Fate/ragnarok Change (フーリン式)
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前章「前夜祭ーサタデイナイトフィーバー」
第マイナス15夜「壬生カグヤ①」


 

 

 

 1にして0。0にして1。

 

 

 

 人はあらゆるモノの始まりを根源と呼び、魔術師と呼ばれる人の理を離れた者達はそれを追い求めて生を消化する。

 

 根源、それ即ち起源。

 

 全ての始まりが0だとするのであれば、1になるとき始まりは本当の意味で始まったこととなる。

 

 不老不死、平行世界の運営、時の流れ。

 

 数多の可能性への扉がその始まりには隠されている。

 

 これはその始まりを追い求める噺。

 

 全ての願いを叶え、他者の望みを踏み躙る。

 

 全ての始まりを手にする少女が、どのようにしてその1を手にしたのか。

 

 真理の果ては第六の壁の向こう側。

 

 或いは幻想郷の奥、全てを見通す魔術師の眼球の中に隠されている。

 

 今は閉ざされてしまった第六の壁を超えた先に、『彼ら』の求めた真理は隠される。

  

 太陽の巫女が嘆き、山羊の頭蓋骨が嗤う、天上の主。

 

 理不尽へと挑み、根源の一歩手前にて(そら)を見上げる彼の姿を見る者はいない。

 

 彼こそがこの物語の結末である。

 

 彼を救うには、彼が封じ込められたのと同じ力で扉を開くしかない。

 

 誰もが彼を待っている。誰でもなかった彼が蘇るのを待っている。

 

 これは全てが決まった物語。

 

 結末が決まった物語を今綴ろう。

 

 

 

 

 

アルクネヴィリア区事件簿

         ……報告官 ■■■■■■■

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 ロンドン時計塔。

 其処は一般的にいえば英国の観光名所として語られる場所だろう。

 しかし実際の其の場所は、数多くの若き魔術師が日々奮闘し、現実を知りながらも一族の為に研究を続ける熟年した魔術師が蔓延る一般人が知り得ぬ裏の世界。

 その正体は、四十を超える学院と百を超える学術棟と、そこに住む人々を潤す商業で成り立つという巨大な学園都市。

 国籍・ジャンルを問わず魔術師たちによって二世紀頃作られた自衛・管理団体。魔術を管理し、隠匿し、その発展を使命とする。という名目を表向きに建造されてはいるが、実際は非人道的な研究も兵器で行われている現代の都市伝説の集合体のような場所である。

 内部構造は19世紀の英国と類似しており、『貴族』と呼称される権力者達が内部で派閥争いをするなど、一部では中々に泥泥とした空気が漂っている。

 

 

 そんな中、その時計塔が誇る最高学府の校舎に、威厳と体調の悪さによる声の低さを織り交ぜたような男の苦言が室内に響く。

 

 

「いい加減しつこいぞ、トーサカ」

 

 

 苦言を吐く男は三十代半ばといった年齢の長髪の筋肉質の男で、静謐な雰囲気とは裏腹に服装は赤いコートの上に黄色い肩帯を垂らすなど、些か過激なファッションに見える。

 そんな男が年期の入った木製の椅子に腰掛けながら忌々しそうに視線を送るのは、男とは違って東洋人らしい顔の造りをした、比較的美人と呼べる黒髪の女性だった。

 垢の抜けていない様子や年齢からして、まだ成人したばなりなのだろう。

 彼女は男を問い詰めるように間に挟んだ机に自身の掌を叩きつけると、男以上に不機嫌そうな冷笑で頬を引き攣らせていた。

 

 

「お言葉ですが、頑固なのは貴方です……教授。いい加減理由を教えて下さい」

 

 

 この時点で、何度も同じ質問をされていた男は、目の前の女――遠坂凛がどのような疑問を口にするか予想ができていた。

 

 

「なんで私じゃなくて、ルヴィア――エーデルフェルトが聖杯戦争の参加者に選ばれたんですか!!?」

 

 

 今彼女の口から直接吐き出された『ルヴィアゼリッタ・エーデルフェルト』と遠坂凛は、先代の何れかが同じ魔法使いの弟子にしてもらった経歴がある。

 鉱物を主とする宝石魔術や、魔術師にあるまじき体術、性格など、遠坂凛とルヴィアゼリッタ・エーデルフェルトは共通点が多いが、それ故に同族嫌悪が発生してしまっている。

 故に彼女は、自分ではなくライバル(そんな相手)が魔術師として名誉ある使命を受けたことが気にくわないのだ。

 

 

「私とルヴィアの能力はほぼ互角の筈です!いえっ、僅差で私のほうがっ!!」

 

 

 遠坂凛の物怖じしない物言いに、さしものベテラン教師も片手で頭を抱えることになる。

 ロード・エルメロイⅡ世。

 ロンドン時計塔に属する魔術師達の最高学府の教授であり、時計塔に名を連ねる貴族の一員でとある。

 本名は別にあるらしいが、彼を知る者は尊敬と敬意を込めてロード・エルメロイⅡ世と呼ぶ。

 といっても、彼は別段卓越した魔術師というわけでも、勿論魔法使いであるわけでも断じてない。

 彼が得意とするのは他人の教育。まだ魔術師としては若い身でありながら、彼は時計塔で最も優秀な教師と呼ばれているのだ。

 彼の教えを受けた生徒は誰しもが優秀な魔術師へと成長していき、その一部は時計塔の魔術師の最高位である『王冠』の階級にまで手が届くのではないかと噂されている。

 今彼の目の前に居る女、遠坂凛もまたその一人であるのだが、彼の生徒の共通点は何も優秀という優れた点だけではない。

 彼の頭痛の大いな原因となるのも、共通点の1つだ。

 

 

「知らん。それとこんな場所で禁則事項に触れかねない名を出すな。滅多には居ないと思うが、何処ぞの馬鹿が盗聴している可能性がある。フラットとかな」

 

 

 フラット、と自然に出された名の人物もエルメロイの生徒の一人に当たる人物ではあるのだが、この青年も青年でどうにも優秀であるのに頭の螺子が外れている。

 エルメロイはそんな青年の悪意のない笑みを思い出し、それとは似ても似つかない遠坂凛の引き攣り顔を重ねながら、眉間に指を当てて苦言を吐いた。

 

 

「ついさっきお前と同じ言葉を吐いた男がいる」

 

 

「ッ!?誰ですか!?もしかしてそいつにも権利を」

 

 

「馬鹿者。あんな大馬鹿者を聖杯戦争に参加させられるか」

 

 

 その時点で遠坂凛は何となくその人物の顔を頭に思い浮かべることができていた。

 先ほど名も出たフラットその本人であろう。

 彼は魔術を使うことでは非出てはいるが、魔術師としては優秀でも何でもない。

 放っておけば秘匿すべき魔術をテレビの前で堂々と使ってみせるだろう。

 そんな人物と同じとされては、今は遠く離れているとはいえ、代々冬木市のセカンドオーナーである遠坂の名が泣く。

 その汚名を払拭する理由も兼ねて、再度遠坂凛は己の欲望を口にするのだった。

 

 

「私に!!」

 

 

「えぇい!!喧しい!!いいから出ていけ!!」

 

 

 

 

 

 

「全くもう……何で私に任せないのよ……」

 

 

 教室を出た後の遠坂凛はずっとこの調子だ。

 眉間に皺を寄せながらブツブツと独り言を吐く。

 以下に美人といえど、その様子を目にすれば熊でも逃げ出すことだろう。

 普段は冷静沈着な彼女をそうせざるをえない程に、遠坂凛の現状は鬼気迫っていると言わざるおえない状況であった。

 

 

 冬木市で行われた聖杯戦争。

 七騎の英霊を糧として奇跡の成就を果たすことを謳い文句とした願望機の争奪戦は、初めはある魔導の一族によって執り行われた。

 それが始まりの御三家。アインツベルン、マキリ、そして遠坂である。

 初めは、魔術師全ての悲願である〈根源〉への到達を目標として手を取り合っていたが、聖杯を手にできるのは1人だけ、争うのに必要なサーヴァントが制御不能に陥るなど、様々な問題が発生する。

 後に様々なルールが提案され、結局問題だらけの聖杯戦争は第三次にまで渡った。

 1930年頃に開催された第三次聖杯戦争は、第二次世界大戦真っ只中に行われた。

 それまで不干渉だった魔術協会や聖堂教会に目を付けられ、結局の所アインツベルンが聖堂教会に話をつけて監督役を呼ぶこととなる。

 そのおかげもあってか、第三次は今までになく順調に進められた。

 

 と思われていたが、御三家の願いも虚しく、当時猛威を奮っていたナチス・ドイツによって聖杯が奪われ、聖杯戦争は中止。

 規範外のクラスのサーヴァントを呼び出すなどの不正を犯したアインツベルンはともかく、他の参加者達はさぞかし落胆したことだろう。

 

 

 

 それから冬木の地で聖杯戦争は行われていない。

 第四次聖杯戦争の為に意気込んでいた遠坂凛の父も、聖杯戦争についてはまるで夢物語でも話すかのように扱っている。

 

 そう、それはもはや過去の戦争。

 二度と起きない惨劇だとばかり、遠坂凛は思い込んでいた。

 しかし先日、時計塔に入学してから2年程経って落ち着いてきた遠坂凛のそんな考えを打ち破る会話を聞いたのだ。

 

 

 ――ルーマニアにて、聖杯戦争が再び開始されると。

 

 

 会話を聞いたのは本当に偶然。

 偶々提出用のレポートの為に資料室に向かう途中、〈貴族〉の1人と思わしき男と、大凡魔術師とは思えない男の会話を耳にしたのだ。

〈貴族〉の方は知っていた。ロッコ・ベルフェバン。時計塔、召喚科学部長を務める老魔術師だ。

 学部長に就任してから既に50年以上経過しているが、未だ権勢を保っている大魔術師と会話しているのは誰かと目を見張ると、どうにもその男は魔術師には見えなかった。

 黒のサングラスとジャケットが印象的な、顔に傷の痕がある筋骨隆々とした肉体とかなりの強面の男だった。

 2人は見たところ、ベルフェバンの研究室から出たばかりだったようで、その間に交わされた短い会話に確かに織り込まれていたのだ。

 『聖杯戦争』『ルーマニアに行くのを忘れるな』『エーデルフェルト』など。

 まるで遠坂凛を決められた運命に誘うかのような、聖杯戦争に関する数々の単語が。

 

 

 それからの遠坂凛の行動は比較的速やかに過ぎた。

 貯蔵している宝石の数の確認。

 知り合いの魔術師達へのさり気ない情報集め。

 休学日がどれくらい取れるかの計算に、実家への連絡……は辞めた。

 未だ根源への到達への到達を諦めていない父親に聖杯戦争が始まるとの情報が伝われば、もしかしたら自分が参加すると言い出しかねない。

 あの慎重な父がそうするとは思えなかったが、念の為、遠坂凛が実家に連絡することはなかった。

 不安なところがあるとすれば、まだ完全に父から魔術刻印を譲り受けてないことにある。

 父は娘の実力を自分以上と十分に認めていたが、それ故に最後の一欠片のみは、時計塔を無事卒業してからと託けられた。

 家を出た時はその事に不満など抱かなかったが、今になって遠坂凛の心境に焦燥と不安が湧き上がる。

 遠坂の魔術刻印さえあれば、自分は万全な状態の魔術師として戦いに赴くことができる。

 そもそも、エルメロイが遠坂凛の聖杯戦争参加を渋ったのもそれが理由だ。

 魔術師の中ではお優しい部類の彼には仮にも教え子を、魔術刻印を受け継ぎ切っていない未熟な状態で戦場に出すなど言語両断なのだろう。

 そんな教師心を有り難く思う反面、やはり余計なお世話だと腹立たしくもあった。 

 

 聖杯戦争に参加できなくても、その現物を目にしなければこの憤りは抑圧できない。

 そんな自分勝手な欲望を実行しようと考えていた矢先、角を曲がって来た人影に気が付かず正面衝突してしまう。

 

 

「あぅっ!?」

 

 

「―――」

 

 

 遠坂凛が間抜けな声を上げて尻餅を付くのに対して、ぶつかった相手も弱々しく転げたものの、声も上げずに床に横たわっている。

 

 

「いてて……ッ。ごっごめんなさい!考え事してて!!貴女、大丈夫!?」

 

 

 立ち上がった遠坂凛はすぐさま横たわっている少女に手を差し出すも、少女に動きはない。

 黒いYシャツと淡い藍色のスカートを着た東洋人の少女だった。整った顔立ちをしているようにも見えるが、長い前髪で隠れて素顔は目にすることができない。

 少し時間が経過すると、まるでそうすることを設定されたロボットのようにむくりと少女は起き上がり、遠坂凛の手も借りずに立ち上がる。

 自分の手で服に付いた埃やらを払っているその姿にも隠せない気品を感じ、遠坂凛は目を丸くして感心した。

 

 

「……へー。堂々としているのね。時計塔じゃ東洋人は肩身狭いでしょうに」

 

 

 そこで漸く遠坂凛の存在に気が付いたかのように、姿勢を正した少女と目が合う。

 翡翠色の瞳をした、何処か人間離れした少女だった。

 人間と呼ぶにはあまりに出来すぎた、人形やホムンクルスのような、静謐で不思議な雰囲気。

 サイドテールの髪を直す仕草の1つ1つにも、陶器のような肌が揺れて、やはり何処か人外めいた雰囲気を連想させる。

 

 そんな美人に、遠坂凛は何処か見覚えがある気がした。

 

 

「あら貴女――」

 

 

「あの」

 

 

 初めて聞いた少女の声はまるで初めて囁いた雛鳥のように小さかったが、それを聞き逃す遠坂凛でもなかった。

 何はともあれ同郷の身だ。いくら競争心の激しい魔術協会の学生とはいえど、交友を深めるのも悪くはない。

 珍しくそんな懐の深い精神を顕にしていた遠坂凛の期待を裏切るように、少女の険のある鋭い眼光が射抜いてきた。

 

 

「もう行っていいですか?」

 

 

「えっ」

 

 

「この先に用があるので」

 

 

 一瞬不快な気分に陥った遠坂凛であったが、よく考えれば少女の受け答えは魔術師としては別段おかしくもなんともないものに見える。

 自分の研究成果にしか興味が無い魔術師にとって、無機物有機物関係なく他とは研究の材料であり、もしくは材料を発見する為の売人であり、また邪魔者でしかない。

 一般の魔術師とは違って、人間的な常識のある遠坂凛やロードエルメロイ二世は別として、大概の魔術師の言動は何処か棘のあるものが多い。

 そういう視点を交えて再考すると、少女の受け答えは魔術師としてはまだマシな方だ。

 頷いた遠坂凛は自分よりも年下の少女の為に片足を軸にして廊下の壁に寄る。

 

 

「引き止めちゃってごめんなさい。どうぞ。私も今度からは気を付けるわ」

 

 

 高校時代の優等性気分で優しく微笑みかける自分は、さぞかし親しみやすい年上を演じられているのだろう。

 そう自信があった遠坂凛の目の前を、少女は足早に素通りしていく。

 これには自分が人格者であることを自覚している遠坂の次期当主も額に青筋を立てる。といってもその表情は笑顔のまま、再度呼び掛けた声は愛嬌と冷徹を織り交ぜた複雑な声色だ。

 

 

「ちょっと待って、貴女」 

 

 

「……何ですか?」

 

 

 鬱陶しそうなのを隠すつもりもない少女にやはり腹を立てながらも、遠坂凛は先輩として物怖じせずに忠告する。

 

 

「喧嘩を売る訳じゃないんだけど……ぶつかったのは私が悪いわ。悪い。だけど、もうちょっと愛想をよくしたらどうかしら?綺麗な顔が台無しよ?」

 

 

 宿敵であるエーデルフェルトの御令嬢に吐く啖呵まではいかなくとも、それは十分に熱の篭った台詞であった。

 怒って口喧嘩に持ち込まれるか、問答無用で決闘を申し込まれるか。

 普段ならこんなことで一々時間を取らない遠坂凛も、重ねて続く不運に苛立ちを覚えているのだろう。

 例え騒ぎになったとしても、憂さ晴らしに一戦交えるのもいいかと思い始めている。それが年下の魔術師ともなれば気が引けるところもあるが、無論手加減はするし、もしかしたら相手が自分以上の使い手である可能性もある。

 謝罪は後日昼飯か何かを奢ることにして美談として収めたら全て丸く――

 

 

「ご忠告有難うございます。では」

 

 

 そんなこの後の計画を無視して、少女は素知らぬ顔で廊下を進んでいった。

 

 1人残された遠坂凛は呆気に取られながらも、『まぁそんなものか』と納得して肩を落とす。

 

 

 そうして少ししてから、平静を取り戻した筈の遠坂凛の表情が徐々に強張っていき、周りの目も気にせずに彼女は勢い良く振り向く。

 当然、其処にはもう先程の少女の姿は無い。

 まるで狐に化かされたかのような違和感は、やはり間違いではなかった。

 

 

「っ。またやられたぁ……。先輩に何て手を使うのよ、まったく……」

 

 

 まるで先日にも似たような経験があったかのように、悔しそうに歯噛みする遠坂凛。

 元々少ない預金が、『財布をすられたこと』で更に軽くなったことに目尻を涙を浮かべつつ、再びあの融通の効かないロン毛教師にどう納得させるかという事案に考えを移行させていた。

 

 

 



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第マイナス14夜「科学」

 

 男は、女に追われていた。

 

 

 それは他でもない、男自身が起こした不祥事から起きた事件であった。

 絶世の美女から道端で寝ている醜女まで。

 欲望の密集地帯とも呼べるニューヨークという都市で、男は大富豪として確立していた。

 加えて髭の似合う色男。未だ30代の彼は、不思議な色気を放って世の女性達を惹きつけた。

 

 男もそれを嫌がらなかった。

 次から次へと波のように押し寄せてくる女性達を、1人残らず自慢の大豪邸に招き入れ、次から次へと喰らっていった。

 寝室の中。朝日と共に目覚めた自分の横で眠る女を見る度に、彼は思うのだ。

 

 ――嗚呼、僕は生きている。

 

 どんな大物女優を抱いた時だって、病魔に犯された女を抱いた時だって変わらない。

 男には変わらない愛があった。

 全ての女性を愛し、そして彼女達も己を愛さなければいけない。

 それこそが彼のみが信じる法であり、彼が全ての女性に課するルールであった。

 

 

 

 

 

 

 

「という感じに雑誌で特集を組んで欲しいんだ。ああ、僕の電話番号と住所も忘れずに。男は連絡するなとも書いといてくれよ?僕はそっちの気がない。スポーツジムに行った時にハゲのゲイに襲われた時は鳥肌が立ったね、ああこれは記事にするなよ?差別主義者じゃないのにこういった発言はイメージダウンに繋がる」 

 

 うんざり顔の記者の前で、ソファに深く座って長い脚を組むサングラスの男は黒い革のグローブを嵌めた手を動かしながら饒舌に話続ける。その様子はまるで舌が複数枚生えているようでもあった。

 記者がいい加減話を切り上げようとしたのを見越して、サングラスの男は見当違いの考えを起こして話を続ける。

 

 

「おぉっと。その顔は僕のモテ術を知りたそうな顔だ。いやしかし駄目だ。教えられない。全ての女性は僕のものなんだ。渡してやれないね」

 

 

「オーケー、オーケー、ミスター・ヴェンジャー。よぉく判りました」

 

 

 これ以上の戯言はもう懲り懲りだといった調子で、若い男性記者が両手を使って目の前の男の止まらない舌を止める。

 記者がこのサングラスの男の家を尋ねてから既に3時間が経過していた。その間、記者が聞けた話は目の前の男のプライベートの自慢話ばかり。

 ゴシップ記事の三流記者ならそんな話題にも喜んで舌舐めずりをするのだろうが、生憎自分はそうではないと記者は苦笑する。

 記者が持つ手帳には、『military』と書かれていたのだ。

 そう、彼は軍事雑誌の記者である。

 

 

「ミスター・ヴェンジャー。申し訳ないが、今日お話を伺いに来たのは貴方の成功談の記事を書くためではないのです」

 

 

「……そうか。では帰りたまえ。なに、帰りのヘリぐらい何台でも出してやる。最新の光学迷彩装備のヘリを五台でどうだ?満足だろ?さ、出ていけ」

 

 

 相手が自分の美談を聞きに来た訳ではないと理解するなり、男――ヴェンジャーは饒舌のまま不機嫌になってソファから立ち上がる。

 バスローブ姿でそのまま寝室に行こうとしていることから察するに、彼はまた昼間からお楽しみタイムに溶け込むのだろう。

 記者は知っていた。目の前のバスローブの男が、どのような人物であるか。だからこそ、売れない軍事雑誌の記者である彼は今その自宅である大豪邸を訪ねているのだから。

 

 

「ミスターヴェンジャーッ!私達市民が知りたいのは、貴方の発明だ!!兵器だ!!どうか教えて下さい!!」

 

 

 

 ヴェンジャー・アルトスル・コカインド。

 天才社長。変態科学者。兵器開発の皇帝。火の7日間を再現できる者。見境なし。女たらし以上の女たらし。

 これらの異名を1つに纏めると至ってシンプルな答えが開示される――変人だ。

 だが、その変人が今の世界の兵器部門を操っているのだから、何処の国のお偉い方もヴェンジャーを馬鹿にできない。

 彼が造った兵器の数々は、時に激しく、時に残酷に、時に敵を一切殺すことなく拘束する、など。

 斬新かつ多種多様に過ぎ、あらゆる国の兵器部門の関係者達が彼を欲している。

 ヴェンジャー自身はニューヨークに居を構えているものの、何処の国に属することもなく、分け隔てなく武器を売っている。

 それこそ国家、非合法なテロリストとの裏取引までなんでもごされだ。

 またその類稀なるルックスと、若者に親しまれやすい鋭い物言いからテレビや雑誌にも引っ張り凧。

 今、ニューヨークで最も熱い兵器開発者といえば彼の他居ないだろう。 

 

 

 

「市民?市民といったか?君は?」

 

 

 そのままロビーから立ち去っていくかと思われた髭面の伊達男は立ち止まり、怪訝そうな表情で振り返る。

 すると足早に記者との距離を詰めていき、その胸を人差し指で指す。バスローブの下に見えるやや褐色の肌は、技術屋とは思えない引き締まった身体をしていた。

 

 

「市民が私の兵器のことを知りたい訳がないだろう?君は一瞬で自分の祖国を焼け野原に変えるミサイルを見て心躍るかね?」

 

 

 ヴェンジャーの声はそれまでの飄々としたものから打って変わって、凄烈なまでの説得力が加わっていた。

 世を騒がす変態科学者というよりは、熱心な若手政治家と例えた方が理に叶ってるかもしれない。

 

 

「私は使う奴が馬鹿みたいに喜ぶような、敵が畏怖を覚えてしまうような兵器を造ることを臨んでいるが、それに一般人は含まれない?解ったか?」

 

 

「は、はい、ミスターヴェンジャー……」

 

 

「ついでに言うと私は新しい兵器は造っていない。休暇中なんだ、見てわからないか?ん?」

 

 

 そう言いながら大仰に手を開くヴェンジャーの服装は、確かに仕事中には見えない。

 

 

「申し訳ありません……ミスターヴェンジャー」

 

 

 根っからの記者であるならば、彼はヴェンジャーに対してもっと食いつかなくてはいけないのだろうが、取材をしに来た時より既に3時間も経過しているのだ。

 今日のところはお暇させてもらおうと、荷物を纏め始めた落胆した様子で荷物を纏め始めた記者。その肩が、黒の革のグローブを嵌めた手に掴まれる。

 振り向くと、其処に居たのは先程まで取材をしていたヴェンジャーで、彼はサングラスの下から慈悲に満ちた眼を記者に向けていた。

 

 

「待ち給え記者くん。僕の屋敷に来たというのに、そんな暗い表情で帰られては我が社のイメージダウンに繋がる」

 

 

 饒舌に、愉快気に記者に語りかけながらヴェンジャーは親指で自身の背後を指差す。

 半分開かれた扉の向こうは寝室のようで、明らかに睡眠を取るためだけに使われるものとは思えない巨大なベットの上で、絶世の美女達が10人ほど待ち構えているのが見えた。

 その中には人気沸騰中のモデルや、超有名女優の姿もある。

 薄暗い部屋の中、下着姿で談笑したり、寝転がるその姿は結婚前の男性が見るにはあまりに淫靡に過ぎた。

 

 

「もし君が男色でないのであれば、そうだな。君が満足するまで彼処で遊んできて貰って結構だ」

 

 

 囁くヴェンジャーの声を耳にしながら記者の双眸は寝室の中に釘付けになった。

 相手となる女性の気持ちはどうなるというのか。そんなつまらない考えは、寝室の中で仰向けに寝転がっていた金発の美女と目が合った時に記者の頭から塵1つ遺さず消え去っていた。 

 

 

 

 

 

 

 

 男を形だけの寝室に投げ込んだ後、ヴェンジャーは1人地下室へと足を運ばせる。

 海岸に埋め込まれるような形で造られたヴェンジャーの屋敷兼研究所は、下手な大富豪の家よりなお豪華だ。

 有名なデザイナーに頼んで、生活環境は住みやすく、そして女性も親しみやすい構造に。

 地下の研究所には、自分が激選した機具しか置いていない。

 研究所には例えどんな絶世の美女が頼みこんでも入らせないようにしている。過去数度ハニートラップに引っ掛かって痛い眼を見てるからだ。

 

 故に、ヴェンジャーの研究所に入れる人間はヴェンジャーのみ。

 他に許されるのは、人間以外の存在だけだ。

 

 

「〈アブソプション〉。仕事だ」

 

 

 自分以外誰もいない空間で、ヴェンジャーが手を叩いて虚空に呼び掛ける。

 すると瞬く間に空中に幾つものウィンドウが立ち上がり、壁の各所に設置されたディスプレイも次々と電源がついて立ち上がっていく。

 

 

『おはようございます。ヴェンジャー様』

 

 

 人間の喉から発せられるものとは到底思えない、機械的な音声。

 その声は実体を持っている訳ではなく、テーブルの上に設置されたスピーカーから発せられている。

 

 

 AI、即ち人工知能という言葉は今や世界中のほとんどの人々が一度は耳にしたことがあるまだ謎の多い部門だ。

 勿論、科学者達にとってそれは未知などではない。

 人工知能という、人類を支える新しい生命体を造り出した彼らにとって、それは研究材料であり、頼るべき相棒でもある。

 

 

 ヴェンジャーは初等部の時にそれを独自に造り出し、その第一号がこの〈アブソプション〉となる。

 第一号と言っても、造り出したその日から少しずつ少しずつ改良を進め、今では其処いらの人間以上に空気に読めて頭の良い話し相手となっている。

 

 

『今日も女性漁りですか?』

 

 

「そうだ。何が悪い?」

 

 

『子孫を残すつもりのない繁殖行為に私は意味を見い出せませんので』

 

 

「お前の次のアップデートには等々、娯楽の何たるかを搭載しなければいけなくなるか」

 

 

『記者の方は?』

 

 

「ベッドルームでお楽しみ中。あれでは悪い記事を書く気も失せるだろ。まだあったとしても夢中で有名女優に腰を振っている姿なんて晒されてみろ、そのファンに根絶やしにされるぞ。僕の兵器より恐ろしい」

 

 

 人工知能と会話しながらもヴェンジャーが空中に浮かせた手を軽く横に振り払う。

 すると手に嵌めたグローブに搭載された電子盤に反応して、浮遊していたディスプレイが巨大な航空写真を浮かばせる。

 それは何かのゲームのCGのようにも見えた。

 例えるならそう。ラスボスが住む魔王の城だ。

 砂漠のど真ん中に佇む、漆黒の城塞。

 その中央に位置するのは悪党達を打ち込む大監獄とも見れる、超巨大な城だ。

 

 

「それから動きは?」

 

 

『全くありません。無線や衛星電話での会話もありませんでした』

 

 

 慇懃でありながら雄弁に語る人工知能と会話しながらヴェンジャーは神妙な面構えで自身の顎を撫でる。立派に生え揃えられた顎鬚を撫でる仕草は、映画撮影に臨む俳優にしか見えない。

 

 

「一昨日に出しておいた偵察機はどうなった?」

 

 

 ディスプレイに表示される新たな情報を次々と纏め上げながらヴェンジャーが問う。

 すると人工知能である〈アブソプション〉は、聞くものに明らかに口籠っているのを予想させる声色で絞り出すように応える。

 

 

『全機、迎撃されました』

 

 

「――そうか」

 

 

 平静を装っているものの、報告を受けたヴェンジャーの心境には僅かな焦燥がある。

 

 

 

 数日前。アジアのある地域に出現した超巨大な建造物。

 紛争が多いその地域を武器商人としての顔から張っていたヴェンジャーは、偶然その存在を知ることになった。

 既に世界各国で報道規制も行われているが、それを支持したのは各国の政府ではない。

 

 〈魔術協会〉。並びに〈聖堂教会〉の連中だ。

 

 ヴェンジャーは神秘に携わるものではない。

 故に、神秘を追い求める魔術師ではないし、神秘を管理する代行者でもない。

 では何故比較的表の世界に座する彼が、裏の二大組織の存在を知っているのか。

 それは、彼が武器商人であることが大いに関係する。

 魔術師。

 神秘を秘匿し、研究し、人理より外れた存在達。その者達についてはヴェンジャーは詳しくない。

 何しろ、魔術師と化学者。魔術は化学の代用品だの、行き過ぎた化学は魔術となるなど、そんな言い回しをする奴らがいるが、実際に研究してる身となるとお互いが相反するものだと重々承知している。

 天才化学者であるヴェンジャーもそんな不明瞭な存在と一緒にされてはたまらない。 

 彼が通じているのは魔術を目的する魔術師ではなく、魔術を道具とする魔術使いの方だ。

 

 魔術使いと呼ばれる人種達は魔術師の様に安全な穴蔵に住まず、大概は傭兵や暗殺者として生計を立てている。

 そんな彼らにとって、魔術とはただの拳銃やナイフといった武器に過ぎない。

 一族が繋いできた魔術刻印を金品など報酬を得るための俗物に変える。秩序や矜持など度外視した、魔術師とはかけ離れた存在。

 そんな彼らにとって、本来魔術師が忌み嫌う筈の技術の結晶。近代兵器も道具に過ぎず、そういったものをヴェンジャーの様な武器商人から買い付けていく。

 

 そんな『お得意様』の1人がこの間教えてくれたのだ。

 

 

 ――どんな願いも叶えてくれる願望機がある、と。

 

 

 ヴェンジャーはそれを笑い話にしなかった。

 それを雄弁に語る魔術使いの怖ろしさを知っていたし、この世には自分の理解が及ばないものがまだまだ存在することを若き天才は自覚していたからだ。

 何とも面白い噺だった。

 そして、それに夢を見始めた。

 

 

「よし、じゃいくぞ〈アブソプション〉」

 

 

 昔話を思い出しながら、ヴェンジャーは既にディスプレイを閉じて別室の研究室で寝転がっていた。

 リノリウム性のベット紛いの長方形のオブジェに仰向けになりながら、その四肢には中々太いチューブが差し込まれている。

 チューブの起点に在るのは、赤やら青やら黄色やら、毎秒変色する不明瞭な液体だ。

 それらを操るのはアーム型の機械を操作する〈アブソプション〉であり、八体にも及ぶ機械を同時進行で働かせている。

 

 

『本当におやりになるのですね?』

 

 

 寝転がったヴェンジャーに掛けられた〈アブソプション〉の声は、主人を心配する従者のそれだ。

 その声にヴェンジャーは苦笑する。人工知能といっても彼が初めて造り出した友人であり、相棒なのだ。

 

 

「ああやってくれ。これで僕はまた完璧な存在に近付く」

 

 

 恐れなど知らないように語るヴェンジャーの四肢には、背後のオブジェに固定するように錠が成されている。

 それを見るだけでも、これから行われる実験がどれほど苛烈なものか物語っている。

 

 主人の言葉に半分落胆を隠せないまま、〈アブソプション〉の操作するアームがチューブの起点となる機械のボタンを押す。

 すると瞬く間に、謎の液体がヴェンジャーの身体の中に流入していき、同時にオブジェの上ヴェンジャーの身体が跳ねた。

 

 

「あっ―――      

 あ"ぁ"ぁ"ぁ"ぁ"あ"あ"ぁ"ぁ"ぁ"あ"ぁ"っ!!!!」

 

 

 悲鳴を上げる原因は正しく流入する液体にある。

 白目を向き、体中の至る所に血管を浮き上がらせたその姿は薬物患者のようでもある。

 ヴェンジャーの身体に今起こっているのは新たな臓器、器官を創り出す激動だ。

 元々在る肉体に、後付して臓器ができる。

 ある宗教では、人間は神の写し身とされる。

 完璧な存在である神の写し身である身体に、他ならぬ人間の手によって新たな器官が造られるのだ。

 内側から押し上げられる筋肉、血管、神経は例外なく次々と悲鳴を上げ、体の主人であるヴェンジャーも慟哭するように身体を痙攣させる。

 爪と肉の間、充血した眼球、罅割れた皮膚から、次々と血液が溢れる。

 

 

 悲劇は数秒だけ。

 輸血パックらしきものに入っていた不明瞭な液体が全て空になると、ヴェンジャーは鼓動するように痙攣して、そのうち動かなくなる。

 常人も、魔術師も、その姿を見れば彼が死んだと思うことだろう。

 しかし、長年彼の従者を努め上げてきた人工知能――〈アブソプション〉だけは取り乱すことなく、変わらず業務を続ける。

 

 

『心停止確認。再起動まで、3、2、1』

 

 

 〈アブソプション〉の呼び掛けに合わせ、フィードバックを起こしたかのように再び跳ね上がるヴェンジャーの身体。

 傍から見た者からすればまさに奇跡。まさか死体となった男が心臓の真横に装着された生命維持装置で生き長らえたとは判らないだろう。

 

 

「――かはっ」

 

 

 最初に小さく息が吐かれ、その後咳き込むようにして男がオブジェの上で丸まる。

 嗚咽紛いの咳は血液が混じり、しばらく具合悪そうに寝転んでいたものの、数秒経ってヴェンジャーは上半身を起き上がらせた。

 そんな主人に〈アブソプション〉は、紅茶でも進めるような気軽さと慇懃さで声を掛ける。

 

 

『ご気分はどうですか?』

 

 

「……ああ、最高の気分だよ。新しい回路が増えると頭がぐちゃぐちゃになって……色々吐きそうだ」

 

 

 高熱でも発症したような気怠げな表情をするヴェンジャーの胸から四方向にかけて、それまではなかった『水色に輝く細長い線』が出現している。

 

 

『人工的な〈魔術回路〉の作成……恐れ入りました』

 

 

「人工知能のお前がそれを言うか?言っとくがな。これを身体に埋め込むのとお前を造り出すのだったら、お前を造り出した方が圧倒的に金がかかっているからな」

 

 

 それは、若き日のヴェンジャーの金銭感覚がおかしなところあったのだが。実験を成功させたばかりの〈アブソプション〉はそれを口には出さず、ただ賞賛の拍手のSEを送るのみ。

 そんな相棒にジト目を送りながらも、ヴェンジャーが片手のグローブを外す。

 その手の甲に刻まれた華を連想させる三画の刺青に、ヴェンジャーは息を呑む。

 魔術回路を手に入れたからといって、まさかこれ程速くに出現するとは思わなかったからだ。

 予兆はあった。戦争の舞台となるあの砂漠に足を踏み入れた時に、既に薄っすらとこの刺青は出現しかかっていたのだ。

 それが人工的な魔術回路を手にしたことで完全にその姿を顕にした。

 まるでこれで後戻りはできなくなったとヴェンジャーに釘を刺してくるように。

 それで良いと、ヴェンジャーは忌々しさと未来を予想しての喜悦を織り交ぜた複雑な感情で刺青を撫でる。

 

 

 

 彼が武器となる英霊を呼び出し聖杯戦争が始まる地に向かうのは、これより3日後の話である。

 

 

 

 

 



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第マイナス13夜「壬生カグヤ②」

 

 〈魔術協会〉としての顔を持つ時計塔は、四十を超える学生寮と百を超える学術棟と、そこに住む人々を潤す商業で成り立つ巨大な学園都市だ。

 必修である「全体基礎」──魔術全体の共通常識、類感魔術と感染魔術、地脈、マナ学など──を第一とした十二の学部に分けられ、以下「個体基礎」「降霊」「鉱石」「動物」「伝承」「植物」「天体」「創造」「呪詛」「考古学」「現代魔術論」のそれぞれが独自の権力、独自の自治区画を持ち、十二人の君主(ロード)に管理されている。

 十三個目の項目として、政治家を志すための「法政」があるが、これは神秘を探求する学問ではなく、社会を回すためのものであるため十二の学部にはカウントされない。

 

 

 その中で、極東の田舎魔術師の当代である壬生カグヤが教えを請いたのは、「現代魔術」の教室の扉である。

 知人の父親の紹介を得て入門したその教室は、はっきりと言って個性的に過ぎた。

 教師はまだいい。眉間に深く刻まれた皺やいつも不機嫌な表情を除けば、其処いらの魔術師よりも幾分かマシに対話できる人物だ。周りがこぞって言うように個人の実力は二流だとしても、彼の教師としての実力は目を見張るところがある。

 問題なのは生徒達の方だ。

 問題児も問題児。常識外れで天才ばかりの生徒達。

 苦ではなかったが、この教室はおかしいのではないかと講師に問い質した所、

 

 ――安心しろ。お前も十分問題児だ。

 

 と突き返されてしまった。 

 一体自分の何処が問題児なのか。

 首を捻って廊下を歩いていると、それなりに知っているフード姿の女性が目に入る。

 恐らく噂の凄腕講師に頼まれたのだろう。分厚い本を山積みにて、蹌踉めきながらも廊下を進んでいる。

 普通、知り合いがこういった危機に瀕している時は、優しく声を掛けて手を貸すのが当たり前なのだろうが、壬生カグヤの考え方は違う。

 

 

「――|vanish〈消える〉」

  

 

 一語文の詠唱。直ぐ様、魔術刻印が宿主であるカグヤの意思に呼応してその気配を虚空と化す。

 実際は完全に姿を消すことなど魔術の範囲では不可能であるが、カグヤの発した詠唱は“対象者の意識を逸らす”魔術と“臭いを消す”魔術を同時に行うことで、気配を遮断するものだ。

 相手が認識しやすい視覚や嗅覚を抑えてしまえばもう容易い。残りの聴覚に関しては体術に関してある程度鍛錬を積んだカグヤには消すのはお手の物だ。

 暗殺者さながらの足取りで未だ此方に気が付かないフードの少女の背後に回り込み、脇に手を回して一気に擽る。

 

 

「ひふっ!?」

 

 

 フードの下から吐き出されたのは少女の甘い声。肩を震わせた少女の手からは次々と積み上げていた蔵書が溢れ、無残に床に落下する。

 恐る恐る振り向いた彼女の眼には、もう此方の姿が写り込んでいる。

 整い過ぎていると見るものに思わせる顔立ち。透き通る綺麗な瞳には、此方の姿が写り込んでいる。

 

 

「み、ミブ……さん?」

 

 

「こんにちは、グレイ」

 

 

 困惑した表情ではあるが、相手が見知った人物だと確認するとグレイと呼ばれたフードの少女は眉を下げて安心した。

 いつもながらからかい甲斐のある少女だと妙に納得しながら、カグヤは床に落ちた蔵書を1冊手に取ってグレイに差し出す。

 

 

「教授のおつかい中?」

 

 

 何食わぬ顔で世間話に持ち込もうとするカグヤに、相対するフードの少女は薄い苦笑を浮かべて応える。

 

 

「はい……というか、何で脇を擽られたのか、拙は理由を尋ねたいのですが」

 

 

 カグヤとグレイはある同一人物に教えを受けている。

 最も、カグヤは魔術師の生徒として、グレイは事情がある弟子として、その人物に教鞭を取ってもらっている為勝手は大分違うのであるが。

 

 

「別に。スキンシップよ。スキンシップ。私、女の子が大好きだから。性的な意味で」

 

 

「えっ!!?」

 

 

「嘘。冗談」

 

 

「……」

 

 

 グレイが思うところ、壬生カグヤの冗談ははっきり言って気付きにくい。

 日本人の表情が読みにくい所もあるが、彼女はいつでも無表情のポーカーフェイスだ。話しやすい性格ではあるけれど、喜怒哀楽がほとんど顔に出ない。

 会話をする方にとってはコミュニケーションが取り辛くて仕方がないのだろうが、本人が直す気がないのでそれには耐えてもらうしかない。

 

 また、グレイも人と話すのは得意では無い為、知り合いの中でも上から3番目くらいに彼女に苦手意識を持っていた。

 何か話題にできることはないか。注意深く探したグレイの双眸に、先日見た時と変わった点が入ってくる。

 

 

「か、髪型。変えたんですね」

 

 

 気を遣ったようなグレイの言葉に、正面に佇むカグヤは少しだけ驚いたような表情をしながら自身の髪を撫でる。

 実際、時計塔に来たばかりのカグヤの髪型はいわゆるおさげというやつだった。小麦色の髪や神秘的な雰囲気と相まって、彼女の清楚な印象を増幅させていたのだが、今は違う。

 右側頭部から伸びるようにシュシュで纏められた髪型は所謂サイドテールというやつで、清楚さで言うのならおさげ以上に勝ってるともいえ、より大人らしさが溢れている。

 彼女の静謐な雰囲気のせいで、もう何処ぞの貴族の娘だと誰かが嘯いても皆が信じてしまうであろう。

 

 

「ええ。遠坂さんを騙すのに髪型ぐらい変えたほうがいいかなって。似合ってるならこのままにしようと思うのだけれど」

 

 

「凄く……似合ってると思います」

 

 

 自分などに褒められても嬉しくはないだろうとグレイは心中で自虐していたが、褒められたカグヤは少しだけ表情を綻ばせていた……ような気がした。

 例え見間違いだったとしても、そんな表情を見れば自分の心配は杞憂だったのだとグレイは理解できる。

 

 

「ありがとう。感謝ついでに、此れは私が運んでおくわ」

 

 

 無機質なカグヤの様子に気を取られている内に、かなりの量であった蔵書の数々は既に彼女の胸の前に移動していた。カグヤのような華奢な少女が山積みの蔵書を軽々と抱えられているのは、別段その蔵書らが特別軽い素材で出来ているというわけではない。

 ただ単に、グレイが聞こえないような小さな声で軽量化の魔術の詠唱を済ませ、本の重量を減少させただけに過ぎない。

 魔術師ではないグレイはその様子にやはり呆気に取られながらも、すぐに我に返って首と手を同時に振る。

 

 

「いっいえ。その、悪いですよっ」

 

 

 既に持ち上げられた本を取り返そうとする手をひょいと避けて、カグヤはそのままグレイを置いて廊下を進んでいく。

 

 

「私もこれから教授に用があるから。来てもいいけど、グレイ。ちょっと刺激が強い話するから気を付けて」

 

 

 あくまで声は無機質なまま、少女は機械人形(オートマタ)の様に先へ先へと進んでいく。

 そんな背中に置いていかれないように、グレイも自身のフードを抑えつけながら小走りで追って行った。 

 



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第マイナス12夜「嵐の夜に」

 

 

 静寂。

 

 

 本来、それのみが支配する深夜の大森林に、次々と小さな足音が重なっていく。

 

 地面に散乱した枯れ木や落ち葉を踏んで疾走する足音の主達の数は計り知れない。間違いなく10以上。多くても30人といったところだろう。

 それ以上に、足音の主達にはまるで統率されているかのような一体感があった。

 それは人というより、獣の群れだ。

 それも1匹の首領と、命令に従順な多数の獣兵士達。

 彼らが森を包囲して数時間。森に入る前に入念な作戦が

練られ、今も無線機でそれを確認しながら獣達は行動している。

 闇に溶け込む為に真っ黒な装備を着用し、その両手には

各々役割を持った銃火器が握られている。

 何処ぞの国で市民が所持しているような生易しいものではない。その武器達は、神話やお伽話の『化物』さえ一撃で仕留める威力を持っている。

 圧倒的な武力を持ちながら、しかし獣達は油断はしない。

 息を潜め、姿を隠し、暗視ゴーグルの下に隠した双眸で標的を発見し、抹殺するまで決して止まらない。

 

 数時間後。森に散りばめた部隊のうち、西方に位置していた部隊の部隊長から、森郊外にあるテントに連絡が通る。

 

 

『此方α。標的確認』

 

 

 無線機越しに聞こえてくる部隊長の声には僅かな緊張が篭っている。

 その緊張を爆発させないように、テントに残る獣の首領は無線機のマイクを掴みながら感情の篭っていない冷静な声色で応答する。

 

 

「了解。β、γ、はαの位置を確認次第急行。Ω、Σは狙撃ポイントより狙え。全軍準備を整えてから狩猟を開始しろ」

 

 

 銃を持った獣達の首領は『女性』であった。

 うら若き生娘などでは決してない、熟練した女兵士の低い声。

 獣達の間に性別の概念など関係ない。彼らは頭であるその女の声にただ準じ、各々のポイントで待機した。

 

 

 

 

 

 

 真っ先に標的を発見した部隊『α』。

 総勢7名の精鋭達で編成されたこの部隊の装備は殆どが中距離用の銃火器である。

 他にも近接戦闘用のバトルナイフに閃光弾に音響弾。バトルナイフの代わりにハンドアックスやはたまたトンファーなんてものを装備する者もいたが、その誰もが同じことを考えていたのは部隊にとって暗黙の了解というやつだ。

 どれ程の装備を仕立てようと、一緒なのではないか。

 標的である『アレ』に勝つ為には、それこそ軍用機が必要だ。

 なまじ、砲弾をくらってもケロッとしてそうではあると、割と若い兵士が口にした。その時誰も笑えなかったのが、どうにもその馬鹿げた戯言が現実であることを物語っている。

 

 

「――いいか。作戦は予定通り行う」

 

 

 しばらくして部隊長らしき、眉間に傷のような深い皺が刻まれた男が背後に控える精鋭達に上官として声を掛ける。

 彼こそがこの暗黒大陸さながらの大地で逸早く標的を見つけた兵士である。

 今も背後の部下達に声を掛けながらも、双眼鏡で標的の動きを捉えている。

 

 彼らの標的は、今現在比較的木々が少ない場所で巨大な岩石の上に寝転がっている。

 2メートル前後の巨大。やや胴長である肉体は余すところなく鋼のような筋肉で埋め尽くされており、羽織られている朱の衣服や鎧も跡付けされたパーツに過ぎないという印象を見る者に与える。

 それ以上に異常なのは、その男の有り得ない程の闘気だ。

 鼾をかいて寝ているというのに、全く隙が無い。

 獣の部隊と恐れられた自分たちでさえ、あの『化物』には敵わない。若い兵士も老兵も皆がそう確信めいたものを感じ取っていた。

 

 しかし、それで臆することはあっても、途中で止めることは許されない。

 無線機から流れてくる連絡で、既に他部隊が配置についたことは想定済み。

 配置についた誰もが戦闘態勢に入る。

 これより始まるは狩猟の夜。

 貴族のお遊びなどとは程遠い。獣が生きるために他者を喰らう、生存本能に任せた泥臭い狩りである。

 ただそれは野生の肉食獣が行うものとは違って――統率された軍隊蟻に近しい狩猟ではあるが。

 

 

「いいか。長期戦は此方が不利だ。見敵必殺(サーチアンドデストロイ)だ」

 

 

「へー。さーちあんどですとろい、ねぇ?よくわかんねぇが。そいつはイカす綴だ」

 

 

 それまで冷静さを保っていた部隊長の表情が固まる。

 額からは絶え間なく冷や汗が流れ、背後に振り返ることがどうしようもなく怖く感じた。

 先程まで数十メートルは離れた場所で寝ていた筈の男が、一瞬で自分のことを狙っていた獣の群れの前に佇んでいる。

 

 月光に照らされた姿は統率された獣達よりなお獣らしく、眼光は獰猛な猛禽類を連想させる。短く刈り上げられた赤鉄色の髪と見事な無精髭。それら全てによく合う赤色メインの甲冑。

 肩に担いだ鉈のような武具はどれほどの人間を切り刻んできたのか、否、叩き斬ってきたのか、その刃渡りは歪みに歪んでいる。

 

 その全てが合わさって、1人の獣を作り出していた。

 その全てがあるからこそ、それは1人の戦士であった。

 

 鈍く、長い得物が風を切る音。それが標的だった男の嘶きのように聞こえて、益々『α』部隊は硬直した。

 

 

「さて、雑兵諸君。取り敢えず健闘してみろや?万が一、いや億が一にも勝機はねぇだろうが戦わずして逃げるなんてつまらねぇ真似だけはすんなよな」

 

 

 それから先のことは獣達は覚えていない。

 標的のただ一撃の捌きのみで、獣達の意識は虚空へと消えてしまったからだ。

 

 

 

 

 

 

 

「『α』壊滅!!標的は現在『β』と交戦中!!」

 

 

 獣達の頭であるテントに騒がしい声が響く。

 無理もない。実戦経験のある通信係達にとっても、自軍の初手敗北は想定外の事態だったのだ。

 

 敵が人外であることは理解していた。

 

 しかし、様々な近代兵器を操る自軍が、たかが棒切れ一本も同然な武器を持った男に負けるだろうか。否、有り得る筈がない。

 そう予想していた兵士達は次々と赤っ恥をかき、表面的にはそれをひた隠して熱心に仕事を続ける。

 

 唯一人、彼らとは違った予想をしていた女は少し離れたところで年代物の葉巻の先をシガーカッターで切り落とす。

 それから頭蓋骨の形を模しているという、悪趣味なライターを懐から取り出し、下顎の仕掛けを親指で押して火を出すと、そのまま葉巻に近付ける。

 後味の悪さに微妙な心地良さを感じながら、テントの中で誰よりも冷静な金髪の女は1人思案する。

 

 ――さて、どうしたものか。

 

 女はロシア系の美人であり、物思いに耽るその悩ましい姿を世の男達が見れば放っておかないこと間違いなしだろう。否、何処か格式高い雰囲気を醸し出す美女の姿に大抵の男は臆して手を出せないかもしれない。

 出せたとしても、彼女の正気とは思えない歪んだ思考を知ってしまえばすぐに離れること間違いなしではあるだろうが。

 

 ――こんな森の中では戦車や戦闘機は使えん。余計な犠牲者を出して、戦力を無為に削がれる訳にもいかんから。

 

 巨大なテントとは場違いな、黒革の高給そうな椅子に腰掛けて悠々と女は考える。

 どうすれば標的を仕留められる。

 どうすれば確実に奴の(あぎと)を食い千切れる。

 蟀谷(こめかみ)に指を当てて、女は考える。

 どうやったら敵を殺せるのか。ただそれだけを考えて。

 

 少し経った後、実際は報告から10秒と経過しなかったかもしれない。

 立ち上がった女は忙しなく働く通信係達に右手を地面と水平に振って指示を出す。

 

 

「γは標的を惹き付けろ。Σ、Ωは第2基準値までの武装を許可する」

 

 

「っ!?しかし!!」

 

 

「構わん。この森を焼いたところで、払う犠牲は私の金だけだ」

 

 

 環境破壊など全く眼中に無い様子で、女はゴミ掃除でもするような気軽さでより強力な武器の使用を許した。

 最初は意見を述べようとした通信係もそれっきり反論しようとはせず、指示通りの内容を各部隊に告げる。

 指示を出した後、女はテントから外に出る。

 先程まで爛々と輝いていた月はとうに流れてきた灰色の雲に一時的に覆われ、夜はより一層暗闇を増していた。

 これではミイラ取りがミイラになるのも頷けると、気管に溜まっていた煙を吐き出そうとした矢先、ふと、顕になった首筋から冷たい感触が全身に走る。

 それが水滴だと理解した瞬間にその正体は明白となった。

 

 

「……雨か」

 

 

 徐々に勢いを増す雨は、夜の森の空気を一気に冷やしていく。

 コートを羽織っていてもなお寒いくらいだ。

 

 

 

 そんな土砂降りの雨に紛れるようにして、全身を血の雨で濡らした獣が女の目の前に現れる。

 

 

「……」

 

 

 獣の強さが想定内と解っていても、自軍の兵士達はこれを相手していたかと思うと、なるほど震え上がるのにも無理はない。

 獣に傷はない。その身体に浴びているのは、自信を襲ってきた獣達の返り血だけだ。

 恐るべきことに、α部隊を全滅させた獣は、他の部隊も10秒足らずで仕留め上げて、頭であるこのテントまで疾走してきたのだ。

 その証拠に、獣は各部隊の部隊長の5人全員を担いで来て、地面に放り投げたのだ。あの怪我の様子からして死んではいないがこれまでのどうりの生活が行えるかどうかは怪しい。それは味方によっては殺すよりも、より残酷であるようにも思える。

 森から出てきた獣の濡れて垂れた前髪から放つ眼光は、やはり獰猛な獣らしい。

 もっと血を。肉を。乾きを潤せ。

 そう女に懇願しているようにも見えた。

 

 

「私の部隊が壊滅か。やるな〈ランサー〉」

 

 

 女が怖れず話し掛ける。実際、彼女の中に恐れはなかった。

 彼女の左腕に刻まれた三画の赤い刺青がある限り、獣は彼女に逆らうことができないと知っているからだ。

 女の声に獣は笑う。口角を釣り上げ過ぎてそのうち千切れてしまうのではないかと心配になるぐらいに。

 

 

「しょうもねぇ……こんなつまんねぇゴミ処理任せやがって……どういう了見だ、あぁ?」

 

 

 顔色は悪鬼のような上機嫌さでも、その口調は不機嫌そのものだった。血肉を喰らって満足なのだろうが、相手として不足だったのだろう。

 獣のまた女の兵士達と同じく武人であったのだ。

 それを理解している女は葉巻を咥えたまま、獣と同じように口角を釣り上げて笑う。

 獣のそれが悪鬼の笑みなら、女の笑みは自分勝手な女王の笑みだった。

 

 

「すぐに連れて行ってやる。お前が満足する舞台まで、私が直行便でな」

 

 

 

 

 彼女達が聖杯戦争の舞台に到着するのは――これより2日後のことである。



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第マイナス11夜「壬生カグヤ③」

 

 

「そういえば」

 

 

 現代魔術科の学術棟の廊下を歩きながら、そう切り出したのは重たい蔵書の山を軽々と持ち上げる壬生カグラで、話し相手であるグレイはその数歩後ろを歩いていた。

 

 

「私、貴女の顔をちゃんと見たことがないのだけれど」

 

 

「――!」

 

 

 顔、という単語が出た途端グレイが肩を強張らせる。

 あからさまにフードの先を掴んで顔を隠そうとする仕草は明らかに訳ありだった。

 いや、どんな時でもフードを被っている少女が訳ありではないと思うも人間もそうはいないと思うが、見たところ顔に火傷や刀傷といった傷痕があるわけではなさそうだし、同性であるカグヤからしても、グレイの顔立ちは可憐に見える。

 その他にカグヤが『どちらの性別も恋愛対象に見れる』趣味なのも関係しているかもしれないが。

 

 

「顔は、その……」

 

 

 断るのも申し訳なさそうに口籠る少女に無理強いはできない。

 

 

「いいわ。無理に見ようとはしないから。興味本位に、聞いておきたいんだけど、こんなやり取りもう何回目?」

 

 

「……覚えてません。色んな人に尋ねられたので」

 

 

 それはそうだ、と内心カグヤは納得するが口には出さない。

 やや緊迫した空気を醸し出した世間話を続けるよりも先に、目的地である恩師の部屋の扉が見えてきたからだ。

 

 

 そして、カグヤが扉のドアノブに手をかけようとしたその瞬間、内側から勢い良く扉が開く。

 

 

 

「うわぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁ!!!」

 

 

 

 楽しげな悲鳴を上げて、というか笑顔で、半ば転がるようにして教室から飛びしてきたのは金髪の美少年であった。

 彼は呆気に取られているカグヤとグレイを見るなりその表情を更に楽しげに歪ませる。

 

 

「わぁー!!グレイたんとかぐやちゃん!!」

 

 

「……」

 

 

「こんにちは、フラットさん」

 

  

 無表情で会釈するカグヤとは対象的に、グレイは言葉も交わさずカグヤの背中に隠れる。

 そういえば苦手だったなカグヤが思い返していると、教室からフラットを追いかけるように怒声が響く。

 

 

「フラットォーー!!」

 

 

「あっ、やばっ!じゃ俺行くね!!ばいばーいっ!!」

 

 

 怒声を聞くなり一目散に逃げる美少年を軽く手を振って見送ると、カグヤが背後に隠れているグレイに目を向ける。

 気配でフラットがいなくなったことを察したのだろう。恐る恐る目を見開いてフラットが本当にいなくなったことを確認すると、安心したように息を吐いている。

 まるでおばけか何かの用に扱われるフラットが不憫に思えたが、彼の日頃の行いからして庇えるものではない。

 それにグレイ以上に、この先には個性豊かなエルメロイ教室のメンバーに悩まされている講師が居るのだから、彼女だけが可哀想とも思えない。

 

   

「失礼します」

 

 

 これだけは日本でも外国でも変わらない。目上の人間の私室に入るときには欠かせない挨拶を口にして、カグヤは半ば閉まり掛けていた瀟洒な扉に手をかけた。

 

 扉を潜ると、まず出迎えてきたのは煙の臭い。

 まず目を惹くのは、隙間なく置かれた本棚だろう。几帳面なぐらいにジャンルとサイズで区分けされ、かつ日差しに焼かれないように窓からの角度も配慮されている。並列されたスライド式の本棚にはこれでもかというほどの量の蔵書が敷き詰められていた。

 雑貨から日用品に至るまで。その殆どが趣味が良いと呼べる範疇のものばかりで、デキる男の部屋と呼んでも遜色はない。

 

 そんな部屋の奥でアンティークの椅子に座り、眉間の皺を親指と人差し指とマッサージする長髪の男こそがエルメロイ教室の講師。

 十二人の君主の1人にして、時計塔随一の講師。

 プロフェッサーカリスマやグレートビックベン☆ロンドンスターなど。問題児兼天才魔術師である生徒達からの信頼(?)の尊称は数多く、でありながら本人は〈祭位〉の階位で留まる二流魔術師。

 

 ロードエルメロイ二世。元々は別の名があったらしいが、カグヤも詳しいことは把握していない。

 

 部屋に入ってきたカグヤの姿が目に入ったロードエルメロイは一瞬だけ目を見開けど、その後また不機嫌な表情になって口元を微妙に釣り上げる。

 

 

「何だ、貴様か……」

 

 

「私です。あと、これ何処に置いたらいいですか?」

 

 

 嫌悪を隠そうともしない講師の目の前で、重力制御で軽くした山積みの本を人差し指の上でクルクル回して尋ねるカグヤ。

 何故、ロードエルメロイ二世が更に不機嫌になったのかその理由を3つカグヤは知っている。

 1つ、自分達が来る前に問題児のフラットがまたいらないことをやらかした。

 2つ、ロードエルメロイ二世は日本人嫌いだ。経緯は知らないが、日本人であるカグヤのことが気に食わないのだろう。

 3つ、カグヤが優秀な魔術師であるため、本人が隠そうとしてもロードエルメロイ二世は劣等感を完全に隠すことができないのだ。

 以上の点を理解しているカグヤは別段気にした様子もなく、言葉もなく指で支持された台座の上に運んできた蔵書を置く。

 その間に読書にふけこもうとしたロードエルメロイは、思い出したかのように天井を見上げてからカグヤに声を掛ける。

 

 

「ん?そういえば、それはグレイに頼んだ筈では……」

 

 

「あの……」

 

 

 遅れて入ってきたグレイは、恐る恐る中の二人の顔色を伺うようにしている。カグヤからしたらミーアキャットのような愛らしさを感じさせたが、ロードエルメロイはそんな感情を一切懐かなかったらしい。 

 何故こいつを連れてきた、という無言な圧力をグレイに向けながらも、すぐにその視線を手にした蔵書に移す。

 蔵書は比較的新しい類の魔道書であった。何かの動物の革らしきものを使っており、それ単体では若干不気味ではあるが、ロードエルメロイ並の美丈夫が手にするとそれも意味を変える。不気味が不思議に変わるのだ。

 

 

「それで、何の用だ?」

 

 

 此方から来訪したのに、わざわざ自分から問い掛けてくれる辺りこの男は本当に人が良いのだなとカグヤは関心する。

 それも非道であらなければならない魔術師では考えられないくらいに彼は優しい。

 だからこそいつまで経っても二流のままなのだとは、恩師に対して口が裂けても言えない事実ではあるが。それこそ、聡明なロードエルメロイなら「私は才能がないだけだ」と2つ目の事実を自ら口にしそうではあるが。

 

 少しして、心中で怒られるのを覚悟してカグヤは此処に来た要件を口にした。

 

 

 

「教授。私、聖杯戦争に参加したいんです」

 

 

 

 その言葉にグレイは目を見開き、意外にもロードエルメロイは本から目を離し冷静な表情でカグヤを見据えていた。

 教師の親心と魔術師の非情さ。それが半々といった曖昧な表情だ。

 

 

「……何を言っているのか、本当の意味で判っているのか?」

 

 

 ロードエルメロイ二世の声は冷え切っている。

 例えばフラットが同じことを言えば、耳にした途端に怒りを顕にして部屋から追い出したことだろう。もしかしたら先程部屋から飛び出て来たフラットはそういう理由だったのかもしれない。

 或いは遠坂凛が同じ言葉を口にすれば、眉間に皺を寄せながらも至って冷静に相手を黙らせたことだろう。

 しかし、この時のロードエルメロイの様子はそのどれとも違っていた。

 冷徹にして冷血。普段無愛想ながらも決して彼が見せないような表情を彼はしていたのだ。

 同席していたグレイさえも、部屋の隅で息を呑んでしまう程に。

 

 

「冗談であるならば早めに弁解しろ」

 

 

「私は目上の人には冗談は言いませんよ」

 

 

 そう。それが解ってるからこそ、ロードエルメロイは自分が持っている生徒達の中でも、彼女がその言葉を口にするのを何よりも嫌がった。

 その言葉を口にした時点で、彼女はもう決めているのだから。

 もはや引かれてしまったレール。彼女だけが進み、他の誰にも邪魔することはできない。

 それを講師として、二流なれど熟練した魔術師であるロードエルメロイが理解していない訳がない。

 しばらくして魔道書を膝の上に置くと、とんとんと蟀谷に指を当てながらカグヤに問い掛ける。

 

 

「……参加する聖杯戦争は決まっているのか?言っておくが、ルーマニアの聖杯戦争に関しては既に手遅れだぞ。ベルフェバン氏の呼び出した魔術使いが最後に参加した」

 

 

 

 ルーマニアの聖杯戦争。

 第三次聖杯戦争の折に冬木の地から失われた大聖杯「第七百二十六号聖杯」がルーマニアで発見されたことから事件は始まる。

 ナチス・ドイツと共に大聖杯を奪い、隠匿していた〈ユグドミレニア家〉はその聖杯をシンボルに掲げ、魔術協会からの離反を宣言する。

 それを討伐すべく派遣された魔術協会の部隊はユグドミレニアのサーヴァントに壊滅させられてしまうが、最後の生き残りが大聖杯の予備システムの起動に成功。

 これにより本来の7騎に加えて更に7騎、計14騎ものサーヴァントを召喚することが可能になった。 

 ユグドミレニアの7騎のサーヴァントに対抗すべく、魔術協会側の魔術師もまたサーヴァントを召喚し、戦争の参加を余儀なくされた。

 

 

 勿論、カグヤもその話は耳にしていた。

 耳に入れていた上で、同時に自分向きではないと即座に参加は諦めてもいた。

 

 

「あっちには元々参戦つもりはありません。チームプレイとか、私苦手なので。聖杯を使うのも私欲の為なので魔術協会の利益とか全く考えてませんし」

 

 

 よくまぁここまで正直になれるものだと、目の前のホムンクルスのような少女に嘆息しながらも、ロードエルメロイは次の心当たりを口にした。

 

 

 

「では、ナミブ砂漠に出現したあの〈要塞〉のか?」

 

 

 

 どうやらロードエルメロイの二つ目の心当たりは当たったようで、カグヤは表情を変えずに頷いた。

 

 

 アフリカ大陸。ナミブ砂漠中心部に突如として現れた巨大な要塞。

 周囲には特殊な結界が張られており、使い魔であろうと一定の条件を満たさないと城壁に近づくだけで、粒子レベルまで分解されるらしい。既に魔術協会が数体の使い魔と偵察を送ったが、何れも案の定消息不明となった。

 どうやら城や四層の城壁の素材に使われている黒曜石のような暗黒色の石が原因で生じている結界のようだが、詳しいことは不明。

 何故突然現れたのか。

 頭を抱える魔術協会に向けて、要塞の主人と思わしき男から伝達が入ったのはついこの間のことだ。

 

 

 

『私は古き魔術師だ』

『我が人生にも終わりが近い』

『残り僅かな人生の手向けとして、私は魔術協会に協力を仰ぎたい』

『私は近々祭りを執り行う』

『その為に舞台も用意した』

『我ながら立派なものを用意したが、君達魔術協会はこれを容認しないだろう』

『しかし、どうか放っておいてほしい』

『行く先短い老人の切なる願いだ』

『代わりと言ってはなんだが、魔術協会の中から参加者を1人設けることにする』

『古き友人の知識を借り受けて造り出した〈願望器〉が欲しければ集うがいい』

 

         ――ガクべリア・ハーベスタリオン

 

 

 

 死に体の老魔術師を名乗る手紙の主の素性を調べたところ、確かに過去に時計塔に実在した魔術師であった。

 当時において、他では実現不可能とまでされた結界魔術を実案して〈封印指定〉を受けた魔術師であった。現在ではそれは解かれているが、数十年隠居していたと記録には残っている。

 さて、この年寄りの世迷い言を、魔術師の総本山である魔術協会はどうしたか。

 結果は現状放置。放っておいても実質的な脅威にもなる可能性が低い案件なのだ。そもそも件の老魔術師が語るように亜種であっても聖杯がある可能性は低い。

 それに、侵入を許可されていない者は容赦なく処分される空間にわざわざ立ち入ろうとする魔術師はおらず、参加したい物好きは時計塔の中で何処よりも中立である〈法政科〉に連絡を、ということで話は纏められた。 

 

 更に手紙が入っていた封筒にはご丁寧に、『時計塔からの擬似的な聖杯戦争への参加を許可する』ことを明文化した自己強制証分(セルフギアス・スクロール)まで同梱していた。

 自らの魔術刻印の機能を用いて術者本人にかけられる強制の呪いは、原理上、いかなる手段を用いても解除不可能な効力を持つ。例え命を差し出そうとも、次代に継承された魔術刻印がある限り、死後の魂すらも束縛されるという。

 

 

「無謀だな」

 

 

 少々棘のある言い方で、ロードエルメロイはカグヤの覚悟を突っ返した。

 

 

「周囲には何もない。中の様子も解らない要塞の中で聖杯戦争に挑む?無謀にも程がある。もし主催者であるハーベスタリオンとかいう老魔術師が刻印狙いの悪徳魔術師だったらどうする?入った時にはもう相手の術中だ。抵抗することもできずに剥ぎ取られるぞ」

 

 

 ロードエルメロイはいつも異常に饒舌に語る。

 その様子からして、自分の教室の生徒を無謀な戦争に参加させたくはないのが見え見えであったが、カグヤもそれを笑い話のように口にしたりはしない。

 むしろこの教師の優しさに彼女は少しだけ感謝しているぐらいだ。

 

 

「無謀だと、本当に御思いですか?」

 

 

「……?何を……?」

 

 

 その時、信じられないことに壬生カグヤは嗤っていた。

 傍目から見たグレイも、その様子に目を奪われた。

 あの機械人形のような女が、笑み浮かべているのだ。

 それも冷たく、だからこそ酷く妖艶な。

 

 普段から、結界や簡易な魔術を発動できる使い捨ての魔術礼装である葉巻を愛用しているロードエルメロイは気付くのが遅れた。

 今日は偶然にも〈魅力(チャーム)〉の魔術対策の葉巻を吸っていたのだ。

 彼の聡明な推理力は、すぐに生徒の単直過ぎる策の正体を見破った。

 

 

「まさか、独学で〈魅力〉の魔術を取得しているとはな……しかも仮にも師相手に使うか、普通」

 

 

 悪態をつきながらもロードエルメロイは部屋の隅で惚けている弟子に目をやる。

 頬を赤らめて情熱的な視線をカグヤに送ってる有様から、自分はそうなっていたらどれ程無様か考えるだけでも悍ましい。そんなことが義妹にしれたら、死ぬまでからわれる種になる。

 

 同時に、自身の目の前に居る生徒の才能にも冷や汗をかいた。

 専用の対策をしていても、壬生カグヤという人物が魅力的に見えてしまう。

 勿論、葉巻のおかげで陶酔する程ではないにしても、その在り方はかつて彼が目にした人間の美の最頂点“黄金姫”を連想させる程だ。最も、彼が目にした時黄金姫は既に死に絶えていたのだが。

 

 

「先生が魔術師に対して『普通』だなんて言葉を使うとは想いませんでした」

 

 

 そう言葉を返すカグヤの表情は既に元の無機質なものに戻っている。案外、先程までの冷笑も〈魅力〉の魔術が見せた幻覚なのかもしれないが。

 合わせて、グレイも正気を取り戻したようで、今では目を擦ってはカグヤの顔を見てを繰り返している。

 しばらく考えた後、ロードエルメロイは未だ納得していないのを隠さずに苦渋の決断を下す。

 

 

「……〈法政科〉には私から話を通しておく。お前は」

 

 

「フラットさんに気付かれないようにアフリカに飛ぶ」

 

 

「……その通り」

 

 

 皮肉にも、今ロードエルメロイの目の前に居る少女は彼が見てきた生徒の中で最も彼の言うことに従順な生徒でもあった。それ故に、講師として今回の騒動に参加させたくない気持ちは大きいのだが。

 

 

「準備は出来ているんだろうな?」

 

 

「いえ。これから荷造りを始めます」

 

 

「お前なら問題はないと思うが……グレイに手伝わせるか?」

 

 

 さり気なく自身の弟子を使用人として使わせようとする辺り、ロードエルメロイという男も意地が悪い。実際、カグヤがナミブ砂漠に行くことにも反対なのに、グレイを危険な聖杯戦争に参加させたりは絶対にしないだろうが。

 それを理解しながら、ロードエルメロイの提案にカグヤは首を横に振る。

 

 

「いえ。色々と考えたいこともあるので、これで失礼します。グレイは……帰ってきてからお借りします」 

 

 

 傍から見ているグレイが視線を感じて身震いするのを気にも止めず、恩師に頭を下げてからカグヤは部屋から退室しようとする。

 その背中に、ロードエルメロイが最後の問を投げ掛けた。

 

 

「もし本当に願望機があったとして。それを手にした時、お前は何を願う?」

 

 

 それは魔術師であるならば共通の答えが返ってくる筈だった。

 根源への到達。全ての魔術師の悲願。

 そう応えるべきだと、ロードエルメロイは思った。

 しかし振り返った壬生カグヤの表情は――あまりに魔術師のそれとはかけ離れていた。

 壬生カグヤという少女を彩るにはあまりに珍しい、花園で穏やかに微笑む少女のそれ。

 

 

 

「行方不明の恋人を見つけること、です」

 

 

 

 それっきり壬生カグヤはロードエルメロイの研究室を後にした。

 部屋に取り残された2人の位置は動くことなく、本棚にもたれ掛かっていたグレイがやがて吐き出すようにして言葉を紡ぐ。

 

 

「相変わらず不思議な雰囲気な人ですね……何だか、クレオパトラとかああいう人なんじゃないかって思います」

 

 

「どうだかな。事実は小説より奇なり、いやこの場合は歴史か。……アレを美しく思うのは解るが、人間的な美しさとはまた違うと思うぞ」

 

 

 弟子の言葉に、既に意識を半分魔道書に移したロードエルメロイが返事をする。

 グレイは少しその言葉を意外だと思った。

 滅多に人を褒めることがないあの師匠が、自分に同意して人を褒めたのだから。

 しかし実情は少し違っていた。

 

 

「アレの美しさはホムンクルスのそれに近い。美しくなっていく人間らしさよりも、産まれた時から完成している人形にな。故に奴はこれ以上成長しない。アレが完成形。完成した人間であり、魔術師である。全く妬ましい」

 

 

「師匠も美しくなりたいんですか……?」

 

 

「ファック、と言いたいところだが、どうだかな。私が妬ましいと思っているのは奴の在り方だよ」

  

 

 それ以上の言葉を紡がず、ロードエルメロイは瞼を瞑って物思いにふける。

 

 

 『帰ってくる』。

 部屋から退出する前に壬生カグヤはそう口にした。

 実際に聖杯戦争に参加したロードエルメロイはあの戦いの非情さをよく知っている。

 魔術師の理解さえ超えた力で現世を荒れ狂う英霊達、そんな英霊を消耗品扱いする魔術師達。

 正にこの世の地獄であったが、あの戦いがあったからこそ自分も多少なれど成長できたと自覚している。

 そんな戦いに臨むというのに、彼女は帰ってくると言った。

 

 

 かつてウェイバー・ベルベットという名だった男が思い起こすのは最果ての海。

 波の音をただ聞き、その広大で果てしない大海を見つめるあの王の背中。 

 彼のような英霊を呼び出すのであれば、自分の生徒の心配などしないのだが。今も大事に保管してあるあの触媒を渡すべきだったかと後になって後悔しながら、

 

 

 

 

 ――そんな後悔を押し潰すように、数日後、壬生カグヤによって時計塔に前代未聞の事件が発生するのであった。

 



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第マイナス10夜「抹殺仕事人」

 

 男は美学にそって生きていた。

 

 

 ただ世界にとって害悪となる存在を人知れず消す。

 それは別に天候や災害、病原菌などの大規模な話ではない。そんなものは科学に生きる研究者達の仕事だ。

 

 男が殺していたのは、もっと別のもの。

 一般的に、怪物だとか呼ばれる異形の存在達を彼は依頼されて狩っていた。

 勿論、彼にも矜持というものは存在する。

 彼は殺人マシーンとしてではなく、1人の職人として怪物達を殺めてきた。

 依頼主の要望を聞き、その心情を理解し、出来るだけ依頼主の言う通りに敵を殺した。

 それが仕事における信頼となり、新たな仕事への繋がりになるからだ。

 

 

 本日の獲物は魔術師だった。

 依頼主も同様で、そちらは時計塔の魔術協会に属する魔術師であるらしい。

 依頼主は〈創造科〉の重心の分家の長らしく、運悪く屋敷の外に出た時に跡取りを傭兵気取りの魔術使い共に攫われてしまったらしい。

 跡取りには既に、魔術師の家系の命とも呼べる魔術刻印の移植が成されており、依頼主は子の命よりもそちらの方が目的で彼に依頼したのだろう。『種』さえあれば代わりが効く子の命は魔術刻印のついでに過ぎない。

 魔術刻印と切り離されていれば、子の方は処分しておいてくれと頼まれた。

 

 

 胸糞の悪い話だと思った。それは本当だ。

 しかし、彼は所詮雇い主にとっては道具と同義。自分ではそうじゃないと思っていても、打ち込まれた指示に従順なコンピューターのようなものだ。

 疑問を感じても、それを表に出してはならない。

 そんなことを理由にして、またこの〈右腕〉のように大切なものを失いたくはない。

 

 

 標的の拠点に張られた結界を解くのに30分掛かった。

 魔術師ではない彼のような男が結界を解くのは、それなりの準備と時間を要するのでこれでも良い方だ。

 まぁ、起点を結界の外側に造っていた為構造さえ解ってしまえば解くのは一瞬だったのだが。結界を張るにあたって、最も重宝しなくては起点を外側に幾つも点在させるあたり、標的は相当頭が悪いか考えなしかの二択だと判断できる。

 

 標的の住居はほぼ煉瓦で構築された二階建ての廃墟。

 人里から遠く離れた森の中に建てられている為人払いもいらない。そういった意味では、仕事人である彼にとっても気兼ねなく仕事が行えて都合が良かった。

 

 門の前に屈強そうな男が二人。何方も銃火器を所持しており、肉体戦の腕はたちそうだが魔術が使えるかどうかは判断がつかない。

 見た目だけで判断するのであればそういった類の戦術は苦手そうな脳筋顔であるが、魔術師を見た目で判断してはならない。

 花のような少女でさえ、その実獅子すら片手で殺す猛者である可能性が十分に有り得る世界なのだ。

 そういった不明瞭な相手にはあまり魔術による攻撃は行わないのが彼の流儀だ。そもそも魔術師ではなく魔術使いである彼は、魔術そのものが得意な方ではない。

 そのようにして彼が手にした武器は――旧世代の遠距離武器・クロスボウであった。

 色々試したがこの武器が1番彼の手に馴染むのだ。

 

 

「――」

 

 

 カスタマイズしたクロスボウの弓床に、よく手入れをした鉄球を置く。

 矢を使うこともあるが、今回は殺傷力の高い此方で敵を仕留めることにした。第一、矢の方には魔術的措置を行っているものが多く、鉄球と違って消耗品なのだ。

 

 一度其処を戦場だと認識した後の彼の行動力は凄まじく、迷わずクロスボウの引き金が引かれる。

 鈍い音を立てて勢い良く射出された弾丸は、直進して片方の頭を文字通り吹っ飛ばし、

 

 

「ひっ!!?」

 

 

 相方の異形の死に驚いたもう片方の頭も、背後の扉に跳弾したのを利用して首から上を引き千切った。

 恐るべき威力だが、これは何も魔術を使ったわけではない。ただ単にそうなるようにクロスボウを改良した、彼の技量が良かっただけに過ぎない。

 

 首尾よく廃墟に侵入した彼は、門番に続いて次々と獲物を食い殺していく。

 先程と同様にクロスボウで。少し梃子摺る相手ならば或いは魔術的付与をした魔弾で。或いはその他の骨董兵器で。

 人を殺すのに美学はいらない。以下に低コストに。それだけが仕事人に求められる戦いの基本だ。

 彼の持つ美学とは、それとはまた別のこと。

 彼の仕事に時折関係する事態に関してのみ、彼の厄介な美学は働いた。

 

 20人程殺した時だろうか。彼に立ち向かう刺客の数がピタリと止んだ。

 既に足元には血の水溜りができていたので、標的であるこの集団の頭目も漸く観念する気になったのだろう。

 最上階まで足を運ぶと、標的は恐怖に震えきった顔でソファの上で頭を抱えていた。

 歳は五十路辺りの男で、自分を殺すであろう男を見るなり標的は震え上がって自身が腰掛けたソファに縋り付いた。そんなことをしても家具は守ってくれないというのに。

 

 

「失礼。何故俺が此処に来たか、お解りか?」

 

 

 眼鏡の下の肌は傷だらけで、窓から入り込んでくる月光に照らされた彼の素顔はまるで獣のような獰猛さに過ぎた。

 その顔を見て標的は漸く理解する。

 傷だらけの顔に、隻腕。時代遅れの武器を好み、魔術師を次々と狩っていく傭兵。

 自分達と同じ、金さえ貰えればなんだってやる魔術使いの存在を。

 

 

「ガントレット……!!」 

 

 

 それが異名なのか本名なのか、異名だとしてどのような意味を持つのか。標的である男には理解できない。

 ただ、それが男にとって今現在自分の命を狙う悪鬼の名前だということは、どうしようもなくはっきりとしていた。

 たまらず震え上がった男は部下が背後に控えているのも気にせず、泥にまみれた床に両膝と両手をついて頭を下げる。

 

 

「頼む!!見逃してくれ!!私達は金さえ払えば何だってやる傭兵なんだ!!別にアンタの所の依頼主に恨みはない!!ガキだって返す!!」

 

 

「……そのガキは何処だ」

 

 

 決して油断せず、交渉に応じようとするガントレット。

 標的からしたらその真意がどうあれ交渉の段階まで持っていけただけでも命を繋ぎ止めることとして上々だ。

 標的の背後に控えていた部下が別室へと続く扉へと入ってから数秒後、退出した部下に連れられて出てきたのは10歳前後の少女であった。

 

 

「――」

 

 

 小汚い雑巾のような衣服を着せられている姿はあまりに痛ましい。

 南瓜の実のような髪色も、あどけない表情によく似合うそばかすも、きっとこんな状況でなければどれもが彼女という向日葵を彩る材料になっていたことだろう。

 それを最も阻害していたのは、彼女の〈背中〉だ。

 

 

「……おい」

 

 

 彼の冷え切った声が空間に木霊する。

 一度肩を震わせた標的は、胡麻を擦るような軽薄さで問に応じる。

 

 

「は、はい?」

 

 

「この子の、背中はどうした……」

 

 

 標的の部下に連れられて来た少女。

 彼が雇い主である魔術師に奪還することを頼まれたその少女の背中――その皮膚が、ほとんど毟り取るように剥ぎ取られていた。

 艶を残す少女の肌が。まるでナチス・ドイツのユダヤ人に対する拷問のように。

 出血は下手な治癒魔術によって無理矢理止められているものの、赤黒く変色した少女の背中は見るに耐えない。

 それでいて、痛覚を遮断されたのであろう。そんな自身の背中や現状を理解していない少女の様子が、何よりも痛ましい。

 

 

「背中……あ、あーっ!魔術刻印のことか!!すっ、すいません!!もう商品として売っちまって!すぐ配送業者を呼び返しますので少しお待ちをーーがぁッ」

 

 

 何の悪びれも無しに部下に命令して少女の肉片を持ってこようとした標的の頭を、彼は躊躇うことなくクロスボウで射撃した。

 吹き飛ぶ頭。狂乱に陥る他2名の部下の命も、彼は躊躇することなく刈り取った。

 

 残るのは血に濡れた床の上で首を傾げる幼い少女のみ。

 彼女は人が死んだという現状にも気が付かずに首を傾げて、膝を折って目線を合わせる彼の顔をまじまじと見つめている。

 何も知らない少女という歳でもない。腕を見ると注射痕が幾つかあったことから、一時的に思考能力を低下させられているのだろう。

 可愛そうだが、今だけはそれでいい。

 自分の姿も、この惨劇も、何もかも分からない赤子のようなままで。

 

 

 魔術刻印と乖離されていた場合、速やかに処分しろというのが雇い主の命令(オーダー)だった。

 

 片手で持っていたクロスボウが揺れる。

 正確には、彼の手が震えていたのだ。

 このようなあどけなき少女を葬ることは、彼の美学の反する。

 何の罪もない無垢なる者の命を奪うことに、何の美学を見出だせようか。

 彼には少女を殺せない。だが、少女を優しく抱き締めてやる資格は彼にはない。そうできる腕も、片方は遠き過去に失われてしまった。

 未だ状況の掴めていない少女に、彼はぎこちなく微笑みかけた。笑顔になっているのかも不安になるほど。

 

 

「……名前は?」

 

 

「……アンナ」

 

 

 下の名前は答えなかった。それがわざとだと気がついた時、彼はそれ以上踏み込もうとしなかった。

 魔術師に関わらず、家庭にはそれぞれの事情がある。安易に踏み込んでしまうと、開いていない傷を無理矢理開く結果になるかもしれないからだ。

 武器を置いた彼は再度問い掛ける。

 

 

「アンナは……1人で此処に?」

 

 

 頷くものだと思っていたが、少女は首を横に振った。

 まさか地面に転がっている肉片達のことを指しているのだろうかと思ったが、少女が彼の目の前に突き出したのは片方の手の甲だ。

 其処に刻まれていたのは、魔術刻印とはまた別の〈魔力で精製された赤い刺青〉。

 

 

「これは……」

 

 

 彼は知らなかった。

 魔術世界に属していたとしても、ただ依頼されたことを仕事として淡々と来なす彼はその情報を耳にしていなかった。

 何せその戦争が始まったのは数百年も前。今では世界各地で亜種的な戦争は繰り返されているが、どれも小規模なもので話題になるようなものではなかった。

 彼はそれが英霊を使役する為の鎖であり証――〈令呪〉と呼ばれる強制命令権だということを知らなかった。

 

 

「『ドン・キーホーテ』も、一緒……」

 

 

 少女が見せた明るい表情の意味がわからず顔を顰めたガントレットだったが、すぐにその表情は驚愕の色を成したものに変貌を遂げる。

 少女の背後で口角を吊り上げる不可思議な存在に、彼は目を奪われたのだった。

 

 

 



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第マイナス9夜「壬生カグヤ④」

 

 現代魔術論科の学生寮の自室内。カーペットを敷いた床の上で日本人らしく正座をしながら少女が荷造りをしている。

 女性が引くには些か大き過ぎるキャリーバックも、女性が使うからこそ大きなものでなければいけないというか。勿論、壬生カグヤは紛れも無くうら若き乙女であるため、海外生活を送るにあたって必需品など入用な物が沢山ある。

 それ以上にキャリーバックの体積を取っているものが何かと言えば、一概に聖杯戦争で使うであろう魔術道具の数々だ。

 

 

「……赤鉢の針って何処にやったかしら……」

 

 

 棚やらを開いては閉じ、見つければキャリーバックの中に詰めてまた新しい捜し物を始める。

 そんな面倒臭さと懐かしさを同時に感じさせる作業も、半ば終わりかけていた。

 今日に限っては同室の友人も何やら用事があるとか外に出払っており助けを求められない。

 日本の実家では完全にお嬢様として育てられてきたカグヤは、本人が嫌がっても身の回りのことは使用人達がやってくれていた。なのでやろうと思っても、どうしても気が抜けて放っておいてしまう点がいくつか存在してしまうのだ。

 例えば、物の整理整頓であるとか。

 中にはそこいらの魔術師が知れば卒倒ものの年代物の備品とかもこの部屋には転がっているのだが、杜撰な管理をなされているが為に主人であるカグヤも把握できていない始末。同室の友人の人間性が良いからこそ何も問題は起きていないが、この部屋に転がってる物はほぼほぼ盗まれても言い訳できない状況下にあるのだ。

 

 

「ん、あったあった」

 

 

 二段ベッドの下。普段は見ないような暗がりに、探し物である極東の精霊の針が入った瓶を見つけた。

 別段使う宛もないのだが、あちらの魔術師に売れば物珍しがって路銀にでも変えてくれるだろう。

 そう思って気紛れで探していたのが、どうやらカグヤにとって吉と出たようだ。

 

 

「あっ」

 

 

 ベットの下に転がっていた瓶の手前に、何やら見覚えのある雑誌が置かれている。

 引き出すと同時に散乱する埃に多少咳き込みながらも、雑誌の表面にこべりついた埃も片手で払う。

 友人のではない、ということは自分の物になる。

 はて、こんなものをいつ貰ったのかと首を傾げ、記憶を辿ると確かに思い当たる節はあった。

 誰が読むのかと思うような〈オカルト雑誌〉。

 そうだ、これは。

 

 ――壬生カグヤが恋人から貰った誕生日プレゼントだ。

 

 

 

 

 

 

 

「ミス!!ミス・壬生!!いらして!?いるのでしょう!!」

 

 

 雑誌を抱いて思い出に浸ろうとしたカグヤの心情を邪魔するように、扉を少々強めにノックしながら叫ぶ女の声が室内にも反響する。

 この声。豪気な口調。心当たりが無いと言うと、自分は大嘘つきになるんだろうなぁ、とカグヤは表面上は鉄仮面のまま内心苦笑する。 

 しばらし顎に手を当てて考えるような仕草をしたあと、やがて思いついたように1人、人差し指を上げたりしてから外で待ち構えているだろう淑女に声を返す。

 

 

「いません。お帰り下さい」

 

 

 カグヤの要求を聞き入れずに勢い良く外側に開かれる扉。

 廊下には何人かの見物客が立っており、注目されるのが嫌いなカグヤは僅かに目を細める。

 最も、扉に掛けた鍵を物ともせずに姿を見せた淑女は、そんな観客のことなど気にもせずに悠然と佇んでいるのだが。

 

 

「……よろしくて?」

 

 

 気品溢れる佇まい。

 金髪の縦ロールも、青いドレスも、全てが合わさって彼女という芸術品を彩る為の宝石に過ぎない。そう言われても遜色ない気品と、そして気高さを持った女性であった。

 喋り方からして、振る舞いからして、見た目からして、何処からどうみても分かりやすいお嬢様。

 社交界に出れば男女問わず目を引いてしまう美貌の持ち主が、今壬生カグヤという少女1人に視線を送っている。 それも生易しいものではない。

 明確な敵意と敬意を隠そうともしない、戦士の眼光。

 

 

「……エーデルフェルトさん……」

 

 

 突然入り込んで来た女は、壬生カグヤの知り合いであった。

 

 ルヴィアゼリッタ・エーデルフェルト。

 フィンランドに居を構える宝石魔術の大家、エーデルフェルト家の現当主。別名、地上で最も美しいハイエナ。

 その名にそぐわぬ美貌と優雅さ、そして魔術師らしい探究心を持った、数年前の主席候補生、であったとカグヤは聞いていた。実際誰が主席をとったなどはカグヤには興味のない話だ。

 

 そんな人間が自分の目の前に居る。自分の部屋を尋ねてきている。

 そこいらの魔術師であれば緊張と警戒で胃に穴が無数に開きそうな状況ではあるが、面識のあるカグヤは床に座ったま毅然とした態度を保っていた。

 優美さだけで語るのであれば、カグヤもエーデルフェルトの御令嬢に負けないものを備え持っている。

 

 

「何の御用ですか?」

 

「フッ。貴女が旅に出ると風の噂で耳にしてこうして」

 

「帰って下さい」

 

「……えっ」

 

「帰って下さい。荷造りで忙しいので」

 

 

 傍から見ている観客達からしたらさぞ奇妙な光景だっただろう。

 その異名は故郷のフィンランドだけには留まらず、ロンドン時計塔の魔術協会にまで広がったあの美しきハイエナ。最高の才能と懸命な努力の末に世界からの祝福を受けたあのルヴィアゼリッタ・エーデルフェルトが、たかが極東の田舎魔術師にあしらわれている。

 さも、興味もなさそうな表情で。

 

 

「あな、あなた」

 

「……あ、エーデルフェルトさん。宝石幾つか売ってくれませんか?私どうにもちまちました魔術は苦手で」

 

 

 ルヴィアの屈辱など全く気がついてない様子で交渉に乗り出したカグヤの前に勢い良く淑女が座る。少々荒っぽい座り方であったが、それでも身なりのおかげで見るものには気品を感じさせる。

 何を羞恥に感じたのかはカグヤには全く解らなかったが、それからのルヴィアの表情は常に悔しそうで、それでいて声の大きさは他の者に会話の内容を聞かれないように最小限のものに自ら制限されいた。

 

 

「先程の狼藉は見過ごします。ええ見過ごしますとも。可愛い後輩の未来の為ですもの。

 それでも、私にはそんなことを差し置いて貴女に聞いて置かなければいけないことがあるのです」

 

 

 徐々に〈エーデルフェルト〉としての表情に変わった淑女の姿を見て、カグヤもまた魔術師として頷く。答えれるならば答えようと、同じエルメロイ教室に通う生徒として。

 それを確認してから、ルヴィアは重く溜め込んだものを吐き出すように言葉を並べる。

 

 

「――貴女、聖杯戦争に参加するんですって?」

 

 

 耳元で囁かれた言葉に、カグヤは若干迷いながらも頷いた。

 何しろ、本来であるならばこの目の前にいる淑女。ルヴィアゼリッタ・エーデルフェルトが今回のアフリカにおける聖杯戦争に参加する手筈だったそうだ。

 それが、他でもない彼女の講師。ロードエルメロイ二世によって極東の田舎魔術師に参加権を奪われた。

 魔術世界における価値あるものなら何でも標的にしてきた美しきハイエナが、奪う前にその権利を横取りされたとあってはその先は誰しも予想するのは容易い。

 実際、偶然今の会話を耳にしてしまった生徒達の数人も、今から魔術戦が始まるのではないかと期待と不安を顕にしていた。

 

 しかし、彼女としては珍しいことに、エーデルフェルトの御令嬢は怒鳴ることなく、後輩に対して1つ溜息をつくだけであった。

 

 

「全く、貴女ときたらもう。もう少し先輩に対する敬意とか、遠慮とかありませんの?」

 

「……ああ。ごめんなさい」

 

 

 漸く気が付いたように頭を下げるカグヤに、ルヴィアはこれまた彼女としては珍しいことに、まるで幼子でも見るような慈愛に満ちた苦笑を浮かべている。

 暫くして、可憐な衣服の裾から宝石を幾つか取り出すとカグヤの手にしっかりと握らせる。角ばった宝石が肉に入って内出血を起こしてしまいそうな程に、強く、強く。

 

 

「私はミス遠坂のように貧乏性ではありませんので代金はいりません。選別として取っておきなさい」

 

「……助かります」

 

 

 今度はカグヤが珍しい表情を浮かべていた。人からの純粋な好意というものに、あまり慣れていないのだろう。その頬は少しだけ赤らんでいる。

 そんなカグヤの頬を手の甲で優しく撫でて、ルヴィアが微笑を浮かべる。

 

 

「魔術師ですから、死んだら其処までですけど。必ず帰ってきなさいな。死んでも帰ってきなさい?」

 

「それはつまり……アンデットになって帰ってこいと?」

 

「……相変わらず極東のユーモアは悪趣味ですこと」

 

 

 などと談笑している内に、普段も騒がしい現代魔術論科の学生寮に、更に騒がしい足音が響き渡る。

 足音の主は段々声量を増す怒鳴り声と共にカグヤの部屋に接近してきており、談笑していた二人には姿が現れるよりも前にその正体が露見していた。

 

 

「カグヤぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁ!!あんた、また私の財布取ったでしょ!!」

 

 

 現れた女性はルヴィアとまた違ったタイプではあったが同レベルの美女であった。

 ルヴィアの青を対象として、赤を基本とした服装。しかし服装は魔術師のイメージとは少し違った現代の若者の落ち着いた雰囲気である。

 わざわざ説明しなくても、カグヤは今日この女性と一度出会っている。

 つい癖で『瞬間的に認識障害の魔術』と『すり』を行ってしまったが。

 

 遠坂凛。

 ルヴィアと同じく、時計塔の新生代トップレベルの実力にして、非常に稀有な才能である五大元素の使い手。通称五大元素使い( アベレージ・ワン)

 西欧社会である時計塔で極東出身という不利要素をものともしない、図太い女性。それが同じ極東人であるカグヤの見解だ。

 

 

「あっ、お返しします」

 

 

 遠坂凛(かのじょ)が来たことで、実際には遠坂凛とルヴィアが揃ったことで、面倒な事態に陥ることを予想したカグヤはえらくあっさり財布を返却しようとした。

 しかしカグヤの掌に置かれた財布は持ち主である遠坂凛の手元には戻らず、ルヴィアゼリッタ・エーデルフェルトによって何故か没収されている。

 

 

「……あの。エーデルフェルトさん。それ、返してくれないかしら?」

 

 

 冷笑と共に手を伸ばす遠坂凛を片手であしらって、ルヴィアは口元に手を当てながら高笑いする。

 

 

「あーらっ。ごめんあそばせっ。でも私、先程可愛い後輩に宝石をあげて金欠ですの。ええまぁ、それでも割りと有り余る財があるのですけど、おぉっと!ごめんなさい!!貧乏性なミス遠坂の前で軽々しく金欠なんて言わないほうがいいですわね!!」

 

「うるっさいわね!!いいからそれ返しなさいよ!!こら!!ルヴィアァ!!」

 

 

 キャットファイトならまだいいが、タイガーファイトが近くで行われては流石のカグヤも敵わない。

 取り敢えず必要なものを纏めてキャリーバックに詰めると、同居人への書き置きだけ部屋に残して、壬生カグヤは半年間だけなれど住み慣れた部屋に別れを告げてその場を後にした。

 



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第マイナス8夜「ノスフェラトゥ」

 

 

「問おう――汝が我輩を棺から呼び覚ます不届きものであるか」

 

 

 目が覚めた時、彼は古びた家の中にいた。

 

 カーテンは閉められ、最初は灯りもつけられていなかったが、夜目が効く彼には部屋の様子は問題なく見て取れる。

 部屋の中は彼が〈聖杯〉から得た現代の家の内装とは少し違っていて、年着物の絨毯や壁に掛けられた動物の剥製などは近代貴族の屋敷を連想させる。

 辛うじて現代らしいものがあったとするならば、それは背後で喧しく騒いでいる映像を流す板ぐらいであろうか。

 

 そんな彼の目の前に居る人物達は、立派な部屋に比べて現代らしい洋装に身を包んでいる。

 上質な素材で製造されたソファに深く腰掛けながらワイングラスを片手に持つ30代の美丈夫と、そのすぐ後ろの台所で何やら料理をしていると思わしき美女。

 男も女も、おそろいのセーターとジーンズを着ていることからおそらくは仲慎まじい夫婦なのだろう。

 突然現れた来訪者に気がついているのはソファに座っていた男の方だけで、彼はワイングラスを落としそうになるのを必死に我慢しながら口を魚のようにパクパクさせている。

 無理もない、と彼は納得した。

 大凡の大衆の〈恐怖の対象〉とされる彼からしたら、自分を目にした人間は恐怖を覚えない方がおかしい。

 しかし、彼の含み笑いも虚しく、立ち上がった男は如何にも嬉しそうな表情で台所で料理を続ける妻に呼び掛ける。

 

「おぉい!!エミリア!!ホントに来ちゃったよ!!」

 

 まるでふざけて呼んだ友人が、本当に家に来訪してきたように。楽しさと驚きが入り混じった声であるのが、どうにも彼には気に食わない。

 呼び掛けれて台所から顔を出した女の方も、彼の顔を見るなり豊満な胸の前で手を合わせて嬉しそうに微笑している。

 

「えぇ〜――あら、あらあらあら。あらぁ〜」

「そんなこと言ってないで早く!早く!!」

 

 どうにも危機感のない夫婦だ、と彼は思わず顔を顰める。

 彼は英霊同士が雌雄を決する戦争――〈聖杯戦争〉に呼ばれた筈だった。曰く、その戦いに生き残れるのは一組のみ。他六騎の英霊を全て八つ裂きにすることが勝利条件とされる、苛烈な殺し合い。

 ならばこそ自分は呼ばれた筈なのだ。彼は意気込んでこの場に召喚された。

 

 だというのに出てきてみれば、主人と思わしき両夫婦はまるで観光名所のマスコットと相手にするような喜びっぷり。何処からどうみても聖杯から呼び出された英霊を敬う気持ちはなさそうだ。

 夫に促されて妻が写真機を持ってきたところで、たまらず彼は再度口にした。

 

 

「問に応えよ。人間。我輩を呼び出した不届き者は――汝で」

「あーっ。もうそういうの後でいいじゃないか!ね!俺達は君に会えて嬉しいんだ!」

「そーよ。まずはゆっくりお話しましょ?」

 

 

 邪気のない笑みで夫婦は彼の両サイドに詰め寄ってくる。まるでホームステイしに来た外国人の子供を優しく迎え入れるように。

 見たところ、彼らは魔術師ですらなかった。確かに夫婦の何方かからの魔力の繋がりは感じるし、足元には召喚する時に何かの動物のもので描かれた魔法陣も存在する。

 しかし、彼らには秘匿を重んじる魔術師らしさが一切ない。自分達の研究の為なら他社を道具として扱わない非情さがない。

 更にはティーカップまで用意し始めた現状に、いい加減英霊しての矜持を怪我されたような気分になって、等々彼は溜息を吐いた。

 

 

 ――同時に、彼の身体が一瞬にして黒色の霧となって部屋中に霧散し、周囲に居た夫婦の身体が不可逆の力で切り刻まれる。

 

 

 霧から元の黒色の衣服とハットを被った長身の男性の姿に戻ると、彼は冷え切った目で床に転がる肉片達に目をやる。

 自分が生き長らえる為の糧にしてやろうかとも思ったが、サイコロステーキのようになった人間を養分にするような悪趣味な怪物でもないと彼は自負していた。

 

 彼は誇り高い怪物であったのだ。

 

 夫婦は自分のような怪物を使役できる器ではなかった。

 だから殺した。その事に何の躊躇いも後悔もない。

 唯一不安があったとするのであれば、それはこれからのことだ。

 彼には聖杯に託す願いが在る。とすれば、彼には当然主人(マスター)が必要であった。

 まずはそこからか、と足元に散らばった肉片などには目も向けず、彼は窓硝子を叩き割ると夜の街に足を伸ばす。

 背中から羽を生やして飛んでいくのも容易いが、今夜に限っては彼はこの地上を歩きたい気分であった。

 

 

 

 

 

 

 主人を殺し、怪物は1人外に出る。

 煉瓦造りの街。空を見上げても星は無く、街灯の光だけが人々の暮らしを彩る。

 談笑にふける男達に、路上で寝る酔っぱらい。これから恋人と合うのかヒール姿でスキップする女。その誰1人として数刻前にこの黒衣の男が中慎ましい夫婦を殺した怪物だとは思いもしないだろう。

 当の怪物自身も、その事実を取るに足らない過去だと忘れかけていた。

 そんなつまらない記憶よりも、彼の目を惹くのはやはり街を行く人々だ。

 人々の姿を見て、生前の人生を思い出すーーなんて真っ当な感性はこの化物には備わっていない。

 

 

 ーー異様だ。

 

 

 端的に大した根拠も無く化物はそう思う。

 空の色からして今は夜の筈だ。だというのにこの街はまるで昼のような賑やかさを持っている。何か催しものがあるのなら別段不思議な話でもないのだが、そういった会話が聞こえてくることもない。

 また見上げた空も異様であり、星どころか雲も月も無い。

 まるでペンキで塗りつぶしただけかのような空を見てこの街が普通の街ではないと判断し、怪物の口角が狂気に歪む。

 嬉しそうに、嬉しそうに。

 存在自体が異様である化物には、異様な世界など身体の一部も同じ。

 故に、飲み込んでしまいたくなるのだ。

 

 

 

「【不死身の鮮血王(ノスフェラトゥ)】」

 

 

 

 吐息と共に漏らされた短い宝具発動宣言に、彼の脚から次々と『黒い沼』のような物体が広がっていく。

 

 

「〜〜♪……あ?おぉっ!!?」

 

 

 最初に引き込まれたのは近くで寝ていた酔っぱらいであり、地面に触れていた自分の手が何かに沈み込んだかと思うと一気に引き込まれて消えていく。

 正に底無し沼に引き込まれていくように。

 頭から爪先まで完全に沼に溶け込んでしまうと、其処にはもう酔っぱらいを形成していた痕跡は何も残らなかった。

 ただただ『黒い沼』がまた広がるのみ。

 そして、沼がその規模を広げるということは酔っぱらいのような犠牲者が増えるという悪夢に繋がっていく。

 

 

「ひっ!!?なんだこれ!?」

「助けてぇ!!!助けてぇ!!!」

「おぇっ!やだ、入ってこない、で、おぉっ!!?」

 

 

 1人、また1人と沼に人々が沈んでいく。

 沼の進行速度は遅くとも入り組んだ街に逃げ場は少なく、逃げ回れば逃げ回る程沼は街をよりいっそう黒く染め上げていく。

 化物はこの宝具の力の一端を単なる『食餌』としてだけ使った訳ではない。

 誘き寄せているのだ。わざわざ宝具を開帳してまで、この異常を作り出した元凶を。

 続々と飲み込んでいく人々の悲鳴を肴にし、ただ狂気の絶叫を浮かべ。

 

 

「くっくくっくはははっーーーうぐっ!?」

 

 

 浮かべ、そうして今まで経験したことのない嗚咽を抱いた。

 背中を丸め、口元を抑え、ただ何かを憎悪する。

 敵の攻撃を既に受けていたか。否、そんなものは受けていない。そんなものを見逃す筈が無い。

 ならば何故だ。考えても考えても答えはでない。

 悲鳴しかないこの空間で、意味不明な吐き気の正体を説明してくれる者は誰も居ない。

 

 

「な、なんだ……これは……これはっ……!?」

 

 

 まるで誤って日の光を浴びた時のような。聖職者に十字架を突き付けられた時のような。あの涙を生み出す植物の痛烈な臭いを嗅がされた時のような。

 しかし、しかし何だこれは。何故そのような悪寒が今現在進行形で我が身に起きているというのか。

 

 怪物は堪らず翼を広げる。

 黒い沼同様、自己改造スキルにも似た宝具にて生み出した仮初の翼ではあるが、それは質量を持った本物である。

 風を切り空を飛ぶ。

 飛べば眼下に広がるのは中世ヨーロッパの町並みだ。夜故人こそ少ないが、静かでありながら人々の生きる様子がはっきりと目視できる。

 その点は別段おかしくはない。異様ではあるまい。

 異様であるのは、彼の飛ぶ空の方だ。

 ある程度の高度まで達したとき、彼は空の異様さに気が付いて急速に速度を遅める。

 そうしなければ彼は『何か』に激突していたからだ。

 

 

「……何だ、これは」

 

 

 驚嘆の声を上げながら化物は『空』に触れる。

 街を覆う空。一見夜空にしか見えないそれは、実際は本物の空ではなかった。

 夜空を絵に描いたただの天井。

 行き止まりが彼の空の正体だったというのか。

 いや、そうではない。化物が生前に、或いは数多の伝承にて目にしてきた空は遥か遠い宇宙にまで続いていた。

 ならばこの行き止まりは何だというのか。

 判らない。判らない。判らないことが多過ぎる。

 先程の吐き気といい、この空の壁といい。

 

 この聖杯戦争は異様に過ぎる。

 

 

「……ッ……あぁ、あぁ、あぁっ。待っていたぞ」

 

 

 異様に過ぎる世界の中、化物の知っている気配が地上にぽつり。彼を呼ぶかのように現れる。

 実際に見知った相手という訳ではないだろう。しかし彼は知っている。その相手がどんな存在なのかを。

 恐らく自分と同じ化物ではないだろうが、それでも『サーヴァント』であることには変わりあるまい。

 理解が追いつかない事態ばかりで混乱していた脳にサーヴァントとして今最も明確な目的が出来た。

 敵を倒せ。

 それこそが座より呼ばれたサーヴァントの成すべき目的である。

 場所は既に把握済み。西方に位置する塔の上に『敵』は居る。

 再度、生み出したばかりの黒き羽を羽撃かせる。

 悩むのはもう辞めた。そも、この世の謎を解き明かすことなどは探偵の仕事であり、謎を生み出す側である化物が成すべき仕事ではない。

 化物はただ喰らい殺すのみ。

 ならばその在り方に従おう。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 目的地に到着。

 天空からの急降下。屋根をも吹き飛ばす着地を目にしながらも、化物の『敵』は一切動じない。

 

 

「……」

 

 

 化物は民家の上。敵は低い塔の天辺。両者の間には僅かな距離がある。

 化物と同じく、敵は黒の衣装を纏っていた。

 黄金の髪に、黄金の瞳。

 露出の多い黒のドレスを身に纏った姿は不思議(ミステリアス)な雰囲気を身に纏った何処ぞの貴族のようにも見えるが、実際はそうではないだろう。

 何しろその手には剣が握られている。

 刀身は長く、そして歪んでいる。

 見た目だけではどうにも真名の判別が付きにくい。戦う前にどうにかボロを出さないものか、そう思っていた矢先敵は意外にもあっさりと口を開いた。

 

 

「ほぉ。気を放てば何処ぞの猛者が喰らいついてくるものと思っての行動であったが、まさか本当に釣られるものがあったとはな」

 

 

 傲慢にして不遜。

 しかして何処かその口調や仕草には愛らしさがある。

 何しろ相手は少女の出で立ちをしているのだ。だからといって化物は全く油断することなく、構えながら両方の手の指を鳴らす。

 

 

「釣られてやったのだ。黒き乙女よ。汝が鮮血、我輩に差し出せ」

 

 

「ほぉ。鮮血と申すか。ならば『赤』、『赤』を欲するか」

 

 

 ーー戦いを前にして色?

 一体何の話をしているのかと疑問に思った化物の目に写ったのは、それまで冷血であった表情を一瞬にして溶かした黒き乙女の憎悪の笑顔。

 

 

「『余の最も憎む色』を、軽々しく口にするな……

!!」

 

 

 

 瞬間、あまりにも激的に戦闘は開始された。

  

 言わずもがな先に動いたのは黒色を身に纏いし少女剣士であり、塔の頂上から斜め下に降下する。

 そのまま刹那的に化物の眼前に飛び込むと低い身長を膝を折り曲げた姿勢で更に低くし、舞うように回転して剣を振り上げる。

 

 

「ッ!!」

 

 

 正に間一髪。

 目にも止まらぬ攻撃を化物はほぼ勘にも等しい自己防衛本能で回避すると、反撃もままならぬまま後方へと飛ぶーーのだが敵の攻撃は緩まならない。

 

 

「はぁっ!!」

 

 

 黒き剣士が足場にした屋根を蹴り再度の加速。

 再び黒き刃が化物を狙うが、今度こそ化物は逃亡ではなく対応に転じた。

 

 

「【不死身の鮮血王(ノスフェラトゥ)】ッ!!」

 

 

 2度目の宝具の開帳。 

 聖杯戦争の大原則として、真名がバレるのは最も避けるべき事態であり、弱点の露見にも繋がる。宝具を使うのは極力避け、大事な戦の時のみ使用する。

 それが大前提に置かれてからこその聖杯戦争の戦いというものなのだが、しかし化物はそうは言っていられない。 『正規の英霊ではない』彼にとって、英霊というのは最も危険視しなくてはならない存在。手を抜くことなどできないのだ。

 何故なら、化物を殺すのはいつだって血気盛ん勇猛果敢な英雄であるのだから。

 

 宝具を使用してすぐ化物の手には黒き槍が握られる。 

 黒き剣士が手にしているものは違い、何の装飾も施されていないただただ塗り潰したように真っ黒な黒き槍。

 化物が槍を手にした数秒後には剣と槍がぶつかり合う衝撃波が辺りの屋根を吹き飛ばしていた。

 

 

「貴様、やはりワラキアの王か」

 

 

 真名掴んだり。そう言いたげな自信満々な表情で槍を弾き飛ばす黒き剣士に対して、しかし化物は体制を立て直しながら訝しげに眉を潜める。

 

 

「……何?」

 

 

「ん?外れたか?その黒き槍、先程の発言からして……ルーマニアに名高き串刺し公。ドラキュラ伝説の代名詞であるかの英雄と予想したが、どうか?」

 

 

 剣を足場に突き刺し冷酷な笑みで他愛も無い話だと語る黒き剣士に、化物は内心首を傾げる他無い。

 串刺し公。その名は知っている。かつてオスマン帝国の進行を幾度に渡って阻止した、救国の大英雄。

 打ち負かした敵を槍で突き刺し見せしめにする。その残忍かつ残酷な悪魔の所業は聞く者全てを震え上がらせる。

 祖国には英雄として。敵国には悪魔として。

 そして後に全世界を震撼させる吸血鬼ドラキュラの祖として、彼の大英雄の名は記憶している。

 

 しかし、それだけだ。

 知っている。記憶している。それはただの記録に過ぎない。

 召喚される際に聖杯より渡される情報の1つの筈だ。

 しかし、しかし何故。その英雄の名はサーヴァントの心臓とも呼べる化物の霊核を揺るがすのだろう。

 

 

「そんな名はーー」

 

 

 知らない。とは言えなかった。

 

 

「……?っ??」

 

 

 疑問疑問疑問。

 人々の行動、謎の嗚咽、空の壁。

 現界してからというものの意味不明、理解不能の謎だらけではあったが、これはまた違う。

 有り得ない有り得ないーー何故ならこれは、自己に関する疑問。

 考えてみれば、否考えるまでもない事柄だから気が付かなかったのか。

 

 

「我輩は……」

 

 

 

 

 誰だ。

 

 

 

 

 

「ふむ、些か訳ありのようだが……来ぬのなら此方から行くぞ」

 

 

 黒き剣士が再び構え、そうして再び弾丸のように射出される。

 幾ら人智を超えた化物といえど、英霊の本気の一撃を受けてはひとたまりもない。しかし混乱した頭では回避も間に合わない。

 どうするべきだ。どうするべきだ。

 考えても考えても混乱は収まらずーー

 

 

 

 ーーそんな化物(じぶん)救う者(マスター)の背中が眼に映った時、彼の脳は暴発寸前にまで陥った。

 

 

 

「くぅっ!!」

 

 

 事態は一瞬の出来事だった。

 黒の剣士が薙ぎ払うように奮った剣は、しかして化物の横腹を切り裂くことなく、真下から屋根を突き破って現れた歪な髑髏のステッキによって阻止された。

 それだけではない。

 乱入者は黒き剣士の剣を弾き返すと同時に、空中で姿勢を低くしてその腹に蹴りを叩き付けたのだ。

 

 正体不明の乱入者に冷ややかな表情を崩さずとも黒き剣士は思考する。

 見覚えのある乱入者に化物はただ目を見開く。

 英霊を退けた乱入者の正体。

 それはつい数十分前に化物が切り裂き肉塊にしたあの夫婦の夫の方だ。

 

 

「ふぅ〜〜。なーんとか間にあったぜぇ。再生するのに時間掛かり過ぎたな、歳かなエミリア?」

 

 

 乱入者の男はこの緊迫した戦場には似合わない口調で手にしている杖に語り掛け、

 

 

「フフッ。私は貴方がもしお爺さんになっても大好きよ、カイン」

 

 

 杖は一度泥状の液体に変質してから、黄金の髪が眩しい赤目の美女へと変化した。

 

 

「いやぁ〜俺の方が好きだぜっ?」

 

 

「えぇ〜?もぉ、私のほうが〜」

 

 

「いやいやいやいや」

 

 

「いえいえいえいえ」

 

 

 この状況に似合わないどころか遂にはいちゃつき始めた男女にいい加減嫌気が差し、黒き剣士が再び疾走する。 

 今度こそ仕留める。誰が見てもそう決心しているのが丸わかりな明確な殺意を持った眼差しでの急接近。

 戦闘に疎いサーヴァントであるならば押し負け、人間であるならばほぼ確実に仕留められてしまう一撃を前にして、カインと呼ばれた男は逃げはしない。

 動かすのは自分の右手と、愛する女性に向ける瞳のみ。

 

 

「じゃ、頼んだぜエミリア。これが終わったら映画の続きだ。あの子も混ぜてな」

 

 

「はぁいカイン。またお料理作らなきゃね」

 

 

 黒き剣士に向けられたカインの手に、黄金の美女エミリアの両手が重ねられる。

 すると途端に周囲に蛍のような光が煌めき出し、ここら一体を無数の小さな光球達が覆い尽くす。

 移動しているが故に光球に触れ、肉を切られた黒き剣士は、その光が熱量を帯びていることに誰よりも先に理解したが、時既に遅し。

 

 

「悪いんだけどさ、今日は大事な用があるんだ。遊びに来る時は先に電話してきてなっ!!」

 

 

 カインの決め台詞と共に光球達が一斉に輝き出し、やがてそれぞれから黒き剣士に向けて集まり空中に押し上げると、一気に爆破した。

 

 

「なーーっぁぁああああああああ!!!?」

 

 

 光が消失した後は敵の姿も、硝煙も何も無い。

 後に残ったのはまたあの天井のある空だけで、残ったのはまだ混乱を抑えられない化物1匹の、正体不明の乱入者2人。

 振り返った男女に対し、化物は警戒心有り有りで構えを取る。

 殺した筈の人間が生きている。もしくは殺したと見せかけられたか。どちらにしても魔術師か真っ当な人間ではあるまい。

 令呪を使われる前に殺してしまおう。

 そう考えてもサーヴァント相手にあそこまでの攻防を見せた相手に迂闊に動けない化物であったのだが、夫婦はそんな彼の気持ちは預かり知らぬと言った様子で腰をかがめて内緒話をし始める。

 

 

「おいおいエミリア。なんか怖がられてるんだけど。俺、ペットとか飼ったことないからああいう脅えた子の扱い方知らないよぉ〜どーしよぉ〜」

 

 

「大丈夫。誠心誠意、私達は敵じゃないよぉ〜って伝えればきっと心を開いてくれるわ」

 

 

「そういうもんかな」

 

 

「そういうものよ」

 

 

 女の方に励まされて、やがて襟を但しながら男の方が化物の前へと歩み寄ってくる。

 しかし、いざ尋常に死合おうと口に出さずともそう伝えている化物に対し、カインは慌てて両手をジタバタさせる。

 

 

「いやいやいやちょっ、ストォップ!!ストォップ!!敵じゃない!!俺らはエネミーじゃなぁい!!ミカタぁ!!ミカタミカタミカタぁ!!」

 

 

「………貴様らは、なんだ」

 

 

 殺す前に問うて置かなければならない。

 自分に此処までの不快感を与えた相手に対し、何故だが率直にそう感じた化物に対して、カインはよく訊いてくれたと言わんばかりに表情を明るくする。

 傍らに美女。自信満々に胸を張って、鼻の下を指でなぞり、カインは意気揚々とご近所の耳など関係無しに宣言した。

 

 

「俺はカイン!んでこっちは嫁のエミリア!偉大なるドラキュラ伯爵!不死の王(ノスフェラトゥ)よ!俺達はアンタのーーー広い意味でのご同郷さ!!」

 

 

 



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第マイナス7夜「壬生カグヤ⑤」

 

 飛行機に乗ること数時間。

 壬生カグヤにとって、初の海外旅行となったアフリカの大地はやはり日本の感覚とは全く違う。

 魔術師としては零脈の経路が若干違うことなどが気にかかるが、一般人でも空気の違いなどには気が付くだろう。

 また、人々の意識も平和ボケした日本とは全く違うように思えた。

 人通りが多いのは日本とは変わらないが、その意図が彼女の祖国とは全く違う。 

 彼女が目にしたアフリカの人々はその殆どが生きることに必死だった。

 二十一世紀を迎えた今でも、その現状はあまり変わっていない。最近では致死率の高い病が流行るなど、やはりこの大陸は昔の不幸な運命を土地に残しているようにも思える。

 

 それでも、壬生カグヤはこの大地が嫌いではなかった。

 

 喉を焼く熱い空気も、喧騒も。

 彼女の人形のような外見には全く似合わないというのに、彼女の表情は何処か穏やかだ。

 時計塔ではエルメロイ教室などを除いて、殆どの魔術師が事故の利益の為だけに研究に没頭し、何不自由なく我が物顔で暮らしている。

 その点についてはこのアフリカの大地とも代わりはない。皆生きる為に必死であり、その為に他者を蹴落とすことも厭わない。

 それは悪ではない。裕福な世界層から見れば無様と避難されるかもしれないが、カグヤの持論からすれば「生きる為には仕方なかった」の1言は何よりも力を持つ免罪符となる。

 

 電車に揺られること数時間。

 押し入れに詰め込まれる布団のような気持ちで乗り続けた電車もやはり日本とは勝手が違う。

 暫くして目的地につくと、電車に乗っていた人々が一斉に降りて各々の仕事場へと走り出す。

 対してあまり急ぎでもないカグヤは、白のワンピースに麦藁帽子という軽装で、キャリーバック片手に悠々と歩き出す。

 整備されていない地面はなんとも歩きにくく、どうにも魔術で軽量化したとはいえキャリーバックが引きにくい。

 日差しも随分強かったが、それに関しては時計塔を出る前に先輩であるルヴィアゼリッタ・エーデルフェルトから秘伝の日焼け止めを貰ったので心配ない。断熱効果もあって暑さも軽減されているので快適なぐらいだ。

 

 暫く歩いたところでカグヤは懐のポケットから紙切れを取り出す。 

 小さな紙にはこのアフリカの大地で出会うはずの案内人の名前とその人物と街合わせをしている場所が書かれている。

 といっても、初めての海外旅行。当然地理感は無く、目的地に辿り着くには現地人に地道に尋ねるしか方法はない。人混みに入ると訊けなくなると思ったので、その手前にあるベンチで暇そうにしている屈強な男達に声を掛けることした。

 

 

「すいません。少し、道を尋ねてもいいですか?」

 

 

 現地で使われている言葉は移動中に一通り全て〈暗記〉した。その程度であるならば、魔術を使わずともどうとでもなる。

 といっても、それが流暢であるかどうかを問われると、当然日本語訛りは取れないのではあるが。

 屈強な男達のうち、奥のベンチに腕を広げて寛いでいた黒人の男が目を細めて首を傾げる。

 

 

「……なんだい?日本人のお嬢ちゃん?」

 

 

 対応は紳士的な男達であったが、その視線からは異国の美人を食らうことと金品を奪おうとしていることが見え見えであった。

 だからといって別段カグヤはそれを追求したりせず、聞けることさえ聞けたらいいと問を投げ掛ける。

 

 

「―――って店。知りませんか?」

 

 

 異国の美人の問に、男達は何がおかしいのか高笑いしながら頷いた。適当感満載の乱暴な頷き方で。

 

 

「ああ、知ってる!知ってる!知ってるからついてこいって言ったらついてくる?」

 

「ええ」

 

 

 これはそっちも乗り気なのではないかと、ベルトの締めを緩くした男達は、カグヤの肩を抱いて路地裏へと消えていった。

 

 

 

 

 ――その後、自分達がどういう目に合うか知らずに。

 

 

 

 

 

 

 

 路地裏に入った男達の気分が晴れていたのは、ほんの一瞬だった。

 路地裏には更に数人の男達がおり、カグヤを取り囲むようにして更に奥へと連れて行く。

 そして地面に倒れる薬物中毒者達以外、彼らの仲間で路地裏が埋まった時、リーダーと思われる男が下卑た笑みと共にカグヤの頬を撫でようとした。

 

 

 その一瞬。

 彼らの視界が一瞬暗黒に包まれたかと思うと、次の瞬間には全員地面に倒れ伏していた。

 十数人は居た屈強な男達が、地に上げられた魚のように身体を苦しそうにバタつかせて。

 

 その中心に立つ女はそんな彼らを一瞥することもなく、子供が白線を踏んで遊ぶ要領で、地面に転がった男達を踏まないように空いた地面に跳びながら移動する。

 再度、路地の喧騒に身を任せようとしたその矢先、照り付ける太陽の光が何かの影によって遮られる。

 見上げると、カグヤとそれほど身長の変わらない男が1人、通せんぼするように路地への出入り口に立っていた。

 

 現地人ではない。

 やや焼けた肌は黒ではなく褐色で、顔の作りも東洋人のそれだ。

 如何にも気弱そうな優男といった風貌の男は、着ていたシャツに汗を滲ませながらカグヤに声を掛ける。

 

 

「こ、こんにちは」

 

 

 日本語だった。

 日本人なのかそうではないのかカグヤには判別がつかなかったが、どちらにしても気を遣ってくれていることには変わりない。

 愛想笑いなど出来るほど器用ではない自分にうんざりしながら、できるだけ愛想良くと心掛けてカグヤも挨拶を返す。本人は知らないが、彼女の無表情はそれはそれで大変哀愁のある表情なのだ。

 

 

「こんにちは。貴方は誰かしら?」

 

 

 問い掛けると、青年は変わらず優しい笑みを浮かべて答えてくれた。

 

 

「〈城主〉、ガクべリア・ハーベスタリオンの遣いの者です。少しそこまで同行願いますか?」

 

 

 男の双眸を見て、声や表情に出さずともすぐにカグヤはある事実に気が付いていた。

 

 ――この男性は魔術で意識を乗っ取られている。

 



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第マイナス6夜「日の当たらない御曹司」

○ 

 

 

 少年は全てに祝福されていながら、その全てを卑下していた。

 

 

 時計塔。魔術協会。

 神秘を追い求め、秘匿する魔術師達の自衛団体。

 実質は魔術師達が己の研究をより高みへと昇華させるのが結成の理由ではあるが、其処は暗黙の了解。

 神秘が年々失われて来ている近年ではそんな概念も薄くなり、まるで俗世の社会と同じように派閥や権力争いが水面下で勃発しているという。

 

 そんな時計塔の派閥は十二の貴族の君主を筆頭に3つに分かれている。

 

 一つ目は、非常に魔術師らしく血統を重視する『貴族主義派』。

 筆頭は三大貴族のバルトメロイ率いる〈法政科〉で、他にガイウスリンクなど。先代の君主(ロード)が貴族主義らしい魔術師だった為、新世代(ニューエイジ)が数多く在席する〈現代魔術科〉も立場上はここに含まれる。

 

 二つ目は、血統で劣っても才能ある若者を取り入れるべきという『民主主義派』。

 筆頭は三大貴族のトランベリオ。同じく三大貴族のバリュエレータ、他にエーデルフェルトなどもこの派閥。

 今まで血統が浅いというだけで日の目を見れなかった魔術師達からは、自身の沽券に関わると絶大の支持を得ている。

 

 最後の三つ目は、派閥争い自体に興味を持たず研究を優先する『中立派』。何でもいいから研究させろという、何よりも魔術師らしい考えを持つ派閥。

 派閥としての纏まりは弱いが一応の筆頭はメルアステアで、他にブリシサン、ジグマリエなど。

 

 

 少年はその中で3つ目。『中立派』に属する家系に連なる魔術師だった。

 彼は誇り高き精神を持っていると自負していたが、正確には彼は貴族ではない。

 時計塔十二の貴族の1つ、〈呪詛科〉の ジグマリエ一族の分家の跡取りという地位に座る、20歳間近の少年である。

 名をハーギン・ソーサラ・ジグマリア。

 一流に及ばずとも、二流の中では最上位クラスの能力を持つ若手魔術師である。彼自身の努力さえ実れば一流になることも夢ではないだろう。

 そう、彼は努力さえすればこの先十分一流になれるだけの素質を持っていたのだ。実際彼は普段からこと魔術に対しては努力家であった。

 一族の悲願。魔術師としての共通の目標。

 そういったものをそこいらの坊っちゃん連中より理解していたハーギンは、自分の為にもひたすら努力した。

 幼少期に愛していたペットの腹を切れと父親に命令された時から。その死体すらも愛そうと誓ったあの日から。

 彼はひたすらに努力してきた。なのに、あの誓いの日と同じく、ハーギンの父親は彼の考えなど自身のかんがえには含まずに突然命令してきたのだ。

 

 ――アフリカの聖杯戦争に参加しろ。

 

 極東でかつて行われた魔術戦を基盤とした戦争。

 七騎の英霊を呼び出すなんて馬鹿げた真似をしてわざわざ戦争をするあたり、昔の魔術師は頭が相当堅く、きっと優雅さなどの愚かな期待を求めたのだと思う。

 感情を持つ英霊なんかを使役するよりも、純粋に魔術師同士で戦争したほうがよっぽど低コストで試合がつく。

 プライドを捨て。金にものを言わせて戦闘ヘリを買った奴が勝てるのだから、これほど戦争らしい戦争はない。

 

 そんな魔術師らしからぬ台詞は父の前では言えず、彼はしぶしぶ大人しく〈法政科〉まで足を運んで、主宰者が用意したという自己強制証文(セルフギアス・スクロール)を受け取った。

 実際にそれを目にするまでは誰かが先に権利を奪っといてくれと願っていたが、どうせ父が根回ししていたのだろう。〈法政科〉の受付は、妖艶に笑ってハーギンの名を呼んで権利を明文化した紙を渡してきた。

 

 流石に、学部棟で魔術的な契約者に名前を書く気にもなれず、一度家に戻ろうと、いつも通り異質なほど曲がった猫背で廊下を歩く。

 幸い、友人という友人もいないので誰にも気付かれず自宅である屋敷に戻れる筈だった。 

 

 きっかけは、誰が開けたかは知らないが窓から吹き込んで来た風。 

 強風に煽られたハーギンはつい、抱きかかえるようにして持っていた自己強制証文(セルフギアス・スクロール)が腕から抜け落ちてしまい、隈だらけの目を見開いてそれを掴もうとする。

 しかし、数メートル離れたところで親切にも通りがかった男がハーギンよりも早くそれを手にしていたのだ。

 その男の顔見て、不味い、とハーギンは内心舌打ちする。

 何故その男が〈呪詛科〉の学部棟に居るのか、その理由に関しては検討がつかない。

 しかし、ハーギンはその男を知っていた。

 黒の長髪に、黒のスーツ。肩から赤いマフラーを垂らしている、ひどく不機嫌そうな男。

 時計塔に属している者ならその人物のことは誰しもが知っていた。

 恐らく、魔術協会内で今世紀最大の成り上がり。自身は全く尊き血族でなく、その能力は凡庸でありながら、その教育者たる手腕で12人の君主(ロード)の1人に君臨する男。

 ロードエルメロイⅡ世その人がハーギンの落し物を拾っていたのだ。

 

「……」

 

「……」

 

 暫し自己強制証文(セルフギアス・スクロール)を眉間に皺を寄せながら見つめる長髪の男。

 ハーギンは早く返してくれと内心訴えかけながら、身分の違いから切り出せずにいた。

 エルメロイといえば貴族派に属しているとはいえ、もはや没落貴族同然。借金も多額と聞いているが、それでも相手は君主の1人なのだ。

 彼が育てた新世代(ニューエイジ)達はいずれも天才揃い。そんな生徒達を隠し玉として持っていそうな男に、下手な不快感なんて味合わせられない。

 

 ――欲しいのならくれてやる。だからさっさと僕の目の前から消えてくれ。

 

 遺伝である色素の薄い肌を更に青白くさせながら、ハーギンが願っていると、ロードは親しみやすい笑みを浮かべることもなく、不機嫌そうな表情のまま落し物をハーギンに返却した。

 

「……あ、ありがとうございます……」

 

 ロードの口が開いたのは、受け取ろうとしたハーギンの手が自己強制証文(セルフギアス・スクロール)に触れたその瞬間だった。

 

「これは、()()()か……?」

 

 ロードの問の意味が、ハーギンには理解できなかった。

 確か、その主催者を名乗る魔術師が協会に義理として提示した参加枠は1つだった筈。参加を表明する自己強制証文(セルフギアス・スクロール)も当然1枚だけの筈だ。

 

「いえ、1枚目だと思いますけど」

 

 二枚目があるかどうかはさておき、これが1枚目であることは間違いない。

 〈現代魔術論科〉の若き君主(ロード)は一瞬だけ視線をハーギンから外して考えるような素振りを見せたあと、やがて1人納得したように歩き出していた。

 

 その背中を見送りながらハーギンは聞こえないように舌打ちをする。

 

「チッ……貴族だからって、偉そうな態度だな。全く」

 

 ボサボサの紫の髪、猫背、隈が傷のように深く刻まれた目付きで歩く姿は見る者からしたらさぞ陰湿だっただろう。それを自覚しながらも、それら何一つ改善しようとはせずハーギンは苛立ち混じりに言葉を紡いだ。

 つい今朝発覚したばかりで、まだ時計塔中に広まっていないある事件を今しがたのロードへの皮肉として。

 

「アンタの弟子が『時計塔の秘宝』を幾つか盗み出したのは大問題なんだからな……」

 

 

 

 

 これより後、自宅である屋敷に戻ったハーギンはサーヴァント召喚の儀を行うこととなる。

 

 

 彼が決戦の地であるアフリカ大陸に呼び出したサーヴァントと共に渡ったのは、それから明後日の話である。

 

 



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第マイナス5夜「壬生カグヤ⑥」

 

 

「ということでして、我が城主が主催する戦争は聖杯戦争と何ら代わりはありません」

 

 

 結局、カグヤに話しかけて来た青年は元々待ち合わせをしていた主催者側の人間で、待ち合わせ場所だった店には入るなり今回の戦争のルール説明をしてきた。

 入った時点で人払いの結界も張られており、主催者が用意周到であることを一瞬にして理解させられた。

 

 大まかなルールは基盤となった冬木の第三次聖杯戦争と同じ。

 そもそも、事の始まりがその冬木の聖杯戦争なのだ。 

 

 ルーマニアにて現在進行形で勃発している、ユグドミレニア家という魔術師の一族が魔術協会からの離反を目的に起こした聖杯戦争、〈聖杯対戦〉。

 その現当主。ダーニック・プレストーン・ユグドミレニアが冬木の第三次聖杯戦争でナチスと協同して簒奪した聖杯。

 今回のアフリカの聖杯戦争も、その余波で世界各地で起こっている亜種聖杯戦争の1つらしい。

 情報を売ったのは冬木の第三次聖杯戦争に参加していた騎乗兵のマスター。当時の参加者の中では一番非力な魔術師であった騎乗兵のマスターは、聖杯戦争に勝利することを諦めてその機能を奪い取ることを目的に変えたという。

 それにいち早く目を付けた当時の主催者――ガクべリア・ハーベスタリオンがそれを高値で買い付けた。時価にして大豪邸が3つ4つ買える程の金額を提供したらしい。

 結果、ガクべリアは冬木の聖杯の知識を得たが、その細かな性能まで知ることはできなかった。

 

 

「当時は今よりも娯楽を愛する方でしたから。きっと焦ってちゃんと確認しなかったのでしょう」

 

 

 つまるところ、ガクべリアに聖杯戦争の情報を売った騎乗兵のマスターというのがあまりに無能に過ぎたのだ。

 魔術師にとっては悲願とされる【根源】に繋がるきっかけを手に入れられるかもしれない聖杯戦争に参加していながら、その権利を途中で放り投げたような愚か者だ。

 無能も無能。実際、彼が監督役達にバレないように探った情報もほんの些細な、知らなくてもどうとでもなるものばかりであった。 

 故にガクべリアは落胆したが、その後配下を連れ回して必死に冬木の聖杯戦争の痕跡を探った。60年後に再開されるという第四次聖杯戦争に自身が参加すると意気込む程に。

 しかし、その夢は永遠に果たされない。

 第三次聖杯戦争の最期を、彼は聞かされていなかったのだ。

 第二次世界大戦で猛威を揮っていたナチス・ドイツと正体不明によって聖杯が強奪され、彼の『聖杯戦争で娯楽を味わいたい』という願いは永久に叶わなくなった。

 

 

「それから旦那様は世界各地の亜種聖杯戦争に参加し、実際幾つか勝利してみせていましたが、そのどれもが満足がいかないと戦果を廃棄所に捨て来ました」

 

 

 ガクべリアは偽物では満足しなかった。

 そして何より、世界各地で頻発している亜種聖杯戦争には娯楽性が薄かった。

 参加しているのは成り上がりたいだけの無銘の魔術師や雇われた魔術使いだけ。

 そんな戦争で勝ち残って、一体どう歓喜すればいいのだ。

 参加者は半端者、賞品は贋作にも劣る劣化品。

 迷っている間に彼は歳を取っていた。人間の基準ではもはや化物という年齢で、ガクべリアは自身の死を覆すことよりも、娯楽を選んだのだ。

 

 

「旦那様は冬木の聖杯戦争を追い求め、そしてそれに似たものを更に追い求め、どちらも手に出来ないことを悟ると、こう言い出したのです。

 無いのなら造ればいい、と」

 

 

 理屈は合っている。子供の思考回路のような理屈で言えば、だ。

 老齢のガクべリアはもはや自身の為に聖杯を使おうとは思っていなかった。

 ただ娯楽を味わいたい。

 半端なものでは足りない。

 七騎の英霊と、魔術師だけに囚われず欲望を持った人間達が我よ我よと群がる血肉まみれの戦争を。

 彼は見たいのだ。今もそれだけを欲して自身の大魔術である城塞の中で参加者を待ち続けている。

 

 

「旦那様はただ欲望が混じり合った戦いが見たいだけですので、参加者様方の戦いには関与しませんし、姿は表しません」

 

「それは、主催者は一部の陣営に加担したりしないって言いたいんですか?」

 

 

 カグヤの核心をついた問に、仮面のように貼り付けた笑顔を浮かべたまま操られた青年は肯いた。

 何処まで本当かは現時点ではカグヤに判断がつかない。何しろ娯楽のために聖杯戦争を起こしたような男だ。

 きっと拮抗状態が続いて誰も動くようなことが無かったりしたら、それこそ下手な指令を出しかねない。

 だからといって、此処で訝しんで断っても何の徳もありはしない。

 傀儡と化した一般人が相手では交渉は見込めそうにもないのだから。

 

 

「それで、〈令呪〉はいつになったら貰えるんですか?」

 

 

 令呪。

 元は冬木の聖杯戦争で、マキリという名の魔術師の家系が生み出した高密度の魔力の塊。

 冬木の聖杯戦争から枝分かれした亜種聖杯戦争では、聖杯からマスターにこれが支給される。

 用途は明確。強力な力を有するサーヴァントを使役するにあたっての楔だ。

 英霊は時には現代の常識を超えた行動を起こす時がある。如何に俗世とは離れた生活をしている魔術師でも、それ全てに対応できるわけでは無い。

 そういった時に使うのが絶対命令権である令呪であり、聖杯戦争に参加するにあたっては無くてはならない必需品である。

 

 カグヤの問に、傀儡の青年はこれは異なことを仰るとでも良いだけな苦笑をする。

 

 

「令呪なら、魔術協会に手配された自己強制証文(セルフギアス・スクロール)に書いてありました通り、サーヴァントを呼び出した時点で身体の何処かに刻まれますが……そういえば、お連れのサーヴァントら何処に?」

 

 

 傀儡の青年の眼が若干細められる。何かを訝しんでいるかのような仕草に、カグヤは変わらず鉄仮面のまま相手を務める。

 

 

「まだ呼び出してはいないかもしれませんし、もしくは私の背後に控えている可能性もあります。たかが操り人形にそれを話せと?」

 

「……それもそうですね」

 

 

 愉快気に笑いながら傀儡の青年はそれ以上詮索すまいと自身で注文した紅茶を啜る。

 自分達と店員以外、誰もいない空間に少年が飲み物を飲む音だけが響く。

 肉眼では見えないのだろうが、魔術を介すれば視える。青年の身体を釣るようにして天上に伸びる、細く白い糸。

 魔力糸であるためその先に何がいるのかわからないし、迂闊に触ることはできないが、その糸が目の前の傀儡の身体を操っているのは間違いない。糸を辿れば青年が操っている存在の正体が判るのだろうが、些か長旅はカグヤの体を予想以上に疲労させていて詮索しようとする気も起こさない。

 相手もこれ以上説明をする気はないようだし、適当に話を切り上げて帰ろうと外を見る。

 

 窓際の席から視える外の景色。

 その中で、貧困に負けず、逞しく生きる家族の姿が目に入った。

 その後に釣られて動いた唇は、果たして意識的であったかどうか。

 

 

「その人の体、この後どうするんですか?」

 

 

 きっとその傀儡の身体にも家族いるとか。そんな魔術師らしからぬ不抜けた思いがあったからこそ、カグヤはつい視線を外しながらそんな言葉を口走ってしまったのだろう。

 傀儡の青年は一瞬目を見開いたあと、クスリと笑って胸元に自身の手を当てる。

 

 

「処分しますよ。万が一、使役の魔術が切れた後にこの会話の記憶が残っていたりしたら厄介ですから。そこいらの海に捨てます」

 

 

 自殺による他者の殺害を笑顔で語るマリオネットの操縦士に、カグヤは視線も合わさぬまま素っ気なく言葉を返す。

 しかしどういう気変わりか。カグヤの指が高速で何やら宙に描いて文字を作る。

 それは現代文字ではなく、時計塔にて数十年前から浸透した魔術の文字――否、時計塔にて〈ある魔術師〉の采配から復興された古代文字。

 青年はその光景を一瞬遅く発見し目を見開いた。

 

 ――ルーン文字!!

 

 気がつくのは遅く、また傀儡の青年には辛うじてルーン文字だということが判断がついたぐらいで、その意味を理解はできない。

 それは『火』のルーンであった。

 そしてその上に重ねられたのは『暗示』のルーン。

 2つ重なったルーンはそれぞれに違う効果を持ち、合わさればまた違う効果の魔術と化す。

 傀儡の青年が回避するよりも早く動き出した2つのルーン文字は、溶け合うと蛇のように傀儡の青年を操る糸に絡まり付き、糸と共に消失する。

 自身の発動した魔術が相手の暗示を打ち破ったことを確認してカグヤは小さく息をつく。暗示解除の魔術を『即席で創り上げた』が、何とかいったようだ。

 暗示が解けて、文字通り糸が切れたかのようにテーブルの上でぐったりと倒れる青年を見据えながら、カグヤは1人誰にも聞こえないような声で彼女には珍しく弱音を吐いたのだった。

 

 

「……この人、絶対外まで運べないな」

 

 

 

 



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第マイナス4夜「魔王」

 

「は、ははは」

 

 男は歓喜に震えていた。

 男は魔術師であった。といっても、その歴史は時計塔の貴族達のように深くはない。

 また彼は時計塔に属する家系の魔術師ではなかった。

 魔術協会というコミュニティが肌に合わず、他の魔術師との関係を断絶した孤高の魔術師の一族。

 その末裔がこの男であった。

 僅か3代という、魔術師の一族としては浅い血筋の当主の彼は、その血の純度や不完全な魔術刻印に反してかなりの自信家であった。

 外の世界の魔術師を知らぬが故に、彼は自分こそが頂上の存在であると本気で信じていたのだ。

 だからこそ、彼は地元で行われる聖杯戦争の参加権を手にした時、一寸の恐怖も感じなかった。

 それこそ歓喜し、廃棄物で散らかった自分の工房で踊り回る程だ。

 無宗教であった彼が、天は自分を選んだと確信する程に。

 アフリカの大地の穴蔵で1人、彼は3日3晩自身の手に刻まれた令呪を眺め、薄気味悪く笑い転けた。

 

 そして丁度令呪が体に宿ってから3日目の夜に、彼はサーヴァントの呼び出したのだ。

 呼び出す英霊はとうに決まっている。

 完璧なる自分のパートナーになる英霊なのだ。それ相応の実力者でなくてはならない。

 狂信じみた自身のの元に、彼は予め用意しておいた聖遺物を祭壇に置き、英霊召喚の儀式を始めた。

 祭壇に置かれているのは〈ある魔蛇の鱗〉。

 極東のある魔術使いと取引して手に入れたこれは、古代ペルシアを支配したある魔王の身体の一部である。

 恐らく呼び出されるクラスは〈キャスター〉に違いないだろう。彼の王は万にも及ぶ魔術を使いこなしたと聞く。

 本来であるならば三大騎士のサーヴァントを狙って呼び出すべきだろうが、実は彼は呼び出す英霊は戦闘向きであれば誰でもよかった。

 彼は初めのうちに令呪を全て使って自身のサーヴァントを傀儡にするつもりなのだから。

 

 過去の冬木の聖杯戦争や亜種聖杯戦争について、それ程深く調べなかった彼は〈令呪〉というものの必要性や、聖杯戦争においてのサーヴァントとの関係を本当の意味で理解していなかったのだ。

 令呪なんて使い捨ての魔力の塊。サーヴァントとはマスターに絶対服従する傀儡の名前。

 彼は、その程度の認識しか彼は持ち合わせていないような魔術師だったのだ。

 

 そして運命の夜。あまりに哀れな魔術師の前に、奇跡は現れる。

 全身を覆う紫の鎧。その上に被せられたローブは完全な黒であり、短く切り揃えられた白銀の髪を覆って絶妙なコントラストを作り出している。

 背丈は180センチ前後と珍しいものではないにしても、山吹色の瞳が視る者に尋常ではない程の威圧感を与え、魔術でもかけられたかのように動けなくする。 

 否、それは実際魔術だったのかもひれない。

 神代から現代に至るまで。呪術というのは対象者を目に焼き付けることが最も初歩的な発動条件なのだ。

 対象をきちんと認識していなければ、その呪いは行き場を失って術者へと返ってくる。

 最も、この魔王は人を呪わば穴2つさえ無効化しそうではあるが。

 現実から逃避行してそんな呑気なことを考えていると、薄暗い穴蔵にまるで氷細工のような冷ややかで完成された王者の声が響き渡る。

 

「貴様が……余を呼び出した魔術師か」

 

 その一言一言が呪詛の言葉であるかのように、耳に入る度に体中に反響し突き刺さる声。

 真正面から言葉を投げかけられる魔術師は何度も気を失いそうになったが、それを何とか堪えて魔術師は毅然とした態度で言葉を返す。

 

「そ、そうだ……!!私がお前の、ま、マスターだ!!」

「―――」

 

 何が気に食わなかったのか。魔術師には全く判らなかった。

 しかしローブの下から垣間見えたサーヴァントの双眸からは、確実に殺気めいたものが放たれていたのを感じた。

 

 が、それも一瞬。

 幻であったかのように途端に消失する殺気に続いて、呼び出されたサーヴァントは自身のクラスさえも語らずに魔術師の工房を一瞥する。

 地面は空になった容器やちり紙で乱雑しているものの、壁や天井には至る所に魔術書の切れ端が貼られている。一見、オカルトマニアの痛い部屋のように見えるその空間も同じ魔術師には思うところがあるのか。

 かの大魔王が自身の部屋を評価しているのではないかと魔術師が期待していると、サーヴァントは主が全く予期していなかった台詞を平気な顔で吐いてみせる。

 

「くだらんな」

 

 短く、そしてそれ以上の興味を持つ必要がないという侮蔑の声だった。

 

「………は?」

 

 魔術師には一瞬、何を言われたのか理解できなかった。

 だが現実というのは余りに厳しく、呼び出したサーヴァントはつらつらと流れるように彼の工房を汚していく。

 

「これ程未熟な工房が他にあるか蟻の巣の方がまだマシよ。地下に篭ってヒソヒソと研究に没頭する。よもや今の魔術師というのは土竜を指す言葉ではあるまいな?」

 

 暫くして漸く魔術師は気が付いた。

 己が傀儡と侮っていた相手に、自身の工房を、いや自分自身の人生を馬鹿にされていることに。

 彼の魔王からすれば、彼の工房はあまりに面白味に欠けていたのかもしれない。

 一流の魔術師であるならば、その言葉に怒りや羞恥を感じつつも黙って聞き流さなくてはならない。

 例え最後は別れることになる相手だとしても、サーヴァントとマスターは一心同体。呼び出したばかりで相互関係が崩れるようなことがあっては、聖杯戦争で敗退する以前の問題である。

 

 だが、魔術師は我慢ができなかった。

 彼は彼自身が思う程優秀ではなかったのだ。魔術の腕も、人間としても。

 小刻みに震えた手が呼び出されたばかりのサーヴァントに向けられる。

 その右手の甲に刻まれるのは三画の真っ赤な刺青。

 人理を超えた力を有するサーヴァントへの絶対命令権〈令呪〉に他ならない。

 

「こ、この、このわた、私の工房に――」

 

 怒りと有利な位置に居るという高揚感から複雑な表情で悶える魔術師。

 サーヴァントはそんな魔術師に目もくれず、地面に転がった死体に目をやる。何らかの儀式の生贄にされた白骨化した死体を見ても、そのサーヴァントは一切憐憫の色を見せない。

 しかし、漸く自身のマスターの殺気が己に向けられていることに気がつくと、まるで物事の善悪の理解がつかない子供を憐れむような表情にその悪人面が変貌する。

 それがプライドの高い魔術師の自尊心をなお傷つけた。

 

「な、何だその目はァァァァァァァァ!!!」

 

 魔術師の激昂と共に赤く輝く令呪。

 その輝きは最大限に展開されたまま――使われることなく消失する。

 魔術師には一瞬何が起こったか、本当に判らなかっただろう。

 気が付いた頃には、嘘のように自身の片腕が軽くなっており、視線を送ると確かに質量が消えている。

 右腕の肘から下、手の至るまでが何もかもが消えているのだ。

 

「あ――あぁ―――あぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁ!!!!」

 

 容赦なく迫ってくる消失感と絶望に膝を地面につける魔術師。

 その2つを埋めるように腕の断面図からは絶え間なく血液が流れ、地面に血溜まりを造る。

 地下に造られ、密閉空間と化した工房にはすぐに血の臭いが充満し、未だ佇むサーヴァントは不愉快そうに顔を顰める。

 

 ――その両肩から大蛇をうねらせながら。

 

「悲鳴も、血の臭いも、全く何処を取っても三流だな。余がかつて食した生娘の方がもっと上手く唄ったものだ……貴様。己が価値をもう少し弁えた方が良いぞ?」

 

 対等な相手としてではなく、完全に見下しながらサーヴァントは主にそう告げると、自身の指で空中に何やら描き始める。

 何かの爪と思わせるほど鋭く尖った紫の爪は空中に次々と線を引き、それが1つの魔法陣の形になると、一瞬で魔術師の身体に絡みつく。

 

「な、なんだこれ!!?」

 

 腕の苦痛に未だ震えていた魔術師の身体に絡みついた魔法陣は、ハムを包むミーネットのように徐々に魔術師の体にめり込んでいく。

 

「あ―――あぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁ!!!!??」

 

 肌が、眼球が、斬り裂かれることなく1つに纏まっていく。

 刻一刻と身体の至る箇所で内出血が起き、最後に全身の骨が折れて1つに纏まるまでその魔法陣は止まらない。

 ゆっくり、ゆっくりと。緩慢に進むその魔術は痛みを伴う拷問の中でも最上級に痛ましい部類と呼べるだろう。

 冷え切った空気に、魔術師の断末魔が溶けていく。

 再び静寂が工房全体を支配した時には、その主である魔術師は動かぬ肉塊と化して地に転がっていた。

 呼び出したばかりのサーヴァントはそれに目もくれない。

 その眼光は猛禽類のように鋭く、見ずとも巫女の水晶玉の如く遥か先まで見越している。物体という概念を超えてあらゆる事象を見越しているのだ。

 現代の魔術師では大凡実現不可能である千里眼に近しい大魔術を――かの大魔王は〈魔術師(キャスター)〉のクラスにて再現していた。

 

「……聖杯があるのはもう少し先か。何やら仰々しい神殿まで建てているようだが、まぁよい。余を崇める為というのであれば破壊せず残してやってもよい」

 

 独り語りながら、かの大魔王はまたも空中に何やら陣を描く。

 現代の文明に残らぬ文字を使った魔法陣は〈空間転移〉の術を発動する為の基盤であり、完成すると同時にサーヴァントの姿を徐々に目的地へと移動させる。

 目的地は言わずもしれた死の砂漠。その中心地。

 劣化聖杯を巡っての争いに使われるという孤高の要塞へ。

 

「何、せっかくの二度目の余生だ。ただ勝ち残るだけというのもつまらん。存分に掻き乱してやるさ」

 

 聞き手はおらず、虚空の中に語り部のみが佇んでいる。

 その不敵な笑みに、魔力供給源であるマスターを失った不安による影は無し。

 我こそが最強であり最凶であるという自負の元、かつて自国を暗黒に陥れた大魔王は英霊同士の殺し合いへと赴く。

 

 

 



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第マイナス3夜「壬生カグヤ⑦」

⇩⇩⇩⇩⇩

 

 

『お前に名などない。知らなければいけないもの知り、そして記録するお前はただの機械であり、役割以外の名など持ち合わせてはならない』

 

  

 故郷から旅立ってから数年。

 中華の国にてスカウトを受けた自分は初めて出会った上司にそう言い付けられた。

 上司の言いたかったことを要約すると、割の良い仕事をする代わりに今までの経歴の全てを抹消しろ、とそういうことだ。

 過去を捨てることには別段抵抗は無かった。

 何しろ自分には何も無かったのだから。

 故郷でも『機械として育てられ』、故郷を出てからも『機械として使われる』。

 ならば何を憂うことがある。

 結局のところ、自分自身の在り方は何も変わらないのだ。

 それに合わせて金を貰えるというのであれば割りかし良い話ではないか。

 自分は2つ返事で頷き、『世界の裏を記録する仕事』についた。

 表の世界と裏の世界。どちらにも属さぬまま、ただ記録だけを行う機関に見を置いたのだ。

 裏の世界の人間達は、人間とは呼べないような恐ろしい怪物揃いであったが、自分は逃げられた。

 

 

 あの、正体不明の黒い影に首を掴まれて意識を奪われるまでは。

 

 

 

 

 

 

 

⇩⇩⇩⇩⇩

 

 

「━━ぅっ」

 

 

 微睡みの中、目を覚ます。

 真っ先に目に映ったのは乾いた空気の先にある煌々とした太陽。

 後頭部の感触からして、目覚めた男はどうやらベンチの上に眠らされていた。

 顔を横に向ければ騒がしくも活気のある人々が働いている。忙しなく動き続けるその中の誰一人として彼に目を向ける者は居なかった。

 彼の隣で温い珈琲を飲む少女を除いては。

 

 

「起きたのね」

 

 

 酷く感情の込められていない声。

 恐らく心配も何もしていない少女の声に男は頭を悩ませながらも、少女の姿を見るなりそんな悩みは一瞬にして吹き飛ぶ。

 アジア系の整った顔立ち。サイドテールの小麦色の髪は艶やかで、静謐な雰囲気は完済された硝子人形を連想させる。

 男性として意識してしまう人間的な美しさとは違う、芸術品のような際立った美しさを少女は醸し出していた。

 間違ってもこんな汗臭い建築現場跡地には似合わない少女の姿を見て、男は垂れてきた汗を拭きながら問い掛ける。

 

 

「……あぁ、悪いんだけどさ。俺もしかして酔っ払って君をナンパしたりしたかな?だとしたら先に謝っておきたいんだけど……ごめん」

 

 

 少女が日本語で話した為、男もまた日本語で返した。

 少女と違って男は日本人ではないし、日本語を喋るのも初めてであったが、『知識』として頭に叩き込まれていた為割と流暢なニュアンスで喋れた。東洋圏に詳しくない外国人が見れば男もまた日本人に見えたことだろう。

 少女にとっても日本語で返してくるのは意外だったのか、一瞬目を丸くしながらも、すぐに軌道修正と言わんばかりに無表情に戻って首を横に振る。

 

 

「いいえ残念ながら。貴方が飲んだくれのナンパ男だったのだとしたら、私はきっとお眼鏡には叶わなかったのね」

 

 

 無表情でそうとは聞こえなかったが、恐らく冗談なのだろう。

 ベンチから立ち上がりざまにそう言ってのけると少女は傍らに置いていた旅行鞄を持ち上げる。

 片手で持つにしては明らかに重そうな鞄であったが、少女は難なく持ち上げてみせていた。まるで魔法でも使っているかのように。

 

 

「私はただ倒れていた貴方をたまたま見つけただけの旅行者よ。助けた理由は……そうね、日本人はお節介なのよ」

 

 

「は、はぁ……」

 

 

 だから気にしないでと言わんばかりに薄い笑みを浮かべて人混みの中へと立ち去っていこうとする少女の背中に、男は思わず手を伸ばす。

 

 

「あっあの!」

 

 

 喧騒の中、わざわざ振り向いてはくれないとダメ元で声を掛けたのだが、彼女は律儀に男に向かって顔だけを振り向かせる。

 何を言おうとしていた訳でもない。難しくもない、伝えたいことは至ってシンプルなのだから。

 

 

「……助けてくれてありがとう」

 

 

 素直な感謝の言葉に、能面のようだった少女の顔が僅かに緩んだような気がした。

 

 

「どういたしまして」

 

 

 再び踵を返して少女は人混みへと消えていく。

 まるで暑さが見せた幻覚であったかのように、幸の薄そうな美人な少女であった。

 ナンパ男でない自分ですらもう一度お目通り願いたいと内心苦笑しながら、男は空を見上げる。

 

 空は青い色で、白い雲が所々にそれを隠している。

 

 男が仕事に向かうのはまだまだ先立ったのことだった



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第マイナス2夜「悪夢の書」

 

 未だ開始されぬアフリカの聖杯戦争。

 その開催地であるナミブ砂漠から離れたその地域の名はシエラレオネ。

 西アフリカに位置する国であり、こと地球という星において、人間達が図る物差し上では『最も平均寿命が短い国』とされている。

 10年にも及ぶ内戦、エイズ感染による深刻な被害、貧困から来る犯罪の多発。

 その国は世界の人々が思うアフリカへの偏見を形どったような国であった。

 

 その中にある刑務所は更に酷い。

 受刑者の殆どがエイズに感染しており、待遇も勿論日本の刑務所のような生易しいものではない。

 彼らは罪を犯した。それは許されることではない、

 しかし、生きる為に犯した罪であるならば、それは裁かれるべき事柄であろうか。

 それを此処で問うのはきっとお門違いだ。

 

 

 

 

 この深い深い地下の底では。

 

 

 

 

 

 ――人生というのは生まれた時からずっと前途多難だ。

 ――だってそうだろ?

 ――学校に行ってはイジメに会い、家では親からの家庭内暴力、ああ兄貴や姉貴に殴られるって奴もいるなぁ。え?弟や妹にも?そいつは災難。嫌な育て方されたもんだなそいつ。

 ――こんな日常は誰しもが経験するものだ。皆、痛みに耐えて生きている。人間ってのは尊いね。だって我慢できるんだから。

 ――他の動物達に痛みを与えてみろ。皆苦痛で泣き叫ぶってのに、人間ってのはそれを耐えることができる。

 ――精神力ってやつだな。いやはや同じ人間として尊敬しちまうよ。格好良すぎる。超リスペクト。俺なんか痛いの嫌だからすぐ吐いちゃうもん。胃の中のものを。

 ――でもさ。

 ――何でもかんでも我慢ってのは良くない。良くないよな?

 ――オナ禁なんてホントはしちゃいけないんだぜ?あんなのしたらお前の下腹部のベイビー達が悲鳴を上げる。パパー!此処から早く出してーっ、てな。

 ――だから、我慢は良くない。そーよくない。

 ――だから、人間泣いたっていいんだ。叫んだっていいんだ。

 ――それこそが人間の基本機能。あるべき姿だ。

 ――そう例えば、この目の前の警官のように。

 

 

 

 

 

「早く吐け!!この狂った殺人鬼野郎!!爆弾は何処に仕掛けた!!」

 

 ディーム・ストロノーフ。

 この監獄に収容されている悪共も何人もこいつにお世話になっている有名な悪徳看守。

 金さえ出せば悪でも見逃し、金がなければ例え善でも豚箱に打ち込む。

 これぞ欲の塊。黒くテカッた肌とぶくぶく太った見た目が如何にもって感じた。

 

「早く吐けっと言ってるだろうに!!」

 

 ディーム看守が囚人の頭を掴み、砂埃だらけのテーブルに叩き付ける。

 凹むテーブルに僅かに血の痕が癒着する。

 どうやら額から血が流れているようだが、両手を拘束されて座らされている囚人には確かめることもできない。

 もし自由だってしても、目の前の黒豚はそんな行為すら許してくれなかっただろう。

 ――見ろよあの面。ガムを噛みながらニヤニヤしやがって。こっちまで愉しくなってきそうだ。

 

「あー、保安官。俺は爆弾なんか仕掛けてねぇよ?」

「しらばっくれるなぁ!!」

 

 真正面からの殴打。

 またも薄く残ったメイクに血が乗る。

 反対にディームの手は白く汚れていたが、すぐに自分のハンカチで拭き取っていた。

 

 ――勿体ない。俺のメイクは高いんだぜ?

 

「本当だよ。仕掛けてない。いつ仕掛けれられるっていうんだ?ん?小便の時か?大便の時か?」

 

 言葉をそれ以上紡ぐことはできず、頬に警棒を当てながらディームは片手で懐から何やら取り出す。

 それは一般人にも判る、映画やドラマで見るような解りやすい爆弾であった。

 

「どっちにしても糞そのもののてめぇがいつ仕掛けようが、本当は仕掛けていまいが関係ねぇんだよ。俺がこいつをお前が仕掛けたって決めたんだ。ならそれが絶対だろ?」

 

 警棒をペチペチと囚人の頬に当てながら語る姿からは勝者の余韻すら感じさせる。

 それはさぞ甘美な感覚なのだろう。見てるだけで囚人にもその愉悦が伝わってくる。

 

「ひゅ〜〜♪」

 

 ――だから俺は気前よく口笛を鳴らしてやった。

 ――俺の口笛が聞けるなんて、宇宙飛行士が地球に帰還したと同時に子供が生まれた報告と両親がおっ死んだ報告を同時に聞くぐらいの奇跡だ。それぐらい、今日の俺は気分が良いのだ。

 

 ――しかし、悲しきかな。人の感性っていうのは違う。

 ――日本の諺にもあるが、正しく十人十色。十人いれば十人の性癖があるって意味だ。え?ちょっと違う?そこは気にすんなよ。俺の趣味だ。

 ――まぁとにかく。とにかくだ。

 ――本場のオペラ歌手まで感動して泣き崩れる俺の口笛は、敬虔なる神の下僕であるディームのお気にめさなかったようだ。

 

「ふざけるなぁ!!余裕ぶってんじゃねぇよ!!このクソ犯罪者が!!」

 

 投げかけられる罵詈雑言と共に、警棒で顔面を殴られる。

 硬い無機物の塊が、何度も何度も頬を打つ。その度に地下の狭い空間に音が響き、血が飛び散った。

 

「てめぇみたいなクソテロリストが!!誰のおかげで生き延びられてると思ってやがる!!てめぇなんか数日もしたらアフリカから居なくなるんだ!!これまで面倒見てやった俺に感謝してるなら隠してる金を寄越せ!!ニューヨークで銀行強盗した時の金がまだ残ってんだろうが!!何処に隠してやがる!!」

 

 黒い肌に興奮の赤みが増し、熱気と過度な運動でディーム看守の身体に次々と汗が滲んでいく。

 絶対的強者。平常時の弱者ほどその地位に立った時に高揚感に身をよじらせる。

 家庭でも、職場でも良い顔をされないディーム看守は、こうして囚人達を殴っているときに心から〈生〉を実感するのだ。

 自分は生きている。自分は惨めではない。自分は強者だ。

 

 あと数分は続くであろうと思われたディーム看守の理不尽な暴力は、数十回目で急遽中断される。

 

 力尽きたのか、鎖に繋がれたままぐったりと俯いている囚人。

 例え囚人が気絶したとしても、いつものディーム看守なら構わず殴り続けた。

 しかしディーム看守の握り締めた警棒は動かない。

 振り上げた所で握り締めた片手も動かなくなっていた。

 

「………あ?」

 

 振り向くと、其処には黒いフードを被った巨躯が立ち尽くしている。

 その巨躯の野球グローブのような片手が、返り血で汚れた警棒を握り締め、次なる打撃を止めていたのだ。

 ディーム看守は唖然とする。

 彼の身長は184㌢。肥えた身体や垂れた瞼から垣間見える威圧的な視線など、こんな監獄の人間ではない限り、大凡の一般人が畏怖するような見た目をしている。

 なのだが、その巨躯はそういった『人間らしい常識の範疇』を逸脱していたのだ。

 身長は低く見積もって3メートル弱。無駄に高い天井に、頭の先をつけて少々苦しげに頭を曲げている。

 

 何よりも常軌を逸していたのは、その男の〈顔〉だ。

 

 全身を覆う、獣のような体毛。

 実際、ディーム看守の目の前に現れたそれは本物の獣だったのかもしれない。

 目の当たりにして、ディーム看守はそれが作り物の特殊メイクでもなんでもない本物だと一瞬で理解したのだから。

 

「ば、化物……」

「………」

 

 警棒から手を離して懐から銃を取り出そうとしたディーム看守の腹に、強い衝撃が何発も加わる。

 ゴム製のボールをメジャーリーガーに投げつけられたような、とてつもない衝撃がディームの肥えた腹を振動させてその身体を煉瓦の壁に激突させた。

 

「うぐぅ!!?あ、ぁぁ……」

「ちょっとぉ〜。パンコーザ。なんでさっさと殺さないのよこのトンチンカン」 

 

 ディームの腹に気絶ものの衝撃を与えた存在が軽い口調でこの空間に参入する。

 短く切り揃えられた赤い髪。刈り上げられた側面は荒々しく女らしさを感じさせず、また服装も奇抜でアクセサリーもほぼ髑髏。

 耳、鼻、舌、臍。露出された部位のほぼ全てに開けられたピアスはもはや拘束具のようで、痛々しいというよりも禍々しさが際立っている。

 その手に握られているのが『刺々しい装飾で飾られた金属バット』ではなくギターであれば、どこぞのビジュアル系バンドの一員ということで済まされるだろう。

 セーフティを施錠した状態で引き金に指を掛けてクルクル回す仕草は、全身鱗だらけの男とはまた違う意味でとても理性ある常人とは思えない。

 

「殺すのは好きじゃないし、俺の仕事じゃない。俺はセブンスを助けに来た」

「あぁ〜〜はいはいはいはい。うっさいわね。女の子とのトークでジョークの1つも言えないの?」

 

 先で切れて蛇のようになった舌を悪戯っぽく出してみせる女に、鱗の男は面倒臭そうに片手だけで対応する。

 獣のような男が――パンコーザが囚人に近づくと、ディーム看守は地面でのたうち回りながらも目を見開いて精一杯叫んだ。

 

「その男に触るなぁ!!」

 

 その言葉は純粋な正義感からか。

 はたまた汚職公務員に残った最後の意地か。 

 どちらにしても、彼が本心からの善人ならこの中の誰かに届いたかもしれない。

 

 

 思い付きの善意では自分自身は救えない。

 

 

 

 ――1秒と経たず、刹那の内にディーム看守の身体が丁度縦に割れる。

 

 

「あっ」

 

 自分が死んだことも理解できず真ん中で避けて地面に伏す肉塊。

 一般人なら即吐瀉物を吐き出す光景にも、その場にいる人物達は1人も動じず、また視線を送ることもない。

 むしろ彼らの興味を引いたのは、ディーム看守の体を引き裂いた『奇妙な形の刃物』にだ。

 中央が空洞である金属の円盤。

 投擲武器に珍しく『斬る』ことを目的としたその武器は、ディーム看守の体を引き裂い後地面に突き刺さって直立し、暫くするとサーヴァントの霊体化と同じように掻き消えた。

 

 

 それと入れ替わるようにして異形な見た目の3人が居る独房全体を奇妙な漆黒が支配する。

 

「うわっ!?」

「!!」

「……」

 

 3人は各々がそれぞれの反応を示しながら、現れるであろう声を待つ。

 すると数秒と経たず、この奇妙な空間を作り上げた人物の声が独房に響いた。

 

 

【俺を召喚せし悪徳の主よ。汝、更なる悪逆を求めるか?さりとて大いなる善行を求むか?応えよ】

 

 

 声は低く、辛うじて人間の男のものだと理解できる。

 そう、辛うじて人間のものだと理解できる男の声なのだ。

 

「えっ、セブンスもう召喚してたの……?」

 

 奇抜なファッションの女だけが取り乱しており、囚人は薄く笑いながら獣の男に着せられたジャケットに腕を通して胸を張り応える。 

 

「一ヶ月かけてなぁ。大変だったぜぇ?ディームのアホに殴られて出た血で魔法陣、だっけ?描くのは」

 

 苦労を語りながらも本音では全くそう思っていない。囚人の口調は常にふざけているようで、相手にしているとまるで喜劇家と話をしているような気分になる。

 

「そうだな。人生っていうのは成り行きだ。先に何があるかは神様、いや運次第だ。だからどっちにするかは成り行きで決めるさ。それじゃ不満かい?大英雄さん」

 

【それが貴様の答えか】

 

「だから言ってるだろ。わかんない奴だな。人生は成行き、だ。答えもその成り行きで見つけてやるよ」

 

 

 クツクツと男は心底楽しそうに笑いながらーー手渡された『白い山羊のマスク』を被った。

 

 

「俺は〈食人卿〉。気に入ってるわけじゃないがそう呼ぶ奴が多くてな。人を食ったような奴だとかなんだとか……ぁぁあ、アンタは?」

 

 

 暗い闇に向かって、化物が化物に問いかける。

 返答はただ静かに地下に吹く生暖かい風へと吸い込まれていった。

  

 

 



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第マイナス1夜「未来」

↓ ↓ ↓ ↓ ↓

 

 

「ーーそうか。貴様が【バーサーカー】を倒した人間か」 

 

 

 月光が照らす高き塔の頂上。

 穏やかに流れ消えて征く夜風の中、黒を纏う皇帝は目の前の宿敵を黄金の瞳で睨む。

 敵に対して皇帝は怒りも恨みも抱かない。

 何故ならそれは皇帝にとって『有り得ない』ことだから。

 彼女は美しい物を愛した。

 何よりも、誰よりも、世界の美しさを愛した。

 ならば美しい宿敵を、どうして恨むことができようか。

 それ故に皇帝は剣を取る。

 赤く燃え盛ったかつての姿からして、今は見る影も無くなった自慢の一振りであったが、それもまた皇帝の中では美の1つの在り方である。

 

 滅びは美しい。

 

 人間は死ぬ時こそ最高に美しいのだと、何処ぞの芸術家が言っていた。

 文明は滅ぶことにこそ意味があると、何処ぞの大王は言い放っていた。

 滅びとは在るべきもの逃れられない終着点にして、そして美の境地。

 ならばそれは自分が与えるべきものだと、漆黒の皇帝は迷う事なく確信する。

 剣を振り上げる。

 燃え盛る炎は果たして何色であるか。

 かつての彼女の出で立ち同じ赤であろうか。

 それとも、今の彼女を顕す黒であろうか。

 どちらにしても同じこと。以前からして皇帝は暴君であった。

 赤であろうか、黒であろうが、他の者達がそれをどう思うが関係のないこと。

 美しさとは『彼女』が決める理。

 ならばその理に、他の者が付け入る隙間など無い。

 

 

「醜いのね」

 

 

 宿敵である人間の小娘は小さく呟いた。

 皇帝が何よりも聞きたくなかった、自分以外が口にしてはいけない言葉を冷ややかに、冷淡に。

 凍りついてしまった皇帝の心に火が灯る。

 熱く滾る情熱の炎ではなく、否定し侮蔑し認めない怨嗟の炎。

 それが今、形となって皇帝の剣に纏わり付いていく。

 

 

「とく()ね、女。余の帝国に貴様のような魂魄は必要ない。傀儡に心は邪魔だ」

 

 

 そして振り下ろされる刃。

 まもなく少女の身体は真っ二つに分断され、その身体は魂ごとこの世から姿を消すことだろう。

 紛いなりにも英霊である皇帝の一撃に、ただの人間である少女が耐えられる筈も無い。

 

 

 

 

 

↓ ↓ ↓ ↓ ↓

 

 

 

 

 

 

 ーーそうお思いですか?

 

 

 

 

 確かに、避けられる筈はありません。防げる筈がありません。

 ただの人間が英霊の一撃を止めてみせるなど、そんなことが許容されてしまっては今まで人類が積み上げてきた人類史が焼却されかねない。

 しかし、この世には三竦みの法則があります。

 人は化物に殺され、化物は英雄に殺され、そして英雄は人に殺される、

 全く理不尽で身勝手で醜悪な真理ではありますが、これは否定できない真理。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

⇒⇒⇒⇒⇒⇒⇒⇒⇒⇒⇒⇒⇒⇒⇒⇒⇒⇒⇒⇒⇒×

                  ⇓                      ⇒⇒⇒○

 

 

 

 

 

「きさ、ま……」

 

 

 

 冷え切った筈の皇帝の顔に浮かぶ焦燥の念。

 振り下ろした筈の刃は止められていた。

 宿敵にではない。ならば刃を止めたのは誰か。

 それは『世界』である。或いは、『理』であり、旧世代の人々が言う神である。

 目の先で動きを止めた刃を見据えながら、宿敵は笑いもせず冗談のような言葉を口にした。

 

 

 

「だけど貴女のことは嫌いじゃない」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

↓ ↓ ↓ ↓ ↓

 

 

 

 

 

 これより始まるは外典の聖杯戦争。

 呼び出された英霊の霊基は皆不安定。もしくは半英霊とも呼べない、紛い物ばかり。

 何処の記録にも残らない、枠から外れた延長線の物語。

 終わりは既に決まっている残酷な英雄譚である。

 

 

 

 

 

 






〇後書き

真に勝手ながら、今回で一度投稿ペースを緩めようと思います。来年はどうにも多忙で今のままでの投稿スタイルだと不安定にも程があるので、定めた日数で一気に投稿する、というスタイルに変えようと思っております。

予定としては2月~3月までにいっきに20話程。

ネタ切れというわけではなく、現在進行形でネタのストックは溜まっておりますのでご心配なく。(実際、FGОのクリスマスやら7章やら最終章の魔神柱狩りやらで書いてる暇がなかったのも事実。すいません)

書きたいことはまだまだ山ほどありますので、こんな二次創作をお情けで読んで頂いている読者様方には申し訳ない気持ちでいっぱいです。

それではよいお年を。


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第1幕「夢想乱舞━バースディパーティー」
狂乱の前芝居(通算16話)


 

 

 

「ぉ……」

 

 深い闇の中、老人は目覚めた。

 数十年も前に立つことも難しくなった老体では瞼を上げるのも辛く、垂れ下がった肉の下には今なお輝きを失わない金眼がギョロリと蠢く。

 誰かを探すように動いた瞳が、やがて傍らに座る『仮面の男』の姿を見つけて穏やかにほほ笑んだ。

 

「……来て、居たのか」

 

 表情同様、老人は仮面の男に穏やかに声を掛けた。

 それは息子や孫に掛けるような口調というよりかは、まるで古くからの友人に対するもののようで。

 といっても仮面の男は体躯はどう見積もっても三十代前後の痩せ型。魔術師でもない真っ当な人間の場合、老人と同い年ということはまず無いだろう。

 声を掛けられた仮面の男は椅子に座ったまま、それまで読んでいた本を指の栞で挟み、一度閉じてから仰々しく頭を下げる。

 

「失敬。御身の安らぎを邪魔してしまったのであれば謝罪致します」

 

 仮面の男は装飾の無いの仮面を付けている点からして傍から見れば不気味極まりないのだが、その態度はある程度の礼節を弁えたもので聞いている分には不快感を与えない。

 老人もまた安らかな表情で一度頷いた。

 

「いや……よい。……それより私が眠っている間に、何か、あったか……?」

 

 寝起きであるからか、老人の問は酷く曖昧だ。

 しかし仮面の男はすぐに要点を理解し、手にした蔵書の頁を捲りながらつらつらと仮面の下の舌を回す。

 

「御身が目覚められるよりも前に全てのサーヴァントの召喚を確認。今のところ目立った問題も見受けられ無く、此度の聖杯戦争は開始されました」

 

 

 聖杯戦争。

 それは極東・冬木において魔術師達が引き起こした大規模な魔術戦。聖杯戦争自体の歴史は百年前後と僅かではあるが、遥か過去の英霊達を呼び出し、使役し、兵器として運用する規格外の戦は魔術世界でも広く知られている。

 今回のアフリカ、ナミブ砂漠における聖杯戦争の基盤もその冬木の聖杯戦争のシステムを元に構築されている亜種聖杯戦争の一種だ。  

 

「小規模なイレギュラーにはご子息が対応されていますので問題無く……。冬木の聖杯をそのまま使用すれば何も問題は起こらなかったのでしょうが……生憎、本物はユグドミレニアに奪われてしまいました故」

「では、ユグドミレニアも……?」

「今はまだ。しかし魔術協会も挑戦状までけしかけたユグドミレニアの動きに注目している為、暫くは此方に目を向けられることは無いでしょう。不幸中の幸い、というのでしょうな。大本の大聖杯は奪われましたが、転じてその事態が協会の眼を背ける妨害となった」

 

 これは全くの偶然ではあったのだが、数日前、魔術協会に忍び込ませていた密偵から連絡が有り、ルーマニアでも同時期に聖杯戦争が開催されることが判明した。ルーマニア出の聖杯戦争を開始したのは時計塔の一級講師であったダーニック・プレストーン・ユグドミレニア率いるユグドミレニア家。

 貴族ほどの力を持ち合わせていない家系であったが聖杯を得たことで強気になったのだろう。彼らは魔術協会から離反し、堂々と宣戦布告をしたそうだ。 

 

 ナミブ砂漠の聖杯戦争の『主催者』達はそれを好機と思い、利用した。

 魔術協会の眼がルーマニアの聖杯戦争に向いている内に、此方の儀式を終わらせてしまおうと。

 礼儀として魔術協会に参加権を送ってしまった事実もあるが、亜種聖杯戦争に参加する魔術師などせいぜい二流止まり。例え時計塔の魔術師であっても問題にはならない、というのがナミブ砂漠の聖杯戦争の管理者達の総意であった。

 今のところ、その予兆も無い。

 魔術協会からの参加者もある貴族の分家の息子のみ。分家といっても本家とは殆ど関わりのない力の弱い家系の為、警戒する必要も無い。

 

「今現在要塞の中で活動しているサーヴァント数は4体程ですが、残りもすぐに要塞内部で戦闘を始めるかと。そうしなくては彼らは目当ての物を得られませんから」

「……ふっ」

 

 淡々と業務を熟す仮面の男とは対照的に、不意に老人の喉から息を吐き出したような細やかな笑い声が零れる。

 何事かと仮面の男が顔を向けると、やはり老人は皺だらけの顔で笑みを浮かべており、何かを懐かしむかのような緩んだ表情で仮面の男を見つめていた。

 

「いや……生前の君とは手紙でしか遣り取りをしなかったからか、君が喋っているのが何とも可笑しくてな……もしや君はおしゃべりだったのか?」

「……」

 

 老人の言葉に対して仮面の男の返答は無い。

 表情は読み取れないが、きっと反応に困ってしまっているのだろうと老人は理解し、仮面の男の手を弱々しく取った。

 

「友よ……この老体の呼び掛けに応じてくれたのが君で本当に良かったと思う……だから、だからどうか……君の意にはそぐわない、君の意思とは何ら関係のない願いだと判っている……しかしどうか……」

 

 病魔に侵された身体だというのに、老人の弁には熱が篭り立ち上がろうとさえする。仮面の男はそうなる前に老人の身体を支えると、はっきりと頷いて彼の身体を再びベットの上に寝かせた。

 

「確かに、承りました。我が友よ」

 

 

 

 

 

 

 

 老人が眠りに付いたのを確認してから仮面の男は廊下に出た。

 彼が『召喚』されてから3日。豪勢、きらびやかな要塞の内部構造には未だに慣れず、仮面越しでも見る度に目を細めてしまう。

 この悪趣味なまでの赤と金尽くしの派手な内装が誰の趣味かと云うと、先程の老人の孫達の趣味である。

 ルーマニアにて聖杯戦争を始めたユグドミレニア家と同じく、彼らよりも何十年も前に時計塔から離反した魔術師の一族。それがこの【暗黒要塞エンリル】を支配する魔術師達である。

 封印指定を受けた魔術師ガクべリア・ハーベスタリオンを当主としたハーベスタリオン家。結界魔術を主とした魔術師の一族であるが、血縁者は今ではガクベリアの他に孫が3人だけとなっている。

 

「あら、誰かと思えば私の従僕ではございませんカ」

 

 仮面の男の進行方向から現れた赤いドレスの女。自信満々、唯我独尊の性根が語らずとも顔に浮かんでいる銀髪金眼のこの女もまたガクベリアの血縁者。ハーベスタリオン家の生き残りの1人だ。

 

「ユクレスタ」

 

 姿が見えてから声を掛けた仮面の男に対して、女ーーユクレスタはほんの僅かに眉間に皺を寄せて何か言いたげな表情を浮かべたものの、すぐに取り繕って表面上は余裕綽々な淑女を演じる。

 

「貴方も罪な人でございますネ。旧知の仲でいらっしゃる御父様に嘘を憑くなんて」

「……君が何を言っているか、検討も付かない」

「嘘。だって此処は貴方の世界なんですもの」

 

 ユクレスタの金色の眼光に狼の如き鋭さが宿り、続けて彼女の言葉は紡がれる。

 

「要塞自体は御父様を贔屓にして下さっている方々の融資によって作られましたわ。貴方の世界、その心象を内部に構築する為に。だから其処で起こるイレギュラーを、貴方が把握していない訳が無い」

  

 1歩。また1歩。

 目の前の男を全く信用していない面持ちのユクレスタが、悠々と仮面の男との距離を詰めていく。

 

「『陰聖杯』と『陽聖杯』。それぞれからサーヴァントは召喚された……だけど、イレギュラーもオマケ付きデ。何故です?何故御父様にこの事実を伝えなかったのですカ?」

 

 詰め寄ってから仮面の男の首を撫でる。女にしては長身な背丈の為か普通の少女を相手にした時よりも幾分か威圧感が増す。

 それこそ、今の彼女は通常時よりも機嫌が悪そうなのだから当然だ。

 

「それとーーいつになったら覚えますのでございますカ?私を呼ぶ時は、『マスター』もしくは『名前に様』を付けなさいと。貴方、御自分が高次元の使い魔だからって良い気分になってなさいませんこト?」

 

 特徴的な言葉遣いと共にユクレスタが仮面の男を睨め上げる。

 しかし、仮面の男は仮面を付けていても判る平静さでユクレスタの方を見る訳でもなく、ただ沈黙を保っていた。まるで目の前の女など取るに足らない少女だと云うように。

 

「ッ!!」

 

 それがまた金眼の少女の激情を買い、ユクレスタがついに手を振り上げる。人間の女の平手など『サーヴァント』ならばやすやすと避けられるであろうに、それでも仮面の男は動かない。

 結局、振り上げられたユクレスタの右手を掴んだのは、この状況を目にして急いで走ってきた糸目の少年だった。

 

「ちょ、ちょっとぉ!ちょっとストップ!姉さん!何してるんだい!?」

「ッ!リグル!離しなさい!姉の邪魔をするものではないわ!」

 

 今にも左腕に刻まれた蜘蛛を連想させる魔術刻印を発動して仮面の男に襲い掛かろうとする姉を、現れた少年はユクレスタそっくりの顔で必死に止める。といってもユクレスタの方は成人を迎えている年齢であろうが、少年の方は些か判断に困るぐらい幼さを残している。

 彼もまたハーベスタリオン家の未来を担う1人。名をリグナリオ・ハーベスタリオン。

 上流階級の貴族のような振る舞いの典型的な魔術師的体質である姉とは違い、人間らしい常識を兼ね備えた弟。仮面の男から見てリグナリオという少年はそういった理性的な部分を持ち合わせているように見える。

 姉が激情に駆られて暴走すれば、それを止めるのは何時だって弟である彼の役目だ。

 仮面の男はユクレスタ同様その弟であるリグナリオとは出会ってまだ数日も経っていなかったが、会う度に姉に苦労を背負わされる彼の姿を見て内心哀れにも思えていた。

 

「と、とにかくっ!」

 

 リグナリオがこの場に居なければ仮面に激突する筈だったユクレスタの平手が形を変え、その指先が仮面の男に向けられる。表情に関しては、依然として血気盛んなままの様子だったが。

 

「貴方は私のサーヴァントです!それを、夢お忘れ無きよう二!では失礼します!リグル!貴方も風邪など引かれませんよう、精々暖かくしてお眠りなさイっ!」

 

 登場時の粛々とした淑女の立ち姿は何処へやら。最後まで騒がしく仮面の男に敵意を向けたまま、ユクレスタは弟の拘束を振り解いて自分の部屋へと戻っていく。

 そんな姉の背中を溜息混じりに見送ってから、リグナリオは気が付いたように慌てて振り返って仮面の男に向かって深々と頭を下げる。

 

「も、申し訳ないっ。【キャスター】さんっ。姉は、その、ちょっと自意識過剰入っているっていうか……」

 

 苦労を掛けられていてもやはり肉親。リグナリオは人知を超えた存在に対して大変緊張した様子でしどろもどろに弁解しようと試みている。

 仮面の男はそんな少年に表情のない仮面(かお)のまま首を横に振る。

 

「気にしなくていい。僕も人付き合いは苦手な方だ。最も、君のお姉さんとは全く性質が異なるけどね」

 

 皮肉も混ぜたつもりの言葉がどうやらリグナリオにとっては多少の救いになったようで。再び仮面の男が視線を向ければ少年の表情はすっかり明るく変わっていた。異形の存在に向けられた不安気な視線は、いつの間にか頂上の使い魔への羨望の眼差しへ。

 それは、ずっと穴蔵の中で生活していた仮面の男には、些か眩し過ぎる瞳だった。

 

「……それじゃぁ、僕は失礼するよ」

 

 短く言い残して仮面の男は未だ羨望の眼差しを浮かべたままの少年の前から歩き去っていく。

 曲がり角を曲がる最期まで背中にその熱を感じながらも、一度も振り向かずに。

 

 

 

 

 

 

 漸く1人になれた。

 

 だだっ広い城の中を歩きながら仮面の男は窓から視える空を見上げる。

 彼は、大凡自分が英雄などと呼ばれるような存在ではないと理解していた。

 またサーヴァントとして魔術師同士の殺し合いに呼ばれるような人殺しでも無いと彼は彼自身だからこそ知っていた。

 戦場に出れば真っ先に自分は死ぬ。きっと、『この聖杯戦争の為に愛と労力を掛けて『造られた』あの姉弟の方が自分よりもよっぽど腕が立つだろう。

 そんなどうしようもない、サーヴァントとしては情けないに過ぎる事実を理解していながら、それでも仮面の男はある老人の英霊召喚に応じた。

 古くからの友。時が遠く過ぎた再会の時、友は写真で見たかつての姿から老人の姿へと変わっていた。

 それでも面影があった。いつか手紙で見たあのやや自信情げな奥ゆかしい文面は昔と変わらなかった。

 その時、仮面の男は淡い心ながらも決意をする。

 他の戦い、どんな聖杯戦争に呼ばれてもきっと自分はハズレサーヴァントだ。何しろ彼には万能の願望器に望むべき願いも無く、生前ですら生への渇望をあまり持たなかった。戦う気力が無い者に、万夫不当の英雄達を倒せる筈が無い。

 しかし、今回は違う。

 このナミブ砂漠の聖杯戦争に呼ばれて、ただこの一戦のみ、彼には願いが生まれた。

 自分の物とはいえない借り物の願いとはいえ、それでも仮面の男にとっては叶えたい願いの1つだ。

 

「フランソワ・プレラーティ……サンジェルマン伯爵……彼らの様にはいかないが、私も彼らも同じ様なモノだ。最も、彼らは本物で私は偽物なのだが……いや。いいや違うな」

 

 仮面の男はぶつぶつと1人呟きながら、手にした人皮の蔵書を捲る。

 不意に止まった指先が、カバー同様、人間の皮を加工して製造された紙の上に綴れた文字の羅列をなぞる。

 

「私が偽物でも、『私達の作品は偽物の本物』だ。私が侮辱されても、私達の共通の思いを、願いを、情熱を。嘘の一言で終わらせる訳にはいかない」

 

 熱の篭った声が仮面から漏れ出し、それと同時に仮面の男が手にする魔本が紫に輝き出す。

 

 

「ーーさぁ、聖杯戦争を始めよう」

 

 

 未だ誰もその本質を知らない、未知なる宝具が今、静かに誰の目にも止まらず起動していた。

 

 










○今回の反省点。

まずは、今回の投稿が予定より随分と遅れてしまって申し訳ありません!
今年は人生で1番忙しくなる年だと思いますので、投稿ペースが安定しないことを先に謝罪致します。

他の理由(言い訳)としては予期せぬFGO1.5部の開始、ニーアシリーズにドハマリして物語をbadendに持っていこうとする自分を必死に抑えたり、更に執筆に使うスマホの不調。
色々なことがあって現在に至った次第です。
今回より一応投稿は再開致しますが、何分来年まで忙しい身ですので前述した通り投稿ペースは不定期です。毎回予告は致しますが、信用はしないで下さい。ごめんなさい。



次回の投稿は3月23日予定です。


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交易弾丸(通算17話)

 

 

 彼曰く、成功者というのは本当の意味で賢しい者である。

 

 相手がどんな言葉を求め、どんなことをされたら悦び、どんな未来を望むのか。

 それを相手が口にするよりも早く予測し準備できる者こそが未来の成功者に成り得るのだ。

 故に、自称成功者である彼はこんな辺境の地でも自分の成功の為に笑う。

 そうすればする程、相手は好意的に接されると思って安心するからだ。

 

「いやぁ、ミスターヴェンジャー。貴方がこんな所に来てくださるとは思わなかった」

 

 昼下がり。壁の無いテントの下でずっと来訪者を待ち続けていたガタイの良い傭兵は、目の前に座するサングラスの男に好意的に接する。

 つい10分前に交渉を始めた2人の男の周りには常に5名程の銃を持った傭兵が取り囲んでおり、明らかに陣営としてはガタイの良い方の男の配下だと判断できる。

 すぐに殺し合いが起きそうにはないが、それでも傍から見る者からすれば物騒なことこの上ない。

 

「いえ、所要がありましてね。そのついでで此処に立ち寄ったんですよ」

 

 サングラスを掛けた男は中東アジアの高気温の中全身をスーツで固めており、それでも涼やかな笑みで『お客様』と対話する。長い脚を組み爽やかとも不敵とも取れる笑みを浮かべるその姿は何処ぞの映画俳優さながらだ。

 勿論、彼は本当に映画俳優という職業に付いている人間ではない。

 最も、彼の職業自体は映画の題材にされることは多いのではあるが。

 サングラスを掛けた男は不意に地面に置いてあったスーツケースを持ち上げる。身体を動かした瞬間、周りの傭兵達から銃口を一斉に向けられたが、頭と思われる対面している傭兵が制してくれた。

 そんな対応にも、自分の職業を考えれば仕方のないことだとサングラスの男は不快感さえ覚えず納得し、やがて小さなテーブルの上に置いたスーツケースを慣れた手付きで開いた。

 周りの人間全員の目に触れるように開かれたそれの中に入っていたのは、何十枚かの契約書である。

 

「対空砲に戦車、戦闘機……ご注文頂いた商品は全てご用意致しましたよ。集めるのにはそれなりに苦労しましたがね。私もこの内戦に心を痛める1人だ、勿論協力させて貰いますとも」

 

 心にもない事を大仰な素振りで言って見せ、天才科学者でありながら武器商人であるヴェンジャーは片手間といった調子で契約書の束を取り出し傭兵に投げる。

 

「ご確認下さい」

「……」

 

 傭兵もヴェンジャーのことを知らない訳ではなかった。

 天才の次に変人と呼ばれる目の前の男は、米国では連日ニュースに出るような有名人。技術分野のカリスマにして、また八枚舌で人を惹き付ける別の意味でのカリスマでもある。

 下手な言葉を交わしてしまえばそれを言質に此方が損をする状況を作られるかもしれない。

 そう危惧したガタイの良い傭兵は、まずは何も言わずに契約書に目を通し、終わった頃に何も不備がないことを確認してまずは息を吐いた。間違いなく安堵の溜息だ。

 

「確かに確認しました」

「フフッ。随分と肩に力が入りながら熟読されていましたが、私はビジネスについて嘘は憑きませんよ。女性と同じで、仕事も嘘が嫌いですから」

 

 振る舞われた温い珈琲を口に啜りながら軽い冗談を言う武器商人の姿に肩の力を抜きながら、憲兵は纏めた書類をテーブルの上に置き直す。

 

「それで商品は今何処に?」

「海路で輸送中です。今頃港に着いている頃でしょう。私の電話1つで1時間以内に運ばせることが可能ですよ」

「それはそれは仕事が早い。流石は今最も勢いのある武器商ですな」

「その肩書はあまり好きではありません。今最も勢いのある美男子、とかどうです?」

 

 談笑を続ける2人の男達の様子は、これから夕食でも一緒に取りそうな友人のそれだ。

 実際、何事もなければ2人はそうしたことだろう。

 そんな和やかな雰囲気を変えてしまったのは思い付いたかのような武器商人の1言が原因だった。

 

「で、あの黒い要塞はいつからあるんです?」

 

 ヴェンジャーの問の後、場は長い静寂に包まれた。

 それまで殺気立っていた傭兵達も一瞬の内にまるで抜け殻のように肩から力が抜けてしまい、ヴェンジャーの目の前に座る傭兵もまた常時ならざる焦点の合わない双眸で首を傾げる。

 

「……はて?なんのことですかな?」

「……」

 

 

 ヴェンジャーは予測する。今現在起きている事実を、己の有している情報を元にして。

 傭兵達は惚けているわけではない。恐らく、魔術による認識錯誤の術を受けているのだろう。

 聖杯戦争に参加していながら化学側に立つヴェンジャーが何故それを見破れたかというと、要因は傭兵達の眼に在る。

 そう、眼の色が変わっていたのだ。元が何色であろうと関係無しに要塞の話をしてからすぐ光を反射させない紫色に。

 何者かは判らないが、傭兵達がヴェンジャーと会うよりも前に他の聖杯戦争参加者に何らかの魔術を付与をされているのは明らかで、故に此処が既に敵の術中であるのも明確。

 早々にこの場を離れなければならない。

 そう思って立ち上がった武器商人の背中に、直ぐ様悪寒が走る。

 

 

 その場にいる誰もが異変に気付くよりも早く、武器商人の背後に立つ傭兵が両手に持っていたサブマシンガンの銃口を無防備な背中に向けていたからだ。

 

 

 

 

 

 

 

「ぐぁっ!!?」

 

 

 悲鳴を上げたのは武器商人ではなかった。

 サブマシンガンを握ってきた腕を剣の鞘で打たれ、苦悶に顔を歪めていたのは、ヴェンジャーに銃口を向けていた傭兵だったのだ。

 目前で起こった異変に気が付き、ヴェンジャーの目の前にいるガタイの良い傭兵も含め、傭兵達の重厚が一斉にある一点に向けられる。

 手首を抑えている傭兵の傍らに立つその存在は、武器商人と同じく新品の黒のスーツを着た、銀髪細目の二刀の女剣士であった。

 

「……」

 

 刀に付着した、傭兵のものかと思われる血を拭いながら少女は無言である。

 金のメッシュが入った銀髪に大きさや形が全く違う二刀の使い手。その姿はまるでフィクションの存在のようで、更に彼女の登場の仕方を思い出してみればそれもあながち否定できないようにも思える。

 

 ━━女剣士は一瞬にしてこの場に現れた。

 

 元々は何も無かった空間に、突如として現れ、傭兵の手首を流れるような手付きで強打した。

 幽霊。怪物。そのどれとも取れないような出で立ちの女に傭兵のうちの1人が構わず銃弾を発射しようとしたその瞬間、1人慌てず沈黙を保ち続けていた武器商人が漸く口を開く。

 

「ストップぅ。ストップストップストップっ。止まれ。君達1回止まれ。深呼吸をしろ、深呼吸を」

 

 手を叩き、ただ落ち着けとこの場を諭す。

 異常度で言えばこの男こそが誰よりもそうなのではないか。傭兵達の誰もがそう思い冷や汗を掛かざる負えない状況に陥ってる中、商談を受け持っていたガタイの良い傭兵が銃口を下げないまま武器商人に問い掛ける。

 

「ヴェンジャー殿っ!これはどういうことだ!?どういう状況なのだ!?」

 

 この場で最も慌てふためていたのは意外なことに訓練において強靭な精神を持っていそうなガタイの良い傭兵だった。否、強靭な精神を持っているからこそそれが砕かれた今誰よりも取り乱してしまったのかもしれないが。

 とにかく極度に混乱しており今にもその銃口はヴェンジャーにも向けられそうであったが、スーツの女の一瞥がその行為を許さない。

 ただ睨みつけるなんてものじゃない。

 ハイライトの薄い金の瞳が、見据えている。 

 一歩でもその男に手を出せば、この地に伏した傭兵よりももっと報いを受けることになると。

 

「ッ!!?」

 

 認めたくはなかったが傭兵は自らの恐怖を認め、ただ銃を手から落とすしかなかった。

 他の傭兵達もまた同じである。

 下手に動けば殺される。しかしだからといって今更降伏したところで何になるというのか。

 敵の目的はわからないし、正体も掴めていない。

 ならばどう命乞いをすれば見逃してもらえるのかとガタイの良い傭兵が必死に無い頭をフル稼働していると、武器商人は不意に立ち上がりーー女の頭を軽く小突いた。

 

「っっ!?いっだぁっ!?な、何するんですかマスターッ!?」

 

 小突かれた瞬間にそれまでのキリッとしていた表情は女剣士の顔からは一切消え去ってしまい、代わりに泣きべそをかいた少女の表情(それ)が現れる。

 斬られる。あの武器商人は間違いなく殺されると誰もが思っていたが、いつまで待ってもヴェンジャーが女剣士に殺されることは無かった。

 それどころか武器商人ヴェンジャーは更に2、3発といわず5、6発女剣士の頭にチョップをかましていく。

 

「お前は、僕の、商談を、パーに、する、つもり、か」

「いだぁっ!?いだぁぁっ!?やめてくださいっ!!あ"だま、割れるっますぅ!!」 

「1回割れろ。特別に僕が作り直してやる。セラミック製でな」

 

 ヴェンジャーと少女の会話は2人以外には判らない。

 何しろ2人は『英語以外の言葉』で話しているのだ。しかも女の方には相当の訛がある。

 誰か早くこの状況の解説、あわよくばどうにかこの状況を解決して欲しい。

 そう中心人物のガタイの良い傭兵が胸の内で願っているところに、ヴェンジャーは腕時計を一度確認してから笑みを返す。

 

「あぁー、えぇっと、その、なんだ。えぇっとだな、皆さん。つまり僕が、何を言いたいかと言うとですね……」

 

 魔術世界の存在を知らない傭兵達に対し、必死に何かを上手く伝えようと身振り手振りを行うヴェンジャーだったが、やがて諦めたように肩を竦めたのだった。

 

「命が惜しかったら逃げた方がいい」

 

 

 ーーヴェンジャーの忠告も虚しく、天空から飛来した何者かによって傭兵達の野営キャンプ地は、次の瞬間更地と化した。

 

 

 

 

 

 

 

 

「ますたぁっっ!!」

 

 凄まじい衝撃波の中、呼ばずとも此方に向かって駆け込んで来る影。確認せずともそれが自身のサーヴァントだと理解し、ヴェンジャーは躊躇うことなく手を伸ばし、その身体は衝撃波から退避するように上空へと投げ上げられた。

 

 

「うぉっ!?」

「すぐ落ちますっ!舌噛まないでくださいっ!!」

 

 やけに丁寧な言葉で忠告を口にしながら、二刀の女剣士はヴェンジャーの身体を抱えて空を跳び、地面に姿勢を低くして着地する。

 ほぼ滑り込むようにして成功した着地の後、両腕で抱き抱えていたヴェンジャーを容赦なく地面に放り投げると、女剣士は直ぐ様両腰に下げていた2刀を抜き、振り被り様に薙ぎ払う。

 

 女剣士の一撃は神速とまではいかなくても並以上の剣捌きではあったのだが、それでも天空から飛来し、ヴェンジャー達を強襲した襲撃者は軽々とその一撃をいなす。

 その右手に持った紫の輝きを放つ黒き魔剣によって。

 

「ーー」

「ーー」

 

 一瞬、両者の間に沈黙が保たれる。 

 その間にヴェンジャーのサーヴァントである女剣士は確かに目にした。己が敵の姿を。

 氷を連想させる白き髪に、緩むことのない冷めきった表情。茨の巻き付いた魔銀の鎧は見るからに強固な一品であり、彼女は即座に自分の剣では傷1つ付けられないと確信する。

 神話の英雄。その姿が、その出で立ちが、手にしているその魔剣が語らずとも敵の素性をそう告げている。

 サーヴァント。一目目にした時から、そんなことは判っていた。

 

「マスター!!其処から動かないでください!!」

 

 女剣士は再度己の主に静止を言い渡し、両手に持った2刀で斬りかかる。

 辺りはもはや更地だ。地の利を活かすともなれば、もはや衝撃波で噴出した砂塵を使う他ないのだが、女剣士はお構い無しに真っ向から斬りかかる。

 正々堂々、小細工無しで、女剣士は初のサーヴァント戦に挑もうとしているのだ。

 その在り方に勇者なら誉有りと微笑を浮かべるだろう。

 強者であれば愚かと鼻で笑うこともあるだろう。

 しかし彼女の敵の反応はどちらでもなかった。

 ただ、冷え切った赤色の瞳で敵を見据えるのみ。現れた時から、魔剣の騎士は一度たりとも表情に機微の変化も見せていないのだから。

 

「見事な打ち込みだ」

「ッ!!」

「しかし、本領を発揮しなくては私には届かないぞ」

 

 決して卑下している訳ではない。しかし冷血なる魔剣士の言葉は、結果的に英霊である女剣士を馬鹿にしているとも取られる言であった。

 それを挑発と取った女剣士は握り締めた2刀に更に力を込める。

 

「これ、でもーーッ!!?」

 

 有り余る限りの膂力を尽くして女剣士は魔剣士を刀で押す。

 押して、いるのだが。

 Dランクというサーヴァントとしては低い筋力ランクではあるが、それでも人間を超越した英霊の一撃だ。受ければ誰であろうとたじろぐなり、反撃するなり行動を起こすものだろう。

 しかし、動かない。

 魔剣士は現れた時から凍てついた表情を何1つ動かさないで、片手で握った魔剣で難なく女剣士の2刀を抑えているのだ。

 その事実に、女剣士は同様を隠せない。

 

「な、なんで……」

 

 防御されるのはいい。防がれるのもいい。生命体である以上、個体差が出るのは仕方のない事実だ。

 

 ーーしかし、何故反撃して来ない?

 

 そんなことは学のない頭でも、軽々と押し返してくる剣捌きを見ればすぐに理解できる。

 単純に追いついていないのだ。女剣士の刀が、魔剣士の魔剣の域に。

 故に、反撃すらしてもらえない。

 

「なめ……なめるなぁぁぁぁあああアアアッ!!」

 

 スキルではない、半ば無理矢理の魔力放出。言い換えれば、体内に循環している魔力のリソースを筋力へと転移させたただの筋力増加である。

 大凡ランクC+、並の英霊以上の筋力で再度振り被り放たれた2刀の一撃は、

 

「ーー」

 

 蝿叩きで蝿を叩くかのような気楽さで、結局相手の息1つ乱せずに打ち払われてしまった。

 それは魔剣の力でも、魔力によるバックアップで押し負けた訳ではない。何しろ襲撃者と思われし魔剣士はこの場に来てから一度も神秘の力を発揮してはいないのだから。

 単純に、技術で、技量で、腕力で押し負けてしまっただけなのだ。

 

「ぐ、くそぉおおおおおおおおっ!!!!」

 

 出血を引き起こしてしまうほど歯を食いしばって再度2刀が振り被られる。もはや女剣士の攻撃は怨敵を目にするような尋常ならざる殺気を放つ一撃であり、その瞳には数刻前まで確かに宿っていた冷静さは微塵も宿っていない。

 抱くのは英霊としての誇りか。詰まらぬ自尊心か。

 女剣士自身も含めて誰にも正しい判断は付かぬまま、歪んだ憤怒を纏った一撃は見事魔剣士の腕に激突する。

 

 と言っても、魔剣士が自ら腕を差し出して2刀を防いだ形であり、その光景を目にして女剣士は今度こそ動きを止めたのだが。

 

「謝罪する。何が気に触ったかは判断しかねるが、こう私の身体はどうにも頑丈でな。詫びとして腕の1本も差し出してやろうにもできんのだ」

 

 冷血で、冷徹な、真面目な表情。

 しかしこれは冗談だ。

 そう判断して益々今の状況が判らなくなり後退する女剣士に入れ替わりで、恐れ知らずにもそのマスター・ヴェンジャーが臆することなく前に出る。

 

「やぁやぁ。うちのへなちょこ剣士がとんだご無礼を働いたようだね。是非、詫びがしたい。君、名前は?」

「不可解な男だ。率直に言って、答えられる筈がないだろう」

「確かに。これはそういう戦争だ」 

 

 理性を半ば失って刀を打ち付けていたサーヴァントとは打って変わって至って冷静に、商売時の笑顔で人外と会話を始めるヴェンジャー。その姿に彼のサーヴァントである女剣士が誰よりも驚いており、この中で誰よりも騒ぎ立てている。

 

「ま、マスターっ!?前に出過ぎです!危ないですよ!?」

「五月蝿いぞ役立たずサーヴァントめ。お前こそ後ろに下がっていろ。此処からは大人と大人の会話だ。小娘は黙って今日の晩御飯のことでも考えておけ。好きなものを食わせてやる」

 

 流石は大企業の社長であり、日夜フライデーに追い掛け回される色男、女の扱いには慣れているのだろう。言葉と人差し指で喚く自身のサーヴァントを黙らせると、続いて襟を正し、流石に緊張を懐きながら目の前の『存在』を目にする。

 今までの人生で、ヴェンジャーは『大物』と呼ばれる人物達と何度も巡り合ってきた。有名メジャーリーガーやハリウッド女優、同業者の大老達に至るまで、様々な人種と職業のプロフェッショナルと邂逅を果たしてきたが、今日程の緊張を味わったことがない。

 銀色の装甲を身に纏う、現実感の無い魔剣士。

 映画などのフィクションの世界でしか恐らく見る機会の無い相手が目の前に居るというのは、何とも心震える。

 それでも商売柄舐められる訳にもいかない。

 ヴェンジャーは軽く自身の頬を抓って気合を入れてから目の前の人外へ声を掛けた。

 

「あー、そうだな。まずは自己紹介をしよう。僕はヴェンジャー。アメリカ……えぇっと、此処よりももっと遠くの大都会で武器を売っている。好きなものは女、嫌いなものは面倒な仕事。これ以上何か訊きたいことは?」

 

 英霊に対してもこの対応。大凡の魔術師が聞けば卒倒しかねない質問内容であり、ヴェンジャーのサーヴァントである女剣士も唖然としていたが、魔剣士の方とはいうと別段驚いた様子も無く淡々と頷いている。

 

「遠慮しておこう。丁寧な自己紹介痛み入るが何分時間もないのでな。質問をさせて貰うのは此方の要件が聞き入れられた後でも遅くはないだろう」

 

 魔剣士の言い分からしてどうやら戦いに来た雰囲気でも無い。その証拠に女剣士の攻撃を片手で止めたあの魔剣を彼はもう鞘に収めており、対話の準備を進めている。

 女剣士は魔剣士のその行動を侮辱と捉えて襲い掛かりそうであったが、其処はマスターが抑えるのが仕事。ヴェンジャーは女剣士の動きを片手で制するとなるべく相手の機嫌を損ねないように細心の注意と敬意を払って声を掛ける。

 

「要件、とはなんだ?降伏なら受け入れられないんだが」

「勿論。戦いとは雌雄を決して定められるものだ。私もそれは望まない。我がマスターがお前達に望む要件は其処には無い」

 

 首を振ってから、魔剣士の視線はこの場より少し先に聳え立つ黒き要塞に向けられる。

 

 

「今現在、我がマスターは同盟者を募っている。目的は、あの黒き要塞への侵入だ」

 

 






次回の投稿は3月23日です。


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砂漠に遭遇(通算18話)

 

 通常、大自然を前にした時、人は何らかの手助けを必要とする。

 空を飛ぶ為に飛行機に乗り、海を渡る為に船に乗り、長距離を移動する為に車に乗る。

 砂漠を越えるとなれば、水分を多く含み熱射に強いラクダに乗るのがセオリーなのだが、壬生カグヤはそうしなかった。

 ならばどうやってこの広大なナミブ砂漠を越えようというのか。

 無論人間には2本の脚がついているのだからそれを使う他無い。

 一歩進む度に崩れていく砂の山を乗り越えながら、女はふと物思いに耽る。

 かつて、この土地にも文明が栄えていたのだろうか。

 壬生カグヤは地理や歴史などついて、そこまで詳しい訳ではない。せいぜい義務的に受けさせられる学校教育レベル。故に自分が今立っているこの大地にどれ程の歴史が刻まれているか、彼女は何1つとして知らないのだ。

 もしこの大地に、過去、文明が栄えていたとして。

 此処で英霊召喚を行えばこの土地由来のサーヴァントが召喚される。

 断言はできないが、触媒も無しの英霊召喚出会った場合その可能性は高いだろう。

 

「……まぁ、する訳ないんだけれど」

 

 そう1言で考えを自己完結させ、壬生カグヤはまた一歩大地を踏み締める。

 起点となった街を出てから、もう随分と時間が経っていた。

 どれだけ歩いても先は見えない。目的地は現れもしない。『肉眼』で見ているのだから当然だ。

 見えなくとも、ある時から僅かな空気の違いを感じていたカグヤはただ1つの荷物であるリュックサックから眼鏡ケースを取り出すとその中身を掛ける。 

 黒縁の眼鏡は先輩の東洋人からプレゼントとして貰った物で、度は入っていない。本来の眼鏡の役割である筈の視界を安定させる効果の無いその眼鏡は、その代わりに視る者の世界を安定させる。

 魔通しの眼鏡を通して、カグヤの双眸にはそれまで意図的に隠されていた魔術式達が一斉に顔を出したのだ。

 遥か先には目的である『黒き要塞』が今でははっきりと目にすることができる。

 人も動物も水も植物も。何も無い、ただ広がるのみの砂漠にポツリと後から取り付けられた黒い壁。天井さえも覆うそれは宇宙の光すら通さず、外部と完全に遮断された固有空間と化している。

 恐らくあの中に入ることが許されるのは招かれたマスターとそのサーヴァントのみ。

 一度入ってしまえば聖杯戦争が終わるまで抜け出すのは不可能であるだろうが、壬生カグヤにとってはそんなことは些細な問題だ。逆に敵対者を遠出してまで探しに行く手間が省けて喜ばしい、とも彼女は考えていた。

 実際中がどの様な構造になっていて、カグヤにとって有利な環境であるかどうか定かではないが、それは入ってみてから考えればいい。

 1歩1歩踏み出して、要塞との距離を近づけて行くその間際。要塞を見上げるように歩いていたカグヤの足裏に、崩れていく砂とは違う硬い感触が伝わってくる。

 

「ふぎぃ」

 

 カグヤが踏んだものはその正体を確認するよりも先に鳴き声のような声を上げ、彼女が視線を落とすと確かに足の裏で踏んづけてしまっていた。

 艶麗な白の装いが特徴的でありながら、至る所に十字架で飾られているーー女性。

 砂塗れになっているが先程声を上げたということは生きているのだろう。足を退け、カグヤは至って落ち着いた様子で声を掛ける。

 

「あの、大丈夫ですか」

「……人1人が死にかけてんのに、平然としてるのね……アンタ」

 

 返答が在る。どうやら対話できる相手らしい。

 時計塔では言葉は理解できても対話する気のない魔術師ばかりだったので、こういったマトモに会話できる人間と会えると中々嬉しい面がある。勿論、壬生カグヤがそういった感情を表に出すことは有りえないし、嬉しいといっても些細な感情だ。

 しかし、結果的にその些細な感情が、この後砂漠に倒れる1人の女の命を救ったというのも事実なので侮れないのだが。

 

 

 

 

 

 

「んくっ……んくっ……んくっ……ぷはぁっ!生き返る!やっぱり水って素晴らしいわ!清められたものならなお最高なんだけど、うん、贅沢は言ってられないものね!いえ、贅沢は敵だわ!美味しくてもちょっとの量しかない高級品なんかより、多くて力のつく物の方がいいじゃない!!」

 

 はて、要塞とは少し距離を取ってカグヤが砂漠に倒れる女の介抱したのは良いものの。

 水筒に入った水と保存食を幾つか。渡せば渡した分だけ平らげられて、今は砂の上で胡座をかいてはまるで酒でも飲んだかのように陽気に笑っている。いや怒っているのか。終始楽しげに表情が変わるのでよく判らない。

 

「元気になりましたか?」

「んぐっ……えっ?あっ、えっと、ちょっと待って!う、うぅ"んっ!!」

 

 飲み食いしている最中に急に話しかけれて驚きながらも、カグヤと対面して座る女は姿勢を胡座から正座に替え、地面に三つ指を立てると深々と頭を下げる。

 その動きは日本人のカグヤから見ても目を見張るものがあり、思わず見入っている間に女は先程までの酔っぱらいの様な喋り方とは一転して、涼やかな口調で話始めた。

 

「まずは飢餓と疲労にて苦しむ我が身をお救い頂き、本当に、ありがとうございます。あのまま時が過ぎれば私もこの身体もなす術無く朽ちてしまっていたでしょう」

 

 対面してカグヤは直ぐ様理解する。

 この理路整然とした淑女の一面は決して繕っている訳ではない。この姿もまた目の前の彼女の本来の姿の1つなのだろう。

 

「それはいいんですけど、何であんな所に?」

 

 カグヤが意外にも考えに考えて吐き出した普通の人間らしい問に、意外にも目の前の女は返答に困った様子で目を泳がせている。

 この場所は一般人が観光目的で来る場所では無い為、遭難者が出ていること自体おかしな話なのだ。故にそんな場所で行き倒れていたということは軒並みならぬ事情があるのは明確。

 

「……」

 

 だからこそ答えられないのか。そう思っていた矢先、女はカグヤに話しかける訳でもなく二言三言独り言を発すると、その後双眸を再びカグヤに向けて口を開いた。

 

「実は、その、遭難しまして」

「……はぁ。そうなんですか」

 

 見え透いた嘘にも程がある。

 そう思いながらも深く詮索しないのは、カグヤにとってどうでもいい事柄だからなのだが、それ以外に理由がもう1つ。 

 そんな嘘よりも気になるものが先程から眼鏡の奥の瞳にチラついているからだ。

 

「あの、1ついいですか」

 

 眼鏡を外し、再度確認してもカグヤの眼にはどうしても不可解に視えてならない。

 一度『あれ』に触れてからカグヤの感覚は人間ならざるものへと変化したが、その直感が告げているのだ。

 目の前の女の魂は、2つ存在する。

 

「なんで貴女、魂が2つあるんですか」

「ーー」

 

 カグヤの言葉に、目の前の女は虚を突かれたかのように目を見開くと、やがて少しずつ肩を落として目を伏せる。

 その様子は隠していたことがバレたというより、1から説明する手間が省けて楽ができると安堵したかのような苦笑であった。

 

「……流石は聖杯戦争に参加する魔術師殿、と賞賛を贈るべきなのでしょうね」

「聖杯戦争のことも知ってるってことは、やっぱり関係者?」

「……この命を拾って頂いた御恩もあります。まずは私の素性を明かしましょう」

 

 口ぶりからしてカグヤの目の前に座る女が聖杯戦争の関係者であることは確実。探りも何も無い率直なカグヤの問に、女もまた素直に頷いて口を開いた。

 

「我が真名は【マルタ】。此度の聖杯戦争におきましては、争いを定める者ーー裁定者(ルーラー)のサーヴァントとして召喚されました」

 

 






次回の投稿は3月29日予定です。


一言「今日も爆死した」



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呪いの血を受け継ぐ子(通算19話)

 

『お前は失敗作なのだから、それらしく生きることのみを考えろ』

 

 

 祖国である英国から遠く離れたこの砂の大地で、ふと幼い頃、父に言われた言葉を思い出した。

 英国魔術師の総本山・時計塔の十三の貴族の一角。

 〈呪詛科〉の ジグマリエ一族の分家の跡取り息子に()()()()()()()ハーギン・ソーサラ・ジグマリアは、時折同じ様な悪夢を見る。

 簡単に言えば単なるトラウマの再発なのだ。睡眠を取れば人間の脳は自動的に記憶の整理を行う。その時に垣間見える、ちょっとした嫌な思い出。

 幾らかこの悪夢から逃れる対策は施したが、こればっかりは精神的な問題でどうにもならないらしく、どんな霊薬も効果を示さたかった。

 とにかく便利が売り文句の現代魔術が聞いて呆れる。魔術師の1人の頭痛の種が治せない程に、魔術は、輝かしい神代の時代から劣化してしまったというのか。

 ずっと魔術と共に育ってきたハーギンにとってはその事実は何よりも信じ難く、また耐え難いものであり、彼にとって『神代』とは見果てぬ夢である。

 手の届かぬ、しかし確かにこの地上に在った世界。

 砂漠の寒空の元。保温機能を持つテントの中で寝袋に包まりながら、ハーギンはその輝かしい時代を知る人物の1人である自身のサーヴァントに声を掛けた。

 

「なぁアサシン。お前が生きてた頃ってどんなのだったんだ?」

『……あ?俺が生きてた頃?』

 

 帰ってきた声は空気に響くものではなく、マスターであるハーギンの頭の中にのみ響く声であった。何しろ話し相手はサーヴァント。マスターが魔力を送らなければ実体化することもできないので、基本的には霊体の状態で待機しており、マスターと同じサーヴァントぐらいにしかその姿は見破れない。

 それ以前にハーギンが口にしたクラスからして、彼のサーヴァントの姿を見破れるサーヴァントも実はそう多くもないのかもしれないが。

 アサシンとは暗殺者の意。闇に隠れ、闇に紛れ、闇に潜み、人知れず命を狩り取る者。狩り取られた者さえ知らない内に。

 しかし、ハーギンのサーヴァントはそんな陰気なクラスには似合わず少々荒々しい口調で面倒臭そうに言葉を返す。

 

『ハーギン、合って間もない自分のサーヴァントに詮索掛けるとか、流石にお前の根性疑っちまうぜ?マスタぁ~』

「……うるっさいな。いいからさっさと話せよ。暇なんだよ」

 

 形式上マスターとは認めてくれているものの、実際は敬いどころか何の感情も向けられていない。自身のサーヴァントの興味なさげな声色に胸の内で焦燥に駆られながらも、それを悟られまいとハーギンは寝返りを打って話をしろと促す。

 アサシンは一度嘆息を付くと、マスターの許可も無しに実体化して、2人に居座るには少々狭すぎるテントの中に出現する。

 

「なっ!?実体化していいなんて許してないぞ!!」

 

 当然、驚いて怒りを顕にするハーギンであったが当のアサシンはというと、小柄な身体でケタケタと笑って凶悪な鮫歯をむき出しにしている。

 

「キャッキャッキャッ。実体化1つで焦り過ぎなんだよてめぇはーーってうわぁ!!?びっくりしたぁっ!!?なんだ蠍かよ!!……蠍っ!?やべぇじゃねぇか!!」

「……」

 

 騒がしい。嫌になる。

 ハーギンも馬鹿ではない。こんな序盤からサーヴァントに対するそんな不満を口に出せる筈も無く、できることといえば、突然実体化し狭いテントの中で暴れ始める相棒にジト目を送ることのみ。

 テントの中は狭い。至近距離で嫌な視線を受ければ流石にアサシンも気が付いて、何処から持ってきたのか酒瓶片手に笑って誤魔化す。

 

「あっ……あっあぁいや怖くねぇよ?蠍なんか怖くねぇからな?むしろ見慣れてるから?」

「……はぁ。お前が蠍が怖かろうが怖くなかろうがどっちでもいいんだけどさ」

 

 前置きを1つ置いてから、寝袋から抜け出したハーギンは胡座を掻いて右の掌を床に叩き付ける。その深い隈の刻まれた眼差しはいつもの怠そうな目つきとは違って僅かな強みを含んでおり、対面していたアサシンも思わず背筋を伸ばす。 

 その様子がまたなんとも過去の英雄の写し身であるサーヴァントのイメージとはかけ離れていて遣る瀬無い気持ちになりながらも、必死に立て直してハーギンは言葉を紡いだ。

 

「お前、一体何処の誰なんだよ。いい加減教えろよ」

 

 絞り出したハーギンの言葉は自身のサーヴァントに対する質問してはあまりにも今更なものであった。

 

 通常、聖杯戦争のルールを知る参加者であればまず間違いなく用意する物がある。  

 それは聖遺物。これまで紡がれてきた、人類史の遺産。

 実質的には英霊同士の戦闘が1番の肝になる聖杯戦争において、どのサーヴァントを使役するかは、他の何よりも重要視しなければならない課題である。

 その為、より良いサーヴァントを召喚する為に魔術師達が自身のコネやら財産やらを使って用意するのが、聖遺物。

 例えば、かつて多くの騎士を従えた騎士王の魔法の鞘であったり。

 世界最古の文明を収めた古代王の蔵の鍵であったり。

 北に名高いの不死身の竜殺しの背に貼り付いた菩薩樹の葉であったり。

 つまりは英雄縁の品を使えば、目当ての英雄が呼び出しやすくなるというシステムだ。

 勿論、ハーギンだって聖杯戦争に参加する以前からこのシステムは知っていたし、参加するにあたって実行もした。

 使えば必ず強力なサーヴァントが出現すると信頼できると古物商に念を押されて買った、2つの金の盃。

 古物商が言うには強力な『槍使い』が現れる筈とのお墨付きだったのだが、実際現れたのは全身を金属の装飾品で彩ったやや小柄な悪人顔の男。

 ハーギンも呼び出されたのが槍使いであったならば検討がついていたのだ。

 太陽神の息子であり、彼の雷神に認められた施しの大英雄。誰にも傷を付けられない黄金の鎧を纏い、雷撃を放つ大槍を奮う勇猛な戦士。

 実際そのような人物と肩を並べて戦えることに心震わせていたのだが、しかし呼び出されたサーヴァントを何度見ても槍は持っていないし仰々しい黄金の鎧も身に着けていない。

 聖遺物を売ってきた古物商に騙されたのではないか。そう懸念してどんどん難しい顔になっていくハーギンの額に、突然突き刺すような鈍痛が走り、その身体が大きく後ろに倒れ込む。

 

「ひぎゃぁっ!?」

「むっずかしぃ顔して俺を放っておくなよぉ。そういうの嫌いなんだよぉ〜〜、楽しいことしようぜ楽しいこと」

「お、お前、自分のマスターを何だと……!?」

 

 危うく怒りと勢いで令呪を使いそうになるのを必死に抑えながら、ハーギンは涙目でケタケタと笑う自身のサーヴァントを睨む。 

 令呪を1画消費してぶん殴ってやってもバチは当たらないのではないか。額から全身に広がる激しい痛みに動転していた気は、しかし突然何かに気が付いたかのようにテントの遥か遠くを見据えたアサシンの姿に正気を取り戻すこととなる。

 

「……へっ。おいおい、こいつはやべぇ。移動だマスター。早く此処を離れた方がいい。やべぇのが来る」

「ッ!敵襲か!?」

「わっかんねぇが……たぶん昼間他のサーヴァントと殺り合ってた奴だ」

 

 ハーギンは己のサーヴァントの正体を正しく把握していない。なのでどういう原理かは定かではないが、彼のアサシンにはどうやら気配感知スキルにも似た能力を所持しているようで、昼間も一度このように何者かの気配を察知して要塞への侵入の日を改めるように進言してきた。

 確かにアサシンの言った通り、その後昼間に一度戦闘が起こったらしく、騒ぎの収まった現場に行くと傭兵達のテントが在った場所には巨大なクレーターが作成されていた。

 濃密な魔力の痕跡も残っていた為、その荒々しい戦闘跡地がサーヴァント同士のぶつかり合いによって出来たと言う事実を知るのは容易であった。

 つまり何が言いたいかというと、前例がある為今回のアサシンの勘も馬鹿にはできない。

 

「どうする?今ならまだ逃げるのも間に合うぜ?」

 

 不敵に笑い、『まだ逃げられる』など言う物言いは何とも英雄らしくない。

 それでこそアサシンのクラスには相応しいのかもしれないし、此処で逃げるのは恐らく恥じることでは無いのだろう。

 魔術師とは決して泥臭い死合をする者ではない。

 戦う時は徹底的な準備の元、圧倒的な力で相手を蹂躙する。完璧主義な父にはそう教えられたし、自分自身もそう思っていた。

 ーーしかし、

 

「おいおいおいマスター。どんどん近付いてくるぜ?決めるならさっさとーーっ。ハハハッ、んだよその顔」

 

 振り返りハーギンと視線が合ったアサシンがまた何とも愉快気な、鮫歯をむき出しにして嗤っている

 何がそんなに面白いのか。

 首を傾げかけていたハーギンの顔にアサシンは人差し指を向けていた。

 

「マスターっ。アンタ今、『滾ってる顔』してんぜ?」

 

 

 言葉にされてから、ハーギンもまた、自分の顔がぎこちない笑みに変わっていることに気が付いた。

 

 

 

 

 

 

 超跳躍からの、超降下。成る程傭兵達の住処にクレーターが作られていたのはそういう理由だったのかと感心するハーギンの前に、銀の来訪者は現れる。

 一目、目にしただけで魔術師のハーギンには判る。一度(ひとたび)英霊と契約しマスターとなった者ならば、他のサーヴァントのステータスを読み取る為の透視力を授けられる。英霊を招いた聖杯から与えられる、マスターならではの特殊能力だ。

 宝具やスキルを除いた簡単なものだけではあるが、サーヴァントのある程度の得手不得手を知ることができる力で見て、来訪者のサーヴァントは余りに強力に過ぎた。

 全ての能力値が最高水準に近しい。しかも全身を駆け巡っている魔力量も多大で、彼のサーヴァントがどれだけ優秀なマスターであるか窺える。

 ハーギンのアサシンも大概高水準のサーヴァントではあるのだが、それでも目の前の魔剣士ーー恐らく、いや確実に〈セイバー〉であろうサーヴァントは比べるのも馬鹿らしい力を有している。

 二重の意味で、観るだけで心が震えるのだ。

 

「驚愕、だな」

 

 突然現れた白銀の騎士は吟遊詩人のような澄んだ声色で最初に、言葉とは裏腹に表情を一切変化させずにそう口にすると続けて言葉を紡ぐ。

 

「まさか真っ向から出迎えて貰えるとは思っていなかった」

 

 間違いなく、白銀の騎士の言葉は未だ一流の魔術師ならぬハーギンに向けられており、あまりの威圧感に少年は背筋が思わず固まってしまう。

 白銀の騎士自身は威圧するつもりなど微塵も無かったのだろう。威圧的なのは天性なもので、常に無表情ながら彼自身からは悪意という者は一切感じなかった。

 しかし、それでも現代の人間が対面するにはあまりに静謐過ぎる偉容。

 緊張で破裂寸前な程激しく鼓動を続ける心臓に合わせて小刻み震えるハーギンであったが、そんな背中を彼のサーヴァントが引っ叩き、代わりに前に出る。

 

「まるで逃げた欲しかったみたいな言い方だな、おい。てめぇ何処のぼんぼんだよおい。名前と出身言えやコラ」

 

 白銀の騎士に比べて自身のサーヴァントはどうにも親しみやすいというかなんというか。どうにも英雄というより、英雄の物語の序盤に倒される小物臭がしてならない。例えるのなら路地裏のチンピラ達の大将が良いところだ。

 そんなことを考えているうちにハーギンの緊張も幾分か解け、鼓動は鳴り止まないものの十分に落ち着くとアサシンの後ろから声を発した。

 

「な、何用だ。僕、わっ私達と戦うつもりで来たのか?」

 

 ハーギンの声は緊張が形となって出ていたが、白銀の騎士は嘲笑を良しとせず笑わず首を横に振るのみ。むしろアサシンの方が笑いを堪えていたのがハーギンにとっては不服であった。

 

「否定する。私はーー」

 

 よく見ると白銀の騎士は登場の仕方さえ派手だったものの、アサシンと対峙していながら剣さえ抜いていない。

 アサシンを嘗めていると、そんな考えを持っているような人物とも思えずハーギンが注意深く観察していると、ふと此方に向けられた視線に気が付く。

 視線の正体はアサシンであり、不敵な笑みを浮かべた彼の笑顔を見てハーギンの背筋にゾクリとした悪寒が駆け上がる。短い付き合いながらもアサシンがそのような顔をする時、『大いなる自信から大失敗を起こす』とハーギンは既に理解していたからだ。

 止めようとハーギンが伸ばした手を振り払い、アサシンは片足を振り上げたかと思うと、話を切り出そうとした魔剣士に向けてーー全力で砂を蹴り上げたのだった。

 

「先手必勝ぉっ!!!!」

 

 




次回の投稿は4月1日予定です。エイプリルフールなので遅れても許してくださいお願いします。


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翡翠の流星(通算20話)

 

「ルー……ラー……?」

 

 曖昧に言葉を返して、聞き覚えのないクラスに珈琲を煎れたカップ片手に首を傾げるカグヤ。

 自身のクラス名を口にしたマルタもまたカグヤの反応に無理もないと苦笑を浮かべ、ゆっくりと己について説明し始めた。

 

「本来、ルーラー━━裁定者のクラスのサーヴァントは通常の聖杯戦争では呼ばれることはありません。ルーラーとは『人間の監督役では収集の付かない問題』が起きた場合のみ、聖杯自体に召喚されるサーヴァントなのですから」

「聖杯本体から?」

 

 先程とは反対方向に首を傾げたカグヤにルーラー━━英霊・マルタは静かに頷き、ふと視線を背後に移す。同時に伸ばされた右手が指していたのはもう目の先にある、此度の聖杯戦争の舞台の黒き要塞だ。

 

「暗黒要塞エンリル。古き神の名を冠する、あの魔城、いえ『魔の都市』の地下に在る聖杯によって私は現世に召喚されました。あるイレギュラーを解決する為に」

「……それは、私に話しても大丈夫なこと?」

 

 話を聞く限り、どうやらルーラーというクラスのサーヴァントは聖杯戦争に直接参加するサーヴァントではないらしく、その立ち位置は審判に近しい。

 英霊通しのバトルロワイヤルが謳い文句である聖杯戦争において審判が居るなど、記憶を辿ってもやはり聞いたことが無かったが、それでもカグヤには目の前の女性が嘘を言っているようにも思えない。故に審判役としては御法度の筈の『一方への力添え』にならないかどうか問いてみたのだが、マルタは首を振って不要な心配だと告げる。

 

「別段秘密にすべき事柄でもありませんので。ご厚意、痛み入ります」

 

 慎み深く頭を下げる姿は、ただそれだけで場が静粛で雅な空気に包まれる。豪華絢爛な宮殿の中、というよりかは静寂に包まれた教会の中。

 其処まで頭の中に思い浮かべて、カグヤは気が付く。

 【マルタ】という真名。その名が指す英霊の逸話を。

 

 

 世界的に有名な聖母の姉であり、彼女自身もまた信仰深き聖女である。生前は救世主と共に人々を救い、救世主の死後もまた変わらない信仰心で人々を導いた。

 それだけならば彼女はよく聞く聖女として語られるだけの存在なのだが、マルタと呼ばれる女の逸話の真骨頂は別にある。

 何と彼女は聖女でありながら、人々を脅かす悪竜を鎮めたという伝説が残っているのだ。それも並の駄竜(デミ・ドラゴン)などではなく、リヴァイアサンの子、強固な竜鱗を持つタラスクをである。

 

「あぁ……マルタさん。マルタさんね」

「えっ!?わ、私をご存知なんですか……?」

 

 納得したように手を鳴らしたカグヤにマルタは嬉しそうに身を乗り出す。

 

「素手でドラゴン倒したヤンキー聖女」

「え"っ!!?なんで知ってんのよアンターーあっ……いっいえ。倒してませんよ?教えを説いただけですので。断じて素手でなんか倒してませんので、ええ」

 

 あからさまに取り乱すマルタとは対照的に、カグヤは何処までも落ち着いた様子で珈琲を啜っている。

 そんなカグヤに対してマルタの方が先に不信感を抱いてしまって、少しの静寂が場を包み、再び口を開いたのは珈琲カップを地面に置いたカグヤだった。

 

「で、ルーラーさんは何で砂漠で倒れていたんですか

?サーヴァントが気候に影響されるなんて聞いたことがないんですが」

「あぁ……その、お恥ずかしいのですが……」

 

 本当に恥ずかしそうにマルタはもじもじと身体をくねらせ、やがて観念したかのように太腿の間に両手を突っ込んで顔を伏せながら白状する。

 

「どうやら……聖杯との接続が切れてしまったようでして……魔力不足で……」

「聖杯と?何で?」

「それは、私にも。恐らく今回のイレギュラーが関係してるかと」

 

 マルタの言葉にカグヤの胸の内の疑問が再びその密度を増す。

 不可解な単語が含まれていたからだ。

 

「イレギュラー?」

 

 確か、マルタはルーラーのサーヴァントは通常の聖杯戦争では召喚されないと言っていた。

 裁定者が召喚されるのは人間の監督役でも収集が付かないような問題が起きた場合。

 ならばマルタが召喚された時点で逆算からしてある事実が浮き彫りになる。

 

「何か問題、起きたんですね?」

 

 こればかりはカグヤも興味を示さずにはいられない。聖杯戦争の1人の参加者として、きちんと身を乗り出して、しかしいつも通りの無表情でマルタの顔を凝視する。

 

「えっ、えぇっと……うぅん……」

 

 対するマルタは立場上口にするのを躊躇っている様子だったが、暫くすると決心がついたような、諦めたかのように溜息を吐いて肩を落とす。

 

「……一宿一飯とは言えなくても、倒れていたところを助けて頂いた御恩もあります。判りました。ルーラーのサーヴァントとしては些かルール的に疑念が残る行為ではありますが、私の独断でお教えします」

 

 どちらにしても後で参加者全員に使い魔を送るつもりだしたしね、と後付してからマルタは姿勢を正す。

 その視線は真正面からカグヤに向いており、力強い熱が込められていた。

 

「実はーー」

 

 

 

 

 

 

○ 

 

 砂塵が舞う。

 と大袈裟な言い方をするまでもない、ほんの些細な砂粒の上昇。

 それが今、先手必勝と叫んで大地を蹴り上げたアサシンによって、魔剣士の顔面に襲い掛かる。

 

「む」

 

 当然、こんなものは英霊であるサーヴァント相手には目くらましにもなりはしない。目に入ったところで痛くも痒くも無い。

 勿論、先手を仕掛けたアサシンの狙いは巻き上げた砂塵そのものにはなく、実際はその先。

 砂塵に被せるようにして振り上げた『黄金の棍棒』による打撃にあった。

 

「おっらぁっ!!」

「ッ!!」

 

 十分な勢いで振り上げられた棍棒の一撃を、魔剣士は上半身を仰け反らせて回避する。

 昼間。此処より少し離れた場所で二刃を扱う女剣士と相対したときは反撃もせずその一撃を受け止めた彼が、今はその涼やかな顔に僅かな驚きを交えて回避を取らされている。

 魔剣士自身、本能的に回避をとってしまった自分の行動は驚くべき事態であり、すぐに自分の行動は正しかったと理解することになる。

 理由は目の前を通り過ぎた、敵の持つ黄金の棍棒だ。

 赤い宝石に人間の四肢を象った金属など、様々な装飾が施された、客観的に見て悪趣味極まりないその棍棒からは並々ならない魔力が放出されている。

 恐らく持ち主の意図的な計略によって付与された効果ではないのだろう。

 我が身を襲ったあの黄金の棍棒からは何処か怨念染みた『悪意』を感じる。それも比喩ではなく本物の怨念による力だと、魔剣士は腰に下げた魔剣の柄を握りしめながら推察していた。

 いきなりの攻撃に正直驚いた。それが魔剣士の本音である。

 しかし同時に、愚かである、そういった感情も敵に向けていたのだった。

 敵の棍棒が当たるこの距離は、反して棍棒よりも長い得物である魔剣士の魔剣の間合いでも当然ある。

 

 剣を抜く前に魔剣士は暫し、ほんの瞬きの間のみ物思いに耽る。

 此度の聖杯戦争において我が身を呼び出した主には、『相応と認める相手にのみその魔剣を開帳せよ』と命じられた。

 その結果、魔剣士は悪いと思いながらも女剣士の前では魔剣を抜けなかったのだ。実際、彼自信、彼女に実力不足だと伝えたのも事実。

 ならば目の前の相手はどうだと魔剣士は静謐な面持ちのまま碧眼を向ける。

 鮫歯を剥き出して心底楽しそうに卑怯に走る。その行いは残念ながら戦士としてあまり関心できたものではない。

 しかし、強い。同時に魔剣士の直感がそう告げていた。

 幾千、幾万の敵と対峙してきた勇者の勘が告げているのだ。

 『この男は油断してはならない敵だ』と。

 

「すぅ……はぁ」

 

 短い呼吸。魔剣士が息を吐き出した時には、既に絢爛たる緑光が辺り一面を包み込んでいた。

 鞘から引き抜いただけで大気中の魔力が呼応して震え上がる。

 それもその筈。魔剣士が手にする魔剣こそは、正しく神代において実際に生きていた幻想達を斬り伏せた伝説の魔剣なのだから。

 元は北欧神話の主神の持ち物とされ、やがてヴォルスンガ族のシグムントによって引き抜かれた。神々の加護を受けたこの魔剣の力により、シグムントは数々の戦に勝利したといわれるが、とある不祥事が発覚したことをきっかけに主神によって一度砕かれてしまう。

 シグムントは妻に「その剣から新たな剣が生まれるだろう」と遺言を残し、この世を去る。

 やがて再び鍛えあげられた魔剣はシグムントの息子の手に渡り、名を変えたという。

 その刃は川面の羊毛を絡めることなく切り裂き、黄金の床を砕き、恐ろしき悪竜の鱗すらも難なく突き抜けた。

 そう、この魔剣こそ彼の騎士王の聖剣と対を成す神々の魔剣。

 

 

「【砕かれし(ドラゴマル)━━()

 

 

 今、神代において竜殺しを実現させた伝説の一撃が顕現する。

 

 

 

破滅の魔剣(グラム)】ッ!!!」

 

 

 ━━その夜。

 

 ナミブ砂漠において前代未聞の緑色の膨大な光が、闇夜を染め上げた。

 

 

  







次回の投稿は4月4日予定です!


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悪魔の軍勢(通算21話)

 

 アフリカ。ナミブ砂漠に突如出現した黒き要塞。

 名を、暗黒要塞エンリル。

 古き神の名を冠するその城がどのように建造されたかは定かではないが、内部構造を鑑みれば神の名を語っているのも無理があるとは言えない。

 何しろ、あの黒き要塞の内部は完全な異界と化しているからだ。

 魔術教会が派遣した調査団の報告によると、要塞の周りも既に自然界にはあるまじき魔力密度へと変貌を遂げているらしく、明らかに人の手が加えられているとのこと。同時に人払いの結界も張られている為騒ぎになることは無いにしても、現地の生物がちょっとした突然変異を起こしているなどの報告も上がっている。

 その事態の原因が暗黒要塞エンリルから放たれる高密度魔力であり、内部はほぼ間違いなく神代の神殿レべルの魔宮で間違いない、というのも現地に派遣された調査団全員の見解だった。

 

 

 

 一連の報告を受けた時計塔の老婆魔術師、スウェル・ハンプナークは蟀谷に指を当てて溜息を吐いた。

 普段は時計塔にある自身の工房から一歩も外に出ない引きこもり魔術師である彼女は、現在件の聖杯戦争の舞台であるナミブ砂漠近郊に居を置いていた。理由は当然暗黒要塞にて開催される聖杯戦争に参加する為である。

 御年70歳を迎えるスウェルには、跡取りが居ない。

 それは一子相伝を基本とする魔術師の一族としては致命的であったが、スウェルにはどうしても子供が作れない理由があった。

 今より遥か昔。60年ほど前に、まだ駆け出しの魔術師であったスウェルは、採掘調査中の些細なミスによって卵巣に呪いを受けてしまったのだ。

 きっと人に頼めば解呪する方法もあったのだろうが、元来プライドの高い気性のスウェルにはそれができず、結果として1人で奔走した。

 30年経っても解呪方は判らず、50年経ってどうやっても自分では解呪することはできないのだと理解し苦悩した。

 分家があるほど強大な家柄ではないハンプナーク家にはもはやなす術が無い。

 ただ己の運命に絶望し、枯渇する未来に嗚咽する毎日。

 

 そんな時に『人体と寸分違わない身体を造り出す人形使い』の話を耳にし、スウェルは形振り構わず、魔術師としての矜持も忘れてその魔術師の元へ向かった。

 見知らぬ老婆の頼み事に人形使いは最初門前払いを続けたが、やがて熱意に負けたのか、それともただの気紛れなのか、スウェルは人形使いの仮拠点の中へ通された。

 通された部屋は人形使いの工房と呼ぶには、あまりに質素で普遍的な1室であった。むしろ人形の『に』の字すら存在しない、赤いカーペットの床とベットぐらいしか目を引く家具が無い不気味な程質素な部屋。

 否、本当はそれ以外にも目を引く物はあった。しかし、長年生を共にしたスウェルの魔術師的勘が告げていたのだ。

 『人形師の髪の色と、近くに置かれている鞄には触れてはならない』と。

  

 ーーさて、何だったか。貴女は何故私の元へ訪れたんだったか。

 

 魔術師の声は低い。

 話は聞いていた。有名な妹のこともあり、魔術世界でも指折り人形師である彼女は眼鏡を掛けているかいないかで外面がガラリと変わる。

 話を聞くに多重人格というより、性格の反転。眼鏡をスイッチとして彼女は性格を意図的に変えられるらしい。

 人形使いは今眼鏡を外しており、やや気が立っているような印象も見受けられ、スウェルは思わず緊張してしまっていた。

 恐らく目の前の人形使いよりも老齢のスウェルが、首の後ろに冷や汗をかいていた。

 下手を言えば殺される。それは予感では無く、確信に近かった。

 

 

 結局のところ、スウェルは人形使いの同情を引くことができなかった。

 しかし、こうして訪れてくれた来客を無碍には返せないとこの場で初めて苦笑を見せた人形使いは、別の救いの手を彼女に差し出したのだった。

 それはある1枚の羊皮紙。自分には必要のない、興味も無い贈り物だと、本当につまらなさそうに人形師はそれを投げ捨てた。

 英国より遥か南方。今なお自然が多く残るアフリカ大陸のナミブ砂漠にて開催される、亜種聖杯戦争への参加権だった。

 

 

 

 

 

 

 アフリカの大地のイメージには合わない高級ホテルの1室で、老魔術師、スウェル・ハンプナークは瞼を閉じていた。

 理由は2つあり、1つは少し自らの過去に思いを馳せていたというのがある。

 もう1つは、彼女の現在地から遠く離れた砂漠の上で交戦を始めた己のサーヴァントへ支持を送るのに集中する為に、なるべく関係の無い外部からの情報を遮断する必要があったからだ。

 

「ーーええ、貴方の剣に一切の曇りはありません。同盟を受け付けないのであれば排除して構いません。存分に闘いなさい、セイバー。そしてこの私に勝利を」

 

 戦闘のプロフェッショナルであるサーヴァントに細かい支持などは不要。

 それも彼女のサーヴァントは最優と呼ばれる剣士のサーヴァント【セイバー】であり、北に名高き竜殺し。邪悪なる竜を討ち滅ぼし、人ならざる鳥達と会話する力を得た、北欧の大英雄である。

 己がサーヴァントの戦闘中でもスウェルが落ち着いているのには、心配する必要など微塵も無いと確信していたからだ。万が一でも彼女のサーヴァントが敗れることは有り得ない。

 真っ向から幻想種と戦い斬り伏せたその剣術にはどんな槍使いも敵わない。

 如何なる弓兵が狙いを定めようと彼の『鳥』達が事前に危険を察知し、彼が狙撃手を倒すまでの時間を作る。

 どんな軌道力を持った騎馬兵が現れようと彼の宝具からは逃れられない。

 北欧の古代のルーン魔術は例え神代の魔術師が相手だろうと迎え撃つ。

 闇に紛れた暗殺者でさえ、彼の威光には姿を表さずにはいられない。

 理性を失った狂戦士であろうと、悪竜に比べれば赤子のようなもの。

 スウェルが此度の亜種聖杯戦争への参加権と合わせて人形師から譲り受けた聖遺物によって呼び出されたサーヴァント。

 白銀の鎧を身に纏い、手にするのは彼の騎士王の聖剣と対を成す魔剣・グラム。

 

 その英霊の名は『シグルド』。

 

 同じく北欧生まれの伝説の竜殺しの起源とも呼ばれる大英雄である。

 

 

 

 

 

 

 

 

 ナミブ砂漠中、暗黒要塞エンリル付近。

 

 日中、穏やかな砂漠風景が広がっていたその場所はもはや過去の姿とはまったく違う。

 麦色の大地は焼け焦げて黒く染まり、まるで隕石でも落下したかのような巨大なクレーターが出来上がっている。

 それもその筈。たった数秒前に、その場所では人外でありながら心ある兵器、サーヴァントの宝具が開帳されたのだから。

 伝説の竜殺しの魔剣の真名開放は正に神代の再現。深緑の光の奔流は一度魔剣から天まで届き、その後地上に振り下ろされた。光は地上で1点から扇形に広がり、ただ世界を焼いていく。

 

 圧倒的な魔力量。迫り来る脅威に、聖杯戦争の参加者『ハーギン・ソーサラ・ジグマリア』は己の死を覚悟した。

 予想、想像、シュミレーションを重ねていたがまさかここまでとは。

 英霊とはこれ程までに力を持った存在だったのか。

 どうやっても回避はできない。逃げられない。

 絶望すら忘れてただ消失していく感情ですぐ側で呆然と立ち続けていた己のサーヴァントに視線を移すとーー其処にはなんとも奇妙な表情を浮かべている男が居た。

 不敵な笑み、という言葉はよく耳にするがそうではない。

 あれは悪辣なる笑みだ。

 英雄同士の戦いで血湧き踊って自然と現れる笑みではない。

 勇者の攻撃を玉座かは見下ろし嘲笑う、魔王の悦びの笑みだ。

 

「集え、集え、集え。我が背に見惚れ、我が背に連なる、我が同胞(とも)達よ」

 

 それは魔術を発動する前の詠唱だったのか。いや、そうではない。

 アサシンの言葉は魔術を発動する為の詠唱でも、魔術回路を起動する為の前文でもない。

 呼び掛けているのだ。

 彼のマスターですら知らない、この場に本来存在してはいけない筈の『誰か達』に。

 

 

「真名開放ーー【無二の統治者(ケーヴァラ・イーシュワラ)】」

 

 

 アサシンの言葉と共に彼を光から守るように現れる、数十の影。

 

 その戦闘に立つ黄金の鎧の男が大槍を振り上げ、降り注ぐ緑光と激突する。

 

 それがハーギンが意識を保った状態で見た最後の光景だった。

 

 

 

 

 

「……よもや、我が光撃からの逃亡を果たすとはな。何処の英霊だ、奴は」

 

 己が撃ち放った光の奔流の跡地。焼けた大地の上で、英霊シグルドはただ一人取り残されていた。

 加減したつもりは無かった。

 間違いなく、『今のマスターから供給された分の魔力のほぼ全て』を使った全力であり必殺の一撃だ。

 逃れられる筈が無いと踏んでいた自分を愚かだとはシグルドは思わない。しかし、それでも反省はする。

 正直に言って、相手のサーヴァントを侮っていたのも事実。

 伝説の竜殺しの一撃から逃れたサーヴァントなのだ。さぞ高潔な英霊に違いない。

 遥か遠く。恐れ知らずにも、未知の黒き要塞の中へと単騎で逃げ込んでいくアサシンの背中を見送りながら、シグルドは淡々と呟いた。

 

「願わくば、今度は正面から刃をぶつけ合いたいものだ」

 

 



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ハーメルンの笛吹(通算22話)

 

 ナミブ砂漠近郊、とある街中。

 

 

「……はぁ」

 

 夜も本番に差し掛かった夜空の下。思い掛けない渋滞に巻き込まれた男は、昼に自身に起こった幻想的な出会いを思い出して1人耽っていた。

 日中。信じられない話かもしれないが、男は路地裏で突然正体不明の『影』に首を捕まれ、その後気を失ったかと思うと次目を覚ました時には傍らに日系の美少女が座っていた。

 作り話にしてはあまりにも荒唐無稽で何とも馬鹿げたエピソードではあるのだが、それは紛れもない事実。

 今、思い返してもやはり不思議でならない。そう思ってしまうのは突然気を失ったことよりも、そんな自分を看病してくれた少女の存在があったからだと男は推察する。

 凍ったような表情でありながら、決して無感情という訳ではない。

 例えるならば、彼女は人の心を持った完璧な人形だ。

 人が作り出した物が故に欲望が詰まっている姿は誰よりも美しく、しかし無機物の頬は決して緩まない。彼女の心がどれだけ暖かくても。

 凡夫には触れられない、高級品だ。

 少し詩的に過ぎたかと男が溜息をつきながら身体を伸ばしながら欠伸をしていると、不意に車の窓が外からノックされる。

 何事かと目を向ければ、其処には本日の経験までとはいかなくとも男にとって決して常識とは呼べない存在が車内を覗いていた。

 

「ちょっといいか?」

 

 奇策なスラング語。緑の煌めきが幾つも添付された黒ベースのセンスのあるスーツ。

 このアフリカの大地には似合わない奇抜なファッションをした人物はーー驚くべきことに山羊の被り物を平然と被っていた。

 

「……」

 

 奇妙を通り越した珍妙な姿の不審者の登場に思わず男は咥えていた煙草を口から落としかけるが、既の所で両手で掴んで何とかボヤ騒ぎの未来は回避できた。

 その後、やや冷静になった頭で再度窓の外を確認するのだが、やはり其処には山羊のマスクの不審者が立っている。

 ピアノでも弾いているかのようにベタベタと人の車の窓を触って、早く窓を開けろと急かしている。

 無視したいが、このまま無視したらその方が相手の機嫌を損ねて危険ではないのか。

 そう考えた男は内心どうしようもない不安を感じながら、椅子の下に隠した警棒のような護身グッズを手にして数センチだけ窓を開いた。

 腕を窓の中に入れられて捕まれたりしない為に少ししか開かなかったのだが、山羊のマスクの男はその小さな隙間に遠慮なく両手の指を突っ込んできた。

 

「うわっ!!?」

 

 正直、車内の男はこの珍妙過ぎる状況に泣き出しそうだった。無理矢理家に入り込んできた宗教の勧誘を相手にしている時のような、全く理解不能な者に対する恐怖がただただ募っていく。

 そんな男の心情を知ってか知らずか、山羊のマスクは僅かな窓の隙間から車内を覗き込むと籠った声をマスクの内側から放出させる。

 

「ちょっと訊きたいことがあるんだが」

 

 そうならもっと普通に尋ねてくれ、と車内の男は内心激しく慟哭しながらも表面上はにこやかに、相手の気分を悪くさせないように言葉を返す。

 

「な、なんでしょう……?」  

「この辺に、要塞、ないかな?」

 

 それは旅行客の1人である車内の男には答えられない疑問であった。

 そもそもナミブ砂漠に要塞の観光名所があるなんて聞いたことがない。必死に記憶の中の『記録』を探ってみても、だ。

 結果、車内の男はただ首を傾げるしかなかった。

 

「いや……自分も観光客なんでよくわからないんですけど……」

「え、あぁ……そうなのか。そいつは残念だ。……でもただの観光客って訳じゃなさそうだな、お兄さん」

 

 気分を害してしまっただろうかと車内の男は内心不安に駆られていたが、山羊のマスクの方は見た目と反して奇策な調子で肩を竦め右手で車内のカメラを指差している。車内の男がその指の先を目で追うと、助手席に置いたままにしていた取材用のカメラと手帳が目に止まった。

 

「記者さん、じゃないの?」

「えっ、あっ、えっと……うーん。まぁそんなとこかな」

「ハッハッハッ。随分と含みのある言い方だなぁ。気になっちゃうなぁっ。いや詮索はしねぇけどよ」

 

 愉快で明るい素振り。その姿からして何処ぞのサーカスの道化師のようにも思えてきた。

 実際、山羊のマスクの男は別段おかしな行動を起こす訳でもなく、本職の道化師なのではないかと車内の男も警戒を解いてしまって思わず自分から声を掛ける。

 

「貴方も観光客?その見た目からして……喜劇役者の様にも見えますけど」

 

 やや踏み込んだ問に山羊のマスクは両手の指で丸を作って目を丸くしたかのようなジェスチャーを行うと、すぐに腹を抱えて前屈みに笑ってみせる。

 

「ハハハッ。よく言われるっ。というか実際そうだ。俺の仕事は『皆を笑顔にする』ハッピーな仕事だからさ」

「へぇー。そいつは良いですね」

「だろう?俺も気に入ってる」

 

 窓一枚挟んだものとは思えない談笑を暫くして、山羊のマスクの男は車内の男に礼を告げると何処かに歩き去っていた。

 結局彼が誰だったのかは判らなかったが、車内の男が再び煙草を咥えようとした瞬間、山羊のマスク男の背中に続く奇妙な軍団達が眼に入った。

 

 ーーゴリラのような見た目の大男。

 ーー瓜二つな金髪の双子。

 ーー身体に何体もの蛇を巻き付かせた青年。

 ーーパンクな奇抜ファッションで全身を固めた女性。

 ーーその他、劇団かサーカスの一行としか思えないような大名行列。

 

 恐らく仮装なのだろうが、明らかに真っ当な人の身を外れているような見た目の者もおり、車内の男にはその一行が日本の伝承の百鬼夜行にも似ていると思えた。

 一行の内数人は車内の男に気が付いて手を振ったり、睨んだり、何故かお菓子を配ったり。

 このアフリカの大地には似合わない、統一感の無い珍妙な集団であったが、そんな彼らにも共通点があったとすればーーそれはその全員が山羊の頭蓋骨のタトゥーを身体の何処かに刻んでいたことだ。

 

 

 

 

 

 

 

 珍妙な格好の大名行列にアフリカの人々の視線は自然と奪われていく。

 一体何処に向かうのか。彼らは一体何者なのか。

 尋ねる者も何人かいたが、尋ねる人物を間違えれば簡単に命落としてしまうとは誰も思うまい。血気盛んな連中に敢えて話しかけに行く命知らずの馬鹿達の相手は、一行の中でも見た目の良い美人達の仕事だった。

 少しお話をして気を逸しておく。一行の中には元々水商売をしていた女なども在籍していた為、慣れたあしらい方のおかげでそれ以上詮索しようとする者も現れなかった。

 

「ごめんなさいねーっ気にしないでーっ」

「アタシらただのサーカスだからさーっ」

「お兄さん達ごめんね!今日はちょっと急いでるからまたね!」

 

 露出度の高い服の着た女達が街の男達の視線を集めては、その期待を裏切って去っていく。置き去りにされた男達のなんと哀れなこと。

 行列の先頭に立つ山羊のマスクの男は、そんな羨望の眼差しを心地良さそうに受取りながら両手を広げて高らかに声を上げていた。

 

「いやぁっ。気分が良い。実に良い気分だぁっ、なぁ?」

「ハイ」

 

 山羊のマスクと男に突然声を掛けられ、その傍らにいた全身藁で造られた服を着た性別不明の魔女帽子がコクリと頷く。カカシのような出で立ちの魔女帽子の一本脚で歩く姿は通行人達の眼を奪ったが彼、もしくは彼女は主である山羊のマスクの男だけに目を向けて言葉を紡いだ。

 

「害虫達もセブンスの御姿に感涙しているのだと。貴方はただ其処に居るだけで人々を笑顔にしますから」

「へぇー、そいつぁ良い。良い褒め言葉だ。俺は褒められるのが好きだもっと言え、ロット」

 

 魔女帽子のカカシに褒められてジャケットのポケットに両手を突っ込みながらクツクツ嬉しそうに肩を揺らす山羊のマスクの男。

 

「「僕/私達もセブンスは楽しいヒトだと思うの」」

 

 その後、突然カカシを押し退けるようにして割り込んできたのはそれぞれ隻眼の金髪の双子であり、まるで子犬のように山羊のマスクの男の左右から寄り添った。

 山羊のマスクの男の背後に続く一団達は、ある者はそんな光景を微笑ましいと笑い、ある者は妬ましいと爪を噛み、ある物は興味無いと煙草を吹かすなど各々の反応を見せていた。

 そんな中その中心。一団の頭目、山羊のマスクの男は双子を腕に侍らせながら空を見上げる。

 通行人達にはいつも通りにしか視えない夜空。

 しかし、違う。少しでも魔導に関わっている者になら、このナミブ砂漠の空がもはや今まで通りの自然物ではないと一目で理解できる。

 暗い夜空に空いた、更に暗き『穴』。

 その『穴』が何処に繋がっているかはセブンスは知らない。

 しかし『穴』を生み出した人物に心当たりはあるし、それが彼にとって面白く無いものであることも事実。

 

「ったく、もう俺達は巣を飛び立ってんだよ。この世界はとっくに俺達の物だ。たかだか数千年だか知らねぇが、てめぇの気分で潰されちゃ困るんだ。此処はとっくに俺らの玩具箱なんだからよ」

 

 左右の双子が顔を見合わせて首を傾げるているのもお構い無しにセブンスは独り言を続ける。

 空にぽっかりと開いた、巨大な穴をマスクの下の双眸で睨んで。

 

「誰にもやんねぇよ。悲劇を追い求める可哀想な指輪の王様にも、少女趣味の獣にもな」

 

 まるで目の前に怨敵がいるかとの如き強い声色の言葉。

 山羊の一団以外の通行人達でさえ、セブンスの姿を見て同じ憧憬の視線を送ったことだろう。

 

 

 

「あっお頭。さっきの角、左です。道間違えてます」

 

 そんな酔った空気をぶち壊す、モヒカンの団員の一言が無ければ。

 

 






次回の投稿は4月10日です。


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獣の兆し(通算23話)

 

 暗黒要塞エンリル内東部。

 

 

 

 一言で例えるのであれば、其処はまるで御伽話の世界であった。

 それこそ英雄がまだ生きていた時代のような、不思議な世界。

 

「なんだ、こりゃ……」

 

 傷だらけの顔の隻腕の仕事人。カーボーイのような格好をした魔術師専門の殺し屋『ガントレット』は、今までの人生の中で恐らく1、2を争うほどの驚愕に襲われていた。

 暗黒要塞エンリルの外装は、中世の大規模な古城に悪趣味な現代アートが加えられたような歪なデザインの要塞だった。中も同じ様な作りになっているのだろうと高を括っていたが、実際の内装は古びた城内などではなかった。

 

 森が在る、川が在る、大地が在る。

 要塞の内部でありながら、其処には広大な自然風景が広がっていたのだ。

 魔術による幻覚ではないかとも考えたが、空を飛び交う鳥達は間違いなく生きており、使い魔の類でもないただの原種生物である。

 故にガントレットの頭は更に混乱へと落ち込んでいく。

 いったいどのような技術と金を使えば、これ程までの大自然を室内で維持できるというのか。

 空に浮かぶ太陽さえも本物ではないかと頭を痛めながら、ガントレットは再び視線を空から地上へと戻す。

 すると、再び頭を悩まされる自体がもう1つ判明する。

 同行していた6歳程の少女の姿が、何処にも無いのだ。さっきまで自分の近くで動物達と戯れていたというのに。

 やや動揺した様子でガントレットは辺りを見渡し、やがて今にも転げ落ちそうになりながらも谷底に頭を覗かせる赤毛の少女の姿が1つ。

 

「!!?」

 

 顔面蒼白。

 少女が足を踏み外すよりも前に飛び出したおかげで、ガントレットは見事少女を救出することに成功した。

 少女を抱き締めて心から安堵するガントレットとは対象的に、少女は首を傾げている。

 

「あー?」

「……」

 

 まるで赤子のような佇まいの膝に乗った少女ーーアンナの姿に、草原に腰掛けながらガントレットの心は沈鬱に陥る。

 ガントレットと少女が出会ったのは数日前。

 アンナの父親である魔術師に依頼されてアンナを救出、というより、少女の背中に刻まれた一族直伝の魔術刻印を取り返すよう依頼を受けて、ガントレットは奴隷商人の巣窟へ向かった。

 無事アンナを奪還することに成功はしたのだが、取り戻された少女の背中にはもう魔術刻印は刻まれていなかった。幼気な少女の皮膚ごと、魔術刻印は剥がされてしまっていたのだ。

 ガントレットが知り合いの医療魔術の専門医に当たってみたものの、どうやっても統合は不可能であると断言された。

 皮膚の回復は可能でも、魔術刻印を移植し直すともなると其処にはどうしても精神力が必要となる。

 その点、アンナは絶望的だったのだ。

 なにしろ彼女は無理矢理皮膚を剥がされたショックで、幼児退行を起こしてしまっていたのだから。

 

 

 

 アンナの精神の回復は自然的に治ると診断され、これ以上は親の仕事だとガントレットは依頼主の家に迎った。

 アンナの父親は魔術刻印を取り返してきたガントレットを大いに褒め称え、やがてその傍らで死んだ魚のような虚ろな目をする自身の娘を見てこう言い放ったのだ。

 

 

 ーーあぁ、『それ』はもういいから捨ててきてくれないか?

 

 

 魔術師とは人道を外れた者。

 故に彼らは俗世を捨て、魔導を突き進むことを許される。

 ガントレットも魔術使いだとはいえ魔術師のあり方を理解している。だからこそ彼は昔から思っていたのだ。

 魔術師なんて存在は、犬の餌にもならない。

 

 

 

 その後、色々あってガントレットは可哀想な少女を引き取ることにした。

 彼は魔術世界の掃除屋。しかも協会にも属しているわけではない、フリーランスの流れ者。定まった拠点を持っているわけでもないので人1人を養えるような身分でもない。

 そんな彼が何故少女1人の面倒を見てやろうかと考えたのか。それは単に同情心から来た感情ではない。

 理由は、魔術刻印とは代わるようにしてアンナの右手に宿った赤い刻印。

 後から調べて判ったことだが、それは遠い異国の島国で行われた戦争の必需品。『令呪』と呼ばれる3画の魔力の塊であり、戦争の参加者の証でもある。

 極東を舞台にして魔術師達が根源を目指す為に行われた大儀式ーー聖杯戦争。

 どういう経緯でかは判らないが、アンナはその模造戦の参加権を有していた。

 聖杯戦争において最大の兵器とも呼べる、サーヴァントを既に召喚して。

 

「……おい、居るんだろ」

 

 目には見えない、しかし確かに其処に居る筈のサーヴァントに向けてガントレットは声を掛ける。

 結果いつまで待っても返答はなく、ただ草原には涼やかな風の音のみが流れてる。

 アンナと出会った日。それは同じくしてガントレットが彼女のサーヴァントと出会った日でもある。

 

 あれは1言で表せば、狂気に陥ったヒトであった。目覚めることのない、途方のない少年の夢を追い掛けるヒトだった。

 アンナのサーヴァントは己を【ライダー】と名乗り、アンナの未熟な魔術回路では自分を限界させ続けることは難しいと自ら霊体化し続けることを選んだ。

 ガントレットの目から見てとてもそう見えなかったが、騎士を名乗るアンナのサーヴァントは真っ直ぐな眼でアンナの力になりたいと口にし、またその協力をガントレットに頼んだ。

 その時、ガントレットが返答の代わりに口にしたのは1つの問だった。

 

 ーー何故、アンナが背中の皮を毟り取られるのを黙って見ていた?

 

 問にライダーを名乗る自称騎士は悲しげに首を振る。

 どれ程魔力消費を抑えても現界は難しかった。

 話すだけならギリギリ可能ではあるが、高次元の使い魔であるサーヴァントが暴れれば幼子の身体に巡る魔力など一瞬で干からびてしまう。そうなればどちらにしてもアンナは助からない。

 ただ己のみを責めるように語るサーヴァントの姿からは全く嘘を付いているようには感じられなくて、ガントレットもまた責める権利などないとそれ以上は何も口にしなかった。

 沈黙の後、暫くしてライダーが頭を下げる。何事かと身構えたガントレットの目の前で彼は必死な表情で縋り付いてきたのだった。

 

 ーーどうか、自分の代わりにこの娘を救ってやって欲しい。

 

 

 

「見ず知らずのガキのおもりに、見ず知らずの英霊の頼み事……なんでこんな面倒事を引き受けちまったんだか」

 

 アンナを抱き抱えたままガントレットは空を見上げる。

 己の酔狂な運命に溜息だって吐きたくなる。

 ただ今は、胸の上で静かに眠る少女を心配させまいと孤独な掃除屋は空を飛ぶ鳥を黙って見つめ続けた。

 

 

 

 

 

 

 

 

「はぁ……はぁ……」

 

 街灯以外灯りの無い漆黒の世界で、揺らめく影が1つ。

 影は漆黒の世界に相応しい、露出度の高い黒のドレスを着用しており、顕にされた肌は普段であれば見る者の情欲を唆らせるのだろうが、今はそうならない。

 道行く人々は美麗な顔立ちの彼女に目を奪われながらも、傷だらけのその姿に関わろうとはしない。ただ視線を向けて、それだけで歩き去っていく。

 そんな民衆の姿を、影は街の壁に身を任せながら冷酷な黄金の瞳で睨み付ける。

 

 ーーまるで、あの時の我が民達のようではないか。

 

 影は思い出す。サーヴァントになる以前、英霊として『座』に記録されるよりも前の生前の自信の人生を。

 ただ逃げ続けた。

 追ってくるのはかつて愛した民衆達。彼らが欲するのは唯一。風前の灯とも呼べる、我が命。

 嫌だ。死にたくない。死にたくない。

 声が枯れるまで泣き叫んだ。だけど、助けてくれる者は何処にも居なかった。

 そして、幾度目かの夜が迎えられる。

 最期、己を看取ってくれた誰かに自分は何かを言い残した。

 それはきっと『暴君』ではない誰かが、名も残せない誰かに告げた、何の意味も無い言葉。

 きっとそれは美しいものに違いない。彼女が誰よりも愛した、美しいものに。

 それでも今の彼女に、その美しい言葉を思い出すことはできない。

 何故なら、彼女は今やどうしようもない程『反転』してしまったから。彼女は英霊と召喚されながら、他者によって意図的に捻じ曲げられてしまったのだから。

 

 記憶に思いを馳せ、やがて彼女は脚から力を無くして倒れる。先程の黒き英霊との戦いの最中に乱入してきた不確定要素の男女の一撃が、未だ抜け切っていなかったのだ。

 殆ど不意打ちに近い一撃だったとはいえ、サーヴァントでもない相手にこれ程までのダメージを与えられるとは予想をしておらず、情けなくて己がマスターにも助けを求められない。

 暫くは地に付して魔力の回復に徹しようとした黒き暴君の身体を、彼女の予想外にも真正面から抱き留める者が居た。

 

「おっと。……全く、美しさに欠けるなライダー。それでも噂に名高きキリスト教絶対コロスマンか?いやウーマンか」

 

 暴君を抱き留めたのも、彼女に声を掛けたのも、男性のものだった。

 中世の英国風の町並みには似合わない、ボタンを閉めていないYシャツ姿。ただ魅せる為だけに鍛えられたしなやかな筋肉を顕にして、婦人が通り過ぎれば男は暴君を抱き留めながら執拗にアピールを行う。

 最初は男の美貌に目を惹かれた婦女達も男の執拗なまでのアピールに自然と不快感を覚えてそのうち視線を外す。

 しかし男は婦女達のそんな反応を恥じらいと捉えて一笑に伏すのみだった。

 旗から見れば何処からどう見ても変質者であり、それに抱き留められた黒き暴君は途端に悪寒が背筋を走って自分で立ち上がる。

 

「……何を、しに来た」

 

 文句を口にしながら黒き暴君は内心安堵を思い浮かべずにはいられない。

 何しろ目の前の半裸の男が来てくれたおかげで、より一層魔力供給の繋がりが増して肉体の再構築が現在進行形で早まっているのだから。

 とどのつまり、この半裸の男こそが聖杯戦争における黒き暴君の主人。

 そして此度の聖杯戦争の指揮を取る黒幕の関係者でもある。

 

「何って、可愛いサーヴァントを迎えに来たのさ。どうやら三回目の内の一回も使ってしまったようだからね。相手はどんなのだった?噂に名高き魔剣士か?それとも正体不明の暗殺者か?」

 

 自分のサーヴァントとはいえ、恐れ知らずにも男はかつてある都市を火の海に変えた暴君の肌を撫でて問い掛ける。

 流石に苛立ちが最頂点に達した黒き暴君が刃を振り抜いたが、何らかの魔術だろう。マスターの男は風のように空中浮遊でバックステップを決めて襲い掛かってきた刃を回避し再びニヤニヤと厭らしい視線を黒き暴君に向ける。 

 魔術世界の秘匿も糞もないそんな2人の行動に街の住人達は動揺を隠せずにいたが、そもそも隠すつもりが無い2人にとってはどうでもよいことだった。

 

「……どちらでも無い。闘ったサーヴァントのクラスは不明。問題なのはマスターの方だ。余のマスターも大概問題だが」

「具体的には何処らへんが?」

「性根」

 

 サーヴァントに棘のある突き放し方をされてもマスターの男は別段気にしている風貌でもなく、十字のイヤリングを揺らして肩を竦めている。

 やがて相手をするのも面倒になったのだろう。黒き暴君は諦めたかのように息を吐き出すと、握り締めていた黒き刃を消失させ踵を返す。まるでコスプレでもしているかのような見た目の女の往来に通行人達が驚いて次々避けていく中、闊歩していく己のサーヴァントの背中を視てマスターの男が思わず声を掛ける。

 

「何処へ行くんだ?」

「魔力は回復した。ならば余が成すべきことは唯一つをおいて他にあるまい。敵を屠り、蹂躙し、耐え難い屈辱を与える。それこそが余の好む甘美である」

 

 

 

 黒き暴君は最期まで振り返ることなく己のマスターに捨て台詞を言い残し、再び戦場へと赴いて行った。

 1人取り残された暴君の主は煉瓦作りの道を緩慢と歩きながらニヤケ顔で物思いに耽る。

 彼がサーヴァントを呼び出したのは聖杯戦争が本格的に開始した時よりも更に前。同じく黒幕側の姉が魔術師のクラスのサーヴァントを呼び出し、妹が興味は無いとサーヴァントを手放したその日。

 彼もまた当主である父の監視の元英霊召喚に乗り出した。

 目的は父の悲願の為。魔術師である以上一族の願望を叶える為ならば例え死地であろうと赴かなければならない。

 といっても、もはや朽ち果てるのを待つのみとなった父の代わりに挙兵した彼にとって、聖杯戦争には何の魅力も感じることはできなかった。

 何しろ実質自分とは全く無関係の闘いなのだ。

 聖杯戦争を開始円満に終わらせることは父の願いであり、そしてそれを姉が補助するのは次期当主であるから。自分と、何を考えているか判らない妹には全く関係のない戦争なのだ。

 故に彼は英霊召喚の際に聖遺物を使わなかった。

 賭けに出た訳ではない。姉には尻を敷かれるものの、己が最優に美しい魔術師であると自負している彼にとって、聖遺物とは己をおいて他には無いというのが彼の見解であっただけなのだ。

 それに英霊召喚を行う直前まで彼は興味が合った。

 聖遺物が無ければ召喚者と魂の性質が似た存在が召喚されるというのが正しい聖杯戦争の原則。ならば己ほど美しく、また優秀なサーヴァントとはいったいどんな存在なのか。

 

 かくして英霊召喚は行われる。

 長ったらしい詠唱の後に蒼き光と共に現れたのは、赤い装いを身に纏う金髪の愛らしい少女であった。

 

 

『問おう。そなたが、余の奏者か?』

 

 

 彼が己のサーヴァントを目にして抱いた感情は2つ。 1つは、純粋に美しいと感嘆の念が漏れた。神代に生きた濃密な魔力の所有者という訳では無いにしても、それでも流石はサーヴァント。その立ち様だけで華があり、一挙一動の見栄えは人間とは比べ物にならない生きた芸術品だ。

 2つ目は、しかしこれでは足りないと落胆の吐息が漏れた。

 呼び出したサーヴァントは確かに美しい。現代の芸術家達に見せても思わず唸ってしまうほどの『造形物』だ。

 しかし、呼び出されたサーヴァントからしては残念ながらマスターの方の趣味はその芸術家達の美の観点からは大きく外れている。

 彼は自分以外の美に対して、全く持って辛辣なのだ。

 醜いからこそ美しい。醜さの中にこそ美しさがある。

 矛盾極まりない、全く持って理解不能の観点に美意識をおいた彼が取った次の行動は、召喚の儀に応じた当主である父さえも驚かせた。

 言葉を掛けたというのにいつまで経ってもマスターらしき男からの返答が無く、愛らしく首を傾げた赤き少女に向けて、彼は右の手の甲を向けたのだ。

 今さっきサーヴァントと魔力のパスを繋げだばかりの赤き令呪を輝かせて。

 

 

『第一の令呪を持って命ずる。ライダー、醜くあれ』

 

 

 それはきっと常軌を逸した行動だったのだろう。

 つい先日の出来事ではあるが彼はすでにその時の自身の行動を若気の至りだと苦笑することができる。

 父は興味深けに目を細め、繊細な姉は目を見開いて胸ぐらを掴み掛かって来て、妹は車の玩具で遊んでおり、そして呼び出されたばかりの赤きサーヴァントは頭を抑えていた。

 

 

『 ーー  ーー━━━━ーー  ━━ッ!!!』

 

 

 それは異様な光景であった。

 大聖堂を連想させる広い空間の中、召喚陣の上で頭を抑えてのたうち回る赤き少女の姿。一本一本が精錬された職人が造ったのではないかと錯覚してしまう美しき金髪を掻き毟り、涙目でサーヴァントは絶叫していた。

 言葉にならない咆哮。言葉にはできない獣の雄叫びを。

 彼は今でも思い出す。魔力回路のパスが繋がっているが故に流れ込んできた、己のサーヴァントの記憶を。

 

 

 ーー母を殺した時のあの絶望を。

 ーー愛すべき民達を業火に陥れた時のあの下腹部の疼きを。

 ーー敬虔なる信徒共の頭蓋を踏み潰した時のあの悦楽を。

 

 

 思い出して、笑いが止まらなくなる。

 愉快だと彼は肩を震わせ、そうして同時に思ってしまったのだ。

 

 

 『ああ。こんな醜い奴が生まれ落ちてしまった世界は美しいが、やはり父の言う通りにしなくてはならない』

 

 

 残虐なる光景を見て彼が聖杯戦争に参加する決心を歪ながら固めた時には、彼のサーヴァントにも明確なる変化が現れていた。

 頭を抑えて嗚咽する赤きサーヴァントのステータスが、一部変質を来たしている。つまりどれだけ経験を積んでも成長する筈のない霊的存在であるサーヴァントの肉体に、確かに変化の兆しが見受けられのだ。

 それも筋力であるとか耐久であるとか、そんな単純なステータスではなく、変質したのはサーヴァントの切り札ーー宝具だ。

 ランクは規格外。そもそも魔力供給を通して赤いサーヴァントから放出される魔力の質すらも変化している為、サーヴァントを形作る基礎たる霊基すらも既に変質してしまっている可能性すらある。

 もし本当にそうなってしまえば、呼び出したサーヴァントは無きモノとなりまた新たなサーヴァントが生まれ落ちてしまったということになる。

 変質してしまった宝具はその正体を暴く鍵とも云えるだろう。

 

 

『ッ……は、ははははっ』

 

 

 是が非でも見たい。

 彼が自身の心情を理解した時には既に第二の令呪が使用されていた。

 

 

『重ねて令呪を持って命ずる。ーーその穢れ切った本性(ほうぐ)を曝け出せ』

 

 

 第二の令呪によって、彼が呼び出したサーヴァントは完全に変質してしまった。

 元々呼び出したサーヴァントがどのような英霊だったかは定かではないが、その本質がどちらであれ、今はもう全く別の存在だ。

 黒き装いを身に纏い、黄金の瞳で焔に悶え苦しむ民を悦に浸った表情で見据える。

 彼女こそ救世主の敵。変質してしまった宝具を『飲み干し』、この世全ての欲をその身に宿した魔の娼婦。

 落陽を迎えた後にそうなる運命にある悪虐なる暴君。

 

 

 

 

 そのマスターたる男リグナリオ・ハーベスタリオンは、姉やそのサーヴァントに向ける憧憬の表情とは全く違った、嘲笑地味た笑みを浮かべながら前髪を掻き毟った。

 

「ハハハハハハハハハハッ!!まさか、あんな『化物』までもがサーヴァントとして呼ばれるなんてな!!醜すぎる!!だが、だからこそ美しい!!美し過ぎる!!あぁ、あぁ!!君の好きなようにするがいいさライダー!!君が三度死ぬのを、僕は愉しみに観客席から野次を飛ばし続けるよ!!」

 

 行き止まりの偽物の空に狂人の叫び声が反響する。

 非常に迷惑な事ながら、その狂気を知る者は未だ誰もいない。

 

 









○今回の反省点。

土方さんでなくて落ち込んでたら危うく投稿遅れてしまうところでした。


私事ですが最近大変多忙でして。心の至福としてstrangerFakeの4巻を現在読んでいるのですが(4月10日夜9時)、開幕から前作のラスボスの○○○○○○○が公式で登場して、気が動転しています。いや公式様とは全く関係ないのは当たり前なのですが、それでも胸が踊らずにはいられません。
(ということを言いたかっただけの後書きでした)




次回の投稿は4月13日です。


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狂気の園(通算24話)

 

 ナミブ砂漠。暗黒要塞エンリル均衡、北部。

 

 

 ーー壬生カグヤがルーラーのサーヴァントと出会い。

 ーー悪悦を好む暗殺者と北欧の大英雄が刃を交じらせ。

 ーー暗黒要塞内部で血を啜る化物と黒き皇帝が激突したその日。

 

 此処、暗黒要塞エンリルの北部でも聖杯戦争は行われていた。

 刃を交じらせているのは双方紛れもない大英雄。そのことは互いが拳を、刃を、闘志をぶつける度に溢れ出す魔力を感じれば魔術師ならば理解できる。

 何時の時代のどの英雄なのかは定かではないが、恐らくはどの聖杯戦争に出ても優勝候補間違い無しの英霊達。

 しかしその故に惜しいと、双方のマスターは遺憾を感じずにはいられなかっただろう。

 彼の大英雄達がもし『正気』のまま召喚されていたとしたら、自分の勝利は確実であっただろうに。

 とどのつまり、双方の大英雄達は召喚された時から正気では無かったのだ。

 

 そのどちらもが理性を持たぬ闘争心の具現ーー『狂戦士』として召喚されてたのだ。

 

 

 

 

 

 

「おーおーおー。やってんなぁ。これで何日目だよアイツら」

 

 二対の獣の闘争を遙か遠くから眺める影が1つ。

 槍、というよりは使い潰して変形した何らかの金属の巨大な棒を肩に乗せ、一升瓶片手に狂戦士達の闘争を愉しむ漢。

 並々ならぬ筋肉と飢えた獣のような眼光は勇者のそれであり、隙あらば現在地からかなりの距離のある戦場までひとっ飛びしそうである。

 そんなサーヴァントの心情をよく理解しているのだろう。情欲を抑えきれない子供のように身体を左右に揺らすサーヴァントの脳内に、己のマスターの念話が響き渡る。

 

『勝手な真似はするなよ、ランサー。今お前に暴れられるといよいよ収集が付かなくなる』

 

 堅苦しい口調に反して念話の声は美しい女性のものだった。といっても女らしいとは掛け離れた威厳のある声色で、声だけで歳を想像するに三十路中盤といったところだろう。

 

「わーってるよ。形だけだが、アンタは俺のご主人様だかんな。言うこと聞きますよヘイヘイヘイ」

 

 ランサーと呼ばれたサーヴァントは先程までの狂戦士達の戦いに目を輝かせていた様子とは打って変わって、まるで拗ねた子供のように唇を尖らせて砂の上に寝転ぶ。

 その理由は、生前には体験したことの無かった念話に慣れておらず、その度に気分が悪くなってしまうのもあったが、最も大きな原因は先日聞かされたマスターの方針にあった。

 要塞に入るまでは基本傍観、もしくは情報収集に徹しろ。

 なるほど自分のマスターは知略に長けた戦術家なのだとランサーは理解し、闘争心のままに戦う自分とは違う生き物なのだと同時に心の奥底から落胆した。

 知略を使って戦場を操る。同士、兄弟とも呼べる存在にはそのような武将は確かに存在しランサーもそれらを尊敬してはいたが、やはり自分にはできないことだとも彼は部相応に同時に理解もしていた。

 故に知略に頼ることにいちゃもんは付けない。それが勝利の為に必要な手段であると知っているから。

 しかし物事には限度とというものが在る。

 飢えた獣を抑制するには、令呪無しの口約束の縛りは緩すぎるのだ。

 

「準備をするならさっさとしろよご主人様よ。目の届く所に居ない番犬は、何をするかわからねぇぜぇ」

 

 念話で通していないランサーの独り言。夜の闇にただ消え行くのみだった筈のその言葉は、彼の背後にいつの間にか立っていた存在によって言を返される。

 

「そう。貴方、番犬なの」

「!!?」

 

 静寂を切り裂いた突然の声にランサーは驚きながらも流れるような動きで槍を構えて振り返る。

 完璧な戦闘態勢。その気があればいつでも殺れる。

 そう確信した筈なのに、槍の切っ先を向けた相手を見てランサーは更に驚きに目を見開くこととなる。

 

「……あ?」

 

 振り返る前にランサーは予想していた。

 自分も相当の戦士だ。それこそ実際に人類史に名を残す程の英雄である。

 間違ってもそんじょそこらの輩に背後など取られる筈がないし、もしそんな奴が居たとしたらかつての兄弟のような猛武士か、はたまた彼の皇帝を追い詰めた暗殺者か。そんな常軌を逸した存在、即ち英霊のみであると。

 しかし違った。ランサーの予想は大きく外れていた。

 振り返った視線の先に居たのは、猛武士でも、小刀を握る暗殺者でもない。そもそもサーヴァントとして召喚された英霊でも無かった。

 彼の背後を取っていたのは、小麦色の髪をサイドテールで纏めた美しい人形のような少女だったのだから。

 

「……なんだ、てめぇは」

 

 必要以上にランサーが殺気を込めてしまったのは、きっと背後を取られたからではなく、その女の表情がただ単に気に食わなかっただろう。

 生前から色恋にはそれ程興味が無かったが、それでも女の好みを上げるとするならばランサーにとって好ましい女性とは太陽のような女。どんな時でも眩き向日葵の如き笑顔を浮かべる女をこそ、彼は伴侶とし迎え入れようと思う。

 その実、彼の理想の女性像と比べて目の前の女はかけ離れ過ぎていたのだ。

 顔は悪くないが、凍った仮面のような表情が妙にランサーの気持ちを苛つかせる。

 此処で命を奪ってしまおうか。女だからと命を狩り取るのを躊躇う程、出来た人間ではないと彼自身が理解している。

 首を取るのは至極簡単。しかし、疑問は残る。

 何故目の前の女はいとも容易く自分の背後を取れたのかという最大の疑問が。

 

「おい小娘。お前呪い師(まじないし)かなんかか。簡単にサーヴァントの背後を取るなんてやるじゃねぇか。なんだ、ぶっ殺されてぇのかお前?」

 

 ランサーの殺気を交えて吐き出した質問に、しかして少女は動揺することも無く変わらない無表情で肯定を返す。

 

「呪い師……ええ、うん。そういうものだよ。それとあなたの背中に回るのは大変だったし、できれば死にたくないかな」

 

 常軌を逸した存在であるサーヴァントを前にしてもこの余裕。

 やはり異常だとランサーも再認識し、そしてもう1つの疑念が生まれて直ぐ様ランサーの視線は少女の手に移る。

 今この土地に居座っている魔術師が居るとすれば、それは聖杯戦争参加者、ないし関係者である可能性が非常に高くなる。参加者のマスターであればその証明となるサーヴァントに対する絶対命令行使権『令呪』を身体の何処かに刻んでいる筈なのだが、何分今は夜の砂漠だ。

 変動する気温に合わせて魔術的コーティングもしているのだろうが、少女は更に服を重ねて着ており顔以外肌は殆ど露出させていなかった。

 今此処にマスターの眼があればすぐに相手が聖杯戦争参加者かどうか判断がつくのだろうが、生憎彼のマスターは此処より少し遠い場所で要塞侵入の作戦を練っている。

 ならばやはり自分が判断すべきなのだろうとランサーは面倒臭そうに頭を掻いた後、

 

 

 ーー流星の如き速度で槍を射出した。

 

 

 

 

 

 

「あ?」

 

 全力ではないにしても、それなりの気を込めて放ったランサーの一撃は、しかして誰の血潮を吹かせることも無かった。

 切っ先は狙った少女の首先で止まり、其処からいくら力を込めても先に進まない。

 勿論、少女を殺さなかったのはランサーの意思ではない。身の覚えの無い行動の制限、つまりそれは他者からの干渉を受けた事実を意味する。

 

 ーーマスター?いいや違う。

 

 自分の主は思慮深い人物ではあるが、決して善人と呼ばれるような女ではない。必要とあらば殺すし、未来において不安材料に成りそうな者も躊躇いなく殺す。

 しかし、であれば他に誰がサーヴァントの行動を抑制することなどできようとランサーが視線を動かすと、その正体はすぐに判明した。

 砂漠の上で、露出度の高い白の修道服の女がランサーに向けて右手を向けていた。

 その時にランサーは確かに見た。

 修道服の女の右手に浮き出ていた、赤い華の一片が消えていく。やがてそれが完全に霧散すると修道服の女は喉に一度手を当てて調子を合わせてから張りのある声で砂漠に声を響かせた。

 

「槍を引きなさい!其処の槍兵!聖杯戦争に関与していない者への処罰は貴方が取り決めるべき事象ではありません!」

 

 近付けば近付いてくる程、声を荒げる道服の女の正体が『サーヴァント』だということは明確になり、ランサーの表情は益々訝しげなものへと変わっていく。

 まるでこの聖杯戦争の監督役でもあるかのような物言いに、謎の令呪の行使。

 しかもそれらを行っているのがサーヴァント?

 自分の理解の追い付かない、訳の判らない事態に槍兵は先程少女に向けていたもの以上の殺気を顕にさせ、修道服の女を睨みながら疑問を口にする。

 

「お前……なんだ?」

 

 ランサーの質問に今度は修道服の女が目を丸くし、少しして嘆息を着いてから自身の身分を明かしたのだった。

 

「マスターからは何も聞いていないのですね……いいでしょう。我がクラスは【裁定者(ルーラー)】。故あって、此度のナミブ砂漠における聖杯戦争を取り仕切る者です」

 

 修道服の女の言葉は嘘ではなかった。

 彼女は聖杯戦争に参加する魔術師にではなく、聖杯そのものに呼び出されたサーヴァント。聖杯戦争において重大なイレギュラーが発生した場合のみ召喚される特異中の英霊である。

 しかし、事実を明かされた後もランサーは首を傾げ最期まで訝しげに言を返すだけだった。

 

「ルー、ラー……?」

 







次回の投稿は4月16日予定です。


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鉄の国の女(通算25話)

 

 ナミブ砂漠東方。ある荒廃した街。

 

 

 一個の集落として存在していたその街は、砂漠の上に建つには相応しくない近代的建築物を多く陳列させいて、かつては注目を集めたこともあったが今となってはその面影も殆ど残っていない。

 何の前触れもなく、誰の悪意も関係なく起こった天災が街を襲い、近代文明を砂嵐が溶かしたのだ。

 数十年の時が経て人一人住まなくなったその街にはただ砂に塗れた建築物のみが残っている。

 数年後には人為的に措置による完全な取り壊しが決定しており、近隣住民達からも残していても邪魔になるだけだと苦情が殺到していたのだが、今この瞬間、街は確かに復興を果たしていた。

 といっても砂塵に呑み込まれたかつての住人達が帰って来たわけではない。

 

 街に灯るのは幾つかの強い光。街の地面を揺らすのは無数の微かな足音。そうして街を闊歩するのは、闇夜に紛れる為に黒を基調とした軍服を装備する兵士達である。

 

『ーー西地区、適正個体確認できません。魔力反応も皆無です』

 

 

 

 荒廃した街を探索する部隊長からの報告を受け、この街の何処かに居を構える大本は無線機越しに次の支持を出す。

 

「構わず探索を続けろ。別部隊の報告を受け次第、此方からも報告する。万が一敵を見つけた場合は深追いはするな。サーヴァントは勿論のこと、奇想天外な魔術師共が相手でも今の我等では苦戦を強いることになるだろう。聖杯戦争前にそれは避けたい」

 

 美しい声でありながら、芯の通った威厳ある女の声。

 首領の命令に無線機越しの小隊長は肯定で返すと直ぐ様無線を切って探索を続けた。

 対して命令を下した女はというと、マナーなどクソ喰らえといった様子でテーブルの上に両脚を乗せると、疲れ切った表情で葉巻から煙を吸い込んだ。

 次に煙が彼女の口から吐き出されると、窓を開けていないせいもあって暗い室内の中が一気に煙に包まれる。女の他にも幾人か軍人らしき人影は室内に点在していたのだが、その誰もが彼女の行動に意を返すことなく黙って待機を続けている。

 この室内で葉巻を吹かした女の他に動いている者が居るとすればそれは眼鏡を掛けた秘書風の女だけであり、今も給仕に勤しんで珈琲を淹れている。

 

「ランサーの報告によれば、狂戦士が2体出たそうだな」

 

 葉巻を吹かしていた女が無線機を置いて口を開いた。部屋に点在する軍人達にとって彼女の行動は自分達に声を掛けたということであり、その中の初老の男性が一歩前に出て報告書らしき紙の束を読み上げる。

 

「はっ。ランサーの報告によりますと、要塞付近にてバーサーカーらしきクラス不明のサーヴァント2体が交戦中。付近にマスターらしき人影も無し。どちらも真名の手掛かりになりそうな目立った箇所は見受けられないとのことです」

「宝具の使用の有無は?」

「双方、此方が発見した段階では使用しておりません」

 

 部下の報告に女はふむと顎を擦り、その後椅子の背もたれに沈み込む。その頭に思い浮かべられているのは現在の聖杯戦争の状況だ。

 今回の聖杯戦争が正常のものでないことぐらい、参加者であれば誰もが理解している。

 またランサーのマスターたる彼女においては、今回のナミブ砂漠における聖杯戦争が冬木の聖杯戦争の構造を一部模倣されて作られたものだということも理解していた。何故なら、立場上彼女がそれを知るのが同義であるから。

 かつて鉄の国に属していた組織。今では国家とは深い関係は無いものの、独自の宗教団体のように暗躍するある軍事集団。

 彼女の軍服の肩には空へ飛び立とうと両翼を広げる鳥の紋章と、漢字の『卍』に似た紋章が刻まれている。

 秘書を含めた彼女の部下の軍人達も皆同様であり、『彼女達が何処の組織の人間』なのかは自明の理というやつだ。

 

「冬木における第三次聖杯戦争のあと、ユグドミレニアにいっぱい食わされた我等が聖杯戦争の舞台に参加するまでにまさかこれ程の時間が掛かろうとはな」

 

 昔を懐かしむかのような口振りでありながらその実全く笑顔という表情を見せない上司を前に、初老の軍人はやや柔らかな表情で首を横に振る。

 

「此処まで来るのに相当なイレギュラーが起こりましたからな……」

「イレギュラー、か」

 

 確かに、かつての鉄の国にとって想定外の事態は幾度も起きた。

 結局結末を有耶無耶なまま、聖杯を奪取されて終了した第三次聖杯戦争。

 更にその後祖国が第二次世界大戦にて実質敗北。

 その後国の立て直しもままならぬまま、魔術世界では各地で冬木の聖杯戦争を元にした亜種聖杯戦争が多発。共謀を口にしていながら裏切りを行ったあのダーニック・プレストーン・ユグドミレニアの仕業だと気が付いた時には、かつての首相は怒りに震えたと聞いている。

 結局のところ諦めてしまった我が国は、鉄の国の鉄の軍隊を非道の元として国から解離させた。

 しかし、行き場を失ったとしても元第三帝国の使命が変わる訳ではない。

 彼らが追い求めるのは聖杯の獲得。それにおける世界の確変。

 冬木の聖杯戦争の後、幾度か亜種聖杯戦争に参加し、勝利を飾った結末もあったが賞品はどれもがまともな聖杯(もの)ではなく、彼らの旅が終わることはなかった。

 今回のナミブ砂漠の聖杯戦争もそう。

 女指揮官ーーソフィーアもまた、亜種聖杯戦争に参加すべしと命令された軍人崩れの一人だった。

 本国に居る老害共はもはや聖杯を追い求めるだけのただの亡者と化しており、ソフィーアもまた中途半端に聖杯なんて願望器の奇跡を信じてしまっているから今この場にいる。

 もしかすれば変えてくれるかもしれないという、淡い願い。

 彼女と同じく軍人であった父や祖父の願い。鉄の国がこの世界を手中に収めるという御伽話。

 馬鹿げていると理解しながらそれでもソフィーアが歩みを止めなかったのは、彼女もまた亡者と化していたからかもしれない。

 

「こんな事なら、私がドルギスタン殿の代わりに日本の聖杯戦争に参加しておくんだったな。あっちの方がよっぽど楽そうだ」

 

 彼女が語るのは数年前に起きた、極東における四度目の聖杯戦争の話だ。

 といっても開催された地は冬木ではなく、どこぞの田舎町だったらしい。

 『サンジェルマン伯爵』を名乗る魔術師の時計塔への宣戦布告を初めとして行われたその聖杯戦争は、結局誰が勝者なのかよく判らないまま結末を迎えたとの報告があった。この現代に神話の爪痕を色濃く地上に残し、戦争に関係の無い人々も合わせて生存者はほぼ皆無。

 その中には、ソフィーアと同じく亜種聖杯戦争に参加せよとの命令を受けたある老齢の戦士も含まれていたのだ。

 

「不吉なことを言わないでください少佐。ドルギスタン殿は」

「判っている。彼は我らの為に命を落としたのだ。笑いものにする気は無いさ」

 

 初老の軍人の戒めの言葉もあって、ソフィーアは再び椅子の上で姿勢を正して気を引き締める。

 ガルム・ドルギスタンというかつての老齢の軍人は失敗したが、自分はそうならない。その為に大金を叩いて強力な英霊を召喚したのだ。

 この国に潜入させた兵の数も多数。本国も此度のナミブ砂漠の聖杯戦争にはそれなりに本気ということらしい。

 ソフィーアは自尊心の高い優れた女指揮官である。

 つまり彼女は、勝ち目のある戦しかしない。

 

「さて、小隊長からの連絡を受ければ愈々我らも要塞の中に進行する。敵は万夫不当の英霊。奇想天外の魔術師共。理解不能の未明領域であるだろうが、別段恐れることは無い。我等が成すべきことは、ただ一つだ」

 

 ソフィーアの言葉を前にして室内の軍人達の背筋が伸びる。

 その姿は正しく統率された軍隊そのもの。

 筆頭であるソフィーアが一度命令を下せば、彼らは手足となってあらゆる場所に趣き、精錬された技術力で神代の英雄であろうと屠ってみせる。それだけの意気込みと覇気がこの空間には立ち込めていた。

 

「黄金の盃を我らが総統閣下の元に。ハイル━━」

 

 元へ。そう口にしようとワイングラスを侍らかすような形で右手を伸ばした瞬間、脳内に騒がしい声が響き渡る。

 それは2体のバーサーカーを逐一報告し続けている彼女のサーヴァントからの念話であり、情報を完全に理解すると彼女の表情にもまたサーヴァントと同じ同様が現れていた。

 

「何?……ルーラーのサーヴァント……だと?」

 

 

 

 







○次回の投稿は4月16日です。


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夢憂の空(通算26話)

 

 ナミブ砂漠。暗黒要塞エンリルより少し離れた地。

 

 

 この場には今現在3人の人影があり、つい先程その3人の会話は終えられたばかりである。

 その中の1人。肩に辛うじて槍だとわかる鉄の塊を担いだ大男は、あまり納得がいっていない顔色で自慢の顎髭を撫でていた。

 

「へぇ。聖杯戦争の監督役を、サーヴァントがねぇ」

 

 そんなランサーの訝しげな視線を送られて対するのは異様に露出度の高い白き修道服の女であり、彼女また大男と同じくしてサーヴァントと呼ばれる高上の使い魔である。

 但し彼女はただのサーヴァントではなく、通常の聖杯戦争ではまず呼ばれることのないクラスのサーヴァント。聖杯戦争におけるイレギュラーを解決し、正しく聖杯戦争を運営する為の裁定者。即ち、ルーラーのサーヴァントである。

 彼女は既に背後にて腕時計を確認するサイドテールの少女に自分の真名を明かしており、その名はマルタというが目の前の槍使いに其処まで明かすつもりは毛頭無いだろう。

 彼に対しては何となく、思い付きで行動をしてはいけない気がしてならない。そんな持ってもいない直感スキルが働いているような気がしてならなかったのだ。

 

「信じてもらわなくても構いませんが」

「そう邪険にすんなよ。最初は疑って悪かった。でも、もう疑っちゃいねぇさ。アンタがサーヴァントなのは間違いねぇしな」

 

 戦いにしか興味の無さそうな槍兵がやけに物分りが良いのは、恐らく令呪を使われたからだろう。

 ルーラーのサーヴァントはその役割上、他のサーヴァントに対する絶対命令権を2画ずつ有している。つまりは聖杯戦争のマスターが持つ令呪と同じものだ。

 つい先程、マルタの背後に立っている少女をランサーが襲おうとした際に令呪を使われ、信じないとは言えない状況が自動的に作られてしまっていた。

 

「しかし、ルーラーさんよ。アンタ自身も何で自分が召喚されたか、その訳が判ってねぇんだろ?その、なんだ?いれぎゅらーってやつの正体が」

「……恥ずかしながら」

 

 ランサーに指摘されて恥ずかしそうに頬を染めるマルタ。そんな姿を彼女の背後で庇われるように立っているカグヤは、竜を殴った女が何を猫被っているんだと内心嘆息しながら見据えていた。

 勿論、ルーラーの真名を知らないランサーは正か相手がある意味有名な聖女とは知らず、面倒臭そうに耳を穿りながらふと気が付いたように背後に振り返って指を差した。

 

「そのいれぎゅらーって、もしかしてあいつらのことなんじゃねぇの?」

 

 ランサーが指差した方向。

 通常の視力で目視すればただ単に夜の砂漠が続いているだけの光景が広がっているのだが、サーヴァントの視力を持ってすれば判る。

 その先で強大な魔力のぶつかり合い。狂戦士と狂戦士の死闘が繰り広げられていることを。

 

「俺も訊きたかったんだ。狂戦士が2体召喚されるなんて普通じゃねぇよな?その理由もわかんねぇのか?」

 

 内心はランサーにとって狂戦士が2体召喚された理由などどうでも良いのだが、頭の中に響くマスターの念話が理由を尋ねろとしつこいので仕方なくマルタに質問する。

 しかしマルタはその問いに明確な答えを口にする訳でもなく、申し訳なさそうに首を横に振るのみだった。

 

「面目しようもございません。どうやら私自身の召喚にも不具合が生じているようでして……此度の聖杯戦争のルールすら正確に掴めていないのです」

「おいおい、それでホントに監督役が務まるのかよ……まぁ、そんならいいや」

 

 本当にマスターの命令があったから訊いただけだったのだろう。マルタが本当に何も知らないのだと確認すると、それっきりランサーは槍を肩に担いで突然準備運動をし始めた。

 それも特殊なものではなく、脚を伸ばしたり、腕を伸ばしたり、一般的な準備運動だ。

 

「じゃ、まぁアンタはアンタで理由が判ったら他のサーヴァント連中にも説明してやるってことで。俺らは別に普通に聖杯戦争しててもいいんだよな?」

「え?あ、はっはい。今のところ聖杯戦争の中断はありません」

「そいつはよかった」

 

 マルタの言葉を聞き、準備運動を終えたランサーがニカッと少年のように笑う。

 何事かと身構えたマルタの視界は、狂戦士達の攻防が続く戦場へと突出したランサーの脚力の元に、一瞬にして砂埃が舞い散り埋め尽くされたのだった。

 

 

「げほっげほっ……!!な、なんなのよアイツ!!行くなら行くっていいなさいよね!!」

 

 ランサーが居なくなった後。すぐに地が出て腹立たしそうに地団駄を踏むマルタ。

 その背後にいたカグヤはというと、ランサーが射出した衝撃で地面にぽっかりと空いた小規模のクレーターを覗き込んでいた。

 

「相当強いんだろうなぁ……」

 

 ぽつりと呟いた少女の言葉にマルタの耳が動く。

 振り返って目にしても、やはりマルタには信じられない。

 それはルーラーとして呼び出されてしまったサーヴァントとしての性質上、判明してしまうある事実が起因である。

 魔導を知っていながら人外の存在たるサーヴァントを前にして恐れない器量。また聖杯戦争が開催される地だと知っていながら夜の砂漠を独りで歩く無謀。

 やはり判らない。自分の疑問でも頭がいっぱいなのに、マルタの頭はパンク仕掛けだった。

 

「はぁ……壬生カグヤさんって言ったかしら?貴女、やっぱり相当な人よね」

「そうですか?」

 

 声を掛ければ、蠍の尻尾を掴みながら当然のように返事を返してくれる少女。

 蠍を掴んだその右手には、今現在このタイミングでこの土地に赴いた魔術師の殆どが有している筈のあるものが刻まれていなかった。

 それを再度確認して、マルタはどうしようもない疑問に襲われながら肩を落としたのだった。

 

「貴女、本当に『マスター』じゃないのね」

 

 サーヴァントを前にして恐れない。

 聖杯戦争を知っている魔術師である。

 聖杯戦争に勝利するのが目的である。

 

 それらの要因を持っていながら、壬生カグヤという女は『聖杯戦争に参加するマスター』ではなかったのだ。

 

 

 

 

 

 

 

○ 

 

 ナミブ砂漠。暗黒要塞エンリル付近ーー上空。

 

 

 轟音が風を切る。

 斬撃の如き風が、遥か下方の地上の砂粒さえも撒き散らしながら一直線に駆け抜ける。

 空を切り、一直線に飛び抜け、音が鳴るのは既にその本体が疾走した後だ。

 ではその本体とは何なのか。

 地上から見れば輝かしくも眩き黄金の流星。

 同じ高さから目にしても光をも越える速度を捉えられるものはそれこそサーヴァントでも難しい所業だろう。

 正体を知っている者。そんな人物が居たとすれば、それは風を切る張本人のみ。 

 後部座席で悲鳴を上げる主など知らん顔で高笑いを続ける仁王立ちの男のみである。

 

「フハハハハハハハハハッ!!速い!!速いな!!噂には聞いていたが、これ程までとはな!!もっと速く借りればよかったなぁっ!!なぁマスター!!」

 

 自分で運転しているというのにまるで初めて操縦しているかのように興奮気味に話す上半身半裸の男。

 その男こそが、この黄金の舟を操るサーヴァントなのだから。

 といっても、4つの車輪を持つ戦車(チャリオット)のような出で立ちのその舟はどうやらほぼ自動操縦のようであり、男は羅針盤のような操縦器で道を示すのみ。それだけで舟は一直線に風を切りながら前へ前へと進んでいく。

 溢れ出す魔力を神気に換えて、ただただ一直線に光線を空に描く星の舟。

 その姿は誰が見ても見間違える筈も無く現代文明の力によって生み出された産物ではなく、神代の異物だと理解できる。

 ならば星の舟を操るサーヴァントとはやはり騎兵のクラスのサーヴァントであろうか。

 誰もがそう推測するのだろうが、唯一正体を知る人物は後部席でガタガタ震えながら自身のサーヴァントに苦情を訴える。

 

「うわぁぁあああぁぁぁああぁぁぁ!!!!?ふっ、ふっ、ふざけんなっ!!ふざけんなよアサシンんんんんんんんんんんっ!!!しぬしぬしぬしぬしぬぅ!!!」 

 

 聡明な魔術師とは呼べない、取り乱した態度も無理も無い。光の速さで走る乗り物になど人類は未だ到達していないのだから、初体験は皆こんなものだ。

 最も、同じ初体験を自称しながら己の宝具の速度に高笑いを続けるサーヴァントは別なのだが。

 

「まぁそう言うなって!!ほれ、もう目の前だ!!一気に突っ込むぞぉ!!!」

 

 黄金の舟が突き進む空の道の果にあるのは、無数の柱によって建造された巨大な黒き要塞。

 暗殺者らしからぬ宝具を多用する謎のサーヴァントと、やや臆病者気味のマスターは、今聖杯戦争の舞台へと突入しようとしていた。






○次回の投稿は4月23日です。


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銀の刃の行方(通算27話)

 

 ナミブ西部。暗黒要塞エンリル正門前。

 

 

「……?星……?流れ星か?……まぁどうでもいいか」

 

 空に突然現れた黄金の輝きを放つ流れ星の正体がまさかサーヴァントの宝具だとは予想できず、砂漠の中ヴェンジャーは空を見上げて物思いに耽っていた。

 武器商人という仕事柄上、何度もこのアフリカの地に降り立った彼は本来ナミブ砂漠の上にはこのような悪趣味な要塞が建っていなかったと。

 観測されたのは1ヶ月前。

 それから彼が武器商人・科学者・発明家という立場でありながら聖杯戦争の存在を知り、自身も参加しようと歩を進めるまでそれ程時間は掛からなかった。

 理由は確か、話題になるとかそんなものだった。

 彼が拠点を置くアメリカ。自由の名の元欲望が渦巻くその国でも、『魔術的戦争を乗り越えて聖杯を得た有名人』が現れたという報道を目にしたことはない。つまり前例が無い。即ち人々の注目が集まる。

 目立ちがりやのヴェンジャーにとって、人々の黄色い視線を浴びるというのは何より得難い娯楽であった。その為なら聖杯戦争などという詳細がほぼ不明な未知の戦争に挑むでしまう程。

 実際問題、公共の電波に乗せて魔術世界の戦争に勝利したと宣言しても誰も信じる訳が無いし、最悪の場合神秘の秘匿を重んじる機関が動く可能性すら危ういのだが、魔術世界に身を置かないヴェンジャーには知ったとことではない。

 基本的には自分が愉しければ、人にどれだけ迷惑が掛かろうと気にしない男なのだ。

 それはヴェンジャー自身、自分のどうしようもない性だと理解しており、今現在彼の携帯に送られてくるメールの数々もそういった迷惑が元となっている。

 

「ったく。張り切って作った衛生電話がまさかこんな形で僕を虐めてくるなんて。創造主(パパ)をなんだと思ってるんだ、この機械は」

 

 ヴェンジャーは愚痴を口にしながら着信音の鳴り止まない携帯型端末を地面に叩き付けると、そのまま靴底で踏み付けた。地面は柔かい砂漠の砂なので衝撃は吸収され、端末は壊れはしなかったが時価数億近くの最新型の機械は今後も拾われることなくこのアフリカの大地にて眠りにつくのだろう。

 もしかすれば数百年先で古代の遺物(オーパーツ)として発見されるかもしれない。

 そうした古代の遺物、過去の遺産という物の中には後世にて聖遺物と名の付く分類に分けられる物もあるらしい。

 過去の人物の遺産。つまりは由縁ある物体。

 英霊召喚において、それらは目当ての英霊を呼び出す為の触媒となる。

 聖杯戦争に参加する大概の魔術師は聖遺物を触媒として英霊を呼び出し聖杯戦争に赴く、というのが定石であり、ヴェンジャーもまたその法則は世界各地で起きている亜種聖杯戦争を調べた際に熟知していた。

 聖剣の鞘によってブリテンの騎士王が。原初の蛇の抜け殻によってバビロニアの英雄王が。古びた布切れによってマケドニアの征服王が。

 かつて上記の強力な英霊達を呼び出したのもまたそういった聖遺物達であった。

 ならば絶対的な勝利を求めるヴェンジャーもまた聖遺物を用意しない手はない。

 当初、金と時間と人脈を存分に使ってヴェンジャーは最強の英霊を呼び出す筈だった。

 彼の英雄王の唯一無二の友人。神々の創り出した、恐るべき泥人形。その姿は千差万別。意のままにどんな姿にも変え、件の英雄王とも互角の戦いを行える程の戦闘力を有している『兵器』。

 そう、兵器、という点がヴェンジャーが彼の泥人形を呼び出そうという結末に至った理由である。

 科学者として近代的兵器を大量に生産し、また武器商人にとしてそれらを売り飛ばすヴェンジャーは、誰よりもその兵器の信頼性を知っているから。

 下手な英雄、それこそいくら戦闘能力が規格外でも人間性に問題のある彼の英雄王なんかよりもよっぽど兵器の方が信用できる。

 

 

 聖遺物は手に入れた。後は召喚するのみだと流石に意気込んだヴェンジャーに、悲劇は容赦無く降り掛かる。

 本当はニューヨークにある自身の研究室で英霊召喚を行いたかったヴェンジャーであったが、どうやら霊脈やらなんやらの関係で、ナミブ砂漠近郊でしか英霊召喚は行えないのだと気が付く。

 実際、令呪がはっきりと現れたのもアフリカの大地に降り立ってからであり、思ったよりも魔術というのは面倒なものだとヴェンジャーは心底溜息を吐いた。

 しかし面倒だからといって輝かしい名誉の為。聖杯を獲得し、世間の目を再度奪う為に戦いをこんな田舎で終わらせる訳にはいかない。

 ホテルに到着したヴェンジャーは早速覚えたての魔法陣を部屋に描き、英霊召喚に取り掛かる。

 この時に悲劇は発覚した。

 魔法陣が描き終わり、さて聖遺物を取り出そうとキャリーバッグを開いたのだがーー無い。

 綺麗に畳んだ着替えを撒き散らし、仕事の資料も天井に投げて探したというのに、何処にも聖遺物が無い。

 盗まれた?そう思い急いで地元の警察に連絡を取ろうと端末の電源を入れた際に、ヴェンジャーにとって恐らく生涯忘れられない光景が端末の画面に映し出されていた。

 端末に画像添付のメールを送ってきたのは、いつもベットにて親密な関係を築いてくれる美女達の1人であり、彼女はアフリカの様子を短い文章で尋ねてきていた。

 それ自体は何の問題も無いのだが、問題があったのは彼女が添付した画像の方。

 自撮り調で撮影された写真。頬横でピースをして笑みを浮かべる美女の背後に、ヴェンジャーの探し者はあったのだ。

 ベットの上に忘れ物として。

 

 つまり、この画像を見た時点でヴェンジャーの運命を左右するシュレディンガーの猫の法則は、実質機能しないと確定してしまったのだ。

 

 空輸で送ってもらう選択肢も思いついたが、どう考えても出遅れる。明確に定められている訳ではないが、聖杯戦争開催時間には間に合わないだろう。

 ならばもう他に選択肢は2つしかない。

 急いで他の聖遺物用意するか、それとも聖遺物無しで賭けの召喚を行うか。

 理論を重んじる科学者であるヴェンジャーにとって後者はあまりに無謀に思えた。そんなものはソーシャルゲームで搾取されるよりもたちが悪い。

 何故なら聖杯戦争の英霊召喚の機会は一度切り。いくら金を注ぎ込んだところで2回目は無い。

 

 結局のところ、焦ったヴェンジャーが行ったのは賭けに違いなかった。

 聖遺物として使用したのは、暇潰しとして研究室から持ってきたある本。購入時も酒に溺れて酔っていた為、何故自分がわざわざこんな物を通販で購入したかもよく覚えていない。

 果たしてそれは何処ぞの英雄譚を書き記した蔵書であろうか。

 否。そんな大層なものでは無いが、解釈によっては確かにそう見えるかもしれない。

 形式としてやパフォーマンスとして祈ることはあるものの、無信教主義のヴェンジャーにとって絶対に必要の無い教典。

 それは分厚く、唯一性が無く、しかしだからこそ広く教義されているという照明になる書物。

 其処に記された何れかの誰がか彼女ということになる。

 

 

 

「まさか、あんなもので呼び出した、なんて言ったらアイツ怒るんだろうなぁ」

 

 サングラスを掛け直しながら口を滑らせたのが悪かった。サングラスにばかり目が行って、背後に佇む二刀流の女剣士の気配に気が付かなったのだ。

 

「なんですか?」

「あ"っ!?な、なんでもないっ!!なんでもなぁいっ!!」

 

 明らかな狼狽。

 慌てふためくマスターに不信感を懐きつつも、サーヴァントである女剣士は別段気にも止めずに歩き去っていく。といっても目的はヴェンジャーと同じである為別行動を取っているわけでもなく、ただヴェンジャーの近くにいるのが嫌なだけで少し距離をおいているのかもしれないが。

 その心を推測するのは乙女心を知るよりも簡単だ。数時間前の記憶を思い出せば。

 

 

 

 

 

     

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「同盟?要塞侵入ぅ?」

 

 昼間。剣を抜くことなく、言によって対話を求めてきた謎の魔剣士の提案にヴェンジャーは首を傾げていた。 頷きを返す魔剣士から殺気は全く感じられない。思い返してみれば、彼は元々ヴェンジャー達と闘うつもりは無かったのだろう。

 そう言えば先に手を出したのは自分の短気なサーヴァントだと思い出して、取り敢えずヴェンジャーは話を訊くことにしたのだった。

 

「明日の日の出前に、私はマスターの命であの要塞の内部へと侵入する。その際に人手が必要だ。手を貸してくれ」

 

 魔剣士の目的はこれ以上無いというほど簡潔且つ無駄無く説明され、疑心暗鬼の世界に身を置いてきたヴェンジャーですら思わず面をくらってしまった。

 何しろ嘘の含まれていない真実だけを語った交渉など、生まれて初めてだったのだから。

 魔剣士の愚直なまでの頼みにヴェンジャーは顎髭を触りながら訝しげな表情で言葉を返す。

 

「要塞に侵入って、あの要塞にはなんだ。防衛機能でも付いているのか?彼処は聖杯戦争の舞台の筈だろ?」

「肯定だ。聖杯戦争の参加者が舞台に入るのに邪魔をくらうというのは確かにおかしな話だ。それは重々承知している」

 

 だが、と続けた魔剣士の視線はヴェンジャーから離れてその背後の二刀の女剣士に向けられる。

 

「其処の剣士はもう気が付いているのだろうが、要塞内部に繋がる唯一の出入り口の前で少々厄介な事態が起きている」

 

 この場に魔剣士以外の剣士と呼ばれる部類の人間はヴェンジャーのサーヴァントの女剣士以外に他に居ない。故にヴェンジャーが視線を向けると、彼女はやや気不味そうに視線を外していた。

 

「気付いていながら主には黙っていたか。その思慮深さには同意しよう。マスターを危険から遠ざけようとするお前の行いは正しい」

「??」

 

 沈黙を貫く女剣士に、勝手に納得したかのように話を続ける魔剣士。1人話題から取り残されたヴェンジャーがやや苛立ったような複雑な表情をしていると、魔剣士の方から疑問の答えは提示された。

 

「女剣士のマスターよ。彼女がお前に伝えなかった危険とは、『要塞の前で殺し合いを続ける2体のサーヴァント』のことだ」

「2体の、サーヴァント……?」

 

 2体のサーヴァントの殺し合い。つまり、既に別の場所でも他のサーヴァント同士が接触し死合を始めたということだろうか。

 だが、理由が判ってもヴェンジャーは腑に落ちない。

 人知を超えたサーヴァント同士の闘いに巻き込まれるのがどれほど危険なのかは聖杯戦争に参加するマスターであれば誰もが理解している。理解しているが故に自分のサーヴァントがそれを隠すことに何の意味も無い筈なのだ。

 まさか令呪を使ってその死合に乱入しろと命令するとでも思い違いをされているのだろうか。

 

「どうやら、今回の聖杯戦争では狂戦士が2体召喚されている模様だ」

 

 口に出さずとも顔に出いた不穏な考えは、更に魔剣士に信じ難い言によって否定された。

 

「狂戦士が2体……?君が冗談を言えない堅物だってことぐらいは僕にでも判るが、その、それは可能なのか?聖杯戦争のルール的に」

 

 聖杯戦争のルールをある程度知っている以上、ヴェンジャーの疑問は最もである。

 大本の冬木の聖杯戦争において呼び出された英霊は7騎。そのどれもがそれぞれ別のクラスで呼び出された。

 それが聖杯戦争のルールだからだ。性能の異なる7騎の英霊の殺し合い。表向きだけでも、クラスによって優位不利があるという『ゲーム性』を組み込まなければパフォーマンスとしては不十分になってしまう。

 それこそ狂戦士なんて手綱の握りにくいサーヴァントが7騎召喚された聖杯戦争なんてものがあったとした、間違いなくその舞台となった土地は3日と持たず消失する。

 

「不明だ。しかし私のマスターの見立てでは城門近くで殺し合っているサーヴァント、そのどちらからも狂化の傾向がみられると」

「……失礼だが、そのマスターさんは?」

 

 魔剣士の背中を覗くようにしてヴェンジャーが問い掛けると、意外にも魔剣士は少し申し訳なさそうに眉を下げて首を横に振る。

 

「謝罪しよう。此方から同盟を持ちかけておきながら不敬だとも理解している」

「あっ、いやそんなつもりでは」

 

 下手なことを言えば斬られるのではないか。先程の女剣士との様子からサーヴァントという存在の戦闘機並の戦闘力を再認識したヴェンジャーは、魔剣士の一挙一動に対して過敏に反応していた。

 といってもこれまでの会話で魔剣士が己のサーヴェントと同じ程真面目なのは伝わってきていた為、まさか本当にいきなり斬りかかって来るなんて事態は起こらないだろうと予想していたが━━次の瞬間、平然と魔剣を引き抜きヴェンジャーにその切っ先を向ける魔剣士の姿があった。

 

「ッ!?何を!?」

 

 魔剣士の突然の暴挙に、主のすぐ背後で控えていた女剣士が驚き自らも剣を引き抜こうとしたのだが、何と絶賛襲われ中のヴェンジャーが片手で彼女の動きを制す。

 自分のサーヴェントが魔剣士に斬りかかるよりも速く、魔剣士の腕ならば己の首を飛ばせる。そう理解したからこそ女剣士に下手な動きをさせる訳にはいかなかったのだ。

 それでも出会って数日ばかりの美女が我が身を案じてくれるのを嬉しく思わない男は居ない。恐怖によって高鳴る鼓動、震える脚を根性で抑え付けながらヴェンジャーの顔面には商売用の笑みが浮かべられていた。

 

「は、はははっ。随分と強引なダイレクトマーケティングだ。僕としてはこんな物騒な物は閉まって1分前までの理性的な商談を行いたいものなんだが」

「勘違いをさせて申し訳ないが、私は君達との同盟を提案しているのではない。これは一種の脅迫だ」

「脅迫?」

 

 魔剣士は素直に頷きを返し言葉も返す。

 

「あの狂戦士達は他のサーヴァントの気配に気が付けば否応なしにその猛威を奮って来るだろう。単騎では難しいが、同数以上の英霊で突っ込めば攪乱にもなって要塞への侵入は容易となる。その為にお前達には」

「狂戦士を引き付ける囮になれと?」

「そこまでは言っていない。双方が程よく狂戦士達の注意を惹きつけ、だからこその同盟だ」

 

 何とも強引な手だとヴェンジャーは内心嘆息する。

 要塞への侵入など、迫撃砲で壁をぶち破ればいいだけではないか。

 そんな武器商人らしい民間的解決策が思いつくが、しかしそれもままならないのだろうと同時に理解もできる。第一に壁をぶち破る程の兵器の運用は目立って仕方が無いし、第ニに運搬に時間がかかる。

 可能かもしればいが、手間がかかる。事の始まりは慎重に進めたいヴェンジャーには自陣の近代兵器使用はもう少し後まで取っておきたいところだ。

 近代兵器で壁をぶち破るには時間も手間もかかる。では、違う観点から考えてみようと、自然とヴェンジャーの視線は自身の喉元に突き付けられた黒い刀剣に向けられていた。

 

「そんな面倒なことをしなくても君の剣から、こう、ビームとか出して壁をぶち破ればいいんじゃないか?全く非科学的で僕は信用していないんだが過去の聖杯戦争を記録した文献では剣から光の奔流を放出させる剣士も居たと聞いたぞ?」

「……」

 

 冗談のつもりで言った筈の台詞が以外にも魔剣士の表情を曇らせる。恐らく、ヴェンジャーの問いかけの厭らしい含みに気が付いたのだろう。

 

「どう答えても私の宝具の痕跡を辿れる問いかけだな、魔術師」

「いや単純にそうじゃないかなという疑問を口にしたまでだよ。……ふむ、そうだな。判った」

 

 大人の男性2人の会話にすっかり置いてけぼりにされていた女剣士が動いたのは、諦めたようにヴェンジャーが頷いたその時だった。

 

「なっ!?ま、マスター!?判ったって、もしかして本当に同盟を組む気なのですか!?この剣士と!?」

「そーだと言ったろ能無しサーヴァント。お前はもう少し場の空気を読め、空気を」

「し、しかし!この英霊が一体どんな逸話を持った英霊かも不確かなのですよ」

 

 ポニーテールの黒髪を揺らして必死にマスターを説得しようとする女剣士の言い分も最もであったのだが、その心配は魔剣士の聖杯戦争のルールをものともしない軽率な発言によって一蹴に干される。

 

「それなら心配いらない」

「……え?」

 

 何が心配いらないと言うのか。首に掛けた十字架に祈るときとは全く別人のような表情で女剣士が訝しげに魔剣士を睨むと、魔剣士は次いで己の魔剣を地面に突き刺して堂々と宣言した。

 

「我が真名はシグルド。シグムンドの息子にして、彼の悪竜の腹を裂きその心の臓を喰らったただの卑しき剣士だ」

 

 この時、ヴェンジャーは気が動転しそうになったことを今でも覚えている。

 英霊という生き物は皆これほど真っ直ぐで、馬鹿な偉人様なのかと。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「……来た」

 

 ヴェンジャーには感じ取れないサーヴァント特有の気配を感じ取ったのだろう。女剣士は己がマスターの前に守護するように立ち位置を変える。

 すると程なくして彼女の視線の先に青い光の粒子が集まって、1つの個体を造る。

 ややハネっ毛のある銀の毛髪に涼やかな瞳。魔銀(ミスリル)の装甲を身に纏い、氷山の如き威圧感を醸し出しながら歩いてくるのは昼間の魔剣士だ。

 その姿が見えたからといって此処ですぐさま戦闘が始まるわけではない。何しろヴェンジャー達と彼は今現在狂戦士達の死闘を切り抜け、素通りする為の同盟関係下にあるのだから。

 緊張感を持って魔剣士と対峙する己のサーヴァントとは対象的に、腕時計で何やら時間を確認していたヴェンジャーは魔剣士の姿を見るなり肩を落とす。

 

「なんだ。やっぱり君のマスターは連れてきてくれないのか」

「気に障ったのなら主に代わって謝罪するが?」

「いいや結構。しかしもし君の主が美人だったとしたらとても残念ってだけさ」

 

 苦笑を浮かべたヴェンジャーが次に視線向けたのは、まだ随分と距離がある筈なのにその巨大さを見せつけてくる、黒き要塞。

 

「あの中に入ったら次に会うチャンスは随分と先になりそうだからね」

 

 黒き要塞は聖杯戦争の主催者側が用意した舞台。内部は十中八九、聖杯戦争の為に異界として造られている。

 ならば何が出てきてもおかしくは無い。何しろ魔術師が造り出した異界なのだから、その頭の中と変わりはあるまい。どんな妄想の具現、悪趣味極まりない仕掛けの数々が聖杯戦争の盛り上げる余興の1つとして組み込まれているに違いない。

 魔導とは何ら関係の無い科学の力で人工的に魔術回路を造り出し、後付できてしまう程の才能を持つヴェンジャーですら内部の構造を予想すれば嫌気で溜息は抑えられない。

 彼の戦争の価値観を語れば少数精鋭での戦場への突入は愚の骨頂に近しい。

 近代の戦争において何より重要なのは威力と物量だ。

 威力においては一体につき戦闘機一機分と比喩されるサーヴァントは申し分無い。

 しかし物量に関してはヴェンジャーの手駒は傍らに立つ双剣の剣士のみ。

 本来であれば無人戦闘機数十機を引き連れて此処ら一帯を焦土に変えても良かったのだが、それは叶わなかったのだ。

 暗黒要塞に近付いた無人機は悉く原因不明で音信不通となってしまうのだ。

 

「そういえば、何故魔術師が『近代兵器に対する』対策をしているのか……僕以外にも近代兵器を扱うような輩が居る?しかも運営側が望まぬ立場の人間で……?」

 

 これからいざ暗黒要塞の内部へと足を踏み入れるという時にまで何やら訳の分からないことに頭を悩ませている主を見て、双剣の女剣士はジト目になり、すぐに何かに気が付いたように西に目を向ける。

 それは少し離れた場所で狂戦士達の動きを監視していた魔剣士も同じで、剣士二人はほぼ同時に察知した異変を口にしたのだった。

 

「サーヴァントが……狂戦士達に近づいて行く?」

 

 

 






CCCイベント。BBが配布だなんて……運営は神か何かですか。


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狂い酒(通算28話)

 

「━━ーーーー━━━━ッ!!」

「ッッッ!!!」

 

 紫の鎧が吠え、白の巨躯がそれに眼光で応える。

 互いの武器と武器がぶつかり合い、鍔迫り合いが起こる前に夜空に火花が散る。

 紫の鎧が大剣を叩き付ければ、白の巨躯が双剣で防いですかさず蹴りを叩き込む。そうなれば次に紫の鎧が脚を掴んでへし折ろうとして、白の巨躯がもう片方の足を振り上げて爪先で紫の鎧の顎を蹴り上げる。

 そして両者距離を取り、少しするとまた絶え間なく死闘の繰り返し。

 己の身を犠牲にしてまで相手を塵に変えようとする気概。その戦いに憎悪も名誉も微塵もありはし無い。

 これが彼ら『狂戦士』同士の戦い。ただ暴れ、潰し、殺すことに酩酊した人外共の狂乱である。

 ナミブ砂漠の聖杯戦争における初めのサーヴァントが召喚された日時とほぼ同時刻から、彼らは数日来に渡って殺し合っていた。

 狂戦士故に尋常に名乗ることもなく。狂戦士故にどれだけの卑怯も許し合って。

 ただ己の全身を使って敵を抹殺するのみ。

 彼らにとって、ただ何も考えずに殺し合うというのは甘美な時間だったのかもしれない。

 だからもしそんな時間に横槍を入れる者が居た場合、彼らの狂乱度は更に増して怒り狂ってしまうことだろう。

 といっても、進んで狂戦士同士の戦いに横槍を入れる恐れ知らずなど早々に居やしないだろうが。

 

 ーー文字通り横槍を投げ入れた槍兵を除けば。

 

 

「ッ!!」

 

 狂戦士達の内、紫の鎧の方が先に危機に気が付いて上半身を背面に仰け反らせる。

 するとすぐに地面に対してU字型に海老反った紫の鎧の狂戦士の腹の上を通り抜けるようにして何かが疾走し、次の攻撃を繰り出そうとしていた白い狂戦士の額へと直撃したかのように思われた。

 

「がぁっ!!?」

 

 其処は流石のサーヴァントというべき、野性的直感でのみ行動している狂戦士だからというべきか。白い方の狂戦士も紫同様直前で頭を真横にずらして直撃は回避する。

 しかしそれは結局『死因』を『致命傷』に変えただけに過ぎず、その額からは投擲された何かに当たった負荷でとめどなく血流が吹き出していた。

 

「ひゅーっ。今の避けんのかよ。流石はサーヴァント。狂戦士になってもその才覚は健在かい」

 

 狂戦士達の宴に突然乱入してきた戦士は黒髪の荒々しい前髪をかき上げながら臆することなく狂戦士達へと近づいて行く。

 並々ならぬ筋肉に、束ねられても荒々しい髪。肉食獣のような目付きは見据えただけで人を殺しそうな勢いがあるが、武器を投擲したばかりの乱入者は丸腰であった。

 如何にサーヴァントといえど、伝説を残す程の徒手空拳の使い手でもない限り丸腰で同じサーヴァントの前に立つのは自殺行為に等しい。

 また相手は血も涙も理性も共にゴミ箱に捨ててきた狂戦士である。

 武器が無い、と宣言したところで一々拾わせに行ってくれるような紳士的な好意は望めないだろう。

 何しろ先に喧嘩を吹っ掛けたのは紛れもなく男の方であるのだから。

 

「ーーーー━━━━ーーー━━━━ッ!!」

 

 先に飛び出したのは紫の鎧の方の狂戦士だった。

 大剣を片手に砂漠の大地を蹴って丸腰の槍兵に向けて突進。その咆哮が意味するのは戦いを邪魔された怒りか、それとも好敵手を傷つけられたが故の苛立ちか。

 どちらにしても怨まれている方からしたらたまったものではない。話し合いの通じない狂戦士に恨まれるなど、死んでも御免蒙りたいのだから。

 

「チッ。てめぇにようはねぇんだよ。というか、うちのマスターがお前のマスター探してんだから、それまで大人しくーー」

「ー━━━ーーー━━ッ!!!」

 

 紫の鎧が大剣を振り上げ砂の大地に叩き付ける。

 途端に砂煙が視界を覆い尽くし、手応えを感じなかった狂戦士が咆哮を繰り返しながら砂煙を大剣で斬り裂く。

 大剣が風を切る轟音を鳴らし、一振りで狂戦士の視界は晴れた。その狂った双眸が見つける。

 眼前で屈むような体勢を取りながら、片手でいつの間にか手に取っていた槍らしき獲物を背後に引き絞る槍兵の姿を。

 

 曲がりくねった矛先が紫の狂戦士の顎先に突出される。

 狂戦士は紙一重で回避するも、次の瞬間その視界に映る天と地が逆転する。

 一撃必殺を狙う槍にばかり気を取られてさしもの野性的直感力でも気が付けなかったのだ。否、気がついてはいたが対応できなかったのかもしれない。

 槍兵は槍を握ったまま突出した訳ではなく、紫の狂戦士の眼下から全力で上空に放り投げたのだ。

 結果自由になった両腕で超重量の装甲を纏う紫の狂戦士の首を掴み、柔道の投げ技に近い形で地面に叩き伏せた。

 

「終いだ」

 

 急いで立ち上がろうとする紫の狂戦士であったが、その時にはもう遅い。

 空中から降下してきた獲物を掴んだ槍兵によって胸を穿たれてしまったのだから。

 此れで最初の脱落サーヴァントが決まった。その闘争を遠く離れた場所から傍観していた誰もがそう思った中、槍兵だけは顔色を途端に変えて急速に後退する。

 ランサーの表情からは一切油断が浮き出ていない。今さっき敵を倒したばかりだというのにだ。

 それはすぐ近くで待機していた白き狂戦士も同じで、紫の狂戦士よりかは理性があるのかやや落ち着いた様子で先程から傍観に徹している。

 二者の双眸が警戒を示しているのはお互いではなく、今さっき心臓を穿たれたばかりの紫の狂戦士。

 その指がピクリと動いた時には、槍兵は顔面に凶悪な笑みを浮かべていた。

 

「そう来なくちゃっぁなぁ!!」

 

 立ち上がった紫の狂戦士と槍兵が動いたのはほぼ同時であった。

 紫の狂戦士は立ち上がると同時に地面に散らばっていた石を掴み、槍兵に投擲する。

 見事なホームで投擲され顔面へと迫ってくる石を回転させた獲物で弾きながら槍兵は思う。

 

 ーー重い。

 

 投擲された石は明らかに通常の投擲の威力の度を越していた。

 ただの投擲といってもサーヴァントの投擲なのだから普通と比べるのは些かおかしな話ではあるのだが、それにしても重心がズラされる程の威力をただの石が出せるとは思えない。

 狂戦士達への警戒心を強めたまま槍兵は地面に転がった石を見る。

 狂戦士によって投擲され、槍兵によって弾き返された石は未だに健在であり今はもう砂の上に返っている。

 その光景に槍兵の心に新たな疑問が生まれる。未だに健在、というのが既におかしいのだ。

 サーヴァントの膂力が投げられ、宝具によって防がれたというのに砕けもしない石とは何なのか。例え金剛石であっても槍兵は砕いてみせる自信がある。

 ならばその正体はなんだというのか。目を凝らして地面に転がった石を見据え、そして気が付く。

 

 地面に転がった石に『見たこともない赤黒い文様』が刻まれていることに。

 

 

「まさか……いや、そういう絡繰か」

 

 嫌な事実を知ってしまった。そう思いながらも槍兵はアップデートされたゲーム機を見る時の少年のような笑みが浮かべられており、次の瞬間には迷わず再度紫の狂戦士に突進していた。

 対して待ち構える狂戦士は武器を持っていない全くの空手。それまで使っていた大剣は宝具では無かったのか、いつの間にか消失していた。

 故に紫の狂戦士は丸腰。両手はフリーの状態である。

 本来であるならば自分が武器を持ち、武器無しの相手と雌雄を決するなど間違いなく自軍に軍配が上がる可能性が高くなるのだが、槍兵に油断は一切無い。

 何しろ彼は気がついてしまったからだ。相手取る紫の狂戦士のスキル、ないし宝具の特性を。

 

 あのサーヴァントが触れた物はなんであれ宝具と化す。

 

 聖杯戦争のルールすら度外視する出鱈目な能力ではあるが、出鱈目でなければ英霊として座に記録されない、というのも頷ける理論ではある。

 ともかく、紫の狂戦士の特性は先程投擲された石礫からも確認済みだ。何処にでもある石ころが紫の狂戦士が一度触れたことによってDランク相当の威力を持つ宝具と化した。

 攻撃を受けた槍兵自身がその真価を経験しているのだから間違いない。

 

「フッ!!」

 

 槍を短く持ち、腰溜めで紫の狂戦士の腹を目掛けて穿つ。

 紫の狂戦士の特性が宝具には及ばないという確証はない。下手に此方の宝具に触れられれば最悪切り札を奪われてしまうという結果に陥ってしまう結末すら有り得る。

 故に今度の一撃は顎を穿った時よりも速度が二段階は上げられており、狂戦士の胸に鋭い一撃が直撃し大きく身体が蹌踉めく。

 

「aaaaaAaaAaaaarーー━━ー━!!」

 

 それでも流石は狂戦士。槍の一撃に後退しながらも、唸り甲の奥の赤い瞳を見開かせて必死に槍を掴もうとしてくる。

 しかし槍兵の方が一枚上手だったのか、ランサーは一足早く槍を引くとその勢いで左脚で回し蹴りを繰り出し狂戦士との距離を取ろうとした━━のだがその足首が凄まじい膂力で掴まれる。

 

「ッ!?や、べ」

「AaaaaaAaaAaaaarーー━━ー━!!」

 

 振り払おうとランサーが力を込めたのも虚しく、今度はランサーの視界の天と地は逆転する。まるでぬいぐるみを振り回す子供の容量で槍兵は数度に渡って砂漠の大地に叩き付けられた。

 砂の柔らかいクッションでは身体へのダメージは少ないが、それでもサーヴァントの膂力で振り回されていたのでは体が持たなくなる。加えて相手は理性を()べて肉体強化を果たした狂戦士なのだ。

 流れを身を任せていてはサーヴァントといえどすぐに肉体に限界が来てしまう。

 

「たっ、くぅああぁぁぁぁあ!!」

 

 其処でランサーが取った行動は、投げ上げられた瞬間に槍で兜の隙間を突き刺すという至極簡単な行動。勿論サーヴァント故の並外れた精神力と技術が無ければ、全身を物のように振り回されながらの突きなど不可能に近いが、其処は槍兵の英霊の技量ならば何ら問題無い。

 鈍い音を立てて弾ける狂戦士の頭部。

 しかし、派手な音の割にランサーの手に手応えは感じられなかった。

 

 原因は曲がり捻れたランサーの槍の形状にある。

 生前、雑兵から猛者に至るまでありとあらゆる生を突き殺して来たその長く太く猛き獲物は、いつしか槍とは呼べない程に変形しきっていた。

 歪曲した形状はそれ故に生物を殺し痛め付けることに特価しているのだが、同時に本来の役割である『突き刺す』という仕事に支障を来すようになってしまったのだ。

 

 状況としては最悪なことに、今現在もランサーの一撃は獲物の特性故に必殺では無くなってしまっていた。

 曲がった矛先では狂戦士の兜を貫き切れなかったのだ。

 

「ーーaaa」

 

 狂戦士の唸りが聞こえる。

 同時にその紫の籠手が槍兵の宝具に伸びていた。

 その先に待つのは、自分の生きた証である宝具を持つサーヴァントとしてら最大の屈辱だ。

 錆びれた鉾に赤い繊維が伸び、繁殖する。

 奪われたランサーの槍はもはや彼の相棒と呼ぶにはあまりに醜悪な悪魔の武具に成り代わっていた。

 

 

 








サーヴァントのステータスをどのタイミングで載せるか迷いますね。


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郷欄(通算29話)

 

「不味いな」

 

 二体の内の紫の狂戦士と突然現れた槍使いの闘いを少し離れた場所から傍観していたシグルドは、槍使いの方が少しずつ狂戦士に押され始めた状況に目を細める。

 何やら機械弄りを始めたマスターに愛想を尽かした女剣士もシグルド同様戦況を見守っており、傍らで表情を曇らせる魔剣士の姿に彼女もまた訝しげな顔になった。

 

「何がです?」

 

 女剣士は目の前の魔剣士を味方として信用した訳ではなかったが、一度刃を交えた時にその技量は嫌でも感じていた。それ故に名も知らぬ魔剣士ーー真名シグルドの見解を彼女は知りたいと思ったのだ。

 異邦の達人から見て今の戦いはどう映っているのかと。

 

 女の問はただ時間と共に無視されるかと思われたが、女剣士の予想とは外れて意外にも魔剣士は視線と意識だけは戦場から逸らさずに言葉を返してくれる。

 

「あの槍……らしき物を使っている英霊の宝具が奪われる」

「?そうなると、貴方に何の不利益があるんです?」

 

 魔剣士の言う『不味い』の意味が分からず、純粋な疑問を抱いて女剣士は首を傾げる。

 シグルドは少し驚いたような面持ちでそんな彼女に目を向け、やがて勝手に納得したかのように一度だけ長く目を瞑った。

 

「……肯定だ。確かに私には何の不利益も無い。故に私が気に掛ける必要もないか。槍兵が死のうと、狂戦士が死のうと、どちらにしても私に益はあっても損は無い」

 

 そう口にしながらも魔剣士の表情は暗い。

 目を細め、戦場でも無いのに宝具である魔剣の柄を握っている背中は女剣士への牽制と云う訳ではなく。

 

 

 ーー手を伸ばせば届きそうな場所で争っている彼らに何かしてやりたいと願っている、そんな風にも視えた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

  

 詳しい理屈は不明だが、この紫の狂戦士が手にした凶器は何であれ狂戦士の宝具となる。元が宝具であってもその効果は例外ではないというのが秒単位で姿を変えるランサーの槍によって証明された。

 一撃必殺を狙って頭部に突き刺したというのに、しくじってしまった。

 傲慢な性格故に自責の念に駆られることは無いにしても、果てしない焦燥がランサーの胸を駆り立てる。

 

 変色した矛先が、迫る。迫る。

 

 脚首を掴まれたままのランサーに奪われた槍で刺殺される未来を回避する方法は無く、確定寸前の運命は変えるには2つの選択肢しか残されていない。

 切り札、つまり宝具の使用か、もしくは第三者の介入がなければ彼の死は確実だ。

 

 もはやマスターに支持を仰いでいる状況ではない。

 急ぎ宝具を発動し迎撃体制に乗り移ろうとした槍兵の目の先に、ふと見慣れない白衣が現れる。

 それは見慣れないからといって見たことがない白衣ではなかった。

 筋骨隆々とした肉体を覆う分厚い白衣。陰陽を象った形の双剣を手にしたその男は、今の今まで自分とは別の狂戦士と槍兵の闘いに対して傍観に徹していたというのに、今になって参戦してきたというのだろうか。

 

 兎にも角にも白の狂戦士はいつの間にやら槍兵にとどめを刺そうとしていた紫の狂戦士の背後に立つと、その2対の双剣で遠慮なくその背中を斬りつけたのだった。

 

「ッ!!aaaaaarrraaaAA!!!」

 

 紫の狂戦士の装甲はかなり分厚い。どのような特性が備わっているかまでは定かではないが、耐久力は見た目通りかなりのものなのだろう。

 悲鳴を上げながらも、白衣の狂戦士に斬り付けられた紫の狂戦士は無傷であり、一切の迷い無く狙いをランサーからもう一体の狂戦士へと変更する。

 ランサーを振り投げ、強奪した槍で後方へと薙ぎ払う。

 白の狂戦士は二刀のうちの片方の刃で攻撃を受け止めるのではなく、火花を散らしながら受け流すと先行して紫の狂戦士の眼前にまで迫り防御に使ったのとは別の刃で斬り掛かる。

 

「破ァァっ!!」

 

 響く衝撃音。

 白の狂戦士の一撃は見事、先程ランサーが傷を付けた胸の辺りに激突し鎧の一部を砕く。

 蹌踉めく紫の狂戦士であったが、依然闘争心は有り有り。唸り声を上げながら白の狂戦士を憎悪の念を込めて睨んでいる。

 それは爽快な死闘を邪魔された故か。相当ランクの高い狂化を付与されたバーサーカーにその有無を尋ねることは不可能であったが、もう一人の邪魔された側の男は尋ねずともその意思を行動で示していた。

 

「なぁにしてくれとんじゃぁ!!」

 

 僅かな大気が震える音。

 白き狂戦士は実際に目にする前から自分が攻撃されていると予感し、手にした二刀で振り返りながらランサーの砲弾のような蹴りを弾き返す。その表情に奇襲による焦りは無く、狂戦士と呼ぶには似合わない生真面目な口調で彼は槍兵と相対する。

 

「共闘を持ちかけるつもりは無い。同じ大地の空気を吸った者同士とは云え、肩を並べる必要もなかろう」

「そいつは同感だ。ならきっちり説明してもらおうか?覇王さんよ?」

 

 戦場の間。中華の戦士2人が睨み合う。

 此処で相手が理解力のあるサーヴァントだった場合、2人の話し合いをまずは見届け横槍など決して出さなかった筈だったろう。

 しかし彼らが相対していたのは残念ながら狂戦士なのだ。

 理性ある行動など端から求めるだけ無駄というもの。

 

「aaaaaaaarrrrr!!!!」

 

 狂戦士の咆哮。

 気が付けば地面が揺れ、砂煙が噴出し、その中から再び実体化させた大剣を片手に猛突進してくる紫の狂戦士の姿が在る。

 狙いはランサー、一点張り。

 武器を奪われてしまったランサーには回避するしか道は無い筈なのだが、間に入った狂戦士がまたも手を差し伸べるかの如く紫の狂戦士の攻撃を弾き返す。

 後退する紫の狂戦士と、状況を理解できずやや動揺している槍兵。

 ただ一人戦況を見越してある決断を下した白き狂戦士だけが変わらず武器を構えたままランサーに提案をしたのだった。

 

「ただ邪魔をするな。君とは後で雌雄を決し合おう」

「あ"ぁ……?おいおいおい、アンタが。よりにもよってアンタがんな玉かよ」

 

 白き狂戦士の言を聞き、失望したように声のトーンを落としながらランサーの殺気がより一層色濃く増していく。

 外気と一体化した殺気(それ)はもはや大気中に霧散した針となって近くに居る者を威圧する。

 

「アンタは違ぇだろ?清楚の覇王、大国の怨年。一対一じゃないと戦えないなんて、まさかアンタが言わねぇだろう?俺達は同類だ。頭の中が鉄と血で出来ているから戦い以外は考えられない。殺りたくて殺りたくて仕方のない戦士だろ?」

「……気付いていないのか。君の物言いは戦士を語る言葉ではなく、ただの殺人鬼を正当化する方便だ」

「どっちでも一緒だろ」

「……」

 

 自分よりもよっぽど狂戦士地味た男の物言いにやがて白い弓兵は嘆息して肩を落とし、髪を掻き毟りながらランサーを睥睨する。

 

「あぁ……あぁ、ランサー。頼むから俺をあまりイラつかせるな」

 

 白い狂戦士の声は震え、次第に髪を掻き毟る力は強くなっていく。

 赤みを増して変色していく肌も合わさってどんどんと白の狂戦士から理性が解けていくのが見て取れる。

 どうやら白き狂戦士へに付加された狂化のスキルはどうにも不安定なようであり、常時効果が付与されている訳でなく何かの拍子で理性が消失するタイプらしい。

 きっかけというのは人間の激情の象徴ーーつまりは怒りだ。

 

「せっかく……せっかく主の命令を受けて我慢していたのに、していたのにっ。邪魔をするなよ……磨り潰すぞ羽虫共」

 

 そうして白き狂戦士の気配が一転し、また理性の蒸発した獣の表情でランサーを睨む。

 双剣を握る両手にも目一杯の力が込められているのが目に見えており、相対する槍兵も、横槍を入れる気満々のもう一体の狂戦士も挙って身構える。

 再び英霊三騎の戦闘が始まる。

 その場のサーヴァント達も、戦いを傍観する観客達も皆がそう思い息を呑んだところで。

 

 

 異変は、三騎の内のある一体のサーヴァントに現れた。

 

 







やっぱりお前かエロ尼。


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バレット(通算30話)

 

 遠方にてぶつかり合うサーヴァント達。

  

 その戦況を己の使い魔を通して観察していた魔術師は次第に焦りを顕にしていた。

 

 額からは汗が流れ、慌ただしく動き回る度に部屋の中の物が散らばっていく。

 元来の潔癖症の性質もあってか、徐々に統一感を無くしていくモーテルの一室に更に激しい苛立ちを覚えながらも、魔術師にはもはや片付けを行う余裕すら無い。

 

 

 1時間前。信頼は出来ないが嘘はつかないであろう人物から、『敵が来る。撃退するのに邪魔だから其処を動くな』も支持を受けた。

 連絡をしてきた人物は、独善的な願望を抱いて聖杯戦争に参加しているこの魔術師の同盟者に当たる人物で、魔術師としては大変腹立たしいことに自分よりも腕が立つと理解していた。

 故に彼は同盟関係にある『彼女』の言うことを聞き、現在地より遠く離れた場所でサーヴァント2体と戦闘中の己のサーヴァントに魔力を送り続けている。

 

 しかし、更に腹立たしいことにいつまで経っても2回目のベルは鳴らない。

 刻々と時間が好き、狂戦士が暴れる度に尋常じゃない程の魔力が吸い上げられていく。

 話には聞いていた聖杯戦争が魔力供給1つで此処まで辛いとは。大人しく無難な三騎士を選んで召喚しておけばよかったと1人後悔仕掛けていた魔術師の携帯が、不意に部屋中に鳴り響いて音を鳴らす。

 魔術師はそれを聞くやいなや、普段なら大事に保管している高価な魔術道具を手から放り投げて、必死な形相で時代遅れのデルビル磁石式壁掛電話機を耳に当てて叫ぶ。

 

 

「おいどうなってる!?敵の魔術師は!?サーヴァントは!?いいから早く教えろ!!こっちは後先考えずにあんたの言う通りにサーヴァントを出撃させたんだぞ!?」

 

 

 今正に窮地に追い込まれた魔術師にとって、神秘の秘匿など自分の命と天秤に掛ければ瑣末なこと。電話越しの相手が誰であるかも確認せずに彼は魔術世界の言葉をペラペラと喋る。

 これで相手が神秘の秘匿側の人間、例えば魔術協会の執行者や聖堂教会の代行者であった場合、彼は少なからず肝を冷やす事態に陥ったのだろうが、幸いにも電話越しの相手は彼が待ち望んでいた人物で相違無かった。

 

 

『フフフッ。必死なのね。でも心配は要らないわ。大丈夫よ』

 

 

 受話器から漏れ出す電話越しの声は女性と呼ぶには些かあどけない、少女のものだった。

 あどけなさを残しながらも、歳不相応の気品が溢れる。声を聞いただけでもその清廉さが聞く者の心を癒やす。

 しかし残念ながら、そんな唄声のような美声も今の魔術師には楽しむ余裕は無い。

 

「し、心配要らないって!!何か対策は打っているのか!?」

 

 不安に思った魔術師は結論を急いで上位の存在である電話越しの相手に問い掛けた。

 切羽詰まった表情で受話器を両手で握り締め、今か今かと彼は救済の言葉が耳に入り込んでくるのを固唾を呑んで待っている。

 しかし次の瞬間、彼の耳に入り込んできたのは緊張した彼の心の糸を容赦無く切り付ける、鋏のような突き放しの言葉だった。

 

 

『対策?いいえ何も。だってその必要は無いんですもの』

 

 

 予想外に過ぎる言葉に魔術師の時が数秒の間止まり、再び瞳が動いた時には慟哭で異常な汗が吹き出していた。まるで今さっきまでサウナにでも入っていたかのような、尋常ではない汗の量だ。 

 

「……はっ?な、何言って」

『だって必要は無いでしょう?貴方の狂戦士(バーサーカー)と、私の狂戦士(バーサーカー)。数日戦わせてみたけれど誘き寄せられたのはランサーだけだったもの。駄目ね。もっといっぱい集まると思って、色々準備していたのに』

「ま、待て!!待て待て待て!!だからって俺を切るつもりなのか!?それはっ、それはないだろうっ!!?あんたが一気に敵サーヴァントを脱落させられる秘策があると言ったから、俺はあんたに手を貸したんだぞ!?騙したのか!!騙したのか、サ━━」

 

 涙目になって吠え叫ぶ魔術師。受話器を握る掌は焦りによって吹き出した汗で摩擦力が次第に無くなり、ふと手から受話器が落ちる。

 電話越しの相手に縋るしか自分には後がない。

 そう隠しているからこそ彼は必死な形相で地面に転がるコード付きの受話器を取り上げようと地面に伏したのだが、その瞬間、彼は見た。

 

「……えっ?」

 

 窓の外。

 現在地より遠く離れた建物の上に誰かが居る。

 その誰かは此方に狙いを定め、武器を構えていたのだ。

 

 気がついた時にはもう遅い。

 回避行動を取る暇もなく安モーテルの窓は騒音と共に割れ、魔術師の胸から赤黒い鮮血が飛び散った。

 

 

 

 

 

 

「ーー目視確認。クリア。続けて第二射撃開始します」

 

 双眼鏡を持った片方の兵士が確認をし、それに合わせて長距離射撃を行ったばかりもう片方の兵士が再装填を始める。

 

 冷酷な表情で人一人を殺す作業を黙々と熟す兵士達であったが、その心情は常に冷血であった訳ではない。

 数秒前。弾丸を放つ数秒前に標的である魔術師は確かに此方に気が付いて視線を向けていたのだ。

 1キロ近く離れた場所からの長距離射撃だというのにだ。

 そんなことは兵士達の知る『常識』からは外れており、彼らは本作戦が行われる前に上司が口にしていた言葉を嫌でも思い出すことになる。

 

 

 ━━相手を人間だと思わず、一切の躊躇無く、己の感情を殺して相手も殺せ。

 

 

 成るほど。確かに相手は魔術師(ばけもの)だ。

 狙いを定める兵士も狙撃銃を構える兵士もどちらもがそう確信し、2発目の弾丸を放とうとトリガーに指を掛ける。

 第二射も躊躇い無く放たれ、双眼鏡越しに魔術師の頭が貫かれたのだが、確認した兵士は思わず一度双眼鏡を離して目を擦る。

 やがて自分が目にした光景が真実だと理解すると、唖然とした表情で無線機に声を送った。

 

「第二射撃失敗。狐は逃げた。繰り返す、狐は逃げた。付近の捜索を要請する」

 

 

 

 

 

 

 魔術師は走る。

 一発目の狙撃を受けて、肩からは絶え間なく血液が流れている。

 

「クソッ……クソォッ!!」

 

 急増の防護システムは対魔術兵器に特価した性能であり、精密射撃の実弾が相手では跳ね返すことしかできなかった。結果、胸や心臓への直撃は避けられたものの、跳弾した弾丸が肩に当たったのだ。

 震える身体で裏路地を走り抜けながら数分前に自分に起きた悲劇を思い出して彼は歯を食いしばった。

 

 

 

 魔術師が参加したのは聖杯戦争だ。

 

 聖杯と呼ばれる願望器から古今東西の英霊を呼び出し、主たる有能な魔術師が各々の技量を発揮し雌雄を決する高度な魔術戦。

 そんな戦いは自分にこそ相応しいと近場の聖杯戦争に参加したのが、思えば彼の運の尽きだったのかもしれない。

 名目上は管理者という名目で買い取ったモーテルの内部は、魔術師が数年掛けて聖杯戦争の為の異界に作り替えた。用途の違う数十の結界とお手製の合成獣の数々。

 生半可な魔術師ならば最深部に到達する前に塵芥に変えられるだけの備えをしたつもりだったのだが、まさか適正力の中に近代兵器を扱う者が居るとは。

 つまるところ大半の魔術師の欠点は其処に在る。

 自分達が常人より優れた存在であると蒙昧しているから、彼らは同業者ばかりを警戒して他に目がいかないのだ。イレギュラーに極端に弱い、という点では魔術師もまだまだ人間を超越した存在とは呼べないのだろう。

 

 苛立ちに頭を支配され、肩を抑え血を流しながら魔術師は路地へ路地へと入っていく。

 

 次第に人通りは少なくなっていき、それが意図的に誘き寄せられたのだとは魔術師は気が付かない。

 路地の先に在る広い空間。

 普段は街のゴロツキ達の溜まり場になっている場所で、近隣の人々は勿論、魔術師もまた面倒を恐れて近寄らない場所だ。

 そんな場所に魔術師は辿り着いてしまった。

 近隣の住民を装った兵士達の仲間の意図的な視線や自然な通行止めを受けて、無意識の内に蜂の巣に足を踏み入れてしまったのだ。

 其処で待つのは、勿論巣を根城にする女王蜂に他ならない。

 

 

 焔のような髪と、その髪に焼かれたのではないかと錯覚してしまうような顔の傷。

 倒れたドラム缶に腰掛け葉巻を吹かす軍服の女の姿を見て、魔術師はいよいよ自分は気が狂ってしまったのではないかと慟哭しながらも必死に叫ぶ。

 

「な、なん、なんなんだお前らは!!」

 

 怒り心頭でありながら今にも泣き出しそうな魔術師を前にして、軍服を羽織った女の表情は至ってシンプルであった。

 冷静というより、希薄。

 目の前の怯えた中年の男に対して殆ど興味無さそうな半目で視線を送り、やがて心底疲れ切った表情で額を手に乗せて俯いた。

 

「はぁ……全く。試し斬りとはいえ、こんな男が初陣の相手とはな」

「は、はぁ!!?」

 

 先程から全く話が見えてこない。

 激しく混乱した魔術師が後退りを始めたのとほぼ同時に、軍服の女は立ち上がりもせず手にした武器で片手間に狙いを定めていた。

 それは魔術師が先程肩を貫かれたものと同じ系統の近代装備。

 鉄と火薬で構成されたそれは、俗に銃と呼ばれる、魔術世界では滅多にお目にかかれない代物だ。

 

 

 

 

 

 

 

 ナミブ砂漠。暗黒要塞エンリル付近。

 

 

 

 狂戦士達と、突然乱入してきた槍兵の死闘。

 その戦いを少し離れた場所より傍観していたシグルド、ヴェンジャーとそのサーヴァントの3人が下手に動けないまま30分近くが経っていた。

 予定通りならば今現在はとっくに暗黒要塞の城門を潜り抜けている筈であったのだが、3体の英霊を相手に下手な動きはできない。しかもその内2体は狂戦士らしいのだ。

 本心ではない様子見が続く中、興味深けに双眼鏡で戦いを観察していた主に女剣士は近づきやや嫌味の混じった声色で話し掛けた。

 

「マスターは、率直に言って愚か者です」

「むっ。なんだセイバー、やぶからぼうに。僕が何した?僕は自分が腹の立つ奴だと理解しているが、まだ君の苛つくようなことはしていない」

「まだ、ってところが無性に不安なのですが……そうではありません」

 

 では他に何が頬を膨らませてしまうほどの不満になっているのか。

 ヴェンジャーが尋ねるよりも早く、女剣士は黒のポニーテールを腹立たしげに指で弄くりながら言葉を紡いだ。

 

「私が苛立ちを覚えているのは、こんな戦場に、何の装備も無しに来てしまう貴方の警戒心の無さですマスター。そ、その……サーヴァントである私を信頼してくれているのは有り難いのですが……」

 

 後半にいくに従って恥ずかしそうにモゴモゴと言葉を曇らせていく女剣士だったのだが、対して主であるヴェンジャーの表情はドン引きの一言で済むほどの純粋な色を示していた。

 

「お前、まさか僕がお前を信用して武器を何を持ってきてないとでも思ったのか?初戦であそこの魔剣士にあれだけこてんぱんにやられておきながら?」

 

 お前は見当違いの発言している。

 ヴェンジャーの言葉はそう指摘したようなもので、女剣士は途端に顔を真っ赤にして主の脛を容赦無く蹴り付ける。

 

「あーっ!!あーっ!!聞こえませーん!!というか失礼です!!万死に値します!!主に懺悔してから私にも謝罪を要求します!!」

「いだぁっ!?お、おいやめろ!!本気で痛いから!!筋力差考えろゴリラ女!!」

「うきゃー!!また失礼発言ですか!!そういうの私本気で許せないんですから!!」

 

 一応は手加減はしてくれている蹴りなのでギリギリのところで避けながらも、ヴェンジャーはワルツのようなステップを踏みながら必死に弁明を口にする。

 

「そもっ!そもっ!お前のその勘違いがまず不要なんだ!!」

「はっ?」

 

 主の言っている言葉の意味が判らず思わず足を止める女剣士。

 ヴェンジャーはやっと無益な攻防が終わったことに安堵すると、名も知らぬ魔剣士が此方に意識を向けていないのを確認してからそっと女剣士に耳打ちをした。

 

「本当に、天才である僕が何の対策も無しにこんな戦場に来てると思ってるのか?聖杯戦争の準備は完璧だ。ただ少しだけ予定が狂って、完璧であっても万全ではないんだが。いずれそれも解決される」

「?……?すいません、マスター。何を言ってるか私には理解できません」

「何?お前ホントに馬鹿だな」

「ッ!!」

 

 煽り耐性皆無の女剣士が今度は拳を振りかぶったところで、ヴェンジャーは腕で防御しながら変わらない声量で女剣士にだけ聞こえるように明確な答えを口にしたのだった。

 

「だからっ、『兵器』は作ってるんだよっ。僕専用の物はまだ二手間ほど行程を残していて完成はしてないが……試作品自体は数年前から傭兵や軍相手に販売もしている」

 

 言葉を並べながらヴェンジャーが唯一の持ち物として拵えてきたスーツケースから取り出したのは、商談の時に使うタブレットで、電源入れるとすぐに立体映像が放出される。

 映し出されるのはサーヴァントである女剣士にとっては触れた事も見た事も無い未知の兵器の数々。それとその兵器を買い取った雇用客の名前の羅列だ。

 

 

「色々と試行錯誤して作ったからな。試作品でも、魔術師相手にそれなりに戦えるんじゃないか?」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 名も知らぬ女軍人によって撃ち出された弾丸は真っ直ぐ水平線を描いて標的である魔術師へと直進する。

 

 同時に魔術師が身に着けた指輪型の魔術道具が防護装置として作動し、周囲の塵が集まって黒い壁となり魔術師の前で三日月の壁を形成する。

 結果、女軍人の大口径の拳銃から放たれた弾丸は魔術師本体ではなく、魔術師が生み出した壁に被弾し、

 

 

 ーーその壁を貫通して魔術師の左肩を抉った。

 

 

「あッ!!?あ、ぁぁああぁぁぁぁ!!!?」

 

 何が起こったのか判らず泣き叫ぶ魔術師。新たに生み出された痛みによって思考能力は不安定であり、状況を理解するまでには中々至らない。

 それもいま起こったのは、ただの近代兵器だと侮っていた弾丸が崇高なる魔術の防御を打ち破ったなどという彼の矜持をぶち壊す現実なのだから、理解したくないのも無理もないのかもしれないが。

 

 何しろ、女軍人ーーソフィーァ・ベルモンドは魔術師ではなく、彼女が行った攻撃手段もまた魔術回路を起動して扱うような芸当ではなかったのだから。

 実際攻撃を受けた魔術師も直前に魔力の流れがあったようにも思えなかったのだ。

 しかし、それでは説明が付かない。

 ただの玩具(からくりじかけ)の弾丸が数十年の歴史を経て試行錯誤した自慢の防壁を打ち破るなどあり得ない。

 

「心配しなくていい。殺しはしない。魔術師(お前ら)には有効価値がある」

 

 凍てつくような女の声。

 ソフィーァはそれに似合う感情を顕にしない冷血な表情で手にした回転式拳銃(リボルバー)の弾倉を開くと、未だ5発入っているのにも関わらずポケットから弾丸を取り出してつい先程撃ち放った分を補充する。

 

「言っておくがお前に勝ち目は無い。もし私を殺せたとしても、其処いらに私の部下の眼が散らばってるからな。お前は私の殺意から逃げられない」

「ッ……な、なんだっ。何が望みなんだお前らは!!」

 

 激痛に苛まれながらの男の絶叫。

 相対する女はそれを目の当たりにしながら、映画を見ているかのような気楽さで悪辣な笑みを浮かべ再び銃口を向けたのだった。

 

「これから『何も考えられなくなる』のに私にその質問をする意味があるのか?」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 女の言葉は無情であり、女の行動は非常であった。

 

 2発目の弾丸で膝を撃ち抜かれた後、魔術師は青白い顔で何かを数度呟いたかと思うと泡を吹いて気を失ってしまった。

 

 するとすぐに物陰から待機していたであろうソフィーァの部下が数人路地に現れては、まだ息があるというのに死体用の輸送袋に魔術師を入れて何処かに運んでいく。

 その中の1人。鷹を連想させる鋭い金眼が特徴的の筋肉質の軍人だけが現場に残り、ソフィーァに向かって敬礼する。

 

「お疲れ様です、少佐。……正直、肝が冷えました」

「ハッ。お前のような生粋の軍人からもそんな弱音(ことば)が出るとはな」

 

 立ち上がらずドラム缶の上で長い脚を組み、ソフィーァは葉巻を吹かして手にした回転式拳銃を掲げて視る。

 

「だがそう言うな。こいつの性能を確かめるにはどうしても間近で確認しなくてはならなかった。……まぁ性能はまぁまぁだな。アメ公が造った紛い物の魔術礼装ならばこの程度だろう」

 

 自身の武器に対する評価は低め。

 実際、彼女が先程一方的に虐殺した魔術師の防壁は練度としてもそれほど高位ではなく、簡易的な防衛装置でしかなかったのだが。それでも物理特化の自動防衛システムであり、あれほどやすやすとただの拳銃が貫けるような代物ではない。

 では何故魔術師は肩を貫かれるに至ったか。

 理由は拳銃にではなく、その弾倉に詰められた六つの弾丸にあった。

 ソフィーァはその内の一発を取り出すと親指と人差し指で摘んでみせる。

 

「【起源弾】、と言いましたか。魔術師の脊髄を粉末状にし詰め込んだ弾丸……アメリカの武器商人ヴェンジャー・アルトスル・コカインドの商品の中に含まれていました」

「奴のお手製だ。商談の時は気に食わない好色家だとは思っていたが、確かに奴は危険だ。魔術師でもない癖にこんなものを造れるんだからな」

 

 褒めているのか。依然としてソフィーァの表情は冷酷なままで変わらず、表情の色の付かない顔のまま弾丸を詰めていく。

 

「銃身を一つの魔術回路として扱い、弾に詰められた魔術師の起源を再現する」

 

 

 

 起源。

 

 魔術師に限らず、あらゆる存在が持つ、原初の始まりの際に与えられた方向付け、または絶対命令。あらかじめ定められた物事の本質。

 

 魔術師の場合、特に起源が強く表に出ていると、通常の属性ではなく起源が魔術の特性を定める場合がある。

 脊髄や脳といった中枢神経系は他の器官に比べて起源を色濃く反映しているようで、この弾丸が作られる際材料にされたのはそのどちらかとなった。

 例えば、先程魔術師の防壁に放ったのは『解呪』の起源を詰め込んだ弾丸。結界払いを専門職とした魔術使いの脊髄を削って作り出された弾丸であり、一度具現化した魔術に放てばその効果を一時的に退ける。

 魔術師を相手にする戦いである以上使い勝手が良い為、その魔術使いからは多く脊髄を削ったことを思い出しソフィーァはつい悪どい笑みが浮かぶ。

 

「そういえば、この弾丸の元になった魔術師(バケモノ)共は私が調達したんだったか」

「はい。他兵器に使用された分も合わせれば24人の魔術師及び魔術使いの脊髄や脳が使用されています」

「奴らは?」

「本国にて保護しています」

 

 保護とほなんとも都合の良い言葉だと、ソフィーァは関係者でありながら内心苦笑する。

 実際は保護なんて生易しいものではない。

 誘拐、連行、脅迫した魔術師を一箇所に集め監禁しているのだ。ソフィーァの所属する軍のやり方は、無力化した上で魔術師の最大の武器である魔術刻印は疎か、脊髄の一部の摘出手術まで行っている非人道ぶりではあるのだが、女軍人は微塵もその行為に罪悪感は抱かなかった。

 

 1つは祖国のためであるから。

 2つは相手が人間ではない魔術師(バケモノ)であるから。

 

 魔術師を同じ人ではなく、弾薬や食料といった消耗品としてしか見ていない彼女だからこそできる非情な命令。その点も買われて彼女は今回のナミブ砂漠の聖杯戦争の参加者に抜擢されたのかもしれない。

 勿論彼女はそんな生き方に疑問すら抱かず、むしろ人生そのものと云える研究成果を奪われた魔術師の為に、常に脳みそをお花畑に変える薬を投与している自分は慈悲深いのではとさえ思っていた。

 

 

 しかし、そんな彼女の脳裏に浮かぶ1つの疑念。

 それは彼女が自身の戦いを方をこうだとサーヴァントに同意を得ようとした時の出来事だった。

 否、出来事とも呼べない、一瞬の事象だったのだ。

 しかしその瞬間に確かに彼女は見た。

 戦闘にしか興味の無いと肉体で語る、槍らしき武具を担いだ猛獣。

 その見る者全てを畏怖させる鋭い眼光が、主である自分に向いていたことに。

 

 一目で判った。

 口には出さないし、彼も自分自身の感情を理解していない様子であったが、敵意を向けられている。

 それは根本が善性の英雄であればこそ至極当然の感情であり、計画的に動くソフィーァには理解できない感情だった。

 間違っても理解したくはない感情だった。 

 

「猛犬であるのは構わないが、飼い主の手に噛み付くような狂犬であるならば」

 

 言葉は其処で途切れて女は自分の左手の甲に刻まれた赤い華に目を移す。

 感情も志も全く違う。

 となれば、魔力回路の繋がりと、この赤い華だけが彼女とから彼女のサーヴァントを結ぶ唯一の繋がりなのかもしれない。

 



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