Melty Gaia Co-star (牧坂陣)
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Prologue / 終幕

――計算しきれない未来が欲しかった。

 それが、狂気に堕ちた錬金術師の願いだった。

 噂を具現化する一夜舞台も、模造された契約の紅い月も既にここにはない。

 ただ風が吹き抜けるのみ。

 

 死徒二十七祖第十三位・ワラキアの夜との戦いはどれ程続いていたのだろう。決戦を照らしていた月は沈み、勝利を祝福するかのように東の空は白み始めていた。そんな朝日を少女・シオン・エルトナム・アトラシアは崩れたビルの突端で、噛み締めていた。

破滅の未来を見続けた後に狂った錬金術師、人非ざる身に堕ちてまで破滅の回避のために奇跡へと至ろうとした自らの先祖、500年以上も続いたその狂気に終止符を打ったのだ。

 

「馬鹿ね。生まれ落ちたものはいずれ滅びる。それが例え、人類という種であっても、この星でも。それを知っていたはずなのに、滅びを受け入れられず、守りたいものまで贄として」

 星の触覚たる真祖の姫・アルクェイド・ブリュンスタッドは、いずれ来る破滅を受け入れられず藻掻いた錬金術師を、そう切り捨てた。

「シオン、上手くは言えないけれど、あいつは、ワラキアの夜のやろうとしていたことは……」

 シオンの協力者である少年・遠野志貴の言わんとしていることは、シオンに伝わっている。人類種の未来の救済、それがワラキアの夜の始まりだった。

「わかっています。ワラキアの夜という死徒の始まりに悪意はなかった。だとしても、だからといって彼の犯した罪が消えることも、軽くなることもありませんから」

 

「さぁてと、終わったことだし、撤収!撤収!感傷に浸るなとは言わないけれど、こんなに派手に壊しちゃったし、早くしないと面倒な人達に見つかっちゃうかもしれないわよ?」

 先程までの張り詰めた雰囲気など何処にいったのか、アルクェイドは普段のとぼけた調子に戻っていた。しかし、彼女の言っていることは尤もである。

戦いの余波は大きく、決戦の地となった高層ビル・シュラインの上層部は崩落を起こしている。誰の眼から見ても明らかな異変、遅からず駆けつける者たちがいる。見つかってしまえば言い訳のしようもない。早くこの場を去るのが懸命だろう。

「と、そうだな。シオン、行こう」

「ええ、志貴」

 

 早く立ち去る、と言ったものの困ったことに戦闘の余波でエレベーターホールのあった辺りまで瓦礫の山と化してしまっていた。行きはエレベーターを利用して屋上まで上がったが、この有様ではどうしようもない。時間は掛かるがどうやら階段で降りるしか無いようだった。

 

どうしたものかと振り返ると、早く行こう、なんて初めに言い出したアルクェイドが空を見つめている。そんな彼女の眼は何処か懐かしいものを想うような、それでいて何かを待ち焦がれているようだった。

「どうしたんだよ、アルクェイド。早く行こうぜ」

「ああ、ごめんね。何でもないわ!さ、行きましょう」

「行きましょうって、階段はあっちだろ?……うわっ!」

 有無を言わさず、志貴はアルクェイドの肩に担ぎ上げられてしまった。相手は吸血鬼とは言え、女性に軽々と抱えられるのは男として少し悲しいものがある。

 

「あなたは一人で行ける?」

「御心配なく、私にはこれがありますから」

 訳も分からず抱えられてジタバタする志貴を尻目にアルクェイドとシオンは何故か通じ合っている。シオンのいう“これ”とは、極細の繊維・エーテライト。

「おい!下ろしてくれ、一人で行けるよ!」

「本当に?一人で行ってみる?無理だと思うけどなぁ」

 

そうこうしている内にアルクェイドは屋上の淵へとたどり着いてしまった。嫌な予感はしていた。だが、選択肢からは除外していた。しかし、ここまで来てしまえば、次の展開は決まっている。アルクェイドは数十メートル下の地上を見下ろして、「こっちは大丈夫そう」なんて、何かの確認をしている。

「ちょっと待て、そりゃあ確かに早いだろうけれど……!」

「よっ、と!」

 容易に想像できる、最良で、最悪の展開。小さな段差を飛び降りるかのような、軽い掛け声と共に、アルクェイドは屋上から飛び降りた。

 

 たった数秒のフリーフォール。着地の衝撃こそ無かったものの、徐々に近づく地面に心臓が破裂してしまうかと思えた。未だに落ち着かない鼓動を落ち着かせているとその元凶である金髪の吸血鬼が笑いかけてきた。その様子に傍らの少女も釣られて笑い出す。初めて出会った時からは、想像もつかない、心からの笑顔だった。

 

 示し合わせた訳ではないが、自然とシュラインの入り口から少し離れた広場へと足が向かっていた。そこは、シオンと志貴の始まりの地。そして、別れの地となる場所。風の強い屋上とは違い、地上では太陽はまだ顔を出したばかりだというのに、相も変わらず夏の暑さが身体に纏わりつくようだった。

「志貴、私はもう少し旅を続けてみます」

「体の方は、大丈夫なのか?今ならアルクェイドとゆっくり話し合えると思うけれど」

 シオンと話がある、そう言って遠ざけられたアルクェイドは二人の二十メートル程後方で空を見上げていた。

「ワラキアの影響が消えた今、吸血衝動は十分抑えられるほどに落ち着きました。日常生活を過ごすのに支障は出ないかと。それに、吸血鬼となったこの体の治療法の研究も勿論ですが、この破滅に晒された世界だからこそ、私に何が出来るのか、その答えを探したい」

「シオンらしい。初めて会ったときから全く変わっていないな」

「ズェピアの言った通り、いずれ、私も抜け出せない穴蔵に落ちるというのであれば、その前に、この世界をちゃんと自分の眼で確かめておきたいんです。無論、独りではなく、貴方とそうであったように、一つ一つの出会いを大切にしながら」

 出会いを大切にする。それは、シオンの他者から情報を抜き出すという性質が変わっていなくとも、シオンの変化を感じ取れる言葉だった。初めて出会った頃のシオンからは考えられないような言葉に、志貴は自然と笑顔になる。

 いつまでも、この時が続けばいいと思った。しかし、そうはいかない。目指すもののため、平穏な日常のため、二人は歩き出さなければならない。シオンは右手を差し出す。

「志貴、別れの前に握手を、してもらえませんか」

「ああ」

 それは、シオンの知る精一杯の親愛の証だった。組み合った手を、互いに思いの強さを確かめるように、強く握り合う。

「貴方に出会えて良かった。貴方が私の力が必要な時、私は何時でも貴方の力になる。

――貴方は私の友人だから」

「俺の方こそ。困ったときは呼んでくれ。こんな俺で良ければいつでも力になる」

 固く結んだ手がゆっくり解ける。それが、二人の別れの合図。

「それでは、また」

「ああ、またな」

 いつかの再会の誓い。もしかしたら、その時は訪れないかもしれない。それでも、あっさりと、しかし、これ以上にない鮮やかな別れを二人は交わした。

 

斯くして終演、舞台に幕は降りた。

 

 二人が別れの会話を交わす間、ずっとアルクェイドは南の空を見つめていた。

(そう……。彼がここに、ね)

先の志貴の問いかけには何でもないと誤魔化したアルクェイドだったが、胸の奥底に感じる鼓動、そして強くなる熱に、彼女は確かにこの地へと向かってくる者を感じ取っていた。近づいてくるそれは……、

――星の光。

見上げた空の遥か向こう、アルクェイドは星の光を持つ者へと思いを馳せる。

 

全てが終わり、何事もない平穏無事な日常に戻った少年が駆け寄ってくる。

「じゃあ、俺達も行こうか」

「うん、行こ!」

 二人は揃って歩き出す。帰り道は一緒だ。

それでも、二人の視ているものは違う。自身の行先を見る少年と、空を見上げる姫。

「――待っているわ、ガイア」

 自身の一歩先を歩く少年には聞こえないほど小さな囁きが真祖の姫から漏れた。

 

 

――同時刻、太平洋上空。

「五分後に三咲町上空に到着予定。何か動きは?」

《現在、目立った動きは見られないわ。各種データにも異常なし》

「了解。到着次第、僕の方でも調査を行うよ」

 状況確認の通信を終えると、青年は腰のツールボックスから金色の装置を取り出した。

 装置の中央にはめ込まれた窓、その中で、赤い光と青い光が明滅する。

「待っている……。地球よ、君は僕に何を伝えたいんだ?」、

音速を越える銀色の翼の中で、青年は光と同調する脈動を感じていた。

 

 

――舞台の幕引きは、新たなる舞台の幕開けとなる。

 

 

かつて、穴蔵の錬金術師達はいずれ来る破滅を予言した。

幾年後、新たなる錬金術師達が生み出した英知はいずれ来る破滅を予言した。

そして、二つの予言の通り、この星に破滅が確かな貌を持って降り立った。

 

最古の錬金術師と最新の錬金術師、決して出会うことのなかった二つの軌道が交わる時、滅びに覆われた蒼き星の未来は動き出す。

 

 

 

 

 

 

 



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第1話 ガイアに会いたい

 空は暗雲に閉ざされ、廃墟と化した街には人影一つ無い。それはまるで世界の終焉を想起させる。

突如として迷い込んだ夢とも現実ともつかない世界に、私は一言も発することが出来ずにいた。

 

 どれ程歩いただろう。崩れ落ちた街はいくら進もうとも終りが見えない。残骸は

手遅れだったのだ。迫りくる破滅に打つ手など無く、人類は滅び去ってしまった。

 ビルの残骸の間を巨大な破滅の影達が闊歩する。ここは、既に彼らの世界なのだ。

 何度、その足を止めようと思っただろうか。その度に、後一つ瓦礫の山を越えれば、違う世界が視えるはずだと、何度も自分は奮い立たせ、ここまで来た。

 しかし、それも、もう終わりだ。疲れ果てた身体に残された力はない。もう歩みを止めてしまおう。そう思った。

だが、せめて、立ち止まる前に、この一山を越えよう。例え、その先に希望が無くとも、未来を見ず、立ち止まるわけにはいかない。

 

 埋もれた瓦礫の頂点に到達した時、空に閃光が走った。真夏の太陽よりも強烈な光、でも、眼を背けるわけにはいかない。それが、私の待ち望んでいたものなのだから。

 

空はいつの間にか青空を取り戻していた。相変わらず広がる廃墟の世界。しかし、そこに世界を閉ざしていた破滅の影はない。

 

見上げた空に、光が二つあった。一つは煮えたぎるマグマよりも赤く、一つは深き海の底よりも青く、その輝きを湛えていた。

 私には只々光を見上げることしか出来なかった。そんな私をよそにやがて光は収束し、巨大な人の姿を模していく。

 眼前に在る巨大な背に、ある種の安心感が湧き上がる。先程まで心にあった不安は最早ない。

 

「あなた達は……」

 ようやく絞りだすことの出来た言葉。その言葉が届いたのか、二人の巨人は振り返り、私を真っ直ぐに見つめ、――たった一度だけ、頷いた。

 

 

 

 

 

人影の気配のしない街にセミの声とヘリコプターのローター音が響く。その日も変わらず、真夏の日差しが照りつけ、揺らめく陽炎と焼けたアスファルトの匂いが視覚と嗅覚から熱気を伝えてくる。そんな今にも窒息しそうな真夏の空気の中、廃墟の影で、シオンは目覚めた。

 

(夢、か……)

 たった数時間前まで、シオンは協力者の遠野志貴と真祖・アルクェイドとともに人々の恐怖を具現化する現象、死徒二十七祖・ワラキアの夜と死闘を繰り広げていた。その戦いの後、協力者たちと別れ、拠点としていた廃墟に戻った途端、どうやら眠りについてしまったらしい。

「さて」

頭に残った眠気を振り払うようにシオンは背筋を伸ばす。

 三年前、ワラキアの夜を追い、そして己の身の吸血鬼化を治療する為に、シオンはアトラス院を飛び出した。その目的の達成のために、自らの研究成果の流出も辞さないほどの決意であった。だが、この行為は、成果の秘匿を是とするアトラス院の方針に背くものであり、当然の如く、危険視され、アトラス院や要請を受けた聖堂教会から追われる身となってしまった。

 そうやって討伐のため、逃亡のための旅を続ける間に、世界はその様相を一変させてしまった。変わってしまった世界を見て、アトラス院に戻ろうかと幾度となく迷うこともあったが、シオンは当初の目的であるワラキアの夜討伐を優先した。結果として、ワラキア討伐には成功したものの、世界を取り巻く状況は刻一刻と悪化している。

 一体、自分が今の世界に対して、何が出来るのか。シオンはその答えが知りたかった。

 

 

 

 

 

つい先日まで、殺人鬼の噂に怯えていた街に、新たな事件が起きた。

建設途中だった高層ビル・シュラインの最上階付近が昨夜、突如として崩壊したのだ。

最上階が部分的に崩れ落ち、立入禁止の札が下げられたビルの前には、事態を聞きつけたマスコミと、見物に集まった野次馬たちの群れが形成されていた。

上空をホバリングするヘリコプターもこの事件を撮影しに来たのだろう。

野次馬たちも、ある者は崩落した部分に、またある者は規制線の内側へ携帯電話やカメラを向けている。

 

そんな野次馬の群れから一歩引いた木陰で制服姿の眼鏡をかけた少女が、カレーパンを片手に怪訝そうな顔でビル周辺の様子を伺っていた。

「通信、記録媒体、科学技術の発達は目を瞠るものがありますね」

 事件の真相を知る者の一人である埋葬機関の代行者・シエルは忌々しそうに呟いた。

異端を狩ることが埋葬機関の任務の大部分を占めるが、己や異端たちの存在を公にしないよう、戦闘の痕跡や情報を隠蔽することもシエルの任務の一つだ。無論 昨夜のシュラインで起きた戦闘も例外ではない。

 

――この街も危ないのか。

――これは、破滅の前触れなんだろうか。

シエルの耳に届く野次馬たちの会話はどれもそんな不安を綴っていた。

「勝手に推測して、勝手に結論を出してくれるのなら、こちらとしても仕事がやりやすいのですけれどね。それに……」

シエルの見上げた先、抜けるような青空には、ホバリングするかのように静止する飛行機の影、そして、地上の規制線の内側では灰色を基調とした制服の青年が携帯端末を片手に、汗を流しながら右往左往していた。

 

「彼らが隠れ蓑になってくれるだろうから、その点は助かりますが」

 古風なSFに倣えば、地球防衛軍とでも呼ぶのが適切なのだろうか。G.U.A.R.D.と名乗る彼らは、高性能コンピューターで予測した破滅に対抗すべく秘密裏にその戦力を蓄えていた。そして半年前の事変で滅びの襲来に対し、表舞台に姿を現した彼らは、人類への脅威に対抗すべく、世界各地で頻発する様々な怪奇事件の捜査を開始した。

無論、そこには今回のように、吸血鬼や魔術師の関わる事件も少なからず含まれていた。実際に、表舞台に姿を現す前から、活動していたようで、一年前、三咲町で起きた事件の際には、そのような手合を幾度か見かけたこともある。だが、突出した科学力を有する彼らでも神秘体系には未だ手が届いていないのか、魔術等の神秘が関わるケースを解決出来ている様子はない。

 

「こうなってしまっては事件の隠蔽はほぼ不可能、ならば後処理は彼らに任せるとして、後は」

 昨夜の戦いの顛末を知らなければならない。昨夜、シエルはタタリとして出現した混沌との戦いを強いられ、シュラインにたどり着けなかった。教会から正式にワラキアの夜討伐の指令が下っていた以上、足止めされて決戦に参加はおろか、立ち会うことすら出来なかった、では何を言われるかわかったものではない。

 昨夜のシュラインにいたであろう人物の見当は付いているが、その内の一人は連日の深夜外出を家人に咎められ、ほぼ軟禁状態。シエルがノコノコ出向いたところで面会などさせてもらえそうもない。

もう一人は、端から除外。その人物に頼るくらいならば、ありのままを報告するだろう。そうなると、残りは一人なのだが……。

 

「おや」

そんなことを考えていると、公園の方から紫髪の少女がこちらへ歩いてくるのにシエルは気がついた。シエルが軽く手を振ると、相手もシエルに気がついたようで、そそくさとその場から逃げ去ろうと踵を返す。

「別に逃げなくてもいいじゃないですか。今日は一応オフ同然ですから、危害は加えませんよ」

 その言葉に歩みを止めた少女が恐る恐る振り返り、シエルの顔を伺う。

「丁度良かった、シオン・エルトナム・アトラシア。あなたと話がしたかった。聞きたいことが沢山あるので」

  

 シオンはズルズルと引きずられるように、中心街の複合ビルへと連れられていった。押し込まれたエレベーターを抜けると、エスニックな雰囲気の内装とブレンドされた香辛料の香りが頭に飛び込んでくる。ここから導き出される結論は一つ。

「カレー屋、ですか?」

「はい!」

 満面の笑みでシエルは、シオンの手を引いた。

 

結果として、昼間のカレー屋・メシアンでの二人の会話は他愛のないものだった。行動を共にした遠野志貴の話、アルクェイド・ブリュンスタッドへの雑言。シエルが二杯目のカレーを食べ終えた時点でメシアンを後にし、日が傾くまで何を買うでもなく、ごく一般的な少女のようにウィンドウショッピングで時間を潰していた。

 

 

 

 

 

 淡い灯とアンティーク調の家具で統一された店内は、時代を錯覚さえ起こさせる。ここは喫茶店・アーネンエルベ。日も沈み始め、辺りは夕闇に包まれようとしていた。

「さて、人払いは済ませてありますし。……本題に入りましょうか」

「いいでしょう」

「まあ、予想はついているのでしょうけれど、随分と素直なんですね。もっと、こう、嫌がられるかと思っていましたが」

「昼間のあれやこれやは、私の警戒心を解くためでしょう?それに、あなたの人となりは志貴から聞いていますから」

 シエルは当初の予定通り本題、つまり昨晩の戦いの仔細についてを切り出した。教会側でも確認されていたタタリの発生、そしてその終息について、討伐指令の下された代行者が決戦の地に立ち会うことすら出来なかったでは格好がつかない、口には出していないがシオンはそのことを察していた。シエルには、アトラス院からの追撃要請を見逃してもらった恩もあるため、全てを話すわけにはいかないが、シオンは昨晩の戦いをシエルに語った。――真祖を模したタタリとの激闘、空想具現化により創り出された契約の終わりを告げる紅い月、そして、引き戻されたズェピアとの最後の戦い。

 伝えなかったことがあるとすれば、それは、ズェピアの想いくらいだろう。今となってはただの感傷に過ぎない考察を語ったところで代行者には関係がない。

 

「協力、ありがとうございます」

 話が終わった頃に、シエルが人払いの暗示を解いたのか、注文していたストロベリーパイとブルーベリーパイがテーブルに運ばれてきた。

「ここのパイはどれも絶品なんですよ」

 どうぞ、とシエルが切り分けた二種類のパイを取り皿に乗せ、シオンに差し出した。真っ白な取り皿は、扇状に切り取られた鮮やかな赤と深い濃紺に彩られている。

(――赤と青、か)

 皿の上のコントラストに、ふと今朝見た夢の巨人達がシオンの頭を過ぎる。

 

半年前、人類に破滅を招く存在がこの星に現れた時、未知なる脅威に対して、人類の兵器は通用せず、人々は星が蹂躙され尽くすのを只々呆然と見上げることしかできなかった。

だが、この星に出現した者は破滅だけではなかったのだ。光と共に現れ、破滅を討ち払う。それこそがシオンが夢に見たあの巨人達だった。

 

「どうかしましたか?」

「私も、一つ、聞きたいことがあります。……代行者、あなたは今、世界が置かれている状況をどう思いますか」

「それは、我々の見解を聞きたい、ということでしょうか?」

 鋭い目つきになったシエルを見て、シオンは慌てて否定する。実際、聖堂教会の見解が気にならないわけではない。だが、これはただのシオン一個人の問題なのだ。組織を巻き込んで諍いをおこしても仕方がない。

「そんな大層な話ではないですよ!ただ、あなた個人がどう思っているのか、私はそれを知りたいだけなので」

「私の、ですか?」

 

「……そうですね、いつ世界が滅びてもおかしくない、それこそ明日にでも。そんな状況を怖くない、といえば嘘になりますね。それに、破滅をもたらす者達が、何者で、何故この星を狙っているのか。そんな根本がわからないことに恐怖を覚える人も多いのではないでしょうか?」

ストロベリーパイの一片をフォークで小突きながらシエルは続ける。

「そういう意味では、あの巨人だって同じですよ。人類の守護者と持て囃されていますが、彼らが何者で、本当の目的が何かを知っている者はいないでしょう?」

 確かに、シエルの言うとおりだ。巨人は結果として破滅と呼ばれる存在と戦い、人類に対する脅威を排除している。しかし、その正体や目的を知る者はいない。戦いの最前線にいるG.U.A.R.D.ですらその答えを持ち合わせてはいないだろう。

「我々人類も抗う術を持ち合わせているというけれど、最終的には正体不明の大きな力に委ねざるを得ないことばかりじゃないですか。……結局のところ、破滅にしろ、巨人にしろ、正体不明の者達が人類の未来を握っている。随分とアンバランスな世界に成ってしまったと思いますよ」

 

「そういう、あなたはどうお考えなんですか?こんな事を聞くということは、何かしら思うところがあるのでしょう?」

「……私は、私に何かやるべきことがあるのならば、直ぐにでも行動を起こしたい」

 シオンの口からなかなか言葉が出てこない。

「……でも、今の私はその答えを持ち合わせていない」

 バツが悪いのか、シエルと、そして皿の上のパイから眼をそむけるように、シオンは腕を枕に蹲ってしまった。

「準備をしてきたはずだった。ずっと、ずっと。それでも、滅びは訪れてしまった」

 人類を滅びから救うために、堕ちた祖先の泣き笑いが頭に浮かぶ。彼は、今の世界を見て、一体何を思ったのか。それを知るすべはない。

「だから、答えを探すためにも、私は、――に会いたい」

それが新たに決意した旅の、本当の目的だった。

この半年の間、どれ程巨人との遭遇を待ち望んでいただろう。それ故に今朝の邂逅の夢に対しての、虚しさは途方も無いほど大きい。

 実際に会えたところで、何が出来るというのか。彼らと意思の疎通が取れるかも解らない。それに、自身の抱える問題に答えが出るとは限らないのだが、それでも、シオンは彼らに会いたかった。人類を守り、戦う巨人達に。

 

「会えるといいですね」

「え?」

 シエルから出た意外な言葉にシオンは顔を上げた。否定されると思っていた。寧ろ否定された方が楽になるとも思っていた。

「さっき言った通り、私はあの巨人達には懐疑的ですよ。でも、それは貴方の望みを否定する理由にはならない。……もしかしたら、貴方が巨人に出会えたことで解る、何かがあるかもしれないですしね」

「――はい」

「そうだ。あなたなら“彼ら”に、混ざれるんじゃないですか。計算はお得意でしょう?それにほら、丁度よく錬金術師ですし。その方が、あの巨人のデータも手に入りやすいんじゃないですか?」

 二十年程前を境に、突発的に世界中で誕生した天才児達。成長する過程の中で、彼らは、独自のネットワークで繋がりを持ち、一つの集団を形成した。

――アルケミースターズ。それが、シエルの言う“彼ら”だ。

 古来より続く錬金術師を差し置いて、「錬金術の花形」と名乗る彼らに、少しばかりの反発心はあるにはあるが、嫌っているわけではない。実際、人より並外れた思考力、計算力を持ち、破滅に対抗しようとする彼らと私達は何処か似ているとすら思える。

だが、同じ道を歩むようで、彼らと道が交わることは、決してない。いや、交わってはいけないのだ。

「茶化さないでください。そんなことをして、どういう事態になるか、あなたが一番ご存知でしょう?」

「ああ、もうそんな怖い顔して。冗談ですって!わかっていますよ。そんなことしたら、今以上にあちこちから追われるのは目に見えていますからね」

 両手を振りながら否定するシエル。まったく、冗談だとしても、言っていいことと悪いことがある。

「おっと、もうこんな時間ですか。さて、ちょっと散歩のお付き合い、よろしいでしょうか?」

 

 

 

 

「すみませんね、見回りまで付き合わせてしまって」

 一年前、無限転生者・ロアがこの街に残した傷跡は大きく、未だに屍者が街には潜んでいた。街に残る屍者を完全に消し去るまで、夜の見回りはシエルの日課となっている。そんな街の見回りを終え、二人はシオンが隠れ家にしていた廃墟に来ていた。

「私は、もうしばらく日本に滞在します。こんなこと、いつか敵になるかもしれないあなたに教えるのはおかしな話ですが」

「ご自由に、再会しないことを祈りますよ」

 この街で過ごした時間は確かに短い。だが、その短い時間の中で得たもの、友という存在、共に過ごした思い出は、限りなく大きい。この街を離れたとしても、思いは変わることがない。かつて、アトラス院にいた独りの自分とはもう違うのだ。

そんな思いを胸に、街に、共に戦った者たちに別れを告げ、シオンは踵を返した。

――その時、誰かの、嘲笑う声が聞こえた。

シエルとシオンに背筋を這いずるような、悪寒が走る。瞬間的に、二人は同じ方向に向き直った。

窓の外、丁度シュラインのある方角に、天に届かんばかりの紫色の光柱が立ち上がっている。

輝きを増す光の柱の中で蠢く黒い影。そのシルエットから連想されるものはまさしく、――破滅。

 

「まさか、怪獣……!?」

 眠りにつこうとする夜の街に異常を知らせるサイレンが鳴り響く。逃げ惑う人々の足音と悲鳴、おおよそ、一般人の考える日常からはかけ離れた世界を知る者から見ても、それは非日常、フィクションではないかと錯覚させる光景だった。

 

段々と内部に轟く影はその存在を色濃く、はっきりとさせていく。怪獣が姿を露わにするのも時間の問題だろう。

「私達も、離れた方がいい」

 脅威から、廃ビルまでは十分に距離がある。とは言えそれは、人間視点からの距離だ。あの巨体が暴れだしたとすれば、ここも無事では済まないだろう。

 だが、その呼びかけを無視するかのように、シオンは駆け出した。

向かった先は屋上。周囲のビルよりも頭一つ抜けているため、周囲に遮るものはない。部屋の中よりも、はっきりと変異の全貌が観測できた。

 

光の出現から、ものの数分。消滅する光の中から、破滅が遂にその姿を現した。

遠方からでもはっきりと確認できる。頭部に二本の巻角、太古に滅びた恐獣を思い起こさせる凶悪な面貌、背には翼の如き突起、その全てが、まるで悪魔を思い起こさせる巨体が、その存在を誇示していた。

「あれは、パズズ!」

柱の中から出現したのは、雷獣の異名をつけられた怪獣・パズズ。一ヶ月程前に、近県の街に出現し、その双角から放つ雷により甚大な被害を与えたのが記憶に新しい怪獣だ。

 天を仰ぐと、パズズは、まるで、産声のように雄叫びを上げた。

 

 待ち構えていたかのように地の四方八方から、そして、空に浮かぶ光点から、パズズ目掛けて、無数の光弾が放たれた。衝突した光は弾け、無数の火花を散らすが、パズズは意にも介さない。間髪入れずにパズズに向けて攻撃は続けられるが、そのどれもが決定打とは成り得てはいない。

――足りない。あの場にあるのは、調査隊の持ち合わせた最低限度の装備なのだろう。その程度の戦力で、あの怪獣を止められるとは思えない。

 

 天高く咆哮を上げるパズズ、その双角に僅かな光とスパークが走る。

「いけない!」

 叫んだところでどうすることも出来ない。一際大きく、強くなる放電は、空中を這いずり、地を滑る。雷の枝に追従するように上がる火花と土煙。そして、一瞬遅れて、まばらに爆炎が上がった。爆炎の表すもの、それが戦力の喪失を意味するのは、誰の目から見ても明らかだった。

 それでもなお、パズズに対抗すべく、光弾は吐き出され続ける。しかし、攻撃は怒りを増幅させるばかりで、パズズの身体に目に見えるダメージを与えることは出来ない。

 

 

 

 

 

 紅く染まる夜空、立ち昇る黒煙、空裂き地掃う雷の閃光、そして、破滅をもたらす巨大な影、目の前の世界の終焉を予期させる光景に立ち竦み、一歩も動くことが出来ない。

強く握りしめた拳の指先にぬるりとした温かい感触がある。突き立てられた爪により破られた皮膚から溢れた血の雫が指の間から滴り落ちた。

破滅に瀕した世界で何が出来るかを見つけたい、そう言ったのは自分自身ではないか。だというのに、燃える街を黙って見ていることしか出来ない無力な自分が、ただただ悔しかった。

 「昨日のビル崩壊が怪獣の仕業だ、なんて言われていましたが、まさか、本当に現れるなんて……」

 同じように唖然としていたシエルが呟いた。昼間の人だかりや、街の人々の会話を思い出す限り、確かに、街の人々は怪獣出現の予兆に恐怖していた。

「怪獣の、噂……」

だが、怪獣出現の予兆と噂されていたビルの崩壊は、ワラキアの夜との戦闘の余波が原因だ。そこに怪獣の入る余地はない。

そうだと言うのに、噂をなぞるように、あの怪獣は出現した。人々の間で蔓延る噂の姿を借り、顕現する恐怖。

そう、それは、まるで――。

 導き出されたのは、有り得ない結論。“それ”は確実に、自身の、そして協力者達の手で滅ぼしたのだ。再来する筈などない。

 

 パズズの唸り声と爆音に混じり、確かに聞こえてくる風切り音。振り向き、音のする方を見上げると、三つの光点が確かにこちらに近づいている。

 XIGのファイター機。G.U.A.R.D.の先鋭部隊が保有する航空戦力だ。赤道上空に基地を有するという彼らだが、昨日の今日だ。流石に対応が早い。基地から三咲町までの距離を考えれば、きっと最高速での到着だろう。

 すれ違いざま、ファイターから発射された光弾が、パズズの顔面を捉え、炸裂する。

思わぬ敵の出現に、パズズは雄叫びを上げて、ファイター目掛けて放電するが、歴戦の戦士である彼らには通用しない。寸分違わぬ華麗な機動で身を翻した三つの機影に雷は届かず、空で弾け、火花を散らした。

数度繰り返される攻防、高速飛行するファイターの動きに、パズズは完全に翻弄されていた。

続く交錯、追い疲れたパズズの動きは目に見えて鈍っている。この機会を逃すまいと、ファイターが最後の追い打ちとばかりに光弾を連続発射する。

頭部、胸部、腕部、脚部、全身に打ち込まれた光弾は、パズズに確かなダメージを与えている。パズズはよろめく巨体を支えようとするが、その脚に既に力は無く、膝から崩れ落ちた。

 

「よし!」

 シエルの歓声が飛ぶ。これが怪獣の沈黙に対しての正しい反応。だが、どうしても素直に喜びを表せない。胸の何処かにある、違和感がそれを邪魔している。

「どうしました?難しそうな顔をして」

 どうやら表情に出ていたらしい。顔を覗き込んできたシエルが訝しげだ。

「まさか、巨人の出現を期待していた、とか」

「そんな訳、ないじゃないですか。ただ――、いえ、何でもありません」

 今、パズズは、完全に沈黙している。抱いていた不安も杞憂に終わったのだ。街の被害は最小限に抑えられ、怪獣は退治されたのだ。

 

 

 

 

 

 そんな喜びは、すぐに打ち砕かれた。微動だにしないパズズの肉体が僅かに光を放ちだした。放電の光とは違う、妖しげな紫光。それは確かにパズズが出現した際に、その身を包んでいた光と同一のもの。

 光に包まれたパズズの身体が、震え出す。まるで、糸に吊られたマリオネットが引き起こされるように、巨躯がゆらり、と起き上がる。

 途端、パズズの纏う光が弾け、同時に、全身に無数の亀裂が走った。

 目の前で起こる明確な異常。それをみすみす見逃せないとばかりにファイターからの攻撃が再開された。各機から放たれるレーザー。

――そして、ファイターの攻撃に反応するように、亀裂が一斉に裂けた。

 裂け目から現れたもの、それは、眼。湿り気を帯びた表面、ギョロギョロと不気味に蠢く、まさしく、“眼球”がパズズの全身に産まれた。

 妖しげな光を放つパズズの眼。ファイターの攻撃が当たる瞬間、その光は更に輝きを増した。

 直撃、その光景を観ていた誰もがそう思ったことだろう。だが、レーザーは、パズズの目前で掻き消されたかのように、消滅してしまった。

 先程までとは違う、どこか嗤い声にも似た不気味な雄叫びを上げるパズズ。その全身の眼玉から怪光が発射された。

怪獣の再動、身体の変化、攻撃の消滅。完全に不意を突かれたファイターの、怪光への反応が一瞬遅れる。直撃こそ免れたものの、掠めた光弾は機体に確実なダメージを与えていた。

 煙を吐きながら、力なく高度が下がるファイター。旋回を続け、どうにか市街地への墜落は避けられたが、瓦礫の上に不時着し、火花を散らす様子から、戦闘の続行は望めそうもない。

 

「不気味な……」

 全身に眼球を配した嫌悪感すら覚えるパズズの姿に、無意識にそんな言葉が漏れた。

 嘲笑うかのような雄叫びを上げるパズズ。最早、パズズの進撃を邪魔するものはいない。全身の眼は獲物を探すように蠢き、街の隅々に視線を送っている。

 無数の眼球に、再び妖光が灯る。標的は決まった。後は、蹂躙するのみ。そう言いたげに、パズズは唸り声を上げる。

 

 

 

 

 

 

――何故、彼は来てくれない?

 結局、私は、“彼”が現れる事を望んでいたのだ。会いたいという想いと、この事態をどうにかしてくれるという期待。俯いたのは現実から眼を背けるためか、それとも、未だ姿を現さない“彼”への失望からか。

伏せた視界が光に染まる。それは、パズズが街を焼き払う残光か。

だと言うのに破壊が伴う衝撃音は聞こえてこない。聞こえたのは――。

「光……」

 ただそう呟いたシエルの声だけだった。

 

 その声に、顔を上げた先に在るのは――赤と青の光の奔流。

絶望が覆うかの如く空を埋め尽くす暗雲を断ち切り、その元凶とも言える破滅と相対する光がそこに在った。

 まるで、パズズが出現した時のような巨大な光の柱。だが、決定的に異なるものがある。あの光から感じられるものは、――安堵。

「新手……?」

 突然の介入者にシエルは戸惑っている。だが、あれは、違う。

「あれは……。彼は――」

 見間違えるはずもない。ずっと会いたかったのだから。

 破滅の襲来により、世界の有り様は様変わりした日から、ずっとあの光は、破滅に怯える人々を照らすように、いつも寄り添っていた。

 

光の柱の中を強烈な閃光が走り抜けた瞬間、まるで殴り飛ばされたかのようにパズズの巨体が後方へと大きく吹き飛んだ。

 更に輝きを増し、まるで真昼の太陽の如き煌めきを湛える光の柱。その中心に、一際輝き光る巨人の輪郭が現れた。

その巨体を誇示するように高々と掲げられた右腕、迸る力を表すが如く曲げられた左腕、そして、一歩も退かない意志を思わせるように両の足はしっかりと地面を捉えていた。

身を包む光が胸の発光器に収まり、銀のボディに赤のストライプが走る巨人の姿が遂に露になった。

 

 

 

 

 

 初めて破滅が人類を、そして、この星を脅かした日。光と共に巨人が現れた。

人々は彼を――。

 

「ガイア……!ウルトラマン、ガイア!」

 

――ウルトラマンガイア、そう呼んだ。

 

 

 

 

 

 

 



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第2話 勇者立つ

 キーボードのキーを押す小気味よい音が、乱雑に機械の部品が散らばる室内に響く。

「送信、っと」

 

「ようやく一段落ついたかな」

 一見するとラボのようにも見える部屋で、キーボードを叩いていた青年・高山我夢は、仕事が一段落した安堵から、大きくため息をついた。つい先日出現した金属生命体との戦闘データを、データベースに登録し終えたところだ。

 

 ここは、エリアルベース、赤道軌道上に浮かぶ空中要塞、人類の英知を結集して創られた地球防衛の最前線。

 半年前、人類に対して「根源的破滅招来体」と名付けられた未知なる脅威による攻撃が開始された。しかし、世界中で同時多発的に誕生した天才児集団のネットワーク・アルケミースターズは、その頭脳を結集して創り上げた光量子コンピューター・クリシスを用いて、その襲撃を予測していた。

 いずれ来る人類への外敵に対抗するために創設された組織・対根源的破滅地球防衛連合、通称G.U.A.R.D.の先鋭部隊XIGの空中母艦、それがこのエリアルベースなのである。

 

 根源的破滅招来体の地球侵攻が始まってからの半年間、ワームホールから送り込まれる尖兵怪獣、模倣する金属生命体、精神を侵す波動生命体、滅びた筈の生物群の亡霊、地脈の具現化した龍、宇宙の再創生を目論む反物質生物、地底に潜む怪獣……、思い返すとキリがないほど、我夢は想像を遥かに超えるものと相対していた。

 そう、我夢は戦い続けていた。XIG隊員である高山我夢として。そして、地球から授けられた光により変異した自身、ウルトラマンガイアとして。

 

 我夢は腰のツールボックスから三角形の装置を取り出し、机の上に置いた。

 装置の窓の中では、赤と青、二つの光が明滅する。光を解放するもの・エスプレンダーと名付けたその装置に込められた光こそが、我夢が与えられた力なのである。

 破滅が初めて地球に舞い降りた日、地球より授けられた原始のマグマを想起させる赤き光によって、我夢は雄々しい巨人・ウルトラマンガイアへと変身した。その日以来、我夢は赤き光の煌きにより、その姿を巨人に変え、人類に迫る脅威と戦い続けていたのだった。

 そして、かつて、ウルトラマンガイアと相対したウルトラマンがいた。アグルと名乗るウルトラマンは、この蒼き星を護るためには人類を排除することこそが答えだと信じて戦っていた。だが、その答えは破滅に歪められた答えだった。自身の信じたものに裏切られ、そして、守るべきものすら見失ったアグルは、我夢に青き光を与え、その姿を消した。

 何時頃からか我夢は、自室で独りになると、こうして、光を見つめていた。

 何故、自分が光を授けられたのか。何故、二つの光は戦わなければならなかったのか。

 時間が解決すると思っていた疑問は、解決するどころか、増していくばかりである。だが、問答を続けていても光から答えが返ってくることはない。

 光からイメージを一方的に送られることもあるが、光そのものは力の結晶であり、そこに明確な意志は感知したことはない。それでも、いつか答えが返ってくるのではないかという想いが、この習慣を途切れさせず続けさせていた。

 いつもの通り、エスプレンダーの中、光は柔らかな瞬きを見せていた。見つめる我夢。いつもと何ら変わらない筈だった。

 突然、二つの光が部屋を包み込む程の強い閃光を放った。

 

 光の収束を感じ、ゆっくりと目を開いた我夢。

 規則的に敷き詰められたタイル、整列する石柱、遠くに見える山々の影。ここが何処かであるかという疑問に、得られた情報から導き出される答えは単なる高層ビルの屋上。だが、そんな中でも、現代の建築物に似つかわしくない、遺跡じみた無数の柱が光景の倒錯を与えていた。

 声も出ない。だが、それはこの建物の持つ容貌そのものの不釣合いな構成に対してではない。

――紅。目に映る全てが、まるで血しぶきを浴びたかのように紅に染まっていた。

 かつて、アグルとの決戦の直前、警告のように脳裏に送られた破滅の光景。文明が、自然が、全てが砂に帰した光景とはまるで異なるが、今、目の前に広がる紅の世界も破滅の世界を想起させた。

 ふと、背後に感じる気配。振り返ると、そこには、紅く染まる満月を背に、女がいた。差し込む月光によりその表情は伺うことは出来ない。が、長いスカートと透き通る金色の髪をたなびかせるその姿は、どこか、異国の姫のようだと思えた。

「――君は」

 

 そう問いかけようと声を上げた瞬間、意識が引き戻された。何の変哲もない自室。エスプレンダーの中で、光は柔らかな瞬きを湛えていた。

「何だったんだ……。今の」

 突然の出来事に呆けているところへ、追い打ちをかけるように、けたたましい警報が鳴り響いた。音の出処である机の上に置かれた時計型の通信端末はアラートランプを点滅させている。

「こちら、我夢。何かあったのかい?」

「ポイント621B8で奇妙なスペクトル反応をキャッチ。直ぐにコマンダールームに来て!」

「わかった。すぐ行くよ」

――ポイント621B8。確か、以前に未解決事案のファイルに軽く目を通していた際、何度かその名を見た記憶がある。だが、今はそれを思い出している余裕はなさそうだ。

 椅子の背もたれにかけた上着を手に取り、我夢は駆け出した。

 

 エリアルベースの艦橋、指令を下すコマンダールームに、講義に遅刻した学生のように我夢が走り込んでくる。既に室内ではXIG司令官・石室とチーフ・堤が臨戦態勢のピリピリとした雰囲気を醸し出している。

「高山我夢、到着しました」

「我夢、こっち。データベースとの照合はもう済んでいるけれど、これって……」

 通信モニターで話していたオペレーターの敦子に促され、我夢はモニターのデータを見る。

「これは……」

 我夢がコンソールを操作すると、コマンダールーム前面の大型モニターに三つのグラフと、二枚の写真が表示された。

 表示された写真に写っていたのは、赤と青、二人の巨人だった。

「ガイアとアグルか」

「はい。このグラフを見てください。左がガイア、中央がアグル、そして、左が今回観測された波形。ガイアとアグルのものを比較した場合でも実際、差異は大きい。しかし、ここ。この完全に一致している波形のパターン、これはウルトラマン特有のスペクトル構成なんです」

 並ぶ三つのグラフの差異は確かに激しい。だがその噛み合わない山と谷の中でピタリと一致する区間が確かに存在している。我夢の言を借りるなら、それがウルトラマンを判別する波形ということになる。

「つまり、今、ポイント621B8にはウルトラマンがいるということか?」

「いえ。観測されたスペクトルはガイアやアグルに比べると、一瞬強い反応があった後は微弱な反応が続くだけ。この点は明確にウルトラマンと異なります。――ただ、それに類する何かが存在していることは確かです」

「ウルトラマンに近い存在か。だとすると、何が起きるとも限らない。チームライトニングに出撃準備体勢をとるように伝えてくれ。――それと、我夢。現状では不安材料が多い。詳細なデータを取るために先行して、調査に向かってくれ」

 気が付かない内に、余程険しい顔でもしていたのか。石室からの命令が飛ぶ。

 石室は我夢がウルトラマンガイアであることを知る数少ない人物だ。自分とアグル以外の、新たなるウルトラマンの存在の可能性に憂慮する我夢への助け舟だろう。

 石室の言うとおりの不安材料は多い。直感的なものだが、さっきの幻視が、今回のスペクトル反応と無関係とは思えなかった。

「了解」

「今回、異常が観測されたポイント621B8にある三咲町と南社木市では一年前、幾つか不可解な事件が発生していた。当時、根源的破滅招来体との関連も僅かだが疑われ、諜報部による調査が行われていた。もしかすると、今回の現象と何か関係があるかもしれない。十分に注意してくれ」

 堤チーフから手渡されたのは記録メモリー、その不可解な事件のデータが入っているのだろう。

「それではファイターEX、高山我夢。出撃します」

 不可解な事件と奇妙な観測データ、そして自らの幻視した光景に、少しの胸騒ぎを感じながら、我夢は格納庫へと走り出した。

 

――太平洋上、白銀のボディの戦闘機・XIGファイターEXは音速を越えたスピードで日本を目指していた。

 少し窮屈さを感じるコクピットの中で、我夢はかつて三咲町近辺で発生した事件データを読み返していた。当時、この中規模都市で起きたセンセーショナルな事件は全国で大々的に報じられていたのを、はっきりと覚えている。

 三咲町で大量の血液が搾取された遺体が発見されたことに端を発する事件。これを所以として、事件は「現代の吸血鬼による殺人」、などと盛り上がりを見せていた。

 怨恨、通り魔、様々な憶測を呼んだが、結局、その手口も、犯人に繋がる証拠も何も得られないまま、二人目、三人目、と被害者は増え続けた。そして、ちょうど八人目の犠牲者が出た頃、南社木市内のホテルで大量行方不明者が発生した。

――大量行方不明、表向きはそう発表されていたが、公開されていない事件の概要と凄惨な現場の画像ファイルを視る限り、被害者たちは最早この世には存在していないとしか思えない。

 しかし、不思議なことに、南社木市での事件から程なくして、吸血鬼事件は終息したのだった。終息、といっても犯人が捕まった訳ではない。ぱたり、と事件が発生しなくなったのだ。

 そして、現代の吸血鬼は何時しか他愛もない事件、スキャンダル、そして、破滅の襲来の衝撃に埋もれ、人々の記憶の片隅へと追いやられていった。

「現代の吸血鬼、か」

 読み込んだ資料を閉じて我夢は思案する。

 導き出した結論は、これはXIGでは解決のしようのない事件であるということだ。

 そもそもこの未解決事案に組み込まれる事件は、G.U.A.R.D.が関わりながらも、精査の末に根源的破滅将来との関連が薄いと判断されたものばかりだ。この吸血鬼事件は、本格的に破滅の侵攻が始まる以前、つまり、破滅というものの形態が定まっていない時期に起きたもの。根源的破滅招来体が関わる事件が起きた今になって改めて見直してみれば、この事件と破滅の関連は薄いように思えてしまう。

 そして、根源的破滅招来体が無関係であった場合、ある種の特殊な技術を使用した者が犯人だと考えられる。だが、それを突き止めるのはG.U.A.R.D.やXIGの仕事ではない。それを追う者達は他にいる。

仮に、世間が言うように吸血鬼、または吸血生物の仕業なのだとすれば、話はまた変わってくるのだろうが――。

「それじゃあオカルト、と言うよりもファンタジーの世界だよな」

 有り得そうもない仮説に独り言と苦笑いが漏れる。

 事件ファイルを閉じた丁度その時、ファイターに備え付けられた通信機が電子音を鳴らした。事件の最中の緊急連絡、あまり喜ばしい報告ではないことは確かだろう。

「こちら我夢。また何か異常が?」

《お察しの通り。今、三咲町の高層ビルで崩壊を確認。衛星からの画像では怪獣、それに準ずる脅威は確認できないけれど、既にチームライトニングも出撃したわ》

「了解」

――ビルの崩落。怪獣の存在は確認されていないというが、物理的な被害が発生してしまった以上、一筋縄で済む事態では無いだろう。

 光が何を伝えようとしていたのか。その答えは、きっとこの異変の中にある。直感に過ぎないが、そうとしか思えない。

 急がなければ。

 スロットルレバーを押し込み、ファイターは更に速度を上げ、三咲町へと向かう。

 

――三咲町上空。転送されてきた座標を見るまでもなく、異変の発生したポイントは判別できた。このありふれた地方都市で一番の高さを誇るだろう高層ビル、その一角が崩落を起こしていた。

《こちらチームライトニング梶尾。我夢、そっちの様子はどうだ》

遅れてエリアルベースを出撃したチームライトニング・リーダーの梶尾からの通信が入る。

「エリアルベースからの通信にあったビルの崩壊を確認。しかし、怪獣、それに準ずる存在は確認出来ません」

《そうか。もう数分もしない内にそちらに到着する。引き続き警戒を頼む》

「了解」

 空中で静止するファイターのキャノピー越しに、我夢はビルを観測する。 ビルの高さは平均的な怪獣の全高よりも少し高い。建設途中のためか、崩落を逃れた区画には、ビニールシートを掛けられた部分や、剥き出しの鉄柱が立ち並ぶのが見える。

 これといって珍しい形をしたビル、という訳ではない。だが、その光景に何故か違和感を覚えてしまう。

 

 ビルの最上部は、床面積の三分の一程度が崩落していた。

 XIGに入隊して以来、怪獣によって破壊された建築物を幾つも目にしてきた。ある時は怪獣の撃ち出す光弾による破壊、ある時は怪獣の吐く火炎による破壊、そして、またある時は怪獣の大質量の肉体による破壊。

 今回のビルの崩落をカテゴリーに分けるならば、怪獣の肉体による直接的な破壊が近い。

 脅威の姿形を確認出来なかったが、破壊という確実な干渉があった以上、物質やエネルギー、何かしらの痕跡がある筈だ。

 ファイターと名を関しているが、このEXは司令機としての側面が強い。我夢が自身の専用機として使用するようになってからは、我夢の好みに沿うように各種のセンサーや調査機器が、多く搭載されていた。

 手元の端末を操作し、搭載されているセンサーのスイッチを入れる。全ての機器で異常に繋がるデータが検出されることを端から期待はしていない。破滅の関わる事件に関して言えば、人類にとって、未知の領域から引き起こされる事象が殆どだ。一つでも、引っ掛かるものがあれば、御の字。それを調査の取っ掛かりに出来る。

 だが、次々と送られてくるデータに異常な数値は見られない。

「そうなると……」

 後は直接、目視で痕跡を見つける。現状の装備で確認できるものがない以上、残された調査方法はそれくらいだろう。

「いずれにせよ、梶尾さん達が到着してからだな」

 きっと、屋上に降りてみれば何かが解る。

 この事態の原因究明はもちろんだが、到着してからずっと頭の中を駆け巡る違和感を払拭できる、そんな気がしていた。

 

 やがて、レーダーの隅に三つの光点が現れた。三機編成、梶尾達、チームライトニングの到着だ。

「梶尾さん、到着早々すみません。屋上に降りて直接調査をしたいんです。その間の警戒、お願いしてもいいですか?」

《わかった、気をつけろよ。我夢》

「さて、行ってみるか。PAL、屋上に降りたいんだ。建物への横付け、頼むよ」

『わかりました、我夢。落ちないように、気をつけて』

 スイッチを切り替え、機体のコントロールをAIのPALへと譲渡する。

 ビルの崩落部分はもちろんのこと、一見無事な部分にも柱が立ち並び、ファイターを直接ランディング出来そうもない。故に、ビルに横付けして飛び移るという手段を取らざるを得なかった。梶尾からの注意も、異変由来の不測の事態と、屋上への飛び移りに対しての意味があったのだろう。

「よっ、と」

 軽い掛け声とともに、ジャンプ一つで屋上へと飛び移った我夢。ウルトラマンガイアにその身を変えた時ほど軽やかな動きではないが、己の身で戦うにあたって、体を鍛えている成果は感じられる。

 屋上に降り立ち、周囲を見回したことで、直ぐに、持ち続けていた違和感の正体が解った。俯瞰では確証が得られなかった。だが、今ならはっきりと解る。

 視たことのある光景。初めて訪れた場所だと言うのに、ここを知っている。

「やっぱり、さっき視たのは、ここだったんだ」

 遺跡めいた柱の間を我夢は彷徨う。血のように紅さこそ無いものの、そこは幻視した世界そのもの、だとすれば――。

 ある一点。そこに、確かに我夢は立っていた。

だが今、そこに紅い月などある筈がない。そこに、彼女がいる筈もない。ただ、澄み渡る青空と、黄金の朝日だけがあった。

 

 

 

 

 

 

 真夏の太陽が照りつける中、人々の喧騒とセミの声、そして、ヘリコプターのローター音が街に響く。立ち上る陽炎とアスファルトの焼ける匂いが、真夏の暑さを加速させていた。

 高層ビル・シュラインの周囲には規制線が張られ、閉ざされた敷地の内側では、制服姿の職員達が、忙しなく機械の操作をしている。

突然のビルの崩落に、その後、目立った動きは見られないが、今後何かしらの異常が起きた際、直ぐ対応できるようG.U.A.R.D.の地上基地・ジオベースから機材の輸送を要請していた。朝から続いていた機材の設置も一段落着こうかというところだ。

「これでよし」

 ジオベースの職員に混じり、機材の設置を行っていた我夢は、滝のように顔から滴る汗を拭った。作業に夢中で気が付かなかったが、いつの間にか周囲には人集りが出来上がっていた。

規制線の外から聞こえてくる会話に耳を傾けると、話題はどれも根源的破滅招来体への不安ばかりだ。

だが、実際にそうと決まった訳ではない。しかし、それを否定する材料も今のところ提示出来ない。故に、街の住民たちが常に気を張り続けなければならない状況はしばらく続くだろう。その間、ずっと人々の生活に破滅による恐怖が付き纏う。

この街に限ったことではない。世界中の何処でも起こりうる事、だからこそ、人類は疲弊していた。

「さて、上の方はどうなっているかな」

 ジオベースから借り受けた機材の一部はEXにも積み込んだ。宙に停滞するEXは、今朝方からずっとデータを送り続けていた。

 宇宙線、エネルギー反応、その他諸々、累積したデータにざっと目を通すが、そのどれもが平常値を示し続けていた。

「異常なし、か」

 その中の微動だにしない、あるグラフ。我夢はその一点を見つめていた。それはたった数時間前、エリアルベースで反応をキャッチしたスペクトルを検出するデータ。この場所に「光」を持つものがいた。それだけは確かなのだ

 

 

 

 

 

「チャーシュー麺、大盛りで」

一見不良めいた外見に似合わず、無口な若い店主は注文を聞くと、コクリと小さく頷いた。

日も沈みかけた頃、ようやく調査機材の設営とモニタリングが一段落し、時間が空いた我夢は公園の外周に店を構えていたラーメン屋台を訪れていた。昼は現場調査に追われ、軽食を取る時間も無いが、空腹すら忘れるほどであった。だが、仕事に区切りがつくと、不思議なもので、空腹が蘇ってきた。そんな折に、何処からか流れてくる香ばしい匂いに導かれ、見つけたのがこのバイク屋台だ。

 

目の前に置かれた器には大輪のチャーシューと味玉が一つ。

 店主は、菜箸を“サービス、お疲れさん”と言うかのように動かしている。

 炎天下の中、汗水流した身体に塩分の染み渡った煮玉子は、まさに天の恵みだ。制服姿の来店で、催促したような気恥ずかしさもあったが、それでもありがたいものはありがたい。

「ありがとうございます!……いただきます!」

手を合わせ、ラーメンに手を付けようと割り箸を割ったその時、ふと、射抜くような誰かの視線が貫いた。辺りを見回すが、それらしい人物を見つけることは出来ない。気のせいかと、ラーメンを啜りだすが、やはり、何処からか見られている、そんな感触が残り続けている。

薄気味の悪さにキョロキョロと周囲を見回す我夢の様子に見かねたのか、店主が、指先で、コンコンと我夢の左隣のテーブルを叩く。

左隣を見るが、そこにはやはり誰もいない。が、視界の低い位置に黒い何かが見えた。少し目線を下げると、隣の座席に、大きな黒いリボンを首につけた黒猫が座っていた。ジッと我夢を見つめるその眼は、まるで血のように紅い。先程から感じていた視線の主はどうやらこの黒猫らしい。

「さて――、君はどうして僕を見ているのかな?」

 あいにく、アルケミースターズの数ある発明でも、動物の言語翻訳機は未だに実用化されていない。猫の気持ちを図る術はなく、想像するしか無い。

――しばしの沈黙が流れる。

「そうだ!トッピングのなると、追加お願いします」

我夢の意図することを察した店主は、数枚のなるとが乗った小皿を無言で差し出した。

「ほら、食べなよ」

 小皿を黒猫の前に置いたが、黒猫は目の前の食べ物には全く興味が無いのか、皿を一瞥しただけで、また、その視線を我夢へと戻した。黒猫は鳴き声一つ上げずに、ただただ我夢を見上げる。まるで、その紅い眼を我夢に焼き付けるかのように。

 どれほどの時間が経っただろうか。それまで微動だにしなかった猫が突然立ち上がり、もう我夢への興味を失ったかのように踵を返し、椅子から飛び降りた。ただの一度も振り返ること無く、足早に公園の闇の中にその黒い身体を溶かして黒猫は消えていった。

「おーい!……何だったんだ?」

 不思議な猫の行動に首をかしげていると、響くコンコンと屋台を叩く音。店主が、菜箸を、“早くしないと麺がのびるぞ”と動かしていた。

 

 

 

 

 

 少し遅めの夕食を食べ終えた後も、我夢はシュラインの外周で調査機材のチェックとビルの調査を続けていた。そろそろ日も変わろうという頃、ずっと取り続けていた各種のデータに異常な値は見られない。結局、ビルの崩落現場からは原因に繋がる決定的な証拠は見当たらず仕舞い。そんな調子で幻視の意味を考える暇すら無かった。

「だいぶ、遅くなっちゃったな」

 本当ならば設営終了の段階でエリアルベースへと一旦帰投するつもりだった。それでも、何かが起こるのではないか、そんな不安から街に残り続けていたが、それも杞憂に終わりそうだ。

「そろそろエリアルベースに戻ろうか」

 EXは今もデータ取りのために上空に停滞している。ベースに戻るならば、一度地上へ呼び戻さなければならない。

 PALに連絡を取ろうと、開いたXIGナビの画面に一瞬ノイズが走った。

「ん?」

 途端、傍らに置いた端末がけたたましいアラートを上げた。

「何だ!?」

 慌てて、拾い上げた端末の画面には、異常の発生を示すポップアップが表示されている。

 検出されたものは、強烈な電波。詳細を確認しようとしたその瞬間、各調査機器から送られていたデータがシャットアウトされた。

 と同時に、聞こえる――嘲笑う声。

 背後から響く衝撃、振り向いたそこには、巨大な光の柱があった。妖しげな紫の光の中、巨大な影が蠢いていた。

 

 

 

 

 

 周囲ではジオベースの職員達が対応に右往左往している。

エリアルベースとジオベースへ通信しようとボタンを叩くが、XIGナビもノイズが表示されるだけで、反応を示さない。連絡が取れずとも、両ベースできっと異変を察知しているだろうが、正確な状況が掴めているかはわからない。

もっとも、通信網が生きていたところで待機中のチームライトニングが到着するまで、どれだけ早く見積もっても十分強は掛かる。到着までに怪獣が姿を露わにし、街を蹂躙し尽くす。それが最悪のシナリオだ。

現状、戦力になりそうなのはEXだが、通信が取れない以上、上空で停滞しているPALに指示を出すことも出来ない。それ故にEXの挙動はPALの判断に任せるしかない。他にある戦力といえばジオベースの調査車両に積んでいる火器だが、携行火器を中心とした必要最低限の武装でしかない。これが十分な火力だとは思えない。

戦うための手段が乏しい以上、いざとなれば――ガイアに変身するしかない。

 腰のツールボックス、エスプレンダーへと手を伸ばそうとしたその時、背後に視線を感じた。

それは、まるで射抜くような視線。そう遠くない、数刻前にも感じた感覚。

振り向くと、十数メートル先、公園の林の前に少女がいた。青い髪、黒いドレス、そして、その瞳は血のように紅かった。

全く知らない少女。だが、何処かで出会った少女。そんな奇妙な感覚に我夢は襲われた。

目があうことで、我夢が自身に気づいた、その事を確認した少女は、一言も発すること無く、背後の林の闇の中へと溶け込んでいく。

 異変を放っておく訳にはいかない。しかし、異変の真っ只中に飛び込んでいった少女を放っておく訳にもいかない。関連こそわからないものの、この街では今の少女を含め、不可思議な出来事が多すぎる。優先順位を間違えてはいけないが――。

 「待って!」

 我夢もまた、少女を追い、木々の闇の中へと駆け出した。

 

木々の間を駆け抜け、広場に黒猫が躍り出る。そこに待ち受けていたのは金色の髪の姫。

「ありがとう、レン。――しかし」

一仕事終えた使い魔に労いを掛けた真祖の姫君は天高く伸びる妖光を見上げる。

「完全に滅したと思っていたけれど、まだ残滓があったか。まったく、厄介な事になりそうね」

 

 光の届かない林の中で、既に少女の姿は見えないが、我夢は一直線に走っていた。例え、この方向に、あの少女がいなくとも、探し求めていた者が待っている。そんな確証があった。

 腰のツールボックスの熱がどんどん強くなっているのだ。“何か”がエスプレンダーの中の光と共鳴しているのだ。その“何か”の答えなど、一つしかない。

 やがて、木々の隙間から広場が見えた。林の先、そこには誰の姿も見えない。だが――。

 

 

 

 

 

林を抜けたその先に待ち受けていたのは、何処までも続く砂漠だった。文明全てが砂に帰したと錯覚するような光景。目の前に横たわるのは、姿をよく見知った二つの巨人の石像。忘れる訳がない、アグルとの激突の際に視た破滅の未来の幻視。

ただ、一つだけ、かつて視た光景とは異なる者がいた。

女がそこにいた。砂塵にスカートをはためかせ、月の光を想わせる金色の髪は風に揺れている。

「初めまして、会いたかったわ。――ウルトラマンガイア」

あの紅い幻視の中で、月を背にした異国の姫君が、確かにそこにいた。

ガイアの正体を知っている。本来ならば警戒すべきだというのに、目の前の存在に感じるものは、何処か親しい想い。

「僕もだ。君と、会って話がしたかった」

 昨夜の幻視、あのビルで起きたこと、ウルトラマンの光、そして、彼女の正体。

聞きたいことは幾つもあった筈なのに、一体、何を言えばいいのだろうか。それ以上、言葉が続かなかった。

「本当なら、もう少し落ち着いて話をしたかったのだけれど。まったく、最悪のタイミングね」

「あぁ。そうみたいだ」

 突如響く叫び声に、揺れる空。砂塵の舞う空が薄まり、まるでスクリーンのように映し出されたのは、雄叫びを上げる二本角の怪獣の姿だった。

「あれは、パズズ!」

――宇宙雷獣パズズ。一月ほど前、ワームホールよりこの星に降り立った根源的破滅招来体の尖兵怪獣だ。強力な生体電気を有しており、全身から発せられる電波と雷により、XIG及びG.U.A.R.D.に打撃を与えたことが記憶に新しい。

「とうとう現れたか……」

「少しだけ、待っていてくれないか。すぐに、終わらせてくる」

 この空間が何処かは分からないが、それでも、外の様子を伺えることから元いた場所と繋がってはいることは確かだ。

 取り出したエスプレンダーを右手に嵌め、右腕を突き出そうとした、その時――。

「待ちなさい、ガイア!」

 女の静止に、まるで鎖に縛られたかのように指一本、動かせなかった。

「行ってはいけない。――貴方はあれが何であるかを識ってはいけない」

空に映る怪獣の姿は、まさしく、かつて戦った怪獣。XIG隊員として戦い、そしてウルトラマンガイアとして、直接組合った相手を見間違える筈がない。

「確かに、あの怪獣の姿と力は貴方のよく知る怪獣かもしれない。でも、その本質は全くの別物よ」

「どういう意味だ……?あれは、パズズ、じゃあないのか?」

「あれの正体を識れば、貴方達はきっと解き明かすでしょうね。けれど、世界には、それを許さない者達もいる。――暴くことが、新しい破滅に繋がることもある。だからこそ、貴方に奴の正体を教えることは出来ない」

「新しい、破滅……?」

 彼女の言うことは要領を得ない。答えを得ることが、破滅に繋がるということが本当であれば、彼女は我夢に答えを教えるつもりはないのだろう。だとすれば――。

「戦うなと言うためだけに、僕をここに呼んだのか?」

「半分正解。言ったでしょう?もっとゆっくり話したかったって。貴方に聞きたいことがあったけれど、こんな状況で落ち着いて話してなんか、いられないか」

 

 

 

 

 

 

 衝撃が走る度に、揺れる空はその色を失い、外界を映し出した。

 噴き上がる火花と爆炎。

 異形と化した破滅と、地に墜ちる銀色の翼。

そして、街を破壊せんと、妖光を湛える破滅の姿。

 焼き払われる街を、傷つけられる仲間を、ただ見ているだけしか出来なかった。

「君の言うとおり、僕が戦う必要は無いのかもしれない」

 金縛りにかかったように、動かない右手に力が篭もる。

彼女はあのパズズの正体を知っている。その上で我夢に、そしてウルトラマンガイアに関与するなと忠告している。

正体を識ることが、未来の新たな破滅に繋がる。それが本当ならば、我夢が動く意味はない。自身が激情から迂闊に動き、戦うことで破滅を招く虚しさはアグルとの最後の衝突で嫌というほど思い知らされた。

――だが、それでも。

「だからって!これ以上、黙って見ていられる訳、ないだろ!」

我慢ができなかった。だからこそ、胸のうちから湧き上がる想いを叫んだ。

その瞬間、見えない鎖が断ち切れたように、身体に自由が戻った。

「ごめん。僕は、行くよ」

「そう。――それでこそ。だから、貴方が光を掴んだのでしょうね」

 星と対話し、星の光を与えられた者に会いたかった。そして、聞きたかった。――何故戦うのかを。

しかし、そんな事は聞くまでも無かったのだ。誰かを、何かを、護るために戦う。それ以外に答えなどある筈がないのだから。

 

 

 

 

 

 かつて星の光に誓った決意。護るという想いを胸に、我夢は右腕を突き出した。

 我夢は叫ぶ。己の、己に宿した光の名を。

「ガイアァァァァァァ!」

 エスプレンダーから開放される眩い光の煌めき。小さな窓から溢れる赤と青の光が、我夢の身体を覆い尽くす。

二つの光はやがて、恒星の如き輝きを湛えた奔流となり、空想の天蓋を突き破った。

破れた天の蓋の外に覗く空は黒煙に覆われている。だが、その漆黒のヴェールすらも振り払うように、何処までも光は伸びていく。

空の裂け目を起点とし、崩れ行く破滅の未来。光を見送るアルクェイドは叫ぶ。

「私が何を言おうと、あれが何であろうと、関係ない!貴方は、貴方の想うままに進みなさい!――我夢!」

 

 

 

 

 

 光の中、視界はどんどん上昇し、街を見下ろす俯瞰へと変わっていく。

 目の前には、蠢く破滅。その身に纏う妖光は臨界を迎え、既に発射寸前だ。

――させるものか。

 強い意志とともに、体の中を駆け巡る光の奔流が塊となり、弾けた。その瞬間、パズズの巨体が、後方へと大きく吹き飛ぶ。

 やがて、収まる光。はっきりとした視界に入るのは、焼け落ちた木々、めくれ上がった大地、そして、残骸の山。

――遅くなってしまった。これ以上、被害を出す訳にはいかない。

『僕が相手だ!』

 決意を込め、ウルトラマンガイアは、目の前の破滅に向け、吠えた。

 

 

 

 

 

 

 



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第3話 出会いと再来

 街を見下ろす塔の上。下界に見えるは、悲鳴を上げ逃げ惑う群衆、黒煙と炎に巻かれる街、そして、蠢く巨大な影。

 自らが呼び起こした破滅の破壊の成果に、呪術師は高らかに嗤う。

 阿鼻叫喚の地に向けられたその左の掌では、怪しげに眼球が蠢いていた。

――なるほど。当初の思い描いていた道からは外れたが、実に面白い力を手に入れた。あれから五百年、長きに渡り臥せていた甲斐があったというものだ。……だが、何時の世も守護者を気取り、我が道と我が夢の行く手を阻む者共が現れる。しかし、此度は負けん。

「呪いと破滅、そしてこの“祟り”の力を以ってして、我が国を創ってみせよう」

 呪術師は嗤う。その眼に、野望の成就を映して。

 

 

 

 

 

 黒煙と炎によって赤黒く照らされるホリゾントに浮かび上がる二つの巨影。ガイアの出現から、両者に大きな動きはまだ見られない。

 相対し、膠着する両者。ジリジリとすり足で、ガイアは間合いを測っている。得体の知れない能力を持つ相手に出方を伺っているのだろう。

そして、対面するパズズは、目の前に立つ相手に向かい、身体を振り回し、雄叫びを上げ、威嚇している。既に、ガイア出現時の光の余波により、手痛い先制を貰っている。それは、ガイアの力の一片にしか過ぎないが、力量を計るには充分だった。

 続く膠着状態。その均衡を崩したのは同時だった。ガイアとパズズは互いに正面の敵へと、駆け出した。

 駆けるガイアとパズズの足元から噴き上がる土柱。それもそのはず、万トン単位という桁外れの巨体から生み出される想像を絶するようなエネルギーが、地を踏みしめる足、その一点に集中するのだ。

 ぶつかり合う両雄。組み合うガイアとパズズは互いが、互いの力に負けぬよう、地をしっかりと踏みしめた。その瞬間、一層高い土柱が地表を巻き上げ噴き上がる。

 そして、巨人と巨獣の激突の衝撃は、地だけでなく、空気を伝わり、離れたビルの屋上にいるシオンとシエルをも震わせていた。

 

「あれが、ウルトラマンの、戦い……、話で聞く以上の迫力ですね……!」

 戦いは始まったばかり。だというのに、目の前に在る虚構めいた光景に、シエルは圧倒されていた。

 根源的破滅招来体による最初の尖兵・コッヴが地球に舞い降りて以来、テレビや写真などで目にする機会の多いウルトラマンや怪獣の戦闘。今や、誰しもがその光景を見慣れている筈である。だが、それは映像媒体という切り取られた世界に限った話だ。

 日常という本来ならば自身のテリトリーの光景、そして、自身の眼で見る主観という現実で、空気と大地を震わせ繰り広げられる巨大な異質達の戦いに、実際に遭遇した誰もが畏怖の念を抱いた。それは、代行者として神秘に携わり、幾多の人非ざるもの達と戦いを繰り広げてきたシエルとて、例外ではなかった。

 それは、シオンも同じことだった。怪獣のもたらす被害に巻き込まれ、その戦いを目撃した者の記憶をハッキングしたことも幾度かある。だが、眼前に在る五感を震わすその光景は、自身の体験でなくては、解り得ないものだった。

 

 続く両者の力比べ、先に動いたのはパズズだ。両腕を振り回し、ガイアのクラッチを振りほどいたパズズは一歩後退りし、助走をつけ、突進を仕掛けた。パズズが到達するよりも早く体勢を立て直したガイアはパズズの頭突きを止めるべく、両角を押さえ込んだ。数十メートル後方に滑るガイアの巨体。それでも、ガイアの全身に込められる力は徐々にパズズの勢いを殺し、完全にその突撃を制した。

 そのまま両角を押さえ込まれ、前屈みになったパズズの顔面にガイアの膝が突き刺さる。数度の膝蹴りに、力の緩んだパズズの隙を見逃さず、ガイアは角ごとパズズの頭を捻る。宙に浮く九万九千トンの巨躯。数瞬の滞空の後、パズズは左半身から地面に叩きつけられた。その衝撃は凄まじく、パズズの全身を覆い隠すほどの土柱と地響きを引き起こした。

 鈍重に起き上がるパズズにガイアが素早く近寄り、助走をつけた蹴り上げをお見舞する。痛烈な破壊力により跳ね上がったパズズの頭部、天を仰ぐ形となり、がら空きとなったその首元に、間髪入れずにガイアのチョップが叩き込まれる。そのまま、大きく仰け反り、パズズは倒れ込んだ。

 遅れて辺りに響く破裂音。地上の残存部隊が結集したのだろう、倒れたままのパズズに向けてロケット弾が四方から放たれる。それに呼応するように、上空に一機残った銀色のファイターからもミサイルが発射された。

 ガイアの物理的攻撃が通用する。そして、ガイアの攻撃により体勢を崩している今ならばと、隙をついた援護射撃。だが、策とは裏腹にパズズは倒れ込んだままでも、その眼に妖光を発現させた。

 ロケット弾は、引き寄せられるように、パズズの妖光へと向かっていく。そのまま吸収された光弾は、妖光の中で弾け、その輝きを更に鈍く、色濃く変化させた。

 一瞬走る爆音と閃光。嘲笑うように、パズズは咆哮を上げる。連動するように全身で轟く眼球が、公園の四方八方、そして、ガイアを睨みつけ、光球を発射した。

 着弾地点から上がる無数の爆炎と黒煙。自身へ向かう光弾へと咄嗟に両腕を突き出したガイアの前面の空間が円形に歪んだ。ガイアの張ったバリアに弾かれ光弾は滑るように、上空へと跳ね上げられる。

 攻撃を防がれたというのに、防御に回るガイアを見て、パズズの口角が上がる。青白く光を灯すパズズの両角。間髪入れずに、スパークした雷がバリアを張るガイアに襲いかかった。

 バリアの上を這いずり回る雷と次々に送り込まれる強烈な圧力に押され、後退るガイア、限界は刻一刻と近づいてくる。

 パズズが咆哮を上げ、更に雷を送り込むとバリアはまるでガラスを割るかのように砕け散ってしまった。衝撃で後方へと弾き飛ばされるガイア。そんな無防備なガイアに追い打ちをかけるように、パズズは雷を放ち続けた。

 倒れ込む、だが、背が地に着くと同時、跳ね起きたガイアは雷に反応し右腕を突き出した。

 

 右手を起点に、輝く赤光から伸びるのは、言うなれば青き光の刃。ガイアが凝縮されたエネルギーの光刃を一振りすると、その切っ先に沿うように雷は軌道を逸らされ、地に向かって落ちた。

――それはアグルから受け継いだ力の一片・アグルブレード。

 予想外の方法により躱されたが、両角に宿る雷は未だに健在。淡い光を帯びた両角が再びスパークし、雷がガイア目掛けて襲いかかる。

 襲い来る雷に対し、悠然と立ち向かうガイアは風車の如くアグルブレードを前面で回転させた。

 直撃と思われた雷光は、円を描く光刃の中心を起点として四方へと散らされていく。

 エネルギーの障壁がそのまま雷を受け止めていたバリアとは異なり、光刃の回転が作り出した盾では、刃自身の持つ力場が、雷を刀身に届く寸前で撥ね退けているのだ。一歩、一歩と雷を押し退けてガイアはパズズへと近づいていく。

 ゆっくりとだが着実に、そして間合いへと踏み込んだガイアが、切り払うように、後方へ向けてブレードを振り抜いた。先の再現のように雷は切っ先に追従し、あらぬ方向へと逸れていく。

 今、ガイアとパズズの間に遮るものはもう何もない。

 その勢いのまま、ガイアは振り上げたブレードをパズズの頭頂へ振り下ろした。

 

 だが、刃はパズズへとは届かなかった。ガイアの剣さばきに対応するように、パズズ自身の眼が光を放ったのだ。刃を受け止めた光の下、蠢くパズズの両眼が、その身体の肉や骨を掻き分け、近づき、溶け合い、一つの眼を生み出す。

 光の障壁に阻まれ、刃は空中に縫い付けられたかのように止まっている。左手を添え、ガイアは渾身の力を込めるが、それでも刃はびくともしない、それどころか、妖光の中で、光の刃は崩れるように分解されていく。

 驚くガイアの不意を突くように、パズズの単眼からガイア目掛けて光弾が発射された。至近距離、想像だにしなかった防御と反撃に、反応が遅れ、顔面への直撃を喰らったガイアの巨体が後方へと大きく跳ね飛ばされた。

 

 

 

 

 

「あの怪獣、強い……!」

 厄介な能力を持つ怪獣、その力の前に窮地に立たされるガイアを見て、シエルの手に力が込もる。見知った街が破壊されていくのは悔しい、だが、人類の持つ最高の戦力や、人知を超えた巨人ですら手を焼く破滅を、自身の力で駆逐するなどとは、到底考えられなかった。夕刻シオンに言ったように、得体の知れない巨人に全てを委ねざるを得ない、それが結局は自身にも当てはまってしまう事が悔しかった。

 

 歯噛みするシエルを尻目に、シオンはその思考をずっと回転させていた。あの光の防壁を破らない限り、ガイアに勝ちはない。今の攻防の中での違和感の中に、その答えがある筈だと。

 そして、今、シオンの分割思考の大部分は、先程の地上部隊からの援護射撃の際、一瞬起きた閃光に向けられていた。閃光の正体は、ミサイルの着弾だった。パズズの発する妖光は、エネルギーだろうと物質だろうと攻撃を吸収し、自身の攻撃のためのエネルギーへと変換してしまう。にも関わらず、ミサイルが衝突した妖光は、閃光を残し、弾け飛んでしまった。あの時、一体何が起きたのか。

 確か、全身に張り巡らされていた妖光は、先に発射された地上部隊のロケット弾を吸収していた。だとすれば――。

 

 確証はない。しかし、突破口を開く可能性が僅かでもあり、あの巨人の助けになるのであれば。そう思うと、身体は自然と動き出していた。

「待ちなさい!何処に行くんですか!」

 シエルの静止に、耳も貸さず、シオンはビルの屋上からまた別のビルの屋上へと駆けていた。目指す先は、言うまでもなく、光の巨人と破滅が相対する戦場。考えられる幾多の危険など関係ない。今はただ、怪獣の能力に苦しむガイアと、脅威に晒されるこの街を救いたい。その想いだけがシオンの身体を突き動かしていた。

「ああ!もう!」

 既に遠く、小さく点のように見えるシオンを追い、シエルも夜の闇の中を駆け出した。

 

 

 

 

 

 先の不意打ちから、ガイアがその体勢を立て直す暇を与えないよう、パズズの攻勢は続く。度重なるダメージの中で、何時しかガイアの胸のライフゲージは青から赤へと変化し、点滅を始めていた。周囲には無機質な警告音が、まるで鼓動のように響き渡る。

 呻き声を上げながらも、パズズの絶え間ない攻撃をいなし続けるガイアだったが、大質量の角に引き回され、膝から崩れ落ちてしまう。好機とばかりに、猛攻を仕掛けるパズズ、その強靭な脚力が遂にガイアを捉えた。腹を蹴り上げられ、宙に浮くガイアの身体。そのまま、したたかに地面に撃ち付けられたガイアを逃すまいと、パズズはその背中を踏みつけた。

 拘束から逃れようと藻掻くガイア、パズズはようやく捉えた敵を離すまいと更に脚に力を込める、その一方的な攻防の最中。

 

「――ガイア!!」

 自分を呼ぶ声に、ガイアは気がついた。声の呼ぶ方、そこにいたのは、今にも涙を流しそうな、だが、決意に満ちた顔の少女だった。

 パズズ押さえつけられるガイアは、その手を伸ばし、首を振り続ける。逃げろ、と。ここにいてはいけない、と。

 しかし、少女は巨人の前に立ち、叫んだ。――勝利への可能性を伝えるために。

 それが今、彼女にとって出来る事、やるべき事なのだから。

 

 

 

 

 

 パズズがガイアの背を踏みつける度に激しい衝撃がシオンを襲う。シオンの叫び声は、地鳴りのような衝突音に、掻き消され、自分の耳にすら届いていない。そんなちっぽけな声がガイアの耳に届いているのか、そもそも、ガイアが人類の言葉を理解しているのかすらわからない。衝撃と揺れによろめき、何度も倒れそうになった。――だが、それでもシオンは叫んだ。

「――百パーセントではありません……!でも、もしも、私を信じて、私に賭けてくれるのであれば!あと一度、一度だけでいい!立ち上がって下さい!ガイア!!」

 ただただ、一方的に。想いと策は伝えた。

 それまで、逃げろ、と言うようにシオンへと掌を向けていたガイアの手に力が籠もり、握り拳を作り出す。それと同時に、地を舐めさせられていたガイアの顔が、ゆっくりと持ち上がった。

 交錯する銀と紫苑の瞳の間に、もう言葉はいらない。

――ガイアは力強く頷いた。

 

 二人の邂逅などお構いなしに、ガイアの身体をへし折ろうと、パズズの右脚が大きく持ち上がる。トドメの一撃のつもりなのだろう。だが、その一瞬の隙を見逃さず筈もなく、ガイアは身体を翻し、両手でパズズの右脚を捉えた。拮抗する力と力、その釣り合いは直ぐにガイアによって破られた。ガイアが左腕の力を僅かに緩めたことにより、パズズの体勢が右に崩れたのだ。その勢いのまま、ガイアが右脚をすくい上げたことで、滑るようにパズズの巨体が地に落ちた。

 

 パズズの巨体から解放され、体勢を立て直したガイアの前に、躍り出た小さな影は、シオン。深く腰を落とし、無数に束ねられ、地に縫い付けられたエーテライトはワイヤーの如く強靭に、そしてしなやかにシオンの身体を固定している。両手で眼前の破滅に向けて構えるものは、天寿の概念武装『ブラックバレル・バレルレプリカ』。

 準備は整った。振り向き、見上げたガイアに、そうシオンは頷きかける。

 シオンに応えるように、ガイアも左半身を大きく引き、握りしめた左手に、右の手刀を添えた。それは、まさしく起死回生のクァンタムストリームの予備動作。

 右手で半円を描くように、ガイアは右腕を起こす。その手刀からは動きに追従するように光の粒子が溢れ出る。

 その動作と光から、ガイアの狙いを察したパズズの全身の眼に、妖光が灯る。

 シオンの狙うチャンスは、――今。

「――ガンバレル!フルオープン!!」

 ガイアの光線に先駆けて、解放されたバレルレプリカの力がパズズの顔面目掛けて放たれた。バレルレプリカから放たれるのはウルトラマンの光線を彷彿とさせるような紫光の奔流、だが、その光はパズズの単眼が放つ妖光に虚しくも吸い込まれていく。

――それこそがシオンの狙いであり、ガイアに伝えた策だった。

 

 パズズの眼が放つ妖光は様々なエネルギーや物質を吸収する。しかし、攻撃に転じるため、吸収したエネルギーを攻撃用のエネルギーに変換した妖光は、性質が変化し、その吸収能力を失ってしまう。故に、地上の残存部隊とファイターからの同時攻撃の際、地上部隊のロケット弾を先に吸収し変換した妖光は、ファイターから放たれたミサイルを吸収できずに直撃、弾け飛んでしまった。

 それがシオンの導き出した可能性だった。

 

 バレルレプリカの放つ奔流を吸収するにつれ、パズズの単眼が放つ妖光の輝きが僅かに、色濃く変わっていく。どれだけ吸収させればいいのか、そんなことは解らない。だからこそ、できるだけ長く、ギリギリまで放ち続ける。そして、訪れる限界、バレルレプリカから放たれる光が途切れると同時に、ガイアの右腕が垂直に立てられた。

 

 

 

 

 

――無駄な足掻きを。

 自らが生み出した破滅とリンクした視界に映るのは野望の邪魔をする巨人のみ。その巨人は今、最後の抵抗を試みようとしている。

――小娘の言葉に、力を振り絞ったようだが、何が出来ようか。己の力により破滅するがいい。

 巨人の放つ光を吸収すべく、視界が妖光の湛える紫の輝きに染まるその刹那、視界は閃光により遮られた。妖光は突然の光を蓄え、それを力へと変換していく。

 蠢く全身の眼が探り当てた光の出処、それは、先の少女。

 次第に弱まる閃光、そして、その輝きが消え失せた先、呪術師が眼にしたものは、マグマの如く熱く滾る光だった。

 

 

 

 

 

 パズズの顔を覆う妖光を消し飛ばし、パズズへと到達したクァンタムストリームの赤橙の輝き。光線の持つ凄まじい圧力の前に、パズズの巨体が一歩、また一歩と後退していく。ガイアから放たれ、送り込まれるエネルギーはパズズの体内へと浸透し、体中を駆け巡り、許容を超えたエネルギーは、遂に火花となって全身の眼玉を出口として一気に吹き出した。

 やがて、光線に押し負けまいと暴れまわっていたパズズの両手足が、凍りついたかのように硬直し、そして――。

 パズズの身体は、まるで黒い霧が散るかのように、跡形もなく消え去ってしまった。

 残骸、破片の一つすらもの残さず消失したパズズの肉体。

「――まさか。いや、あれは」

 そう、それは、確かに、斃した筈なのに。一度は払拭した疑念がまたもシオンの中で湧き上がった。

 霧散し、消失するパズズ。その光景を視ていた者たちが抱いたであろう違和感とは、また別の違和感を、シオンは抱いていた。

 

 

 

 

 

「ふむ、実に――忌々しい」

 “祟り”を破られた呪術師は、痛みの走る左掌を見つめた。掌の亀裂からは、まるで涙のように、いや、正しく血涙が滴り落ちていた。どうやら想像以上に破滅の姿を借りて顕現した“祟り”との接続が深すぎたらしい。掌の魔眼は、“祟り”の消滅と同時に破壊されていた。

 折角の魔眼、ただの前哨戦で失うには惜しかったかもしれない。だがしかし、何かを得るためには、失うことも必要なのだ。

――情報体である“祟り”への介入、改竄という発展の可能性。そして、邪魔者共の存在と、得られた情報は多い。

 魔眼を一つ失ったとはいえ、未だ回収していない遺産もある。それに、“祟り”の力とて、此度の戦いで魅せたこれが全開ではないだろう。

 勝負は、終わってはいない。これから始まるのだ。

 

 

 

 

 

 パズズとの激闘を経て、その身に刻まれたダメージは決して小さくはない。赤変したライフゲージは点滅し、警告を発し続けている。だが、それでも、ガイアは自身の疲れや、苦しみ、痛みを感じさせないように、堂々とそこに在った。

 そして、それはシオンも同じこと、拠点の廃墟からの全力疾走と、力を解放したバレルレプリカの制動制御、身体に疲労と痛みが途方もなく蓄積している。しかし、今だけは、倒れるわけにはいかなかった。

「ガイア……」

 夜空に浮かぶ銀色の瞳を見上げる紫苑の瞳、それはシオンがずっと待ち望んでいた出会い。これが、最初で最後の邂逅かもしれない。

――貴方は何者なのか、何処から来たのか、そして、何故この地球と人類の為に傷付きながらも戦うのか。

 問いたいことは沢山ある。だが、今、頷き合う二人の間に言葉はない。言葉など必要なかった、確かに伝わる想いが互いの心にあるのだから。

――ありがとう、と。

 それだけで、充分だった。

 シオンがガイアを見上げるように、ガイアも天を見上げる。それは、二人の別れの時を意味していた。

『デュアッ!!』

 見送るシオンへ一迅の風を残し、ガイアは未だ黒煙の燻る夜空へと飛び立った。星天を目指し、小さくなるその銀色の身体は、やがて微かな光点となり、星々の海へと溶け込んでいく。

 

 

 

 

 

 既に光の消えた星空、許されるのであれば、何時までも、彼をここで見送っていたかった。しかし――。

「感慨に浸るのは、そこまで!」

 その静寂を破ったのは聞き覚えのある怒鳴り声、振り返ると、そこにはいたのはシエル。眉をしかめ、腰に手を当てているその様子は、相当ご立腹のようだ。

「何考えているんですか!?あんな派手な立ち回りをして!ああ!絶対、誰かに見られている!――何ですか?その顔は!ほらさっさと歩く!」

 グイグイと近づき、間髪入れずに畳み掛けてくるシエルに、何も言い返せないまま、シオンは腕を掴まれ、引きずられていく。

 ただ、シエルの言うことは、ごもっともだ。あの攻防の中で放ったバレルレプリカの光は広範囲で観測されているだろうし、このままグズグズしていれば、G.U.A.R.D.の事後処理の部隊が到着する。彼らに見つかれば面倒事が増えてしまうだけだ。

「すみません。それと、――ありがとうございます」

 無謀な行為への当たり前の謝罪と、思わず漏れた感謝。本当なら、廃墟を飛び出した時点で止められていてもおかしくはなかった。寧ろ、シエルとの力量差を考えれば、確実に道中のどこかで止められていたはずだった。だが、ガイアの元まで辿り着くことが出来た。つまり、それは、またシエルに見逃してもらった、という事を意味していた。

「アトラスの出の貴方が動いたという事は勝機があるという事、泳がせた方が好都合だっただけですよ。……私もこの街が壊されるのは嫌ですから」

 先を行くシエルの表情は伺い知れない。だが、その声は何処か優しげな響きだった。

「でも、良かったんですか?折角ガイアに会えたというのに、あんな僅かな時間で」

 昨日の喫茶店での話の所為か、どこまでも、シエルに余計な心配を掛けていたらしい。しかし――。

「いいんです、これで。初めから、確固とした答えを得られる、なんて思ってはいませんでしたから」

「そうですか。ま、貴方が満足したのなら、それでいいのでしょうけれど」

 破滅に瀕した世界に対して自分が出来ること、そんな疑問に答えを持つものはいない。だが、答えなど無くとも、湧き上がる想い、護りたいという強い意志が、身体を突き動かす。それは、きっとXIGもガイアも皆同じなのだろう。

「さ、無駄話はここまで。急ぎましょう」

「はい!」

 

 

 

 

 

 無人のファイターのコックピット内に現れた閃光、徐々に晴れるその光の中から現れたのは一人の青年だった。

 青年は体中に走る痛みに気を失いかけたが、コックピット内に鳴り響く通信を知らせる呼び出し音が青年の――我夢の意識を引き戻した。

《我夢、大丈夫か?さっきから、何度も通信したんだぞ》

「梶尾さん、無事だったんですね!僕の方は、大丈夫です。電波異常の影響で通信機の調子が悪くて、心配をお掛けしました」

《そうか、それならいいんだ。だが、こっちは見ての通り。身体の方はピンピンしているが、機体の方は動かせそうもない。北田も大河原も同じ状況だ》

「わかりました。今、そっちに向かいます」

 通信を切って、我夢は操縦席にもたれかかった、チームライトニングの墜落地点までは、そう時間はかからない。だが、その僅かな時間だけでも、今は休ませてもらおう。

「PAL、梶尾さん達のところまで、頼むよ」

『わかりました、我夢』

 ファイターの操舵をPALに移行し、まどろむ意識の中で、我夢はただ二人の事を思案していた。未知なる破滅の警告を送る謎の女性、そして、苦戦する自分に力を貸してくれたあの少女の事を。

 正体不明のスペクトル検出を発端としたこの事件、時が経つにつれ、どんどんと謎だけが増えていく。

(彼女達が、何者なのか、この街で、何が起きているのか。今は、何も解らない……。でも、いつか、きっと)

――解る日が来る。

 高鳴る胸の鼓動が、そんな予感を告げていた。

 

 

 

 

 

 

 

 



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