インフィニット・ストラトス 〜プラスワン〜 (アルバトロス)
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第1話 生まれ変わりはいつの間に

 生まれた時から意識があった。

 頭をぶつけた拍子に、あるいは高熱で死に掛けた時に記憶が蘇った。

 

 転生(この道)の先人達の多くはそうして二度目の人生を迎えているようだが、俺に関しては「物心ついた時には前世の記憶が蘇っていた」というのが正しい。

 最初の記憶は祖父母が両親を亡くした俺のことを引き取りに来た時のものだが、どうやらその時には既に俺は俺となっていたようだ。

 

 ――こうして昔のことを思い出すのは、歳をとった証拠だろうか。前世から数えてもまだそんな歳ではないはずなのだが。

 

 そんなことを思っていると、誰かに肩を掴まれて揺すられた。

 

「――おい、恩田」

 

「……ああ、織斑か。どうした?」

 

「もう帰りの会は終わった。帰るぞ」

 

「マジで?」

 

 周りを見回すと、教室に残っている人はかなり少なくなっていた。

 一人黄昏ているうちに自動操縦モードに切り替わってたのか……気が付けば帰りの支度も終わってるし。

 

「ほら、早くしろ。日が暮れてしまう」

 

「まだ秋で定時も5時ぐらいなんだから、お日様はそんなに早く帰宅しないっつーの」

 

 手を引くせっかちな友人に苦笑し、ランドセルを持って立ち上がる。

 

「今日こそお前に勝たねばならんのだ。早く行こう」

 

「はいはい」

 

 負けん気の強さは人一倍だな、とひとりごちて、生真面目な性格が現れてか少し固い口調の少女――織斑千冬の背を追った。

 

 俺――恩田海斗と織斑千冬がまだ小学5年生の、秋のある日のことだった。

 

 

 

 ◆ ◆ ◆

 

 

 

「こんにちは、柳韻先生!」

 

 道場に入り師に大声で挨拶をするなりすぐ防具の置いてあるところへ駆けていく織斑を見送り、急いで防具を付ける彼女を温かい目で見守る師に礼をする。

 

「先生、こんにちは」

 

「こんにちは。今日もやるのかい?」

 

「ええ……織斑にも困ったものです」

 

「ははは。いいじゃないか、それだけ負けん気が強いということだ。海斗君からしたら大変かもしれないけどね」

 

「大変どころじゃないですよ」

 

 思わずため息。

 

 織斑とは、4年生の時に俺がここの道場に入ってからの仲だ。

 祖父母が亡くなり、その葬儀や遺産の整理、相続など諸々を終えて身辺も落ち着いてきたその頃。ふと思い立って、近所にあったこの篠ノ之道場の門を叩いたのである。

 理由としては、大人になってから「学生の頃に何か運動をやっておけばよかった」と思ったことがあったのが一つ。大人になってからは海外にいることが多く、「何か日本伝統のものをやってみたい」と思ったのが一つ。

あとは、生まれる前から知っている(・・・・・・・・・・・・)道場だったから、というのもある。

 

 “インフィニット・ストラトス”。

 ISという略称で呼ばれることも多い、前世で読んだライトノベルの一つだ。

 ざっくり言えば、主人公の織斑一夏という少年が自分以外全員女子のIS学園でフラグを乱立しながらラッキースケベをかましまくるという作品だが、まあ内容はいいとして。

 

 その作品の中に篠ノ之道場は登場する。

 ヒロインの一人やISの開発者の実家であり、主人公とその姉が剣を教わった場所でもあるこの道場に入れば、原作キャラの誰かしらに会えるのではないか、と思ったのも理由の一つだ。

 

 目論見通りというかなんというか、既に同年代に敵は居なかった織斑千冬とここで出会い、最初の試合で勝ってしまった(・・・・・・・)結果こうして仲良くなったのだが。こうも何度も挑まれるのは流石に予想外だった。

 

「――おい、恩田!早くしろ!」

 

「はいはい、今行きますよ〜と」

 

 準備万端で仁王立ちする織斑に呼ばれたんで、行きますかね。近寄ったら斬られそうで怖いけど。

 

 

 

 ◆ ◆ ◆

 

 

 

 後の先、という言葉がある。相手の動きを読み、それに応じて動くという戦い方だ。

 これを実際にやるには、相手の次の手を正確に読むことが要求されるのだが。

 

「――め「――胴!」」

 

 仮に相手の予備動作を完璧に見切れるようになったら、これはもう敵無しと言ってもいいのではないか。

 そんなことを、現実逃避気味に思うわけである。

 

「――ッ」

 

 何から逃避って、目の前の織斑の眼光からだ。

 こっちを睨む織斑の目が本当に怖い。

 小5の女の子に使う言葉ではないかもしれないが、マジで怖い。

 

「こらこら千冬君。悔しいのは分かるが、そう睨みつけてはいけないよ」

 

「はッ……すいません先生。恩田も、悪い」

 

「いや、そろそろ慣れつつあるから大丈夫」

 

 今なら、カジノで勝ちすぎた時に出てくる怖いお友達とも楽しくお喋りできる気がする。結果として楽しいことになるのは俺の身体かもしれないが。

 

「しかし、海斗君の読みは本当に鋭いねえ。千冬君も相当に腕を上げてきてるんだが」

 

「実際かなり読みづらくなってきてますよ」

 

 そろそろ土をつけられるかもしれない。

 まあ、それはそれで荷が軽くなっていいかもしれないが。

 

 さて、ここでちょっと説明すると。

 

 人間、動く際には僅かにでも予備動作というものが存在する。剣道において剣を振るときも同じだ。そのため、これを見切ることが出来れば相手の次の手を読めるというわけであるが。

 そもそもとして、普通は相手の撃ち込みの予備動作を見切ることはかなり難しい。というか、簡単に出来るならばこういった一対一での試合など成立し得ないわけで。

 

 では俺はどうなんだというと。

 俺は前世で、相手の僅かな表情の動きや目の動き、まばたきの回数やその他諸々などから相手の心理を読む技法を習得している。

 その過程で観察眼が磨かれ、ほんの僅かな動きすらも察知できるようになったのだ。

 

 まあそれでも柳韻先生のような達人級は動きが洗練されていてほとんど見切れないのだが、織斑はまだ小学5年生。

 持って生まれた剣才と弛まぬ努力で既に同年代を突き放してはいるものの、俺から見るとまだまだ粗がある。

 

 というか、この技法は一度危ない目を見てから必死こいて磨いたものだ。

 指さえ見えれば拳銃の弾丸も避けられる俺からしたら、いくら未来の“世界最強(ブリュンヒルデ)”とはいえそうそう破られるわけにはいかない。

 ……大人気ないと言われたら返す言葉もないのは事実だが。

 

 だって多分剣で勝てるのは今だけだし、と自己弁護しつつ、防具を外す。

 いつまでも着けていると「恩田、もう一本やろう!」……こうして織斑が何度も誘いをかけてくるのである。

 

「一日一本って約束したろ?」

 

「う……つ、次は明日の分だ」

 

「そう言って次の日になったら『昨日のことは昨日のことだ。さあやるぞ!』とか言い出しただろうが」

 

 しかも断ったらあまりにも落ち込むので、仕方なくその日も相手をしてやったのだ。

 それに味を占めて同じことを繰り返さないように、しっかり報復はしてやったが。

 

 いやあ、あの織斑千冬がメイド服を着て真っ赤な顔をして「お……お、お帰り、なさいませ……ご、ご主人様」って言うんだぜ?

 

 あの日撮った写真を十数年後に公開したら、興奮のあまり倒れる奴とか大勢いそうだ。さすがに他の誰かに見せたら俺の命が危ないので、そんなことはしないけれども。

 

「む……仕方ない。私も素振りをするか」

 

 織斑は、面倒だからと防具を着けたまま素振りを始める。

 

 ……相変わらず鋭くて綺麗な太刀筋だ。

 俺は動きを読ませないことに意識を向けすぎていて、肝心の撃ち込みの鋭さに関しては織斑に二歩も三歩も譲る。

 

 俺がこいつに抜かれる日は、そう遠い未来のことではないだろう。

 だが、せめて少しでも長くこいつの壁で在りたい。

 そう思って、柄にもなく無心に剣を振った。



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第2話 篠ノ之束

「ただいまー」

 

 誰もいない家に響く自分の声を聞きながら、靴を脱いで家へ上がった。

 

 祖父母から受け継いだこの家は、一人で住むには過剰なほど大きい。

 資産家だったらしい祖父母が結婚した当時に買った二階建ての家なのだが、小まめに手を入れていたからか老朽化しているところもほとんどない。

 お陰でそのまま使えるのはありがたいのだが……正直、一人で住むなら一階だけで十分だ。それすらも、各部屋がそれぞれ半分の広さでも事足りるだろう。

 そのせいで普段足を踏み入れない二階には手が回らず、掃除も年末と季節の変わり目以外はしていない。

 

 売ろうかと考えたこともあったが、祖父母との暮らしが色濃く残るこの家は取っておきたかったのだ。

 

 俺など前世持ちの変わった子だったろうに、祖父母は普通の子と変わらない愛情を注いでくれた。

 歳を取って動くのも楽ではないだろうに、小学校の授業参観に来ない日は一度も無かった。

 実の両親の顔も覚えていない俺にとって、今世の親はあの二人だ。

 惜しむらくは、親孝行が何も出来なかったこと。迷惑ばかりかけているうちに、事故に巻き込まれて逝ってしまった。

 俺にできる唯一の親孝行は、祖父母に胸を張れるような人生を送ることだ。

 

 ――今世こそ、定職に就く。

 

 そのために……とりあえず飯を作るか。腹減ったし。

 

 

 

 ◆ ◆ ◆

 

 

 

 最近、織斑はある女子にご執心だ。

 

「こら、先生にはちゃんと挨拶をしろ!」

 

「いったッ!?何するんだよ!?束さんの頭が不具合を起こしたらどうしてくれるんだ!」

 

「既に故障しているだろうが。叩けば直るんじゃないのか?」

 

「束さんの頭は昭和のテレビじゃないよ!?」

 

 ……早速朝から騒いでいるが、柳韻先生の長女である篠ノ之束だ。

 近い将来ISを開発する稀代の天才であり、身内(妹と織斑姉弟のみ)以外を凡人と断じて存在価値すら認めない、かの“天災”である。

 その片鱗はこの時期から現れており、今も校門の所で挨拶をしてきた先生を視界に入っていないかのようにスルーして織斑に叩かれている。

 

 この二人は出会いもこんな感じで、教師を無視しまくってた篠ノ之を見た織斑の堪忍袋の緒が切れて制裁を下したところからの付き合いらしい。

 織斑は尊敬する師の娘だから「知るか」と無視することもできずにその姿勢を矯正しようとするし、篠ノ之もこれまで周りから浮いていて誰も関わろうとしてこなかったことに少しは寂しさを感じていたのか何度無視しても罵倒しても関わってくる織斑のことを少しずつ認めつつある。

 俺の知る原作のように「束」「ちーちゃん」と呼び合う親友(あくゆう)の仲ではないが、そのうちにそんな関係になるのだろう。

 

 ……俺?多分、空気から道端の木にジョブチェンジした程度だ。

 織斑と割とよく話すせいか認識はされているが、俺には話しかけてこない。だから俺も篠ノ之に挨拶をする義務はないと思うのだが。

 

「おはよう織斑。篠ノ之も」

 

 声を掛けないと織斑の手がこちらにも伸びてくるので、リスク回避のために挨拶をする。

 

「ああ、おはよう」

 

「……」

 

 織斑はちゃんと返してくれたが、予想通り篠ノ之は無視。そして上げられる織斑の手。

 

「いたッ!?そんなポンポン叩かないでよ!」

 

「言っても聞かんやつには殴って聞かせるしかないだろう」

 

「うぅ……大体、何で人ってこんなに挨拶が好きなのかなあ」

 

「そりゃ人ってのは『自分はここにいるぞ』って主張しないと不安になる構ってちゃんだからだよ」

 

 俺も含めて。

 

 そう言うと、何故か二人とも目を丸くして俺の方を見た。

 

「お前は……どうしてそう、捻くれた考え方をするんだ」

 

「そう褒めるなよ。照れるだろ」

 

「一ミリも褒めてない」

 

 あれ。

 

 ――そんな風に織斑とふざけていたから、篠ノ之が

 

「……へぇ」

 

 と小声で呟いたことには気がつかなかった。

 

 

 

 ◆ ◆ ◆

 

 

 

「来週は、遠足に行きます」

 

 というのが、今日の学活の話題だった。

 

 行き先は学校からバスで2時間ほどのところにある広い公園だ。

 そこでクラスでのレクリエーションやカレー作り、班別レクリエーションを行う。

 カレー作りはこういう遠足では定番だが、うちの学校では4年の時から毎年遠足でカレー作りをする。

 そのため、2年目の今年はそう大きな失敗は無いだろう。

 

 ということで。

 

「では、4人1組の班を作ってみてください」

 

 先生の言葉に騒がしくなるクラスメイト達に耳を塞いでいると、近寄ってきた織斑に声を掛けられた。

 

「恩田、私と組もう」

 

「俺は良いけど……こういうのって普通、女子同士で組むもんじゃないのか?」

 

「私もそう思ったのだが……何故かみんな、目を逸らして離れていってしまってな」

 

 織斑は、先ほどの休み時間まで普通に話していたのだが……と首を傾げる。

 

 

 

 ――唐突だが、ここで我が学年に伝わる話を一つご紹介しよう。うちの学年の、とある女子生徒の話だ。

 

 去年の遠足で、その生徒の班がカレーを作った時のこと。

 

 最初は、女子ということで玉ねぎのみじん切りを頼んだ。

 すると、玉ねぎは文字通り粉微塵(・・・)に切り刻まれた。しかも、皮ごと(・・・)

 

 怒った班員が何故切る前に皮を剥かないのかと問うと、

 

「カレーに使う玉ねぎは『あめ色』のものを使うと美味しいのだろう?だから、せめて少しでも近付けようと皮を剥かずに切ったのだが……」

 

 これは駄目だ、と一瞬で結論づけた班員は野菜のカットを別の人に託し、彼女には野菜やジャガイモの皮むきの仕事が与えられた。

 ピーラーで皮を剥くだけならば誰にでも出来るだろう、と。

 

 ところがどっこい。少し目を離した班員達が次に目にしたのは、表面を大きく抉られた野菜達の無惨な姿だった。

 この惨状の犯人と思われる女子生徒に目を向けると、今度は流石に決まり悪そうに頭を掻いていた。

 

「すまん……少し力を入れすぎてしまった」

 

 どう考えても少し力を入れすぎた(・・・・・・・・・)程度ではこうはならないだろうという哀れな被害者達と、少々バツが悪そうなその女子。

 

 両者を見比べた班員達は、溜息を吐いて(カレー作りのルールとして全く作業に関わらない生徒を出してはいけないため仕方なく)彼女を別の仕事に回すのだった。

 

 その後も少女はその力を存分に発揮し、「落としても割れないように」という大人達の優しい心遣いで用意されたプラスチック製の食器を見事に割るなどの犠牲を出した。

 

 最終的に後始末に奔走した班員達は、美味しいカレーや楽しい時間と引き換えに、「織斑に料理をさせてはいけない」という教訓を得たのだった。

 

 

 

 とまあ、そういうわけである。

 要は、織斑は料理に関しては不器用な上になまじ力が強いもんだから、とんでもない被害が出るのだ。剣を握っているときはあんなにも器用なのだが。

 

 織斑と仲のいい女子たちが離れていったのも、この話を聞いてのことだろう。

 

 このまま行くと今年は俺が後始末に奔走しなきゃいけなくなるのだが、去年の遠足では確か幾つか備品を破損して学校が弁償していたはずだ。

 先生も去年の二の舞は避けたいだろうが……例のルールにより、カレー作り不参戦は基本的に認められない。

 

 となると――。

 

「なあ織斑、篠ノ之は誘わないのか?」

 

「む?……そうだな。どうやら周りも決まってしまったようだし、私たちはあいつと組むか」

 

 因みにだが、うちのクラスは35人いるので3人組の班が一つ出来ることになる。

 他のクラスメイトたちも、“あの”篠ノ之や織斑と同じ班になるぐらいなら少々仲が良くなくても他の人と4人で班を作ってくれるだろう。

 

「おい、篠ノ之。私達と組もう」

 

 ノートに何やら一心不乱に書きまくっていた篠ノ之は、最初は無視しようと思ったようだが、一瞬間が空いて頭をさすった後にしかめ面をこちらに向けた。

 脳内シミュレーションの結果、殴られた上で強制的にこちらを向かされるよりは抵抗しない方が幾らかマシだという結論が出たのだろう。

 

「何の話……ああ、遠足とかいうくだらない行事か。私は行かないからどうでもいいよ」

 

「なっ、お前――」

 

 激昂しかけた織斑を手で制する。

 

「まあ落ち着け織斑。……なあ篠ノ之、お前は『遠足なんか時間の無駄だ』と思ってそんなことを言うんだろうが、多分行かない方が面倒だぞ?」

 

「……」

 

 篠ノ之は相変わらず俺に対しては無言だが、今回は珍しいことに目を細めてこちらを向いた。

 よし、聞いてはいるみたいだ。

 

「いいか篠ノ之。遠足ってのは一年の中でも割とでかい行事だ。つまり、お前の親はその存在を知ってる。その日に休んだら、きっと色々言ってくるぜ?お前はそれも無視するのかもしれないが……食事の度に説教されるのは、正直ウザいだろ」

 

 その状況が想像できたのか、篠ノ之の眉間に僅かにシワが寄る。或いは去年経験済みなのかもしれないな。

 

「遠足でみんな仲良くってのもそれはそれで面倒かもしれないが、カレー作りは俺に任せてもらって構わん。午後の班別行動も付いてくるだけでいい。午前中も……多分、篠ノ之は見学っていうのを先生達に呑ませられると思う」

 

 篠ノ之に「集団で楽しくて遊ぶ」などという行為は不可能だ。が、学校側も篠ノ之に「来るな」とは言えない。

「みんなが楽しむため」というお題目を盾にすれば、先生達も渋りはすると思うが最終的に呑むだろう。

 

 その辺は語りはしなかったが、この頭脳明晰な天才は察したのだろう。

 

 一つ息を吐いて、初めて俺に向けた言葉を発した。

 

「何故そこまで束さんを遠足に行かせたいのかは分からないけど、君の言うことは一理ある。お望み通り行ってあげようじゃないか」

 

「そうか……それは良かった」

 

 説得に成功し、思わず息を吐いた。

 いや、本当に良かった。

 

 篠ノ之に「俺が篠ノ之を遠足に行かせたがる理由」が分からないのは当然だ。

 何せ、こいつには友達はおろか会話をする相手すら織斑以外にはいない。そして、それ以外の会話は全て意識に入ってこない。

 つまり、あの(・・)話を耳にする機会が無かったはずなのだから。

 

 いやあ、篠ノ之が行くと言ってくれて本当に良かった。

 「篠ノ之の相手をしていてくれ」と頼めば、織斑のカレー作り参戦は免れるだろう。

 これで今年の遠足も安泰だな。

 

 

 

 ――世の中思い通りには行かないという言葉の重さを俺が身をもって味わうのは、それから約一週間後のことである。



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第3話 遠足(前編)

筆が乗ったのでもう一話。このペースがいつまで続くかは不明です。



 そして迎えた遠足当日。

 二時間もバスに揺られて辿り着いた公園の一角にある広場でドッジボールに白熱するクラスメイトたちを他所に、俺はある人物を探していた。

 

 多分この辺かなーと思うところを探すと、木陰のベンチに座って端末の上で指を踊らせる目当ての人物を見つけた。

 

「よう篠ノ之。今日も研究か?」

 

 集中が薄れた一瞬を狙って声を掛けると、彼女は胡乱げな目を向けてきた。

 

「なんで私が研究をしていると知ってるんだ?」

 

「いや、何個か特許取ってるだろお前。ググったら出てくるぞ」

 

「……普通、クラスメイトの名前を検索するか?」

 

「自称天才がどんだけ世間に知られてるのか見てやろうと思ってな。想像を遥かに超えててビビったけど」

 

 一度大人を経験した俺でも何となくしか理解できないこいつの研究内容もそうだが、何よりその範囲の広さが尋常ではない。

 ざっと見た限りでも、医学、化学、物理学、生物学、工学など様々な分野に手を広げ、その全分野でその道の専門家に負けずとも劣らない成果を出している。

 小5女子がだ。

 

「……お前、実は一回死んでたりしないか?」

 

「……どういう意味かな?」

 

 困惑と、少しの苛立ち。嘘や誤魔化しの色は無い。

 となるとマジで11歳か。……いや、そっちの方が信じらんねえよ。

 流石はISを個人で開発した化け物だな。

 

「やっぱり天才ってことか」

 

「凡夫とは細胞レベルでスペックが違うんだよ」

 

 ふん、と鼻を鳴らす。

 

「しっかし、いくらなんでも手を出してる範囲が広すぎねえか?なんか手当たり次第に食い散らかしてるように見えるけど」

 

「束さんは意味のない研究なんてしないよ。全ては目的のために必要なものだ」

 

「目的ねえ。どんな?」

 

「私ですらまだ手の届かない、未知の輝きだよ」

 

 そう答えた瞬間の篠ノ之の瞳は、普段とは違い輝きを放っているように見えた。……それは気のせいだったのかもしれないと思うほど一瞬のことで、すぐに消えてしまったが。

 

 誰よりも好奇心が強く、しかし誰よりも賢い篠ノ之束は、きっと未知に出会っても直ぐに既知に変えてしまう。理解できてしまう。

 だからこそ、そう簡単には手が届かない遥かな未知――宇宙の輝きに魅せられ、ISを開発したのだろう。

 

 俺からすれば、よく分からなくて面白いものがもっと近くにあると思うのだが。まあそれに興味を抱くかは人それぞれだしな。

 

 少し話し過ぎた、というように溜息を吐いた篠ノ之は、再び端末に視線を戻した。

 

「……もう戻ったら?というか、どうやって抜け出してきたんだよ」

 

「人の意識から外れるのはそう難しいことじゃない。特に、今は織斑が超はしゃいでたからな。そっちに視線が集まってたから楽だったよ」

 

 人の視界というのはそこそこ広いが、人間の脳はそこに映る全てを意識的に認識するより一部に意識を集中させることが多い。広く浅くより狭く深くというわけだ。

 もちろん視界の端のものも無意識に認識してはいるが、そちらに割く割合は意識の集中度合いによって変動する。

 例えば教室で授業を受けていたとして。

 ただぼーっと黒板を眺めているだけなら視界の端で誰かが突然立ち上がっても気付くだろうが、一生懸命板書を写そうとしている最中なら音さえ立たなきゃ気がつかないだろう。

 

 それと同じように、今回のドッジボールではばったばったと相手を薙ぎ倒していく織斑にボールが渡った時、彼女にほとんど全部の意識が集中する。

 その瞬間を見計らって、そっと抜け出してきたのだ。

 

 まあ、あいつは意識が向くというより意識を向けないと危ないというのが多分正しい。

 ドッジボールで人が吹っ飛んだのとか初めて見たわ。

 

 ……っと、そうだ。

 

「そういや、お前に言っときたいことがあって抜け出してきたんだった」

 

「……なに?」

 

 視線を上げもしない篠ノ之の肩をガシッと掴む。

 

「わわっ!な、なに!?」

 

「良いか、篠ノ之」

 

 何やら慌てているが、俺はそれどころではない。

 なにせ昼飯……ひいては命がかかっているのだ。

 

「今日これからあるカレー作り。どうにかして織斑を引き付けといてくれ」

 

「あ、あいつを……どうして?」

 

「織斑はな。こと料理においては、恐ろしいほど不器用なんだ」

 

 去年の惨劇を伝えると、篠ノ之の顔も引き攣り出す。

 

「だから、頼む。まともな昼飯が食いたければ協力してくれ。このままじゃ後始末ですげえ苦労する上にろくな代物が出来上がるとは思えん」

 

「……うん。えっと、その……」

 

 篠ノ之は、珍しいことに躊躇っている。

 ……いや、これは怯えか?とすると、一体何に対して――。

 

「――恩田、遺言はそれで良いのか?」

 

 ……なるほど、これか。

 

「……織斑、落ち着いてくれ。落ち着いて話をがっ!?ちょ、痛い痛い!!アイアンクローはやめあががが!?」

 

 軋む、頭が軋んでるから!!

 

 俺の必死の抵抗を意にも介さず、織斑は俺の頭をガシッと掴んだまま引き摺りだす。

 

「全く、いつの間にかいなくなっているから探しにきたらこんなところでサボりおって。しかも黙って聞いていれば、何だその言い草は。私だってカレーぐらい作れるところを見せてやろう」

 

「分かった、分かったから取り敢えず手を離してくれ!!」

 

「私が運んでやろうというのだ。そう遠慮するな」

 

「違えよッ!!」

 

 ええい、どうしたら……あっ。

 

「篠ノ之、助けてくれ!!後生だから!!」

 

 俺の必死の訴えに、篠ノ之は目を逸らして。

 

「ある晴れた 昼下がり いちばへ――」

 

「ドナドナ歌ってんじゃねえよっ!?」

 

 

 

 ◆ ◆ ◆

 

 

 

「ひ、ひどい目にあった……」

 

「全くだよ……」

 

 数時間後、俺と篠ノ之は机に突っ伏していた。

 

 この数時間の苦労は筆舌に尽くしがたいものがあった。

 しかし。

 しかし!

 俺はついに、この戦いを乗り越えたのだ!!

 

「……どうしたの、急に立ち上がって」

 

「いや、ちょっと感極まって」

 

 ちょっと感極まるとか意味分かんねえな、とか思いながら腰を下ろす。

 

 隣で抜け殻になっている篠ノ之も、自分の昼飯が懸かっているからか手伝ってくれた。料理の経験は無いそうだが、織斑を制止するのを手伝ってくれてかなり助かった。

 こいつがいなかったら、今頃俺は祖父母に会いに行っていたかもしれない。

 

 で、今年も多くの伝説を残した織斑はというと。

 

「……なあ、恩田。もう良いだろう……?」

 

「いや、駄目だ。食材を無駄にするような真似は許さん」

 

「うう……」

 

 お焦げとすら言えないほど黒くなったご飯と、玉ねぎの量が極端に少なくおまけに焦げ付いたカレーのルウ。

 今回我が班で作ったカレーライスのひどいところだけを集めた一品を半泣きになりながら食べていた。

 なまじ味覚は普通だから余計苦しいみたいだ。

 

 精神年齢に換算した上で側から見ると小5女子を泣かせる中年という完全に事案な図がそこにあるのだが、何も俺は最初からこんなことをするつもりではなかった。

 

 ただ、ようやく作り終えて疲労困憊の俺たちを見て

 

「なんだ、もう疲れてしまったのか。情けないな、気合が足りんのではないか?」

 

 と宣う織斑にカチンときちゃったのは仕方ないと思う。

 

 一応片付けは全て俺たちでやったのだしいいだろ。まあ手伝われたらそっちの方が困るので、それは一向に構わないのだが。

 

「まあ、話はお前の食事が終わってからだ。だから早く食べろ」

 

「食事?処理の間違いじゃなくて?」

 

「篠ノ之、世の中には思ってても言ってはいけないことってのがあるんだぜ」

 

「お前ら〜〜!!」

 

 森に、織斑の叫びが響き渡った。



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第4話 遠足(後編)とその後

 織斑が自分の担当の分をどうにか処理し終え(処理って言っちゃったよ)、片付けた後。

 

「そんで、午後の話だけど」

 

「何するんだっけ。スタンプラリー?」

 

「ああ。クイズ付きだけどな」

 

 午後の班別レクリエーションの内容は、公園の各所に待機している教師を見つけて回るスタンプラリーだ。

 ただ、その居場所はクイズで示されているのでそれを解かなければならない。

 

 レクリエーション開始時に配られた紙を見ると、そこにはこんな文言があった。

 

 〈表と裏が同時に見れるものは一体何?〉

 

 で、この公園にある目印になるような施設はというと。

 

「長い長い滑り台、アスレチックの森、白鳥の池、野球場、フットサルコート、バーベキュー場、か」

 

「問題はどんなのだ?……表と裏が同時に、だと?何を言ってるんだこれは」

 

 織斑が紙を覗き込み、顔をしかめる。

 

「さて、どうしたもんかねえ……」

 

「ん?まさかこの程度のクイズも解けないの?」

 

 顎に手を添えて考えていると、横から茶々が入った。つかなんでそんなに嬉しそうなんだよ篠ノ之。

 

「いや、クイズの答えは分かってる。有名なクイズだからな。それが指す場所も自明だろう。俺が悩んでるのはそこじゃない」

 

 因みにクイズの答えは「野球のスコアボード」。

 これが指し示すのは、まあ野球場だろう。

 

「じゃあ何を悩んでるんだ?」

 

「回る順番だ。こうもスタートが遅れると、普通に回ってたら間に合わないだろ」

 

 作業に手間取っていた俺たちを待つことなく、既にレクリエーションは開始していた。

 クラスメイトがあれこれ言いながら出て行って、既に30分ほど経つ。

 スタンプラリーが順調に行けば終わってから予定時間まで少し待つ程度だと考えると、ここからのスタートは少々厳しい。

 その上、ここから野球場に行くには公園を端から端まで移動しなきゃならない。それは無駄が多すぎるだろう。

 

「だが、次の場所を示すクイズは最初のクイズを解いた先で貰えるんだろう?」

 

「いや、無くてもおおよその居場所は分かる」

 

「へ?」

 

 不思議そうな顔をする織斑と興味深げな目の篠ノ之に説明するために、「遠足のしおり」を取り出す。

 

「今日来ている教師は、全部で9人。1クラス3人の計算だな。で、本部がここだろ?ここには多分養護教諭と学年主任ともう1人で3人かな。でもここは広いから、本部から離れた……多分この辺とこの辺に、教師が待機してるはず。とすると、手が空いてる教師は残り4人。1人は野球場にいるとして、残り3人を3時間でちょうど回れる範囲に配置すると考えると……途中でチェックポイントを通らないようにってのも考えると、この二ヶ所だろ。多分こういう順番で回らせるんだと思うけど、最短距離だとこうだな」

 

 地図を指しながら説明すると、二人は目を丸くした。

 

 ん?

 織斑は勉強も出来るが小5の範囲を逸脱していない。

 驚くのも分かるが、篠ノ之ならこの程度の推測など容易く立てられると思うんだが。

 

「なるほどね……外から攻めた、というわけか。その視点はなかったよ」

 

 そう呟く篠ノ之の目には感嘆の色が見える。

 

 なるほど、教員側から見るという発想が無ければ辿り着けないか。

 篠ノ之にとって、自分の視点を凡人に合わせるなど考えたこともなかっただろうからな。

 これまでも、そしてこれからも興味を持つことはないだろう他人の視点に立つのは、こいつにとっては難しいことだろう。

 

「まあ、お喋りしてても仕方ない。とっとと行こうぜ」

 

「ああ、そうだな」

 

 二人を促し、俺はリュックを背負って立ち上がった。

 

 

 

 ◆ ◆ ◆

 

 

 

「ぎ、ギリ間に合ったぁ……」

 

 マジで危ねえ。どうせ端にあるんだから、野球場に向かいながらあれこれ話せばよかったか。

 

 篠ノ之は今日一日で相当体力を消耗し、座席でぐでぇ、となっている。

 これまで全く運動をしていなかったから体力もないだろうし、カレー作りの時の奮闘も含めて本当よく頑張ったと言える。

 

 その篠ノ之を支える織斑はというと、その元気には全く翳りが見えない。

 何なら帰ってから試合を申し込まれそうなほど元気だ。俺が疲れたから断るけど。

 

 しかし今日は色々あったな。

 篠ノ之とちょろっと会話して、ドナドナからの厳しい戦場を乗り越え、最後はミニマラソンときた。

 ……うん、よく頑張ったよ俺。

 

 今日の収穫があるとするならば……篠ノ之との仲が普通になったことだろうか。

 先週あいつを説得して遠足参加を決めてからはちょくちょく俺にも口を聞くようになったんだが、飛んでくる言葉のほとんどが尖ってたからな。

 「ダーツしようぜ!お前的な!」じゃねえよ。会話しようぜ会話、って感じだったんだが、今は多分普通に話せる。

 あれだな、共に死線を乗り越えたことで絆が深まっ――結ばれた気がする。昨日までは深まるような絆は結んでなかったわ。

 

 まあ、今は友人と呼んでも差し支えない仲にはなったはずだ。俺の感情としても、篠ノ之束は嫌いではない。

 

 その篠ノ之はこれから自分の夢に向けて邁進し、宇宙へ羽ばたくための翼である“無限の成層圏(インフィニット・ストラトス)”を開発する。そして学会に発表し――夢物語だと嘲笑われ、馬鹿にされるのだ。それによって世界に見切りをつけた彼女は白騎士事件を始め様々な事件を起こしていく。

 その行動の是非には敢えて言及しないが、結果としてISが兵器として扱われ、彼女の夢への道が少なからず遠のいたのは確かだ。

 

 そんな未来を知る一友人として、夢を笑われてより歪んでいく友の姿を見たくはない。

 彼女の夢を理解したい。

 助けを求めてきたら、夢の実現までの道を整えてあげたい。

 篠ノ之束は確かに空前絶後の天才だが、全知全能完全無欠、というわけではないのだから。

 

 その為に俺は――まずは勉強するか。

 テストとか余裕だし、つって適当にやっていたが、篠ノ之がこれまでに行った研究がISの開発に必要なものなら、それを理解できないのはまずい。ちょっと本腰入れますかね。

 

 

 

 ◆ ◆ ◆

 

 

 

 その後も俺たち3人は少しずつ仲を深めていった。

 図工の粘土細工の時間に、篠ノ之が超ハイクオリティな1/10織斑千冬フィギュアを作って織斑に殴られていたり。

 家庭科の調理実習で織斑が奮起して家庭科室の備品をいくつか壊し、俺までまとめて怒られたり。

 修学旅行で行った京都で「古き良き伝統?あほらし」とか言った篠ノ之が織斑にしばかれ、俺も巻き込まれて一日中「織斑千冬による日本の古き良き伝統を学ぼうツアー」に引き回されたり。

 

 ……こうして振り返ってみると、俺巻き添え食らってばっかだな。

 

「色々あったけどもう卒業か……なんか感慨深いものがあるな」

 

「そうだな……この1年半大変だったが、楽しくもあった」

 

「確かに色々大変だったね〜」

 

「大変だったとかお前らが言っちゃうの?」

 

「そうだぞ、束」

「そうだよ、ちーちゃん」

 

 見事にハモったな。

 

 二人ともお互いの発言に納得がいかないようで、ムッとした顔を突き合わせる。

 

「何を言う“天才(バカ)”、自由奔放に振る舞う貴様のせいで何度私が苦労したか」

 

「ちーちゃんこそ何言ってんのさ!調理実習とかの度にものは壊すわ材料は駄目にするわで、フォローするの大変だったんだよ!」

 

 どっちもどっちだよ、ったく。

 

 仕方ないので、睨み合う織斑と篠ノ之の間に割って入る。

 

「……はぁ。お前ら「――恩田君、卒業式前なのに騒がしくしないの!」……俺が一番苦労したわ!!」

 

 思わず叫んだ。

 

 

 

 ◇ ◇ ◇

 

 

 

 この日。

 織斑千冬、篠ノ之束、そして恩田海斗の3人は小学校を卒業した。

 中学進学後も続いていくだろうと思われた彼ら3人の関係は――やがて、小さな変化を迎えることになる。



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第5話 織斑千冬

 ――それは、俺たちが中学に進んでしばらくしてからのこと。

 始まりはほんの些細なことだった。

 

 小五の時の遠足以来、俺は織斑&篠ノ之の担当として認識されたようで、以降のグループ活動では毎回この二人と同じ班になり、6年になってもクラスは同じだった。

 それは中学生になっても変わらず、俺たちはまたクラスメイトだ。

 

 授業中、織斑は真面目に授業を受けていて、篠ノ之も自分の研究に没頭している。教師もそれを知っており、なおかつ教師に当てられても反応すらしないので篠ノ之が授業中に当てられることはない。

 たまにプライドの高い教師がいると面倒なことになるのだが、今年の教師はわざと面倒ごとを起こそうとするような愚か者はいないようである。

 

 休み時間になると、篠ノ之は研究が佳境に差し掛かってなければ織斑にじゃれつきに行く。

 織斑は最初は適当に応対するのだが、そのうち篠ノ之のからかいがエスカレートしていって最終的に張り倒されて終わることが多い。

 

「ねぇ良いでしょ?束さんもちーちゃんの弟君に会ってみたいし〜」

 

「一夏を馬鹿兎(おまえ)に会わせる気はない。諦めろ」

 

「え〜、じゃあ今度ちーちゃん家にドッキリお宅訪問しちゃおうかな!それなら――ぎゃふ!?」

 

「――いい加減にしろ」

 

 こんな感じで今日も篠ノ之は沈められ、織斑は床に倒れ伏す篠ノ之を睨んで教室を出ていった。

 

「おーい篠ノ之、生きてるか?」

 

「……な、なんとか……」

 

 篠ノ之はよろつきながらも起き上がる。

 

「うぅ……最近ちーちゃんの愛が重くなってきてる気がする」

 

「おまえもそう思うか?」

 

「え?」

 

 冗談交じりにぼやいた篠ノ之は、俺の言葉に首をかしげる。

 

「ブラウニー、どういうこと?」

 

「誰がスコットランドの妖精か」

 

 取り敢えずお決まりのツッコミを入れる。

 

 名を呼ぶには値するものの“ちーちゃん”のように名前からあだ名をつけるほど親密ではないということなのか、あるいはこいつ独自の謎ルールなのかはわからないが、俺は明らかに染めただろって感じの茶髪から茶色いの(ブラウニー)と呼ばれている。ちなみに髪は地毛だ。

 

 っと、今はそんなのはどうでもいい。

 

「織斑の抱える苛立ちが、先月ぐらいから日に日に募っていってる。んで、反応を見るに家族関係の話題は地雷っぽいな」

 

「あー、それで“お宅訪問”ってワードでキレたのか。道理でいつもより苛烈なはずだよ。束さんじゃなかったら流血沙汰だぜ」

 

「ナイス石頭だな」

 

 ぶいぶい、とか言ってる篠ノ之を適当にあしらう。

 

 この頃の出来事で家族が地雷ってーと……親関係か?

 かなり希薄になってきた記憶を辿るに、織斑家は両親がおらず織斑が一人で弟を育てたことになってたはずだ。一夏には親の記憶が無く、姉弟の年齢差は8〜9才。今は4歳ぐらいだろうから、ギリギリ記憶が残らない可能性はある。

 

「なあ篠ノ之、最近織斑が良くおまえの家に来たりしないか?」

 

「ちーちゃんが?うーん、どうだろう。道場に来てたら分かんないし、家も最近開けてることが多いから分かんないや」

 

 ふむ。

 この世界は、残念ながら幼い弟を抱えた10代前半の女子が誰の助けも借りれずに生活できるほど生きやすい世界ではない。成人の判子が必要な書類なんて山ほどあるだろう。

 で、織斑が頼る大人っていうと柳韻先生ぐらいしか思いつかない。

 だから、織斑が先生を何度も訪ねていたらその線の可能性が高いと思うんだが……。

 

「肝心な時に使えねえな篠ノ之」

 

「いきなり何を失礼な!……で、結構深刻なのかい?」

 

 フッと真剣な表情になる篠ノ之。失礼だから口には出さないが真面目な顔があんま似合わねえな。

 

「……多分な。でも、本人には聞くなよ」

 

「何でさ。ちーちゃんが困ってるなら、束さんは助けてあげたいんだけど」

 

「助けを求めてくるまではダメだ。善意の押し付けは時にただの迷惑になることがある」

 

 篠ノ之は不満そうな顔だが、他人の……それも家庭の事情に土足で踏み込むわけにはいかない。

 

「でも、ちーちゃんが他人に助けを求めるかな?いくら仲が良くても……いや、だからこそちーちゃんは何も言わないんじゃないの?」

 

「自分一人ならな。でも、あんだけ大事にしてる弟のことまで懸かってたらプライドの一つや二つ捨てるだろ。あいつはそういう女だぜ」

 

「そう……だね」

 

 篠ノ之はゆっくり頷いて、唇を噛んだ。

 

「それまで、わたしたちに出来ることはないのかな」

 

「いつも通り接することだ。変に気を遣われたら却って気にするタイプだろ、あいつ」

 

「……そうだね。よーし!早速ちーちゃんをからかって――「ほう?」――あれ?」

 

 勢いよく立ち上がった篠ノ之は、突如後ろから聞こえた声に凍りつき、恐る恐る後ろを向く――前に顔面をガシッと掴まれた。

 

「ち、ちーちゃん?」

 

「先ほどは少しやりすぎたかと思ったが、そんなことはなかったようだな。元気一杯で何よりだ」

 

「いや、さっきのは束さんも十分痛かったからね!?手加減してくれると嬉しいだだだッ!?ちーちゃん、痛い、痛いよッ!!」

 

「少しぐらい痛いほうが効き目があるだろう」

 

「少しの意味分かってる!?めちゃくちゃ痛いんだけど!?」

 

 なんか既視感を――いや、立場は逆だが何年か前もこんなことがあったな。懐かしい。

 

「ちょ、ちょっと、見てないで助けてよ!!」

 

 必死でもがき助けを求める篠ノ之から目を逸らす。

 

「荷馬車が ゴトゴト――」

 

「数年越しの意趣返し!?あの時は悪かっ――ぎゃあああ!?」

 

 ちょっと助けられそうにない篠ノ之をあっさり見捨て、俺はせめて成仏しろよと手を合わせるのだった。

 

 

 

 ◆ ◆ ◆

 

 

 

 その日こそ少しは苛立ちを減らした織斑だったが、次の日からまた溜め込んでいき――やがて、誰の目から見てもその苛立ちを隠せないようになってきた。

 

 織斑は俺や篠ノ之以外にも友人がちゃんといるのだが、その人たちや教師ですら声を掛けられないほど、織斑の纏う空気は鋭く尖っている。

 流石の篠ノ之もあれには触らないだろう――と思いきや今日も元気にじゃれつきに行って殴られていたので驚いた。

 あいつはあいつなりに、「いつも通り接する」ということを貫いているのだろう。

 

 俺もどうにかしたいのは山々なのだが、篠ノ之にああ言い放った手前こちらから首を突っ込むわけにはいかずに悩んでいた。

 

「さーて、どうしたもんかねえ……」

 

 一人リビングのソファに寝っ転がって考える。

 

 やはり一番の問題は織斑の抱えているものが何なのか分からないことだな。

 一口に家族関係といっても色々あって、そうそう絞り切れるものではない。そしてその種類によって対応が変わってくるから、下手に動けない。

 

 原作ではなんか記述があったか?

 ……両親が不在だったことと織斑が早くから働きに出ていたことぐらいしか記憶に無いな。

 

 他には何か……駄目だ、何も思いつかない。

 

「ふぅ……シャワーでも浴びるか――あ」

 

 そういえば数学のノートがあと1ページだったな。明日も数学あるから今日中に買っとかないとと思ってたんだが、忘れてたわ。

 時間は――10時か。コンビニだな。

 

 手持ちを確認し、財布を持って家を出た。

 

 

 

 ◆ ◆ ◆

 

 

 

 ――そして、俺は出会った。

 

 片手にスーツケースを引き、背中に4〜5歳程度の男の子を背負い、疲れ果てた様子で歩く――織斑千冬に。



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第6話 恩田海斗 (ver.千冬)

 ◇ ◇ ◇

 

 

 

 織斑千冬にとって、恩田海斗とは初めて現れた壁であり、越えなければならない目標であり、そして信頼できる友である。

 

 最初の出会いは千冬が小学校3年生の時。一年の途中で篠ノ之道場へ入ってきた新入り、それが海斗だった。

 それまでもクラスメイトとして知ってはいたが、はっきりと海斗を認識したのはそれが最初だった。

 

 当時、千冬は既に同門の者どころか近隣の子供達も集まる大会に出ても他を寄せ付けぬほどの強さだった。

 勝負になるのは小学校高学年以上の者が相手の時だけであり、それでも中学生でもなければ大抵は千冬に軍配が上がる。

 当時はそんなことは全く思っていなかったが、今にして思えば少し天狗になっていたところはあった。

 

 そんな彼女の高い鼻を完膚なきまでに折ったのが、新入りの海斗である。

 彼が入門して一月。基本の技は一通り教え、あとはそれを磨いていくのみ――その前に目指すべきところを見せておこうと考えた柳韻によって組まれた試合で、千冬は動きを完璧に読まれて負けた。

 

 剣を握るようになってから初めての、同年代への敗北。それも、入門して一月の新入りにである。

 普通ならば高かった鼻とプライドごと心を折られ、剣を捨ててもおかしくないところ――しかし、千冬はこの負けで奮起した。

 自分の剣を見つめ直し、基本に立ち返って剣を磨いた。

 そうしてもう一度海斗に挑み――再び負けた。

 

 その後はもう、意地である。絶対に負かしてやると心に決めた千冬は剣を振っては海斗に挑むことを繰り返し、いつしか二人はライバルとでも呼ぶべき仲になっていった。

 

 千冬から見ると海斗の剣は実に不思議で、素振りを見ていると別段速くも鋭くもないのに、いざ向かい合うと気が付いたら打ち込まれていることが多い。

 尊敬する師の柳韻によると

 

「彼の剣は正しい剣ではない」

 

 そうであり、剣の道を歩む上ではあまり真似するべきものではないらしい。

 

「今まで通りに剣に励めば、千冬君ならば近いうちに彼に勝てるようになるよ」

 

 そんな師の言葉に力を貰い、千冬は最初の壁にして倒すべき目標を見据えて剣を振った。

 

 

 

 ◇ ◇ ◇

 

 

 

 剣道から離れると、海斗はますます不思議な人間だった。

 勉強は出来て、運動も並以上には出来る。コミュニケーションが取れないわけでもない。

 それなのに、何故だか誰とも共に行動せずいつも一人でいた。

 

 一度千冬が理由を聞くと、

 

「ここで友達を作っても、大人になる頃にはその殆どと縁が切れてるだろう?だったら、わざわざ『友達を作ろうとする』なんて面倒なことをする必要はないかなと思ってな。一人でも別に差し支えないし。それに、生涯付き合うような大事な友人なんてものはいつの間にか出来てるものだ」

 

 そんな答えを返してきた。

 

 海斗には、こんな風に捻くれたところがある。

 大人になる頃には云々というのは知らないが、後半に関しては納得できてしまうあたり、たちが悪い。

 

 何より特徴的なのは、その目だ。

 他の人より少しだけ色素の薄い彼の瞳は、様々に移り変わって多彩な感情を見せる表情とは違い、その奥底は凪いでいて滅多に揺らがない。

 それが、どこか老成した大人のようだと千冬は思う。特に、はしゃぐ級友を温かい目で見ている時は。

 

 千冬が束と絡むようになってからは、そこに海斗もいることが多くなる。

 最初は師の娘ながら実に不愉快な奴、と思っていた束が次第に悪友と呼べるような関係になっていくのと同時に、海斗とも学校でもよく話すようになった。

 

 千冬と束と海斗。

 3人セットにされることの多かったせいもあり、今では千冬にとって二人は誰よりも信頼できる友だ。

 

 そして、だからこそ――中学に進学して間も無く起こったその件に、千冬は二人を巻き込みたくなかったのである。

 

 

 

 ◇ ◇ ◇

 

 

 

 始まりは、唐突に両親が亡くなったことだ。

 突如9歳下の弟と二人きりになってしまった千冬に手を差し伸べたのは、近くに住んでいながらこれまで一切の関わりがなかった遠縁の親戚だった。

 

 それは50近くの夫婦で、二人は千冬と一夏の二人を引き取ろうと申し出たのである。

 まだ中学生になったばかりの千冬には収入など当然なく、また突然親がいなくなったことで右も左も分からない状況だ。

 二人の笑顔に胡散臭いものを感じながらも、千冬はその申し出に頷かざるを得なかった。

 

 ――結果から言えば、それは失敗だった。

 

 夫の方は引き取った千冬のことを完全に性の対象として見ているようで、家にいる間は常に身体に纏わりつく視線が不快で仕方がなかった。

 時期的にもちょうど初潮を迎えて本格的に身体が女になり始めたころであり、膨らみ始めた胸や尻を這い回る視線に、千冬は必死で耐えた。

 

 妻の方はというと千冬や一夏には何の興味も抱いていなかった。

 彼女にとって二人は織斑家の遺産について来たゴミのようなものであり、何かに腹を立てては腹いせに千冬に手を上げることも少なくなかった。

 

 それでも、千冬は耐えた。自分一人ならばとっくにこんなところは飛び出していただろうが、まだ小学校にも入れない歳の一夏を育てるにはこの夫婦の金が必要だ。自分が犠牲になって何とかなるのならば、千冬は幾らでも耐えられた。

 

 しかしいくら一夏のためと心を殺しても、鬱憤は溜まる。

 家で反抗的な態度を取ると一夏に手を上げられるため、その反動で二人の目のない学校では苛立ちを隠してはいられなかった。

 

 剣呑な雰囲気の千冬に、クラスメイトは愚か教師までも怖がって触れようとはしない。

 千冬も自分が側からどう見えているかは分からないでもなかったので気にはしなかったが、そんな状態でも変わらずに接してくれる友人二人の存在はありがたかった。

 

 そんな日々が続いたが、そのままならば千冬はどうにか耐え続けただろう。織斑千冬には、それが出来るだけの強さがあった。

 

 だが、ある日。

 千冬は、夫婦のこんな会話を聞いてしまった。

 

『ねえ、手続きはまだ終わらないの?』

 

『もうしばらくだ。まあ、そう焦ることはない。じきに織斑家の財産は全て私たちのものになる』

 

『早く終わらないかしら。私、あんなガキの世話なんか嫌で嫌で仕方がないんだけど』

 

『そうか?どちらも中々の美形じゃないか』

 

『美形って言ったって、男の方はまだ子供もいいところよ。育つ前に我慢の限界が来るわ』

 

『女の方は中々良い感じだが。あと数年も待てば、美味しく熟すだろうよ。ご馳走を我慢した分、食べる時にはより美味しく感じられるだろうな』

 

『……まあ、女の方は好きにすれば良いわ。ガキは要らないから』

 

『分かった。手続きが終わり次第、児童養護施設に置いてくるとしよう。養育費を払うのも馬鹿らしいしな』

 

 ――もう、限界だった。

 

 財産目当てなのは分かっていた。男が、自分の体を狙っているのも分かっていた。だが、一夏の養育費さえ出してくれれば耐え忍ぶ気でいたのだ。

 それを、児童養護施設に置いてくる?――ふざけるな。

 

 千冬は激情のままに部屋に戻り、自分のものと一夏のものを全てこの家に越してくる時に使ったスーツケースに詰め込む。

 そして眠っている一夏を背負い、スーツケースを片手で抱えて家を飛び出した。

 

 

 

 ◇ ◇ ◇

 

 

 

 夜空の下で一人あてもなく彷徨い、冷たい風にも吹かれて、千冬の頭は冷えた。

 だが、あんな話を聞いてしまった以上あの家に戻る気は毛頭ない。

 

 しかし、今の千冬は正真正銘の無一文である。おまけに、今度こそ頼ることのできる親戚はいない。

 

 ――夜道を歩きながら、途方に暮れていた千冬。

 その目の前に、偶然。彼女の大事な二人の友、その片割れの恩田海斗が通りかかったのである。

 

 最初に気が付いたのは、海斗の方だった。

 

「――織斑」

 

 俯いて歩いていた千冬は、聞き慣れたその声に弾かれたように顔を上げ――慌てて踵を返した。

 

「おい、織斑。待てよ!!」

 

 腕を掴まれた千冬は、反射的にその手を振りほどこうとして。

 

「――へっ?」

 

 ――そのまま引っ張られ、両の肩をガシッと掴まれた。そしてグッと顔を寄せられる。

 

「〜〜!?お、恩田!?」

 

 近いから離してくれ、と続けようとした千冬の言葉は、海斗に遮られた。

 

「――俺は、頼る価値もないか?」

 

「そ、そんなことはない!」

 

「なら、どうして何も言ってくれない?」

 

「……お前に迷惑を掛けるわけにはいかない」

 

 千冬は、俯いて首を振った。

 その顔から雫が滴り落ちるのを見て、海斗は一瞬手に力を籠める――が、すぐにそれに気づいて力を抜く。

 

「なあ織斑。俺が昔、『大事な友人はいつの間にか出来てるものだ』って言ったことを覚えてるか?」

 

 千冬は俯いたまま頷く。

 

「お前は作ろうと思って作った友人じゃない。いつの間にか信頼するようになった、大事な友人だ。お前が頼ってくれた方が、俺は嬉しい」

 

「しかし……!」

 

 千冬は唇をギュッと結んで助けを拒もうとして――痺れを切らした海斗に顎を掴まれ、強制的に顔を上げさせられた。

 間近に迫ったその色素の薄い眼に、普段は全く揺らがない彼の瞳に激情の色が見えて、千冬はヒュッと息を呑む。

 

「なあ、どうしようもなくて困ってんだろ!?どうにもならなくて泣いてんだろ!?だったら――目の前の友人(おれ)を頼れよ!!」

 

 そこまで言ってから、彼我の距離の近さに気付いてか海斗は千冬の顎を掴んでいた手を離す。

 そして、

 

「……なあ、言ってくれよ。助けてってさ」

 

 そう囁いた。

 

 千冬は空いた手をグッと握り締めて――フッとその力を抜いた。

 

「…………なあ、恩田。私を……私たちを、助けてくれ」

 

 そうして、ようやく紡がれた言葉。

 海斗は待ち望んだ言葉に笑みを浮かべ、力強く頷いた。

 

「ああ、任せとけ」



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第7話 三日月が二つ

昨日あたりからお気に入りの数がすごい勢いで増えててヤバイです。
お気に入り数1000達成及び日間ランキング4位、あと感想とかありがとうございます。ホント感謝です。

期待の重さに打ち震えながら次話を投稿。


 ◆ ◆ ◆

 

 

 

 どうにか織斑を説得した俺は、「取り敢えず落ち着けるところへ行こう」と言って我が家へ誘った。

 

「お、お邪魔します」

 

 何故にそんな緊張した様子なのか。

 ……ああ、こんな時間に一人暮らしの男の家に上がるのは緊張するか。

 

「荷物はここ置いとくぞ。弟君はソファにでも寝かせとけ」

 

「あ、ああ。ありがとう。そうさせてもらう」

 

 その間に冷蔵庫から飲み物を取り出しておく。

 

「ほら、どうぞ。ただの麦茶だけど」

 

「いや、ありがたい。喉が渇いていたからな」

 

 喉を潤し、落ち着いたのを見計らって話を切り出す。

 

「それで、何があったんだ?」

 

 織斑は躊躇っている様子だったが、一つ深呼吸をして覚悟を決めたようだった。

 

「そうだな……何から話したらいいか。最初は――」

 

 

 

 ◆ ◆ ◆

 

 

 

「――で、家を飛び出してあてもなく歩いていたら、お前に会ったというわけだ」

 

「……そうか」

 

 織斑の話を一通り聞いて、俺の心にあったのは強い自責の念だった。

 

 まさかそんなひどいことになっていたとは……いや、あの織斑があそこまで溜め込んでたんだ。ひどいことになっているのは想像に難くなかったはずだろ。

 何が「家族の問題に〜」だ。そうやってカッコつけてる間に、織斑はこんなに追い詰められたんだろうが。何やってんだ、俺は――「恩田?」

 

 声を掛けられて顔を上げると、織斑は心配そうな顔をしていた。

 

「ん、何だ?」

 

「その……あまり自分を責めるな。お前達に言わなかった私が悪いんだ」

 

 思わず目を瞠った。

 こいつは自分のことでいっぱいいっぱいのはずなのに――いや、そんな奴に気を遣われる俺が駄目なのか。

 

 ……ったく、反省は後だ。

 

「悪い、切り替える」

 

 麦茶を一息に飲み干してから、織斑のことを考える。

 

 まず金が無い。

 次に家が無い。

 最後に頼れる大人がいない。

 

 おい、何が残ってるんだよ。……ああ、織斑か。

 なんだ、一番大事なものだけは残ってるじゃないか。

 

「金に関しては明日確認してみよう。家は一応当てがある。大人は……柳韻先生を頼るしかないだろうな。他に誰か候補はいるか?」

 

「……いや、いない」

 

「よし。話は早いほうがいい」

 

 携帯を取り出して、登録してある少ない番号の中から一つを選ぶ。

 

『――もしも〜し』

 

「よう篠ノ之、こんな時間に悪いな」

 

『こんな時間?……おお、もうこんな時間か』

 

 ……大丈夫かこいつ。

 

『そんで、何の用かな?』

 

「柳韻先生はまだ起きてるか?』

 

『お父さん?どうだろ、知らなーい。なんで?』

 

「ちょっと話したい。織斑のことだ」

 

 電話の向こうでガタッと音がした。姿勢でも正したのか。

 

『ちーちゃんの?』

 

「ああ、色々あってな。今から行くから、知ってる範囲で事情を教えといてくれ。寝てたら――」

 

『寝てたら叩き起こすから大丈夫。他には?』

 

「あとは着いてから話す。んじゃ頼んだ」

 

『おっけーい』

 

 ……少々不安だが、話は早いほうがいいのは確かだ。電話を切り、急展開に少し驚いている織斑を見る。

 

「というわけで、今から篠ノ之家に行くぞ。弟君は……連れて行ったほうがいいだろうな」

 

「……ああ、私が背負っていく」

 

「そんじゃあ、今日は向こうに泊まるかもしれんから直接学校に行けるように必要なものを用意してくれ。俺も一応準備するから」

 

「ああ、分かった」

 

 さて、俺も学校の準備やら何やら――あ、ノート買ってねえ。……まあいっか。それどころじゃねえし。

 

 

 

 ◆ ◆ ◆

 

 

 

 篠ノ之家に着くと、柳韻先生が待ってくれていた。

 そこから離れたところで、篠ノ之も壁に寄りかかっている。

 

「夜遅くにすみません、先生」

 

「いや、緊急のことなのだろう?構わないよ」

 

 座りたまえ、という言葉に従い腰を下ろす。

 

「それで、何があったのかな?束からは、千冬君が家族の事で何か問題を抱えているとしか聞いていないんだが」

 

「説明させていただきます。まず――「待ってくれ、恩田」――織斑?」

 

 語り出そうとした途端に遮られて織斑を見ると、彼女は決然とした顔をしていた。

 

「私が話す」

 

「いや、俺が話すよ。誰が話しても変わらないだろ?つらい話を何度もしなくても……」

 

「いや、私に話させてくれ。これは私の問題なんだ。せめてこれぐらいしないと、私が自分を許さない」

 

 ……相変わらず、不器用で強い奴だ。

 

「……仕方ない。好きにしてくれ」

 

「ああ。……では、お話しします――」

 

 その後、織斑は俺に語った話を繰り返した。

 一度俺に話したからか、先ほどよりも順序立てて話せている。

 

「――こんなところです」

 

 話を書き終えた柳韻先生は苦い顔をしていた。

 

「最近様子がおかしいとは思っていたが、まさかそんなことになっているとは……気付かなくてすまないね、千冬君」

 

「いえ、そんな……」

 

 そんな会話を他所に、もう1人が動きを見せる。

 

「――待て、篠ノ之」

 

 こっそり部屋を出ようとしていた篠ノ之を制止する。

 

「なんで止めるんだよ!束さんは――「いいから」――っ」

 

 俺に食ってかかる篠ノ之の言葉を遮る。

 

「後にしろ」

 

 目を細めてそう言うと、篠ノ之は舌打ちをして元の場所に戻った。

 

「……それで、千冬君。私は何をしたらいいのかな?」

 

「それについては、俺が説明します」

 

 一瞬凍りついた空気の中、躊躇うように口を開いた柳韻先生に感謝しつつそう言う。

 

「現在、織斑には保護者がいません。ですが、生きていくには様々なところで大人の許可が必要になります。そこで柳韻先生には、織斑の後見人となっていただきたいのです」

 

「……それだけかな?お金や家に当てはあるのかい?」

 

「ええ。お金は多分大丈夫だと思います。家に関しても、一応当てはあります。まあ、その辺の細かい話は明日にしましょう。今日は事情だけお話ししておきたかったので」

 

「そうか、分かったよ。……今日はもう遅い、泊まっていくといい。客人用の部屋があるから用意させよう」

 

「ありがとうございます」

 

 頭を下げてから、篠ノ之にアイコンタクトを送る。

 

 不機嫌そうにしていた篠ノ之は一瞬首を傾げるも、納得したように頷いて指を二本立てた。

 

 ……なるほど、二階か。

 

 

 

 ◆ ◆ ◆

 

 

 

 一階にあった割り当てられた部屋に向かい、荷物を置いて少し時間を潰してから、部屋を出て二階に向かった。

 

「……遅い」

 

「隣の部屋が静かになるまで待ってたんだよ」

 

 仁王立ちで待っていた篠ノ之に招かれ、部屋に入る。

 

「……なんつうかすげえ部屋だな」

 

「そう?……ああ、そっちのは触っちゃ駄目ね」

 

 初めて入ったが、篠ノ之の部屋は彼女が今までに作ったと思われるものやびっしりと書き込まれた紙で埋められていた。

 

「なあ、これ何がどこにあるのか分からなくなんないのか?」

 

「全然。寧ろ束さんにとってはこれがベストな配置なんだぜ」

 

 相変わらず天才の思考回路は分からんな、と思いながら空いてるところに腰を下ろす。

 

「で、さっき止めたのはやっぱりちーちゃんやお父さんの前でこう言う話をしたくなかったから?」

 

「ああ。あの2人は清廉潔白な性格してるからな。知られたら面倒だ」

 

 まあ、俺はそんな性格はしていない。

 

「取り敢えず、パソコン一台貸してくれるか?そんな良いのじゃなくていいから」

 

「束さんの部屋にスペックの低いパソコンなんて存在しないんだよ」

 

「……まあ何でもいいや。俺はしなきゃなんない手続きとかについて調べる。その間にお前は件の夫婦のことを調べてくれ。名前と住所から職場とか個人のアドレスの特定は行けるだろ?」

 

「そんぐらい朝飯前だよ♪」

 

「じゃあ、役職から仕事内容、検索履歴やSNSでの発言まで、徹底的に頼む」

 

「りょうか〜い。いやあ、楽しくなりそうだねえ」

 

「ははっ、本当だな」

 

 口の端をつり上げて悪辣に笑う篠ノ之を横目に、自分の口も三日月を描いているのを自覚しつつ、俺もキーボードを叩き始めた。

 

 ――二度と織斑には手出しできないようにしてやる。




11/5 最後の部分を少し修正しました。


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第8話 海斗の遊び

色々と専門用語が出てきますが、もし間違ってる点などありましたらお知らせください。

あと、前話の最後の方を少し修正しましたのでご確認ください。


 翌朝。

 徹夜明けで死ぬほど眠いのをどうにか抑えつつ、柳韻先生にまとめた書類を渡した。

 

「これが柳韻先生にお願いする“未成年後見人”についての資料です。出来れば午後までに目を通していただきたいと思います」

 

「分かった、読んでおこう」

 

 割とまとまった量を渡されて僅かに表情が引き攣ったのは見ないふりをして、学校へ行く準備をする。

 

 今まで表面だけしか知らなかった分野だけに、まず自分が内容を理解する必要があったので、かなり時間を食ってしまった。調べたのは未成年後見人についてだけじゃなかったし。

 空が段々と白み始めた段階でどう考えても普通にやってたら終わらないことに気付いて、もう一台パソコンを借りて二画面操作なんて曲芸をやる羽目になった。

 前世で学生の時に「並列思考とか出来たらカッコよくね」とか思い立って習得しといて良かったわ。習得に10年以上掛かったけど。

 

 準備を終えて玄関に向かうと、朝からシャキッとした織斑と対照的にどうにか立っているといった様子の篠ノ之が待っていた。かく言う俺も割とひどいと思うが。

 

 因みに、弟君こと織斑一夏少年はまだ眠っている。

 まだ小学校に通う年齢でもなく幼稚園も両親の死を機に退園したらしいので、少なくともここが片付くまで篠ノ之母に世話を頼んだ。

 

「お前たち、どうしてそう朝から疲れ果てているのだ?」

 

「いや、ちょっと寝れなくてな」

 

「そ、そうなんだよちーちゃん。束さんも研究がいいところでさあ」

 

「……何でもいいが、大丈夫なのか?」

 

 少し気遣いを見せる織斑に頷いて見せ、三人で家を出る。

 

「……夜更かしは日常茶飯事だけど、徹夜は久々だよ」

 

「悪いな、無理を言って」

 

「ううん、束さんがやりたいことだから」

 

 前を歩く織斑に気付かれないように、小声で言葉を交わす。結局篠ノ之も俺と同様ゼロ睡眠だ。そのせいで普段から目の下にある隈が少し濃くなっていた。

 

「午後はまたすることがあるから、学校にいるうちに寝ておけよ」

 

「分かってるさ。御誂え向きに今日はテスト前日だしね」

 

 そう、今日は定期試験の前日でほぼ自習。誰憚ることなく寝ることができるのは不幸中の幸いか。

 

「?……何を2人で話しているんだ?」

 

 一人だけ少し先行していることに気付いた織斑が振り返るので、適当に誤魔化す。

 

「いや、試験範囲ってどこだっけって話をな」

 

「そうそう。明日の科目は何だっけとかね」

 

「……試験前日にする会話ではないぞ、それは」

 

 呆れ顔を見て、少しは精神的にマシになってきたかな、と思いつつ学校へと歩いた。

 

 

 

 ◆ ◆ ◆

 

 

 

「全く、お前らは……もう少し真面目に勉強せんか」

 

 その日の午後。帰りの道中で織斑が溜息を吐く。

 

「いくら昨晩眠れなかったとはいえ、二人とも授業の半分以上寝ているのはどうなんだ」

 

「え?いや、自習プリント終わって暇だったから寝てたんだよ。なあ篠ノ之」

 

「そうそう。今更中学レベルの問題なんて目を瞑ってても満点取れるさ♪」

 

「おお、さすがは天才。じゃあお前明日目隠しして受けろよ?」

 

「ちょっ!?言葉の綾じゃん!」

 

 二人で騒いでいると、織斑が眉間にしわを寄せてこめかみを押さえていた。

 

「おい、この天災(バカ)はともかくとして、お前は適当に枠を埋めたんじゃないだろうな?」

 

「え?多分全部あってると思うけど。何で?」

 

 そんなに頭良い印象がないのだろうか。自分では頭脳キャラのつもりなんだが。

 ちょっとショックを受けつつ聞いてみると、理由は違うようだった。

 

「いや、お前が勉強ができるのは知っていたが……前回の試験の時はもっと時間をかけて解いているだろう?」

 

「ああ、なるほどね。いや、あれは暇つぶしに遊んでるだけだよ」

 

 少し話は変わるが、我が校の試験では問題用紙には各問題の配点が書かれていない。

 点数によって難易度を判断して難しそうと敬遠してしまったりするのを防ぐためなんだそうだ。俺はその辺も含めて作戦だとは思うのだが、定期試験レベルでは気にするなということなのだろうか。

 まあ、要するに試験中はどの問題が何点かなんて分かりゃしないのだ。

 

 そこで思いついたちょっとした遊びが――。

 

「点数当て、だと?」

 

「そ。配点を予想して、事前に決めといた点数ーーまあ大体77点だけどーーを狙うんだ。割といい暇つぶしにはなるぜ?」

 

「しかし、配点を予想するなど……」

 

「俺も模試とかの点数を当てに行くのはさすがに無理さ、作成者を知らんからな。でも定期試験を作るのはいつも授業をする教師だろ?授業を見てればその教師がどの辺を重視してるのかぐらいは分かるし、当たんないことはないよ。まあ言うても国語は毎回鬼門だけど」

 

 文系科目、特に国語の記述の配点の予想は結構難易度が高い。他の教科は「この辺に力を入れるだろう」っていう予測の上で授業を受けてるからどの辺をどれぐらい重視してるのかは分かるが、国語は完全に教師の好みだからな。一つの文章の中でならいけると思うが、全体の中でとなるとさすがにお手上げである。国語だけ大問ごとに配点書いてくんねえかな。

 

 織斑を見ると唖然とした顔だった。

 

「……そ、それで的中率はどれほどなんだ?」

 

「んー、前回は初めてでまだ傾向もあんま掴めてなかったしな。目標は各科目誤差5点以内だったんだが、正直誤差10点が良いとこだ」

 

 国語は漢字の配点を読み違えたもんで酷いもんだったし。危うく平均割るとこだった。

 

 篠ノ之は感嘆とも呆れとも取れる表情を浮かべていた。3:7くらいで。

 

「……君は相変わらず妙なことを思いつくねえ」

 

「一人暮らしが長いからな。一人遊びの天才って呼んでくれて良いんだぜ」

 

「一緒に遊んでくれる友達がいないんだね」

 

「ハッ、俺は少数精鋭派なんだよ。……つかお前が友達を語るか」

 

「ちーちゃんが1人で1000人分だから良いのさ♪」

 

「戦闘力換算で?」

 

「……否定できないなあ」

 

「まあ、何せ関羽だからな」

 

「ーー誰が蜀の英雄か」

 

「「あたっ!?」」

 

 にゅっと出てきた織斑に2人揃って叩かれる。今回はかなり軽めで一瞬めまいを起こす程度だったが。

 え?それは軽くないって?バカ言え、これで重いって言っちまったら一撃で意識を刈り取られたりするのは何で形容したらいいんだよ。

 

 っと、そろそろいいか。

 

「さて、周りに人が少なくなってきたところで。ちょっと真面目な話をしようか」

 

 そう言うと篠ノ之は呆れの色を強めた。

 

「そこまで考えて、ここまでバカみたいに騒いでたんだ」

 

「こっちが動き始めてることは極力知られたくない。どこから伝わるか分かったもんじゃないからな。時間が無くても最低限の気は使うさ」

 

 情報戦は戦の勝敗の大部分を占める。さっきの篠ノ之ではないが、いくら優秀であっても目隠しをしたままでは力を発揮できないのだ。

 

「まあ、織斑に簡単に盗み聞きされてるあたりその辺の危機管理はザルっぽいが、用心するに越したことはないだろ」

 

 そう言って、カバンから昨晩――今朝か、今朝まとめたプリントを取り出す。

 

「織斑は、柳韻先生と一緒に役所に行ってくれ。やることは簡単にまとめるとこんな感じだ」

 

 プリントを織斑に手渡す。

 

「先生にはもっと詳しいのを渡してあるから問題ないと思うけど、お前も自分のことだから概要ぐらいは知っておきたいだろ?」

 

「……ああ、ありがとう」

 

 織斑は感謝を告げて、真剣な表情で目を通し始めた。

 

「手続きはなるべく急いだほうがいい。現状はお前が賛成しない以上例の親戚の申請は通らないはずだが、こっちが申請する前に手続きが終わったりすると面倒だ。先に行って柳韻先生とすぐに向かってくれ」

 

「ああ、分かった」

 

 頷いた織斑が走っていくのを見送っていると、隣から潜めた笑い声が聞こえてきた。

 

「ちーちゃん、確かゴミ共の話を聞いた時に『手続きはもうしばらくかかる』って聞いたって言ってたよね?これ、数日中に終わる時の表現じゃないと思うんだけど」

 

「まあ、普通はそうだな。でも、用心するに越したことは――」

 

 馬鹿らしくなって途中で言い訳をやめた。今更篠ノ之に隠す意味はない。

 

「ああそうだよ、織斑を先に行かせるための方便さ。ちょっとズルをするからな」

 

 携帯電話を取り出して、事前に調べておいた番号をプッシュした。で、一旦それは置いておいて喉に手を当てる。

 

「ア゛ー、あ゛ー、あー」

 

 よし。

 目を瞠っている篠ノ之をよそに、待機状態だった携帯電話の通話ボタンを押す。

 

『――はい、こちらは○△市役所です』

 

「ああ、先日織斑千冬との未成年後見人の申請をした佐藤だが――」

 

 篠ノ之の目が見開かれた。




沢山のお気に入り登録、感想、及び評価有難うございます。

一つお願いなのですが、特に低評価をされる方は出来るだけその理由(文章が下手、設定がおかしいなど)を添えていただきたいと思います。
筆者もなにぶん知識が無く世間知らずなので、今後の為にも至らない点を教えていただけると幸いです。

追記:最後のあれは某三世のように自由に声を変えられるわけではありません。


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第9話 お前だから

多くの人から質問されましたが、海斗の前世についてはいずれ本編で、話の流れでか或いは閑話のような形か分かりませんが、語りたいと思います。

あと、評価の際に一言欲しいと言いながら一言欄を設けていなかったことに関しましては、本当に申し訳ありません。


 対応に出た職員に散々怒鳴り散らし、文句を喚きまくって電話をぶちぎった。

 これで良しと。

 

「……ねえ、今の何?」

 

 ここまで空気を読んで黙っててくれた篠ノ之に、俺は懇切丁寧に説明する。いや、そんなに丁寧でもないか。

 

「ん、役所に電話したんだよ。向こうの手続きはどんぐらいで終わるのかってな。一週間ぐらい猶予はありそうだ」

 

「そうじゃなくて!君が出してた声のことだよ!」

 

 ああ、そっちか。いや分かってたけども。

 

 では説明しよう。俺の108ある特技の――嘘です、そんなにない。いくつかある特技の一つで、子供の声帯で大人の声を出すというものだ。

 それもルパンのように誰かの声に似せることは出来ないし、電話越しでなければバレてしまうような精度の低いものだが。

 

 ただ、便利な特技ではある。

 何年か前に祖父母も死んで天涯孤独となった時に、子供では出来ることが少なさすぎるのに苛立って練習してみたら意外とうまくいったという経緯で生まれたもので、お陰でかなり楽できた。

 

「名前は書類に書いてあるだろうし、声ぐらいなら少し違っても電話のせいで誤魔化せる。わざわざ身元確認をするほど重要な情報なわけでもないし、いけると思ったんだけど……やっぱりいけたな」

 

 はは、と笑うと、篠ノ之は訝しげな目でこちらを見ていた。

 

「この後ちーちゃんが役所に行くのに、今の電話は必要あったの?」

 

「そりゃもちろん。今の声が通用するかどうかの実験が一つ、こっちの話の信憑性を持たせるのが一つ」

 

もう一つあるけど、それはまだ言えない。

 

「それであれだけ怒鳴り散らしてたのか……」

 

「考えなしには動かんさ。考えることをやめるのは人間をやめるのと一緒だからな。ほら、パスカルも言ってるだろ。“人間は考える葦である”ってな」

 

 “人間は考える葦である”。

 人間はまるで一本の葦のような存在だが、“考える”事が出来る。これは素晴らしい事なんだ、みたいな意味だったはず。うろ覚えだけど。

 

 つまり人間の価値は“考える”というところにあるわけで、逆説的にいえば考えることをやめた人間は獣にも劣るということだ、と俺は解釈している。

 

 ……柄にもなく真面目なことを言ってしまった。

 

「ほら、止まってる場合じゃない。早く行こうぜ」

 

「止まって電話してたのは君だよね!?」

 

 即座に乗ってきた篠ノ之を笑ってあしらいながら、篠ノ之家への道を急いだ。

 

 

 

 ◆ ◆ ◆

 

 

 

 15時過ぎ。

 織斑が柳韻先生と共に役所から戻ってきたので、食卓に集まってもらう。

 

「お疲れのところ申し訳ありません、先生」

 

「いや、大事なことだからね」

 

 そう言ってもらえるとありがたい。用意されていたお茶で軽く喉を湿らせてから口を開いた。

 

「織斑の金と家の話です」

 

「ああ、それは大事な話だね」

 

 そう呟く先生に頷く。

 

「まずは金ですが、織斑の両親の口座はまだその名義のままだったので、取り敢えず銀行に連絡して凍結してもらいました。故人との関係が分かる書類――戸籍謄本などですね――と本人確認ができるものを持って窓口に行けば、再び引き出せるようになるそうです。口座には元々の貯蓄や生命保険で下りたものなどが入っているので、そこそこ纏まった額は手に入りそうです。少しの間は大丈夫でしょう」

 

 織斑はひとまずそれを聞いて安堵した様子である。

 その様子に申し訳なさを感じながら、俺は水を差す。

 

「ただ、それは今後大きな出費がなかった場合の話だ。これからお前は高校があるし、ひょっとしたら大学に行くかもしれん。弟君に関してはまだ小学生ですらないんだからな。金はかかるぞ」

 

「そ、そうだよな……」

 

「ただその辺はお前の頑張り次第でなんとかなるからひとまず置いとこう。次は家の話だ」

 

「ああ。そういえば、アテがあると言っていたな。いったいどんな物件なんだ?」

 

 勢い込む織斑を、まあ落ち着けと手で抑える。

 

「その前に。取り敢えず前に織斑が住んでた家が今どうなってるか調べてみたけど、例の夫婦に譲渡された後に売りに出されてた。取り戻すのは資金的に厳しいだろうな」

 

「……そうか」

 

 生まれ育った家だ、思い入れもあるだろう。祖父母の家を無駄と分かっていながら売れなかった俺にもその気持ちはよく分かる。

 だが今後のことを考えると、仮に手中に残っていたとしても売りに出す予定だった。

 流石に家族4人で住んでた一軒家を維持するだけの資金は勿体無い。

 

「では、どこかを借りるのか?」

 

「ああ、良い物件があるぜ。家賃は月2万円で、敷金礼金はゼロ。保証人も必要無しで、おまけに中学校も徒歩圏内だ」

 

「何!?そんな夢のような物件が……あるわけないな。あるとしたら今にも崩れそうな廃屋ぐらいだろう」

 

「おいおい失礼言うなよ、超キレイだぜ?広いし」

 

 この辺で篠ノ之が気付いたらしい。「あっ!!」と叫んで立ち上がり、俺の方に迫ってくる。目が超怖いんだが。

 

「ねえ、どういうつもり?まさか本気じゃないよね」

 

「いや、本気も本気、大真面目だぜ。大体、これが最善――とは言えないまでも、次善くらいだろ。もっと良い手……というか現実的な手は他にあるか?あるならそっちに変えても良いけど」

 

「うっ、それは……でもでも、流石にそれは……」

 

 うんうん唸り始める篠ノ之に織斑がちょっと引きながら、首を捻る。

 

「束は何を言っているんだ?私にはよく分からないんだが」

 

「ああ、簡単なことだ。その夢のような素敵物件ってのはウチなんだよ」

 

「ほう、そうなのか。それなら確かに中学校も近いし家も広いな。……うん?『ウチ』……うち?」

 

「そう、俺の家」

 

「…………はあああああっ!?」

 

 篠ノ之家に、織斑の絶叫が響いた。

 

 ……うん、まあ驚くよね。

 

 

 

 ◆ ◆ ◆

 

 

 

 驚愕のあまり錯乱する織斑をどうにか抑え、ふしゃーッと威嚇してくる篠ノ之をやっとの思いで宥めた。

 で、主に唯一冷静な先生に向けて理由を話す。

 

「例えば織斑が激安物件を借りれたとするでしょう?で、一生懸命生活費を切り詰めて、それでも織斑が高校生になる頃には相当厳しいでしょう。で、その後は織斑が中卒で就職すると?ただでさえ中卒で収入が低いのに、弟君は成長するにつれてお金がかかるようになる。はっきり言ってとても支えきれるとは思えません」

 

「それは確かにそうだろうが……やはり私としては、千冬君に任せるとしか言えないな。千冬君が嫌がるのならば何か他の手を考えるが、それで構わないかい?」

 

「ええ。嫌がっているのを無理やり、とは思いません」

 

「だそうだが、千冬君。君はどうする?」

 

 問われた織斑は、俯いて考え込んでいた。

 

「嫌なら嫌で無理することはないぞ?」

 

 流石に同い年の男子と一つ屋根の下っていうのは無理があったか、と内心後悔しつつ、断りやすいようにそう言うと。

 

「……いや、そういうわけではないんだ」

 

 織斑は首を横に振った。

 ……じゃあなんで?

 

「ただ、お前にまた迷惑をかけてしまうのだと思ってな」

 

 ……はぁ。

 思わず溜息を吐いてしまった。

 

「あのなあ織斑。迷惑だと思うんならこんな提案してねえよ。俺はお前だから、お前なら良いと思ったからそう言ってるんだ」

 

 そう言うと、織斑はバッと顔を上げた。目が見開かれていて、その頬は少し赤い。

 ん?……ああ、ちょっと台詞が臭すぎたか。ちょっと恥ずかしい。

 

「……大体、迷惑がどうとか今更だろ。何年お前の後始末に奔走したと思ってんだ」

 

 織斑と臨むドキドキ☆調理実習に比べたら、住人が2人増えるぐらいなんてことない。

 

 照れ隠しも交えてそう言うと、途端にムッとした顔になった。そしてプイッとそっぽを向く。

 

「ふん、お前のうちを借りさせてもらうとしよう。一夏のためにもな」

 

「お前ホント弟君が大好きだな」

 

「……ほっといてくれ」

 

 織斑は、今度はさっきとは別の理由で顔を赤くしたのだった。



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