ること自体、エリカをだましているような気がして気が引けるのだった。

 

 改めて、部屋の中を見回すイリヤ。

 

 昨夜は結局、ダリウスの介入のせいで、ゆっくり見ている余裕が無かったのだ。

 

 落ち着いた感じのする内装に、年相応に並べられたぬいぐるみの数々。

 

 これらの光景を見るに、エリカがエインズワースの中で大切にされている事が分かる。まあ、当主であるダリウスの娘なのだから、当然と言えば当然なのだが。

 

 いったい、どういう子なんだろう?

 

 その疑問は、イリヤの中で当然の事として浮かんできていた。

 

 促されるままベッドに座らされたイリヤは、どのぬいぐるみで遊ぶか選んでいるエリカを見やる。

 

 大切にされているのは判る。

 

 少なくとも上辺を見る限り、エリカの様子からはエインズワースが持つ「闇」のような物は感じられない。

 

 エリカの無邪気さは、イリヤには却って異質に思えるのだった。

 

「ねえ、エリカちゃん?」

「なに、イリヤお姉ちゃん?」

 

 尋ねるイリヤに、エリカは笑顔で振り返る。

 

 聞きたい事は山ほどある。

 

 エインズワースとはどんな家なのか?

 

 ここから出るにはどうしたら良いのか?

 

 彼らの戦力はどれくらいなのか?

 

 だが、尋ねておいて、イリヤはその先の言葉が出てこなかった。

 

 こんな小さい子に、いったい何を聞こうと言うのか?

 

「・・・・・・ううん、何でもない」

「何それ、変なお姉ちゃん」

 

 そう言って、可笑しそうに笑うエリカ。

 

 彼女は敵とは言え、イリヤよりも小さな子供なのだ。

 

 そんな子を「こちら側」の事情に巻き込むことは、イリヤには躊躇われたのだった。

 

「でもね、エリカ嬉しいんだ。お姉ちゃんが来てくれて。ここじゃエリカ、誰とも遊べないから」

「誰とも?」

 

 その言葉に、訝るイリヤ。

 

「だってさ、ベアちゃんはいっつもエリカのお人形勝手に持ってって壊すし、シェルドは声かけても返事してくれないし、アンジェリカは優しいけどお仕事が忙しいし、ヴェイクは部屋から出てこないし、シフォンは誘ってもすぐどっかに行っちゃうんだもん」

 

 出てきた名前の半分くらいは、イリヤにも判る。

 

 アンジェリカとシェルドは「向こう側」の戦いで、最後に美遊を浚いに来た3人のうちの2人だ。このうちアンジェリカは、イリヤの世話係も務めてくれている。

 

 アンジェリカは、イリヤにも良くしてくれている。イリヤがここでの生活を不自由なく送れるのは、彼女のおかげと言っても過言ではなかった。それだけにアンジェリカは、イリヤにとっては、複雑な感情を抱いている人物である。

 

 そしてシフォンは、エリカの世話係でもある。

 

「そう言えば、今日はシフォン君はどうしたの?」

 

 昨夜会った少年の姿が見えない事に、イリヤは怪訝そうに尋ねる。

 

 それに対して、エリカは頬をプクッと膨らませて答えた。

 

「何だかね、パパにお使い頼まれて出かけるって言ってた。だからエリカ、ずーっと退屈だったの」

 

 成程、いかにエリカの世話係とは言え、彼女1人を相手にしていればいいと言う訳ではないらしい。

 

 こんな広い城に住んでいるのだ。やる事はそれほど山のようにある事だろう。

 

 自分の家は普通の一軒家で良かった。と、イリヤはつくづく思うのだった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 降り出した雪が僅かに足元に積り、踏み出した足音が消されていく。

 

 歩く肩や頭にも雪が積もる。

 

 それほど強く降っているわけでもないので、直に止む事だろう。

 

 しかし、やはり何度見ても異様で、不気味な光景だと思った。

 

 無人と化した白い街を、1人で歩く響。

 

 バゼットやクロからは勝手な行動は控えるように言われていたが、響にはどうしても確かめておきたい事があったのだ。

 

 その足取りに迷いはなく、路地から路地へ、止まることなく進んでいく。

 

 異世界とは言え同じ冬木市の事。大体の街の構造は把握している。

 

 響はクレーターのある中心付近になるべく近づかないようにしながら、慎重に歩いていく。

 

 やがて、目当ての場所が見えてきた。

 

 入口に暖簾が掛けられた、一軒のラーメン屋。

 

 迷う事無く引き戸を開いて中に入る。

 

 同時に、食欲を刺激する心地よい匂いが漂ってくる。

 

 もっとも、

 

 先日の強烈な体験があってか、間違っても「食べたい」とは思わないが。

 

「・・・・・・・・・・・・客と言う訳ではなさそうだな」

 

 店主は入って来た響をジロリと睨むなり、低い声で尋ねる。

 

 その視線を真っ向から受け、

 

「ん、聞きたい事があって来た」

 

 静かな口調で告げる響。

 

 対して、ラーメン屋の店主も、まるでこうなる事を予期していたかのように、響きをジッと見つめているのだった。

 

 

 

 

 

 カウンターテーブルの丸椅子に腰かけた響は、見上げるような形で店主と向かい合った。

 

 そんな少年の態度に対し、店主は取り合おうとせずに調理に邁進している。

 

 今は出汁を取っているところなのか、寸胴鍋に突っ込んだ大ぶりなお玉をグルグルとかき混ぜていた。

 

 その視線が、チラッと響に向けられる。

 

 同時に、嘆息が漏れてきた。

 

「とんだ営業妨害だな。用が無いのなら帰りたまえ」

「問題ない。どうせ客来ない」

 

 響としては、別に嫌味を言ったつもりはない。

 

 ただ、街の様子を見るに、こんな場末のラーメン屋(しかも鬼辛)に客が来るとは思えなかった。

 

 まったく、何のつもりでこんな店を開いているのか、本当に謎だった。

 

「・・・・・・・・・・・・何が聞きたい?」

 

 根負けしたのか、図星を突かれた故か、あるいは元々のキャラクターなのか、

 

 店主はややあって、低い声で告げてきた。

 

 対して、響は静かな瞳で真っすぐに店主を見据えて言った。

 

「エインズワースについて」

 

 戦うにしても、まずは敵の詳しい情報を知らない事には戦いようがない。それを響は、過去の戦いで学んでいる。

 

 それ故に、今日ここに来たのだ。

 

 暫し、両者の間に沈黙が流れる。

 

 睨み合う両者。

 

 沈黙の中、ただお湯の沸騰する一定のリズムだけが響いている。

 

「知らんと言ったはずだが?」

「嘘」

 

 低く告げられた店主の言葉を、響は間髪入れずに切り捨てた。

 

 昨日、ここに来た時、エインズワースの名前が出たとたん、店主は一瞬だが表情を強張らせたのを響は憶えている。

 

 その事が、ずっと引っかかっていたのだ。

 

 この人は何か知っている。それも、割と重要な何かを。

 

 響はそう確信していた。

 

「今日は、答えてもらう」

 

 エインズワースについて、聞きたい事はいくらでもあった。

 

 奴らの戦力、目的、攻略法。

 

 現状、もっとも情報源として有効なのは、このラーメン屋だと響は思っている。

 

 だからこそ、1人でやって来たのである。

 

 対して、

 

「・・・・・・・・・・・・良いだろう」

 

 寸胴鍋の中身をかき混ぜながら、店主は言った。

 

「今日の分の仕込みが間もなく終わる。それまで暫し待て」

 

 

 

 

 

 このラーメン屋の店主。本名は言峰綺礼(ことみね きれい)と言うそうだ。

 

 驚いた事に、ラーメン屋の店主の形をしているが、本職は聖堂教会に所属する聖職者であり、冬木教会の神父をしているのだとか。

 

 しかも、

 

 響としても驚いた事に、エインズワースが引き起こした聖杯戦争の監督、監視を、聖堂教会から任されているのだとか。

 

 もっとも、エインズワース側は殆ど聖堂協会の意向を意に介しておらず、現状は傍観するのがせいぜいだとか。

 

 それにしても、

 

 響としては、どうしても尽きない疑問が一つあった。

 

「何で、神父がラーメン屋?」

「この世には、君の想像が及ばない事も多々あると言う事だ、覚えておきたまえ少年」

 

 尋ねる響を、言峰はそのように言って煙に巻く。

 

 成程、と響は思う。

 

 納得がいかない事もあるが、色々と複雑な事情があると言う事は判った。まあ、もっとも、今の本題はそこではないのだが。

 

「エインズワースって、そもそも何?」

「随分と迂遠な質問だが、さて、どう答えた物か」

 

 唸るように言ってから、言峰は口を開いた。

 

「あえて君らのような世代の好みで言えば、『正義の味方』だな」

「・・・・・・・・・・・・正義?」

 

 その言葉に、響は不快感を覚える。

 

 エインズワースは美遊を浚おうとしたし、現に今、イリヤや美遊兄を拉致監禁している。

 

 そんな奴らが「正義」などと言われて納得できるはずも無かった。

 

「広い視野を持ちたまえ」

 

 反論しようとする響を制して、言峰は続ける。

 

「そもそもエインズワースとは、1000年続く魔術師の名門にして、基礎魔術である『置換魔術』に特化した出来損ないだ。だが彼らは自身の工房がある地に限り、原則を遥かに超えた置換魔術を行使する。その知と特性は代々まったく変わる事が無いというのだから驚嘆だろう」

 

 言ってから、言峰は響に視線を向ける。

 

「その事は既に、君も身をもって経験しているのではないかね?」

「・・・・・・・・・・・・」

 

 確かに。

 

 昨日、城に突入した際、迷宮じみた城の構造に阻まれ、結局イリヤの元へたどり着く事さえできなかった。

 

 それだけでも、エインズワースがいかに強大であるかが判る。

 

「奴らの目的は、何?」

 

 そこが重要だった。

 

 これで単なる拉致監禁犯なら苦労はしない。

 

 だが彼らは、明確に何らかの目的を持って動いている事が分かる。その目的を、響は知りたかった。

 

「彼らの目的は、あまりにも壮大で、あまりにも幼稚で・・・・・・そしてあまりにも尊い願い・・・・・・・・・・・・」

 

 言峰は、低く、重苦しい声で言った。

 

「人類の救済だ」

 

 そう言うと、言峰は説明してくれた。

 

 この世界は今、滅びに瀕している。

 

 地軸が歪み気候が変動。夏に雪が降る異常事態や、こちらに来て初めて見た海岸線の変動は、どうやらそれが原因らしかった。

 

 しかも、それだけではない。

 

 世界中で「マナ」が急激に枯渇し始めたのだとか。

 

 マナとは生命の源とされる自然界の物質であり、魔術を使う際のいわばエネルギー源のようなものだ。それが枯渇すると、大半の魔術師は魔術を一切使えなくなってしまう。

 

 それだけなら単に魔術師と言う特異な人間たちが廃業に追い込まれる程度の話でしかない。

 

「だが、問題はそこではない」

 

 言峰は更に続けた。

 

 マナが枯渇した地域に、別の何かが充満し始めたのだとか。

 

 魔術と科学、現代社会の表と裏を代表する双方の技術をもってしても解明できない未知の物質。

 

 それらに触れた生物は、例外なく死に至ると言う。

 

「人類は間もなく滅びる。確実にな。エインズワースは美遊と言う聖杯を使って、滅びの未来を回避しようとしているのだよ。その方法については知らんがね」

 

 成程。

 

 エインズワースが何を思い、このような事態を引き起こしているのか分かった。

 

 そのうえで、響は聞きたい事があった。

 

「もし・・・・・・・・・・・・」

 

 少し躊躇うように言い淀んでから続ける。

 

「もし、エインズワースが世界を救ったら、美遊はどうなる?」

 

 問題はそこだった。

 

 エインズワースが美遊を使ってこの世界を救う。それは良い。

 

 だが、その後は?

 

 美遊はどうなるのか?

 

 対して、

 

「彼女は、この世界に縛り付けられることになる。生きたまま、な。死ぬことも許されず、さりとて生きる事もできず、ただ暗闇の中に閉じ込められることになるだろう」

「ッ!?」

 

 残酷な言峰の言葉に、響は思わず息を呑む。

 

 何もない暗闇の中に閉じ込められ、一生を過ごす。

 

 それはまさに地獄だった。

 

「そんなのは、駄目・・・・・・・・・・・・」

 

 絞り出すような響の言葉。

 

 対して、言峰はスッと目を細めて尋ねる。

 

「ほう、なぜかね?」

「え・・・・・・・・・・・・?」

 

 さも不思議そうな言峰の言葉に、思わず顔を上げる響。

 

 対して、言峰は淡々とした口調で続けた。

 

「美遊と言うたった1人の犠牲で、他の全ての人類が救えるのだ。それは素晴らしい事ではないかね?」

「そんなはず、ないッ」

 

 美遊を犠牲にして、何が正義か? 何が人類の救済か?

 

 そう反論しようとする響を制して、言峰は続ける。

 

「枝葉ではなく幹を、木ではなく森を、個ではなく種を、彼等は見ている。軽々に彼らを判断すると、いずれ君は決定的な敗北を喫する事になるだろう」

「・・・・・・・・・・・・」

「大事の前には些細な小事など斬り捨てて進まねばならない。そうでなければ正義を成す事など到底不可能だからな。故に彼らは選択した。自分たちが、この世界を救うのだと」

 

 世界。

 

 言葉にして二文字。ひらがなでもたったの三文字。

 

 しかし、その言葉に込められた意味は、響などには推し量る事も出来ない。

 

 エインズワースは、その全てを背負おうとしているのだろうか?

 

「・・・・・・・・・・・・それでも」

 

 響は絞り出すような小さな声で呟く。

 

「それでも、そんなの間違ってる・・・・・・絶対」

 

 エインズワースがこの世界を救うために戦っているのは判った。

 

 その為に美遊が必要な事も分かった。

 

 だがそれでも、

 

 響は決して、彼らの考えを受け入れる事は出来なかった。

 

 

 

 

 

 少年が店を出ていくと、店内は再び言峰1人となった。

 

 湯が煮えるリズミカルな音のみが響く中、神父兼ラーメン屋主の脳裏には、先程までカウンターに座っていた少年の事が思い浮かべられていた。

 

「・・・・・・子供相手に、少々、言いすぎたか?」

 

 言峰自身によって現実を突きつけられた少年。

 

 しかしその心は、最後まで揺らぐ事は無く、真っすぐにあり続けた。

 

 あの少年にとって、親友の少女を守る事は、世界を救う事よりも重いと言う事なのだろうか。

 

 その手の人種は往々にして存在している。

 

 そもそも正義など、ひどく曖昧で不確かな物でしかない。

 

 故に、人は己の中の正義とは何なのか、見極めて行動しなくてはならない。

 

 果たして、あの少年の正義はどこを向いているのか? そして、どこへ向かおうとしているのか?

 

 言峰としても、僅かながら興味が湧かずにいられなかった。

 

 それにしても、

 

「・・・・・・・・・・・・やはり、似ているな」

 

 脳裏に浮かぶ、もう1人の人物。

 

 かつて、自分の前に現れた人物。

 

 そして、つい先ごろまで、自分の目の前にいた少年。

 

 その2人が言峰の中で重なり合い、溶け合っていくのが分かる。

 

「・・・・・・・・・・・・まあ、一介のラーメン屋にはかかわりのない事か」

 

 淡白にそう呟くと、言峰は再び仕込み作業へと戻っていく。

 

 生憎と、客が全く来ないのは相変わらずだったが。

 

 

 

 

 

 帰り道を歩く中、響の中では、先程の言峰の言葉が反芻されていた。

 

 世界を救う事を目指すエインズワース。

 

 だが、その為には美遊と言う犠牲が必要不可欠。

 

 勿論、容認する気は響にはない。

 

 だが、

 

 美遊を犠牲にしないと、この世界が滅びてしまうのも事実だ。

 

 響の脳裏で、昔、何かで読んだ事がある物語の内容が思い出された。

 

 それは、とある理想郷と呼ばれる街の話。

 

 その街にはあらゆる幸福が溢れている。人々は幸せを謳歌し、生まれてから天寿を全うするまで、一切の苦痛を知る事無く、楽しく暮らす事ができる。

 

 まさしく、この世の天国とも言うべき街。

 

 だが、

 

 その街の奥深くにある地下室。

 

 そこには、1人の子供が鎖につながれて監禁されている。

 

 一生を、光の全く当たらない地下室に閉じ込められて生きるその子供には、およそこの世で考え得る、あらゆる災厄と不幸と苦痛が降り注ぐことになる。

 

 町に住む人々は、誰もが子供の存在を知っている。だが、知っていて、見て見ぬふりをしている。助けよう、とは誰も思わない。

 

 なぜなら、街が幸福であり続けるには、その子供が全ての不幸を背負い続けなければならないからだ。

 

 ありとあらゆる苦痛を、その子供に押し付けているからこそ、街は反映し、幸せを謳歌できるからだ。

 

 誰も、その子供を助けて、自分たちが代わりに苦痛を受け入れようとは思わないのだ。

 

 響には、その「楽園の子供」と美遊が、重なって仕方が無かった。

 

 もし、

 

 もし美遊が不幸になる事によって、この世界の幸福と繁栄が約束されるのだとしたら?

 

 もし、世界中の人間が、それを是とするのだとしたら?

 

「・・・・・・・・・・・・そんな事、絶対にさせない」

 

 決意と共に、響は呟く。

 

 世界がどうとか、人類がどうとか、そんな事は関係ない。

 

 美遊は守る。

 

 邪魔する奴は切り捨てる。

 

 響にあるのは、ただそれだけだった。

 

 と、

 

「・・・・・・・・・・・・」

 

 不意に、

 

 足を止める響。

 

 脳内に鳴り響く警戒音。

 

「・・・・・・・・・・・・囲まれてる」

 

 呟いた瞬間、

 

 四方八方から、一斉に襲い掛かって来た。

 

 

 

 

 

第12話「楽園の少女」      終わり

 



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第13話「無形の剣技」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 廊下の窓から外の様子を眺め、美遊は嘆息した。

 

 その心は、視界の中に見える空のように、鈍色に曇っている。

 

 脳裏に棘のように引っかかるのは、やはり響の事だった。

 

 響と喧嘩してしまった。

 

 大切な親友を傷付けてしまった。

 

 その事が、美遊の心に重くのしかかっていた。

 

 そっと、手のひらを見つめる。

 

 思わずカッとなって、響の頬を叩いてしまった美遊。

 

『結局、美遊はみんなを信用していない』

『逃げたって何の解決にもならない!!』

 

 脳裏で繰り返しリフレインされる、響の言葉。

 

 そんな事は無い。

 

 自分はみんなの事を、誰よりも信用している。

 

 そう、自分に言い聞かせる美遊。

 

 だが一方で、

 

 本当に、そうなの?

 

 そう問いかけてくる自分がいる事にも気づいていた。

 

 本当に自分は、みんなを信用しているのか?

 

 イリヤを、クロを、凛を、ルヴィアを、バゼットを、ギルを、田中を、

 

 そして響を、

 

 本当に信用しているのか?

 

「・・・・・・・・・・・・」

 

 答えが出なかった。

 

 信用したいと思っている。その心に偽りはない。

 

 だがエインズワースの強大さ。そして囚われたイリヤや兄。それらからくる極度の焦り。

 

 それらが美遊の心を消耗させ、弱気にさせているのは確かだった。

 

 響の言葉は、そんな美遊の本音を突いたような物である。

 

 だからつい、カッとなって叩いてしまった。

 

「どうしたら・・・・・・・・・・・・」

 

 途方に暮れた表情で、美遊は呟きを漏らす。

 

 思えば、美遊はこれまで「友達との喧嘩」と言う物を経験した事が無い。その為、こんな時どうしたら良いのか判らないのだ。

 

 もし、このまま響と仲直りできず、疎遠になってしまったらどうしよう?

 

 そんな事が思い浮かべられてしまう。

 

 響は美遊にとって、大切な親友だ。絶対に失いたくない。

 

 そう、親友の・・・・・・・・・・・・

 

「・・・・・・・・・・・・親友?」

 

 自分で言ったその言葉に、美遊は妙な引っ掛かりを覚え、言葉を止めた。

 

 違和感、と言うほどではない。

 

 しかし、響を思い浮かべる時、どうしても自分の中で「親友」と言う言葉では「噛み合わない」気がしたのだ。

 

 響は大切な存在だ。それは間違いない。

 

 しかし・・・・・・・・・・・・

 

 響は自分にとって、本当にただの「親友」なのか?

 

 もっと別の存在なんじゃないのか?

 

 美遊にとって「衛宮響」と言う存在が如何なるものなのか、判らなくなってしまっていた。

 

「響は私にとって・・・・・・・・・・・・」

「何なんですかァ?」

 

 言葉の途中で突然話しかけられ、美遊は振り返った。

 

「田中さん?」

 

 見れば、体操服ブルマー少女が、廊下の向こうでは不思議そうな顔でこちらを見ていた。

 

 その姿に笑顔を返しつつも、美遊は内心で困惑を持つ。

 

 正直、今の心境で田中の相手をできるほど、心の余裕がない。

 

 美遊自身、田中の事は決して嫌いではない。むしろ好感を持っている。

 

 響やイリヤとも違う。

 

 例えるなら、自分より体の大きい妹ができたような物だろうか?

 

 ずっと兄と2人暮らしで、年下の弟妹がいなかった美遊にとって、田中の存在は新鮮と言ってよかった。

 

 だが、それはそれ、これはこれだ。

 

 今の心境で、彼女の相手をする事ほどしんどい事は無いだろう。

 

 と、

 

「えいッ」

「キャッ!?」

 

 田中は何を思ったのか、いきなり美遊に抱き着いて来た。

 

「た、田中さん、いきなり何を!?」

「うーん、美遊さん、ふかふかです~」

 

 気持ちよさそうに目を細めながら、美遊の体をたっぷりと堪能する田中。

 

「田中さん、わたし今、ちょっと忙しい・・・・・・・・・・・・」

「美遊さんが哀しそうな顔をしてますです」

「・・・・・・・・・・・・え?」

 

 突然の田中の言葉に、美遊は言葉を止めてキョトンとする。

 

 まるで心の中を見透かされたような田中に、美遊は驚きを隠せなかった。

 

 だが、その理由を尋ねる事は出来なかった。

 

「暗くしちゃ『メッ』ですッ もっと楽しく行くです!!」

「ちょ、田中さん!!」

 

 テンション高い田中に、困惑を隠せない美遊。

 

 相変わらず、人の話を聞いてくれない人である。

 

 とは言え、

 

「・・・・・・」

 

 クスッと笑う美遊。

 

 田中を見ていると、先程までの悩みが嘘のように消えていくようだ。

 

 不思議な人である。

 

 見た目からして美遊達よりも年上なのに、それでいて誰よりも年下に見える。

 

 周囲を顧みず振り回す破天荒な困ったちゃん。

 

 謎の力を振るい、どんな攻撃を食らっても大丈夫なタフさがある。

 

 そして、

 

 一緒にいると、なぜか心が安らぐ。

 

 どんなことをしても、割と許せてしまう。それが田中の魅力だった。

 

「どうかしたですか?」

「ううん、何でもない」

 

 キョトンとする田中に、美遊は苦笑しながら答える。

 

 そうだ。

 

 響に昨夜のことを謝ろう。

 

 彼の心を無視してしまった事。ひっぱたいてしまった事。

 

 響は許してくれると良いのだが。

 

 もし許してくれなかったら・・・・・・・・・・・・

 

 その時はまた、精いっぱい謝ろう。

 

 と、

 

「あ、そう言えば」

 

 田中が何かを思い出したように言った。

 

「さっき響さんを見かけたですよ」

「え?」

 

 その名前に、ドキッとする美遊。

 

 早速、機会が巡って来た。

 

 だが、居場所を聞き出そうとする前に、田中が口を尖らせて言った。

 

「響さんったらひどいんですよー 田中が声かけても、無視してお外に行っちゃったですから」

「・・・・・・・・・・・・え?」

 

 何気なく言った田中の言葉。

 

 それに対し美遊は、不吉な物を感じずにはいられなかった。

 

 

 

 

 

 自身に向かってくる複数の人影。

 

 その姿を見据え、響はあまりの異常性に息を呑んだ。

 

 全てが同じ姿。

 

 服は着ておらず、人形めいたような硬質な肌をている。関節には「繋ぎ目」が存在し、動きは明らかにぎこちない。

 

 顔は目も鼻も口も無い。僅かな凹凸から、辛うじて顔の形が判別できる程度である。

 

 まるでデパートのマネキンめいた姿。

 

 しかし、それらの手には例外なく、武器となる代物が握られている。

 

 この上ないほど不気味な集団が、響めがけて殺到してくる。

 

 自身に向かってくる明らかな脅威。

 

 それらを目の前にして、

 

夢幻召喚(インストール)!!」

 

 叫ぶ響。

 

 同時に、衝撃波が少年を包み込む。

 

 漆黒の着物と短パンを着込み、髪は伸びて後頭部で結ばれる。

 

 口元には白いマフラーが巻かれる。

 

 普段着姿から英霊の姿へ。

 

 響の姿は一変する。

 

 そこへ、斬り込んでくるマネキンの大群。

 

 その姿を見据え、

 

 少年は手にした刀の柄を握る。

 

 銀の刃を、迷う事無く一閃する響。

 

 たちまち、不用意に接近しようとしたマネキン兵士が、刃に斬られて地に転がる。

 

 そこで、動きを止める響。

 

 攻撃後の、僅かな硬直。

 

 その隙に背後から迫る、棍棒を持ったマネキン兵士。

 

 次の瞬間、

 

 ザンッ

 

 背後のマネキン兵士の胸が、刃に刺し貫かれる。

 

 響は振り返らず、刃を背後に回して刺し貫いたのだ。

 

 引き抜くと同時に、地面に倒れるマネキン兵士。

 

 だが、尚も敵に数は減らない。

 

 折り重なるようにして襲い掛かってくる敵。

 

 相手が誰かは判っている。

 

 まず間違いなく、エインズワースの刺客だ。

 

「まず、第1段階・・・・・・・・・・・・」

 

 西洋剣を持ったマネキンを斬り伏せながら、響は確信めいた口調で呟く。

 

 クロやバゼットに忠告された通り、単独行動がいかに危険であるか、響自身判っている。

 

 この街の真の支配者はエインズワースと言って良いだろう。街に出れば、彼等との戦闘は避けられない。

 

 まして単独で動けば危険な事は明白である。

 

 だが、

 

 それでも敢えて、響が単独で言峰のラーメン屋を訪れたのには理由があった。

 

 1つはエインズワースの事を言峰から聞き出す事。先日のやり取りから、彼が何らかの事情を知っていると響は直感していたのだ。

 

 果たして、その考えは間違いではなく、言峰から事情については聞く事ができた。

 

 そして今1つの目的。

 

 それは、エインズワースを城から誘き出して叩く事。

 

 一見、無謀とも言える行動を響に取らせたのは、昨夜の美遊の事があったからに他ならない。

 

 美遊は、自分がエインズワースに投降する事で、イリヤや彼女の兄を助けようとしていた。

 

 自分たちの戦力ではエインズワースに敵わない。それが原因だと。

 

 ならば、勝って見せればいい。

 

 エインズワースを誘き出して、これに打ち勝つ。

 

 そうすれば、美遊も考えを改める筈。

 

 響にとって、捨て身とも言うべき一策。

 

 だが、その作戦は図に当たった。

 

 どうやら街を1人で歩いていた響を発見したエインズワースが、攻撃を仕掛けてきたのだ。

 

 生け捕りか、あるいは抹殺か、目的がどちらかは判らない。

 

 だがエインズワース側が、まんまと響の誘いに乗って来たのは確かだった。

 

「ん・・・・・・問題は、ここから」

 

 響は目前で槍を繰り出したマネキン兵士を蹴り飛ばすと、その槍を奪い取る。

 

 強引に槍を振り回す響。

 

 長柄の一閃が、複数のマネキン兵士を同時に弾き飛ばした。

 

 ばらばらに砕け散る人形たち。

 

 更に響は、槍の穂先を持ち換えると、投擲。

 

 その一撃は、剣を振り翳したマネキン兵士の胸を刺し貫き、そのまま背後の塀へと縫い止めてしまった。

 

 大軍相手に一歩もひるまぬ響。

 

 その戦闘スタイルは「変則」とでも言うべきか、常に変化し続け、相手の出方に合わせて緩急の変化がつけられている。

 

 響に宿っている英霊、斎藤一は生前、剣術の極意についてこのように語っている。

 

「戦場においては、敵が斬り込んで来たからと言って、それに対応してどうこうできるものではない。ただ夢中になって斬るだけだ」と。

 

 すなわち、いかに敵の動きを瞬時に見極め、頭ではなく体で反応できるか、が重要となる。

 

 様々な剣術流派を極め、戦場で昇華された斎藤一だからこそ可能な戦術。まさに実践のための剣技。

 

 「無形の剣技」。

 

 以前は使いこなしているとは言い難かった英霊、斎藤一の剣術を、響は数度の実戦を経る事によって、ようやく物にできるようになていた。

 

 カトラス状の剣を振り翳して斬り込んでくるマネキン。

 

 振り下ろされる刃。

 

 対して、

 

「んッ!!」

 

 響は対抗するように刀を振り上げる。

 

 十字に交錯する銀の閃光。

 

 次の瞬間、

 

 カトラスを持ったマネキンの右腕が、斬り飛ばされて宙を舞った。

 

 間髪入れず、刃を返す響。

 

 横一文字の一閃がマネキンの首を斬り飛ばす。

 

 更に、

 

 落下してきたカトラスを左手でキャッチする響。

 

 流れるような動作で、変則的な二刀流の構えを取る。

 

 そのまま勢い任せて、繰り出された槍の穂先をカトラスで斬り飛ばし、更にマネキンの胴を刀で袈裟懸けに斬り伏せた。

 

 まさに一騎当千とでも言うべき戦いぶり。

 

 しかし、敵の数は一向に減る様子を見せない。

 

 響は向かってくる敵を斬り伏せながら走る。

 

 白いマフラーを靡かせ、漆黒の影が無人の街を駆け抜ける。

 

 路地から路地へ、風のように走る響。

 

 それを追いかけるマネキンの大群。

 

 無人の深山町は、古代さながらの戦場と化していくのだった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 未遠川河川敷。

 

 「向こう側」の冬木市では憩いの場となり、多くの散歩者の姿が見られた場所である。

 

 しかし、半ば廃都と化した今の冬木市では、当然のことながら、河川敷を散歩しようなどと考える者はいない。

 

 河川敷に降り立った響は、そこで背後を振り返る。

 

 追手の姿は、無い。来る途中で全て斬り伏せたようだ。

 

 手元に目をやると、拾ったカトラスは刀身が半ばから折れている。どうやら夢中で戦っていたせいで気づかなかったようだ。

 

 カトラスを地面に投げ捨てる響。

 

 刀の方は流石に英霊の所有物と言うべきか、ここまで戦って刃こぼれ一つしていない。

 

 近藤勇の「長曾根虎徹」、土方歳三の「和泉守兼定」、沖田総司の「菊一文字則光」など、新撰組の幹部クラスは、いずれも大業物と言って良い刀を所有していた事で有名である。

 

 それらに比べれば、斎藤一は、あまり有名な刀を所持していたという記録は無い。

 

 しかし、そこはやはり一流の剣士。刀にもこだわりがあったのだろう。

 

 この刀も名刀の一振りには違いなかった。

 

 金属的な音を立てて石畳に転がるカトラス。

 

 それを合図にしたように、ゆらりと人影が現れる。

 

 響と同年代の少年。その口元には、侮蔑めいた笑みを浮かべている。

 

「ま、人間としての最低限の機能を置換させただけの雑魚相手ならこんな物かな。むしろ、これくらいやってくれないと、こっちも面白くないし」

 

 ヴェイクだ。

 

 挑発的な言葉を投げかけてくる相手に対し、無言のまま刀の切っ先を向ける響。

 

 その様子に、ヴェイクはつまらなそうに鼻を鳴らす。

 

「なんだよ、相変わらずつまんない奴だなー」

「別に、楽しませるつもりは、ない」

 

 言い放つと同時に、響は刃を翳して地を蹴った。

 

 戯言に付き合う気は無い。

 

 相手の態勢が整う前に、一撃で決める。

 

 繰り出される響の攻撃。

 

 次の瞬間、

 

 ガキンッ

 

「ッ!?」

 

 横合いから伸びてきた刃によって弾かれ、思わず後退する響。

 

 その視界に、ヴェイクのほかにもう1人の人物が映り込む。

 

 頭からすっぽりと外套を羽織ったその人物の顔は見えない。

 

 隣のヴェイクと比較すると、殆ど倍近い身長を誇っている。

 

 そして、手には奇妙な武器を持っている。

 

 巨大な槍の穂先。その両側に、別の刃が取り付けられている。どうやら、あれが響の刃を弾いた武器のようだ。

 

「・・・・・・・・・・・・」

 

 緊張して身構える響。

 

 エインズワースをおびき寄せると言う響の作戦自体は成功した。だが、敵が複数で出てくるところまでは考えていなかった。

 

 そんな響の心情を見透かしたように、ヴェイクは高笑いを上げる。

 

「ヴァーカじゃないのッ ドブネズミ1匹始末するのに、わざわざ僕が手を出すはずないじゃんッ 汚い仕事は専門の召使いにでもやらせるでしょ、普通はね!!」

 

 言い放つと同時に、腕を振るうヴェイク。

 

 同時に、傍らの人物は、羽織ってる外套を取り払った。

 

 その姿に、思わず目を剥く響。

 

 その男は筋骨隆々とした巨大な体躯を、派手な色の甲冑に身を包んでいる。

 

 明らかに東洋系の武人。ただし日本の英霊とは思えない。恐らくは大陸系だろう。

 

 そして、

 

 その目は狂気にとりつかれたように、凶暴な色を見せていた。

 

 見覚えのある存在感。

 

 あらゆる理性を排する事で、絶大な力を発揮する。

 

狂戦士(バーサーカー)!?」

 

 響が理解した瞬間、狂戦士(バーサーカー)は襲い掛かって来た。

 

 手にした獲物を振り翳す狂戦士。

 

 響は知りえない事だが、狂戦士が振り翳した特異な武器は「(げき)」と呼ばれる中国の武器で、槍の脇に刃を付ける事で「突き」だけでなく「薙ぎ払い」や「引き」の威力も増した武装である。

 

 ただ、通常の戟は槍の片側にのみ刃を取り付けるのだが、狂戦士の持つ武器は槍の両側に取り付けられているのが特徴だった。

 

 方天画戟と呼ばれるこの武器は、三国鼎立時代の中国において、最強と呼ばれた武人が使用した物である。

 

「■■■■■■■■■■■■!!」

 

 咆哮を上げると同時に、方天画戟を大上段から振り下ろす狂戦士(バーサーカー)

 

 その一撃に対し、

 

 響はとっさに、後退する事で回避。

 

 叩きつけられた方天画戟が、地面をたたき割る。

 

「ッ!?」

 

 飛んで来る礫を回避しながら舌打ちする響。

 

 以前、カード回収任務の際に戦った狂戦士(バーサーカー)もそうだったが、彼らはずいぶんな怪力である。

 

 着地する響。

 

 そのまま刀を構えなおそうとした。

 

 だが、

 

「■■■■■■■■■■■■!!」

 

 再びの方向と共に、襲い掛かってくる狂戦士(バーサーカー)

 

 繰り出された鋭い突きが、少年の胸を霞めていく。

 

 その一閃を紙一重で回避すると、

 

 響は空中に跳び上がって、狂戦士(バーサーカー)の顔面に蹴りを加えた。

 

 英霊の力が加味されているとはいえ、少年の軽い体重で放たれた蹴りでは、筋骨隆々たる狂戦士(バーサーカー)相手には蚊が差した程度のダメージしか期待できない。

 

 だが、それで良かった。

 

 響の狙いは、元から相手を倒す事ではない。

 

 蹴りの反動を利用して、さらに高く跳び上がる響。

 

 空中で一瞬制止すると同時に、その身には浅葱色の羽織が纏われた。

 

 同時に、響は己の中で能力が跳ね上がるのを感じた。

 

 暗殺者(アサシン)から剣士(セイバー)へ、己の存在が書き換えられる。

 

 眼下に見据える狂戦士(バーサーカー)の巨体。

 

 対抗するように、狂戦士(バーサーカー)も、落下してくる響を見据える。

 

 交錯する互いの視線。

 

 次の瞬間、

 

 両者が繰り出した刃が激突した。

 

 

 

 

 

第13話「無形の剣技」      終わり

 



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第14話「風焔剣舞」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 例えるなら、風と炎だった。

 

 銀の刃を掲げ、疾風の如く駆け抜ける響。

 

 対抗するように狂戦士(バーサーカー)は、天高く方天画戟を振り翳し、立ち上る巨大な焔の如く迎え撃つ。

 

 両者、距離が詰まる。

 

「フッ!!」

 

 短い呟きと共に、刀を袈裟懸けに振り翳す響。

 

 速度を活かした先制攻撃。

 

 その一閃が、狂戦士(バーサーカー)を捉えて斬り上げる。

 

 だが、

 

「ッ!?」

 

 刀を振り抜いた瞬間、響は思わず目を剥く。

 

 必殺を念じて繰り出した刃は、しかし狂戦士(バーサーカー)がとっさにのけぞるように回避したため、響の刃は虚しく空を切るにとどまった。

 

 舌打ちしつつ、刀を引いて態勢の立て直しを図る響。

 

 同時に内心で舌を打つ。

 

 巨体のわりに良く動く。

 

 次の瞬間、

 

 狂戦士(バーサーカー)が放つ強烈な蹴りが、響に襲い掛かって来た。

 

「グッ!?」

 

 衝撃が、響を貫く。

 

 小さな体が、空中に吹き飛ばされた。

 

 と、

 

 空中で後方宙返りを打ち、そのまま着地する響。

 

 見た目の派手さに比べて、思ったよりもダメージは少ない。

 

 実のところ、狂戦士( バーサーカー)の攻撃が命中する直前、響はとっさに後方に跳躍したためダメージは減殺できたのだ。

 

 しかし、完全にゼロにできたわけではない。

 

 強烈な痛みが、腹部から湧き上がってくるのが判る。

 

「クッ・・・・・・・・・・・・」

 

 着地と同時に膝を突く。

 

 痛みを噛み殺しながら、相手に目をやる響。

 

 その視界の中で、再び方天画戟をの穂先を向けてくる狂戦士(バーサーカー)

 

「■■■■■■■■■■■■!!」

 

 咆哮と同時に跳躍、刃を繰り出してくる。

 

 回避、のちの反撃・・・・・・

 

 を、選択しようとした響は、一瞬後にはその考えを打ち捨てる。

 

 英霊、斎藤一がもたらしたスキル「無形の剣技」。そのスキルの大本となる、相手の動きを読む「目」が、狂戦士(バーサーカー)相手に、単純な回避の危険性を訴える。

 

 方天画戟はその特性上、突き、引き、薙ぎ払いと、全ての攻撃に対応できる。

 

 仮に「突き」を紙一重で回避したとしても、「引き」によって背後から斬られるのは目に見えている。

 

「なら・・・・・・・・・・・・」

 

 響は魔力で空中に足場を作り、とっさにその場から飛びのく。

 

 大ぶりな方天画戟は、それだけで空を切った。

 

 その間に響は、数度の跳躍を繰り返し、狂戦士(バーサーカー)を大きく引き離す。

 

 無人の民家の屋根に着地する響。

 

 そのまま身軽に屋根から屋根へと飛び越えて駆け出す。

 

 走る少年を、追いかける狂戦士(バーサーカー)

 

「■■■■■■■■■■■■!!」

 

 叫びながら振るわれる方天画戟が、民家ごと響を吹き飛ばさんと襲ってくる。

 

 轟風を纏う横なぎ。

 

 その一撃に対し、響は後方にある民家へ飛び移って回避する。

 

 追う狂戦士(バーサーカー)と逃げる暗殺者(アサシン)

 

 だが、

 

 狂戦士(バーサーカー)の動きは、先程と比べて明らかな陰りが見えている。

 

 どうやら、狭い路地に引き込まれた事で、身動きがとりづらくなっているようだ。

 

 広い場所で戦ってこそ、真価を発揮できる剛腕と巨体、そして凶暴性である。逆にこのような狭い場所では、大幅なスペックダウンを余儀なくされる。

 

 対して、もともと小柄な響は、当然ながら何の制限も受けない。路地から路地へ、流れるように駆けていく。

 

 まさに地形を味方に付けた見事な作戦だった。

 

 狂戦士(バーサーカー)が振り翳した方天画戟を、ヒラリとした動作で回避する響。

 

 すかさず、狂戦士(バーサーカー)は響を追いかけようとする。

 

 しかし、その時には響は、小動物のような素早さで路地の影へと駆けこんでいた。

 

 その小回りを利かせた動きに、心なしか狂戦士(バーサーカー)に苛立ちのような物が見える気がした。

 

 構わず、響を追って跳躍する狂戦士(バーサーカー)

 

 次の瞬間、

 

「今ッ!!」

 

 上空から襲い掛かってくる狂戦士(バーサーカー)を見上げ、刀の切っ先を向ける響。同時に魔力で脚力を強化する。

 

 次の瞬間、

 

 一気に地を蹴る響。

 

 衝撃で陥没する地面。

 

 跳び上がるように、少年は空中の狂戦士(バーサーカー)目がけて加速する。

 

 手にした刀の切っ先を真っすぐに狂戦士(バーサーカー)へと向けられている。

 

 対して、流石の狂戦士(バーサーカー)も、空中にあっては回避もままならない。

 

 次の瞬間、

 

 響の繰り出した切っ先は、真っすぐに狂戦士(バーサーカー)へと突き込まれた。

 

 

 

 

 

「何だよ・・・・・・あれ・・・・・・・・・・・・」

 

 響と狂戦士(バーサーカー)

 

 2人が戦っている様子を、ヴェイクは少し離れた場所から眺めていた。

 

 きっかけは数時間前に遡る。

 

 エインズワースは新都や深山町にも網を張り監視している。

 

 その監視網の一つに、マヌケにものこのこと出歩いて来た響を発見したため、ヴェイクは出撃してきたのだ。

 

 敵の一体も倒して見せれば、自分の手柄になる。と言う理由である。

 

 ついでに城の中で暇そうにしていた狂戦士(バーサーカー)も引っ張って来た。

 

 どうせ響なんぞ倒しても、大した手柄にはならない。そんな事で自分が労力を使うなど愚の骨頂だ。

 

 それより、響の相手は狂戦士(バーサーカー)にやらせ、手柄は自分が貰う、と言うのがベストだろう。

 

 どうせ狂戦士(バーサーカー)はあの調子だから、手柄も何もあった物ではないだろうし。

 

 そう思っていたのだが、

 

「何やってるんだよ、あのグズ・・・・・・・・・・・・」

 

 苛立ち交じりに呟きを漏らす。

 

 狂戦士(バーサーカー)は狭い路地や、脆い民家に引き込まれ、身動きが取れなくなっている。

 

 対照的に、響は敏捷性を如何無く発揮して逃げ回り、狂戦士(バーサーカー)を翻弄している。それどころか、時折鋭く反撃して狂戦士(バーサーカー)に痛撃を加えている。

 

 狂戦士(バーサーカー)は中華最強と謳われた武人を夢幻召喚(インストール)している。本来なら木っ端な英霊如きに後れを取るはずが無い。

 

 だというのに、戦況はどう見ても響が優勢だった。

 

 今も、襲い掛かろうとした狂戦士(バーサーカー)は、響の迎撃にあって地面に叩きつけられている。

 

 浅葱色の羽織を靡かせて着地する響。

 

 その姿が、ヴェイクをさらに苛立たせる。

 

「何、格好つけてるんだよ・・・・・・クズの分際で」

 

 許せなかった。

 

 虫けらの分際で、自分を見下すが如き態度を取っているのが。

 

 立場もわきまえず自分の顔に泥を塗り、足蹴にするような行動を取る響が。

 

 さっさと諦めて死ねばいい物を。

 

「・・・・・・・・・・・・良いだろう」

 

 不遜にも自分に抵抗し続ける響に、ヴェイクは静かに語り掛ける。

 

 同時に、その手には1冊の本が現れた。

 

「その無知で恥知らずな態度、この僕が正義の名の下に断罪してやるよ!!」

 

 言い放つと同時に、ヴェイクは詠唱に入った。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 路地に降り立つと同時に、響の正面に狂戦士(バーサーカー)が降り立つ。

 

 その姿を見定め、

 

 響は一気に仕掛けた。

 

 地を蹴ると同時に間合いを詰めると、流れるような動作で剣を擦り上げる。

 

 対抗するように、方天画戟を振るう狂戦士(バーサーカー)

 

 だが、

 

 長い穂先が民家の壁に当たって閊える。

 

 狭い路地は狂戦士(バーサーカー)本人のみならず、長い武器にとっても不自由極まりなかった。

 

 動きを止める狂戦士(バーサーカー)

 

 だが、それも一瞬の事だった。

 

 その膂力を全開にして、民家ごと響を粉砕しにかかる。

 

 舞い散る瓦礫。

 

 その中を、

 

 響は構わず斬りかかる。

 

 動きを止めた狂戦士(バーサーカー)

 

 刃は銀の閃光となって斬りかかる。

 

 一閃、

 

 狂戦士(バーサーカー)はとっさに腕を掲げて防御の姿勢を取る。

 

 その腕が僅かに斬り裂かれ、鮮血が舞う。

 

「行ける」

 

 怯む狂戦士(バーサーカー)を前に、響は更に畳みかけようと前に出る。

 

 刃の切っ先を突き込もうと繰り出した。

 

 次の瞬間、

 

 突如、路地を縫うようにして無数の伸びてきた触手の群れが、響に殺到した。

 

「クッ!?」

 

 自身に向かってくる触手を見て、とっさに屋根の上に跳び上がって回避する響。

 

 同時に刀を縦横に振るい、追いついて来た触手数本斬り捨てる。

 

「これは・・・・・・・・・・・・」

 

 斬り捨てられて地面に転がる触手を見ながら、響は舌打ちする。

 

 見覚えのある光景。

 

 顔を上げたその視線の先には、開いた本を手にニヤニヤと笑みを浮かべるヴェイクの姿があった。

 

「気が変わった。ここからは獣狩りの時間だよ」

 

 どうやら、なかなか響を仕留められない狂戦士(バーサーカー)に業を煮やし、自ら前に出て来たらしい。

 

 勝手な事を。

 

 と、言いたいところだったが、実際の話それどころではなかった。

 

 ヴェイクの援護によって体勢を立て直した狂戦士(バーサーカー)が、再び方天画戟を振り翳して響に襲い掛かって来たのだ。

 

 強烈な突撃と共に振り下ろされる一撃。

 

 対抗するように、響も刀を振るう。

 

 激突する互いの刃。

 

 火花は容赦なく飛び散る。

 

 響と狂戦士(バーサーカー)双方の身体が、衝撃で後退する。

 

 響の一撃は、辛うじて狂戦士(バーサーカー)の一撃を逸らす事に成功する。

 

 だが、

 

「クッ!?」

 

 掌にしびれるような衝撃。

 

 やはり正面からの戦闘では力負けしてしまう。

 

 今は剛腕で撃ち下す狂戦士(バーサーカー)に対し、響は自身の最大剣速で刀を振るい、辛うじて拮抗させる事ができたが。一歩タイミングを誤れば、確実に響の体は狂戦士(バーサーカー)によってばらばらに砕かれていた事だろう。

 

 それを避けるために、狭い住宅街に引きずり込み、地形を駆使して戦う事を選択したのだが、ヴェイクの気まぐれな参戦でそれもふいになってしまった。

 

 狂戦士(バーサーカー)もそこで留まらない。

 

「■■■■■■■■■■■■!!」

 

 咆哮と共に、方天画戟を振り翳し、何度も響に打ち下ろしてくる。

 

 対して、響も剣を振るうスピードを緩めず対抗する。

 

 自身の剣速が最大になる瞬間に相手と激突する事で、辛うじて状況を拮抗させている。

 

 だが、こんな戦い方がそもそも長続きするはずもない。

 

「チッ!?」

 

 舌打ちする響。

 

 足を止めたまま戦ったのでは勝てない。多少無理にでも、動き回らないと。

 

 そう考え、距離を取ろうとした。

 

 だが、

 

「ほらほら、さっさと逃げないと、背後ががら空きだよ!!」

 

 嘲笑と共に、背後から伸びてくる触手。

 

 無数の蛇がうねりながら迫ってくるようなその光景は、見ただけで生理的嫌悪感を催す。

 

 響はとっさに振り返りながら刀を横なぎに振るい、数本の触手をまとめて斬り捨てる。

 

 と、次の瞬間だった。

 

 一瞬、動きを止めた響に、狂戦士(バーサーカー)が襲い掛かる。

 

「■■■■■■■■■■■■!!」

 

 咆哮と共に打ち下ろされる方天画戟。

 

 その長大な刃を見据え。

 

「まずッ!?」

 

 響は臍を噛む。

 

 既に回避が可能な距離ではない。

 

 振り下ろされた刃。

 

 その一撃を、

 

「グッ!?」

 

 響は辛うじて刀を立てて受け止める。

 

 異音と共にぶつかり合う互いの刃。

 

 途端に、響の小さな体にあり得ないほどの荷重がかかった。

 

 今にも押しつぶされそうなほどの重圧に、全身の筋が悲鳴を上げる。

 

「クッ・・・・・・・・・・・・」

 

 歯を食いしばる響。

 

 「誓いの羽織」によって強化された響のスペックだが、それでも目の前の怪物を相手にするには足りない。

 

 次の瞬間、

 

 響の体は大きく吹き飛ばされ民家の壁に叩きつけられた。

 

 衝撃と共に、全身に奔る激痛。

 

 飛びそうになる意識を、首を振って引き戻す。

 

 しかし、

 

「何て・・・・・・威力・・・・・・・・・・・・」

 

 一撃で大ダメージを負ってしまった事は否めない。

 

 流石は狂戦士(バーサーカー)と言うべきか、まともに攻撃を食らえば、ここまでの物になるのか。

 

 今更ながら、かつて単騎で狂戦士(バーサーカー)に挑んだ美遊の無謀さが身に染みる。

 

 しかも、

 

 響はチラッと、ヴェイクの方に目をやる。

 

 いやらしい笑みを浮かべたヴェイクは、既に勝負あったとでも言いたげに、腕組みをして、倒れた響を見下ろしていた。

 

 正直、狂戦士(バーサーカー)1人なら、どうにか対処できたのだが、さすがに1対2では対処が難しかった。

 

「ハッハッハッハッハッハ!! 見たかいッ!! これが僕の力さ!!」

 

 そんな響に、容赦ない嘲笑が降り注ぐ。

 

 狂戦士(バーサーカー)の傍らに立ったヴェイクは、倒れた響を侮蔑と共に見下ろしていた。

 

「クズ虫の分際で、この僕に逆らうからこんな事になるのさ!!」

 

 言いながら、ヴェイクは異界の門を開き、再び無数の触手を出現させる。

 

 その様子を、響は歯噛みしながら見据える。

 

 何とか、反撃の体勢を取らないと。このままではやられる。

 

 だが、予想以上にダメージが大きいのか、体が思うように動かない。

 

「さあ、僕に逆らった事を後悔しながら死ぬんだね!!」

 

 そんな響に対し、触手を放つヴェイク。

 

 一斉に殺到してくる触手の群れ。

 

 かわせないか!?

 

 そう思った。

 

 次の瞬間、

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「クラスカード『狂戦士(バーサーカー)』、限定展開(インクルード)

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 低く、

 

 凛と告げられる声。

 

 次の瞬間、

 

 天空から降って来た巨大な斧剣が、今にも響に襲い掛からんとしていた触手を、全て叩き潰してしまった。

 

「んなッ!?」

 

 驚き、目を見開くヴェイク。

 

 彼の目の前には今、地面に突き立つ形で巨大な斧剣がそそり立っている。

 

 斧剣、と言ってしまえば確かにそうなのだが、ひたすら巨大なそれは、岩をそのまま切り出してきたような武骨さで存在している。

 

 地面に突き立った斧剣の柄尻に、

 

 トンッ 

 

 と言う軽い足音と共に、ツインテールにしたセミロングの髪を靡かせて降り立つ少女。

 

 ピンクのレオタードに、白のミニスカートと手袋をはめた可憐な姿。

 

 鳥の羽のような白いマントは、凛々しく羽ばたきを見せる。

 

「み、美遊?」

 

 見上げた響が、茫然と呟く。

 

 カレイドルビー・アナザーフォームの姿を取った美遊は、大地に突き立った斧剣の柄の上から、静かな瞳で一同を見据えていた。

 

 

 

 

 

第14話「風焔剣舞」      終わり

 



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第15話「コンビネーション・エッジ」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 大地に垂直に突き立った、巨大な斧剣。

 

 見上げるような、その柄尻に降り立った魔法少女。

 

 吹き抜ける風に髪とマントを靡かせて、美遊は一同を見下ろしている。

 

 ヴェイクと狂戦士(バーサーカー)

 

 そして最後に響を見やると、

 

 美遊は深々とため息をついた。

 

「・・・・・・・・・・・・何してるの、響?」

 

 冷ややかな声。

 

 明らかに、非難交じりの視線が響へと向けられる。

 

 学校で田中から、響が1人でいるところを見たと聞き、妙な胸騒ぎを覚えた美遊。

 

 突き動かされるまま校内をくまなく探したが、響の姿は見つからなかった。

 

 クロやバゼットに聞いてみても知らないという。

 

 そこに来て、美遊は確信した。

 

 響は、エインズワースに1人で挑むつもりなのだ、と。

 

 思い返せば、以前にも似たようなことがあった。

 

 あれは夏休み前。ゼスト達にさらわれた美遊を奪還した響は、両親や美遊を巻き込まないよう、1人で戦いに赴こうとした。

 

 あの時は美遊が止めて一緒に戦ったが、今回も同じような結論を響が出したとしても不思議ではない。

 

 状況を理解した美遊は、取る物も取りあえず飛び出して来た。

 

 そしてルビーのナビゲートを頼りに駆け付けた美遊は、間一髪のところで響の危機を救ったのだった。

 

 とは言え、

 

 実際危なかった。後ほんの少し遅かったら、響はやられていたかもしれない。

 

 美遊としては、文句の一つも言わなければ収まらなかった。

 

「勝手にこんなことして。いったい何を考えているの?」

「・・・・・・・・・・・・別に」

 

 厳しい口調で言い募る美遊に対して、響は不貞腐れたようにそっぽを向いて言った。

 

「美遊には関係ない」

 

 口を尖らせる響。

 

 実際のところ、美遊をエインズワースに行かせないためにこのような手段に出た響だったが、

 

 しかし何といっても昨夜、あれだけの大喧嘩をやらかした後の事である。ばつが悪くて本当の事は言えなかった。

 

 と、

 

 そんな響の態度に、美遊の方も「カッチーン」と来る。

 

 折角助けてやったのに、その態度は無いだろう。

 

「関係ない事無いでしょうッ 響の身に何かあったら!!」

「だから関係ないって言ってるッ これくらい何でもないし!!」

「ボロボロでへばってるくせに、偉そうにしないで!!」

「へばってないしッ 美遊は眼科に行った方が良い!!」

 

 いつしか美遊は斧剣から飛び降り、響も立ち上がって美遊に詰め寄っていた。

 

「だいたい何? 昨夜は私に1人で行くなとか言っておいて、自分はこんな事して!!」

「昨夜の美遊なんかと一緒にされたくない」

 

 だんだん、ヒートアップする2人。

 

「意地っ張りッ!!」

「石頭!!」

「考え無し男!!」

「天然ボケ女!!」

 

 完全に、今の状況を忘れてしまっている2人。

 

 言葉の応酬も、どんどん低レベル化してきてる。

 

「「ぐぬぬぬぬぬぬぬぬぬぬぬぬ」」

 

 殆ど鼻っ面がぶつかりそうな距離で睨み合う響と美遊。

 

 と、

 

「あのさー 君達・・・・・・・・・・・・」

 

 そんな2人に投げかける、苛立ち交じりの声。

 

 ヴェイクは面倒くさそうに頭をガリガリと掻くと、スッと手を翳した。

 

 同時に、触手が一斉に踊る。

 

「勝手にじゃれ合って無視するんじゃないよ!! この!! 僕をさあ!!」

 

 言い放つと同時に、一斉に触手を解き放つヴェイク。

 

 2人目がけて殺到する、無数の触手。

 

 響と美遊を絡め取るべく、不気味なうねりと共に迫る。

 

 次の瞬間、

 

「うるさい」

「邪魔」

 

 低い声で告げる響と美遊。

 

 交錯しながら迸る銀の閃光。

 

 途端に、全ての触手が斬り裂かれて消滅する。

 

 見れば、振り抜かれた響の手には刀が、美遊の手にはルビーが握られている。

 

 2人は互いに視線をそらさず、触手を斬り捨てて見せたのだ。

 

 何とも、まあ・・・・・・

 

 喧嘩していても息ぴったりな2人である。

 

「ん、しょうがない。先にあいつ、倒す」

「そうだね」

 

 頷きながら振り返る2人。

 

 雑音を黙らせない事には、落ち着いてケンカも出来なかった。

 

 何やらいろいろと間違っているような気はするが、そこは気にしない事にする。面倒くさいから。

 

 ともあれ、これで2対2、状況はイーブンだ。

 

 チームワークは激しく不安だが。

 

 次の瞬間、

 

 響と美遊は同時に地を蹴った。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 響が狙ったのは、狂戦士(バーサーカー)の方だった。

 

 先程までの戦いで、この英霊の特性は大体理解している。今度は負けないだけの自信があった。

 

 対して狂戦士(バーサーカー)の方も、接近する響を迎え撃つべく方天画戟を構える。

 

 袈裟懸けに振るわれる長柄の得物。

 

 その一撃を、響はひらりと跳躍して回避する。

 

 浅葱色の疾風が宙を舞う。

 

 すぐ横のブロック塀を、強烈に粉砕する狂戦士(バーサーカー)

 

 その様を、眼下に見据える響。

 

 既に刀の切っ先を向け、攻撃態勢は整えている。

 

 魔力で空中に足場を作り、突撃のタイミングを計る。

 

 狂戦士(バーサーカー)は攻撃直後で動きが硬直している。今なら仕留められるはず。

 

 だが狂戦士(バーサーカー)もさるもの。

 

 絶大な筋力に物を言わせて方天画戟を強引に引き戻すと、上空の響めがけて振り翳す。

 

 次の瞬間、

 

 響は空中を蹴って加速。一気に狂戦士(バーサーカー)に斬りかかった。

 

 急降下で加速する少年。

 

 その速度たるや、殆ど流星落下に等しい。

 

 目測を誤り、響を捉え損ねる狂戦士(バーサーカー)

 

 その刹那、銀の閃光が走る。

 

 狂戦士(バーサーカー)よりも一瞬早く、響は彼に斬りつけたのだ。

 

「■■■■■■■■■■■■!!」

 

 雄たけびを上げる狂戦士(バーサーカー)

 

 同時に、着込んでいる甲冑は斬り裂かれ、鮮血が噴き出るのが見えた。

 

 傷は、浅い。

 

 だが、

 

 ここに来て初めて、響の攻撃が狂戦士(バーサーカー)に傷を負わせたのは確かだった。

 

「まだッ!!」

 

 叫ぶと同時に振り返り、刀を返す響。

 

 その体の回転運動をそのまま刃に乗せて振りぬく。

 

 だが、柳の下にドジョウは2匹いない。

 

 響の刃は、寸前で回避行動を取った狂戦士(バーサーカー)を捉える事無く空を切った。

 

 と、思った。

 

「甘いッ」

 

 低く呟くと同時に、刀を狂戦士(バーサーカー)に突き立てる。

 

 相手がこちらの動きを呼んで対応するなら、こちら更にその上を行くまで。

 

 スキル「無形の剣技」を如何無く発揮して、響は狂戦士(バーサーカー)を逆に追い詰めていく。

 

 響の刃を受け、鮮血を巻き散らしながら後退する狂戦士(バーサーカー)

 

 対して、響は息つく暇もなく追撃を仕掛けた。

 

 

 

 

 

 一方、美遊もまた、ヴェイクを相手に戦闘を開始していた。

 

 手にしたルビーを振るい、魔力弾を放つ美遊。

 

 向かってくるヴェイクの触手を、的確に撃ち落としていく。

 

 出現した異界の魔物は、美遊の攻撃の前に成す術もなく吹き飛ばされる。

 

「ハッ!!」

 

 そんな美遊に、嘲笑を投げかけるヴェイク。

 

「棚から牡丹餅だね!! まさかこんな所で君に会えるなんてさ!!」

 

 叫びながら、ヴェイクは触手を繰り出す。

 

「このまま縛り付けて、城まで連れて行ってあげるよ!!」

 

 四方八方から迫る触手。

 

 その様を見て、ヴェイクは口元に笑みを浮かべる。

 

「君たちの弱点は既に研究済みさッ その姿での魔術は確かに強力だが、反面、小回りが利かず接近戦に弱い!!」

 

 四方八方から迫る触手。

 

 どうやら、砲撃では対応できないだけの触手で包囲し、一斉に襲い掛からせるつもりのようだ。

 

「さあ、これで僕の一番手柄は決定だッ!!」

 

 ヴェイクが意気を上げた。

 

 次の瞬間、

 

「・・・・・・クラスカード『槍兵(ランサー)』、限定展開(インクルード)

 

 静かな声と共に、美遊の手に朱色の槍が出現する。

 

 ケルトの大英雄、光の御子「クー・フーリン」が愛用した槍。

 

 その一閃が、たちまち群がる触手を斬り捨てた。

 

 ヴェイクは魔法少女(カレイド・ライナー)の弱点を把握していると自慢げに言っていたが、当然ながらその程度の事、美遊はとっくに把握している。

 

 弱点が判っているなら、それを補えばいいだけの話である。幸いなことに、それが可能な武器(カード)は手元にあるのだから。

 

 槍兵(ランサー)騎兵(ライダー)のカードは本来、バゼットが管理する物である。しかし昨夜の作戦会議の後、バゼットから一時的なクラスカード返還の申し出があった。

 

 現状、クラスカードを最も有効に扱えるのは美遊である。ならば、残っているカードはまとめて美遊が持ていた方が効率が良いだろう。と言う判断である。

 

 バゼットらしい、戦術に基づいた効率的な判断と言える。

 

 ただし、弓兵(アーチャー)のカードはクロの中にある事に加え、万が一のことを考えて剣士(セイバー)のカードは響が持つ事になった。

 

 その為、美遊の手元にあるのは槍兵(ランサー)騎兵(ライダー)魔術師(キャスター)狂戦士(バーサーカー)暗殺者(アサシン)の5枚となる。

 

 美遊は器用な手つきで槍を回転させると、その穂先を真っすぐにヴェイクへと向ける。

 

 そんな少女の姿に、苛立ちを募らせるヴェイク。

 

「この、往生際がァ!!」

 

 更なる触手を召喚して美遊に襲い掛かる。

 

 だが、結果は全て同じだった。

 

 縦横に奔る緋色の斬線。

 

 美遊の振るう槍を前に、全ての触手が斬り裂かれる。

 

「クッ!?」

 

 舌打ちしながら本のページをめくり、更なる触手を召喚しようとするヴェイク。

 

 だが、

 

「やらせないッ!!」

 

 距離を詰める美遊。

 

 手にした槍の穂先を、真っすぐにヴェイクへと向ける。

 

「貰ったッ!!」

 

 穂先が突き込まれる。

 

 だが、

 

「舐めるなよ!!」

 

 あがきとばかりに魔力弾を放つヴェイク。

 

 だが、それすら美遊は、手にした槍で弾いて見せる。

 

 もはや、ヴェイクを守る物は何もない。

 

「とどめッ!!」

 

 凛とした声と共に、槍を繰り出す美遊。

 

 その姿に、ヴェイクは顔を引きつらせる。

 

「う、うわァァァ や、やめてくれェェェェェェ!?」

 

 悲鳴を上げるヴェイク。

 

 対して、構わず美遊は槍を突き込もうとした。

 

 だが、

 

「・・・・・・な~んちゃって」

 

 下卑た笑みを浮かべると同時に、

 

 ヴェイクは至近距離で触手を召喚し、一気に美遊に群がらせた。

 

「なッ!?」

 

 これには、さすがの美遊も対応が追い付かない。

 

 少女の姿は、魔物の中に飲み込まれてあっという間に見えなくなってしまった。

 

「バァァァァァァカッ そんな単純な攻撃に僕がやられるはずないだろッ もっと頭を使いなよ!!」

 

 ゲラゲラと嘲笑するヴェイク。

 

 美遊が接近する事を見越して、予め罠を張っていた。

 

 そして少女が自分を攻撃範囲に捉えた瞬間、一気に罠を発動させて美遊を捕えたのだ。

 

「アハハハハハハッ ちょろいもんだよ。所詮はガキだよね!! この天才の僕に勝てる訳ないだろ!!」

 

 高らかに笑い、自身の勝利を確信するヴェイク。

 

 次の瞬間、

 

「ッ!?」

 

 強烈な殺気を感じ、思わず振り返る。

 

 果たして、

 

 そこには、美遊がいた。

 

 漆黒のレオタードに身を包み、頭には髑髏の面を付けた少女は、手にしたナイフで斬りかかった。

 

 暗殺者(アサシン)ハサン・ザッバーハの姿になった美遊。

 

 そのナイフが、容赦なくヴェイクを斬りつける。

 

「う、ウワァァァァァァァァァァァァ!?」

 

 今度は演技でもなんでもなく、本気で悲鳴を上げて倒れるヴェイク。

 

 その頬が僅かに斬り裂かれ、鮮血が飛び散っていた。

 

 ヴェイクは美遊を舐め切って戦っていたが、こと頭脳戦では、彼よりも美遊の方が一枚上手だった。

 

 ここまでの戦いで、散々卑怯な手を使ってきたヴェイクの性格を読み切り、美遊は予め暗殺者(アサシン)夢幻召喚(インストール)する準備をして戦っていたのだ。

 

 そしてヴェイクが美遊の至近距離で触手を召喚した瞬間に夢幻召喚(インストール)

 

 同時に宝具「妄想幻像(ザバーニーヤ)」を使用して分身を作り出すと、自身はヴェイクの背後に回り込んで奇襲を掛けたのだ。

 

 ナイフを構える美遊。

 

 その姿に、ヴェイクは怒りを募らせていく。

 

 何もかも、自分の思い通りにいかない。

 

 その事が、ヴェイクを苛立たせる。

 

「・・・・・・・・・・・・人が大人しくしてりゃ付け上がりやがって」

 

 絞り出すような声で言いながら、本のページをめくる。

 

「この僕を、舐めるなァ!!」

 

 更なる触手を召喚しようと魔力を込めた。

 

 次の瞬間、

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「遅いよ」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 低く囁かれる言葉。

 

 とっさに振り返るヴェイク。

 

 だが、

 

 ザンッ

 

 振り下ろされた斬撃が、ヴェイクの背中を斜めに斬り裂いた。

 

 響である。

 

 いつの間に接近したのか、少年はヴェイクの背後から斬りかかっていた。

 

 その身に羽織っていた筈の「誓いの羽織」は脱ぎ捨て、黒衣の姿をしている響。

 

 響は「誓いの羽織」を纏う事で、暗殺者(アサシン)剣士(セイバー)の特性を入れ替える事ができる。

 

 単純な戦闘力では、剣士(セイバー)の方が暗殺者(アサシン)よりも上である。

 

 しかし暗殺者(アサシン)剣士(セイバー)に比べて、隠密性に優れている。

 

 今回、あえて羽織を脱ぐ事によって暗殺者(アサシン)の能力を前面に出した響は、美遊への攻撃で完全に頭に血を上らせていたヴェイクに奇襲を掛けたのだ。

 

 対峙していた狂戦士(バーサーカー)は、強引に振り切って来た。まさに、速度差に物を言わせた作戦である。

 

「馬鹿・・・・・・な・・・・・・この、僕が、こんな、奴ら、に・・・・・・・・・・・・」

 

 血を吐き出して倒れるヴェイク。

 

 それを見届けた後、

 

 間髪入れずに美遊は動いた。

 

上書き(オーバーライト)夢幻召喚(インストール)!!」

 

 叫ぶと同時に取り出したのは、騎兵(ライダー)のカード。

 

 光が少女の姿を包み込んだ。

 

 方天画戟を振り下ろす狂戦士(バーサーカー)

 

 だが、

 

 小さな影が、その巨体を軽業師のように飛び越えるのが見えた。

 

 同時に、その狂戦士(バーサーカー)の体に、幾重にも鎖が巻き付いて拘束する。

 

 肩に、腕に、足に、胴に、武器に、鎖は蛇のように巻き付いていく。

 

 見上げれば、宙返りをする美遊の姿。

 

 その姿は再び変じ、黒いミニスカート風の衣装を着込み、両の双眸は眼帯で覆っている。

 

 クラスカード「騎兵(ライダー)」。

 

 その真名はメデューサ。

 

 ギリシャ神話に高き怪物をその身に宿した美遊は、軽やかな敏捷性を示している。

 

 手に握った長い鎖が、狂戦士(バーサーカー)を雁字搦めに拘束している。

 

 着地すると同時に、美遊は鎖をしっかりと握りしめて拘束を強める。

 

 動きを止める狂戦士(バーサーカー)

 

 とは言え、たとえ英霊化しても筋力において騎兵(みゆ)は、狂戦士(バーサーカー)にはかなわない。

 

 相手が全力を振るえば、この程度の拘束などあっという間に解いてしまう事だろう。

 

 事実、狂戦士(バーサーカー)は全身に力を入れて拘束を解こうとしている。ちょっとでも力を抜けば、美遊の小さな体は放り投げられてしまう事だろう。

 

 このままいけば狂戦士(バーサーカー)は、あと数秒で自由を取り戻す事になる。

 

 だが、

 

 元より美遊も、初めから力比べをする気は無い。

 

 拘束したのは、あくまで時間稼ぎだった。

 

「響ッ!!」

 

 相棒に合図を送る美遊。

 

 その視線の先では、

 

「ん」

 

 小さな頷きと共に、刀の切っ先を狂戦士(バーサーカー)に向けて構えた響の姿があった。

 

「これでッ」

 

 地を蹴る響。

 

 一歩、

 

 少年の姿は加速する。

 

 二歩、

 

 その姿が霞む。

 

 三歩、

 

 音速を超える。

 

 そして、

 

 獰猛な狼は、牙を剥いた。

 

「餓狼・・・・・・一閃!!」

 

 突き出される強烈な刺突。

 

 比類なき、狼の牙。

 

 その一閃が、狂戦士(バーサーカー)の胸元へ、叩き込まれた。

 

「■■■■■■■■■■■■!!」

 

 苦し気に雄叫びを上げる狂戦士(バーサーカー)

 

 飛び散る鮮血。

 

 明らかな大ダメージ。

 

 「誓いの羽織」有りの状態ではなかった為、本来の威力には届かない。

 

 しかし、響と美遊の連携攻撃は、確実に狂戦士(バーサーカー)に致命傷を与えたのは間違いなかった。

 

 対して狂戦士(バーサーカー)は、

 

 致命傷を押して尚、一歩踏み出そうとして、

 

 轟音と共に、前のめりに倒れた。

 

 轟音と共に地に倒れ伏す巨体。

 

 その姿を見て響と美遊は、互いに手を掲げ

 

 パァン

 

 ハイタッチを重ねた。

 

 まさに、見事としか言いようがない、高レベルな連携攻撃。

 

 長く、共に戦ってきた響と美遊だからこそ、成す事の出来た技である。

 

 互いに笑顔を交わす、響と美遊。

 

 と、そこで、

 

 ハッと顔を見合わせると、互いにばつが悪そうにそっぽを向いた。

 

 お互いに絶交中だと言う事を思い出したのだろう。

 

 何とも気まずい。

 

 だが、

 

 響と美遊が、互いに連携を駆使して、エインズワース()に打ち勝ったのは紛れもない事実だった。

 

 そして、

 

 紛れもなく、この世界に来て初めて、響達はエインズワース側に勝利したのだった。

 

「美遊・・・・・・・・・・・・」

 

 背中越しに、そっと語り掛ける響。

 

「簡単に諦めちゃ、駄目」

「・・・・・・・・・・・・」

「諦めなければ、きっと希望はある」

「響・・・・・・・・・・・・」

 

 そこでようやく、美遊はなぜ、響がこんな無謀な事をしたのか、思い至った。

 

 響は美遊に分からせたかったのだ。

 

 自分達でも敵に勝てる事を。

 

 諦める必要なんてどこにもない事を。

 

 響は、それを証明する為に、あえて敵に挑んだのだ。

 

「・・・・・・ほんとに、バカ」

 

 言いながら、

 

 美遊は笑みを浮かべる。

 

 嬉しかった。

 

 正直、美遊の心は折れかけていた。

 

 兄と親友を捕えられ、強大な戦力を有するエインズワースに対し、降伏してしまおうと本気で考えていた。

 

 だが、

 

 そんな弱気の淵に沈もうとしていた美遊を、響が救ってくれたのだ。

 

「ありがとう、響」

「・・・・・・・・・・・・」

 

 美遊の言葉に、響はそっぽを向いたまま鼻の頭を掻く。

 

 何となく、顔を合わせるのは照れ臭かった。

 

 と、その時だった。

 

「クッ・・・・・・よく、も・・・・・・・・・・・・」

 

 絞り出すような声が、聞こえてくる。

 

 見れば、響に斬られて倒れたはずのヴェイクが、怒りの形相でこちらを睨みつけていた。

 

「よくも・・・・・よくも・・・・・・よくもよくもよくもよくもォォォォォォ クズの分際で、この僕を、コケにしてくれたなァァァァァァ!!」

 

 口から鮮血を撒き散らしながら喚くヴェイク。

 

 対して、

 

 響は美遊を背に庇うようにして刀の切っ先をヴェイクに向ける。

 

 ヴェイクの身体からは、尚も鮮血が零れ落ちている。響の先程の攻撃が功を奏している証だった。

 

「まだやる気?」

「うるさいうるさいうるさいッ!!」

 

 冷ややかに問いかける響に対し、ヴェイクは苛立たし気に叫ぶ。

 

 既に勝負はついている。ヴェイクはどう見ても、これ以上戦える状態ではない。

 

 にも拘らず、退く気は無い様子だった。

 

「ここまで舐められて、終われるかよォォォォォォ!!」

 

 常の余裕ぶった態度をかなぐり捨て、狂ったように喚くヴェイク。

 

 対して、響は斬り込むタイミングを計る。

 

 今のヴェイクなら、簡単に討ち取れるはず。

 

 その姿を見て、ヴェイクは更に怒りを募らせる。

 

「舐ァめェるゥなァァァァァァ!!」

 

 高まる魔力。

 

 そのまま暴発する前に斬る。

 

 そう思って響が前に出ようとした。

 

 その時、

 

 

 

 

 

 

 

 

「そこまでだ」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 低く告げられる声と共に、ヴェイクの首元に、銀色の刃が押し当てられた。

 

 その様に、響とヴェイクは同時に動きを止める。

 

 いつの間に現れたのか、

 

 シェルドは長い大剣を手にして、そこに立っていた。

 

「・・・・・・・・・・・・邪魔しないでよ。これから面白くなるところだったんだからさ」

 

 不満そうに告げるヴェイク。

 

 だが、シェルドは取り合わずに返す。

 

「お前の勝手な行動で、我々の計画は狂いつつある。これ以上は、ダリウス様が黙ってはいないだろう」

「・・・・・・・・・・・・チッ」

 

 ダリウスの名前を出され、舌打ちするヴェイク。

 

 いかに彼でも、自分達の当主相手に逆らう事は出来なかった。

 

 次いで、シェルドは響達を見やる。

 

「貴様らの奮闘に免じて、今日のところは退いてやる。せいぜい、首を洗って待っていろ」

「逃げるの?」

 

 ことさら冷ややかに問いかける響。

 

 その問いに含まれる要素の半分は挑発。

 

 そして、もう半分は虚勢だった。

 

 現状、優勢なのは間違いなく響と美遊の方だ。ヴェイクも狂戦士(バーサーカー)も既に地に伏しているのに対し、響も美遊も、まだ十分に戦闘力を維持している。勝機は十分にあるだろう。

 

 半面、シェルドに対する対策はいまだに確立されていない。あの無敵性を相手に、正面から戦いを挑むのは無謀だった。

 

「慌てるな」

 

 低く呟くと、さっと手を翳すシェルド。

 

 それだけで、地に伏していたヴェイクと狂戦士(バーサーカー)の姿は消え去ってしまった。

 

 息を呑む、響と美遊。

 

 置換魔術を使って空間を繋げ、他の場所へと転移させたのだ。恐らく、彼らの居城へと。

 

 同時に、シェルド自身の姿も消えていく。

 

「お前とは、いずれ必ず決着を着ける。その時まで、力を蓄えておけ」

 

 不吉な言葉を残し、姿を消すシェルド達。

 

 後には、立ち尽くす響と美遊だけが残されるのだった。

 

 しかし、

 

「・・・・・・・・・・・・勝った」

 

 ポツリとつぶやく響。

 

 ヴェイクと狂戦士(バーサーカー)は倒し、

 

 そしてシェルドは撤退した。

 

 戦い終わった戦場に立つのは、響と美遊の2人だけ。

 

 紛う事無き初勝利だった。

 

 顔を見合わせる、響と美遊。

 

「・・・・・・あは」

「ふふ」

 

 自然と、笑みが浮かぶ。

 

 何やら、つい先ほどまで大喧嘩していたとは思えないほど、互いに晴れやかな気持ちになっていた。

 

 と、

 

「おーいッ ヒビキー!! ミユー!!」

「2人とも、無事ですか!?」

「ふいー お腹が切ないですー」

 

 2人の姿を見つけて駆け寄ってくる姿。

 

 クロとバゼット、それに田中だ。

 

 そんな仲間たちの姿に、

 

 響と美遊は、揃って手を振るのだった。

 

 

 

 

 

第15話「コンビネーション・エッジ」      終わり

 



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第16話「甘く、切なく」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「さて2人とも、言い訳があるならたっぷりと聞かせてもらいましょうか? 幸い、時間はある訳だし」

 

 教壇の上に立ったクロは、腕組みをしてそう告げる。

 

 色黒少女の額には明らかな青筋が浮かび、口元にはヒク付いた笑みを浮かべている。

 

 そして、

 

 クロの目の前には、床に正座した響と美遊が、それぞればつが悪そうな顔をして座っていた。

 

「クロ、足しびれた」

「やかましい」

 

 響の抗議を一蹴するクロ。

 

 深山町での戦いを終えた響と美遊。

 

 戦い自体は最終的にシェルドの介入でうやむやになった物の、ヴェイクと狂戦士(バーサーカー)を撃破する事に成功した。

 

 紛う事無き初勝利。

 

 こちらの世界に来て以来、連戦連敗だった事を考えれば喜ばしい事は間違いない。

 

 何より、2人ともそろって帰還できたことが大きい。

 

 エインズワースの思惑は、見事に打ち砕かれたのだ。

 

 そうして意気揚々と帰還した響と美遊を待っていたのは、

 

 クロのお説教だった。

 

 クロ達に相談することなく、勝手に拠点を出て街に言った挙句、敵と交戦までしたのだ。

 

 罪状は明らかだった。

 

 と言う訳で、帰って来た2人は問答無用で教室の床に正座。現在に至る。

 

「勝手に出て行って勝手に戦うとかさ、考え無しにも程あるでしょうが!! 何? あんたたち馬鹿なの? 死ぬの?」

 

 いささか言動がおかしくなるくらい、クロはヒートアップする。

 

 どうやら2人そろって勝手な事をしたせいで、彼女の怒りはいよいよ持って有頂天らしい。

 

「だいたいヒビキッ 今回はうまくいったからいいような物の、もしあんた、負けてたらどうするつもりだったのよ?」

「ん、だいじょぶ。結果オーライ」

「反省しろっつってんのよ!!」

 

 取りあえず、一向に反省の色を見せない弟には、ゲンコツをお見舞いしておく。

 

 叩かれた頭を涙目で押さえる響を放っておくと、クロは視線を美遊へと向けた。

 

「ミユッ あんたもあんたよ!!」

 

 これは響も驚いた事なのだが、美遊は田中から響が1人で出て行った事を聞くと、撮るものも取りあえず、ルビーを引っ掴んで学校を飛び出して来たという。

 

 無謀、と言えば確かに無謀である。

 

 だが、

 

 それだけ、響の事が心配でたまらなかったのだ。

 

「あんたが敵に捕まれば、その時点でわたし達もゲームオーバーだって事くらい、美遊にだってわかるでしょッ それなのに飛び出していくなんて、まったく。響と一緒になって何やってんのよ!!」

「その・・・・・・ごめんなさい」

 

 クロのお説教に対し、美遊はシュンとなって俯く。

 

 響と違い、流石に美遊は自分が無謀だったことは自覚しているらしい。

 

 と、

 

「クロエ、もうその辺で」

 

 説教を続けるクロを制したのは、それまで黙っていたバゼットだった。

 

 落ち着き払った態度で前に出るバゼット。

 

 流石は年長者。ここでビシッと場を締めてくれるだろう。

 

 そう思った。

 

「くどくどと言葉を重ねるよりも体に分からせるべきです。幸い、どの程度までなら相手の体を壊さずに済むか心得がありますので」

「「ヒィ!?」」

 

 ボキボキと指の骨を鳴らすバゼットに、思わず悲鳴を漏らす響と美遊。

 

 リアルバーサーカーに英霊化無しで殴られれば、痛いどころの騒ぎではないだろう。

 

「いやいやいや、死ぬ死ぬッ あんた(バゼット)がやったら、マジで2人とも死ぬから!!」

 

 流石に止めに入るクロ。

 

 こうして、響と美遊の「独断専行」は、割と高い代償を伴う羽目になったのだった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 独断専行した者への追及が行われていたのは、何も一方だけとは限らなかった。

 

 その敵対する陣営においても、同様の事が行われていたのだった。

 

 部屋の中にはアンジェリカ、シェルド、ベアトリスと言った、エインズワースのメンバーたち。

 

 そして、

 

 彼らが冷ややかな視線を集中させる先には、ばつが悪そうにそっぽを向いているヴェイクの姿があった。

 

 その姿は痛々しく、全身には包帯が巻かれ、今も血がにじみ出ている。

 

 響、美遊両名と交戦し、辛うじて生還したヴェイク。

 

 一歩間違えば命を落としていたとしてもおかしくない状況だったのだが、そんな少年に対し、アンジェリカ達は手加減する気は無かった。

 

「どういう事なのか、説明してもらおうか?」

 

 詰問口調で、アンジェリカは尋ねる。

 

 その鋭い眼差しには、敵意とも言える凄惨な眼光が満たされていた。

 

「我々に諮らず勝手な出撃。それも、狂戦士(バーサーカー)まで、許可なく勝手に連れて行くとは、気が触れたとしか思えん」

「しかも負けてすごすご帰ってくるとか、救いがないにも程があんだろ」

 

 追及するアンジェリカの横から、ベアトリスが侮蔑交じりに口を挟む。

 

 対して、ヴェイクはギリッと歯を噛み鳴らす。

 

 勝手に出撃したのが事実なら、勝手に狂戦士(バーサーカー)を持ち出したのも事実。ついでに言うと負けたのも事実だった。

 

 独断専行が黙認されるのは、あくまで成功した場合のみ。

 

 失敗した時、敗北者には嘲笑と侮蔑しか残らないのだ。

 

「大方、手柄でも欲しかったんだろ。馬鹿じゃねえの」

「クッ」

 

 いつも仲の悪いベアトリスにまでさんざん言われ、唇を噛み占めるヴェイク。

 

 だが、図星であるだけに、言い返す事も出来ない。

 

 その時だった。

 

 突如、室内の空気が急激に低下するのを感じた。

 

「グッ!?」

 

 背筋に寒い物を感じ、思わず身を震わせるヴェイク。

 

 同時に、それまでヴェイクを追及していたアンジェリカ、シェルド、ベアトリスが、恭しく頭を下げた。

 

 と、

 

「やあ、ヴェイク。調子はどうだい? うん、いつもより少し、顔色が悪いかな?」

「ッ!?」

 

 突如、背後から話しかけられ、身を震わせるヴェイク。

 

 その肩に手が置かれる。

 

 軽く触れられた程度。

 

 しかし、

 

 たったそれだけでヴェイクは、まるで肩を万力で締め付けられたような痛みを覚えていた。

 

「あ、ダ、ダリウス・・・・・・様・・・・・・」

 

 震える声で告げるヴェイク。

 

 彼の背後では、突然現れたダリウスが、おどろおどろしい声を上げながらヴェイクに顔を近づけていた。

 

「私は常々、君達に言っている事があるね。覚えているかい?」

「え・・・・・・あ・・・・・・ウゥ・・・・・・」

 

 恐怖のあまり言葉も出ないヴェイク。

 

 対してダリウスは、口元に不気味な笑みを浮かべて続ける。

 

「私は基本的に、君たちがどこで何をしようが構わないと思っている。どこに行こうが、どんな風に遊ぼうが、ね。ただし・・・・・・・・・・・・」

 

 凄みを増すダリウス。

 

「私の計画を邪魔する事だけは許さない。絶対にね!!」

 

 次の瞬間、

 

 ダリウスの手は、ヴェイクの首に掴みかかった。

 

「グッ・・・・・・は、放し、て・・・・・・・・・・・・」

 

 苦しそうに息を吐くヴェイク。

 

 少年の体は、そのまま宙に持ち上げられる。

 

 片手一本で少年を持ち上げたダリウスは、濁った瞳で見据える。

 

 対して、宙づりにされたヴェイクは、目からは涙がこぼれ、口からはだらしなくよだれが垂れ流される。

 

 恐怖と苦痛の二重の責め苦が、ヴェイクを恐怖の奈落へと引きずり込んでいくのが分かる。

 

「フム・・・・・・」

 

 そんなヴェイクを眺めながら、ダリウスは顎に手を当てて言った。

 

「ヴェイク、どうも最近、君は働きづめで疲れているようだね。良い機会だから少し休むと言い。後の事は、何も心配しなくて良いからね」

 

 ある意味、死刑宣告とも取れるダリウスの言葉。

 

 対して、ヴェイクはただ、涙目で震えている事しかできないでいる。

 

 それらを見つめる、アンジェリカ達。

 

 そんな彼らのやり取りを、物陰から見つめる影があった事には、最後まで気づく事は無かった。。

 

 

 

 

 

 城の中を歩きながら、イリヤはため息をついた。

 

 今日もエリカの遊び相手をした後、行ける範囲で一通り、城の中を歩き回って情報を探ってみたイリヤ。

 

 結果は、語るまでもない。

 

 めぼしい情報は何も見つからず、イリヤの努力は徒労に終わったのだった。

 

「うう、何だか無駄に時間ばっかり浪費している気がするよ」

 

 ガックリと肩を落とすイリヤ。

 

 そもそも、エインズワース側も分かりやすい場所に情報を置いているはずもない。

 

 イリヤのやっている事は、殆ど無駄としか思えなかった。

 

「早くここから出て、響達と合流しないといけないのに・・・・・・」

 

 このまま、救助が来るのを待っていなくてはならないとなると、情けなくて仕方が無かった。

 

 とは言え、これだけ探しても手掛かりが見つからない辺り、イリヤが自力でこの城を脱出する手段は皆無に等しかった。

 

 素直に助けを待った方が賢明とさえ思えてくる。

 

 とは言え、待っていても助けが来るとは限らないのも事実な訳で。

 

 イリヤとしても、ひどいジレンマに悩まされるのだった。

 

 と、

 

「あれ?」

 

 廊下の向こうから、見覚えのある少年が歩いてくるのが見えた。

 

 比較的小柄なその少年は、最近になって知り合った人物。

 

「シフォン君?」

「ああ、イリヤさん。ただいま戻りました」

 

 イリヤの呼びかけに対し、少年の方も笑顔で応じる。

 

 比較的温厚なこの少年は、囚われのイリヤに対しても友好に接してくれていた。エリカと並んで、囚われのイリヤにとっては、心の癒しとでも言うべき存在である。

 

「お使いに行ってたって、エリカちゃんに聞いてたけど」

「あ、はい。先ほど、戻ってきたところです」

 

 どうやら、これからエリカのところに行くところだったらしい。彼女のために用意したのか、手にはおいしそうなお菓子の袋が握られていた。

 

 その様子に、イリヤはクスッと笑う。

 

 お使いに行って疲れているはずなのに、休む間もなくエリカのところに駆けつける。

 

 単なる主従としての立場だけとは思えない。もっと深いところで、エリカとシフォンは繋がっているように思えた。

 

「エリカちゃん、退屈そうにしてたから、早く行ってあげなよ」

「はい、ありがとうございます。そうします」

 

 そう言って、イリヤの横をすれ違おうとするシフォン。

 

 と、

 

「あの、イリヤさん」

「ほえ?」

 

 呼ばれて振り返るイリヤ。

 

 すると、シフォンは何を思ったのか、深刻な眼差しでイリヤの方を見ていた。

 

「どうか、エリカの事、よろしくお願いしますね」

「え・・・・・・・・・・・・?」

 

 首をかしげるイリヤ。

 

 それは、どういいう意味なのだろうか?

 

 囚われの身であるイリヤに、主の事を託す、などと。

 

 だが、シフォンはそれ以上何も語る事無く、イリヤに背を向けて立ち去っていく。

 

 その背中を、イリヤは不思議そうなまなざしで見送るのだった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 心地よい水音が耳を打つ。

 

 浸した足から全身に温もりが巡り、幸せな気分が湧き上がっていく。

 

「ふう・・・・・・・・・・・・」

 

 湯に肩まで浸かった響は、力を抜いて全身を弛緩させた。

 

 ここは学校の屋上。

 

 この場所に、なぜか今、巨大な温泉施設が出現していた。

 

 驚いた事に、この温泉自体、一個の宝具であるのだとか。

 

 提供者は言うまでもなくバビロニアの英雄王。ギルガメッシュ事、ギル君である。

 

 発端は、女性陣が風呂に入りたいと言い出した事だった。

 

 無理も無い。ここまで殆ど戦い詰めで、ゆっくり風呂に入る暇などなかったのだから。彼女らの欲求は、至極当然な物であると言えた。

 

 当初、バゼットが古式ゆかしいドラム缶風呂を用意すると言い出したのだが、流石に色んな意味で却下された。

 

 背に腹の変えられない状況ならともかく、進んでそんな物に入りたいと思う者はいなかった。

 

 とは言え、やっぱり風呂には入りたい訳で、

 

 そこでギルが、代わりにこの温泉の宝具を出してくれたと言う訳である。

 

 周囲を見回せば内装が目に入ってくる。

 

 何やら竹槍風に斬った竹や、忍者の手裏剣マーク、更には墨で大書された掛け軸やらが飾られている。

 

 何となく外国人が持つ、「致命的に間違った日本観」を体現したような感じである。

 

 まあ、内装は色々とアレだが、こうして風呂に入れたのはありがたい。

 

 特に戦いに後である。ゆっくりと入って疲れと傷を癒したい所だった。

 

 響は今、1人で風呂に入っている。

 

 いかにギルでも最低限の倫理観は有している。浴場はしっかり、男女別々になっていた。

 

 そのギルは先に上がったため、今は響1人と言う訳である。

 

 湯船はちょっとした大浴場並であり、ゆっくりと手足を伸ばしても充分余裕があった。

 

 湯の感触を楽しみながら、ふとこれからの事を考える。

 

 ともかく、美遊を反意させる事には成功した。

 

 もう、彼女は迷わないだろう。

 

 着々とだが、戦う準備は整いつつあった。

 

「あとはイリヤ・・・・・・・・・・・・」

 

 囚われの姉を救い出し、エインズワースを止める事が出来れば、全てに方が付くはず。

 

 まだ姿が見えないサファイアの事も気になるところである。無事でいてくれると良いのだが。

 

「・・・・・・そう言えば」

 

 すっかり忘れがちだったが、未だに消息が知れない凛とルヴィアの事もあった。

 

「まあ、あの2人だし」

 

 たぶん大丈夫だろう。と勝手に納得しておく。

 

 あの2人なら多分、異次元の彼方に飛ばされても、何とかどつき合いながら生きていけそうな気がした。

 

「何にしても、全部これから」

 

 そう言って、響は湯の中で大きく体を伸ばした。

 

 心地よい湯の感触が、戦闘の疲れを癒していってくれる。

 

 と、

 

 その時だった。

 

 チャプッ

 

 控えめな水音と共に、誰かが温泉の中に入ってくる気配があった。

 

「・・・・・・・・・・・・ん、ギル?」

 

 ここには、男は響とギルしかいない。男湯に入ってくるならばギルだろう。

 

 響はそう思って振り返る。

 

 果たして、

 

 そこにいたのは小さき英雄王ではなかった。

 

「・・・・・・・・・・・・え?」

 

 響が見ている視線の先。

 

 そこには、

 

 黒髪の少女が、恥ずかしそうに俯いて立っていた。

 

「み、みみみみみみ、美遊ッ!?」

 

 思わず、その場で座ったまま後ずさる響。

 

 困惑する響。

 

 何で?

 

 どうして?

 

 まとまりない思考が響の中で吹き荒れる。

 

 何だか、つい最近も似たような事があった気がする。

 

 もしかしたら、

 

 美遊は女湯と間違えて入って来たのかもしれない。

 

 それなら、そう教えてあげた方が良いだろう。

 

 響がそんな風に思った。

 

 と、

 

「待って」

 

 慌てまくる響を制して、美遊は控えめに声を上げた。

 

「間違えた、わけじゃない」

「・・・・・・へ?」

 

 意外すぎる美遊の言葉に、響は一瞬、呆けたような表情を見せる。

 

 間違えたのでなければ、美遊は自分で男湯に入って来た事になる。それも、響が入っているのを知っていて。

 

 いったい、なぜ?

 

 困惑する響に、美遊は続けた。

 

「・・・・・・その・・・・・・響と、一緒に入りたくて」

「ッッッ!?」

 

 予想だにしなかった恥じらいの言葉に、思わず目の前がクラッとなる響。

 

 今の美遊は、当然ながら文字通りの全裸である。

 

 細い四肢に、微かに膨らみを見せた胸。緩やかな曲線を描くくびれ、キュッと締まった小さく可愛らしいお尻。

 

 生まれたままの姿で佇む美遊。

 

 年相応の幼さこそ残るものの、未来に大いに期待できる少女の艶姿がそこにあった。

 

 流石に恥ずかしいらしく、体の前はタオルで隠しているが、それでも僅かに見えるチラリズムが、却って妖艶な雰囲気を醸し出していた。

 

「響・・・・・・・・・・・・」

 

 響のすぐ正面に座った美遊。

 

 その瞳は、真っすぐに少年を見据える。

 

 互いの顔は否が応でも上気し、赤く染まっている。

 

 そして、

 

「ごめんなさい」

 

 美遊は頭を下げた。

 

「昨日、あなたにひどい事を言ってしまった。それに、あんなことまで・・・・・・・・・・・・」

 

 カッとなって思わず響の頬をひっぱたいてしまった事を、ずっと美遊は後悔していたのだ。

 

 その後も、互いにぎくしゃくしてしまったせいで、なかなか謝る機会が無かった。

 

 だから、美遊はこんな大胆な手段に出たのだ。

 

「本当に、ごめんなさい」

「いい・・・・・・」

 

 対して、響は淡々とした口調で告げる。

 

「もう、気にしてないから」

「でも・・・・・・」

 

 それじゃあ、気が収まらない。

 

 そう言おうとした美遊。

 

 親友を傷付け、その想いを蔑ろにした自分は、罰を受けるべきなのだ。

 

 だが次の瞬間、

 

 更に続けて言おうとした美遊。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 その美遊の唇が、響の唇によって塞がれた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 驚く美遊。

 

 その目の前に、すぐ響の顔がある。

 

 互いに交わされる甘いキス。

 

 魔力供給の一環で、既に何度か唇を交わしている響と美遊だが、今回は違う。

 

 打算的要因の無い。純粋な思い出交わされる口づけだった。

 

 見つめ合う、響と美遊。

 

 互いの瞳はとろけるように、トロンとした物になる。

 

 心地よい湯加減の中、

 

 幼い二人が、裸で絡み合う。

 

 ややあって、響は美遊を放した。

 

「・・・・・・・・・・・・好きだから」

「え?」

 

 驚く美遊に、響は少し顔を背けて告げる。

 

 その頬は、湯煙以外の理由で赤く染まっていた。

 

「美遊の事、好きだから・・・・・・敵に渡したくなかった」

 

 それは、偽らざる響の本音である。

 

 好きな女の子を敵に渡したくない。

 

 その敵がいかに強大であろうとも、

 

 全ての困難は自分が打ち払い、彼女を守って見せる。

 

 それが、響が己の全存在を掛けた誓いだった。

 

 その少年の想いに、美遊は自分の中にある想いが、抑えきれないほどに膨らんでいくのを感じる。

 

 響が自分にとって、いかに大切な存在であるか、美遊は今こそはっきりと自覚していた。

 

「響・・・・・・・・・・・・」

「美遊・・・・・・・・・・・・」

 

 見つめ合う2人。

 

 やがて、

 

 今度はどちらからともなく、もう一度唇を重ねた。

 

 

 

 

 

 その日の晩、

 

 響と美遊は、同じ布団で一緒に眠った。

 

 互いの手をしっかりと握り。

 

 もう、絶対に放さないという意思の元。

 

 響と美遊

 

 想いを通じ合わせた2人は、互いの温もりをしっかりと感じ合うのだった。

 

 

 

 

 

第16話「甘く、切なく」      終わり

 




3月くらいから始めたFGO。

無課金で細々プレイを進めた結果、現在マスターレベルは103。4章まで行った時点で、現在イベントに参加しつつ、レベリングと素材集めの真っ最中です。

因みにうちの主力隊は

剣:デオン、フェルグス
弓:エミヤ、エウリュアレ、子ギル
槍:クーフーリン(プロト)、ヘクトール
騎:マリー、アレキサンダー、牛若丸
術:ナーサリー、クーフーリン(術)
殺:水着師匠、小太郎、静謐
狂:フラン、アステリオス
裁:ホームズ、ジャンヌ
讐:アンリマユ

現状、最も戦力的に充実しているのがルーラー勢ってのはどうなんだ(汗
嬉しいし、運が良いのも確かなんだろうけど、如何せん火力が足んない。


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第17話「サプライズ・リターン」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 その現象を見た人間は、奇妙な感覚にとらわれる事だろう。

 

 次いで、えも言わぬ不気味さに身を震わせるかもしれない。

 

 路上にうっすらと積もった雪。

 

 昨日からさらに降ったのか、少し積雪が増した感がある。

 

 その雪の上に、

 

 足跡が刻まれていた。

 

 数にして数人分の足跡。

 

 それだけなら、ただの足跡にしか見えないだろう。

 

 だが、

 

 あるはずの物、絶対なくてはならない物が、そこにはない。

 

 足跡の主。

 

 その姿は、どこを見回しても存在しなかった。

 

 足跡はどこまでも続く。

 

 その行く先には、小学校があった。

 

 無人の街と化した深山町には、学校に通う小学生はおらず、ここも既に廃校になって久しい。

 

 僅かに残った子供たちは、川向こうの新都にある小学校に通っている。

 

 だが、足跡は確かに、小学校の校門まで続いていた。

 

 あるいは、怨霊の為せる業なのだろうか?

 

 見た者は、ただ身を震わせるのみだった。

 

「ここかね?」

「はい」

 

 何もない場所から、突然聞こえてくる声。

 

 周囲を見回しても、人の姿は見当たらない。

 

 だが、彼らは確かにそこに存在していた。

 

「ふむ、このような場所に隠れていたとは、意外に盲点だったね」

「御意。全て、我らの不徳の致すところ。ただ恥じ入るばかり」

「なに、構わんよ。どうせ彼女たちは逃げる事は出来なかったんだ。遅かれ早かれ、こうなる事は判っていた筈だ」

 

 フッと、笑みを浮かべる気配。

 

 つい先日、自分たちは彼らの奇襲を受けた。

 

 戦いは自分たちの勝利で終わったものの、城に攻め込まれて混乱を喫した事への屈辱は消える物ではない。

 

 その相手に、今度は全く同じやり方で自分たちが奇襲を仕掛けるのだと思うと溜飲も下がると言う物だった。

 

「さあ、行こうか。我々の聖杯を取り戻しに、ね」

 

 そう言うと、雪原に再び足跡が刻まれた。

 

 

 

 

 

 水準以上の美少女に迫られれば、男なら誰でも平静ではいられない事だろう。

 

 それがたとえ、姉であったとしても、だ。

 

 いや、姉弟であれば猶更、その背徳性に燃え上がる事もある。

 

 そっと、頬に手を当てられ、響は己の中で体温が上昇するのを感じた。

 

「さあ、響。力を抜いて楽にしなさい。全てを私に任せて、ね」

「ん、クロ・・・・・・・・・・・・」

 

 トロンとした目でクロを見つめる響。

 

 対してクロは、蠱惑的な口元に笑みを浮かべて弟に迫る。

 

 褐色の肌はほんのり桜色が混じり、目は怪しく潤む。

 

 微熱を伴った吐息は、麻薬めいた酩酊感を齎し、近くにあるだけで意識が遠のきそうになる。。

 

 小学生にして、既にこれほどの色香さを発揮するとは、末恐ろしい少女である。

 

「あの、クロ・・・・・・」

「な~に?」

 

 既に、2人の顔は、触れ合うほどに近づいている。

 

 魅惑的に迫る姉の姿。

 

 響は得も言えぬ緊張で、胸が張り裂けそうな感覚に襲われていた。

 

「その・・・・・・・・・・・・初めて、だから」

 

 その言葉に、クロはクスッと笑う。

 

 初心で可愛い弟。

 

 その弟が今、自分の手の中にいる。

 

 自らの心を満たす征服感に、クロは己の胸が高鳴るのを感じていた。

 

「大丈夫、ちゃーんと、お姉ちゃんがリードしてあげる。だから、全部任せて、ね?」

「・・・・・・ん」

 

 姉の優しい言葉に、素直にうなずく響。

 

 やがて、

 

 2人の顔がさらに近付く。

 

 互いの行為を受け入れる禁断の姉弟。

 

 そして、

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 ガブッ チュゥゥゥゥゥゥゥゥゥゥゥゥ

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 クロは響の「腕」に齧り付き、予め付けておいた傷口から、少年の血を吸い始めた。

 

 その間、響はギュッと目を閉じて、姉にされるがままになっている。

 

 動かない響。

 

 それを良い事に、クロは満足するまで響の血を吸い続ける。

 

 ややあって、クロは響の腕から口を放した。

 

「ふう、ご馳走様。ま、そこそこ悪くなかったわ」

「うう~ クロのバカァ~ アホォ~ 吸血鬼ィ~」

「人聞きの悪い事言わない」

 

 ご満悦なクロに対し、響は涙目で自分の腕を押さえている。

 

 響の血を吸ったクロ。

 

 その理由は、彼女がついに、吸血鬼として覚醒したから、

 

 ではないので、お間違え無きように。

 

 答えは、魔力の補給だった。

 

 クロは戦闘のみならず、ただその場で存在しているだけでもわずかずつ魔力を消耗している。

 

 もし、魔力補充せずに放置したら最悪、消滅の危険性もあるのだから、事態は思っている以上に深刻である。。

 

 今まではイリヤがクロにキスする事で魔力補充を行っていた。

 

 やはり「同一存在」な為か、クロにとってはイリヤから供給される魔力効率は、他の人間の10倍以上に達する。つまり、他の人間10人から魔力を供給してもらうよりも、イリヤ1人から魔力をもらった方が効果的なのである。

 

 加えてイリヤ自身はルビーから魔力供給を受ける事ができる為、(イリヤの精神的ダメージはとりあえず無視するとして)実質的なプラスマイナスはゼロ。

 

 要するに、言い方は悪いが、クロにとってイリヤは理想的な魔力タンク的な意味合いもあったのだ。

 

 だが、そのイリヤが敵に捕まり、クロとしては恒常的に魔力供給を受ける手段を失った形である。

 

 このままでは、クロが消えてしまう。これは、早急に解決しなくてはならない問題だった。

 

 そこでまず案として挙がったのが、イリヤの代わりに当面は美遊がクロに魔力供給する事だった。

 

 美遊もイリヤと同じ魔法少女(カレイド・ライナー)だし、今はルビーとも契約している為、再供給にも問題は無い。

 

 効率と言う意味ではイリヤに劣るが、美遊もまた魔力供給の役割は果たせるだろう。魔力タンクのピンチヒッターとしては十分である。

 

 だが、そこで「待った」が掛かった。

 

 言うまでもなく、響である。

 

 響にしてみれば、折角できた可愛い彼女が、他人とキスするなんて我慢できなかったのだ。

 

 そんな事を美遊にさせるくらいなら、自分がクロに魔力を供給する、とまで言った響。

 

 だが、今度は美遊の方から「待った」が掛かる。

 

 理由は寸分違わず全く同じ。大切な彼氏が、友達とは言え(あるいはだからこそ?)他の女とキスするところなど見たくない。

 

 とは言え、あれもダメ、これもダメでは話が進まない。

 

 ほぼ八方ふさがりに近い状況の中、

 

 代替案を出したのはバゼットだった。

 

 ようは魔力が潤沢な体液を、クロに提供できれば良いのだ。

 

 ならば、唾液よりも血液の方が良い。

 

 魔術師の魔力の根源は、その人物の心臓にある。その心臓から供給される血液の魔力吟有量は、唾液の比ではない。魔術師は自らの血を媒体に、魔術行使を行事も合うくらいある。

 

 血液なら少量でも十分な魔力補充が見込めるのだ。

 

 そんな訳で、響がクロに血液を供給する運びになった訳である。

 

 方法としては簡単。クロが投影したナイフで響の腕を少しだけ傷付け、そこから血をすするだけ。

 

 効果は抜群で、殆ど枯渇しかけていたクロの魔力は、ほぼ満タンに近い形で補充されていた。

 

 だが、

 

 そんな2人を、ジトーッとした眼差しで見つめる目が合った。

 

「・・・・・・・・・・・・最初のやり取り、必要あったの?」

 

 面白くなさそうに、美遊は告げる。

 

 どうやら「響の彼女」としての立場からして、初めの紛らわしいやり取りがお気に召さなかったらしい。

 

 対して、クロはシレッとした調子で肩を竦める。

 

「雰囲気づくりって奴? 普通にやったんじゃ面白くないでしょ」

「だとしても、あんな事する必要は無かったと思う。そもそも雰囲気なんて作る必要なかったはず」

 

 そう言って、美遊は口を尖らせる。

 

 そんな美遊の態度に、

 

 クロはピンと来たように、悪戯っぽい笑みを浮かべた。

 

「ほっほ~」

「・・・・・・何?」

 

 意味ありげなクロの笑いに対し、怪訝な顔つきをする美遊。

 

 対してクロは、納得したように言った。

 

「いや~ さっそく彼女きどりとは、ずいぶんとお熱いですわね~」

 

 おどけた調子で、揶揄するように告げるクロ。

 

 口調としてはからかい半分、祝福半分と言ったところだろうか?

 

 対して、

 

「彼女きどりじゃない」

 

 美遊は断固とした口調で言った。

 

「私は、響の彼女だから」

 

 ストレートな言葉。

 

 まったく予想していなかった美遊の言葉に、流石のクロも、思わず絶句してしまった。

 

 まさか、美遊がここまでストレートな物言いをするとは考えていなかったのだ。

 

「ず、ずい分と大胆なこと言うわね」

「事実だから」

 

 シレッと答える美遊。どうにも互いに両想いになった事で、吹っ切れた印象がある。

 

 つい先日、大喧嘩して険悪なムードだったのがウソのようである。

 

「それに、あまり吸い過ぎれば、今度は響の魔力が足りなくなる」

「別に良いでしょ、そこら辺は」

 

 クロはそう言って肩を竦めて見せる。

 

「どうせ魔力は後で、美遊が響に『チュッチュ』して分けてあげれば良いんだから」

「なッ!?」

 

 クロの言葉に、たちまち顔を赤くする美遊。

 

 対してクロは、勝ち誇ったように笑みを浮かべる。

 

 どうやら、勝負あったらしい。

 

 やはり口喧嘩では、美遊はクロに敵わないようだ。

 

 と、

 

「あの、2人とも、その辺で・・・・・・・・・・・・」

 

 傍らで見ていたバゼットが、呆れ気味に止めに入った。

 

 年長者として、不毛な争いを止めようとした。

 

 訳ではなく、

 

「響が死に掛けていますので」

「「は?」」

 

 振り返る2人。

 

 見れば、床に蹲る感じで、響が悶えている。

 

「も・・・・・・許して・・・・・・」

 

 顔を真っ赤にして呟く響。

 

 どうやら、2人のやり取りは、傍らで見ていた少年にとって恥ずかしすぎる内容だったようだ。

 

「どうしたですか響さん!? 恥ずかしさで死ぬですか!?」

《あー 駄目ですねー これは。響さんのライフはもうゼロです》

 

 傍らで田中が大声で叫びながら垂れている響を揺り動かし、ルビーは羽根で器用に持った棒っきれでツンツンと突いていた。

 

 何と言うか、ナチュラルにトドメを刺していた。

 

 そんな少年の様子に嘆息する美遊とクロ。

 

 何とも、気の抜ける光景である事は確かだった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「まったくもう・・・・・・・・・・・・」

 

 手洗い場で顔を洗いながら、響はぼやくように呟く。

 

 まだ、顔の火照りが消えていない気がした。

 

 美遊と恋人同士になれたことは嬉しい。

 

 だが初心な少年にとって、周囲からの煽りには、まだまだ耐性ができているとは言い難かった。

 

「その・・・・・・ごめんなさい」

 

 傍らでタオルを差し出しながら、美遊が謝って来た。

 

「私も、ちょっと調子に乗りすぎたって言うか・・・・・・」

「ん、別に、美遊のせいじゃない」

 

 美遊からのタオルを受け取りながら、響は首を横に振る。

 

「だいたいクロのせい、だから」

 

 本人が聞いたら呆れ気味に苦笑するしかないセリフだ。

 

 そんな響に対し、美遊は少し顔を赤くして俯きながら言った。

 

「その・・・・・・嬉しかったから、響と恋人になれて・・・・・・だから」

「あ・・・・・・・・・・・・」

 

 美遊の言葉の意味を理解し、響もまた顔を赤くする。

 

 要するに、美遊もまた浮かれていたのだ。響と恋人同士になれたことが嬉しくて。

 

 普段のクール振りからは想像もできないが、美遊もまた女の子なのだ。恋に憧れる事もあれば、好きな男の子と結ばれて浮かれる事もある。

 

 やがて、

 

 響と美遊は、どちらからともなく身を寄せ合う。

 

 互いの体に手を回す。

 

 近付く、2人の顔。

 

 吐息が互いの鼻にかかる。

 

「その・・・・・・さっき、クロに魔力をあげたでしょ。だから、その分の補充を・・・・・・」

「ん・・・・・・それ、だけ?」

 

 言い訳気味に告げる美遊に、尋ねる響。

 

 対して、美遊は恥ずかしそうに白状する。

 

「その、私が・・・・・・したいから」

「美遊」

 

 そして、

 

 2人は互いに唇を重ねた。

 

 無人の校舎。

 

 静寂の中、

 

 幼くも甘美なキス。

 

 互いの温もりが、しっかりと相手に伝わる。

 

 ややあって、唇を放す2人。

 

 熱の籠った眼で、互いを見やる。

 

「どう?」

「ん、もっと」

 

 浮かされたような口調でおねだりすると、今度は響が自分の唇を美遊の唇に押し付ける。

 

 対して美遊も、目を閉じて幼い彼氏を受け入れる。

 

 再び、甘いキスが互いを満たしていく。

 

 やがて唇を放した時、

 

 心地よい熱が、互いを包み込んでいた。

 

「もう・・・・・・・・・・・・」

 

 美遊が、ちょっと困ったように唇を尖らせる。

 

「甘えん坊、なんだから」

「ん」

 

 幸せに包まれる2人。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 次の瞬間。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 独特の風切り音が響くいた。

 

「んッ!!」

 

 とっさに、美遊を抱えて、その場から響。

 

 ほぼ同時に、

 

 2人が背にしていた壁が、突然、斬り裂かれた。

 

 着地する響。

 

 同時に、鋭い視線を振り返らせる。

 

暗殺者(アサシン)相手に奇襲とか・・・・・・舐めてる?」

 

 睨みつける響の視線の先。

 

 そこには、フードを被った2人の人物が立っている。

 

 舌打ちする響。

 

 今、この学校にはバゼットが張った侵入者警戒用の結界が張られている。そう簡単には侵入できるはずが無い。

 

 にも拘らず、襲撃者は侵入してきた。

 

 文字通り、音も無く。

 

 相手が誰か、など考えるだけ時間の無駄であろう。

 

 今、この世界で自分たちを襲撃してくる存在など、十中の十までエインズワースの刺客以外に考えられなかった。

 

 つまり、問題は相手の正体(そ こ)ではない。

 

 相手がどうやって、結界をすり抜けて、この校舎の中に侵入してきたのか、が重要だった。

 

「いったい・・・・・・どうやって・・・・・・・・・・・・」

 

 愕然とする響。

 

 だが、考えている暇は無かった。

 

 2人の侵入者は同時に動く。

 

 左右から響と美遊を挟み込むようにして迫る敵。

 

 その動きは滑らかで、ほぼ同時に左右から響達を包み込むように迫ってくる。

 

 タイミングは完全に一緒。

 

 響達に逃げ場は無い。

 

「クッ!?」

 

 舌打ちする響。

 

 明確な戦意を持って迫る敵。

 

 対して、響は迷う事無く行動を起こす。

 

 相手が向かってくるならば、迎え撃つ以外の選択肢は無かった。

 

 響はとっさに美遊を片手で抱き寄せると、空いた右手を前に突き出すように掲げる。

 

限定展開(インクルード)!!」

 

 詠唱する響。

 

 同時に、手には一振りの刀が出現する。

 

 迷う事無く降り抜く響。

 

 その一閃が、侵入者たちの被ったフードを斬り裂く。

 

 動きを止める襲撃者。

 

 その間に響は、美遊を抱えてその場から飛びのき、包囲網を突破する。

 

 敵に囲まれた状態で戦うのは不利。

 

 少しでも有利な条件を整えるのだ。

 

 着地と同時に、美遊を背に庇う響。

 

 ほぼ同時に、襲撃者のフードもはらりと落ちた。

 

 露わになる、敵の素顔。

 

 次の瞬間、

 

「なッ!?」

「そんなッ!?」

 

 思わず、絶句する響と美遊。

 

 なぜなら、

 

 フードの下から現れた顔。

 

 それは2人にとって、知りすぎるくらいに知っている人物だったのだ。

 

「凛・・・・・・・・・・・・」

「ルヴィアさん・・・・・・・・・・・・」

 

 遠坂凛とルヴィアゼリッタ・エーデルフェルト。

 

 2人にとってかけがえのない友人であり、師であり、肉親とも言うべき2人が、

 

 今まさに、敵となって目の前に立っていた。

 

 

 

 

 

第17話「サプライズ・リターン」      終わり

 



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第18話「闇の底より」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 愕然とする光景だった。

 

 予期せぬ襲撃者。

 

 こちらの警戒網をすり抜けて攻撃を受けた、と言うだけでも十分驚愕すべき事態だというのに、

 

 その襲撃者が、よく見知った人物だったなら、なおさらの事だった。

 

「凛・・・・・・・・・・・・」

「ルヴィアさん・・・・・・・・・・・・」

 

 愕然として呟く、響と美遊。

 

 遠坂凛とルヴィアゼリッタ・エーデルフェルト。

 

 かけがえのない仲間であるはずの2人が今、敵として響達の前に立ちはだかっていた。

 

 驚愕する響と美遊に対し、凛とルヴィアは一切反応を示さない。

 

 まるで、2人の存在など、眼中に入っていないかのような振る舞いだ。

 

 凛とルヴィアの、そんな淡白な態度が、更に響と美遊を戸惑いの淵へと追いやる。

 

「そんな、何で2人が・・・・・・・・・・・・」

 

 震える声で呟く美遊。

 

 無理も無いだろう。

 

 2人。

 

 特にルヴィアの方は、美遊にとって形式上とは言え姉であり、向こうでの生活全般を世話してくれた大恩ある人物なのだから。

 

 そんな凛とルヴィアが敵として目の前にいる。

 

 響達にとって、悪夢以外の何物でもなかった。

 

 凛、そしてルヴィア。

 

 響は2人の様子に、素早く目を走らせる。

 

 どういう訳か、メイド服を着ている凛とルヴィア。凛はもともと、ルヴィアの家で仕事着にしているので見慣れているが、ルヴィアのこういう姿を見るのは初めてである。

 

 元がお嬢様のせいか、こういう言わば「使用人」風の姿には違和感がある。まあ、それでも2人そろって容姿的なレベルは高い為、これはこれで似合っているのだが。

 

 そして、

 

 何より響が目を引いたのは2人の目。

 

 揺らぎなく虚ろで、どこか人形めいた瞳。

 

 一切の感情を映さない2人の瞳は、不気味なほどの静けさで響と美遊を睨んできている。

 

 はっきり言って、普通の様子ではない。

 

 何かしらの魔術を掛けられて、2人が操られていると見た方がよさそうだった。

 

 と言う事は、その魔術を解除すれば2人が復活する可能性は高いのだが。

 

 逆を言えば、その魔術の正体が判らない限り、うかつに手出しはできない。まして、響は魔術に関してはまるっきりの素人である。その点に関しては、美遊もそう変わらない。

 

 2人に掛けられた魔術を解析し解除する事など、不可能に近かった。

 

 それにしても、

 

 こうして改めて見てみると、2人の戦力差がいかに絶望的であるかが分かる。

 

 主に胸囲的な意味で。

 

 年相応に大きく膨らみ、その存在感を主張しているルヴィアの母性溢れるバストに対し、凛のはと言えば「まあ、膨らんでるっちゃー膨らんでる?」と言う感じである。

 

 既に勝敗は決していると言ってよかった。

 

 と、

 

「響、どこ見てるの?」

「・・・・・・ん、別に」

 

 そんな響を、お隣の可愛い彼女さんがジト目で睨んできていた。どうやら、何を考えていたのかバレバレだったようだ。

 

 何となく美遊の、ほっぺがプクッと膨らんでいるように見える。

 

 その美遊の胸はと言えば、

 

 まあ、

 

 お察しください。彼女の可能性は現在よりも未来にこそ広がっているのだから。

 

 美遊だって小学生とは言え女の子である。彼氏である響が自分に無い物(ほかのおっぱい)に見とれている事は面白くないのだろう。

 

 だが、余計な事を考えているのもそこまでだった。

 

「美遊ッ 来る!!」

「ッ!?」

 

 警告交じりに叫ぶ響。

 

 次の瞬間、

 

「最重要目標を確認。確保に移りマス」

「障害排除を実行しマス」

 

 無機質な声と共に、

 

 凛とルヴィアが襲い掛かって来た。

 

 左右から挟み込むように迫る、2人の魔術師たち。

 

 対抗すべく、美遊を背に庇いながら刀を構える響。

 

「響ッ 戦っちゃダメ!!」

「判ってるッ」

 

 叫ぶ美遊に、響は頷きながら刀を返す。

 

 いかに状況が状況とは言え、2人を傷付ける訳にはいかない。

 

 だが、凛とルヴィアの実力も侮れない。正直、手加減して勝てる相手とも思えなかった。

 

 つまり響には「2人を傷付けない程度に、適度に痛めつける」事が求められるわけだ。

 

「うー、わー めんどー」

 

 心の底からだるそうに言いながら、響は刀を峰に返して斬りかかる。

 

 実際にどの程度「手加減」すれば良いのかは不明瞭だが、ともかく守ってじり貧になる事だけは避けなければならなかった。

 

 迷う響。

 

 だが、相手はさも当然の如く、響の迷いなど考慮に入れてくれない。

 

 ルヴィアが先行する形で迫って来た。

 

 無機質な視線が少年を睨み、同時に拳を振り上げる。

 

 対抗するように、刀を八双に振り翳す響。

 

 間合いに入ると同時に、両者は激突する。

 

 真っ向から振り下ろされる響の剣。

 

 対して、ルヴィアもストレートの拳撃を繰り出す。

 

 次の瞬間、

 

 衝撃と共に響は、押し返されて数歩後退した。

 

「クッ!?」

 

 蹈鞴を踏みながらも響は、どうにか体勢を保ちながら舌打ちする。

 

 本気ではないとはいえ、まさかここまで露骨に押し負けるとは思っていなかったのだ。

 

 一方のルヴィアは拳を振り切った状態で、静かに睨み据えていた。

 

 生身の状態では、ルヴィアの膂力は響を大きく上回っている。

 

 加えて恐らく、何らかの強化魔術で肉体を強化しているのだろう。そうでなければ、峰とは言え、素手で刀と打ち合って勝てるはずが無い。

 

 正直、英霊化していない今の響では、不利と言わざるを得ないだろう。

 

「まったく・・・・・・・・・・・・」

 

 光の薄い瞳でこちらを見る凛とルヴィアに対し、響は嘆息気味に呟く。

 

 こっちの苦労も知らないで、暢気なものである。

 

 今までどこをほっつき歩いていたのか、と今すぐ胸倉掴んで問いただしてやりたい気分だった。

 

 と、その時。

 

「響ッ 危ない!!」

「んッ!?」

 

 鋭く奔る美遊の警告。

 

 振り返った響の目には、向かってくる凛の姿があった。

 

 既に拳を振り上げて、攻撃態勢に入っている。

 

「クッ!?」

 

 とっさに刀を構えなおして迎え撃つ態勢を取る響。

 

 先のルヴィアとの激突で、ある程度のコツはつかめた。今度は押し負ける事は無い、はず。

 

 そう考えて身構える響。

 

 対して、

 

 向かってくる凛は、手を翳して見せた。

 

 真っすぐに伸ばされた少女の手。

 

 そこに握られている物を見て、思わず響は絶句した。

 

「カード!?」

 

 見間違えるはずもない。

 

 それは英霊を宿したクラスカードだった。

 

 なぜ、凛がカードを持っているのか?

 

 それを考える暇もなく、凛は動いた。

 

「サーヴァントカード、限定展開(インクルード)

 

 凛が抑揚のない声で呟いた。

 

 次の瞬間、

 

「無銘、《剣》」

 

 彼女の中に、巨大な闇の塊が出現した。

 

「なッ!?」

 

 巨大な闇色の奔流、としか形容のしようがない。

 

 見ようによっては「剣」に見えなくもないそれを、凛は軽々と振り翳す。

 

 一閃。

 

 対して、とっさに飛びのいて回避しようとする響。

 

 凛の一撃は、響の姿を捉える事無く、校舎の壁を盛大に破壊していく。

 

「な、何で凛がカードを!?」

 

 驚愕しながらも、着地と同時にどうにか体勢を立て直そうと後退する響。

 

 凛がカードを使うとは、完全に予想外である。

 

 しかも先程の「剣」。

 

 黒々として刀身も何もかも、闇色の染まった物。

 

 あんな物が、英霊の使う「宝具」だとでも言うのだろうか?

 

 だが、考えている暇は無かった。

 

 今度はルヴィアが前に出て、響へ襲い掛かる。

 

「サーヴァントカード、限定展開(インクルード)・・・・・・」

 

 ルヴィアの手に握られる、1枚のカード。

 

 またかッ!?

 

 そう思った次の瞬間、

 

「無銘、《斧》」

 

 ルヴィアの放った強烈な一閃が、響に襲い掛かってくる。

 

 今度は、先程の凛が放った「剣」よりもずっと巨大で重厚な闇の塊が迫る。

 

 凛の攻撃を受けた直後の響に、ルヴィアの攻撃を回避する余裕はない。

 

 次の瞬間、

 

 強烈な一撃を食らい、響の体は校舎の外へと放り投げられた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 突如、鳴り響いた警報。

 

 あまりにも耳障りな音は、最大限の警戒を促す物だった。

 

「まさか、敵が来たって言うの!?」

「恐らく。この警告音は間違いないでしょうッ」

 

 廊下を駆けながら、クロとバゼットは舌打ちを交わす。

 

 まさか、こちらの潜伏先が敵にバレていたとは。

 

 それにしても、唐突過ぎる襲撃である。全く予測する事が出来なかった。

 

「まずいわね、この状況」

 

 走りながら、クロは現状を正確に分析する。

 

 今は響と美遊が別の場所にいるし、田中もどこか校内をほっつき歩いている。何とか彼らと合流したい所である。

 

 そのうえ、ギルに至っては「食事に行ってくる」とか言って街へ出かけてしまっている。

 

 今の自分たちは、完全に手薄の状態になっていた。その間隙を敵に突かれた形である。

 

「ともかく、早いところ響達と・・・・・・」

 

 駆けながら、クロが言いかけた時だった。

 

 突如、鳴り響き風切り音。

 

 駆けるクロとバゼットを両断すべく、容赦なく振るわれる剣閃。

 

 轟風の如き銀の一閃が、2人を斬り裂かんと迫る。

 

「クッ 投影(トレース)!!」

 

 とっさに叫び、両手に干将莫邪を構えるクロ。

 

 繰り出された大剣の一撃を、辛うじて受け止める事に成功する。

 

「クロエ!!」

 

 バゼットが声を上げる中、クロは後退しながらも、どうにか体勢を保つ。

 

 しかし、

 

「クッ きっつ・・・・・・」

 

 一撃で刃こぼれした黒白の双剣を構え直し、クロは冷汗交じりに相手を見やる。

 

 その視線の先。

 

 大剣を振り翳した状態で佇む、シェルドの姿がある。

 

 既に夢幻召喚(インストール)を完了し、銀の甲冑に身を包んだ英霊の姿で佇んでいた。

 

「エインズワースかッ!!」

 

 叫びながら飛び出すバゼット。

 

 同時に、量の拳を握り込み、シェルドに殴りかかる。

 

 ルーン魔術で硬度を増したグローブは、それ自体が凶器となってシェルドに襲い掛かる。

 

 繰り出される拳撃。

 

 対抗するように、シェルドもまた大剣を構えて斬りかかる。

 

 激突する両者。

 

 バゼットの繰り出した拳が、シェルドの大剣を弾く。

 

 体勢を崩すシェルド。

 

「もらった!!」

 

 そこへ、すかさずバゼットが猛攻撃を仕掛ける。

 

 かつて、響、イリヤ、美遊、クロが4人がかりでも勝てなかったバゼットの猛攻を前に、さしものシェルドも防御に回る。

 

 だが、バゼットは攻撃の手を緩めない。

 

 強烈な拳撃が嵐のように、シェルドに襲い掛かる。

 

 だが、

 

 シェルドは一歩も引かない。

 

 まるでバゼットの攻撃など無い物のように、徐々に攻撃に耐えながら自身の間合いへと踏み込んでくる。

 

 次の瞬間、

 

「ハッ!!」

 

 気合と共に、真っ向からバゼットに振り下ろされる大剣。

 

 長大な剣を振るっているとは思えないほど素早い攻撃を前に、バゼットは思わず攻撃を諦めて防御に転じる。

 

 次の瞬間、

 

「グゥッ!?」

 

 重い一撃を前に思わずバゼットは膝をたわませる。

 

 バゼットの着ている服には強化の魔術が施され、更に彼女自身、常識を超えて強化された肉体の持ち主である。

 

 英霊とは言え、並の一撃でダメージを負う事は無い。

 

 だが、

 

「クッ・・・・・・」

 

 腕を押さえ、後退するバゼット。

 

 その両腕が、しびれるような痛みを発している。

 

 ダメージは最小限に抑えられているが、英霊の放つ強烈な一撃を、完全に無効化する事は出来なかったのだ。

 

「強い・・・・・・」

 

 シェルドの攻撃を前に、一時的に動きを止めるバゼット。

 

 その時、

 

「あんたの相手はこっちよ!!」

 

 声に導かれるように、振り仰ぐシェルド。

 

 その視線の先には、新たに投影した干将莫邪を構えたクロの姿がある。

 

 更にクロは、自身の周囲に数本の剣を投影すると、それを矢のように打ち出した。

 

 シェルドに向かって飛んでいく刃の群れ。

 

 数こそ少ないが、ギルの宝具「王の財宝(ゲート・オブ・バビロン)」を彷彿させる光景である。

 

 自身に向かってくる刃。

 

 その鋭い光を見据え、シェルドはとっさに後退する。

 

 地面に突き立つ刃の群れ。

 

 だが、

 

「もらったッ!!」

 

 着地直後で、とっさに身動きの取れないシェルド目がけて、干将莫邪を振り下ろす。

 

 撃ち出した剣はあくまで、シェルドの体勢を崩すための囮。

 

 クロの作戦はあくまで、自身の手でシェルドに斬りかかる事になった。

 

 振るわれる、黒白の刃。

 

 タイミングは必殺。

 

 回避は不可能。

 

 だが、次の瞬間、

 

 ガキッ

 

 異音と共に防がれた自らの刃を見て、クロは舌打ちする。

 

 彼女の刃は、ほんのわずかと言えどもシェルドにダメージを与える事が出来なかった。

 

 響から聞いて判ってはいたが、やはりシェルドの無敵性は厄介極まりなかった。

 

「やはり、通じませんね」

「・・・・・・どうしたもんかしらね」

 

 バゼットの言葉に苦笑を浮かべながら、シェルドを睨みつけるクロ。

 

 響が何度も戦っており、シェルドの実力についてはある程度の情報が揃っている。

 

 やはりと言うべきか、その圧倒的な無敵性は、簡単には突き崩せそうにない。

 

 単純に攻撃力が足りないのか、あるいは必要条件が揃っていないのか?

 

 いずれにしても、現状でシェルドを攻略するのは難しいと言わざるを得なかった。

 

 攻めあぐねるクロとバゼット。

 

 対して、

 

「どうした、もう終わりか?」

 

 2人の猛攻を凌いだシェルドは、涼しい顔で大剣を構えなおしていた。

 

 

 

 

 

 衝撃と共に、壁と言う壁が吹き飛ばされる。

 

 宙に舞う、ガラスと建材。

 

 そんな中、

 

 空中に投げ出された響は、事態をスローモーションのように捉えていた。

 

 高速で走る思考の中、疑問は次々と湧いてくる。

 

 凛とルヴィアは、なぜ自分たちの敵に回ったのか?

 

 裏切ったのか? あるいは洗脳でもされたのか?

 

 なぜ、カードを使う事ができるのか?

 

 そもそも、あのカードは何なのか?

 

 なぜ宝具が、あんな禍々しい闇の塊になってしまっているのか?

 

 次々と湧いてくる疑問。

 

 全て、真相は判らない。

 

 が、

 

 そこまで考えた時だった、

 

 割れた校舎の壁から、響を追うようにして飛び出してくる小さな影があった。

 

「響ッ!!」

 

 美遊だ。

 

 空中に投げ出された響を救うべく、少女は迷う事無く死地へと飛び込んで来たのである。

 

 空中にあって美遊は、迷う事無く空中に躍り出ると、響に向かって真っすぐに手を伸ばす。

 

「手を!!」

「んッ」

 

 伸ばされた美遊の手。

 

 その手を、響はしっかりと握り込む。

 

 次の瞬間、

 

「ルビー!!」

《はいは~い!! 行きますよ~!!》

 

 美遊の髪の中から飛び出すルビー。

 

 同時に、2人の姿は強烈な閃光の中へと飲み込まれた。

 

 光の中で、響は見る。

 

 少女の姿が変化する様を。

 

 普段着が消滅し、生まれたままの姿になった美遊。

 

 ある種、神々しいとさえ思える裸身へ、光の帯が絡みついていく。

 

 体全体を覆うピンクのレオタードが形成され、左右の腰横から腰裏にかけて、白のミニスカートが覆う。

 

 白の手袋とブーツが形成されると同時に、髪は頭の左右でツインテールに纏められ、白い羽の髪飾りで結ばれる。

 

 そして最後に、鳥の羽のようなマントが覆った。

 

 カレイドルビー・アナザーフォームに変身した美遊。

 

 そのまま響を抱えると、空中に魔力で足場を形成。落下速度を減殺しながら地上へと降り立った。

 

「響、大丈夫?」

「ん」

 

 尋ねる美遊に、響も地面に降り立ちながら頷きを返す。

 

 だが、

 

「サーヴァントカード・限定展開(インクルード)、無銘《短剣》」

 

 頭上から、低く囁かれる声。

 

 ほぼ同時に、響も動いた。

 

夢幻召喚(インストール)!!」

 

 衝撃波が、少年の姿を包み込む。

 

 飛んで来る、無数の闇の礫。恐らく、これが「短剣」なのだろう。

 

 殺到する無数の「短剣」。

 

 その着弾の寸前、

 

 衝撃波が晴れて、少年は姿を現す。

 

 黒装束に短パン履き。髪は伸びて後頭部で結ばれている。

 

 風に靡く、白いマフラー。

 

 振り仰ぐ、鋭い視線。

 

 同時に、手にした刀が鞘奔り、鋭く一閃する。

 

 迸る銀の閃光。

 

 その閃光が、飛んできた無数の短剣を、一閃の元に弾き飛ばした。

 

 攻撃を振り払った響は、刀の切っ先を凛達に向けて構える。

 

 対して、凛とルヴィアもまた、英霊化した響を警戒するように身構える。

 

「排除対象の戦闘力上昇を確認しまシタ」

「対応の変更を行いマス」

 

 刀を構える響に対し、凛とルヴィアも、新たなるカードを取り出すのが見えた。

 

 睨み合う両者。

 

「美遊、下がって」

「うん」

 

 美遊を守りつつ、じりじりと後退する響。

 

 合わせるように、凛とルヴィアも距離を詰めてくる。

 

 その姿を見て、苛立たし気に響は舌打ちした。

 

「・・・・・・厄介」

「そうだね」

 

 美遊も、同意するように頷く。

 

 戦闘開始前に予想したとおりである。

 

 普通に敵を相手にするならまだ良い。しかし凛もルヴィアも、紛れもなく味方なのだ。全力で攻撃して、2人を傷付ける訳にはいかない。

 

 やはり必然として、2人を相手にする時は手を抜かざるを得ないのだ。

 

「まったく・・・・・・・・・・・・」

 

 嘆息する響。

 

 ベテラン魔術師2人が、雁首揃えて何をしているのか。

 

 思いっきり文句を言ってやりたい気分なのだが、どうにも2人とも意識がここにはないみたいなので、それも出来なかった。

 

「面倒くさい」

「それも同感」

 

 響と美遊は、そろってため息をついた。

 

 だが、やるしかない。話し合うにしても正気に戻すにしても、まずは2人の動きをどうにか止めない事には始まらなかった。

 

 次の瞬間、

 

 凛とルヴィアは同時に仕掛けてきた。

 

 先行する凛。

 

 その手に、カードが掲げられる。

 

「サーヴァントカード、限定展開、(無銘・槍)

 

 詠唱と同時に、凛の手に現れる細長い闇の塊。

 

 凛の言葉通り、「槍」を連想させる形だ。

 

 鋭く突き込まれる闇色の閃光。

 

 その一撃を、響は刀を鋭く切り上げる事で弾く。

 

 激突する両者。

 

 競り勝ったのは、響だ。

 

 銀の剣閃が、闇色の刃を両断する。

 

 同時に、凛が繰り出した槍は消滅した。

 

「今ッ!!」

 

 刀を峰に返す響。

 

 取りあえず、一発殴って気絶させる。その後の事はその後で。

 

 適当にそんな風に考えて、攻撃に転じようとする響。

 

 だが、

 

 響が前に出るのとほぼ同時に、今度はルヴィアが飛び出して来た。

 

「サーヴァントカード限定展開(インクルード)、《無銘、槌》」

 

 言い放つと同時に、両手で振り上げた巨大な闇の塊を、響めがけて振り下ろすルヴィア。

 

 圧倒的とも言える質量の闇が、小柄な響を押し潰さんと振り下ろされる。

 

「ッ!?」

 

 舌打ちしつつ、刀を掲げて防御の姿勢を取る響。

 

 だが、その程度では防ぎきれないような闇が迫る。

 

 その時、

 

「物理保護、最大展開!!」

 

 響の背後から、凛とした少女の声が響く。

 

 同時に、響きを守るように、頭上に巨大な障壁が展開された。

 

 目を転じれば、ルビーを高らかに掲げた美遊の姿がある。

 

 美遊はとっさに障壁を展開する事で、ルヴィアの強力な攻撃から響を守ったのである。

 

 ルヴィアの手から消失する、闇色の槌。

 

 その間に響は、後退して体制を立て直す。

 

 睨み合う両者。

 

 再び、互いに探り合うように対峙する。

 

 そんな中、

 

「ん、やっぱり・・・・・・」

 

 刀を構えなおした響は、ある種の確信を抱いて凛とルヴィアに目をやった。

 

 まず、何度か打ち合って分かったが、あの黒い宝具、力はそれほど強くない。注意して対応すれば、まず押し負ける事は無いだろう。

 

 更に、カードそれ自体も使い捨てであると思われる。さっきから凛達が武器をとっかえひっかえしているのが、その証拠だった。

 

 総じて戦えば、決して負ける相手ではない。

 

 とは言え、用意されているカードの数が尋常ではない。

 

 物量で押されれば厄介だった。

 

 加えて、先述した通り、こっちは本気で戦う事が出来ない。

 

 状況は、地味に厄介だった。

 

 その時だった。

 

 突如、巻き起こる衝撃。

 

 同時に、すぐ側に着地する影があった。

 

 クロだ。

 

 既に弓兵(アーチャー)の姿になったクロは、両手に黒白の双剣を構えて追撃に備える。

 

「チッ こっちも随分とややこしい状況になっているじゃないの」

「クロッ」

 

 状況を見ながらクロは舌打ちする。

 

 既にシェルドと戦端を開いていた彼女も、ボロボロの状態だった。

 

「て言うか、何であの2人が敵に回ってんのよ!?」

「判んない。こっちが知りたい」

 

 と、そこへ、バゼットも後退してくるのが見えた。

 

 それを追うように現れるシェルド。

 

 着地と同時に、顔を上げる剣士(セイバー)

 

 その視線が、暗殺者(アサシン)の少年とぶつかり合う。

 

「シェルド」

「・・・・・・・・・・・・」

 

 敵意の籠った響の視線を、静かに受け止めるシェルド。

 

 既に因縁の相手と言って良い2人は、互いに激突を確信して身構える。

 

 緊張が場を支配する中、響は状況をすばやく確認する。

 

 こちらの戦力は、響、美遊、クロ、バゼットの4人。

 

 対して敵はシェルド、凛、ルヴィアの3人。

 

 凛とルヴィアの存在は地味に厄介だが、それでも決定的と言うほどではない。作戦次第では、いくらでも抑え込めるだろう。

 

 作戦としては、2人が1対1で凛とルヴィアをそれぞれ抑え、その間に残る2人がシェルドを数で潰す。

 

 それが最適だった。

 

 身構える両陣営。

 

 激発の瞬間が迫る。

 

 次の瞬間、

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「やあ、これは随分と、賑やかだね」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 突如、

 

 

 

 

 

 心臓を鷲掴みにされたような、

 

 

 

 

 

 そんな不快感。

 

 

 

 

 

 その場にいた全員が、思わず魂の底まで凍り付いたような怖気を感じる。

 

 

 

 

 

 なぜ?

 

 

 

 

 

 誰?

 

 

 

 

 

 脳裏を交錯する、取り留めも無い予感。

 

 

 

 

 

 そんな中、

 

「あ・・・・・・・・・・・・」

 

 響は不意に思い出す。

 

 この声、

 

 確かに、聞き覚えがある。

 

 あれは先日、エインズワースの城を脱出する時に聞いた。

 

 ギルに言われた。

 

 この声を、覚えておけ、と。

 

「あ・・・・・・あ・・・・・・・・・・・・」

 

 傍らの美遊が、恐怖に震えながら、その場に座り込む。

 

「み、美遊?」

 

 差し伸べた響の手に、美遊は縋りつく。

 

 全身の筋が断裂するほどに強張る中、

 

 響は眦を上げて、相手を見る。

 

「やあ、ここはフランクに『初めまして』、とでも言うべきかな?」

 

 やけに気さくな声。

 

 それが却って、不気味に映る。

 

「・・・・・・ダリウス・・・・・・エインズワース」

 

 ついに姿を現した敵の首魁。

 

 その圧倒的な不気味さを前に、響は怯む事無く刀の切っ先を向けた。

 

 

 

 

 

第18話「闇の底より」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

一方その頃ギルは・・・・・・

 

「おじさん、チャーハンは無いの?」

「餡かけチャーハンなら」

「うわー オチが見えててヤだなー」

 



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第19話「闇色の手」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 異質、だった。

 

 否、そんな簡単な言葉では言い表せないほど、その男の異様さは、この場にあって際立っていた。

 

 伸び放題になったぼさぼさの髪。

 

 落ちくぼんだ闇色の双眸。

 

 痩せ気味で、背の高い体躯。

 

 何より、全身からあふれ出る不気味な雰囲気。

 

 目の前の男から発せられる怖気を伴った様子に、その場にいた全員が戦慄せざるを得なかった。

 

 ついに現れた敵の首魁を前に、響は己の中では否応なく、緊張が高まっていた。

 

「ダリウス・・・・・・エインズワース・・・・・・」

 

 絞り出されるように発せられた、響の言葉。

 

 心の奥底から湧き出す恐怖を、強引にねじ伏せる。

 

 負けられない。

 

 自分が負けたら美遊が、

 

 大切な恋人が奪われる。

 

 そう考えれあ、一歩として退く事は許されなかった。

 

 対してダリウスは響の言葉を聞くと、口元を釣り上げ、二ィッと笑みを浮かべた。

 

「光栄だ・・・・・・ああ、実に光栄だね」

 

 言いながら、響を真っすぐに見据える。

 

 不気味な闇色の視線。

 

 その視線を、幼くも鋭い相貌で響は睨み返す。

 

 ぶつかり合う、両者の視線が場の空気を否応なく張り詰める。

 

「衛宮響君。君のような勇者に名前を覚えてもらえるとは、正に望外の幸運と言えるだろう。叶うなら、この場で踊りだしたい気分だよ」

「・・・・・・・・・・・・」

 

 おどけたようなダリウスの言葉。

 

 だが、響は警戒を解く事無く、敵の首領を睨みつける。

 

 まるで道化のように振舞うダリウスだが、その裏には底知れない不気味さが隠しきれていない。

 

 油断したら、一瞬にして心臓を抉り取られそうな、そんな予感さえあった。

 

 だが、

 

 同時に響は、この場にある勝機を見逃してはいなかった。

 

 今まで一切姿を見せなかったダリウスが、このように堂々と姿を現したのだ。

 

 まさしく千載一遇の好機。うまくいけば、この一戦で聖杯戦争を終わらせることもできるかもしれない。

 

 その為には、

 

 考えながら、チラッと傍らの美遊に目をやる。

 

 ダリウスの狙いが美遊の奪取(エインズワース側の立場から言えば「奪還」)にあるのは、今更考えるまでもない。

 

 今までは部下に任せてきたが、流石に失敗続きで業を煮やし、今度は自ら出張って来た、と言ったところだろうか?

 

 美遊は守る。

 

 その上で、ダリウスは倒す。

 

「ここで、終わらせる。全部」

 

 刀の切っ先を、ダリウスに向けて構える響。

 

 対して、

 

「ほう」

 

 そんな響の姿に、ダリウスは感心したように笑みを浮かべた。

 

「迷いもなく、それを選択するか。流石だね。また、そうでなくては、ここまで勝ち抜いてくる事は不可能だっただろう」

 

 まるで、響の抵抗など歯牙に掛けるにも値しないと言わんばかりに、余裕を見せる。

 

 全身の筋肉を引き絞り、駆ける一瞬を見定める。

 

 次の瞬間、

 

 疾駆する少年。

 

 その双眸は、倒すべき相手を真っ向から射抜く。

 

 一歩、

 

 響は加速を掛けようとした。

 

 次の瞬間、

 

「やらせん」

 

 横合いから低く発せられる声。

 

 振り返る響の視界に飛び込んで来たのは、大剣を構えたシェルドの姿だった。

 

 長大な銀の光が、少年の体を斬り裂かんと風を巻くのが見える。

 

「クッ!?」

 

 足裏でブレーキを掛けながら、突撃をキャンセルする響。

 

 音速の域に入りかけた突撃を強引に止めるのは、それだけで至難である。

 

 全身の筋肉が悲鳴を上げる中、既に響の眼前へと迫っていた。

 

 大剣を振り翳すシェルド。

 

 対抗するように刀を振るう響。

 

 大剣と日本刀。

 

 激突する互いの刃。

 

 次の瞬間、

 

「クッ!?」

 

 押し負けたのは響だった。

 

 突撃キャンセルから、無理な姿勢で迎撃を行ったため、万全な態勢で放たれたシェルドの攻撃を受けきる事が出来なかったのだ。

 

 地面に転がる響。

 

 そこへ、シェルドがさらに追撃を仕掛けてくる。響が体勢を立て直す前に、仕留めるつもりなのだ。

 

 繰り出される大剣の一撃。

 

 刃が、倒れている響へと迫る。

 

 次の瞬間、

 

「んッ!?」

 

 全身体能力を最大に駆使して、倒れた状態から飛び跳ねるように起き上がる響。

 

 間一髪。シェルドの振り下ろした大剣は、響がいた地面を斬り裂くにとどまる。

 

 その間に、響は起き上がって刀を構えなおす。

 

 対して、シェルドもまた、剣を構えて斬りかかって来た。

 

 怯む事無く、前に出る響。

 

 シェルドが振り下ろした大剣を刀で弾き、同時に空いた胴目がけて斬りかかる。

 

 だが、

 

「ッ!?」

 

 舌打ちする響。

 

 刀はシェルドの肉体に弾かれ、1ミリたりとも傷を負わせた様子はない。

 

 やはり、結果はこれまでの対決と同じた。この無敵性を解除するか、あるいはそれを上回る攻撃をぶつけない限り、シェルドを倒す事は出来ない。

 

 対峙する両者。

 

 その響の奮戦を見ていたクロが、振り返って叫ぶ。

 

「ヒビキを援護するわよ!!」

 

 頷く、美遊とバゼット。

 

 シェルドの能力は未知数な部分が多い。響1人では手に余るのは間違いないだろう。

 

 響を援護すべく、飛び出すクロ達。

 

 だが、

 

「おっと」

 

 次の瞬間、

 

 美遊の肩が、背後から掴まれた。

 

「なッ!?」

 

 驚く美遊。

 

 その視界の先では、

 

 ぞっとするような薄暗い笑みを浮かべた、ダリウスの姿があった。

 

「君は、ちょっと待ってもらおうかな。何、時間は取らせないよ。少し、話をするだけだから」

「クッ!?」

 

 とっさに離れようとする美遊。

 

 クロとバゼットも、異変に気付いて振り返る。

 

 まさか、敵の首魁がいつの間にか自分たちの後ろに回り込んでいるとは、夢にも思わなかった。

 

「ミユッ いつの間に!?」

 

 干将莫邪を手に、引き返そうとするクロ。

 

 その視線が、ダリウスを真っ向から睨む。

 

「その手を放しなさい!!」

 

 双剣を振り翳すクロ。

 

 だが、

 

 クロが間合いに斬り込む前に、ダリウスは動いた。

 

 掲げる手。

 

 その手に握られた、1枚のカード。

 

「それはッ!?」

 

 クロが驚いて目を見開いた次の瞬間、

 

三〇一秒の永久氷宮(アプネイック・ビューティ)

 

 低い声でダリウスが呟いた瞬間、

 

 突如、

 

 地面から湧き出すように、巨大な氷の壁が出現した。

 

 氷は一気に成長し、あっという間に視界全てが覆われていく。

 

 周囲360度。天井に至るまで氷に包まれたドーム。その中には、美遊とダリウスだけが閉じ込められる形となってしまった。

 

「クッ!? この程度の氷など!!」

 

 渾身の力で殴りつけるバゼット。

 

 鋼鉄すら紙のようにぶち抜く彼女の拳は、しかし目の前の氷に対し、傷一つ付けることができないでいる。

 

 更に強力に殴りつけるバゼット。

 

 だが、結果は同じ事だった。

 

「どいて、バゼット!!」

 

 緊迫した声に反応して振り返るバゼット。

 

 果たしてそこには、弓を構えたクロの姿があった。

 

 弓には既に、投影された螺旋剣(カラドボルグ)が装填されている。少々手荒だが、壊れた幻想(ブロークン・ファンタズム)で吹き飛ばそうという腹積もりらしい。

 

 飛びのくバゼット。

 

 同時にクロは、矢を放つ。

 

 飛翔する矢。

 

 着弾と同時にさく裂する。

 

 飛散する衝撃。

 

 すぐそばに立っていたバゼットが、防御姿勢で後退しなければならない程の圧倒的な火力。

 

 これならどうだ?

 

 固唾を飲んで見守る中、

 

「・・・・・・・・・・・・駄目か」

 

 舌打ち交じりにクロは呟いた。

 

 壊れた幻想(ブロークン・ファンタズム)の衝撃が晴れた時、そこには傷一つ付いていない氷壁が出現した。

 

「・・・・・・宝具ね」

 

 クロは確信をもって呟いた。

 

「きわめて高ランクの・・・・・・それも、カラドボルグの幻想をもってしても破壊できない、結界型宝具だわ」

 

 宝具にも色々な形がある。

 

 「約束された勝利の剣(エクスカリバー)」や「刺し穿つ死棘の槍(ゲイボルグ)」のように、特定の剣や槍が宝具化したものは最もわかりやすい例だろう。

 

 他にも、その人物の持つ逸話や、あるいは鍛え上げられた技術が昇華され宝具と化すパターンもある。響(と言うより斎藤一)が使う固有結界「翻りし遥かなる誠」はその類である。

 

 クロの壊れた幻想(ブロークンファンタズム)は、そうした宝具の概念そのものを爆弾として使う事で、絶大なる威力を発揮する事ができる。

 

 だが、

 

 その壊れた幻想(ブロークンファンタズム)をもってしても、この結界を破る事は出来なかったのだ。

 

 打つ手は、ほぼ皆無に等しかった。

 

「美遊・・・・・・・・・・・・」

 

 シェルドの攻撃をかわしながら、響はそっと呟く。

 

 今、自分の彼女は、あの氷型の檻に囚われてしまっている。

 

 何とか助けに行きたいところだが、

 

「よそ見とは、余裕だな」

「クッ!?」

 

 振り下ろされた大剣を回避し、響は距離を取りに掛かる。

 

 シェルドは後退しようとする響の心理を読み取り離れようとしない。

 

 囚われた美遊と、襲い来るシェルド。

 

 その2つの要因に挟まれ、響の中でジレンマは募っていくのだった。

 

 

 

 

 

 外では死闘が繰り広げられている頃、

 

 結界の中では、美遊がダリウスと差し向かいで対峙していた。

 

 険しい眼差しでダリウスを睨みつける美遊。手にしたルビーは、真っすぐに敵の首魁へと向けられている。

 

 既に魔力は充填されている。撃とうと思えばいつでも撃てる。

 

 そんな少女に対して、ダリウスは余裕の笑みを崩さずに向かい合っていた。

 

「やれやれ嫌われた物だな。まあ、君の立場からすれば仕方ない事ではあるが」

「お兄ちゃんとイリヤを返して」

 

 有無を言わさない態度で、美遊は告げる。

 

 そんな事をこの男に言っても無駄だと言う事は、いやと言うほどわかっている。

 

 だがそれでも、言わずにはいられなかった。

 

 対して、

 

 案の定、ダリウスはやれやれとばかりに肩を竦めて見せた。

 

「ただ返せと言われてもね君。私も子供の使いじゃないんだよ。そんな我儘が通ると、まさか本気で思っているのかい?」

「クッ」

 

 おどけた調子のダリウスの言葉に、唇を噛む美遊。

 

 判ってはいる。

 

 以前、この男に監禁されていた美遊からすれば、こんな事を言っても無駄な事くらいは。

 

 どうあっても自分は、この男の手のひらの上からは逃れられない。

 

 その事を自覚せざるを得なかった。

 

 と、

 

「まあ、それも君次第だよ」

「・・・・・・・・・・・・どういう意味?」

 

 いきなり態度を変えてきたダリウス。

 

 それに対し、警戒するように、美遊は慎重に尋ねる。

 

 もっとも、この次に出る言葉は、美遊にも予想できるのだが。

 

 フッと笑うダリウス。

 

「言わずとも分かっているだろう、聡明な君なら」

「・・・・・・・・・・・・」

「そろそろバカンスは終わりにして、戻ってきたらどうだい? もう十分楽しんだだろう」

 

 勝手な事を。

 

 その言葉が、美遊の喉から出かかる。

 

 だが、その前にダリウスは続けた。

 

「君が戻ってくれるなら、そうだね。2人の事は考えてあげてもいいよ。君のお兄さんには、もともと何の興味もないし、あっちのイリヤと言う少女は、少々興味があるが、それでも君と引き換えにできる物ではないからね」

 

 予想はしていた事だ。

 

 エインズワースの狙いは、もともと美遊1人。

 

 美遊が戻れば、大半の事は丸く収まるのだ。

 

 一昨日までの美遊なら、間違いなく戻る道を選んでいた事だろう。

 

 だが、

 

『響・・・・・・・・・・・・』

 

 今も結界の外で戦っているであろう、恋人である少年の事を思う。

 

 響が証明してくれた。

 

 どんなに状況が絶望的であっても、決して諦める必要は無いのだと言う事を。

 

 ならば美遊は、彼の想いに応える為にも戦わねばならなかった。

 

「戻る気は、ない」

 

 ルビーを真っすぐに構える美遊。

 

 その幼くも凛とした瞳は、自らの仇敵を真っ向から捉えていた。

 

「・・・・・・・・・・・・ほう?」

 

 そんな美遊に対し、スッと目を細める。

 

 どこか感心したような様子のダリウス。

 

 やや考え込むようなそぶりをした後、もう一度顔を上げた。

 

「これは驚いた。君が私にそこまで反抗するとはね。前はあんなに大人しかったのに。いったい、誰の影響を受けたのかな?」

「・・・・・・・・・・・・」

 

 黙り込む美遊。

 

 そこへ、ダリウスは続ける。

 

「素晴らしい、実に素晴らしいじゃないか。並行世界に単身飛ばされ、奇ッ怪な魔術礼装と契約し、自身が招いたカードの災厄を回収する傍ら、初めての友情を知る」

 

 不気味な目が、じろりと美遊を睨む。

 

「そして今、君はそれに上回る物すら得ようとしている。違うかね?」

「・・・・・・・・・・・・それは」

 

 まるで、こちらの心を見透かしたかのようなダリウスの物言いに対し、美遊はグッと唇を噛み占める。

 

 確かに、自分は響と言う恋人を得た。それは美遊にとっても、大きな事であるのは間違いない。

 

「どうやら、図星のようだね」

「あなたには関係ない事ッ」

 

 これ以上、戯言のつき合う気は無い。

 

 その意思を込めて、魔力弾を放とうとした美遊。

 

 だが、

 

「いやいや、関係ないと言う事は無いだろう?」

 

 そう言うと、ダリウスは、芝居がかった大仰な仕草で応じた。

 

「君がした事はまさに、偶然と、必然と、運命が世界線を越えて紡いだ王道の物語(マイソロジー)じゃないか!! それこそが私の、そしてエインズワースの望む最上のストーリーに他ならない!!」

 

 狂気が掛かったダリウスの言葉に、息を呑む美遊。

 

 やはりこの男は危険だ。

 

 何としても、ここで倒さないと。

 

 美遊はそう思って攻撃を開始しようとした。

 

 次の瞬間、

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 突如、強烈な轟音と共に、氷の牢獄が崩れ去った。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「なッ!?」

 

 驚く美遊。

 

 彼女が見ている前で、ダリウスの張り巡らせた三〇一秒の永久氷宮(アプネイック・ビューティ)が音を立てて崩れていく。

 

 開ける視界。

 

 外界の光景が、氷の隙間から見えてくる。

 

 その中で、

 

 両手を前に突き出して構えた田中の姿があった。

 

「・・・・・・・・・・・・田中さん?」

 

 茫然と呟く美遊。

 

 美遊は見ていなかったが、これより少し前、どこからともなく現れた田中が、手から謎の閃光を放って、氷の結界を粉砕して見せたのだ

 

 クロの壊れた幻想(ブロークン・ファンタズム)ですら傷一つ付けられなかった代物を、田中はいとも簡単に粉砕した田中。

 

 驚くな、と言う方が難しいだろう。

 

「カウンターフェイター・・・・・・・・・・・・」

 

 虚ろな目で、呟きを漏らす田中。

 

 見れば、ダリウスも動きを止めて佇んでいる。

 

 この敵の首魁ですら、あまりの事態に一時的に思考を停止してしまっている。

 

「・・・・・・ああ、そうだ」

 

 ややあって、ダリウスは何かを納得したように呟いた。

 

「忘れていたよ。君と言う異分子がいたことをね」

 

 その瞬間を逃さず、動く影があった。

 

 クロとバゼット。

 

 2人はほぼ同時に、左右から挟み込むようにダリウスに襲い掛かる。

 

 バゼットは拳を掲げ、クロは投影した干将莫邪を振り翳す。

 

 同時に振るわれる攻撃。

 

 だが次の瞬間、

 

 衝撃と共に、2人の攻撃は弾かれた。

 

「なッ!?」

「弾いた!?」

 

 驚くクロとバゼット。

 

 そこへ、

 

 響が仕掛ける。

 

 刀の切っ先をダリウスに向け、流星の如く斬りかかる響。

 

 その切っ先がダリウスを捉えようとしたした。

 

 次の瞬間、

 

「んッ!?」

 

 思わず目を見開く響。

 

 何と、響の剣の切っ先は、ダリウスが掲げた手のひらによって真っ向から受け止められていたのだ。

 

 いったい、如何なる事をすれば、このようになるのか。ダリウスの手のひらは1ミリたりとも傷付いていない。

 

 唇を噛み占める響。

 

 シェルドのような無敵性とも違う。

 

 まったくもって異質としか言いようがない力で、ダリウスは響の攻撃を受け止めていた。

 

 舌打ちしつつ、その場から飛びのく響。

 

 だが、警戒は解かず、切っ先はダリウスへとむけ続けていた。

 

 そこへクロ、バゼット、美遊も加わり、3方向からダリウスを包囲する。

 

 皆、それぞれの武器を手に、ダリウスを睨みつける。

 

 きっかけさえあれば、すぐにでも斬りかかる態勢だ。

 

 そんな一同の様子を見て、ダリウスは嘆息交じりに肩を竦めた。

 

「やれやれ、これじゃあまともに話もできないじゃないか」

 

 言いながら、

 

 ダリウスの手には、新たに1枚のカードが握られる。

 

「ちょっと、外野には黙ってもらおうかな」

 

 言った瞬間、

 

 カードが放られる。

 

黒玉宮に顔は無し(オーソリテリアン・パーソナリズム)

 

 次の瞬間、

 

 突如、

 

 立っていた響達は、一斉に地面に倒れ込んだ。

 

「なッ!?」

 

 響が、

 

 クロが、

 

 バゼットが、

 

 離れた場所にいた田中まで、

 

 全員が、地に伏していた。

 

 起き上がろうと体に力を入れても、地面にピッタリと張り付いて、身動きが取れない。

 

 金縛りでも、重力操作魔術でもない。

 

 恐らく特定の人間を「地面に伏せさせる」と言う概念を、この場に成立させる宝具なのだ。

 

 その証拠にダリウス、凛とルヴィア、シェルド、そして美遊は、何事も無いかのようにその場に立っていた。

 

「みんなッ!?」

 

 慌てて駆け寄ろうとする美遊。

 

 だが、

 

 その鼻先に、銀色の刃が突きつけられた。

 

「ッ!?」

「どうか、お静かに、美遊様。我が主の言葉をお待ちください」

 

 シェルドはそう告げると、静かに剣を引いた。

 

 唇を噛み締める美遊。

 

 今、ここで動ける味方は彼女のみ。どうあっても、勝ち目はなかった。

 

 対して、ダリウスは勝利を確定した口調で口を開いた。

 

「さて、これでようやく、落ち着いて話ができる訳だ」

 

 言いながら、ダリウスはゆっくりとした足取りで歩き始める。

 

 その向かう先には、

 

 地に倒れ伏した響の姿があった。

 

「察するに、君のお相手は、この少年かな?」

「ッ!?」

 

 息を呑む美遊。

 

 その様子に、ダリウスは薄笑いを浮かべる。

 

「どうやら、図星のようだね」

 

 確信をもって告げると同時に、ダリウスの手には一振りのナイフが出現した。

 

「待っ」

「おっと、動いちゃだめだよ」

 

 ナイフの切っ先が、倒れている響の首筋に突き付けられた。

 

「動くと、この少年の命は無い」

「クッ」

 

 動きを止める美遊。

 

 響を、

 

 大切な恋人を人質に取られている。その事実に、美遊は歯噛みするしかない。

 

「さて、どうしようかな」

 

 対して、既に勝利を確信したダリウスは、手のひらでナイフを弄びながら言った。

 

「君が尚も駄々をこねるようなら、仕方がない。代わりに、この少年の命をもらっていくとしようかな」

「やめてッ」

 

 思わず前に出そうになる美遊。

 

 その時、

 

 顔を上げた響と目が合った。

 

 ダメ・・・・・・美遊・・・・・・

 

 少年の目が必死に訴えかけて来ている。

 

「響・・・・・・・・・・・・」

 

 ここで逆らえば、響の命は無い。

 

 だが、しかし・・・・・・・・・・・・

 

「・・・・・・・・・・・・」

 

 顔を上げる美遊。

 

 その目は、

 

 まっすぐにダリウスを睨みつけた。

 

「判った、エインズワース(あなたたちのもと)に戻る」

 

 そう言うと、美遊は変身を解除する。

 

《み、美遊さん・・・・・・》

 

 慌てたように声を掛けるルビー。

 

 だが、美遊はそっと、彼女を押しのける。

 

 武装解除。

 

 すなわち、降伏の意思に他ならなかった。

 

「良い子だ」

 

 ニヤリと笑うダリウス。

 

 と、

 

「み、美遊・・・・・・・・・・・・」

 

 ダリウスの足元から、か細い声が聞こえてくる。

 

 何で?

 

 どうして?

 

 響の瞳は、そんな事を訴えかけて来ている。

 

 そんな響に対して、

 

 美遊は、ニッコリと笑って見せた。

 

 自分の身を心配してくれる幼い彼氏を安心させるように、

 

 美遊は優しく笑いかける。

 

 その笑顔に、響は何も言う事ができなくなる。

 

 やがて、美遊を両側から挟むようにした立ったダリウスとシェルドが、踵を返して歩き出す。

 

 それに付き従う、凛とルヴィア。

 

 美遊は一瞬だけ名残を惜しむように響に目を向け、

 

 そして未練を断ち切るように、背を向けるのだった。

 

 

 

 

 

第19話「闇色の手」      終わり

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 一連の様子を見ていた存在が、闇の中でほくそ笑む。

 

 悪くない。

 

 状況としては悪くない。

 

 事態は、彼が望んだとおりの流れを示している。

 

「さて・・・・・・果たして勝つのはエインズワースか、それとも彼等か」

 

 闇の中で、くぐもった笑みが響き渡るのだった。

 

 



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第20話「飛び立つ時」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「いや~ 参ったよ、ほんとに」

 

 一同に重苦しい空気が垂れこめる中、

 

 軽い調子で「あははー」と笑っているのは、英雄王ギルガメッシュ事、ギル君だった。

 

 突然のエインズワースの奇襲。

 

 敵首魁の登場。

 

 圧倒的なまでの敗北。

 

 そして、美遊の投降。

 

 一同にとってあまりにも衝撃的な事が一度に起きる中、この少年は暢気に昼飯を食いに行っていたというのだから呆れかえる。

 

「本人はあれで捻っているつもりなんだろうけど、まさか本当にチャーハンに麻婆が乗って出てきた時には笑っちゃったよ」

 

 能天気に昼飯の解説をするギルに、冷ややかな目を向ける一同。

 

 だが、そんな事はお構いなしにギルは続ける。

 

「次は餃子を頼んでみようと思うんだけど、中身が何か賭けてみない?」

「読みなさい、空気!!」

 

 ドKYを発揮するギルに、とうとうクロがツッコミを入れる。

 

 流石に、状況的に無神経すぎたようだ。

 

 とは言え、

 

 ギル自身、その事は自覚していたらしい。おちゃらけた態度は、彼なりの盛り上げ方だったのかもしれない。

 

 見事に失敗していたが。

 

「読みたくない空気が垂れ流されていたからね」

 

 そう言って肩を竦めた時、既にギルの眼差しには真剣な光がともっていた。

 

 どうやら彼自身、尋常ならざる事態が起こっていたであろうことは感じていたようだ。

 

「何があったんだい?」

 

 尋ねるギルに、事情を語り始めた。

 

 話を進めるうちに、流石のギルも驚いたのか、目を細めて嘆息した。

 

「・・・・・・いきなり大ボスの登場とはね。そんな事したら、それこそ物語が破綻しかねないだろうに」

「物語?」

 

 余り状況に似つかわしくない言葉を聞き、クロは首をかしげる。

 

 対して、ギルも肩を竦めて続けた。

 

「どうにも意味は判らないんだけど、エインズワースは『物語』とか『台本』にこだわっていて、そこから逸脱するのをひどく嫌うんだ」

「何それ、舞台でもやってるつもり?」

 

 不快そうに呟くクロ。

 

 何やら、自分たちまでエインズワースの手の中で踊らされているかのような物言いは癪だった。

 

「けど、その『台本』を一時的に破綻させてまで美遊ちゃんを取り戻しに来た辺り、エインズワース(向こう)も相当、焦り始めているみたいだね」

 

 確かに、一理ある話ではある。

 

 ダリウスが自ら称した通り、彼を「大ボス」と規定するならば、ダリウス自身の登場はもっと先になったはず。

 

 となるとギルが言ったように、エインズワースが焦りを見せ始めているのは、あながち間違いではないのかもしれない。

 

 言ってから、ギルは付け加える。

 

「わざわざ人の物を使ってまで、って話だから猶更だろうね」

「人の物って何よ?」

 

 首をかしげるクロに、ギルは肩を竦めて説明する。

 

「『ハデスの守り兜』さ。あれを使えば姿が消える上、結界もすり抜けられるからね。前回城に潜入した時に、美遊ちゃん達が落としてそのまま置いてきちゃったんだけど、どうやら、敵はそれを拾って使ったんだと思う」

 

 「ハデスの守り兜」とは、先のエインズワース城潜入の際に使った「身隠しの布」の事である。あの時は4人同時に潜入する為に布状にして使用したが、本来は頭にかぶって使う対人宝具である。

 

 成程、あの布を使って、バゼットの結界をすり抜けたのだとしたら、奇襲を許した事への説明もつくと言う物だった。

 

 まあ、今更分かったところで、完全に「後の祭り」なのだが。

 

「それより・・・・・・」

 

 バゼットは、話を建設的な方向に向けるべく、話題を変えてきた。

 

 悔やんでいても仕方がない。それよりも、今後の対策こそが重要だった。

 

「不可解なのはダリウスの異様な・・・・・・不可解なまでの強さです。三〇一秒の永久氷宮(アプレイック・ビューティ)や、黒玉皇に顔は無し(オーソリテリアン・パーソナリズム)と言う、正体不明の宝具に加え、こちらの攻撃を素手で弾くほどの実力。不気味としか言いようがありません」

 

 確かに。

 

 ダリウスはエインズワースの首魁と言うだけあって、圧倒的なまでの戦闘力と存在感だった。

 

 更に、

 

 彼の使う宝具もまた、強力だった。

 

 カラドボルグでも撃ち抜けない強力な氷結界である三〇一秒の永久氷宮(アプレイック・ビューティ)に、こちらの概念ごと地に叩き伏せる黒玉皇に顔は無し(オーソリテリアン・パーソナリズム)

 

 響、クロ、バゼットが3人で掛かっても傷一つ付けられなかったことからも、その存在が異様である事がうかがえる。

 

 だが、

 

 説明を聞いて、ギルは怪訝な面持ちになった。

 

三〇一秒の永久氷宮(アプレイック・ビューティ)? 黒玉皇に顔は無し(オーソリテリアン・パーソナリズム)? 何それ? そんな宝具、僕は知らないんだけど?」

「そりゃ、あんただって知らない宝具くらいあるでしょ」

 

 ギルの言葉を聞いて、呆れたように肩を竦めたのはクロだった。

 

 世に星の数ほど英霊がおり、1人1人に由来する宝具があるのだ。中にはギルが知らない宝具があっても不思議ではないと思う。

 

 だが、

 

「木っ端な宝具ならね」

 

 さもありなんと、ギルは肩を竦める。

 

「けど、僕は殆ど全ての宝具の原点を持っている。黄金の都にある宝物庫にね。あらゆる宝具は原点から流れてなった物なんだ。自慢じゃないけど、現代に伝わるほど名のある宝具は全て、元を正せば僕の物なんだよ」

 

 「世界最古の英雄王」の異名は伊達ではない、と言う事だろう。

 

 ギルの宝具である「王の財宝(ゲート・オブ・バビロン)」は、そうした宝具で溢れているのだ。

 

「その僕が『知らない』と言っている。それが本当に宝具なら、いったいどこの出典なんだい?」

「こっちが聞きたいわよ・・・・・・それを打ち破った、田中の事も含めてね」

 

 クロは言いながら、ベッドの方へと目を向けた。

 

 保健室のベッドの上には今、田中が幸せそうな顔で寝息を立てていた。

 

 謎の力でダリウスの宝具を打ち破った田中は、その直後に倒れて、そのまま寝入ってしまった。

 

 呼吸は安定しているので命に別状等は無いと思われるが、状況が状況だけに心配でもある。

 

 ところで、

 

「ねえ、この部屋熱くない? ストーブ強すぎだよ」

 

 抗議するように言いながら、ギルは胸元をパタパタとはたく。

 

 確かに、ただ話をしているだけで、ムッとするような熱気を感じるほど、室内の温度は高くなっていた。

 

 いくら冬でも、これは無いだろう、とギルは思うのだが。

 

「・・・・・・ストーブは、点けてないわ」

 

 嘆息交じりに言いながら、クロは再び田中の方へ目をやった。

 

「熱いのは、田中の身体よ。まるで焼けた石のようだわ」

 

 クロの言うとおりだった。

 

 戦いが終わって倒れた田中をこの保健室まで運んだのだが、直後から田中の体温は急激に上昇していった。

 

 今では迂闊に障る事も出来ないくらいである。

 

 なぜ、このような事になっているのか?

 

 何にしても、田中について、また一つ謎が増えた形だった。

 

「ところで、さっきから気になってたんだけど・・・・・・・・・・・・」

 

 ギルは周囲を見回しながら言った。

 

 今更ながら、ある事に気が付いたのだ。

 

「響はどうしたの? さっきから姿が見えないんだけど」

 

 言われて、バゼットとクロも周囲を見回す。

 

 しかし、少年の姿はどこにもない。

 

「おかしいですね。さっきまでは確かにいたはずなのですが」

 

 そう言って首をかしげるバゼット。

 

 いったい、響はどこに行ったのか?

 

 そこで、

 

「・・・・・・・・・・・・ちょっと待って」

 

 更に、クロは気付いた。

 

 本来、この場にいるはずの者がもう1人、姿が見えない事に。

 

 そこから導かれる答え。

 

 何しろ彼、

 

 否、2人そろって立派な「前科」がある訳で・・・・・・

 

「まさかッ!?」

 

 驚愕と共に、クロは叫んだ。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 部屋の外から見える景色は温かく、どこか春の陽気を感じさせる。

 

 ここが、敵地だと言う事を忘れてしまいそうになるほど、平和な光景だった。

 

 しかし、

 

「それでも・・・・・・・・・・・・」

 

 ガラスに手をやりながら、イリヤは嘆息する。

 

 いかに平和そうに見えていても、ここが敵地であり、自分は籠の鳥である事を自覚せざるを得なかった。

 

 ここに閉じ込められて既に何日が経過した事か。

 

 ある程度の自由は認められているとはいえ、敵に捕らわれてるという事実に変わりはない。

 

 イリヤの精神は、日に日に削り取られて行っているのだ。

 

 更に、それだけではない。

 

「・・・・・・結局、何も見つけられなかった」

 

 ベッドの上に体育座りしながら、ここ数日の徒労を思い、イリヤは深々とため息をつく。

 

 城の中をさ迷う事数日。行ける範囲であらゆる場所を調べつくしたが結局、脱出に繋がるような物は、何一つとして見つける事が出来なかった。

 

 エインズワース側もバカではない。わざわざ監禁している人物を、自由に野放しにしておいたりはしないだろう。重要な部分に関しては、イリヤが触れられないように隔離してあるのだ。

 

「何だか、これじゃあ本当に私が馬鹿みたいだよ」

 

 もう一度、ため息を吐く。

 

 打つ手が完全になくなって来たイリヤ。このままでは本格的に、誰かが助けに来てくれるのを待つしかない事になりかねない。

 

 いや、そもそも、

 

「ひょっとして・・・・・・・・・・・・」

 

 イリヤは、今まで努めて考えないようにしていた可能性が脳裏をよぎった。

 

 すなわち、このまま誰も助けに来ず、この城で一生幽閉されたまま過ごす、という未来。

 

 そんな事になったら、本当に絶望的である。

 

「うう~ 美遊・・・・・・クロ・・・・・・ヒビキ・・・・・・」

 

 悲し気な声が漏れ出た。

 

 もう、ここから出られないのか?

 

 みんなにはもう、会えないのか?

 

 膝の間に顔をうずめるイリヤ。

 

 思考がどんどん、ネガティブな方向に落ちていくのを止められない。

 

 もう、だめかもしれない。

 

 そう思った。

 

 その時、

 

 ガタガタッ ガタガタッ

 

「え?」

 

 突然の物音に、顔を上げるイリヤ。

 

 音は尚も続き、さらに大きくなっていく。

 

「な、何ッ!?」

 

 いったい、何が起こっているのか?

 

 まさか、いよいよエインズワースが自分の命を狙ってやってきたのだろうか?

 

 そんな事を考えながら、そっと音の出所を探る。

 

「・・・・・・・・・・・・上?」

 

 そう呟いて天井を見上げた。

 

 次の瞬間、

 

 突如、天井方向から飛んできた何かが、イリヤの眼前に飛び込んで来た。

 

「んなッ!?」

 

 驚くイリヤ。

 

 そのまま避ける間もなく、飛んできた何かに顔面を直撃され、ベッドのにひっくり返っってしまった。

 

「~~~~~~~~~~~~ッッッ!?」

 

 あまりと言えば、あまりな事態。

 

 しばし、鼻っ面を押さえて悶絶するイリヤ。

 

「うう~ 何なの~?」

 

 ようやく落ち着いたところで、顔を上げるイリヤ。

 

 いったい、何が起きたというのか?

 

 と、

 

《まさか、このような場所に出てしまうとは。いったい、この城の構造はどうなっているのでしょう・・・・・・》

 

 不意に聞こえてくる声。

 

 懐かしさすら感じるその声に、視線を向けるイリヤ。

 

 果たしてそこには、

 

 見覚えのある六芒星が、フヨフヨと空中に浮かんでいるのが見えた。

 

「《・・・・・・あ》」

 

 2人同時に声を上げる。

 

 次の瞬間、

 

「サ、サファイア!?」

《イリヤ様!?》

 

 ルビーの妹であり、親友の相方でもある魔法のステッキが、視界の中でフヨフヨと浮かんでいた。

 

 その姿に、

 

「ッ ・・・・・・・・・・・・」

 

 思わずイリヤは、落涙を禁じえなかった。

 

 異世界に飛ばされ、敵の手に落ち、監禁される毎日。

 

 日々、脱出を目指す中で徒労を繰り返し、疲弊しつくしたイリヤ。

 

 そんな中で、サファイアは初めてイリヤの前に現れた「味方」だった。

 

《ああ、イリヤ様、泣かないでください。私が来たからには、もう大丈夫ですから》

 

 泣き崩れるイリヤに、サファイアはオロオロとした調子でなだめる。

 

 その魔術礼装の声に、イリヤは久しく味わっていなかった温もりを覚えるのだった。

 

 

 

 

 

 その後、

 

 どうにか落ち着きを取り戻したイリヤは、ようやくサファイアから事情を聞く事が出来た。

 

 それによるとサファイアは、この世界に来た当初に美遊とはぐれてしまい、暫くは凛やルヴィアと行動を共にしていたらしい。

 

 しかしエインズワース側の襲撃を受け、凛とルヴィアが捕まってしまった後、それに密かに便乗して城の中に潜入を果たしたのだという。

 

 しかし、潜入したまでは良かったものの、敵が敷いた迷宮区に迷い込んでしまい、そのまま出られなくなってしまったらしい。

 

 ここ数日は、迷宮区からの脱出に費やされていたらしい。

 

「いやー まさかこんな所でサファイアと再会できるとは思っていなかったよ」

《それは私も同じです。敵の会話から、この塔に誰かが囚われているのは知っていましたが、それがまさかイリヤ様だったとは》

 

 ささやかながら、再会を喜び合う2人。

 

 まさにお互い、地獄に仏と言ったところだろうか。

 

 ともかく、ここで合流できたのは本当に僥倖だった。

 

「それで、凛さんとルヴィアさんはどうしたのか判る?」

 

 気になる所はそこだった。

 

 凛やルヴィアが捕まっているなら、どうにかして合流して救出したい所だった。

 

 しかし、返って来たサファイアの答えは、言うまでもなく芳しい物ではなかった。

 

《残念ながら》

 

 サファイアは嘆息交じりに告げた。

 

 2人が敵に捕らわれ、今はまるで操り人形のようにされている事。

 

 そして、エインズワース側にメイドとしてこき使われている事などを説明した。

 

《しかし、全くと言って良いほど用を成しておらず、その有様はあまりにも無様で情けなく見るに忍びないほど。まさしく『役立たず』としか言いようがありませんでした》

「そ、そうなんだ」

 

 凛とルヴィアをぼろくそに言うサファイアに、イリヤは乾いた笑いを返すしかない。

 

 丁寧な物腰でも、ここら辺はやっぱり「ルビーの妹」だろう。口調が丁寧な分、より辛らつに聞こえる。

 

 その時だった。

 

 階下で扉が開く音が聞こえ、同時に石造りの階段を上がってくる音が聞こえてきた。

 

 その足音から、イリヤは誰が来たか悟る。

 

「やばッ アンジェリカさんだ!?」

 

 この城でイリヤの世話係を務めているアンジェリカは、日に何度か食事を運ぶためにやってくる。

 

 どうやら、話し込んでいる内に、昼食の時間が近づいていたらしかった。

 

「ま、まずいよ、サファイア、いったんどこかに隠れて!!」

 

 そう言いながら、周囲を見回すイリヤ。

 

 サファイアは小さい。その気になれば、どこにでも隠れる事ができるだろう。

 

 だが、

 

《いいえ、イリヤ様》

 

 きっぱりとした口調で告げるとサファイアは、柄の部分を展開しステッキモードになる。

 

「サファイア、何を?」

《私を手に取ってくださいイリヤ様。このまま脱出しましょう》

 

 その言葉に、イリヤはハッとする。

 

 今、自分が置かれている現状。

 

 今までは確かに、脱出手段は無かった。

 

 だが今は?

 

 今ならば、サファイアがいる。戦う手段がある。

 

 脱出する事も、不可能ではない。

 

《私もイリヤさんも、1人では戦えません。しかし、2人なら》

「・・・・・・・・・・・・うん」

 

 促されるまま、手を伸ばすイリヤ。

 

 その手が、サファイアの柄をはっきりと掴んだ。

 

 次の瞬間、

 

 眩い光が、少女の姿を包み込んだ。

 

 あふれ出る輝き。

 

 懐かしさすら感じるぬくもり。

 

 その中で、イリヤの姿は変化していく。

 

 エインズワースから渡されたドレス衣装から、可憐な魔法少女姿へと。

 

 青く裾の長い、ピッタリとしたレオタードに、白いミニスカート。お腹の部分は大胆に開き、可愛らしいおへそが露出している。

 

 蝶の髪留めが長い髪をポニーテールに纏め、背中には白いマントが覆う。

 

 まさに、可憐な妖精と言った感じの姿。

 

 全体的に露出は高めだが、魔法少女(カレイド・サファイア)姿の美遊の特徴が、そのまま受け継がれている。

 

「ありがとう、サファイア」

 

 イリヤは自身の手の中にあるステッキに語り掛ける。

 

「おかげで、私も戦える」

《お礼を言うのはこちらの方です、イリヤ様。私も1人では、どうしようもありませんでしたから》

 

 少女とステッキが揃ってこその魔法少女。

 

 囚われの身に過ぎなかった少女は今、ようやく戦う力を持つに至った。

 

《それからイリヤ様、これを》

「え、これって・・・・・・・・・・・・」

 

 サファイアが差し出した物を、受け取るイリヤ。

 

 それはイリヤにとっても、見慣れた代物。

 

 だが、同時に初めて見るタイプの物でもあった。

 

《城の中をさ迷っている時に見つけ、何かの役に立つと思い拾っておきました。どうぞ、お役立てください》

「うん、わかった、ありがとう」

 

 イリヤが頷いた時だった。

 

「イリヤスフィール様、どうかされましたか? 先程の光はいったい・・・・・・・・・・・・」

 

 階段を上がって来たアンジェリカと、視線が合った。

 

 同時に、女性の目が見開かれる。

 

「その姿はッ!?」

 

 対して、

 

「ごめんなさい、アンジェリカさん」

 

 イリヤも、真っすぐに見据えて言った。

 

「あなた達にも、何か事情があるんだろうけど、私も譲る訳にはいかないから」

 

 そう言い放つと、手にしたサファイアを振り翳した。

 

 

 

 

 

第20話「飛び立つ時」      終わり

 



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番外編2「そして、ふりだしに戻る」

ちょっとした息抜き的な話を書きたかったので。


 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 それは、ある日の昼下がりの事だった。

 

 夏休みに入り、ますます日差しが強くなり始めている。

 

 日差しと気温と気だるさの連合軍に侵略され、道行く人々は皆、自然と足が重くなっている。

 

 だが、

 

 そんな事などお構いなしの集団がいる。

 

 元気溌剌な小学生にとって、この程度の日差しなど「熱めのシャワー」でしかない。

 

「あと、どれくらい?」

「ええと、お兄ちゃんに頼まれたお茶と、リズお姉ちゃんに頼まれたお菓子とジュース、それにセラからは・・・・・・」

 

 尋ねる弟に、姉は指折り数えながら買い物リストを確認していた。

 

 衛宮響とイリヤスフィール・フォン・アインツベルンの姉弟は、暑い日差しをそれぞれ帽子で遮りながら、マウント深山商店街を目指して歩いていた。

 

 その傍らには、やれやれと言った足取りで追随してくるもう1人の姉弟、クロエ・フォン・アインツベルンの姿もある。

 

 いかにもやる気が感じられない態度のクロ。

 

 「お使い」なんぞ柄ではないが、弟妹2人が揃って出かけるのに、自分だけハブられるのは、それはそれでいやだからついて来た。と言ったところではなかろうか?

 

 そして、もう1人。

 

「ごめんね、美遊にまで付き合って貰っちゃって」

「別に良い。今日の分の仕事は終わっていたから、ルヴィアさんにも許可をもらったし」

 

 美遊・エーデルフェルトは、そう言って微笑む。

 

 本来なら衛宮家の買い物につき合う必要のない彼女だが、この後、外に出たついでに、どこかで遊んで帰ろうと計画した一同は、親友である美遊にも声を掛けたのである。

 

「まったく、イリヤもヒビキも真面目よね」

 

 クロは姉弟たちを見ながら、ぼやくように呟く。

 

「買い物なんて適当に終わらせて、後は遊びに行けばいいじゃん」

「ダメだよクロ。せっかくセラ達に頼まれたんだから」

 

 頬を膨らませて抗議するイリヤ。

 

 実際の話、メイド2人と、そのメイドたちに能力的に劣らないスーパー家政夫(兄)がいる衛宮家では、子供たちが主体となって家事をする事は少ない。

 

 だが今回は、いささか事情が異なった。

 

 数日後に、家族総出で旅行に行くことを計画している衛宮家では今、家事の消化で大わらわになっていた。

 

 大掃除さながらの清掃と、ある程度の日用雑貨品の買い置き、帰って来た時に備えて保存のきく食料の備蓄、等々。

 

 家庭内がそんな感じな為、メイド姉妹と士郎だけでは手が足りず、こうして小学生組も家事手伝いに駆り出されていた次第である。

 

「楽しみだよねー 温泉。去年以来だったっけ?」

「ん、確か」

 

 イリヤに言葉に、頷きを返す響。

 

 先年も、衛宮家では家族旅行として温泉に出かけている。今回はクロも一緒と言う事で、また去年と同じ宿に行く予定だった。

 

「去年は、あんまり楽しめなかった」

「あー それは、ねー」

 

 響の呟きに、イリヤは苦笑しながら頬を掻く。

 

 去年の旅行の時、響はまだ衛宮家の空気に完全には慣れておらず、本人もイリヤ達も、互いにどう接すれば良いか分からないせいで、終始、微妙な空気のまま旅行は終わってしまった。

 

 あれから1年が経ち、響もだいぶ家族になじんできている。今年こそはもっと楽しんで旅行をしたい、という思いがあった。

 

「今年は、楽しもうね」

「ん」

 

 イリヤの言葉に頷きを返す響。

 

 と、そこでクロが、何かを思いついたように口を開いた。

 

「そうだ、どうせなら、ミユも一緒に行かない?」

「私も?」

 

 突然話を振られた黒髪の少女は、キョトンとした顔をする。

 

 そこへ、畳みかけるようにクロは言った。

 

「そうしようよ、絶対その方が楽しいでしょ」

「で、でも・・・・・・・・・・・・」

 

 言い淀む美遊。

 

 いきなりそんな事を言われたら、戸惑うのも無理ない話であろう。

 

 なぜ、クロがいきなりそんな事を言ったのか?

 

 その根底には、響の存在があった。

 

 チラッと響を見やるクロ。

 

 響が密かに、美遊に想いを寄せている事をクロは知っている。

 

 もっとも、美遊は勿論、とうの響本人ですら、その事を自覚していない可能性が高い。

 

 はっきり言って、傍で見ているとじれったいくらいである。

 

 何とかしてやりたい。

 

 可愛い弟の為に、一肌脱いでやりたい。

 

 そんな想いが、クロを突き動かしたのだ。

 

 と、

 

 言うのは100パーセント、完全無欠、混じりっ気なしに「建前」に過ぎない。

 

 本音は、「ヒビキとミユを同じ空間に放り込めば、何か面白イベントが起きるかもしれない」と言う、お祭り根性の発露に他ならなかった。

 

 まったく、当の本人たちからすれば有難迷惑以外の何物でもない話である。

 

 の、だが、

 

 幸か不幸か、そのクロの思惑がのちに実際に的中してしまうから恐ろしい話である。(詳しくは2wei!編29話参照)

 

 まあ、それはまだ後の話である。

 

 今はさっさとお使いを終えて遊びに行きたい、というのが最優先事項だった。

 

 と、その時だった。

 

「ん」

「どうかしたの、ヒビキ?」

 

 突然足を止めた弟を、イリヤはいぶかる様に首をかしげながら振り返る。

 

 その響はと言えば、首を横に向けて別の方向を向いていた。

 

「・・・・・・雀花?」

「え?」

 

 釣られて、イリヤ、美遊、クロも振り返る。

 

 すると、

 

 視界の先、人込みの陰から、見覚えのある少女の姿が垣間見えた。

 

 やや背の高い、眼鏡を掛けた少女。

 

 間違いなく、クラスメイトの栗原雀花だった。

 

「ほんとだ、雀花、こんな所で何してるんだろう?」

「それに、何だか焦ってるみたいよ」

 

 イリヤとクロは言いながら、首をかしげる。

 

 確かに、雀花は焦ったように、忙しなく周囲を見回している。

 

 やがて、雀花もこちらに気付いたのだろう。手を振りながら近づいてくるのが見えた。

 

「よ、良かった、お前らもこっちに来てたんだなッ」

「どした、雀花?」

 

 息を切らし気味の雀花に、響が首をかしげながら尋ねる。

 

 いったい彼女は、何をそんなに焦っているのだろうか?

 

 やがて、息を整えて落ち着いた雀花が顔を上げる。

 

「頼むッ 助けてくれ!!」

 

 いったい、何事なのか?

 

 訝る一同に、雀花は更に続けた。

 

「このままじゃ龍子が、犯罪者になってしまう!!」

「「「「・・・・・・・・・・・・は?」」」」

 

 はっきり言って、ますます意味不明な事態になったのは間違いなかった。

 

 

 

 

 

 そこにあったのは、凄惨な光景だった。

 

 思わず、目をそむけたくなるような悲惨な状況。

 

 見れば誰もが、あまりにも無残さに思わず絶句する事だろう。

 

 それ程までの悲劇が、そこには存在していた。

 

 一同が悲痛な視線を向ける先。

 

 そこには、

 

 腹をパンパンに膨らませた嶽間沢龍子が、青い顔をしてひっくり返っていた。

 

「・・・・・・・・・・・・」

「・・・・・・・・・・・・」

「・・・・・・・・・・・・」

「何でこーなった?」

 

 完全に気を失っている龍子。

 

 その口元からは白い物体がはみ出ており、時折うわごとのように「に・・・・・・にくまん」などと呟いていた。

 

 ここは商店街の一角にある肉まん屋。ちょうど昼過ぎと言う事もあり、今こうしている間にも、食欲をそそられる匂いが店内から漂ってくる。

 

 龍子は、そのカウンター席でひっくり返っていた。

 

 完全に白けた調子で龍子を見る一同。

 

 対して雀花は、嘆息交じりに壁の張り紙を指差す。

 

「あれだよ?」

 

 促されるまま、視線を向ける一同。

 

 雀花が指差した張り紙には「超ジャンボ肉まん。10分以内に完食できれば何とタダ!! ただし完食できなければ、罰金1万円いただきます」などと言ううたい文句が書かれていた。

 

 どうやら、龍子の口元からこぼれ出ているのは肉まんの生地らしい。

 

「え、タツコ、これやったの!?」

「ああ、『俺にはできる筈だ』とか言ってさ」

 

 呆れ気味に呟く雀花。

 

 龍子は仲間内では、最も体格が小さい。

 

 そこに来て、ここの肉まんは直径で30センチ以上あり、子供なら一抱えはありそうな大きさである。

 

 ぶっちゃけ、大人でも完食が難しい代物である。

 

 どこぞの世界の、どこぞのハラペコ騎士王ならともかく、少なくとも龍子に完食できる物でない事だけは確かだった。

 

「どうして止めなかったの、雀花も一緒にいたんでしょ!?」

「仕方ないだろッ 止めようとした時には、もう龍子はガブっと行っちゃってたんだよ!!」

 

 言い募るイリヤに、雀花は抗弁する。

 

 普段なら、暴走する龍子を割と無理やり(手荒に)止めるのが、彼女や森山那奈亀の役割なのだが、どうやら今回はそれも間に合わなかったらしい。

 

「どうすんのよ? 1万円なんて、わたし達じゃ用意できないよ」

 

 途方に暮れるイリヤ。

 

 既にお使いの買い物もあらかた済ませており、財布の中身には1000円ちょっとしか残っていない。

 

 そもそも友達の為とは言え、こんな阿呆な事にお金を使いたくなかった。

 

「それで、何すれば?」

 

 事情は分かったが、イマイチ自分たちが引っ張って来られた意味が分からない響は、そう言って首をかしげる。雀花とて、響達には金の用意ができない事くらい承知しているだろう。となると、何か別の対策があると見た。

 

 そこで、雀花は申し訳なさそうに言った。

 

「店長さんは、わたし達が客引きして、1万円分の売り上げを稼げば、許してくれるって言ってるんだ」

「つまり、それって・・・・・・・・・・・・」

 

 クロが苦笑交じりに呟く。

 

 何となく、この後の展開が予想できた顔だった。

 

 そして、その考えは間違っていなかった。

 

「おう、みんなも来てたのか」

「あはは、これも、龍子ちゃんの為だもんね」

 

 聞きなれた声に振り返る一同。

 

 果たしてそこには、

 

 友人でクラスメイトの、森山那奈亀。桂美々の両名が手を振りながら立っていた。

 

 だが、

 

 見慣れているはずの2人はしかし、あまり見慣れない格好をしていた。

 

 半袖のワンピース。ただし、裾は見慣れないくらいに長く、殆どつま先を覆うくらいの長さである。

 

 おまけに、側面には足先から腰のあたりまで、長い切れ目(スリット)が入っている。

 

 ぶっちゃけて言えば、美々と那奈亀はチャイナドレス姿だった。

 

「まったく、いきなり電話で呼び出すから何事かと思ったよ」

 

 そう言って、やれやれと苦笑する那奈亀。どうやら彼女からしてみたら、龍子の騒動に巻き込まれるのは慣れっこになっているのだろう。

 

 一方の美々はと言えば、やはり恥ずかしいのか、少し顔を赤くしていた。

 

「頼むッ 迷惑なのは分かっている。けど、これも龍子の為なんだッ 力を貸してくれ!!」

 

 そう言って、手を合わせる雀花。

 

 対して、イリヤ達は困惑した調子で顔を見合わせる。

 

 正直、面倒くさいことこの上ない。

 

 とは言え、友人が困っているのに、見て見ぬふりをするのも、色々と後味が悪い。

 

 そんな訳で、一同は不承不承ながら、手を貸す事になったのだった。

 

 

 

 

 

~それから暫く~

 

 

 

 

 

 あてがわれた控室から出てきた少女たちは、皆、それまでと装いが一変していた。

 

 チャイナ服を身に纏った、美遊とイリヤ。

 

 それぞれイリヤは白、美遊が青のチャイナ服を着ている。

 

「あう~ まさかこんな事になるなんて」

「非合理的」

 

 嘆息交じりのイリヤと美遊。

 

 まさか買い物に来て、コスプレをする羽目になるとは思っても見なかった。

 

 とは言え、

 

 片や西洋人形のような愛くるしさを持つイリヤ。

 

 片や日本人形のような静謐な美しさを持つ美遊。

 

 小学生としては水準を超える美少女2人である。どんな格好をしても可愛らしさは際立っていた。

 

 2人そろうと、そこだけが別世界の空間のようだ。

 

「ところで、クロ達は?」

 

 そう言って周囲を見回すイリヤ。

 

 その時、

 

「やーーーーだーーーー!!」

 

 突然聞こえてきた悲鳴じみた声。

 

 何事かと振り返ったイリヤが見たのは、自分達同様にチャイナ服を着たクロの姿だった。

 

 だが、

 

「やだやだやだーッ!!」

「あーもー!! じれったいわねッ 覚悟決めなさいッ 男の子でしょ!!」

「やだってばー!!」

 

 控室からむりやり引っ張り出すクロ。

 

 次の瞬間、

 

「「んなッ!?」」

 

 美遊とイリヤは、同時に絶句した。

 

 クロに無理やり引っ張り出された響。

 

 その姿は、チャイナドレス姿、

 

 ではなかった。

 

 その代わり、縁に白いフリルの装飾が入った、ピンクのブラウスとスカート、腰には白いエプロンを付け、頭にはヘッドドレスまで飾っている。

 

 可愛らしい「メイドさん」の姿をした響が、そこにいた。それも、美遊や遠坂凛が着ている正当なメイド服ではなく、どちらかと言えば秋葉原辺りに多く居そうな、喫茶店系のメイドさんである。

 

 口をあんぐりと開けて、響を見つめるイリヤと美遊。

 

 当然、響からすれば滅茶苦茶恥ずかしいらしく、顔を真っ赤にして俯いている。

 

 そんな中1人、いい仕事をしたとばかりに、クロは満面の笑みを浮かべていた。

 

「いや~ 『素質』はあると思っていたけど、まさかここまで似合うとはね。我が弟ながら、末恐ろしいわ」

 

 いったい何の「素質」なのか?

 

 それにしても強制的に女装させておいて「男の子」も無い物である。

 

「い、いや、何で響まで、ていうか何でメイド?」

 

 恐る恐ると言った感じに尋ねるイリヤ。

 

 対して、メイド服の響は未だに俯いたままだった。

 

 そもそも、他のみんなはチャイナ服なのに、なぜに響だけはメイド服なのか?

 

「チャイナ服はもう品切れだからって、店長さんがこれ貸してくれたの。何か趣味らしいよ」

「いや、どんな趣味なのよ!?」

 

 ツッコむイリヤ。

 

 こんなメイド服(しかも小学生サイズ)など、ナニに使うつもりだったのか?

 

 世の中には、小学生には知らなくても良い世界というのも確かに存在するのだった。

 

 だが、

 

 イリヤと美遊は、改めて響を見やる。

 

 自分達よりも小柄な響。まだ成長期に入りたてな為、体つきは華奢で、顔つきも中性的であるから、こんな格好をすれば女の子にしか見えない。

 

「・・・・・・お願い、見ないで」

「「ッ!?」」

 

 視線を集中され、目に涙を浮かべて恥ずかしがる響。

 

 こんな格好させられたら、それは健全な小学生男子としては恥ずかしいだろう。

 

 ましてか、

 

「・・・・・・・・・・・・」

 

 チラッと、美遊に目をやる響。

 

 好きな女の子に見られているとあっては猶更である。

 

 その姿に美遊も、思わず顔を赤くして顔をそむける。

 

 更にイリヤは、口と鼻を押さえて何やらブツブツ呟いている。

 

「ダメ・・・・・・ダメだよ、わたし・・・・・・そんな事絶対ダメッ ヒビキは大事な弟なんだから」

 

 響の姿に悶える(イリヤ曰く「変なスイッチが入る」)のを必死に堪えるイリヤ。

 

 少女の呟きが、響に聞こえなかったのは幸いだろう。もし聞こえていたら、姉弟間で仁義なき戦いが勃発しかねない。

 

 どうにか、辛うじて、イリヤの理性は暴発するぎりぎりで耐えていた。

 

 だが、

 

 世の中には「耐える必要が無い者」や、「あえて色々捨てられる者」もいる訳で、

 

 ガシッ

 

「ッ!?」

 

 突然、背後から肩を掴まれる響。

 

 恐る恐る振り返ると、

 

「ハァッ、ハァッ、ハァッ、ハァッ、ハァッ、ハァッ」

 

 息も荒く、明らかに目を血走らせた雀花の姿があった。

 

「ちょッ す、雀花?」

 

 雀花はまるで「逃がさない」と言わんばかりに、響の両肩をガッチリと正面から掴む。

 

「ひ、響、お前って、こんなに可愛かったんだなッ」

「ちょッ」

 

 男なのに女装させられて、友人女子から迫られる。

 

 絵面として、かなりひどいのは間違いないだろう。

 

 眼前に迫った雀花は、更に鼻息も荒く響に迫ってきている。もはや、目の焦点すら合っていなかった。

 

「す、雀花、放して」

 

 よく分からないが、本能的に「何か大事な物を奪われそうな感じ」がした響。

 

 とっさに雀花を振り払おうとした。

 

 だが、

 

 不幸な事に、この場にはもう1人、雀花の「類友」がいた。

 

「ハァッ、ハァッ、ハァッ、ハァッ、ハァッ、ハァッ」

 

 使いまわし的な荒い息遣いがもう一つ。

 

 恐る恐る振り返ると、

 

 美々が何やらスマホを構え、横から響に迫ってきていた。

 

「み、、み、美々?」

「ハァッ、ハァッ、ハァッ、ひ、響君ッ!! 写真、撮って良いかなッ!? 良いよね!?」

 

 品行方正な友人の、あまりと言えばあまりな変貌ぶりにドン引きする響。

 

 いったい何があったのか? 正直、考えたくもない。

 

 の、だが、

 

 実際の話、今の響にとってはそれどころではない。

 

「な、なあ、響、スカートの中ってどうなってるんだ? ちょ、ちょっとめくっても良いか?」

「やだッ それやったら絶交!!」

 

 とんでもない事を言い出す雀花に、涙目ながら抵抗を示す響。

 

 因みに、スカートの中には、クロに無理やり穿かされた、女の子物のパンツがある。

 

 これも、店長の私物らしい。

 

 取りあえず、響はキレて良いと思う。

 

 の、だが、

 

 繰り返すが、今の響はそれどころではなかった。

 

「ちょっとだけ、ちょっとだけ、な?」

「1枚で良いから!!」

 

 迫る、雀花と美々に、抵抗できずに後退する響。

 

 どうやら、響のか細い抵抗が、却って火を点けてしまった感がある。

 

 響は体格的に小さい為、美々ならともかく、雀花相手で力負けしてしまう。

 

 このまま、少年は毒牙に掛けられてしまうのか?

 

 そう思った、次の瞬間、

 

 ビシッ ビシッ

 

「はわッ!?」

「あうッ!?」

 

 突然、糸が切れたように倒れる雀花と美々。

 

 その背後から、手刀を構えた美遊が姿を現した。

 

「・・・・・・美遊?」

「狼藉は許さない。響は、私が護る」

 

 親友の頼もしい言葉に、思わず涙が出てくる。

 

「あ、ありがと、美遊」

 

 窮地から脱した感動に、響は思わず美遊の手を取る。

 

 だが、

 

 明らかに「女の子然」としている関係で、普段より可愛さ倍増の響(因みにこれからしばらく後、2人は晴れて恋人同士になる)。

 

 そんな響の姿を見て、

 

「ッ!?」

 

 思わず目を逸らす美遊。

 

 その顔は、ほんのり朱に染まっているのが見て取れた。

 

「美遊、どした?」

「な、何でもない」

 

 そう言ってそっぽを向く美遊。

 

 そんな美遊を、響は不思議そうに眺めるのだった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 何はともあれ、

 

 盛大な紆余曲折はあった物の、一同は商店街の大通りに繰り出して客引きに励むのだった。

 

 (とってもやりたくないが)これも友の為、龍子の為である。

 

 文字通り一肌脱ぐのが友情と言う物だった。

 

「肉まん、いかがですかー?」

「熱々の肉まんー!!」

「とっても美味しいですよー!!」

 

 少女たちが走り回りながら、肉まんを一生懸命宣伝している。

 

 復活した美々や雀花。そして那奈亀が走り回っている様子が見られる。

 

 そんな中、売り方にも「個性」と言う物が出ていた。

 

 

 

 

 

 

 

~クロエ・フォン・アインツベルンさんの場合~

 

 道行く男が、少女にくぎ付けになる。

 

 白地のチャイナドレスが、褐色肌によくマッチした少女。

 

 蠱惑的な瞳が、男の心を捉える。

 

「ねえ、お兄さん・・・・・・」

 

 少女は視線を流しながら、チャイナドレスのスリットを、ほんの少しだけ持ち上げる。

 

 ただそれだけで、魅惑の魔法が振りまかれたようだ。

 

 クロは更に、胸元を暑そうに少し緩め、肌をさらけ出す。

 

 男は生唾を呑み込む。

 

 明らかに、少女の放つ魅惑のフェロモンに憑りつかれていた。

 

「私の肉まん、食べて行かない?」

 

 耳元で囁くクロ。

 

「ねえ、お・に・い・さ・ん」

「クロ、アウトォォォォォォ!!」

 

 

 

 

 

~美遊・エーデルフェルトさんの場合~

 

「肉まん、いかがですか?」

「肉まんです、どうですか?」

 

 比較的、まともに宣伝する美遊。

 

 冷静な彼女らしいやり方であろう。

 

 とは言え、今回は、彼女のそうした性格が裏目に出ている。

 

 声が小さく淡々としたしゃべりの美遊の声は、道行く人には殆ど聞こえていなかった。

 

 宣伝するなら、もっと大きな声でやらなくてはならない。そこのところ、美遊には欠けていると言わざるを得なかった。

 

「・・・・・・・・・・・・」

 

 美遊にも、そこら辺の自覚はあるようだ。

 

 意を決すると、再度、口を開いた。

 

「肉まんとは、小麦粉などを捏ねて発酵させて作った皮に、豚肉、玉ねぎなどの具を詰めて蒸した物です。歴史的には・・・・・・」

「ミユーッ!! そんな詳しい説明いらなくないッ!?」

 

 

 

 

 

~栗原雀花さん、森山那奈亀さん、桂美々さんの場合~

 

「よし、作戦通りにやるんだ」

「良いな、美々、お前が一番適役だ」

 

 何やら、美々を焚き付けている雀花と那奈亀。

 

 この時点で既に、嫌な予感しかしなかった。

 

 意を決すると、美々は前に出る。

 

 そして、目の前の男性を涙目で見上げる。

 

 何事かと男性が戸惑っていると、美々は俯き加減にたどたどしく口を開いた。

 

「あの・・・・・・友達が、困っているんです・・・・・・だから、あの・・・・・・助けて、ください」

「何か、すごく不健全な気がするんですけどー!?」

 

 

 

 

 

 イリヤ(ツッコミ)が大活躍する中、成果は思うように上がらなかった。

 

 無理も無い。

 

 時刻は昼過ぎ。

 

 昼食には遅く、夕食にはまだ早い。そんな中、肉まんを買おうと言う人は少なかった。

 

 目標額の1万円には、まだまだ遠い状況である。

 

「「は~~~~~~~~~~~~」」

 

 背中合わせにベンチに座りながら、深々とため息を吐く、イリヤ、響の姉弟。

 

 片やツッコミ、片や女装で、既に2人とも疲労感MAXだった。

 

「ほんと、疲れるね」

「ん、まったく」

 

 やれやれとばかりに肩を竦める。

 

 お使いに来ただけなのに、とんだ事になったものである。

 

 買い物した後は、ゲーセンでも行って遊ぼうと思っていたのが、完全に予定が狂ってしまった。

 

「まあ、もう少し頑張ろう」

「ん」

 

 イリヤが差し出したペットボトルの蓋を開け、中の水を飲む響。

 

 疲れて熱くなった体が、水分によって急速に冷やされていくのが分かる。

 

 と、

 

 その時だった。

 

「うわー 何この子達、可愛いィ!!」

「髪キレー!! 肌白ーい!!」

「こっちの子も、小っちゃくて可愛い!!」

「それでチャイナ服とメイドさんだよッ 反則だよねー!!」

「「はえ?」」

 

 突然の事態に、そろって目を丸くする響とイリヤ。

 

 見れば、いつの間にか制服姿の女子高生たちに、2人は包囲されているた。

 

 どうやら昼も終わり、部活帰りの女子高生たちが、寄り道すべく商店街に集まってきていたようだ。

 

 そんな中で、並んで座っている美少女2人(1人女装)を見つけ、群がって来た、という次第のようだ。

 

「ほんと、お人形さんみたい!!」

「え、えっと・・・・・・」

「ねえねえ、あなた達何してるの? コスプレゴッコ?」

「い、いや、そうじゃなくて・・・・・・」

「どっかに案内してくれるんでしょ、連れてってよ」

「あ、あう・・・・・・」

「特殊なサービスとかもしてくれるの? あなた達を好きに着せ替えできる、とか」

「んん!? ないない、それは無い!!」

「ただの肉まん屋さんですから、特殊なサービスとかは無いです!!」

 

 まったく人の話を聞いてくれない女子高生軍団に翻弄される響とイリヤ。

 

 ていうか、最後のは本気なのか冗談なのか?

 

 是非、後者であって欲しいところである。(特に響的に)

 

「ねえねえ、写真撮って良いかな、写真!?」

「しゃ、写真!?」

「やーめーてー」

 

 騒動は、暫く収まりそうになかった。

 

 

 

 

 

 そんな2人の様子を、他の一同がやや離れた場所で眺めていた。

 

「くそー イリヤに響めェ」

「ヤロー共、普通にしているだけであたしたちの遥か上を飛んで行きやがる。生まれながらの萌え属性エリートが!!」

 

 悔しそうに呟く、雀花と那奈亀。

 

 ていうか、萌え属性エリートって何だ?

 

 その横では、美々が乾いた笑みを零していた。

 

 一方、クロと美遊もまた、客引きの手を止めて響達の様子を眺めていた。

 

「あ~らら~ 2人そろって大人気だこと。でも、写真はやりすぎかもね」

 

 流石に弟妹達が可哀そうになって来たクロは、言いながら嘆息する。

 

 同時に、横に立つ美遊に目を向けた。

 

「止める、ミユ?」

 

 話を振られた美遊。

 

 だが、

 

 美遊はクロの問いかけに応えず、女子高生たちに包囲され続けている響とイリヤを、ジッと見つめている。

 

「あの姿の響とイリヤを写真に撮って、永遠の残しておこうなんて・・・・・・・・・・・・」

 

 キラリと、和風美少女の目が光る。

 

「そんなの、私1人で充分」

 

 決意と共に、低く言い放つ美遊。

 

 その手には、市販の使い捨てカメラがちゃっかりと握られていた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 日が傾く中、商店街の人の足もまばらになっていく。

 

 長く伸びる影。

 

 仕事を終えた一同は満足げな足取りで、家路へと着いていた。

 

「いやー 一時はどうなる事かと思ったけど、良かった良かった~」

 

 ある意味、今回の騒動の火付け役とも言える雀花は、やれやれとばかりに嘆息する。

 

 結局、響とイリヤの「活躍」もあり、程なく目標額1万円を達成。

 

 それどころか噂が噂を呼び、女子高生たちが午後の商店街に殺到。肉まん屋はかつてない大盛況となった。

 

 曰く「可愛い小学生の女の子たちが、商店街の肉まん屋でコスプレして売り子をしている」と。

 

 恐るべきはJKネットワークだろう。

 

 おかげで目標の1万円どころか、肉まん屋は過去最高の売り上げを記録。

 

 上機嫌になった店主は、帰り際に各人に1個ずつ、肉まんをご馳走してくれるというおまけつきだった。

 

 まだ湯気香る吹かしたての肉まんを頬張りながら、一同は満足げに商店街を歩く。

 

 それにしても、

 

「ひどい目にあった・・・・・・・・・・・・」

 

 今日、一番の被害者は間違いなく響だろう。

 

 強制的に女装させられて、商店街で売り子をやらされるなど、少年にとっては羞恥プレイ以外の何物でもない。

 

「な、なあ響、今度、絵のモデルになってくれよッ」

「こ、今度は制服とか着て欲しいんだけど」

「絶ッ対、ヤダ!!」

 

 このまま行けば、いったいナニをヤらされる事やら。

 

 まったく反省の色を見せない雀花と美々に、割と本気で友人関係を見直したくなる響。

 

 そんなやり取りを呆れ気味に見ていたイリヤは、ふと、何かを思い出したように足を止めた。

 

「そう言えば・・・・・・」

「どうしたの、イリヤ?」

 

 足を止めたイリヤに、肉まんを食べ終えた美遊が、怪訝そうに尋ねる。

 

「いや、何か忘れているような気がするんだけど・・・・・・」

 

 そう、何か、

 

 とても重大な物を忘れているような・・・・・・

 

『・・・・・・・・・・・・』

 

 考え込む一同、

 

 やがて、

 

『あッ!!』

 

 

 

 

 

 肉まん屋に戻る一同。

 

 売り子に夢中になってすっかり忘れていたが、龍子を肉まん屋に置きっぱなしにしていたのだ。

 

「おーい、龍子、帰るぞ。そろそろ調子も戻ったろ」

 

 そう言いながら、暖簾の中を覗き込む雀花。

 

 次の瞬間、

 

「なッ ・・・・・・た、龍子・・・・・・お前・・・・・・」

 

 思わず絶句した。

 

 その後から、他の一同もぞろぞろとやってきて中を覗き込む。

 

 そして、

 

『アァッ!?』

 

 雀花同様に、絶句した。

 

 中には龍子がいる。それは良い。

 

 回復して起きている。それも良い。

 

 だが、

 

 龍子が手に持って、今にも齧り付こうとしている物。

 

 それは、

 

 今回の騒動の発端となったジャンボ肉まんに他ならなかった。

 

 ぶっちゃけ、龍子の頭よりでかいそれを、小柄な少女は今にも齧り付こうとしていた。

 

 と、そこで龍子も、一同の視線に気づいたのか、振り返って満面の笑みを向けてきた。

 

「おー どした? みんな勢ぞろいじゃねえか。暇なのか、お前ら?」

 

 こ  い  つ  は

 

 能天気に告げる龍子。

 

 まったく、人の気も知らないで。こちとら龍子のせいで、午後の時間まるまる潰す羽目になったというのに。

 

 だが、今問題にすべきは、そこではなかった。

 

 手にした肉まん。

 

 大口を開ける龍子。

 

 そこから導き出される結末の答えは、一つしかありえなかった。

 

「龍子・・・・・・お前、それ・・・・・・」

 

 震える声で、ジャンボ肉まんを指差す雀花。

 

 対して龍子はフッと笑うと、手を掲げて制する。

 

「判る・・・・・・言いたい事は判る。でもな、良く言うだろ」

 

 何をだ?

 

 一同が不安な視線を向ける中、龍子は自信満々に言い放った。

 

「『戦闘民族はピンチに陥れば陥るほど強くなる』って」

 

 安易且つ、何の根拠も無かった。

 

「俺は戦闘民族だと思うんだよな。家、道場だし。だから次は行けそうな気がするんだ。何か、前回の金はもう良いって言うし。起きたらちょっと、小腹も減ってたし。攻めない理由は無いだろッ」

 

 食う方も食う方なら、出す方も出す方である。

 

 断っておくが、金を稼いだのは響達であり、龍子はその間能天気にひっくり返っていただけである。友人一同の苦労も(羞恥も)知らずに。

 

「てなわけで、戦闘開始だ!!」

 

 意気揚々と告げて大口を開ける龍子。

 

 涙目で震える美々。

 

 必死に止めに入る、響、イリヤ、雀花、那奈亀。

 

 嘆息気味に天を仰ぐ美遊とクロ。

 

 次の瞬間、

 

 

 

 

 

 ガブッ

 

 

 

 

 

番外編2「そして、ふりだしに戻る」

 




取りあえず、めっちゃ遊んでます(爆

持論の一つが「オリ主なんて弄り倒してナンボ」なもんで。


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第21話「伸ばした手の先」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 結界を抜け出ると同時に、現れる荘厳な風景。

 

 同時に吹き抜ける温かい空気が、まったく別世界の風となって肌をなでる。

 

 見上げる美遊の視界の先にある城壁。

 

 明らかに西洋風と思える城壁が、更なる違和感を醸し出しているのが分かる。

 

 見る者を圧倒する巨大な城が、押し迫るように聳え立っている。

 

 何度見ても慣れる事のない、異質でおぞましい光景。

 

 まるでこの空間その物が、どこか別の世界なのではないかとさえ思える。

 

 実際に並行世界に行った経験を持つ美遊からすれば、尚の事、そんな風に感じてしまうのだった。

 

 あまりにも歪な風景。

 

 この城その物が、エインズワースの持つ異常性を象徴していると言える。

 

「取りあえず、『お帰り』と言っておこうか、美遊」

 

 緊張した面持ちの少女に対しダリウスは、鷹揚な調子で話しかけてきた。

 

 美遊にとっては、皮肉以外の何物でもない言葉。

 

 兄の助けにより、せっかくここから出られたというのに、敵の手に落ちて、また戻ってきてしまった。

 

 美遊の心に抱える複雑な感情。

 

 ダリウスは恐らく、少女の心情が判っている。

 

 判っていて、あえて少女の心をえぐるようなことを言っているのだ。

 

 お前は我々の物だ。

 

 他に選択肢は無い。

 

 逃げても無駄。

 

 お前は黙って、我々にただ従っていれば良いのだ。

 

 そんな思惑が、透けて見える。

 

 と、

 

 そこで、傍らで控えていたシェルドが恭しく前に出た。

 

「すぐに、儀式の準備に入りますダリウス様。準備が整うまで、今暫しお待ちください」

「ああ、頼む」

 

 シェルドの言葉に、頷くダリウス。

 

 いよいよだ。

 

 いよいよ、自分たちの悲願が叶う。

 

 その、全ての条件が揃ったのだ。

 

 ダリウスは、もう一度、美遊の方を見やった。

 

「さあ、行こうか美遊。君にはやってもらう事が山ほどあるからね。何、私も鬼じゃない、君さえ我々に従ってくれれば、全ての事がうまくいくんだよ」

 

 口元に笑みを浮かべるダリウス。

 

 不気味な笑みの元、男は付け加える。

 

「君のお友達も、お兄さんも、全てが安泰と言う訳だ」

 

 そう、

 

 エインズワースが、美遊に対して行使する絶対的な切り札。

 

 それこそが、イリヤと美遊兄に他ならない。

 

 この2人の生殺与奪を握っている限り、美遊は絶対に自分たちに逆らう事が出来ないのだ。

 

「さあ、美遊様、参りましょう」

 

 そう言って促すシェルド。

 

 この後、美遊の中に眠る聖杯としてのての機能を使い、自分たちの悲願を達成するための儀式を行うのだ。

 

 だが、

 

 立ち尽くす美遊。

 

 そんな少女を、シェルドは怪訝な面持ちで見やる。

 

「美遊様?」

 

 尋ねた瞬間、

 

「生憎だけど」

 

 眦を上げる美遊。

 

 その幼くも可憐な双眸に浮かび上がる、あふれ出るほどの戦意。

 

 少女は、凛とした声で言い放つ。

 

「私は降伏しに戻ってきたわけじゃない」

 

 伸ばされる手。

 

「あなた達、エインズワースを倒すッ そして、イリヤとお兄ちゃんを取り戻すためにここに来た!!」

 

 同時に、少女は叫んだ。

 

「ルビー!!」

《はいはーい!!》

 

 美遊の呼び声に応え、星形のステッキが背後から飛び出してくる。

 

《シークレットデバイスの一つ、「ステルスモード」!! イリヤさんの髪の中に隠れるスキルを極めたわたしですッ 美遊さんの髪の中にだって隠れて見せますよー!!》

 

 そのまま美遊の手に収まるルビー。

 

 同時に、少女の姿は変化する。

 

 迸る閃光。

 

 繭のように広がった光の中で、少女は変身していく。

 

 ピンクのレオタードに白のミニスカート、更に手袋、ブーツ、髪留め。

 

 最後に、鳥の羽のようなマントが羽織われる

 

 可憐な魔法少女姿へ。

 

 戦うための装束を身に纏い、美遊は決意に満ちた眼差しをダリウスへと向ける。

 

「2人を、返してもらう」

 

 ステッキを構えながら、敢然と言い放つ美遊。

 

 対して、

 

「やれやれ、参ったな」

 

 ダリウスは、先程まで浮かべていた笑みを消し、鋭く冷たい瞳を美遊へと向けてくる。

 

「悪い子には、お仕置きが必要だね。たっぷりと」

 

 不気味な声が響く中、

 

 美遊は魔力を込めたステッキを振り翳した。

 

「お下がりを、ダリウス様」

 

 言いながら、シェルドは主を守るように前へと出る。

 

 美遊がステッキを隠し持っていたのは予想外だったが、問題となるような話ではない。

 

 無言のまま、自身の胸に手を掲げるシェルド。

 

夢幻召喚(インストール)

 

 囁かれる低い詠唱。

 

 同時に、衝撃波が青年を包み込んだ。

 

 纏われる、英霊の姿。

 

 銀の甲冑を纏い、背中には長大な大剣を背負った姿。

 

 北欧神話に謳われる大英雄その物の姿がそこにあった。

 

「儀式の事もある。なるべく傷付けるんじゃないよ」

「承知しております」

 

 背後に立つダリウスに頷きを返すと、シェルドは再び美遊に向き直った。

 

「・・・・・・・・・・・・来い」

 

 低い呟きとと共に、大剣を抜き放ち、切っ先を美遊へと向けるシェルド。

 

 その様子を、美遊は緊張した面持ちで眺めていた。

 

 

 

 

 

一方、

 

 遥か塔の上では、同じく魔法少女(カレイドライナー)の姿に変身したイリヤが、アンジェリカと対峙していた。

 

 さしずめ「カレイドサファイア・アナザーフォーム」とでも名付けるべきか。

 

 普段のカレイドルビー姿や、美遊が変身した姿よりも、やや露出度の高い衣装を身に纏った姿。

 

 しかし、姿形がどうあれ、魔法少女としてのイリヤの実力が、それで下がる訳ではない。

 

「・・・・・・その姿は」

 

 警戒したように目を細めながら、アンジェリカが呟く。

 

 彼女としても、突然、イリヤが戦う力を取り戻した事への驚きは隠せないようだ。

 

「ごめんなさい、アンジェリカさん」

 

 そんなアンジェリカに対し、イリヤは頭を下げる。

 

 彼女はイリヤに良くしてくれた。

 

 献身的に世話をしてくれた。

 

 エインズワースと言う敵地の中にあって、それでも尚、イリヤが発狂せずにやってこれたのは、1つにはエリカやシフォンの存在があったから、と言う事もあるかもしれないが、このアンジェリカがいてくれたから、というのも大きかった。

 

「でもやっぱり、私はここにはいられない。みんなのところに帰りたいの」

 

 切実に訴えるイリヤ。

 

 少女の嘆願を聞き、

 

「どうか、無茶はおやめください、イリヤスフィール様」

 

 アンジェリカは真っ直ぐにイリヤを見据え、淡々とした口調で言った。

 

 落ち着いた態度のアンジェリカ。

 

 しかし、同時にいつでも飛び掛かれるように警戒している様子が見て取れた。

 

「あなたがこの城を抜け出す事は不可能。ただ悪戯にケガをするばかりです」

 

 尚も、イリヤを気遣うように語り掛けるアンジェリカ。

 

 ここはエインズワースの工房。

 

 置換魔術を縦横に駆使して迷宮化した城の区画は、何人にも突破は不可能。

 

 その絶対の自信が、アンジェリカの態度には現れていた。

 

「そんなの、やってみなくちゃ判らないでしょ」

 

 強気の態度を崩さないイリヤ。

 

 その瞳には既に戦意が浮かび、アンジェリカを真っ向から見つめている。

 

 できれば戦いたくない。

 

 だが、邪魔をするなら、倒してでも出て行く。

 

 イリヤの瞳は、そのように語っていた。

 

「・・・・・・・・・・・・決意は固い、ですか」

 

 どこか諦念したように、アンジェリカは呟く。

 

 目の前にいる小さな少女。

 

 その強い意志を反意させる事は不可能。そう判断せざるを得なかった。

 

「ならば・・・・・・いたし方ありません」

 

 取り出すカード。

 

 弓兵の絵柄が描かれたカードを掲げ、サッと、腕を水平に振るうアンジェリカ。

 

 同時に、その姿は一変する。

 

 金色の甲冑を纏った英霊の姿。

 

 英雄王ギルガメッシュ。

 

 かつて、向こう側の世界における地下世界で対峙した時そのままの強大な英霊の姿で、アンジェリカはイリヤを睨む。

 

「少々手荒ですが、お許しを」

 

 言いながら「王の財宝(ゲート・オブ・バビロン)」を開くアンジェリカ。

 

 空間に開く門。

 

 その中から、宝具の刃が一斉に射出された。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 予想はしていた事がが、戦況は美遊にとって、決して良い物ではなかった。

 

 大剣を振り翳して斬り込んでいくシェルド。

 

 その一撃を、水平方向に飛びのく事で辛うじて回避する美遊。

 

 同時に、手にしたルビーを真っすぐにシェルドへと向ける。

 

砲射(シュート)!!」

 

 放たれる魔力弾。

 

 威力はそれほど高くない。しかし、それでも牽制くらいにはなるはず。

 

 そう思っていたのだが、

 

「無駄だ」

 

 低い呟きと共に、シェルドは飛んできた魔力弾を、左腕の手甲で弾いてしまった。

 

 その姿に、美遊は思わず息を呑む。

 

 ある意味で、予想通りと言えるかもしれない。

 

 これまでシェルドの戦い振りは、響との交戦で見てきたが、少年の攻撃はこの英霊に全く傷をつける事ができないでいた。

 

 と言う事はつまり、並の攻撃では用を成さないと言う事である。

 

《やっぱりチート級ですねー あの防御力は》

「予想していた事。けど、必ず隙はあるはず」

 

 ルビーのぼやきに答えながら、美遊は駆ける。

 

 どんな英霊であっても、必ず伝承された逸話がある以上、その逸話に基づいた特性である事に変わりはない。

 

 そして、いかな無敵に見える英霊であったとしても、必ず「弱点」は存在するのだ。

 

 ならば、その弱点を突く事が出来れば勝てるはずだった。

 

 美遊の視線の先には、こちらを見つめるダリウスの姿がある。

 

 腕組みをして、口元には薄笑いを浮かべ、美遊が足掻く様子を見物している。

 

 いら立ちが募る。全てが、あの男の手の内なのかと猶更だった。

 

 できる事なら、今すぐにでも吹き飛ばしてやりたくなる。

 

 だが、

 

「戦いの最中によそ見とは、随分と舐められたものだ」

「ッ!?」

 

 距離を詰めたシェルドが、真っ向から大剣を振り下ろす。

 

 対抗するように、ルビーを振り翳す美遊。

 

「物理保護!!」

 

 展開される障壁。

 

 刃がぶつかり、激しい衝撃が襲い掛かる。

 

 次の瞬間、

 

「キャァッ!?」

 

 障壁が砕け散ると同時に、美遊は後方に大きく吹き飛ばされる。

 

 それでもどうにか体勢を立て直し、少女は地面に着地する。

 

 だが、

 

《美遊さん、危ない!!》

 

 悲鳴じみたルビーの警告に、ハッとして振り返る。

 

 その視線の先には、漆黒の塊を構えたルヴィアの姿がある。

 

「サーヴァントカード限定展開(インクルード)、『無銘・弓』」

 

 無機質な言葉と共に、無数の矢が美遊目がけて放たれる。

 

 魔法少女に殺到する、闇の矢。

 

「クッ!?」

 

 美遊は舌打ちしながら、とっさの地面を転がるようにして回避。

 

 ルヴィアの放った矢は、地面をえぐるにとどまる。

 

 だが、

 

「サーヴァントカード限定展開(インクルード)、『無銘・大剣』」

 

 今度は凛だ。

 

 息つく暇もなく、手には長大な闇の剣を握って斬りかかってくる。

 

 対して、美遊はルヴィアの攻撃を回避した直後である為、とっさに身動きが取れない。

 

 次の瞬間、

 

 凛が振り下ろした巨大な剣が、倒れている美遊を直撃した。

 

 

 

 

 

 狭い室内だから、アンジェリカが攻撃を控える。

 

 などと言う事は、全く無かった。

 

 「王の財宝(ゲート・オブ・バビロン)」から射出された宝具が、切っ先を揃えて一斉にイリヤへと殺到する。

 

 その刃を見据え、イリヤも動いた。

 

「サファイア、物理保護!!」

《了解です、イリヤ様》

 

 冷静に答えるサファイア。

 

 同時に、イリヤの前面に障壁が展開され、飛んできた宝具を次々と防いでいく。

 

 激突する、宝具と障壁。

 

 だが、

 

「防ぎ、きれないッ!?」

《威力が違いすぎます》

 

 悲鳴じみたイリヤの声と共に、破られる障壁。

 

 だが、イリヤも負けていない。

 

 飛んでくる宝具を絡め取るように、次々と障壁が多重展開させる。

 

 1枚でダメなら2枚。2枚でダメなら3枚。3枚でもダメなさらに・・・・・・

 

「ぬッ?」

 

 その様に、アンジェリカも警戒して声を上げる。

 

 アンジェリカの放った宝具は、イリヤの障壁を次々と破砕するも、徐々に勢いを弱め、ついには停止して床に転がる。

 

 以前、対バゼット戦でもイリヤが使った、障壁の同時展開。

 

 自力ではかなわなくても、戦いようはいくらでもあると言う事だった。

 

《イリヤ様、場所を変えましょう》

 

 攻撃がひと段落したところで、サファイアが提案してきた。

 

《この狭い場所では、こちらが不利です。より広い場所に出ましょう》

「わ、判ったッ」

 

 頷くイリヤ。同時に視線は、傍らの窓へと向けられる。

 

 イリヤの思考を読んだのだろう。アンジェリカも素早く動く。

 

「行かせませんッ」

 

 「王の財宝(ゲート・オブ・バビロン)」から剣を取り出し、イリヤに直接斬りかかる。

 

 振り下ろされる刃。

 

 だが、行動はイリヤの方が早い。

 

「ごめんなさい!!」

 

 素早く魔力弾を窓へと撃ち放つイリヤ。

 

 衝撃と共に、壁に大穴が空く。

 

 そこへ、イリヤは迷う事無く飛び込んだ。

 

 と、

 

 次の瞬間、

 

「・・・・・・はい?」

 

 イリヤは思わず、間の抜けた声を発する。

 

 窓を開けた瞬間、

 

 イリヤの目の前に広がっていたのは、空、

 

 ではなく、城の庭の風景だった。

 

 周囲を壁に囲まれている所を見ると、恐らく中庭か何かなのだろう。

 

 窓から飛び出した先に、このような場所が繋がっていようとは夢にも思わなかった。

 

「これが、サファイアの言っていた置換魔術って奴?」

《はい。本来なら、錬金術から派生した系統の魔術で、原理的におよそ劣化交換にしか至れない、下位の互換魔術に過ぎないはずなのですが・・・・・・・・・・・・》

 

 言葉の語尾を濁すサファイア。

 

 しかし、ここまでの状況を見るに、サファイアの言うような「大したことない」魔術には思えない。

 

 それくらいは魔術的に素人のイリヤにも想像ができた。

 

「否定はしません」

 

 背後からの声に、ハッとなって振り返るイリヤ。

 

 そこには、後を追ってきたアンジェリカの姿があった。

 

 「王の財宝(ゲートオブバビロン)」を開き、宝具の切っ先を向けながらゆっくりと近付いてくる。

 

「しかし、それのみに特化した、我らエインズワースを、甘く見ない事です」

「クッ!?」

 

 とっさに反撃に転じるべく、サファイアにありったけの魔力を込めるイリヤ。

 

 幸い、ここは先ほどの塔の部屋よりも広い空間。自由に攻撃する事ができる。

 

極大(マクスキィール)散弾(シュロート)!!」

 

 一斉に放たれる、無数の魔力弾。

 

 広範囲に散らして、目晦ましを仕掛ける作戦である。

 

 その隙に、この場を離脱する。

 

 そう考えたイリヤ。

 

 だが、

 

「甘いです」

 

 低いアンジェリカの呟き。

 

 同時に、彼女の前面の空間が開き、全ての魔力弾が呑み込まれていく。

 

 次の瞬間、

 

 「イリヤが放った魔力弾」が、彼女自身の背後から襲い掛かってきた。

 

「キャァァァァァァ!?」

 

 悲鳴を上げて地面に転がるイリヤ。

 

 いったい何が起きたのか?

 

 答えは、またしても置換魔術である。

 

 アンジェリカは自身の前面に置換魔術を展開。空間をイリヤの背後につなげて素通りさせ、イリヤを自爆させたのだ。

 

 倒れ込むイリヤ。

 

 まさか、こんな風に自分の攻撃を食らうとは思っても見なかった。

 

「もう、おやめください」

 

 そんなイリヤに、アンジェリカは諭すように言った。

 

「あなたでは私に勝てない。それはもう、お分かりのはず」

「ッ」

 

 唇を噛み占めるイリヤ。

 

 確かに、アンジェリカが纏う英霊は最強だ。それ加えて、攻防において完璧と言っても良い置換魔術の行使。今のイリヤでは、勝ち目は薄いのは明白だった。

 

「でも、それでもッ」

「それに」

 

 勢い込んで言い募ろうとするイリヤを制して、アンジェリカは続けた。

 

「この戦いは、意味の無い物です。我らにとっても、そしてイリヤスフィール様、あなたにとってもです」

「それは・・・・・・どういう事?」

 

 訝るイリヤ。

 

 対して、アンジェリカはスッと目を閉じると、「王の財宝(ゲートオブバビロン)」を閉じる。

 

「イリヤスフィール様、あなたは誰と、なぜ戦ってるのか、本当に理解しておいでですか?」

「それは・・・・・・・・・・・・」

 

 言葉を濁らせるイリヤ。

 

 言われてみれば確かに、イリヤは何も判っていない。

 

 そもそもエインズワースとは何者なのか?

 

 なぜ、美遊を狙っているのか?

 

 そしてなぜ、自分は彼女達にさらわれて監禁されていたのか?

 

 イリヤには、そこら辺の事情が何も分からないまま、戦いに巻き込まれていたのだ。

 

「・・・・・・お話ししましょう。我らの目的を。そして、あなたや美遊様が、果たすべき役割を」

 

 そう告げると、アンジェリカは語りだした。

 

 その内容については概ね以前、響が言峰神父(兼ラーメン屋店主)に聞かされた内容と同じである。

 

 地軸の傾斜と、それに伴う季節の大幅な変動。

 

 マナの枯渇。

 

 そして、ドライスポットへの有害物質の充満。

 

 いずれ確実に、滅びゆく人類。

 

「そんな・・・・・・そんな事が・・・・・・」

「事実です。早ければ人類は、あと10世代ほどで滅亡の道をたどる事になるでしょう」

 

 淡々と告げるアンジェリカ。

 

 対してイリヤは、完全に言葉を失う。

 

 近い将来、人類が滅びる。

 

 果たして、それを実際に事実として聞かされる日が来ると、誰が予想しえただろうか?

 

 価値観が根底から崩れる、とはこの事だろう。

 

 世界を救おうとするエインズワースと、

 

 それを拒む自分。

 

 正義がいずれにあるかは、考えるまでもない事だった。

 

「故に、我らが聖杯に願う事はただ一つ。在来人類の継続。その為にイリヤスフィール様、あなたや美遊様の存在が不可欠なのです」

「そんな・・・・・・・・・・・・」

 

 足元が、揺らぐ。

 

 何が正しくて、何が間違っているのか。

 

 イリヤには判らなくなり始めていた。

 

「さあ、イリヤスフィール様」

 

 言いながら、手を差し伸べてくるアンジェリカ。

 

 さあ、我が手を取れ。

 

 それが、この世界を、全ての人々を幸せにする唯一無二の方法なのだから。

 

 アンジェリカの手は、無言でそう語っている。

 

「あ・・・・・・あぁ・・・・・・」

 

 震えるイリヤ。

 

 その手がゆっくりと延ばされ、

 

 次の瞬間、

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「イリヤ、駄目!!」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 今にも崩れ落ちそうなイリヤ。

 

 そのイリヤを守るように、小さな影が舞い降りる。

 

「やらせない」

 

 降り立つ少女。

 

「イリヤは、私が守る」

 

 美遊は、鋭い声で言い放った。

 

 

 

 

 

第21話「伸ばした手の先」      終わり

 



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第22話「一縷の賭け」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「美遊・・・・・・本当に、美遊なの?」

 

 地面に座り込んだまま、イリヤはまるで幻を見るような思いで、親友の凛とした姿を見上げていた。

 

 黒髪に、整った顔立ちの和風美少女。

 

 見間違えるはずが無い。

 

 イリヤの親友である美遊・エーデルフェルトが、イリヤの記憶そのままに、目の前に立っていた。

 

 まだ茫然として見上げているイリヤ対し、美遊は微笑みながら頷きを返す。

 

「遅くなってごめんなさい、イリヤ」

 

 見つめ返す美遊。

 

 本来ならイリヤが纏うべきカレイドルビーの衣装を身に纏った姿は、ある種のギャップ感を演出している。

 

 カレイドサファイア姿に見慣れたイリヤとしては、ひどく新鮮な気がした。

 

 そのイリヤもまた、今はカレイドサファイア姿である事を考えれば、まるで姿を入れ替える鏡を見ているような不思議な印象すらある。

 

 だが、そんな事はどうでも良かった。

 

 美遊が、

 

 友達が助けに来てくれた。

 

 それだけで、イリヤは感極まるのを覚えていた。

 

「美遊ッ!!」

 

 跳び上がるようにして、美遊に抱き着くイリヤ。

 

 敵に捕まり、長い間の監禁生活。

 

 エリカやシフォンと言った心を通わせる存在がいたとはいえ、少女が受けた精神的苦痛は想像して余りある。

 

 いつ来るともしれない救援を待ち続ける日々は、イリヤを絶望させるには十分すぎた。

 

 だが、そんな日々も、ようやく終わった。

 

 誰よりも大切な親友が、助けに来てくれたのだ。

 

「大丈夫・・・・・・もう、大丈夫だから」

 

 美遊はそう言いながら、イリヤの頭を優しく撫でてあげる。

 

 そうする事が、一番相手を落ち着かせるのだと知っていた。

 

 と、

 

 それと同時に、イリヤと美遊の姿が光に包まれていく。

 

 繭のように輝く光。

 

 それがほどけた時、

 

 2人の姿は一変していた。

 

 入れ替わった、と言った方が良いかもしれない。

 

 イリヤはカレイドルビーに、美遊はカレイドサファイアに、それぞれ本来の姿に戻ったとも言える。

 

《いやー 美遊さんも悪くありませんでしたが、やっぱりイリヤさんの方が居心地は良いですね~》

《姉さん、空気を読んでください。とは言え、その意見には完全無欠に同意ですが》

 

 ようやく、本来の鞘に収まった形のステッキ姉妹も、安堵のため息を吐く。

 

「ルビーも、心配かけちゃってごめんね」

《何の何の。赤い糸で結ばれた私とイリヤさんです。必ず再会できると信じていましたよ~》

 

 イリヤとルビーが、互いに微笑気味に再会を喜び合う。

 

「サファイア、久しぶり」

《お久しぶりです美遊様。無事に再会できたこと、大変うれしく思います》

 

 美遊とサファイアは、静かに挨拶を交わす。

 

 だが、

 

 感動の再会はそこまでだった。

 

 ザッと言う複数の足音と共に、2人を包囲するように立ちはだかる者たちがいた。

 

 イリヤを追ってきたアンジェリカ。

 

 そしてシェルド、凛、ルヴィア。

 

 更に、

 

「あなたは・・・・・・・・・・・・」

 

 シェルドに続いて現れた男を見て、イリヤは思わず息を呑む。

 

 ダリウス・エインズワース。

 

 イリヤも顔を合わせた事があるエインズワースの現当主。

 

 すなわち、イリヤ達が倒すべき、最後の敵。

 

「美しい・・・・・・実に美しい光景だ」

 

 2人の様子を見ながら、ダリウスは芝居がかった口調で告げる。

 

「互いに心を通わせた親友同士。1人は敵に捕らわれ、1人は己が運命に囚われた末、あらゆる苦難を乗り越えて再会する。今この瞬間に立ち会えたことを、私は誇りにすら思えるよ」

「勝手な事を」

 

 険しい口調で言いながら、美遊はイリヤを背に庇いながら、手にしたサファイアをダリウスへと向ける。

 

 今すぐに、魔力弾を撃ち放ちたい衝動に駆られる美遊。

 

 既にステッキに魔力は充填されている。すぐにでも、戦闘再開は可能だった。

 

 だが、それを見越したように、シェルドが2人の間に立ちはだかる。

 

 睨み合う、美遊とシェルド。

 

 その背後から、ダリウスが声を掛けた。

 

「まだ、希望に縋りたいのかね、美遊?」

「・・・・・・・・・・・・」

 ダリウスの言葉に、美遊は無言で返す。

 

 その美遊に、ダリウスの言葉は続く。

 

「羽毛よりも軽い希望に縋り、うたかたの夢を見ながら世界を破滅へと導くのかね?」

「・・・・・・・・・・・・」

「随分と傲慢な話だ。君1人の為にこの世界に住む、全ての人類を犠牲にしようなどと」

 

 その言葉を聞き、イリヤはグッと唇を噛み締める。

 

 そうだ。

 

 滅びゆく世界。

 

 エインズワースは、世界を救おうとしている。美遊と言う聖杯を使って。

 

 それを拒む自分たちの方こそが、実は間違っているのではないのか?

 

 迷いを隠せないイリヤ。

 

 だが、

 

「その言葉は、聞き飽きた」

 

 美遊は敢然とした口調で言い放った。

 

「私はもう、迷わない。信じた道を行くだけ」

 

 言ってから、美遊は背後のイリヤを見やる。

 

「私にその事を教えてくれたのは響なの」

「ヒビキが?」

 

 予期せず弟の名前が出た事で驚くイリヤ

 

 どうにも、自分の知らないところで色々な事が起こっていたらしい。

 

 そんなイリヤに、美遊は笑顔を見せる。

 

「だから、私はもう諦めない。何があっても」

 

 響が自分を救ってくれた。

 

 絶望に沈もうとしていた自分を、光ある場所へと引っ張り上げてくれた。

 

 だから今、戦う事ができるのだ。

 

「・・・・・・ありがとう、美遊」

 

 微笑みかけるイリヤ。

 

 彼女の瞳にもまた、戦意が浮かんでいるのが分かる。

 

 美遊が諦めていない。

 

 ならば、自分が先に諦める訳にはいかなかった。

 

 頷き合う、イリヤと美遊。

 

 同時に、イリヤは美遊の手を取った。

 

 その様子に、美遊は驚く。

 

「イリヤ、これ・・・・・・・・・・・・」

「きっと、役に立つと思うから」

 

 頷く2人。

 

 対して、それを見ていたダリウスは嘆息を漏らす。

 

「やれやれ、所詮は子供か」

 

 低く告げられる、不気味な声。

 

 同時に、闇色の双眸が少女たちを睨みつける。

 

「王道も手順も理解せず、ただ感情のままに行動しようとする。まったくもって、度し難い」

 

 そう告げると、シェルドとアンジェリカを見やる。

 

「オイタが過ぎるようだから、少しばかり懲らしめてやりなさい」

「ハッ」

「承知」

 

 飛び出す2人。

 

 同時に、美遊とイリヤもステッキを構えて前に出た。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 再び始まる激突。

 

 先制したのはイリヤだ。

 

 前に出ると同時に、ダリウス目がけて魔力砲を放つ。

 

「とにかく、あいつさえ倒せば終わるはず!!」

《ええ、そうなんですけど・・・・・・》

 

 意気込むイリヤに対し、言葉を濁すルビー。

 

 間を置かず、彼女の杞憂は現実の物となる。

 

「サーヴァントカード限定展開(インクルード)、無銘『盾』」

 

 低い声と共に、イリヤの前に立ちはだかった影が、彼女の攻撃からダリウスを守り切る。

 

 ルヴィアだ。

 

 彼女の手から出現した巨大な闇が盾となって、イリヤの魔力砲をあっさりと防ぎきってしまう。

 

 更に、

 

「サーヴァントカード限定展開(インクルード)、無銘『曲刀』」

 

 湾曲した闇の刃を掲げ、凛が斬りかかる。

 

「うわッ!? とッ!?」

 

 後退するイリヤ。

 

 それを追って、二度、三度と曲刀を振るう凛。

 

 このままじゃ埒が明かないと感じたイリヤは、とっさに宙返りしつつ、空中に飛び上がりながら回避する。

 

「ちょっとーッ 何で凛さんとルヴィアさんが敵に回ってる訳ー!? 説明してー!?」

《あー それは色々あったと言いますか、わたし達にもよくわかってないと言いますか、ていうか、今まで気付かなかったんですかイリヤさん? 相変わらず鈍いですね~》

「久しぶりに会ったのにひどくない!?」

 

 抗議しながらも回避するイリヤ。

 

 その間にも、凛とルヴィアはイリヤを追い詰めるように攻撃を繰り出してくる。

 

《まあ、何と言いますか、ぶっちゃけ面倒くさいので、イリヤさんがお2人を丸ごと全部吹っ飛ばしてくれれば、証拠隠滅も出来て万事オッケーと言いますか・・・・・・》

「最後の明らかに駄目だよね!?」

 

 不穏な事を言っているルビーに、ツッコミを入れるイリヤ。

 

 この間の抜けたやり取り。

 

 緊迫した状況だというのに、妙な懐かしさすら覚える。

 

 だが、回顧に浸っている暇は、今のイリヤにはない。

 

 更にカードを限定展開(インクルード)して襲ってくる凛とルヴィア。

 

「サーヴァントカード限定展開(インクルード)、『無銘、礫』」

 

 飛散した闇の弾丸が、イリヤへと襲い掛かってくる。

 

 対抗するように障壁を展開して防ぐイリヤ。

 

《ほらほら、迷っている暇はありませんよ。遠慮なくズバッとやっちゃってくださいイリヤさん!!》

「あー!! もー!! 久しぶりに会ったってのに、大概困ったさんだよね、みんな!!」

 

 ルビーの煽りに触発されたように、ステッキを振り被るイリヤ。

 

 どうにでもなれ、とばかりに振り抜く。

 

斬撃(シュナイデン)!!」

 

 振るわれる魔力の斬撃。

 

 一閃は向かってくるルヴィアに命中。

 

 彼女の体を斬り裂く、

 

 事は無かった。

 

 代わりに、ルヴィアの着ているメイド服の胸元を斬り裂いた。

 

「あ・・・・・・」

《ナイス、イリヤさん!!》

 

 喝采を上げるルビー。

 

 茫然とするイリヤの視線の先で、「豊満」と称していいルヴィアの胸が、気前よくこぼれ陥ちる。

 

 何と言うか、色々と「美味しそう」な光景である事は間違いない。

 

《流石イリヤさんッ 私が見込んだマイマスター!! グッジョブです!!》

「ちょっとー!! 人聞きの悪いこと言わないでェ!!」

 

 あくまで「事故」を主張するイリヤは、手の中のルビーをぶんぶんと振り回しながら抗議する。

 

「イリヤ・・・・・・・・・・・・」

「ち、違うんだってば、美遊!!」

 

 疑念の眼差しを向けてくる親友に、必死で弁明するイリヤ。

 

 もっとも、弁明すればするほど、「わざとっぽく」聞こえてしまうのだが。

 

 だが、

 

 やはり・・・・・・・・・・・・

 

 お茶らけながらも、イリヤの手の中でルビーは注意深くルヴィアの様子を観察しながら呟いた。

 

 彼女が注目しているのはルヴィアの豊満なお胸、

 

 ではなく、そのすぐ下に描かれた何らかの文様だった。

 

 魔術には、必ずと言って良いほど、いくつかの法則がある。

 

 今回の場合、エインズワースは何らかの魔術で凛とルヴィアの意識を奪っているものと考えられるが、その魔術を行使するのに重要なのが「基点」である。

 

 恐らく、ルヴィアの胸に描かれているのが「基点」だろう。凛にも同様の物があるはず。

 

 あの基点を破壊すれば、2人は元に戻るはずだった。

 

 と、

 

 聞こえてくる風切り音。

 

 ほとんどとっさに、美遊とイリヤは振り返る。

 

「「物理保護!!」」

 

 同タイミングで叫ぶ少女たち。

 

 展開された障壁が、飛んできた刃を片っ端から防ぎとめる。

 

 見れば、「王の財宝(ゲートオブバビロン)」を展開したアンジェリカが、2人に向けて宝具を放ってきていた。

 

 更に、大剣を振り翳したシェルドが、真っ向から迫ってくるのが見えた。

 

 宝具降り注ぐ中を、構わず少女たち目がけて突進してくる」シェルド。

 

 間合いに入ると同時に、手にした大剣を横なぎに一閃する。

 

 真一文字に大気を斬り裂く刃。

 

 その一撃を、美遊とイリヤはタイミングを合わせて飛びのく事で回避する。

 

「クッ!!」

「このッ!!」

 

 すかさず、反撃に出るイリヤと美遊。

 

 放たれる魔力砲の一撃。

 

 強烈な閃光は、しかし、シェルドの身体に命中した瞬間、けんもほろろに弾かれてしまう。

 

「そんなッ!?」

 

 初めて見るシェルドの無敵性に、驚くイリヤ。

 

 一方の美遊はと言えば、流石に状況を冷静に見極めている。

 

 火力差は歴然としている。一瞬でも守りに入れば、その瞬間に押し切られてしまう事だろう。今はとにかく、無駄と分かっていても攻めに回らなくてはならない。

 

 地に降り立つ魔法少女たち。

 

 そこへ再びアンジェリカが攻撃を仕掛けてきた。

 

 投射される宝具の群れ。

 

 その刃が一斉に殺到してい来る。

 

 否、それだけではない。

 

 重ね合わせるように、凛とルヴィアもまた、カードを限定展開(インクルード)して、美遊とイリヤに対し攻撃を仕掛けてくる。

 

「クッ これじゃあ!?」

 

 攻撃を物理保護障壁で防ぎながら、苦しそうに唇を噛むイリヤ。

 

 360度、包囲された状態。

 

 逃げ場は、ない。

 

 この防御も、いつまでも続かない事は判っている。

 

 次の瞬間、

 

「終わりです」

 

 アンジェリカの静かな声と共に、一斉に放たれた攻撃を、2人に殺到してくるのが見えた。

 

 その圧倒的な攻撃を前にして、

 

 イリヤは決断する。

 

 あの攻撃を防ぐことは、今のままでは不可能。

 

 ならばッ

 

 クラスカードを抜き放つイリヤ。

 

 このカードは、戦闘開始前にサファイアがイリヤに渡した物である。

 

 カードは2枚。うち1枚は美遊に私、もう1枚はイリヤが持っていた。

 

 カードの表面に描かれているのは、手にした秤を掲げた聖女。

 

 躊躇う事無く、イリヤは叫んだ。

 

夢幻召喚(インストール)!!」

 

 

 

 

 

 爆炎。

 

 そして轟音。

 

 圧倒的な質量を誇る攻撃を前にして、2人の少女は成す術もなく吹きとばされただろう。

 

 誰もがそう思った。

 

 やがて、晴れる砂塵。

 

 その中で、

 

 一振りの旗が、風を受けて雄々しくはためいた。

 

 白地に金の装飾。

 

 清廉な存在感を放つ軍旗。

 

「・・・・・・・・・・・・そうか。どこかに無くしたかと思っていたが、そのカードは君が持っていたのか。」

 

 その姿を見たダリウスは、どこか納得したように頷く。

 

「聖女が旗を振るいし時、万軍が奮い立ち、あらゆる邪悪は地に伏し浄化される、か」

 

 その視線の先に佇む少女。

 

 イリヤの姿は純白の甲冑に包まれている。

 

 その手にした旗が風を受けて翻る。

 

「確かにその通りだな、裁定者(ルーラー)『ジャンヌ・ダルク』」

 

 ダリウスが呟くように言った瞬間、アンジェリカが仕掛けた。

 

 「王の財宝(ゲートオブバビロン)」を開放。宝具の一斉掃射を仕掛ける。

 

 飛来する宝具の刃。

 

 対抗するように、前に出るイリヤ。

 

 手にした旗を大きく振るう。

 

 次の瞬間、

 

 イリヤが放った旗の一閃が、飛んできた宝具をまとめて弾き飛ばしてしまった。

 

「ッ!?」

 

 まさかの事態に、舌打ちするアンジェリカ。

 

 あれだけの宝具を、まさか一撃で振り払われるとは、思っても見なかったのだ。

 

「まだです!!」

 

 更に王の財宝(ゲートオブバビロン)を展開して攻撃を続行するアンジェリカ。

 

 数が増えた剣が、槍が、イリヤへと殺到する。

 

 だが、イリヤも引かない。

 

 大ぶりな旗を縦横に振るい、飛んで来る全ての宝具を弾き、叩き落していく。

 

 ダリウスの言ったとおりである。

 

 聖女の役目は、戦場にあって味方を鼓舞し、味方を守る事にある。

 

 事「守り」に関する限り、聖女ジャンヌ・ダルクは英霊達の中でもトップクラスの戦力を誇っていた。

 

 アンジェリカの方でも躍起になっている感がある。

 

 更に宝具の量を増やして執拗に攻撃を仕掛けるが、イリヤはその全てを叩き落して見せた。

 

 と、

 

 次の瞬間、

 

「そこまでにしてもらおうか!!」

 

 大剣を手に、イリヤに斬りかかるシェルド。

 

 真っ向から振り下ろされる刃。

 

「クッ!?」

 

 対してイリヤも、戦旗を振り翳して応じる。

 

 激突する両者。

 

 互いを弾く、イリヤとシェルド。

 

「チィッ!?」

「ッ まだッ!?」

 

 同時に体勢を立て直す2人。

 

 戦旗を返すイリヤ。同時に槍のように穂先を突き込む。

 

 対して、シェルドも構わず前へと出る。

 

 イリヤの一撃を大剣で弾き、代わって真っ向から刃を振り下ろしにかかる。

 

「クッ!?」

 

 重い一撃を受け止めるイリヤ。

 

 同時にシェルドも、警戒したように大剣を構えなおす。

 

「イリヤ、大丈夫?」

「う、うん。何とか・・・・・・」

 

 手のしびれに耐えながら、美遊を守るように立つイリヤ。

 

 対して、シェルド、そしてアンジェリカが追い詰めるように迫ってきた。

 

 見れば、凛とルヴィアも、攻撃する隙を伺っている。

 

 見回せば、美遊とイリヤは完全に取り囲まれていた。

 

「もう、諦めたらどうですか?」

 

 降伏勧告をするように、アンジェリカが口を開いた。

 

「いかに強力な英霊を身に纏おうと、ここは我らエインズワースの領域。どう足掻いても、あなた方に勝ち目はありませんよ」

「「・・・・・・・・・・・・」」

 

 アンジェリカの言葉に、美遊とイリヤは沈黙を返す。

 

 確かに、魔術師を相手に工房内で戦うのは不利すぎる。イリヤ達に勝ち目は無い。

 

「降伏したまえ」

 

 再度の降伏勧告は、ダリウスからなされる。

 

「そして、我らと共に、世界を救おうじゃないか」

 

 大仰に告げるダリウス。

 

 さあ、もうお遊びは良いだろう。我々も子供につき合っているほど暇じゃないんだ。

 

 いい加減、諦めてこっちに来るがいい。

 

 ダリウスの暗い瞳は、そう語っている。

 

 対して、

 

「・・・・・・・・・・・・今回の戦い」

 

 静かに口を開いたのは、美遊だった。

 

 少女の瞳は凛とした輝きを放ち、真っすぐにダリウスを睨み据えている。

 

「今回の戦いは、私にとって賭けだった。あなた達エインズワースを倒す、唯一の機会を作るための」

「ですが、あなたは失敗した」

 

 アンジェリカは断定するように言った。

 

 確かに、

 

 エインズワースを倒す事が美遊の目的だったのだとしたら、この作戦は既に破たんしていると言って良い。

 

 首尾よくイリヤと合流できたものの、既に2人そろって追い詰められている状態だ。

 

 完全に包囲された2人の命運は、もはや風前の灯火と言って良い。

 

 と、

 

「いいえ」

 

 敢然とした口調で、

 

 美遊は言い放った。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「私の、勝ち」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 次の瞬間、

 

 ダリウスの背後に、

 

 漆黒の影が躍った。

 

 小柄な影は、他の追随を許さぬ速度で、エインズワースの首魁へと迫る。

 

「ダリウス様!!」

 

 アンジェリカが叫ぶ。

 

 が、

 

 もう遅い。

 

 振り向くダリウス。

 

 その背後には、

 

 黒装束に、白いマフラーを靡かせた少年の姿が、突如として視界の中に浮かび上がる。

 

「響ッ!?」

 

 突然現れた弟に、驚きの声を上げるイリヤ。

 

 そんな中、

 

 響は手を掲げる。

 

 そこに握られた、1枚のカード。

 

魔術師(キャスター)限定展開(インクルード)

 

 低く囁かれる声。

 

 同時に、普段は「意図的に封鎖」している魔術回路の一部分を開放する。

 

 流れ込む魔力。

 

 同時に奔る痛みに耐えながら、響は自ら振るう武器を顕現させる。

 

 それは、奇妙な形をした刃を持つ短剣。

 

 その刃を、迷う事無く、ダリウスの胸へ真っ向から振り下ろす。

 

破戒すべき全ての符(ルールブレイカー)!!」

 

 ダリウスの胸に、突き立てられる刃。

 

 次の瞬間、

 

 傷口から猛烈な闇が噴き出していった。

 

 

 

 

 

第22話「一縷の賭け」      終わり

 




死角から接近して、大将首を狙う。

何気に、響が初めてアサシンっぽい事をした気がする。


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第23話「置換」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 目を覚ます響。

 

 開いた瞼の隙間から、光が差し込んでくる。

 

 呼吸すると、肺の中へ流れ込んでくる冷たい空気が、意識を覚醒していくのが分かる。

 

 そんな中で、響は微笑を口元に浮かべる。

 

 すぐ目の前に広がる光景が、響の心の中に安心感と幸福感を齎していた。

 

 美遊がいる。

 

 昨夜、一緒の布団で寝たのを思い出していた。

 

 どうやら、響の方が先に起きたらしく、少女は目を閉じて静かな呼吸を繰り返していた。

 

 ジッと、美遊の寝顔を見詰める響。

 

 流れるような黒髪。

 

 軽く閉じられた瞼。

 

 桜色の唇。

 

 眠っているのに、少女の愛らしさは否応なく伝わってくる。

 

 正直、ずっとこのままでいたい、とさえ思ってしまう。

 

「・・・・・・・・・・・・」

 

 美遊の顔を見ているだけで、響は自分の顔が熱くなり、そのまま気恥ずかしさが込み上げてくる。

 

 美遊と、恋人になった。

 

 昨夜、互いの想いを伝えあい、告白する事が出来た。

 

 その事を、改めて実感する。

 

 美遊は、控えめに言っても水準以上の美少女。そんな可愛い子とつき合う事ができるなど、正直、夢のようである。

 

 否、そんな一面の話ではない。

 

 美遊の容姿、美遊の笑顔、美遊の性格、美遊の優しさ。

 

 それら全てが、響にとっては好きで好きで堪らなかった。

 

 と、

 

「・・・・・・・・・・・・ん」

 

 軽い呻き声と共に、美遊の瞼が動く。

 

 ゆっくりと開かれる、少女の瞳。

 

 その視線が、響と合う。

 

 見つめ合う、少年と少女。

 

「・・・・・・おはよう、響」

「・・・・・・ん」

 

 少し照れたように微笑み合う、響と美遊。

 

 恋人同士とは言え、同じ布団で寝た事は思春期入りたての子供たちからすればまだまだ気恥ずかしく、何となく、いけない遊びをしている気分になってしまう。

 

 やがて、

 

 どちらからともなく目を閉じ、お互いの唇を重ねた。

 

 深く交わるキスではない。

 

 軽く触れるだけの、甘い口づけ。

 

 だがそれだけで、幼い恋人たちの胸は甘い気持ちで満たされていくのが分かった。

 

 

 

 

 

 ベッドの上で互いを抱き合う、響と美遊。

 

 どれくらい、そうしていただろう?

 

 できれば、いつまででもこうしていたい。そんな風に思えてくる。

 

「ねえ、響。考えていた事があるの」

「ん?」

 

 改まった口調で告げる美遊に対し、怪訝な面持ちで視線を向ける響。

 

 対して、美遊は真っ直ぐに見据えて言った。

 

「私は、エインズワースに投降しようと思う」

「なッ!?」

 

 驚く響。

 

 昨日、あれだけの事があり、美遊は最後まであきらめずに戦う事を選んだ。

 

 その筈だった。

 

 決意も新たに、いよいよエインズワースとの戦いに臨もうという時に、他ならぬ美遊の口からそのような事を聞かされるとは思わなかった。

 

「ダメ、絶対ダメ!!」

 

 強硬に反対する響は、当然の反応だった。

 

 だが、響が反対する事は、美遊も想定していたのだろう。落ち着いた様子で口を開いた。

 

「聞いて響。エインズワースの力は強大すぎる。多分、響や私が想像しているよりもずっと」

 

 ヴェイクに勝ったとはいえ、あの程度では一時的な物でしかない。敵はすぐにも態勢を立て直して攻めてくるだろう。

 

 それを迎撃する事は、現状でも不可能ではない。

 

 だが、そんな受け身の戦闘ばかりを続けていては、じり貧になるのは目に見えている。いずれは押し込まれ、敗北の憂き目を見る事だろう。

 

「だから、こっちから仕掛けてみようと思う」

「仕掛ける?」

「そう」

 

 尚も怪訝な面持ちの響に、美遊は自分の考えを語って聞かせた。

 

 エインズワースは間を置かずに仕掛けてくる事だろう。これは100パーセントの確信を持って言える事だ。それ程までに、彼らにとっては美遊という存在は重要なのである。

 

 なので、是が非でも美遊を手に入れようと躍起になるはずだ。

 

 そこに、一縷の勝機がある。

 

「まず、私がわざと投降する。そうすれば彼らは、私をあの城へ連れていくはず。そして、聖杯を使う為の儀式を行うはず」

 

 エインズワースの結界は強力だが、一度中に入ってしまえばこっちの物である。

 

「そこで、私が攻撃を仕掛けて、混乱に乗じてイリヤとお兄ちゃんを救い出す」

 

 更に、同時に「気配遮断」を使用した響も、城へ密かに潜入するのだ。

 

 城には置換魔術による結界が張られれているが、流石に誰かが出入りするときは結界を解除しているはず。

 

 その隙に潜入した響が、美遊の攻撃で混乱しているエインズワースに奇襲をかけるのだ。

 

 美遊の作戦を聞いた響は、内容を納得して頷く。

 

「ん、呪いの木馬?」

「『トロイの木馬』ね」

 

 響のボケに、美遊は嘆息交じりにツッコむ。何だか、見るだけで死を招きそうなネーミングである。

 

 とは言え、

 

 成功率は、あまり高いとは言えない。

 

 だが、上手くいけば現状を打破できる可能性が高いのも確かだった。

 

「・・・・・・やっぱり駄目。危険すぎる」

 

 尚も、響は険しい表情で否定する。

 

 そんな響に対し、美遊は柔らかく微笑むと、そっと手を伸ばして幼い彼氏の頬を撫でる。

 

「大丈夫」

「・・・・・・・・・・・・」

 

 美遊の手のぬくもりを感じる響。

 

 対して、美遊は優しく語り掛ける。

 

「だって、私の事は、響が守ってくれるでしょ?」

「・・・・・・美遊」

 

 それは、言うまでもない事。

 

 美遊は守る。自分が、絶対に。

 

 その想いを、新たにする。

 

「響・・・・・・」

「美遊・・・・・・」

 

 見つめ合う、2人。

 

 やがて、同時に顔を近づけ、

 

 互いに唇を重ねた。

 

 

 

 

 

 というやり取りが、響と美遊の間でなされたのは今朝の話である。

 

 結果、

 

 作戦は成功。

 

 美遊は囚われていたイリヤと合流を果たすと同時に、響は見事、ダリウスに対して奇襲をかける事に成功したのだった。

 

 

 

 

 

 ダリウスの胸に突き立てられた短剣。

 

 その歪な刃のもたらす中心点より、強烈な魔力が放出される。

 

 気配遮断を用いて結果以内に潜入を果たした響は、美遊達が戦っている隙に背後からダリウスに接近。一気に奇襲を掛けたのだ。

 

 まさに暗殺者(アサシン)の面目躍如と言えるだろう。

 

 宝具「破戒すべき全ての符(ルールブレイカー)」。

 

 魔女メディアの持つ宝具で、効果はあらゆる魔術を無効化する事ができる。

 

 響は予め、美遊から魔術師(キャスター)のカードを託されて、今回の奇襲作戦に臨んだのだ。

 

 通常タイプのカードの使用は、響にとって負担が大きい。少年の魔術回路は、「斎藤一(アサシン)」を使用するのに特化している為、本来なら他のカードを使用する事が出来ない体。

 

 それ故に、他のカードを使用する場合、以前から繋げたままにしてある「ヒビキ」の方の魔術回路を開放する必要がある。

 

 だが、本来なら自分の物ではない、他人の魔術回路を強引に使用しているのだ。その負担は半端な物ではない。

 

 加減を間違えれば死にも直結しかねない危険な行為。

 

 だが、今回の奇襲は、掛け値なしに千載一遇のチャンス。これを逃せば、エインズワースを倒す機会は永久にやってこないかもしれない。

 

 それ故に響は迷わず、己の全てを掛けていた。

 

 突き込まれた刃の切っ先から、黒い泥が吹き出すのが見える。

 

「ぐおォォォォォォォォォォォォ!?」

 

 苦悶の声を上げるダリウス。

 

 だが

 

「とっとと・・・・・・・・・・・・」

 

 短剣を持つ手に力を籠める響。

 

「たお、れろォォォォォォ!!」

 

 渾身の力を込めて「破壊すべき全ての符(ルールブレイカー)」の刃を、ダリウスの胸へ突きいれる。

 

 次の瞬間、

 

「おのれ下郎ッ ダリウス様から離れろ!!」

 

 鋭い声と共に、無数の刃が響へ襲い掛かる。

 

 アンジェリカだ。主の危機に際し、美遊達を放って引き返してきたのだ。

 

「ッ!?」

 

 とっさに刃を引き抜き後退する響。

 

 間一髪、投射された宝具は響のつま先を霞めて地面に突き刺さる。

 

 後退しつつ着地する響。

 

 同時に「破戒すべき全ての符(ルールブレイカー)」はカードに戻る。

 

 カードをポケットに入れ、刀の柄に手を掛ける響。

 

 その視線は、ダリウスへと向けられている。

 

 尚も泥のような煙を吐き出しながら、苦悶に震えるダリウス。

 

 その姿だけでも、ダリウスという存在が普通ではない事がうかがえる。

 

「・・・・・・・・・・・・やった」

 

 ガッツポーズを作る響。

 

 美遊の作戦は完全に成功した。

 

 うまくいけばこれで、エインズワースを壊滅に追いやれるばかりではなく、聖杯戦争の儀式そのものも無効化できるかもしれない。

 

 同時に、

 

 美遊とイリヤが動いた。

 

 イリヤは夢幻召喚(インストール)を解除。美遊と頷きあう。

 

《良いですよイリヤさん、美遊さん、思いっきりやっちゃってください!!》

《遠慮は無用です。むしろぶっ飛ばす勢いでお願いします》

「何で2人とも、そんなにノリノリなの!?」

 

 物騒なステッキ姉妹にツッコミを入れつつ、駆ける美遊とイリヤ。

 

 その向かう先には、立ち尽くす凛とルヴィアの姿がある。

 

 相変わらず、虚ろな目でこちらをジッと見つめている魔術師2人。

 

 エインズワース側が響の奇襲で混乱している今なら、2人を取り戻すチャンスだった。

 

 美遊はルヴィアに、イリヤは凛に、それぞれ迫る。

 

「いかんッ」

 

 2人の意図に気付き大剣を振り翳して阻止しようとするシェルド。

 

 大剣を構えなおし、斬りかかろうとする。

 

 だが、

 

「やらせない!!」

 

 神速で接近すると同時に、抜刀してシェルドを斬りつける響。

 

 月牙を描く真一文字の剣閃を前に、シェルドはとっさに攻撃を諦めて後退せざるを得なくなる。

 

 その隙に美遊はルヴィアに、イリヤは凛の懐に飛び込んだ。

 

 狙いは一点。

 

 胸にある置換魔術の基印部分。

 

 ここを叩けば、置換魔術は解除されるはず。

 

 イリヤと美遊は、それぞれ手にしたステッキの柄で、

 

 狙い違わず凛とルヴィアの胸にあるの基印を叩いた。

 

 次の瞬間、

 

「「はッ!?」」

 

 ほとんど同時に、凛とルヴィアは目を覚ましたように動き出す。

 

「な、何ッ!? いきなりどうしたっての!?」

「ちょッ 何でわたくし、こんな格好してますのー!?」

 

 いきなりの事で戸惑う2人。ルヴィアに至っては(イリヤのせいで)トップレス状態である為、猶更混乱の極致に陥てったいた。

 

「やった、成功」

 

 刀の切っ先を向けてシェルドを牽制しながら、響は笑みを浮かべる。

 

 ダリウスへの奇襲。イリヤの奪還、ついでに凛とルヴィアの奪還と、立て続けに作戦は成功していた。

 

 このまま行けば、聖杯戦争そのものを無しにする事も不可能ではない。

 

 そう思った。

 

 その時だった。

 

 思いもしなかったことが起こる。

 

 響達が見ている目の前で、

 

 エインズワースの城が消え始めたのだ。

 

 まるで城その物が幻であったかのように掻き消え、変わってゴツゴツとした岩肌の山が姿を現す。

 

「ど、どうなってるの、これ?」

 

 茫然と呟くイリヤ。

 

 余りの事態に、美遊も返事をする事が出来ずに立ち尽くしている。

 

 その時だった。

 

「何してくれやがる、クソガキ共がァ!!」

 

 強烈な叫びと共に、ハンマーを振り翳した少女が上空から襲い掛かって来た。

 

 撒き散らされる雷撃。

 

 叩きつけられたハンマーによって、地面が叩き割られる。

 

 ベアトリスだ。今まで姿を見せていなかったが、どうやら自分たちが危機的状況に陥った事を察知して出て来たらしい。

 

 ベアトリスの攻撃を、とっさに後退する事で回避する響、美遊、イリヤの3人。

 

 回避が早かったことが功を奏し、3人は致命的なダメージを受ける前に、ベアトリスの攻撃範囲から離脱する事に成功した。

 

 と、その時、

 

「ちょっとちょっとちょっと、いったこれは何がどうなってんのよ!?」

 

 聞きなれた声が、慌てた調子で叫ぶのが聞こえた。

 

 振り返れば、クロとバゼットが呆れた調子で、変わりゆく城の姿を見ていた。

 

 2人は響の姿がいつの間にか見えなくなっていた事。さらにルビーの姿も無かった事。

 

 この2つの事から、響と美遊がまたぞろ結託して、勝手に敵との戦いに向かった事を察知し、慌てて追いかけてきたのである。

 

「あんたたちはホントにもう・・・・・・」

 

 ため息交じりに頭を抱えるクロ。その額には、見てわかるくらいの青筋が浮かんでいる。

 

「取りあえず、響ッ、美遊ッ あんた達、帰ったらお仕置き確定だからね!!」

 

 クロの言葉に、互いに苦笑する響と美遊。

 

 昨日の今日で、これである。まさしく「舌の根も乾かぬうちに」というやつである。言い訳は不許可だった。

 

 とは言え、

 

 それも後の話である。

 

 徐々に崩壊していくエインズワース城。

 

 その中央に立つダリウスが、尚も苦悶の声を上げている。

 

 次の瞬間、

 

 「ダリウスの姿」が、ずるりと崩れ落ちた。

 

 まるで粘土か何かで作った皮がはがれるように、地面に落ちて泥と化す。

 

 一同が唖然として見守る中、

 

 その下から、ダリウスよりも一回り小柄な人影が姿を現した。

 

 

 

 

 

 

 城の崩壊は急速に進みつつあった。

 

 響がダリウスに「破戒すべき全ての符(ルールブレイカー)」を突き立てた事で、エインズワースに関わる全ての術式が解除されているのだ。

 

 この城もそう。

 

 もともとこの場所にあった物ではなく、置換魔術を使ってどこか別の場所から持ってきたものである。

 

 それ故に、偽りの城は砂上の楼閣の如く消え去ろうとしていた。

 

 そんな中、

 

 地下通路を進む影があった。

 

 否、正確に言えば小さな足音が聞こえるだけで、その主の姿は見えない。

 

 崩れてくる瓦礫をうまくよけながら、速足で進んでいく。

 

「ひゃー これ早くしないと、置換が解けて僕も生き埋めになるパターンじゃないの? 何だか地味な使い走りやらされてる気がするよ」

 

 嘆息気味に呟いたのはギルの声である。

 

 上で響達がエインズワースの主力たちと戦っている間に、地下空間へと潜入したのだ。

 

 目的は、一つ。

 

「僕もね、君には一度直接会ってみたかったんだよ」

 

 目的となる牢の前までくると「王の財宝(ゲートオブバビロン)」を開放。刃を解き放つ。

 

 放たれた宝具が、扉を一瞬で粉砕する。

 

 突然の衝撃。

 

 牢に幽閉されていた男は、驚きと共に顔を上げた。

 

「だ・・・・・・誰だ?」

 

 かすれた声で問いかける。

 

 対して、

 

 透明化を解いたギルは、瓦礫の上に立って言い放った。

 

「待たせたね。出所の時間だよ、お兄ちゃん」

 

 

 

 

 

 城はほぼ完全に崩壊。

 

 後には、巨大な岩山のみが、禍々しく佇んでいるのが見える。

 

 その岩山を背景に、

 

 その人物は立ち上がった。

 

 体つきはやや華奢な印象がある少年。恐らく高校生くらいだろう。

 

 中途半端に伸ばした髪や色白の肌など、あまり活発な印象はでは無い。

 

 どことなく、図書館などで1人で本を読んでいそうな雰囲気がある。

 

 だが、

 

 およそ考えられる全ての憎悪を凝縮したような瞳は、暗い炎を宿して響達を睨みつけていた。

 

「・・・・・・下らねえ」

 

 絞り出すような声はおどろおどろしく、聞くだけで首を絞められているような錯覚にすら襲われる。

 

「まったくもって下らねえ。テメェら如き、材料に過ぎない奴等が、俺の神話を邪魔するとはな」

 

 憎々し気に放たれる言葉。

 

 そんな青年の言葉を聞き、響達は戸惑いを隠せずにいた。

 

 ダリウスが消え、その下から出てきた青年。

 

「あれ、誰? ダリウスは?」

 

 尋ねる響。

 

 対して、美遊は、緊張の面持ちで返す。

 

「ダリウスじゃない・・・・・・ダリウスはとっくに死んでいる。あそこにいるのは、父親であるダリウスの死を偽装し、亡霊にしがみついた贋作者」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「エインズワース家現当主。ジュリアン・エインズワース」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

第23話「置換」      終わり

 




取りあえず、

前半はブラックコーヒーを飲みながらお読みください(遅


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第24話「絶望への一矢」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 瓦礫が、降り注ぐ。

 

 それは、城の崩壊が、既に止められないところまで来ている事を意味していた。

 

 響がダリウスに対して「破戒すべき全ての符(ルールブレイカー)」を使用した事で、エインズワースが構成した全ての術式が、雪崩撃つように崩壊しているのだ。

 

 そして、

 

 その崩壊に巻き込まれようとしている少年がいた。

 

「クソッ クソッ 何なんだよ、急に!?」

 

 城の中を駆けまわりながら、悪態を吐くヴェイク。

 

 先日、仲間に諮る事無く勝手に出撃して、響と美遊に大敗したヴェイクは、傷の治療こそされた物の、その後は自室において、半ば監禁に近い扱いを受けていた。

 

 そんな中での城の崩壊である。

 

 ヴェイクは崩れた壁の隙間から部屋を脱出したのだった。

 

 しかし、そうしている間にも、城の崩壊は急速に進んでいく。

 

 更に、崩壊しつつあっても、城を包むように配置された置換魔術は健在であるらしく、ヴェイクは迷宮区に迷い込み、進む方向さえ分からなくなってしまっていた。

 

「クソォッ この僕が、こんな所で死んでたまるかよ!!」

 

 自身に降りかかる理不尽。

 

 その全てに怒りを向ける。

 

 自分を呑み込むようにして崩壊していく城にも。

 

 自分を閉じ込めたエインズワースにも。

 

 そして、自分をこんな境遇に追いやった、響達にも。

 

 みんなみんな、あいつらが悪い。

 

「許さない・・・・・・許さないぞ、あいつらッ 必ず、目に物を見せてやる!!」

 

 暗い恩讐が、少年を包む。

 

 そうだ。

 

 復讐するは我にあり。

 

 「正しい自分」は「邪悪な奴等」に復讐する、正当な権利があるのだ。

 

 その為にも、今はこの崩壊していくガラクタの城を脱出しないと。

 

 その時、

 

《やあ》

 

 城の崩壊音が鳴り響く中、妙に気さくな声が上がった。

 

 振り返るヴェイク。

 

 その視界の先には、黒く淀んだ影があるだけ。

 

 だが、

 

「あ、あなたはッ!?」

 

 驚きの声を上げるヴェイク。

 

 それに対し、影の方も笑いかけたような気がした。

 

《どうやら、お困りのようだね。よかったら、力を貸そうじゃないか》

 

 

 

 

 

 主の元へ、素早く駆け寄る黄金の女。

 

 一同が呆気に取られる中、その行動は誰よりも早かった。

 

 状況を理解したアンジェリカは、とっさに攻撃を中断すると、主の元へと飛ぶ。

 

「ジュリアン様、こちらへ!!」

 

 少年の手を掴むアンジェリカ。

 

 無防備な主を、一刻も早く敵の手の届かない場所まで逃がす必要があった。

 

 それを察知した響が、アンジェリカを追って刀を振り翳す。

 

「ん、行かせ、ない!!」

 

 接近と同時に、袈裟懸けに振り下ろされる白刃。

 

 大気を斬り裂く銀の閃光は、しかしジュリアン・エインズワースには届かない。

 

 その前に割って入ったシェルドが、手にした大剣で軽々と打ち払う。

 

「アンジェリカ、ジュリアン様を、早く!!」

「うむッ」

 

 シェルドの援護を受けながら、アンジェリカは置換魔術を発動。空間を開いて繋げ、別の場所へと移動する。

 

 その様に舌打ちする響。

 

 既に置換の口は閉じ、アンジェリカ達の姿は完全に消え去ってしまった。

 

「んッ 邪魔!!」

 

 素早く刀を返す響。

 

 立ちはだかるシェルドに対し、切っ先を真っすぐに向けて突き込む。

 

 だが、

 

「無駄だッ!!」

 

 響の一撃をその身で受けて、平然と立つシェルド。

 

 これまで同様、如何無く発揮される無敵性を前に、響の斬撃は防がれる。

 

 だからこそ、

 

 響は仕掛ける。

 

 真っ向から振り下ろされる、シェルドの大剣。

 

 その刃が響を捉えた。

 

 次の瞬間、

 

 少年の姿は霞のように消え去る。

 

「ぬッ!?」

 

 驚くシェルド。

 

 殆どゼロ距離に近い場所から振り下ろされた大剣。

 

 回避が可能な距離ではなかったはず。

 

 シェルドとしては、大剣の一撃でもって響の体勢を崩し、そのままトドメの一撃を放とうとしていたのだが、その目算が狂った形である。

 

 次の瞬間、

 

「ッ!?」

 

 背後に浮かんだ殺気。

 

 とっさに身を翻すシェルド。

 

 そこへ、響が斬りかかる。

 

 ほとんどとっさに、回避を選択するシェルド。

 

 僅かに、刃が肩を霞める。

 

 シェルドが大剣を振り下ろした一瞬の隙に、響は回避すると同時に背後に回り込んでいたのだ。

 

 後退するシェルド。

 

 だが、やはりと言うか、響の剣は彼を傷付けるには至っていない。

 

「やっぱ、だめ・・・・・・・・・・・・」

 

 これまで何度も味わってきた状況だ。

 

 対して、シェルドも警戒したように大剣を構える。

 

 シェルドもまた、予想外の機動力を発揮した響を警戒しているのだった。

 

 

 

 

 

 響とシェルドが麓で激突している頃、

 

 置換魔術によって岩山の上に降り立ったアンジェリカは、自らの主を慎重に下す。

 

 既に城の外観は完全に崩れ、その姿は武骨な岩山へと変貌していた。

 

 巨大な花が開いたような外観をしている岩山は、それだけで何かを受け止めるような器の姿をしていた。

 

 その岩山で、ジュリアンたちを待つ影が2つある。

 

 エリカ、そしてシフォンは、ジュリアンたちを待ちわびるようにして、岩山の上に佇んでいた。

 

「お兄ちゃん・・・・・・・・・・・・」

 

 エリカは、どこか不安そうな表情でジュリアンを見上げてきている。

 

 そんな少女を、不機嫌そうな目で一瞥するジュリアン。

 

 一見すると、怒っているようにも見える少年の姿。

 

 だが、

 

 ジュリアンは手を伸ばすと、そっと少女の頭を撫でた。

 

 少し、くすぐったそうに目を閉じてから、エリカは改めてジュリアンを見る。

 

「おうち、壊れちゃったね」

 

 残念そうに言いながら、エリカは眼下に目をやる。

 

 今や完全に崩壊した城は、その姿はまるで幻のように消え去っていた。

 

「それに、イリヤお姉ちゃんも、美遊お姉ちゃんも、あっちに行っちゃった」

 

 少女の眼下では、こちらを見上げているイリヤと美遊の姿がある。

 

 2人とも、未だに事態の変化についていけず戸惑っている様子が見て取れた。

 

 もっとも、それは他のメンツについても同様である。皆、いったい何がどうなっているのか、状況を把握できずに困惑していた。

 

「エリカ」

 

 落胆する少女に、ジュリアンは硬い口調で語り掛けた。

 

「お前の味方、家族は兄であり、父である俺1人だけだ。他にはもう、何もねえんだよ」

 

 諭すような口調。

 

 その言葉を、エリカや、傍らに控えているアンジェリカやシフォンは黙して聞き入る。

 

他人(ひと)は滅びる為に生まれた。世界(ほし)はもう壊れている。選択肢(みらい)はついに行き詰った。だからこそ、俺が必ず救って見せる。エインズワースの悲願は俺とお前で成し遂げる。良いな」

 

 兄の言葉に対し、エリカは瞼をぬぐう。

 

 そうだ。自分にはこの人がいる。やるべき使命がある。

 

 ならば、他には何もいらない。

 

「うん。エリカ、全然悲しくないよ。エリカにはお兄ちゃんがいるもんね」

 

 笑顔のエリカ。

 

 その少女に目を向けつつ、ジュリアンは一同に宣言するように言った。

 

「神話を、もう一説進める」

「ッ!? それは!?」

 

 声を上げたのはシフォンだった。

 

 ジュリアンの言葉。その裏にあるリスクは、決して無視出来る物ではない。

 

 そんな事をしたら、エリカにどんな影響がある事か。

 

 更に抗議するべく口を開きかけるシフォン。

 

 だが、

 

「控えよッ」

 

 アンジェリカの鋭い叱責が、少年に飛ぶ。

 

「主の決定だ。我らが口を挟むべき事ではない」

「・・・・・・・・・・・・」

 

 アンジェリカの言葉に、黙り込むシフォン。

 

 どこか、悔しさを滲ませるように、唇を噛み占める少年。

 

 彼らに背を向け、ジュリアンは腕を大きく頭上へ掲げた。

 

「聞け、器共。お前らがいかに足掻こうが、喚こうが、俺の神話は決して覆らない。全てが、無駄なんだよ」

 

 言い放つと同時に、

 

 「それ」は現れた。

 

 ジュリアンたちの遥か頭上。

 

 空中に浮かび上がるように、

 

 巨大な影が出現した。

 

 闇色をした立方体。

 

 その大きさたるや、岩山を覆いつくすほどである。

 

「お前らに選択肢などない。選択したつもりでいるだけ。足掻こうが、抗おうが、結末は一つ。俺が作る神話に全てが収束する」

 

 冷ややかに告げるジュリアン。

 

 対して、誰もが困惑を隠せずにいる。

 

「何・・・・・・あれ?」

「あれは、いったい・・・・・・・・・・・・」

 

 あまりの事態に、息を呑む美遊とイリヤ。

 

 予想外すぎる事態の連続に、言葉を発する事すらできない。

 

 そして、それは響も同様だった。

 

 シェルドの攻撃を刀で受け止めながら、視線は頭上へと向ける。

 

「黒い、サイコロ?」

「貴様が知る必要は、無い」

 

 鋭く言い放ち、響の身体を蹴り飛ばすシェルド。

 

 対して、とっさに空中で体勢を入れ替えながら着地する響。

 

 眦を上げる少年。

 

 その視線が、

 

 遥か頭上に立つジュリアンとぶつかり合った。

 

「衛宮響。俺はお前を赦さん。俺たちの(いえ)を壊した事、父の概念置換を壊した事。そんな物は些事に過ぎない。だが、聖杯(美遊)に余計な知識を与え、あまつさえ俺の神話を壊そうとするなら、まずはお前から真っ先に消し去ってやる」

 

 ジュリアンが言い放つと同時に、変化は起こった。

 

 巨大な立方体から、漆黒の泥が零れ流れる。

 

 流れ出た泥は、その下にいたエリカを呑み込むと、更に岩山から溢れ出していく。

 

 その様を見下ろしながら、ジュリアンは冷酷に告げる。

 

「逃げるなら好きにしろ。夢よりも儚い希望を抱いてな。だが覚えておけ、エインズワース(おれたち)の暗闇は、地の獄まで覆いつくすぞ」

 

 ジュリアンが言い放つと同時に、おぞましい変化が起こった。

 

 あふれ出た泥。

 

 その黒々とした水面より、

 

 恐怖が生まれ出る。

 

 ズルリと這い出る、漆黒の絶望。

 

 それらは、やがて形作られていく。

 

「なッ!?」

「これはッ!?」

 

 驚く一同が見ている前で、

 

 泥が次々と人型を成していく。

 

 形も、大きさも様々。中には、明らかに「人」のレベルを逸脱している物までいる。

 

 武器を手にしている者、徒手の者など、姿形も多様である。

 

「こ、これって・・・・・・・・・・・・」

「まさか・・・・・・・・・・・・」

 

 何かに思い至ったように呟くクロ。

 

 そうしている内に、漆黒の人型は一斉に動き出した。

 

 その数は数十、

 

 否、

 

 数百、

 

 否、

 

 数千、

 

 もっと・・・・・・あるいは無限に湧いて出てきている感すらあった。

 

「クッ!?」

 

 とっさに、干将と莫邪を投影し斬り込むクロ。

 

 漆黒の英霊が振り下ろす剣を、黒白の双剣で受け止める。

 

 だが、

 

「グッ!?」

 

 予想以上に重い一撃を前に、クロは思わずうめき声を漏らした。

 

 ほんの数合。

 

 たったそれだけの斬り合いで、干将と莫邪の刃はボロボロに成り果てていた。

 

「これはッ!?」

 

 一瞬、武器を失って驚愕するクロ。

 

 そこへ、全方位から殺到する漆黒の英霊達。

 

 次の瞬間、

 

「全方位ッ!!」

 

 白い小さな影が、クロと背中を合わせるように飛び込んで来た。

 

斬撃(シュナイデン)!!」

 

 鋭く手にしたルビーを振るうイリヤ。

 

 薄く鋭い斬撃が、四方に放たれる。

 

 だが、

 

 大気を斬り裂く魔力の刃は、英霊達を前にして、けんもほろろに弾かれてしまう。

 

「・・・・・・ダメか」

 

 落胆と共に舌打ちするイリヤ。

 

 彼女の必殺技とも言うべき魔力斬撃でも、傷一つ付けられなかった。

 

「取りあえず、無事で何よりってところかしらね」

 

 クロはイリヤと背中合わせに立ちながら、再び干将莫邪を投影して構える。

 

「クロ・・・・・・」

「けど、いきなり絶体絶命よね、これは」

 

 クロの口にも苦い物が走る。

 

 正直、(クロにとっては割と腹立たしいが)響と美遊の奇襲作戦が成功したのは喜ばしい事である。これで少なくとも、エインズワース側の思惑を大きく狂わせることには成功した筈。

 

 だが、事態は却って、思わぬ方向に転がってしまった感があった。

 

 ほぼ同時に、バゼットも戦闘を開始する。

 

 向かってくる漆黒の軍勢を前に、徒手で挑むバゼット。

 

 連撃で叩き込まれる攻撃を前に、次々と拳を繰り出して防ぐ。

 

 だが、

 

 そのバゼットに、真っ向から接近した英霊が、手にした剣を振り翳す。

 

「クッ!?」

 

 とっさに防御の姿勢を取るバゼット。

 

 交差させた腕が剣の一撃を受け止める。

 

 だが、

 

「グゥッ!?」

 

 強烈な一撃をまともに受け、大きく後退するバゼット。

 

 戦慄が走る。

 

 目の前に溢れんばかりの数が出現した黒化英霊達。

 

 この1体1体が全て、歴史に名を成した英雄達だ。故に、その戦闘力は侮れない物がある。

 

「下がって、バゼット」

 

 低く告げる響。

 

 同時に、その身には浅葱色の羽織が纏われる。

 

 宝具「誓いの羽織」を纏い、暗殺者(アサシン)から剣士(セイバー)に特性を入れ替える響。

 

 同時に、切っ先を真っすぐに向けて駆ける。

 

 一歩、

 

 二歩、

 

 三歩、

 

 音速まで加速した剣は、餓えた狼の牙と化す。

 

「餓狼一閃!!」

 

 撃ち放たれる刃。

 

 その一閃は、複数の黒化英霊をまとめて吹き飛ばす。

 

 響の攻撃を受け、泥へと帰る黒化英霊。

 

 だが、

 

「ダメ・・・・・・・・・・・・」

 

 舌打ち交じりに、響は呟く。

 

 敵の数が、減らない。

 

 1体や2体倒した程度では、焼け石に水である。どう考えても、倒す敵よりも、増える数の方が多く、早かった。

 

 じり貧、

 

 という言葉すら生ぬるい。

 

 このままでは、時間を稼ぐ事すら不可能に近かった。

 

 そんな中、

 

 美遊は眼下に広がる光景を、愕然として眺めていた。

 

 あふれ出た黒い泥の中から生まれ出でた無数の英霊達。

 

 その全てが、絶望の怒涛となって押し寄せようとしていた。

 

 セイハイ

 

 セイハイ

 

 セイハイ

 

 セイハイ

 

 セイハイ

 

 セイハイセイハイセイハイセイハイセイハイセイハイセイハイセイハイセイハイセイハイセイハイセイハイセイハイセイハイセイハイセイハイセイハイセイハイセイハイセイハイセイハイセイハイセイハイセイハイセイハイセイハイセイハイセイハイセイハイセイハイセイハイセイハイセイハイセイハイセイハイセイハイセイハイセイハイセイハイセイハイセイハイセイハイセイハイセイハイセイハイセイハイセイハイセイハイセイハイセイハイセイハイセイハイセイハイセイハイセイハイセイハイセイハイセイハイセイハイセイハイセイハイセイハイセイハイセイハイセイハイセイハイセイハイセイハイセイハイセイハイセイハイセイハイセイハイセイハイセイハイセイハイセイハイセイハイセイハイセイハイセイハイセイハイセイハイセイハイセイハイセイハイセイハイセイハイセイハイセイハイセイハイセイハイセイハイセイハイセイハイセイハイセイハイセイハイセイハイセイハイセイハイセイハイセイハイセイハイセイハイセイハイセイハイセイハイセイハイセイハイセイハイセイハイセイハイセイハイセイハイセイハイセイハイセイハイセイハイセイハイセイハイセイハイセイハイセイハイセイハイセイハイセイハイセイハイセイハイセイハイセイハイセイハイセイハイセイハイセイハイセイハイセイハイセイハイセイハイセイハイセイハイセイハイセイハイセイハイセイハイセイハイセイハイセイハイセイハイセイハイセイハイセイハイセイハイセイハイセイハイセイハイセイハイセイハイセイハイセイハイセイハイセイハイセイハイセイハイセイハイセイハイセイハイセイハイセイハイセイハイセイハイセイハイセイハイセイハイセイハイセイハイセイハイセイハイセイハイセイハイセイハイセイハイセイハイセイハイセイハイセイハイセイハイセイハイセイハイセイハイセイハイセイハイセイハイセイハイセイハイセイハイセイハイセイハイセイハイセイハイセイハイセイハイセイハイセイハイセイハイセイハイセイハイセイハイセイハイセイハイセイハイセイハイセイハイセイハイセイハイセイハイセイハイセイハイセイハイセイハイセイハイセイハイセイハイセイハイセイハイセイハイセイハイセイハイセイハイセイハイセイハイセイハイセイハイセイハイセイハイセイハイセイハイセイハイセイハイセイハイセイハイセイハイセイハイセイハイセイハイセイハイセイハイセイハイセイハイセイハイセイハイセイハイセイハイセイハイセイハイセイハイセイハイセイハイセイハイセイハイセイハイセイハイセイハイセイハイセイハイセイハイセイハイセイハイセイハイセイハイセイハイセイハイセイハイセイハイセイハイセイハイセイハイセイハイセイハイセイハイセイハイセイハイセイハイセイハイセイハイセイハイセイハイセイハイセイハイセイハイセイハイセイハイセイハイセイハイセイハイセイハイセイハイセイハイセイハイセイハイセイハイセイハイセイハイセイハイセイハイセイハイセイハイセイハイセイハイセイハイセイハイセイハイセイハイセイハイセイハイセイハイセイハイセイハイセイハイセイハイセイハイセイハイセイハイセイハイセイハイセイハイセイハイセイハイセイハイセイハイセイハイセイハイセイハイセイハイセイハイセイハイセイハイセイハイセイハイセイハイセイハイセイハイセイハイセイハイセイハイセイハイセイハイセイハイセイハイセイハイセイハイセイハイセイハイセイハイセイハイセイハイセイハイセイハイセイハイセイハイセイハイセイハイセイハイセイハイセイハイセイハイセイハイセイハイセイハイセイハイセイハイセイハイセイハイセイハイセイハイセイハイセイハイセイハイセイハイセイハイセイハイセイハイセイハイセイハイセイハイセイハイセイハイセイハイセイハイセイハイセイハイセイハイセイハイセイハイセイハイセイハイセイハイセイハイセイハイセイハイセイハイセイハイセイハイセイハイセイハイセイハイセイハイセイハイセイハイセイハイセイハイセイハイセイハイセイハイセイハイセイハイセイハイセイハイセイハイセイハイセイハイセイハイセイハイセイハイセイハイセイハイセイハイセイハイセイハイセイハイセイハイセイハイセイハイセイハイセイハイセイハイセイハイセイハイセイハイセイハイセイハイセイハイセイハイセイハイセイハイセイハイセイハイセイハイセイハイセイハイセイハイセイハイセイハイセイハイセイハイセイハイセイハイセイハイセイハイセイハイセイハイセイハイセイハイセイハイセイハイセイハイセイハイセイハイセイハイセイハイセイハイセイハイセイハイセイハイセイハイセイハイセイハイセイハイセイハイセイハイセイハイセイハイセイハイセイハイセイハイセイハイセイハイセイハイセイハイセイハイセイハイセイハイセイハイセイハイセイハイセイハイセイハイセイハイセイハイセイハイセイハイセイハイセイハイセイハイセイハイセイハイセイハイセイハイセイハイセイハイセイハイセイハイセイハイセイハイセイハイセイハイセイハイセイハイセイハイセイハイセイハイセイハイセイハイセイハイセイハイセイハイセイハイセイハイセイハイセイハイセイハイセイハイセイハイセイハイセイハイセイハイセイハイセイハイセイハイセイハイセイハイセイハイセイハイセイハイセイハイセイハイセイハイセイハイセイハイセイハイセイハイセイハイセイハイセイハイセイハイセイハイセイハイセイハイセイハイセイハイセイハイセイハイセイハイセイハイセイハイセイハイセイハイセイハイセイハイセイハイセイハイセイハイセイハイセイハイセイハイセイハイセイハイセイハイセイハイセイハイセイハイセイハイセイハイセイハイセイハイセイハイセイハイセイハイセイハイセイハイセイハイセイハイセイハイセイハイセイハイセイハイセイハイセイハイセイハイセイハイセイハイセイハイセイハイセイハイセイハイセイハイセイハイセイハイセイハイセイハイセイハイセイハイセイハイセイハイセイハイセイハイセイハイセイハイセイハイセイハイセイハイセイハイセイハイセイハイセイハイセイハイセイハイセイハイセイハイセイハイセイハイセイハイセイハイセイハイセイハイセイハイセイハイセイハイセイハイセイハイセイハイセイハイセイハイセイハイセイハイセイハイセイハイセイハイセイハイセイハイセイハイセイハイセイハイセイハイセイハイセイハイセイハイセイハイセイハイセイハイセイハイセイハイセイハイセイハイセイハイセイハイセイハイセイハイセイハイセイハイセイハイセイハイセイハイセイハイセイハイセイハイセイハイセイハイセイハイセイハイセイハイセイハイセイハイセイハイセイハイセイハイセイハイセイハイセイハイセイハイセイハイセイハイセイハイセイハイセイハイセイハイセイハイセイハイセイハイセイハイセイハイセイハイセイハイセイハイセイハイセイハイセイハイセイハイセイハイセイハイセイハイセイハイセイハイセイハイセイハイセイハイセイハイセイハイセイハイセイハイセイハイセイハイセイハイセイハイセイハイセイハイセイハイセイハイセイハイセイハイセイハイセイハイセイハイセイハイセイハイセイハイセイハイセイハイセイハイセイハイセイハイセイハイセイハイセイハイセイハイセイハイセイハイセイハイセイハイセイハイセイハイセイハイセイハイセイハイセイハイセイハイセイハイセイハイセイハイセイハイセイハイセイハイセイハイセイハイセイハイセイハイセイハイセイハイ

 

 おどろおどろしい声が、少女の鼓膜に響き渡る。

 

 思わず、目を背けたくなるような陰惨な光景。

 

 と、

 

「この泥の英霊共は聖杯を得られなかった亡者だ」

 

 立ち尽くす美遊のすぐ背後に、ジュリアンが姿を現す。

 

 置換魔術で空間を繋げる事で、背後に姿を現したのだ。

 

「聖杯を追い求める意思だけの獣。聖杯が見つかるまで無尽蔵に増え続け、この星を絶望で埋め尽くしていく」

 

 陰々とした声で告げるジュリアン。

 

 対して美遊は、ただ打ちひしがれるように立ち尽くしている。

 

 ジュリアンが言っている事は偽りではない。その証拠に、今も黒い英霊達は増え続けている。

 

 この泥の英霊達が増え続ければ、本当に世界を覆いつくしかねない。

 

 その美遊に、ジュリアンは手を差し出す。

 

「俺の手の中に戻れ。自分の意思でな」

「・・・・・・・・・・・・」

 

 立ち尽くす美遊。

 

 そうしている間にも、眼下では仲間たちが戦っている。

 

 イリヤが、クロが、凛が、ルヴィアが、バゼットが、

 

 皆が、絶望に飲み込まれながら、必死に抗っている。

 

 そして、

 

 響

 

 美遊の大切な彼氏である少年もまた、諦めずに剣を振るい続けている。

 

 彼らを助けるには、美遊がエインズワースに身を委ねるしかない。

 

 もう、本当にそれしか方法が無い。

 

「・・・・・・・・・・・・」

 

 手が、伸ばされる。

 

 少女の手が、ジュリアンの手に触れようとした。

 

 次の瞬間、

 

「・・・・・・・・・・・・」

 

 直前で、拳をギュッと握った。

 

「貴様ッ」

 

 手を引く美遊に、いら立った声を上げるジュリアン。

 

 対して美遊は真っ直ぐに見つめ返すと、硬い意思と共に言い放った。

 

「あなたの元に戻る気は、無い。私は、私の生きたい道を行く」

 

 迫りくる絶望を前にして、美遊は折れぬ意思を真っ向から示す。

 

 それは、彼女が真の意味でエインズワースに決別を告げた瞬間でもあった。

 

 その時、

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「そうだ、美遊。もう・・・・・・お前は、そんな男に縛られなくていい」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 突如、戦場に響く男の声。

 

 ひび割れ、かすれた、

 

 しかし、美遊にとって、決して聞き忘れる事のできない声。

 

 振り返る一同。

 

 その視界の中で、

 

 1人の少年が、ゆっくりと歩いてくる姿があった。

 

 歳の頃は10台中盤から後半くらい。

 

 若々しく、気力に満ち溢れた容姿。

 

 しかし同時に、全身から発せられる気配は、この世のあらゆる苦難を踏み越えた物のみが出せる、老成された「凄み」があった。

 

「状況は金髪の少年から聞いたよ。ありがとう、妹の為にこんなになるまで戦ってくれて」

 

 一歩一歩、大地の場所を確かめるように、ゆっくりと歩いてくる少年。

 

 その鋭い相貌を見据え、

 

 凛とルヴィアは息を呑む。

 

「う・・・・・・嘘!? どうしてあなたが!?」

「妹・・・・・・どういう? ・・・・・・まさかッ!?」

 

 だが、

 

 恐らくこの場にあって、最も驚愕したのは、この姉弟たちだろう。

 

「そんな・・・・・・何で・・・・・・」

「まさか・・・・・・うそでしょ」

「ん・・・・・・何で、いる?」

 

 イリヤ、クロ、響が、それぞれに愕然として、少年を見詰める。

 

 そんな一同が視線を集める中、

 

 少年は、ゆっくりと、手に魔力を集める。

 

「後の始末は俺が付ける。それが、兄としての務めだ」

 

 言い放つと同時に、鋭く腕を振るう。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

投影(トレース)・・・・・・開始(オン)!!」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 言い放った瞬間、

 

 

 

 

 

 超高速の斬撃が、縦横に奔った。

 

 

 

 

 

 吹き飛ばされる黒化英霊の群れ。

 

 その様を目にしながら、

 

 少年は投影によって作り出した巨大な斧剣を、威嚇するように大地へと突き立てた。

 

「ジュリアン、やっぱりおまえを倒さないと、美遊は幸せにはなれないみたいだな!!」

 

 言い放つと少年は、遥か岩山の頂上にいるジュリアンを、真っ向から睨みつける。

 

「お前があくまで『全』の為に『一』を殺すというのなら、俺は何度でも悪を成そう」

 

 衝撃を伴うほどにぶつかり合う、両者の視線。

 

「行くぞ、正義の味方。覚悟は良いか?」

 

 対して、

 

 ジュリアンも尽き果てぬ憎悪と共に、今、そしてかつて、自らの前に立ちはだかった少年の名を叫んだ。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「衛宮・・・・・・士郎!!」

 

 

 

 

 

第24話「絶望への一矢」      終わり

 




パールヴァティ

私などの世代は、そう言われてパッと思い浮かぶのは「3×3eyes」ですかね。結局、長すぎて最後まで集める事はできませんでしたが。


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第25話「貫く切っ先」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 一歩、

 

 また一歩、

 

 ゆっくりと、

 

 しかし足は確実に前に進む。

 

 鋭い双眸ははただ、

 

 己の守るべき者、

 

 そして倒すべき相手のみを見据えて。

 

 衛宮士郎。

 

 響の、イリヤの、クロの兄。その同一存在。

 

 異世界に置いて来た筈の兄。

 

 その全く同じ存在が、境界を越えて自分たちの目の前に訪れたのだ。

 

 姉弟達の心情が、穏やかざる物となるのも、無理からぬだろう。

 

 印象は兄に比べると、僅かに大人びており、どこか憂いと哀しみを秘めたような瞳をしている。

 

 何となく、士郎本人よりも父、切嗣に近い物を感じる。

 

 なぜか、左目の中心と、左腕が斑のように褐色に染まっているのが気になった。

 

 そして何より、

 

 彼こそが、この世界における、美遊の兄に他ならない。

 

「お兄ちゃん・・・・・・・・・・・・」

 

 傍らまで歩いて来た兄を見上げ、万感の思いと共に呟く美遊。

 

 ようやく、

 

 本当に、

 

 ようやく会えた。

 

 もう、会えないと思っていた兄に。

 

 期せずして、瞳から涙をこぼす美遊。

 

 果てしなき苦難の末に、美遊と士郎はようやく再会できたのだ。

 

 そんな妹の頭を、そっと優しく撫でる士郎。

 

「よく頑張ったな。もう、大丈夫だ」

「ッ!!」

 

 その言葉に、感極まる美遊。

 

 ああ、

 

 兄がいる。

 

 目の前に兄がいる。

 

 夢じゃない。

 

 本当に、お兄ちゃんだ。

 

「待ってろ。全てを、終わらせて来る」

 

 静かに告げると、自身の魔術回路を起動して魔力を走らせる。

 

投影(トレース)開始(オン)全行程破棄(ロールキャンセル)!!」

 

 詠唱と同時に、

 

 出現した巨大な影を、士郎は半ば強引に引きずり出して振り被る。

 

 轟音と共に、大気が割れる。

 

 それはかつて、「向こう側の世界」でギルが使用した巨大な剣。

 

 人が振るうには、あまりにも過ぎたる代物。

 

 虚・千山斬り裂く翠の地平(イ ガ リ マ)

 

 その巨大な刀身が、一気に岩山の山頂付近に突き刺さった。

 

 ちょうど、地上から山頂へ橋が掛けられた形である。

 

 惜しくも、ジュリアンへの直撃は外してしまっている。

 

 しかし、

 

 これで、進撃路は確保できた。

 

 睨み合う、士郎とジュリアン。

 

 死闘が、始まった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 駆け抜ける士郎。

 

 同時にその両手には、黒白の双剣が出現する。

 

 干将、そして莫邪。

 

 いずれもクロが普段から使用している剣。

 

 言い換えれば、「弓兵(アーチャー)」の英霊が主武装としている剣に他ならない。

 

 なぜ、彼がその剣を使えるのか? それ以前になぜ、これほどの投影魔術を使用できるのか?

 

 疑問は尽きないが、今はそれを考えている時間は無い。

 

 並みいる黒化英霊を悉く斬り伏せ、士郎は足場となる千山斬り裂く翠の地平(イ ガ リ マ)を駆けあがる。

 

 長い監禁生活を脱したばかりだというのに、その事を感じさせないほど、圧倒的な戦闘力を見せつける。

 

 目指すは山頂。宿敵の座す間。

 

 一歩も足を止める事無く、少年は駆けあがっていく。

 

 だが、

 

 少年の進撃を阻止すべく、エインズワースも動く。

 

 駆ける士郎の目の前に、黄金の影が立ちはだかった。

 

「通さん、貴様だけは」

 

 アンジェリカは傲然と言い放つと同時に、「王の財宝(ゲートオブバビロン)」を開放、宝具の射出態勢を整える。

 

 その瞳に燃える、憎悪溢れる因縁。

 

 対して士郎は、立ちはだかるアンジェリカを見てニヤリと笑う。

 

「同じだな、奇しくもあの時と」

「ほざくなッ 偽物(フェイカー)風情が!!」

 

 激昂と共に解き放たれる宝具の刃。

 

 一斉に向かってくる必死級の攻撃を前に、

 

 しかし士郎は不敵な冷笑を持って迎え撃つ。

 

「お互い様だろッ 贋作屋(カウンターフェイター)!!」

 

 言い放つと同時に投影魔術を起動。

 

 士郎の周辺には、投影によって創り出された剣が出現する。

 

 その数、そして剣の姿形。

 

 全て、アンジェリカが投射した宝具と同じ物である。

 

 空中で激突する、両者の刃。

 

 次の瞬間、

 

 2人が放った宝具は、全て砕け散り、細かな破片となって散らばった。

 

 その様子を、冷ややかな目で見つめるアンジェリカ。

 

「・・・・・・相も変わらず、高速投影による同種剣の相打ち狙いか」

 

 全ての宝具を打ち砕かれたにもかかわず、顔色を変えずに言い捨てる。

 

 その間にも王の財宝(ゲートオブバビロン)からは、新たな宝具が姿を現している。

 

 その照準は、自身に向かって真っすぐに駆けてくる士郎へと向けられていた。

 

 元より、無限の財を手にしているアンジェリカからすれば、10や20の宝具を砕かれたからと言って、気にすべき事でもない。

 

「判っているはずだ。『それ』では追いきれない」

 

 射出される宝具の刃。

 

 対して士郎もまた、すぐに対抗すべく行動する。

 

投影(トレース)開始(オン)!! 全投影連続層写(ソードバレル・フルオープン)!!」

 

 飛んで来る全ての宝具を見切り、それに対応する武器を次々と投影しぶつけていく。

 

 両者の間に飛び交う剣。

 

 その全てがぶつかり合い、砕け合う。

 

 戦況的にはアンジェリカの有利。士郎が押されているように見える。

 

 しかし士郎も正面からアンジェリカに対峙し、一歩も引かない。

 

 無限の勢いで迫ってくる宝具。その全てを見切り、創造し、そして砕き、払い、叩き落していく。

 

 士郎には判っていた。アンジェリカが、何を待っているのかを。

 

 思い出されるのは、かつての激突。

 

 その際に士郎が使った、最大最強の「切り札」。

 

 アンジェリカはそれを待っているのだ。

 

 今度こそ、正面から士郎を叩き潰すために。

 

「泥の英霊達が迫っているぞ。もう、退路は無い」

 

 必死の抗戦を繰り広げる士郎を睨みつけるアンジェリカ。

 

「もとより、貴様に行く末など無いがな」

「・・・・・・それも分かっているさ」

 

 対して、士郎は皮肉な笑みで応じる。

 

「こちらはとうに捨て身。命の使い道は、もう決めてある!!」

 

 全身の魔術回路を起動させる。

 

 それは、士郎にとって命を縮める行為に他ならない。

 

 だが、

 

 美遊を守る。

 

 その為ならば、躊躇う理由は何一つとして、ありはしなかった。

 

I am tha bone of my sword(体は剣でできている)

 

 

 

 

 

 士郎とアンジェリカが戦闘を開始する中、

 

 上空の立方体は留まる事を知らずに流れ出し、それに伴って黒化英霊達も増え続けていた。

 

 その数は既に千を超え、尚も衰える事は無い。

 

「ねえ、お兄ちゃん」

 

 そんな中で、泥を頭からかぶりながら、エリカは傍らに立つジュリアンに声を掛けた。

 

「ほんとうにだいじょうぶ? このドロドロ、たぶんずっと出てくるよ。どろどろが地球いっぱいに広がっちゃったら、いま生きている人たちはどうなっちゃうのかな?」

「お前は、そんな事心配しなくても良い」

 

 憂いを口にするエリカに対し、ジュリアンは静かに告げる。

 

美遊(せいはい)が戻れば止まる。戻らないなら、このまま最終節まで続けるだけだ。たとえ世界が絶望で満ちても、人は必ず生き残る。たとえ形を変えても、存在を換えてでも、な。お前は余計な事は考えなくていい」

 

 断定するように告げるジュリアンの言葉。

 

 対して、エリカは答えない。

 

 ただ、

 

 ひとは、言うほどに強いのか?

 

 そんな事を、降り注ぐ泥の中で、ぼんやりと考えていた。

 

 

 

 

 

 全身に亀裂が入るような痛み。

 

 その衝撃を前に、士郎の詠唱は中断されてしまった。

 

 走る痛みを噛み殺しながら、その場にて足を止める。

 

「グッ・・・・・・」

 

 軋む腕を、思わず抑える。

 

 心なしか、肌の褐色部分が増したような気がする。

 

 呼吸を整えながら、士郎は嘆息する。

 

 無理も無い。

 

 とある事情により、魔術回路を「彼」から先取りしたとは言え、体は「士郎」自身のまま。

 

 魔力が殆ど充填されていない状態では、「切り札」の発動は不可能に近い。

 

 それでも体調的に万全であったならまた違ったのかもしれないが、長く監禁されていた身としては、致し方ない部分もある。

 

 そんな士郎を見て、アンジェリカはスッと目を細める。

 

「・・・・・・もはや発動すらできんか。ならば、もう見るべき物も無い」

 

 落胆したように言いながら、王の財宝(ゲートオブバビロン)を開く。

 

 黄金の扉が開き、中から宝具の刃が姿を現す。

 

 装填され、射出の瞬間を待つ刃。

 

「退場せよ。貴様の出番は終わっている。今度こそ、存在ごと消してやろう」

 

 言い放つアンジェリカ。

 

 対して、

 

「・・・・・・・・・・・・神話とか・・・・・・出番とか、さ」

 

 士郎は低い声で返す。

 

「お前らのオママゴトにはうんざりだよ」

 

 その瞳には、今も衰えず闘志が燃え盛っている。

 

「そこをどけ、三文役者!!」

 

 切り札の発動には失敗した。

 

 しかし、それでも尚、戦いをやめる理由にはならなかった。

 

 再び駆ける士郎。

 

 同時に、アンジェリカも宝具の射出を再開した。

 

 飛んで来る宝具を、士郎が同種の剣を投影して叩き落す。

 

 先程と同じ光景。

 

 ただ少し違うのは、飛んでくる宝具の嵐を前にして今度は、士郎が駆ける足を全く緩めない事だった。

 

 宝具は際どいところを霞めていくが、気にも留めない。

 

 回避を度外視し、攻勢に重点を置く。

 

 士郎の選択肢は、極シンプルだった。

 

 どのみち、士郎の投影した剣は、数でも質でもアンジェリカに敵わない。

 

 ならば致命傷以外の攻撃を全て無視し、一歩でも近づくのみ。

 

 アンジェリカの放つ宝具が、士郎の腕を、足を、額を霞める。

 

 その度に鮮血が噴き出るが構わない。

 

 どんな攻撃だろうと、死なない限り負けはしない。

 

 その想いが、士郎を前へと進ませる。

 

 あと少し。

 

 あと少しで、剣の間合いに入る。

 

 そう思った。

 

 次の瞬間、

 

 突如、

 

 士郎の背後の空間が開き、そこから無数の剣が出現した。

 

「愚直なだけでは、我らエインズワースに届かぬ」

 

 非情に告げるアンジェリカ。

 

 彼女は王の財宝(ゲートオブバビロン)から宝具を取り出すと同時に置換魔術を発動、宝具を士郎の背後に展開したのだ。

 

 アンジェリカへ斬り込む事、その一点に集中していた士郎は、突然の背後からの強襲に、新たな対応を迫られる。

 

 次の瞬間、背後からの攻撃も始まった。

 

「クッ 投影(トレース)!!」

 

 とっさに振り返りながら、更なる投影魔術を繰り出して迎え撃つ士郎。

 

 両手に創り出した剣を振るい、次々と宝具を斬り飛ばしていく。

 

 足を止める士郎。

 

 だが、これでは挟み撃ちにされたも同然である。

 

 前後から飛んで来る宝具。

 

 一方には対応できても、もう一方は、そうは行かない。

 

 目の前の攻撃を叩き落しながら、振り返ろうとする士郎。

 

 その視界の先には、飛んでくる宝具の刃。

 

 とっさに叩き落とすべく、腕に力を籠める。

 

 だが、

 

 間に合わない。

 

 刃が目前に迫り、

 

 次の瞬間、飛び込んで来た影が、その刃を叩き落した。

 

 士郎と同じく、黒白の双剣を構えた少女。

 

 同時にもう1人。

 

 姿を霞めながら千山斬り裂く翠の地平(イガリマ)駆けあがり、アンジェリカに斬り込む小柄な影。

 

「餓狼一閃!!」

「ッ!?」

 

 音速域まで加速した刃の切っ先がが、獰猛な牙となって真っ向からアンジェリカに繰り出される。

 

「チッ!?」

 

 舌打ちするアンジェリカ。

 

 対抗するようにとっさに盾を出して構える。

 

 激突。

 

 閃光が走り、アンジェリカの盾は響の剣閃を受け止める。

 

 だが、

 

「クッ!?」

 

 舌打ちするアンジェリカ。

 

 同時に、彼女の盾は持ち手の部分のみを残して砕け散る。

 

 盾は響の一撃を完全には受け止める事が出来なかったのだ。

 

「んッ!」

 

 勢いを止められた響は、しかしすぐさま刃を返して斬りかかる。

 

 対抗するように、アンジェリカも王の財宝(ゲートオブバビロン)から大ぶりな西洋剣を抜き、響の斬撃を受ける。

 

 激突する両者。

 

「クッ!!」

「おのれッ!!」

 

 両腕に力を込めて、鍔競り合いを行う、響とアンジェリカ。

 

 互いの刃が、激しく火花を散らす。

 

 ややあって競り負けるように、響が後方に大きく跳躍した。

 

 流石に質量差があり、アンジェリカの方が押し勝ったのだ。

 

 着地と同時に、刀を構えなおす響。

 

 その傍らには、黒白の双剣を構えた姉の姿が立つ。

 

 ちょうど、クロと響の2人で士郎の背中を守るような形である。

 

「君達はッ!?」

「ミユの事とか、その投影魔術の事とか、聞きたい事は山ほど・・・・・・だけど、ひとまず今は手を貸すわ。『お兄ちゃん』!!」

 

 不敵に言い放つクロ。

 

 響もまた、士郎に振り返って頷く。

 

「ん、手伝う」

 

 低く告げる響。

 

 その声を聴き、

 

「お前は・・・・・・」

 

 驚きの声を上げる士郎。

 

 次いで、フッと笑みを見せる。

 

「そうか・・・・・・お前が、『響』か」

「ん?」

 

 どこか感慨を思わせる士郎の言葉に、キョトンとする響。

 

 そんな響に、士郎は優しく笑いかける。

 

「そう言えばどことなく似てるよ。『あいつ』に」

「・・・・・・・・・・・・」

 

 いったい、何の事だろう?

 

 意味が分からず、響は首をかしげるのだった。

 

 

 

 

 

 一方その頃、

 

 千山斬り裂く翠の地平(イガリマ)の根元では、イリヤが再び裁定者(ルーラー)夢幻召喚(インストール)して、並みいる黒化英霊達を打ち払っていた。

 

 聖旗を長柄の槍のように縦横に振るい、巨大な刀身を上がろうとする黒化英霊を撃破する。

 

「ここは、通行止めだよ!!」

 

 言い放つと同時に、威嚇するように旗を大地に突き立てる。

 

 雄々しくはためく聖旗。

 

 その様は、群がる敵全てを怯ませるに十分な戦姿である。

 

 だが、

 

 イリヤの胸の内は、複雑に絡み合っている。

 

 本当は、今すぐにでも士郎の元へ行きたい。

 

 別人でも構わないから、その胸に飛び込んで抱きしめてもらいたい。

 

 だが、今はそれはできない。

 

 あの人は自分のではなく、ミユのお兄ちゃんなんだ。

 

 ならば今は、2人を守る事がイリヤの役目だった。

 

 その時、黒化英霊を従えるように、大剣を片手にこちらへ歩いてくる人影がある。

 

 シェルドだ。

 

「押し通らせてもらう!!」

 

 言い放つと同時に、真っ向から大剣を振り下ろすシェルド。

 

 迫る刃。

 

「させないよ!!」

 

 対抗するようにイリヤも聖旗を振るい、シェルドの攻撃を弾く。

 

 一瞬、蹈鞴を踏むシェルド。

 

 しかし、すぐさま刃を返し、再び大上段から斬りかかる。

 

 対して、聖旗を水平に構えて、斬撃を受け止めるイリヤ。

 

「邪魔をするなッ」

「それはこっちのセリフだよ!!」

 

 シェルドの斬り下しを聖旗で防ぎながら、イリヤは負けじと言い返す。

 

 ともかく、自分の後ろには一歩も行かせない。何としても、ここで防ぎ止めるつもりだった。

 

 そこへ、上空から魔力弾が降り注ぎ、イリヤの脇をすり抜けようとした黒化英霊を、まとめて吹き飛ばした。

 

「援護するッ イリヤ!!」

「美遊ッ!?」

 

 美遊の攻撃を受けて、吹き飛ぶ黒化英霊達。

 

 戦況は相変わらず絶望的。

 

 だが、戦い続けるイリヤ達の中で、闘志は衰える事無く燃え続けていた。

 

 

 

 

 

 士郎、クロ、響の突撃と、イリヤ、美遊の奮戦。

 

 戦線がその2か所に集中した事により、バゼット達の周辺は一時的に戦力の空白地帯が生じていた。

 

 残った黒化英霊を撃破したバゼットは、凛とルヴィアを守るようにして対峙する。

 

「軍勢の流れが変わりました。あなた達は今のうちに撤退を!!」

 

 促すバゼット。

 

 だが。

 

「撤退? 何を寝ぼけた事をおっしゃってるの?」

 

 そんなバゼットを挑発するように、借りたコートを羽織ったルヴィアは言う。

 

 そこへ更に、凛も続けた。

 

「宝石は無いわ、意識は乗っ取られるわ、衛宮君(トーヘンボク)のそっくりさんは出て来るわ・・・・・・正直、全然ついていけてないんだけどね」

「ええ、本当に。ですけど・・・・・・」

 

 2人の視線が向かう先。

 

 そこには、尚も強大な敵と戦い続ける子供たちの姿がある。

 

「あの子たちは、まだ戦っている」

「それを見捨てて逃げる訳には、いきませんわ」

 

 不敵に言い放つ魔術師たち。

 

 2人もまた、ここで引く気は無かった。

 

 

 

 

 

 皆が、心を一つにして戦っている。

 

 その様子を見て、士郎は笑みを浮かべる。

 

 そうか。

 

 共に戦ってくれる仲間がいる。

 

 共に歩んでくれる友達がいる。

 

 美遊はもう、1人じゃないんだ。

 

 その事を、強く実感する。

 

「助けるつもりが、逆に助けられちまってる。これじゃあ、兄貴の威厳が無くなりそうだよ」

 

 そう言って頭を掻く士郎。

 

 とは言え、まんざらでもない様子であり、口元には笑みが浮かべられている。

 

「いやしかし、あの破廉恥な格好はいったい・・・・・・兄として注意すべきだろうか?」

「あー・・・・・・話さなきゃならない事が、山ほどあるみたいね」

「ん、別に・・・・・・あれで良いと思う」

 

 確かに、美遊の魔法少女コスチュームは、レオタードに妖精のようなスカートとマントを羽織っただけで、かなり露出度が高い。

 

 兄としては、小言の一つも言いたくなるだろう。

 

 これで響と美遊が付き合っている、などと知った日には、どんな反応を示す事やら。

 

「けど、まずは・・・・・・」

「ああ、まずは・・・・・・」

 

 言いながら、クロと士郎は同時に投影魔術を展開。両手に黒白の双剣を構える。

 

 同時に、響も手にした刀を構えた。

 

「この雑魚を蹴散らさなきゃな」

「ん」

「異議なし、ね」

 

 3人の目が、一斉にアンジェリカを睨む。

 

 対して、

 

 アンジェリカもまた、静かな瞳で迎え撃つ。

 

「おぞましい光景だ」

 

 状況は3体1。アンジェリカには圧倒的不利な状況。

 

 しかし、それでも尚、怯む事は無い。

 

 怯む必要すら、感じていなかった。

 

「貴様らの行為はエインズワースに対する侮辱に他ならん」

 

 言い放つと同時に、アンジェリカは王の財宝(ゲートオブバビロン)と、置換魔術を同時に発動する。

 

 空間同士をつなぎ合わせ、そこへ展開した宝具を高速で走らせ始めた。

 

「何、あれ?」

 

 愕然と呟くクロ。

 

 その傍らでは、響も戸惑いを隠せないでいる。

 

 いったい、アンジェリカは何をしようとしているのか?

 

 そんな中、アンジェリカの意図をいち早く見抜いたのは、士郎だった。

 

「空間を上下につなげてループさせ、宝具を加速しているのか!?」

 

 言った瞬間、

 

 置換の口が開く。

 

 同時に、最大限に加速された刃が士郎を襲い、そのわき腹を霞めて行った。

 

 噴き出る鮮血。

 

 わざと外したのか? あるいは当てようとしたが外れてしまったのか?

 

 アンジェリカに手加減する必要が無い以上、理由としては後者が考えられる。

 

 となると、狙って外したのだから、通常の射出と比べて、あまり照準が良くない事と思われる。

 

 だが、

 

 3人が見ている前で、次々と射出口が開く。

 

 命中率が悪いなら数で補う。1発2発程度なら外す事もあるが、何しろ手元にあるのは無限の財。いくら浪費しても尽きる事は無い。

 

 まさに「下手な鉄砲」の究極系である。

 

 それを見たクロが、とっさに叫ぶ。

 

「ヒビキ、わたし達の後ろに!!」

「んッ!!」

 

 同時に、士郎とクロは魔力を走らせる。

 

「「熾天覆う七つの円環(ロー・アイアス)!!」」

 

 叫ぶと同時に展開する、桜色の盾。

 

 花弁の守りに、宝具の雨嵐が真っ向からぶつかり合う。

 

 アイアスの盾は、強化された宝具を前にしても、その強靭な守りを失う事は無い。

 

 アンジェリカが放つ宝具は、一撃たりとも響達に届かない。

 

 とは言え、

 

「まずいわね・・・・・・・・・・・・」

 

 盾に魔力を注ぎながら、クロが冷汗交じりに呟く。

 

 魔力の盾が悲鳴を上げるのが分かる。

 

 アンジェリカは、ただでさえ最強クラスの攻撃を、更に底上げしているのだ。通常の防御手段では耐えられないのだ。

 

 そしてついに、1枚目の花弁が脆く砕け散る。

 

 それを機に、熾天覆う七つの円環(ロー・アイアス)の花弁は急激に数を減らしていく。

 

 1枚、

 

 また1枚、

 

 この花弁が全て散った時、命運は決する事になる。

 

「極限まで研ぎ澄ませ」

 

 宝具の嵐が吹きすさぶ中、士郎は響とクロに語って聞かせるように口を開いた。

 

「一手一手が致命、一瞬一瞬が必死。余分な思考は殺せ。俺たちが今、見ているのは生と死の境界」

 

 ついに、花弁は残り1枚となる。

 

 迫る死のリミット。

 

 そして、

 

「読み切れ、そして勝ち取れッ 5秒後の生存を!!」

 

 士郎が言い放った瞬間、

 

 ついに、

 

 熾天覆う七つの円環(ロー・アイアス)を構成する、花弁の最後の1枚が砕け散る。

 

 その時を逃さず、

 

 士郎とクロは動いた。

 

 手の中に投影するのは、自分たちが恃む、黒白の双剣。

 

 その数は、それぞれ3対6本、2人合計で6対12本。

 

 それらを、一気に投擲する。

 

 回転しながら飛翔する6本の刃。

 

 惹かれ合う夫婦剣の特性を利用した絶技「鶴翼三連」。

 

 それを、全く同じ能力を持つ2人の担い手が放った連携技。さしずめ「鶴翼6連」とでも称すべきか。

 

 同時に、

 

「ヒビキッ!!」

「んッ」

 

 伸ばした姉の手を、響は掴む。

 

 その間にも、12の刃はアンジェリカを目指して飛翔する。

 

 一刀一刀が必殺のその攻撃は、回避も防御も不可能。

 

 アンジェリカを包囲しながら、迫り刃。

 

 だが、

 

「無駄だ」

 

 低い呟きと共に、

 

 アンジェリカは己の周囲全てに置換魔術を展開。それにより、飛んできた刃は、全て彼女に当たる事無く、明後日の方向にすり抜けた。

 

 置換魔術を利用した最強の防御手段。

 

 空間そのものを置換して、全ての攻撃を逸らしてしまったのだ。

 

 士郎とクロが放った攻撃は、ただ意味をなさず消えていく。

 

 同時に、アンジェリカはトドメを刺すべく動く。

 

「死ね」

 

 王の財宝(ゲートオブバビロン)から剣を取り出して、目の前の士郎目がけて振り下ろそうとした。

 

 これで終わる。

 

 そう思った、

 

 次の瞬間、

 

 ザンッ

 

「なッ!?」

 

 突如、上空から急降下してきた小柄な影が、アンジェリカを真っ向から斬り下した。

 

 浅葱色の羽織を靡かせた少年。

 

 響だ。

 

 振り下ろした刃は、黄金の鎧を斬り裂き、アンジェリカに致命傷を負わせていた。

 

「馬鹿なッ・・・・・・」

 

 驚愕で目を見開くアンジェリカ。

 

 その視界の先で、

 

 クロが会心の笑みを浮かべている。

 

 鶴翼六連がかわされるのも、アンジェリカが置換魔術を使って守りに入るのも、全て計算づくの事だった。

 

 士郎とクロの攻撃にアンジェリカが気を取られている隙に、クロは転移魔術を使って響をアンジェリカの頭上へと運び、そこから響は上空から一気に急降下、奇襲を敢行したのだ。

 

 まさに、アンジェリカの意識の死角を突いた連携攻撃。

 

 まさかの事態に動きを止めるアンジェリカ。

 

 そこへ、士郎が仕掛けた。

 

「お前の宝具は見飽きた」

 

 手にした干将莫邪を大剣化(オーバーエッジ)させる士郎。

 

 その視線の先には、立ち尽くすアンジェリカ。

 

「道を譲れ、英雄王!!」

 

 振るわれる斬撃が、容赦なく斬り裂く。

 

 その攻撃を前に、

 

 ついに、

 

 アンジェリカは地に倒れ伏した。

 

「フェイ・・・・・・カー」

 

 吐き出すように呟くと同時に、アンジェリカの胸から弓兵(アーチャー)のカードが浮かび上がる。

 

 ダメージを受けすぎた為、自動的に夢幻召喚(インストール)が解除されてしまったのだ。

 

 倒れたアンジェリカを飛び越えて駆ける士郎。

 

 その視線が、岩山の上に立つジュリアンを睨む。

 

「決着を着けるぞ、ジュリアン!!」

 

 言いながら、干将莫邪を振り翳す士郎。

 

 その視界の先には、静かに佇むジュリアンがいる。

 

 妹を助けるという正義()を掲げる士郎。

 

 世界を救うという正義を掲げるジュリアン。

 

 この2つの正義は、決して相容れる事は無い。

 

 互いに、どちらかが倒れるまで、戦い続けるしかないのだ。

 

「決着を着けるぞ、ジュリアン!!」

 

 言い放つ士郎。

 

 次の瞬間、

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「ダメですよ、センパイ」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 突如、

 

 浮かび上がる不気味な言葉。

 

 次の瞬間、

 

 士郎のすぐ足元からぬめるように湧き出した漆黒の影が、容赦なく斬りかかった。

 

 

 

 

 

第25話「貫く切っ先」      終わり

 



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第26話「今、この旗の下に」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 足元に浮かぶ影。

 

 泥のように淀んだ影の中から、

 

 ズルリと這い出る、不気味なほどに黒々とした腕。

 

「だめですよ、センパイ」

 

 澄んだ声が、却って怖気を振るう。

 

 伸ばされた腕は甲冑に包まれ、そのまま振り下ろされた白い剣を真っ向から掴み取った。

 

「なッ お前は!?」

 

 驚く士郎。

 

 その手から、莫邪がもぎ取られた。

 

 相手は不気味な黒い甲冑に包まれた人物。

 

 マスクのバイザーが下されているせいで、顔までは判らない。

 

 だが、腰まである長い髪をしている事から、恐らく女性と思われた。

 

 甲冑の女性は、そのまま莫邪の刃を返す。

 

 とっさに、投影を解除しようとする士郎。

 

 あの剣は士郎が投影魔術によって創り出した物である。故に、士郎が解除を命じれば剣は消える筈だった。

 

 しかし、

 

「馬鹿なッ!?」

 

 驚愕の声を上げる士郎。

 

 投影が、解除できない。

 

 奪われた白剣は士郎の命令を受け付けず、その場に存在し続けている。

 

 ただ奪われたのではない。剣の所有権その物が、敵に移っていた。

 

 振るわれる刃。

 

 最早、かわす事は不可能。

 

 白剣が士郎を斬り裂く。

 

 そう思った。

 

 次の瞬間、

 

「士郎ッ!!」

 

 飛び込んでくる、小さな影。

 

 響は、殆ど本能的に体が動いた。

 

 あの士郎は、自分の兄ではない。その事は判っている。

 

 しかし、

 

 それでも、体は無意識のうちに反応していて。

 

 黒衣の女と士郎の間に飛び込むと、向かってくる白剣の刃を前に、立ちはだかる。

 

「なッ!?」

 

 突然の事で驚く士郎。

 

 飛び込んだ響は、白剣の刃に対して刀を繰り出す。

 

 ぶつかり合う刃。

 

 次の瞬間、

 

 押し負けた響が、大きく吹き飛ばされた。

 

「・・・・・・・・・・・・あ」

 

 響の体は千山斬り裂く翠の地平(イ ガ リ マ)の表面に叩きつけられた。

 

 そのまま数回バウンドして斜面に転がる小さな体。

 

「ヒビキッ!!」

 

 とっさに助けようと、踵を返すクロ。

 

 だが、

 

「だめですよセンパイ。ちゃんと、わたしの相手をしてくれないと」

 

 背後から聞こえた不気味な声に、クロは思わず背筋を震わせる。

 

 再び斬りかかってくる黒衣の女。

 

 士郎から奪い取った莫邪でクロを斬り付けようとする。

 

「やめるんだ!!」

 

 叫ぶ士郎。

 

 同時に投影した剣を自身の周囲に展開。牽制の攻撃を仕掛ける。

 

 一斉に放たれる刃。

 

 その切っ先が、黒衣の女へと向かう。

 

 だが、

 

 次の瞬間、士郎とクロは己が目を疑う事態に直面する。

 

 黒衣の女を目指して飛んで行った刃。

 

 その全てを、

 

 女は素手で掴み取って見せたのだ。

 

 まるで華麗に舞い踊るかのように、不気味な優雅さでもって。

 

 その圧倒的な光景には、戦慄せざるを得ない。

 

「あら、こんなにいただけるのですね」

 

 女は、仮面の下で怖気を振るう笑いを見せる。

 

「ありがとうございます。センパイ」

 

 その様に、2人はごくりと息を呑んだ。

 

 

 

 

 

 その少し前、

 

 千山斬り裂く翠の地平(イガリマ)の根元で、イリヤと共に黒化英霊阻止の為に奮闘していた美遊は、ふとした拍子に、「山頂」の方向に目を向けた。

 

 次の瞬間、

 

「ッ!?」

 

 息を呑む。

 

 まさにその瞬間、

 

 響が黒衣の女によって、刀身の外へと弾き飛ばされたところだった。

 

「響ッ!!」

 

 とっさに踵を返して、駆けあがる美遊。

 

 何も、考える事ができなかった。

 

 ただ響の、

 

 恋人に危機に駆け付けなければ。

 

 その想いが、あるだけだった。

 

 後ろからイリヤが名前を呼んだのが聞こえてが、それに答えている余裕もない。

 

 魔力で脚力を強化し、一気に千山斬り裂く翠の地平(イガリマ)の上を駆けあがる。

 

 途中、倒れているアンジェリカを飛び越えたが、彼女に構っている暇は無い。

 

 同時に美遊は、太腿のカードホルダーから、1枚のカードを取り出して掲げる。

 

 それは先程、イリヤから渡されたカードである。

 

 表面には「巨大な盾を持った騎士」が描かれている。

 

 接近すると同時に、魔術回路に魔力を走らせる。

 

夢幻召喚(インストール)!!」

 

 言い放つと同時に、閃光に包まれる少女。

 

 そのまま、黒衣の女の前に割り込む美遊。

 

 ノースリーブでミニスカート状の軽装甲冑に身を包み、その手には、カードの絵柄に描かれていた通りの巨大な盾が握られている。

 

 クラスカード「盾兵(シールダー)」。

 

 美遊の手の中にある盾が、黒衣の女の攻撃を完全に防いでいた。

 

「これ以上は、やらせない!!」

 

 叫びながら黒衣の女を振り払う美遊。

 

 見るからに防御に特化した英霊と思われるが、それでも「防ぐ」という一点にかけては無敵に近い能力を持っている。

 

 だが、

 

「美遊、よせッ そいつに近づくな!!」

 

 叫ぶ兄。

 

 あの女は危険すぎる。

 

 ある意味、誰よりもその事を知っていたのは士郎に他ならない。

 

 だが、

 

 妹を援護しに行こうとする士郎の頭上から、巨大なハンマーを振り翳した少女が降って来た。

 

「いい加減、ジュリアン様から離れろッ クズ共が!!」

 

 振り下ろされるハンマーの一撃。

 

 その一撃によって、千山斬り裂く翠の地平(イガリマ)の刀身は、半ばから叩き折られ、轟音と共に地面へと落下していく。

 

「はん?」

 

 その内部を見て、ベアトリスは鼻を鳴らす。

 

「何だこりゃ? 張りぼてかよ」

 

 千山斬り裂く翠の地平(イガリマ)の中はがらんどうになっている。

 

 どうやら高度な投影魔術を操る事ができる士郎と言えど、神造兵装を完璧に作り出す事は出来ず、表面だけそっくりに似せた物だったらしい。

 

 その間にも、剣は徐々に崩れ、倒れていく。

 

 と、

 

「貴様・・・・・・・・・・・・」

 

 か細い声が、ベアトリスの耳に届く。

 

 見れば、刀身の半ばで倒れていたアンジェリカも、剣の崩壊に巻き込まれて落下していくところだった。

 

「私ごと・・・・・・巻き添えに・・・・・・」

「あんたを助けろとは言われてないんでね。じゃあな、用済みのお人形さん」

 

 仲間に対する者とは思えないほど、冷酷に告げるベアトリス。

 

 その間にも崩れ続ける刀身。

 

 士郎とクロ、更には響も崩壊に巻き込まれて落下していく。

 

 その様を、美遊はただ見ている事しかできない。

 

 助けに行きたいのはやまやまだが、今は目の前の敵に集中するしかないのだ。

 

「何なんですか、あなたは?」

 

 そんな美遊に対し、黒衣の女は首をコキリと鳴らしながら、ゆっくりと近付いてくる。

 

「まったく、センパイにも困った物です。センパイを理解できるのも、センパイを愛せるのも、センパイを殺せるのも私だけだって言うのに。騙されて他の女のところに行くなんて・・・・・・・・・・・・」

 

 その言葉を聞きながら、美遊は言い知れぬ恐怖に襲われる。

 

 狂っているのか、壊れているのか、あるいはその両方か。

 

 いずれにせよ、まともな会話が成立するとは思えない。

 

 仮面の下で、女はニタァ~と笑う。

 

「あとでちゃーんと、お仕置きしてあげないと」

 

 次の瞬間、

 

 黒衣の女は、美遊に容赦なく襲い掛かった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 剣の崩壊に巻き込まれ、落下を続ける響。

 

 どうやら意識を失っている様子であり、動く気配が無い。

 

 地面まで、あとおよそ数メートル。意識を失ったまま叩きつけられたら、いかに英霊化していたとしても命が危うい。

 

 ダメか?

 

 誰もがそう思った時。

 

Es ist gros(軽量)・・・・・・」

 

 詠唱するルヴィア。

 

 その前には、弓を弾くように大きく拳を振り上げたバゼット。

 

 そして、

 

 その腕を足場にして、跳躍の姿勢を取る凛の姿がある。

 

Es ist klein(重圧)

 

 重力を軽減された凛の体は、まるで羽のようにふわりと浮き上がる。

 

 次の瞬間、

 

 バゼットが全力で拳を振り抜く。

 

 それに伴い、凛の体はまるで砲弾のように打ち出された。

 

 飛翔する凛。

 

 そのまま、落着寸前の響を空中でキャッチ。着地する事に成功した。

 

 ホッと息をつく凛。

 

 そこへ、岩山からはじき出された士郎とクロ、更にシェルドを振り切って来たイリヤも駆けつける。

 

「リンさんッ ヒビキは無事!?」

 

 敵の攻撃をもろに受けた弟を気遣うイリヤ。

 

 もし響に何かあったら・・・・・・

 

 そう思うと気が気ではなかった。

 

「大丈夫。気を失っているだけよ。しばらくしたら目を覚ますと思う」

 

 響は呼吸も顔色も安定している。少し疲労感が出ているようだが問題ないレベルだった。

 

 凛の言葉に、ホッとする一同。取りあえず、響の事は大丈夫そうだ。

 

 とは言え、

 

「問題は、こっちよね」

 

 周囲をぐるりと見まわしながら、クロは緊張交じりに呟く。

 

 周囲全体を包囲するように、迫りくる無数の黒化英霊達。

 

 既にクレーター内は彼らで満たされ、その数は今なお増え続けている。

 

 その圧倒的な数で、一同は完全に包囲されていた。

 

 どうやら、響達が千山斬り裂く翠の地平(イ ガ リ マ)から叩きだされた事で、黒化英霊達も進路をこちらに変えて集まって来たらしい。

 

 全方位から群がってくる黒化英霊達。

 

 千山斬り裂く翠の地平(イガリマ)に向かっていた時は、剣の付け根の入り口だけを守っていれば良かったため、まだ楽だった。

 

 今度は360度を守らなくてはいけない為、不利は否めない。

 

「とにかく、やるしかないッ」

 

 干将莫邪を構えなおしながら士郎が言う。

 

 その視線は、チラッと山頂の方を見やる。

 

 あそこではまだ、美遊が戦っている。

 

 どうにかしてここを切り抜けないと、彼女を助けに行く事すらできなかった。

 

 

 

 

 

 黒衣の女性が、手にした剣を真っ向から振り下ろしてくる。

 

 その鋭い一閃を、手にした盾で弾く美遊。

 

 盾兵(シールダー)は、その名の通り盾を主武装とした防御専門の英霊である為、基本的な戦術は防御に特化している。

 

 その為、美遊の戦い方は自然、盾で敵の攻撃を防ぎつつ、徒手にて反撃する。という形になっていた。

 

 相も変わらず、奪った武器で攻撃を仕掛けてくる黒衣の女性。

 

 当初、美遊はこの盾も奪われるのではないかと警戒していたが、どうやらそれは杞憂だったらしい。

 

 何度か盾の表面を触られたが、奪われそうな気配はない。どうやら、何でもかんでも支配権を奪えると言う訳ではないようだ。

 

 とは言え、

 

「クッ!?」

 

 相手の攻撃を防ぎつつ、反撃に出る美遊。

 

 鋭いケリを回し気味に繰り出す。

 

 しかし、

 

 それよりも早く黒衣の女性は後退しつつ回避。美遊の攻撃は虚しく空を切る。

 

 先程からこの調子だ。攻撃よりも防御に重点を置いた英霊である為、美遊の攻撃はなかなかヒットしないのだった。

 

「まったく、何なんですか?」

 

 そこへ、猛攻を仕掛ける黒衣の女。

 

「今は私がセンパイとお話ししているのに、そうして余計な女が割り込んで来るんです?」

 

 繰り出される刃。

 

 その圧倒的な速度を前に、美遊の対応が追い付かなくなる。

 

「ッ!?」

 

 とっさに後退しようとする美遊。

 

 だが、黒衣の女はすぐに追いつき刃を突き立てる。

 

 防ぐ盾をすり抜けるようにして、刃が少女へ迫る。

 

「ええ、けど安心してくださいセンパイ。害虫はすぐに駆除しますから。こう見えて私、害虫駆除はとっても得意なんです」

「クッ」

 

 狂気をはらんだ言葉に、思わず息を呑む美遊。

 

 刃は、もうかわせない間合いにまで入っている。

 

 痛みを覚悟する美遊。

 

 次の瞬間、

 

 突如、背後から伸びてきた無数の鎖が美遊の体に絡みつく。

 

「なッ!?」

 

 驚く美遊。

 

 強制的に引っ張られると、何が起きたのか理解する間もなく、岩山の外へと放り出されてしまった。

 

 声を上げる間もなく、そのまま落下していく美遊。

 

 そんな中、

 

「・・・・・・・・・・・・貴様か」

 

 新たに現れた存在に対し、ジュリアンは険しい目を剥けた。

 

 その視線の先には、

 

 薄笑いを浮かべて空中に佇む、金髪の少年の姿があった。

 

「やれやれ、世話が焼ける事だけど、これも乗り掛かった舟って奴だね。僕の方も、目的は達成できたわけだし」

 

 そう言いながらギルは、1枚のカードを掲げて見せる。

 

 絵柄に弓を持った兵士が描かれたカード。

 

 「弓兵(アーチャー)」。すなわち、ギルガメッシュ(自分自身)のカードに他ならなかった。

 

 どうやら、アンジェリカが士郎たちに敗れたどさくさに紛れて回収したらしい。今まで姿を見せなかったのは、このタイミングを狙っていたからのようだ。

 

「まったく、散々利用された挙句、偽物に敗けてさ。情けないったらないよね。けど、もう十分遊んだでしょ」

 

 どこか、「自分のカード」を揶揄するかのように、薄笑いを浮かべるギル。

 

「ご返却ありがとう。延滞料金は、安くないよ?」

 

 同時に視線は、ジュリアンを睨みつけるギル。

 

 嘲弄を含んだようなギルの視線に対し、ジュリアンは敵意の籠った眼差しを向ける。

 

「実際のところ、君たちが何をしようと、どうなろうと、『僕』にはどうでも良い事なんだけど・・・・・・(オレ)は少し、怒ってる」

 

 静かに言い募るギル。

 

 対して、

 

 ジュリアンはそんな少年の言葉を無視するように命じた。

 

「アレの参戦はイレギュラーすぎる。カードを使われる前に殺せ」

「はぁい、ジュリアン様!!」

 

 主の命令に対し、ベアトリスは喜々として飛び出していった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 降り注ぐ、冷たい雨。

 

 流れ出る滴が、戦場の血と炎を清めようとしているかのようだ。

 

 それは天の嘆きか、

 

 あるいは神の慈悲か。

 

 戦いは、終わった。

 

 全ての敵が、死に絶えるという結末で。

 

 だが、

 

 なぜだろう?

 

 胸に去来するのは、ただ只管の虚栄感のみだった。

 

 紛う事無き大勝利。

 

 のみならず、先に散って行った新撰組や会津藩、旧幕府軍の仲間たちの仇も撃つ事が出来た。

 

 これ以上ない、喜びを感じるべきだというのに、

 

 自分の胸には、大きな穴が開いたように、何も感じる事が出来ないでいた。

 

 西郷南洲とその側近たちは、最後まで勇敢だった。

 

 彼らは士族として、

 

 否、

 

 武士としての誇りを貫き、最後の一兵になるまで戦った後、文字通り全滅したのだ。

 

 西郷南洲は、彼の故郷である鹿児島の城山にて最後の籠城戦を行った後、自刃して果てた。

 

 他の者達も皆、立派な最期だった。

 

 そんな彼らを討ち果たした自分は、本当に正しかったのか?

 

 ただ、幕末の憂さを晴らしたかっただけじゃないのか?

 

 そんな風に、どこかで考えてしまう。

 

 手にした刀が、今はひどく重く感じた。

 

 

 

 

 

「・・・・・・・・・・・・あれ?」

 

 目を覚ました響。

 

 だが、そこには何もなかった。

 

 自分は確か、岩山で士郎たちと戦っていた筈。

 

 だが、周囲には誰もいない。

 

 美遊も、イリヤも、クロも、士郎も、凛も、ルヴィアも、バゼットも、

 

 誰の姿も、周りには見えなかった。

 

 ただ、

 

 闇夜を煌々と照らす月。

 

 その月光に照らされた静かに佇む人影。

 

 浅葱色の羽織を着込み、腰には日本刀を差している。

 

 唐突に、理解する。

 

「・・・・・・・・・・・・斎藤一(さいとう はじめ)?」

 

 自分の中にいる英霊。

 

 幕末最強剣士と謳われた斎藤一が今、響の目の前に立っていた。

 

 と言う事はつまり、

 

 響は唐突に気付く。

 

 周囲に広がる闇夜の風景には見覚えがある。

 

 月下に吹き曝しの荒野。

 

 それは宝具である固有結界「翻りし遥かなる誠」の内部風景と全く同じなのだ。

 

 そして、固有結界とは使用者の内面における心象風景を具象化する物。

 

 つまり、これこそが斎藤一の心の中にある風景と言う事になる。

 

 こんな、

 

 こんな何もない、誰1人として存在しない闇の風景。

 

 それはある意味、斎藤一が歩いて来た人生そのものであると言える。

 

 剣士として、暗殺者として、常に孤独に戦ってきた斎藤の心。それこそが、この風景に他ならなかった。

 

「・・・・・・・・・・・・何を」

 

 響はそっと、斎藤に語り掛ける。

 

「何を、したい?」

 

 知りたかった。

 

 この人が何を思い、何を願っているのか。

 

 自分は、知る必要があると思ったのだ。

 

「・・・・・・勝ちたかった?」

 

 聞いてから、これは違うと思った。

 

 彼にとって、勝敗(それ)は既に別次元の問題だ。

 

 あの幕末と言う、誰もが熱と狂気に浮かされていた時代。

 

 敵も、味方も、誰も彼もが、善悪を超越した戦いに身を投じていた。

 

 こだわりが無かったと言えばウソになるが、勝ち負けは既に超越された些事に過ぎない。

 

 では、何か?

 

「・・・・・・みんなと一緒に、戦いたかった?」

 

 この孤独な風景を見れば、自然とその答えにたどり着く。

 

 だが、斎藤からは何の反応もない。どうやら、これも違うらしい。

 

 考えてみれば彼は、仲間と一緒に戦う事は出来なかったとしても、仲間の為に戦う事は出来た。と言う事はつまり、そこは既に満たされている事になる。

 

 考える響。

 

 彼は何を願っているのか?

 

 何を望んでいるのか?

 

 どうしたいのか?

 

 あるいは、どうしたかったのか?

 

「・・・・・・・・・・・・」

 

 ゆっくりと、顔を上げる。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「みんなと一緒に、死にたかった?」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 そこで、

 

 初めて斎藤が、響に微笑んだ気がした。

 

 結果的にとは言え、幕末の動乱を生き残ってしまった斎藤。

 

 多くの仲間が志半ばで倒れる中、「死に後れた」事が、彼にとっての後悔となっていた。

 

 「武士道とは、死ぬ事と見つけたり」

 

 死ぬ事がなぜ誇りなのか、疑問に思うかもしれない。

 

 しかし、死に様とはすなわち、その人物の「生き様」に他ならない。

 

 誇り高い死を迎える事ができる人間は又、誇り高い生き方をしてきた人物でもある。と言う事だ。

 

 そっと手を伸ばす斎藤。

 

 その手が、響の頭を優しく撫でる。

 

「ん・・・・・・・・・・・・」

 

 少しくすぐったそうに、目を細める響。

 

 ゴツゴツとした硬さの中に、温かい温もりを感じさせる。

 

 どこか、切嗣よりも、士郎に頭を撫でられた時に感じが似ている気がした。

 

「・・・・・・・・・・・・行こ」

 

 そんな斎藤の手を、響が取る。

 

「みんな、きっと待ってる」

 

 語り掛ける響。

 

 斎藤は頷くと、

 

 響の手を引いて、ゆっくりと歩き出した。

 

 

 

 

 

 死闘は続いていた。

 

 押し寄せてくる黒化英霊の大群を前にして、一同は一歩も引かずに戦い続ける。

 

 連なるように迫ってくる漆黒の兵士たち。

 

 その手にはそれぞれ武器を掲げて迫ってくる。

 

 その動きをいち早く察知してイリヤが動く。

 

 裁定者(ルーラー)夢幻召喚(インストール)したイリヤは、群がる敵を手にした聖旗で薙ぎ払い、一歩たりとも近づけさせない。

 

 更に、イリヤの陰から紅い影が飛び出る。

 

「クロッ!!」

「任せなさい!!」

 

 イリヤの攻撃によって崩れた敵陣に、クロが飛び込む。

 

 縦横に奔る黒白の剣閃。

 

 少女の素早い斬撃に斬り裂かれ、消滅する黒化英霊。

 

 更に、

 

 全てを踏み砕くように進撃してくる、巨大な黒化英霊。

 

 明らかに「人」のサイズを超越した敵を前にして、士郎が立ちはだかる。

 

「デカけりゃ良いってもんでも!!」

 

 言いながら双剣を振るう士郎。

 

 対抗するように、相手も巨大な槌を振り下ろしてくる。

 

 圧倒的質量で士郎へと迫るハンマー。

 

 ぶつかり合う両者。

 

 振り下ろされた大槌を、士郎は剣を交差させて受け止めると、同時に渾身の力で押し返す。

 

「ッ!?」

 

 すかさず、地面すれすれの軌跡を描いて黒剣を振り上げる士郎。

 

 回避の難しい一閃を前に、巨大な黒化英霊は防御が間に合わず、そのまま斬り倒される。

 

 動きを止める士郎。

 

 そこへ、短剣を装備した黒化英霊が飛び掛かってくる。

 

 だが、

 

「邪魔だ」

 

 短い呟きと共に、右手に装備した白剣を横に一閃。

 

 殆ど無造作と言っても良い攻撃にもかかわらず、剣閃は敵の急所を的確に斬り捨てる。

 

 圧倒的な戦闘力を見せつける士郎。

 

 その戦いぶりは、この中にあって頭抜けていると言って良い。

 

 間違いなく、一同の中で最強の戦闘力を誇っているのは士郎だった。

 

 だが、

 

「くそッ・・・・・・・・・・・・」

 

 短く舌打ちする士郎。

 

 敵の数が、減らない。先ほどから、視界を埋め尽くす勢いで迫ってくる黒化英霊の数は、一向に減少の兆しを見せなかった。

 

「キリがありません!!」

 

 黒化英霊1体をようやく殴り倒したバゼットが、舌打ち交じりに言い捨てる。

 

 状況は刻一刻と悪くなっている。

 

 こちらが1体倒す間に、黒化英霊は5体は増えている。相対的に言って、逆転するのは難しかった。

 

 その時、

 

「お兄ちゃん、イリヤ!!」

 

 飛び込んでくる小柄な影。

 

 そのまま手にした盾で、黒化英霊の放つ攻撃を防ぐ。

 

「美遊、無事かッ!?」

 

 妹の姿に、ホッと息をつく士郎。

 

 その間にも剣を操る手は止めず、今も突き込まれた槍を回避し、カウンター気味に相手の首を斬り飛ばしていた。

 

 岩山の山頂に1人で取り残される形になってしまった美遊だったが、どうにか脱出してきてくれた事に、ひとまず胸を撫で下ろす。

 

 とは言え、

 

 戦況は、美遊1人が加わったところで、どうにもならないところまで来てしまっている。

 

 今なお、あふれ出る泥。

 

 そこから湧き出る黒化英霊達。

 

 そして、完全に包囲された自分達。

 

 どうにかして突破しないといけない状況だというのに、その方策が全く浮かんでこなかった。

 

 と、その時、

 

 

 

 

 

 ザッ

 

 

 

 

 

 小さく鳴る、足音。

 

 その音に気付き、美遊は振り返る。

 

「・・・・・・・・・・・・響?」

 

 見れば、先程まで岩山にもたれかかる形で倒れていた響が、いつの間にか立ち上がっていた。

 

 顔を上げ、真っすぐに見据える目。

 

 その手には、一振りの旗が握られていた。

 

「響、それは・・・・・・・・・・・・」

 

 声を上げる美遊。

 

 見覚えのある旗。

 

 朱の地に、金の文字で「誠」の一字が描かれている。

 

 新撰組の象徴たる隊旗。

 

 そして、響の持つ最大の宝具、固有結界「翻りし遥かなる誠」の発動するための旗。

 

 それが今、響の手に握られている。

 

 しかし、

 

 果たしてどこまで効果が期待できるか、美遊には疑問だった。

 

 響の固有結界は確かに強力だ。取り込んだ敵全ての認識力を強制的に下げ、術者を知覚できなくする絶対的暗殺空間。さらに術者の任意で、味方の身を隠す事も出来る。

 

 しかし、結界自体に攻撃力は無く、攻撃手段はあくまで、個々人の武勇頼みとなる。

 

 結界を発動しても、持続時間内にどれだけの敵を倒せるのか?

 

 無限に湧き出てくる黒化英霊相手では、分が悪いと言わざるを得ない。

 

 だが、

 

 そんな美遊の危惧を他所に、響は手にした旗を振り上げる。

 

「ここに・・・・・・旗を立てる」

 

 大地に突き立てられる「誠の旗」。

 

 果たして、次の瞬間、

 

 周囲一帯を、強烈な閃光が満たした。

 

「なッ!?」

「何、これ!?」

 

 突然の事に、一同が思わず戦う手を止める。

 

 いったい、何が起きたというのか?

 

「違う・・・・・・前の時とは・・・・・・」

 

 霞む視界。

 

 異なる事象の前に、戸惑いを隠せない。

 

 やがて、

 

 閃光が収まり、徐々に視界が晴れていく。

 

 そして、

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「アハ、やっと呼んでくれましたね」

「遅いんだよ。馬鹿が」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 聞き覚えの無い声。

 

 しかし、耳を打つ、果てしない懐かしさ。

 

 目を開ける。

 

 果たしてそこには、

 

 浅葱色の羽織を着た侍たちが、整然と列をなして佇んでいた。

 

 

 

 

 

第26話「今、この旗の下に」      終わり

 



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第27話「浅葱色の血風」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 目にも鮮やかな浅葱色が視界全てを埋め尽くす。

 

 整然と並んだ男たちの姿は、ある種の芸出品にさえ見える。

 

 その全てが精悍な相貌。

 

 恐れを知らない侍達。

 

 新撰組。

 

 幕末の京都において、その勇名を轟かせた最強の剣客集団が、時代を超えてその場に立っていた。

 

 そんな中、

 

 響の傍らに立った人物だけが、異彩を放っているのが判る。

 

 短く切った髪に、黒衣の洋式軍装に軍用コートを羽織り、腰には刀のほかにライフル状の洋式銃を差している。

 

 釣りあがった眼は狼、というより悪鬼を連想させる。

 

 まさに、獣よりも獣じみた雰囲気を持っていた。

 

 その目が、ジロリと響を睨む。

 

「え・・・・・・っと・・・・・・」

 

 思わず、その狂気じみた雰囲気に気圧される響。

 

 次の瞬間、

 

 ズビシッ

「はふぅッ!?」

 

 いきなり強烈なデコピンを額に受け、そのままのけぞりそうになる響。

 

 いったい、何だというのか?

 

 痛むおでこを涙目で押さえ、見上げる響。

 

 対して洋装の男性は、そんな響を見ながら吐き捨てるように口を開いた。

 

「ったく、グズグズしてんじゃねえ。妙な意地張ってねえで、とっとと俺等を呼べってんだ」

「は、はい。ごめんなさい・・・・・・」

 

 果てしなく理不尽な事を言われながらも、取りあえず謝っておく響。

 

 何で自分が謝らなくちゃいけないんだろう? と思わなくもなかったが、それを言い出せる雰囲気でもなかった。だって怖いし。

 

 と、

 

「もうッ 土方さん!!」

 

 そう言うと、1人の隊士が響の頭を、よしよしと優しく撫でる。

 

「八つ当たりはやめてください。別にこの子が悪いわけじゃないでしょう」

 

 肩口で短く切った白っぽい髪を後頭部で一房だけ結び、どこか優し気な顔をした華奢な人物。

 

 驚いた事に、胸には女性特有の膨らみが見れる。

 

 新撰組に女性隊士がいたという話は、聞かない話だが。

 

 そんな女性剣士に対し、土方と呼ばれた男性はやれやれと肩を竦める。

 

「お前は相変わらず、ガキには甘いな、沖田」

「土方さんが厳しすぎるんです。それも無駄に」

 

 響を間に挟んで言い合いを始める2人。

 

 とは言え、

 

 話の筋から察するに、響にデコピンかました洋装の男性は、「鬼の副長」の異名で呼ばれた新撰組副長、土方歳三(ひじかた としぞう)のようだ。

 

 新撰組の初期旗揚げメンバーの1人であり、その苛烈な戦いぶりから敵のみならず、味方からも恐れられた。特に「局中法度」と呼ばれる厳しい隊規を策定し、それに背いた人間を悉く処断した事は、あまりにも有名な話だった。

 

 戊辰戦争において、局長、近藤勇が負傷、戦線離脱すると、代わって新撰組を指揮。

 

 後に建国された蝦夷共和国において陸軍奉行並に就任。敗勢の蝦夷軍の中にあって、ただ1人、気を吐き続け、最後まで戦い抜いたうえで戦場に倒れた姿は、今も伝説として語り継がれるほどである。

 

 そして、

 

 今も響の頭を優しく撫でてくれている女性は、どうやら新撰組一番隊組長、沖田総司らしい。

 

 その剣腕は他の追随を許さず、現代においても「天才剣士」の代名詞と言われるほどである。

 

 名実ともに幕末最強剣士の名で知られる沖田。

 

 その沖田総司が女性だった、などと誰が想像するだろうか?

 

「いや歳さん、弱い者いじめはいかんっしょ」

「幼児虐待は感心しないですね」

「士道不覚悟だ」

「切腹切腹」

「うるせえぞ、テメェら。斬られてえかッ!?」

 

 口々に土方をディスる新撰組隊士たち。それに対し、土方もキレ気味に返事をしている。

 

 何と言うか、

 

 先程までの整然とした雰囲気が、台無しになっていた。

 

 と、

 

「まあまあ歳さん、それくらいで良いじゃないか」

 

 大柄な男性が、一同の間に割って入って来た。

 

 柔和で、どこか優し気な雰囲気のある。しかし同時に、果てしない懐の深さを感じる男性。

 

 唐突に悟る。

 

 彼が、局長の近藤勇だと。

 

「どうやら、物騒なお歴々が、お待ちかねみたいだしな」

 

 そう言って近藤が示した先には、群がるように押し寄せる黒化英霊の群れがある。

 

 こうしている間にも、包囲網は確実に狭まっていた。

 

 近藤に促され、土方はチッと舌打ちを漏らす。

 

 どうやら「鬼の副長」などと呼ばれていても、局長の近藤には頭が上がらないらしい。

 

 次いで、

 

 土方は、響の傍らに立つ美遊へと目を向けた。

 

「おう、小娘」

「は、はい!?」

 

 いきなり「小娘」呼ばわりされて驚く美遊。

 

 そんな美遊を、土方はいかつい表情で見下ろす。

 

「テメェが、あのバカの相方か?」

「え?」

 

 言われて、土方が響を指差している事に気付く。

 

 相方、というか恋人なのだが、

 

 同時に長く戦ってきた戦友、「相棒」でもある訳で。

 

「・・・・・・はい」

 

 頷きを返す美遊。

 

 対して土方は、納得したように頷きを返す。

 

「そうか」

 

 短く、それだけを言うと、土方は踵を返す。

 

 素っ気ない態度。

 

 それでいて、どこか安堵してるようにも見える。

 

 だが、余韻を楽しむ間も、そこまでだった。

 

「・・・・・・総員、抜刀」

 

 静かに告げながら、土方は腰に差した「和泉守兼定」をゆっくりと抜き放つ。

 

「新撰組、斬り込み用意」

 

 土方の命令に従い、

 

 隊士たちは一斉に刀を抜き放つ。

 

 刃が鞘を奔る涼やかな音が、次々と響き渡る中、

 

 近藤が手にした「長曾根虎徹」を、高々と振り上げた。

 

「掛かれェ!!」

 

 大音声の号令。

 

 同時に、餓えた狼たちが、野に解き放たれた。

 

 それと同時に、黒化英霊達も一斉に動き出す。

 

 激突する両軍。

 

 たちまち、大乱戦の巷が現出する。

 

 浅葱色の羽織を靡かせて斬り込む、新撰組隊士達。

 

 その様はまさに、幕末の戦場を彷彿とさせる光景だった。

 

 疑問に思うのは、なぜ、彼らがこの場に突然現れたのか、と言う事だろう。

 

 答えは、響が今も手にしている旗にあった。

 

 「誠の旗」。

 

 新撰組の象徴であり、幕末と言う熱い時代を駆け抜けた証。彼らが紛う事無く、戦い抜いた確たる誇り。

 

 その本来の能力は、「一定空間内に、仲間の新撰組隊士を召喚する」ことにある。

 

 新撰組隊士。特に幹部クラスともなれば、全員が英霊クラスの実力者たちばかりである。それ故、全員が、この旗を宝具として所持している。

 

 以前、響(というより斎藤一)は、この宝具を正確に使用する事が出来なかった。

 

 その代わり、新撰組隊士全員分の想いを受ける事によって固有結界を展開する、言わば代替的な使い方しかできなかった。

 

 その理由としてはひとえに、斎藤一が持つ、ある種の負い目にあった。

 

 仲間たちを死なせ、自分が生き残ってしまった。

 

 勿論、生き残ったのは斎藤の実力と運があったからに他ならないのだが、それでも仲間たちと共に死ねなかったことは、彼にとっての生涯の心残りだったのだ。

 

 月夜に何もない吹き曝しの荒野。

 

 あの固有結界に映し出された心象風景こそ、斎藤一の後悔の証。

 

 1人で生き残った自分は、仲間たちと共に戦う資格などない。

 

 闇の中で、1人で戦う事こそが相応しい。

 

 そう考えていたのだ。

 

 だが、

 

 そんな斎藤の心を、響が救った。

 

 皆と共に戦うための橋渡しとなってあげた。

 

 それ故に今、新撰組の仲間たちが召喚に応じてくれたのだ。

 

 この「誠の旗」は、隊士それぞれの生前の在り方によって、召喚されるメンバーも微妙に異なる事になる。

 

 今回、召喚に応じてはせ参じたのは数にして数十名。

 

 無限に湧き出る黒化英霊達に比べれば、それでも微々たる数でしかない。

 

 だが、

 

 その1人1人が全て、一騎当千の実力者たちである。

 

 召喚に応じたのは、斎藤と特に縁の深かった三番隊の隊士たち、更に会津の地において共に戦った会津新撰組の隊士達。さらに、他の隊でも個人的に斎藤を尊敬していた隊士達である。

 

 だが、

 

 そんな中で特に、異彩を放つ者たちがいる。

 

 数にして10人にも満たない彼らは、最前線に立ちながら、黒化英霊達を苦もなく薙ぎ払っていく。

 

 近藤勇、土方歳三、沖田総司、永倉新八、山南啓介、藤堂平助、原田左之助、井上源三郎。

 

 斎藤一と共に、江戸の試衛館道場で剣の腕を磨いた、言わば「朋輩」たる彼らは、「最強」の新撰組の中にあってさえ、次元が違う強さを見せつけていた。

 

 

 

 

 

 鬼、と言えば、新撰組では土方歳三の代名詞みたいなものだが、

 

 この人物もまた、土方とは違った意味で「鬼」に相違なかった。

 

「ぬんっ」

 

 手にした刀を横なぎに一閃する近藤。

 

 その一撃で、目の前の黒化英霊は、胴を輪切りににされ、泥の中へと倒れる。

 

 その近藤目がけて、斧槍を振り翳しながら迫る黒化英霊。

 

 だが、

 

「おォォォォォォ!!」

 

 近藤は振り切った剣を膂力で引き戻すと、勢いを殺さずに振り抜く。

 

 斜めに走る銀閃。

 

 その一撃が、黒化英霊を逆袈裟に斬り飛ばした。

 

 豪剣。

 

 一撃必殺の剣を前にしては、いかなる存在であっても無意味と化す。

 

「仮初に召喚された我々は、この場にあっては流浪の異邦人に過ぎない」

 

 手にした刀を血振るいしながら、近藤は低い声で告げる。

 

「しかし、こうして馳せ参じた以上、ここは我らの戦場。新撰組の舞台に他ならない」

 

 背後から不用意に近藤に近づこうとした黒化英霊が、振り向きざまに斬り倒される。

 

「この命、燃え尽きるその時まで、暫しの間、お付き合い願おうか」

 

 厳かに告げられる、近藤の言葉。

 

 味方は鼓舞され、敵は魂の底から震えあがる。

 

 まさに「剣鬼」と称して良い戦姿。

 

 荒くれ者の寄せ集め集団としての一面もあった新撰組を統率する局長。

 

 その彼もまた、普通ではありえなかった。

 

 

 

 

 

 普通ではありえない。

 

 と、言えば、この男しかいないだろう。

 

「オ、ラァ!!」

 

 真正面から突撃。真っ向から相手を叩ききる。

 

 そのまま崩れ落ちようとする敵を蹴り飛ばしながら刀を引き抜くと、更に横なぎに振るって、次の敵の首を飛ばす。

 

 恐れを知らぬ黒化英霊達は、それでもかまわず向かってくる。

 

 対してマントを跳ね上げると、腰に差した洋式銃を右手で抜き放ち、躊躇いなく引き金を引く。

 

 発射される弾丸が、敵の胴体を一発で貫通。大穴を開ける。

 

 そのまま、黒化英霊は仰向けに倒れた。

 

 更に素早く薬室を開いて排莢すると、次発装填。すかさず次の弾丸を放ち、敵のドタマを真っ向からぶち抜いた。

 

 幕末当時から日本に出回り始めたスナイドル銃は、当時の日本では珍しい後装銃(手元に薬室を開ける蓋があり、そこから弾丸の出し入れができる為、連射性に優れる銃。それまでの銃は、大半が銃口から火薬と弾丸を入れる「前装銃」が主力だった)で、その高性能振りから日本帝国陸軍でも、草創から日清戦争期まで使用された名銃である。

 

 本来なら両手で扱うべきスナイドル銃を、土方は難なく片手で撃っている。

 

 無茶苦茶。

 

 土方歳三の戦い方は、全てが無茶苦茶と言って良い。

 

 先陣切って敵陣に飛び込んだかと思えば、真正面から敵を滅多切り。

 

 当然、敵は土方目指して群がってくるが、そんな事はお構いなし。むしろ好都合とばかりに斬りまくる。

 

 「土方には負けないまでも、勝てる気がしない」とは、実際に立ち会った事がある隊士の証言である。

 

 道場で行われる行儀の良い剣法ではない。土方の戦い方は、勝つ為ならばありとあらゆる手段を用いる喧嘩殺法である。

 

 まさにバゼットをもしのぐリアル狂戦士(バーサーカー)というべき狂戦ぶりだ。

 

 だが、

 

 暴れてはいても、どこかその戦いぶりには水際立ったものを感じる。

 

 すなわち、敵の脆い部分を的確に見極め、そこに最大限の攻撃を叩き込む。

 

 あえて敵陣に突撃するのも、自身に攻撃を引き付けて、味方の攻撃を側面援護する狙いがあるように思える。

 

 更に言えば、彼の戦いぶりは無茶苦茶ではあるが、却ってそれが相手の機先を制し、自身のテリトリーに引きずり込んでいるのだ。

 

 決して無謀なだけではない。

 

 新撰組鬼の副長であり、幕末最後の侍と言われた土方歳三。

 

 その存在は、狂気と理性が高いレベルで融合した、魔神の如き強さを誇っていた。

 

 

 

 

 

 そして、

 

 この女性は1人、

 

 刀を片手に、敵陣をゆっくりと歩いていた。

 

 時折襲ってくる敵を、振り向きもせずに斬り捨てる。

 

 彼女にとって、この程度の敵は障害にもならない。ただの路傍の石と変わらない。

 

 ただ、自らの道行きを邪魔するならば、斬って捨てるだけの事だった。

 

 やがて、足を止める。

 

「・・・・・・彼らは所詮、意思のない人形。どんなに強くても動きは単調。わたし達の敵じゃありません」

 

 沖田総司は、少し楽し気な口調で言いながら、刀の切っ先を向ける。

 

「でも、あなたは違いますよね」

 

 その可憐な視線の先。

 

 そこには、大剣を手に佇む、シェルドの姿があった。

 

「少しは、楽しませてくださいよ」

「・・・・・・抜かせ」

 

 低く呟くシェルド。

 

 次の瞬間、

 

 ほぼ同時に、両者は剣を振り上げた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 眼下で起こっている光景には、ジュリアンも少なからず戸惑いを隠せずにいた。

 

 元来、無表情でいる事が多い男である。見た目には冷静を保ってはいる。

 

 だが、内面においては流石にそうもいかなかった。

 

「・・・・・・いったい、何が起きてる」

 

 溢れ出さんばかりに増え続ける黒化英霊達。

 

 彼らに包囲され、敵の命運は最早、風前の灯火と言ってよかった。

 

 だが、

 

 突如、現れた一団によって、状況は逆転しつつあった。

 

 浅葱色の血風が吹くたび、黒化英霊の群れは、確実に数を減らしていく。

 

 これは、ジュリアンとしても全く想定外の事だった。

 

 その時、

 

 軽快に、岩山を駆けあがってくる人物がある。

 

 浅葱色の羽織を靡かせて飛び上がると同時に、その人物は手にした刀を振り翳した。

 

「大将首、貰ったぜ!!」

 

 八番隊組長、藤堂平助。

 

 戦場では常に先陣を切る勇猛振りから「魁先生(さきがけせんせい)」という異名で呼ばれた剣士である。

 

 手にした刀を振り被る藤堂。

 

 だが、

 

 その前に剣を構えた黒衣の女が立ちはだかった。

 

「あらあら、こんな所にもゴキブリが。センパイが帰ってくる前に退治しておかないと叱られてしまいますね」

 

 おどろおどろしい声と共に振るわれる剣。

 

 その強烈な攻撃を前に、藤堂は思わず蹈鞴を踏む。

 

 今にもジュリアンに斬りかかろうとしていた藤堂は、横合いから奇襲を掛けられた形である。

 

 いかな達人と言えども、不意を突かれた感は否めない。

 

「なッ ちょッ!?」

 

 突然の奇襲に、対応が追い付かない。

 

 それでも流石は新撰組隊士。黒衣の女が繰り出す斬撃を、五合まで防ぐことに成功した。

 

 しかし六合目。

 

 胴を薙ぐように一閃された一撃を、藤堂はかわしきる事が出来なかった。

 

「グッ・・・・・・ちく、しょう・・・・・・」

 

 悔し気な捨てセリフと共に、消滅する藤堂。

 

 「誠の旗」によって呼び出された新撰組隊士達は、英霊と同じ扱いである為、何らかの理由で現界が不可能となった場合、死体も残らず消滅する事になる。

 

 藤堂だけではない。

 

 岩山のふもとでも既に、奮戦及ばず消滅する隊士が出始めている。

 

 近藤ら幹部は、藤堂を除けば流石にまだ現界を保ってはいるが、それでも下級隊士は、押され気味になる者もいた。

 

 その様子を見て、駆けだす黒衣の女。

 

「待っていてくださいセンパイ。いっぱい、いっぱい、い~っぱい、害虫を退治してきますからね」

 

 岩山から飛び出そうとした黒衣の女。

 

 次の瞬間、

 

両立する螺旋の右手(シャドウハンド・オブ・コード)

 

 ジュリアンの低い声と共に、彼の足元から無数の腕が伸びて、黒衣の女を絡め取った。

 

 雁字搦めにされ、身動きが取れなくなる黒衣の女。

 

 唯一、動かす事ができる首だけを回して、ジュリアンの方へ向き直った。

 

「何なんですか、あなた? 邪魔するんなら、あなたから・・・・・・・・・・・・」

 

 振り返って、

 

 黒衣の女性は、言葉を止めた。

 

 なぜなら、彼女の目の前には、愛しい「センパイ」の姿があったからだ。

 

「何やってるんだよ、桜。今日は用事があるから早く帰るって言ってたろ」

「セン・・・・・・パイ?」

 

 マスクの奥で、首をかしげる黒衣の女。

 

 おかしい、ここにセンパイがいるのはおかしい。だって、センパイは確か・・・・・・・・・・・・

 

 そこまで思考して、やめる。

 

 全てが、どうでも良くなってしまった。

 

「そうでしたそうでした。ごめんなさいセンパイ。わたしったらうっかりしてて」

「良いさ。今日は、もう帰るんだろ?」

「あれ、でも、部活が・・・・・・」

「弓道場は改築中で使えないぞ」

「ああ、そうでしたね。私、ちょっと疲れてるみたいです。こんな大事なことまで忘れてるなんて」

「そうだな。早く帰って、今日は寝た方が良いぞ」

「そうですね。そうします」

 

 一連の会話を終えた黒衣の女は、そのまま足元の泥へと飲み込まれて消えていく。

 

「それじゃあ、センパイ。また明日」

 

 やがて、その姿は完全に泥の中へ没し、見えなくなってしまった。

 

 と、

 

 同時に「センパイ」の姿も変化する。

 

 顔が完全に変わり、その下からジュリアンの顔が現れた。

 

「へえ、そうやって操縦してるんだ。結構、ひどい事するよね。それに驚いたよ。本当に、僕の知らない宝具を使ってるんだね」

 

 どこか愉悦を感じさえる少年の言葉に、ジュリアンは振り返る。

 

 その視線の先では、魔力の足場を利用して空中に立つ、ギルの姿があった。

 

 その背後では、天の鎖(エルキドゥ)によって雁字搦めに拘束されたベアトリスがいる。

 

「クソッ 何なんだよ、この鎖は!? 力帯(メギンギョルズ)で倍加した腕力でも千切れねえ!?」

 

 どうにか拘束を抜け出そうともがくベアトリス。

 

 だが、鎖は一向に千切れる気配はなく、却ってベアトリスの拘束は強まっていく。

 

「ジュリアン様ッ」

 

 控えていたシフォンが、主を守るべく前に出ようとするのを、ジュリアンは片手を上げて制する。

 

 相手は神代に属する英霊の1人。中でも最強と称して言い英雄王ギルガメッシュである。

 

 何よりベアトリスでさえ敗れたのだ。シフォンでは敵わないだろう。

 

「・・・・・・対神兵装か」

「蛮神の偽物相手でも、僕の鎖は仕事をしてくれるみたいだ」

 

 天の鎖(エルキドゥ)は元々、天の牡牛を捕らえた事で有名な鎖である。その為、相手の神性が強ければ強いほど、その効果を強く発揮する事になる。

 

 ベアトリスが夢幻召喚(インストール)している雷神トールは、北欧神話に名を連ねる神の一柱である。その為、英霊ギルガメッシュとは、却って相性が悪い相手と言えた。

 

「それにしても、判らないな」

 

 ギルは睨みつけてくるジュリアンに語り掛ける。

 

「君の望みは人類の救済じゃなかったのか? なのに、今やっている事は真逆に見える。正義の味方にしては、ずいぶんと自暴自棄じゃないか。君の本当の望みは・・・・・・」

「お兄ちゃんの邪魔をしないで、ギルガメッシュ」

 

 語り続けるギルガメッシュを制する声が、湧き出る泥の中から聞こえてきた。

 

「エリカ・・・・・・・・・・・・」

 

 傍らに立つシフォンが、泥を浴び続ける少女を案じて声を上げる。

 

 だが、エリカはそんな少年には答えずに続けた。

 

「わたしにはもう、むずかしいことはわからないけど、お兄ちゃんがみんなをすくってくれるの。だからわたしは、なにも考えなくていいんだって。わたしはただ、がんばってピトスをあけるの」

 

 その言葉を聞いて、

 

 ギルの中で、何かのピースが合わさったような気がした。

 

「・・・・・・君は・・・・・・そう、なのか?」

 

 頭の中に浮かび上がった「答え」。

 

 その内容に、ギルは己の中にある愉悦を押さえきれなかった。

 

 思わず込み上げてくる笑み。

 

 その微笑が哄笑に変わるまで、そう時間はかからなかった。

 

「何て事だ、ここは、そう言う『軸』か!? なるほど、この世界は既に詰んでいる。どうしようもなく行き詰っているわけだ!! 放っておけばシステムダウンを起こした星に人類は殺され、かといって救いを求めれば星は泥に覆いつくされる!! まったく、何て哀れな行き止まりを作ってくれたんだ!!」

 

 愉快だった。

 

 「正義の味方」が作り出した、あまりにも絶望的な状況は、「滑稽」と称しても良かった。

 

 そして、この状況を作り上げた元凶こそが、

 

「ああ、君って女はまさしく・・・・・・・・・・・・」

 

 冷ややかな目で「エリカ」を睨みつけながら、ギルは言った。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「災厄の泥人形か」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 その言葉に、エリカも、そしてジュリアンも、そしてシフォンも答えない。

 

 だがある意味、その沈黙の態度こそが、ギルの言葉が正鵠を射ている証左に他ならなかった。

 

 と、沈黙を保った3人の代わりに、この場にいるもう1人の少女が答えた。

 

「ネチネチいびりやがって・・・・・・舅か、テメェは!?」

 

 手にしたハンマーに雷撃を集中させる。

 

 流石のギルも、この行動は予想外だったらしい。鎖の拘束が緩む。

 

 その隙にベアトリスは脱出。ギルへと襲い掛かった。

 

「ジュリアン様と言葉責め楽しんでんじゃねえぞ!!」

「別に楽しんでませんけど・・・・・・まあ、屋外で君とやり合うのは嫌だねえ」

 

 嘯きながら、ギルは取り返しておいた「ハデスの守り兜」を頭にかぶると、その姿を消し去る。

 

 一歩遅れて振り下ろされる、ベアトリスのハンマー。

 

 しかし、その時には既に、ギルはその場から飛びのいていた。

 

「気が変わったよ、エインズワースのお兄さん。君達の最後の悪あがきを見届けたくなった。どうか存分に踊って僕を楽しませてよ。結末は知れているけどね。まあ、最後に一つだけ、可愛そうな君にアドバイスをしておくと、・・・・・・・・・・・・」

 

 その場にいないギルは、その視線を眼下へと向ける

 

「一つだけじゃだめだ」

 

 その視線の先。

 

 新撰組隊士に混ざるようにして死闘を続ける美遊の姿がある。

 

 盾兵(シールダー)夢幻召喚(インストール)した美遊は、今も手にした巨大な盾を掲げ、群がる敵の攻撃を防いでいる。

 

「君の望みを叶えるには・・・・・・・・・・・・」

 

 不気味に、声だけを響かせるギル。

 

 その視線は更に、「もう1人聖杯」へと移る。

 

「聖杯が、もう一つ、必要だ」

 

 その言葉を最後に、ギルの気配か完全に消えていく。

 

 後にはジュリアンと、傍らに控えるシフォン。

 

 そして泥をかぶり続けるエリカのみが残される。

 

「・・・・・・・・・・・・2つ、だと」

 

 低い声で呟くジュリアン。

 

 謎めいたギルの言葉が、彼の頭の中で陰々と響き渡る。

 

「・・・・・・・・・・・・」

 

 冷たい視線の中で、決意の炎が静かに燃え盛る。

 

 何だって良い。

 

 聖杯が2つ必要なら、2つ手に入れるまで。

 

 そこに至るまでにいかなる困難が立ちはだかろうとも、全てを踏み越えて見せる。

 

 何気なく、視線を向けるジュリアン。

 

 眼下では尚も、新撰組と黒化英霊達との死闘が続いていた。

 

 

 

 

 

第27話「浅葱色の血風」      終わり

 



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第28話「誠の教え」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 鳴り響く剣戟は、戦場に奏でる至高の楽曲と化す。

 

 戦士たちが上げる雄たけびは、彼らの誇りを現していた。

 

 戦況は一進一退の、膠着状態となりつつあった。

 

 響が新撰組隊士達を召喚した事で、戦況は一時に比べてだいぶ押し返す事には成功したものの、何しろ黒化英霊達は無限に湧き出てくるのだ。

 

 多少、戦力が強化されたところで、多勢に無勢である事には変わりなかった。

 

 新撰組隊士達は、確かに一騎当千である。古今において、彼らほど高い技能を持った剣客集団はそうはいないだろう。

 

 しかし、相手もまた、何処かの逸話で英霊となりえた存在。個々人の戦力的には大差が無いのだ。

 

 だが、

 

 それでも、

 

 この場にいる誰1人として、諦める者はいない。

 

 怒涛の如く押し寄せる黒化英霊を斬り伏せ、貫き、ただ己が生き様を見せつける。

 

 敵の数が多い?

 

 そんな事はいつもの事。

 

 新撰組隊規一条「士道に背くあるまじきこと」

 

 敵がどれだけ強大だろうと、

 

 敵の数がどれだけ多かろうと、

 

 それが退く理由にはならない。

 

 ただ前へ、

 

 ひたすら前へ、

 

 立ち塞がる者を斬り捨てながら進むのみ。

 

 彼等、新撰組は、かつて時代の流れに押し流されながらも、最後まで自分たちの誇りを失う事は無かった。

 

 その伝説的な戦いが今、時空を超えて現出されていた。

 

 何かを背負って戦う者は、それだけで常人には無い強さを発揮するのだ。

 

 そんな新撰組の戦う姿に触発されたように、イリヤたちもまた反撃を開始していた。

 

 

 

 

 

 互いの刃が鋭く奔り、眼光は激しく火花を散らす。

 

 大上段から大剣を振り下ろすシェルド。

 

 それに対する沖田。

 

 可憐ながら鋭い眼差しは、既に相手の剣の速度、方向、間合いを完璧に把握して見切る。

 

 僅かに体を逸らせる沖田。

 

「おォォォォォォ!!」

 

 そこへ、シェルドは大剣を振り下ろす。

 

 だが、

 

 轟風の如き剣の切っ先は、沖田の髪を数本断ち切るのみに留まる。

 

 振り切られる大剣。

 

 次の瞬間、

 

 沖田の目がきらりと光った。

 

 その水面の如き双眸に映る、微かな狂気。

 

 その様に、シェルドは僅かに息を呑む。

 

 瞬時に悟る。

 

 たとえ華やかな少女の外見をしていても、目の前にいる人物が狼の化身であると。

 

 ザンッ

 

 一瞬の隙を突いて斬り込んだ沖田が、シェルドの胴を薙いだ。

 

 静寂する両者。

 

「・・・・・・・・・・・・ふむ」

 

 沖田は自分の刀、「菊一文字則光」を眺めながら呟いた。

 

 刃こぼれは無い。この程度の戦いで刀を壊すような、下手な戦い方はしていない。

 

 だが、

 

「思ったより、硬いですね」

 

 落ち着いた声で言いながら振り返る。

 

 沖田の剣は、確かにシェルドの胴を薙いだ。

 

 だが、そのシェルドには、いささかの傷もついていなかった。

 

「おのれ・・・・・・・・・・・・」

 

 呟きながら大剣を返すシェルド。

 

 そのプライドは大いに傷付けられていた。

 

 シェルドが夢幻召喚(インストール)しているのは、「二―ベルゲンの歌」に登場する大英雄ジークフリート。

 

 邪龍ファブニールの討伐で知られる「龍殺し(ドラゴン・スレイヤー)」でもある。

 

 ファブニールの血を浴びたジークフリートは唯一、背中の一点を除いてあらゆる攻撃を弾く事ができる特性を持っている。

 

 宝具「悪竜の血鎧(アーマー・オブ・ファブニール)」さえあれば、並の攻撃でシェルドが傷を負う事は無い。

 

 これまで対峙した響やイリヤが、シェルドに対して全く歯が立たなかったのは紺為である。

 

 勿論、防御力だけではない。最優の英霊「剣士(セイバー)」に相応しい卓抜した剣技を持っている。

 

 だがそれでも、自分が目の前の少女に先制を許した事実は変わりなかった。

 

 同じ「剣士」として、許されざることである。

 

 大剣を振り翳すシェルド。

 

 対抗するように、沖田も刀の切っ先を向ける。

 

「さて、どこまで斬れば良い物やら」

 

 少女の鋭い眼差しが、シェルドを射抜いた。

 

 次の瞬間、両者は互いに剣を繰り出した。

 

 

 

 

 

 聖旗を振り翳して、黒化英霊が繰り出してきた刃を弾くイリヤ。

 

 同時に素早く切り返す。

 

「ええいッ!!」

 

 槍の穂先のように繰り出される旗。

 

 その一撃が黒化英霊の胴を薙ぎ払い、消滅に追いやる。

 

 一体撃破。

 

 だが、息つく暇は無かった。

 

「イリヤ、上よ!!」

「ッ!?」

 

 魔術で後方から援護する凛の警告に、振り仰ぐイリヤ。

 

 そこには、小型の黒化英霊が数体。跳躍しながらイリヤに襲い掛かろうとしていた。

 

「クッ!?」

 

 とっさに迎撃すべく、聖旗を振り上げようとするイリヤ。

 

 しかし、連戦の影響で、イリヤも既に疲労の色が濃い。

 

 振り上げる腕が、一瞬鈍る。

 

 その隙に攻め込んでくる、黒化英霊達。

 

「ダメッ 間に合わな・・・・・・」

 

 イリヤが言いかけた瞬間、

 

「オッラァァァァァァ!!」

 

 突如、現れた大柄な影が、手にした槍を豪快に振るい、迫る黒化英霊達を一撃のもとに薙ぎ払ってしまった。

 

「疲れたんなら下がってな、お嬢ちゃん!! あんたが戻るまでの間くらい、俺1人で保たせてやるからよ!!」

「あ、ありがとう、ございます・・・・・・」

 

 余りの豪快ぶりに、イリヤは苦笑気味に返事を返す。

 

 その間にも男は、浅葱色の羽織を靡かせて敵陣に飛び込むと、敵の黒化英霊達を片っ端から薙ぎ払っていく。

 

 その様は、土方歳三にも劣らぬ勇猛振りである。

 

 新撰組十番隊組長 原田左之助(はらだ さのすけ)

 

 伊予松山藩出身。種田宝蔵院流槍術の使い手。

 

 新撰組きっての槍の名手であり、自他ともに認める切り込み隊長。

 

 向こう見ずな性格で、若い頃に「切腹の作法を教えてやる」と称して、実際に自分の腹を切って見せた事から、腹には真一文字の傷があった事は有名である。

 

 その最後には諸説あり、彰義隊に参加して上野戦争で戦死したとも、生き残って大陸に渡り、馬賊となって活躍したとも言われている。

 

 

 

 

 

 手にした剣が砕け散る。

 

 飛び散る刃。

 

 本来なら、慌てて後退するはずだが、投影魔術の使い手にはその必要が無い。

 

投影(トレース)!!」

 

 すぐさま、別の剣を創り出す士郎。

 

 握りしめた剣を逆袈裟に振るい、黒化英霊を斬り捨てる。

 

 崩れ落ちる英霊を踏み越え、士郎は敵陣へ斬り込んでいく。

 

 更に、士郎は空中に複数の剣を投影。一気に射出する。

 

 射出された刃は、今にも士郎を包囲しようとしていた敵を刺し貫き、撃ち倒す。

 

 英霊「ギルガメッシュ」を彷彿とさせる戦いぶり。

 

 剣の一斉掃射を食らい、黒化英霊達が吹き飛んでいく。

 

 更に、

 

 崩れた陣形を縫うように、小さな影が滑り込む。

 

 クロだ。

 

 士郎同様、投影魔術の使い手たる少女は、その戦いぶりも酷似していた。

 

 クロは手にした干将莫邪を振るい、乱れた陣形の中へと飛び込むと、並みいる敵を次々と斬り伏せていく。

 

 肩を並べて切り結ぶ、士郎とクロ。

 

 投影魔術の使い手同士、実に噛み合った連携。

 

 その隙の無い戦いぶりを前に、黒化英霊達は成す術もなく数を減らしていく。

 

 その時、

 

「ほう、ずいぶんと便利だな、あんた等の魔術(それ)

 

 すぐ傍らで黒化英霊を斬り伏せた男が、士郎に話しかけた。

 

 浅葱色の羽織の下に鎖帷子を着込み、手には重そうな手甲を嵌めている。

 

 彼は刀を振るう傍ら、その手甲を嵌めた拳を振るい、黒化英霊達を叩き伏せている。

 

 むしろ剣よりも、拳を使った体術の方に重きを置いた戦い方だ。

 

 武骨

 

 愚直

 

 一徹

 

 そんな言葉が似合いそうな男である。

 

 新撰組二番隊組長、永倉新八(ながくら しんぱち)

 

 津軽松前藩出身で、神道無念流の使い手。

 

 新撰組躍進の契機となった「池田屋事件」においては近藤隊の一員として池田屋に突入。沖田総司、藤堂平助が相次いで戦線離脱する中、局長、近藤勇と共に最後まで戦線を維持。別働した土方隊が駆け付けるまでの、貴重な時間を稼ぎ出した。

 

 新撰組隊士の中には、沖田、斎藤を置いて、永倉こそが「新撰組最強」と称える者も少なくなかったという。

 

 戊辰戦争中期には、意見の相違から新撰組を離脱。親友の原田左之助と共に精共隊を組織している。

 

 戦後、生き残った永倉は後年、各地を取材して回り「新撰組顛末記」を執筆している。

 

 新撰組幹部が自らの体験と、聞き取り調査をもとに作成した文書は、現在でも一級資料として評価が高い。

 

 明治初期、「賊軍」「悪の人斬り集団」としてのイメージが定着していた新撰組が、現在のように「誇りに殉じた剣客達」として再評価されるようになったのは、永倉の功績が大きい。

 

 その永倉が、士郎やクロの投影魔術を見て、苦笑気味に嘆息する。

 

「あんた達みたいなのが1人でもいたら、俺たちは負けなかったかもな」

 

 言いながら、背後から接近しようとした黒化英霊を、振り返らずに裏拳で殴り飛ばす。

 

 その様子を見て、士郎もニヤリと笑う。

 

「今からでも、遅くないだろ」

「違いない」

 

 互いに笑みを交わすと、士郎と永倉は、互いに肩を並べて斬り込んでいった。

 

 

 

 

 

 前線を駆けつつ交戦を続けていたバゼットは、そこで1人の隊士を目にする。

 

 複数の敵に囲まれながらも奮戦を続けるその人物は、どうにか戦線を維持している。

 

 見れば、周囲に味方はいない。

 

 仲間とはぐれてしまったのかもしれない。何しろ、敵の数が多すぎるから。

 

 そこへ、背後から迫り、剣を振り上げる黒化英霊の姿があった。

 

 その隊士は、前の敵にのみ集中しているせいで、背後から迫る敵の存在に気付いていない。

 

 このままではやられてしまう。

 

「クッ 危ない!!」

 

 とっさに反転。援護に入るバゼット。

 

 威力を乗せた強烈な拳が、黒化英霊の胸を背後から貫通。致命傷を与える。

 

 断末魔の呻きを上げて消滅する黒化英霊。

 

 そこで、隊士はバゼットの方を振り返った。

 

「いやー 助かった。強いね、お嬢さん」

「は、はあ・・・・・・」

 

 そう言われて、バゼットは驚いた。

 

 その人物は、他の隊士に比べて、明らかに年長だったからだ。と言っても、せいぜい40台くらいに見えるが。

 

 笑顔に親しみを感じる男性である。

 

 だが、

 

 背後から迫った敵に対し、その隊士は振り向きざまに斬り捨てる。

 

 年長ではあっても、剣の冴えは決して他の隊士に劣っていなかった。

 

 新撰組六番隊組長 井上源三郎(いのうえ げんざぶろう)

 

 天然理心流免許皆伝で、近藤勇、沖田総司の先輩にあたる。

 

 とかく派手な戦績を誇る新撰組幹部の中にあっては決して目立つわけではないが、その親しみやすさと面倒見の良さから「源さん」の愛称で呼ばれ、平隊士達からも慕われていたという。

 

 近藤や土方が、最も信頼した隊士が井上だったとする説もあるくらいである。

 

「さて、わし等も斬り込むとしますか。お伴、お願いできますかな」

「ええ、喜んで」

 

 井上の言葉にうなずくと、バゼットは彼に続いて敵陣へと斬り込んでいった。

 

 

 

 

 

 盾を構える美遊。

 

 群がる敵は後を絶たず、美遊は敵の攻撃を防ぎつつ、カウンターを返す。という戦い方を繰り返していた。

 

 盾兵(シールダー)は防御力については無敵と言っても良い能力を誇っている反面、攻撃力は他の英霊に比べて見劣りせざるを得ない。

 

 多数の敵に囲まれると、どうしても後手に回ってしまうのが現状だった。

 

 だが、

 

 その美遊を守るように、鋭い斬線が数度、縦横に奔った。

 

「何が・・・・・・・・・・・・」

 

 思わずつぶやきを漏らす美遊。

 

 その傍らには、刀をだらりと下げた青年が立つ。

 

 背は高いが、どちらかと言えば華奢で、おまけに眼鏡までかけている。着物と刀が無ければ、どこかの塾の講師でもやっていそうな雰囲気だ。

 

「下がっていてください」

 

 青年は刀を血振るいしながら、美遊に静かに語り掛ける。

 

「盾持ちのあなたは、我々のいわば切り札。いざという時に前に出て、皆を守らなくてはなりません」

「は、はい」

 

 言われるまま、美遊は青年の背に下がる。

 

 新撰組副長 山南啓助(やまなみ けいすけ)

 

 幼いころから学問に精通し、新撰組初期には軍師的な存在として一目置かれていた。

 

 あの「局注法度」も、土方の指示で山南が作成したと言われている。まさに初期の新撰組を政戦両略で支えた人物と言える。

 

 智謀の士としてのイメージが強い山南だが、剣の腕前は小野派一刀流の免許皆伝であり、あの沖田総司ですら一度ならず敗れている。

 

 まさに知勇兼備の勇将であると言えるだろう。

 

 その時、

 

 視界の先で、黒化英霊達が激しく吹き飛ぶ様子が見て取れた。

 

 黒化した巨体が、まるでボールか何かのように宙に舞い、そして地面への落下を待たずに消えていく。

 

 現実離れした光景に、思わず美遊も息を呑む。

 

「あ、あれは・・・・・・・・・・・・」

「ああ、あれには援護はいりませんよ」

 

 驚く美遊に対し、山南は事も無いと言った感じに答えた。

 

「というか、決して近付かないように。巻き添えを食らって死にたくはないでしょう」

 

 その視界の先では、黒化英霊達を切り倒し、踏み砕き、叩き伏せる土方歳三の姿があった。

 

「土方君は単独で動いてもらった方が実力を発揮できます。下手な援護は、却って彼の持ち味を削ぐことになるでしょう」

 

 一説によると、山南啓助は土方歳三とは不仲であったと言われている。

 

 しかしだからこそと言うべきか、土方の事を最もよく理解し、信頼していたのも山南本人だったのかもしれない。

 

 

 

 

 

 こうして、新撰組の援軍を得た一同は、徐々に戦線を押し返していく。

 

 急速に数を減らしていく黒化英霊達。

 

 いかに数を誇ろうと、最強の剣士たちが相手では全てが無意味と化す。

 

 このまま行けば勝てる。

 

 誰もが、そう思い始めていた。

 

 

 

 

 

 だが、

 

 

 

 

 

 彼らは、すぐに思い知る事になる。

 

 

 

 

 

 自分たちの考えが、いかに甘かったか、を。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 突如、閃光が吹き荒れる。

 

 その一撃が視界を埋め尽くして弾ける。

 

「危ねぇ!!」

 

 前線にいた原田は、とっさに近場にいたイリヤを抱え上げると、跳躍して後方に下がる。

 

 間一髪、弾かれた閃光は、イリヤ達を捉える事無く四散する。

 

「クソッ とんでもない事になったぜ」

「い、いったい何がッ!?」

 

 原田の腕に抱かれながら、イリヤが困惑したように叫ぶ。

 

 そして、

 

 閃光を皮切りに、次々と異常事態が起こり始める。

 

 無数に飛んでくる刃。

 

 その全てを、士郎とクロが投影した武具で迎撃していく。

 

 だが、それを上回るような一撃が迸る。

 

 魔力で編みこまれた巨大な砲弾が前線で炸裂する。

 

 その一撃は、前線で戦っていた新撰組隊士数名を一緒くたに吹き飛ばしてしまった。

 

「これは、まずいですね」

 

 眼鏡を押し上げながら、山南が険しい表情で

 

「い、いったい何が?」

「どうやら、彼らは痺れを切らせたようですね」

 

 尋ねる美遊に、山南は刀を構えながら答える。

 

「敵は、宝具を使い始めたました」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 考えてみれば、当然の事であった。

 

 黒化しているとはいえ、敵もまた名だたる英霊達。

 

 ならば、相応の宝具を所持しているのは当たり前の事だった。

 

 降り注ぐように放たれる宝具の嵐。

 

 その光景が、再び戦況を一変させる。

 

 次々と吹き飛ばされる新撰組隊士達。

 

 さしもの彼らも、敵の宝具を前にしては苦戦は免れなかった。

 

 再び、攻守が逆転する。

 

 各戦線で追い詰められていく新撰組隊士達。

 

 流石に試衛館組は踏み止まって戦っているが、一般の平隊士はそうは行かない。

 

 宝具を浴びて負傷、消滅する者が相次ぐ。

 

 急速に追い込まれる一同。

 

 それに反して、黒化英霊達の包囲網は徐々に狭まってくる。

 

「クソッ いずれはこうなるとは思っていたがッ」

 

 右手に持った莫邪で黒化英霊を斬り捨てながら、士郎が呟きを漏らす。

 

 その傍らでは、宝具を撃とうとしていた黒化英霊を、永倉が斬り飛ばしていた。

 

「とにかく、このままじゃ保たんッ いったん下がるぞ!!」

「おうッ!!」

 

 互いに正面の敵を斬り伏せながら、頷き合う士郎と永倉。

 

 戦況敵わぬと見て、クロも退却してきた。

 

「まずいわね、このままじゃじり貧よッ」

「そうだな・・・・・・・・・・・・」

 

 クロの言葉にうなずきながら、士郎は迫りくる大軍を見据える。

 

 そして、

 

投影(トレース)開始(オン)

 

 静かな詠唱と共に、左手には弓を創り出す。

 

 同時に右手には、刀身が螺旋状に捩じれた剣が投影される。

 

偽・螺旋剣(カラドボルグ)!?」

 

 クロが驚きの声を上げる中、士郎はニヤリと笑って弓を構える。

 

 肌の黒い痣が、さらに広がりを見せる。

 

 しかし構わず、その双眸は、迫る黒化英霊達を真っ向から見据えた。

 

壊れた幻想(ブロークン・ファンタズム)!!」

 

 放たれる螺旋の矢。

 

 唸りを上げて着弾する。

 

 同時に、強烈な閃光が沸き起こり、前線にいた黒化英霊を一斉に吹き飛ばした。

 

「今の内だ!!」

 

 敵の陣形が崩れたところで、士郎はクロと永倉に退却を促す。

 

 一時的に、敵の攻勢は頓挫させた。

 

 だが、それは本当に「一時しのぎ」に過ぎない。

 

 

 

 

 

 戦況は、後方で旗を持っている響からも見て取れた。

 

 押され始める味方。

 

 新撰組隊士や士郎たちが奮戦してくれているが、それも長くは保たないであろうことは目に見えている。

 

 黒化英霊たちは、尚も数百近く存在している。

 

 対して、新撰組隊士達も疲労の色が濃くなり始めていた。

 

「このままじゃ・・・・・・・・・・・・」

 

 みんなやられてしまう。

 

 響が、そう言いかけた時だった。

 

 突如、前線付近で複数の閃光がはじけるのが見えた。

 

 弾丸のように飛び散る光。

 

 その一撃が、

 

 前線で猛威を振るっていた男を、真っ向から直撃した。

 

「グゥッ!?」

 

 直撃を受けたのは、土方歳三だった。

 

 最前において1人で戦っていた事が災いした。そのせいで、土方1人が集中砲火を受けてしまった形である。

 

 さしもの狂戦士(バーサーカー)ぶりを発揮していた土方も、思わず動きを止める。

 

 そのまま崩れ落ちそうになる土方。

 

「土方さんッ!!」

 

 響は、殆ど本能的に叫んでいた。

 

 あるいは、響の中にいる別の存在が、そうさせたのかもしれない。

 

 だが、

 

 次の瞬間、

 

「狼狽えるなァァァァァァ!!」

 

 絶叫と共に、大地が陥没するほどの踏み抜きで、倒れるのを拒む土方。

 

 同時に、不用意に近づこうとした黒化英霊を2~3人いっぺんに叩き斬る。

 

 その体からは、鮮血が噴き出しているのが分かる。

 

 だが、

 

 それでも尚、衰えぬ眼光で、土方は響を睨みつけた。

 

「男が、たかがこれくらいの事でガタガタ騒ぐんじゃねえッ」

 

 言いながら、土方はゆっくりと体を起こす。

 

 明らかに致命傷。

 

 今すぐにでも、消滅してもおかしくは無い。

 

 だが、土方は己が誇りの全てを掛けるように、その場に立ち続けていた。

 

「良いか、覚えておけ小僧。男が一度『やる』と決めたなら、どんな事があろうと最後まで貫き通せ。それが良いか悪いかなんてのは関係ねえ。そんな物は、後の人間が勝手に判断すれば良い」

 

 言ってから、土方はチラッと美遊の方を見やる。

 

「惚れた女を、最後まで守り抜けッ それでこそ、男ってもんだ」

 

 言い放つと同時に、踵を返す土方。

 

 その悪鬼の如き双眸に移る、黒化英霊の群れ。

 

 同時に、右手に刀、左手にはスナイドル銃を構える。

 

 次の瞬間、

 

「おォォォォォォォォォォォォ!!」

 

 唸り声のような叫びと共に、敵陣目がけて突撃していく土方。

 

 敵の攻撃が己を霞めようが、構わずに斬り込んでいく。

 

 退かず、留まらず、

 

 並みいる敵を斬り伏せ、撃ち倒し、蹴りつぶす。

 

 装填する間も惜しいととばかりにスナイドル銃を投げ捨て、刀を両手持ちに切り替える。

 

 進む。

 

 前へと。

 

 そして、斬る。

 

 更に斬る。

 

 目の前にいれば、ただ斬る。

 

 斬って前へと進む。

 

 ただ、その繰り返し。

 

 まさに、彼の人生そのものを現したような突撃。

 

 そして、

 

 ひと際巨体を誇る黒化英霊が、土方の前に立ちはだかる。

 

「うォォォォォォォォォォォォ!!」

 

 だが、

 

 土方は怯む事無く、睨み返す。

 

「俺がッ!!」

 

 剣を振り翳す。

 

「否ッ!!」

 

 強烈な踏み込み。

 

 同時に振り下ろされる刃。

 

「俺達が!!」

 

 黒化英霊は、その巨体を真っ向から斬り裂かれる。

 

 斬るッ

 

 斬るッ

 

 斬るッ

 

 更に斬るッ

 

「新!! 撰!! 組!! だァァァァァァ!!」

 

 最後に、渾身の突きが黒化英霊を吹き飛ばした。

 

 それが、最後だった。

 

 消滅が始まる。

 

 瀕死の状態で全力攻撃を行った土方。

 

 全ての余力をつぎ込んだ攻撃。

 

 土方歳三という男が見せる、誇りその物を体現した攻撃だった。

 

 立ち上がる土方。

 

 振り返ると同時に、視線を響に向ける。

 

「あ・・・・・・・・・・・・」

 

 その様に、響は思わず声を上げる。

 

 最後に、

 

 土方が優しく微笑んだ気がした。

 

「がんばれよ」

 

 幕末最後の侍は、そう言ったような気がした。

 

 

 

 

 

「うわッ 土方さん、張り切ってるなあ。これは、私も負けてられませんね」

 

 刀を肩に担ぎながら、沖田はやれやれとばかりに呟きを漏らす。

 

 幕末の頃から、傍若無人な土方の戦いぶりを見ている沖田としては見慣れた光景である為、今更驚くには値しないと言う事だ。

 

「・・・・・・・・・・・・それにしても」

 

 土方の事は置いておいて、

 

 沖田は尚も自信と対峙を続けるシェルドに目を向けた。

 

 見れば、シェルドが着こんでいる甲冑は既にボロボロで、原型をとどめて居ない。

 

 普通なら、廃棄処分をするレベルである。

 

 当然、着ている人間も無傷ではない。

 

 はずなのだが、

 

「私が今まであなたに放った攻撃は48回。その全てが無効とは、神話級の英霊と言うのは馬鹿にできませんね」

 

 シェルドは全くの無傷だった。

 

 沖田の猛攻を受け続けて尚、その体にはかすり傷一つ付いていない。

 

 宝具「悪竜の血鎧(アーマー・オブ・ファブニール)」は正常に効果を表しているあかしである。

 

 だが、

 

「・・・・・・・・・・・・甘く見ていた」

 

 シェルドは、苦し気に声を上げる。

 

 沖田総司は比較的近代の、それも極東にある小さな島国出身の英霊。

 

 神秘性の薄い英霊如き、何ほどの物ではないと高をくくっていた。少なくとも大英雄ジークフリートの敵ではないだろう、と舐めていたのは否めない。

 

 だが、

 

 間違っていた。

 

 大英雄ジークフリートをして、まさかここまで追い込まれるとは。

 

 沖田の剣は、事によると神をも斬るかもしれない。

 

 それ程までに、凄まじい剣技の連続。

 

 シェルドは殆ど、追随するのがやっとであった。

 

 このままでは負ける。

 

 そう思った。

 

 その時だった。

 

「・・・・・・・・・・・・カフッ」

 

 短く、何かが弾けるような音。

 

 見れば、目の前の沖田が、口元を押さえているのが見える。

 

 その手元から、赤い液体が零れるのを見て、シェルドは目を見張った。

 

「お前ッ それは・・・・・・・・・・・・」

「ああ、気にしないでください。一種の『呪い』みたいなものですから」

 

 事も無げに言いながら、沖田はグイッと拳で口元を拭う。

 

 新撰組一番隊組長 沖田総司

 

 新撰組最強を名実ともに謳われた沖田は、間違いなく幕末最強剣士の1人であった。

 

 しかし、その人生は決して満足が行く物ではなかっただろう。

 

 若くして労咳(結核)を発症した沖田は、池田屋事件の頃には既に初期症状が出始めていた。

 

 そして戊辰戦争の初戦「鳥羽伏見の戦い」が勃発したころには、既に自力で起き上がる事も困難なほどになっていたという。

 

 仲間が最も必要とした時に、戦う事が出来なかった沖田。

 

 その後、彼女は江戸において敗走する味方の事を伝え聞きながら、虚しく病没する事になる。

 

 その呪われた病は、死して英霊の座に就いた後も、彼女の体を永久に蝕み続けているのだ。

 

「見ての通り、私にはあまり時間がありません。ですので、」

 

 言いながら沖田は、刀の切っ先をシェルドに向けて構える。

 

「ここらで、決めさせてもらいますよ」

「・・・・・・・・・・・・」

 

 対して、シェルドは無言のまま佇む。

 

 このまま持久戦に持ち込む事は簡単だ。彼には無敵の肉体があり、何より沖田は「病」のせいで、あまり長くは戦えない。

 

 このまま適当にあしらいつつ、逃げ切ればシェルドの勝ち。

 

 エインズワースに仕える者として、そして人類救済を掲げるジュリアンという主を頂く者としても、シェルドはそうするべきだった。

 

 使命のある自分が、余計な些事に関わるべきではない、と。

 

 だが、

 

「・・・・・・・・・・・・良いだろう」

 

 静かに言いながら、大剣を構えなおすシェルド。

 

 逃げてはいけない。

 

 この最高の剣士を前にして、逃げてはいけない。

 

 自分は受けて立たねばならない。

 

 使命も、立場も、全てを超えたところで、シェルドはそう考えていた。

 

 睨み合う両者。

 

 互いの視線が、空中で激突する。

 

 次の瞬間、

 

 両者は動いた。

 

 大剣を大きく振り被るシェルド。

 

 その刀身に、黄昏色の魔力が膨張するように収束する。

 

「邪悪なる龍は失墜し、世界は今、落陽に至る!!」

 

 同時に、沖田は刀を構えて地を蹴った。

 

 

 

 

 

「一歩、音越え!!」

 

 

 

 

 

「二歩、無間!!」

 

 

 

 

 

「三歩、絶刀!!」

 

 

 

 

 

 大剣を振り被りながら、シェルドは目を見張る。

 

 一歩目にして既に音速を超えた沖田は、二歩目を踏み込んだ瞬間には剣の間合いにシェルドを捉えていた。

 

 速い

 

 などという次元の話ではない。

 

 「時間」という概念すら、彼女の前では無意味と化す。

 

 空間すら跳躍する、驚異の絶技。

 

 「天才剣士」沖田総司以外の何者に実現できようか?

 

 そして三歩目、

 

 互いの存在を掛けて激突する。

 

 迫る両者。

 

 次の瞬間、

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「撃ち落とせッ 幻想大剣 天魔失墜(バ ル ム ン ク)!!」

 

 

 

「無明、三段突き!!」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 沖田とシェルドの剣は、互いに交錯した。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 迫る黒化英霊の軍勢。

 

 当初よりは数を減らしたとはいえ、未だに相応の数は保っているように見える。

 

 生き残った新撰組隊士や、士郎たちは尚も奮戦を続けていた。

 

 状況は絶望的。

 

 だが、誰1人として、戦意を失っている者はいなかった。

 

 そんな中、

 

「局長」

 

 いまだに生き残っていた山南が、近藤に駆け寄って告げた。

 

「遺憾ですが、そろそろよろしいかと」

「そうか・・・・・・まあ、そこそこやれた方かな、今回は」

 

 山南の言葉に、近藤は静かに頷きを返す。

 

 どこか、さばさばとした口調の近藤。

 

 その瞳には、どこか穏やかな色がある。

 

 ただ、満足のいく戦いができた。それだけで良い。

 

 そう、言っているかのようだった。

 

「そんじゃ、先に行くぜ」

「短い間だったが楽しかった。縁があったら、また会おうぜ」

「どうか、ご武運を」

 

 原田と永倉、山南はそう告げると、それぞれ肩を並べて敵陣へと突撃していく。

 

 それに続く、生き残っていた隊士たち。

 

「それでは近藤さん、我々も行きますかね」

「そうだな、源さん」

 

 井上に促され、近藤は頷きを返す。

 

 彼らはこれから、自分たちの誇りにかけて最後の突撃を敢行するのだ。

 

 その様子を、響達はただ見つめている事しかできない。

 

 近藤が言った通り、ここにいる彼らは響の召還に応じて現れたかりそめの存在。言わば泡沫(うたかた)の住人。

 

 役目が終われば、ただ消え去るのみ。

 

 だが、

 

 それでも、

 

 新撰組は、ここにいた。

 

 それだけは、疑いようのない事実だった。

 

「響君、と言ったね」

 

 最後に残った近藤が、優しく語り掛けてきた。

 

「礼を言うよ。君のおかげで、我々はまた、こうして戦う事が出来た。ありがとう」

「あ・・・・・・・・・・・・」

 

 響の肩を優しく叩く近藤。

 

 大きく、幅広い手。

 

 武骨ながら、果てしない優しさが、そこにあるように響には感じられた。

 

 近藤もまた背を向けた。

 

「幼いが、君はもう、立派な新撰組隊士だ。局長の私が言うんだから間違いない」

 

 そう言ってから、近藤は思い出したように付け加えた。

 

「君の中にいる『あいつ』にも伝えてくれ。『機会があったら、今度は最初から最後まで一緒にやろう』ってね」

 

 その言葉を残すと、近藤もまた、敵陣へと斬り込んでいく。

 

 やがて、

 

 彼らの誇りたる浅葱色は、黒い波の中へと消えていく。

 

 その姿を見ながら、

 

 響の瞳からは一筋、光る滴が零れ落ちるのだった。

 

 

 

 

 

 交錯する両者。

 

 背中を向け合うような形で、2人の剣士は佇んでいる。

 

 技と技をぶつけ、

 

 力と力を掛け合わせ、

 

 誇りと誇りがぶつかり合った戦い。

 

 そこに今、幕が下される。

 

 次の瞬間、

 

「はは・・・・・・・・・・・・」

 

 沖田の口から、乾いた声が漏れた。

 

「一歩、及びませんでした、か」

 

 同時に、その体からは光輝く粒子が飛び、そして空に向けて散っていく。

 

 消滅が始まったのだ。

 

 最後の激突、勝ったのはシェルドだった。

 

 彼の宝具の方が、沖田の剣より一瞬早く決まった形である。

 

 僅差で敗れた沖田。

 

 しかし、その顔には穏やかな笑顔があった。

 

「でもまあ、今回は最後までできたから、良しとしますか」

 

 その言葉を最後に、消滅していく沖田。

 

 それを待っていたかのように、

 

「グッ・・・・・・・・・・・・」

 

 シェルドは膝を突いた。

 

 その胸元からは、とめどなく血が溢れている。

 

「・・・・・・・・・・・・とんでもない奴だった」

 

 勝つには勝った。

 

 だが、その勝利も無償の物ではなかったのだ。

 

 沖田の剣は、シェルドが持つ無敵の肉体を貫通し、心臓に数ミリ食い込んだところで止まっていた。

 

 まさか無敵を誇る「悪竜の血鎧(アーマー・オブ・ファブニール)」が貫通されるとは。

 

 あとコンマ1秒、宝具開放のタイミングが遅かったら、シェルドの方が敗れていた筈である。

 

 だが、

 

 鮮血を噴き出す、シェルドの胸元。

 

 下手をすると致命傷に近い。

 

 これ以上の戦闘は、明らかに不可能だった。

 

「・・・・・・・・・・・・申し訳、ありません。ジュリアン様。どうか、ご武運を」

 

 それだけ言い残すと、シェルドは置換魔術を起動して、その場から立ち去るのだった。

 

 

 

 

 

第28話「誠の教え」      終わり

 



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第29話「不揃いな正義」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 戦場に、一時の静寂が訪れる。

 

 しわぶき一つしない、冷たい沈黙。

 

 ただ、音も無く降る雪だけが、散りゆく勇者たちへ送る鎮魂の歌(レクイエム)を歌っている。

 

 誰もが、つい先刻までの出来事が、夢幻の中の出来事であるかのように捉えていた。

 

 響の召還に応じて現界した新撰組隊士達。

 

 彼らは皆、己の誇りにかけて勇敢に戦い、そして消えて行った。

 

 まさに幕末の京都を彷彿とさせる、勇壮無比な戦いぶりは、皆の脳裏に深く刻まれている。

 

 彼ら新撰組が、紛れもなく生きた証だった。

 

 彼らの戦いは、決して無駄ではなかった。

 

 新撰組隊士たちの獅子奮迅の活躍により、あれだけいた黒化英霊達は大幅に数を減らしていた。

 

 当初は視界を埋め尽くすほど居た敵も、今は明らかにまばらになっている。目測でも50はいないだろう。

 

 加えて、沖田総司の奮戦により、英霊ジークフリートを宿したシェルドも撤退している。

 

 対して、こちらも疲労が濃いとはいえ、全員が健在。

 

 イリヤも、美遊も、クロも、バゼットも、士郎も、凛も、ルヴィアも、そして響も。

 

 眦を上げて、尚も戦い続ける意思を見せつけている。

 

「どうだ、ジュリアン!!」

 

 岩山を見上げて、士郎が叫ぶ。

 

 静寂の戦場において、その声は大きく響き渡った。

 

「お前の企みはここまでだっ もう諦めろ!!」

 

 無論、戦局は確定したわけではない。こちらがボロボロである事に変わりは無かった。

 

 だが、

 

 それでも今なら、いかなる敵を相手にしても負ける気がしなかった。

 

 対して、

 

 士郎の叫びに対して、岩山からは何も返らない。

 

 ジュリアンはまだ諦めていないのか? それともあるいは、別の何かを思案しているのか。それは判らない。

 

 士郎とてこの程度でジュリアンが諦めるとは思っていない。この程度で諦めるくらいなら「正義の味方」を名乗るような真似はしないだろう。

 

 だが、それならばそれで構わない。ジュリアンが諦めるまで斬り伏せてやるまでだった。

 

 一同が、岩山の山頂を見上げる。

 

 と、

 

 それに対して、

 

 眼下を見下ろすジュリアンは、己の腕を高く掲げて見せた。

 

 次の瞬間、

 

 湧き出る泥が再び隆起し、そこから再び黒化英霊達が這いずりだしてきた。

 

「なにッ!?」

 

 目を剥く士郎。

 

 一同が警戒するように武器を構える。

 

 そうしている間にも、倒したはずの黒化英霊達が次々と復活していく。

 

 このまま行けば、ひとたび数を減らした敵が、また元の数に戻るまでに、そう時間はかからないかもしれない。

 

「いきがるんじゃねえよ、衛宮士郎」

 

 下を見下ろしながら、ジュリアンは吐き捨てるように告げた。

 

「言ったはずだ。お前たちに選択肢など無いと。いくら足掻こうが、喚こうが、所詮は俺の手のひらに内だって事を思い知れ」

 

 ジュリアンがそう言っている間にも、黒化英霊達は数を増やしていく。

 

 彼らが再び動き出し襲い掛かってくるまで、最早そう時間はかからないだろう。

 

「予想はしていたけど・・・・・・これは、流石にきついかもね」

 

 クロが干将莫耶を両手に構えながら、唇を噛み占める。

 

 既に皆、疲労の色が濃い。

 

 士郎も、美遊も、イリヤも、クロも、凛もルヴィアも、バゼットも。

 

 新撰組が戦線の大半を受け持ってくれたとは言え、前線で戦っていたメンバーは皆、無傷とは言えなかった。

 

 やがて、

 

 十分な数が揃った黒化英霊達は、再びこちらに向かって動き出した。

 

 身構える一同。

 

 再び、包囲網が狭められる始める。

 

 誰かが息を呑む音が聞こえた。

 

 もう、この場にいる全員が分かっている。

 

 これ以上戦う事は、不可能だと。

 

 敗北。

 

 皆の脳裏に、その言葉が浮かぶ。

 

 だが、

 

 聖旗を振り翳すイリヤ。

 

 盾を持ち上げる美遊。

 

 剣を構える士郎とクロ。

 

 拳を握るバゼット。

 

 魔術の詠唱準備を始める凛とルヴィア。

 

 この場にある誰もが、諦めるという選択肢を取ろうとはしなかった。

 

 そして、

 

「・・・・・・・・・・・・」

 

 皆の後ろで佇む響は静かな瞳で、迫りくる敵軍を見据えていた。

 

 脳裏に、土方に言われた事を思い出す。

 

 

 

 

 

『良いか、覚えておけ小僧。男が一度「やる」と決めたなら、どんな事があろうと最後まで貫き通せ。それが良いか悪いかなんてのは関係ねえ。そんな物は、後の人間が勝手に判断すれば良い』

 

『惚れた女を、最後まで守り抜けッ それでこそ、男ってもんだ』

 

 

 

 

 

 チラッと美遊を見る。

 

 己の全てを掛けて、大好きな美遊を守る。

 

 それこそが、命を掛けて戦ってくれた土方たちへ、響ができる最大限の答えだと思った。

 

「・・・・・・・・・・・・手は、ある」

 

 静かに呟く響に、一同は視線を向ける。

 

「ヒビキ、いったい何するつもり?」

 

 尋ねるイリヤ。

 

 いったいいかなる手段を用いて、この絶望的な状況を打ち破ろうというのか?

 

 対して、

 

 響は懐に手を入れると、1枚のカードを取り出して掲げて見せた。

 

「響、それはッ!?」

 

 驚いて声を上げる美遊。

 

 響の手に握られていたのは「剣士(セイバー)」のクラスカードだった。

 

 伝説の騎士王「アーサー・ペンドラゴン」の魂が宿るカード。

 

 念の為、響に預けていた物だ。

 

 響が持つ、最強最後のワイルドカード(ジョーカー)

 

 だが、それは同時に、少年自身も破滅させる最悪の一手でもある。

 

「ダメッ 響ッ!!」

 

 唯一、事情を知っている美遊が、とっさに止めようとする。

 

 だが、

 

 そんな美遊に静かに笑いかけると、

 

 響は動いた。

 

上書き(オーバーライト)ッ 並列夢幻召喚(パラレルインストール)!!」

 

 叫んだ瞬間、

 

 響の姿は、衝撃波によって覆われた。

 

 

 

 

 

 その頃、

 

 少年の中にいるもう1人の存在が、ゆっくりと目を覚ます。

 

 力を使い果たして、暫く眠りについていた彼は、突如として強烈な目覚ましを受け、覚醒せざるを得なくなったのだ。

 

「・・・・・・・・・・・・やれやれ」

 

 苦笑気味に呟く。

 

 諦めも往生際も悪い相棒には、もはや呆れるしかなかった

 

「それが、君の選択かい?」

 

 ここにはいない、しかし最も近くにいる存在へと語り掛ける。

 

 愚かな選択だ。

 

 こんな事をしたらどうなるか、彼自身が最もよく分かっているはずなのに。

 

 しかしまあ、

 

 自分は彼を批判できる立場ではない。

 

 何より、愚かであっても少年の決断が尊いものである事も事実だった。

 

「・・・・・・判った」

 

 微笑む。

 

 ただ、己の運命を受け入れた存在に対し。

 

「君が地獄に落ちるというのなら、僕は喜んで供に行こうじゃないか」

 

 

 

 

 

 響の姿が変化する。

 

 それまで着ていた着物と浅葱色の羽織は消失。

 

 代わりに、蒼のインナーに短パンを穿き、その上から黒いコートを着込んでいる。

 

 目にはバイザーが下され、顔の上半分を覆っている。

 

 そして、手にはそれまでの日本刀に代わり、美しい装飾の刀身を持った聖剣が握られている。

 

 ブリテンの伝説に名高き騎士王アーサー・ペンドラゴン。

 

 その一つの可能性としての姿がそこにあった。

 

 かつて、「向こう側の世界」でギルを相手に戦った時と寸分違わぬ戦装束。

 

 聖剣を両手で構える響。

 

 次の瞬間、

 

 地を蹴って疾走した。

 

 群がる黒化英霊。

 

 新撰組の活躍により当初に比べれば、だいぶ数は減ったとはいえ、それでも「増援」分も加わって、相当量の黒化英霊が集結しようとしている。

 

 視界を埋め尽くして迫る黒化英霊達。

 

 それが一斉に、響に群がる。

 

 中には、宝具を撃つべく魔力を集中させようとしている者もいる。

 

 だが、

 

「お、そいッ!!」

 

 飛び込んだ響は、手にした聖剣を横なぎに一閃、黒化英霊数体をまとめて叩き斬る。

 

 更に縦横に剣閃を振るい、向かってくる敵を斬って捨てる。

 

 たちまち黒化英霊の隊列は乱れる。

 

 響を取り囲んで押し包もうとする者もいるが、それよりも速く響が動く為、包囲網は殆ど用を成さない。

 

 中には誤って同士討ちまでする者まで出ている。

 

 獅子奮迅の活躍を見せる響。

 

 つい先刻まで存在していた、土方歳三の戦いぶりを連想させられる光景だ。

 

 だが、

 

 バイザーの下で、少年の表情は僅かに歪められている。

 

 剣を振るう度、微かに奔る体の痛み。

 

 極限に酷使された魔術回路が悲鳴を上げているのだ。

 

 判っている。

 

 元々、並列夢幻召喚(パラレルインストール)は、響の体と魔術回路に多大な負担がかかる。

 

 それ故に、ギルからも止められていた。

 

 だが響は、それを承知で、最後の切り札を切ったのだ。

 

 全ては美遊を、

 

 みんなを守るために。

 

 己と言う存在を貫き通すと誓った、鬼の副長に応える為。

 

「クッ!?」

 

 痛みに耐えながら、逆袈裟に剣閃を走らせる。

 

 聖剣に斬られて、泥へと返る黒化英霊。

 

 更に響は、横合いから槍を振り翳して斬りかかって黒化英霊の首に、カウンター気味に剣を繰り出す。

 

 交錯する一瞬、

 

 次の瞬間、

 

 響の聖剣が、相手の喉を刺し貫いた。

 

 攻撃開始は相手の方が速かったが、攻撃命中は響の方が速い。

 

 恐るべき反応速度と言える。

 

 苦悶するように、体を震わせる黒化英霊。

 

 対して、響は聖剣の柄を強く握る。

 

「お・・・・・・おォォォォォォ!!」

 

 そのまま刀身から魔力を放出。背後にいた黒化英霊達を襲う。

 

 剣先から放たれた魔力の奔流が、10体近い黒化英霊をまとめて吹き飛ばした。

 

 まさに、獅子奮迅の如き、響の活躍。

 

 だが、

 

「グッ!?」

 

 全身に奔る痛み。

 

 響は思わず、その場で膝を突く。

 

 今朝のダリウスの襲撃から、城での奇襲作戦。さらに岩山での対決を経て、新撰組の召還。

 

 連戦続きな上に、宝具だけでも2つも使っている。

 

 そのうえでの並列夢幻召喚(パラレルインストール)である。

 

 少年の限界は、とっくに超えていても不思議ではなかった。

 

 しかし、

 

「ま、だ・・・・・・まだァッ」

 

 膝に力を入れて立ち上がる響。

 

 同時に聖剣を横なぎに一閃。今にも襲い掛かろうとした黒化英霊の胴を容赦なく薙ぎ払う。

 

 上げた眦が、隊列を成す黒化英霊達を威嚇するように睨む。

 

 誓ったんだ。みんなを守ると。

 

 ならば、こんな所で倒れている暇なんかない。

 

 聖剣を構えなおす響。

 

 そこへ射かけられる、無数の矢。

 

 唸りを上げる矢が、五月雨の如く襲い掛かってくる。

 

 接近戦では(アーサー王)に敵わないと考えた敵が、一斉に遠距離攻撃を仕掛けてきたのだ。

 

「ッ!?」

 

 自身に向かって降り注ぐ矢を、辛うじて弾いていく響。

 

 だが、その数は余りにも多い。

 

 加えて極度に疲労している身である。

 

 その動きは、徐々に精彩を欠き始める。

 

 雨あられと迫る矢。

 

「んッ!?」

 

 響はバイザーの下で目を細めた。

 

 迎撃を掻い潜った数本の矢が、響へと迫った。

 

 その鏃が、少年の身体に食い込もうとした。

 

 次の瞬間、

 

 巨大な盾を持った影が響の前に立ち、傘のように掲げる事で、全ての矢を防ぎきって見せた。

 

「無茶しないで、響!!」

 

 叱りつけるような美遊の言葉が、響の耳を打つ。

 

「美遊・・・・・・・・・・・・」

 

 茫然と呟く響。

 

 対して美遊は、諭すように言う。

 

「私は、あなたの彼女。もっと私を頼って」

「・・・・・・・・・・・・ん」

 

 見れば、イリヤ達もまた、響に続くように反撃を開始していた。

 

 イリヤが聖旗を振るって黒化英霊を退ける一方、バゼットが拳を固めて殴り込んでいる。

 

 士郎とクロのコンビは、投影魔術を惜しげもなく駆使して、敵に投影武器の嵐を浴びせている。

 

 対して、黒化英霊達は完全に押され気味となっていた。

 

 彼らは確かに英霊であり、絶大な力を持っている。

 

 だが個々の意思はなく、また連携も取れていない。

 

 いわば獣の群れに過ぎない。

 

 対して響達は消耗してるとは言え、明確な意思と統率を持っている。

 

 流れさえ掴めば、負けはしなかった。

 

「・・・・・・・・・・・・」

 

 痛む体を引きずるようにして、響は立ち上がる。

 

 皆が戦ってくれている。

 

 傷つきながらも、誰1人として諦めてはいない。

 

 ならば・・・・・・・・・・・・

 

 眦を上げる響。

 

 ならば、皆の為に自分ができる事をしなくてはならない。

 

「響?」

「ん、ありがと、美遊。もう、大丈夫」

 

 響は自分の彼女に語り掛けながら、遥か岩山の頂上を睨む。

 

 この戦いを終わらせる。

 

 それが、自分が皆の為にできる、最大の事だった。

 

 次の瞬間、

 

 響は魔力で脚力を強化。

 

 地面を蹴って垂直に駆け上がる。

 

 更に、空中で足場を形成、より高く舞い上がる。

 

 風孕む上空。

 

 全てを見下ろせる場所まで、響は到達する。

 

 少年の視線は、眼下に岩山の山頂を臨んだ。

 

 その山の上では、こちらを睨むようにして見上げているジュリアンの姿がある。

 

「衛宮響ッ!!」

 

 叫ぶジュリアン。

 

 対して、

 

 響は聖剣を振り翳した。

 

十三拘束解放(シールサーティーン)円卓議決開始(ディシジョンスタート)!!」

 

 空中で聖剣開放態勢に入る響。

 

 振り翳した聖剣から魔力が零れる。

 

 

 

 

 

「これは、己よりも強大な物との戦いである」

 べディヴィエール、承認

 

「これは精霊との戦いではない」

 ランスロット、承認

 

「これは、愛する者を守る戦いである」

 トリスタン、承認

 

「これは、邪悪との戦いである」

 モードレッド、承認

 

「これは、私欲なき戦いである」

 ガラハッド、承認

 

 そして、

 

「これは、世界を守る戦いである」

 アーサー、承認

 

 

 

 

 

 六拘束解放。

 

 聖剣解放に必要な円卓の騎士13人中、半数の承認には至らない。

 

 だが、

 

 それでも、

 

 半数近く拘束が解放された聖剣からは、溢れ出る魔力は、天を衝くほどに迸る。

 

 眩い閃光が、ジュリアンに向けられる。

 

 対して、

 

「ガキがッ!! あたしのジュリアン様に手を出すんじゃねえよ!!」

 

 ベアトリスが、ジュリアンを守るように飛び出して来た。

 

 その手にしたハンマーに、雷撃が集中していく。

 

「吹き飛べ!! 元素の塵まで!!」

 

 聖剣を大上段に構える響。

 

 大槌を振り上げる態勢に入るベアトリス。

 

 睨み合う両者。

 

 次の瞬間、

 

約束された(エクス)勝利の剣(カリバー)!!」

万雷打ち轟く雷神の嵐(ミョ ル ニ ル)!!」

 

 奔る閃光に鳴り響く雷鳴。

 

 激突する聖剣と神槌。

 

 強烈な輝きが、全てを明るく染め上げていく。

 

 両者の魔力が、互いに空中でぶつかり合う。

 

「グゥッ!!」

「ハッ!!」

 

 更に魔力を放出する、響とベアトリス。

 

 互いに相手を打ち破らんと、持てる全てを注ぎ込む。

 

 地上に立つイリヤ達も、思わず戦う手を止めて振り仰ぐ。

 

 やがて、

 

 強烈な対消滅を起こし、互いの閃光が四方に飛び散る。

 

 同時に、衝撃波が周囲に拡散した。

 

 吹き荒れる衝撃。

 

 そんな中、ジュリアンは瞬き一つせず、岩山の頂上に立ち続けている。

 

「チッ!?」

 

 舌打ちしつつ、衝撃に耐えるベアトリス。

 

 その表情には、明らかな敵意が見て取れる。

 

 睨み付けるベアトリス。

 

 その視線の先では、

 

 岩山の上に降り立った、響の姿があった。

 

 膝を突き、聖剣を杖代わりにしてようやく上体を起こしている響。

 

 ダメージこそ受けなかったものの、宝具同士の撃ち合いはやはり、少年に多大な負荷をかけていた。

 

 顔を上げる響。

 

 その姿を、ベアトリスは苦々しく睨みつける。

 

「何なんだ、あのガキは。ミョルニルと撃ち合って、何で無傷でいられる?」

 

 全力で放ったわけではないとはいえ、自身の攻撃が格下の英霊相手に完璧に相殺された事に、いたくプライドを傷つけられた様子だ。

 

 一方、

 

「・・・・・・・・・・・・」

 

 ジュリアンは、険しい瞳でジッと響を見据えていた。

 

 対して、響もバイザー越しにジュリアンの顔を見る。

 

 衛宮響とジュリアン・エインズワース。

 

 思えば、これまで何度か会っているにも拘らず、互いにしっかりと顔を合わせたのは、これが初めてかもしれない。

 

 互いに、敵意の籠った視線が激突する。

 

「・・・・・・・・・・・・そうか」

 

 ややあって、口を開いたのはジュリアンの方だった。

 

 視線は響から外さず、それでいてどこか納得したような呟き。

 

「・・・・・・お前は、『あいつ』か」

「・・・・・・ん?」

 

 1人で何かを納得したようなことを言うジュリアンに、響は不審そうに首をかしげる。

 

 対して、ジュリアンは構わず続ける。

 

「何度も、何度も、俺の前に立ちはだかりやがって。衛宮士郎と言い、お前と言い・・・・・・・・・・・・」

 

 忌々しげに呟くジュリアン。

 

 対して、響も視線をそらさずジュリアンを睨みつける。

 

「これで終わり。もう、諦めろ」

 

 言いながら、聖剣の切っ先をジュリアンに向ける。

 

 とは言え、響の限界はとうに超えている。これ以上の戦闘は不可能に近い。

 

 ここでジュリアンが退かなければ、もう響には対抗手段が無かった。

 

 果たして、

 

「・・・・・・・・・・・・良いだろう」

 

 ジュリアンはスッと目を逸らして言った。

 

 所詮、この程度では計画の瑕疵にもならない。自分の正義は絶対に揺らぐ事は無いのだ。

 

 その意思が、ありありと現れていた。

 

「ここは退いてやる」

 

 そう言って踵を返すと、エリカの肩に手をやるジュリアン。

 

 それに付き従うように、控えていたシフォンも立ち上がる。

 

「待てッ!!」

 

 逃がすまいとして、とっさに聖剣を振り被る響。

 

 だが、

 

「調子こいてんじゃねえよ、クソガキが!!」

 

 ジュリアンを守るように立ちはだかったベアトリスが、響に向けてハンマーを横なぎに振るう。

 

 大気を粉砕しながら迫るハンマー。

 

 対して、

 

 既にほとんどの力を使い果たしている響には、対抗する手段が無かった。

 

「んッ!?」

 

 辛うじて聖剣を盾にして直撃だけは逸らす響。

 

 だが、

 

 その一撃で、少年の体は岩山から大きく吹き飛ばされてしまった。

 

 落下していく響。

 

 そんな中、

 

 ジュリアンは流れ出る泥を止める。

 

 同時に上空の立方体に変化が生じる。

 

 一部が折りたたまれたかと思うと、次々と折り畳みが進み、あっという間にジュリアンの手のひらに収まるサイズへと縮んでしまう。

 

 その立方体を手に取るジュリアン。

 

 同時に、振り返らずに告げた。

 

「ベアトリス、帯雷二つまで許可する」

 

 

 

 

 

 一方、

 

 響は、急速に落下する己の体を知覚しながら、しかしどうする事も出来ないでいた。

 

 約束された勝利の剣(エクスカリバー)を使用した事で、既に魔力は底を突き、同時に体力も残されていなかった。

 

 もはや、指一本、まともに動かす事が出来ない。

 

「ま、ずい・・・・・・・・・・・・」

 

 呟く響。

 

 このままだと、響は受け身も取れないまま、地面に叩きつけられることになりかねない。

 

 その時だった。

 

 突如、ふわりとした感触と共に、響の体は受け止められた。

 

「響、大丈夫!?」

 

 呼び声に応えるように、目を開ける響。

 

 そこには、

 

「・・・・・・美遊?」

 

 大切な彼女が、心配顔で響の体を受け止めている所だった。

 

 麓で戦っていた美遊は、戦いの最中、響が岩山から放り出されるのを見て、とっさに夢幻召喚(インストール)を解除。空中を駆けあがって少年の体を受け止めたのだ。

 

「もう、また無茶して」

「ん」

 

 叱られて、しかし響は笑顔を浮かべる。

 

「けど、今回も守れた」

「・・・・・・まったく」

 

 そんな響に、美遊もまた苦笑を返す。

 

 言って聞く響ではない。

 

 そんな事はとっくに分かっている。

 

 ならば今は、自分の為に戦ってくれた小さな彼氏の事を誇りに思おう。

 

 美遊はそんな風に思った。

 

 やがて、響を抱えたまま、着地する美遊。

 

 そこへ、皆が駆け寄ってくるのが見えた。

 

「響、美遊!!」

「2人とも、無事ですわね!!」

 

 駆け寄ってくる、凛とルヴィア。

 

 他の面々も、次々と集まってくるのが見えた。

 

「無事で何よりだ。こっちはあらかた片付いたぞ」

 

 言いながら、周囲を見回す士郎。

 

 見れば確かに、あれだけいた黒化英霊は、殆ど姿が見えなくなっている。

 

 元々、新撰組が大幅に数を減らしておいてくれたのだ。「残敵掃討」はほぼ完了していた。

 

 だが、

 

「残念ですが、安心するには、まだ早いです」

 

 言いながら、バゼットは上空を振り仰ぐ。

 

 そこでは、

 

 莫大な雷撃を纏ったハンマーを、大きく振りかぶったベアトリスの姿があった。

 

二雷目(こいつ)をブッパすんのはあたしも初めてだぜ」

 

 恍惚と狂気に彩られた笑顔を見せるベアトリス。

 

 その手の中にある雷が、更に勢いを増して増幅する。

 

《ま、まずいですよ!!》

 

 イリヤの手の中で、聖旗の姿を取っているルビーが、悲鳴に近い声を上げた。

 

《あの魔力凝縮は、これまでの比ではありません。まともに食らえば、本当に塵も残りません!!》

 

 ルビーの言葉に、誰もが息を呑む。

 

 エインズワースは、正に切り札を隠し持っていた形である。

 

 こちらは既に、全員がボロボロで消耗しつくした状態である。

 

 とても、ベアトリスの攻撃を受け止められる状態ではない。

 

熾天覆う七つの円環(ロー・アイアス)でッ!?」

「ダメだ、そんな物じゃ防ぎきれない。それより、発動前に狙撃を・・・・・・」

 

 クロの言葉に首を振る士郎。

 

 だが、いずれも有効な手立てではない。

 

 まさしく、神の一撃を受け止め得る存在など、ありはしなかった。

 

「吹き狂え!! 元素の彼方まで!!」

 

 ついに、

 

 ベアトリスのハンマーが振り下ろされる。

 

 迸る、強烈な雷撃。

 

 神の雷は主に仇成す全てを粉砕すべく、地上へ向けて放たれる。

 

 絶望が、全てを覆いつくす。

 

 もはや、いかなる防御も、回避も意味をなさない。

 

 ただ、己の無力を噛み占めながら、神の雷に押しつぶされるのを待つしかないというのか?

 

 響もまた、同様だった。

 

 美遊の腕に抱かれながら、悔し気に降り注ぐ雷光を睨む。

 

 せっかくここまで来たのに。

 

 みんなで、頑張ったのに。

 

 それなのに、

 

 こんな形で終わってしまうというのか?

 

 皆が悔し気に噛み占める中、

 

 1人の少女が、決意と共に眦を上げた。

 

「ヒビキ・・・・・・ミユ・・・・・・クロ・・・・・・みんなも」

 

 イリヤが前に出ながら、静かな声で告げる。

 

「みんな、ありがとう。今日、私が無事でいられたのは、みんなのおかげだよ」

「イリヤ?」

 

 自分を助けるために、ボロボロになるまで戦ってくれた仲間達。

 

 そのみんなの想いに応えるなら、未だと思った。

 

 睨む、天を。

 

「だからッ」

 

 少女の手にある旗が掲げられる。

 

 白地に金の刺繍が入った優美な旗。

 

「今度は、私がみんなを守る!!」

 

 迫りくる雷鳴。

 

 少女の手にした旗は、光を受けて翻る。

 

「我が旗よ、我が同胞を守り給え!!」

 

 光が溢れる。

 

 一切の邪気を払う清浄な光。

 

 皆を包み込む。

 

我が神は、ここにありて(リュミノジテ・エテルネッル)!!」

 

 吹き狂う雷鳴が激突する。

 

 だが、

 

 その一撃は、イリヤが振り翳した旗によって防ぎ止められる。

 

 雷撃も、衝撃も、全てが用を成さずに散らされていく。

 

 宝具「我が神は、ここにありて(リュミノジテ・エテルネッル)

 

 その正体は、裁定者(ルーラー)ジャンヌ・ダルクが振るう、最強クラスの結界型宝具である。

 

 フランス百年戦争時代。

 

 奪われた祖国フランスを取り戻すため、常に戦場にあって旗を振り続けた聖女ジャンヌ・ダルク。

 

 その彼女が旗を振るえば、万軍が奮い立ち、あらゆる邪悪が退いたという。

 

 イリヤは自身に残された全ての魔力を振り絞って旗を維持し続ける。

 

 そんな中、

 

「ハッ!!」

 

 ベアトリスの嘲笑が響く。

 

「二撃分の雷を防ぎ止めるか。面白ェ!!」

 

 言いながら、魔力をさらに高める。

 

「どこまで耐えられるか、試してやるよ!!」

 

 更に放出する雷が増幅する。

 

 まるでガードの上から強烈に殴りつけられているような感覚に、少女の腕が悲鳴を上げる。

 

「クッ!?」

 

 思わず、顔を歪ませるイリヤ。

 

 あまりの圧力に、少女は押しつぶされそうになる。

 

 だが、

 

 それでも、

 

 倒れない。

 

 皆を、

 

 大切な人たちを守る。

 

 その想いだけで、イリヤは旗を振るい続けていた。

 

 その時だった。

 

 イリヤの小さな手に、

 

 別の手が重ねられる。

 

「えッ!?」

 

 振り返るイリヤ。

 

 果たしてそこには、ニッコリと笑顔を浮かべるクロの姿があった。

 

「まったく、世話が焼けるんだから」

「クロッ!?」

 

 それだけではない。

 

 更に横から、二つの手が重ねられる。

 

「イリヤ、もう少しだから!!」

「ん、がんばる!!」

「ミユッ ヒビキ!!」

 

 姉弟と親友が、力を貸してくれる。

 

 ただそれだけで、イリヤは己の中から力が無限に湧き出してくるのを感じた。

 

 強さを増す、聖旗の光。

 

 その輝きが、

 

 降り注ぐ雷光を押し返す。

 

「馬鹿なッ!?」

 

 驚いたのはベアトリスだ。

 

 まさか、絶対の自信を持って放った攻撃が、押し返されるとは思っていなかっただろう。

 

 やがて、

 

 結界に防がれた雷撃が、威力を消失して霧散する。

 

 後には元の鈍色の空が広がるのみだった。

 

 それを見て、

 

 子供たちはそれぞれ、その場に崩れ落ちた。

 

 もう、本当に限界だった。

 

 魔力も体力も底を突いている。

 

 特に、無茶を無茶を重ねた響は、そのまま地面に大の字になって転がっていた。

 

「・・・・・・やりやがったな、クソガキ共が」

 

 そんな一同を、苦々しい表情で睨むベアトリス。

 

 自分が絶対の自信でもって放った攻撃が防ぎ止められた事で、彼女のプライドは大きく傷つけられた形である。

 

 歯を噛み鳴らす。

 

 このままじゃ済まさない。

 

 絶対にッ

 

「死にやがれ!!」

 

 大槌を振り上げるベアトリス。

 

 だが、

 

「やめろ」

 

 低く、

 

 しかしそれでいて重い声が、少女を制する。

 

 ジュリアンは振り返りながら、ベアトリスに命じる。

 

「もう良い、これ以上は無駄だ。退くぞ」

 

 その言葉に、ベアトリスは一瞬、逡巡するような表情を見せる。

 

 だが次の瞬間、

 

「はぁ~い、わっかりましたー ジュリアン様―!!」

 

 コロッと態度を変えて主にすり寄る。

 

 先程までの狂乱が、嘘のような豹変ぶりである。

 

 その一方、立方体の回収を終えたジュリアンは、再び岩山の淵に立って眼下を見下ろす。

 

 その足元にいる一同と、視線がぶつかる。

 

「覚えておけ、衛宮響、衛宮士郎、イリヤスフィール、そして美遊」

 

 陰々と響き渡るジュリアンの声。

 

「俺は絶対に諦めない。俺は必ず、俺の正義を完遂して見せる。お前らがいかに抗おうが、な」

 

 そこにあるのは、自身の正義に対する絶対的な信念。

 

 全ての人類を救うという己の信念を曲げぬ存在。

 

 ジュリアンもまた、己の信ずるものの為に、全てを捨て去る事ができる人間だと言う事を思い知らされる。

 

「立ち塞がるなら立ち塞がるがいい」

 

 言いながら、置換魔術を起動するジュリアン。

 

 大規模な空間置換が開き、岩山の全てを覆いつくしていく。

 

「俺は、その全てを踏み越えて見せる」

 

 その言葉を最後に、ジュリアン達の姿は完全に見えなくなった。

 

 巨大な岩山も消え去り、後には何も残らない。

 

 そんな中、

 

 美遊の介抱を受けながら、響はジュリアンの言葉を噛み占めていた。

 

 全ての人類を破滅から救うと言う彼は、確かに世界からすれば「正義の味方」なのだろう。

 

 だが、

 

 その為に美遊を、

 

 響の大切な恋人を犠牲にしようというなら、

 

「絶対・・・・・・許さない」

 

 低く呟く響。

 

 ジュリアンは言った。

 

 立ちはだかるなら、何度でも踏み越えてやる、と。

 

 良いだろう、

 

 ならば、こちらは何度でも立ちはだかるのみだ。

 

 倒れるのは自分か、それともジュリアンか。

 

 いずれにしてもあの男とは、いつか必ず決着を着ける必要があると。

 

 それは予感ではなく確信。

 

 既に確定された未来だった。

 

 だが、

 

 膝枕してくれている美遊に、微笑みかける響。

 

 一瞬きょとんとした美遊だが、すぐに笑い返してくれる。

 

 美遊を守れた。

 

 イリヤと士郎も取り返せた。

 

 今は、それだけで、充分に満足だと思った。

 

 

 

 

 

第29話「不揃いな正義」      終わり

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「エインズワースは撤退。計画は大きく後退した、か」

 

 闇の中で全てを見通していた者が、そっと呟きを漏らす。

 

 そこにあるのは失望か? 高揚か?

 

 あるいは、その両方か?

 

 いずれにせよ、

 

「そろそろ、私が動く余地が出来上がった、と見るべきだろうね」

 

 そう告げると、闇の中で不気味な笑いを浮かべ続けていた。

 



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第30話「戦い終わって日は暮れて」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 戦いは、終わった。

 

 あれだけいた黒化英霊達はきれいさっぱりと消え去り、クレーターの中には静寂に包まれた。

 

 喧騒は過ぎ去り、帳の如き闇が迫る中。

 

 紛う事無き勝者たる一同は戦場を後にしていた。

 

 ジュリアン達は消えた。

 

 彼らの居城だったはずの岩山と共に。

 

 同時に、あの黒い立方体も無くなっていた。

 

 あれが一体何だったのか? あれを使って、ジュリアンは何をしようとしていたのか?

 

 一切が謎のまま。

 

 後には、ジュリアンが残した不吉な決意(ことば)と、底知れない破壊の爪痕だけだった。

 

 何しろ、無数の英霊達が交錯し、強烈な宝具による応酬が行われたのだ。

 

 その破壊力は、推して知るべし、と言ったところである。

 

 だが、

 

 誰もが感じ取っていた。

 

 この勝利は一時的な物でしかない、と。

 

 撤退したとは言えジュリアンはまだ諦めていない。いずれ必ず、戻ってくるだろう。

 

 それも、そう遠くない未来に。

 

 その時は、再び刃を交えなくてはならない。

 

 彼の謳う「正義」と、自分たちの信じる「悪」は決して相容れないのだ。

 

 再度の激突は免れない事は、火を見るよりも明らかだった。

 

 とは言え、それもまだ先の話。

 

 今は皆、全員、辛うじてだが生を拾った事に対し、力なく喜びを感じている所であった。

 

 生を拾った、と言えばもう1人。

 

 意外な人物が、生き残った者達の輪の中に加わっていた。

 

 アンジェリカである。

 

 戦いが終わった後、戦場に倒れているのを発見され、一同に保護されていた。

 

 当初、敵対していた彼女を連れていくことに対して抵抗する声が無かったわけではないが、士郎や、更にはイリヤからも彼女を擁護する声が上がったため、共に連れていくことになったのである。

 

 戦いが終わったアンジェリカは、まるで魂が抜け落ちたかのように従順になっていた。

 

 というより、まるで「人形」のような印象さえあり、こちらが命じれば黙って付き従うまでになっていた。

 

 あの苛烈な戦いぶりが、嘘だったかのようである。

 

 そして、

 

 アンジェリカとは逆に、姿を消した者も1人。

 

 ギルである。

 

 もともと彼は、厳密に言えば「仲間」ではなく「同盟者」あるいは「同行者」に過ぎなかった。ギルガメッシュ(自分自身)のカードを取り戻したいギルと、イリヤと士郎を奪還したい響達の利害が一致していた為、今まで共に戦ってきたにすぎない。

 

 その双方の目的が達成されたからには、これ以上ともにいる意味もない。と言う事なのかもしれないが。

 

 しかし、一言の挨拶も無しに去るのは、流石に薄情と思わざるを得なかった。

 

 こうして、戦場を後にした一同は士郎の誘いもあって、衛宮家に招かれる事になった。

 

 これはありがたい話である。

 

 あれだけの激戦の後である。何はともあれ、ひとまず休みたい所ではあるし、今後の対応を考えるにしても、一旦落ち着きたい所である。

 

 そんな訳であるから、士郎のお誘いは渡りに船だったわけである。

 

 

 

 

 

 湯船の中で、ゆっくりと手足を伸ばす。

 

 檜の柔らかい感触に身を委ねると、それだけで戦場の疲れが洗い落とされていくかのようだった。

 

「ん 極楽極楽・・・・・・・・・・・・」

 

 湯船の感触を楽しみながら、響はそんな事をつぶやく。

 

 士郎の好意によって衛宮邸にやって来た響達は現在、交代で風呂に入っている所だった。

 

 姉2人と美遊は既に入ったため、今は響の番だった。

 

 驚いたのは、衛宮邸の規模である。

 

 深山町にある衛宮邸は高い塀に四方を囲まれた純和風の家屋で、広い庭と立派な門構えがある。敷地面積は「向こう側の世界」にあるエーデルフェルト邸に敵わない物の、それでも相当な大きさである。

 

 はっきり言って、自分たちの「衛宮家」とは次元違いのすごさである。

 

 同じ「衛宮」なのに、世界が違うだけで、どうしてこうも差が出るのか。

 

「・・・・・・・・・・・・不公平」

 

 何となく理不尽な感じがして、響はお湯に口を付けてブクブクする。

 

 帰ったら、もっと切嗣に頑張ってもらおう。

 

 父に過剰な期待をしつつ、響は湯に身を委ねる。

 

 それにしても、

 

 ようやく、家に帰って来た時の美遊の嬉しそうな表情が、響の脳裏に浮かぶ。

 

 彼女がどれほどの想いを込めて、この家の門をくぐったのかは、響には判らない。

 

 だが、そこには想像を超える苦難があったであろうことは間違いなかった。

 

 だが、

 

「・・・・・・・・・・・・」

 

 美遊が持つ業は深い。恐らく、彼女自身が思っているよりも、ずっと。

 

 それ故にジュリアンは彼女を欲し、狙い続けているのだ。

 

 果たして自分は、彼女を守れるだろうか?

 

 正義を信じるジュリアンから、彼女を。

 

 そっと、お湯から手を出して翳してみる。

 

 一見すると、何の変哲もない自分の手だ。

 

 しかし、

 

「・・・・・・・・・・・・どうにか、しないと」

 

 響は嘆息交じりに呟く。

 

 自分達も必死だが、敵も必死だ。

 

 次の激突が、今日以上の死闘になる事は、容易に想像できることだった。

 

「美遊は守る。絶対・・・・・・・・・・・・」

 

 たとえ・・・・・・・・・・・・

 

 そこまで考えて、やめた。

 

 いずれにしても、もう少し先の事だ。

 

 こうして全メンバーの集結が完了したからには、何かもっと良い手段が思いつくかもしれない。

 

 特に、凛とルヴィア、2人のベテラン魔術師の存在は大きかった。

 

 彼女達も交えて、今後の対エインズワース作戦を考えて行けば、きっと光明も見えてくるはずだった。

 

「・・・・・・・・・・・・あれ?」

 

 響は、ふと考える。

 

 そう言えば、何かを忘れているような気がしたのだ。

 

 割とどうでも良い、それでいて割と重要な、何だかとっても矛盾した「何か」を。

 

 あまりにも事情が複雑すぎて、「それ」は記憶の奥底から出て来てくれなかった。

 

「・・・・・・ま、いっか。上がろ」

 

 さっさと思考を切り替えると、響は湯船から立ち上がる。

 

 思い出せないと言う事は、自分で思っているほど重要な事ではないのだろう。放っておいても問題ないか、あるいはそのうち思い出すと思った。

 

 後が閊えているのだ。年長組の入浴がまだである事を考えれば、あまり長湯も出来なかった。

 

 温まった体を拭き、脱衣所に用意された服を着込む。

 

 それまで着ていた服は、既にドロドロだったため、洗濯に出されているので、着替えは士郎から借りる事になったのだ。

 

 だが、

 

「・・・・・・・・・・・・」

 

 用意された「パジャマ」を見て、思わず響は絶句した。

 

「・・・・・・・・・・・・ナニコレ?」

 

 取りあえず、響が見た事も無い類の物である事は確かだった。

 

 果たして、これを「服」と呼んで良いのか、大いに疑問であったが。

 

「・・・・・・・・・・・・うーわー」

 

 正直、こんな物を着るのは恥ずかしい。

 

 まったく、誰の趣味だと問いただしたくなってくる。

 

 しかし、背に腹は代えられない。

 

 それに以前、クロに強制的に女装させられたこともある響である。それに比べれば、これはまだマシな方だった。

 

 あくまで「まだ」というレベルだが。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 とにもかくにも、着替えを終えた響。

 

 用意されたパジャマ。

 

 着てみると意外と平気か?

 

 と言えば、そんな事も無く、やっぱり恥ずかしいもんは恥ずかしい。

 

 唯一の救いは着てみると以外に暖かい事だった。

 

 生地が厚く、内部はもこもこした保温仕様になっている為、程よい暖かさを保ってくれている。

 

 付属のフードを被れば、なお暖かい。

 

 この夏の寒い中(誤字に非ず)、これはありがたかった。

 

 恥ずかしいのは、この際我慢するのも手だった。どうせ自分の恰好は自分からは見えない訳だし。

 

 と、

 

「「「あ」」」

 

 廊下を曲がったところで、響はばったりと人に出くわした。

 

 イリヤとクロ。

 

 2人の姉が立っている。

 

 だが、

 

 同時に、姉弟達はそろって絶句する。

 

 それもそのはず。3人が3人、それぞれ「種族」こそ違えど、同じような格好をしていたからである。

 

 共に、毛皮がもこもこした、保温効果の高いパジャマ姿。

 

 だが、

 

「ヒビキ、なにその恰好?」

「ん、それ、こっちのセリフ」

 

 驚くイリヤに、響は言い返す。

 

 ライオンに、パンダに、目付きの変な猫。

 

 それぞれが、響、クロ、イリヤの恰好である。

 

 そう、

 

 3人が着ているのは、動物をデザインした、ファンシーな着ぐるみパジャマだった。

 

 いったい、士郎は何を考えてこのパジャマを用意したのか?

 

 もっと普通の服は無かったのか?

 

 そもそも、何で着ぐるみパジャマ限定でこんなに持っているのか?

 

 士郎をとっ捕まえて、問いただしたい所である。

 

「謎だね」

「謎よね」

「ん、こっちの衛宮家、どうなってる?」

 

 脱力気味に嘆息する姉弟達。

 

 その時、

 

「・・・・・・お兄ちゃん、別なの出して」

 

 僅かに戸が開いていた部屋から、聞きなれた声が聞こえてきた。

 

 顔を見合わせる3人。

 

「今の声って」

「ん、美遊だ」

 

 そっと、戸の方に近づくと、3人そろって中を覗き込む。

 

 果たして、

 

 中には美遊と士郎の2人がいた。

 

 士郎は既に寝巻の浴衣に着替え、美遊は着替え前なのか、インナー姿で兄の前に座り込んでいる。

 

 だが、どうも様子がおかしい。

 

 何やら言い募る美遊に、士郎が困り顔を見せていた。

 

「でもお前、このくまさんパジャマが、一番のお気に入りだったじゃないか」

 

 そう言って掲げる士郎。

 

 その手には、

 

 今まさに、響達が着ている着ぐるみパジャマと同タイプの、くまさんタイプがあった。

 

 それが意味する事は即ち、ただ一つ。

 

 これらのパジャマは全て、

 

 

 

 

 

 美 遊 の だ っ た !!

 

 

 

 

 

 と、言う事である。

 

 過去最大級の衝撃が、響達を襲った。

 

 あの美遊が、

 

 あのクラス一のクール美少女の美遊が、

 

 まさかパジャマの趣味が、こんな「お子様趣味全開」のファンシーな着ぐるみパジャマだと、誰が想像できただろうか?

 

 今回の衝撃に比べれば、ジュリアンがダリウスの振りをしていた事なんぞ、アイドルの衣装早着替え程度にどうでも良くなる。

 

「い、いや、まあ、考えてみれば当然なんだけど、え!? え!? ミユってそう言う趣味だったの!?」

「向こうでの私服は、全部ルヴィアが選んでいたから気が付かなかったわ」

「ん。衝撃の新展開。次回を待て」

 

 困惑したまま、ひそひそと話す姉弟達。

 

 普段の美遊から比べると、あまりにもギャップがありすぎて、戸惑いを隠せないのだ。

 

「そうだけど、今日は別なのが良い・・・・・・」

 

 我儘を言う美遊に、士郎が少し困り顔をするのが見えた。

 

 普段、割と素直な美遊が、こんな事で駄々をこねた為、戸惑っている様子だ。

 

「しょうがないな、じゃあ、こっちならどうだ?」

「うん・・・・・・これなら」

 

 兄が出してきた服に、よやく納得して着替え始める美遊。

 

 それは花柄をあしらった子供用の和服だった。

 

 丈のサイズもしっかり美遊の身長に合わせてり、着てみて違和感はない。

 

 士郎も慣れた手つきで美遊の着付けをしていく。

 

 元々が人形のような美貌と可憐さを持つ少女である。こうしてみると、本当に日本人形のようだった。

 

 一通り着付けが終わると、今度は美遊は士郎に背を向けて座り込んだ。

 

「お兄ちゃん、髪やって」

 

 どうやら、士郎に髪を結って貰いたいらしい。

 

 確かに、せっかく着物に着替えたのだから、髪も整えたい所だろう。

 

 そんな美遊に、士郎は呆れ気味に嘆息する。

 

「それくらい、自分でできるだろう?」

 

 あまり甘やかすつもりはない。という意思表示なのか、士郎は妹の要望をきっぱりと断る。

 

 だが、今日の美遊は強かった。

 

「良いからやって」

 

 プクーっとほっぺを膨らませる美遊。

 

 その様子に根負けしたのか、士郎はやれやれとばかりに櫛を取り出し、妹の髪を梳いていく。

 

 それにしても、

 

 美遊が甘えん坊とは・・・・・・・・・・・・

 

 衝撃の事実part2

 

 廊下で衛宮家(あっち側)の3姉弟が悶絶している。

 

 何なんだ、このサプライズの連続攻撃は?

 

 今まで知らなかった美遊の裏事情(くろれきし)がオンパレードである。

 

 やがて、

 

「よし、これで良いだろ」

 

 美遊の髪をセットし終えた士郎が、満足げに頷く。

 

 美遊の長い髪はキレイに纏められ、後頭部で髪飾りで止められていた。

 

 向こう側の士郎も、いろいろと凝り性な性格をしていたが、こっちも相当である事がうかがえる。

 

 どうやら並行世界であっても、同じ「士郎」なら性格も似るらしい。

 

「もう・・・・・・すぐ寝るのに、こんな頭」

 

 鏡を見ながら、やれやれと嘆息する美遊。

 

 彼女としては、寝る前に少し整えてくれるだけで良いと思っていたのだが、思いのほか気合の入った兄に、こんなにされてしまったのだ。

 

 だが、そんな妹の言葉に、士郎は首を振る。

 

「いや、寝るにはまだ早いだろ。みんなと話さなきゃいけないことがたくさんあるし」

 

 言いながら、戸に手を掛ける士郎。

 

 そのままサッと開いた。

 

「な、君たちも、そうだろう?」

「あら?」

「はわッ!?」

「わあッ」

 

 コロン コロン コロン

 

 それまで室内を伺っていた3人は、突然士郎に戸を開けられ、そのまま転がるようにして部屋の中へと転がり込んだ。

 

 士郎は最初から出歯が目3人組の存在に気付いていたのだ。

 

 この中で一番驚いたのは美遊だろう。

 

 まさか、障子一枚隔てた向こうに友達+彼氏が潜んでいるとは、思いもよらなかったことだろう。

 

「えっ・・・・・・あッ!? いっ・・・・・・・・・・・・」

 

 突然の事態に、頭が回らない美遊。

 

 あまり見られなくない光景を、一番見られなくない人たちに見られてしまった、という思いから、頭の中身が大混線を起こしている。

 

 ややあって、どうにか落ち着きを取り戻して口を開く。

 

「・・・・・・いつから、見てた?」

「えっと・・・・・・」

「ん~・・・・・・」

 

 押し殺したような声で尋ねる美遊。

 

 何と言うか、暴発1秒前と言った美遊に、言葉を濁らせるイリヤと響。

 

 と、

 

「くまさんパジャマのあたりからね」

 

 からかうようなクロのあっさりとした言葉。

 

 次の瞬間、

 

「~~~~~~~~~~~~ッ!?」

 

 カーッと言う音が聞こえそうなほど、一気に顔を真っ赤にする美遊。

 

 そのまま手近にあった座布団を引っ掴むと、クロを殴打しまくる。

 

 自分の恥ずかしい秘密を親友と彼氏に知られ、パニクってっている様子である。

 

「アハハハ、ミユが怒ったー!!」

「なんかレアなミユをいっぱい見れちゃった!!」

 

 笑いながら逃げまくるクロと、興奮して鼻息を荒くするイリヤ。

 

 その2人を追いかけまわしてボスボスと座布団で叩く美遊。

 

 自分の彼女と姉たちが織りなす微笑ましい追いかけっこを、響はやれやれとばかりに見つめている。

 

 何だか、こんなノリは久しぶりなような気がしたのだ。

 

 「向こうの世界」ではごく普通にあった日常。

 

 だが、それが今ではひどく懐かしく感じていた。

 

 だが今、自分の周りには美遊がいて、イリヤがいて、クロがいる。

 

 ルビーとサファイアもいる。

 

 ちょっと違うけど士郎もいて、凛とルヴィア、あとバゼットもいる。

 

 何だか、いつもの日常が帰って来たみたいで嬉しかった。

 

「・・・・・・・・・・・・ん?」

 

 ふと、響は違和感を感じて考え込む。

 

 それは先程、風呂に入っていた時にも感じた事。

 

 何かを忘れているような、そんな感覚。

 

 割と重要な、それでいて割とどうでも良いような、訳の分からない感覚。

 

 何と言うか、こういう騒々しい騒ぎが起これば、真っ先に飛び込んでいきたがる人間を、誰か忘れているような気がするのだが・・・・・・・・・・・・

 

「どうかしたのか?」

「んー よく分かんない」

 

 尋ねる士郎に、首をかしげながら答える響。

 

 その時だった。

 

 バンッ バンッ バンッ バンッ バンッ

 

「んなッ!?」

 

 突然、背後の窓ガラスを思いっきり叩かれ、響は声を上げて振り返る。

 

 いったい、何事が起きたのか!?

 

 敵襲か!?

 

 一同が反射的に振り返る視線の先。

 

 果たしてそこにいたのは、

 

 見覚えがありすぎる体操服ブルマー少女が、とんでもなく形容しがたい表情で窓ガラスに張り付いているところだった。

 

「た、田中ッ!?」

 

 思わず素っ頓狂な声を上げる響。

 

 あまりにも想定外の事態に、誰もが唖然とせざるを得なかった。

 

 

 

 

 

「ひどいですよ、響さんも美遊さんもクロさんも!! 目が覚めたら皆さん居ないですから、田中はずっとがっこーで待ってたですよ!!」

「ご、ごめんなさい田中さん」

「ぶっちゃけ、うっかりすっかり忘れてた」

「いやいや、覚えてはいたわよー・・・・・・うっすらとだけど」

 

 腕をぶんぶんと振り回す田中に対し、美遊、響、クロはそれぞればつが悪そうに言い訳をしている。

 

 まあ、要するに3人そろって、すっかり田中の存在を忘れていたと言う訳である。

 

 まあ、今日1日、それどころではなかった、という言い訳はあるにはあるのだが。

 

 と、

 

「それはそうとです・・・・・・・・・・・・」

 

 そこで何やら田中は、急に似合わない真剣な眼差しをして口を開いた。

 

 いったい、何が起こったというのか?

 

「響さん・・・・・・美遊さん・・・・・・クロさん・・・・・・田中、とうとう思い出したです」

「えッ!?」

 

 田中のその言葉に、一同は身を乗り出す。

 

 記憶喪失だった田中。

 

 そのせいで響や美遊はさんざん振り回された。

 

 その田中が、ついに記憶を取り戻したというのか。

 

 まさに、衝撃の事実である。

 

「どうして・・・・・・こんな大事な事を忘れていたのか・・・・・・田中も、まだちょっと混乱してるですけど、響さん達には知っておいて欲しいので」

 

 沈痛な表情で話す田中。

 

 田中は何か重大な存在で、それを何らかの理由で忘れている可能性がある事は、響達も前々から思っていた事である。

 

 その田中が、ついに記憶を取り戻したのだ。

 

 一同が、ごくりと息を呑む。

 

「言うです・・・・・・実は・・・・・・」

 

 どんな重大な事実が飛び出すのか?

 

 まるで爆弾の入った箱を開けるような緊張感が一同を包み込む。

 

 身を乗り出す一同に、

 

 ついに、

 

 田中は言い放った。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「地球のグルグルがなんかおかしくなって、季節とかかんきょーとかヘンになって、とにかくなんだか地球がやばいんです!!」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 ・・・・・・・・・・・・・・・・・・

 

 ・・・・・・・・・・・・・・・

 

 ・・・・・・・・・・・・

 

 ・・・・・・・・・

 

 ・・・・・・

 

 ・・・

 

 それ、もう知ってる。

 

 

 

 

 

「さあ、みんな、寒いから中入るわよ」

「何ですか!? 田中一生懸命思い出したですよ!!」

「ん、田中、お前はよく頑張った」

「田中、呆れられてます!?」

「あ、ありがとう、田中さん。参考にさせてもらうから」

「美遊さんまで!?」

 

 取りあえず、田中の「重大情報」が数日遅かったと言う事が分かった。

 

 収穫にはならなかったが。

 

 

 

 

 

 そんな訳で、

 

「う~む・・・・・・いやしかし、この家にこんなに人が集まるとはな」

 

 並ぶ一同を見回して、士郎は少し呆れたように呟く。

 

 普段は美遊と2人暮らしだったところに、一気に5倍の人数が押し掛けた形である。

 

 枯れ木も山の賑わい、ではないが、衛宮家は一気に騒々しくなった形である。

 

 年長組も入浴を終え、一同は衛宮家の居間に集まっていた。

 

 流石に大邸宅と言うだけあって、居間もそれなりに広い。これだけの人数が一堂に会しても、充分な余裕があった。

 

 年長組は流石に着ぐるみパジャマ(美遊コレクション)を着る訳にも行かなかったので、士郎からある程度サイズに余裕がある服を借りて着ていた。

 

 ルヴィアなどは、士郎の服を借りて着ていると言う事もあり、場違いに少し顔を赤くしていたりするのだが。

 

「ところで、そっちの体操服の子は誰? 初めて見るんだけど」

「えっと、どう説明したら良いか・・・・・・」

「取りあえず、これは後回し!!」

 

 尋ねる凛に、美遊とクロは言葉を濁す。

 

 実際、田中の事は未だによく分からないので、説明のしようがない。

 

 もはや種別が「田中科田中目」でもおかしくないくらいである。

 

 更にもう1人。

 

 アンジェリカが部屋の隅できちんと正座して座っている。

 

 その周りを、ステッキ姉妹が飛び回っている。

 

《みんなの輪に加わらないんですかー? ぼっち好きですかー?》

《姉さん、藪をつつくような真似は・・・・・・》

 

 こうしてみると、実に多種多様な人物が会したものである。

 

「お互い、聞きたい事はたくさんあるだろう。きっと、長い話になる」

 

 士郎は、そう言って切り出す。

 

「だからまず、こちらの事から話そうと思う。俺と美遊の、これまでの話を」

 

 そう言って、士郎は口を開く。

 

 これから始まるのは、全ての発端となった話。

 

 一同は真剣な顔を突き合わせるように、士郎の話を聞きいるのだった。

 

 

 

 

 

第30話「戦い終わって日は暮れて」      終わり

 



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第31話「白い街」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 一面の銀世界。

 

 幻想的な風景は、同時に絶望を孕む、狂気とも言える光景だった。

 

 全てを呑み込むかのように増え続ける白は、いっそ不気味な静けさを持って、全てを圧し潰していく。

 

 音すら飲み込んだような、静寂。

 

 まるで世界から、生命の一切が消え去ったかのような印象さえある。

 

 そんな中を、

 

 彼は歩き続けていた。

 

 重い足を引きずるように。

 

 ただ、前へと進み続ける。

 

 いったい、どれだけの時間を歩き続けた事だろう?

 

 着ていた服は既にボロボロで、もしその姿を見た者がいれば、浮浪者と間違えられたかもしれない。

 

 否、

 

 事実として浮浪者である事は否定できないのだが。

 

 だが、構わず歩き続ける。

 

 やがて、長い坂を上ると、目的の場所が見えてきた。

 

 前庭を通り、奥の建物へ。

 

 古めかしい扉を開く。

 

 仰々しい音と共に開かれた扉の中へと足を踏み入れる。

 

 そこが教会だという事は、すぐに判る。

 

 整然と並んだ長椅子。

 

 数段高い祭壇の上には十字架が掲げられているのが見える。

 

 そして、

 

「よく来た、迷える子羊よ。我が教会において、君のゆく道を照らし出そう」

 

 中央に立つ人物が、大仰に手を掲げてこちらを迎え入れる。

 

 次の瞬間、

 

「・・・・・・・・・・・・」

 

 絶句した。

 

 無理も無いだろう。

 

 祭壇の前に立ち、こちらに手招きしている人物は、目付きが鋭く、更に慇懃な口調ながら、どこか油断できない雰囲気を醸し出していたからだ。

 

 そして、

 

 何より、

 

 筋骨隆々とした肉体を柄無しの半袖Tシャツで覆い、頭には三角折りしたバンダナを巻いている。

 

 更に、腰にはエプロンを付け、その表面には丸で囲んだ「麻」の字が描かれた居たのだ。

 

「・・・・・・・・・・・・すいません。来るとこ間違えました」

「待ちたまえ」

 

 速攻で踵を返そうとしたのを、男は呼び止める。

 

「軽々に判断するのは愚者の所業だ。恐らく、君の目的地はここで間違いない」

「いえ、ラーメン屋に用はありませんので」

 

 そう言って立ち去ろうとするのに対し、背後からこれ見よがしに深々としたため息が投げかけられた。

 

「嘆かわしい事だ。見た目で人を判断するのは、現代における悪弊の一つだな」

「そう言う事は、まともな服装をしてから言ってください」

 

 辛辣にツッコミを入れる。

 

 そもそも、何でラーメン屋が教会の主然として構えているのか?

 

 対して、ラーメン屋の親父は再度、ため息をついて口を開いた。

 

「やれやれ仕方がない。では私も、君に芥子粒程度の信心があると信じて装いを正すとしよう」

 

 そう言って奥へと入っていくラーメン屋の主。

 

 しばらくして戻ってきた時、宣言した通り、彼の着ている服は一変していた。

 

 黒いゆったりとした法衣。胸元には十字架の意匠がある。

 

 れっきとして神父服。

 

 相変わらず胡散臭い剣呑さはある物の、確かに場にあった格好である事は間違いなかった。

 

「改めて自己紹介させてもらおう。私はこの冬木教会を預かる神父の、言峰綺礼(ことみね きれい)だ」

 

 成程、神父であるのは間違いないらしい。

 

 真偽のほどは果てしなく怪しいが。

 

 取りあえず、話が進まないので信じる事にするが。

 

 そう思っていると、言峰はフッと笑った。

 

「もっとも、君には聖堂教会から派遣された監督官。と言った方が、通りが良いかね?」

「ッ!?」

 

 まるで、心の奥底にある物を見透かされたようなざわつく感触に、思わず息を呑む。

 

 聖堂教会。

 

 それは魔術協会と共に、魔術界を二分する一大組織である。

 

 そして、

 

 この冬木の地で行われている「ある魔術儀式」にも深く関与しているという。

 

 そんな表情を読まれたのか、言峰はフッと笑みを浮かべた。

 

「どうやら、話を聞く気になったようで何よりだ」

「・・・・・・・・・・・・噂は、本当なんですね?」

 

 こちらの考えを見透かされたのは癪だが、これ以上拘泥しても話は進まない。

 

 何より、自分の「目的」の為には、どうしても目の前の似非神父(兼ラーメン屋主)から話を聞く必要があるのだ。

 

 こちらが何を言いたいのか察したのだろう。言峰は頷きを返す。

 

「君の考えている通りだよ。もう、それほど時は無いと言っても良いだろう」

「ッ!?」

 

 息を呑む。

 

 まさか、事態がそれ程早く進行していようとは。

 

 噂を聞き、取る物も取りあえずと言った感じに駆け付けたというのそれでも遅きに失した感は否めない。

 

「間もなく、第5次聖杯戦争が始まる。既にエインズワースは準備の9割を完了し、儀式を始める段階まで来ているそうだ。私のところにも一応、話が来たよ。フン、彼らなりの義理立てと言ったところなのだろう」

「そんな・・・・・・・・・・・・」

 

 聖杯戦争。

 

 この冬木の地において行われる魔術闘争。

 

 万能の願望機たる聖杯を降臨させるための儀式。

 

 その最大の特徴は、7人の魔術師が、それぞれ過去に実在したとされる英霊を自分自身に憑依させ争う事にある

 

 そして、

 

 その聖杯戦争を主導的に取り仕切る存在こそ、エインズワース家に他ならなかった。

 

 1000年続く魔術の名門でありながら協会に所属せず、使用する魔術も下位の置換魔術に特化された一族。

 

 だが、彼らはこの冬木の地において、紛れもない支配者だった。

 

 過去に4度起きた聖杯戦争は、いずれも失敗。聖杯が降臨する事は無かった。

 

 特に第四次聖杯戦争は凄惨を極めた。

 

 戦いの終盤に起こった事態により、冬木市深山町はその中心部に巨大なクレーターが生じ、一般人にも多くの犠牲者が出た。

 

 一応、魔術協会と聖堂教会が隠ぺいに動き「天然ガスの爆発事故」と言う事で処理されたが、惨禍の爪痕たるクレーターは、今も深山町に残っている。

 

 あの悲劇以来、深山町の人口は減り続け、今では殆どゴーストタウンに近い様相になっているとか。

 

「・・・・・・・・・・・・じゃあ、もう」

 

 絶望が、胸の内を支配する。

 

 自分は、遅かったのか?

 

 何もかもが、手遅れだったのか?

 

 そんな思いにとらわれる。

 

 だが、

 

「早計な上に軽率だな。人の話は最後まで聞くものだ」

 

 そんな少年の心情を見透かしたように、言峰は言った。

 

 顔を上げる先で、神父は真っ直ぐに少年を見据えていた。

 

「どういう、事ですか?」

「さっき言っただろう。エインズワースは9割がたの準備を完了した、と」

 

 つまり、まだ完全に儀式の準備は完了していない、と言う事だ。

 

「彼らはまだ、肝心な『聖杯』を手にしていない。それが手元にない事には、彼らは儀式を始める事は出来ないのだろう」

 

 奇妙な話である。

 

 聖杯戦争の発起人たるエインズワース家が、聖杯を保持していないとは、いったいいかなる事なのか?

 

「聖杯は今、別の場所にある。エインズワースもまた、必死に探している事だろう」

 

 言いながら、言峰は法衣の懐に手を入れる。

 

「君が聖杯を手にいれんと欲するならば、聖杯戦争に参加し、勝ち取る以外に道は無い」

 

 言いながら、言峰が取り出したのは、1枚のカードだった。

 

「それは・・・・・・・・・・・・」

「エインズワースが聖杯戦争の際、英霊召還の触媒に用いる魔術礼装。俗に『クラスカード』、あるいは『サーヴァントカード』と呼ばれる代物だ」

 

 ゴクリ、と息を呑む。

 

 噂には、聞いたことがある。

 

 時代に名を馳せ、伝説にまで語られる英雄達。

 

 その英雄の魂を宿したカードが、今まさに目の前にあった。

 

 その存在を知る魔術師であるならば、恐懼せずにはいられない事だろう。

 

「今より少し前、先走った魔術協会の尖兵がエインズワースの工房に潜入し、彼らの抹殺を図ろうとして返り討ちにあった。フン、バカな連中だ。いかに戦闘に特化した魔術師であろうと、英霊を操るエインズワースに勝てるはずが無いと言う事が分からんとは」

 

 吐き捨てるようにいながら、言峰は続ける。

 

「だが、生き残った1人が、1枚だけカードを奪って帰還した後、ここまでたどり着いてこと切れた。それが、このカードと言う訳だ」

「・・・・・・・・・・・・」

 

 言峰の視線が、少年を刺し貫く。

 

 ただ、それだけで、少年は全身の筋が硬直したような緊張に見舞われた。

 

 圧倒的な存在感に、押しつぶされそうになるのを必死に堪える。

 

 そんな少年の心情を見透かしたように、言峰は口を開いた。

 

「さて、君には選択肢がある。今この場で、このカードを手に取り、聖杯戦争に参加するか? あるいは、全てを忘れてこの場より去るか」

 

 前者なら、望む物は手に入るかもしれない。が、同時に古代の英霊との戦いの場に身を投じる事になる。

 

 後者は命は助かるだろうが、聖杯は諦めざるを得ない。

 

「・・・・・・性格、悪いですね」

「なに、迷える子羊に道を示しているだけさ。さて、どうする?」

 

 眦を上げる。

 

「『聖杯』は、今どこに?」

 

 答えなど、初めから決まっていた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 衛宮士郎(えみや しろう)は少々、おせっかいが過ぎるきらいがある。と、友人一同から言われる事が多い。

 

 本人にそのようなつもりはなく、至って「自分がやるべき事」をしているだけのつもりであるのだが、どうにも、周りからはそうは見えないらしい。

 

 おかげで友人一同からは「進んで苦労を背負い込む妙なやつ」と思われている部分もあるとか。

 

 もっとも、当の士郎本人からすれば、そんな周囲の噂など気にも留めていないのだが。

 

 元々、機械いじりや雑用は彼の趣味である為、四六時中やっていても苦にはならない。

 

 手先が器用だから、細かい部分の修理もお手の物だった。

 

 今日も士郎は、頼まれもしないのに生徒会室に押しかけ、壊れたストーブの修理にいそしんでいた。

 

 もっとも、生徒会長からすれば、そんな士郎の事を煩わしいと思いつつも、黙認しているのが現状だった。

 

「修理終わったぞ、生徒会長」

「そうか、ごくろう」

 

 扉を開けて入って来た士郎に、生徒会長はねぎらいの言葉を掛ける。

 

 煩わしくとも、雑用を積極的にこなしてくれる士郎は、人員不足の穂群原学園高等部生徒会にとって貴重な「戦力」である。無碍にはできないと言う事だろう。

 

「壊れているストーブ、まだあるだろ? 次はどこだ・・・・・・」

 

 士郎は生徒会長の顔を見て、尋ねた。

 

「ジュリアン?」

 

 言われて生徒会長、一義樹理庵(いちぎ じゅりあん)は振り返った。

 

「そうそうテメェに回す仕事がある訳ねえだろ。俺たちを何だと思ってんだ?」

 

 苛立ったような声を発するジュリアン。

 

 普通の人間なら、相手の機嫌が悪いと察して身を引く事だろう。

 

 だが、生憎(誰にとってか、は置いておく)士郎は、その程度で退くような繊細な精神の持ち主ではなかった。

 

「そうか、まあ、また何かあったら言ってくれよ」

 

 言いながら、士郎は予め置いておいた自分のカバンを開けて、中をさぐる。

 

 取り出したのはハンカチに包まれた弁当箱である。

 

 昼はいつも、ここで取ると決めていた。

 

 そんな士郎の行動に、ジュリアンは更に舌打ちした。

 

「衛宮士郎。お前は何で、いつも生徒会室で昼食を取るんだ?」

「そうだな・・・・・・・・・・・・」

 

 士郎はしばらく考えてから答えた。

 

「一番の理由は、お茶が飲めるって事かな?」

 

 確かに、生徒会室には急須とポット、お茶のパックが常備されている為、お茶を淹れる事ができる。

 

 一応、校内には自販機もあるが、淹れたてのお茶を飲みたい士郎としては、生徒会室に足を運ぶのが常だった。

 

 余りにもあっさりとした理由に、ジュリアンは舌打ちするしかなかった。

 

 彼としては、昼時の喧騒を避けて、静かな生徒会室を独り占めしていたのに、そこへ士郎が毎日押しかけてくるものだから溜まった物ではなかった。

 

 とは言えジュリアン自身、渋々ながら士郎の存在を許している辺り、別段本気で嫌っていると言う訳でもなさそうだ。

 

 と、そこでふと、士郎はジュリアンが食べている物を見て顔をしかめた。

 

「お前、今日の昼飯もそんな物かよ?」

 

 ジュリアンはいつも、昼食は市販の栄養バランス食品しか口にしない。

 

 食事には気を遣う士郎としては、その事がいつも気にかかっていたのだ。

 

「別に、俺の勝手だろ」

「そうは言うけど、そんなもんじゃ足りないだろ。だから、前々から、俺がお前の分も弁当を作ってきてやるって言ってるだろ」

「気色悪い事言ってんじゃねえ」

 

 邪険に言い捨てるジュリアン。

 

 対して、士郎は気にも留めずに言う。

 

「まあ、飯時くらい、話し相手がいても良いだろ。ただでさえ、この学校は人が少ないんだからさ」

 

 士郎の言うとおりである。

 

 現状、穂群原学園の全学生数は全盛期の半数近くまで減ってしまっている。

 

 併設された初等部は既に廃止され、来年度には中等部の規模縮小も検討されているとか。

 

 それもこれも、学校に通えるだけの子供が、この冬木市からいなくなっている事が原因だった。

 

「人が少ないのは学校だけじゃないだろう」

「そうだな・・・・・・・・・・・・」

 

 ジュリアンの言葉に、士郎は頷きを返す。

 

 今から5年前。未曽有の大災害が、冬木市を襲った。

 

 町の地下深くに蓄積されていた天然ガスが何らかの事情で突然引火。冬木市の人口密集地である深山町の中心で大爆発が起こったのだ。

 

 死者、行方不明者多数に上る大災害。

 

 今も深山町の中心には巨大なクレーターが穿たれ、事故のすさまじさを物語っている。

 

 これにより、冬木市から去る者は後を絶たず、街自体がゴーストタウン化しつつあるのが現状だった。

 

「けど、あれはガス爆発なんかじゃない」

 

 士郎は神妙な顔つきで言った。

 

 そう。

 

 世間一般に知られている情報は、明らかに間違っている。

 

 冬木市に住む人間なら、誰でも知っている事である。

 

 あの時、士郎は見た。

 

 冬木市全体を覆いつくさんと広がった闇。

 

 ありとあらゆる絶望を凝縮した闇は、とてもこの世の物とは思えないおぞましさに満ちていた。

 

「衛宮・・・・・・・・・・・・」

 

 と、そこで、士郎の思考を遮るように、ジュリアンが声を掛けてきた。

 

 心なしか、普段よりも固く感じられる友人の表情に、士郎は怪訝な面持ちになる。

 

「お前は、あの闇が晴れた瞬間は見たか?」

「・・・・・・・・・・・・晴れた瞬間?」

 

 突然の質問に、怪訝そうな顔をする士郎。

 

 ややあって、首を横に振った。

 

「いや、見てないな」

「・・・・・・そうか」

 

 士郎の答えに対し、ジュリアンは納得したように頷くと、首を横に振る。

 

 その表情は、士郎から見ると、どこか安堵しているようにも見えるのだった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 弓を構え、精神を極限まで研ぎ澄ます。

 

 イメージする。

 

 矢が飛んで行く軌跡を。

 

 鷹の目の如き視線は、既に的の正中を捉えていた。

 

 指を放す。

 

 風を切る鋭い音と共に、矢は空中を疾駆する。

 

 そして、

 

 タァンッ

 

 狙い過たず、的の真ん中へと突き立った。

 

 呼吸を整えると同時に、居住まいを正す。

 

 「残心」は、いかなる武道においても、重要な所作である。

 

 衛宮士郎は、学校では弓道部に所属している。

 

 とは言え、部としての体裁は辛うじて最低限保たれている程度である。

 

 先述した通り、冬木市の人口減少に伴い、穂群原学園も学生数が減っている。

 

 部活動も規模縮小され、殆どが廃部に追い込まれている有様だった。

 

 弓道部は現在、2年生の士郎を部長として、3名が在籍している状態だった。

 

 と、

 

 パチパチパチパチパチパチ

 

 手を打つ音が聞こえて振り返ると、後輩2人が笑顔をこちらに向けているのが見えた。

 

 対して、士郎もまた照れ臭そうに笑顔を返した。

 

「何だ2人とも、見てたのか」

「はい」

 

 答えたのは、唯一の女子部員である間桐桜(まとう さくら)だった。

 

 肩下まで伸ばした長い髪をストレートにした少女。どこか儚げな美しさを感じる。

 

「すみません、何だか見とれちゃって」

「見とれ・・・・・・って」

「わたし、先輩の射形見るの好きなんです。一射一射がぶれなく無駄なく純粋で、まるで先輩自身が弓のよう」

 

 そうストレートにべた褒めされると、流石に恥ずかしくなってしまう。

 

 と、

 

「あはッ」

 

 もう1人の人物が、意味ありげな笑みを向けてきた。

 

 こちらも桜と同じ学年の男子である。

 

 嘆息しながら、士郎は振り返る。

 

「何だよ日比谷。言いたい事でもあるのか?」

「言いたい事なら、まあ、それなりに」

 

 士郎に言われて、少年は肩を竦めながら答えた。

 

 華奢な少年である。どちらかと言えば細身な士郎よりも、更に小柄だ。

 

 日比谷修己(ひびや しゅうき)は、この弓道部に所属する3人目である。

 

 入部理由は「弓が好きだから」との事。

 

 その理由に反せず、確かに練習には熱心に参加している。

 

 しかし、残念ながら、なかなか結果が伴わないのだが。

 

 弓道の腕前的には、部内では士郎、桜、修己のみとなっているのが現状だった。

 

「間桐もさ、衛宮先輩といちゃつくんなら、部活終わってから2人でゆっくりやってほしいんだけど? 見せつけられる僕の身にもなってよ」

「い、いちゃ・・・・・・わ、私は別に」

 

 修己の言葉に、たちまち顔を赤くする桜。

 

 確かに、先程の士郎と桜のやり取りは、傍から見ると恋人同士のそれに見えない事も無い。

 

 桜は士郎に心酔している為、よく彼が弓を引くのを傍らで手を止めて見ていたりする。

 

 そんな桜の様子を見て、修己はこんな風にからかったりするときもあるのだった。

 

「おいおい、あんまり桜をいじめるなよ」

「別に苛めてませんよ。いわゆる、スキンシップの一環というやつです」

 

 そう言って肩を竦める修己に、士郎も苦笑するしかなかった。

 

「さ、さあ、もう良い時間ですし。そろそろ上がりましょう。他の部活も終わっているでしょうし」

 

 そう言って、逃げるようにいそいそと片づけを始める桜の背中を、士郎と修己はジト目になって睨む。

 

「逃げたな」

「うん、逃げましたね」

 

 わざとらしい桜の態度に、士郎と修己は揃って苦笑する。

 

 3人しかいない弓道部。

 

 正直、部として成立しているのかどうか怪しいが、自分達3人は、これで噛み合っているから面白い。

 

 願わくば、この時がいつまでも続けばいい。

 

 そんな風に、心から思うのだった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 部活が終わり、家路へと着いた士郎。

 

 友人一同とのやり取りは、彼にとって心の安らぎを得られる貴重な時間でもあった。

 

 ぶっきらぼうながら、何だかんだで自分につき合ってくれるジュリアン。

 

 後輩として自分を慕ってくれる桜。

 

 一緒にいれば、場の雰囲気が和む修己。

 

 そんな彼らとの日常を、士郎はとても大切なものと思っている。

 

 だが、

 

 そんな彼らに対し士郎は、

 

 たった一つの、

 

 それでいて大きな嘘をついている。

 

 冬木市にある自宅。

 

 広大な敷地を有する和風邸宅の門をくぐり、家の中へと入る。

 

 扉を開けて玄関に入ると、奥からパタパタと小さな足音が聞こえてくる。

 

「おかえりなさい、士郎さん」

 

 出てきた小学生くらいの女の子が、静かな紅い瞳を向けて挨拶をする。

 

 対して、

 

 士郎は小さな同居人に対し、柔らかい笑みを返した。

 

「ああ、ただいま。美遊」

 

 

 

 

 

第31話「白い街」      終わり

 



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第32話「神か、人か」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 『七つまでは神のうち』

 

 この国には、そんな言葉がある。

 

 数えで7歳になるまでの稚児は、人ではなく神や霊に近い存在である。

 

 そんな言い伝えが、この国にはあった。

 

 乳幼児の死亡率が極めて高かった時代。子供は人と神の境界に立つ両義存在とみなされていた。

 

 無論、医療が発達した現代においては、失われて久しい民族伝承である。

 

 だが、

 

 その「神稚児信仰」の伝承が、

 

 この冬木の地においては、未だに生き残っていたのだ。

 

 

 

 

 

 美遊は士郎の、本当の妹ではない。

 

 今から5年前、士郎は養父である衛宮切嗣(えみや きりつぐ)と共に終わりの見えない旅をしていた。

 

 世界は滅びに向かっている。

 

 魔術師であった切嗣は、その滅びゆく世界を救う手段を求めて、世界各地を巡っていたのだ。

 

 その旅の途中、立ち寄った街において命を救った士郎を、自分の養子とした切嗣。

 

 士郎は子供心にそんな切嗣を慕い、助手として彼の旅に同行していた。

 

 とは言え、簡単な旅ではなかったことは、想像に難くないだろう。

 

 「世界を救う」などと簡単に言ったところで、その具体的な方法も手段も、何も無いのだから。

 

 幾度とない徒労と失望を繰り返した。

 

 その果てに、

 

 2人は、この冬木の地にたどり着いたのだ。

 

 この地には、古くからある「神稚児信仰」が、息づいているという。

 

 曰く「冬木にある旧家『朔月家』では、生まれた子供を見た事が無い」

 

 曰く「正確には、数えで7歳より下の女の子を知っている者はいない」

 

 曰く「それが、ある日突然、人前に姿を現すようになる」

 

 など。

 

 いずれも、状況証拠に過ぎない。

 

 仮に神稚児とやらが本当にいたとしても、それが世界を救うほどの力を持っているかは分からない。

 

 しかし、既に万策尽きているに等しかった切嗣と士郎は、藁にもすがる思いで、冬木の地へとやって来た。

 

 だが、そこで士郎と切嗣を待っていたのは、予想だにしない光景だった。

 

 街全体を見渡せる外縁の峠道に到着した瞬間、

 

 街その物を呑み込むほど、巨大な闇が、際限なく広がろうとしていた。

 

 闇はどんどん広がり、人々の怨嗟が士郎の耳にこびり付く。

 

 まるで貪欲な獣の如く、闇は街の全てを食らって成長していく。

 

 やがて、自分達にも闇が迫ろうとした。

 

 まさにその時、

 

 突如、伸びた一条の光が、巨大な闇を払いのけたのだった。

 

 いったい、何があったのか?

 

 街から逃げようとする人の波に逆らい、士郎は光の発生源を求めて街の中を走る。

 

 行かなくてはいけない、その場所へ。

 

 確かめなくてはいけない、何が起こったのかを。

 

 駆け付けた先で、士郎は見つけた。

 

 何かを隠すように生い茂った竹林の先。

 

 今まさに、崩れ落ちそうなほどに壊れ果てた日本家屋。

 

 その残骸と化した部屋の中で、

 

 何も知らぬげに、毬を手にしてこちらを見つめる小さな女の子を。

 

 街を呑み込もうとした闇の破壊跡は、まさにその少女のすぐ手前まで迫ったところで消滅していた。

 

 直後、辛うじて保っていた屋敷が崩れ落ちる。

 

 半壊した屋敷が、耐えきれずに崩壊を始めたのだ。

 

 とっさに、少女を助けるべく駆ける士郎。

 

 だが、

 

 間に合わない。

 

 否、

 

 間に合えッ

 

 そう、念じた瞬間、

 

 驚愕すべき事態が起こった。

 

 今まさに、少女の頭の上に崩れ落ちそうになっていた瓦礫は、士郎の見ている前で、空中でピタリと動きを止めたのだ。

 

 おかげで、士郎は間一髪で少女を救い出す事に成功したのだ。

 

 その後、追いついて来た切嗣の調べで、少女の名前は「朔月美遊(さかつき みゆ)」である事が判明。更に、彼女こそが、士郎と切嗣が追い求めた「神稚児」である事が判明した。

 

 美遊には、無差別に人の願いを叶える能力がある。

 

 それ故に朔月家の人々は、人の想念を遮断する結界を屋敷に張り、美遊の出産も、育児も、全てその内部で行っていたのだ。

 

 全ては、美遊の「能力」を消し去り、普通の子供にするために。

 

 士郎たちの到着は、ギリギリのタイミングだった。あと1か月、美遊が結界の中で暮らしていたら、彼女の力は失われていたという。

 

 だが、まさに今日、想定外の事が起きた。

 

 あの「闇」である。

 

 あの闇が街を呑み込もうとして結界を破壊。それにより、朔月家の人間も美遊を除いて全滅してしまったらしい。

 

 だが幸か不幸か、結界が破壊された事で、闇に飲まれんとする人々の想念が美遊の中へと流れ込み、それが美遊の神稚児としての力の発動を促した。

 

 その結果、闇は払われ、美遊自身も助かった、と言う訳である。

 

 切嗣は狂喜した。

 

 これぞまさしく、彼が追い求めていた「世界を救う手段」に他ならなかったのだ。

 

 美遊を使えば、世界を救う事ができる。

 

 そう考えた切嗣は、冬木市の深山町にある、高い塀に囲まれた日本家屋を買い取って、そこに美遊をかくまう事とした。

 

 そして士郎に家事と美遊の世話をさせる傍ら、自身は本格的に「美遊の能力」を活用する方法を模索し始めたのだ。

 

 だが、

 

 そこで完全に行き詰まる事になる。

 

 美遊という決定的な手段を得たにも拘らず、切嗣はそれを有効に活用する方法を、見出す事が出来なかったのだ。

 

 そうしている内に、時間だけが無為に過ぎていく。

 

 切嗣が倒れたのは、その頃の事だった。

 

 元々、過去の戦いが元で病魔に侵されていた切嗣は、根詰めた研究をつづけた事で体調を悪化させ、ついには志半ばで倒れる事となった。

 

 あの時、

 

 死を前にして、切嗣は士郎と共に星空を見上げて言った。

 

『僕は、正しくあろうとして、際限なく間違いを重ね続けた。そしてどうしようもなく行き詰った果てに、都合の良い奇跡を求めたんだ』

『それは見えない月を追いかける、暗闇の夜のような旅路だった』

 

 それはひたすらに「正義の味方」であろうとした男の、生涯を掛けた後悔の言葉だった。

 

 もっと方法は無かったのか?

 

 否、あるいは自分さえいなければ、起こらなかった悲劇もあったのではないか?

 

 そんな想いが、死にゆく男の脳裏を霞める。

 

 だが、

 

 そんな言葉を、彼の生涯唯一の弟子にして、息子でもある少年は否定した。

 

『暗闇なんて嘘だ。月が無くたって星が輝いている。正しくなろうとすることが間違いなはずが無い。俺が、間違いになんてさせないから』

 

 少年は、父に誓った。

 

 あんたの遺志は、自分が引き継ぐ。

 

 必ず、正義は完遂する、と。

 

 士郎のその言葉に、切嗣が何を思ったのかは分からない。

 

 ただ一言、

 

『そうか、それなら安心だ』

 

 それだけを言い残し、切嗣はこと切れた。

 

 彼の人生は、確かに迷走ばかりだったかもしれない。間違いだらけだったかもしれない。

 

 だが、

 

 最後の最後で、自慢の息子が傍にいてくれた事だけが、唯一の救いだったのかもしれない。

 

 親にとって子供とは、自らの未来であり、答えである。

 

 だからこそ、切嗣は士郎に全てを託して逝くことができたのだ。

 

 だが、士郎は切嗣との約束を果たす事が出来なかった。

 

 美遊を使い、世界を救う。

 

 そうするには、少女が自分に対して、無垢な瞳で向けてくる親愛が、あまりにも重すぎたのだ。

 

 美遊を使って世界を救えば、美遊の存在は魂ごと、永久に世界に縛り付けられることになる。

 

 無制限に自分を慕ってくれる少女に対し、士郎は非情に徹しきる事が出来なかった。

 

 神の子として育てる事も出来ず、

 

 さりとて人の子に落とす決心もつかず、

 

 結局、士郎が美遊に対してできた事は、彼女を高い塀の内に隠したまま、当たり障りのない知識だけを与え続ける事のみだった。

 

 そうしている内に歳月は流れ、美遊は随分と人間らしく成長していった。

 

 出会った頃から変わらず表情の変化は薄いものの、自分から積極的に家事手伝いを行い、士郎が学校に行っている間は、1人で大人しく留守番をしている日々。今では料理の腕もすっかり、士郎に追いつくまでになっていた。

 

 だが、

 

 そんな美遊を見て、尚も士郎の中では燻りが晴れなかった。

 

 自分は、美遊をどうしたいのか。

 

 どうすべきなのか?

 

 その答えを士郎は見いだせないまま、ただ時間だけが過ぎ去っていくのだった。

 

 

 

 

 

「なあ、ジュリアン・・・・・・」

 

 いつもの昼時。

 

 今日も例によって、手伝いで生徒会室を訪れた士郎は、いつもの如く、ジュリアンと昼食を囲んでいた。

 

 ふと、思い立ったように、相方へと士郎は声を掛ける。

 

「何だ?」

 

 対して、ジュリアンは茶を飲む手を止めて顔を上げた。

 

 ジュリアンが士郎を疎まし気にしている事も、士郎がそんなジュリアンに一切お構いなしなのも、相変わらずの事なのだが。

 

 ある意味、この2人にとっては、これが平常運転である。

 

「もし、5年前の災害みたいな事がもうい一度起こったとして、仮に今度は世界規模だったとして・・・・・・誰か1人を犠牲にする事で他のみんなを救えるとしたら、どうする?」

 

 世界か?

 

 それとも美遊か?

 

 葛藤は、士郎の中で渦巻いている。

 

 世界を救おうとすれば美遊を犠牲にせねばならず、しかし美遊を助けようとすれば世界が犠牲になる。

 

 そのジレンマとも言うべき問答の中で、士郎は答えを探し欲していた。

 

 判っている。

 

 こんな事、ジュリアンに聞いても答えが出る訳ではない。

 

 だが、それでも良い。

 

 この時の士郎は、結局のところ、誰かに縋りたかったのかもしれない。

 

「・・・・・・・・・・・・誰か、とは誰だ? もっと具体的に言え」

 

 曖昧な質問に答える気は無い。という意思を表すように、ジュリアンは先を促す。

 

 対して、士郎は少し躊躇うように言った。

 

「誰って・・・・・・たとえ話なんだから別に誰でも良いんだけど・・・・・・その、自分の妹とか」

「妹だ」

 

 迷いながら訪ねる士郎に、ジュリアンは即答して見せる。

 

 まるで考えるまでもない、といった態度である。

 

「・・・・・・え?」

「妹、と言ったんだ」

 

 もう一度、今度ははっきりとした口調で告げるジュリアン。

 

 親友のそんな態度に、士郎は意外そうな顔をする。

 

「・・・・・・知らなかった」

 

 ジュリアンの顔を見ながら、士郎は言った。

 

「お前って、シスコンだったんだな」

「ああァッ!?」

 

 とんでもない事を言う友人に、キレかけるジュリアン。

 

 何を言ってれとんのじゃ、このトンチキ男は。

 

 士郎に食って掛かろうとするジュリアン。

 

 だが、その前に生徒会室の扉が勢いよく開かれた。

 

「失礼します。衛宮先輩はここにいますか!? あ、一義先輩、お疲れ様です!!」

 

 騒々しく室内に駆け込んで来たのは、弓道部の後輩である日比谷修己(ひびや しゅうき)だった。

 

 その姿に顔をしかめるジュリアン。

 

 「またうるさい奴が来た」とでも言いたげな態度である。

 

 対して、士郎は怪訝な面持ちで修己へ振り返った。

 

「どうしたんだよ、日比谷?」

「どうしたじゃないですよ。なに、のんきに食べてるんですか。今日は昼からクラブ連盟の合同ミーティングがあるって言ってたじゃないですか。いつまでたっても来ないから呼んで来いって言われたんですよ」

「ああ、そうだった。悪かったな」

 

 そう言えば、そんな予定があったのを思い出した士郎は、弁当を手早く片付けるとジュリアンに向き直った。

 

「じゃあなジュリアン。また今度」

「ああ」

 

 部屋の主に挨拶をして、足早に生徒会室を後にする士郎。

 

 その後から修己が続く。

 

「悪かったな。余計な手間を取らせて」

「いえいえ。ていうか、急ぎましょう。桜が1人で頑張ってますから」

「おっと、それはまずいな」

 

 そう言って苦笑すると士郎は、孤軍奮闘しているであろう後輩を救うべく足を速めるのだった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 ゆっくりと、

 

 無人の街を歩く。

 

 黄昏に沈む街並みに、人の気配はない。

 

 ただ、己の刻む足音だけが、耳に潜り込んで来た。

 

 この街は本当に、ゴーストタウンと化してしまったのだ。

 

 自分が住んでいたころは、閑静ながらそれなりに住みよい、良い街だったというのに。

 

 かつて、捨て去った故郷とは言え、こうなってしまうと物悲しい物があった。

 

 しかし、

 

 これから起こる凄惨な戦いの舞台としては、この方が都合が良いのかもしれない。少なくとも、一般人の犠牲者を出さずに済むだろうし。

 

 これならあるいは、自分の目的を果たせるかもしれない。

 

 ここ暫く、彼に張り付いてみて、色々と考えさせられることがあった。

 

 衛宮士郎。

 

 穂群原学園高等部に通う少年で、かつては「魔術師殺し」衛宮切嗣の養子として、彼の人物の仕事を補佐していた。

 

 そして、

 

 今現在、聖杯を保有する人物。

 

 当初、あの言峰という神父から衛宮士郎の話を聞いた時には、彼を殺して聖杯を手に入れる事も考えていた。

 

 聖杯を手に入れる。

 

 自分はそのためにこの街に戻ってきた以上、手段を選ぶ気は無かった。

 

 だが、ここ暫くの接触で、その考えは少しずつ変化しつつある。

 

 彼ならば、

 

 あるいは衛宮士郎ならば、

 

 聖杯を正しい形で使ってくれるのではないか?

 

 そんな風に思うようになっていたのだ。

 

 いずれにしても、もう少し見極める必要があると思った。

 

 衛宮士郎を生かすのか? あるいは殺すのか?

 

 と、

 

 そこでふと、足を止めた。

 

「・・・・・・・・・・・・いい加減、出て来たらどうです?」

 

 問いかける、静かな声音。

 

 次の瞬間、

 

 少年の背後に、ゆらりと人影が浮かぶ。

 

 高い身長に、痩せた幽鬼のような男。

 

 漆黒のコートを着ている事から見ても、吸血鬼のような印象がある。

 

「やあ」

 

 警戒するような目つきの少年に対し、男は大仰な身振りで手を広げながら挨拶をしてきた。

 

「良い黄昏だね。魔が這い出るにはちょうど良い時刻だ」

 

 柔らかい口調。

 

 しかし、

 

 その刺すような視線には、明らかな殺気が含まれている。

 

 まるで毒針のような雰囲気に、少年の緊張は増す。

 

「匂いにつられて、ネズミも這い出してきたようだしね」

「・・・・・・・・・・・・」

「最近、この界隈を色々と嗅ぎまわっているそうだね。いったい、何を調べていたのかね?」

 

 この男は、

 

 こちらの事情を知っている。

 

 と言う事は、つまり・・・・・・・・・・・・

 

 

 

 

 

「聖杯について、かね?」

 

 

 

 

 

 男が言った瞬間、

 

 少年の手が跳ね上がった。

 

 その手の先に握られる、一丁の拳銃。

 

「エインズワース、ですか?」

 

 質問に意味は無い。

 

 ただの通過儀礼だ。

 

 次の瞬間、

 

 少年は返事を待たずに引き金を引いた。

 

 放たれる弾丸は致死の魔弾。

 

 当たれば、その生物の生命活動を暴走させ、確実に死に至らしめる。

 

 魔術師として戦うにあたり、少年が使用する武器である。

 

 躊躇ってはいけない。

 

 躊躇った瞬間、死は己に向かって牙をむく。

 

 少年が生きていく上で、唯一絶対としてきたルール。

 

 故に狙うは先手必勝。ただ、それあるのみ。

 

 放たれた弾丸は、真っすぐに男へと向かう。

 

 当たれば、確実に相手の命を奪う。

 

 その弾丸が、

 

 次の瞬間、命中を直前にして、目の前から消滅した。

 

「ッ!?」

 

 思わず息を呑む少年。

 

 構わず、連続して引き金を引く。

 

 火花を散らしながら、次々と飛翔していく弾丸。

 

 だが、結果はすべて同じ。

 

 弾丸は男に当たる事無く消滅していく。

 

 やがて、銃のスライドが下がり、引き金が反応しなくなる。

 

 弾切れだった。

 

 悔し気に舌打ちする少年。

 

 対して、男はニヤリと笑みを浮かべる。

 

「無駄だよ。そのような単調な攻撃では、私に傷一つ付けることもできん」

 

 目の前に開いた空間を指差しながら、男は嘲るように笑う。

 

 弾丸は、あの空間に飲み込まれた瞬間、消滅してしまったのだ。

 

「・・・・・・置換魔術、ですか」

 

 相手の魔術の正体を見抜き告げる。

 

 エインズワースは置換魔術の使い手。

 

 置換魔術自体、下位の互換魔術に過ぎないが、エインズワースのそれは通常の枠に収まらない。

 

 彼らの長に至っては、常軌を逸したレベルに達しているという噂もある。

 

「さて・・・・・・・・・・・・」

 

 男は少年に向かって、手を差し出す。

 

「君の持つカード。それをこちらに渡してもらおうか」

「・・・・・・・・・・・・」

 

 狙いはそれか。

 

 少年は心の中で舌打ちを漏らした。

 

 予想できたことだ。

 

 クラスカードはエインズワースにとっても貴重な戦力のはず。それを奪われたまま、と言う訳にはいかないのだろう。

 

 それがまさか、このタイミングで、とは。

 

「あれは我らエインズワースの叡智の結晶。崇高な代物だ。君如きネズミが、むやみに触れて良い物ではないと知り給え」

 

 そう言って、少年に迫る男。

 

 次の瞬間、

 

「申し訳ありませんが・・・・・・・・・・・・」

 

 懐に手を入れる少年。

 

 同時に、取り出した物を男の顔面目がけて投げつけた。

 

「まだこれを、手放すわけにはいかないんですよ」

 

 細長い金属の筒。

 

 次の瞬間、男の目の前で、それはさく裂した。

 

 同時に、強烈な閃光が、周囲に撒き散らされる。

 

「クッ 小細工をッ!!」

 

 とっさに目を覆って閃光を避ける男。

 

 その隙に、少年は脱兎のごとく、その場から離脱した。

 

「おのれッ」

 

 背後から声が聞こえてくるが、無視して駆ける。

 

 今はまだ、本格的にエインズワースと激突する時ではない。

 

 少なくとも、ギリギリのタイミングまで、自分は見極める必要がある。

 

 そう、あと少し。

 

 せめて、衛宮士郎という少年が、聖杯を手にするに足る人物であるのか?

 

 それを見極めるまで、たとえ不要の道化であろうとも、舞台を降りる事は許されなかった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 結局、自分は美遊をどうしたいのか?

 

 その明確な答えを、士郎は見出す事が出来なかった。

 

 切嗣は迷わなかった。

 

 生前、切嗣は美遊との間に、殆ど家族らしい交流を持たなかった。

 

 彼はあくまで、美遊を「神の子」という世界を救うための道具と断じ、それ以上には見ていなかった。

 

 美遊の方でも本能的に、切嗣の魔術師としての冷酷な面を見抜いていたのだろう。彼には殆ど近づこうとせず、もっぱら士郎の方に懐いていた。

 

 だが、その切嗣はもういない。

 

 美遊をどうすべきか、決めるのは士郎だった。

 

 人の子か?

 

 あるいは神の子か?

 

 士郎の心は、振り子の針のように揺れ続けていた。

 

 そんな迷いを振り払うように、毎日の日課である魔術鍛錬に没入する。

 

 手にしたのは、一振りの定規。

 

 長さ50センチの定規に意識を集中させる。

 

 この定規の材質、構造、形状。その全てを解析し、作り替えていく。

 

「・・・・・・・・・・・・」

 

 やがて、ゆっくりと目を開ける。

 

 手にしたのは、一本の鉄パイプ。

 

 士郎はその鉄パイプを空中に放り投げると、定規を縦横に振るう。

 

 すると、

 

 鋭い切り口を残し、鉄パイプが寸断された。

 

 強化魔術。

 

 士郎が使う事ができる、初歩的な魔術であり、このように物質を強化する事ができるのだ。

 

 士郎は定規を床の上に投げ出す。

 

 やはり、というべきか、鍛錬に集中できない。

 

 美遊をどうするのか?

 

 このままずっと、隠し続ける事はできない。

 

 いずれは、決断しなくてはならないであろうことは、士郎にも判っていた。

 

 鍛錬場にしている土蔵を出て、母屋へと足を向ける。

 

 明日も早い。朝から弓道部の練習がある。

 

 今日は早く寝よう。

 

 そう思った時だった。

 

「鍛錬、お疲れ様です、士郎さん」

 

 縁側から声を掛けられて振り返る。

 

 そこには、美遊の姿があった。

 

 士郎が買ってあげた羊さんパジャマを着た美遊は、本を手にして座っている。

 

「まだ起きていたのか?」

 

 普段の美遊なら、とっくに寝ているはずの時間である。

 

 まだ起きていたのは意外だった。

 

「うん、星座を探していた」

「星座? なんか美遊に似合わずロマンチックだな」

 

 美遊の年齢は10歳。小学校高学年程度である。本来なら星座のような幻想的な物に興味を持ち、夢を馳せるのは当然の姿であろう。

 

 だが、

 

「天体の運行に物理以上の意味などないはずなのに、見かけ上の星の並びに、無関係な絵を当てはめた理由が知りたくて」

 

 淡々と自分の考えを話す美遊。

 

 それに対し、士郎は内心で頭を抱える。

 

 士郎が図鑑や伝承本、参考書など、知識を学ぶような本ばかり与えてしまったため、美遊の頭の中は、完全に石頭と化していた。

 

 もっと、絵本とかも読ませるべきだった。と、最近では後悔の種が増えている。

 

 美遊の「情操教育」という意味で、士郎は完全に失敗していた。

 

 そんな美遊の傍らに、士郎も腰を下ろした。

 

「そう言えば親父も、ここに座ってよく星を眺めていたな」

「オヤ・・・・・・切嗣さんが? どうして?」

 

 美遊にとって切嗣は、せいぜい「一緒に住んでいた大人」程度の感覚でしかない。名目上は父親であるが、家族的な交流など殆ど無かった。

 

 だが、同じく名目上の兄である士郎が、切嗣を深く尊敬しているであろうことは、子供心に分かっていた。

 

「どうしてだろうな・・・・・・もしかしたら、星に願い事をしていたのかもしれない」

 

 それを聞いて、美遊は何かを閃いたようにハッとした。

 

「もしや、星の並びに何らかの魔術的作用がッ!?」

「いや、そう言うんじゃなくてさ・・・・・・・・・・・・」

 

 あくまで明後日の方向に突っ走ろうとする美遊を引き戻しつつ、士郎は諭すようにつづける。

 

「おまじない、みたいなもんかな。内に秘めたささやかな想いなんかを、星に願うんだ」

 

 ふと、士郎は思う。

 

 あの、死に際した縁側で、切嗣はどんな事を思ったのだろう?

 

 あくまで、美遊を使った世界の救済か?

 

 それとも・・・・・・・・・・・・

 

 美遊の力は、人々の願いをランダムに叶えてしまう。

 

 だが、朔月家を出てここに移り住んでから、もう何年も、美遊が能力を発動するところは見ていない。

 

 もう、美遊の「神の子」としての能力は失われてしまったのだろうか?

 

 勿論、それがただの都合の良い願望に過ぎない事も、士郎には判っている。

 

 判っていてなお、そう思わずにはいられなかった。

 

「・・・・・・星に願い事」

 

 美遊が口を開いたのは、そんな時だった。

 

「もし、一つだけ、願いが叶うなら・・・・・・・・・・・・」

 

 星を見上げ、

 

 静かな声で、

 

 少女は呟いた。

 

「私は、士郎さんと本当の兄妹になりたい」

 

 それは、少女にとってささやかな願い。

 

 心から望んだ事。

 

 振り返る美遊。

 

 その瞳は、それまでの深紅ではなく、彼女の「兄」によく似た、琥珀色に変わっていた。

 

「・・・・・・なんて、だめだよね?」

 

 少女の顔には、はにかんだような笑顔が浮かべられていた。

 

 対して、士郎は目に涙を浮かべる。

 

 何が起きたのか、彼には判っていた。

 

 美遊は、願いを叶えたのだ。

 

 自分で、自分の願いを。

 

 士郎と本当の家族になりたいという、彼女のささやかな願いを。

 

 ならば、

 

 「兄」として、どうしてそれを拒む事が出来ようか?

 

「ダメな訳、ないだろ」

 

 そう言って、「妹」に笑いかける。

 

 その日、士郎と美遊は、本当の意味での「兄妹」となったのだった。

 

 

 

 

 

第32話「神か、人か」      終わり

 



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第33話「一歩目の、その先」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 その日を境に、衛宮士郎の生活は一変した。

 

 弾みがついた、と言った方が良いかもしれない。

 

 美遊は神の子ではなく、人の子として、士郎の妹として生きる事を選んだ。

 

 それは同時に、美遊の「神稚児としての役割」も終わった事を意味する。

 

 もう、美遊は世界の事なんか気にせず、普通の子供として生きる事ができるのだ。

 

 少なくとも、士郎はそう思う事にした。

 

 勿論。

 

 その意思は、世界を救うという切嗣の理想に反する事になる。そして、このまま行けば確実に世界は破滅への道を進む事になるだろう。

 

 だが、

 

 それでも、

 

 士郎は今、美遊と共にこの世界を歩けることを幸せに思うのだった。

 

 と、なれば、善は急げである。

 

 美遊を本格的に世に出すためには、色々と準備が必要である。

 

 特に、美遊は知識量こそ豊富だが、これからは今までとは違う知識が必要になる。

 

 社会常識、法律、ルール、礼儀作法、その他もろもろ・・・・・・

 

 覚えさせなければならない事はいくらでもある。まあ、それも美遊なら、それほど時間もかからずに習得できるだろう。

 

 海が見たい。

 

 美遊はそう言った。

 

 美遊が士郎に、初めて自分の遺志でやりたい事を言ったのだ。

 

 ならば、それをかなえてやることが、兄として自分ができる最初の役割だった。

 

「・・・・・・・・・・・・と」

 

 学校の校門へと向かう途中。初等部の校門前で、士郎は足を止めた。

 

 穂群原学園の初等部は生徒数の減少から、既に廃校になっている。中を覗き込んでも、人の気配は全くしなかった。

 

「しまったな・・・・・・・・・・・・」

 

 士郎はやれやれとばかりに頭を掻く。

 

 もう少し早ければ、美遊をこの初等部に通わせることもできたかもしれないのに。

 

 そうすれば同い年の友達もできただろうし、何より必要な知識も学校で学ぶことができたのだ。

 

 今更後悔しても詮無い事ではあるが、士郎としては嘆息せざるを得ない状況だった。

 

「・・・・・・・・・・・・ん?」

 

 立ち去ろうとした士郎は、ふとおかしなものを見て足を止めた。

 

 それは初等部の校舎付近。

 

 女の子が1人、勝手口から構内に入っていくのが見えたのだ。

 

「おかしいな、何でこんな所に・・・・・・・・・・・・」

 

 大人がいるなら、まだ話が分かる。廃校になったとはいえ、用務員くらいはいるだろうし。

 

 しかし廃校になった初等部に子供がいるのはおかしい。

 

 しかも、少女は長い金髪を縦ロールのポニーテールにした、明らかに外国人っぽい容貌をしていたのだ。

 

 いったい何なんだろう? 近所の子供がいたずらで入り込んだのだろうか?

 

 そんな事を思った時だった。

 

「おはようございます、衛宮先輩」

「どわッ!?」

 

 いきなり、すぐ背後から声を掛けられ、士郎は思わずその場から飛びのくようにして振り返った。

 

 見れば、してやったりと言った感じの笑顔を浮かべた後輩、日比谷修己がそこに立っている。

 

 その背後では、もう1人の後輩である間桐桜が、こちらは申し訳なさそうに苦笑を浮かべていた。

 

「な、何だ、日比谷に桜か。脅かすなよ」

「いやいや、先輩が油断しすぎですって」

「すみません。私はやめようって言ったんですけど・・・・・・」

 

 悪びれた様子を見せない修己に対し、申し訳なさそうな桜。

 

 やれやれと頭を掻く士郎。

 

 首謀者がいずれかは明らかだった。

 

 そんな中、桜は懐かしむように校門の中を覗き込んだ。

 

「小学校、懐かしいですね」

「ああ、桜はここに通っていたんだな」

 

 考えてみれば当然だが、昔から深山町に住んでいる桜が、この初等部にいたのは当然の事だった。

 

 一方で士郎は、もともとは別の町出身であり、その後も切嗣と旅をしていたので、あまり一つ所に留まったという事は無い。

 

 そんな訳なので、士郎には「小学校の思い出」と言う物が皆無に等しかった。

 

「僕はあんまり、かな。そもそも、学校にあんまり通ってなかったんで」

 

 修己の言葉に士郎と桜は怪訝そうな顔で振り返る。

 

「意外だな。子供の頃は体でも悪かったのか?」

「んー まあ、そんな感じですかね」

 

 尋ねる士郎に、修己は言葉を濁す。

 

 あまり、触れられたくない事情があるのかもしれない。

 

 しかしそうなると、この3人の中でまともに小学校に言っていたのは桜だけ、と言う事になる。

 

「小学校の時の桜か・・・・・・ちょっと想像つかないな。どんな子だったんだろう?」

 

 すこしからかうように考え込む士郎。

 

 櫻は普段から大人しい性格をしており、おまけに同性でも羨みそうな美少女である。

 

 きっと小学生の頃から人気者だったんだろう、と想像できる。

 

 だが、

 

「・・・・・・桜、どうかしたの?」

 

 尋ねる修己。

 

 対して桜は、俯いたまま黙り込む。

 

 何か、聞きにくい事を聞いただろうか?

 

 そんなふうに思っていると、桜が顔を上げた。

 

「すみません・・・・・・昔の事は、あまり思い出したくないです」

 

 少し、寂しそうに告げる桜に対し、士郎と修己は怪訝そうに顔を見合わせる。

 

 いったい、過去の桜に何があったのだろうか?

 

 そこでふと、士郎は思い至る。

 

 そう言えば自分は、桜の事を何一つ知らないのだ、と言う事を。

 

 無論、女性の過去を積極的に聞きたいなどとは思わないが、しかし重要な事も何一つ知らないのも事実だった。

 

 と、

 

「なーんて、嘘です」

 

 少し悪戯っぽく、桜は笑って見せた。

 

 対して、士郎と修己は拍子抜けしたように脱落する。

 

 そんな2人の反応が面白かったのか、桜は更に笑顔を見せる。

 

「いっつもイジワルな先輩や日比谷君に、ささやかな復讐です」

「いや、俺はイジワルなんかしてないだろ。日比谷じゃあるまいし」

「いや1人だけ、ずるいですよ先輩!!」

 

 そう言って笑い合う3人。

 

 ひとしきり笑ってから、桜は笑顔を向けて言った。

 

「私は今が一番幸せです。イジワルだけど優しい先輩がいて、仲良くしてくれる友達がいて、人は少ないけど普通に学校に通えて、勉強して、部活をして、そんな何でもない日の繰り返しが、きっと『幸せ』って言うんだと思います」

 

 ちょっと、気取りすぎですかね。

 

 そう言って、桜は照れたように笑った。

 

 と、

 

「いや、先輩。騙されちゃいけませんよ。きっと桜の事だから、裏で腹黒い事をしてると思います。『〇〇暗殺帳』とか作って、気に入らない奴を片っ端からブラックリストに・・・・・・」

「してませんッ そんな事!!」

「良い雰囲気を台無しにするな」

 

 余計な事を言う後輩に、士郎は嘆息する。

 

 そんな士郎を、修己と桜は不思議そうに見つめる。

 

「な、何だよ?」

「い、いや先輩・・・・・・何か表情違いますね」

「ちょっと、楽しそうだなって、思っちゃいました」

 

 後輩の妙な物言いに、今度は士郎が首をかしげる。

 

 自分はそんなに、普段からつまらなそうな雰囲気を出しているのだろうか?

 

 対して、桜は少し躊躇うように答える。

 

「先輩、いっつも何だか1人で思い悩んでいるような気がしていたので」

「あ、判る。仏頂面な事の方が多いし」

「おいおい」

 

 苦笑する士郎。

 

 何か、後輩にそんな風に思われていたのは、地味にショックだった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「ニヤけているな」

「お前もかよ」

 

 昼時。

 

 生徒会室で食事をとっていた士郎に、ジュリアンがいきなりそんな事を言い始めた。

 

「桜と日比谷にも今朝、似たようなことを言われたぞ。いつもと表情が違うとかなんとか・・・・・・自覚は無いんだが」

 

 ジュリアンにまで言われてしまったとなると、士郎としても、これまでの自分の在り方について一考せざるを得なかった。

 

「いつにも増して気色悪い面だ」

「ひどいな」

「何を浮かれてやがる」

 

 抗議する士郎を無視して尋ねるジュリアン。

 

 彼としても、横でニヤニヤされていては、食事もままならなかった。

 

「んー・・・・・・今朝、小学校で女の子を見かけてな。遠目にも可愛らしい感じで・・・・・・いや待て、違う、誤解だ、引くな」

 

 話の途中で、親友がドン引きしているのを感じて話を止める士郎。

 

 断じていうが、士郎に幼女趣味の嗜好は無い。

 

 と、思う。

 

「ああいう子が妹の友達になってくれたらなって思っただけだ!! 変な誤解するな!!」

「妹? お前にそんな物がいたのか」

 

 意外そうな顔をするジュリアン。

 

 それも仕方ない。美遊の事は絶対に外に漏らしてはならない、というのが切嗣の遺言だった。

 

 美遊は願いをランダムに叶える事ができる奇跡の神稚児だ。それ故に、その神秘を知る人間から狙われている。

 

 もし、美遊の存在を知れば、彼女を奪おうとする輩が寄ってくる事だろう。

 

 それ故に士郎は、今までジュリアンはおろか、誰にも美遊の事は話していなかったのだ。

 

 だが、もう美遊は神稚児じゃない。隠しておく理由はどこにもなかった。

 

「美遊って言ってな。素直で賢い奴なんだ」

「ミユ・・・・・・」

 

 自慢の妹を紹介するようで、士郎は少し誇らしげに言う。

 

「しかし、今朝見た子はどこの子なんだろうな? 金髪縦ロールのポニーテールでさ、どこぞの外国のお嬢様って感じだったよ」

 

 少なくとも、深山町近辺では見かけた事のない女の子だった事は間違いない。

 

 何気ない調子で士郎が言った時だった。

 

 ガチャンッ

 

 突然の音に、思わず振り返る士郎。

 

 すると、

 

 手元が滑ったのか、ジュリアンがお茶の入った湯呑をひっくり返していた。

 

 熱いお茶が彼の太ももにかかり、制服のズボンを濡らしていた。

 

「何やってんだよ!? 火傷してないか!?」

 

 友人が普段、あまり見せない失敗に、士郎も慌てて駆け寄る。

 

 だが、

 

 

 

 

 

「全ッ然、熱くねえ!!」

「何だよ、その強がりは!?」

 

 

 

 

 

 無駄に強気な親友に、士郎はただ嘆息するしかなかった。

 

 

 

 

 

~それからしばらく~

 

 

 

 

 

「つまり、何だ? お前は妹の事を考えてニヤニヤしていたと、そう言う訳だな?」

「言い方に、途轍もない悪意を感じるぞ」

 

 濡れた制服を脱ぎ、体育用のジャージに着替えを終えたジュリアンを、士郎はジト目で睨みつける。

 

 何だかそれじゃあ、自分が美遊に欲情しているみたいな言い方だった。

 

 そのジュリアンはと言えば、なぜか士郎から距離を置くようにテーブルの端に座っている。明らかに、士郎から距離を置こうとする意志が明確に読み取れた。

 

「ジュリアンも、それに桜と日比谷も、大げさすぎるんだよ。俺が笑っているくらいでさ」

 

 そう言って肩を竦める士郎。

 

 自分だって笑う事くらいはある。何をそんなに騒いでいるのか?

 

 対して、ジュリアンは一つ嘆息すると口を開いた。

 

「良いか衛宮。俺は『嘘』には寛容だ。『嘘』と言う物は、何かを隠したい、あるいは偽りたいという意思が明確に、そこにあるからだ」

 

 随分と斬新な解釈のような気はするが、確かに間違ってはいない。

 

 人はそこに何らかの理由があるからこそ、嘘を吐く。その嘘に善悪の要素はあるにしても、すべからく「意思」が介在しているのは確かだった。

 

「けどな、漠然と形だけを真似た、何物にもなれぬ『偽物』は嫌悪する。以前までのお前の笑顔は『それ』だったんだよ。今日のお前のニヤニヤ笑いは心底気色悪くはあるが空っぽじゃねえだけ、万倍マシって事だ」

 

 成程。

 

 言い方は色々あれだが、少なくともジュリアンは士郎を認めてくれているらしい。

 

「・・・・・・・・・・・・知らなかったな」

「ハッ 哀れな事だな。偽物に偽物の自覚が無いなどと・・・・・・」

「お前、ジャージ穿くと饒舌になるんだな」

「ケンカ売ってんのか貴様ッ!?」

 

 突然、トンチンカンな事を言い出す士郎に、マジ切れ仕掛けるジュリアン。

 

 ジュリアン的にはせっかく良い事を言ったつもりだったのに、士郎のせいで台無しになっていた。

 

「よし決めたッ 明日からはジュリアンの分も弁当作って来てやるからな!!」

「あァ!? なにトチ狂った文脈してやがる!?」

 

 がなるジュリアンに、全く聞く耳を持たない士郎。

 

 これもある意味、いい関係であると言えるだろう。

 

 そう。

 

 今の士郎は、確かに幸せだった。

 

 友人たちと過ごす時間も、

 

 妹と過ごす時間も、

 

 共に、士郎に安らぎを与えてくれる。

 

 願わくば、この時がいつまでも続くように。

 

 士郎は、心からそう願うのだった。

 

 

 

 

 

 肩を落とす。

 

 結局のところ、自分の勇み足だったのかもしれない。

 

 ここ数か月、彼に接触してみてよく分かった。

 

 衛宮士郎。

 

 彼は本当に、美遊の事を慈しんでくれている。

 

 彼なら、たとえ何があっても、命がけで美遊を守ってくれることだろう。

 

 ならば、自分の出る幕は何もない。

 

 所詮は、はるか昔に舞台を降りた人間。今更、舞い戻るなど、道化にも劣ると言わざるを得ない。

 

「・・・・・・・・・・・・」

 

 ポケットに入れたままになっているクラスカードを取り出す。

 

 これは、明日にでも言峰神父に返すとしよう。どの道もう、自分には無用の長物に過ぎないのだから。

 

 そもそも、聖杯戦争に参加せんと思ったのは、全てあの子を守る為。

 

 しかし、それも衛宮士郎が美遊の傍にいるなら、無用な事だった。

 

「・・・・・・もう、僕は必要ない、か」

 

 少し寂しそうに、笑いながら呟く。

 

 踵を返す。

 

 もう、ここに来る事も無いだろう。

 

「・・・・・・・・・・・・さよなら、美遊」

 

 それだけ言うと、振り返らずに立ち去っていくのだった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 数日後。

 

 士郎はついに、美遊を屋敷の外に連れ出す事にした。

 

 目的地は海。

 

 冬木市は海に面した都市であるから、歩けばほんの数分で海岸にたどり着けるだろう。外出と言っても、そんな大層な物ではない。

 

 だが、

 

 美遊にとっては、何といっても5年ぶりとなる「お出かけ」だ。

 

 士郎が買って来た余所行きの服を着て、お弁当をリュックサックに詰め、準備万端整えた。

 

「じゃあ、行くか」

「うん」

 

 士郎が差し出した手を、美遊は小さな手で握り返す。

 

 温もりが、互いに伝わってくるのが分かった。

 

「怖くないか?」

「どうして?」

 

 尋ねる士郎に、美遊は不思議そうに返す。

 

「隣にお兄ちゃんがいてくれるのに、何を怖がるの?」

 

 そう言って、美遊は笑う。

 

 自分には、誰よりも頼りになる兄がいる。

 

 ならば、恐れる事など何もなかった。

 

「そうだ、この言葉、ずっと言ってみたかったんだ」

 

 そう言うと美遊は、玄関に向かって一歩踏み出しながら言った。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「行ってきます」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 屋敷を出た、外の世界は、美遊にとって新鮮な驚きに溢れていた。

 

 生まれて5歳(数えで6歳)までは朔月家の屋敷内に隠され、朔月家が無くなってからは衛宮邸から一歩も出ずに過ごしてきた美遊は、見る物全てが珍しくて仕方が無かった。

 

 2人の行程はゆっくりとしたものだった。

 

 目的地は海だが、せっかく時間があるので、ついでにあちこち見て回る事にしたのだ。

 

 住宅街を抜け、商店街を覗き、神社の前を通り過ぎる。

 

 時刻表を調べてバスを待つ。

 

 士郎の足ならそれほど苦ではないが、まだ幼いく、初めての外出になる美遊には海まではきついだろうと言う事で、途中からバスを使う事にしたのだ。

 

 それに、

 

 士郎はこの最初の外出を機に、ある事を計画していた。

 

 それは自分たちにとって、どうしても必要な事だと思ったからだ。

 

 自分と美遊が、これから本当の兄妹として過ごしていくために。

 

 バスを降りた美遊と士郎は、冬木市郊外にある竹林へとやって来た。

 

 鬱蒼と生い茂る竹林は、光を通さず先を見通す事も出来ない。

 

 そして、

 

 ここはあの、忌まわしいクレーターのすぐそばでもあった。

 

 士郎の最初の目的地は、この先にあった。

 

 やがて、視界が開ける。

 

 クレーターの外縁部が迫るその場所には、朽ち果てた瓦礫が未だに散乱している。

 

 おぞましい破壊の爪痕が、そのまま残っていた。

 

 そして、

 

 その脇に、大きめの石を積み上げた塔が、いくつか建てられている。

 

 それはあの日、

 

 あの、美遊と初めて会った日、士郎が切嗣に手伝ってもらって作った物である。

 

「お兄ちゃん、これは何?」

 

 不思議そうに尋ねる美遊。

 

 対して士郎は、静かな口調で答えた。

 

「これは墓だよ・・・・・・お前の、本当の家族の」

 

 そう。

 

 ここは旧朔月家の跡地。

 

 士郎はこの初めての外出に際し、まずはこの場所に美遊を連れてこようと思ったのだ。

 

「覚えているか? ここは俺と美遊が初めてあった場所。そして、お前が生まれた家だ」

「家? ・・・・・・母さまたちの、お墓?」

 

 美遊は茫然と呟く。

 

 あの日、結局士郎と切嗣が救う事が出来たのは、美遊1人だけだった。他の朔月家の人々は皆、あの破壊に巻き込まれてしまったのだ。

 

 美遊の母親も。

 

 そして、

 

 士郎はこの5年間、美遊に対して隠し続けてきたことがある。

 

 朔月家の血を引く美遊には、無差別に人の願いを叶える願望機としての能力がある事。

 

 自分と切嗣は、その能力に目を付け、美遊を手に入れるためにやって来たのだ。

 

「・・・・・・どうしてかな。あの頃の事、思い出そうとしても、あんまり思い出せない」

 

 美遊は、少し寂しそうな口調で言った。

 

「ただ、母さまの手のぬくもりだけは覚えている」

 

 懐かしそうに呟く美遊。

 

 そう、ここには確かに、彼女の幸せがあった。

 

 朔月家の人々が、美遊を大切に扱っていた事は、今の美遊を見ればわかる事だった。

 

 母親として過ごした日々は、記憶が薄れた今となっても、美遊の中で息づいているのだ。

 

 それに・・・・・・・・・・・・

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

『美遊・・・・・・君の事は、僕が必ず・・・・・・・・・・・・』

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「・・・・・・・・・・・・」

 

 ふと、脳裏に何かが浮かんだような気がして、美遊は動きを止める。

 

 それは、いったい何だったのか?

 

 美遊の記憶の、最も深い場所に埋まっていて探り当てる事が出来ない。

 

 だが、母親の記憶同様、色褪せていても、確かに美遊の中には存在していた。

 

 だが、考えれば考えるほどに、記憶は逃げ水のように美遊の手をすり抜けて遠ざかっていくようだった。

 

「美遊、どうかしたか?」

「え?」

 

 呼ばれて、我に返る美遊。

 

 見れば、士郎が怪訝そうな面持ちでのぞき込んできていた。急に黙り込んだ美遊を心配している面持ちだった。

 

「あ、ううん、何でもないの」

 

 そう言って笑いながら、美遊は首を振る。

 

 いったん浮かびかけた「何か」は、再び記憶の淵に沈んでいく。

 

 本当に、あれは何だったんだろう?

 

 その正体について、美遊はついに思い至る事が出来ないでいた。

 

 そんな美遊を見ながら、士郎は再びこの場所に思いをはせる。

 

 あんな事が無ければ、

 

 あの悲劇が無ければ、美遊はもっと別の人生を歩んでいただろう。

 

 家族や、ひょっとしたら友人に囲まれて、幸せな人生を歩んでいたかもしれないのだ。

 

「ここであの時、わたしはひとりぼっちになったんだ」

 

 言いながら、美遊は士郎の方に向き直る。

 

 どこか寂しそうな、

 

 それでいて嬉しそうな笑顔を浮かべて。

 

「でも、そんな私を、切嗣さんとお兄ちゃんが、助けてくれたんだね」

 

 美遊のさびしそうな笑顔。

 

 その笑顔が、士郎の胸をえぐる。

 

 違う。

 

 そうじゃない。

 

 自分と切嗣は、美遊を奪いに、ここに来たようなものだ。

 

 それが結果として、現在のような形になっているに過ぎない。

 

 今日、美遊に全てを話す。

 

 自分たちは、そこから始めなくてはならないのだ。

 

「美遊、聞いてくれ」

 

 切り出す士郎。

 

 美遊は不思議そうな顔で振り返る。

 

 意を決して、士郎は顔を上げた。

 

「俺と切嗣は、お前を・・・・・・・・・・・・」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「くだらねえ」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 突然、背後から聞こえてきた声に、士郎は振り返る。

 

 果たして、

 

 そこには、

 

 士郎にとって、よく見知った人物が立っていた。

 

「・・・・・・・・・・・・ジュリアン?」

 

 茫然として尋ねる士郎。

 

 対して、

 

 ジュリアンは真っ直ぐに士郎を睨む。

 

 その様に、思わず息を呑む士郎。

 

 彼の知る親友は、その視線の中に明らかな敵意と憎悪を含ませていた。

 

「くだらねえ・・・・・・ああ、心底くだらねえ筋書だな、クソが」

 

 それは、

 

 士郎と美遊にとって、

 

 否、

 

 この件に関わる全ての人間にとって、

 

 あまりにも唐突過ぎる「終わり」だった。

 

 

 

 

 

第33話「一歩目の、その先」      終わり

 



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第34話「深淵よりも尚昏く」

 

 

 

 

 

 

 

 

 生前、衛宮切嗣は「息子」である士郎に、硬く言い含めておいたことがある。

 

 それは、美遊を決して外に出してはいけない。と言う事。

 

 美遊の神稚児としての力は希少であり強大である。それ故に、常に誰かに狙われている。

 

 外の世界に出せば、そう言った連中に見付かり、必ず美遊を奪おうとするだろう。

 

 だから、隠さなければならない。

 

 美遊を奪おうとする全ての連中の目から、美遊を隠し続けなければならない。

 

 これは言わば、切嗣が士郎に託した「遺言」だった。

 

 だが、

 

 士郎は、その遺言を破った。

 

 油断していた、と言っても良いかもしれない。

 

 美遊が神の子としてではなく、人の子として生きていくことを選んだ時点で、彼女の神稚児としての使命は終わったのだ、と、勝手に解釈して。

 

 だが、たとえ美遊の神稚児としての能力が失われたのだとしても、その事実を知るのは士郎のみ。それを知らない他の者にとっては、美遊は変わらず「神稚児」であり続けているのだ。

 

 加えて、本当に美遊の能力が失われたという保証もない。

 

 全て、士郎の勝手な思い込みにすぎない。

 

 その代償を、士郎は支払おうとしていた。

 

 最悪のタイミング、最悪の形で。

 

「ジュリアン、お前が、どうしてここに?」

 

 突然現れた親友に、茫然と尋ねる士郎。

 

 対してジュリアンは、答える事無くゆっくりとした足取りで近づいてくる。

 

 だが、その目は士郎を一切見ていない。

 

 相変わらず不機嫌そうに歪められた目元。

 

 その視線は、士郎の傍らにいる少女を真っすぐに睨みつけていた。

 

 そんなジュリアンを見て、美遊は何かにおびえたように後ずさり、士郎の背に隠れた。

 

 何か、不吉な物を感じ取ったように。

 

「お兄ちゃん・・・・・・・・・・・・」

 

 しがみついてくる美遊。

 

 そんな妹に、士郎は優しく語り掛ける。

 

「大丈夫だよ美遊。こいつは俺の友達なんだ。前に話した事あったろ?」

「とも、だち?」

 

 士郎は美遊に以前、気の置けない友人が学校にいる事を話している。

 

 今まで友達と言う物を作った事が無い美遊だが、士郎にとってジュリアンが大切な存在であると言う事は伝わっているはず。

 

 ジュリアンがなぜこんな所にいるのかは分からないが、美遊が怖がる必要は無いのだ。

 

「なあ、ジュリ・・・・・・」

「あれで間違いないか、エリカ?」

 

 語り掛けようとする士郎を無視して、ジュリアンは背後を見る。

 

 すると、

 

 ジュリアンの陰から覗くように、1人の少女が顔を出した。

 

「あれは・・・・・・」

 

 その少女を見て、声を出す士郎。

 

 見覚えがある。確かこの間、穂群原学園の初等部にいた女の子だ。

 

 それがなぜ、ジュリアンと一緒にいるのか?

 

 エリカと呼ばれた女の子は、美遊をジッと見つめて言った。

 

「うん・・・・・・だいじょうぶ。『せいしつ』はなくなっているけど、まだ、『うつわ』はのこっている」

「なッ それは・・・・・・」

 

 エリカの言葉に、士郎は戦慄する。

 

 「せいしつ」「うつわ」。

 

 美遊を見て、それらの言葉が出ると言う事は即ち、美遊が何者であるか、彼らは知っていると言う事になる。

 

 緊張を増す士郎。

 

「・・・・・・ずっと、ここを監視してきた」

 

 対してジュリアンは、歩みを進めながら静かに告げる。

 

 その足は、ゆっくりと士郎へと近付いてくる。

 

「人が消えたこの街で、わざわざここに立ち入る人間がいるとしたら、街から出て行った朔月家の親族か・・・・・・あるいは・・・・・・」

 

 睨みつけるジュリアン。

 

 士郎は思わず息を呑む。

 

盗人(ぬすっと)だけだ」

 

 親友の目には、明らかな憎悪が浮かべられている。

 

 ふとすれば、すぐにでも士郎を殺しかねないほどの殺気だ。

 

「何を・・・・・・言ってるんだ、ジュリアン?」

 

 嘘だ。

 

 やめてくれ。

 

 何かの冗談だろ。

 

 士郎は必死に、目の前の事実を否定しようとする。

 

 だが、

 

「5年前、街を呑み込んだ侵食。それを祓った光の柱は、ここから登っていた」

 

 そんな士郎の想いを、ジュリアンは呆気なく打ち砕く。

 

「ずっと探していた。この世の奇跡と、それを盗んだ盗人を!!」

 

 ここに来て、士郎は確信する。

 

 目の前の男は、もはや親友ではない。

 

 自分から、美遊を奪い取るためにここに来たのだ。

 

 否、

 

 「奇跡」を奪った士郎(ぬすっと)から、美遊を奪い返そうとしているのだ。

 

「逃げろ美遊!!」

 

 叫びながら士郎は、ポケットに入れておいたメジャーを取り出し、手ごろな長さまで素早く引き延ばした。

 

 同時に自身の魔術回路を起動。強化魔術を発動する。

 

 強化魔術を使えば、メジャーの軟な構造でも十分な硬度と切れ味を持つ剣と化す。持ち運びの良さを考えれば、むしろ定規などよりも使い勝手が良い。

 

 必要ないと思っていたが、万が一の護身用に持ってきた物が、まさかこんな形で役に立つとは。

 

 だが、

 

「逃げる? ・・・・・・逃げるって、どこに逃げれば良いの、お兄ちゃん?」

 

 背後から困惑気味な美遊に尋ねられ、士郎はハッと我に返った。

 

 自分達には、何もない。

 

 行く当てすら、ない。

 

 美遊は元より、士郎も天涯孤独の身。自分たち以外に、頼れる者もいなかった。

 

 そして、

 

「殺すのか?」

 

 ジュリアンは、士郎が構えるメジャーを正面から握りしめた。

 

 ただのメジャーとは言え、今は強化魔術で鋭い刃と化している。

 

「何だこれは? 強化魔術? くだらねえ・・・・・・」

 

 案の定、ジュリアンの掌からは鮮血が流れ出した。

 

 だが、ジュリアンは構わず、メジャーを握り続けている。

 

「や・・・・・・やめろ、ジュリアン、お前の手が・・・・・・」

 

 ジュリアンの掌から流れ出る血を、士郎は覚えながら見つめる。

 

 結局のところ、士郎にはジュリアンを斬り捨てる覚悟すらなかった。

 

「何で・・・・・・」

 

 唇を噛みながら、ジュリアンは顔を伏せる。

 

 どこか、後悔するような声。

 

 次の瞬間、

 

「お前なんかが!!」

 

 ジュリアンの言葉と共に、

 

 士郎の足元に、ぽっかりと穴が開いた。

 

 同時に、

 

 士郎は「10メートル以上の高さ」から落下、地上に容赦なく叩きつけられた。

 

「ガハッ!?」

 

 血反吐交じりの悲鳴を吐き出す士郎。

 

 いったい、何があったのか?

 

 この時、士郎は気付かなかったが、ジュリアンは士郎の足元の地面と頭上を置換魔術で繋げ、士郎を「地面から空中へ落下」させたのだ。

 

 鈍い音と共に、激痛が士郎を襲う。

 

 殆どビルの3階分に相当する高さから落下したのだ。骨の何本かは確実に折れた事だろう。下手をすると、内臓もやられたかもしれない。

 

 対してジュリアンは、そんな士郎にもう用は無いとばかりに踵を返すと、美遊へと近付いた。

 

「朔月美遊。ずっとお前を探していた。この世界に残された本物の奇跡。お前は今から、俺の物だ」

 

 伸ばした手が、美遊の額を鷲掴みにする。

 

 同時に流される魔力が、一瞬にして美遊の意識を刈り取ってしまう。

 

 地面に崩れ落ちる美遊。

 

 ジュリアンはとっさに少女を抱き留める。

 

 その姿に、士郎は血反吐を吐きながら顔を上げる。

 

「や・・・・・・めろ・・・・・・ジュリアン!!」

 

 なぜ、ジュリアンがこんな所に現れたのか?

 

 なぜ、美遊を欲するのか?

 

 判らない事が多すぎる。

 

 だが、それでも、美遊を守らなくてはという思いだけで、士郎は前へと進む。

 

 そんな士郎を無視するように、先程のエリカという少女がジュリアンに駆け寄った。

 

「5年前の『しんしょくじこ』を止めてくれたのは、そのおねえちゃんなんだね」

 

 そう言いながらエリカは、この上なく無邪気な笑顔で言った。

 

「ほんとうによかった!! お姉ちゃんがいてくれれば、またじこがおきてもだいじょうぶ!!」

 

 ある種のおぞましさすら感じるその無邪気は、聞く者にとっては不協和音にすら聞こえる。

 

 自身の行いに対し、一切の疑いを持たない、まるで狂信者のような言動。

 

 エリカの幼さが、そこにより一層の拍車をかけていた。

 

 この幼い少女が、如何にすればこんな独善的で歪んだ考えを持つに至ったのか? そこにあるおぞましさは計り知れなかった。

 

 だが、今の士郎にとって、問題はエリカではなかった。

 

 その視線は背を向けた「元・親友」へと向けられている。

 

「今度は事故など起こさない。この『器』なら足りるだろう。街は滅びたが儀式の再演には却って都合が良い。今度こそ、成就させるぞ」

 

 淡々と告げるジュリアン。

 

 対して、士郎の絶望は深まる。

 

 まさか

 

 そんな馬鹿な

 

 嘘だ

 

 何かの間違いだ

 

 否定しようとすればするほど、疑念は士郎の中で大きく膨らむ。

 

「まさかジュリアン・・・・・・お前が・・・・・・お前、なのか?」

 

 絞り出すような声で、士郎は尋ねる。

 

「街を・・・・・・人々を・・・・・・美遊の両親を消し去ったのは・・・・・・」

 

 渾身の力でもって、身を起こす。

 

「あの闇を引き起こしたのは、お前だったのか!?」

 

 否定してくれ。

 

 どうか、違うと言ってくれ。

 

 もはや、縋るような思いで告げる士郎。

 

 だが、

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「そうだ。『私』がやった」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 希望は、あっけなく打ち砕かれた。

 

 脳裏にこびり付くのは、あの日の光景。

 

 街を呑み込んでいく巨大な闇と、人々の怨嗟の叫び。

 

 その元凶が今、目の前にいる。

 

 大切な妹を、連れ去ろうとしている。

 

「ジュリ・・・・・・アン!!」

 

 全身の筋が断裂しそうな感覚に抗いながら、士郎は体を起こす。

 

 目の前の男を行かせてはならない。

 

 座視すれば、また多くの犠牲が出る。

 

 そして、

 

 美遊を連れていかれてしまう。

 

 それだけは、絶対に許さなかった。

 

 壊れた体に鞭打って駆ける。

 

 行かせない。

 

 絶対に。

 

 距離が縮まる。

 

 もう少し、

 

 あと少しで、手が届く。

 

 拳を振り上げる士郎。

 

 そのまま、ジュリアンへ殴りかかる。

 

 次の瞬間、

 

 

 

 

 

 突如、背後から飛来した無数の剣が、士郎の体を一斉に串刺しにした。

 

 

 

 

 

「が・・・・・・ハッ・・・・・・・・・・・・」

 

 力尽き、地面の倒れる士郎。

 

 薄れゆく意識。

 

 視界は暗く染まり、耳は何も聞こえなくなっていく。

 

 そんな士郎を踏み越えて、ジュリアンに歩み寄る影があった。

 

「お怪我はありませんか、ジュリアン様?」

「・・・・・・ある訳ねえだろ。そんな事より、美遊を連れていけ。こいつに合わせて、全てを再調整するんだ」

「畏まりました。それで、この男は?」

「・・・・・・放って置け。もう、何の価値もない」

 

 薄れゆく意識の中で、士郎は足音が遠ざかっていくのを感じる。

 

 結局のところ、士郎は全てにおいて甘かったのだ。

 

 この場所に来た事も、

 

 美遊を外に連れ出したのも、

 

 だからジュリアンの正体も見抜けず、美遊を連れ去られてしまった。

 

 全ては、士郎自身の甘さが招いた結果だった。

 

 否、

 

 あるいはもしかしたら、自分が切嗣に助けられたこと自体が、全ての間違いの始まりだったのかもしれない。

 

 薄れゆく意識の中で、士郎はただただ後悔のみを募らせていくのだった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 呼び出しを受けて、教会へと足を運ぶ。

 

 正直、ここには二度と来たくないとさえ思っていた。

 

 気が重いことこの上ないのだが、事情が事情であるだけに、来ない訳にはいかなかった。

 

 重い門を開くと、いつか見た礼拝堂の光景が飛び込んでくる。

 

 その中央で、

 

 まるで少年が来るタイミングが分かっていたかのように、悠然と佇む神父が1人。

 

 言峰綺礼は、真っすぐにこちらに鋭い眼差しを向けていた。

 

 幸いにして、今日はれっきとした神父の装いをしているが。

 

「そろそろ来る頃だろうと思っていたよ」

「話は本当なんですか?」

 

 言峰の言葉を無視して、いきなり本題から入る少年。

 

 この不良神父(兼ラーメン屋)が見た目以上に厄介な相手である事は、以前のやり取りで既に分かっている。

 

 余計な話題はいらない。さっさとこちらの要件を済ませるつもりだった。

 

 言峰の方でも心得ているのだろう。少年に対して頷いて見せるとすぐに本題に入った。

 

「知らせたとおりだよ。朔月美遊はエインズワースの手に落ちた」

「何でッ!?」

 

 朔月美遊。

 

 それはこの冬木にかつて存在した旧家「朔月家」の末裔にして「神稚児」と呼ばれる存在。

 

 そして、この地で長く行われている魔術儀式「聖杯戦争」の根幹をなす聖杯その物でもある。

 

 「器」のみならず、「中身」をも合わせる形で生まれて来た美遊は、聖杯として破格の存在である。

 

 それ故に、エインズワースは血眼になって美遊を探していたのだ。

 

 言峰からその事を聞いた少年は、居ても立ってもいられず、教会へと駆け付けたのだ。

 

 迂闊だった。

 

 聖杯戦争が近づいている以上、エインズワースが美遊の所在に無関心でいられるはずが無いというのは判り切っていた事だ。

 

 であるなら、手段を択ばずに少女の奪取を試みるのは明白だった。

 

 それに、今一つ、気になっていた事を尋ねる。

 

「彼は・・・・・・・・・・・・衛宮士郎さんは、どうしたんですか?」

 

 衛宮士郎。

 

 美遊の保護者であり、それは同時に「聖杯の保持者」でもある。

 

 彼の人となりについては、傍についていて、ある程度理解している。

 

 彼ならば、美遊を任せても大丈夫と思っていたのだが。

 

 しかし、こうなると彼の身も案じられる。

 

「エインズワースの攻撃を受けて重傷だったが、こちらの方で治療しておいた。既にここを立ち去ったよ。エインズワースの工房の場所を教えてやったから、恐らくそちらに行っただろう」

 

 無謀だ、と思う。

 

 魔術師にとって工房とは「城塞」に等しい。そこに正面から突っ込むなど、自殺行為に他ならなかった。

 

 だが、彼ならばそうするだろうと確信もある。

 

 ずっと彼を見てきて、士郎にとって美遊が大切な存在である事は判っていた。

 

 彼ならば、自分の命を捨ててでも、美遊を守ろうとするだろう。

 

「それで?」

 

 言いながら、言峰は少年を見た。

 

「君は、どうするつもりかね?」

「・・・・・・・・・・・・」

 

 問いかける言峰。

 

 対して、少年は沈黙したまま睨み返す。

 

 その手は自然と、ポケットの中にあるカードへ触れた。

 

 美遊という聖杯がエインズワースの手に落ちた以上、聖杯戦争の開幕は近い。

 

 ならば、自分自身の去就も決める必要があった。

 

 沈黙が、両者の間に流れる。

 

 どれくらい、そうしていただろう?

 

 ややあって、少年は踵を返すと、それ以上何も言う事無く、足早に教会を後にするのだった。

 

 

 

 

 

 教会を背に坂を下りながら、足早に歩き続ける。

 

 正直なところ少年は、この聖杯戦争を降りようと考えていた。

 

 少なくとも、昨日までは。

 

 美遊。

 

 あの子が幸せでさえいてくれたら、自分はそれだけで良い。

 

 そして衛宮士郎。彼ならば安心して、美遊を任せる事ができる。

 

 そう思っていたのだ。

 

 衛宮士郎が美遊の傍にいてくれるなら、却って自分という存在は邪魔になるだけだった。

 

 ならば自分はこの街にいる必要はない。

 

 全てを衛宮士郎に任せ、身を引こうと考えていた。

 

 彼はそれほどまでに、信頼に値する人物だと思ったのだ。

 

 だが、事態は一変した。

 

 美遊はエインズワースの手に落ちた。

 

 そして、衛宮士郎は傷つき倒れた。

 

 間もなく、聖杯戦争が始まるだろう。

 

 聖杯を、

 

 美遊を守らんとするならば、否応なく聖杯戦争へ参加する以外なかった。

 

 その時だった。

 

「・・・・・・・・・・・・」

 

 足を止める。

 

 向けた視線の先で、無数の気配が浮かぶのが見えた。

 

 路地裏や物陰から湧き出る顔、顔、顔。

 

 まるでマネキン人形のような外見をしたそれらは皆、手に手に剣や槍と言った武器を携えているのが見える。

 

「・・・・・・・・・・・・エインズワースの刺客、か」

 

 この時点で自分を襲ってくる相手など、他に考えられなかった。

 

 それにしても、

 

 いかに住民の数が減っているとはいえ、こんな事をすれば誰かに見咎められたとしてもおかしくは無い。

 

 どうやら聖杯を手にした事で、エインズワースも大胆な行動に出たらしい。

 

 いよいよもって、状況は切羽詰まってきている。

 

 その間にも武器を持ったマネキン人形が近づいてくる。

 

「・・・・・・・・・・・・」

 

 懐からカードを取り出す。

 

 どうやら、考えを巡らしている暇すら、無いらしい。

 

 次の瞬間、

 

 両者は同時に駆けた。

 

 

 

 

 

第34話「深淵よりも尚昏く」      終わり

 




FGO二次の設定も本格的に考えてみようかな、と思う今日この頃。

因みに現在、6章攻略中。

主力隊のメンツは

剣:ネロ(LV90)、デオン、水着フラン
弓:エミヤ(LV98)、水着エレナ、エウリュアレ、ロビン
槍:メデューサ槍(LV90)、ジャンヌリリィ、水着頼光
騎:アストルフォ、水着イシュタル、アレキサンダー
術:ナーサリー、アンデルセン
殺:酒呑童子、水着師匠、小太郎
狂:フラン
裁:ホームズ、ジャンヌ
讐:アンリマユ

一応、どんな戦況にも耐えられるような感じにはできたけど、再臨優先したからスキル上げはこれからです。
今後の課題としてはキャスター勢の強化ですかね。


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第35話「聖杯戦争開戦」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 全ては、徒労に終わった。

 

 ジュリアンに美遊を連れ去られて1か月。士郎はありとあらゆる手段を用いて、ジュリアンへの接触と、美遊を奪還する方法を模索し続けた。

 

 だが、無駄だった。

 

 言峰神父が語ったエインズワースの工房は、深山町にある巨大クレーターの真ん中に存在しているという。

 

 一見するとそこには何もないように見えるが、魔術師はありとあらゆる手段で、魔術的要素を隠ぺいする手段に長けている。

 

 つまり、何もないように見えるのは見せかけで、そこには確かに工房が存在しているのだ。

 

 言峰に掛けてもらった回復魔術によって傷がある程度回復した士郎は、未だに痛みを発する体と心を引きずりながら、藁をもすがる思いでクレーターへと向かった。

 

 だが、それは全くの無駄だった。

 

 クレーター内部へと踏み込んだ士郎だったが、中心に向かい歩いていると、ある一定の地点まで進んだ時点で、急に反対側の端まで転移させられてしまうのだ。

 

 否、転移という表現は正確ではない。

 

 そもそも、士郎は普通に中心に向かって歩いているだけなのに、突然反対側の壁が目の前に現れるのだ。

 

 どの方向、どのスピード、どの時間帯に試しても、結果は同じ。

 

 ある一定の半径から先には、足を踏み入れる事すらできない。ちょうど中心領域だけ、別の空間になっているかのようだ。

 

 エインズワースは置換魔術に特化した家系。その魔術を最大限に使用し、クレーター中心部に結界を張っているのだ。

 

 一定の範囲を立ち入りできなくする形で。

 

 この結界の突破を試みた士郎だったが、その全てにおいて失敗した。

 

 そもそも士郎は「魔術使い」であって、本格的な「魔術師」ではない。その為、専門外の魔術の知識は皆無に等しい。

 

 士郎には、エインズワースが精緻を凝らして作り上げた結界を突破する手段は無かった。

 

 そうしている内に、時間だけが無為に過ぎて行った。

 

 こうしている間にも、美遊が・・・・・・

 

 大切な妹が犠牲になっているかと思うと、気が気ではない。

 

 だが、

 

 実際問題として士郎は何をする事も出来ない。

 

 美遊を救い出す事も、戦う事も、ジュリアンに会う事すらできないでいる。

 

 自分が生かされたと言う事は、士郎にとって何の救いにもならない。

 

 要するにエインズワースにとって士郎は、もはや相手をする価値すら無く、殺す必要性すら無い、路傍の石にも劣る存在と言う事だ。

 

 そのジュリアンはと言えば、もはや学校に来る事も無くなっていた。

 

 美遊を奪取するという目的を達した以上、もう仮初の居場所には用は無い、と言う事なのかもしれなかった。

 

 いずれにせよ、士郎は既に万策尽きている状況だった。

 

 あとはただ、聖杯戦争が推移するのを、横で指をくわえて見ている事だけしかできない。

 

 そして、この世界を救うために、美遊が人柱に供されるのを。

 

 失意のまま、家路へと戻る。

 

 あまりにも、無力だった。

 

 と、その時だった。

 

「あれ、衛宮先輩?」

「え?」

 

 背後から呼び止められる。

 

 ひどく、懐かしさすら感じる声に士郎は思わず振り返ると、そこには後輩の少女が、笑顔で佇んでいた。

 

「桜、どうしてここに?」

「買い物の帰りで・・・・・・偶然ですね、先輩」

 

 そう言って微笑む桜。

 

 ひどく、懐かしい気がした。

 

 考えてみたらあれ以来、部活には全く顔を出していない。そのせいで、桜や日比谷とは全く会う機会が無かったのだ。

 

「あの、もしかして、このお屋敷が先輩のおうち、ですか?」

「あ、ああ・・・・・・・・・・・・」

 

 そう言えば、美遊の関係もあって、士郎は今まで友人を家に招いた事が無かった。

 

 初めて見る士郎の家に、桜も驚きを隠せない様子だ。

 

 そのせいか、士郎の口から出た言葉は、殆ど何気ない物だった。

 

「・・・・・・・・・・・・上がっていくか?」

 

 士郎としては他意は無い。

 

 たまたま会った後輩を誘ったに過ぎない。

 

 だが、心身ともに疲れ切っていた士郎は、無意識のうちに救いを求めていたのかもしれない。

 

 それ故に士郎は、自分の発言の意味について、深く考える事をしなかった。

 

「・・・・・・・・・・・・良いんですか?」

 

 躊躇うように尋ねる桜。

 

 対して、士郎は、何も考えずに頷きを返した。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 残骸を足元に見ながら、夢幻召喚(インストール)を解除する。

 

 同時に、少年は舌打ちを漏らした。

 

「こんなおもちゃで、僕を倒せるとでも思っているのかな?」

 

 言いながら、靴の裏で残骸を蹴飛ばす。

 

 マネキン人形に適当な武器を持たせた、文字通りの「操り人形」。

 

 見た目こそ不気味だが、落ち着いて戦えば何ほどの脅威でもない。少数なら英霊化も必要なかった事だろう。

 

 刺客にしては、ずいぶんとお粗末に過ぎた。

 

 と、

 

「なに、それはほんの小手調べさ」

 

 突然の物言いに、振り返る少年。

 

 その視線の先に佇む男を見て、目を細める。

 

「あなたは・・・・・・・・・・・・」

 

 それは、先日対峙した男。

 

 吸血鬼じみたおどろおどろしい雰囲気を持った男は、口元に笑みを浮かべて佇んでいた。

 

「最低限の機能のみを置換させた人形。この程度は児戯の類に過ぎんさ」

 

 そう言いながら、男は少年の方をじっと見据える。

 

 その全身から湧き出るおそましい殺気が、まるで蛇のように這い寄ってくるのが分かる。

 

「さて、用件は、言わずとも分かっているだろう?」

 

 言いながら、男は少年に対して右手を差し出す。

 

「君の持つカードをこちらに渡してもらおうか」

 

 問いかけは、先日と同じ。

 

 もし、もう少し早かったら、少年は要求に応じていたかもしれない。

 

 だが、

 

「断る、と言ったら?」

 

 尋ねる少年に対し、

 

 男は僅かに口の端を歪めて見せる。

 

「抵抗すると言うのかね?」

 

 どこか、驚いたような口調。

 

 だが同時に、こういう事態を予測していたのだろう。落ち着き払った様子で佇んでいる。

 

「まさかと思うが、勝てると思っているのかね、我々エインズワースに?」

「狩られる側が、いつまでも獲物の立場に甘んじているとは思わない方が良いですよ」

 

 挑発的に言いながら、ポケットからカードを取り出す。

 

 掲げられたカードを見て、男は薄笑いを強めた。

 

「我々が生み出したカードを使い、我々に牙をむくか。浅ましいにも程がある。野良犬にも一片の矜持があろうに、君にはそれすらも無いと見える」

「自分たちが磨いだ牙が、いずれ自分たちの喉を掻き切る事になる。その時になって後悔すれば良いじゃないですか」

 

 言いながら、魔術回路を起動する少年。

 

「僕はあの人たちを守る。たとえ、地獄に落ちてでも・・・・・・・・・・・・」

 

 決意と共に、相手を睨む。

 

 対して、男は薄ら笑いを浮かべながら、

 

 手を胸の前へと掲げる。

 

「良い覚悟だ。ならば、こちらも手加減無しで行くとしよう」

 

 同時に、

 

 男の中で魔力が走るのを感じた。

 

 身構える少年。

 

 次の瞬間、

 

夢幻召喚(インストール)!!」

 

 叫ぶ男。

 

 同時に、魔力が衝撃波となって、周囲に撒き散らされる。

 

 顔を覆う少年。

 

 その視界の中で、

 

 男の姿が一変するのを見た。

 

 漆黒の外套を羽織り、顔の色は色素が抜けたように白く染まる。

 

 目は異常なまでに輝きを増し、剣呑な光を帯びる。

 

 まるで、本当に吸血鬼と化したかのようだ。

 

「・・・・・・・・・・・・そう言えば、まだ名乗ってなかったね」

 

 「変身」を終えた男は、ゆっくりと前に出ながら少年に告げる。

 

「我が名はゼスト・エインズワース。君に恐怖と、絶望を与える者だ」

 

 言いながら、ゼストと名乗った男は前へと出る。

 

 対して、

 

 少年はいぶかしむように男を見る。

 

 驚いたのは、男の名前

 

 男は今、間違いなくエインズワースを名乗った。

 

 仮にも聖杯戦争に参加する者なら、悪戯にその名を名乗ったりはしないだろう。となると、本当にエインズワースの者と言う事になる。

 

 しかも、それだけではない。

 

 今、男は少年の前の間で、カード無しに夢幻召喚(インストール)したように見えた。

 

 エインズワースが作り出した英霊憑依システムは優秀だ。最上と言ってもいいくらいに。

 

 彼らはお得意の置換魔術で、英霊の魂をカードの写し取り、それを更に魔術師に転写することまで可能にしていた。

 

 つまり、このカードを使えば、魔術師は英霊その物になる事ができる。

 

 今、少年の目の前にいるゼストもまた、いずれかの英霊をその身に憑依させているのだ。

 

 だが、当然だが、彼らも彼ら自身が作り出したゲームのルールから逃れる事は出来ない。

 

 英霊を憑依させるには、必ずクラスカードが必要になるはずなのだ。

 

 だが今、ゼストはそのルールを無視して夢幻召喚(インストール)して見せた。

 

 これが果たして、エインズワースに連なる者のみに許された特権なのか? それとも・・・・・・

 

 だが、思考するのもそこまでだった。

 

「さあ、存分に味わいたまえ、恐怖を!!」

 

 叫ぶと同時に、手にした長槍を構えて斬り込んでくるゼスト。

 

 対して、少年も迎え撃つように叫んだ。

 

夢幻召喚(インストール)!!」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「ごちそうさまでした、先輩」

 

 笑顔でそう言って挨拶する桜。

 

 桜と一緒にいられたのは、楽しいひと時だった。

 

 桜が用意した食材で士郎が腕を振るい、2人で食卓を囲んだ。

 

 本当に。

 

 士郎にとって、ほんの一瞬であったとしても、何もかも忘れる事ができたのは、良かった事だろう。

 

 聖杯戦争の事も、

 

 エインズワースの事も、

 

 ジュリアンの事も、

 

 そして、

 

 美遊の事も。

 

 全て、忘れる事が出来た。

 

 張り詰めていた糸を、ほんの少しだけ緩める事が出来たのは、士郎にとって間違いなくプラスに働いていた。

 

「本当に、送らなくて良いのか?」

「大丈夫です。うちも深山町ですから」

 

 そう言って、桜は微笑む。

 

 その笑顔を見るだけで、凍り付いていた士郎の心に温かいものがともるようだった。

 

「ごめんな。もう暫く学校へは行けないと思うけど、桜さえよかったら、また・・・・・・」

 

 うちに遊びに来てくれて構わないから。

 

 そう続けようとした士郎。

 

 だが、そんな士郎の言葉を遮るように、桜は俯きながら言った。

 

「・・・・・・嬉しいですけど、これが最後です」

 

 どこか突き放すような言葉。

 

 だが、それに気づかずに、士郎は続けようとする。

 

「遠慮しなくても良い。俺も、その・・・・・・桜が来てくれた方が・・・・・・」

「最後なんです」

 

 今度は、先程よりも少し強く、桜は言った。

 

 悲しげな顔を隠すように、桜はそっと、手にした傘を傾ける。

 

 本当は、

 

 本当を言えば、桜だってずっとこうしていたい。

 

 大好きな先輩と、いつまでも一緒にいたい。

 

 一緒に学校に行って、部活をして、一緒に帰って、そして「また明日」と挨拶を交わす。

 

 そんな「当り前」の日常を謳歌したい。

 

 それこそが、桜にとっては宝石のように大切な物だった。

 

 だが、

 

 現実は、そんなささやかな願いすら、押し流そうとしていた。

 

「先輩・・・・・・・・・・・・」

 

 桜の手から、傘が落ちる。

 

 その下から、涙を浮かべた少女の顔が現れた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「聖杯戦争が、始まりました」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「え・・・・・・・・・・・・」

 

 一瞬、桜が何を言っているのか分からなかった。

 

 聖杯戦争。

 

 それはエインズワースが仕組んだ美遊(聖杯)を巡る魔術儀式。

 

 それがなぜ、桜の口から出てくるというのか?

 

 無関係な桜の口から・・・・・・

 

 無関係?

 

 桜が?

 

 そこでふと、

 

 士郎は唐突に思い出す。

 

 目の前にいる桜。

 

 自分を慕ってくれる、大切な後輩。

 

 だが、

 

 実のところ、自分は桜の事を何一つ知らないのだと言う事を。

 

 桜は自分にとって大切な後輩。

 

 それで良いと思っていた。

 

 否、

 

 それで良いと勝手に思い込んでいた。

 

 なぜなら、間桐桜は衛宮士郎にとって「魔術師」でも「正義の味方」、さらに言えば「美遊の兄」でもなく、「ただの衛宮士郎」でいられる唯一の場所だったから。

 

 だが、

 

 その想いは今日、今この場で、打ち砕かれた。

 

 他ならぬ、桜自身の手によって。

 

「聖杯戦争のシステムを作った、俗に『始まりの御三家』と呼ばれる魔術師の家系。その内の一つが『間桐』。つまり、私の家なんです」

「何を・・・・・・桜、何を言っているんだ・・・・・・・・・・・・」

 

 訳が分からず、混乱する士郎。

 

 信じられなかった。

 

 信じたくなかった。

 

 桜が魔術師で、しかも聖杯戦争に関わっていた、などと。

 

「残念です・・・・・・」

 

 桜は士郎を見ながら、少し寂しそうに告げる。

 

「もっと、取り乱してくれると思ったのに・・・・・・」

「何でかな?」

 

 対して、士郎は力なく空を見上げる。

 

 降りしきる雪の先で、微かに星が瞬くのが見えた。

 

 確かに、驚いた。

 

 まったくの無関係だと思っていた桜が、実は自分を取り巻く異常事態の中心にいたなどと。

 

 信じたくなかった。

 

 裏切られた、とさえ一瞬思った。

 

 だが、

 

「もう、失う事になれたのかもしれない・・・・・・・・・・・・」

 

 父を失い、妹を失い、自分の正義まで失おうとしている。

 

 そこに今また、後輩を失おうとしている。

 

 ある意味、「失う」事が、士郎の心の中でマヒしているのかもしれなかった。

 

「失ったって、思ってくれるんですね」

 

 そう言って、桜は力なく笑う。

 

 失った、と思うと言う事は、この段になっても尚、士郎が桜の事を大切に思っている何よりの証拠だった。

 

 良かった。

 

 心の中で、そう思う。

 

 桜はそっと、コートのポケットから1枚のカードを取り出した。

 

 タロットを思わせるカードの表面には、弓を構えた兵士の姿が描かれている。

 

「これはサーヴァントカードや、クラスカードと呼ばれる魔術礼装です。聖杯戦争に使用する為にエインズワースが用意した物ですが、これを使えば、神話に出てくる英霊の力を実際に使用する事が出来ます」

 

 クラスカードは、原則的に1枚に付き1体の英霊が対応している。

 

 間桐も聖杯戦争の参加者である為、エインズワースがよこしてきたのだ。

 

「このカードの英霊は、『英雄王ギルガメッシュ』。間違いなく、最強の1枚でしょう」

 

 メソポタミアはシュメールの都市、ウルクの王。

 

 あまねく英霊達の頂点に立つ英雄王。

 

 無限の財を手にし、それを振るう事を許された唯一無二の存在。

 

 「最強の英霊」という存在がいるとすれば、それはギルガメッシュを置いて他にはいないだろう。

 

 確かに、ギルガメッシュならば、聖杯戦争の勝利は決まったような物である。

 

 その最強の切り札を、

 

 桜は士郎に差し出した。

 

「これを、先輩に差し上げます。美遊ちゃんを助け出したいなら、これを使って聖杯戦争の勝者になってください」

「桜・・・・・・どうして?」

 

 聖杯戦争の関係者なら、桜が美遊の事を知っていたとしても不思議ではない。

 

 そして、美遊と士郎の関係についても。

 

 だが、それを知って尚、桜が「ギルガメッシュ」のカードを差し出す理由が判らなかった。

 

 そのカードは桜にとって、切り札以外の何物でもないはずなのに。

 

 それを手放す事の意味が分からなかった。

 

「可能性は限りなく低くても、このカードなら不可能じゃありません」

 

 けど・・・・・・・・・・・・

 

 桜は震える声で続ける。

 

「けど・・・・・・もう一つだけ、許されるなら・・・・・・許してくれるなら・・・・・・」

 

 そう言った、

 

 次の瞬間、

 

 桜は、士郎の胸の中に飛び込んだ。

 

 驚く士郎。

 

 その胸の中で、桜は嗚咽を交えながら言った。

 

「逃げてください。魔術の事も、美遊ちゃんの事も忘れて・・・・・・この街を出て、どこか遠くへ・・・・・・先輩がそれを選んでくれるなら、私も一緒に・・・・・・・・・・・・」

 

 後はもう、言葉にならなかった。

 

 だが、

 

 士郎は考えもしなかった。

 

 世界を救うでもない。

 

 美遊を救うでもない。

 

 自分に「第三の選択肢」があるなどと。

 

 何もかも捨てて、

 

 何もかも忘れて、

 

 桜と一緒に逃げる。

 

 元より、自分には何もない。

 

 この世界を救うという使命も、妹という存在も、自分が勝手に背負ったと思い込んでいた事だ。

 

 それらを捨て去ったところで天涯孤独である事に変わりはない。

 

 いや、

 

 桜。

 

 自分を慕ってくれる、この少女が一緒に来てくれるというのなら、どこへ行こうが、ただそれだけで幸せな事だった。

 

 ただ、

 

 自分に縋りつく少女の肩。

 

 これを掴むだけで良い。

 

 ただそれだけで、自分は幸せになれる。

 

 それだけで、

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

『かあさま、いがいに、だっこされたの、はじめて』

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 不意に、脳裏に浮かんだ言葉が、士郎の手を止めた。

 

 それは、のちに妹になる少女と初めて出会った時に言われた言葉。

 

 美遊は自分の腕に抱かれながら、静かな瞳でそう言った。

 

 自分の胸に縋りつきながら。

 

 美遊。

 

 大切な妹。

 

 自分がここで投げだしたら、あの子はどうなる?

 

 守ると誓った、大切な妹は?

 

「・・・・・・・・・・・・」

 

 未練を断ち切るように、士郎はこぶしを握り締める。

 

 美遊を、

 

 あの子を置いて、自分だけ幸せを掴む事なんて、できない。

 

「桜、ごめん」

 

 胸に広がる申し訳なさを吐き出すように、士郎は告げる。

 

 対して、桜はただ黙って、士郎の言葉を待つ。

 

 ある意味、彼女も士郎が、どのような選択をするのか、薄々感づいていたのかもしれない。

 

「俺は、お前とは・・・・・・・・・・・・」

 

 言いかけた。

 

 次の瞬間、

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 トスッ

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 突然聞こえた、空気の抜けるような小さな音。

 

「・・・・・・・・・・・・え?」

 

 驚いて、桜が目を見開く。

 

 その肩に、

 

 一本のナイフが、突き刺さっていた。

 

 

 

 

 

 繰り出された槍の一閃。

 

 致死を思わせる迫撃。

 

 その一撃を持って、相手の命を刈り取らんとする死神の刃は、

 

 しかし次の瞬間、防ぎ止められる。

 

「・・・・・・・・・・・・ほう?」

 

 一変した少年の姿を見て、ゼストは感心したように声を出す。

 

 視界の中で少年は、手にした剣を掲げてゼストの槍を防いでいる。

 

 銀の甲冑に、青い装束。

 

 手にした剣は、逆巻く大気に遮られて黙視する事は出来ない。

 

 横なぎに振るわれる不可視の斬撃が、ゼストを襲う。

 

 対して、とっさに後退して斬撃を防ぐゼスト。

 

「・・・・・・・・・・・・成程」

 

 着地して少年と対峙しながら、ゼストは納得したように呟く。

 

「英霊の中でも最優とされる剣士(セイバー)。中でも、君は最強と言っても良い存在だ」

 

 その言葉に応えるように、少年も剣を構える。

 

 ブリテンに名高き騎士王アーサー・ペンドラゴン。

 

 その勇ましく勇壮な戦姿が、そこにあった。

 

 

 

 

 

第35話「聖杯戦争開戦」      終わり

 



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第36話「月も無く、星も無く」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 打ち鳴らす剣戟。

 

 激突の火花は、逢魔が時にはじけて消えていく。

 

 冥府の牙を思わせる槍の刺突。

 

 鋭きその様を少年は見据え、

 

 不可視の刃を旋回させる。

 

 偃月の如く風を巻く刃は、槍の穂先を的確に捉えて弾く。

 

「クッ!?」

 

 槍を弾かれ、思わず蹈鞴を踏むゼスト。

 

 体がのけぞり、大きく隙を晒す。

 

 そこへ、剣を返した少年は、切っ先を向けて容赦なく斬り込む。

 

「フッ!!」

 

 突き込まれる刃は、やはり黙視する事能わず。

 

 ゼストはただ、本能が命ずるままに後退する事しかできなかった。

 

「・・・・・・・・・・・・思ったよりもやるね」

 

 呻き声と共に、言葉を告げるゼスト。その言葉の端はしに、苛立ちが混じっているのが分かる。

 

 共に英霊化した状態。

 

 この状態で、まさか自分が押し負けるとは思っていなかったようだ。

 

「さすがは最優の英霊、剣士(セイバー)。その中でも最強と称される騎士王が相手では、分が悪いか」

 

 流石はエインズワースに連なる者。既に、少年が纏った英霊の正体について看破していた。

 

 かつてブリテンを治めたとされる伝説の騎士王アーサー・ペンドラゴン。

 

 人類史に刻まれた最強の聖剣の担い手にして最高の剣士。

 

 その騎士王をその身に下した少年の戦闘力は、正に「破格」と言ってよかった。

 

 エインズワースにとって痛恨だったのは、工房に潜入を試みた魔術協会の刺客に、あのカードを奪われた事だった。

 

 それが無ければ、カードはエインズワースにとって最強の切り札足りえていた筈なのだ。

 

「まあ、良い」

 

 呟きながら、槍の穂先を下げるゼスト。

 

 その余裕を見せる態度を前に、しかし少年は警戒を解かずに剣を構え続ける。

 

 相手は聖杯戦争の開催者たるエインズワース。カードの特性やそれを利用した戦い方を、自分よりも理解している事だろう。

 

 ならば、どんなの有利な状況であっても油断はできなかった。

 

「さて・・・・・・・・・」

 

 言いながら、ゼストは少年を睨む。

 

 何か来る。

 

 そう感じて、警戒を強める少年。

 

「まずは、小手調べと行こうかね」

 

 ゼストがそう告げた。

 

 次の瞬間、

 

 強烈な魔力が、周囲一帯を覆いつくすのを感じた。

 

「これはッ!?」

 

 驚愕し、うめき声を上げる少年。

 

 対してゼストは、ニヤリと笑みを浮かべる。

 

「頼むから、すぐには終わらないでくれ給えよ」

 

 言った瞬間、

 

 魔力がはじけるように増大した。

 

 殆ど本能的に飛びのく少年。

 

 それと同時に、ゼストは動いた。

 

「さあ、地獄の具現だ。その不徳に相応しい罰を受けよッ!!」

 

 迫りくる恐怖。

 

 同時に、戦慄の事態が巻き起こる。

 

串刺城塞(カズィクル・ベイ)!!」

 

 ゼストが言い放つと同時に、

 

 地面から突き立てられる、無数の杭の群れ。

 

 それらは辺り一帯を呑み込むように出現。全てが噛み砕かれている。

 

 まるで魔獣の顎と化したかのような光景。

 

「これは、酷いな・・・・・・」

 

 その様を目の当たりにして、少年は息を呑む。

 

 地面から突き出した杭の一本一本、全てが致命傷である事は見ればわかる。

 

 もし一発でも食らっていたら、少年の命は無かった事だろう。

 

「・・・・・・ルーマニアの大英雄。自国の領土を侵したオスマントルコ軍2万を、悉く串刺しにして国境に曝した悪鬼。あの吸血鬼のモデルにもなった大公」

「・・・・・・・・・・・・ほう」

 

 少年の言葉に、ゼストは感心したように声を出す。

 

 自身の英霊は割と有名な方だ。この光景を見れば、少し詳しい人間ならすぐに想像つく事だろう。

 

「ヴラド三世。噂に違わぬ光景ですね」

 

 少年は感心したように告げる。

 

 アーサー王に比べれば、いささか格は落ちるとは言え、それでも厄介極まりない相手である事は間違いなかった。

 

「その必殺の宝具をかわす君も、なかなかな物ですよ。まあ、まだほんの序の口と言ったところですけどね」

 

 言いながら、槍を構えるゼスト。

 

 先日の戦いではまんまと逃げられたが、今日は逃がさない。最後まで付き合ってもらう。

 

 そんな意思表示を現すように、槍の穂先を少年へと向けた。

 

 対抗するように、不可視の剣の切っ先を向ける少年。

 

 次の瞬間、

 

 両者は同時に駆けた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 士郎の目の前で、後輩の少女が崩れ落ちる。

 

 いったい、何が起こったのか?

 

 彼女の精いっぱいの告白に背を向けた士郎。

 

 その直後の凶行に、思わず頭が真っ白になる。

 

「桜!!」

 

 とっさに桜を抱き留める士郎。

 

 桜の身体が士郎の腕にのしかかり、思わずその場で膝を突く。

 

 少女の肩からは、鮮血が噴き出ている。

 

 致命傷ではない物の、かなり深い傷なのはわかった。

 

 その時、

 

「軽いなあ・・・・・・軽すぎる。お前は本当に、尻の軽い女だよ、桜」

 

 雪を踏む音と共に、どこか音階の外れたようないびつな声が聞こえてきた。

 

 顔を上げる士郎。

 

 果たしてそこには、見覚えのない少年が立っていた。

 

 歳の頃は士郎と同世代程度。細身で、癖のある髪をしている。

 

 目付きはどこか軽薄で、爬虫類のような不気味さを感じさせた。

 

「お兄ちゃんがキョ・・・・・・キョ・・・・・・強制? 共生? 矯正・・・・・・してやらないとなァァァ」

 

 這いずるような声を発する少年。

 

 対して、士郎は傷ついた桜を守るように前へと出る。

 

「に、兄さん・・・・・・・・・・・・」

 

 士郎の腕の中で、苦し気な声を出す桜。

 

 その言葉に、士郎は驚愕して相手を見る

 

「兄さんって・・・・・・お前は桜の兄なのか!? なら、どうしてこんな事をする!?」

「そうだよ」

 

 問いかける士郎に対し、少年はにこやかに笑いながら答えた。

 

「僕こそが間桐家の正式な後継者。名前は間桐・・・・・・マトウ・・・・・・・・・・・・マトウ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・何だっけ?」

 

 明らかに壊れているとしか思えない言動。

 

 こいつが本当に、桜の兄なのか?

 

 混乱を来す士郎には、その判別ができない。

 

 だが、考えている時間は無かった。

 

「まあ良いか。取りあえず、こいつらを殺せば何か思い出すさ」

 

 言いながら、手にした紐を勢いよく振り回し始める少年。

 

 その紐の先には鋭い刃を持つナイフが取り付けられている。

 

 どうやらこれが先程、桜の肩に突き刺さった物らしい。

 

 投げつけられるナイフ。

 

 対して、

 

 士郎は落ちていた桜の傘をとっさに拾うと、自身の魔術回路を起動する。

 

同調開始(トレース・オン)!!」

 

 発動される強化魔術。

 

 開いた傘に魔力が走り、ナイロンの布地が強度を増す。

 

 即席の盾と化す傘。

 

 そこへ、投擲されたナイフが激突する。

 

 衝撃と共に、一瞬で砕け散る傘。

 

 しかし、ナイフの威力を減殺し、軌道を逸らす事には成功した。

 

「グッ!?」

「先輩!!」

 

 衝撃で尻餅を突く士郎に、桜は自分の怪我もいとわずに駆け寄る。

 

 対して、

 

 桜の兄を名乗る少年は、いら立ったように声を発した。

 

「ハァ? おいおい何だよそれ・・・・・・おかしいだろ。どうして防ぐんだよ? 僕の攻撃をさあ、どうして防ぐんだよォォォォォォ!?」

 

 紐を引いて引き戻したナイフ。

 

 少年の手のひらに収まった瞬間、それは1枚のカードに戻る。

 

 覆面をした暗殺者が描かれたカード。

 

 同時に、魔力が不規則に走り、少年の姿が変化する。

 

 やせこけた裸の上半身。腰回りにはボロボロの腰布を覆い、口回りには髑髏の仮面を嵌めている。

 

 足が異様に長く、右腕は紐状で5本に枝分かれし、それぞれの先端にナイフが括りつけられている。

 

 見るもおぞましい姿に変化した少年。

 

 その姿に、士郎は思わず戦慄する。

 

 どう考えてもまともな状況ではない。正面からやり合うのは危険だった。

 

「こっちだ、桜!!」

 

 とっさに少女の腕を引き、邸内へと駆けこむ士郎。

 

 今はとにかく、逃げるしかない。

 

 幸い、衛宮邸は広い。それに僅かだが対魔術用の備えもある。うまく立ち回れば逃げる事も不可能ではないはずだ。

 

「あの男、一瞬で姿を変えたけど、佐連が英霊化って奴なのか!?」

「は、はい・・・・・・」

 

 問いかける士郎に対し、桜は荒い息のまま答える。

 

 そうしている間にも、肩の傷口からは鮮血が噴き出している。

 

「あれは暗殺者(アサシン)のカード・・・・・・気を付けてください先輩、あの英霊は・・・・・・」

 

 桜が言いかけた時だった。

 

 少女の背後。

 

 天井から逆さにぶら下がるように浮かび上がる、不気味な髑髏の仮面。

 

 既にナイフは振り翳されている。

 

「桜ッ!!」

 

 士郎はとっさに桜を抱きかかえるようにして、その場から飛びのくと、勢いを殺さずにガラス戸へと突っ込む。

 

 人間2人分の勢いで、砕け散る窓ガラス。

 

 士郎の身体には無数のガラス片が降り注ぐが、構わずに地面へと転がる。

 

「クッ!?」

 

 奔る痛みに、士郎は思わず顔を歪ませる。

 

 見れば、背中が斜めに斬り裂かれた。

 

 桜を庇った際に、少年に斬られたのだ。

 

「先輩ッ!!」

 

 自身を庇った士郎を気遣う桜。

 

 そんな2人を追うように、暗殺者(アサシン)の少年もまた、家の中から出てきた。

 

「さっきからさあ、何なんだよ、お前?」

 

 痛みをこらえて顔を上げる士郎を睨みながら、暗殺者(アサシン)の少年はいら立った声で言った。

 

「僕の邪魔ばっかりしやがって。心配しなくても、桜のあとでお前の事もちゃんと殺してやるからさあ、ちゃんと順番守れよなァァァ!!」

 

 残忍その物のセリフ。

 

 およそ、人としての感情をすべてそぎ落としたかのような存在がそこにいた。

 

「クッ ・・・・・・逃げろ、桜!!」

 

 痛みをこらえて士郎は叫ぶ。

 

 走る激痛をこらえ、必死に思いで立ち上がろうとする。

 

 せめて彼女だけでも助けないと。

 

 その想いだけが、今の士郎を支えていた。

 

「・・・・・・・・・・・・」

 

 唇を噛み締める桜。

 

 事こうなった以上、逃げる事は不可能。あの「兄」を倒さない限り、自分にも士郎も生き残る事は不可能だと断じる。

 

「私が兄さんを倒しますッ!!」

「へぇ・・・・・・」

 

 自身の前に立ちはだかる桜を見て、少年は嘲るように笑みを見せる。

 

「立派になったもんだなあ桜ァ!! 兄に楯突いたうえに『倒す』だって!? そこのナントカ君に誑かされたのかい? それともお爺様が死んだからって当主面してるのかいッ!? なんてなんてなんてなんてひどい妹なんだ!? 恐ろしくて悲しくて泣けてくるよ!! そんな妹は、やっぱり僕が殺してあげないとな!!」

 

 兄と名乗る少年の喚き散らす声を聴き流しながら、桜は手にした弓兵(アーチャー)のカードを掲げる。

 

 このカードを使い、戦うつもりなのだ。

 

「よせ、桜!!」

 

 反射的に叫ぶ士郎。

 

 もし本当に兄なら、桜を戦わせるわけにはいかない。

 

 自分にも妹がいるから言える。そんな悲しい事、桜にやらせることはできなかった。

 

「良いんです。兄さんはもう、とっくに死んでいますから」

 

 対して桜は、微笑みながら士郎に振り返る。

 

「それに、先輩には選んでもらえなかったけど、やっぱり大好きですから、私が守ります!!」

「桜ッ!!」

 

 叫ぶ士郎。

 

 対して、桜は振り返らず、己の魔術回路を起動させる。

 

 溢れる魔力が、手にしたカードへと注がれていくのが分かる。

 

「大丈夫です先輩。このカードなら・・・・・・絶対に敗けません!!」

 

 臨界に達する魔力。

 

 同時に、桜は叫ぶ。

 

夢幻召喚(インストール)!!」

 

 次の瞬間、

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 絶望と共に、沈黙が訪れた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「・・・・・・・・・・・・え?」

 

 茫然とする桜。

 

 桜の行った手順に間違いは無かったはず。

 

 本来なら、英霊をその身に纏い、戦う体勢が整ったはずなのだ。

 

 だが、現実にはカードは沈黙を保ったまま、桜の姿に変化が訪れる事も無かった。

 

 と、

 

「クッ ・・・・・・クッ ・・・・・・クックックッ」

 

 さも面白い漫談を聞いたかのように、くぐもった声を上げる暗殺者(アサシン)の少年。

 

 その笑いが哄笑に変わるのに、さして時間はかからなかった。

 

「ギャーハッハッハッハッハッハ!! ハーっハッハッハッハッハッハ!! どうしたんだい桜ッ!? まさかまさかと思うけど、夢幻召喚(インストール)できないのかい!?」

「そんな・・・・・・・・・・・・」

 

 茫然とする桜を見て、高笑いを上げる暗殺者(アサシン)の少年。

 

 桜の手の中にある弓兵(アーチャー)のカードは、まるで泥に付け込んだように黒く染まっていく。

 

「浅はかだったな桜ァ!! お前が裏切る事なんか、ジュリアン様は最初から想定済みだったんだよ!! そのお前にギルガメッシュのカードを渡すはずが無いだろ!! お前の持っているそれは、どの英霊にもつながっていない、正真正銘の屑カードなんだよ!!」

 

 「兄」の笑い声を聞き、愕然とする桜

 

 絶望が、支配する。

 

 もはや万策は尽きた。

 

「しょうがないな。お兄ちゃんがカードの使い方を教えてやるよ」

 

 そう言うと、枝分かれしたひも状になっている暗殺者(アサシン)の右腕がより合わさる。

 

 5本ある紐が寄り合わせられた時、そこには異様に太く長い、1本の腕が現れていた。

 

 その巨大な掌を、桜の胸に当てる暗殺者(アサシン)

 

 対して、桜は恐怖の為、もはや逃げる事すらままならない。

 

「桜、逃げろ!!」

 

 叫ぶ士郎。

 

 対して、

 

 最後に、僅かに振り返る桜。

 

「先・・・・・・輩・・・・・・」

 

 士郎と桜。

 

 互いの視線が、一瞬合わさった。

 

「ごめんなさ・・・・・・・・・・・・」

 

 最後まで言い切る事を、桜は出来なかった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 亡奏心音(ザバーニーヤ)

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 次の瞬間、

 

 桜の胸は、中央部分が大きくえぐられ、吹き飛ばされた。

 

 穴が開く、少女の体。

 

 その傷口からあふれ出た闇が、亡骸を包み込み、呑み込んでしまう。

 

 後には、少女が持っていた1枚のカードだけが残されるの身だった。

 

 自失したまま、手を伸ばす士郎。

 

 その手のひらの上に、カードが落ちてきた。

 

 疑いようは無い。

 

 士郎の大切な後輩である桜は死んだのだ。

 

 士郎の目の前で。

 

 士郎はまた、大切な物を守る事が出来なかったのだ。

 

「・・・・・・あれ? あれあれ? あれェェェ?」

 

 そんな中、暗殺者(アサシン)は、不思議そうに周囲を見回しながら呟く。

 

「僕・・・・・・何してたんだっけ? ていうか、桜はどこ行ったんだ?」

 

 その言葉が、

 

 士郎の胸をえぐる。

 

 ややあって、再び哄笑が巻き起こる。

 

「そっかそっかァァァァァァァァァァァァ 僕が殺しちゃったのかぁぁぁぁぁぁアァアァアハハハハハハハハハハハハ!! ギャハハハハハハハハハハハハ!!」

 

 唇を噛み占める士郎。

 

 あまりにも理不尽な現実が、そこにあった。

 

「・・・・・・・・・・・・なぜだ・・・・・・どうして、こんな」

 

 士郎の問いかけ。

 

 それに対する返答は、

 

「次はお前だ」

「がッ!」

 

 強烈な衝撃によって返された。

 

 サッカーボールのように吹き飛ばされ、庭にある土蔵の中まで転がり込む士郎。

 

 そんな士郎を追って、暗殺者(アサシン)も土蔵の中へと入ってくる。

 

「これから僕さ、聖杯戦争で色んな奴らを殺さなくちゃならないんだよね。だからさ、なるべく苦しませて殺してあげるから、練習台になってくれよ!!」

 

 言い放つと同時に、暗殺者(アサシン)は解いた右腕を鞭のようにしならせて、士郎へ襲い掛かった。

 

 顔を上げる士郎。

 

 その瞳には、明確な憤りを浮かぶ。

 

 暗殺者(アサシン)はなぶる様にナイフを振るい、士郎の体を一寸刻みに斬り裂いていく。

 

 一息には殺さず、時間をかけて息の根を止めるつもりなのだ。

 

 鮮血が土蔵の中に舞い、

 

 激痛がとめどなく溢れる。

 

 しかしそれでも尚、

 

 士郎の中では、醒めない熱のような怒りが湧き続けていた。

 

 自分はこんな所で終わるのか?

 

 こんな物が、自分の歩いて来た道の終点なのか?

 

 親友に裏切られ、

 

 美遊を奪われ、

 

 桜を殺され、

 

 そして今、自分の命も奪われようとしている。

 

 

 

 

 

『僕は、正しくあろうとして、際限なく間違いを重ね続けた。そしてどうしようもなく行き詰った果てに、都合の良い奇跡を求めたんだ』

『それは見えない月を追いかける、暗闇の夜のような旅路だった』

 

 

 

 

 

 かつて切嗣(ちち)が今わの際に言った言葉が、脳内に浮かぶ。

 

 切嗣の言葉の意味、その無念さ。

 

 それを今、士郎はようやく理解していた。

 

 この世全てを救おうと足掻き続けた果てが、全てを失う断崖だった。

 

 星の明かりも、月の明かりも

 

 最早、士郎には見えなかった。

 

 やがて、

 

 暗殺者(アサシン)の攻撃を前に、士郎は土蔵の床へと倒れ伏した。

 

 暗殺者(アサシン)は、そんな士郎の首を掴んで持ち上げる。

 

「まだ生きてる? まあ、どっちでも良いんだけどね。アサシン(カード)の使い方もだいたいわかって来たし、もう殺しても良いよね?」

 

 まるで虫を潰すかのように、あっさりと言ってのける暗殺者(アサシン)

 

 対して、

 

 士郎は全身の力を振り絞るようにして口を開いた。

 

「・・・・・・なあ教えてくれよ」

「あァン?」

 

 面倒くさそうに訝る暗殺者(アサシン)

 

 士郎は、全霊の力で相手を睨みつける。

 

「妹を、殺した気分は、どんなだ?」

 

 問いかける士郎。

 

 対して、

 

 暗殺者(アサシン)は哄笑と共に言い放った。

 

「射精の百倍は気持ちよかったぜ!? お前もやってみろよ!!」

 

 その一言で、

 

 士郎の中で残っていた、最後の理性が切れた。

 

 士郎を投げ飛ばす暗殺者(アサシン)

 

「じゃあな、結構楽しかったけど、そろそろ殺すから。えーっと、お前の名前、何だっけ?」

 

 言いながら暗殺者(アサシン)は、再び右腕をより合わせていく。

 

 桜を殺害した、あの長大な腕に変形する。

 

 その様子を、真っ向から睨みつける士郎。

 

 その手に握られているのは、桜が残した弓兵(アーチャー)のカード。

 

 どこにも繋がっていない屑カードを、士郎は握りしめる。

 

 

 

 

 

 

 既に士郎の行く末など、何もない。

 

 

 

 

 

 (奇跡)は無く、

 

 

 

 

 

 (希望)も無く、

 

 

 

 

 

 (理想)は闇に溶けた。

 

 

 

 

 

 だが、

 

 

 

 

 

 それでも、

 

 

 

 

 

 それなのに、

 

 

 

 

 

 まだ・・・・・・・・・・・・

 

 

 

 

 

 ()が、残っている!!

 

 

 

 

 

「ああ、そうだ、思い出した。そんじゃあ改めて、さようなら、衛宮」

 

 言い放つと、

 

 暗殺者(アサシン)は士郎を殺害すべく、蛇のようにしならせながら腕を伸ばす。

 

 次の瞬間、

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 迸る衝撃と共に、暗殺者(アサシン)の右腕は、半ばから斬り落とされた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「・・・・・・・・・・・・へ?」

 

 一瞬、茫然とする暗殺者(アサシン)

 

 その腕は半ばから斬り裂かれ、寄った状態からほつれ始める。

 

 次の瞬間、

 

「ぎゃぁぁぁぁぁぁああああああぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁッ!? う、腕ッ 腕ッ、ウデェェェェェェッ!? ぼ、ぼぼ、僕のッ 僕の腕がァァァァァァァァァァァァ!?」

 

 耳障りな悲鳴と共に、見苦しく地面に転がる暗殺者(アサシン)

 

 そんな中、

 

「・・・・・・・・・・・・これは、祈りじゃない」

 

 ゆっくりと立ち上がる士郎。

 

「祈りよりも、もっと独善的で、矮小で・・・・・・どうしようもなく、無価値な俺自身に向けた・・・・・・・・・・・・」

 

 一変する、少年の姿。

 

 漆黒のボディスーツに、腰回りと左腕には赤い外套。頭には同色のバンダナが巻かれ、その上から白い外套を羽織っている。

 

 手にした黒白の双剣を構え、言い放った。

 

「誓いだ」

 

 

 

 

 

第36話「月も無く、星も無く」      終わり

 



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第37話「暗夜行路」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「う、腕がァァァァァァ!! ぼ、僕の腕がァァァァァァッ!! 何でッ!? 何でだよッ!?」

 

 暗がりの中で醜く喚き散らす暗殺者(アサシン)

 

 無様に転げまわるその様を見据えながら、

 

 1人の弓兵(アーチャー)が立ち上がる。

 

 弓兵でありながら、その手に握られているのは黒白の双剣。

 

 士郎は冷めた目付きで剣を構え、斬り込むタイミングを見定める。

 

「・・・・・・何だよ、その目は?」

 

 対して、隻腕となった暗殺者(アサシン)も喚くのをやめ、ゆっくりと顔を上げて士郎を見る。

 

 睨み合う両者。

 

 次の瞬間、

 

「何なんだよ、お前はァァァァァァ!?」

 

 残った左手に短剣を構え、投擲する暗殺者(アサシン)

 

 唸りを上げて飛んで来るナイフ。

 

 対して士郎は、羽織っていた外套を払う。

 

 同時に強化魔術を発動して布を鋼鉄並みに強化。飛んできたナイフを振り払った。

 

「クッ!?」

 

 舌打ちする暗殺者(アサシン)

 

 対して、再び双剣を構えた士郎は、暗殺者(アサシン)目がけて疾走する。

 

「このッ 来るなッ 来るなッ!! 来るなァッ!!」

 

 焦ったように、立て続けにナイフを投擲する暗殺者(アサシン)

 

 その全てを弾いて、士郎は前へと出る。

 

 振り被る双剣。

 

 暗殺者(アサシン)を剣の間合いに捉えた。

 

 次の瞬間、

 

「キヒッ」

 

 仮面の下で、微かな笑みを浮かべた暗殺者(アサシン)

 

 同時に、士郎の背後から蛇のように伸びてきた複数の紐が、双剣の刀身に絡みつき、士郎の動きを封じてしまった。

 

 それは、先程切り落とした暗殺者(アサシン)の右腕だった。それがひとりでに伸び、士郎の剣に絡みついていたのだ。

 

「ッ!?」

 

 息を呑む士郎。

 

 対して、暗殺者(アサシン)は嘲笑しながら仕掛ける。

 

「甘いんだよッ 僕の腕は千切れても働き者なのさ!! お前の腕はどうだろうなッ!?」

 

 言い放つと同時に、暗殺者(アサシン)は右足に巻いていた布を排除する。

 

 驚いた事に、その下からは長い刀が出現した。

 

 足だと思っていた部分は、つま先に仕込んだ刀だったのである。

 

 振り翳す暗殺者(アサシン)

 

 対して、

 

 自身に迫る刃を見据える士郎。

 

 次の瞬間、

 

 クロスカウンター気味の拳が、暗殺者(アサシン)にさく裂した。

 

 別に難しい話ではない。

 

 剣が掴まれたなら、剣を放せばいい。

 

 ある意味「この英霊」にとって、武器は使い捨てに過ぎないのだから。

 

「グギャァァァァァァァァァァァァ!?」

 

 強烈な悲鳴と共に、土蔵の外まで吹き飛ばされる暗殺者(アサシン)

 

 そのまま庭まで吹き飛んで地面に転がる。

 

「うぐッ ・・・・・・キヒッ ・・・・・・聞いてないぞ、こんなの・・・・・・」

 

 痛みを堪えて顔を上げる暗殺者(アサシン)

 

 その視界に、ゆっくりと歩いてくる士郎の姿が映った。

 

「桜が持っていたのは間違いなく屑カードだったはずだ!! おかしいだろ・・・・・・夢幻召喚(インストール)なんてできるはずないんだ!! 誰なんだよ、その英霊(カード)はッ!?」

 

 見苦しく問いかける暗殺者(アサシン)

 

 対して、士郎は淡々とした口調で口を開いた。

 

「・・・・・・別に・・・・・・ただの名も無き英霊崩れさ」

 

 実際のところ、この英霊の真名など、聞いたところで無駄な話だ。恐らく間違いなく、誰もその名を知らないだろうから。

 

 対して、暗殺者(アサシン)は虚ろな目で士郎を見る。

 

「そうか・・・・・・お前、繋げやがったな・・・・・・隠し持っていたんだろ、英霊に由来する聖遺物を。そいつで、屑カードを英霊の座に繋げやがったんだ!!」

 

 勝手に結論付けてわめきたてる。

 

「そんなのずるいじゃないか・・・・・・ずるい・・・ずるいずるいずるい・・・・・・卑怯者め!! みんないっつも、僕をバカにしやがって!!」

 

 そんな暗殺者(アサシン)を放っておいて、士郎は庭の一角に歩み寄ると、そこに落ちていた物を拾い上げる。

 

 それは桜が首に巻いていたマフラーである。彼女の身体が消滅しても、これだけはその場に残っていた。

 

 そう言えば、

 

 思い出す。

 

 桜は随分と寒がりで、冬は絶対にマフラーが手放せないと語っていた事を。

 

「・・・・・・・・・・・・おい、お前」

 

 そんな士郎の背中に、暗殺者(アサシン)が苛立ったように語り掛ける。

 

「何だよ、その余裕たっぷりって感じの態度は? まさかと思うけどお前、まさかまさかまさか、お前、僕より強くなった気でいるのか?」

 

 おどろおどろしく告げる暗殺者(アサシン)

 

 対して、士郎はゆっくりと振り返る。

 

 感傷に浸るのはこれまで。

 

 これ以上、あの身勝手な声を聞く事に堪えられそうになかった。

 

「お前さ、暗殺者(アサシン)、むいてないよ」

 

 暗殺者(アサシン)なら暗殺者(アサシン)らしく、闇に潜んで奇襲でもかければいい物を。

 

 それを正面から堂々と姿を晒し、馬鹿みたいに喚き散らしている辺り、ミステイクも甚だしかった。

 

 もっとも、

 

 あえてこのタイミングで指摘する当たり、士郎の言動には多分に挑発の要素が含まれているのだが。

 

 果たして、

 

 暗殺者(アサシン)はまんまと乗って来た。

 

「お前も僕をッ!!」

 

 体中から湧き出る触手。

 

 先に斬り飛ばされた右腕が再生し、更に上半身全体を覆っていく。

 

「バカニスルノカァァァァァァァァァァァァ!!」

 

 メキメキという鈍い音と共に、それらが束ねられ、結び付けられ、巨大な筋繊維が形成される。

 

 現れる、異形の巨人。

 

 異様に巨大な上半身を持ち、背は衛宮邸の屋根に届くほどもある。

 

 腕は巨大で、大木を連想させる。

 

 首は見当たらず、代わりに胴体の中央付近に髑髏の仮面が僅かに見えている。

 

 ひたすら醜悪としか言いようのない怪物が、立ち上がる。

 

「ソウヤッテイッツモイッツモ、ミンナデボクヲバカニシヤガッテェェェェェェェェェェェェ!!」

 

 巨躯を誇る暗殺者(アサシン)

 

 その巨体はゆうに、士郎の5倍を超え巨大な羆を連想させる。

 

 勿論、その巨腕から振り下ろされる威力は、熊の比ではないだろう。

 

 巨大化した暗殺者(アサシン)が、明確な殺意を士郎へと向ける。

 

「グチャグチャニヒキサイテヤルヨォォォォォォォォォォォォ!!」

 

 言い放つと同時に、暗殺者(アサシン)は、その巨体から無数の触手を伸ばす。

 

 一斉に士郎に殺到する触手の群れ。その一本一本の先端には、鋭い爪が光る。

 

 大雑把なように見えて、その一撃一撃が、全て人体の急所を狙っている。

 

 大味な巨体に比べて、随分と精密な攻撃をするものである。

 

 だが、

 

 英霊化して弓兵(アーチャー)そのものと化した今の士郎にとって、そんなものは脅威でもなんでもなかった。

 

投影開始(トレース・オン)!!」

 

 詠唱と同時に、

 

 士郎の両手に、黒白の双剣が作り出された。

 

 干将・莫耶。

 

 それは二対一刀の別ち難い夫婦剣。

 

 剣の柄を握った士郎。

 

 次の瞬間、

 

 疾風の如く動いた。

 

 飛んで来る無数の触手を切り払い、打ち払い、タダの一撃たりとも命中を許さない。

 

 触手の中には背後に回り込もうとする物もある。

 

 だが、無駄だった。

 

 士郎は一撃たりとも見逃す事無く、全て撃ち落としていく。

 

 驚愕すべき技量だった。

 

 黒白の双剣は絶対の壁となり、暗殺者(アサシン)の攻撃を防ぎ止める。

 

 暗殺者(アサシン)は焦ったように攻撃の手を増やすが無駄だった。

 

 士郎はその全てを叩き落しながら駆ける。

 

 同時に、複数の干将莫邪を空中に投影。矢のように一斉に打ち出す。

 

 放たれる刃。

 

 狙いを定める必要すらない。

 

 その全てが、暗殺者(アサシン)の巨体に突き刺さる。

 

 更に、手にした双剣も、暗殺者(アサシン)の体の真ん中に突き立てる士郎。

 

 全ての攻撃が命中。

 

 だが

 

「ンダソリャ・・・・・・」

 

 暗殺者(アサシン)は、何事も無かったように腕を振り上げる。

 

「カユインダヨォォォォォォ!!」

 

 振り下ろされた腕が地面をたたき割るほどの威力で叩きつけられる。

 

 とっさに後退する事で回避する士郎。

 

 そこへ、暗殺者(アサシン)が追撃を駆けるべく突進してくる。

 

「ボクガ・・・・・・ボクガ最強ナンダ!! ジュリアン様カラ授カッタ、コノカードサエアレバ、僕コソガ最強ナンダ!! ミナゴロシニシテヤルゥゥゥゥゥゥ!!」

 

 喚き散らす暗殺者(アサシン)

 

 対して、

 

「そんな物が・・・・・・」

 

 士郎は冷静に見据えながら投影魔術を起動。

 

 手には再び、干将莫邪が作り出される。

 

「最強な訳ないだろ」

 

 皮肉な口調と共に斬りかかる士郎。

 

 駆け抜ける士郎。

 

 同時に、投影した干将と莫耶を、次々と投擲し暗殺者(アサシン)へ突き立てていく。

 

 対する暗殺者(アサシン)はと言えば、体中に黒白の双剣を突き立てられ、さながら剣山の様相を成している。

 

 しかしそれでも尚、その動きが鈍る事は無い。

 

 どうやら本当に、士郎の攻撃は暗殺者(アサシン)にダメージを与えていないようだ。

 

 それでもかまわず、攻撃を続ける士郎。

 

 その脳裏には、自嘲めいた想いが駆け抜けていた。

 

 思えば、これほどの皮肉も無いだろう。

 

 士郎の手からは何もかもが滑り落ちた。

 

 尊敬する父も、

 

 胸に抱いた理想も、

 

 最愛の妹も、

 

 慕ってくれた後輩すらも、

 

 何もかも失い果てた。

 

 士郎は、何も守る事が出来なかった。

 

 そうして、

 

 空っぽになった今の自分だからこそ、

 

 初めて剣を握り、戦う事ができるのだ。

 

 全てを失った後、ようやく戦う力を得た士郎。

 

 皮肉と言えば皮肉すぎる結果だった。

 

 暗殺者(アサシン)の攻撃を回避し、頭上高く跳躍する士郎。

 

 手にした双剣を逆手に持ち替え、降下と同時にその刀身を暗殺者(アサシン)の頭頂部に突き立てる。

 

 やはり、ダメージは無い。

 

 すぐに動き出そうとする暗殺者(アサシン)

 

 だが、

 

 士郎は目を細める。

 

 ここまでは思惑通り。

 

 今までの攻撃は全て、無意味ではない。全て士郎の作戦の内だった。

 

 体内の魔術回路を起動。

 

 暗殺者(アサシン)に突き立てた全ての剣に命令を送る。

 

「爆ぜろ」

 

 低い声で言い放った瞬間、

 

 突き立てられた全ての剣が、一斉に巨大化。四方八方から暗殺者(アサシン)の巨体を刺し貫いた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 執拗に迫るゼストの攻撃。

 

 それに対し、少年も一歩も怯む事無く前へと進み続ける。

 

 地面から無数に生み出される杭の群れを、手にした不可視の剣で斬り飛ばしていく。

 

 距離を詰める少年。

 

 だが、

 

「無駄だよ」

 

 低い呟きと共に、ゼストは更に杭を生み出して少年の行く手を阻みにかかる。

 

 少年が10の杭を斬り飛ばせば、ゼストは100の杭を出す。

 

 100の杭をかわせば、200の杭が襲い掛かる。

 

 少年が斬り込めば斬り込むほど、杭はその数を増していく。

 

「噂に違わず、といったところかな・・・・・・」

 

 舌打ちしながら足を止める。

 

 正直、キリが無かった。

 

「どうした、もう終わりかね?」

 

 対してゼストは余裕ぶった態度で少年に尋ねる。

 

 しかし、その目は少年を睨み据え放そうとしない。いつでも攻撃を再開できるように備えているのだ。

 

 不可視の剣を構えなおす少年。

 

 戦闘続行に支障はない。

 

 英霊化した今、この程度の戦闘で息切れを起こす事は無い。数日間、休みなしで戦う事も不可能ではないだろう。

 

 だが、あの杭を突破しない事には、全てが徒労になってしまう。

 

「・・・・・・・・・・・・」

 

 どうする? いっそ、こちらも宝具を使用するか?

 

 少年が夢幻召喚(インストール)した剣士(セイバー)、アーサー王の宝具は、当然、聖剣エクスカリバーとなる。

 

 人類史に刻まれる限り、最強を謳われる聖剣をもってすれば、この杭の群れを吹き散らす事は難しい話ではないだろう。

 

 しかし、宝具は余りにも威力がありすぎる。この場で使うのは躊躇われた。

 

 その時だった。

 

 リィィィィィィィィィィィン

 

「ッ!?」

 

 突如、耳元で鈴が鳴るような音が響き渡り、少年は動きを止める。

 

 それは、警報だった。

 

 衛宮邸を見張るにあたり、万が一、異常事態が起こった時にすぐ駆け付けられるよう、監視用の魔術を屋敷の周囲に仕掛けておいたのだ。

 

 それが反応していると言う事は、衛宮邸で何か不測の事態が起こっていると言う事だ。

 

 と、

 

「どうした、来ないならこちらから行かせてもらおうか」

 

 言い放つと同時に、ゼストが仕掛ける。

 

 再び宝具を開放すべく、腕を振り上げた。

 

 次の瞬間、

 

「はァァァァァァァァァ!!」

 

 強烈な気合いと共に、少年は手にした剣を横なぎに振るう。

 

 一閃された剣先より魔力が放出され、ゼストの機先を制する。

 

 一瞬、宝具の解放を躊躇い、動きを止めるゼスト。

 

 その隙を逃さず、少年は踵を返した。

 

 衛宮邸で何かあったと言う事は彼、衛宮士郎の身に異変が起こった事を意味している。

 

 こんな所で遊んでいる場合ではなかった。

 

 そのまま一散に戦場を離脱する少年。

 

 その後ろ姿を、ゼストは冷めた目で見据えていた。

 

「・・・・・・・・・・・・逃げた、か」

 

 舌打ち交じりに呟く。

 

 互いに勝負は互角、戦いもこれから本格化しようという時に、興ざめな話である。

 

「・・・・・・・・・・・・まあ良い」

 

 呟きながら、夢幻召喚(インストール)を解除するゼスト。

 

 聖杯戦争が始まった以上、あの少年とはいずれまた、戦う事になるだろう。

 

 その時に決着を着ければいい。

 

「それに、もしかすると、アレを進めるのに、ちょうど良い頃合いかもしれんしな」

 

 そう呟くと、口元に笑みを浮かべる。

 

 聖杯戦争。

 

 7人の魔術師が、クラスカードに従い英霊を召喚する魔術儀式。

 

 主導するエインズワース家。

 

 そして、

 

 それに対抗すべく、剣を取る者たち。

 

 様々な思惑が複雑に絡み合い、戦いは混とんと化していく。

 

「面白くなって来たではないか」

 

 笑みを浮かべるゼスト。

 

 やがて、その姿は溶けるように闇の中へと消えていくのだった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 全身を巨大な刃に刺し貫かれ、苦悶の方向を上げる暗殺者(アサシン)

 

 その姿を見据えながら、士郎は大きく後方へ跳躍すると塀の上に着地する。

 

 投影した干将莫邪を乱雑に突き立てたのは、全てこの為。

 

 刃を一斉に大型化(オーバーエッジ)させる事で、大ダメージを与える事を狙ったのだ。

 

 その試みは成功し、暗殺者(アサシン)は断末魔の咆哮を上げている。

 

 しかし、

 

「あの状態で、まだあれだけ叫ぶのか・・・・・・」

 

 舌打ち交じりに呟く士郎。

 

 叫べると言う事は、まだ余力があると言う事だ。奴を倒すには、もう一手必要だろう。

 

「良いだろう、それなら・・・・・・」

 

 呟くと士郎は一振りの弓と、刃の捩じれた剣を投影で作り出す。

 

 アルスターの勇士、フェルグス・マック・ロイの佩刀カラドボルグを模した偽・螺旋剣(カラドボルグⅡ)

 

 その刀身は細長く変形し、矢のように先端が鋭く光る。

 

 士郎は螺旋剣を引き絞った弓につがえる。

 

「吹き飛ばしてやる、跡形もなく」

 

 宝具の持つ概念そのものを使い捨ての爆弾として扱う絶技、「壊れた幻想(ブロークン・ファンタズム)」。

 

 士郎の持つ攻撃手段の中では、最も攻撃力の高い部類に入る。

 

 この一撃で暗殺者(アサシン)を倒しきる。

 

 狙いを定め、矢を放つべく、息を止めた。

 

 次の瞬間、

 

 何かが、士郎の視界を覆った。

 

「ッ!?」

 

 思わず、息を呑む。

 

 風にあおられた細長い布。

 

 それは、桜のマフラーだった。

 

 地面に打ち捨てられたマフラーが、風にあおられて舞い上がったのである。

 

「・・・・・・・・・・・・」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

『私、先輩の射形見るの、好きなんです』

『まるで先輩自身が弓のよう・・・・・・』

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「桜・・・・・・・・・・・・」

 

 脳に伝わる、少女の言葉。

 

 その言葉を受け、

 

 士郎は弓を下す。

 

 不思議なほど、心は晴れ渡っていた。

 

 先程まで猛っていた自分が、嘘のようである。

 

「桜・・・・・・・・・・・・」

 

 矢を逆手に持ち替えて下す。

 

 そして、

 

「ありがとう」

 

 次の瞬間、

 

 背後でナイフを構えていた暗殺者(暗殺者)に、容赦なく突き刺した。

 

「グッ ・・・・・・ギッ ・・・・・・ガッ ・・・・・・な、何で、気づいた?」

 

 驚愕で目を見開く暗殺者(アサシン)

 

 その胸の中央には、士郎の矢が深々と突き刺さっている。

 

 英霊化しているとはいえ、確実に致命傷だった。

 

「お前が自分で言ったんだろうが」

 

 矢を引き抜きながら、士郎は投げ捨てるように言う。

 

「『僕の腕は千切れても働き者』って。途中から、あの触手の化け物は、中身の無い囮だったんだろ」

 

 つまり、派手な見た目の化け物で士郎の気を引き、その隙を狙っていたと言う訳だ。

 

 なかなかどうして暗殺者(アサシン)らしい攻撃と言えるだろう。士郎には通じなかったが。

 

 塀から落ちた暗殺者(アサシン)は、もはや起き上がる事も出来ず、片腕で這って逃げようとしている。

 

 もっとも、士郎はそれを逃がす気は無いのだが。

 

「い、いやだ・・・・・・死にたくない、死にたくない、死にたくない。死にたくない、死にたくない、死にたくない・・・・・・・・・・・・」

 

 壊れたオルゴールのように繰り返す暗殺者(アサシン)

 

 その姿を、士郎は曲刀を一振り、投影しながら冷ややかな目で見下ろしていた。

 

「桜だって、そう思っていたさ」

 

 自分の妹を殺しておいて、勝手な事を言う。

 

 そんな士郎の言葉に対し、暗殺者(アサシン)は声を荒げて振り返った。

 

「馬鹿にするなッ!! そんな事は知ってるんだよ!! 世界中の誰もが死にたくないと思っているッ!! だからジュリアン様は・・・・・・・・・・・・」

 

 そこまで言って、

 

 不意に、暗殺者(アサシン)は沈黙した。

 

「・・・・・・・・・・・・ああ、そうか」

 

 何かを悟ったのか、静かな口調で呟く暗殺者(アサシン)

 

「・・・・・・何だよ・・・・・・クソ・・・・・・・・・・・・こんなになって、ようやく全部思い出した・・・・・・何だよ、僕はとっくに終わっていたんじゃないか・・・・・・五年前のあの日に・・・・・・僕も、お爺様も、誰もかれも・・・・・・・・・・・・」

 

 魂その物を使い果たしたように項垂れる暗殺者(アサシン)

 

 ややあって顔を上げると、振り返らずに告げた。

 

「もう、疲れた・・・・・・もう十分だ・・・・・・殺してくれ、衛宮」

 

 その言葉を受けて、

 

 士郎は振り上げた曲刀を、暗殺者(アサシン)に振り下ろした。

 

 肩から袈裟懸けに斬り下げられる刃。

 

 その一撃を、暗殺者(アサシン)は甘んじて受ける。

 

 肉を斬る感触と共に、鮮血が雪の上に舞った。

 

「・・・・・・その感触、覚えておけ・・・・・・お前はこれから、いっぱい殺すんだろう? 僕はもうごめんだ。先に、地獄で待っているぞ」

 

 その言葉を最後に、地に倒れる暗殺者(アサシン)

 

 同時に、その姿はマネキンのような人形へと変化した。

 

 思わず、士郎は息を呑んだ。

 

 エインズワースが置換魔術の使い手だと言う事は、自分を助けた言峰神父から聞いて知っていたが、まさか過去に死んだ人間の人格を、人形に置換して使役しているとは。

 

 エインズワースが持つ、底知れない闇の一端を覗いたような気がして、士郎は思わず身震いする。

 

 とは言え、もはや後戻りはできないのだが。

 

「・・・・・・・・・・・・」

 

 落ちていた暗殺者(アサシン)のカードを拾い、ポケットにしまい込む。

 

 桜の兄だった少年は、先に地獄で待っている、と最後に言っていた。

 

 だが、士郎にとっては、地獄ですら生ぬるいかもしれない。

 

 大切だった人は守れず、引き継いだ誇りすら、自ら捨てた。

 

 そうして何もかもむき出しになった「衛宮士郎」の中身は、どうしようもないくらいに空っぽだった。

 

 皮肉な事に、全てを捨て去って初めて、自分がなすべき事が定められた気がする。

 

 だからあの時、

 

 遥か彼方に呼びかけた。

 

『何だって良い、誰だって良い、力を貸せ』

『その代わり、俺の全部を差し出す』

 

 と。

 

 そんなガキの戯言に応えてくれる英雄。

 

 そんな物は、1人しかいなかった。

 

 英霊エミヤ

 

 世界と契約した人類の守護者。

 

 未来に英雄となった、他なる「衛宮士郎」本人。

 

 士郎と切嗣が目指した「正義」の到達点にして、その成れの果て。

 

 彼がなぜ、自分に力を貸す気になったのか? それは判らない。

 

 だが、

 

 士郎は世界を救うためにあるこの力を、たった1人の為に使うと決めた。

 

 

 

 

 

第37話「暗夜行路」      終わり

 



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第38話「ハードライン」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 少年が衛宮邸にたどり着いた時には、事態は既に終わった後だった。

 

 庭に降り立つと同時に英霊化を解除、周囲をぐるりと見回す。

 

「これは・・・・・・ひどいね」

 

 顔をしかめて呟く。

 

 衛宮邸の庭では、明らかに戦闘があったと思われる破壊跡があちこちに散見された。

 

 窓は割れ、木々はなぎ倒され、地面は陥没している。

 

 その破壊跡が、ここで起こった戦闘のすさまじさを物語っていた。

 

 ここで何が起こったのかは、容易に想像する事ができる。

 

 恐らくエインズワース側が襲撃したのだ。

 

 その意図は判らない。

 

 あるいは聖杯である美遊と関係の深い士郎を、排除しにかかったのかもしれない。

 

 こうして少年が庭に立っても侵入者感知用の魔術が作動しない辺り、それも戦闘の余波で破壊されたのかもしれなかった。

 

「それよりも・・・・・・・・・・・・」

 

 少年は周囲を見回して確認する。

 

 気になるのは、ここの住人、衛宮士郎の安否である。

 

 周囲に死体が無いところを見ると、無事であると思いたい所であるが・・・・・・

 

「何とか、切り抜けてくれると良いんですけど・・・・・・」

 

 焦る気持ちで呟く。

 

 と、

 

 そこでふと、足元に一枚の布が落ちている事に気が付き拾い上げる。

 

「・・・・・・マフラー?」

 

 どこかから飛ばされてきたのか、あるいは戦闘の余波でここに転がっていたのか?

 

 恐らく女性物と思われるマフラーが、そこにあった。

 

「これは・・・・・・・・・・・・」

 

 いっそ、場違いのようにさえ思えるそのマフラーは、ある意味、誰もいなくなった衛宮邸を象徴しているかのようだった。

 

 否、

 

 あるいは、このマフラーが何かを自分に訴えかけようとしているように、少年には思えたのだ。

 

 ともかく、ここで戦闘があったのは間違いない。

 

 そして前後の状況から察して、衛宮士郎はまだ生きている可能性がある。

 

 少年は、再び駆けだす。

 

 士郎が生きているなら、彼は必ずエインズワースに戦いを挑むはず。

 

「・・・・・・探さないと」

 

 呟きながら、駆ける足を速める。

 

 少年はゼストとの戦闘中に警報が鳴るのを聞き、英霊化した状態で駆け付けた。

 

 剣士(セイバー)の脚力はすさまじく、警報の作動から数分とかからずに衛宮邸に到着している。

 

 ならば、士郎はそう遠くに入っていないはず。

 

 無論、「死んでいなければ」という枕詞が付くが。

 

「どうか・・・・・・無事でいてください」

 

 焦りが言葉に出る。

 

 祈るような気持ちは、闇の中に吹き散らされて消えていくのだった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 少年が衛宮邸に到着した、ちょうどその頃、

 

 当の衛宮士郎本人は、深山町の街中を1人で歩いていた。

 

 暗殺者(アサシン)の襲撃から桜の死、そして自身の英霊化と勝利。

 

 わずか30分にも満たない時間の中で、様々な事が起こり過ぎた。

 

 桜。

 

 あの愛おしい後輩は、もういない。

 

 自分などと関わらなければ、と思う事もあるが、しかしそれでは桜の精神を汚す事にもなる。

 

 桜は自らの意思で士郎を助けようと行動し、そして命を落とした。

 

 ならば今の士郎がすべきことは、桜の死を悼む事ではない。

 

「・・・・・・・・・・・・」

 

 そっと、ポケットからカードを取り出して眺める。

 

 つい先刻まで、どこにもつながっていなかった屑カード。

 

 だが今は、英霊エミヤの魂が宿っている。他ならぬ、未来の士郎自身と。

 

 桜は文字通り命がけで、士郎を守ってくれたのだ。

 

 ならば彼女の魂を受け入れ、自らの行く道を貫く。

 

 それだけが、今の士郎にできる唯一の事だった。

 

「さて、これからどうするか・・・・・・・・・・・・」

 

 歩きながら思案する。

 

 経緯はどうあれ、戦う力は手に入った。

 

 それも、今の士郎にとってはこの上ないほど、最上級のカードだ。

 

 英霊エミヤは士郎の未来、その可能性の存在。

 

 自分自身のカードであるがゆえに、士郎本人とカードの同調率は相当なものだ。これなら、仮に格上の英霊とぶつかったとしても押し負けると言う事は無いだろう。

 

 だが、依然としてエインズワースの工房を攻める手段は無い。このままクレーターに行っても、またこれまでと同じように門前払いを食らうのは目に見えていた。

 

「なら、手段は一つ、か」

 

 すなわち、聖杯戦争を勝ち抜く事。

 

 残り5騎の英霊をすべて倒し、聖杯を手にする権限を得る事だ。

 

 そうすれば、いかにエインズワースと言えど、士郎を掣肘する事は出来ない。

 

 なぜなら、それがこの聖杯戦争という「ゲーム」のルールだからだ。そのルールを作ったのがエインズワースである以上、彼等もまた、そのルールに囚われる事を意味している。

 

 士郎が勝ち残れば、さしものエインズワースも、聖杯、つまり美遊を渡さざるを得なくなるのだ。

 

 勿論、エインズワースが、自分からルールを反故にする可能性も否定はできないのだが。

 

 とは言え、方針は決まった。

 

 ならば、後は突き進むのみだった。

 

 歩き出す士郎。

 

 まさに、その時だった。

 

「衛宮先輩!?」

 

 突如、声を掛けられて振り返る士郎。

 

 果たしてそこには、

 

 自分にとって、もう1人の大切な後輩が、息を切らして立っていた。

 

「日比谷・・・・・・・・・・・・」

 

 茫然と呟く士郎。

 

 桜と共に弓道部の後輩である日比谷修己(ひびや しゅうき)は、士郎の姿を見て駆け寄って来た。

 

「何してるんですか、こんな所でッ!? しかもこれ、ボロボロじゃないですか!?」

 

 駆け寄って来た修己は、士郎の姿を見て咎めるように言った。

 

 どこかホッとしたような表情を見せる修己。

 

 その後輩の姿に、士郎もどこか安堵したような表情を浮かべる。

 

 あれだけ殺伐とした戦いの後である。後輩の姿を見れた事で、張り詰めた糸が少し緩んだ気がした。

 

「ちょっと先輩。何ニヤついてるんですか。男の笑顔なんてキモいですよ」

「キモ・・・・・・ひどくないか、お前?」

 

 毒舌な後輩に、苦笑する士郎。

 

 そんな修己の生意気な態度さえ、今は懐かしく思える。

 

「とにかく、僕の家、すぐそこですから来てください。治療と、あと着替えも、飯くらいなら用意できますから・・・・・・」

「いや」

 

 後輩の申し出をありがたく思いながらも、士郎は謝辞するように背を向ける。

 

 修己の申し出はありがたいが、これ以上、自分と一緒にいるべきではない。

 

 エインズワースの執念深さから考えると、今この瞬間に襲撃を掛けてきたとしてもおかしくは無いだろう。

 

 これ以上、他人を巻き込みたくは無かった。

 

「ありがとうな、日比谷。けど、これ以上、俺に関わらない方が良い」

「先輩ッ」

 

 呼び止めようとする修己に背を向け、士郎はその場から足早に去って行く。

 

 「あんな想い」をするのは、桜1人で充分だった。

 

 何より、

 

 「美遊を取り戻すためにエインズワースと戦う」という行為は、世界に対する明確な反逆であり、ひいては滅びゆく人類全体に対する裏切り行為に他ならない。

 

 そこに、関係ない他人を巻き込む事は、士郎のエゴ以上の何物でもなかった。

 

 修己が追ってくる気配はない。どうやら、諦めてくれたようだ。

 

 それで良い。

 

 これで自分は、何物も気にする事無く戦えるのだから。

 

 そう思った。

 

 次の瞬間、

 

「ッ!?」

 

 突如、浮かび上がった殺気を感じ、士郎は眦を上げる。

 

 次の瞬間、

 

 闇を斬り裂くように、複数の光弾が自身に向かって飛んで来るのが見えた。

 

「クッ!?」

 

 とっさに後退する士郎。

 

 その足元に光弾がさく裂。

 

 爆炎が起こり、士郎を翻弄する。

 

 どうにか空中で体勢を立て直すと、そのまま着地。視線を上げる。

 

 その貫く双眸の先。

 

 視界の中で、腕を上げた状態でこちらを睨む男がいた。

 

 一見すると、何の変哲もない男性。

 

 恐らく西洋人と思われるブロンドの髪をオールバックに纏め、蒼い双眸をしている。

 

 裾が踝まで達する長いローブのような物を着ており、本格的に魔術師めいた印象がある。

 

 しかし、

 

「おやおや、極東の猿は礼儀すらわきまえないと見える。我が礼を尽くした攻撃をかわすなど、不遜にもほどがあるだろう。ここは、歓喜を持って受け止め、速やかに死を受け入れるべき所ではないかね?」

 

 こちらを小ばかにしたような口調。

 

 同時に、そこに孕む狂気を、士郎は見逃さない。

 

 何より、このタイミングでの襲撃者となると、他にはいないだろう。

 

「エインズワースの刺客か?」

「いかにも。私こそジュリアン様の忠実なるしもべにして、時計塔にその人ありと言われたロード・・・・・・・・・・・・」

 

 言いかけて、男は突然、動きを止める。

 

 警戒を解かずに、対峙する士郎。

 

 ややあって、画像が再起動するかのように、男は再びしゃべりだした。

 

「我が名において、君を誅罰に処する」

 

 内容がブツ切れになっているのも構わず、男は語り続ける。

 

「さあ、覚悟を持って首を差し出したまえ!!」

 

 言い放つと同時に、男が懐からカードを取り出す。

 

 その表面に描かれているのは、杖を持った魔術師。

 

魔術師(キャスター)か」

 

 言いながら、士郎も弓兵(アーチャー)のカードを取り出す。

 

 睨み合う両者。

 

「「夢幻召喚(インストール)!!」」

 

 両者は同時に叫ぶ。

 

 迸る衝撃。

 

 士郎の姿は、一瞬にして黒のボディースーツに、赤い外套とバンダナを纏った弓への姿に変じる。

 

 対して男の方は、頭まですっぽりと覆う漆黒のローブに、手には長い錫杖を持った魔術師の姿に変じる。

 

 次の瞬間、

 

 両者は同時に奔った。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

投影開始(トレース・オン)!!」

 

 駆けながら詠唱する士郎。

 

 その両手に、投影魔術によって生み出された黒白の双剣が現れる。

 

 弓兵(アーチャー)の双眸が、魔術師(キャスター)を真っ向から捉える。

 

 だが、

 

 士郎が斬り込むよりも早く、魔術師(キャスター)はふわりと浮き上がるように上昇、士郎の間合いから離れる。

 

「我が身に触れるか、下賤の輩めッ その罪、万死に値すると思え!!」

 

 言い放つと同時に、空中に複数の魔法陣が展開される。

 

 複雑な文様を描くその陣から、一斉に光が溢れるのが見えた。

 

「クッ!?」

 

 とっさに足を止める士郎。

 

 そこへ、魔術師(キャスター)からの攻撃が放たれた。

 

 魔法陣から射出される光弾。

 

 その一斉射撃を前に、

 

 士郎は手にした双剣を振るう。

 

 放たれる光の弾丸は、縦横に振るわれる黒白の剣閃が斬り飛ばす。

 

 壮絶とも言える光景。

 

 人知を超えた魔力の弾丸を、士郎は手にした剣で一つ残らず叩き落しているのだ。

 

 ただの一発たりとも、弓兵(アーチャー)を直撃する物は無い。

 

「おのれ・・・・・・・・・・・・」

 

 その様に、魔術師(キャスター)は苛立ちを募らせる。

 

「我が攻撃をなぜ受けぬッ この愚か者め!!」

 

 言い放つと同時に、攻撃は更に勢いを増す。

 

 弾幕に近い射撃が士郎を襲う。

 

 さしもの士郎も、これには溜まった物ではない。

 

 流石に剣2本で防ぎきるのは不可能と判断し、その場から飛びのく。

 

 その間にも射撃を継続する魔術師(キャスター)

 

 逃げる士郎を追って、魔法陣からの光弾を撃ち放つ。

 

 外れ弾がブロック塀を粉砕し、民家の壁を砕き、舗装された道路にクレーターを作る。

 

 しかし、肝心の士郎へはただの一発も命中しない。

 

 士郎は英霊化して強化された脚力を駆使し、屋根の上に飛び乗る。

 

投影開始(トレース・オン)!!」

 

 詠唱と同時に、手には洋弓が出現。

 

 振り仰ぐと同時に、上空の魔術師(キャスター)目がけて、素早く3連射する。

 

 唸りを上げて飛んで行く矢。

 

 だが、

 

「愚かなりッ!!」

 

 叫びながら、魔術師(キャスター)は、迎撃の為に光弾を放ち、士郎が放った矢を叩き落す。

 

「その程度の攻撃で私を倒せるなどとは・・・・・・所詮は愚者の浅知恵にすぎんよ!!」

 

 あざ笑いながら、攻撃を強める魔術師(キャスター)

 

 それを回避しながら、士郎は冷静に状況を見極める。

 

「さて、どうするかな・・・・・・・・・・・・」

 

 相手が上空とあっては、攻撃手段が限られてくる。

 

 いささか面倒な相手である事は間違いなかった。

 

「まあ、手が無いわけじゃ、ないんだが・・・・・・・・・・・・」

 

 屋根の上を駆けながら、士郎は冷静に相手の出方を見定める。

 

 そんな士郎の動きに業を煮やしたのだろう。魔術師(キャスター)は一気に勝負をかけるべく、ローブを大きくはためかせる。

 

 蝙蝠の羽のように広がったその内側には、一際巨大な魔法陣が描かれているのが見えた。

 

「下賤の輩には過ぎたる代物だが、致し方あるまい」

 

 言い放つと同時に、魔法陣から一斉攻撃を仕掛ける魔術師(キャスター)

 

 さしもの士郎も、これにはかなわない。

 

 たちまち、地上には爆炎が躍り、そこにいた士郎をも呑み込んでいく。

 

 たちまち、地上は炎と衝撃によって埋め尽くされる。

 

 その様を上空から見下ろしながら、魔術師(キャスター)は満足そうにうなずく。

 

「やったか」

 

 次の瞬間、

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「どうかな?」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 低く囁かれた言葉。

 

 ハッとして振り返った魔術師(キャスター)の視界の中では、

 

 弓を引き絞った弓兵の姿がある。

 

「ッ!?」

 

 息を呑む魔術師(キャスター)

 

 士郎が矢を放ったのは、ほぼ同時だった。

 

 唸りを上げる一閃。

 

 魔術師(キャスター)はとっさに、自身の眼前に障壁を展開。士郎の攻撃を防ぎにかかる。

 

 着弾。

 

 同時に沸き起こる閃光が、空中に花開く。

 

「馬鹿めッ!!」

 

 障壁を維持しながら、魔術師(キャスター)が嘲笑を上げる

 

「その程度の攻撃で、この私を倒せるとは思わない事だ!!」

 

 言い放ちながら魔法陣を展開。再び攻撃を放とうとする。

 

 しかし、

 

「別に」

 

 士郎は冷ややかな声で言い放った。

 

「あれで倒せるとは思っていないさ」

 

 次の瞬間、

 

 後方から旋回しながら飛んできた白剣が魔術師(キャスター)に襲い掛かった。

 

「ぐおォォォッ!?」

 

 背中を斬られ、悲鳴を上げる魔術師(キャスター)

 

 そのまま高度を維持できず、地上へと落下していく。

 

 轟音と共に、地面に叩きつけられる魔術師(キャスター)

 

 それを追って、士郎も地面に降り立つ。

 

「勝負あったな」

 

 呟きながら、再び干将・莫耶を投影によって創り出す。そのままとどめを刺すつもりなのだ。

 

「グッ お、おのれッ・・・・・・・・・・・・」

 

 どうにか上体を起こし、光弾を放つ魔術師(キャスター)

 

 しかし、力の入らないその攻撃は先ほどの嵐のような光弾に比べるべくもなく、士郎が振るう剣を前に、あっさりと弾かれてしまう。

 

 ゆっくりと近付く士郎。

 

 その手にある剣を振り上げようとした。

 

 次の瞬間、

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「・・・・・・・・・・・・先輩?」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 呼ばれた士郎は、ハッとして振り返る。

 

 その視界の先に立つ後輩は、驚いたような顔でこちらを見ていた。

 

「日比谷」

「先輩、その恰好は・・・・・・・・・・・・」

 

 驚愕の眼差しで士郎を見る修己。

 

 その隙を、

 

 倒れた魔術師(キャスター)は見逃さなかった。

 

「よそ見をするとは、とんだ愚か者だなァ!!」

「ッ!?」

 

 放たれる光弾。

 

 その攻撃を、士郎は修己を守るように立ちながら剣を振るい弾く。

 

「先輩!!」

「逃げろ日比谷ッ 早く!!」

 

 魔術師(キャスター)の攻撃を弾きながら、士郎は振り返らずに叫ぶ。

 

 このままでは修己を巻き込んでしまう。

 

 桜に続き、修己まで失う訳にはいかない。

 

 まして、修己は何の関係もない一般人。自分たちの戦いに巻き込むことはできない。

 

「先輩、でもッ!!」

 

 士郎の身を案じるように、修己は叫ぶ。

 

 対して、士郎は叩きつけるように言った。

 

「逃げるんだ!!」

 

 何とか攻撃を凌いでいる内に修己を逃がす。

 

 それが、今の士郎にできるベストの事だった。

 

 対して魔術師(キャスター)は、ここぞとばかりに攻撃の手を強めてくる。

 

「そらそらそら、どうしたねッ!? 手も足も出せないか!?」

「クッ 調子に乗るなよ!!」

 

 攻守逆転。

 

 魔術師(キャスター)の攻勢を前に、士郎は防御一辺倒に追い込まれる。

 

「先輩ッ!!」

 

 そんな士郎を助けようと、駆け寄る修己。

 

「来るな、日比谷!!」

 

 絶望と共に叫ぶ士郎。

 

 こうなったら、相打ち覚悟で魔術師(キャスター)に特攻し、短期決戦で決着を着けるしかない。

 

 背後に迫る修己。

 

 その存在を感じ取り、士郎は覚悟を決めた。

 

 次の瞬間、

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「その甘さ、いつかあなたの命取りになりますよ」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 聞き覚えの無い声(・・・・・・・・)が、士郎の耳に飛び込んで来た。

 

 次の瞬間、

 

 強烈な金属音と共に、軽い衝撃が大気を振動させる。

 

 振り返る士郎。

 

 そこには、

 

 日比谷修己(ひびや しゅうき)

 

 士郎にとって、良く見慣れた後輩。

 

 だが、

 

 その後輩が今、異様な姿でそこに立っていた。

 

 手には長い鎖を持ち、その先端に取り付けられた太い杭は、真っすぐに士郎の背中へと向けられている。

 

 まるで、その杭で士郎を攻撃しようとしているあのようだ。

 

 そして、

 

「まあ、あなたのそう言うところは、僕は決して嫌いじゃないんですけどね」

 

 そんな士郎を守るように、

 

 見覚えのない少年が、剣を構えて立っていた。

 

 

 

 

 

第38話「ハードライン」      終わり

 




FGO第一部クリア。
まさか、突入から1日で終局特異点をクリアできるとは思わなかった。
余りにも燃える展開に、はしゃぎすぎてしまいました(爆

てなわけで現在、「新宿」にいます。

公式コミックも発売された事だし、こっちもそろそろ二次を書き始めたい所です。書けるだけのネタは揃いつつあることだし。


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第39話「双閃双撃」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「ケヒャヒャヒャヒャヒャヒャヒャヒャヒャヒャヒャヒャ!!」

 

 耳障りな笑い声が、夜の街に盛大に響き渡る。

 

 品性の欠片も感じさせないその笑い声は、かつて士郎の後輩だった存在から放たれていた。

 

 日比谷修己(ひびや しゅうき)

 

 士郎にとって、桜同様にかけがえのない部活の後輩。

 

 気の置けない、年下の友人。

 

 その修己が今、

 

 目を背けたくなるような、笑い声を見せていた。

 

「なァァァァァァんなんだッ!? なァァァァァァん何ですか、あなたはァァァァァァッ!? 何で僕の邪魔するんですかァァァァァァ!?」

 

 喚くように、手にした鎖を振るう修己。

 

 蛇のようなしなりで襲い掛かってくる鎖。

 

「僕は先輩と遊びたいんですよォォォォォォッ 邪魔しないで下さいよォォォォォォ!!」

 

 放たれた鎖は、

 

 次の瞬間、割って入った少年の持つ、不可視の刃によって弾かれた。

 

「ケヒャヒャヒャヒャヒャ!!」

 

 攻撃を弾かれたにも拘らず、壊れたような笑みを上げ続ける修己。

 

 そんな「後輩」の姿に、士郎は思わず愕然とする。

 

「そんな、日比谷・・・・・・お前が、何で・・・・・・・・・・・・」

 

 いつも、自分たちのムードメーカーだった修己。

 

 士郎や桜が、どちらかと言えば控えめな性格だった事から、そこに修己がいてくれるだけで場の空気が盛り上がった。

 

 そんな自分たちの日常の中で、必要不可欠な存在だった修己。

 

 その修己が今、見るも醜怪な姿を晒していた。

 

「どぉぉぉぉぉぉしたんですかセンパイッ!? ボォォォっとしちゃってッ!?」

 

 言いながら、修己は鎖を巻き上げる。

 

 再び攻撃を仕掛けるつもりなのだ。

 

「そんなんじゃ、すぐに終わっちゃいますよォォォォォォ!!」

 

 しなりながら、士郎目がけて投擲される鎖。

 

 その先端には、太い杭が鋭く光る。

 

 次の瞬間、

 

 士郎を守るようにして割って入った少年が、再び手にした不可視の剣で杭を打ち払った。

 

「考えるのは後にしましょう。今はこの状況を切り抜ける事だけを考えてください」

「お前は・・・・・・・・・・・・」

 

 見覚えのない少年の言葉に、戸惑いを隠せない士郎。

 

 対して、少年は自分の中にある魔術回路を起動しながら告げる。

 

「今はとりあえず、味方だと思っていてください」

 

 言いながら、少年は修己に向き直る。

 

 同時に、眦を上げて叫んだ。

 

夢幻召喚(インストール)!!」

 

 吹きすさぶ衝撃。

 

 迸る烈風の中、少年はその姿を変じる。

 

 蒼の装束の上から銀の甲冑を纏った剣士(セイバー)

 

 伝説の騎士王アーサー・ペンドラゴンをその身に纏った姿がそこにあった。

 

 対抗するように、

 

 修己もまた、高々と舞い上がりながら、剣士(セイバー)を見下ろす。

 

 その口には、1枚のカードがこれ見よがしに咥えられていた。

 

夢幻召喚(インストール)!!」

 

 叫んだ瞬間、

 

 修己の姿は一変する。

 

 全身に青紫のボディスーツが多い、両目は眼帯によって覆われている。

 

 髪は伸びて、まるで蛇のようにうねっている。

 

 神話に出てくる、おぞましい怪物のような姿がそこにあった。

 

「さあ、殺戮の時間だァァァッ 死ねェェェェェェッ!! すぐ死ねェェェェェェ!! とっとと死ねェェェェェェェェェェェェ!!」

 

 言い放つと同時に、

 

 修己は手にした杭付きの鎖を、剣士(セイバー)目がけて投擲した。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 剣士(セイバー)と修己が戦闘を開始した一方、

 

 士郎と魔術師(キャスター)の激突も、再開していた。

 

 士郎としては修己の方に後ろ髪を引かれる物が無くは無かったが、しかし今は気にしている場合ではない。

 

 目の前の魔術師(キャスター)も、強敵である事は間違いなかった。

 

 前火力を展開して、士郎へ集中砲火を浴びせる魔術師(キャスター)

 

 対して、士郎も一歩も引かずに応戦する。

 

 飛んで来る魔力弾を双剣で弾き、士郎は距離を詰めていく。

 

 基本は先ほどと同じ。敵の攻撃を凌ぎながら接近し、斬りかかるのみ。

 

「哀れじゃないかね、君は!!」

 

 そんな士郎を嘲るように、魔術師(キャスター)は攻撃の手を強める。

 

 嵐の様相で飛んで来る魔力の弾丸を、しかし士郎は一発残らず叩き落しながら前へと進む。

 

「全てを失い果て、今また親友にすら裏切られた。知っているかね? 君のような存在を、世間では道化(ピエロ)と呼ぶのだよ!!」

「そんなのッ・・・・・・・・・・・・」

 

 間合いに入る士郎。

 

 黒白の双剣を振り翳す。

 

 斬撃は一瞬。

 

 迸る剣閃は、魔術師(キャスター)の身体を確実に斬り裂いた。

 

「お前に言われるまでもないさ」

 

 静かに吐き捨てる士郎。

 

 そう、自分が道化である事は、他の誰よりも士郎自身がよく判っている。

 

 だが、それがどうした?

 

 道化だろうが何だろうが、士郎は今、泥を啜ってでも前へと進まなくてはならない。

 

 その歩みを妨げるものであるならば、たとえどんな相手でも斬り捨てる覚悟だった。

 

 一方、士郎の剣で致命傷を受けた魔術師(キャスター)

 

 しかし次の瞬間、

 

 士郎が見ている目の前で、魔術師(キャスター)の体は、溶けるように崩れ、あっという間にドロドロのスライム状に成り果ててしまった。

 

「これは、水銀ッ!?」

 

 驚愕する士郎。

 

 士郎が魔術師(キャスター)だと思って攻撃した相手は、魔術によって水銀を人型に固めて作った人形(おとり)だったのだ。

 

 では、本物の魔術師(キャスター)はどこに?

 

 そう思った次の瞬間、

 

 目の前の水銀が突如、形状を変えて襲い掛かってくる。

 

 触手のように無数に枝分けれした水銀が、八方から士郎へと殺到してくる。

 

 更に、

 

「さあ、終わりだ。地獄の窯で懺悔したまえ!!」

 

 背後から迫る、本物の魔術師(キャスター)

 

 その手には複雑な形状をした短剣が握られ、士郎目がけて振り翳されている。

 

 前方からは水銀による包囲攻撃が、背後からは魔術師(キャスター)本人がトドメを刺すべく迫ってくる。

 

 前後を挟まれた士郎。

 

 既に逃げ場は無い。

 

「死にたまえ!!」

 

 勝利を確信して告げる魔術師(キャスター)

 

 完全に詰み(チェックメイト)

 

 そう思った。

 

 次の瞬間、

 

 背後から飛んできた黒白の双剣が、魔術師(キャスター)の背中に深々と突き刺さった。

 

「ガ・・・・・・ハッ・・・・・・」

 

 空気が抜けるような呻き声と共に、魔術師(キャスター)の手から、短剣が零れ落ちて地面に転がる。

 

 同時に、士郎を攻撃しようとしていた水銀も、形状を失い地面に崩れ落ちた。水たまりのように広がり、それ以上動き出す気配が無い。

 

 この水銀は魔術師(キャスター)の魔力によって動いていた。と言う事は、魔術師(キャスター)自身が戦闘不能になれば、この水銀も動きを止める、と言う訳だ。

 

 干将・莫耶は二刀一対にして別ち難い夫婦剣。

 

 それ故に、たとえ引き離しても、お互いを呼び合い、引き寄せる特性がある。

 

 士郎はその特性を利用して、予め遠距離に投擲。投げられた干将・莫耶は、まるで測ったように回転を同調させながら引き戻され、そのまま魔術師(キャスター)の背中に突き刺さったのである。

 

「ば、バカな・・・・・・いったい、どうやって・・・・・・・・・・・・」

 

 信じられない、といった顔つきの魔術師(キャスター)

 

 対して、

 

 士郎は無言のまま、両手に干将・莫耶を創り出して構える。

 

「ッ!?」

 

 息を呑む魔術師(キャスター)

 

 次の瞬間、

 

 士郎は黒白の双剣を交差するように一閃。魔術師(キャスター)の首を斬り落とした。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 屋根から屋根へ、2つの影が高速で移動していく。

 

 剣士(セイバー)騎兵(ライダー)は、足場の悪さを物ともせず、互いに応酬を繰り返す。

 

「フッ!!」

 

 民家の屋根を駆けながら跳躍。

 

 剣士(セイバー)騎兵(ライダー)目がけて、不可視の剣を振り翳す。

 

 その姿を、眼帯越しに見据える騎兵(ライダー)

 

 同時に杭付きの鎖を剣士(セイバー)目がけて投擲する。

 

「僕は先輩と遊びたいって言ってるだろォォォォォォ!! 何で邪魔するんだよォォォォォォ!!」

 

 狂ったように叫びながらも、騎兵(ライダー)の攻撃は適格だ。

 

 鎖は蛇のように唸りながら、鎌首を持ち上げて剣士(セイバー)に襲い掛かる。

 

 自身に向かって、真っすぐに飛んで来る杭。

 

 その凶悪な輝きを見据え。

 

 剣士(セイバー)は、鋭く剣を旋回させる。

 

 横なぎに振るわれた剣は、真っ向から刺し貫かんとする杭を、一撃のもとに打ち払った。

 

「貰ったッ」

 

 突撃の勢いを殺さず、剣を振り被る剣士(セイバー)

 

 上段からの一閃。

 

 その一撃を、後方に宙返りしながら回避する騎兵(ライダー)

 

「ばァァァァァァかッ そんなもんに当たんないよォォォォォォ」

 

 嘲るように言いながら、騎兵(ライダー)は宙返りして空中で体勢を整える。

 

 同時に、巻き戻した鎖を再び投擲する。

 

 民家の屋根を破壊し、瓦礫が舞い上がる。

 

 地上の剣士(セイバー)と、空中の騎兵(ライダー)

 

 その中間に、破壊された瓦礫が盛大に塞がれる。

 

 その瓦礫を縫うように、

 

 剣士(セイバー)の視線が、空中にある騎兵(ライダー)を射抜いた。

 

 次の瞬間、

 

 剣士(セイバー)は足裏から盛大に魔力を放出。空中を一気に駆け上がる。

 

「グッ!?」

 

 それに対し、瓦礫に視界を奪われていた騎兵(ライダー)は、一瞬反応が遅れる。

 

 剣の間合いに騎兵(ライダー)を捕らえる剣士(セイバー)

 

 横なぎに振るわれる剣閃。

 

 対して、空中で身動きが取れない騎兵(ライダー)には、回避の手段が無い。

 

 剣閃は、修己の胴を薙ぎ払い、地面へと叩き落した。

 

 轟音と共に、地に叩きつけられる騎兵(ライダー)

 

 それを追って、剣士(セイバー)もふわりと着地する。

 

「グッ・・・・・・くそ・・・・・・・・・・・・」

 

 どうにか体を起こし、顔を上げる騎兵(ライダー)

 

 対して、剣士(セイバー)は決着を着けるべく、剣の切っ先を騎兵(ライダー)へ向ける。

 

「・・・・・・何なんだよ、お前」

 

 そんな剣士(セイバー)を睨みながら、騎兵(ライダー)は恨みを込めた声を絞り出す。

 

「僕は先輩と遊びたいんだよッ それを・・・・・・それをそれをそれをッ 何で邪魔するんだよォォォォォォ!!」

 

 言い放った瞬間、

 

 目を覆う眼帯を、右手で引きはがす騎兵(ライダー)

 

 その怪しい輝きを放つ双眸が剣士(セイバー)を捕らえた瞬間、

 

「ッ!?」

 

 剣士(セイバー)の体は、一瞬にして凍り付いたように、縛り付けられる。

 

「これは・・・・・・魔眼!?」

 

 魔眼の魔力によって、動きを止められてしまったのだ。

 

 恐らく騎兵(ライダー)の能力。それも、かなり強力な拘束力である。

 

「ゲヒャヒャヒャヒャヒャヒャ!!」

 

 下卑た笑い声と共に、騎兵(ライダー)は、血しぶきを撒き散らして剣士(セイバー)に迫る。

 

 振り上げられた両手に、鋭い爪が光る。

 

「死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ィィィィィィねェェェェェェ!!」

 

 身動きとれぬ剣士(セイバー)に、迫る騎兵(ライダー)

 

 次の瞬間、

 

 

 

 

 

 ザンッ

 

 

 

 

 

 逆胴気味に振り抜かれた剣が、騎兵(ライダー)を斬り裂いていた。

 

「ば、バカな・・・・・・・・・・・・なぜ・・・・・・・・・・・・」

 

 崩れ落ちる騎兵(ライダー)

 

 そして、

 

 かつて日比谷修己(ひびや しゅうき)だった存在は崩れ落ち、そのまま表情の無いマネキンへと変わり果てた。

 

 いつからそうだったのか?

 

 あるいは、元からそうだったのか?

 

 日比谷修己という存在はそこにはおらず、エインズワースによって置換された人形が転がっているのみだった。

 

「らしくない戦い方をするからですよ」

 

 傍らに落ちていた騎兵(ライダー)のカードを拾いながら、剣士(セイバー)の少年は吐き捨てるように言った。

 

 騎兵なら騎兵らしく、乗り物に乗って戦っていればよかったものを。白兵戦で剣士(セイバー)に挑んだ時点で、彼の敗北は確定していたのだ。

 

「・・・・・・・・・・・・さて」

 

 呟きながら、少年は立ち上がる。

 

 その背後には、

 

 弓兵たる少年が、両手に黒白の双剣を構えて立っていた。

 

 微かに感じる殺気。

 

 無理も無い。

 

 少年は、士郎の友人を殺した。

 

 ならば事情はどうあれ、士郎が少年に恨みを抱くのは当然の事だろう。

 

「なぜ、殺した?」

 

 干将の切っ先を向けながら、少年の背中に問いかける士郎。

 

 対して、少年も振り返り、士郎に向き直る。

 

「そうする必要があったからですよ。彼はもう、あなたの知る友人ではなくなっていた。明確な殺意を持った『敵』だった。だから殺した。それだけの事です」

 

 事も無げに告げる少年。

 

 心なしか、双剣を握る士郎の手に力が籠められる。

 

「成程。合理的だな」

 

 静かに告げる士郎。

 

 次の瞬間、

 

 士郎は両手に構えた双剣を振り翳す。

 

「ッ!?」

 

 対抗するように、不可視の剣を構える少年。

 

 両者、互いに斬りかからんと、疾走するべく両足に力を込めた。

 

 次の瞬間、

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「そこまでだ」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 太く、良く通る声が、2人の動きを制して場に響き渡る。

 

 動きを止める両者。

 

 タイミングを合わせるように振り返る。

 

 その視線の先。

 

 闇からにじみ出るように、1人の神父が歩み出てきた。

 

「言峰さん・・・・・・・・・・・・」

 

 露骨に嫌そうな顔をする少年。

 

 ほぼ全く同じタイミングで、士郎もまた似たような反応を示す。

 

「何だ、お前ら知り合いか?」

「ええ、非常に不本意ながら」

 

 士郎の問いに応えながら、少年は言峰に向き直った。

 

「何か用ですか? てか、珍しいですね。あなたが教会やラーメン屋以外にいるなんて」

「私とて、たまには散策くらいするさ。それに、こう見えても聖職者のはしくれでね・・・・・・」

 

 言いながら、言峰は士郎と少年を交互に見やる。

 

「無意味且つ、無駄な争いが行われようとしているのなら、止めてやるのも私の責務だろう」

「無駄?」

 

 真意を測りかねて問いかける士郎。

 

 対して言峰は、少年を指差しながら答えた。

 

「そう、無駄な事なのだよ衛宮士郎。なぜなら、そこな少年は、君に討たれる事を望んでいるのだからね」

 

 言われた士郎は、ハッとして少年の方を見やる。

 

 対して少年はと言えば、ばつが悪そうにそっぽを向いていた。

 

「・・・・・・相変わらず、一言以上多い人ですね、あなたは」

 

 皮肉な言葉を受け流しながら、言峰はフッと笑みを浮かべた。

 

 確かに、

 

 少年としては、ここで士郎が自分を殺すなら、それも仕方のない事だと思っていたのは事実である。

 

 事情はどうあれ、自分は彼の友人を殺した。

 

 ならば、その報いも当然、受けるべきだった。

 

 このうさん臭い神父の登場で、それもご破算となったが。

 

「さて、お互いに積もる話もあるだろう。ここではなんだから、場所を変えようじゃないか」

 

 そう言うと、言峰は2人の返事を待たずに歩き始める。

 

 対して、

 

 士郎と少年はいぶかる様に首をかしげながら後を続くのだった。

 

 

 

 

 

第39話「双閃双撃」     終わり

 



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第40話「共闘者」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 人形の反応が2つ、ほぼ同時に消えた。

 

 魔術師(キャスター)騎兵(ライダー)

 

 先に暗殺者(アサシン)の反応も消えたので、これで都合、3騎の英霊が脱落した事になる。

 

 開戦から、僅か1時間にも満たない間の出来事である。

 

「・・・・・・・・・・・・」

 

 一義樹理庵(いちぎ じゅりあん)

 

 ジュリアン・エインズワースは、消えた人形の反応を眺めながら、無言のまま佇んでいた。

 

 反応の消滅が確認されたのは、全て「あいつ」の元へと送り込んだ者たちだ。

 

 生身の人間が、英霊に敵うはずが無い。

 

 イスラム教の伝説にある暗殺者として名高い「ハサン・サッバーハ」。

 

 ギリシャ神話に名高き怪物「メドゥーサ」。

 

 コルキスの王女にして、悪名高き裏切りの魔女「メディア」。

 

 いずれも劣らぬ、強力な英霊達である。

 

 1騎程度なら、あるいは何らかの間違いと言う事も考えられなくもないが、3騎ともなると、もはや疑う余地は無い。

 

 衛宮士郎は、何らかの形で英霊に、ひいてはエインズワースに対抗する手段を得たと見て間違いなかった。

 

「・・・・・・・・・・・・」

 

 僅かに眉をしかめるジュリアン。

 

 まだエインズワース側は複数の英霊を保有している。何より、聖杯である「美遊」を確保し、更に相応の魔力も蓄えている。

 

 どう考えてもエインズワースの勝ちは動かない。

 

 だが、その確定された勝利に、一抹の影が投げかけられたのは間違いなかった。

 

 苛立ちは、否応なく募る。

 

 なぜ、こうも上手くいかないのか?

 

 なぜ、予定外の事ばかり起こるのか?

 

 全てが、ジュリアンを苛立たせていた。

 

 と、

 

「まずは落ち着いたらどうかね?」

「・・・・・・・・・・・・」

 

 背後からの声に、ジュリアンは振り返る。

 

 その視線の先には、入り口に寄りかかるようにして立つ1人の男の姿があった。

 

「焦りは禁物だよ。足元を掬われないように注意したまえ」

「ゼストか・・・・・・・・・・・・」

 

 相手の名を呼ぶ。そのジュリアンの声に、僅かな敵意が込められた。

 

 ゼスト・エインズワース。

 

 ジュリアンにとって「仲間」であるはずの1人。

 

 しかし、

 

 その姿に、ジュリアンはいささか以上の不快感を隠せなかった。

 

 そもそも、ゼストは「エインズワース」を名乗ってはいるが、エインズワースの正式な一員と言う訳ではない。

 

 現当主であるジュリアンよりも尚、高い地位にある「あのお方」の鶴の一声によって同士となったのだ。

 

 それ故に、エインズワースにとって貴重な戦力である「クラスカード」の一部を預けられ、更に工房内には、ゼスト専用の部屋までも受けられるという厚遇振りである。

 

 ジュリアンとしては忌々しい限りなのだが、これも「あのお方」の意向である以上、従わざるを得なかった。

 

「『剣士(セイバー)』の回収はどうした?」

「いや、それが、申し訳ないね。とんだ邪魔が入って失敗してしまったよ」

 

 悪びれた様子もなく答えるゼスト。

 

 先の魔術協会が寄越した尖兵の襲撃で強奪された「剣士(セイバー)」のクラスカード。

 

 ゼストはその奪還任務の為に出撃したのだが。

 

 しかしどうやら、手ぶらで帰ってくる羽目になったらしい。

 

 その事が、更にジュリアンを苛立たせていた。

 

「・・・・・・邪魔、だと?」

「ああ。剣士(セイバー)は既に、別の者の手に渡っていた。そいつが英霊化して対抗してきたんだ」

 

 事態は、更に複雑になった。

 

 ジュリアンにとって、士郎1人でも厄介だというのに、そこに更に敵対勢力が現れた事になる。

 

 聖杯降臨まであと少し。

 

 あと少しで、エインズワースの悲願が叶うところまで来ているというのに、こうもイレギュラーな事態が立て続けに起こる事になろうとは。

 

「さて、どうするね?」

 

 どこか、他人事のようにゼストは尋ねる。

 

 この事態、彼にとって決して他人事ではないはずなのだが、しかしゼストはまるで、第三者的な視点にいるかのようにジュリアンに対して振舞っていた。

 

 舌打ちするジュリアン。

 

 そもそも、ゼストが剣士(セイバー)を回収していたら、こんな事にはならなかったというのに。

 

 だが、この男に、そんな事を言っても始まらないのは事実だった。

 

 それよりも、敵対者たちに対する対策は急務だった。

 

「問題ない」

 

 ジュリアンは事も無げに言った。

 

 確かに士郎と、剣士(セイバー)の少年は厄介である事は間違いないのだが、先にも述べた通り、それでもエインズワースの優位は動かないのだ。

 

「狩人は既に放った。程なく戦果を持ち帰るだろうさ」

「狩人・・・・・・成程、『彼』か」

 

 ジュリアンの言わんとする事を察し、ゼストはニヤリと笑う。

 

 「さいきょう」と言う言葉には、いくつかの漢字を当てはめる事ができる。

 

 最強、最凶、最狂、最恐。

 

 最強の弓兵(アーチャー)

 

 最凶の狂戦士(バーサーカー)

 

 最恐の槍兵(ランサー)

 

 今のエインズワースには、この3騎がいる。

 

 ジュリアンは、このうちの1騎を、士郎及び剣士(セイバー)討伐の為に出撃させたのだ。

 

「君もなかなか罪作りな事だね。何しろ彼は・・・・・・」

「用が無いなら去れ」

 

 ゼストの言葉を遮って、ジュリアンは背を向けた。

 

 これ以上、戯言につき合う気は無い。という意思表示だった。

 

 その背中に、嘲笑にも似た笑みを向けるゼスト。

 

 正義を謳いながら、自らの目的の為にあらゆる犠牲を是とするジュリアン。

 

 そんな相反する少年の在り方に対し、ある種の皮肉めいた笑いが込み上げるのを、ゼストは止める事が出来なかった。

 

 

 

 

 

 エインズワースの工房は、彼らが最も得意とする置換魔術によって構成されている。

 

 先の第四次聖杯戦争によって生じた巨大クレーターの中央。

 

 そこに膨大な魔力によって、どこか別の場所にある城を存在させ、更に結界を形成して外界と遮断する事により、一般人には近づく事は愚か、視認する事すら不可能になっている。

 

 まさに、エインズワースの持つ深すぎる「業」の一端を体現したような城だった。

 

 その地下空間に、ゼストの工房は存在していた。

 

 石で構成された階段を下まで降り、そこにある扉を開く。

 

 途端に、

 

「ギャァァァァァァアアアァアアアァァァァァァアアアアアアァァァァァァ!? ガアアアアアアアアアアアア!?」

 

耳障りな悲鳴が、鼓膜をつんざく勢いで響いて来た。

 

 まるで獣の声を連想させられる悲鳴。

 

 この世の物とは思えず、聞くだけで気分が悪くなってくる。

 

 その悲鳴は、中央にある台から発せられていた。

 

 手術用の診察台を連想させるその台の上には、裸の男が両腕を広げる形で拘束されていた。

 

「アアアアアアアアアアアアッ イギィィィィィィィィィィィィッ ギギギギギギガガガガガガッ」

 

 尚も悲鳴を上げ続ける男。

 

 そんな男の悲鳴に構わず、ゼストは拘束台に歩み寄ると、傍らに置いてあった資料に無言で目を通す。

 

 傍らで悲鳴を上げる男には一切目をくれず、読み進めるゼスト。

 

「・・・・・・・・・・・・ふむ」

 

 ややあって顔を上げたゼストの表情には、失望の色があった。

 

「やはり、駄目か。今度こそは、と思ったのだがね」

 

 そう告げると初めて、拘束台の上にいる男へと目を向けた。

 

 その瞳にあるのは、落胆と侮蔑。

 

 汚物を見るような目で、ゼストは拘束台の男を見ていた。

 

 男は、先にエインズワースを襲撃した魔術協会派遣の刺客の1人であった。

 

 本来なら、視認する事すら不可能なこの城を発見し、あまつさえ進入まで果たした辺り、彼等の優秀性が伺える。

 

 もっとも、同時にそれが彼らの限界だった。

 

 ゼスト自らが迎撃の為に出陣。侵入した刺客の内、実に9割を一瞬で殲滅して見せた。

 

 残った1人は、たまたま見つけた剣士(セイバー)のカードを持って逃亡。のちに死亡が確認されている。

 

 だがもう1人、今拘束台の上にいるこの男も、辛うじて命を繋いでいた。

 

 否、正確に言えば、ゼストが攻撃を手加減したが故に、辛うじて生きているだけの話だった。

 

 もっとも、当の本人からすれば、文字通り「死んだほうがマシ」だったのだが。

 

 彼は今、死ぬ事も出来ず、ただひたすら拷問に曝され続けている。

 

 24時間、眠る事も許されずに。

 

「魔術協会に所属する魔術師と言うくらいだから、魔術回路も相当な物だろうと期待したのだがね。とんだ期待外れでがっかりだよ」

 

 このエインズワースにおけるゼストは、外来とは言え破格とも言える待遇で迎えられている。

 

 彼にはエインズワースの名を送られた他にも、こうして専用の工房まで与えられている。

 

 そして、それだけではない。

 

 チラッとテーブルの上に目をやるゼスト。

 

 そこには、2枚のカードが置かれていた。

 

 絵柄は弓兵(アーチャー)暗殺者(アサシン)

 

 エインズワースの最奥の秘儀とでも言うべきクラスカード。その一部を、ゼストは自らの実験に使用する為に預けられていたのだ。

 

 ゼストの手元にあるカードは7枚。今回の聖杯戦争に投入された数と同じだけのカードを、ゼストが保有している事になる。

 

 その内、剣士(セイバー)魔術師(キャスター)狂戦士(バーサーカー)は別の実験に使用し、槍兵(ランサー)のカードは、ゼストが自ら使用している。

 

 そして、

 

 残る騎兵(ライダー)は、

 

 次の瞬間、

 

「ダ・・・ダノムゥゥゥゥゥゥ」

 

 拘束台の男が、絞り出すような声を発した。

 

 地獄のような責め苦を与えられて尚、喋る事が出来た事には驚きを禁じ得ない。

 

 対してゼストは、鬱陶し気に視線を向けた。

 

 そんなゼストの視線を受け、男は血走った眼で声を放った。

 

「ダノム・・・・・・ダノム・・・・・・ゴ、ゴロジデグデェェェェェェ」

 

 「頼む、殺してくれ」

 

 それが今、男が望む唯一の願いだった。

 

 一刻も早く、この責め苦から解放されたい。

 

 その一心で声を絞り出す。

 

 捕虜になって以来、一時も休む事無く続けられてきた地獄のような時間。

 

 実験と言う名の拷問から解き放たれる唯一の方法は、もはや「死」以外にあり得なかった。

 

「ふむ・・・・・・・・・・・・」

 

 そんな男に、ゼストはようやく目を向けて尋ねた。

 

「そんなに死にたいかね?」

「ッ ッ ッ」

 

 尋ねるゼストに、男は唯一自由になる首を必死に振ってこたえる。

 

 そこには、かつて存在した、魔術協会エリートとしてのプライドなぞどこにもない。

 

 なりふりなんぞ構っていられない。

 

 もはや死ぬためなら、どんな事でもするつもりだった。

 

 対して、

 

「良いだろう」

 

 あっさりした声で、ゼストは答えた。

 

「私もこれ以上、無能者に付き合う気は無い。時間が有限である以上、それは有効に使われるべきだ」

 

 その言葉に、男は苦痛に耐えながら微かな笑みを見せる。

 

 ああ、これでやっと死ねる。

 

 この地獄の苦痛から解放される。

 

 その希望が、彼の心を穏やかにした。

 

 次の瞬間、

 

 

 

 

 

 ゼストの腕が、男の胸に突き刺さった。

 

 

 

 

 

「ギャァァァァァァァァァァァァアアアアアアアアアアアアァァァァァァァァァァァァァァァァァァァァァァァァッ ギィィィィィィィィィィィィィィィィィィィィィィィィィィィィィィィィィィィィッ アアッ アアッ アアッ アアアアアアアアアアアアッ」

 

 これまでに数倍する絶叫が、男の口から放たれる。

 

 阿鼻叫喚とはこの事だろう。

 

 およそ、この世で感じる事ができる苦痛が、全て降りかかってきていた。

 

「ヤベデェェェェェェッ ヤベデグレェェェェェェッ ジナゼデグレェェェェェェェェェェェェッ」

 

 絶叫を上げる男に構わず、ゼストは男の体内をまさぐり続ける。

 

 その手が触れている物は、物理的な肉体ではなく、彼自身の魂。正確に言えば、そこに縫い付けられている物を探っていた。

 

 だが、男が感じている苦痛たるや、例えるなら口から腕を突っ込まれ、内臓を直接引きずり出されているにも等しかった。

 

 ややあって、

 

 ゼストは腕を引き抜く。

 

 その手には、一枚のカードが握られていた。

 

 手綱を握った兵士。騎兵(ライダー)のカードである。

 

 それを待っていたかのように、ようやく意識を手放す事が出来た。

 

 待ち望んでいた「死」が、せめてもの安らぎを彼に与える。

 

 対して、

 

 ゼストはそれ以上、興味が失せたように視線を外すと、壁際に設置されたガラスケースへと目を向けた。

 

「やはり、生身の人間で適正者を探すのは難しい。かといって、既存の魔術回路に手を加えるのは危険すぎる。ここはもう暫く、『お人形遊び』に興じる以外、手は無い訳か」

 

 そう独り言を告げたゼストの視線の先。

 

 3つ並んだガラスケースの中には、3人の人間が収められている。

 

 成人した男性が1人。そして幼さが残る少年が2人。

 

 彼等もまた、ゼストの研究の成果である。

 

「その間、せいぜいあの『正義の味方』君に頑張ってもらうとしようかね」

 

 そう告げると、ゼストは暗い地下工房の中で嘲笑を上げるのだった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 無人の新都に、雪が降り積もる。

 

 もはや当たり前になった光景。

 

 白く重ねられていく光景は、ひたすらに絶望感だけを募らせていく。

 

 音さえ飲み込む白。

 

 そんな白色の世界を、

 

 奇妙な出で立ちの男が歩いていた。

 

 顔は見えない。

 

 頭からつま先まで、すっぽりと外套に覆われているからだ。

 

 だが、背格好から、辛うじて男だと言う事だけは理解できた。

 

 その男が、ゆっくりと、雪の上を歩く。

 

 ひたすら、

 

 脇目も振らずに。

 

 その目指す先。

 

 そこには、

 

 丘の上の教会が佇んでいた。

 

 

 

 

 

 3人の男が、それぞれの立ち位置にて佇んでいる。

 

 壇の上に立つ言峰綺礼。

 

 壁に寄りかかった衛宮士郎。

 

 そして、椅子に座った剣士(セイバー)の少年。

 

 3人。特に士郎と剣士(セイバー)の少年は、互いに無言のまま視線を合わせようとしなかった。

 

「まったく・・・・・・・・・・・・」

 

 そんな士郎と少年の様子に、言峰は明らかな嘆息を見せた。

 

「いつまでそうしているつもりかね? 話が全く進まないのだが?」

「・・・・・・・・・・・・」

「・・・・・・・・・・・・」

 

 言峰の言葉にも、2人の少年はそれぞれ無言で答える。

 

 話す気は無い。

 

 というよりは、お互いにまだ、気持ちの整理ができていない様子だった。

 

「よし、ならば親睦を深めるために食事でも一緒にどうかね? 私が特製の麻婆豆腐を・・・・・・」

「いらん」

「結構です」

 

 ここだけは、息の合った調子を見せる2人。

 

 とは言え、流石に埒が明かないと考えたのか、士郎が言峰を見て言った。

 

「そもそも、俺たちをここに連れてきたのは言峰、アンタだろ」

 

 だったら、この状況をどうにかしてくれ。

 

 言外にそう告げる士郎。

 

 対して、言峰の方も何か思うところがあったのか、少し考えてから口を開いた。

 

「ふむ、一理ある話だ。確かに、聖職者のはしくれとして、相争う2人の間を取り持つのも、使命の一つと言えるだろう」

 

 誰もアンタを聖職者だとは思わんだろ。

 

 士郎と少年はほぼ同時に似たような事を考える。

 

 対して言峰は、士郎を差して口を開いた。

 

「そちらは衛宮士郎(えみや しろう)。知っての通り、弓兵(アーチャー)の英霊であると同時に、『元、聖杯の所持者』でもある」

「そんな言い方ッ・・・・・・・・・・・・」

 

 激昂しかける士郎。

 

 まるで美遊を物扱いするような言峰の言葉は、士郎にとって許し難い事でもあった。

 

 だが、当の言峰は、そんな士郎を意に介していない。

 

 事実を語っただけだ、とでも言いたげな態度だった。

 

 続いて、言峰は剣士(セイバー)の少年を見やった。

 

「そして、こちらは剣士(セイバー)の英霊として、聖杯戦争に参加してる。名前は・・・・・・」

黍塚久希(きびつか ひさき)

 

 言峰が話すよりも先に、少年は口を開いて士郎を見た。

 

「それが、僕の名前です」

 

 久希はそう言うと、立ち上がって士郎に歩み寄る。

 

 向かい合う両者。

 

 ややあって、久希の方から右手を差し出した。

 

「よろしく、衛宮士郎さん」

「・・・・・・・・・・・・」

 

 だが、

 

 差し伸べられた手を、士郎は握ろうとしない。

 

 仕方なく、手を下す久希。

 

「・・・・・・やっぱり、許せませんか、僕の事が?」

 

 尋ねる久希の顔に、少し自嘲的な笑みが入る。

 

 事情が事情とは言え、久希は士郎の友人だった日比谷修己を手に掛けている。

 

 士郎の立場からすれば、久希を殺したいと考えてしまうのも仕方のない事だった。

 

 だが、

 

「そんな事じゃない」

 

 士郎はかぶりを振ってこたえる。

 

「俺だって自分が置かれた状況くらい理解している。今更、甘い事を言う気は無い。あの状況だったら、俺だって同じ行動を取っただろうさ。むしろ、自分で手を下さなくて良かった分、ホッとしているよ」

 

 どこかさばさばとした口調の士郎。

 

 とは言え、そこには多分に無理がある事は、はた目からにも判る。

 

 昨日までの友人が実は敵の刺客で、そして殺されたとあっては、心中穏やかではないだろう。

 

 だが、そんな感情を呑み込んで、士郎は久希を見た。

 

「俺とお前は、敵同士なんだろ。なら、必要以上になれ合う気は無い」

「・・・・・・成程」

 

 いずれ戦う者同士、情を交わすべきではない。士郎はそう言いたいのだろう。

 

 どうやら、思った以上にドライなようだ。

 

 あるいは、士郎自身腹をくくったのか。

 

「でも、僕はあなたとは争う気はありませんよ」

 

 そう言って笑顔を見せる久希。

 

 だが、士郎は取り合わずに視線を逸らす。

 

 確かに、聖杯戦争という盤上にあっては、久希は剣士(セイバー)であり、士郎は弓兵(アーチャー)

 

 今はこうして顔を合わせて話していても、いずれは相争う事になる間柄であるのは間違いない。

 

「言葉は、信用できませんか?」

「・・・・・・・・・・・・」

 

 久希の言葉に、沈黙を返す士郎。

 

 聞かれるまでもない、と言う事だった。

 

 嘆息する久希。

 

 士郎の気持ちももっともだ、と思う。

 

 何しろ、昨日までの友人が裏切る状況である。ほんの数時間前に会ったばかりの人間を、いかにして信用しろというのか?

 

「・・・・・・仕方ないですね」

 

 小さく呟く久希。

 

 そして、

 

 手はコートのポケットに入れると、そこにあったカードを取り出すと、驚くべき行動に出た。

 

「どうぞ」

「・・・・・・何のつもりだ?」

 

 久希の行動に対し、士郎は眉をしかめて訝る。

 

 差し出された久希の手には、剣士(セイバー)のカードが握られている。

 

 久希は、その剣士(セイバー)のカードを、士郎に差し出してきたのだ。

 

「好きにしてくれて構いませんよ。何だったら、ここで僕を殺してくれても良い」

「お前、何を・・・・・・・・・・・・」

「その代わり」

 

 士郎の言葉を遮って、久希は続けた。

 

「聖杯は士郎さん、必ずあなたが手に入れてください。それさえ約束してくれるなら、僕はこのカードをあなたに渡して、聖杯戦争を放棄します」

 

 それは、あまりと言えば、あまりな提案だった。

 

 聖杯戦争の参加者が、自ら聖杯獲得の意思を他人に譲って棄権するなど。

 

 暴挙を通り越して愚挙に近い。

 

 だが、

 

「・・・・・・・・・・・」

 

 久希は本気だった。

 

 本気で、士郎を勝たせるために、自分は舞台を下りようとしているのだ。

 

「・・・・・・・・・・・・」

 

 士郎は無言のまま、差し出された剣士(セイバー)のカードを見詰める。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

シロウ

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 ふと、誰かに名前を呼ばれたような気がして、遠い目をする士郎。

 

 と、

 

「どうか、しましたか?」

「あ、いや・・・・・・」

 

 久希に問いかけられ、我に返る士郎。

 

 さっきのが一体何だったのか? 

 

 考えても、答えが出る事は無かった。

 

「・・・・・・・・・・・・別に、そこまでしてもらわなくていい。信用はできないが、取りあえず、助けてもらった恩もあるしな」

「そうですか」

 

 士郎の返事に、久希は頷いてカードをしまう。

 

 その顔には、どこかホッとしたような表情が見て取れた。

 

 何にしても、信頼は無理でも、共闘関係くらいは期待できそうだった。

 

 と、その時だった。

 

「むッ?」

 

 それまで黙って、2人のやり取りを見ていた言峰が、ふいに何かに気付いたように振り仰いだ。

 

 振り返って言峰を見る、士郎と久希。

 

「どうかしたのか?」

「警報が作動した。どうやら、悪意を持った存在が、この教会に接近しているらしい」

 

 流石は聖堂教会の根城と言うべきか、魔力的な防御にも万全を期している。

 

 張り巡らされた結界が作動し、何者かの接近を言峰に伝えてきたのだ。

 

「悪意、ですか・・・・・・・・・・・・」

 

 久希は呟きながら踵を返す。

 

 この状況で、ここを目指してやってくる存在。

 

 そんな物、一つしか考えられなかった。

 

「エインズワースの奴等、か」

 

 呟くと、士郎も久希に続いて入口へと向かう。

 

 敵が来たのなら、迎え撃つまでだ。

 

 観音開きの扉に、左右から同時に手を掛ける士郎と久希。

 

 その視線が、一瞬交錯する。

 

 次いで、

 

 2人は同時に扉を開いた。

 

 

 

 

 

第40話「共闘者」      終わり

 



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第41話「三騎士激突」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 門を出ると同時に、視界は開ける。

 

 教会の前庭は広く、足元は石畳になっている。

 

 衛宮士郎と黍塚久希。

 

 2人の少年は、教会の前に陣取り、これから現れるであろう敵を迎え撃つ態勢を整える。

 

「さて、鬼が出るやら、蛇が出るやら」

 

 口元に笑みを浮かべながら、坂の下を眺めやる久希。

 

 対して、士郎は視線をそらさずに素っ気ない口調で尋ねる。

 

「随分と楽しそうだな」

「まさか」

 

 士郎の言葉に対し、しかし久希は肩を竦めて見せる。

 

 久希としては、決して軽いつもりで言ったわけではない。ただ、これから戦いに赴く者として、弱気なところは見せられないと考えただけである。

 

 士郎は、そんな久希に対して一瞥すると、再び坂の下を凝視する。

 

 勝手に言ってろ。とでも言いたげな態度である。

 

 嘆息する久希。

 

 どうやら、信頼関係を築くには、まだまだ程遠い状況らしかった。

 

「無駄話はそこまでだ、来るぞ」

 

 低い声で告げられる士郎の忠告に、顔を上げる久希。

 

 その視線の先。

 

 坂を上がり切った場所に、1人の男が立っていた。

 

 痩身にロングコートを着込み、髪は背中まで伸ばしている。

 

 鋭い眼差しは、迎え撃つ2人の少年を真っ向から睨み据えていた。

 

「1人、か・・・・・・・・・・・・」

「油断しない方が良い」

 

 呟く久希に、士郎は硬い声で告げる。

 

「この段階でジュリアン・・・・・・エインズワースが単騎で戦線に出して来たんだ。余程の自信があるのかもしれない」

 

 士郎の意見に、久希も同意の頷きを返す。

 

 既に3騎の英霊を撃退し、エインズワース側もこちらの戦力が油断ならない物であると認識しているはず。

 

 にも拘らず、わざわざ単独で送り込んで来たのだ。その戦闘力は計り知れないものを感じる。

 

 あるいは、最強クラスの敵が来た事も考えられた。

 

 対峙する三者。

 

 ほぼ同時に、

 

 士郎と久希はカードを取り出した。

 

「「夢幻召喚(インストール)!!」」

 

 吹きすさぶ暴風。

 

 迸る衝撃。

 

 視界全てが塞がれる中、

 

 少年達は衝撃波を衝くようにして飛び出した。

 

 黒のボディスーツに、赤い外套を羽織り、黒白の双剣を構えた弓兵(アーチャー)

 

 青い装束に銀の甲冑を纏い、不可視の剣を構えた剣士(セイバー)

 

 2騎の英霊は、自分たちが討つべき敵を見定めて疾走する。

 

 対して、

 

 相手の男は、泰然としてその場に立ち尽くす。

 

 接近する剣士(セイバー)弓兵(アーチャー)の姿を見据える。

 

 次の瞬間、

 

 ゆっくりと手を翳す。

 

 その手に握られているカード。

 

 そこには、槍を構えた兵士の絵が描かれている。

 

夢幻召喚(インストール)

 

 静かに囁かれる詠唱。

 

 次の瞬間、

 

 巻き起こった衝撃波が、男の姿を包み込む。

 

 それが晴れた時、

 

 男の姿もまた、一変していた。

 

 全身は黒々とした甲冑に覆われ、あちこちから魔獣の爪のような鋭い棘が飛び出している。

 

 顔は邪龍を思わせるマスクで覆われ、更に背部に尻尾のような巨大な付属物まである。

 

 手にした槍も禍々しい棘が飛び出し、見るからに凶悪な外見をしている。

 

 もはや「英雄」という枠を超え、「魔獣」と称しても良い外見をしていた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 聖杯戦争における代表的なクラスは7つ。

 

 すなわち、

 

 剣士(セイバー)

 

 弓兵(アーチャー)

 

 槍兵(ランサー)

 

 騎兵(ライダー)

 

 魔術師(キャスター)

 

 暗殺者(アサシン)

 

 狂戦士(バーサーカー)

 

 他にもエクストラクラスと呼ばれる特別なクラスがいくつか存在するが、代表的な物は概ね、この7つに絞られる。

 

 その中で特に、剣士(セイバー)弓兵(アーチャー)槍兵(ランサー)の3つは「三騎士」とも呼ばれ、他のクラスとは一線を画する存在として扱われる。

 

 その三騎士が今、一つの戦場にて一堂に会し、激闘を繰り広げようとしていた。

 

 

 

 

 

「行きますッ!!」

 

 先制して仕掛けたのは久希だった。

 

 不可視の剣を振り翳し、真っ向から斬り込む剣士(セイバー)

 

 その剣閃を前に、

 

 槍兵(ランサー)は無造作に、手にした槍を振るう。

 

 激突する両者。

 

「ッ!?」

 

 次の瞬間、久希の体は衝撃によって大きく後退した。

 

 全身に奔る痛みを前に、久希は覆わず顔をしかめる。

 

 完全に防いでこれである。

 

 しかも、戦いはまだ始まったばかり。相手は本気にすらなっていないと言うのに。

 

「これは・・・・・・こっちも悠長に構えている場合じゃないね」

 

 剣の柄を握り直し、久希は再び立ち上がる。

 

 その間に、士郎が仕掛けていた。

 

 剣の間合いに入ると同時に、黒白の双剣を振るう士郎。

 

 縦横に放たれる剣閃。

 

 その一撃一撃は、

 

 しかし槍兵(ランサー)に届かない。

 

 槍兵(ランサー)は手にした朱槍を軽々と振るい、士郎の剣戟を弾いて見せた。

 

「ッ!!」

 

 低い姿勢から、体を捻り、勢いをそのままに干将を斬り上げる。

 

 駆けあがる、黒の剣閃。

 

 その一閃を、槍兵(ランサー)はのけぞりながら回避する。

 

 と、

 

「まだッ!?」

 

 すかさず刃を返す士郎。

 

 引き戻した莫邪を振るい、上段から袈裟懸けに斬りかかる。

 

 繰り出される士郎の連撃。

 

 対して槍兵(ランサー)は、朱槍を引き戻すと穂先で防ぐ。

 

 だが、士郎も負けていない。

 

 両手の剣を巧みに繰り出し、連撃を仕掛ける士郎。

 

 相手は槍兵(ランサー)。見た目通り、槍を主武装にしている。

 

 しかし槍と言うのは重量がある故に、剣に比べて取り回しのきく武器とは言い難い。それはいかに熟練した槍兵であっても、変わらないはずだ。

 

 ならば、攻撃の速度においては、双剣2本を武器にする士郎の方が勝っているはず。

 

 その事を瞬時に見抜いた士郎は、攻撃の重さよりも、手数に重点を置いているのだ。

 

 狙いは正しかった。

 

 士郎の攻撃を前に、槍兵(ランサー)は後退を余儀なくされる。

 

 このまま押し込む。

 

 決断した士郎が、追撃して間合いを詰めようとした。

 

 次の瞬間、

 

「おォォォォォォ!!」

 

 雄たけびと共に、

 

 槍兵(ランサー)は、手にした朱槍を地面の石畳に叩きつけた。

 

 その一撃で、地面が陥没するほどの穴が開く。

 

「なッ!?」

 

 目を見開く士郎。

 

 打ち砕かれた石畳が、破片となって弓兵(アーチャー)の少年へと襲い掛かる。

 

 思わず動きを止める士郎。

 

 そこへ、槍兵(ランサー)は鋭い突きを繰り出す。

 

 深紅の一閃が襲い来る。

 

「クッ!?」

 

 槍兵(ランサー)の攻撃を、双剣を交差させて防ぐ士郎。

 

 だが、防ぎきれない。

 

 双剣は巨大な刃によって打ち砕かれ、士郎は大きく後方に弾き飛ばされた。

 

「グゥッ!?」

 

 地面に転がる士郎。

 

 そこへ追撃を駆けるべく、槍兵(ランサー)が槍を翳して迫る。

 

 だが、

 

「やらせない!!」

 

 飛び込んで来た蒼き旋風。

 

 久希はとっさに割って入ると、繰り出された槍の穂先を鋭い斬り上げで弾き飛ばす。

 

 蹈鞴を踏むように動きを止める槍兵(ランサー)

 

 そこへ、すかさず刃を返して久希は斬りかかる。

 

 士郎も黙っていない。

 

 打ち砕かれた干将・莫邪の柄を投げ捨てると、再び双剣を投影して駆ける。

 

 跳躍と同時に交戦する2人を飛び越え、士郎は槍兵(ランサー)の背後を取る。

 

「ハッ!!」

 

 繰り出される双剣。

 

 槍兵(ランサー)は久希と交戦している。背後から迫る士郎には対抗できないはず。

 

 だが、

 

 その考えは甘かった。

 

 背後から迫る士郎の存在を察知した槍兵(ランサー)

 

 すかさず槍を持ち帰ると、そのまま石突の部分を繰り出して、背後の士郎へカウンターを仕掛けた。

 

「なッ!?」

 

 振り向かずに放たれた攻撃は、士郎の不意を衝く。

 

 奇襲を仕掛けた側が、逆に奇襲を食らったようなものだ。

 

 とっさに後退して間合いから離れる士郎。

 

 その間に、槍兵(ランサー)は態勢を整えてしまう。

 

 後退しつつ、士郎と久希、双方を相手どれるように位置取りする槍兵(ランサー)

 

 そこへ、剣士(セイバー)弓兵(アーチャー)は左右から挟み込むように斬りかかる。

 

 不可視の剣を八双に構えて斬りかかる久希。

 

 黒白の双剣を羽のように広げて駆ける士郎。

 

 対して槍兵(ランサー)も、槍を構えて迎え撃つ。

 

 久希の攻撃を槍の柄で防ぎ、士郎の剣を鎧で防ぐ。

 

 連撃を仕掛ける士郎と久希だが、槍兵(ランサー)は、余裕すら感じさせる動きで2人の攻撃を弾き、かわし、防いでいく。

 

 焦りを感じ始める、士郎と久希。

 

 流石に反撃に転じるまでの実力差は無いようだが、まさかここまで戦力差があるとは思わなかった。

 

 事前に久希たちが感じた事は杞憂ではなかった。

 

 エインズワースは、単独でも十分すぎる、最強の戦力を刺客として送り込んで来たのだ。

 

「このッ!!」

 

 久希は魔力放出で攻撃速度を加速。真っ向から強烈な剣閃を繰り出す。

 

 振り下ろされる刃。

 

 しかし、それにすら槍兵(ランサー)は対抗して見せた。

 

 激突する両雄。

 

 繰り出された久希の攻撃に対し、槍を掲げ柄で防ぐ槍兵(ランサー)

 

 衝撃が四方に飛び散り、2騎の視線が交錯する。

 

「クッ!?」

 

 攻撃を防ぎ止められ、舌打ちする久希。

 

 しかし、槍兵(ランサー)の方も強烈な攻撃を前に、動きを縫い留められる。

 

 そこへ、士郎が背後から仕掛けた。

 

「貰ったッ!!」

 

 黒白の双剣を掲げ、背後から斬りかかる士郎。

 

 槍兵(ランサー)は正面の久希に拘束されている。今なら確実に取れる。

 

 そう思った次の瞬間、

 

 横合いから強烈な衝撃に襲われ、士郎は激痛と共に石畳に叩きつけられた。

 

「ガァッ!?」

 

 吹き飛ばされ、2度、3度と地面にバウンドする士郎。

 

 いったい、何があったのか?

 

 顔を上げた士郎が見た者は、槍兵(ランサー)の背中。

 

 そこから長く伸びている、魔獣の如き巨大な尾だった。

 

 槍兵(ランサー)は、背後から接近する士郎を感知。その巨大な尾で振り払ったのだ。

 

「士郎さん!!」

 

 驚いて、一瞬動きを止める久希。

 

 そこへ、槍兵(ランサー)が畳みかける。

 

 気が逸れた久希との間合いを詰める槍兵(ランサー)

 

 朱色の斬線が、嵐のように襲い掛かる。

 

「クッ!?」

 

 対抗するように不可視の剣を振るう久希。

 

 しかし、立ち上がりを制されたせいで、一方的に押し込まれていく。

 

 鋭い槍撃を、防ぐだけで精いっぱいだった。

 

「このッ!!」

 

 どうにか体勢を立て直そうとする久希だったが、槍兵(ランサー)の猛攻の前に手も足も出ない。

 

 そして、

 

 反撃に出ようと強引に前に出た瞬間、

 

 槍兵(ランサー)の放った強烈な前蹴りを腹部に食らい、大きく吹き飛ばされた。

 

「グゥッ!?」

 

 槍の動きに気を取られ過ぎていて、フェイントに気付かなかったのだ。

 

 強い。

 

 立ち上がりながら、士郎と久希は同時に思う。

 

 戦闘開始前に考えた事は、間違いではなかった。

 

 エインズワースは、

 

 ジュリアンは2人を抹殺する為に、最強の刺客(カード)を切って来たのだ。

 

「埒があきませんね」

「ああ・・・・・・」

 

 久希の言葉に、頷きを返す士郎。

 

 その視界の先で、槍を手に悠然と歩いてくる槍兵(ランサー)の姿。

 

 その様子にはダメージはおろか、疲弊している様子すら見えない。

 

 英霊2騎で掛かり、拮抗すらできないとは。

 

 同じ三騎士なのに、ここまで戦力差があるとは思わなかった。

 

 アイルランドの大英雄。

 

 「光の御子」の異名で呼ばれる英霊、クー・フーリン。

 

 ルーン魔術の使い手にして、因果逆転の魔槍を振るうケルト最強の戦士。

 

 生涯、戦士であり続けたクー・フーリンが、王としての狂気に目覚め、冷酷に徹しきった時、恐るべき魔獣が顕現する事になる。

 

 その恐怖を具現化した存在が今、士郎と久希の前に立っている存在だった。

 

「・・・・・・黍塚、だったよな」

 

 ややあって、士郎の方から声を掛けてきた。

 

「俺に考えがある。だから時間を・・・・・・」

「判りました」

 

 「稼げ」、と言い切る前に、久希は返事を返す。

 

 迷いも何もなく、久希は前へと出る。

 

 その態度に、言い出した士郎の方が面食らってしまった。

 

「お、おいッ」

 

 久希の態度は、士郎などからは異様に思える。今日会ったばかりの士郎を信頼するなど。

 

 まして今は聖杯戦争の最中。裏切られ、背中から撃たれるのを警戒するのは当然の事だろう。

 

 だが、

 

 久希は士郎に何の躊躇いもなく背中を見せていた。

 

 振り返る久希は、士郎に笑顔を見せる。

 

「僕は信じてますよ、あなたの事」

 

 そう告げた瞬間、

 

 久希は剣を振り翳して斬り込む。

 

 対抗するように、槍を繰り出す槍兵(ランサー)

 

 繰り返される、刺突と斬撃の応酬。

 

 しかし、剣を振るう久希の顔に、僅かな焦りが見え始めている。

 

 槍兵(ランサー)の攻撃は、明らかに先程よりも激しさを増している。

 

 振るう剣の速度が、襲い来る槍に追いつかない。

 

 あっという間に防戦一方に追い込まれてしまう。

 

 士郎の攻撃開始まで、戦線を保たせることができるか?

 

 折れそうになる気力を必死に支えて剣を振るう。

 

 負けられない。

 

 ここで自分が負けたら士郎は、そして・・・・・・・・・・・・

 

「ハァァァァァァァァァァァァ!!」

 

 気合と共に、不可視の剣を横なぎに一閃。繰り出された朱槍を振り払う。

 

 思わず、動きを止める槍兵(ランサー)

 

 次の瞬間、

 

「良いぞッ 黍塚!!」

「士郎さん!!」

 

 合図を出す士郎。

 

 とっさに飛びのく久希。

 

 その瞬間を逃さず、

 

 士郎が動いた。

 

投影(トレース)開始(オン)!! 全投影連続層写(ソードバレル・フルオープン)!!」

 

 詠唱する士郎。

 

 同時に、

 

 立ち尽くす槍兵(ランサー)を包囲するように、無数の剣が空中に出現した。

 

 腕を横なぎに鋭く振るう士郎。

 

 それを合図に、剣の群れは一斉に槍兵(ランサー)へと襲い掛かる。

 

 360度、全方位からの一斉掃射。

 

 いかに大英雄と言えど、逃れる手段は無い。

 

 そう思った。

 

 次の瞬間、

 

「おォォォォォォォォォォォォ!!」

 

 低い唸りと共に、槍兵(ランサー)は槍や尾、腕を縦横に振るい、飛んでくる剣を片っ端から撃ち落としていく。

 

 包囲された状況を、まるで意に介していない。

 

 無数の剣が、例外なく撃ち落とされ、砕かれていく。

 

 流石に全ては落としきれないらしく、槍兵(ランサー)の身体を傷付ける剣もある。

 

 しかし致命傷は完全ブロック。

 

 満を持して放った士郎の攻撃は、殆ど用を成していない。

 

 やがて、

 

 全ての攻撃が弾かれ、戦場の真ん中にただ1人、槍兵(ランサー)のみが立つ。

 

「・・・・・・あれだけの攻撃を食らって、かすり傷だけかよ。まったく恐れ入る」

 

 舌打ち交じりに苦笑する士郎。

 

「だが・・・・・・」

 

 言った瞬間、

 

「勝負はあった」

 

 身を低くして疾走する蒼い影。

 

 不可視の剣を持つ剣士(セイバー)が、鋭い軌跡で槍兵(ランサー)の懐へ飛び込む。

 

 魔力放出まで使った突撃により、久希は一瞬にして槍兵(ランサー)の懐へと飛び込む。

 

 作戦は初めから三段構え。

 

 久希が槍兵(ランサー)の目を引き付け、その間に士郎が包囲攻撃の準備。

 

 包囲攻撃が外れる事は、最初から想定済み。

 

 本命は久希の剣による直接攻撃。

 

「これでッ!!」

 

 振り上げられる剣の一閃。

 

 今度こそ終わり。

 

 そう思って繰り出された剣閃は、

 

 しかし、それよりも一瞬早く槍兵(ランサー)は身を捩って回避行動に入る。

 

 月牙の軌跡による、舞う鮮血。

 

 斬り飛ばされた槍兵(ランサー)の左腕が、闇夜で宙に舞う。

 

「外したかッ でもッ」

 

 剣を返す久希。

 

 必殺の攻撃は外れたが、これで槍兵(ランサー)は片腕を失った。あれでは重量武器である槍は扱えないはず。

 

 絶好の勝機。

 

 だと思った。

 

 だが、

 

「なッ!?」

 

 突如、繰り出された槍の穂先を、とっさに剣で防ぐ久希。

 

 そこへ、容赦ない連撃が繰り出される。

 

 片腕を失ったにも関わらず、槍兵(ランサー)の勢いは陰りを見せない。

 

 むしろ、正確さを欠いた分、苛烈さが増している感すらあった。

 

「黍塚ッ!!」

 

 士郎も再び干将・莫邪を投影して援護に入る。

 

 腕を失い死角となった左側から接近しようとする士郎。

 

 だが、それを読んでいた槍兵(ランサー)は、巨大な尾を横なぎに振るい、士郎の接近を阻む。

 

「クソッ!?」

 

 攻撃を弾かれ、舌打ちする士郎。

 

 久希もまた、槍兵(ランサー)の猛攻を前に攻めあぐねている。

 

 まるで体の損傷など意に介さないような戦いぶりである。

 

「クソッ!!」

「いい加減に!!」

 

 同時攻撃を仕掛ける剣士(セイバー)弓兵(アーチャー)

 

 剣閃が縦横に奔り、複数の軌跡が刻まれる。

 

 だが、

 

 その全てが、虚しく空を切った。

 

 2人の剣が薙ぎ払った場所に、槍兵(ランサー)の姿は無い。

 

 では、どこに?

 

 次の瞬間、

 

 頭上から、強烈な魔力が降り注ぐ。

 

 振り仰ぐ、士郎と久希。

 

 そこには、

 

 残った右手に槍を逆手に構えた槍兵(ランサー)の姿。

 

「まずい、あの構えはッ!?」

 

 呻く士郎。

 

 その脳裏に、別の光景が重なる。

 

 ケルトの伝説に謳われる「光の御子」クー・フーリン。

 

 その大英雄が持つ、因果逆転の魔槍「ゲイボルク」

 

 その本来の使い道は、手持ちの長槍ではなく、

 

「投げ槍ッ!?」

 

 士郎が言った瞬間、

 

 

 

 

 

抉り穿つ(ゲイ)・・・・・・鏖殺の槍(ボルグ)!!」

 

 

 

 

 

 槍兵(ランサー)の全力投擲が襲い掛かった。

 

 着弾する朱槍。

 

 同時に「装填」された莫大な魔力が解放。周囲一帯を薙ぎ払う。

 

 闇夜を一瞬、吹き散らすほどの閃光が、戦場一帯を照らし出す。

 

 衝撃波が、周囲のあらゆる物を薙ぎ払っていった。

 

 それが晴れた時、

 

 上空にあった槍兵(ランサー)が、地面に着地する。

 

 その体はまさに、満身創痍と言ってよかった。

 

 先に久希の攻撃で左腕を失っただけでない。

 

 宝具を放った影響だろうか? 甲冑はボロボロになり、その下の肉体も損傷している。特にひどいのは宝具を放った右腕で、筋が断裂しているのが見える。

 

 突き立った槍に掴まり、ようやく立っている感じである。

 

 次の瞬間、

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「気を抜くのは、まだ早いですよ」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 上空からの声に、振り仰ぐ槍兵(ランサー)

 

 その視界の先では、不可視の剣を振り翳す剣士(セイバー)の姿。

 

 更に、

 

 衝撃が晴れた視界の先では、薄紫色の障壁を掲げた弓兵(アーチャー)が立つ。

 

 熾天覆う七つの円環(ロー・アイアス)

 

 槍兵(ランサー)が宝具の投擲態勢に入った瞬間、とっさに障壁を展開して防御の姿勢を取ったのだ。

 

 槍兵(ランサー)の全力投擲は強烈であり、士郎の体はボロボロに成り果てている。

 

 だがそれでも、

 

 相手の切り札を防ぎ切った事で、決定的な勝機が生じた。

 

 急降下する久希。

 

 その手に握られた剣が、輝きを放つ。

 

 アーサー王の佩刀である聖剣エクスカリバーは、普段は空気を圧縮して光を屈折させる「風王結界(インヴィジブル・エア)」によって覆われ、視認する事が出来ない。刀身が見えないのはその為である。

 

 これは「世界でもっとも有名な聖剣」を覆い隠し、真名の露呈を防ぐためである。

 

 視認が不可能なほどの圧縮空気を刀身のサイズに収まているのだ。その規模たるや、嵐にも匹敵する空気が凝縮されている事になる。

 

 そして、

 

 その結界を開放すれば、

 

 宝具にも匹敵する攻撃が可能になるのだ。

 

風王鉄槌(ストライク・エア)!!」

 

 吹き荒れる狂風。

 

 圧倒的なまでの圧縮空気の一撃が、ボロボロになった槍兵(ランサー)に襲い掛かる。

 

 対して、

 

 もはや槍兵(ランサー)は、防ぐこともかわす事も出来なかった。

 

 叩き潰される槍兵(ランサー)

 

 朱槍は吹き飛ばされ、骨の砕ける音が響き渡る。

 

 地面は陥没し、石畳が吹き散らされる。

 

 そんな中、

 

 士郎と久希は、並んで立ちながら槍兵(ランサー)を見た。

 

「やったか?」

「ええ。手ごたえはありました」

 

 倒れ伏した槍兵(ランサー)を見ながら告げる。

 

 風王鉄槌(ストライク・エア)は確実に決まった。

 

 もし槍兵(ランサー)が万全の状態だったなら、あれだけで倒しきる事は難しかったかもしれないが、既に槍兵(ランサー)自身も限界だった。

 

 とどめを刺すには十分すぎたはず。

 

 そう思った次の瞬間、

 

「ッ!?」

「なッ!?」

 

 2人は同時に目を剥いた。

 

 少年たちが見ている目の前で、

 

 ボロボロの槍兵(ランサー)が立ち上がって見せたのだ。

 

 既に甲冑は大半が砕け散り、朱槍も手元に無い。

 

 両足も、残った右腕も完全に折れている。

 

 戦う事は愚か、その場から一歩でも歩く事すらできるはずが無い。

 

 それでも槍兵(ランサー)は立ち上がって見せたのである。

 

 何という執念なのか・・・・・・

 

「良いだろう」

「士郎さん?」

 

 呟く士郎に、久希は怪訝な目を向けながら尋ねた。

 

 対して、士郎は答えずに槍兵(ランサー)を睨みつける。

 

「こうなったら、とことん付き合ってやるよ」

 

 再び戦機が上がる。

 

 三騎士の激突が再開されようとした、

 

 次の瞬間、

 

 乾いた音と共に、槍兵(ランサー)がかぶっていた仮面が割れ、地面に転がる。

 

 その下から、既に力の尽き果てた男の素顔が現れた。

 

 ゆっくりと、生気の尽きた目で士郎と久希を見る槍兵(ランサー)

 

 そして、

 

「・・・・・・・・・・・・ジュリアンを、頼む」

 

 それだけ言い置くと、

 

 その場に崩れ落ちた。

 

 後には顔の無いマネキン人形と、槍兵(ランサー)のカードが残されるのみだった。

 

「・・・・・・何だよ、それ」

 

 槍兵(ランサー)が残した最後の言葉に、士郎は茫然と呟きを返す。

 

 まるで、敵である士郎たちに全てを託すような言葉。

 

 あれは、いったいどういう意味だったのか?

 

 と、

 

「見事だ」

 

 背後からの突然の言葉に、思考は打ち切られる。

 

 揃って振り返った士郎と久希の視線の先には、悠然と佇む言峰綺礼の姿があった。

 

 まるで戦闘が終わるのを待っていたかのような、思わせぶりな登場である。

 

 言峰は周囲を見回すと、呆れたように嘆息した。

 

「神聖な教会をずいぶんと派手に壊してくれたものだな」

「・・・・・・・・・・・・何が言いたい?」

 

 ここを戦場にしたのは、こちらとしても不本意だったのだ。

 

 教会を壊した事への抗議なら、エインズワースにしてほしかった。

 

 だが、言峰は事も無げに続ける。

 

「勘違いしてもらっては困る。私は称えているのだよ」

 

 その視線は、士郎へと向けられた。

 

「特に衛宮士郎、君は勝利の為とは言え、ついに親友の父親まで手に掛けたのだからな」

「なッ!?」

 

 言峰の言葉に、士郎は絶句する。

 

 父親? 親友?

 

 では、先程まで戦っていた槍兵(ランサー)はジュリアンの・・・・・・

 

 驚愕する士郎を傍らに、言峰はすでに動かぬマネキンと化した槍兵(ランサー)の元へ膝を突くと、右手を十字に切った。

 

「ザカリー・エインズワース。この者の魂に天における安らぎが与えられんことを祈る」

「おいッ どういうことだ!? こいつがジュリアンの父親って・・・・・・」

「士郎さん・・・・・・」

 

 激昂する士郎をなだめるように制する久希。

 

 対して、言峰は平然として振り返る。

 

「聞いてどうする? 君は既に選択したのだ。ならば、斬り捨てた側の事情など考慮すべきではない」

「・・・・・・・・・・・・」

 

 言峰の言葉に、士郎は黙り込む。

 

 確かに。士郎は既に決断を下した。

 

 美遊を助けるために、世界を犠牲にする、と。

 

 そして、その為に立ち塞がるエインズワースを倒す、と。

 

 言峰の言う通り、敵への同情は、ただ行き足を鈍らせるだけでしかなかった。

 

「・・・・・・・・・・・・答えろ」

 

 ややあって、士郎は絞り出すように尋ねた。

 

「ジュリアンは・・・・・・・・・・・・美遊はどこにいる?」

 

 立ち止まる事も、戻る事ももう許されない。

 

 後には、倒れるまで突き進む道があるのみだった。

 

 対して、言峰も重々しく口を開いた。

 

「聖杯を降臨させるとしたら、あそこしかあるまい。

 

 言いながら、言峰の視線は、はるか先の深山町へと向けられる。

 

「古来より龍が住まうとされる地、円蔵山のはらわた。そこに広がる大空洞。そこが、君達の運命の地だ」

 

 

 

 

 

第41話「三騎士激突」      終わり

 



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第42話「決戦の夜」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 ここは随分と、変わってしまったんだな。

 

 足を踏み入れた久希の印象は、そんな感じだった。

 

 自分の記憶にあるその場所は、街中にあってさえ、どこか外界から隔絶された静寂に包まれ、まるで「異界」のような雰囲気の中にあった。

 

 静寂に包まれている、という意味では今も昔も変わらない。

 

 だが、かつては静謐の中にある無音の間があったその場所は、今は生きとし生けるもの全てが死に絶えたような不気味さによって形作られている。

 

 竹林を抜け、その先にある場所へとたどり着く。

 

 そこはもう、クレーターのすぐそばだった。

 

「・・・・・・・・・・・・帰って来たよ」

 

 誰もいないその場所へ、そっと語り掛ける。

 

 込み上げるのは感慨と、望郷と

 

 そして後悔の念。

 

 ここに戻って来るまでに、相当な時間がかかってしまった。

 

「・・・・・・・・・・・・すぐに来れなくてごめんね」

 

 言いながら、久希は途中で買って来た花束を、置かれた石の前に備える。

 

 ここに眠っている人たちへの手向けとして。

 

「まあ・・・・・・本当は、僕なんかには会いたくなかったかもしれないけど・・・・・・・・・・・・」

 

 言いながら久希はそっと、石の表面を撫でる。

 

 そうする事によって、亡くなった人を感じようとしているかのようだ。

 

「・・・・・・・・・・・・けど、今だけは・・・・・・今だけは、どうか許してほしいかな」

 

 自嘲的に笑う。

 

 自分は本来、この場所に足を踏み入れる事すら許されない。

 

 自分は咎人だ。

 

 ここに眠る人たちから見れば、会う事すらおぞましいと思われるかもしれない。

 

 だが、

 

 決戦を前にしても、久希はどうしても、この場所に足を向けずにいられなかった。

 

「第五次聖杯戦争も大詰め・・・・・・多分、今夜には決着が着くと思う」

 

 既に4騎の英霊を倒されたエインズワースに残されている戦力は2騎。

 

 これまで死闘を潜り抜けてきた久希と士郎なら、手の届かない物ではなくなっている。

 

 だが、同時に油断も出来ない。

 

 これまでエインズワースが温存に温存を重ねてきた2騎だ。先の槍兵(ランサー)同様、油断ならない相手であろうことは容易に想像できる。

 

 だが、それでも勝たなくてはいけない。

 

 そして「勝つ」対象が、自分ではない事も、久希は自覚していた。

 

「士郎さんは何としても勝たせるよ。それが、あの子の為だから」

 

 そこに迷いは一切無い。

 

 ここからの自分の戦いは全て「士郎に聖杯を取らせる」事に、全て捧げるつもりだった。

 

「その後・・・・・・多分、僕は生きていないだろうね」

 

 士郎に殺されるか? あるいはエインズワースに殺されるか?

 

 いずれにしても全てが終わった後、久希は生き残る気は毛頭なかった。

 

 立ち上がり、

 

 そして口元に微笑を湛える。

 

 優し気な笑顔を見せる久希。

 

「・・・・・・今だけは・・・・・・だから、今だけで良い・・・・・・どうか僕に、力を貸して」

 

 そう告げると、久希は踵を返す。

 

 足早に、そこを後にする少年。

 

 もはや、振り返る事は無かった。

 

 

 

 

 

 久希が教会に戻ったのは、午後になって日が傾きかけたころの事だった。

 

 昨夜の戦闘跡が残る前庭を通り、門を開く。

 

 中へ踏み入れると、士郎が待っていたと言わんばかりに振り返った。

 

「遅かったな。どこ行ってたんだよ?」

 

 少し、咎めるような口調。

 

 その姿に、久希はクスッと微笑を浮かべる。

 

 どうやら「心配をしてくれる」程度には、信頼関係を築けたらしい。

 

 昨夜のVS槍兵(ランサー)戦が功を奏し、士郎と久希はだいぶ打ち解けてきている。

 

 もっとも、親しく笑い合うと言うたぐいのものではなく、あくまで目的を共有する同志としてだが。

 

しかし、それでも最初のころと比べれば、えらい違いだった。

 

「おい」

「ああ、すみません」

 

 ニヤケ顔の久希を咎めるように、士郎は硬い声を発する。

 

 慌てて意識を引き戻す久希。

 

「ちょっと、深山町に用があって行ってきました」

「おいおい」

 

 久希の言葉に、士郎は呆れたように告げる。

 

「あっちは敵地のど真ん中だ。忘れたわけじゃないだろうな?」

 

 現在、士郎たちとエインズワースは、未遠川を挟んで対峙している状態である。

 

 すなわち川を挟んで深山町がエインズワースの領域。新都側が士郎達の領域と言う訳だ。

 

 勿論、それは単に気分的な線引きで会って、実際に勢力圏が分かたれているわけではないのだが。

 

「さて・・・・・・・・・・・・」

 

 長椅子に座りながら、久希は話を進めるべく口を開いた。

 

「それじゃあ、作戦会議と行きますか」

「作戦って・・・・・・これ以上話し合う事なんてないだろ」

 

 久希の言葉に、士郎は呆れ気味に告げる。

 

 既に状況は煮詰まっている。この上、何を話し合うと言うのか?

 

 自分たちにできる事は、円蔵山に攻め込み、敵の英霊を撃破して美遊を奪還する事しかないと言うのに。

 

「ええ、まあ、そうなんですけど・・・・・・・・・・・・」

 

 久希は肩を竦めながら告げる。

 

「それでも、こっちの勝利をより確実にするためには、それなりの工夫は必要だと思うんで」

 

 言いながら、久希は冬木市の俯瞰図を思い浮かべる。

 

 現在、自分たちがいる冬木教会は新都にある。

 

 そして、聖杯が降臨すると言峰から言われた円蔵山は、深山町にある。

 

 この2つの街の間には、未遠川が流れている。

 

 つまり、士郎達が美遊奪還の為に円蔵山を攻めるには、どうしても未遠川を渡る必要がある訳だ。

 

 当然、エインズワース側の激しい抵抗が予想される。

 

 残った2騎の英霊は元より、エインズワースが送り込んで来た尖兵が守りを固めている事だろう。

 

 だが、それを突破しない事には始まらない。

 

「士郎さん・・・・・・・・・・・・」

 

 ややあって、久希は慎重な面持ちで士郎を見ながら口を開いた。

 

「僕は冬木大橋を渡って、正面から攻撃を仕掛けます。士郎さんは、その間に迂回路を取って深山町に入り、円蔵山を目指してください」

「お、おいッ」

 

 久希の言葉に、士郎は慌てた調子で口を開く。

 

 今、久希が言った「作戦」。

 

 それはまるで、久希自身を囮にするような物だった。

 

「それなら、2人で掛かった方が・・・・・・」

「僕たちの目的は、あくまで聖杯の奪取です。なら、より確実性の高い作戦を取るべきです」

 

 言い募る士郎を制して、久希は続けた。

 

 確かに、戦力は集中して使ってこそ意味がある。それならば、士郎と久希は行動を共にすべきだろう。

 

 だが、当然だが、こちらが戦力を集中すれば、エインズワースも迎撃の為に戦力を集中してくるはず。そうなると、2人だけで数十倍、下手をすると数百倍の敵に挑まなくてはならなくなる。

 

 だが、1人が派手に暴れて敵の目を引き付ける事が出来れば、もう1人は労せずして聖杯に近づく事も不可能ではないかもしれない。

 

 勿論、そこまで簡単にはいかないだろう。

 

 エインズワースとてバカではない。迎撃の為の兵力を繰り出す一方で、本拠地を守る兵力は最低限残すはず。

 

 残る2騎の英霊の内、1騎は円蔵山に配置されると見て間違いなかった。

 

 今次聖杯戦争に参戦した英霊の内、残っている敵は弓兵(アーチャー)狂戦士(バーサーカー)

 

 そこから、敵の取るべき行動を予測してみる。

 

「俺が敵の指揮官なら、狂戦士(バーサーカー)を前線に出して、弓兵(アーチャー)を拠点防衛用に残すだろうな」

「確かに・・・・・・」

 

 士郎の言葉に、久希も頷きを返す。

 

 弓兵(アーチャー)は迎撃や待ち伏せに向いている為、攻めてくる敵を迎え撃つのに適している。

 

 逆に狂戦士(バーサーカー)は、広い場所に出て存分に力を振るわせた方がその特性を発揮できるだろう。

 

「なら、僕の相手は狂戦士(バーサーカー)って事になりますね」

「まだそうと決まった訳じゃ・・・・・・おいッ」

 

 話は終わったとばかりに、教会を出て行こうとする久希の背中に声を掛ける。

 

「おい、黍塚ッ!!」

「時間がありません。日が暮れる前に、お互い配置に着きましょう」

 

 そう言って出て行こうとする久希を、士郎は慌てて追いかける。

 

 扉を出たところで、久希は足を止めた。

 

 その背中に、士郎は語り掛ける。

 

「まだ、聞いていない事があるぞ」

「・・・・・・・・・・・・何ですか?」

 

 ようやく、士郎に対して振り返る久希。

 

 互いの視線が、火花を散らす勢いで睨み合う両者。

 

 ややあって、士郎が口を開いた。

 

「お前は本当に、囮になるつもりなのか? 俺を行かせるために?」

「ええ、そうですよ」

 

 士郎の言葉に対し、何の躊躇もなく久希は頷いて見せた。

 

 その言葉に、士郎はますます意味が分からなくなる。

 

 この聖杯戦争に参加した以上、勝って聖杯を手に入れる事は至上の命題のはず。

 

 なのに目の前の少年は、その最大の戦果をあっさりと士郎に譲ると言っているのだ。

 

 偽りでなければ、気が狂っているとしか思えなかった。

 

「・・・・・・なら、何でお前はここにいる? 何が目的なんだ?」

「目的・・・・・・ですか?」

 

 少し、思案するように、久希は遠い目をする。

 

 士郎の疑念も分かる。

 

 何の目的もなく、こんな殺し合いに参加している人間。

 

 そんな物、平常の人間からすれば狂気の沙汰にしか見えない事だろう。

 

「僕の目的は、聖杯を取る事じゃなく、あくまでこの聖杯戦争に参加する事でした。それが今は士郎さん、あなたを勝たせる事に変わった、というだけの話です」

 

 言ってから、久希は士郎を真っすぐに見据える。

 

 その瞳には、優し気な笑みが浮かべられていた。

 

「あなたは、僕が昔捨てた物を、全部拾ってくれた。僕があなたの為に命を掛ける理由は、本当にそれだけで充分なんです」

「何の事だ?」

 

 久希の言わんとする事。

 

 久希が行動する理由。

 

 果たしてそれは・・・・・・・・・・・・

 

「僕は・・・・・・・・・・・・」

 

 そこで、

 

 一陣の風が吹く。

 

 木々を揺らす風が2人の間を駆け抜け、一切の音が呑み込まれる。

 

「・・・・・・・・・・・・なッ!?」

 

 話を聞いた士郎は、思わず絶句して久希を見る。

 

 対して、久希は柔らかく微笑む。

 

「この事を知っているのは、あの似非神父を除けば士郎さん、世界中であなただけ。そして僕は、この事を誰にも話す気はありません。ただ、これで僕が、あなたの為に命を掛けられる理由が、判ってもらえたと思います」

 

 久希は再び踵を返す。

 

「エインズワースは倒す。そして、あの子は必ず助け出す。今の僕には、それ以外の願いなんてありません」

「黍塚・・・・・・・・・・・・」

 

 呼びかけに対して笑顔を見せる久希。

 

 その笑顔には、どこか悲壮めいた物を士郎は感じるのだった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 風が吹く。

 

 外気の寒さにも関わらず、妙に生ぬるい風が、肌に纏わり付くように吹き抜けていった。

 

 久希は冬木大橋の中央に立ち、深山町側に広がる闇を凝視していた。

 

 既に住民の殆どがいなくなり、ゴーストタウン化した深山町は、夜になると一片の明かりも無く、本当に異界と化したかのような不気味さが存在している。

 

 現在、午後11時59分。

 

 あと50秒ほどで日付が変わる。

 

 士郎との取り決めで、作戦開始は午前0時ちょうどと決めている。

 

 あと少し。

 

 あと少しで全てが始まり、そして終わる事だろう。

 

「・・・・・・思えば、長かったな」

 

 ふと、自分がこれまで歩んで来た道を振り返り、久希は自嘲的に笑う。

 

 自ら犯した罪により、幼い頃に家を追われ、故郷を捨てた自分。

 

 その後は、流浪と退廃の日々だった。

 

 生き残る為なら、何でもやった。

 

 まっとうな仕事から非合法な物まで。

 

 ただ、そんな中、人づてに伝え聞いた事が、自分の足を故郷へと向けさせた。

 

 冬木市の壊滅。

 

 聖杯戦争の継続。

 

 エインズワースの暗躍。

 

 そして、

 

 死んだと思っていた朔月美遊生存の可能性。

 

 帰らなければ、と思った。

 

 たとえ自分の全てを投げ打ってでも、守らなければ、と思った。

 

 だが、いざ探し出してみると、あの子は別の人に引き取られ、幸せそうに暮らしていた。

 

 これなら安心だ。自分の出番は何もない。

 

 そう思った矢先。

 

 この街の闇が、動き出した。

 

 エインズワースの活動再開と、第五次聖杯戦争の開戦。

 

 そして朔月美遊拉致と、衛宮士郎の参戦。

 

 そこで、自分の行くべき道は決まったと思った。

 

 すなわち、士郎をこの聖杯戦争で勝ち残らせるために、全てを捧げる。

 

 その過程で自らの命が失われようとも、後悔はしなかった。

 

 今のあの子に必要なのは、自分ではなくてあの人だと思ったから。

 

 その時、

 

 腕時計のアラームが鳴り、時刻が0時を差した事を告げてきた。

 

「・・・・・・・・・・・・行くか」

 

 低く呟くとともに、深山町側に向かって歩き出す。

 

 歩調を変えず、真っすぐに。

 

 その姿は、底深い闇に飲み込まれていくかのようだ。

 

 時間が時間だけに、通る車も人も存在しない。

 

 静寂の中、久希の靴が鳴らす足音だけが、淡々と響き渡っていた。

 

 やがて、

 

 橋を抜け、深山町へ入る。

 

 ここから先は、完全に敵の領域だ。

 

 そう思った瞬間、

 

 無数の気配が、湧き上がってくるのを感じた。

 

 闇の中から這い出るように、多くの足音が聞こえてくる。

 

 橋の入り口で立ち尽くす久希を、3方向から包囲するように。

 

 それは、例のマネキン人形だった。

 

「エインズワースの尖兵、か・・・・・・・・・・・・」

 

 手に手に、それぞれの武器を持って近づいてくる。

 

 対して、

 

 久希はコートのポケットから、剣士(セイバー)のカードを取り出して掲げる。

 

「手加減はしない。今日は、最初から最後まで全力で行かせてもらう」

 

 起動される魔術回路。

 

 体内の魔力が一気に活性化する。

 

夢幻召喚(インストール)!!」

 

 叫ぶ久希。

 

 同時に衝撃波が発生、少年の身体が視界の中から消え去る。

 

 包囲していた人形たちの一部が、その衝撃に巻き込まれて吹き飛ぶのが見えた。

 

 やがて、全ての風がやんだ時。

 

 そこに立つ少年の姿は一変していた。

 

 青い装束に銀の甲冑。手には不可視の剣を持つ。

 

 騎士王アーサー・ペンドラゴンとして、久希は迫りくる軍勢を睨み据える。

 

「行くぞ」

 

 低い呟き。

 

 同時に、少年は地を蹴って疾風の如く駆けだした。

 

 

 

 

 

 飛び込むと同時に、不可視の剣を一閃。

 

 前線を形成するマネキンの一群を、まとめて斬り飛ばす。

 

 バラバラに砕けて地面に転がるマネキンたち。

 

 しかし、元より相手は感情はおろか、人格すら無いマネキンたち。仲間が壊されたことぐらいで、怯むはずもない。

 

 仲間の残骸を乗り越え、次々と襲い掛かってくる。

 

 それらを久希は、片っ端から斬り飛ばしていく。

 

 不可視の剣は風を孕み、群がる敵を斬り捨てる。

 

 突き込まれた槍襖を切り崩し、真っ向から剣を振り下ろす。

 

 斬り裂かれたマネキンが地面に崩れ落ちたのを見ながら、次の目標へと駆ける久希。

 

 目につく限りの敵を、片っ端から斬って捨てる。

 

 斬って前へ、

 

 ただひたすら前へ、

 

 久希はその一念のみで剣を振るい、敵を蹴散らしていく。

 

 勿論、マネキンたちも黙ったいない。

 

 相手は英霊とは言え1人。多人数で掛かれば負けないはずが無い。

 

 四方八方から、一斉に襲い掛かってくる。

 

 だが、久希は、その全てをかわし、弾き、斬り返す。

 

 同士討ちも積極的に狙う。

 

 無限に湧き出て来るかのような敵を前にして、しかし久希は息一つ乱さない。

 

 屍の山は、瞬く間に築かれていった。

 

 街中に散らばるマネキンの躯達。

 

 たとえ万の軍勢を連ねても、1人の英雄にはかなわない。

 

 それを如実に表す光景だった。

 

 と、

 

 強烈な足音と共に、巨大な影が久希の前に出現する。

 

「・・・・・・・・・・・・へえ」

 

 その姿を見て、久希は少し驚いたように声を上げる。

 

 それまでのマネキンとは一線を画する存在。

 

 巨熊ほどの大きさもあり、手には巨大な槌を持っている。

 

 太い腕などは久希の胴よりも大きい。

 

 あんな物に一撫でされたら、久希の体など一撃でバラバラにされてしまう事だろう。

 

「いろいろ考えるね、エインズワースも。そう言うところは尊敬するよ」

 

 呟くように言いながら、剣を構えて斬り込む久希。

 

 そのまま斬りあげるように不可視の剣を振るう久希。

 

 対して、上段から槌を振り下ろす巨大マネキン。

 

 次の瞬間、

 

 激突する両者。

 

 果たして、

 

 押し負けたのは、巨大マネキンの方だった。

 

 何倍もの巨躯を誇る巨大マネキンが、小さな少年に力負けしたのだ。

 

「所詮は、人形ですね」

 

 斬り上げた勢いを、そのまま逆ベクトルに変換して斬り下げる久希。

 

 縦に光る剣閃。

 

 その一撃で、

 

 巨大マネキンは頭頂から足先まで、一気に斬り下げられ、左右に真っ二つになって崩れ落ちた。

 

 たとえ何を持ってこようが、雑兵如きが英雄に敵うはずもなかった。

 

「さてッ」

 

 次の目標に向けて、剣を構えなおす久希。

 

 次の瞬間だった。

 

 

 

 

 

「ハッハァァァァァァ!!」

 

 

 

 

 

 どこかねじの外れたような笑い声と共に、頭上から降り注ぐ、明確なまでに強烈な殺気。

 

「ッ!?」

 

 久希はとっさに振り仰ぐ。

 

 よりも先に、その場から飛びのき、大きく後退する。

 

 半発の間を置いて、上空から急降下してきた何者かが、手にした巨大な剣を、それまで久希が立っていた場所へと振り下ろした。

 

 轟音と衝撃。

 

 飛び散るコンクリート。

 

 後退した久希は、間合いを数間置いて警戒するように剣を構える。

 

 明らかに、これまでとは違う気配。

 

 雑兵ではない。指揮官クラスの者が出てきた気配がする。

 

 その視線の先で、

 

 小柄な影が立ち上がった。

 

「お人形遊びに飽きてきたところだろ? そろそろあたしと遊んでくれよ」

 

 そう告げた少女は、殺気の籠ったぎらつく視線を久希へと向けてくる。

 

 腰回りには裾の長い布を巻き、上半身はほぼ裸。唯一、胸回りのみ布で覆ている。

 

 長い髪をツインテールに結った姿には、どこか幼さを感じさせる。

 

 しかし、手にした巨大な斧剣が、圧倒的なまでの凶悪な存在感を溢れさせていた。

 

「・・・・・・成程、確かに狂戦士(バーサーカー)だ。士郎さんの予想は正しかったわけだ」

「あッ? 余裕ぶっこいてんじゃねえぞ、もやし野郎」

 

 静かに告げる久希の言葉に対し、狂戦士(バーサーカー)の少女は、敵意をむき出しにして斧剣を振り翳す。

 

「そのニヤケ面、今すぐこいつで叩き潰してやるよ!!」

「やれるものならッ」

 

 言い放つと同時に、両者は同時に地を蹴った。

 

 

 

 

 

 冬木大橋付近で、久希がエインズワース勢と戦闘を開始した頃、

 

 未遠川上流にある迂回路を通って、密かに深山町に潜入する事に成功した士郎は、その足で真っすぐに円蔵山を目指していた。

 

 周囲に敵の気配はなく、士郎は文字通り無人の野を進んでいく。

 

 久希の陽動が効いている証拠だった。

 

 彼方の方では、剣戟の音が微かに響いているのが分かる。

 

 時折、爆音のような物も聞こえてきた。

 

 正直、後ろ髪を引かれる物もある。

 

 しかし、振り返る事は許されない。

 

 久希が文字通り、命がけで作ってくれたチャンス。無駄にはできなかった。

 

 勝手知ったる街中を抜け、山間部へと足を向ける。

 

 目指す円蔵山の石段は、すぐに見えてきた。

 

 はやる気持ちを押さえて、士郎は一段ずつしっかりと昇っていく。

 

 ここから先は、完全に敵の領域。いつ、奇襲があってもおかしくは無い。

 

 張り詰めた空気を抱えたまま登っていく。

 

 意外な事に、階段を上っている間は、敵が仕掛けてくる事は無かった。

 

 だが、油断はできない。

 

 言峰から聞いた大空洞の場所まで、気を抜く事は出来なかった。

 

 古風な山門をくぐる士郎。

 

 そこから先は、冬木市に古くからある寺、柳洞寺の境内となる。

 

 そこで、

 

「止まれ」

 

 足を止めた。

 

 士郎の視線の先。

 

 本殿を背景に、1人の女性が立っている。

 

 背の高い、グラマラスな女性。

 

 金色の甲冑に身を包み、長い髪をツインテールに結い上げている。

 

 そして、

 

 釣りあがった双眸は、明らかな敵意でもって、士郎を睨み据えていた。

 

「それ以上進む事はまかりならん。1歩でも前へと進めば、その瞬間、貴様の魂は地獄へ落ちると知れ」

 

 言いながら、右腕を横に一閃する女性。

 

 同時に、背後に金色の門が開き、中から無数の武具が出現。その穂先を、士郎へと向けた。

 

 その様を、士郎は真っ直ぐに見据える。

 

「成程。それが本来の『弓兵(アーチャー)』・・・・・・ギルガメッシュのカードか」

 

 本来、桜が持つはずだったカード。

 

 そして、

 

 エインズワースが桜をだますために使ったカード。

 

 その存在を前にして、士郎は平静ではいられなかった。

 

「地に伏して許しを乞え。だが、それ以上一歩でも前へ進めば、貴様の命を撃ち落とす」

 

 厳かに告げる女性。

 

 だが、

 

 構わずに一歩、前へ出る士郎。

 

 その様に、女性は眉をしかめて睨みつける。

 

「・・・・・・愚かな」

 

 次の瞬間、

 

 射出された武具が、一斉に士郎へと殺到した。

 

 

 

 

 

第42話「決戦の夜」      終わり

 



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第43話「無限の剣製」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 まっすぐに飛んで来る武具の群れ。

 

 今の士郎には判る。

 

 その一本一本全てが、時代に名を成した一線級の宝具であると。

 

 洋の東西、古今を問わず、あらゆる武具、宝物の原点をすべて所有し、それを振るう事を許された唯一の英雄。

 

 メソポタミア、ウルクの王ギルガメッシュ。

 

 故に呼ばれて「英雄王」

 

 桜が最強と言ったのは、決して誇張ではない。

 

 あのカードが桜の手にあれば、間違いなく聖杯戦争の勝利は桜の物となっていた事だろう。

 

 飛んで来る宝具の群れ。

 

 その全てを受ければ、士郎は無事では済まないであろうことは、明々白々である。

 

 次の瞬間、

 

投影(トレース)開始(オン)

 

 低く囁かれる詠唱。

 

 同時に、黒白の斬線が縦横に奔り、飛んできた宝具全てを叩き落して見せた。

 

「ぬッ!?」

 

 英雄王ギルガメッシュの英霊を纏う女性。エインズワース家の尖兵「ドールズ」の1人であるアンジェリカは、僅かな驚愕と共に士郎を見た。

 

 必殺の念を込めて放った宝具射出。

 

 今の士郎は夢幻召喚(インストール)すらしていない生身の状態。

 

 ならば、アンジェリカの攻撃を防ぐ事など、できない。

 

 その、はずだった。

 

 にも拘らず、放った攻撃は全て弾かれ、士郎は無傷のままそこに立っている。

 

 そして、

 

 士郎の手には、投影魔術で作り出した黒白の双剣、干将・莫邪が存在していた。

 

「馬鹿な・・・・・・その戦い方は・・・・・・それに、剣だと?」

 

 驚くアンジェリカを前にして、士郎はゆっくりと体を起こす。

 

「・・・・・・俺をただの人間だとでも思ったか? そいつは認識が甘いぞ、英雄王」

 

 言い放つと同時に、士郎の手には再び干将・莫邪が出現。

 

 更に同時に、その周囲の空中には無数の剣が現れ、その切っ先を一斉にアンジェリカへと向けた。

 

「お前が挑むのは正真正銘、英霊のまがい物だ!!」

 

 叫ぶ士郎。

 

 その言葉に、アンジェリカは不快気に目を細めた。

 

「我らエインズワースを前にして、偽物の偽物を名乗るかッ その罪、命でしか購えぬと知れ!!」

 

 言い放つと同時に、

 

 アンジェリカは再び攻撃を再開する。

 

 宝物庫から取り出した武具を一斉に射出。

 

 放たれた刃が、次々と士郎へ殺到する。

 

 対抗するように、士郎も投影した武具を射出。飛んで来るアンジェリカの攻撃を弾きながら前へと進み続けた。

 

 

 

 

 

 冬木大橋付近での激闘も続いていた。

 

 不可視の剣を掲げ、真っ向から斬り込んでいく久希。

 

 対抗すべく、ドールズの1人で狂戦士(バーサーカー)の英霊として現れたベアトリス・フラワーチャイルドは、手にした斧剣を大上段から振り翳す。

 

「オラァッ!!」

 

 真っ向から振り下ろされる巨大な石の刃。

 

 対して、久希は鋭く剣を斬り上げる。

 

 激突。

 

 ほぼ同時に、両者の剣は弾かれた。

 

「ッ!?」

「はッ!!」

 

 息を呑む久希に対し、ベアトリスは嘲るような笑みを浮かべて斧剣を引き戻す。

 

 久希が体勢を立て直すよりも早く、ベアトリスは斬りかかる。

 

 振り下ろされた斧剣が、足元の地面を破砕。コンクリートが破片となって久希に襲い掛かる。

 

 そこへ、

 

 ベアトリスは更に追撃を仕掛けた。

 

「シャァッ!!」

 

 横なぎに振るわれる斧剣。

 

 対して、久希は不可視の剣を振るって攻撃を弾く。

 

 だが、

 

 殺しきれない勢いにより、久希の体は大きく後退する。

 

「ハッ どうしたッ!? その恰好は見掛け倒しかよ!!」

 

 追撃するベアトリス。

 

 真っ向から襲い掛かり斧剣を振り下ろす。

 

 対して、とっさに背後の民家に跳び上がり、攻撃を回避する久希。

 

 だが、

 

「それでかわしたつもりかよッ!!」

 

 叫ぶと同時に、斧剣を横なぎに振るうベアトリス。

 

 その一閃が、文字通り民家を叩き潰した。

 

「なッ!?」

 

 驚いて、とっさに飛び降りる久希。

 

 ベアトリスは更に縦横に斧剣を振るい、民家を跡形もなく吹き飛ばしてしまう。

 

「やる事が大雑把だな、あなたはッ!!」

「泣き言かよ!!」

 

 飛んで来る破片を回避しながら舌打ちする久希。

 

 構わず、向かってくるベアトリス。

 

 小柄ながら、圧倒的な戦闘力を誇っているベアトリス。

 

 そもそも聖杯戦争における狂戦士(バーサーカー)システムとは本来、力の弱い英霊をあえて狂化する事により、大英雄並みの戦闘力を発揮させることにある。

 

 だが、ベアトリスが纏う狂戦士(バーサーカー)の名は、ヘラクレス。

 

 ギリシャ神話に並ぶもの無き、半人半神の大英雄。

 

 数々の魔物討伐で名を馳せた戦士。

 

 およそ「英雄」のカテゴリの中にある存在であって、「究極」の一角である事は間違いない。

 

 元々、最強クラスだった英霊を、狂化によって更に底上げしたのだ。その戦力は反則級と言ってよかった。

 

 向かってくるベアトリス。

 

 その姿を見据え、

 

 久希は地を蹴った。

 

 魔力放出で自らを加速。一気に間合いへと斬り込む。

 

「なッ!?」

 

 予期しえなかった久希の反撃を前に、ベアトリスは一瞬、驚いて動きを止める。

 

 間合いを狂わされたベアトリス。

 

 その一瞬の隙に、久希は斬り込んだ。

 

 逆袈裟に斬り上げられた不可視の剣閃。

 

 ベアトリスの身体が斬り裂かれる。

 

 手応えは、あった。

 

 剣を振り切った状態で、久希は確信する。

 

 だが、

 

「・・・・・・・・・・・・で、それがどうしたんだよ?」

「なッ!?」

 

 冷酷に告げられたベアトリスの言葉に、久希は思わず絶句する。

 

 そのベアトリスはと言えば、何事も無かったように斧剣を振り翳している。

 

 見ればたった今、久希の斬撃によって受けた傷も塞がり始めていた。

 

「ッ!?」

 

 振り下ろされた斬撃を、後退する事で回避する久希。

 

 同時に地に着いた足に力を籠め、再び斬りかかる。

 

 対して、攻撃を終えた直後のベアトリスは、すぐには動けない。

 

 久希の剣は、確実にベアトリスを捉えた。

 

 次の瞬間、

 

 ガキッ

 

「何ッ・・・・・・・・・・・・」

 

 ベアトリスの肩に当たった久希の剣は、けんもほろろに弾き返されてしまった。

 

「ハッハー 無駄無駄ァ!!」

 

 言い放つと同時に、斧剣を横なぎに振るうベアトリス。

 

 その一撃を久希は、辛うじて受け止めた物の、大きく吹き飛ばされてしまう。

 

「ヘラクレス舐めんじゃねえよッ そんな蚊に刺された攻撃が効く訳ねえだろ!!」

 

 身を起こしながら、久希は内心で舌打ちする。

 

 十二の試練(ゴッド・ハンド)

 

 大英雄ヘラクレスは生前に成した十二の偉業により、その魂は12回殺さない限り倒す事が出来ない。

 

 加えて、第一級の攻撃以外では、その防御力を貫く事も叶わず、更には、一度受けた攻撃は、二度目以降は殆ど通用しなくなると言う、殆ど出鱈目とも言うべき防御型宝具を持っているのだ。

 

 久希の剣が、2度目には弾かれたのは、そう言った理由である。

 

「・・・・・・・・・・・・成程」

 

 口元に滲んだ血を拭いながら、久希は不可視の剣を構えなおす。

 

「厄介ですけど、先にそれをどうにかしないと始まらないですね」

 

 その余裕ぶった言葉に、

 

 聞いていたベアトリスは鼻白んだように睨みつける。

 

「おいおい、頭逝っちゃってんですかー? 大英雄ヘラクレス相手に、余裕こきすぎだろ」

「まあ、ね」

 

 ベアトリスの嘲笑にも取り合わず、久希は剣の切っ先を向ける。

 

「けど、どんな強力な武器も、正体が判れば対処もできるってもんです」

 

 その言葉に、

 

 ベアトリスの苛立ちは一気に沸点を衝く。

 

 斧剣を振り翳す少女。

 

「舐めんじゃねえよ、クソがッ!!」

 

 同時に、久希も向かってくるベアトリスを冷静に見据えて地を蹴った。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 物事には様々なイレギュラーが付き物だが、この聖杯戦争においても、主催者たるエインズワースは様々なイレギュラーに見舞われていた。

 

 その一つが、久希の存在だろう。

 

 開戦直前に奪われた最優の英霊「剣士(セイバー)」が久希の手に渡り、それがエインズワースにとって無視しえない障害となって立ちはだかっている事は、彼らにとって臍を噛みたくなるくらいの痛恨事だったはず。

 

 だが、それ以上の、イレギュラー中のイレギュラーは、間違いなく士郎の存在だった。

 

 彼らにとって完全に誤算だったはずだ。

 

 士郎が屑カードを英霊の座に繋げてしまった事も。

 

 その英霊が他ならぬ、衛宮士郎本人であった事も。

 

 そして、

 

 これは彼らすら知らなかったことだろう。

 

 もし、「自分自身のカード」を使い続けたら、どうなるか、と言う事を。

 

 飛んで来る武具を弾き、斬り飛ばしながら士郎は前へと進む。

 

 次々と投影され、射出される武具。

 

 回を重ねるごとに、投影の精度も、速度も上がっていくのが判る。

 

 英霊「エミヤ」のカードを使い続けた結果、士郎の身に僅かな変化が起こり始めていた。

 

 自分が至るかもしれなかった未来。

 

 その可能性への憑依を繰り返した結果、士郎は未来における技能と魔術回路を先取りし、その「起源」すら、(エミヤ)から譲りうける事となった。

 

 否、

 

 より正確に言えば、士郎の身は徐々に、英霊「エミヤ」へと置換されつつあったのだ。

 

 士郎は戦闘が始まっても夢幻召喚(インストール)せずに戦っているが、戦闘力には何の問題も無い。

 

 むしろ、夢幻召喚(インストール)して戦っていた時よりも調子が良いくらいである。

 

 更に、左腕の一部と左目周辺が褐色化している。これは置換が始まっている何よりの証拠であった。

 

 間もなく、衛宮士郎と言う存在は完全に消えてなくなるだろう。

 

 だが、それでもかまわない。

 

 士郎はそう思った。

 

 たとえこの身が如何なる事になろうが、美遊さえ助け出す事が出来れば関係なかった。

 

 退路は既にない。自ら断った。

 

 久希が捨て身でこの戦いに挑んだように、士郎も死を覚悟してこの場に立っていた。

 

 アンジェリカの迎撃をすり抜け、士郎は剣の間合いに踏み込む。

 

「もらったッ!!」

 

 跳躍と同時に、振り下される黒白の双剣。

 

 だが、それよりも早く、アンジェリカは自身も宝物庫から剣を取り出して士郎の斬撃を防ぐ。

 

偽物(フェイカー)風情が、舐めるなァ!!」

 

 アンジェリカが叫ぶと同時に、士郎の足元に門が開く。

 

「ッ!?」

 

 とっさに後退する士郎。

 

 間一髪。

 

 それまで士郎が立っていた場所の足元から、巨大な剣が出現する。

 

 あと一歩遅かったら、士郎の体は串刺しにされていた事だろう。

 

 だが、体勢を崩した士郎に、アンジェリカは追撃の手を緩めない。

 

 次々と門を開くと、ここぞと灯に武具を一斉掃射する。

 

 たちまち、押し戻される士郎。

 

 飛んで来る攻撃を、辛うじて回避していく。

 

 両者の間合いは、再び大きく開かれる。

 

「・・・・・・・・・どうに死に体のはず」

 

 視界の先で身を起こす士郎を見ながら、アンジェリカは不審な面持ちで呟く。

 

 その視界の先では、士郎がよろめきながらも立ち上がろうとしていた。

 

「だと言うのに、剣戟の重さも投影速度も上がってきている。どんな出鱈目を用いているかは知らんが、その先にあるのは明確な破滅だ」

 

 その言葉を聞きながら、

 

 士郎は顔を上げて真っすぐに、アンジェリカを見た。

 

「・・・・・・・・・・・・思い出したよ。あの時のアレは、お前だったんだな」

 

 そう告げる士郎の脳裏には、かつて美遊を奪われた時の苦い記憶が蘇っていた。

 

 あの時、美遊を取り戻そうとジュリアンに駆け寄った士郎は、背後から襲い掛かった何者かに、無数の武具で刺し貫かれて意識を失った。

 

 あの時の状況と、アンジェリカの戦い方は瓜二つと言ってよかった。

 

 それにしても、

 

 士郎はフッと笑って、アンジェリカを見る。

 

「それにしてもお前、案外、可愛い奴だな」

「・・・・・・なに?」

 

 どこか挑発するような士郎の言葉に、アンジェリカは訝るような眼差しを向ける。

 

 対して士郎は、不敵な笑みと共に言い放った。

 

「戦っている最中に相手の心配か。俺にはとても、そんな余裕は無かったよ」

 

 死闘に次ぐ死闘の連続だった士郎。

 

 ここに至るまで、死を覚悟しなかった事など一度としてなかった。

 

 たった一度の差し違えが死に直結する極限の状況の中、士郎は勝ち残って来たのだ。

 

「お前らはお前らの信じる物を背負って戦ってきたように、俺にだって背負っている物がある。だから、負けるわけにはいかなかった」

 

 士郎の言葉に対し、アンジェリカは不快気に口元を歪める。

 

「それは個人の感情か? あるいは感傷か? いずれにしても、この世で最も下らぬ物だ」

 

 滅びゆく世界を救う。その為に、美遊と言う個人を犠牲にする。

 

 全の為に一を斬り捨てるを善とする。

 

 そうした考えを持つエインズワースにとって、全を切り捨てて一を守ろうとする士郎の在り方は、確かに悪その物なのかもしれない。

 

 ある意味、

 

 士郎の周りには、様々な正義があった。

 

 衛宮切嗣は、この世全ての救済を夢見た。

 

 ジュリアン・エインズワースは種の継続を選んだ。

 

 そして衛宮士郎は、たった1人の幸せを願った。

 

 それぞれが正義であり、それぞれが相容れぬ。

 

 片方から見れば、片方は悪と成り得ることだろう。

 

 正義とは、それ程までにあやふやで不確かな物なのだ。

 

 そして、もう1人、

 

 「彼」は至ってしまった。

 

 自らが目指した、理想の果て。その伽藍洞になった心象風景へと。

 

 眦を上げる士郎。

 

 その瞳に戦機が映る。

 

 双眸は、真っ向からアンジェリカを睨み据える。

 

「残ってしまった俺の命全てを賭けて、美遊は返してもらうぞ!!」

 

 言い放つと、左腕を掲げる士郎。

 

 同時に魔術回路を最大起動させる。

 

「そこをどけッ 英雄王!!」

 

 対抗するように、アンジェリカも宝具の一斉射出を再開した。

 

 

 

 

 

 鋭く放たれる横なぎの一閃。

 

 不可視の閃光によって両断された世界。

 

 その静謐の中、

 

 剣を振り切った久希は、ゆっくりと視線を上げる。

 

 その目の前では、喉を切られて鮮血を撒き散らす、ベアトリスの姿があった。

 

「・・・・・・これで、3回目」

 

 久希が呟く間に、

 

 ベアトリスが顔を上げる。

 

 その首元にある傷は、既に完全に塞がっていた。

 

「無駄だっつってんだろ」

 

 言った瞬間、手にした斧剣を轟風と共に振るう。

 

 その一撃を、剣を返して辛うじて防ぐ久希。

 

 少年の体は大きく後退する。

 

 足裏でブレーキを掛けながら、辛うじて踏み止まる久希。

 

 だが、内心の焦りは隠しようが無かった。

 

 これまで久希がベアトリスに与えた致命傷は3回。並の英霊なら、とっくに消滅しているレベルである。

 

 流石は大英雄と言ったところか。

 

「どうした、さっきまでの余裕はどこに行ったんですかァァァ?」

 

 嘲笑交じりのベアトリスの言葉。

 

 対して、久希は唇を噛み占める。

 

 確かに、

 

 業腹だがベアトリスの言うとおりだ。

 

 既に3つの命を奪ったとは言え、久希の攻撃も効き辛くなってきている。

 

 このままあと9回。その全てを削り切る前に、久希の方が限界を迎えるであろうことは、想像に難くなかった。

 

「さて・・・・・・・・・・・・」

 

 どうする?

 

 このままじゃじり貧確実。何か手を打たないと敗北は必至だった。

 

 あるいは・・・・・・・・・・・・

 

 久希は、自分の手の中にある「見えない剣」に目をやる。

 

 宝具を使えば、とも思う。

 

 剣士(セイバー)のクラスカードに宿る英霊。

 

 ブリテンに名高き、騎士王アーサー・ペンドラゴン。

 

 その彼が振るう宝具は、言うまでもなく聖剣エクスカリバーである。

 

 振るえば万軍をも打ち滅ぼすとも言われる星の聖剣ならば、大英雄ヘラクレスにも十分対抗は可能だろう。

 

 だがしかし、問題もある。

 

 エクスカリバーは、その力の強大さゆえに、普段は厳重にも厳重な封印が掛けられている。

 

 風王結界(インヴィジブル・エア)も封印の一つだが、その他に十三拘束(シールサーティーン)という封印も存在する。

 

 これは、文字通り十三段階の封印であるが、その解除にはアーサー王自信を含む、円卓の騎士13人中、半数以上の承認が必要となる。

 

 封印を解くには、円卓の騎士たちに、如何にこの戦いが意義ある物であるかを認めさせなくてはならないのだ。

 

 だが、現状においては、半数どころか3分の1の承認ですら、得られるかどうか怪しい。

 

 それではヘラクレスに対抗する事は難しいだろう。

 

 星の聖剣エクスカリバーとは、それ程までに強力で危険な存在なのだ。

 

「・・・・・・・・・・・・いや」

 

 久希は、脳裏にある事を思い浮かべ、思案する。

 

 現状ではエクスカリバーは全力使用する事が出来ない。否、開放自体は可能だが、全力には程遠いだろう。

 

 ならば、

 

 現状で打てる手段を、模索しなくてはならない。

 

「やってみるか」

 

 不敵に呟く久希。

 

 そこへ、突撃してくるベアトリスの姿が見えた。

 

「さあッ 今度こそ、迷わずあの世に行っちまいなァ!!」

 

 振り翳される斧剣。

 

 対して、

 

 久希はグッと、身を低くして剣を構える。

 

 見定める、己が敵。

 

 同時に、剣を覆う風王結界(インヴィジブル・エア)を開放し、剣を一閃する。

 

風王鉄槌(ストライク・エア)!!」

 

 解放される暴風の一閃。

 

 解き放たれた大気が、強烈な破壊力を伴って吹き荒れる。

 

 その打撃力を前に、

 

「グゥッ!?」

 

 ベアトリスが、一瞬動きを止める。

 

 さしもの大英雄ヘラクレスも、強烈な大気の一撃には怯まざる柄を得なかった。

 

 だが、それも一瞬の事である。

 

 体勢を立て直したベアトリスは、すぐさま攻撃に移るべく動く。

 

「どうしたッ それで終わり・・・・・・・・・・・・」

 

 最後まで言い切る事を、ベアトリスは出来なかった。

 

 なぜなら、

 

 次の瞬間には、久希の姿がベアトリスのすぐ眼前に現れていたからだ。

 

 風王鉄槌(ストライク・エア)を放った直後、久希は魔力放出を利用して、ベアトリスに斬り込みをかけていたのだ。

 

 風王鉄槌(ストライク・エア)で倒しきれない事は、初めから織り込み済み。

 

 風はあくまで囮。本命は、久希自身による直接攻撃の方だった。

 

「ハァァァァァァァァァァァァ!!」

 

 突き込まれる剣閃。

 

 その一撃が、

 

 ベアトリスの胸を、真っ向から貫通した。

 

「グッ!?」

 

 激痛に、歯を食いしばるベアトリス。

 

 久希の剣は、手元付近までベアトリスの身体に突き刺さっている。

 

 明らかなる致命傷、

 

 だが、

 

 その状態で尚、ベアトリスは笑みを浮かべて見せた。

 

「・・・・・・・・・・・・だ、から、無駄だって、言ってんだろうがよ」

 

 激痛に苛まれながらも、その口調には余裕が感じられる。

 

「確かに、『一つ』潰されたがよ、こっちにはまだ、命が8つもあるんだ。何やったってどうせ無駄なんだから、さっさと諦めるんだな」

 

 大胆かつ不敵な発言。

 

 その言葉には、己の纏う最強の英霊に対する、絶対的な自信が伺える。

 

 対して、

 

「・・・・・・・・・・・・生憎だけど」

 

 久希もまた、

 

 不敵な笑みで返した。

 

「僕の狙いは、ここからだ」

「何ッ!?」

 

 驚くベアトリス。

 

 間髪入れず、久希は仕掛けた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

十三拘束解放(シールサーティーン)!! 円卓議決開始(デシジョンスタート)!!」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 驚くべき事に、

 

 久希はベアトリスに剣を突き刺したまま、聖剣解放を開始したのだ。

 

 溢れ出る魔力が閃光の如く噴き出し、周囲一帯を染め上げる。

 

「お、おいッ 何する気だテメェッ やめろッ やめろォォォ!!」

 

 流石に不穏な物を感じ、叫ぶベアトリス。

 

 だが、

 

 もう遅い。

 

 

 

 

 

「これは、友に捧げる戦いである」

 パーツィバル、承認。

 

 

 

 

 

「これは、一対一の戦いである」

 パロミデス、承認。

 

 

 

 

 

「これは、精霊との戦いではない」

 ランスロット、承認。

 

 

 

 

 

「これは、私欲無き戦いである」

 ガラハット、承認。

 

 

 

 

 

 4拘束解放。

 

 予想通り、3分の一にも満たない。

 

 だが、それで十分だった。

 

 たとえわずかで解放されれば、その分の魔力は剣から放たれる事になる。

 

 そして剣は今、ベアトリスに突き刺さっている。

 

 すなわち、あふれ出た魔力は、開放に伴う衝撃ともども、ベアトリスの体内に直接流し込まれる事になる。

 

 いかに強大な防御力を誇る存在であっても、内側は脆い。

 

 ヘラクレス自身なら大ダメージを負いながら、それでも尚、耐える可能性はある。

 

 だが、依り代となっているベアトリスは、そうは行かなかった。

 

 溢れ出る魔力が、ベアトリスの身体を内側から食いつぶし、叩き壊す。

 

「ガァァァァァァァァァァァァ!?」

 

 堪らず、悲鳴を上げるベアトリス。

 

 彼女の中で8つ残っていたヘラクレスの魂が、次々と叩き潰されていく。

 

 オーバーキル。

 

 8つの魂を一つ一つ削るのは現実的ではない。

 

 ならば、大出力の一撃でもって、全ての魂を一気に叩き潰してしまった方が得策だった。

 

「ガァァァァァァァァァァァァ!?」

 

 叫ぶベアトリス。

 

 彼女の中でついに、合計で11個目の魂も吹き飛ばされる。

 

 それでも尚、聖剣からあふれる魔力は留まるところを知らない。

 

 そして、12個目の魂がついに叩き潰されようとした。

 

 次の瞬間、

 

「あ、接続解除(アンインストール)!!」

 

 ついに、ベアトリスは夢幻召喚(インストール)を解除するしかなかった。

 

 彼女の体の中から狂戦士(バーサーカー)のカードが零れ落ちる。

 

 同時に、刺さっていた剣も、胸から抜け落ちた。

 

 対して、剣を構えた久希も、荒い息でベアトリスを見据えている。

 

 共に、満身創痍。

 

 しかし、勝負はあった。

 

 ベアトリスが夢幻召喚(インストール)を解除した事で、事実上、彼女戦闘不能となったのだ。

 

「・・・・・・・・・・・・テメェ」

 

 絞り出すように呟くベアトリス。

 

 彼女の体に、剣による傷は見当たらない。恐らく、接続解除(アンインストール)した事で、彼女自身へのダメージフィードバックは回避されたのだろう。

 

 あと一秒遅かったら、ベアトリス自身も危なかったかもしれない。

 

「覚えてやがれ。テメェは必ずあたしが殺すッ 絶対だ!!」

 

 言い残すと、背を向けて走り出すベアトリス。

 

 後には、立ち尽くす久希だけが残されていた。

 

「・・・・・・・・・・・・勝った、か」

 

 力なく呟く。

 

 勝つには勝った。

 

 だが、久希が受けたダメージも、半端な物ではなかった。

 

 全身を襲う虚脱感。

 

 いっそ、このまま倒れてしまいたいほどのだった。

 

 だが、

 

「・・・・・・・・・・・・」

 

 まだ、終わっていない。

 

 久希は落ちていた狂戦士(バーサーカー)のカードを、力なく拾い上げる。

 

 これで、6枚。

 

 もっとも、士郎の持つ「アーチャー(エミヤ)」のカードを入れれば、既に7枚揃っている。

 

 聖杯を降誕させるには、充分だった。

 

「行かないと・・・・・・・・・・・・」

 

 ゆっくりと、歩き出す。

 

 目指すは円蔵山の大空洞。先行している士郎に追いついて、久希が持っている剣士(セイバー)狂戦士(バーサーカー)のカードを彼に渡すのだ。

 

 先に奪取した騎兵(ライダー)のカードは、既に士郎に託してある。

 

 これで、彼の勝ちは決まりだった。

 

 疲れた体を引きずるように歩く久希。

 

 そして、

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 ゾブリッ

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「・・・・・・・・・・・・え?」

 

 突如、

 

 自分の体の中から聞こえた鈍い音に、久希は視線を向ける。

 

 その視界の中では、

 

 一本の杭が腹から深々と刺さり、背まで貫通している光景が映っていた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 飛んで来る無数の宝具。

 

 その姿を前にして、

 

 士郎は一歩も退く事無く立ち続ける。

 

 戦いは間違いなく最終局面。

 

 ならば、自分自身の全てを絞り出してでも、ここは押し通らねばならなかった。

 

 

 

 

 

I am the bone of my sword(体は剣で出来ている)

 

 

 

 

 

 詠唱を始める士郎。

 

 そこへ、アンジェリカが放った無数の宝具が殺到する。

 

 

 

 

 

Steel is my body, and fire is my blood(血潮は鉄で、心は硝子)

 

 

 

 

 

 次の瞬間、士郎の眼前に出現する、薄桃色の障壁。

 

 花弁を思わせる美しい盾は、あらゆる攻撃を防ぐ絶対の盾。

 

 熾天覆う七つの円環(ロー・アイアス)

 

 自身の持つ、最大の防御障壁で、時間を稼ぐのだ。

 

 

 

 

 

I have created over a thousand blades(幾たびの戦場を越えて不敗)

 

 

 

 

 激突する宝具と障壁。

 

 その間も、士郎は詠唱を止めない。

 

 

 

 

 

Unaware of  beginning(たった一度の敗走もなく)

 

 

 

 

 

 宝具と障壁が激突し、悲鳴のような音が上がる。

 

 同時に、障壁は徐々に砕かれていく。

 

 

 

 

 

 

Nor aware of the end(たった一度の勝利もなし)

 

 

 

 

 

 次々と砕ける障壁。

 

 花弁は舞い散るがごとく消えていく。

 

 だが

 

 

 

 

 

Stood pain with inconsistent weapons(遺子はまた独り)

 

 

 

 

 

 それでも尚、士郎は詠唱をやめようとしない。

 

 

 

 

 

My hands will never hold anything(剣の丘で細氷を砕く)

 

 

 

 

 

 宝具の投射だけでは埒が明かないと思ったのだろう。

 

 アンジェリカは士郎のすぐそばに門を開くと、そこから一斉に天の鎖(エルキドゥ)を射出。士郎を絡め取りにかかる。

 

 雁字搦めにされる士郎。

 

 だが

 

 

 

 

 

yet(けれど)

 

 

 

 

 

 尚も士郎は留まらない。

 

 

 

 

 

my flame never ends(この生涯はいまだ果てず)

 

 

 

 

 

 身動きを封じられる士郎。

 

 そこへ、トドメとばかりに、アンジェリカは大剣を取り出して斬り込んでいく。

 

 

 

 

 

 

My whole body was(偽りの体は)

 

 

 

 

 

 迫る、両者の間合い。

 

 既に熾天覆う七つの円環(ロー・アイアス)は全て砕かれ、士郎を守る物は何もない。

 

 

 

 

 

still(それでも)

 

 

 

 

 

 渾身の力でもって、大剣を振り下ろすアンジェリカ。

 

 次の瞬間、

 

 

 

 

 

“unlimited blade works”(剣で出来ていた)!!」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 視界の全てが、一変した。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「これは・・・・・・・・・・・・」

 

 大剣を振り下ろした状態で、アンジェリカは絶句する。

 

 視界に映る物全てが変化、

 

 否、

 

 塗り替えられていた。

 

 円蔵山の風景は消え去り、視界一面に粉雪の舞う雪原が出現していた。

 

 あたり一面の銀世界、

 

 その地面には数え切れないほどの剣が、朽ち果てたように、無造作に突き立っていた。

 

 その雪が、晴れる。

 

 見上げるアンジェリカの視界の先。

 

 その視線の先で、

 

 一振りの剣を構える士郎の姿があった。

 

「個と世界、空想と現実、内と外とを入れ替え、現実世界を心の在り方で塗りつぶす。魔術の最奥『固有結界』。ここは(エミヤ)の、そして俺の心象風景だ」

 

 静かに告げる士郎。

 

「なあ、お前には、どう見える?」

 

 その視線は、雪原に突き立つ無数の剣を見詰める。

 

「無限の剣を内包する世界。俺にはこの全てが、墓標に見えるよ」

 

 言い放つと同時に、剣の切っ先をアンジェリカに向ける。

 

 その刀身には、淡い炎が纏われた。

 

「行くぞ、英雄王。これが最後の戦いだ」

 

 睨みつける相貌。

 

「俺の全てでもって、ここは通らせてもらう」

「舐めるなよ偽物(フェイカー)!! 貴様が行き着く先は、この墓標の下と決まっている!!」

 

 対して、アンジェリカも王の財宝(ゲート・オブ・バビロン)を開き、宝具の射出態勢に入る。

 

 睨み合う、士郎とアンジェリカ。

 

 たった1人を守るために、悪であろうとする少年と、

 

 全てを救うために正義を掲げる女性。

 

 両者、同時に仕掛ける。

 

 今、最後の激突が、幕を開けた。

 

 

 

 

 

第43話「無限の剣製」      終わり

 



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第44話「騎士王の援軍」

 

 

 

 

 

 

 

 

 最後の激突が始まった。

 

 向かうべき先に立ち塞がるは、金色の頂。

 

 最強の英霊。

 

 英雄王ギルガメッシュを纏ったアンジェリカ。

 

 対して挑むのは、無銘の英霊。

 

 守護者たる存在を捨て、ただ1人の大切な少女の為に悪であろうとする少年、衛宮士郎。

 

 互いに相容れぬ立場にいる2人が今、全てを賭けて激突していた。

 

 王の財宝(ゲート・オブ・バビロン)の門を開き、宝具の一斉掃射を開始する。

 

 アンジェリカは、この英霊の特性を理解している。

 

 一線級の宝具を惜しげもなく擲つ攻撃。

 

 一見すると贅沢で、あまりにもずさんな攻撃のようにも見えるが、実のところ完全に理にかなっている。

 

 本来、戦いとは数と数のぶつかり合いだ。物量の多い方が勝つ。それは戦場における絶対の法則の一つと言える。

 

 まして、その一撃一撃が最強クラスとなれば猶更であろう。

 

 ならばこそ攻める。

 

 ありったけの宝具を放ち、相手を押しつぶす。

 

 ただ1人からなる無敵の軍勢。それこそが、英雄王ギルガメッシュの在り方であると言えた。

 

 放たれた宝具の群れが、アンジェリカに向かってくる士郎へと殺到する。

 

 無数の刃は、そのまま少年の体を貫く、

 

 かに思われた。

 

 次の瞬間、

 

 士郎の背後から飛んできた刃が、アンジェリカの宝具を全て正確に打ち抜き、砕き散らした。

 

「・・・・・・何ッ」

 

 思わず、声を漏らすアンジェリカ。

 

 彼女の放った攻撃は、ただの一撃たりとも士郎を直撃する事は無かった。

 

「・・・・・・侮りすぎたか?」

 

 呟きながら、攻撃を続行すべく更に門を開く。

 

 士郎が斬り込むまでは、まだ距離がある。アンジェリカの一方的な攻撃が可能な筈。

 

 射出される宝具。

 

 今度は、先程よりも数が多い。

 

 これならどうだ?

 

 そう思った次の瞬間、

 

 先の攻撃と、全く同じ光景が現出した。

 

 士郎が放った武具が、アンジェリカの攻撃を全て弾き、砕いて見せたのだ。

 

「馬鹿なッ!!」

 

 流石に、尋常ではないと感じはじめたアンジェリカ。

 

 更なる門を開き、第三波を放とうとする。

 

 だが、

 

 次の瞬間、

 

 士郎が放った武具が、アンジェリカの開いた門に殺到。その全てを叩き潰してしまう。

 

「馬鹿なッ 射出前にッ!?」

 

 これはいったい、どういう事なのか!?

 

 アンジェリカの脳裏に苛立ちが湧き始めていた。

 

「遅いッ!!」

 

 士郎は更なる攻撃を続行。アンジェリカが放つ宝具を撃ち落としていく。

 

 その攻撃は、徐々にだがアンジェリカ本人にも届き始めていた。

 

「クッ!?」

 

 足元に着弾した剣を、後退する事で回避するアンジェリカ。

 

 対して、

 

 士郎は自身に向かってきた宝具を、地面から引き抜いた剣を投擲、撃ち落とす。

 

 その様に、さしものアンジェリカも、焦慮を禁じえなかった。

 

 この固有結界が展開してから、士郎とアンジェリカは完全に攻守逆転している。

 

 士郎が攻めて、アンジェリカが守る。

 

 しかも、アンジェリカは徐々にだが、確実に押され始めていた。

 

 もはや士郎は、アンジェリカの指呼の間に迫っている。後が無かった。

 

「おのれェェェッ!!」

 

 このままでは埒が明かない。

 

 盾の宝具を取り出して展開。士郎の攻撃を防ぎにかかるアンジェリカ。

 

 宝具の撃ち合いでは敵わないと考えてか、守りを固める作戦に切り替えたのだ。

 

 無数の盾が、士郎とアンジェリカの間に積み重ねられ進路を塞ぐ。

 

 射出された宝具は、全て盾の表面に弾かれて砕け散った。

 

 最強クラスの防御を前にして、並の攻撃では用を成さない。

 

 だが、士郎は慌てる事は無かった。

 

「成程。無限の財を振るうその英霊(ギルガメッシュ)は、紛れもなく王の姿だ」

 

 言いながら、士郎は手にした炎の剣を上空に投擲。

 

 同時に、結界に突き刺さっている身の丈を超える大剣を取り、柄を握りしめる。

 

「それ故に、お前は浅薄に見下すんだッ たった一振りを極限まで練り上げる、『担い手』の力を!!」

 

 一閃される大剣の一撃。

 

 その剣が、アンジェリカを守る盾を一撃の下に吹き飛ばしていた。

 

 無数の財を誇る英雄王ギルガメッシュ。

 

 比類なき武勇を誇る大英雄ヘラクレスとは対極ながら、彼もまた間違いなく最強の英霊である。

 

 綺羅星の如き宝具の数々。その原点となる武具をすべて所有するギルガメッシュには、凡百の英霊はおろか、たとえどんな大英霊であっても太刀打ちは不可能なように思える。

 

 だが、たった一つ、

 

 英雄王には致命的な弱点がある。

 

 それは、

 

 たとえ無数の財を持っていても、ギルガメッシュ自身は、それを保有しているだけであり、担い手として使いこなす事は出来ないと言う事だ。

 

 担い手は、己の武勇の誇りに賭けて宝具を極限まで使いこなす事ができる。

 

 だが、ギルガメッシュにはそれが無い。

 

 勿論、使用する事はできる。

 

 だがそれは、剣はただの剣として、槍はただの槍として振るっているだけに過ぎず、秘められた力を極限まで引き出す事は出来ない。

 

 相手が、ただの英霊ならそれでもいい。たとえ相手が究極の武勇を誇ったとしても、圧倒的な数の力を持つギルガメッシュなら容易に蹂躙できる。

 

 だが、

 

 英霊エミヤ。

 

 そして、その力を振るう衛宮士郎が相手では、例外中の例外が起こってしまう。

 

 士郎(エミヤ)の振るう宝具。

 

 固有結界「無限の剣製(アンリミテッド・ブレイドワークス)」。

 

 一度見た事がある武具なら、どんな物であっても複製可能な特性を持っている。

 

 しかも、ただ見た目を真似るだけではない。

 

 その武具に込められた概念や想い、そして担い手の為した武勇や技術に至るまでまで模倣してしまう。

 

 真に迫る贋作は、もはや真作と変わりなかった。

 

 更にもう一つ、

 

 アンジェリカ(ギルガメッシュ)が射出攻撃を行う際、門を開き武具を取り出すと言う行程が必要なのに対し、士郎(エミヤ)の場合、見た瞬間に武器を複製して射出する事ができる。

 

 つまり攻撃にかかる時間が少ない分、士郎はアンジェリカに対し、常に先手を取る事ができるのだ。

 

 落下してきた炎の剣を掴む士郎。

 

 既にアンジェリカは剣の間合いに捉えている。

 

 必中必殺の距離。

 

 剣を振り翳す士郎。

 

 炎の刃は、横なぎに一閃された。

 

 次の瞬間、

 

「なッ!?」

 

 驚いたのは、士郎の方だった。

 

 士郎の剣は、アンジェリカを斬る事無く、虚しく通り過ぎてしまった。

 

 置換魔術。

 

 アンジェリカは士郎の斬線の軌跡上を空間置換する事で、攻撃を回避したのだ。

 

「浅薄なのは貴様の方だ。舐めるな、我らエインズワースを」

 

 アンジェリカが告げると同時に、

 

 士郎の足元の空間が消失。

 

 その体は、遥か数十メートル上空に「落下」した。

 

「やられたッ!?」

 

 舌打ちする士郎。

 

 以前、ジュリアンにやられたのと同じ、空間置換だ。

 

 アンジェリカは士郎の足元を上空の空間に繋げ、士郎の体を放り投げたのだ。

 

「貴様の戯言に付き合う気は無い。児戯は終わりだ」

 

 言いながら、手を翳して門を開くアンジェリカ。

 

「来い、千山斬り拓く翠の地平(イガリマ)万海灼き払う暁の水平(シュルシャガナ)

 

 空中に口を開く巨大な門。

 

 その中から、およそ人の手による物とは思えないほど、巨大な剣が二振り現れた。

 

 千山斬り拓く翠の地平(イガリマ)万海灼き払う暁の水平(シュルシャガナ)

 

 メソポタミア、キシュ市の都市神ザババの佩刀。

 

 その巨大な刀身は文字通り山ほどもあり、およそ人が振るう事は決して許されない規模を誇っている。

 

 神が振るいし巨大な刃が二振り、上空から士郎目がけて落下してくる。

 

 対して、空中にある士郎には、回避する手段は無い。

 

 だが、

 

「お、おォォォォォォォォォォォォ!!」

 

 士郎(エミヤ)の目は、落下してくる千山斬り拓く翠の地平(イガリマ)を捕捉。その細部に至るまで精査する。

 

 同時に結界内から、全く同じ剣を引きずり出す。

 

 虚・千山斬り拓く翠の地平(イガリマ)

 

 いかに士郎の固有結界が出鱈目な性能を誇っていても、流石に神造兵装まで完全再現する事は出来ない。せいぜい、見た目が同じ張りぼてを作るのが精いっぱいだった。

 

 だが、それでも同等の質量の物をぶつけた事もあり、千山斬り拓く翠の地平(イガリマ)の軌道が逸れる。

 

 間一髪、巨大な刀身は、士郎の真横、僅か数センチのところを落下していった。

 

 だが、油断はできない。

 

 もう一本の巨大な刃が、既に眼前に迫っている。

 

 万海灼き払う暁の水平(シュルシャガナ)は、刀身の炎を撒き散らし、士郎を呑み込まんと迫ってくる。

 

「うおォォォォォォォォォォォォ!!」

 

 対して再度、投影魔術を起動する士郎。

 

 同じく、張りぼての神造兵装が出現する。

 

 絶・万海灼き払う暁の水平(シュルシャガナ)

 

 同等の巨大な剣が、再びぶつかり合う。

 

 次の瞬間、視界全てが、灼熱の閃光によって埋め尽くされた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 腹に深々と突き刺さった杭。

 

 その様子を久希は、信じられない面持ちで見つめていた。

 

「な・・・・・・なん・・・・・・で・・・・・・これ、は・・・・・・・・・・・・」

 

 傷口から血が流れ出し、半身を朱に染めていく。

 

 喉からあふれる、熱い塊。

 

 吐き出すと、大量の鮮血が地面に飛び散った。

 

 いったい、何があったのか?

 

 信じられないと言った面持ちの久希。

 

 と、

 

「クックックックックック」

 

 その耳に聞こえてくる、くぐもったような笑い声。

 

 辛うじて動かす事の出来る首を回し、久希は声のした方を見る。

 

 そこには、

 

 黒いコートを着込んだ、幽鬼のような男が、口元に笑みを浮かべて佇んでいた。

 

「ようやく、隙を見せたね。ベアトリスとの戦闘が終わるのを、待った甲斐があったよ」

「ゼスト・・・・・・エインズワース・・・・・・・・・・・・」

 

 鮮血をほとばしらせながら、久希は相手の名をつぶやく。

 

 その間にも腹の穴からも血が噴き出る。明らかに、致命傷だった。

 

「なに、失敗続きで私もいささか格好がつかなくてね。こうして、息をひそめて君が油断するタイミングを待っていたのだよ。君がベアトリスに気を取られている隙に、ね」

「クッ!!」

 

 ゼストの声を聞きながら、久希は渾身の力で剣を振り翳す。

 

 そのまま旋回させ、自身の腹に突き立っていた杭を根元から斬る。

 

「・・・・・・・・・グッ」

 

 激痛に耐え立ち上がる久希。

 

 そのまま杭に手をやると、力任せに引き抜く。

 

「があッ!?」

 

 たちまち、大量の血が流れ落ちる。

 

 想像を絶する激痛に、飛びかける意識を必死に引き留める。

 

 命は、急速に失われていくのを感じた。

 

「・・・・・・・・・・・・ほう?」

 

 そんな久希の様子を、ゼストは少し感心したように鼻を鳴らしながら見る。

 

 自分の腹に刺さった杭を強引に引き抜けば、一気に大量の血を消費して死に至る事くらい、医療知識が無くても分かりそうなものである。

 

 それでも尚、そうしたと言う事は。

 

 久希はまだ、勝負を投げていないと言う事だ。

 

 その証拠に、ゼストの視界の中で、久希は剣を振り翳すのが見えた。

 

「あ・・・・・・あ・・・・・・アァァァァァァァァァァァァ!!」

 

 斬りかかる久希。

 

 だが、

 

 そこには、先程まで見せていた剣の冴えなど、微塵も無い。

 

 ただ重荷を背負ってふらつく事しかできない少年がいるだけだった。

 

 案の定、ゼストが無造作に振るった槍によって久希の剣は弾かれ、少年自身も地面に倒れ込んだ。

 

「がはッ!?」

 

 衝撃と共に、地面に叩きつけられる久希。

 

 同時に、その体は光に包まれ、胸元から剣士(セイバー)のカードが排出される。

 

 夢幻召喚(インストール)が解け、普段着姿に戻る久希。

 

 その体からは、尚も鮮血が流れ出る。

 

 もはや、少年の命は救いようがない事は、火を見るよりも明らかだった。

 

「無駄な足掻きはやめたまえ」

 

 そんな久希を見下ろしながら、ゼストは嘲弄を込めて告げた。

 

「醜い有様は晩節を汚すと知り給え。せめて、最後は潔く散るべきだと私は思うがね」

 

 既に確定した勝利を前に、余裕の態度を見せるゼスト。

 

 久希にはもはや、戦う事は出来ない。

 

 あとはカードを回収して終わり。

 

 そう思った。

 

 だが、

 

「・・・・・・・・・・・・生憎ですが」

 

 久希は鮮血に濡れる口に、

 

 尚も不敵な笑みを浮かべて言い放った。

 

「潔い死、なんて僕には無縁ですよ。これでも結構、罪深い人生を送ってきましたからね、それに・・・・・・・・・・・・」

 

 言いながら、久希は自分の胸元にあるカードに手をやる。

 

 そしてもう1枚。

 

 先程、ベアトリスから奪った狂戦士(バーサーカー)のカードを添える。

 

 血まみれの手で、カードを掴む久希。

 

「あなたの勝ちだなんて、誰が決めたんですか?」

 

 久希がそう言った瞬間、

 

 久希の手の中にあるカードが、光に包まれていく。

 

「なッ これは・・・・・・・・・・・・」

 

 驚くゼストを目の前に、カードが消えていく。

 

 対して久希は、これまで自らの剣として振るい続けてきたカードを見やりながら、静かな口調で言い放った。

 

「さあ行け、セイバー。士郎さんの元へ・・・・・・・・・・・・」

 

 久希が呟いた瞬間、

 

 2枚のカードは久希の手から消失し、どこかへと飛び去って行った。

 

 その様子を、ゼストは嘆息交じりに眺める。

 

「・・・・・・やられたな。転移魔術とは」

 

 久希は自分が円蔵山にたどり着けず、敗北する事も予期していた。

 

 しかし、仮に道半ばで倒れたとしても、カードだけは士郎に届けなくてはならない。

 

 そこで、予め剣士(セイバー)のカードには、座標を決めた転移魔術を施し、万が一の場合は士郎に自動で送り届けられるようにセットしておいたのだ。

 

 勿論、久希には転移魔術などと言う高度な魔術は使用する事は出来ない。

 

 だが、魔術行使に必要な術式を、魔道具等も扱う裏社会の商人から予め買っておいたのだ。

 

 道具さえあれば、後は最低限の起動キーだけで術式は発動できる。

 

 聖杯戦争に参加すると決めた時点で、戦闘用の術式と共に買っておいたのが、功を奏した。

 

「これで・・・・・・士郎さんの勝ちだ」

 

 満足そうに呟く久希。

 

 致命傷を受けたにも拘らず、その顔は満足そうだった。

 

 聖杯戦争は士郎の勝ち。ならばもう、少年に思い残す事は何もなかった。

 

 その時だった。

 

 パチ

 

 パチ

 

 パチ

 

 パチパチパチパチパチパチ

 

 突然鳴り響く、拍手の音。

 

 響はどうにか視線だけを動かして、音の方向を見る。

 

 すると、

 

「いや、素晴らしい。その執念、勇気、努力。君の全てが称賛に値する。率直に言って感動した。わたしは今、初めて君に敬意を表するよ」

 

 ゼストは倒れている久希に対し、妙に弾んだ声で告げた。

 

 その様に、久希は言いようのない不気味さを感じる。

 

 カードの回収ができなかったことは、ゼストにとって痛恨だったはず。にもかかわらず、その事に対する悔恨が微塵も感じられない。

 

 いったい、ゼスト・エインズワースとは何者なのか? その背後にある闇に、底知れない物を感じずにはいられない。

 

 そんな久希に対し、ゼストは歩み寄る。

 

「本当に素晴らしい。叶うなら、君と一晩、心行くまで語り明かしたい気分だよ」

 

 言いながら、ゼストは倒れている久希の傍らに膝を突くと、コートのポケットに入れておいたものを取り出した。

 

「これが、何か判るかね?」

「カー・・・・・・ド?」

 

 見間違えるはずもない。それは聖杯戦争に必要な魔術礼装であり、英霊の魂を宿したクラスカードだった。

 

 絵柄には暗殺者(アサシン)が描かれている。

 

 それを、いったいどうしようと言うのか?

 

「私は実はね、このカードをより有効に活用する術を研究しているのだ。エインズワースの技術は確かに素晴らしいが、私は、より人と英霊を強く結びつけるにはどうすれば良いか、日々考えているのだよ」

 

 ゼストは暗殺者(アサシン)のカードを手の中で弄びながら説明を続ける。

 

 いったい、どうしようと言うのだろうか?

 

 久希が見ている目の前で、ゼストは口の端を釣り上げて笑みを見せる。

 

「そして思い至ったのだよ。『カードその物を魂に縫い付け、より高いレベルで融合させてみたらどうか』とね。まあ、その実験も、私自身には成功したのだが、そこから先がなかなかうまくいかなくてね」

「ま・・・・・・さか・・・・・・」

 

 ゼストの言わんとしている事を察し、声を上げる久希。

 

 対して、ニィッと笑みを見せるゼスト。

 

「ちょうど良いから、君に協力してもらう事にするよ。なに、安心したまえ。うまく英霊と融合できれば、君は助かるだろうさ。もっとも、その間に死よりもつらい苦痛が待っているがね。仮に失敗したら、私が責任を持って、君を『処分』してあげよう」

「や、やめ・・・・・・」

 

 久希が制止する間もなく、

 

 ゼストは久希の腹に空いた穴に、自らの腕ごとカードを突っ込んだ。

 

「アアアアアァァァァァァアアアアアアァァァァァァァァァァァァ!?」

 

 襲い来る苦痛。

 

 神経を焼き切るほどの地獄の激痛を前に、久希は意識を失う事も許されず、自分の中で何かが変質していくのを感じていた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 あたり一面に炎と破壊がもたらされる。

 

 その壮絶な光景こそが、行われた戦いの凄まじさを如実に物語っていた。

 

 地面にどうにか着地する事に成功した士郎は、そのまま膝を突き、肩で荒い息を繰り返す。

 

 千山斬り拓く翠の地平(イガリマ)万海灼き払う暁の水平(シュルシャガナ)を迎撃し、どうにか軌道を逸らす事が出来た物の、消耗も半端な物ではない。

 

 下手をすれば脳が焼ききれそうな疲労感の中、

 

 それでも士郎は立ち上がって見せた。

 

 まだだ。

 

 まだ、ここで倒れる訳にはいかない。

 

 目の前の英雄王を打ち破り、美遊の元へ行くまでは。

 

 そんな士郎の戦意に応えるように、固有結界は尚も綻びを見せる事は無い。

 

 対して、

 

 アンジェリカは、立ち上がる士郎を不快気に見据える。

 

「張りぼてとは言え、神造兵装を投影して尚、この世界を維持するか・・・・・・つくづく、貴様の存在は破綻しているな」

 

 言いながら、手を翳すアンジェリカ。

 

 同時に、彼女の足元に門が開き、そこから剣の柄が姿を現す。

 

「我々の綴る、在来人類最後の神話にとって、貴様は汚点になりかねない」

 

 剣を引き抜くアンジェリカ。

 

 同時に、その刀身を中心に暴風が吹き荒れる。

 

「その忌々しい能力も、不可解な魔術行使も、死人めいたおぞましい信念も、全て斬り裂こう、貴様の世界ごと」

 

 掲げられた剣。

 

 刀身が回転する、その奇妙な剣を見て、士郎は状況も忘れて思わず驚嘆する。

 

 その剣は、英霊エミヤの目をもってしても、複製はおろか解析すらできない。

 

 間違いなく、英雄王ギルガメッシュが持つ、最強にして至高の一振り。

 

 あの剣に敵う武具など、この世のどこを探しても存在しないだろう。

 

「光栄だな・・・・・・そんな物まで浸かってくれるとは。もっとも、それに見合う剣は、この世界にはどこにもない」

 

 言いながら、士郎は魔術回路を最大起動。

 

 結界内部を活性化させ、そこに突き立てられた全ての武器に指示を送る。

 

「だから、不作法で悪いが・・・・・・・・・・・・」

 

 結界が、

 

 否、

 

 大地の全てがざわつく。

 

 突き立てられていた剣が一斉に引き抜かれ、アンジェリカに向けて殺到していく。

 

 その様、まさしく「無限」。

 

「返礼は、(おれ)の全てで代えさせてもらう!!」

 

 言い放つと同時に、

 

 一斉攻撃を仕掛ける士郎。

 

 ほぼ同時に、アンジェリカも魔力を充填した剣を振り翳す。

 

「原初へ帰れ!!」

 

 振り下ろされる乖離剣。

 

天地乖離す開闢の星(エヌマ・エリシュ)!!」

 

 次の瞬間、

 

 両者は激突する。

 

 アンジェリカが放つ、世界を斬り裂くほどの斬撃と、士郎が放つ無限の剣。

 

 それはまさに、怒涛と怒涛のぶつかり合い。

 

「無駄だ!!」

 

 剣を振るいながら、アンジェリカが叫ぶ。

 

「たとえ全ての剣を束ねても、『究極の一』には届かぬ!!」

 

 アンジェリカの言う通り、

 

 全ての剣が、斬り裂かれていく。

 

 名剣、宝剣、業物、神剣、聖剣、魔剱、妖刕、邪剣、鋭刃、鈍

 

 一切の区別は無い。

 

 拮抗するかに見えた両者。

 

 だが、それも一瞬の事でしかなかった。

 

 徐々に、士郎が押され始める。

 

 天地乖離す開闢の星(エヌマ・エリシュ)の放つ、天地をも斬り裂く斬撃は、たとえ無限の剣を持ってしても抗しきれる物ではない。

 

 ありとあらゆる剣を斬り裂き、衝撃は士郎へと迫る。

 

 その様を、真っすぐに見据える士郎。

 

 その瞳には、諦念にも似た色が浮かぶ。

 

 

 

 

 

 やはり、

 

 

 

 

 

 やはり、駄目だったのか?

 

 

 

 

 

 俺じゃ、届かなかったのか?

 

 

 

 

 

 所詮俺は、何者にのなれない『偽物』に過ぎなかったのか?

 

 

 

 

 

 美遊

 

 

 

 

 

 黍塚

 

 

 

 

 

 桜

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「ごめん・・・・・・・・・・・・」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 シロウ!!

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 迫る衝撃波。

 

 既に致死の斬撃は士郎の眼前まで迫っている。

 

 無限の剣は押し返され、斬り裂かれていく。

 

 旦夕に迫る、士郎の運命。

 

 次の瞬間、

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 シロウ!!

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 誰かに、呼ばれた気がした。

 

 それは、あの時、

 

 久希に剣士(セイバー)のカードを見せられた時にも聞いた。

 

 顔を上げる士郎。

 

 その視界の先で、

 

 今にも士郎を斬り裂かんと迫っていた衝撃波が、

 

 縦に裂かれ、左右に散っていくではないか。

 

「なッ!?」

 

 目を見開く士郎。

 

 まるで、モーセの十戒のように分かたれる衝撃波。

 

 驚いたのは、アンジェリカも一緒である。

 

「な、何が起きた!?」

 

 驚く2人の目の前で、

 

 一振りの剣が、姿を現した。

 

 鞘に収まった一振りの剣。

 

 金色の魔力を放つ剣は、天地を分かつ衝撃をも防ぎ止め、士郎を守る様に、英雄王の前に立ちはだかっていた。

 

「この・・・・・・剣は・・・・・・」

 

 その剣を見て、士郎は唸り声を上げる。

 

 鞘に収まったままの状態ですら、圧倒的な存在感を放っているのが判る。

 

 いったい、何が起こったのか?

 

 その時、

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 シロウ!!

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 士郎の脳裏に響く、少女の声。

 

 聞き覚えは無い。

 

 だが、果てしない懐かしさが込み上げてくる。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 早くッ!!

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 声が急かすように告げる声。

 

 同時に、鞘に収まったままの剣が、輝きを増す。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 「私」を使いなさい!!

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「ッ!?」

 

 促されるまま、剣の柄を握る士郎。

 

 そのまま、一気に鞘を払う。

 

 溢れ出る金色の魔力。

 

 圧倒的な質量は、清浄な空気を持って、その場を圧倒していく。

 

 光り輝く刀身は、およそ人の手による物とは思えない清廉さを誇っていた。

 

 剣を振り翳す士郎。

 

「クッ やらせるわけにはッ!!」

 

 再度、乖離剣を振り翳そうとするアンジェリカ。

 

 だが、もう遅い。

 

 再度の魔力を放つだけの時間は、彼女には残されていない。

 

 そして、

 

 アンジェリカは見た。

 

 あるいは、それは幻だったのかもしれない。

 

 光り輝く魔力の向こう側、

 

 剣を振り翳す士郎。

 

 その傍らに、

 

 共に剣を取り構える、蒼いドレスを着た美しい少女の姿。

 

 次の瞬間、

 

約束された(エクス)・・・・・・」

 

 士郎は剣を振り下ろす。

 

勝利の剣(カリバー)!!」

 

 迸る閃光。

 

 その光は奔流となり、

 

 立ち尽くすアンジェリカを呑み込んでいった。

 

 

 

 

 

第44話「騎士王の援軍」     終わり

 



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第45話「最後の対峙」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 戦いは、終わった。

 

 破壊しつくされた柳洞寺の境内には、冷たい風が吹き、戦場の残滓を清めていく。

 

 ここに倒れるのは敗者たる女性1人。

 

 そして、

 

 立つはただ1人、この聖杯戦争の勝者たる少年のみ。

 

 衛宮士郎は、手にした聖剣を振り下ろした状態で、荒い息を繰り返す。

 

 その視線の先では、地面に仰向けに倒れたアンジェリカの姿があった。

 

 既に戦闘不能になっているのであろう。その証拠に、夢幻召喚(インストール)は解除されている。

 

 と、

 

 士郎の手の中にある聖剣が、軽い初撃と共にカードに戻る。

 

 後には、剣士(セイバー)の絵柄が描かれたカードのみが、士郎の手の中に残された。

 

「・・・・・・・・・・・・黍塚」

 

 このカードの、本来の持ち主だった少年の名を、そっと呼ぶ。

 

 剣士(セイバー)のカードが、ここにあると言う事は即ち、久希はもう・・・・・・

 

「・・・・・・・・・・・・」

 

 そこで、考えるのをやめた。

 

 これ以上は、単なる拘泥だ。

 

 久希は既に決断していた。自分の命を投げ打ってでも、士郎を勝利させると。

 

 久希はその約束を守ったのだ。

 

 ならば今度は、士郎が約束を果たす番だった。

 

 剣士(セイバー)

 

 そして、足元に落ちていた狂戦士(バーサーカー)のカードを拾い上げる士郎。

 

 ゆっくりと、倒れているアンジェリカに近づいていく。

 

 彼女が目を覚ます様子は無い。

 

 死んではいないようだが、彼女がこれ以上の脅威になる事は無かった。

 

「・・・・・・お互い、1対1の戦いだったら、勝敗は逆転していたかもな」

 

 アンジェリカ(ギルガメッシュ)は確かに強大な英霊だった。もし1対1で戦っていたなら、いかに固有結界を展開したとしても、士郎に勝ち目は無かっただろう。

 

 だが、士郎は1人ではなかった。

 

 力を貸してくれた英霊エミヤ。

 

 その元となったカードを託してくれた桜。

 

 文字通り、命がけでカードを届けてくれた久希。

 

 それに、

 

「彼女も・・・・・・・・・・・・」

 

 士郎は自らの手の中にある剣士(セイバー)のカードを見やった。

 

 脳裏に浮かぶのは、遥かなる幻想。

 

 ここではない世界、今ではない場所で出会った騎士王。

 

 共に戦い、想いを通じ、愛を交わした少女。

 

 彼女たちが力を貸してくれたからこそ、士郎はアンジェリカと言う強大な敵に打ち勝ち、道を開く事が出来たのだ。

 

 アンジェリカの傍らに落ちているギルガメッシュのカードを拾い上げる士郎。

 

 既に7枚のカードを揃えている士郎にとって意味の無い行動ではあるが、それでも武装解除はしておくに越した事は無かった。

 

 そのまま、足を引きずるようにして歩き出す。

 

 目指すは大空洞の入り口。

 

 戦いは、確かに終わった。

 

 だが、まだ全てが終わった訳じゃない。

 

 士郎の予想が正しければ、美遊の他にもう1人、そこでは士郎を待っている人物がいるはずだった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 柳洞寺の裏手に回り、さらに森へ分け入って奥へと進むと教えられたとおりの場所に大空洞の入り口が見えてきた。

 

 夜と言う事もあり、中は暗く一寸先すら見通すのは難しい。

 

 士郎はそんな中を、迷う事無く降りていく。

 

 まるで魔獣の腸の中を進むような感覚。

 

 だが、不思議と迷う事は無かった。

 

 まるでカードと聖杯が引きあっているのかのようだ。

 

 どれくらい進んだ事だろう?

 

 そろそろ半ばくらいまではきただろうか?

 

 そう思った時、

 

「・・・・・・・・・・・・」

 

 士郎は足を止めた。

 

 自分の進む前方に、人影を見出したのだ。

 

 誰か、などと誰何をする必要もない。

 

 この期に及んで自分の前に立ちはだかる人間など1人しかいないし、何より、あまりに懐かしさを感じる気配がしたからだ。

 

「・・・・・・・・・・・・随分、久しぶりな気がするよ」

 

 正直、こんな声のかけ方はどうかと思う。自分でも、緊張感に欠けているような気がした。

 

 だが、士郎にはこれ以外の言葉は出て来なかったのだ。

 

「元気にしてたか・・・・・・ジュリアン?」

 

 場違いに問いかけられて、

 

 一義樹理庵(いちぎ じゅりあん)

 

 ジュリアン・エインズワースは顔を上げて士郎を見た。

 

 士郎にとって見慣れた感のある、険しい視線が真っすぐに射抜いてくる。

 

 対して、士郎も沈黙でもって、ジュリアンの視線を受け止める。

 

 思うところも、言いたい事もあるだろう。

 

 士郎の方にも、ジュリアンには言いたい事も、聞きたい事も山のようにある。

 

 だが、それでも、

 

 その全てを投げ捨て、士郎の口から出てきたのは、たった一言だった。

 

「美遊を、返してもらうぞ」

 

 そう、

 

 今の士郎は、既に決断を終えた身。

 

 他の感傷は、既に切り捨てている。

 

 だからこそ、言うべき言葉はそれだけで充分だった。

 

 対して、

 

 しばしの沈黙の後、ジュリアンが口を開いた。

 

「・・・・・・・・・・・・それが、人類全てに対する裏切りであったとしても、か?」

 

 かつての親友は、殺気すら籠った声で士郎に尋ねるジュリアン。

 

「この星に満ちた悲劇から、約束された滅びから人類を救える可能性があるのに、個人の・・・・・・たかがお前1人のくだらない感傷で全て無にすると言うのか?」

 

 言いながら、ジュリアンの苛立ちが募っていくのがはた目にも判る。

 

 否、

 

 あるいは何か、葛藤めいた物を感じずにはいられなかった。

 

「・・・・・・笑えねえ・・・・・・笑えねえんだよ・・・・・・そんな物はな、最低の悪なんだよ!!」

 

 士郎を詰るジュリアン。

 

 確かに、

 

 ジュリアンは「個」ではなく「全」を、「1人」ではなく「世界」を見て判断している。

 

 単純な勘定だ。

 

 1人の犠牲で世界を救うのと、世界を犠牲にして1人を救う。

 

 考えれば前者の方が圧倒的に正しい。

 

 話を聞けば、多くの人間がジュリアンの考えに賛同する事は間違いなかった。

 

 だが、

 

 そんなジュリアンの言葉を聞いて、士郎の脳裏には初めて、親友だった少年に対する共感めいた感慨が浮かび上がった。

 

「知らなかった・・・・・・そうだったんだな・・・・・・」

 

 ジュリアンを真っすぐに見据えて、士郎は言った。

 

「お前も、ずっと1人で戦ってきたんだな。ジュリアン」

「ッ!?」

 

 その言葉に、ジュリアンは自分の脳裏に火花が散るのを感じた。

 

「知った風な口をッ!!」

「知ってるんだよ」

 

 激高しかけるジュリアン。

 

 対して、士郎は穏やかな声で制する。

 

「一を殺して全を救う・・・・・・そんな人間を、俺は知っている」

 

 それは、かつて士郎を救った養父。

 

 切嗣は今のジュリアンと同じく迷わなかった。

 

 世界中の人間を救うために、美遊1人を犠牲にする事を良しとした。

 

 だが、

 

 彼の遺志を受け取りながら、士郎は全うする事が出来なかった。

 

 道具として扱うべき美遊に情を移し、非情に徹しきる事が出来なかった。その結末がこれである。

 

 だが、

 

「でもジュリアン、お前は知らないだろう? 美遊の家、朔月家の事を」

 

 その事を今の士郎は、微塵も後悔していなかった。

 

 それは士郎にとって、決して譲る事の出来ない、全てを賭けて守り通してきた想いだから。

 

「初代から美遊の代まで、連綿と綴られてきた記録を読んだよ。あらゆる願いを叶えてしまう神稚児・・・・・・その力を独占してきた朔月家が何を願ってきたのか、お前に分かるか?」

 

 それは、決してジュリアンが知らないであろうこと。

 

 もし、知っていれば「全の為に一を犠牲にする」などと言う選択肢は取れなかったはずだ。

 

「彼らはただ、子供の健やかな成長を願った。冨も繁栄も思いのままだったはずなのに・・・・・・親から子への、ごく当たり前の願いだけをかなえて来たんだ。400年もの間、一つの例外もなく・・・・・・」

 

 それがいかにと尊い物であるか。

 

 「特別」な事など何もいらない。

 

 ただ愛しい子供が幸せであれば、それで良い。

 

 代々の朔月家の人々は、ただひたすらにそれのみを願ってきたのだ。

 

「それを、悪だと言うのなら!!」

 

 力強く、前へと踏み出す士郎。

 

 両者の距離が徐々に近づく。

 

 互いに、指呼の間で睨み合う士郎とジュリアン。

 

 そして、

 

「俺は・・・・・・悪で良い」

 

 静かに、それだけ言うと、

 

 士郎はジュリアンの脇をすり抜け、そのまま背を向けて奥へと進んでいく。

 

 後に残ったジュリアンはただ、いつまでも立ち続けているのみだった。

 

 

 

 

 

 足を踏み入れる。

 

 ついに、

 

 ついに、ここまで来た。

 

 あらゆる悲劇と、

 

 あらゆる困難とを乗り越え、

 

 ついに、

 

 衛宮士郎は、この場所へと足を踏み入れたのだ。

 

 大空洞の最奥部。

 

 祭壇のようになった台地の上に、

 

 彼女はいた。

 

 地に描かれた魔法陣。

 

 その中央に据え置かれた寝台の上に、

 

 美遊は横たわっていた。

 

 懐かしさが、込み上げてくる。

 

 1か月以上も会っていなかった妹は、すこし大人びたデザインのドレスを着せられ、眠る様に目を閉じていた。

 

 と、

 

「お・・・・・・にい・・・・・・ちゃん?」

 

 気配に気づいたのだろう。

 

 美遊はうっすらと目を開けて、士郎を見た。

 

 ああ、

 

 美遊だ。

 

 愛しい妹が、間違いなく今、目の前にいる。

 

 そう思うだけで、士郎は震えがくるのを止められなかった。

 

「随分と、待たせちまって、ごめんな」

 

 ここに来るまでに、あまりにも時間がかかってしまった。

 

 もっと早くに助けに来たかった。

 

 その後悔が、士郎の心に押し寄せてくる。

 

 次の瞬間、

 

「・・・・・・どうして、来たの?」

 

 美遊の口から出たのは、予想外の糾弾だった。

 

 立ち尽くす士郎

 

 美遊の目は、そんな士郎を哀し気に見つめる。

 

「あの人たちに聞いた・・・・・・お兄ちゃんと切嗣さんがわたしを拾ったのは、わたしの力を使うためだっ・・・・・・て・・・・・・わたしはただの道具で、使い方を見つけられなかった切嗣さんの代わりに、エインズワースがわたしを使って世界を救うんだって・・・・・・」

 

 それは、士郎が美遊に対して行った、たった一つの裏切り。

 

 あらゆる願いを無差別に叶える「聖杯」として産まれてしまった美遊。

 

 その事を、士郎はずっと彼女に隠してきた。

 

 真実を伝えず、欺瞞に欺瞞を重ねた結果、士郎はまたしても妹を傷付けてしまったのだ。

 

「なのに今更・・・・・・どうして来たの!?」

 

 道具として拾ったのなら、道具として使い捨ててほしかった。

 

 否、いっそ、エインズワースにさらわれた時に見捨ててほしかった。

 

 そうすれば・・・・・・

 

 そうすれば、士郎がこんなにもボロボロに成り果てる事は無かったのに!!

 

 自らが定められた運命よりも、自分のせいで士郎がこんなにも傷尽き果てた事に、美遊は泣いていた。

 

 涙ながらに自分を詰る美遊。

 

 対して、

 

 士郎は静かに微笑んだ。

 

「そんなの・・・・・・考えるまでもない」

 

 言いながら、掲げる手。

 

 その手の中に握られた8枚のカードが、魔力にあおられて舞い上がり、美遊と士郎を囲むように円を描いて空中に配置される。

 

 剣士(セイバー) アーサー・ペンドラゴン

 

 弓兵(アーチャー) ギルガメッシュ

 

 槍兵(ランサー) クー・フーリン

 

 騎兵(ライダー) メドゥーサ

 

 魔術師(キャスター) メディア

 

 暗殺者(アサシン) ハサン・サッバーハ

 

 狂戦士(バーサーカー) ヘラクレス

 

 そして、

 

 この聖杯戦争における、イレギュラー中のイレギュラー。

 

 弓兵(アーチャー) エミヤ

 

 合計8枚のカードが、聖杯に反応して輝きを増す。

 

「俺は『お兄ちゃん』だからな。妹を守るのは、当たり前だろ」

「ッ!?」

 

 その言葉に、美遊は涙を流して息を呑む。

 

 理屈なんていらない。

 

 兄が妹を守るのは当たり前の事だから。

 

 そこに善も、悪も関係なかった。

 

「どうすれば良かったのか、ずっと考えていた・・・・・・間違い続けてきた俺だから、この選択肢ももしかしたら、間違いかもしれない・・・・・・だけど、この願いだけは、本当だから」

 

 言いながら、

 

 士郎は膝を突き、美遊の手を取る。

 

「・・・・・・我、聖杯に願う」

 

 静かな声で詠唱する。

 

 それは、兄から妹へ贈る言葉。

 

 ただ只管、妹の幸せのみを願って戦い続けてきた男が願う、たった一つの事。

 

「美遊がもう、苦しまなくてもいい世界になりますように・・・・・・

 

 優しい人たちに出会って・・・・・・

 

 笑い合える友達を作って・・・・・・

 

 あたたかでささやかな、幸せを掴めますように」

 

 言い終えた瞬間、

 

 頭上に魔法陣が展開される。

 

 聖杯の術式が起動したのだ。

 

 同時に、寝台が砕け、美遊の体は空中に浮きあがり始める。

 

「おにい・・・・・・ちゃん」

 

 徐々に見えなくなっていく兄の姿を見て、美遊が呟きを漏らす。

 

 士郎はその姿を、地上から静かに見送る。

 

「と、そうだった・・・・・・・・・・・・」

 

 最後にもう一つ、忘れずつに付け加えておこうと思った。

 

 こんな事しても「あいつ」は喜ばないかもしれない。

 

 却って怒るかもしれない。

 

 だがこれはある意味、意趣返しでもある。味方のくせに、さんざん好き勝手にやってくれた「あいつ」に対する。

 

「まあ・・・・・・せいぜい、頑張って取り戻せよな・・・・・・今まで何もできなかった分を・・・・・・・・・・・・」

 

 この場にいない「友」に語り掛ける士郎。

 

 そして、

 

 そのまま力尽きて、仰向けに倒れ込んだ。

 

 

 

 

 

 久希はまだ、生きていた。

 

 だが、その身は既に半ば以上、「死」に漬け込まれていた。

 

 魂に縫い付けられたクラスカードは、急速に久希自身を侵食していくのが判る。

 

 肉体はただ、酸素を吸って二酸化炭素を吐き出すだけの存在に成り果てていた。

 

「ぐ・・・・・・あ、ああ・・ァァ、ァァァァ・・・・・・・・・・・・」

 

 歯を食いしばって、こぼれ出る悲鳴を噛み殺す。

 

 今の久希にできる抵抗は、それのみだった。

 

 そこに感じる苦痛は、地獄という言葉すら生ぬるい。

 

 自分が他人によって浸食され、消えていく恐怖は、筆舌に尽くしがたい物があった。

 

「フム・・・・・・・・・・・・」

 

 そんな久希を見下ろしながら、ゼストは何の感慨も無く言葉を漏らす。

 

「どうやら、やはりだめなようだね。瀕死なところにカードを埋めたのがまずかったかな? せめてもう少し体力が残っていれば違ったかもしれないが」

 

 言いながら、手を伸ばすゼスト。

 

「まあ、仕方がない。どのみち死ぬ人間にこれ以上付き合うのもなんだし、カードだけ返してもらおうかね。それは、君には過ぎたる物だし」

 

 そう言って久希の体に触れようとした。

 

 次の瞬間、

 

 久希の身体から、強烈な光があふれだした。

 

「なッ!?」

 

 思わず、目を剥くゼスト。

 

 その光は、ゼストの姿をも包み込んで広がっていく。

 

「な、なんだこれはッ!? いったい・・・・・・・・・・・・」

 

 最後まで言い切る事が出来ず、ゼストの姿は光に飲まれて消えていく。

 

 そして、久希自身も、

 

「・・・・・・これ、は・・・・・・・・・・・・士郎、さん?」

 

 言っている間にも、光は強くなっていく。

 

 最後に、クスッと笑う久希。

 

 まったく、

 

 強引なんだから。

 

 それを最後に、光が消え去る。

 

 後には何も、その場に残る物は存在しなかった。

 

 

 

 

 

 仰向けに倒れた士郎。

 

 既にそこには、彼以外何もない。

 

 美遊も、

 

 そして、彼女を「聖杯」たらしめていた魔法陣も、完全に消え失せていた。

 

 美遊は旅立った。

 

 どこか、遠い世界へと。

 

 結局のところ、この滅びゆく世界では美遊は幸せになれない。

 

 だから、どこか別の幸せな世界に、逃がすしかなかったのだ。

 

 同時に、士郎は自らの身体から、急速に力が抜けていくのを感じている。

 

 考えてみれば、不思議だったのだ。

 

 あの自宅で暗殺者(アサシン)と戦って以来、連戦に次ぐ連戦だった。

 

 ついには宝具まで使用した士郎。

 

 その戦いを支えた魔力は、いったいどこから来ていたのか?

 

 美遊だったのだ。

 

 知らずに繋がっていた美遊との接続(パス)が、士郎に戦うための魔力を送り続けていたのだ。

 

 その美遊が異世界に旅立った今、士郎を支える全てが失われたのである。

 

「・・・・・・俺はもう、一緒にいてやれないけど」

 

 その妹に、

 

 士郎はそっと語り掛ける。

 

「大丈夫だよな美遊・・・・・・きっとお前なら、すぐに友達もできるさ・・・・・・・・・・・・」

 

 囁く士郎。

 

 そこには、後悔も浮かび上がる。

 

「もっともっと・・・・・・

 

 色々と教えてやりたかったな・・・・・・

 

 そういや、海に連れていく約束、忘れてた・・・・・・

 

 まずいなぁ、怒ってるかな美遊、怒ってるよなぁ・・・・・・

 

 まあでも、俺もちょっとは頑張ったし・・・・・・

 

 許してくれよな・・・・・・

 

 美遊・・・・・・・・・・・・

 

 どうか、幸せに・・・・・・・・・・・・」

 

 士郎は確かに、誰かを救う正義の味方にはなれなかったかもしれない。

 

 衛宮切嗣の息子としては、失格だったかもしれない。

 

 だが、

 

 妹を守る兄には、なれたと思う。

 

「勝ったよ・・・・・・・・・・・・切嗣」

 

 天にいる父へ、息子は誇らしく拳を突き上げる。

 

 それは、正義を目指しながら悪であり続けた少年の、紛う事無き勝利宣言だった。

 

 

 

 

 

第45話「最後の対峙」      終わり

 



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第46話「正体」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 話を聞き終えた後、いくつかのすすり泣く声が聞こえてきていた。

 

 美遊、イリヤ、ルヴィア。

 

 士郎の話を聞いた少女たちは、感極まって涙を流していた。

 

 響も少し、目を赤くしている。

 

 美遊に課せられた運命。

 

 士郎がたどった苦難。

 

 2人に降りかかった悲劇。

 

 それを聞いて、誰もが打ちひしがれずにはいられなかったのだ。

 

「・・・・・・ん、それで」

 

 ややあって、口を開いたのは響だった。

 

「それから、士郎はどうなった?」

「ああ、その後、気を失っている間にエインズワースに捕らえられて、後は君たちが助けに来てくれるまで、あの城の地下牢に幽閉されていたんだ」

 

 言ってから士郎は、隣ですすり泣きをする美遊を愛おし気に見つめる。

 

「・・・・・・美遊が、こっちの世界に戻ってきてしまったのは本当なら喜ぶべき事ではないんだけど・・・・・・それでも、やっぱり嬉しかった。また会えて、ようやく全て、打ち明ける事が出来たからな」

 

 美遊と士郎との出会い。

 

 夢のように楽しかった日々。

 

 そして、別れ。

 

 全てが怒涛の如く美遊の心に押し寄せている。

 

 だが、

 

 それは少女にとって、決して苦痛ではない

 

 兄と再びこうして出会い、そして全てを聞く事が出来た。

 

 大変な事もあったが、それでも、

 

 帰って来て良かった。

 

 そう思えるのだった。

 

「それじゃあ、今度はこっちの番だね・・・・・・・・・・・・」

 

 そう言ったのは、涙をぬぐったイリヤである。

 

 士郎は全てを話してくれた。

 

 ならば、その士郎にも、全てを話す必要があったのだ。

 

 イリヤは語った。

 

 美遊との出会い。

 

 凛やルヴィアとの出会い。

 

 ルビーやサファイアとの出会い。

 

 カードを集める戦いの日々。

 

 クロとの出会い。

 

 バゼットとの戦い。

 

 優離やルリア、ゼストとの戦い。

 

 ギルとの戦い。

 

 勿論、そんな殺伐とした思い出だけではない。

 

 学校で楽しく過ごした事。

 

 遊びに行った事。

 

 買い物に行った事。

 

 温泉に行った事。

 

 海に行った事。

 

 その一つ一つを、士郎は決して漏らさぬように聞き入っていた。

 

 時折、感心したように唸ったり、驚いて声を上げたりしながら。

 

 しかし、

 

 異世界に送り出した妹が、優しい人たちに囲まれて幸せな日々を送る事が出来た。

 

 その事は、間違いなく伝わった様子だった。

 

 そうして、長い長い思い出話を語っている内に、夜は更けていくのだった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 イリヤの話を聞き終えた後、流石に夜も遅いと言う事で、今日のところはお開きとなった。

 

 まだ、今後の対策など、話し合わなくてはならない事は山ほどあるが、それは明日以降の事。

 

 あの激戦を潜り抜け、誰もが疲れ切っているのだ。

 

 皆が、あてがわれた部屋へ、早々に引き上げて行った。

 

 士郎と美遊はそれぞれの自室に、イリヤ、クロ、田中の3人は来客用の大部屋に、凛、ルヴィア、バゼットは、離れの洋風部屋をそれぞれ借りて寝る事となった。

 

 そして響は、士郎の自室の隣に、布団を敷いて寝る事となった。

 

 寝静まり、夜の沈黙が、衛宮邸を包み込んでいく。

 

 そんな中、

 

 「彼」は起き上がった。

 

 布団から身を起こし、体の具合を確かめるように、両掌を開閉させてみる。

 

「・・・・・・・・・・・・」

 

 やはり、少し違和感がある。

 

 原因は、間違いなく昼間の戦闘だった。

 

 無理に無理を重ねた結果、少年の身体には確実な異変が起ころうとしていた。

 

「・・・・・・・・・・・・まったく無茶をする。誰に似たんだか」

 

 呆れたように苦笑する。

 

 自分の身体なんだから、もっと大事にしてほしかった。

 

 布団を抜け出して起き上がる。

 

 寝巻として借りたライオンさんパジャマのフードを取りながら、隣の部屋との間にある襖に手をかけ、静かに開く。

 

 そこは、士郎の私室のはずだが、

 

「・・・・・・あれ、いない?」

 

 部屋の中央に敷かれている布団に、士郎の姿は無かった。

 

 トイレにでも行ったのだろうか?

 

 そう思いつつ、廊下にである。

 

 途端に、冷え込んだ空気が顔の周りに纏わり付いて来た。

 

「うわ、また降ってる」

 

 窓の外を見やりながら呟く。

 

 白い雪が天から降り、庭を埋め尽くそうとしている。

 

 これは寝雪になりそうだった。

 

 さて、

 

 果たして士郎はどこに行ったのか?

 

 気配が感じる方向に歩いていくと、先程まで皆で集まっていた居間の方から声が聞こえてきた。

 

 

 

 

 

「眠らないのか?」

 

 問いかける士郎。

 

 その視線は、室内へと向けられている。

 

 先程まで喧騒があった居間は、誰もいなくなって静まり返っている。

 

 ただ1人、

 

 部屋の隅にきちっと正座したまま座るアンジェリカだけが、その場に残っていた。

 

「『眠れ』・・・・・・と、ご命令頂ければ、そのようにします」

 

 淡々と告げるアンジェリカ。

 

 そこには、響やギル、そして士郎達と戦った時の苛烈な雰囲気は一切感じられない。

 

 まるで全ての火が消え去ってしまったかのように、アンジェリカはあらゆる感情を失ってしまっていた。

 

 そんなアンジェリカを見て、士郎は嘆息した。

 

「・・・・・・本当に、お人形みたいになっちまったな。それが、お前の素なのか? 感情の薄い奴だとは思っていたけど」

「演じる必要性も、無くなりましたので」

 

 演じる。

 

 つまり、あの苛烈な性格のアンジェリカは、全てフェイクだった。

 

 あのアンジェリカは、彼女自身の演技の結果だった、とでも言うのだろうか?

 

 対して、思うところがあったのか、士郎はどこか納得したようにつづけた。

 

「怒りすら偽りだったわけか・・・・・・・・・・・・残念だよ。激昂した顔は、本当に、そっくりだったんだけどな・・・・・・あいつに」

 

 そう告げる士郎の顔は、どこか懐かしむような、それでいて哀しいような、複雑な物だった。

 

 士郎の目が、真っすぐにアンジェリカを見る。

 

「お前は、ジュリアンの姉だな?」

 

 

 

 

 

 基本的に和風造りの衛宮邸だが、離れの内装は洋風の造りをしており、ベッドも備え付けられている。

 

 元々、西洋人のルヴィアやバゼット。そして洋風の暮らしに慣れている凛は、こちらに部屋を借りて寝る事になっていた。

 

 そのベテラン魔術師3人だったが、居間での話が終わって士郎と子供たちが解散した後も、凛の呼びかけに応じて彼女の部屋へと集まっていた。

 

「どう思う?」

 

 ベッドに腰かけた凛は、それぞれ椅子に座ったルヴィアのバゼットに語り掛けた。

 

 その質問に対し、

 

 いまだに感極まったままのルヴィアは、涙ながらに応えた。

 

「この世界の士郎(シェロ)がたどった道を思うと胸が締め付けられそうですわ。わたくしが傍にいたのなら、決してシェロを1人には致しませんでしたのに」

「・・・・・・衛宮君の事は確かに衝撃的だったけど、今はそっちじゃなくて」

 

 明後日の方向にずれている同僚(兼好敵手兼雇い主)にツッコミを入れつつ、話を本題の方向へと引き戻す。

 

 そんな空気を察したのか、バゼットが口を開いた。

 

「エインズワースの事情、ですか?」

 

 正鵠を射たバゼットの質問に、凛は頷きを返す。

 

 凛は、というより、この場にいる3人全員が、恐らくは大なり小なり違和感を感じていた筈だ。先ほどの士郎の話、特にエインズワース家に関するくだりについて。

 

「聞いててずっと違和感があったわ。『正義の味方』なんてあり方をを選んだ養父(ちち)を持つ衛宮君や、そもそも魔術世界の知識の無いイリヤ達は疑問に思わなかったのかもしれないけど・・・・・・・・・・・・」

 

 言いながら凛は、ルヴィアに目を向けた。

 

「例えばルヴィア、仮に100年後、世界が滅ぶと判ったら、貴女ならどうする?」

「・・・・・・何も、変わりませんわね」

 

 対して、ルヴィアは涙をぬぐうと、淡々とした顔つきで答えた。

 

「世界が滅びる前に、己が魔術(わざ)を極め根源を目指す。エーデルフェルトの血統を継ぐ者の使命ですわ」

 

 いっそ誇らしげに、ルヴィアは語る。

 

 「根源に至る」とは、その言葉通り自分たちが持つ魔術の起源を目指す事であり、現存魔術師が目指す究極の到達点とも言える。

 

 全ての魔術師の最終的な目的は、その「根源」に集約されている。

 

 そう言う意味で、ルヴィアの回答はまさしく模範的な魔術師のそれだった。

 

「そう、それが典型的な魔術師の考え方」

 

 魔術師とは、一般人よりも自己中心的な生き物であると言える。究極的に言ってしまえば、自分の最終目的である「根源を目指す」と言う事以外は、世界が滅びようがどうだって良いと思っている輩が多い。

 

 それ故に、残酷な行為に走る者も少なくないのだが。

 

 その視点から考えれば、エインズワースの考え方は破綻していると言っても良かった。

 

「・・・・・・つまり、エインズワースの世界救済は(ブラフ)である、と?」

「その可能性があるって話よ」

 

 バゼットの言葉にうなずきを返しながら、凛は己の中で考えをまとめるべく思考を続ける。

 

 エインズワースの置換魔術は、確かに出鱈目の極みと言って良い。

 

 本体が死んでも残り続ける人格置換。

 

 世界の修正に抗って安定展開できる空間置換。

 

 城を丸ごと覆う規模の物質置換。

 

 いずれも大魔術と呼ばれる儀式を用いれば、不可能な話ではない。

 

 だが、それらを行うには膨大な量の対価が必要になる。

 

 それをエインズワースは、まるで指先一つで行使していた。

 

 これは、完全に等価交換の原則から逸脱していた。

 

 そして何より、凛に違和感を抱かせていたのは、それだけの力を持ちながら、エインズワースが掲げている目的が「根源に至る」事ではなく、「世界の救済」だと言う事。

 

 どう考えても、まともな話ではなかった。

 

 

 

 

 

「・・・・・・・・・・・・よく、気づきましたね」

 

 どこか称賛するように、アンジェリカは士郎に対して言った。

 

「私はアンジェリカ・エインズワース。ジュリアン様の姉・・・・・・だった者です」

 

 だった者。

 

 つまり、今は違うと言う事。

 

 それ即ち彼女もまた、これまで士郎達が打倒してきた、人形に人格を置換させた存在である事を如実に語っていた。

 

「魔術は血統に継承される物だからな。あれほどの置換魔術を使える者が、エインズワースの人間でないはずが無い・・・・・・いや、もう『人間』ではない、か」

「人形です。もはや帰るべき肉体を持たぬ、意識を宿した・・・・・・人形」

 

 躊躇うような口調の士郎に対し、

 

 アンジェリカは一切のためらいも見せずに肯定して見せた。

 

「・・・・・・俺達が戦った人形は、どいつもこいつも壊れていた。記憶障害に倫理破綻、損傷無視の暴走・・・・・・その様子だとお前は、感情の喪失ってところか?」

 

 問いかける士郎。

 

 対して、

 

 アンジェリカは肯定するように、スッと目を閉じて口を開いた。

 

「・・・・・・体機能すら再現する人の概念置換は容易な物ではありません。必ず、自我に何らかの欠落が出ます。私の場合、感情の9割以上が失われました」

 

 皮肉な事だった。

 

 かつて、アンジェリカは士郎を「偽物」と呼び蔑んだ。

 

 しかしその実、彼女の方こそが「偽物」であった事になる。

 

「人間らしい反応を学んで演じて見せても、所詮は贋作。人形の中身に価値などありません」

「・・・・・・・・・・・・」

 

 自虐的に自身を語るアンジェリカ。

 

 それに対して、士郎が何か言おうとした。

 

 その時、

 

「きゃぴッ!?」

 

 珍妙な声と共に、廊下に人が倒れる。

 

 振り返った士郎が見た物は、田中に絡みつかれるようにして廊下に倒れるイリヤの姿だった。

 

「あぅ・・・・・・あ、あの?」

 

 どう言いつくろったら良いか、戸惑うイリヤ。

 

 トイレに起きたら士郎とアンジェリカが話し込んでいたので、ついつい聞き入ってしまったのだが、こうなると出歯が目していたのと変わりなかった。

 

「・・・・・・盗み聞きが趣味かい?」

「違いますぅー!!」

 

 とんでもない事を言い出す士郎に、抗議するイリヤ。

 

 とは言え先程、姉弟そろって美遊の黒歴史を覗いていた事を考えると、言い訳の余地はあまりなかった。

 

 そんなイリヤ対して、士郎は嘆息しつつアンジェリカに歩み寄る。

 

「いや、良いさ。君にも聞く権利がある事だからな。エインズワース(彼 等)が抱えている秘密・・・・・・分厚く塗り固められた虚構(うそ)の裏側を・・・・・・」

 

 言いながら、士郎は屈んでアンジェリカの顔を見やる。

 

「なあ、アンジェリカ。ダリウスとは、何者なんだ?」

 

 士郎には、ずっとそこが疑問だったのだ。

 

 ジュリアンはダリウスの事を「父」と呼んでいたが、あの言峰神父の話によれば、ザカリーこそがジュリアンの父だと言う。

 

 何より、

 

 あの第五次聖杯戦争で戦った槍兵(ランサー)

 

 彼は言った。「ジュリアンを頼む」と。

 

 あの言葉が何らかの欺瞞だったとは、士郎にはどうしても思えなかったのだ。

 

「なぜ、ジュリアンはダリウスの振りなんかしていた? そこに何の意味がある?」

 

 問い詰める士郎。

 

 その答えは、

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「ダリウスは、エインズワース全ての父です」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 意外なところからもたらされた。

 

「・・・・・・・・・・・・どういう、事だ?」

「田中さん?」

 

 振り返った士郎とイリヤが、信じられない面持ちでブルマー少女を見やる。

 

 その言葉を発したのは、イリヤの隣でキョトンとした顔をしている田中だったのだ。

 

 前々から不思議な事が多すぎる田中だったが、どうしてそんなことまで知っているのか?

 

 一同の視線が集中する中、

 

 田中は重々しく口を開き、

 

「どういうことです?」

「いや、田中さんが言ったんだよね!?」

 

 安定の記憶喪失言動を前に、イリヤのツッコミもむなしく響き渡る。

 

 田中の不思議行動は、会って間もないイリヤを思いっきり翻弄していた。

 

 と、

 

「・・・・・・振り、などでは断じてありません」

 

 一同のコントを他所に、アンジェリカは淡々と説明を続ける。

 

「あれは紛れもなくダリウス様その物。破戒すべき全ての符(ルールブレイカー)概念置換(そとがわ)を壊したところで無意味。そんな事では決して覆らない呪い」

 

 それこそが、すなわち、エインズワースの持つ底知れない闇を伺い知る鍵。

 

 この戦いの深淵へと迫る、唯一の道。

 

「エインズワースの後継者は、いずれ必ず、ダリウス・エインズワースへと置換される」

 

 血統による継承ではなく、完全なる「個」による永続。それこそが、エインズワースの初代から連綿と続く歴史。

 

 そこにはただ、ひたすらに不気味な恐ろしさが存在していた。

 

「掲げた悲願は世界の救済。けれど、千年を生きるダリウス様の本当の目的など、誰にもわかりません。だから、ジュリアン様は、自身の意識が残っている内に聖杯を成そうとしているのです。『ダリウス』の為ではなく、あの子自身の願いの為に」

 

 告げるアンジェリカ。

 

 その顔を見て、

 

 士郎は、

 

 そして、イリヤは、驚いて言葉を失う。

 

 それまで淡々とした口調で話していたアンジェリカ。

 

 一切の感情を失ったかのように見えた女性の目からは、

 

 一筋の涙が、零れ落ちていたからだ。

 

「どうか、お願いです」

 

 そして、

 

 アンジェリカはかつての敵に対し、涙ながらに、縋るように言った。

 

「どうか・・・・・・どうかジュリアン様を・・・・・・弟を、救ってあげてください」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 やりきれない想いを抱えながら、士郎は自分の部屋へ戻る廊下を歩いていた。

 

 ともかく、時間も時間である為、イリヤと田中は部屋に戻し、アンジェリカにもあてがった部屋に行って寝るように指示しておいた。

 

 命令があれば寝る。とアンジェリカ本人が言っていたのだから、取りあえず問題は無いだろう。

 

 それにしても、

 

 アンジェリカがジュリアンの姉で、

 

 ダリウスは、エインズワース全ての父。すなわち、初代エインズワース当主とは。

 

 謎の一部は解明された形だが、謎が謎を呼ぶとはこの事だ。

 

 おかげで、ますます先が見えなくなった感すらある。

 

 いずれ、彼等との決戦は避けられないだろう。

 

 だが、根深いエインズワースの闇は、いったいどこまで深いのか、伺い知る事すらできそうになかった。

 

 と、

 

「まったく、驚きましたね」

 

 廊下の先から聞こえて声に、士郎は足を止める。

 

 その視線の先では、

 

 ライオンさんパジャマを着た響が、士郎を待ち構えるようにして立っていた。

 

「アンジェリカが、あのジュリアン・エインズワースの姉で、ダリウスが全ての黒幕。しかも初代エインズワース当主とは・・・・・・敵が巨大すぎて、こっちの感覚がマヒしてしまいそうですよ」

 

 明らかに、それまでの「響」とは違う言動。

 

 だが、

 

 士郎は嘆息すると、やれやれとばかりに口を開いた。

 

「・・・・・・名前を聞いた時はまさかと思ったが、やっぱりお前か」

「ええ、お久しぶりです。士郎さん」

 

 そう言って、ヒビキはにっこりと笑みを見せる。

 

 成程。その仕草は、士郎の記憶にある物と一致していた。

 

「本当に生きていたとはな。それにしても、ずいぶんとややこしい事になっているじゃないか」

「士郎さんのせいです」

 

 断定するようにそう言うと、ヒビキは抗議するように唇を尖らせて見せた。

 

「聖杯に、何か余計な事を吹き込んだんじゃありませんか?」

「・・・・・・まあな」

 

 少しばつが悪そうに、士郎は明後日の方向を見ながら答えた。

 

 確かにあの時、

 

 美遊を並行世界に逃がそうとした時、士郎はもう一つ、ある事を願った。

 

 すなわち「美遊と〇〇〇が、仲良く暮らせせますように」と。

 

 どうやら、その結果がこれらしい。

 

「それに、さっきの士郎さんの言葉、一つ間違いがあります」

「何がだ?」

 

 いぶかるように尋ねる士郎。

 

 対してヒビキは、自身の胸に手を当てて淡々とした口調で言った。

 

「僕は間違いなく、あの戦いで死にました。今こうしていられるのは、まあ、魂がこの子の身体に憑りついてしまったから、とでも言えばいいんでしょうか? いずれにしても僕は今、『衛宮 響(えみや ひびき)』という名の少年の身体を間借りしているにすぎません」

「・・・・・・・・・・・・成程」

 

 ヒビキの説明に、士郎は戸惑いつつも頷きを返す。

 

 つまり、魂だけの存在になったヒビキが、向こうの世界で同一の存在だった「響」に憑依したのが、現在の「衛宮響」となっているのだ。

 

 いわば、1つの身体に2つの魂が宿っている状態である。

 

 普段は元々の「響」が主導権を持っているが、響に何らかの不足な事態(たとえば意識を失う等)が起こった時、「ヒビキ」の方が肉体の主導権を取る事ができる、と言う訳だ。

 

 今、「響」は疲れて眠っている為、「ヒビキ」が表に現れたのだ。

 

 自分の発した願いが、こんな形で結果を結ぶことになろうとは、士郎としても思いもよらない事だった。

 

 こちらで死んだ人間の魂が、向こうの世界の人間に憑依・転生するなど、にわかには信じがたい話ではある。

 

 しかし、実物例が目の前にある以上、信じない訳にも行かなかった。

 

「それで?」

「はい?」

 

 主語その他、もろもろ省いた士郎の質問に、ヒビキはキョトンとした顔を返す。

 

 戸惑うヒビキに対し、士郎は先を続けた。

 

「美遊には、ちゃんと打ち明けられたんだろうな?」

 

 その質問に対し、

 

 ヒビキはあからさまな嘆息を返して見せた。

 

「・・・・・・あのですね、士郎さん。前にも言いましたが、僕はあの事を誰にも言う気はありません。勿論それは、あの子に対しても、です」

「だが、お前は本当にそれで良いのか?」

 

 尚も問い詰めるように、士郎は言い募る。

 

 目の前にいる少年と、美遊との間にある、本人たちですら自覚していない蟠り。

 

 それあ士郎には、もどかしく思えて仕方が無かった。

 

「だって、お前は・・・・・・お前こそが、美遊の本当の兄じゃないか。だったら・・・・・・」

「やめてください」

 

 士郎の言葉を遮るようにして、ヒビキは硬い口調で告げる。

 

 それは、士郎も聞いた事が無いような、緊張感に満ちた声だった。

 

 それ以上言うなら、たとえ士郎でも許さない。

 

 そんな感情が、今のヒビキからはにじみ出ている。

 

「だがな・・・・・・・・・・・・」

 

 対して士郎は諭すように、静かな口調で告げる。

 

「転生だろうが憑依だろうが、お前は今、ここにいる。そして、美遊もまた一緒にいる。なら、このチャンスを逃すべきじゃないんじゃないか?」

「それは・・・・・・・・・・・・」

 

 士郎の言葉に、ヒビキは躊躇うように言い淀む。

 

 かつて生き別れた存在と、再びこうして出会う事が出来た。

 

 確かにそれは、またとない好機である事は間違いない。

 

 本来なら士郎に感謝し、彼の言う通りにすべきところ。

 

 だが、どうしても一歩、踏み出す勇気を持てずにいる。

 

 そんなヒビキの心を察したように、士郎は真っ直ぐに少年を見る。

 

 そして、

 

「なあ・・・・・・・・・・・・黍塚久希(きびつか ひさき)

「・・・・・・・・・・・・」

 

 声を掛ける士郎。

 

 対して、

 

 ヒビキは、何か後ろめたそうにそっぽを向く。

 

「・・・・・・・・・・・・いや」

 

 そんなヒビキに対して、

 

 士郎は言った。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「そうだろ・・・・・・・・・・・・朔月響(さかつき ひびき)

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

第46話「正体」      終わり

 




これまで大量のばら撒いた伏線から、大方の人はこの展開を予想できたでしょうね。

ただ、最大のヒントに気付いた人は何人いたでしょうね。

実は「きびつかひさき」を入れ替えると「さかつきひびき」になるんですねえ。

何か、答よりヒントの方が難しい気がしますが、
そこは気にしない方向で(爆


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番外編3「結局、それが一番」

今回はFGOではなくプリヤの方で。

所謂「バレンタイン・イベント」になります。

プリヤ二次本編の再開はまだ先になりますので、ご了承ください。

尚、お読みになる際は、時系列を考えずにお楽しみください。


 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 それは、とある2月13日の事だった。

 

「ミーユー!! 俺にチョコを、くれェェェェェェェェェェェェ!!」

 

 クラスメイトの、小うるさい小動物が、何をトチ狂ったのか、美遊・エーデルフェルトの下へと突撃してきた。

 

 いや、トチ狂っているのはいつもの事なのだが。今日はいつもに輪を掛けてひどかった。

 

 名前は、確か・・・・・・

 

 ・

 

・  

 

 ・

 

 ・

 

 ・

 

 ・

 

 確か、嶽間沢龍子(がくまざわ たつこ)だっただろうか?

 

 毎日会っているのに、名前を思い出すのに5秒以上かかるあたり、美遊も大概だろう。

 

「・・・・・・いきなり何?」

 

 努めて素っ気なく対応する美遊。

 

 正直、美遊からすれば龍子は鬱陶しい隣人でしかない。自然、態度も塩加減にならざるを得ない。

 

 もっとも、

 

 その程度に怯む龍子ではないのだが。

 

「だーかーらー!! チョコだよチョコッ!! あ、勿論、山盛りのつゆだくな!!」

 

 だから、いったい何を言っているのか?

 

 いい加減、美遊がうんざりしてきた時だった。

 

「落ち着け龍子」

 ドスッ

「ホゲェ!?」

 

 突如、横合いから出現した森山那奈亀(もりやま ななき)が、強烈なボディブローを食らわせて龍子を撃沈する。

 

 容赦なく、床に沈む龍子。

 

 その後ろから、栗原雀花(くりはら すずか)が顔を出した。

 

「いやー 悪かったな美遊。騒がしくしちまって」

 

 雀花の言葉を聞きながら、美遊は内心で嘆息する。

 

 龍子、雀花、那奈亀は、同じクラスメイトであり、イリヤ達を通じて、一緒に行動する事も多い。

 

 だが正直、美遊本人は未だに、彼女達を苦手としている面も多かった。

 

 普段なら、イリヤ達と一緒に接する事が多い為、それ程気にはならないのだが、生憎、今は周りに衛宮家の3姉弟はおらず美遊1人だった。

 

「まあ、それはそれとして、明日はバレンタインデーだし。美遊も、響にチョコあげるんだろ?」

「響に?」

 

 キョトンとする美遊。

 

 ここでなぜ、響の名前が出てくるのだろうか?

 

 それに、バレンタインデーと来た。

 

「バレンタインデーとは、帝政ローマ時代、兵士の婚姻を禁じたクラウディウス2世の政策に逆らい、密かに兵士の婚姻を行っていた聖ヴァレンティヌスの殉教を悼み、彼が処刑された2月14日を祝日として定めた日だったはず」

「お、おおう・・・・・・」

「相変わらず、チート級の知識量・・・・・・」

 

 バレンタインの起源を昏々と語る美遊に、若干引き気味な雀花と那奈亀。

 

 と、

 

「でも、好きな人にチョコをあげるのって、とっても素敵だと思うの」

 

 横合いから話しかけられて振り返ると、桂美々(かつら みみ)が、笑顔で会話に加わって来た。

 

「美遊ちゃんも、響君にチョコレートあげたら、きっと喜ぶと思うよ」

「・・・・・・響に、チョコレートを?」

 

 成程。

 

 これはたぶん、自分の知識外の案件なのだろう、と美遊は悟る。

 

 最近、薄々ではあるが、自分の知識は世間一般のそれと比べて偏りがある事を、美遊は自覚しつつあった。

 

 思えば、兄もそこら辺の事を危惧していたのを思い出す。

 

 となると、善は急げだ。

 

 2月14日は、もう明日。先程からちょくちょく、響の名前が出てきている所を見ると、彼にも関係ある事なのだろう。となると、あまり時間が無い可能性もある。

 

 だが、

 

 それにしても、

 

「・・・・・・・・・・・・」

「ん? 何、美遊ちゃん、どうしたの?」

 

 ジッと、美々の顔を見詰める美遊。

 

 さっきから、親し気に自分に話しかけているこの女は誰だろう? こんな人、クラスメイトにいただろうか?

 

 まあ、どうでも良い事だったので、すぐに忘れたが。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 昼休み、美遊の姿は学校の図書室にあった。

 

 判らない事があったら調べる。そのスタイルは、子供のころから貫いて来た事だった。

 

 おかげでバレンタインデーが、如何なるものであるかは分かった。

 

 基本的に、美遊が持っている知識は間違いではなかったが、昨今ではむしろ、別の意味で捉えられる場合が多い。

 

 すなわち、定められた日に、女性から男性へチョコレートを贈る日、なのだとか。

 

 そもそもの発端は、第二次世界大戦の後、売り上げ低下に悩む製菓業界が立ち上げたイベントがきっかけで、「女性が意中の男性に対し、2月14日にチョコレートを贈る」事が一般的であるらしい。

 

 その対となる行事が、1か月後の3月14日に、今度は男性が女性に対し、バレンタインデーの返礼として何らかのお返しをする「ホワイトデー」なる行事があるのだとか。

 

 もっとも、最近は様々な「バリエーション」も存在しており、構図自体が曖昧になっているらしい。

 

 例えば、意中の相手ではなくとも、周囲にいる人間への義理に対して贈る「義理チョコ」、女性が男性に対してあげるのではなく逆、男性が女性に対してあげる「逆チョコ」、異性ではなく同性同士で送り合う「友チョコ」、自分で自分に送る「自己チョコ」等々。

 

 しかしやはりイベントの根幹であり、多くの人々が共有するであろう存在は、女性が男性に送る「本命チョコ」だった。

 

「本命チョコ・・・・・・女性が、男性に送る・・・・・・」

 

 図書館で呼んでいた本を閉じ、美遊はポツリと呟く。

 

 その脳裏に浮かぶのは、

 

 やはり、衛宮響(えみや ひびき)の、茫洋とした顔だった。

 

 ほんのり、顔を赤くする。

 

 戦いの場にあっては美遊の相棒であり、

 

 そして何より、今は大切な彼氏でもある。

 

 本命チョコを送るとしたら、彼以外にあり得ない。

 

 の、だが、

 

 正直、サッと学んだ知識だけでも、バレンタインデーの奥が深い事だけは理解できた。

 

 「実戦経験」が薄い美遊が不用意に2月14日を迎えたりしたら、何か不備が生じるかもしれない。

 

 そうなると、次に必要なのは経験者の意見だろう。自分の持つ知識を肉付けしなくてはならない。

 

 美遊は自分の周囲の人間を思い浮かべながら、図書室を後にした。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「バレンタインデー? どうしたのよ、急に?」

 

 美遊に尋ねられ、遠坂凛(とおさか りん)は、窓を拭く手を止めて振り返った。

 

 魔術師としては先輩であり、このエーデルフェルト邸で働く同僚でもある凛は、美遊にとって最も近しい「年上の女性」の1人である。その為、この手のプライベートな相談をするのに適している人物でもあった。

 

 今は仕事中である為、美遊も凛もメイド服を着用している。

 

「はい。私にはそういう経験がありませんので。凛さんなら、経験もおありじゃないかと思って」

「あー・・・・・・うん、ま、まあ、ねー」

 

 尋ねる美遊に、曖昧な返事をする凛。

 

 実のところ、バレンタインに誰かにチョコをあげた経験など皆無な凛。

 

 実際、名前の通り凛とした出で立ちから、学校では人気が高い凛だが、特定の男子と付き合った事は皆無であり、当然ながらバレンタインデーなど、他人事でしかなかった。

 

 しかし、期待の眼差しで自分を頼って来た少女を裏切る事は凛にはできなかった。

 

 そんな訳で、張る必要のない見栄を張った訳だが、

 

 しかしまあ、知識としてのバレンタインデーを知らない訳じゃない。当たり障りのないアドバイスなら、問題無いだろう。

 

「そうねえ、最近じゃスーパーとかデパートなんかでも、この時期になればバレンタイン商戦なんて物を展開しているはずだから、少しお金を出せば、それなりに良い物が買えるはずよ」

 

 言ってから、

 

 凛は少し顔を赤くして、目を逸らす。

 

「ま、まあ、本当に想いを伝えたいのなら、自分で作るってのもありなんだけど」

「はあ・・・・・・・・・・・・」

 

 首を傾げる美遊。

 

 まあ、料理は得意な少女の事。チョコレートも作ろうと思えば簡単に作れるのだが。

 

 その時だった。

 

「オーッホッホッホッホッホッホッホッホッホッホッホッホ!!」

 

 突如、鳴り響く馬鹿笑い。

 

 耳をつんざくような笑い声と共に、金髪縦ロールをした少女が歩いてくるのが見えた。

 

「馬脚を現しましたわね、トオサカリン!! その程度の事しか考え付かないとは、底が知れましてよ!!」

「ルヴィア、あんたねェ・・・・・・」

 

 現れた、この屋敷の当主、ルヴィアゼリッタ・エーデルフェルトの姿に頭痛を感じて頭を抑える。

 

 一方、

 

 美遊は対外的には「姉」と言う事になっている主に振り返って尋ねる。

 

「ルヴィアさんなら、どんなバレンタインのプレゼントをしますか?」

 

 尋ねる美遊に、ルヴィアは傲然と胸を反らして言い放った。

 

「良い質問ですわね美遊。わたくしなら、そうですわね。まず、5つ星レストランを貸し切りにして最高のシェフを取り揃え、極上のディナーを提供しますわッ 勿論、チョコレートは本場フランスから呼び寄せた最高級のパティシエに作らせた極上品!! その後、最高級ホテルの最上階スイートを貸し切り、生涯最高の夜を演出すれば、既成事実完成ですわ!!」

「いい加減にしろォォォォォォ!!」

 ドゲシッ

「ボボファッ!?」

 

 只管ヒートアップして高笑いを上げまくるルヴィアの背後から、ドロップキックをかます凛。

 

 溜まらず、ルヴィアは廊下の端まで吹き飛ばされる。

 

「い、いきなり何をしますの、この野蛮人!!」

「やかましいッ だいたいあんたはねえッ」

 

 取っ組み合いを始める、凛とルヴィア。

 

 まったくもっていつも通りの光景が現出し、美遊としては嘆息するしかなかった。

 

 

 

 

 

 戦術上、外堀を埋めるのは基本だとは言うが、

 

 聊か外堀過ぎた感も否めない。

 

 と言う訳で、自分の仕事を終えた美遊は、お向かいの衛宮邸を訪れる事にしたのだ。

 

「ふうん。それは、ミユも大変だったね」

 

 苦笑気味に答えたのは、美遊の親友であり戦友でもある少女、イリヤ事、イリヤスフィール・フォン・アインツベルンだった。

 

 美遊の恋人である響の姉でもあるイリヤなら響の好みも把握しているだろう。たぶん、良いアイディアもしてくれるのでは、と期待している。

 

「ん~ ヒビキ、甘い物なら何でも好きだけどなー。それに、ミユがくれる物なら、何だって喜ぶと思うよ」

「それは・・・・・・そうなんだけど」

 

 悩む必要なんかないと思う。

 

 イリヤが言うのはそういう事だろう。

 

 確かに、響なら何をあげても喜びそうな気はする。

 

 しかし、

 

 どうせなら、何か特別な事を加えたい、と思うのも幼い乙女心だった。

 

 その時だった。

 

 突如、開け放たれるドア。

 

「フッ 何を悩んでいるのよ、あんた達は!!」

「その声はッ!?」

 

 導かれるように振り返るイリヤ。

 

 その視線の先には、

 

 自らと全く同じ顔をした、褐色肌の少女が立っていた。

 

「クロッ!?」

「イリヤ、この演出は必ずやらないとだめなの?」

 

 以前、どこかで見た事があるようなやり取りをする親友にツッコミを入れる美遊。

 

 入って来たのは、イリヤの姉妹であり、同一存在でもあるクロこと、クロエ・フォン・アインツベルンだった。

 

「話は聞かせてもらったわ!!」

「いや、聞いてないでよッ」

「要するに、明日のバレンタインデー、ヒビキに何を送れば良いか悩んでいる。そういう事よね」

「聞いてないね」

 

 2人が嘆息する中、クロエはズズイと迫って来る。

 

「そんなの簡単よッ このあたしが、とっておきの方法を教えてあげるわ」

 

 自信満々に言い放つクロエ。

 

 しかし勿論、言うまでもなく、

 

 聞いている2人の胸には、不安しか浮かばないのだった。

 

 

 

 

 

 そして、その考えは杞憂ではなかった。

 

「な、何よこれェェェェェェェェェェェェ!?」

 

 衛宮家に、少女の絶叫が木霊する。

 

 部屋の中にいるイリヤ。

 

 その恰好は普通、

 

 ではなかった。残念ながら。

 

 今のイリヤは、一糸纏わぬ雪原のような裸身を、惜しげもなく晒している。

 

 そして、

 

 まるで1個の彫像のような裸身の上から、赤いリボンを体中に巻き付けていた。

 

 少女の肌の白さと相まって、赤いリボンが強調されている形だ。

 

 所謂「裸リボン」と言う物である。

 

 一応、胸、秘部、お尻と言った際どいところは絶妙にリボンでガードされている。

 

 が、そんな物で羞恥が収まるはずもなく、

 

 イリヤは顔を真っ赤にして涙目になっていた。

 

「うん。とっても良いわよ、イリヤ」

「どこがよッ!?」

 

 いい仕事をした、とばかりにうっとりするクロエに、ツッコミを入れるイリヤ。

 

「その恰好は、とある昔、とあるお坊さんに恋をして裏切られ、とあるお寺まで追いかけて行って焼き殺したっていう伝説を持つとある女の人が、バレンタインに推奨した、由緒正しい、バレンタイン正装よッ」

「『とある』多すぎ!! あと、その人の真似だけは、絶対しちゃだめだからァ!!」

 

 この物語は、時系列を無視してお送りしております。

 

 と、

 

「あ、あの、クロ・・・・・・この、恰好は・・・・・・」

 

 か細い声が聞こえて来て、振り返るイリヤとクロエ。

 

 果たして、

 

 2人が見つめる先に立つ美遊。

 

 少女もまた、イリヤ同様に際どい恰好をしている。

 

 レザー製と思われる黒のノースリーブジャケットに、下はロ―レグの紐パン。肘まであるレザー製の手袋をした腕は、なぜか後ろ手にして手錠で拘束されていた。

 

 上半身は、多少露出が多い物の一応、服としての体を成しているのに対し、下半身がパンツのみと言うアンバランスな煽情感。上半身に敢えて服を着る事により、下半身の露出感が高まっている。

 

 しかも、ローライズのパンティはかなり際どいところまで下がっており、前は股上ギリギリまで来ており、後ろに至っては、お尻が半分見えている状態だ。

 

 加えて、後ろ手に拘束されている関係から美遊の体勢はどうしても前かがみになってしまっている為、お尻を強調するように突き出す恰好となっている。

 

「完璧ね」

「どこがよッ!?」

 

 親友の「無惨」な格好を見て叫ぶイリヤ。

 

 当然、美遊の方も滅茶苦茶恥ずかしいらしく、顔を赤くして下を向いている。

 

 そんな美遊に、歩み寄るクロエ。

 

「さ、あとは、これを咥えて、それから、これを首に下げて」

 

 抵抗できない美遊に、更に何やら付け加え始めるクロエ。

 

 そして、

 

「さ、できたわよ」

「んなッ!?」

 

 「完成」した美遊の恰好を見て、思わず絶句するイリヤ。

 

 美遊はと言えば、際どい恰好に加えて、口にはラッピングされたチョコレートを咥え、首からは「食べて(ハート)」と書かれた看板を下げている。

 

 聊かあざとさはあるものの、それでも半端ではない破壊力が発揮されていた。

 

 その証拠に、

 

「・・・・・・・・・・・・」

 

 ポ~っとした目で、美遊を言詰めるイリヤ。

 

 そして、

 

「・・・・・・うん、取りあえず、写真撮影から、始めよっか。いつも通りに」

「イ、イリヤ?」

 

 親友のただならぬ雰囲気に、思わず加えていたチョコを落として後ずさる美遊。

 

 だが、

 

「大丈夫、大丈夫だからね、ミユ」

「チョッ イリヤ、待ってッ!?」

 

 血走った目で迫って来る親友に、思わず引いてしまう美遊。

 

 どう考えても「大丈夫」には見えないのだが。

 

 しかし、

 

 「変なスイッチが入った」イリヤを押し留める事は、何人にも不可能だった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 そして翌日。

 

 学校が終わった美遊は、1人でとぼとぼと家路についていた。

 

 イリヤ達と一緒に還ろうと思わなくも無かったが、ちょっと、そういう気分ではなかったのだ。

 

 結局、あの後も試行錯誤したが、バレンタインに相応しい「特別な贈り物」を用意する事は出来なかった。

 

 そもそも、バレンタインに贈り物をすると言うイベント事態が、元々は製菓業界の業績アップが目的であった以上、そこに熱を上げる事の意味が、美遊には理解しづらかったのだ。

 

 一応あの後、エーデルフェルト邸に戻ってからキッチンを借り、自作のチョコは用意できた。

 

 とは言え、

 

 思い浮かぶのは、響の顔。

 

 折角、付き合い始めて、最初のバレンタインデーなのだ。何か特別な事をしたかったのも事実である。

 

 と、その時だった。

 

「あれ? ・・・・・・と、確か、美遊、だったか?」

「え? ・・・・・・・・・・・・あッ」

 

 顔を上げると、目の前に見覚えのある年上の少年が立っており、思わず美遊は声を上げた。

 

 衛宮士郎(えみや しろう)

 

 イリヤ、クロエ、響の兄。

 

 そして、

 

 美遊にとっては、並行世界にいる自分の兄と同一の存在。

 

「士郎、さん?」

「ああ、今、帰りか? そう言えば、今日はイリヤ達と一緒じゃないんだな」

 

 頷いて、顔を逸らす美遊。

 

 士郎に対し思うところが無い訳ではないが、しかしどうしても、一緒にいると意識せずにはいられなかった。

 

 と、

 

 少女の目が、士郎の持っている袋を捉えた。

 

「士郎さん、それ」

「ああ、これか。ほら、今日はバレンタインだろう。だから朝から、さ」

 

 そう言って苦笑する士郎。

 

 実のところ、士郎の周りは朝から騒々しい事この上なかった。

 

 朝起きたら、イリヤとクロエの妹2人が、さも当然と言わんばかりに、競うようにチョコを手渡してきた。

 

 リビングに行ったら、母であるアイリスフィールが、山盛りのチョコを大雑把に買い物袋に入れて手渡してきた。

 

 更に住み込みメイド姉妹の妹であるリズは、食べかけのポッキーの箱を渡してきた。

 

 学校に行ったら、昔から縁のあり、美遊達の担任講師でもある藤村大河(ふじむら たいが)が高等部の教室まで突撃してきて、トラ印のラッピングされたチョコを叩きつけ「お返しは10倍返しねッ!!」と言って、猛然と去って行った。

 

 更に、遠坂凛とルヴィア・ゼリッタ・エーデルフェルトがほぼ同時に殺到してきて、士郎の口の中に無理やりチョコをねじ込んで来た。

 

 かと思えば、クラスメイトの森山那奈巳(もりやま ななみ)が「い、いつも衛宮君にはお世話になっているから。あ、けどけどッ 恥ずかしいからダメ、け、けどッ やっぱり貰って欲しいッ ああッ けどッ けどッ」などと、士郎本人よりも周りで見ている人間がイライラするような態度でチョコを渡してきた。

 

 生徒会に行けば親友であり生徒会長でもある柳洞一成(りゅうどう いっせい)が、「衛宮には常日頃から助けられているからな。なに、ほんの礼だ。これも御仏の導き。これからも、俺の傍にあって、俺を助けてくれると嬉しい」などと、誤解を呼びそうなセリフと共にチョコを渡してきた。

 

 部活に行けば後輩の間桐桜(まとう さくら)が、「はい、先輩。いつもお世話になっているお礼です。その、ご迷惑じゃ、ないですか?」などと、控えめにチョコを差し出してきた。

 

 因みにこの後、家に帰れば住み込みメイド姉妹の姉であるセラが「な、何ですか? 私だってチョコぐらい作れます。それに、日ごろから一緒に暮らしているのですから、これくらいの事はしても別に構わないでしょう。全く、そんな事も分からないから、あなたは長男としての自覚が足らないと、常日頃から・・・・・・」などと、説教交じりに、随分と気合の入った本格的な手作りチョコを手渡してくる事になる。

 

 ぶっちゃけ、冬木一「バレンタインチョコに困らない男」。それが、衛宮士郎と言う男だった。

 

 まったく、これだから「元エロゲ主人公」は。

 

「あの、士郎さん。ちょっと、相談したい事が・・・・・・・・・・・・」

「うん?」

 

 美遊の深刻そうな表情に、士郎は怪訝な面持ちになりながらも耳を傾けるのだった。

 

 

 

 

 

「成程な、響にチョコを」

「はい。でも、どう渡したら良いか分からなくて・・・・・・」

 

 美遊の話を聞いた士郎は、納得したように頷く。

 

「ハハ、あいつもモテるんだな」

 

 目の前の少女が、弟と付き合っている事は士郎も知っている。

 

 その為、驚きはしなかったのだが。

 

 しかし、

 

「そう、難しく考える事無いんじゃないか?」

「え?」

 

 傍らを並んで歩く士郎を見上げるようにして、美遊は士郎を見る。

 

 対して、士郎は年下の少女を見下ろして告げる。

 

「バレンタイン自体が、もう特別な日なんだからさ。そこで無理して更に特別な事なんてする必要は無いだろう。ただ、相手にチョコをあげて、それで自分の気持ちを伝える。それだけで良いと俺は思うぞ」

「あ・・・・・・・・・・・・」

 

 笑いかける士郎。

 

 その横顔が、

 

 美遊には「あちらの世界」にいる、兄に重なって見えたのだった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 学校を出て、家の近くまで来る頃には、辺りはだいぶ薄暗くなっていた。

 

「ん、寒ッ」

 

 包み込むような寒気に、コートの襟を合わせる衛宮響(えみや ひびき)

 

 今日は学校が終わった後、友達と遊んでいた為、帰りが少し遅くなってしまったのだ。

 

 とは言え、門限にはまだ少し余裕があるので、急ぐ必要は無いのだが。

 

 と、

 

「ん?」

 

 自宅の門が見える場所まで着た時、響はふと、足を止めた。

 

 家の前に、誰かいる。

 

 街灯に照らされるように浮かび上がった、小柄なシルエット。

 

 あれは、

 

「美遊?」

「あ、響・・・・・・」

 

 自分の彼女が、自宅の前で待っていた事に、驚きを隠せない。

 

 近付いていくと、少女の緊張した面持ちが見えてくる。

 

「どした?」

「あ、えっと・・・・・・」

 

 美遊は少し躊躇うようにした後、

 

 手にしたラッピングを、響に向かって差し出した。

 

「こ、これッ」

「ん?」

 

 差し出された物は、両掌に乗るサイズの大きさをした包み。

 

 形からして、ハート型なのは判る。

 

「これ・・・・・・て」

「う、うん・・・・・・今日はバレンタインデー・・・・・・だって、聞いたから」

 

 恥ずかしそうに、俯いて告げる美遊。

 

 対して、

 

 恐る恐る、と言った感じにチョコを受け取る響。

 

 そして、

 

「ん、ありがとう、美遊」

 

 満面の笑顔を向けてくる。

 

 その笑顔につられるように、

 

 美遊もまた、笑顔を浮かべるのだった。

 

 

 

 

 

番外編3「結局、それが一番」      終わり

 




執筆時間3時間。

久々に衝動書きしてしまいました。

思えば、長くネットで二次創作書いて来てるけど、この手の季節イベントを書いたのは初めてですね。本編の進行が遅れるから、あまりこの手の物は書きたくないのですが、今回はFGOのバレンタインイベントの触発されたせいもあり、どうしても書きたいと思ったので。本編執筆に支障がない範囲で書かせていただきました。


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第47話「風雲!! クロエ城」

と言う訳で長らくお待たせいたしましたが、再開したいと思います。

プリヤも完結していないし、クライマックスの状況次第でどうなるかはわかりませんが、もしかしたら当初の予定よりも変更する必要があるかもしれないと思っています。

ただ、FGOの方を進めるにしろ、どうするにしろ、まずはこっちを先に終わらせない事には、盛り上がりそうにないので。




 

 

 

 

 

 

 

 

 

 取りあえず、雪を見たらはしゃぎたくなるのは子供心として当然の事だろう。

 

 昨夜から未明にかけて降った雪は、膝上まで積もり一面の銀世界が広がっている。

 

 その中を、

 

 子供たちは、文字通り先を争って駆けだした。

 

「綺麗な新雪ッ あたしが一番乗りねー!!」

「ずるいですー!! 田中も足跡つけるですー!!」

 

 飛び出していくクロエと田中。

 

 2人分の足跡が、真新しい雪の上に連なる。

 

 古式ゆかしい純和風邸宅である衛宮邸は、庭も広い造りになっている。

 

 子供達が駆けまわるには十分な広さがあった。

 

 ・・・・・・・・・・・・

 

 1人、「子供」のカテゴリーに入れて良いのかどうか悩む生物がいるが、そこは置いておこう。話が進まないし。精神年齢的には同じような物だから問題はあるまい。

 

「もー クロったらはしゃいじゃって」

《子供は雪の子と言いますから》

《姉さん、風の子です》

 

 駆けまわる2人の様子を、呆れ気味に眺めるイリヤ。

 

 その傍らでは、同じく外に出て来た響と美遊の姿もある。

 

「ん、こんなにたくさん、雪見たの初めて、かも」

「そうだね。こっちじゃこれが普通なの?」

 

 尋ねるイリヤに、美遊は首を横に振る。

 

「うっすらと積もる程度ならよくあったけど、こんなに振ったのは私も初めて見た」

 

 視界の先では、クロエと田中が雪合戦を始めているのが見える。

 

 楽し気な声を聞きながら、イリヤは足元の雪をそっと掬ってみる。

 

 たくさんの雪を見たのは、彼女にとって初めての事。

 

 しかし、

 

 心の中で、どこか懐かしさを感じる気がした。

 

 まるで、ここではない、どこか別の場所で、多くの雪に囲まれた事があるような、そんな気分。

 

 そんな事、ある訳ないのに。

 

 そう、だからこれはきっと、ただの気のせ・・・

 

 ベシャッ

 

 思いを馳せるイリヤの顔面に、ぶつけられる雪玉。

 

 白の少女は、一瞬にしてみるも無様な有様に成り果てる。

 

 その下手人たる褐色少女は、高笑いを上げながら挑発的にこちらを見ている。

 

「なーに黄昏てんのよイリヤ。雪での遊び方、教えてあげましょうか?」

「あ・・・・・・」

「ん、これ、まずい」

 

 この後の展開を予測し、顔を引きつらせる美遊と響。

 

 こう見えて、案外気の短いイリヤの事。

 

 クロ挑発 → イリヤ怒る → 大乱闘

 

 の流れは容易に想像できる。

 

 だが、

 

 イリヤは頭に乗っかっている雪を優雅に払いのける。

 

「・・・・・・あのね、クロ」

 

 おっとりと、優し気な口調で語り掛ける少女。

 

 その表情には、落ち着きと余裕に満ち溢れている。

 

 その神々しい様は、まるで聖母のようだ。

 

 小学生に「母」と言うのも、色々あれだが。

 

 しかしイリヤは、悪戯娘に慈愛に満ちた声を掛ける。

 

「今は遊んでいる状況じゃないでしょ。ましてや、よそのおうちではしたないわよ」

 

 ある種の気品すら感じさせる表情に、彼女の親友と弟はヒソヒソと話し始める。

 

「イ、イリヤが、大人な対応を・・・・・・」

「ん、拾い食いしたか?」

《いえいえ、あれは姉っぽさをアピールしているときの顔です》

 

 ルビーの解説に、2人は成程と納得する。

 

 以前、「向こう側の冬木」にいたころに争われた、「どっちが姉っぽいか大戦」は、未だに継続中である。

 

 イリヤはこれを機に、ライバルとの差を広げようと言う魂胆らしい。

 

 何とも、やっている事が小さい事この上ないが。

 

「はいはい、遊びはおしまい」

 

 パンパンと手を叩きながら、余裕の笑みを浮かべるイリヤ。

 

「考えなきゃならない事がいっぱいあるんだから。部屋に戻って作戦会議をし」「こうですか?」

パァン

 

 またも、雪玉顔面直撃のイリヤ。

 

 今度は鼻っ面に一発喰らう。

 

 またも雪塗れになる少女。

 

 一方で下手人たちは凱歌を上げる。

 

「ナイスピッチよ田中!!」

「イェイでェす!!」

 

 ハイタッチを決める、クロエと田中。

 

 一方のやられた方は、と言えば・・・・・・

 

「あ、あの、イリヤ?」

「ん、落ち着け。煎餅食べろ」

 

 恐る恐る、と言った感じに声をかける美遊と響。

 

 イリヤは、大きく息を吐く。

 

 お、今度も落ち着くか?

 

 姉の対応で乗り切るか?

 

 美遊達が、そーっと覗き込んだ。

 

 次の瞬間、

 

「よくもやったわねェーーーーーー!!」

 

 両手を振り上げて、クロエと田中を追いかけまわすイリヤ。

 

 流石に、2発目は許容できなかったらしい。

 

「・・・・・・やっぱり、こうなっちゃった」

「ん、予定通り」

《確かに。ですが、何だかこの展開(ノリ)こそ、とても懐かしい気がします》

《然り然り》

 

 ステッキ姉妹が感慨深く頷く。

 

 言われてみれば確かに、「こちら側」に来てから殺伐とした闘い続きで、こうした事が「日常」であると言う事すら忘れてしまっていた気がする。

 

 だからこそ、だろう。

 

 目の前の光景を見て、最年少の少年も又、自分の本能を抑えきれなくなっていた。

 

 響は美遊の手を取る。

 

「ひ、響?」

「ん、美遊、行こッ」

 

 言いながら、イリヤを追いかけて駆け出す響。

 

 そんな彼氏の無邪気な様子に、美遊もまた、自然に笑顔になるのだった。

 

 

 

 

 

 取りあえず、流れ的に雪合戦をやろうと言う事になった一同。

 

 公正なジャンケンの結果、クロエ・田中チームVSイリヤ・美遊・響チームに分かれる事となった。

 

 人数的にアンバランスである為、地形的有利がある土蔵周辺の陣地を、1人少ないクロエ達が取り、イリヤ達はオープンスペースに陣地を取った。

 

 まずは弾の補充。

 

 それから遮蔽物の確保。

 

 たかが遊びとは言え、双方ともに真剣である。

 

「やっぱ、ミユがお姉ちゃんかな?」

「え、何の話?」

 

 イリヤの言葉に、美遊は雪玉を作る手を止めて首を傾げる。

 

 立場的には士郎の「妹」である自分が、なぜ「姉」になるのか?

 

「いやー クロは私の妹な訳だし、ヒビキは弟でしょ。それで、私とミユは誕生日が同じな訳だし、それならミユの方がしっかりしてるから、お姉さんかなって思って」

「私が、お姉ちゃん?」

「いや待って。妹モードのミユも捨てがたい気がッ そうなると、私が姉をやるしかッ」

「ん、それはイリヤの煩悩」

 

 何やら、1人で悶えている姉に、雪玉を作りながらツッコミを入れる響。

 

 とは言え、

 

 響的に美遊の彼氏と言う立場からすれば、自分の彼女を「お姉ちゃん」呼びするのは勘弁な訳で。

 

 やりたいなら勝手にやってくれ、と言ったところである。

 

 そんな響の想いを汲んだように、美遊は微笑と共に首を振る。

 

「私は、イリヤの妹でも姉でもないよ」

「え?」

「だって、友達、でしょ」

 

 改めて言われて、イリヤも苦笑する。

 

 そうだった。

 

 何を余計な事を考えていたのか。

 

 元々、言い出したのはイリヤの方だ。それを、今更美遊に言われるとは。

 

「ん」

「勿論、響は別」

 

 忘れるな、と言わんばかりに袖を引っ張る彼氏に、笑いかける美遊。

 

 イリヤ達の事はもちろん大切だが、響の存在はまた別。

 

 大切な彼氏の事を忘れる程、美遊もバカではなかった。

 

 大切な兄、大切な友達、大切な恋人。

 

 そんな大切な人たちに囲まれて、今の美遊はとても幸せだった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「な~んて、(わたし抜きで)仲のよろしいところを見せつけてくれちゃったわけだけど・・・・・・」

 

 「眼下」を見下ろすクロエ。

 

 激しくも、凍えそうなほどに熱い戦いが行われた戦場で、

 

 一敗地にまみれた敗者が3人、無様にも雪塗れの姿をさらしていた。

 

「オーッホッホッホッホッホッホ!! 相変わらず弱すぎるわねッ イリヤ!!」

 

 クロエが立っている場所。

 

 その足元に今、雪で出来た巨大な城が聳え立っている。クロエが投影と強化を駆使し、一瞬にして作り上げたのだった。

 

「ただの雪合戦で、どうしてそんなに全力なのよ!?」

「な、何て大人げない・・・・・・」

「クロのバカーッ!!」

「敗残兵の怨嗟が耳に心地いいわ!!」

 

 魔術(ズル)までして、圧倒的な火力(雪力?)を叩きつけたクロエチーム。

 

 響達は、ろくな抵抗も出来ないまま、半ば雪に埋もれていた。

 

 そして、

 

 今回の戦いにおける最功労者と言えば、

 

「いやー 田中がこんなに使える子だったとはね!! あなた天性のピッチングセンス持ってるわよ!!」

「田中、未だかつてない褒められっぷりです!?」

 

 クロエに褒めちぎられ、目を輝かせる田中。

 

 実際、攻撃の殆どは彼女が行った物だった。

 

 田中の雪玉(スナイピング)は天才的であり、響達は全くと言って良いほどに抵抗する事が出来ず、彼女に撃ち竦められた形だった。

 

《どうします、イリヤさん? 転身してこらしめます?》

「うう・・・・・・それは何か、負けた気がするからヤダ」

 

 ルビーの提案に、苦渋の表情で却下を返すイリヤ。

 

 魔法少女(カレイド・ルビー)に変身すれば、確かに互角に戦えるだろう。

 

 しかし、相手が魔術(ズル)をしていても、自分は正々堂々とやりたい。

 

 損な性格だとは思うが、それがイリヤと言う少女の魅力であるとも言えよう。

 

 もっとも、その美徳は容易に弱点にもなり得る。

 

 手の内が判っている相手には特に。

 

「そぉーよねー 私たちはあくまで楽しく遊んでいるだけだもの。あくまで決着は雪合戦でつけなくちゃ」

 

 既に勝ち誇った様子のクロエ。

 

 自分1人でズルをしておいて、この言い草である。

 

 とは言え、このまま戦っても勝ち目は薄いと言わざるを得ない。

 

「響、もう弾が無い」

「うう、手、冷たい」

 

 雪玉を作り、かじかんだ手では、もう握る事も投げる事も出来ない。

 

 一方で、

 

「こっちには謎のホカホカ体質がいるからねー いくらでも弾の補充ができるわ!!」

「田中、ぶちかまします!!」

「あんたが力むと、雪が溶けるからやめて」

 

 燃える田中を横に置きつつ、クロエは、頭のてっぺんから雪塗れの3人をこれ見よがしに見下す。

 

「取りあえずアレね、降伏しなさい、イリヤ!!」

「うぐぐ・・・・・・」

「負けを認めて、これからは私を『クロお姉ちゃん』って呼ぶなら許してあげるわ!!」

「な、何をー!?」

「あ、勿論、ミユもだからね!! とびっきりの妹ボイスでお願いします!!」

「妹ボイス?」

《先程のイリヤ様達との会話を聞かれていたようですね》

「ヒビキは、そうね、これから家ではずっと女の子の恰好している事!!」

「ずェッッッッッッ対、ヤダァ!!」

 

 ノリノリで降伏勧告を送るクロエ。

 

 完全に悪の王様気取りである。

 

 とは言え、響達にはもはや戦う術が無いのも事実。

 

《ほらほら、どうするんですか、イリヤさんー? このままじゃ、美遊さんと響さんがクロさんの毒牙に掛かり、儚い純潔を散らす事になりますよー?》

「うぐぐぐ・・・・・・」

 

 鼻息(?)も荒く、煽るルビー。

 

 頭を抱えて悩むイリヤ。

 

 悩んだ末に、

 

「・・・・・・こう、なったらッ!!」

 

 彼女は最後の手段(ジョーカー)を使う事にした。

 

 完全と立ち上がる少女(イリヤ)

 

 巨大な敵を前に、最後の力を振り絞るその姿は、まさしく神話英雄と比して勝るとも劣らない。

 

 次の瞬間、

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「アンジェリカさァァァァァァん!! 助けてェェェェェェ!!」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「「「は?」」」

 

 響、美遊、クロエの3人が、目を天にする中、

 

 果たして、

 

「お呼びでしょうか、イリヤスフィール様」

 

 空間置換で開いた門の中から悠然と現れたのは、アンジェリカ・エインズワース女史。

 

 その姿に、クロエは勿論、響と美遊も口をポカンと開いて呆気にとられる。

 

「ズ、ズルいわよイリヤッ!! あんたいつの間に、そんな召喚獣飼いならしたのよ!?」

「ズルくないですー!! 悔しかったら、そっちも援軍呼べばいいでしょー!!」

 

 完全にノリノリのイリヤ。

 

 対して、今度はクロエの方が焦りを覚える。

 

 あの女(アンジェリカ)の実力は、実際に戦場で戦って判っている。お遊びとは言え油断はできない。

 

「田中、ここは慎重に・・・・・・」

「往生するですー!!」

「チョッ 田中―!!」

 

 マシンガンのように、手持ちの雪玉を一気に投げる田中。

 

 先には響達を圧倒した攻撃。

 

 攻撃の威力、量、精度、いずれも充分すぎる程に充分。

 

 戦いは一瞬にして終わった事だろう。

 

 相手がアンジェリカでなければ。

 

 空間置換を展開するアンジェリカ。

 

 放たれた雪玉は全てのみ込まれる。

 

 次の瞬間、

 

 「田中が投げた雪玉全て」が、「田中とクロエ」を直撃、一瞬にして彼女達を雪塗れに変えてしまった。

 

 

 

 

 

 楽し気に雪合戦に興じる子供達。

 

 その様子を、縁側から見つめる瞳があった。

 

 士郎である。

 

 不思議な物だ、と思う。

 

 あのアンジェリカが、まさか子供たちに交じって、あのように遊ぶ姿を見せるとは。

 

 ギルガメッシュの英霊を宿し、聖杯戦争で自分と戦った頃からは想像もできない姿だ。

 

 その視線は、彼女の傍らに立つ銀髪の少女へと向けられた。

 

 アンジェリカの参戦で余裕ができたらしいイリヤ達も、回復した手で雪玉を補充し、反撃を開始している。

 

 不思議な子だ、と思う。

 

 敵だった相手と、あんな風に一緒にいられるとは。

 

 そして、

 

 あの子が美遊の友達でいてくれて、本当に良かったと思った。

 

「・・・・・・・・・・・・」

 

 ふと、

 

 士郎の視線が響を捉えた。

 

 今の響は、正真正銘「衛宮響」だ。昨日、士郎の前で見せた姿ではない。

 

 しかし、

 

 朔月響(さかつき ひびき)

 

 かつて黍塚久樹(きびつか ひさき)と言う偽名を名乗り、第5次聖杯戦争において、士郎と共闘したセイバーの英霊を宿した少年。

 

 そして、

 

 朔月家の長子にして、美遊の実の兄。

 

 士郎の脳裏に、昨夜の事が思い出されていた。

 

 

 

 

 

「言っときますけど、士郎さん」

 

 士郎を真っすぐに見据えながら、ヒビキは告げる。

 

 不思議だった。

 

 姿形は間違いなく「衛宮響」なのに、口調は士郎がよく知る「黍塚久樹(きびつか ひさき)」、否、「朔月響(さかつき ひびき)」の物なのだから。

 

 そんな士郎を見据えながら、ヒビキは硬い口調で告げる。

 

「士郎さんの口から、美遊に真実を告げるってのは無しですからね」

「何でだよ。ここまで来て、それはないだろ」

 

 士郎は食い下がるように、ヒビキに抗議する。

 

 お膳立ては整っているのだ。

 

 今この時、この場所に本物の兄妹が共にある。

 

 ならば、今会わずに何とするのか?

 

 だが、言い募る士郎に、ヒビキは首を振る。

 

「僕は朔月を捨てた人間です。今更、兄だなんて名乗れませんよ。ましてか、もう死んでますからね、僕」

「そんな事はッ・・・・・・」

「それに」

 

 士郎の言葉を遮るようにして、ヒビキは続ける。

 

「どのみち、美遊は僕の事を覚えていませんよ。僕が朔月の家を出たのは、美遊が物心つく、ずっと前の事ですから」

 

 寂しげなヒビキの口調。

 

 その裏に、他人では推し量る事が出来ない、事情がある事は、士郎にも判った。

 

「いったい、何があったんだ?」

「・・・・・・・・・・・・」

 

 このままじゃ、納得できない。

 

 それが士郎の本音だった。

 

 士郎は長く、美遊と共にあり、彼女の事を見て来た。

 

 家族を失い、天涯孤独となった美遊。

 

 だが、まだ家族がいる事が判れば、どんなに喜ぶ事か。

 

 それをヒビキは否定している。

 

 到底、納得できるものではなかった。仲間としても、美遊の兄としても。

 

 対して、躊躇うように沈黙するヒビキ。

 

 しかし、

 

「・・・・・・・・・・・・よくある話ですよ」

 

 士郎の気迫に根負けしたように、ややあって口を開いた。

 

「万能の願望機である聖杯。人々のあらゆる願いを叶える朔月の神稚児。その存在を狙っていたのが、何も切嗣さんや、エインズワースだけではなかったってだけの話です」

 

 如何なる願いでも叶う。

 

 それを知れば、魔術師ならばいかなる手段を用いてでも欲する事だろう。

 

 朔月家の神稚児は、生まれてから7歳を超えるまで、常にそうした連中に狙われ続ける事になる。

 

 もっとも、大概は張り巡らされた結界に阻まれ、屋敷を見る事すらできないのだが。

 

「でも、偶にいたんですよ。結界を乗り越えてやってくる奴が」

 

 それは、美遊が生まれて、1歳になるかならないかの時に起こった。

 

 戦闘に長けた魔術師数名が、結界を突破して、内部にある朔月邸へと迫って来たのだ。

 

 無論、朔月家も迎撃に出る。

 

 しかし元々、強力な結界に依存し、戦闘向けとは言い難い朔月家の魔術師たちは、次々と倒れて行く。

 

 しかし、敵が少数であった事が幸いし、どうにか、残る1人と言うところまで撃ち減らす事に成功した。

 

 しかし、その残った1人が、事もあろうに幼い美遊の寝て居る子供部屋まで迫ったのだ。

 

 扉を開け、寝息を立てる、まだ幼子の美遊。

 

 その姿にほくそ笑んだ魔術師。

 

 しかし次の瞬間、その笑顔が、背中の痛みと共に凍り付いた。

 

 振り返る魔術師。

 

 背後に立つ少年。

 

 その手には、一振りの日本刀が握られていた。

 

 妹を守りたい。

 

 その一心から、ヒビキは魔術師を返り討ちにしてしまったのだ。

 

「それ以来、僕は家の中じゃ腫物みたいな扱いでしたよ。無理も無いですよね。いくら切った張ったが日常の魔術師とは言え、まだ6歳の子供が大の大人、それも戦闘に特化した魔術師を殺してしまったんですから。母は庇ってくれましたけど、他のみんなが僕を見る目は、殆ど化け物か、そうでなければ傷物みたいでした」

 

 そして、

 

 その空気に耐えきれなくなったヒビキは、ついに家を出る決心をした。

 

 幼児とは言え、魔術師の家柄。手持ちの金には余裕があったし、多少ながら伝手もあった。

 

 こうして冬木を出奔したヒビキはその後、国外を転々と放浪を続けたと言う訳である。

 

 聖杯戦争再開の報を聞くまでは。

 

「そんな訳なんで、僕は美遊に名乗り出るつもりは更々ありません。それに・・・・・・」

「・・・・・・・・・・・・」

「美遊の兄貴は士郎さんですよ。僕じゃない。今更、どこぞの馬の骨が名乗り出た所で、あの子には何の価値も無い」

 

 そう言うと、踵を返すヒビキ。

 

 その後ろ姿に対し、士郎は何も告げる事が出来なかった。

 

 

 

 

 

 雪合戦の様子を、見続ける士郎。

 

 今は買い出しから戻ってきたバゼットもイリヤ側に加わり、勝敗はほぼ確定しようとしていた。

 

 一体如何にすれば、投げた雪玉が強化された城壁を破れるのかは謎だが。

 

 そんな中、士郎の視線は、背中を向けて雪玉を投げる響へと向けられる。

 

 朝起きたら、既にヒビキは響に戻っていた。あれ以来、姿を見せる事は無い。

 

 どうやら本当に、名乗り出る気は無いらしい。

 

 ああ見えて、なかなか頑固な男である。

 

 しかし、

 

「お前は本当に、それで良いのか?」

 

 ここにいない戦友に、そっと語り掛ける。

 

 勿論、答えが返る事は無かったが。

 

 視線の先では、イリヤの求めに応じたバゼットの参戦で、クロエ城が倒壊を余儀なくされている様子が見て取れた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 玄関先に並んだ子供達。

 

 その姿を見て、

 

 いたずらっ子を睨みつける母親よろしく、凛は嘆息する。

 

 ルヴィア、バゼットを伴い、新都まで買い出しに行っていた凛。

 

 帰って来てみれば、あの通りの有様であったわけである。

 

「うん・・・・・・まあ、ね。心に余裕を持つのは大事だし、たまには遊びに興じるのも結構な事だけど、今の自分達の姿を見て、何か思うところは無いの?」

 

 玄関先に並んだ子供達。

 

 揃ってばつが悪そうにするその姿は、頭のてっぺんから足のつま先まで、ぐっしょりと濡れてしまっていた。

 

「その・・・・・・」

「ちょっとだけ・・・・・・」

「はしゃぎ過ぎたかしらね?」

「ん、白熱した戦いだった」

 

 どうやら自分達でも「やりすぎた」と言う想いはあるらしい。

 

 苦笑を浮かべる子供達。

 

 田中だけは堂々と胸を張って「ナイデス!!」とか答えているが。

 

「とにかくッ!!」

 

 凛は廊下の奥を指差す。

 

「お風呂沸かしてあるから、風邪ひく前に入ってきなさい!!」

「「「「「は~い!!」」」」」

 

 追い立てられ、競うように駆け去っていく子供達。

 

 その姿を見ながら、凛は嘆息する。

 

「まったく、子供は自分の身体に無頓着なんだから」

「何だか所帯じみてきましたわね、あなた」

《と言うか、だんだんセラ(アレ)に似てきましたね》

 

 呆れ気味なルヴィアとルビーのコメントを無視する凛。

 

 とは言え、

 

 こんな子供の多い状況である。いらぬ気苦労が増える事もやむを得ない事かもしれなかった。

 

 

 

 

 

 風呂場の方から、騒がしい声が聞こえてくる。

 

 少女たちの入浴が長引いているのだろう。

 

 あの様子では、あと1時間くらいは入っているかもしれない。

 

 そんな中、

 

「こら、動くなって。拭きにくいだろ」

「ん」

 

 士郎は少し強めに、目の前に座った少年の頭にバスタオルを当てる。

 

 流石に、少女たちと一緒に入浴するわけにもいかず、響の入浴は、彼女達の後、と言う事になった。

 

 もっとも、

 

 既に2度ほど、美遊とは混浴を経験してしまっている訳だが。

 

 流石に、その告白は躊躇われた。

 

 とは言え、少女たちが出るのを待っていたら、流石に風邪をひいてしまうかもしれない。

 

 そこで彼女達が上がるまでの間、士郎の部屋で髪だけでも乾かしてもらっていたわけである。

 

 頭に感じる優しい感触。

 

 少しゴツゴツとした掌。

 

「ん、やっぱり、似てる、かも」

「何がだ?」

 

 問いかける士郎に、響は答えない。

 

 向こう側の「兄」と似てる、などと、どう説明したらいいのやら。

 

「そうだ・・・・・・・・・・・・」

 

 響の頭をある程度拭き終えた士郎は、何かを思い出したように手を打つ。

 

 振り返るヒビキ。

 

「どした?」

「お前に、用があったんだ」

 

 言いながら、士郎は立ち上がって押し入れへと歩み寄る。

 

 何事かと首を傾げながら見守る響。

 

 戸を開けた士郎が、何やら中を探り始める。

 

「えっと、確か、この辺に入れてあったはずなんだが?」

 

 いったい何だろう?

 

 後ろから覗き込もうとするが、響の背丈では士郎の背中しか見えない。

 

「ところでさ・・・・・・」

 

 探し物の手を留めず、士郎は背後の響へと語り掛ける。

 

 年上の口から出た言葉。

 

 それはある意味、響にとって最も答えにくい話題だった。

 

「お前、美遊と付き合ってるんだって?」

「ッ!?」

 

 息を呑むと同時に、思わず後ずさる。

 

 まさか、彼女の兄から、いきなりそんな事を聞かれるとは思っていなかった。

 

 折角拭いてもらった額から、妙な脂汗が流れ落ちる。

 

 心情的には、初めて婚約者の家に挨拶に行き、父親と対面した時のような、おかしな緊張感。

 

 どうしよう、

 

 士郎がいきなり「娘(×妹)はやらん!!」とか、「美遊が欲しくば俺を倒してからにしろ!!」とか言い出したりしたら。

 

 背中を向ける士郎から、妙な殺気がこぼれ出ている(ような気がした)。

 

 振り返る。

 

 その顔に、

 

「どうかしたのか?」

 

 キョトンとした、気の抜けたような顔があった。

 

「・・・・・・・・・・・・別に」

 

 それだけ言って、畳にへたり込む響。

 

 士郎はと言えば、響のおかしな行動に首を傾げつつ、何やら細長い包みを取り出してきた。

 

「お、あった、これだ」

 

 そう言って、士郎は包みを響へと差し出す。

 

 受け取る響。

 

 同時に、ずしりとした重みが、幼い手に伝わってくる。

 

「士郎、これ?」

「やるよ」

 

 怪訝な面持ちで尋ねる響に、出した荷物をしまいながら、士郎が答える。

 

「そいつは、俺が親父(きりつぐ)と一緒に旅しているときにたまたま見つけた物でな。親父からは、危ないから使うなって言われて、ずっとしまい込んでいたんだ。けど、お前なら使いこなせるんじゃないか?」

 

 言われて、改めて掌の包みを見る響。

 

 その中身が何であるか、

 

 どういう代物であるか、

 

 響は瞬時に理解する。

 

「それで、美遊を守ってやってくれ」

 

 託すような士郎の言葉。

 

 対して、

 

 響は無言のまま、コクンと頷いた。

 

 

 

 

 

第47話「風雲!! クロエ城」      終わり

 



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第48話「共鳴」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「ん、田中、消えた?」

 

 風呂に入り、用意してもらった服に着替え、居間に戻って来た響が見た者は、困り顔を浮かべた一同の姿だった。

 

 首を傾げる響に、凛は嘆息交じりに口を開く。

 

「あんたよりも先にお風呂から上がってきたから、あの子にも服を着せたのよ。そしたら・・・・・・」

 

『田中は「たいそーふく?」以外着ないって誓ってるんですー!! 「たいそーふく?」は、田中のあいでんててーなんですー!!』

 

「とか言いながら、泣きながら走り去っていったわ」

「ん、なるほど、わからん」

 

 流石は田中。安定の斜め上スタイルだ。

 

 彼女の謎行動には、響も美遊も、初めから振り回されっぱなしである。今更その程度の事では驚きもしなかった。

 

「で、田中は?」

「イリヤスフィールと美遊が後を追いかけて行きましたわ。何とか捕まえられれば良いのですけど」

 

 答えるルヴィアの声も、少し険しさが宿る。

 

 今はエインズワースに対して備えなくてはならない時。そこに来て、別行動をとるのは命取りに近い。

 

 何とか、上手い具合に見つけて連れ戻してくれればいいのだが。

 

「ん、行ってくる」

「行ってくるって響、あんたも探しに?」

 

 尋ねる凛に、響は頷きを返す。

 

 田中の行動を把握する事は一般人には無理だ。長らく行動を共にした響や美遊ですら、全くと言って良いほど予測はできないのだから。

 

「人手、多い方が、良い」

 

 そう言うと、響は玄関に向かって歩き出した。

 

 

 

 

 

 

 勝手知ったる冬木の街。

 

 と言うと、少々語弊がある感は否めない。

 

 しかし、流石は並行世界だけあり、中心部のクレーター以外は、ほぼ響の記憶通りの深山町が存在している。

 

 とは言え、明らかに違う点も存在している。

 

 それは、人の気配が全くしないほど。

 

 深山町はベッドタウンの側面もある為、日中は人通りが少ないのは確かだ。

 

 しかし、それでも人が暮らしていれば、街の中には何らかの痕跡や気配が存在している物である。

 

 しかし今、響の目の前に存在している深山町からは、人影どころか人の痕跡すら存在が見られない。

 

 それは、この街が既に、半ばまで放置されたゴーストタウンに近い事を、改めて如実に語っていた。

 

 ほぼ無人と言っても良い街中を、響は歩いていく。

 

「ん、田中、どこ?」

 

 耳を澄ましても、何も聞こえない静寂の世界。

 

 響にとって慣れ親しんだ街並みだけに、余計に不気味に感じられた。

 

 まるで世界中に、自分1人だけが取り残されたような、そんな気持ちにさせられる。

 

 そう言えば、

 

 初めて田中と出会った時も、街の中だった。

 

 ヴェイクに襲撃され、ピンチに陥った響と美遊を助けてくれたのが田中だった。

 

 それ以来、一緒に行動している訳だが。

 

 しかし、田中については、未だに何も判っていない。

 

 どこから来て、どこへ行くのか? なぜ記憶喪失なのか? なぜ体操服なのか? なぜ体温が異常に高いのに平気なのか? そもそも「田中」と言う名前すら、胸のゼッケンを見て、自分達が勝手にそう呼んでいるに過ぎない。

 

 何もかもが、謎のままだった。

 

 とは言え、それらについては肝心の田中自身が記憶を取り戻さない限り、どうしようもないのだが。

 

 其れより今は、田中を見つける事が先だった。

 

「ん、もう少し、山の方、見てみる」

 

 そう言って、踵を返そうとした。

 

 その時だった。

 

 一瞬、感じる気配。

 

 大気が焦げる感触を肌に捉える。

 

 突如、飛来する魔力弾。

 

「ッ!?」

 

 とっさに身を翻す響。

 

 バックステップで跳躍。

 

 着地、

 

 同時に、

 

 顔を上げる。

 

 その視線の先には、

 

「あ~あ、外しちゃった。マジであり得ないんですけど。これだから、めんどくさいんだよねー、雑魚狩りはさ」

 

 軽薄に肩を竦める少年の姿がある。

 

 見覚えのあるその姿に、響は内心で舌打ちする。

 

「・・・・・・ヴェイク」

「ああ? ムシケラ如きが僕の名前を勝手に呼んでんじゃないよ。耳が腐るだろうがクズ」

 

 口汚く響を罵るヴェイク。

 

 かつて数度にわたり、響を襲撃した魔術師(キャスター)の少年。

 

 先日の戦いでは、ついに姿を現さなかった存在。

 

 それが、今になって出てくるとは、いったい如何なる次第なのか。

 

 相手の真意を探るように、身構える響。

 

 戦闘の遺志を見せる響に対して、

 

 ヴェイクは面倒くさそうに、深々とため息を吐くと響に怠そうな視線を向ける。

 

「もうね。本当に面倒くさいんだよね君達。さっさと死んで、聖杯を僕らに渡してれば、全部丸く収まったってのにさァ ザコがどうして無駄に粘るかな。空気読んでよね、ほんと」

「・・・・・・勝手な、事を」

 

 傲慢としか言いようがないヴェイクの物言いに、響は怒りを抑えきれない。

 

 美遊を、

 

 自分の大切な女の子を、こいつらは物のように扱っている。

 

 それを考えるだけで、目の前の全てが沸騰しそうなほどの怒りが込み上げる。

 

「美遊は、渡さない」

「だから・・・・・・」

 

 長い嘆息と共に、

 

 ヴェイクは己の胸に手をやる。

 

「そういうの、もう良いっつってんだよ、カスがッ」

 

 同時に、

 

 高まる魔力。

 

 響を呑み込まんとするかのように、増殖し、空気その物を押しつぶしていく。

 

「もう、エインズワースも、何もかも知った事かよッ!! お前ら全員ぶっ殺して、聖杯を僕が手に入れてやるよォ!!」

 

 叫ぶと同時に、

 

 少年の姿は一変した。

 

 髪はボサボサに伸び、肌は青白く変色する。

 

 何より不気味なのは目。

 

 真っ赤に血走り、眼球が飛び出した双眸が響を睨んでいる。

 

 長い、ボロボロのローブに身を包み、飛び出した手には、不気味な色の本が握られる。

 

「さあ、蹂躙の時間だッ この僕の力、思い知るが良いッ!!」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 響の反応は素早かった。

 

 迫る敵の攻撃。

 

 圧倒的な火力を前にして、

 

 怯む事無く、対峙する。

 

 胸に右手を当てる。

 

 立ち上がる魔術回路。

 

 己が魂に埋め込まれたカードに呼びかける。

 

夢幻召喚(インストール)!!」

 

 同時に、着弾する攻撃。

 

 爆炎が躍り、吹き上がる粉塵が視界を塞ぐ。

 

 圧倒的な火力。

 

 その中から、

 

 小さな影が飛び出した。

 

 漆黒の着物に短パン姿。伸びた髪は後頭部で縛り、手には既に抜き放たれた抜き身の刀が光る。

 

 夢幻召喚(インストール)により、ヴェイクの攻撃を紙一重で回避する響。

 

 同時に、一足飛びで間合いを詰めに掛かる。

 

 刀を両手で構え、腰を大きく捻りながら抜き打ちを狙う。

 

 だが、

 

「ハッ」

 

 響の動きを見て、ヴェイクは嘲笑を浮かべる。

 

「馬鹿はこれだから、馬鹿なんだよ!! そんな一つ覚えの攻撃が、この僕に届く訳ないだろ!!」

 

 言いながら魔術回路を解放するヴェイク。

 

 同時に開いた異界の門から、あの触手が無数に姿を現す。

 

「さあ、食われて消えろよォ カァァァァァァス!!」

 

 一斉に、空中の響へと殺到する触手。

 

 だが、

 

「んッ!!」

 

 響はとっさに、魔力で空中に足場を作り、横っ飛びに跳躍。

 

 更に、向かう先にも足場を作って方向転換。

 

 直線的な機動を避け、相手をかく乱するように空中を動き回る。

 

 イリヤや美遊ほどではないが、響も長い戦いで空中戦のノウハウをある程度掴んでいる。

 

 3次元的な機動は、多数の敵を相手にする特に非常に有効な手段だった。

 

 うねりながら迫る触手を縫うようにして、ヴェイクへと斬り込む響。

 

 ヴェイクも触手を繰り出して響を捉えようとするが、響は触手の動きを見切り、スルリスルリと掻い潜と、自身の間合いまで近付く。

 

「クソッ 羽虫みたいに薄汚く動くんじゃないよッ!! さっさと食われて死ねっての!!」

 

 焦りを感じ、触手を増やそうとするヴェイク。

 

 しかし、その前に響は攻撃態勢を整える。

 

 迫る暗殺少年。

 

 白刃を、大上段から斬り下げる。

 

「ヤッ!!」

「チッ!?」

 

 真っ向から斬り下げられた剣閃。

 

 響が放った縦一閃を、後退して回避するヴェイク。

 

 だが、

 

「んッ!!」

 

 眼光を光らせる響。

 

 すぐさま顔を上げ、後退するヴェイクを睨み据え、同時に刃を返す。

 

 対して、後退しながら魔力弾を放ち、響の斬り込みを牽制しようとするヴェイク。

 

 自身に向かって飛んで来る魔力弾。

 

 しかし響は回避も後退もしない。

 

 自身に飛んで来る魔力弾を全て刀で弾きながら地を駆ける。

 

 命中コースにある魔力弾のみを正確に弾き、ハズレ弾は無視。速度を落とす事無くヴェイクに迫る。

 

「こ、このッ」

 

 正面から突進してくる響に、ヴェイクの焦りはさらに募る。

 

 更に、魔力弾の発射量を増やす。

 

「生意気なんだよ、鬱陶しいムシケラが、死ねッ さっさと死ねッ!!」

 

 殆ど光の壁に等しい奔流が、響へと迫る。

 

 だが、

 

 フッと、

 

 視界が一瞬、光で遮られた瞬間、

 

 響の姿が消える。

 

 次の瞬間、

 

 少年暗殺者の姿は、

 

 ヴェイクのすぐ後ろに現れる。

 

 刀の切っ先を向けて。

 

「んッ!!」

 

 突き込まれる刃。

 

 その一撃が、

 

 とっさに身を反らした、ヴェイクの肩をかすめた。

 

「う、うわァァァァァァ!?」

 

 鮮血と共に、情けない悲鳴が迸る。

 

 斬られた肩から血を撒き散らしながら、無様に地面を転がるヴェイク。

 

 尻餅を着きながらも、必死に魔力弾を放つヴェイク。

 

 狙いも何もない。ただ闇雲に数を撃っているだけ。

 

 対して、

 

 響は、自身に飛んで来る魔力弾だけを冷静に刀で裁く。

 

 先程の攻撃に比べ、明らかに精彩を欠いているヴェイク。

 

 対して、あくまで冷静に対処する響。

 

 やがて、どうにか後ずさって距離を取る事が出来たヴェイクは、荒い息を吐き出し、血走った目を向けてくる。

 

 腰が抜けたように、立ち上がる事すらできないでいる。

 

 響はと言えば、注意深く刀の切っ先を向けながら斬り込むタイミングを計っている。

 

「お・・・・・・前・・・・・・・・・・・・」

 

 絞り出すような、ヴェイクの声。

 

「お前ッ お前ッ お前ッ お前ェェェェェェェェェェェェ!!」

 

 とめどない怒りを撒き散らすヴェイク。

 

 金切声は、「自分の思い通りに死んでくれない響」に、容赦なく浴びせる。

 

 最早、戦闘開始前に見せていた余裕の態度はどこにもない。

 

 ただ無様に喚き散らすだけのガキが、目の前に存在しているのみだった。

 

 対して、響は無言。

 

 ただ、目の前にいる無意味に耳障りな存在を、冷ややかに見つめていた。

 

 そんな響の態度が、更にヴェイクの苛立ちを加速される。

 

「ムシケラの分際でェェェェェェ よくも、この僕を、コケにしやがってェェェ!!」

 

 怒気と殺気を喚き散らすヴェイク。

 

 対して、

 

「・・・・・・・・・・・・」

 

 響は嘆息する。

 

 少年の脳裏には、もはやバカバカしさだけが募り始めていた。

 

 そして、

 

「ん、お前、弱い」

「な、何ッ」

 

 目を剥くヴェイク。

 

 対して暗殺者の少年は、冷ややかな目で魔術師の少年を睨み据えると、はっきりしとした口調で言い放った。

 

「お前、弱い。正直こんなの、時間の無駄」

「な、んだとう・・・・・・」

 

 実際、目の前のヴェイクは、これまで響が戦ってきた、どの英霊よりも弱いと感じた。

 

 アンジェリカやベアトリクス、優離、ルリア、バゼット、更に言えば最初の頃に戦った黒化英霊すら、今のヴェイクよりも強かった。

 

 最早、相手にするのすら、時間の無駄に思えた。

 

「ふ、ふざ・・・・・・け、るな・・・・・・」

 

 絞り出すようなヴェイクの声。

 

 飛び出した眼を、更に血走らせ、口からは涎を吐き出しながら響を睨む。

 

「ムシケラ風情がァァァァァァ この僕を見下すかァ!!」

「・・・・・・・・・・・・」

 

 対して、響は取り合わない。

 

 無言のまま、刀の切っ先を向ける。餓狼一閃の構えだ。

 

「これで終わらせる」

 

 もう、付き合う気はない。

 

 そう告げる響。

 

 だが、

 

「まだだァ!!」

 

 叫びながら、ヴェイクが何かを取り出す。

 

 響が見た物。

 

 それは、ヴェイクが手にした1冊の本が、風も無いのに勝手にページをめくりだしたのだ。

 

「何をッ!?」

 

 驚く響を尻目に、魔術回路を加速させるヴェイク。

 

「僕は負けないッ この、僕が!!」

 

 叫ぶヴェイク。

 

 同時に、

 

 高まる魔力。

 

 次の瞬間、

 

「負けるはずが、無いんだァァァァァァァァァァァァ!!」

 

 身の内から迸った触手によって、ヴェイクの身体は一瞬にして呑み込まれた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 ジル・ド・レイ。

 

 フランス百年戦争当時に活躍したフランスの英雄。

 

 戦争末期、イングランド軍との泥沼の戦争状態が続いていたフランス正規軍を指揮して戦ったのがジルである。

 

 しかし劣勢著しいフランス軍。

 

 誰もが絶望と諦念の淵に崩れ落ちようとする中、

 

 救世主が現れる。

 

 聖女ジャンヌ・ダルクの登場である。

 

 フランス全土が奮い立ち、全将兵が歓喜した。

 

 勢いを盛り返したフランス軍は、聖地オルレアンを奪還。徐々に、栄光を取り戻していく。

 

 その中に、ジルもいた。

 

 彼こそが、最もジャンヌの近くにいて、最もジャンヌを讃えた1人だった。

 

 自分達は勝てる。

 

 勝って、フランスを取り戻せる。

 

 誰もが、そう信じて疑わなかった。

 

 悲劇が、起きるまでは。

 

 運命の、コンピエーニュの戦い。

 

 パリ解放を目指して進軍したフランス軍は敵の罠にかかり、事もあろうにジャンヌが敵の手に囚われてしまった。

 

 やがて、火刑に処されるジャンヌ。

 

 その事実を知り、

 

 ジルは狂った。

 

 狂って、

 

 狂って、

 

 狂って

 

 ついには狂い死にできれば、その方が幸せだったのかもしれない。

 

 しかし、ジルは冷静だった。

 

 冷静に、しかし狂って行った。

 

 多くの子供を凌辱し、その魂を祭壇に捧げ続けた。

 

 全ては、ジャンヌを蘇らせる為に。

 

 やがて、恐怖と共に、彼の名は語り継がれる事になる。

 

 怪人「青髭」と。

 

 

 

 

 

 その様子は、空中からイリヤと田中を捜索していた美遊からも見えていた。

 

 一瞬、感じた魔力反応。

 

 向けた視界の先で、何か巨大な物が蠢くのが見えた。

 

「あれはッ!?」

 

 見覚えがある。

 

 それ自体は、美遊も何度も見ていたのだから。

 

 蠢く触手。

 

 周囲の全てを喰らいつくすように、大きく肥大化していく。

 

 同時に、

 

 その触手を切り払いながら、民家の屋根の上を飛び回る、少年の姿も見えた。

 

「響ッ!!」

 

 自分の彼氏が奮闘する姿を見て、美遊はとっさに急降下を掛ける。

 

 触手は四方から響に迫り、今にも呑み込もうとしている。

 

 間に合わない。

 

 そう判断した美遊は、とっさに手にしたステッキを掲げる。

 

「サファイア、魔力砲射!!」

《了解です美遊様。存分に》

 

 淡々とした、それでいて美遊が最も安心できる声音と共に、魔力がステッキに集中される。

 

 次の瞬間、放たれる魔力砲。

 

 空中から、垂直に放たれる閃光。

 

 その一撃が、今にも響に襲い掛かろうとしていた触手を正確に撃ち抜く。

 

 美遊は、さらに手を止めない。

 

 次々と放たれる収束魔力砲。

 

 そながら狙撃銃並みの正確さで、触手を撃ち抜いていた。

 

 振り仰ぐ響。

 

 美遊が高度を下げるのは、同時だった。

 

「響、手をッ!!」

「美遊!!」

 

 伸ばされた手を、とっさに掴む響。

 

 同時に、美遊は魔力の足場を蹴って上昇。

 

 間一髪、迫る触手から、自身の恋人を救い出す。

 

「ん、ありがと、美遊」

「ううん。それより響、あれはいったい?」

 

 響を腕の中に抱えながら、空中を駆ける美遊。

 

 響も背後に視線を送る。

 

「ん、あれ、ヴェイク」

「ヴェイクって、あの魔術師(キャスター)の?」

「ん」

 

 とは言え、今やヴェイクは完全に原型をとどめていない。

 

 無数の触手が寄り合い、巨大な怪物を形成している。

 

 一応の形としては、無理をすれば蛸に見えない事もないが、それにしても怖気を振るうほどに奇怪なのは確かだった。

 

 目測でも、大きさは既に30メートルを超えている。殆ど怪獣である。

 

「多分、宝具使った」

「宝具? あれが?」

 

 俄かには信じがたい美遊。

 

 いったい、如何なる宝具を使えば、あのような姿になるのか?

 

 怪物と化したヴェイクは、巨大な咆哮を上げ、今にも美遊達に襲い掛からんと触手を伸ばしている。

 

「ん」

 

 響も魔力で空中に足場を作ると、美遊の腕から降りて立ち上がる。

 

 眼下には、今にも襲い掛からんとする触手の化け物。

 

 その姿を、少年暗殺者は鋭い眼差しで見据える。

 

「美遊」

「何?」

 

 恋人からの呼びかけに、振り返る美遊。

 

 対して、

 

 響は自身の彼女を真っすぐに見据えて言った。

 

「あれ、倒すの、手伝って」

 

 響の言葉に、美遊は一瞬キョトンとする。

 

 それは、これまでの響からは聞かれなかった言葉。

 

 彼はいつだって、1人で戦おうとした。

 

 全ては、美遊を守るために。

 

 だが、その響が、美遊に助けを求めて来た。

 

 その事が、美遊にはたまらなく嬉しかった。

 

「うん、勿論」

 

 力強く頷く美遊。

 

 少女に否やが、あるはずがなかった。

 

「ん」

 

 伸ばされる手。

 

 その手を取る、美遊。

 

 その瞬間、

 

 2人の心は、完全に重なり合った。

 

 

 

 

 

第48話「共鳴」      終わり

 



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第49話「冷笑する魔物」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 「地上から降る」

 

 などと書けば、美しい表現と感じるかもしれない。

 

 あるいは光だったら、

 

 あるいは歌だったら、

 

 そう感じる人は多い事だろう。

 

 ならば、その対象が触手だったら?

 

 見る者に只管の嫌悪感のみを与えてくる触手の群れならば、美しいなどと感じる者は、まずいないだろう。

 

 ましてか、それら全てが自分達を喰らおうと向かってくるとなれば、そこに好感を感じる余地など皆無以下なのは間違いない。

 

 上空に浮かぶ、響と美遊。

 

 立ち向かう少年少女目がけて、ヴェイクが繰り出した無限とも言える触手の群れが迫る。

 

「・・・・・・・・・・・・」

 

 響は自分達に向かってくる触手を見詰め、

 

 自身の魔術回路を起動する。

 

 一瞬、光に包まれる少年暗殺者。

 

 目を開いた時、少年は着物の上から浅葱色の羽織を羽織っていた。

 

 かつて幕末最強の剣客集団だった「新撰組」。その象徴たる隊服が宝具化した「誓いの羽織」。

 

 この羽織を纏う事で、響の能力に変化が生じる。

 

 暗殺者(アサシン)から剣士(セイバー)へ。

 

 暗殺者(アサシン)最大の特徴である気配遮断を捨てる代わりに、爆発的な戦闘力が発揮可能となる。

 

 英霊「斎藤一(さいとう はじめ)」が持つ特殊な宝具。

 

「ん、先行く」

「うん。援護は任せて」

 

 頷き合う、響と美遊。

 

 少ない言葉。

 

 しかしそこに、互いに寄せる全幅の信頼が見て取れる。

 

 言葉はいらない。

 

 ただ、互いを信じるだけ。

 

 ただそれだけで、

 

 2人は負ける気が微塵もしなかった。

 

 次の瞬間、

 

 響が仕掛けた。

 

 魔力で構成した床を蹴って急降下。

 

 迷わず、触手の群れの中へと飛び込む。

 

 右手に構えた刀を翼のように水平に広げ、自身の間合いへと飛び込んでいく。

 

 対して、

 

「イチャイチャイチャイチャ、鬱陶しいんだよォォォォォォッ!! さっさと僕の前から消えろよッ ゴミカス共がァァァァァァァァァァァァッ!!」

 

 響に対して触手を集中させるヴェイク。

 

 無数のアギトが迫る中。

 

 響の双眸は、その全てを捉え、

 

 そして、

 

 勝機を逃さない。

 

「ハァァァァァァァァァァァァッ!!」

 

 空中を垂直に駆け降りる少年。

 

 同時に、

 

 白刃が縦横に駆け巡る。

 

 自身の前に立ち塞がらんとする触手を容赦なく斬り捨てる。

 

 スキル「無形の剣技」の発動により、響は全ての戦況を把握して最適な戦術を選び取る。

 

 銀の閃光が奔り、その度に不快極まる触手が斬れ飛ぶのが見える。

 

 無限に増殖する触手はしかし、ただの1本たりとも少年へは届かない。

 

 刃が空中を奔る度、触手の密度は確実に減っていく。

 

「ハッ!!」

 

 対して、

 

 響の動きを嘲笑うヴェイク。

 

「動きが原始的なんだよッ ノロマがッ!! そらそらッ まだまだ行くぞ、お前みたいな愚図が、いつまで耐えられるかなッ!?」

 

 無限と言うのは伊達ではない。

 

 更に召喚した触手を響に向けて繰り出すヴェイク。

 

 再び、同数以上の触手が、響に狙いを定めて蠢きだす。

 

「そうらッ 捕まえたァ 惨めに死ねェェェェェェ!!」

 

 触手の群れに、一斉攻撃の命令を出そうとしたヴェイク。

 

 だが、

 

 一瞬、

 

 僅か一瞬、光が迸る。

 

 同時に、今にも攻撃態勢に入ろうとしていた触手が全て弾け飛んだ。

 

 今にも響に襲い掛からんとしていた触手が、一瞬にして全て、上空からの砲撃によって撃ち落とされたのだ。

 

「な、なにィッ!?」

 

 怪物の中で、臍を噛むヴェイク。

 

 何があったかは、すぐに気づく。

 

 向ける視線の先。

 

 上空に浮かぶ魔法少女が、ステッキを構えている。

 

 響を援護する為、美遊が魔力砲で狙撃したのだ。

 

 その正確無比な狙撃を前にして、触手は一瞬にして打ち砕かれたのだ。

 

 その姿が、ただでさえ短いヴェイクの気を強引に逆撫でる。

 

「このクソメスがァッ お前から先に食われたいかァッ!!」

 

 激昂と共に更なる触手を召喚。

 

 上空の美遊へと伸ばそうとする。

 

 だが、

 

「ん、それ、許すとでも?」

 

 囁くような声と共に、駆け抜ける浅葱色の血風。

 

 銀の剣閃が、目にも留まらぬ速さを見せる。

 

 召喚し、今にも攻撃を仕掛けようとしていた触手は、少年暗殺者の手によって、一瞬にして斬り捨てられた。

 

「クッ!?」

 

 大量の触手を一瞬にして斬り飛ばされ、一時的に攻撃手段を失うヴェイク。

 

 次の瞬間、

 

「美遊ッ!!」

「判ったッ!!」

 

 叫ぶ響に、頷く美遊。

 

 同時に、

 

 上空の美遊が、手にしたステッキに莫大な魔力を注ぎ込む。

 

「サファイアッ!!」

《チャージ完了。いつでも行けます、美遊様》

 

 応えるサファイア。

 

 同時に美遊は魔力を集中させる。

 

放射(シュート)!!」

 

 掛け声とともに、放たれる魔力砲。

 

 チャージして放たれた砲撃は、収束力を持って触手の怪物に突き刺さった。

 

 複数の触手が一気に引きちぎられ、吹き飛ばされる。

 

 強烈な砲撃によって、海魔の本体にまで穴が開くほどの破壊力が現出する。

 

 だが、

 

「無駄無駄無駄ァ!! そんなヘボイ攻撃が、この僕に届くはずないだろうッ!!」

 

 嘲笑するヴェイク。

 

 彼の言う通り、すぐに触手が伸びて来て、美遊の攻撃によって空けられた穴が塞いでいくのが判る。

 

 カレイド・サファイアの強力な攻撃をもってしても、無限に召喚される触手の前には無力に等しいと言う事だ。

 

「僕こそが最強ッ 僕こそが究極ッ 僕こそが真理ッ お前等みたいなゴミカスは、僕の足元にせいぜい泣いて膝まづくくらいしか能が無いくせにッ!!」

 

 攻撃態勢を取るヴェイク。

 

 その口元に哄笑が浮かぶ。

 

 同時に、召喚された触手が顎を開く。

 

「さあ、これでおわりだァッ 惨めに食われて死ねェ!!」

 

 勝利の確信と共に、一斉攻撃の命令を下すヴェイク。

 

 主の意思に従い、触手が一斉に襲い掛かった。

 

 次の瞬間、

 

 迸った無数の魔力砲が、今にも攻撃を仕掛けようとしていた触手の群れを一斉に撃ち抜いた。

 

「・・・・・・・・・・・・へ?」

 

 呆ける事、数瞬。

 

 振り仰いだ先にヴェイクが見た物は、

 

 背後に多数の魔法陣を従えてステッキを構える、魔法少女の姿だった。

 

「あなたの、無限に増殖する触手は確かに厄介。けど、『無限に増殖する』事さえわかっていれば、後の私の役割は決まる」

 

 静かに告げる美遊。

 

「あなたが無限に増殖するなら、私も無限に撃ち続けるだけの事。すなわち!!」

 

 美遊の魔力を受けて、光り輝く魔法陣。

 

「数で押す!!」

 

 充填された魔力が、一気に攻撃態勢に入る。

 

 少女の瞳は、異形の化け物と化した少年を真っ向から捉えた。

 

全魔力砲(クロスファイア)攻撃配置(オールスタンバイ)!!」

《了解です。ターゲット・ロックオン。いつでもどうぞ、美遊様》

「クッ!?」

 

 歯噛みしながらも、どうにか触手を再召喚しようとするヴェイク。

 

 だが、遅い。

 

 必要分の触手を呼び出す前に、

 

 美遊は動いた。

 

全砲門(フルファイア)一斉射撃(シュート)!!」

 

 一斉発射される無限の魔力砲。

 

 一撃が宝具の掃射にも匹敵する攻撃。

 

 その数が、無限。

 

 あらゆる理屈をものみ込むほどの攻撃が、一斉にヴェイクへと襲い掛かった。

 

「う、ウォォォォォォォォォォォッ!?」

 

 対して、なけなしの触手を防御に回して、どうにか防ごうとするヴェイク。

 

 しかし、そんな程度で防げるレベルの話ではない。

 

 光は容赦なく撃ち抜き、砕き、食いちぎり、呑み込んでいく。

 

 全てに抵抗は無意味。

 

 美遊の圧倒的な攻撃を前に、ヴェイクの身体は光に飲み込まれて消えて行くのだった。

 

 

 

 

 

 地に降り立つ美遊。

 

 爪先が地面に着くと同時に、少女は大きく息を吐いた。

 

 その可憐な額からは、大粒の汗が流れる。

 

 流石に、魔力砲の一斉掃射は、彼女の莫大な魔力をもってしても簡単な話ではなかったのだ。

 

 顔を上げる美遊。

 

 視線の先では、尚も濛々と白煙が上がり視界を塞いでいる。

 

 あたり一面を覆いつくすほどの煙の量を見るだけでも、美遊の放った攻撃のすさまじさが判る。

 

 視線を向ける美遊。

 

 その煙の中で、

 

 蠢く影がある。

 

 地面に両手、両膝を突いて蹲る姿。

 

 ヴェイクだ。

 

 既に異形と化した姿ではない。辛うじて夢幻召喚(インストール)は保持されているが、宝具である本は既に手元に無く、如何なる脅威にもなりえないであろうことは明白だった。

 

 元の姿に戻った少年の姿が、そこにあった。

 

「ヒ・・・・・・・・・・・・フヒ、フヒヒ・・・・・・フヒヒヒヒヒ、ヒヒ」

 

 やがて、口元に無理やり笑いを浮かべながら、ヴェイクは立ち上がる。

 

 その視線が、立ち尽くす美遊を捉える。

 

「ぼ、ぼぼぼぼぼぼ、僕の、勝ちだ」

「・・・・・・・・・・・・」

「き、ききき君の攻撃で、ぼ、ぼぼ僕は、た、倒せなかった・・・・・・」

 

 言いながら、

 

 高らかに哄笑を上げる。

 

「やっぱり、僕は最強なんだッ 僕こそが、この世の全てを統べる存在なんだァ!!」

 

 狂ったように笑い続けるヴェイク。

 

 その姿を、

 

 美遊は冷ややかな目で見続ける。

 

「そう・・・・・・私には、ここが限界。あなたを、倒す事はできなかった」

「・・・・・・・・・・・・へえ」

 

 意外過ぎる美遊の敗北宣言に、ヴェイクは一瞬、呆気にとられたような表情をする。

 

 しかしすぐに、品の無い笑いを口元に浮かべる。

 

「意外に素直じゃん。まあ、僕の実力からすれば当然なんだけど」

 

 肩を竦めるヴェイク。

 

 その視線が、這うように美遊を見詰めて見定める。

 

「まあ、悪いようにはしないよ。ちょっと、その力を僕が借りるだけだから。用が済んだら解放してあげるよ」

 

 勿論、出まかせである。

 

 美遊を手に入れたヴェイクは、彼女を解放する気などない。死ぬまで、その魔力を搾り取ってやる算段を、頭の中にしていた。

 

 気をよくしたヴェイクが、美遊に近づこうとした。

 

 次の瞬間、

 

「勘違いしないで」

 

 毅然とした口調で、美遊が告げる。

 

 その可憐な双眸が、不遜な少年を真っ向から見据えて射貫く。

 

「私は確かに、あなたを倒す事はできなかった。けど、それは同時に、『あなたを倒す必要がなかった』と言う意味でもある」

「は? 何言ってんの? 頭おかしいんじゃない、君? だいじょーぶですかー? イッちゃってませんかー?」

 

 ヴェイクの小馬鹿にしきった言葉に、

 

 しかし美遊は取り合わず、僅かに背後を振り返る。

 

「後は、お願い」

 

 その背後に立つ存在。

 

 彼女がこの世で最も信頼し、そして通じ合った少年へと告げる。

 

「響」

 

 少女の背後に立つ、暗殺者(アサシン)の少年。

 

 浅葱色の羽織を羽織ったその少年の手に、構えた刀は既に切っ先を向け終えている。

 

「ん」

 

 静かに頷く響。

 

 同時に、体内の魔力回路が一斉に加速する。

 

「なッ!?」

 

 醜悪な驚きを、顔面一杯に張り付けるヴェイク。

 

 同時に、悟る。

 

 自分の運命が、完全に目の前の2人に握られてしまっている事を。

 

「餓狼・・・・・・一閃!!」

 

 呟く響。

 

 対して、

 

「ヒッ や、やめッ・・・・・・」

 

 最後の悪あがきをするように、逃げようとするヴェイク。

 

 しかしその前に、

 

 響は地を蹴る。

 

 1歩、

 

 2歩、

 

 3歩、

 

 踏み込むごとに加速する。

 

 飢えた狼の牙と化した少年の切っ先。

 

 それに対抗する手段は、もはやヴェイクには無かった。

 

「う、ウワァァァァァァァァァァァァ!?」

 

 逃げる事すらできない。

 

 響の刃は、そのまま真っ向からヴェイクを刺し貫いた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 ゆっくりと、刃を引き抜く響。

 

 同時に、ヴェイクの身体はその場で崩れ落ちる。

 

 喀血が口元から噴き出し。同時に夢幻召喚(インストール)も解除される。

 

 膝を突くヴェイクを、響と、援護を終えてやって来た美遊が見つめる。

 

「終わった?」

「ん、手応え、あった」

 

 頷き合う、少年と少女。

 

 もう、目の前にいる存在は脅威足り得ない。

 

 それが、響と美遊の共通した結論だった。

 

 だが、

 

「ま・・・・・・だ、だ・・・・・・」

 

 絞り出すような声と共に、顔を上げるヴェイク。

 

 響はとっさに警戒するように刀の切っ先を向け、美遊を背に庇う。

 

 最早、ヴェイクに戦う力は残されていない。

 

 その事は、火を見るよりも明らかだ。

 

 だが、そんな事お構いなしに、ヴェイクは渾身の力を込めて立ち上がろうとする。

 

 しかし、腹に穴が開いている状態である。首を上げるのがせいぜいだった。

 

「まだ・・・・・・だ・・・・・・僕は、最強、なんだ・・・・・・」

 

 もはや、妄執その物と化したヴェイクは、全身の力を振り絞って立ち上がって見せた。

 

 次の瞬間、

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「ああ、やっぱり、不良品は、どこまで行っても不良品か」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 ゾブリッ

 

 耳を塞ぎたくなるような不快な音と共に、手刀が背後からヴェイクを刺し貫いた。

 

「あ? ・・・・・・が? ・・・・・・え?」

 

 何が起きたのか分からない、と言った表情で、自分の胸から「生えた」手を見詰めるヴェイク。

 

 やがて、先程よりもさらに大量の血を口から吐き出す。

 

 響と美遊も驚きで目を見開く中、

 

「な、なぜ・・・・・・・・・・・・」

 

 血を吐く口で、辛うじてそれだけを言葉にするヴェイク。

 

 次の瞬間、

 

 その体から、何かが引きずり出される。

 

「がァァァァァァッ!?」

 

 強烈な悲鳴が、無人の街に鳴り響く。

 

 引きずり出された物が、ヴェイクの心臓である事には、響達もすぐには気が付かなかった。

 

 ヴェイクを刺し貫いた相手は、手にした心臓に張り付けられたカードを引き抜くと、心臓その物は、まるでゴミか何かのように足元へ投げ捨てる。

 

 同時に、

 

 ヴェイクはその場に倒れる。

 

「人形にカードを植え付ける手は、なかなかの妙手だと思ったんだけどね。結局、玩具はただの玩具か。これじゃ観察にもならない。まったくの時間の無駄だったね」

 

 まるで、ちょっと衣服に泥がはねたかのような口調。

 

 たった今、人を1人殺した事など些事だと言わんばかりの言葉。

 

 だが響は、

 

 そして美遊も、

 

 その声には聞き覚えがあった。

 

「生きて・・・・・・いたのか」

 

 美遊を守るようにして、刀を構え直す響。

 

「ゼストッ!!」

 

 ヴェイクの心臓から取り出した魔術師(キャスター)のカードを握りしめる男。

 

 それはかつて「こちらの世界」の聖杯戦争で暗躍を続け、いかなる理由からか男。

 

 そして「あちらの世界」で父、切嗣によって倒されたはずの男。

 

 ゼスト・エインズワースに他ならなかった。

 

「心外だね。あの程度で死ねるほど、私の身は単純ではなくてね」

 

 そう言って薄笑いを浮かべるゼスト。

 

 対して、響と美遊は刀とステッキを構えて警戒する。

 

 かつて美遊を拉致した事もある相手。油断はできない。

 

 対してゼストは、そんな2人の態度など見えないかのように肩を竦める。

 

「感動の再会だ。もっと喜びたまえよ2人とも。ああ、再会の祝いに、歌でも歌ってあげようか?」

「「いらない」」

 

 硬い口調で答える2人。

 

 その時だった。

 

「な・・・・・・なぜ・・・・・・だ・・・・・・」

 

 声が聞こえたのは、ゼストの足元からだった。

 

 見れば、息も絶え絶えながら、尚も死を受け入れられないヴェイクが、自身の心臓を抉りだした相手にしがみついていた。

 

「何だ、まだ生きていたのかね? もう君の出番は終わったよ?」

「なぜ・・・・・・僕は・・・・・・あなたが・・・・・・僕、が・・・・・・最強だって・・・・・・聖杯、は・・・・・・僕にこそ、相応しいって・・・・・・だから、僕は・・・・・・」

 

 あの、崩れる城から救い出してくれた時、ゼストはヴェイクに言った。

 

『エインズワースはもうだめだ。この城が陥落した以上、彼等に勝ち目はない』

『それよりも君こそが聖杯を持つに相応しいと私は思っている。落ち目のエインズワースなどよりもね』

『彼等に何度も戦いを挑み、その度に彼等を追い詰めた君こそが。最高の栄誉を得るべきなのだよ』

『もし、君にまだ、彼等と戦う気があるなら、私は君の僕となり、君に勝利を捧げようじゃないか』

 

「あの言葉があったからこそ、僕は・・・・・・僕は・・・・・・」

「ああ? ああ、そんな事も言ったかもね」

 

 興味なさげに言いながら、ゼストはヴェイクの顔面を踏みつける。

 

「ああ言えば、君は彼等に挑むと判っていたからね。ありもしない自分の『実力』とやらを信じてね」

「なッ!?」

「だが、所詮、クズはクズ、不良品は不良品だったと言う訳だ。いやまったく。『優離とルリア(あの2人)』もそうだったが、使えない奴と言うのは、どこまで行っても使えないな。せめて噛ませ犬くらいにはなってくれるかと思ったんだが。まあ、すまなかったね。期待した私がバカだったよ」

 

 言いながら、足に力を籠めるゼスト。

 

「や、やめ・・・・・・」

「私はね、ゴミが視界に入る事自体、我慢ならないんだよ。ゴミはゴミらしく、さっさと廃棄処分しないとね」

「やめてェェェェェェェェェェェェ」

 

 悲痛な叫び。

 

 次の瞬間、

 

 ゼストは容赦なく、ヴェイクの顔面を踏みつぶした。

 

 同時に掛けられた置換魔術が解け、ヴェイクの姿は、首の無いマネキンへと戻る。

 

 仇敵の呆気ない最後。

 

 その姿に、言葉もない響と美遊。

 

「・・・・・・さて」

 

 一方のゼストはと言えば、文字通り「廃品(ゴミ)」と化した足元の物体には、もはや目も向けずに2人へと振り返る。

 

 刀を構え、前に出る響。

 

 美遊を守るように背に庇う。

 

 だが、ゼストは襲ってくる気配はなく、ただその場に佇んでいる。

 

「響君、それに美遊君も、今日のところは帰らせてもらうよ。だが覚えておきたまえ。いずれ君達2人とも、私が手に入れて見せるよ。それまでせいぜい、息災でいたまえ」

 

 そう告げると、踵を返すゼスト。

 

「待てッ」

 

 斬りかかろうとする響。

 

 だが、

 

「響、ダメ」

 

 寸前で制する美遊。

 

 少女は冷静だった。

 

 相手はこれまで存在を秘匿していたにもかかわらず、ここにきて大胆にも姿を現したのだ。何かしらの備えがあると見た方が良い。

 

 対してこちらは一戦終えて消耗している。

 

 迂闊に飛び込めば、返り討ちに合う可能性がある。

 

 そんな2人に冷笑を浴びせながら去っていくゼスト。

 

 後を追う事は、できなかった。

 

 

 

 

 

第49話「冷笑する魔物」      終わり

 



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第50話「真相探求」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 夜になり、衛宮邸のリビングには一同が顔をそろえ、今後の方針について話し合っていた。

 

 その中には、昼間の戦闘でヴェイクを撃破した響と美遊の姿もある。

 

 戦闘の後、2人が帰宅した時、まるで何事も無かったかのように出迎える田中の姿があった。

 

『あ、響さん、美遊さん、お帰りなさいです。どこ行ってたんですかー?』

 

 アホらしいくらいにノーテンキな田中の挨拶を聞いた瞬間、2人が思わずその場でずっこけたのは言うまでもないことだった。

 

 どうやら、イリヤが追いかけて連れ戻してくれたらしい。

 

 はた迷惑な話である。

 

 おかげでこちとら、余計な戦闘までする羽目になったと言うのに。

 

 何でも走りに走った挙句、イリヤと田中が行きついたのは、なぜか学校だったとか。

 

 既に通う生徒もいない学校に、まるで引き込まれるように入る2人。

 

 そして、その奥の教室に、こちらを待つようにして席に座っていたのは、

 

 あのエリカだった。

 

 エリカは、イリヤの記憶にある姿よりも、明らかに成長した姿を見せていた。

 

 それがいったい何を意味するのか、イリヤには、否、この場にいる誰にも理解はできない。

 

 ただ一つ言えるのは先の敗戦を経て尚、エインズワースは健在であり、今も自分達の「理想」実現の為に暗躍を続けていると言う事だった。

 

 ヴェイク1人を討ち取った程度で、その勢いを留める事は不可能だった。

 

「それで、やっぱりダリウスも健在な訳ね?」

「うん。声しか聞いてないけど間違いないよ」

 

 尋ねるクロエに、イリヤは頷きを返す。

 

 エリカを迎えに来た声。

 

 置換魔術を使用した移動だった為、声しか聞こえなかったが、あれは監禁中に何度か聞いたダリウスの声で間違いなかった。

 

 嘆息する一同。

 

「アンジェリカの言った通り、ですわね」

「肉体を単なる器と考え、精神の身で持続させ、疑似的な永遠の生を得る・・・・・・魔術師としては典型的な考えね。子孫を犠牲にしているっていう点では、全く好きになれないけど」

 

 ベテラン魔術師の2人が、そう言って渋い顔をする。

 

 魔術師と言うのは利己的な生き物であり、全ては「根源に至る」と言う大目的の為なら、いかなる犠牲をも厭わないと言う風に考える人間も少なくはない。

 

 もっともエインズワースにおいては、その目的が「人類救済」となる訳だが。

 

 それが典型的な魔術師であり、凛達もその点において否定するつもりは無かった。

 

 とは言え、それで全てが許容できるかと言えば、全くの否だった。

 

「ダリウスが典型的な魔術師であるならば、彼のやろうとしている事も予想できるかもしれません」

 

 とは言え、この中で純粋な「魔術師」と言えるのは、凛とルヴィアだけだ。

 

 士郎とバゼットはどちらかと言えば「魔術使い」に近い。

 

 子供たちは言わずもがな。魔術は使えても、その本質たる「探求」を行っている者はいない。

 

 田中は、まあ、田中だし。

 

 しかし、この場にはもう1人、関係者とも言うべき人物がいる。

 

 士郎は、その人物の方をチラッと見ながら話を振る。

 

「その辺り、どうなんだ、アンジェリカ?」

「・・・・・・昨夜、お話しした通りです。1000年生きた精神が何を望むかなど、想像の埒外でしょう」

 

 予想通り、淡々とした口調で返すアンジェリカ。

 

 ところで、

 

 今のアンジェリカの服装だが、午前中に凛、ルヴィア、バゼットの3人が雪の中、新都まで遠出して買ってきた服装に変わっている。

 

 フリルの入ったブラウスに、膝丈のスカートと言う、非常にフェミニンを感じさせる出で立ちである。

 

 エインズワースの尖兵として、ギルガメッシュの英霊を纏い戦ってきた時に比べて性格も穏やかになり、どこか深窓の令嬢のような雰囲気がある。

 

 あるいは、今の方が本来の「アンジェリカ・エインズワース」に近いのかもしれない。とは、一同の勝手な想像であるが。

 

 しかし、かつて干戈を交えた相手のギャップ過ぎる「変貌」に、男の士郎としては気にせずにはいられないらしく、先程から目のやり場に困っている様子が見られる。

 

 アンジェリカの答えに、士郎は自身の赤面を誤魔化すように、わざとらしく咳ばらいをする。

 

「そ、そうか、うん、そうだよな」

『チラチラ見てる?』←美遊

『チラチラ見てたわね』←凛

『チラチラ見てましたわね』←ルヴィア

『?』 ←バゼット

『絶対チラチラ見てた』←イリヤ

『チラチラ見過ぎよ、お兄ちゃん』←クロ

『ん、チラ、チラシ寿司?』←響

「お腹が切ないです(ぐ~~~~~)」←田中

 

 一同(?)にジト目を向けられる士郎。

 

 それはさておき、

 

「イリヤ、エリカは『自分を死なせてほしい』って言ったんだよね」

「うん。私達には、そう言った」

 

 尋ねる美遊に、イリヤは学校でのことを思い出す。

 

 何とかしてエインズワースの真意を聞き出そうと、エリカに質問したイリヤ。

 

 対して、エリカはまるで脅迫するように言った。

 

『わたしの願いは自分が死ぬ事』

『私を助けてくれるって事は、私を殺してくれるって事だよね?』

『私が死んだら、きっとみんな死んじゃう』

『けど、それはお姉ちゃんがどうにかしてくれるんだよね?』

『ねえ、何とか言ってよ?』

『もしかして、全部嘘だったの?』

 

 そう告げるエリカに、イリヤは何も言い返す事が出来なかった。

 

 いったいなぜ、エリカは死にたいなどと言っているのか。

 

 全てが、謎のままだった。

 

「視点を変えた方が良いんじゃない?」

 

 そう提案したのはクロエだった。

 

 判らない事に、いつまでもこだわっていても時間を空費するだけ。

 

 それよりも、今は判る事から解いていくべくだった。

 

 クロエは再度、視線をアンジェリカに見やる。

 

「アンジェリカ、ジュリアンの目的は何?」

 

 尋ねるクロエ。

 

 だが、

 

「・・・・・・・・・・・・」

「返事くらいしなさいよ」

 

 返って来た沈黙に悪態をつく弓兵少女。

 

 昼間に雪合戦で大分馴染んだかのように思えたが、核心を突くような質問には相変わらずこれである。

 

 ならばと、今度は凛が口を開いた。

 

「判らないと言えば、あの巨大な黒い立方体ね。あれから際限なく溢れて来た正体不明の泥と英霊達。まさに、絶望と呼ぶに相応しい光景だったわ。アンジェリカ、あの物体はいったい何なの?」

 

 投げかけられる質問。

 

 しかし、

 

「・・・・・・・・・・・・」

「ちょっと、今更だんまり通す気!?」

 

 アンジェリカの余りと言えば余りの態度に、激昂しかけるクロエ。

 

 だが、

 

「待って」

 

 制したのは、先に質問した凛だった。

 

 それはまだ、仮説にすぎない。

 

 だが、彼女と、そしてこの場にいるもう1人の魔術師には、ある可能性が脳裏に浮かんでいた。

 

「まさか、これはッ!?」

「まだよ。確かめる必要がある」

 

 戸惑い隠せない、ルヴィアと凛。

 

 生唾を呑み込むようにして、凛は再度、口を開いた。

 

「・・・・・・アンジェリカ、順に質問するわ」

 

 

 

 

 

質問1「ダリウスとは何者か?」

 

「エインズワースの始祖。1000年前から生き続ける魔術師の精神概念です」

 

 

 

 

 

質問2「ジュリアンとは何者か?」

 

「エインズワースの現当主。いずれダリウス様に置換される存在です」

 

 

 

 

 

質問3「エリカとは何者か?」

 

「・・・・・・・・・・・・」

 

 

 

 

 

質問4「あの黒い立方体の正体は?」

 

「・・・・・・・・・・・・」

 

 

 

 

 

「これってッ!?」

 

 戦慄が走る。

 

 ここにいたって、魔術知識に疎い子供達にも理解が及んだ。

 

 それを肯定するように、今度はアンジェリカの方から口を開く。

 

「エインズワースの人形には、ある情報に関して制限(プロテクト)が掛けられています。話す事も、書く事も、首肯すら不能になります」

 

 それは、隠匿の方法としては、ある意味で二流と言わざるをえない。

 

 秘密を秘密のまま押し通すには、どうすれば良いか?

 

 関係者全員の口を塞ぐか? あるいは絶対に見つからないと思う場所に隠すか?

 

 否である。

 

 秘密を完全に隠匿する方法。それは「そもそも秘密があると、誰にも思わせない」事である。

 

 秘密があると判っていなければ、誰も探そうとしないと言う訳だ。

 

 しかしエインズワースは、アンジェリカたちの口に制限を掛ける事で秘密を守った気になっている。

 

 だからこそ、凛達はエインズワースが隠そうとしている秘密の存在に気付いてしまった。

 

 しかし、そこには大きな違和感が生じる。

 

 ここまで完璧とも言える行動をしてきたエインズワースが、肝心要の部分において、こんな片手落ちのような事をするだろうか?

 

 凛は頭の中で、急速に仮説を再構築する。

 

 あるいは、情報を隠しそびれたのではなく、エインズワースがこの程度の隠匿で充分と考えたのだとしたら? 現状の対応でも、絶対に真相にたどり着かれない自信があるのだとしたら?

 

「・・・・・・・・・・・・随分と侮られた物ね」

 

 不敵に呟く凛。

 

 エインズワースは、秘密保持に絶対の自信を持っている。だからこそ、中途半端な隠匿を行っている。

 

 これはある意味、ダリウスからの挑戦状と言ってよかった。

 

 解けるはずの無い謎。

 

 エインズワースが持つ自信。

 

 ならば解いて見せよう。必ずや、真相を暴いて見せようじゃないか。

 

 魔術師魂とでもいうべきか、凛の探求心には逆に火が点いていた。

 

 まずは、今ある手持ちの情報を再精査し、新たなる仮説を構築、その上で検証するのだ。

 

 エインズワースが掲げた悲願である「人類救済」。

 

 現状においてはどうなっているのか、正確には不明だが、少なくとも1000年前の当初、ダリウスはそれを目指していたと仮定する。

 

 1000年前に、既に世界の滅びを予見していた時点で、想像を絶しているが、今はそこは置いておく。

 

 こうして1000年に渡る探求と実践、その全てにおける失敗を繰り返したうえで、エインズワースは聖杯戦争のシステム構築にいたる。

 

 万能の願望機である聖杯を降臨させ、己の願いを叶えようと言うのだ。

 

 だが、

 

「ここで、視点を変える必要があるわ」

「ん、視点?」

 

 聖杯戦その場合、どうしても聖杯にばかり目が行きがちだが、ここで重要になってくるのは、最初期の段階である「英霊召還」の方だ。

 

 英霊とは現代の人間の英知を越えた存在。

 

 その力の結晶たる宝具を自分の意思で自由に扱えてしまう。

 

 その事を踏まえた上で、最短で世界を救うにはどうすれば良いか?

 

 方法は1つ。

 

「降臨するかどうかわからない聖杯に頼るよりも、願いを叶え得る宝具を持つ英霊のカードを作ってしまえば良い」

 

 理屈としては理解できる。

 

 降臨するかどうかも分からない。したとしても如何なるものなのか皆目見当もつかない。そんな不確かな存在である聖杯に頼るよりも、確実に召喚できる英霊に頼った方が早い。

 

 逆転の発想だが、様々なクラスカードを生み出したエインズワースならば、それは可能だろう。

 

 では次に問題とすべきは、その対象となる英霊が何であるか、だが。

 

「ひとつ、思い当たる物がありますわね」

「え、これだけの情報から?」

 

 ルヴィアの言葉に凛が頷き、後を引き継ぐ。

 

「黒い立方体、いえ、箱をのような物をエリカは『ピトス』と呼んだ。そしてエリカの事を、ギルガメッシュは『災厄の泥人形』と呼んだ。あらゆる災厄が詰まった箱を持ち、神々によって泥から作られた女・・・・・・」

 

 そこまでの説明で、既に何人かが得心を得たように頷く。

 

 凛が言った2つの条件。

 

 そこに当てはまるであろう存在が、1つだけあった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「『パンドラの箱』。エインズワースは、過去のどこかの時点でパンドラのカードを引き当てたのよ」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 それは、一般にもよく知られた神話の一つ。

 

 遥か昔、神々は泥から1人の少女を創り出した。

 

 パンドラと名付けられた少女には、1つの箱が神々より与えられる。

 

 それは決して開けてはいけない箱。

 

 開ければ、この世のあらゆる災厄が飛び出す事になる。

 

 しかし、好奇心に負けた少女は箱を開けてしまう。

 

 飛び出した災厄は、次々と人々に襲い掛かり、世界中に絶望を振りまく事になる。

 

 しかし最後にたった一つ、箱の中には「希望(エルビス)」が残された。

 

 その結果、人類は滅亡を免れた。

 

 諸説あれど、パンドラとはこの物語は、概ねこのような形である。

 

「アンジェリカ、5年前に起きたって言う災厄の原因は何?」

 

 尋ねる凛。

 

 しかし、帰って来たのは沈黙。

 

 その事実により、凛は確信する。

 

「決まりね。災害は箱が引き起こした物だわ」

 

 ダリウスの目的は1つ。パンドラのカードをエリカに遣わせ、箱を開けようとしている。

 

 そして中から災厄と絶望が溢れ出したのちに残る「希望(エルビス)」こそが、聖杯を越えた聖杯、神々が作った願望機なのだとしたら。

 

 全ての辻褄が合う。

 

「す、すごい、リンさん、名探偵みたい!!」

「これが推理ものなら、犯人が真相をぺらぺら喋ってくれるんだけどね」

「ん、何か悪いもんでも食ったか?」

「ありがとう。響はあとでゲンコツね」

 

 称賛する衛宮姉弟。

 

 これで仮説は組まれたわけだが、

 

 しかしまだ、疑問の余地は残る。

 

「だとしても、おかしいのではなくて?」

「ええ・・・・・・・・・・・・」

 

 ルヴィアの指摘に、凛は頷きを返す。

 

 仮に凛の仮説が正しいとしたら、既に状況は核心に迫っていると言って良い。

 

 言い換えれば、エインズワースにとっては最も秘匿したいはずの情報。本来であるなら、このように簡単に答えにたどり着けるはずがない。

 

 しかし、殆どストレートに凛は言い当ててしまっている。

 

 先のアンジェリカの反応からも分かる通り、あまりにも杜撰と言わざるを得ない。

 

 故にこそ、凛は思考を止めない。

 

 まだ、何かある。

 

 見落としているピースが存在している。

 

 そう思えて仕方がなかった。

 

 と、

 

「・・・・・・・・・・・・すまん、腰を折るようなんだけど」

 

 挙手をしたのは、それまで話を聞いていた士郎だった。

 

 その口から出たのは、至極初歩的な質問だった。

 

「そもそも、『パンドラの箱』って何だ?」

「私も、聞いた事がないです」

 

 兄に続いて挙手する美遊。

 

 一瞬、呆気にとられたのは「向こう側」から来た一同である。

 

 成程、いくら有名な神話とは言え、知らない人は知らないのか。

 

「何か、ギリシャ神話の本でもあれば説明しやすいんだけど?」

「あ、あります。前に、お兄ちゃんに買ってもらった物が」

 

 言いながら、立ち上がる美遊。

 

 因みに、

 

 会話が始まって物の数秒で田中が寝てしまった事は、言うまでもないことだろう。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 幼いころから、士郎が本ばかりを与えていただけの事はあり、美遊の蔵書量は子供ながらにすごい事になっていた。

 

 最早、ちょっとした図書館レベルの本が、1室に所狭しと並べられている。

 

 その中から、目当てのギリシャ神話に書かれた本は、すぐに見つける事が出来た。

 

 だが、

 

 その中身を見て、一同は驚愕に包まれる事になった。

 

「・・・・・・・・・・・・ない」

 

 読み進めた美遊が、怪訝そうに顔を上げた。

 

「やっぱり、この本には載っていないみたいです」

「パンドラの記載が無いの?」

 

 凛は肩を竦める。

 

 ギリシャ神話について書かれている本なのに、パンドラの記載がないと言うのもおかしな話だが、それは編集の都合で削除されたとも考えられる。

 

 別段、不思議な話ではない。

 

 だが、

 

 事態は、一同が考えていたより数段、

 

 否、

 

 下手をすると神話レベルで深刻だった。

 

「違うんです」

 

 本を片手に、美遊が首を振る。

 

「パンドラについては確かに書かれているんですけど、箱についての記述がどこにもないんです?」

「え、そんな筈は・・・・・・・・・・・・」

 

 ありえない。

 

 凛は、自分の頭の中が混乱していくのを感じた。

 

 パンドラと箱は、決して切り離して語る事が出来ない。

 

 むしろ、パンドラは知らなくても、パンドラの箱は知っていると言う人間も、世の中には少なくないだろう。

 

 しかし、箱の記述がなく、パンドラの事のみが書かれている。

 

 そんな事は、ありえない。

 

「・・・・・・・・・・・・」

 

 凛の中で、急速に一本の筋道が建てられる。

 

 それは、あまりにも突拍子がない発想。

 

 しかし、全ての情報が、その一点を指し示している事を感じずにはいられない。

 

 情報は、既に出揃っていたのだ。

 

 会話に制限を掛けられた、アンジェリカたちドールズ。

 

 パンドラの存在。

 

 そのパンドラの箱を知らないと言う士郎と美遊。

 

 そして、パンドラの記述はあっても、箱の記述はない本。

 

 それらが指し示す答えは。

 

「・・・・・・・・・・・・成程ね」

 

 顔を上げる凛。

 

「エインズワースの隠蔽は完璧だった。彼等はただ、パンドラと箱の情報を遮断するだけで良かった。それだけで、『この世界の住人』には、決して真相にたどり着けない」

 

 なぜなら、

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「この世界では、パンドラは箱を開けなかったのだから」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

第50話「真相探求」      終わり

 



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第51話「私だけの騎士」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 この世界は、パンドラが箱を開けなかった世界。

 

 それが如何に突拍子の無い話であるか、考えに至った凛自身、よく判っている。

 

 しかし、推論に推論を重ねた末に、得た結論は、最早それ以外にはあり得ない事を意味していた。

 

「滅茶苦茶な仮説だったけど、まさか『物証』が見つかっちゃうとはね」

「未だに、信じられませんけど」

 

 クロエと美遊が、嘆息気味に呟く。

 

 信じられないのも無理はない。

 

 まさか、そんな、遥か昔から枝分かれが起こっていたなどと、スケールが大きすぎて俄かには信じられなかった。

 

 2人の反応を見ながら、今や完全に議長役となった凛が口を開く。

 

「けど、これを認めない限り、議論は前へ進まないわ。いい、纏めるわよ? ここはパンドラが箱を開けなかった世界。私達がいた世界とは、遥か神代の時点で枝分けれした異世界なのよ」

 

 だからこそ、この世界の人々はパンドラは知っていてもパンドラの箱は知らない。

 

 「向こうの世界」を知っている人間からすれば、ひどくチグハグな印象になってしまっていたのだ。

 

「で、でも・・・・・・」

 

 異論を唱えたのはイリヤだった。

 

「パンドラが箱を開けなかったって事は、箱の中にあった絶望は出てこなかったんだよね。ならむしろ、もっと幸せな世界になっている筈じゃあ?」

「ん、天国みたいな感じ?」

 

 絶望がないから希望にあふれた世界。

 

 そんな物があれば、幸せな世界になる。そう想像するのも無理からぬものがある。

 

 しかしそれは所詮、人による解釈の違いだった。

 

「パンドラの寓話は、あまりに抽象的過ぎますから」

「災厄や絶望と言うのが、言葉通りの概念なのかも怪しい物よ」

 

 肩を竦めるルヴィアと凛。

 

「それに、災厄と言っても、それは一面に過ぎない。災いが自分に振りかかったら不運だけど・・・・・・」

「敵に振りかかったら、それは幸運に変わる。って事か」

 

 後を引き継いだ士郎が、言いながら考え込む。

 

 成程。

 

 パンドラに限らず、神話とは多分に解釈次第、と言う事が多い。

 

 「勝者が歴史を作る」と言う言葉通り、歴史にしろ神話にしろ、生き残った側が都合のいい解釈を「史実」として残す事が多いのだ。

 

 例えば、とある国の一地方で起きた反乱を、中央政府が軍を派遣してて鎮圧した場合、その反乱を起こした側の指導者は悪し様に歴史書に書かれる事が多い。実際に民を想って起こした行動も悪逆に貶められる。逆に政府軍が行った非道な虐殺や暴行は無かった事にされ、むしろ「地方の暴虐な領主から庶民を救った英雄譚」として語られる事も珍しくはない。

 

 神話も同じだ。

 

 勇者による魔獣討伐の神話は数多あるが、実際には魔獣など存在せず、もっと別の何かが魔獣に置き換えられたと考える事が出来る。

 

 そのように、神話や歴史は多分に、あやふやな存在であり、解釈次第でいくらでも、その姿を変えるものなのだ。

 

「ま、さっきからアンジェリカがだんまりな時点で、正解って言っているような物だけど、問題はここからでしょ」

 

 クロエが一同を見回して言った。

 

「パンドラが箱を開けなかったのはなぜ? 今、箱を開けたらどうなるの? 私たちは、それを止めるべきなの? それとも開けるのが正解なの?」

 

 一同の視線が、凛へと集まる。

 

「それは・・・・・・・・・・・・」

 

 その答えは?

 

 身を乗り出す、

 

 誰かが、生唾を呑み込む音がした。

 

 果たして、

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「・・・・・・・・・・・・判んないです」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 実に言いにくそうに俯く凛。

 

 一気に、室内が脱力したのは言うまでもないことだった。

 

「肝心なところでこれって言うか・・・・・・」

「でもまあ、そうだよね・・・・・・・・・・・・」

 

 何ともしようがない、どっちらけ感。

 

 いよいよ核心に迫り、盛り上がってきたところだっただけに、落差の激しい事この上なかった。

 

「それでも少ない情報からここまでたどり着いたんだから、褒められてしかるべきなんじゃない!?」

「は、はい、それはもうッ」

「元より、不明点を完全に暴くのは無理ですし、これ以上はどこまで行っても推論にしかなりませんわね」

「ん、凛よくやった。あとで飴あげる」

「いらないわよ!!」

 

 とは言えルヴィアの言う通り、これ以上の議論はまさしく「時間の無駄」だった。

 

 相手の正体に対する考察も、ここらが限界。

 

 後は直接ぶつかる以外、選択肢は残されていなかった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 作戦会議が終わり、後は各々、戦いに備えると言う流れになり、その場は解散となった。

 

 風呂場の方から聞こえる声。

 

 どうやら、女性陣が入浴中であるらしい。

 

 響はと言えば、一足先に風呂に入り、今は1人、廊下に佇んで空を眺めていた。

 

 エインズワースは、間違いなくまた攻めてくる。それも近い内に。

 

 否、

 

 恐らくは、明日には再び戦う事になる。

 

 次は決戦になる事は、間違いなかった。

 

 見上げれば、瞬く星空。

 

 滅びかけている世界であっても、星空だけは変わらずに、美しい姿で天にあり続けている。

 

 その光景は、響達がいた世界と何ら変わりは無かった。

 

「思えば遠くに来たもんだ・・・・・・ん」

 

 意味も無く、呟いてみる。

 

 正直、自分達がこちらの世界にいて、向こう側がどうなっているのか非常に気になるところである。

 

 家族はどうしているだろう?

 

 切嗣は、アイリは、士郎は、セラは、リズは、心配しているだろう。

 

 それに友達、

 

 雀花、那奈亀、龍子、美々、大河。みんな心配しているだろう。

 

 向こうに残してきた優離やルリアの事も気になっていた。

 

 帰れるのかな?

 

 もし、帰れなかったらどうしよう・・・・・・・・・・・・

 

 ふと、そんな風に感じた時、胸の中には言いようのない寂しさが湧いてくる。

 

 努めて、今まで考えてこなかった事だ。

 

 しかし、こちらの世界に来た事自体、偶発に過ぎない響達は、未だに帰る方法すら判らない。

 

 このまま、帰られなくなる事すら、あり得るのだ。

 

 そう考えると、急に、響の心の中で寂しさが湧き上がってくるのを感じた。

 

 家族や友達。

 

 みんなに、もう会えなくなったらどうしよう?

 

 不安が、少年の心を満たしていこうとするのが判る。

 

 気配を感じたのは、その時だった

 

「響」

 

 背後から声を掛けられ、我に返る。

 

 振り返った先には、真っすぐに澄んだ瞳で、こちらを見詰める少女の姿があった。

 

「美遊・・・・・・・・・・・・」

 

 どうやら風呂から上がったらしい少女は、上気した顔を向けてきている。

 

 美遊は響を見ると、少し怪訝そうに首を傾げた。

 

「響、こんな所で何してるの?」

「ん・・・・・・別に」

 

 そう言って、顔を逸らす。

 

 何となく、美遊に見られるのが気恥ずかしかったのだ。

 

「ふうん・・・・・・・・・・・・」

 

 響の不審な態度に訝りつつも、美遊もそれ以上は追及してこなかった。

 

 代わりに、少年の傍らに立つと、互いの指を絡めるように繋いできた。

 

「・・・・・・美遊?」

「ねえ、響」

 

 横に並んだ美遊が、そっと微笑む。

 

「ちょっと、外に行こうか」

「え?」

 

 意外過ぎる彼女の発言に、一瞬戸惑う響き。

 

 しかし、美遊は口元に笑みを浮かべながら、真っすぐに響の瞳を見詰めている。

 

 どうやら、冗談の類ではないらしい。

 

 勿論、美遊はこんな冗談を言う娘ではない。

 

「でも、外、危ない・・・・・・・・・・・・」

「大丈夫」

 

 響の不安を払拭するように、美遊は向き直り、もう片方の手も取る。

 

「だって、私の事は響が守ってくれる。でしょ?」

「・・・・・・・・・・・・」

 

 ドキリ、と心臓が大きくなる。

 

 そんな風に言われてしまったら、

 

「・・・・・・ん、うん」

 

 彼氏としては断りたくても、断れるはずがなかった。

 

 

 

 

 

 2人そろって外着に着替え、誰にも気づかれないように衛宮邸を出る。

 

 別に当てがあった訳ではない。

 

 そもそも響は、なぜ急に美遊がこんな事を言い出したのか判らなかった。ただ言われるまま、歩く美遊に合わせて着いて来ただけである。

 

「美遊」

「何?」

 

 話しかけると、少女は小首を傾げるようにして振り返る。

 

 そんな仕草ひとつにも可愛らしさがあり、少年としては胸の高鳴りを覚えるのだが、今はそれよりも疑問の解消の方が先だった。

 

「どこ、行くの?」

「ううん、別に、決めてないよ」

 

 意外な言葉に、響はますます混乱する。

 

「そもそも、私はこちらの世界の事は殆ど知らないし。もしかしたら、響の方が詳しいかもしれない」

 

 確かに。

 

 6歳まで朔月の結界の中で過ごし、切嗣に引き取られてからも高い塀の中にある屋敷で暮らしていた美遊は、殆ど外に出る機会がなかった。こっちの街で、どこに何があるかなど判るはずもない。

 

 逆に、この世界が「向こう側の世界」と同一ならば、むしろ響の方が詳しいかもしれないと言う美遊の言葉も、あながち的外れではない。

 

「響が・・・・・・」

 

 前を歩きながら、美遊が口を開く。

 

「響が、泣いている気がしたから」

「ッ そんな、事・・・・・・」

 

 言葉を詰まらせる響。

 

 だが、

 

「判るんだ」

 

 美遊は振り返りながら言う。

 

「私も、同じだったから」

「え?」

「お兄ちゃんに、向こうの世界に飛ばされた時、私も、心細かったから」

 

 そうだ。

 

 美遊は士郎の手によって「向こう側」へと逃がされた。

 

 士郎としては、美遊を逃がすだけで精いっぱいだった事は、話を聞いて判っている。

 

 しかし、逃げた先で美遊がどうやって生きていくか、と言う事までは考える余裕は無かったのだろう。

 

 響は考え込む。

 

 美遊は1人だった。

 

 それに比べて自分にはイリヤがいる。クロエもいる。凛も、ルヴィアも、バゼットもいる。

 

 美遊に比べて、何と恵まれている事か。

 

 そして何より、

 

「・・・・・・・・・・・・」

 

 握っている手を、ギュッと握りしめる。

 

 美遊がいる。

 

 こんなに大好きな人たちに囲まれて、何が寂しい物か。

 

 そんな響の想いを察したのだろう。美遊もまた、少しだけ掌に力を籠めるのだった。

 

 

 

 

 

 結局、2人がやって来たのは、つい先日まで自分達がねぐらにしていた小学校だった。

 

 歩くと言っても、響にも当てがある訳ではない。

 

 自然、足が向くのは、自分達が判る所に限られると言う訳だ。

 

 校舎の中に入り、誰もいない廊下を歩く2人。

 

 ただ、2人の少年少女がならす靴音だけが、暗い廊下に響き渡る。

 

 それにしても、

 

「ん、今頃、みんな大騒ぎ、だと思う」

「そう、だね。きっと」

 

 嘆息気味に呟く響。

 

 答える美遊の笑みも、少し苦笑が混じる。

 

 皆に内緒で勝手に出て来て、敵がいつ襲撃してきてもおかしくない街中を歩くなど言語同断も甚だしい。

 

 しかし、だからこそ、ちょっとしたイタズラ気分を味わい、響も美遊も、気分が高揚していた。

 

「多分、みんなカンカン」

「うん。きっと、帰ったら怒られるね」

 

 そう言って、美遊もクスッと笑う。

 

 お仕置きは確定だろう。

 

 因みに案の定この後、衛宮邸に戻った2人は揃って、皆からこってりと叱られる事になる。

 

 が、

 

 今のところ、2人にとってはどうでもいい事だった。

 

 ただ、みんなに内緒でいけない事をしている。

 

 そのスリルと興奮だけが、2人の心を支配していた。

 

 やがて、足を向けたのは、1つの教室。

 

 そこは、「向こう側の世界」で、自分達の教室だった場所である。

 

 廃校になって久しい為、机や椅子、教卓にも埃が溜まっている。

 

 だが、それでも、

 

 ある意味、自分達の思い出が一番詰まった場所は、ここだった。

 

「ねえ、響・・・・・・」

 

 机1つ1つを指で軽く触りながら、美遊が話しかける。

 

 どこか硬い口調の少女。

 

 何か、言いにくい事を言うつもりなのは、響にも察する事が出来た。

 

 ややあって、美遊は意を決したように顔を上げた。

 

「明日の戦い、私が響は戦わないで、て言ったら、聞いてくれる?」

「・・・・・・・・・・・・え?」

 

 意外過ぎる美遊の言葉に一瞬、響は思考を止めてしまう。

 

 いったい、いきなり何を言い出すのか。

 

 彼女の真意を理解できず、戸惑っている響。

 

 そんな響に、

 

 美遊は寄り添うように身を寄せ、

 

「だって響・・・・・・・・・・・・」

 

 少女の手が、少年の胸に当てられる。

 

「体が、すごくつらいはず。たぶん、今も」

「ッ!?」

 

 見透かされていた。

 

 その事に、響は驚愕する。

 

 あちら側の戦いで、ギルに囚われた美遊を救う為、並列夢幻召喚(パラレルインストール)を実行した響。

 

 だがその際に、無理な魔力量を体に流し込んだため、魔術回路の一部が破損してしまったのだ。

 

 破損は僅かである為、日常生活には問題ないし、戦闘も支障はない。

 

 しかし、戦闘を行う毎に、徐々に魔術回路の破損は大きくなっていっているのが判る。

 

 加えて、岩山での戦いでは宝具の連続使用に加えて、再度の並列夢幻召喚までしている。

 

 少年の身体は、既に限界ギリギリと言ってよかった。

 

「そ、そんな事、無い、よ?」

「嘘」

 

 ヘタクソな嘘は、少女によって一瞬も保たずに見抜かれる。

 

「私の目は誤魔化せない。だって・・・・・・」

 

 言いながら、美遊は響の手を強く握る。

 

「私は、誰よりも響の事を知っている。イリヤよりも、クロよりも、アイリさん達よりも」

 

 月明かりに映る少女の顔。

 

 その頬が、暗がりにも判る程、赤く染まっている。

 

 言うまでも無く、少年の顔も同様である。

 

 美遊は響の事をよく知っている。

 

 響もまた、美遊の事をよく知っている。

 

 お互いが、お互いをよく知る事が、こんなにも嬉しい事だと、改めて自覚していた。

 

「私は、響に、これ以上戦ってほしくない」

「ん、イリヤみたいな事、言ってる」

 

 先の会議の事。

 

 イリヤから出た提案は、誰もが驚くべき物だった。

 

 イリヤは士郎に対して、戦線離脱するよう求めたのだ。

 

 はっきり言って、こちらの戦力としては士郎が最強と言って間違いない。彼が参戦してくれれば、エインズワースとの戦いも楽になるはずである。

 

 しかし、士郎は戦う毎に、英霊エミヤに置換されていっている。見た目だけではない、もう、既に体の大半、更には内面である魂まで、その殆どが士郎の物ではなくなってしまっている。

 

 これ以上戦えば、士郎は士郎ではなくなってしまう事は確実だった。

 

 当然の如く、反発した士郎。

 

 しかし、最終的には美遊を含む全員から説得される形で折れてくれた。

 

「響はもう限界。これ以上戦えば、あなたは・・・・・・・・・・・・」

「・・・・・・・・・・・・」

 

 待っているのは死か、あるいはそれ以上に辛い結末かもしれない。

 

 だからこそ、美遊は響を戦いから遠ざけようとしていた。

 

「・・・・・・・・・・・・ん」

 

 ややあって、響は口を開いた。

 

「話は分かった」

「響、じゃあッ」

「けど、やだ」

 

 あっさりと、響は美遊の言葉を否定した。

 

「響ッ」

 

 食い下がろうとする美遊。

 

 だが、

 

 それよりも一瞬早く、

 

 響は美遊を抱き寄せた。

 

「響・・・・・・・・・・・・」

「死ぬ事、よりも・・・・・・・・・・・・」

 

 何かを言おうとする美遊に先んじて、響が告げる。

 

「美遊を守って戦えなくなる事の方が、ずっとつらいから」

 

 ああ、そうだ。

 

 この子は、こういう子だった。

 

 美遊を守り、美遊の危機に駆け付ける、美遊だけの騎士。

 

 それこそが衛宮響(えみや ひびき)と言う少年だった。

 

「・・・・・・・・・・・・」

「・・・・・・・・・・・・」

 

 暗がりの中、互いに見つめ合う2人。

 

 やがてどちらからともなく、唇を重ねるのだった。

 

 

 

 

 

第51話「私だけの騎士」      終わり

 



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第52話「想い託されし剣」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 それがそこにある事など、誰が想像しただろうか?

 

 決戦を前にして、絶望の顎は既に間近にまで迫っていた、などと。

 

 しかし、目の逸らしようも無く、あらゆる物を呑み込むべく、虚無は眼前にあり続けていた。

 

 見上げる、遥か上空。

 

 深山町全体を覆い隠さんばかりに、巨大な漆黒の立方体が浮かんでいる。

 

 朝起きた一同は、その光景に愕然としたのは言うまでもないことだろう。

 

 まさか、自分達が寝ているその頭上に、敵が既に陣取っていた、などと誰が想像し得ようか?

 

 敵はやろうと思えば、いつでも奇襲を掛ける事が出来たのだ。

 

 それをしなかったのは、こちらを侮っていたのか、それともする必要がなかっただけなのか?

 

 前者ならばまだ良い。こちらを侮ってくれているなら、いくらでも付け入る隙はある。

 

 だが後者の場合、事態は最悪だ。その場合、敵は既に必勝の体勢を整えている事になる。自分達は、圧倒的な的戦力に正面から戦いを挑む事になるだろう。

 

「それで、大きさは?」

《わかんないけど、たぶんクレーターと同じくらい》

 

 即席の司令本部が設置された衛宮邸リビングで、問いかける凛に答えたのはイリヤだった。

 

 イリヤは今、ここにはいない。

 

 空を飛べる美遊と共に、先行する形で偵察に出ているのだ。

 

 俄かに姿を現したエインズワース。それも、考えられる限り、最悪の状況を前に、味方の陣営も急拵ではあるが、態勢を整えつつある。

 

 潜行しているイリヤと美遊。

 

 その後方から、響、クロエ、バゼットが後詰として続行。

 

 凛とルヴィアは指揮、及びオペレーターとして衛宮邸に待機。同時に、戦線離脱を告げられた士郎も衛宮邸に留まっている。

 

 もっとも士郎の場合、万が一、エインズワースが奇襲を仕掛けてきた際の防衛役でもあるのだが。

 

「・・・・・・一辺が2キロ弱、と言ったところですわね」

「上部は積雲越えてるじゃない」

 

 現れた立方体(ピトス)の巨大さに、ルヴィアと凛は、改めて戦慄する。

 

 何はともあれ、敵が圧倒的な力でもって攻め込んで来た事は間違いない。

 

 エインズワースもまた、今回の戦いに本気で挑んできている事が伺えた。

 

 こうなると、守るこちら側としては、どうしても後手に回らざるを得ないのが現状だった。

 

 ところで、

 

「成程、こいつは便利だな」

 

 凛達が使っている通信手段を横から見ながら、士郎が感心したように口を挟んだ。

 

 凛はルビーとサファイアを介する形で、イリヤと美遊が見ている映像を鏡に映し、リアルタイムで起きている事を把握できるようにしてある。

 

 今回の決戦に際し、凛が提案した通信手段である。

 

「機械にできて、魔術にできない事なんて無いのよ」

「定義としては逆ではなくて?」

 

 胸を張る同僚に、呆れ気味にツッコミを入れるルヴィア。

 

 その時、

 

 彼方で遠雷が迸るのが見えた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 天を裂くように鳴り響いた稲光は、戦場へとひた走るクロエ達の目にも見る事が出来た。

 

「あれはッ!」

 

 クロエ、そして後続するバゼットが足を止める中、閃光が更なる鉄槌を地上へ下す。

 

 その雷の発生源では、

 

 巨大な戦槌を構えた少女が1人、クレーターを背に仁王立ちで佇む。

 

「そんじゃあ、まずは1発、開幕の花火と行くかッ!!」

 

 振り上げられる戦槌。

 

 莫大な魔力に反応して、降り注ぐ雷が収束する。

 

「なッ いきなりッ!?」

 

 一同が戦慄に動きを止めた瞬間、

 

 戦槌は振り下ろされた。

 

悉く打ち砕く雷神の槌(ミョルニル)!!」

 

 吹き荒れる雷の閃光。

 

 あらゆる物をかみ砕き、神の雷は己が敵を呑み込まんと迫る。

 

 とっさに、身を翻すクロエとバゼット。

 

 殆ど雷撃砲と称していい一撃は、一瞬早く身を返した2人の頭上を駆け去っていく。

 

「外れたッ!?」

「しかし、やはり出てきましたね」

 

 着地した2人の、視線の先に立つ少女。

 

 ベアトリス・フラワーチャイルドは、不敵な笑みと共に、戦槌を肩に担ぎ直す。

 

「外してやったんだっつーの。初撃で終わっちゃつまんねーじゃん」

 

 北欧神話最強とも言われる雷神トールをその身に宿した少女。

 

 恐らくはエインズワース側の最強戦力。

 

 まず間違いなく、正面に配置してくるであろうことは予想していたが、正に予想通りの展開となった。

 

 他のエインズワース側戦力は、未だに姿を現していない。しかし、間を置かず、こちらに立ち塞がってくる事は予想できた。

 

 その時だった。

 

 ベアトリスの立つ背後に、突如として出現する階段。

 

 更には回廊を経て、巨大な神殿のような建造物が構築される。

 

 恐らくはお得意の置換魔術で隠ぺいしていたのだろう。ちょうど、立方体を上に見る形で形成される。

 

 その回廊の先、

 

 神殿の中心に立つ、1人の少年。

 

 ここまで来れるものなら来てみろ、と言わんばかりに泰然とした様子を見せるのは、見間違いようもない。ジュリアン・エインズワースに他ならなかった。

 

「始めるぞエリカ。今日、ここで、俺の神話を終わらせる」

 

 呟くジュリアン。

 

 同時に、

 

 立方体が開き、内部に納められた無限の泥が溢れ出した。

 

 その流出量たるや、先の戦いにおけるそれの比ではない。

 

 クレーターを受け皿にするような形で流れ込んでいるが、あれでは数時間と待たずにクレーターから溢れ出すのは目に見えていた。

 

 その泥から溢れ出した無限の英霊達。

 

 絶望が、今度こそ世界を覆いつくす事になる。

 

 そうなる前に何としても、ジュリアンを止める必要があった。

 

 その為には、

 

 視線を前に向ける一同。

 

 その先に立つベアトリス。

 

 だが、

 

「えッ!?」

 

 思わず、目を剥く。

 

 立ちはだかるベアトリス。

 

 雷神少女を前にして、

 

 敢然として挑まんとしている、少年の姿があったのだ。

 

「ヒビキ、何してるのッ!?」

 

 声を上げるイリヤ。

 

 先程から姿が見えないと思っていた弟がまさか、いつの間にか敵の真正面に立っていようなどと、誰が想像しえただろう?

 

「響ッ!?」

 

 美遊も悲痛な声を発する。

 

 だが、

 

 響は振り返らず、対峙を続ける。

 

 決めていたのだ。

 

 こいつの相手は、自分がする、と。

 

 ベアトリスが、エインズワース側最強の戦力である事は間違いない。

 

「美遊、イリヤ、クロ、バゼット」

 

 1人1人の名を、振り返らずに呼ぶ。

 

 そして、

 

「ん、みんなは、先行って」

 

 右手を胸の前に掲げる。

 

「こいつは、倒すから」

「ハッ」

 

 響の発言に、ベアトリスは口元に凶悪な笑みを刻む。

 

 あまりにも矮小な存在が、己の前に立つ様は、滑稽以外の何物でもない。

 

「クソジャリがッ あたしを倒すっつったかッ?」

 

 大気を走る放電が増し、そこかしこでスパークが起こる。

 

 だが、

 

 響は構わず、ベアトリスと対峙を続ける。

 

「舐めてんじゃねえぞッ ザコがァ!!」

 

 四方に散る雷撃。

 

 次の瞬間、

 

夢幻召喚(インストール)!!」

 

 叫ぶ響。

 

 魔力回路が稲妻よりも速く、少年の体内を駆け巡る。

 

 光に包まれる響。

 

 その姿が、一気に書き換えられる。

 

 普段着姿から、英霊の姿へ。

 

 漆黒の着物に、同色の短パン。

 

 髪は伸びて後頭部で結ばれる。

 

 腰の鞘に納められた、一振りの日本刀。

 

 そして、

 

 その上から纏われる、浅葱色の羽織。

 

 英霊、斎藤一(さいとう はじめ)の凛とした戦姿が現す。

 

 今回は様子見は無し。

 

 初手から全力で行くつもりだった。

 

「ん・・・・・・行くぞ」

 

 低く呟く響。

 

 同時に、少年は地を蹴った。

 

 

 

 

 

 戦闘を開始する、響とベアトリス。

 

 その姿を、イリヤ達は遠目に見ながら歯噛みするしかない。

 

 どうやら初めから、イリヤ達を出し抜いてベアトリスに当たる事を狙っていたらしい響。

 

 既に戦闘が始まってしまっている以上、今更引かせる事も出来ない。

 

「仕方がありません。こうなった以上、ここは響に任せて、我々は先に進みましょう」

 

 バゼットの提案に、頷くしかない一同。

 

 改めて、神殿の方に目を向ける。

 

「ったく響の奴、抜け駆けして。帰ったら、絶対、お仕置きしてやるんだから」

 

 弟の行動に憤慨を見せるクロエ。

 

 しかし、それは同時に、この戦いから無事に帰る事を願った祈りでもある。

 

 無事に帰ってきてほしい。

 

 そうでなければ、叱る事も出来ないのだから。

 

 その為にも、一刻も早く、ジュリアンが陣取る神殿の「本丸」に攻め込まないといけない。

 

 しかし、

 

 誰もが考える通り、そう易々とは事は運ばない。

 

 駆け抜けた4人が間もなく「神殿」に続く、橋に取り付こうとした時だった。

 

 突如、旋回しながら飛来する一振りの刃。

 

 イリヤ達の前に突き刺さる。

 

「なッ!?」

 

 動きを止める一同。

 

 その少女たちを前に、

 

 ガシャ   ガシャ   ガシャ

 

 耳障りな甲冑の音を響かせ、橋の向こうから揺れる足取りで歩いて来る長髪の女。

 

 首を90度に曲げ、バイザーの隙間から見える双眸は、明らかに狂気の濁りを見せる。

 

「ええ・・・・・・はい・・・・・・判りました、大丈夫ですよ。ふふッ 先輩ったら・・・・・・私が先輩の頼みを断るはずないじゃないですか。任せてください。刃物の扱いには、ちょっと自信があるんです」

 

 怖気を振るような声。

 

 地を這いずる響きと共に、女は刺さった剣を無造作に抜き放つ。

 

 それは、

 

 この場にあって、最も「絶望」を体現した存在。

 

「・・・・・・間桐、桜」

 

 かつての兄の友人を前にして、美遊の戦慄と緊張に呑まれようとしてた。

 

 

 

 

 

 一方、

 

 イリヤもまた、自らの前に立ちはだかる存在を目にし、愕然としていた。

 

「あなたはッ!?」

 

 驚くイリヤ。

 

 その視線の先に立つのは、自分と同い年くらいの少年。

 

 そして、

 

 城に囚われていたイリヤにとって、最も親しかったと言っても過言ではない人物。

 

「シフォン君ッ!?」

 

 名前を呼ばれ、少年は哀しそうな目でイリヤを見詰める。

 

 その姿が、この先に起こる激突が不可避である事を如実に語っていた。

 

「来て、しまったんですね。イリヤさん」

 

 相変わらず丁寧で、静かな声。

 

 しかし、聞こえるシフォンの声からは、明らかな緊張が伝わってきた。

 

「できれば、あなたには来てほしくないと思っていました。ほんの数日ではありましたが、あの城で言葉を交わし、共に時を過ごしたあなたには」

「シフォン君、そこをどいてッ」

 

 イリヤは叫ぶ。

 

 叫ばずにはいられなかった。

 

 たとえ、それが無意味な事だと知っていたとしても。

 

「私は、ジュリアンたちを止めなければならないのッ そうしないと・・・・・・」

「残念です」

 

 イリヤの言葉を、シフォンの断定するような口調が遮る。

 

 それは、どこか自分に向けたような言葉。

 

 自らの退路を断ち、前へと進む事を強調するような言葉だった。

 

「僕は・・・・・・僕たちは、あなた達を行かせるわけにはいかない。ジュリアン様の為・・・・・・そして」

 

 言いながら、

 

 シフォンは手を、自らの胸の前に掲げる。

 

「あれは、まさかッ・・・・・・・・・・・・」

 

 驚愕するイリヤ。

 

 あの仕草は、彼女の弟がよくやる物だった。

 

「エリカの為に!!」

 

 言い放つと同時に、

 

 シフォンの魔術回路に、奔流が走った。

 

夢幻召喚(インストール)!!」

 

 叫ぶと同時に、

 

 光に包まれるシフォン。

 

 その内側では、肉がみるみるうちに盛り上がり、手足は伸び、筋肉が付き、華奢だった少年の身体は一気に巨大化していく。

 

 中華風の衣装が身に纏われ、頭には長い羽根飾り、分厚い甲冑が纏われる。

 

 最後に、手に巨大な長柄の武器が握られる。

 

「■■■■■■■■■■■■!!」

 

 咆哮を上げるシフォン。

 

 そこには、先程までいた少年の面影は一切なく、ただ己の敵を殲滅し尽くす事にのみを目指す狂戦士(バーサーカー)の姿があった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 跳躍する雷神少女。

 

 手にした戦槌が、大上段に振りかぶられる。

 

「オッラァァァァァァ!!」

 

 振り下ろされる一撃。

 

 ただ、その一撃で、大地が微塵に粉砕される。

 

 飛来する、巨大な岩塊。

 

 その中を、

 

 空中を駆けるようにして、響が迫る。

 

 浅葱色の羽織を靡かせ、ベアトリスへと迫る響。

 

 その速度たるや、目で追う事すら困難な程である。

 

 瞬きをした瞬間には、既に少年の姿はベアトリスの懐へと飛び込んでいる。

 

「んッ!!」

 

 抜刀する響。

 

 銀の刃が、ベアトリスへと迫る。

 

 だが、

 

「おっとッ!?」

 

 ベアトリスはとっさに身をのけ反らせて回避する。

 

 すかさず、刀を返し、斬り込もうとする響。

 

 だが、

 

「甘ェ!!」

 

 雷撃を纏った戦槌を振り抜くベアトリス。

 

 放電が響を襲い、その小さな体を弾き飛ばす。

 

「クッ!?」

 

 とっさに、空中で体勢を立て直そうとする響。

 

 だが、その前にベアトリスは動いた。

 

「ハッ!!」

 

 もがく響をあざ笑うかのように、ベアトリスは再び攻撃態勢に入る。

 

「ジャリガキがッ あたしに勝とうなんざ100年早いんだっての!!」

 

 振り下ろされる戦槌が大地を砕き、無人となっている家々を破壊し尽くす。

 

 衝撃波が周囲に飛び散り、一気に更地と化した。

 

 出来上がる、吹きさらしの荒野。

 

 その大地に降り立つ少年。

 

 響は無言のまま、刀の切っ先をベアトリスへ向ける。

 

 対して、

 

「ハッ」

 

 響に対する嘲笑を隠そうともせず、ベアトリスはこれ見よがしに戦槌を肩に担ぐ。

 

「テメェ、弱いなァ」

「・・・・・・・・・・・・」

 

 響は無言。

 

 ただ、真っすぐに切っ先を向け続ける。

 

 そんな少年の態度が気に入らないのか、ベアトリスは捲し立てる。

 

「そんな弱っちい腕で、よくも、このあたしの前に立てたもんだな。ええ? 正直、蟻でも相手しているみてえで、こちとらつまんねえんだよ」

 

 言いながら、戦槌を掲げる。

 

 再び、収束する魔力の雷撃。

 

「そんな訳で、サクッと終わらせるから、よろしく♪」

 

 言い放つと同時に、地を蹴るベアトリス。

 

 暗殺少年に迫る、雷神少女。

 

 あの戦槌は、必殺の一撃。

 

 喰らえば、たとえ英霊化していようが、響の体など微塵に粉砕される事だろう。

 

「・・・・・・・・・・・・」

 

 判っている。

 

 自分はメンバーの中で一番弱い。

 

 図らずも英霊との置換が進み、戦闘力が上がっている士郎。

 

 リアルバーサーカーと言うべき、圧倒的な力を誇るバゼット。

 

 投影と転移魔術、更には弓を使った遠隔攻撃で、トリッキーな攻撃を行うクロエ。

 

 魔法少女として多彩な攻撃手段を持つイリヤ。

 

 そのイリヤをも上回る魔力を誇る美遊。

 

 その中で、近接戦闘オンリー。しかも、どちらかと言えば速度重視で攻撃力が低めの響は、どうしても皆と比べて見劣りするのは否めない。

 

 迫るベアトリス。

 

「・・・・・・・・・・・・」

 

 だからこそ、

 

 仕掛ける。

 

「・・・・・・・・・・・・ん」

 

 呟きと共に、

 

 少年の広げた左手に通される魔力。

 

 間合いに入ったベアトリス。

 

 次の瞬間、

 

「ッ!?」

 

 少女の顔が、半瞬、確かに引き攣った。

 

 ぶつかる視線。

 

 少年の双眸より放たれた眼光が、真っ向から少女を射抜いた。

 

 確かに感じるその感情は「恐怖」。

 

 次の瞬間、

 

 少年は右腕を振り抜いた。

 

 

 

 

 

 思い出されるのは、昨日の士郎とのやり取り。

 

 包みを少年に手渡す士郎。

 

 自らの想いを託すように、少年の手を取る。

 

「扱いには気を付けろ」

 

 真剣な眼差しで、士郎は並行世界の「弟」に告げる。

 

「切嗣の勘は間違いじゃない。そいつは間違いなく、やばい代物だ」

「ん」

 

 「兄」から受け取りながら、響も頷きを返した。

 

 

 

 

 

 振り抜かれた、少年の腕。

 

 その禍々しい気配に、

 

「ぐッ!?」

 

 ベアトリスはとっさに攻撃をキャンセル、後退を掛ける。

 

 ガードするように差し出した腕。

 

 閃光が、横一文字に駆け抜ける。

 

 一閃。

 

 次の瞬間、

 

 ガードしたベアトリスの手甲が、真っすぐに斬り飛ばされる。

 

 のみならず、その下の腕からも鮮血が噴き出した。

 

「テメェ・・・・・・・・・・・・」

 

 憎しみの籠った瞳で、響を睨むベアトリス。

 

 その視線の先、

 

 振り抜かれた響の腕。

 

 その手に握られた、

 

 禍々しくも美しい、一振りの刀。

 

「何だってんだよ、そいつはッ!?」

 

 其れはかつて、とある世界で1人の剣豪の手に渡り、蔓延る怪異を斬り伏せた一振り。

 

 あらゆる妖を払い、魔を滅し、神をも斬る事を宿命付けられた刃。

 

 彼の刀匠の、最強にして最凶の失敗作。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

明神切村正(みょうじんぎりむらまさ)

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 低く囁く声と共に、少年の鋭い視線がベアトリスを射抜く。

 

「みんなを、守る為・・・・・・美遊を、守る為・・・・・・」

 

 切っ先は、真っすぐに向けられる。

 

「お前を・・・・・・・・・・・・」

 

 高まる魔力。

 

 同時に、戦機が立ち上がる。

 

「斬る!!」

 

 

 

 

 

第52話「想い託されし剣」      終わり

 



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第53話「混戦、乱戦、接戦」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 巨大な戦槌を手に、睨みつける少女。

 

 天翔ける雷を操る、最強の英霊。

 

 対して、

 

 立ち向かう少年は、あまりにもちっぽけな存在に過ぎない。

 

 ただ、

 

 手にした刀が放つ存在感は、尋常ならざるものがあった。

 

 造りは何の変哲もない日本刀。

 

 三日月にも似た美しい刀身が戦場に映えている。

 

 しかし、

 

 その鮮烈にして面妖なる輝きは、存在からして既に尋常ではありえなかった。

 

 まるで、刀自体が一匹の魔物であるかのように、恐るべき姿を見せていた。

 

 対して、

 

「『あたしを斬る』だァ?」

 

 切っ先を向けられたベアトリスは、不機嫌さを隠そうともせず響を睨む。

 

 確かに、響が刀を抜いた時は一瞬、気圧されたのは事実である。

 

 しかし、落ち着きを取り戻した雷神少女は、既に元の圧倒的な存在感を放っていた。

 

「テメェ、まさかそんなナマクラ1本出してきた程度で、このあたしと対等のつもりかよ?」

「・・・・・・・・・・・・」

 

 響は無言。

 

 ただ、刀の切っ先をベアトリスに向け、いつでも切り込めるタイミングを計っている。

 

 対して、ベアトリスは嘲笑を隠そうともしない。

 

「ハッ とんだお笑い種だなッ たかがこんな傷一つで、もう勝った気かよ?」

 

 言いながら掲げたのは、響に斬られた左腕。

 

 手甲が斬り飛ばされた腕は真一文字に切り裂かれた傷がある。

 

 しかし、既にその傷は塞がり掛けているのが見えた。

 

「ガキがッ 思い上がるのも大概に・・・・・・」

 

 最後まで言い切る前に、

 

 ベアトリスは言葉を止めた。

 

 視界の中で刀を構えたい手はずの響。

 

 その姿が、いつの間にか消えている。

 

 次の瞬間、

 

「んッ 来ないなら、こっちから、行く」

 

 響の姿は、ベアトリスの視界から斬り込んでくる。

 

 逆袈裟に振るわれる斬撃。

 

「チィッ!?」

 

 舌打ちしながら後退するベアトリス。

 

 大きくバックステップで距離を取る、雷神少女。

 

 だが、

 

「ッ!?」

 

 その脇腹から、微かに鮮血が滲む。

 

 確実にかわしたはず。

 

 にも拘らず、響の振るった切っ先はベアトリスに傷を負わせていた。

 

「テメェッ」

 

 口を開こうとするベアトリス。

 

 しかし、それよりも早く響は斬り込む。

 

 口上に付き合う気はない。

 

 徹底した先制攻撃の連鎖で、ベアトリスにターンを与えずに倒しきる。

 

 まさしく暗殺者(アサシン)の発想だった。

 

 身を低くした姿勢から、地を這うように迫る暗殺少年。

 

「んッ!?」

 

 間合いに入ると同時に、横なぎに振るう斬撃が少女の足元を狙う。

 

「おおっとォ!!」

 

 対して、ベアトリスはとっさに跳躍し、響の振るう斬撃を回避する。

 

 同時に、手にした戦槌を大きく振りかぶった。

 

「ガキがッ 消し炭になりやがれ!!」

 

 眼下に見える、響の姿。

 

 収束する雷。

 

 だが、

 

「ん」

 

 次の瞬間、

 

 響の姿は、

 

 空中で振り被ったベアトリスの、

 

 更に、

 

「遅い」

 

 上

 

「クッ テメェ!?」

 

 とっさに攻撃にキャンセルを掛け、空中で回避行動を取ろうとするベアトリス。

 

 だが、響はその前に、手にした刀を振り下ろす。

 

 交錯する一瞬。

 

 ややあって、2人は同時に着地する。

 

 だが、

 

 ベアトリスの肩は僅かに切り裂かれ、そこからも鮮血が浮かんでいるのが見える。

 

 危なかった。

 

 傷口を手で押さえつつも、ベアトリスは僅かに戦慄せずにはいられなかった。

 

 あと少し、斬線が上方に反れていたら、頸動脈を切り裂かれた位置だ。

 

 響は確実に、迷いなく、ベアトリスの命を取りに来ていた。

 

「クソガキがッ」

 

 忌々しそうに響を睨みつけるベアトリス。

 

 その視線は、少年が持つ刀に向けられていた。

 

「何なんだよッ その刀はッ!?」

 

 美しくも禍々しいその刀。

 

 村正

 

 それはかつて、不世出と言われた天才刀鍛冶の名であり、彼が生涯を通じて鍛え上げた刀の総称。

 

 元は伊勢の国に生を受けた刀匠であったが、いつしか世に恐れられし妖刀として知られるようになった。

 

 曰く「徳川に仇成す刀」。

 

 後の世に征夷大将軍となる徳川家康(とくがわ いえやす)

 

 その祖父で、「30まで生きれば必ずや天下を統一する」とまで言われた大大名、松平清康(まつだいら きよやす)

 

 しかし25歳の時、父を清康に殺されたと誤解した家臣から惨殺される事になる。

 

 この時、清康を斬り殺した刀が村正であった。

 

 これがいわゆる「村正妖刀伝説」の始まりである。

 

 清康の死後、家督を継いだのが家康の父である松平広忠(まつだいら ひろただ)であったが、彼も家臣から反感を買い、脇差で刺される事になる。幸いにして命は取り留めたが、この時に広忠を刺した脇差も村正。

 

 家康の嫡男である松平信康(まつだいら のぶやす)(後の2代将軍となる秀忠の兄)が、母である築山御前(つきやまごぜん)にそそのかされる形で、時の天下人である織田信長に対し反旗を翻そうとした事がある。この企みは事前に察知されて鎮圧。信康は切腹を命じられるが、この時、介錯に使われた刀も村正。

 

 信康切腹と同時に、築山御前も処刑されるが、その際の斬首に使われた刀も村正。

 

 とある武将が戦場での槍働きを家康に褒められ、自慢の槍を家康に披露しようとしたが、その際、家康自身が手を滑らせ、槍の穂先で手を切ってしまう。その際の槍も村正。

 

 このように、村正と言う刀は事ある毎に、徳川家康の近親者の命を奪い、更には家康自身をも傷付けたのだ。

 

 これらの噂が、すべて真実であるかどうかは定かではない。

 

 しかし家康が、事ある毎に自らに仇成す刀を、妖刀と呼び嫌い、諸大名や武士たちに所有を禁止したのは確かだった。

 

 それ故に、徳川に反旗を翻した多くの武士たちが、「打倒徳川」の念を込め、村正を愛用したと言う話もある。

 

 徳川家康自身が参陣した最後の戦であり、宿敵、豊臣を滅ぼした戦いである「大坂の陣」

 

 その大坂の陣において、豊臣方の武将の中で最も活躍。当の家康本人をして「日の本一のもののふ也」と言わしめた、真田信繁(さなだ のぶしげ)こと、真田幸村(さなだ ゆきむら)

 

 江戸初期、浪人たちの困窮を憂い、幕府に反旗を翻す事を企図した由比正雪(ゆい しょうせつ)

 

 更には徳川幕府打倒を目指した、多くの幕末維新志士達。

 

 など、多くの「反徳川」を掲げた者達が、村正を佩刀としたと言う言い伝えもある。

 

 今、響の手の中にあるのも、その中の一振り。

 

 刀匠、千子村正(せんじ むらまさ)が鍛え、とある世界に蔓延った怪異を切り払った刃。

 

 余りに「斬れ過ぎる」が故に、岩石や金剛石(ダイヤモンド)、果ては神仏や妖魔の類ですら斬り捨てる、正真正銘、妖刀の一振り。

 

 明神切村正(みょうじんぎりむらまさ)

 

 まるで、何かに引き寄せられるかのように自分の手元にやってきたこの刀を、士郎は別世界から来た弟に託した。

 

 美遊を守るために。

 

 村正の切っ先を、ベアトリスに向けて構える響。

 

 次の瞬間、

 

「ん、行く」

 

 地を蹴った。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 響がベアトリス相手に戦っている頃、

 

 他の戦線でも、一進一退の攻防が続いていた。

 

 イリヤとバゼットは、巨大な方天画戟を振るう狂戦士(バーサーカー)を相手にしていた。

 

 まるで暴風の如く、巨大な長柄の戟を振るう狂戦士(バーサーカー)

 

 その一撃が、目の前の民家を文字通り「殴り倒す」。

 

「クッ 散弾!!」

 

 空中に跳び上がったイリヤが、面を制するように魔力を放射する。

 

 放たれる無数の弾丸。

 

 しかし、拡散される事で、威力を減殺された魔力弾に致死の効果は無い。

 

 案の定、狂戦士(バーサーカー)は、構わず向かってくる。

 

 だが、

 

 イリヤの狙いは、初めから別にある。

 

「バゼットさん!!」

 

 イリヤの合図と共に、

 

 封印指定執行者たる女が駆けた。

 

 加速

 

 強化

 

 硬化

 

 相乗

 

 かつて、黒化したギルガメッシュの心臓を、一度はえぐり出す事に成功した、人の域を遥かに超えた一撃。

 

 イリヤの散弾によって間合いを狂わされた狂戦士(バーサーカー)は立ち尽くしている。

 

 そこへ、

 

 バゼットは斬り込んだ。

 

 振り抜かれる手刀。

 

 一撃は、確実に狂戦士(バーサーカー)を必殺すべく繰り出される。

 

 しかし、

 

 最速の一撃を、狂戦士(バーサーカー)は真っ向から迎え撃つ。

 

「■■■■■■■■■■■■!!」

 

 激突する両者。

 

 交錯。

 

 しかし、

 

「クッ 失敗かッ!?」

 

 舌打ちしつつ、バゼットは態勢を立て直す。

 

 バゼットの攻撃が当たる一瞬、

 

 狂戦士(バーサーカー)は敢えて前に出る事で、バゼットの攻撃点をずらして来たのだ。

 

 目測を誤ったバゼットの攻撃は、失敗に終わってしまった。

 

「■■■■■■■■■■■■!!」

 

 咆哮を上げる狂戦士(バーサーカー)

 

 手にした方天画戟を振り翳し、バゼットへと迫る。

 

 だが、

 

 そこへ、援護が入る。

 

「バゼットさん!!」

 

 急降下する魔法少女(カレイドルビー)

 

 手にしたステッキに魔力を込め、全力で振り抜く。

 

斬撃(シュナイデン)!!」

 

 薄く鋭い魔力の刃が、狂戦士(バーサーカー)へと迫る。

 

 頭上を取ったうえでの奇襲攻撃。

 

 本来であるならば、防ぐことは難しい。

 

 だが、

 

「■■■■■■■■■■■■!!」

 

 雄叫びと共に、狂戦士(バーサーカー)は方天画戟を振るい、イリヤの斬撃を振り払った。

 

「そんなッ!?」

 

 愕然とするイリヤ。

 

 まさか、あのタイミングで仕掛けた攻撃が弾かれるとは思っていなかった。

 

「どうやら、並の狂戦士(バーサーカー)ではないようですね」

 

 傍らに降り立ったイリヤを守るように、バゼットは前に出ながら呟く。

 

 昨夜の作戦会議の時点で、アンジェリカから狂戦士(バーサーカー)と言う英霊の特性については聞いていた。

 

 それによれば、本来狂戦士(バーサーカー)とは、力の弱い英霊の理性をあえて封じ、狂化する事によって、爆発的な力を得た存在だと言う。

 

 ただし、圧倒的な力の代償として、よほどの適性が無ければ、およそ10分で理性は完全に失われる事になる。そうなれば、もはや接続解除(アンインストール)しても、元に戻れる保証はない。

 

 だが、

 

 今、目の前にいる狂戦士(バーサーカー)は、通常の枠にはとらわれない存在だった。

 

 呂布奉先(りょふほうせん)

 

 後漢末期の中国の武将であり、彼の三国志史上最強の武人とも言われる存在。

 

 武勇においては比類なき最強と謳われる一方、裏切りを重ねたその生涯から多くの敵を創り出した反骨の将でもある。

 

 元は丁原と言う武将に仕えていたが、やがて中央政権を掌握すべく動き出した董卓と結託する事になる。

 

 やがて権力を手中にした董卓の下で武勇を振るう呂布だったが、美女、貂蝉を巡って董卓と対立。再び主君を裏切るに至る。

 

 その後も、中国大陸の各地を放浪しながら、一定の地に留まる事は無かった。

 

 しかし、その行動故に多くの敵を作りすぎた呂布はやがて、姦計によって捕らえられ、ついには処刑台の露と消える事になる。

 

 ある意味、武においては如何なる相手にも負けを知らなかった、正に無敵の武将であると言えるだろう。

 

 その呂布を夢幻召喚(インストール)したシフォン。

 

 華奢だった少年の姿は一変し、筋骨隆々とした武人の姿が、イリヤ達の目の前にある。

 

 数ある夢幻召喚(インストール)の中でも、異色である事は間違いない。

 

 しかも厄介な事に、通常の狂戦士(バーサーカー)ならば、生前に培った武芸は失われ、ただ己の膂力と狂気のみを武器に暴れるだけの存在となる。

 

 しかし、呂布奉先と言う狂戦士は違う。

 

 どうやら僅かではあるが、生前の武技を残したまま狂戦士(バーサーカー)となったらしい。その証拠に先程、イリヤが仕掛けた奇襲攻撃を紙一重で回避して見せている。

 

「厄介な存在ですね」

 

 自信もリアルバーサーカーなどと密かに呼ばれているバゼットは、相手から視線を放さずに呟く。

 

 膂力においては圧倒的であり、その上、生前に極限まで研ぎ澄まされた技術まで継承している。

 

 ある意味、呂布と言う存在は狂戦士としては最強の一角と言えるかもしれなかった。

 

「シフォン君・・・・・・・・・・・・」

 

 かつて、囚われた城で最も心を通わせた相手を想い、イリヤは呟きを漏らす。

 

 シフォンは自身が仕えていたエリカのみならず、囚われて心細い思いをしていたイリヤの事も、常に気にかけてくれた。

 

 そのシフォンが今、自分の敵として目の前に立っている。

 

 イリヤにとって、あまりにも苦しい戦いと言わざるを得なかった。

 

「イリヤスフィール、辛いのなら下がっていてください。ここは私が」

 

 イリヤを守るように、バゼットは前に出る。

 

 勿論、いくら英霊すら凌駕する戦闘力を持つバゼットとは言え、勝てると言う保証はない。

 

 勝つ為には、イリヤの参戦が絶対不可欠である。

 

 しかし、

 

 イリヤの優しさは、バゼットも分かっている。

 

 だからこそ、知り合いと戦うようなむごい戦いはさせたくないと言う想いもまた、バゼットの中にはある。

 

 たとえそれで、自分が倒れる事になろうとも。

 

「ありがとう、バゼットさん」

 

 年長者の気遣いに感謝しながら、しかしイリヤは決意の籠った眦を上げる。

 

 既に賽は投げられた。

 

 ならば、この戦いから逃げる事はできなかった。

 

「決着は、私が付ける!!」

 

 決意と共に、少女が掲げたカード。

 

 その絵柄には、

 

 咆哮を上げる、獣人の姿が描かれている。

 

夢幻召喚(インストール)!!」

 

 凛とした声と共に、稼働する魔力回路。

 

 光に包まれる、少女の姿。

 

 その光が晴れた時、

 

 少女の姿は一変していた。

 

 纏められた長い銀髪。

 

 下半身は大ぶりな腰布で覆われている反面、ほぼ裸に近い上半身は、胸にのみ布がまかれている。

 

 そして、

 

 ズンッ

 

 地鳴りとともに、地面に突き立てられる巨大な斧剣。

 

 自身の身体よりも巨大な、その斧剣を、

 

 イリヤは自らの細腕で、軽々と持ち上げて見せる。

 

 狂戦士(バーサーカー)

 

 その可憐でありながら、どこか狂気に満ちた戦姿が、立ちはだかるシフォン、呂布奉先(りょふ ほうせん)を睨み据えた。

 

「行くよ、シフォン君ッ そこは通らせてもらう!!」

「■■■■■■■■■■■■!!」

 

 2騎の狂戦士(バーサーカー)は、同時に吼えた。

 

 

 

 

 

 突き立てられた無数の刃。

 

 林立する剣の群れを、駆け抜ける英霊が2騎。

 

「ウフフ、こんなに頂けるなんて。とっても嬉しいです。わたし、包丁の扱いはとっても得意なんですよ」

 

 文字通り狂った言動と共に迫る桜。

 

 対して、クロエは後退しながら、次々と剣を投影、地面に突き立てていく。

 

「まだまだ行くわよ!!」

 

 言いながら投影魔術を発動。

 

 更に突き立てられた剣が増える。

 

 それだけではない。

 

 クロエは空中にも剣を投影、迫る桜目が目がけて射出する。

 

「こいつもあげるわッ 遠慮なく受け取りなさい!!」

 

 射出する切っ先。

 

 更にクロエは、両手に構えた干将と莫邪を投げつける。

 

 前方と左右から、桜を包囲するように飛翔する剣。

 

 しかし次の瞬間、

 

 桜は左手に持った剣を手放すと、飛んできた干将をキャッチ。そのまま支配権を奪い、残る剣も叩き落してしまう。

 

「新しい包丁、ありがとうございます。輪切りが良いですか? みじん切りが良いですか? それとも3枚下ろしにしましょうか? ウフフ、色々あって迷っちゃいますね」

 

 仮面の下で、ニタリと笑う桜に、クロエの背筋に強烈な怖気が走る。

 

 見た目の狂気通りの不気味さ。

 

 だが、それ以上にクロエを驚愕させている物は、桜の戦闘力だった。

 

 判断は壊滅的。

 

 本来であるならば、およそ戦闘を行える状態ではない。

 

 にも拘らず、クロエを圧倒しているのはひとえに、常軌を逸するほどの武技を備えているからに他ならない。

 

 加えて、あの武器の支配権を奪い取る能力は厄介極まりない。

 

 何しろ、繰り出す武器をそのまま奪われてしまうのだ。

 

 多数の武器を投影し、射出する戦術を得意とするクロエにとっては天敵である。攻撃すればするほど、桜の攻撃力が増す結果となる。

 

 まともにやれば、負ける。

 

 だからこそ、策を仕掛けるのだ。

 

「頼んだわよ、美遊」

 

 切り札たる少女に語り掛けるクロエ。

 

 繰り出される桜の攻撃を回避しながら、クロエは再び剣を投影するのだった。

 

 

 

 

 

 響 VS ベアトリス

 

 イリヤ、バゼット VS シフォン

 

 美遊、クロエ VS 桜。

 

 敵味方、入り乱れるようにして戦う戦線は混沌としたまま先行きが見えず、

 

 彼方では尚も、泥が流れ込む絶望の光景が続いていた。

 

 

 

 

 

第53話「混戦、乱戦、接戦」      終わり

 



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第54話「神狩りの太刀」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 迸る電撃。

 

 本来であるなら、目で追う事すら不可能な神の槍。

 

 大気を走る稲妻は、

 

 しかし、駆ける少年の姿を捉える事が出来ない。

 

 響は自身に迫る雷撃を回避し、しかし勝機は見逃さない。

 

 雷撃が途切れる一瞬の隙を突く形で、ベアトリスの懐へと斬り込む。

 

「んッ!!」

 

 切っ先が付き込まれる、妖刀の刃。

 

 その一閃を、

 

 ベアトリスは拳で打ち払う。

 

「このッ ちょこまかとッ ゴキブリかッ テメェは!!」

 

 苛立ったベアトリスが、横なぎに戦槌を振るう。

 

 圧倒的致死量の一撃。

 

 しかし響は身を低くしてベアトリスの攻撃を回避。

 

 同時に低い姿勢から、跳ね上げるように、手にした明神切村正を振るう。

 

 縦一閃に駆けあがる刃。

 

 銀の閃光が、迸る雷撃を切り裂く。

 

 すかさず、刀を返す響。

 

「んッ!!」

 

 鋭い剣閃が奔る。

 

 刃が切り裂き、ベアトリスの身体からは鮮血が迸る。

 

「ぐッ!?」

 

 思わず、うめき声を上げるベアトリス。

 

 傷は、それほど深くはない。神霊を夢幻召喚(インストール)している彼女からすれば、掠り傷にすら値しないだろう。

 

 しかし、

 

「テメェ・・・・・・・・・・・・」

 

 着実に当ててくる響の攻撃は、雷神少女を苛立たせていた。

 

 先程からベアトリスの攻撃は悉く空を切り、逆に響の攻撃はダメージこそ小さい物の、既に数撃に渡って少女を捉えている。

 

 たとえそれが微小なダメージであったとしても、あるいはだからこそ、ベアトリスを苛立たせるには十分だった。

 

「いい加減、目障りなんだよ!!」

 

 叫ぶと同時に、

 

 少女の全身から、圧倒的な量の電撃が迸る。

 

 魔力を伴ったその稲妻は、ただそれだけで周囲一帯を吹き飛ばす勢いを見せていた。

 

 ベアトリスの狙いはシンプルだった。

 

 狙って当たらないのなら、初めから狙わなければいい。

 

 広範囲一帯を吹き飛ばすほどの一撃でもって、全てを薙ぎ払えば終わる。

 

「消し飛ばしてやるッ 元素の彼方まで!!」

 

 戦槌を振り被るベアトリス。

 

 対して、

 

 刀の切っ先をベアトリスに向けて構える響。

 

 その視界の中で、膨大な量の雷撃がベアトリスの手元にある戦槌に集まっていくのが見える。

 

 収束した雷が、溢れ出る。

 

 間違いなく、必殺の一撃。

 

 次の瞬間、

 

悉く打ち砕く雷神の槌(ミョルニル)!!」

 

 詠唱と共に、ベアトリスは稲妻を伴った戦槌を振り下ろした。

 

 

 

 

 

 ぶつかり合う、力と力。

 

 はじけ飛ぶ衝撃。

 

 2騎の英霊がぶつかり合う度、周囲が薙ぎ払われる。

 

「ハァァァァァァァァァァァァ!!」

「■■■■■■■■■■■■!!」

 

 咆哮を上げながら、互いの武器を振り翳すイリヤとシフォン。

 

 イリヤが巨大な斧剣を振り翳して叩き潰さんと迫れば、

 

 シフォンは方天画戟を旋回させて打ち払う。

 

 身に宿した英霊は、共に狂戦士(バーサーカー)

 

 その戦い方は、ある意味で一番シンプル。

 

 すなわち、力と力のぶつかり合いに他ならない。

 

 イリヤが夢幻召喚(インストール)した英霊はヘラクレス。

 

 ギリシャ神話に登場する半神半人の英雄であり、同神話における最強の大英雄。

 

 その身は鋼よりも硬く、更には生前乗り越えた試練により、12の魂が尽きない限り、何度でも立ち上がる不屈の戦士。

 

 |狂戦士となった事で、生前に研ぎ澄まされた武技の数々は失われている物の、それでも最強の名に相応しい万夫不当の存在。

 

 ヘラクレスを夢幻召喚(インストール)したイリヤは、圧倒的な力を如何無く発揮してシフォンを追い詰める。

 

 一方のシフォンも、こちらも負けていない。

 

 イリヤがギリシャ最強なら、シフォンは後漢最強の武人である。各としては決して引けは取っていない。

 

 イリヤが打ち下ろす斧剣の一撃をいなし、鋭く反撃を繰り返す。

 

 旋回する長柄の檄。

 

 その一撃を、イリヤは斧剣を立てて受け止める。

 

「甘いよッ!!」

 

 カウンター気味に繰り出すイリヤの攻撃。

 

 振り下ろされた斧剣を、シフォンは檄の柄でガード、そのまま押し出されるように後退する。

 

「■■■■■■■■■■■■!!」

 

 咆哮を上げるシフォン。

 

 一方のイリヤは斧剣を構え、更なる攻撃のタイミングを計る。

 

「・・・・・・・・・・・・いける」

 

 核心と共に、呟く少女。

 

 夢幻召喚(インストール)した結果、完全に暴力の怪物と化しているシフォンと違い、イリヤは理性を保って戦っている。

 

 アンジェリカが教えてくれた事だが、狂戦士(バーサーカー)のカードは夢幻召喚(インストール)すれば爆発的な力を得られる反面、徐々に理性が失われていくのだとか。

 

 そのタイムリミットは、およそ10分。

 

 一応、ヘラクレスのカードにはアンジェリカの手によってリミッターが掛けられ、10分で夢幻召喚(インストール)が解け、カードが排出されるようになっている。その為、イリヤが正気を失う事は無い。

 

 しかし、それはつまり、10分以内に決着をつける必要があると言う事だった。

 

 ここまでの戦いで、イリヤは自身が優勢に戦いを進めている手ごたえを感じている。

 

 勝負を掛ける。

 

 決意と共に、前に出るイリヤ。

 

 だが、

 

「いけません、イリヤスフィール!!」

 

 警告を発したのは、後方で戦況を見守っていたバゼットだった。

 

 一歩引いた位置から冷静に見ていたからこそ、彼女には判った。

 

 シフォンが、イリヤが勝負を掛けるのを待っていた事を。

 

「■■■■■■■■■■■■!!」

 

 咆哮と同時に、

 

 シフォンが手にした方天画戟を振り翳して、イリヤへと迫る。

 

 だが、

 

「大丈夫だよ、バゼットさん」

 

 迫るシフォンを前にして、イリヤは冷静だった。

 

 右腕一本で、高らかに石斧を掲げて構える。

 

 この技は一度見ている。

 

 あの岩山の戦闘で、士郎が使っていたのをイリヤも見ていた。

 

 本来なら狂戦士(バーサーカー)の身で使える技ではない。

 

 しかし今なら、

 

 自分なら、再現できるかもしれない。

 

 半ば確信めいたイリヤの想い。

 

 そっと、自分の中にいる英霊に想いを馳せる。

 

 「彼」を夢幻召喚(インストール)してから、イリヤは何か、大きな存在に抱かれるような安心感を感じていた。

 

 大いなる力強さ。そして、温もりと優しさ。

 

 両親や家族たちとも違う。

 

 まるで戦いながら、誰かに守られているかのような安心感。

 

 それがいったい何なのか、イリヤには判らない。

 

 しかし、だからこそ、「できる」と思った。

 

 「彼」ならきっと、力を貸してくれるはずだ、と。

 

 迫るシフォン。

 

 その姿を真っ向から見据える。

 

 振り翳される方天画戟。

 

 その刹那をも凌駕する一拍、

 

 イリヤは迸った。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

射殺す百頭(ナイン・ライブズ)!!」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 次の瞬間、

 

 殺到する、9つの超高速斬撃。

 

 かつてあらゆる武の頂点を極めし大英雄ヘラクレスが、あらゆる武器において繰り出す事が出来る最強の必殺技。

 

 余りの速さゆえに、9つの攻撃が1つに重なって見える。

 

 その斬撃全てが、

 

 迫るシフォンを捉え、

 

 容赦なく切り裂いた。

 

 

 

 

 

 

 凄まじい轟音は、橋の上で戦っている美遊やクロエにも聞こえて来た。

 

「あれはッ!?」

「多分、イリヤ達のいる場所・・・・・・」

 

 少女たちは思わず立ち止まり、音が聞こえて来た眺める。

 

 大気を引き裂くほどの轟音。

 

 状況は見えないが、余ほどの激戦が行われているであろう事は理解できた。

 

 イリヤは、バゼットは無事だろうか?

 

 脳裏によぎる仲間達の顔。

 

 しかし、

 

 今の2人には、味方を気にしている余裕はない。

 

「ちょろちょろ逃げないでください。ほんと、虫退治って大変なんですから」

 

 不気味な笑みを仮面の下に浮かべながら、ゆっくりと歩いて来る桜。

 

 その前面には、クロエが投影した、無数の剣林が存在している。

 

「さて・・・・・・・・・・・・」

 

 対峙しながら、クロエは傍らの美遊を見やる。

 

「美遊、準備は?」

「問題ない。行ける」

 

 頷く美遊。

 

 準備は既にできている。後は仕掛けるだけだった。

 

 そこへ、斬り込んでくる桜。

 

「さあ、今度こそ綺麗に切り刻んであげますからね。うまくできたら先輩、褒めてくださいね」

 

 不気味な微笑と共に、手にした剣を振り翳す桜。

 

 対して、

 

 前に出る美遊。

 

 その手に握られる、1枚のカード。

 

 盾を掲げた兵士が描かれた絵柄。

 

夢幻召喚(インストール)!!」

 

 叫んだ瞬間、少女の身体を光が包み込む。

 

 魔法少女としての姿から、英霊の姿へと変じる美遊。

 

 黒のレオタード状のインナーの上から、纏われる軽装の甲冑。

 

 同時に、手には大ぶりな盾が握られる。

 

 盾兵(シールダー)夢幻召喚(インストール)した美遊。

 

 同時に、盾を掲げる。

 

 迫る桜。

 

「さあッ お料理、しちゃいますね!!」

 

 次の瞬間、

 

「・・・・・・今、私は災厄の席に着く」

 

 静かな宣誓と共に、美遊は眦を上げる。

 

 掲げられる盾。

 

 美遊の魔術回路が唸りを上げて奔る。

 

「それは全ての瑕、全ての怨恨を癒す我らが故郷・・・・・・」

 

 向けられた視線が、

 

 桜を捉える。

 

「顕現せよッ いまは遥か理想の城(ロード・キャメロット)!!」

 

 次の瞬間、

 

 周囲の情景が一変する。

 

 否、

 

 正確に言えば、

 

 突如として、巨大な城がそそり立ったのだ。

 

 白亜の外壁を持ち、いくつもの高い戦闘が聳え立つ。

 

 壮麗にして荘厳、そして厳然にして勇壮。

 

 その城が一個の芸術品であると同時に、戦うための砦である事を意味してる。

 

「あ・・・・・・あ・・・・・・ああ・・・・・・」

 

 その城を見た瞬間、

 

 桜の身体は突如、震えだし、その場から動かなくなる。

 

 手にして剣を取り落とし、膝を突く少女。

 

 その勝機を、

 

 少女たちは見逃さない。

 

「クロッ!!」

「ええ、任せなさいッ!!」

 

 美遊の合図と共に、クロエが仕掛ける。

 

 両手に2対4刀の干将・莫邪を投影、鋭く投げつける。

 

 同時に更にもう1対の夫婦剣を投影し駆ける。

 

 対して、桜は未だ動く事が出来ずにいる。

 

「これで、終わりよ!!」

 

 空中を飛ぶ4刀。

 

 して、正面から迫るクロエ。

 

「鶴翼、三連!!」

 

 次の瞬間、

 

 6連の刃が、一気に桜を斬り裂いた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 戦況は、衛宮邸居間に設置された司令本部にいる凛達にも、リアルタイムで届けられていた。

 

 状況は正に一進一退と言ったところ。

 

 いまだに誰も祭壇には取りついていない。

 

「まずいわね」

 

 凛が唇を噛み締めながら言った。

 

 当初の作戦案では、誰か1人でも素早く敵の防衛ラインを突破、本丸にいるジュリアンを倒し、泥の流入を止める手はずだった。

 

 しかし、意に反して、イリヤ達はエインズワース側の戦力に足止めされている。

 

「物量では勝っているのですけれど・・・・・・」

「相手の方が個々の戦闘力が高い分、苦戦は免れない、か」

 

 ルヴィアの言葉に頷きながら、凛は焦燥を隠せずにいた。

 

 元より、決戦である。

 

 こちらが必死である以上に、敵も死に物狂いだ。

 

 簡単に勝てるとは思っていない。

 

 しかしある意味、こちらの戦力を足止めするだけで良いエインズワースの方が、戦局的に有利であると言える。

 

 時が経つごとに、破滅の蓋は徐々に開いていく。

 

 時間は味方ではなかった。

 

「イリヤスフィールとバゼット、それに美遊とクロエのチームは戦況をモニターできますけど、問題は響ですわね」

 

 鏡に映る戦況を見ながら、ルヴィアが険しい表情を作る。

 

 戦況のモニターにはルビーとサファイアを介する形を取っている為、イリヤと美遊が居る戦場の状況は、衛宮邸からも観測できる。

 

 しかし単騎でベアトリスと戦っている響の状況は、凛達からは判らないのだ。

 

「一応、まだ戦ってはいるみたいだけどね」

 

 言いながら凛は、彼方に走る雷光を眺める。

 

 空中に走る稲光は雷神少女の放つ閃光である。

 

 つまり、あの下ではまだ、響が戦っていると言う事だ。

 

 いったい少年はどうしているのか? 勝っているのか、負けているのか、それすら不明だった。

 

 しかし、

 

 彼女らに、他人の心配をしている暇はない。

 

 脅威は、すぐそこにまで迫っていたのだ。

 

 突如、鳴り響きく鈴の音。

 

 その音に、いち早く反応したのは士郎だった。

 

「これはッ!?」

「まさか、警報ッ!?」

 

 凛達も音の正体に気付き、緊張を走らせる。

 

 流石は魔術師の住む邸宅。多少ではあるが、侵入者対策は施されている。

 

 衛宮邸は、悪意ある第三者が侵入しようとしたら、このように警報が鳴る仕組みとなっている。

 

「どうやら、招かれざる客のようだ」

 

 士郎は立ち上がると、窓を開ける。

 

 今に面した広い庭。

 

 その中央に、1人の青年が佇んでいる。

 

 シェルドだ。

 

 既にその身は英霊を纏っている。

 

 甲冑を着込み、背には大剣を背負っている。

 

 ネーデルランドの大英雄、ジークフリードとしての姿がそこにあった。

 

「姿が見えないと思ったら、こちらが狙いだったか」

「抜け駆けをする者は、どんな時でもいる者だ」

 

 言いながら、シェルドは大剣を抜き放つ。

 

 長大な刀身の切っ先が、士郎に突き着けられた。

 

「お前たちを倒せば、主の悲願成就に大きな前進となる。悪いが我が剣の錆となってもらう」

 

 抜け駆け。

 

 などではない。

 

 シェルドはシェルドなりに、覚悟を持ってこの場に現れたのだ。

 

 ここにいる全員を殺せば、前線の響達は統制を失い混乱する。

 

 そうなればエインズワースの勝ちは動かない。ジュリアンの、ひいてはダリウスの悲願成就に、大きな前進となる。

 

 故にこそシェルドは、単騎で敵陣へと斬り込んで来たのだ。

 

「良いだろう」

 

 頷く士郎。

 

 シェルドの覚悟を感じ取り、前へと出る。

 

「俺が相手だ」

「衛宮君ッ!!」

「シェロ!!」

 

 凛とルヴィアが制止するように声を上げる。

 

 士郎は戦わない。

 

 それは昨夜の作戦会議で、皆で話し合って決めた事。

 

 だが士郎は、自らその禁を破ろうとしている。

 

 そんな2人に、笑いかける士郎。

 

「良いんだ、遠坂、ルヴィア。心配してくれてありがとうな」

 

 2人の気遣いは有難い。

 

 しかし現実問題として、英霊化した相手に伍して戦えるのは、この場では士郎だけだった。

 

 庭に降り立つ士郎。

 

 そのままシェルドと向かい合いながら、庭の中央へと進み出る。

 

 同時に、

 

 士郎の身体を光が包み込む。

 

 一変する姿。

 

 黒ボディーアーマーの上から赤い外套を着込み、頭にはバンダナがまかれる。

 

 ただ以前と違うのは、以前は腰回りのみだった外套が、今は上半身も覆う形に変更されている。

 

 何より、カードも無しに英霊化を成し遂げている。

 

 士郎の存在が、より「英霊エミヤ」に近づきつつある証拠だった。

 

投影開始(トレース・オン)

 

 静かな詠唱と共に、士郎の手に出現する黒白の双剣。

 

 シェルドもまた、大剣を持ち上げて斬りかかるタイミングを計る。

 

 次の瞬間、

 

 2騎の英霊は同時に駆けた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 炸裂する閃光。

 

 地上に顕現した、雷光の檻。

 

 地上にあるあらゆる物を薙ぎ払う神の雷。

 

 ベアトリスの放った「悉く打ち砕く雷神の槌(ミョルニル)」は、彼女の周囲四方にあるあらゆる物を飲み込み、かみ砕いていく。

 

 少年暗殺者の命運も又、雷光の彼方へと飲み込まれ、消えて行く。

 

 やがて、晴れる視界。

 

 顔を上げるベアトリス。

 

 次の瞬間、

 

「なッ!?」

 

 絶句した。

 

 目の前の光景が、一変している。

 

 今の今まで朝だったのにも関わらず、いつの間にか夜になっている。

 

 周囲を取り巻く闇。

 

 街並みまで変わっている。

 

 それまでの、ごくありふれた住宅街ではなく、時代劇でよく見るような、古い建物が軒を連ねている。

 

 天に煌々と輝く、白い月。

 

 そして、

 

 月光の下に、凛とはためく誠の旗。

 

 手にした少年が、ゆらりと進み出る。

 

 固有結界「翻りし遥かなる誠」

 

 宝具には宝具。

 

 ベアトリスが「悉く打ち砕く雷神の槌《ミョルニル》を放った直後、響もまた切り札(ジョーカー)を切ったのだ。

 

 だが、

 

「それで?」

 

 ベアトリスは余裕の態度を崩す事無く、響に向き直る。

 

「このみすぼらしい風景が何だってんだ? まさかこんなんで、あたしを倒す気かよ?」

 

 せせら笑う、雷神少女。

 

 そうだ。如何なる物が来ようと、自分が負けるはずがない。

 

 なぜなら、自分こそが最強の存在。

 

 自分こそが、北欧神話に誇る・・・・・・

 

「ねえ」

 

 ベアトリスの思考を遮るように、響が口を開いた。

 

「来ないなら・・・・・・」

 

 次の瞬間、

 

 響の姿は、

 

「こっちから行く、よ」

 

 ベアトリスの、すぐ背後に現れた。

 

「なッ!?」

 

 繰り出された斬撃を、とっさに回避するベアトリス。

 

 刃は辛うじて、少女を霞めるにとどめる。

 

「このッ!!」

 

 とっさに、反撃に転じるベアトリス。

 

 横なぎに振るわれる戦槌。

 

 雷を纏った一撃は、

 

 しかし、闇に紛れた少年を捉える事はできない。

 

 同時に、

 

 気配が躍る。

 

「上かッ!?」

 

 振り仰いだ瞬間、

 

 既に刀を振り下ろす響。

 

「クッ!?」

 

 とっさに、戦槌の柄で斬撃を受けるベアトリス。

 

 だが、

 

 間に合わず、その体を切り裂かれる。

 

 ベアトリスが反撃に転じる前に、再び姿を消す響。

 

 構わず戦槌を振るうが、ベアトリスの攻撃が響を捉える事はない。

 

「クソッ さっきより鬱陶しいじゃねえかよ!!」

 

 苛立ちを募らせながら、戦槌を構え直す雷神少女。

 

 響(と言うより、斎藤一)の宝具「翻りし遥かなる誠」は、対象となる敵の認識能力を下げ、自身の姿を捉えにくくする、いわば空間そのものがステルス機能を有しているに等しい。

 

 それ故に、ベアトリスは響を捉えられないのだ。

 

「・・・・・・ハッ」

 

 数瞬の沈黙ののち、

 

 ベアトリスは口元に笑みを浮かべる。

 

 同時に、その身より雷光が迸る。

 

「どうせ、見えねえんだろ」

 

 雷光が徐々に大きくなり、闇夜に激しく迸る。

 

 戦槌を振り被るベアトリス。

 

「ならッ 全部薙ぎ払っちまえば良いだけの話だろうがッ!!」

 

 次の瞬間、

 

 ベアトリスは、手にした戦槌を地面に叩きつけた。

 

 雷神が全力をもって叩きつけた戦槌は大地を割り、結界内のあらゆる物を吹き飛ばす。

 

 周囲一帯、更地にするほどの一撃。

 

 大地は割れ、闇夜は一瞬にして昼間と見まがうほどに照らし出される。

 

 結界その物を吹き飛ばすほどの一撃。

 

「ハッ これで、どうだッ!?」

 

 勝ち誇るベアトリス。

 

 周囲一帯、全てを吹き飛ばすほどの雷撃。

 

 これなら、いかに響が闇の中に身を隠そうが、防ぎきれるものではない。

 

 そう思った。

 

 次の瞬間、

 

「・・・・・・・・・・・・なッ!?」

 

 驚愕に、目を見開いた。

 

 響が、

 

 いる。

 

 ベアトリスの、

 

 すぐ、

 

 目の前に。

 

 手にした明神切村正を、左手で持ち、切っ先を向けて弓を引くように構える。

 

 実のところ、

 

 あえて、言う事ではないので、響は誰にも言っていない事がある。

 

 それは、この固有結界「翻りし遥かなる誠」の能力について。

 

 英霊、斎藤一の宝具であるこの固有結界は、暗殺者(アサシン)である彼が、対象を暗殺する為、取り込んだ相手の認識力を極限まで低下させる事が出来る。

 

 それは、決して間違いではない。

 

 しかし、それだけでは、事実の一局面に過ぎない。

 

 真の能力。

 

 それは、

 

 「この空間が存在し続ける限り、必ず暗殺が成功する」事にある。

 

 結界内にいる限り、響の瞳は敵の弱点を決して見逃さず、その攻撃は全てが「必殺」となり、そして敵は逃れる事が出来ない。

 

 故にこその「絶対的暗殺空間」。

 

 即ち、

 

 この空間を展開した時点で、響の暗殺は全てが成功となり、たとえ神であろうとも、その刃から逃れる事は不可能。

 

 少年の双眸は既に、少女の弱点。

 

 すなわち、神霊としての彼女を構成する「神核」の位置を捕捉していた。

 

 刃を突き込む響。

 

 その刀身に、「暗殺」と言う概念そのものが集約される。

 

無明(むみょう)・・・・・・暗剣殺(あんけんさつ)

 

 次の瞬間、

 

 明神切村正の切っ先は、ベアトリスの胸に突き込まれた。

 

 

 

 

 

第54話「神狩りの太刀」      終わり

 



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第55話「雷鳴を継承者」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 景色が、元に戻る。

 

 固有結界「翻りし遥かなる誠」が解除され、それまであった闇夜の街並みは消え去り、代わって元の深山町へと戻る。

 

 その中で、

 

 ベアトリスに刀を刺したまま対峙する、少年暗殺者の姿。

 

 握る柄に、確かに感じる。

 

 手応えは、あった。

 

「ん・・・・・・・・・・・・」

 

 響はゆっくりと、刀を引く。

 

 同時に、支えを失ったように、ベアトリスの身体はその場で膝を突いた。

 

 響の放った無明暗剣殺(むみょうあんけんさつ)は、ベアトリスの持つトールの神核を確実に刺し貫いた。

 

 いかに北欧最強の神とは言え、致命傷は免れなかったはずだ。

 

 血振るいをして、刀を鞘に納める。

 

 ベアトリスは倒した。

 

 だが、まだ戦いは続いている。美遊やイリヤ達を援護し、一刻も早くジュリアンの下へ行かねばならない。

 

 踵を返す響。

 

 そのまま歩き出そうとした。

 

「・・・・・・なーるほど・・・・・・成程、なあ」

 

 どこか自嘲が混ざったような笑い声に、思わず響は足を止める。

 

 振り返る、

 

 次の瞬間、

 

 背後から伸びて来た巨大な腕が、響の身体を文字通り鷲掴みにした。

 

「なッ!?」

 

 驚愕する響。

 

 その視界の先で、

 

 倒れたはずのベアトリスが、顔を上げていた。

 

 肥大化した右腕が、響の身体をガッチリと握りしめている。

 

 その強大な腕力を前に、振りほどく事は愚か、身じろぎすらできない。

 

「ば、なん、で・・・・・・・・・・・・」

 

 響の剣は、間違いなくベアトリスの神核を貫いた。

 

 立ち上がる事はおろか、動く事すらままならないはずなのに。

 

「そのむかつくツラ。どっかで見覚えあると思ったら、テメェ、『あいつ』かよ」

 

 言いながら、ベアトリスは響を掴んでいる手とは反対の左手で、己の胸を差す。

 

「テメェに突かれた傷、うずいてうずいてしょうがなかったぜ?」

 

 いながら、ベアトリスは自分の胸をわざとらしくさすって見せる。

 

 そこは以前、第5次聖杯戦争の折、朔月響(さかつき ひびき)の剣によって刺し貫かれた場所である。

 

 無論、もはや傷など存在しない。

 

 しかし、あの時の屈辱は、時を経た今なお、ベアトリスの中で燻り続けていた。

 

「な、何で・・・・・・生きて・・・・・・」

 

 一方の響は、ベアトリスに鷲掴みにされて、完全に身動きを封じられている。

 

 腕も拘束されてしまった為、刀を抜く事すらできないでいた。

 

 否、

 

 それよりなのより、新核を貫いたはずのベアトリスが未だに生きている事に、響は驚愕していた。

 

「ああ・・・・・・悪ィな~」

 

 そんな響の驚愕を楽しむように、更に腕に力を籠めるベアトリス。

 

 同時に、響の身体を掴んだまま、腕を高々と振り上げる。

 

「この程度じゃ、死ねねえんだ、あたしは、よッ!!」

 

 次の瞬間、

 

 自分の拳ごと、響を地面に叩きつけた。

 

「ガァァァァァァッ!?」

 

 全身がバラバラになりそうなほどの衝撃が、少年を容赦なく襲う。

 

 思わず飛びそうになる意識を、どうにかつなぎ止める響。

 

 だが、ベアトリスの暴虐は、そこで留まらない。

 

 2度、3度、4度、5度、6度、7度

 

 容赦なく、響の身体を振り回し、地面に叩きつける。

 

 その度に、ボロボロになっていく響。

 

「何しろ、この程度で死んじまったら、どやされちまうからなあッ 『親父』によォッ!!」

 

 ゲラゲラと、甲高い笑いを上げるベアトリス。

 

 と、

 

「お・・・・・・やじ?」

「あん? 何だ、まだ生きてんのかよ? 面倒くせェなァ」

 

 辛うじて意識を保っていた響が口を開く。

 

 「親父」と言う単語が、響の中で引っかかった。

 

 クロエは以前、ベアトリスの英霊の真名は「雷神トール」だと考察した。

 

 それは神話級の宝具である「悉く打ち砕く雷神の槌(ミョルニル)」を操る事から、ほぼ確実とされていた。

 

 敢えて今更言うまでも無い事だが、宝具は一部の例外を除いて、その本来の担い手である英霊本人以外は使う事はできない。

 

 例えば一時的に保有した程度の英霊では、宝具は担い手とは認めない。

 

 ミョルニルに限って言えば、実際に作成に当たったトヴェルグの兄弟、ブロックとシンドリ。更には、一時的にトールからミョルニルを奪った霜の巨人王スリュム。

 

 彼等もまたミョルニルの「所有者」ではあるが、「担い手」には該当しない。

 

 だからこそ、ミョルニルを扱う英霊はトールだと考えていた。

 

 だがもし、

 

 宝具を、何らかの形で継承した存在がいたとしたら?

 

 そして、その存在が宝具から「担い手」として認められていたとしら?

 

 トールには2人の息子と、1人の娘がいたとされる。

 

 その中でも、神々の黄昏(ラグナロク)と呼ばれる大戦争を生き延び、ミョルニルを奪還、継承したとされる者が1人いる。

 

 勇猛果敢なトールの気質を最も濃く受け継いぎ怪力を誇った神。

 

 トールと巨人族の娘ヤールンサクサの間に生まれた子供。

 

 

 

 

 

 半神半巨人の英雄「マグニ」。

 

 

 

 

 

 それこそが、ベアトリスの中にいる神霊の真名に他ならなかった。

 

 マグニは戦闘実力と勇猛さにおいてはトールに匹敵し、その怪力はトールをも凌駕したとさえ言われる。

 

 そして、何より厄介な事が他に存在する。

 

 それは、このマグニに着いては、一般には殆ど知られていないと言う事だった。

 

 神々の殆どが死に絶えたと言われる神々の黄昏(ラグナロク)

 

 その神々の黄昏(ラグナロク)を生き抜いた僅かな神は、どこへともなく姿を消したとされる。その中にマグニもいた。

 

 これが意味するところは即ち、マグニには死亡した記録がなく、同時に明確な弱点も存在しない事。

 

 それどころか、下手をすれば、まだ生きている可能性すらあると言う事だ。

 

 響の身体を掴んだまま、ベアトリスは凶悪な笑みを浮かべる。

 

「そのザマじゃ、もうさっきみたいに鬱陶しく動き回る事も出来ないだろ?」

 

 言いながら、

 

 体から放電を始めるベアトリス。

 

「そーら、始まったぞ」

「なッ 自分ごと!?」

 

 ベアトリスは響の身体を掴んだまま放電を開始しようとしている。

 

 しかし、それでは響は勿論、ベアトリスも電撃の巻き添えになってしまうはず。

 

 しかし、

 

「ああ、悪ィなァ」

 

 ベアトリスは凶悪な笑みを浮かべたまま言い放つ。

 

「こうなるともう、あたし自身ですら制御できねえんだわ、実際の話」

「ッ!?」

「だからまあ、自爆? まあ、どうでもいいが、一緒に黒焦げになろうぜェッ!!」

 

 どうにかして逃れようとする響。

 

 しかし、先程のダメージに加え、完全に握りしめられた体は、腕一本動かす事が出来ない。

 

「さあッ 終わりが来たぞ!! 今度こそ消し飛びやがれッ!!」

 

 叫ぶベアトリス。

 

 次の瞬間、

 

 強烈な放電が、響の身体を包み込んだ。

 

 

 

 

 

 衝撃波だけを地上に残し、2騎の英霊は空中を駆ける。

 

 ぶつかり合う両者。

 

 互いに手にした剣を振り翳し、相手を必殺せんと斬りかかる。

 

「ぬんっ!!」

「フッ」

 

 大剣を振り翳すシェルド。

 

 対して、士郎は短い呼吸と共に、黒白の双剣を繰り出す。

 

 激突する2騎の英霊。

 

 空中で繰り出される斬撃の応酬。

 

 ややあって、

 

 両者は地上へと降り立つ。

 

 睨み合う、士郎とシェルド。

 

 互いに、

 

 無傷。

 

 仕掛けたのは、士郎が早かった。

 

 地を蹴ると同時に、真っ向からシェルドへと斬りかかる。

 

 だが、シェルドの反応も早い。

 

 突撃してくる士郎を見据え、大上段から大剣を振り下ろす。

 

 空気を切り裂くような、強烈な剣閃。

 

 しかし、シェルドの斬撃が士郎を紅の弓兵を捉える事はない。

 

 士郎はとっさに空中に宙返りを撃ちながら跳び上がり、同時に双剣を捨てて弓矢を投影する。

 

 空中で体勢を整える間もなく、士郎は射撃開始。

 

 足場のない、不安定な攻撃ながら、その狙撃は正確にして無比。

 

 3連射された矢は、シェルドの背中向けて疾走する。

 

 だが、

 

「甘いッ!!」

 

 シェルドは振り向きざまに、大剣を一閃。

 

 自身に向かって来た矢を切り落とす。

 

 着地する士郎。

 

 再び、手には干将・莫邪が握られる。

 

「やるな。流石は、第5次聖杯戦争の勝者。簡単には倒せんか」

 

 大剣を構え直すシェルド。

 

 対して、士郎は返事をせずに、いつでも斬りかかれるように双剣を構える。

 

 嘘のように体が軽い。

 

 剣は思った通りの奇跡を描き、飛んでいく矢は数ミクロンのブレすらない。

 

 まるで、自分の身体ではないかのようだ。

 

 否、

 

 実際、士郎の身体ではないのだろう。

 

 既にこの身の大半は、英霊エミヤに置換されている。

 

 能力が上がっているのは、その為だ。

 

 だが、

 

「構うかよ」

 

 今は、その事が何より好都合だ。

 

 故にこそ、士郎は美遊を、そして仲間達を守るために戦う事が出来るのだから。

 

 再び地を蹴る士郎。

 

 対して、

 

「無駄だ!!」

 

 短い声と共に、シェルドも前に出る。

 

 干将と莫邪を投擲する士郎。

 

 同時に、手には次の双剣が握られ、更には大剣(オーバーエッジ)化する。

 

 シェルドが双剣を回避し、態勢を崩したところで、一気に斬りかかる。

 

 そのつもりだった。

 

 だが次の瞬間、

 

 シェルドに当たった刃は、けんもほろろに弾かれてしまった。

 

「なッ!?」

 

 驚く士郎。

 

 そこへ、大剣を振り翳したシェルドが迫った。

 

 振り下ろされる長大な刃。

 

 その一閃を、

 

 士郎は上空に跳躍して回避。

 

 同時に宙返りする士郎。

 

 上下逆さまな視界で弓矢を投影、一気に5連射する。

 

 しかし、結果は同じ。

 

 放たれた矢は、全てシェルドの身体に当たって弾かれてしまう。

 

「噂に違わず・・・・・・と言ったところか」

 

 舌打ちしながら着地する士郎。

 

 対して、シェルドは悠然と、大剣を下げてこちらに歩いて来る。

 

 英雄ジークフリードは、邪竜ファーヴニルの地を浴びて、鋼の如き肉体を持つに至ったと言われる。

 

 その特性が、夢幻召喚(インストール)したシェルドにも受け継がれ、士郎の攻撃を無効化しているのだ。

 

 と、

 

 そこでシェルドは動く。

 

「時間は、それ程ある訳ではない。すまないが、一気に決めさせてもらう」

 

 囁くように告げると、大剣を掲げるシェルド。

 

 同時に、

 

 刀身から魔力が迸る。

 

 周囲を圧する黄昏色の輝き。

 

 その様に、

 

 士郎は目を細める。

 

「・・・・・・・・・・・・宝具を使う気か」

 

 圧倒的な魔力量。

 

 先の戦いにおいて、シェルドが「幻想大剣天魔失墜(バルムンク)」を使うところは、士郎も目撃している。

 

 その威力はアーサー王の「約束された勝利の剣(エクスカリバー)」にも匹敵するだろう。

 

 天才剣士、沖田総司をもってしても、辛うじて相打ちに持ち込むのがやっとだった相手である。まともな撃ち合いでは、士郎は敵わない。

 

 ならば、

 

 掲げる右手。

 

I am the bone of my sword(体は剣で出来ている)!!」

 

 同時に、魔術回路を最大起動し、思い描いた宝具を呼び出す。

 

 開かれる、薄紅色の花弁は5枚。

 

熾天覆う七つの円環(ロー・アイアス)!!」

 

 次の瞬間、

 

幻想大剣(バル)天魔失墜(ムンク)!!」

 

 振り下ろされると同時に、黄昏色の閃光が迸った。

 

 

 

 

 

 膝を突くシフォン(バーサーカー)の姿。

 

 対して、

 

 イリヤは斧剣を振り切った状態のまま立つ。

 

 イリヤの放った射殺す百頭(ナイン・ライブズ)はシフォンを直撃。

 

 明らかなる大ダメージを、中華の武人に与えていた。

 

 地面に座り、身動き取れずにいるシフォン。

 

 荒い呼吸が口から洩れ、胸の傷痕からは尚も鮮血が噴き出している。

 

 その様を見て、イリヤは堪らず叫ぶ。

 

「もうやめて、シフォン君!!」

 

 夢幻召喚(インストール)中の少年に、少女の声が届くかどうかは判らない。

 

 しかしそれでも、イリヤは叫ばずにはいられなかった。

 

「これ以上、私達が戦ったって意味ないよ!!」

「・・・・・・・・・・・・」

「それよりエリカちゃんはッ!? あの子を助ける方法、一緒に探そう!! みんなで探せば、きっと見つかるはずだよ!!」

 

 それは、イリヤの心からの叫び。

 

 エインズワースは、この世界を救うと言った。

 

 だがエリカは、自分が死ぬことが望みだと言った。

 

 もし、この破滅の先に、エリカの死があるのだとしたら。

 

 イリヤは何としても、それを止めたかった。

 

 エリカを助け、この世界も救う。

 

 それこそが、イリヤの願い。

 

 その為には何としても、シフォンたちの協力は不可欠だった。

 

 と、

 

「エ・・・・・・エ、リカ・・・・・・・・・・・・」

「シフォン君ッ?」

 

 イリヤの声にこたえるように、シフォン(バーサーカー)が身を起こすのが見えた。

 

「エリカ・・・・・・マモル・・・・・・ボク、ガ・・・・・・カナラズ」

 

 途切れ途切れに、

 

 しかしはっきりとした口調で言い放つシフォン。

 

 次の瞬間、

 

「■■■■■■■■■■■■!!」

 

 咆哮を上げる狂戦士(バーサーカー)

 

 イリヤの射殺す百頭(ナイン・ライブズ)をまともに食らい、その身は既に満身創痍。

 

 戦う事は愚か、立つ事は愚か、四肢が繋ぎ留められている事すら、既に奇跡に等しい。

 

 現に、咆哮を上げるだけで、その身より鮮血が飛び散るのが見える。

 

 いかに理性を排除した狂戦士(バーサーカー)とは言え、激痛を感じないはずがない。

 

 神経が焼ききれそうなほどの激痛。

 

 しかし、

 

 シフォンは耐えた。

 

 渾身の力でもって、再び立ち上がる。

 

「■■■■■■■■■■■■!!」

 

 吹き上げる咆哮。

 

 天を衝かんとするかのような雄叫びは、まさしく少年の魂の叫び。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 次の瞬間、

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 彼方より響く嘶き。

 

 同時に、力強く大地を蹴る音が聞こえてくる。

 

「これはッ!?」

「馬の、蹄?」

 

 イリヤとバゼットが訝る中、

 

 駆け抜ける、美しい馬。

 

 長い鬣に、深紅の毛並み。

 

 鋭い眼差しは、自らの主を真っ向から見据えている。

 

 何より、力強く大地を蹴るその巨体は、通常の馬より明らかに一回り大きい。

 

 かつての誇りある主に応えるべく、

 

 時空を超えて、一代の英雄が駆けてくる。

 

 馬は呂布奉先(シフォン)の傍までくると、主を気遣うように一回りしてから身を寄せてくる。

 

 対して、シフォンも手を伸ばし、馬の首を愛おし気に撫でる。

 

 長らく共にあった戦友との再会。

 

 シフォンは改めて方天画戟を手に取ると、馬の背にひらりと飛び乗る。

 

 後漢最強の武人を名実ともに謳われた呂布奉先。

 

 彼の下には、彼を慕う多くの者たちが参集した。

 

 しかし、それは何も人間ばかりとは限らない。

 

 呂布が、己が騎乗するに最もふさわしいと認め、ある意味で生涯で最大の友とも語った存在。

 

 中華に並ぶ物無しとも言われた、最強の一騎。

 

 赤兎馬(せきとば)

 

 まさに、英雄が騎乗するに相応しい、堂々たる姿であった。

 

 主の叫びに応え、赤兎馬は英霊の座から時空を超え、自ら馳せ参じたのだ。

 

 赤兎馬の背に跨るシフォン。

 

 大きな嘶きを見せる赤兎馬。

 

 同時に、シフォンは方天画戟を右手で持って構える。

 

 その様たるや、正しく万夫不当の英雄に相応しい、堂々たる戦姿だった。

 

「来ますッ!!」

「うんッ!!」

 

 バゼットの声にこたえるイリヤ。

 

 斧剣を持ち上げて構える。

 

 次の瞬間、

 

 深紅の英傑馬は疾走を開始した。

 

「バゼットさん、下がって!!」

 

 対して、斧剣を振り翳して迎え撃つイリヤ。

 

 だが、

 

 呂布自身の膂力に加え、赤兎馬の突破力まで加わった攻撃は、ただただ凄まじいの一言に尽きた。

 

 斧剣と方天画戟が激突した。

 

 次の瞬間、

 

 弾き飛ばされたのは、イリヤの方だった。

 

「あァっ!?」

 

 そのまま勢いを殺しきれず、地面に転がるイリヤ。

 

「イリヤスフィール!!」

 

 見ていたバゼットが声を上げる中、

 

 シフォンは巧みに手綱を引き反転。

 

 馬首を翻すと、再び突撃してくる。

 

「クッ!!」

 

 対抗するように、斧剣を振り上げようとするイリヤ。

 

 しかし、シフォンの攻撃の方が早い。

 

 すれ違いざまに振るわれる方天画戟が、立ち尽くすイリヤを大きく吹き飛ばし、背後の民家へと激突。そのまま周囲一帯を衝撃で薙ぎ払う。

 

 更に追撃を掛けようとするシフォン。

 

 だが、

 

「やらせないッ!!」

 

 鋭い声と共に、シフォンの背後に踊る影。

 

 イリヤの危機に、前へと出るバゼット。

 

 拳を振り上げてシフォンに迫る。

 

 だが、

 

 シフォンは余裕を感じさせる動きで、背後へと振り返った。

 

 

 

 

 

 クロエの放った3対6刀の干将・莫邪が桜を切り裂く。

 

 同時に、漆黒の少女は、力を失って膝を突いた。

 

 周囲に聳え立つは、荘厳な白亜の城。

 

 そこにあるだけで見る者全てを魅了し、又、あらゆる外敵を跳ね除けるような力強さを感じる。

 

 宝具「今は遠き白亜の城(ロード・キャメロット)

 

 それは、今は失われたアーサー王の居城。

 

 かつて円卓の騎士たちが、日々研鑽を積み、そしてともに笑いあった、遥かなる故郷。

 

 盾兵(シールダー)サー・ギャラハッド。

 

 円卓の騎士の1人であり、「最高の騎士」と謳われたランスロット卿とペレス王女エレインの間に生まれた子供。

 

 その出自故に両親からは疎まれ、成人するまで修道院に預けられ育つ事になる。

 

 しかし、魔術師マーリンに見いだされたギャラハッドは、「父をも超える」と言われた才能を如何無く発揮して、ごく短期間のうちに頭角を現していく事になる。

 

 アーサー王から受勲を受け、「呪われた席」と言われた「円卓13番目の席」に座る事を許されるギャラハッド。

 

 やがて、アーサー王から絶大な信頼を寄せられたギャラハッドは、王の悲願である聖杯探索の旅に出る事になる。

 

 武もさる事ながら、その心を大きく評価された騎士である。

 

 そのギャラハッドこそが今、美遊の中にいる盾兵(シールダー)に他ならなかった。

 

 先の戦いで、敵の武器を奪い取る戦い方をした桜。

 

 しかし、ギャラハッドを夢幻召喚(インストール)した美遊の盾だけは奪われる事は無かった。

 

 その事実を考慮し、美遊は作戦を立てた。

 

 もしかしたら、ギャラハッドの宝具なら、桜を止められるかもしれない、と。

 

 効果は絶大だった。

 

「あァ あァァァァァァッ・・・・・・あァァァあァァあァァァァァァあァァァァあァああァァァァァァァァァァァァあァァァァァァァァァあァァァァァァ!!」

 

 頭を抱えて、のたうち回る桜。

 

 狂乱、と称していいほどにのたうち回る桜。

 

「何か、予想以上なんですけど?」

「いったい、何が・・・・・・」

 

 仕掛けたクロエと美遊も、唖然とするほどに桜の状態は普通ではなかった。

 

 鶴翼三連の傷だけではない。

 

 何か別の存在により、桜は狂乱していた。

 

 狂っているのは桜本人なのか?

 

 あるいは、彼女の中にいる英霊なのか?

 

「何にしても。チャンスね!!」

 

 言いながら、干将・莫邪を投影するクロエ。

 

 動きを止めている桜。

 

 この千載一遇の好機を、逃すつもりは無かった。

 

「喰らえッ!!」

 

 斬りかかるクロエ。

 

 弓兵少女は、最大戦速で疾走。

 

 立ち尽くし、もだえ苦しんでいる桜。

 

 クロエが間合いに入った。

 

 次の瞬間、

 

 

 

 

 

「あ・・・・・・そっか」

 

 

 

 

 

 ギロリ

 

 と言う擬音が聞こえそうなほど、不気味な視線を接近するクロエに向ける桜。

 

「この人たちがいなくなれば良いんですよね。そうすれば、苦しいのも痛いのも、全部なくなって、先輩と2人っきりになれますね」

 

 最悪の判断と共に、剣を振り上げる桜。

 

 既に、クロエは剣の間合いに入っている。

 

 今更、攻撃のキャンセルはできない。

 

「やばッ」

 

 顔を引きつらせるクロエ。

 

 マスクの下で、桜が不気味な笑みを刻んだ。

 

 次の瞬間、

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

上書き(オーバーライト)夢幻召喚(インストール)!!」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 可憐な詠唱。

 

 同時に、

 

 今にもクロエに斬りかかろうとしていた桜の背後に現れる、可憐な姿。

 

 ゆったりとした薄いドレスに身を包み、髪には王冠のような飾り。

 

 そして、

 

 手には歪な形の短剣が握られる。

 

 魔術師(キャスター)メディア。

 

 その幼い頃の可憐な姿を身にまとった美遊が、

 

 手にした短剣を、桜の身体に突き刺した。

 

 

 

 

 

第55話「雷鳴を継承者」      終わり

 




断っておきますが、

例の馬面ケンタウロスではありませんので、その点はご了承ください(苦笑

つーか、あれは無い。

もっと他に出す物無かったのかよ。


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第56話「怖気」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 瓦礫の山を軽々と飛び越え、深紅の英傑馬が駆けてくる。

 

 巨像にも匹敵するかのような巨体は、それだけで戦車の如き様相がある。

 

 対して、

 

 迎え撃つイリヤ。

 

 手にした斧剣を腰に構え、全膂力でもって横なぎに振るう。

 

「ハァァァァァァァァァァァァ!!」

 

 気合と共に、斧剣を叩きつける少女。

 

 大気を叩き割るかのように、振るわれる武骨な斧剣。

 

 致死の一撃は、

 

 しかしシフォンを捉える事はない。

 

 その前に、赤兎はひらりと跳躍。イリヤ頭上を飛び越える形で攻撃を回避する。

 

 巨体とは思えないほど、軽快な動きだ。

 

「クッ まだ!!」

 

 イリヤは逃がすまいとして、追撃を掛ける。

 

 狂戦士(バーサーカー)の膂力を最大限に発揮して跳躍。

 

 背を向けて駆けるシフォンに、背後から迫る。

 

「ヤァァァァァァ!!」

 

 振り下ろされる斧剣。

 

 だが、

 

 武骨な剣は、またも空を切り、虚しく地面を抉る。

 

 赤兎は、まるで背後から迫るイリヤが見えているかのように、ひらりと跳躍してイリヤの攻撃を回避してのけたのだ。

 

「クッ!?」

 

 舌打ちするイリヤ。

 

 ならばと、再度斧剣を振り翳す。

 

 だが、その前にシフォンは手綱を引き馬首を返すと、方天画戟を振るってイリヤに攻撃を仕掛ける。

 

「■■■■■■■■■■■■!!」

 

 咆哮を上げるシフォン。

 

 大地を踏み抜くほどの踏み込みを見せる赤兎。

 

 振り下ろされる長柄の得物を、斧剣を翳して防ぐイリヤ。

 

 しかし、衝撃は殺しきれず、イリヤは吹き飛ばされる。

 

「ッ!?」

 

 どうにか体勢を維持しつつも、大きく後退を余儀なくされる。

 

 周囲の瓦礫を弾きながら、どうにか踏み止まるイリヤ。

 

「イリヤスフィール!!」

 

 バゼットが声を上げる中、どうにか立ち上がる。

 

 だが、

 

「・・・・・・・・・・・・強い」

 

 イリヤは口の中に広がる苦みを飲み下しながら呟いた。

 

 その視線の先では、赤兎に跨ったままゆっくりと近付いてくるシフォンの姿がある。

 

 赤兎に騎乗して以後、シフォンの動きは格段に素早くなっている。

 

 否、速度だけではない。

 

 完全に息の合っている呂布(シフォン)と赤兎。

 

 互いに、相手が次にどう動くかを完璧に把握し、己が最適の動きをしている。

 

 完璧以上の相互支援。

 

 阿吽と言っても過言ではない。

 

 「人中の呂布、馬中の赤兎」とは、三国鼎立以前の後漢において、民の間で語られた言葉だ。その意味はまさに、人として最強の武を誇る呂布と、馬として最強の赤兎。この2つの組み合わせが、究極である事を現している。

 

 英雄は英雄を知ると言うが、それは動物においても起こり得る。

 

 赤兎と言う馬は、当代最強の武人を背に乗せる為に生まれて来た馬だった。

 

 呂布を背に、中元を思うまま駆け抜けた赤兎。

 

 呂布の死後は、曹操孟徳(そうそう もうとく)により、「桃園の三兄弟」の1人である関羽雲長(かんう うんちょう)に下賜される事になる。

 

 関羽もまた、呂布に匹敵する武将であった事から、赤兎はこの新たなる主を背に乗せて戦場を駆け巡る事になる。

 

 しかし関羽が呉の奸計に嵌り、敗れて処刑された後、今度は関羽討伐において、たまたま手柄を立てただけの下っ端の武将に下賜された。

 

 しかし誇り高い赤兎は、呂布、関羽の武に足元にも及ばないような小っ端な武将を背に乗せる事を良しとせず、そのまま自ら餓死する道を選んだと言われている。

 

 その赤兎が今、かつての最高の主を背に乗せて戦っている。その様は、正に最強と言って過言ではなかった。

 

「イリヤスフィール、ここは私が」

 

 見かねたバゼットが、前に出ようとする。

 

 無論、イリヤでも攻めあぐねている相手に、いかに人間離れしているとはいえ、バゼットが敵う物ではない。

 

 だがバゼットには一つ、切り札が存在する。

 

 「斬り抉る戦神の剣(フラガラック)」だ。

 

 向こうの世界で、8枚目のカード(ギル)と戦うために用意した切り札。

 

 用意した大半は消費し尽くし、手元に材料となる触媒も無い為、補充もままならない。

 

 しかしまだ、最後一発がバゼットの手元に残っている。

 

 フラガラックは、相手の切り札を完全にキャンセルし、発動前に巻き戻して自身の攻撃を先に当てる事が出来る。

 

 すなわち、発動すれば確実にバゼットが勝つ事になる。

 

 だが無論、発動条件として相手に切り札、この場合「宝具」を使わせる事が条件となる。

 

 今の状況では、バゼットが「斬り抉る戦神の剣(フラガラック)」を使う前に、彼女の方が力尽きる可能性がある。

 

 しかし、このままではイリヤの方がじり貧になるのは目に見えている。

 

 ならば、賭けに出るのも一手だった。

 

「大丈夫だよ、バゼットさん」

 

 気丈に応え、イリヤは立ち上がる。

 

 その可憐な双眸は、自身に向かってくる馬上のシフォンを真っすぐに見据えた。

 

「手は・・・・・・まだあるから」

「手・・・・・・まさかッ!?」

 

 驚愕するバゼット。

 

 思い出されるのは、昨夜の作戦会議。

 

 アンジェリカから、カードの特性を聞いたイリヤは、一つの作戦を考えた。

 

 それは狂戦士(バーサーカー)のカードに関わる話。

 

 アンジェリカ曰く、カードを上書き(オーバーライト)する場合、通常であればただクラスが変化するだけだ。

 

 だが、狂戦士(バーサーカー)だけは、他とは違う面白い特性があるのだ。

 

 掲げる、イリヤの掌。

 

 その手に握られたのは、騎兵(ライダー)のカード。

 

上書き(オーバーライト)夢幻召喚(インストール)!!」

 

 次の瞬間、閃光が少女を包み込む。

 

 構わず、突っ込んでくるシフォン。

 

 その手にある方天画戟が振り被られた。

 

 次の瞬間、

 

 突如、伸びて来た巨大な蛇が、赤兎の首に巻き付いた。

 

 突然の事に、さしもの英傑馬も驚いて嘶きを上げる。

 

 シフォンもとっさに手綱を引き、相棒を助けようとする。

 

 しかし、

 

 その一瞬の隙を突き、

 

 小柄な影が、剽悍に飛び掛かって来た。

 

 両手に生えた長い爪を一閃する少女。

 

 その一撃が、

 

 動きを止めたシフォンの甲冑を切り裂く。

 

 少女はそのまま、シフォンを飛び越える形で後方に着地した。

 

「これが、最後だよ、シフォン君」

 

 告げるイリヤ。

 

 その姿は、一変している。

 

 英雄、

 

 否、

 

 最早、その姿は「怪物」と言って良いだろう。

 

 長い銀髪は後頭部で纏められ、可憐な双眸の内、左目は眼帯で覆われている。

 

 異様なのは、その四肢だ。

 

 手は肘から先、足は膝から下が、蛇のような鱗で覆われている。

 

 更に、お尻からは太い尻尾が生え、その先端が蛇のようになっている。

 

 狂戦士(バーサーカー)騎兵(ライダー)を掛け合わせた姿。

 

 すなわち、これがイリヤの用意した切り札。

 

 狂戦士(バーサーカー)は、上書き(オーバーライト)すれば、狂戦士(バーサーカー)を維持したまま、上書きされたカードの特性を引き継ぐ事ができるのだ。

 

 狂戦士(バーサーカー)の上から、騎兵(ライダー)上書き(オーバーライト)したイリヤ。

 

 その姿はまさしく「異形」と言うべき物だった。

 

 蛇女、

 

 否、

 

 蛇少女としか言いようがない、禍々しい存在感を放っていた。

 

「行くよシフォン君ッ 今度こそ、あなたを止める!!」

 

 イリヤは凛とした声で言い放った。

 

 

 

 

 

 狂気とかした悲鳴が鼓膜を劈く。

 

 地獄の底から響いて来るかのような雄叫びは、それだけで魂を引きちぎられるような錯覚に捕らわれる。

 

 魔術師(キャスター)メディアを夢幻召喚(インストール)した美遊。

 

 宝具「破戒すべき全ての符(ルールブレイカー)」の一撃は、確実に桜を捉えていた。

 

 あらゆる魔術効果を打ち消す能力を持つ「破戒すべき全ての符(ルールブレイカー)」をもってすれば、夢幻召喚(インストール)も解除できる。

 

 その読みは、ある意味において正しかった。

 

 もがき苦しむ桜の様子を見れば、それは間違いない。

 

 だが、

 

「ちょっと、効果が予想の斜め上なんだけど?」

 

 傍らで見守るクロエが、唖然とした調子で呟く。

 

 破戒すべき全ての符(ルールブレイカー)の影響で、確かに桜の夢幻召喚(インストール)は解除されつつある。

 

 しかし、それだけではなかった。

 

 それまでの甲冑姿が崩れ去り、その下から現れた姿。

 

 それは、更におぞましい姿だった。

 

 顔はのっぺりとした仮面に覆われ、全身も漆黒の衣装に包まれている。

 

 そして、衣装の裾が、まるで触手のようにうねっているのが見えた。

 

「畳みかけるッ!!」

「了解!!」

 

 美遊の指示に、クロエも動く。

 

 錫杖を掲げる美遊の周囲に複数の魔法陣が浮かび、クロエは投影魔術で多数の剣を展開、射出態勢に入る。

 

 遠距離からゴリ押し。

 

 相手の正体がわからない以上、近付くのは危険。

 

 ならば、大出力攻撃で押しつぶすべき。

 

 それが、少女2人が同時に至った結論だった。

 

 美遊の魔法陣が一斉に輝き、クロエの剣が放たれる。

 

 圧倒的火力を、2人の少女から叩きつけられる桜。

 

 だが、

 

 美遊達の攻撃が届く直前、

 

 触手のような帯がひとりでにうねり、全ての攻撃を叩き落してしまった。

 

「なッ!?」

「ウソでしょッ!?」

 

 飽和攻撃に近かった2人の攻撃を、こうもあっさりと叩き落すとは。

 

 だが、

 

「武器は奪えてないッ なら、ゴリ押しで行ける!!」

 

 更に武器を投影して、射出しようとするクロエ。

 

 クロエが射出した剣は、先程までのように所有権を奪われる事は無くなっている。

 

 ならば、一気に畳みかければ倒せるはず。

 

 好機を捉えて攻撃態勢に入るクロエ。

 

 だが、

 

 まさに武器を射出しようとした瞬間、

 

 伸びて来た無数の触手に触れた瞬間、今まさにクロエが射出しようとしていた全ての武具が、呑み込まれるように消失してしまった。

 

「なッ!?」

 

 溶け落ちる武器。

 

 攻撃手段を失い、驚くクロエ。

 

 だが、それのみに止まらない。

 

 桜は一斉に触手を伸ばすと、それをクロエに向けて殺到させたのだ。

 

「やばッ」

 

 あの触手はまずい。

 

 武器を一瞬で消失させたことからも分かる通り、何らかの方法で魔術を解除、あるいは無効化できるのだ。

 

 となれば、体を魔力で構成しているクロエにとっては天敵。

 

 恐らく触れただけで、クロエの身体は呑み込まれてしまう。

 

 だが、もう間に合わない。

 

 触手はクロエの眼前に迫る。

 

 もう、逃げる余裕はない。

 

 次の瞬間、

 

「クロッ!!」

 

 割って入った美遊が、とっさにクロエの身体を抱えて、その場から飛びのいた。

 

 間一髪、

 

 桜の放った触手は、少女たちを霞めるて行くにとどまる。

 

 クロエを抱えたまま、離れた場所に着地する美遊。

 

 だが、

 

「美遊、あんた、それ・・・・・・」

 

 クロエに指摘されて、美遊もハッとする。

 

 現在、美遊は魔術師(キャスター)夢幻召喚(インストール)している。

 

 しかし今、その可憐な衣装がズタズタに引き裂かれ襤褸布のようになっていた。

 

 否、

 

 引き裂かれた、と言うよりは、溶かされて吸収されたような印象だ。

 

「これはッ 魔力を、吸われた!?」

 

 そのおぞましい状況に、美遊も戦慄を禁じえない。

 

 いったい、間桐桜とは何者なのか? なぜ、このような事が可能なのか?

 

 その時だった。

 

《架空元素「虚数」》

 

 サファイアの通信機越しに聞こえてきたのは、衛宮邸で戦況をモニターしていた凛の声だった。

 

 シェルドの攻撃を士郎が押さえている為、凛達は辛うじて管制を続ける事が出来ていたのだ。

 

《五大元素のいずれにも属さない極めて稀有な属性。その生まれ持った虚数属性を、間桐の魔術特性である吸収、束縛と言う指向性で発露しているんだわ。その力をもって、人の身でありながら英霊の力を呑み込んで、自らを作り変えている。あれはもう、元の「間桐桜」じゃないわ》

 

 どこか、哀し気な凛の言葉。

 

 凛がなぜ、見ただけで桜の正体を看破できたのか、それは判らない。

 

 しかし話が事実なら間桐桜は、

 

 否、

 

 目の前に立つおぞましい存在は、全ての英霊の天敵と言う事になる。

 

 あらゆる英霊は、その体を魔力によって構成される。

 

 英霊が桜に触れれば、たちどころに飲み込まれ溶かされて吸収される事だろう。

 

 だが、通信管制もそこまでだった。

 

 何らかの妨害が入ったらしく、通信が途切れてしまったのだ。

 

「・・・・・・いろいろ気になる事言ってたけど、説明しきる前に切れちゃうのが、リンらしいと言うか、何と言うか」

 

 嘆息するクロエ。

 

 しかし、要点は判った。

 

 要するに、何とかしてあの触手に触れずに倒さなくてはならない、と言う事だ。

 

 しかし、

 

 今や桜を中心に、周囲の物が何か別の物に変換されつつある。

 

 周囲に漂う霧が恐らく「虚数域」なのであろう。だとすれば、あの霧に触れただけでもアウトである。

 

 その範囲は徐々に拡大しており、近付く事は事実上、不可能に近い。

 

 ならば、

 

 美遊は決断する。

 

 今、自分にできる事の中から、最大限の効果が期待できる手段を選択する。

 

魔術師(キャスター)、アンインクルード」

 

 掛け声とともに、夢幻召喚(インストール)は解除され、美遊の姿は魔法少女(カレイド・サファイア)へと戻る。

 

 同時に、掲げたステッキ(サファイア)に魔力を込め始める。

 

「最大の魔力砲で、一気にこじ開ける」

 

 最大出力の魔力砲なら、属性を無視し、吸収される前に虚数域を突破する事が出来る筈。

 

「ま、それしかないわね。魔力砲のゴリ押しは、魔法少女の華だし」

 

 呆れ気味のクロエだが、その実、最も理に適った戦術である事は理解している。

 

 この際、派手さこそ正義だった。

 

 その時だった。

 

 桜の注意が、美遊へと向いた。

 

「ああ、思い出しました」

 

 再び、怖気を振るうような声が聞こえてくる。

 

「黒髪に、先輩と同じ色の瞳・・・・・・貴女、先輩の妹さんでしたよね。ごめんなさい、わたし、・・・・・・最近、物忘れが多くて。でも、ようやく思い出しました」

 

 しゃべる毎に、空気がひび割れるような感覚。

 

 魔力砲の斉射準備をしながら、美遊は込み上げる怖気に必死に耐えていた。

 

「貴女だけは殺すなって、言われてるんでした。先輩の言いつけを忘れるなんて、駄目な後輩ですねよね・・・・・・ああ・・・・・・でも・・・・・・いいなぁ・・・・・・やっぱり妹さんって大事にされてるんですね。いいなぁ兄妹っていいなぁ・・・・・・微笑ましいなぁ・・・・・・妬ましいなぁ・・・・・・」

 

 そして、

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「手足くらいなら、落としても良いですよね?」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 完全に破綻しきった論旨の桜。

 

 否、

 

 そもそもからして存在が壊れ切っている桜に、今更常識を当て嵌めようとすること自体、間違いなのだろう。

 

 不気味に迫る桜。

 

 その姿を見ながら、

 

 美遊の脳裏には、恐怖とと共にあり得たかもしれない未来が思い浮かばれた。

 

 もし、

 

 桜と自分が、もっと早く出会えていたら?

 

 もし、聖杯戦争などなく、普通に女の子同士として出会えていたら?

 

 衛宮士郎という存在を介して出会っていたら?

 

 きっと、自分達は友達に慣れていた筈なのに。

 

 ともに他愛のない事で笑い合い、一緒に台所で並んで料理を作り、休日には揃って街に買い物に出かけて、たまに鈍感な兄の事で愚痴を言い合ったり、自分は兄と桜の仲を見てやきもきしたり、

 

 そんな日常が、あったはずなのだ、自分達には。

 

 しかし、

 

 現実には桜は死に、今、自分達の前におぞましい姿で立ちはだかっていた。

 

 そして美遊は、桜を倒さなくてはならない立場にあった。

 

 哀しいが、それが現実だった。

 

 高まる、美遊の魔力。

 

 桜も虚数域を広げ侵食してくる。

 

 勝負は一瞬で決まる。

 

 目を見開く美遊。

 

 次の瞬間、

 

 魔力砲を解き放つ。

 

 解き放たれる、極大の閃光。

 

 対軍宝具の解放にも匹敵するその一撃。

 

 桜が生み出した虚数域を吹き飛ばし、触手の群れを消滅させながら迫る。

 

 しかし、

 

 着弾の直前、

 

 事もあろうに桜は、触手を使って橋その物を持ち上げ、巨大な盾にして魔力砲の一撃を防いで見せた。

 

 だが、

 

「まだッ!!」

 

 魔力砲が防がれるのは計算の内。

 

 凛とした叫びと共に、美遊は次の手を打つ。

 

 ステッキ(サファイア)を振り翳す美遊。

 

 その先端に、惜しげも無く、莫大な量の魔力を投入する。

 

 臨界に達したタイミングで、ステッキを振り抜く魔法少女。

 

極大斬撃(マクスィール・シュナイデン)!!」

 

 地面を切り裂き、走る斬撃。

 

 その一撃たるや、桜が跳ね上げた橋の残骸を一刀の下に斬り伏せる。

 

 イリヤの必殺技である斬撃(シュナイデン)だが、そこに美遊の魔力量が加われば、その威力は圧倒的となる。

 

 例えるなら、イリヤの斬撃(シュナイデン)が日本刀の鋭さを持つとすれば、美遊の斬撃(シュナイデン)は、大剣の如き破壊力だった。

 

 だが、

 

 それでも桜を仕留めるには至らない。

 

 とっさに回避するのが見えた。

 

 致命傷には程遠い。

 

 だが、

 

 魔力砲と斬撃の連続攻撃で、道は開けた。

 

 勝負を決するなら、ここだった。

 

「クロッ!!」

「ええッ!!」

 

 伸ばした美遊の手を、クロエが掴む。

 

 同時に、

 

 消失する、美遊の姿。

 

 少女は、

 

 現れる。

 

 桜の頭上に。

 

 手に握られているのは、

 

 槍を掲げる兵士の絵柄。

 

槍兵(ランサー)限定展開(インクルード)!!」

 

 美遊の手に握られる朱槍。

 

 魔力砲と斬撃で虚数域を払い、その上でクロエの転移魔術で死角へ転移、必殺の一撃を仕掛ける。

 

 全ては、美遊の作戦だった。

 

 これで、決める。

 

 美遊の可憐な双眸が、眼下に立ち尽くす桜を捉える。

 

 既に回避は不可能。

 

刺し穿つ(ゲイ)・・・・・・死棘の槍(ボルグ)!!」

 

 急降下する魔法少女(カレイド・サファイア)

 

 垂直に走る穂先。

 

 朱の閃光と化した一閃は、

 

 狙い過たず、桜の胸を刺し貫いた。

 

 刃が、体を抉る感触。

 

 手応えは、あった。

 

 虚数域を一時的に失い、トドメとなる一撃を放った。

 

 これで確実に勝てる。

 

 そう思った。

 

 だが、

 

「・・・・・・い、嫌・・・・・・痛い・・・痛いです」

「なッ!?」

 

 驚愕する美遊。

 

 少女の目の前で、

 

 心臓を刺し貫かれて息絶えたはずの女が、のたうち回っているのが見える。

 

 同時に、朱槍の穂先が、ズルリと桜から抜け落ちる。

 

 迂闊、

 

 と言うべきか、

 

 刺し穿つ死棘の槍(ゲイボルグ)は因果逆転の魔槍。発動すれば、確実に相手の心臓を刺し貫く。

 

 しかし、

 

 相手が初めから心臓が無ければ、その限りではなかった。

 

「痛い・・・・・・痛い、痛い痛い痛いッ 助けて・・・・・・助けてください」

 

 もがき苦しむ桜。

 

 斬りかかるクロエ。

 

 それを回避する桜。

 

 しかしその先には、

 

 泥で満たされたクレーターがあった。

 

 あ、

 

 と言う間も無かった。

 

 落ちる桜。

 

 絶望に満たされた泥の海の中。

 

 一瞬にして呑み込まれ、姿が見えなくなる。

 

 その様子を、

 

 勝者たる少女たちは、橋の上から眺める。

 

「一応・・・・・・撃退って事で良いのかしらね?」

「多分・・・・・・油断はできないけど」

 

 答えながら美遊は、通信が切れていた事に胸をなでおろす。

 

 あんな姿の桜を、兄には見せたくは無かった。

 

 何はともあれ、こちらの戦線は美遊達の勝利に終わった事は間違いなかった。

 

 他の皆は、どうなっているのか?

 

 イリヤは、バゼットは、

 

 そして、

 

 響は?

 

「響・・・・・・どうか、無事で」

 

 離れた場所で戦う彼氏を想い、そっと呟く美遊。

 

 今まさにこの時、

 

 ベアトリスの思わぬ反撃に遭い、響が瀕死の危機に陥っている事など、

 

 美遊には知る術も無かった。

 

 

 

 

 

第56話「怖気」      終わり

 



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第57話「心の中の英雄たち」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 耳に響く狂笑。

 

 目を潰すほどの閃光。

 

 四肢全てを刺し貫いても飽き足らないほどの激痛。

 

 それだけの衝撃を受けて尚、

 

 少年は意識を失う事を許されなかった。

 

 誰に?

 

 無論、

 

 自分自身に、だ。

 

 マグニの本性を露わにし、響を容赦ない電撃責めにするベアトリス。

 

 その口から溢れ出す、狂った笑い。

 

 少年の耳を突き破るように、少女の笑いが響く。

 

 圧倒的致死量の電撃。

 

 しかし、

 

 それだけの電撃を、しかも直接浴びながらも、響は意識を失う事を拒み続けていた。

 

 負けない。

 

 負けて堪るか。

 

 全てはみんなを、美遊を守る為。

 

 最後まで、決して諦めない。

 

 その一心で、響は意識を保ち続ける。

 

 その間にも、耳障りな少女の笑い声は聞こえ続ける。

 

 電撃は響のみならず、ベアトリス本人をも焼き続けている。

 

 事実、こうしている間にも、ベアトリスの身体は傷つき、皮膚がはがれ、鮮血が噴き出していくのが判る。

 

 しかし、それでも尚、ベアトリスは嗤いながら電撃を放ち続けていた。

 

 そうしているうちに、

 

 不思議な事が起こり始めた。

 

 ベアトリスから電撃を受け続ける響。

 

 その脳裏に、

 

 見た事も無い光景が、浮かび始めたのだ。

 

 まず、見えたのは、女の子だった。

 

 多分、小学生。今の響と同じくらいの年齢だろう?

 

 その子は明るい赤髪をした、可愛らしい容姿の子だった。

 

 しかし、その髪のせいで、クラスでいじめを受けていた。

 

 自分達と違うと言う、ただそれだけの理由だけで、毎日のように女の子に嫌がらせをする、クラスの男子たち。

 

 少女はやがて、学校に来る事すら嫌になり始める。

 

 そんな嫌気がさす日々が、

 

 ある日を境に、一変する事になる。

 

 その日も、いつものいじめグループに絡まれていた少女。

 

 彼等は嫌がる少女を執拗に弄り、笑い物にする。

 

 だが

 

「くだらねえ」

 

 その一言と共に、空気は一変した。

 

 驚いて振り返るいじめグループ。

 

 少女も驚いて顔を上げると、

 

 そこには、1人の少年が立っていた。

 

 クラスメイトの、少し変わった名前の男子。

 

 いつも1人で教室の隅にいて、不機嫌そうに黙っている少年が、正に不機嫌その物の眼差しで、自分達を睨みつけていたのだ。

 

 その後の展開は、更に驚く物だった。

 

 少年は、いじめグループ3人相手に果敢に挑みかかったのだ。

 

 初めは少年の行動に驚いたいじめっ子たちだったが、すぐに反撃を開始。そうなると、少年も多勢に無勢、すぐにつかまれ、殴られ、蹴られ、引き倒される。

 

 しかし、それでも少年は怯まない。

 

 とにかく滅茶苦茶に暴れまくる。

 

 やがて、少年の気迫に呑まれたいじめっ子たちは、ボロボロになって退散していく。

 

 勿論、少年もボロボロで、地面に倒れ込んでいた。

 

 そんな少年に、少女は尋ねた。

 

 なぜ、自分を助けたのか?

 

 はっきり言って、少女は少年の事を殆ど何も知らなかった。

 

 話した事もほとんどないし、せいぜい「クラスにいる男子の1人」程度でしかなかったのだ。

 

 対して、少年は吐き捨てるように答える。

 

 別に、お前を助けた訳じゃない。ただ、前々からあいつらが気に食わなかっただけだ。自分達は相手を殴るくせに、自分達は殴られないと思っている。だから、殴られる痛みを教えてやったんだ。

 

 だが、少女は殴られたわけではない。

 

 そう答えると、少年は呆れたように嘆息する。

 

 そして言った。

 

「殴られなくたって、痛かっただろ」

 

 その日から、少女の生活は一変した。

 

 目立つ髪が嫌で、わざと地味な見た目の容姿を作っていたが、それをやめた。

 

 自分に正直に、やりたい髪型に変え、性格も少し意識して積極的にするようにした。

 

 すると、自然と少女の周りに人が集まるようになり、友達も増えて行った。

 

 何より、いじめられる事が無くなった。

 

 笑える事に、いじめグループが少女に絡んでいたのは、グループのリーダーが少女に気があったからなのだとか。

 

 だが、

 

 少女の眼中に、彼等はいなかった。

 

 少女の心は、自分を助けてくれた少年に夢中だった。

 

 少女は、ひたすら少年について回った。

 

 もっとも、少年の方からすれば、少女の存在は鬱陶しい事この上なかったのだが、少女はお構いなしである。

 

 少年の姿を見つければ突撃し、姿が見えなければ探し回り、いそうな場所に先回りして待ち伏せしたりもした。

 

 初めは鬱陶しがっていた少年も、やがて諦めたのか、何も言わなくなった。

 

 会話は相変わらず、喋る少女に、少年が皮肉交じりに返す。

 

 そんな他愛もない時間が、楽しくて仕方がなかった。

 

 もっと、少年の事を知りたい。

 

 少年と仲良くなりたい。

 

 そう思った少女はある日、行動を起こす事にした。

 

 少年に手紙を書いて呼び出す。

 

 場所は、あのいじめっ子たちから助けてくれた公園だった。

 

 果たして、来るかどうかは賭けに近かったのだが、少年は来た。

 

 意を決する少女。

 

 告白しようと口を開いた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 頭上から「街」が降って来たのは、その時だった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 最後に覚えているのは、瓦礫に圧し潰されて感覚がなくなった下半身と、徐々に流れて失われていく血液の感触。

 

 そして、自分を必死に助けようとする「彼」の姿だった。

 

 それと、もう1つ。

 

 その彼に、憑りつこうとしている、おぞましい「何か」。

 

 少女の意識は、そこで途切れた。

 

 次に目覚めたのは、見知らぬベッドの上。

 

 妙に豪華な寝台に裸で眠らされていた自分は、起きるなり、「彼」がすぐ傍らの椅子に座っている事に気付く。

 

 そして、

 

 知ってしまった。

 

 自分の記憶に、明らかな欠落がある事を。

 

 まるで虫食いのように、一部の記憶が欠落していた。

 

 今が何月何日なのか?

 

 親はどんな人だったのか?

 

 クラスメイトは何人いたのか?

 

 自分の本名すら、思い出す事が出来なかった。

 

 そんな少女に、「彼」は言った。

 

「お前の名前はベアトリス・フラワーチャイルドだ。これからは、そう名乗れ」

 

 返事をする少女。

 

 その言葉には、不思議なほどに抗いがたい強制力があった。

 

 その胸に、ぽっかりと穴が開いたような気分。

 

 少女が失った物は、記憶の一部。

 

 そして、

 

 「彼」への恋心だった。

 

 

 

 

 

「・・・・・・・・・・・・チッ」

 

 舌打ちするベアトリス。

 

 その手の中には、ぐったりしている響の姿がある。

 

 ベアトリス自身はと言えば、狂乱が少し収まったのか、放出する雷撃の量が減っている。

 

 いまだに周囲に放電はしているが、それでも先程よりはマシだった。

 

 ボロボロの身体を引きずりながら、自分の手で握りしめている響を見やる。

 

「ちょっとばかしやりすぎたか。お陰でいらないもんまで見せちまったじゃねえか」

 

 吐き捨てるように告げるベアトリス。

 

 対して、

 

 響から返事はなく、動き出す気配はなかった。

 

「・・・・・・死んだか。まあ、思ったよりはしぶとかったな」

 

 「あの光景」が響にも見られてしまった事は、ベアトリスも自覚している。

 

 しかし、それももう、どうでもいい事だった。

 

「死んだ奴は何も言えないしな」

 

 呟くように言うと、

 

 ベアトリスは響の身体を、襤褸布のように投げ捨てた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 地を蹴った。

 

 次の瞬間、

 

 馬上の呂布(シフォン)に、

 

 少女は砲弾の如く襲い掛かった。

 

 その速度たるや、尋常ではありえない。

 

 殆ど瞬間移動に等しい速度で、イリヤはシフォンを間合いに捉える。

 

「ッ!?」

 

 理性を持たぬはずの狂戦士(バーサーカー)が、驚きに目を見開く。

 

 反応は、

 

 間に合わない。

 

「ヤァァァァァァ!!」

 

 イリヤが繰り出す右腕。

 

 その指先に、鎌の如き爪が光る。

 

 交錯する一瞬。

 

 イリヤはシフォンを飛び越え、その後方に着地する。

 

 一瞬の間をおいて、

 

 シフォンの左肩から、鮮血が噴き出した。

 

 鋭い爪撃は、甲冑を切り裂き、狂戦士(バーサーカー)の身体をも傷付けたのだ。

 

「■■■■■■■■■■■■!!」

 

 咆哮を上げ、馬首を返すシフォン。

 

 方天画戟を振り翳し、イリヤに斬りかかろうとする。

 

 だが、

 

「やるよ、ルビー!!」

《はいはいッ お任せくださいイリヤさん!!》

 

 軽快な返事と共に、イリヤの髪が寄り集まり、巨大な蛇の顎を形成する。

 

 今、ルビーはイリヤの髪と同化する形になっているのだ。

 

 鎌首を持ち上げ、襲い掛かるルビー。

 

 その狙いはシフォン本人ではなく、

 

 彼を背に乗せた赤兎だった。

 

 その首に噛みつくルビー。

 

 すると、

 

 たちまち、英傑馬の首に石化が走り始める。

 

 騎兵(ライダー)メドゥーサ。

 

 ギリシャ神話に悪名高き蛇の怪物。

 

 イリヤは狂戦士(バーサーカー)に、このメドゥーサの英霊をかけ合わせる事で、戦力を大幅に強化していた。

 

 狂戦士(バーサーカー)の身で、自らの愛馬を召喚し騎乗するシフォン。

 

 同じく狂戦士(バーサーカー)で、騎兵(ライダー)を掛け合わせたイリヤ。

 

 奇しくも騎と狂、シフォンとイリヤは、自身の戦力を強化する為、似たような選択をしていた。

 

 言わばシフォンが足し算なら、イリヤは掛け算の形となっている。

 

 ルビーが赤兎の首に噛みついたまま、シフォンに襲い掛かるイリヤ。

 

 両手の爪を閃かせ、馬上のシフォンへと襲い掛かる。

 

 イリヤの髪(ルビー)が、赤兎の首に巻き付き容赦なく締め上げる。

 

 強烈な締め上げが、英傑馬を襲う。

 

 しかし、

 

 呂布、関羽と言う二代英傑をその背に乗せた一代の悍馬は、身じろぎひとつせずに耐え抜く。

 

 この程度で狼狽えているようでは、英雄の騎馬としてあり得ない。

 

 たとえ自らが苦境にあっても、

 

 否、

 

 自らの死と引き換えにしてでも、主の戦いを支え続ける。

 

 それこそが、英傑馬としての矜持だった。

 

 空中で放たれるイリヤの連続攻撃を前に、シフォンも、防戦一方に立たされる。

 

 イリヤの鋭い攻撃に対し、方天画戟で受けるのが精一杯になりつつあった。

 

 一方のイリヤは、自分がかつてないほどの戦闘力を発揮している事を自覚していた。

 

 夢幻召喚(インストール)している英霊との、とてつもないシンクロを感じる。

 

 騎兵(ライダー)メドゥーサ。

 

 彼女は、凌辱される運命にある非力な姉達を守る為、自ら怪物と化して戦い続けた。

 

 その精神は、友や弟妹を守る為に戦い続ける今のイリヤに似ている。

 

 それ故に、あるいは彼女が大きく力を貸してくれているのかもしれない。

 

 そして狂戦士(バーサーカー)ヘラクレス。

 

 彼の存在を、イリヤは大きく感じていた。

 

 包み込むような、力強く、そして温かい感触。

 

 共にあるだけで、安心する。

 

 なぜ、彼がイリヤにここまで力を貸してくれるのかは分からない。

 

 しかし、ヘラクレスの存在があるからこそ、イリヤはシフォン相手に互角以上に戦う事が出来ていると言っても過言ではなかった。

 

 しかし、

 

「■■■■■■■■■■■■!!」

 

 咆哮するシフォン。

 

 同時に赤兎の手綱を強引に退く。

 

 主の意に応え、後退する英傑馬。

 

 一瞬にしてイリヤを振り切り、仕切り直すシフォン。

 

 彼もまた、限界を越えて戦っている事が判る。

 

 その背景には、イリヤ同様、英霊との見えない繋がりが存在している。

 

 呂布奉先は、絶世の美女と謳われた貂蝉を想い、義父である董卓を裏切り、破滅への道を自ら突き進む事になる。

 

 シフォンもまた、エリカと言う大切な存在の為に、己を削って戦い続けている。

 

 愛する女の為に戦う。たとえ、その先に待っているのが地獄だとしても後悔はしない。

 

 その精神に、呂布が共鳴しているのだ。

 

《イリヤさん、ここは一旦下がってください!!》

「う、うんッ!!」

 

 ルビーの警告に従い、跳躍して後退するイリヤ。

 

 同時に、シフォンも馬首を返して、イリヤに向き直る。

 

 互いに、距離を置いて対峙する両者。

 

 互いの視線が、空中でぶつかり合う。

 

《イリヤさん、もう時間が・・・・・・》

「うん、判ってる」

 

 ルビーの懸念を遮るように、イリヤが答える。

 

 判っている。

 

 既に狂戦士(バーサーカー)をインストールしてから、タイムリミットの10分が近づこうとしている。

 

 イリヤには、もう時間がなかった。

 

「次で決めるよ、ルビー」

《了解でーす。いつでも行けますよ!!》

 

 主の呟きに、軽快に答えるルビー。

 

 同時に、少女の中で魔力が加速する。

 

 対して、

 

「■■■■■■■■■■■■!!」

 

 シフォンもまた、咆哮を上げる。

 

 彼もまた、決着が近い事を感じているのだろう。勝負を掛けるべく方天画戟の穂先をイリヤへと向ける。

 

 次の瞬間、

 

「■■■■■■■■■■■■!!」

 

 咆哮と共に、突撃を開始するシフォン。

 

 赤兎と共に駆けるその身を、魔力の閃光が包み込む。

 

 真・軍神五兵(ゴッドフォース・オリジン)

 

 後漢最強を謳われた武人、呂布奉先はあらゆる武芸を極め、いかなる武器をも使いこなしたと言われる。

 

 その実力は、生涯無二の相棒とも言える赤兎馬に騎乗する事で真価を発揮する。

 

 呂布の持つ、全てをもって行う突撃。

 

 今のシフォンの威力は流星落下にも等しく、その突進は何者にも留める事は能わない。

 

 対して、

 

 真っ向から迎え撃つべく、立ちはだかるイリヤ。

 

 高まる魔力の下、

 

 イリヤは右目を覆う眼帯を取り払った。

 

 次の瞬間、

 

 漆黒色の閃光が、突撃してくるシフォン目がけて放たれた。

 

 激突する、魔力と魔力。

 

 しかし、

 

 シフォンの突撃は止まらない。

 

 イリヤの閃光を真っ向から浴び、その身を焼かれながらも突撃し続ける。

 

 次の瞬間、

 

 イリヤが一気に距離を詰めた。

 

 駆ける蛇少女。

 

 眼前に迫る、人馬一体の英雄。

 

百頭射殺す女神の抱擁(ナインライブズ・オブ・ザ・メドゥーサ)!!」

 

 縦横無尽に駆け巡る爪撃。

 

 その一撃一撃が、的確にシフォンの急所を抉る。

 

 既に魔力光の一撃で、勢いを減殺されていたシフォンに、次々と致命的なダメージが与えられる。

 

 狂戦士(バーサーカー)ヘラクレスと騎兵(ライダー)メドゥーサの合体宝具。

 

 人類史、神話、叙事詩。

 

 あらゆる原典には、決して存在しえない、新たなる宝具、新たなる伝説、新たなる神話が、今ここに誕生している。

 

 交錯する両者。

 

 一瞬、静寂が訪れる。

 

「イリヤスフィール・・・・・・・・・・・・」

 

 傍らで見守っていたバゼットが、呟きを漏らす。

 

 鍛え上げているが故に、彼女の双眸は、事の一部始終を決して見逃さなかった。

 

 何が起きたのか?

 

 何が行われたのか?

 

 そしてどうなったのか?

 

 バゼットには、全て理解できていた。

 

 故に、

 

 この結末もまた、彼女には至極当然の物だった。

 

「ああッ!?」

 

 悲鳴を上げるイリヤ。

 

 同時に、

 

 その身より、狂戦士(バーサーカー)騎兵(ライダー)のカードが、同時排出される。

 

 元の魔法少女(カレイドルビー)に戻るイリヤ。

 

「イリヤスフィール!!」

 

 崩れ落ちる少女を、バゼットがとっさに支える。

 

「大丈夫ですか?」

「う、うん。ちょっと、魔力を使いすぎただけ」

《すぐに補充に入ります。傷の方も超特急で回復させますので、ちょっとだけ待っててくださいねー》

 

 ルビーの声を聴きながら、

 

 イリヤとバゼットは、シフォンへと目を向ける。

 

 自分達に背を向ける形で佇む、馬上のシフォン。

 

「終わりましたね」

「・・・・・・うん」

 

 苦し気に頷くイリヤ。

 

 その視線の中で、

 

「私達の・・・・・・」

 

 シフォンが、

 

 方天画戟を取り落とす。

 

「勝ち・・・・・・だよ」

 

 そのまま、崩れるように落馬した。

 

 

 

 

 

第57話「心の中の英雄たち」   終わり

 




原作では、騎+狂イリヤに宝具は無かったので、勝手に作ってみました。

ネーミングは、ヘラクレス+メドゥーサ(アナ)で組み合わせ。

本来ならメドゥーサ(騎)か、ゴルゴーンの宝具と組み合わせるべきだと思ったのですが、なかなか語呂が合わなかったので。攻撃描写もアナちゃんに近い形にしてみました。


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第58話「神喰らう鬼」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 赤兎の背から、地面へと落ちるシフォン。

 

 呂布奉先としての巨体が、轟音を上げて地に倒れ伏す。

 

 イリヤの攻撃は、完全にシフォンを捉えた。

 

 最早、彼に戦う力が残されていない事は明白だった。

 

 一方、

 

 勝ったイリヤもまた、ボロボロだった。

 

 狂戦士(バーサーカー)夢幻召喚(インストール)に加えて、騎兵(ライダー)上書き(オーバーライト)

 

 戦闘の傷や魔力の消費を差し引いても、体力的に限界だった。

 

「でも、これで、シフォン君を止められた、はず」

 

 バゼットに支えられながら、顔を上げるイリヤ。

 

 その時だった。

 

「■■■■■■■■■■■■ッ!!」

 

 迸る雄叫び。

 

 同時に、

 

 視界の先で、呂布奉先(シフォン)が、立ち上がるのが見えた。

 

「そんなッ!?」

 

 驚愕するイリヤ。

 

 既に満身創痍を通り越して、瀕死と言っても過言ではないシフォン。

 

 そのシフォンが、もう一度立ち上がるなど、誰が想像しただろう。

 

 方天画戟を杖代わりにして、震える足で大地を踏みしめている。

 

「来るかッ」

 

 警戒するように、前に出るバゼット。

 

 傷だらけのイリヤを背に庇う。

 

 今のイリヤは戦える状態に無い。

 

 もしシフォンが挑んでくるなら、バゼットは自分が迎え撃つ心算だった。

 

 元より、イリヤとの戦いで重傷を負っているシフォン。

 

 バゼットの戦闘力なら、充分に圧倒できるはずだった。

 

 そんな2人を前に、

 

 シフォンは前へと出る。

 

「エ・・・・・・リカ・・・・・・」

「え?」

 

 シフォンの口から出た言葉に、イリヤはハッとする。

 

「マモル・・・・・・ボクガ・・・・・・エリカ・・・・・・カナラ、ズ・・・・・・」

 

 シフォンは、エリカを守ろうとしているのだ。

 

 こうなって尚、自分の大切な人の為に戦おうとしている。

 

 たとえ自分が死ぬ事になっても、

 

 たとえ1秒でも、イリヤ達を足止めする為に。

 

「バゼットさん・・・・・」

「イリヤスフィール、前に出ては・・・・・・・・・・・・」

 

 自身を押しのけて前に出ようとするイリヤに、驚きの声を上げるバゼット。

 

 対して、イリヤは笑いかける。

 

「大丈夫、だよ、きっと」

 

 そう言うと、シフォンへと向き直る。

 

 対して、よろける足を動かし、徐々に近づこうとするシフォン。

 

 その間合いが、イリヤを捉える。

 

 振り上げられる、方天画戟。

 

 バゼットが飛び掛かるべき身構えた。

 

 そして、

 

「もうやめよう。シフォン君」

「・・・・・・・・・・・・」

「守るから。私が、この世界も・・・・・・ミユも、そしてエリカちゃんも・・・・・・みんな守るから。だから、もうやめよう」

 

 優しく語り掛けられる少女の言葉。

 

 その言葉に、

 

 シフォンは振り上げた方天画戟を止めた。

 

「必ず、私がみんなを守るから」

 

 もう一度、

 

 ゆっくりと告げるイリヤ。

 

 その言葉を受けて、

 

 シフォンの身体は、光に包まれた。

 

 一瞬の輝き。

 

 同時に、その中で、シルエットが徐々にしぼんでいくのが見えた。

 

 やがて、

 

「・・・・・・・・・・・・本当に」

 

 光が収まり、

 

 元の少年の姿に戻ったシフォンが、姿を現した。

 

「本当に、守ってくれるんですか?」

 

 尋ねる少年。

 

 対して、イリヤは頷きを返す。

 

「・・・・・・・・・・・・そっか」

 

 なら、

 

 安心だ。

 

 呟きながら、崩れ落ちる少年。

 

 その体を、慌てて駆け寄った少女が抱き留めた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 黄昏色の閃光が、全てを呑み込んで迫りくる。

 

 それは神話の時代、邪竜を討ち果たした輝き。

 

 あらゆる敵を滅ぼす、竜殺しの光。

 

 シェルドの放った「幻想大剣・天魔失墜(バルムンク)が迫りくる。

 

 迎え撃つは、薄紅色の障壁。

 

 展開された花弁は5枚。

 

 士郎の投影した「熾天覆う七つの円環(ロー・アイアス)」。

 

 2つの輝きが、

 

 一拍の間をおいて激突する。

 

「グゥッ!?」

 

 歯を食いしばる士郎。

 

 掲げた右腕に、強烈な重圧がかかる。

 

 シェルドの放った「幻想大剣・天魔失墜(バルムンク)」は、士郎を盾ごと食い破らんと、(あぎと)を振りたてる。

 

 夢幻召喚(インストール)した、いわば紛い物とは言え、シェルドの戦闘力は英霊本来の物と寸分違わない。無論、宝具の威力も同様である。

 

 圧倒的な破壊力を、真っ向から受け止める。

 

 その時、

 

 硬質な破砕音と共に、1枚目の花弁が砕け散る。

 

「ッ!?」

 

 「熾天覆う七つの円環(ロー・アイアス)」は本来、その名の通り7枚の花弁から成っている。

 

 本来の英霊であるエミヤなら、あるいは7枚全ての投影が可能だったかもしれない。

 

 しかし、現在の士郎の魔力量では5枚の投影が限界。

 

 当然ながら強度もオリジナルには勿論、エミヤの投影品にすら劣る。

 

 さらに1枚、

 

 続けて1枚、

 

 儚くも舞い散る花弁。

 

「抵抗は無駄だ!!」

 

 宝具を放ちながら、シェルドが叫ぶ。

 

「偽物の盾で、竜殺しの剣を受け止めるなど、無謀以外の何物でもない。その増上慢、身をもって知るが良い!!」

 

 言いながら、更に魔力を強めるシェルド。

 

 更に1枚、花弁が砕け散る。

 

 残る「熾天覆う七つの円環(ロー・アイアス)」は1枚のみ。

 

 それが砕け散れば、黄昏色の閃光が士郎を呑み込む事になる。

 

 圧倒的に絶望が支配する中、

 

 士郎の脳裏には、1人の少女の事が思い浮かべられた。

 

 クロエ。

 

 昨日、ほんの少しの時間だったが、彼女と2人っきりで話す機会があった。

 

 エミヤの外郭を纏う形で生きている彼女は、士郎にとってはある意味で同一の存在であり、また奇跡でもある。

 

 そして、

 

 彼女が常に、消失の危機に晒されている事も分かっていた。

 

 だからこそ、士郎は彼女の事を他人とは思えなかったのだ。

 

 死ぬな。

 

 生きろ。

 

 クロエにそう伝えようとした士郎。

 

 しかし、

 

 気遣って声を掛けたつもりが、逆に士郎の方がクロエに気遣われてしまった。

 

 やはり、同一存在である。

 

 士郎がクロエの事を理解していたように、クロエにも士郎の事は見透かされていた。

 

 今回の戦い、士郎は命を捨ててでも皆を守るつもりでいた。

 

 どのみち英霊エミヤに置換されつつある自分は、そう長くはないだろう。

 

 それ以前に、この命は既に美遊の為に使い捨てると決めた身。

 

 あの第五次聖杯戦争に参戦した時点で、そう決断していた。

 

 だから今更、生き残る気など無かった。

 

 だが、クロエは言った。

 

『ミユの幸せの為には、シロウが隣にいなきゃダメ。そりゃ、うちのバカ弟も頑張っちゃいるけど、それでもやっぱり、『お兄ちゃん』が傍にいてくれなきゃ、ね』

 

 そう言って、士郎の頭を抱きしめるクロエ。

 

 不思議な気持ちだった。

 

 相手は年下の、小学生の女の子だと言うのに、まるで年上の姉に抱きしめられているかのような温かさを感じだ。

 

 クロエは士郎に、生きろと言った。

 

 無論、

 

 士郎も無駄死にする気は毛頭ない。

 

 だが、

 

 しかし、

 

「悪いな・・・・・・クロ」

 

 壮絶に吹き荒れる、黄昏色の閃光を受け止めながら、

 

 士郎は口元に苦笑を浮かべる。

 

「生きる為には、戦わなくちゃな!!」

 

 言い放つと同時に、

 

 魔術回路を全開起動する士郎。

 

 同時に、体を覆う褐色部分も広がりを見せる。

 

 置換がさらに進み、かつて「衛宮士郎」だった部分が急速に侵食される。

 

 しかし、放出する魔力量は劇的に増大。

 

 それに伴い、

 

 「熾天覆う七つの円環(ロー・アイアス)」は息を吹き返した。

 

 失われた花弁が次々と復活。

 

 それどころか、7枚の花弁全てが揃った完璧な姿で顕現する。

 

 視界を覆うように、薄紅色の光が、黄昏を防ぎ止める。

 

 今や完全な姿を取り戻した「熾天覆う七つの円環(ロー・アイアス)」は、「幻想大剣・天魔失墜(バルムンク)」を完璧に防ぎ止める。

 

「馬鹿なッ!?」

 

 自身の宝具が完璧に防ぎ止められる光景に、思わずうなるシェルド。

 

 やがて、

 

 魔力を放出し切り、黄昏色の閃光が途切れる。

 

 その瞬間を逃さず、

 

 士郎が動いた。

 

 「熾天覆う七つの円環(ロー・アイアス)」を解除。

 

 同時に、手には干将・莫邪を投影して駆ける。

 

 間合いに入ると同時に、両手に構えた剣を投擲する士郎。

 

 「鶴翼三連」の構えだ。

 

 互いに惹かれ合う性質を持つ夫婦剣の特徴を活かしたエミヤの持つ切り札の一つ。。

 

 回避も防御も不可能なこの絶技をもって、士郎はシェルドを仕留めようと言うのだ。

 

 しかし、

 

「無駄だッ!!」

 

 大剣を振るい、飛んできた黒白の双剣を弾くシェルド。

 

 元より、邪竜の加護を持つ英霊ジークフリード相手に、並の攻撃は用を為さない。

 

 弾かれた双剣は、明後日の方向へと弾き飛ばされる。

 

 武器を失い、立ち尽くし士郎。

 

 シェルドは勢いを殺さず、間合いに踏み込むと同時に大剣を振り被る。

 

「これで終わりだッ!!」

 

 次の瞬間、

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 ザンッ ザンッ

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「がッ・・・・・・はッ!?」

 

 突如、背中に走った衝撃と共に、口中から鮮血を吹き出すシェルド。

 

 振り翳された大剣が、力なく零れ落ちて地面に転がる。

 

 よろけながら数歩、後ろへと下がるシェルド。

 

 その背中に、

 

 深々と突き刺さった、干将・莫邪。

 

 切っ先は、唯一の弱点である背中を捉えていた。

 

「馬鹿なッ いったい、どこからッ!?」

 

 驚愕と共に振り返るシェルド。

 

 その視界の中に入って来たものを見て、

 

 目を見開いた。

 

「馬鹿なッ ・・・・・・なぜ、お前が・・・・・・・・・・・・」

 

 言い切る前に、

 

 紅き弓兵が斬り込む。

 

 間合いに入ると同時に、手にした双剣を振るう。

 

 交叉する斬撃。

 

 既に致命傷を受け、邪竜の守りを失っていたシェルドにはひとたまりも無かった。

 

 奔る斬線がシェルドを真っ向から捉えて切り裂く。

 

 崩れ落ちる、竜殺しの英雄。

 

 同時に、

 

 士郎もまた、その場で膝を突いた。

 

「ぐッ・・・・・・・・・・・・」

 

 込み上げる痛みを噛み殺す。

 

 今の戦いで英霊エミヤへの置換が更に進んでいる。

 

 しかし、

 

 それでもまだ、

 

 ギリギリの淵で、士郎は留まっていた。

 

「大丈夫ですか?」

「ああ・・・・・・まだ、『俺』でいられるらしい」

 

 問いかけに対して答えながら、

 

 痛みをこらえて顔を上げる士郎。

 

 自分を助けてくれた相手の顔を見やる。

 

「助かったよ。アンジェリカ」

 

 あの時、

 

 シェルドによって弾かれた干将・莫邪を、消滅する前にアンジェリカが置換魔術を使用してシェルドの背後へと誘導、そのまま弱点である背中へ突き立てられるコースに導いたのだ。

 

 彼女の援護のおかげで、士郎は辛うじて勝ちを拾う事が出来た。

 

「いえ・・・・・・・・・・・・」

 

 対して、

 

 アンジェリカは相変わらず薄い表情のまま、しかし躊躇うように少しだけ顔を逸らす。

 

「あなたが死ねば、美遊様やイリヤスフィール様が悲しむ。そう、思っただけです」

 

 答えるアンジェリカ。

 

 士郎は、苦笑する。

 

 かつて、第五次聖杯戦争において凄惨な殺し合いをしたアンジェリカが、このような事を口にするなど、実際に戦った士郎からすれば夢としか思えないほどだった。

 

 立ち上がる士郎。

 

「それでも、だよ」

 

 言いながら、アンジェリカの肩を叩く。

 

「ありがとうな」

 

 そう告げると、背を向けて歩き出す士郎。

 

 そんな少年の背中を、アンジェリカは不思議そうな眼差しで見つめていた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 少年は、闇の中に倒れていた。

 

 全身の感覚は、既にない。

 

 ああ、そうか・・・・・・・・・・・・

 

 死ぬんだ。

 

 何となく漠然とだが、そう思った。

 

 あのベアトリス相手に善戦した方だとは思うが、それでも決定的な戦力差を覆すには至らなかった。

 

 なぜ、

 

 と思う。

 

 なぜ、自分は負けたのだろう?

 

 単純に、戦力が劣っていたからか?

 

 勿論、それもあるだろう。

 

 しかし

 

 原因は、根本的にもっと別の物だと思った。

 

 自分に無くて、ベアトリスにはある物。

 

 否

 

 自分には「あって」、ベアトリスには「無い」物。

 

 それが、勝敗の原因だった。

 

 ベアトリスは、全てを捨てていた。

 

 自分が持つ、大切な物全てを。

 

 響には気付いていた。

 

 あのベアトリスが放つ雷撃。

 

 あれがいったい、どこから来ていたのか?

 

 ベアトリスの電撃をその身で受けた時、響の脳裏に彼女の昔の映像が勝手に流れ込んで来た。

 

 最初はいったい、なぜそのような事になったのか判らなかった。

 

 だが、

 

 すぐに気づく。

 

 あの映像の正体。

 

 そして、電撃との関係。

 

 即ち、ベアトリスはジュリアンへの想いを、電撃にして放っているのだ。

 

 彼女にとって、恐らくは最も大切な物を引き換えにして戦っている。

 

 翻って、自分にはそれだけの覚悟があっただろうか?

 

 響は自問する。

 

 ベアトリスのように、何かを捨てる覚悟が、自分にはあっただろうか?

 

 ・・・・・・・・・・・・無い。

 

 確かに、美遊を守りたい気持ちは誰よりも強い自信がある。イリヤやクロ、士郎、凛、ルヴィア、バゼット、田中。

 

 皆を守りたい気持ちに偽りはない。

 

 しかし、ベアトリス程強い覚悟を持って戦いに臨んでいたか、と言われれば、残念ながらNOだった。

 

 無論、何かを捨てたからと言って強い力を得られるとは限らないし、それで得られた力で大切な物を守れる保証はない。

 

 むしろ「捨てなかった」からこそ、得られる力が大きい時も往々にしてある。

 

 しかし、

 

 初めから全てを捨てて挑んできている相手に、何も捨てられない人間が、勝てる道理は無かった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 鬼に、ならなければ。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 そう、思った。

 

 ベアトリスが全てを捨て去る覚悟で神を従えているなら、自分は神をも喰らう鬼にならなければ。

 

 そうでなければ、勝つ事はできない。

 

 そうでなければ、美遊を守る事はできない。

 

「・・・・・・・・・・・・」

 

 眦を上げる。

 

 全身の力を込めて、少年は立ち上がった。

 

 

 

 

 

 

 踵を返すベアトリス。

 

 その背後には、倒れ伏している少年がいる。

 

 既にここでの戦いは終わった。

 

 しかし、他の戦線ではまだ戦いが続いている筈。

 

 彼女は援護に回る必要があった。

 

「シフォンのヘタレは、たぶんやばいだろう。キザ野郎のシェルドはまだ戦っているかもな。あの化け物は・・・・・・まあ、放っておいて良いか」

 

 最後のは桜の事だった。

 

 いずれにせよ、勝ったベアトリスは手持ち無沙汰でしかない。

 

 暇つぶしに他の戦線にちょっかいを掛ける余裕があった。

 

 落ちてた大槌に手を伸ばす。

 

 その柄を握りしめた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 ザッ

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 少女の背後で足音が鳴ったのは、その時だった。

 

「・・・・・・・・・・・・は?」

 

 振り返る、ベアトリス。

 

 その視線の先では、

 

 ボロボロになりながらも、立ち上がる少年の姿があった。

 

 何度も地面に叩きつけられ、身を焼くほどの雷撃を体に直接流し込まれ、

 

 死んでもおかしくなかったほどの責め苦を受けた少年。

 

 それでも尚、響は立ち上がって見せたのだ。

 

「テメェ・・・・・・・・・・・・」

 

 敵意を込めた眼差しで、立ち上がった響を睨むベアトリス。

 

「何で、生きてやがる?」

「・・・・・・・・・・・・」

 

 敵意むき出しに尋ねるベアトリス。

 

 対して、響は答えない。

 

 その視線は下げられたまま、

 

 しかし、鞘に納めた明神切村正はしっかりと握りしめている。

 

「ムシかよ。むかつく奴だぜ」

 

 言いながら、戦槌を振り翳すベアトリス。

 

 先程の雷撃を受けて尚、響が立ち上がってきた事には驚きを隠せない。

 

 しかし、どう見ても死に体。

 

 あと一撃あれば勝負を決する事が出来る。

 

「おらッ 死にやがれッ!!」

 

 戦槌が魔力の雷撃を纏った。

 

 次の瞬間、

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 響の姿は、ベアトリスのすぐ目の前にいた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「なッ!?」

 

 速い、

 

 などと言う次元の話ではない。

 

 刹那の間すら凌駕し尽くしている。

 

 ベアトリスは、全くと言って良いほど、響の動きを感知できなかった。

 

 その響はと言えば、

 

 腰を深く落とし、前傾姿勢を取っている。

 

 殆ど、額が地に着きそうなほどに傾けられている。

 

 明神切村正鞘に納められ、少年の右手はその柄に当てられている。

 

「 ・ ・ ・ 」

 

 鯉口が切られる。

 

 手元に輝く、銀の閃光。

 

「 ・ ・ ・ ・ ・ 」

 

 次の瞬間、

 

 響の剣は、ベアトリスの身体を逆袈裟に切り裂いた。

 

「がッ・・・・・・ハッ!?」

 

 斬られた事すら、

 

 ベアトリスは気付かなかった。

 

 瞬きした瞬間には既に響の刀は振り抜かれ、

 

 そして少女の身体は、袈裟懸けに切り裂かれていたのだ。

 

 少女の胸より、舞い散る鮮血。

 

 同時に、

 

 その胸から1枚のカードが排出される。

 

 狂戦士(バーサーカー)マグニのカードだ。

 

 空中に飛び出したカードを、

 

 掴み取る響。

 

 そして、

 

 そのままベアトリスは、背後へと倒れた。

 

 

 

 

 

第58話「神喰らう鬼」      終わり

 



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第59話「黄昏に送る神愛」

今回はここまでとなります。


 

 

 

 

 

 

 

 

 

 勝敗は決した。

 

 地に立つ少年と、膝を突く少女。

 

 軍配が何れに上がったのかは、火を見るよりも明らかだった。

 

 座り込んだベアトリスを、響が見下ろす。

 

「ハッ・・・・・・・・・・・・」

 

 剣を持ち、自分を見下ろす少年を見上げながら、ベアトリスは最後のあがきとばかりに笑って見せた。

 

「トドメを刺すってか? 良いぜ、さっさとしろよ。どのみち負けちまった以上、ジュリアン様に合わせる顔もねーしな」

 

 既に覚悟はできていた。

 

 響達を足止めする任務に失敗した以上、エインズワースには戻れない。

 

 ならば、ここで死んだ方がましだった。

 

 どっちみち、自分はもう死んでいるのだから。

 

 そう、

 

 あの第4次聖杯戦争によって引き起こされた大崩壊に巻き込まれ、自分は死んだ。

 

 エインズワースの置換魔術によって人格だけを転写した人形として蘇った時、多くの記憶と共に、ジュリアンへの想いも消え果てた。

 

 今、ここにある自分は、ただ命令のまま敵を殺す人形に過ぎない。

 

 だが、その任務も失敗した以上、自分に価値など無かった。

 

「さあ、さっさと殺せよッ!!」

 

 挑発するように言い放つベアトリス。

 

 対して、

 

 一歩、前に出る響。

 

 見下ろす少年。

 

 ベアトリスは、覚悟を決めたように目を閉じる。

 

 だが、

 

 いつまで経っても、剣が振り下ろされ事は無い。

 

 いい加減焦れてきたところで、薄目を開けてみる。

 

 すると、

 

 変わらず茫洋とした瞳のまま見下ろす少年がそこにいた。

 

「何やってんだよ。こういうことはサクッとやれよサクッとさ!!」

 

 だが、

 

「・・・・・・・・・・・・ん」

 

 ややあって、響は口を開いた。

 

「それ・・・・・・捨てちゃ、だめ」

「はぁ?」

 

 目の前の少年が何を言っているのか?

 

 測りかねて首を傾げるベアトリス。

 

 対して、響は淡々とした口調で続ける。

 

「ジュリアンが好き・・・・・・なら、その、気持ち、捨てちゃダメ」

「お前・・・・・・・・・・・・」

 

 驚くベアトリス。

 

 まさか、敵として戦った少年から、こんな事を聞かされるとは思っていなかった。

 

「何を・・・・・・・・・・・・」

「ベアトリスの、心・・・・・・伝わってきた」

 

 手にした明神切村正を鞘に納める響。

 

「お、おいッ」

「誰かを好きな気持ちは、大切。だから、捨てちゃ、だめ」

 

 響の言葉を聞き、内心でベアトリスは呆れる思いだった。

 

 普通なら「何言ってんだこいつ」、となるだろう。

 

 実際、ベアトリスも半分はそう思っている。勝ったとはいえ、敵にそんな事を言う阿呆は聞いた事がない。

 

 だが、もう半分は、

 

 どこか、言われてホッとしている自分がいた。

 

 確かに、打ち砕く雷神の槌(ミョルニル)を放つとき、ベアトリスが持つジュリアンとの記憶や想いが消費される。

 

 同時に、周囲に伝染するように、記憶が流出する事もある。

 

 それが響にも見えていたであろう事は、ベアトリスにも理解できているのだが。

 

 しかし、その響がこんな事を言ってくるとは思ってもみなかった。

 

 ベアトリスは、ジュリアンが好きだ。

 

 それはかつて、生前に好きだったから、ではない。

 

 死んで、人形として置換される形で復活してから5年。

 

 その5年の歳月をかけて、ベアトリスはもう一度好きになったのだ。かつて恋した相手を。

 

 その恋心を吸い取り、放出する。それがミョルニルの特性だった。

 

 まるでマグニ本人が、かつて愛した父を記憶を葬送として空へ還そうとしているかのように。

 

 「黄昏に響け父の雷葬(ミョルニル・ラグナロク)

 

 それが、マグニの宝具の真名である。

 

 響に向けて放った雷撃。

 

 あれは、ベアトリスの「生前の記憶」を吸い出していた。

 

 まるで、かつての記憶を弔うかのように。

 

 たとえ記憶を失っても思い出は残る。

 

 ならば、楽しかった思い出を胸に、また歩き出してほしい。

 

 自分が死んだ後、愛する子供たちが悲しまないようにと言う、トールなりのメッセージなのかもしれなかった。

 

 

 

「記憶、失ったかも、しれない・・・・・・けど・・・・・・好きになる気持ちは、大事・・・・・・」

 

 自分にも好きな人がいる。

 

 だから響は思ったのだ。

 

 ジュリアンを好きな、ベアトリスの気持ちを捨ててほしくない、と。

 

「それは大切な物、だから・・・・・・絶対、捨て、ちゃ・・・・・・・・・・・・・だ、め・・・・・・・・・・・・」

 

 言いながら、

 

 響の意識が遠のくのを感じる。

 

 もはや限界だった。

 

 夢幻召喚(インストール)が解け、英霊の姿から普段着姿へと戻る少年。

 

 そのまま、崩れ落ちるようにして倒れる。

 

 座り込んでいるベアトリスの上へ。

 

「ちょッ まッ えッ、お、おおッ!?」

 

 倒れて来た響の身体を、とっさに抱き留めるベアトリス。

 

 羽のように軽い少年の身体が、少女の上にのしかかった。

 

「ちょッ、お前、言いたい事だけ言って寝るんじゃねえよ!! 言われたこっちが恥ずかしいだろうが!! おいッ 起きろって!! おぉいッ!!」

 

 気を失った響をゆすったり、ペチペチとほっぺを叩いたりして起こそうとするベアトリス。

 

 しかし、いつまで経っても、響の意識が戻る事は無かった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 膝を突く士郎。

 

 同時に襲ってくる体中から沸き起こる激痛。

 

「ぐッ!?」

 

 込み上げる悲鳴を、噛み殺して耐える。

 

 英霊エミヤに存在が置き換わりつつある今、無理に戦闘を行った代償は、余りにも大きかった。

 

 体中の骨と言う骨、筋と言う筋が軋みを上げる。

 

 まるで炎の中に放り込まれたように、士郎の身体は熱を発していた。

 

 そのまま、意識を失ってもおかしくないほど、ひどい容体。

 

 と、

 

「大丈夫ですか?」

 

 目の前に差し出される手。

 

 見上げれば、

 

 アンジェリカが、相変わらずの無表情で掌を差し出していた。

 

「・・・・・・・・・・・・妙な気分だよ」

「はい?」

 

 苦笑する士郎に、アンジェリカは首を傾げる。

 

「お前に気を遣われる日が来るなんて、な」

「よくわかりませんが、それは、いけない事なのですか?」

 

 真顔で尋ねてくるアンジェリカ。

 

 今度は、士郎の方が呆気にとられる番だった。

 

 やはり、こうした心の機微にはまだまだ疎いらしいアンジェリカ。

 

 「昨日の敵は今日の友」的なノリを覚えるには、まだまだレベルが足りない様子だった。

 

 アンジェリカの手を取り、立ち上がる士郎。

 

「別に、悪くはないさ」

「そうですか。なら、良かったです」

 

 アンジェリカが頷いた時だった。

 

「衛宮君!!」

「シェロ!!」

 

 呼び声に振り返ると、衛宮邸から追いかけて来たらしい、凛とルヴィアの姿が見えて来た。

 

 相当慌てて走って来たらしい2人。

 

 息を整えるのも忘れて駆け寄ってくる。

 

「馬鹿ッ こんな無茶して、何かあったらどうするつもりだったのよッ!?」

「ほんとですわッ あなたにもしもの事があったら、わたくしはッ!! わたくしはッ!!」

 

 ほとんど涙交じりに抗議する2人。

 

 自分の身を案じてくれる2人に、士郎は微笑する。

 

 並行世界と言う、想像もつかないような彼方から来た2人。

 

 本来なら、士郎とは縁もゆかりもないはずの2人が、こんなにも自分の事を心配してくれている。

 

 アンジェリカもそうだが、そんな2人から気遣われる事が、妙な気分であると同時に、心が安らぐのを感じていた。

 

 もしかしたら、向こうの世界の衛宮士郎(じぶん)も、彼女達と縁があるのかもしれない。

 

 そう思うと、悪くない気分だ。

 

 3人の女性に支えられながら、士郎は心からそう思うのだった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 意識が、浮上する。

 

 これまでも何回かあった感触。

 

 正直、「またか」と思わなくもない。

 

 しかし「彼」だって頑張ったのだ。責めるのは酷と言う物だろう。

 

 だが、しかし・・・・・・・・・・・・

 

 う~~~む

 

 さて、どうした物か?

 

 浮き上がりながら、腕を組んで考える。

 

 困った事になった。

 

 薄々、気付いてはいた事が、自分は恐らく「彼」から嫌われている。

 

 そりゃそうだろう。「彼」が意識を失う度に、勝手に体を拝借していれば、誰だって気分が悪いのは当たり前だった。

 

 今までは緊急避難的要素が強かったのだが、そんな物は理由にならないだろうし。

 

 できれば、このまま沈んで行ってしまいたいのだが、どうやら意識の「浮き」「沈み」に関しては、自分ではコントロールが効かない物らしい。

 

 いやはや、困ったものである。

 

 

 

 

 

「お~い、いい加減起きてほしいんですけど~」

 

 言いながら、

 

 ベアトリスは、自分の膝枕で眠りこけている少年の額をペチペチと叩く。

 

 彼が寝ていた時間は、せいぜい5分足らず。

 

 しかし、雷神少女としては、いい加減焦れてきたのも確かだった。

 

 彼女自身、返事があるとは思っていなかった。

 

 だが、

 

「う~ん、この太腿の感触が気持ちいいから、あと5分くらい」

「は、ハァッ!?」

 

 素っ頓狂な叫び声を上げるベアトリス。

 

 その膝の上では、

 

 最前まで気持ちよさそうに寝息を立てていた少年が、今ではニヤついた顔を見せている。

 

 どうやら、いつの間にやら覚醒していたらしい。

 

「テメェッ ふざけんなッ とっとと起きろ!!」

「おっと!!」

 

 振り上げられた拳が振り下ろされる前に、

 

 ヒビキ

 

 朔月響(さかつき ひびき)は、勢いをつけて起き上がった。

 

「お、お前、そんな、いきなり動いて大丈夫なのかよ?」

 

 恐る恐る尋ねるベアトリス。

 

 どうにも、戦いが終わって毒気を抜かれた感がある。

 

 対してヒビキは、振り返って微笑む。

 

「ええ、『僕』は快調ですよ。『彼』が頑張ってくれたおかげですかね」

「はあッ!? 何言ってんだお前?」

 

 呆気に取られて首を傾げるベアトリス。

 

 まあ、これは仕方のない反応だろう。

 

 「衛宮響」が疲れて寝てしまったので、代わりに「朔月響」が代理をやってます。

 

 などと説明したところで、判らないだろうし。

 

「あ、そうだ。これは返しておきますよ。僕には必要ないですから」

 

 そう言ってヒビキが差し出した物。

 

 それは狂戦士(バーサーカー)マグニのカードだった。

 

「お、おいッ」

 

 放り投げられたカードをキャッチしながら、ベアトリスは顔を上げる。

 

 戦いが終わったのだから、武装解除するのは当然である。本来であるなら、このカードはヒビキが預かるべき物である。

 

 しかし、それをあっさりと返してきたのだ。ベアトリスでなくても慌てるのは当たり前だった。

 

 だが、

 

 そんなベアトリスの反応を無視して、ヒビキは踵を返す。

 

「忘れないで。『彼』が言った事。君が今まで捨てて来た物は、とても大事な物だ。だから、さ」

「は?」

 

 言いながら、背を向けて歩き出す。

 

「そうそう。前に戦った時、思いっきり刺しちゃってごめんね。けど、僕も必死だったから、そこら辺は勘弁してね。じゃ」

「あ、おいッ こらッ 言いたい事だけ言って去るんじゃねーよッ つーか流行ってんのかよそれッ おいッ おーいッ!!」

 

 叫ぶベアトリス。

 

 しかし、ヒビキは振り返る事無く駆け去っていく。

 

 その視線の先には、今も際限なく泥を吐き出し続ける巨大な立方体(ピトス)

 

 そして、

 

 最後の敵が待つ神殿が鎮座していた。

 

 とは言え、

 

 ベアトリスの怒鳴り声を背中に聞きながら、ヒビキは微かに顔を顰めた。

 

 感じるのは、右腕に感じる鈍痛。

 

 正確には、右の指先から肘辺りに掛けて、感覚がマヒしているのが判る。

 

 ベアトリスとの戦いによる物なのは間違いない。

 

 だが、

 

 その直接的な原因は、彼女からの攻撃ではない。

 

 最後に響自身が放った技。

 

 あれにより、右手に麻痺が生じているのだ。

 

 痛みは感じているが、どうやら折れているわけではない。放っておいても直に回復するだろう。

 

 しかし、

 

「やれやれ・・・・・・」

 

 駆けながらヒビキは嘆息する。

 

 その脳裏には、自分が勝手に体を拝借している少年を思い浮かべる。

 

「いったい、どれだけ危険な技を使ったんだ、君は?」

 

 問いかける声。

 

 当然ながら、それに対する答えは返らなかった。

 

 

 

 

 

 降り立つと、そこは意外と広い空間だった。

 

 ゆっくりと、歩を進める。

 

 目指すべき人物は、視線の先。

 

 こちらに背を向けて立っていた。

 

「あらら、まさか僕が一番とは。てっきり、イリヤちゃんあたりが先に来ているかとも思ったんだけど」

 

 どこか緊張感を欠いた声。

 

 対して、

 

 神殿の中央に立つ少年、

 

 ジュリアン・エインズワースは振り返った。

 

「貴様は・・・・・・・・・・・・」

「まあでも、ある意味で好都合かな。お陰で、最後の締めには間に合ったわけだし」

 

 対して、

 

 戦線を乗り越え、やってきた少年は肩を竦めた。

 

 ジュリアンと真っ向から対峙するヒビキ。

 

 ややあって、

 

「衛宮響・・・・・・・・・・・・」

 

 ジュリアンの方から口を開いた。

 

「いや・・・・・・・・・・・・」

 

 ジュリアンはヒビキに向き直る。

 

 敵意を隠さない眼差しが、真っ向から響を射抜く。

 

「朔月響、か」

「・・・・・・・・・・・・へえ」

 

 ジュリアンの言葉に、ヒビキは意表を突かれた。

 

 まさか、士郎と言峰神父以外には知られていないと思っていた自分の正体を、敵の首魁が知っているとは思ってもみなかった。

 

「気付いていたんですか」

エインズワース(おれたち)を舐めるな。10年以上前に朔月家を出奔した長男がいたことぐらい、聖杯戦争が起こる前から調べは着いていた。そいつが開戦に先立って、密かに日本に舞い戻ていた事もな」

 

 ヒビキは内心で舌を巻く。

 

 どうやら朔月家の生き残りである自分の事は、かなり早い段階でエインズワースに把握されていたらしい。

 

 恐らく聖杯戦争に参戦する事も、織り込み済みだった可能性がある。

 

 いったい、どこまで調べているのか。

 

 自分が巨大な掌の上で足掻いているような感覚は、正直面白くは無かった。

 

「テメェ如き亡霊が、俺の神話に土足で上がり込むんじゃねえよ。目障りだからとっとと失せろ」

 

 苛立ち交じりの怒気が、大気をはじけさせる。

 

 ジュリアンの殺気が、直接襲い掛かってくるような感覚。

 

 だが、

 

 その殺気を真っ向から受け止め、

 

 ヒビキは笑って見せる。

 

「生憎ですけど」

 

 視線を真っすぐに見返しながら、ヒビキは言った。

 

「亡霊には亡霊なりの矜持がありましてね。あなたが僕の大切な物を傷付けるのなら、僕は何度でも地獄から蘇り、あなたの前に立ちますよ」

 

 言いながら、

 

 ヒビキが取り出したカード。

 

 剣士の絵柄が描かれたカードを、ヒビキは真っ直ぐに掲げる。

 

夢幻召喚(インストール)!!」

 

 叫ぶと同時に起動する魔術回路。

 

 奔る魔力。

 

 衝撃が爆風となり、閃光は少年を包む。

 

 蒼の衣装の上から、纏われる銀の甲冑。

 

 伸ばした手に握られる、宝石の如く美しい刀身を持つ西洋剣。

 

 ブリテンに名高き騎士王。

 

 その凛とした戦姿がそこにあった。

 

 剣の切っ先をジュリアンに向けるヒビキ。

 

 ただそれだけで、大気が振るえるほどの衝撃。

 

 鋭い眼差しで、自身が倒すべき敵を睨み据える。

 

「さあ、第5次聖杯戦争の再開だッ 決着をつけるぞ!!」

 

 

 

 

 

第59話「黄昏に送る神愛」      終わり

 




それでは、暫定ですがご愛読ありがとうございました。

また、投稿再開の際には、なにとぞよろしくお願いいたします。


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