ルイズの聖剣伝説 (駄文書きの道化)
しおりを挟む

序章
紡がれた神話


 長い夢を見ていた。とても長い夢を。

 これはとある神の夢。それは想像であり、そして創造である。

 想いを重ねて像となし、神は世界を生み出した。

 考え、思い、悩み、笑い、怒り、悲しみ、楽しみ。

 積み重ねた。破壊した。再生させた。そして世界は廻る。何度でも、何度でも。

 どれだけ長い時間も永遠には届かない。いつか終わりは必ずやって来る。

 永遠は無い。永遠はあり得ない。だから、時を重ねれば劣化していく。

 だからこそ終わりが望まれた。望まれた終わりの担い手。その名は……―――。

 

 

 

 * * *

 

 

 

「――本当に、長い夢ね」

 

 

 ぽつり、と小さく呟き。呟きを零したのは女性だった。風に靡く髪。その色は桃色がかったのブロンド。遠くを見つめるように細められた瞳の色は鳶色。

 身に纏うのは白の外套に銀色の軽鎧、背には風に靡く黒いマント、手足には装具。胸元には五芒星を刻んだペンダントが揺れる。腰には剣が括られていて、鞘越しに撫でるように剣に触れながら口元を笑みに変える。

 

 

「だけど覚めない夢はない。だって、夢はいつか終わるもの」

 

 

 あぁ、と吐息が零れる。

 ようやくここまで辿り着いた、と。彼女の心の中には万感の思いが詰まっていた。ここは始まりにして終わりの地。ようやくたどり着けた地を眼に移す。胸を満たす想いには自然と表情は笑みに変わる。

 彼女が立っている場所は巨大な木の根元。その大きさは、自分がまるで豆粒に見える程だ。見上げても尚、まだ上を見上げる事も出来ない大樹。

 大樹を見つめながら彼女は思い出していた。この地に至るまでの日々の事。それはあの“始まり”から綴られる、彼女のとても長い夢物語。

 

 

「さて、行きますか」

 

 

 笑みをそのままに。踏み出す一歩に力を込める。物語の終わりを紡ぐ為に。

 “彼女”について軽く話をしよう。彼女の名はルイズ。とある世界において”ゼロのルイズ”と蔑まれた者。恵まれた環境と由緒正しき血統を持ちながらも、彼女は無能であった。

 だが、彼女はかつての姿とは大きく懸け離れていた。やや控えめとはいえ、その体は女性特有の体付きに変化を遂げていた。

 手に握るのはかつて“誇り”であった杖ではなく、彼女の長い旅路の果てに得た力。それは剣。かつては平民の武器と蔑み、この世界では何より頼りにして来たもの。

 それでは、少しばかり語ろう。彼女がここまで至る物語を。

 

 

 

 * * *

 

 

 

 ハルケギニア。そう呼ばれる世界こそが、この物語の主人公であるルイズの生まれた世界である。

 ルイズはハルケギニアのトリステインと呼ばれる王国の貴族の娘であった。まず前提として、ハルケギニアでは貴族は魔法が使える。これがハルケギニアの常識であり、彼女の両親や姉妹もその例に漏れず魔法を使う事が出来た。

 ただ1人、ルイズだけが例外であった。ルイズは貴族でありながら魔法が使えない。どんな魔法も爆発という結果を引き起こしてしまう。ルイズは当然の如く誹謗中傷の対象となってしまった。

 貴族でありながら魔法を使う事が出来ない無能者。誰もがそんな彼女を蔑み、同情し、見下した。だが、そんな逆境の中でもルイズは前を向き続けてきた。自分は貴族なのだと言い聞かせ、小さな体に曲がらぬ誇りを抱きながら。

 さて、そんな環境の中でルイズはトリステイン魔法学院と呼ばれるトリステインの貴族の子供達が通う学院に在籍していた。誹謗中傷に塗れた日々だったが、ルイズはどれだけ蔑まれようとも貴族であろうと努力をし続けていた。

 トリステイン魔法学院に通い始めて1年。ルイズは2年生へと進級する為の儀式を受けていた。トリステイン魔法学院では、1年生から2年生に進級する際に“使い魔召喚の儀式”というものを行う。

 それは自分にとって一生とも呼べるパートナーを召喚する重要な儀式だ。使い魔にはカラスやネコ、ネズミからドラゴンなどと言ったハルケギニアの世界の動物たちが選ばれる。

 その種族の格によって本人の評価も決まると言われる程、この儀式は重要だった。ルイズはこれに賭けていた。自分が召喚する使い魔によっては自分の評価を改める事が出来る。

 だが同時に、これに失敗すれば魔法学院を去らねばならないというリスクも孕んでいた。緊張で体が震えそうになりながらも、ルイズはそれを押し隠し儀式へと挑んだ。

 

 

 ――これが、ルイズの経験する長い物語の始まり。

 

 

 召喚の呪文を唱え、魔法を行使したルイズの意識は飛んだ。召喚によって繋がった存在によって、逆にルイズの意識が誘われたのだ。

 召喚によって繋がったのは遠い異世界の“神”そのもの。

 それは恐らく奇跡の始まりだったのだろう。“神”は驚いた。自らと道を繋ぎ、意識を共有するルイズに対して。そして“神”はルイズに問うたのだ。

 

 

 ――貴方が、私の“英雄”なのですか、と。

 

 

 これが“英雄”の生誕の物語であり、“女神”の再誕の物語の、その全ての始まりである。

 

 

 

 

 

 * * *

 

 

 

 

 

 

 ルイズは駆ける。巨大な樹の枝を踏みしめ、眼前に立ち塞がる敵を切り裂く。先を進まんとするルイズの前に立ち塞がるのはドラゴンだ。

 堅牢な鱗と空を舞う翼を持つスカイドラゴンと呼ばれる竜種だ。逞しい翼を用いて自由自在に空を舞い、ルイズを焼き払わんとブレスを吐き出す。

 ブレスが眼前に迫りながらもルイズは臆さない。神速の勢いで迫り剣を振り下ろす。描き出された剣閃はいとも容易くブレスを掻き消す。

 そのままの勢いで跳躍し、スカイドラゴンを剣で斬り捨てる。ルイズに対し呪うかのように怨嗟の悲鳴を上げながらスカイドラゴンが墜落していく。

 墜ち行くスカイドラゴンに目もくれず、前へと踏みだすルイズ。だが、彼女の行く手を阻むかのようにに轟炎が吐き出される。

 ルイズは慌てる事無く、轟炎が身に触れる前に飛び込み、転がるようにして回避する。すぐさま体勢を立て直し、己の火を放った影を睨む。

 ルイズの道を塞ぐように立ち塞がるのはまたしてもドラゴン。しかし先程ルイズに牙を向けたスカイドラゴンとは違う。特徴としてまず翼がない。しかしその身はスカイドラゴンとは比べものに為らないほどの強靱さを秘めている巨躯。

 ランドドラゴン。ルイズの口から小さく呟きが零れる。呟きを聞き取ったか、否か、ランドドラゴンはまたしても轟炎のブレスをルイズに向けて解き放つ。地を蹴り、すぐさま飛び退きながらルイズは轟炎を回避する。

 飛び退いた勢いを生かし、そのまま前に転がりながらランドドラゴンへと疾走。そのまま勢いを殺さぬまま跳躍。地を蹴り上げ、飛んだルイズはランドドラゴンを頭上から強襲する。

 

 

「――――ッ!!」

 

 

 ずん、と。頭上から襲う一撃にランドドラゴンは反応仕切れず、脳天からルイズの剣を受けるしか出来ない。鱗を食い破る硬い感触に眉を寄せながらルイズは剣を引き抜き、ランドドラゴンの体を蹴って距離を取る。

 断末魔を上げる事も許されず、ルイズによって蹴られた勢いのままランドドラゴンは地に倒れ伏した。ルイズはランドドラゴンに視線を送り、動かない事を確認して一息を吐いた。

 

 

「……道のりは長いわね」

 

 

 ルイズが見上げる大樹の天辺はただ遠く、ルイズは剣についた血を拭い、再び歩みを進めた。

 

 

 

 * * *

 

 

 

 当初、ルイズは呼び出す筈の儀式が呼び出される結果に終わってしまった事に酷く狼狽した。右も左もわからぬ異世界での生活はルイズにとって心身を削るものであった。

 最初こそ、異世界に自分を放り出した“女神”の存在を憎悪した事もあった。そして憎悪を原動力にして“この世界”からの脱出を試みた。この世界で生きる術を学び、世界へと飛び出していったのだ。

 だが、ルイズは変わっていった。呼び出された世界、“ファ・ディール”と呼ばれるこの世界で生きていく内に彼女は得難い経験の数々を得ていった。

 “珠魅”と呼ばれる宝石を核とする種族の青年と少女と出会い、そこから彼等に纏わる闘争に関わり、人を護るという事の難しさと尊さを知り。

 “竜帝”と呼ばれる世界の席巻を狙う者に嵌められ、世界を滅ぼす一助をしてしまった後悔。そして巨大な力への恐怖と責任について思い。

 “悪魔”を廻る正義と悪についての争いと、人の思いの行方とその結末に涙を流し、正義とは何なのか、悪とは何なのかという疑問に胸を痛め。

 様々な人と出会い、様々な出来事を積み重ね、悩み、思い、ルイズは大きく成長していった。

 語り尽くすには、どれだけ太陽が昇るのを繰り返せば良いのかわからない。

 記し尽くすには、どれだけ紙とインクを消費すれば良いのかもわからない。

 それは一生よりも短い時間でありながらも、一生に匹敵する程に濃密な時間であった。未だに答えに出せぬ事も多い。故に、ファ・ディールへの未練もある。まだこの世界で生きる彼等と共に、と願わない訳じゃない。

 

 

「でも、夢は覚めるのよ」

 

 

 胸元で揺れる五芒星のペンダントを撫でる。唯一“ハルケギニア”から“ファ・ディール”に召喚されてから手放していない、“ハルケギニア”と自分を繋ぐ証拠。故に自分は帰らなければならない。

 何より自分には託された願いがある。この世界を終わらせるという“彼女”の願い。だから止まらず歩いていくのだ、と。“彼女”自身とも言えるこの大きな樹を。この世界を終わらせるその為に。

 

 

 

 * * *

 

 

 

 ――私を思い出してください。

 

 ――私は全てを愛します。私は「愛」です。この世界全てを愛します。

 

 ――誰もが忘れた「愛」をもう一度、思い出してください。私はここに居ます。

 

 ――だからこそ願いました。だから、貴方は私の前にいます。

 

 ――どうか示してください。この世界が再び「愛」を取り戻せるように。

 

 ――どうか世界が再び歩み出せるように。痛みに怯えず、力を失わないように、成長を促す為に。

 

 

 

「―――えぇ。だから、約束を果たしに来たわ」

 

 

 

 魔物の血に濡れ不敵に笑う彼女がこんなにも頼もしいと笑みさえ零れた。

 不意に彼女との最初の光景を思い出す。泣き喚き、憎しみに囚われ、滑稽とも言える姿を晒していた彼女。

 だが、今ここに立つ姿はまったく違う。強く地を踏みしめ、真っ直ぐにこちらを見つめる瞳。あぁ、正にその姿は待ちわびていた“英雄”の姿に他ならない。

 

 

「約束通り、アンタを終わらせに来たわよ。“マナの女神”」

 

 

 それはこの世界の終わり。そして、また始まる為に。この世界を導く為に。この世界を再び蘇らせる為に。この世界に一杯の“愛”を注ぐ為に。

 

 

 

 ――貴方が、この世界“ファ・ディール”で戦い続けてきた者達はこの世界の闇。

 

 ――それは即ち”私の闇”でもあります。この世界を再び光で満たすためには闇を祓わなければなりません。

 

 ――今から“私自身の闇”を見せます。

 

 

 

 それは願いだ。

 それは終わりの為。それは始まりの為。全ては、この世界の為に。

 言い尽くせぬ程のありがとうとごめんなさいを彼女に。そして、最後の我が儘を告げる。

 

 

 

 ――貴方はそれに打ち勝ち、英雄になってください。

 

 

 

 告げられた願いの言葉を彼女は聞き届ける。ふっ、と口元が緩み、笑みを浮かべている。

 

 

「……えぇ、任せなさい」

 

 

 待ちわびた“英雄”は誇り高く告げる。“女神”を相手にしても尚、不敵に笑みを浮かべる。

 

 

「救いを求める人々がいる。なら、手を差し伸べるのは貴族として当然の事よ。そして貴族じゃなくても私は戦いたい。ただ、この世界の為に。たくさんの思いをくれたこの世界の為に。――だから、貴方の闇は私が払いましょう」

 

 

 

 ――――そして、“英雄”の宣言を合図として、1つの世界の命運をかけた戦の火蓋は切って落とされた。

 

 

 

 かの戦いを一言で表すならば、それは正に神話の戦いと言うべきだろう。

 繰り出される女神の一撃。それは地を破砕せし慈悲無き一撃。受ければ身が砕かれる事は必至。

 しかし、相対すべき英雄は臆する事無く身を前に倒す。破砕の一撃が掠り、身を抉られながらも前へと進み、斬り捨てる。

 斬り捨てられた女神は身をくの字へと折るが、瞳から闘志は消えず英雄を睨みつけている。

 英雄は臆す事無く、叫びと共に剣を振り抜く。返す剣は女神の体を切り裂き、勢いのまま吹き飛ばす。

 吹き飛ばされながらも女神は抵抗を続ける。女神によって組み上げられた魔法陣より放たれるのは破壊の光。光の奔流は英雄を飲み込まんと迫り行く。

 体を転がすようにして英雄は横飛びに破壊の奔流より逃れる。英雄のいた地点から抉り取るように空間が弾け飛ぶ。

 弾け飛ぶ空間の中、態勢を立て直した英雄はすぐさま駆け出す。睨み、見据えるは狂乱の女神。迫り来る英雄を前にし、女神は手に剣を握りし騎士の姿へと変じる。

 一合、二合、三合、四合、五合! 斬り結ぶ剣は互いに決定打を得ることは出来ず、ただ舞うかのように両者はぶつかり合う。

 

 

「―――ッ!!」

 

 

 女神も悲鳴とも聞こえるような叫びと共に放たれるのは雷球。幾重にも放たれた雷球は宙を漂い、紫電を発する。相対する英雄を捉えんと、雷球の群れは英雄へと襲いかかる。

 

 

「っ、ァッ!!」

 

 

 気合、一閃。剣に凝縮した力を解放し、英雄は限界以上の引き出す。

 凝縮した力は光となって英雄を包み、残光を残す。雷球は1つ残らず掻き消される。次に響くは剣と剣の衝突音。再び剣舞は再開される。

 鍔迫り合いから斬り合い、まるでリズムを刻むかのように音は奏でられる。戦の音は高らかに二人しかいない決闘の地に響き渡る。

 女神は訴えるかのように荒れ狂い、英雄もまた応えるように迎え撃たんと剣を振るう。互いに願いと祈りを剣に乗せて。

 

 

「――――ッ!!」

 

 

 拮抗した戦いに焦れたのか女神が咆吼し、力の奔流が荒れ狂う。至近距離の力の爆発に英雄は押されるかのように吹き飛ばされた。

 女神はそのまま咆吼を上げながら天へと昇る。いつしか、二人しかいない世界の唯一の光源であった月が消え失せていた。

 月の光が失せ、世界が暗闇に包まれていく。闇に閉ざされる世界の中、輝きを放つのは女神だ。泣き叫ぶように女神は吠え続ける。身より溢れ出す力は、目にした者に絶望を与える破壊の光。

 しかし、放たれんとしている破壊の奔流を前にしても英雄は立ち上がる。鎧は砕け、マントも見る影もない。全身に浅くない傷を負い、血に染まりながらも英雄は立ち上がる。

 常人では立っている事すら出来ないだろう。もう限界が近く、死すら見えていたってなんら不思議ではない。だが英雄は臆さない。怯む事もなく、ただ真っ直ぐに女神を見据える。

 

 

「――大丈夫」

 

 

 絶望的な状況を前にしても、それでも尚、英雄は笑ってみせる。

 

 

「貴方の絶望は私が祓う。証明してみせるわ。貴方が生み出した“愛”が現実に立ち向かう力となる事を。貴方の“愛”が育ててくれたこの力で!!」

 

 

 宣誓の叫びと共に、英雄が眩まんばかりの光を放ち、輝きを纏う。

 女神が纏うのが絶望の光ならば、英雄が発した光はまさしく希望の光。

 破滅の光もまた、呼応するように光を強め―――世界は光に包まれた。

 

 

 

 

 

 * * *

 

 

 

 

 

「そんなお話。めでたしめでたし……」

 

 

 パチパチ、とどこかで小さな拍手が鳴る。

 どこかで続きをせがむ声がする。

 どこかで誰かが感嘆の息を呑む。

 それは、どこかで、色々な、様々な場所で語り継がれる物語。

 それはこの世界を産み出した“マナの女神”と“英雄”のお話だ。

 

 

 ――さて、暫し紡がれた“神話”を語ろう。

 

 

 “ファ・ディール”を産み出したマナの女神であったが、世界を産み出した後はその姿を“マナの木”に変え瞑想に入った。

 その間にも世界は流動し続け、長い戦乱の時代が幕開けた。その戦争の最中、多くの物が失われた。マナの木も戦乱の中に焼け落ちた。人々は次第にマナの木の存在も忘れていった。

 マナの女神はこれを酷く悲しんだ。世界は緩やかな滅びを迎えつつあった。故にマナの女神は“世界の思念”を封印し、“アーティファクト”へと変じさせて、世界を保存させた。

 そうして世界は“夢”に沈む。夢こそ真。現は幻に。いつか人々が希望を取り戻すその日まで、長い長い眠りの中へ。

 だが、世界は希望を取り戻せぬまま、ただ傷付け合い、怯え、進む事を忘れていった。夢は覚めぬ。誰もマナの女神を忘れたまま夢に興じる。

 停滞を続ける世界。その最中、マナの女神はある1人の少女と出会う事となる。それが後に語られる“英雄”である。

 マナの女神は英雄に“世界”を与えた。“アーティファクト”に封じられた世界を思い起こし、繋ぎ、英雄は世界を歩んで行った。

 マナの女神の願いはただ1つ。もう一度、世界の人々がマナの木を思い出す事を。彼女は“愛”である事を。護り、慈しみ、育てる存在である事を。

 今や人々は彼女の手から離れ、希望も無きまま眠りに沈むだけ。故に女神はそんな世界を変える為に英雄に願ったのだ。

 そして、マナの女神の願いは叶えられた。マナの女神の闇は、英雄によって打ち払われたのだ。

 闇が晴れた世界には再び光が満ち始めていた。語り継がれる伝説は人々に希望を思い出させて行く。

 そうして、賢人として称えられる“語り部のポキール”は希望を紡ぎ続ける。紡がれた伝説を語り続ける事によって。

 

 

 

「僕は語り部。眠りから覚めた世界に真実を。そう、僕はいつまでも語り続けよう。この世界の真実を。賢人の一人として。

 あぁ、小さき英雄よ。幼き英雄よ。されど偉大な英雄よ。刹那にして永久なる英雄よ。僕は君の事を忘れない。

 さぁ、今日も語ろう。全てはマナの女神と英雄の為に。この世界に希望が溢れるように」

 

 

 

 * * *

 

 

 

 開く事すら億劫な瞼を、ゆっくりと持ち上げた。

 目の前に映ったのは巨木。天を突かんばかりに巨大な樹。かつての戦乱の時代に焼け落ちてしまった”マナの木”。その在りし姿の記憶。

 そう。これは長い夢。終わりが無い時の止まった夢。人々は止まったとは知らない、終わりを迎えるしかなかった世界の夢。

 だが、世界は再び脈動を始めている。新たな命が宿り、時の針は再び時を刻み始める。かつての記憶を懐かしむ夢は覚め、人々は再び現実へと戻る。

 夢は現実に昇華される。その下準備。世界を整える準備が今まさに目の前で行われていた。

 

 

「これは、壮観ね」

 

 

 ルイズは小さく呟く。身に纏っているものは無惨にもボロボロ。鎧は砕け、外套は穴が空き、マントも引きちぎられ、無惨な有様だ。

 ルイズが見上げる先、そこには正に神秘的な光景が広がっている。樹のあちこちに灯りが灯り、光が無数に踊っている。まるで葉の一枚一枚が光っているようにも、葉の一枚一枚が燃えるかのようにも、樹が光の実を実らすかのようにも見える。

 この光景を一言で言い表すなど到底無理だろう、と。恐らく今、ルイズが挙げた例を全て含めたとしてもこの光景は言い表せない、と。ただ神秘的な光景に見惚れることしか出来ない。

 ほんの一部。だが、されど大きな一歩。全てとは言えないが、人々の手に希望の光は取り戻され、ようやく世界は再び歩みだそうとしている。

 その為に世界を再生させる必要がある。そう、これは世界の再生の儀式。再誕の儀式。かつて焼け落ちた”マナの女神”が再びその体を取り戻す為に。再びこの世界に生命を溢れさせるように。

 

 

「これで夢が終わるのね……」

『えぇ。夢は終わります。そして夜明けが来ます。人々は希望の光を胸に抱いて朝を迎え、時は再び刻まれます』

 

 

 独白するルイズの脳裏に直接響くような声が聞こえた。ルイズは声の主を知っている。口元に穏やかな笑みを浮かべてルイズはその名を呼んだ。

 

 

「マナの女神」

『ありがとうございます、ルイズ。これで世界は夢から覚める事が出来ます』

「そう。それは良かったわ」

 

 

 脳裏に響いていくるその声にルイズは安心したように、祝福するようにその一言を告げる。

 

 

『貴方には本当に感謝してもし足りない。本来、関係も無い貴方を夢に引きずり込んだ事、申し訳なく思います』

「何言ってるのよ。私も“ファ・ディール”で生きる事が出来て幸せだった。お礼を言いたいくらいよ。だから謝らないで」

『……ルイズ。ありがとう。私を、私の世界を愛してくれて』

 

 

 マナの女神。ファ・ディールの創世神。彼女はルイズに真摯に感謝の言葉を述べた。彼女が自分を呼ばなければ彼女に気付く事は無かった。彼女は私に気付いてくれて、身勝手な願いを叶えてくれた。

 どれだけの幸運だろうか。感謝などしてもし尽くせぬ程の大恩が彼女にある。だが彼女は笑う。自分は良い経験をした、と。怨む訳でも、憎む訳でも、責める訳でもなく心から感謝を述べている。

 あぁ。なんと心優しい事か、とマナの女神は喜びに打ち震える。この愛した世界を救ってくれた“英雄”に出会えた奇跡にただ感動する。

 

 

「コレで私もお役御免ね」

『はい。この世界はもう大丈夫。再び歩み出します。だからルイズ』

「何?」

『本当に、ありがとう』

「……うん」

 

 

 ルイズは自らの意識が重くなっていくのを感じた。どうやら眠りが近いようだ。ここにいる自分もまた夢の存在だ。

 ルイズにとっては何年にも及ぶ大冒険だったが、現実においては瞬きの間ほどしか時間は過ぎていない。何故ならば世界は今まで時を止めていたのだから。

 女神が眠りに付き、世界も形を失い。刻むものなどなく、ただ残されるだけの世界に命を吹き込んだのは他でもないルイズだ。

 だからこそ、それは夢の終わりであると同時に現実の始まり。それは同時にルイズが“ファ・ディール”との別れの時が迫っている事の証でもあった。

 

 

「私も、帰るんだ」

『えぇ。これはあくまで夢ですから。貴方のその成長した姿もまた元に戻りますね』

「残念、って訳でもないわね。今度はもっと大きくなれるように食事も考えて食べなきゃね」

 

 

 茶化すようにルイズは笑う。だがその声には力は無い。微睡みは強くなっていく。ルイズの役目を終わらせるように。眠りへの誘いは優しくルイズの手を引くように迫ってくる。

 

 

『ルイズ、改めて聞いても良いですか? ルイズ、貴方は何を願いますか? 貴方は何かを願って私と繋がった。貴方は何を願っていたのですか?』

「……何を、か」

 

 

 マナの女神の問い掛けにルイズは眠りそうな意識を保たせながらも考える。そして自然と願いはルイズの口から滑り落ちた。淡く微笑みながらルイズは笑うように告げた。

 

 

「昔は認められたい一心で頑張ってきた。ただそれだけ。

 でも私はたくさん報われた。ファ・ディールで私は掛け替えのないものを貰ったわ。

 だから、これ以上なんて望めない。それだけ大事なものを私は貰ったから」

『……ルイズ』

「なに……?」

『今は、ゆっくり休んでください。貴方の気持ちはよくわかりました。だから、私も望みたいと願いました』

「何の事……?」

『良いんです。目が覚めたらわかります。だから忘れないで、ルイズ。私は貴方に感謝している。この恩は決して忘れない。私もまた貴方を大事に思っている事を』

「どういう……――――?」

『――おやすみ、ルイズ。そして貴方の未来に私の祝福が届きますように』

 

 

 優しい声に促されてルイズは意識を手放す。眠りに落ちた始めたルイズには見えなかった。ルイズの頬をそっと撫でるように触れ、ルイズの唇ように重ねる何かの姿を。

 ルイズは、自分に流れ込むその感覚を、終ぞと知る事無く眠りに落ちる。こうしてルイズはファ・ディールから旅立っていった

 残されたものは光。そして新たな世界。再誕された世界。世界を再生する神秘の光景は、同時に世界を去る英雄に対しての見送りでもあるかのようであった。

 

 

 

 * * *

 

 

 

 撫でるような優しい風が吹く。

 ここはハルケギニア。トリステイン魔法学院の医務室。そのベッドの上に一人横になり、眠っている少女がいた。

 彼女の寝顔はとても穏やかだ。ただ少女は眠り付ける。目覚めの時が来るその日まで。

 そこから再び、彼女自身の物語を始める為に。

 



目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

第1章 舞い戻りし世界
ルイズの目覚め


 ――長い夢を見ていた。

 それは私の知らない世界。それは私の知らない事ばかりに満ち溢れていた世界。

 そんな世界で旅をする日々。出会った人達と紡いだたくさんの思い出。

 語るのにどれだけの時間がいるのかさえわからない、とても大事な思い出。

 これが、夢……?

 

 

「……ん、ぅ」

 

 

 薄く開いた為か、ぼんやりと開いた瞳はハッキリと景色を映し出さない。瞼が重たくて、何度か瞬きをすることによってようやく瞳は開き出す。

 目を開ければそこには懐かしい、と感じる天井が見えた。少なくとも夢で見てきた家のような作りではない。つまり、と思考が巡る。そして自然と納得するように声が漏れた。

 

 

「……トリステイン魔法学院だ」

 

 

 こうして、使い魔召喚の儀式より眠りについていたルイズが目を覚ましたのであった。

 

 

「……変な感じ、するわね」

 

 

 手を思わず天井に伸ばすルイズ。掲げた右手は天井へと伸びる。その手は最後に見た記憶に比べて小さい。

 いいや、元に戻ったと言うべきなのだろうか。ファ・ディールで旅をしていた年月はルイズの体を成長させたが、それはあくまで夢の話であったという事なのだろう、とルイズは考える。

 ルイズはそこまで考えてはた、と気付く。そう、あれは夢である。だが自分はそれをあたかも体験してきたかのように思っているが、それはあくまで夢でしかない。それは自分も夢だと認識しているし、他にもそう言ってくれた者がいた。

 夢である事は間違いない。それが元の体に戻っている事が証明してくれているし、脳裏にある記憶もそれが夢だと決定づける要素を持っている。

 

 

「でも、ただの夢、じゃないわよね」

 

 

 むしろただの夢であった場合、自分が頭のおかしい妄想癖の激しい子になるじゃないか、とルイズは苦笑した。それにどちらであっても構わない。大事なのは体ではないのだから、とルイズは胸を撫で下ろす。

 

 

「そう。例え夢でも、ファ・ディールの出来事は今の私を作ってるから」

 

 

 夢の中で濃密に過ごした時間。今となっては夢であろうと、夢でなかろうともルイズにとっては変わりない。

 僅かに笑みを浮かべてルイズはそう結論付ける。瞳を閉じれば今でも鮮明に思い出せる記憶だ。自分にとってそうであれば何も問題はない、と。

 

 

「さて、と。いつまでもこうしてる訳にはいかないか。使い魔召喚の儀式もどうなったのかしら?」

 

 

 ルイズはベッドから降りて身だしなみを整える。今の自分は寝間着に着替えさせられていた。周囲を確認すれば自分が身に纏っていた魔法学院の制服があった。

 久しぶりに袖を通せば、随分と懐かしい。ルイズは淡い笑みを口元に浮かべる。暫し懐かしんでいたルイズであったが、そのままでもいられないと着替えを終える。

 寝間着を片付けようとすると、医務室の扉が開く音がした。ルイズは扉の方へと視線を向けると、そこにはローブを羽織った男性が立っていた。ルイズが起きている姿を確認した彼は、案じるように心配げな表情を浮かべて駆け寄ってきた。

 

 

「ミス・ヴァリエール! 目が覚めたのかい!?」

「ミスタ・コルベール」

 

 

 コルベール。彼はルイズの通う魔法学院の教師の一人だ。変わり者と言われる教師だが面倒見が良く、研究に没頭してしまう性質はあれど良識のある教師とルイズは認識している。

 

 

「意識はハッキリしているかね? どこか体調が悪い所は?」

 

 

 ルイズの体調を気遣うようにコルベールは言葉を捲し立てながらルイズの健康を伺う。言葉の節々から心底ルイズの体調を心配しているのだと感じ取ったルイズは思わず戸惑う。

 理由は多くある。まずはコルベールの人となりに人の良いという印象はあったものの、それは過去のルイズから見た総評だ。今、改めて我が身を心配してくれる人は“人の良い”なんて言葉では片付かない。親身になって身を案じてくれるのは彼の優しさ故にであろう。

 しかし、その優しさが自分へと向けられるのかがわからないと、疑問がルイズの中で生まれる。ここではあくまで“ゼロのルイズ”という、ルイズにとっては苦い過去となるレッテルを貼られた自分しかいないのに、と。

 ファ・ディールに召喚される前までの自分を鑑みてルイズは身を案じて貰えるだけの人ではないと思っている。あの頃から成長し、客観的にこの頃の自分を振り返る事が出来るようになったルイズからすると、コルベールの優しさには戸惑いしか覚えないのだ。

 純粋に出来損ないの自分を案じてくれるのであれば本当に優しい人なのだろう、と思う。しかし本当に彼はそんなに優しい人なのか? と疑問が浮かぶ。コルベールの人となりがわかる程、ルイズはコルベールという人物を知らない。

 戸惑いは消えない。しかし少なくとも今、コルベールが向けてくれている優しさは嘘ではない、とルイズはまず感謝の気持ちをコルベールへと伝える事にした。

 

 

「ミスタ・コルベール、ご心配をかけて申し訳ありません」

「いえ、私もミス・ヴァリエールの体調不良に気づけず無理をさせました。大変申し訳ありません」

 

 

 申し訳なさそうに謝罪した後、監督失格ですね、と自嘲気味に呟くコルベール。苦み走った表情を浮かべる彼は心の底から悔いているのだと傍目から見てもわかる。

 それが申し訳なくて、ルイズも少しばかり眉を寄せてしまう。場の空気を変えるべく、ルイズはコルベールに事の経緯を窺おうと質問を投げかける。

 

 

「私は、気を失ったんですか?」

「えぇ、儀式の途中で突然、意識を失ったので。儀式も中断し、貴方は医務室に運ばれたんですよ。……本当に焦りました。ミス・ヴァリエールがそこまで気を張り詰めさせていただなんて思わずに無理をさせてしまいました」

 

 

 成る程、とルイズは周りと自分の認識の差がどれだけあるか把握した。自分にとっては長きに渡る冒険を繰り広げていたが、それはあくまで自分の夢の出来事。

 周りから見れば倒れただけに見えたのだろう。それも突然だ。召喚を試みていた自分を鑑みれば確かに気を張り詰め、無茶をしたと取られてもおかしくはないだろう、と。

 

 

「私はどれくらい眠っていましたか?」

「丸1日ほどです」

「そう、ですか」

 

 

 不思議な気分だ。あれだけ長い間、旅をしていたのに現実では1日しか時間が経っていないという。思わずルイズは苦笑を浮かべた。

 そういえば、とルイズはコルベールの顔を見た。ルイズの行っていた儀式、“使い魔召喚の儀式”は1年生から2年生への進級をかけた試験だったのだが、自分の儀式は中断されたという事はこの結果はどう受け止められているのだろうか、と。

 

 

「コルベール、私の進級の件なのですが、儀式に失敗してしまった以上、私はどうなりますか?」

「……それは」

「やはり留年でしょうか?」

「ミス・ヴァリエール。それは少し気が早い。貴方の体調は万全であるとは言えませんでした。また日を改めて儀式をしましょう。その結果で判断するとオールド・オスマンの判断です」

「そうですか。温情に感謝致します」

 

 

 ルイズが気絶している間にどういう話し合いが行われたか定かではないが自身にはまだ機会が用意されているという。ルイズとしては機会を貰えたのは嬉しいが、別に結果に関してはどう転ぼうと些末事に思えた。

 確かに今後の進級などを考えると次の機会で使い魔を召喚を出来なければ貴族として不名誉な名を背負い続ける事となるだろう。だがそれも悪くない、とルイズは思うようにさえなっていた。

 もしも儀式が再び失敗すれば魔法学院を去ろう、と。実家に戻り、家を出て旅をしてみるのも悪くない。

 貴族である為に厳しく教育を施してくれた両親には申し訳ないが、逆にこのような不出来な娘をわざわざ抱えるのも世間体を考えれば好ましくはないだろう、と。ならば自由に生きてみるのも一興とさえ考えている。

 

 

「ではミスタ。私は自室に戻ってもよろしいでしょうか?」

「もう体調は良いのかね?」

「えぇ。寝ていただけですので」

「そうですか。では、使い魔召喚の儀式の日取りは後日改めて。それまでゆっくり体を休めておいてください」

「はい。わかりました」

 

 

 では、とコルベールにルイズは一礼をして自室へと戻る為に歩き始めた。その背をコルベールが心配げに見守っている事を悟りながらも、後ろを振り向くことなくルイズは魔法学院の廊下を進んでいった。

 

 

 

 * * *

 

 

 

 自室へと歩を進めていたルイズ。だが、不意にルイズは足を止めた。医務室がある塔から自室がある塔へと繋がる道。そこでルイズが目にした光景は、広場で思い思いに過ごしていた様々な“使い魔”の姿。

 

 

「あら、やっぱり壮観ね。色んな使い魔がいっぱいだわ」

 

 

 その種類や千差万別。恐らく広場にいないものもいるだろう。それをも含めればもっと多くの種類の使い魔がいる事だろう。だからこそルイズは視線を奪われてしまう。

 そこには憧憬が含まれているのも確かにあるが、何よりファ・ディールとは違う生で見るハルケギニアに息づく生命達の姿を見る事が何よりもルイズの好奇心を刺激した。

 今の時刻は、まだ太陽が登り切る前。まだ生徒達は勉学に勤しんでいる時間だ。実際に広場にいるのは使い魔達の姿だけで人の姿は見られない。

 少し近づいてみよう、とルイズは広場へと足を踏み入れる。ルイズの足を踏み入れた音に反応して使い魔の一部がルイズへと視線を向けた。

 

 

「……あ」

 

 

 流石に警戒されるか、とルイズは距離を詰める事を諦めた。自分がファ・ディールで暮らしていた時に飼っていた、雛から育てた魔物とは違うのだ。

 見知らぬ人間が近づけば、流石に襲いかかってくるまではしないだろうが、逃げられる可能性はある。

 故にルイズは踏み込みかけた自身の行き場に悩んだ。このまま引き返すのが正しい選択だったのだろうが、ついつい使い魔達を少しでも近くで眺めてみたいと思ってしまったのだ。

 そんなルイズの下に近づいてきたのは黒猫だった。この黒猫も誰かの使い魔なのだろう。主人から送られたのか可愛らしい首輪をつけている。思わずルイズは目を見張った。警戒されているだろう、と思っていたのだがこうもあっさりと近づいてきてくれるとは思わなかった。

 黒猫と目線を合わせるようにルイズは膝をついた。猫はルイズを見上げるように凝視をしていた。何故こうも見つめられるのか疑問に思いながらルイズはおそるおそる手を伸ばしてみた。

 手を伸ばした理由はない。ただ触れてみたかったという思いがあっただけ。半ば無意識に伸ばした手に黒猫は匂いを嗅ぐようにルイズの掌に顔を近づける。幾度か匂いを嗅ぐように鼻を揺らしていたが、不意にその身をルイズの掌に押しつけるように預けた。

 

 

「わぁ。……ふふ、人懐っこいのね。貴方」

 

 

 くすぐったいような、だがそれでいて心地よい感触にルイズは目を細めた。ルイズの手つきに猫が目を細めて嬉しそうにひと鳴きした。

 それを切欠としたのか、ルイズを距離を取って観察していた小型の使い魔達がルイズの下に寄ってきたのだ。突如、使い魔達に囲まれたルイズは思わず目を丸くした。

 

 

「な、何よ、急に?」

 

 

 目を丸くしている間に猫以外にもルイズに寄ってくる使い魔達は後を絶たない。更には大型の使い魔まで距離を詰めて所狭しとルイズに群がる。

 ルイズには使い魔達の言葉はわからない。だが、こうした手合いはルイズには慣れている。雛の頃から育てた自分のペットのように、何故か従順な彼らを見ると不意にそう思えてしまったのだ。

 

 

「撫でればいいの?」

 

 

 いつの間にかすり寄ってきた使い魔の一匹を撫でながらルイズは使い魔達を見渡しながら問うた。理由はよくわからないが懐かれているらしい。ならば触れてみたいと思うルイズも悪い気はしない。

 ルイズは微笑み、使い魔達の群れの中に紛れていく。あぁ、とルイズは不意に懐かしい記憶を呼び起こす。そういえば自分の二番目の姉もこうして動物たちに囲まれていたな、とそんな事を思い出しながら。

 

 

 

 * * *

 

 

 

 ――なによ、あれ?

 

 

 魔法学院に通う女生徒の一人、キュルケ・アウグスタ・フレデリカ・フォン・アンハルツ・ツェルプストーは胸中の驚きに足を止めていた。

 使い魔召喚の儀式において、キュルケが召喚したのはサラマンダー。火のメイジとしては破格の使い魔とされるサラマンダー。更にはその中でも優秀な個体が多く存在する火竜山脈のサラマンダーと思われる事から彼女は自身のサラマンダー、フレイムをとても気に入っていた。

 召喚したてで、まだ交友を築けていない使い魔との親睦を深める為に使い魔を放している広場へと向かう。そんなキュルケが見たのは、幾人かの生徒が足を止め、何やら話し込んでいる光景だ。キュルケも好奇心から、何を見ているのかと覗き込んだのだ。

 そしてキュルケは驚かされる事となる。そこには広場の使い魔達を集め、その使い魔達と陽気にまどろみながら眠る一人の少女。その光景だけでも驚きだというのにキュルケにとって驚きはそれだけに留まらない。

 

 

「……なんでルイズがあそこにいるのよ」

 

 

 ルイズ・フランソワーズ・ル・ブラン・ド・ラ・ヴァリエール。

 キュルケの生家であるツェルプストーとは領地を隣とする家の娘だ。キュルケはトリステイン魔法学院に留学をしている身であり、本来はトリステイン王国の隣国であるゲルマニアの出身である。

 戦が起こる度に領地を隣とするツェルプストーとヴァエリエールは血を血で洗う関係を築いてきた。戦だけの関係だけに留まらないのが両家の関係ではあるのだが、今は割愛とする。

 故にキュルケにとってルイズもまた忌まわしき仇敵。とは言ってもルイズ自身が“ゼロのルイズ”であり、魔法の使えぬ無能者として歯牙にもかけていなかった。

 だがキュルケ自身、ルイズ本人の性質自体までは嫌ってはいない。そんな一言では言い表せない関係をルイズと持つキュルケ。故に自身の使い魔を含む無数の使い魔に囲まれ、穏やかに眠るルイズの姿を見せられれば、一体何事かと思うのは必然と言えよう。

 

 

「ちょっと、あれ何?」

 

 

 キュルケは自分よりも先にこの奇妙な光景を目撃していた生徒に声をかけた。誰も彼もが戸惑ったような表情を浮かべている。それもそうだろう。自分が召喚した使い魔が他人に、それもあの“ゼロのルイズ”に心許したように集っているのだから。

 最初の生徒が気付いた時には、もうルイズはあぁして使い魔達に囲まれて眠っているらしい。生徒の何人かがルイズと共にいる事が気に入らず、呼び戻そうと試みたが離れる事が無かったという。

 大きく分けてここにいるのは困り果てている生徒、そして自分の言う事を聞かない使い魔に業を煮やしているという生徒に分けられる、とキュルケは周りを見渡して思う。

 

 

「しかし、どうしてあんな事になってるのかしら?」

 

 

 そもそもルイズがここにいる事すら謎である。先日の使い魔召喚の儀式で使い魔を呼べず、そのまま倒れて意識を失っていた筈のルイズ。それがどうしてここにいるのか、そして使い魔達に囲まれているのか、疑問が尽きない。

 幾人かが使い魔の名であろう、使い魔に向かって離れるように叫んでいる者もいるが使い魔達は少し視線を向けただけで動こうとする気配がない。そんなにルイズを起こしたくない、とさえ思える行動は不可解でしかない。

 

 

「あいつ、そんな動物や魔物に懐かれるような奴だっけ? いえ、それにしたってこれはおかしいでしょう」

 

 

 キュルケは眉を寄せて呟く。これは明らかな異常なのだから。そんな中、騒ぐ声が段々と大きくなった為か、ルイズが僅かに身動ぎをした。風竜の背に横になっていたルイズは目を開いてゆっくりと体を起こした。

 

 

「……? なによ、この騒ぎは?」

「アンタの所為よ!!」

 

 

 首を傾げながらルイズが呟いたすっとぼけた言葉にキュルケは腹の底から指摘の声を上げた。

 

 

 

 * * *

 

 

 

 ルイズはふぅ、と一息を吐いた。広場での一件について追求をしようと迫ってきた生徒達から逃げるように広場を後にし、今に至る。

 自室へと戻ろうかとも思ったが逃げた為に戻りづらい上に走り回って少し疲れた。事情を説明しようにもただ単に懐かれただけ。それ以上の説明のしようがない。

 

 

「いいえ、それは嘘ね」

 

 

 不意に、ルイズは自嘲するように笑った。そっと手を胸に当てながらルイズは瞳を閉じる。

 

 

「何かされた、と考えるのが自然かしらね?」

 

 

 あんなに使い魔達が警戒を解いて懐くとは思えない。ならば懐くようになった“何らかの理由”があったに違いない。思い当たる節など1つしかない。

 息を吸う。瞳を伏せながら周囲に意識を向ける。風の音が聞こえる。吹き抜けるように風が音と共に過ぎ去っていく。

 だが、それだけではない。その“声”はまるでざわめくような、囁きにも似たような、しかし正確に聞き取る事の出来ない程の小ささでルイズの耳に届く。

 

 

「……」

 

 

 この声が何を意味しているか、ルイズは掴みかけている。だが確証には至れない。

 瞳を開く。景色は過去に見慣れた景色。しかし違って見えるのは時を重ねた所為か、或いは……。

 自身に起きている“何か”に予測を建てながらもルイズは答えを出せないでいる。確証がないのだから。

 

 

「まぁ、その内わかるでしょ」

 

 

 まだ先は長いのだから、と。ルイズは自室へと戻る為に歩を進めた。 



目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

貴族たる者

 昼食の時間になると共にルイズは自室を後にした。自室にいる間は当時の自分の名残を懐かしげに見ていた。魔法を使えずともせめて心だけは貴族たらんと努力をし、貪欲にまで魔法の知識を学んでいた頃の自分の軌跡は何とも言えない感傷をルイズに与えた。

 あの頃にはもう戻れない。戻るつもりもないが変わってしまったという実感は複雑な思いを生む。故に変わってしまった事で得たのは諦観しかない。

 ここで過ごした記憶の中に良い思い出は少ない。余りにもここで望めるものが少ない事がルイズにとっては何よりも残念だった。

 鍛え上げた肉体も、自分の工房などもあった拠点も失い、心を通わせた友とも二度と会えない。思い返せば泣きそうになる程に、ファ・ディールの記憶はルイズに色濃く影響を残している。

 だからこそ、ルイズはこれからを考える。この後の自分の人生をどう歩んでいくかを。

 

 

「世界はイメージで作れるのよ。望むように描くだけ、ってね」

 

 

 そうでしょう? と誰かに同意を求めるようにルイズは笑った。目指すはアルヴィーズの食堂。まずは何よりも明日への為の糧を得る為に。

 

 

 

 * * *

 

 

 

 ルイズが食堂に入り、その騒動と出くわしたのは彼女が広場での追求を避ける為にわざわざ時間をずらしたからであろう。

 食堂の入り口にさしかかった所で勢いよく駆けていく誰か。怒り心頭、という表情で駆けていく誰かは、余りの勢いに誰か確認する事は出来なかった。マントが自分と同じ色だったから同学年の誰かである事はわかったが、それだけだ。

 

 

「何なのよ?」

 

 

 怪しむように呟きながら食堂に入ってみると何やら食堂の中が騒がしい。一体何の騒ぎかと覗き込む。何かあったのは一目瞭然。しかし、悲しいかな。小柄であるルイズには人垣に阻まれて何が起きているのかさっぱりだ。

 しかし、人に聞くというのもなかなかに難しい。こんな時にゼロと侮られた自分が恨めしい。そこでルイズは思う。考えてみればわざわざ首を突っ込む程、見る価値があるのかと問われれば微妙だ。

 元より学院は閉鎖空間に近い。そして娯楽はあまり少ない。ちょっとした出来事でもこうして人を集めてしまうのだろう。だからこの騒ぎもその一環にしか過ぎないのだろう、と。

 そう結論づけたルイズは本来の目的を果たそうと場を離れようとする。すると不意に視線に映ったのはメイド。痛ましげに騒ぎの中心を見やるメイド達が見えたのだ。メイド達の様子にルイズは引っかかりを憶えた。

 何故そんな表情を彼等はしているのか、と気になったルイズは彼女たちに近づき、声をかける事にした。

 

 

「ちょっと良いかしら?」

「え? あ、ミ、ミス・ヴァリエール!」

「これは一体何の騒ぎなの?」

 

 

 メイド達へと足を進めるルイズ。彼女はそこでようやく中の様子が伺えるようになった。すると聞こえてきたのは声。男の声だ。何やら怒鳴っているようだが、その声にルイズは聞き覚えがある。

 

 

「ギーシュ?」

 

 

 ギーシュ。それはルイズの同級生の少年だ。本名はギーシュ・ド・グラモン。メイジとして与えられた2つ名は“青銅”。その名から解る通り、彼は青銅を錬金する土メイジである。

 目立ちたがり屋でキザ、なのでルイズも何かと憶えている相手ではあったが、彼が怒鳴り散らしているのがどうにも野次馬を集めた原因のようだ。しかし怒鳴られている相手はどうやら平民のメイドのようだった。腰を抜かしているのか、その場に座り込み、ただ体を震わせながら頭を下げている。

 

 

「ちょっと、あの子、粗相でも起こしたの?」

「え、いえ、その、シエスタ……あ、あのメイドの名前です。シエスタはミスタ・グラモンの落とし物を拾っただけなんです」

「そしたら、それはミスタ・グラモンがミス・モンモランシから受け取った貴重な香水だったらしいんです。それで、どうにもお二人はお付き合いなさっていたようで……」

「最初、ミスタ・グラモンは自分のものではないと言い張っていて、シエスタもどうすれば良いか戸惑っていたら1年生のミス・ロッタが出てきて……その、ミスタ・グラモンは二股をかけていたそうなんです」

「それが2人にバレてしまって……。そしたら、その原因はシエスタの所為だ、とミスタ・グラモンが……」

「はぁ?」

 

 

 開いた口が塞がらないとはこの事か、とルイズは口を開けながら思う。要はシエスタというメイドの子が偶々拾った香水が原因でギーシュの二股が発覚して、シエスタが責められているのだろう。だが、それは流石にあんまりなのでは無いだろうか、と。

 シエスタが知っていてやったというのならば不味いが、そもそも知る由もないし、平民である彼女が貴族に喧嘩を売るような真似をするとは思えない。いいや、考えるなんて事すらもしないだろう、と。

 貴族には魔法という絶対的な力がある。魔法が使えない平民は貴族の魔法の前には無力も等しいのだ。故に平民は貴族に逆らうのは愚かだと知っている。

 聞く限りではどう考えてもシエスタに否があるとは思えない。あるとするならばギーシュだ。そもそも二股かけている方が悪い上に、バレるような要因を作ってしまったのもまた彼だ。明らかにギーシュの方に否があるのは火を見るより明らかだ。

 

 

「それでこの騒ぎ、ね?」

 

 

 呆れた声でルイズは呟いた。やれやれ、と言うように視線をギーシュと叱責されているシエスタへと目を向ける。ギーシュは皮肉めいた口調でシエスタを嬲り続けている。晒されたシエスタは憐れにも震え、怯える事しか出来ていない。

 

 

「仕様がないわね」

 

 

 ルイズの言葉に戸惑うようにメイド達はルイズへと視線を向ける。ルイズは視線を向けられた事に意を介さず歩き出した。

 ルイズは野次馬をしていた人垣を無理矢理掻き分けるように突き進んだ。人を押しのけ、ギーシュとシエスタの下へと辿り着く。そしてそのままシエスタの前に立ち塞がるようにしてギーシュの前に立つ。

 周囲にどよめきの声が湧く。突然のルイズが現れた事に誰もが驚きを隠せていない。そんな中でルイズはこれ見よがしに肩を竦めてみせる。

 

 

「昼食時になんて騒ぎを起こしてるのよ? ギーシュ」

「……ルイズ?」

「少し落ち着きなさい。自分が一体何してるのかわかってるの?」

 

 

 シエスタを庇うように立ち塞がりながらルイズは目を細めてギーシュに問いかける。突然乱入してきたルイズに場は一瞬騒然とする。誰もが目を驚きに見開かせ、ルイズを見ている。

 

 

「君には関係無いな。僕はそこのメイドと話があるんだ」

「まぁ、落ち着きなさいって。話は聞いたわよ。この子が香水を拾ったのが原因らしいけど……どう考えたって不可抗力じゃない。彼女に非を求めるのは酷じゃないかしら?」

「ぐっ!? だ、だがルイズ。僕は彼女が香水の事を訪ねた時、僕は知らないフリをした。それに合わせるぐらいの機転が……」

「言いたい事はわかるけど……それは余りにも無茶だって自分だってわかってるでしょ? それは余りにも都合が良すぎる貴方の願望じゃない」

 

 

 ルイズの呆れたように告げられた正論にギーシュは言葉を詰まらせる。ギーシュとて、ルイズの言っている事が分からない訳ではない。だが、彼は今、失恋のショックから理性的な判断が出来ないだけだろう、とルイズは考える。

 時間さえ置けば、彼は落ち着いて物事を考えられる筈だ、とルイズはそう考えていた。思考に沈んでいたルイズは自分に向けられた嫌な視線を感じた。ギーシュからの視線だ。黒く濁ったような瞳。

 ルイズはその瞳を見た事がある。負の感情に囚われた者が見せる淀んだ瞳。それは真っ直ぐにルイズに向けられている。

 

 

「随分と平民の肩を持つな、ルイズ。そうかそうか。魔法が使えない君だ。魔法を使えない平民に共感して助けてやろう、などと思っているのかい? 涙ぐましいものだ!」

 

 

 ギーシュの見下したような視線にルイズは静かに吐息した。その様はまるで呆れ果てたような仕草であった。

 

 

「別に魔法が使えないから助けた訳じゃない。ただこの子が怯えているから助けようと思ったたからだけよ。それがいけない事かしら? 逆に聞くけれど、不当な暴力を向けられて、傷つけられようとしている民を前にして立ち上がらないのは……貴族として、いえ、人として私は間違っていると思う。だから私はここに立っている」

「な……!」

「ねぇ? もう一度言うわよ? 少しは落ち着いて、周りを見て見たらどうなの? 今の貴方、ただの笑い者よ? そうしたのは貴方の責任じゃなくて? この子を責める前に貴方には謝らなきゃいけない子がいるんじゃないの? 貴方がすべき事は不運に怯えるメイドに八つ当たりをする事? ……無能である私を貶し、自らの優越感に浸る事が今の貴方がすべき事かしら?」

 

 

 ルイズは静かな声で告げる。だが、ルイズから静かに発せられる怒気は肌を焼くような錯覚さえ与えていた。しかしそれは抑えられているが故にその程度で済んでいる。

 ルイズの内心では深い怒りに包まれていた。反吐が出る、と言うように。あまりにも下らないと、失望すら覚える程に。

 

 

「魔法、魔法、魔法……。もううんざりよ。使えないから何よ。えぇ、確かに始祖ブリミルより賜った奇跡よ、魔法は。授けられた者は貴き者、貴族と呼ばれるでしょう。けど、その魔法による恩恵はこんな下らない事をする為に授けられた力?」

 

 

 はっ、とルイズは鼻で笑った。まるで聞き飽きたと言うかのように、冷笑を浮かべるルイズはギーシュを細めた瞳で睨み付ける。

 

 

「では! ご教授頂けますか? ミスタ・グラモン!! この私に、魔法を使えぬ貴族たり得ぬ者に貴族とは何たるかを!! その口で、貴き血に誓って、魔法を使えぬ矮小たる私に説いてくださいな!! 魔法とは何か! 魔法を使える貴族とは何か!! 今の行いに対する正当性を!! ―――言えるもんなら言ってみなさいよッ!!」

 

 

 渇、と。ルイズの叫びは世界を震わせた。

それは抗いの為の咆吼。憤りを秘めた問いは、今までルイズが溜め込んできた鬱憤の一部だ。過去のルイズはそれしか知らず、ただ魔法を扱えぬ己が身を呪うだけであったが、今は違う。

 無論、力も重要だ。それは世を動かす力なのだから。だが、だからこそルイズは心を忘れてはならないと胸に刻んでいる。

 心なき力は暴力。それは誰かを傷つける為にしかあらず。それが“貴族”たらしめるものではないと、そんなものに過去、自分が憧れていた筈がない。この世界への帰還を望む訳がない。

 故の叫び。そんなルイズの叫びを受けたギーシュは落雷でも受けたように目を見開かせて立ち竦んでいた。

 

 

「……僕は」

 

 

 何をしていた。いや、そもそも今、何を言った? ギーシュは自分自身へと問う。

 辺りを見る。野次馬達が集まり、騒ぎを見守っている。目の前に立つのはルイズ。そのルイズの背には怯え、震えているメイド。

 ギーシュの顔がさっ、と青く染まっていく。まるで冷や水をかけられたかのようにだ。懸想していた少女に最低と罵られて、感情に囚われていた自覚はある。

 確かに二人の女の子に声をかけ、愛を告げたのは事実。だがそれはギーシュにとっては真摯な思いだったのだ。可愛い女の子は愛で、慈しむものだと心の底より思っているからだ。

 故に起きてしまったこの事態にショックを受け、行き場のない感情を本来は非のないメイドにぶつけてしまった。そして今、自分の目の前にルイズが立っている。

 貴族とは何か、と真っ向からぶつかってきたルイズにギーシュは、簡単に言えば目を覚まさせられた。

 彼女の言うとおりではないか。これが貴族の行い? そんな筈がない。これではただのピエロでしかない。

 魔法が使えないから貴族ではない。だから平民と同じ? 違う。今、目の前でメイドを庇い、守らんとしている彼女こそが貴族たり得る姿ではないのか?

 対して自分は彼女に何を言った? 魔法が使えないから平民に同情している? 違う。違うだろう、と自身で推察する度に頭を殴られたような衝撃を走る。

 

 

「僕は……!」

 

 

 ――情けない。

 歯を噛みしめる程に悔しい。あぁ、数分前の自分を殴り飛ばしてやりたい。吐き出した唾はもう戻らない。それがルイズの怒りを呼び覚まさせた。

 確かにルイズは“ゼロ”と呼ばれ、魔法が使えない。魔法を失敗させて爆発による被害を出した事だって一度や二度じゃない。

 けれどそれでも彼女は貴族で在り続けた。ルイズが勤勉な生徒である事をギーシュは知っている。魔法を使えずとも座学において優秀な成績を残している事を知っている。

 そんな彼女に対して自身が言った言葉は、最低も通り越した発言だ。魔法が使えないから平民に同情しているなんて、そんな筈がない。彼女はただ貴族で在らんとしただけ。

 そんな彼女に貴族が何たるかを説け? あぁ、皮肉も良いところじゃないかとギーシュは眉を寄せる。“貴族”たる彼女に“貴族”を説く等と滑稽な自分には痛烈な皮肉だった。

 

 

「――おい、何黙ってるんだよギーシュ!」

 

 

 不意に、野次馬達の中から声がした。ギーシュは驚きのあまり声の主へと視線を向けた。それは同学年の男子生徒だった。何度か話を交わした事がある、その程度の認識の生徒だった。

 

 

「“ゼロ”のルイズに怖じ気づいたか!? まさか! 言ってやれよ! 自分で言ったとおり“魔法も使えない矮小な貴族”なんか貴族じゃないってなぁっ!!」

 

 

 嘲りの笑いが響く。少なからずその嘲りは野次馬の中で聞こえている。クスクスと、ルイズを嘲笑うかのように。

 

 

「平民を庇った所でメイドなんて“幾ら”でもいるだろ? たった一人、しかも粗相を働いた平民相手に何をムキになってるんだよ! ほら、ただ同情してるだけだろ、なぁ、“ゼロ”のルイズ!!」

 

 

 代わりなど幾らでもいる。あぁ、そうだろう。魔法を使えない平民は金さえ出せば幾らでも雇える。暴論だが、その暴論が罷り通ってしまうのがハルケギニアの現状なのだ。

 貴族は魔法という奇跡を扱える。それは始祖より授けられた奇跡にして、平民達を守る牙であり、生活を豊かにする奇跡の担い手なのだ。

 だからこそ平民は貴族に仕えて当たり前。平民が幾ら束になろうともの為せぬ奇跡を貴族は為す事が出来る。それは始祖の血脈から続く、先祖代々受け継がれたものなのだから、と。

 それはハルケギニアにおいて貴族の権威が保たれている絶対たる理由。――だが、野次を飛ばす生徒の論は余りにも暴論だ。

 平民たった一人。あぁ、たった一人だ。金で雇っている労働力の一人だ。いなくなればまた雇えばいい。“代替え品”など幾らでも金で雇えるのだから。それは余りにも極論である。だからこそ、ギーシュは頷かない。

 

 

「……ミスタ、少し黙っててくれないか?」

 

 

 

 ――あぁ、“反吐”が出る。

 ギーシュは静かに野次を飛ばした生徒を窘めるように告げ、ルイズに真っ直ぐと視線を送る。

 彼女はただ静かに見つめ返すだけ。僅かに細めながら自身を見つめてくる瞳にギーシュは息を呑む。だが、意を決したようにギーシュは言葉を紡いだ。

 

 

「ミス・ヴァリエール。非礼を詫びよう。君に侮辱の言葉を浴びせた事を謝罪する。そして貴族たるに相応しき君の在り方に心からの敬意を。そして我が身の不徳致す所、迷惑をかけて申し訳ない。そこのメイドの君にも謝罪を」

 

 

 ギーシュは深々と頭を下げてルイズへの謝罪の言葉を口にした。どよめきが周囲で沸き上がるが、ギーシュは意に介さない。今、ここで見せなければならない。ルイズに対しての誠意を。

 見せなければこれから一生、自身は誰にも胸を張れないであろうと。この蔑みは甘んじて受けるべきもの。故にギーシュはただ、深々と頭を下げ続ける。

 

 

「謝罪を受けるわ。だから顔を上げて。ミスタ・グラモン」

 

 

 静かな、だがそれでいて通るような声でルイズはギーシュに告げる。ギーシュは暫し頭を下げたままだったが、今度はギーシュ、と柔らかな声で名前を呼ばれた事で下げていた頭を上げた。

 

 

「恥を認め、謝罪の言葉を紡いだ貴方の勇気と誠実さに心よりの賞賛を送るわ。だから、もう頭を下げる必要なんてない。胸を張って。貴方にはその資格がある」

「ルイズ……」

「後は、自分の身から出た錆を濯ぐだけよ」

 

 

 頑張りなさい、と。ルイズは静かに伝えてギーシュに背を向けた。そして呆然と事態の推移を見守っていたシエスタへと手を伸ばす。伸ばされた手にシエスタは戸惑いの表情をルイズに見せる。

 ルイズは仕様がない、と言うように笑い、シエスタの手を取って立ち上がらせるように引いた。未だ足下の覚束ないシエスタを支えながらルイズは、茶目っ気を込めたウィンクを送った。

 

 

「さ、もう行きなさい。ここに居ては仕事に差し支えるわ」

「ぇ……ぁ……?」

「ほら、早く」

「ぁ、あのっ、何故……!?」

 

 

 混乱が覚めない中、シエスタはルイズの手を握りながらルイズを見る。先ほどの野次馬の貴族が言ったように“粗相を働いたメイド”など斬り捨てられても仕様がない身だ。

 理不尽ではあるがそれがシエスタにとっての現実。平民はただ貴族に仕え、その機嫌を損ねる訳にはいかないと。故に打ち首にされても仕様がない失態をしてしまったのに何故庇うのか、と。

 ルイズはそんなシエスタにどこか困ったように笑みを浮かべ、しかしすぐに咳払いをして表情を顰めてみせる。

 

 

「心得なさい。ここは貴族の食卓。平民である貴方がいつまでも座り込んで、呆けていい場所ではないわ。……行きなさい」

 

 

 告げる言葉はどこか刺々しく、しかしそれは言う事を聞かない子を叱りつけるような暖かさに満ちた言葉だった。シエスタはルイズの言葉でようやく、先程まで堪えていた恐怖から解放されたという実感からその双眸を涙で歪ませた。

 言葉を発する事が出来ず、ただただ深く頭を下げてシエスタは場より去ろうと走り出した。向かう先は厨房へと。その背を見送りながらルイズはただ微笑を浮かべていた。

 

 

「……ミス・ヴァリエール」

 

 

 ふと、そこに声が響く。ルイズは微笑を消して振り返る。そこにはルイズの言葉に対して反論を浴びせかけた男子生徒が立っていた。

 彼はどこか呆れたような、それでいてルイズに浴びせかけるように敵意を向けながら言葉を続けた。

 

 

「君の行動に物申したい。君の行いは貴族の尊厳を著しく損なう行いだ。自覚はあるかね?」

「尊厳を損なうですって?」

「そうだ。罪には罰を。それはごく当たり前の法則だ。今の平民は貴族に対して“無礼”を働いた。それを罰する事無く許すというのは貴族の権威を著しく損なう行いだ。僕ら貴族は平民の上に立つ者だ。ならば罰するべきあのメイドに罰を与えようとした行いを“貴族らしからぬ”と否定する君は貴族の権威を損なわせている」

「……はぁ」

「ふん。流石はゼロのルイズだね? この程度の“常識”も弁えていないと見える。そこのミスタ・グラモンもだがね?」

 

 

 男子生徒の言葉にルイズは気の抜けたような返事を返す。自身の名を引き合いに出されたギーシュは静かに瞑目し、ゆっくりと息を吐き出す。

 

 

「困るんだよ。前例を作ればそこにつけ込み、勘違いをする平民が増える。これは由々しき事態だ。貴族の権威を損なう。貴族らしからぬ君が貴族を語って貰っては困る」

「……それで?」

「謝罪しろよ。頭を擦りつけて今の発言の全てを撤回しろ」

 

 

 にやり、と口の端を持ち上げて言い放つ男子生徒。ルイズは名目し、どこか疲れたように頭を掻きながら吐息混じりに言った。

 

 

「――ご免被るわ」

「……何?」

「私は貴族の尊厳を今の行動で損なうとは思えないからよ」

「君は平民に甘いって言うんだよッ!! 罰も無しに許せばつけあがるだけだ!! 君の勝手な振る舞いで貴族を舐めてかかる平民が増えたらどうしてくれるんだ!?」

「……罰なら散々ギーシュが叱責したじゃない。そしてギーシュは自分にも非があったと認めた。メイドも自らの非を謝罪した。お互いの非を認め、当人達が納得したならこれ以上、この問題を広げる必要はないじゃない」

「それもこれも君の甘言の所為だろ! 一体、何をしたのかは知らないが使い魔といい、ギーシュといい、一体どうやって誑かした!」

 

 

 誑かす? とルイズは心底不思議そうに首を傾げた。ルイズにくってかかる男子生徒は泡を飛ばす勢いでルイズに捲し立てる。

 

 

「自身が使い魔を召喚出来ないからと人の使い魔を奪おうとする悪女め! 更には貴族の権威まで脅かすか!!」

「……ちょっと、意味がわからないわね? 私がいつ、貴方の使い魔を奪おうとしたって言うのよ」

「広場での一件を忘れたとは言わさないぞ! 僕の呼びかけにも応えず、君と寄り添った使い魔の姿を! 君が何かしたんだろう!! 薄汚い奴め!! 貴族でありながら貴族の品位を捨てたか!! ヴァリエール!!」

 

 

 ルイズは男子生徒の言葉に合点がいったのか、掌に拳を置いて納得するそぶりを見せた。

 

 

「別に誑かすだなんて……」

「君が使い魔召喚を失敗したのは知っている! 妬んで邪法にでも手を出したのか? 貴族の面汚しじゃないか! 貴族に仇為す悪女め!」

「――ミスタ、いい加減にしたらどうかね? 悪女、と証拠も無しに罵るのは些か品位が欠けると見えるが?」

 

 

 ルイズが不愉快げに眉を寄せながら反論しようとするも、男子生徒の罵りは止まらない。

 そんな時だ。ルイズと男子生徒の間に立ってみせたのは他でもない――ギーシュであった。ルイズを背に庇うようにし、真っ向からギーシュは視線を向ける。

 

 

「ギーシュ! 証拠も何も、僕の使い魔が僕に従わなかった! それが証拠だ!! この悪女は何か邪法に手を出して僕の使い魔の心を奪ったに違いない!」

「だからそこにどんな証拠があるっていうんだね? ミスタ。君は些か冷静さを失っている。君の品位を疑いかねない発言が零れている事を自覚しているかね?」

「僕だけじゃない!! 他の皆だって知ってるだろう!! この悪女が使い魔を誑かし、侍らせていた事を!!」

 

 

 男子生徒は皆に訴えかけるように叫ぶ。周囲にルイズを擁護する気配は無かった。逆に少年に同調し始める生徒すらいる。

 事実、ルイズが使い魔達と戯れ、主人達の意に介さずルイズの傍らに在り続けたのだから。怪しむ者は確かにいた。成る程、邪法に手を出したという可能性もあるのか、と。

 

 

「君だって心奪われているんじゃないのか? さっきまであんなにモンモランシーとケティへの愛を語っていた君が何故ヴァリエールを庇うんだい? 平民を庇おうとする女を? おかしいと自分で思わないのか!? ギーシュ、君は今、操られているんだよ!!」

「――そこまでにしたらどうかね? ミスタ。幾ら温厚な僕とて、彼女へのそれ以上の侮辱は許容しかねる」

 

 

 ギーシュは努めて平坦な声で告げた。正直、腸が煮えくりかえりそうな状態だった。操られている? そんな事、万が一も考えられない。彼の言う通り、自分が愛を囁いた記憶も気持ちも残っている。

 その上でルイズの言葉に感銘を受けた自分が居る。ならばそれは嘘ではない。だから邪法で操っている? 馬鹿も休み休み言え、と言わんばかりの心境だ。真摯に向き合い、力なき平民を守ろうとし、自身の誠意に真っ向から相対してくれた彼女を何故、悪女と呼べようか!?

 

 

「ギーシュ!」

「君の言う事は見当違いだ。僕は既に先程のメイドに罰を与える為に叱責した。同時に僕にも至らない点があった。自身の間違いも認め、正す事も上に立つ者の責務だ。先の謝罪に誤りなどなし。この問題はこれで解決だ。ルイズはあくまで至らぬ僕を正してくれただけに過ぎない。それを悪女と罵るのは僕が許さない。彼女は正しい。そして優しく、誇り高い。故に君の使い魔も懐いたんじゃないか? 彼女ほど、高潔ならば使い魔達が心許した可能性だってあるだろうに」

「“ゼロ”のルイズだぞ!? 魔法も使えぬ無能者が高潔だと? 寝言は寝て言えよギーシュ!!」

「魔法が使えない事が今、ここで議論を交わす論点となり得るか? いいや、ならない。魔法は確かに権威の象徴ではあるけれど、魔法が使えるから高潔であるなんて論理にもならない。魔法を使えぬと見下し、侮っているのは君だろうミスタ。それ故に自身の使い魔がミス・ヴァリエールに懐いた事に嫉妬したか。君の方が存外醜いんじゃないか?」

「――貴様ァッ!! 侮辱するかッ!!」

 

 

 ギーシュの挑発に男子生徒は怒りのままに手を伸ばしたのは杖だった。一瞬、小さく悲鳴をが上がる。

 杖を手にしたという事は魔法が使われる前動作だ。ギーシュは己が熱くなり、言動が宜しくないものになっていた事を悟り、舌打ちをする。

 

 

「許さないぞ! 僕を愚弄しやがってェッ!!」

 

 

 激昂のまま、魔法を繰りだそうと発動の為のルーンを紡ごうとする。ギーシュもまた、懐に入れた杖を抜こうとする。

 ――その、刹那。

 まるで砲弾のように勢いよく駆けだした影が行く。一直線へと杖を抜いた生徒に向けて駆けたのはブロンドの髪を靡かせたルイズその人。

 迷いがない疾駆は間も空けずに男子生徒の懐へと入り込む。突然の乱入者に男子生徒の動きが止まる。それが致命的な隙となり、ルイズが到達するまでの時間を与えてしまった。

 

 

「――ッ!!」

 

 

 ルイズは動きを止めた生徒の懐へと飛び込み、足払いをかけて態勢を崩す。突然の衝撃に生徒は自らの態勢を保つ事が出来ず、バランスを崩す。

 その崩したバランスに合わせてルイズは杖を握る生徒の手を掴み、勢いを殺さぬまま生徒を転がした。加速された勢いに生徒は抗う事が出来ずに地を這い蹲る。

 ルイズは俯せに倒れた男子生徒を手を鮮やかなまでの動きで後ろでに押さえ込む。少しでも動けば苦痛が走る体勢へと追いやられた生徒は苦悶の声を上げる。

 

 

「――杖を離しなさい。腕を折られたくなかったらね」

 

 

 ぼそ、と。ルイズは冷ややかな声で生徒に囁くように言った。同時に捻り上げられる腕に生徒は悲鳴を上げながら杖を手放した。

 杖が生徒の手から離れ、からん、と静まりかえった空間で杖が落ちる音が鳴り響く。そのまま少年を押さえ込むようにしながらルイズは吐息を吐き出した。

 

 

「こんな所で杖抜くなんて何考えてるのよ……!」

 

 

 怒り心頭、と言わんばかりにルイズは自身が押さえ込んでいる男子生徒を睨み付ける。

 誰もが呆気取られ、動けずにいた所にコルベールの怒声が響き渡る。

 

 

「貴方達、一体これは何の騒ぎですかッ!?」

 

 

 注目がコルベールに集まる中、ようやく事態が治まると、ルイズは小さく安堵の吐息を零した。

 

 

 

 

 

 



目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

英雄の資格

 ――面倒な事になったわね

 ルイズは心の中で呟き、溜息を吐いた。食堂での一件はコルベールが仲裁に入った事で終息。しかし問題を起こしたという事で、問題の当事者であるルイズを含めた生徒達は謹慎処分を言い渡されていた。

 ご飯は食いっぱぐれる上にお説教まで頂き、散々である。自分自身からすると何も間違った事はしていないし、むしろ言いがかりを付けられたのだから被害者だと訴えたい程だ。

 

 

「まぁ、でも私の立場が良くないか」

 

 

 ただでさえ使い魔召喚に失敗している身。そんな身の上で他の人の使い魔と仲良く戯れていれば、それは怪しまれる事だろう。配慮が足りなかったと反省。

 しかし、とルイズは自室のベッドの上に寝転がりながら思う。貴族と平民という身分の差は、ファ・ディールの感覚に慣れていたルイズに現実を思い出させてくれた。半ば、冷水をかけられた気分だ。

 貴族と平民。魔法を持つ者と持たざる者。貴き血を引くものと引かぬ者。区別としてはたったそれだけなのに、どうしてこうも扱いに差が出てしまうのか。同じ人である事には変わらないのに。

 

 

「はき違えてるだけなのよね。誰も彼も、本当は貴族であるか、平民であるかなんて重要じゃないのに」

 

 

 身分じゃない。能力じゃない。確かに人によって持っているものは違う。十人十色。人それぞれが己の特色を持って生きている。

 それを認める事が出来ないのは違うからなのだろうか。貴族も、平民も。ルイズから見たら同じ人でしかないのに。

 貴族だから賞賛を受けるのではない。貴族たり得るのだから賞賛を受ける事が出来るのだ。ならば平民もまた賞賛に値すべき功績を為したのならば報われてしかるべきだ。

 忠義を尽くし、生活を支えてくれている平民達に対しての労いは給金だけではないだろうに。彼らも自分と同じ人なのだから、尽くしてくれた働きには報いて然るべきであろう、と。

 そう考えるが故に、ルイズは貴族と平民という身分の格差によって隔てられるハルケギニアの現実を許容する事が出来なくなってしまった。かつて自由であったファ・ディールと比べてしまうからこそ、違いを認められず、諍いが続く光景には胸が痛む。

 

 

「……ねぇ、あんたはどんな気持ちだったの?」

 

 

 不意に思い出した顔があった。あぁ、一体“彼ら”はどんな気持ちだったのだろう。

 

 

「……マチルダ」

 

 

 呟いた名はルイズにとって深い意味を持つ。ルイズの中に深く“傷”を刻む名なのだから。

 

 

「静寂だけが私を愛してくれる、か。……嫌ね。少しだけ、貴方の気持ちがわかりそうで辛いわ」

 

 

 ベッドに横たわりながら、天上を見上げていた視線を手で隠すようにしながらルイズは呟いた。

 

 

 

 * * *

 

 

 

 ――いつの間にか眠りに落ち、夢を見ていたルイズは懐かしい記憶を辿っていた。

 記憶の中のルイズは崖際で膝を抱えていた。断崖より見下ろしてみれば、そこには街がある。その街の名はガト。多くの寺院が建ち並ぶ断崖にある街。

 ファ・ディールでルイズが立ち寄った街で、深い“悲しみ”を残すその町並みをルイズは見ていた。

 夢。そう、これは夢だ。恐らく眠りに落ちる前に彼らの事を強く思い出してしまった為に見た夢だろう。

 風が吹き抜けるガトの町外れ。遠くまで見渡せる場所で、夢の中の自分は黄昏れるように目の前に広がる風景を見つめていた。身体の所々には傷がついて、包帯を所々に巻いたその姿は満身創痍、と言っても間違いじゃないだろう。

 ルイズは思い出す。これは全てが終わった後の夢か、と。夢の中の自分は自分自身を抱きしめるように両手を回し、泣くのを堪えているようだった。

 

 

「泣いているのかい? ルイズ」

 

 

 夢の中のルイズに声をかけたのは人形のような体躯をした者、ファ・ディールにおいて7人いるという賢者達、“七賢人”の1人である“風の王”。

 

 

「……セルヴァ」

 

 

 夢の中のルイズはセルヴァの顔をぼんやりと見つめていたが、すぐに目を伏せ、俯く。

 セルヴァは何も言わない。ルイズも黙っている。無言が2人の間に過ぎ去っていく。

夢をぼんやりと見ながらルイズは思い出す。ガトで出会い、ルイズが巻き込まれた事件の最中に出会った四人の人物を。

 このガトの街は癒しの寺院と呼ばれる教会があった。司祭がいて、司祭を守る僧兵と騎士がいる。そんな街に生まれた4人の幼馴染み。

 一人はマチルダ。司祭の家系に生まれ、司祭として生きる事を定められた子。

 一人はエスカデ。騎士の家系に生まれ、司祭を守る為に剣を取った強き子。

 一人はダナエ。僧兵の家系に生まれ、司祭の傍らに付き添い守り続けてきた子。

 一人はアーウィン。……彼は悪魔と人間の間に生まれた忌み子。

 4人の幼馴染みは成長するにつれ、それぞれが持つ宿命が複雑に絡み合い、いつしかその関係には愛憎が混じり合ったものとなってしまった。

 巻き込まれただけのルイズではどうする事も出来ずに、ただその末路を見つめる事しか出来なかった。

 マチルダは世界の窮屈さと自身が宿命に縛られている事に諦観し、悲嘆していた。故に自分に縛られる全ての人に自由を願い、ただ幼馴染み達の幸福を願った。

 アーウィンはマチルダを救おうとマチルダから力を奪い、マチルダを縛る世界を滅ぼそうとした。悪魔の本能とマチルダへの愛情が複雑に絡み合って生まれた願いのままに。

 エスカデはマチルダに好意を抱いていた。だからこそマチルダから力を奪い、世界を滅ぼそうとするアーウィンを憎んだ。マチルダに想われる嫉妬故に、彼は愚直なまでの正義を信じた。

 ダナエは争い合う友人、力を奪われた事で衰え行くマチルダ、皆を救おうと足掻くも何一つ救う事が叶わず、嘆き、その果てに彼女自身もエスカデに斬り捨てられるという非業の最後を迎えた。

 言葉を交わし、時を重ね、思いを知って行き……結局、ルイズは何もすることが出来なかった。ただ偶然で巻き込まれただけのルイズでは、彼らの宿命を何一つ変える事が出来なかった。

 それはルイズの胸に未だ残っている後悔。後に彼女が英雄と呼ばれる前に経験した大きな挫折の1つ。

 

 

「ねぇ、セルヴァ」

「何かな?」

「どうしてこうなったのかな? こんなに悲しい結末しかなかったの? どうしてマチルダ達にはもっと別の未来が無かったの?」

「それを彼等が望まなかったからさ」

 

 

 セルヴァの答えは、確かに最もだ。

 誰もが幸せに笑える未来。あの4人が分かり合って、笑顔でいられるようなそんな未来。それを誰よりも当事者達が望まなかった。

 

 

「エスカデはアーウィンを怨み、アーウィンはマチルダの為に世界を滅ぼそうとし、ダナエは皆が笑える未来を望み、マチルダはその全てを受け入れ、自由にさせた。願いが噛み合わないからこそ、後は崩れ落ちるしかない」

 

 

 セルヴァの言葉にルイズを目を見開かせた。ある言葉を思い出していたからだ。それはかつて、アーウィンがダナエに告げた言葉。

 “全てが崩れ落ちたとき、夢だったとわかる”。アーウィンが告げたその言葉は、本来の意味は違うのかもしれない。アーウィンが言いたかったのは、世界の全てが滅びた時、マチルダを縛っている世界はまやかしなのだと言いたかったのかも知れない。

 けれど現実は世界は存続し続け、消えたのはあの四人だった。エスカデの願いも、ダナエの願いも、アーウィンの願いも何一つ、叶わないまま。ただ全てを受け入れたマチルダの思いだけを残して。それでも世界は巡り続ける。

 全ては夢に終わった。彼等の願いはきっと何一つ叶っていない。だからこそ夢。全てが崩れ落ちた時、それは夢でしかなったのだと、ルイズは思わず思ってしまった。そんなルイズに語り掛けるようにセルヴァは言葉を続ける。

 

 

「彼等が見ていたのは自分の中に映る誰かの偶像さ。人は他人の事を1から10を知る事は出来ない。だから己の偶像に従うんだ。最も、その中で偶像に縛られず、本質を見抜く事が出来ていたのはマチルダは別だけどね」

「……」

「現実はいつだって残酷なものだ。夢のようには上手くいかない。世界の意志は1つには纏まらない。何故ならば、世界は生きていて、私達もまた世界の申し子だからだ。そういった意味では彼等は純粋で、成長をしなかったんだろう。認めたくなかったのだろうね。子供は夢を見て、現実から目を逸らすものだ。子供のままでは夢を見る事しか出来ない。世界を変える事は出来ないのだよ」

「……アーウィンは、それに気づいていたんじゃないの?」

「だが、それでも彼は夢を見る事を望んだ。ただ見たいが故に、ただそれだけだ」

 

 

 風が2人の間を吹き抜けていく。ルイズは自らの身体を抱き寄せるように腕を回した。

 

 

「……辛いわ、そんなの」

「あぁ。現実はいつだって辛い。だから人は夢を見る。現実を歩む為の力にする為に。だから君がいる。ルイズ。マナの女神に選ばれた英雄よ」

「……ッ!! 私は、英雄なんかじゃないっ!!」

 

 

 ルイズはセルヴァの言葉を否定するように叫んだ。英雄だなんて呼ばれる資格はない。だって誰も救えなかった。何もかも失った。失わせてしまった。それなのに英雄だなんて呼ばれる筈がない、とルイズは目に涙を浮かべる。

 

 

「私は誰も助けられなかった!! 救えなかった!! 私は英雄なんかじゃないッ!!」

「君は確かに救えなかった。エスカデは恨みのままに死に、ダナエもまた志半ばで果てた。アーウィンは己の宿命から逃れられず、マチルダもまた全てを諦め、受け入れる事で今回の結末となった」

「なら……!」

「君はそれでも彼らを見届けた。そしてこの世界を守ったんだ。ルイズ、慰めではないが聞いて欲しい。自ら飛び立とうとしない鳥は飛ばないよ。

 だから覚えていて欲しい。君は優しい。それは英雄の条件だ。君は彼等を愛した。そして彼等を見届けた。そして君が彼らを悼み、この悲劇を繰り返さぬ事を望むならば君には資格がある。

 故に私は君を英雄と呼ぼう。君が彼らを胸に刻み、誰かを救い続ける事が出来る君ならば。既に君を縛る枷はない。既に君はもう無力などではない。だから後は、風が流れるように素直に心を解き放てばいい。その涙も、留める必要はない。その思いこそが君の力を真の意味で優しさに変えてくれる」

 

 

 セルヴァの言葉に、ルイズは唇を震わせた。目の奧から湧き出てくる雫が滝のように流れていく。悲哀が篭もった叫びが空へと高く、高く響いていく。

 

 

「ルイズ。自由こそが幸せだよ。彼等に選択をさせ、君はその上で世界を滅ぼしかけた結果を覆し、世界を護った。私は十分に救ったと言わせて貰うよ。

 君は遠くない内に扉を開くだろう。そしてこの世界は更なる自由を得る。君が希望をもたらすんだルイズ。誰よりも優しく、誰よりも強く、誰よりも脆くて、誰よりも弱い君なら光を生み出せるよ。

 だから今は泣けば良い。その涙は、君の礎となる。君は彼らの夢を継ぐ事が出来る人だからね。君はそうしてまた自分の足で歩き出すだろう。だからこそ――私は、そして人は君を英雄と呼ぶんだよ」

 

 

 最後にそう言い残し、ふわりと、セルヴァが風に乗る。遠く、遠く、ルイズから離れていく。

 ルイズは泣いた。悔しくて、悲しくて、哀しくて、訳が分からない程の感情に流されて。そしてどれだけの時間が経っただろうか。泣いて、叫んで、全てを吐き出してルイズは空を見上げた。満天な星空が広がっている。闇の中で輝く星がある。

 

 

「マチルダ、エスカデ、ダナエ、アーウィン……。この世界がもっと優しくなったら、今度は、貴方たちもわかり合えるかな?」

 

 

 空に手を伸ばし、ルイズは答えの返らぬ問いを呟く。伸ばした手は空を切り、掴む物は何もない。

 

 

「……よしっ! わかったわよっ! だったら、もう少し頑張ってみるわ。それを私は望まれてるし、望んでるから。だから、だから……!」

 

 

 祈るように、胸元に手を当てて瞳を閉じる。息を吸い、決意を固めて、誓いを立てる。

 

 

「――おやすみなさい。いつか、目覚めた時に世界が優しくあれるように。……私、頑張るから」

 

 

 ――だからバイバイ。

 ルイズは静かには別れを告げる。もうきっと会う事のない人たちに向けて。最後に涙が一滴、頬を伝って落ちていく。ルイズはそれを拭う事無く、その口元に笑みを浮かべて――。

 

 

 

 

 

 * * *

 

 

 

 

 

 ――そこで、目を開く。

 夢の終わりと共に意識が現実へと戻ってくる。目元に乾いた感触があったので触れてみれば涙の後がある。泣きながら眠っていたようだ。

 

 

「……久しぶりに見たわね。あの夢」

 

 

 目元を拭いながらルイズは苦笑した。あぁ、セルヴァ。大丈夫、私は今だって覚えているよ。

 

 

「そうね。やっぱり世界だもの。望まない現実はどうしても存在しちゃう。でも人の意志で縛る世界は変えられる。ほんの少し見方を変えればいい。ほんの少し手を伸ばせばいい。ほんの少し言葉を交わせばいい。それが世界を変えていく力になるから」

 

 

 ルイズは手を伸ばす。宙に伸ばされた手は何も掴む事はないけれど、握った手に力を込めてルイズは呟く。

 

 

「望まない現実を、少しでも望む夢に出来るように。……あぁ、私はそう生きたいんだ。うん、ちゃんと思い出せた。良かった」

 

 

 ルイズは身を起こす。丁度朝日が昇ってくる頃だったのか、部屋に光が差し込んでくる。

 

 

「さて、ぐずぐずもしてられないわね。先は長いけど、時間は有限だもの。今をしっかりと生きなきゃね」

 

 

 呟きながら笑うルイズ。世界への希望を胸に改めて確認した彼女は今日も生きていく。

 そんなルイズの中で、とくん、と。“何か”が脈動した事に未だ、気づけぬまま。

 

 

 

 * * *

 

 

 

 空。そこに制限は無く、ただ自由が許されている。その空を我が物のように舞う影があった。

 それは竜。生物の中でも強大な力を持った力の象徴ともされる種族。青の体躯を持つその竜は、空を飛翔するのに優れた種族である事から風竜と呼ばれる。風竜の背には1人の少女が乗っている。魔法学院の制服を纏っている青髪の少女だ。

 少女は辺りを一度見渡すように視線を送り、確認を終えると同時に呟くような声で“喋って良い”と伝える。少女の言葉を待っていました、と言わんばかりに口を開いたのは風竜だ。

 

 

「きゅいきゅいっ!! お姉様、シルフィードは退屈だったのね!! お喋りがようやく出来るのね!!」

 

 

 るーるー、と嬉しそうに人語を介する風竜は心底楽しそうだ。主である少女が背に乗っていなければその場で踊り出しそうな勢いだ。

 一方で竜の背に乗る少女は表情に変化がなく、ただ静かに己の使い魔へと声をかける。

 

 

「シルフィード。貴方はルイズに何を見た?」

 

 

 シルフィードと呼ばれた竜は少女の問い掛けに歌を止め、うーん、と悩むように声を上げる。

 

 

「あの子は精霊に愛されし子なのね。大いなる意志と共にある子! あんな子がいるなんてビックリ! 私のお父様やお母様よりも精霊達が集っているの! 人間にもあんな子がいるなんて私は知らなかったのね!」

「……精霊に愛されし子」

「そうなのね!」 

 

 

 シルフィードから伝えられた言葉に少女は何かを思案するように顎に手を当てた。眼鏡の奥の瞳が細められる。

 ちなみに、本来竜という種族は人語を介する事はない。このハルケギニアでは人語を理解し、先住魔法と呼ばれる人間の魔法とは異なる“魔法”を扱える“韻竜”と呼ばれる種族がいる。ハルケギニアでは滅びたとされる種族だが、今、こうしてここに存在している。

 韻竜という高位な存在を呼び出したメイジの実力は疑うまでもなく優秀の部類に入るだろう。やかましく騒ぎ立てる風韻竜の背に乗る少女は思案を止め、顔を上げる。

 

 

「……変。使い魔召喚が終わった後、人が変わったみたい。だけど、彼女には間違い無い筈。彼女はルイズ・フランソワーズ・ル・ブラン・ド・ラ・ヴァリエールに違いない」

 

 

 食堂で垣間見せたルイズの姿は確かにルイズであるという証明だ。今の世、あそこまで真っ直ぐに貴族である事に拘るのはルイズたり得る証拠でもある。それがルイズという人間なのだから。

 しかしその後、杖を抜いた後のルイズの動きに少女は疑念を覚えていた。彼女はあそこまで体術に卓越していたのだろうか、と。もしそうであるならば何故、今までそんな素振りを見せる事が無かったのであろうか、と。

 

 

「……調べてみる」

 

 

 面白い。興味が湧いた。自らの使い魔が言うように、精霊に愛されているという話も気になる。

 暫く彼女の行動には目を向けてみるか、と自らの使い魔に学園に戻るように指示をしながら懐に入れていた本へと視線を向けるのであった。

 既に時刻は夜。空には青の主従。1人の少女の変化が次第に波紋を広げていくかのように、時と流れは動き出す。

 

 

 

 

 

 



目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

誓いの契約

「では、ミス・ヴァリエール。始めよう」

 

 

 魔法学院の広場。そこには今、ルイズとコルベールの二人しかいない。コルベールの呼びかけに小さく頷いて、ルイズは一歩前へと出た。

 ルイズの謹慎処分だが、問題の当事者ではあったが問題を諫めようとした事が認められた事から1日で済む事が出来た。だが、ギーシュとルイズに食ってかかった男子生徒は未だ謹慎処分が言い渡されている。

 ルイズだけの謹慎時間が短かったのにはルイズの複雑な背景が絡んでいる。まずその1つが彼女の使い魔召喚の儀式の件があったから。そして次にルイズが“公爵家”の息女であるという事。

 ルイズ自身は魔法を使えないのは事実ではあるが、彼女の生家は由緒正しき公爵家の娘。その立場がルイズの留年を決定をさせるのに判断を保留している一因となっている。

 学舎であれば平等、といかないのが貴族の学校である。学校もただでは運営する事は出来ない。国より支援を受けているとはいえ、生徒達から得られる金銭があってこその運営。

 公爵家という発言力の強いヴァリエールの息女である事が、これまた事態を複雑化させているのだ。平等を掲げながらも、上級階級であるヴァリエールの娘を留年させたとする。すると公爵家がどのような動きをするのか、予測するのも恐ろしい。

 ルイズ自身は勤勉で優秀な子なれど、魔法が全て爆発してしまうという欠点を持ち合わせている。無論、原因不明である。ならば教師とて、ルイズに教えを説く事は叶わない。だが、それを言い訳とされ、無能とされるのもまた困る。

 正直に言えば、トリステイン魔法学院における教育の質は例年下がり続ける一方なのだ。背景には国力の低下と貴族達のモラルの低下が徐々に目に見える形で現れ続けている、という事実の現れでもある。

 故に突かれたくない腹がある魔法学院としては、これ以上の厄介事はご免被るのだ。ここで運営の問題視がされれば予算や人材にどのように影響するのか未知数。

 綱渡りが出来る程の楽観視も出来ない状況下、ルイズには何としても進級をして欲しいというのが魔法学院としての総意であった。

 さて、一方でそんな魔法学院の裏事情など知らないルイズ。彼女は今回の儀式に対して何の気負いも無かった。学院側の事情を知らない彼女からすれば、この召喚の結果がどうであれ受け止めるつもりでいたからだ。

 ルイズは杖を手に取る。肩の力を抜くように大きく深呼吸をし、ゆっくりと吐き出す。

 

 

「我が名は“ルイズ・フランソワーズ・ル・ブラン・ド・ラ・ヴァリエール”」

 

 

 ルイズはただ静かに意識を集中させ、魔法の発動へと意識を向けていく。

 だが、ルイズは違和感に眉を寄せる。違和感は消える事無く、ルイズにしこりを残す。まるで反応がない。まるで魔法が“失敗する”前触れもない。力が集まらない事にルイズは眉を寄せながら集中しようと自身の内へと意識を傾け――。

 

 

 

 ――“ルイズ”。

 

 

 

 ――己の内に潜む“想い”に触れた。

 

 

 

 * * *

 

 

 

 ――ようやく、届きました。

 

 深く沈む意識の中、ルイズは声を聞いた。

 

 ――私は、貴方の傍に。

 

 それは暖かく。

 

 ――私は、貴方と共に。

 

 この胸の奥で響く、自分と重なるもう1つの鼓動。

 

 ――私は、ここにいます。

 

 だから、と伝えるように。

 

 ――私の祝福の“芽吹き”が貴方の力となる事を。

 

 彼女は、“ここ”にいてくれた。

 

 ――どうか、許して頂けませんか?

 

 

 

 * * *

 

 

 

 

 

「ミス・ヴァリエール?」

 

 

 コルベールは詠唱を途中で止めたルイズを訝しげに見つめる。杖を構えた状態でルイズは静止し、しかし呪文を紡ぐことはない。寄せられていた眉はゆっくりと戻り、呆れたと言わんばかりに笑みを浮かべた。

 杖は降ろされ、ルイズは堪えきれずに笑い声を零した。何と言えば良いのか分からない。まるでそう言う様にルイズは口元を抑えた。その瞳には涙がじわりと滲み、滴となって頬を伝っていく。

 

 

「ミス・ヴァリエール? どうしたのかね?」

 

 

 コルベールの問いにルイズは何かを口にしようとするも、感極まったように涙を流すルイズはすぐに答えを返す事ができずコルベールに対し、手で口を抑えるように添えながら呼吸を整える。

 呼吸を整えるようにルイズは息を大きく吸う。降ろした杖を再び高く上げ、凜と通る声で強く、続けます、と早口にコルベールに告げる。コルベールが呆気取られた表情をするが、構うものかとルイズは詠唱する。僅かな問答すら惜しいと言わんばかりに。

 

 

「――問う」

 

 

 願うように。祈るように。それでいて、告げるように。

 ルイズの言葉に反応したように、内から湧き出るような光が踊るようにルイズの周りを駆けめぐる。

 光が駆けめぐる中、ルイズは言葉を加え連ねる。本来では結ぶべきは主従の契約。だが、違う。“彼女”との契約に主従だけの契約では足りない、とルイズは声を張り上げる。

 

 

「応えよ! 私はここに契約を交わす事を望む! 貴方の願いと共に在る事を望む! この言葉、貴方の始原たる光と闇、そして光と闇より生まれた6つの世の理に誓いを奉る!」

 

 

 ルイズの叫びに応えるように湧き出た光はゆっくりと形を作っていく。光は集い、まるで人の形を取っていく。

 ルイズは真っ直ぐに光を見据え、震えそうになる声を必至に堪えながら声を張り上げる。

 

 

「この身、この名、そして二つの世の理に誓う! “かの地”にて辿り着いた答えを、この地でも示し続ける事を! 貴方が愛してくれた私で在り続ける事を!」

 

 

 すぅ、と。区切りをつけるように息を吸い、掲げていた杖を振り降ろす。真っ向から集い、人の姿を模った光に向けて叫ぶ。

 

 

「この宣誓に曇り無しと、信ずるに値するなら!!」

 

 

 万感の思いを告げ、ルイズは願う。

 

 

「ここに、未来永劫破れぬ契約を望む!!」

 

 

 はぁ、と。息を強く吐き出しながらルイズは目を硬く瞑り、求め欲するように叫ぶ。

 何度も震えそうになる言葉を必至に、必至に届けと願いながら紡ぎ続ける。

 

 

 

「――返答や、如何に!!」

 

 

 

 ルイズの問いかけが響き渡り、ルイズの脳裏に囁くような声が響き渡る。

 

 

 

 ――応えましょう。

 

 ――我が御魂は貴方と共に。

 

 ――“愛”が貴方の胸にある限り。私は貴方の傍に。

 

 ――貴方の誓いに一点の曇り無し。望みのままに我が身を捧げましょう。

 

 ――生涯共にありましょう。敬愛すべき我が小さな“英雄”。

 

 

 

 光は揺れ、動く。それはまるで歓喜に身を震わせているようにさえ見える。

 ルイズは涙を流しながら笑みを零した。堪えきれないというように零れだした笑みを隠しきれぬまま、彼女は再度、下げていた杖を掲げた。

 

 

「ここに誓いにキスを。さすれば契約はここに為る。――我が名は“ルイズ・フランソワーズ・ル・ブラン・ド・ラ・ヴァリエール”。五つの力を司るペンタゴン。この者に祝福を与え、我の使い魔となせ」

 

 

 ルイズは契約の呪文を紡ぐ。応じるように光もまたルイズを包む。唇に触れた感触はない。けれどルイズより湧き出た光は再びルイズと重なり合うように消えていく。集いし光と交わした口づけは感触を得られずとも心の充足を呼び起こす。

 光が完全にルイズと融け合う。暫しルイズは余韻に浸るように震え、静かに杖を下げる。杖を握っていない左手で心臓を掴むように手を添える。その左手に浮かび上がるは“使い魔”の証たるルーン。

 喜びを噛みしめるように。抑えきれぬ涙を零しながらルイズは身を僅かに震わせる。そんなルイズをコルベールはただ呆然としていた。自分が想定していた使い魔召喚と大きく異なる展開。神々しさすら感じ取った光景にただ見惚れ、意識を奪われていた。

 

 

「ミ、ミス・ヴァリエール? 今のは一体!? それに何故君に使い魔のルーンが!?」

 

 

 コルベールはふらつきそうになる足取りを何とか真っ直ぐに歩き、ルイズの傍へと駆け寄って詳しく伺おうとする。

 ルイズはコルベールの問いに大きく息を吸うように肩を上下させ、ゆっくりと顔を上げた。コルベールへと向けた表情は――涙に濡れながらも美しいと感じさせる笑みで。

 

 

「……契約が終わりました。もう、私の使い魔召喚は為っていたんです」

 

 

 優しい“女神様”は世界すら超えて、自分に最高の贈り物をしてくれた。

 本体ではない。これは“彼女”の種である。元より姿形を持たない彼女が自分に送ってくれた小さな“光”。

 

 

「……ありがとう、“マナ”。大切に育てるよ。ずっとこれからも一緒。一緒だよ……!」

 

 

 涙でくしゃくしゃな顔になりながらルイズは自分の体を抱きしめるように回し、呟くように言った。どうしようもない嬉しさが込み上げてくるのを堪えるように。

 ここに夢憧れていた使い魔召喚がなった。かつての始まりの日、希望を求めて儀式に挑んでから現実にして数日、ルイズの体感として幾年という月日を超え――彼女の願いはようやく果たされたのだ。

 

 

 

 * * *

 

 

 

 斯くしてルイズの使い魔召喚は終わった。しかし、めでたしめでたし、となるには異例過ぎた。

 コルベールは自身だけでは判断が付かぬと下し、ルイズを伴いオスマンの下を訪ねていた。オスマンはコルベールからの報告を受け、確かめるようにルイズの左手を取る。

 

 

「……一見、ルーンは刻まれておらぬようじゃが……?」

 

 

 オスマンの問いかけに、ルイズが意識を集中させていく。次第に光を帯びて浮かび上がっていく使い魔のルーンを観察し、オスマンは眉を寄せた。

 

 

「……ふむ。自らと同化せし使い魔、か。故にミス・ヴァリエールにルーンが刻まれておるのか」

「この子は自らの肉体を持ちませんので、私の体を依代として共存しています。なのでルーンは私の身に刻まれました。普段は消えていますが、繋がりを意識すればこのように」

「君は自分の使い魔が何なのかを把握しているようじゃが……して? その正体とはなんじゃ?」

「……精霊に近きもの。この地よりも遠き地に住まう者のようです」

 

 

 本当は神霊だけど、と事を荒立てさせたくなかったルイズは当たり障りのない解答をした。しかし、この返答もまた困ったものなのだが。

 ハルケギニアにも精霊は存在する。代表的な例を挙げればラグドリアン湖に住まう“水の精霊”だろう。不死の存在であり、強力な水魔法を使う事で有名である。

 精霊は“力”の代名詞でもある。並の魔物など歯牙にかけぬ程に。その力を求めてトリステインの王家が契約を交わすと歴史に残るまでに強力なのだ。

 少なくともルイズの内に宿る“マナの女神”の力は水の精霊と対峙しても凌駕する程の力を秘めているのは事実だ。本体ではないとはいえ、“ファ・ディール”を創造した世界の理そのものだ。

 出来ればこの事実はルイズにとって伏せたい事実であった。力をおおっぴらに公表するつもりはルイズにはない。強すぎる力は争いを呼ぶ事を身を以て知っている故に。

 

 

(マナの力が知られれば即座に戦の道具になる。……力ある者は力を望む者を惹き付ける。私が“奈落”に落とされた時のように、私の力を付け狙う者が現れないとも限らない)

 

 

 脳裏に浮かぶは一人の男の姿。――そして紅き体躯を持つ巨大な“竜”の姿。

 浮かび上がりそうな後悔と憎悪を腹の底へと押し込めるように深々と溜息を吐き出す。

 ファ・ディールで経験した出来事の中で最も後悔に彩られた事件。ファ・ディールにおいてルイズは一度“殺されている”。

 奈落という死者住まう地にて封印されていた紅き竜帝“ティアマット”。知恵の竜と呼ばれるファ・ディールに存在する六つの属性に対応したマナの凝縮体“マナストーン”の監視者が一人。

 かつてファ・ディールの全ての生命に頂点に立とうとし、マナストーンを取り込むという禁忌を犯した。その力を以て世界を支配しようしたが、他の知恵の竜によって奈落に封印された。故にティアマットは復讐の為、他の知恵の竜を殺しうる力を秘めた存在を探していた。

 そこで目を付けられたのが自分だったというはた迷惑な話。訳も分からぬまま殺され、奈落に叩き落とされた。そして奈落から脱出するにはティアマットに協力する事しか出来ないという状態に追い込まれた。

 結局、ルイズは最後まで真実をぼかされたまま知恵の竜の殺害に協力し、ティアマットの復活を許してしまった。唯一、生き残った知恵の竜、“ヴァディス”の協力もあってティアマットはルイズが再び奈落の奥底へと封印したが、ルイズはこの過程で多くの命を殺めてしまった経験を酷く後悔している。

 ティアマットが集めたマナの力で命を失った者達を蘇らせる事には成功し、事態は丸く収まったが、収まれば終わりという訳ではない。一歩間違えば世界は滅んでいたのだから。

 

 

(あの駄竜みたいに私を利用しよう、なんて奴もいるだろうしね。あんまり公にされないようにしなきゃ)

 

 

 もうあの日の後悔を繰り返さないように、と。ルイズは内心で決意を固め直す。

 

 

「ミス・ヴァリエール」

「え、あ、はい」

 

 

 脳裏に浮かんだ過去を振り切ろうとしていたルイズはオスマンに名を呼ばれ、反応を返すのに一寸遅れてしまう。オスマンは覗き込むようにルイズを見て、そして静かな声で告げた。

 

 

「確認の為にもディテクト・マジックをかけても良いかね?」

「……それは」

 

 

 ルイズは躊躇した。ディテクト・マジックは対象の魔力を探知する事が出来る魔法だ。確かにディテクト・マジックならばマナの存在を証明する事が出来るだろう。だが、それは同時にマナの存在を知られるという危険を孕む。

 そんなルイズの不安を悟ったのか、オスマンは柔らかな笑みを浮かべてルイズの頭に手を伸ばした。ルイズの髪を梳くように優しく撫でる手つきにルイズは思わず驚いてオスマンの顔を見つめる。

 

 

「君は自身が何を召喚したのか弁えているようじゃの。安心せい。儂はこの学院の長じゃ。生徒達を守る義務がある。君のような未来ある若者の未来を奪うような事はせんよ。安心しなさい」

「オールド・オスマン……」

「ミス・ヴァリエール。……これから君の行く道には苦難が付きまとうじゃろう。君は何の因果か苦難の星の下に生まれてしまった」

「……はい」

「君は未だ魔法を為せず、今回の使い魔召喚が記録にも残る初の成功となった。メイジの実力を見るならばまず使い魔を見よ、という。君が召喚した使い魔は可能性に満ちあふれているだろう。――それこそ、悪戯に世を騒がすまでに、な」

「オ、オールド・オスマン!?」

 

 

 コルベールが驚きの声を上げる。その様はまるで子供に何を言っているのか、と抗議しているかのようにも見える。いや、事実そうなのだろう。オスマンは告げたのだ。ルイズの召喚した“マナの女神”は争いの火種となる可能性がある、と。

 

 

「心せよ、ミス・ヴァリエール。貴族たるもの、自らの宿命から逃げてはならぬ。力に対し責務を負い、誇りを以てして律しなければならぬ」

「はい」

「君を妬む者、君の力の可能性に気付く者、世界は善意にのみ満ちてはおらぬ。君が誤れば力によって傷つく者が生まれる可能性がある。……君はそれを理解しているようじゃが、な。しかしまるで別人のようじゃな? 本当に君が“ミス・ヴァリエール”か疑うまでに、はな?」

「……!」

「それでも君を信じよう。先日の食堂の件も儂は耳にしておる。君の誠実な精神と誇りは疑うまでもなくミス・ヴァリエールのものだと儂は知っている。ここまでの苦境に晒されながらも貴族を何たるかを知り、志す君の姿を儂は知っているよ。それがようやく日の光を浴びる時が来たのじゃろう」

「……オールド・オスマン」

 

 

 ルイズは唖然として呟く。言われれば、ルイズの心境の変化は周りからみれば突然人が変わってしまったようにも思える。怪しまれない方が不思議であろう。

 だが、それでもオスマンの信じるという言葉にルイズは胸の奥に暖かさが宿るのを感じた。何よりもルイズの心を躍らせたのはオスマンの言葉の1つ1つだ。信じてくれていると。自分の事を見て、認めてくれていると。

 

 

「これで君は立派なメイジの第一歩を踏み出したのだ。――おめでとう、ミス・ヴァリエール」

「……ッ」

 

 

 おめでとう、と。

 オスマンの告げた一言がルイズの心を震わせる。それはずっとルイズが追い求めてきた言葉だったのだから。幼い頃よりずっと認められたくて足掻いていた頃からずっと望んでいたもの。

 

 

「……勿体ないお言葉です、オールド・オスマン」

 

 

 ルイズは深く頭を下げる。目の奥が熱くなり、涙が込み上げてきそうなのを堪えながらルイズは静かに告げた。

 ゆっくりと呼吸を正し、息を整える。涙を押しとどめたルイズは顔を上げ、オスマンへと視線を向ける。

 

 

「その賞賛の言葉に恥じぬよう、これからも弛まぬ努力を誓います」

「良い。……信じて良いのだね?」

「はい。我が名、ルイズ・フランソワーズ・ル・ブラン・ド・ラ・ヴァリエールの名において」

「宜しい。しかし、暫くは監視を付けさせて貰うよ? 君だけでなく、他の生徒のためにも、ね?」

「はい」

 

 

 体裁的な問題もある、とオスマンは言外に告げている。ルイズに否はない。仕様がないとさえ思う。ただでさえ自分は今、強力な力という爆弾を抱えたのだから。

 ルイズはただでさえ目を付けられやすい。今までは蔑みの対象であったルイズだが、蔑む事すら烏滸がましい存在を召喚したのだ。

 それが妬み恨みと変わりかねない現状がある。それを含めて自分を監視すると告げたのだろう。伝えてくれたのは牽制の意味もあるだろうが、ルイズを信頼しての事だろう。

 

 

「オールド・オスマンの深き配慮に感謝を」

「良い。君は君らしく、君のままでありなさい。ミス・ヴァリエール」

 

 

 こうして、ルイズの波乱に満ちた使い魔召喚の儀式は此を以てして幕を下ろすのであった。



目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

ルイズとキュルケ

 “ゼロ”のルイズ。

 公爵家という由緒正しき家柄に生まれながらも魔法を扱いこなせずにいた無能者。

 ただそれだけならば、彼女はただ数多いる人の中に埋もれるだけで、注目を浴びる事はなかっただろう。

 何よりも彼女が人の目を惹いたのは、魔法を使えぬという事実からではない。

 それはあまりにも鮮烈なまでの眩さ。貴族として在らんと努力を続け、貴族は何たるかを自負し続けて生きてきた。

 歪なりながらも真っ直ぐ、理想の貴族であろうとした姿が誰よりも目を惹いたのだ。理想に追いつかぬ現実と、高すぎる理想を掲げながらも足掻き続ける姿に誰もが無視をする事が出来なかった。

 滑稽だと多くの者はルイズを笑った。魔法を使える事が貴族の前提であるのに、彼女は魔法を使う事が出来ないのだから。

 劣悪という言葉すら生ぬるい。衣食住は恵まれても、心はいつだって悪意に晒され続けてきた。それでも尚、歪みながらもルイズは正しく貴族たらんとしていた。

 誰もが知っている。そして誰もが目を背けている。誰も彼女を見ようともしない。故に、彼女がこの場にいる事が何よりも理解できず、そして納得する事が出来ない。

 2年生の授業を行う教室に、やや遅れて姿を現したルイズは皆の目を惹いた。ざわつきが周囲に広がっていく。使い魔召喚を失敗していたルイズが何故ここにいるのか、という疑問が皆の間に沸き上がる。

 そもそもの使い魔召喚、留年の問題などはどうなったのか。皆が疑問を浮かべる中、ルイズは平然と席について授業を受ける準備をしている。まるで周りなど意に介していない、という様はいつもの彼女のままではあるが、どうにも雰囲気が違うのだ。

 そんなルイズに声をかける猛者がいた。それはキュルケだ。キュルケはルイズの隣の席を陣取り、ルイズへと問いかける。

 

 

「ルイズ、ここにいるって事は使い魔召喚は成功したの?」

「何で隣に座ってるのよ。あっちに行きなさいよ、ツェルプストー」

「私がどこに座ろうと勝手じゃない」

「……そう。じゃあ勝手にすれば良いわ」

「えぇ、そうするわ。で? 貴方は何を召喚したのかしら? ミス・ヴァリエール」

 

 

 キュルケの問いにルイズは面倒くさい、というように眉を寄せる。そして面倒くさそうな様子を隠さぬまま、小さく息を吐き出すと共にルイズはキュルケへと返答する。

 

 

「あんまり騒がれたくないから教えない」

「はぁ? なによそれ」

「あんまり公にしたくないのよ」

「なんでよ」

「オールド・オスマンから助言を頂いたの。私の使い魔は希少種だからって。今はオールド・オスマンの庇護下にいるわ」

 

 

 ルイズはキュルケにしか聞こえない程に声を下げて言う。周りにも意識を配り、ルイズは周りに聞き取られないようにキュルケへと伝える。

 キュルケはルイズの返答に僅かに目を瞬かせた。成る程、オールド・オスマンが言うのであればそうなのだろう、と。だがそれは同時にキュルケに驚きも与えていた。ルイズが稀少とされる使い魔を召喚した事実に。

 

 

「へぇ。それは興味深いわね。尚更、ルイズが何を召喚したのか気になるわ」

「私だって成功したんだから自慢したいわよ。でも、使い魔を見せ物にする気は私にはないわ」

「そう。なんにせよ無事に召喚出来て良かったじゃない」

「……アンタが私を祝福するなんてね。悪いものでも食べたかしら?」

「別に。これで退屈しないで済むわ。ライバルが簡単に膝を屈するような相手だと困るしね」

 

 

 不敵な笑みを浮かべてキュルケはルイズに言う。因縁のあるヴァリエール家の娘とツェルプストー家の娘。それは必然的に互いを好敵手として意識をする相手だ。

 時代錯誤とも言える程、貴族たらんとしているルイズの事をキュルケは好ましく思っている。その上で、好敵手に値する相手として認めていた。これで魔法を使えるようになれば良い研鑽の相手となるだろう、と。

 代々続く両家の因縁から普通に仲良くなろう、という発想がこの二人にはない。だが好ましくは思っているという何とも天の邪鬼な想いを抱いている事をキュルケは自覚しない。自覚したとしても否定するだろう。そんな微妙な距離感が二人の間柄なのだから。

 ルイズはキュルケの返答を聞いて、僅かに鼻を鳴らして視線を前に向けた。キュルケは変な奴。突っかかってくる癖に心配をしたりや、自分を焚き付けたりと変な事をしている奴。今のルイズのキュルケに対する評価はこんな所だ。

 互いに因縁がある所為もあるのだろう。妙に互いに素直になれない二人はそこで会話を一時止める。仲良くお喋りする間柄ではない。ならばこれ以上、無用な会話は必要ない。

 二人が会話を止めて間もなく、教室には授業を担当する教師が入ってくる。ルイズは久しぶりの授業に思いを馳せながら授業に意識を傾けようとする。身に向けられる無数の視線を敢えて無視した上で、ルイズは授業へと没頭していった。

 

 

 

 * * *

 

 

 

「ミス・ヴァリエール。君に少々確認したい事がある」

 

 

 授業が終わり、授業道具を片付けていたルイズはそう声をかけられ、声の主へと視線を向けた。そこには貼り付けたような笑みを浮かべている生徒がいる。誰だったか、と名前が出てこない程には印象にない同級生だった。

 キュルケやコルベールといった自分にとって印象深い生徒や教師は確かに覚えがあるが、ファ・ディールで過ごした時がハルケギニアにおいての些末事は忘却させていた。名を思い出せずに、えーと、と声を漏らしながらルイズは首を傾げる。

 

 

「私に何の用かしら? ……えーと?」

「マリコルヌだ! マリコルヌ・ド・グランドプレ。……まぁ良い。君、進級出来たのかい?」

 

 

 マリコルヌの問い掛けに興味がある、と言うように周りの生徒達の意識がルイズへと向けられる。中にはマリコルヌの後ろに寄ってルイズを見てくる者までいる程だ。

 使い魔召喚の儀式を失敗した者は留年し、1年生からやり直し。それが魔法学院の決まりだ。そして少なくともルイズは使い魔召喚を成功していない。

 なのにルイズは2年生の授業を受けているという現状。そこに疑問を抱く者がいないか、と言われれば否だろう。ただでさえ“ゼロ”のルイズとして注目を集めていたのだから。

 ルイズは先ほど、キュルケに問われた後から頭の中で纏めていた返答を返す。キュルケだけでなく、自分の進級に関して疑問を抱く生徒は多いと思ったからだ。

 

 

「えぇ。無事に進級したわ」

「使い魔召喚を失敗した君が?」

「あの後、再度召喚の儀式をしたの。無事に終わったわ。使い魔は召喚したし、契約も済ませたわ」

「……本当にそうかい?」

 

 

 マリコルヌの周りにいた生徒が続けて問いかけを投げかけてくる。明らかに疑いの眼差しである。その視線が幾重にも自分に集中している事にルイズは疲れたように吐息する。

 

 

「本当に、と問われても、それが事実なのだからそうとしか答えられないわ」

「なら君の使い魔を見せてくれよ。“ゼロ”のルイズが召喚した使い魔がどんな使い魔か気になるな」

 

 

 気になるだろうな、とルイズは思う。気にならない方が不思議だ。自分だって同じ状況であれば疑わない筈もない。

 だからこそわかる。誰も納得していないのだと言う事が。ルイズが2年生の授業を受けているという現状を。何故ならば自分は皆の目の前で失敗をしてしまっている。使い魔の召喚を成功させる事が出来なかったのだから。

 

 

(……さて、穏便に隠し通せれば良いんだけどね)

 

 

 ルイズは溜息を吐き、願うように心中で零す。先日の儀式でわかった通り、ルイズはマナの女神の分霊というべき存在を身に宿している。そして先日、身に宿っている分霊と使い魔の契約を交わした。

 だが、マナの女神は肉体を持っていない存在だ。だからこそルイズの体を依代として、ルイズと同化する事で存在している。元々、マナの女神は“万物の根源”だ。何者でもなく、何者とも為り得る“起源”たる存在。

 故に人目にさらす事は出来はしない。そもそもの存在の証明などルイズには出来ない。そしてルイズにはそもそもマナの女神を公表するつもりはない。彼女の力が余りにも強大だから、という理由は勿論ある。それに、例え誰に認識されずとも、確かな絆をルイズは認識しているのだ。他人にとやかく言われる筋合いはない。

 

 

「悪いけれど、オールド・オスマンから助言を頂いているの。私の使い魔は希少種だから。今はオールド・オスマンの庇護下にいるわ。だから見せてあげる事は今は出来ないわ」

 

 

 予め了承を取り、問われた時に想定していた言葉を返す。ルイズの返答を聞いた生徒達は怪しむような視線は更に強まり、突き刺すようにルイズへと視線が刺さる。

 

 

「それは本当か?」

「まさか、本当は使い魔召喚が出来ていないんじゃないか?」

 

 

 ルイズの返答にルイズの予想通りの返答が来る。だが、ルイズはそれ以上は黙り、何も言わない。

 

 

「おい、まさか公爵家の権力を使って進級したんじゃないだろうな?」

「何とか言えよ! ルイズ!」

「黙ってるって事は図星なんじゃないか?」

 

 

 声がする。ルイズは感情を深く沈め、ただ黙って最早罵倒とも言える言葉を受け止めていた。彼らの疑念は当然だろう。実際、使い魔の姿を見せてやる事は出来ないのだから。

 だからどうした、とルイズは心中で呟く。彼らが信じようと、信じまいと、マナの女神は自らと共にある。意識を沈めれば繋がりを感じる事が出来る。この暖かさは嘘なんかじゃない、と。ならば恥じる事など何一つない。

 

 

「貴方達がどう思うのかは勝手よ。好きにしなさい。ただ、それでも私はここにいる。オールド・オスマンに許しは得ているもの」

 

 

 だから好きに言えば良い。罵れば良い。疑えば良い。自分は彼らに提示出来る証拠は出せない。ならば好きに言えば良い、とルイズは言う。

 居直った、や、卑怯者と罵倒や皮肉が飛び交う中、ルイズは言い返す事無くただ黙って聞いていた。悪意を受け止める事は慣れている。ファ・ディールで出会った“奈落”の住人達、つまり死者達から比べればこの程度の悪意など涼しいものだ。

 次の授業を行う為に教師が入ってくるまで、ルイズへの問答は続いたが、ルイズはのらりくらりと問答を躱す。誰もが納得しないまま、席に戻っていく。いくつもの問答を追えたルイズはまるで気にした様子もなかった。

 

 

 

 * * *

 

 

 

「アンタ、よく我慢出来たわね」

「急に何よ」

 

 

 午前の最後の授業が終わった後、キュルケはルイズに声をかけた。授業は終わり、誰もが昼食を取る為に教室を後にしていく。ルイズは授業道具を片付けながらキュルケと言葉を交わす。

 

 

「あれだけ言われてよく我慢出来たわね、って。ちょっと前のアンタだったら怒鳴り散らしてたじゃない」

「そうだったかしら?」

「そうよ。随分と落ち着いちゃって。使い魔召喚をしてからかしら」

「相手にしたって私が使い魔を見せてあげる事が出来る訳じゃないし、だったら言わせたいように言わせれば良いのよ。それに……」

「それに?」

「どうせ私が召喚した使い魔を見せたって、所詮ゼロ、って事でまた何か言われるんでしょうね」

 

 

 ふぅ、と溜息を吐いてルイズは言う。

 

 

「今更私がどう足掻いたって、“ゼロ”の称号は揺るがない。私が本当に誰かに認められるだけの功績がない限り、ね。それこそいきなり“ゼロ”から“スクウェア”にでもならない限り、ね?」

 

 

 ルイズは悟りきった表情で告げる。ルイズの言葉に含まれているのは諦め。しかし同時に諦めながらも屈する事はないと意志が籠められているものであった。

 キュルケは思わず息を呑んだ。ルイズが“ゼロ”と呼ばれる事を疎み、嫌っている事をキュルケは知っている。恐らく、この学園で誰よりもだ。からかい混じりに“ゼロ”と呼ぶ事もあるのだから、キュルケは知っている。

 その“ゼロ”の称号に対して受け入れる強かさを見せた。それは以前のルイズにはなかったものだ。今までの“ゼロ”である事を受け入れられないルイズは強気で他者を寄せ付けない程、ヒステリックな少女という一面があった。

 だが今のルイズはどうか。客観的に自分を見て判断する事が出来ている。感情も高ぶった様子も無い。キュルケが思わず本当にルイズなのかと疑うまでに。訝しげにルイズを見つめるキュルケの視線に気付いたのか、ルイズは嫌そうな視線をキュルケに向けた。

 

 

「何よ。さっきから」

「アンタ、やっぱり変わったわ。その調子じゃ彼奴等の罵倒は本当に根拠のないものになっちゃうわね。そう思うと滑稽だわ」

「私が本当は使い魔を召喚してない、とか考えないの?」

「じゃないとアンタ、そんなに変わらないでしょ。自信ついたんでしょ? 使い魔召喚で」

「自信、なのかしらね。ただ……」

「ただ?」

「自分にはまだ可能性があるんだな、って信じられるようにはなったかしらね」

「それって自信って言うんじゃないの?」

「かもね?」

 

 

 ルイズは笑みを浮かべる。少しおかしそうに笑みを浮かべたルイズにキュルケは率直に“可愛らしい”という印象を与えた。少し悪戯っぽく微笑む仕草は彼女によく似合っている。

 あぁ、追い詰められていない彼女はこんなにも魅力を秘めているのかとキュルケは思った。これは狡い。今までのギャップを比べるとこの茶目っ気は卑怯だと思うぐらいに可愛らしい。

 

 

「アンタ、やっぱり油断ならないわ」

「? 何の事よ」

「磨けば輝くわね、って話よ。私達も食堂行きましょうか」

「はぁ? アンタと食事するつもりは無いわよ」

「あら、たまには良いじゃない」

 

 

 嫌そうなルイズにキュルケはクスクスと笑いながら言う。勝手にしろ、と言わんばかりにルイズは何も言わずに席を立つ。キュルケもそれ以上は何も言わず、ルイズと並んで食堂へと向かった。

 食堂まで続く道を歩みながらルイズとキュルケはたわいのない話に花を咲かせた。主に話題を振るのはキュルケだが、ルイズも無視をする事無く話に応じている。

 今までの二人には無かったごく当たり前の会話。それがキュルケにとっては新鮮でどことなく楽しい、と無意識ながら思っていたのだろう。

 ――だからこそ、食堂の入り口で辿り着いた時、キュルケは不機嫌を顕わにした。入り口には幾人かの男子生徒が並んで立っていた。そしてルイズの姿を見るなり、ルイズの前に立ち塞がり、道を遮る。その顔には作られたような笑みを浮かべ、丸わかりの侮蔑の感情をルイズへと向けている。

 

 

「ルイズ。君はこの食堂に足を踏み入れる資格がない」

「ここは貴族の食卓だ。貴族にあるまじき行いを働く君は食堂に足を踏み入れる資格はない」

「早く去りたまえ」

 

 

 筆答に立つ生徒には見覚えがあった。先日、ルイズとギーシュの諍いの際、杖を抜こうとして謹慎処分を受けていたはずの男子生徒だった。彼の取り巻きの中には教室でルイズを罵倒していた中で最も辛辣な言葉を浴びせていた生徒達も含まれていた。

 キュルケは不機嫌さを隠そうともせず、道を塞いでいる生徒達へと問いかける。その声にはやや険しい色が混じっている。

 

 

「ちょっとミスタ。これは一体何の真似?」

「おぉ、ミス・ツェルプストー。これはお見苦しい所を。しかし、ミス・ツェルプストー。君も何故、貴族の面汚したる“ゼロ”と並んで食堂に来るのかね? 僕には理解が出来ない」

「……面汚しって何の事よ」

「使い魔召喚も成功せず、進級の資格もない筈の面汚しが不当に2年生の授業を受ける。それもこれも学園長に公爵家の権力を使い、媚びを売った為だ。これを面汚しと言わずして何という? ここは貴族たる教育と“魔法”の学び場! なのに魔法を扱えない無能者が我が物顔で授業を受け、不貞不貞しくも貴族の食卓で食事を取るという。これは由々しき事態だよ、故に僕はこれ以上の狼藉を見過ごす事が出来ず、同志と共に立ち上がったのだよ」

 

 

 説明を求められた生徒は流れるように語る。その語りにキュルケは不快感を隠さずに表情へと出した。

 

 

「ルイズが使い魔召喚を失敗した、っていう事実もないでしょう。それは謂われのない中傷じゃないの?」

「ゼロのルイズの使い魔召喚の儀式の失敗は見ていただろう? 彼女が成功なんて出来る訳がない。何故ならば彼女はゼロ! 無能者なのだから。それに僕が謹慎処分を受けているのに、彼女はすぐに処分を解除されている。これは公爵家の名を出して圧力をかけたに違いない」

「証拠があるの?」

「ツェルプストー? 何故そんなにも疑うのかね? 考えてもみたまえ。それしか考えられないじゃないか? そもそも、今までだって退学にならない方がおかしかったじゃないか? 魔法を使えば爆発を撒き散らすんだ、危険極まりない! なのに魔法学院に在学出来ていたのは親の権力を使って居座っていたに違いない」

 

 

 大袈裟なまでの身振りで主張する男子生徒。周りの生徒も同感だ、というように同意を示している。ちらり、とキュルケは横目でルイズを見てみれば彼女は涼しげな表情で目を細めているだけであった。

 

 

「ミス・ツェルプストー。君も早くそこのゼロから離れたまえ。君の品性がゼロの所為で貶められるのは僕は悲しい。君にはもっと相応しき友となるべき人が存在している筈だ」

 

 

 芝居がかった仕草でキュルケの傍に寄り、その手を取ろうと手を伸ばす男子生徒。キュルケは不快感で一杯だった。彼の言う事は確かに“有り得る可能性”だ。

 だが、ルイズはそんな事をしていない、とキュルケは半ば確信していた。この貴族であろうとするルイズがそんな卑劣な真似をする筈はないと。ルイズが何も言い返さない事を好き勝手な事を言う男に嫌気が差していた。

 他人を虐げて自身を上に見せようと、媚びを売ってくる男のやり口にキュルケは魅力どころか、侮蔑すら覚えていた。そんな男が触れようとしてくる。思わず、その頬を叩いてやろうと手が出て――。

 

 

「キュルケ、行きなさい。彼らが用あるのは私でしょ?」

 

 

 ルイズが自然に間へと立った。手を伸ばした男の手を遮るように、かつキュルケの動きを静止させるような立ち位置で。

 間に割って入ったルイズにキュルケは思わず驚き、突如間に入ったルイズに男子生徒は怒りを顕わにする。余程、キュルケの間に割って入った事が気に入らなかったようだ。

 

 

「ゼロのルイズ、君が気安く名を呼んで良い相手じゃない。ミス、とつけるんだ」

「……ミス・ツェルプストー。早く行ってください」

「ちょっとルイズ!」

 

 

 ここまで言われて何も言い返さないのか、とキュルケはルイズを見る。だが息を呑む。ルイズはまるで人形のように何も感情を浮かべていなかった。ゾッ、とキュルケの背筋に悪寒が走る。

 人は怒りの沸点が頂点までいくと逆に冷静になるという。ルイズは半ば、その状態にあった。以前の彼女であればそのまま怒鳴り散らしていた所をルイズは抑えていた。

 握りしめた手は強く握りしめ過ぎて血を失い、白くなっている。力を込めすぎている為か、拳は僅かに震えている。だが、それでも感情を表に出さないように、とルイズは平静を装う。

 

 

「――冗談じゃないわよっ!!」

 

 

 だからこそ、キュルケは我慢ならなかった。

 

 

「アンタらしくないわね! ルイズ! 言い返してやんなさいよ!」

「……キュルケ」

「アンタ、ちゃんと使い魔召喚したんでしょ? こんな奴らに好き勝手言われて悔しくないの? 事情があってアンタの使い魔が表に出てこれないって! 学院長からも認められてるって!」

 

 

 キュルケはルイズの肩を掴んで言う。ルイズはここまで言われて我慢が出来る筈がない。普段ならばとっくに爆発している。だが、ルイズは今、それでも必至に堪えているのだとキュルケは悟る。

 だが、何故そうする必要がある。キュルケは知っている。ルイズはいつも苦しんでいた。魔法を扱えないという重圧。だが逃げる事はしなかった。いつだって前を見て進み続けた。それが使い魔召喚でようやく報われた。希少種を召喚したという事は、ルイズ自身も言ったように“可能性”があるのだと。

 更に言えば、今、ルイズは自分を庇ったのだとキュルケは悟った。咄嗟に出そうとした手を止める位置にルイズが割って入ったのが偶然とはキュルケにはとても思えない。

 これは自分の問題だから、と立ち入らせようとしない。挙げ句、離れろとまで気を遣われた。あぁ、ルイズは自分なんかに気を遣うなんて気持ち悪い、と。故にキュルケは納得がいかない。故にキュルケはルイズに訴える。

 

 

「……ミス・ツェルプストー。何故君は“ゼロ”を庇うんだい? そんな無能者を」

 

 

 キュルケがルイズに告げた言葉に、生徒達は不愉快そうな表情を浮かべて問いかける。それにキュルケは思わず鼻で笑ってしまった。そのまま挑み掛かるように視線を向け、キュルケは告げる。

 

 

「無能? そうね。ルイズは魔法が使えないかもしれない。でもね、ただそれだけ、でしょ? アンタ達がルイズに勝ってる所なんて」

「ッ!? 愚弄するか!! ツェルプストー!! ……ふんっ、何だ、貴様も所詮ゲルマニアの野蛮な女だったという事か! これだからゲルマニア出身は――」

 

 

 ――言葉が、止まった。

 別に生徒が口を閉ざした訳ではない。いいや、閉ざした訳ではないが、強制的に口を閉ざされたのだ。

 生徒の顔が歪む。歪んだ原因は、彼の頬に突き刺さった鉄拳1つ。体の捻りを最大限に生かした見惚れるまでの一撃だった。綺麗に男子生徒の顔に叩き込まれた拳は軽々と男子生徒を吹き飛ばす。

 鉄拳を叩き込んだルイズは殴った手を軽く振りながら、はぁ、と呆れたように溜息を吐き出した。面倒くさそうに手で髪を無造作に混ぜるように掻く。

 

 

「あー、やったわ。やっちゃったわ。アンタの所為よ、ツェルプストー」

「……ふん、私に気を遣おうなんてアンタらしくないのよ、気持ち悪い。それより、良い拳じゃない。少しスッキリしたわ」

「……ったく、折角気を遣ってやったのに随分な言いぐさよね」

 

 

 ふん、と鼻を鳴らすルイズとキュルケ。だが、互いに顔に笑みを浮かべていた。

 

 

「き、貴様! 殴ったな! 無能者の、ゼロの分際が僕を殴ったな!!」

 

 

 ルイズに殴り飛ばされ、仲間の生徒に起こされた生徒は憎悪すら込めた瞳でルイズを睨み付ける。向けられた怒りにルイズは鼻で笑うように鳴らし、ウェーブのかかった自分の髪を手で払うように掻き上げながる。

 

 

「ごめんなさいね。私の罵声なら幾らでも我慢出来るけど……――関係ない奴の罵声までは許容は出来ないわね? ついつい殴り飛ばしちゃったわ。その鬱陶しい顔。そっちの方が男らしいわよ?」

「侮辱しやがって! もう許さないぞ! “ゼロ”のルイズ!!」

 

 

 怒りのあまり、目を血走らせながら男子生徒は杖を抜いた。彼の取り巻きの中には、流石に少年を咎めるように声を上げた者もいたが、少年は脅すように杖を向けて怒鳴り散らす。どうやら頭に血が上りすぎて冷静さを失っているようだ。

 やれやれ、と言うようにルイズは肩を竦める。仕様がない、と言うように溜息を吐いてルイズは怒り狂う男子生徒へと告げた。

 

 

「じゃあ手ほどきしてくださいな、色男さん? 貴方が言う”無能者”であるこのルイズに”魔法”の手ほどきを、ね? 今なら場所が空いてるでしょ? 広場に行きましょう?」

 

 

 

 

 

 

 



目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

ルイズの魔法

「ちょ、ちょっとルイズ!?」

 

 

 ルイズの提案にキュルケは焦ったような声を上げた。挑発まで加えた上、広場での“手ほどき”。遠回しにこそ言っているものの、挑発の内容は謂わば私闘と変わらない。

 本来、生徒間での決闘は禁止されている。未熟といえど魔法。人を傷つけてしまう力である事には変わらない。運が悪ければ死すらも有り得るのだ。故に魔法学院では決闘は禁止されている。

 幾ら言葉を濁してみようとルイズが相手に叩きつけたのは決闘の誘いだ。ルイズの心意気は認めるが、“ゼロ”のルイズである彼女に決闘だなんて無理に決まっている。だからこそキュルケは驚きを隠せないのだ。

 

 

「……は、はは! 良いだろう! “ゼロ”のルイズ! 僕が魔法について教授してあげよう! かの公爵家の娘に教えを請われれば受けざるを得ない!」

 

 

 調子を良くした男子生徒は笑う。だが、その瞳は血走っていて残虐な光を湛えていた。明らかに冷静さを失っている様子にキュルケは眉を寄せる。これは良くない事態だ。何を思ってルイズは挑発なんかしたのか、とキュルケは疑問しか浮かばない。

 だが、ルイズは何も動じていない様子で応える。行きましょう、と短く告げて男子生徒を誘って歩き出す。キュルケはルイズの肩を掴み、自分の方へと振り向かせた。

 

 

「ちょっと! あんた何考えてるのよ!?」

「キュルケ」

 

 

 問いただそうとしたキュルケにルイズはそっと自分の唇に人差し指を当てた。何も言うな、という事なのだろう。キュルケに向けられる視線は真っ直ぐで、キュルケの二の句を紡がせない。

 悪いわね、とルイズは肩に置かれたキュルケの手をどけ、そのまま歩いていく。先程の男子生徒もルイズの背を追うように歩いていく。彼の取り巻きの生徒も何人か着いていく。その中で戸惑うように囁きあい、この場に留まっている生徒達もいた。

 

 

「ちょっと! アンタ達!」

「ひっ!」

「な、なんだよ、ツェルプストー」

 

 

 残った生徒達はキュルケの形相に思わず竦み上がる。このキュルケ、魔法学院では優秀とされる部類の“トライアングル”のメイジなのだ。メイジの力量はドット、ライン、トライアングル、スクウェアと掛け合わせる事の出来る属性の数で変わる。

 重ね合わせる属性が多ければ多いほど魔法の質も上がり、メイジの実力を判断する階級であるのと同時に、優秀な貴族である事の現れでもある。見たところ、取り巻きの生徒達はドットクラス。怒るキュルケの前に完全に萎縮しきっている。

 

 

「何のつもりよアンタ達!」

「な、何のつもりって……」

「さ、さっき言った通りだよ。おかしいじゃないか。ルイズは魔法が使えないんだぜ? なのにどうして進級出来てるんだよ? きっと使い魔だって本当は召喚出来ていないんだぜ?」

「そ、そうだ! そんなの狡いだろ!」

「本当にあの子が使い魔を召喚出来てない、っていう証拠があるって言うの!?」

「そ、それは……」

 

 

 キュルケの問いかけに生徒達は口を閉ざす。確かな証拠は彼等とてない。しかし、反論するように生徒の1人が叫ぶ。

 

 

「で、でもツェルプストー! アイツは俺たちの使い魔を誘惑してたんだぜ!? きっと使い魔を召喚した俺たちを妬んで奪おうとしたんだ! そうに決まってる!!」

「アイツがそんな事する奴だと思ってるの!? あの貴族馬鹿って言うぐらい時代錯誤なルイズが! 誰かの使い魔を奪おうとかそういう事を考える奴だと思ってるの!?」

 

 

 ルイズの語る貴族は理想ではあるが、今の時代では些か時代錯誤と言うべきだろう。古き良き時代の貴族。民の為に働き、誇り高き血を引く者としての責務を果たす。それは誰もが理想として語る。

 しかし富に肥えれば人は飽くなき欲望に呑まれていく。それがトリステインという国の衰退に繋がっている。国の衰退は人の質を下げ、更に国力を奪っていく。今や弱小とさえ呼ばれる程、トリステインは力を失ってしまった。

 過去の栄華など、最早見ることも叶わない。そんな欲に肥えた貴族達の中でルイズは異彩を放っていた。誰もが欲に肥えたという訳ではないが、貴族を至上とする者とルイズは違う。

 ルイズは言うのだ。貴族であるから崇められる訳ではない。果たすべき責務を果たしてこそ貴族なのだ、と。だからこそ、誰もがルイズを気にする。鮮烈なまでに生きているルイズに、それこそ魔法の才能があれば誰もが羨む貴族となっていただろう。

 だが、現実としてルイズはゼロであった。だからこそ、誰もがルイズの言う事は綺麗事や戯言にしか聞こえない。だからこそルイズを見ない。彼女の人となりを知ろうともせず、可能性に目をつけ、彼等は叫んでいる。

 

 

「ツェルプストーは恐くないのかよ! 自分の使い魔が奪われるかもしれないって思わないのかよ! ようやく召喚して、これからって時に主人よりもアイツに懐いてる使い魔の姿を見て何も思わないのかよ!!」

「えぇ、私のフレイムもアイツには懐いてるみたいね。それがどうしたの? それでもあの子を使い魔にしたのは私よ。契約を結んだのも私。ならそれを信じるのも主の役目でしょ! 結局アンタ達は弱虫よ! 自分に自信がなくて、疑う事しか出来ない弱虫ね!!

 ルイズが他人の使い魔を奪う? あり得ない。あの子がそんな事をする筈がない。きっと悔しがりながらも自分で使い魔を召喚出来なかった事を悔やむだけでしょう。羨みながらも自分の不甲斐なさを責めるでしょうに!!」

 

 

 それにキュルケは自分の召喚したサラマンダー、フレイムを信じている。何故ならば召喚に応え、契約に応じてくれたパートナーなのだ。これを信じずにいて何を信じれば良いのか、と。

 

 

「結局妬んでるだけでしょう! 恐れてるだけでしょ! 馬鹿馬鹿しいわ! そうね、アイツに欠けてるのは“魔法”くらいなものよね? 魔法が使えるようになればアイツは少なくともこの学院のトリステイン貴族の中じゃ最もらしい“貴族”になるものね!」

 

 

 キュルケの言葉に誰もが言い返せない。そうだ。皆知っているのだ。ルイズの語る貴族の姿が理想ではあると。だが、誰もがあそこまで高潔にはなれない。その理想を誰よりも求めているのが魔法を使えないルイズだと言うのが笑えない皮肉だ。

 これでルイズが魔法も使える才女であれば誰も彼女を罵る事はなく、むしろ褒め称えられていただろう。ただ一点、“魔法”を使えないという点だけが彼女の唯一の汚点だったのだから。ヒステリックな態度も、傲慢な振る舞いも、全ては魔法が使えないコンプレックスより生ずるものであったのは否定出来ない。

 事実、今のルイズにそんな傾向はない。だからこそ、キュルケはルイズを信じる事が出来る。ルイズが卑怯な真似をする筈がない、と。そうでなければ自分が好敵手であると、ルイズを認める事はない、と。

 

 

「他人を妬んで蔑むぐらいなら自分を磨く事をすれば良いんじゃないの? だからトリステインの国力も下がるのよ。少しはアイツを見習ったらどうなのよ、アンタ達も」

 

 

 キュルケは自分の言いたい事を言い切れば、ふん、と鼻を鳴らせて広場へと足を急がせた。  

 

 

 

 * * *

 

 

 

 広場ではちょっとした騒ぎになっていた。食堂の入り口であれだけ大々的に騒げば仕様がないとは思うのだが、少なくない人が広場へと集まっている。ルイズは人垣に囲まれた広場の中央で件の男子生徒と向き合っている。

 杖を構え、ルイズへと向ける男子生徒は気を良くしたように笑みを浮かべている。明らかに浮かれていると言った様子で彼は声高く告げた。

 

 

「では、ミス・ヴァリエール! 教授してあげよう! 僕が得意とするのは風の魔法だ! 僕のクラスはライン! “ゼロ”と“ライン”の差を教えてしんぜよう!」

「ありがたい事で。で? 実際にどう教授してくれるのかしら? ミスタ」

「――勿論、君の身を以てだ。“ゼロ”!!」

 

 

 憎悪を込めた瞳でルイズを睨み付け、杖を差し向けた。そのまま彼はルーンの詠唱を続け、魔法は完成する。

 

 

「――“ウィンド・ブレイク”」

 

 

 ぽつりと、ルイズが小さく呟きを零したのを聞き取れぬまま。

 ルイズの体を吹き飛ばそうと風が吹き荒れ、ルイズはその場に踏みとどまろうとするも体が浮き、吹っ飛ばされる。ふわりと浮いた体は重力へと引かれ、大地へと落とされる。

 

 

「ふっ、どうかね? 僕の“風”は。だがこんなものじゃないよ? 他にもこうだ!」

 

 

 続いて紡がれるルーンの詠唱。明らかに自らに酔ったように芝居がかった仕草で詠唱を続ける。

 

 

「――……“エア・ハンマー”」

 

 

 ルイズが呟きを零す。だがそれもまた、ルイズを圧迫するように放たれた“風の槌”が飲み込んでいく。片膝をつきながらも立っていたルイズは、そのまま大地に叩きつけられるように倒れ伏す。

 ルイズと対峙する生徒は堪えられない、と言うように笑いを零している。ルイズは軽く咳き込みながらゆっくりと体を起こしている。立ち上がり、服の汚れを落としているルイズに両手を広げるようにして彼は言う。

 

 

「どうだい? “ゼロ”の君には為し得ない僕の“魔法”は! 多少は参考になったかね?」

「……えぇ、とても」

 

 

 ルイズはふっ、と笑みを浮かべる。挑発的な好戦的な笑みを浮かべ、まるで指揮者のように杖を高く上げ、そのまま相対する男子生徒へ向けた。

 

 

「――だから、やり返すわね?」

 

 

 ――は? と疑問に声が漏れた瞬間にはもう、男子生徒の体が宙に舞っていた。

 場が騒然となった。ルイズが指揮者のように杖を振り、芝居がかったように一礼をする。同時に僅かに地より浮き、吹き飛ばされた男子生徒が魂が抜けたようにルイズを見つめていた。そんな生徒を前にしてルイズは笑みを浮かべる。

 

 

「参考になったわ。“貴方の魔法”」

「……今、何が……?」

「後はこうでしょ?」

 

 

 呆然とする生徒に悪戯っぽく告げてルイズは杖を振る。紡いだルーンは先程、彼が紡いだものとまったく同じものだ。

 男子生徒は上より押し潰さんと迫る“風の槌”によって大地に叩き伏せられる。信じられない、というように目を見開かせて体を震わせる。

 

 

「“ウィンド・ブレイク”に“エア・ハンマー”。とても参考になりましたわ。如何でしたでしょうか? 私の魔法は?」

「……う、嘘だ! ゼロが、魔法を使うだって!?」

 

 

 よろよろと体を起こした男子生徒は信じられないと言うようにルイズを見つめる。ルイズは妖艶な笑みを浮かべてちろり、と舌で唇を舐めた。嗜虐心すら溢れた笑みに男子生徒は思わず後ろに下がる。

 

 

「ミスタ。感謝いたしますわ? これで私も“ゼロ”と呼ばれる必要は無くなりそうですわ?」

「あ……あ……う、嘘だ……い、一体どんなイカサマを使った!? ゼロが魔法を使える筈がない! こんなのは嘘だ!!」

「――だったら、何度だってアンタの体に叩き込んでやりましょうか?」

 

 

 どんっ、と。ルイズの詠唱に合わせて男子生徒の横にあった大地が抉り飛ばされる。風の槌がルイズの杖の指し示した場所を吹き飛ばしたのだ。真横に吹き荒れた風の奔流に男子生徒は悲鳴を上げる。

 男子生徒の横を吹き抜けた風は自分が巻き起こした風よりも強い。しかも狙いも完璧。文句なしの魔法の発動。普通ならば称賛に値するレベルであろう。この結果を出したのが”ゼロのルイズ”でなければ、だ。

 

 

「本当に、魔法を使えるのか……?」

「文句でも?」

「そ、そんな、嘘だ……嘘だっ!」

 

 

 男子生徒は狼狽し、虚ろに呟き続ける。信じられない、と言うように目の焦点を合わせずに頭を抱えてしまっている。ルイズは男子生徒の様子を冷ややかに見つめながらも、ほっ、と安堵の吐息を吐き出していた。

 

 

(案外、上手くいったわね)

 

 

 ルイズの目には映っていた。自分を取り巻く“何か”。それはルイズを慕うかのようにルイズの周囲に集っている。ルイズは小さく笑みを浮かべて、念じるように告げる。

 

 

(ありがとうね)

 

 

 ルイズが礼を告げるように念じると、周囲に漂っている“声”は嬉しそうにしているようだ。それにルイズも自然と笑みを深めてしまう。

 ルイズの周りで渦巻く“声”。ルイズが目覚めた頃より感じていた“声”の正体をルイズはコントラクト・サーヴァントを終えてから確証に至っていた。

 マナは万物の源。マナは何者にも為り得る根源たる存在。ハルケギニアで言えば虚無、火、風、土、水を含めた5属性。ファ・ディールで言えば光、闇、火、水、土、風、木、金の8属性。その万物の根源を宿しているルイズには見えたのだ。この世界を構成する“粒達”、微細な“精霊”達の姿が。

 ルイズの呼びかけに精霊は応えてくれた。曰く、“自分にやられたように、アイツに同じようにやり返したい、但し傷つけはしないで欲しい”、と。

 後は簡単。“ルーンを詠唱する振り”をして相手に魔法を錯覚させたのだ。実際に魔法を行使したのはルイズではなく精霊達という事になる。

 良い機会だとルイズは思ったのだ。これからどう生きていくか、と考えれば何かしらカムフラージュは必要だと。マナの存在がバレないように。故に、木を隠すなら森の中。普通に埋もれてしまうのが目立つ事無く隠れる方法だとルイズは考えたのだ。

 

 

(一見普通の魔法に見せかけたからこれで無用な追求もやっかみも減るでしょ)

 

 

 だからこそ煽るようにして利用させて貰ったこの機会。思い通りに行ったとルイズは満足していた。さすれば後やるべき事は1つ。

 

 

「それで、ミスタ?」

「……ひ、ひぃっ!?」

「私に向けて言った罵詈雑言の数々、訂正して貰えるかしら?」

 

 

 ニッコリと、自分で自負出来る程の笑顔を作って言ってやった。やっぱり気に入らないものは気に入らない。ここで鬱憤が晴らせるならば晴らしてくれようとルイズは歯を剥くように笑った。

 ルイズの言葉を受けた男子生徒は顔を真っ青にして、脂汗を探しながら声にならない声を上げている。体は小刻みに震え、ルイズから下がろうとして自身のマントを踏みつけて転がってしまう。

 そのまま手を地につけて頭を下げる。外聞も何もない滑稽な姿をルイズは笑わない。ただ冷ややかな目で見つめるだけだ。ルイズの視線に気付いたのか、男子生徒は吐き出すように叫んだ。

 

 

「て、訂正します! 全て訂正します!」

「訂正だけ?」

「も、申し訳ありませんでした!」

「心の底からそう思う?」

「お、思っています! も、申し訳ありませんでした!」

「私は公爵家の権力を使って進級した無能者?」

「そ、そんな事はありません! あ、貴方様はやはり由緒正しき公爵家の息女でありました! た、大変失礼しました! 申し訳ありません! 申し訳ありません!」

「そ。なら良いわ。んじゃ、これでおしまい」

「……ゆ、許してくれますか!?」

「――次、何かして来なければ、ね!」

 

 

 ぱんっ、と。掌にルイズは勢いよく拳を打ち付けた。快音を鳴らして響き渡った音にひぃっ、と短い悲鳴を上げて男子生徒は白目を剥いて気絶してしまった。泡を吹いてしまった生徒に流石にやり過ぎたかな? とルイズは頭を掻く。

 

 

「――ちょっと! 誰か手を貸してくれる!」

 

 

 

 * * *

 

 

 

 ――あり得ない。

 ルイズの呼びかけに幾人かの生徒がルイズの下に集う中、上空から広場を観察している者がいた。監視をしていた者は零れ出た言葉と共に眼下のルイズを睨み付けるように見据えていた。

 上空から広場を監視していたのは青の髪を持つ魔法学院の生徒。シルフィードと名付けた風竜の背に乗りながら広場の決闘騒ぎを見ていた彼女は珍しい、と言って良いほど、表情を驚愕に歪ませていた。

 

 

「……“魔法”を使っていなかった」

「当然なのね! あれは魔法とは違う、精霊達の力なのね! やっぱり“精霊に愛されし子”は違うのね!」

「……つまりそれは“先住魔法”という事?」

「うーん、それともまた違うのね。あれは精霊達があの子に力を貸したのね! わざわざお姉様達の魔法に似せるようにしてね! 流石に私でも出来ないのね! まるで“大いなる意志”様! あの子凄いのね! もしかしたら本当に“大いなる意志”の生まれ変わりなのかもしれないのね!!」

 

 

 きゅいきゅい! と興奮したように口早と言葉を続ける使い魔の言葉に少女は眉を寄せた。つまりルイズは魔法という形式に拘らず、精霊の力を借り受ける事が出来るのだと言う。

 あの落ち零れでしか無かったルイズが? 何故? どうしてそんな力を得た? あれは本当に“ルイズ”なのか? 少女の頬を一筋の汗が伝い、落ちていく。

 

 

 ――あれは“ルイズ”の皮を被った何かではないのか。

 

 

 胸中に沸き上がった不安は消える事無く、少女の胸に恐怖を刻みつけるのであった。

 

 

 

 * * *

 

 

 

 同じ頃、オスマンも“遠見の鏡”と呼ばれるマジックアイテムでルイズを監視していた。先日ルイズに宣言した通りにルイズの様子をこのマジックアイテムで観察をしていたのだが、その額に汗が浮かんでいた。

 

 

「……これが精霊の力、というのかのぅ」

 

 

 オスマンもまた、ルイズが使った魔法が“魔法に似せられた別物”である事に気付いていた。実力のあるメイジは相手の魔法を受けるだけで相手の力量などを察する事が出来るがルイズの放った魔法は“毛色が違う”のですぐにわかった。

 これもルイズが召喚したという“精霊”の力なのかも知れない、と思えばオスマンは納得がいく。逆にここでルイズが起きた騒ぎに合わせて事態の沈静化を図り、自分を“一般”の枠に落とし込もうとしている意図もオスマンは悟った。

 オスマンも頭を抱えていたのだ。今の貴族は“魔法こそが全て”と半ば勘違いしている魔法主義者がいる。どんなに爵位の高い貴族であろうとも“魔法が使えない”が故に虐げられる事もある。

 魔法とはこのハルケギニアの世情において判断の基準となっている。それが行きすぎた結果が今回、暴走をしてしまった生徒だ。ルイズのように“為すべき事を為したものこそが貴族”、“魔法を扱い、民の為に尽力してこその貴族”と考えられる程、高潔な者は悲しいことに少ない。

 これが良い薬となって欲しいとオスマンは願う。魔法は確かに貴族に許された特権だが、特権があるから栄誉があるのではなく、特権を用いて守護を為し、豊かさを与える事が出来るが故に貴族であるという事を。

 

 

「しかし、良く似ているのぅ」

 

 

 オスマンは不意に呟く。長く伸びた髭を梳かすようにしながら考え込むように視線を細める。ルイズが起こした現象はかつて、オスマンが体験した“事象”と酷似していたからだ。

 

 

「……ミス・ヴァリエールに宿るという精霊。もしかすれば彼等と同郷の地より参ったのかもしれんのぅ」

 

 

 そこまで呟き、はて? と。オスマンは首を傾げる。オスマンの記憶の中にある“彼等”。忘れようとしても忘れられない姿がオスマンの脳裏に蘇る。そう言えば、彼等はどこから来た、と言っておったかの、と。

 

 

 

 

 

「――おぉ! そうじゃ、“ファ・ディール”じゃったな。今度、機会があればミス・ヴァリエールに尋ねてみるかのぅ」

 

 

 

 

 

 

 



目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

第2章 精霊の舞踏祭
雪風の主従


 ――“ゼロ”のルイズが魔法を使った!?

 この噂はルイズの目論み通り、一気に魔法学院に広まった。真実を疑う者もいたが広場で実際に魔法を使っている姿を見せたのだから、すぐに偽りのない事実として広まっていった。

 突然、“ゼロ”のルイズが魔法を使ったという事で騒ぎになったが、ルイズ自身、そして彼女の周りでは特に何ら変化は目立たなかった。突然、ルイズが魔法を使えるようになったという事でルイズ自身に問いただす、という者はいなかったからだ。

 いたとしても精々キュルケぐらいだろう。彼女は心底驚いた様子で、だがすぐに不敵な笑みを浮かべて祝福をしてくれた。これで対等に争えるわね、と笑みを浮かべていたキュルケにルイズは若干申し訳なさもあったが。

 

 

「……さて、と」

 

 

 その夜、ルイズは自室を抜け出して魔法学院の外れにある森へと来ていた。ハルケギニアの空に浮かぶ二つの月が照らす光を頼りに、ルイズは森の奥へと進んでいく。

 何故夜になってからルイズが森へと出たのか。それは昼間に試した“精霊”達による魔法の再現。あれを本来の形で行えるかどうかを試す為だ。

 ここで良いか、と森の中でも開けた場所に出たルイズは中心に立ち、ゆっくりと息を吸って目を閉じる。心の中のイメージを広げる為に、世界を感じる為にルイズはゆっくりと世界に意識を融け合わせていく。

 ハルケギニアとファ・ディール。二つの世界の成り立ちは異なる。だが、その根源の為す所は同じだ。世界は小さき粒より成り立っている、という点に置いてはファ・ディールでもハルケギニアでも変わりない。

 万物の根源たるマナ。ファ・ディールでは“光”や“波動”などとされているが、突き詰めれば“全てを司る根源たる力”である。

 これはハルケギニアでも同じだ。故に引き出す力は同じ。ただ、マナの状態はハルケギニアとファ・ディールでは異なる。だが、“根源”に干渉する事が出来るルイズにとっては些細な違いにしかならない。

 根源に干渉し、自らが望む波長に合わせる。そうすれば周りでざわめく精霊達はルイズの思うままに姿を変えていく。呼べば応えてくれる“友”がいる。それがルイズの口元に笑みを浮かばせる。

 

 

(これがマナの見ていた世界なのかしら。こんな満ち足りた世界。声をかけるだけで、喜んでくれる世界。こんなにも“愛”が満ちた世界)

 

 

 ルイズは孤独だった。ファ・ディールで経験を積むまでは、自分はずっと孤独だと思っていた。

 だが、そんな筈が無かった。こうして声をかける事で喜んでくれる存在を感じ取れれば、孤独など感じる必要が無かったのだと笑みが零れる。

 

 

「人は“愛”が無くても生きていける。でも“愛”があるからこんなにも世界は美しく、優しくなるのね。……そうでしょう? ポキール」

 

 

 ファ・ディールで出会った亜人であり、七賢人の一人である“語り部のポキール”から聞いた言葉をルイズは思い出す。

 彼は言ったのだ。“人は誰も愛さなくても、生きていける。けれど、愛すれば豊かになる”、と。

 愛せなかった世界を愛せるようになった時、ルイズの世界は大きく広がった。昔は苦痛しか感じなかったハルケギニアでも生きてみよう、とまだ希望を持つことが出来る程にはこの世界もまだ愛して行けそうだと。

 ルイズは胸に手を添え、大きく息を吸い、ゆっくりと吐き出す。そしてゆっくりと息を吸い、静かに声を伸ばすように広げた。

 

 

 ――“懐かしい歌を聴きました”

 

 

 伸びた声は歌声となる。ルイズは口の端を緩めるように上げ、通る声で歌を続ける。

 

 

 ――“それは遠くから けれど私の心のすぐ傍で鳴り響いていました” 

 

 

 何度、歌ったかも思い出せない歌。ファ・ディールで知り、歌い続けたマナの女神に捧げる賛美歌。

 

 

 ――“碧く 瑞々しく 力強く 私に語りかける歌を 生命の歌よ”

 

 

 懐かしむように、感情を滲ませながらルイズは歌う。出会いの感謝を込め、ルイズはただ声を震わせて歌う。

 ルイズの歌はルイズのイメージを世界に伝播する。ファ・ディールへの記憶や想いを乗せてルイズは歌を続ける。

 不意にルイズは周囲に気配を感じた。目を開けばそこには光がいた。闇の中で浮かび上がる光源にルイズは目を見開いた。

 

 

「ウィル・オ・ウィスプ?」

 

 

 ルイズはその姿を知っている。それはファ・ディールで光の属性を司る精霊である事を。しかしどうして今ここにいるのか、と目を瞬きさせる。

 気付けばウィル・オー・ウィスプだけではない。ルイズが振り返ればウィル・オー・ウィスプを含めた八つの光がそこに存在していた。

 神聖なる光の精霊、ウィル・オ・ウィスプ。

 深淵なる闇の精霊、シェイド。

 灼熱なる火の精霊、サラマンダー。

 浸潤なる水の精霊、ウンディーネ

 自由なる風の精霊、ジン。

 偉大なる土の精霊、ノーム。

 生命なる木の精霊、ドリアード。

 物質なる金の精霊、アウラ。

 ファ・ディールで存在したマナが実体化した精霊達の姿。どうしてハルケギニアに、とルイズが疑問を覚える中、精霊達はルイズの周りを取り囲むように飛び回る。

 それはまるで歌を催促するかのように、精霊達はルイズを急かす。まるで子供のように騒ぎ立てる精霊達の姿にルイズは驚きに変えていた表情をゆっくりと笑みへと解していく。

 

 

「……――」

 

 

 歌が再開される。ルイズは手を伸ばし、精霊達をダンスをするように歌を続ける。精霊達も代わる代わるルイズの下へと飛び交う。

 それはまるで神秘的な光景。実体化した精霊達と戯れ踊るルイズ。ルイズが歌を奏で、舞い踊る。それに合わせて精霊達もまた舞い踊る。

 どうして精霊達が実体化したのか、恐らくは自分が原因なのだろうが、今はどうでも良かった。せがむ声に応えようとルイズは歌う。

 

 

 ――ここで惜しむ事に、歌が終わる前に何者かがのぞき見している音を立ててしまった。

 

 

「――誰ッ!?」

 

 

 ルイズは僅かに物音がした方向へと勢いよく振り返る。ルイズの驚きに反応し、精霊達が一斉に姿を消してしまう。残されるのは月明かり。森の木の陰となるようにいたのは――青い一匹の竜。

 

 

「――しまった! 見つかってしまったのね!?」

 

 

 しかも、喋るというオマケ付きであった。

 

 

 

「……今、喋った?」

「しゃ、喋ってないのねッ!? シルフィードはお姉様と約束を……はっ!?」

「……今、喋ったわよね?」

「……きゅ、きゅう?」

 

 

 ルイズは目を細め、木の陰に隠れるようにいた風竜を見つめる。誤魔化そうと視線を逸らし、首を傾げている。しかし視線が泳いでいる事が丸わかりであり、ルイズは驚きと共に問いかけを投げかける。

 

 

「まさか、韻竜?」

「ば、ばれてるのねー!?」

 

 

 

 * * *

 

 

 

「成る程。貴方、タバサの使い魔なのね」

「そうなのね! シルフィードって言う素敵な名前を貰ったのね!」

 

 

 ルイズはシルフィードと名乗った風韻竜と互いの身の内を話し合っていた。ルイズは精霊達の姿を見られてしまった為、逆にシルフィードは自身がただの風竜でない事がバレてしまった為、互いに話し合いの場を設けたのだ。

 それは互いに知られたくない秘密を意図せずに握ってしまった為に。故に二人は互いの身の上を話し、その上で互いの秘密を隠す事にしたのだ。そこでルイズはシルフィードが自分の同級生であるタバサの使い魔である事を知ったのだ。

 タバサ。ルイズが知る限り魔法学院でも優秀な成績を残すトライアングルのメイジである。だが家名が不明。そして本来はペットに名付けるようなタバサという名前。明らかに偽名で怪しい事この上ない留学生である。

 本人も積極的に誰かに関わろうという性格の持ち主ではなく、学院の中でも浮いた存在だ。見かけると言えばよくキュルケと共に行動する所を見かけるぐらいだ。

 

 

「しかし、風韻竜の幼生を召喚するなんて……やっぱりタバサは優秀なのね」

「……貴方が言うと嫌味にしか聞こえないのね。異世界とはいえ、“大いなる意志”をその身に宿しているなんて」

 

 

 ルイズは感心したように言うが、シルフィードは不服だったようだ。さもありなん。メイジとして見れば絶滅したとされる風韻竜を召喚したタバサの才覚は高いものとされるが、ルイズは使い魔だけで言えばタバサの才覚を凌駕しているのだから。

 シルフィードからすれば本当に“大いなる意志”を身に宿す事が出来る人間がいるという時点で驚きなのだ。異世界の、と頭には付くがそれでも非常識だ。それは先程顕在化させた精霊達を見た時からシルフィードは思っていた。

世界の粒でしかない精霊があれほど明確な、個性を持った姿で顕現する等というのはかなり珍しい。ラグドリアン湖に住まうという水の精霊が、その珍しい例に該当するぐらいだろう。

 その水の精霊とてラグドリアン湖という所謂パワースポットがあってこそ成立するのだ。だからこそルイズの周りで顕現した精霊はルイズ自身がパワースポットとなっている為、顕現の条件を満たしたという。シルフィードからすれば非常識極まりない話だ。

 

 

「精霊達があんなに明確な姿形を取るだなんてあり得ないのね。貴方、本当に非常識なのね、きゅいきゅい」

「非常識って……。まぁ、確かに今となってはハルケギニアの常識の枠に収まらない存在を身に宿してる訳だけど」

「きゅい! でも納得したわ! だから貴方の周りは精霊達が楽しそうで満ち足りてるのね! それはとても居心地が良いのね! 貴方の言うマナの女神様は、私達にとって大いなる意志様と変わりないわ! 精霊が顕在化する程の力と共にある事は、自然と共にある者からすれば居心地が良いのね!」

「あぁ、だから使い魔達が寄ってきた訳ね」

 

 

 ここでシルフィードと情報を交換する事が出来たのはルイズにとって大きな収穫だった。使い魔から見ると自分の周りは居心地が良いらしい。異世界とはいえ、世界を創造した生命の母たる“マナの女神”の分霊を身に宿しているのだ。

 滲み出るマナの女神の力。だからこそ、その力を振りまくルイズの傍は居心地が良い。更にルイズ自身もまた動物を触れあう事を好む。自らペットを育てるようになってから、魔物を含めた動物たちとの触れ合いはルイズの密かな癒しの時間なのだ。故に慈愛を以て接してくるルイズは尚更、居心地が良くなるというのだ。

 熱弁を受けたルイズは照れながらも嬉しかった。慕って貰える事は嬉しいことだ。別に見返りが欲しくてやっている訳ではないが、それならばまた触れさせて貰えればいいな、と密かに思う。

 

 

「そうだ。シルフィード。1つ聞きたいんだけど」

「何なのね?」

「風韻竜は先住魔法が使えるって聞いたけど、貴方はどんな魔法が使えるのかしら? 良ければ教えて欲しいのだけど?」

「きゅい? 何で今更ルイズが聞いてくるのね? 貴方なら精霊にお願いすれば思うままに精霊の力を借り受ける事が出来るんじゃないの?」

 

 

 シルフィードは心底不思議そうにルイズに問う。大いなる意志とは世界の意志だ。分霊とはいえ、大いなる意思を宿しているルイズに改めて魔法を教えて欲しい、と請われてもシルフィードには不思議でしかない。

 逆にルイズはシルフィードの言葉を受けて逆に驚きを隠せずにいた。もしかして、と胸中に沸き上がった疑問をシルフィードへと問い掛ける。

 

 

「……もしかして、私ってとんでもなく規格外?」

「さっき自分で常識に当て嵌まらないって言ってたのね」

「……そこまで言う? 一応、私は、人間なんだけど?」

「………?」

 

 

 お前は何を言っているんだ? と言う目で首を傾げるシルフィードにルイズの心は酷く傷ついた。私は人間。人間の筈。なのにどうしてこんなに見当違いの疑問を聞いたような気分に陥れられるのか、とルイズは思わず肩を落とす。

 膝を付きたくなる程のショックを受けたルイズだが、改めて気を取り直すようにわざとらしい咳払いをする。いいかしら? とシルフィードに挑み掛かるように視線を向ける。

 

 

「私は人間よ」

「……?」

「そんな胡散臭そうな目で見ない! いい、私は人間なの! 個人的にもそうだと思ってるし、パッと見て人間でしょ?」

「パッと見て人間、って自分で言ってる時点で人間じゃない自覚があるのね」

「おだまり! とにかく! 私は人間なのよ!」

「えぇ~……」

「なんなのよそのジト目は!」

 

 

 シルフィードが悉く気に入らないのか、ルイズは威嚇するように歯を剥いてシルフィードを睨み付ける。それでもシルフィードのジト目が変わる事は無かったが。

 

 

「ともかく! 確かに私は精霊の力を借り受ける事は出来るけど、無闇にそんな事したら皆に騒がれるでしょ? アンタが何で自分が風韻竜なのか明かしちゃ駄目って理由をタバサに聞いてないの?」

「喋ったらご飯抜きとお仕置きされるから!」

「あぁ、そう……」

 

 

 そういえばこの子、子供だったわね、とルイズは溜息を吐き出す。幾ら人間よりも長く生きようとも中身が子供レベルであるならば、それは仕様がないと。

 

 

「でも、それで何で私に教えて貰おうとしたのね? 人間は普通は精霊の力なんて使えないのね」

「まぁ、興味本位よ。どういう事が出来るのか、とかね。何か利用が出来そうなものがあればやってみようかな、って」

「うーん、そうね。あんまり好きじゃないけど人間に化けたり出来るのね」

「人間に化ける? ふーん……まぁ好きじゃないって事なら強要は出来ないけどいつか見せて貰えれば良いわね」

「お肉を用意してくれたら考えてやるのね!」

 

 

 シルフィードの返答を聞いて、意外と扱いやすいかもしれない、とルイズは苦笑を浮かべた。交渉材料が安い事に超した事はないが。

 

 

「……っと、結構話し込んじゃったわね。私はそろそろ戻るわ」

「え~……」

「また機会を見て遊びに来るわ。それで良いでしょ?」

「きゅい! 待ってるのね! ルイズ!」

「はいはい。それじゃ、おやすみ、シルフィード」

 

 

 ルイズはシルフィードに軽く手を振って学院に戻る為に歩き出した。その背を見えなくなるまでシルフィードは手を振り続けるのであった。

 

 

 

 * * *

 

 

 

 気を抜けば漏れてしまいそうな欠伸を噛み殺しながらルイズは授業を受けていた。先日と同じく注目を受けた状態での授業だが、ルイズは意図した様子もなく授業を受け続けている。

 先日と違って周囲の視線が侮蔑ではなく好奇に変わっているのに安堵していたが。改めてルイズが魔法を使えるようになったか確認する者も居らず、ルイズは比較的のんびりと授業を受ける事が出来ていた。

 

 

「やぁルイズ! 聞いたよ! 魔法が使えるようになったんだって!」

 

 

 だが、そんな中、ルイズに声をかけてきた一人の生徒の姿があった。少々派手に改造をした制服を身に纏った男子生徒の姿をルイズは知っている。この前、ルイズと一悶着を起こした男子生徒、ギーシュであった。

 

 

「あら、ギーシュじゃない。謹慎は解けたの?」

「はは、頭を冷やす良い時間になったよ。それより聞いたよ、魔法を使えるようになったんだってね?」

「まぁね。今後も研鑽が必要だけど」

「いや、これで君を馬鹿にする事が出来なくなってしまったな!」

「その割には嬉しそうじゃない」

「君には恩があるからね? 恩人に吉報来れば喜ばずにはいられないだろう?」

「そう? ありがとう」

「何。美しい少女が微笑んでいてくれる事が何よりの報酬さ」

 

 

 自身の杖である造花に軽く口付ける気障な仕草にルイズは思わず呆れながらも、ギーシュらしいと小さく笑った。

 

 

「そこで、折角魔法が使えるようになったんだ。出来れば今度、僕と一緒に……」

 

 

 ギーシュが何かを口にしかけた所で不意に、ルイズに近寄る影があった。ルイズは視線を向けて少し驚いたような表情を浮かべた。

 ルイズに近寄ってきた影は小柄な少女。ルイズも比較的に小柄だが彼女は自分よりも小柄。身の丈ほどの大きさがある杖を持ち、青い髪を揺らす少女の名をルイズは若干の驚きを込めて呼んだ。

 

 

「タバサ?」

 

 

 ルイズに名を呼ばれたタバサは僅かに目を細める。一拍、間を置いてタバサはルイズに告げる。

 

 

「――ついて来て」

 

 

 

 * * *

 

 

 

 突然のタバサの呼出にルイズは若干戸惑いはしたが、すぐに了承をした。ギーシュが何か言いたげだったが、また今度、という事でタバサの呼出を優先した。

 タバサに連れられるままルイズは歩いていく。向かうのは学院の外だ。それは先日、ルイズが訪れたシルフィードの住処がある森の中だ。

 

 

(……まさかあのお喋り竜。余計な事を言ったんじゃないんでしょうね?)

 

 

 ここに来るまでタバサは一言も喋っていない。ただ付いてきて、と言われるままに付いてきたルイズだったが、さて、一体何が待っている事やら、と。

 そのまま無言で歩いていた二人であったが、不意にタバサが口を開いた。歩みを止めぬまま、タバサはルイズへと言葉を投げかけた。

 

 

「ルイズ」

「何?」

「シルフィードの事、黙ってくれてありがとう」

「気にしないで。絶滅した筈の風韻竜なんてアカデミーが黙ってないでしょうしね。私も誰かの使い魔や貴方自身に不幸になって欲しい訳じゃない。そっちこそ私の事、黙ってくれてるみたいで助かるわ」

「シルフィードから話は聞いた。隠したい事を聞いてしまった。ごめんなさい」

「あのお喋りめ。何で喋ったかは知らないけどアンタは悪くないわよ」

 

 

 ルイズとタバサは肩を並べるようにして歩く。タバサは無表情ながら、どこか申し訳なさを滲ませた口調でルイズへと謝罪する。

 別に構わない、と言える訳ではないがこの様子ではタバサが誰かに言いふらす、という事はないだろう、という確信があった。ルイズもシルフィードが韻竜であるという秘密を知っているので、お相子だと思っているだけなのかもしれないが。

 話を続けている間にいつの間にか二人はシルフィードの住処がある場所までやってきていた。そこには当然シルフィードの姿もある。シルフィードはルイズの姿を見るなり、ルイズの下へと寄ってきた。

 

 

「ルイズ! ルイズ! 聞いてなのね! この分からず屋でバカチンのお姉様に言ってやって欲しいのね!!」

「ちょ、ちょっと何なのよ? 私はいきなりタバサに来いって言われたから来たんだけど?」

「私が呼んで来て貰ったのね! じゃないとルイズを呼び出すって脅したのね!」

「アンタね、そうやってわざわざ自分の正体を明かすような真似を軽々しくしちゃ駄目でしょ? そもそも何があったのよ?」

「そうそう! 聞いてなのね! ルイズ! お姉様は高慢ちきな従姉妹に虐められているの!」

「従姉妹に?」

 

 ルイズは話が掴めない、と言うように首を傾げる。伺うようにタバサの表情を盗み見るが、どうにも苦虫を噛み潰したような顔をしている。まるで不本意だと言うように、だ。

 

 

「そう! その高慢ちきな従姉妹は在ろう事にお姉様に“吸血鬼”を退治して来いって言うのよ!!」

「――“吸血鬼”ですって?」

 

 

 ルイズは思わず顔色を変える。吸血鬼とはハルケギニアでは恐怖の代名詞の1つと言える妖魔の一種だ。外見は人間と同じ、牙も血を吸うとき以外は隠しておける。その上、魔法でも正体を暴けず、とても狡猾な妖魔。故に吸血鬼は“最悪の妖魔”と称される。

 先住魔法も扱う事が出来るので退治しろ、という話となると余程の実力者でなければ難しい。何故そんな妖魔の討伐がタバサに命じられ、更に命ずる事が出来るのか、とルイズは眉を寄せた。

 伺うようにタバサを見て、ふ、と気付いた。改めてハルケギニアの常識等を思い出す為に適当に眺めていた書物の中にあった話を思い出したのだ。それはトリステインとは隣国であり、同じく始祖の歴史より続く国の逸話。

 ガリア王家の人間は、ハルケギニアでは珍しい“青髪”である事をルイズは思い出したのだ。そして目の前のタバサは透き通るような青色の髪色をしている。

 

 

「タバサ、あんたまさか“ガリア王家”の……?」

 

 

 ルイズの問いかけにタバサの纏う気配が変わる。それは触れてはいけない秘密だったのだろう。タバサの気配が変わった事に気付き、ルイズは素直に謝罪の言葉を口にした。

 現ガリア王はジョゼフ一世。即位後、政に携わる事無く“無能王”という名で呼ばれる国王が治めている。ジョゼフ一世は王位継承の際、次期国王と目されていた実弟であるオルレアン公を暗殺したとも噂されている。

 妖魔の討伐依頼、更に吸血鬼ともなれば、成る程、国が動いていても不思議ではない。その任を与えたという従姉妹。更にガリア王家に遺伝されるという青髪。ここまでピースが揃えばルイズも推測が立てられる。

 

 

「不用意に聞いて良い事じゃなかったわね。ごめんなさい」

「気にしないで。……気遣ってくれてありがとう」

「……それで、とりあえずその辺の事情は置いておくとして。タバサ、貴方は吸血鬼を退治しに行かなければならない」

「そう」

「貴方一人で?」

「シルフィードもいる」

「そう、なるほどね。貴方達だけで吸血鬼を退治して来いって事ね」

 

 

 死ねって言ってるようなものじゃない、とルイズは眉を寄せる。幾ら優秀なメイジであろうと吸血鬼の相手は荷が重い。彼らが恐ろしいのはその狡猾さだ。血を吸った人間を“屍人鬼”として使役する事も出来るので、厄介極まりない。

 故に最悪の妖魔とされるのだ。シルフィードが心配をして呼び出したのもわかる、とルイズは納得する。本当にシルフィードは主人思いの良い子だとルイズは笑みを浮かべた。

 

 

「成る程。つまりシルフィード。貴方、私に力を貸せって言いたいのね?」

「そうなのね! ルイズ、貴方の力を貸して欲しいのね!」

「――シルフィード、それは私が許さないと言った。ルイズを連れてきたけど、協力をさせるとは了承してない」

 

 

 喜色を見せたシルフィードの懇願の声を遮るようにタバサが鋭い声で咎めた。するとシルフィードが憤りを隠さずにタバサを睨み付けた。それはどうしてわかってくれないのか、と不満を訴えるかのように。

 

 

「もう! お姉様の分からず屋! 何でわかってくれないの!?」

「これは私の問題。ルイズは関係ない」

「それでお姉様が死んだら元も子もないのね! 私はお姉様に死んで欲しくないのね!」

「死ぬつもりで行くつもりはない」

「だ~か~ら~! 死ぬつもりはなくても殺されちゃうかもしれないって言ってるのね!!」

 

 

 ルイズの目の前で喧嘩を始める主従。タバサを心配するシルフィードと、自分の問題だからと自分だけで解決しようとしているタバサという構図なのだろう。そこで巻き込まれた自分、と。

 

 

「ちょっと二人とも。二人だけで喧嘩しないでよ。私がここに居る意味がわからなくなっちゃうじゃない」

「うっ……。……ごめんなさいなのね」

「……ルイズ、ごめんなさい。ここまで来て貰って申し訳ないけど、この子を納得させる為にも断って欲しい」

「だから! お姉様!」

「あー、こらこら、喧嘩しないの。タバサも、シルフィードも互いの言いたい事はわかったわ。その上で私から提案があるのだけども」

 

 

 はぁ、と再度口喧嘩を始めそうな二人に溜息を吐きながらルイズは言う。

 

 

 

 

 

「――取引をしましょう。吸血鬼退治を手伝う代わりに、私にも協力してくれない?」

 

 

 

 

 

 

 



目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

ルイズとタバサ

 何を言っているのだろう、彼女は? タバサは舌打ちをしたい衝動に駆られながら眼前にいるルイズを睨み付ける。

 先日から何かと騒ぎを起こしているルイズがここにいる。その理由が自身の使い魔であるシルフィードが自分の正体を知られるという大失態を犯したからだ。――同時にルイズの正体もわかったが。

 ルイズは異世界の“大いなる意思”を身に宿すという、風韻竜を召喚したという自分すらも霞んでしまいそうな偉業を成し遂げていたのだ。だから、先日のように精霊達に呼びかける事によって魔法に似せた現象を起こす事が出来ていたのだと納得した。

 シルフィードが言うにはルイズが世界に与える影響は大きいという。言うなれば彼女自身が1つのパワースポットなのだ。

 そんなとんでもない偉業を成し遂げていた事が判明した挙げ句か、秘匿していた秘密の1つであるシルフィードの正体がバレるという事態にタバサは目眩がした。どうしてこうなった、と思わず天を仰いだ彼女を責める事は出来ないだろう。

 こうして、ルイズとの付き合い方を模索しようとした所にだ。まるでタバサの不幸を笑うような任務の報せ。さして信心深くない彼女は心の中でブリミルへの呪詛を口にした。そして沸き上がる憤りを押し殺しながらシルフィードに任務の内容を伝えればゴネられ、更にはルイズに協力を申し込めと騒ぐ始末。

 タバサなりにあれやこれやと手を尽くしたがシルフィードは頑固なまでに動かず。更にはルイズを直接を呼び出すと言い出す始末。これにはタバサの胃がきりり、と締め上げられるように痛んだ。

 自分の抱える事情は複雑だ。更にはトリステインの公爵家の息女であるルイズを巻き込んで良い問題ではない。下手をすれば外交問題となりかねない。問題となれば自分の身だけでなく、様々な事でタバサに不都合が起きる。

 よって、タバサはしくしくと痛む胃を抱えながらルイズに話し、直接断って貰おうとしたのだが、何故か事態は裏目に出ている。どうしてルイズが吸血鬼退治に協力するなどと言い出すのか。

 

 

「……ルイズは私を困らせたいの?」

 

 

 若干、憎しみを込めてタバサは呟いた。自分の気遣いを無碍にしてくれたルイズに向ける視線は心なしか冷たい。

 だが。そんなタバサの冷たい視線も何のその。ルイズは平然とタバサの視線を受け止めている。

 

 

「困らせたい、って訳じゃないけど……要はギブアンドテイクよ。タバサ。私は貴方に協力して”吸血鬼”を退治する。貴方はその見返りに私に協力する」

「危険。トリステインの人間である貴方には関係ない話」

「そうね、一応“公爵家”の娘だしね。本来だったら何も言わず見送るべきね」

「だったら……」

「――死ぬかもしれないっていう人間がいて、私は、じゃあ気をつけてね、なんて見送れる程、割り切れる人間じゃないわ」

 

 

 ルイズは強く言い切った。譲らぬ、と言うようにルイズは真っ向からタバサを見つめる。

 

 

「貴方に利なんか何もない」

「いいえ、利はあるわ。貴方達という協力者を得る事が出来る」

「……私達に何を望むの?」

「んー……怒らないかしら?」

「……もう怒ってる」

「そう。じゃあ、怒ってもいいから聞いて」

 

 

 ルイズは苦笑を浮かべて言った。まるでこれから自分の言う事が馬鹿げている事なんだと自覚しているように。

 

 

「――友達になってよ」

「……はぁ?」

「だから友達。お互い困ってたら助けあって、秘密を作ったりとかして、ご飯を食べたり、勉強を教えて貰ったり……私はタバサとはそんな関係になりたい」

「……巫山戯てる?」

「結構、勇気のいる告白だったんだけどな」

 

 

 はは、と。ルイズはタバサの返答がわかっていたように笑った。

 

 

「迷惑はかけるつもりはないわ。それにタバサを見てて心配だったの」

「……何故?」

「ちょっと、ね。1人で抱え込んで、潰れそうな人を見ちゃうとどうしてもね、放っておけなくなるんだ」

「私とルイズには何も接点がない」

「貴方とは無くても、私はシルフィードとはもう友達だから、ね。友達のお願いは断れないわ」

「ルイズ! 感激なのね! 持つべきなのは友達なのね!」

 

 

 シルフィードが喜びのあまりルイズをべろり、と舐める。シルフィードに舐め上げられたルイズは、汚れる! と怒声を上げる。そんな光景をタバサは苦虫を噛み潰した表情を浮かべる。

 

 

「でも……」

「私も、シルフィードも梃子でも動かないわよ? 私は決めたもの。タバサ、貴方を助けよう、って」

「……何故?」

「うーん、色々と打算はあるわよ? でもね、何よりやっぱり自分と同い年位の奴が死地に向かうっていうのに、さ。力があって手助け出来るのに、何もしないのは私の気が収まらないから」

 

 

 だから、と。ルイズはタバサの目を覗き込むように顔を寄せる。

 

 

「諦めなさい。私は自分で言うのも何だけど――結構、頑固よ?」

 

 

 不敵に笑って見せるルイズに、タバサは一瞬息を止める。そして、ゆっくり大きな溜息を吐き出しながら言った。

 

 

「……条件がある」

 

 

 

 * * *

 

 

 

 ――私に実力を示して欲しい。

 

 

 タバサはルイズにそう条件を出した。ここより先は死地。ならば死地をかいくぐれるだけの実力を示して欲しい、とタバサはルイズに条件を出した。

 ルイズは快諾した。なんでも、ちょうど試したい事があったらしい。タバサは嫌な予感に汗が浮き、背中を濡らす感触を覚えた。まるで獲物を見つけたように微笑むルイズに嫌な予感が止まらない。

 二人はシルフィードの背に乗って人目の付かない開けた場所へとやってきた。開けた草原地帯。隠れる場のないここはタバサにとっては絶好のフィールドだ。遮蔽物がない草原は風魔法を得意とするタバサにとって格好の狩場。

 だと言うのに勝利している自分がまったくイメージ出来ていない。タバサは自身の後ろにいるルイズを見やる。瞳を閉じて意識を集中させているようなのだが、まるで隙が見えない。

 

 

「着いたみたいね」

 

 

 ルイズは目的地に着いた事に気付いたように目を開き、シルフィードの背から降りて大地へと経つ。タバサも続くようにシルフィードの背から降りてルイズと距離を取るように歩き出す。

 一定の距離を取ったタバサは杖を構えながらルイズと相対する。ルイズはぶらぶらと手を振り、体を解すように首などを回している。

 

 

「で? 実力を示して欲しいって言うけど具体的に?」

「実戦形式。貴方は私から杖を奪えば、私は貴方を倒せば勝ち」

「ふぅん? 了解。じゃあ始めましょう。合図とかいる?」

「これが落ちたら」

 

 

 タバサは手元にある銅貨を見せるようにルイズに向ける。ルイズが納得したように頷き、杖を手に取る。それを確認し、タバサはコインを放り投げる。タバサの手から離れたコインは宙を舞い、そのまま重力に引かれ大地に落ちて――。

 

 

「――ッ!!」

 

 

 落ちた瞬間、タバサのルーンが紡がれ、ルイズに向けて突風が吹き荒れる。タバサは同時にそのまま距離を取るように後ろへと飛ぶ。

 ルイズを視界から外さぬように注意深くタバサはルイズを凝視する。タバサの紡いだ魔法によってルイズは後ろへと飛び、態勢を崩したように膝をつく。すかさずタバサは追撃の手を緩めぬようにルーンを紡ぎ始める。

 しかし、タバサのルーンは途中で遮られる事となる。ルイズが笑みを浮かべ、小さく呼びかけるように告げる。

 

 

「――来なさい、“サラマンダー”」

 

 

 ルイズの地に着いた手から、タバサに向けて一直線へと走る炎の壁。燃え上がる炎は放射線を描くように広まり、地を焼き払う。それは当然、タバサを飲み込むように。タバサは炎の接近に気付き、勢いよく飛び後退る。

 

 

「くぅッ……!」

 

 

 焼けた空気が喉に痛い。タバサは戦慄を覚えながらルイズを睨み付ける。膝立ちになり、片手を大地につけた状態でルイズはタバサに向けて笑みを見せる。そのルイズの背には炎のように光を揺らめかせる姿がある。

 

 

(あれが凝縮された“精霊”!?)

 

 

 タバサは恐れを隠せずに唇を震わせた。タバサの前で、すぅ、と役目を終えたかのように姿を消す“サラマンダー”。ルイズはゆっくりと立ち上がり、タバサを見つめる。

 タバサは警戒するように睨み付けたまま動かない。いいや、動けないのだ。避けたとはいえ、ルイズの生み出した炎は並の威力ではなかった。その炎を呼びかけるだけで生み出させるルイズに恐ろしさを覚える。

 

 

「どうしたの? 怖じ気づいたかしら? 降参しても良いのよ?」

「……くっ!!」

 

 

 余裕を見せつけるように微笑むルイズにタバサは距離を取る。そしてルイズの周りを円を描くように走り出した。少しでも自分に狙いを定められないように走りながらタバサはルーンを紡ぎ、ルイズへと杖を向けた。

 空中にある水分を凝結させ、氷の槍と為して飛ばす。タバサの得意とする“ウィンディアイシクル”だ。無数の氷の矢がルイズへと殺到していく。ルイズは迫り来る氷の矢の雨に浮かべていた笑みを消した。

 

 

 ――そしてタバサは、まるで幽霊でも見たかのようにルイズを見つめた。

 

 

 タバサの放った氷の矢の雨は地面へと突き刺さっていた。それも“1つ残らず”だ。氷の矢が突き刺さる中心で無傷のルイズが佇んでいる。氷の矢が突き刺さる瞬間、タバサが見たのは無数に分裂したかのように姿を揺らめかせたルイズ。

 気付けばウィンディ・アイシクルはルイズの体に触れる事は叶わずに地へと落ちていた。自身の得意とする魔法が当たっていないという事実に、タバサは一瞬、茫然自失してしまった。

 

 

「……いった。躱し損ねたわね」

 

 

 不意にルイズは自分の手の甲を見る。そこには紅い一筋の線が引かれていた。そこから思い出されたように血が滲み始める。気付けば彼女の体の各所には掠ったような後が残っている。だが、あくまで掠っただけのようだ。

 手の甲に滲んだ血を舐め取るように顔の前まで持っていき、ちろり、と舐め取る。血を舐め取った手をふるり、と1つ振るってルイズはタバサを見据えた。

 

 

「勘が鈍ってるわね。……ま、この体じゃ限界がある、か」

 

 

 仕様がない、と言うように肩を竦めてみせる。

 

 

「だから、試してみるわね?」

 

 

 ルイズが呟いた瞬間、空気が変わる。ルイズの周りに集うのは八つの精霊。その存在感は周囲の空気を塗り替え、一気にタバサを飲み込んでいく。

 力の奔流が渦巻く。力は風を巻き起こし、草原を揺らす。ルイズが先程放った残り火すらも喰らって力は大きく育っていく。ただ渦に呑まれぬようにと踏みこたえるタバサは耳に届いた言葉に危険を察知した。

 

 

「――行くわよ」

 

 

 瞬間、タバサが紡いだ魔法は”エア・ハンマー”。風の槌を生みだし、迫ってくるだろうルイズを薙ぎ払おうと横凪ぎに奮う。

 横凪ぎに奮われた“エア・ハンマー”に確かな手応えを感じる。やはりこの目くらましのように沸き上がった渦に乗じて杖を奪うつもりだったのだろう。未だ渦は渦巻いている。中心点がルイズなのでわかりやすい。故にタバサは再び迎撃の姿勢を見せ――そこで動きを止めた。

 渦の中心、自分に向かってくる“女性”は拳を振りかぶって迫ってくる。靡く桃色がかったブロンドの髪、明らかにサイズが合っていない服の裾などを千切り捨てて突撃してくる女性にタバサは意表を突かれる。

 言いようのない恐怖を感じたタバサは思わず飛び退くように後ろへと跳ね、そのまま“フライ”の呪文を詠唱。タバサが飛び上がる一瞬、“女性”が飛び込んできて拳を振るう。

 風を切り裂く拳の音が生々しくタバサの耳に響く。タバサの背筋に悪寒が走り抜けていった。しかしこれで助かった。後は距離を取って再び迎撃を――。

 

 

「――あら、ごめんね? これで、終わりにさせて貰うわ?」

 

 

 ――する前に、目の前に現れた女性に息が引きつった。すぐに何かを行動に移さなければならない。でなければ叩き落とされる。

 タバサの予想は外れなかった。空中で、彼女は一回転し、雷光を迸らせる片足を回転の勢いのままタバサの腹へと叩き込んだ。叩き落とされる感覚と、腹部に足を叩きつけられた事で込み上げる嘔吐感。

 そのままタバサを大地に叩きつけるように蹴り抜いた“女性”。その女性の姿が光と共に“ルイズ”になるのを見ながら、非常識、と恨み言のように一言を呟く。そのままタバサの意識は闇に呑まれていった。

 

 

 

 * * *

 

 

 

 ――タバサは夢を見ていた。

 それは懐かしい“記憶”。まだ自分が”      ”だった頃の記憶。思い出せば涙が出てしまいそうなまでに幸せだった頃の記憶。

 自分の名前を呼ぶ声がする。だからタバサは走り出した。そこには愛おしい” ”の姿があるから。自分を優しく呼ぶ声にタバサは飛び込むようにその胸に飛び込む。

 

 

(あれ……? 何か足りないような?)

 

 

 飛び込んだ場所にはいつもは感じる感触がない。何が足りないのかと違和感を探るように手を伸ばし、タバサはようやく違和感の原因を悟る。

 

 

「――胸がない」

「――起きるなり何を言うかな? この子は」

 

 

 タバサが意識を覚醒させると、自分を抱きしめている感触に気付いて顔を上げた。

 そこにはルイズがいた。桃色のブロンドの髪に意志の強そうな鳶色の瞳。こめかみに青筋を浮かべている姿を見て、タバサは首を傾げる。

 

 

「……ルイズ?」

「そーよ。人の胸をさんざん触っておいて胸ないとか何? 死にたいの?」

「ここは?」

「シルフィードの背の上よ。ほら? さっさと任務を達成しないと面倒でしょ? 気を失ってる間、悪いとは思ったけど勝手に移動させてもらったわよ?」

 

 

 気付けばここは空の上。ルイズとタバサはシルフィードの背に乗り、空を飛んでいた。タバサが落ちないようにルイズが抱きしめていたのだろう。ルイズに抱きしめられていたという事実にタバサは顔を赤くして離れようとする。

 ルイズを夢の中とはいえ“ ”に間違えてしまったのは気恥ずかしかったし、彼女に対してとても失礼な事を言ってしまった。

 

 

「……ルイズ? その姿は?」

「あぁ、これ? ちょっとした魔法よ」

 

 

 ルイズの姿は少女の姿である彼女の姿ではない。少し年を重ねた女性の姿になっているのだ。面影こそ残っているものの、伸びた背や成長した顔立ちは彼女の雰囲気に合って、美しいと称せる程であった。

 これがちょっとした魔法で出来るのか、とタバサは改めてルイズの非常識さを実感し、身を起こそうとする。だが腹部に感じた痛みに力が籠もらず、そのままルイズに身を預けてしまう。

 そう、痛いのだ。ルイズに蹴りを叩き込まれた腹は今でも痛みを訴えている。少しでも身を捩ろうとすると痛みを訴えている。そこでふと、タバサが目を覚ました事に気付いたのだろう、シルフィードが嬉しげに声を上げた。

 

 

「お姉様! 目を覚ましたのね!」

「シルフィード……」

「すっごく心配したけど……やっぱりルイズに着いてきて貰って正解だったのね! これで吸血鬼なんか余裕なのね! お姉様一人だけじゃ心配なのね!」

 

 

 るーるー、と楽しげに歌うシルフィードにタバサは深々と溜息を吐いた。とりあえずルイズから離れようと身を捩ろうとするタバサ。しかしその度に腹部の痛みに眉が寄ってしまう。

 そんなタバサの様子にルイズは仕方ない、と言うようにタバサを抱きかかえ直す。抵抗を続けていたタバサはルイズ、とルイズの名を呼んで抗議の声を上げる。

 

 

「いいから大人しくしてなさい。私の所為で気絶させちゃったんだから。少しでも体を休めなさいな」

「あれからどれだけ経った?」

「数時間ぐらいかしら。あの後の事なんだけどね、服の調達とかあったからシルフィードに頼んでトリスタニアに行ってたのよ」

 

 

 ルイズはほら、と言うように自分の服を摘み上げて見せる。ルイズには似合わないと思ってしまう程、庶民的な服装にタバサは思わず目を何度か瞬きさせてしまう。

 

 

「これで私が公爵家の娘なんて思われないでしょう? 年齢も違うし。服装もこんなんだしね。あぁ、そうそう。一応この姿の時はルイズと呼ばない方が良いかもね。後で偽名でも考えておきましょうか」

「……本当に着いてくる気?」

「えぇ。条件は満たしたでしょう? 約束は守って貰うわよ?」

 

 

 笑みを浮かべて言うルイズにタバサはもう何も言う事が出来ずに口を閉ざした。もうこれ以上何を言った所でルイズは止まる事はないだろう。お節介なルイズにタバサは溜息を吐き出して諦めたように体を預けた。

 

 

「……ここまでされたら、存分に働いて貰う」

「えぇ。任せなさい。掘り出し物もトリスタニアで見つかったしね」

「掘り出し物?」

「えぇ。ほら、もう喋って良いわよ。“デルフリンガー”」

 

 

 ルイズは自身の背中を顎で示すように向けた。気付けばルイズの背には一本の長剣が背負われていた。すると鞘に入っていた長剣の鐔の部分がまるで口のようにかたかたと動いたかと思えばそこから男の声が聞こえた。

 

 

「お、もう喋って良いのか?」

「……インテリジェンスソード?」

 

 

 タバサは驚いたように声をルイズに問い掛けた。ルイズはタバサに正解、とでも言うように頷いた。

 インテリジェンスソードとは魂を吹き込まれ、意識を持っている剣だ。マジックアイテムとしてとても高価で目にする事など滅多にない。

 ルイズが僅かに刀身を覗かせればそこには光に反射しそうなまでに磨かれた美しい刃が覗かせている。

 

 

「武器屋で半ば投げ捨てられるように売ってたんだけど、口が悪くてね。客にも喧嘩を売るって言うから安く譲って貰ったわ。ま、私が手にするまでボロ剣だったからあっちは厄介払いが出来たと思ってるでしょうけどね。私は儲けものよ」

「……? ボロ剣? どこが?」

 

 

 僅かに覗かせた刀身はどこも錆び付いておらず、ボロと言うには似つかわしくない。タバサの疑問に答えるようにルイズは苦笑を浮かべて告げた。

 

 

「こいつ、長年に渡って自分の使い手が現れないからって、ふて腐れて自分をボロ剣に偽装してたのよ。しかも、その所為で記憶が飛ぶだなんて間抜け」

「おいおい相棒。そりゃひでぇ言いぐさだぜ。どれだけ放って置かれたと思ってるんだよ」

「はいはい。で、何か特殊な剣だと思って購入した後に調べればかなりの年代物。しかも魔法を吸い取る事が出来るっていう破格の性能を持った魔剣だったのよ」

「“魔法”を吸収!?」

「おうよ! まぁ、嬢ちゃんにはビックリしたがな。まさか“大いなる意思”を身に宿してるなんて俺も驚きだ! お陰ですっかり目が覚めちまった! しかもお嬢ちゃんは使い手と来たもんだ! こりゃ目出度い日だな!」

「本当、恵まれた買い物だったわ。ちょっとした武器があれば良かったんだけど……これも運命って奴かしらね? ねぇ、デルフ」

「はは、違いねぇ。俺っちを握るべき使い手に、こうして出会えたんだからな」

「……使い手?」

「ん? あぁ、まぁ、私がデルフに使われる資格の所有者らしいわよ?」

 

 

 ルイズはよくわかんないけど、と手をひらひらさせながら言った。タバサはよくわからないが、インテリジェスソードの事だ。一定の実力や条件のようなものがあるのだろう、と納得し、頷いた。

 何はともあれ、とルイズはタバサに笑みを向ける。誇らしいまでに浮かべた笑みのまま、ルイズは言った。

 

 

「悪いようにしないわよ。さっさと吸血鬼退治、終わらせちゃいましょ?」

 



目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

吸血鬼討伐(上)

「きゅーーーいーーーーっ!! 絶対絶対ぜぇっったい嫌なのねぇーーーっっ!!」

 

 

 シルフィードは不満を声高らかに叫ぶ。全身で不満を表すように暴れるシルフィード。その様は絶対にご免被ると訴えている。そんなシルフィードにルイズは苦笑を浮かべている。

 そんなシルフィードに対して、見つめる全てを凍てつかせる程に冷めた瞳のタバサ。彼女のこめかみに血管が浮いているのをルイズは見なかった事にした。

 あまり感情表現が豊かではないタバサにしては珍しい光景だ、とルイズは目の前で繰り広げられる寸劇に呆れたように苦笑を浮かべながら見守る。

 ちなみに、タバサの感情が表現されやすくなっている原因はルイズにある。悪い意味で。ストレスを溜め続けるという事は人間には不可能なのだ。

 

 

「食事抜き?」

「きゅっ!? つ、使い魔虐待なのねっ!?」

「五月蠅い……」

「お、お姉様怖いのね……?」

「早くして」

 

 

 恐ろしいまでにプレッシャーをシルフィードにかけるタバサ。シルフィードの目にはタバサがまるで悪魔のように見える。恐怖か、はたまた食欲か、またあるいは両方か。シルフィードはこうしてタバサの前に屈せざるを得なかったのである。

 

 

「我まといし風よ。我の姿を変えよ」

 

 

 渋々、と言った様子でシルフィードが何事かを呟くとシルフィードの周りに風が渦巻く。

 渦巻く風が消えるとそこには1人の女性が現れた。ルイズは感心したように頷き、ルイズの背中に差されていたデルフが口笛を吹く。

 

 

「先住魔法を間近で見たのは久しぶりだな」

「あら。見た事はあるのね」

「そりゃ長く剣やってりゃね」

 

 

 ルイズとデルフが会話をしている目の前で、人間の姿に化けたシルフィードがジタバタと体を動かして暴れている。どうやら準備運動をしなければその体に慣れないようである。

 身体を慣らし終えたシルフィードに対してタバサが服を差し出す。変化の際に服は一緒に出せないようで、タバサが予め用意していたらしい。成る程、タバサが受任の際に立ち寄ったガリアの首都“リュティス”で服を買ったのはシルフィードに服を着せる為か、と。

 服を用意されていた事に対し、またシルフィードの抗議の声が上がるが、強烈に膨れあがったプレッシャーに蛇に睨まれた蛙状態になったシルフィードは大人しく従うしか無かった。

 直接向けられなかったとはいえ、タバサの放つ威圧的なプレッシャーにルイズは口を引き攣らせていた。

 

 

「あんまり怒らせないようにしないとね」

「だな」

 

 

 カタカタ、とデルフが唾の可動する部分を口のように動かしながらルイズに相槌を打つのであった。

 

 

 

 * * *

 

 

 

 ガリアの首都であるリュティスから南東に下った山間に存在するザビエラ村。今回の事件の舞台であり、ルイズ達の目的地である。

 事の起こりは二ヶ月ほど前、12歳になるばかりの少女が森の入り口で死体で発見された。体中の血が吸い尽くされ干からびた状態で道端に投げ捨てられるように転がっていたという。

 それから犠牲は次々と増え、その中には事件の解決の為に派遣されたトライアングルクラスのメイジもいたという。事態を重く見た国が解決の為にタバサに任務を下した、というのが今回の事態の流れだろう。

 

 

「で、シルフィードが囮で、私がサポート。本命はタバサ、って事ね?」

 

 

 ルイズはタバサに聞かされた吸血鬼打倒の為の流れを確認していた。タバサの考えたシナリオはこうだ。シルフィードがガリアから派遣された騎士として立て、タバサとルイズはその従者として連れてこられたという設定だ。

 仮に吸血鬼に襲撃されたと考え、シルフィードならば竜の姿に戻る事で応戦する事も出来、ルイズも貴族としてでなく、剣士として入り込みやすくなる。故に普段はタバサがつけているマントは、今はシルフィードが羽織っている。

 

 

「危険な任務。絶対に油断しないで」

「わかってるわよ」

 

 

 そして三人は惨劇の舞台となったザビエラ村に足を踏み入れた。タバサ達が到着した旨を受けた村長であるアイザックから説明を受ける為に彼の家に向かう。その道中、ルイズは周囲から向けられる視線に目を細めていた。

 明らかに疑惑が渦巻いている。その所為か村には活気は無く、暗い雰囲気が辺りを満たしている。暗澹とした空気の中、ルイズ達は村長の家に招かれ、村長に改めて事情を聞く事になる。そこで聞いた話も特にタバサから聞いた話と遜色は無い。

 

 

(良くない雰囲気ね)

 

 

 やはり現地の人々は不安に駆られ、疑心暗鬼になっている。吸血鬼は噛んだ人間を“屍人鬼”として操る事が出来る。故に誰が屍人鬼なのかと疑い始める始末。

 これが吸血鬼の厄介な所だ。屍人鬼には1つだけ見極め方がある。それは噛まれた痕が存在するかどうかである。1人1人確認すればいい、というシルフィードの提案にも、この村には虫や蛭に刺されたりする者も多数おり、傷から探し出すというのもまた難しいという現状。

 偶然か、それとも狙っているのか、ルイズは事の困難さに頭を抱える。ふとそんな時だ。部屋の扉が開く音が聞こえる。そちらにルイズが視線を向けると1人の可愛らしい少女がいた。

 

 

(――……)

 

 

 まるで何かが焼け付くような感覚がルイズを襲う。訝しげに少女の様子を伺う間に部屋の中に入ってきた少女にシルフィードが抱きついたり、そんなシルフィードにタバサが痛々しいツッコミを入れている光景が見えた。

 

 

「……村長? 彼女は……」

「あぁ、あの子はエルザと申しまして……私が引き取った孤児でございます」

 

 

 少女の存在が気になったルイズは村長へと問いを投げかける。村長より彼女の詳しい事情を窺ってルイズは顔を顰めた。ルイズが眉を顰めた理由は、エルザの両親は盗賊に身を窶したメイジに殺されたという話を聞いたからだ。

 メイジは全ての者が真っ当な職に就いている訳ではない事をルイズは知っている。中には貴族の位を奪われたり、家督の相続の問題から盗賊や傭兵に身を費やす貴族がいるという事を知っている。その中でも悪辣な者とエルザは出会ってしまったのだろう。

 よく見れば、シルフィードに対して怯えるような視線を向けているのが目に付いた。思わず同情が浮かぶが、ルイズは先ほどの感覚を忘れられなかった。

 ふと、エルザがルイズの方を見た。じっとルイズを見ていたが、すぐに怯えたように目を逸らす。ルイズはそれを観察して目を細めた。

 

 

(……まさか、ね)

 

 

 ルイズは頭の中に浮かんだ自分の考えた可能性を否定したかった。だが、万が一だ。警戒はしておく事にしよう、と自分の中で結論を出しておく。

 ルイズが一人で納得している間に村長との話は終わったようだ。調査に出ると言う事でシルフィードはルイズとタバサに指を指しながら二人の名を呼ぶ。

 

 

「ちょっと! タバサ! ヴァネッサ! いつまでとろとろとしてるのね! さっさと着いてくる!」

 

 

 シルフィードがすっかり貴族気取りで2人の名前を呼んで命令している。思わず拳骨を叩き込みたくなる衝動に駆られたが、ルイズはそれをまったく表情に出す事無い。

 ちなみに“ヴァネッサ”とはルイズの偽名である。やれやれ、と肩を竦めるようにルイズはタバサを伴い、シルフィードの後を追った。

 

 

 

 * * *

 

 

 

「まずは現場を洗いましょう」

「賛成」

 

 

 ルイズの提案にタバサが同意を示し、3人はまず現場検証から始めた。とはいえ、調査の結果は芳しくなかった。実際に被害にあった所を回ってみたのだが、侵入できるような経路となる場所は塞がれていたりしていて侵入された後が無いのだ。

 唯一入れそうな場所と言えば煙突ぐらいなものだ。だがその煙突も人が通れるような広さは無く、他の被害を受けた場所もまた似たような現場状況であったので3人は多いに悩む事となる。

 

 

「うーん。吸血鬼ってシルフィードみたいに変化の魔法が使えるのかしら? それで姿を変えたとか?」

「きゅい、吸血鬼にはそこまで高度な精霊魔法は使えない筈なのね」

「手詰まり」

 

 

 顔を突き合わせて悩む三人。ふと村の一角で何やら騒がしい事に気付く。ルイズ達は顔を上げ、騒ぎの下へと向かおうと走り出した。向かった場所では人だかりが出来ている。手には松明や鍬などを持って何やら怒鳴り声を上げている。

 村の人々は口々に、出てこい吸血鬼などと叫び、家に向かって石を投げつけている。ルイズはその光景に人の浅ましさを見て取り、若干眉を寄せた。家の住人なのだろう、大柄の男が飛び出してきて抗議の声を挙げているが村の者達は取り合おうとはしない。

 騒ぎを伺うと、この家に住まう大柄な男はアレキサンドルという名前らしく、他の地から祖母と共にこの村に越してきたらしい。それ故に疑惑の有力候補として疑われ、不満が暴発した村人達が暴動を起こしたという訳なのだろう。

 

 

「ちょ、ちょっと貴方達止めるのね!!」

「なんだよ! 貴族様、止めるなよ! 此奴が吸血鬼に決まってらぁ!」

「そうだそうだ! まさか、吸血鬼を庇うってのかよ! それに、あんた本当に騎士なのか!? 随分と頼りないな? まさか俺たちを謀ってるんじゃないだろうな!?」

 

 

 アレキサンドルと村の若者の1人とがもみ合いになりそうになった所でシルフィードが間に入って制止の声を挙げるが、いまいち効果があるとは言えない。

 更にはシルフィードが貴族であるかどうかすらまで疑われてきた。まぁ、シルフィードの態度では疑われても仕様がないか、とルイズは溜息を吐く。若干狼狽えた様子を見せるシルフィードを庇うように前へと出て、腹の底から声を張り上げて叫んだ。

 

 

「無礼者!! 貴族を疑うとは何事かしら!? 貴族が嘘を吐くとお前達は言うのかしら!?」

 

 

 ルイズの凜とした声に村人達の視線が集まり、誰もが言葉を失った。貴族に逆らうという事がどういう事か平民には身に染みてわかっている。だからこそ、ここで貴族の機嫌を損ねればそれこそ自分たちが本当に滅びかねない。

 だから誰も口を開こうとしない。その中、ルイズが一歩前に進みでて更に声を高く張り上げる。今、間違いなく場を支配しているのはルイズ他ならなかった。通る声でルイズは村人達へと告げる。

 

 

「貴方たちが怯えるのもわかるわ。この状況で誰かを疑うなという方が難しい。だけど考えなさい。この事件が解決すれば何事も上手く行くという訳では無い筈よ?

 だから、今は私達を信じてとしか言えないわ。だけど約束する。吸血鬼の事件は私達が解決する。だから今は互いに矛を収め、落ち着いて。混乱し、誰かが誰かを疑う程に吸血鬼に付け入れられる隙を作るわ」

 

 

 ルイズの言葉に村人達の誰もが口を閉ざした。確かに疑う心を持たないのも問題だが、疑い過ぎるのもまた問題だ。それは信頼の裏切りに等しい。

 例えこの事件が解決したとしても、一度生じてしまった疑惑は尾を引く事となるだろう。禍根を残せば、それはいずれ不和へと繋がり、諍いの原因となる可能性がある。それは村人達とて理解している。

 だから誰もが口を閉ざす。それでも納得がいかないと言うような村人は疑わしげにルイズ達を見つめる。だが、やがて1人、また1人と村の方へと戻っていけば皆が吊られて解散していく。解散していく村人達の姿にルイズは溜息を吐く。

 

 

「ル……ヴァネッサ……助かったのねぇ」

「もっと気をつけて。ほら、しゃんとしなさい」

 

 

 泣きそうなシルフィードの様子にルイズはただ呆れたように溜息を吐く。これからの先行きの不安。ルイズはただ胸が重たくなる感覚に目を閉じて眉を寄せるのであった。

 

 

 

 * * *

 

 

 

 あれから村人からも疑わしいと疑われていたアレキサンドルの母、マゼンタを含め村人の人々を調べて回ったが、明確な証拠は出てこなかった。故に3人は夜の吸血鬼の襲撃に備えて昼間は眠る事にした。

 夕刻になるのと同時にタバサが目を覚まし、シルフィードとルイズの2人を起こす。シルフィードが先ほどの村人に疑われた時、庇ってくれなかった事をタバサに抗議したが、タバサは“囮”の一言で済ませてしまった。

 

 

「吸血鬼をおびき出す為に必要」

「使い魔使いが相変わらず荒いのねー!?」

 

 

 そして少しの口論を重ねるも、タバサに言いくるめられたシルフィードは杖を置いたまま外に出て行ってしまった。その際にごちそうにありつけるかも、という言葉に釣られていたシルフィードには苦笑を禁じ得ないルイズであった。

 残されたのはルイズとタバサの2人。ルイズは次第に沈み行く太陽を見つめる。そのルイズの横顔を見ながらタバサは呟いた。

 

 

「……貴方は、何か怪しいとは思わなかった?」

「確証は無いけど」

「何かあったの?」

「確証は無い、って言ったでしょ? だから私の勘よ」

 

 

 タバサは驚いたように顔を歪め、ルイズの目を真っ直ぐに見て問う。ルイズはふぅ、と溜息を吐くように返答する。そう、とタバサはそれ以上の答えを得られないだろうと追求はしなかった。

 確信はない、とルイズはタバサに告げたがルイズは吸血鬼の正体に見当をつけていた。ルイズは何かを考え込むように目を細めていたが、悩みを振り払うように顔を左右に振って自らの思考にあった考えを追い出すのであった。

 それからルイズ達は予定通り、“傲慢な騎士とそれに振り回される従者”を演じ、それぞれの目的を果たすべく動き出した。

 シルフィードが予定通りに1人で行動し、ルイズが別れて周囲を警戒する。その警戒している間、ルイズの背に背負われたデルフリンガーが僅かに鞘から身を出してルイズへと問いかける。

 

 

「……なぁ? 相棒」

「何よ、デルフ」

「相棒。何かに感づいてるだろ? あの嬢ちゃん達に言わなくて良いのか?」

「私自身、半信半疑よ。だったら私はそこを気をつければ良いし、タバサには全体を見て貰わないと。推測が間違ってたら怖いしね」

「ふぅん……? どうにも俺には相棒が確信しているようにしか思えないがね」

 

 

 デルフの言葉にルイズは何も応えない。ふと、ルイズが小さく呟くように言葉を零した。

 

 

「……妖魔は、何を思って人を殺すのかしらね?」

「あん? なんか言ったか? 相棒」

「別に」

 

 

 ただルイズは意識を集中させるようにして目を閉じていた。すると、突然場が騒がしくなったのをルイズは感じ取り、飛び出すように勢いよく走り出した。

 そしてルイズが見たのは、先に駆けつけていたシルフィードとタバサ、そして村長に泣きすがるエルザの姿であった。

 その後、落ち着いたエルザに事情を窺った所、大柄の男が襲いかかろうとしてきたらしい。恐らく屍人鬼だろうと予測された。エルザはその場で悲鳴を上げる事で何とか難を逃れ、無事生きながらえたそうだ。

 

 

「うぅん……やっぱり屍人鬼だけでも見つけられれば」

「……貴方の方では何か変化は?」

「……ごめんなさい。私の方からは何も」

 

 

 そう、とタバサが呟き、その日の調査はそれで終了する事となった。

 

 

 

 

 

「――ごめんなさい。タバサ、私はどうしても……確かめなきゃいけないの」

 

 

 

 

 

 * * *

 

 

 

 彼女は焦っていた。まさか、そんな馬鹿な。演技は完璧だった筈だった。誰にもばれていないと、そう思っていた。

 確かに今回来た奴等の中には妙に“精霊”に好かれていた人間が居たが、メイジではなかったし、たかが剣士と思っていた。亜人かとも思ったが正真正銘人間のようだった。

 だからそんなに警戒していなかった。そしてあちらも自分のように気づいているような素振りは見せなかったのだ。

 いつもそうだった。誰もが簡単に騙された。だから半ば自信があったのは事実だ。だが今回ばかりはそうも行かなかった。だから今回は念入りに“囮”を使った。誰もがそちらに目を向けた。奴らの中の“本命”だと思われるメイジも“囮”に引っ掛かった。

 囮に引っ掛かったメイジ達は行ってしまった。確信の安堵感と達成感が胸に満ちていく。愚かなメイジは完全に騙されていると。だから余裕をもって彼女は近づいてしまったのだ。桃色のブロンドを持つ剣士の女性へと。

 

 

「ねぇ、お姉ちゃんは行かないの?」

「えぇ。私が行かなくても解決するだろうし」

「そっか。ところでお姉ちゃん? お姉ちゃんの仲間の人にも確認したんだけどね?」

「何かしら?」

「食事に出される食べ物があるでしょ? 食事に出ている食べ物は皆、生きているものを殺して食べている。それは吸血鬼が人間を殺すのと同じ事じゃないの? だって吸血鬼も人間の血を吸わないと死んじゃうもの。それは仕様がない事じゃないの?」

「そうね。それは仕方ない事よね」

 

 

 返される返事にそっか、と彼女は笑った。そうだよね、“仕方ないよね”、と。暗い愉悦を笑みに浮かべながら笑ったのだ。自身の勝利の確信と共に。

 ――だが違ったのだ。それは自分の勘違いだったと気付かされた。

 

 

「――しかし、今のは屍人鬼ね。アレキサンドルさんが屍人鬼だったけど、恐らくマゼンタお婆さんは関係無いわね。アレは囮ね。タバサもわかってて引っ掛かったのか。さて……本命の“吸血鬼”はどこにいるのかしらね?」

 

 

 言い方は真摯に、されど僅かながら感じる白々しさと自身に向けられる視線。本当の本命はこっちだったと、気付いてしまった事実に息を呑む事となる。罠にかけたと思ったが、罠にかかっていたのは自分だったという事実。

 そう告げて、ヴァネッサと名乗った女性は真っ直ぐに自分に視線を向けていた。――彼女が何かを言う前に全力で逃げ出した。何か言われる前に。何かを言うのを聞く前に悲鳴をあげて逃げ出した。

 自分でもよくわからない、言い知れぬ恐怖を感じて逃げ出した。逃げなくてはならない。ここにいては駄目だ、早く、早くアイツから離れなければならないと――!!

 なのに、彼女は自分よりも早く駆け抜け、進路を塞ぐように立ち塞がる。どうして、どうして、と心が何度も騒ぐように悲鳴を上げる。混乱しながら目の前に立つ女性を睨み付ける。その手には月光を反射させながら輝く剣が握られている。

 

 

「どうして、どうして私が“吸血鬼”だってわかったの!?」

 

 

 悔しさの入り交じった問いかけが投げかけられる。剣を無造作に構えながら女性はなんて事無い、と言うように語った。

 

 

「生憎、人外の気配には私は敏感だったのよ。……さて? 屍人鬼は仲間が押さえてる。後は貴方だけよ?」

 

 

 

 ―――エルザ。

 

 

 

 ルイズに名前を呼ばれて、村長に拾われたという少女、エルザは身を震わせるのであった。自分が感じていた異質な気配。人とは明らかに異なる気配。だからこそ気づく事が出来た。

 尚、同じ気配はアレキサンドルからも感じられたが、こちらの方が大元だ。そして今日の晩、アレキサンドルが襲撃して来たタイミングに合わせ、タバサが飛び出したのと同時にエルザ本人から寄ってきたのは好都合だった。

 案の定、カマをかけて見れば彼女は顔色を変えて逃げていった。村長達には、自分が脅かしてしまった。自分が追うから着いてこないで欲しい。まだ危険だから、と誤魔化した。これで懸念される誰かの介入は無くなるだろう。

 意を決してエルザを見据えながら一歩足を踏み出す。踏み出したルイズを見てエルザは舌打ちをし、両手を広げ声をあげた。

 

 

「枝よ! 伸びし森の枝よ! 彼女を捕らえたまえ!!」

 

 

 エルザの叫び声を皮切りに、ルイズはデルフリンガーを構え、自身を捉えんとした木の枝を無駄なく刈り取る。洗練された動作を目前としたエルザは一瞬、茫然自失とする。

 だが、すぐに悲鳴を上げるように魔法を放ち、枝をルイズに差し向ける。ルイズは慌てる事無く、落ち着いたように息を吐き出しながら殺到する枝を切り裂いた。

 

 

「良いわ。気が済むまで付き合ってあげる? 夜遊びは初めてじゃないでしょ? エルザ」

 

 

 挑発するようにルイズは微笑み、攻勢へと出る為、エルザへと向かって疾走した。

 

 

 

 

 



目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

吸血鬼討伐(中)

 意志を持つ魔剣、インテリジェンスソードであるデルフリンガーとルイズの出会い。それは彼女が言っていたように運命だったのだろう。そんな運命的出会いを果たしたデルフリンガーのルイズへの第一印象は変わり者、という評価だった。

 女性ながら剣に興味を持つ妙な奴。挙げ句、珍しいからという理由で自分を購入していく辺り、本当に変わり者だと思っていたのだ。妙に精霊を好かれているからエルフか何かが化けているのではないか、とさえデルフリンガーは思っていた。

 

 

『へぇ。基礎はしっかりしてるのね。製造はいつぐらいのものなのかしらね? ……後、同調が強い時に浮かび上がってくるルーン、これさっきから反応してるわね? 何なのかしら? これ』

『おでれーた。お嬢ちゃん何者だ? 精霊に好かれ過ぎだろ!? しかもその上で“使い手”か!?』

『使い手?』

 

 

 蓋を開けてみれば彼女はエルフどころか神様を宿しているという事実。更には浮かび上がった己の使い手のたる証の使い魔のルーン!

 デルフリンガーの中で変わり者であったルイズが一瞬にして“不思議な相棒”へと変わるのはさして時間がかかる事ではなかった。

 

 

『ふーん。始祖の時代の魔剣ね。それも伝説のガンダールヴに握られてたっていうオマケ付き。――伝説の安売りね』

『いや、こりゃ運命としか良いようが無いね! また使い手の手に握られる日が来ようとはな! おでれーたおでれーた!』

『ふぅん? まぁ、いいか。何はともあれよろしくね。デルフリンガー。少なくとも退屈はさせないわよ?』

 

 

 退屈はさせない、と告げたルイズにデルフリンガーは期待を感じていた。

 

 

 

 * * *

 

 

 

 ――そして今、ルイズとエルザの戦いでデルフリンガーは確信していた。この嬢ちゃんに握られている限り、退屈なんてありはしない、と。

 二人の戦いはルイズが追い、エルザが逃げ惑うという構図になっていた。横薙ぎに振るったデルフリンガーから逃れようと身を捻り、後方へと下がるエルザを追うルイズ。

 エルザは驚愕という表情を顔に貼り付けてルイズから逃れようと逃げ回っていた。先ほど屍人鬼との繋がりも消失し、助けは来ないという事を理解し、エルザは体を恐怖に震わせた。

 

 

「枝よっ! 伸びし木の枝よ! 彼女を貫きたまえ!!」

 

 

 エルザの先住魔法によって周囲の木々が槍となりてルイズへと殺到する。だが、ルイズはまるで曲芸師のように枝を蹴り、デルフで弾き、体を空中で捻らせて攻撃を寄せ付けない。

 

 

「来なさい! サラマンダー!!」

 

 

 更にはルイズの声に応じて周囲のマナが凝縮し、火の精霊であるサラマンダーが顕現する。サラマンダーの力を借り受け、デルフリンガーの刀身が渦巻くような炎を纏う。

 渦巻く炎を纏うデルフリンガーを振るえば、炎はまるで意志を持つかのように木の枝へと食らいつき、焼き尽くしていく。焼き尽くされる枝を見て、エルザは今まで出会った事の無い強者に体を震わせた。

 

 

「な、なんなのよ貴方っ!? 人間の癖にっ!!」

 

 

 エルザは吸血鬼としては未だ若い部類に入る。彼女が自分で語ったメイジに両親を殺されたという話もまた真実である。だからこそエルザはメイジを憎んでいる。故に生まれた無邪気な殺意。だが人よりも長く生きる事が出来るが故に、長き時が生んだ狡猾さは彼女に生き存える術を与えた。

 だが未だ甘いとしか言いようがない。こうして“未知”と出会った時、彼女は理性よりも感情を優先させてしまった。感情は力だ。だが時としてそれは身を縛る鎖となる。現にエルザは自らの力が通用しないルイズに困惑し、恐怖を抱いている。

 

 

「人間の癖にしつこいのよっ!! 眠りの風よ!」

「させると思うかしら?」

 

 

 眠りの魔法を使おうとすると、ルイズはエルザの近くの地面を目掛けて再度、炎を差し向ける。エルザの足下を焼き尽くすように炎が奔り、エルザの詠唱を阻む。ルイズはそのまま距離を詰めようと駆けぬけていく。

 ルイズの左手にはルーンが強く光輝いている。デルフリンガーが言う”使い手の証”であるルーン。これは本来、ルイズのものではない。だがルイズは本来ルーンが刻まれている“マナの女神の分霊”と一体化している。マナの分霊との同化を深めれば浮かび上がるルーンはまたルイズの力となりて使用出来る。

 

 

(これもこのルーン、“ガンダールヴ”の恩恵ね、大したものね!)

 

 

 ルイズはデルフリンガーからこのルーンの正体を教えて貰った。その名、“ガンダールヴ”。かつて存在した全てのメイジの祖、始祖ブリミルが使役したという”神の左手ガンダールヴ”。

 かつて詠唱時間が長く、効果を発揮させる事に時間を要した始祖ブリミルの詠唱時間を稼いだ一騎当千の戦士。たった一人で千の軍勢を相手したというガンダールヴのルーンはルイズに余す事無く恩恵を与えている。

 武器を手にする事によってルーンは効力を発揮され、身体能力の向上と武器の扱い方を自動で導いてくれる。これはルイズにとって計り知れない恩恵だ。ガンダールヴの力によってファ・ディールにおいての全盛期と遜色ない動きが出来るのだから。

 故にルイズは止まらない。着実にルイズはエルザを追い詰めていた。そんな中、ルイズはエルザへと問いを投げかけるように叫んだ。

 

 

「エルザッ!! さっき貴方が出した問いかけを覚えているかしら!?」

「っ!?」

 

 

 ルイズの叫びにエルザはいきなり何を言うのか、と困惑の表情を浮かべる。先程の問い、食事に出ている食べ物は皆、生きているものを殺して食べている。それは吸血鬼が人間を殺すのと同じ事じゃないのか? と。

 

 

「貴方の言う通りよ! 人間が牛や鳥を殺すのと、吸血鬼が人間を殺すのも理屈は同じよっ!!」

「だったら何!? 同情して私に血を捧げてくれるとでも言うの!? あり得ない!! そうやって私を騙すの!? メイジは嫌な奴っ!! そうやって私から何もかも奪っていくのねっ!?」

 

 

 エルザはルイズの言葉に怒りを覚えていた。わかっているならば、どうして邪悪な存在だと自らを淘汰するのか、と。

 自分達は生きる為にやっている。それしか生きる方法を知らないから。そうでなくては自分が死んでしまうから。それは自然の摂理なのだ。エルザはだからこそその摂理に従うのだ。

 エルザの叫びにルイズは僅かに顔を歪ませる。しかしルイズは狼狽えない。ゆっくりと息を整えるように深呼吸をする。

 

 

「エルザ……貴方の両親がメイジに殺されたという話は真実かしら?」

「何? そんな話を聞いてどうするの?」

「どうしても聞きたい事があるの。貴方がどうして人間を襲うのか。そして人間を殺す時、一体どんな気持ちなのかを私は聞きたい」

「……何それ?」

 

 

 エルザは怪訝そうな表情を浮かべてルイズを睨む。一体、何故そんな事を聞くのかがわからない、という表情で。そんなエルザにルイズは目を細めて告げる。

 

 

「エルザ、ある一人の悪魔の話をしてあげる。その悪魔はね、人を愛していたわ。だけど彼は悪魔だった。悪魔の本能は破壊。そして彼は世界すら滅ぼそうとした、間違いなく悪魔。でもね、どうして滅ぼそうとしたと思う? 彼にはね、愛した人がいたの。苦しんで、悩んで、その果てに愛する人の為に世界を滅ぼそうとした悪魔が居たわ」

 

 

 アーウィン、とルイズは内心でお話の悪魔の名を呼ぶ。一人の人間の女性を愛した悪魔。だが、悪魔の本能が故に、そしてマチルダの愛ゆえに世界を滅ぼそうとした悪魔。ルイズが相対し、討ち滅ぼした相手だ。

 

 

「彼は愛した人の為、自分の為に世界を滅ぼすと決めたわ。それはとても邪悪な事かもしれない。だけど、私はそれを間違ってるなんて否定出来ないわ。だってそこにある思いは、泣きたくなる程に優しい思いだったから」

 

 

 ルイズは思い出す。あの何よりも優しい悪魔の事を。彼が行った事を決して善では無いだろう。だけど、同時に否定も出来ない。

ただ一途にアーウィンはマチルダの幸せを願っていた。だからこそ彼女を縛る“力”を奪い去ろうともした。奪い去ろうとした結果、マチルダの体を衰弱させた事を悔い、償おうともしていた。それは誰が何と言おうと愛溢れた行いであっただろう。

 

 

「勿論、彼を否定する者もいた。彼を正しい道に戻そうとする者もいた。そして彼を受け入れた者もいたわ」

「それが何よ!!」

「貴方にとって人間は、ただの食料でしか無いの? 貴方を引き取ってくれた村長さんは、本当に貴方を思って引き取ってくれたんじゃないのかしら? それは優しさだったんじゃないの? 貴方にとってその人の思いはどうでも良いものなの? 私は知りたい。貴方がどんな気持ちで人を襲い、人を殺すのかを」

 

 

 ルイズの問いにエルザの脳裏には今までの記憶が蘇っていた。1年前、自分の演技に騙されて自分を引き取ったこの村の村長。演技とはいえ、笑わない、怯えた自分を必死に笑わせようと暖かく接してくれた村長。

 暖かかった手を思い出す。それは、もう居ない父の手にも思えた事もあった。だがその度に人間への憎悪を思い出し、その手を心の底から受け入れられなかった。世迷い言だ、と、まやかしだとエルザは首を振った。

 

 

「うるさいっ! うるさいうるさいっ! 騙されない、騙されるもんかっ!! そうやって人間は殺すっ!! 自分に害になる存在を殺すっ!!」

「村長は貴方の事を騙す気なんて無かった筈よ? ただ貴方に笑って欲しかっただけじゃないの? それこそ本当の娘のように」

「それは私が吸血鬼って知らないからだ! 吸血鬼だって知ったら態度を変えるよ!! 私は人間なんか信じない!! 特にメイジは許さない!! 私のパパとママを殺したメイジは殺し尽くしてやる!!」

 

 

 エルザは叫ぶ。目の前で無惨にも殺された両親を脳裏に思い出しながら。零れだした涙を拭わないまま、エルザはルイズに向けて叫ぶ。

 エルザの叫びにルイズは迫った木の枝を切り払いながらエルザへ視線を移す。互いに攻勢の手を緩め、睨み合うように互いを見つめる。

 

 

「メイジは嫌い。でも好き嫌いは駄目だからメイジを見つけたら真っ先に食べてやるの。そう決めたの! それが私の復讐!」

「そう。……そうよね。人間が憎いわよね。自分の両親が殺されて、1人ぼっちにされられて、許せないわよね」

 

 

 エルザの瞳に映る憎悪の色にルイズは思わず目を伏せた。暫し沈黙が二人の間に流れる。沈黙を破るようにルイズは顔を上げてエルザに問うた。

 

 

「でもそうして、貴方は一生、生きていくつもり? ねぇ? そんな生き方は疲れない? どうにかして人間を許せない?」

「ぇ?」

「わかっているわ。私がどれだけ馬鹿なことを言っているかなんて。許してなんて、虫の良い話よね。怖いから殺して、殺されたら邪悪だって責めて……それは避けられない話よね」

「何を言っているの? 貴方は……?」

「エルザ。私は貴方と分かり合いたいと思っているわ。それは掛け値なしに本当の事。だからこれ以上、争うのは止めにしない? 誰かを愛する事が出来る貴方に、私は憎しみのままに生きていて欲しくはない」

 

 

 ルイズはそっと、構えていたデルフリンガーを無造作に下げた。突然のルイズの行動にエルザは目を見開かせて驚愕した。

 

 

「あ、貴方何のつもり!?」

「貴方の気持ちを知りたいの。だから剣を向けるのは失礼でしょ?」

「あ、貴方、頭おかしいんじゃないのっ!?」

「……まぁ、馬鹿な事はしてるよね?」

「そうだよ!? 何言ってるの!? 分かり合いたい!? 分かり合える訳ない!! パパとママを殺した人間なんて信じられない!! それに私は人間の血を吸っていかないと生きていけないっ!! 貴方の敵だよ! 人間を殺すんだよ!?」

「人間だって人間を殺すわよ。それに歩み寄る事を止めたら、そこで終わりなのよ。人間と吸血鬼は永遠に争い続けなきゃいけない。それこそ、どちらかを滅ぼすまで」

 

 

 草木を踏みしめながらルイズはエルザの前へと立った。あまりにも無防備過ぎる。殺そうと思えば一瞬にして殺せそうだ。だがエルザは魔法を使う事が出来なかった。困惑がエルザの行動を押しとどめていたからだ。

 ルイズは優しげな笑みを浮かべたままエルザへと声をかける。それは余りにも優しい声色でエルザの鼓膜を震わせる。

 

 

「貴方を殺せば、この事件はそれで終わりよ。だけど、それはあくまで目先にある問題の解決でしかない。人間と吸血鬼の諍いの終わりじゃ無い。逆に、私と貴方が和解しても諍いは終わる訳じゃない。だけど私は知りたい」

「なんでそんな事を……?」

「争いを止める為に、滅ぼし合わなきゃいけないだなんて認められない。だから分かり合おうと、歩み寄ろうと努力するの。……だから、両親を愛していたと、愛しているが故にメイジを許せないという貴方とわかり合いたいと思った。きっと私達は同じ思いを共有出来ると思ったから」

 

 

 ルイズはエルザの視点に合わせるように膝をついて、真っ直ぐエルザの瞳を見つめる。エルザはただ困惑した顔でルイズを見つめるしか出来ない。そんなエルザをルイズはデルフリンガーを地面に挿し、開いた両手を伸ばし、エルザの頬を撫でる。

 

 

「互いに分かり合おうとする時間をくれないかしら? お互いを知って、わかりあっていける道。道があるのか無いのか、私に確かめさせて欲しい。だから争う事を止めて? 貴方のお話を聞かせて?」

 

 

 暖かみが伝わる。エルザに触れるルイズの手のぬくもりがエルザに伝わっていく。泣きそうになるぐらい、それは優しく暖かい。遠い記憶、母に抱きしめられたような暖かさがルイズから感じられる。

 それは慈愛。慈しみ、愛し、護ろうとする意志が生む優しさ。これでもし、エルザが真に人に仇為すバケモノであればルイズは容赦はしなかっただろう。彼女はそこまで甘くはない。敵は敵として剣を向ける事が出来る自負がある。

 だが、出会ってしまった吸血鬼は子供と変わらない姿をして、まるで人のように悲しみ、人のように怒り、人のように嘆いていた。ならば、きっとわかりあえるとルイズは信じたかった。故に、タバサすら欺いて行動に移した。真っ直ぐな思いをエルザに伝える為に。

 

 

「駄目かしら?」

「……っ! 貴方が言うのは理想論だよ。だって私は、人間の血がなきゃ生きられない! 私は人間の血を吸うバケモノなんだよ!? わかり合える訳がない!!」

「そうね。貴方は吸血鬼だもの。……なら私の血をあげるって言ったら?」

「……え?」

「血を全部は上げられないけど少しずつ、必要な分だけ貴方にあげる。それでどうかしら? いきなり人間全員信じろなんて言えない。なら、まずは私を信じてくれないかしら? 私は貴方を裏切らない。血だって頑張って分けてあげる。そうしたら信じてくれる? そしたら貴方の気持ちを教えてくれるかしら?」

 

 

 ルイズの言葉にエルザは目を見開かせてルイズを見る。最早、驚きすぎて何も考えられなくなりそうだ。ルイズはエルザの頭を自分の肩に乗せるように抱きしめた。エルザの目の前にはルイズの首筋が差し出されている。

 ルイズはエルザを抱きしめながら、あやすように背中を叩く。優しくリズムをつけるようにエルザの背を何度も、何度も優しく。まるで母が子供にするように。

 

 

「……貴方、恐くないの?」

「えぇ。ちっともね」

「貴方を屍人鬼にしちゃうかもよ?」

「出来るならどうぞ? 出来るものなら、ね?」

 

 

 ルイズは笑みを浮かべながらエルザの体を強く抱きしめた。エルザはルイズの言葉にゆっくりと体の力を抜いていく。唇をルイズの肩口に這わせるように押しつける。ルイズの体が緊張に一瞬跳ね上がる。だが、抱きしめる手の力は緩まない。

 戸惑いと本能の中でエルザは震えた。だが、次第にゆっくりと牙が顔を出す。ルイズの肌にゆっくりとその牙が突き立てる。鋭い歯がルイズの薄皮一枚を破る。それでもルイズはエルザを抱きしめていた。エルザが僅かに震える。本当に抵抗しないのか、と。

 

 

「大丈夫よ。私は貴方を怖がらない。貴方から逃げない。だから、この程度の傷すら受け入れてみせるわ。それで貴方が私を信じてくれるなら構わない」

 

 

 だから大丈夫、とルイズは笑う。ルイズの声にエルザは言いようのない震えを感じながら、ゆっくりとエルザの牙がルイズの肌へと突き立てた。

 

 

 

 * * *

 

 

 

 ルイズは一体何をしている? タバサは混乱する思考を纏めようとして出来なかった。目の前で吸血鬼である少女を抱きしめて自らの血を吸わせるルイズがいる。

 屍人鬼と化したアレキサンドルを退治し終え、ルイズがエルザを追いかけたと報告を受けたタバサはすぐにルイズの下へと向かった。タバサもアレキサンドルが囮の為に利用された事は見抜いていた。

 だからルイズが追いかけたという事はエルザが吸血鬼だったのだろう、と見当をつけていた。ルイズならば無事だろう、と思い向かった先で見せられた光景にタバサは理解が出来ない。

 一体何があった? 何故こんな事になっている? わからない。理解が出来ない。あり得ない。混乱のまま呆然とするタバサに対して、シルフィードは驚愕と困惑の入り交じった声を挙げた。

 

 

「きゅ、きゅいっ!?」

「シルフィード?」

「ルイズの体から、凄い、精霊? うぅん、そんな、もっと、精霊なんかよりもっと強いっ!? これが“女神様”の力!? 精霊なんて目じゃないぐらい、凄い力っ!!」

 

 

 シルフィードの言葉を受けて、タバサはルイズへと視線を向けた。ルイズは未だエルザを抱きしめている。変化はあったようには見えない。ただ、踏み入れない、とタバサは直感で感じた。あの二人を邪魔する事は許されない、と言うように。

 タバサ達が見守る中、ルイズの首筋に噛み付いていたエルザはゆっくりと唇を離し、そのまま意識を失ったように力を失った。まるで糸の切れたマリオネットのようだ。ルイズはエルザを抱きしめたまま彼女の背を慈しむように撫でる。そしてタバサ達に気づいたのか、笑みを浮かべて振り向く。

 

 

「……あら。タバサにシルフィード。早かったじゃない?」

 

 

 何でもないように声をかけてくるルイズにタバサは暫しルイズの顔を見つめて呆然とするしか無かった。ルイズはそのままエルザを抱きかかえながらタバサ達の方へと視線を送っている。

 タバサは居ても立っていられずルイズの下へと駆けた。いつもの彼女だ。何も変わっていない。自然体で彼女はそこにいる。強いて言えば首筋の傷が気になるぐらいだ。だがそれでもルイズは平然としている。

 

 

「ルイズ、貴方は何をしてるの?」

「……ま、私のワガママよね」

「ワガママ?」

「……この子が本当に人に害為す子だったら、私もこんな情けは見せなかったんだけどさ」

 

 

 困ったようにルイズは笑いながらエルザを抱きかかえ直す。涙の後が残るエルザの頬を手の甲で拭ってやりながらルイズは言う。

 

 

「わかりあえるかもしれない、って思ったら……説得してたわ」

 

 

 はは、と。ルイズは困ったように笑いながら言う。

 

 

「ごめんなさい。タバサ。この子、私に預けて貰えないかしら?」

 

 

 

 * * *

 

 

 

 まどろむ意識の中、エルザはゆっくりと目を開いた。目の前には満天の星空が広がっている。目が覚めたばかりの意識は、まるで蕩けているようだ。上手く力が入らない。エルザは思うものの身体はまるで自分の身体じゃないように動きが鈍い。

 エルザがお酒を飲んだ経験があるならばわかったかもしれないが、彼女は生憎とその容姿から誰かに酒という趣向品を貰うという経験は無かった。故に自分が酔っている事に気付いていない。

 そのまま鈍い動作で起き上がろうとすると、頭を暖かい何かが撫でてくる。誰かと思い顔を上げると、そこにはルイズがいた。夜空をバックにしてルイズが微笑みかけてくれている。頭の裏に柔らかい感触がある。どうやらルイズが膝枕をしてくれているようだった。

 

 

「あ、起きたのね? エルザ」

「……ぁ……?」

「大丈夫かしら?」

「……私」

 

 

 どうしたんだっけ、と蕩けた頭を総動員して記憶を呼び覚まそうとする。ふと、そこでルイズの首元へと目が向けられる。そこには小さな牙の痕が残っていてエルザの意識は一気に覚醒した。

 すぐさまルイズの膝から頭を上げて、若干距離を取ろうとして頭がクラクラと揺れる。そのまま力を失ったように座ってしまう。力が抜けたように座り込みながらエルザはルイズに指を指して叫んだ。

 

 

「あ、あなた一体何者なの!?」

 

 

 エルザの得体の知れない珍獣を見るかのような瞳を向けられたルイズは目を丸くさせて驚いた顔をするしかない。驚きたいのはこっちだ、と叫びそうになりながらも、自分の身に起きたことを思い出していた。

 そう。ルイズの血を吸い出した瞬間にエルザの身体に駆けめぐったのは満たされるという甘美な感覚。極楽と言った言葉が似合うか。与えられる幸福感にエルザはショックで気を失う程だった。

 あんな血を持った人間なんてまったくいなかった。味には確かに違いがあり、質もまた様々だ。だが味や質の前に格が違うと思い知らされたのだ。

 

 

「貴方本当に人間なの?」

「人間だけど?」

「あり得ない! 貴方、嘘つき!」

「いや、人間だけど……」

「嘘つき! おかしいよ! 絶対おかしい! あり得ない! あんなの呑まされたらもう他の血なんてもう呑めないよ! どうしてくれるのよ!」

「どうしろ、って言われてもねぇ……。じゃあ、エルザ?」

「……なによ?」

「貴方にはこれから選んで貰わなければならない事がある。これから、貴方がどうするのか、という事を。吸血鬼の事件はほぼ解決しているわ。屍人鬼は倒れ、吸血鬼はもう村にはいない。そう村人には告げれば、ね。だから後は貴方次第。本当に殺されるか、この村でもう二度と血を吸わないで生きていくか。それとも、私に付いてくるか」

 

 

 ルイズは真っ直ぐにエルザを見つめながら問いを投げかける。エルザはルイズの問い掛けに戸惑うように顔を歪ませた。

 

 

「……良いの? そんなの選ばせて。村に残る、って言って、私はまた人間を襲うかもしれないわよ?」

「その時は、今度こそ貴方は殺されるでしょうね。犯人はもうわかっているのだもの」

「……血を吸わないのは無理。その時は死んでしまうもの」

「なら貴方には死か、私と一緒に来るかしか無いわね」

 

 

 ルイズの言葉にエルザは考え込むような仕草をする。ルイズは黙ってエルザの返答を待っている。エルザは考える。村に残り、吸血鬼である事を隠しながら生きていくのは難しい。また同じ事件が起きれば既に顔と正体が知られている為、すぐに討伐されるだろう。

 だが血を吸わない訳にはいかない。そうすれば今度は逆に死ぬのは自分。ならば残された選択肢はルイズの用意した、死か、ルイズに付いていくか。

 ルイズも知らない場所に逃げるという可能性もあるが、そこで同じ騒ぎを起こせば結局は同じ事だ。暫し沈黙が続く中、エルザは小さな声でルイズに問いかけた。

 

 

「……どうして?」

「何がかしら?」

「私は吸血鬼なんだよ? 化け物なんだよ? なのに、なんで貴方は私を助けようとするの?」

「そうね。……貴方だったから、かな」

「……なにそれ? なにそれ!? 私は吸血鬼なんだよ!? なんで信じられるの!?」

「信じたいから。だから信じる。それ以上の理由なんてない」

「なんで……っ……なんで、なんでっ!?」

 

 

 言葉を何度も詰まらせながらもエルザは血を吐くような叫びを上げた。ルイズはエルザの叫びを受け止めて、笑みを浮かべる。泣きじゃくるように体を震わせるエルザにルイズが手を伸ばす。

 伸ばした先にはエルザの小さな手があった。ルイズの手が優しくエルザの手を包み、握りしめる。そのままエルザとの距離を詰め、額を合わせるようにくっつける。

 

 

「私は貴方を信じたいと思った。それが答えよ」

「私は……殺したんだよ!? いっぱい、いっぱい人を殺したよ!? なんで、なのに信じようとするの!?」

「そうね……。それは許してはいけないのかもしれない。でも、貴方が生きていく為に必要だった。そうでしょう? だって貴方は吸血鬼。人の血を吸わなければ生きていけない」

「そう、だよ」

「だったら仕方ない、としか言えない。それに私はエルザの殺した人々を知らない。だから同情はするけど悲しみは湧かない。私にとってそれは他人事だから。本当の意味でその悲しみをわかってあげる事は出来ない。ただ、言えるのは私の目の前には両親を殺されて悲しい思いをした子が1人、いるという事実だけ」

 

 

 ルイズの真っ直ぐな言葉を受けて、エルザは信じられない、と言うようにたた首を振る。

 

 

「なんで? なんで、そんなに私を……」

「これからを変えて行きたいから。互いにいがみ合うだけじゃなくて、わかりあって、その果てに理解の道を歩みたい。そして未来を一緒に見れたら良いなって思った。だから貴方の事を知りたい、理解したいと思った」

「……わかり合いたいなんて、そんなのできっこない。だって人間と吸血鬼だよ!?」

「かもしれない。だけど、やる前から諦めたらそれで終わりだから。だから、私は貴方を信じたいのよ。エルザ」

「なんでそんなに私を信じようなんて思うの!?」

「だって貴方は私の言葉を理解してくれる。貴方の言葉を私は聞く事が出来る。なら、理解して貰えると思ったから。貴方といがみ合うだけじゃなくて、別の未来も描けるんじゃないかって思ったから」

 

 

 そして沈黙が辺りに満ちた。ルイズもエルザも言葉を発する事無く黙りこくる。どれだけ長い時間をそうしていたか。エルザはゆっくりと、包み込むように握ってくれていたルイズの手を握り返す。

 

 

「……私のパパとママはメイジに殺された」

「……そうなの?」

「そうだよ。だから……メイジが、人間が憎い」

「……そっか。そうだよね。大事なものだったのよね。貴方にとって両親は、とても大事なものだったのね?」

「……そうだよ……大事な、家族、だった……!」

 

 

 それを奪われたのだ。だから憎んで当たり前。そして生きていくには人間の必要なら殺して当たり前だった。だって、人間も同じように動物や植物を殺す。だから、何も変わらないのだと。

 

 

「でも、貴方が殺した人間も、同じように誰かに大事に思われていたわ」

「……ッ!!」

「同じなのよ、エルザ。だから……私は貴方を本当は許してはいけない。だって貴方は許されない事をしたから」

「じゃあ、なんで貴方は私を助けようとするの?」

「……一生許せないまま、憎しみだけ抱えて生きていくのは辛いから。だから私はそんな世界が嫌。わかり合えるならわかり合いたい。殺し合って、滅ぼし合うだなんて悲しいじゃない。だって、貴方は私の言葉を聞いてくれる。そして悲しみに心を痛めている。ここに生きているのに、誰ともわかり合えないまま生きていく姿は見ていて辛い」

 

 

 わかり合えないまま、憎しみを抱き続けたままだなんて、なんて悲しい事なんだろうか。ルイズは心底そう思っている。ルイズがファ・ディールで体験してきた全てがルイズに思わせている。

 だからこそ手を差し伸べた。この子も悲しみに泣いている子なんだと。悲しみのままに罪を犯してしまった子なのだと。だからこそ、その悲しみを、彼女の胸の内にある愛をルイズは否定したくなかった。

 確かに許してはいけない。けれど、互いに譲らなければ憎しみ合わなければならない。だからこそルイズはエルザを否定しない。エルザを受け入れようと、ただ己の心を開くのみ。そんなルイズの姿にエルザは果たして、何を感じ取ったのだろうか。エルザは自分の手を握るルイズの手を握り返す。

 

 

「……貴方、馬鹿よ」

「そうかもね」

「本当に……馬鹿な人間……!」

「知ってる」

「でも、なんで……? どうして? どうして、こんなに胸が痛い……痛いのに……嫌じゃないの……!?」

 

 

 暖かな思いで、胸が締め付けられるように痛い。心地よいのに涙が溢れるのが止められない。ただエルザは困惑するようにルイズを見た。ルイズの開いた心が、頑なに閉ざしていたエルザの心を震わせる。

 

 

「……痛いなら、泣いていいのよ」

「……ッ」

「貴方は1人じゃない。少なくとも私の声が届く内は……私が貴方を守るわ。私と話をしてくれている内は、貴方を守る」

「……守って、くれるの?」

「えぇ。だから……信じて、エルザ。だから私の話を聞いてくれる?」

 

 

 ルイズの言葉に、エルザは初めて胸の奥にあった願いを引きずり出した。寂しい、と。人は一人で完結する事の出来ない生き物だ。それは人に類似した吸血鬼にも同じ事が言える。

 だからこそ寂しいと感じるのだ。1人は嫌だと、誰かに傍にいて欲しいと。同じ吸血鬼がどこにいるのかもわからない。孤独であった。だからエルザは叶う事の無いと思っていた願いを胸の奥に封じ込めていた。

 

 

「……寂しかった……」

「……うん」

「寂しかったよ! 怖かったよ! 生きたかった! 死にたくなかった!」

「うん」

「……辛かった……!! 1人は怖い……! 1人は寂しい……!」

 

 

 エルザから吐露された願いを聞き、ルイズは暫し考え込むように瞳を閉じた。そして再び、ルイズの瞳が開かれるとき、ルイズはエルザに笑みを浮かべて告げる。

 

 

「もう1人にしないわ。私がいてあげる」

「……本当?」

「えぇ。……だから落ち着いたらいっぱいお話しましょう。これからの事を。たくさん、たくさんお話しなきゃいけないから」

 

 

 微笑むルイズが何よりも暖かくて、何よりも優しくて、胸に痛みが走る。ただ、この痛みは決して不快な物ではない。瞼の奥が熱くなる。喉から声が漏れだして来る。

 エルザを支配したのは喜び。ただ感極まったように泣き、ルイズに抱きついた。喉の奥から張り裂けそうになるぐらい声を挙げて泣きじゃくった。そんなエルザを、ルイズはただ、ただ優しく撫でて抱きしめ続けた。

 

 

「孤独なのは辛いもの。だから一緒にいてあげる。貴方の孤独を私が埋めてあげる」

 

 

 幼子をあやすようにルイズは何度もエルザの背をリズムをつけながら叩き続ける。ただ、エルザの泣き声が止むまで……。

 

 

 

 * * *

 

 

 

 ルイズとエルザが抱き合う光景を、少し離れた所で見ていたタバサは驚きに声を失っていた。人と吸血鬼。分かり合う筈の無い種族が理解し合おうとしている。

 タバサはこの吸血鬼事件を解決する前に訪れていた村での翼人と人との争いと種族を越えた恋人達を思い出した。例え種族が違っても分かり合えるという事を知った。

 だが、吸血鬼は人を殺さなくては生きてはいけない種族なのだ。分かり合える事など無いと思っていた。普通に考えて分かり合えるなどと考えないだろう。だが、ルイズは可能にした。

 

 

(……おかしい)

 

 

 タバサがルイズに抱く感情は畏怖と疑念。彼女はどうして恐れない。どうして許す事が出来る。何故、とタバサの中で疑問が募っていく。それが“大いなる意思”を身に宿しているからなのか、それとも“ルイズ”だったからこそ、“大いなる意思”が宿ったのか、そんな疑問が浮かぶ。

 言いようの無い感情がタバサの身体を駆け巡る。単純な恐怖ではない、得体の知れない恐ろしさ。だからタバサは見ていた。ルイズを見定めるように。タバサの視線に感動して貰い泣きしているシルフィードには気づく事が出来なかった。

 



目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

吸血鬼討伐(下)

 エルザを連れてルイズ達は村へと戻った。エルザは泣いて、疲れ果てたのか、今はルイズの背で眠っている。

 ルイズはこれから村長の下を訪れて、エルザの事を相談するつもりでいた。どこまで村長に話すべきか、その点について悩んでいる。彼女が吸血鬼である事を告げる必要があるのか、どうかを。

 無理矢理連れていっても構わないが、後で自分がいなくなった後でエルザが吸血鬼である事実をバラされても困る。かといって何も言わず連れ去る訳にもいかない。慎重に事を進めたい、とルイズは思っていた。

 だからだろう、ついつい隣を歩いていたタバサへと問いかけを投げかけたのは。

 

 

「タバサはどう思う? やっぱり私は甘いと思う?」

「甘いどころか、馬鹿げてる。吸血鬼は人間の天敵。最悪の妖魔と心配していたのは貴方がよく分かってる筈。貴方の同情はいずれ、貴方の身を滅ぼすかもしれない。自覚してる?」

「えぇ。耳が痛い程、自覚してるわよ。でも、ごめんなさいね。貴方の立場を悪くするかもしれないのに」

 

 

 ルイズの謝罪の言葉にタバサは言いようのない表情を浮かべる。わかっている。ルイズの言う通り、最悪これが自分に不利を呼び込む事があると。王宮に討伐対象である吸血鬼を生かし、あまつさえ一緒に連れている等と知れれば王宮に叛意ありとされる可能性があると。

 自分の身を守る為であれば殺すべきだ、とタバサは考える。だが感情の部分でタバサはエルザへの同情を隠しきれなかった。幼くして両親を奪われた。だから憎い。憎くてどうしようもならない。そんな気持ちはタバサは誰よりも、痛い程分かっている。

 吸血鬼であるエルザとわかり合えるとはタバサは到底思っていない。……だが、あの叫びは自分も同じ思いだった。全てを否定出来ないからこそ、タバサの心境は複雑なものであった。

 

 

「保護しようと言ったのが貴方じゃなければ、問答無用で殺していた」

「……そう、でしょうね」

「でも、貴方は私も救おうとしたお人好し。……ルイズ」

「なに?」

「信じて良いの? 貴方は、本当にその吸血鬼とわかり合える?」

 

 

 タバサはルイズを真っ直ぐ見据える。足を止めたタバサにルイズは一度、タバサの方へと振り向く。交差される視線、タバサは挑みかかるような視線でルイズを射貫きながら告げる。

 

 

「……絶対とは言えない。けど、責任は取るわ」

「なら、そうして。――最後までけじめをつけて」

 

 

 タバサの言葉に、ルイズは重々しく頷いた。その様子を人に変化しなおしたシルフィードは心配げに二人を交互に見ている。だが心配するシルフィードを余所に二人はそれ以上の言葉を交わさずに歩き出した。

 互いに無言のまま、村長の家へと辿り着き、ドアをノックする。ノックの音にすぐ反応したのか、村長が姿を現す。ルイズの姿を確認した村長は驚いたような顔をしてルイズへと掴みかからん勢いで問い掛けた。

 

 

「ヴァネッサ様! エルザは、エルザは!?」

「村長、落ち着いてください。エルザは無事です」

 

 

 ルイズは落ち着かせるようにエルザを見せながら村長へと伝える。ルイズの背で眠るエルザを見ると村長はホッ、と安堵の吐息を吐き出して瞑目して力を抜いた。余程心配していたのだろう。

 それからすぐにエルザを寝所へと寝かせた。タバサとシルフィードも休むという事で先に寝所へと向かっている。居間に残っているのはルイズと村長の二人となる。夜の闇を灯すのはランプの光、その灯りの下、ルイズと村長は向き合っていた。

 

 

「ヴァネッサ様、どう御礼を言っていいものやら…エルザがご迷惑をおかけしました」

「いえ。私こそ彼女を脅かしてしまいまして、申し訳ないです」

「無事に連れ戻していただいたのです。本当にありがたい限りです」

 

 

 柔らかい微笑を湛えてルイズに礼を告げる村長にルイズはただ小さく首を振った。こんなにも愛されているエルザは幸せ者だと。そんな村長の姿に思わない事がない訳ではない。 気を取り直すように息を吸い、ルイズは改めて村長へと視線を向けた。ルイズの雰囲気の変化を察したのか、村長も佇まいを正す。

 

 

「村長、少しお話があります」

「なんでしょうか」

「私はエルザと色んなお話をしました。あの子がメイジを憎んでいると。両親を殺された事が切欠など、色んな話をしました。改めて彼女から伺い、私は彼女に同情をしてしまったのでしょう。

 私にはエルザの気持ちを理解する事は出来ないでしょう。どれだけ辛かったのか。どれだけ恐ろしかったのか。どれだけ憎かったのか、その気持ちの大きさだけはわかっているつもりです」

 

 

 ルイズの静かな語りに村長は黙って聞き入っている。続きを促すように、村長はルイズを真っ直ぐと見た。ルイズは村長からの視線を受け、言葉を選ぶように続ける。

 

 

「私はあの子を救いたい。あの子は絶望していました。当然ですね、ご両親を亡くしているのですから。だから、私はあの子を救いたい」

「……ヴァネッサ様、どうしてそこまでエルザの事を?」

 

 

 訝しげに村長はルイズを見据える。それもそうだろう。エルザとの過ごした時間は余りにも短い。ルイズの入れ込みは見ようによっては異常とも取れるだろう。だからこそ、ルイズは困ったように笑う。

 

 

「私は、駄目なんですよね。そういう悲しい目をしちゃってる子を見ると、どうも放っておけなくて、すぐに首を突っ込んでしまう。皆から面倒事を抱え込むな、って言われてるのについつい背負っちゃう。背負いたくなってしまう」

 

 

 困ったように笑いながらルイズは村長へと自分の気持ちを伝える。

 

 

「あの子の笑った顔が見たい。あの子を笑わせてみたい。そう思ったらもう一直線で、後先考え無し。今もそうです。だから村長にお願いがあります」

「何でしょうか」

「エルザを私に預けてくれませんか?」

 

 

 ルイズは村長と目を合わせながら己の気持ちを真っ直ぐに伝えた。ルイズの言葉を予感していたのだろう、村長はルイズの言葉を受け止めた後、ゆっくりと瞑目した。

 ルイズの言葉に村長は即答しない。何かを受け止めるように、何かを考えるように村長は黙したまま。ルイズも急かすような事はしない。ただ二人の間に沈黙が流れる。

 

 

「……不思議な方ですな。貴方は」

 

 

 不意に、村長が口を開く。どこか困ったような、不思議そうな表情を浮かべてルイズを見る。

 

 

「貴族嫌いのエルザが、貴族の護衛である貴方に心開くという事も驚きですが……貴方と話していると、不思議と納得がいってしまいます。一見怪しく思えるその優しさも、不思議と信じてみたくなってしまう」

「……光栄です」

「えぇ。貴方は本当に不思議な人。貴方であればエルザも笑顔を取り戻してくれるかもしれません。少々寂しいものはありますが、私の下より、貴方の傍の方が幸せかもしれません。もしも、エルザがそれを望むならば貴方に託しても良いと、そう思います」

「……村長。私はあの子と解り合いたい。そして分かち合いたい。世界には悲しい事もあるけれど、一杯、負けないぐらい楽しい事、素晴らしい事が満ちているんだって。私は旅の果て、世界が美しい事を知りました。景色だけじゃありません。何気なく触れる人の優しさも、私にとって何よりの宝物です。私はあの子に知って貰いたいんです。世界は捨てたもんじゃない、って。――そして気付いて欲しいのです。村長さんがエルザを愛している事も」

 

 

 ルイズの告げた言葉に村長は目を丸くした。そして、ゆっくりと表情を破顔させた。照れくさそうに頭を掻いて村長は笑った。

 

 

「参りましたな。貴方様はまるで聖女様ですな」

「私はどこにでもいる人間ですよ。これからもずっと。誰かと共に在り続ける。そんな人で在り続けたいと願ってます」

「貴方ならば叶いますでしょう。ヴァネッサ様。どうか……あの子に笑顔を。そして幸せを教えてください」

「……あの子は既に幸せですよ。愛してくれる人が傍にいる。後はそれに気付くだけです」

 

 

 ルイズの言葉に村長は嬉しそうに笑みを浮かべる。ありがとうございます、と一言添えて深々と頭を下げる村長に、ルイズもまた笑みを浮かべて小さくお辞儀を返した。

 

 

 

 * * *

 

 

 

「それでは村長。お世話になりました」

「いえ。こちらこそ村を救っていただきありがとうございます」

「いえ。エルザの事も改めて、任せてください」

 

 

 翌日、村を後にする為に身支度を調えたルイズ。その傍らにはエルザが荷物を抱えて立っていた。

 昨夜の問いかけ。エルザが出した答えが、ルイズと共に行く事だったからだ。それをルイズは笑みを以て受け入れ、村長にもその旨を伝えた。少し寂しげに、しかしエルザを笑みを以て送り出そうとしてくれた村長の姿にエルザは涙を零した。

 実の所、エルザは先日、ルイズと村長の会話を途中から聞いていたのだ。そして知った村長の思いはエルザの心を確かに震わせていた。だからこそ知った。愛されていた。こんなにも愛されていたのだと知ったエルザは零れてくる涙を抑えきれなかった。

 そんな思いを裏切っていた自分がどうしようもなく辛かった。ようやく認められた事実がエルザの胸を締め付けていたのだ。

 だからこそ、生きなければならないとエルザは強く思ったのだ。1人ではなかったと気付くにはあまりに遅すぎて、たくさんの迷惑と不幸を呼んでしまった自分。今更幸せなんて望んではいけないのかもしれない。それでも、生きたいという思いに嘘はつけなかった。だから差し伸べられたルイズの手を取る事をエルザは決めた。

 

 

「エルザ、ヴァネッサ様の言う事を良く聞くんだぞ? そしていつでも帰ってきなさい。離れてしまうけど、私はお前の親代わりだからね。寂しくなったらいつでも文を飛ばしても良いし、会いに来なさい」

「うん。……今までありがとう、おじいちゃん」

「あぁ、幸せにおなりなさい」

 

 

 そしてルイズ達は村を後にするため村の入り口を出て行った。ルイズに並んで歩くエルザは振り返り、村の入り口に立って手を振っている村長の姿を見つめていた。村長の姿にエルザはじわりと涙が浮いてくる。

 本当の正体の事は言えなかったけども、自分を愛してくれた優しい人。本当に父のように思っていた人。たくさん迷惑をかけてしまった人。申し訳なさと愛おしさとまぜこぜになった思いがエルザの胸を満たしていく。

 

 

「……辛い?」

「……うん」

「後悔してる?」

「……うん……!」

「だったら生きなさい。貴方が奪った命の分だけ。それは人間も、吸血鬼であっても変わらない。私達は常に何かから命を頂いて生きてるのだから」

 

 

 そんなエルザの頭をルイズが優しく撫でる。エルザがルイズの手の温もりに頷いて返し、自分の手を伸ばしてルイズの手と握り合わせる。

 エルザは胸が痛むのを感じる。この村で殺めてしまった命。エルザが犯してきた罪。それは今後一切消える事は無いだろう。だが仕様がない事でもある。誰もが生きる権利を持っている。獣も、虫も、魚も、植物も。それは吸血鬼であるエルザもまた。

 吸血鬼が人を襲う事が罪だと言うのならば、生者は罪深きもので溢れるだろう。だがそれを受け入れなければならないのならば、せめて命を奪った者達に誓おう。精一杯、生きると。生きる権利を奪い、生きている自分はその分だけ生きよう、と。

 それがきっと自分の為に、そして村長の為になると。そして殺してしまった人達への贖罪へと繋がる、と。愛してくれる人達への精一杯の御礼になる、と。

 

 

「私ね、頑張って生きるわ。我慢も一杯する。頑張って……人間を許そうと思う。理解しようと思う」

「そう。それはとても良い事だわ、エルザ」

 

 

 エルザの言葉にルイズは笑みを浮かべる。撫でてくれる手の温かさ。あぁ、この温かさを得る為なら。少しは血を吸うのも我慢しても良いかもしれない、とエルザは顔を綻ばせた。

 ふと、ルイズは思い出したようにお土産として貰ってきていた紫色の葉を取り出した。それはムラサキヨモギと呼ばれるこの村の特産品。一枚取り出して、口の中へと入れる。口の中で広がっていく苦味に眉を顰めるルイズ。だが、口元には笑みが浮かんでいる。

 

 

「そんな顔するなら食べなきゃ良いのに」

「ん。でも、なんとなく食べたかっただけよ」

「なら私にも一枚頂戴」

 

 

 せがむエルザにルイズはムラサキヨモギをエルザに差し出した。エルザはそれを口へと運び租借する。ルイズと同じように眉を顰めて、そしておかしそうにクスクスと笑った。

 

 

「苦いね」

「うん」

「でも……忘れない」

 

 

 この味は愛してくれた人の住む故郷の味だから。だから絶対に忘れない、とエルザは心に刻みつけるように呟いた。前を見据えればタバサとシルフィードが先に待っていてくれている。

 シルフィードがルイズとエルザを呼ぶ。それに2人は顔を見合わせて微笑みあい、彼等に追い付く為に駆け出した。

 

 

「行こう! お姉ちゃん!」

「えぇ、行きましょうか。エルザ」

 

 

 

 * * *

 

 

 

 ハルケギニアの夜には二つの月が浮かぶ。夜は街は寝静まり、静かな一時を生み出す……その筈だった。夜の静寂を打ち消すように叫びを上げたのは一人の男性。男性の叫びに呼応するように人々は動き出す。

 場所は豪邸。立派な佇まいの豪邸の主はさぞ、富みに肥えていると見えるだろう。警備を務めるその数も並ではなく、彼らは1つの統一された意思の下に動いていた。

 

 

「追え! 逃がすな! 必ず捕らえろ!!」

 

 

 焦りを秘めた指示が早々と紡がれる。まるで巣をつついたような騒ぎに警備兵達は慌ただしく駆けていく。

 いや、実際彼らは巣を突かれていたのだ。これだけの警備兵がいながらも、巣をつつかれたような騒ぎが起きているのは彼等にとっても予想外の事態だったのだ。

 そんな彼らを嘲笑うかのように月光を背に受けて立つ姿があった。それは女性だ。身に纏う服は動きやすさを重視した、やや露出の多い衣装。髪は髪留めによってまとめ上げられていて、覗くうなじは扇状的であった。

 

 

「ふふふ。残念。既に逃げられているんだね。君たちは」

 

 

 慌てふためく警備兵達を可笑しそうに見つめながら女性は手に握った“物”へと視線を移す。警備兵達が慌てふためいているのは彼女の手に握られている“籠手”が原因だ。

 

 

「ふふ。名匠が作り上げし防具にして至高の芸術品が1つ、“ヤールングレイプル”。確かに頂いて行くよ」

 

 

 女性は手に入れた物を大事に仕舞い込むと、艶めいた笑みを浮かべて屋根を蹴る。そのまま彼女は騒ぎに乗じ、闇に紛れるように消えていく。

 ヤールングレイプルと呼ばれるマジックアイテムが納められていた宝物庫で、舘の主は怨嗟の声を上げた。壁に塗られたメッセージにはこう記されていた。

 

 

 

 

 

『 先日の予告の通り、かの至宝“ヤールングレイプル”は確かに頂きました。 ―怪盗サンドラ― 』

 

 

 

 

 * * *

 

 

 

 

 

 彼女によって世界は広がっていく。

 再生された世界は歩みを取り戻し、舞い戻りし世界では新たな風が吹く。

 歩み抜いた英雄、語り継がれる英雄、誰も知らぬ英雄譚を持つ彼女は今日も生きる。

 たくさんの愛を一杯にその胸に抱えて。それは静かに、だが確実に芽を育てている。

 

 

 とくん、と。

 

 

 ほら、また鼓動の音がする。

 生きている音がする。ここにいる音がする。彼女の傍で、彼女の愛を受けて。

 

 

 とくん、とくん、と。

 

 

 生きている。だから、感じている。愛を。たくさんの愛を。

 

 

 ――……“ルイズ”。

 

 

 とくん、とくん、とくん、と。

 命の鼓動は静かに、その音を強くしている。いつか来るその日に備えて。

 



目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

第3章 巡り結ぶ世界
煌めきとの再会


 トリステイン魔法学院で最近話題となっているのは勿論、ゼロのルイズである。今まで魔法を使う事が出来なかった彼女が遂に魔法を使えるようになったという事実は学院中を巡り、皆の知る所となった。

 そして今日、噂の渦中にあるルイズが授業に連れてきたのは小さな女の子だった。ルイズに懐いた様子でべったりとくつっている様は見ようによっては微笑ましい。だが同時に疑問も浮かぶ。ルイズにべったりとくっついているあの女の子は何者なのか、と。

 

 

「ルイズ、その子誰?」

「ん? あぁ、紹介するわね。私の使い魔のエルザよ。エルザ、挨拶」

「はーい。エルザです! よろしくお願いします!」

 

 

 問いかけを投げかけたのはキュルケ。そんなキュルケはルイズの返答を聞いて目を瞬かせた。こんな女の子がルイズの使い魔? と、ルイズの腕の中で抱かれている女の子を訝しげに見る。

 そう言えばルイズは稀少だとは言っていたが、確かに稀少だろう、とキュルケは以前、ルイズの言っていた事を思い出し、納得した。確かに使い魔が人間の女の子ならば、それはとても珍しい。

 

 

「ちなみに、この子、“吸血鬼”だから」

「……なぁっ!? 吸血鬼ッ!?」

 

 

 ルイズは悪戯っぽく笑いながらキュルケへと答える。ルイズの返答を聞いたキュルケは目を見開かせてルイズの腕に抱かれているエルザを見つめる。主の悪戯っぽい笑みとそっくりな笑み、にぃっ、と微笑む口から尖った犬歯がその存在を主張していた。

 ルイズの告白に教室中がざわめく。最悪の妖魔とされる吸血鬼の異名は誰もが知っている。それが今、魔法学院を騒がせるルイズの使い魔。誰もが驚き、視線をルイズとエルザへと注いでいる。

 

 

「ま、そういう事情だから今まで顔見せ出来なかったけど、これでようやく私も皆の仲間入り出来たわ? ね? エルザ」

「そうだね。ご主人様!」

 

 

 茶化すようにルイズを主人と呼ぶエルザは実に楽しそうだ。ルイズもルイズでエルザが可愛くて仕様がないのか頭を撫でて笑みを浮かべている。そこには疑いようの無い信頼関係が伺えた。

 

 ――本当にルイズが吸血鬼を従えた!?

 

 これに興味津々の者も居れば顔を青ざめさせる者がいた。興味津々な者は噂の吸血鬼が故に、青ざめさせた者は純粋に吸血鬼を恐れて。そしてまたある者達はルイズに言い放って来た誹謗中傷を思い出して。

 魔法に目覚めたルイズと最悪の妖魔とされる吸血鬼の使い魔。文句の付けようのない結果に生徒達はそれぞれ複雑な思いを抱きながら、じゃれあうルイズとエルザの姿を見ていた。

 一方で、タバサが呆れたようにルイズを見ていたが。エルザがルイズの使い魔として生活する。これはルイズがエルザを引き取る事を決めた時から考えていたのだ。学院に戻ったルイズはエルザを伴ってオスマンの下を訪ねて、オスマンと協議した上でこの扱いが決まったのだ。

 オスマンは学院に吸血鬼を招き入れる、という点において懸念を示していたが、エルザがルイズに従順であった事、更にはルイズへの信頼と愛情を伺い、ルイズが全責任を負うとまで言われれば、オスマンも首を縦に振らざるを得なかった。

 幸い、エルザはルイズの血に虜になっているので他の人間から血を吸おう、という意志がない事も見て取れ、オスマンはエルザを受け入れる決定を下した。

 当初は、エルザの正体を隠していた方が良いのでは? と考えた。だがこれはルイズが却下した。確かに、無用な混乱を避ける為に人間の女の子として扱うというオスマンの提案も頷けるものだ。

 それでもルイズはエルザを吸血鬼である事を隠さずに魔法学院にいて欲しかった。

 

 

『言ったでしょ? 私はいつか吸血鬼と人がわかり合えれば良い、って。少なくともここにいる間なら私の使い魔として身分は保障される。だから吸血鬼って事を隠さずに皆と接して欲しいの。最初は怖がる人ばかりだと思う。だけど、その中でもエルザを見て、わかってくれる人もいてくれるかもしれない』

 

 

 ルイズの言葉にエルザは正直、渋々と言った様子だったが従う事にした。オスマンもルイズの考えに賛同こそしかねていたが、ルイズが責任を以て面倒を見る事。そして吸血鬼を使い魔とする事で以前のようなやっかみが減るメリットとデメリットを比べ、受け入れる事を選んだ。

 代わりにルイズに課せられた責任は大きなものとなる。だがルイズにとってエルザは既に信頼しているので責任に対するプレッシャーは無いにも等しい。むしろエルザを立派な淑女にせんと意気込む程である。

 後日、関わりがあったタバサには真っ先に報告され、タバサはルイズの行動の破天荒さに若干諦めたように頷き、祝福の言葉を贈った。投げやりに聞こえたのはきっと気のせいではないだろう、とエルザはタバサの様子に苦笑をしていた。

 ともあれ、こうしてルイズは仮の使い魔とはいえ、吸血鬼のエルザという使い魔を得た、と学院の皆に認識を広めていくのであった。

 

 

 

 * * *

 

 

 

「エルザ、ナイフはこう持つの。で、フォークと合わせてこう、よ。ほら、やってみて」

「う、うん……」

 

 

 昼食時、ルイズはエルザにテーブルマナーを指導しつつ食事を楽しんでいた。今まで平民の子であったエルザには当然の如く、テーブルマナーなどまったくわからない状態だ。そんなエルザに一から教える様はまるで妹を構う姉の姿にも見える。

 平民の賄いを頂く、という考えもあったが出来るだけ皆がエルザに慣れるまではルイズはエルザと共に居る事を心がけていた。エルザが誰かを襲う、等とは考えてはいないが逆はある。魔法を使えるようになってからやっかみこそ無くなり、吸血鬼を従えて歩くルイズに近寄る者などいないが、それでも生徒が暴走しないとも限らない。

 自分たちの、そして皆の身を守る為の処置としてルイズは周囲に意識を配っている。今の所、暴徒化の兆候などは見られないので安心はしているが。

 

 

「うーん、そうして見ると本当に普通の女の子に見えちゃうのよね」

 

 

 ルイズの対面、キュルケは一度食事の手を止めてエルザを見つめる。キュルケはエルザが吸血鬼だとわかった後、警戒をしていたようだったが、ルイズとのやり取りで毒を抜かれたのか、今ではエルザに物怖じせずに声をかけている。

 食事の席も一緒に囲んでいる事からキュルケの胆力を伺う事が出来るだろう。現に今、ルイズ達が座っている席の周辺に座っている生徒はいないのだから。それだけ吸血鬼の悪名は広まっていると言っても過言ではない。無論、理由はそれだけではないが、大きく影響しているのは、やはり吸血鬼という事実だろう。

 しかし、今も口の端にべっとりと汚れをつけながらも必至に食事を進めているエルザの姿は見た目通り子供としか思えない。キュルケが微笑ましく見守っていると、ルイズが甲斐甲斐しくエルザの口元を拭う。

 

 

「ま、エルザはまだ子供だし。吸血鬼だ、って言ってもね」

「貴方は恐くないの?」

「恐いわよ? でも恐くなくなったわ。この子は優しい子だからね」

 

 

 エルザの頭を優しく撫でながらルイズは言う。頭を撫でられたエルザは気持ちよさそうに目を細めてルイズの手を受け入れている。

 しかし、とキュルケは思う。目の前の光景に違和感は無い。姉と妹のように接している二人に違和感は無いのだが、キュルケは不思議そうにルイズを見る。

 

 

「なーんか、貴方手慣れてない?」

「ん? 何が?」

「なんか子供の扱いっていうか……貴方末っ子よね? 随分とお姉さんしてるじゃない」

 

 

 キュルケの疑問はルイズの手際の良さだ。手慣れたようにエルザに世話を焼くルイズ。思わずルイズに妹がいたか、と思いだそうとする程に違和感が無い。だからこそキュルケは疑問を覚えたのだ。

 キュルケの指摘を受け、ルイズは何度か目を瞬かせる。そして何かを考えるように眉を寄せた。まるで言葉を選んでいるかのようにルイズは間を置いて、キュルケへと視線を向ける。

 

 

「ま、ちょっと幼い子の面倒見てた事があったからね」

「そうなの?」

「えぇ」

 

 

 ふぅん、とキュルケは相槌を返す。キュルケに返答すればルイズは自分の食事を進める為にエルザに貸していたナイフとフォークを預かり、エルザにも食べやすいサイズに切り分けて与えながら自分の食事を進める。

 微笑ましい光景にキュルケは、ルイズが楽しそうならそれでいいか、と笑みを浮かべて二人を眺める。穏やかな昼下がりに自然と微笑みが零れる一時だった。

 

 

 

 * * *

 

 

 

「ルイズ! ちょっと良いかい!」

 

 

 食事を終え、食堂を後にしようとしたルイズは聞き覚えのある声に振り向いた。ルイズを追いかけるように駆け寄ってきたのはギーシュだった。

 

 

「ギーシュ? 私に何か用かしら?」

「あ、あぁ。まずは素敵な使い魔の召喚、おめでとう」

「え、あぁ、どうも……?」

「うむ。後は、その先日、君に迷惑をかけてしまっただろう? 良ければお詫びをしたくてね。どうだろうか、今度の休日、僕と一緒にトリスタニアに行かないか?」

 

 

 ギーシュはどこか落ち着かない様子でルイズの表情を伺う。ルイズはギーシュの言葉を受け、そう言えば、と思い出す。視線は隣のエルザへと向けられる。エルザの服や色々と揃えなければいけない事がある為、ギーシュの提案に断る理由は無かった。

 

 

「別に良いわよ。私も行こうと思ってたし。お詫びって言うならエルザの日用品とか服を買いたいから荷物持ちしてよね」

「えっ!?」

「何よ。お詫びしてくれるんじゃないの?」

「い、いや。お詫びも兼ねてお茶でも、と思ってたけど、そうだね! 使い魔の為にも物を揃えようとするルイズの気遣いは見習わなければ! 僕で良ければお手伝いさせて貰うよ!」

 

 

 ギーシュはどこか慌てたようにルイズへと告げる。そう? とルイズは気を良くしたように笑みを浮かべた。

 

 

「ならキュルケとタバサでも誘ってみようかしらね。折角だし、あの二人にも見繕って貰いましょう」

「あ、そう、ですか。は、ははは……」

「? どうかしたの? さっきから挙動不審だけど?」

「い、いや何でもない! い、いやぁ、虚無の曜日が楽しみだなぁ! じゃ、じゃあ僕はこれで!」

 

 

 首を傾げ、怪しげにギーシュへと視線を送るルイズ。ルイズの追求から逃れるようにギーシュは笑いながら取り繕ったように返答する。そのまま慌ただしく去っていくギーシュにルイズは不思議そうに首を傾げる。

 

 

「……荷物持ちが楽しみって、変な奴ね。愛の奉仕者、とか名乗ってたから、そういうの趣味なのかしらね?」

「いや。いやいや、ルイズお姉ちゃん、それは無い。それは流石に酷い」

「? 何が酷いってのよ」

 

 

 不思議そうに呟くルイズにエルザは若干呆れたような表情を浮かべて言う。ルイズはエルザの言葉に要領を得なかったのか、首を傾げている。

 

 

「休日に男からのお誘いだよ? 流石に私だってわかるって」

「何よ。逢い引きの誘いとでも言うの?」

「どう見てもそうじゃん!?」

「ふぅん……そっか。私口説かれてたの?」

「え、そうじゃないの!?」

「どうせアイツの事だからただの世辞でしょ。しょっちゅう女の子を口説いてるような奴よ? 単に私に謝罪したいだけなんじゃないの?」

「……あの人と何かあったのか知らないけど、ちょっと同情するかなぁ」

「?」

 

 

 はぁ、と深々と溜息を吐き出すエルザにルイズはただ首を傾げるのであった。

 

 

 

 * * *

 

 

 

 そして虚無の曜日、当日。

 事前に誘っていたキュルケは了承、タバサは一度は渋るものの、キュルケが押した為に敢えなく陥落。街へと向かうのはルイズ、エルザ、キュルケ、タバサ、そしてギーシュの5人となった。

 日差し避けの為か、エルザは日傘を差している。ルイズは全員の到着を待ってからトリスタニアへと向かった。尚、移動手段はタバサに頼んでシルフィードに乗せて貰う事にした。

 

 

「ちょっとルイズ。そんな目立つ物持っていくつもり?」

「当たり前じゃない。何かあったら恐いじゃない」

「……まぁ良いけど」

 

 

 キュルケが不服そうに言うのはルイズの背に背負われたデルフリンガーの存在だ。貴族が剣を持つ、というのは好ましくない。貴族が持つのは杖、そして剣を持つのは平民なのだから平民の武器を持つ貴族というのは正直、嘲笑の対象だ。

 杖に似せた剣を持つ騎士などはいるが、純粋な剣を持つ者は余程の変わり者。ルイズが持っていく、というのならばこれ以上の苦言は無意味か、とキュルケは溜息を吐いて諦めた。

 

 

「じゃ、よろしくね。シルフィード」

「きゅい!」

 

 

 ルイズがシルフィードの背を撫でながらお願いする。シルフィードは気を良くしたように鳴き声を1つあげ、トリスタニアへと向けて飛翔した。ルイズはエルザを胸に抱いて、日傘を飛ばさないように纏めて抱える。

 どんな服が良いかしら、等とルイズはエルザへの服のリクエストを確認し、仲睦まじい様子で話している。そんなルイズとエルザの後ろにはギーシュとキュルケが乗っている。

 

 

「ねぇ、ギーシュ。アンタもしかしてさ、ルイズに……」

「僕は単純に前回のお詫びをしたかっただけさ。無用な邪推は止めて貰おうか、ミス・ツェルプストー!」

「ほら、大声出しちゃうとルイズに気付かれるわよ? で、どうなのよ?」

「い、いや、だから僕は違うと……!」

 

 

 ある種の話題には鼻が利くキュルケはここぞとばかりギーシュと小声で話し合っている。ギーシュはどこか慌てた様子で首を振っているが、その様が楽しいと言わんばかりにキュルケはニヤニヤとギーシュをからかう。

 ただ一人、タバサだけが我関せずと前を見つめていた。彼女も彼女でルイズがお詫びとして甘味でも奢ると言っていたので、何を食べようかと思考を巡らせていたのだったが。斯くして一向は平和にトリスタニアへの空の旅を楽しむのであった。

 

 

 

 * * *  

 

 

 

「……はぁ、女の子の買い物は長いな」

「そういうもんさね」

 

 

 ギーシュは手に持った荷物を一度地面に置きながら呟きを零した。そんなギーシュの呟きに相槌を返すのはルイズから預かっているデルフリンガー。ギーシュが持っているのは服、服、服、服の数々。エルザの普段着、更にはパーティドレスなど、ルイズとキュルケが中心となってはしゃいだ結果である。

 エルザは憐れ、着せ替え人形の運命を歩む事となった。実際、エルザは可愛らしい容姿をしている。着飾る事は良いことだとギーシュは思う。ちなみにタバサも巻き込まれて、あれよこれよとキュルケとルイズに服を着せ替え人形にされている。

 故に、ギーシュは手持ち沙汰となってしまったのだ。特に今、彼女たちが入っていったのは下着売り場。流石に服ならばギーシュも着いていって意見を出す事は出来るが、下着は不味い。

 故に待ちぼうけ。未だ出てこない事から下着を選んでいるのだと思うと不意に脳裏に彼女たちのあらぬ妄想が浮かんできそうになってギーシュは勢いよく首を振った。

 

 

「……ん?」

 

 

 不意にギーシュはある物が目に止まった。荷物を抱えてギーシュは目に止まった物をもっと近くで見ようと近寄っていく。

 それは露天商だった。きめ細やかな細工が施されたアクセサリーは思わず見事、と言ってしまう程の出来でギーシュは息を呑んだ。更には見たことのない珍しい意匠だったのがギーシュの目を惹いたのだろう。

 

 

「如何ですか貴族様。露天なれど、我が商品は充分貴族様のお眼鏡に叶うと思いますが?」

 

 

 露天商を営んでいるのは年若い男性だった。柔らかな物腰に穏やかな雰囲気な青年。彼は眼鏡の位置を整えながらギーシュへと商品を勧める。

 

 

「これは素晴らしい。しかし見たことのない意匠だが、この意匠は?」

「はい。遠き我が故郷の意匠でございます。これも我が商品の売りでございます」

「遠き故郷……もしや東方?」

「いえ、かの地よりも遠方より参りました。どうでしょう、貴族様。一品いかがでしょうか?」

 

 

 ギーシュは青年に勧められるままに間近に寄って商品を眺めていく。宝石を飾りとして作られた装飾品は宝石の価値を失わせず、かつ、その魅力を引きだそうと一品一品、魂が込められているようにさえ思う。

 作品の1つ1つに、願い、というべきテーマが感じ取られ、まるで1つの作品に1つの世界があるような錯覚さえ覚えてしまう。ここまで心惹かれるものは見たことがない、とギーシュは心を震わせていた。

 剣をあしらったような飾りのラピスラズリのペンダント。白真珠と黒真珠を絶妙なバランスであしらったブローチ。四つ葉をイメージしたように飾られるエメラルドの指輪等、どれもこれもギーシュの目を惹くものばかりだ。

 

 

「店主、実に素晴らしいな。1つ、買おうじゃないか」

「はい。お客様、僭越ながら、もし思い人などいらっしゃるのであれば贈り物としても1つ、如何ですか?」

「お、贈り物か、ふむ……」

 

 

 不意に脳裏に浮かんだ姿にやや頬を赤らめながらギーシュは商品を見渡す。その中でギーシュが目に付けたのが淡い桃色がかかったトルマリンをあしらったペンダントだった。トルマリンを囲むようにハートの金細工が飾られている。

 作りとしてシンプルながら丁重に細工を込められたペンダントにギーシュは目を奪われ、間近で見ようと手に取る。ギーシュの手に取ったペンダントを見て、青年は笑みを浮かべる。

 

 

「トルマリンのペンダント、お気に召しましたか」

「トルマリン、希望の石か」

「えぇ。それにこのピンクトルマリンには恋の力を高める等とも言われています。振り向いて欲しい方に送るにはぴったりでは?」

 

 

 不意に、ギーシュは脳裏に思い浮かんだ人物がこのペンダントを身につけている姿を想像する。思い浮かべるのは当然、ルイズの事だ。

 ギーシュの胸の中にあるのは未だ、ぼんやりとした憧れにも似た気持ちだ。はっきりとしない気持ちにギーシュは戸惑いを覚えている。女の子は好きだ。綺麗な人が好きだ、とギーシュは男として女の子が好きという自分を今まで隠す事は無かった。

 だが、ルイズにはそうも行かなかった。見ているだけで、彼女の何気ない仕草でときめきを覚えると、まるで視線が囚われたように逸らせなくなり、胸が締め上げられるように切ない痛みを与える。

 もどかしいような、切ないようなその痛みは、今までの女の子に感じていた美しさや可憐な人を称えていた自分の言葉が陳腐にすら感じて、言葉すら上手く捻り出す事すらままならない。

 もっと彼女を知りたい、と。目を奪われ続けたギーシュは勇気を出してルイズを誘ってみた。結果、大所帯となって二人きりになる事は叶わなかったが、それでも同行している間に見せられたルイズの姿にギーシュはただ目を奪われた。

 特に記憶に残るのは使い魔であるエルザに向ける慈愛に満ちた微笑み。包み込むような暖かな笑顔には目を逸らすのが惜しいとばかりに脳裏に焼き付けた。

 今まで張り詰めたように尖っていた彼女が浮かべる笑み。ただ可愛らしい、美しい等の陳腐な言葉しか浮かんで来ない。まるで飾り立てる言葉などいらない、と言うかのように。

 そしてギーシュは受け入れたのだ。何故ならば彼女はただ可愛らしく、美しいのだから。それが真実であるのだと。何かに例える事の出来ない感動をギーシュはこのペンダントに近しいものを感じた。きっと彼女にはよく似合う、と。

 

 

「店主、気に入ったよ」

「そうですか。私としても思い入れのある作品なのでそう言っていただけると幸いです」

「そうなのか?」

「えぇ。私が憧れた、私の恩人を誂えて作った一品ですので」

「そうか……。その人はさぞ素晴らしい人だったんだろうな」

 

 

 はい、と微笑む青年はどこか懐かしむようにギーシュの手に握られたペンダントを見つめる。あぁ、この人は一品一品に願いを込めて作っている人なのだろう、とギーシュは感じ、敬意を覚えた。

 

 

「包みましょうか?」

「あぁ、頼むよ」

 

 

 かしこまりました、と青年はギーシュよりペンダントを預かり、汚れを拭き取った後に丁重に箱へとしまう。丁重に箱にしまった後は、箱の汚れを軽く落とし、ギーシュへと手渡した。

 代わる代わる、ギーシュが料金を払い、青年もまた料金を確認する。確かに、と青年はギーシュより貨幣を受け取ったのを確認し、一礼をした。

 

 

「ギーシュ? 何見てるのよ?」

 

 

 不意に声をかけてきたのはキュルケだった。ギーシュは驚いたように竦み上がり、慌てて振り向く。

 

 

「キュ、キュルケ!? い、いや、珍しい露天があってだね……」

「あら、本当。珍しい細工ね。ちょっと! 見てみてよ!」

 

 

 キュルケが後ろにいるだろうルイズ達を呼ぼうと振り向く。そこでキュルケは驚いたように目を見開いた。そこには唖然とした表情をしたルイズがいたのだから。

 何故ルイズがそんな表情を浮かべるのかわからずキュルケは戸惑いながらもルイズの名を呼ぶ。だが、キュルケに名を呼ばれた事に気付いていないのか、ルイズは驚きを消せぬまま、震える唇を動かした。

 

 

「……嘘……? なんでアンタがここにいんのよ?」

「……? ……まさか?」

 

 

 驚きの声はルイズだけでなく、露天商である青年もまた、驚きに満ちた表情を浮かべてルイズを見ていた。

 

 

「アレックス!」

「ルイズ?」

 

 

 互いに驚きを隠せぬまま、両者は互いの名を呼んだ。

 

 



目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

ルイズとアレクサンドル

 ルイズは目の前にいる青年、アレックスを見て驚愕していた。本来であれば彼はここに居る筈の人間ではない。彼も驚いた様子から、自分の知る彼である事はどうやら間違いないようだ。

 

 

「ルイズ? 知り合いだったのかい?」

 

 

 ギーシュが不思議そうにルイズとアレックスを交互に見ながら言う。だがギーシュの言葉が耳に入っていない様子でルイズはアレックスに詰め寄る。

 

 

「アンタ! なんでトリスタニアにいるのよ!? どうやってこっちに来たの!?」

「……成る程。他人のそら似かと思ったけど、本人のようだね」

 

 

 眼鏡の位置を直しながらアレックスはルイズに言う。驚きが抜けきらないのか、どこか落ち着かない様子でアレックスはルイズを見る。ルイズも同じようにアレックスを見るので周りの人間は着いていけない様子だ。

 いち早くその様子に気付いたアレックスはルイズ、と名を呼ぶ。名を呼ばれたルイズは眉を顰めながらアレックスに相槌を返す。ルイズもアレックスに言われた事で、周りを置いて行ってしまった事に気付き、周りにいる皆に声をかける。

 

 

「悪いけど、ちょっとこの人と話あるから後で合流しない? そうね、2時間後辺りにシルフィードを預けている所で」

「ちょ、ちょっとルイズ?」

「申し訳ありません。出来れば私からもお願い致します。貴族様」

 

 

 ルイズとアレックスの二人からお願いをされれば、事情を伺いたいキュルケやギーシュからすれば同席を希望したい。だが二人を押しとどめたのはタバサとエルザだった。

 

 

「キュルケ、行こう」

「ギーシュお兄さん、気になるのはわかるけど、ルイズお姉ちゃん、大事な話したいみたいだから聞いちゃ駄目なんだよ」

「うっ……」

「それは、そうだが……」

 

 

 確かにエルザの言うとおりルイズは並ならぬ真剣さで皆を見ている。ここまで遠ざけられようとすると逆に気になるが、ここで無理を押してもルイズは絶対に許しはしないだろう、とわかってしまう。

 はぁ、と溜息を吐いたのはキュルケだった。どう説得した所で同席を許してくれないならば納得するしかない、と。ギーシュも同じ結論だったのか、渋々と言った様子で頷いて見せた。

 

 

「ごめんなさい。ありがとう。……行くわよ、アレックス」

「えぇ」

 

 

 ルイズは申し訳なさそうに皆に告げた後、アレックスに声をかける。商品を片付け、バッグに詰め直したアレックスもまた立ち上がり、ルイズを伴って人混みの中へと紛れていく。

 二人が向かったのは人気のない裏路地。ここらで良いでしょう、とアレックスが周囲の気配を伺いながらルイズと向き直る。その際にかけていた眼鏡を外し、ケースに眼鏡を入れ懐にしまう。素顔を表した顔はファ・ディールで見た時と何ら変わりの無い姿。

 

 

「改めて。久しぶり、というべきかな?」

「アレックスで良いの? それとも“サンドラ”? “アレクサンドル”? どれで呼べば良いかしら?」

「君の好きに呼ぶと良い。どれも私の名前だからね」

 

 

 アレックス、いいや、アレクサンドルは傍にあった木箱に背を預け、腕を組むようにしてルイズを見る。その瞳にはどこか懐かしむような光がある。

 対してルイズがアレクサンドルに向ける瞳は実に懐疑的なものだ。彼女たちは確かに知り合いではあるが友情で結ばれた間柄ではなかった。むしろ敵対する側にあったのだから、ルイズの態度も不思議ではないだろう。

 アレクサンドル。ルイズがファ・ディールで出会った“珠魅”と呼ばれる種族の一人。そして同族殺しという罪を重ね続けてきた裏切り者。ルイズは何かと珠魅が関わる事件に巻き込まれ、その度に彼を追い続けてた。

 その最中で彼の境遇や思いを知る事が出来た今、出会ってすぐに殺し合いを始める、とまでは殺伐とはしていない。

 ただルイズにとってはファ・ディールでやり残した心残りの1つでもあった。この男とは探し出して話し合わなければならないと思っていたからだ。それが巡り巡ってハルケギニアで再会するとは思っていなかったが。

 

 

「アンタ、なんでここにいるのよ? どうやってここに来たの?」

「それは私の方こそ君に聞きたい。君は、あれかい? 転生でもしたのかい? 随分と若返ってるじゃないか」

「……ファ・ディールにいたのは私本人じゃない。マナの女神が招いた私の分身みたいなものよ」

「成る程。君は異世界から呼び出された英雄だった、という訳か。確認だが、君はファ・ディールからハルケギニアに戻ってきてどれぐらい経った?」

「まだそんなに経ってないわよ? それがどうしたのよ?」

「……そうか。君が英雄として語られるようになってからファ・ディールでは100年の時間が経っている」

「100年!?」

 

 

 ルイズはアレクサンドルから語られたファ・ディールでの時の経過に目を見開かせた。ルイズにとってまだ離れて久しい、という感覚がない中で、一方のファ・ディールではルイズからすれば途方のない年月が過ぎ去っているというのだから。

 

 

「……時間のズレが起きているのは、まぁ良いわ。どうせ考えたってわかんないだもの。それより聞きたいのは何でアンタがここにいるのよ?」

「……私は君との戦いの後、各地を放浪して回っていた。その最中、光る鏡のような物が現れてね。不思議だと調べている内にハルケギニアにいた、という訳さ」

「光る鏡?」

「あぁ。そこでたまたま保護してくれる人がいてね。ここがファ・ディールと常識が異なる世界だという事を知り、今ではしがない宝石行商として渡り歩いているのさ」

 

 

 これで満足かい? とアレクサンドルは笑みを浮かべてルイズに問う。だがルイズはアレクサンドルを睨み付けるように見る。まるで不服だと言うように、だ。

 

 

「へぇ? しがない宝石行商ねぇ? じゃあ世を騒がせてる“怪盗サンドラ”ってのは何者なのかしらね?」

 

 

 ルイズはアレクサンドルに問う。だが、アレクサンドルは表情を変える事無く笑みを浮かべてルイズを見ている。

 サンドラ。それはアレクサンドルが宝石泥棒として名を馳せていた際の名だ。それに怪盗サンドラは横暴を働く貴族をターゲットとし、無闇に命を奪う事を良しとしない義賊として騒がれている。ここも符号するのだ。だからこそ無関係だとはルイズには到底思えない。

 

 

「……アンタなんでしょう。しがない宝石行商? 呆れて物が言えないわ」

「怪盗サンドラは女だよ? そして私は男だ」

「私にそんな冗談が通じるとでも?」

 

 

 珠魅とは宝石を核とする麗しの種族だ。アレクサンドルはその名が示す通り、アレクサンドルを核とする珠魅である。

 光の当たり方で色を変えるアレクサンドルを核する珠魅である彼は、自由に二つの性別に己の姿を変化させる事が出来る。ルイズはその事実を知っているからこそ、冗談を言われたとしか思えなかった。

 

 

「……何であんたまた盗みなんかやってるのよ?」

 

 

 ルイズの問いにアレクサンドルは浮かべていた笑みを消す。ルイズの問いには答えず、口を閉ざして空を見上げる。

 アレクサンドルが盗みを働いていた理由。それは偏に彼が守る“姫”の為、彼は同族殺しという汚名を甘んじて受け入れ、盗み続けた。ただ守りたい人の命を救う為に。

 己の為に盗みを働く人ではない。だから問いただしたい。ルイズはただ黙ってアレクサンドルの返答を待つ。そこで不意にルイズは気付く。アレクサンドルは周囲の気配を伺うように辺りに意識を巡らせている事に。

 

 

「……ジン、お願い。ここ一帯の音を漏れないようにして」

 

 

 ルイズは察したように自身の周りに集う声に呼びかける。呼びかけに応じた精霊は風の精霊であるジンへと姿を変え、周囲の空気の操作を行う。風魔法の中にあるサイレントを精霊の力によって行使し、アレクサンドルへと視線を向ける。これで満足? と言うように。

 

 

「ハルケギニアでファ・ディールの精霊を顕現させるか。君は本当に呆れた存在だな」

 

 

 アレクサンドルは苦笑を浮かべてルイズを見る。それから暫し、沈黙の間を置いてアレクサンドルは口を開いた。どこか呆れたような、諦めたような、どうしようもない憤りを零すようにアレクサンドルは言葉を紡ぐ。

 

 

「この世界はファ・ディールよりも縛りが多い。明確な貴族という支配者。ブリミル教という宗教。何もかもがファ・ディールと違う。この世界はファ・ディールに比べてとても窮屈な世界だ。そう思わないかな? 英雄さん」

「……どうでしょうね? それが盗みとどう関係するのかしら?」

 

 

 問いかけの意図が掴めない、と言うようにルイズは目を細める。しかしアレクサンドルは問いの答えを返さず、ただ言葉を続ける。

 

 

「この世界は始祖ブリミルの寵愛を受けている。貴族しかり、平民しかり、ね。では始祖の寵愛を受けられない子達はどうすれば良い? 頼れるものも無く、誰にも受け入れられず、闇に呑まれ、存在を否定される子達はどうすれば良いと思う?」

「……何?」

「いつだって世界は光と闇を生む。光が強ければまた闇も深い。ブリミルの威光はこの世界では輝かしいばかりだろう。しかし、それはブリミルの威光を受けられぬ異端からすれば、暗く、深く、抜け出せない闇となる」

「……」

「闇の中で生きていくには力が必要だ。だが、どれほど世界に抗える力を持つ子がいるだろうか?」

「アレクサンドル。貴方、つまり何が言いたいの?」

「君が私を非難するのは構わない。私の行いは犯罪だ。認めよう。――では、そうしなければ飢え、苦しむ子にどう手を差し伸べれば良い? どう救ってやれば良い?

 真っ当な働きをすれば良い。宝石を売りさばいて、貧困に耐えながらも真っ当な生き方が出来ればいい。それは正しい。けれど世界は許してくれない。世界があの子達を否定する限り」

 

 

 アレクサンドルの言葉の節々から彼の憤りをルイズは感じ取る事が出来た。ルイズも、またアレクサンドルを否定するだけの言葉がない。

 

 

「訳もわからずこの世界に来て、途方に暮れていた所を助けてくれた。私は報いなければならない。その為には金がいる。そう、皆を養っていくだけの金が。だが、貴族の位を持たない、誰のツテもない私が養っていけるだけの富を得る事は不可能だ」

「だから盗むの? でもアレクサンドル、人から盗みを働いて、盗んだお金で生きていくその子達は幸せなの?」

「それを決めるのは私ではない。私の真実を知って憎むならば憎んで貰って構わない。それに、ならば死ねというか、英雄さん? 自ら明日の糧すらも得る事の出来ない子達に盗みは良くないと語り、明日への糧を諦めろと?」

「それは……」

「私は良い。既にこの身は同族殺し。幾ら穢れようとこの身は最早、奈落に落ちるのみ。だが、あの子達は何の罪も犯していない。ただ生まれ落ちた事が罪だというのなら、世界の定めたルールなど私は知らない。私は守りたい物の為に為すべき事を為す。それはいつだって私の中で変わらない信念だ」

 

 

 アレクサンドルは何でもない、ごく当たり前の事を告げるように自らの考えを語る。ルイズは何かを言いたげに顔を歪ませるが、だが、それは言葉にならずに唇を震わせるだけにしかならない。

 何かを堪えるように掴み上げた前髪。その痛みにルイズは眉を歪め、目を細めながらもアレクサンドルを見据える。

 

 

「アンタ、何も変わってないじゃない」

「……そうそう変わるものでもないさ」

「一体、アンタ何を抱えたのよ?」

「言えば君は見逃してくれるとでも言うのかい? かつての世界ならいざ知らず、君を縛る柵は多いだろう。

 そんな君にどれだけの人が救える? 君は私から事情を聞いて、また首を突っ込むつもりかい? だが? 私に味方する事は許されないだろう。何故ならば私は貴族の舘に盗みに入った重罪人だからね。――それとも、まだ君は英雄のつもりでいるのかい?」

 

 

 アレクサンドルは目を細める。ルイズを見つめるその瞳はまるで怪しむように彼女を捉えている。アレクサンドルの問いにルイズはそっと瞳を閉じる。

 ルイズは前髪を握っていた手を、そっと胸に当てる。鼓動の音が掌を通して聞こえてくる。どれだけ時間を置いたか、ルイズは目を開いた。

 

 

「私は英雄なんかじゃない」

「……ほぅ?」

「私が英雄って呼ばれたのはマナの女神が私に英雄である事を望んだから。ただ、それだけ。私自身は英雄でも何でもない、一人の人間よ。救う? 私はそんな事、出来ないわよ。ただお節介を焼くだけ。首を突っ込むだけ。気に入らなければ気に入らないと叫ぶだけ。ただ、それを押し通す力があっただけの人間よ」

 

 

 すぅ、とルイズは息を大きく吸う。意を決したようにアレクサンドルを睨み据え、ルイズは叫ぶように告げる。

 

 

「――だから、答えなさいアレクサンドル。私はアンタを許せない。アンタのやってる事は結局、犯罪なのよ。どんなに理由があっても、どんなに仕方ないのだとしても、許してはいけない。

 それに、盗みなんていつまでも続けられる訳がない、いつかは明るみに出る。それがわかった時、一番悲しむのはアンタが守ろうとした子達でしょうが! 生命を守る事だけが守るって事じゃないでしょう!?

 アンタ、珠魅の民がどれだけアンタを惜しんだかわかってないでしょう!? 顔を合わせないで逃げた臆病者が偉そうに吠えてんじゃないわよッ!! 何も学ばない、変わらないこの石頭野郎!!

 だったら私は殴りつけてでもアンタを止めてやるわよ!! それで、私が出来る事は全部してやるわよ!! それで答えは満足!? 手助けが必要なら素直に助けてって言ってみなさいよ!! この意地っ張り!!」

 

 

 ルイズは吠える。アレクサンドルへと向ける視線は真っ直ぐに揺るがず。吠える声は意志を込め、心を震わせる響きを以てアレクサンドルへと叩きつけられる。

 アレクサンドルはルイズの叫びに目を見開かせて、何度か目を瞬きさせる。ルイズは息を整えるように肩を揺らしながら呼吸を整える。

 驚いたようにルイズを凝視していたアレクサンドルは、ゆっくりと表情を崩す。まるで堪えきれないというように体を震わせて、大声で笑い出した。

 

 

「は、はははは! ははは……ッ、いや、くっ、くくっ……すまない……!」

「……何笑ってんのよ?」

「いや、そうだったね。君は英雄と言うにはあまりにも、ね。あぁ、忘れていたよ。君はいつだってそうだったな。気に入らない、か。あぁ、そうだね。そこだったな。君の行動原理は。私の前に立ち塞がった時、君はいつもそうだった」

 

 

 アレクサンドルはまだ笑いが止まないのか身を震わせ続けている。笑われているルイズからすれば堪ったものではないが。呼吸を整えるようにアレクサンドルは息を大きく吸ってルイズへと視線を移した。

 

 

「……では、ルイズ。君の言い分はわかったが、君は私をどう助けてくれると言うんだい?」

「まずは聞かせなさい。アンタ、何を匿ってるのよ?」

「驚くなよ? ハーフエルフだよ」

「はぁ!? ハーフエルフですって!?」

「しかも、とある貴族の妾の子だ。モード大公、と言っても伝わるか?」

「モード大公って……あのアルビオンのモード大公の妾の子!? それが、ハーフエルフだって言うの!?」

 

 

 ルイズは目を見開かせて叫ぶ。アルビオンとはルイズの住まうトリステインとは別国。空に浮く浮遊大陸に建国された王国である。そしてモード大公が王家によって投獄され、獄中死したという話はルイズもよく覚えていた。それだけ衝撃的な事件だったのだ。

 ルイズは思わず目眩がしそうになった。王家の命に逆らい、反逆した貴族の娘というだけでも重いのに、更にはハーフエルフのオマケ付き。成る程、先程、アレクサンドルがブリミル教の庇護を受けられない子の話をするわけだ、と。

 ハルケギニアにおいてエルフとは人間との絶対的な天敵である。始祖ブリミルが降臨したとされる聖地を奪った種族、と伝えられている。事実、歴史を見てみれば“聖戦”と称してエルフから聖地を奪還せんと戦が起きている。 

 その結果は人間側の惨敗だ。エルフは強力な先住魔法の使い手であり、吸血鬼よりも厄介な存在なのだ。更には聖地を奪われたという事からブリミル教徒からすれば恐れながらも最も憎らしい存在だ。

 そのエルフが大公の妾となり、更には子を為していたすれば……成る程、モード大公が投獄される筈だ、とルイズは痛む頭を抑えながら納得した。

 

 

「更に言うと、そのハーフエルフの子以外にも孤児を養っていてね。幾ら金があっても足りない」

「……頭が痛くなる話ね」

 

 

 はぁ、と。ルイズは溜息を吐き出した。そして何かを悩むように目頭を指で押さえ込む。

 

 

「それは確かに日の下では暮らしていけないわね。エルフに対する風辺りはブリミル教が広がっているハルケギニアじゃ反感が多すぎる」

「あぁ、その通りだ」

 

 

 ルイズは痛む頭を抱えながら考える。ハーフエルフの子も含め、複数人の孤児も預かっているとなればそれこをまず金が必要だ。それこそ普通の稼ぎでは養っていく等と出来ないだろう。

 

 

「何とか出来ない訳じゃないわ」

「ほぅ? 君には何か案があると?」

「あんまり気が進まないけど、ね。アレクサンドル、その子達と会う事って出来る?」

「……君なら良いか。君が望むなら案内をしよう。正直、君の言うとおり、盗みを続けられる訳でもないからね。何か君に打開策があるというのなら私は君に首を差し出しても構わない」

「知らないわよ。アンタに物を盗まれた奴の事まで責任は持てないし、そこまで構ってられないわ。……それにアンタを見捨てたら、顔合わせ出来ない奴がいるのよ! だから助けるのよ!」

 

 

 ルイズはアレクサンドルへと掴みかかるように近づき、見上げるようにしてアレクサンドルを睨み付ける。

 

 

「アンタはね、色んな人に惜しまれてるの。勝手にくたばる事も許さないわ。アンタには生きる義務がある。そう簡単に死のうとしてるんじゃないわよ。償いなさい。生きている限り、アンタが犯した罪を償う気があるなら」

「……随分勝手な言いぐさだ」

「文句があるなら好きになさい。聞いてやるわよ」

「文字通り、聞くだけだろう? やれやれ、傲慢なお嬢様だ」

 

 

 アレクサンドルは降参、と言うように両手を挙げた。その様にルイズはふん、と鼻を鳴らしてアレクサンドルから距離を取る。

 

 

「とりあえずアンタ、学院にまで着いて来なさい。私も長期休暇の許可取らないといけないしね」

「奇遇だね。魔法学院で声をかけておきたい人がいるから私としても好都合だ」

「そう。じゃあ着いてきなさい」

 

 

 ルイズの物言いにアレクサンドルは肩を竦める。先を進み、歩いていくルイズにアレクサンドルは眩しげに見つめる。自分が救いたかった人、命を奪ってしまった人、その全てを救ってくれたアレクサンドルの恩人。

 時を超え、世界を超え、アレクサンドルは再び出会う事が出来た。そして、また救いの道を指し示してくれている。この出会いを奇跡と言わずして何と言えば良いのか。

 

 

(情けないものだ。こうして自分よりも歳を重ねていない小娘に助けられる等と。なぁ? そうだろう? “パール”、”蛍”)

 

 

 懐かしむように唇を緩めて脳裏に浮かぶ姿にアレクサンドルは笑う。どこか苦み走った、されど安堵したような複雑な笑みのままで。

 そこでアレクサンドルは不意に何かを思い出したようにルイズへと声をかける。名を呼ばれたルイズは足を止めて振り返る。

 

 

「君に伝えておかなければならない事があってね」

「? 何よ?」

「ファ・ディールの武具や魔法楽器の一部がハルケギニアにも渡っている。その中には君が作成した物と思わしきものもあった」

「……はぁっ!?」

 

 

 ルイズはアレクサンドルの告げた言葉に目を見開かせた。正にそれは寝耳に水。予想だにしない言葉にルイズは言葉を失っている。

 ルイズはファ・ディールで武具や魔法楽器の作成をしていた。強敵との戦いに連れて武具の強化を行わなければならないという必要を駆られた為でもあったが、物作りの楽しさに目覚めたのが一番の理由だろう。

 各地を巡り、旅をし続けたルイズの作る武器は並の職人が作る武具や魔法楽器の質を大きく超えている。更にはデザインにも拘った為、芸術品としての価値も見いだされている。余談ではあるが、ルイズが作成した武具や魔法楽器の一部がファ・ディールの美術博物館に展示されているのは、ファ・ディールでは有名な話らしい。

 

 

「かの名匠“ワッツ”に弟子入りした君の武具、更には魔法楽器は芸術品としての価値も含め、評価が高い。このハルケギニアの地でも、ね。そしてそれはハルケギニアにおいては強力なマジックアイテムともなる」

「……まさか、冗談でしょ?」

「残念ながら。例えば他者の血を吸い、自らの力と為す吸血剣など。覚えがないかな?」

「私が残した武具の管理は知り合いに任せた筈なのに……」

「それこそ私にはわかりかねる。事実としてファ・ディールでも君に作ったと触れ込みのあった武具や魔法楽器が出回っていたからね。実際、ファ・ディールの文字で君の名が銘打たれていたしね」

 

 

 一応、伝えておくよ、とアレクサンドルの言葉にルイズは気が遠くなるのを感じた。だが何とか気をしっかりと持ち、大きく溜息を吐いて額を抑えた。

 

 

「……前途多難だわ」

 



目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

ルイズとマチルダ

 ――世界は結ばれ、巡りて時を動かす。停滞した時は待ちわびたかのように運命の車輪を廻す――

 

 ――英雄はいない。英雄などいない。ただ、誰かがそう呼ぶだけ。英雄はここにあり、と――

 

 

 

 

 

 * * *

 

 

 

 

 

 トリステイン魔法学院で学院長の秘書を務めてる女性がいる。彼女の名はロングビル。普段は穏やかで秘書として有能。一歩引いた姿勢は正に秘書の鏡として、同僚の教師や一部の生徒からは羨望の眼差しを向けられる女性である。

 だが、今の彼女はそんな普段の彼女を知る人が見れば驚いた事だろう。苛立ちを隠さず、姿勢を崩し、足と腕を組みながら目の前の相手を睨み付ける姿は普段の彼女からは想像する事も出来ない。

 

 

「アンタ、勝手に何してくれてるんだい、えぇ? アレク?」

「そう怒らないで欲しいな。マチルダ」

「ここではロングビルと呼びな」

 

 

 呼ばれた名にロングビルは不愉快そうに眉を寄せた。対面に座る相手、アレクサンドルはロングビルが用意した紅茶を飲んでまったりとしている。この掴み所のない男をロングビルは好ましく思っていない。

 ある程度の信用はあるが、人の好みとしてアレクサンドルは得意な人間ではない。そもそも、アレクサンドルと築いた関係の始まりそのものが気に入らない。だが信用を覆す程ではない。それがアレクサンドルとロングビルの間柄であった。

 ただでさえ好んで一緒にいたくない男といる上に、更に同席している彼女にも問題があった。今や魔法学院を騒がす問題児、ゼロのルイズがこの茶の席に同席しているからだ。無論、彼女の使い魔とされているエルザという少女も一緒に。

 

 

「で? 弁明があるなら聞くけど? その首をへし折られる覚悟はあるんでしょうね?」

「相変わらず君は物騒だな。元貴族と言うならもっと慎みを持ったらどうかな?」

「相変わらずあーだーこーだうるさいわね! 物騒にもなるわよ! 何で此奴等に“あの子”の事を話した!?」

 

 

 ロングビルの叩きつけた拳がテーブルを揺らす。衝撃によって浮いたカップ類などが壊れそうな音を鳴らす。音に身を竦ませるように肩を上げるアレクサンドル。その様があまりにも態とらしくて、更にロングビルの怒りを買う事となる。

 対して同席しているルイズは平然と茶を飲んでいる。エルザはどこか緊張した表情で皆の顔を見渡している。ロングビルは怒りを静めるように大きく息を吸いながらアレクサンドルを睨み付ける。

 ロングビルとアレクサンドルの間に“あの子”と言って共通される子は一人しかいない。ロングビルにとってアレクサンドルがルイズに話をしたというのは予想外の、謂わば裏切りだ。故にロングビルはアレクサンドルへと問いただす。その真意を知る為に。

 

 

「幾らルイズがサイレントをかけてくれているからってそんな大声で話されても萎縮してしまうだけだよ。君も落ち着いて茶を飲むと良い」

「……チッ!」

 

 

 隠す事無く舌打ちをしながらロングビルは茶を口に含んだ。怒りの所為か、味を感じる事は出来なかった。だが少し気分は落ち着いたようで、ロングビルは眉を寄せながら、で? とアレクサンドルに話の続きを促す。

 

 

「君に何の相談も無し、というのは気が引けたんだがね。彼女は信用に値する。そこは保証するよ」

「……しかし信じられないね。この子には何か秘密があるとは思っていたが、アレクの世界の英雄だって? 信じられる話じゃないね。確かに使い魔召喚から人が変わったとは思ってたけどね」

「だが、信じるしかないだろう? この精霊を見ればね?」

 

 

 アレクサンドルは笑みを浮かべながら、ルイズの傍で浮かぶ光を放つ者を示す。風の精霊であるジンだ。ジンはルイズに寄り添うようにゆらゆらと揺れている。

 アレクサンドルに示さされた存在に、ロングビルは苦み走った表情を浮かべる事しかできない。常識では考えられない現象を起こしているルイズを見れば、アレクサンドルの証言も合わせれば真実なのかもしれない、と。

 ロングビルはアレクサンドルが別世界から来た人間だと知っている。過去に語られたアレクサンドルの一族である“珠魅”を救ったという英雄の話も聞いてる。だが、その英雄が魔法学院の一生徒、更に言えば落ち零れだったルイズだと言う。信じられる筈がない、と思うのはごく自然の事であろう。

 

 

「ミス・ロングビル。勝手に事情を伺ったのは申し訳ないと思っていますわ。そして信じられぬかもしれませんが私は貴方達を助けたいと思っています。始祖ブリミルに誓っても良い」

 

 

 ふと、割って入るようにルイズが口を開いてロングビルへと視線を向ける。だが、ルイズの言葉を受けてもロングビルの表情は険しく歪むだけだ。

 

 

「信じられる訳ないだろう。普通、ハーフエルフなんて言ったらブリミル教徒にとって敵も良いところだ。恐れるのは当たり前。憎むのも当たり前。そんな存在だよ? それを助けようだ? アンタに何か裏があると思った方が信じられるね」

 

 

 吐き捨てるようにロングビルはルイズの言葉を否定する。ロングビルにとって貴族とは信頼に値しない存在であり、自分の敵とさえ思っている。その理由は彼女の出自にある。

 彼女の本来の名はマチルダ。マチルダ・オブ・サウスゴータ。既に没落した貴族であり、没落した理由はモード大公の妾であったエルフを匿った為である。その為に家は没落し、貴族としての称号も剥奪された。

 両親を殺され、領地も奪われ、奪われるに奪われ続けてきた人生。それもこれもブリミル教の所為であり、貴族の所為である。ロングビル……いや、マチルダはそうして貴族への憎しみを育てた。

 更に出稼ぎの為にトリステインに渡り、そこでオスマンの目に留まって魔法学院の秘書を務めるようになった。それからも貴族の腐敗と横暴さに目が付き、彼女の貴族嫌いに拍車をかける事となる。

 普通であれば、そんな壮絶な経験をしてきたマチルダの信頼を得る事は難しいだろう。だが、それでもルイズは真っ直ぐにマチルダの目を見て言葉を続ける。

 

 

「私はファ・ディールでエルフの双子と一緒に住んでました」

「……!」

「勿論、ハルケギニアとファ・ディールでエルフの在り方は違います。エルフだけじゃない。色んな亜人と出会いました。彼らは話が出来ます。言葉を交わして理解し合える。それはこの世界でだって同じです。ただちょっと、食事の好みが違う、出来る事が違うだけで心を通わせる事が出来ると信じてます。今、こうしてエルザが私の傍にいるように」

「……本気で言ってるのかい? アンタ、それが異端審問にかけられても可笑しくない在り方だってわかってるんだろうね?」

「異端も異端でしょう。そもそも、私はブリミルなんて信じてませんよ。私が信じるのは私が目にしてきたものだけです」

 

 

 ふん、と鼻で笑うようにルイズは言い切った。ルイズの言葉にマチルダは呆気取られる。幾らサイレントが掛かっているとはいえ、始祖ブリミルに対してのこの物言いである。一般の貴族からは考えられない程の不貞不貞しいまでに不敬な態度である。

 

 

「ブリミルは確かに過去の偉人です。だけどだからといって全てを彼に倣う必要はない。彼は所詮、過去の偉人でしかないんですから。今、ブリミルが苦しんでいる人に手を差し伸べてくれますか? くれないじゃないですか。だから今、貴方達は苦しんでいる。なら私はそんな人たちに手を差し伸べる人になりたいと思っています」

 

 

 ルイズの言うとおり、ブリミルの恩恵は確かにこの世界を豊かにしたが、豊かな世界が故に貧富の差が埋まれ、更にはブリミルの威光に背くものには生きる事すら苦しい世界となっている。

 だから自分が救える人になれれば良い、とルイズは言う。今のルイズにとってブリミルに向ける感情は、言ってしまうならば無関心だ。彼女にとってブリミルが為した偉大な功績も所詮は過去でしかない。

 現実としてブリミルの教えは世界を守っているだろう。だが、その教えによって虐げられている人がいるのもまた事実だ。ブリミルが絶対の正義ではない。正義はそれぞれの胸にあるとルイズはファ・ディールで学んだのだ。だからこそ一方の正義で、もう一方が虐げられるのは悲しいし、出来れば止めたいとも思う。共存出来る道があるならばこそ。

 

 

「未来も過去も、本当はどこにもない。全ては思うままに変えられる。辛かった過去も笑い飛ばせれば良い経験になりますし、辛い未来なんて想像したくもない。私は私のまま、ただ自分の思うままに生きる。それが私の未来を幸福にしてくれると信じてますわ、ミス。……ちょっとした受け売りですけどね」

「……呆れたね。今の時代、本当にアンタみたいな考え方は異端だよ」

「そりゃそうですよ。ファ・ディールでの経験が今の私を作ってます。私はファ・ディールでの全てを無駄にしない為に、恥じない自分でいたい。私の心がそう望んでいる。だから私は私のままにありたい」

 

 

 不思議、という言葉がマチルダの胸に落ちて、すとん、と嵌る。

 まだルイズを信用出来た訳でもない。疑いが晴れる訳でもない。だが不思議とそれでも彼女への敵意は失せていく。信じてみよう、という気持ちが生まれた事にマチルダは驚きを隠しきれず、だが、それでもやはり不思議と納得してしまう。

 

 

「……不思議な奴だね。アンタは」

「よく言われますけど、そんなにですかね?」

「よっぽどだと思うけど?」

「あぁ。まったくだ」

 

 

 マチルダの言葉にルイズは不服そうに眉を寄せた。だが、マチルダの言葉に同意するようにエルザとアレクサンドルが頷けばルイズは黙り込んで唸る事しか出来ない。

 自然とマチルダの口元に笑みが浮かんでいた。彼女には本当に不思議という言葉が似合う。……いいや、正確に言うと不思議な魅力がある、と言えば良いか。

 

 

「1つ聞いていいかい? なんでアンタ、見ず知らずのハーフエルフを助けたい、なんて思ったんだい?」

「アレクサンドルの知り合い、というのが理由の1つですけど。ハーフエルフを受け入れてくれた子達だったらエルザの友達になってくれるんじゃないかな、っていう打算があるからですかね? まぁ、所詮そんなもんですよ。仲良くなれたら良いですね、って」

「……本当に変な奴だね」

「私は孤独の辛さを、世界を狭められる悲しさを知ってますから」

 

 

 マチルダの言葉にルイズは瞑目しながら言う。ファ・ディールの大地は広大で自由だった。今まで貴族や魔法に拘っていた自分が小さく見える程までに。

 正義なんて持てなかった頃、力を利用された事もあれば、争いを前にして何も出来ず、挙げ句の果て、誰も救う事が出来なかった事もあった。その時に感じた無力と無念、罪悪感は時折夢に出る程だった。

 だがそれでも自分を支えてくれた多くの人達。道を示し、共に並び、共に歩み、共に笑って、泣いて、言い表せぬ程の想いを共有してきた。誰かが傍にいるという事。言葉を貰えるという事。想って貰えるという事。それが何よりも掛け替えの無い財産だったとルイズは胸を張って言える。

 

 

「世界は私に比べれば広大です。でも、そんな世界でも一人でいたら幾らでも縮むんですよ。誰かがいてくれる。私と同じ場所で、でも違う視点で、同じ思いを共有して、時に違う思いや考えを持ち寄って、時に争って、傷つけ合って。それが色んな事を自分に教えてくれる。

 だからこそ私がわかる。傍にいる誰かがいる事がわかる。その暖かさが世界を彩ってくれる。私の世界を広げてくれる。誰かの思いを知る度に世界は大きくなっていく。私一人では広がらない世界が誰かを通じて広がっていく。私はこの感動を誰かに伝えたい。望むなら手を、望むなら言葉を。私は手を伸ばす。伝えたい想いがあるから。何度傷つけ合っても、いつか最後にわかり合うことを望むから」

 

 

 知ったのだ。自分が見ていた世界がちっぽけな世界だったという事を。

 知ったのだ。自分が出来る事は魔法でも、貴族である事でもない事を。

 知ったのだ。手を伸ばして、誰かがその手を取ってくれる事の感動を。

 知ったのだ。肩を並べ、共に過ごし、存在を感じる事の出来る感動を。

 知ったのだ。誰かの言葉が、私の言葉が、その全てが世界を模る事を。

 知ったのだ。模った世界は、幾らでも望むように変化させられる事を。

 知ったのだ。私に繋がる、私から生まれる物が私の幸せに繋がる事を。

 

 

「全部、私の胸にあります。私が出会った全てが今の私を作ってます。経験したくない事もあった。でも、全部含めて私は笑っていたい。この全てがいつか誰かを救える力になるって私は信じてる。それが私自身に、私の言葉に力をくれる。言葉が私の想いを伝えてくれる。想いが言葉になる。その全てが私の力です。それが、私が女神に教えて貰った私の“愛<ちから>”です」

 

 

 自分の手を胸に当てながらルイズは言う。誇らしげに語る姿に、その場に居た誰もが納得を覚えた。

 あぁ、不思議な訳だ。彼女の言う事は“当たり前”過ぎる。今更それを為せ、と言うには余りにも突飛で、不思議と感じる筈だ。それはごく当たり前に、改めて言葉にする事無く、誰もが当たり前に交わしているコミュニケーションなのだから。

 だからこそ、気付いた時に納得が出来る。ルイズの力が何故強いのか、何故彼女にこうも心許せるのか。この当たり前であろうとする事こそが彼女の力なのだ。最もシンプルで、けれど人と人であれば通ずる最も強い力。想いを伝えるというごく当たり前で難しい事を彼女は力と為して紡ぐのだ。

 

 

「……なるほど。貴方が珠魅の為に涙を流せた事がようやく納得いきましたよ、ルイズ」

「急に何よ?」

「確かに貴方こそがマナの女神の望みし英雄だ。……貴方は“愛してくれる”んですね。私達を」

「……改めて他人に言われると、なんか恥ずかしいわね」

 

 

 ぶすっ、と頬を膨らませてルイズは恥ずかしげに身を竦めた。だが否定する事はないようだ。アレクサンドルはそんなルイズに堪えきれない笑いを零し、エルザは目を閉じ、自分の胸に手を当てながら笑みを浮かべる。

 そしてマチルダは、自分が微笑んでいる理由に納得をしていた。こんなに純粋で真っ直ぐな言葉、普通は言えない。それも自覚して、それを意識しながらなんて顔から火が出そうなぐらいに恥ずかしい事だ。

 だけど、その純粋なまでの剥き出しな心が伝えてくれるものは暖かい。それはルイズが故に。飾る事を止め、ただ真摯に想いを言葉として届けてくれるルイズが故に。

 

 

「……あぁ、私には無理だね」

 

 

 自分を曝し出して胸を張る事なんて、恥ずかしくて出来ない。それも見ず知らずの人になんて出来る訳がない。ありのままの自分なんて自分にすらわからないのに晒し出すなんてとんでもない、と。

 

 

「恐くないのかい? 自分を曝し出す事が?」

「不安はありますよ。でも、悩んだって仕様がない。相手が何か思って良くない印象を持ってるかも、なんて考えたら恐くなって動けなくなっちゃう。だったら、そうならないように自分を磨けばいい。認めて貰えばいい。簡単な事じゃないですか?」

「……はっはっは!! とんでもない事を言う子だね!! それが出来たら世界から妬み、嫉妬、争いなんて消えるさ!!」

「私だって嫉妬しない訳じゃないですよ。でも、それって嫉妬するだけ相手に魅力がある、って思えば、それを見習って少しでも近づけばいい、って思えたら素敵じゃないですか?」

「それが難しい、って言ってるんだよ? 少なくとも私には無理だね。無理無理」

 

 

 なるほど。英雄とはよく言ったものだ、とマチルダは喉を震わせるように笑いながらルイズを見た。あのただのヒステリックに喚く姿を見せていたゼロのルイズとは思えない。だが、だからこその今のルイズなのだろう、とマチルダは思う。

 

 

「誰でも出来る事ですよ」

「あぁ、だから難しい事なんだけどね。人はそこまで強くなれないよ」

「私は私が強いなんて思ったことはないですよ。……強くしてくれる人がいたからここまで来れたんです」

「……本当、良い経験してきたんだろうね。アンタは」

「道を指し示してくれる人たちが、たくさんいてくれましたから」

 

 

 成る程、ルイズの英雄としての下地、そして素養は過酷な環境ながらも愛を注いだ人達によって築き上げられていたのだろう、とマチルダは羨望すらルイズに覚えた。

 魔法を使えないながら貴族である事を望み、在り続けたルイズ。だが根源には注がれた愛情があってこそだった。胸を張ろう、立派であろうと愛に応え続けてきた彼女だからこそ得る事が叶った英雄の称号。あまりにもその姿が眩しすぎた。……だからだろうか。マチルダは自然と言葉が口から滑り落ちた。

 

 

「……ミス・ヴァリエール、聞いてくれるかい?」

「何でしょうか?」

「私にはね、生きていて欲しい子がいるの。辛い事があって、それでも笑ってくれる子にもっと自由に、望むように生きて欲しいの。でも望むには余りにもこの世界は、あの子に厳しい」

 

 

 何故、吐露してしまったのか、と思う気持ちもある。だがマチルダはルイズに伝える。苦しげに瞳を閉じ、眉を寄せ、祈るように手を組み、額に当てながらマチルダは言葉を続ける。

 

 

「私じゃ救えない。私じゃ世界を変えられない。どう足掻いたって駄目だった……! 明日への糧を少しでも掻き集めて用意してあげる事しか出来なかった! でも本当はもっとあの子は幸せになって欲しいんだ! アンタなら変えられるのかい!? この世界に認められないあの子の今を!!」

 

 

 それはマチルダが胸の奥でずっと抱えていた願いだった。零れ落ちた言葉は涙腺すら緩ませて、一滴の涙がマチルダの頬を滑り落ちていく。アレクサンドルにさえ、いや、それこそ誰にも漏らしたことの無かっただろうマチルダの奥底にあった願い。

 マチルダの叫びを受け、ルイズは目を一度伏せる。ゆっくりと間を置いた後、再び瞳を開いてルイズはマチルダを見つめる。

 

 

「認められないなんて事はない。そんな事、絶対無い。ミス。貴方がそこまで愛している子ならきっと、受け入れて貰えます。きっと私も受け入れられる」

「……本当かい?」

「その子と会ってみないと何とも。でも、会ってみたいって思います」

 

 

 ルイズは席を立って、マチルダの組んでいた両手をそっと下ろし、自分の両手で包み込むように握る。

 

 

「私は英雄なんて呼ばれてますけど、本当に英雄かどうかなんて自分じゃわかりません。少なくとも何度問われたって私は自分を英雄なんてとても呼べない。

 でも、私は少なくとも真っ直ぐ向き合う事で、人を救う事が出来ました。救われた人は笑顔を浮かべてくれました。それが私の誇りです」

 

 

 語り掛けるようにルイズは言葉を紡ぐ。どうか、マチルダに届いて欲しいと願うように。

 

 

「人は闇をどこかで心に持ってます。それは絶対に覆せない。怒りも、悲しみも、憎しみも、感じないなんて嘘です。でも、それを疎まなくても良いんです。それは自然な事。受け入れる事が出来れば、解り合う事が出来れば憎む必要なんてどこにも無いんです。羨ましがる私が私の欲しいものを教えてくれる。後は、その気持ちを素直に出すだけ。気持ちで言葉を歪めなければ、きっと真っ直ぐに伝わるから」

 

 

 大丈夫、とルイズはマチルダの手に自らの手を添えながら、彼女の肩に手を置いて優しげに言葉を紡ぐ。

 

 

「貴方の言葉は、確かに私が受け取りましたから」

「……あんた、やっぱり恥ずかしい奴だよ」

 

 

 マチルダは組んでいた手を離し、片手を目を隠すように添えた。唇が震え、引き絞るように結ばれる。先程伝った涙が一滴、また一滴とマチルダの頬を伝って行く。

 

 

「あぁ、恥ずかしいねぇ。こんな、私より年下の小娘に泣かされるなんて……」

「……ミス・ロングビル」

「あぁ、そうだよ。ずっと、ずっと……助けて欲しかったんだよ。わかってほしかったんだよ。あぁ、くそ……っ!」

 

 

 止まらない言葉と感情にマチルダは悪態を吐く。望んでいた言葉が、嘘偽りなく心を震わせる事実がマチルダの堪えていた涙を零し落とす。

 ルイズは何も言わず、マチルダにもたれかかるように抱きつく。背中に伸ばした手でぽん、ぽん、とリズムをつけて叩く。やめてよ、とマチルダが小さく否定の言葉を零す。

 

 

「やめてよ。小さい子供じゃないんだから」

「……泣きたい時に子供も大人も無いですよ」

「張らなきゃいけない見栄が大人にはあるんだよ。ほら、離れた離れた!」

 

 

 涙を隠し、拭い消すように涙を拭いながらルイズを突き放す。突き放されたルイズは押されるままにマチルダから離れる。仕様がない、と言うように肩を竦めて席へと戻る。

 

 

「……大人はこれだから」

「アンタも大人になったらわかるさ。大人はいつだって見栄っ張りなんだよ」

「わからない内は、じゃあ私は子供ですね」

「あぁ。子供でいられる内にアンタはそうしてな。そうしているのがきっと幸せだ。あぁ、そうだよ。私は、あの子にもそうして欲しかったんだね」

 

 

 情けない、と最早何度目になったかわからない自分への悪態を吐きながらマチルダは笑った。ようやく、長年望み続け、それでいて望む事の出来なかった想いが形となったのだから。

 

 

「……良いさ。ミス・ヴァリエール。アンタをあの子と会わせようじゃないか。アンタならきっとあの子の良い友達になってくれる。……いや、是非、会って欲しい」

「……ありがとう。ミス・ロングビル」

「マチルダで良い」

「……マチルダ?」

「あぁ。私の名前だよ」

「……そうですか。じゃあ、よろしく。マチルダさん」

「あぁ、よろしく」

 

 

 マチルダはルイズに手を差し出す。差し出された手をルイズは自らの手を重ねて握手をする。握手した二人はどちらからでもなく笑みを浮かべ合った。

 笑みを浮かべ合う二人を見ていたアレクサンドルは穏やかな微笑を、エルザもまた誇らしげな笑みを浮かべてルイズを見つめていた。

 

 

 

 * * *

 

 

 

 マチルダ達との会話を終えた後、ルイズはエルザを伴って部屋に戻ろうとしていた。ルイズの休暇に関してはマチルダが取りなしてくれるとの事。アレクサンドルは今日はマチルダと飲み交わす、と言っていた。

 二人でしか話せない話もあるのだろう。少し気になるが、あの二人にしかわからないものがあるのだろう。詮索はしないようにしよう、とルイズはエルザを伴って魔法学院の廊下を歩いていく。

 既に日は沈み、双月が浮かぶ夜空。エルザが鼻歌を歌いながらルイズの前を歩き、ルイズはそんなエルザを微笑ましそうに見守りながら廊下を進んでいく。

 ふと、その時だ。ルイズは気付く。女子寮へと続く道には一度外へと出なければならないのだが、女子寮がある塔と教員の部屋がある塔との繋がる道に一人の少年が待っていたのを。

 

「ギーシュ? あんた何やってるのよ」

「あ、ルイズ。いや、君を待っていてね。随分と長く話し込んでいたようだったけど……」

 

 

 ギーシュはルイズに気付いたのか、どこか気恥ずかしそうに頬を掻きながら言う。

 

 

「なんか私に用があったの?」

「あぁ。言っただろ? お詫びをするために君をトリスタニアに誘った、って」

「あぁ。荷物持ち、悪かったわね。でも助かったわ」

「いや。好きでやった事さ。……あとは、これを君に」

 

 

 ギーシュは手に握っていた小箱をルイズに差し出す。ルイズに見せるように小箱を開き、中に入っていたペンダント。そう、アレクサンドルよりギーシュが購入していたピンクトルマリンのペンダントをルイズに差し出す。

 差し出されたペンダントにルイズは目を丸くする。何故ペンダントを差し出してくるのか、と目を瞬きさせながらギーシュの表情を伺う。ギーシュは少し照れくさそうにしながらお詫びの品、という旨をルイズに告げる。

 

 

「君には迷惑をかけてしまった。何か返したい、と思ったら君に似合いそうなペンダントがあったから、是非君に受け取って欲しい、と思ってね」

「良いの?」

「あぁ」

「そう。じゃあ、ちょっとつけてみるわね」

 

 

 ルイズは小箱からペンダントを繊細な手つきで取り出し、手で長い髪を掻き分けるように寄せながら首の後ろでペンダントを留める。髪が引っ掛からないように掻き上げるようにして払い、首にかかったペンダントをそっと持ち上げる。

 月光に照らされたピンクトルマリンは淡く光を反射させ、ルイズの胸元で光り輝く。ルイズは暫し、ペンダントを見つめていたがそっとペンダントから手を離し、口元に手を添え、僅かに身を前屈みに折り曲げる。

 

 

「ど、どうしたんだい? ルイズ」

「……いや、その」

 

 

 心配そうに声をかけるギーシュにルイズは僅かに態勢を前屈みのまま何かを言おうとして、しかし言いよどむようにして言葉に出来ない。

 気に入らなかったのだろうか、とギーシュが心配をするのを余所にルイズは口元を隠していた手を下ろし、肩を上げながら大きく息をし、ゆっくりと吐き出す。折っていた体を起こし、ギーシュを真っ正面から見つめる。

 

 

「……ありがと」

「……え?」

「あ、ありがとって言ったの! ちょっと恥ずかしいんだから2回も言わせないでよ、馬鹿っ」

 

 

 ルイズはギーシュから視線を逸らしながら言う。プレゼントを貰った経験が無い、とはルイズは言わない。アクセサリーを贈られた事だって初めてじゃない。

 だが、ハルケギニアで、こうして同年代から送られたのはギーシュが初めてかもしれない、と。思った瞬間、ルイズは一気に彼を意識してしまったのだ。これではエルザのからかい通り、口説かれているのではないかと思ってしまったのだ。

 あり得ない、とは言わない。けど、だからといってどうしろと言うのか、とルイズは悲鳴を上げたくなった。そこまで自分に自惚れている訳でもないし、ギーシュが本当にどう思っているかなどルイズにはわからないのだから。

 

 

「そ、そうか。喜んでくれたら良かった……」

「え、えぇ。嬉しかったわよ……」

 

 

 互いの言葉を無くす。ギーシュは思わぬルイズの反応に、ルイズはギーシュを意識した所為で。

 

 

「わ、私もう寝るわ。アンタももう戻りなさい。こんな所うろちょろしてたらまた怒られるわよ」

「あ、あぁ。僕もそれを渡したかっただけだし、もう戻るよ」

「そ、そうしなさい」

「う、うむ」

 

 

 ギーシュはどこかぎこちない動きでルイズから離れる。そのままルイズの横を通り過ぎるようにして男子寮へと向かおうとする。

 その途中、ギーシュは振り返ってルイズの名を呼ぶ。名を呼ばれたルイズはギーシュへと振り返る。

 

 

「ま、また今度!」

「……え?」

「また今度、一緒に街に買い物でも良い! 付き合わせてくれるかい?」

 

 

 ギーシュの問い掛けに、ルイズは夜だというのにわかりやすい程、顔を真っ赤にした。ぱん、と勢い良く頬を叩いて真っ赤になった頬を誤魔化す。大きく息を吐き出し、息を整えてギーシュに向かって叫んだ。

 

 

「気安く女の子口説くもんじゃないわよ、バーカッ!」

「な……!」

「世辞か何かわかんないけど、私は遊びで付き合う程、安いつもりは無いんだからねッ!!」

 

 

 ふん、と鼻を鳴らしてルイズは女子寮への入り口へと駆けていってしまった。呆然とルイズの背を見送るギーシュ。暫し呆然としていたギーシュだったが、不意に小さな影、エルザが自分の足下に来ていたのに気付いた。

 

 

「ギーシュお兄さん」

「うぉっ!?」

「あれ、照れ隠しだから気にしない方が良いよ? 後、普段の言動気をつけてないと勘違いされちゃうよ?」

「え……?」

「頑張れ、男の子」

 

 

 ぱしん、とギーシュはエルザに勢いよく太ももを叩かれて短く悲鳴を上げた。おやすみ、と一言を告げてエルザもルイズの後を追うように女子寮へと駆け込んでいった。

 エルザを見送ったギーシュは暫し立ち竦んでいたが、深い溜息と共に肩を落としてとぼとぼと歩き出した。

 

 

「……遊び、か。……あぁ、僕がこんな気持ちになったのは君が初めてなのにな。ルイズ」

 

 

 深い溜息を吐きながらギーシュは歩いていった。自分でも持て余すような気持ちに旨を高鳴らせながら。そんなギーシュをハルケギニアの双月が照らしていた。

 

 

 



目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

不穏の気配と平穏の邂逅

「わぁ! 凄い凄い! 空の上に本当に船が浮いてる!!」

 

 

 エルザのはしゃぐ声を耳にしながらルイズは固まった体を解すように背を伸ばす。学院に休みを申請し終え、マチルダとアレクサンドルを伴ってルイズ達が向かったのはトリステインの港町、ラ・ロシェール。

 一向が向かう先はアルビオン。モード大公の妾の子を含めた孤児達は、ウエストウッド村という森の中に隠された村で生活をしているという。まずはそこに向かう為にアルビオン行きの船に乗る為にこの港町にやってきたのだ。

 乗船の手続きは何事もなく終わり、ルイズ達はラ・ロシェールからアルビオンのロサイスへと向かう船へと乗る事が出来たのであった。

 

 

「こらこら、エルザ。あんまりはしゃぐんじゃないわよ」

 

 

 ルイズははしゃぐエルザに微笑ましそうに笑みを浮かべながら注意を呼びかける。目に見える物が新鮮で楽しくて仕様がないのだろう、と。エルザの気持ちも理解出来るが、流石にはしゃぎ過ぎるのも良くないだろう、と。

 はーい、と騒ぐ声こそ聞こえなくなったものの、果てなく続く空への興味心は尽きないのだろう。エルザはただ見惚れるように空へと視線を移している。そんなエルザの様子にルイズはやれやれ、と肩を竦める。

 

 

「エルザ。わかってると思うけどペンダント、ちゃんと持ってるのよ?」

「わかってるー!」

 

 

 ルイズの呼びかけにエルザは胸元にかかっていたペンダントを見せる。エルザが首にかけているのは何の変哲もないクリスタルのペンダントだ。一見、何の変哲もないクリスタルのペンダントだが、ルイズが事前に闇の精霊であるシェイドの力を込めてある。

 聖なる力を弾くシェイドの力によって今、エルザは吸血鬼が苦手とする光の下へと出ていられる。万が一も兼ねてフード付きのローブもエルザに着せたが、はしゃいでいるのを咎めすぎるのも良くないか、とルイズは溜息を吐く。

 ルイズが溜息を吐いているとルイズにマチルダとアレクサンドルの二人が近寄ってくる。自然とルイズの表情が引き締まったものへと変わる。

 

 

「あら、アレクにマチルダ。……どうだった?」

「アルビオンの情勢はあんまり思わしくないねぇ」

「つい先日、王党派と貴族派の争いも大きく動いて、王党派がニューカッスル城まで後退させられたらしいよ」

 

 

 そう、とルイズはマチルダとアレクサンドルからの報告を受けて眉を寄せた。現在のアルビオンの情勢は酷く不安定なものだ。王党派への不満が爆発した貴族達を中心とした反乱軍“レコン・キスタ”によって、王党派は劣勢を強いられている。

 王党派の命運は最早風前の灯火であろう、というのが一般的な世論だ。既に首都であるロンディニウムから敗走し、今ではアルビオン大陸の突端にあるニューカッスル城を砦として抵抗を続けているが、最早、王党派に逃げ場は無し。これでは風前の灯火と言われても仕方がないだろう。

 

 

「レコン・キスタ、ね。聖地の奪回と貴族の共和制による統治という大義の為に立ち上がったっていう貴族連盟だっけ?」

「あぁ。正直、今更聖地なんて言われてもねぇ」

 

 

 マチルダがぼやくように呟いた。エルフによってブリミルが降臨したという聖地が奪われて幾星霜。聖地を取り戻そうと戦を仕掛けた事もあったが、人間とエルフでは地力が違い過ぎる。

 無論、優勢なのはエルフ。人間側がエルフを圧倒するには、エルフに対して約10倍の戦力が無ければならないという厳しいものだ。故にハルケギニアにおいてエルフというのは恐怖の象徴であり、仇敵と為り得るのだ。

 ブリミルへの信仰心が薄い三人にとって聖地へ攻め込む、と言われても今更な話だ。そもそも戦をするぐらいだったら国を盛り上げて豊かにして貰いたいものだ、とマチルダとアレクサンドルは零す。ルイズは苦笑を浮かべるに留まったが。

 

 

「しかし、そのレコン・キスタも焦臭いみたいだけどね」

「焦臭い?」

「あぁ。傭兵の他にも亜人、オーク鬼やトロル鬼もいるって話だよ」

「亜人が、ねぇ」

 

 

 基本的にハルケギニアにおいて亜人と人間は敵対し合う。何故なら亜人は人間を殺し、喰らう種族が多数だからだ。戦などで殺戮や闘争の為に協力する事はあれど、印象としては余り宜しくはない。

 

 

「どこもかしこも焦臭い話ばっかりだよ。理想は綺麗でも中身がドス黒いんじゃね。わかる人にはわかる胡散臭さだよ」

 

 

 マチルダの言葉にルイズは空の向こうに浮かぶアルビオンへの想いを募らせる。今も戦乱が起き、民が苦しみ、人が死んでいく。争わなければならない理由があるなら仕方がない。だが、戦で起きた理不尽で泣く者がいて、救われない者がいるなら?

 救いたい、とは願うだろう。助けてあげたい、とは思うだろう。だがルイズには何も出来ない。自分は神でも王様でもない。ただ貴族の娘というちっぽけな存在なのだから。力を持っていても世界を変える程ではないのだから。

 力で人を変えれば、それは謂わば支配と変わらない。ルイズは世界を支配したいなどとは思わない。ただ、自分の力で救える人がいるなら救う。だからこそ、救いを求められなければルイズには手を差し伸べる事すら出来ない。

 ただ力を振るうのは傲慢にしか過ぎないからだ。どんなに悲しいと思っても、必要とされなければ手を出せない。出してはいけない。それだけにルイズの秘めた力は世界にとって劇薬と為りかねないのだから。

 不用意に世界を騒がす事は、それはまた歪みを産むだろう。生まれた歪みは不和を呼び、やがて争いと発展するだろう。だからこそルイズは無闇に手を伸ばす事を良しとしない。目に映るものしか、ルイズには救えないのだから。

 

 

「悩ましいわね……」

 

 

 ルイズの呟きは流れる風の音に呑まれて消えていく。ルイズの表情から憂いの色が無くなる事は無かった。

 

 

 

 * * *

 

 

 

 ルイズ達を乗せた船は無事、アルビオンの入り口とも呼ばれる港町、ロサイスへと辿り着いた。船旅で固まった体を解しながらルイズ達はロサイスの街へと向かった。

 しかし戦時中でかつ、貴族派が既に支配下に置いているロサイスだ。スパイなどの存在を恐れて警備は厳重にしているのだろう。警備兵の数が多い印象をルイズは受けた。

 そしてルイズ達も警備兵に促されるままに荷の確認などを行っていく。そしてルイズの番になった時だ。

 

 

「――」

 

 

 確かにルイズは事前の情報で貴族派は焦臭い、という話を伺っていた。正直覚悟はあった。人間の闇をファ・ディールで垣間見てきたルイズだ。人が望んで穢れようと思えば幾らでも穢れる事を知っている。

 だが、目の前にいる存在にルイズは我を失いかけた。咄嗟に背のデルフリンガーの手が伸びかけて、思いとどまる。不様に息が大きなものへと変わり、肩で息をしながら震える手を抑える。

 

 

「ルイズ?」

「どうしたんだいアンタ、顔真っ青じゃないか!?」

 

 

 後ろからアレクサンドルとマチルダの心配そうな声が届く。だが、その声も遠い。余りの事態に気が動転しているのがわかる。落ち着け、と呼吸を正そうとする。

 ふと気付けばエルザが縋り付いていたのがわかる。顔を青ざめさせてる事から恐らくエルザにもわかったのだろう。見えてしまったのだろう。

 

 

「君、大丈夫かい?」

 

 

 警備兵が気遣うようにルイズへと手を伸ばす。だがルイズは咄嗟に自分に伸びた手をやんわりと断るように手で抑える。荷の検査が終わると同時にルイズはエルザを抱きかかえて早足で歩き出す。

 その背を追うマチルダは心配げにルイズを呼ぶ。しかしルイズは振り返る事無く進もうとする。流石にこのままではいけない、とルイズの肩に手を伸ばし、マチルダはルイズを引き留める。

 

 

「ちょっと! どうしたのさ!」

「ここじゃ話せない。ともかく一刻も早くこの街から出るわ」

「何でだい?」

「気付かれた様子はなかったけど、この街に、いや、この国にいるのは危険も危険。一刻も早く離れたいわ」

 

 

 ルイズの様子にマチルダは眉を顰めるだけだ。ルイズに抱きかかえられたエルザも顔を青くして震えたまま。状況を掴めぬまま、困惑するマチルダに今度はアレクサンドルが肩に手を置く。

 

 

「とりあえず行こう。……ルイズ、君がそこまで狼狽したとなると事態は深刻なのだろう? 今は君の判断を信じる。まずはこの街を出よう」

 

 

 アレクサンドルの重々しい言葉にルイズは頷く。ただ事ではない、という事をマチルダは悟る事は出来るものの、やはり不可解だ。一体、ルイズはどうしたのだろうか? と疑念が頭を過ぎる。

 マチルダの疑念に答える事なく、ルイズ達はロサイスの街を逃げ出すように後にした。

 

 

 

 

 

 * * *

 

 

 

 

 

「……ここまで来れば良いでしょう」

 

 

 ロサイスを出、夜が近づいてきた。アレクサンドルがそのタイミングで野営を提案。アレクサンドルの提案に誰も異議を申し立てる事無く、野営の準備を進めていく。

 そして野営の準備をそこそこに。野営の準備を進めていたルイズが不意にぽつりと言葉を零す。ちなみにエルザはまだ顔色悪く、ルイズの服の袖を掴むようにしてルイズに寄り添っていた。

 ルイズ達は焚き火を囲むようにして座る。ルイズの隣にはエルザが、ルイズの対面にアレクサンドル。その横にマチルダという風に火を囲んで座っている。ルイズの呟きを耳にしたのだろう、マチルダは待っていた、とばかりにルイズに問いを投げかけた。

 

 

「一体どうしたんだい? ロサイスの街での様子は只事じゃなかったよ?」

「ごめんなさい。あの時は私も動揺していたの。今でも、正直動揺が取れないわ」

 

 

 目頭を押さえるように手を添えてルイズは呻くように言葉を絞り出す。

 

 

「ルイズ。一体何を見たんだ?」

 

 

 アレクサンドルは表情を引き締めてルイズへと問い掛ける。アレクサンドルにもルイズが動揺させる程の事があの一連の流れであったのか察する事が出来ていなかった為にだ。

 ルイズの答えを待つようにアレクサンドルとマチルダはルイズに視線を注ぐ。どれだけの間を空けただろうか。ルイズがゆっくりと口を開いた。

 

 

「……死体」

「死体?」

「貴族派の兵士の一部は、死体だった」

「何を言っているんだい?」

 

 

 マチルダは困惑したようにルイズを見る。いきなり死体、と要領の掴めない言葉が出てきたからだろう。眉を顰めながらマチルダはルイズに説明を求める。

 

 

「私だって何を言ってるのかわからないわよ。えぇ、明らかに“死んでる”人間が普通に動いて、声をかけてくるのよ?」

「……エルザちゃんもわかったのかい?」

「わ、私は吸血鬼だから、わかるよ。あれは死人だった。死人が普通に人の傍にいて、喋ってるの。気味が悪くて……」

 

 

 エルザはルイズに縋るようにルイズに身を寄せる。人の生き血を啜る吸血鬼にすら恐怖を抱かせる“生ける死者”。アレクサンドルは眉を寄せるように表情を厳しいものへと変える。

 

 

「ファ・ディールでは魔物の一種として認識されているから、動く死者自体は私としては珍しくはないが……。だが、私から見ても生きているように見えたぞ?」

「だから気味が悪いって言ってるじゃない。見た目は生きているようにしか見えない死者が、ごく平然と紛れ込んでいるのよ? 気が狂うって話じゃないわよ」

「じゃあ、何だい? 貴族派の兵士は死者を生きた人間に見せかけて兵に使ってるって言うのかい?」

 

 

 マチルダの声が自然と震えてしまったのは仕様がないだろう。そして、それを誰も否定しない事にマチルダは顔面を蒼白にさせた。気味が悪い所の話ではない、と。

 

 

「私やエルザみたいに気づける奴から見れば……気味が悪いにも程がある。そうなると焦臭い所の話じゃなくなるわよ。レコン・キスタって連中は。並ならぬ外道よ」

「成る程。貴族派の勢力が拡大を続ける訳だ。何故ならば死兵は消費を最小限に抑えられる上に、戦が続けば新たな兵士を仕入れる事は比較的に楽な事だ。減り続ける王党派と増え続ける貴族派。この戦の勝敗など既に決している」

「有り得るわ。……そもそも生気の代わりっていう程の水の属性の力を感じたわ。水の魔法には相手の心を操る魔法もある。最悪、それによって操られている可能性は捨てきれない」

「な、なんだい、それは……! 気が狂ってるって話じゃないよ、狂気の沙汰じゃないか!」

 

 

 死せるものを思いのままに操り、自らの私兵と為す。それがどれだけ冒涜的な行いか、通常の感覚を持つ者ならば察せられるだろう。正に狂気の沙汰と言われても仕様がない行いである。

 これは焦臭い所の話ではない。レコン・キスタは死者すらも操る事の出来る力を持っている可能性がある。それが生者に適用出来ないとは楽観的な考えだろう。何故ならば問題は簡単だからだ。殺してしまえば結果は変わらない。死体があれば良いのだから。

 

 

「……とりあえずウエストウッド村に向かいましょう。そこで村の子達が無事だった後、考えましょう。この国にいるのはオススメしないわ。最悪、私がお父様に助力を請う覚悟も出来てるわ」

「ルイズ、良いのかい?」

「良いも何も、放っておける訳じゃない……!」

 

 

 ルイズは悔しさに満ちた呻きを零す。死者を冒涜するレコン・キスタへの怒りにルイズは満ちていた。

 

 

「巫山戯るんじゃないわよ。こんな冒涜が許される筈が無い……!」

「ルイズ」

「生命にはあるべき形がある。死んだらその肉体は土に帰り、魂もまた世界が受け継ぐ。生命は循環するものなのよ。それを堰き止めて良い理由なんてどこにだって無い……!

 解放されない彼らは己の意志で生きる事も出来ず、ただ操られる! 未練を残した訳でもない! なのに縛られ続ける。そんなの許されて良い筈がない!! 死者の悲しみすら馬鹿にしてる!! 解放されない彼等がどれだけ哀れか……!!」

 

 

 ルイズは僅かに身を震わせながら怒りを露わにする。ルイズの怒りに触れたエルザが怯えながらも心配げにルイズを見つめる。アレクサンドルもまた瞑目し、マチルダは口元を抑えて事態の重大さに身を震わせている。

 そこから言葉を交わす事はなく、誰もが沈黙した。交わせる言葉など何もなかった。

 

 

 

 * * *

 

 

 

 後日、ロサイスから旅立ったルイズ達はウエストウッド村へと辿り着いた。ロサイスで知った衝撃の事実から暗い雰囲気が漂っていた一向だったが、何とかここまで辿り着いた事で多少、気分は明るいものへと戻っていた。

 マチルダの足取りは速く、一刻も早く守りたいと願う子供達の顔が見たいのか一歩先を行く。村に足を踏み入れると広場で遊んでいる子達の声が届いた。子供達はマチルダに気がつけば、マチルダ姉ちゃんだ! と嬉しそうに声を挙げた。

 マチルダは子供達に歩み寄り、笑みを浮かべながら子供達に元気だったかどうかを訪ねている。思い思いの元気な返答にマチルダは安堵を隠しきれない。

 

 

「マチルダ姉さん! 帰ってきたんですね!」

 

 

 子供の誰かが呼んで来たのだろう。マチルダは聞き慣れた声に顔を上げた。思わず目を奪われるような美貌、その端正な顔を無邪気に笑みに変えながら駆け寄ってくる少女の姿にマチルダは心より安堵した。

 

 

「テファ! 元気だったかい!?」

「私は元気だよ、姉さん」

 

 

 駆け寄ってきた勢いのままに抱きついた少女を抱きしめながらマチルダは安堵する。マチルダに抱きしめられていた少女だったが、マチルダの後を追うように歩いてきたアレクサンドルの姿を見て笑みを浮かべた。

 

 

「アレクさん! アレクさんも帰って来たんですか?」

「久しぶりだね。テファ。元気にしてたかい」

「お陰様で元気にしてます! でも、二人ともどうして突然……?」

「何。君に紹介したい子がいてね。紹介するよ、ルイズ。エルザちゃん。この子がティファニアだ」

 

 

 アレクサンドルは自身の後ろにいたルイズとエルザに紹介するように少女、ティファニアを示す。ティファニアはマチルダの抱擁が終わり、僅かに前を出された状態で困惑を顕わにする。

 紹介を受けたルイズとエルザは一歩前に出る。二人の視線が注がれるのはやはりエルフの象徴たる尖った耳……。

 

 

「……なにこの、ん? なに? これ」

 

 

 ではなかった。ルイズの視線が向けられたのはティファニアの胸であった。そこには豊かな胸がその存在を主張していた。

 

 

「え、えと、な、なに……?」

「言ってみなさいよ。この、これは一体何なのよ?」

「え、えと……胸です」

「胸? 胸と言ったの? 貴方」

「……は、はい……」

「ちょ、ちょっとルイズ? ……気持ちわからなくもないけど、落ち着きな」

「コレが胸? アンタは何を言ってるの? こんなものが胸である訳がないじゃない」

 

 

 ルイズは忌々しげにティファニアの服を明らかに圧迫しているブツを睨み付ける。これには流石のエルザも引いたのか、ルイズから距離を取ってアレクサンドルの方へと逃げている。アレクサンドルは思わず笑いを堪えて口元に手を添えている。

 

 

「ねぇ? ところで貴方」

「な、なに……?」

「私のここを見て頂戴? どう思う?」

 

 

 とんとん、と自分の胸を叩きながらルイズはティファニアに問い掛ける。その目が若干据わっていて、ティファニアに威圧感を与えている事にルイズは気付いているのか、いないのか。とにかくティファニアは律儀に応えようとおずおずと言葉を放つ。

 

 

「……えと、貴方の胸を見て、その、えと?」

「……」

「……私と、違う、かな……?」

「……ふ、うふっ、うふふふふふ! 違うわよね、そうよね、だって貴方のソレ、胸じゃないもの」

「え? そ、そうなの……?」

「認められるかぁ!! なんなのよその贅肉の塊は!!」

 

 

 我慢の限界だったのか、ルイズはがーっ! と両手を振り上げてティファニアを威嚇した。ひぃ、とルイズの叫びにティファニアがマチルダを盾にするように隠れてしまう。

 笑いが堪えきれなかったのか、アレクサンドルは腹を抱えて身を折っている。エルザは貧しい者を見つめるように生暖かい視線をルイズに注ぎ、盾にされたマチルダはどこか諦観したような表情で溜息を吐くのであった。

 

 

 

 * * *

 

 

 

 ルイズが“胸革命”の衝撃から立ち直るのに間を置いた後、ティファニアの家に場所を移していた。すっかり落ち着いたルイズであったが、ティファニアにとってすっかりと恐い人という認識を持たれてしまっている。

 ルイズが何かの挙動を示す度に怯えるものだから、流石にルイズも威圧しすぎたかと反省はしている。ティファニアの胸だけは絶対に許しはしないが、と強い決意を固めながら。

 

 

「ったく、エルフってのは巨乳の種族なの?」

「ち、違います! あ……! あ、貴方、私が恐くないの?」

「恐いわよ。一体何食ったらそんなモンが育つって言うのよ!? 言いなさいよ! なんか秘訣でもあるんでしょ!?」

「え、そ、そこなの!?」

「そこもここも無いわよ! えぇ、私にはございませんよ!! えぇ、えぇ!!」

 

 

 ルイズに押されっぱなしのティファニアである。おろおろした様子でティファニアはマチルダとアレクサンドルに助けを求めている。だが、アレクサンドルは面白いものを見るように、マチルダは言葉が無いのかそっぽ向いている。

 

 

「ちょっと、ルイズお姉ちゃん。流石に虐めすぎ」

「……ふっ、まぁ、これで私が貴方の事なんか恐くないっていう証明になったでしょ? ティファニア?」

「うわ、上手く流そうとしてる。……まぁ良いか。そう言う訳でティファニアさん? 私達は貴方がハーフエルフだからって怖がったりも嫌ったりもしないよ? 安心してね?」

「……私がハーフだって知ってるんですか?」

「マチルダから聞いてるわよ。……勝手に聞いて悪かったわね。気分を害したならごめんなさい。でも、話が聞けたから私は貴方に会いに来た。だから責めないであげて頂戴」

「どうして私に会おうと思ったんですか?」

「貴方に会って見たかったから、かな。特に深い理由なんて無いわよ」

 

 

 ルイズは気負いも見せず、軽い調子で言い切った。エルザもまた同じく、何も気負う事無く寛いで見せている。そんな二人の様子にティファニアは戸惑う事しか出来ない。今までの経験からハーフエルフが忌避される者だと知っているからだ。

 なのに拒む様子どころか、恐れた様子もない。まるで普通に接してくる彼女たちにティファニアが困惑するのは仕方がない事だろう。

 

 

「ま、後は知り合いを助けてくれたって話だから。御礼もしたかったしね」

「え? ルイズさんはアレクさんと知り合いなんですか?」

「ん。ちょっとした縁でね」

「じゃあルイズさんはファ・ディールの人なんですか?」

 

 

 ルイズがファ・ディールの人間ならばエルフを怖がったりする事はない。故のティファニアの推測だったのだが、ルイズは何とも言えないような表情を浮かべる。

 

 

「うーん、生まれはハルケギニアだけど、育ちはファ・ディール、みたいな感じかしら?」

「え? ファ・ディールの人じゃないんですか?」

「うん。まぁ事情が色々あるんだけどね」

「あと、ちなみに私は吸血鬼だからエルフだからって怖がったりはしないよ? ティファニアさんがすぐに襲いかかってくるような人なら別だったけど」

「吸血鬼!? ……ごめんなさい、ちょっとビックリしちゃって。私は貴方達に襲いかかるなんて、そんな事しないです」

「だったら同じ。ティファニアさんと私は同じだからお友達だね」

「……友達」

 

 

 意外な言葉を聞いた、と言うようにティファニアは目を瞬かせた。

 

 

「そうね。なら私もティファニアとは友達ね」

「私が貴方達と、友達?」

「良かったね。テファ。連れてきて良かっただろう?」

「マチルダ姉さん、その、私、今、変な顔してない? だ、だって私の事、友達だって……」

 

 

 ティファニアは戸惑ったようにマチルダとルイズ達の顔を交互に見合わせて自分の頬に手を添えている。ティファニアにとっては初めての経験なのだろう。こういった反応を取ってしまうのは仕様がないだろう、とルイズは思う。

 ファ・ディールで心通わせた人達と友情を築いた際にも、自分が似たような反応を示した事があったからだ。だからこそ、この出会いは大切にしたいと、困惑しながらも、喜びを隠し切れていないティファニアを見ながらルイズは強く思うのだった。



目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

動き出す運命

「そう言えば、ティファニア。貴方、ハーフエルフって魔法はどうなの? 精霊魔法を使えるの?」

 

 

 ふと、ルイズはティファニアについて気になった話を切り出した。エルフは強力な精霊魔法を使う事で知られているのだが、ティファニアはどうなのだろうか、と疑問が浮かんだからだ。

 更に言えばティファニアは貴族の子でもある。もしかしたら系統魔法も扱えて、どちらの魔法も使い分ける事が出来るのではないか、というルイズの疑問にティファニアは首を振った。

 

 

「私、精霊魔法は使えないの。教わる前にお母さんは……」

「……ごめんなさい」

 

 

 ティファニアの表情が曇った事でルイズは触れてはいけない話題に触れてしまった事に気付いた。配慮が欠けていた、とルイズは反省する。教わっていなければ精霊魔法など使える筈もないだろう、と納得する。

 場が一瞬、暗くなる。だが、すぐにティファニアが気を取り直すように明るい声で言葉を続ける。

 

 

「系統魔法も私、使えないの。マチルダ姉さんから教えて貰った事があるんだけど……」

「どうにも上手く魔法が使えないのさ。コモン・マジックなら使えるんだけどね」

「あ、でもね、1つだけ使える呪文があるの」

「へぇ、どんな呪文?」

「えとね、相手の記憶を忘れさせる呪文なの」

 

 

 ふぅん? とルイズが興味深げに反応した時、思いがけない所から反応が返ってきた。

 

 

「なぁ、相棒。それって“虚無”の魔法じゃねぇか?」

 

 

 傍らに置かれていたルイズの愛剣となったデルフリンガーからだった。は? とルイズはデルフリンガーに視線を向ける。今、この剣は何と言った、とデルフリンガーの言葉を理解しようとし、理解と同時にティファニアに驚愕の視線を向けた。

 ルイズの劇的な反応と同時に場が凍り付く。ティファニアだけが困惑した様子で皆の様子を伺っている。エルザもよくわからないのか、同じように困惑したような表情を浮かべる。

 一方で、マチルダが驚愕の表情を浮かべて固まっている対照的にアレクサンドルが納得したように頷いてる。

 

 

「デルフ。虚無の呪文にそんなのあるの?」

「おう。今、思い出した。忘却の呪文は虚無の魔法だ」

「アレクサンドル。1つ聞くわ? 貴方、もしかしてティファニアにサモン・サーヴァントで召喚されたんじゃないでしょうね」

「御名答。ルイズ、正解だ。私はティファニアのサモン・サーヴァントでハルケギニアに召喚されている」

「……ほら見たことか。完全に一致するじゃない」

「え? え?」

 

 

 ティファニアはどうして周りの空気が変わってしまったのかわからず、困惑したまま皆を見る。その瞳には隠しきれない不安が見て取れた。

 場の空気を変えたのはマチルダだ。彼女は勢いよく席を立ち、机に両手を勢い良く叩き付けて叫ぶ。信じられない、と感情を込めて吐き出された叫びは震えを帯びていた。

 

 

「ちょっと待っておくれ。虚無だって? それじゃあテファは“始祖の再来”とでも言うのかい!?」

「事実、そうでしょうね。アレクサンドル、契約は交わしてる?」

「ルイズ。私は彼女と契約は交わしてない。……あくまで私と彼女たちの関係は友人だからね」

「……それじゃあ疑問に思うにも材料が足りなかったわよね。これも運命、って奴なのかしらね?」

 

 

 ルイズは左手を掲げてみせるように挙げ、自分の中に眠るマナとの同調を強める。そうして浮かび上がるのは使い魔のルーン。掲げて見せるように左手を挙げるルイズにマチルダは怪訝そうに表情を変える。

 マチルダはオスマンの秘書である。その事情から、ルイズの本来の使い魔はルイズと同化している精霊だという話を伺っている。同化している為に使い魔のルーンが浮かび上がるのは納得出来るが、何故、今この時に見せるのかわからずに首を傾げる。

 

 

「ルイズの使い魔の件は聞いてるけど、そのルーンがどうしたって言うんだい?」

「このルーンの名はガンダールヴ。かの始祖、ブリミルが召喚したとされる使い魔のルーンよ」

「……え!? 神の左手、ガンダールヴ!? あのオルゴールから聞いた唄と同じ名前!?」

「ま、待っておくれ! 一体何がどうなってるってんだい!? テファが虚無で、ルイズがガンダールヴ!? それってつまり、何だい!?」

「ここに伝説の使い手が二人、揃ったという事になるのかな」

 

 

 アレクサンドルのどこか落ち着いた、だが険の篭もった声が混乱に満ちた場に響き渡り、誰もが言葉を無くした。

 

 

「……状況を、整理しましょう」

 

 

 静かに、だがゆっくりと落ち着いた言葉で呟いたルイズに反論する者はいなかった。

 そしてルイズの一言から始まった情報交換。そして情報の整理と確認。それを一通り終えたルイズは思わず天を仰いで片手で両目を隠すように伏せた。情報を整理すると頭が痛くなる話ばかりだったからだ。

 まずティファニア。彼女は間違いなく虚無の担い手だと言う事。過去に宝物庫で始祖のオルゴールを見た際、彼女はオルゴールから唄を聞き、そこで虚無に目覚めたという。

 デルフから聞き出すと、ブリミルの残した四の秘宝、そして四のルビーのいずれかを担い手が持つと魔法が導き出され、虚無として覚醒するという情報。

 テファが宝物庫でつけた指輪はアルビオン王家に伝えられている風のルビーであった事。実物を見たことがあるマチルダの記憶とティファニアの証言から語られた指輪が相似していた事。

 極めつけにファ・ディールという、本来はハルケギニアの枠から超えてサモン・サーヴァントでアレクサンドルを召喚しているという事実。

 

 

「最初は魔法の練習がてら、テファに護衛が出来るなら、って思って試したら此奴が出てきてね」

「それからの付き合いでしたが……。こうなって来ると、この出会い全てが運命に仕組まれているのではないかとさえ思えてくるね」

 

 

 誰もが、特に世界の情勢などに耳が聡いマチルダやアレクサンドルは苦虫を噛み潰した顔をしている。ティファニアとエルザはいまいちわかっていないのか、仕切りに心配そうに、しかし怪訝そうに頭を抱える三人を見る。

 

 

「……どうしたものかしら」

 

 

 ルイズは額に拳を当て、重々しく呟いた。眼前の問題も勿論あるが、問題は目の前の事だけじゃない。虚無に纏わるありとあらゆる問題、それがティファニアに降りかかっている。

 ルイズは大きくため息を吐く。知ってしまった以上、逃げる訳にはいかない。そもそもここで彼女たちを見捨てる、という選択は選べない。もうここまで知ってしまったのもあるし、彼女の境遇に同情もしてしまっている。だからこそ尚のこと、見捨てられない。

 自分が何も知らないまま、ファ・ディールに誘われた時のように。運命とは唐突に訪れる。それは否応なしに変化を与えてくるだろう。良くも悪くも。

 ティファニアの生活がこのまま、という事はあり得ない。そもそも彼女たちは現状にさえままならないのだ。破綻は目に見えている。

 ならばどうする? どうすれば好転出来る? 貧困だけならばまだルイズにだって手が残されていない訳ではない。だが、そこに虚無が絡んでくるとなれば話は別だ。

 そこまで考え、ルイズはゆっくりと顔を上げた。ルイズが視線を向けた先には不安げに身を縮めさせるティファニアの姿がある。 

 いつかの自分のように、彼女は何も知らない。この狭い世界しか見ていない。自分の存在がどれだけハルケギニアにとって劇薬なのかも、きっと理解する事は出来ないだろう。

 知られれば命を奪われるどころではない。場合によっては虚無の魔法の手がかりとして、口にもしたくないような凄惨な未来が待っている可能性だってあり得る。確定出来ない彼女の未来は余りにも暗い展望しか見えない。

 

 

「……なんでだよ。どうして、この子がこんな因果を背負わなければならないんだよ」

 

 

 ぽつりと、呟かれた言葉はマチルダのものだった。その言葉は震え、世界に対しての憤りが詰まっていた。

 さもありなん。マチルダの言葉は最もだ。何故、と。ティファニアが悪いのか? 彼女がこんな重たい宿命を背負わされなければならない理由など無いのに。

 ティファニアが罪を犯した訳ではない。なのに何故、こうもこの世界は、ハルケギニアはティファニアには優しくないのか、とマチルダは嘆き、憎み、憤りを口にする。

 マチルダの呟きに、ルイズはそっと目を伏せる。

 何故、どうして。幾度もなく自分が繰り返した言葉。思い通りにならない憤りを胸に抱え、空回り、世界の残酷さに震え、涙を流した。

 ルイズは痛みを知っている。その痛みを、どうしようもなく知っているのだ。勿論、ティファニアや、マチルダの痛みを理解出来る訳ではない。ただ、似たような痛みをよく知っているのだ。

 

 

「どうして世界は優しくない。……でも、それって本当に?」

「……ルイズ?」

「違う。優しくない世界なんて嘘だ。例え辛い事があっても、辛いだけの世界なんて認めない。認められる訳ない。そうじゃないって言う為に私はここにいる」

 

 

 そうだ。報われないだけの世界なら、一体、何のために生まれてきたんだ。苦しむ為に生まれてきたなんて、そんなの悲しすぎる。

 悲しんで、苦しんで、それでも乗り越えなければならいなら。その分の見返りが無ければ絶対に嘘だ。理不尽に不幸を強要するだけなんて絶対にあり得ないし、認められない。そんな世界があって良いはずがない。

 

 

「ハーフエルフだから? 虚無の魔法を使えるから? それだけで、たったそれだけの事で全てが否定されなきゃいけない? 違う、絶対に違う!」

 

 

 ルイズは、静かに席を立つ。

 

 

「……ルイズ?」

「ティファニア、教えて。貴方はどう思う?」

「な、何を?」

「自分の両親が殺された事、外に出る事も許されず、隠れるように生きなきゃいけない、貴方に強要された全てを」

「……それは」

「どうして、何故、って。そうは思わない?」

 

 

 ルイズはまっすぐにティファニアを見据えて問う。ルイズに気圧されるように体を震わせたティファニアは、ルイズの言葉に視線を落とした。

 思わない筈がない。両親を殺され、身を隠さなければ生きていけず、世界から受け入れて貰えない。何も思わないなんて嘘だ。悲しかったに決まっている。憤りを覚えたに決まっている。

 

 

「それだけじゃ飽きたらず、きっと貴方が虚無が使えると知られればそれは新たな災厄の種になるでしょう。貴方の命を狙う輩が出るかもしれない。貴方の力を狙う者が出るものかもしれない」

「そんな……!」

「なんで? そう思うでしょ。なんで私が、って」

「……っ!」

「私も、そうだった」

 

 

 え、と。言葉を零したのは果たして誰だったのか。ルイズはそんな中、淡く笑みを零す。

 

 

「ティファニアとは事情が違うんだけどね、私もどうして、なんで、って言う人生だった。詳しく話すと……本当にたくさんの事があったんだけどね」

 

 

 懐かしむように、しかしどこか痛むようにルイズは苦い笑みを浮かべて言葉を続ける。

 

 

「だから、私は貴方を助けたいと思うわ。どうしようもない事ってのは、本当にどうしようもなくて、突然やってくる。それは悲しいし、苦しいし、辛い事もいっぱいだわ。一人じゃどうしようも出来なくて、泣くしか出来ない事もある。――その辛さを私は知っている。そして私は、それをどうにか出来るかもしれない力がある」

 

 

 左手を胸に押し当てるようにルイズは手を置く。自分を生かす心臓の音が手を通じて感じ取る事が出来る。

 そしてその奥底に宿る存在も確かに感じ取る事が出来る。確かめるように、感じ取るように目を閉じ、ゆっくりと再び開き、ティファニアを見据える。

 

 

 

「ティファニア、教えて? 貴方は何を望む?」

「私の望み?」

「ここにいる事が、貴方の望み? 今がティファニアの望んだ世界?」

 

 

 ルイズの問いかけに、ティファニアは戸惑うように視線を彷徨わせる。気付けばマチルダが、アレクサンドルが、エルザが、そこにいる全員がティファニアへと視線を向けていた。

 望み、ともう一度、ティファニアは口にする。握りしめた拳を胸の上に置くように動かし、小さく首を振った。

 

 

「ここが、私の望んだ場所じゃない」

「貴方の望みは?」

「……本当は、色んな事が知りたい。色んな世界を見てみたい。本当は……お母さんの故郷も見てみたい……!」

 

 

 一度、こぼれ落ちた本心はぽつり、ぽつりとティファニアの口から語られた。外への憧れや、母の故郷を見たいという夢。

 

 

「だけど、私はエルフだから……! 人間に怖がられちゃうから! そんな事出来ない! ここにいる子達も放ってなんておけない!!」

 

 

 夢と、それを縛るしがらみと。望めず、ひた隠しにしていた思いが溢れ出す。

 自然と声が震えていた。いつしかティファニアの頬には涙が伝っていた。

 それをまっすぐに受け止めて、ルイズは静かな声で、しかしティファニアに届くように言葉を紡ぐ。

 

 

「……助けてあげる」

「……え?」

「私が、助けてあげる」

 

 

 凜、と。確かな自信を以てルイズは告げる。顔を上げたティファニアが見たのは優しげな笑みを浮かべたルイズ。

 

 

 

「貴方の望みを叶えたい。だから、私は貴方を助ける」

「……どうして?」

「どうして? ……そうね。きっと同じだったから。私と、ティファニアは。だから放っておけない。助けたいと思ったのは、きっとそんな理由。きっとティファニアとは友達になれる。似たような痛みを背負って、似たような悩みを抱えてたから」

 

 

 だから、と。

 

 

 

 

 

「助けさせて。こんな報われない子がいる事を許せない。知ってしまった以上、放っておけない。―――貴方の目に映る世界を変えてあげたいの」

 

 

 

 

 

 * * *

 

 

 

 

 

 

「……あんな安請け合いをしても良かったのか?」

「え?」

 

 

 アレクサンドルはルイズに声をかけた。ルイズがいる場所はティファニアの家の外。あれから戸惑いながらも涙を流すティファニアと、そんなティファニアを慰めるように抱きしめるマチルダを残してルイズはエルザを伴って家を出た。

 ルイズは空を見上げるように立ち尽くしていた。空には二つの月が浮かんでいる。暫し、その月を見上げるように見ていたルイズだったが、ふぅ、と息を吐いてアレクサンドルに向き直る。

 

 

「……許せないだけよ。理不尽も理不尽。ティファニアが一体何をしたって言うのよ」

「……それはそうだが」

「それに、知って見捨てるような奴だと思う? この私が、さ」

 

 

 口角を上げるように笑みを浮かべるルイズの姿にアレクサンドルは僅かに目を瞬かせて、不意にルイズの側に寄り添っていたエルザと視線が合う。

 エルザの表情には苦笑が浮かんでいた。それに釣られるようにアレクサンドルの顔にも苦笑が浮かぶ。

 

 

「そうだな。再三警告をされても、私達の問題に首に突っ込み、解決してしまうような奴だったな」

「褒められてるのか、貶されてるのか……。ま、どっちでも良いけどね。結局、気に入らない事は気に入らないってだけなんでしょうし」

「しかし実際にどうするつもりだ? あの子を連れ出すつもりか?」

「あの子は優しいからね。ここにいる孤児の子達を置いてはいけないでしょ。なら、そもそも環境の改善を行わないと」

「じゃあ、どうするつもりだ?」

 

 

 アレクサンドルの問いに、ルイズは少しばかり悩むように目を閉じ、笑みを浮かべた。アレクサンドルは思わず目を見開かせる。ルイズが浮かべた表情が俗に言う“悪戯を思いついたような笑み”をしていたからだ。

 

 

「……何。憂いも無くしておきたいし、私も確かめたい事がある。一切合切、問題を解消するのに一つ案がある。だから―――」

 

 

 

 

 

 ―――アルビオンの王党派に接触するわよ。

 

 

 

 

 

 

 



目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

創造の宣誓

「王党派に接触する!?」

 

 

 マチルダが驚愕と憤怒を混ぜ合わせた声でルイズに怒鳴りつける。ルイズはマチルダの怒声を予測していたのか、耳を塞ぐように手で押さえている。マチルダは柳眉を上げて、ルイズを睨み付けている。

 ルイズはマチルダに睨み付けられている事をまるで柳のように受け流しながら、そうよ、と頷いた。二人の様子をおろおろして見守るティファニア。苦笑を浮かべるエルザとアレクサンドルという図がそこにはあった。

 

 

「アンタ! この状況で一体何馬鹿げた事を言ってるんだい!?」

「こんな状況だからこそ、でしょ?」

「何……?」

 

 

 訝しげに声を出すマチルダにルイズはいい? と前置きをして続ける。

 

 

「この状況を私は利用するつもりよ」

「利用って、どういう風に?」

「この内乱を終結させる」

「はぁあああ!?」

 

 

 何を言っているんだ、と言わんばかりにマチルダはルイズを見る。ルイズはさも当たり前のように内乱を終結させる、と言い切った。それが一体どれだけの事か、本当にルイズはわかっているのか、と疑うようにルイズをマチルダは見る。

 ルイズは涼しげな顔をしながら肩を竦める。いいから最後まで話を聞け、と釘を刺すようにマチルダに見せるように指を立てながら言う。

 

 

「で、その手柄をティファニアのものにしてしまえば、幾ら王族と言えど文句は言えないでしょ」

「えぇ!?」

「……アンタ、本気でそれを言っているのかい?」

 

 

 自分の名を出されたティファニアは驚いたように目を見開かせて叫ぶ。マチルダもルイズの口から出てきた突拍子もない話に頭が痛くなってきたのか、額を抑える。

 

 

「本気も本気。国が滅びようとしようとしている所に颯爽と現れて国を救うのよ? 血筋としてもモード大公の血を継いでるし、更に言えば虚無である事を証明させてしまえば王族としては尚更文句は言えないじゃない」

「それでテファを利用されたりするかもしれないじゃないか!?」

「だからこそ国を救うのよ。国を救って恩を叩き付けて、文句を言わせない状態にすれば良いんじゃない。後はティファニアの希望で王族として扱われるなり、存在を認めて貰うなりすれば良いじゃない」

「あんた、国相手に脅迫するつもり!?」

「そういう事になるわね」

 

 

 何でもないように告げるルイズの提案にマチルダは絶句し、ぱくぱくと口を開閉する。視線をずらしてみれば苦笑し、お手上げというように両手を挙げているアレクサンドルと、苦笑して頬を指で掻いてるエルザの姿が見える。

 

 

「そもそもの前提がおかしい! 国を救うって……テファに何が出来るって言うんだい!? 虚無だって言っても、テファ自身には記憶を消す魔法ぐらいしか扱えないんだよ!?」

「だから私がいるんじゃない。私が貴族派をどうにかすれば良いんでしょう?」

 

 

 さも当然のようにルイズはマチルダに告げる。ルイズの言葉を受け、マチルダは憤りを叩き付けるように机を叩く。

 

 

「そんな簡単にどうにか出来る訳ないだろ!? それこそあんた一人で何が出来るってんだい!? 相手は軍隊なんだよ!? アンタがガンダールヴでも、軍隊相手には勝ち目なんか無い!! そんな、無謀とも言えない案に乗れる訳ないだろ!?」

「――あるわよ」

「何が!?」

「勝ち目、よ」

 

 

 ぞっ、と。マチルダはルイズの表情を見て、背筋に悪寒を走らせた。マチルダをまっすぐと見据える瞳は風のない水面のように清んでいて、感情を隠してしまっている。

 表情も消え、静けさを感じさせる表情に気圧された。まるで揺らいでないその様はまるで何も疑っていない。自身の発言に何の疑いもない、圧倒的な自信を以てルイズは答えている。

 

 

「まぁ準備はいるから1、2日は欲しいけれどね。でも貴族派を相手にして勝つ算段は私の中にあるわ」

「……本気? いや、正気なのかい?」

「――ハッ。んじゃなきゃ言わないって」

 

 

 不適に笑ってみせるルイズが告げた言葉にマチルダが再び言葉を失うのはごく当たり前の事だった。

 

 

 

 

 

「これでも世界を一つ救った事もあるのよ? ―――国の一つぐらい救って見せるわよ」

 

 

 

 

 

 

 * * *

 

 

 

 

 

 アルビオン王国、ニューカッスル城。ここは現在アルビオンの王族が纏める王党派が立てこもり防戦を続ける戦地である。だが、その戦力差は思わず鼻で笑ってしまいたくなるまで圧倒的であり、最早、王党派は風前の灯火である。

 故に、城に残りし者達は死ぬ時には多くの敵を道連れにしてやる、と息巻いており、皮肉な事に指揮が最も高いと言えた。

 そんな決死の覚悟を抱く兵達。見張りもまたネズミ一匹たりとも見逃さぬ、と言う程まで緊張を高めて警戒に当たっていた。

 張り詰められた彼等の聴覚がその音を耳にしたのは自然の事だろう。上空より迫る翼の羽ばたきの音。それは飛竜の羽ばたきの音だと察知した彼等は上空へと視線を上げた。

 

 

「竜騎士!? しかし、単騎だと!?」

 

 

 城へと一直線に急降下をしてくるのは空を舞う竜騎士、しかしその数は驚く事に単騎である。その姿に兵達が覚えたのは困惑だ。確かに我が軍は壊滅的な被害を受け、その命運も風前の灯火であろう。

 だが、だからといって単騎で突撃してくる等、無謀とも言えない愚行だ。あの竜騎士は一体何だ、と誰もが視線を向ける。そんな兵士達を嘲笑うかのように竜は滑空し、高度を下げてくる。

 目の良い兵は真っ先に気付く。その竜の背に跨るのは三人。出で立ちから見て大凡、兵とも思えぬ軽装備。その内の一人が―――竜の背を勢いよく蹴って空を舞った。

 

 

「なぁ―――!?」

 

 

 誰もが驚愕の声を上げた。竜の背より飛んだ何者かは重力に身を任せ落下を続けている。フライやレビテーションといった飛翔の為の魔法を使う気配もない。更に驚くべきは―――その手に握られていたのは剣だったからだ。

 剣を握るという事は平民なのか、しかし飛び降りた高度は明らかに魔法が無ければ無事着地も出来ないだろう高度。自殺とも思いかねない行動を見せた何者かは更に驚くべき事態を巻き起こす。

 

 

「―――」

 

 

 風だ。

 風が吹き荒れる。まるで風が落下してくる彼女を守護するかのように猛り、渦を巻き起こす。渦は勢いを増し、近場にいたものは態勢を崩し、下手をすれば渦に巻き込まれかねない。

 そして渦によって兵の誰もが動きを止められている間に竜の背より降り立った者は大地に降り立つ。渦が収まり、改めて降り立った者の姿を見た兵達は呆気取られる。

 少女だ。桃色がかったブロンドの髪を風に揺らし、鳶色の瞳は何かを見定めるように細められている。手に握ったのは少女の身には似合わぬ無骨な剣。ちぐはぐでいて、しかしその姿が余りにも様になっている奇怪な印象。

 困惑は広がっていく。突如現れた彼女は敵なのか、それすらもわからない。警戒するように突き出した杖すら困惑に震えている。兵達の困惑を笑うかのように少女―ルイズ―は鼻を鳴らし、通るような声で告げた。

 

 

「―――アルビオン王国が国王、ジェームズ1世様はご健在かしら? お目通り願いたい」

 

 

 ルイズの問いかけに誰もが呆気取られ、しかしすぐに敵意と警戒を帯びた瞳でルイズを睨み据える。

 

 

「貴様、一体何者!?」

 

 

 前に進み出た兵は恐らく兵達を従える長なのだろう。杖を向け、いつでも立ち向かえるようにと腰を落としながらルイズへと問いを投げかける。

 ルイズはその問いにゆっくりと左手を掲げる。その手に浮かぶのは使い魔のルーン。見せつけるように掲げた手にルイズを取り囲む兵達は訝しげに眉を寄せる。

 

 

「私はガンダールヴ。我が友、モード大公が忘れ形見にして虚無の再臨、ティファニアの意思を受け、ここに馳せ参じた」

 

 

 ルイズが高らかに告げた言葉に兵達の間に動揺が駆けめぐる。アルビオン国の人間であれば知るモード大公の名、更に飛び出した虚無の再臨という言葉。それが兵達の意識を奪い、混乱を呼び寄せる。

 

 

「デ、デタラメを!?」

「デタラメと言うならば試すか! かつて始祖ブリミルが従えた神の左手、ガンダールヴの力を!!」

  

 

 叫ぼうとした兵の声を遮るようにルイズが叫ぶ。始祖ブリミルが従えしガンダールヴ。それは貴族達の間で御伽噺として伝えられている伝承。掲げて見せた左手のルーンをまるで証のように、ルイズは兵達を睨み据える。

 兵達がルイズの気迫に押されるようにして言葉を失う。ルイズの気に呑まれようとした空気を一新したのはこの場に新たに姿を見せた者が発した声によってだった。

 

 

「……敵襲かと思えば、その口上、ただ事ではないようだね?」

 

 

 ルイズは一瞬、その姿に驚き、しかし安堵したように笑みを見せる。ルイズの前に姿を現したのは青年、油断無く杖を構えるその姿にルイズは見覚えがあった。

 親しみを見せるように声を柔らかくし、ルイズは彼に、アルビオンの王子であるウェールズ・テューダーに声をかけた。

 

 

「お会いできて光栄ですわ。ウェールズ皇太子」

「虚無の使い魔を名乗る君は一体何者だ?」

 

 

 彼、ウェールズ・テューダーは警戒を崩さずにルイズを見据える。ウェールズの姿を確認したルイズは口元を緩め、ほくそ笑む。

 手に握った剣を背に吊した鞘へと収める。敵地において鞘を納めるという愚行を為した侵入者に誰もが不気味さを覚えながらも警戒を続ける。

 ルイズが剣を納めたのを合図にしたように空より先ほどの飛竜が舞い降りる。ルイズに気を取られていた為に誰もが竜の降下に気づけず、竜はルイズの傍へと降り立つ。

 その背から二人の人物が降りてくる。その片割れを目にしたウェールズは目を見開き、馬鹿な、と掠れた声を漏らした。

 

 

「なぜ……? 何故、貴方がここに……!?」

「……ふん。久しぶりだね。皇太子殿下殿?」

「マチルダ・オブ・サウスゴータ!!」

 

 

 皮肉気に笑みを浮かべたマチルダの姿にウェールズは唖然としてマチルダを見つめる。

 

 

 

 

「時間がないんだ。さっさと国王陛下に面通しさせな。――アンタの姪が会いに来たってねッ!!」

 

 

 

 * * *

 

 

 

 かつてない緊張がニューカッスル城の謁見の間を支配する。兵達が国王であるジェームズ一世を守るように並び、国王の隣には王子であるウェールズが並び立つ。

 その対面に立つのはルイズ達だ。正面にはルイズが立ち、その後ろにはマチルダとティファニアが守られるように並ぶ。ルイズはすっかりと老け込み、皺を刻んだジェームズを見て、僅かに目を細めた。

 言いようのない緊張感にティファニアが身を震わせ、マチルダが落ち着かせるようにティファニアの手を握る。しかし、彼女の瞳からは感情が伺えない。睨み据えるように視線を向けるのは玉座に座るジェームズへ。

 一体どれだけの沈黙の時間が流れただろうか。沈黙を破ったのは玉座に座るジェームズの言葉だった。

 

 

「……モードの忘れ形見、と言ったな。その言葉に嘘偽りはないか?」

 

 

 老い、疲れ果てたような声であっても威厳はなお消えず。真実を確かめようと、その眼はルイズの背に立つティファニアへと向けられている。まるで誰かの面影を探すかのように。

 ルイズは首を横に向け、ティファニアへと視線を送る。ティファニアはルイズの視線を受け、躊躇したように一度身を震わせたものの、ゆっくりと頭に被っていた帽子を脱ぎ去った。

 頭を覆い隠すように被っていた鍔の広い帽子を脱ぎ去った。帽子を脱いだ事によってティファニアの金髪が揺れ、そして帽子によって隠されていたエルフの象徴である尖った耳が露わになる。

 おぉ、と兵士達の恐怖とも感嘆とも取れる息が零れた。ざわめきが広がる中、ジェームズはティファニアの姿を改めて見据え、静かに目を閉ざし、顔を項垂れさせた。

 

 

「……生きていたのか」

 

 

 どのような感情を持って言葉が紡がれたのか、ルイズにはわからなかった。老王が重ねた時間、自ら投獄した弟の事、そして弟とエルフの間に生まれたティファニアについての感情など、ルイズには推し量る事さえ出来ないだろう。

 暫し、目を閉じて黙考をしていたジェームズだがゆっくりを顔をあげる。そこには私人としての感情は見受けられず、王として応対を決めた姿があった。

 

 

「……エルフの耳に、そしてサウスゴータの娘。なるほど、確かに我が弟、モードの忘れ形見と認めよう。……して? その忘れ形見が亡国の王に何の用だ? 仇討ちにでも参ったか?」

 

 

 王に問われ、息を呑んだのはマチルダとティファニアだ。マチルダは激情を抑える為、ティファニアは威圧感に呑まれた為に。

 ジェームズの言葉に、ルイズが振り返る。後ろにいたティファニアとルイズの視線が絡み、ティファニアは息を整えるように大きく息を吸い、前に出た。

 マチルダと握っていた手を離し、一歩前へ。心配げなマチルダの視線を受けながらもティファニアはルイズに並び立つ。震える手で拳を作り、玉座に座るジェームズを見る。

 

 

「わ、私は……」

 

 

 彼女の言葉に場の緊張が尚更高まる。ジェームズはただ静かにティファニアの言葉を待っている。震え、顔を背けてしまいそうになりながらもティファニアはジェームズを見続けた。

 

 

「……私は、仇討ちとか、そんなつもりはありません」

「……ほぅ?」

「……王様に対して、憎い、って気持ちがない訳じゃないです。だって、貴方は私の両親を、殺したんだから」

 

 

 言葉を選ぶように、ティファニアは言葉を続ける。震えながらも、泣き出してしまいそうになりながらもただ懸命に前を向く。

 

 

「辛かった、悲しかった。でも、でも……! それで、じゃあ、貴方を憎んで……、殺して……、母と父が、帰ってくる訳じゃない……!」

 

 

 遂に堪えきれなかった涙が一つ、ティファニアの頬を伝う。

 

 

「だから仇討ちとか、しません。その為に来た訳じゃ、ない」

 

 

 涙を拭う事もせず、ティファニアは言い切った。そんなティファニアを複雑な表情でマチルダは見つめている。

 二人の姿を見守るようにルイズは見ていた。そしてティファニアの肩にそっと手を置く。

 

 

「……それで、良いのね?」

「……うん」

「わかった。それで良いなら」

 

 

 ルイズは頷いて、ティファニアを下げさせる。一歩引いたティファニアの肩を抱くようにマチルダが寄り添う。限界だったのか、マチルダに寄り添って身を預けるティファニア。

 その姿を見た後、ルイズは改めてジェームズへと向き直った。まるで揺れていないその姿を睨み据えるように。

 

 

「我が友は復讐を望まない」

「……では尚更、何故ここへ?」

「彼女の生きる世界を手に入れに。その為に、彼女の存在を……ジェームズ1世様。貴方が認めてください。彼女はアルビオンの子であると。生を許された存在である事を。この地で、この世界で生きる事を」

「……不可解だ。何故、そんなものを欲す?」

「不可解? 不可解と申したか王よ! ならば何故、ティファニアの両親は死ななければならなかったのですか!?」

 

 

 ルイズの声が謁見の間を響かせる。

 

 

「彼女はハーフエルフです。人にもなれず、エルフにもなれない。始祖ブリミルの末裔である我らが、聖地を奪ったエルフと結ばれ、子を為すなど背信も良いところ! 故に貴方はモード大公を殺した。国を守る為に!

 しかし貴方は国を守れなかった。国は別れ、大地は荒れ、民は荒み! 残せたのは何ですか? 貴族の誇り? 敢えて言いましょう。こんな結果の為に! 貴方はティファニアの両親を殺したのか!?」

 

 

 吠え、噛みつかんばかりにルイズは叫ぶ。牙のように歯を剥く姿に兵の誰もが身構え、息を呑む。ジェームズの傍らに立つウェールズも杖に手をかけ、ルイズを警戒するように睨む。

 しかし、ジェームズの一喝が場を制す。杖を収めよ、と。王の厳命に誰もが戸惑い、けれど王に従うように杖を下げた。

 

 

「……では、ガンダールヴ殿よ。そなたはどうしろ、と言うのか」

「率直に言いましょう。この亡国、アルビオンの全てを……ティファニアに渡していただきたい」

 

 

 しん、と。場が沈黙を帯びた。ルイズはただ凜としてその場に立つのみ。

 

 

「……ガンダールヴ殿。敢えて問おう。何故だ?」

「……何故?」

「君が言った通り、既に我ら王党派の敗北は決しているだろう。ならば何故その亡国を欲す? 君の言っていることは合理的ではない。故に理解が出来ない」

 

 

 ジェームズは首を振った。彼が言ったとおり、理解が出来ないだろう。彼女の言うとおりこの国は滅びる運命だ。それはもう間もなく訪れるだろう。

 故にジェームズは理解が出来ない。その存在を認める、という事も、滅びようとしている国を求める事も。何もかもが合理的ではなく、その先の展望を想像する事も出来ない。

 

 

「滅びる国だからこそ、です」

「……どういう事かね?」

「新しい国とするのです。人間とエルフの間に生まれるハーフエルフが認められる国にするのです」

「……正気、なのかね? 仮に、仮にこの亡国を貰い受け、君のように国を為すとしよう。しかしそれは始祖ブリミルへの背信だ。ロマリアが……いいや、ハルケギニアが黙っていないだろう」

「――ではティファニアはどこで生きれば良いのですか!?」

 

 

 国王の問いにルイズは叫ぶ。

 

 

「人間でもなく、エルフでもなく、両者の血を引いた彼女はどこで生きれば良い? 生きる場所がないから生まれる事自体が間違っていたとでも言うの? 

 ――違う! ならば命は生まれていない! 世界は彼女の存在を許している!! 生まれたからには許されている!!

 命は巡る! 時に争って、時に傷つけ合って、時に憎み合って、失わせたり、奪ったりして! でも世界はそれを許してくれる! でも、傷つけ合うだけで、憎み合うだけで、失うだけでは命は巡らない!

 この6000年という長い時を私達は始祖ブリミルが為した命の流れに守られてきた! でも、その流れだけではティファニアが救えないなら!! 生きる事すら許されないというのならば私は新たな流れを作る!!

 ティファニアはこの世界に生まれた、許されるべき新たな命だ!! 虚無の魔法を蘇らせた事も!! 彼女がこの世界に許されて生まれた証だ!!」

 

 

 

 

 

 ――そう、だからこそ。

 

 

 

 

 

 

「滅びる国が王よ。ただ滅びるならば、共に新たな世界を作って欲しい。ティファニアから両親を奪いながらも国を守れなかった貴方たちだからこそ。ティファニアを許してくれる世界を作る事に手を貸しなさい! 新たに生まれた虚無が! 始祖ブリミルの偉業を超える為に!!」

 

 

 

 

 

 

 



目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

和解、そして英雄の定義

 誰もが言葉を失っていた。少女が告げた言葉に。

 それはあまりにも不遜な物言いだ。ブリミルを信奉する者にとって異端どころではない。

 異端を口にしたルイズは恥じる事がない、と言うように胸を張っている。自身の言葉に確かな信念を込めて告げた。ならば曲げる背などない、と。

 

 

「始祖ブリミルを超える、か」

 

 

 ルイズが口にした言葉を反芻させるようにジェームズは自身の口でもう一度、その言葉を口にした。

 瞑目し、思考に耽る。どれだけの間を置いたか、ゆっくりとジェームズはルイズへと視線を向けた。

 

 

「その大言、果たしうるだけの力が貴公等にはあるのか?」

「無ければこの言葉は無く、ここにこの姿は在らず、ですわ」

「……信じられぬ、というのが正直な所だ。戯言にしか聞こえぬ。……その筈だ」

 

 

 ジェームズは力なく笑い、頭を振った。喉の奥から込み上げる笑いを噛みしめながらルイズの姿を目に収める。

 揺るがず、怯まず、ただその場にある姿にジェームズは魅せられるように目を細めた。

 

 

「もしも、そうだな。もしも、滅び行く我が国を救えるならば、そなたの言に乗っても良い、と思う自分がいる」

「父上!?」

「ウェールズ。血迷ったかと思うか? あぁ、血迷っているとも。しかし我らには血迷う以外の道に何がある? 貴族の誇りを胸に抱き、散りゆく事か? 同じく散りゆくならば、可能性を謡う彼女に賭けてみるのもアリではないか?」

 

 

 くく、と喉を震わせながら言うジェームズに誰もが呆気取られたように言葉を無くす。そんな中、ジェームズは席を立とうとする。傍にあった杖を手に取り、緩慢な動きで玉座から立ち上がり、ルイズ達へと歩み寄っていく。

 すぐさまウェールズが寄り添うも、ジェームズはウェールズの手を借りずにルイズの、いや、ティファニアの下へと歩んでいく。一歩、そしてまた一歩とジェームズが歩み寄る姿を誰もが見守る。

 ルイズは道を空けるように体をずらす。マチルダは歩み寄ってくるジェームズを睨み据えながらティファニアを抱きしめる。ティファニアはマチルダに寄り添いながら、戸惑うようにジェームズを見る。

 

 

「……もしも」

「……ぇ?」

「……もしも、其方が憎むならばガンダールヴ殿は我が首を刎ねていたやもしれぬ。其方がこの国を憎し、と言えば貴公等はここには来なかったやもしれぬ」

 

 

 目を閉じ、何か思うようにジェームズは言葉を続ける。

 

 

「……どうすれば良い?」

「……え?」

「許されるなどとも思っていない。国も滅びかけ、私は飾りの王でしかない。何も為し得ず、何も守れなかった愚かな王に君は……何を望む?」

 

 

 ジェームズの問いにティファニアは何度か目を瞬かせる。何かを考え込むように顔を俯かせ、そっとマチルダの手から離れ、ティファニアはジェームズの前へと立つ。

 二人の視線が絡み、ティファニアは一度視線を背けるように瞳を閉じる。顔を俯かせ、ジェームズの顔をまっすぐに見る事が叶わないまま、ティファニアは言葉を紡いだ。

 

 

「……私には、一緒に暮らしている孤児達がいます。その子達に不自由ない、飢える事のない生活をして貰えるなら。後は今まで私を守ってきてくれたマチルダ姉さんが幸せになる事とか、それが私の願いです。それが叶うなら私の願いなんて叶わなくたって良いんです」

 

 

 ティファニアの言葉にマチルダは眉を寄せる。そんな事は言わないで欲しい、と。ティファニアにはもっと自由に、自分の望みを言って欲しいと願うように。

 ティファニアの言葉を受け止めるようにジェームズは目を細める。ティファニアを見つめるその目は何かを見出そうとするようにティファニアを捉えて離さない。

 

 

「……先ほども言ったが、私は飾りの王にしか過ぎない。君の願いなど到底叶えられる程の力もない。なのに、何故だ? 何故、君は私に求める?」

「……私が、認められたいから」

「認められたい」

「……そう、です。私は認めて貰いたいんです。ここに生きてていいって、日の当たる場所で生きてていいんだって。貴方に、他の誰でもない、私の……!」

 

 

 ティファニアの言葉は力なく途切れる。俯いた顔を上げれば涙に滲む瞳。その瞳でまっすぐにジェームズを捉えながら縋るように、祈るようにティファニアは言葉を紡いだ。

 

 

「私の、叔父である貴方に認めて欲しい……!」

 

 

 ……場が静まりかえる。

 一体どれだけの願いと思いを込めて口にしたのか。再びティファニアは顔を俯かせ、顔を下に下げてしまう。震えるように肩を揺らす姿は、感極まって泣いてるようにも見える。

 ジェームズは微動だにしない。傍に控えるウェールズはティファニアを直視する事が出来ずに視線を逸らし、唇を噛んでいた。ルイズはティファニアとジェームズの様子を窺うように視線を向けていたが、何かを思うように瞼を下ろす。

 微動だにしなかったジェームズはただティファニアを見つめる。そんなジェームズを睨んでいたマチルダ。やがて何かに気付いたようにハッ、と目を瞬かせる。

 ジェームズは微動だにしなかった。いいや、出来なかったのだ。やがて零れ落ちるように頬を滴が伝い、落ちていく。それを切欠としたのか、堪える事が出来ぬように体が震えた。

 

 

「……今更」

「……え?」

「今更、其方から全てを奪った愚か者を、叔父と呼ぶでない」

 

 

 静かに首を振り、ジェームズは自身の身を跪かせてティファニアに頭を垂れる。その姿にギョッと目を見開き、諫めるようにジェームズを呼ぶのは傍に控えていたウェールズや周りにいた兵士達だ。

 突如、頭を下げたジェームズにティファニアは呆気取られるしかない。ティファニアが戸惑うように声をかけようとした所でジェームズが声を上げた。

 

 

「恥を忍んで頼む。私には愚かな王でも慕い、付き従ってくれた者達がいる。私にとって掛け替えのない宝だ。私には多くの宝がある。このアルビオンという国の貴族達が、民達が、我が息子が! 私にとって掛け替えのない宝なのだ!

 私は失いたくない! その資格がないとしても、願わずにはいられぬ!! 故に、頼む! この国を、私の宝を救ってくれ!! 其方の存在を認めろというのならば幾らでも認める! 叔父などと呼ばれる資格など無い、そんな私にまだかける情けがあるならば……!!」

 

 

 

 ―――この国を、救ってくれ。

 

 

 

 吐き出した言葉に一体どれだけの重みがあったのだろうか。ジェームズは身を震わせながら頭を垂れ続けた。王として、国の未来を思い生きてきたジェームズが全ての誇りを捨てて、自分が全てを奪った姪へと縋るように叫ぶ。

 失いたくないのだ、と彼は言う。失わせてしまった相手に対し、自分は失いたくないのだからと。それがどれだけ無様な事か。そんな姿を晒しながらもジェームズは願いを告げる。

 呆然と、ティファニアはジェームズの姿を見ていた。ふと、ティファニアは視線を上げてルイズを見た。ティファニアの視線を受けたルイズは伏せていた瞳を開き、ティファニアと視線を合わせた。

 暫し見つめ合い、ルイズは淡く微笑んで小さく頷く。ルイズが頷くのを見たティファニアは振り返り、マチルダと視線を合わせた。ティファニアに視線を向けられたマチルダは何かを諦めたかのように、困ったかのように、仕方ないと言うように笑って頷いて見せた。

 二人が頷いたのを受け止め、ティファニアは目を閉じ、ゆっくりと息を吸う。そして再び身を正面へと戻し、自らの前で跪くジェームズと同じように膝をつけ、その手を自らの手で取った。

 

 

「……何て言えばいいかなんて、わかりません。でも……でも、聞いてください」

「……何を、だね?」

「貴方が、私の叔父で良かった。私が、死んで欲しくないって、そう思える人であった事が……嬉しいです」

「……ッ!? 私は、其方の両親を殺したんだぞ……!」

「仕方ない。……皆、きっと仕方ないって、言うじゃないですか。だから、これからを変えてくれませんか? 私が、ここで生きて良いと言ってくれるなら……これから私が生きる姿を見守ってくれませんか?」

 

 

 顔を上げたジェームズに微笑みかけ、ティファニアはゆっくりと立ち上がる。視線の先にはルイズがいる。ルイズは不敵な笑みを浮かべてティファニアの視線を受け止める。

 ティファニアは一度小さく頷き、大きく深呼吸する。大きく息を吸うために閉じた瞳を開き、意思を込めた瞳で改めてルイズを見た。

 

 

「ルイズ、私のお友達」

「えぇ。何かしら? 私のお友達、ティファニア」

「お願いがあるの」

「お願い……。えぇ、では聞きましょう」

 

 

 すぅ、と。ティファニアが震えそうになった体を窘め、拳を胸の前で握りしめながら叫んだ。

 

 

「私の認めてくれた場所を、私が認められたいと思う場所を、私がこれからを望むこの場所を……どうか、どうか守ってくれますか?」

 

 

 震えた吐息を零しながらティファニアは言葉を告げる。こんなに強く思いを抱いて願った事などない。吐き出した気持ちが、その大きさが、感じたことのない震えを呼び覚ます。

 ぽん、と。ティファニアの体の震えを止めるようにルイズの手が肩に置かれる。ティファニアを見つめる瞳は優しげに細められ、口元には笑みを浮かべてルイズは言葉を返す。

 

 

「引き受けたわ。安心しなさい」

 

 

 そして、ルイズはティファニアから一歩離れ、床を叩くように踏みならし身を翻させる。

 

 

「さぁ、聞きなさいアルビオンの王よ、民よ、兵士よ、全ての者よ。――虚無の意思は我等にあり。始祖の伝説を超え、新たな伝説すら紡ぎましょう。潰える風よ、今ここに新たな息吹を以て蘇りなさい。我が友が願うならば! 私は奇跡すら用意してみせましょう!!」

 

 

 手を水平に振り抜き、自らの存在を誇示するように声を挙げる。威風堂々と宣言する姿が周囲にいた者達の視線を奪う。

 まるで勇者のように勇ましく。まるで女神のように優しく。まるで英雄のように雄々しく。

 周囲の空気を飲み込みながら、かつてファ・ディールで創造の女神すら打倒した英雄はここにその片鱗を見せつけた。

 

 

 

 * * *

 

 

 

「正直、さ」

「ん?」

 

 

 孤児達の面倒を任され、ウエストウッド村に残ったエルザとアレクサンドル。エルザは手すりに座り、足をぶらぶらとさせながら空を見上げている。その隣にはアレクサンドルがいて、手すりにもたれかかりながら同じように空を見上げている。

 

 

「どうなるのかな。アルビオンは」

 

 

 空を見上げながらエルザが呟いた言葉にアレクサンドルは視線を動かさず受け止めた。二人の間に暫し、沈黙が訪れる。

 

 

「さて? それはわからない、と言うしかないかな」

「アレクさんはさ、知ってるんだよね? “英雄”だったルイズお姉ちゃんの事」

「あぁ。知っているとも」

 

 

 話題を振られたアレクサンドルはエルザに視線を向けず、エルザの問いに答えた。エルザは問う。かつてのルイズ、それはつまり、ファ・ディールにおいてのルイズという事だろう。

 アレクサンドルの脳裏に思い描かれるのは今よりも成長した姿で、己に剣を向ける姿。時に憤りを、時に怒りを、時に悲しみを、そして最後には哀れみを。相対してきた彼女の姿が今でもすぐに脳裏に映す事が出来る。

 

 

「だったらさ、ルイズお姉ちゃんが本当にどれだけ凄いのかとかってさ、わかる?」

「そりゃ、ね。私の世界を救った程だ。彼女自身は否定しているがね、他人から見れば彼女は“英雄”になるんだろうよ」

「アレクさんは、どう思うの? ルイズお姉ちゃんの事」

「私が? ……そうだね」

 

 

 エルザの問いにアレクサンドルが何度か目を瞬かせる。考え込むように顎に手を当てる。暫し考え込んだアレクサンドルは、ふっ、と笑みを浮かべて見せた。

 

 

「ただのお人好しだよ。予測不能の、プライドが高くて、純粋で、英雄というには優しすぎて、けれど傲慢で、似合いすぎてるぐらいに英雄でも、でも英雄にはなれないお人好し」

 

 

 アレクサンドルが口にしたルイズの印象はエルザの視線をアレクサンドルに向けさせるには充分すぎるものだった。目をぱちくり、と年相応に瞬かせてアレクサンドルに目を向けている。

 

 

「英雄が似合ってるのに、英雄になれないの?」

「ルイズはただ己のままに振る舞う。気に入らなければ定められた理すらはね除けて。そしてその振る舞いはあまりにも枠組みに囚われない、英雄と言うには英雄過ぎる、そう、まるで御伽噺の英雄なんだ」

「それが何がいけないの?」

「理想は理想で、現実は現実って言う訳さ。語られる英雄は称えられるも、実在する英雄は人の心を容易く掻き乱す。憧れる事も、疎ましく思う事も簡単なのさ」

 

 

 遠くを見据えるように視線を向けながらアレクサンドルは己のルイズに対する考えを口にした。

 

 

「綺麗事を成し遂げてしまうんだ。彼女は。だが皆、光と闇を併せ持って生きている。彼女の光は眩しすぎて、闇はやがて深くなるだろうに。眩い光は直視する事は出来ない。だから彼女の内に秘めた闇に誰も気付かない。その闇が自分の中の闇と同じだったとしても気付く事が出来ないのさ」

 

 

 哀れだ、と。アレクサンドルは小さく告げた。

 

 

「頑なだったんだ。ルイズはね。それがとても純粋で、とても人らしいのに、でも人らしさを認められない。…いいや、認めた上で自分が出来るから。それを他人に求める事をせずに成し遂げてしまうんだ」

「……だから理解されない、あまりにもそれが眩いから」

「あの子だって人だからね。寂しくて、傍にいる人が大事で、傷つけられたら怒って、泣いて、悲しんで、人並みに……いいや、人並み以上に優しいから背負い込んでいく。英雄に嵌りすぎてしまう」

「……そう、だね」

 

 

 アレクサンドルの言葉に理解を示したエルザは表情を曇らせるように歪めた。

 エルザを傍に置く事もルイズにとってどれだけ許容出来る事でも、果たして人がどれだけ認め、許す事が出来るだろうか。人にとって天敵である吸血鬼を傍に置く事など。ルイズにはそれが出来てしまう。

 エルザにとってルイズと出会えた事は紛れもなく救いだった。どうしようもない程までに幸運だった。けれどでは普通の人間から見れば? それはとてつもなく奇異の目で見られる事となるだろう。奇異で済めば良い。それが恐れに変わる事など容易い事だろう。

 そして今もまた、王族の血を引きながらもエルフとの間に生まれた数奇な子、ティファニアを救う為に。救われぬ者に手を差し伸べる事は紛れもなく美談であろう。それが世界にとって望まれぬ子であろうとも。

 

 

「マナの女神が愛した英雄。あぁ、そうだよ。まさしく彼女はマナの女神の寵愛を受ける存在なんだろうよ」

「ルイズお姉ちゃんが英雄だから?」

「いや、もっと単純なのかもしれない。彼女もまた無償の愛を与える事が出来るから、かな?」

 

 

 口にしていると何とも、とアレクサンドルは苦笑を浮かべた。エルザもまた苦笑を浮かべて頷いて見せた。

 

 

「無償の愛、か。ルイズお姉ちゃんらしい、って言えばらしいかな」

「この世界でルイズに出会って、少しわかったよ。ルイズが貴族だからだ。人の上に立つ宿命を背負って生まれ、人に認められる力が無く、それでも心だけは、と譲らなかった。私が幾度も相対した時、彼女は恐れを抱きながらも突き進んできた。譲れない、と叫びながら」

 

 

 思い出すのは、アレクサンドルにとって一度、死んだ時の記憶。己の核である宝石を抉り出し、最愛の人を救う為に捧げた時のルイズの顔。

 敵であった筈なのに、知った真実に胸を痛め、私にすら哀れみと救いを望んで手を伸ばそうとする様を。泣きそうに顔を歪めながら、許せないと叫びながら、許したいと手を伸ばそうとしたルイズの姿を。

 結局は彼女は奇跡を起こし、自分はここにいる。救いたかった人も、犠牲にしてきた全ても帰ってきた。ルイズが取り戻してくれた。自分すら犠牲にしかけて。

 

 

「私は幸運だった。失わせてきた全てを、守りたかった一つを、纏めて全て救ってくれた人がいた」

「……私も、幸運だった。泥を啜るような生き方を、闇の中で藻掻くような生き方を変えてくれた人がいた」

「あぁ、だから」

「そう、だから」

 

 

 互いに顔を見合わせる。二人は知っている。ルイズの危うさを。覗き込んだ深淵の闇を。光に対となる闇の深さを。光が瞬けば闇が呑まんとする世の理を。

 呑まれ、這いずり回った二人だからこそわかる。同じ光に救われた二人だからこそ、同じ願いを持っている。

 

 

 ――私は彼女の幸運でありたい、と。

 

 

 英雄がいる。気高き魂を持つ英雄は今なお、人と人が争う事に胸を痛め、人の心に闇が生まれる事を悲しむ。故に英雄は行く。争いを止め、人の心に闇が生まれないように。

 いつか英雄を呑むための闇が顎を開いて襲い来るかもしれない。それは必然。光と闇の理。だからこそ、いつか来る時を思って二人は口にする。

 

 

「さて、と。そろそろ食事を作らないと。子供達が腹を空かせる頃だろう」

「しっかり面倒見てないと怒られちゃうもんね」

「あぁ。怒られないようにしないとな。ちゃんと面倒を見ていたぞ、と」

「うん。そうして帰ってきたら言ってあげないと」

 

 

 ――おかえりなさい、って。

 

 

 彼女がここにいると。ここに帰ってきて良いという証を示す為に。

 

 

 

 * * *

 

 

 

 双月が光を放つ。アルビオンの夜は明るく、月光を遮る雲はない。浮遊大陸故か、空がいつもより近くてルイズは星に手を伸ばすように手を掲げる。

 ニューカッスル城ではささやかな宴が開かれていた。ティファニアとマチルダとの和解を示す、二人を受け入れる宴が。

 誰もが二人を認めた。何よりも王が認めた。ハーフエルフであろうと、裏切り者であろうと、もう些細な事だと言うように。王が認めたならば民もまた。

 ニューカッスル城に残った貴族や兵達が王を信奉する者だけが残っていた事が幸いだったと皮肉ながら言える現実があったが、それでも彼女たちは受け入れられる場所を改めて手に入れたのだ。

 マチルダにとってはまだ複雑かもしれないが、ティファニアにとってはきっとこれで良かったのだ、とルイズは思った。受け入れてくれる居場所は何にも代え難いのだから。

 今は和解した王と話をしているのかな、とルイズは思う。あの場には自分は少々そぐわないような気がして、宴を抜けて外の風を浴びる。

 

 

「月が綺麗だね、ガンダールヴ殿」

 

 

 不意に、背よりかけられた声にルイズは振り向いた。

 振り向いた先にいたのはウェールズだった。柔和な笑みを浮かべてルイズの隣に並ぶように立ち、ウェールズは空を見上げた。

 

 

「酔いでも覚ましに?」

「あぁ、飲まずにはいられなくてね。君から語られた真実、ティファニア嬢達の事、正直、いっぱいいっぱいさ」

 

 

 肩を竦めてウェールズは言った。その顔には酔いと同時にどこか疲労した様子も見て取れた。そう、この宴にはティファニアとマチルダを迎える宴であると同時に、もう一つの意味を孕んでいた。

 それはルイズが伝えた死兵の存在。そのカラクリを明かした王党派の反応は劇的だった。絶望を抱く者、憤怒を抱く者、悲哀を抱く者。心当たりがあるのか、皆が皆、ルイズの語った屍の兵の存在を信じた。中にはかつて共に歩んだ友の末路を哀れむ者もいた。

 

 

「嘘だと思いたいが、心当たりがある。それが誰もが感じていた違和感だったのならば、それが真実だろう。欺かれた、という気持ちだよ」

 

 

 どんな気持ちでウェールズはその言葉を口にしたか。握りしめられた拳が小さく震えたのをルイズは見逃さなかった。

 

 

「しかし知れて良かった。我等はいつか敗北するのは目に見えていた。晒した屍すら利用されるやも知れぬと知らず、名誉の死を求めて邁進していたやも知れない」

 

 

 ふぅ、とウェールズは一息を吐く。改めてルイズに向き直るようにウェールズは視線を送る。

 

 

「ところで、ガンダールヴ殿」

「何でしょうか?」

「本当に君一人でなんとか出来るのかね?」

 

 

 ウェールズはルイズを見据えて問う。虚偽は許さぬ、とルイズの表情から真実を探り当てようと。ウェールズは強い視線でルイズを見つめる。

 

 

「ガンダールヴの伝説は耳にした事がある。単身、千の兵を相手取った等という伝説がある事も。確かに君は只ならぬ気配を纏っている。まるで人である事を疑うかのように……そうだね、超越した、と思う仕草が見受けられる」

 

 

 ほぅ、とルイズは思わず呟いた。過分な評価を頂いているとも思ったし、同時にウェールズの慧眼にも感心した。事実としてルイズはこの事態をどうにかする方法を持っていた。

 だからこその仕草などの現れであろうが、それを感じ取る事が出来るウェールズの観察眼には素直に賞賛を示す。

 

 

「君は、本当にアルビオンの救いになるのか?」

 

 

 しかし、いや、だからこそだろう。ウェールズの胸には不安が巣くっていた。彼女の語る言は余りにも強く、眩しく、誇りに満ちた言動は人の心を容易く揺り動かす。

 奇妙な信頼。彼女に任せれば上手くいくやもしれぬ、と言った父のジェームズの言葉はウェールズも否定は出来ない。真摯なルイズの姿に彼女ならば、と思う自分がいる事も自覚している。

 故に、故にこそウェールズは不安なのだ。自分と年齢がそう変わらないだろう彼女は一体何者なのだ、と。あまりにも大胆不敵なその様には信頼と同じぐらいの疑念が生まれる。

 端的に言ってしまえば、ウェールズには恐ろしいのだ。ガンダールヴを名乗る少女が。眩く輝きながらも、素直に受け入れる事の出来ないその光を。

 

 

「……救い、ですか」

 

 

 ウェールズの言葉に、ルイズは少し困ったように笑った。まるで言葉を悩むかのように、えーと、と意味のない言葉が口から漏れる。

 

 

「私は、救いたいと叫ぶしか出来ません。その為に力も振るいます。失いたくないと。不当に命を落とす事など認められない、と。でも、救われるのはウェールズ様達であり、私ではないんです」

「……ふむ?」

「あー、つまり、ですね。私は救いになれるかわかりませんよ。結果を以て、ウェールズ様が救われた、とは思わない限り」

 

 

 結局自己満足ですから。そう口にするルイズの姿にウェールズは言葉を失った。

 

 

「ウェールズ様が、アルビオンの国の民が救われれば良い。私は、そうとしか応えられません」

「君は、自己満足で国を救おうと言うのか?」

「――はい」

 

 

 ウェールズは問う。自己満足という理由で国を救おうとしているのは真か、と。

 ルイズは困ったように笑っていた笑顔を、満面の笑顔に変えた。まるで花が開くように笑みを浮かべてルイズはしっかりと頷いた。

 呆気取られたウェールズは暫し固まる。そうするとルイズは眉根を下げて、また困ったような笑みを浮かべる。

 

 

「申し訳ありません。私は本当にそれしか言えないんですよ。言葉は大事ですけど、きっと、これは言葉だけじゃ届かないと思いますから」

 

 

 だから、と。

 

 

 

「奇跡を起こして見せます。どんなに信用されなくても構いません。ただ、私は私があるがままに。望むがままに戦うだけです」

 

 

 

 

 



目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

英雄と女神

「ルイズ? いる?」

「ティファニア?」

 

 

 夜。宛がわれた部屋の一室で身体を休めていたルイズはドアを叩くノックの音に顔を上げた。どうやらティファニアが訪れたようだ。何用だろうか、とルイズは部屋のドアを開けた。

 部屋のドアを開ければティファニアは不安げな表情を浮かべてルイズの顔を見ていた。入って良い? と問いかけを投げかければルイズは拒む事無くティファニアを部屋へと招き入れた。

 

 

「どうしたの?」

 

 

 ルイズはティファニアと一緒にベッドの上に並んで座る。暫し黙っていたティファニアだったが、ルイズと視線を合わせるように顔を上げてルイズの頬へと手を伸ばした。

 伸ばされた手はルイズの頬を撫でる。突然触れられた事にルイズは目を丸くするもその手を拒む事はない。不思議そうにティファニアの表情を窺う。

 

 

「……明日」

「ん? あぁ、まだ気にしてるの?」

 

 

 ティファニアの言葉にルイズは何かを察したかのように苦笑を浮かべた。自身の頬を撫でる手に自身の手を重ね合わせるように伸ばす。

 

 

「大丈夫よ。ねぇ? ティファニア。私はここにいるでしょう?」

「……うん」

「世界はイメージで作る事が出来るのよ。私は私を忘れない。そして貴方も私を忘れない。そうすれば私はそこにいる事が出来るの」

「でもっ! でも、変わっちゃうんでしょ!?」

 

 

 本当に良いの? と。不安に揺れる瞳を今にも落ちそうな涙を浮かべてティファニアはルイズに問う。

 困ったな、と言うようにルイズは眉を寄せて笑う。ルイズはティファニアの名を呼んでティファニアに身を寄せる。彼女の身体を抱きしめるように背に手を伸ばし、リズムをつけて背中を優しく叩く。

 

 

「何よ。今更怖じ気づいちゃったの? 良い、って言ってくれたじゃない」

「怖いよ! 怖くなったよ! ……怖いよ、だって失敗したら……」

「ねぇ? ティファニア。それ以上は怒っちゃうわよ?」

 

 

 そっと、ティファニアから身を離してルイズはティファニアの言葉を閉ざすように、ティファニアの唇に指を置く。

 

 

「私が選んだの。貴方の為、なんて言わないわ。私がそうするって決めたの。私がそうしたいから。そうする事が私なのだから。ねぇ? ティファニア、お願いよ。貴方が私の決定を奪うのは無しよ?」

「……そんな」

 

 

 それじゃあもう何も言えない。ティファニアは震える声で呟く。

 

 

「じゃあ孤児の皆が、マチルダが、アレクサンドルが苦しんで良いの?」

「……それは、嫌」

「ならそれで良いの。変えたいと思うのは貴方よ。私はその手助けが出来る。そして貴方は助けたいと望んだ。じゃあ、私は貴方の力になるわ。力を貸す事を選んだのは貴方の為だけじゃないわ。私もそう願うから。だから私はここにいるの。私は結局、私の為に戦うの。貴方の所為になる事なんて何一つない」

 

 

 だから良いの、と。ルイズはティファニアの手を握り、ティファニアの瞳を覗き込むように見る。

 

 

「例え、それで私がどれだけ変わっても、私が望んだものよ。ねぇ? ティファニア。望みは同じ筈よ? だから大丈夫よ。どんな事になっても私は私だもの」

「……本当に?」

「約束するわ。そうね、じゃあティファニア。明日、貴方にお願いしたい事があるわ」

「お願い?」

「マチルダに預けていたアレ。私は明日、アレを使うわ。その時、歌って欲しいの」

「歌?」

 

 

 えぇ、とルイズは懐かしむように笑みを浮かべて告げる。

 

 

 

「約束の歌を。“彼女”の為の歌を、私の為に歌って欲しいの」

 

 

 

 * * *

 

 

 

 息を吸う。肺に空気を溜め、ゆっくりと吐き出す。呼吸を繰り返す内に自身の内にある感覚が研ぎ澄まされていく。巡る、巡る、巡る。何かが自分の中で巡り駆け抜ける。心臓から全身に行き渡るように強く、確かに巡っていく。

 呼吸する。世界に満ちる空気を吸い込んで世界に散りばめられた者達をかき集めるように何度も、何度もルイズは深く、ゆっくりと息を吸い込む。ゆっくりと瞳を開けば澄み渡るような青空が広がっている。

 風が吹く。ルイズを取り巻くようにルイズの髪を揺らして去っていく風にルイズは片手でそっと髪を押さえた。少し崩れた髪を手で払うようにして流し、ルイズは正面を向き、空の向こうを見据えるように視線を送った。

 

 

「……来たわね」

 

 

 空に浮かぶ黒点。それは空を行く船の列。貴族派達が遂に王党派の最後の砦であるニューカッスル城へと進軍して来たのだ。望遠鏡で見れば船は無数に、地を行く軍隊の列も王党派の残存戦力を嘲笑うかのような規模だ。

 大規模な進軍だ。ゆっくりと逃げ場を奪い、首を締め上げるように確実に距離を狭めている貴族派の軍に王党派が戦慄を抱かない訳がない。だが、ルイズは何でもないように報告を受け、むしろ納得したように頷いた。

 

 

(……あれだけの戦力差があるなら圧殺する事も可能なんだろうけどね。やっぱり欲しいのは大義名分と正当性。故にジェームズ王かウェールズ皇太子の身柄が欲しい訳だ)

 

 

 良くも悪くもハルケギニアの始祖ブリミルの影響力は馬鹿には出来ないのだ。故に始祖ブリミルが開国したアルビオン王国の血筋には意味がある。

 正当性を求めるならば一番良いのは王族が完全に恭順し、降伏する事が望ましいのだろう。故に手間暇をかけてまで王党派を追い詰めるように軍を展開しているのだろう、とルイズは推測する。

 だが好都合だ、とルイズは頷く。ルイズの身は所詮一人でしかない。幾らルイズが強かろうと数で攻められればルイズに為す術はないのだ。故にこの状況は好都合なのだ。王党派に圧力をかけようと軍を展開し、留まっているだけというこの状況は。

 

 

「降伏勧告、か。時が来た、と言うべきなのか」

 

 

 貴族派からの要求は当然の如く、武装解除の上での完全降伏。威嚇と思わしき砲撃の音が耳を揺らし、兵達の間で緊張が駆けめぐる。

 そんな中でウェールズは目を閉じて小さく呟く。いずれ来るとは思っていたが、いざこの状況を迎えてしまえば手の震えが止まらない。恐怖、屈辱、悔恨、拳を震わせる感情は複雑で一つに纏まる事はない。

 一度、ゆっくりと息を吸い、吐き出す。呼吸を深呼吸で整え、ウェールズは並び立っていたルイズへと視線を向ける。

 

 

「ガンダールヴ殿、国王である父上に代わり、君の偉業の瞬間は私が立ち会おう」

 

 

 ウェールズは、ゆっくりと膝をつき頭を垂れる。同時に控えていた戦支度を整えた兵や貴族達が同じく膝をつき、ルイズへと頭を垂れる。

 皆の胸に宿る思いは一つ。この国を救って欲しいという願いのみ。そこに疑念や不信、屈辱や無力感など多くの思いがあるだろう。自分たちの力では守るべき君主を守れず、確証もない賭けに乗らなければならぬ事を嘆く者も勿論いるだろう。

 

 

「見せてくれ。信じさせてくれ。今、潰えようとしているアルビオンの命運を、どうか救ってみせてくれ……!」

 

 

 それでも選んだのだ。この得体の知れない、しかし超然と奇跡を起こすと、この国を救うと告げた彼女に命運を託すと。他ならぬこの国の王であるジェームズが。ならば臣下である我等もまたその意思に従い、願いを託そう、と。

 ウェールズの言葉にルイズは確かに頷く。彼等の輪から抜けだし、向かった先にはティファニアがマチルダを控えて待っていた。

 

 

「……ルイズ」

「ティファニア」

「本当に、大丈夫なんだよね?」

 

 

 やや視線を俯かせてティファニアはルイズに問いかける。拳を握った手が震え、声には不安が満ちている。

 ティファニアの様子にルイズは苦笑を浮かべて、一瞬迷ったようにティファニアの肩に手を置いた。肩に手を置かれた事によってティファニアの視線が上がり、ルイズと視線が合う。

 

 

「大丈夫よ。そんな心配そうな顔をしないで?」

「……うん」

「私は私だもの。それを認めてくれたこの子は私を裏切らない。だから心配しないで。貴方の不安もわかるけど、絶対大丈夫だから」

 

 

 空いた片手で拳を作り、胸を叩くように見せる。安心させるように笑みを浮かべながらルイズは語りかける。ルイズの笑みを見たティファニアは、不安げな色こそ消す事は出来ないが、納得したように小さく頷いた。

 そのままティファニアはルイズを抱きしめる。むぎゅ、とルイズがティファニアの胸に埋まり、不機嫌そうな声を漏らす。それを気にしないままティファニアはルイズを抱きしめて彼女に囁くように言葉を伝える。

 

 

「お願い。無事で帰ってきて」

「そんな心配しなくて良いのに。本当だったら見送りも要らないのよ?」

「見送りたいの。お願い、見送らせて?」

「……じゃあお願いするわ」

 

 

 ティファニアの背に手を回し、ルイズは優しくティファニアの背を叩く。名残惜しむようにルイズをもう一度強く抱きしめて、ティファニアはゆっくりとルイズから離れる。

 

 

「……じゃあ、やるわよ。デルフ」

「へいへい。見届けてやるよ、相棒」

 

 

 愛剣であるデルフリンガーと軽口を叩きながらルイズはティファニアを見送る。

 ティファニアが離れた事を確認し、マチルダがティファニアに手に持っていたものを差し出す。それはティファニアのハープだ。マチルダに差し出されたハープを手にとってティファニアは距離を取るように歩く。

 ルイズの周りには誰もおらず、ただルイズの髪を揺らす風が吹くのみ。そんなルイズの背を見つめていたティファニアは一度目を伏せ、深呼吸をする。

 

 

「っ、……―――」

 

 

 ハープを構え、そっと指を添える。ティファニアの指が旋律を奏で、ティファニアは口を開く。ティファニアの口から零れたのは歌。しかしそれはハルケギニアの歌ではない。

 ティファニアが歌うのはルイズから教えて貰ったファ・ディールの歌。マナの女神へと捧げた賛美歌。異世界の歌は今、女神の為ではなく一人の友人である少女の為に歌われる。

 

 

「―――」

 

 

 ティファニアの歌に耳を澄ますようにルイズは目を伏せる。そのままゆっくりと息を吸う。何度か深呼吸をし、ルイズは視線を上げてティファニアの歌に合わせ、自らも歌う。

 二人の歌声が重なる。ハープの旋律に合わせて二人の歌声は高らかに響き渡る。世界を震わせるように歌声は響くその様は神秘的で、誰も踏み入る事を許さないと言わんばかりに世界を作り上げていく。

 二人の歌声に魅せられる中、動く者がいた。マチルダだ。マチルダは手に袋を持っていた。その袋の中身をぶちまけるようにマチルダは口の開いた袋を振り抜いてルイズの方へと袋の中身を放った。

 開いた袋から飛び出したのは美しい結晶体であった。思わず見守っていた者達は驚きに目を見開いた。彼等にはわかったのだ。その石には尋常ではない程の力が秘められていた事が。その石の正体を知る者はここにはいない。―――もしも、アレクサンドルがこの場にいたら石の名を呼んだであろう。

 

 

 

 ―――マナストーン、と。

 

 

 

「なんだあれは!?」

 

 

 ウェールズの疑問の声を飲み込むように風が吹きすさぶ。放り投げられた結晶体はまるでルイズの下に集まるように浮遊し、ルイズを踊り囲むように空中を巡る。

 やがて結晶体はその身を砕き、砂のように散っていく。砂のように散っていた結晶体はきらきらと輝きながらルイズを取り囲み、光の膜を作ってしまう。

 やがて作り上げられた膜は覆ってしまうようにルイズを隠してしまった。そしていつしか膜の周りを飛び交う者達が姿を現していた。

 

 

「まさか……あれは精霊なのか!?」

 

 

 驚愕の声をあげたのは果たして誰だったのか。

 ファ・ディールに存在した世界にありし属性を司る8精霊。

 はしゃぐように、歓迎するように、慕うように。喜びの様を隠す事無く現れた8精霊達は舞い踊る。

 ウィル・オ・ウィスプとシェイドが歓迎するように舞って。

 ドリアードとアウラが顔を見合わせ、微笑み合って。

 ノームとジンがハイタッチし、弾けたように離れて。

 サラマンダーとウンディーネが手を繋ぎ、戯れて。

 やがて彼等もまた光の膜に飛び込むように姿を消していく。誰もが幻想的な光景に目を取られる中、ティファニアは未だ歌い続けていた。祈るように、願うように、思いを込めて歌う。

 

 

(―――ルイズ)

 

 

 ティファニアの胸にある思いを歌に乗せて。

 

 

(―――ルイズ!)

 

 

 初めての自分と年の近い友達の為に。

 

 

(―――ルイズ!)

 

 

 自身と同じ秘密を抱えて、自分を受け入れてくれた彼女の為に。

 

 

 

「―――ルイズ!!」

 

 

 

 膜が、弾け飛んだ。

 

 

 

 * * *

 

 

 

 ―――かつてのお話。

 かつて世界には光しか無かった。

 光は自らの姿を見る事は出来なかった。

 だからこそ光の一部は闇になった。

 そして、闇は光に自分の姿を教えた。

 自分の姿を知った光は、やがて世界を作った。

 光は自分が生み出した世界を愛した。深く、深く、我が子を思うように。

 しかし、光が生み出した闇。それが世界から光を隔ててしまった。

 それが切欠で、光が生み出した世界は自らを滅ぼしかけてしまう程に争った。

 当然、光は嘆き、悲しんだ。違う、と。私は傷つけたい訳じゃなかったと。

 ただ自分の姿が知りたかった。姿を知って生まれた世界は愛おしく、愛おしいのに届かなくて。

 時は流れて、光はもう一つの光と出会った。自分よりも小さく、自分よりも弱く、自分と同じように闇を抱えていた光。それが突然、飛び込んできたのだ。

 大きな光は歓喜して、小さな光を受け入れた。飛び込んで来た小さな光は、やがていつか大きな光と寄り添い、一つになった。

 小さな光が、大きな光の闇を祓い、大きな光は、小さな光の闇を照らした。

 だから互いに、2つの光達は己の姿を知る事が出来た。だからこそ寄り添ったのだ。

 

 

 ――だから、知っている。

 

 

 彼女は全てをイメージした。世界を想像し、想像は創造となった。

 世界が生まれたのは、彼女の夢、彼女の描いた全て。それが世界。イメージしたものこそが世界を作り上げたのだ。

 全ての物は元を辿れば、世界は光に帰結する事を知っている。世界はイメージで作り上げられる事を……良く知っている。

 

 

 だから、私は―――。

 

 

 想像しよう。創造しよう。イメージを。もっと、もっと、もっと、イメージを。

 とくん、とくん、と。鼓動の音が二つ。

 重なり合った光が二つ。互いの姿を教える闇がやっぱり二つ。

 光の中に生まれた闇は姿となり、二つの姿は手を取り合うように重なる。

 影となった姿は決して美しいとは言えない。光に照らされた姿は見ようによっては醜い。

 だが、拒む事はないと言うように片方の影が相対する影を抱きしめた。

 強く、強く抱きしめる。もう離さないと言うように。

 応えるように熱が返ってくる。慈しむように頭を撫でられた。

 あぁ、その指の感触が愛おしい。感じられる熱も、声も、その存在が愛おしい。

 ねぇ、と。影の片割れであるルイズが問いかけを投げかけた。

 

 

「ねぇ? 貴方は知ってるわよね。だって貴方は、彼女じゃないけれども、でもやっぱり彼女なんだから」

 

 

 ねぇ? と甘えるようにルイズは全てを抱きしめて問う。

 

 

「一緒に来てくれる? 私とどこまでも一緒に。私の全てを受け入れてくれる? 私を……愛してくれる?」

 

 

 

 ―――ずっと一緒ですよ。一緒に生きましょう。一緒に行きましょう。一緒に往きましょう。

 

 ―――私の全ては貴方と共にあるのですから。愛おしき私の小さな英雄。

 

 

 

「―――ありがとう、マナ」

 

 

 

 ルイズの頬から涙が落ちる。ルイズが微笑み、彼女が……マナが笑った。

 そして二人の姿は重なって解け合い―――力が弾けた。

 

 

 

 * * *

 

 

 

 歓喜するように吹き荒れる風が、光の膜が弾け飛ぶのと同時に凪いでいく。

 振り抜いた手が風を平伏させる。すっかり静まりかえり、見守っていた誰もが息を呑む中、“ソレ”は姿を皆の前に晒した。

 揺れたピンク色がかかったブロンドの髪は宝石を塗したように輝きを帯び、すらりと伸びた肢体は美しく、見惚れるような芸術的なバランスの身体には思わず感嘆の息が零れる事だろう。それだけならばただ美しい女性であっただろう。だが、違うのだ。

 その背には翼が生えていた。鳥や竜のような翼ではない。それは樹であった。生命に満ち溢れた樹の骨に薄い膜が張った翼。

 背にある翼を中心として、身体を這うようにツタが絡んでいる。身に纏う衣装は見たこともない素材で、神秘的にも思わせ、しかし人ならざる事実を強調させてしまう。

 デルフリンガーを構えた姿はまるで戦女神のようにも美しく、しかし美しすぎる故に悪魔にさえ見えてしまう。それが女性の、変貌したルイズの姿を見た者達の胸に生まれた思いであった。

 

 

「……ッ、ルイズ!」

 

 

 不安げに、涙を滲ませながらティファニアはルイズの名を叫ぶ。

 ルイズが振り返った。ルイズの面影を残し、彼女を成長をさせたような姿にティファニアは逸らさないように視線を向ける。

 ルイズはティファニアに淡く微笑みかける。樹の幹が軋む音を立てながらルイズの頬を浸食し、彼女に寄り添い、同化していくように絡んでいく。絡んだ枝は竜の角のように髪をかき分けて伸び、時間を追う事にルイズを人ならざる者へと変えていく。

 

 

 ―――大丈夫。

 

 

 そう、確かな声で呟くように。

 ティファニアにそれだけの言葉を残してルイズは翼を羽ばたかせた。羽ばたきの度に樹の軋む音を立てながら、樹木の翼はルイズに浮力を与える。

 そして地から足を離れた瞬間、ルイズは風に導かれるようにニューカッスル城より飛び去った。呆然とその姿を見送るアルビオンの民と、心配げに胸の前で両手を組み合わせたティファニアと、ティファニアを支えるマチルダを置いて。

 

 

 

 * * *

 

 

 

 最初にその姿を見つけたのは貴族派の軍船の見張り台からニューカッスル城を望遠鏡で覗いていた兵士であった。

 最初は鳥だと思った。しかし鳥はあんなに早くは飛ばない。では竜なのか、と警戒を強めて改めて望遠鏡を覗き込んだ兵士はやがて驚愕した声で叫んだ。

 

 

「せ、船長!!」

「どうした?」

「お、女が……! 翼の生えた女がこっちに向かって飛んできます―――!!」

 

 

 何を言っている、と船長が見張りに対して声を荒らげようとした時であった。

 

 

 

 ――“去れ、始祖の血を仇なす屍を率いし外道共よ”

 

 

 

 声が、響いた。

 風が震えるようにして声は届いた。それは感情を窺わせぬ、人ならざる者の声。

 

 

 ――“去れ、偽りの理想を掲げし始祖の意思に背く背信者達よ”

 

 

 しかし、それは怒りを感じさせた。声には明らかな拒絶が込められ、敵意を以て声を震わせていた。

 人ならざる声は自分だけでなく周りの者にも聞こえているのだろう。動揺した様が兵達に見られる。

 声は何を言っている? 屍を率いし外道? 偽りの理想? 始祖の意思に背いた背信者? この声は何を言っている?

 

 

「せ、船長ぉ!? あ、あれ! あれを!!」

 

 

 見張り台に立つ兵士が恐怖に駆られて叫ぶ。慌てて見張り台に立つ兵士が示す先を見た。

 そこには―――神秘的にまで美しく、しかし美しさ故に人ならざる悪魔にも見える女が宙に浮いていた。

 

 

 ――“去れ。始祖の子に仇なせば……災いが下ると知れ”

 

 

 アレが、この声の主なのか。

 アレが、あの女が、あの化け物が、あの悪魔が、この声を我等に叩き付けているのか。

 

 

 

 ――“去れ。さもなくば虚無の意思を以て汝等を滅ぼすぞ”

 

 

 

 そして、女が眩い光を放つ。まるで蛍のような光が現出し、女の身体に吸い込まれていくように消える。淡く輝きを放つ中、女は手に掲げた剣を勢いよく振るった。

 瞬間、虹色の光が振り抜いた先に奔る。まるで線を引くように奔った光はわずかな間を置いて―――大地を爆ぜさせた。

 鼓膜を破らんばかりの轟音と、遅れて大地が崩れる音が響き渡る。それは船の下に陣を構えていた軍の鼻先を掠めるように深く抉られ、巻き上がる大地。それは一瞬、現実のものとして認識する事が出来なかった。

 

 

 ――“去れ。去らねば……見せしめもいるか?”

 

 

 見せしめ。それは、次はあの暴力的なまでの“光”を自分たちへと向けると言うのか?

 ぞっ、と背筋が凍った。アレはなんだ。アレは化け物だ。自分たちの理解の外側にいる圧倒的な強者。逆らってはいけない、逆らってはいけないと脳内で警鐘が鳴り響く。

 

 

 

「ぜ、全軍撤退! 撤退――ッ!!」

 

 

 

 まるで蜘蛛の子を散らすかのように貴族派達の軍勢は撤退を開始した。空中でその様を嘲笑っているように見える悪魔を背にして。

 



目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

終息と蠢く闇

 軍を退いていく貴族派の軍勢を見送り、ルイズはニューカッスル城へと舞い戻った。空より舞い降りたルイズに向けられる視線は畏怖。ウェールズでさえ言葉を失う中、ルイズは地に足を付けた。

 瞬間、ルイズの背から生えていた樹木の翼が枯れていく。まるで早送りで生命を終えるように消えていく樹木の翼、同時にルイズの姿も成長した女性の姿ではなく、少女の姿へと戻っていた。

 そのまま力を失い、前のめりにルイズは倒れていく。倒れるルイズの身体を受け止めたのはルイズの下へと真っ先に駆け寄ったティファニアだ。ルイズを抱き留め、ルイズを抱きしめながらティファニアは顔を青ざめさせて叫ぶ。

 

 

「ルイズ!? ルイズ、しっかりして!?」

「……、……、…ぁ……」

 

 

 掠れた声を漏らしながらルイズは返答しようとしているのか声を出す。だが掠れた声は言葉になっておらず、ただ震えるか細い呼吸だけが残される。

 そんなルイズの姿にティファニアは言葉を失い、強くルイズの身体を抱きしめた。歯を噛みしめていなければ嗚咽が零れてしまいそうで、身体を震わせながらルイズの存在を確かめるように抱きしめる。

 ティファニアに抱かれたルイズは暫し掠れた呼吸を繰り返していたが、ゆっくりと息を吸って呼吸を整えてティファニアの背に手を伸ばして、リズムをつけて背を叩く。力なく叩かれた手にティファニアは涙が抑えきれず、ルイズに頬をすり寄せるように抱きしめる。

 

 

「ごめん、大丈夫……」

「大丈夫じゃない! 大丈夫じゃないよ、こんな! こんな……!!」

 

 

 あれだけ頼もしかった存在がまるで見た目通りの、いや、それ以下に成り果ててしまったかのように弱り切った姿に涙が零れる。それでも自分を心配させまいと気丈に振る舞うルイズには怒りすら覚えそうだった。

 ティファニアに抱きしめられていたルイズは身をよじろうとして、止めた。疲れたのは事実だ。正直、このまま眠って休んでしまいたかった。

 

 

「……大丈夫かね? ガンダールヴ殿」

 

 

 二人に歩み寄ったウェールズが言葉を切り出す。ウェールズのすぐ傍にはマチルダが険しい表情を浮かべて三人を見守っていた。ティファニアはウェールズを見た後、ルイズへと視線を移す。

 ルイズはティファニアから離れるようにティファニアの腕から離れて立ち上がろうとする。だが、そんなルイズを咎めるようにウェールズは首を振る。そしてルイズの前に膝を付き、笑みを浮かべた。

 

 

「……君の活躍で我等、王党派は救いを得る事が出来た」

「まだ、国を、取り戻した訳ではない、です」

「それでも、だ。充分だ。充分すぎる程に君は示してくれた。それは私達にとって希望となる」

 

 

 何とも言えない表情でウェールズは頭を下げた。それに倣い、兵達もまた頭を垂れる。

 

 

 

 

 

「ありがとう。まだ私達は希望を失った訳ではなかったのだと、これで信じる事が出来る」

 

 

 

 

 

 ありがとう、と。もう一度伝えられた言葉にルイズは淡く微笑んで、ティファニアに身を委ねるようにして力を抜いた。

 

 

 

 

 

* * *

 

 

 

 

 

「……で、体調はどうなんだい?」

「……怠いわ」

 

 

マチルダの問いかけにルイズはベッドの上で呻くように返答した。そうかい、と返ってきた答えにマチルダは素っ気なく呟いて腰に手を当てて息を吐いた。

 ルイズの傍にはティファニアがいて、ルイズの手を握ってルイズの様子を窺っていた。ルイズは気にしてはいるようだが、心配をかけた自覚があるのか気まずそうにしながらもティファニアと手を繋いでいた。

 

 

「“神化”。……何というか、思っていたより反動が凄まじかったわ」

「そりゃそうだよ。あれだけの力を操る事が出来るって言うんだから」

 

 

 悩むように呟くルイズにマチルダは呆れたように見下ろす。

 ティファニアの存在を王党派に認めさせる為に選んだ手法。その根拠が、このルイズの言う“神化”だった。ルイズが過剰のマナを用いて自身の中にあるマナの力を増幅させ、自身の肉体を一時的に女神化させる。それが神化の仕組みだ。

 その為にマチルダに預けていた八つの属性を持つマナストーン。これらを使っての神化を行ったのであったが、神化を解いた後の反動が凄まじかった。自身の中のありとあらゆる力を根こそぎ持って行かれたようで疲労感が酷かった。

 以前、マナを使って姿を変身させていた経験があった為、ここまでの疲労感を感じなかった。故に行ける、とルイズは踏んでいたのだが、結果としてこんなに弱り切ってしまった。正直ルイズにとっては予想外の出来事だったのだ。

 

 

「あぁ、相棒がそれだけ疲労するのはわかるぜ」

「デルフ?」

 

 

 ルイズは不思議そうに壁に立てかけていたデルフリンガーへと向ける。どうやらデルフリンガーは自分の疲労の原因がわかっているようだった。

 デルフリンガーは少し低めの声を出し、いいか、という前置きをして話し始めた。

 

 

「相棒。お前、ガンダールヴの力を最大活用してたんだぜ?」

「……? どういう事?」

「ガンダールヴの力は“心”の力だ。本来、ガンダールヴは詠唱が長い虚無の呪文を唱えさせる為の足止めの役割を担っているのさ。だからこそ、担い手がピンチだったり、助けないと、とか心震える時こそガンダールヴの力は発揮される」

「そんな力があったの?」

「さっき思い出した」

「……このポンコツ」

 

 

 頭が痛い、と愛剣から伝えられた言葉にルイズは頭を押さえた。心なしか、ティファニアがデルフリンガーに向ける視線も冷たいものが混じっている。

 ティファニアの視線にはまるで肩を竦めたような雰囲気を出しながらデルフは吐息する。自分にはどうしようもなかった、と言うようにだ。

 

 

「そう言うなよ。こちとら6000年の間も錆びてたんだぜ? 相棒が思い出させてくれなきゃ俺だってわからなかったんだ」

「……まぁ、良いわ。新しい発見が出来た訳だし」

「まぁ、本来のガンダールヴと相棒の状態が違って、ちょっと特殊ではあるんだ。元々、心の力は感情の高ぶりで強弱が変わる。だから本来は主から離れたり、心が通ってなかったりするとガンダールヴの力は弱っちまう」

「……なんですって? ちょっと待ちなさい? ちなみにガンダールヴのルーンは私でも発動してるし、マナにも反応してるわよね?」

「気付いたか。そうさ。普段は同一化して相棒に存在を委ねてるからこんな事にはならなかったんだが……。相棒は今回は内側に存在するマナの女神を活性化させた上で、改めて自身と融合させてただろ? だから相棒は単純に二人分の力を使ってたんだ」

「更には感情の高ぶりによって力が変わるなら……成る程、やけに力が漲っていたのはマナの力だけじゃなかった、って事か」

 

 

 予想と異なる力が働いていたのであればこの結果も納得だ、と疲労の混じった息を吐いてルイズは自身を納得させた。

だが逆に納得がいかないと眉を寄せたのはティファニアだった。ルイズの手を強く握ってルイズの顔を覗き見るようにして呟く。

 

 

「だから何が起きるかわからないなら止めた方がいい、って言ったのに」

「何でも無かったじゃない。ただ、そう、予想より疲れただけ。新しい発見もあって良かったじゃない」

「ルイズは! 自分の命が大切じゃないの!?」

 

 

 睨み付けるようにティファニアはルイズを見ながら叫ぶ。ティファニアの叫びにたじろぎ、助けを乞うようにマチルダへと視線を送るルイズ。しかしマチルダは鼻で笑い、そっと目を背けた。

 見捨てられた、と理解したルイズは思わず歯ぎしりを立てるも、ルイズ! と強くティファニアに名を呼ばれて反射的に身を竦ませておずおずとティファニアへと視線を戻した。

 

 

「……私、ルイズが死んだら嫌だよ。お願いだから自分を大切にしてよ……」

 

 

 ぐす、と。鼻を鳴らして目に涙を浮かべて懇願するティファニアにルイズは居心地が悪そうに苦笑した。

 返す言葉も無くてルイズは困ったようにティファニアの手を握り返す。そんな二人の様子にマチルダは苦笑する。

 

 

「さて、無駄口を叩けるようなら何か口にした方が良いね。今、何か持ってくるよ。その間、テファ、見張っておきな」

「わかったわ、姉さん」

「見張り、って…」

「なんとなく予想だけど……心配される側になってる事に慣れておきな。アンタの命はアンタが思ってるより惜しまれてるんだからね」

 

 

 マチルダの言葉にルイズは更に困ったように眉根を寄せた。マチルダから見て少し、いいや、かなりの度合いでルイズは卑屈にさえ思える程の謙遜をする事がある。それがルイズが自らの身を軽んじている事を示している。

 それは彼女が、今までゼロとして蔑まれていた事が一因としてある。無力な自分、価値のない自分、だからこそファ・ディールで求め、乞われ、救い、その果てに英雄と呼ばれるだけの力を得た。彼女が望むままに。

 それはルイズにとっての充足となり、それはすんなりとルイズの心に巣くった。自身の身を多少なりとも削ってでも誰かを助けたい。自分がやりたい事なのだから心配する必要はない、と彼女はごく自然に笑って言う。

 だが、それは酷く危うく見える。ルイズは見返りを求めない事がある。救った結果こそを求めているものの、それで自分が報われるとさえ思っている。ルイズにとってそれが充足であり、ルイズの求めているものなのだろう。

 しかし、ルイズはお人好し過ぎる。それが理解出来ない。理解されないのだ。だからこそマチルダはルイズが危ういと感じる。下手をすればルイズは自身と世界を天秤にかけてどっちを救う、と聞けば迷い無く世界、と言ってしまうと思う程には。

 マチルダはルイズに感謝している。マチルダにとってどうしようもなかった世界を打ち砕いて未来を切り開いてくれた事に対して。未だ自身の王家に対する感情は整理がついていない。けれどティファニアの未来が大きく広がった事は歓迎していた。

 だからこそ恩義を感じている。故に無下にはしたくない。自身の出来る事であれば彼女に恩を返してやりたいと思っている。人並みに心配出来る程にはマチルダもルイズを思っている。何より、ルイズはティファニアの友達になってくれたのだから。

 

 

(頼むから、もうちょっと穏やかに生きてくれないかねぇ。きっと無理なんだろうけど)

 

 

マチルダは吐息を零し、願わずにはいられなかった。ようやく妹分であるティファニアが幸せな道を選べるかもしれない。その道を共に歩むのが、これからも彼女であって欲しい、と。

 

 

 

 * * *

 

 

 

『――では失敗した、と?』

「――あぁ、貴様の企み……いいや、ゲームは土壇場でひっくり返されたわ」

 

 

 暗がりに沈む部屋。闇の中に炎が揺らめいている。炎の光が闇の中に佇む何者かの影を作っている。

 闇の中には一人。しかし響く声は二つ。中年ほどの男の声が会話をしているように響く。応える声もまた同じく男。何かの失敗を伝えられた事で男の声には驚愕が秘められていた。

 男の驚愕を嘲笑うかのようにもう一人の男はくつくつと肩を鳴らせて笑う。揺らめく炎の光が肩を鳴らして笑う男の姿を妖しく象る。

 

 

「しかも私にとっても面白い事となった」

『アルビオンの失敗が、か?』

「お前も思った事だろう。並ならぬ事でこのワンサイドゲームが崩される事はない、と。それこそ―――私のような存在が居らぬ限り、な」

『……まさか! アルビオンの“虚無”か?』

「それはわからん。だが、そうと見るべきが正しいか。しかし王家の皇太子は風の使い手。虚無がいたとして、何故このタイミングか……」

 

 

 そこまで口にし、炎の光に照らされて影が揺らめく男は鼻を鳴らした。

 

 

「だがそんな事はどうでも良い。どうでも良いのだ……!」

 

 

 闇の中、男は目を見開く。爛々と輝く瞳は闇の中で妖しく光を灯している。まるで炎のように揺らめく瞳の光は禍々しく闇の中に浮かぶ。

 興奮が抑えきれぬ、と言うように叫ぶ男から伺える感情は歓喜と憎悪。叫びによって炎が勢いよく揺れ、下手をすれば消えていたやもしれぬ。

 揺らめく炎はやがて勢いを取り戻して明かりを灯す。闇の中に浮かぶ男の顔には愉悦が浮かび、歪んでいた。

 

 

「再び相まみえる事となるとは……!! 忌々しい、あぁ、忌々しいぞ……!!」

 

 

 口から零れ落ちるのは呪詛に他ならない。故に彼は歓喜する。この呪詛を晴らす事の出来る相手が現れた事によって彼の感情は強く掻き乱される事となる。

 今でも覚えている。あの屈辱を。あの絶望を。あの苦痛を。あの束縛を。地の底に再び押し込められたあの日の事を忘れる事など無かった。そうして何の因果か、招かれた世界において彼は再び巡り会った。

 

 

『……まさか! かの“英雄”が現れたのか!? それは、それは!! なんという事だ!!』

 

 

 男と対話していた声は、おかしそうに笑った。いいやおかしくて笑っているのだろう。それは予期せぬ喜びを得たように、祭りを楽しむ子供のようにおかしいと溜まらずに笑っている。

 

 

『滅び行く国を救う“英雄”! 素晴らしい! 素晴らしい物語じゃないか! まるでお前に聞かされた“英雄譚”じゃないか!! そうか、そうかそうか!! よもや、ゲームに参戦してくるのがかの“女神の英雄”か!! これは楽しい、楽しくなってきたぞ!!』

「はしゃぐな小僧。……いや、今は許そう。私も今は笑いたい気分だ。ところで小僧? わかっているな?」

『あぁ、わかっているとも。“ゲーム”はここまでとしよう。今度のゲームは“英雄”殿に譲り、我等は新たな舞台を用意せねば!』

「あぁ、相応しき舞台を用意してやらねばな……」

 

 

 くく、と。喉を鳴らして笑う男二人の笑い声。しかし二人の笑い声は途切れる事となる。勢いよく扉を叩く音が響いたからだ。それに笑い声は止まり、炎もまた消えてしまう。

 闇の中に残された男は扉を開く。転がり込むように中に入ってきたのは一人の男、見るからに焦燥し、絶望に顔を歪ませている男は縋り付くように中にいた男の足下に跪く。その哀れな男の名は、オリバー・クロムウェル。貴族派の盟主である男だった。

 

 

「あ、ああああ! な、何故……! 何なのだあの化け物は! 軍が一斉に引き返してくるなど……! お、王党派は一体何を隠していたのだ!! そ、それに始祖の裁きだと!? “指輪”の力まで看破されてしまっている!! 私は、私はどうすれば良いのですか!?」

 

 

 男に救いを求めるようにクロムウェルは縋り付く。あぁ、これこそ彼の真の姿。貴族派の盟主として振る舞っているのも全ては欺瞞。中身は小物で、今も予想外の刃を返された事実に怯え、竦む事しか出来ない。

 元々は司教として平々凡々に暮らしていた筈の彼はいつの間にか王へと叛意を示す盟主へと仕立て上げられていた。お膳立ての力も与えられ、皆は自身に期待するばかり。力に酔ったのも一瞬、まざまざと見せられる力に恐怖を覚えてしまった。

 故にクロムウェルは縋り付くしかないのだ。自身をここまで導いてくれた男に対して救いを求めるように。そんなクロムウェルを見下ろした男は口元に笑みを浮かべ、クロムウェルと視線を合わせるように跪く。

 男の笑みを見た瞬間、クロムウェルは救われたかのように笑みを浮かべ―――……その心臓を男の右腕によってえぐり取られた。え、と現実が理解が出来ないようにクロムウェルは笑みを浮かべたまま動きを止める。

 

 

「な、ぜ……?」

「耳障りだ。お前は利用出来る良い駒であったがもう不要だ。しかし案ずるな、その命は私が取り込んでやろう。共に永遠の道を歩むがよい」

「ぁ……、ぁ……」

 

 

 ずるり、と引き抜かれた右腕には心臓が収まっていた。返して、と縋るようにクロムウェルは手を伸ばそうとし、その時を永遠に止めた。

 彼の亡骸が崩れ落ちる。彼の血に濡れた男は口の端を吊り上げて笑う。すると、彼の亡骸を飲み込むように影が蠢く。骨と肉を租借する不快な音が室内に響き渡る。男は手についた血を舌で舐めとり、くつくつと笑みを浮かべた。

 

 

「まさか、貴様がこの地に召喚されていたとはな。私は幸運だ。貴様に復讐出来る機会を得たのだからな!!

 “女神”の寵愛を受けし“英雄”。今度こそ、その身と魂を穢し尽くし、絶望させ、凌辱し、屈服させた後に私の糧としてくれよう……!!」

 

 

 この世界に貴様を味方した“女神”も“絆”も無いのだから、と男は笑う。

 

 

「しかし、今は力が足らぬ。腹の足しにもならぬが、この地の下僕のマナは頂いていくとするか。丁度良く“始祖の裁き”が下ったのだからな。……それにあいつではないが、舞台は必要だ。私に相応しき舞台がな!」

 

 

 男が笑う。雷鳴がどこからともなく響き渡り、雷光が部屋を一瞬照らす。

 男の影が映る。それは―――人の影でなく、異形の姿を象っていた。

 

 

 

 

 

「その時にまで、貴様の命は預けておくぞ! ルイズ……!!」

 

 

 

 

 

 そして、その夜。人知れずに貴族派は壊滅した。僅かな生き残りを残して彼等は存在していたという痕跡だけを残し、死体も残らずに彼等は消滅してしまった。

 未だ、この報せをルイズが知る事はない。だが、彼女が知らずとも世界は巡り、蠢く。

 どうしようもない程までに加速をつけて、世界は動き出したのだ。もう誰にも止める事は出来ない。

 

 

 

 

 

 



目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

平穏への帰還

 窓の外に視線を送れば雲一つ無い晴天が広がっている。快晴を見ていれば心もまた明るくなるような気がして、ルイズは自然と頬を緩ませていた。

 空から視線を移し、今度は馬車の中へと視線を戻す。馬車の中に乗っているのはルイズを含めて5人。その中で緊張しているように落ち着かない様子でしきりに窓の外を気にしているティファニアにルイズは呆れたように吐息した。

 

 

「あのねぇ。ティファニア。別にそんな緊張しなくても良いじゃない?」

「で、でも、私、学院なんて初めてだし……」

「大抵の事があんたには初めてでしょうが。まぁ、気楽にやれば良いのよ。ねぇ?」

 

 

 ティファニアにからかうように笑ってルイズは同意を求めるように馬車に乗っている面々へと視線を移した。ルイズに同意を求められ、返事を返したのはアレクサンドルとエルザの二人だった。

 

 

「そうそう。気にしすぎたら保たないよ~?」

「そうですよ。ティファニア」

 

 

 気楽に返すエルザにやんわりと笑みを浮かべて伝えるアレクサンドルにティファニアはそれでも緊張が解けないのか、そうかなぁ、と呟きを零している。

 そんなティファニアの様子にマチルダは笑みを零して、ティファニアの髪を梳くように手を伸ばした。マチルダに髪を撫でられたティファニアはくすぐったそうにしながらもマチルダの指を受け入れる。

 微笑ましい光景。ルイズはその光景を眺め、笑みを零す。だが、すぐに何かを思い悩むように目を細めた。

 ルイズ達は現在、アルビオンからトリステインに戻っていた。そして向かう先はトリステイン魔法学院だ。ルイズはティファニアを伴ってトリステイン魔法学院へと向かっているのには理由がある。

 ルイズの脳裏には数日前、アルビオンでの記憶が映し出されていた。

 

 

 

 

 

 * * *

 

 

 

 

 

「貴族派が……壊滅!?」

 

 

 その報せが届けられたのはルイズが貴族派の軍勢を退けて数日の間を置いてからもたらされた。それは王党派にとっても激震が走る情報だった。

 まず敵対していた筈の勢力が謎の壊滅を迎えたからだ。この報せが届いたのは僅かばかりの生き残りが王党派に降伏する為に這々の体で現れた事から伝えられた。

 生き残り曰く、撤退した後、多くの兵や貴族達が一夜にして忽然と姿を消してしまった、と語っている。更には盟主であったオリバー・クロムウェルも彼のものと思われる僅かな血痕だけを残して行方を眩ませたらしい。

 行方不明になった貴族達の中には指揮権を持つ者も多く、貴族派の軍勢は瓦解。更には先日の戦いで“虚無”を名乗った事が生き残った彼等の中で恐怖心を煽り、降伏をしなければ次は自分、と考えたと言う。

 雇っていた亜人達も抑える者がいなくなれば暴れだし、その暴動によって失われた命も数多いという。瓦解した貴族派では対処する事もままならず、完全に軍としての機能を失い、方々に散ったという。

 これを伝えられた王党派は真っ先にルイズに確認を取るためにルイズに情報を伝え、そしてルイズも事態の重さを知る事となる。

 

 

「……一体何が起きたというのだ」

 

 

 ジェームズは事の報せを受け、両手で顔を覆い伏せた。ウェールズ等も困惑を隠せないようで辺りには重い空気が漂う。

 その中でルイズは顎に手を当てて思い悩む。報せを受けた事態は余りにも唐突で、かつ不自然な点が多すぎる。まるで得体の知れない何かが蠢いている、と。

 では、それが手を引いたのは何故だ? 貴族派の軍勢を撃退しうる戦力が王党派にあったから? そもそもアルビオンの疲弊そのものが目的であったのか?

 理由が見えない。そもそも手を引いていた存在が本当にいるのかさえも。全ては闇の中。何も解決しないまま、事態は終息を迎えようとしている。得体の知れない恐怖心だけを残して。

 

 

「……喜ぶべきなのだろう。国を取り戻せる事を。しかし、あまりにも不可解にして不気味。何か裏で手を引く存在を疑わざるを得ない」

「そもそも屍兵を操る者が軍に入り込んでいたという事実がある。得体の知れない者が入り込んでいたのは、間違いないかと」

 

 

 ジェームズとウェールズは互いに疲れ切ったように言葉を漏らした。本来であれば嬉しい出来事の筈であった。敵である貴族派は滅びる事になったのだから。

 しかし、それは自身達の力や思惑などを全て置き去りにして、全てが闇の中に消えてしまったのだ。喜べる事ではない。むしろ、闇の中に隠れてしまった恐怖にこれからも怯え続けなければならぬのだろう。

 

 

「しかし泣き言ばかりも言ってはいられぬ。今もこうしている間に民は怯え、不安を抱いている事だろう。ならば、我等が立たねば誰が立つ」

 

 

 凜と、王としての責務の真っ当する為、ジェームズは確かな声で皆にそう告げた。状況が如何に最悪であろうとも貴族として、王族として民を纏め上げ、導かなければならない。それこそが責務である、と。

 それからの行動は早かった。支度を調え、首都であるロンデニウムへと戻る。急ぎ政務を行い、国を正常化させねばならぬ、と。その支度の最中、ルイズはジェームズ王達と今後の事も取り決めていた。

 

 

「この状況ではティファニア。君を国に公表するのは危ういだろう」

「未だ得体の知れない者が潜んでいる可能性がある中、君を危険に晒す訳にはいかない。……すまない」

 

 

 ジェームズとウェールズはティファニアに申し訳なさそうに伝えた。二人の言葉は最もだろう。未だアルビオンは何者かの陰謀が息を潜めているままだ。

 更には民も混乱し、国は荒れている。ここでティファニアの存在を、更に言えば虚無の存在を公に出す事がどれだけの劇薬となるか未知数だ。更にはハーフエルフという事実もまた、それに拍車をかけている。

 頭を下げられたティファニアは気にしないで欲しい、と慌てた様子で二人に告げていたが、それはジェームズとウェールズの胸に悔しさを宿らせる結果としかならない。こんな状況でなければ出会う事が出来なかった。だが、それ故に彼女に報いてやる事が出来ない己等の無力さに。

 

 

「……ねぇ、推測だけど、いいかしら?」

 

 

 そこでルイズは改めて声を出す。今まで思考に没頭していたが、何か考えが纏まったのかルイズは皆に自身へと注目を集めるように声をかける。

 

 

「貴族派の目的は聖地奪還よね。その過程で虚無を探していた、としたら?」

「……虚無を?」

「もしも。本当にオリバー・クロムウェルが虚無であったなら始末されたとは思えない。行方不明になる理由もない。そして敵の屍はオリバー・クロムウェルの力によるもの。つまり、オリバー・クロムウェルは虚無を騙っていただけに過ぎない、とするとどうかしら?」

「……今回の件で貴族派、いや、裏で手を引いていた何者かは、虚無の存在を確信した?」

「故に、貴族派という手駒を切った、とも取れる。本当に聖地奪還が目的なのかは定かではないけれど……黒幕は虚無を探している、とすれば一見不可解に思える反乱も、この終息も理由が見えてくる」

「狙いは虚無だとすれば……ッ!? じゃあ、次に狙われるのはテファだって言うのかい!?」

 

 

 マチルダが目を釣り上げて叫ぶ。ルイズはマチルダの叫びに重々しく頷く。自身が狙われる、という可能性を耳にしてティファニアはさっ、とその顔を青ざめさせた。

 そんなティファニアにすぐ気付いたのだろう。マチルダはティファニアの肩を抱いて安心させるように抱きしめる。ルイズは表情を引き締めさせながら言葉を続ける。

 

 

「理由はわからない。目的もはっきりしない。ただ……虚無が黒幕の狙いだと私は思っている。じゃなきゃ国を転覆させる程の手駒を切る理由が本当にわからなくなる」

「では、尚更ティファニアの存在は表に公表すべきではない」

「そうね。……ねぇ、ティファニア」

「な、何?」

「貴方、トリステインの魔法学院に来なさい」

「え?」

「ルイズ、あんた!?」

「ここまで来たら最後まで面倒見るわよ。……それに私も虚無よ。関係がない訳じゃないわ」

 

 

 マチルダが驚いたような声でルイズを呼びながらルイズを見る。ルイズは眉を寄せながら腕を組み、溜息と共に告げた。

 ルイズ? とジェームズは目を細める。そして何かに気付いたかのように目を見開かせ、驚愕を隠しきらぬままルイズへと問うた。

 

 

「ルイズ……!? そうか、君はヴァリエール公爵のご息女か!?」

「……ここまで来て、隠し立てする訳にはいきません。今までの無礼、大変失礼致しました。私は確かにヴァリエール公爵が娘、ルイズ・フランソワーズ・ル・ブラン・ド・ラ・ヴァリエールでございます」

 

 

 ルイズは今までの態度を改め、ジェームズとウェールズの前に跪いて今までの非礼を詫びる。驚愕のまま、ルイズを見つめていたジェームズとウェールズであったが、重たく溜息を零し、ルイズに頭を上げるように伝える。

 ルイズが頭を上げればジェームズは納得したような表情で何度か頷いていた。何かを懐かしむようにルイズの顔を見つめるジェームズには懐古の色が見て取れた。

 

 

「そうか。その破天荒さ、やはり血は受け継がれるものよ。非礼など詫びる必要などない。君は我等を救ってくれた。感謝はすれど、咎める事などない。

 ……しかし、君が虚無だとはな。確か、ヴァリエール公爵の祖先は王の庶子の家系だったな」

「成る程。トリステインならばまだ存在が明るみにも出る事はないだろう。君が共にいれば安心だ」

 

 

 ウェールズが納得したように頷く。疲弊したアルビオンでは、いや、それ以前にティファニアを受け入れる下地すらないアルビオンにいるよりは同じく虚無であり、絶大な力を持っているルイズの下の方が安全であろう、と判断する。

 ルイズも応えるように頷く。そしてウェールズ、ジェームズと順番に視線を向け、右手で胸を叩くように添える。意思を込めた瞳はまっすぐに二人を捉える。

 

 

「貴方の姪の命は私が必ず守り抜きます。陛下はアルビオンの再興を」

「うむ。老いた私が最後に為す大仕事であろう。せめてウェールズに譲るまでには立て直さねばな」

「父上!」

 

 

 何を仰る、と言わんばかりに語気を荒らげるウェールズにジェームズは力を抜いたように笑った。冗談だ、とウェールズを宥めながらルイズへと視線を向ける。

 そのままゆっくりと頭を下げる。深く、深く、立つ事が叶わぬ身で膝を付く事も出来ない。ただそれでも伝わるようにと頭を下げながらジェームズは願いを口にする。

 

 

「ルイズ殿。……私が頼めた義理ではないが、ティファニアを頼む」

「はい。その代わり、ティファニアと共に暮らしていた孤児達の事をどうか」

「王家の血に誓って約束しよう」

 

 

 ティファニア自身を守り、この地に居場所を作る事は難しい。だが、孤児達の保護をするぐらいであればまだなんとか出来るであろう。困難だとしても成し遂げる、その意思を持ってジェームズは返答とした。

 ティファニアは喜んだ。これで孤児達に貧しい生活をして貰わなくても済むかもしれない、と。そう思えば自分がトリステインに行く、という事にも抵抗はない。むしろ、この広い世界を見てみたいという願いを心の底で持っていたティファニアにとっても望む所であった。

 

 

「本当に良いの? ルイズ」

「言ったでしょ? 最後まで面倒は見る、って。……これからよろしくね? ティファニア」

「……うんっ!!」

 

 

 ルイズが差し出した手を握り、ティファニアは満面の笑みを浮かべて返した。

 

 

 

 * * *

 

 

 

「……でも良かったのかな? これ」

 

 

 ふと、思考に沈んでいたルイズは戸惑うティファニアの声に意識を戻される。ティファニアの指には指輪が収まっていた。

 その指輪はただの指輪ではない。この指輪は風のルビー。始祖ブリミルから賜った国宝の一つだ。それが今、ティファニアの指に収まっている。

 

 

「それが虚無の呪文の鍵の一つなんだから、ティファニアが持っているのが当然でしょう?」

「でも国宝、なんだよね?」

「虚無がいなきゃ真価を発揮出来ない国宝なんて、虚無の担い手であるアンタより価値が無いわよ。むしろ揃ってこその価値なんだから貰っておきなさい」

 

 

 ルイズが呆れたように言うも、ティファニアは肩を縮めてしまう。今までの生活が質素だった故にティファニアは国宝なんてとんでもない価値を秘めた物が自分の下にある事が酷く慣れない。

 こればっかりは慣れて貰わなければならない、とルイズは溜息を吐く。

 

 

「本当は、始祖のオルゴールも欲しかったけど……」

「持ち出された後だったか。……ルイズ、君の推測は当たっていそうだね」

 

 

 アレクサンドルは肩を竦めながら言う。そう、虚無の呪文を得る為のもう一つの秘宝である始祖のオルゴールは既に残されていなかった。持ち出された後、と見るべきであろうというのが皆の見解だった。

 故にアルビオンの貴族派を操っていた黒幕が虚無を求めている、と言うルイズの推測が信憑性を帯びてきたのだ。それはティファニアを不安にさせたが、今の彼女にはルイズ達が付いている。それが幾分かティファニアの気を楽にさせた。

 

 

「孤児達も生活を援助してくれるって……本当、ルイズが来てから一気に変わっちゃった」

「まぁ、ルイズお姉ちゃんだしね」

「ちょっと、私だからってどういう意味よ? エルザ」

 

 

 ルイズと出会った事で大きく未来が変わったティファニアとエルザはしみじみと呟く。今まで諦めていた未来。それが今、歩めるという奇跡は間違いなくルイズが起こした奇跡なのだから。

 ルイズはエルザの物言いが気に入らなかったのか、エルザを自分の方へと抱き寄せてその頬を指で掴んで引っ張り上げる。しっかり言葉にならない言葉でエルザは抗議するも、ルイズは楽しげにエルザの頬を堪能する。

 平和。それが一時のものなのかもしれなくても確かに暖かかった。マチルダも、ティファニアも、アレクサンドルも。三人はふと気付けば視線が合っていて、笑みを浮かべて笑い合った。

 

 

 

 

 

 * * *

 

 

 

 

 

「ようやく帰ったか。ミス・ヴァリエール」

「長い間、学院を離れる事となってしまい、申し訳ありませんでした。オールド・オスマン」

 

 

 トリステイン魔法学院へと戻ったルイズ達は真っ先に学院長室へと向かい、オスマンと対面を果たしていた。学院を離れる前には見なかったティファニアを見て訝しげに目を細めるも、すぐさまルイズが説明をした事で顔色を変える事となる。

 ティファニアがハーフエルフだという事、更には虚無の担い手である事。アルビオンの反乱の真相、貴族派の壊滅、手を引いていたと思われる黒幕の存在。次々とルイズの口から説明された事態に流石のオスマンも驚きを隠せず、声を荒らげる場面もあった。

 一通り話し終え、ティファニアを学院へと迎えたい、と伝えるとオスマンは疲れたように椅子に背中を預ける。頭痛を抑えるように指で目頭を押さえながらオスマンは呻く。

 

 

「……やれやれ、長生きはしておったがここまでの大事は初めてじゃ。しかも虚無の再臨、か。それも二人」

「オールド・オスマン。目を背けたい気持ちはわかりますが、全て事実です」

「わかっておる。わかっておるよ、ミス・ヴァリエール。君が離れている間にミスタ・コルベールが君のルーンを調べ、ガンダールヴである事を突き止めていたのだからね」

 

 

 そう、それはルイズが離れて数日後の事。ルイズのルーンを調べていたコルベールが、ルイズのルーンがガンダールヴのものであった事に行き着き、オスマンの下へと駆け込んできていたのだから。

 真相はルイズが帰ってきてから確かめるつもりであったのだが、それ以上の爆弾を引っ提げて帰ってきたルイズには溜息の一つも出ようもの。一度、軽く頭を振ってからオスマンはルイズに視線を向けた。

 

 

「これは一大事じゃ。ミス・ヴァリエール。わかっていると思うが……」

「えぇ、無闇に公言はしません。我が身だけではありませんからね」

「うむ。下手をすれば国をも巻き込む。事実、アルビオンという例がある。目立つ事は控えなさい」

 

 

 それは暗にアルビオンの事も言っているのだが、ルイズはオスマンの言葉に頷くだけで返した。本当にわかっているのか、と問い詰めたいと思うオスマンだが、今はルイズを信じようと頷きを返すに留めた。

 話し合いの結果、マチルダの遠縁の子という事でティファニアは学院に入学させる事が決まった。現在のアルビオンの状勢を理由にトリステインへとやってきた、と。オスマンにマチルダが相談し、オスマンが快く受け入れたという話で通す、と。

 ティファニアは今は鍔の広い帽子を被って耳を隠していたのだが、オスマンが魔法をかけてエルフの耳を隠すという事で話は纏まった。近々、姿を変えるマジックアイテムを取り寄せてティファニアに渡す事にも合意した。

 そこまでしてもらう訳には、と謙遜するティファニアには必要な事だ、と納得させた。吸血鬼を受け入れたルイズ、という前例があるものの前例があるからこそルイズの下に異種族を集わせる訳にもいかない。それこそ騒ぎになりかねないから、と。

 

 

 

 

 

 

「……やれやれ、この年になってこのような大事が舞い込むとは、人生はわからぬものじゃのぅ」

 

 

 

 

 

 こうしてルイズは日常へと舞い戻る。それが一時の平穏だと理解しながらも、今はまだ。

 



目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

第4章 平穏なる日常
穏やかな日々


 風を裂く音。一度、二度、三度、風を裂く音は立て続けに響く。次いで大きく木を殴打する音が響く。同時にぶつかりあっていた両者は距離を取るように飛び、後退る。

 向かい合うのはルイズとアレクサンドルだ。ルイズの手には剣に似せて作った木剣。アレクサンドルは手には何も持っていないが、拳が握られていた。

 ルイズはアレクサンドルと距離を計るようにじりじりと身体をずらす。応じるようにアレクサンドルもまた己の身体をずらし、ルイズとの距離を測る。互いに出方を窺うように互いの瞳を見据える。

 

 

「―――ッ!!」

 

 

 何を切欠としたのか、飛び出したのはアレクサンドルだった。ステップを踏み、身体を左右に揺らしながらルイズへと迫る。緩急をつけたステップはルイズの目には一瞬、アレクサンドルが分身したかのように見えたが、すぐに木剣を掲げ、アレクサンドルから繰り出された蹴りを防ぐ。

 そのままの勢いでルイズは蹴られた方へと身体を飛ばす。すぐさま態勢を立て直そうと地を踏みしめ、アレクサンドルを睨むも、眼前にアレクサンドルが迫る。息を呑むのは一瞬、ルイズは首を傾げ、ルイズの頭があった所にアレクサンドルの拳が振り抜かれる。

 

 

「――ッ!!」

 

 

 今度は腹から蹴り上げるように迫った蹴り。ルイズは衝撃を殺すように腕で蹴りを止めながら飛ぶ。そのまま宙で一回転。身体を沈めるようにして着地し、鋭くアレクサンドルを睨み付ける。

 

 

「こ、のぉ――ッ!!」

 

 

 咆哮と共にルイズは木剣を振るう。振るわれた木剣はアレクサンドルを襲い、アレクサンドルはルイズの一撃を避けて飛ぶ。その隙をルイズは逃さない。片手で握っていた木剣を両手で握りしめてアレクサンドルへと襲いかかる。

 上段からの袈裟切り、身を捻ったアレクサンドルによって交わされる。追撃の左切り上げ。これは身構えたアレクサンドルが両腕でガード。ルイズはガードされるのがわかっていたように地を踏みしめて力を込める。

 

 

「飛べ―――ッ!!」

 

 

 強引なまでに振り抜き。態勢を崩したアレクサンドルはそのままバク転。追撃をかけようと地を踏みしめて疾走したルイズの顎を蹴り抜くサマーソルト。が、それはルイズが咄嗟に足を止めた為、前髪をかする結果に終わる。

 再び距離を取った両者。暫し睨み合い、再び距離を詰めて激突する。木剣を振り抜く音と拳や足を振り抜く音が響き、二人の舞踏はまだ終わる気配を見せない。

 

 

「はわー、よくやるねぇ」

 

 

 ルイズとアレクサンドルの舞踏を見て暢気に呟くのはエルザだった。木の枝に腰を下ろして膝の上に肘を乗せて、顎を手で支えながら二人の舞踏を目で追っている。

 エルザの足下、つまりは木の根元にはティファニアがいる。はらはらと心配そうに二人の舞踏を見ている。怪我をしないかどうか不安で仕方がないのだろう、とエルザは苦笑を浮かべた。

 

 

「嬢ちゃん、別に心配する事はねぇよ。相棒も相手も本気になっちゃいねぇんだから」

「ほ、本気じゃないって……」

「あれじゃ怪我してもすぐに治る程度の怪我しか負わねぇよ。しかし、アレクサンドルの奴もやるなぁ。相棒とあれだけ打ち合えるなんてなぁ」

「昔は一族で一番偉い人の騎士だったんだっけ? それなら納得かなぁ?」

 

 

 ティファニアの隣に立てかけられたデルフリンガーが感心したように二人の戦いを見守りながら感想を零す。エルザは前に聞いた事を思い出し、アレクサンドルが実力者であった事に納得をしている。

 こんな話をしてていいのかなぁ、と二人の舞踏を見守りながらティファニアは思う。言い出したのはルイズで、受けたのもアレクサンドルなので自分が口を出せる事ではないとわかっているのだが、怪我をするかもしれない、と思えば不安で仕方が無かった。

 心配をするティファニアを余所にルイズとアレクサンドルの舞踏は激しさを増していく。攻め手はルイズ。真剣であれば一刀両断する勢いで振るわれた木剣をアレクサンドルは紙一重で躱していく。

 攻撃が通らない事に焦れたようにルイズが舌打ちをして攻撃の手を止める。待っていたと言わんばかりに攻め手はアレクサンドルへと映る。フェイント込みの拳の乱打。ルイズは首を捻り、身を捻り、足の位置を変え、時に木剣で受け止めながらアレクサンドルの攻撃を躱していく。

 

 

「ハァッ!!」

「ッ!?」

 

 

 焦れたような叫びと共に拳が振られる。ルイズの不意を打った拳はアレクサンドルの動きを一瞬止める。無理な体勢で伸びきったアレクサンドルの身体を今度はルイズは勢いよく蹴り飛ばす。

 避けられない。伸びきった態勢では飛ぶ事も出来ない。蹴りを受けたアレクサンドルは勢いよく飛んでいく。追撃をかけようと踏み込んだルイズだったが、何かを察知したように木剣を振り抜く。

 鈍い音を立てて木剣が根本から折れる。ルイズは緊張に強張った顔をゆっくりと息を吐きながら崩していく。そして、自分の木剣を折った原因のものを見る。それはカードだった。一見、変哲もないカードだったがこれがアレクサンドルの武器である事はルイズはよく知っている。

 はぁ、と吐息してカードを拾い上げる。視線を上げれば腹をさすりながら歩み寄ってくるアレクサンドルが見える。感情が見えない微笑を浮かべるアレクサンドルに舌打ちをしながらルイズはカードを投げ返す。

 ルイズの投げたカードを指で挟むようにキャッチし、懐へと戻す。カードを懐に戻したアレクサンドルにルイズはジト目で視線を送る。

 

 

「ちょっと、危ないじゃない」

「君なら叩き落とせると思ったからさ。じゃないと私が真っ二つだ」

「木剣で斬れる訳ないでしょうに。あー、作り直しじゃない。面倒くさいなぁ」

 

 

 根本から砕けた木剣の柄を投げ、髪を無造作に掻き毟る。心底面倒くさそうにするルイズに肩を竦めて吐息するアレクサンドル。

 二人が舞踏を終えたのを確認し、エルザとティファニアが二人の傍へと寄っていく。二人からタオルを受け取って汗を拭いながらルイズは呟く。

 

 

「んー、やっぱり勝てないわね」

「そう簡単に勝たせてはやれないからね。……とは言え、英雄様の相手は荷が重い」

「言ってなさい」

「ねーねー。稽古終わったなら早くご飯食べに行こうよ」

 

 

 ふん、と鼻を鳴らしてルイズはタオルをエルザに返す。ルイズからタオルを受け取りながらエルザが言う。ぷぅ、と僅かに膨らませた頬は待たされた事に対しての不満をありありと示していた。

 そんなエルザが可愛らしく思えてルイズはエルザの頬をつついた。ぶー、と空気が漏れる音を立てながらエルザがルイズを睨み付ける。何するのー! とルイズに両手を振り回して抗議するエルザにルイズが謝りながらエルザの頭を撫でる。

 仲の良い二人の様子にティファニアは笑みを浮かべて小さく笑いを零し、そんなティファニアの様子を見てアレクサンドルが穏やかに微笑を浮かべる。

 ティファニアがトリステイン魔法学院に来てから早数日。概ね、彼等の生活は穏やかなものであった。

 

 

 

 

 

 * * *

 

 

 

 

 

「ティファニア、無理して全部食べなくて良いのよ?」

「で、でも残すと勿体ないし……」

 

 

 貴族の食事は朝食でも豪華絢爛の一言に尽きるだろう。当初は自分に出された食事に目眩を覚えたティファニアだが、今でもまだ食事には慣れていない。更にはほぼ食べきれない量で出される食事を残さずに食べようとすれば、それは具合も悪くするだろう。

 ルイズの場合は自身の朝食をエルザと分け合っているからいいものの、ティファニアの場合はこうも行かない。折角出されたものなのだから、と完食しようとしているティファニアは少し気持ち悪そうだ。

 

 

「ほら。そんな顔して食べられる方がよっぽど悪いわよ。もう止めておきなさい。エルザ、いる?」

「食べるー!」

「うぅ、ごめんね、エルザちゃん」

 

 

 ティファニアが余した食事はエルザが元気よく食べていく。エルザの口についたソースを拭ったりと甲斐甲斐しく世話をしてやりながら三人の食事の時間は過ぎていく。

 一息を吐く為にティファニアはワインを口に運ぶ。だが、飲む量はちびちびと少ない。トリステインではワインを水のように飲む習慣がある為、食事についてくる飲み物はワインとなっている。

 これはトリステインでは水よりワインが安い為だ。慣れないティファニアには辛いものがある。かく言うルイズは慣れこそあれど、この食生活に満足しているか、と言われればそうではない。

 今も元気に食事にがっついているエルザを見るともっと適度で健康に良いものを、と考えてしまうのはかつてファ・ディールで小さな同居人達と暮らしていた為だろうか。ルイズの脳裏にはかつての同居人達の姿が浮かんだ。

 

 

(……バド、コロナ)

 

 

 バドとコロナ。ルイズが出逢ったまだ幼いエルフの双子。最初はいたずらをしていた所を咎め、戦いになっていた。そして気がつけばバドに弟子入りを申し込まれ、そのまま流れでコロナも自分の家へと上がってきた。

 当時、魔法が使えなかったルイズは魔法に関しては二人に良く学び、共に研鑽した。ファ・ディールのものとはいえ、魔法が使えた時の感動は今でも忘れる事ができない。一つの事が出来るようになる度に三人で一喜一憂し、家にいたサボテン君に興奮混じりで語った事も昨日のように思い出す事が出来る。

 魔法の事だけではない。ペットとして飼っていた魔物達と戯れたり、果樹園で出来たフルーツでデザートを作ったり、時には工房で一緒に頭を悩ませたりと色んな思い出が一つ、また一つと脳裏に過ぎる。

 

 

(二人には本当にお世話になったわね……。100年、か。寿命が長いあの子達ならもう大人になったぐらいかな)

 

 

 かつて同居していた小さな同居人達に思いを馳せる。こちらで言うエルフ、森人である彼等と自分の時の流れは違う。そして世界も渡ってからの年月は途方もなく長い。

 アレクサンドルは珠魅であるから変化はないように見えた。だが、故にこそ彼の100年という言葉が途方もなく現実味を帯びてしまう。かつていた世界は今はどんな世界へと変わったのだろうか。言いようもなく寂しくなる。

 

 

(まぁ、100年経っても変わらない奴もごろごろいる世界だったから気にならないかもね)

 

 

 そしたら以前のように迎えて貰えるだろうか。別れは済ませて来たが、会うことが叶うならばまた会いに行きたい、と思う。

 ルイズが思い耽っているとルイズの名を呼ぶ声をが聞こえた。声の方へと視線を向けてみれば、そこにはキュルケがいた。キュルケの傍らにはタバサとギーシュも揃ってルイズ達の座っているテーブルへと向かっていた。

 

 

「はぁい、ルイズ、エルザちゃん。それとミス・ウエストウッド」

「ティ、ティファニアで大丈夫です……」

「あらそう?」

 

 

 ティファニアは慣れない敬称に身を縮ませる。この学院に入学する際、ティファニアは名をティファニア・ウエストウッドとして入学した。しかしこの敬称で呼ばれるのはどうにも慣れずに名前で呼んで貰う事をお願いしていた。

 ルイズが傍にいる事によって敬遠されがちではあるが、奥ゆかしいティファニアの態度は学院の青少年達には一種の清涼剤のような効果を現し、本人が知らない間にティファニアの人気は鰻登りしていた。お近づきになりたいと思う男子生徒は後を絶たないだろう。

 それをわかっているルイズはティファニアの故に傍にいるように心がけている。かつてゼロと蔑まれたルイズ。今となっては魔法が使えるように装っている為に蔑まれる事はないが、かつての経験からかルイズと距離を測りかねている生徒が多数なのだ。今ここにいるキュルケやタバサ、ギーシュ等の例外を除いて。

 

 

「何の用よ? キュルケ」

「噂の転校生が気になったからに決まってるでしょ?」

「ま、だろうけど」

 

 

 座れば、と備え付けられていた椅子に視線を送る。たまたま近くを寄ったのだろう。かつてルイズが助けたメイドであるシエスタは三人の為に椅子を用意した。

 ギーシュは若干気まずそうにしていたが、素直に礼を告げていた。一瞬、驚いたような顔をしたシエスタであったが、すぐに一礼をして去っていってしまう。仕事が忙しいのであろう。去っていくシエスタの背中を見送ってルイズ達は改めて顔を見合わせた。

 

 

「噂の新入生も、“魔女”の懐にいれば安心って訳?」

「“魔女”?」

「知らなかった? 今の貴方の二つ名よ」

「……明らかに良い意味ではないでしょうね」

 

 

 眉を寄せてルイズは不機嫌そうに言う。そんなルイズを楽しげに見ているキュルケは順を追って説明する。そもそも、この魔女という二つ名を広めたのは、かつてルイズにくってかかった生徒が広めたものだと言う。

 ルイズによって同じ魔法で叩き伏せられる、といった経験は生徒にとっては今までの報復であったと思ったのだろう。それ以来、恐怖が先走って“魔女”という言葉が出たのだ。それは密かに広まり、段々と定着していったのだ。

 唐突、態度を変えて大人しくなり、魔法を扱えるようになったルイズに対する畏れとして広まったのだ。吸血鬼を使い魔として従えていた、という事からルイズが既に眷属化されてしまっているのではないか、という話まで広がっているという。

 

 

「何それ。気分悪いなぁ」

 

 

 機嫌が悪そうに呟くのはエルザだ。仕方ないといえば仕方ないのだが、エルザからしてみれば自分がルイズを害するという事はない。

 それが人から見れば自分がルイズを従えているなどと触れ回られるのは癪に触るというものだ。まぁまぁ、と不機嫌に顔を歪めるエルザにキュルケは宥め賺す。

 

 

「まぁ、話してみればそうでもない、ってのはわかるんだけどね。ほら、今までが今まででしょう? 素直に賞賛も出来ないし、かといってルイズも態度がまるっきり変わっちゃったから別人になった、何か企んでる、とか思われても仕方ないわけよ」

「なによそれ。じゃあ、私が今までみたいに癇癪持ちみたいに振る舞ってた方が良いって言うの?」

「自覚があったのか……」

「何か言った? ギーシュ」

「いや、何も」

 

 

 不機嫌そうに眉を寄せて呟くルイズにギーシュは小言で呟く。ギーシュの小言を逃さずに拾ったルイズはジト目でギーシュへと視線を向ける。

 視線を向けられたギーシュは爽やかなまでな笑顔を浮かべて告げた。額に汗が浮いてなければ完璧だっただろう。

 

 

「にしても、ねぇ。私も自信あったんだけど……上には上がいるものね」

「……あら。私の前でその話題を出すって事は殺して欲しいって事かしら?」

 

 

 キュルケがほぅ、と吐息を吐いて視線を向けるのはティファニアの胸だ。瞬間、青筋を浮かべながらルイズが据わった目でキュルケを見た。目が笑っていないのに顔だけが笑っているその様は恐怖を呼び起こすには充分過ぎた。

 流石に空気で不味いと悟ったのか、キュルケはホホホ、と笑い誤魔化す。ギーシュに至っては顔を真っ青にして震えていた。タバサでさえ冷や汗を掻きながら戦闘態勢を取ろうとした身体の力を抜く。エルザはルイズを哀れな者を見るように見つめ、ティファニアはよくわからず首を傾げた。

 

 

「やっぱり私の胸っておかしいのかな?」

「は? おかしいに決まってるじゃない」

「ぇぅ!? う、うぅ、じゃあやっぱり変だから視線が集まるのかな……?」

「ティファニア? 私を怒らせたいのかしら? ん? 喧嘩売ってるなら買うわよ? 今なら大出血サービスよ?」

「ちょ、ちょっとルイズ?」

 

 

 自分の胸へと視線を落として悩みながら呟いたティファニアの言葉を、ルイズは満面の笑顔で地に叩き落とす。ルイズの反応にはティファニアも涙目になって自分の胸に手を添えた。

 その度にルイズの纏う雰囲気が悪鬼羅刹の如く歪んでいく。顔は満面の笑顔なのに纏う雰囲気はオーク鬼のようだ、とはどんな悪夢か、と流石のキュルケも引きつった表情を浮かべている。ギーシュは意識が飛びかけていて、タバサすら冷や汗を流していた。エルザはどうしようもならん、と左右に首を振った。

 

 

「あのね? ティファニア。……そのね、貴方の胸は確かに他の人と違うわ」

「……キュルケさん」

「でもそれは変だから注目を集めるんじゃなくて……そう、貴方の胸は特別なのよ」

「特別、ですか?」

「はっ! その胸には大きな希望が詰まってます、って? なに、つまり私は絶望? それとも絶壁とでも言いたいのかしら? ツェルプストー? 誰が上手い事を言えと言ったのかしら?」

「被害妄想じゃない!? ヴァリエール、なんで貴方、この話題にそんな過敏に……あ、ごめんなさい」

「謝った!? 謝ったわね!! 良いわ、良いわツェルプストー、長きに続いてきたヴァリエールとツェルプストーの因縁、ここで晴らすわ!!」

「どんな因縁の付け方よ!?」

「あとギーシュ。二人の胸に目を奪われたアンタは後で殺す」

「ひぃっ!? ル、ルイズ、男の性なんだから仕方がないじゃないか!?」

 

 

 ぎゃーぎゃーと騒ぎ出す三人を見てティファニアは目を丸くしている。目を血走らせて今にもキュルケに襲いかかりそうなルイズと、ルイズの雰囲気に飲まれながらもなんとか諫めようとしているキュルケ。そして巻き込まれたギーシュ。

 呆然と三人の様子を見ていたティファニアだったが、不意に両肩からぽん、と手が置かれる。左右にはそれぞれタバサとエルザがいた。タバサは無表情のまま、エルザは呆れたように左右に首を振った。

 

 

「気にしなくて良い」

「所詮は個人差だからさ」

 

 

 二人の言葉を受けてティファニアは、なんだかなぁ、と釈然としないまま頷くのであった。

 

 

 

 

 

 * * *

 

 

 

 

 

「くそ、くそっ! 一体何が起きたというのだ!?」

 

 

 深夜、双月が浮かぶ夜に男は荒れ狂っていた。叩き付けたワイングラスがまだ残っていたワインと共に床に叩き付けられ、砕け散る。それでも男の気は済まないのか、何度もワイングラスの破片を踏み砕いて怒りを露わにしていた。

 男のいる部屋は高級な調度品で囲まれていて、男の着る衣服も彼が位の高い者である事を示す高級なものだ。わなわなと肩を震わせながら男は収まらぬ怒りの吐き場を探していた。

 

 

「何故なのだ! 何故、こんなにも唐突に貴族派が壊滅したのだ!!」

 

 

 突然届いた知らせに頭が真っ白になってから早数時間。酒を飲んでも紛れぬ気はどうやっても沈める事が叶わない。何度目かわからぬ悪態を吐きながら男は荒れ狂う。

 そう、この男はかのアルビオンの反乱軍、貴族派に荷担していた男であった。しかし協力者という立場であり、アルビオンに居なかったが為にアルビオンの悲劇に巻き込まれずに済んでいた。

 しかし唐突の貴族派の崩壊は彼の出した支援金を悉くを無に帰してしまった。徒労に終わってしまった支援。それが男には堪らなく口惜しい。思い描いていた夢もまた夢想のままに終わってしまった。

 

 

 

 

 

 ―――……夢を抱くか?

 

 

 

 

 

 故に、闇が囁く。

 

 

 

 

 

「な、何者だ!?」

「―――そなたの夢、実に良い。故に力を貸してやろう」

「何……?」

「貴様にくれてやろう。“王”となるべき相応しき力を」

 

 

 すっ、と差し出された指輪を見て訝しげに目を細める男の前に立つのは、フードで顔を隠した謎の男。僅かに見える口元だけが愉悦に歪んでいた。

 闇は、光届かぬ場所でただ静かに、だが確実にゆっくりと蠢いていた。

 



目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

彼方の君の軌跡

「オールド・オスマン。お待たせしました」

「おぉ、ミス・ヴァリエール。待っておったよ」

 

 

 その日、ルイズはオスマンからの呼び出しを受けていた。突然の呼び出しに首を傾げながら向かった先は、更に不可解な事に宝物庫だ。一体、自分にどのような用事があって呼び出したのだろうか、とルイズが疑問に思う中、オスマンは歩を進めた。

 鍵を開き、宝物庫の中へと入るとそこには多種多様のマジックアイテムなどが安置されていた。思わず緊張にルイズの喉が鳴る。そんなルイズの様子を察したのか、オスマンは笑みを浮かべる。

 

 

「そんなに緊張せんでも良い。君に見せたいものがあるのじゃ」

「見せたいもの、ですか?」

「うむ」

 

 

 歩を進め、オスマンは歩を止めた。そこに安置されていたのは一つの楽器、フルートだった。ルイズはフルートへと視線を移し、静かに息を呑んで目を見開かせた。

 ルイズの様子にオスマンはやはり、と頷いた。ルイズは驚いたようにオスマンへと視線を向けた。信じられない、と表情を驚きに変えたまま。

 

 

「……オールド・オスマン。これは!」

「やはり、君が召喚した精霊であれば知っているのではないかと思ったが……儂の勘は当たっていたようじゃな。これは精霊を使役する為の楽器、そうじゃな? ミス・ヴァリエール」

 

 

 そう。ルイズの目の前にあったのはファ・ディールで見慣れていた魔法楽器だった。精霊の力を借り受ける為に、精霊の力の固まりであるコインを用いて楽器に精霊を宿す。そして自らの精神を共鳴させて演奏し、魔法と為す事が出来る。

 これがファ・ディールに伝わる魔法の仕組みだ。故に魔法楽器の制作は盛んに行われ、ルイズ自身も自ら手がけた魔法楽器も数多く存在する。それが何故ここに? とルイズは疑問を覚え、答えを求めるようにオスマンを見た。

 

 

「あれは何十年前の話かのぅ。儂は旅の途中、はぐれワイバーンに襲われたのじゃ。突然の事じゃった。儂は杖を取り落とし、最早ここまでかと諦めかけた。その時じゃったんじゃよ。――エルフと人間の二人組が儂を助けてくれたのは」

「エルフと人間?」

「うむ。剣士はワイバーンと切り結び、エルフはこのフルートを用いて精霊を使役しておった。精霊を使役する彼を前にワイバーンなど障害にもならなかった。そして儂は命を救われた」

 

 

 過去を懐かしむようにオスマンはフルートに込められた思い出を語る。宝物を見せびらかすように語るオスマンの姿は、まるで若返ったかのように生き生きとしていた。

 

 

「最初は恐怖した。相手がエルフじゃったからのぅ。同時に困惑もしたよ。エルフと人間が並んで旅をしているのだから。じゃが、エルフの彼は儂を蛮人などとも呼ばず、ただ心配をしてくれた。何故人間を助けた? とも問うたよ。何故人間と旅をしているのか、ともね。

 そして彼等は笑ってこう言ったのじゃ! “人を助けるのに理由はいらない”とな! 儂は酷く感銘を受けた。種族の差を超える事が出来る、と彼等を見て思ったのじゃ」

 

 

 その時は、と。言葉を付け足したオスマンは苦笑を浮かべた。

 

 

「儂はそれからじゃ。知識を求め、人の在り方に答えを求めたのは。その結果がこの地位じゃ。我ながら青臭かったのぅ。……だが現実はそうそう優しくなかった」

「……オールド・オスマン」

「儂は君がエルザ君を連れてきた時、君が彼女を人と共に生きる世界を作りたいと言った時、儂は密かにその夢を思い出していたよ。それがどんなに困難なのか、儂は知っていたからの。その場で賛成は出来なかったが」

 

 

 だからこそ、ルイズの姿にオスマンは期待を抱かざるを得ない。ルイズには数多の可能性がある。その気高き精神も、その行いも、何もかもが眩しく目に映る。

 その結果、吸血鬼であるエルザ、ハーフエルフであるティファニアを友とした。更に言えば、彼女は始祖の再臨である。未だ、虚無の力に目覚めてはいないとはいえ、精霊の力を借り受ければ国一つを救ってみせる。それは紛れもない英雄の姿であった。

 

 

「これからの世には不穏の影が見え隠れしておる。恐らく国が荒れるじゃろう。ましてや君は虚無の担い手。恐らく君は激動の渦に巻き込まれていくだろう。否応無しに、な」

「……そうですね。力ある所に、また力は引き寄せられてしまう。それが世の摂理というものなのかもしれません」

「左様。故に儂は君に違えて欲しくないのじゃ。君は光じゃ。このトリステインに……いや、ハルケギニアに新たな輝きをもたらす光じゃ。君は次代を導き、担うに相応しい存在になれると儂は思っている。……いや、そうであって欲しいと願っているのじゃ」

 

 

 オスマンはルイズに視線を移す。オスマンがルイズを見つめる瞳には希望と期待が込められていた。ルイズは臆する事無くオスマンの視線を受け止める。背筋を伸ばし、胸を張って堂々と構える姿にオスマンはやはり、と満足げに頷く。

 オスマンは自分の代だけでは変えられないと悟った。異種族とわかり合うその前に貴族という存在そのものを変革する必要があった。故に彼は教鞭を手に取った。教え、導く者になろう、と。世界はもっと豊かになれると希望を胸に。

 

 

「何があれば儂に相談なさい。儂はミス・ヴァリエール、お主の力になろう」

「……オールド・オスマン」

「頭を下げる必要はない。儂がそうしたいのじゃ。いつか夢見た世界を共に為せる同志だと、儂は思っている」

 

 

 だから、とオスマンは自らの手を差し出した。ルイズは驚いたようにオスマンの手を見つめる。

 ルイズの驚きの表情を見てもオスマンは穏やかな笑みを浮かべたまま、ルイズに手を差し出し続ける。ルイズは僅かに戸惑ったように瞳を揺らす。だが、それも一瞬。ルイズもまた手を伸ばし、オスマンの手を取る。

 

 

「……オールド・オスマン。貴方の信念、理想に感服致しました。貴方に認められた我が全てをかけて、私は私である事をここに誓わせて頂きたい」

「その誓いに深き感謝を。ミス・ヴァリエール。下げる頭は必要ない。胸を張りなさい」

 

 

 頭を下げ、跪こうとしたルイズを制してオスマンは言う。オスマンの言葉を受けてルイズは跪かせようとした身体を起こし、オスマンへと視線を向ける。

 くしゃり、と。ルイズの表情が泣きそうに歪む。だが、ルイズは涙を堪えるように瞳を閉じる。ゆっくりと息を吸い、震える吐息を零しながら再度、ルイズはオスマンと視線を合わせて続けた。

 

 

 

 

 

「……ありがとうございます。だからこそ、オールド・オスマン。貴方には私の秘密を預けたい」

 

 

 

 

 

 

 * * *

 

 

 

 

 

 話すのには時間がかかると、ルイズは場所をオールド・オスマンの私室へと移した。お茶の用意をし、ルイズはオスマンにファ・ディールの話をする事を決意したのだ。

 ルイズは静かに語る。それは長い長い夢物語。ファ・ディールに紡がれた神話を英雄は自らの言葉で語る。涙もあり、怒りもあり、喜びもあり。言葉でも語り尽くせぬ世界をルイズはオスマンに伝えた。

 ファ・ディールで体験した全てを。感じた全ての思いをルイズはオスマンに語り聞かせた。驚きに目を見開かせたオスマンはルイズの話を聞き入り、まるで話をせがむ童のようにルイズの話を促した。

 全てが語り終えるのにどれだけの時間がかかっただろうか。用意したお茶も尽きる頃に終わった話を受け、オスマンは納得したように頷いた。

 

 

「成る程な。君にそんな事が起きていたとは。俄には信じられぬが、君の話に偽りはないだろう。君の話が本当だからこそ、君は此度の偉業を成し遂げた」

 

 

 ファ・ディールでのルイズの体験。それは得難きものだろう。ハルケギニアにはない価値観。そして世界を巻き込んだ冒険の数々。それはルイズに英雄としての器量を与えるには充分すぎる程のものだったのだろう。

 故にこそ、ルイズは英雄なのだ。元々資質があった事はオスマンも認めている。切欠は精霊の召喚だけかと思っていたが、成る程、話を聞けばそれだけでは足りぬ。この経験があってこその今のルイズなのだろう、と。

 

 

「掛け替えのない宝物を、君も見つけていたのじゃな。ミス・ヴァリエール」

「……はい。掛け替えのない宝物です」

 

 

 胸に手を置き、誇らしげに語るルイズの姿にオスマンは微笑ましそうに頷く。あの認められず、周囲に牙を剥く事でしか己を表現できなかったルイズが成長した姿には言いようもない感慨を覚えた。

 

 

「……ところでミス・ヴァリエール」

「はい?」

「君は同居人にエルフがいると言っていたね? もしかすると、同居人の名は“バド”ではないか?」

「……ッ!?」

 

 

 ルイズは思わず腰を浮かしてオスマンに詰め寄った。詰め寄られた事によってオスマンは身を退いてしまう。

 ルイズは何故オスマンから、かつての同居人の名が飛び出したのかわからずにオスマンを驚きのままに見つめた。何故、その名前が出てくるのだ、と。

 

 

「オールド・オスマン!? まさか、まさか貴方が出逢ったエルフって!!」

「…うむ。名乗っておったよ。―――“大魔導師”バド様、とね」

「……!」

 

 

 ルイズの脳裏にかつて旅の光景が思い出される。それは同居人であるバドを連れて“賢人”と呼ばれる者達に会いに行こう、とバドが言い出した事で始まった旅だった。

 そして賢人の一人である“大地の顔・ガイア”の下を訪ねた時だった。ガイアは荒れ地の崖に命を吹き込まれた事によって生まれた存在であり、その知識は星の知識とされ、全てを知っているとさえ言えた。

 その彼がバドに語った未来。バドはいつか大冒険をし、そこで大魔導師と呼ばれるようになるだろう、と語っていたのだ。それを嬉しそうに自慢げに語り、バドと笑いあった日々を思い出す。

 

 

『へへ! 師匠! 見てろよ! 絶対、世界に名を響かせる大魔導師になってやるんだからな!』

『はいはい。そうなる為に努力は惜しまない事ね。あと、好き嫌いを無くすように』

『うっ! す、好き嫌いとか関係ないだろー!』

 

 

 今でも思い出せる彼との日々。双子の姉であるコロナと一緒に叱ったり、自らもバドと一緒にコロナに叱られたりとたくさんの思い出が詰まっている。

 家族だった。間違いなく、自分たちは家族だったのだ。そしてルイズは彼等との別れの瞬間を思い出していた。

 

 

 

 * * *

 

 

 

 ルイズがマナの聖域へと向かい、マナの女神の下へと向かう前だった。ルイズは見納めになるだろう我が家を見つめていた。大きな大樹を刳り貫いたようなマイホームの姿を記憶に焼き付けようと、ルイズはただ真っ直ぐに家を見つめていた。

 そして視線を落とす。家の入り口には2人の子供が立つ。一人は男の子。緑色のローブにふわふわの紫色の髪。もう一人は女の子。男の子と一緒の色の髪をポニーテールに結んでいる。

 彼等がルイズがファ・ディールに来てから一緒に暮らしていたバドとコロナだ。長い間

共に研鑽をし、時間を過ごしてきた掛け替えのない家族。……別れを惜しむ程に愛おしい子達。

 バドとコロナも両目に涙を浮かべてルイズを見ていた。これがきっと今生の別れとなる。それをどうしようもなく理解しているから。

 

 

「……師匠」

「……ルイズさん」

 

 

 バドは押し殺したように、コロナはしゃくりを上げていた。その姿に胸が痛い。熱を帯びた瞳を隠すように瞳を閉じて、両手を腰に当てる。仕方ない、と言うようにルイズは振る舞い続ける。

 そうしなければ自分も泣いてしまいそうだったから。せめて最後の別れくらい、笑顔のままに別れたい。だからルイズは気丈に振る舞って明るく二人に言葉を投げかけた。

 

 

「……まったく、何泣いてるのよ、アンタ達? バド? アンタは立派な魔法使いになるんでしょ? こんな事で泣いちゃ駄目よ? コロナも? お姉さんなんだからしっかりしなきゃ?」

「そういう師匠だって泣きそうじゃんかっ!!」

 

 

 バドが叫ぶようにルイズにそう言った。遂にバドの瞳からは涙が落ちて、バドは必死な表情でルイズを見た。

 ルイズはバドの剣幕に怯む事無く、どこか諦めたような、そんな笑みを浮かべる。言葉が震えないように、しっかりと二人に伝える。

 

 

「当たり前でしょ。……アンタ達と別れるのは私も辛いわよ」

 

 

 ファ・ディールでずっと過ごしてきたのだ。辛い時も、悲しい時も、嬉しい時も。いっぱいいっぱい思い出を作ってきたのだ。

 料理を一緒に作った事。工房で一緒に試行錯誤した事。困ったときには助け合い、ペットも巻き込んで騒いだ事もあった。共に冒険をし、感動を共有してきた。

 願わくばずっとこのまま。このまま、この世界に生きる事を考えたのは間違いなくバドとコロナの存在があったから。愛おしい、本当に愛おしい“弟”と“妹”がいたから。

 

 

「だったら! 別れなければ良いじゃんかよ!! 元の世界に帰らなくても良いじゃんかよっ!! ずっと、ずっと一緒にいようよっ!!」

 

 

 バドは叫ぶ。行かないで、と。一緒に生きよう、と。あぁ、その手を取ってしまえば自分はどれだけ楽なのだろうか、とルイズは思った。抗いたくない誘惑が確かにあった。

 だが、ルイズは手を取れない。取ってはいけない。絶対に。だからルイズは震えそうな自分を叱咤しながら静かに首を振る。どうして、と睨むバドの視線が胸を締め付ける。

 

 

「バド、止めなさい!」

「でもコロナッ!!」

「ルイズさんだって! 私達と離れたいから行く訳じゃないってわかってるでしょ! ルイズさんには帰らなきゃいけない場所があるの!」

 

 

 声を震わせながらコロナがバドを窘めるように叫ぶ。叫ばなければ思いを口に出来ないと言うように。本当は彼女だってバドと同じように泣き縋りたいのだろう。

 だってその小さな身体はずっと震えているから。小さな拳を握って、必死に何かを堪えながら言葉を口にする姿は見てられない。だが、それでもルイズは必死に二人の姿を目にし続けた。

 

 

「ごめんね。2人とも。2人の気持ちは凄い嬉しい。だけどね、私はやっぱりあっちで生まれたの。あっちでやりたい事がある。ここでやりたい事もあったけど、やっぱり私はあっちの世界の人間なのよ」

「師匠……!」

「ルイズさん……!」

「だから、胸張って見送ってくれないかしら? 私も、2人に恥じないように胸張っていくから。バド? アンタ、立派な魔法使いになるんでしょ? なら私も約束するわ。元の世界で立派な貴族になるって。だから笑って別れましょ、ね?」

 

 

 そこから先は言葉にならなかった。涙声で最早しっかりと発音が出来ないままバドとコロナがルイズを呼びながら抱きついた。

 ルイズは2人を抱き留め、その背中をさすりあやすようにしながら、ただ2人が落ち着くまで抱きしめ続けた。自分もまた身体を震わせながら。

 ありがとう。ルイズは2人にそう思った。この世界でのかけがえの無い“家族”に向けて。

 

 

「絶対に、忘れません。忘れませんから……! 私の、私達の大好きなお姉ちゃんの事を、私は忘れません……!!」

「約束する! 絶対、絶対、大魔導師になるから! 世界なんか超えて! 俺の名前が師匠に届くように……俺、頑張る、からぁっ!! むしろ、超えてやる! 世界なんか絶対超えてやるんだ……!! だから……だからぁっ!!」

 

 

 

 ―――どうか、いつまでも元気で。互いに、互いの幸せと研鑽を願って別れを告げた。

 

 

 

 * * *

 

 

 

 ルイズの瞳から涙が零れ落ちていく。その様をオスマンは驚いたように見つめた。ルイズは涙が零れた事に気付き、自らの頬をそっと拭った。

 

 

「そっか。あっちじゃ……100年、経ってるんだよね」

 

 

 そっか、と。呟く言葉は震えていた。あの子は、弟分は自分との約束を果たしてくれていたようだ、と。ルイズは涙を零した。震えが止まらず、涙が次々と落ちていく。

 

 

「バド……バド……!」

 

 

 ―――会いたいよ。

 

 

 もう会えないと覚悟してハルケギニアに戻り、何の因果かアレクサンドルとも巡り会ってしまった。故にルイズは耐えられなかった。もしかしたら、という可能性が生まれた瞬間、ルイズは願ってしまったのだ。

 もう一度会いたい。会って抱きしめたい。きっと一杯頑張ったんだろう。きっと一杯冒険したんだろう。どんな事を経験したんだろう? 辛くはなかっただろうか? どんな事を思ったんだろうか?

 聞きたい。会いたい。会って抱きしめて、話を聞いて再会を喜びたい。褒めてあげたい。いっぱい頑張ったんだね、って。約束を守ってくれたんだね、って。

 

 

「……オールド・オスマン……その、エルフは……?」

「……“探している人がいる”。そう言って旅立っていったよ」

「そう、ですか」

 

 

 探している人。それが誰かなんて想像に難くない。ルイズは堪えきれなかった。自らの身体を掻き抱いて泣いた。声を漏らさないなんて器用な真似を今は望める訳もなかった。

 彼は超えたのだ。そこに至るまで、どれだけの努力をしたかなんて想像もつかない。いつか自分に語った偉業を、彼は成し遂げてしまっていたのだ。

 

 

「偶然迷い込んだ、と彼は言っていた。探すために旅をしていると。どこに居てもいつか探し当てる、と。それが……自分の生き甲斐なんだと言っておったよ」

 

 

 いつの間にか隣に来ていたオスマンがルイズの背を撫でながら優しく告げる。ルイズは声を震わせて、子供のように泣きじゃくった。言いようもない歓喜で胸に震わせながら。

 そんなルイズをオスマンはただ優しく見守っていた。何度もあやすようにルイズの背を撫でつけながら。

 

 

 

 

 

 * * *

 

 

 

 

 

「どうしたんだい? ルイズ。何か私に聞きたい事があると聞いたが?」

「……ねぇ、アレクサンドル。大魔導師バド、って知ってる?」

 

 

 オスマンとの話を終えたルイズは真っ先にアレクサンドルの下へと訪れていた。現在、アレクサンドルは学園で雇われている。門番などが彼の仕事となっている。

 ルイズがアレクサンドルの下を訪れた理由。それはどうしても確認したい事があったからだ。自分が去った後、名を響かせてた筈のバドの事を。

 

 

「……バド。知っているとも。ファ・ディールの歴代において最強と称された大魔導師だね」

「……そう」

「知り合いだったのか?」

「弟分だったわ」

「成る程。君の弟分だったのか。納得したよ。では、その双子の姉のコロナについても?」

「……あはは、コロナも? あの子もそんなに名を響かせてたの?」

「彼女は稀代の魔法研究者として名を馳せていたよ。“魔導に愛された双子”の名は、マナの英雄に劣らぬ程の名声を得ていた」

 

 

 アレクサンドルの話に、そっか、とルイズは感慨深げに呟いた。アレクサンドルはルイズの姿にかける言葉がなかった。大事な思い出を思い返しているのだろう。ルイズの表情はとても穏やかだった。

 

 

「コロナがどんな研究をしてたか、知ってる?」

「世界の創世について。そして“ファ・ディール”とは異なる起源を持つ世界……“平行世界”の存在確立論について、等かな。なかなかに興味深い文献だったのを覚えている。私がすんなりとハルケギニアという異世界を受け入れられたのも、彼女の文献の影響が大きい」

「……答えは知ってるものね。後はそこに至る過程だものね。コロナったら、ズルじゃない」

 

 

 くすくす、とルイズは笑いを零した。さもおかしいと、穏やかに笑うルイズの姿にアレクサンドルは目を丸くするばかりだ。

 いや、きっとこれが彼女の素顔なのだろう。全ての責務から解き放たれ、個人としてのルイズを引き出せるのは、他ならぬ彼女の家族であるバドとコロナだ。

 

 

「もしかしたらね、あの子達もこっちに来てたのかもしれないわ」

「何? ……いや、あり得なくはない、か。コロナとバド、彼等の共同研究は異世界の存在確立、そして渡航だった筈だ。それに、バドはマナの聖剣を探し求めていた筈」

「……マナの聖剣、か。確かにあれば世界を渡る事も出来るものね」

「だからだな。覚えているかい? エメロードの事を」

 

 

 エメロード。アレクサンドルに出された名にルイズは意外な名を聞いた、と目を瞬かせた。

 エメロードは珠魅の民の一人だ。ルイズも彼女とは交友があり、魔法を学ぶ彼女に相談を持ちかけた事も一度や二度じゃない。快活な少女で見る者達を明るくさせる、そんな少女だった。

 将来は魔法剣士になるのだ、と意気込む彼女に自作した剣を贈った事もある。故に忘れてなどいない。かつて自分が守る事が出来ず、そして改めて救い出す事が出来た友人の事を。忘れる筈もない。だがその名がアレクサンドルの口から出た事が意外でしかなかった。

 

 

「当たり前じゃない。なんでエメロードの話になるのよ」

「バドと一緒に聖剣探しをしていたのがエメロードだからさ。一度、エメロードには追いかけ回された事もあってね」

「え!? それ本当なの!?」

「あぁ。まぁ、捕まるなんて事はしなかったがね。彼女もバドに協力しているようだったしね」

「エメロードがねぇ。あ、そういえばバド達も元々は魔法学院の生徒だったし、それで顔見知りだったからかしら?」

「彼等じゃないから、そこまではわからないね」

 

 

 そっか。ルイズが呟き、二人の間に沈黙が落ちる。ルイズは自分がいなくなった後に時を刻む世界へと思いを馳せる。自分がいなくなった後も世界は周り、自分が知らぬままに新たな絆が結ばれ、変動していく。

 寂しいことだ。だが、同時に安心した。もう自分という英雄がいなくても、新たに世界を守る者が、導く者がいる。ならばきっと大丈夫だと。

 

 

「こんなにも惜しまれて、愛されていたんだ」

「……ルイズ?」

「私、まだまだ強くなれる。そう思うわ。アレクサンドル」

「……そうか」

 

 

 二人の間に流れる時間はただ穏やかに、優しく続いていく。ルイズが口ずさむのはマナの女神を称える歌。柔らかく、思いを歌に乗せてルイズは歌う。

 遠く離れた家族や友、その全てに祝福があらん事を願いながら。



目次 感想へのリンク しおりを挟む




評価する
一言
0文字 ~500文字
※目安 0:10の真逆 5:普通 10:(このサイトで)これ以上素晴らしい作品とは出会えない。
※評価値0,10は一言の入力が必須です。また、それぞれ11個以上は投票できません。
評価する前に
評価する際のガイドライン
に違反していないか確認して下さい。