Joker in Phantom Land (10祁宮)
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Chapter:0 GAME OVER
Joker in Phantom Land


とある動画シリーズを視聴し、その面白さに触発されて書いてしまいました。
今まで東方Projectに興味は全く無かったんですけどね。自分のことながら不思議なものです。
しかし、もう一つ書いている作品を進める前にこっちを書いてしまうとは……FFXVも買ってしまったし時間がどんどん削れる……
あ、タイトルの英訳はザックリ適当です。‘‘Phantom’’と約した理由はありますけどね。


恐怖。疑問。無力感。絶望。諦念。

きっとその全てであり、どれでもなかった。

何もわからず、何もできず、悲鳴を上げて消えゆく仲間達と同様に地に這い蹲って、自分の体を《終わり》が侵食していくのをなす術もなく眺めていた。

 

そして。

 

「——————作戦、失敗だ……」

 

最後の仲間もいなくなった。

残りは自分一人だけ。

………………。

 

仰向けになり、天へと手を伸ばす。

徐々に薄れるその手は虚空すら掴むことができない。

手を透かして見える黒雲に覆われた空と降り注ぐ赤い雨。

周囲を行き交う雑踏は自分や消えた仲間達のことなど気にもとめていない。それどころか自分達がここにいることすら気づいていない。

悪夢のような、地獄のような、そんな景色(現実)を見つめ続け。

 

 

 

彼は、《終わった》。

 

 

 

………………。

自分の意識はあるのか、ないのか。

あやふやでおぼろげな無明の暗闇の中。

馴染み深い……ような気がする、光景があった。

鎖。

無数の鎖。

荊のように絡まりあい、どこからか現れ、どこまでも続いていく鎖。

それはいつものように自分の体を捕らえようとし————

 

 

失敗する。

 

 

自分の体は上とも下ともつかない方向へ落ちていく。

いつも通りでない事態に疑問を抱くこともなく、まるでこちらを探すかのようにうねる鎖の束を観察していたその時。

 

ドプン、という重い水音を聞いた気がした。

何かに沈みこむような感覚と共に薄れる意識。

ふと思った。

 

 

 

ああ、自分は今、本当の意味で消えた(、 、 、)んだな、と。

 

 

 

………………だというのに、

 

「…………?」

 

目が開いた。青い空が見えた。

手が動いた。乾いた落ち葉の感触がした。

土の匂いがして、風の音が聞こえた。

体が、あった。

 

ガバッと上体を起こす。

 

五感の全てが主張している。

自分は生きていると。

 

混乱する思考がグルグルと渦巻く。

何故生きているのか。否、本当に生きているのか。アレは夢だったのか。他の皆は。ここはどこなのか。いつからここにいるのか。

 

答えの出ない自問自答を繰り返し続け、ただ無為に時だけが過ぎる。

 

焦燥が募るばかり。

いつの間にか息を荒げている自分に気がつく。心臓の鼓動も、耳に響くように感じるほど大きくなっている。

 

頭のどこかにいる冷静な自分は落ち着くべきだと理解している。しかしそれとは裏腹に感情は昂ぶる一方だった。

自分で自分を制御できない。

 

そんな最中のことだった。

 

「グルルルルルルゥゥゥ…………」

「ッ!」

 

低い唸り声がどこかから聞こえてきた。

彼は即座に立ち上がり、いつでも動けるように構える。

そこに動揺や混乱は無かった。

 

深呼吸をして体と思考を落ち着かせる。

先ほどまでできなかったことが簡単にできる。

慣れ、だろうか。

 

冷静になってきてようやく、今まで目に入っていなかった周囲の様子を伺う余裕が生まれた。

 

鬱蒼とした竹林。その中の少し開けた場所。

彼はそこに立っていた。

竹はどれもかなりの高さがあり、太陽の光は生い茂る葉によって遮られている。

薄暗い影の中を見通すのは難しく、先ほどの唸り声を発したのが何者かはわからない。

 

しかし、ガサガサと落ち葉を踏みしめる音がする。

そしてその音は真っ直ぐに彼へと近づいてくる。

 

警戒を強める。

猛獣のような鳴き声だったが正体は未だ不明。

野犬……だろうか。それとも熊か、あるいは……

 

 

そんな思考を明るい日の光のもとに姿を現したソレは断ち切った。

野犬ではない。ましてや熊でもない。否、それどころか————

 

「グ、ギ、ァアアァァァァァッッッ!!!!」

 

真っ当な、生物ですらなかった。

何かしらの獣に多種多様の動物の手足を乱雑にくっつけたような姿で、原型がわからない。

無秩序に生える手足の隙間のところどころにはギョロギョロと動く目。

剥き出しになっている何本もの牙は発達しすぎて自分の口内を貫くものもあり、涎と血をダラダラと垂れ流す。

異形で異常で異様な、バケモノ。

それを目にした彼は、大きく眼を見開き、反射的に、

 

 

 

ペルソナ(、 、 、 、)ァッッ!!」

 

 

 

と叫んだ。

 

刹那。

蒼炎が吹き上がり、彼の全身を覆い隠すように包みこむ。

そして炎は現れた時と同様に唐突に消失する。

そこに残る彼の姿はガラリと様変わりしていた。

 

怪盗、としか形容できなかった。

劇や小説などで登場する、素顔を仮面で隠し華麗な盗みで人々を魅了する存在。

そんなイメージをそのまま形に置き換えたように、彼はまさしく怪盗の姿になっていた。

 

常人がその光景を見ていたなら間違いなく唖然としていただろう。

いきなり蒼炎が現れ、炎が消えると中にいた少年が変身している。常識というもので推し量ることができる範疇にない事態。

しかし、ここにそんな大衆(ギャラリー)はいない。

いるのは当人の少年と、対峙するバケモノだけ。

常識を鼻で笑うような二者は敵意に満ちた視線を飛ばしあい——

 

「……ルルルルゥゥォォォォ…………!」

「【アルセーヌ】ッ……!」

 

火蓋は切って落とされた。

 

 

 

まず動いたのはバケモノだった。

鈍重そうに見える大きな図体と裏腹に俊敏な動きで一気に距離を詰めてくる。

対する少年の傍らにはいつの間にか謎の存在が現れていた。

 

彼と同じく怪盗のような姿。

やや意匠に差異はあるものの、全体的に同じ印象を受ける。

ただ、彼とは明らかに違う点があった。

 

腰から生えた、大きな黒い翼。

バサリ、とはためいたソレによって、浮遊するその存在もまた人間ではないのだということがわかる。

 

少年は迫るバケモノを冷静に観察しており、避けたり逃げるような様子はない。

目と鼻の先にまで相手が近づき、このままでは呆気なく殺される——というタイミングになって、ようやく彼は動きらしい動きを見せた。

 

右手でバケモノを指し示し、一言呟く。

 

「【アルセーヌ】」

 

すると、傍らに立つ謎の存在……【アルセーヌ】が一歩分前へ出る。

そして彼はもう一言呟いた。

 

「〈エイガオン〉」

 

次の瞬間、どこからともなく湧き出てきた影のような、あるいは闇をそのまま凝縮したようなエネルギーが地面の一点に収束される。

 

収束したエネルギーは解放されると同時に一気に吹き上がり、

 

「ギャウゥゥッ!?」

 

まさにその上を通ろうとしていたバケモノを吹き飛ばした。

バケモノは2、3メートルほど後方に、背中から勢いよく落下する。

 

歪な造形をしている体だ。

ああなっては自力で起き上がるのも難しいのではないか——

 

そんな推測をし、彼がバケモノの様子を距離を置いたまま伺っていると、

 

「グ、ガ、アアァァァァッッッ!!」

「なっ!?」

 

激昂したように、獰猛な雄叫びをあげるそのバケモノはあっさりと立ち上がった。

ただし。

背中を下に(、 、 、 、 、)向けたまま(、 、 、 、 、)で。

 

いたるところから生えている腕や足は決して飾りではない。

背中が地面に着いたなら、背中から生える足を使えばいいだけのこと。

 

たとえどんな体勢になろうとお構いなしに戦闘を続行する。続行できる。

それがこのバケモノの特徴だった。

 

「ルルルゥゥゥゥゥ…………!」

「…………」

 

バケモノは激昂しながらも、不意を打たれたことで警戒を強める。

少年の方も、その場で唸り声を出してこちらを睨みつけてくるバケモノの挙動を油断無く注視する。

 

今度は少年が先に動いた。

 

「〈ブレイブザッパー〉ッ!」

 

鋭い叫びと同時に【アルセーヌ】が右手を振りかぶり、貫手のように勢いよく突き出す。

するとその手の軌跡をなぞるようにして衝撃波が発生。

ズパァンッ! という炸裂音を響かせながらその衝撃波は真っ直ぐにバケモノを貫く、

 

「ガァァッ!!」

 

ことはできなかった。

まさしく獣の勘ともいえる超速度の反応により、バケモノは即座にその場を跳びのいていた。

何もいない空間を直進した衝撃波はそのまま後ろに生えていた竹をいくつか両断する。

 

派手な音に見合った破壊力。

当たっていたならば死は免れず、触れた だけでも腕の数本は飛ばされていた。

だがそれを見てなお、バケモノが怯む様子は無い。むしろ警戒心が高くなり、用心深くなったように見える。

 

互いが互いに対する決定打を持つ状況。

この場を制する者、それは相手の動きを見切りきった方になるだろう。

より速く、より賢い方が勝つ。

 

 

 

「ゴァァアァァッ!」

「くっ……! 〈エイガオン〉ッ!」

 

バケモノが跳躍し無数の腕とその爪を振り回せば、それをいなした少年が反撃する。

その反撃もバケモノの反応速度によって回避される。

一進一退の戦闘が続いていた。

 

 

 

知恵を持つのは人間である少年側。

しかしバケモノは速さで勝り、野性的な勘も持ち合わせている。

 

 

 

ほぼ互角の戦い。

ここにその均衡を崩す要因があるとすれば、それは。

 

「クカク、クキキキキキ……」

「ッ!?」

 

純粋な、運。

 

突如聞こえた奇声に彼は後方を振り返る。

そこには、もう一体のバケモノがいた。

巨大な鶏に蛇の尻尾が生えたようなバケモノが。

嘴を開くと鳥とは思えぬほど鋭く尖った歯が並び、しかも明らかに毒を想像させる色の液体が分泌されている。

 

前門の虎、後門の狼。

虎でも狼でもないバケモノではあるが、まさしく絶体絶命の危機。

 

さすがに二体を相手にはできないと判断した彼は【アルセーヌ】を消し、すぐに逃走しようとした。

が、

 

「ゴァァァァァッッッ!!」

「チッ…………!」

 

跳びかかってくるバケモノがそれを許さない。

新しく現れたバケモノに獲物を横取りされるのを恐れているのか、先程より激しく攻めたててくる。

 

少年は舌打ちをして横に跳んで回避した。

そしてジリジリと迫ってくる二体を見やり、逃げる算段をつけようとするが、思いつかない。

 

「………………!」

 

今まで平静を保っていた彼からとうとう余裕が剥がれ、焦りが見えはじめる。

それを敏感に感じとったバケモノ達は互いに獲物を盗られまいと同時に飛び出し————

 

 

 

「やけに騒々しいと思ったら。妖怪同士の小競り合いか」

 

 

 

横合いから放たれた爆炎に呑み込まれた。

 

「ッ!?」

 

突然のことに一瞬呆気にとられる少年。

そんな彼の見る先、声が聞こえてきた方の竹藪から人が現れた。

白髪の人物で、女性に見える。

 

……今の爆炎はこの女性が放ったものなのだろうか。

そんな疑問を抱く。

 

その女性は爆炎に包まれて嫌な匂いを漂わせるバケモノに近づこうとするが、途中で少年に気がつく。

 

「って、人間じゃないか。なんでこんなところに? 大丈夫だった……っていうか、何だその格好は」

 

驚いた様子で少年を心配する言葉を投げかけるが、彼の格好を見て訝しむように目を細める。

 

なんと返答すべきか……

 

答えに窮する彼にスタスタと歩み寄ってくる女性。

 

とりあえずお礼を言うべきだろうか。…………そうしよう。

 

 

 

意を決した少年が口を開いた瞬間。

音もなく、爆炎に焼かれたはずのバケモノがゆらりと立ち上がった。

それは最初から少年と戦っていた方のバケモノだった。どうやら、体の表面に生える無数の手足に守られて本体には熱が通りきらなかったようだ。

 

殺意に満ちた眼光は背を向けている女性を見据えていた。

全身をしならせ、バネのように弾かれたその肉体は一人の人間を圧殺してありあまる威力があるだろう。

 

そのことに気づいていない女性はこちらに何か声をかけようとしている。

 

マズイ。警告しないと。いや、もう遅い。今から言っても回避は間に合わない。なら迎撃。でもこの距離だとこの人を巻き添えに。

————だったら。

 

「おーい、どうかした……ッ!?」

 

手を伸ばし女性を勢いよく引き寄せ、抱きとめる。

驚いた表情の彼女に説明をする余裕も無い。心の中で謝りながら、口からは謝罪の代わりとなる言葉を吐き出した。

 

 

 

「〈ブレイブザッパー〉ッッ!!」

 

 

 

その気迫に呼応するように、彼の正面に出現した【アルセーヌ】は渾身の貫手を繰り出し。

空中のバケモノの中心を寸分違わず衝撃波は通り抜け。

硬直してその場に落下したバケモノは、今度こそ絶命していた。

 

 

 

「…………ふぅ……」

 

安堵のため息をつく。

危なかったがなんとか切り抜けた。

さて、そうなると次にするべきことは……

 

彼は右手で抱きとめていた女性をゆっくりと離し、数歩後ろに下がる。

そして深く頭を下げた。

 

「申し訳ありません。助けていただいたばかりか、こんな失礼な真似を……」

 

目を白黒させていた女性はその言葉に慌てて首を左右に振る。

 

「え、あ、いやいや、私は気にしてないし、お前も気にしなくていい。こっちこそ助けられたんだから。ありがとう」

「そう、ですか。そう言っていただけるとこちらもありがたいです」

 

女性のその言葉に、頭を上げた少年は肩の力を抜いた。

 

「あの、大変厚かましいとは思うんですが……もし良ければいくつかお聞きしたいことがあるんですが……構いませんか?」

「あ、ああ。構わない。私の方もお前に色々と聞きたいしな」

 

その格好のこととか。

 

彼女の呟きで少年はハッと何かに気づいた様子を見せる。

 

「そう言えばこの格好のままでしたね」

「そう、その格好……って、え?」

 

彼女が瞬きをすると少年の姿は一変していた。

何の変哲もない、ただの一般人。

今の彼からはそんな印象しか受けなかった。

さっきまで自分が見ていたのは幻だったのかと錯覚するくらいの変貌ぶりだった。

 

「あの姿になってたことをうっかり失念していました」

「失念……って、いや、それよりどういう……」

 

困惑する女性に彼は再び頭を下げる。

 

「重ね重ねすいません。けどどうしてもこれだけは先に聞いておかないとダメなんです」

「……これだけ? 何だ?」

 

困惑しながらも話を聞く姿勢を見せる彼女の目を真っ直ぐ見つめて、少年は絞り出すように問うた。

 

「ここは、いったいどこなんですか? 俺は、なんでこんな場所にいるんでしょうか? 何か知っていることがあれば、どうか教えて下さい…………!」

 

「………………ああ、なるほど」

 

その問いで何かを了解したような女性はため息をついた。

そして少年にこう答えた。

 

 

 

「ようこそ、外来人。ここは『幻想郷』」

 

「外の世界には留まれない、忘れられ、拒まれた者達の楽園だ——————」

 

 

 

——斯くして、世界に忘れられた少年は新天地(幻想郷)へと辿りついた——




to be continued......?


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住人達との邂逅

FF15の出来に対するイライラとかもう一方の作品がうまく書けない息抜きとかでいつのまにか一話分完成してました。
——13章作ったやつ、俺は許さんからな——
『とあるラジオの声優の発言より抜粋』
フルプライスのゲームがアレでクリスマスもお相手いないとかほんとつれぇわ……


「幻想、郷…………?」

「あー……なんて説明するかな……」

 

困惑する少年に対して何やら歯切れが悪くなる女性。

妙に古風なもんぺ姿にたくさんのリボンを結んだ彼女には、少女とも成人とも判別がつかない独特の雰囲気があった。

そしてその雰囲気と表情はまさしく「困っています」と全力で主張していた。

 

「(…………この女性は‘‘本物’’なのか? じゃあここはパレスじゃない……? いや、それとも……)」

「ん? 何か言ったか?」

 

つい考えを口から漏らしてしまったらしい。

首を傾げる女性に慌てて首を横に振る。

 

「……いえ、何も——ッ」

 

唐突に走った痛みに少年は顔を歪めた。

どうやら気づかないうちに左腕を少し斬り裂かれていたようだ。

 

「お、おい、怪我してるじゃないか。すぐ手当てしないと」

「だ、大丈夫です。これくらいなら——」

 

すぐ治せる。

そう言おうとしたのだが……

 

「いや、ダメだって。菌が入って膿んだりしたらどうするんだ。ちょうどいい。私についてきな」

「え、いや、えっと……」

 

本当に大丈夫なのだが、と少年は思った。

しかし彼女はこう続けた。

 

「…………その、まあ色々と説明も必要だと思うが……こんなところで立ち話ってのもなんだし、場所を移した方がいい だろ?」

「今から行くとこは薬とかも豊富にあるし、私よりも話をするのが上手いやつもいるんだけど……」

 

それを聞いて彼は思案する。

相手の好意を無碍にするのも忍びない。

薬や治療をわざわざ受けるのは気がひけるが、ここにずっといる訳にもいかない。現状の説明をしてくれる人物がいると言うのなら悪くない。

 

「……えっと、はい。わかりました」

 

結局少年は女性の提案を承諾した。

それを受けて女性もふっ、と表情を緩ませた。

 

「そうか、ならいい。あとそこに落ちてる荷物、お前のか?」

「へ? 荷物? ……あ」

 

 

 

————そして。

出会ってから少し時は経ち。

 

「……足元、気をつけろよ」

「ええ、ありがとうございます」

 

二人は竹林の中を進んでいた。

先導する藤原 妹紅(ふじわらのもこう)と名乗った少女——少なくとも外見はそう——に少年も大人しくついていく。

彼の右肩には先ほど彼女が見つけた少年の荷物(バッグ)がかかっていた。

更に今の彼は荷物の中にあった自分の眼鏡をかけていた。

 

 

「…………」

「…………」

 

沈黙が続く。

落ち葉を踏みしめる音だけがあった。

さらには、

 

「………………」

(…………気になるな)

 

チラチラと妹紅からの視線を感じる。

そちらに目を向けても決して視線が交わることは無いが、間違いなくこちらを見ているだろう。

 

思えばこの一年の中で視線を感じない日の方が少なかったくらいだ。

そう考えればさほど気にすることでもないかもしれない。

ただ、彼女からの視線には日頃感じていた嫌悪や侮蔑といった負の感情が一切無かった。それが逆にむず痒くなる。

 

(……自分のことながら嫌な慣れだな……)

 

彼は自嘲気味にそんなことを考えていた。

 

 

 

歩くこともう数分ほど。

先導する妹紅の足音が止まった。

 

「着いた。ここが目的地、『永遠亭』さ」

「…………永遠亭、ですか」

 

そこには大きな屋敷があった。

立地は悪いが、それを差し引いてもこれだけ立派ならかなりの富豪が住んでいるのだろう。

名前からは旅館か料亭のような印象を受けるが、薬が豊富と言う彼女の言葉にはそぐわない。

 

妹紅は玄関と思わしき扉へ近づき、数回ノックをした。

少しすると、屋敷の中からパタパタと足音が聞こえてくる。

ガラリと扉が開いた。

出てきたのは一人の少女だった。

しかし、ただの少女ではなかった。

 

(う、ウサ耳……!?)

 

彼女の頭に生える大きな兎の耳。

あまりに存在感のあるソレに少年は困惑する。

 

(…………コスプレか何かなのか?)

 

そんな彼の様子に気づかずに少女達は会話を始めた。

 

 

「はい、どなたですか……うわっ」

鈴仙(れいせん)ちゃんか。ちょっといいか?」

「なんでアンタが……何? また姫様と喧嘩しにきたの? やめてよ、どうせてゐのやつは逃げるし後始末は私がさせられるんだからね!」

「い、いや違うって。別にアイツと喧嘩しようって訳じゃない。人を拾ってさ。しかも外来人だ」

「は? 外来人? なんでこんなところに……」

 

そこで初めてウサ耳の生えた少女は少年の方を一瞥する。

しかし少年はウサ耳に気をとられていてそれどころではなかった。

沈黙している少年を訝るように見て、ウサ耳少女——鈴仙——は再び妹紅に視線を戻した。

 

「……それで? 結局なんで来たの?」

「…………あいつ、外来人にしては妙な術を使っていたんだ。魔法……とも違う気はしたが」

「術? どんな?」

「なんだかよくわからないモノを召喚して戦っていた。あと本人が変身する」

「…………アンタ何言ってんの?」

「いや、本当なんだって! ああ、もう、説明がしにくいな……!」

 

会話がヒートアップしていく。

その一方。

 

(やはりそういう趣味なんだろうか……そうであれば、俺はどう対応するべきか。偏見を持たれる苦痛はよくわかっているつもりだ。ならやはりスルーが正解か? ……いや、正面から褒めるべきか?)

 

少年は至極どうでもいいことで葛藤していた。

 

 

 

「……つまり、なんだかよくわからない人間だけど怪我もしてたし説明も兼ねて師匠のとこに連れてきた、と」

「…………そういうことだ」

 

時間もかけてなんとか言葉をまとめて必死に説明しようとしたことを鈴仙にザックリとまとめられた妹紅は疲れたように肩を落とした。

 

「そう。わかった。とりあえず外来人の患者ってことね。師匠に伝えてくるから少し待ってて」

「ああ、頼んだ」

 

そんなやりとりの傍ら、少年はふと自分の傷の存在を思い出した。

 

(そういえばまだ治してなかった。今のうちにこっそり治しておこう)

 

その考えと同時に、音も無く一瞬で黒づくめの怪盗服姿に変貌する。

それは妹紅が形容したように、まさしく『変身』だった。

こちらに意識をむけていない妹紅を念のため警戒しながら彼は小声で呟く。

 

「(【イシュタル】、〈ディアラハン〉)」

 

——————しかし。

そこに何か変化が起きることはなかった。

 

(…………!?)

 

口を抑え、動揺の声が漏れないようにするだけの分別は辛うじて残っていた。

だが今の出来事は相当の衝撃を彼に与えた。

 

(よ……呼び出しに(、 、 、 、 、)失敗した(、 、 、 、)……!?)

 

過去に一度として無かった失敗に混乱する。

もう一度試してみようとするが——

 

「…………ん?」

「……!」

 

何かを感じたのか、不意に妹紅が振り返った。

反射的に変身を解除し、素知らぬふりをする。

不思議そうな表情の妹紅を無言のまま見つめかえしていると、彼女はハッと我に返った。

 

「…………あ、いや、その……わ、悪い」

「いえ、別に……」

 

頬を赤らめて謝る妹紅に対して、動揺を引きずってややつっけんどんな返答をしてしまう少年。

それを気にしたのか、妹紅は申し訳なさそうに少し俯いてしまい、自然と上目遣いになる。

そして少年の方も、自分の動揺が見透かされるのを恐れてその視線を直視できない。

 

竹林を歩いていた時とやや異なる種類の気まずい空気がその場を支配していた。

 

二人ともがいたたまれないこの空気を破壊してくれる何かを期待する。

そしてその何かはすぐにやってきた。

 

「お待たせ。師匠の許可も出たわ。早く入りなさい……って、何してんの?」

「あ、あー、そうか! それは良かった! じ、じゃあ行こうか!」

「そ、そうですね。お邪魔します」

「んん…………?」

 

なんだかやけに慌てているような気がする。

そう感じた鈴仙は何かあったのか質問しようかと一瞬思ったが、やめた。

そこまでするほど妹紅にも、この見知らぬ外来人にも興味は無かった。

 

「……じゃあ、私は先に行くわよ」

 

それだけ言い残し、彼女は屋敷の中へと引っ込み、それに妹紅と少年もやや早足で続いた。

 

 

長い廊下をしばらく歩いた後、数多くあるうちひとつの部屋に通される。

和室であることと静謐な空気とがあいまって、自然と正座になる少年。

妹紅は彼から少し離れた場所で壁にもたれ、腕組みした状態で立っていた。

 

案内をし、師匠を呼んでくると言って鈴仙が立ち去ってから1分ほど。

静かに障子戸が開く。

 

そこから入ってきたのは鈴仙と二人の女性だった。

鈴仙は立ったまま、彼女達はゆっくりと畳に座り、少年を観察し始める。

 

おそらく二人のうち一人は鈴仙の言う‘‘師匠’’なのだろう。

だがもう一人はいったい何者なのか。

彼はそんな疑問を抱いた。

 

真っ先に口を開いたのは二人のうち背が高い方の女性だった。

 

「それで、どこを怪我してるの?」

「……あ、その、左腕を」

 

唐突すぎて反応が少し遅れたが、なんとか返答はできた。

 

それを聞いた女性は少年の左腕をゆっくり掴み、顔を近づける。

マジマジと傷跡を眺め、頷いた。

 

「鈴仙、3番と17番に包帯をお願い」

「わかりました、師匠」

 

女性の言葉にそう返し鈴仙は部屋を出て行った。

少年はそのやりとりから情報を読み取る。

 

(なるほど。この人が‘‘師匠’’か)

 

この女性——銀髪に帽子を被り、赤と青が入り混じった服の——が鈴仙の師匠なのだろう。

傷跡から何かを把握した様子を見るに、医者かそれに近しい立場の人間か。

 

(ならここは病院か薬局みたいな場所、か?)

 

彼は限られた情報から推測を組み立てる。

 

その脇で妹紅は嫌そうな顔をしてもう一人、黒髪の女性に声をかけていた。

 

「なんでお前がここにいるんだよ、輝夜(かぐや)

「あら、ここは私が住んでる場所でしょう。私がいることに何の疑問があるかしら?」

「疑問と不満しか無い。いつも部屋にひきこもって、ここに来る患者になんてまるで興味ないくせに何で今日に限ってきてる? 第一、お前——」

 

妹紅は何かを言いかけたが、途中で思いなおしたようにその言葉を飲み込む。

それを見てクスクスと笑う、輝夜と呼ばれた少女。

 

「別にー? たまたま永琳(えいりん)のところにいたらイナバがやって来て、妹紅が変な外来人を連れてきたなんて言ったのよ。あなたがここに人を案内してくるのはいつものことだけど、わざわざ上がっていったりせずにすぐ帰るじゃない。それに外来人が来ることなんて滅多に無いし、少し気になって見物しに来たのよ」

「……………」

 

彼女の言葉に何かを反論することもなく、妹紅はその端正な顔立ちを歪めて黙りこみ、輝夜はそれをニコニコとしながら見つめていた。

 

 

少年はその間に戻ってきた鈴仙とその師匠に傷の手当てをされていた。

鈴仙が少年の腕を固定し、もってきた薬のうちひとつで患部を消毒すると、もうひとつを‘‘師匠’’が丁寧に薄く延ばして塗っていく。

彼が予想していた傷に薬が沁みる時の痛みはほとんど無く、拍子抜けした表情でおとなしく処置を受ける。

 

やがて腕に包帯を巻き終え、鈴仙とその師匠は満足そうに頷いた。

鈴仙は数歩後ろに下がり、扉の前に佇む。

 

「これでよし」

「そうね。どう? 腕をゆっくり動かしてみて。痛みはない?」

「はい、全然ありません。ありがとうございました」

 

こわごわと腕を曲げ伸ばしして支障が無いことを確認し、彼は感謝を述べるとともに頭を下げた。

対する女性は特に表情を変えることもない。

 

「いいのよ。これが仕事でもあるから。それより…………」

 

一拍おいてこう続く。

 

「あなた、外来人なのよね?」

「外来人、というのがここでないどこかから来た人間を指すのであれば、そうですね。俺は外来人です」

「その認識で間違ってないわ。ふむ、そうね」

 

と、彼女は思案するように言葉を切る。

そして何事かを決意した表情で少年に向きなおった。

 

「わかった。じゃあ私からあなたの現状について少しばかり話をさせてもらうわ」

「…………はい、わかりました」

 

少年も緊張した面持ちで居住まいを正し、話を聞く姿勢をとる。

 

 

 

女性は語った。

 

この場所が『幻想郷』と呼ばれる場所であること。

幻想郷は現実世界では存在できない神仏怪異の類や存在を忘れさられた者達が住む場所であること。

現実と幻想郷とは『博霊大結界』という結界で守られていること。

幻想郷の中で起きる揉め事を解決する手段として『スペルカード』というものを用いた一種の決闘があること。

稀に少年のように外部から幻想郷へ流れつく人間がいること。

 

それを聞き終えた少年は考えをまとめるために俯いた上で片手で顔を覆っており、その表情を他者が窺い知ることはできなかった。

しばらくそのまま黙りこくる彼をその場にいる全員が静かに見守っていた。

 

 

やがて少年は顔をあげた。

 

 

「……なるほど。だいたいのことは理解しました」

「そう。それは重畳。…………それで? こちらと同様、あなたのお話も私達に聞かせてくれる気はあるかしら?」

「……………………」

 

淡々と質問する女性。

彼はその質問にすぐ答えることはなく、膝の上で強く拳を握りしめた。

その感触を確かめるように二回、三回と同じことを繰り返し。

フッ、と息を吐いた。

 

「…………もちろんです。ただ……」

「……何かしら?」

「…………かなり長い話になると思います。できるだけ簡潔にまとめるつもりですが、自身を語る上で欠かせないことも多いので」

「そんなことか。全然構わないわよ。あ、だけど……」

 

彼女は後ろに座る輝夜をチラリと一瞥した。

それに気づき、輝夜も口を開く。

 

「私も暇つぶしがてらにここに来たし、長いならそれはそれで好都合よ。あなたはどうなの、妹紅?」

「……私は最初からそのつもりだ。色々と尋ねたいことはあるが、話を聞けばそれもわかると思うしな」

「ふーん、そう。イナバ、あなたは?」

「私は……別に、どちらでも……」

 

今度は鈴仙にむかって尋ねる輝夜。

 

……しかし、イナバとは何だろうか。

鈴仙というのが名前で、イナバというのが苗字なのか?

 

彼は小さな疑問を抱く。

その疑問は、

 

「いえ、せっかくだからウドンゲも聞いていきなさい。念のために、ね」

「……はい、わかりました」

 

というやりとりで更に膨らむ。

 

鈴仙? イナバ? ウドンゲ?

………………。

…………今は考えないでおこう。

 

「全員問題ないそうよ。それじゃ、お願いできるかしら?」

「ええ、わかりました……それでは」

 

少年は滔々と語り始める。

 



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He's journey

話が……ッ! 進まない……ッ!
圧倒的停滞……ッ!
「なんやかんやありました」「そーなのかー」で終われば楽なのに……ッ!
ところがどっこい……夢じゃありません…………!
現実です……! これが現実…………!


「今からだいたい一年くらい前のことでしょうか。俺は家に帰る途中、女性の声を聞きました。助けを求める声です——」

 

彼はその声のもとへ駆けつけた。

そこには泥酔した一人の男と、その男に絡まれる女性がいた。

執拗に言い寄る男を振りほどこうとする女性は心底困っているように見えた。

 

だから、助けた。

 

二人の間に割って入り、無理やり女性の腕を掴んでいた男の手を剥がした。

酔った男はその勢いで二歩、三歩とたたらを踏んで……転倒した。

双方にとって不幸なことに、そこにはガードレールがあり、男はそれに頭をぶつけた。

 

紛れもない事故。

いや、むしろきっかけとなったのは酔って女性に絡んでいた男自身なのだから自業自得といえる。

だが。

少年にとって不幸なことに。

その男は権力というものを持ちあわせていた。

 

 

『よくもやってくれたなぁ、クソガキ……! 訴えてやる!』

 

 

逆恨みも甚だしい物言いだった。

男は自ら警察を呼び、到着するまでの間に「少年が男に突然殴りかかった」という嘘の証言を女性に強要した。

当然のことながら、女性は拒否した。

しかし、男は続けてこう脅した。

 

『警察は自分の手駒だ』

『お前も逆らうならどうなるかわかっているんだろうな』

 

……結局、女性は脅しに屈した。

到着した警察に嘘の証言をし、少年はなす術もなく連行され、ろくに取り調べを受けることもなく——有罪となった。

 

 

「これが、全ての始まりでした」

「…………それは……」

「……災難だったわねぇ」

 

気分の悪くなるような話に、聞いていた皆が眉を顰める。

鈴仙の師匠と輝夜は相槌をうち、鈴仙は黙ったまま少年を見つめる。

妹紅は何も言わず、怒りを堪えるように歯をギリ、と鳴らした。

 

「その男は勿論だけど……助けられておいて我が身可愛さであなたを売った女の方もちょっとどうかと思うわね」

「いえ……確かに彼女の行動に対して、納得できないと思ったことは何度もありますが……それでも、脅しに屈したことを責めるつもりにはなれないです」

 

輝夜の言葉をそっと否定する。

 

「…………どうして?」

「結局のところ、彼女だって被害者ですから。最初は俺のことも庇おうとしてくれました。彼女が悪い訳じゃない。全てはその男によるものです」

「……それは、そうだけど」

 

————だからといって許せるの?

 

彼女はその質問を口にはできなかった。

少年の目がハッキリと本気でそう言っていることを示していたから。

 

彼は深呼吸をして再び話を再開する。

 

「……話が脱線しましたね。とにかく有罪となった俺は転居、転校することを裁判所に命じられました。そこで俺の面倒をみてくれるという人物——とある喫茶店のマスターのもとで居候することになりました」

 

その人物に連れられて行った学校、『秀尽学園』。

そこが彼の一年を決定づける場所となった。

 

転校初日。

彼は見知らぬ街の中、複雑な駅の構造に戸惑いながらもなんとか学校の最寄り駅まで辿りついた。

しかしそこで雨が降りはじめた。

あいにくとその時の彼は傘を持っていなかった。慌てて近くの店の軒下へ避難する。

そこには既に一人先客がいた。

 

金髪で、外国人のような顔立ちの女の子。

彼女が着ている服は少年と同じ学校の制服だった。

つかの間、一緒に雨宿りをしていた。

だが彼女は偶然道を通りがかった車に乗っていた男性に声をかけられ、その車で先に学校へ行ってしまう。

 

それほど激しくもない雨。その中を歩く覚悟を決めようとしていた時、彼もまた誰かに話しかけられた。

それは一人の少年だった。

彼もさっきの少女と同様に、金髪で同じ制服だった。

その少年は語りかけてくる。

 

『やっぱ鴨志田(かもしだ)の野郎、女ばっか狙ってやがるな。あのクズ教師』

『あ、今の話、鴨志田の奴にチクんなよ

 

話が見えなかったが、彼が転校生であることを理解した少年の説明によると、さきほど車に乗っていた男性は鴨志田という教師らしく、そしてこの少年は鴨志田を酷く嫌っているらしい。

 

その話の最中、金髪の少年は時計を見て焦りだす。どうやらこのままでは遅刻するらしい。

小雨の中を歩きはじめる少年に追従し、学校へと急ぐ。

なんの変哲も無い普通の通学路を通り抜け、二人が到着したのは————()だった。

 

 

 

「…………城ぉ?」

 

あまりの突拍子もない話に思わず間の抜けた声を漏らす鈴仙。

ハッとして慌てて口を塞ぎ、周りを申し訳なさそうに見渡したが、彼女を咎める者は誰一人いなかった。

むしろ全員が彼女と同じような訝しげな視線を少年に向けていた。

 

「……そう、城です。学校へ向かっていた彼と、それについていった俺は立派な城に辿りつきました」

「……冗談にしては笑えないわね。その少年が道を間違えたってことかしら? というか今の外界で街中に城なんて建ってるの?」

「まさか。遺産として残る城はいくつかありますが、街中にポンと建っているようなものは一つもありませんよ。そもそものことながらその城は日本のものではなく、外国の様式で建築されていました。……どう考えてもおかしいですよね? 俺達も思いました。これはどういうことか、と」

 

 

 

二人はとりあえず中に入った。

そこは豪華な内装が施された巨大なホールだった。

誰もいないその場所でここはどこなのか、夢じゃないのか、などと話をしていると物音が聞こえた。

音がした方向を見ると全身甲冑姿の何者かが近づいてきていた。

彼自身は警戒してあまり近寄らなかったのだが、もう一人の少年はドッキリか何かだと判断したらしく、その甲冑二体に話しかけた。

 

結果から言えばそれは失敗だった。

謎の甲冑達は突然襲いかかってきて、金髪の少年は組み伏せられた。

思わず硬直した彼に、少年は組み伏せられたまま逃げるよう叫んだ。

自らを顧みないその勇敢な行為も残念ながら無駄だった。

直後の後ろからの強烈な一撃で彼も気絶してしまったからだ。

 

 

目が覚めた彼がいたのは牢屋だった。

そこにはもう一人の少年もいた。少年は「坂本 竜司(さかもとりゅうじ)」と名乗った。

竜司と一緒になんとか抜け出せないかとあちこちを調べたが抜け道になりそうなものは何も無かった。

途方に暮れる彼らの前に、さきほどの甲冑達を引き連れて現れたのはパンツ一枚にマントを羽織り、王冠を被った男——鴨志田だった。

 

到底教師のする格好とは思えず、意味不明の事態の連続で混乱する彼らを嘲笑い王の姿をした鴨志田は言い放つ。

 

『貴様らは、死刑だ』

 

そして彼は甲冑達に壁に押さえつけられ、竜司が鴨志田に嬲られるさまを見せつけられる。

なんとか拘束をふりほどこうとするが、その間にも竜司は鴨志田に暴行を受け続ける。

そのうちに少年を甚振ることにも飽きたのか、鴨志田は近くの甲冑が持つ槍を手にとり、竜司の襟元を片手で掴み、引きずりあげる。

 

ニタニタと笑う鴨志田。

竜司は必死の形相で、荒い息の合間に声を絞りだすように言った。

 

 

『死にたく、ない……!』

 

 

——刹那。

ドクン、と大きく彼の心臓は脈打つ。

 

問いかける声が聞こえる。

 

どうした……? 見ているだけか? 我が身大事に見殺しか?

このままでは本当に死ぬぞ?

 

それとも(、 、 、 、)あれは間違っていたの(、 、 、 、 、 、 、 、 、 、)()

 

フラッシュバックするあの時の光景。

人を助け、その当人に背を向けられた、あの光景。

自分のした選択は間違いだったのか?

 

 

 

…………違う!!

 

 

 

心の中でそう叫んだ。

声は続く。

 

よかろう……覚悟、聞き届けたり。

契約だ。

我は汝、汝は我。

己が信じた正義のため、あまねく冒涜を省みぬ者よ!

たとえ地獄に繋がれようと、全てを己で見定める、強き意思の力を!

 

 

 

「———その瞬間、俺はこの能力……『ペルソナ』に目覚めました」

「ペルソナ、とは? …………っ!?」

 

話を聞いていた彼女達はそれぞれが反射的に構える。

突如、少年から蒼い炎が吹き上がったからだ。

だがその次の瞬間、呆気にとられることとなる。

 

「……ご覧の通りです。この姿になること、そしてこの存在を呼び出すこと。それが俺の目覚めた『ペルソナ』という能力です」

 

少年自身の姿は変貌し、傍らには謎めいた存在が浮遊していた。

既に一度見ていた妹紅は平静を保ったままだったが、初めて見たその他の面々は目を瞬いていた。

 

「……驚いた。ねえ永琳、あなたはこんな魔法知ってる?」

「いいえ、寡聞にして存じ上げません。そもそも魔法と言っても、魔力も何も感じとれませんでしたが……」

 

目を丸くした輝夜は鈴仙の師匠——永琳——に尋ねる。

その問いに否定を返した永琳は、じっくり少年とその傍らの存在を眺める。

 

「魔法……ですか。まさしく幻想そのものですね。この世界にはそんなものまであるんですか」

「…………そうね、でもあなたのそれは魔法なんかよりよほど珍しいわよ。少なくとも私達の知る限りでは、だけど。いったいどういう仕組みなのかしら……」

 

この世界には魔法と呼ばれるものがある、と知った少年は場違いながら、わずかばかり高揚する気持ちを覚えた。

 

「…………ねえ。あなたのその能力……ペルソナ、だっけ? 具体的にはどういうモノなの?」と目を輝かせた輝夜。

「そうですね……具体的、になっているかはわかりませんが、概要なら……」と少年。

 

「それでいいわ。教えてくれる?」

「ええと……『ペルソナとは己自身の反逆心の顕れである』……だったかな?」

「『反逆の顕れ』? どういうことよ。というかなんで疑問形なのよ」

 

呆れ顔になる輝夜に慌てて弁解する。

 

「いえ、俺もこの言葉は教えてもらったものなので……一言一句正確には覚えていないといいますか、その……」

 

しどろもどろになる彼を遮る。

 

「教えてもらった、って、誰に?」

「モルガナ、というやつです」

「そいつは何者?」

「えっと、猫です」

「馬鹿にしてる?」

「何故ですか!?」

 

コントのようなやりとりを微妙な顔をして妹紅と鈴仙は眺めていた。

二人の会話に頭痛を堪えるようにしながら永琳が割って入る。

 

「…………なんだか要領が掴めないから、もう少し簡潔に、要点を絞って説明できるかしら? その、猫? のこととかも」

「あ、はい。わかりました」

 

申し訳なさそうに頼んでくる永琳の言葉に頷き、再び元の姿に戻った少年は更に語り口をザックリとしたものに変える。

 

 

 

曰く。

能力(ペルソナ)に目覚めた彼は竜司を助け、逆に鴨志田を牢に閉じ込めて逃走。その途中で別の牢屋に捕らえられていた喋る猫、モルガナを助けて一緒に逃げる。

モルガナは少年が目覚めたペルソナというものを知っているらしく、『反逆する心の顕れ』だと説明した。出口に到着した少年達はモルガナと別れ、城の外へ飛び出す。そこは少年達が最初に出会った店先だった。

 

彼らは混乱しながらも、もう一度学校へ向かう。今度は普通に学校へ到着し、狐に化かされたかのような心情になる。

転校初日から大遅刻した彼は早々に担任に叱責を受け、クラスメイトからも遠巻きにされることとなった。

 

少年は更に端的に説明していく。

 

自分達が迷い込んだ城は認知の異世界、『パレス』という場所だったこと。

『パレス』とは個人の欲望が肥大化した核を根幹としたものであること。

『パレス』はそれを生み出した個人の認識、『認知』がそのまま具現化されること。

その認知の異世界の核(オタカラ)を盗めば『パレス』は崩壊、『パレス』を生み出した人間もまるで人が変わったかのようになること。

自分達はそのオタカラを盗む『心の怪盗団』として活動しはじめたということ。

それを繰り返す度に仲間が増え、大衆にも知られ支持されるようになったこと。

 

しかしあるターゲットのオタカラを盗んだ直後、その人物が変死したこと。

それをきっかけにして世間の評価が反転し、『心の怪盗団』は殺人集団扱いされるようになったこと。

それら全てが巧妙に仕組まれた罠だったこと。

汚名返上のため、なんとかしようとしているところにやって来た、今まで対立する存在だった新しい味方のこと。

その彼と協力し、事件の捜査をする検事を改心させ、真実を見つけださせるように挑んだこと。

 

その検事の心を盗むことに成功したが、突然認知の異世界に現れた警察に少年自身が逮捕されてしまったこと。

逮捕された後、拷問に近い聴取を受けたこと。

その後訪れた改心させた検事と話をし、一つの約束をとりつけたこと。

検事が立ち去った後にやって来た存在……新しく味方になったはずの『二代目探偵王子』の肩書きを持つ少年、「明智 吾郎(あけちごろう)」がその場にいた警官を射殺し、そのまま少年も殺したことも。

 

 

 

怒涛の勢いで説明する少年。

その口から次から次に飛び出す信じがたい情報の濁流をなんとか全員が呑み込んでいく。

少年の語りはまだ続く。

 

 

 

実は明智吾郎は『心の怪盗団』と同様に認知の異世界を使い、しかし『心の怪盗団』とは正反対に殺人や数々の事件を引き起こしていた真犯人だったこと。

明智が裏切り者だと先に察知していた怪盗団の面々はそれを逆手にとり、認知の異世界を利用したトリックを使って少年が死んだように見せかけたこと。

このトリックを成功させるために、尋問を受ける僅かな時間の中で検事から約束をとりつけたこと。

 

明智が漏らした「獅童」という名前から真の黒幕、「獅童 正義(しどうまさよし)」の存在が判明したこと。

獅童は政治家で、怪盗団を批判し、民衆から熱狂的に支持されるようになっていたこと。

更にその獅童は、昨年少年を冤罪に追い込んだ張本人であったこと。

怪盗団は最後の標的として巨悪、「獅童 正義」を選んだこと。

 

 

 

「————と、ここまで話をしましたが……大丈夫ですか? 相当省略しながら話しているのでところどころ飛び飛びになっていますが…………」

 

少年が一息ついて周囲を見渡すと、誰もが難しい顔をしていた。

 

「なん、とか追いつけているけれど……鈴仙、あなたはどう?」と永琳が尋ねる。

「えっと、私も……多分、追いつけてます? 自信は無いですけど……」と鈴仙。

「私も一応大丈夫だが……すさまじいな」と妹紅が呟き。

「ええ。どれだけ波乱万丈なのよ……」と輝夜が頷く。

 

「はは……恐縮です……」

 

そう言って、 彼は頭をかきながら苦笑いした。

 



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敗北

「それで、えーと、どこまで話したか……そうだ、獅童を狙うことを決めたところまでですね」

 

 

 

少年達は宿敵を倒すため、万全の準備を整えてから、獅童のパレスへ挑んだ。

やはりと言うべきか、流石にと言うべきか、今までの相手とは桁違いの手強さだった。

認知の異世界は、その主である個人の思い入れの強い場所が、その主の欲望の姿によって歪み、変化する。

 

学校が城になり。

ボロボロの家が金ピカの美術館になり。

町一つが巨大な浮遊する銀行と歩くATMの大群になり。

小さな部屋が砂漠とピラミッドになり。

大企業が宇宙船と基地になる。

 

そして、獅童の場合。

国会議事堂が豪華客船となった。

 

国の舵取りをするのは自分しかいない。

例え国全体が沈もうと、自分だけは生き残る——

 

そんな傲慢な思想の具現化だった。

 

船の中は想像以上に広く、複雑だった。

そのいたるところに敵である怪物——シャドウがウヨウヨしていた。

 

 

 

「 ……シャドウ?」

「はい。あ、すいません、まだ説明してませんでしたね。シャドウとは認知の異世界に巣食う、人間の集合的無意識からなる化け物達です」

 

少年は説明する。

 

「ただ、強い欲望を持つパレスの主はそれぞれが自身のシャドウを持ちます。このシャドウは抑圧された自我であり、それを生み出した人間の一側面です。並のシャドウとは一線を画す強さも持っています」

「俺達ペルソナ使いのペルソナは、もともとこのシャドウです。シャドウと違うのは歪んだ欲望ではなくそれぞれの反逆心、反骨心に基づくもので理性的に制御できること」

「集合的無意識——というのは?」

「外の世界には多種多様な民族が存在しますが、不思議と共通して同じような感性を持つ部分があります。人間自体に特有のその共通する感性——普遍的な精神の集合体。それが集合的無意識です」

 

わかるようなわからないような話。

 

永琳だけは納得したような顔になっていたが、他の一同がいまひとつ得心のいかない様子なのを見てとり、少年はわかりやすい表現を探す。

 

「自分自身、完全に把握しているわけではないのであまりうまく表現できませんが……要は、ヒトの心が生み出した化け物ですね」

「ふぅん。そう聞くと、こっちでいう妖怪と大差無いような気がしてくるわね」

 

輝夜はそう呟いた。

 

「そうなんですか?」

「妖怪も人間の畏れや恐怖が無いと存在できないの。精神が根幹にある点は同じだと思うわ。…………話を遮ってごめんなさいね。続けて?」

「あ、はい。……とにかくその怪物(シャドウ)達はどんなパレスにも存在するんですが、獅童のパレスはちょっと事情が異なりました。元来、パレスの主はパレスの存在自体を知らず、パレスの中のことを知覚することも、記憶することもないんですが」

「違った、ということは……」

「獅童は、俺達の仲間の少女……その母親を謀殺し、彼女がしていた研究の成果を奪い、研究の存在を隠しました」

 

「その研究こそ、まさに『認知の異世界についての研究』でした」

 

「獅童はその研究を完璧に理解した訳でも、利用できた訳でもないですが……部分的には使いこなしていました」

 

「本来なら干渉することのできない自らの内心に手を加え、自身のパレスの防御を固めていたんです」

 

 

 

ただのシャドウとは明らかに違う強さに一行は苦戦を強いられる。

それでもなんとか探索を進め、ついに目標への道筋が垣間見えた、その時————

 

 

 

「アイツ——明智が現れました」

 

 

 

ここに現れることなど予想だにせず、驚く怪盗団。

その様子を見ながら、明智は憎々しげに語りはじめる。

 

 

彼はとある政治家に捨てられた愛人の息子だった。

親に愛されることも無く、ただ母親を捨てた男に復讐することだけを考えて生きていた。

しかし彼が成長した頃には既にその男は相応の地位を獲得しており、復讐することは到底できそうにもなかった————

 

そんな時に、彼はある力を手にしたのだという。

 

ペルソナ。

 

少年達と同じ力を、少年達よりも数年前に発現していた彼は、その能力を使い、仇である男に近づくことを画策する。

その企みは成功し、彼は男の手駒として利用されながら、徐々にその距離を縮めていた。

最後の最後、男がその野望を達成したときに耳元で「自分はお前の息子だ」と囁いてやるために——

 

 

だがその計画は怪盗団という存在によって瓦解しようとしていた。

そんなことを許すわけにはいかない。

自分の復讐を遂げるため、邪魔者である怪盗団を殺す。

 

そのために彼は自分達の前に立ちはだかった。

 

 

 

「……おわかりでしょうが…………明智の父親は、獅童正義でした。俺達とアイツは、譲れないモノを賭けて戦いました」

 

「そして…………俺達は、勝ちました。アイツは俺達の誰より優秀で、強かった。ですが、仲間というものを持たなかった。そこが唯一にして、最大の敗因でした」

 

「アイツは殺せ、と言った。でも俺達は戦う中でアイツのことを理解することができた。殺すことなんてありえない。俺達は、アイツに、もう一度手を組もうと言いました」

 

「呆れられました。笑われました。罵倒されました。……けど! ……最後には和解できた——はず、だった(、 、 、)んです」

 

 

 

 

そこに登場したのは——もう一人の明智(、 、 、 、 、 、 、)

本物ではない、獅童のパレスが生み出した偽物。

認知上の明智(ニセモノ)はせせら笑いながら銃を取り出し、明智に突きつけながらこう告げた。

 

——獅童『船長』からの命令だ……敗者に用は無いってさ。

——まあ、ちょっと予定が早まっただけだ。どのみち選挙が済んだら、始末する予定だったし。

 

同時に、大量のシャドウが周囲に湧きはじめる。

 

 

 

「……獅童は、元から明智を切り捨てるつもりでした。自分のパレスで明智が暴れた場合も想定済み、その時は同じ顔をした人形を使って始末させる。……つくづく、反吐が出る発想だ…………ッ!」

 

「………明智も俺達も、戦いによって消耗していました。逃げきることはできない。——少なくとも、アイツはそう判断しました」

 

 

 

咄嗟に明智はニセモノを撃ち、振り返りざまに隔壁のスイッチを拳銃で撃ち抜いた。

隔壁が下り、明智とニセモノ、大量のシャドウは怪盗団と分断された。

慌てて隔壁を戻そうとする怪盗団に、向こう側から明智は言う。

 

自分を連れて逃げても共倒れになるだろうが。

とっとと行け。

俺の代わりにあの男を——獅童を、倒せ!

 

 

全員がその願いを承諾した直後——

二発の銃声が響き、後には静寂だけが残された。

 

 

 

「俺は……俺達は……アイツを、救えなかった……あの外道のために人生を費やした明智を、救ってやれなかった……!」

 

時折感情を昂ぶらせながら語られる物語の壮絶さに唖然とする。

この少年はいったいどれほどの苦難を背負ってきたのかと。

 

声を荒げた少年は落ち着くために深呼吸をする。

 

「……とにかく、俺達はアイツに救われて、無事に外へ抜け出しました。絶対に負けるわけにはいかない。皆が決意を固めていました」

 

「認知世界の核——オタカラを具現化させるにはそのことを本人に意識させる必要があります。俺達はそのために、『予告状』を本人に送りつけていました。……だけど今回の相手は訳が違う。大衆全てを欺き、利用する。そんな相手に対して予告状をただ送ったところで、権力によって握り潰されて終わるだけです」

 

 

 

だから、怪盗団がとった方法は至ってシンプルだった。

電波をジャックして(、 、 、 、 、 、 、 、 、)全てのテレビに(、 、 、 、 、 、)予告の映像を流す(、 、 、 、 、 、 、 、)

 

揉み消すこともできないほどに大規模に、そして派手に予告した。

突然の怪盗団の映像、そして話題の政治家の醜聞に色めき立つ大衆。

その醜聞を表向きには否定した獅童に、怪盗団は真っ向から勝負をしかけた。

 

 

 

「——死闘でした。とにかく強い。自我の強さ、欲望の大きさ。今までとはまさしく桁違いの相手でした」

 

「何度も負けるギリギリの淵まで立たされました。だけど、俺達は諦めなかった。諦められなかった。全ての元凶であり、稀代の大悪党。更に加えて、俺個人にとっては因縁深い相手ですが……何より、明智の仇でした」

 

「どれだけの時間が経ったかもわからないくらい、ひたすら戦い、必死に抗い続け——勝ちました。ついに、勝ったんです」

 

「ドッ、と色んなものが込み上げてきました。みんな、それぞれが成し遂げた感慨を噛み締めていました。……だけど(、 、 、)

 

「あの相手が楽に終わりを迎えさせてくれるはずもありませんでした」

 

「——パレスの崩壊。俺達が中にいるまま、それは起こりました。『認知の研究』を悪用した成果、でしょうかね……欲望の核を奪われる前に俺達ごと葬ろうとしたのかもしれません」

 

「結果から言えば、俺達は無事脱出に成功し、無駄な足掻きに終わったわけですが……それでも、最後の最後まで油断できない敵でした」

 

 

——長い話が、終わった。

 

少年もさすがに少し疲れたようで、ため息をつき、知らず知らずのうちに強張っていた肩の力を抜く。

 

……誰も口を開かない。

不思議に思った少年は怪訝そうに顔を上げ、一同の様子を確認する。

 

全員が呆然として彼を見ていた。

 

「あ、あの……何か変なところ、ありましたか?」

 

困惑しながら発した少年の問いにもしばらく答えが返されることはなく、何か言ってはいけないことを言ったかと、彼が不安になりはじめたころに、ようやく漏れる声があった。

 

「い、いやいや……変っていうか……その、何? …………えーと……」

 

鈴仙はとりとめのない思考を整理できないまま言葉にする。

それをきっかけにするように鈴仙以外も口を開く。

 

「……波乱万丈すぎる、なんて言ったけど…………想像の遥か先を行ってたわね。ただの子供かと思ってたけど……」

「そうですね……この幻想郷でもあまり聞くことができないレベルの武勇伝です」

 

肩をすくめる輝夜に同意する永琳。

二人の言葉にコクコクと頷く鈴仙を尻目に、妹紅は一人黙り続けていた。

そのことに唯一気付いた輝夜はチラリと妹紅の様子を伺うが、その表情からは特に何の情報も読みとれなかった。

 

「武勇伝、と言われるとなんだか恥ずかしいですね……なんだか自慢でもしているみたいで」

「そ、そんな軽い話じゃないでしょうに………あなた、自分のしたことの凄さわかってる? 国一つを敵にして数人で勝利したようなものよ?」

 

呆れ顔で声をかける永琳。

しかし少年はその言葉に頷くこともなく、深く俯いてしまう。

 

「……ここで終わりなら、誇れる成果かもしれませんけどね」

「…………えっ?」

 

不意をつかれ、聞きかえす。

 

「……これで終わり。一件落着、大団円。————それで済めばよかった」

 

「……だけど、まだなんです。俺達、『心の怪盗団』の仕事納め(フィナーレ)はここじゃない。続きがあるんです」

 

俯いたまま、少年は言葉を紡いでいく。

 

「獅童を倒した、その後——」

 

 

 

文句無しの大金星。

しかしその成果とは裏腹に、彼らはスッキリしない思いを抱えていた。

原因はわかっていた。

獅童を倒したにもかかわらず、大衆は未だに獅童を信じきっている。

『改心』を成功させてはいるが、獅童がその影響で罪を自白するためには、まず獅童が大衆の前に現れる必要がある。

そして獅童は数日後に会見を開く予定になっている。

だからあと数日。数日待てば——

 

そう、思っていた。

 

数日後。

獅童はテレビカメラの前で涙を流し、罪を告白し、懺悔した。

獅童を信じていた人間はみな動揺した。

それを確認した怪盗団はついに成功したんだという実感を得て、安堵した。

 

だが、まだ。まだ、終わらない。

 

会見から更に数日、浮かれていた怪盗団は再びモヤモヤさせられる。

あれだけのことがあったにもかかわらず、獅童のことが話題にならない。

獅童自身は体調不良との名目で、表舞台に上がってこない。

たまに獅童の名前を聞いたかと思えば、

 

『あの会見ってなんだったんだ?』

『さあ? それより早く復帰してほしいよな』

 

——などというものばかり。

 

何故か獅童を未だに盲信する者ばかり。

そうして怪盗団が抱いていた疑問が得体の知れない薄気味悪さに変わりはじめた頃。

仲間の一人がそれを発見した。

 

 

それは一つの記事。

 

 

——『怪盗団』と彼らが引き起こした『改心』は、時期が偶然一致した出来事であり、愉快犯が作り上げた噂に過ぎない——

 

 

『心の怪盗団』自体を『無かったことにする』ものだった。

 

 

その記事は大衆にあっと言う間に浸透し、怪盗団を無かったものにする風潮はどうしようもなく広がっていった。

 

困惑する怪盗団。

彼らは互いに意見を出しあい、議論を重ね、そして結論を出す。

 

大衆の反応がおかしいのは大衆達の欲望である『考えたくない』に起因するものだ、と。

その理由がどうであれ、自分達を引っ張っていくリーダーが失われることを恐れ、そのことに見て見ぬふりを決めこんでいる。

 

ならどうするべきか。

 

答えはただ一つ。

大衆全体の『欲望(オタカラ)』を頂戴する。

そうすれば、皆が自分で考え、自分で前を向いて生きていけるようになる。

 

しかし、この作戦には問題点があった。

 

——この作戦が成功すると(、 、 、 、 、 、 、 、 、 、)同時に(、 、 、)自分達は能力(、 、 、 、 、 、)を失ってしまう(、 、 、 、 、 、 、)

 

 

『メメントス』。

大衆全体のパレスであり、それ自体が『認知の異世界』という存在の核となる。

……つまり、メメントスから大衆の総意(最後のオタカラ)を奪いとれば、メメントスは崩壊し——同時に認知の異世界そのものが崩壊する。

まともな手段では裁くことのできない悪人が今後現れようと、これまでのように改心させることは不可能となる。

 

 

天秤にかけられた二つ。

悩んだ末に怪盗団が選びとったのは————作戦を実行することだった。

 

 

 

「後のことは私達に任せてくれ、と言ってくれた人がいました。その人に背中を押してもらったおかげで、俺達は決断できました」

 

「…………思えば、俺達が何よりも振り回されていたのはいつだって大衆でした。最初は自分達で救えるものを救おうとしていただけ。それがいつしか大衆の人気を気にするようになり、そして裏切られた」

 

「怪盗団が最後に選ぶターゲットとしては悪くない。ある意味で俺達の最大の味方でもあり、また最大の敵だった大衆の心を盗み、消える。それで終わりです」

 

 

 

彼らはメメントスへ挑む。

不気味な場所だった。血管のような赤い管が壁を覆いつくし、地下へと伸びていく。どれだけ進んでも果てが無いかと錯覚するほどに大きかった。

下へ下へと潜れば潜るほど、景色の異様さと不気味さは増していく。

 

更に奥。その先は見渡す限り一面の牢獄があった。

大衆達が自分達で作り上げ、その中に望んで囚われるための牢獄。

お互いに抜け出るものがいないか監視しあい、同調圧力によってお互いを縛りつける。

とある哲学者が提唱したという全展望監視システム(パノプティコン)という概念にも似た、おぞましい光景。

牢の中の囚人達はこぞってそこが理想卿(ユートピア)であるかのように語り、君達もこちらに来ると良い——などと勧誘してきたが、怪盗団からしてみれば、それは地獄郷(ディストピア)以外の何物でもなく、三途の川の対岸から亡者に手招きされているような思いだった。

 

囚人達を無視して進み、相当下層まで到達すると、そこからは巨大な生物の骨のようなものも点在していた。数十メートルにも及ぶその威容に、一同は戦慄した。

いったいこの場所は何なのか。想像と理解を遥かに超える光景の連続。

 

それでも怯むことなく彼らは突き進んだ。

数多の敵を倒し、謎めいた仕掛けを解き明かし、最奥へと進み続けた。

 

やがて。

彼らはメメントス最深部に到着し、発見する。

道中何度も見かけた、無数の伸びる管の終着点。

大衆のオタカラを。

 

 

今までのオタカラとはかけ離れたものだった。

まず大きさが違った。今までは大きくてもせいぜい2メートル程度が関の山だったが、このオタカラは見上げるほど大きい。

そして形。思い入れのあるものが具現化するという特性上、見れば何であるか判別がつくのだが、これはよくわからない。歯車や機械のような部品がゴタゴタとして塊になった薄汚い廃材に、大量の管を繋げたガラクタにしか見えなかった。

 

彼らは、それを壊すことに決めた。

持って行けないなら、跡形も無く消しさればいい。

 

そう判断し、ペルソナによって破壊しようとした時。

声が響いた。

 

声は告げる。

自分こそが大衆の欲望、そしてその欲望を自ら叶える存在——聖杯(、 、)であると。

大衆は自らを支配する絶対者を求めている。自分はその望みを叶えるべく、大衆によって生み出されたのだと。

自分はこのメメントスと現実世界を融合させ、人間が望むように人間を支配し、管理するのだと。

 

 

怪盗団は言葉を失った。

意思を持つオタカラ。

そしてその存在に語られた内容。

……到底認められるものではなかった。

 

沸々と湧き上がる闘志。

支配され、管理されることが人間の本懐——?

ふざけたことを——!!

 

 

意思持つオタカラ——聖杯。

大衆の総意への反逆者——怪盗団。

舞台は整い、最後の戦いの幕は上がった。

 

 

怪盗団の猛攻。

身動きする足を持たぬ聖杯はその攻撃の全てを受けながら、光線や衝撃波によって反撃する。とはいえ、攻撃を避けることができる怪盗団に対して、聖杯はダメージが蓄積する一方。

 

——どう足掻こうと、怪盗団(自分達)が勝つ。

 

その時の彼は勝利を確信していた。

……だが、違った。

 

自分達が『全ての大衆の欲望』を侮っていたことを否応なく、理解させられることになる。

 

 

『なんだ、あれ…………』

『再生、してる……?』

 

 

呆然と仲間の誰かが発したその言葉に反応する余裕も無かった。

 

怪盗団が攻撃を重ねる度に増えていた聖杯の無数の傷跡。

それら全てが、聖杯自身が発した光によって消えさっていく。

 

何事も無かったかのように元通りに——いや、薄汚なかった最初よりも心なしか綺麗になって、聖杯は再生した。

 

唖然として見上げる怪盗団を嘲りながら聖杯は言う。

 

——大衆が自分の存在を望んでいる以上、自分が滅びることは決してない。

——貴様らがしていたのは無駄な足掻きに過ぎないのだ。

 

その言葉を聞いても諦めず、怪盗団は更に苛烈に攻撃をしかける。

だが、駄目だった。

 

何度攻撃し、どれほどダメージを与えようと、聖杯はその度に再生し、輝きを増していった。

ついには最初の薄汚れた廃材のような姿の名残すらなくなり、黄金に光輝く杯————まさしく聖杯へと変貌する。

 

 

さすがの怪盗団もこれには心が折れそうになり、絶望に膝をつきかける。

萎えそうになる戦意を必死に奮い立たせようとする彼らに、聖杯は億劫そうに戦いの終わりを告げる。

 

 

その次の瞬間、怪盗団は現実世界へと戻っていた。

 

 

どうやら強制的にメメントスから追い出されたらしい。

そのことを怪盗団全員が理解すると同時、地面が揺れ始める。

直後。メメントスで見かけたあの巨大な骨。大量のそれが地面を割って現実世界に現れた。

そしてあの声。聖杯の声がどこからか響き渡る。

 

 

——融合は果たされた。

 

 

ありえない事態に硬直する怪盗団。

だが、すぐ近くを通る人々や街中にいる人々。その誰もがこの異常事態を気にもとめない。むしろ、気づいてすらいないようにも見えた。

 

 

そして。

混乱の渦に叩きこまれた彼らが次の行動にとる暇もなく、それ(、 、)が始まる。

 

 

雨。

赤く、紅く、まるで血のような雨。

降り始めたその雨を浴びた怪盗団は力が抜けるような感覚を覚え、よろめき、膝をつく。

 

周囲の人々は、立つこともままならない彼らを一瞥すらせず、平然としたまま。

彼らだけが異常に気づき、彼らだけが異常の影響を受けていた。

 

 

そして、その瞬間が訪れる。

 

 

『うっ……うわぁぁぁぁぁっっっ!? 手! 俺の、手っ!』

 

 

仲間の一人が悲鳴をあげた。

倒れたままの彼の手は———薄く透け、指先から徐々に消滅していた。

 

それを皮切りに、怪盗団全員の体がどんどん消えていく。

 

恐怖のあまり悲鳴をあげる彼ら。

だが体の消滅が止まることは無い。

みるみるうちに消滅は進み————

 

 

最初の一人が、消えた。

 

 

それに続くように二人、三人と消えていく仲間達。

どうすることもできず、それをただ眺めることしかできない少年。

 

 

そして、最後に残った仲間も消え。

 

 

一人になった少年は、半透明になった手のひらごしに、赤い雨を降らせる天を仰ぎ————

 

 

 

「————それで、終わりです。……俺の……俺達の……完敗でした」

 

努めて無感情に、少年は言葉を結んだ。

 




ようやく話を進められる……
※ここからただの愚痴
アンチラ当たりませんでした(憤怒
ルシオ当たったけどさぁ……ピックアップがお前じゃなきゃアンチラ当たってたと思うとさぁ……


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>引き継いで新しいゲームを始めますか?

新年初更新
今年もよろしくお願いいたします。


凍りついた空気。

少年の話を最後まで聞き終えた誰もが絶句したままだった。

彼は俯いたまま、身じろぎもせずに黙りこんでいる。

 

「…………永琳!」

 

やがて、血相を変えた輝夜が永琳を見据え、鋭い声を発する。

永琳も険しい表情で頷き、口を開いた。

 

「…………おそらく、事実です。今の話で色々と辻褄は合います。彼がこの幻想郷にきたこと、通常外来人が現れる無縁塚や博霊神社ではなく、ここ、迷いの竹林に現れたことも」

「…………!」

 

その言葉に、輝夜のみならず鈴仙と妹紅も息を呑んだ。

 

「……彼がこの世界に来た理由。まずはそこからですね。彼の話によると現在、外界は人間の認知が生み出した世界と融合してしまったとのこと。つまり、人々の認識がそのまま現実に影響を及ぼすようになった」

 

「世界の融合が起こる前から、彼とその仲間達は『最初から存在しなかった』ことにされていた。その認知がそのままに彼らを忘れさせ、外の世界から消し去った……というのが、私の推測です。忘れられたモノ、存在できないモノが辿りつく幻想郷に彼が現れたのはある意味必然とも言えるでしょう」

 

「そして本来なら博霊大結界の緩みがある場所に、外からやってきたものは現れる。ガラクタや死者なら『終わったモノ』としての共通点から無縁塚、生きたままのモノは博霊神社です。…………しかし今の外界は、異世界と融合している」

 

「確固たる存在であった現実そのものに異常が起きている以上、現実と幻想とを隔てる結界自体が揺らいでいるとしても不思議ではありません。その揺らぎのせいで、彼は偶然ここに落ちてきた。そう考えれば納得はいく」

 

冷静に考察する永琳。

そこに慌てて鈴仙は口を挟む。

 

「ち、ちょっと待ってください師匠! 今の話が事実なら、それはもう、異変だとかそんなレベルじゃ…………!」

「……そうね。今までとは違う。幻想郷の存在自体が危ぶまれるわ。なんせ外では現実と幻想が一緒くたにされてしまったんだから。……最悪の場合、結界が消滅して幻想郷の中身が全て外に放り出されるかも」

「そんな…………!」

 

ショックを受けた鈴仙に、永琳は冷静な口調のまま自分の考察を話す。

 

「とはいえ。そんな事態をあのスキマ妖怪——八雲 紫(やくもゆかり)が看過しているはずがない。おそらく既に結界の修正に全力を尽くしているでしょうね。だから、少なくとも今すぐに結界がどうこうなる心配はしなくてもいいと思うわ」

「そ、そうですか……」

 

師匠の言葉に安心した鈴仙。

だが永琳は険しい表情のままだった。

 

「……そうは言っても、これはあくまで推論に推論を重ねただけに過ぎないし、結界が維持できるというのも希望論。何も解決できた訳じゃない。外の元凶をなんとかしない限り、どうしようも……」

 

その言葉に場は沈黙に包まれる。

 

「……俺は、外の世界に帰らないといけません。他の仲間がどうなったかも心配だし、何より……一刻も早く聖杯を破壊しなければ。永琳さんには、親切に怪我の手当てもして頂いて感謝しています。他の方々も、ありがとうございました」

 

ずっと黙りこくっていた少年は静かに立ち上がり感謝を述べる。

その目は決意を秘め、口元は固く結ばれていた。

そのまま踵を返し、障子に手をかける。しかしそこに永琳が待ったをかける。

 

「想像はつくけど……何するつもり?」

「決まっているでしょう。ここを出て、外の世界へ戻ります。最初の話だと、この世界の結界を管理しているのは博霊神社という場所の巫女なんですよね。なら、その人に頼んでとっとと俺を外に出してもらいます」

「無理よ。まずこの竹林。普通の人間が足を踏み入れたら、一生迷い続けてしまうぐらい複雑なのよ? 竹を切って目印にしようにも、ここの竹は異常に成長が早い。1日もすれば元通りよ。あなたが一人で出ようとしたところで……」

「ひたすら一方向に向かって切り拓きます。1日で元通りになるなら遠慮することもない。竹林が永遠に続くのでない限り、どこかで必ず竹林の外に出ます」

 

間髪入れず、少年はそう返した。

 

「……なら、博霊神社はどうやって見つけるの? この幻想郷はあなたが思うより広大よ。何がどこにあるか、そう簡単にわかる?」

「道を探します。道を辿れば、そこを使う人間が必ずいる。その人間に聞けばいい。仮にその人間が知らなくても、他の知っている人間に聞けばいい」

「そう……なら、これが最後の質問。これに答えてくれたらもう引き留めはしない。あなたの自由にするといいわ」

「…………なんですか?」

「竹林を抜けて、博霊神社の場所を知って、博霊神社に着いて……それでどうやって外に出してもらうつもり?」

 

永琳の問いに彼は少し笑って答える。

 

「どうやって、って……普通に頼みますよ。外の人間を外に帰すだけ。相手も嫌とは言わないでしょう。ましてや、俺は結界の問題を解決できる人間です。まさか断れるわけが——」

「そうね、巫女に頼めばあなたはすぐ外に戻れる。けどね。結界に異常が発生している今、巫女が呑気に神社(、 、 、 、 、 、 、 、 )にいるままだと思う(、 、 、 、 、 、 、 、 、)? 結界の修復を始めている方が自然とは思わない?」

「それ、は…………」

 

初めて答えに詰まる。

 

「ただ結界を調整するだけなら神社にいてもできるかもね。だけど、今は幻想郷の各所、結界全体が緩んでいる。必ずしも神社に巫女がいるとは限らないわ」

「……………………」

 

諭すような永琳の言葉に拳を強く握りしめる。

 

「……少し、落ち着きなさい。あなたの焦りはわかるけど……第一、今のままじゃあなたは外に出ること自体が不可能よ?」

「…………どういうことです」

 

聞き逃せない一言に振り向く。

永琳は優しげな顔で少年の鋭い視線を受け止めた。

 

「もう少し私の話を聞いても、損はしないと思わないかしら?」

 

言下に「冷静になれ」という彼女の思いを感じとり、少年は大きく息を吐く。

そして部屋を出ようと扉にかけていた手を下ろし、永琳に向き直り、その場に腰を下ろす。

 

「……お願いします」

「ん。よろしい」

 

彼女は満足そうに微笑んだ。

 

 

「さっき言ったことを、より正確に言い表すなら……あなたが外に出ること自体は可能かもしれない。だけど出たとしても何もできない、ということよ」

 

「あなたは外の世界に忘れられてこの幻想郷にやってきた。でも、この世界にやってきたからといって、あなたの存在が思い出されるわけでもない。外に戻ったところで、もう一度消えるだけなのよ」

「…………!」

 

見落としていた事実。

考えていればすぐに気づいていたであろうそのことに、今まで思い当たらなかったのは————

 

「落ち着きなさい、と言ったでしょう?」

「…………本当ですね……」

 

焦りのあまり、冷静さを欠いていたから。

少年は恥じいるように俯く。

 

「外に戻って、また忘れられて。それで幻想郷にとんぼ返り……いいえ、そうなるならまだマシ。最悪の場合、幻想郷にも戻ってこれずにあなたという存在自体、無かったことにもなりかねない」

「そ、れは…………」

「あなたもそんなこと避けたいわよね?」

 

当然だ。

ここで自分が消えてしまっては、全てが終わってしまう。

 

「だからね。私の提案、乗ってみない?」

「……?」

 

顔を上げる。

目の前の永琳は悪戯っぽい表情で笑っていた。

ただでさえ整った顔立ちの彼女の笑顔にドキリとさせられる。

 

 

「どう? 聞きたい?」

 

 

だからだろうか。

 

その言葉に反射的に頷いてしまったのは。

 

 

「——あなたは『いなかった』ことになっている。だから外には戻れない。ここまでは良いわね?」

「ええ、それは理解しています」

「なら話は簡単。『いることにすれば良い(、 、 、 、 、 、 、 、 、 、)』。ただそれだけ」

 

……………………?

話がまだ見えてこない。

 

「あなたが存在しないという認知に対抗するなら、あなたが存在するという認知が必要、ということよ」

「ああ、なるほど…………って」

 

それができるなら、自分は今ここにいないのだが…………

微妙な表情から少年の考えていることを読み取ったのか、永琳はヒラヒラと手を振る。

 

「最後まで聞きなさい。認知というものの性質がどんなものか、詳細はわからないけど……とにかく、あなた自身の存在を確立させれば良いのよね?」

 

「なら、別に外の世界に拘らずとも、この幻想郷の中で、あなたのことを知らしめてやればいい」

 

「この世界にいる者達はそれぞれが幻想そのもの——つまりはある種の認知であり、中には存在が肉体より精神に偏る者もいる。彼女らにあなたの存在を知らしめ、記憶に刻みこめば……不特定多数の人間による曖昧な認識などに劣らない強さの認知が得られると思うわ」

 

つらつらと語られる永琳の提案。

その内容を吟味する。

 

筋は通っている。

不足している存在の強度を、幻想郷の住人の認知によって補う。

なるほど、道理ではある。

 

「…………概要は把握しました。では、これからその方々に……まあ、なんというか、挨拶回り? 顔見せ? ……するってことですか?」

 

納得した少年がそう尋ねると、さっきと同じ、悪戯っぽい笑顔を見せる永琳。

 

「いいえ、違うわ。言ったでしょ? 記憶に刻みこむ(、 、 、 、 、 、 、)、って」

 

 

「あなた、言ってたわよね? 自分達は『怪盗団』だったと」

 

 

「なら、幻想郷(こっち)でもやりなさいな。怪盗(、 、)

 

 

そう言って浮かべた永琳の満面の笑みを見て、鈴仙は思った。

 

あ、師匠、凄いイイ顔してる……こんな時の師匠には逆らわないのが得策。私は巻き込まれないようにしよう——と。

 

 

輝夜は思った。

 

久々にイキイキしてるわね〜。……まあ咎める理由もないし、好きにさせましょう——と。

 

 

妹紅は思った。

 

月の頭脳なんて言われているが、この女の考えることだ、どうせロクでもないことなんだろうな——と。

 

 

少年は思った。

 

俺は、本当にこの人に従って大丈夫なのか?——と。

 

 

 

こうして、幻想郷に怪盗は現れる。

彼は関わった者全てに鮮烈な印象を与えていき、そして去っていった。

これより語られるのは幻想郷を——否。世界を巻き込んで起きた異変と、その顛末である。

 




序章が終わった、という感じですね。
ここからやっと本格的に話が進むことになります。
※ここからただの雑音
マキラ当たったァ! ッシャァ!!
20連でセルエルとマキラとか大勝利すぎません? せん?
——グラブルの話失礼しました。

あとなんかツイッターの公式垢でペルソナ5の動きがありましたね。
これはついにアイオーンくるフラグなのか……?

>あなたは 心の怪盗団 を信じますか?
@管理人 このコメントは削除されました。

GEの方も新情報出るっぽいし楽しみだわ……
——ペルソナとゴッドイーターの話失礼しました。


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Chapter:1 Continue
半端に強くてニューゲーム


「怪盗仕事をやれと言われましても……ここはペルソナが使えてもパレスではないですし、どうしようも……」

「心の怪盗って、お洒落よね。素敵だと思うわ」

「はい?」

 

突然何を言い出すのだろうか。

 

「けどね。普通(タダ)の怪盗だって充分浪漫に満ちてるじゃない」

「……………………」

 

つまるところ、それは————

 

「————単なる、窃盗をしろと?」

「言い方が悪いわね。まあ、間違いではないけど」

 

苦い顔をする少年に澄ました表情で永琳は頷く。

 

「良いじゃない。別にあなた自身はモノが欲しい訳ではないし、後日返しに行けば。盗みに入った犯人が正面からそれを返しにくるのよ? 絶対忘れられない体験じゃない」

「いや、そういう問題では……そこまでするくらいなら、やっぱり普通に挨拶回りした方が…………」

 

尻込みする少年。

永琳は彼の肩を掴む。

ビクリとたじろぐ少年に、彼女は力強く言う。

 

「それじゃダメ。あなた自身の実力を見せつけてやらないと、印象が薄い。ただの外来人としての認知が高まったところで意味が無いでしょう? あなたは『怪盗』なんだから」

「し、しかし…………」

「それに!」

 

ひときわ大きな声で弱気な反論を遮る。

 

「この作戦にはまだ利点があるわ」

「な、なんです?」

「知名度が上がれば、それに関連する情報が集まる。この幻想郷にはそういうことをするのが好きな天狗がいてね……」

「天狗? いえ、それよりも……情報? 情報って言っても、俺のことについてはもう…………」

 

戸惑う少年に首を振る。

 

「あなたの情報も、だけど。私が言ってるのはあなたに関連する情報よ。そう、例えば————あなたの仲間について(、 、 、 、 、 、 、 、 、 、)、とかね」

「それは…………!」

 

目の色を変える彼に、ニッコリと微笑む永琳。

はたから見ていた鈴仙にはそれがまるで悪魔の微笑みのように見えた。

 

「あなただけがこちらに来ているとは限らない。幻想郷にあなたの仲間がいるのなら、そちらの情報もどこかから集まるはずよ」

「…………」

「当然私達も協力はするけど、限界がある。だけど、幻想郷全体を巻き込んであなたに関わる情報を集めさせれば……」

 

(うわぁ……うわぁ…………)

 

甘い言葉で少年を唆す自分の師を、鈴仙は半眼で眺めていた。

 

「……ね? 悪くないと思わない?」

「……………………」

 

揺らぐ。

彼女の言葉に乗せられるか、意地でも突っ撥ねるか。

少年が苦悩と葛藤を続け、最後に出した結論は————

 

「——よろしく、お願いします……」

「……ええ、こちらこそ♪」

 

永琳(悪魔)の甘言に乗り、その手を取ること。

この上なく楽しそうな永琳とは対照的に、少年は最後まで自分の選択を信じきれていないように、難しい表情のままだった。

 

 

交渉が成立し、彼らは座り直す。

 

「それじゃあ、改めて自己紹介から始めましょう。私は八意 永琳(やごころえいりん)。ここ、永遠亭の薬師をしているわ」

 

口火を切ったのは永琳。

他の面々もそれに続いて自己紹介する。

 

蓬莱山 輝夜(ほうらいさんかぐや)よ。永遠亭の主でもあるわね。よろしくね〜。蓬莱山、なんて長ったらしいから輝夜で良いわよ」

「……鈴仙(れいせん)優曇華院(うどんげいん)・イナバ。師匠には薬の調合なんかを教わってる。呼ぶなら鈴仙でお願い」

 

少年は恐縮したように頭を下げる。

 

「これはどうもご丁寧に、ありがとうございます……あ、俺の名前は」

 

と、言いかける途中で輝夜が口を挟んだ。

 

「その前に。ねぇ、あなた……イナバのソレ(、 、)、気になってるでしょ?」

「えっ!?」

「姫様…………」

 

鈴仙の頭の上にあるソレ——兎の耳を示して問うた輝夜に、図星を指された少年は動揺し、鈴仙自身は苦い顔をする。

 

「それね、本物よ」

「ほ、本物? ですか?」

 

ニヤニヤと笑いながら言う輝夜に聞き返す。

 

「姫様っ!」

「何よ。どうせいつかは話すことになるんだし、今話したところで変わらないでしょ?」

「そ、それは、そうかもしれませんが……」

 

抗議しようとしてあっさりとやりこめられた鈴仙。彼女は救いを求めてチラチラと永琳に視線を送る。

その視線を受けた永琳は少し考えこみ、頷く。

 

「そうですね。姫様の仰る通りかと」

「でしょ〜?」

「そ、そんな…………」

 

頼りにしようとした師が輝夜の側に回り、肩を落とす鈴仙。

輝夜はそれを面白そうに眺めながら少年に言う。

 

「この子はね。月の兎(、 、 、)なの」

「……………………はい?」

 

何を言っているかさっぱりわからない。

月の兎?

 

「そして私はあの竹取物語にて語られる、かぐや姫(、 、 、)その人よ。どう? ビックリした?」

「……………………」

 

沈黙。

少年は知恵の泉という称号を獲得するほどの頭脳を持つ。

その知性の全てを以ってして、この場に最適解を導き出す————

 

「……なるほど。そういう設定ですか」

「あ、案外失礼ね、あなた…………」

 

ことは、できなかった。

 

 

「————ということなのよ」

「そ、そうだったんですか……」

 

少年の素の対応にいじけた輝夜がそっぽをむいてしまったため、手っ取り早く永琳が全て説明した。

 

「じゃあ、鈴仙さんは本当に月の兎で、永琳さんは月の人間で……」

「そこでいじけているのが、御伽噺にもなっているあのかぐや姫ね」

「……………………」

 

絶句した少年は錆び付いたゼンマイのように、ゆっくりと首を回転させて輝夜に振り向く。

それに気がついた輝夜は不機嫌そうな顔のまま口を開いた。

 

「何よ。『そういう設定』の私に何の用よ」

「…………か、かぐや姫……?」

「そうよ。悪かったわね。こんな私がかぐや姫で。失望させちゃったかしらね……って、な、なに? どうしたの?」

 

不貞腐れながら自虐を続けようとした輝夜は、いきなり片膝をついて頭を垂れた少年に驚き、思わず手を差し出す。

 

次の瞬間、彼はその手をガシッと握る。

 

「えっ、ちょっ、な、え?」

「かぐや姫、かぐや姫だ……! 本物のかぐや姫、日本人の九割九分九厘が知っているであろうお姫様のかぐや姫だ……どんな絵本にも総じて美人だったと書かれているかぐや姫、だけど古代日本の基準の美人だから実際に見たらどんなものかと疑ってました、すいません本当に美人でしたかぐや姫は美人でした! 美人は美人でも美女というよりは美少女な感じだったけど全然問題無いですこんな体験ができる日がくるなんて思ってもみなかったですこの一年の間、ロクなことがねえよホント人生クソだなとか思ってたけどこの幸せは何よりも貴重ですホント無理、尊い、しんどすぎ、本当にありがとうございますもしよければサイン下さいお願いします…………!」

 

 

……興奮のあまり早口になりすぎてもはや何を言っているかわからない。

いきなり手を握られ面と向かって美人、美人と並べたてられた輝夜は視線をあちこちに彷徨わせ、次第に顔が紅潮してくる。

 

「わ、わかった、わかったから。だからとりあえず、ね? 手を離してもらえる?」

 

しかし今の彼は喜びのあまり自分の世界に没頭してしまい、気づいていない。

少年に跪かれ、手を握られ続ける輝夜。

 

助けを求めるように左右を見渡す。

 

鈴仙は素知らぬふりをしている。

先ほどの意趣返しというか、ささやかな反抗だろうか。

妹紅はニヤニヤと笑いながらこちらを見ている。

コイツは助けてはくれないだろう。というより、助けてくれるとしてもこちらから願い下げだ。

 

となると、最後の望みは————

 

「え、えいりん〜!」

 

情けない声で助けを呼ぶ。

永琳はニッコリと笑って言う。

 

 

「ファンサービスって、大事ですよね」

「う、裏切り者…………!」

 

 

結局、少年が我に返るまで握られた手はそのままだった。

彼は慌てて謝りながら離れたが、真っ赤になった輝夜はボンヤリとしたままだった。

 

「さて、熱烈なファンの想いを受け止めきれなかった可愛らしいお姫様はそっとしておきましょうか」

「本当にすいませんでした……童心に戻ってしまったというか、御伽噺の存在に会えるなんて夢にも思わなかったので……」

 

衝動的な行動をとったことを猛烈に恥じ、少年は深く落ち込んでいた。

そんな少年と輝夜を同時にからかい、永琳はクツクツと笑う。

鈴仙はそれを見て戦々恐々としていた。

 

(師匠がここ何年もなかったくらい上機嫌だぁ…………絶対標的にはなりたくない……)

 

そんな時、ずっとおとなしくしていた妹紅がついに声を発する。

 

「なぁ、私はもうそいつに自己紹介してるし、帰ってもいいか? 認知とやらの点でも、そいつの実力はこの中で私が唯一実際に見て知ってるわけだし。わざわざここにいる必要はないだろ?」

 

その言葉で永琳は笑うのを止め、真面目な顔に戻る。

 

「そう……できればもう少しいて欲しいとは思うけど、確かにあなたの言うことも一理あるわね。……ええ、帰っても大丈夫よ。何かあれば使いを出すわ。…………無論、言うまでもないことだけど」

「誰にも喋るな、だろ。わかってるさ。それに、私がそんなことを話すような相手なんてそもそも全く…………ほぼ(、 、)、居ない」

 

何かを思いとどまり、小さく付け足された言葉に永琳は優しく微笑み、しかし何も言わないままだった。

 

「そう。ならいいわ。彼の案内、ありがとう」

「別にいい。礼なら既に本人から受け取ってる。…………それじゃ」

 

壁から背を離し、障子を開いて妹紅はその場を後にする。

落ち込んでいた少年はそこで慌てて立ち上がり、彼女を追いかける。

 

廊下に出ると、既に彼女はかなり離れたところを歩いていた。

 

「あの、ちょっと、待って下さい!」

「ん? なんだ? 礼ならもう要らないぞ。お前はこれから忙しくなるんだし、ここのやつらと話し合った方が——」

「違います、名前です!」

「え?」

 

きょとんとして振り向いた妹紅と視線を合わせ、少年、いや————

 

「————来栖 暁(くるすあきら)です。また機会を改めて、もう一度お礼に向かいます」

 

暁はそう言った。

 

妹紅は驚いたように一瞬目を丸くした。そしてフッと口元を緩ませ、踵を返す。

右手を軽く挙げ、ヒラヒラと振ることで返事の代わりとし、彼女はもう振り返ることなく永遠亭を立ち去った。

 

 

妹紅に名乗った後、部屋に戻った暁はそこでももう一度自分の名を告げる。

 

「そう、暁というのがあなたの名前なのね。それじゃあ、よろしくね、暁」

「……よろしく」

「はい、これからよろしくお願いします」

 

暁は永琳と鈴仙に頭を下げる。

友好的な永琳に比べると鈴仙はやや無愛想な対応だったが、冤罪を受けて以降接してきた大多数はこれより酷いものだったため、まったく気にすることはなかった。

 

わざとそっけない態度をとったのに余裕の対応をされ、なんとなく面白くない鈴仙。

暁を睨もうとするが、下げていた頭を上げた彼と目があいそうになり、慌てて視線を逸らす。

 

 

彼はそこで部屋の一角に視線をやる。

そこにはまだボンヤリしたままの輝夜がいた。

自分がしたことの手前、声をかけるにかけられず、口を開いてまた閉じることを繰り返す。

 

どうするべきか悩む彼の視界の端で動くものがあった。

 

永琳が輝夜の前まで移動し、しゃがみこむ。

次の瞬間。

 

————パァンッ!

 

「ひゃあっ!? な、なに!?」

「そろそろ戻ってきて下さい。何も男に言い寄られたのが初めてというわけでもないでしょう?」

 

永琳は勢いよく手をあわせ、大きな音を出す。その音に輝夜は飛び上がらんばかりに驚き、我に返った。

 

「言い寄られ……って違うわよ! ただちょっといきなりすぎてビックリしただけというか、私のことをこんなふうに知ってる人間は初めてだったから、ちょっと混乱しただけで」

「そうですね。姫様が今まで会った人間は、姫様の美貌に目が眩んで求婚してくる何人ものいい歳した男とか、その従者達でしたものね」

「そ、そう! そうよ! だから別に今のは照れてたとかそんなんじゃなくて、ただちょっと思考停止して」

 

言い訳がましく言葉を重ねる輝夜の顔から赤みが少しずつ引いていく。

しかし永琳はそれを許さない。

 

「自分がかぐや姫として知られていることを自覚していて。そのことでからかおうとして、逆にそれを流されたらいじけて。かと思えば本気で喜ばれたらどうすればいいかわからなくて。姫様は本当に可愛らしいですね」

「え、永琳!」

「あ、それとも若い異性に言われたのが一番ツボだったりするんですか? 見かけだけとれば、近寄ってくるのは人間の親子ほど歳の離れた男ばかりでしたものね。見た目同じくらいの年代の男に口説かれるのは初めてですか。そういえば彼の顔、良く見れば案外整っているし——」

「永琳!!」

 

立板に水を流すように次から次へ飛び出す永琳のからかいの言葉。

それを正面から受ける輝夜。一時戻ろうとしていた顔は、再び紅潮しはじめていた。

 

しかしそれを見ていた鈴仙は戦慄していた。

一見すると、輝夜をからかっているだけ。だが、傍らでそれを眺めていた鈴仙には永琳の本当の目的が理解できていた。

 

(姫様のことをからかうように見せかけて、実際のところはこの男のこともからかってる…………!)

 

彼女はチラリと暁の方を見る。

永琳に「言い寄った」「口説いた」などと言われた彼は、輝夜にも劣らないほど恥ずかしそうに体を震わせ、頭を抱えていた。

 

輝夜をあしらいながら、一瞬その様子を確認し、口元を緩める永琳。

師匠のその一挙一動を見逃さなかった鈴仙は深く慄き、万が一にも自分が標的にならぬよう、全力で気配を絶った。

 

 

数分後、満足した永琳がからかうのを止めた時には輝夜は息も絶え絶えになり、永琳に意図的に誘爆を続けられた暁は声もなく身悶えしていた。




八意さんは裏表のない素敵な人です! ……このネタ通じるのかな。

主人公の名前はコミカライズ準拠。この作品の永遠亭のメンバーの分類としては、
輝夜:からかうことは好きだが受け身になると弱い
永琳:ちょっぴりお茶目
鈴仙:ことなかれ主義
てゐ:未だ登場せず

となっております。
輝夜が赤面したのは①不意打ちで、②いったん落としてから上げられて、③主人公の魅力パラメータが「魔性の男」だったから、です。
このうちどれか一つでも欠ければ、ああはなりませんでした。(少なくとも一目惚れとか恋愛感情とかは)ないです。別に輝夜がやたらチョロすぎるわけでは……
そう見えたら作者の実力不足ですね、申し訳ない。精進します。

早口パートはつい最近見たオカルティックナインの影響を受けた気がします。面白かったなぁ……やっぱ千代丸さんって天才よ。

あと主人公は一週目の全パラMAX、全コープMAXということでお願いします。
6割のジョーカーと2割の屋根ゴミ、2割のアローハ! 要素が含まれます。今回はアローハ! 的なその場のノリで行動しちゃう感じでした。


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屋根裏から物置

作者はチョロいので評価とかしてもらえるとすげぇ喜びます。
「ハハッ、全然大したことねぇなコイツ(半笑い」とか思ってても形だけ高評価してもらえればそれだけで幸せになる卑小な生物です。
何が言いたいかっていうと、とりあえずみんな9点に投票して(懇願


輝夜と暁が平静さを取り戻すのにしばし時間を費やし。

再び、今後についての議論が行われる。永琳も今度は真面目な表情だ。

 

「では、これからの話をしましょう」

 

輝夜が口火を切る。

 

「まず第一に。暁の寝床ね。永遠亭(ウチ)には部屋なんて有り余ってるし、私としてはそのどれかを貸すってことでいいんじゃないかと思うんだけど」

「「えっ」」

 

声が重なった。

その声の主、鈴仙と暁はそれぞれ顔を見合わせる。

そして鈴仙はやや渋い表情で、暁は焦りの色を滲ませて、輝夜に言う。

 

「いや、姫様。さすがに患者でもない、それも男を住まわせるのはいかがなものかと……」

「そうですよ。それに俺一人で女性三人が住むこの場所に泊まり込むというのは……なんというか、息苦しそうなので個人的にも遠慮したいんですが……」

「そうなの?……っていうか、三人?」

「はい? えっと、輝夜さんと、鈴仙さんに、永琳さん。三人ですよね」

 

首を傾げる輝夜と同じく、指を折って数えながら首を傾げる暁。

そこで納得したように輝夜は手をポンと打つ。

 

「ああ、そういえば。あなたはまだ一度も見てないけど、ここの住人はあと一人いるのよ。てゐ、っていうのが。鈴仙が月の兎なら、てゐは地上の兎ね。今はお使いに行かせてるわ」

「あ、そうなんですか。……ちなみにその方は」

「女性」

「なおさら嫌ですよ! 見知ったばかりの女性4人と同じ空間で寝泊まりするとか気まずすぎますって!」

 

あっけからんと言い放つ輝夜に頭を抱える。

 

「そう? 私は気にしないけど」

「俺は気にします。多分鈴仙さんも」

「えっ、ちがっ……あ、あぁ、うん。そうね」

 

鈴仙は唐突に自分の名前が出て反射的に否定しかけるも、よくよく考えればなんら間違っていないので慌てて頷く。

 

「そんなこと言ってもねえ。じゃあどうするのよ。外の竹林で野宿でもする? 冬の夜は相当冷えるわよ。それに、この永遠亭には結界が張られてるから安全だけど、竹林には妖怪もウヨウヨしてるわよ? わざわざ危険を冒すの? 快適な寝床を捨ててまで?」

「うっ…………そ、それは……」

 

痛いところを突かれる。

 

(確かに、代案があるわけではない。しかし……)

 

そこで困り果てた暁を見かねた永琳は助け船を出す。

 

「姫様。確か、物置代わりに使ってた離れがありましたよね。あれはどうですか? 母屋とは多少離れていますし、ある程度気楽に過ごせると思いますが」

 

その言葉の半分は暁に向けられたものでもあった。

彼はその言葉に飛びつく。

 

「それです! そこを使わせて下さい!」

「ええ…………? 部屋があるのにわざわざ物置で寝泊まりさせるの……? アレ、相当長い間放置してなかった……? それに暁もよ。物置よ? 物置。埃も積もってるでしょうし、ガラクタの山もあるし、あそこで寝るのは……」

「大丈夫です。外界ではまさしくそんな状態の喫茶店の屋根裏部屋を与えられて、そこで寝泊まりしてましたから。とっくに慣れてますから」

「え、えっと、それは大丈夫とは言えないと思うんだけど」

 

食い気味な暁にちょっと引きながらも、そのあまりに不憫な境遇に居た堪れない思いを抱く輝夜。

物置同然の場所で実際に寝ていたことを聞いて鈴仙と永琳も同じような思いを抱く。

女性陣から憐れみ混じりの視線を送られていることにも気づかぬまま、暁は熱弁する。

 

「掃除すれば居心地は良くなりますし、少なくとも母屋の部屋を借りるよりはよほど気が楽です。住めば都とも言いますし、だから是非、その物置を貸してほし」

「わかった! わかったから! そこまで言うなら別に止めないけど! …………わざわざそんな場所を選ぶのは良いけど、さすがに掃除とかの面倒までは見きれないわよ?」

「ありがとうございます! 掃除は俺一人でやるから問題無いです」

「鈴仙も。それでいいかしら」

「えっ、あ、はい。離れなら……」

 

呆れ顔の輝夜は鈴仙にも一応確認をとり、承諾をとりつける。

 

「じゃあ永琳、暁を案内してあげて。鈴仙は掃除道具を持っていって。今すぐ掃除を始めるくらいじゃないと、寝床を作ることすらできないわ」

「はい、わかりました。それじゃ、暁は私についてきて」

「掃除道具ですね、取ってきます」

「よろしくお願いします」

 

永琳、鈴仙、暁の三人はサッと立ち上がり、その場を後にする。

自分の指示によって、一人だけぽつんと残された輝夜は、

 

「……まだ、一つめの議題が終わったばかりじゃない」

 

少し、寂しそうだった。

 

 

「これは……なかなかですね」

「その、不要になったものをかたっぱしから放り込んでたから…………」

 

暁と永琳。二人は離れに着き、扉を開いて見えたその光景に圧されていた。

見上げるほどうず高く積まれたガラクタの山。その上を覆い尽くす埃。

扉を開いて差し込んだ光は、舞い上がった埃とともに、それらを照らし出していた。

 

「……とりあえず、全部出しちゃってもいいですか?」

「構わないけど……その前に。凄い埃だし、口元は布か何かで覆ったほうがいいと思うわ」

「そうですね。ごもっともです」

 

彼は持ってきていた自分のバッグを足元に置き、ゴソゴソと中を探ってハンドタオルを取り出し、マスク代わりにする。

 

「ありがとうございました。あとは自分でやるので、もう行っていただいて大丈夫ですよ」

「そ、そう。じゃあ、頑張って?」

 

永琳は一応声援を残し、母屋へと戻っていった。

 

 

数分後、掃除道具を抱えた鈴仙がやってくると、そこには数々のガラクタが積まれていた。

 

(うわ。こんなに入ってたんだ……)

 

物置に入れられていた物の多さを再認識していると、中からまた新しいガラクタを持って暁が出てきた。

彼は目敏く鈴仙を見つける。

 

「あ、鈴仙さん。掃除道具、持ってきてくれたんですね。ありがとうございます」

「ああ、うん。ここに置いておくわね」

 

鈴仙はそう言って、邪魔にならないような場所に掃除道具をまとめて置く。

 

「……ものすごい量ね」

「そうですね。ちょっと想像を超えてました。でもまあ、平気ですよ。寝るスペースさえ確保できれば、残りは明日に回せますから」

「…………そう」

 

額に滲んだ汗を袖で拭いながら暁は笑った。

鈴仙はそれを直視することなく、生返事をする。

 

実のところ、彼女は多少の良心の呵責を覚えていた。

 

彼自身からこの離れでの生活を志願したとはいえ、そこには自分が一緒に寝泊まりしたくなかったという事情も含まれる。

いきなり現れた外来人、それも男とあって警戒するのは当然ではあるが、彼の話を聞く限り悪い人間ではないようだし、その話に嘘も感じられなかった。

 

随分と辛い目にあってきたらしい彼に、自分の我儘でこれ以上負担をかけさせるのは、いささか————

 

「鈴仙さん? どうかした?」

「…………手伝うわ」

「え?」

「掃除。私も手伝う。力仕事は無理だけど、今日はもう師匠の手伝いも終わってるし、暇だから」

「いや、そんな、悪いですよ。鈴仙さんに迷惑をかけるつもりは……」

「い、い、か、ら!」

 

語気を強める鈴仙。

彼にしてやれるせめてもの報いとして、掃除の手伝いくらいはやってやろう。

そんな心情だった。

 

「……すいません、鈴仙さん、助かります」

「それと!」

「な、なんですか?」

「その敬語。……気持ち悪いから、普通に喋って」

「え…………」

 

気持ち悪い、と断じられてさすがにショックを受ける暁。

たじろぎながら鈴仙を見ると、ジトっとした目でこちらを睨んでいた。しかしその目つきからは不思議と嫌悪感は伝わってこず、なんとなく不安げな印象を受ける。

 

暁は一つ息を吐いた。

 

「わかった。ありがとう、鈴仙。……これでいいか?」

「…………ふん」

 

その問いに鈴仙は返事をせずにそっぽをむき、持ってきた布巾の一つを暁と同じようにマスク代わりにする。

そして置いてある掃除道具からハタキを拾い上げ、そのまま離れへと入っていった。

暁は苦笑しながらそれに続いた。

 

 

鈴仙が手伝い始めたことで、暁だけでしていた時より遥かに速く掃除は進む。暁がガラクタを外へと運び、それによってもうもうと舞い上がる埃を鈴仙が処理する。

互いにだんだんと要領を得て、 動きも効率的になっていく。テキパキと動きまわり掃除を続ける途中、鈴仙が口を開いた。

 

「ねえ……………あ、()

「ん? なんだ?」

 

間になにやら葛藤が挟まれたようだったが、気にせずに彼は聞く。

 

「…………その、外でもこんな場所で生活してたって言ってたけど。それって暁が言ってた『お世話になった人』のしたことなんでしょ? 本当にお世話になったの?」

「…………ああ、そうか。そりゃそう思うか」

 

こわごわと尋ねる鈴仙につい笑ってしまう。

それを見た彼女は怒る。

 

「な……! わ、笑いどころじゃないでしょ!」

「そうだな、ごめん。でも世話になったことは紛れもない事実だよ。最初は確かにちょっと冷たい感じだったけど……そもそも、その人が俺を引き取ってくれた当時の俺は『暴力沙汰を起こした問題児』だったしな。そんな人間を、些細な縁から面倒をみることを決断できる人は、そうはいない」

「それは……そうね」

「誤解が解けるにつれて、あの人も俺に優しくしてくれたし……屋根裏部屋に関しては、自分の家に俺を上げられない、止むに止まれぬ事情もあったから。何の不満も感じてないよ」

「事情?」

 

手を止めて、外にいる暁を見る鈴仙。

彼も動きを止めて、何かを思い返すように空を見上げていた。

 

「うん。大切な、家族のため」

「…………」

 

空を見上げる暁はやけに透徹した瞳をしていて、鈴仙は声をかけるのが憚られた。

一瞬沈黙が流れ、彼は空に向けていた目を鈴仙へと移す。

 

「長い話になるから。……また違う機会に話すよ。約束する」

「……そう。ならいいわ」

 

静かに言う暁。

どことなく穏やかなものを彼の言葉から感じとり、特に文句を言うこともなく鈴仙も納得した。

 

どちらとも、それ以上何を言うでもなく、自然と作業は再開された。

 

 

そこから一時間ほど経ち、積まれた全体のうち、およそ半分ほどのガラクタが外に出された。

鈴仙の協力もあって埃もほとんど無くなっているので、最低限寝ることはできるようになっただろう。

 

「ふう……今日はここまでにしよう。ありがとう、鈴仙。本当に助かった」

「別に、そんな大したことはしてないでしょ」

「それでもだ。手伝ってくれて嬉しかった」

「……や、やめてよ。なんか恥ずかしくなってくるじゃない」

 

鈴仙は頭を下げて感謝する暁にたじろぐ。

ちょうどそこに母屋から永琳が様子を見にきた。

 

「調子はどうかしら? ……あら、鈴仙? 彼の手伝いを?」

「あ、師匠。はい、そうですね。そんなところです」

「彼は一人でやると言ってたし……自分から言い出したの? あなたが?」

「な、なんですか! 何が言いたいんですか!」

「いや……どういう風の吹き回しかと思ってね。驚いた」

 

どうやら永琳は鈴仙をからかっているのではなく、本心から驚いているようだ。

そこに暁が声をかける。

 

「すいません、永琳さん。このガラクタの山、出したはいいんですが、どうすればいいですか? また違うところに運びますか?」

 

ガラクタの処分に困っていた彼は、タイミングよく訪れた永琳に尋ねた。

 

「あ、そうね。もう不要なものだから全部燃やしてもいいんだけど……それだとなんとなく勿体無いわよね」

「そうですね。じゃあ、また別の場所に——」

「…………いいえ、待って。あるわ。有効的にガラクタを一気に処分できる方法」

 

暁を押し留め、鈴仙に目をやる。

 

「鈴仙。彼を『香霖堂(こうりんどう)』まで連れていってあげなさい」

「香霖堂……ああ、確かにあそこならこのガラクタも……」

「そういうこと。手押車は用意するから。二台……で足りるかしら?」

 

鈴仙が納得したのを確認した永琳は、一人で思案しながら再び母屋へと戻っていった。

暁は鈴仙に尋ねる。

 

「香霖堂、というのは?」

「なんでも売ってる雑貨屋みたいなところ? 店主がかなりの物好きで、変なものばっかり置いてる店よ。ガラクタみたいなものを探しに出かけることもあるらしいわ」

「…………なるほど。まさにうってつけだな」

「でしょ? だからそこに行って、このガラクタを売りつけてこい、ってことなんだけど…………」

「……………………この量は、ちょっと大変だな」

「……………………そうね」

 

二人は運び出したガラクタの多さと、その総重量を思って、沈黙した。

 

少ししてから、永琳が手押車を持ってきた。

二台あるそれに、ガラクタをできるだけコンパクトにまとまるように押し込み、載せていく。その結果、なんとか二台にまとめることはできたが、代わりに重さが相当なものになった。

 

「……やっぱり、三台にしておく?」

「いえ、これならちょうど一回で運べますから。このままでいいです」

 

永琳の提案を辞退する暁。

彼女もそれに頷く。

 

「そうね。うどんげがいるなら二台で——」

「いやいや、鈴仙に面倒はかけませんよ。俺が運びます」

「「え?」」

 

永琳と鈴仙の声が重なる。

鈴仙に手伝わせると思っていた永琳はもちろん、力仕事は無理と自分で言った鈴仙も、その言葉は予想外だった。

 

「あなたが……って、どうやってよ。この重さを一人で運ぶのはいくらなんでも無茶よ。そもそも二台を同時に押すなんて不可能でしょ」

「できますよ。こう(、 、)すれば」

 

パチン、と指を鳴らす。

同時、暁は蒼炎に包まれる。

既に一度見たその光景に、しかし永琳と鈴仙は度肝を抜かれる。

次の瞬間、彼は怪盗姿になっていた。

傍らには彼のペルソナ、【アルセーヌ】が佇んでいる。

暁——いや、怪盗(ジョーカー)は絶句した彼女達を満足そうに見て、笑いながら言う。

 

 

「ここに、二人(、 、)いるだろう?」

 

 

 

永遠亭で永琳と鈴仙を驚かせた後。

ジョーカーは鈴仙の後について、手押車を押していた。

ペルソナを発動している間、彼の身体能力は常人のそれと比較にならないほど上昇する。その力を活用し、一人で手押車を押していた。

その後ろでは、同じく手押車を押す存在——【アルセーヌ】があった。

 

少しだけ振り向いてその光景を見ながら、鈴仙は何度目かになる疑問がまた浮かび上がってくるのを自覚した。

 

(…………あんな使い方していいのかしら……)

 

本体である暁と、その分身であるペルソナ、とやら。

はたから見たら立派な分担作業だが、実際はどちらも彼自身。内情を知る者にとっては妙な気分にしかならない。ましてや、押している彼の姿がムダにスタイリッシュな怪盗服。

手押車を押す怪盗。シュールすぎる。

 

「なあ鈴仙」

「は、はい? なに?」

 

そんなことを考えている途中に声をかけられ、返事の声がややうわずった。

 

「香霖堂にはあとどれくらいでつく?」

「そ、そうね。あと十分くらいかな」

「ふむ、そうか。それなりに遠いようだな」

「……………………ええ」

 

妙な気分になる理由のもう一つはコレだ。

 

(なんか話し方、っていうか雰囲気とか、変わってない?)

 

掃除の時をきっかけに、砕けた話し方をするようになった暁だが、今の彼はそれともまたどこか違うような気がする。

どこが、と言われると、わからない。

まだそこまで彼のことを知っているわけでもない以上、どうしようもないのだが…………

 

(でもやっぱ、なんか、変)

 

彼女は言いようもない違和感に苛まれながら悶々とし、 香霖堂までの道を歩き続けた。




正月はゴロゴロ炬燵に入りながら執筆してたらムダに筆が進みました。
寝正月万歳。

ペルソナに覚醒すると気分が高揚することによって笑う、というのは意外と知られていないかもしれませんね。
3、4、5と主人公の覚醒シーン見てもらえればわかるので、気になる方は動画か何かでご確認ください。
それと似たような話で、主人公こと暁はペルソナを使い怪盗姿になるとハイテンションになります(公式設定)。
口調も変わり、まさしく別人のようになるため、鈴仙はそこに違和感を感じたわけですね。

プレイ中に「ショ↑ウターイム!」とかいきなり言い出した時は思わず吹きました。


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情熱、思想、理念、頭脳、気品、優雅さ、勤勉さ、そして速さも足りていたけどなにより筋肉が足りなかった

「いらっしゃい。……おや、珍しい。君は確か永遠亭の……鈴仙さん、だったか」

「どうも。買取をお願いしたくて来ました」

「なるほど。わかったよ、品物は……その荷車に積まれたものだね。後ろの彼は?」

 

鈴仙と暁は香霖堂に到着し、中から出迎えた店主、森近 霖之助(もりちかりんのすけ)の応対を受けていた。

 

「彼は、その…………永遠亭で面倒をみることになった人間です。ここに荷物を運ぶのを手伝ってもらいました」

(実際はほとんど全部彼がやったんだけど…………)

 

 

竹林を歩いている間は変身したままだった暁は、人目につく可能性があるため、竹林を抜けて開けた場所に出て以降、変身を解除して手押車を押していた。

これからのことを考えると、無闇にあの姿を晒すのはマイナスでしかないだろう、という考えからだったが……そうなると当然、【アルセーヌ】に押させていた方の手押車が問題となる。

 

その問題は鈴仙が押すことですぐに解決する。力仕事は無理とは言ったものの、彼女もまたこの幻想郷の住人であり、人ならざるものである。道程のほとんどを暁が押し、残っているのはほんの少しの距離。これくらいなら彼女でも押して行くことはできる。

 

結局鈴仙の手を借りることになったことを悔いていた暁に対し、気にすることはないと言いながら、彼女には一つの懸念があった。

そして、その懸念は的中する。

 

 

「服装からして、里の人間ではないね。もしかして、外来人かい? ……なにやらずいぶんと疲れているように見受けられるが……」

「あ、あはは…………」

「……………………」

 

心配そうな霖之助と乾いた笑いを浮かべる鈴仙が揃って見る先。

そこには息も絶え絶え、汗だくで倒れ伏す暁の姿があった。

 

 

ペルソナ能力を解いた彼はそれなりに体を鍛えているだけの男子高校生。

なんだかんだ言っても、平時はただの人間なのだ。一人であの重さを運ぶのは相当な負担だっただろう。

 

暁自身、ペルソナを解除すればそうなることは目に見えていたので、自身の能力を補助する技を使ってからペルソナを解除しようとしたのだが————

ここにきて、『ペルソナを変更できない』という問題が再び鎌首をもたげた。

 

【アルセーヌ】に覚えさせている中に補助の技は無いため、彼はごく自然に他のペルソナに切り替えようとし、直後その事実を思い出す。

 

元来、ペルソナを切り替えるということは不可能だ。一人が持つペルソナは一つだけ。それが原則。

だが彼は少しばかり特別で、そのルールからは逸脱していた。

 

『ワイルド』。

 

複数のペルソナを宿し、切り替えて扱うことができる例外的な存在。

その特性を活かし、彼は様々な難敵を打倒してきたのだが……幻想郷に来てから、その特性は封じられているようだ。

 

彼自身、理由はわからない。……いや、なんとなく見当はついているが、まだそれを確かめることはできない。

 

ともかく、どうしようもなかった彼は仕方なく自分の身一つで手押車を押すことを選択し、そして疲労困憊していたというわけだ。

 

 

「君、大丈夫かい?」

「…………」

 

ゼェゼェと喘ぎながら頷く暁。

どこからどう見ても大丈夫ではない。

 

「……というか、鈴仙さんも君もかなり埃まみれだね。大方、この荷物の山は大掃除でもして出てきた不要品、といったあたりかな?」

「す、鋭いですね。その通りです……待って下さい。埃まみれ? 私も?」

 

ズバズバと見事な推理を披露する霖之助に感嘆しかけた鈴仙だったが、その言葉の中に聞き逃せない指摘があった。

慌てて自分の体を見下ろし、霖之助の言ったことが事実であることを知る。

 

「うわ……本当だ、埃まみれ……最悪…………」

「ちょっと動かないでくれ。払ってあげよう」

 

そう言って懐からハンカチを取り出した霖之助は、しかめ面になった鈴仙の肩に手を置く。そして少し時間をかけて念入りに埃を落とし、一歩下がる。

 

離れた場所から上から下までを一通り見て、頷く。

 

「うん。目に見える範囲ではもうついてないよ」

「ありがとうございます。うう、帰ったらお風呂入ろう……」

 

彼女は霖之助に感謝しながらも、まだ引きずっている。

一人の女性として、全身埃まみれだったというのはやはり許容し難いのだろう。

 

「なんだったらウチの風呂に入っていくかい? たまたまちょっとした事情で、ついさっき沸かしてあるんだけど」

「そ、それは…………! ……いえ、遠慮しておきます」

 

親切心から出た霖之助の言葉に思わず揺らぐが、さすがに自制心を働かせて辞退する。

 

「ふむ、そうかい。なら君はどうだい? 埃まみれの上に汗だくだし、そのままというのも気持ち悪いだろう。僕がこの品物の山を鑑定している間に、汗を流してくるといい」

「あ、ありがとう……ございます……すいません、お借りします…………」

 

暁もなんとか喋ることができるまでには回復した。が、霖之助のその助け船を見過ごすほどの余裕は無い。

ヨロヨロと体を起こす。

 

「埃と汗でなかなか凄いことになってるね。適当な服を見繕っておくから風呂上がりにはそれを着るといい。ほら、上だけでも脱いで」

「何から何まで…………お世話になります……」

 

暁はそれに応じ、今まで着ていたパーカーやシャツを脱ぎ、まとめて霖之助へと渡す。

服を脱いだことによって露わになった暁の上半身は、よく鍛えられておりガッチリと引き締まっていた。

服の上からではわからなかったその肉体美に一瞬目を奪われた鈴仙は我に返り、すぐに視線を逸らす。

 

(ふぅん……あんな風になってるんだ…………)

 

永遠亭を訪れた患者の上半身を見る機会は何度かあったが、こうも鍛えられた異性の体は初めてだ。単純な物珍しさと、普通そうに見える暁が鍛えていたという意外性に興味は抑えきれない。

結果、彼女は男性二人に気づかれないようにしながらチラチラとそちらを伺うという行動を選択した。

 

霖之助は暁を連れて店の奥へと入っていった。

その後いったん霖之助だけが戻ってくるが、店の棚から若干ヨレたジーンズと長袖のシャツを取り、また店の奥へ消える。

少しすると水音が聞こえはじめ、霖之助が帰ってきた。

 

「さて。それじゃ、査定に取り掛かろう。鈴仙さん、ちょっと手伝ってもらえるかな? ……鈴仙さん?」

「へっ? あ、はい! わかりました!」

 

未だ脳裏から消えぬ暁の上半身に、いろいろとボーッと考えこんでいた鈴仙は慌てて荷車からガラクタを下ろしだす。

霖之助は不思議そうに首を傾げたが、特にそこには触れずにその作業に参加した。

 

 

「いやぁ、さすがは月の姫君が暮らす場所だね。なかなかのモノがこうもゴロゴロ出てくるとは。滅多にお目にかかれないような逸品も数点ある。これ全部を死蔵してたのかい?」

「そうですね。物置に入れたまま何年になるかわからない物の方が多いです」

「もったいないなぁ。他にまだ残りはあるかい? あるなら是非とも見てみたいんだけど」

「今日持ってきたのは物置の半分程度なので、同じくらいの量をまた明日にでも持ってきます。明日の都合は大丈夫ですか?」

「問題ないよ。うん、今から楽しみだね」

 

霖之助と鈴仙は雑談を交わしながら彼が査定し終えるまでの時間を過ごす。

やがて霖之助は全ての品を鑑定し、そろばんを取り出して計算をする。

 

「なかなかいい買い物になりそうだね。まとめて買うのと、明日持ってきてくれるものへの期待込みで…………これくらいでどうかな?」

「結構多いですね。それでお願いします」

 

霖之助が提示した金額で鈴仙が快諾し、取引は成立した。

鈴仙は現金を受け取り、金額に間違いはないか一枚ずつ確認しはじめる。

そこに風呂から上がった暁が姿を現した。彼はさっき霖之助が持っていったジーンズとシャツを着ており、手には畳んだ自前のズボンを持っていた。

 

「本当にすいません、お風呂に入れさせてもらった上に、服まで貸していただけるなんて……」

「気にしなくていいさ。君のおかげでこちらもいい買い物ができたからね。それはサービスだ。取っておいてくれ」

「え!? いや、それは申し訳ないですよ。だってこの服も商品でしょう? それなら代金支払いますよ」

「いいからいいから。その代わり、明日またそちらに残っているという品を持ってきて欲しいんだ」

「そんなことでいいならもちろん構いませんよ。……ごめん鈴仙、待たせたか?」

 

霖之助との会話がひと段落し、鈴仙に声をかける。

鈴仙は手の中で数えていた金から、暁に視線を移した。

 

「大丈夫。まさに今終わったとこだから」

「そうか、ならよかった。…………ん、手に持ってるそれは……」

「ああコレ? 見てよ、かなりの額になったわ。あんな埃まみれのガラクタの山でも馬鹿にできないわね……って、何? どうしたの?」

 

彼女はいつの間にか難しい顔をしていた暁に首を傾げる。

 

「やっぱりそれ、お金か」

「は? 何言って…………ああ、そうか。そういうこと」

 

彼の表情の理由を察し、納得する鈴仙。

 

「そうよ。外界と幻想郷では通貨が違うわ」

「そうだったのか……じゃあどのみち、俺は霖之助さんに代金は払えないな……」

 

その会話を聞いていた霖之助は自分の推測が正しかったことを知り、口を開いた。

 

「やはり君は外来人だったか」

「あ、はい、そうです。あんな状態だったんで言い忘れてました………すいません」

 

申し訳なさそうに謝る暁に首を横に振り、気にしていないことを示す。

 

「構わないさ。それより、外のお金自体は持ってるのかい?」

「ええ。 今はありませんが、永遠亭に置いてます」

「なら明日来る時にそちらも持ってくるといい。僕は外の通貨にもそれなりに通じていてね。両替してあげるよ」

「え、本当ですか! それは助かります」

 

暁にとって霖之助の申し出はかなりありがたいものだった。

これから幻想郷で活動していく以上、どうしても金は必要となっていくだろう。今のままでは、それを全て永遠亭に負担させることとなってしまう。

 

それは彼の良識と矜持が許さない。

 

「ではまた明日、よろしくお願いします」

「今日はいろいろとお世話になりました。ありがとうございました」

 

鈴仙と暁は頭を下げ、香霖堂の外に出る。

 

「気をつけて帰るんだよー」

 

店前まで出てきて見送る霖之助に再度礼をして、二人は永遠亭へと帰っていった。

 

 

 

その後永遠亭に到着し、風呂に入る鈴仙と別れた暁はひとまず寝床を作ることにした。

うんざりするほど余っているという布団と毛布、枕を永琳から受け取り、確保した床のスペースに敷いていく。

一分ほどで完成した寝床。

彼は満足げに一人ウンウンと頷き、試しに寝転ぶ。

 

快適。

 

その一言に尽きる。

柔らかく、そして暖かい。

その感触に浸る彼は不意に眠気がのしかかってくるのを感じた。

 

 

最後の決戦に挑む緊張感。ずっと死闘を繰り広げ、巨大なメメントスをひたすら走り続けた疲労。

そして、聖杯に敗北したというショック。仲間を失う恐怖。自分が消える絶望。いきなり幻想郷にきてしまった混乱。そしてまた戦闘。

人と出会えた安心。彼らに境遇を話すとともに蘇る自責の念。見えた一筋の希望。

最後にダメ押しでさらに追加された肉体的な疲労。

 

極限状態に追い込まれ、張り詰めていたものがこの瞬間一気に緩んだ。

そんな彼が眠くなるのは無理もないことで————

 

 

次の瞬間、気絶するように深い眠りへと落ちていった。

 

 

夢すら見ない、深い眠り。

自分の現状すら忘れられる安寧の中で微睡んでいた。

——だが、何かが聞こえる。

 

「……! …………!」

 

遠くから響くような、何か。

その正体を確かめようと、鉛のように重い瞼を必死に持ち上げようとする。

思い通りにならない体を疎ましく感じながら、彼の意識は次第に浮上していき————

 

「——起きてってば! 夕飯できたわよ! 食べないの!?」

「おわっ!?」

 

耳に届いた叫び声で跳ね起きる。

 

目を瞬き、その声の発生源を見る。

鈴仙だった。

 

「まったくもう。何回体を揺らしても呼びかけても全然起きないんだから……お腹減ってるでしょ? 食べないの?」

 

どうやら、自分を呼びに来てくれたらしい。

 

「あ、ああ……いただくよ。わざわざ手間かけさせてごめん」

「やれやれ……早く起きなさい。姫様を待たせることになるでしょ」

「悪い。今、起きる…………」

 

半分眠ったままの意識を無理やり引きずり出し、なんとか体を動かす。

だが一度眠りに入った体は、蓄積された疲労を思い出してしまったようで……

 

「ち、ちょっと! どうしたの!? 大丈夫!?」

 

立ち上がりかけた瞬間、崩れ落ちてしまう。

慌てて駆け寄ってきた鈴仙の手を借り、ふらつきながらまた立ち上がる。

 

「…………ちょっとばかり、疲れてるだけだ。問題無い」

「どこがよ! 足元も覚束ない状態じゃない!」

 

無意味な強がりは一瞬で看破された。

なんとか立つことはできたものの、彼は既に体が不安定に揺れていた。

そのまま廊下の壁に手をつき、ヨロヨロ歩きながら母屋へと向かおうとする。

 

「ああ、もう、そんな状態でどうすんのよ……!」

 

見かねた鈴仙は彼の腕をとり、自分の肩を貸す。

 

「……………………助かる」

「しっかりしなさいよ……まったく、なんで私がこんなことしないといけないのよ……」

 

ブツブツと文句を言いながらも、心配そうに暁の様子を伺う鈴仙。

彼女に支えられながらなんとか母屋につき、そこで待っていた永琳や輝夜に驚かれ、心配される。

彼女達に頭を下げ、用意されていた食事を半ば無理やり詰め込み、また鈴仙の手を借りて離れへと戻る。

 

扉を開き足を踏み入れ、自分の寝床まで進むと同時。

 

倒れこむようにして彼は眠った。

今度は鈴仙もそれを妨げることはせず、毛布をそっとかけてやり、その場を静かに去っていった。




アホみたいなサブタイつけるの楽しくなってきました。
クーガー兄貴は本当にカッコいい。アニメ界三大兄貴はグレンラガンのカミナ、スクライドのクーガー、三人目が空位のままだったはず。あの二人に並ぶのは相当ハードル上がるよなぁ……

無茶苦茶疲れて半端な時間眠っちゃうと、起きた時ものすごい体が重くなるんですが、私だけじゃないと信じたいです。あと全然話進んでなくてすいません……


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ペルソナは切り替えられないけれど

暁が食事を終えて自室へと戻ってからすぐ後。静かに戸を開けて帰ってきた鈴仙に輝夜は尋ねる。

 

「彼は?」

「眠ってます。私が呼びに行った時も寝てましたし……多分、極度の疲労かと」

「それは…………そうでしょうね。平然と幻想郷(こっち)に順応しはじめてるから忘れそうになってたけど、彼が外の世界で戦って、その、負けた……のは今日のことだもの。疲れてて当たり前か」

 

途中で言い淀みながらも暁を気遣う輝夜。

彼女の隣では永琳が口元を引き結んでいた。

 

「…………私の責任です。掃除も彼に任せて、あまつさえ荷運びまでやらせるなんて……彼の事情を考えれば、問答無用で数日休息をとらせて当然なくらいです。だというのに、そんなことにも気がつかなかったなんて………」

「し、仕方ないですよ。私も掃除手伝いとかしましたけど、ずっと平気な顔してましたし。しんどそうな様子なんて、全然……」

 

後悔と罪悪感の苦い味を噛み締める師に慰めを言う鈴仙。

その場しのぎのデタラメというわけでもなく、彼女自身も暁があそこまで消耗していたのにまったく気づいていなかった。

自然体な彼に感覚が麻痺していた。

 

だがその慰めは意味を成さない。

 

「そんなこと関係無いわ。彼の話を聞いた時点で気づいてしかるべきことよ。仮にも薬師を名乗っている者が犯す間違いじゃない……!」

 

これは彼に対する負い目だけでなく、自分のプライドの問題でもあった。

やりきれない様子の永琳。

彼女に言葉をかけられない鈴仙はオロオロとする。

 

「落ち着きなさい」

 

静かに諭す声。

発したのは輝夜だった。

 

「どうするべきだったか、なんて、今さら後悔したところでどうにもならないでしょう。それよりも、これからどうするかを考えなさい」

「…………姫様……」

 

永琳は俯いていた顔を上げる。

 

「彼は疲れてる。そして寝てる。それで? 次にあなたにできることは何?」

「それ、は………………彼を、癒すこと」

「他にはある?」

「謝ります。自分の至らなさを」

「そう。なら、今考えるのは彼を癒すこと。それだけでいいじゃない。疲労回復の薬は?」

「確か、いくつかあったはずです」

「じゃあ彼が起きたらそれを飲ませましょう」

 

ズバズバと切り込んでいく輝夜。

永琳は受け答えをしながら自分の心が少し軽くなるのを感じていた。

 

「自分の知らないところで勝手に落ち込まれてたら暁だって困るでしょ。まずは彼自身について考えなさい」

「…………申し訳ございません」

 

遠回しに、自分本位な考え方だと指摘された彼女は項垂れて、謝罪する。

それを見て困り顔になった輝夜は声を張り上げた。

 

「私にあやまったってどうにもなんないでしょ…………それに、そもそもの話!」

「……なんでしょう?」

「気づかなかったのはあなただけじゃないんだから! 私や、イナバだって気づいてなかったの! あなただけが悪いみたいな空気出すのやめなさいよ! なんか気まずいじゃない!」

 

聞きようによっては逆ギレである。

しかし、その言葉が自分を励ますためだと理解していた永琳は、ほんの少しだけ笑う。

 

「……そうですね。その通りです」

「だから明日一緒に謝るわよ! イナバ、あなたもよ?」

「は、はい。もちろんです」

 

鈴仙はコクコクと頷く。

それを確認した輝夜は大きく息を吐き、立ち上がる。

 

「…………ならこの話はおしまい。私はお風呂に入って寝るわ。あなた達も、早く寝なさいよ」

 

それだけ言い残し、部屋を後にした。

残された二人は顔を見合わせ、苦笑する。

 

「……姫様に御説教されちゃいましたね、師匠」

「…………そうね。私もまだまだ、ってことかしら。あなたはこれからどうするの?」

「もう一度彼の様子を確認してきて、その後寝ます。 何か問題があるようなら師匠に報告します」

「わかった。お願いするわ。私は薬を探しておくから」

「はい。それでは師匠、おやすみなさい」

「ええ、おやすみ。うどんげ」

 

 

こうして、彼の幻想郷での一日目は、預かり知らぬ所で何人かを振り回す結果となったのだった。

 

 

 

ガバッと身を起こす。

朝だ。

感覚的に、ずいぶん寝ていた気がする。

 

暁は目をこすりながら、自分にかかっている布団をずらし、いつものようにベッドから足を下ろそうとし————

 

——ドンッ。

 

と、踵が床に当たる。

 

「いてっ……あれ? …………ああ、そうだった」

 

まだ少し寝ぼけていた頭が覚醒し、自分の置かれている現状を思い出す。

ここはいつもの自室ではない。

 

こわばる体をほぐすように軽い運動をし、彼は何事もなかったかのように立ち上がり、母屋へと向かった。

 

 

「おはようございます。良い天気ですね」

「ええ、そうね。おはよ…………え?」

 

真っ先に出会った輝夜に挨拶をし、そのまま隣を通り過ぎる。

輝夜も自然に返事をし、すれ違——おうとしたところで彼を二度見する。

 

スタスタと歩いていく暁の姿がそこにあった。

 

「ち、ちょっと!」

「はい? どうかしました?」

 

さすがに見過ごせず、焦りながら呼び止める。暁はきょとんとしながら振り返った。

 

「どうって……いや、え? 何? 何なの?」

「…………あの、どうかしちゃいましたか?」

 

予想外すぎる事態に混乱するあまり支離滅裂なことを口にする輝夜に胡乱な目を向けて、若干ニュアンスの違いを漂わせながら彼は尋ねる。

 

「えと、その、えーと……え、立てるの?」

「はい」

 

何を言い出すんだコイツは、とでも言いたげな目になりながら彼は頷く。

 

「歩ける?」

「…………馬鹿にしてます?」

「なんでよ!」

 

昨日言われたことをそのまま返しただけなのだが、何故か猛る輝夜。

 

「あ、あなた、昨日あんだけボロボロの状態だったじゃない!」

「ボロボロって。ああでも、そうですね。昨日は確かに疲れてました。さすがに色々とありすぎましたからね…………」

「そうそう……って、違うわよ! なんでもうそんなピンピンしてるのかって話よ! おかしいでしょ!」

 

しみじみと語る暁に一瞬流されかけた輝夜は我に返り、彼に鋭く指をつきつける。

 

「なんでって。そりゃ、休めば疲れはとれるでしょう。筋肉痛はありますけど、立ったり歩いたりくらいはできますよ」

 

当然のように語る暁に絶句する輝夜。

表面だけ聞けばもっともらしく聞こえるが、実際のところ、常人なら何日寝込んでもおかしくないくらいの疲労のはずだ。

それをコイツは、一晩寝た程度で回復したと言うのか。

 

 

いくらなんでも異常過ぎる。

鍛えているとか、そんな次元の話ではない。よしんば体は鍛えているとしても、精神的なショックがこんな短時間で回復するはずが……いや、彼が持つ能力が何か関係してるのか————

 

 

「それじゃ、失礼します。朝食をいただきたいので」

「………………あっ、ちょ、ちょっと!」

 

考えこんでいた輝夜が気がついた時には既に暁は歩き去っていた。

呆然とした後、頭を抱える輝夜。

 

「き、昨日の心配とか諸々はいったいなんだったのよ…………!」

 

多分、なんでもなかったのだろう。

 

 

「おはよう鈴仙、おはようございます永琳さん」

 

暁は昨日夕食を食べた部屋に入り、中にいた二人に声をかけた。

途端、何事かを話し合っていた彼女らは凍りついたかのように、そのまま固まってしまう。

 

その様子を見ていなかった彼は離れた場所に置いてあった二人分の朝食——おそらく片方は話に聞いた「てゐ」という人のぶん——のうち一つの前に座り、箸を取る。

 

「いただきます」

 

そう言って彼が食事を始めた頃、ようやく停止していた永琳と鈴仙は活動を再開した。

ゆっくりと向き直り、暁の方を見る二人。

 

 

——彼は美味しそうに朝食を摂っている。

 

 

信じがたい光景に瞬きし、再度自分が見ているものが現実か確認する二人。

 

 

——彼はご飯を咀嚼し、味噌汁を啜っている。

 

 

もう一度。今度は目をこする。

 

 

——今度は焼き魚に箸を伸ばしている。

 

 

…………。

……………………。

 

 

つかの間、静寂の中に食器と食器とが当たる音だけが響く。

そのまま誰も発言することなく時が進み。

 

「……ふう。ご馳走様でした」

「「いや、ちょっと待ちなさいよ」」

 

彼は満足げに完食した。

 

 

「え、いや、何? 何なの?」

「あ、そのくだりさっきもうやってきたから。食器は運んどくよ」

「あ、うん。台所はそっち————じゃなくて!!」

「え? 違うのか? じゃあこっち?」

「だから違う! いや、方向は違わないんだけど、『じゃなくて』っていうのは、そういう意味の『じゃなくて』じゃなくて!」

「…………? 鈴仙、疲れてるのか?」

「————ッ!!!!」

 

まっっっったく、噛み合わない。

声にならない苛立ちのあまり、ダンダンと地団駄を踏む鈴仙を暁は心配そうに眺め、いたわるような言葉をかける。

 

「昨日、結局手押車も手伝わせてしまったからな。悪かった。今日は俺一人でなんとか頑張るから、鈴仙はゆっくり休むと良」

「なんで! 私が! 休まないといけないのよ!! 百歩、いや億兆歩譲って! 仮に私が休むなら、アンタもここにいないとダメでしょうが!!」

「なんで、って。どこからどう見ても疲れてるだろ……わかった、少し落ち着け。わかったから。どこにも行かないから。なんだったら、寝つくまで手を握ろうか?」

 

自分の言葉がことごとく空回りし。

あろうことか、まるで自分が寂しくて暁を離したくないかのようなことを、子供をあやすような調子で言われ。

マジマジと生暖かい目で見つめられ。

 

 

 

結果、鈴仙は発狂した。

 

 

 

言葉にならない何かを喚きながら壁を執拗に殴りつける鈴仙からそっと目を逸らす。

彼女はもう手遅れかもしれない……

 

そこに永琳の声が聞こえた。

 

「ね、ねえ…………暁」

「はい、どうかしました?」

 

振り返ると、極めて複雑そうな表情をした永琳がいた。

 

「……元気?」

「…………なんですか、その『親戚との電話で出す当たり障りの無い話題』みたいな質問。……見ての通りですよ。筋肉痛はありますけどね。昨日はご心配をおかけしました」

「いや、その、元気ならいいんだけど……本当に大丈夫? 一応、疲労回復の薬とか用意してたんだけど、必要なら……」

「そうだったんですか。じゃあ、後で貰っておきます。ありがとうございます」

 

頭を下げる暁。

 

「い、いや、頭を上げてちょうだい。むしろ私が頭を下げて謝らないといけないのに」

「はい? 謝る? 何にです?」

「何に、って。昨日あなた、疲れすぎて倒れちゃったでしょう。それなのに私はそんなことにも気づけずにあなたを働かせるなんてことを」

「ああ、そんなことでしたか」

 

あっけからんと言う彼に目尻を吊り上げる。

 

「そんなこと、で済むような話ではないわよ! 医療に関わる者としてあるまじき失態よ! 何事もなかったから良かったものの、万が一にも何かあれば……」

 

軽い気持ちで発言したことに対し、かなりの剣幕で怒られる。彼としては本気で些細なことだと思っていた以上、永琳の反応には少々狼狽させられた。

 

「えっ、と…………すいません。まさかそこまで心配させていたとは、思ってもみませんでした。だけど本当に気にしてませんから。疲れることにはもう慣れっこなので。休めば治りますし、今まではもっと楽でしたし」

 

 

以前はペルソナを使って自分で回復もできたし、現実世界でもマッサージを受けられた。

だが幻想郷にいる現在、その両方ともが使えない。そのことを考慮せずに普段通りに行動しようとした自分のミスだ。

彼女が気に病むことではない。

 

 

「俺の自己管理がなってなかったのが根本的な原因ですし、永琳が謝る必要なんてないですよ。……ただ、心配をおかけしたのは本当に悪かったです。今後同じことは起こらないようにするので…………」

 

永琳はやや焦りだしながら謝る彼に一周回って呆れてしまう。

気が緩み、小さな笑いが溢れる。

 

「まったく……あれこれ考えて悩んでたのが、馬鹿馬鹿しくなってきたじゃない。…………やれやれ、なんなら私まで疲れた気分よ」

 

ため息をつく。

 

「……わかった。これからはあなたも自分の調子を鑑みて行動する。私もあなたのサポートをちゃんとする。落とし所はこれぐらいでいい? いつまでも謝りあってても仕方ないし」

「はい、そうですね。それで大丈夫です」

「ならこれで終わり。後で薬持って行くわ。…………それと」

 

彼女はいったん目を閉じ、開くと同時にあの悪戯っぽい笑みを浮かべた。

警戒するように後ずさりする暁に指を一本伸ばし、からかうように言う。

 

「どさくさに紛れて、永琳(、 、)って呼んだでしょ」

「えっ」

 

呼吸が一瞬止まる。

少し前の自分の発言を必死に思い返し——

 

 

『——永琳が謝る必要なんてないですよ』

 

 

ザッと血の気が引く思いをする。

 

「す、すいません! いや、その、慌てるあまりついうっかりというか、間違えた というか、とにかくわざとじゃなくて」

「いいわよ、別に」

「だから、とにかく、すいません……へ?」

 

何度も頭を下げながら必死に弁解しようとする暁だが、途中でかけられた言葉に

思わず顔を上げる。

 

「だから、永琳でいいと言ってるの。私も下の名前で呼んでるし。それに、いつのまにやら鈴仙とは互いに呼び捨てになってるじゃない」

「あれは、そういうアレではなくて、単純に…………」

「とにかく」

 

なおも続く言い訳を遮り、強い口調で念押しする。

 

「永琳でいいから。いえ、永琳と呼びなさい。わかったわね」

「え、えっと……」

「わ、か、っ、た?」

「はい、わかりました…………永、琳」

 

抵抗しようと試みるが、妙な迫力のある永琳の笑顔に気圧され、潔く諦める。

それでもやはり言いにくそうにする彼に追撃がはいる。

 

「敬語も外しなさ」

「さすがにそれは、それだけは勘弁してください……永琳さ、じゃなくて永琳」

 

本気で懇願する暁。

なんとも間抜けな姿にクスクスと笑う永琳は、そこで手打ちにしてやることにした。

 

「仕方ないわね……とりあえず『今は』、敬語でもいいわ」

「ありがとうございます……」

 

力無くぐったりとする暁。

昨晩あれだけ振り回されたのだ。これくらいの意趣返しはしても許されるだろう。

 

「それじゃ、また後で」

「はい…………」

 

心なしか煤けて見える背を向けて、暁は離れへと戻っていく。

それを笑いながら見つめていた永琳も、やがて踵を返して薬の置き場へ向かう。

 

 

 

————そして、壁を殴り続ける鈴仙だけがその場に残された。




メンタルリセットォ!(GACKT様並感

ムダにシリアスになりそうだったので途中からギャグに逃げました。仕方ないね、ギスりたくないからね。そのせいで今回は「屋根裏のゴミ」の名に恥じない主人公()状態。
心の仮面を切り替えるワイルド能力持ちは、きっとメンタルの切り替えも速いということで。

今回の鈴仙はポプテ◯ピックの「オ゛ア゛ア゛ァ゛ァ゛ァ゛ッ!」のイメージで。どんな状態かわからない人は検索頼むぜ。
あの先生の漫画本当面白い。センス尖りすぎだろ。


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MMMM+MMMM=MMMMMMMM

昨晩、なんとなくランキングを眺めて新しく読むものを探していたらこの作品がのっていて目を疑いました。
どうすればいいかわからなくて若干挙動不審になりながら、とりあえずスクショ撮りました。
まさか自分の書いたものがランキングにのる日が来るとは夢にも思いませんでした。これも読んで下さる皆さんのおかげです。本当に感謝しかないです。

お気に入りも一気に増えて読んでくれる人も多くなったし、いやもうほんとありがとうございます。
お気に入りついでに9点評価とかしちゃったりしてくれちゃったりしても良いんですよ? 良いんですよ??


永琳に翻弄されるあまり、自分が食器を持ったままだったことを失念していた暁。

気づくと同時に引き返し、台所を探しに向かう。

 

鈴仙があれこれ言いだす前に指していた方の扉を開くと、台所はあっさり見つかった。流しに食器を置き、再び自分の部屋へと戻っていく。

 

途中、鈴仙を見かける。

正気はまだ取り戻せていないらしい。

両手を合わせて彼女に平穏が訪れることを祈り、その場を離れた。

 

 

離れについた。

彼は腕まくりをし、残りのガラクタを引っ張りだす作業に入った。

しばらくは彼がガラクタを動かす物音だけが響く。やがてそこに近づいてくる足音が加わる。

 

「……本当に平気そうね。この薬もいらなかったかしら」

 

永琳だった。

彼女は言っていたとおり、疲労回復の薬と、水を入れた湯呑みを手に持っていた。

 

「あ、永琳さ……永琳。薬を持ってきてくれましたか。ありがとうございます。今飲んでも大丈夫ですか?」

「ええ。即効性は無いけど、少なくとも効き目は保証するわ」

「そうですか。じゃあ、いただきますね」

 

ガラクタを下ろして彼女に近寄る。

差し出された湯呑みを持ち、受け取った薬を口に入れて水で流し込む。

 

「…………ふう。これでよし、と」

「……ホント、必要無さそうだったけどね。無駄足だったかしら」

「いえ、決してそんなことは……!」

「まあ? 私の心配なんて? 『そんなこと』だったらしいし? 別に構わないんだけどね?」

「えと、あー…………その……あっ」

 

半笑いでチクチクと刺さるような嫌味を暁にぶつけていく永琳。

たじたじになる彼は思わず視線を逸らし、視界に入った自分のバッグに目を止める。

 

そういえば昨日、霖之助に両替の申し出を受けていた。

背後の永琳から逃げるようにして、バッグのもとに近づく。

ファスナーを開けて中を確認する。

 

「…………よし」

 

中身は外界で持ち歩いていた時そのままの状態だった。霖之助には現金はある、と言ったものの、よくよく考えてみれば、幻想郷に来て以来一度もちゃんと中身を確認していなかった。

眼鏡を取り出した時も中を覗いたわけではなく、外側についたポケットから取り出していた。

 

だが、とにかく中身は揃っている。

もちろん、現金も。

 

「……ちょっと。私を無視して何やってるの」

 

背後からかけられた声に背筋が伸びる。

 

「…………すいません、その、昨日香霖堂に行った時に外の通貨を両替してもらえるという話になりまして。ちゃんと現金も入ったままか確認を、と…………」

「……ふうん。で? あったの?」

「はい。所持金全額入ってると思います」

 

予想していた彼女を無視していた咎め立ては無く、内心胸を撫で下ろしながら答える。

 

「そう。良かったわね」

「は、はい。これで永遠亭(ココ)のお金に頼りきり、なんて事態は避けられます」

「……そんなこと考えてたの?」

 

永琳はちょっと驚いたような表情になる。

 

「ここにはお金なんて基本うなるほど有り余ってるし、あなた一人養うことなんて造作も無いことよ? なんなら一生いたところで何の痛痒ももたらさないわ」

「それじゃヒモじゃないですか……」

 

ゲンナリと嫌そうな顔になる暁。

彼のその態度に思わず笑う永琳。

 

「あははっ、ずいぶん殊勝な心構えね。あなたのそういうところ、素晴らしいと思うわ」

「褒めてもお金くらいしか返しませんよ」

「あら、なかなか言うじゃない。座布団差し上げましょうか?」

「布団をいただいてますから結構です」

 

軽口を叩き合う。

 

 

永琳は新鮮な感覚を味わっていた。

輝夜や鈴仙をからかうことや、イタズラをしたてゐにお仕置きをすることは前までもちょくちょくあったが、こんな風に冗談を言いあうなんてことは無かった。

こんなのは何年ぶりか——いや、ひょっとしたら永すぎる生涯の中でも初めてかもしれない。

 

 

そんなことを思いながら、彼女は心底楽しそうに笑っていた。

 

 

しばらく軽口の応酬を続けたあと、満足そうな表情をした永琳は息をつく。

 

「——それじゃ、そろそろ行くわ」

「はい。薬、ありがとうございました」

「いいのよ。昨日と同じように手押車でいいのよね? 鈴仙に持ってこさせるから」

「大丈夫です。よろしくお願いします」

 

そう言って暁が一礼すると永琳は去っていった。

 

「……さて。それまでにこっちも片付けておくとしようか」

 

暁もガラクタを運び出す作業を再開する。

昨日とは違い、埃の対処が必要ないのでスピードは段違いだった。

 

 

数分後、彼は全てのガラクタを運び出し、汗を拭っていた。

ちようどそこにガタガタと音を立てながら、鈴仙が手押車を持ってくる。

 

手押車を脇に置いた彼女は怒りと恨みが混じる視線を暁に送り、口を開いた。

 

「アンタのせいで師匠に拳骨喰らったじゃない! どうしてくれるの、このタンコブ!」

 

いきなり文句が飛び出てくる。

ズンズンと近づいてくる鈴仙の迫力に思わず後ずさりしかけるが、腕を捕まれて逃げられない。

そしてその握る力が強い。かなり強い。痛い。

 

「痛、痛いって、何だ、どうした——」

「どうしたもこうしたもないわよ! ほら、見なさいよコレ!」

 

と、そこで頭を下げ、頭頂部を暁に見せつける鈴仙。

 

目を瞬かせながらそれを見る暁。

 

 

頭頂部からピョコンと生える、彼女の耳。

二つある耳のその間、およそ中央に。

タンコブがあった。それも、立派な大きさを誇るタンコブが。

 

 

暁がそれを確認すると鈴仙は頭を上げ、ガクガクと彼の体を揺さぶりはじめる。

 

「ほら見た!? 見たでしょ!? 私がアンタのせいでおかしくなってるから、って、いきなり一撃よ! 師匠の拳骨は痛いんだからね!? すっごい痛いんだからね!?」

「わ、わかった。それはよくわかった。ごめん、ごめんって」

 

語る途中でその衝撃を思い出したのか、タンコブが痛み出したのか、はたまたその両方か。

涙目になりながら怒りをぶつけてくる鈴仙に対して何も言えず、暁はただ謝罪するしかなかった。

 

「うう……痛い、痛いよぉ……壁を殴ってたからその罰だ、なんて言って薬も貰えないし……」

 

タンコブをさすりながらしゃがみこむ鈴仙に、さすがに罪悪感を覚える。

何か償いはできないかと思案し——

 

「…………そうだ」

 

ガサゴソと自分のバッグを漁りはじめた暁。しばらく目当てのものを探すが見つからず、代わりになるものを探しはじめた。今度は少し手間取っただけで、何やらタオルとハンカチ、それにスプレー缶を取り出す。

そのハンカチを折り畳み、スプレーをハンカチに噴射する。すると、みるみるうちにハンカチが白くなっていき、固まっていく。

ある程度噴射し続けた後そのスプレーをバッグに戻し、ハンカチをタオルで包む。

 

そしてそれをしゃがむ鈴仙の頭にそっと置いた。

 

「ひゃっ!? な、なに!? つ、つめたっ……あれ?」

 

驚いた鈴仙がこけそうになるのを慌てて支え、タオルが動かないように片手で優しく押さえる。

鈴仙は暁の顔をポカンと見上げ、そのまま自分の頭の上に視線を向ける。

 

「……氷?」

「正確には凍結させたハンカチだけどな」

 

彼がしているのは打撲の手当て、アイシングである。

氷を入れた袋や冷却スプレーなどで患部を冷やすのが一般的だが、彼が持っているスプレーは()()威力が強すぎるため、直接冷やすのにはむかない。

そこでハンカチを凍結させ、タオルで包むことで間接的に冷やすことにしたのだ。

 

「…………気持ちいい」

「それは良かった」

 

目を閉じてその冷たさを味わう鈴仙。

暁はなんとなくその様子に喉をくすぐった時の猫——モルガナの様子を思い出し、和む。

 

しばらくその状態が続き……

 

やがてハッと我に返った鈴仙が立ち上がる。

自分がこの腹立たしい男に気を許してリラックスしていたという事実に顔が紅潮しかける。

暁の方は若干名残惜しそうな顔をする。モルガナを可愛がっているような気分に浸っていただけなので、鈴仙が離れてしまったことを純粋に残念に思う。

 

「こ、これは……その、感謝するわ。ありがと」

「いや、せめてもの償いだよ。冷やしなおす必要がでてきたらまた言ってくれ」

「わ、わかった。そうする」

 

何か文句を言ってやろうと口ごもった鈴仙だったが、ここは下手に墓穴を掘るより流した方が良いと判断し、簡潔に感謝だけを述べる。

残念がっていた暁も、あっさり気持ちを切り替えて彼女に言葉を返す。

 

 

「それじゃあ、俺はこれから香霖堂に行ってくるよ」

 

そう言って踵を返し、手押車をガラクタの山へ運んでいく暁。

その背中に慌てて声をかける鈴仙。

 

「ちょっと! あなた一人で行くつもり!?」

「え? ……まあ、そうなるだろ? 永琳さ…………は仕事があるだろうし、まさか輝夜さんにやらせるわけにいかないし」

 

不思議そうな顔で返答する途中、永琳の名前にさん付けしようとして口ごもる。が、鈴仙の前で呼び捨てにすることに躊躇する。結局、そこはうやむやで誤魔化して、彼は鈴仙を見る。

 

「違うわよ! 私がいるでしょ!」

「え、また手伝ってくれるのか?」

「うぐっ……そ、それは」

 

反射的に口にした言葉に切り返され、言葉に詰まった鈴仙。

彼女は悩む。

 

 

あれだけのことをされてまたコイツを助けるというのも腹が立つが、かといってコイツをこのまま放っておいていいものか。

昨日通った道を一人で迷わずに行けるかもわからないし、迷われたとしたら探すのも大変だ。

それに、無事に竹林を抜けたところでまた生身の状態で手押車を運ぶ必要がある。しかも自分がいないとなるとその負担は倍増する。

かといってやはり、素直に手伝ってやると言うのも————

 

 

「……あ、あんたがいないと、コレが溶けた時、新しく冷やせないでしょ!」

 

あれこれ考えた結果、自分の中で「タンコブを冷やすためだ」と折り合いをつけ、鈴仙は暁にそう言った。

 

「……確かにそうだな」

「だから、しょうがないでしょ。まったく…………」

「悪いな。……けど正直ありがたい」

 

盲点だったとばかりに頷く暁に言い訳がましく「しょうがなく手伝う」ことを強調する。

目を合わせない鈴仙にすまなさそうにしながらも、暁は少しホッとしたように肩を下ろした。

 

 

「…………じゃあ、ちょっと待っててくれ」

「…………ん」

 

少しの沈黙を挟み、彼は怪盗姿に変身する。鈴仙もそっけなく頷き、近くの縁側に座る。

 

 

ジョーカーが【アルセーヌ】の手を借りながら手押車にガラクタを全部載せ、その上に彼のバッグを置いたのを見てとった鈴仙は立ち上がる。

 

「終わった?」

「そうだな……ああ、大丈夫だ」

「じゃ、行きましょ」

 

スタスタと歩きだした鈴仙についていく。

 

 

昨日と変わり映えのない、まったく同じ光景を見ながら黙々と手押車を押し続ける。

鈴仙もそんな彼を時たま振り返り、速すぎると判断すると歩く速度を緩める。

 

適切な距離感を保ちながら、何事もなく二人は香霖堂に到着した。

 

 

「やあ、いらっしゃい。待ってたよ」

「おはようございます。ちゃんと持ってきましたよ」

 

挨拶を交わす鈴仙と霖之助。

その隣で暁は昨日と同様に呼吸が荒くなっていた。ただ、昨日とは違って倒れるまではいかず、両膝に手をやって肩で息をしている状態だ。

 

「君もご苦労様。大丈夫かい? 昨日ほど酷くはないようだけど」

「はい……大丈夫、です……」

 

返事もできる程度には余裕があった。

 

「昨日預かっていた君の服、洗っておいたから。そこに置いてあるよ」

「何から何まで……すいません……」

「気にしないでくれ。自分の服を洗うついでだ。手間と呼べるものですらない」

 

霖之助に礼を言って、ヨロヨロと畳まれた服に近づき、バッグにしまう。

 

「じゃあ始めようか。鈴仙さん、今日も頼むよ」

「ええ、わかりました」

 

二人でガラクタを手押車から下ろす。

暁も手伝おうとするが、さすがに今のままだと役に立てないことはわかっていたので、おとなしく座って休んでいた。

 

 

「——よし、これで終わりだね」

「お疲れ様です」

「いやいや、こちらとしても半ば道楽だからね。楽しんでやらせてもらってるよ」

 

査定を終えた霖之助がそろばんを取り出し、パチパチと弾きだす。

 

「今日のぶんは昨日よりちょっと少なかったけど、珍しいものが多かったからね……これくらいかな」

「はい。構いませんよ」

 

提示されたのは昨日とほぼ同額だった。鈴仙は深く考えずに首肯する。

彼女も、そして永遠亭にいる永琳や輝夜も金銭にはさして興味はない。既に充分すぎるほどに持っているからだ。

永遠亭の薬もほぼ無料だったり、破格の安さで売っている。一種の慈善事業である。

 

「取引成立だね。……はい、確認してくれ」

「ありがとうございます」

 

これも昨日と同じように、渡された現金を一応確認する鈴仙。

霖之助はそれを見届けるより先に、暁の方へ振り向く。

 

「さて、それじゃあ次は君の番だね」

「あ、そうですね。お願いします」

 

しばらく休んだことによって回復した暁もその言葉に応じ、バッグをゴソゴソと漁りだす。

 

「えっと……あった。まずコレと……コレ。そんでコレとコレも」

「…………」

「あ、こっちにもあった。コレと、コレと……この()()を合わせて全部ですね」

「……………………」

「…………あの、どうかしました?」

「…………………………………………」

「…………」

 

空気が沈黙に包まれる。

離れた場所で金勘定をしていた鈴仙もその空気に顔を上げ、不思議そうな表情で霖之助の後ろ姿を見やる。

彼の背中ごしに見える暁も疑問符が浮かんだような顔をして霖之助を見上げていた。

 

「…………これ全部、君の所持金かい?」

「……? はい、これで全部です」

「いや、そうでなくて……」

 

酷く困惑したような霖之助の声にますます興味をそそられ、鈴仙は彼らのもとに近寄っていく。

 

 

そして、霖之助が見ていたものを理解し、絶句する。

 

 

「…………あの、私は外の通貨に詳しくないですけど」

「…………そうだね。君の考えはおよそ正しいと思うよ」

(…………二人とも、どうしたんだ……?)

 

霖之助と鈴仙のやりとりを首を傾げながら聞く暁。

その彼の手元には、たった今バッグから取り出した彼の現時点での全財産が置かれていた。

 

 

()()()()()

 

そう———()()()()

 

それが、彼の所持金だった。




I have much money, I have much money.
Uh! Much money much money!

……文法的にはおかしいけどmuch(マッチ)many(メニー)にしたら Many(メニー) money(マニー) many(メニー) money(マニー)で語呂よくなるんじゃね? つか頭文字全部Mだな!
————とかくっっっだらないことを思いついた結果が今回のサブタイとなりました、はい。……謝りません。

前書きにも書きましたが、この作品の読者が増えてます。マジでありがたいです。ところで、この作品を書くきっかけとなった動画シリーズの紹介をまだしてないという致命的なミスを思い出しました。せっかく読者も増え、多くの人に知ってもらうチャンスなので今回はそれを書くことにします。

名前をそのまま出していいかわからないので間接的な布教となりますが、ニコニコ動画のタグ「P4幻」で検索していただいて一番にヒットする動画シリーズです。言うまでもないことですが、どうか一話から視聴して下さい。
完成度も高く、非常に面白いので是非一度ご覧になって下さい。なんなら面白すぎて拙作の存在を忘れるくらいかもしれません。最悪それでも構いませんので、是非!


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新たなる共犯者

特殊タグの使い方を学んだので実験的な意味合いも込めた一話。どうだろう、今後も使えるかな……


「…………つまり、この金は……その、シャドウ? とやらから巻き上げた金なんだね?」

「はい、そうです…………」

「なんだ、それならそうと最初から言いなさいよ。てっきり何かに手を染めて得たお金かと……」

「一応、既に話をしてた鈴仙は俺のことを信じてくれても良かったと思うんだけどな…………」

「あなたの事情は聞いたけど、こんなにお金持ってるなんて聞いてないわよ!」

「それは……そうですね…………」

 

 

正座であらいざらい白状させられる暁。それなりに疲れた様子だ。

先ほど彼が出した金を見た二人はしばらく固まって、その後暁を問い詰めた。具体的にはその金の出どころを。

外の金に詳しくない鈴仙も、その紙幣の量は尋常ではないことくらいわかる。

 

さすがに自分の素性を話していいものか逡巡した彼は鈴仙に助けを求めようとしたのだが、肝心の彼女からも疑念に満ちた視線を向けられていたため、断念。

諦めて、永遠亭で語ったことをそのまま霖之助にも話す。そして金はシャドウから手にしたということもなんとか説明する。

 

暁が話し終わると、納得したようでどことなく安堵したような表情になる鈴仙と違い、霖之助は眉間に皺を寄せて考えこむ。

簡単に信じられるような話ではない。彼の反応は至極当然だろう。

 

「…………ふむ……」

「(なあ、鈴仙。やっぱ霖之助さんに話したのってマズかったんじゃないか)」

「(し、知らないわよ! そもそもの原因も、話したのも暁じゃない!)」

「(だからそこのフォロー入れてくれって!)」

「(いきなりあんな光景見てそんなとこまで気が回ると思ってるなら私を買い被りすぎよ!)」

 

己の思考に埋没する霖之助から離れたところでヒソヒソと小声で言い合いをする二人。もはや完全に打ち解けている。

 

「(どうするのよ。師匠に怒られるかもよ? ……まあ私には関係ないけど)」

「(おいおい、そんな冷たいこと言うなよ。怒られる時は一緒だろ? 逃げようとしたら鈴仙に全責任なすりつけるぞ)」

「(なんでよ! 嫌よ! あなたの失敗に巻き込まれるなんてごめんよ!)」

「(そう言うなって。友達じゃないか)」

「(な…………は、はぁ!? ち、違うわよ!! )」

 

必死に否定する鈴仙に絡む暁。真顔である。が、内心面白がっている。

そして、友達ではないと言われたことに悲しげな表情をする。もちろん演技だが、それを持ち前の器用さでまったく悟らせない。

 

「……そうか、そうだよな。つい勝手に友達感覚になってたんだ。馴れ馴れしくして悪かった」

「え、えっ?」

 

鈴仙は暁のテンションの落差につい素の声を出してしまう。

 

「いや、本当に悪かった。鈴仙……いや、鈴仙()()は俺に気をつかってくれてただけだよな。これからはもう無いようにするから——」

「ちょっ、待って、ねえ、暁」

「はは、そんな気をつかわなくても……無理して名前で呼ぶんじゃなくて苗字でいい()()()()

「待って、お願い、あの、違うの」

 

悲しげな表情のまま力無く笑う暁に次第に焦りだす鈴仙。出会った当初と同じように敬語口調になる彼に酷く距離を感じる。

 

今のはその、言葉の綾というか、勢いで……本心じゃなくて、だから……

 

もごもごと言葉を転がし、あたふたしはじめる彼女。視線があちこちに泳いでいる。

 

——そろそろこの演技もいいだろう。これ以上困らせるのはやり過ぎだ。

 

そう判断し、口を開こうとする暁。しかしそれより先に鈴仙が彼を見据えてこう言った。

 

 

「と……友達だから…………

 

 

恥ずかしそうにしながらも、はっきりとそう言い切る。

途中から恥ずかしくなったのか、極端に声量が落ちたが、肝心な部分はむしろ大きな声で吐き出していた。

 

彼女の言葉に思わず息を止める暁。

 

 

短い付き合いながら、彼女の言葉が本心ではなくて反射的な照れ隠しだとは思っていた。とはいえそれを確認する手段などなく、実際に友達とも思われていないかもしれないことも承知していた。

それでも仕方ないと思っていたし、それで傷つくほどヤワでもなかった。

 

だが、そう考えながらも、どこかに一抹の寂しさを抱えていたのは否定できなかった。

仲間達も、自分を助けてくれた数少ない協力者達もいない中で、心を許せる相手である鈴仙。そんな彼女に、自分の存在が何とも思われていないと考えるのは、心のどこかが小さく痛む気がした。

 

だからこそ、はっきりと口にしてくれた彼女の行動は予想外だったし、何よりも嬉しかった。

 

 

暁は思わず声を上げて笑ってしまう。

それを見た鈴仙は硬直し、次の瞬間、顔を真っ赤に染め上げて彼の胸ぐらを掴む。

 

「なっ、あっ……この、あんたっ、何笑って…………!」

「ごめっ…………ははっ、いや、違うんだ。鈴仙の言葉に笑ったんじゃ……くくっ」

「こ、このっ……! 私がどんな思いで、あ、あ、あんなことを言ったと……!」

 

笑いを堪えようとする暁と恥辱に打ち震える鈴仙。

彼女はからかわれたのだと思い怒り心頭になるが、むしろ今の彼の笑いは彼自身に向けられたものである。

 

彼女をからかうつもりでやったことが、むしろ最後の一言でひっくり返された。ましてや、自分はその言葉に安堵を覚えてしまった。完全に一本取られた形だろう。

 

そう考えて、暁は自分の間抜けさにまた笑ってしまう。

しかしそんなことを考えているとは知らない鈴仙は、彼が自分のことをからかい、そして笑っていると思い、ますます顔を紅潮させる。

実際、からかわれていたのでその認識はあながち間違いでもない。

 

「うう……! ううぅ…………!」

「ごめ、ごめんって……ぐっ、(ぐる)じい……くくっ…………」

「————ッ!!!!」

 

絞めあげられ、苦しそうに鈴仙の腕をタップする暁。

だがその途中にまた笑ってしまい、それがますます鈴仙の逆鱗に触れてしまう。

 

そうして二人がグダグダなやりとりをしているところに、ずっと考えこんでいた霖之助が振り向く。

 

「にわかには信じられない話だけど、おおよそのことはわかっ…………何してるんだい?」

 

途中から暁と鈴仙は小声にすることもすっかり忘れていたが、思案にふけっていた霖之助は聞こえていなかったらしい。

初めて気づいた二人の様子に呆気にとられる。

 

だが当人達は霖之助の声も聞こえていない。

 

しばらくその光景をポカンとして見守っていた霖之助だったが、だんだんと暁の顔から血の気が引いてきたのを見てとり、慌てて仲裁に入ることとなった。

 

 

「フーッ……フーッ…………」

「ゲホッ、ゲホッ……か、かなりヤバいところまでいった…………」

「大丈夫かい? というかその前に、人が考え事してる間に何を始めてるんだ君達は……」

 

興奮冷めやらぬまま暁を睨む鈴仙、そちらを見る余裕も無く咳き込む暁、二人を呆れ顔で眺める霖之助。

それぞれがいったん落ち着けるように適当な場所に腰を下ろし、改めて話を再開する。

 

「ええと、話を始めてもいいかい?」

「……ゲホッ、はい、大丈夫、です」

 

暁に確認をとり、咳き込みながらではあるが了承される。

 

「れ、鈴仙さん」

「…………」

 

おっかなびっくり鈴仙にも声をかける。

彼女は一瞬霖之助に視線をやるが、すぐにまた暁を睨む。

 

「…………は、話を始めてもいいかい?」

「……………………」

「そ、そうかい」

 

黙ったまま、頷く。

それ以上彼女に声をかけることはできず、一応了承をとった霖之助はそっと視線を逸らして暁を見る。

 

「それじゃ、来栖君……だったか。君の話だけど」

「暁で、いいです……ケホッ」

「そうかい。じゃあ、暁。君の話は正直信じ難い。……だが、おそらく全て事実なんだろうね」

「…………はい」

「一応の確認として、何か根拠は出せるかい? 君の話が事実であることの」

 

ようやく咳も収まってきた暁は霖之助の言葉に頷き、変身する。

それはまさしく話に聞いた通りの姿であり、確固たる証拠を目にした霖之助は抱いていた疑いを完全に捨てた。

 

「……そうか。ありがとう」

「いえ、当然のことです。この程度で信じてもらえるなら」

 

神妙な顔つきで頭を下げる暁。

 

「…………結論から言おう。僕は君に協力する」

「ほ、本当ですか?」

「今の話を聞く限り、君のしなければならないことは並大抵のことじゃない。協力者は多い方が良いだろう」

 

聞き返した暁に霖之助は頷き、そう言う。

 

「ただ、なんでも無条件に手助けできるというわけでもない。そこはわかっておいて欲しい」

「もちろんです。ありがとうございます、助かります」

「いやいや、僕も他人事じゃないからね。幻想郷どころか、世界の危機だなんて聞いて、それをむざむざと放っておけるほど僕は達観できていないだけさ」

 

そう言いながら霖之助は首を横に振る。

 

「あと、両替の件なんだけど」

「はい」

「あれだけの額を換金するというのは正直に言って、無理だ」

「そ、そうですか……」

 

苦笑いしながらはっきりと断じられ、暁も同じ表情になる。

 

「僕の持つ資産としては出せなくはない。だけど、現金としては持ち合わせがそんなに無いんだ。昨日と今日とで、買取をしたばかりでもあるしね」

「あ、なるほど。ごもっともですね」

 

指摘を受けた暁は納得する。

 

「そもそもこちらでは物価が安いからね。あれだけの額があればこの世界で死ぬまで遊んで暮らせると思うよ。……まあ、外のように遊ぶような娯楽は無いんだけどね」

「…………そうなんですか」

「だから全額換金する必要はない。僕ができる範囲で、こちらのお金に替えてあげよう」

「わかりました。それで頼みます」

 

譲歩を受ける形で承諾する。

 

「ひとまず、こんなところかな。暁、君の方からは何かあるかい?」

「えっと、そうですね。あ、服をいくつか売ってもらいたいです。今のままだと替えが無いので」

「お安い御用さ。他にはあるかい?」

「ええと……」

 

そこで鈴仙をチラリと見る暁。

ギラギラと輝く眼光と正面から視線がかちあう。しかしそこには頓着せず、暁は霖之助に視線を戻す。

 

「一応、頼もうかと思ってたことはあったんですが、大丈夫そうです」

「へえ、何だったのかちょっと気になるね」

「ははは、まあ、ちょっとしたことですよ。それより、服を見せてもらってもいいですか?」

 

話を逸らして誤魔化す暁。

霖之助もそれには気づいたが、あえてそれに付き合い、聞かないままにすることにした。

 

「……わかった。なら僕はその間に君のお金を替えておくよ。ひとまず生活に困らない程度の金額にはなると思う」

「では、少し失礼します」

 

霖之助に会釈をして売り物の棚へと歩いていく暁。

霖之助は彼が置いたままの札束のうち一つをとり、その半分を抜き取る。

 

土間から座敷に上がり、引き出しから貨幣を取り出して数え、きっちり確認すると、代わりに暁の金をそこに入れる。

 

ムスッとして不機嫌そうな鈴仙の前を通り過ぎ、棚で服を物色している暁のもとに歩み寄る。

 

「はい、これ」

「あ、もう替えてくれたんですね。俺も一通り目星はつけました」

「そうかい。どれを買うつもりだい?」

「ええと……」

 

と、暁は見繕っていた服をいくつか手に取り、霖之助に渡していく。

霖之助はそれらを合わせた値段を勘定し、手に持っていた金のうちいくらかを差し引いて服とともに暁に渡す。

 

暁は服を受け取りバッグに入れて、受け取った金をマジマジと見つめる。

 

「これが幻想郷の通貨ですか。紙幣ではなくて硬貨なんですね」

「そうだね。説明はいるかい?」

「いや、なんとなくわかります。後は使っていくうちに覚えます」

「ならいいか。じゃあ今日はこのくらいで……」

「あ、待って下さい」

 

と、座敷に戻ろうとする霖之助の袖を掴む暁。

何事かと振り返る彼の手をとり、受け取ったばかりの金のうち四分の一ほどを握らせる。

 

「両替の手数料です。ありがとうございました」

「え? いや、手数料をとるつもりはないし、そうだとしてもこれは貰いすぎだよ」

「良いんですよ、これから協力してもらう相手なんですから、これくらいはさせて下さい」

「いや、しかしだね……」

 

渋る霖之助の手に強引に金を握らせて、暁はバッグを持って踵を返す。

 

「それでは、今日はお暇します」

「え、あぁ、うん……」

「鈴仙、行こう。それでは霖之助さん、また今度」

 

スタスタと出ていく彼に反応が遅れ、気の抜けた返事をする霖之助。

未だに不機嫌そうだった鈴仙は置いていかれそうになり、慌てて立ち上がる。

 

「ま、待ちなさいよ! あ、霖之助さん、お邪魔しました……ちょっと、暁!」

 

暁に怒りながらも霖之助に対する礼は欠かさず、きちんとしたお辞儀をしてから店を飛び出していく。

 

ポカンとしながらそれをただ見ていた霖之助だったが、やがて苦笑する。

嵐のように去っていった二人を見送ろうかと思ったが、なんとなくやめる。

彼らの行く末を想像しながら、いつものように店主の業務に戻っていった。

 

 

 

ガラガラと音をたてながら何も載っていない手押車を片手に、スタスタと歩いていく暁。

そこに後ろから同じように手押車を持った鈴仙が駆け寄ってくる。

 

「ちょっと! 待ちなさいってば!」

 

その声に振り返る暁。

追いついた鈴仙の顔を見て、また笑う。

 

「まっ、また笑ったわね! いい加減にしなさいよ!」

「違う違う。鈴仙を笑ったんじゃなくてさ。ただ単に嬉しくて」

「……は?」

 

暁の言葉に疑問符を浮かべる鈴仙。

彼女と目を合わせながら言葉を続ける。

 

友達

「な、な…………!!」

 

一言、区切って強調されたその単語に鈴仙は再び赤面する。

それを見ながら暁は普通の声色で語る。

 

「冗談抜きにして、嬉しかった。……ありがとう」

「いや、あれは、ええと…………ああ、もう! どういたしまして!」

 

本気で言っているとわかった鈴仙はなんとか言おうとするも、良い返しを見つけることができずに、開き直ってその言葉を認めることにした。

 

 

真っ赤になってそっぽを向く鈴仙と、嬉しそうに笑う暁はそのまま並んで歩き、永遠亭へと帰っていった。




今回は逆にギャグで済ませると主人公のクズさがヤバくなりそうだからシリアスにもっていくという珍しいパターン。筆力が足りん、足りんのだ……

何故か鈴仙がツンデレっぽくなってしまう不思議。別にツンデレにするつもりじゃないんだけどな……屋根裏のゴミに引っ張られている感じがある。どうにかなるかな。無理そうだな(即諦

またランキングにのってて嬉しい反面不安になる。大丈夫? 私の筆力、大勢の読者に見せられるレベル? ちょっと怖い。頑張ります。

あと紹介した動画見てくださった方いるだろうか。もしもいてくれたなら嬉しいけど、その報告は私にしなくていいです。それより動画主さんを応援してあげて下さい。……というか感想欄とかでそういう関係ないこと書くのって規約違反らしいですので、本当に結構です、はい。
(自分で紹介しといてこの言い草って、我ながらどうかと思う。本当にごめんなさい)


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登場、因幡の白兎

特殊タグですが、一応そんなに悪くなさそうですね。
ただ乱用するとすっごいチープな作品になりそうだ、とも感じました。
ここぞというところでのみ使ってみようと思います。


時は遡り、鈴仙と暁が永遠亭を出発した数分後のこと。

どこからか現れた一つの影が空を滑るように移動し、永遠亭の中庭に降り立った。

 

かなり小柄なその影は、自分の背丈と同じくらい大きな荷物を背負っていた。

影は息をついて、その荷物を下ろす。そして大きな声で建物の中へと呼びかける。

 

「ただいま帰りましたー」

 

少しすると、中から永琳が出てくる。

彼女は中庭の影に微笑みかける。

 

「おかえり、()()。お使いご苦労様だったわね」

「まったくですよ……やれやれ、下っ端は辛いね」

 

皮肉げな笑みを浮かべるその影——因幡(いなば) てゐは肩をすくめた。

 

「ご飯は用意してあるから、食べたら私のところに来てくれる?」

「はいはい、わかりましたー」

 

まったく敬意というものが感じられない適当な返事をして、さっさと中庭から縁側へと上がるてゐ。

彼女のその対応にも永琳は特に気にした様子はなく、置かれたままの荷物を拾い上げて永琳自身も中へと戻っていった。

 

 

しばらくして、薬の調合や在庫の確認をしている永琳のもとにてゐがやってくる。

 

「お師匠様ー。来ましたよー」

「あら、思ってたより早かったわね」

「いやもう、お話をとっとと終わらせて休みたいからさー。それで、何の用です? ここ数日はお説教されるようなことしたつもり無いんだけど」

 

ふてぶてしい態度のてゐに苦笑する永琳。

 

「そうね。お説教は無いわよ」

「じゃあいったい」

「お使いよろし」

「おっと、そういや食器を片付けてなかった! ちょっと行ってきまグェッ」

 

永琳が最後まで言い切る前にくるりと振り向き、まさしく脱兎の如く駆け出そうとするてゐ。

しかしそれを予測していた永琳に首元を後ろから掴まれて引き戻されてしまう。

 

「まあまあ。ちょっと話を聞くくらい良いでしょう?」

「は、離せ! お師匠様の話を聞いたら絶対お使いすることになる! わざわざ話をしてやったのにまさか断るなんてしないわよね? ……とかなんとか言って最終的にはやらされることになるんだ!」

「そんなゴロツキまがいのことしないわよ、失礼ね。……というかそこまでわかってるなら抵抗するのも諦めなさいよ」

 

呆れたように言う永琳。

だがてゐは忘れていない。まさにそんな言い草で、昨日の朝、自分は人里までのお使いをさせられたということを。

しかもやることも大量にあったため一晩で帰ることもできなかった。

 

「なんで私なんだよ! 鈴仙にやらせればいいじゃないか! どうせココで雑用ばっかしてるんだし!」

「残念でした。今のあの子もお使い中よ。というわけで、あなたしかいないわ」

「なんでこんな時に限って! いや、勘弁して下さいよお師匠様! 疲れてるんですって、本当に!」

「ふむ……そうね…………」

 

本気で嫌そうなてゐに何事かを考える永琳。無論、その間も掴んだ手の力を緩めることはない。

そして何かを閃いたかのように指を鳴らす。

 

「そうだ、ならこうしましょう。このお使いをやってくれたら、数日お休みなさい」

「…………どういうこと?」

 

永琳の譲歩に話を聞く気になったのか、てゐは暴れるのを止めて永琳に向き直る。

 

「そのままの意味よ。ちょっとした休暇をあげるわ」

「…………嘘だー」

「本当。それとも要らない? 欲しくない?」

 

欲しい。欲しいに決まっている。

だが、お師匠様がこんな風に譲歩してまでやらせるお使いとは何だ?

そこまで面倒なお使いなのか?

リスクに対するリターンが釣り合っているか、まだわからない以上軽率に返事はできない。

 

「……お使いの内容次第かな」

「博霊神社まで行って、あの巫女に結界の様子を聞いてきて」

「へ?それだけですか?」

「ええ。正真正銘、それだけ。聞いたらすぐに帰ってきていいわ」

 

警戒しながら尋ねた質問に、予想を超えて簡単で楽そうな内容が返ってくる。

何か裏があるのではと疑り深く永琳の表情を伺うが、どうやら本気で言っているらしい。

 

「……どうしてです?」

「…………昨日、ちょっと妖怪がこの近くで暴れてね。このあたりの結界を点検しなおしてたんだけど、なんだか妙な手応えがあったのよ。この永遠亭の結界は特に問題なかったんだけど、空間……というか、幻想郷の結界自体がなんだかおかしいような気がして。ちょっと気になってるの」

「…………」

 

外見は幼く見えるてゐは、その実、遥かな時間を生きてきた兎である。その経験、そして嘘やイタズラが好きな彼女自身の感覚が告げている。

 

(今度のは、嘘か)

 

永琳の説明に何か違和感を覚えたてゐはそう断じた。

 

(……ただ、お師匠様は無意味にそんな嘘はつかない。ここで嘘をつくなら、それはつまり私がここで知らない方が良い情報だということ。下手に尋ねるのは下策か)

 

永琳の思惑も読んで、最善の対応を考えるてゐ。

それを見る永琳もてゐの思考のおおよそを予測していた。

 

(てゐのことだから、私が嘘をついてることくらいはわかるでしょうね。……けど同時にその嘘を指摘することが悪い結果に繋がることもなんとなくわかるはず。だからこそ、次に聞いてくるのは……)

 

「……数日、というのは具体的に?」

 

(……ほら、やっぱり)

 

予想通りの問いに口元を緩める永琳。

 

「そうね、特に決めてなかったけど……」

「じゃあ五日で」

 

考える素振りを見せる永琳に即座に希望の日数を要求するてゐ。

 

「長い。二日で充分よ」

「それだと短すぎる。四日で」

「最大限譲歩して、三日ね」

「…………わかった、それで手をうとう」

 

互いの要求を擦り合わせ、妥当なラインに落ち着く。とはいえ、この三日というのは双方が最初から予想していた日数である。

 

(くっそー、なんとか三日より増やしたかったけどなー。……まあ、あの巫女に会いに行くのは気が進まないけど、それでもこんな楽なお使いで三日の休みはかなり美味しい。充分か。)

(結局三日になったか。一応二日とは言ったけど三日でも構わないのよね。今の状況としては、永遠亭に人手を集めておきたいし)

 

——などと内心考えている二人。

双方のメリットが噛み合い、交渉は成立した。

 

 

「それじゃ、早速行ってくるね」

「しっかりお願いね」

 

それだけのやりとりでさっさと永琳の前から立ち去り、永遠亭の外に出るてゐ。

特に力んだ様子も無くふわりと浮き上がり、そのまま竹の間を縫って上へと飛ぶ。

竹林の上まで浮かんだ彼女は体の向きを変え、ある方向に向かって真っ直ぐ飛んでいった。

 

それを見送ることなく、一人で永琳は思案していた。

 

(……あの異常な勘の良さの巫女のことだ。既に()()()()()私や鈴仙が聞きに行けばきっと何かを察してしまう。彼女にバレるだけならまだ良い。最悪なのは、彼を異変の犯人扱いして退治しようとすること。もしくは、強引に結界から外に帰してしまうこと)

 

彼女は博霊神社の巫女——博霊(はくれい) 霊夢(れいむ)のことを警戒していた。

 

 

霊夢はこの幻想郷で起きるさまざまな異変を解決し、幻想郷のバランスを保つ存在である。だがそのやり口はかなり大雑把であり、持ち前の勘で犯人っぽいと判断した相手をとりあえず倒していくというものだ。

仮にも巫女と呼ばれる者のする所業ではないが、最終的にはそれで何度も異変を解決しているために黙認されている。

さらに厄介なのが、その()とやらが実際に当たることだ。もはや超常的な何かの作為すら感じられるレベルで、霊夢の勘は的中する。

 

 

(…………その点、彼の存在自体をまだ知らないてゐは好都合だ。何も知らないのだから、知らないと言えば嘘にならない。事実しか言わない相手に対しては勘も働かないだろう)

 

あえて暁の存在を知らせず、結界についても本当のことを教えなかったのはそのためだ。

ちょうど暁が鈴仙とともに香霖堂に出発した後に帰ってきたのはまさしく幸運だった。それがてゐ自身の能力によってもたらされたものかはわからないが、この状況を利用しない手は無い。

 

(何がどう転ぶかわからない現状で、博霊の巫女や第三者に彼の素性を明かすのはまずい……慎重に事を進めなければ)

 

渦巻く思考にひとまずそう結論づけ、永琳は一人で今後についての考え事にふける。

 

 

……なお、その数分後に帰ってきた暁と鈴仙から霖之助に素性を教えてしまったことを聞いて頭を抱えることとなるのだが。

 

 

 

「…………いやー、怖かったなー」

「怖かったなー……じゃないわよ! 結局私まで怒られたじゃん!」

「ごめんごめん。許してくれって」

「誠意がこれっぽっちも感じられない謝罪をされるとむしろ余計にムカつくわよ!」

 

部屋から出てくる暁と鈴仙。

二人は霖之助に勝手に素性を明かしたことで案の定永琳に怒られていた。

若干強張った笑みを浮かべる暁に掴みかかる鈴仙。

その手を華麗に払いのけながら今度は爽やかなスマイルを鈴仙に向けるが、むしろ彼女の勢いが増しただけだった。

意外と身体能力の良いらしい鈴仙の動きに合わせて迎撃するが、予想以上に速い反応で次の手が伸びてくる。

 

次第に半ば組手の様相を呈してくるが、そこに一人やってくる。

 

「おかえりなさい。大掃除お疲れ様……って、何やってるのよ」

 

輝夜だった。

労いの言葉をかけながら近寄ってきた彼女は、二人の素早い攻防に呆れ顔になる。

 

……この二人に対する表情と言葉は誰しも共通になってしまうのだろうか。

 

「あ、ただいま戻りました、姫様」

「すいません、輝夜さん。今ちょっと手を離せなくて……」

「いや、見ればわかるわよ…………」

 

輝夜の方を見て頭を下げながらも手を緩めない二人を半眼で眺める。

というか手元を見ていないのになんで攻防が成立しているのか。

 

「というか、暁」

「はい? なんです?」

「あなた、弾幕ごっこというものについてまだ詳しく知らないでしょ?」

「あー、そういやまだ聞いてないですね。名前からして興味はあるんですが」

「そうよね。じゃあ私が教えてあげるわよ」

「本、当ですか? それ、は、ありがたい、です」

 

輝夜と話している今が好機と見てとった鈴仙の攻撃が激しくなる。それをなんとか見ないままで受け流す暁だが、だんだん余裕が無くなってくる。

 

そんな彼の状態でますますじっとりとした目になった輝夜は鈴仙に声をかける。

 

「……なんでそうなったかとか、そもそも何してるのかもよくわかんないけど。とりあえず私の前でじゃれつくのやめなさいよ。というかイナバはいつの間に暁とそんなに仲良くなったのよ」

「な、なっ、何言ってるんですか! な、仲良くなんてなってませんよ! 」

 

その言葉に動揺した鈴仙は一瞬手を止めて輝夜の方を見る。

その隙を見逃さずに暁はバックステップで距離をとって輝夜の後ろに下がる。

虎の威を借る狐、女性を盾にする男。

 

一見してただのゴミ。二度見しようとゴミである。

 

しまったと歯噛みする鈴仙をニヤリと見ながら後ろから輝夜に囁く暁。

 

「いや、それがですね。彼女に友達と認めてもらいまして」

「…………へえ?」

「ちょっ!? な、あんた、何言って!」

 

その耳打ちに面白そうに口角を吊り上げる輝夜。それを聞いている鈴仙は焦りながら暁を止めようとするが、輝夜の後ろにいるため手が出せない。

 

「その後、二人で話してたらいきなり抱きつかれそうになったんですよ」

「あら! それはまた大胆ねー」

「は、は、はぁっ!? 抱きっ……はあ!? 違っ、姫様! 違いますよ!? それは全部嘘で」

 

真っ赤になって暁の言葉を否定しようとする鈴仙だが、暁も輝夜も聞いていない。

 

「さすがにびっくりして思わず反射的に迎撃したらむくれてしまいまして……何度もやってきたので俺もそのまま相手をしていたというわけです」

「なるほどー。それはそれは、ずいぶんと…………」

「違いますってば! 全部事実無根です!!」

 

ニヤニヤと自分を見る輝夜に必死で抗議する。

 

「いいのよ。イナバもそういうお年頃になったのね。私は応援するわよ?」

「だから違います! 今の話は最初から最後まで全部デタラメで!」

「友達って言ってくれたのは事実だろ?」

「そっ、れは…………!」

 

途中で差し込まれた暁の言葉に詰まる鈴仙。

もし彼女が冷静であれば、それ以外はデタラメだと暗に認めている言葉だ、と気づけたかもしれない。しかし動揺している今はそこまで思考が回らずにただ口ごもってしまう。

 

たとえそこを指摘したとしても、わかって乗っかっている輝夜の反応は変わらなかっただろうが。

 

そしてこの場において、その一瞬の沈黙は悪手だった。

 

「あら? あらあら? やっぱり本当だったの? これは驚いたわー」

「違っ……いや、その、そう言ったのは事実…………ですけど! それ以外は全部嘘ですから!」

「暁、うちのイナバをこれからもよろしく頼むわね」

「いえいえ、こちらこそ鈴仙さんに良くしてもらってますから」

 

まるで聞いちゃいない。

 

それからもしばらく暁と輝夜は息の合った連携で鈴仙をからかい、最後には追いかけまわされることになった。




屋根裏のゴミ100%。うまくギャグで締めれたかな?

今回はてゐの下りが終わったところで区切るつもりが、予想外に文字数が少なくなりまして。
なんとか増やせないかと愚考した結果、鈴仙を使うことにしました。

鈴仙関連だと何故かスラスラ書ける。作者にすら便利に扱われる彼女の明日はどっちだ。


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純粋無垢な、少女達の花火

「……じゃあ、始めましょうか。イナバ、準備はいい?」

「はい、大丈夫です。お手柔らかにお願いします」

「今回は暁に弾幕ごっこを見せるだけだからね。適当にやるわよ。暁は?」

「こっちもオッケーです。お願いします」

 

すったもんだあった後、彼らは中庭に出てきていた。

暁に弾幕ごっこがいかなるものか、その目で確かめさせるためだ。

時刻は既に夕方過ぎ。あたりに宵闇が迫ってきている。

縁側で座り、二人にサムズアップする暁を見た輝夜と鈴仙は向き直る。

 

「じゃあ、やりましょ。先攻は譲るわ」

「わかりました。…………では!」

 

その言葉と同時にふわりと宙に浮き上がる鈴仙。それに合わせるように輝夜も浮く。

 

そして、彼女達の弾幕ごっこは始まった。

 

 

交差する色とりどりの光弾に光線。

それはまるで、空に描かれる鮮やかな絵画。

楽しげに笑いながら、踊るように宙を舞って互いの弾幕を避けあい、撃ちあう少女達。

 

「波符『赤眼催眠(マインドシェイカー)』!」

「おっと残念、イナバもまだまだね!」

 

使用する技を宣言し、一枚ずつ「スペルカード」と呼ばれるらしいそのカードを消費していく。

最初は単に笑って眺めていたその光景を、ただ、黙って見上げる。

 

美しかった。

 

自分が今まで見てきた光景の中で、何よりも美しかった。

 

 

パレスというのは、まさに欲望の塊。

一見綺麗に見えるものであろうと、その本質は汚らわしい欲望によって生み出されている。それを理解している以上、どれだけ美しく見えるものであろうと、素直に美しいとは思えなかった。

 

例外としては、一人の少女が生み出したピラミッドのパレス。欲望ではなく、心ない大人に植え付けられた自責の念によって生み出されたもの。

静謐な雰囲気のあれだけは、その造形美に文句無しに感嘆できた。

 

 

しかしそれとはまた異なる美しさ。

 

悠久の時を経てなお不変のピラミッドとは対照的に、一瞬一瞬で千変万化する花火のような光景。

 

 

「…………どうかしら? これが幻想郷での決闘、弾幕ごっこよ」

「……………………」

 

いつの間にか、永琳が傍らにいた。

彼女の問いに無言を貫く。

いや——

 

「暁? どうかしたの? …………!」

 

————何も、言えなかった。

 

雫が頬を静かに伝い、流れ落ちる。

無表情で、黙りこくったままで、輝夜と鈴仙が生み出す光の芸術を見上げ、涙を流す。

 

永琳は暁の様子に驚き、口を閉じる。

宙を舞う二人の笑い声だけがしばらく聞こえる中、暁が小さく声を漏らす。

 

「本当に、綺麗ですね…………」

「…………そうね。私も、そう思うわ」

 

他人には推し量れない、万感の想いが篭った呟きのようなその言葉に、永琳は静かに頷いた。

 

その時彼女は不意に納得できた。

 

彼は特別であっても、特別ではない。

ただ自分が強くあろうとし、そう努力しているだけの人間なのだ。

異能(ペルソナ)を持つ、ただの人間。

 

理解はしていても、納得はしていなかったその事実は、ストンと胸の奥に収まった。

 

暁は言葉を紡ぐ。

 

「……俺は。俺達は」

「……ええ」

「ずっと、ずっと、生死を賭けて戦ってきました」

「……ええ」

「死なないように、そして……()()()ように」

「…………ええ」

 

きっと、返事なんて期待されていない。

それでも、相槌をうつ。

 

「無数のシャドウを殺して。殺して。殺して」

「……ええ」

「そしてパレスの主と戦って、その欲望の核を盗んで」

「……ええ」

「パレスの主だって、最初は……殺すつもり、でした。偶然、殺さない手段が見つかった。ただ、それだけ」

「…………ええ」

「それを悔いるつもりは無い。恥じるつもりも無い。俺達のやってきたことを、自分達で否定することはないし、他の誰にも否定はさせない」

「……ええ」

 

()()()

 

明確に区切られた言葉に、つい暁の顔を見る。

暗がりの中、弾幕の光で照らされる、その表情は。

 

 

「美しくて。平和的で。——こんな手段で、()()が解決できたなら。どうしても、そんな思いは拭えませんね」

 

 

今にも泣き出しそうな、笑顔だった。

 

 

 

ひとしきりスペルカードを使用し、適当なところで弾幕ごっこを終えた二人が下りてくる。

 

「いやー、やっぱスッキリするわねー」

「ですね! 私も久々に姫様のお相手を務めましたけど、楽しかったです!」

「…………弾幕ごっこ、しかと見せてもらいました。ありがとうございます」

 

手を組んで上に伸ばす輝夜に、はしゃぐように弾んだ声の鈴仙。

暁は立ち上がって、彼女らに礼を言う。

 

「いやいや、これしきで……って、どうしたの暁? なんか、若干目が赤くない? まあ、イナバほどではないけど」

「なんで私と比べるんですか……あれ、でも本当ですね。暁、なんかあった?」

「ははっ、いやー、二人の弾幕ごっこがあまりに綺麗で。思わず感涙しちゃいましたよ」

 

尋ねられた彼は至極軽い調子でそう返す。

それは事実そのものだったが、自分が聞いた彼の言葉の本質が、そこには無いと永琳は思った。

 

「そこまで言ってもらえるとなんだか嬉しいわね。良かったわね? イナバ?」

「だからなんで私に振るんですか……まぁでも、悪い気はしないですね。あ、師匠もご覧になってたんですか」

「……途中からだけどね」

 

笑顔の鈴仙に合わせて薄く微笑み、そう返事をする。

今の彼の言葉について追及するつもりも、そのことを輝夜と鈴仙に教えることもなかった。

 

「なかなか良かったと思うわ。あなたもちゃんと成長してるわね」

「そ、そうですか! ありがとうございます!」

 

師からの素直な賛辞に嬉しげな様子の鈴仙。

彼女を微笑ましく見つめながら、隣で話す暁と輝夜の方を横目で見る。

 

「なんならあなたもやってみる? ……っていうか、一応できるようになっておかないとダメじゃない? これから行く場所で戦うことになったりするかもしれないでしょう?」

「確かにそうですね。じゃあ……あ、でも問題が」

「え? 何?」

「俺は飛べません」

「…………あー……」

 

呑気なやりとりをする彼に、先ほどまでの儚げな雰囲気は一切残っていなかった。

 

永琳が気にかけていることも知らぬ彼はそのまま輝夜と話を続ける。

 

「こっちでは弾幕ごっこできる奴らは全員飛べるからね。そこを失念してたわ」

「一応、ペルソナは浮いたり飛んだりできるので、それに掴まるなり乗るなりすればできなくもないかもしれませんが……」

「なるほど。じゃあそれで練習してみる?」

「それでもいいんですが、今のを見る限り、人間サイズ同士というのが前提ですよね? 俺とペルソナの大きさだと、どうしても避けきれないと思うんですよ。多分」

「あー、そうか。困ったわね……じゃあ飛ぶのは諦めて、地上で避けられるかだけやりましょうか」

「ですね。それならなんとかなると思います」

 

暁との話が一区切りついて、 輝夜はくるりと永琳に向き直る。

彼女と目があった永琳は一瞬動揺するが、それをすぐに押し隠した。輝夜も気づいていない様子だ。

 

「それはさておき、今はとりあえずお腹空いた。永琳、食事はもうできてる?」

「……ええと、まだです。でもあと少しでご飯が炊き上がると思うので、それで支度は終わります」

 

その返答に頷いた輝夜は踵を返した。

 

「そ。なら先に行ってるわね。暁も行きましょう?」

「わかりました。あ、そうだ。今度俺が料理作ってみてもいいですか? お世話になってますし、ちょっとは恩返しみたいなこともさせて欲しいんですけど」

「お、いいアイデアね! 一応聞くけど、料理の腕は?」

「これでも飲食店の料理を任されるくらいの腕前ではありますよ」

「ほー、期待させるじゃない。いいわ。今度お願いね。外の料理とか、何か食べてみたいわ」

「任せてください。かのかぐや姫の口にお合いする料理を作ってみせましょう……」

「それはそれは。楽しみね〜……」

 

輝夜とそれに追従する暁の声は次第に遠ざかり、廊下の先の角を曲がったあたりで聞こえなくなった。

 

(……さっきまでの雰囲気が、全部私の気のせいだったと錯覚してしまいそうなほど、普段通りの様子ね。普段……と言えるほどの付き合いでも無いけど、とにかくさっきと今ではまるで別人みたいに見えるわ。……つくづく不思議な人間ね…………)

 

しばらくそちらを見ていた永琳は鈴仙に向き直る。自分達も行こう、と言うつもりだったが、なにやらソワソワしている鈴仙が気になった。

 

「うどんげ? どうしたの?」

「あ、あの、成長したって、具体的にはどのあたりですか?」

 

若干不安そうでありながら、期待に満ちた目でこちらを伺ってくる。

…………どうやら褒められたのが相当嬉しかったらしい。

 

「あー、そうね………」

「ぜひぜひ教えてください! 今後のためにも!」

 

適当に返すわけにもいかず、しばらく鈴仙のことを構っているうちに、暁について考えていたことはすっかり頭から抜けてしまった永琳であった。

 

 

 

「…………ごちそうさまでした」

「あら、もう食べたの? やっぱり男は違うわねー」

「いやいや、料理が美味しかったから箸が進んだだけですよ」

 

箸を置いて手を合わせる暁。他の面々はまだ食べ終わっていない。

恐縮したように輝夜に頭を下げ、食器を台所へ運ぶ。

 

そのまま部屋を出ていこうとするが、戸に手をかけたところで思い直したように立ち止まる。

そして振り返り、輝夜に声をかける。

 

「輝夜さん」

「ん? どうかした?」

「いや、お風呂の場所をまだ聞いてなかったと思いまして」

「ああ、なるほど。離れに向かう廊下の角を逆に曲がって、まっすぐ行った突き当たりが風呂よ」

「そうですか。お先にいただいても良いですか?」

「どうぞどうぞ。永琳、もう沸かしてある?」

「てゐの配下の兎がさっき薪を抱えて準備してましたから、大丈夫かと」

「だ、そうよ」

「ありがとうございます。それじゃ申し訳ないですがお先に——」

「ちょ、ちょっと待ってください!」

 

ポンポンと進む会話を半分聞き流していた鈴仙だったが、内容が頭に入ってくるとともに会話に割って入った。

 

「いきなりどうしたの、うどんげ」

「どうしたって、え、いや、その。彼をお風呂に入れさせるんですか?」

「……風呂に入れさせないってなんの嫌がらせよ。イナバも意外と鬼ね…………」

「……私もあなたがそんな成長をしているなんて思ってなかったわ……」

 

ドン引きする輝夜と永琳に慌てて首と手を横に振る鈴仙。

 

「い、いや、そうじゃなくて! 寝床は別々にしたのにお風呂は良いんですか!? そっちも別にした方が……!」

「別って。さすがにウチでもお風呂は一つしか無いことくらいイナバも知ってるでしょ。何を今さら言ってるの」

「そ、それはそうですけど……あっ、暁も気がひけるんじゃ」

 

彼女は呆れたように返された正論に怯みながらも、別の道筋で説得を試みる。

 

「いや、最初はそうだったらしくて、風呂もなんとかしようとしてたらしいとは聞いたんだけどね? なんか心変わりしたらしくて。なら問題無いじゃない」

「いつですか!?」

「ついさっき。二人でここに来る途中」

 

それが事実か確認しようと勢いよく振り返った鈴仙に暁は頷く。

 

「ああ。霖之助さんにも何か風呂について助けてもらうつもりだったんだけどな。必要なくなったから途中で止めたんだ」

「……それって」

 

昼間のことを思い出す。

 

 

『一応、頼もうかと思ってたことはあったんですが、大丈夫そうです』

 

『へえ、何だったのかちょっと気になるね』

 

『ははは、まあ、ちょっとしたことですよ————』

 

 

…………確かに、そんなやりとりがあったような気はする。

 

「で、でもなんで!?」

「まあ、ドラム缶風呂とか作るにしろ、燃えカスとかが地面に残るし、結局は迷惑がかかりそうだった、っていうのが一つ。もう一つは——」

 

そこでチラリと輝夜を一瞥し、目配せする。

輝夜もそれに気づいてウインクを返す。

 

「あ、そういえば! ね、永琳。最近、ウチのイナバにお友達ができたそうよ〜?」

「ほう……詳しくお聞かせ願います」

「ちょっ!? 姫様っ!?」

 

ニヤリと笑ってわざとらしく永琳に話しかける輝夜。永琳も同じような笑みを浮かべてそれに乗っかる。

慌てた鈴仙は振り向いて輝夜を止めようとする。

 

「いや、それがね〜? 私も今日知ったんだけど〜?」

「姫様っっっ!!!! し、師匠も聞かなくていいです、というか聞かないで!!」

 

必死になった鈴仙がなりふり構わず輝夜の口を塞ぎにかかる。それをひょいひょいと避けながらなおも口を開く輝夜と、それを面白そうに聞いている永琳。

 

暁はその光景を笑って眺め、静かに戸を閉めてその場を後にした。

 

そしてしばらく歩き、賑やかな彼女達の声がようやく届かなくなった頃、廊下で一人立ち止まって呟く。

 

 

「——気恥ずかしいのはお互い様だけど……()()だからさ。まあ、許してくれよな」

 




シリアス。

鈴仙の友達発言は暁の風呂問題を解決する伏線だったのさ!
……伏線と呼ぶのもおこがましいレベルですね。いつか壮大な伏線を張れるようになりたい。



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>ゲームを一時中断しますか?

永琳と輝夜の言葉に甘え、永遠亭の風呂を借りた。

浴槽が檜であることまでは予想していたが、まさか浴室全部が檜作りとは思わなかった。

体を洗う石鹸も良い香りがする。きっと高級品なのだろう。

永遠亭の財力を改めて再確認させられながら、ゆっくりと湯船に浸かる。

 

浴槽の大きさ自体は同じくらいなのに、いつも入っていた銭湯とは明らかに違う。

空間に漂う気品というか、やはりそういう雰囲気からくる違いだろうか。いや、使っている水の違いかもしれない。

はっきりとした理由はわからないが、それでもこの風呂は格別だ。

 

滅多にできない体験を堪能し、彼は風呂から上がった。

 

常備されていたタオルをありがたく使わせてもらい、手早く全身を拭く。

香霖堂で購入した服のうち、寝間着用に見繕っておいたラフな服を着る。

 

頭を拭きながら、長い廊下を歩いて台所に向かう。

途中で輝夜とすれ違い、会釈。

 

「お先にいただきました。いやぁ、凄いですね。あんな良いお風呂初めてです」

「気に入ってもらえた? まあ、毎日入ってればそのありがたみもそのうち薄れるだろうけど」

「いやいや、それは無いですよ。この一年、公衆浴場で風呂に入ってましたから。寝泊まりする敷地内の風呂に、それも確実に一人だけで入れるなんて、そうそうありがたみは忘れないです」

「…………そ、そう。た、楽しんで? ね? なんならずっと居てもいいのよ?」

「あはは、それはなかなか魅力的な誘惑ですね」

 

冗談だと思われて軽く流されたが、半分以上本気で言った言葉だ。

彼について知る度に不憫な境遇を強く感じされられる。そこに同情を誘う意図があるわけでも無く、単なる経験談として語られるだけなのだが、それがむしろ尚更不憫に思えてしまう。

 

 

——まるで、苦難を背負うことを運命づけられているかのよう。

 

 

そんな益体も無いことを考えてしまった。

 

「じゃあ、俺はちょっと永琳さんのところ行ってきます」

「……そう。じゃあここで先に言っておくわ。おやすみ、暁」

「はい。おやすみなさい、輝夜さん」

 

暁は一礼して、輝夜と別れる。

少しの間背中に彼女の視線を感じたが、それもすぐになくなった。

 

 

歩きながらタオルを首にかけ、戸を開く。

台所では永琳と鈴仙が二人で食器を洗っていた。そこに近づいていき声をかける。

 

「お風呂いただきましたー。とても良いお風呂ですね」

「それはなにより。もっとゆっくり浸かっていても良かったのよ?」

「いえ、さすがに色々と気後れしまして……それにお手伝いもしたかったですし」

「真面目ねぇ。まあそこまで言うなら。 そうね、洗い終わった食器を拭いて、片付けてくれる?」

「わかりました。じゃあ早速……ん、どうかしたか?」

 

作業に取り掛かろうとする暁はチラチラ横目で見てくる鈴仙と目が合い、尋ねる。

 

「え、いや、別に…………な、なんでも」

「ああ。あなたと一緒のお風呂に入るからソワソワしてるのよ。使う浴槽が同じなだけなのに何を気にしているのやら……」

「し、師匠! だからそういうことは言わないで下さいって、さっきお願いしたじゃないですか!!」

「それに対してわかった、とは言ったけど。そうする、とは言ってないわよ?」

「ただの詭弁じゃないですか!!」

「だって、事実じゃない」

「うぐ…………そ、そんなこと言ったって……」

 

顔が赤くなる鈴仙。

今までだと永琳に続いて乗っかっていた暁もさすがにそのことについては触れられなかった。

 

「ま、まあまあ。そこは仕方ないですよ。俺が言えたことじゃないですが、やっぱそこは……」

「そ、そうよね! ね!」

「…………あら? やけに鈴仙の肩を持つわね?」

 

話を聞いていた暁がつい助け船を出すと、鈴仙には感謝で輝く目で、永琳には妖しく光る目で見られる。

 

…………しまった。

今度はこっちがロックオンされた。

 

「まあ『友達』の肩を持つのは当然よね。うどんげにも良い『友達』ができて嬉しい限りよ?」

「は、はい……恐縮です……永琳さ」

 

…………マズイ。今のは完全にやらかした。

案の定、永琳の口角が吊り上がる。

 

「え? 暁、誰に何を言ったの?」

「いや、それは…………えーと」

「水の音で聞こえなかったからもう一度、はっきりとお願いね」

「えーと、その…………」

 

視線を泳がせる彼は何か事態を打開できるものはないかと必死で頭を巡らせる。

だがその場にあるのは食器と、きょとんとした様子の鈴仙。……それと永琳。

 

(……………………ダメだ。逃げ道が無い)

 

誤魔化しきれないと悟った暁は言い回しを考えながら口を開いた。

 

「いえ、恐縮ですと言っただけですよ。たったそれだけで」

「誰に?」

「えっと、あなたにです」

 

(よし、これで上手く切り抜けられ——)

 

「あなたって?」

「えっ」

 

(…………なんとしても言わせるつもりか……いや、そもそもそれで彼女自身はどうなんだ。半分自爆みたいなものじゃ……)

 

チラリと永琳を一瞥する。

 

「ねえ、あなたって、だぁれ?」

「ぐっ…………!」

 

……ダメだ。彼女には何の躊躇も無い。

これは言うまで終わらないパターンだ。

 

観念した暁はしぶしぶと口にする。

 

「あなたはあなたですよ……永琳」

「…………えっ!? あ、暁!? 今、なんて」

「まあ、確かにそうよね! 言われてみれば当たり前ね。わざわざごめんね?

「……………………ハハッ」

 

「言わせてみれば」の間違いではなかろうか。

乾いた笑いを浮かべる暁に手をヒラヒラと振る永琳。ご丁寧なことに、名前の部分をしっかりと強調してくることも忘れていない。

今の今まで感謝の視線を送ってきていた鈴仙は、突然耳にした言葉に慌てふためいている。

 

「あ、やっぱり手伝いは要らないわ。それより、そっちの部屋にいるのと顔合わせしといて?」

「…………誰です?」

「てゐっていうの。昨日姫様が言ってたでしょ?」

「ああ、お帰りになってたんですか。わかりました、では挨拶してきます——」

 

満足したから見逃してやる、ということなのか。それとも、せめてもの情けということなのか。どちらにせよ、この場から立ち去る理由を与えられた。もちろん断れるわけもなく、そそくさと彼女らに背中を向ける。

 

「ちょ、暁! 待ちなさいよ! 今、さらっと師匠のこと呼び捨てにしなかった!? どういうこと!? ねえ、どういうこと!?」

「——それじゃ、おやすみなさい」

「待ちなさいって!! え、師匠、どういうことですか!?」

「ふふ……おやすみなさい」

「答えて下さいよ! 師匠! 師匠ってば!!」

 

……何か鈴仙の声が聞こえたような気がしたが、きっと気のせいだろう。

足早に台所を出て、永琳が指していた部屋を訪れる。

 

 

部屋の扉をノックする。

 

「ん? どうぞー」

「失礼します」

 

許可を得たので、特に躊躇することもなく、普通に踏み込む。

 

割と少女趣味な内装の部屋の中には椅子に座ってこちらを振り向いている小柄な少女が一人。

そして、鈴仙と同じように、頭から兎の耳が生えている。

手元に開いたままの本が置いてあることから察するに、読書中だったと思われる。

 

「あ、いきなりすいません。その、ご挨拶を、と思いまして……」

「ああ、お師匠様から聞いてるよ。来栖暁、だっけ? ここに住むって」

「はい、よろしくお願いします。あなたは……因幡てゐさん、ですよね?」

「そうそう。さんづけとか要らないけどね。てゐで良いよ。……それよりなんで敬語? どう見ても私はアンタより年下でしょ?」

「いや、お世話になる相手にいきなりタメ口っておかしいでしょう。それにココに住む人達は皆、その…………」

 

そこで口ごもる暁。

 

「なに? 私に気を遣ってるなら、別に気にしないから。言いなよ」

「……………………()()()()()()ですし……」

 

しかしてゐの言葉に促され、酷く気まずい思いをしながらそう言った。

さすがに女性に対して面と向かって言うには憚られる言葉だった。

だがそれを聞いたてゐは愉快げにケラケラ笑い出す。

 

「ははは! なるほどね! いや、まったくその通り! 年上扱いされたのは久々だなー」

「す、すいません。失礼なことを……」

「いいっていいって。もう何年も子供扱いされるのに慣れちゃってて新鮮な気分だよ。やっぱこの姿だとどうしてもねー」

「…………気にしてないんですか?」

「全然。得な事も多いしね。昨日だって人里に行ってたけど、人間の大人はだいたい私に良くしてくれるよ。『こんな小さいのに頑張ってるね』とか言って。ま、滑稽っちゃ滑稽だよねー」

 

あっけからんと言い放つてゐに微妙な顔をする暁。

接し方というか、距離感を測りかねる。

他の永遠亭の住人と違い、外見と中身のギャップが大きい。

見た目がいくらか年上に見える永琳や輝夜には敬語、見た目も精神年齢もほぼ同年代に見える鈴仙にはタメ口。彼女達の場合はそれでしっくりきたのだが、見た目はかなり下の年齢に見えるてゐに対しては最適解がわからない。

 

「えっと……じゃあ俺はどうすれば良いですか?」

「どうすれば、っていうのは?」

「どう接するべきか、というべきでしょうか。敬語の方が良いですか?」

「んー、そうだね。まあ敬語は要らないかな。だからって小さい子供扱いはしなくていい。ふつーでいいよ、ふつーで」

 

無邪気にそう言うてゐ。

どこからどう見ても可愛らしい少女だが、実際は自分の想像が及ばないほど生きている存在なのだ。

改めて、幻想郷という場所の非常識さを実感する。

 

「……よろしく、てゐ。……これでいいですか?」

「いいよ。よろしく。あと敬語で確認しなくていいから」

「いや、つい……えっと、それじゃ俺はこれで。おやすみなさい」

「ん、おやすみー」

 

鈴仙や永琳とは違う、なんとも言えないやりにくさを感じる相手だったが、とにかく挨拶は済ませた。

することも無いし、今日はもう寝よう。

 

 

部屋から暁が出ていくのを眺めていたてゐは、永琳から聞いた彼の素性を思い返す。

外の世界の人間で、変わった能力を持つ。そして、彼の為すべきことが失敗すると、幻想郷どころか世界が滅ぶ……

 

「……ずいぶんとまあ、大変だね。あの人が言うんだから事実なんだろうけど。やれやれ、これからどうなることやら」

 

肩をすくめた彼女は手元に置いていた本を持ち、読書を再開した。

 

 

その頃永琳は執拗に絡んでくる鈴仙を適当にあしらいながら、てゐの話を思い出していた。

 

 

『……それで、どうだった?』

『…………お師匠様、いったい何が起きてるの? 洒落になってないよ』

『まずは私の質問に答えて。ちゃんと説明するから』

『…………わかった』

 

てゐがここまで真剣な表情になるのは相当珍しい。何か外の異変についての情報も手に入ったということだろうか。

 

そしててゐは語り始める。

 

『お師匠様に言われて、博麗神社に私は向かった——』

 

 

 

空を飛ぶ彼女は常人には真似できない速度で移動し、十数分もしないうちに博麗神社に到着した。

 

境内に降り立った彼女は服の裾を払う。

博麗の巫女はいるだろうか……

 

ほうきで境内を掃除していることも時たまあるが、少なくとも今は掃除はしていないようだ。

本殿の中にいるのだろうか。

 

そちらに向かって歩き出した彼女にかけられる声があった。

 

「あれ、お前は…………」

「ん? その声は……」

 

てゐが声の発せられた方を見ると、神社の縁側に座ってこちらを見ている者がいた。

てゐはその声と格好に覚えがあった。そうそう忘れない、印象的な人間だ。

 

「なんでアンタがここにいるの? 白黒」

「魔理沙だ! 霧雨 魔理沙(きりさめまりさ)!」

「いや、わかってるよ。それよりなんでアンタがここにいるか聞いてんだけど」

 

憤慨した様子で訂正してくる少女——魔理沙は、てゐの呆れ声に首を傾げる。

 

「なんで、って言われてもな。霊夢のとこに遊びに来たんだけど、血相変えた霊夢に留守番押し付けられてさ。理由も言わないままどっか行っちまったから仕方なくここで待ってるんだよ」

「なるほど、そうなんだー。え、ていうことは霊夢、いないの?」

「いない。しばらく前に飛んでいったっきり、帰ってこない。つかお前の方こそなんでいるんだ? 何かあいつに用事でもあったのか?」

「いないのか……いや、お師匠様に頼まれてさ。なんだか結界の様子がおかしいみたいだから博麗の巫女に聞いてこい〜って。だからここに来たんだけど」

「あー、なるほど。それでここに。……じゃあ霊夢もそれでどっか行ったのか」

「多分そうじゃない? 確証は無いけどさー」

 

魔理沙との会話で霊夢がいないことを知り、どうするか思案するてゐに、魔理沙が話しかける。

 

「じゃあお前も霊夢が帰ってくるまで一緒に留守番しようぜ。一人だと暇すぎてさ。な、いいだろ?」

「えぇ…………面倒くさ……」

「そう言うなって。どうせ霊夢が帰ってくるまでお前も暇だろ?」

「いやまぁ、そうだけどさ……」

 

てゐは永琳との交渉を思い出す。

 

『結界の様子を聞ければすぐ帰っていい』

 

逆に言えば、聞けていない以上帰れない。

 

(他の場所で適当に時間を潰すのもアリか? ……いや、その間に帰ってきて、またどこかに行かれたら無駄足になる。結局ここで待つのが得策か…………)

 

ため息をつき、諦めたてゐは魔理沙に頷く。

 

「わかった。話し相手くらいにはなるよ」

「そうこなくっちゃ! つか話以外にすることなんて無いぞ。ココ、マジでなんにも無いからな」

「ははっ、確かに」

 

魔理沙のぼやきに同意し、隣に座る。

しばらくは彼女との雑談を続けることにした。

 

 

やがて、話すことも尽きだした二人。

このままだと何もすることがなくなる、と些細な危惧をてゐが抱いた、ちょうどその時。

 

「あっ、霊夢が帰ってきた」

 

空を見上げた魔理沙がそう呟いた。

彼女の視線の先を見ると、紅白の巫女服を纏った少女がまさに境内に降り立つ瞬間だった。

 

「おい、霊夢! なんも言わないで留守番だけ押し付けるとかどういうことだよ!」

「悪かったわよ……緊急だったから、タイミングよく来た魔理沙に任せようと思って……」

 

真っ先に文句を言う魔理沙に、疲れたように霊夢がそう返す。

 

「なんだ、結界になんかあったのか?」

「な、アンタ、それをどこで!」

「い、いや……ここにいる竹林の兎から。なんかお前に聞きたいことがあるってさ」

「兎……? ……なんだ、珍しいわね。アンタがいったい何の用よ、てゐ」

 

何気なく尋ねた言葉に鋭い視線を返され、若干怯む魔理沙。

彼女が指差したてゐを見て、霊夢は怪訝そうな顔になった。

 

「いや、お師匠様が『結界の様子がなんかおかしいから博麗の巫女に聞いて来い』って言うからさ。聞きに来たら本人不在で、仕方なくここで待ってた」

「……………………ふぅん?」

 

目を細めてこちらを見てくる霊夢。と言っても、全て事実だし、それ以外のことは何も知らない。腹を探られたところで、何も出ない。

やがて、本当にそれだけだと判断したらしく、ため息をついた霊夢はこちらに歩いてくる。

 

「……そうよ、結界全体がいきなり緩んだというか、異常をきたしてね。紫に呼ばれて、修復を手伝ってた」

「おいおい、ヤバくないかそれ! 大丈夫なのか!?」

「一応、安定状態まではもっていけたけど、すぐに不安定になるみたい。峠を越えたから私は帰ってきたけど、紫達は結界の維持にかかりきりね。しばらくは時間がかかると思う」

「そ、そうか。とりあえずは大丈夫なんだな。よかった……」

 

霊夢の言葉に焦って立ち上がった魔理沙だったが、続く言葉に安心したのか、再び座る。

 

「だからまあ、あの薬師にもそう伝えといてちょうだい。とりあえずは大丈夫だって」

「ん。わかった。ありがと」

 

聞きたいことは聞けた。

てゐは霊夢に礼を言い、立ち上がる。

彼女の脇を通り、すぐにその場から飛んで帰ろうと思ったのだが——

 

 

————霊夢の表情に疲れだけでなく、どこか焦りを感じ、振り向く。

 

 

背中を向ける霊夢の表情はわからない。

 

(気のせいか……?)

 

首を傾げるてゐの視線の先で、霊夢が魔理沙に話しかける。

 

「それで、魔理沙は何しにきたの?」

「いや、最近暇だからさ。遊びにきた。あと、もうすぐ今年も終わるだろ? 年の区切りにはいつも宴会するし、何か準備でもしないかと————」

「……………………わ」

「え?」

 

ぼそりと呟かれた霊夢の言葉を聞き取れなかった魔理沙は聞き返す。

 

「霊夢、今なんて言ったんだ?」

 

彼女の問いに視線を逸らし、霊夢は口にする。

 

()()()()()()()()()()()()()()()()()()

「……………………は?」

 

霊夢の背中ごしに見える魔理沙の表情はポカンとしていた。

 

「………どういう意味だよ」

「……………幻想郷の時間は、外界のそれと完全に同期しているわけではない」

 

魔理沙の問いに答えず、霊夢は呟くようにそう言う。

魔理沙もそれに食ってかかろうとするが、霊夢の表情に何かを感じたのか、黙ってそれを聞き続ける。

 

「時差や進み方にズレがあったり、その時によって時間の流れが変わることも多々ある」

 

「…………けどね。それでも、こちらの時間はあちらに影響を受けていることは間違いない。四季だって、外界と同じように冬でしょう?」

「…………まあな。それがどうしたんだよ」

 

魔理沙も何かを察しているのか、声が低くなる。

 

霊夢は俯いて口にする。

 

「だからよ」

「は?」

「だからこそ、次の季節は訪れない」

「お前はさっきから、何を…………」

 

てゐは気がつく。

霊夢の手が、寒さではない何かによって震えていることに。

 

そして霊夢は口にする。

決定的な言葉(事実)を。

 

 

 

()()()()()()()()()()()()()()()()()()()…………ね」

 

 

 

凍てつく沈黙だけが、その場にあった。




シリアス。

時間が止まっているのは……詳しい理由は伏せます。
理由は一応用意してますので、そこはご安心を。


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Chapter:2 The First Step
第一の標的:人里


そういえば、地味な部分なのですが。
地の文では怪盗姿の主人公を「ジョーカー」、主人公を知る人からは「暁」としています。
人称が変わっているように見える部分は、視点主の違いによるものです。



「あやややや……どうにもネタが無いですね……何か面白いことが起きてたりしないでしょうか」

 

そんなことをぼやきながら、凄い速さで空を飛んでいる者がいた。

黒い翼を生やした彼女は、烏天狗の少女——射命丸 文(しゃめいまるあや)である。

文々。(ぶんぶんまる)新聞』という新聞を自費出版し、自らその記者となっている奇特な人物だ。

 

彼女はいつものように新聞のネタを探している途中、偶然出会った人物に「人里にでも行けば?」と言われ、人間達が住む人里までやって来ていた。

 

人里の門の外で地上に下りる。

町中で好き勝手に飛び回るのは迷惑だという良識からくる行為だ。

 

顔見知りである門番の人間達に会釈し、そのまま門の中へ入っていく。

人里はいつも通り……いや、いつも以上に賑やかだった。

そこら中には何やら興奮したように話しあう人々がいた。

 

「……これは当たりかもしれませんね」

 

何かイベントがあったのかもしれない。

ほくそ笑んだ彼女は人混みの中をすり抜け、ひときわ人だかりが大きなところを目指す。

 

かなり手間取ったが、なんとかその人だかりの中央に位置どることができた。

 

「…………ふぅ。いやー、この賑わいぶり。きっと大きなイベントがあったんですね! いや、もしかするとこれから始まるとかかも! 誰かに詳しく話を聞きたいところですが……」

 

キョロキョロと辺りを見渡す。

すると近くにいる誰もが、とある一点を見ていることがわかった。

彼女もそちらに視線を向けると、そこには大きな立て札があり、何事かが書かれていた。

 

「ん、なになに……」

 

————『稗田家に侵入した盗人について、何か情報を持つ者は稗田家まで。ご協力をお願いします』

 

「…………は? 盗人?」

 

文は拍子抜けした。

なんだ、ただの泥棒騒ぎか。稗田というと、確か里の中心となる名家だったか。

————そういえば、昔そこの当主と話をした。転生を繰り返し、歴史書を書いているとか。

確かにそんな場所での盗みなら騒ぎにもなるかもしれないが…………

 

(……思っていたより、インパクトが薄いですね。ま、事件は事件ですし、記事にはなりますか)

 

もっと大々的なイベントか何かを期待していた彼女としては、いささか落胆してしまったのを否めない。

とはいえ大事な記事のネタを獲得したことも確かなので、そこまでがっかりもしていない。

とりあえず誰かに取材しようかと思案していたところ。

 

「お! あんた、新聞記者の天狗さんじゃないか! さすがに耳が早いな! もう聞きつけてきたのか!」

 

こちらのことを知っているらしい男に話しかけられる。名前は思い出せないが、何かの機会で前にも取材をしたことがあったはず。

 

「聞きつけた、というよりたった今知ったところですけどね。このことについて記事にしようかと考えていたところです」

「なぁんだ、あんたも今知ったのか。じゃあ何か新しくわかったわけじゃないんだな。——この、()()とやらについて」

 

文は残念そうに言う男にピクリと反応する。

 

「…………今、なんとおっしゃいました?」

「へ? いや、あんたも俺達同様、今知ったのか、って」

「いえ、その後です」

「後? ……えーっと、()()とやらについて何か新しく……って、な、なんだ?」

 

身を乗り出さんばかりに詰め寄ってきた文に引け腰になる男。

 

「怪盗? 今、怪盗と言いましたね?」

「あ、ああ。昨夜、稗田家に突如現れた賊がそう名乗ってたと聞いたが」

「盗人が自分でそう名乗ったと?」

「おうよ。俺も直接見たわけじゃないから詳しくはわからないが、見たってやつらに話を聞いたもんで」

「その話! 私にも教えてください!」

「お、おお……わかった、わかった。教えるから。だから、ちょいと離れちゃくれないか」

「あっ…………し、失礼しました。少し興奮してしまい……」

 

ずいずいと近寄ってくる文の迫力に後ずさりしていた男だったが、我に返った彼女が数歩後ろに引いたことで息をつく。

 

呼吸を整えた彼が語ることを逐一漏らすことなく、メモに書き込んでいく文。

 

 

・夜中に大きな音が轟き、驚いた近くの住人が外に出ると、稗田家の屋根の上に立つ者がいた

・夜中なのにその男がはっきり見えたのは、空中から光線が伸びていて、その男を照らし出していたから

・その男を見上げていると中から出てきた稗田家の人間が賊を捕らえろと叫んでいたので、その男が盗人だとわかった

・賊は一人だった

・それなりに背丈があった

・その賊は『夜分失礼する、私は怪盗だ』などと見上げる群衆に告げた

・その声は男のものだった

・顔立ちは仮面をしていてわからず、服装も見たことも無いような格好だった

・しばらくそうして群衆に姿を晒していたが、唐突に光線が消え、男の姿も見えなくなった

・稗田家の者が何人も松明を持って集まってきたが、その時には既に賊の姿は無かった

 

 

「…………そんで今、皆が大騒ぎしてるってわけさ。これでいいかい?」

「ええ、ええ。ありがとうございます……!」

 

語り終えた男に礼を述べながら猛烈な勢いでメモを書いている文。

聞いたことを全て書くと、顔を上げて男を見る。

 

「その盗人が何を盗んだかというのは、ご存知ですか?」

「いいや、知らねぇ。稗田の人らに聞いてるやつらも大勢いるが、知らぬ存ぜぬで通されてるらしい。何やら、かなり大事な物っぽいと噂はされてるがな」

「なるほど、なるほど。そうですか……」

 

そのこともメモし、目まぐるしく思考を加速させる文。

先ほどまでとは違い、爛々と輝く目。

やる気に満ちたその様子に、男は嬉しげな表情を見せる。

 

「おっ! その様子じゃ、いろいろと調べて記事にしてくれると期待しててもいいのか?」

「えぇ、えぇ。もちろんですとも……ふふ、ふふふ、これはなかなか燃える事件ですね……! この射命丸文が全力で取材し、全貌を明らかにしてみせましょう!」

「おお! 頼もしいね! いっつもあんたの記事はデタラメ半分だったりどうでもいい内容だったりで、誰一人として、これっぽっちも期待してないけど、今回ばかりは食いつくだろうな! 無論、俺もだ! 楽しみにしてるぜ!」

「…………そ、そうですか。その、頑張ります、はい」

 

笑顔のままさらりと吐かれた毒にちょっとだけ心が折れそうになる文だったが、なんとか持ち直し、笑顔を返す。

若干口元が引き攣っていたが、男はそれに気づかず、頷いた。

 

頑張れよ、と言い残して立ち去る男の背中を眺め、手元のメモを再確認する文。

 

「久しぶりの特ダネ、逃す手はありません! いやぁ、今日ここに来てラッキーだったなぁ。また今度、()()()()にお礼言わないと」

 

そう言って彼女は脳裏に先ほど()()出会った、永遠亭に住む少女を思い浮かべながら、メモをしまう。

 

とにかくもっと詳しい話が聞きたい。

被害者である稗田家で話を聞こう。

 

彼女は記憶を探り、稗田家のある場所を思い出しながら歩き始めた。

 

 

 

一方その頃、狙い通りに文を誘導できた鈴仙は永遠亭へと戻りながら、思案していた。

 

(守矢神社に新薬を売る名目で妖怪の山に行って、あの烏天狗を待ち伏せる……なんて雑な作戦だったけど、案外うまくいったなぁ。これで暁のことが記事にされることはほぼ間違いないでしょ。なかなか順調ねー)

 

思った以上に簡単だった、と彼女は笑う。

 

(『文々。新聞』……だっけ? あれを暇潰しがてらに購読してたり、あの天狗が勝手に押し付けていく相手はそれなりの人数がいるはず。記事になれば()()の知名度は高くなる。そうすれば、暁の仕事も楽に…………って、そこまでは私が心配することでもないか)

 

余計な思考を振り払い、まっすぐ前を向く。

 

(とにかく、早いとこ帰って報告しよう。うう……冬の風はやっぱ寒い……!)

 

ただでさえ気温が低い上に、高速で飛行するのは凍えるほど寒い。

かじかむ手をこすりながら、彼女は急いで永遠亭へと戻っていった。

 

 

永遠亭に着き、中庭に降り立つと、そこでは暁と輝夜が距離をとって対峙していた。

二人は鈴仙に気がつき、声をかける。

 

「おかえり。イナバ、首尾は?」

「上々です。あとは結果を待つだけですね」

「ありがとう鈴仙。助かるよ」

「気にしないで。……それより二人はなにを?」

「昨日ので俺の力もちょっとだけ戻ってさ。まだペルソナを変えることまではできないけど、少なくとも【アルセーヌ】のポテンシャルは引き出せそうになったから、ちょっと確認を……と思って」

「そうそう。だから私が弾幕ごっこの相手を務めよう、ってわけ。ま、能力無しのお遊びだけど」

「なるほど、そういうこと……ん?」

 

二人の説明に鈴仙はいったん納得し頷くも、暁の話には腑に落ちない点があり、首を傾げる。

 

「ポテンシャルを引き出せそう? 前までは違ったの?」

「ああ。本来なら使える技も使えなかったし、能力自体もかなり低下しててさ。……まあ、ここ数日で発見したことなんだけど」

「なるほど。じゃあ今なら本来の実力で動けるわけね」

「その通り。それじゃ、輝夜さん。よろしくお願いします」

「はいはーい。それじゃ、まずは適当に撃っていくわねー」

 

鈴仙の疑問を解消して、暁は輝夜に向き直り、一礼する。それに応え、おもむろに右手を彼に突き出す輝夜。

 

その無造作な動作に合わせ、色鮮やかな光弾がいくつも暁へと飛来する。

 

未だ変身もしていない彼がそれを喰らえばかなりのダメージを負うことになる。

一瞬焦り、彼の方を見る鈴仙だが、その表情を見て力を抜く。彼自身はその弾幕を見てもなんら緊張する様子もなかったのだ。あの様子なら、見守っていても大丈夫だろう。

 

 

そして、その考えは正しかった。

 

 

着弾する寸前、もはや見慣れた蒼炎が彼を覆い隠し、そこに光弾が殺到する。

しかし、既にそこに彼の姿は無く、光弾は空を切ってどこかへと外れていく。

 

どこに行ったのかと鈴仙があたりを見渡すと、先ほどいた場所より数メートルほど横に、怪盗姿の彼が立っているのを見つける。

 

(…………速い)

 

蒼炎が目くらましになったのもあるが、動作がまったく見えなかった。

 

「…………うん、バッチリですね。外にいた頃と変わらずに動けます」

 

自分でも確認するように、手を握って開くことを繰り返す(ジョーカー)

彼の申告に、驚いた顔で輝夜は言う。

 

「……ここ数日とはまるで動きが違うわね。今のやつ、昨日までのあなたなら直撃してたわよ?」

「え、ちょっと。ちゃんと手加減してくださいよ。もし俺の動きが戻ってなかったらどうするつもりですか」

「うーん……まあ、その……その時は、看病してあげるわ」

「…………非常に悔しいですが、それなら良いと思ってしまったので、もういいです。…………続けましょう」

「ふふん、そうこなくっちゃ! いくわよー?」

 

構えなおす彼に、さっきとは比べものにならないほど速く、そして多量の弾幕を放つ。

 

鈴仙は今度こそ見逃さないように、暁を注視する。

 

弾幕が迫る中、少し体を曲げて前傾姿勢になった。

次の瞬間。

 

彼の体がブレた。……いや、違う。ブレたように見えただけだ。

彼はただ、前に飛び出しただけ。

それだけの動きが、目で追いきれないほど、速い。

 

そのまま弾幕の間をすり抜け、地面を蹴って宙返りしたジョーカーは輝夜の後方へ華麗に着地する。当然、弾幕は掠りもしていない。

 

「「なっ…………!」」

 

輝夜と鈴仙の声が重なる。

注視していてなお、動作の起点がわからないほどの速さに目を見開く鈴仙。

いくらなんでも速すぎる。

幻想郷最速だというあの烏天狗にはいくらか劣るものの、ただの瞬発力でここまでの速度が出せるものなのか。

 

輝夜も想像以上の暁のスピードに驚いていた。

『永遠と須臾を操る程度の能力』を持つ輝夜。突き詰めれば、一種の時間停止すら可能となるその能力の特性を生かし、彼女は瞬間移動じみた超高速機動を行うことができる。

自分が高速で動く以上、相手の動きを見ることにもそれなり以上に長けている。

そんな輝夜ですら、彼の初動を見切ることは困難だった。

あの動きに合わせようとするなら、自分も能力を使って時を加速させるしか無い。

 

(でも、それはルール違反。この弾幕ごっこはあくまで暁の調子を確認するだけ。こっちが能力を使ってたら意味が無い……とはいえちょっと本気でやりたくなってきたわね…………!)

 

彼の動きに触発された輝夜は好戦的な笑みを浮かべ、振り返る。

彼はこちらに余裕の笑みを返してくる。

そして。

 

————クイ、クイ。

 

と、手招きで挑発。

それを見た瞬間、彼女は自分の顔に青筋が浮かんだのを自覚した。

 

「ふーん……そう。そういうことしちゃうんだ…………弾幕ごっこの練習が始まってから、一度も私に触れることすらできてないのに、そういうことしちゃうんだー…………」

「ひ、姫様? なんか、いささか冷静さを失ってるように見受けられますが……」

「……暁、そんなことをするだけの覚悟はできてるんでしょうね? 今なら取り消せば許してあげる。私は寛大だからね」

 

輝夜の表情から危ういものを感じた鈴仙が宥めようとするが、それを完全に無視して、輝夜は暁にニッコリと微笑む。

ただし、額には青筋を立てている。

 

それに対してジョーカーは少しの沈黙を挟み。

 

 

————フッ。

 

 

と、その言葉を鼻で笑った。

さらに怒りを煽りたてるその行動に、輝夜は手加減の一切を躊躇なく投げ捨てることを決断。

額の青筋が増えた彼女は俯き、若干震える声でぼそりと呟く。

 

「能力は無しって言ったけど…………()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()…………!?」

「姫様!? いくらなんでもそ——」

 

バッと顔を上げた彼女の手には既に一枚の符が握られていた。

慌てる鈴仙が何かを言おうとするが、時既に遅し。

 

 

「『永夜返し−上つ弓張−』…………!!」

 

 

彼女がそう唱えると同時。

無数の弾幕が全方位へと撒き散らされ始めた。

先ほどまでの弾幕が児戯に見えるほどの量と密度で。

 

鈴仙はそれ以上何も言わず、即座に踵を返して建物の中へと走る。背後から弾幕が迫るのを感じながらも全力で駆ける。

飛び込むようにして縁側から部屋へと転がりこみ、扉を閉める。

その扉に何発もの弾幕が着弾し、ものすごい音を立てる。それを必死に押さえながら、鈴仙は冷や汗を流す。

 

「あ、あっぶな…………! ギリギリセーフ…………!」

 

一瞬だが、本気で身の危険を感じた。

弾幕ごっことわかっていても、反射的に逃げてしまうほど、輝夜は弾幕に力を込めていた。

 

(暁、どんだけ怒らせたの……終わった後、死んでたりしないでしょうね……)

 

心配はするが、かといって外に出て実際に確かめるほど勇気は無い。

そもそも暁の自業自得でしかないので、あまり心配する気も起こらない。

 

 

……なんでこうなってしまったのか。

 

 

現実逃避ぎみに考え始める鈴仙はぼんやりと思い返す。

この二週間をどう過ごしてきたかを————




ちょっと趣向を変えて、回想形式からのスタートです。
ペルソナ5も途中までは回想で進んでいたし、一度試しに。
おそらくこれ以降は使わないと思いますが……

あとアルセーヌの詳細をば。
所持攻撃スキルは物理属性攻撃(ブレイブザッパー)呪怨属性魔法(エイガオン)全体呪怨属性魔法(マハエイガオン)
他には戦闘開始時に一定時間攻撃力上昇(マハタルカオート)防御力上昇(マハラクカオート)速度上昇(マハスクカオート)、氷結吸収、祝福吸収。

パラメータは速度極振りのMAX99で他の数値は適当。とにかく先手を取るのに特化。
速度極振りに速度上昇(スクカジャ)の状態なのでやたら速いわけです。
一定時間が経過すると速度上昇の効果が切れるので、そうなると速さは数段落ちます。
それでも速度だけに特化させているので充分に速いですけどね。


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四次元バッグ

幻想郷に来て三日目。

暁が起きると永琳の薬が効き、体に残っていた疲労は全て無くなっていた。

彼の協力者にも薬剤師がいたが、永琳は彼女と同じく天才と呼ばれる人種なのだろう。

 

感嘆しながら暁が朝食に向かうと、そこには難しい顔をした永琳と、彼女の表情を見て不安げにする鈴仙、素知らぬ顔でマイペースに食べているてゐの三人がいた。輝夜はまだ起きていないらしい。

 

「ごちそうさまー」

 

彼が座るとほぼ同時に食べ終えたてゐはさっさと食器を台所に運び、自室へと戻る。

暁はあまり箸が進んでいない二人に首を傾げる。二人のどちらに聞くか少し迷ったが、永琳に尋ねる。

 

「どうしたんです?」

「……あなたに話すことがあるわ。まずは博霊大結界について。……そして、外界の今の状態について」

 

彼女の言葉に目を見開く暁。

それは何よりも聞きたい情報だった。

真剣になった暁の雰囲気を感じた永琳は語る。

 

「結界は今のところ問題無い、とのこと。そして何より厄介なあの八雲の連中も、結界の維持にかかりきりでこちらには目もくれてない。これは私達には好都合ね」

「……八雲、というと。前聞いた名前ですね。八雲紫とかいう妖怪でしたよね?」

「そう。八雲紫とその式神である八雲 藍(やくもらん)、さらに八雲藍の式神の(ちぇん)。その三人が八雲。この幻想郷全体の管理者よ」

「なるほど。確かにそんな立場からの監視が無いというのは幸運ですね」

「…………」

「……で? それだけではないでしょう? あなたの顔を見る限り、あまり愉快なことになっているわけではないことはわかりますが…………外の世界は、どうなっているんです?」

 

沈黙する彼女に、落ち着いた口調で問う。

その言葉に背中を押されたのか、重い口をようやく開く永琳。

 

「止まっている…………だそうよ」

「はい?」

「止まっている。人も、動物も、植物も、無機物も。……そして時間も。全てが、完全に停止しているってこと」

「…………」

 

暁は虚を突かれたように、呼吸が一瞬止まる。

鈴仙はさっき師に教えられたその事実を改めて認識し、どうしようもない事態に言いようもない不安を覚える。

二人の様子を見た永琳も目を閉じる。

 

いくらなんでも想像の埒外、人知の及ぶ領域を遥かに逸脱している。輝夜の能力を使えば物体や空間の時を止めることはできる。だが、彼女でも全世界に影響を及ぼすほどの力は持ち合わせていない。

 

 

いったい、自分達は何を相手にしようとしているのか————

 

 

「そうですか。それは好都合ですね」

 

しかし、その思考は平然とした暁の呑気な声によって打ち切られる。

永琳は思わず目を見開き、唖然として彼の顔を見る。鈴仙も同じような顔をしてマジマジと彼を見つめている。

 

「…………え?」

「な、なんです? 何か間違ってます?」

「…………暁、とうとうおかしくなったの? 時間が止まってるのよ? それも、全世界で。何もかもが。師匠が言ってることの意味、わかってる?」

「わ、わかってるよ。だから、好都合……だよな? 俺がこっちで手間どってても現実では一切時間が経たないんだろ? 外に出られるようになるまでどれだけかかるかわからない現状、メリットでしかなくないか?」

 

自分の聞き間違いかと思い聞き返す永琳と、暁が現実を受け止めきれなくなったのかと心配する鈴仙の二人。

しかし暁は、逆に二人に聞き返されること自体が想定外だったらしく、自分が何か間違ったことを言っているのか不安になりだす。

 

「そ、そういう話をしてるんじゃなくて! 時間停止よ!? 時間停止! 姫様と同じ能力だけど、規模がまるで違うわ! こんなことが起きてるのに、なんでそんな平然と——!」

「あ、あー…………なるほど……いや、悪い。確かに時間が停止していたのは予想してなかったけど、俺はそのこと自体にはそこまで驚いてないんだ。なんせ、()()()()()()()から」

「……………………はぁ?」

「…………どういうこと?」

 

暁の答えに絶句する鈴仙。

代わりに永琳が引き継いで彼にそう聞いた。

彼も記憶を引っ張り出しながら彼女に答える。

 

「数ヶ月前のことです。ペルソナを発現した後に、俺が街を歩いていた時、周囲の物音や人々の声が突然途絶えました。何かと思い、辺りを見渡すと、そこは全てが静止した世界でした。ペルソナといい、意味不明なこと続きで……」

 

そこで一呼吸おいて、続ける。

 

「事態をまったく飲み込めず、俺が混乱してるうちに何事もなかったように周囲は元通りになってました。それ以降は何もなかったし、精神的な疲れからくる白昼夢か幻覚でも見たのかと思ってましたが…………どうやら幻覚ではなかったみたいですね」

 

肩をすくめ、淡々と語った暁。

永琳と鈴仙はもはや何も言えなかった。

 

「ペルソナといい、パレスといい。そしてこの幻想郷だってそう。世界には未知が溢れてます。…………もう慣れましたよ。いちいち驚いてられません」

 

——それより、せっかくのごはんが冷めてしまいますよ。さ、食べましょう。

 

そう言って彼は苦笑した。

 

 

 

朝食後、彼は鈴仙に話しかけた。

 

「なあ鈴仙。連日で悪いんだけど、ちょっと付き合ってくれないか?」

「…………何?」

 

さっきの話をまだ少し引きずっているのか、若干返答が遅れる。

 

「妹紅さんのところに行きたくてさ。どこに住んでるかくらいは知ってるだろ?」

「……まあ、知ってはいるけど。なんで?」

「まだお礼に行けてないから、できるだけ早いうちに行っておきたいと思って。やっぱダメか?」

「…………いいわよ。私個人としてはあいつと会うのは気が進まないけど……師匠からも暁の手伝いをするように言われたし。暁一人でここから出ても帰ってこれないしね」

 

思っていたよりすぐに折れてくれた鈴仙に頭を下げる。

 

「助かる。いつから出れる?」

「別にいつでも。けどお礼に行くって、手ぶらで? あんまりよく知らないけど、こういう時は何かしら手土産を持って行くのが相場じゃない? 香霖堂に寄って適当に見繕ってくる?」

「あ、そこは問題無い。俺のバッグの中に贈り物も何種類か入ってるから、そこから選んで渡すよ」

 

いつの間にやら傍らに置いていたバッグをポンポンと叩く暁。

鈴仙はそれを聞いて一つの疑問が浮かんだ。

 

「…………ねえ、あなたのバッグには何がどれだけ入ってるの? 昨日のスプレーとかタオルとか、それにお金も。いくらなんでも詰めすぎじゃない?」

「お? なんだ、知りたいか? 知りたいか??」

「…………さっさと行くわよ」

「えっ、ちょっ」

 

おもちゃを自慢する子供みたいなことを言い出した暁にイラっときた鈴仙は立ち上がる。

まさかスルーされるとは思っていなかった彼は引き止めようと鈴仙に声をかけるも、彼女は戸を開け、外に出ていった。

 

慌てて立ち上がり、こちらの後を追おうとする暁を視界の端に収めながら鈴仙はどこかスッキリした顔になっていた。

 

(ふふ、ようやく暁を出し抜いてやった。姫様や師匠だけじゃなく暁にまでいいようにされてたら身がもたないわ! こちらのペースに巻き込んでやる!)

 

小さくガッツポーズをする鈴仙。

幾分得意な気分になっていた彼女は、しかし大事なことに思い当たり、特徴的なそのウサ耳をへにょりと萎れさせる。

 

(…………でもその代償にバッグについてはわからないままね。うう、知りたい……けどもう聞けない…………!)

 

小さな満足感と引き換えに、彼のバッグについて知る機会は失われてしまった。

早まった行動だったかと後悔しかける鈴仙に、ちょうど追いついてきた暁が声をかける。

 

「待ってくれって。興味が無いのはわかったから、置いて行かないでくれよ。もうこの話はしないから」

「…………ええ、そうね…………」

 

先に行った理由を「バッグの話がどうでもよかったから」だと思っているらしい暁に訂正することもできず、表面上平静を装う鈴仙。

彼女は貴重な機会をみすみす逃したのではないか、と妹紅の家まで歩きながらずっと内心で煩悶することとなった。

 

 

「ごめんくださーい。妹紅さん、いらっしゃいますかー?」

 

鈴仙に案内された妹紅の家は竹林の奥深くにあった。

質素な造りの一軒家。暁は扉をノックしながら呼びかける。

 

やがて中で物音がし、次第に足音が近づいてくる。そして扉が開く。

 

「…………お前は」

「どうも。先日は大変お世話になりました。あの時言った通り、お礼に伺いました」

「……………………本当に来たのか。律儀というか、物好きな奴だな」

「いや、当然のことでしょう。助けてもらった上に道案内もしていただいて、お礼の一つもしないというのは……」

(……なんか、釈然としない。いや、敬語を止めさせたのは私の方からなんだけどさ……)

 

呆れたように笑う妹紅に、真面目な顔でその言葉を否定する暁。

そして鈴仙は暁の丁寧な態度になんとなく不機嫌になる。

 

「わざわざ来てくれてありがとう。じゃあ、帰りは気をつけろよ?」

「え、ちょ、待ってください。まだお礼の品を渡してないですよ。お邪魔なようならすぐ帰りますので、せめてそれだけは受け取ってください」

 

訪れて早々に話を打ち切ろうとする妹紅に焦る暁。

彼の言葉に目を瞬かせる妹紅。

 

「はあ? いや、いいよ。そこまで気をつかわなくても」

「気をつかうというより、そうでもしないと俺の気が済まないです。つまらないものですが、どうか……」

「や、わかったから! 頭を上げて! 受け取る、受け取るよ!」

「…………そうですか。よかった」

 

談笑する二人を眺めながら鈴仙は近くに落ちていた石を蹴る。

……何故だか思っていたより力が入り、勢いよく飛んでいく。

 

暁はゴソゴソとバッグを漁り、中からいくつかの物を取り出す。

 

「えーと……香水、お香セット、ルージュ、リング、ネックレス、花瓶、扇子…………あたりですかね。妹紅さんはどれか気に入ったものとかあります?」

「…………えっ」

「妹紅さんは赤と白で統一したコーディネートのようですし、俺としてはこのルージュがいいんじゃないかと思いますね。妹紅さんは色白ですし、さぞ綺麗に映えるのではないかと」

「いや、その」

「あ、別に選ぶ必要もないですよ。なんでしたら全部差し上げ————」

「ちょっと待ちなさいっ!!」

「——マ゛ッ…………! い、いきなり何するんだよ、鈴仙……?」

 

駆け寄ってきた鈴仙に全力で頭を叩かれ、暁は話を中断する。

目尻に薄く涙を滲ませながら鈴仙の顔を見る。その隣に立つ妹紅はホッとした様子で鈴仙に感謝の視線を送る。

 

「どういうことよ!! なんでバッグから次から次にそんな物ばっか出てくんのよ!!」

「なんで、って……いくつか贈り物は持ってるって言ったじゃん……」

「こんなに多いなんて思ってないわよ! だいたい花瓶って何!? なんでそんなのバッグに入れてんの!? 割れるでしょ!! 馬鹿じゃないの!?」

「そんなの入れ方次第だろ……実際割れてないし……痛い」

「そもそもどれもこれも明らかに高級品じゃない! なんでこんな物持ってるのよ!」

「お礼の贈り物なのに安物とか頭おかしいだろ大丈夫か鈴仙」

「ア゛ァァァァァッッッ!!!!」

「ゴフッッッ!!」

 

答えになっていない上に煽られた鈴仙は反射的に渾身の右ストレートを怒声とともに叩き込む。

そして腹を押さえて崩れ落ちる暁を冷徹な目で見下ろす。

 

「お、おい大丈夫か!? 鈴仙ちゃん、いくらなんでもやり過ぎだろ!」

「ソイツにはそれくらいで良いのよ。私はこの三日で学習したの」

「この三日で何があったんだ……」

 

次から次に出てくる品物に思考が停止し、流暢な暁の言葉に反応できずにいた妹紅。

最初は鈴仙の割り込みに「助かった」と側から呑気に見守っていたが、暁が沈んだのはさすがに看過できなかったらしい。

 

「それで、どうすんの?」

「え?」

「何を選ぶのかって話よ」

「いや、こんな良い物どれも貰えないよ。というかこっちの心配が先じゃ……」

 

妹紅は静かに悶える暁と鈴仙を交互に見る。

 

「どうせすぐに平気な顔で立つから問題無いわ。それよりも早く選びなさいよ。選ばなかったら結局全部受け取らされることになるわよ」

「え、ええっ!?」

「そういう奴だからね。で? どれにすんの?」

「ちょっと待って……こんなの決められないって…………」

「ソイツが立ち上がるまでが猶予よ。なんなら、()()する?」

「待って、落ち着いて。決める、決めるから。だからその振り上げた拳を下ろして。これ以上は見てられない」

 

紛れもなく本気だと告げる鈴仙の目。

妹紅は暁のためにも必死で欲しいものを考える。

 

 

(…………お香と扇子はなんとなくアイツを思い出させるから却下。花瓶も飾る花が無いし、飾る趣味も無い。残るは香水と口紅と指輪、首飾り…………)

 

 

悩みに悩んだ妹紅。

やがて、決断を下して暁の出した品のうちから一つを取る。

それを見た鈴仙は感情を窺わせない平坦な声を出す。

 

「……結局、それにしたんだ」

「う、うん。指輪とか首飾りはつけるのが面倒になりそうだし、香水とどっちにするか悩んだんだけど……せっかくだから、勧めてくれたコレにする」

「…………ふぅん」

「な、なんだよ。柄じゃないのは自分でもわかってるよ」

「…………別にー」

 

そう言って、鈴仙は妹紅が選んだ品——ルージュから目を逸らした。

 




RPGの宿命ですが、「持ち物」って明らかに持ち運べる量をオーバーしますよね。
それを納得いくように解決するにはギャグ時空しか無い……!



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プレゼントフォーユー

そういえば、いつのまにかUAがまさかの5桁の大台に。
読者のみなさん、本当にありがとうございます。
作品の感想をくれるのはすごく助かります。自分が思うように作品を作れているかの指標は、やはり読者の反応からしか得られませんので…………
9点評価くれ、なんてアホみたいなお願いを叶えてくれた聖人の方々にも頭が上がりません。

これからも頑張っていきますので、何卒応援のほど、よろしくお願いいたします。



少し時間が経つと、鈴仙の言った通りあっさり立ち上がった暁に驚きながら、妹紅は彼にルージュを見せる。

暁は受け取ってもらえたことに喜びながら礼を言い、鈴仙と一緒に立ち去る。

 

去り際に妹紅から「別に迷惑とか邪魔なんて思ってないからな」と念押しされた彼は「ではまた来てもいいですか?」と返して承諾をもらい、いつになるかは未定の約束をとりつけていた。

 

 

そして今。

 

「…………」

「……鈴仙。未だに理由がわかってない俺に教えてくれ。なんでずっと黙ってるんだ? さっき言ったことが原因なら俺が悪かったから、機嫌直してくれよ」

「…………不機嫌になんかなってない」

(いや、なってるよな?)

 

見るからに不満気な鈴仙。

しかしそこを指摘しても怒らせるだけになると判断し、彼はその言葉を口にはしなかった。

 

「……そうか」

「…………」

「…………」

 

諦めた暁はこれ以上事態を悪化させないように自分も沈黙することを選ぶ。

そうしてしばらく黙々と歩いていると、鈴仙が口を開いた。

 

「…………ねえ」

「な、なんだ?」

「昨日、師匠に怒られた後にやった組手もどき。今からちゃんとした形でやりましょう」

「……え、え? 何故いきなり……いや、いいけどさ。俺、人を相手にした組手とかやったことないぞ」

 

困惑しながらも頷く暁の言葉に、前を歩いていた鈴仙が振り向く。

 

「はぁ? 適当な嘘つかないでよ。どう見ても素人の動きじゃなかったでしょ」

「嘘じゃない。木人を相手にしてただけで、人とは一度もしたことない。イメージトレーニングはしてたけど」

「なんでそれで私の動きに対応できるのよ……つくづく意味わからないわね……」

 

頭が痛くなるような錯覚を覚え、こめかみを押さえる鈴仙。

 

「…………とにかく、とっととやるわよ。ほら。構えて」

 

彼女は暁から数歩ぶん離れ、腰を落としてファイティングポーズをとる。

まだ戸惑いながらも暁も構える。

 

「えーと…………そもそも鈴仙は組手とかできるのか?」

「師匠から聞いてないの? 私は元軍人よ?」

「えっ」

 

不思議そうに聞き返された彼は驚愕のあまり表情が固まる。

 

「だから遠慮なくかかってきなさい。私も全力で叩き潰してあげるから」

「…………いやいやいや! 無理だろ! 元軍人相手にただの素人が勝てるわけ——」

「あなたはただの素人じゃないから大丈夫…………よっ!」

「————ッ!」

 

一足で距離を詰めてきた鈴仙の鋭いジャブを咄嗟に避け、間髪を入れずに迫るストレートを手刀で逸らす。

弾いているにも関わらず、手が少し痺れるほどの威力。

冗談でも遊びでもないと認識し、暁は鈴仙の次の挙動を冷静に観察する。

 

狙い通りに暁が本気になったことを感じとった鈴仙は小手調べを止めて、正真正銘の本気を出す。

 

 

暁は鈴仙が牽制に放つジャブをしゃがんで避け、そのままローキックで足を刈りにいく。それを跳ねて躱した鈴仙はその勢いを利用して空中前回りしながら右足で踵落とし。

横に転がり回避する暁。外した鈴仙もすぐに体勢を立て直して追撃にかかる。

体を低くした状態で瞬時に暁に近づき、その速さを乗せた掌底を鳩尾めがけて放つ。その一撃は腕を交差した暁にガードされるが、空いている左拳でガラ空きの脇腹にボディーブロー。

 

「グッ…………!」

 

暁は苦悶の表情で呻くが、バックステップ。仕切り直しを図る。

しかし鈴仙はそれを許さない。

 

「甘い!」

「…………チッ!」

 

バックステップに合わせて大きく踏み込んでハイキック。

暁は側頭部を狙ったそれを左手で掴み、動きを封じた状態で右手の突き。しかし鈴仙はそれを左手で相殺する。このままでは埒があかないと判断した暁は右手でも足を掴み、体を捻りながら一気に振り回す。

 

「わっ! ちょ、何すん————」

「こうするん、だよ!」

 

そうなると軽い鈴仙は必然的に浮き上がる。その瞬間、もう片方の足を右手で掴んで、そのままグルングルンと自分も回りながら振り回す。

俗に言う、ジャイアントスイング。

 

「わわわわわわ! や、やめ! やめて!」

 

さすがにこれには鈴仙も対応できない。

焦る彼女の声を聞いてニヤリとした暁はさらに回転の速度を上げる。

このまましばらく回り続けて降参を促すか、あるいは一気に手を離して放り投げようかと考えた彼だったが……不意に浮かんできた疑問があった。

 

(…………ちょっと待て。勢いに流されてつい普通に戦ってたけど、相手は女の子だぞ。女の子をジャイアントスイングして地面に叩きつけるって、一人の男としてどうなんだ…………?)

 

我に返った彼は、そのまま鈴仙を放り投げることを躊躇する。

先ほどまで普通に蹴ったり突いたりしようとしてきたことにはこの際目を瞑る。どれも結局彼女には当たっていないからまだセーフだ。

だからといって無理に回転を中断することもできない。

仕方なく、徐々に速度を緩めようとした彼は重大な問題に気がつく。

 

(……ヤバい、酔った……)

 

何度も回り過ぎて、彼の三半規管が耐え切れる限界を超えてしまった。

 

——このままでは吐く。今すぐ手を離して止まらないとダメだ。

——しかし手を離すと鈴仙がどうなるか。

——こうなったら…………!!

 

緊急事態に高速で働く彼の頭脳は一つの解を導き出す。

 

次の瞬間、怪盗へと変身した彼はそのまま手を離して鈴仙を放り投げる。

 

「ひゃあぁっっ!! …………え?」

 

悲鳴を上げて宙を舞う鈴仙をよろめきながら視界に収め、【アルセーヌ】を呼び出してキャッチさせる。

うまくキャッチできたのを確認したジョーカーはそのまま地面に倒れこむ。

 

そのまま喉奥からせり上がってくる吐き気を抑えこみながら、目を閉じて深呼吸し、一刻も早く吐き気が消えることを願う。

 

「スー……ハー……スー……うぷっ……」

「暁! だ、大丈夫?」

 

苦しげにする彼のもとに、【アルセーヌ】から下ろしてもらった鈴仙が駆け寄ってくる。

さすがにこれ以上組手を続けようとはせず、心配そうにしながら彼の背中をさする。

しばらくすると彼は変身を解除し、仰向けになる。

 

「…………ありがとう。おかげで楽になったよ」

「いや、私こそ助けてもらったし……なんでわざわざあんなことしたの? さっさと手を離していればよかったのに」

「……いやぁ、それは男としてやっちゃいけないことだと思って…………」

「…………はぁ? そんなこと気にしてたの? 組手やろうって言ったのは私だし、あれくらいじゃ怪我もしないわよ?」

「そういう問題じゃなくて、こう、意地とか矜持的な……?」

「途中まで普通に戦ってたのに今さら何言ってんのよ」

「返す言葉もございません…………」

 

呆れ顔の鈴仙の一言にぐうの音も出ない暁。

顔を片手で覆って居た堪れなさげにする暁に吹き出した鈴仙は、彼のもう片方の手を掴み、引っ張り起こす。

 

「ふふっ。ほら、立てる?」

「はい……」

「もう……くだらなすぎていろいろどうでもよくなっちゃったわよ……」

 

笑いながらそう言った鈴仙の言葉で、はたと何かを思い出した様子の暁。

 

「……そういや、なんで組手しようとか言い出したんだ?」

「…………」

 

途端に固まる鈴仙。

彼女は訝しげな暁と視線を合わせないようにゆっくり目を逸らす。

 

「……は、早く帰らない? 師匠も心配するとおも」

「そもそも不機嫌だった理由もよくわかってないんだけど」

 

なんとか誤魔化そうとする鈴仙を気にも留めず、首を傾げて何気なく呟く暁。

彼は自分の言葉で何かに思い当たったように、ふと目を見開く。

 

「…………ん? ……なあ、まさかとは思うが、組手をやろうって言い出した理由……()()()()()()()()()()()()()()……なんてことないよな?」

「……い、いやー? まさかぁ」

 

彼の言葉で笑う鈴仙。

しかしその顔には一筋の冷や汗が浮かんでいる。

 

「…………おい」

「……………………」

 

半眼になった暁はやや低くなった声を出す。

鈴仙はそれに返事をしないかと思えば——

 

「…………そ、そうよ!! その通りよ!! それが何か悪い!?」

 

一転、逆ギレを始めた。

 

 

「だいたい、なんでアイツにはあんな丁寧なのよ! 私に対してはすごい雑なくせに!」

「は、はあ? いや、妹紅さんは一番最初に助けてもらった相手だし、丁寧にもなるだろ。鈴仙に関しては自分から敬語止めろって言ってたじゃ」

「それに!」

 

反論を遮り熱弁する鈴仙。

 

「アイツにあんなのあげるなら、姫様や師匠とかにもちゃんと渡しなさいよ!」

「……お、おお……まあ、うん。そうだな。確かにその通りだ。永遠亭に帰ったらちゃんとわた」

「百歩譲って! 姫様や師匠に渡さないとしても! ここ数日ずっと手伝いしてる私には渡すのが筋ってもんでしょ! なんでアイツの方が先なのよ!」

「えっ」

 

続けて飛び出た彼女の暴論に思わず言葉が詰まる暁。

 

自分(そっち)の方が優先順位上なのか!? 従者としてそれでいいのか!?)

 

衝撃を受ける暁だったが、とにかく鈴仙の怒りを鎮めるためにひとまず頷き、同意の姿勢を見せる。

 

「わ、わかった。気が利かなくて悪かった。ちゃんと鈴仙にも渡すから、許してくれ、頼む」

「…………ふん。わかればいいのよ。わかれば。許してあげる」

「……あ、ありがとう…………?」

 

八つ当たりで組手を挑まれた挙句、かなり強烈なボディーブローを喰らった自分が謝ることになっている現状にどうにも釈然としない暁だったが、一応礼を述べる。

 

「……それで、鈴仙はあの中なら何がよかった?」

 

とはいえ気にしていてもしょうがない。

彼は気持ちを切り替えて彼女にそう尋ねる。

 

「何か気に入ったのがあればそれを渡すし、無かったなら他に渡せる物を探すけど……」

「ええと……残りは香水と、お香、リングとネックレス、花瓶……だっけ」

「それと扇子だな」

「ああ、それもあった。うーん、どれにしようかしら……」

 

特に決めてはいなかったのか、その場で考え始める鈴仙。

 

「…………じゃあ、リングがいいかな?」

「おお、リングか。ちょっと待ってくれよ……はいコレ。落とすなよ」

「ん! ありがと!」

 

満面の笑みで嬉しそうに受け取る鈴仙。

それを見て暁もほっとしたように笑う。

 

「そこまで喜んでもらえてよかった。なんでそれにしたんだ?」

「え? なんとなく、一番高そうに見えたから?」

「…………そうか。その……大事にしてくれよ」

「もちろん! 大切にするわ!」

 

鈴仙は先ほどと同じ笑顔のはずなのに、それを見てもどうにも心が晴れない。

大切にすると言ってはくれたが、何故だろう。

数日後、香霖堂の店先にこのリングが並んでいるような気がしてならないのは…………

 

不安と疑念が入り混じった視線を暁に向けられていることにも気づかず、嬉しそうに手の平の上のリングを眺めている鈴仙。

 

彼女はしばらくそうしていたが、眺めるのに満足したのか、それをポケットにしまう。

 

「……つ、つけないのか?」

「え? いや、つけたいけど姫様や師匠に見られたら何言われるかわからないでしょ。暁があの二人にも渡した後ならつけられるわ」

「…………そ、そうか……落とすなよ?」

「それ、さっき聞いたわよ」

「いやぁ、心配でさ……」

「私はそこまでドジじゃないわよ。それより早く帰りましょ!」

「ああ、うん…………」

 

充分納得いく説明を受けたはずなのに不安を拭いきれない暁だったが、上機嫌に歩き出した鈴仙についていく。

 

「誰かに贈り物とか貰ったのいつぶりかなー! たまーに、やってくる患者さんが何かくれたりするけど、私にというより『永遠亭』に対してだからなぁ。それもだいたいが果物とかだし」

「……そうか」

 

暁は道中ずっと鈴仙の話に相槌をうちながら、彼女を信じていいのか悶々とすることとなった。

 

 

 

「わざわざありがとう。大切に使わせてもらうわ」

「なかなかいい扇子じゃない。気に入ったわー。ありがとねー」

「いえいえ、喜んでもらえて俺も嬉しいですよ。それでは、失礼します」

 

そう言って二人がいる部屋を後にする暁。

永琳にはネックレス、輝夜には扇子を渡した。両方とも気に入ってもらえたようだ。

 

安堵しながら廊下を歩いていると鈴仙がこちらを待っていた。

 

「どう? 渡してきた?」

「うん。ネックレスと扇子を。二人とも喜んでくれたよ」

「そう。ならもうリングをつけても大丈夫かな」

 

そう言った彼女は早速ポケットからリングを取り出して、右手の中指にはめる。

 

ためすすがめつしながらニコニコと微笑む彼女を見て、ようやく安心した暁。

 

(本気で喜んでくれてるみたいだし、大丈夫だよな。売られるんじゃないかとか、失礼な考えだったな。反省しないと——)

 

「ねえ、暁?」

「……ん、なんだ?」

 

 

「参考までに、これいくらしたのか聞いてもいい?」

「……………………」

 

 

(…………し、信じていいんだよな…………?)




右手の中指に指輪をする意味は「行動力」「迅速さを発揮する」「直感力や行動力を高める」だそうです。
鈴仙はそれを知っていたわけではないですが、なんとなく彼女に必要な要素な気がしたので。

スキルぶっぱとかじゃなくてガチ格闘の描写は難しいですね……
無理のない動きを想像しながら頑張りましたので、もしツッコミどころが有ってもどうかスルーしてやってください……


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The beautiful world

妹紅の家を訪れてから三日が経った。

 

その間、暁は離れの天井の梁を利用したぶら下がり腹筋をしたり、迷いの竹林をあてもなく走りまわり、時には妖怪に追いかけられ。そして日が沈みはじめると竹林の上空まで【アルセーヌ】に掴まって浮上し、上で待っていた鈴仙と合流して永遠亭に帰る、ということを繰り返していた。

 

早い話、筋トレである。

 

 

 

「あ、永琳。渡していたアレ、解析できました?」

「ええ。再現にも成功したわ。多少改良も加えておいたから、効率も上がるはず」

「さすが! もう受け取れますか?」

「大丈夫。私の机の上に置いてあるから、自由に持っていって。あと、服用の際に水は要らないから」

「了解しました。早速試してみます」

 

暁が永琳に頼んでいたのはプロテインの複製である。

外の世界で筋トレ用に購入したプロテインだったが、個数に限りがあったため、おいそれと使えるものではなかった。

そこで彼は『あらゆる薬を作る程度の能力』を持つという永琳にプロテインを渡してみた。

そして彼女は見事に期待に応え、プロテインの複製を達成してくれたのだ。

 

手を振る永琳に頭を下げてから、彼女の仕事部屋に入る。

部屋の中は薬やその材料が溢れんばかりに収まる棚が左右にズラリと並んでいる。その棚に惹かれるものはあるが、今はそれより大事なものがある。

 

視線を左右から前に戻し、正面に見えている机、そしてその上に置かれるいくつかのカプセルを確認する。

あれが永琳の再現したプロテインだろう。

 

歩いて近寄り、置かれているカプセルのうち一つだけ残し、他はポケットにしまう。

残したカプセルを親指で上に軽く弾き、放物線を描くそれを一息に飲み込む。

 

「んん…………よし。それじゃ今日も始めるか」

 

そう言って、暁はその日も厳しいトレーニングに一日を費やした。

 

 

————暁が幻想郷に来てから一週間と二日が経過し、彼はそろそろ最初の標的を探すことにした。

しかし彼は幻想郷にどんな場所があってどんな人々がいるかほとんど知らない。

知っているであろう鈴仙や永琳に聞こうかとも思ったが、あいにくと今日は忙しい様子で、朝からずっと部屋で薬の実験をしている。

輝夜は寝ている。

残るはてゐだが、彼女は朝食が終わった後、ふらりとどこかに行ってしまった。

 

(うーん…………あ、そうだ。霖之助さんを頼ろう)

 

この状況で唯一助けになる人物を思いつき、彼は永遠亭を出て香霖堂へむかった。

 

 

「やあ、いらっしゃい。調子はどうだい?」

「上々です。この数日はずっと体を鍛えてました。素の肉体でも動けるようにしないと、ってあの時実感しましたから……」

「なるほど。まあ、あの量を運ぶのは成人男性でも相当しんどかったと思うし、そこまで気にすることはないと思うが……体を鍛えるというのはいいことだね」

 

それからしばらく霖之助と挨拶代わりの雑談をし、本題に入る。

 

「ところで霖之助さん。俺にこの幻想郷の地理や住人について教えてくれませんか?」

「それでわざわざここに? 永遠亭の人達には聞かなかったのかい?」

「あいにくと都合が悪くて……最初の標的を選ぶためにもなんとか知りたいんですが」

「そうかい。じゃあ僕がわかる範囲で教えよう。そこまで詳しいわけじゃないが、最低限のことは伝えられるんじゃないかな」

「助かります」

 

霖之助はいったん店の奥にひっこみ、やがて古びた一枚の紙を持ってくる。

商品が雑多に並ぶ机の上にそれを広げ、暁を手招きした。

 

「とりあえずこれを見てくれ」

「これは……幻想郷の地図ですか」

「そうだ。僕達が今いるのはここだ」

 

地図の一点、『香霖堂』と書かれた場所を指で示しながら霖之助は説明をはじめる。

 

「君が居候している永遠亭から左の方角へとむかうと僕の店に着く。しかし右だと——ほら、ここだ」

 

地図をなぞりながら丁寧に教える霖之助。

彼が次に指し示したのは『人間の里』と書かれた場所。

 

「最初の標的というなら、ここがいいだろう。この幻想郷に住む人間は基本的にこの里に住んでいる。まずはここで肩慣らしをするべきだろうね」

「そうですね。強力な妖怪とかにいきなり挑むわけにもいきませんし、まずは人間相手じゃないと」

 

霖之助の助言に頷く暁。

 

「それでこの人里というのは、普通の人間だけが住んでいるんですか? 異常に強い何者かがいたりとかは」

「ないね。あ、いや……例外はいるか。寺子屋で子供達を教えている女性が一人いるんだが、彼女——上白沢 慧音(かみしらさわけいね)は純粋な人間ではなく、半獣人だ」

「ふむふむ……戦闘能力とかはどうですかね? 弾幕ごっことか」

「できるらしい。とはいえ、好戦的な性格でもなくて至って温厚な女性だ。君がわざわざ彼女に敵対するような行動をしない限り、特に問題は無いと思う」

「なるほど。つまり、その女性は標的にはできないわけですか。なら、逆に狙うべき相手みたいなのはわかりますか?」

「おあつらえ向きの相手がいるよ。人里を纏める有力者の家、『()()()』だ」

 

暁の問いにニヤリと笑った霖之助は眼鏡をくいっと押し上げる。

 

「そこの人間は飛び抜けた戦闘力を持つわけでもない、ただの人間だ。しかも人里で知らない者はいないほど有名な家。話題性は抜群になるだろう」

「……これ以上ないほど好条件ですね。わかりました。そこにします」

 

霖之助の言葉を聞いて、同じように悪役じみた笑みを浮かべる暁。

そして表情を真面目なものに戻し、再び地図に視線を落とす。

 

「最初の標的は決まりましたから、次は他の場所についてお願いします」

「他の場所についてはほとんどが行ったこともないし、伝聞でしか知らないから概要だけになるが……それでいいかい?」

「大丈夫です。前提だけ知っていれば、残りは永遠亭の人に教えてもらいますから」

「それなら、まずはここ、『魔法の森』。ここには妖怪が大量にいる上、様々な魔法のキノコがあちこちに生えている。胞子の対策もせずに普通の人間が踏み込むのは自殺行為だね。対策をしていても妖怪まではどうにもならないし、基本的に人間は住まない場所だが……この森に住んでいる者は二人いる。そのうち一人は僕の知り合いだ」

「知り合い、ですか?」

「霧雨魔理沙という少女でね。昔彼女のご両親にお世話になった縁があって、時々面倒を見ている。魔法を使えるが、()()()()()()人間だ」

 

霖之助の妙な言い回しに引っかかるものを覚えた暁は首を傾げて尋ねる。

 

「種族としては? どういう意味です?」

「この幻想郷には『魔法使い』という種族がいるんだ。生まれつき魔法を使える、純然たる魔女。それが『魔法使い』さ。この森に住むもう一人はまさしくその魔法使いだね。彼女の名前は、アリス・マーガトロイド。人形を操る魔法を使うと聞く。たまに人里で人形劇を披露しているそうだ」

「はー…………魔法使い、という種族ですか……外の人間の感覚としては妙な感じがしますね」

 

暁は霖之助の説明に納得する。

 

「僕が詳しく教えられるのはここくらいまでだね……他は本当に大雑把な情報しか知らないな。天狗や河童が住むと言う、『妖怪の山』と、その近くにあるという『守矢神社』。妖怪との共存を望んだという尼僧と妖怪が住む『命蓮寺』。『霧の湖』のほとりに建つ『紅魔館』は吸血鬼が主人だという」

 

「あとは…………強力な花の妖怪がいる『太陽の畑』、鬼や忌避される妖怪達が暮らす場所の『旧地獄』や、幽霊がたむろする『冥界』、不老不死の天人達が暮らすという『天界』……まあ、そのくらいかな。これでも全ては語りきれてはいないけどね」

 

言葉を結んだ霖之助。

暁は彼の語った内容に圧倒され、大きく息をついた。

 

「はぁー…………つくづく凄い場所ですね、幻想郷というのは。どこもかしこもなんというか、個性的で……冥界やら地獄やら天界やら。概念じゃなくて場所としてそんなものが存在してるってことだけでもうお腹いっぱいですよ…………」

「ははっ、君の挑むことがどれほど無謀なことかようやくわかったかい?」

「言わないでください…………口車に乗せられたことを絶賛後悔中です……」

 

幻想郷に名前を売る、ということが想像以上に難題だと把握した暁は頭を抱えて呻く。

 

「うう……だけどやるしかないんだよな……大丈夫かな…………今さら不安になってきた……」

「まあまあ。今からそんなことを言っていても始まらないだろう。まずは人里から、だろ?」

「はぁ…………そうですね。弱気になってる場合じゃないのも、わかってます」

 

ため息をつきながらも、気持ちを切り替えて霖之助を見る暁。

 

「とりあえず、永遠亭に帰って計画を練ることにします。今日はありがとうございました」

「協力者としてこれくらいのこと、お安い御用さ。何かあればまた来てくれ」

「はい。それでは、お邪魔しました」

「気をつけて帰りたまえよ」

 

 

霖之助に頭を下げ、帰路につく暁。

歩きながらこれからについてさまざまな思案を巡らせていたが、竹林に着いてしばらくして大事なことを思い出す。

 

(…………あれ、そういえば……鈴仙がいないのに、永遠亭にどう帰ればいいんだ?)

 

顔から血の気がスッと引くのを感じる。

迎えを期待するにしても、永遠亭の誰にも外出することを伝えてないので望み薄だ。そもそも彼がいないことをまだ知らない可能性すらある。

 

(…………じ、自力で探すしかないのか…………!)

 

諦めて竹林の中に足を踏み入れる暁。

なんとか日の高いうちに永遠亭にたどり着くことを願いながら、ただひたすら歩き出す。

 

——案の定永遠亭にはたどり着けず、偶然竹林で出会った妹紅に案内してもらうのはそれから数時間後のことである。

 

当然ながら、日はすっかり沈んでいた。

 

 

 

「…………まったく、せめて一言かけなさいよ。私はあなたの手伝いをするって言ったじゃない」

「ごめん……忙しそうだったし、声をかけるのに気が引けてさ……」

 

呆れかえった鈴仙にうなだれる暁。

それを見る永琳は苦笑し、輝夜はケラケラと笑う。

 

「あはは! 暁も案外間が抜けてるわねー!」

「無事に帰ってこれたのはよかったけど、うどんげの言うとおりよ。これからはちゃんと誰かを連れて行きなさい?」

「面目無いです……」

 

もっともな永琳の言葉にぐうの音も出ず、ますますうなだれる暁。

それを見る輝夜はますますおかしそうに笑う。

 

そこに戸が開き、ピョコっとてゐの顔が覗く。

 

「ごはんできましたよー」

「ふふっ……わかった、今から行くわ。今日の献立は?」

「適当にありあわせで作ったのと、昼間人里で買ってきた魚ですー」

 

笑いがおさまらないまま、輝夜はてゐとともに先にいく。

永琳と鈴仙は未だにうなだれたままの暁を見て、互いの顔を見合わせ、苦笑。

 

「ほら、いつまでも引きずってないで。冷めちゃう前に食べましょう」

「早くこないと私達であなたのぶんも食べちゃうわよ?」

「そ、それはやめてくれ! 数時間歩き通しで限界まで腹減ってるんだ……!」

 

永琳と鈴仙は彼に声をかける。

鈴仙の言葉に弾かれたように反応した暁は慌てて立ち上がる。

 

「それなら、なおさら食べないとダメじゃない。さ、行くわよ。もたもたしてると…………」

「待て、ちょ、マジでやめて! 食べないで! ぐっ…………は、腹減りすぎて、声出すのも、辛い…………」

 

スタスタと歩いていく鈴仙に追い縋ろうとする暁だったが、腹を押さえて壁に寄りかかる。

それに苦笑の度合いを深くし、永琳は彼の肩を支える。

 

「ほら。手伝ってあげるわよ」

「何から、何まで、本当に、すいません…………」

 

 

彼女に支えられ、食卓までなんとかたどり着いた彼は満腹になるまで夕食を詰め込み、そのあまりの食いっぷりに再び一同の笑いを誘うこととなった。

 




準備をとっとと終わらせて話を進めたい……!
話がなかなか進まなくて本当にすいません……

幻想郷の地理についてはニコニコ静画に「柊アザト」様がフリー素材として上げられていたものを参考にしております。
興味のある方は「幻想郷 地図」で検索していただければすぐヒットするかと思います。


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ソウルフード

「今日は俺が昼飯を作るよ」

「え?」

 

翌日、暁は朝のトレーニングを途中で切り上げ、外で洗濯物を干していた鈴仙に話しかけた。

縁側にいるこちらをきょとんとして見つめる彼女に説明する。

 

「輝夜さんに約束してたんだよ。忘れる前にちゃんと実行しようと思って」

「そうなの? じゃあ、お願いしようかしら。台所にある物の配置とかわかる?」

「ここ何日か片付け手伝ってたからだいたいはわかる。強いていうなら、使っていい食材がわからない」

「なんでも使っていいわよ。ただ、あんまり使いすぎるのはやめてね」

「了解。しかし、あれだよな。普通に冷蔵庫とかあったのはさすがに驚いたよな」

「何言ってんのよ。私が何日か前に冷蔵庫から食材取り出してるの、椅子に座って眺めてたじゃない。その時は普通の顔してたのに、何を今さら」

 

暁は自分に背中を向けて、洗濯物を干す作業に戻った彼女の言葉に反論する。

 

「いやいや、幻想郷の文化水準って外の世界でいうと四百年くらい前って昨日霖之助さんに聞いたんだけど。そんなこと知らなかったから平然と冷蔵庫があることも受け入れてたわけで。電気も通ってるし、洗濯機もあったし、永遠亭だけ技術レベルおかしくないか? どうなってるんだ?」

「私達が月から来たってのは知ってるでしょ? 月の技術は外界のそれより遥か先をいくの。冷蔵庫くらい大したことないわよ。むしろ私としてはあなたが幻想郷の文化水準を知らなかったっていうのが驚きよ。気づいてなかったの?」

「『ここは外の世界で生きられない者達が生きる世界』、『忘れられたモノはここにたどり着く』って情報のどこから文化水準を読み取れと?」

「いや、生活する中とかでなんかあるじゃない」

「俺が知ってるのはこの永遠亭と、竹林と、香霖堂だけだぞ。その他の情報が入ってくる余地が無い。永遠亭も香霖堂も和式の建築だなぁ、とかは思ったけどそれだけだよ。そもそもこの世界には洋風文化自体が普及してないんだ! なんて発想は出てこないって。ここの人全員洋服着てるじゃないか。輝夜さんの下半分の袴っぽいスカートはよくわからないが」

「あー、それもそうか。確かに知らなかったのも無理ないわね」

「だろ?」

 

寝転んで空を見上げながら話す暁と、洗濯物を干しながら相槌をうつ鈴仙。

顔も合わせないままのんびりとした時間が流れる。

 

「……そういや、鈴仙は辛い食べ物ってどうだ? 嫌いか?」

「これまた突然ね。辛い食べ物、か。うーん……嫌いじゃないけど、激辛とかはちょっと……何? 辛いのを作るの?」

「一応そのつもり。辛さはちゃんと考えて作るから心配しなくていい。永遠亭のメンバーで、辛いのが無理って人はいるか?」

「いや、いないわね。だいたい皆好き嫌いせずなんでも食べるわ。基本的に薄味のものばっかり食べてるから、たまに濃い味のものが食べたくなったりするのよねー」

「なるほど。言われてみれば、こっちに来てから和食しか食べてないな。どれも美味しかったけど、ずっと食べてたら飽きてきそうだ」

「そういうこと。だから期待してるわ」

「任された。それじゃ、早速行ってくる」

 

鈴仙の言葉にそう返して暁は立ち上がり、台所へむかった。

 

 

(芋、人参、玉ねぎ……うん。食材はなんとかなりそうだ)

 

暁は冷蔵庫の中の食材を確認し、満足そうに頷く。そして今度は調味料の棚を開いて中を覗く。

 

(…………うーん……こっちはなんともいえないな……塩と胡椒に砂糖、醤油くらいしか見覚えのある調味料が無い。どれも中身がよくわからないな。味見してみるか)

 

様々な瓶詰めの調味料が雑多に詰められた棚の中から、いくつか中身がわからないものを選んで取り出す。

粉末状のそれらを小皿の上に少しずつまぶし、順番に指先につけて口に運ぶ。

 

(…………これとこれは使えそうだな。残りのぶんは今回は使えない)

 

使えそうと判断したものは残し、他は棚にしまう。

予想外に使える調味料がなく、頭を悩ませる暁。

しばらく考えこんだあと、何かを思いついたように指を鳴らして台所を後にした。

 

 

「……え? 薬の材料を?」

「はい。料理の調味料がどうも足りなくて。薬の材料の中から利用できるものはないかと思って……一応お金は出すので、もしよければいただけないかと…………」

 

台所から永琳の仕事部屋へむかった暁。

部屋の中で何かの書類を整理していた永琳に事情を説明する。

調味料の代わりになる薬草を探してもいいだろうか、と。

 

「いらないって。いくらでもあげるわよ。でも単体で摂取すると毒になったり、逆に合わせると毒になる組み合わせがあるから、それだけは注意してね。薬草を入れた箱に書いてあるから、よく読むように」

「はい、わかりました。それでは、ちょっとお邪魔します」

 

了承を得た彼は永琳に一礼し、棚を開いて中の薬草を片っ端から出していく。

それぞれの箱に書かれた注意書きを熟読しながら、一つ一つの匂いを嗅ぎ、ものによっては少しちぎって口に含む。

真剣な顔で薬草を矯めつ眇めつしている暁を眺めながら永琳の方も書類整理の仕事に戻る。

 

しばらくの間、暁が薬草を棚から出し入れする音と永琳が持つ書類が擦れ合って出る掠れた音だけが流れる。

 

「…………よし!」

「……ん?」

 

暁がその声を上げるまでにどれほど時間が経ったかは定かではない。

永琳がふと視線を書類から上げると、自分の周りにいくつかの薬草を並べてガッツポーズする彼の姿があった。

その薬草を束ねて持ち、彼女に頭を下げる暁。

 

「これでなんとかなりそうです。永琳のおかげですね。早速作ってきます」

「あ、うん。いってらっしゃい。お昼、楽しみにしてるわね」

「ふふ、その期待は裏切らないと予告しておきましょう。それでは!」

 

試行錯誤を繰り返したあとの達成感からか、かなりハイテンションになっている暁を見送り、再び書類に目を落とす永琳。

 

「…………もう何年も、単なる作業としか思ってなかったけど……久々に、楽しみね」

 

彼女はそう独白し、小さく笑った。

 

 

台所についた暁はもらった薬草を一つずつすり潰し、粉末状にする。

それを風味の割合を考えながら混ぜ合わせ、さらに薄力粉と棚にあった調味料を入れる。

 

そうして出来上がったものをあらかじめ水を沸かしていた鍋に切っておいた野菜と一緒に入れ、お玉でかき回す。

しばらくグツグツと煮込んでいると馴染み深い匂いが漂いはじめる。

 

「…………やっぱコレだよなぁ」

 

ニヤけながら嬉しそうに呟く暁。

そして頃合いを見て火を止める。

……余談ながら、永遠亭の台所はIHクッキングヒーターである。

 

「よし! できた! あとはご飯ともども皿によそうだけだな。皆を呼ぶか」

 

彼はご飯をよそった皿と飲み物を机に並べ、永遠亭の住人達を呼びに行った。

 

 

 

「…………うわぁ、良い匂い……」

「これは…………美味しそうな匂いね」

「ふふ、そうだろう、そうだろう」

 

部屋に入ってくるなり感嘆の声をあげる鈴仙と永琳に得意げな表情をする暁。

 

「イイ……実にイイ! 期待度大よ! 暁、褒めてつかわすわ!」

「光栄でございます、姫様」

 

ワクワクした様子ではしゃぐ輝夜にはおどけたように片膝をついて礼をする。

 

「姫様ー。それより早く食べましょうよー。私もとっとと食べたいんですけどー」

「そうね! さ、皆! 席につきましょ!」

 

面倒そうにしながら言うてゐの言葉に頷き、輝夜は率先して着席する。

それに続いて他の面々も座っていく。そして、目の前に置かれた白飯だけが入った皿と、湯呑みに入った水を見る。

 

そこに暁が蓋をしたままの鍋を運んでくる。匂いが鍋から漂ってくることに気づき、全員がその鍋を注視する。

 

彼は蓋を開け、中のものをお玉ですくってそれぞれの皿にかけていく。

全員の皿にかけ終えると、鍋をわきに置く。そして何かを配る。

 

「……匙? こんなものあったかしら?」

「いえ、無かったので昨日香霖堂で買ってきました。スプーン、といって、汁物などを食べる時に使う食器ですね。今回の料理はこれで食べてください。箸だとなかなか食べにくいと思います」

 

それぞれが渡されたスプーンを物珍しそうに眺める中、説明する暁。

彼の言葉に反応し、永琳が視線をスプーンから逸らして彼にむける。

 

「……これが何かはわかったけど、この料理は何なの? 全体的に茶色い感じだけど」

「ふっふっふ……よくぞ聞いてくれました。そう……これこそはまさしく人類の英知の結晶! 星の数ほどある料理の進化の終着点であり、一つの完成形…………その名も!」

 

突然熱がこもった語りをはじめる彼に困惑する永琳達に構わず、高らかに宣言する暁。

 

 

「————()()()です」

 

 

…………その後、全員が暁の謎のハイテンションと、見たこともない料理に困惑しながらも、真っ先に食べはじめた輝夜に倣ってカレーを口にし——そして、一瞬でその味の虜となる。

 

目の色を変えてカレーを食べる一同にこの上ない満足感を味わう暁。

自分もカレーを食べながら、無言のまま夢中になってカレーを口に運ぶ他の面々をしばらく眺めていると、真っ先に食べ終わった鈴仙が目を輝かせて暁に皿を突き出す。

 

「——辛〜い! …………けど美味しい! すっごい美味しい! 暁、おかわりある!?」

「おう、まだまだあるぞー。白飯もいるか?」

「ちょうだい! あ、でもそこまでいらないわ! 皿の半分くらいでお願い!」

「わかった……はい、どうぞ」

「ありがと!」

 

鈴仙に笑顔でカレーのおかわりをよそう暁。

誰かが彼の袖をクイクイ、と引く。

 

彼が振り向くと、笑顔のてゐが無言で鈴仙同様に皿を突き出していた。

 

「…………美味しかった?」

「もっと食べたいと思うくらいには」

「ならよし。量は?」

「私も半分で」

「了解。はい、どうぞ」

 

聞きたいことを聞いて満足し、彼女にもおかわりをよそう。

 

「暁! 私もおかわり! 今度は大盛りにしてちょうだい!」

「はしたないですよ、姫様。食事中にそんな大声で…………そ、その……暁、私にも、おかわりもらえるかしら? 普通の量でいいから」

「はいはい、わかりました。…………あ、ちなみにですが、カレーには生卵をかけるとマイルドになってまた違う味わいになりますよ。一応卵も用意してますが——」

「それを早く言いなさいよ! 一個貰うわよ!」

「だから姫様! ……私も貰うわ」

「あ、私も卵欲しい!」

「暁、卵は欲しいけど面倒だから割ってー」

 

次々にかけられる言葉とともに一瞬で手のひらから奪われていく卵。

彼は苦笑しながら卵の殻をいれる皿を用意し、てゐのカレーの上で卵を割り、落としてやる。

 

(…………やっぱり、このカレーは最高ですよ)

 

皆の笑顔を見て、このカレーの作り方を自分に伝授してくれた人物のことを思い出す。

不器用で、それでいて優しくて。

本当にかっこいい、最高の男だった。

彼に「息子」だと言われた時のあの感情は到底言葉で言い表せるものではない。

 

 

(あの人だけじゃない……お世話になった人達全員にまた会うためにも……絶対に、成し遂げてみせる)

 

 

決意を新たにし、拳を強く握る暁。

彼のその様子に気づかず、周囲はカレーを口に運び続けていた。

 

「あ、本当だ。ちょっと甘くなる! 私はこっちがいいわね!」

「なるほど……味のバランスが考えられてるわね……これを考案したのはよほどの……」

「卵の方も美味しい! でも私は辛い方が好みかなー。てゐはどう?」

「鈴仙、今は話しかけないで。私は忙しいんだ」

「ちょっと、なによその態度は!」

「うるさい。こっちはこの数十年……いや、数百年無かった食事の快楽を思い出してるんだ。この機会を逃してたまるか」

 

目を輝かせる輝夜、ぶつぶつと何かを計算する永琳。

そしてものすごいペースでカレーをかきこむてゐと、彼女につれなくあしらわれて憤慨する鈴仙。

 

決意を固めた暁だったが、その光景を見ていると思わず脱力してしまう。

 

「…………ははっ」

「暁ー! もう一回おかわりー!」

「わかりました。また大盛りですか?」

「もちろん!」

「私はもういいわ。ごちそうさま。本当に美味しかったわ」

「お粗末様です」

「ちょっと、聞いてよ暁! てゐのやつがさぁ!」

「…………うっま…………」

「まあまあ、落ち着いてくれ鈴仙……」

 

 

————これからやるべきことはさておき……今くらいは彼女達に付き合って楽しい時間を過ごすのも悪くない。

 

 

そんなことを考えながら、彼は賑やかなその喧騒に身を投じていった。

 




「しばらく雑談をした」を伏線と言い張る勇気。
……そのタイミングしかスプーン買ったり文化レベル知る機会無かったからね、仕方ないね。

ルブランのカレーはやっぱり市販のルーなんて使わずにスパイスから配合してるよね、ということでこうなりました。


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二つ目の異能、『第三の目』

「今日は人里に行こうと思う」

「……この構図、昨日もやったよね?」

 

さらに翌日。暁は朝のトレーニングを途中で切り上げ、外で洗濯物を干していた鈴仙に話しかけた。

縁側にいるこちらを見ることもなく、背中ごしに呆れ声を出す彼女に説明する。

 

「気にするな。それで、どうだ? 付き合ってくれるか?」

「別にいいけど……なんで?」

「下見だよ、下見。そろそろ最初の仕事に取り掛かってもいい頃合いだろ」

「ふぅん。じゃあ洗濯物を干し終わったら一緒に行きましょ」

「そう言ってくれると思ってたよ」

 

寝転んで目を閉じたまま話す暁と、洗濯物を干しながら気の抜けた返事をする鈴仙。

昨日と同じく、だらけきった雰囲気が流れる。

 

「…………手伝ってよ」

「えー、やだよ。俺のぶんは自分で干してるし」

「手伝ってくれたらそのぶん早く人里に行けるでしょ?」

「そもそもその洗濯物はどれもここの人(女性)のものだろ? ()が触るのはよろしくないんじゃないか?」

「今さら気にしないわよ。そんなつもりも無いくせしてよく言うわ」

「ははっ、鈴仙も言うようになったじゃないか」

 

からかうように投げかけた問いにアッサリと切り返され、小さく笑う。

 

「誰かさんのおかげでね」

「なるほど。じゃ、その誰かには感謝しないといけないな?」

「まったくね。今度()を込めた弾幕でもプレゼントしようかしら」

「きっと喜ぶんじゃないか? 冬の花火というのも風情がある」

 

素知らぬ顔で掛け合いをする二人。

そうして愚にもつかない言葉を投げかけあっているうちに、鈴仙も洗濯物を干し終わる。

 

「ほら、終わったわよ」

「おつかれー」

 

戻ってきた鈴仙に寝転んだまま片手を上げる。

 

「私は着替えてくるわ。あなたも着替えなさい」

「え? なんでだ?」

「人里の文化水準の話、忘れた? こんな服じゃ人目を集めるわよ。目立ちたくないでしょ?」

「ああ、なるほど。了解。一着だけ霖之助さんのとこで買った着物があったから、それを着てくるよ。……知識でしか知らないからちゃんと着られるかはわからないが、まあなんとかなるだろ」

 

勢いをつけて起き上がり、離れへと戻る暁。

その背中を見送る鈴仙は彼の言葉に不安を抱く。

 

「…………大丈夫かしら…………まあ、着ることができてたら、あとは直してあげればいいか」

 

最低限着てさえいれば、間違った箇所を指摘してやればいいと判断し、彼女も自室へと戻る。

 

そして数分後。

玄関で暁と合流した鈴仙は彼の服をチェックしたが、特に問題はなく、彼女の心配は杞憂に終わった。

 

 

 

人里に着いた二人。

暁は予想以上に大きな人里に感嘆していた。

 

「里なんて聞いてたから小さな集落かと思いきや、かなり大きいんだな」

「まあ仮にもこの幻想郷の人間が暮らす唯一の場所だしね。それなりの大きさは必要よ」

 

不自然になりすぎない程度に周囲をキョロキョロと見回しながら鈴仙と会話する。

彼女は特徴的なウサ耳を隠すために笠を被っている。

 

「うーん…………このあたりは結構人通りも多いな。できるだけ人通りの少ない道とかも知っておきたい」

「…………改めて実感したけど、紛れもなく不審者よね、私達。目的を考えれば当然なんだけど」

「…………それは言わないでくれ…………」

 

暁は真面目に計画について思案していたが、鈴仙の言葉で後ろめたさを覚える。

あえて考えないようにしていたことを再認識させられ、微妙な表情になった。

鈴仙自身も微妙な表情をしている。

 

「…………ごめん」

「…………とにかく、稗田家ってのを一度見てみないとな」

「…………案内するわ」

 

一気にテンションが下がった二人は沈鬱な顔をして黙々と歩きはじめた。

通りすがる人々は二人が放つ重苦しい空気を感じ、「身内でも死んだのか」と勘違いすることとなった。

 

 

「……ここが」

「稗田家ね。大きい屋敷だからわかりやすいでしょ?」

「そうだな。他の民家はどれも低いし、遠目からでも識別できそうだ」

 

稗田家の近くで立ち止まり、周囲を観察する暁。

 

(……あちらの道は人通りが少なく、こっちは比較的多い。なら、あちらから……? …………いや、待てよ。何も素直に道を通らずとも、この町並みなら——)

 

考えこむ彼が何かを思いついた瞬間、鈴仙が口を開く。

 

「暁、人に見られてるわ。いったんここを離れましょう」

「! ……わかった。そうしよう。できれば、屋敷の中の間取りとかも知りたかったけど……まあ、さすがにそれはどのみち無理か。人もいるだろうし」

「そうね。じゃ、行くわよ。…………せっかくだし、茶屋にでも行かない? 美味しいお団子出してくれる店があるんだけど」

「おっ、いいなそれ! 行こう!」

「ふふ、わかった。ついてきて」

 

そうして二人は茶屋で団子を堪能し、しばしの休息をとった。

 

 

「さて、次はどうする?」

「そうだな……いったん帰ろう。そして夜中にもう一度来る」

「え? なんで?」

「電気も無いんじゃ、夜は相当暗くなるだろ? 一応の対策はあるんだけど、逃走経路をちゃんと使えるかどうか確認しようと思って」

「……もう目星はつけたのね。どの道筋にするの?」

「まあ待て。なにも素直に道を通る義理はないだろ? これでも()()だしな」

「……? …………あ、そういうこと。それなら確かに人目にもつかないし、決まった道も必要ないわね」

 

人差し指を伸ばし、近くの民家をなぞるように幾つか指し示す暁。それで鈴仙も彼の言いたいことを把握し、頷く。

 

「じゃあ夜中にもう一回来ますか。夜なら人目につかないし、普通に着込んできましょう。冬は冷え込むしね」

「そうだな…………ん?」

 

暁は彼女の言葉をきっかけに、何かを閃く。

 

「どうしたの?」

「……いや、ふと思ったんだけどさ。俺は今和服を着ているわけだ」

「そうね。で? それが?」

「この状態でペルソナを使えば、いつもと変わらずにあの怪盗姿になる」

「ええ、そうね」

「何を着ていようと、結局外見はあの姿になる。ただ、暖かさはどうなのかと思って。暖かい格好で変身すれば暖かいままなのか?」

 

彼女は考えこむ暁に肩をすくめる。

 

「それを私に聞かれても困るわね。わからないなら、実験するしかなくない?」

「…………うん、そうしよう。とりあえず人里から離れた場所じゃないとな」

「ん。それじゃ、行きましょう」

 

その場に長居する気も無く、スタスタと歩く二人はすぐに人里を抜けて迷いの竹林の方へと移動する。

 

あたりに人影がいないことを確認し、変身する暁。

 

「…………まずはこの感覚」

 

服を着た状態での自分の感覚を頭に入れ、変身を一度解除する。

そして自分の服に手をかけ——はたと気がついたように鈴仙の方を見る。

 

「……あー。その、鈴仙?」

「ん? なあに?」

 

黙って見守るつもりだった彼女はいきなり声をかけられ首を傾げる。

 

「いや、その。今から脱ぐからな?」

「いや、それくらいわかるわよ。なんでいちいち報告してくんの」

「え、だって後から文句言われたくないだろ? いきなり脱ぐな、とか」

「別に上半身裸くらいで騒いだりしないわよ。下半身まで脱ぐようなら……相応の償いはしてもらうけどね」

「お、おう…………」

 

具体的には命を貰う、とはっきり告げている彼女の目力に気圧されるが、なんとか首を上下に振る。

そして帯を緩め、上の服を脱ぐ。

 

「…………さ、さっむ……!」

「…………とっとと変身しなさいよ」

「あ、ああ……ペルソナッ!」

 

気合いを入れるために声に出して変身する暁。

蒼炎に包まれる彼をぼんやりと眺める鈴仙は「あの炎で焚き火とかできないかな」などと益体もないことを考えていた。

 

「…………どう? 暖かくなった?」

「……一応。けど、まだ寒い…………この見た目相応の防寒性しかないみたいだ」

「さっきはどうだったの?」

「特になんともなかった。暖かくしてればこの格好も相応に暖かくなる、ってことでいいみたいだな」

「じゃあ暖かい格好をすることに意味はあるのね。よかったじゃない。少なくとも、誰かに見られる時、凍えながら必死に寒くないような演技をする必要はなくなったわ」

 

パチパチとやる気のない拍手をする鈴仙の言葉にたじろぐ暁。

 

「嫌な可能性をつきつけてくるのはやめてくれよ……」

「まあまあ、その可能性がなくなったって話じゃない。喜びなさいよ」

「それはまあ、そうだが……」

「実験の結果も出たし、行きましょ。早く帰ってあったかいお茶でも飲みたいわ……」

 

白い息を吐きながら鈴仙はそう言う。

暁も歩きだした彼女に遅れないよう、変身を解いて急いで服を着直し、ついていく。

 

「あー、飛んでいけたら楽なのになー」

「悪いな。俺につきあわせて」

「本当よ。あなた自身が飛べるようになれない? そしたら少しは目立たなくなるでしょ」

「うーん……あくまでペルソナは俺であって俺じゃないからなー。その力をそのまま利用できるならまた違うんだろうけど」

「融通の利かない能力ねー」

「そういう鈴仙の能力は『狂気を操る程度の能力』だったか。応用力はありそうだな」

「もっと正確に言うなら『波長を操る程度の能力』なんだけどね。いろんなものの波長をいじることができる。その代表として狂気を操るってことにしてるけど」

「…………その能力で光の波長をいじって俺を透明にしてくれたら永遠亭まで飛んでいけるのでは?」

「ずっと能力発動しながら飛び続けるなんて嫌よ。波長を操る、ってのはあなたの想像以上に繊細な微調整を要求されるのよ? 結構疲れるんだから」

「そうかぁ……いいアイデアかと思ったんだけどなー」

 

落胆しながら諦めて歩く暁。

彼は鈴仙と永遠亭に帰るまでの時間をしりとりをすることで潰した。

ら行だけで返してくる暁に途中から鈴仙がキレ気味になってきたころ、二人は永遠亭に到着した。

 

そして昨日と同じように普通の和食を食べ、食器を片付ける。

 

「よし……師匠、行ってきます」

「できるだけ早く帰ってきます」

「二人とも気をつけてね。お風呂は沸かしておくから、帰ったらすぐに入りなさい」

「「はーい」」

 

暁と鈴仙は玄関まで見送りにきた永琳に頭を下げて出発する。

夜中なので誰かに見咎められる心配もなく、暁は【アルセーヌ】に乗って飛び立つ。鈴仙もふわりと浮遊し、彼に続く。

 

凍てつく向かい風に震えながら二人は人里へと急ぐ。

 

しばらくすると、人里の門番が持つ松明の灯りが見える。

二人は門番に見つかることのないよう、上空から人里へと入る。

 

家々の灯りもほとんど無く、真っ暗な中でも目立たないように物陰に降り立つ二人。

 

「鈴仙はここで待っててくれ。俺はこれから稗田家までひとっ走りしてくるよ。数分くらいで戻る」

「わかった。……へましないでよ? 波長が見える私はこの暗闇でも周りがわかるから大丈夫だけど……対策ってのは本当にできてるの?」

「なんなら今確認してみるか? ……そうだな。ちょっと待て」

 

暁はそう言って彼女から数メートルほど離れる。

 

「何本か指を立ててくれ」

「はい? …………これでいい?」

 

突然何を言い出すのかと思いながらも、素直に指を三本伸ばす鈴仙。

その瞬間、暁は口を開く。

 

「三本だな」

「!? …………なら、これは」

「二本」

「…………」

「五本」

 

次々と即答し、そのどれもが正解だった。

何か特別なことをしている様子もない暁を見て、混乱する鈴仙。

 

「…………なんで?」

「……俺は良い()を持っていてね。さて、実証も済んだしさっさと行ってくるよ」

「あっ、ちょ…………」

 

言うなり、彼は常人には不可能な跳躍力を発揮し、近くの民家の屋根に飛び上がる。

そのまま音もなく次から次へと民家の屋根を飛び移っていき、あっという間に鈴仙の視界からも消えてしまう。

 

残された鈴仙は暁の「対策」とやらの正体に頭を悩まされることとなった。

 

 

(研ぎ澄ませ…………っと)

 

内心でそう呟きながら、能力を発動させ続ける暁。ペースを崩さぬまま、稗田家の方へとどんどん近づいていく。

 

(…………便利だよな、()()

 

そう思いながら、仮面に覆われた自分の顔をさする。

ペルソナとは違う、彼自身が持つもう一つの能力————サードアイ。

通常見えない特殊なオーラや、何かの痕跡もくっきりと見えるようになる『目』だ。

闇の中でもその能力を使えば視界を確保できる特殊な能力。彼はそれをフルに活用していた。

 

(…………お、見えた。ざっとここまで来るのに……二分くらいか)

 

少し離れたところに稗田家が見える。

屋根から屋根へと素早く飛び移り続け、一気に距離を縮める。

 

(屋敷の周りには数人の見回りがいるが……上から侵入されることまでは想定してないな。とりあえず塀の上に行ってみるか)

 

近くの民家の屋根で体を屈め、筋肉のバネを使って跳躍する。

数メートルどころではない。十メートル以上はある距離を一足飛びする。

 

着地の音を消し、静かに塀の上に立つ。

そこから見える屋敷の中の構造を大雑把に頭に入れる。

 

(……あちらが玄関。こちらに倉庫……倉庫から何か持ち出すか? おそらく南京錠だろうし、簡単に開けられるが……ん?)

 

彼は一室から光が漏れていることに気がついた。

その部屋にお盆に何かを乗せた女中と思しき女性が近づいていき、部屋へと入る。少しして出てきた女性は部屋の中へ一礼し、戸を閉めて立ち去っていく。

 

(…………あの部屋にいるのがこの屋敷の主人、か?)

 

女性の態度から推測する暁。

期せずして手に入った情報にニヤリと笑い、踵を返す。

 

そして来た時と同じように、一瞬でその場から姿を消した。

 




ようやく準備完了。

サードアイってくっそ便利ですよね。欲しい。


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I can't fly

今まで(外の世界)と同様、潜入ルートを確保した彼は鈴仙と永遠亭に帰り、その日を終えた。

 

そして次の日。

 

「…………ふぁ〜あ……ねむ……ん? 暁?」

 

目をこすりながら寝室から出てきた輝夜。

彼女は廊下に出ると、壁にもたれて立っていた暁に声をかける。

暁はそれに応じて少し呆れた顔で挨拶した。

 

「おはようございます、輝夜さん。……おはようとは言いましたけど、もう昼も近い時間ですよ? いくらなんでも寝すぎでは?」

「ははっ。いーのよ。どーせ、()()()()()()()()()()()()()()()()()()()。……それで、どしたの? わざわざ私を待ってたみたいだけど」

「…………」

「うん? 暁?」

「……いえ、なんでも」

 

…………ほんの一瞬、彼女の目の奥が見通せない闇に覆われた気がした。

しかしすぐにその闇は搔き消え、普段通りの輝夜に戻る。

 

…………今は触れないでおこう。

 

「…………弾幕ごっこの練習相手になってほしいんですが、お願いできますか?」

「え? いいけど。イナバはどうしたの?」

「彼女には何日も手伝いばかりさせてしまっているので、せめてこっちの面倒はかけたくないと思って……てゐは神出鬼没というか、気がつくといなくなってるので。残りは永琳か輝夜さんなので、とりあえず輝夜さんに頼もうかと」

「ふんふん。わかったわ。じゃ、食事の後に中庭でやりましょ」

「ありがとうございます。お手数おかけして申し訳——」

「ところで」

「——はい?」

 

先に歩き始めた彼女が突然振り向き、瞬きする暁。

 

「なんか、いつのまにか私だけ仲間はずれにされてない?」

「……………………はい?」

 

彼が発したのはさっきと同じ言葉だったが、より困惑の度合いが強まったものだった。

 

「イナバはわかるけど、いつのまにか永琳やらてゐやらも呼び捨てじゃない。なんで私だけいつまでもさんづけなのよ。距離を感じるんだけど」

「…………あ゛ー」

 

どこかで聞き覚えのある文句にげんなりとして呻く暁。

 

「なによその反応」

「…………永琳にも同じようなこと言われたの思い出しまして……」

「なんだ。永琳もそれで呼び捨てだったの。じゃあ私も敬語抜きで問題無いわよね?」

「勘弁してください……や、本当に……」

「なんでよ! なんで私だけそんな頑なに拒むのよ! 呼び捨てくらい簡単でしょ!」

「いや、永琳だってなんとか敬語を使うことだけは許してもらいましたし、できれば呼び捨ても全力で遠慮したいんですよ? 毎回永琳さ……永琳、って言い直さないように一言ずつ集中して言葉にしてるんですよ? この気苦労わかります? わからないですよね? わかってもらえません?」

「…………あ、あなた、時々そんな感じでやたら押しが強くなるわね。わ、悪かったわよ……」

 

勢いでごり押しすればなんだかんだ呼び捨てを認めるだろうと思っていた輝夜は想定外の暁の気迫にたじろぐ。

しかし、彼女もここで譲る気はない。

 

「じゃあ敬語はまだそのままでいいから! 呼び捨てなさい! それならいいでしょ!」

「え、無理ですって」

「なんでよー!」

 

憤慨したように両手をブンブンと振る輝夜。

最大限譲歩したのに、それでもなお断られるとは思ってもみなかったらしい。

 

「だって、『かぐや姫』ですよ? そうおいそれと馴れ馴れしくできませんよ」

「私がいいって言ってるんだからいいじゃないのー!」

「えぇ…………それはどうですかね…………」

 

詰め寄ってくる輝夜から目を逸らす暁。

その後ものらりくらりとしてなかなか承諾しない彼に業を煮やし、彼女は言い放つ。

 

「呼び捨てしてくれないなら、弾幕ごっこしてあげないわよ!」

「わかりました。じゃあやっぱり鈴仙に頼んできます。お邪魔しました」

「えっ」

 

ビシッと彼に指を伸ばして言い放った輝夜だったが、なんの痛痒も感じていない彼の返答に目をぱちくりとさせる。

その間にも踵を返して立ち去ろうとする暁の腕を慌てて掴む。

 

「ま、待ちなさいよ! 弾幕ごっこやりたいんでしょ!? なら私でいいじゃない!」

「いや、そこまでして輝夜さんの手を借りるより、気軽に鈴仙の相手をする方がいくらかマシかと思って」

「なんでよ! もっと引き留めなさいよ! 『かぐや姫』と遊ぶチャンスでしょ!」

「はは、お戯れを」

「ちょっとー!!」

 

……それからさらに一悶着あり、結局暁は永琳と同じ条件で輝夜を呼び捨てにすることを了承した。

 

 

暁は昼食——輝夜にとっては朝食になるが——を終えると、輝夜とともに中庭に出る。

 

「いやー、いい天気ね。弾幕日和だわ。暁、 準備はできてる?」

「できてます……けど、その前に聞いておきたいんですが、弾幕ごっこのルールって具体的にはどんなものなんですか? 大技を使う時はスペルカードを消費する、弾幕は避けるのが前提……ってくらいしかわかってないんですが」

「そういえばルール説明はまだしてなかったわね。そうね……今言った二つの他には弾幕は美しくなければならない、とか……少なくとも理論上は避けられるものでないといけない、とかがあるわね。相手がどうやっても絶対に当たる弾幕とかはルール違反」

「…………なるほど。フェアプレー精神ですね。他には?」

「えーと……スペルカードルールで決闘して負けたら素直に負けを認めること? 見苦しい真似はやめろってことね。あとスペルカードを使う時は宣言してから使うこと。別にいちいちカードを出す必要はないけど、今から何を使うかっていうのを相手に教えないといけない。…………このくらいかしら。いちいちルールの詳細とか考えて戦ってないから細かいところは覚えてないけど、まあそれは他のやつらも同じでしょ。だいたいこの六つのルールで弾幕ごっこは成立してるわ」

 

輝夜は首を捻って正確なルールを頭から引っ張り出し、暁はそれを聞いて数回頷く。

 

「ふむふむ…………了解しました。それじゃ、やりましょう」

 

言葉とともに変身。

輝夜から一定の距離を置いて向き合う。

 

「私からでいいの?」

「はい。俺は弾幕ごっこ自体初めてですし、とりあえず身をもって味わうことにします。ここに突っ立っているので、とりあえず撃ってきてください」

「うーん、大丈夫? 弾幕って基本的に当たらない前提だから、何発も当たり続けたら下手すりゃ死ぬわよ? ま、ココでどれだけ怪我しても永琳がいるから死にはしないけど」

「この状態ならある程度頑丈になってるので数発くらいなら大丈夫だと思います。一応手加減はお願いします」

「はーい。んじゃ、いくわよ」

 

輝夜は軽い調子でそう言って、数発の光弾を暁に飛ばす。

緩やかに飛ぶそれらは棒立ちのままでじっと待つ彼へと次々に着弾する。

それなりに大きな破裂音とともに、体に衝撃が走り、少しよろめく。

 

「…………っ、と」

「大丈夫? 怪我はない?」

「はい。この程度ならほとんどダメージもないです。衝撃まではさすがに消せませんが」

「ならよかった。じゃあ安全性も考えてこのくらいの威力の弾幕で練習しましょうか」

「そうですね。お願いします。今度は普通に戦う時みたいに撃ってきてくれますか? スペルカードは無しの通常弾幕で」

「はいはーい。じゃあいくわ……よっ」

 

掛け声とともに生み出される弾幕。

さきほどとは違ってスピードもあり、数も多い。

ジョーカーは多方向から飛来するその弾幕をひょいひょいと躱していく。

 

「いやー、やっぱり綺麗ですねー。つい見惚れそうになりますよ」

「余裕ねー。じゃあもうちょっと激しくいくわよー」

 

彼女の宣言通りに弾幕は量もスピードも増大する。

ジョーカーもさすがに真面目な顔になり、その全てを見切っていく。とはいえまだまだ余裕はある。

 

「おっと……はっ……よっと。……輝夜さーん」

「んー? なにー?」

「なんとなく感覚はわかってきました。次は空中を飛び回りながら撃ってきてもらえますか? 多分、地上とは違ってくる と思うのでー」

「はーい。ちょっと待ってね、っと…………よし。準備完了よー」

「お願いしまーす」

 

音も無く浮き上がり、数メートル上からこちらを見下ろす輝夜に合図を出す。

ゆっくりと動きだす彼女から色とりどりの弾幕が生まれ、降り注ぐ。

次第に速くなる動きとともに、降り注ぐ弾幕も多くなり、スピードも増していく。

 

これにはジョーカーも少し余裕がなくなってくる。

ステップを踏んでひらり、ひらりと葉が風に舞うように華麗に弾幕を躱していく。

 

「暁ー?」

「なん、でしょう、か? ちょっと、喋り、にくいので、できれば、手短に、頼みます」

「避けるのしんどいー?」

「いや、回避は、簡単、ですが、のんびり話すのは、なんというか、暇がない、感じです」

「そういう感じかー。息があがってるわけじゃないってことでいい?」

「はい。そうです、ね」

 

小刻みにあちらこちらへと跳ねているために言葉が途切れるジョーカーだが、心肺機能は充分に足りている。

輝夜は彼の言葉に頷き、いったん弾幕を止め、言った。

 

「じゃあそろそろスペルカードも試してみる? 簡単なやつだけど」

「……っと。そうですね。やっぱ通常とは密度とかも違うでしょうし、体験しておきたいです。お願いできますか?」

 

最後に降ってきた弾幕を避け、上から見下ろす輝夜の言葉に頷くジョーカー。

輝夜は彼にウインクを返し、おもむろに一枚のスペルカードを取り出す。

 

「それじゃ、これね。……『永夜返し −初月−』」

「っ!?」

 

輝夜がそう唱えた瞬間、彼女の体から全方位へと無数の光弾が放たれる。

光弾が綺麗に一直線になったものがいくつも列になって並んだもので、列と列の間には隙間がある。

ジョーカーは反射的に横に跳び、その隙間に入る。

光弾はそのまま列になった状態で彼には掠りもしないで広がっていく。

 

(…………確かに量も密度も桁違いだけど、これだけか? あまり大したことは……っ!)

 

あまりに単純すぎる軌道に拍子抜けした彼だったが、次の瞬間見えたものに気を引き締めなおす。

 

列になった光弾より大きいサイズの光弾が新たに数個発射され、左右に散らばったのだ。

一見無意味な弾幕に見えたそれは、途中で向きを変えてジョーカーへと飛んでくる。

すぐさま回避に移ろうとした彼だったが、そこで気がつく。

 

(……列に囲まれてうかつに動けない。下手に動けば弾幕につっこむことになる…………なるほど。これが『スペルカード』か。一筋縄ではいかないな)

 

列の光弾に当たらないようにするだけではこちらに誘導される中型弾幕は回避しきれない。かといって、中型弾幕を無理に避けようとすると列弾幕に当たる。

二つの位置関係を把握しながら、うまく列の隙間を縫って移動しなければならない。

 

————が、しかし…………

 

(…………あれ?)

 

首を傾げるジョーカー。

もう一度周囲を確認し、自分の頭の中で回避のシミュレーションを繰り返す。

数回それを行い、最終的な結論に達する。

 

(…………回避、できなくないか?)

 

この状態からでは、どう頑張っても弾幕を回避しきれない。

頭上から迫る弾幕を避けるため無数の列の間を移動するつもりだったが、様々な角度で降ってきている列状弾幕を避けるように動けば、中型の弾幕に当たってしまう。

いろんなパターンの避け方を想定するが、どうにも抜け道が無い。

回避不可能な弾幕はルール違反と聞いたのだが…………

 

とりあえず回避を試みる。

考えた回避パターンのうち一つ。

まずは右前方に跳び、そこから二歩前進。左に一歩、さらに三歩前進。

シミュレーションではここで——

 

(……やっぱ、くるよな)

 

————真上から迫る中型弾幕。

直撃する寸前のそれを目を細めて注視した彼は呟く。

 

「…………〈エイガオン〉」

 

刹那、虚空から吹き出た暗黒のエネルギーがその弾幕を打ち消す。

それに続いて二発、三発と降ってくる残りの中型弾幕も同じようにして迎撃した。

 

最後の中型弾幕を消し去るとほぼ同時、列になっていた弾幕も消える。おそらくスペルカードの効力自体が切れたのだろう。

 

他者から見れば、仮面で表情がよくわからないが、スペルカードを凌ぎきったジョーカーは難しい顔をしていた。

そんな彼のもとに、空中から動きを見守っていた輝夜がゆっくり降下してくる。

 

「どうしたの? なんか途中で立ち止まってわざわざ弾幕を迎撃してたけど」

「…………輝夜さん、一応聞きますけど、今のはルールを遵守したスペルカードですよね?」

「……はぁ? ちょっと暁、さすがに怒るわよ。なんでこんなことでルール違反しなきゃいけないのよ。私がそんな小さい器に見えるの?」

 

考え込んでいた暁は呼び捨てにすることも忘れ、さんづけで輝夜に問いかける。

輝夜も言われた内容の方に気を取られ、名前については気がつかない。

 

「……いえ、まったく。むしろ信頼してますよ…………それでも重要な確認だったので」

「…………どういうこと?」

 

彼の雰囲気から純粋に困惑していることを感じとった輝夜は、不機嫌そうになっていた表情を真顔に転じさせる。

 

「…………今の弾幕、回避は不可能でした」

「……………………何言ってんの? そんなわけないでしょ。今使ったスペルカード、私が使うなかでも最弱よ? 弾幕の速度も密度も、最低レベルの難易度なのに」

「いえ、本当です。少なくとも、俺には無理でした」

「…………」

 

一瞬だけ、暁が避けきれなかった言い訳をしているのかと思った輝夜。

しかし、彼がまだ何か言おうとしていることを見てとり、考え直す。

 

「…………多分」

「……多分、なに?」

「この『弾幕ごっこ』、そして『スペルカード』というシステムは……()()()()()()()()()()というのが前提なんでしょうね」

「…………あっ」

「だから、飛べないからといって地上だけで回避しようとしても避けきれないみたいです。誤算でしたね」

 

困ったようにジョーカーはそう言った。

 

 

それからしばらく話し合う二人。

 

「完全に盲点だったわ。そっか。『弾幕ごっこができる』と『空を飛べる』は基本的にイコールだから、飛べない相手との弾幕ごっこは想定されてないのね……」

「ですね。ここで気がつけてよかったです。やはり練習は大事ですね」

「それはまあ、そうだけど。どうするの?」

「今みたいに弾幕を迎撃するのはルール違反ですか? ガードしたりとか」

「弾幕を弾幕で打ち消したりとかはよくあるわ。ガードは微妙なラインね。生身の体でガードするのは被弾とほぼ同義でしょ? 障壁とか何かでガードするのはだいたい許される……と、思う。多分」

 

ジョーカーはやや自信なさげに言う輝夜の言葉に頷く。

 

「それなら、今みたいに弾幕は迎撃していくことにします。そうすれば少なくとも敗北はしませんから」

「そうね。じゃあ、これからは回避より迎撃を主体にして練習していきましょうか」

「はい、よろしくお願いします」

 

そうして改めて一礼し、ジョーカーは輝夜との弾幕ごっこを再開した。

 




ジャンル:× 弾幕シューティング ○ 3Dアクションゲーム
弾幕を相手の体にシュゥゥゥーッ!!!! 超!! エキサイティンッ!!


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It's show time !

輝夜と弾幕ごっこの練習をひたすら続ける。

 

「『永夜返し -三日月-』!」

「〈エイガオン〉ッ!」

 

このわずかな期間で弾幕ごっこの要領をつかみはじめたジョーカーは、一気に走って地面を力強く蹴り、彼を地上へと縛る重力に負けじと上にむかって跳ぶ。

一瞬だけ現れた【アルセーヌ】が放つ漆黒の奔流が、正面から迫る弾幕を強引に打ち消し、彼は輝夜へと手を伸ばす。

しかし————

 

「ざ〜んねん。そんなんじゃ届かないわよー!」

「くっ……! やはり足りないか!」

 

少し高度を上げただけの輝夜に触ることすらできず、やがて勢いを失い落下しはじめる。

そこをめがけて殺到する弾幕を身をよじって躱し、あるいは打ち消す。そして接地の瞬間は転がって衝撃を地面に散らす。

 

即座に立ち上がり、油断なく上を見上げると、こちらに豪雨のように降り注ぐ弾幕の数々が。

これはさすがに躱しきれない。だが、さっきまでと同じように打ち消しきれる量でもない。

ならば。

こちらも物量で対応すれば————

 

「〈マハエイガオン〉ッ! …………!? なっ——ぐっ!!」

 

————しかし、その目論見は失敗に終わる。

目を見開き、驚愕の声を漏らそうとした彼に何発もの弾幕が殺到し、命中。

苦悶の声をあげ、倒れるジョーカー。

それを見た輝夜は慌てて彼のもとへと下りる。

 

「あ、暁? ……大丈夫? モロに直撃してたけど」

「……今のは、かなりキツかったですね……なんというか……加減を知らない子供に、じゃれつくつもりで何度も腹を殴られる感じというか…………」

「…………なんだろう。経験はないけど、想像はできるわ……」

 

ジョーカーは顔をしかめて腹部をさする。

そこまで酷い痛みではないのだが、なんとなく後を引く重苦しさが残る。

 

「どうしたの? なんだかビックリしてたように見えたけど」

「いえ、それが……発動しようと思った技が不発に終わりまして……あれ、なんでだ……?」

「不発? それって、あなたのペルソナとかいうのが変更できないっていう話のこと?」

「……いえ、それとはまた違うんです。えーと…………俺のペルソナは、術者を入れ替えてるようなものなんです。変な説明になりますが、例えば輝夜として戦っている途中に、鈴仙に変わる……みたいな」

 

首を捻りながら、なんとか説明しようとするジョーカー。輝夜も彼の説明を理解し、頷く。

 

「ほうほう、面白いわね。それで? どう違うの?」

「以前言ったのは、その術者の変更ができないということなんですが、今回は術者はそのままで特定のスペルカードだけが使えなくなってる……と言えばわかりますか?」

「はー、なるほどー。よくわかったわ。説明ご苦労様。で、原因は?」

 

彼は首を傾げる輝夜に笑顔で返答する。

 

「不明」

「ダメじゃん」

「だから困ってるんですよ」

 

会話しながら差し出された彼女の手を遠慮なく掴み、立ち上がるのを手伝ってもらう。

パンパンと全身をはらうジョーカーに輝夜は問うた。

 

「今のが避けきれないなら、また難易度下げて練習する?」

「それでは意味がないでしょう。これから戦う相手が手加減してくれるわけでもないんですから」

「じゃあどうするのよ」

「…………原因は不明ですが……一応、仮説は立ててます。まずはその仮説を確かめます」

「へえ。何をするの?」

「行ってきます」

「どこに?」

 

 

「————()()

 

 

 

数時間後。

人里ではだんだんと家々の灯りが消え、夜の帳が下りる。

宵闇が忍び寄ってくる中、前回訪れた時と同じ場所に二人はいた。

 

「鈴仙、準備はいいか?」

「…………ええ。うぅ、緊張してきた……」

「大丈夫。もし俺が万が一失敗したとしても鈴仙は無事に逃げられるさ。捕まるのは俺だけだ」

「そんな! だ、ダメよ! もしそんなことになるのなら、私が能力を使って」

「ダメだ。もし鈴仙が俺に手を貸したことが露見したらどうなる。鈴仙だけじゃない、永遠亭そのものの信頼が地に堕ちるぞ。無用なリスクは避けるべきだ」

「そんなこと言ったって——むぐっ!」

 

それに

 

血相を変える鈴仙の口を右手で塞ぎ、ジョーカーは笑う。

 

「こんなイージーゲームで俺が失敗するはずないだろ? まあ見てろ。『心の怪盗』は伊達じゃないってのを教えてやる」

「…………!」

 

口を塞がれたことに抵抗し、暴れ出そうとしていた鈴仙はその言葉ではたと動きを止め、彼の顔を見上げる。

その様子を見て、もう大丈夫だと判断したジョーカーは手を離す。

そして踵を返し、両手をズボンのポケットにつっこむ。

 

「じゃ、行ってくる。お前は特等席からショーを楽しむ気分でいればいい」

「…………暁……」

「……ああ、それと一つ言い忘れてた」

「え?」

 

ふと振り返った彼の言葉に目を瞬かせる。

彼はきょとんとする鈴仙を見て悪戯っぽく笑い、手を胸に当てて芝居掛かった様子でわざとらしく一礼する。

 

「——自己紹介が遅れましたことをここにお詫びします。私は心の怪盗団『ザ・ファントム』のリーダーを務める男。名を()()()()()と申します。以後、お見知りおきを」

 

 

 

タン、タン、とリズムよく屋根から屋根に飛び移るジョーカー。

宵闇に紛れるその服装を見咎める者はおらず、かなりの速さで稗田家へとむかう。

 

やがて、彼は前回と同じように稗田家の塀の上に降り立った。

ポケットに手をつっこんだまま、悠然と家の中を見下ろす。

 

(……ほとんど灯りは無い。当主のものらしきあの部屋も暗いまま、か。はてさて。いないのか、それとも寝てるのか。……当たって砕けろ、だな)

 

わずかに足を撓めて跳び、数メートル先の縁側へ。

音もなく着地し、辺りを見渡す。

誰の気配もなく、物音もない。

 

確認を終え、彼は目当ての部屋の戸に手をかける。

万が一中に誰かいたとしても反応できるように心構えだけは済ませる。

そして、躊躇なく一気に開く。

 

——ガラッ。

 

戸を開いた時の小さな物音に体を少し緊張させる。

…………だが。

 

(……誰もいないな。やれやれ、ひとまず好都合だ)

 

中には人の姿はなく、整然とした部屋の様子が彼の目に映る。

部屋の角に置かれた机に目をつけたジョーカーはそちらに近寄っていく。

どうやらこの部屋の主はなかなか書き物をする機会が多いらしく、机の上にはたくさんの紙と筆が散乱している。

ここだけが整った部屋の中で唯一雑然としており、異彩を放つ。

 

(…………何を書いてるかは気になるが、さすがにそこまで悪趣味な真似はしたくない。さて、何かないか……おっ)

 

視線をあちこちに動かしていた彼は机の引き出しに目をとめた。そこだけ重厚な南京錠でしっかりと施錠されていたのだ。

ニヤリと笑った彼はどこからともなくとある道具を取り出し、南京錠にそれをあてがう。

カチャカチャと音がすること数秒。カチリ、と南京錠はあっけなく開いた。

彼は南京錠を外し、机の上に置く。

そして引き出しを慎重に開ける。

 

(さーて、中身は…………ん? これは…………桐箱か)

 

引き出しの中にあったのは流麗な細工が施された桐箱だった。

首を傾げ、蓋をとる。

そこにあったのは——

 

「——紙?」

 

意外なものに思わず独り言を漏らす。

ここまで厳重に管理するからには相当重要な品か、あるいは財宝の類かと思ったのだが、実際はビッシリと文字で埋め尽くされた紙の束だった。

桐箱がいっぱいになるまで詰められたその紙束に困惑するジョーカー。

 

(…………いや、ここまでしているなら実際大切にしているもののはず。別にこれでも構わないか……)

 

そう考えて気を取り直し、箱の蓋を戻して小脇にかかえる。

いちいち中身だけ抜き取るのも面倒だ。まるごと持っていこう。

 

そうして彼は部屋を後にし、縁側に出る。

塀へと跳び上がるために一瞬力を溜め、そして跳躍しようとしたまさにその瞬間。

 

「…………だ、誰……?」

「!?」

 

背後から聞こえた声にバッと振り向く。

そこには、呆然としてこちらを見る一人の小柄な少女がいた。

事態を把握できていないようで、彼が出てきた部屋と彼へと視線を往復させる少女。

 

「…………え、え? …………え?」

(このタイミングで見つかったか……いや、これも好都合か? ……よし)

 

口をパクパクと開閉させる少女に体ごと向き直る。

 

「…………こんばんは」

「ひっ!?」

 

いきなり声をかけられ、怯えた声を漏らす少女。

だが、ジョーカーが向き直ったことによって、彼女は得体の知れない眼前の男がわきにかかえたものを目にすることとなる。

 

「…………それはっ!?」

「いただいていきます。私は怪盗。僭越ながら、この家を標的とさせてもらいました」

「か、返しなさい! それは——!」

 

暁が持つものを知っているのか、先ほどまでとはうってかわって声を荒げる少女。

しかしそれを気にとめず、暁は今度こそ大きく跳躍して塀の上へと着地する。

 

「ま、待ちなさい! だ、誰か! 賊です! 賊が出ました!」

(そう、それでいい。是非とも騒いでくれ)

 

彼はこっそりとほくそ笑み、こちらを睨む彼女を見下ろす。

 

「あ、阿求(あきゅう)様!? どうなさいました!?」

「阿求様の叫び声!? おい、人を集めろ!」

 

次第に家の中に騒ぎが伝わっていき、やがてバタバタと何人もの大人たちが走ってくる。

 

「ご無事ですか、阿求様!」

「どうなさいました!?」

「あ、あれを! 賊です! 賊が出ました! 捕まえてください!」

 

阿求と呼ばれた少女は大人達に自分を指し示す。

その指の先を追って視線を動かした大人達は自分の存在に気がつき、表情を一変させる。

 

「なっ……! おい、誰か! あいつを捕まえるぞ! ハシゴを持ってこい!」

「は、はいっ!!」

「…………ふっ」

 

途端に慌ただしくなる眼下の光景を眺めて口元を緩めるジョーカー。

彼は塀から屋敷の屋根の上へと跳ぶ。

 

「!? おい、逃げるぞ! 早くしろ!」

「もっと人を呼んでこい!」

 

この角度なら、誰からも見えない。

屋根の上に降り立った彼はいったん桐箱を置き、その代わりにどこからともなく道具を二つ取り出す。

 

「…………【アルセーヌ】」

 

一言呟きペルソナを呼び出すと、取り出した道具のうち片方を持たせる。道具をしっかり掴んだ【アルセーヌ】は闇の中、上空へと消えていく。

 

彼自身はもう片方の道具を手で弄びながら辺りを見回し、屋敷の周囲に人がどこにもいないことを確認する。

そして次の瞬間。

 

「…………よっ」

 

手に持っていたものを軽く放り投げる。

それは回転しながら放物線を描き……爆発する。

 

 

————バァァァンッッッ!!

 

 

轟音が静かな人里に響き渡る。

その音に反応するように、あちこちで家の灯りがつき、中から住人達が駆け出てくる。

 

(もう少し……もう少し……よし、そろそろ)

 

闇の中をサードアイで見通し、集まってきた人々を数えるジョーカー。

充分に人が集まったと判断すると同時、心の中で【アルセーヌ】に合図を送る。

 

すると、突如上空から伸びた一条の光芒が彼を煌々と照らし出した。

 

ざわめきだす群衆。

眩しそうに目を細めながら、全員がジョーカーのことを見上げている。

彼は集まった人々をぐるりと見渡し、両手を大きく広げて息を吸う。

 

「すぅぅ…………」

 

そして、目一杯声を張る。

 

「夜分に騒ぎ立てて大変申し訳ない! 私は怪盗だ! 今宵はこの稗田家を標的とさせてもらった!」

「「「!?」」」

 

途端にざわめきが一気に大きくなる。

想定通りの反応に口元を緩め、彼はさらに言葉を紡ぐ。

 

「私はこれからいくつかの場所を狙い、そこにある宝を盗み出す! ここでの犯行はその第一歩だ! 私が披露する、一世一代のスペシャルショー! 刮目して照覧あれ!!」

 

あえて仰々しい言葉をつかい、その場にいる全員の注目を集めるジョーカー。

広げていた両手を下ろし、今度は右手だけをゆっくりと上げる。

 

「……申し遅れたが、私の名は『ファントム』という! ここにいる諸君は是非とも覚えて帰ってくれたまえ!」

 

その言葉とともに、右手を水平に振る。

次の瞬間、虚空から伸びていた閃光が搔き消える。

辺りは一転して闇に閉ざされ、群衆のざわめきがますます大きくなっていく。

 

稗田家から松明を持った人間が数人走り出てくる。彼らはすぐにそれを掲げ、辺りを照らす。

すると離れたところで見ていた群衆の中から声が聞こえてきた。

 

「見ろ、あそこだ! 飛んだぞ!?」

 

男が指差す先には宙を舞う黒い影の姿が松明のぼんやりとした光に照らされていた。影は高い塀を超えて地面に着地し、そのまま駆け出して薄暗い闇の中へと消える。

 

「追え! 捕まえろ!」

「逃すな! なんとしてもあの賊を見つけだせ!」

 

稗田家の人間達はそれを追って走る。

当事者達が消えた現場には、今起きた見世物に興奮しきった群衆だけが残され、口々に近くの人間と話をしていた。

 

 

 

「……そこそこ地上を走って逃げる姿は見せたな。そろそろいいだろ……来い、【アルセーヌ】」

 

追っ手をまいたジョーカーは近くの民家の屋根に跳び、上空に待機させていた【アルセーヌ】を呼ぶ。

少しすると下りてくる【アルセーヌ】は未だにジョーカーが持たせた道具——スポットハイライトを掴んでいた。

 

さきほど彼を照らしたのはこれによる光である。

闇に紛れる色をした【アルセーヌ】 にこれを持たせて空中で使わせれば、第三者視点ではどこからともなく現れる謎の光となる。

それでも、もしかしたら視力のいい人間なら逆光ごしに【アルセーヌ】の姿を見ることができるかもしれない。

 

——だから、サポートを頼んだ。

 

 

「…………なによあれ。キザすぎ」

「そう言うな。印象というのは大事だろ? こういうのは大袈裟すぎるくらいでいいんだよ。初仕事だしな」

 

彼は上からかけられた呆れ声に肩をすくめ、【アルセーヌ】の背中に乗り、ふわりと浮き上がる。

 

「そういう問題? というか、なによ、ファントムって。さっきはジョーカーとか名乗ってたくせに。どっちなのよ」

「『ジョーカー』はあくまで『ザ ・ファントム』という怪盗団の中でのコードネームだ。大衆に知られるのは仲間内の呼び名より、怪盗としての呼び名であるべきだと思ったからああ言ったまでだ。仲間を差し置いて俺の名前だけを売るというのは気がひける」

「……律儀なのね。きっと、あなたの仲間もそんなこと気にしないわよ」

「だろうな。全員文句は言わないだろう。だがそれでも、だ」

 

彼の言葉にそれ以上反論することもなく鈴仙は納得する。

彼女はジョーカーが屋根の上で群衆に語る時、光の波長をいじって【アルセーヌ】を透明にしていた。

そしてジョーカーが逃走している間は上空で待機し、たった今、彼と合流した。

 

「走ったりしなくても、最初から飛んで逃げればよかったのに。なんでわざわざ?」

「空を飛ぶとこを見られると普通の人間じゃないことは確実だろ? あえて地上を走ることで、あくまで人間であることをアピールしようかと」

「……それ、意味ある? むしろ人間じゃないと思わせた方が撹乱できない?」

「そっちも考えたんだが……ここで怪盗が人間だと思わせてから、到底人間が行きそうにない場所に怪盗が現れたら混乱するだろ? 容疑者の人数も多くなる。どっちにするか悩んだ結果、こっちの方法をとった」

「なるほどね。……そろそろ行こっか」

「だな」

 

彼は頷いて桐箱をしっかりと持ち、落とさないようにする。

そして二人は誰かに見つかる前に飛び立ち、人里を離れた。

 

 

 

「——ところで、他に感想は無いのか? キザってこと以外で」

「……………………ちょっとだけ」

「ちょっとだけ?」

「本当に、ほんのちょっとだけ…………よかった」

「…………そうか。それはなにより」

 




今回のジョーカーはやたらキザになってしまいました。人によっては無理かもしれないな……すいません。

怪盗『ジョーカー』としなかった理由は文中で述べましたが、メタ的な理由もあります。
怪盗ジョーカーって聞くと、まんま同じタイトルの漫画とか、はやみねかおる氏の「怪盗クイーン」シリーズがどうしても思い浮かぶんですよね。
それがなんとなく嫌だったので……


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『稗田』の意味

(……本人には絶対言わないけど、まあ……うん。悪くはなかったわね。……あ、あくまでそれなりだけど!)

 

誰に何を言われたわけでもないが、内心で言い訳のように繰り返す鈴仙。

その時の表情はやや緩んだものだったが、次の瞬間には憂鬱そうなものに変化する。

 

(……それがどうして、こんなことに…………)

 

ため息を漏らす彼女の背後には、連続して轟音を響かせる引き戸があった。

そして聞こえてくる叫び声。

 

「ええい、ちょこまかと! さっさと当たりなさい! 『永夜返し -寅の三つ-』!」

「ハハハハハッ! 今の俺にはそんなんじゃ掠りもしないぞ! 〈マハエイガオン〉!」

「ああ……もう! なんなのよ! 一日でいきなり強くなりすぎでしょ! なんで今のが当たらないのよ! つか何よその技! 任意の空間に出現する即時発動魔法とか避けられないじゃない! 不可能弾幕よ! 反則、反則!」

「だから迎撃にしか使ってないだろ? 仮にこれで攻撃するにしても、ちゃんと離れた空間を起点にして方向を指定して発射するさ! それなら文句無いだろ?」

「無いわよ! 無いけどムカつく! 絶対落としてやる!」

「ハハハ、やってみろ!」

 

…………そしてさらに酷くなる流れ弾幕。

もはや暴風が吹き荒れているかのようにガタガタと震える戸をなんとか背中で押しとどめる。

 

(暁も大概だけど、姫様ももう少しこっちに気を配って欲しいんですけど! なんで私が一番ピンチなのよ! 何もしてないのに!)

 

頭を抱える鈴仙。

 

「そらっ!」

「昨日よりは高くなってるけど、言ったでしょ! そんなんじゃ私まで届きは——って、えっ!? 嘘っ!?」

「…………! ハッ、どうだ輝夜! ついに届いたぞ…………っ————!?」

「…………え?」

 

そんな声が彼女の耳に届いた途端、あれほどうるさかった流れ弾幕がパッタリとやんだ。

鈴仙は耳を塞いでいた手を恐る恐る離し、依然として閉まったまま静かな戸を見て瞬きする。

 

(…………どうしたのかしら? 終わったのかな?)

 

身構えながら少し待っていても、やはり弾幕が再開される様子はない。

鈴仙は思い切って戸を開き、外の二人を探す。

 

(……いた。何やってるんだろ)

 

鈴仙から離れたところで地面に立ち、うつむいている輝夜の姿を発見する。

よく見えないが、輝夜のむこうには暁もいる。だが何故か倒れているらしく、うつむいているように見えた輝夜はそれを見下ろしていたようだ。

二人のもとに歩いていく。

 

「……姫様が勝ったんですか?」

「……いや、それが……」

「……………………」

 

輝夜は煮え切らない返事をし、うつ伏せで倒れている暁を驚きと呆れが混じった表情で眺める。

首を傾げた鈴仙も同じく暁を見下ろす。

二人に見下ろされる彼は沈黙したまま身動きひとつしない。

 

「…………どういう状況ですか」

「……私のところまでジャンプでこようとしたから、そのぶん私も上に浮いたのよ。そしたらいきなり、あのペルソナとかいうのを空中に出して、自分の足場にしてさらに跳んできたの。反応しきれずに動けなかったわ」

「そうですか。それから?」

「私の腕に触った後地上に着地して、自動追尾してた弾幕を避けようとしてたみたいなんだけど……いきなりガクッと体勢を崩して…………」

「…………で、この有様ですか」

 

輝夜の説明を聞いて、暁へと注ぐ視線の温度が下がる。

やられるにしても、それはさすがに間抜けすぎではないだろうか。昨日のことを思い出して「悪くなかった」とか考えていた自分が馬鹿らしくなってくる。

ジョーカーは鈴仙の視線が冷たくなったのをなんとなく察知し、倒れたままノロノロと反論する。

 

「別に、こけたとかじゃなくてだな…………時間切れになったというかだな…………」

「はあ? 時間切れ? なんの?」

速度上昇(スクカジャ)の効果……一応攻撃力上昇(タルカジャ)防御力上昇(ラクカジャ)もだけど、今回はスクカジャが急に切れたのが原因で…………」

「…………身体能力の低下についていけなかったと」

「…………そうですね…………」

 

力無く頷くジョーカー。

鈴仙と輝夜は顔を見合わせ、また視線を彼に戻し、同時に口を開く。

 

「「情けないわね」」

「……………………」

 

その言葉にとどめを刺され、ジョーカーは完全に地面に突っ伏し、再び沈黙した。

 

 

 

「…………もう大丈夫?」

「まあ、なんとか……」

 

時間が経って精神的にも肉体的にも受けたダメージがある程度回復し、立ち上がる。

既に変身は解いた状態だ。

 

「ぷぷ、暁ってばダッサ〜。ま、やっぱ私にはまだまだかなわないってことかしら?」

「はは、何を仰るやら。あんだけ『触ることもできてない』とか余裕かましといてあっさりやられてたのは誰でしたっけ? ん? 誰でした?」

「…………まだ痛い目みないとわからないのかしら……………?」

「ハッ! 相手のミスに救われただけのお姫様にそんなことできますか? 今度はミスなんてしないですよ。大人しく負けを認めたらどうです?」

「…………」

「…………」

 

空気が一気に張り詰める。

ニコニコとする輝夜に挑発的に笑う暁。

一瞬の停滞。そして双方が無言で構え——

 

「はいストップー! もう終わり!」

 

——ようとしたが、割って入ってきた鈴仙に阻止される。

 

「姫様、いい加減にしてください! 流れ弾幕が多すぎです! 扉が師匠の結界で補強されてなかったらとっくに壊れてますよ!」

「だって、暁が」

「言い訳しない! これ以上騒ぐと師匠にも怒られますよ! だいたいですね————」

「…………」

 

長々と鈴仙に説教をされる間、輝夜は子供のように頬を大きく膨らませ、抗議の意思を無言で示す。

しばらく説教をし、とりあえず納得はさせられた、と鈴仙は今度は暁に説教をしようと振り返る。

 

「姫様にもまだまだ言い足りませんが……暁も! わざわざ姫様を煽るような——って! 逃げるな!」

「……チッ、もう見つかったか」

 

こっそりと後ずさりして二人から距離をとっていた暁は鈴仙に見咎められ、舌打ちする。

 

「子供か!」

「説教される覚えはないからな。あと外の世界では十七歳は一般的に未成年、つまり子供だ。よかったな鈴仙。勉強になったろ?」

「なんでアンタが偉そうにしてんのよ! それくらい知ってたわよ! 今のは皮肉よ!」

「なんか疲れたな。昼寝でもするか。鈴仙も一緒にどうだ?」

「話を! 聞きなさいよ!! しないわよ!」

「じゃあ昨日手伝ってくれた礼もまだだし、香霖堂にでも行くか?」

「え? うーん…… どうしよ……それなら人里のあの店とか? いや、どうせならあの店もいいかな……」

 

ふてぶてしく開き直り、逆に自分のペースに巻き込もうと適当なことを言う暁。

まんまとそれに乗せられ、すっかり本題を忘れる鈴仙。

 

その瞬間、輝夜と暁の間でアイコンタクトが交わされる。

ほんの一分ほど前までやりあっていたのをすっかり忘れたかのように二人は息の合った連携を見せる。

 

「…………あ、鈴仙、後ろ」

「え? 後ろ?」

 

鈴仙は不意に呟いた暁に反応し、つい後ろを振り向く。

 

「(……輝夜!)」

「(仕方ないわね……私の手を掴みなさい!)」

「…………? 別に何もないけ——なぁっ!?」

 

鈴仙が暁に向き直ると、そこには暁の姿はおろか、輝夜の姿もなかった。

そして鈴仙からかなり離れた場所、縁側の戸が勢いよく閉まる。

 

普通に考えればこの一瞬であんなところまで逃げきれるはずが……いや、違う。

 

「姫様の能力使ってまで逃げるな! どんだけ説教されたくないのよ! それにお礼の件についての話も終わってないわよ! 待ちなさい!」

 

鈴仙は二人を捕まえて一発強烈な弾幕を叩き込むことを決意し、駆け出した——

 

 

「……鈴仙は輝夜の方に行ったか。すいませんね、輝夜。俺は貴女の犠牲を忘れません…………」

 

けたたましい足音が離れていくのを聞き、自室に戻った暁は安堵のため息をつく。

わざとらしく輝夜を心配するような言葉を吐き、目を瞑ること数秒。

 

「さて、それじゃこれから何をしようか」

 

茶番をあっさりとやめ、今日の予定を考える。

 

(…………そういえば、昨日の桐箱の中身をちゃんと確認してなかったな。あの紙、なんだったんだ?)

 

そこに思い至ると、昨夜机の上に置いてからまだ触ってもいない桐箱に目をやる。

 

(……一応確認だけしておこうか。人里の有力者が管理する書類なら、何か重要な情報とかがあるかもしれない。……もし個人的な手紙とかなら見るのはやめよう)

 

彼は桐箱を手にとり、蓋を外す。

中に隙間なく詰まった紙のうち一枚を適当に選び、抜き取る。

 

そして、その紙を流し読みしはじめるが————

 

(…………? これは……?)

 

紙は手紙ではなかった。が、そこに書かれていた情報に眉を顰める。

流し読みをやめ、真剣な顔で紙を眺めだす暁。

 

すぐにその紙の内容を読み終え、次の紙、また次の紙とどんどん抜き取って読み続ける。

やがて桐箱に入っていた最後の紙も読み終わる。その紙は他のものと少し異なる種類の情報が書かれていたが、それは他の紙のものと同じか、それ以上に重要な情報だった。

 

「…………」

 

いつしか彼の表情は険しくなっていた。

脳が高速稼働を始める。

しばしそのまま思考に没入し、これから行うべきことを組み立てていく。

 

「…………やっぱり、あそこだな」

 

結論を出し、彼は桐箱の中に紙を全て戻し、また元の場所に置く。

そして足早に部屋を出ていった。

 

 

「…………あ」

「ん? ああ、暁。どうかした?」

 

部屋を出てから一番に出会ったのはてゐだった。

鈴仙を探すつもりだったが、その前に彼女に頼んでみてもいいだろう。

 

「これから香霖堂に行くんだけど、二時間ほどしたら帰ってくるから、その時竹林の前で待ち合わせとかできるか? 行きはともかく、帰りは案内してほしいからさ」

「えー? いきなりだね。うーん、どうしよっかなー」

 

てゐはわざとらしく考える素振りを見せる。

 

「あ、でもあいにくとその時間は空いてないかなー。今日の料理当番、私だからさー」

「そうか。じゃあ仕方ないな」

「うん。鈴仙に頼めば?」

「……さっき怒らせたばかりだからあまり気は進まないけど、そうするよ。どこに行ったかな……」

 

そう言って踵を返す暁に、てゐは声をかける。

 

「よくわかんないけど、それならあいつに頼めば?」

「あいつ?」

「ほら、いるじゃん。この竹林に住んでて、ココまでの道案内もできて、しかも常に暇してるのが」

「? …………あ」

 

その言葉でとある一人の顔が思い浮かぶ。

確かに彼女なら頼みを聞いてくれるだろう。

 

「早速行ってくるよ。ありがとう、助かった」

「ん。なんだか知らないけど頑張ってー」

 

 

そうして暁が永遠亭を出て数分。

うろ覚えの記憶を頼りにしばらく歩いていると、目的地が見えた。

 

彼はその家を無事に見つけられたことに安心して近寄っていく。

扉をノックし、数日前と同じように中に呼びかける。

 

「すいませーん。来栖暁ですー。()()()()いらっしゃいますかー?」

 

それに少し遅れて返事が聞こえる。

 

「……はーい、ちょっと待っててくれー」

 

すぐにパタパタと足音が近づいてくる。

そしてガラリと扉が開き、彼が探し求めていた人材が顔を出す。

 

「いらっしゃい。遊びに来たのか?」

「そう言いたいのはやまやまなんですが……ちょっと妹紅さんにお願いしたいことがありまして」

 

永遠亭以外で竹林に住むただ一人の存在——藤原妹紅。

暁は彼女に道案内をしてくれないかと相談する。

 

「——つまり、香霖堂の帰り道の案内をしてほしいと」

「はい。もしよければお願いできないかと……」

「うん、いいよ」

 

申し訳なさそうにする暁に妹紅は即答する。

 

「暇だしね。今からついていくよ」

「え? や、そこまでしてもらうのは……」

「いいからいいから。どのみち今日は人里に行くつもりだったし、それまで私の暇つぶしに付き合うとでも思ってくれ。さ、行こう」

「……は、はい。ありがとうございます」

 

あっさりと了承をもらった上、親切すぎる申し出を受けて戸惑う暁だったが、歩きはじめた妹紅に慌ててついていく。

一方的に迷惑をかけていることにやや緊張気味になっていたが、彼女から話題を振られるのに応じて雑談をするうちにそれも次第に消えていった。

 

久々の人間との会話が楽しげな妹紅。

暁も彼女との会話を楽しみながら、香霖堂までの道のりを過ごした。

 

 

「いらっしゃい。今日は珍しい人を連れているね」

「こんにちは霖之助さん。こちらは……」

「藤原妹紅だ。今日は暇つぶしがてら道案内をしてる。私自身は特にこの店に用はない。あるのはこっちだ」

 

妹紅は自己紹介をしながら暁を前に押す。

 

「これはこれは。僕は森近霖之助。このしがない店の店主をしているよ。噂だけは聞いているよ、竹林の案内人さん。……それで、暁はなんの用だい? また地図が必要に?」

「…………人里について、もう少し詳しい話を聞きたくて。特に、()()()()()についてを」

「……ふむ、なるほど。わかった。あがっていきたまえ。長い話になるだろうから。藤原さんはどうする? 君も聞いていくかい?」

「……やめとこう。さほど興味もないし、私が聞く内容でもなさそうだ。私は人里に行ってくるよ。暁、悪いけどやっぱり二時間後の待ち合わせってことでいい? 場所はこの店で」

「もちろんです。……すいません」

「気にすんな。じゃ、また後で」

 

暁の話があまり人に聞かれたくない部類のものだと察した妹紅はそう言って店を去っていった。

彼女の思いやりに頭を下げ、暁は霖之助に向き直る。

 

「…………では、お願いします」

「ああ。それじゃ、ついてきてくれ。お茶でも出そう」

 

霖之助に続き、彼は香霖堂の奥へとあがっていった。

 




今回はぜんっっぜん面白くないですね。
話を繋げるのにどうしても必要だけどすごいつまらない内容に。内容が無さすぎてサブタイにも困りました……

次の更新ではちゃんと話を進められると思うので、何卒……!


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理不尽への叛逆

注意:今回は独自設定があります。



稗田家九代目当主、稗田阿求。

彼女は悲嘆に暮れて自室に篭っていた。

心配する家人達が代わる代わる訪れてきたが、誰一人として部屋の中には入れなかった。

 

彼女がこうなってしまったのは、昨晩の『怪盗』などと名乗る男に盗まれたものが原因である。

彼女の人生の集大成ともいえるもの。それを全て盗まれてしまった絶望は筆舌に尽くしがたい。

 

何をするべきかもわからず、あの賊が捕まり、盗まれたものが返ってくるという儚い希望に縋るしかない。

だが、そんなことが起こるとは到底思えなかった。

 

泣けもせず、怒ることすらできず、ただただ呆然として部屋の端で俯いて座り込んだまま何時間も経つ。

そして彼女は、今日何度目になるかもわからない部屋の外からの声を聞く。

 

「阿求様、どうかお食事だけでもなさってください……このままでは、お体に障りが出てしまいます」

「…………いらない」

「…………左様でございますか。では、扉の前に置いていきますので、気分がよくなられましたら、召し上がってください」

「…………」

 

食事を乗せた盆を置く音がし、家人が立ち去る足音が遠のいていく。

 

(…………なんで。なんで、よりにもよって、アレを持っていったの。アレを持っていかれるくらいなら、他の家財をこちらから手渡すくらいなのに。なんで、アレを)

 

数え切れないほど繰り返した自問に答えは出ない。

虚無感と絶望で心に大きな穴が空いたような心境になる。

 

(アレがない私に価値なんてない。私の人生はアレを完成させるためにあったのに。私のこれまでの人生は、全て無意味なものになった。生まれてきた意味を、生きる意味を、無くしてしまった)

 

自責や後悔の念は次から次へと溢れてくる。

ぐるぐると頭の中に渦巻く感情を整理できず、吐き気すら覚える。

 

 

それからどれほどの時間が経っただろうか。彼女は不意に視線を上げる。

何故かは自分でもよくわからない。ただ、なんとなく空気が変わったような気がしたのだ。

その違和感の正体をぼんやりとした頭で探る。

 

(……………………ずいぶんと、静か)

 

そう、静かなのだ。

こちらを心配する者や、あの賊について話し合う者。

家中にいるたくさんの人の声が一日中意味を成さないノイズのようになって耳に届いていた。

しかし、今は不気味なほどに静かになっている。

 

いつの間にか、誰もが寝静まる深夜になってしまったのだろうか。

 

そんなことを頭の片隅で考え、また視線を床に落としていると、こちらに近づいてくる足音が聞こえた。

少なくとも、まだ一人は起きているらしい。

 

無感情にその足音が自分の部屋の前までくるのを聞きながら、今日何度も吐いた拒絶の言葉をまた吐く用意をする。

 

こないで。いらない。やめて。

 

どれでもいい。何を言われようと、今の私が返せる言葉はこれだけしか——

 

————ガラリ。

 

なんの前置きもなく、いきなり部屋の戸を開けられた。

そして声がかけられる。

 

「こんばんは」

「!?」

 

阿求はその声に弾かれたように反応し、バッと顔を上げて部屋の入り口を見やる。

そこにいたのは他でもない。

 

 

あの『怪盗』だった。

 

 

「昨晩の品を返却に参りました」

「…………!? …………!! …………!?」

 

状況に理解が追いつかず、口をパクパクとさせる阿求。

意味のある言葉を口から出すことができない。

 

「こちらです。さ、どうぞ」

 

怪盗はこちらに歩いてくると、脇にかかえていたものを目の前に置く。

それは紛れもなく、昨日盗まれたアレだった。

 

目を疑い、耳を疑い、これが夢ではないかと疑う。

 

置かれた桐箱と目の前に立つ男を交互に見る。

彼女が事態を把握していないことを見てとった男は桐箱の蓋をとり、彼女に直接手渡す。

 

「どうぞ確認してください」

「…………」

 

阿求はこわごわと伸ばした手でそれを受け取り、中身を取り出し、パラパラとめくっていく。

……間違いなく昨日盗まれたものが全てここにある。

 

「……………………なんで?」

 

思わず疑問が口から出る。

独り言のようなそれに目の前の男は答える。

 

「極めて勝手な都合ながら、私という存在を大々的に広める必要があったので、この人里の有力者だという貴女を標的に定めました。しかし、私は別段その箱と中身が欲しいわけではないので」

「…………」

 

わからない。

この男が何をしたいのか、そして何を考えているのか。

今の言葉が本当かどうかもわからない。

本当だとして、わざわざ盗んだものを返しにくる意味もわからない。

泥棒が一度侵入した場所にもう一度やってきてまで、律儀に盗品を返そうとする必要がどこにある。警備も強化されている。捕まる危険だって——

 

「……! 他の皆にいったい何をしたの!?」

 

はたと気づく。

この男がここにいるということは、あれだけの厳重な警備を潜り抜けてきたということ。

そんなことは普通できない。

できるとするならば、それは…………

 

思い当たる可能性に血相を変える。

しかし男はなだめるように両手を前に出す。

 

「落ち着いて。屋敷の人達に一切危害は加えてません。ただ眠ってもらっただけです」

「……眠らせた? どうやって?」

「さあ? 秘密です。まあ怪盗として、これくらいのことはやってみせますよ」

 

適当な言葉ではぐらかされる。

しかし今の言葉で少し安心した。

いつの間にか誰の声も聞こえないようになっていたことも、全員が一斉に眠ってしまったと考えれば納得できる。

無論、それが事実だという証拠はない。

しかし、この男が自分達に害意を持っていないことも確かだ。もしそうなら、悠長にこの男と話などできていない。

とっくに殺すなりなんなりされているだろう。

 

「それで、どうです? 確認はとれました?」

「…………ええ。確かにあなたが盗んでいったものはここに全部揃ってる」

 

自分で口にしてようやく実感する。

本当に、返ってきたのだ。

 

 

様々な感情が一気に溢れ、胸をぎゅっと押さえる。

怪盗は自分を静かに見下ろし、口を開く。

 

「……安心しましたか?」

「…………………………当たり前です」

 

なんとか言葉を絞り出す。

怪盗はさらに言葉を紡ぐ。

 

「……これで貴女の目標である『幻想郷縁起』の完成は再び可能となりました」

「…………ええ、その通りよ。本当に——」

 

よかった。

そう言おうとした。

 

だが、怪盗はこう言った。

 

 

「————()()()()()()()?」

 

 

思考が、停止した。

呼吸がつかの間止まり、口から出ようとしていた言葉は霧消する。

知らず知らずのうちに、男の顔を見上げていた。

……男の表情は仮面に覆われてわからない。

 

「……………………え?」

 

理解不能な発言だった。

この男は何を言っているのか。

自分の人生をかけたものが無事に戻ってきたのだ。

落胆なんて、するはずが————

 

 

「これであなたは『幻想郷縁起』を完成()()()()()()。それはつまり、貴女のやるべきことが決定してしまったということであり——」

「…………何を!! 何を言っているんですか、あなたは!! 私の……ううん、私()の全てをかけた集大成が完成できることに、なんの不満があると言うんですか! それは私だけでなく、『稗田』そのものに対する侮辱に他なりません!!」

 

男の言いように思わず激昂し、言葉を叩きつける。

 

怒りに燃える阿求の目を怪盗は静かに見つめ返す。

 

「…………貴女は自らその責務を望むと?」

「当然です! それこそが私の使命なんですよ!」

「…………そうですか。それは失礼しました」

「っ……ええ、今の発言は撤回してください」

 

あっさりと頭を下げて謝罪する怪盗に気勢を削がれ、怒声を呑み込んでしまった。

瞬きする阿求を見据え、怪盗はまだ話を続ける。

 

「貴女がその使命を果たすことを願っているのはわかりました。そしてその使命に真摯に向き合っていることも。……ですが」

 

怪盗は急に口調を強くし、その眼光も鋭くなる。

 

()()()()()()()()()()()()

「…………どういう、ことですか」

 

尋ね返す自分の声はやや震えていた。

これは彼の侮辱のような物言いに対する怒りからくるものだ。

そのはずだ。

断じて、()()など感じてはいない。

この男がこれから自分に吐く言葉に怯えているなんて、ありえない。

 

「『稗田』。初代の稗田 阿礼(ひえだのあれ)から連綿と続く、()()()()()()()の総称。 『一度見たものを忘れない程度の能力』を持つ初代が転生を繰り返し、その知識を綴り、後世へと伝えていく。転生後は転生前の人格は無く、その能力と付随する記憶のみが継承されていく」

 

「その知識の集大成こそが『幻想郷縁起』。貴女の使命はそれを完成させ、次代へと伝えること。……なるほど、これ以上ないほど立派で崇高な使命ですね。いやはや、感嘆しますよ。ええ、本当に」

 

そう言いながら怪盗は肩をすくめ、わざとらしく拍手をする。

だが、その目が放つ光は凍てつくように冷たい。

 

「……しかしこのシステムには唯一の欠点が存在する。転生を繰り返すうちになんらかの不具合が起こるようになったのか、次第に継承者が短命になっていったのです。これはかの竹林に住む月の薬師にすら治すことのできない症状だとか。……人々はそれを稗田家の宿命だのなんだのと呼んでいますが」

「……そんなこと、今さら言われるまでもありません。誰よりも、何よりも、私自身が一番知っていることです」

 

まるで鉛でできているかのように重く感じる口を開き、抗弁する。

論理的に考えたのではなく、反射的な反応。

自分の中のナニカが告げている。

 

————この男の言葉を聞いてはいけない。

 

しかしそれとは裏腹に、自分はこの男の言葉に引きつけられるように、続きを聞こうとしている。

 

「そうでしょうね。私のような部外者……外来人に言われるまでもない。その通り。貴女のことは、貴女がもっとも理解している」

 

同意とともに何気なく明かされた事実。

怪盗を名乗るこの男は、外の世界から来たのだと言う。

 

「…………そう。貴女が一番よくわかっているはずだ。その使命は崇高で——反面、()()()()()()()()()とね」

「!!!!」

 

阿求は思わず歯を食いしばる。

そうしなければ、意味を持つ言葉にすらならない何かを口から漏らしてしまう。

聞いてはいけない。

これ以上、聞いてしまっては——

 

「幻想郷での出来事を細大漏らさず全て記憶し、確固たる事実を記す。人ならざる者達の恐ろしさを忘れず、危機感を薄れさせないように。そして、それをずっと続ける。寿命を持ち、不完全な存在である人間には到底不可能。だからこそ、転生を繰り返す一個人というシステム、『稗田』が生み出された。人とそれ以外が争い、殺しあう時代ではそれこそが最善だった」

 

「……だがそんな時代はとうに終わった。人と妖怪、神々は適切な距離をとり、共存している。揉め事も『スペルカードルール』という手段によって、平和裏に解決される。人々は、もはや恐怖など必要としていない」

 

滔々と語る怪盗。

自分は彼の話を聞き続けるうちに、いつしか俯いていた。

 

「…………恐怖が必要なくなったとしても、人には歴史が必要だ。その意味では、やはり『幻想郷縁起』というものはまだ必要とされているのかもしれない」

「……そ、そうです! だから、私は!」

「————()()()()()()()()()()()()()()()()()()

 

阿求は一瞬見えた光明に縋ろうとした。

しかしそれはすぐに切り捨てられる。

 

「人間についての歴史を人間が記さなければいけない理由なんてない。妖怪と友好的な関係を築けている現代で、短い寿命の人間にその役目を背負わせるくらいなら、長命な妖怪に頼む方がよほど合理的だ」

「…………!!」

 

阿求は反論できず、再び黙りこんでしまう。

 

「人間以外の者に任せてなんらかの偏見や主観性が混じることを恐れると言うのなら、幻想郷の管理者である八雲紫にでも頼めばいい。明確に中立の立場であるし、むしろ人間よりも公平に、ただ事実のみを記すだろう」

 

「……まあ、偏見や主観性について心配する必要はないでしょうね。貴女が持つ『幻想郷縁起』の草稿を読みましたが、どれもこれも主観と偏見に満ちていましたし」

 

嫌味のようなそれを聞き、怪盗を睨む。

だが相手はそれを正面から受け、気にもとめず、話も止めない。

 

「それもまた、妖怪という存在の恐怖を煽るための一端ではあるのでしょうけど…………きっと、それだけじゃない。やむを得ない理由がある。違いますか?」

「…………」

「………………やはり、そうでしたか」

 

その問いかけに目を逸らす。

怪盗にとって、それは何よりも雄弁に事実を示していた。

 

 

()()()()()()()()()()()()()()()()()()

 

 

彼はキッパリとそう断言した。

 

「『稗田』という宿業を背負った貴女は生まれつき病弱で、家の外に出た姿すらほとんど目撃されてないと聞きました。そこにある『幻想郷縁起』の草稿に書かれた情報の大半はおそらく受け継いだ知識でしかなく、貴女自身の体験というものが欠如している。知識と伝聞でしか知らないものを記しているわけだ。偏見や主観が混じるのも当然です」

 

阿求は厳しい指摘に両手を握りしめ、激情を抑えこむ。

それでも抗弁しようとはしなかった。

全て、事実だったからだ。

 

自分の存在意義を真っ向から否定され、しかしそれに反論できない。

悔しさのあまり、目尻に涙が滲む。

そんな彼女に、先ほどまでとは打って変わって優しい声がかけられた。

 

「悔しいですよね。なんの関係もない、どこの誰とも知らない何者かにこんなことを言われて。怒りを覚えますよね。貴女のことを本当に理解しているわけでもないのに、わかったようなことを言われて」

「……?」

 

何を言いたいのかわからず、怪盗の顔を見る。

薄く滲んだ涙で少し歪む視界。

そこに映ったのは、慈しむような怪盗の目だった。

 

「さっき言ったように、俺は外来人だ。この幻想郷に住む者が当然だと思うことも、俺にとってはそうじゃない。部外者だからこそ、この世界のありのままの姿を見ることができる。そんな俺が断言しよう。全てを『稗田』に押し付けて、誰もなんとも思っていない。そんなのは()()だ」

「————!!」

 

丁寧な口調をかなぐり捨て、吐き出されたその言葉。

阿求はそれを聞いて息を呑む。

 

「俺はあくまで部外者だ。けど、なんとなくわかる。申し訳ないとか、わがままだとか、そんなことを考えて、自分の心を殺しているんだろう」

「…………それは、だって、そうでしょう。先代だって、その先代だって、そのまた先代だって。皆がやってきたこと。なのに、私だけが投げ出すなんてできない。私自身、この使命に誇りだってある。だというのに、私は——」

 

自分でも何を言おうとしているかわからぬまま、言い訳のように、うわ言のように、阿求は話す。

視線をあちらこちらに泳がせ、何かから逃げようとする。

怪盗はそんな彼女の肩にそっと手を置き、目線の高さを合わせる。

 

「いいんだ」

「え?」

「怒っていい。泣いていい。喚いたっていい。例えお前が本当に『幻想郷縁起』の完成を望んでいて、しかし心のどこかでそれを拒否してしまっても、誰も咎めない。人間は完全じゃないんだ。矛盾した想いを抱えるのは誰だってある。それを殺す必要なんてない。嫌なら嫌と言えばいい」

 

呆気にとられ、瞬きをする。

そんなこと、考えたこともなかった。

自分は使命を背負って生まれ、周囲も自分にそれを期待していた。

使命を果たすことは義務であり、自分の誇りでもあった。

それでもなお心のどこかにある鬱屈した想いを自覚する度に自己嫌悪に陥っていた。

しかし、この男はそれでいいのだと言う。

 

「例えお前が自分の使命を厭う感情を持ったとしても、それと使命を果たそうとする高潔さは二律背反たりえない。無理に感情を抑えたところで、結局はお前が苦しくなるだけだ」

 

「認めればいい。それもまたお前だ。なんなら俺が聞いてやる。お前はどう思ってきたんだ? 生まれつき使命を背負わされて、人生をそれに捧げることが決定しているなんて聞いて、何も思わなかったか?」

 

真っ直ぐに見つめてくる彼の目を直視できず、俯く。

 

「それ、は………………」

「今ならお前に期待という重荷を背負わせ続けてきた、この家の人間も誰一人として聞いていない。こんなチャンス、そうないだろ? 思う存分、全部を吐き出してみろ」

 

揺れる。

彼の言葉に、どうしようもなく心が揺れ動く。

だが、最後の一歩をどうしても踏み出せない。

 

迷う彼女をしばらく見つめ、怪盗はおもむろにその仮面を外した。そうして露わになった素顔は、まるで影が張り付いているかのように黒く染まっていた。

怪盗はその仮面をくるりと手の中で回転させ、スッと阿求の顔にあてがう。

 

いきなりのことに目を白黒させる阿求は仮面ごしに見える男——否、少年の顔を見る。

彼の目は力強くこちらを見据えていた。

 

「これは仮面。仮面は現実と非現実を切り分け、自分というものを区切るものでもある。この仮面をつけた今、お前はなんでもない、ただの少女だ。『稗田』でもない、ただの『阿求』だ。黙って理不尽に屈するな! お前は、お前だろうが!」

「————!!!!」

 

 

雷に撃たれたかのような衝撃。

大きく目を見開き、呼吸はおろか心臓の鼓動すらも一瞬止まったような気がした。

 

視線を少年と合わせたまましばらく静止していた彼女。

やがて、こわごわと口を開く。

 

 

「………………………ぃ」

 

 

堰を切ったように、そこからは怒涛の勢いで言葉が流れ出す。

 

 

「納得できるわけないじゃない!! なんで私が、私だけが、こんな辛い目に合わなきゃいけないの!? 私だって、普通の生活が送りたい!! ただでさえ短い寿命をもっと楽しいことに使いたい!! こっ、こんな、しんどくて、なのにっ、無意味だとわかっててっ、それでもやんないといけなくって!!」

 

言葉とともに滴る大粒の涙。

それを流れるままにし、溜め込んできた鬱屈を爆発させる。

 

「私がこんなものを作ったところで、きっと何も変わりはしない! 変えられないっ! 人里は、平和でっ、妖怪達だって、ふ、普通にっ、暮らしてたりするしっ! そもそも、外の世界を見たことも無い私がっ、何を書いたところで! なんの説得力も無いじゃない…………!」

 

 

——一息に言い切った。

嗚咽を漏らし、顔を覆う少年の仮面を両手で強く握りしめる。

心からの衝動をそのまま言葉にし、自分の肩に左手を置いたままの少年にぶつける。

 

 

「…………死にたくない。死にたくない! もっと、生きたい! このままじゃ、何もっ、知らないままでっ、そんなの…………認めたくない! 認められないっ!!」

「——ッ!!」

 

 

その叫びに呼応するかのように、少女の背中から()()()()()()()

一瞬だけ現れてすぐに消えたそれを見逃さなかった少年は驚愕するも、すぐに表情を戻す。

 

そして泣きじゃくる阿求の背中を優しくさする。

 

「…………よく言った。泣きたいだけ泣けばいい。俺のことは道端に転がる石ころか、草や木とでも思え。今は、誰も見ていない」

「うっ、ううぅ…………!」

 

 

彼は阿求が泣き止むまでずっと寄り添い、背中をゆっくりとさすっていた。




先に言っておきますが、ペルソナを使えるようにはなってません。

阿求が家から出ていなかったりといくつかの独自設定混じりの話でしたが、いかがでしょう。
できるだけ原作から逸脱しすぎないようにはしましたが、苦手な方がおられましたらすいません。


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帰還への第一歩

「……落ち着いたか?」

「…………はい。ありがとうございます……」

 

怪盗は阿求にハンカチを手渡してやる。

彼女はそれで顔を拭い、怪盗に礼を述べる。

 

「…………少しは気分が晴れたか?」

「……はい。胸のつかえがとれたような感じです。……こんなに思いっきり泣き喚いたのは、歴代の中でも私が初めてです」

「それでいいんだ。お前はお前なんだから。ようやく、お前自身がはっきり見えるようになったよ」

 

恥ずかしそうに笑う阿求。

泣き腫らした目は未だに赤く、頬も紅潮している。

彼女から仮面を受け取った怪盗は頷き、見透かすような目で阿求の顔を眺める。

 

「……私自身、ですか?」

「ああ。『稗田』じゃない、ただのお前の姿が。今までは『稗田』という『理念』に縛られていたお前という一個人が」

「……そう。そうですか。なるほど、私は今の今まで、『阿求』ではなかったのですね……」

 

彼女はその言葉に目をぱちくりとさせる。

そして両手を見下ろし、開いてまた握ることを繰り返す。

自分が自分であると再確認するように。

 

その様子を優しく見守る怪盗。

その一方、彼の頭脳はさっきの現象についての仮説を立てるために稼働していた。

 

(…………さっきのは間違いなく、ペルソナの炎だった。だが、彼女はペルソナを使えるようにはなっていない。普通の人間のままだ。力が感じられないし、視えない)

 

見透かす目(サードアイ)で阿求を観察しながら、思考をさらに進める。

 

(……じゃあさっきのは、やはり……)

 

彼女は自分の「お前がはっきり見えるようになった」という発言が比喩だと思ったようだが、それは正しくない。

いや、もちろんそういう意味でもあるのだが、それ以前に自分はありのままを伝えたのだ。

最初にサードアイを使って彼女を視た時、本来ならあるはずの彼女の『核』が何も見えなかった。

彼女の中ではおぼろげな何かが無数に渦巻き、それが内側から彼女を圧迫していた。

 

(あれは歴代の記憶、『稗田』そのものだった。そして、それを仮面(ペルソナ)をつけた彼女は自分と区切った。使命で圧し潰されていた自分の意志を引っ張り出した……そんなところか)

 

彼は納得いく仮説を立てるといったん思考を打ち切り、立ち上がった。

 

「……さて、それでは失礼する。そろそろ眠らせた者達も起きてくる頃だ」

「え……あ、そ、そうですよね。もう、お別れですよね……」

 

彼の言葉で我に返った阿求は名残惜しげに呟く。

どことなく寂しげな表情になる彼女に微笑み、怪盗は一枚のカードを渡す。

 

「…………これは?」

「予告状……いや、違うか。この場合は……なんだろうな。名刺、みたいなものか?」

 

赤と黒で構成されたデザインのそれを受け取った阿求。

怪盗は首を傾げる彼女に言う。

 

「いくつかやって欲しいことがある。もしよければ頼みたい」

 

 

 

時刻は昼前。

人里を歩く一人の天狗の姿があった。

 

「いやー、予想以上に手強いですね。怪盗についての情報は集まりましたけど、肝心の盗まれたものについて何もわからないとは。……よし、今日行って無理だったらそこは諦めて記事にしましょう。ふふ、これだけのネタなら充分に話題になることでしょう…………!」

 

彼女は射命丸文。

怪盗騒ぎについて調べ、記事にすることを目論むブン屋である。

一昨日の夜起きた事件を昨日知り、一日中さまざまな人間に取材して情報を収集していたのだが、被害者である稗田家の関係者からは一切情報を引き出すことができなかった。

 

ダメ元で今日も稗田家にむかってはいるが、彼女の頭は既に新聞の見出しを考えはじめていた。

取らぬ狸の皮算用をしながらニヤける文だったが、稗田家に到着すると表情を引き締める。

 

「すいませーん。一昨日のことについてお話を伺いたいのですがー」

「げっ、またアンタか……いい加減しつこいぞ。何度聞かれようと俺たちは何も知らない。他をあたれ」

「まあまあ、そうおっしゃらずにー」

 

文に気づくと露骨に嫌な顔をする守衛の二人。

その片方が追い払うような仕草をしながら諦めるように説得する。が、文は引き下がらない。

 

「ちょっとだけでいいですから、ね? お願いしますよ。ご当主に話を通すだけでいいですから。それでもダメなら大人しく帰ります」

「…………おい、どうする?」

「気は進まないが……このままずっとここに居座られるのもな……」

「……だな。仕方ないか…………おい、天狗さんよ。一応聞いてきてやってもいいが、それで無理なら本当に諦めるんだよな?」

「もちろんです! いやー、ありがとうございます! 」

「ったく……」

 

昨日も延々と絡まれていた二人は文のしつこさを理解していたので彼女の言葉に折れる。

最初に追い払おうとした男が踵を返し、屋敷へと入っていく。

 

文はそれをニコニコしながら見ていたが、内心ではまったく期待していない。

そんな彼女を胡散臭そうに眺めながらもう一人の守衛は自分の職務に専念する。

 

やがて、中から守衛が戻ってくる。

 

「どうでした?」

(……ま、無理ですよね。さーて、帰って記事をまとめないと——)

 

既に諦めている文だが、形式上男にそう尋ねた。

 

「……お会いになるそうだ」

「…………へ?」

 

目をぱちくりとさせて聞き返す。

それに対して男は自分でも理由がよくわかっていないような表情で同じ言葉を繰り返した。

 

「だから、阿求様がお会いになるそうだ。何度も言わせるな」

「ほ、本当ですか!?」

「疑うなら自分で確かめてくればいい。ほら、通れ」

 

男はそっけなく言いながらも、彼女が通れるように道を譲る。

 

「あ、あやややや! ありがとうございます! それでは行ってきます!」

 

思わぬ展開に目を輝かせ、文は屋敷へと駆け出していった。

それを見送りながら、立っていた方の守衛は男に尋ねる。

 

「…………本当か?」

「…………ああ。理由は見当もつかんが、天狗が来たと報告した瞬間に『通しなさい』、と」

「…………今日の阿求様がやけに上機嫌に見えたことと関係あるのかね」

「さあ。ま、どのみち俺たちには関係ないことだろ」

「違いない」

 

それっきりその話題に興味を失い、二人は元のように職務を粛々と遂行した。

 

 

「いらっしゃい。私が稗田家九代目当主、阿求です」

「これはこれは、どうもご丁寧に。幻想ブン屋、射命丸文と申します。本日は、一昨日あったという騒ぎについてお聞きしたくて参ったのですが……」

「ええ、承知しています。具体的には何を?」

「…………ずいぶんとあっさりと教えていただけるんですね。昨日はどれだけ粘っても取り次いでもらうことすらできなかったのですが」

 

あまりにもトントン拍子に進む話に逆に警戒心を煽られ、文は目を細める。

 

「……恥ずかしながら、昨日は人様にお会いできるような余裕がなかったので。申し訳ございません」

「え、や……あ、謝られることじゃないですよ! こちらこそ、不躾なことを……!」

 

それに対して素直に頭を下げる阿求。

その反応に焦った文は慌てて首と手をブンブンと横に振る。

 

「本日は昨日と違い、気持ちの整理もできておりますので、どうぞお好きなようにお尋ねください。私のできる限り答えます」

「そ、そうでしたか。わかりました」

 

コクコクと頷き、居住まいを正す。

途端に表情が真剣なものになり、目も鋭くなる。

 

「……まずは、盗まれたものが何だったのかを」

「『幻想郷縁起』、その草稿です。あなたならご存知だと思いますが、どうでしょう」

「ええ、もちろん存じ上げて……えっ!? そ、それが盗まれたのですか!?」

「はい」

 

驚愕する文に平然として頷く阿求。

文はその様子を見てますます驚く。

 

「た……大変じゃないですか!」

「そうですね。だからこそ、昨日はお会いできませんでした」

「そ、そうじゃなくて! なんでそんなに落ち着いていられるんですか!?」

 

ある程度の事情を知る文は、盗まれたものが阿求にとってどれほど大事なものかがわかっていた。

だというのに、平然としたままの阿求に酷く困惑する。

 

「どうして…………ですか。気持ちの整理ができたから、とは言いませんでしたか?」

「そ、そんなに簡単に割り切れるものではないでしょう!? なんでこんな短時間で……」

「そうですね。いくつか理由はありますが、とりあえずの理由としては『()()()()()()()()()()()()』、ですかね?」

「……………………なんですって?」

 

耳を疑う文に阿求は微笑んで懐から一枚のカードを取り出し、それを文にスッと差し出した。

訝しげにしながらそのカードを矯めつ眇めつする文は阿求に尋ねる。

 

「…………これは?」

「一種の犯行声明のようなものでしょうかね? 怪盗が残していったものです」

「なっ!?」

 

文は目の色を変え、手の中のそれを食い入るように観察する。

そこに描かれていたのは赤と黒の同心円と、その中央にシルクハットと仮面のデザイン、そしてその下に——

 

TAKE YOuR hEaRT(あなたの心を頂きます)、ね……犯行後にずいぶんと大仰な言葉を吐いていたとは聞いたけど、ここでもか。私としてはネタに箔がつくから好都合だけど、当人は何を目的としてるのかしら……?)

 

「盗まれたものと一緒にそれが私の部屋に置かれていました。いかがです? なかなか面白いでしょう?」

「……非常に興味深いお話ですが…………置かれていたというのはどんな状況ですか?」

「そのままです。いつの間にか私の枕元に草稿をしまっていた桐箱がまるごとありました。もちろん中身も全て揃った状態です。そしてその上には……」

「……このカード、ということですか。なるほど、なるほど…………!」

 

阿求の説明を聞きながら思考を加速させる文。

脳内で予定していた記事の構成を目まぐるしく変更していく。

 

「……よろしければ、このカード、お借りしたりとかは…………」

「…………すぐに返していただけるのなら」

「今日中には返却可能です! 印刷に使いたいだけですので!」

「…………わかりました。どうぞ、持って行ってください」

「ありがとうございます!! あなたのおかげで我が文々。新聞はさらなる飛躍を遂げることでしょう! このご恩はなんらかの形でお返しします! それでは、失礼します!」

 

早口で礼を述べ、部屋から出ていく文。

逸る気持ちに任せて縁側から一気に飛び立ち、一目散に飛び去っていく。

それを座って眺めていた阿求はクスリと笑った。

 

「……ふふっ、予想通りの動きね。これで彼にも少しは恩返しできたかしら」

 

 

——新聞を発行しているという天狗を煽り、派手な記事を書かせて欲しい。

 

 

昨晩の怪盗の頼みを思い返しながら、自分の計略がうまく運んだことを喜ぶ。

なんらかの方法でまた会いに来る、と彼は言っていた。

あの言葉を信じ、今はゆっくりと時が経つのを待とう。

天狗の新聞を読むのも楽しみだ。いったい、どんな記事になるのだろう。

 

「…………時間がもっと速く流れたらいいのに」

 

短い自分の残り時間を惜しむことは数あれど、時間の流れをもどかしく思うのは初めてだ。

 

らしくもなく心が浮き足立つのを自覚しながら、彼女は笑顔を崩さなかった。

 

 

 

そして数時間後、天狗は新聞を完成させる。

 

 

「号外、号外ー! 今回の文々。新聞は特ダネ、『怪盗事件』についての記事ですよー! 読まなきゃ後悔すること間違いなし!」

 

幻想郷の各所を飛び回り、新聞をあちこちに投下していく文。

そして、それを拾う者達。

 

 

——天狗が拠点とする、妖怪の山にて。

 

「まったく、あの人はまた勝手に……今回は何を……」

 

ため息をつき、落ちていた新聞を拾い上げる狼の耳が生えた少女。

 

 

——幽霊が集う冥界にて。

 

「…………またあの天狗ですか。何の役にもたたない新聞なんか、火の焚付けにでも……ん? …………怪盗?」

 

新聞の一面を見て怪訝そうな顔をする二本の剣を携えた白髪の少女。

 

 

——危険な動植物が跋扈する魔法の森にて。

 

「騒がしいわね……あの天狗か。今回の新聞はいったいどんなデタラメが書かれてるのかしらね? 魔理沙はどう思う?」

「……そんなことより、相談があるんだ」

「はいはい、わかったわ。まったく……いきなり来てそんな深刻そうな顔されても困るわよ」

 

新聞を持ったまま振り向いて肩をすくめる金髪の少女と、俯いたままのもう一人。

 

 

——満開の花が咲き誇る花畑にて。

 

「…………」

 

興味なさげに記事を一瞥する女性。次の瞬間、彼女の手の中で新聞は灰になる。

 

 

——山奥のとある神社にて。

 

「ん? あ、新聞。今回は何の記事かなー?」

 

箒で境内を掃除していた緑髪の少女は走って新聞を拾いに行く。

 

 

——霧が立ち込める湖畔の館にて。

 

「お嬢様。またあの天狗が新聞を落としていきましたが、如何いたしましょう? …………? どうなさいました?」

「……運命が、見通せない。…………いや、違う。『行き止まり』……?」

 

険しい表情をして虚空を見据える主に不思議そうな顔をするメイド。

 

 

——妖怪が住む寺にて。

 

「おや、天狗の新聞ですか。とりあえず聖に渡しましょう」

 

ところどころ黒が混じった金髪の少女は天から落ちてくる新聞を掴む。

 

 

——地面にぽっかり空いた大穴にて。

 

「……いてっ。何だろ? ……新聞? 地上のあの天狗が落としてったのかしら」

 

穴の中央に網を張って寝ていた少女は、頭に落ちてきた新聞に首を捻る。

 

 

——人間達が暮らす里にて。

 

「おい、あの怪盗とやらについての新聞だぞ!」

「あ、俺にも見せてくれ!」

「俺もだ!」

「俺も!」

 

いくつも落ちてくる新聞に群がっていく人々。

 

 

——そして。

無数の竹に囲まれたとある屋敷にて。

 

「…………なかなか上出来じゃないか。個人が趣味で発行している新聞なんて聞いた時はどんなものかと不安になったが、悪くない」

「あ! それ、あの天狗の新聞でしょ! 私にも見せなさいよ!」

 

新聞を大きく広げてニヤリと笑う少年と、彼に駆け寄ってくる少女。

 

 

 

————こうして、『怪盗』は幻想郷全体に知れわたった。

 

彼が現実に帰還する未来は、まだまだ遠い。

 




文が英語を読めるかというのは悩みましたが、とりあえず読めるということでお願いします。
実を言うと英語に限らず、カタカナ語とかもどこまで通じるか悩みながら書いてます。

もしそういう点でどこか引っかかる箇所があってもどうかスルーしてください……
どうしても筆者の語彙では漢字系の言葉だけでは表現できない部分が出てきますので………


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Chapter:3
甘美なる闘争


It's a beautiful day outside.
Birds are singing,flowers are blooming...
On days like these, kids like you...

Should be burning in hell.


いつものように賑わう人里。

しかし、今日の人々の表情は普段より興奮したものであり、彼らの話す内容も異なっていた。

 

「おい、読んだか?」

「稗田家に入った賊のことか? 当然だろ」

「盗んだものをもう一度忍び込んでわざわざ返してたんだろ? すげぇよな」

「犯人は誰だ? 妖怪か?」

「妖怪ならもっと簡単に逃げれるだろ。確か、走って逃げてったんだろ?」

「じゃあ人間か。誰だ? そんなバカをやるようなやつがこの里にいたのか」

「誰だろうなぁ。あー、くそ! もっといろいろ知りたいぜ!」

 

往来にいる誰もが怪盗の話題でもちきりだった。

そして、笑いを堪えながらそれを眺める二人がいた。

 

「ははは、見ろよ鈴仙。文句なしに大成功だな」

「まったくね。まるでお祭り騒ぎよ。こんな騒ぎを引き起こしてる当人が自分の隣にいるって思うと変な気分になるわ」

 

道を歩きながらそう話す暁と鈴仙。

彼らは自分の目で人里の様子を確認しにきていた。

 

(……ま、調子には乗れないけどな。こういうのに浮かれると痛い目を見るってのはうんざりするほどわかってる)

 

楽しそうな表情から一転、醒めた目になって苦々しげになる暁。

大きく深呼吸し、気分を切り替える。

 

「…………っし。じゃ、とりあえず打ち上げだな! 鈴仙、適当な店に案内してくれ。奢るよ」

「ホント!? じゃ、高くて普段はなかなか行けない甘味屋でもいい!?」

「好きなだけ食べてくれ。永琳達にもお土産買わないとな」

「やった! じゃあ早く行こ! こっちこっち!」

 

暁の申し出に鈴仙は喜色満面で先導する。

彼も鈴仙のその様子を見て苦笑しながら、彼女の後についていった。

 

 

甘味屋にはたくさんの客がいて大賑わいだった。

なんとか空いていた席を確保し、ワクワクとしながらお品書きを手にとる鈴仙。

彼女の隣に座った暁はぼんやりと周囲を見回して時間を潰していた。

 

しばらくぼんやりしているとようやく鈴仙も頼むものを決めたらしく、近くの店員を呼びとめて注文する。

彼は特に口を挟まず、彼女が注文するのに任せていた。

そして運ばれてくる数々の注文した品。

彼女はそれを見て目を輝かせる。

 

「わー! この店でこんなにいっぱい食べられるなんて! ありがと、暁 ! 今日はとってもいい日ね!」

「おお、ずいぶんと頼んだな。団子、あんみつ…………え? か、かき氷? 冬なのに? 寒くないか?」

「そのためのこのお汁粉よ! かき氷で冷えた体をお汁粉であっためる! 最高の贅沢よね〜!」

「……そ、そうか。いや、お前が食べられるなら良いんだけどな。えっと……だいたいこれだけあればお土産代も足りる、か?」

 

代金をおおまかに計算し、それにいくらか上乗せして鈴仙に金を渡す。

 

「俺はどれを買って帰れば喜ばれるかわからないから、鈴仙が選んでおいてくれ」

「え、いいけど……暁は食べないの?」

「そのつもりだったけど、なんか見てるだけで胸焼けしてきて……そこの団子、一本だけでいいからくれるか?」

「ん、どうぞ。これから何するの?」

「とりあえず人里を歩いてみるよ。しばらくしたらここに戻ってくるから」

 

鈴仙から団子を受け取り、踵を返す。

 

「わかったわ。いってらっしゃーい」

 

背中にかけられた彼女の声に手を振ることでこたえ、彼は甘味屋を出た。

左右をキョロキョロとし、どちらにむかって歩くか思案する。

 

(……稗田家は左だな。行ってみるか? ……いや、彼女は通してくれるだろうが、家の人間に怪しまれるのは間違いない。正面から行くのはダメだな。かと言ってさすがに昼間から忍び込むのは厳しい。…………うん。今日は適当にぶらついてみよう)

 

そう決めて暁は甘味屋を出て右の方向へ歩き出した。

 

 

「————はあ、はあ……」

 

彼は息を切らしながら石段を一歩ずつあがっていく。

ぼんやりと歩いているうちに、いつのまにか人里を抜けていた暁は、山の中に続いていく階段を見つけた。

 

……頂上から景色を見下ろしてみようか——

 

なんとなくそんなことを思いつき、彼は石段を登ることにした。

最初は筋トレがてら駆け上がっていたが、石段は予想以上に長く、途中で息切れしてしまった。

どうやらまだ自分の筋力では、この石段は走破できないようだ…………

 

…………ようやく石段を登りきり、大きく深呼吸する。

 

「スー…………ハァ。いやぁ……なかなか手強かった。けど、トレーニングには有効かもな……」

 

薄く滲む汗を袖で拭い、呼吸を整える。

そしてたった今登ってきた後ろの石段を見下ろす。

 

…………とんでもなく、長い。

 

かなり上まで登ってきたらしい。

そして————

 

「……………………おぉ」

 

見晴らしのいい景色に思わず感嘆する。

人里を一望するどころか、遠くの山まで何も遮るものがない。

科学技術が発展していない幻想郷は空気も澄んでおり、景色を味わうには絶好の条件が揃っている。

 

どこかから鳥の囀りが聞こえてくる中、暁は瞬きも忘れてその景色を眺める。

と、そこで。

 

「…………あ、忘れてた」

 

右手に視線を落とす。

走っている間も歩いている時も、ずっと握っていた団子は一つも落ちず、きちんと串に刺さったままだった。

 

その三つのうち一つをパクリと頬張る。

 

優しい甘みが口の中に広がる。

 

(…………美味しい)

 

彼はもぐもぐと咀嚼しながら後ろに振り返る。

石段が何に繋がるものだったのかをまだ確認していなかったことを思い出したのだ。

 

そこにあったのは、神社だった。

 

(……神社? …………確か、どっかで聞いたような…………あ)

 

引っかかるものを感じた暁は記憶を探り、そして目を見開く。

 

(ま、まさか博霊神社……!? 確か、結界を管理してる巫女がいるとかいう……え、マズくないか? すぐ逃げるべきか……!?)

 

思わぬ事態に動揺し、登ってきた石段に足をかける。

が、そこでもう一度振り返る。

 

(…………いや、待てよ。その割には人の気配がないな。俺がここで立ってる間も声の一つもかけられなかったし……ひょっとして、留守なのか?)

 

本殿の様子を窺うが、特に何の物音も聞こえてこない。

彼はひとまず冷静になり、神社へと向きなおる。

 

これからどうするべきか、しばし思案する暁。

 

(……せっかくここまで来たんだし、お賽銭くらいは入れていこうか。どうせ幻想郷を出る時にはお世話になることは確定してるんだし。で、帰ろう。その頃には鈴仙も食べ終わってるだろ)

 

そう結論づけ、スタスタと本殿に近づいていく。

近づくにつれ、もし誰かが出てきたらどうしようかという緊張も強まるが、賽銭箱の前に立つまで誰一人として現れなかった。

 

彼は財布を取り出し中を覗く。

どれくらいの額にするか悩みかけるが面倒になり、所持金全額を賽銭箱に放り込む。

 

(よし。じゃあ帰ろうか)

 

踵を返し、鈴仙のもとに————

 

 

「————律儀だね。この神社に賽銭を入れていく奴は初めて見るよ」

 

 

ピクッ、と小さく肩が跳ねる。

振り返ることなく、背後に尋ねる。

 

「…………おや、人がいらっしゃいましたか。誰もいないかと思ってましたが」

「あはは、まあそれもあながち間違いじゃない。人はいないよ。ここの巫女もしばらくは帰ってこない」

「…………これは異なことを。あなたがいるではありませんか」

「いやいや、嘘じゃない。嘘は嫌いだしね。ここにヒトはいない。だって私は————」

 

 

()だからね」

 

 

ゆっくりと背後を振り返る。

そこにいたのは徳利瓢箪を持つかなり小柄な少女。

だが、彼女に生えた()()()()が何より雄弁に、彼女が人間ではないのだと語っている。

ゴクゴクと瓢箪から何かを飲み、満足そうな笑みで口を拭う。

 

「……鬼、ですか。この目で見るのは初めてですね。やれやれ、今日はいい日だ」

「はは、喜んでもらえて光栄だね」

 

カラカラと笑う少女——鬼に、暁は笑顔で一礼する。

 

「いい思い出になりました。それでは——」

「待ちなよ。私ともう少し話でもしていかない?」

 

彼の言葉を遮り、鬼は瓢箪に口をつける。

 

「……ふぅ。誰かと話すってのも酒の肴になるもんだ」

(…………中身は酒か。見た目幼い女の子、飲んでいるのは酒……犯罪臭が凄い)

 

現実逃避気味に考える暁。

…………なにやら嫌な予感がする。

 

「酒の肴でしたら、この団子を差し上げましょうか? 一つ食べてしまったのですが、よければ……」

「お、いいの? それじゃ、もらうよ」

 

ニッコリと笑い手を出す鬼。

ゆっくりと彼女に歩み寄り、その手に団子を置く。

彼女は一息に二つの団子を飲み込み、酒を流し込む。

 

「……プハァッ! うまい! 最高だね!」

「それはよかった」

 

愛想笑いしながら彼女から差し出された串を受け取ろうと片手を伸ばす暁。

 

——ガシッ。

 

鬼はもう片方の手で暁の出した腕を掴む。

 

()()()、酒の肴にはもっとイイものがあるんだ」

「…………」

「それはね…………」

 

無表情になる暁と対照的に、鬼は獰猛な笑みを浮かべる。

 

 

()()

 

 

彼女の手を無理にふりほどくようなことはせず、彼は掴まれた腕を下ろす。

 

「…………恐ろしいことです。私のような非力なただの人間には、鬼のお相手など務めることはできません」

「まあまあ、話はまだ終わってないよ」

 

鬼はおかしそうに笑う。

 

「……ここの巫女は基本的にぐうたらでね。自分から動こうとすることはほとんどない。けど、今のあいつはずいぶんと真面目に働いてるらしい。これは相当凄いことなんだ。よほど重要な仕事をしているか、あるいは()()()()()()()()()()()()()()()()。どちらにせよ、滅多にない」

 

唐突に感じる話を黙って聞く暁。

 

「あ、『密と疎を操る程度の能力』っていうんだ。私が持ってるのは。人や物を(あつ)めたり、反対に散らしたりすることもできる。あんたが誰もいないと思ったのはその能力を使って私の存在を散らしてたからさ」

「…………」

「でね? 昨日、天狗が出してる新聞を拾ったのさ。……これまたずいぶんと面白い内容だったよ。珍しく、ね。怪盗…………だっけ? 興味が湧いてさー。会いたくなったわけ」

 

下から暁の顔を覗き込む鬼。

 

 

「だからね? 『()()()()()()()()()()()()()()()()

 

 

鬼はスッと目を細める。

 

「あの巫女が真面目になるくらいの何か、そしてそのタイミングで起きた妙な事件…………怪しいとは、思わない?」

「…………」

「……………………ねぇ」

 

 

お前、何を知ってる?

 

 

————刹那、噴き上がる蒼炎。

 

「!?」

 

鬼は掴んでいたものが消えるような感覚と、その衝撃的な出来事に動揺し、一瞬思考が停止する。

その隙を突いて彼は後ろに飛び退る。

 

「…………驚いた。人間だと思ってたんだけど、違ったか」

「……違いませんよ。れっきとした人間です」

 

ジョーカーは体を軽く動かしながら訂正する。

 

「人間ねぇ……? 変わった能力を持ってるもんだ。手品のタネ、教えてもらえない?」

「…………なら、こう答えておきましょうか。『タネも仕掛けもございません』」

「へえ、そう。……面白い。ちょっと遊んでもらおうかな」

「…………」

 

好戦的に吊り上がる鬼の口角。

ジョーカーは右手にナイフ、左手に拳銃を構えて臨戦体勢に入る。

 

 

「鬼の四天王、その一角。伊吹 萃香(いぶきすいか)

「…………ただの怪盗、ファントム」

 

 

名乗りをあげる鬼——萃香に合わせて名乗るジョーカー。

 

「とりあえず逃げられないよう、動けないようにしてからじっくり話を聞くことにするよ。かかってきな、()()

「…………行くぞ、()

 

底冷えする眼光を放ち、ジョーカーは地面を蹴る。

鈴仙が目で追うこともできなかったその初動を、しかし萃香はしっかりと捉えていた。

正面から突っ込んでくる彼を迎え撃つつもりで萃香は右拳を振り上げるが……

 

「なっ!?」

 

いきなり後ろから何かに突き飛ばされ、たたらを踏む。

よろめく彼女、その右腕にジョーカーは躊躇なくナイフを振るう。しかし、その刃は肉を割ることなく、表面を薄く裂いただけに終わる。

萃香の想像を遥かに超える頑丈さに目を見開くが、すぐさま距離をとる。

 

そして左手の拳銃を無造作に撃つ。

破裂音とともに飛来する数発の銃弾。

それを萃香は避けることもせず、正面から受ける。

全弾命中。

だが…………

 

「…………やれやれ、驚きっぱなしだね。今のタネも聞くことにしようか」

「…………チッ」

 

無傷のままの萃香に舌打ちするジョーカー。

銃弾は彼女の肉体を貫通することなく、全て弾かれた。

これでは牽制にもならない。

 

拳銃をしまい、左手にもナイフを持つ。

普段はしない変則的な構えだ。

 

「(…………スカルやノワールの銃なら、あるいは)」

「ん? 何か言った?」

「……いや、何も」

「そうかい。…………ふふ、ふふふ。久々に滾ってきたよ……殺す気はない。でも、殺す気でこい!」

 

萃香の雰囲気が変わり、圧力が増していく。

本気、ということだろう。

 

(…………だったら)

 

こちらも、新たな(本来の)チカラを見せてやろう。

 

「【——】、〈()()()()()()〉」

「————ッ!」

 

彼が何事かを呟いた瞬間、気配を感じて萃香はバッと後ろを振り向く。

だが、既にそこには何もいなかった。

さらに。

 

「ぐっ…………!? なんだ、力が……!?」

 

一瞬襲う急激な脱力感。

全身から力が抜ける。

それを気合いで堪え、彼女はジョーカーを睨む。

 

(…………力が半端にしか出ない。これもこいつの能力か)

 

自分の身体能力が低下していることを直感で理解する。

半端な力と言っても、鬼の肉体。

人間がまともにやりあうことなどできない。

それでも、萃香はもう油断しない。

彼女の本能が告げているからだ。

 

——この人間は強い、と。

 

「……〈チャージ〉、〈ヒートライザ〉」

「…………準備はいいかい?」

 

 

何かしらの手段で自身を強化している。

それを理解しながらも、彼女は手を出さずにそれを見守っていた。

 

理由は至極単純。

この怪盗の全力を見たくなったからだ。

 

先ほどの不意打ちや、自分にかけられた弱体化に怒ることはない。

戦いの最中に油断していた自分が悪かったのだ。

戦いが始まる前に毒を盛ったりするような行為とは違う。戦う者として正当な権利だ。

 

 

「…………ああ」

「それじゃ、今度はこっちから!」

 

萃香は今出せる己の全力を拳に込める。

そして、能力を発動させた。

 

「さあ、()()!」

「!!」

 

自分の方へ相手を萃めることによって、強引に引き寄せる。

萃香へと引っ張られる力を敏感に察知したジョーカーはその力に逆らわず、風のように疾る。

振り抜かれる直前の萃香の拳めがけて、自分の速度と引かれる力を乗せた飛び蹴りを放つ。

 

 

————ドゴォッッッ!!!!

 

 

まるでトラックとダンプが衝突したような轟音。

萃香は渾身の拳を真っ向から弾かれ、ジョーカーの方も体ごと後ろへと吹き飛ぶ。

 

萃香はすぐに前を見据え、ジョーカーも地面に叩きつけられる瞬間受け身をとって転がり、低い体勢で構える。

 

 

「…………」

「…………」

 

 

一瞬の静寂を挟み。

言葉も無く激闘が始まった。

 




Do you wanna have a bad time?

萃香との戦い、それも本気のバトルが必要だったのでこういう形に。
ここからの話の展開的にできるだけ早く戦う必要があったので。
「いい日」を強調したのは前書きのネタを使いたかったのもありますね。
わかる人は少ないと思いますが……


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意識/無意識

注意:能力の恣意的な解釈が存在します。


「そらぁっ!」

 

引き寄せて、殴る。

単純だが、重機さながらのパワーを持つ萃香のそれは極めて強力な攻撃となる。

ジョーカーはその拳を時には躱し、時には迎撃することによって防いでいく。

 

無論、彼もやられるばかりではない。

引き寄せられる勢いを利用してすれ違いざまに両手のナイフで斬りつける。

それ自体のダメージは微々たるものだが、一度の交錯で生み出される傷は片手で数えきれないほどであり、時間が経つにつれて着実に蓄積されていく。

だが、それでもほとんど効果は無いに等しい。

表面にどれほど傷をつけたところで、鬼の肉体は揺るがない。

 

「どうした! その程度か!」

 

萃香はジョーカーを引き寄せながら、自分からも踏み込んで距離を詰める。

あまりに近すぎる距離に回避は間に合わず、彼は受け流しを選択する。

鈴仙との組手の時のように、手刀で弾こうとする、が——

 

「甘いっ!」

「っ!! グゥッッッ!!!?」

 

踏み込みによって勢いづいた萃香の拳、その威力を見誤り逆に手刀を弾かれてしまい、彼の腹にモロに拳がめり込む。

彼女はそのまま左拳を一気に振り抜き、ジョーカーは水平に吹き飛ばされる。

水切りの石にでもなったかのように、地面で数回バウンドし、近くに生えていた木の幹に叩きつけられて止まる。

 

——決まった。

 

そう確信した萃香。

だが…………

 

「…………」

「……今日は本当に驚かされてばかりだ。人間だとか言ってたけど、人間は今のを喰らって立てやしないよ?」

 

少しよろめきながらもあっさり立ち上がるジョーカーに、それは間違いだったと思い知らされる。

彼は吹き飛ばされた拍子に口の中を切ったのか、少量の血を吐き捨て、口元を乱雑に拭う。

 

「……………………」

「……つれないね。女の会話につきあう器量くらい持ち合わせてないの?」

「……普段ならつきあってもいいんだが、どうやら貴女は舐めてかかっていい相手じゃないらしいからな」

「へぇ? 嬉しいねぇ。そうまで言ってもらえると、鬼冥利に尽きるってもんだよ」

 

そっけなく言い放つジョーカーに愉快げに笑う萃香。

だが彼女の目は冷静に相手の様子を観察していた。

 

(…………今のは確かに手応えがあった。並の人間とはかけ離れた力があるのは既にわかってる。さらに、なんらかの手段でそれを強化してる。それを踏まえた上でなお、今ので沈んでてもおかしくないはずなんだ。それなのにこうも簡単に立ち上がった。……まだ何かあるってことか。さっきから何度かあった背後からの不意打ちとも関係あるのかな?)

 

萃香はそう考察する。

そして右腕をふりかざし、これ見よがしに能力を発動しようとした。

すると……

 

「うぐっ!」

 

思ったとおり、背後から鋭い一撃を見舞われる。

だが、それを予測していた彼女は即座に反応して振り返る。

 

そこには、今まさに虚空に消えようとする異形の怪盗の姿があった。

今まで自分を襲っていた一撃はこれが放ったものだったというわけだ。

 

「…………なるほど。つくづく妙な能力だ。身体強化、弱体化、そして召喚術か……ずいぶん多様だけど単なる魔法じゃないのは確か。魔力が無いから。謎だらけだね」

「……」

 

攻撃を誘われたと気づいたジョーカーは苦い顔をする。

できる限り伏せてきた手札だったが、ついに見破られてしまった。

 

これ以上時間をかけるのは得策ではない。

 

効果が薄いと判断したナイフをしまい、徒手空拳の格闘に切り替える。

単純な腕力では分が悪いが、打撃で彼女の肉体の内側にダメージを与えないと勝てない。

 

「……〈チャージ〉」

 

一言呟き、萃香までの直線を一瞬で駆け抜ける。

それに反応が遅れるようなこともなく、萃香は左手を前にかざす。

 

すると、今にも直撃しそうだった彼の膝——否、体が弾かれたように彼女から引き離される。

 

「なっ……!? 」

 

予想外の事態に空中で体勢を崩したジョーカー。

その瞬間、再び発動する萃香の能力。

今度は一気に引き寄せられる。

 

「しまっ————!」

「はい、よっ!」

 

ガードもできず、上にむかって蹴り飛ばされる。

蹴り自体の衝撃、そしてものすごい速度で重力に逆らっている圧迫感が彼の体を苛む。

 

その彼の高さまで()()()()()()()()()()萃香。

今度は真下にむかって彼を殴りつけ、叩き落とす。

 

 

————ドッッゴォォォォン!!!!

 

 

あまりの衝撃に地面が割れ、土埃がもうもうと舞い上がる。

 

そして萃香はそのまま重力に身を任せて落下する。

着地の瞬間、ズンッと音を立てながらも平然としたままだ。

 

常人が受けたら死ぬどころか、爆散するのではないかとも思える威力。

そんな攻撃をした彼女だったが、相手がこれで死ぬとは微塵も思っていなかった。

未だに立ち込める土煙を能力で散らす。

 

そして、ヨロヨロとしながらも、立ち上がったジョーカーの姿を目にする。

それに驚きもせず、静かに告げる。

 

「『密と疎を操る程度の能力』と言っただろ?」

「…………ゴホッ、ゴホッ……ペッ…………そう、だな。引き寄せる『密』ばかりに気をとられて『疎』の方をすっかり失念していた…………」

 

彼は萃香の言葉に応じながら、せり上がってきた胃液を吐き出す。

さすがに今の攻撃はかなりのダメージが入り、足元が少しおぼつかない。

 

(…………当ててもどれほどの効果があるか怪しいのに、当てることすら難しいなんて相当キツい。あの能力、近距離戦闘ならほぼ無類の強さを発揮するな)

 

〈チャージ〉を上乗せした渾身の一撃とはいえ、当たらないならば無意味。

それどころか、カウンターでこの有様。

近距離でまともな手段でやりあって勝てる相手ではない。

 

(なら、距離をとってペルソナで戦うか……? 既に【アルセーヌ】の存在はバレている。普通に使ってしまうのもアリかもしれないな……)

 

中〜遠距離でスキルを撃って戦うことを考える。

これは弾幕ごっこではない。

いっそこうなってしまえば相手に直接〈エイガオン〉なりなんなりをぶち込み続けるのも———

 

(……まずい。〈ヒートライザ〉と〈ランダマイザ〉がそろそろ切れる。かけ直さないと…………)

 

「……【メタトロン】」

「なっ——!?」

 

唐突にジョーカーの傍らに出現する巨大な天使——メタトロン。

白く硬質な輝きの翼に、彫像のような顔と全身。

それを見た萃香は面喰らう。

その隙に彼は萃香を指し示し、【メタトロン】に言う。

 

「〈ランダマイザ〉……!」

「うぐっ…………また弱体化か……!」

 

それと同時、萃香にあの脱力感が襲いかかる。

そして彼はさらに自身に補助魔法をかける。

 

「…………〈ヒートライザ〉」

 

切れかけていた身体能力上昇の効果が上書き、延長される。

 

 

——稗田家の一件。

それが新聞によって一気に拡散したことにより、人里以外でも怪盗への『認知』が増えた。

それにより、ジョーカーは召喚できるペルソナの数が増えていた。

……と言っても、まだ一体だけだ。

 

どのペルソナを使えるようにするか悩んだ彼は、輝夜との模擬戦を思い出した。

あの時は自身の強化の時間切れによって幕引きとなった。

苦い経験であったが、そのことが彼に決断させた。

 

補助魔法に特化させたペルソナにしよう、と。

 

そして〈物理倍化(チャージ)〉、〈魔法倍化(コンセントレイト)〉、〈全能力強化(ヒートライザ)〉、〈全能力弱体化(ランダマイザ)〉。

主要な補助魔法は全て覚えさせていたのがこのペルソナ、【メタトロン】だった。

 

 

「…………次から次へと……飽きさせないねぇ」

「…………!」

 

笑う萃香。

それに返事をすることもなく、地面を蹴ったジョーカーは一瞬で彼女の懐まで潜り込む。

てっきり何か違う方法をとってくると思っていた萃香はそれを訝るような表情になるが、また同じように能力を発動させる。

同じ極の磁石が反発するかのように強引に引き離されるジョーカー。

そして彼女の能力が発動、引き寄せ——

 

「【アルセーヌ】! 〈ブレイブザッパー〉ッッ!!」

「っ!? ——がぁぁっっっ!!!?」

 

——二人の間に割って入るように出現した【アルセーヌ】の貫手が、無防備な萃香の腹に突き刺さる。

未だ効力を失っていなかった〈チャージ〉によってさらに上乗せされたその威力は、鬼の豪腕にも引けをとらない。

すさまじい衝撃が彼女の体を奔り抜け、今度は逆に萃香が吹き飛ばされる。

さきほどのジョーカーと同じくらいの勢いで飛んでいく彼女だが、途中でバランスを取り戻し、空中に自分を固定するようにして強引に止まる。

空を自在に飛べる者達にしかできない方法だ。

 

「……今のは、なかなかキたよ。ぐっ…………衝撃を、貫通させるとはね……」

「…………本来なら、()()ごとぶち抜く技なんだがな。それがこの程度のダメージしかないのか。一筋縄ではいかないとは思っていたが……つくづく嫌になってくるな」

 

地面に下りると腹を押さえて苦悶の表情になるが、それでもなお楽しそうに笑う萃香。

それを見てうんざりしたような声でジョーカーはぼやく。

 

【アルセーヌ】に【メタトロン】。

どちらも戦闘以外に特化させたペルソナで、メインで戦うには物足りない。

純粋に戦闘に特化させたペルソナを使いたいところだが、今は呼び出せない。

 

手詰まり。

そんな言葉が脳裏をよぎる。

 

(打倒することは諦め、隙を見て逃げようか。いや、あの能力を使ってこられたら逃げようがない……)

 

次の一手を決めあぐねる彼に、萃香が話しかける。

 

「…………ずいぶんと便利だね、ソレ。いつでも出し入れ自由でいろんな能力を扱えるってわけか。召喚術にしては、ちょっと万能すぎる」

「…………」

 

それなりの一撃を見舞ったはず。

それなのにどこか余裕がある萃香に警戒を強め、ジョーカーはいつでも反応できるように構える。

彼女は悠長に話を続行する。

 

「————確かに今日はいい日だ。長いこと人間ってのを見てきたけど、こんな珍しいものは初めて見るよ。ねえ、ファントムとやら。手品のタネ、なんとなくだけど見えてきたからさ。答え合わせしてよ」

「…………」

「私にかけた弱体化やら、そっちが自分にかけた強化。それはさっきからちょくちょく召喚してる、そいつらの力ってわけだ。魔法じゃない、何か固有の能力。そして呼び出すタイミングも座標も、自由に指定できる」

 

ジョーカーのペルソナの特性を次々と見抜いていく萃香。

ペルソナの存在が露見した以上、今さら見抜かれたからと言ってそれ自体にそこまで問題はない。

だが……何かを企むような彼女の表情に危機感を煽られる。

 

「…………何より面白いのが、そいつらは()()()()()()()()ってこと」

「…………!!」

 

——ペルソナの本質まで見破られた。

 

「私も自分の存在を散らしたりしてるからさ。なんとなくわかったんだ…………自分の受けたダメージをそいつらと共有し、分散することによって軽減する。いや、本当に便利だね。万能で、しかも強い」

「…………お褒めに預かり恐悦至極」

 

慇懃無礼に言葉を返す。

ある意味彼女の推察が正しいと肯定したようなものだが、もはや誤魔化しは効かないと判断した。

 

「それでさ。そいつらの気配を探ってみた。するとどうだ、お前とほとんど重なるようにして薄く体を覆ってる。普段はそうして『消えて』いるわけだ。…………だが、確かにそこに()()()()()()()

 

 

…………彼女の言葉。そして、彼女が持つ能力。

その二つを並べた瞬間、不意に彼の明晰な頭脳は彼女が考えていること、そしてやろうとしていることを理解する。

してしまう。

 

ジョーカーの顔から一瞬で血の気が引く。

 

まずい。

まずい、まずい、まずいまずいまずいまずいまずいまず————ッ!!!!

 

 

「別々に分かれることでダメージを分散し、軽減。そして自分から離れた場所にも攻撃ができる」

 

 

「…………()()()()

 

 

萃香は微笑み、一言。

 

 

 

「————————()()()()()()()()()()()()()?」

 

 

 

能力が発動する。

彼女の『密と疎を操る程度の能力』が。

ジョーカーと、彼が纏うペルソナ——同一でありながら別々の、()()()()()()()()()()()

 

 

「…………グァあア嗚呼あゝぁァ阿亜ァあッッッッッ!!!!!?」

「————なっ!?」

 

 

絶叫するジョーカー。

声帯が張り裂けんばかりに出すその苦悶の声はもはや人間のものとは思えなかった。

 

まず彼を襲ったのは猛烈な()()()

自分という存在に何かが入り込んでくる、その耐え難い苦痛に声にならない悲鳴をあげ続ける。

 

全身の怪盗服がギリギリと彼の体を絞るように締め付け、同時にどこからともなく生み出された鎖が彼に巻きつき、そしてその両方がズブズブと()()()()()()()()()

顔を覆っていた仮面も同様にして顔の奥へと入っていく。

 

固体が強引に肉体の中に押し込まれるようなもの。

彼が味わっているのは激痛などというレベルではない。

しかし、彼はその痛みに気づくことすらなかった。

 

(ヅゥゥゥ————ッッッッッ!!!!)

 

ショックのあまり視界が純白に染まり、七転八倒して苦しむジョーカー。

……いや、ジョーカー()()()モノ。

倒れた拍子に彼のナイフが二本とも地面に散らばった。

 

 

——自分であって自分ではない、普遍的無意識(ペルソナ)と強引に一つにされたことにより、彼という自我は急速にかき混ぜられ、別のナニカに変質しようとしていた。

自分の存在そのものが剥ぎ取られ、バラバラにされるような苦痛の前に、肉体的な痛みなど存在しないも同然。

 

尋常ではないほどに苦しみ始めたジョーカーにたじろぐ萃香。

彼女は単に「分身と本体を一つにしてやればダメージの分散もできないだろう」という目論見で能力を行使しただけ。

しかし、結果はコレ。

 

 

——明らかに越えてはいけないであろう、禁断の一線を踏み越え()()()しまった。

 

 

焦る萃香は慌てて能力を解除する。

…………だが、能力を解除されたはずの彼は苦しみ続ける。

彼女が能力を解いたところで、既に入り込んでしまったペルソナが彼の中から引っ張り出されるわけではない。

 

(まずい! 何が何やらさっぱりだが、このままじゃこいつ()()——!!)

 

とにかくなんとかしようと彼に手を伸ばすが、無尽の苦痛の中にありながらそれを察知したジョーカーは本能のみで飛び退く。

まともに立つこともできず、よろめくジョーカー。

 

——彼の全身からは不規則に蒼炎が噴出し、歪な黒翼が体を割るようにして現れ、また体の中に引っ込んでいく。

 

「お、おい! いったいどういう」

「—————————ッッッッッ!!!!!!」

「…………ッ!!」

 

無音の絶叫。

苦悶を絞り出すようなその咆哮に鬼であるはずの萃香は気圧され、怯む。

 

その瞬間。

踵を返して跳躍した彼は、転がるようにして石段の下に落ちていく。

 

一瞬の硬直から立ち直った萃香は、すぐにそれを追って石段の上から下を見る。

 

…………そこには彼自身はおろか、その存在の痕跡すら残っていなかった。

 

彼女は呆然としたまま、その景色を見下ろし続けていた————

 




最悪の一日。

萃香の能力でペルソナと自我を一緒にされるっていうのは前々から予定してました。
なんだか萃香が悪者っぽくなってしまいましたが、決して悪気があったわけではありません。
彼女からしてみれば、軽くジャブを放ったつもりが内臓破裂して苦しみ始めたようなものですので……


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のしかかり、押し倒し

一人の少女がいた。

帽子を被った彼女は中空を見つめ、目を丸くしている。

 

「…………すごい。こんなの、初めて見る」

 

彼女にしか見えない何かをまじまじと観察し、感嘆する少女。

しばらくそれを眺めていた彼女は不意に振り返り、何事かを独白する。その内容の意味は彼女にしか理解できない。

 

そして、少女はニッコリと笑う。

次の瞬間、彼女の姿は搔き消える。まるで最初からそこには誰もいなかったかの ように——

 

 

ほぼ同時刻。

少し前の暁と同じように人里から出てくる者がいた。

 

「…………どこ行ったのよ……こっちはもう人里じゃないわよ……?」

 

鈴仙だ。

彼女はいつまで経っても帰ってこない暁に業を煮やし、自分で探しに出た。

甘味屋の近くにいた何人かの人間に暁が歩いていった方向を尋ね、そちらへと歩き続けている。

 

しかし歩けど歩けど、彼は見つからない。

ついには人里からも出てしまい、彼女はうんざりした顔になる。

もしかしてどこかですれ違ったのかと思い、踵を返そうとした、その時。

暁が木々の間からふらりと出てきた。

 

「…………あ! 暁! ちょっと、どこ行ってたのよ!?」

「……………………」

「まったく、こっちは心配したんだからね!? 帰ってくる気配もないし、わざわざ探しに来てあげたんだから! 感謝してよね…………」

「……………………」

「…………へ、返事くらいしなさいよ」

 

文句を捲したてる彼女に一歩ずつ近寄ってくる暁。

俯いたまま沈黙し、ふらふらと体の軸が揺れている。

その姿になにやら不気味さを感じた鈴仙。

気勢を削がれ、瞬きする。

 

————そして、ようやく気がつく。

ふらふらと歩く彼が、何本もの鎖を垂らして引きずっていることに。

 

「ちょ、ちょっと、どうしたの? なにか…………ひっ!?」

 

尋常ではない様子に心配する言葉をかけようとした彼女はしかし、怯えたように彼から一歩後ずさる。

暁は俯いていた顔をあげただけ。

 

 

()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()、そんな顔を。

 

 

異形に変わり果てた彼の顔は彼女が見つめる間にもぐにゃりと歪み、また今の状態に戻ることを繰り返す。

少し離れたうちに、いったい彼の身に何が起きたというのか。

 

「ど、どうしたの!?」

「…………、……」

 

彼女の声に反応し、何かを口にしようとした暁。

だがその口が言葉を紡ぐことはなく、ドサリと音を立てて力無く倒れる。

倒れたことによって、鈴仙は彼の背中が見えた。

 

——黒い羽に覆われた翼がでたらめに突き出していた。

 

子供が粘土にカラスの羽を何本も突き立てたら、こんな風に見えるのだろうか。

翼だけではない。垂らしているように見えた鎖も、彼の体のあちこちから()()()いた。

 

鈴仙はすぐさま駆け寄って彼の体を抱き起こす。

彼の反応はない。意識を失ったようだ。

 

(な、何が起きたのか全然わかんないけど、このままほっといたら絶対危険だ! どうしよう……!? と、とにかく、師匠のところに……!)

 

永琳に助言を仰ぐためにも竹林まで運ぼうと、暁を抱えたまま浮き上がる。

 

……ただでさえ重い上に、彼が目立たないよう能力を使って透明にしなければならない。

さらに言えば、その状態で一刻も早く竹林まで飛んでいく必要がある。

 

(……ああ、もう! 本当に世話が焼けるんだから!)

 

内心毒づきながら現状出せる最高速度で鈴仙は飛びはじめる。

彼が無事に目覚めることを願いながら。

 

 

 

「師匠、姫様! 暁が大変なんです! 来てください!」

 

中庭に降り立つやいなや、屋内にいるはずの二人を大声で呼ぶ鈴仙。

担いでいた暁を地面に慎重に寝かせ、心配そうに彼の顔を見つめる。

燃える顔や翼に鎖。依然として異常なまま、治る気配もない。

こんな状態の彼から目を離すわけにもいかず、もどかしく思いながら二人が来るのを待つ。

 

「……そんなに慌ててどうしたの」

「イナバ、呼んだ? ……あら? 暁? どうしたのよ。弾幕ごっこでもしてたの?」

「し、師匠! 姫様! 大変なんです! 暁が、暁が……!!」

 

やがて現れた二人。

状況を把握しておらず、怪訝そうにこちらを見ている彼女らに必死に訴える鈴仙。

その剣幕からただごとではないと理解した二人は顔を見合わせ、鈴仙のもとへ駆け寄り——暁の様子を見て、絶句する。

 

「なっ…………!?」

「あ、暁!? ……イナバ! どういうこと!?」

「わ、私にもわかりません! なかなか帰ってこない暁を探して、見つけた時には既にこんな状態で……! 師匠! なんとかできませんか!?」

 

鈴仙は泣きそうになりながら永琳に縋る。

 

「…………()()! 暁を除いて私達の時間だけを速めることはできる!?」

「任せて! …………っ!!」

 

永琳の指示に従い、能力を発動させる輝夜。

本気の全力を出し、従来なら多少手間取る「時間の加速」を強引に短縮して発動する。

普段は「姫様」と呼ぶ相手を呼び捨てにしたことは、永琳も相当切羽詰まっているというのを如実に表していた。

 

————世界が静止する。

 

とりあえず、暁の容態がこれ以上悪化しないようにその場しのぎの手段を選んだ永琳。

険しい表情で暁の様子を確認していく。

 

「………………ダメ。何が原因で何が起きているのか、見当もつかない。下手に薬を飲ませたりしても、それがどうなるかわからないし……第一、これが薬でどうこうなる類のものとは到底思えない」

「そ、そんな…………!!」

 

誰よりも信頼する師の言葉に絶望する鈴仙。

彼女が匙を投げるなら、もはやどうしようも————

 

「……ただ、この様子から察するに…………彼のペルソナという能力に異常が発生して、それが原因でこんな風に『混じった』感じになっている……のかしら?」

 

それでも見た目から彼の異常を判断し、目星をつける永琳。

確証も何もない、推察と呼ぶにも烏滸がましいあてずっぽうだが、少なくともそこから考えることはできる。

 

「仮にそうだとすれば、彼とペルソナを分離させることができれば……」

「治せるんですか!?」

 

一筋の光明を見出した鈴仙は顔を明るくさせる。

しかし永琳の顔は依然として険しいまま。

 

「私の仮説が正解だという保証は無いわ。合っていたとしても、それで本当に元に戻るかもわからない。そもそも、ペルソナの分離なんてどうすればいいのか……」

「それは………………」

 

解決策が見えたと思った矢先、また違う問題にぶつかる。

俯いてしまう鈴仙。

輝夜と永琳も心配そうに暁の顔を見つめながら、事態を打開するアイデアをなんとか出そうとする。

 

——そこに、声がかけられる。

 

「正解だよ。そこの人間さん、無意識と混ざっちゃってる」

「「「!?」」」

 

三人はバッと背後を振り向く。

 

そこにはにこやかな笑顔を浮かべた少女がいた。その目はどこか虚ろで、焦点があっていないようにも見える。

 

結界が張られた永遠亭の敷地内、それに加えて輝夜が加速させた世界の中。

いるはずのない第三者の存在。

動揺すると同時に警戒する彼女達に、その少女は首を傾げる。

 

「ん? どうしたの?」

「…………あなた、誰よ」

 

時間を加速させ、一時的に周囲の空間を掌握している当人である輝夜は、この場にいる誰よりも理解していた。

誰にも気づかれず、自分達の背後に立っていた少女の異常性を。

 

「自己紹介するの? 別にいいけど……その人、ほっといていいの? このままじゃ()()()()()()?」

「……溶ける、ですって?」

 

聞き捨てならない言葉に聞き返す輝夜。

その後ろでは警戒心を最大にした永琳と鈴仙が、鋭い目で少女を見据えている。

それを気にもせず、少女は輝夜に頷く。

 

「うん。どういうわけかは知らないけど、意識と無意識がぐちゃぐちゃにかき混ぜられて、一つになってるみたい。それもただの無意識じゃなくて、どこかに繋がってるの」

「それは——」

 

暁が言っていた、人々の無意識の集合体という話か。

 

「当然、そんな状態で放置してたら人間の自我なんて壊れちゃう。防衛本能からか、今は意識も無意識もまとめて深ーいところに沈めて、なんとか抑えてるみたいだけど……それでも、ゆっくりと解体されていくことにはかわらないよ。最後には、()()()()()()()()()()()()()()()()。残されるのは空っぽの体だけ」

「「「————!!」」」

 

少女の宣告に全員が息を呑む。

血相を変えた鈴仙が少女に詰め寄る。

 

「そこまでわかるならなんとかできないの!?」

()()()()

「…………え?」

 

鈴仙は即答する少女に目を見開き、絶句。

その反応に少女は肩をすくめる。

 

「ただ、私だけじゃどうにもできないよ。手伝ってくれないと無理かなぁ」

「…………言って。私達は何をすればいい?」

 

黙っていた永琳は鋭い眼差しのまま少女に尋ねる。

打開策が何一つ無い以上、彼女に頼るしかないと判断したのだ。

ようやく話を聞いてくれるようになった相手に嬉しそうにしながら、少女は口を開いた。

 

 

「まずは————」

 

 

 

…………。

……………………。

 

…………白い。

 

何もかもが、白い。

視界は純白に塗り潰され、それ以外の感覚は一切働かない。

……いや、視覚も働いていないのかもしれない。純白に思えたコレは実際には漆黒なのかもしれない。

自分が何かを認識しているのか、していないのか。

 

全てが曖昧であやふや。

 

 

——だから、自分がいつからそれに気づいていたのかはわからない。

 

 

全てが純白だった世界に色が戻り、その他の感覚が戻ってきていた。

 

ノイズを吐き続けていたラジオが、何かの拍子にどこかの波長(チャンネル)に繋がったかのように。

 

いつのまにかそこにあった、こちらに来てから見慣れた光景。

今は自室となったその場所の天井。

 

(…………まるで蜃気楼みたいだ)

 

ぼんやりとしたままの自分はその非現実感に浸る。

 

背中にはいつも寝ている布団の感触。

深く考えず、体を起こそうとする。失敗。再び倒れる。

何かがのしかかり、その重みで起きあがることができない。

 

「んぅ…………」

「…………」

 

自分のものではない声。自分にのしかかっている何かが出したようだ。

聞き覚えがない声に首だけを動かし、その正体を確かめる。

 

——帽子を被った少女が布団の上から自分にのっかり、すやすやと眠っている。

 

「…………えへへ……」

「…………」

 

……まるで状況は把握できていないままだが、幸せな夢を見ていそうな彼女を起こしたくないな、とは思った。

急な動きを避け、ゆっくりと体を起こす。

必然的に布団からずり落ちそうになる少女をそっと手で支え、抜け出た後の自分の布団に寝かせる。

 

静かな寝息を立てて眠る少女の顔をもう一度確認してみるが、やはり覚えはない。

 

ぼんやりしていた頭が次第に回りはじめるとともに、困惑の度合いが強まっていく。

ここで寝ていた前のことがどうにも思い出せないことに加え、知らない少女が隣にいたこと。

どちらにせよ、さっぱり状況がわからない。

 

(…………誰かいるかな)

 

いくら考えていても答えを出せないことを悟り、諦めて誰かに聞くことにした。

ふわふわと雲を歩くような浮遊感の中、おぼつかない足取りで母屋にむかう。

 

 

夢の中にいるかのような漠然とした感覚は次第に薄れてきたが、まだ残る。

頭を振って意識をはっきりさせながら、戸を開く。

 

「っと……誰か……」

 

開けた部屋の中では、この場所に住む全員が揃っていた。

そして信じられないものを見たかのように、こちらの顔を穴が開くほど見つめてくる。

 

「…………どうかしたか?」

 

反射的に顔に手をやる。ペタペタと自分で触ってみるが、特に異常はない。

首を傾げてみるが、彼女らの視線がこちらから離れることはない。

……誰も何も言わず、圧迫感と緊張感が高まるのを感じる。

 

「………………えと、失礼しました……」

 

だんだんと居た堪れなくなり、ゆっくりと戸を閉めて踵を返す。

 

——スパァンッ!

 

ひとまず自室に戻ろうとした彼は、次の瞬間勢いよく開いた背後の扉の音に心臓が跳ねる思いをする。

 

慌てて振り返ろうとすると、ものすごい勢いで誰かに飛びつかれる。

なんとか受け止めたはいいものの、一緒になって倒れ、背中を強打することとなった。

 

「痛ッ…………な、なんだ?」

 

奇しくも、寝床で目覚めた先ほどと同じような体勢になり、自分を押し倒した相手を見る。

 

「えっと………………れ、()()……?」

「……………………」

 

咄嗟に名前が出てこず、口ごもりそうになるが、こわごわと呼びかける。

返事はない。

顔を伏せたまま、ただこちらの服をぎゅっと握る。

どうすればいいかわからない。

とにかく落ち着かせようとおそるおそる両手を彼女の背中に回し、ぽんぽんと叩く。

 

「ッ……!! …………、……!!」

 

それが何かきっかけになったのか、ますます強くこちらを掴んでくる鈴仙。

対応をしくじったかと一瞬硬直するが、それ以上何もしてこない彼女に意を決し、ゆっくり背中をさする。

 

そうしてお互いにしばらく何も言わず、ようやく落ち着いた彼女が離れるまで、その状態が続くこととなった。

 




今回はちょっと思いついたこととか、地味な伏線のために表現や書き方に細工がしてあります。
そのせいで今回の展開に拍子抜けしたり、描写が妙に曖昧だと感じた方もいらっしゃるかもしれませんね。

もしかすると回収しないままに終わるかもしれませんが、どこが伏線なのか、そしてどんな伏線か、を予想して楽しんでいただけると幸いです。
…………回収するかはわからない伏線ですが(念押し


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『無意識』といえば

一昨日の名瀬の兄貴とアミダの姐さんの死から未だに立ち直れない……
兄貴…………姐さん…………


ゴシゴシと目をこすりながら立ち上がる鈴仙。

それにつられて視線をあげ、鈴仙の後ろに他の三人が立っていたということに気づいた。

おそらくだが、鈴仙をなだめている途中に部屋から出てきたのだろう。

多くの感情が混じる彼女らの視線に何を言えばいいかよくわからず、とりあえず挨拶する。

 

「えと、あー…………おはよう、ございます……?」

「「「「…………」」」」

 

これであってますか? と問うように、全員の顔を見回す。

挨拶に対する返事はなかったが、何故だか緊張した様子だった全員の肩の力が抜けた……気がする。

鈴仙が後ろに下がり、代わりに一人が前に出てくる。

彼女は…………ん?

 

 

あれ、()()()()()()……………… ?

 

 

「…………え、()()?」

「……おはよう。皆、心配してたのよ……とてもとても、言葉では伝えられないくらい」

 

…………どうやら、合っていたらしい。

寝起きで頭の調子がどうにも悪いせいか、名前をど忘れしてしまっていた。

一応思い出したものの、半分くらい自信が無いまま呼んだため、不安そうな声色になってしまったが、そこには触れられなかった。

何か別の要因で自分が不安になっていると思われたらしい。

 

「…………()()()()()()()()()?」

「……はい? 何言ってるんですか? そんなの当たり前でしょう。ここで自分がどれだけ過ごしたと————」

 

————軋む。

頭蓋の奥で、何かがギシギシと軋む。

 

…………どれだけ? …………どれだけの日数、ここにいた?

 

…………ここ? …………()()()()()()

 

 

————この人たちは、()だ?

 

 

 

…………落ち着け。

冷静になって思い出せ。

………………そうだ。ここは、永遠亭。

ここに来てからは数週間が経っている。

彼女達は、永遠亭の住人。

名前は——

 

「…………鈴仙、永琳、輝夜、てゐ……でしょう? わかりますよ」

「…………」

 

安心させようと笑いながら答えたが、永琳の表情は暗くなる。

慌てて返事が遅れたことの弁解をしようと口を開き。

 

 

「………………()()()()()()()()?」

 

 

 

ガチリ、と見えない何かを噛んだように全身が強張る。

そのことに他ならぬ自分が一番戸惑い、驚く。体の反応に思考がついていかない。

 

…………誰って、決まっているだろう。

自分は自分だ。他の何者でもない、「 」で——

 

 

刹那、突然足元が崩れさったような錯覚に陥る。

そこにあることを疑いもせず踏み出した先の階段がぽっかりと空いていたような感覚。

 

唐突に訪れたその感覚を認識したと同時、彼を襲ったのは言いようもない焦燥と——甚大な、恐怖。

 

 

「じ、自分は、じぶ、じ、じジじっ…………!!!?」

 

 

ガチガチと音が聞こえる。

違う、これは自分の歯が鳴る音だ。

自分? 自分とは何だ? 自分、自分、自分自分自分俺僕私は————

 

「——! ————、——!? 」

 

眼前に永琳の顔がある。

何か懸命にこちらに語りかけてきているが、その口から出る音を聞きとれない。

ギアが空転するように、大切な何かが欠落していて噛み合わない。

繋がっていたはずの波長(チャンネル)が、致命的なまでにズレていく。

 

このままだといずれ決定的な破綻を迎える。

理屈抜きにそう直感した、その時。

 

ポスッと背中に感じる軽い重さとともに、意味を成す言葉が聞こえた。

 

 

()()()、っていうんでしょ? お兄ちゃんの名前は」

 

 

その言葉は電撃のように脳内に響く。

欠けていた何かがピタリとはまり、ギアの空転が解消された。

思い出せなかった名前、そしてそれに付随する記憶の全てが一気に奔流となって自分を満たしていく。

 

「自分」は「来栖暁」だ。

 

それを再確認した瞬間に焦燥と恐怖、そして体の震えが消える。

張り詰めていた気が緩んで脱力し、息をゆっくりと吐く。

 

「落ち着いた? だいじょーぶ?」

「……ありがとう。お前のおかげだ……」

 

背後からかけられる声に心底から感謝し、礼を述べる暁。

しかし、そこではたと気づく。

永琳を含め、永遠亭の住人は全員自分の前にいる。

では、今後ろから自分に話しかけているのは誰なのか……と。

 

錆びついた人形のようにぎこちなく首を回し、背中に抱きついている人物を確かめる。

そこにいたのは、先ほど寝かせてきた謎の少女。

 

古明地(こめいじ) こいしです! よろしくね、()()()()()()?」

 

謎の少女——こいしはそう言って、暁にニッコリと笑いかけた。

 

 

 

自分がどうなっているのかわからず、そこに謎の少女の存在もあいまって混乱の渦に叩き込まれた暁は、彼が自我を取り戻したことに安堵した永琳達に説明を受けることとなる。

 

「……つまり、ペルソナと同化してた俺をなんとか戻せたはいいものの、俺は何日も昏睡状態から目覚めなかった、と…………」

「そういうこと。何か言うことは——」

「ほんっっっっっとうに、すいませんでしたっっっ!!!!」

 

みなまで言わせず、彼は全員に混じり気なしの本気で土下座し、謝罪する。

まさか自分がそんなことになっていたとは夢にも思わなかった。

部屋に入って呑気に挨拶などしていた自分に皆が絶句していたのも道理というものだろう。

申し訳なさと不甲斐なさのあまり、顔を上げられない。

 

「まったくね。しっかり反省なさい」

 

永琳は額をこすりつけんばかりに深く頭を下げる彼の顔にそっと手をそえ、優しく言う。

 

「…………けど、とにかく無事に目覚めてくれて、本当によかったわ……」

 

手を離して心底ほっとしたように絞り出された彼女の声に続き、輝夜とてゐも口を開く。

 

「……暁、この貸しは高くつくわよ? 生半可なことでは返しきれないと覚悟しておくことね」

「ハラハラさせないでほしいっての。お師匠様に呼ばれてあんたを見た時のあの衝撃はしばらく忘れらんないよ」

「はい…………」

 

何も言い返せず、ただ頷くことしかできない暁。

一人黙っていた鈴仙は彼のもとにツカツカと歩み寄り、顔を強引に上げさせて視線を合わせる。

彼女は瞬きする暁に一言ずつ刻み込む。

 

「二度と、こんなに、心配させないで。…………わかった?」

「は、はい」

 

完全に目が据わった彼女に何度も頷く暁。

それを見て満足したのか、鈴仙は目をそらし、足早にその場を立ち去った。

 

微笑ましげにその後ろ姿を眺める永琳達。

その隣で暁はまたも自分の背中に乗っかってきた少女、こいしに話しかける。

 

「…………で、その……君はなんでここにいるんだ? こいしちゃん、だっけ?」

「なんでって、失礼なー! お兄ちゃんが助かったのは私のおかげでもあるんだよー?」

「え、どういうことだ?」

 

衝撃の事実に彼女の素性のことはいったん頭から抜け落ち、聞き返す暁。

 

「お兄ちゃんを助けた手順、まだ説明してなかったね。教えてあげようか?」

「……頼む」

 

ニコニコと笑うこいし。

真剣な面持ちになり、暁は彼女の話を聞く姿勢をとる。

 

「えっとねー、簡単にまとめるとねー」

「………………」

「あ、そうそう、まずはお兄ちゃんの深層意識から自我を引きずり出すために、()()()()()()()()を与えてー。その後表層に上がってきた『無意識と混ざった意識』を別々に分離させるために、さっきのウサギさんの能力でぐちゃぐちゃになってたお兄ちゃんの『意識の波長』をちゅーにんぐ? したの」

「…………そうだったのか」

「そうだよー。私は『無意識を操る程度の能力』を持っててね? 無意識については専門家みたいなものだから、お兄ちゃんの状態とかいろいろわかったの。だから、私のおかげでもあるんだよー?」

 

笑顔のままで語られる彼女の言葉に黙りこむ暁。

多大な迷惑をかけたことを改めて実感し、拳を強く握った。

 

「…………ありがとう」

「うん! どういたしまして!」

 

感謝されたことに嬉しそうにはしゃぐこいし。

背中に抱きつかれたままの暁はやりにくそうにしながら立ち上がる。

 

「わわっ?」

「っと、平気か?」

 

落ちそうになるこいしを咄嗟におんぶし、落ちないようしっかりと支えなおす。

 

「うん! わ! お兄ちゃん、背高い! すごーい!」

「はは、楽しいか?」

「すっごく楽しい! 背が高いと、こんな風に景色が見えるんだね!」

 

子供の無垢で純粋な笑い声に癒される暁。強張っていた体から余計な力が抜ける。

楽しそうにはしゃぎ続けるこいしを構いながら、自分がそんな有様になっていた原因を思い出そうとする。

 

(……確か、人里で鈴仙と打ち上げしようってことになって、それから…………そう、俺だけ外に出たんだ。それで、その後は————!! そうだ、神社だ! 思い出した! あの場所で、伊吹萃香とかいう鬼に……!)

 

——鈴仙が調整したという自分の波長。おそらく完全な状態ではなかったそれを、さっきの発言とともにこいしが微調整してくれたのだろう。

ぼやけていた記憶が戻ってきた。

 

固い表情になる暁の顔は見えていないこいしだが、雰囲気から何かを感じたのか不思議そうに尋ねる。

 

「どうしたのー?」

「…………ちょっと、思い出したことがあって。……永琳、輝夜、てゐ」

 

呼びかけに振り返る三人。

話がある、と険しい顔のままで彼はそう言った。

 

 

もう一度さっきの部屋に入り、思い出したことを皆に説明する。

鈴仙だけはこの場にいないが、後で伝えることにしよう。

 

「…………あの伊吹萃香と戦ったぁ?」

「はい。しばらくの間やりあってたんですが、彼女の能力によってペルソナと俺自身を一つにされたあたりから記憶が飛んでます。十中八九、あれが原因でペルソナと同化してしまったのではないかと」

「「「…………」」」

 

素っ頓狂な声をあげる輝夜に頷いて詳細を補足すると、また皆が黙りこくってしまった。

何か失敗したかと焦りかける暁の視界に、目を輝かせているこいしが入る。

 

「鬼の四天王と互角に渡り合えるなんて! 暁お兄ちゃんってすごいんだね! 普通の人間なら、ただの鬼相手でも絶対勝てないんだよ?」

「互角とは言えないな。終始押されっぱなしだったよ。鬼ってのがあんなに強いなら、確かに大抵の人間はどうやっても勝てないな。俺も危うく死にかけたし」

 

彼は自分の天敵とも呼べるような能力を持っていた恐るべき鬼を思い返し、身震いする。

 

「…………暁、本当にわかってないのね。鬼なんて妖怪でもよほど腕に自信があるやつくらいじゃないと相手にならないわよ? その中でも四天王と呼ばれる鬼は別格。それを弾幕ごっこ抜きの真剣勝負で相手にして生き残るなんて…………勝ち負け関係なく誇っていい偉業なのよ?」

 

永琳は呆れるべきか感嘆するべきか決めきれず、どっちつかずの声を漏らす。

輝夜とてゐも呆れたような視線を暁に送るが、こいしは一人だけ楽しそうに笑う。

 

「すごいねー! お兄ちゃんくらい強かったなら、私たちと一緒に暮らせるんじゃないかなー?」

「……そういや聞きそびれてたけど、こいしはいったいどこから来たんだ?」

「…………私達も聞いてなかったわね。あなたが結局何者なのか」

 

無邪気な笑顔のこいしに尋ねる暁。

永琳もそのことに思い当たり、真面目な表情になって彼女に問う。

暁を元に戻すことに協力してくれたことから害意はないとわかっているが、彼女の素性は不明な部分が多すぎる。

 

その場にいる全員の視線をむけられたこいしは依然として笑顔のまま、朗らかにこう言った。

 

「私は地底にある地霊殿ってところから来たよ? あ、お兄ちゃんは知らないかもしれないけど、地底っていうのは鬼がいっぱい住んでるところだよ! 他には妖怪とか怨霊とか!」

 

ピシリと空気が凍りつく。

 

暁は地底について霖之助に聞いたことを思い出す。確かに鬼が住む場所だと言っていた。

一般的な鬼はアレほどではないと聞いても、あれだけ苦戦した相手と同族である鬼がたくさん住む場所と聞いては、断じて好印象にはならない。その上怨霊やら妖怪やらまでいるらしい。

…………決して行きたくはない。

 

幻想郷の住人である永琳達は暁とはまた違う観点で驚いていた。

地底にある地霊殿という場所。

そこに住んでいると聞く妖怪は悪評しか聞かない、かの有名な——

 

「…………(さとり)妖怪、古明地 さとり」

「あ! 知ってるの? ()()()()()()()()()!」

「「「…………」」」

 

永琳、輝夜、てゐ。

揃って重苦しく沈黙しだした彼女達の様子に何かを察した暁。

こいしだけがその場の微妙な雰囲気にまったく頓着せず、ニコニコと笑っていた。




こいしの呼び方に悩みましたが、やっぱり「お兄ちゃん」ですよね!


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地上/地底

人が踏み入ることもない深い森の奥。

野生の動物や妖怪のテリトリーであるその場所を歩く二人がいた。

より正確にいうならば、歩く一人に肩車されるもう一人。

 

「あはは! いけいけー!」

「……お前が楽しそうで俺も嬉しいよ…………」

 

彼は不安定な足場をいとも簡単に歩きながら頭上からの声にそう返し、大きなため息をついた。

 

 

時は一時間ほど遡る。

こいしの爆弾発言に凍りついた空気に困惑しながらも、暁はおそるおそる近くに座っていた輝夜に尋ねる。

 

「あの、古明地さとり……とは?」

「(…………悪名高い妖怪よ。相手の心を覗きみるという覚妖怪で、その胸元にあるサードアイと呼ばれる器官で心の中を読み取る。そして読み取ったことを平然と口にするっていう、究極の無神経さも兼ね備えてるらしいわ。その能力と性格からお近づきになりたくない相手候補の筆頭に挙げられることもあるとか……)」

「………………」

 

家族だというこいしに一応配慮はしたのか、ヒソヒソと小声で説明する輝夜だが、その内容は遠慮容赦のないものだった。

 

相手の心を読み取った挙句、その内容を口にする。

その内容が大したものじゃなくても、そんなことをされたら大抵は嫌悪感を覚えるだろう。

まして、それが人に言えないような秘密だったりすればなおのこと。

 

なるほど、彼女達が敬遠するような表情になるのも無理はない。

 

(……というか、『サードアイ』か。『器官』というなら妖怪としての体の一部なんだろうけど……)

 

自分の持つ能力と同名の単語に反応する暁の傍らで、てるが口を開く。

 

「別に疑うわけじゃないけど……あの古明地さとりがあんたの姉だって言うなら、あんたも覚妖怪ってことなんだよね?」

「うん! そうだよ!」

「……じゃあ、あんたのサードアイってのはどうしたの? 特にそれらしきものは見当たらないけど」

 

訝しげにこいしの全身を眺めながら尋ねるてゐ。

 

「あぁ、今はしまってるだけだよ」

「…………しまってる?」

「うん。いつも出してても邪魔なだけだし。ほら、コレ」

 

こいしがあっけからんと言い放ったその瞬間、彼女の胸元に野球ボールくらいの大きさの球体が現れる。

触手のような管で彼女と繋がっているそれはまさしく閉じた瞳そのものだった。

驚いたてゐや輝夜、永琳は反射的に彼女から離れようとするが、暁は物怖じせずその球体に顔を近づける。

 

「へぇ、これがサードアイか。出し入れ自由なんだな。これで心を覗くのか?」

「うん。でも、私はできないけどね。閉じちゃったから」

「閉じた? 確かに今は目を瞑ってるみたいに見えるが……開くことはできないのか」

「閉じたっていうか、封印? 人の心とか見たくもないもの見てても楽しくないから。そしたら代わりに無意識の能力が目覚めたの」

「へえ、そういうものか。能力っていうのは後天的に獲得する場合もあるんだな」

 

特にその説明を不思議に思うこともなく納得する暁。

驚いていたてゐ達も冷静になって再び元の位置まで戻る。

 

「本当にあの覚妖怪の妹らしいね。ただ心を読むことを拒絶した……か。覚妖怪が自分の本質を否定してよく存在を保てたね」

「…………え? そんな深刻なことだったのか?」

 

てゐの嘆息に耳を疑う暁。

単に喫煙家が禁煙するようになった、くらいのニュアンスだと思っていたのが存在云々になるほどのことだったと知り、こいしを見やる。

 

「うーん、まあ妖怪ってのはそういう『決まり』みたいなのに縛られるからねー。お兄ちゃんが戦った鬼とか、まさにそんな存在でしょ? ケンカ好きで酒飲みで……みたいな。そういう『らしさ』から妖怪は離れることができないの。最悪の場合、消えちゃうからね」

「…………なのに、サードアイを閉じたのか?」

「なんとなくいけそうな気がしたから! で、無意識に目覚めた! 大成功!」

 

真剣な面持ちで尋ねたのに底抜けに明るい笑顔のこいしにペースを狂わされる。

彼女が決めたことに怒る筋合いもなく、何より、既に終わったことである。

ぶいぶいー、と言いながら両手でピースサインをしてくる彼女に暁は苦笑するしかなかった。

 

(エキセントリックすぎる…………)

 

予想以上にヘビーな境遇だったにも関わらず、そのことを一切感じさせない無邪気さ。

言ってしまえば、どこか歪ですらある。

 

しかしそんな穿った見方も、彼女の纏う天真爛漫な空気の前には霧消してしまう。

結局彼女の本質というのは、どこまでも無垢で純粋な『子供』なのだ。

あれこれ言わず、黙って今のこいしを受け入れるのが一番いいだろう。

 

彼がそんなことを考えているその脇で、永琳がこいしに質問する。

 

「これからどうするの? 地霊殿に帰る?」

「まっさかー! そんなわけないじゃん」

「そんなわけない、って……じゃあどうするの?」

「もちろん、()()()()()()()()()()()()()!」

「「「「…………え?」」」」

 

全員の声が重なり、視線が彼女に集中する。

 

「無意識を見ることは私にもできるけど、ペルソナ……だっけ? あんなの出したり体に纏ったりなんてできる人間なんて初めて見たもん! こんな面白そうなこと、みすみす逃すわけないよ!」

「……よかったわね、暁。人気者で」

「………………」

 

平坦な声で心にもないことを言う輝夜に反論もできず、頭を抱える暁。

どこからツッコミをいれたらいいのかわからない。

 

「……あー、その、こいし。俺は……」

 

彼はとりあえず、こいしをなんとか説得しようと口を開く。

が、しかし。

 

 

「それに、しばらくは私が一緒にいないと暁お兄ちゃんが()()()()()()()()()()からねー」

 

 

こいしは第二の爆弾発言をする。

 

「…………それは、どういう……?」

「ん? そのままの意味だよ? お兄ちゃんはまだ不安定な状態だから、いざという時のためにも私がそばにいた方がいいでしょ?」

「ふ、不安定?」

「うん。あれ、もしかして元通りになったとか思ってた? 無意識と完全に融合する一歩手前まで行ったんだよ? そう簡単にいくわけないじゃん!」

 

次から次に吐かれる衝撃的な事実に唖然とするばかりの一同。

特に張本人である暁のショックは大きい。

 

「……え!? じゃあこいしがいない状態で俺がこのまま過ごしたらどうなるんだ!?」

「どうなる、かー。うーん……じゃ、お兄ちゃん。今からペルソナってやつを出してみて? ……心配しないで、大丈夫。ただ、今のお兄ちゃんの状態がよくわかるようになるから」

 

昨日の今日でペルソナを使うことに強い忌避感を覚え、表情が強張る暁だったが、こいしはなだめるようにそんな彼の手を握る。

ここまで言われて臆するわけにもいかず、逡巡しながらも彼はこわごわとペルソナを呼ぶ。

 

「ペルソ、ナ…………!?」

「ね? わかった?」

 

こいしに握られたままの自分の腕を凝視し、絶句する暁。

 

怪盗服を纏った彼の腕。

そこまでならいつもと変わりはない。

 

 

…………ただ、今の彼の腕と重なるようにして、【()()()()()()()()()()()()()

 

 

両者は重なるように存在しながらも、完全に同期して動く。

位相がズレているのか、暁自身の腕に触ろうとすると【アルセーヌ】には触れられず、逆に【アルセーヌ】に触ろうとすると内側にある自分の腕には触れられない。

 

彼は唖然を通り越して呆然とする。

 

「一応私がいなくても前みたいに自我が混ざったりはしないと思うけど、しばらくは私が手伝ってあげないと、この力が変な感じに体に定着しちゃうよ。ずっとこんな状態ってのは嫌でしょ?」

 

腕を見下ろす暁と同じように、絶句してそれを見ている永琳達。

こいしは肩をすくめ、おどけたようにそう言う。

 

「ちゃんと意識すれば今だって普通に分離はできるよ。お兄ちゃん、いつもペルソナを呼び出す場所をイメージしてみて」

「………………」

「お兄ちゃーん? 聞いてるー?」

「……………………あ、ああ。悪い。ちょっと衝撃的すぎて……」

 

呆然としていた彼はこいしの呼びかけで我に返り、言われたとおりにペルソナが自分から離れた場所に出現するようにイメージする。

次の瞬間、彼の傍らには【アルセーヌ】が出現する。

 

【アルセーヌ】と重なっていた腕は彼自身のものしかなくなっており、彼女の言うことが全て正しいと示していた。

 

 

「……今のお兄ちゃんはペルソナと自分自身の境界が曖昧になってるからこんなことになってるの。だからそこを自分で調整できるように、私がサポートするってこと。そのうち安定してくるはずだから、そこまで心配しなくていいよ」

 

自身の状態をしかとその目で確認した暁はペルソナを解除し、再びこいしの話を聞いていた。

 

「安定と言っても、自分で好きなようにどちらにもなれるってことだからむしろ自由度は増したんじゃないかな? よかったね!」

「…………いや、さすがにそこまで前向きにはなれないけど……少なくとも、しばらくすればもうこれ以上おかしなことになる心配はなくなるってことか?」

「そういうこと! ……私がいれば、だけどね! ふふーん!」

 

ここぞとばかりに胸を張り、自分の有用性を主張してくるこいしから視線を永琳と輝夜に向ける。

完全に死んだ目から送られる視線。

その視線から二人は彼の言いたいことを読み取る。

 

————どうしますか?

 

(…………いや……)

(…………どうするって言われても……)

 

二人は暁の視線からそっと目を逸らす。

……彼からの視線が湿度を増すのを感じるが、視線は合わせないまま。

 

((なんでもいいから、今はこっちを巻き込まないで))

 

彼女達の言葉にしないその思いが伝わったのか、瞑目する暁。

全てを諦めたように、深い深いため息をつく。

鍛えられた肺活量から生み出される十数秒にも及ぶため息の後、依然として死んだままの目を開く。

 

「……………………これからよろしく頼む…………」

「やたー!! こちらこそよろしくね、お兄ちゃんっ!」

 

本人からの許可をとったこいしは両手を上にしてぴょんぴょんとジャンプし、喜びを全身で表現している。

微笑ましいはずのその光景。

それを暁は死んだ目で見つめ、そんな暁を他の面々は気の毒そうな目で見つめていた。

 

 

その後、なんやかんやあり。

彼はこいしと一緒に地底にむかうことになっていた。

 

————幻想郷にあるそれぞれの勢力。その一角である『永遠亭』が『地霊殿』の関係者を無断で拉致するような行為はよろしくない。だから、挨拶くらいはしてきなさい——

 

永琳の言葉を思い返しながら何度目になるかもわからないため息を吐く。

 

致し方ないとはいえ、絶対に行きたくなかった地底に行くしかなくなった。

さらに彼の憂鬱な気分を加速させるように、ガサガサと大きな音を立てて何かがすごい勢いでこちらに近寄ってくる。

 

これも何度目になるかわからない。

もはや無表情のまま、音の正体を確かめようとすらせずに彼は歩き続ける。

やがて、茂みをかきわけて現れた何かが獰猛な咆哮とともに飛びかかってくるが——

 

(………………)

 

そちらを一瞥すらせず、腕を無造作に振る。

その軌道をなぞるようにして闇を凝縮したようなエネルギーが放出され、その何かを茂みの中へと吹き飛ばす。

暁は怪盗姿になっているわけでもない。

だが、その腕の一部分だけが【アルセーヌ】のものに変化していた。

 

(……………………うん、まあ……便利では、あるんだよな………………)

 

その事実を認めるのはどうにもモヤモヤさせられるが、事実は事実。

釈然としないながらも、体の一部だけにペルソナを纏わせる感覚に着々と馴染んでいく暁。

 

——こうも早く新しい技術に慣れはじめてきたのは、やはりこの少女の助けもあってのことだろうか……

 

改めて肩に乗せている少女の存在を意識する。

そんなことはつゆ知らず、彼女は楽しそうに鼻歌を歌っている。

 

「ふんふんふ〜ん♪ ふふんふふ〜ん♪」

 

ポンポンと暁の頭を叩いてノリノリなこいし。

彼はどこまでも自由な彼女に脱力しながらも、足元と頭上に注意して彼女が危なくならないよう気をつける。

 

彼女の道案内が正しければ、この先に——

 

「…………あ! 見えたよ! あれが地底への入り口!」

「……おお、あれか」

 

目ざとくそれを見つけたこいし。

一拍遅れて暁も目的地に到着したことを知る。

 

 

深い森の中、唯一開けた場所。

そこにある地面にぽっかりと空いた、直径二十メートル以上の大穴。

それこそが地上と地底を結ぶ唯一の通路だった。

 

こいしを下ろして大穴のふちまで歩み寄り、下を覗き込む。

穴は底が見えないほど深く、どこまでも続いているように思える。

 

「…………ここなんだよな?」

「そうだよー。ね、ね! はやくいこ! お兄ちゃんに地底を案内してあげる!」

「ちょ、こいし、あんまり引っ張るのは——」

「………………えいっ!」

 

グイグイと暁の腕を掴んで穴へと引っ張っていたこいし。

彼女はそのまま躊躇なく穴へと飛び込み————

 

 

「やめ…………おわぁぁぁっっっ!?」

 

 

畢竟、それに引きずられるようにして、暁も大穴の中に落下することとなった。

 




そんなこんなで次の舞台は地底に。
舞台といっても、今回は怪盗として働くわけではありませんけどね。

ペルソナと同化してるっていうのは、要はジョジョの『スタンド』みたいな感じをイメージしていただければ。
設定を練っていた当初、ペルソナもああいう使い方ができるか悩んだのですが、やはりペルソナと本体はそれぞれ独立してるだろうという結論に達しました。
そこから逆に、どうすればスタンドみたく使えるようになるか……を考えた結果、「一度ペルソナと同化する」という流れになりました。
序盤に萃香と戦う必要があったというのはこれが理由です。ペルソナと同化させられそうな能力を持つのは筆者が思いつく限りでは彼女か紫しかおらず、紫は当分登場しない予定だったので。


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地霊殿の主

こいしに引きずりこまれるようにして大穴に落下した暁。

このままでは墜落死——! という至極まっとうな危機感に襲われ、あれこれ考える前にペルソナを発動していた。

 

位置を指定せずに呼び出した【アルセーヌ】は自分と同化し、怪盗服を纏った全身に鎧のように展開される。

 

彼はそのまま空中で止まれ、と念じる。

 

すると背中から生えた黒翼が勝手にはためき、その場に静止する。

【アルセーヌ】に限らず、ペルソナは翼の有る無しに左右されず空中を自在に飛びまわれるが、今回の動きは彼の無意識下のイメージによるものである。

 

バサリ、バサリと音を立てながらその場でホバリングするジョーカー。

上から下まで黒で統一された衣装、そして背中に生える一対の黒翼。

何も知らない人間がその姿を見れば、ほぼ間違いなく彼を怪盗などではなく、悪魔だと認識するだろう。

 

ともかく、無事に墜落死は免れた彼はホッとし、そして自分をこんな目にあわせたこいしを姿を半眼で探す。

…………いない。彼を待たずに先に落ちていったのだろう。

 

(……こんな紐無しバンジーをいきなりやらせるのはやめてくれ…………こっちはまだ自分で飛ぶ感覚を知ってすらいないんだぞ……)

 

今までスキーヤーだった人間にいきなりスノボーを渡してトリックを要求するくらいの無茶振りである。

そして彼女の場合は無茶とわかっている、いないの次元ではなくて、そもそもそんなことを考えてすらいないというのがさらに頭を痛くさせる。

 

……だが、彼もただの人間ではない。

いざという時はこうして止まることができるとわかれば、決断することに躊躇はない。

 

彼はペルソナを解除してホバリングをやめる。

そうなると当然ながら重力に引かれ、穴の底に落ちていく。

ジェットコースターに乗っている時のような、自由落下に特有の気持ち悪い浮遊感を味わうが、無視。

 

眼鏡が落ちないようにポケットにしまい、空気抵抗からくる猛烈な風に顔をしかめる。

どれほど落ちれば底につくのか——

それから数秒ほど下の様子を見ながら落ち続けていると、

 

「…………ん?」

 

真っ暗だった下に小さな光が見える。

その光は次第に大きくなっていき、どんどん近づいてくる。

さしずめ、トンネルの中から抜けた先を見ているようなものだろうか。

 

ついにその光は彼の目前まで来て、次の瞬間にはその光を通り抜ける。

そして見えたのは地面とそこに立つ二人の人影。

 

地底という割に周囲が明るいことに驚きながらもペルソナを纏い、一気に減速する。

ゆっくりと降下し、立っていた人影の近くに着地する。

 

「あ、やっときた! 遅いよ!」

 

慣れないままに挑んだ空中での姿勢制御がうまくいき、安堵している彼に声がかけられる。

こいしだ。先に落ちて下で待っていたのだろう。

 

「……あのな、そもそも心の準備すらできてないままに空中に放り出されて、しかもこの状態で飛ぶなんて初めてなんだぞ……?」

「でもちゃんとうまくいったみたいじゃん! さすがお兄ちゃん!」

「うまくいってなかったらこうして会話できてないからな……」

 

恨みがましくこいしに文句を言ってみるが、柳に風とばかりにまったく気にした様子もない。

ドッと疲れを感じて肩を落とす彼に、こいしの隣に立っていた人物が口を開く。

 

「これが後から来るって言ってたやつ? ずいぶんと変わった人間だね。大丈夫かい?」

「……あ、はい。大丈夫です」

 

いきなり話しかけられて反応が少し遅れる。

 

「いきなりこの子がやってくるなり、『もう一人くるから道を空けて!』ときたもんだ。地上との不可侵条約を無視して妖怪が来たかと思えば人間だって言うし、どんなやつか興味が出てね」

「えーと……」

 

不可侵条約というのは永琳から聞いた。

地上の妖怪は無用なトラブルを避けるために地底と互いに不干渉を貫く決まりになっているらしい。

 

だが、『道を空ける』とはどういうことなのか。

道も何も、一本しか無いただの大穴しか地底への通路は無いと聞いたし、実際にそこを通って来たのだが…………

 

首を傾げるジョーカーに思い出したようにその少女は自己紹介する。

 

「あ、言い遅れたね。私は黒谷(くろだに) ヤマメ。土蜘蛛の妖怪で、普段はあの大穴の途中に網を張ってる。あそこから人間が落ちてくることもなくはないからね。そういうやつは私が地上に送り届けてやるんだ」

「そうですか。ああ、だから『道を空ける』と……」

 

彼女の説明に納得する。

本来なら途中で彼女の網があるのだろう。こいしはそれを解除するよう彼女に頼んだというわけだ。

 

「すいません、ご迷惑をおかけしました」

「これくらいなんでもないよ。それより、人間が地底(ココ)にいったい何の用だい? こんな場所にやってくる人間なんてそういないし、それにこの子が誰かと一緒に行動してるところなんて初めてみるよ」

 

ヤマメはこいしを見やりながらジョーカーに尋ねる。

 

「成り行き、と言いますか…………いろいろとありまして…………」

 

彼はなかなか際どいところを突いたその質問に言い淀む。

ペルソナや自分の素性について話すわけにもいかない。

 

「……とにかく、これから古明地さとりさんにお会いすることになってまして」

「…………げ。あいつに会うの? 勇気あるねー。……そういうことなら私はお暇するよ。あまり顔を合わせたい相手じゃないし」

 

途端に顔をしかめ、ヤマメはひらひらと手を振る。輝夜の言っていた噂に違わぬ嫌われようだ。

そして自分は比較的気のよさそうな彼女にすら、こんな反応をされる相手にこれから会いに行くのだ。

 

ジョーカーはますます憂鬱になりながらも彼女に一礼する。

 

「……では失礼します。こいし、地霊殿まで案内してくれ」

「えー、その前に地底観光しようよ! 案内するよ!」

「行くとしても挨拶が終わった後だ。さ、行くぞ」

「ぶーぶー! 行くって言ったって案内するのは私でしょー?」

 

騒ぎながらもこいしはジョーカーへ駆け寄っていき、その背中に飛びつく。

ジョーカーも抵抗せずに彼女をおんぶし、空中に浮かぶ。

そして背中ごしに彼女が示す方向へと真っ直ぐ飛んでいく。

 

それを見送ったヤマメもいつもの場所に戻ろうとする。

そこでふと何かが引っかかり、首を傾げた。

 

(…………そういえば、妙な格好だったな。仮面に全身黒尽くめで……ん? ……どっかで聞いたような…………)

 

仮面。黒い服装。

その情報に頭のどこかが刺激される。

 

(…………ま、いっか)

 

しかしそこで思い当たる記憶はなく、気のせいだろうと判断したヤマメは肩をすくめ、大穴へと飛んでいった。

 

 

一方ジョーカーは一目につかないようにしながら地霊殿があるという方角へ飛んでいた。

鬼や妖怪が住むという街からできるだけ遠ざかり、若干遠回りしてでも徹底的に誰かに見られることを避ける。

 

そうして用心した甲斐あって、誰にも見咎められることなく、地霊殿へと到着するジョーカー。地面に降り立つと同時に変身を解く。

そこにあったのは、地霊「殿」というだけあって、神殿のような立派な建造物だった。

 

「ここに住んでるのか。ずいぶんと大きな家なんだな」

「そう? すごい?」

「すごいすごい。中の案内も頼むぞ」

「任せて! そこの入り口からしばらく歩くだけだけどねー」

 

かなりの高さがある地霊殿を見上げながらおざなりに褒める。

背中のこいしをしっかりと支え、正面から中に入る。

 

広い玄関ホールに人の気配はなく、閑散とした印象を受ける。

 

こいしの指示に従って広い地霊殿の中を歩いていく途中で犬や猫に鳥、たくさんの動物達とすれ違った。

見慣れない男を見た動物達は露骨に警戒心を強めるが、その背中にのっかっているこいしを見た瞬間、大人しく彼の通り道を空ける。

 

その光景を物珍しげに眺めるジョーカーにこいしが話しかけてくる。

 

「みんなお姉ちゃんのペットだよ。お姉ちゃんは動物が好きなの」

「……そうなのか」

 

あれだけ悪し様に言われていたが、動物に慕われているような人物——妖物? ……なら、思っていたよりはまともで優しい相手なのかもしれない。

 

そんなことを思っていた矢先。

 

「あ! こいし様じゃないですか! 探しましたよ! ……そこの男は誰です?」

 

暁は背後からかけられた声に振り向く。

そこには赤いお下げの少女がこいしをおんぶする自分を訝るようにして見ている姿があった。

 

「やっほー、お(りん)。この人はお兄ちゃんだよ。ね、お兄ちゃん?」

「…………お、お兄ちゃん? いきなり何を……」

「あ、お兄ちゃんに紹介するね。彼女は火焔猫(かえんびょう) 燐。この地霊殿に住む一人で、()()()()()()()()()()()

「あ、はじめまして。俺は…………待て。ペット? ペットって言ったか?」

 

聞き捨てならない単語に耳を疑う。

 

「え? そうだよ。お燐はお姉ちゃんのペットだけど?」

「……………………」

「な、なんだいその目は!」

 

暁はこいしのとんでもない発言にドン引きし、信じられないものを見るような視線を燐にむける。

いきなり見ず知らずの男にむけられたその視線に憤る彼女に返事をせずに冷静に考える。

 

 

——ペットが動物。

……わかる。誰でもそうだろう。

 

——ペットが人間。

………………。

………………………………。

 

 

「…………こいし。お前のお姉さんはそういう()()なのか?」

「趣味? うーん……お姉ちゃんの趣味はどちらかというと読書かなぁ」

「いや、そういう意味では……あー、なんでもない。忘れてくれ」

 

こんなことをこいしに聞いても無駄なことであるのは自明だ。

ますます古明地さとりなる妖怪に会いたくなくなったのは事実だが、今は気にしていてもしょうがない。

とっとと挨拶を終わらせて、一刻も早く地上に戻ろう。

 

「…………早く挨拶を済ませよう」

「そうだね。お燐、お姉ちゃんは今どこにいるか知ってる? お兄ちゃんはお客さんなの。お姉ちゃんに会わないといけないんだけど」

「え? えっと、さとり様ならいつも通り自室に篭りっぱなしですが……そちらの人間が客人というならそんな風にしがみつくのはいかがなものかと——」

「だってさ! 行こ、お兄ちゃん! この先曲がってすぐがお姉ちゃんの部屋だよ!」

「…………わかった。えっと、お燐さん? すいません、そういうわけですので、失礼します」

 

困惑しながらもきちんと聞かれたことには答える燐。

彼女の言葉を最後まで聞かないこいしは暁を急かして先へと進ませようとする。

どうするか悩んだものの、彼はとりあえず燐に一礼してその場を去った。

 

後に残された燐はただポカンとして、暁達の背中を眺めていた。

 

 

「ここがお姉ちゃんの部屋だよー。ついてきてー」

 

暁の背中から降りたこいしはそう言いながらドアを開けて部屋の中へと入っていく。

彼は本当についていっていいものか悩むものの、「早くー」と急かすこいしの声に負けて部屋へと入る。

 

右も左も本棚に囲まれた部屋をこいしの先導に従いながら進むと、やがて椅子に座って読書をしている一人の少女の姿が彼の視界に入ってきた。

その少女を見るなりこいしは駆け出していく。

 

「お姉ちゃん、ただいまー!」

 

その声に読書をしていた少女が本から視線を上げると同時、こいしは少女に抱きつく。

 

(……彼女が古明地さとりか)

 

確かにどこかこいしと似ているような気はする。

背丈もほとんど同じで、姉妹というより双子に見える。

 

「おかえりなさい、こいし。またいつもみたいにどこかに行ってたの?」

「うん! あとお客さん連れてきた!」

「お客……?」

 

そこで彼女——さとりは暁の存在に気がつく。

慌てて頭を下げる暁。

 

「あ、その、お邪魔してます。あなたに用があってここまで来ました」

「………………」

 

彼の挨拶に返事をしないまま、胡乱げな瞳で暁を見つめるさとり。

やはり勝手に部屋に入ったのはまずかったか、と彼が後悔しはじめた頃にようやく彼女は口を開く。

 

「……失礼しました。ここに客人など久しく来ていなかったことに加えて、まさかこの子が誰かと一緒に行動するなんてことは想像の埒外だったもので。…………地霊殿へようこそ。ここの主である、古明地さとりとは私のことです」

 

怒っていたわけではなく、純粋に驚いていたと知り安堵する暁。

心を読む妖怪だけあって、なかなかのポーカーフェイスだ。

 

彼女の自己紹介に対して自分も自己紹介を返そうと考えるが、はたと気づく。

 

(……なんて名乗ろうか)

 

ここで怪盗だと名乗ったとしよう。

彼女からしてみれば、いきなり妹と現れた男が怪盗を自称する変質者だった……としか捉えられない。

 

逆に本名を名乗ったとしよう。

それ自体に問題はなくとも、やがて自分がもっと大々的に知られ、誰かに追われる立場となった時、ここから足がつくのではないか。

異変を解決するという博霊の巫女。

過程を無視して勘で手がかりとなる存在を見つけて暴力的に解決するという。

そんな相手に見つかる可能性はできるだけ避けたい。何より、さとり自身を巻き込むこととなる。

 

そこまでの思案を瞬きするほどの短時間で済ませ、彼は口を開く。

 

「……私は『永遠亭』の人間です。そこの少女——こいしさんに、我々のところに滞在したいとの申し出を受けたので、その旨をお伝えしに参りました」

 

所属を強調し、個人名をぼかす。

本題は自分の名前ではなく、あくまでこいしを預かること。

 

案の定、それを聞いたさとりは少しだけ表情が変わる。これが彼女の驚いた時の反応だろうか。

 

「こいしが……? 何故です?」

「私がお兄ちゃんを気に入ったから!」

 

と、自分で申告するこいし。

さとりは暁からこいしに視線を移す。

 

「気に入った?」

「うん! しばらくお兄ちゃんと一緒にいたい! いいでしょ?」

「…………」

 

それを聞いたさとりは沈黙する。

 

(……いきなりこんなこと言われても納得できないよな。かといってこれ以上尋ねられるとボロが出そうだから、なんとかここで収まってほしいが…………)

 

暁はハラハラとしながら見守る。

そんな彼をチラリと見て、片目を瞑るさとり。

ウインクするような彼女の行動に戸惑う暁は首を傾げる。

 

「————!?」

 

しかし次の瞬間、はっきりわかるくらいにさとりは驚いた表情になる。

すぐに無表情になり、何事かを考えだす彼女はやがて口を開いた。

 

「…………わかったわ。あまり迷惑はかけないようにね」

「はーい!」

(…………え!? 納得するのか!?)

 

さとりの謎の行動の連続に困惑していた暁は、彼女があっさりと承諾したことにさらなる衝撃を受ける。

どういうことかと思っていると、本人からの説明が入った。

 

「今あなたの心を読もうとしましたが、ぼんやりとして見えませんでした。……こいしと同じく、ね。……理由はわかりませんが、この子はきっとそこに惹かれたのでしょう。心は読めずとも、この子が気に入った相手なら、きっと悪い人間ではない。面倒をかけると思いますが、どうかよろしくお願いします」

「は、はい! もちろんです!」

 

コクコクと頷く暁。

こうも話が楽にいくとは思わなかった。

頭を下げ、走ってきたこいしを受け止める。

 

「…………では、しばらく妹さんをお預かりします」

「はい。…………こいし、いってらっしゃい」

「うん! いってきます!」

 

彼らは互いに頭を下げあう。

そして暁はこいしを連れてさとりの部屋を後にした。




今回はちょっと駆け足気味です。
次回までに地霊殿でのやりとりは済ませておきたかったので。
雑だったり強引なところがあるかと思いますが、どうかお許しを。


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神は言っている——ここで死ぬ運命であると——

地霊殿を出た暁はさっき出会ったばかりのさとりについて考えていた。

どんな相手かと構えていたのが、実際には物静かでまともな妖怪だった。

やはり噂というのはあてにならないのかもしれない。

 

(……いや、今回はちょっと違うか。どうやら彼女は俺の心を読めなかったらしいし、読めていたらどうなっていたかはわからない。それに、さっきの少女をペットにしてるって事実に変わりはない。…………しかし、ペットって……)

 

彼は緩めそうになったさとりへの警戒心を引き締めなおす。

 

……実のところ、さとりのペットである燐は火車という猫の妖怪であり、本来なら猫の姿をしている。

彼がその状態を見ていればまた違う印象を抱いていたかもしれないが、人間形態しか知らず、こいしもそこの説明を暁にすることを忘れてしまっているため、結局その誤解はまだ続くこととなる。

 

隣を歩くこいしは、難しい顔で考えこむ暁の袖をクイクイと引っ張る。

 

「ね、ね。挨拶も終わったし、地底観光しようよ! どこ行きたい!?」

「…………とりあえず帰りたいかな……」

「だーめ!」

「だよなぁ…………」

 

嘆息する暁。

せめて、被害をなんとしても最小限にしようと思考を回転させる。

 

「……せめて、行くなら誰もいないところがいいな。あまり賑やかなところには行きたくない」

「静かなところってこと?」

「誰もいないなら別にうるさくても構わない」

 

人混みを嫌がる引きこもりのような自分の発言に苦笑いする暁。

怪盗団の仲間にも元引きこもりが一人いたが、まさに今の自分と同じような発言をしていた。

 

「なるほどー。それならちょうどいいところがあるよ! 間欠泉地下センター! あそこにはお姉ちゃんのペットのお(くう)一人しかいないし、今は施設が壊れてて稼働もしてないはずだから、ぴったりでしょ!」

「間欠泉地下センター……?」

「そう! お空の力で核融合を制御してるところ!」

 

彼女の言葉に思考が一瞬停止する。

 

(…………!? ……か、()()()!? 幻想郷の技術水準云々って話はどこに!? 第一、そんなエネルギーで何をしてるんだ!?)

 

 

カルチャーショックを受けて固まる暁にお構い無しに、こいしはふわりと浮かんで彼を見下ろす。

 

「そうと決まれば早速行こ! もたもたしてるとおいてくよー!」

 

有言実行とばかりに彼女はその場に暁を残してそのまま飛んでいく。

 

「………………あっ! ま、待てって!」

 

このままでは彼女を見失ってしまう、という段階になってようやく再起動した彼は慌てて彼女の後を追った。

 

 

 

飛ぶ彼女を追いかける暁は、やがて巨大な建造物を目にする。

こいしは近代的な造りのその建物の前に降り立ち、こちらを振り返って大きな声で呼びかけてくる。

 

「これが間欠泉地下センターだよ! おっきいでしょ!」

「……ああ。大きいな。地底なんて場所でどうやってこんなものを……」

 

ようやく追いついた彼はそう答えながらその建造物を見上げる。

地霊殿と同じか、さらに大きく見える。

 

「この中にお空がいるはずだから案内してもらおう! 人間がここを案内されるのは多分初めてだよ。よかったね!」

「そうか、それはよかった」

 

腕を引っ張るこいしに生返事をしながら依然として見上げ続ける暁。

こいしもその反応に気を悪くすることもなく、ぼんやりしている暁をグイグイ引っ張っていく。

彼はこいしに引っ張られるままに上の空のままで建物の中へと歩いていった。

 

 

案の定、中も外見と同様に近代的なデザインだった。

久々に現実世界に戻ったような気分になりながらこいしに手を引かれ続けていると、不意に彼女が声をあげる。

 

「あ、おーい! お空ー!」

 

彼女の視線の先には大きな翼が生えた少女の姿があった。

こいしの呼びかけに反応し、その少女はこちらに振り向く。

 

「うにゅ? …………あ! こいし様!」

 

タッタッタッ、と軽快な足音とともに駆け寄ってくる少女。

……よく見ると、かなり印象的な少女だ。

 

背中には大きな黒翼、片足にはずいぶん重そうなブーツ。

胸元には赤いクリスタルのようなものがあり、極め付けにはその右腕。

明らかにアンバランスな多角柱の物体が装着されている。ブーツもそうだが、重くないのだろうか。

 

彼がお空と呼ばれたその少女を観察していることには気づかず、二人の少女は和気藹々と会話を始める。

 

「お久しぶりですこいし様! こんなところにわざわざ来るなんて、どうしたんですか!? あ! もしかして遊びに来たとか!?」

「違うよー。あ、違うとも言えないのかな? 今日はここを案内してもらおうと思って!」

「案内ですか? ふっふっふ、任せてください! 隅から隅までお見せします!」

 

少女は胸を大きく叩いてそう豪語する。

……と思いきや首を傾げた。

 

「……でも、どうして今さら? ここができてからもうずいぶんと経ちますよ?」

「今日は私だけじゃないからね。お兄ちゃんの地底観光も兼ねてるの」

「お兄ちゃん? …………わ! に、人間!? こいし様が誰かと、それも人間と一緒なんて!」

 

ようやくこちらに気づいたらしい少女は大袈裟に驚いたポーズをとった。

 

(…………そういえばヤマメさんもそんなこと言ってたような。普段のこいしはいつも一人で行動してるのか)

 

だからこそ、自分とあちこちに行くのが楽しいのかもしれない。

そんなことを考えながら少女に一礼する。

 

「どうも。その……………………『お兄ちゃん』です。………………よろしく……」

 

……なんと間抜けな自己紹介だろうか。

つい流れで言ってしまったが、途轍もなく恥ずかしい。いや……それ以前に、こんな自己紹介が通じるはずが————

 

「ど、どうも! 霊烏路(れいうじ) (うつほ)です! よろしくお願いします、お兄ちゃん! 私のことは好きに呼んでください! さとり様やこいし様にはお空って呼ばれてます!」

「えっ」

 

今の自己紹介に疑問を持った気配すらない。

素直…………というより、なんだろう、疑うこと自体を知らないような、そんな感じがした。

 

ガバリと頭を下げた少女——空は暁に左手を差し出す。

握手を求められていると理解した彼は、予想外の事態に瞬きしながらその手を握る。

さほど力は入れずに握る彼とは対照的に、空はめいっぱい力強く手を握り、ブンブンと上下に勢いよく振る。

 

「こいし様のお兄ちゃんと会えるなんて光栄です! 初めまして!」

「あ、うん。こちらこそ……」

 

ニコニコと笑う空の勢いに気圧されながらも、とにかく頷く。

 

「ちょうど今日は施設の壊れてた箇所が修理されるんです! ラッキーですね! 稼働してる間は入れない場所も見れるし、稼働する瞬間も見れますよ!」

「そうなのか。それは確かにいいタイミングだったみたいだな」

 

あまり乗り気ではなかった暁だが、彼女の言葉で興味が湧いてきた。

一種の職場見学だ。それも、核融合施設なんてロマン溢れる場所の。

秀尽学園の職場見学で行ったテレビ局は酷く退屈だった上に、案内する人間もやる気がなかった。

 

しかし今回は違う。

興味が尽きない場所を、やる気に満ちたこの少女が案内してくれると言う。

ここはお言葉に甘えさせてもらおうか……

 

「…………じゃあ、頼もうか。よろしく、空」

「はーい! 任せてください、お兄ちゃん!」

「あ、お空ずるーい! お兄ちゃんは私のお兄ちゃんだよー?」

「こいし様のお兄ちゃんなら私のお兄ちゃんでもあると思います!」

「……なら、二人のお兄ちゃんだね!」

「ですね!」

「三人しかいないのに本当に賑やかだな…………」

呼び名を訂正しようかとも思ったが、ヤブヘビになりそうなので諦める。

彼は飛びついてきたこいしをもはや慣れた手つきで肩車し、お空と並んで歩きはじめた。

 

 

地底の暮らしや彼女達についての話を聞きながら、間欠泉地下センターの各所を巡る。

 

「——なるほど。核融合のエネルギーで地底全体を暖かくしてるのか。で、普段は高温で近づけないけど、ここから地上へと繋がってる……と。なかなかド派手な暖房だな」

「そうですね。私の『核融合を操る程度の能力』は余計な放射線とかは撒き散らさないようにできるので、安全かつ超便利です!」

「ははっ、名前からして強力そうな能力だってすぐわかるな」

「そうですよ! 私の火力は最強です!」

 

胸を大きく張って自慢げに言う空。

笑いながらその隣を歩く彼はすっかり彼女とも打ち解け、気を許していた。

そんな彼の頭上から、肩車されたままのこいしが空に尋ねる。

 

「ねえ、壊れた箇所の修理っていつ頃始まるの? だいたいのところは見て回ったし、そろそろ稼働してるところを見たいなぁ」

 

その言葉ではたと何かに気づいたように立ち止まる空。

 

「そういえば、そろそろ修理が始まってもおかしくない時間のはずですね。あれれ?」

 

彼女はそう言いながら首を傾げて不思議そうな表情を浮かべる。

 

「…………もしかしたら忘れられてるのかも? こいし様、お兄ちゃん、ちょっと行ってきますね!」

「行くって、いったいどこに——」

「では、失礼します!」

 

暁の言葉を最後まで聞かずに、翼を広げた空はすごい勢いで飛んで行ってしまった。

狭い屋内にも関わらず何かにぶつかったりすることもなかった。

 

(……やっぱり地獄鴉っていうだけあって飛ぶのが上手だな。…………いや、弾幕ごっこをする者にとってはこれくらいできて当然なのか?)

 

彼はその飛行技術に感嘆するとともに、まだまだ慣れない自分の身一つでの飛行を思い返す。

あれほどの滑らかな動きをするにはかなりの練習がいることだろう。

今後のためにも早めに習熟しておかないと…………

 

「ね、お兄ちゃん?」

「ん、どうした?」

 

こいしは考え事をしている彼の頭をポンポン叩いて注意を引く。

 

「お空はどっか行っちゃったし、戻ってくるまで外で遊ぼ? 鬼ごっことか!」

「…………そうだな、いいぞ。だけど二人しかいないのに鬼ごっこでいいのか?」

「うん!」

「わかった。じゃあ行こうか。ルールはどうする?」

「えっとねー…………」

 

のんびりと会話しながら二人は間欠泉地下センターを出て、時間を潰しながら空を待つことにした。

 

 

二人はしばらく鬼ごっこをするも、次第にこいしも飽きてきた。空がなかなか帰ってこないのだ。

仕方がないので、暁は違う遊びをして時間を潰すことを提案した。

 

「だるまさんが……………………」

「…………」

「…………転んだ!」

「!」

 

暁が振り返った瞬間、ピシッと固まるこいし。

両手を挙げ、片足で立つという不安定な体勢にも関わらず、微動だにしない。

数秒その状態が続き、再び彼女に背中をむける。

 

「だるまさんが……転んだ!」

 

今度はバレエのようなポーズをとっている。

「だるまさんが転んだ」を二人でやっているだけだが、はたから見れば何をやっているかさっぱりわからない。

 

単に止まるだけではつまらないと言って、こいしは自分で難易度を上げて暁に挑戦しているのだ。

勝率はちょうど半々。

ここで勝つ! と彼女が強い意気込みを見せていた、その時。

 

「あ、こいし様ー! お兄ちゃーん! お待たせしましたー!」

 

空がようやく戻ってきた。

二人は顔を見合わせて、ゲームを中断する。

 

「遅ーい! いったいどこ行ってたの?」

「すいません、修理してくれる大工さん達のところに行ってました。どうやら今日の仕事を忘れてたみたいでー」

「仕事を忘れるなんてお空しかやらないと思ってたけど、そんなのが他にもいたんだね!」

「あ、ひどい! 私だってそんなに忘れたりしてないですよ!」

 

彼女はからかうようなこいしに頬を膨らませて抗議する。

そこに暁が後ろから肩を叩く。

——何故か、青ざめた顔で彼女がやってきた方向を凝視しながら。

 

「…………空。その大工っていうのは……()()か?」

「うにゅ? ……あ、そうですよ!」

 

暁が指差していたそれを見て、元気よく答える彼女と対照的に、彼の顔にはじわじわと絶望の色が広がる。

 

彼が見たもの、それは————

 

 

「……ったく、酒ばっか飲んでて仕事忘れるなんて馬鹿がこんなにいるなんてね」

「はは、面目ねぇ!」

「すいません、俺らに付き合ってもらって」

「いやぁ、しかしまさか姐御が手伝ってくれるとは! どういう風の吹き回しで?」

「暇だっただけだよ。ほら、くっちゃべってないで仕事を…………ん?」

 

 

 

絶対に会いたくないと思っていた存在。

 

————()()()()だった。

 




なんとか今日中には更新できました。

視聴してる幻想入りシリーズが一気に二作も更新来たんです、許して……
気になる人はニコ動のタグで「p4幻」と「東方地底伝」で検索してください(ダイマ

地底伝は「Undertale」を知ってる人向けですね。
アンテ知らない人は実況動画とかもあがってるので是非観ていただきたい。同じくニコ動にあがってますので…………あの感動をより多くの人に知ってほしい。
どうでもいいことですが、自分がこのSSを書きはじめたのはp4幻がきっかけで、東方そのものを知るきっかけになったのは東方地底伝、ひいてはアンテです。


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生/死

数分前。

彼は自分の愚かしさを心の底から呪っていた。

 

(この地底に普通の人間がいないなんて最初からわかってただろうが! 何を呑気に修理の人間がくるのを待つつもりになってたんだ! その間抜けさの代償がこれだ! クソ、どうすれば…………!?)

 

なりふり構わず逃げることも考えた。

だが、そんなことをすれば明らかに怪しまれる。ただでさえ見知らぬ人間が、自分達を見るなり逃走を図ればどう思うか。

……間違いなく、後ろめたいことを隠していると思われるだろう。

そうなってしまえば、後は地獄の鬼ごっこの始まりだ。

 

本物の鬼を相手に、旧地獄の中で、生死を賭けた鬼ごっこ。

…………ははっ、笑えない。

 

かと言って、この鬼達と一緒にいることもありえない。

 

空にはあの適当な自己紹介で誤魔化せたが、普通の相手ならあんな挨拶は通用しない。

どうしても、自分の情報を漏らすことになる。

 

前門の虎、後門の狼。

……この場合に限って言えば前門の鬼、後門も鬼。

 

まさに絶体絶命の窮地。

 

歯噛みしながら打開策を必死に探そうとする暁は、手を自分の胸元に伸ばす。

服の上からでは見えない、その『保険』の存在を再確認し、少し冷静さを取り戻した。

 

(…………いざという時はコレがある。ラクカジャとコレがあれば、少なくとも死ぬことはない)

 

……その一瞬の思考の停滞。それが致命的だった。

 

打開策を見つける暇もなく、鬼の集団はすぐそこまで来てしまっていた。

 

 

「馬鹿どもを連れてきたよ。遅れてすまないね」

 

集団の先頭を歩いていた鬼が口を開いた。

空はその言葉に頷いて、地下センターの方を右腕に装着した多角柱で指し示す。

 

「今日はここを案内することになってるので、パパッと終わらせちゃってください!」

「案内、ねえ。珍しいね、ここに誰かが来てるなんて。そこにいるのはさとりの妹だろう? 確か……こいし、だったね。どういう風の吹き回しだい?」

 

その鬼はこいしに視線を移して尋ねる。

 

「お兄ちゃんと地底観光してるの!」

 

と、元気よくこいしは言った。

その返答に鬼は怪訝そうな表情になる。

 

「…………お兄ちゃん? 私の記憶では、そんなのはいやしなかったはず

だけど。少なくとも聞いたことは一度もない」

「うん! そうだよ! お兄ちゃんと会ったのはついこの前だし!」

「………………ふぅん。そのお兄ちゃんってのは?」

「え? そこにいるでしょ?」

 

こいしは離れたところに立っていた暁へと走っていき、その背中に回りこむ。

鬼はそこでようやく彼の存在に気づき、胡乱げな瞳をむけ——その顔を見るなり、驚愕したように目を剥く。

 

「……!! …………へえ、こいつは面白い。この馬鹿どもの後始末をするつもりだったが………………いや、まったく今日はツイてるね」

(…………ついにロックオンされたか)

 

事ここに至ってはもはや覚悟を決めるしかない。

静かに笑いはじめた鬼に対峙し、ここからどう話が転がってもすぐに反応できるように、眼前の相手の一挙一動を注視する。

 

「……どうも。貴女とは初対面だと思うのですが。私の何が琴線に触れたのか、よければお聞かせ願いたい」

 

まずは対話から始めよう。

そう考えて彼は口を開いた。

 

「…………ククッ、いや、なに……ちょっとばかり聞いた話を思い出してね。それと、その気持ち悪い喋り方はやめてくれ。鳥肌が立つよ」

「……そうか。なら普通に話すことにするよ」

「ああ、それでいい。それでこそ——()()ってモンだよ」

 

鬼は口角を吊り上げて愉快げな笑みを暁にむける。

その笑顔を見た彼は警戒心とともに、チリチリと毛が逆立つような嫌な気配が背中を這い登ってくるのを感じた。

……この感覚を味わうのはこれが初めてではない。

 

「…………バレてたか」

「人間だってことがかい? それくらい、気配からすぐにわかる……と言いたいところなんだけどね。残念ながら、そうじゃない。容貌からの判断さ」

 

目を細める彼女はゆっくりと足を前に出す。

 

「恥ずかしながら、こいしに言われるまで私はお前の気配を察知すらできなかった。こうして目の前にいるとわかってる今ですら、どうにも雲を掴むようなあやふやな気配しか伝わってこない」

「………………影が薄いってことか」

 

鬼の言いたいことを理解しながらも、あえて的外れな返答をして肩をすくめる暁。

鬼は構わず言葉を続ける。

 

「お前が何者なのかは知らないが、少なくともただの人間じゃない——()()()()。話半分、酒の席での戯言くらいにしか思ってなかったけど…………自分の目で見た瞬間、すぐにわかったよ」

 

黙って鬼の話を聞いていた暁。

一歩ずつ近づいてくる鬼を眺めていたが————

 

 

お前が萃香と戦った人間か

「……………………………………ッッッ!!!?」

 

 

目の前まで肉薄されて、ようやく()()に気がつく。

警戒心を最大にし、何をしてくるかわからない相手から目を離さなかった。

なのに。

 

この鬼が近づいてくることを認識していたにも関わらず、こうして眼前に立たれることをあっさりと許し。

あまつさえ、()()()()()()()()()()()()()()()()

 

 

 

——人間に限らず、二足歩行する生物は「重心を崩す」ことによって歩くことができる。

もっと端的に言ってしまえば、バランスを崩すことで前にむかって「()()()()()」のである。 そしてその重力を利用し、前へと進む推進力へと変換する。

その動作が本能として染み付き、自然なものとして作用する。人間はその重心が崩れ、また保持される一連の流れを「歩行」と認識するのだ。

 

この鬼の動きはその条理を無視した、不自然な動きだった。

一切重心が崩れず、ブレず。

 

——俗に言う、『歩法』。

 

人間が生み出したいくつもの戦闘技術のうち、古武術と呼ばれるもの。その一端

である。

 

こちらに歩いてきているはずなのに、重心は崩れていない。

重心が崩れていないなら動いていないはずなのに、こちらに近づいてきている。

 

視覚的情報から矛盾するはずのその二項を読み取った彼の脳は一時的にエラーを起こし、「鬼が近づいてくる」という情報から繋がる次の動作へと移行することができなかったのだ————

 

 

 

「——星熊(ほしぐま) 勇儀(ゆうぎ)()()()()()さ。お前が戦った萃香の奴とは昔馴染みで」

「——————!!!!」

 

何事かを話そうとしていた鬼——勇儀の台詞を最後まで聞かず、彼は反射的にペルソナを纏い、右手に握ったナイフを目にも止まらぬ速度で眼前の()に振るう。

彼自身の思考すら置き去りにした雷光の如きその一閃は、違わず標的の首めがけて疾り——

 

 

「おいおい、落ち着きな。私はお前をどうこうするつもりは…………ッ!?」

 

 

そっと、止められる。

真剣白刃取りなどという次元ではない。

押しとどめるように出された掌に正面からナイフはぶつかり、その衝撃を全て吸収され、刃は一ミリたりとも食い込まない。

尋常ではない肉体の硬さに加え、人間には到底持ちえない動体視力と反射神経。

 

それらを頭のどこかで冷静に分析しながら、彼は既に理解していた。

 

今の行動は、この状況における()()()()()()()()

 

 

敵意は無かったらしい相手に思わずこちらから手を出してしまった。

()()()()()()()()()()()()

 

………………。

ここで、少し状況を整理してみよう。

 

通常、彼は持っている中で一番強い武器である「ミセリコルデ」を愛用している。

しかし何かトラブルが起きて「ミセリコルデ」を紛失、あるいは使用できない状況になることも想定し、手持ちの中で二番目に強力な「名人のパリングダガー」も携帯している。

 

…………しかし。

しかしだ。

ここで思い出してほしい。

彼は先日の伊吹萃香との戦闘中、彼女に能力を行使された拍子に()()()()()()()()()()()()

 

言うまでもないが、この二本はまさしく「ミセリコルデ」に「名人のパリングダガー」である。

 

…………つまり、今の彼は丸腰なのか?

 

——それは違う。

 

一番も二番も使えないとしても、彼はまだ武器を持っている。

念には念を、石橋を叩いて渡るような用心深さによって、もう一本の予備を用意していた。

まさか使うことはないだろうと思っていた、その武器の銘は「()()()()()」。

「ミセリコルデ」にも「名人のパリングダガー」にも劣るこの武器には、しかし唯一無二の特徴があった。

 

この武器によって攻撃した相手に——

 

 

————状態異常、『()()()()()()()()

 

 

 

極限まで加速する思考。

間近にある勇儀の目がゆっくりと赤く染まっていく様子がはっきりとわかる。

全身が総毛立つような危機感と焦燥を覚え、すぐさま逃げようとし、極めて鈍重に感じる足を後ろへ動かして——

 

 

トンッ、とこいしに当たる。

 

 

…………ダメだ。

彼女を掴んでこの場を離れるほどの時間はもうない。

だからといって、自分だけ逃げれば()()()()()()

 

逃げることはできない。

そう判断した彼は咄嗟に後ろ足でこいしを横に()()()()()

出来るだけ痛くならないように軽い彼女の体を足で引っ掛けるように持ち上げ、一気に振り抜く。

 

「……えっ——きゃぁっっ!?」

 

驚きと痛みで悲鳴をあげるこいし。極力痛くないようにしたとはいえ、小柄な彼女への衝撃(ダメージ)はどうしても0にはできない。

金魚すくいの金魚のように宙を舞う彼女は何が起きたかはわかっていないだろうが、ただ自分に「裏切られた」という思いを抱いただろう。

そのことに身を切られるような心の痛みを覚え、声にできない謝罪の念を溢れさせながらも、前の勇儀を見据える。

 

 

……大丈夫だ。

【アルセーヌ】を纏った今の自分はただでさえ頑丈になっている上に、〈マハラクカオート〉で防御力も上がっている。

地底にむかうと決まった時、まさにこんな状況のために用意した『保険』もある。

これなら鬼の一撃だろうと————

 

 

…………そんな淡い期待は、振り上げられようとするその「拳」を見た瞬間に消し飛ばされた。

 

……………………あれはダメだ。

激怒によって上乗せされた威力も相当量あるだろうが、元々の破壊力が計り知れない。

鬼の肉体が生み出す「全力」というものを自分はまだ侮っていたらしい。

超極大の物理ダメージ——いや、()()()()にも似た、自然の法則を無視した()()すら感じる。

ただの拳も、あらゆるものを突き抜けた先には物理法則さえ超えるのか————

 

(ここからの回避。不可能。物理無効。ダメだ。アレは物理で受けきれるものじゃない。〈ランダマイザ〉。間に合わない。拳。鬼。鬼……オニ?)

 

 

刻々と迫る拳を前にし、すさまじい速度で思考を回転させ続けるジョーカーは何かに思い当たり、口を——

 

「【オ」

 

 

 

————刹那。

全てを吹き飛ばす暴虐が顕現した。

 

 

 

 




そういえば、今まで作中ででてきたアイテムは全部ゲーム内に登場しているものです。
永琳達への贈り物や鈴仙のタンコブを冷やしたスプレーなども、きちんとゲーム内にあるもので賄ってます。
言われずとも既にわかっていた方も多いでしょうが、今まで言っていなかったので、一応。


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鬼の一撃

半端だった部分に書き足して再投稿しました。
注意:R15に相応しい程度のゴア表現があります。グロ耐性が極端に低い方はお気をつけ下さい。


——辺り一帯に立ち込める瓦礫の粉塵。

 

激しい耳鳴りで聴覚は完全に死んでいる。

 

閾値を遥かに突破し、一周回って何も感じなくなりつつある痛覚。

 

ゴポリ、と口から勝手に溢れて流れ出る赤い液体。

 

朦朧とする意識の中、思った。

 

 

………………嗚呼、()()()()

 

 

 

「お兄ちゃんッッッ!!!!」

 

彼女には、勇儀の拳を真正面から受けたジョーカーがその場から()()()()()()()ように見えた。

空が血相を変えて叫んだ次の瞬間。

 

遠く離れた間欠泉地下センターから、鼓膜が破れそうになるほどの爆音が轟く。

彼女はそちらを振り返ろうとしたが、音に続いて猛烈な衝撃波と爆風が襲いかかってくる。

 

「ううぅっっ…………!?」

 

埃混じりの風と衝撃に目を開くこともできず、顔を両腕で守る。

轟々と吹き抜ける風がようやく収まり、彼女は薄く目を開いて地下センターの方を見る。

 

…………悪い夢でも見ているような光景が広がっていた。

 

相当頑丈だったはずの外壁は跡形も無くなり、大きな鉄球を建物の奥まで転がしていったかのように、その直線上にあるものは全て破壊されていた。

ここからではどこまでその破壊の足跡が続いているかを窺い知ることはできない。

 

——地獄烏の少女、霊烏路空。

彼女自身、自分はあまり賢くはない方だと思っている。

しかしそんな彼女ですら、考えるまでもなくこの鉄球を転がしたような惨状の先に何が……いいや、()()いるのかはすぐにわかった。

 

 

「…………お兄、ちゃん」

 

 

呆然としながら、呟く。

 

鬼の拳を受けた挙句に何層もの硬い壁をもぶち破るほどの勢いで吹き飛ばされた。

どう考えても、人間である彼が生きている道理はない。

 

…………そんなこと、彼女は認められなかった。

 

会ったばかりの人間で、そこまで彼のことを知っているわけでもない。

それでも、つい先ほどまで一緒に笑っていた相手がこんなにあっさりと死んでしまったなんてことを。

どうして認められようか。

 

「…………!!」

 

即座に翼を広げて飛び立ち、地下センターを貫通した大穴へと飛び込んでいく。

 

 

——そんなことに気づく余裕もなく、星熊勇儀は己が拳を呆然として見下ろしていた。

 

(…………今、私は何をした? ……怒りに我を忘れて、殴った? 私が?)

 

前触れもなく激昂し、人間を殴り飛ばしたこと。

そのことに一番信じられない思いを抱いているのは、当の勇儀自身だった。

 

突然ナイフをむけてきたことには多少驚いたものの、萃香がしたということから鑑みれば、そのくらいの反応は仕方ないとも思った。

ナイフ自体も問題無く防御したし、そもそも自分は斬りつけられたくらいで怒ることはありえない。

むしろ過敏な反応に苦笑するくらいの心境だった。

 

だからこそ、なおのこと自分のとった行動が理解できない。

 

自分の体や心が無理やり動かされたような感覚。

魔法か何かの類かとも思ったが、そんなことをあの人間がするメリットは何一つ無い。自殺行為以外の何物でもないだろう。

彼女は何が起きたのかまるで理解できず、ただ人間を殴りつけた感触がありありと残る自分の拳を見下ろし続けることしかできなかった。

 

 

そしてそれを離れたところから唖然として見る数人の鬼達。

彼らは突然の出来事に度肝をぬかれ、絶句していた。

やがてこわごわと互いの顔を見合わせ、唖然としたまま口を開く。

 

「………………おい、今のって」

「…………ああ。姐さん、全力で殴ってたぞ」

「……いきなりだったよな。お前ら、なんでかわかるか?」

「わかんねぇよ。姐さんが近づいていったかと思ったら、あの人間がいきなり妙な格好になって斬りかかって……」

「それを姐さんが受け止めたよな」

「そのまま普通に人間に話しかけた……と思ったら、次の瞬間にアレだよ」

「…………なんでだ?」

「………………さあ…………」

 

口々に言いあいながら首を捻る鬼達。

そこに一人だけ黙ったまま地下センターの方を凝視していた鬼が口を開いた。

 

「…………違うだろ」

「は? 違うって、何がだよ」

「今一番気にするべきなのはそこじゃなくて……ああ、クソッ! とにかく見ろよ、アレ!」

 

理解していない他の鬼達に説明するのがもどかしく、うまく言葉にできない自分に苛立ちながらその鬼は地下センターを示す。

 

「……アレがなんだよ」

「わからないのか? 姐御に殴り飛ばされたあの人間がぶち抜いていった穴だぞ ?」

「…………はぁ? んなこと見ればわかるだろ」

「だから違うっての! まだわかんねえのか!?」

 

怪訝そうな視線がその鬼に集中する。

未だに理解していない鈍い他の鬼達が気づくように、はっきりとその鬼は言った。

 

 

「あの姐御の全力だぞ!? 人間が喰らって()()()()()()()()()()()()()!」

 

 

星熊勇儀。

彼女が持つのは『怪力乱神を持つ程度の能力』。

その能力ははっきりと決まった使い方があるわけではない。

ただ、能力の一側面として明確なものもある。

まさに能力の名前にもなっている「怪力」である。

 

鬼の肉体に加えて能力でも増強された勇儀は地形をも変える力をその身に秘める。

その彼女の拳を受けた人間が吹き飛ぶことなどできるわけがない。

その場で塵も残さず爆散するだろう。

 

 

ようやく他の鬼達も今の人間の異常性を理解する。

 

驚愕を通り越して畏怖するような目を地下センターの方へむけ、全員が沈黙する。

 

 

自分達鬼ですら、あの拳を受けたらどうなるかわからない。

そんな一撃を受けて肉体を保持していたあのニンゲンは、もしかすると勇儀に匹敵する怪物なのかもしれない…………

彼らはそう思った。

 

 

こいしは尻もちをついた状態で固まっていた。

 

勇儀と暁の会話を聞いていたと思ったら、いきなり暁に蹴り飛ばされ。

足で掬い上げられるようにして浮かされた空中から、暁の方を呆然と見ようとした瞬間、彼の姿が掻き消えた。

彼が自分を庇い、勇儀の拳を喰らって吹き飛ばされたのだとようやく理解できたのは、悲鳴をあげたお空が地下センターへと飛んでいった時だった。

 

 

(………………なんで?)

 

なんで勇儀は暁を殴ったのか。

なんで暁は自分を助けたのか。

なんでこんなことになったのか。

 

なんで。なんで。なんで。なんで。

 

 

(……………………()()()()?)

 

 

ぐるぐると回る疑問の中に、スルリとそんな思考が滑り込んでくる。

 

(私が、お兄ちゃんをこんなところに連れてきたから? 私が、お兄ちゃんに我儘を言ったから? 私が、わ、私が……?)

 

 

 

勇儀、大工の鬼達、こいし。

三者三様の感情を抱えたその場所は、重苦しい静寂に満たされていた。

 

 

——しかし、その静寂はすぐに破られる。

 

「…………お、おい! アレ!」

 

鬼達の中の一人が地下センターを指差す。

彼は仲間達の中でも視力が良い方だった。

真っ先にそれを見たのは彼だったが、他の鬼もすぐにそれを目にする。

 

地獄烏に抱えられた、人間の姿を。

 

今にも泣きそうな顔でこちらに飛んでくる少女の腕は、人間の血で真っ赤に染まっていた。

 

少し離れたところで彼女は地面に降り、人間をそっと仰向けに寝かせる。

 

——見るに耐えない有様だった。

 

咄嗟にガードしたのであろう両腕は、本来曲がらない部分が完全にへし折れ、中の骨や血管が剥き出しになり、ボタボタと血液が滴っている。

だがそんな怪我ですら、まだマシな方だった。

一番酷い怪我をしているのは、拳が直撃した彼の胴体そのものだ。

 

右半身の大部分が、吹き飛んでいる。

 

巨大な獣に食い破られたかのように、胸から脇腹までがゴッソリ欠けていた。

離れたところにいる彼らにも内臓が目視できるほどのその傷は、明らかに致命傷だった。

両腕とその右半身から流れ出る血液により、みるみるうちに地面に血だまりができあがる。

 

それを見た鬼達は痛ましげに視線を逸らし、勇儀は表情を大きく歪ませ、こいしは目の前の光景が信じられず、思考停止に陥る。

 

 

その場の誰もが彼の死亡を疑っていなかった。

 

————ピクリと彼が身じろぎするまでは。

 

 

「…………!? お兄ちゃんっ!?」

 

すぐ隣にいた空にはわかった。

瀕死のジョーカーが何かを言おうとしていると。

急いでしゃがんで彼の口まで耳を近づけ、その声を聞き取ろうとする。

緩慢に開いた彼の口からは血液がとめどなく溢れ、そこから出る声もほとんど聞こえない。

 

「…………、………………、……」

「わ、わかった!」

 

彼の声は空にしか聞こえなかったが、彼女はその言葉にすぐさま応じる。

ジョーカーの腰あたりを焦りで震える左手でまさぐり、やがて小さい何かを取り出す。

一瞬躊躇するも、その何かを開いたままの彼の口にそっと落とす。

ジョーカーはそれを血とともに飲む。

 

————その瞬間。

 

ミチミチと音を立てながら、彼の肉体が()()()()()()()

 

 

「「「「…………!!!?」」」」

 

 

その光景を見た全員が息を呑む。

ジョーカーの指示に従った空もこんなことになるとは知らされていなかった。

ただ、「腰にある錠剤を一つ飲ませてくれ」という彼の頼みを聞いただけなのだ。

驚愕しながら眼前で起こる謎の現象に見入る。

 

——そして。

 

「…………ゴボッ……助、かった。ありがとう、空……」

 

欠損していた部分がおおかた塞がり、両腕もまっすぐに戻った暁はよろめきながら立ち上がった。

せり上がってきた血液と口の中に溜まっていた血液をまとめて吐き捨て、目を見開いたままの空に礼を言う。

 

ビシャリ、と地面に血液が撒き散らされた音をきっかけに、呆然としていた空はジョーカーに飛びつく。

 

「お、お……お兄ちゃんっっっ!! いき、生きてて、よかった…………!! 私、てっきりお兄ちゃんがっ、死んじゃったって…………!!」

「…………ッ……! …………し、心配させて、悪かった。さすがにあそこまでやられると、そう簡単に自力では動けなくてな…………」

 

急激な事態の変化についていけず麻痺していた感情が一気に緩んだのか、ガタガタと震えながら彼を抱きしめる空。

ジョーカーは抱きつかれた瞬間に走った激痛に小さく呻くも、空に気をつかわせないように痛がる素振りを必死に隠す。

 

 

空と話す彼の体は急激な再生こそ収まったものの、未だに残る傷口が徐々に再生していく。

 

 

出会ったばかりの自分のことをここまで心配してくれる空の優しさをありありと感じながら、周囲をゆっくりと見渡すジョーカー。

その視線は数名の鬼を通り過ぎ、固まっている勇儀を見て一瞬止まる。

しかし勇儀からもすぐに視線を外し、一人の少女の姿を探す。

そして、尻もちをついたままこちらを呆然と見上げるこいしを見つける。

 

「…………こいし」

「………………」

 

彼の呼びかけにも応じず微動だにしないこいしに対して、ジョーカーは深く頭を下げる。

 

「………………無事で、よかった」

「…………!!」

 

どんな理由があれ、蹴ってしまったことに変わりはない。そのことについて彼女に許しを乞うつもりはなかった。ただ、無事を確認できて心底安堵した。

 

そんな心境で頭を下げた彼は、もう一度こいしの顔を見てギョッとする。

いつもニコニコ笑っていた彼女が、今にも泣きそうな表情をしていたのだ。

自分のせいでそこまで傷つけてしまったのか、と焦るジョーカー。

 

何か言葉をかけなければ——

 

そう考えた彼が口を開こうとすると、へたりこんでいたこいしが立ち上がり、駆け寄ってくる。

 

「こ、こいし?」

「…………ッ!」

 

彼女は走ってきた勢いのまま、無言でしがみついてくる。

前からは空、横からはこいし。

二人に挟まれて身動きがとれないまま、小柄なこいしを見下ろす。

 

「………………ぃ」

「…………え?」

 

小さく何かを呟くこいしに聞き返した、その瞬間。

俯いていた彼女はジョーカーを見上げる。

 

 

——その両目からはポロポロと涙が溢れていた。

 

 

「ごめんなさい……っ! 私がっ、私のっ、我儘にお兄ちゃんを付き合わせて……それで、こんな、こんなっ……!!」

「…………!」

 

 

彼はその言葉に大きく目を見開く。

彼女が自分の怪我に自責の念を抱いているなど想像もしていなかった。

自分が彼女を蹴ってしまったことを悔いているように、彼女もまた後悔していたのだろう。

 

それを理解した瞬間、優しく彼女に話しかける。

 

「……それは違う。これは全部俺のミスだよ。お前は悪くない」

「でも、でもっ……!」

 

自分の言葉に納得できないのか、首を左右に振る彼女の頭をそっと撫でる。

 

「むしろ、俺の方こそすまなかった。もっと俺がしっかりしてれば、こんなことにもならなかったし……お前に、あんなことをする必要もなかった」

「あ、あれは! 私を助けるためにしてくれたことでしょっ! お兄ちゃんは悪くないよ!」

「俺が悪くないなら、こいしだって悪くないさ。だから、その、なんというか……どうか、泣き止んでくれ。な?」

 

ここのところ人に心配をかけてばかりの自分を心底情けなく思いながら、こいしの昂った感情を落ち着かせようとゆっくりと話しかける。

 

女性を泣かせるというだけで相当の罪悪感があるのに、そのうえ相手は小さな少女。罪悪感はさらに倍増する。

勇儀に殴られた体の痛みとはまた違う、キリキリと胃が締め付けられるような精神的な責め苦を味わうジョーカー。

 

「…………お、怒ってないの…………?」

「ああ、怒ってない。俺だって悪かったんだ。怒ることなんてできるわけないだろ?」

「…………本当?」

「本当だ」

 

オドオドとしながら確認をとってくるこいしを安心させるように撫で続ける。

彼が本気で言っているとようやく理解したこいしは安心したのか、涙をますます溢れさせる。

 

「よ、よかった……よかったっ……! お兄ちゃんがっ、生きててっ、でも、嫌われたんじゃないかって…………!」

「大丈夫、大丈夫だから」

「お、お兄ちゃんはっ……無意識の中にいる私を見つけられる、初めての相手でっ! お姉ちゃんにもできないのにっ…………そんなことができる人が、いるはずないと思ってたから、すっごく嬉しくてっ……!」

「…………そうか」

 

いつも笑顔に隠されていた少女の本音を知り、声のトーンを落とす。

自分が思っていた以上に、こいしは孤独に苦しんでいたようだ。

ヤマメや空の「単独行動しか見たことがない」という言葉の本当の意味は、「()()()()()()()()()()()()()()()」ということだったらしい。

 

「うっ、ううぅっ…………!」

「心配かけてごめん……空も、ありがとうな」

「……うん。お兄ちゃんが、無事で、よかった…………」

 

嗚咽を漏らすこいしに比べると、空はまだいくらか落ち着いていた。

それでも不安はまだ拭えていないのか、彼からは離れようとはしない。

 

彼は二人が落ち着くのを黙して待つ。

 

 

——彼の負っていた傷は、()()()()()()()()()()()()

 

 




なんとか気分を切り替えられましたので、書き直しを行いました。不甲斐ない作者で大変申し訳ございません。

女性を泣かせてばかりのジョーカー。屋根ゴミ成分マシマシでお送りしております。


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生還トリック

「…………こいし、空。いったん離れてくれるか? ちょっと話がしたい」

「……うん」

「わかりました、お兄ちゃん!」

 

二人が落ち着いてきた頃合いを見計らって頼むジョーカー。

こいしはまだ少し元気がないが、空はすっかり元気に戻っている。

この持ち前の明るさはもはや才能といえるのではないか、などと彼は考える。

言葉通りに二人が手を離してくれたのを確認し、一歩足を進めて前方を見る。

 

——そしてそこに立つ、極めて複雑そうな表情をした勇儀を。

 

「…………いろいろと見苦しいところをお見せした。すまない」

「……いや、そんなことを気にしちゃいないが…………平気、なのかい?」

「会話することが? それとも、体のダメージが?」

「……両方だよ」

 

酷く困惑したような声色で尋ねられたジョーカーは肩をすくめて返答する。

 

「……先に手を出してしまったのはこちらだし、怒らせてしまったのも自業自得だ。貴女を逆恨みするつもりはないし、会話くらい付き合うさ」

「それを言うなら私の方こそ、あんなことで我を忘れるなんて……」

「いや、そこに関しても全面的にこちらの落ち度だ。さっきのナイフには……あー、説明しにくいんだが、『相手を激怒させる』という効果がある。それに触った貴女が激昂したのは不思議なことじゃない」

「…………相手を怒らせるナイフ? 欠陥品もいいとこじゃないか」

 

困惑したような勇儀の声に呆れの色が混じり、彼女は腕を組んで首を傾げる。

 

「これはこれで使い道はあるんだが、今回はマイナスにしか働かなかったな。 ……とはいえ、今はこの武器しか持ち合わせがないんだ。仕方なかった」

 

苦笑いしながら彼女の言葉に同意し、そこで息をつく。

 

「体については…………まあ、ほぼ死にかけたが、今はだいたい()()()。貴女ほどではないが、こちらもそれなりに頑丈にできているし、問題ない」

「………………その力はいったいなんなんだ? あんた、本当に人間かい?」

「人間だよ。ちょっとした力が使えるだけの、ただの人間」

 

理解のできない存在に身構えるような勇儀に再度肩をすくめ、彼は言う。

 

「…………さて、今日のところはこれで失礼したい。さすがにこのままここにいるのは遠慮したいし、そちらもすっきりしないだろう。お互いに仕切り直さないか?」

 

目を細めて放たれた彼の言葉に勇儀は少し間をおいて頷く。

 

「…………そうするよ。……やれやれ、狸か狐にでも化かされた気分だよ」

「申し訳ない。今回の非礼はいずれまたお詫びに伺おう」

「別に詫びなんざいらないよ。……だけど、あんたの話くらいは聞かせてもらいたいね。ゆっくり酒でも飲みながら」

「それくらいなら喜んで付き合うよ。…………酒は無理だが」

「ん? 下戸なのかい?」

「いや、下戸というか……飲んだことがない。未成年だからな」

「…………は? なんの冗談だい?」

「え?」

 

顔を顰めて聞き返す勇儀。

至極当然のことを言ったつもりのジョーカーは首を傾げる。

 

「……何かおかしなことを言ったか?」

「いや、飲んだことがないって……付き合いたくないならそう言えばいい。そんなあからさまな嘘をつかれる方が私は嫌だね」

「…………いや、嘘なんてついてないぞ。未成年だって言ってるだろ」

「未成年? そんな理由で飲まないのかい? 妙なこだわりだね」

 

ジョーカーの返答を聞いた勇儀は不機嫌そうな表情から意外そうな表情に変わる。

反対に、彼は訝しげな表情になる。

 

「妙もなにも、そういうものだろ?」

「そうなのかい? 少なくとも、地底でそんなルールを聞いたことはないね。地上のことは知らないが、前に来た博霊の巫女と白黒の魔法使いは普通に飲んでたし」

「……その二人は成人じゃないのか?」

「まさか。あんたよりも若いよ? うーん……3つか4つくらい下、か?」

「えぇ………………」

 

あっけからんとした勇儀の返答に眉を寄せるジョーカー。

 

幻想郷(こっち)では未成年の飲酒がまかり通るのか……俺はもう成長も終わってるし体には影響無いだろうけど、彼女の話だと中学生くらい、か? それで飲酒はまずいだろ……一番悪影響がある年齢では…………)

 

出会ったこともない博霊の巫女と、白黒の魔法使いとやらを心配するが、そこでふと思い直す。

 

(…………待て。ここは魔法だとか未知の力がある世界だ。その力があれば飲酒ぐらいどうとでもないのかも………いや、それでも飲酒はなぁ……)

 

釈然としない思いを抱えながら内心で葛藤する彼を不審に思った勇儀は声をかける。

 

「…………どうした?」

「……いや、なんでもない。あー……とにかく、また来るから」

「そうかい。…………じゃ、また」

 

勇儀は組んでいた腕を解き、片手をひらひらと振る。

ジョーカーは彼女に一礼し、振り返る。

 

そして、黙って会話が終わるのを待っていたこいしと空を見る。

 

「……そういうわけで、俺は地上に戻るよ」

「…………お兄ちゃん、行っちゃうんですね」

 

彼は寂しそうにする空の手をとり、目と目を合わせて話す。

 

「ああ。悪いが、ずっとここにいるわけにもいかないからな。空がこの地底のエネルギーを生み出しているように、俺にも大切な仕事があるんだ。とても、大切な仕事が。だから行かないと。……わかってくれるか?」

「…………そっか。じゃあ仕方ないですね! うん、仕方ない!」

 

そう言って吹っ切れたように笑う空。

寂しさが消えたわけではないが、彼を無理に引き止めることはしない。

こいしと同じくどこか子供っぽい彼女ではあるが、引くべき一線はきちんとわきまえている。

 

「行ってらっしゃい! 私もこれからお仕事頑張るから、お兄ちゃんも頑張ってください!」

「ありがとう。また会いに来るから、その時は一緒に遊ぼう。こいしも入れて、三人で」

「本当ですか!? 約束ですよ!?」

「もちろんだ。信じられないか?」

「ううん! 信じます! 楽しみに待ってますからね!」

 

笑顔の彼女に笑みを返し、ジョーカーはこいしに視線を移す。

 

「…………ついてきてくれるか?」

「………………」

 

その言葉を聞いたこいしはまだ涙の跡が残る顔をゴシゴシとこすり、笑顔を作る。

 

「……うん! お兄ちゃんには、私がついてないとね!」

「……そうか。ありがとな」

 

彼もその返事に安心したように微笑み、回り込んで背中に飛びついてきた彼女を慣れた手つきでおんぶして、トンッ、と地面を蹴る。

 

軽々と数メートル飛び上がったジョーカーの背中からバサリと漆黒の翼が生え、大きくはためく。

手をブンブンと振る空や苦笑している勇儀を上空から見下ろし、片手を上に掲げる。

そして。

 

————パチンッ!!

 

と、指を鳴らした。

それと同時、彼から全方位に眩い光が放たれる。

 

その光が収まると、既に彼の姿は跡形もなく消えていた。

 

 

 

「………よっ、と」

「到着ー!」

 

空達の前から姿を消した彼らは地上に出ていた。

目眩しで一瞬気を引いた隙に地下センターへとむかい、地上へと繋がる巨大な排熱口を通って上昇したのだ。

 

地面に着地したジョーカーはこいしを背中から下ろす。

そして新鮮な地上の空気を目一杯吸い込み、ゆっくりと吐き出す。

 

「………………やれやれ。ようやく人心地ついた気分だ」

 

しみじみと生の実感を噛みしめる。

…………さすがにあの鬼の拳と対峙した時は死を覚悟した。土壇場での思いつきが無ければ、呆気なく死んでいただろう。

そんな彼に不思議そうにしてこいしが尋ねる。

 

「どうしたの?」

「いや、なんとか無事に地上に戻ってこれたと思ってな」

「なるほどー」

 

こいしはその返答に納得しかけるが、そこで何かに思い当たる。

 

「……そういえば、お兄ちゃんはいったいどうやってあのパンチを防いだの?」

 

なんだかんだで聞かずじまいになっていたが、彼が生き残れた理由がわからない。回避したわけでもなく、正面からアレを受けて何故無事だったのか。

そんな素朴な疑問をジョーカーにぶつける。

 

「ん? あ、まだそのことについて話をしてなかったな。うっかりしてたよ」

 

彼は頭をかき、無造作にペルソナを呼び出す。

空間を指定されて召喚された【アルセーヌ】はやや浮いた場所に出現する。

 

そして身を翻すようにして一回転。

すると、一瞬で【アルセーヌ】の姿はまったく別のペルソナへと変貌した。

 

【アルセーヌ】の代わりに現れたそのペルソナを見て、こいしは一つの存在を想起する。

 

「これ………………()?」

()()、だな。名前を【オンギョウキ】という」

 

 

——【オンギョウキ】。

『隠者』のアルカナの最上位に位置するペルソナ。

奇妙な覆面のようなものをつけて、自分の体格と同じくらいの長大な武器を持つオニである。

 

 

「……こんなのいたっけ?」

「ついさっき召喚した。多分、あの伊吹萃香とかいう鬼と戦ったぶんだろう。まさかたった一人の認知で足りるとは……やっぱり鬼は敵に回したくないな…………」

「??」

「……っと、すまない。独り言だ」

 

途中からブツブツと呟きだしたジョーカーは、ほぼ直角になるくらい首を傾げているこいしの様子を見て、我に返った。

苦笑しながら彼女に頭を下げる。

こいしもそこには触れず、もっと気になることを聞く。

 

「…………それで、このペルソナでどうやったの?」

「自分とあの鬼——勇儀の間に召喚して盾にするつもりだったんだが、焦りすぎたせいか座標指定がうまくいかなくて、最初から同化した状態で呼び出してしまったんだ。……で、鎧状になった【オンギョウキ】ごと腹をぶち抜かれた」

「…………うぅ……」

「わ、悪い。思い出させちゃったか」

 

彼の言葉をきっかけにして先ほどの見るに耐えない怪我がフラッシュバックし、顔をしかめるこいし。

慌てて謝るジョーカーに、気にしていないと首を横に振る。

彼はそれに安心したように頷いて、話を続ける。

 

「……この【オンギョウキ】は敵とノーガードで()り合うのを想定して作ったから、単純な防御力や回復力は随一なんだ。きちんと俺から分離させた状態で喰らってなければ、まだマシだったと思うが……今さら言っても詮無いことだな」

 

 

今回の一件でわかったが、ペルソナとの同化はメリットだけでなくデメリットもある。

 

メリットは、自分の意思で直接空を飛んだり、スキルを使用できるようになり、単純にペルソナを召喚した時より自分自身への強化度合いが増加すること。

 

特に、身一つで飛べるようになることは大きい。弾幕ごっこには必要不可欠な条件だからだ。

スキルの方にしても、発動する場所や条件をいちいち指定する必要がなくなり、より直感的に使えるようになる。

蹴りの軌道に沿って〈エイガオン〉を放つ、なんてことも可能になるかもしれない。

 

 

そして、デメリット。

ダメージの分散ができずに体に直接攻撃が通ってしまうことと、ペルソナによる不意打ちができなくなることが挙げられる。

 

不意打ちに関してはそれほど問題ではない。

萃香との戦闘ではなかなか便利ではあったし、有用な戦法でもあるが、それが使えなくなるとはいえ、そのぶん同化によって自由度を増したスキルで釣り合いがとれる。

 

問題はダメージが直接通ることだ。

 

ペルソナと分離していれば肉体への損傷もある程度抑えられるし、逆にペルソナに何かあっても本体である自分に損傷はない。

痛みや衝撃は共有されるが、怪我までは共有されないというわけだ。

 

だがペルソナと同化している状態だとそうはいかない。

ペルソナの腕がそのまま自分の腕であり、ペルソナの胴体が自分の胴になる。

その状態でペルソナにダメージがあれば、自身の肉体も怪我をする。

 

 

便利な技術も一長一短ということか。

そう考えながら、胸元から「とあるもの」を取り出してこいしに見せる。

 

「【オンギョウキ】に加えてこの『保険』も役に立った……というか、どちらが欠けていてもヤバかったな」

「それは?」

()()()()、っていうんだ。所持者が受けるあらゆるダメージを半減させるという効果がある。鬼がたくさんいる地底に行くと決まった時から、念のために持っておいたんだ」

 

正解だったよ、と笑いながら言ったジョーカーはすぐに真顔に戻る。

 

「……【オンギョウキ】は土壇場で『鬼』からの連想で思い出して、無我夢中で召喚したんだ。今思うと、呼び出せる確証なんてなかったんだが…………そんなことまで考える余裕はなかったよ。反射的にやって、偶然うまくいった」

 

知らず知らずのうちに危ない橋を渡っていたことを自覚し、少し背筋が凍えるジョーカー。

新たなペルソナを召喚するに足る認知があると思っていたわけではなかった。足りていたのは、あの伊吹萃香との戦闘によるものだろう。

ある意味、強大な鬼の存在によって救われたとも言えるかもしれない。

…………その鬼によって追い詰められた結果だということにはこの際目をつぶる。

 

「……えっと、つまり…………()()()()()()()()、ってこと?」

「その通りだな。いやぁ、ラッキーだった」

 

おそるおそる尋ねたこいしに重々しく頷く。

目と目が合い、しばしの沈黙を挟み——フッ、と示し合わせたように苦笑いする。

 

「あは、あはは………………」

「ははは…………」

 

乾いた笑い声を漏らすジョーカーとこいし。

 

 

彼らの心境を表すかのように、二人の間を冷たい風が吹き抜けた。

 

 

 

 




【オンギョウキ】の詳細はまた書くかもしれませんが、需要があるか微妙な気もするので未定です。

皆様に謝罪することが二つあります。

まず一つは、更新を一日空けてしまったこと。
すいません。ちょっと本を一気買いして読みふけってまして……執筆の時間を削ってます。
今後もちょいちょいこんな感じで遅れると思いますが、どうかお許しを……(一日更新記録が途切れたことは残念でなりません)

そしてもう一つ。
先日感想返しにて「勇儀パンチは物理90%に万能10%だから単純な物理無効は無意味」と言ったのですが。
よくよく計算してみると、万能10%なら普通に物理無効の方がダメージ低いんですよね…………こんなことも確かめずに感覚で10%とか言っちゃった自分に頭突きをしてやりたい。
話の都合上、「万能20〜30% 」と訂正させていただきます。アホな作者で汗顔の至りです…………


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次の標的への備え

前回の話で『保険』についての説明を忘れていたので追加しておきました。申し訳ありません。
ここでザックリ一言でまとめると、暁は「完全神柱」っていうあらゆる攻撃半減アイテムを持ってました。それが『保険』です。


ひとしきり笑ったこいしは「…………で、どうするの?」と尋ねる。

その質問に顎をさすって思案しながらジョーカーは答える。

 

「永遠亭に戻ろうかとも思ってたんだが、心配かけさせるなって言われた直後に死にかけました! ……とか言ったら鈴仙に何されるか…………」

 

彼は話しながら若干顔色が悪くなり、身震いする。友好的だった勇儀とは違って、鈴仙は身内なだけ遠慮や容赦がない。

永遠亭に戻ることをやめるべきか慎重に考え、結論を出す。

 

「……いや、やっぱり永遠亭には戻ろう。色々とやらないといけないことがある。だけど、あくまで何事もなかったというスタンスでいこう。お前も頼むぞ」

「全部秘密にしておくってこと?」

「そういうこと。こんなこと知られたら何されるかわからなくて怖い」

「はーい。……隠してたことが後でバレた方が怖いんじゃないかなぁ

「助かる。それじゃあ早速戻りたいんだが……」

 

ジョーカーの頼みを承諾した彼女は自分にしか聞こえないくらいの声で呟いた。

そんなことはつゆ知らず、了承を得てひとまず安心したジョーカーは辺りを見渡す。

 

「……正規の出入り口じゃないから方角も何もわからないな。上から見ればわかる、か?」

 

彼は地面を蹴って飛び上がる。こいしも同じくふわりと浮き上がる。

地上を離れた二人は高さ約30メートルまで上昇、現在地の検討をつける目印になるものを探す。

 

「うーん……俺はまだ幻想郷の地理に詳しくないからよくわからないな……」

「お兄ちゃんは外の世界から来たんだっけ。ならわからなくてもしょうがないねー」

「永遠亭以外だと香霖堂か人里くらいしか知らないからな…………ん? あれ、そういえば……まだ正式な自己紹介とかしてなかったよな?」

 

不意に気づいたジョーカーがこいしを見ると、彼女はこくりと頷いた。

 

「そうだね。でもお兄ちゃんについてだいたいのことはもう聞いてるから、今さら自己紹介とかはしなくていいよ」

「悪いな。会った時から色々とありすぎてすっかり忘れてた」

 

うっかりしていた、と苦笑いするジョーカー。

おおかた、永琳あたりに聞いたのだろう。

 

「それより帰り道を探さないと。飛べれば楽だけど、目立ちたくないから歩くんでしょ?」

「面倒だけどな。それでもペルソナを部分的に使えるようになったことで、前よりは楽になった。脚だけ強化すれば一見は普通に見えるし、移動も速くなるから」

 

その言葉に「そうだね」と同意したこいしは遠くの山を指差して「あ、多分あれは妖怪の山だよ。あれが目印になるんじゃないかなぁ」と言う。

「妖怪の山か。じゃあ永遠亭の方角は……」

「ここから妖怪の山が右に見えるように真っ直ぐ進めばだいたい合ってる、かな?」

「そうか」と頷き、ジョーカーは浮くのをやめてゆっくり降下する。

 

着地した彼はこいしを見上げる。

 

「俺は森の中を走るから、こいしは上で飛びながら誘導してくれ。その動きにあわせてついていくから」

「地上からだと見えないもんね。わかったー。飛行のペースは抑えるけど、見失いそうになったら声かけてね?」

「頼む。じゃあ行こう」

 

その言葉を聞いたこいしは空を滑るようにして移動を開始し、その下でジョーカーは駆け出した。

 

途中で遠回りするしかない地形があったり、野良妖怪に襲われたりと多少の紆余曲折はあったものの、次第に見覚えのある風景が増えはじめ、やがて二人は迷いの竹林まで到着した。

 

地底にむかったのは朝だったが、戻ってきた時刻はちょうど太陽が天頂に差し掛かる頃だった。

 

竹林に着いても本来なら永遠亭の住人、もしくは妹紅がいないと永遠亭にはたどり着けない……のだが。

 

「うまくいったな」

「お兄ちゃんが見つけられなかったら私の能力で無意識を辿ってなんとかしようと思ってたけど、必要なかったね」

 

二人は永遠亭の前に立っていた。

 

「お兄ちゃんの『サードアイ』は覚妖怪(わたしたち)のとは違うけど、便利だねぇ」

「いつも使ってるわけじゃないからつい忘れそうになるけど、こういう時のための能力だからな」

 

——サードアイの力で竹林の中の足跡を辿り、永遠亭までの道を探す。

 

そんなジョーカーの思いつきの策の結果だ。

 

「それじゃさっさと入ろう。俺は永琳のところに用があるけど、こいしはどうする?」

「うーん……お兄ちゃんの部屋で待ってるよ」

「わかった」

 

彼らは会話しながら永遠亭の敷地へ足を踏み入れた。

 

 

「おかえりなさい。話はついた?」

「はい。物腰も低くて、丁寧な応対をしてもらえました。こいしの外泊許可もあっさり下りました」

 

永琳の部屋でざっと報告を済ませる。

無論、勇儀については全て伏せたままだ。

 

「それで、また頼みがあるんですが」

「あら、今度は何かしら?」

「本格的に飛ぶ練習をしようと思うんですが、そのために三半規管を鍛える必要があると思いまして……永琳の能力でなんとかできませんか? 『三半規管を鍛える薬』なんてものが無理なら酔い止めみたいなものでも構わないので」

 

暁が思い出すのは鈴仙と突発的に行った組手。

 

あの時ジャイアントスイングで酔った自分が、空中を上下左右に飛びまわって無事でいられるとは思えない。

飛ぶ技術と並行して体の改造も進めていかねばならない。

 

「三半規管を鍛える、ねぇ。これまた妙な注文だけど、できるわよ。 でも何も三半規管に限る必要はないでしょ? どうせなら欲張りなさいな」

「欲張れ? 例えばどんな風に?」

「『肉体の性能を底上げする薬』、とか? 『寝ている間に最強になれる薬』みたいなものを言われたらさすがに困るけど」

「ははっ、そんなものまで作れたらそれこそ神の所業ですよ」

 

おかしそうに笑う彼に自分の能力を侮られたように感じた永琳は少しむっとして反論する。

 

「一応、能力の適用範囲内ではあるのよ? でもそんな薬の製法は私でもわからないし、仮に知っていても材料がないわ。強力な薬には相応の材料が要るからね」

「それはつまり、『三半規管を鍛える薬』や『肉体の性能を底上げする薬』の製法は確立されてるってことですか。ものすごい守備範囲の広さですね」

 

感心したようにそう言って、彼は頭を軽く下げる。

 

「それじゃあ永琳の言った薬でお願いします。完成までどのくらいかかりますか?」

「すぐにできるわよ。急ぎで作れっていうなら今から作るけど」

「いえ、今日は他にもやりたいことがあるので急ぐ必要はありません。夕食の時にでももらえますか?」

「ええ、わかったわ。じゃ、後でね」

「はい。失礼しました」

 

暁は一礼し、永琳の部屋を後にして自分の部屋に戻った。

中でゴロゴロと寝転んでいたこいしは彼の姿を見るなり跳ね起きる。

 

「よっ、と! これからどうするの?」

「まずは実験、その後で訓練だ。お前にも手伝ってもらうぞ」と言った暁は、「実験? 訓練?」と首を傾げるこいしを小脇に抱え、もう片方の手で床に置いていたバッグを持つ。

 

「わわ、わ!」

「やっぱり軽いなぁ。すぐ下ろすから暴れないでくれよ」

「う、うん…………なんか、動物にでもなった気分……」

 

持ち上げたこいしの軽さに驚きながらも、暁は部屋から外に出る。

 

中庭に面する縁側に着くとこいしを下ろし、靴を履く。

彼はきょとんとしているこいしを手招きし、中庭へと出ていく。

不思議そうにしながら、彼女も素直に中庭へと出る。

 

「なになに? いったいなにするの?」と尋ねるこいし。

彼女の質問に「ちょっと待ってくれ……お、コレだ」と言いながら暁が取り出したのは、一本の刀だった。

しかし、その刀は本物ではなく——

 

「——()()()? お兄ちゃんはこんなもの持ち歩いてるの?」

「俺のものじゃなくて仲間の一人のものなんだけどな。予備を預かってたんだ」

 

彼はそう言いながら鯉口を切り、刀身を確認する。

そして斬れ味を一切感じさせないその鈍い光を見て頷き、おもむろにこいしに刀を差し出した。

 

「この刀に触ってくれるか?」

「え?」

「これが実験なんだ。試しにこの刀に触ってみてくれ。危なくはないから」

 

こいしは暁の意図を理解できないながらもその言葉に従い、おそるおそる刀の柄を握った。

そのまま黙って柄を握り続けるが——

 

「…………何も起きないよ?」

「そうみたいだな。協力してくれてありがとう。もう離していいぞ」

 

何かを確認したのか、満足そうな表情の暁は怪訝そうにするこいしの顔を見て説明する。

 

「今のは、無意識を操るこいしにもこの武器が使えるのかっていう実験だったんだ」

「…………どういうこと?」

 

ますます怪訝そうにするこいしに微笑み、暁は刀を持つ腕だけに怪盗服を纏う。

 

その瞬間。

 

「……わっ!?」

「な? わかったろ?」

 

——地味で無骨だった模擬刀が突如、()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()姿()()()()()

 

目を丸くして驚くこいしに悪戯っぽい笑みを浮かべて種明かしをする。

 

「これは認知によって姿を変える武器なんだ。無意識を操るお前ならあるいは……と思ったんだが、やはり俺たちペルソナ使いにしか反応しないみたいだ」

 

暁はそう言いながら鞘から刀身を引き抜く。

その刃は先ほどとはまるで違って、冷たく鋭い光を放っていた。

 

「——()()。それがこの刀の銘だ。綺麗だろう?」

 

言葉を紡ぎながら正眼に刀を構える。

しばらくその状態で静止したかと思えば、動きを確かめるようにゆっくりと振り下ろし、また静止。

やがて息をついて腕を下ろす。

そして鍔鳴りの音とともに納刀、腕の変身も解き、元に戻った無骨な模擬刀に視線を落としながら独白する。

 

「……………やはり見様見真似の付け焼き刃に過ぎないな。俺の主力の二本は伊吹萃香のところ、そして残った一本はデメリットが大きい。仲間の武器に頼ろうかと考えたはいいものの、これじゃダメだ。今の俺じゃあフォックスには遠く及ばない」

「…………」

 

傍で見ていたこいしの素人目には堂に入った構えのように思えたが、彼からすればかなり不満のある動作だったらしい。

これで見様見真似だと言うのだから恐ろしい。

 

「弾幕ごっこに必要なのは飛行技術だけど、いつ戦うことになるかはわからないのは身に染みてわかってる。この際、自分の武器が使えない状況を想定した訓練だと思って仲間の武器を借りて鍛錬しよう」

「……それが、さっき言ってた訓練?」

「そういうことだな。怪盗稼業だけじゃなくて飛行と武器、そしてペルソナと同化して動く訓練……やることも山積みだ」

 

彼女は暁がバッグから次々と武器を取り出していくのを興味深く観察する。

金棒、鞭、ナックルダスター、斧。

持ち歩くには物騒なものばかりを地面に並べていく。

それを見たこいしはつい呆れ声を漏らす。

 

「こ、これ全部使うつもりなの?」

「一通りなぞるくらいはするつもりだが、さすがに極めようとまではしないさ。所詮付け焼き刃だからな」

「それでもかなり大変だね…………頑張ってね」

「頑張るよ。あ、だけどお前に構ってやれなくなるけど、いいか?」

「お兄ちゃんの訓練を見るのも面白そうだからオッケー! 飽きたらあのお姫様にでも遊んでもらうし!」

「そうか」

 

輝夜とこいしが遊ぶ姿を想像する暁。

何をするかは想像がつきそうでつかないが、なんとなく仲良く遊んでいそうなビジョンは見える。

 

「だから気にせず修行に集中してね!」

 

暁は彼女の応援に頷き、再び怪盗へ変身する。今度は腕だけの変身ではなくて全身だ。

 

薄緑を構え、脳内にいつも見てきた仲間(フォックス)の動きを再現し、それをトレースするように体を動かす。

乖離する理想と現実を擦り合わせるように、何度も何度も同じ動作を繰り返す。

 

途中まで感じていたこいしの視線もそのうち感じなくなった。言葉通り、輝夜のところにでも行ったのだろう。

 

 

一人になったジョーカーはやがて他の一切を忘れ、修行へと没入していった。

 

 




お待たせしました。
前回の更新と今回の更新までの間に買った本、なんと22冊です。……はい。言い訳ですね。ごめんなさい。

更新のペースというか、執筆が遅れると如実に文章が書きにくくなるのを実感します。やはり「継続は力なり」は真実ですね。至言だと思います。

皆さんはアトラスのアンケート答えましたか? まだの方は是非やってみてください。ただし時間のある時に。かなり時間がかかります。

今回はSYUGYOUパートですね。特に面白みもない。
更新を待たせた挙句話が進まないということに非常に罪悪感を覚えるので、次はなんとか早く更新したいです。


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飛行コマンド「上上下下左右左右BA」

踏み込み、下がり、また踏み込む。探り探りの足捌きに合わせて刀を振るう。

慣れない武器の取り回しに苦慮しながらも、納得いく動きになるよう試行錯誤を重ねる。

 

重く長い刀を振り続けるうちに汗が滴り落ちる。それを刀の一振りで散らし、また汗を流す。

激しい動きをしていないのに消耗は大きい。余計なところに無駄な力が入っているからだろう。

 

軽くて小回りの利くナイフとはまるで違う感覚に苦戦する。

 

「………………」

 

ジョーカーはなかなか思うように動けない自分へ僅かに苛立ち、集中が途切れて我に返った。

 

いつの間にか日は暮れ、空気も冷え込んできていた。

汗だくになるほど高くなった体温に反応し、白い水蒸気が体から立ち昇っている。

 

(……今日はここまでにしよう)

 

これ以上鍛錬を続けることはできないと冷静に判断した彼は変身を解除する。

半日かけた練習でも及第点まで到達することはできなかった。この調子では他の武器にまで手を回すなんてことは夢のまた夢だ。

 

(素人が一人で足掻いたところで大した進歩は望めないか。…………やっぱり、仲間がいない俺なんて大した人間じゃないな)

 

彼はどうしようもない限界を感じ、苦笑する。

 

——仲間がいてこその自分である。

 

変えようもないその事実は紛れもない弱さである反面、強さでもある。

今さらそこを履き違えるつもりはない。

 

…………その弱さを切り捨てた男は、もういない。

怪盗団の誰よりも強く、賢く、優れた人間。

社会に一人で立ち向かい、己の力のみで孤独に生き抜いていた。

 

奇しくも、今の自分は彼と同じように「個」の力に頼るしかない。

 

自分で挑んでみて、初めて理解する。

それがどれほどの偉業だったのかを。

 

(……本当に凄いやつだよ、お前は)

 

あの男に勝った自分が、こんなところで立ち止まることは許されない。

勝者として、彼の積み上げてきた努力の重みを引き継がなければならない。

 

 

暁は静かに息を吐き、天を振り仰ぐ。

 

夕闇の中、既に星が見えはじめている。

電気が普及しておらず、空気も澄み切った幻想郷で見える星の数は膨大だ。

今見えている星は本来あるべき姿、そのほんの一部しかない。

 

あの男が積み上げてきたものと星空を重ね合わせるならば、まさしく今の自分はこの夕闇の星だろう。

始まりの戸口に一歩足を踏み出した……その程度だ。

 

「…………先は長いな」

 

一言呟いて彼は自分の手を見下ろし、再び白い吐息を漏らした。

 

 

 

「お待たせー。さ、食べましょ」

 

遅れて食卓についた輝夜はそう言って手を合わせる。

咎めるような視線を彼女にむけながらも、先に座っていた永琳は別のことを尋ねる。

 

「暁がまだですが、まだ刀を振ってましたか?」

「ううん、風呂場に行ってたわよ。まだ沸かしてないはずだけど、水浴びだけでもしてくる〜って」

「そうですか。それなら先にいただきましょう」

 

納得した永琳は自分も箸を取り、食事を始める。

二人のやりとりを聞いていた鈴仙とてゐもそれに倣い、食べ始める。

食卓の角に座っていたこいしは輝夜が手を合わせた瞬間から既に食べ始めていたが、誰もそこには言及しない。

 

五人が思い思いに食事を進めていると、扉を開けて暁が部屋に入ってきた。

 

「遅れてすいません。汗を流してきました」

 

軽く頭を下げて着席する暁に視線が集中する。

 

「お疲れ様ー。かなり熱中してたわね。私達が見てたの、気づいてなかったでしょ?」

「え、見てたんですか? こいしが途中でいなくなったことは気がつきましたが、それ以降はまったく……」

 

箸を置いて話しかける輝夜の言葉に驚いた顔になる暁。

彼がこいしを一瞥すると、こいしも頷いて口を開く。

 

「私だけで見るのもなんかもったいない気がして、見物人を呼んできたんだー。皆で縁側からお兄ちゃんのこと見てたよ?」

「そうだったのか…………あー、ちょっと恥ずかしいな」

「恥ずかしい? 何が?」

「未熟な素人が刀を振り回している姿を晒してただけだからな」両手を合わせながら暁は言う。「恥ずかしくもなるさ」

 

そして箸を伸ばし、美味しそうに食事を頬張る彼を見ながら周囲はかけるべき言葉を考える。

それなりに様になった動きだったと思うが彼にとっては不足らしい。かといって、慰めを必要としているようにも見えない。

 

そんな中、真っ先に口を開いたのはてゐだった。

 

「じゃあ、これからしばらくは刀の練習にかかりきりになるわけ?」

「ん? …………そうしたいのはやまやまだが、他にもやることは山積みなんだよ。飛ぶ練習に加えて体も鍛えないといけないし、ペルソナとの同化もまだまだ使いこなせているとは言えない。何より、本業(怪盗仕事)があるし……」

 

彼女の質問に口の中のものを咀嚼し、飲み込んでからそう答える。

暁はその拍子に何かを思い出し、永琳を見る。

 

「そうだ。永琳、薬はありますか?」

「できてるわ。流しのところに置いてあるから、食後に飲みなさい。一日につき一錠よ」

「わかりました。早い仕事で助かります」

 

永琳に頭を下げ、また食事を腹に詰め込んでいく暁。

そして遅れてきたはずの彼が一番早く食事を済ませる。

 

「ごちそうさまでした。さっき水浴びついでに風呂も沸かしてきたので、一足先に入ってきます」

「おそまつさま。暁、私も入りたいからなるべく早めにあがってね」

「わかった」

 

暁は今日の料理当番だった鈴仙に返事をして食器を片付け、永琳の言葉通りに置いてあった小袋を取り、中に入っていた錠剤を一粒飲む。

 

そのまま部屋を出た暁は自室から着替えを持ち出し、風呂へとむかい、手早く入浴を終えて早々に就寝した。

 

 

 

翌日。

目覚めたら布団にこいしが入りこんでいたというアクシデントがあったものの、それ以外は特筆すべきこともなく、日課として定着したトレーニングに励む。

 

今日から行うトレーニングは————

 

 

「………………おぇぇぇぇ……」

「お兄ちゃんは馬鹿なのかな?」

 

空中で前転と後転を繰り返しながら独楽のように横回転を加えつつ上下左右にスライドするように高速移動する——という軽く発案者の正気を疑うシロモノである。

 

発案者は当のジョーカー本人である。

 

その動きを脳内でイメージし、そして実行に移した十数秒後、彼は地面に墜落して己の内から溢れる衝動(吐瀉物)を垂れ流していた。

 

その彼から一定の距離を置いて、珍獣でも眺めるような目つきで観察するこいし。

静かな竹林の中、水っぽい物音が響く。

 

「いや、お兄ちゃん。こうなることは火を見るより明らかだったでしょ。なんで実行したの」

「……………」

 

呆れかえったこいしに言葉を返す余裕も無いジョーカーは聞くに絶えない音を立てながら、見るに絶えないものを生産し続けていた。

そのままひとしきり腹の中を空にした彼は立ち上がるも、激しい眩暈に襲われてまた地面に突っ伏する。

 

その状態からよろめきながら再び強引に立った彼にこいしは疑問を投げかける。

 

「こんな無茶な方法で本当にうまくいくの? 結果が出るより先にお兄ちゃんが倒れちゃうよ?」

「…………それくらいやらないと、ダメなんだ。とっとと自由に飛べるようにならないと、弾幕ごっこもできないままだ」

 

眉間に皺を刻んだジョーカーは口元を拭いながらそう言う。

 

「……そこまで焦る必要はないんじゃないの? どうしてそこまでして結果を急ぐの?」

 

怪訝そうに尋ねるこいしに皮肉げな笑みを浮かべるジョーカー。

 

「……人間はな。()()()()()()()()()なんだよ。前回の盗みから既にそれなりの日数が経ってる。ここらで改めて存在感を示してやらないと、『怪盗』なんてものは綺麗さっぱり忘れ去られる」彼は苦い言葉を吐きながら膝を伸ばし、首を振る。「だからこそ、飛行技術くらいはすぐに習得しないといけない。これでも、()()の天才の薬物でドーピングした肉体だ。 結果が出ることは保証されてるようなものさ」

 

胸の中の空気と一緒に気分を入れ替えるように、大きく深呼吸をしたジョーカーは地面を蹴って宙に浮く。

呆れの色が薄れ、代わりに心配の光を宿らせたこいしの目と自分の目を合わせる。

 

「というわけで、今日はひたすら吐き続ける。昼飯は要らないから、皆にもそう伝えといてくれ。暗くなる前には戻るよ」

「…………わかった」

 

今の話を聞いた以上彼を止めることはしないが、さりとて彼が吐く姿を見たいわけでもない。

彼女はジョーカーの頼みを了承し、その場を去ることにした。

 

 

そして、ジョーカーは宣言通りに一日の大半を嘔吐で費やすことに従事した。

 

 

——翌日。

 

 

「うぶっ…………おぇ……」

 

 

——翌々日。

 

 

「………………ぐぅっ…………」

 

 

————そして。さらに、数日。

 

極悪な遊園地のアトラクションを丸一日体験するような苦行を積み重ねたジョーカーは、 ついに————

 

 

「…………お、お?」

 

 

————()()()

 

独楽のように回転しながら飛び回っても、まったく酔わない。

それだけではなく、目まぐるしい視界の変化にも対応できるようになっていた。三半規管のみならず、動体視力も向上しているのだ。

 

人間離れした自分の進化速度にひしひしと永琳の薬の効果を感じるジョーカー。

彼は修行の成果を確認しながらなおもグルグルと回転していると、次第に楽しくなってきた。

 

縦、横、斜めに回転しながら限界まで加速していく。

今の自分ができる最高の速さで回転すると、体の周りに風が轟々と渦巻く。

そして回転速度が限界に達したところで急停止。渦巻いていた風が一気に弾ける。

 

「…………はははっ!」

 

言いようもないほど爽快な気分になり、笑い声をあげるジョーカー。

できなかったことができるようになるというのは純粋に嬉しいし、楽しい。

 

試しにアクロバティックな飛行を試してみる。

 

捻りを入れながらの三回転ループ、垂直方向に急速上昇してからの自由落下——を()()()()()()()()()()()

 

地面に激突する寸前に片手をつき、衝撃を完全に殺す。

片手で逆立ちする格好になったジョーカーは足を下ろし、普通に立つ。

 

(よし、完璧。空中での姿勢制御も上達してるな)

 

自分の思い通りの動きをこなせたことに満足し、ガッツポーズを作る。

そしてこの修行の成果を他の皆にも見せようと思い立ち、彼は永遠亭へと戻った。

 

ちょうど洗濯物を干していた鈴仙を見つけ、先ほどしていたことを彼女に披露する。

飛び終わって地上に降りたジョーカーは得意げな表情をして、彼女の反応を窺う。

彼の努力の集大成を見た彼女は二、三度瞬きをして呟いた。

 

「————気持ち悪っ」

 

ジョーカーは撃沈した。




いつのまにか評価バーがランクダウンしてて、さすがにちょっと凹みました……
評価は一番明確な指標ですから。お気に入りはなんとなくで登録したりすることもあるでしょうが、評価はそのまま直結してます。
わざわざ低評価を入れるっていうことはそれだけ面白くなかったってことですから、無反応とかよりも堪えますね。

もっと良い文章を書けるように精進しないと。さしあたってもう一度バーの色を戻すことを目標に頑張ります。
……これで下がる一方とかだったら本気で凹むなぁ。


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再会、そして彼女の決意

人里の有力者、稗田家。

その関係者達は予想もしていなかった事態に困惑し、頭を悩ませていた。

 

「あははっ! あははははっ!」

 

笑顔の少女は心底楽しそうに広い庭を駆け回る。

門の外側からその様子を窺う門番二人の表情には喜びと困惑、そして不安が均等に共存していた。

 

「………………本当に楽しそうでいらっしゃる。自分の足で走ることなど、当たり前のことのはずなのに」

「里の中でも噂になっているらしいな。数日前に阿求様が外出した姿を見た者も多かったらしい。……それだけで話題になるというのも不憫な話だ」

「…………そうだな」

 

そこでいったん会話は途切れる。

二人は久しく見た記憶の無い、自らの主の幸せそうな姿を見て、胸が暖かくなるのを感じる。

しばし感傷に浸る彼らだったが、やがて片方がおもむろに口を開く。

 

「しかし、わからんな」

「ああ、皆目検討がつかない」

 

このところ稗田家の人間が何度も繰り返してきた議論。彼らもその例に漏れず、同じことを考えていた。

 

「お体の優れなかった阿求様があの騒ぎでついに倒れなさったかと思えば、むしろこんなに元気に……」

「いったい何が起こったんだろうな。阿求様本人もはっきりとした理由はわかっていないそうだし」

「はっきりとした、っていうことは思い当たる節があるのか?」

「いや、それが……『きっとあの怪盗が病弱な私も盗んでいったのね』、なんてことを冗談めかして言っていた」

「………………わからんなぁ」

「さっぱりだよ」

 

何度も繰り返されてきた議論が落ち着くのは結局同じ場所だ。

いや、答えの出ない問題とわかっていても考えずにはいられないだけだろう。

 

原因を解明することを諦めた彼らは職務に戻ろうと前に向き直る。

すると、歩いて稗田家へと近づいてくる存在が彼らの視界に入る。

 

彼らがどこかで見覚えのあるその顔に思い当たる前に、その人物は口を開いた。

 

「……噂をお聞きして参りました。ご当主、()()()が診てみましょうか?」

 

 

 

————そして。

 

「着いたわ。ここが永遠亭よ。どうする? 下りる?」

「はい。ここからは自分で歩きます。ここまで運んでいただき、ありがとうございました」

 

()()の背中から地面に下りた阿求はぺこりと頭を下げ、鈴仙は気にするなとばかりに手をヒラヒラと振る。

先に歩きはじめた鈴仙についていく阿求。

 

「もう一度確認しておくけど。師匠があなたの体を検査する代わりに、研究材料としてそのデータはこちらが貰う。それでいいのよね?」

「大丈夫です。体のデータなんて私が持っていたところで無意味だし、それが何かの役に立つならむしろ本望です」

「じゃあ問題無いわね。早く行きましょ。あなたを待ってる奴もいるから」

 

その言葉に歩きながら不思議そうな顔をする阿求。

 

「私を、待っている……? あの、それはどういう」

「ほら、アレ。……暁! 連れてきたわよー!」

 

鈴仙が指差す方向に視線を送ると、ちょうどこちらを振り返る眼鏡をかけた少年の姿があった。

彼とその周囲をよく見ると、どうやら薪割りをしていたらしい。

 

一列にズラリと並んだ兎達がどうやってか抱えている薪を少年の前に置き、少年が割り、そしてそれを兎達が運んでいく……その場の状況から、そんな光景を思い浮かべる阿求。

 

黒く禍々しい斧を担いだ少年は鈴仙と阿求の姿を目視し、斧を持っていない方の手を振る。

 

「お疲れ、鈴仙。彼女を連れてきてくれてありがとな」

「仕事の一環でもあるから別にいいわよ。あ、でもお礼に何かくれるって言うなら遠慮なく……ん? どうしたの?」

 

鈴仙が袖を引かれる感触に視線を下ろすと、そこには戸惑いの表情を浮かべた阿求がいた。

 

「えっと…………あの人は誰ですか?」と小声で尋ねる阿求。

「………………え? 知らないの? 知ってるでしょ?」と驚く鈴仙に首を振って否定する。

 

「いえ……少なくとも、私が記憶する中では見たことが…………」

「……ちょっと、暁。あんな人知らないって言われてるわよ」

 

困惑した阿求の言葉を呆れた調子で少年へと伝える鈴仙。

それを受けて少年は一瞬固まり、遅れて苦笑いする。

 

「あー……彼女にはこっちの姿を見せてないからな。あっちの姿しか知らないんだよ」

「ならとっとと自己紹介しなさいよ。ほら、困ってるじゃない」

「わかったわかった」

 

そこで少年の視線が阿求へと移る。

斧を地面に置き、困惑したままの阿求に恭しく一礼する少年。

 

「……招待に応じていただき、誠にありがとうございます。あの時の()()はこういった形で果たさせていただきました」

「……? ………………あぁっ!!」

 

説明になっていない、と思った阿求は少年が顔を上げた瞬間に全てを理解する。

仮面をつけ、不遜な雰囲気を漂わせる彼は紛れもなく————

 

「——来栖暁。またの名を、『ファントム』。……久しぶりだな。元気そうで何よりだ」

 

あの時の、怪盗だった。

 

 

衝撃のあまり言葉が見つからず絶句する阿求にウインクし、元の姿に戻る暁。

事態を受け止めきれずに思考が停止しかける阿求の両肩にポンと手が置かれる。

 

「いろいろ整理が追いつかないと思うけど、ひとまず検査を終わらせましょ。その頃には冷静になれてるでしょうし」

「…………」

 

関節が錆び付いたかのようにぎこちない動きでなんとか頷いた阿求は鈴仙に手を引かれ歩きだす。

自分の見ているものが現実かどうかを確かめるように何度か振り返るが、暁の姿は依然としてそこにあった。

 

 

それからおよそ一時間後。

検査は終わり、阿求は緊張した面持ちで椅子に座っていた。

今ばかりは怪盗のことも頭から抜け、自分の体がどうなっているのかで頭がいっぱいだった。

対面に座る永琳は書類をパラパラとめくっている。

 

「…………結論は出たわ」

 

そう告げて、永琳は視線を書類から阿求へと移動させる。

さらに緊張が高まり体が強張る阿求だったが、それでもこわごわと口を開いた。

 

「……どうでしたか」

「そうね…………一言で言うと、なんら異常はなかったわ。完全な健康体よ」

「そ、れは……!?」

 

目を見開く阿求に頷いてみせ、にこやかに笑う永琳。

 

「ええ。正真正銘、健康そのもの。よかったわね。私は占い師じゃないからあなたの寿命はわからないけど、今の状態なら数十年は保証できるわ」

「————!!」

 

一気に溢れる安堵と喜びがそのまま口から出そうになり、口元を抑える阿求。

ギュッと目を瞑るが、それでも堪えきれない涙が目尻から流れる。

 

その姿を微笑ましく思いながら見つめる一方、永琳はどうにも納得がいかないことがあった。

 

(……以前彼女を診た時も今回も。まるで原因がわからない。突然元気になったという話を小耳に挟んだから鈴仙に連れてこさせたけど……ダメね。『結果』がわかっても『過程』がさっぱり)

 

内心でため息をつきながらボヤく永琳。

 

(まったく、自信無くすわね……研究しようにも取っ掛かりすら無いし、一般的なデータとの目立った差異も無い。過程もわからずに結果だけ利用するなんて三流もいいとこだけど……どうしようもない、かぁ)

 

永琳な葛藤を割り切って立ち上がる。

そして阿求のもとへ歩み寄り、優しく彼女の頭を撫でる。

 

「好きなだけ泣いていいわよ。ほら、ハンカチ。私は席を外すから、落ち着いたらいらっしゃい。お茶の用意をしておくから」

「はい……! はいっ…………!!」

 

何度も頷く阿求の返事を聞いた永琳は静かに部屋から退出し、阿求は一人で喜びを噛み締めながら涙を流し続けた。

 

 

ひとしきり泣いた後、ようやく落ち着いた阿求は永琳から受け取ったハンカチで目元を拭いながら部屋を出る。

案内された時の道を辿りながら歩いていくと、脇の部屋から鈴仙が出てくる。

 

「あ、終わったのね。じゃあ……縁側にでも行きましょうか。天気もいいし、暖かいでしょ」

「お願いします。…………それで、あの、さっきの……えっと…………」

 

何かを言い淀む阿求の様子から言いたいことを察した鈴仙。

 

「もちろん暁も連れてくるから。話したいこともあるでしょ?」

「…………はい。その、どうして彼がここに……?」

「まあ、こっちにも事情があってね。その辺りも本人に説明させるわ。ひとまずついてきて」

 

苦笑する鈴仙は踵を返して歩きはじめ、阿求もそれについていく。

二人は少しの間歩くとすぐに中庭に面した縁側へと到着する。

 

「あいつを呼んでくるわね」と言い残してどこかへ去っていった鈴仙を見送り、ぼんやりと日光を浴びる阿求。

 

未だに信じがたいことだが、自分は普通の体になったらしい。

寿命が短いからと諦めていたことも、諦める必要がなくなった。……昔から「元気になったらやりたいこと」はたくさん思い浮かべてきたものだが、いざ実現できるようになると何からやればいいのやら——

 

そんなことをつらつらと考えていると、横から声をかけられた。

 

「お、いたいた。隣座っていいか?」

 

そちらを見るとあの少年、いや、怪盗? ……がいた。

黙って頷くと彼は自分の隣に座る。こうしてみると、かなり身長差があることがわかる。

何を言えばいいかわからず口を開いてまた閉じることを繰り返していると、彼の方から口火を切った。

 

「んじゃ、改めて……来栖暁です。よろしくな」

「え、えっと、稗田阿求です。こちらこそ……」

 

笑いかけてくる暁に慌てて頭を下げる阿求。

そのまま世間話でもするように暁は話しはじめる。

 

「あの夜以来だな。元気にしてたみたいでよかったよ」

「は、はい。おかげさまで……」とぎこちなく返す阿求はそこでふと彼に尋ねることを思いつく。

 

「あ、あの! 私、普通の体になったみたいなんです! 寿命も、長くなってるって……」

「おお、そうか。それはよかったじゃないか」

 

特に驚いたようにも見えない無い暁に阿求の疑念は確信に変わる。

 

「…………いったい、私に何をしたんですか? 稗田の寿命については誰にも解決できなかった無理難題なのに。……あなたはいったい何者なんですか?」

 

食い入るように見てくる阿求の眼差しに視線を合わせ、暁は困ったように首を傾げる。

 

「何をした、ねぇ。俺は何もしてないさ。強いて言うなら、手伝いかな」

「手伝い?」

「そう。手伝い。俺は手伝っただけ。お前の体が治ったのはお前が自分でしたことの結果に過ぎず、俺は偶然それを助けた。それだけさ」

「……意味不明です。私は何もしてないじゃないですか。ただあの晩、あなたと話をしただけで……」

 

納得のいかない阿求の不満げな表情を見て自分の首に手をやる暁。

自分でもはっきりとした確証があるわけでもない説明を、何も知らない彼女にして理解してもらえるとも考えにくい。

 

「あー……まあ、なんでもいいじゃないか。結果オーライ。とにかく元気になったんだから」

「そんな、適当なっ」

「…………それに」

 

真剣な話をしているのにまともにとりあおうとしない暁に憤慨する阿求は、そっと彼の指で口を閉じられる。

 

「——俺はあくまで怪盗。盗みの専門家だ。治療に関してはただの門外漢さ」

 

だからこれ以上聞いてくれるなよ、と言外に滲ませて彼はニヤリと笑った。

 

 

「それより他の話をしよう」と言った暁にしぶしぶ従った阿求はいつしか自分から積極的に話を切り出していた。

 

「………………そうか。引き継ぐんだな」

「はい。あなたは『弾幕ごっこによって人間とそれ以外は共存できている』と言いましたね。それは間違いではありません。が、全面的に正しくもないのです」

 

阿求は真面目な顔をして耳を傾ける暁に自分の考えを語る。

 

「弾幕ごっこ自体、安全というわけではありません。時と場合によっては命を落とすこともあります。それだけでなく、弾幕ごっこを介さず人間を襲う妖怪もいます。そんな妖怪は発覚次第、博麗の巫女が対処しますが……」

 

息をつき、自分の中の言葉を整理する。

 

「とにかく、まだ人間は妖怪への恐怖を忘れてはいけないのです。『幻想郷縁起』は必要となります。……私はこの義務を背負います。これまでとは違い、自分から望み、選択します」

「…………なら、俺が口出しすることは無いな」

 

決意をありありと感じさせる阿求の顔を見た暁はそう言って肩をすくめる。

「選ぶしかない」と「選ぶことができた」では天と地ほどの差がある。彼女がそう決めたのなら、それは言祝ぐべきことだ。

 

「今の私は自分でこの道を選んだと、はっきり自信を持って言えます。それもこれも、あなたが私を縛る鎖を断ち切ってくれたからです。本当に感謝してます」

「だから、俺は何もしてないって」

「それならそれで構いません。私が勝手に感謝するだけですから。それはあなたにも止められないでしょう?」

「……その通りだな。一本取られたよ」

 

くすくすと笑う阿求に苦笑いを返す暁。

阿求の緊張もすっかり解れて、二人はそれからもしばらく会話を楽しんだ。




いろいろと書きたいことがあって何から書けばいいのやら……

えー、まず、前回の後書きについて。
「評価バーの色を戻すことを目標に精進します」と言いました。…………はい。既にお気づきの方もいるでしょう。結論から申しますと、更新から一時間で赤くなってました

…………いや、もう、マジでどうしようかと。もっと長期的スパンの計画だったのが、一瞬で崩れ去りました。さすがに一時間で筆力を伸ばすのは無理です。不可能です。
きっと評価を入れて下さった方は「僕/私は応援するよ」という意図がおありだったと思うのですが、もしかすると「おう、評価するから面白い作品書くんだよ、あくしろよ」……的な方もいたかもしれません。
前者の方々、本当にありがとうございます。ほんっとうに嬉しかったです。
そして(いないと信じたいですがもしかしているかもしれない)後者の方々。すいません。無理です。もう少し待ってください…………

とはいえ、これは何かしなければと焦った結果。読者サービスに特別編を書こう、と思いつきました。
ちょうどいい時期ですし、バレンタインスペシャルを書こうと。そう思いつき、急遽今回の話と並行して執筆を開始しました。
するとどうしたことでしょう。

両方の執筆がまったく進みませんでした(白目
筆者は同時に二つの話を考えられるほど器用じゃありませんでした……

一応他にも理由はあるんですけどね。
やってるソシャゲがスタミナ半減キャンペーンに加えて、たまにくる美味しいイベントを重ねてきたこととか。死にそうになりながら走ってます。

あと、本を22冊買ったって言いましたが、追加で10冊買いました。
最近アニメ化した某戦記全巻とラノベ3冊です。
面白いけど分厚いんですよ……幼女戦記……全7巻読むのに金曜日の午後を全部消費しました。

そんなこんなで遅れたことをお詫びします。
(この言い訳だけで800文字をオーバーしましたが些細なことですよね!)


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特別編:永遠亭のバレンタイン①

注意:本編とはまったく関係ありません。


「「「「「ばれんたいん?」」」」」

「そう。バレンタイン。外の世界の時間が動いていれば、本来なら今日は2月14日になっているはず。バレンタインデーっていう祝祭日だ」

 

大きく頷き、腕組みをした暁は説明する。

暁に突然集められた五人は疑問符を浮かべながらも彼の話を聞く。

 

「チョコレートという菓子を作り、それを意中の異性や家族、お世話になっている人に贈り合うのが主な内容だ。……というわけで、今から作る」

 

首を傾げていた一同は「意中の異性」という部分に反応し、目を見開く。

 

「え! お兄ちゃんはこの中の誰が好きなの!? も、もしかして私!? ダメだよお兄ちゃん、私達は兄妹なんだから! ……でもお兄ちゃんなら、私…………」

「はいそこ。余計なこと言わない。全員に渡すから。そもそも俺とお前は本当の兄妹じゃないし恋愛どうこうもないっていうかそのあたり全部わかってて言ってるだろこいし」

「えへへー」

 

しなを作ってふざけるこいしの冗談を適当にあしらい、ため息をつく暁。

そのやりとりを聞いていた他の面々もつられて笑う。

 

その場にいる全員が「意中の異性」の直後、「お世話になっている人」というところで既に察していた。

 

「チョコレートはカカオという豆から作るんですが、さすがにそこまでは無理です。なので、既製品に手を加えて作り直そうかと」

「そもそも、その菓子ってのはどんなやつなの? 豆から作るとか作り直すとか聞いてもいまいち想像できないよ。餡子とも違いそうだし」

 

場の空気に頓着せず事務的に説明する暁にてゐが質問する。

それに対し腕組みを解いた暁はうまくチョコレートとは何かを表現できる言葉を探す。

 

「チョコレートは…………基本的には茶色だな。白いこともある。固体の時もあれば液体の時もある。そして甘くて苦い。甘さと苦さのバランスはものによりけりだ。中に何かを入れることもあれば、何かの中に入っていることもある」

「…………ますますわからなくなったんだけど」

 

が、その試みはあえなく失敗する。

端的な事実を列挙してみたのだが、さすがにそれだけでどんなものかまでは想像できなかったようだ。

 

百聞は一見に如かず。

言葉で語ってみせるより、実物を見せてやった方が早いだろうと持ってきていたバッグから適当に取り出したチョコを全員に配り、受け取った者はチョコを手に乗せて、()めつ(すが)めつする。

 

「それがチョコレートだ。熱に弱いからずっと触ってると体温で溶けるぞ。早く食べた方がいい」

「そういうのは先に言ってよ」

 

てゐは文句をつけながら暁の言う通りに口にチョコを入れ、他の皆も同じようにする。

そして一様に目を丸くする。

もぐもぐと口を動かしチョコを口の中で転がしている彼女達。

 

「それがチョコレートだ。味や食感はわかってもらえたと思うからこれ以上説明はしない。じゃあ早速作って……ん、なんですか?」

「私にもやらせなさい!」

「……今から作るのでおとなしく待っててください」

 

早くもチョコを食べ終えた輝夜は暁の腕を掴んでグイグイ引っ張り、暁は困り顔になる。

 

「それなりの量のチョコは持ってますが、失敗した時の予備として残しておき たいんですよ。それに輝夜に渡しても……その、無駄になりそうですし」

「どういう意味よそれ。私ってそんなに不器用に見える?」

「不器用かどうか以前に、そもそも輝夜が料理どころか、家事をしてるところを見たことないんですが。そんな相手に限りある資源を安心して渡せませんよ」

「それは私が偉いからよ! あのね、暁。私が一応お姫様だってこと忘れてない?」

 

ビシッと伸ばした指を突きつけてくる輝夜にデコピンを返し「あいたっ!」呆れ顔になる暁。

 

「じゃあなおさら駄目じゃないですか。要は料理なんてやったことないってことでしょう、それ」

「うぅ……ち、違うわよ! 普段はやらないだけでちゃんと料理くらいやれるわよ! 花嫁修行の一環としてやらされたわよ!」

「何年前の話ですか。とっくに錆び付いてるでしょう……それに」

 

暁はそこで半笑いを作り、そっと輝夜の肩に手を置く。

 

「そもそも結婚したくなくて無理難題出しまくった人が花嫁修行とか(笑)冗談も大概にしてくださいよ(笑)」

「なぁっ!? い、言わせておけばっ!!」

 

瞬間的に沸点に達した輝夜は暁の胸元を掴みガクガクと揺さぶる。

自分より体格の大きい暁を揺さぶろうとすると、必然的に掴んでいる彼女自身も一緒に動くことになるが、気にもしないで揺さぶり続ける。

 

「こ、このっ! このぉっ!」

「あっはっは。どうしましたお姫様。お顔が真っ赤でいらっしゃる」

 

完全に面白がっている暁と激怒している輝夜。二人の姿をチョコを口に含んだままの永琳は眺めていた。

そして何事かを思いついた彼女は溶けきっていなかったチョコを噛み砕き、密かに口角を吊り上げる。

 

「この、このっ、このぉっ……!」

「ねぇ、暁」

「ん? どうかしましたか? 永琳」

 

揺さぶられ続ける暁が自分の方へ視線をむけたのを確認し、永琳は口角が緩んだままのその口から言葉を押し出す。

 

()()()()()()()()()()()()()()()()()

「…………はい? あの、え?」

「姫様だけじゃなく、()()もチョコを作ってあなたにあげるわ。で、あなたがそれを審査して順位をつける。なかなか面白いアイデアじゃない?」

 

嫣然と微笑む永琳が吐く言葉が耳へ入り込んでくると、覚えのある感覚が背筋を撫でる。この悪寒、間違いない————()()()()()()()()

 

「……何が目的ですか」

「あら? 意中の異性にはチョコレートを贈ると言ったのはあなたじゃない?」

「師匠!?」「お師匠様!?」「キャー、だいたーん!」

 

警戒心を一気に高めた暁に笑みを崩さず、永琳はそう問いかける。

その言葉に驚愕する鈴仙とてゐの横で、興奮した顔で両手をブンブンと振るこいし。

 

「今回の趣旨はそちらではないとも言いましたが」

「ふふ、冗談よ。だけど悪い話じゃないでしょう? あなたはチョコを貰える。姫様は自分の腕前を証明できる。私達も未知の菓子作りを体験できる。ほら、丸く収まった」

「…………」

 

黙って永琳の提案を吟味する暁を尻目に、永琳は輝夜に視線をやる。

 

「姫様もそれで構いませんか? 彼に姫様の実力を見せつける良い機会ですよ」

「え」輝夜はようやく掴んでいた暁を放し「それはいいけど、なんであなた達と競う必要があるのよ」と疑問を発する。

 

「あら、負けるのが怖いですか? もしそうならやめても」

「オッケー、やってやろうじゃない。暁もあなたも叩き潰してあげる」

(叩き潰すのはやめてくれ)

 

心の中で呟いた暁がふと視線をあげると、こちらを一瞥した永琳と目が合った。どう? と尋ねるような彼女の目。

 

暁は悩む。

確かに彼女の言葉には一理ある。あるのだが——

 

(………………どうにも嫌な予感が拭えないんだよな…………)

 

理性ではなく感性が危険を告げている。

こういう時の勘というのは当たりやすい。すぐに断るべきだ。

…………しかし。

 

「……わ、かりました。では、皆のぶんの材料も用意します」

「ええ、ありがとう。……ふふっ。期待しててね。()()()()()()チョコレートを用意するから」

「ははは……」

 

筋の通った理屈を感情論で却下することは彼自身の良識が許さない。

吐き出す言葉の一つ一つが自分を苦しめるような思いをしながらも、それでも暁は言い切った。

 

「な、なんだか私の意思とは無関係に決まっちゃったんだけど。……ま、まあ、確かにやったことのない菓子作りってのも楽しそうかな」

「お師匠様、作った菓子は暁に食べさせるんですよね?」

「お兄ちゃんを仕留めるのはこの私だー!」

 

無邪気な笑顔の鈴仙、ニヤリとほくそ笑むてゐ、元気よくガッツポーズするこいし。

永琳と輝夜、そして三人の様子を見ていた暁は理解せざるを得なかった。

 

鈴仙の良識だけが救いであると。

 

 

 

暁はおおまかな手順を説明し、必要となりそうな道具を渡して女性陣とは違う部屋へ移動する。

お互いに作っているものが見えないようにするためだ。

 

湯煎して溶かしたチョコを入れたボウルを持った暁は、円柱状の容器にチョコを流し込んでいく。

六本の容器にそれぞれチョコを流し込むと、おもむろにスプレーを取り出し、容器の周りへ噴射。

スプレーから放出される冷気でみるみるうちに冷やされた容器には霜が付着する。

 

冷蔵庫も冷凍庫も、女性陣の使っている方の部屋にしか置いていないため、止むを得ずスプレーでチョコを冷却したのである。

 

チョコが完全に固まるまでしばらく冷やし、容器から一本ずつチョコを抜き出していく。

 

(よし、すっかり固まってるな)

 

コンコン、と叩いた感触と音から確認した暁は先日香霖堂で購入した彫刻刀を持ち、作業へと取り掛かる。

 

器用な手つきで円柱形のチョコを削り、目的のものを作り上げていく。

ざっくりと全体像をイメージして削った後、細部を彫って形を整える。

 

「ん……こんなもんかな」

 

作品が満足いく完成度になるまでにおよそ四十分かかった。

 

(これは長くなりそうだ)と長期戦の覚悟を決めて、彼は次の円柱チョコを手に取り、作業を続行した。

 

 

 

————どれほど時間が経っただろうか。

 

やっとの思いで六本目のチョコレートを加工し終えた暁は時計を確認する。

作業に没頭するあまり時間の感覚が希薄になっていた。

 

(あれ、思ったよりも早く終わったな。もっとかかるかと予想してたが)

 

最初の作業に四十分かかったことから、最低でも四時間は必要になると思っていたが、時計を見る限りではまだ二時間半ほどしか経っていない。

作り続けていく途中で作業に慣れたのだろうか。

 

予想を上回ったことを自画自賛しながら完成したチョコを一個ずつ並べ、じっくり眺める。

そしていくつか気になった箇所を修正し、満足げに頷く。

 

(なかなかいい出来栄えじゃないか。悪くない)

 

自分のチョコレートは完成した。

他の皆はどうだろうか。何を作っているかはわからないが、もうそろそろあちらも出来上がっていてもおかしくない頃合いだが……

 

暁がそんなことを考えた、まさにその時。

 

突然の爆発音とともに永遠亭が大きく揺れた。

 

「!?」

 

目を見開いて立ち上がる暁の耳に遠くから微かながらに永琳や鈴仙達の叫び声が聞こえてくる。

何を言っているかはわからないが、驚きや焦りが色濃く滲む声だ。

 

(……とにかく、急いで皆のところへ向かわないと!!)

 

すぐさま部屋を飛び出した暁は永琳達がいた部屋の方へと駆け出そうとし——

 

 

廊下の角を曲がった瞬間、その目に飛び込んできた光景に足と思考を完全に停止させられる。

 

「し、師匠! ヤバいです! コイツ、いくら攻撃してもすぐ再生します!」

「ああ、もう! 輝夜! アレあなたの能力でしょ! なんとかできないの!?」

「それを言うなら、あんなのが出来上がったのはそもそも永琳が持ってきたナノマシン! どう考えてもあれのせいじゃない!!」

「お師匠様、姫様、言い争ってる場合じゃ……うわっ!? ちょ、鈴仙! ヘルプ! コイツ、私を取り込もうと……!」

「あ、お兄ちゃん! そっちは作り終わったのー?」

 

 

——なんだこれは。

 

 

「暁! ちょうどいいところに! 早く手伝って! コイツ強い!」

「よ、よそ見してる場合か! とにかく鈴仙は私の足からコイツを剥がして! この体勢だと弾幕が当てられない!」

「だいたい輝夜が料理ができるなんて見栄を張るから————!」

「こんなアイデアを出したのは私じゃなくて永琳じゃない————!」

「おーい、お兄ちゃーん?」

 

 

絶句する暁の耳を通り抜けていく言葉の数々。

その意味を頭で理解する前に、眼前の光景を認識することを彼の脳は拒んでいた。

 

内側から吹き飛んであろう扉は縁側から中庭に落下したまま。

そしてその扉を吹き飛ばした直接的な原因と思われるのが————

 

 

————てゐと鈴仙に襲い掛かっている真っ最中の、()()()()()()()()()としか形容できないような、冒涜的なナニカだった。

 

 




長くなったのでいったん途中までを分割して投稿しようとしたら間違えて後半が消えたぁぁぁ…………!!!!
ヤバい。超ヤバい。バレンタインスペシャルなのに今日中に投稿できるか危うい。頑張ります。


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特別編:永遠亭のバレンタイン②

「暁! お願いだから早くして! コイツかなり手強い!」

「…………っ! わ、悪い! 今助ける!」

 

呆然としていたジョーカーは鈴仙の悲鳴で我に返り、彼女へ駆け寄ろうとする。

するとその動きに反応した怪物が触手のようなものを何本も生み出し、目にも止まらぬ速さで繰り出してくる。

 

「おわっ!? 【アルセーヌ】、〈マハエイガオン〉ッ!」

 

咄嗟に呼び出した【アルセーヌ】に触手の大半を迎撃させ、撃ち漏らしたものはスライディングで回避、鈴仙とてゐの所へたどり着く。

鈴仙はなんとかてゐの足を掴んでいる触手を引き剝がし、てゐを引っ張り出そうとしているがなかなかうまくいかない。

 

「チッ、ああもう、 離れろって!」

「早くてゐの足を掴んでるやつを切って! そろそろ、限界……!」

「任せろ! 〈ブレイブザッパー〉!」

 

罵りながら触手を振り解こうとしていたてゐはジョーカーが触手を切り裂いた瞬間、懸命に引っ張り続けていた鈴仙に勢いよくぶつかり、揃って倒れこむ。

 

「だっ!? ……鈴仙、暁、助かったよ。かなりヤバかった」

「イテテ…………そ、それより早く離れないと!」

「ひとまず二人とも俺の腕を掴め!」

 

ジョーカーの言葉に応じた二人が彼の腕を掴んだ瞬間、ジョーカーは二人を抱きかかえて後方へ跳躍する。

怪物は様子見のつもりか、手出しはしてこない。

 

ジョーカーが相手の出方を窺いながらも慎重に二人を下ろすと、てゐと鈴仙は「「ありがと!」」と礼を言って駆け出していく。

二人は怪物を挟むようにして雨のように弾幕を降らせるが、無数の触手で迎撃される。

どう援護しようか悩みながらも、未だにいまいち状況を理解できていないジョーカー。そこにこいしが近寄ってくる。

 

「お兄ちゃん、大丈夫ー?」

「こいし」

「ん?」

「説明を」

「はいはーい」

 

さすがに悠長に話をしている場合ではないとこいしもわかっている。

 

 

簡潔な彼女の説明曰く。最初は皆普通にチョコレートを作っていたらしい。失敗らしい失敗もなく、平和なものだったそうだ。

その雲行きが怪しくなりはじめたのは、永琳が妙なものを持ち込んできた時からだった、と。

 

 

「妙なもの?」

「えっと、ナノマシン? とかいうやつ。なんか凄いらしいね。これを使えば自動で改良から成型まで自由自在〜とかなんとか言ってた」

「……………………は?」

 

ナノマシン? あの、未来テクノロジー的なSFの産物? それを使ってチョコ作り?

——なんの冗談だ?

 

意識が遠くなり、視界が暗くなるジョーカー。それでもなんとか話の続きを促す。

 

「………………それで、どうなったんだ?」

「えっとねぇ…………」

 

 

そして永琳は困惑する一同の中、輝夜にむけて言い放ったらしい。

 

『あら? 姫様はただの菓子を作って満足なんですか? あらあら。そうですか。優勝、もらっちゃいましたかね?』

 

……ムキになった輝夜も自分の能力をフルに使って試行錯誤を始め、それを見た他の面々も(じゃあ自分も)とばかりにそれぞれの能力を駆使して何かしらのアレンジを加えていく。

そして出来上がったそれぞれのチョコレートを冷蔵庫に入れ、しばらく時間が経ったところで固まっているか確認しようと冷蔵庫の扉を開けた途端——

 

 

「————あのよくわかんないのが出てきたの。……今の説明でわかった?」

「……ああ。わかりたくもなかったけどな…………」

 

要約。

『だいたい全部永琳のせい』。

 

激しい頭痛を覚えてこめかみを押さえるジョーカー。

彼の頭の中では(やっぱり余計な事企んでやがった……!!)という叫びが渦巻いていた。

 

こめかみを押さえながら半眼で元凶の方に視線を送ると。

 

「この、この! こうしてやるっ!」

「よくもやったわね! お返しよ!」

 

…………輝夜と取っ組み合いの喧嘩を始めていた。

 

激しさを増した頭痛は堪え難いレベルに進化する。

無言で立ち尽くすジョーカーの袖をクイクイと引っ張るこいしは、怪物に弾幕を浴びせ続ける二人を指差す。

 

「手伝わなくていいの?」

「……ああ。今からやる。お前も手伝ってくれ」

「まっかせなさーい!」

 

疲れ切った声のジョーカーに胸を叩いて応えるこいし。

ジョーカーもなんとか意識を戦闘に切り替え、どう戦うかを考えだす。

その一方、どうしても気になっていたことが呟きとなってポツリと口から漏れる。

 

「…………しかし、あの造形はいったいなんなんだろうな」

「うーん……あの外見は私の作ったチョコレートに似てるような……なんでかな?」

「………………………行くか」

 

聞き捨てならない呟きに切り替えたはずの意識がいきなり大きくぐらつくのを感じるが、ひとまず余計な思考は排除する。

 

「【メタトロン】、〈ヒートライザ〉!」

 

まずペルソナを召喚し、鈴仙に補助魔法をかけ、間髪を入れずてゐとこいしにもかける。

途端に鈴仙とてゐの弾幕の威力が跳ね上がり、触手を圧倒しはじめる。

 

「おおっ?」「何これ、いきなり弾幕が……?」

「補助魔法をかけた! 効果が切れる前に一気に押し切るぞ!」

「オッケー!」「わかった!」

「こいし、お前は上から援護!」

「はーい!」

 

即座に反応したこいしが空中に浮かび、弾幕を放つ。

強化された鈴仙とてゐの弾幕に触手を吹き飛ばされた怪物の胴体に着弾し、貫通する。

 

しかし貫通した穴の周りのチョコレートがすぐに空いた穴を埋めてしまう。

 

「なんのー! もっともっとー!」

 

負けじとこいしも弾幕の密度を上げ、さらに多くの穴を作っていくが、その度に怪物は穴を塞いで再生する。

連続する破壊と再生。

その膠着状態を破ったのは準備を整えたジョーカーだった。

 

「よし……〈ランダマイザ〉!」

 

ジョーカーがそう唱えた瞬間、ガクンと目に見えて怪物の動きが鈍る。

その隙を見逃さず——

 

「【アルセーヌ】! 〈マハエイガオン〉ッ!!」

 

ジョーカーは裂帛の気合いとともに〈コンセントレイト〉で威力が上乗せされた〈マハエイガオン〉を解き放つ。

怪物を取り囲むように全方位から放出された暗黒のエネルギーはその中心へと殺到し、流動体であった怪物の体をまるで水風船を破るかのように爆散させた。

 

ボタボタと地面に落下する怪物の破片を見た一同の肩の力が抜けようとした。

——が、しかし。

 

 

————ビシャッッッ!!!!

 

 

水っぽい音を立てて怪物の破片が引き寄せられるように一点に収束、再び怪物が無傷の状態で出現する。

 

「「「「………………」」」」

 

あまりの事態に全員が沈黙する。普段はどんな時だろうと賑やかなこいしですらその光景を見て絶句していた。

 

全身を引き裂いて爆散させたのに、何事も無かったかのように再生する。呆れるほどの不死性だ……などと現実逃避気味に考えるジョーカーの耳に、ポツリとてゐが漏らした呟きが届く。

 

「…………そういえば、姫様はチョコレートに能力を使ってたね」

 

その呟きに反応し、鈴仙もぼんやりと口を開く。

 

「…………師匠のナノマシン、周囲の物体を取り込んでいく機能もあったっけ。きっと冷蔵庫の中身、空っぽになってるだろうなぁ……」

 

二人のその言葉を聞いてしまったジョーカー。その頭脳は断片的な情報から、彼自身の意思とは無関係に推測を組み立てる。

 

 

本来どういうものになる予定だったのかはわからないが、輝夜のチョコレートは彼女の能力が込められている。

そして、永琳のナノマシンチョコレート。こちらは周囲のものを取り込むのだとか。

この二項に加えて、こいしの「私のチョコレートに似てる」という発言。

 

 

…………彼は非常に嫌な結論に達する。

自分でも認めたくない事実を認めざるを得なくなる。

おそらく他の皆も同じく頭のどこかでわかっているだろう。

 

 

「…………あー、つまり、こういうことだな? このモンスターはお前達の作ったチョコが融合して生まれ、冷蔵庫の中身を取り込んで肥大化。そして、()()()()使()()()()()()()()()()()()()()()……輝夜の『永遠』もあるわけだ」

 

あえて淡々と事実を再確認するジョーカーの言葉に瞑目する一同。

その事実を口に出したジョーカーの顔は完全な「無」だった。

 

「…………どうすんだよ。まさかの『不死のチョコレート』だぞ。普通の弾幕や攻撃じゃ再生速度に追いつけない、爆散させても今みたいに復活する。打つ手なしだぞ」

 

頭を抱えてしゃがみこみたくなる欲求を必死に抑えながら感情が漂白された問いを口にするジョーカー。

どうしようもない現状を呪いながら、動きだそうとした怪物を牽制する。

 

「……とりあえずひたすら撃ち続けるぞ。鈴仙、コイツを動かしてるナノマシンの弱点は無いのか?」

「えっと、えーっと…………確か、高温と電気には強くないはず!」

「火炎か電撃か…………手持ちのペルソナじゃ使えるスキルが無いな……」

 

彼は歯噛みしながら対抗策を模索する。

 

「…………とりあえずあそこで喧嘩してる二人にも手伝わせるぞ! つかまだ喧嘩してたのか!」

 

ジョーカーの視線の先にいる永琳と輝夜の姿を確認したてゐがいったん弾幕をストップさせて二人を呼びに行こうとする。

 

「二人とも! いつまでもバカやってないでこっちを————」

「てゐ! 危ない!」

「へっ? …………うわぁっ!?」

 

てゐが鈴仙の警告で振り返ると、目前までいくつものレーザーのようなものが飛来して迫ってきていた。彼女は咄嗟にしゃがんで回避し、その線を目で追う。

数条のそれは真っ直ぐ飛翔していき——

 

「悪いけどこっちは忙しいの! 話は後に——んぐっ!?」

「今からこの子にもう一度礼儀作法を叩き込むところだから待ちなさ——んむっ!?」

 

絶好の、と言うべきか。最悪の、と言うべきか。

そのタイミングでこちらを振り向いた二人の顔に綺麗に命中した。

 

一見レーザーのように見えたそれは命中と同時に弾け、永琳と輝夜の顔を覆うように張り付く。二人は苦しそうに喉を押さえ、なんとか呼吸をしようとしたが————窒息して崩れ落ちた。

蓬莱の薬によって不死身になった二人も酸欠からくる気絶には無力だ。

 

「姫様!? お師匠様!? 暁! 今のはいったい何!?」

「いきなりコイツが発射してきた。多分、白い液体を高速で噴射したんだ。水鉄砲みたいに」

「白い液体……………? …………もしかして」

 

何かに思い当たった様子のてゐに視線を向けるジョーカー。

 

「……心当たりが?」

「普通にホワイトチョコレートっていうのを作ってたんだけど、能力をどう使うか思いつかなかったから溶かしたままにしてとりあえず冷蔵庫に戻してた、んだけど……」

「それだろうな。しかし、液体を飛ばして顔に張り付くというのはどういう理屈…………ッ!?」

 

 

——全員の意識が逸れていたその瞬間、怪物を一瞥したジョーカーだけがその動きに対応できた。

 

怪物が発射した幾筋ものホワイトチョコレートが飛来し、咄嗟に躱したジョーカーを除く三人の足に命中。

そのことに三人が驚くよりも早く、()()()()()()()()()()()()()()チョコレートが凝固していく。

 

「うわ、なによこれ!」「動けない……!」「足が固まっちゃったー!」

「あれは…………!」

 

その様子を離れたところから目撃していたジョーカーは気がつく。

あれは輝夜の能力の『須臾』によって時間を加速させられたチョコレートだ。衝撃を条件に発動させ、一気に凝固させているのだろう。

永琳と輝夜の二人の顔に当たった時も同じように凝固し、呼吸を止めたのだ。

 

彼が考察している最中にも、足を固められた鈴仙達は二度、三度と放たれるホワイトチョコレートを避けることもできず、全員を白く染められていく。

 

「やっ、ちょ……顔にかかる!」「不愉快極まりないね……」「うわぁ、ベトベトのカチカチだ……」

 

その姿はどことなく扇情的で、 健全な青少年としては思わず目が釘付けに。

 

(…………なんだろう、この背徳感溢れるエロティシズム。フォックスならどんな表現するかな……そういえば、フタバパレスの時のパンサーの谷間はまさに絶景————って、こんなくだらないこと考えてる場合じゃない!)

 

すぐさま我に返ったジョーカーは頭を振って余計な雑念(煩悩)を切り捨てる。

 

その間にも凝固していくチョコレートは三人を白い彫像へと様変わりさせてしまった。

鈴仙達はそれぞれがなんとか抵抗しようとするが、手足ごと固められているため何もできない。

 

ジョーカーも彼女達を助けようとスキルを放とうと片手を持ち上げ、途中で停止する。今の彼では体を覆うチョコレートだけを破壊するような精密な発動は不可能だ。

ならば接近して直接剥がしてやろうと一番近いところにいたこいしのもとに駆け出すが——

 

「くっ! そう簡単にはいかないか!」

 

すかさず伸ばされた触手が彼を阻む。

駆け出そうとした足を跳ね上げ、回し蹴りをしながら〈ブレイブザッパー〉を発動。迫り来る触手の群れを薙ぎ払う。

だが次から次へと襲いかかってくる触手を前に、鈴仙達を助ける余裕がない。

さらにはあのホワイトチョコレートが触手の間を縫うようにして間断なく発射され、避けることも困難になりつつある。

 

次第に消耗していくジョーカー。

とうとうスキルを発動することもできなくなり、身のこなしだけでなんとか凌ぐ。

 

————このままではやがてあの触手かホワイトチョコレートに捕まる。そうすればあの怪物を止める者が誰もいなくなり……

 

その先を想像した彼が顔色を悪くした、まさにその時。

 

突如天から降り注いできた無数の()()()が全ての触手を引き千切った。

炎の熱によってホワイトチョコレートも溶けていき、固まっていた三人も解放される。

 

「——おい、大丈夫か!? いったいどういう状況だ!?」

 

そしてその声とともに空から一人の少女が永遠亭の庭へと降り立つ。

ジョーカー達は彼女の顔を見て驚いた表情にな?。

彼女はまさにこの状況を打開するのにうってつけの人物であり、ジョーカーにとっても縁のある相手。

 

 

————()()()()だった。

 

 

「妹紅さん! 助かりました! どうしてここに?」

 

安堵の表情で礼を言うジョーカーに眉間に皺を寄せた妹紅は怪物から視線を外さずに答える。

 

「ここの弾幕の光と音が竹林中に響いてるんだよ。いったい何事かと思って来てみれば、わけのわからない妖怪と戦ってるのが見えてね。コイツ、いったいなんなんだ? どうして結界の内側にいる? 永琳とバ輝夜は何してるんだ?」

「えっ、と…………」

 

どう答えるべきか悩み、逡巡するジョーカーに代わって鈴仙が妹紅に声をかける。

 

「後で説明するから、とりあえずソイツ燃やして! 炎が弱点だから!」

「……了解。消し炭にしてやるよ!」

 

鈴仙の言葉に目を鋭くした妹紅は両手に炎を纏わせて怪物を見据える。

怪物も眼前の少女が自分の天敵だと察知したのか触手を全て引っ込める。

 

次の瞬間。

怪物の体が一気に膨れ上がり、茶色い波濤となって妹紅に押し寄せる。

濁流のようなそれはあっけなく妹紅を呑み込み——

 

 

————爆音とともに内側から弾けた豪炎に大半を焼き尽くされ、辛うじて残った僅かな破片も散り散りになる。

 

 

空高く吹き飛ばされた破片はボタボタと地面に落下していくが再生する様子は一切ない。炎の熱によってナノマシンの機能が死んだのだろう。

そして、その噴水のような光景の根元には、手に持った茶色の塊をしげしげと見つめる妹紅の姿があった。

 

「なんだ、コレ? やけに甘い匂いがするけど…………」

 

唯一まともな形で残ったチョコレートをキャッチしていた妹紅は首を傾げながら振りむき、ジョーカー達に声をかける。

 

「…………なんだかよくわからないけど、とにかく終わったぞ」

 

その言葉を聞いたジョーカーと他の皆は顔を見合わせ、緊張を緩ませる。

疲れきって地面にへたり込む一同を見た妹紅は「怪我でもしたのか!?」と人の良さを発揮していた。

 

 

 

「——というわけで、あれは妖怪でもなんでもなくて……」

「お前らの作った菓子が融合した化け物だった、と。…………輝夜のバカはともかく、何やってんだよ……」

 

事の顛末を全員から聞いた妹紅は頭痛を堪えるようにこめかみを押さえていた。

その姿に暁が深い共感を抱く隣で、輝夜が妹紅に食ってかかる。

 

「誰がバカよ! そもそも今回責められるべきは私じゃなくて永琳でしょ!」

「……そうだな。その意見は正しい」

 

妹紅も輝夜のその意見には同意を示す。

全員の冷たい眼差しが永琳へと突き刺さった。永琳は一筋の汗を垂らしながら必死に弁明する。

 

「いや、あんなことになるとは私も思ってなかったのよ! ナノマシンも成型機能しか起動させてなかったし、どういうわけか勝手に暴走したの! よほどの衝撃を加えるか、強力や電磁波や磁気にでも晒ない限り起こりえない事態だし、さすがにそこまでは想定外よ!」

「だからと言って無駄にこのバカを「誰がバカよ!」……バ輝夜を煽る必要はなかっただろ。反省しろ」

「そ、それは……はい。すいませんでした」

 

悄然として頭を下げる永琳に呆れた表情の妹紅は首を左右に振る。

 

「私に謝ってどうすんだよ。一番迷惑を被ったのが他にいるだろ」

「…………そうね。暁、うどんげ、てゐ、こいし。ごめんなさい」

「いや、俺はまったく…………ん?」

「? どうかした?」

 

 

気にしていない、と言おうとした暁はふと永琳の発言の何かが引っかかり考えこむ。

 

(『電磁波や磁気に晒されない限り』……『電磁波』…………()?)

 

閃いた彼はチラリと鈴仙の方を確認。

彼女が冷や汗を流して視線を虚空へと彷徨わせている姿が目に入る。

沈黙。

 

 

「…………いえ、むしろ永琳のおかげで助かったみたいですし、こちらこそお礼を言わせてほしいです」

「……はい? 何を言って…………」

「お前もそう思うよな? 鈴仙

「えっ、ええ! ももも、もちろん! 暁の言う通りですよ!」

 

寒々しい笑顔を浮かべる暁に追従してコクコクと頷く鈴仙。なんとなく察したらしいてゐは呆れ顔に、わかっていないこいしやその他の者はきょとんとしている。

 

それぞれの能力を込めたチョコレートを入れた冷蔵庫。『狂気を操る程度の能力』、またの名を『()()()()()()()()()()』。そしてナノマシンの暴走。

……つまり、まあ、そういうことだろう。

 

なんたることか。

一番安全だと思っていたチョコレートが実際は最も危険な核弾頭だったのだ。

生身で電磁波を放つチョコレートなんて代物を食べさせられるくらいなら、ペルソナを使用した戦闘の方がむしろ安全なくらいだ。

 

急に感謝される理由を理解できていない永琳をさておき、暁はてゐとこいしにも視線をやる。

 

「二人はどうだ?」

「…………ま、たまにはこんなことがあった方が面白いさ。気にしてないよ」

「私も面白かったー! このホワイトチョコレートっていうのも甘くて美味しいし!」

 

肩をすくめるてゐと、袖に付いたままのホワイトチョコレートをペロリと舐めてご満悦のこいし。

再び視線を永琳へと戻す。

 

「全員が気にしていませんし、あまり気に病まないでください。……ただ、今後はもう少し注意して欲しいですね」

「わかってる。本当にごめんなさいね。……ありがとう」

「だから気にしないでくださいって。……そうだ」

 

気まずそうな顔で首の後ろに手をやった後、暁はポンと手を打って部屋から運んできていたものを皆に見せる。

 

「俺の作ったチョコレートです。材料は一緒なので味は皆のものと変わりませんが……あ、妹紅さんのチョコレートも用意してますよ」

「わ、私も?」

「当然じゃないですか。俺が幻想郷に来て最初にお世話になった相手なんですから。はい、どうぞ」

 

何気なく差し出されたそのチョコレートをそれぞれが受け取り、いったいどんなものかと見る。

 

「「「「「「……………………!?」」」」」」

 

そして、絶句。

彼が作ったという、そのチョコレートは——

 

「気に入ってもらえると良いんですが。一応、俺にできる限界まで似せる努力はしたつもりです」

 

 

————それぞれの姿をチョコレートで模した、一種のフィギュアだった。

 

 

あまりの完成度に絶句した一同は、完全に同じタイミングで同じことを思った。

 

 

 

自分達と比べるまでもなくコイツが優勝だろ、と。

 

 




器用さ:超魔術

バレンタインスペシャルをバレンタインに投稿できない大馬鹿がいるらしいですね?
すいませんでした(切腹

間違えて削除したぶんを必死こいて書き直してたんですが、書いてる途中で「なんだか面白くねぇぞ、コレ……」となったため、大幅に内容を変更することに。お待たせして大変申し訳ないです。

最初はチョコレートモンスターを「不定形の怪物」「鈴仙の『狂気を操る能力』を持つ」ってことで、某神話生物の「ショゴス」にしてたんですが…………どうもこの作品はご立派様のファンが多いらしい。
ならば期待に応えないと、と考えてこんな感じに。

久々にジョーカーの屋根ゴミ要素が出た気がします。


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現世/冥界

会話が弾む中、自分のことばかり話していたことに気がついた阿求は暁の話をせがむ。

暁はどこまで自分の事情を教えてよいものか悩み、ひとまず最近の生活についてを語りはじめた。

 

 

「————と、まあこんな感じだ」

 

刀を納め、縁側からこちらを見る阿求へ振り向く暁。

彼は修行の様子を直接見たいという彼女の要望に応え、少しだけ素振りをしてみせた。

パチパチと拍手をする阿求は暁に賛辞を送る。

 

「綺麗な足捌きでしたね。体幹がブレていませんでしたし」

 

阿求の経験者のような物言いに目を瞬かせる暁。

 

「あれ、なにか武道を嗜んでたのか?」

「書物で齧っただけの知識しかないです。だから動きを見ることはできても、自分ではできません。さしずめ、口だけは一丁前の評論家ですね」

「ははっ。ずいぶんと自分に厳しいな」

 

すまし顔で肩をすくめる阿求。

彼女の後ろから盆を持った鈴仙が歩いてくる。盆には急須と三つの湯呑み、そして皿に盛られた菓子が乗っていた。

 

「師匠に言われて持ってきたわよ。私も一緒にお茶させてちょうだい」

「わあ! ありがとうございます! ほら、暁さんも」

「わかってる。鈴仙、ありがとう」

「ん」

 

鈴仙は無造作に首肯して急須からお茶を注ぎ、その湯呑みを暁に手渡す。

湯呑みを受け取った暁は鈴仙の隣に腰掛け、息を吹きかけて熱いお茶を冷ます。

そんな彼に同じく湯呑みを受け取った阿求が声をかける。

 

「強くなりたいとは聞きましたが、剣士になりたいんですか?」

「ふーっ、ふーっ……ん? いや、そうじゃない。護身術の一環みたいなものかな。刀も使えるようにしたいと思って」

「そうですか。じゃあ別段、刀を極めようしているわけではないんですね」

 

暁が拍子抜けした表情の阿求を見返すと、彼女は考えていたことを口にした。

 

「いえ、あなたも冥界の半霊剣士と同じように剣の道を進むのかと思いまして」

「冥界の半霊剣士?」と怪訝そうに首を傾げる暁の隣で「ああ、妖夢のことね」と皿から取った煎餅を齧りながら鈴仙が呟いた。

 

「知っているのか、鈴仙」

「知って……というか友達よ。魂魄(こんぱく) 妖夢(ようむ)。冥界にある白玉楼って場所の庭師で、二刀流の剣士」

「半霊、というのは?」

「そういう種族なのよ。人間と幽霊のハーフ。詳しくはわからないけど、ちゃんと生きてることは確実」

「なるほど。……ん。しかし、剣士か。それに阿求が知ってるってことはそこそこ知名度もあるわけで……」

 

暁は頭の中にぼんやりと見えてきたアイデアをあえて言葉にして確認する。

湯呑みを持ったまま思案に耽る暁を不思議そうに見る阿求と、もはや慣れたものとばかりに無関心な鈴仙。

 

「阿求。冥界と白玉楼についてもう少し詳しく教えてくれるか?」

「はい? 構いませんが……」

 

阿求は突然の頼みに困惑しながらも素直にその要望に応じる。自分の知る限りの情報を暁に伝え、暁はそれに逐一頷きながら思考に没頭。

 

「…………うん。だいたいは把握できた。ありがとう、阿求」

「いえ、礼には及びません。それよりどうしたんですか? 何か気になることでも?」

「まあそうだな。次の標的にしようかと」

「標的……って、まさか」「あ、決めたのね」

 

簡単な説明で理解した阿求は身を乗り出し、鈴仙は軽い言葉を唇から零しながら暁を見やる。二人の視線を受けた暁は立ち上がり、彼女らへ振り向く。

 

「そういうこと。『怪盗ファントム』の次のターゲットは白玉楼。冥界の管理者に挨拶するついでに、庭師さんに剣の手合わせでもお願いしてくるさ」

 

 

 

善は急げというように、何事も即断即決が望ましい。巧遅よりも拙速。何より重要なのは速さである。これは文化の基本法則だ——

 

そんな戯言をつらつらと脳裏に流しながら、彼は寒空を鈴仙と一緒に飛んでいた。

彼とて慎重さや計画性の重要度は知っている。あくまで暇つぶしの言葉遊びに過ぎない。

 

阿求の言葉で白玉楼を次のターゲットに据えたジョーカーは即日冥界へとむかった。

こいしはいない。少し前に香霖堂に連れて行ったのだが、あの店の品揃えに心惹かれるものがあったらしく、このところ入り浸りだ。そのうち飽きると思うが。

阿求もついてきたがったが、さすがに無理だ。本人もそれはわかって言っていた。

……というわけで、今回は鈴仙に道案内を頼んだ。念のために彼女の能力でステルス状態になり、道中の飛行を見咎められないようにしている。

 

「あともうちょっとで冥界への入り口に着くわよ」

「そうか。なら今のうちにもう一度確認しておこう。俺は普通に白玉楼へむかい、仕事をする。鈴仙は」

「関係を明かさないために第三者を装って後から行くか、能力で姿を隠しておけ、でしょ? どうせだから隠れながら見学でもしとく」

「そうか。それならいい。……しかし、冥界が空の先にあるというのは妙な感覚だな。日本神話の黄泉の国の影響か、あまり空というイメージは無かった。天国、と言われれば確かに納得はいくが」

「冥界と現世を隔てる境界に穴が開いたままになってるのよね。その穴が空にある理由は私にもよくわからないわ」

 

上昇しながら声を投げかけあうジョーカーと鈴仙。二人の上方に蜃気楼でも発生しているように空気が不自然に歪んで見える箇所があった。

 

冥界への入り口だ。

 

その歪みを目にした鈴仙はジョーカーに目配せし、上昇する速度を落として彼に先を譲る。首肯したジョーカーは鈴仙を追い抜かして一気に歪みへと飛び込んだ。

空に溶けるように姿が掻き消えるジョーカー。それを驚きもせずに確認した鈴仙はジョーカーと同じように冥界へ繋がる境界の穴に入っていった。

 

 

穴を抜けた先には広大な空間があった。

空も地面もあり、葉を落とした木が見渡す限りに何本も生えている。桜の木だ。

石畳で舗装された道が真っ直ぐに続き、途中から石段となって上へと伸びていく。

阿求から聞いていた通りの光景をジョーカーが見回していると、遅れてやってきた鈴仙が背後に立つ。

 

「いきなり誰かと出くわすようなことはなかったわね。よかった」

「あの石段の先に白玉楼があるんだよな?」

「そうよ。相当大きなお屋敷だし、暁なら適当に忍び込めるでしょ」

「了解。じゃあサクッと行くか」

 

鈴仙の言葉を聞いたジョーカーは地面を蹴り飛ばし、一陣の風となって石畳を駆け抜ける。一瞬で距離を離された鈴仙は慌てずに自分を能力で透明にし、浮き上がってジョーカーを追う。

普通に歩けば何分もかかるだろう道をジョーカーは数十秒で走破し、少し遅れて飛んでいく鈴仙もそれに続く。

ジョーカーは石段を駆け上がるというより飛び跳ねるようにして登っていき、すぐに頂上に到達する。

 

そこにあったのは永遠亭よりも遥かに広い敷地を誇る大きな屋敷だった。

 

息の一つも切らさず、その屋敷を目の当たりにしたジョーカーはそのまま躊躇無く敷地へと入っていく。

堂々と正面から歩いていくジョーカーを上から見た鈴仙は思わず目を疑うが、今更どうすることもできない。よって静観する。

 

白砂の敷き詰められた庭をザクザクと音を立てて歩くジョーカー。

屋敷の縁側には誰もおらず、奥にも人の気配は無い。……もっとも、冥界にもとより人はいない。幽霊や亡霊達だけだ。

 

——はたして幽霊の気配というものを察知することはできるのだろうか。

 

そう考えながらジョーカーは歩みを止め、庭のほぼ中央で静止する。一面が白い庭の中に立つ黒装束の彼はどこから見ても目立つ。

彼は立ち止まったまま屋敷の方を見やり、何かしらの反応を期待する。

しかし、別段何かが起きることはない。

 

(…………ハズレ、か?)

 

この白玉楼に住むという二人にあえて姿を晒し、自分に気づかせるという目論見が瓦解した彼は少し落胆する。

いろいろと面倒なことを省略するには正面から侵入者として挑むのが一番手っ取り早いと思ったのだが。相手がいないのならばどうしようもない。

 

むこうに気づいてもらうことを諦めたジョーカーは立ち止まっていた足を一歩前に出す。

刹那、頬を撫でる微風。

不意に感じたそれに考えるよりも先に体が反応し、何気無く振り返り。

 

 

「————弑ッ」

 

 

まさに眼前へと近づいてきていた薄紅色の()を小さい吐息とともに斬った。

過たず、正面から真っ二つに両断された蝶は落ちる途中で光の粒となって消えていく。

ジョーカーは反射的に抜き放った“薄緑”を納めることなく、仮面の奥で細めた目を上に向ける。

逆光で視界が白く染まるが、とある一点だけはそうならない。

その点をジョーカーが黙ったまま見つめていると、それは動きはじめ、ゆっくりと地上へと降りてくる。近づいてくるにつれ、はっきりとしなかったその輪郭が見えるようになり、地上に降り立つころには人の姿として捉えることができるようになっていた。

 

家紋のようなものが中央に描かれた帽子を被り、ゆったりとした服を着た女性。

彼女はバサリと手に持っていた扇子を広げ、口元を隠す。

既に相手の正体が理解できていたジョーカーはチン、と鍔鳴りの音を立てて“薄緑”を納刀、そして一礼。

 

「これはこれは。お初にお目にかかります————冥界の管理者にして、この白玉楼の主人。西行寺(さいぎょうじ) 幽々子(ゆゆこ)殿」

 

その言葉を聞いた女性——幽々子は愉快そうな光を目に宿し、ジョーカーへ声を投げかける。

 

「ご丁寧に挨拶ありがとう。特別にお客様としてお迎えしましょうか? ()()()()

「おやおや。私のことをご存知でしたか」

 

肩をすくめるジョーカーにますます面白そうな目をしながら幽々子は言葉を紡ぐ。

 

「この前妖夢が興奮しながら私のところにあの鴉天狗の新聞を持ってきたのよ。ずいぶんと物珍しい話題だったからはっきりと覚えてるわ」

「そうですか。では私の目的もご存知でしょう?」

「ええ、もちろん。こんなところに怪盗がわざわざやって来たんだもの。当然、することは一つしか無いわよね」

「ご明察。…………とはいえ、黙ってそれを見逃すほど貴女もお人好しではないでしょうね」

「そうね。昔話や童話でもよくあることでしょう? 泥棒さんにはお仕置きしなきゃ」

 

口元を見せないまま笑う幽々子にニヤリと悪どい笑みを浮かべるジョーカー。

 

「私は盗みたい。貴女はそれを止めたい。ふむ、困りましたね。両者の意見は交わることはありません」

「あら大変。どうするのかしら?」

 

おどけたように言うジョーカーに乗っかり、幽々子も大袈裟に困ったように首を傾げてみせる。

それに対しジョーカーはウインクを返し、口を開く。

 

「何をおっしゃるやら。こんな時、幻想郷でやるべきことは他にないでしょう?」

「……………まさか。貴方、()()()の?」

 

ここに至って初めて驚いたように目を大きくさせた幽々子。それを見たジョーカーはしてやったり、とばかりに笑いながら舌で言葉を紡ぐ。

 

 

()()()()()。————さて、私と一曲踊っていきませんか?」




最近『ソウルイーター』っていう漫画を読み直してたんですが、改めて読むとやっぱり面白いですね。
エクスカリバーとかクロナの幻想入りを短編で書いてみたいなぁ、と思いました。こっちの更新が遅れない程度に。

「ヴァカめ!」



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「真剣」勝負

ふぅ。

 

重い荷物を抱えた私は溜息をついた。

両手には食材で膨れ上がった買い物袋。背中と腰にはそれぞれ刀が一本ずつ。

“楼観剣”に“白楼剣”。

大切なこの二本の剣は肌身離さず持ち歩いている。

買い物袋を持っているのは人里に買い出しに行ってきた帰りだから。この食材達も、一人で私の何倍も食べる幽々子様の胃袋に数日足らずで消えていってしまう。

今までと同じように。きっとこれからもそうだろう。

 

空を飛びながらぼんやりとそう考えていた私は結界を抜けて冥界へと到着する。

変わり映えのしない無機質な風景を見ることもなく白玉楼に飛んでいく。

冬の冥界の景色はこんなものだ。春になれば満開の桜が一面に咲き誇り、それはそれは綺麗なものだが。

 

閑話休題。

 

いつものように荷物を持った私は空から庭に降りて、屋敷の中にいるはずの幽々子様に声をかけようと振り向きながら口を開く。

 

「幽々子様、ただ今帰り————ッ!!!?」

 

だが、その光景を前にした私の全身は驚愕のあまり私の意思とは無関係に硬直する。

 

()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()

 

そんな光景を受け入れるのに一秒の半分ほど必要とした。

理解すると同時に、私は地面を蹴って前に飛び出す。

間に合うか、なんてことは考えない。間に合わせるだけだ。

刹那の間に彼我の距離を消し飛ばし、こちらに背中をむける相手に“楼観剣”による一閃を浴びせかける。

 

(どういう状況かは知らないけど、斬る!)

 

背後からの不意打ち、そして助走によって加速した一閃。

断末魔をあげる暇も無く両断されるはずだったその何者かは電撃のような速度で“楼観剣”に反応し、幽々子様にむけていた刀を背中側に回して私の必殺の一撃を防御した。

しかし片手では剣を止めることはできても衝撃を殺すことはできなかったのか、体勢が横に流れる。私はすかさず相手の足を刈りにいく。相手はその行動を読んでいたのか片足で跳ね、側転するようにして私の蹴りを回避。バックステップで庭へ逃げる。

私は深追いせず幽々子様を庇うように前に出て、背中ごしに声をかける。

 

「幽々子様、ご無事ですか!?」

「大丈夫よー。おかえり妖夢ー」

「そ、そうですか……今からあの賊を斬ります。幽々子様はお下がりください」

「あらあら。頑張ってねー」

「…………はい」

 

余裕があるというか、呑気すぎる主の声に気勢を削がれる。

緩みかける気を引き締めて眼前の『敵』を睨む。正面から見ると仮面をつけた男であることがわかる。

黒いコート、赤い手袋、仮面……

チリッと何かが脳裏をよぎる。既視感のような、それでいて見た覚えのない姿。

その正体は背後からかけられた幽々子様の言葉で判明する。

 

「噂の怪盗さんよ。ほら、前に新聞の記事にもなってた」

「怪盗? …………怪盗!? この男が、ですか!?」

 

思わず振り返りそうになるが、残った理性がギリギリのところで働いて首は動かさなかった。戦いの最中に敵から目を離すなど言語道断だ。

私の驚いた声を聞いた男は口元を曲げて笑みを作る。

男は八相の構えをとって私と正対する。驚いていた私も余計な思考を捨てて怪盗と向き合い、“楼観剣”を構える。

どんな些細な挙動であろうと見逃さまいとする私だったが、相手は動く前に口を開いた。

 

「怪盗ファントム。……よしなに頼むよ」

 

意表を突かれ、一瞬何を言われたかわからなかった。

自己紹介をしているのだとわかった私は主に剣をむけた男——怪盗への怒りをいったん抑え、自己紹介を返す。

 

「魂魄妖夢。……覚える必要は無いわ。もう二度と会うことはないから」

「…………いざ尋常に。勝負」

 

遠回しの死の宣告にもなんら動揺せず、怪盗は刀を持つ手に力を込めた。

私も“楼観剣”をしっかりと握り——次の瞬間、既に相手の懐に飛び込んでいた。

私の速さに驚いたのか仮面の奥の目が見開かれるのが見えた。そんなことはお構いなしに“楼観剣”を持った私は飛燕となって心臓を狙う。

“楼観剣”の突きが心臓を貫く直前、怪盗は立っていた足を一気に脱力させて崩れ落ちるように体を畳む。

心臓の代わりに頭蓋を貫こうとした“楼観剣”を頭を振って躱し、全身で跳ね上がるようにして下から“楼観剣”を刀でカチ上げる。

突きによって腕が伸びていた私は“楼観剣”を上に弾かれたことによって胸元がガラ空きになる。怪盗は私を蹴り飛ばし、その反動で自分も後ろへ下がる。

身をよじらせることによって鳩尾に入りかけた蹴りは私の脇腹に刺さる。衝撃が体に走り、吹き飛ばされる。

飛ばされながらも空中で姿勢を制御し、着地と同時に“楼観剣”を構え直す。

蹴りについても、この程度の痛みならばなんの支障も無い。弾幕ごっこでイイのを貰った時の方がよほど痛い。

 

相手の評価を脳内で修正していく。

反応速度と身のこなしを上方に、筋力をやや下方に。

 

私が評価をつけ終わると同時に今度は相手の方から斬りかかってきた。

低い体勢からの斬り上げを金属音とともに弾き、横薙ぎの一閃を受ける。剣の峰をなぞるようにして受け流し、返礼とばかりにこちらも一閃を返す。

怪盗は跳躍して回避、足首を私の首に引っ掛けるようにして引き倒す。

倒れこむ私は片手で地面を支え、倒れる勢いをそのまま縦回転に利用して背面に宙返り。怪盗の背後に着地して柄を撃ち込む。命中。相手の体が僅かに傾いだ。

すかさず追撃を加えようとするも失敗。体を回転させることで急激に加速した左手での掌底が私の右肩を捉える。弾かれたように私は後ずさり、横に飛び退く。

掌底から連続して放たれた刀の突きは空を切る。

 

一進一退の攻防。一瞬たりとも気が抜けない。

産毛が逆立つような緊張感を味わいながらも、私はどこか昂揚しはじめていた。

鍛えてきた己が剣を発揮する機会というのはそうそう無い。普段の弾幕ごっこではこんな金属音と火花が飛び散るような剣戟の応酬は存在しない。

昔つけてもらっていた稽古とも違う、混じり気無しの実戦だ。

主人に対する無礼に対する怒りの熱とはまた違う、闘争への純粋な熱が胸の中で沸々と煮え立つ。

私は体を火照らせる熱を感じながらも、冬の冷えた空気を吸い込み、頭をその冷たさで満たしていく。

 

(……落ち着け。剣以外の万象はただの不純物。この思考ですら無駄でしかない。雑念は全て切り捨てる…………)

 

引き絞られた弓のように感覚が研ぎ澄まされていく。

刀を構える相手だけが視界の中央に在る。

 

その姿がブレる。瞬きする間もなく距離を詰めてきた。右から刀。弾く。弾いた刀が閃き、垂直の半月となる。横に一歩動いて避ける。超至近距離、斜め下から顔にむけて“楼観剣”を押し出す。首を振って回避される。薄皮一枚を切ったのみにとどまる。

何故かは知らないが、怪盗の動きが鈍る瞬間が何度かあった。が、その都度すぐに元の動きに戻る。

付かず離れず、密着した状態での読み合いが続く。

 

加速した思考が半ば無意識に体を動かして迎撃と攻撃を繰り返す中、その思考とは切り離された脳のどこかが漠然とした違和感を捉えていた。

右手から左手に“楼観剣”を持ち替えて、斬り払いながら考える。相手の膝蹴りを踏み台にして宙に浮き、逆に顎を蹴り抜きながら考える。その足を掴まれ、力任せに投げ飛ばされながら考える。着地の隙に追撃され、その剣尖をいなしながら考える。

動く。考える。動く。考える。動く。考える。

 

そして、気がつく。

 

相手の反応速度と身のこなしは文句のつけようの無い素晴らしさだが、()()()()()()()()()()()()

動きの良さで私と渡り合ってはいるものの、単純な剣の腕なら比べるまでもなく私の圧勝だろう。

現に、私は一度も刀を喰らっていない。全て見切っている。今まで受けたのは蹴りや掌底といった体術だけだ。

剣術というよりも体術に刀を添えている、といった動きだ。

 

この奇妙な齟齬はどういうことなのか。

フェイントを挟んで突き、その動作を旋回に変換させながら私は新たなる疑問が浮かんでくるのを感じていた。

視線や動作のフェイント、鍔迫り合いになってからの駆け引き。全部が面白いぐらいに成功する。けれど、当たらない。

躱す。跳ぶ。避ける。屈む。

一つ一つの動きが緻密に噛み合って、私の剣は怪盗を捉えることができない。

 

互いに決め手が無く、千日手になる。

何度も交錯しつつ打開策を練っていた私は「妖夢ー!」幽々子様の「————使()()()()()()()」というその声を耳で拾った。

 

何を、とは尋ねない。

本当にいいのか、とも尋ねない。

ただ黙って頷き————

 

——右手の“楼観剣”の一閃を受け止めて一瞬動きが止まった相手に対して“()()()()()()()()()()()()()()()()()()

 

「グッ!?」

 

斬られた幽霊が成仏するという性質上、無闇に使うと地獄の閻魔が五月蝿い。そのため普段は使うことを避けている“白楼剣”による奇襲。

これには相手も苦鳴を漏らし、ガクリと膝をつく。

隙だらけだ。

 

「もらった!」

 

裂帛の気合いを発しながら“楼観剣”を振り下ろす。袈裟斬りになる角度だ。

膝を屈したまま防御しようと反射的に左手を掲げる怪盗。しかし、なんら意味を成さない。腕ごと斬り飛ばされるだけ。

私は白刃が斜めにすいこまれていくのを冷静に見下ろす。こちらを見上げる相手の視線とぶつかる。

苦痛の光を宿したその目には——諦めの色は欠片として存在しなかった。

 

 

次の瞬間。

 

 

鈍い音を立てて、私の“楼観剣”は()()()()()()()()()()()

 

「なぁっ!?」

 

驚愕が私の口から零れる。

今のは胴体を両断する一閃だった。掌どころか腕一本を挟んだところで止められるはずがない。

けれど、事実として私の剣は怪盗の掌と拮抗している。

驚きながらもそのまま押し込もうとする。が、剣は前に進もうとしない。片手では筋力が足りないのか。

そう考えた私は“白楼剣”から手を離して両手で“楼観剣”を押し込む。それでも怪盗の掌に刃は通らず、微動だにしない。先ほどまでとはまるで別人のような剛力が剣を通じて伝わってくる。

片手を掲げた怪盗は膝を地面から離し、ゆっくり立ち上がっていく。予想以上の力に“楼観剣”を押し返される。

“白楼剣”の刺さった足から血を流しながらも怪盗は完全に立ち上がり、刀を持つ右手に僅かな緊張が走るのを感じた。

背筋に氷柱を突っ込まれたような悪寒。

“楼観剣”を持っていた手を離して咄嗟に屈んだ私の髪を掠め、刀が通り過ぎる。

宙に浮いた“楼観剣”が落下する前に右手で、足に刺さったままの“白楼剣”を左手で掴み、地面を蹴って急速離脱。

 

飛び退った私は両手の剣を構え直しながら、信じられないものを見る眼差しを怪盗にむける。

人間が素手で刀剣を止めるなど悪い冗談としか思えない。

 

瞬きしながら怪盗を見据えた私の眼前にはさらなる冗談のような光景があった。

流れ出る血が足元を浸す怪盗。その原因となっていた深い傷がみるみるうちに塞がっていく。

あっという間に傷は跡形も無く消え失せ、服の破れた箇所からいきなり噴出した蒼炎によって見えなくなる。蒼炎はすぐに消えるが、破れていた服は元通りになっている。

その一連の流れに魔力や妖力、霊力の類は一切感知できなかった。

…………意味がわからない。理解不能だ。

 

怪盗はこちらを見もせずに“楼観剣”を受け止めた掌の感覚を確かめるように何度か開け閉めし、最後にぐっと握る。

そこでようやく視線がこちらにむけられる。

来ないのか? という疑問をその目から読み取った。しかし自分から攻めようとは思わなかった。

警戒心を強め、様子見に徹しようとする私の思惑を理解したのか、怪盗は自分の刀を構える————と、思いきや。

 

()()()()()()()()

 

その状態で無抵抗を示すように両手を広げてみせる。

怪盗の言いたいことはすぐにわかった。

 

「どこからでもかかってこい」ということだろう。

 

あからさまな挑発に血が上る。

剣を捨てても勝てるとでも言いたげなその態度は許容できなかった。

確かに私の一閃は完全に防がれた。どういう理屈かは未だにわからないが、何の変哲も無いただの掌を斬ることも叶わなかった。

…………だが。

 

 

()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()

 

 

「……すぅぅぅぅぅ…………」

 

“白楼剣”と“楼観剣”を納刀。

“楼観剣”の鞘を動かして居合の姿勢をとる。体を沈め、息を深々と吸い込む。

足、腰、背中、肩、腕。

連動する筋肉をバネのように収縮させ、限界まで力を蓄えていく。

 

こちらが本気になったのを感じ取った怪盗も目を細め、顔につけた仮面に手をかける。

意図は理解できないが、余計なことをさせる前に、私にできる最高速の抜刀で仕留める——!

 

蓄積された力が頂点に達した刹那、その全てを一息に解放し、前に飛び出した私はそのまま怪盗を斬————

 

 

「はい、そこまで」

「————ッ!?」

 

 

——ろうとして、無理やり立ち止まる。勢いがついた体はつんのめりながらも、なんとか倒れずにすんだ。

目の前を矢のように通り過ぎた扇子はギリギリのところで当たらなかった。

制止の声に対する反応がもう少し遅れていたら頭に命中していただろう。

 

私はその扇子を投げた人物であり、制止の声をあげた人物——()()()()の方を見る。

何故このタイミングで私を止めたのか。

まったく理解できていない私のポカンとした表情を見た幽々子様はクスクスと笑い、いつの間にか取り出していた新たな扇子を開いて私に見せる。

 

そこに書かれていた文字、それは————

 

 

『ドッキリ大・成・功!』

 

 

…………私の中で張り詰めていた緊張感とか、その他諸々が、全部まとめてぷつりと断ち切られた。

 

 

「ファントム、お疲れ様。合格よ」

「…………そうですか。やれやれ、緊張しましたよ……」

「あら、それにしてはなかなか良い動きだったわよ。妖夢もお疲れ様。修行の成果が出てたわねー……って、ちょっと。もしもし? 妖夢? 聞こえてるー?」

 

なにやら打ち解けた様子で話す幽々子様と怪盗の姿。

それが、私の視界が暗転する直前に見えた光景だった。

 




ようむは めのまえが まっくらに なった!


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事実≠真実

『驚いたわ。まさか噂の怪盗さんに弾幕ごっこを挑まれるなんて思いもよらなかった』

『ルールはそちらが決めてくれて結構。一発被弾で敗北って基本ルールでも構わないが』

『うーん、そうね………………ねぇ、話は変わるんだけど、その刀は既にどこかから盗ってきたものなの?』

『いや、自分のものだな。最近使いはじめた。それがなにか?』

『…………決めた! 貴方と弾幕ごっこをやってみたい気持ちはあるけれど、それよりも面白い方法で決着をつけましょう』

『ほう。それは?』

『もうすぐおつかいに出したウチの庭師が帰ってくるわ。その子と試合をしてちょうだい。その内容次第で貴方に対する処遇を決める』

『……つまり、真剣試合で勝てと言うことか?』

『勝てなくてもいいけど、私を満足させられないような戦いなら不合格よ。その時は…………ふふ』

『…………なるほど。それでいこう。でも真剣試合と言っても、どう言いくるめるんだ? その相手はこんな話を聞いて真剣になれるのか?』

『そこは問題ないわ。いい? まずは貴方が私にその刀を————』

 

 

 

「————と、まあそんな流れだったのよ。わかった?」

「わかりましたよ! ええ、これ以上ないくらいに!」

 

幽々子の説明を聞いてバンバンと畳を叩きながら叫ぶ妖夢。

気絶していた彼女はジョーカーによって白玉楼の中に運ばれ、つい先ほど目覚めたばかり。

そして起きるやいなや近くにいた幽々子に説明を迫り、今に至る。

どうやらまんまと幽々子に遊ばれたことが不満らしい。

 

「いくらなんでもお戯れが過ぎます! 私がどれだけ心配したと思ってるんですか!」

「相変わらず妖夢は心配性ねぇ。そこがまた可愛いんだけど」

「幽、々、子、様!!」

 

そして、少し離れたところから二人を眺めるジョーカー。

 

(…………キャンキャン吠える仔犬と、それを面白がる飼い主……)

 

他にすることもない彼は主従のやりとりを見ながら心中でそう喩える。

ジョーカーがそうしてしばらく立ち尽くしていると、不意にこちらに向き直った妖夢と視線があった。

妖夢は主人に対する説教を中断し、居住まいを正す。

 

「…………えっと、あの……すいませんでした。幽々子様の戯れに巻き込んでしまって……あ! 勘違いで斬りかかってしまったこともです! 本当に、申し訳ございません!」

 

勢いよく頭を下げる妖夢。

ジョーカーは思いもよらぬ彼女の行動に固まるも、思い出したように返事をする。

 

「あ、うん……いや、謝る必要はない。勘違いしたのはこちらがそう仕組んだからだし…………そもそも、俺はこの白玉楼に盗みに入った賊だぞ」

「………………ハッ! そ、そうだった! おのれ賊め! よくも騙してくれたな! ここで成敗してくれる!」

(面白いなぁ、この子……)

 

言うなり“楼観剣”を抜刀して正眼に構える妖夢を仮面ごしに生暖かい目で見下ろすジョーカー。

幽々子が彼女をからかう理由が理解できたような気がする。

 

「覚悟!」と言いながらそのまま斬りかかってこようとした妖夢は「はいはい、落ち着きなさい」背後の幽々子に扇子ではたかれ「痛っ!?」“楼観剣”を持ったままつんのめる。

普通の刀に比べて長い“楼観剣”はそのまま勢いよく斜め上にむかって突き出され——

 

ブスリと天井に突き刺さった。それはもう、見事に。

 

そして“楼観剣”を握っていた妖夢は減速を通り越していきなり停止したため、慣性によって額を“楼観剣”の峰側に思いっきり打ちつける。

 

「ん゛っ!?」

(あちゃー…………)

 

天井に刺さりっぱなしの“楼観剣”から手を離してしゃがみこみ、額を両手で押さえながら涙目になって悶絶する妖夢。

綺麗なコンボを目の当たりにしたジョーカーは痛々しいその様子に気の毒そうな視線を送る。幽々子は必死に笑いを堪えているが肩が震えている。内心では爆笑しているのだろう。

 

「あー……その、大丈夫か?」

「…………うう、痛い……痛いぃ……」

(……どうすればいいんだ、コレ)

 

絞り出された小声を聞いたジョーカーは、立たせようと差し出した右手を所在なさげに彷徨わせる。

少しの間迷った後、その手をしゃがみこんだ妖夢の頭にポンと乗せる。

ピクリと身じろぎする妖夢が何かを言う前に口を開く。

 

「…………い、痛いの痛いの飛んでいけ……?」

「……………」

 

たどたどしくジョーカーの唇が零したその言葉に沈黙を返す妖夢。

ジョーカーもそれ以上言うのは憚られ、黙って妖夢の頭をワシワシと撫でる。

しばらく彼女の頭を撫でているうちにジョーカーは過去に何度かこうして仲間の一人を慰めたことがあったのを思い出していた。

……彼女は今どこにいるのだろうか。こちらに来てしばらく経つが自分以外の怪盗が現れたという情報はない。やはり幻想郷には来ていないのか……? だとすれば————

 

「…………もういいわよ。自分で立てる」

「………………っと、すまない」

 

そこで妖夢にやんわりと手を押し除けられたことで思考は中断される。

やや赤い仏頂面で立ち上がった妖夢はこちらと目を合わせずに“楼観剣”を両手で握り、下に引き抜く。

天井から抜いた“楼観剣”を鞘に収めた妖夢はそのまま幽々子に振り向き、深く頭を下げる。

 

「申し訳ございません幽々子様。天井を……」

「気にしないわよ。弾幕ごっこで壊れるのに比べたら無いに等しい傷じゃない」

「寛大なお言葉、ありがとうございます」

「それに妖夢の可愛い姿も見せてもらったことだし、ね?」

「……………………はぁ…………」

 

クスクスと笑う幽々子の言葉に全てを諦めたようにため息を漏らす妖夢。

妖夢は頭を振って気分を切り替え、再度こちらに向き直る。

依然として視線は床に落としたままだが、敵意は感じられない。

 

「……その、ありがとう。きっかけはともかく、手合わせしてくれたことは事実だから」

「あ、ああ。こちらこそ。なんというか、こちらにとっても有意義な時間だった」

「そ、そう…………」

「………………」

「……………………」

「…………あー、えっと」

「ね、ねぇ! もし、よかったら、なんだけど」

 

沈黙に耐えかねてこちらから何か言うべきかと口を開きかけるが、妖夢の方から言葉を続けた。

 

「…………また、手合わせしてくれない?」

「え?」

「何者かも知れない賊に頼むのもおかしいことだとは思う。けど…………私はまだ未熟で修業中の身。貴方が私の鍛錬の成果を確認する相手になってくれるなら、きっと私の剣を高める一助になるはず、だから…………」

 

妖夢は言いにくそうに口ごもりながらも最後まで言い切った。

思いもよらない申し出にジョーカーは目を瞬かせて一瞬硬直し、幽々子の方を一瞥する。

幽々子も妖夢の申し出に驚いた顔をしていたが、特に異論を挟む気は無いらしく、こちらに頷いてみせる。

視線を妖夢に戻す。

 

「こちらからお願いしたいくらいだ。“刀”についてはてんで素人だからな。……むしろ教えてもらうことになると思うが、それでいいのか?」

「は?」「え?」

 

そう口にした瞬間、妖夢と幽々子の声が重なった。

 

「し、素人ってどういうこと?」

「どういうこともなにも……そのままの意味だが。刀を振り始めてからまだ二週間弱だ。さすがにそれで玄人は名乗れないだろう」

「…………はぁ!? え、じゃあ貴方はほんの二週間でそこまで戦えるようになったって言うの!?」

「それは違う。刀を扱い始めたのは二週間前だけど戦い方を身につけたのは……もう一年前くらいになる、のか? …………まあとにかく、剣術に関してはズブの素人同然だよ」

 

淡々と告げられたジョーカーの言葉に絶句する妖夢。

代わりにおそるおそるといった様子で幽々子が口を開いた。

 

「今の話、本当なの?」

「……何を今さら。最近使いだしたと言ったはずだが?」

「さすがに謙遜か冗談かと思ってたわ……よくそれで真剣勝負なんて承諾したわね…………」

「まあ、こちらもあわよくば剣術の練習相手になってくれれば、っていう打算も込みでここに来たからな。ちょうどよかったというか」

「ちょうどよかった。そ、そう……」

 

ここまでずっとマイペースだった幽々子が若干動揺する。

妖夢もジョーカーにくってかかる。

 

「おかしいでしょ! 戦いだして一年? 刀は二週間? そんな短い修練で、どうして私と互角に戦えるのよ!」

「互角なわけないだろう。動きについていくだけで必死だったさ。剣術はおろか、刀の取り回しすら覚束ないんだから」

 

妖夢はジョーカーのその言葉でさっきの勝負の最中に感じた違和感が間違いでなかったことを知る。やはりこの男、剣についてはてんで素人だったのだ。

 

そして同時に、彼が本当のことを話していることも理解する。

いろいろと飲み込めきれずにいる妖夢はそれら全てをいったん脇に置き、他に聞きたいことを先に尋ねることにした。

 

「じ、じゃああの時のアレは!?」

「アレ?」

「ほら、あの! 私の“楼観剣”を素手で受け止めたでしょ! アレはどういう原理よ!」

「ああ。アレは単純に肉体強化で。説明しにくいが、その種の……術? みたいなものだと思ってくれれば」

「…………は?」

 

理解を越える情報が連続したところにさらなる意味不明な情報を追加され、ピシリと固まる妖夢。

 

「地底に住んでる鬼の一人に星熊勇儀ってのがいたんだが、彼女にまったく同じことをやられてな。俺も防御に徹すれば同じことができるんじゃないか……と見様見真似で。普段からあんなことはできない」

「……………いや、そこじゃなくて……えええ ぇ……?」

(星熊勇儀って……確か、鬼の四天王じゃない。しかも今の話からすると弾幕ごっこじゃなくて単なる決闘か殺し合い。……なんで生きてるのかしら、この人間。いや、本当に人間なの? でも気配は……)

 

困惑する二人を意に介さずジョーカーは幽々子のもとへ歩いていく。

考えこんでいた幽々子はそれに気づき、顔をあげた。

 

彼女の前で立ち止まり、真面目な表情をしたジョーカーは言う。

 

「とにかく、貴女の条件はクリアしただろう? 約束通り何か頂いていくが構わないか?」

「……ええ、そうね。問題無いわ。約束は約束だもの。好きなものを持っていきなさい」

「そうか。では……」

 

そう言って彼は腰をかがめて幽々子が持っていた扇子を無造作に抜き取る。

 

「コレにしよう」

「……それ、大して価値の無い安物の量産品よ? 骨董品とか値の張るものは仕舞ってあるし」

 

怪盗の選択に困惑する幽々子。

まさかとは思うが、この扇子の価値を見誤っているのだろうか。仮にも怪盗を名乗る者がこれしきの品も見定められないというのは、いささか落胆させられる。

——しかし。

 

「それは承知の上だ。だが、問題無い」

 

と、幽々子の疑念は真っ向から切り捨てられる。

平然としたまま扇子を懐にしまって踵を返す怪盗の背中を見ながら幽々子は眉をひそめる。

 

正面から乗り込んできてまで盗みにきたものがただの扇子一つ。しかも、それを手にするために真剣での決闘まで躊躇無く行う。

ここまでくるとさすがの幽々子も怪盗の思考が理解できない。頭がおかしいとしか思えない行動だ。

 

「————では、これにて」

 

そんな彼女の内心を知ってか知らずか、怪盗は背中ごしに別れの言葉を投げる。

怪盗の唇が残した残響が消えるとともに、その場から怪盗の姿は跡形もなく消え去っていた。

 

「…………妖夢」

「——はっ! な、なんでしょうか?」

「ひとまずご飯にしましょ。買ってきた食材、台所に持って行ってくれる?」

「わかりました」

 

呆気にとられていた妖夢も主人の声で現実に引き戻され、頭を下げる。

買い物袋を持った彼女が部屋を出ていくのを見つめていた幽々子はそのまま視線を動かすことなく口を開いた。

 

「さて、貴女もそろそろ出てきてくれないかしら?」

「………………」

 

幽々子がその言葉を吐いた直後、部屋の隅が陽炎のように揺らぐ。

そこから出てきたのは————

 

「月の兎さんがこんなところに何の用? それも、姿を隠してまで」

「…………ま、そりゃバレるわよね。薄々予想はしてたわ」

 

肩をすくめた鈴仙。

幽々子は表情も視線も動かすことなく唇だけを動かす。

 

「姿が見えなくても気配が“視え”てるもの。亡霊相手に隠れんぼをするつもりだった?」

「ふぅん。気配を視る、か。……じゃあさっきの怪盗の気配も視たってことかしら? 何が視えたの?」

「それは…………」

 

互いに質問の刃を投げかけあう二人。先に鈴仙の切り返しが幽々子に刺さり、彼女は口ごもる。

その反応に好奇心の色を目に宿らせた鈴仙だったが、返答を待たずに幽々子の問いに答える。

 

「…………ま、わかってると思うけど、あの怪盗を探ってるの。師匠から命じられてね」

「……永遠亭の薬師が天狗の新聞に載っていた怪盗と何の関係が?」

「そうね……師匠がどうこうと言うより、永遠亭自体の問題かしら」

「……………………」

 

はぐらかすように曖昧なことしか言わない鈴仙。ここで初めて幽々子は鈴仙に視線を移す。

幽々子の口元はいつの間にか新たな扇子で隠されていたが、目は笑っていない。

重圧すら放つその視線を受けて尚、鈴仙は顔色一つ変えなかった。

 

「そんな大層なことじゃないわよ。単に“怪盗が最初に姿を現したのは私達のところ(永遠亭)だった”ってだけ」

「!」

「そしてあの人里の一件。……自分達のことはひとまず伏せておいて今後の動向を伺う、という師匠の判断が下りるのはそこまで不思議なことでもないでしょう?」

 

鈴仙の語ったことを吟味する幽々子。

 

(人里での騒ぎの前に怪盗は永遠亭に盗みに入っていた…………? ……それが事実なら怪盗を監視するようにあの月人が命じてもおかしくはない。正体不明の怪盗の目的——私自身、知りたいもの)

 

筋は通る。が、違和感がある。

 

「……なら、どうやって怪盗の動きを掴んだの? ここに怪盗が現れることなんて予測できないはずでしょう? …………まさか、ただの偶然とでも言うつもり?」

「…………人里では既に有名な話なんだけど、『稗田の当主が外に出てる』っていう噂、知ってる?」

「………………稗田の当主が、外出? 今代の当主は歴代でもかなり体が弱い方に入っていた はずだけど……」

「——だけど現実として彼女は何度も外で目撃されている。私も実際に会って確かめたけど、普通の人間となんら変わらず元気そのものだった」

 

鈴仙が口にする意外な事実に驚きと新たな疑問の両方が浮かび上がってくる幽々子だったが、そちらは後回しにして先を促す。

 

「…………それで?」

「とにかく私達のところで検査してみることになった。その結果、何の異常も見当たらなかった。……異常が見当たらなかったのは以前検査した時も同じだったけどね。原因不明の持病が原因不明に完治した、としか言えないわ」

「…………不可解ね」

 

思わず呟く幽々子に同意を示すように鈴仙は深く頷き、話を先に進める。

 

「——とにかく、彼女は永遠亭にいる。だから怪盗について聞いてみたの。そしたらいくつか話してくれた中に『白玉楼について尋ねられた』……ってのがあってね」

「…………それで、ここに怪盗が来ると予想したってわけね」

「既に怪盗が来ているかも——と思って何か聞けないかと訪れたけど、まさか“現場”に鉢合わせるなんて……慮外の幸運だったわ。ま、日頃の行いかしら?」

 

そんな言葉を口にして、鈴仙も先ほどの怪盗と同じように縁側から外に踏み出す。

 

「————さて。こちらも最低限の説明義務は果たしたし、私もお暇させてもらうわ。今さら追いつけはしないでしょうけど、一応追うだけ追ってはみないと」

「………………そう。頑張ってね」

 

おざなりな幽々子の別れの言葉と同時に鈴仙は空へと浮き上がり、顕界との境界に向かって飛んでいった。

幽々子はそれを屋内から見送りながら思案に耽る。

 

(……今の話で完全に納得したわけでもないし他にも聞きたいことは山ほどある。けど、これ以上引き留める正当な理由は無い。ひとまずはここまでね……)

 

彼女はそう結論づけ、静かに嘆息した。

 




お 待 た せ (震え声

最近リアルの方が忙しかったのに加えてキャンペーン期間中ずっとグラブってたので全然こっちに手がつきませんでした。
少しずつ書いてはいたんですが、その度にどうにも気に入らないところが出て改稿する繰り返しで……やっぱり勢いで書かないとダメですね。誤字とかの恐れはありますが長引くのもよろしくない。
落としてしまったペースをなんとか取り戻していきたいと思います。

今回の話は……うん、特に何も進んでないですね……

今日はp4幻の更新日だし皆もこんな作品よりp4幻を観ようね! 何度も言うけどスッゲェ面白いよ!(定期


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怪盗←兎←鴉←蓬莱人

鈴仙は自らの口元をさすりながら、平然と幽々子を欺いてみせた自分自身に驚いていた。

欺いた、と言っても大部分は事実を伝えたに過ぎない。恣意的に組み合わせた事実とほんの少しの嘘で真実を別のものに見せかけていただけだ。

 

——正直なところ、あそこで幽々子に見つかるのは完全なる想定外だった。

 

 

(気配を視ることができる? ……いや、ズルくない? 『死に誘う程度の能力』なんて反則級の能力に加えて亡霊独自の知覚とか卑怯でしょ! おかげでメチャクチャ冷や汗かいたわよ! …………必死で取り繕ってなんとか事無きをえたけど、場当たり的過ぎて自分でもボロが出てないかわかんないわ…………だ、大丈夫……よね?)

 

余裕そうに見えて、実は相当焦っていた鈴仙。

あの時幽々子の問いに表情一つ変えなかったのは、単にあっさりと姿の隠蔽(ステルス)を看破されたことへ動揺するあまり表情筋が完全に固まっていただけで、内心は荒れ狂う海の様相を呈していた。

 

緊張が緩んで我に返った途端に不安に襲われる。……そもそも、口八丁を働かせて相手を謀るような真似は自分ではなくてゐの専売特許だ。むしろ自分にしては上出来と言ってもいいだろう。

 

 

————とはいえ。

少し前までの自分にはこんな腹芸は出来なかったであろうことも間違いない。

 

(…………もしかして、いつの間にか毒されてる……? ……いや、そんなまさか……)

 

仮面をつけたアイツの不敵さ、大胆さ……というかふてぶてしさが感染してしまったような気がしてならない。

もしくは普段の馬鹿馬鹿しいやりとりとツッコミの中で次第に感覚が麻痺していたのか…………!?

 

と、鈴仙が戦慄しているところに。

 

 

「——なかなか愉快な百面相だな。見てて飽きな……」

 

横から声をかけられた。

その声を認識した鈴仙は最後まで聞くことなく反射的に、

 

(フン)ッッッ!!」

「いッ!?」

 

渾身の肘をそちらに見舞う。

綺麗に鳩尾に入った感覚が伝わると同時、苦しげな呻き声を耳が拾い上げた。

半ば無意識に行ったその動作をきっかけに、自己に埋没していた意識が周囲に向く。

 

——いつの間にか冥界から顕界へ戻ってきていた。考えこんでいる間に境界を通り抜けていたようだ。

その事実を確認した鈴仙は自分の肘を突き刺した相手————ジョーカーを見下ろす。

 

「い、いきなりなにするんだ…………? 」

「あ、喋る元気は残ってるのね。もう一発、いっとく?」

 

次は眉間かしら、とにこやかに笑う鈴仙。その瞳の奥底に渦巻く絶対零度の殺意を鋭敏に感じ取ったジョーカーはブンブンと首を左右に振って彼女から少し距離をとる。

どうしてかはわからないが彼女は非常にご立腹らしい。愉快な百面相と言ったのがよほど気に入らなかったのだろうか。

 

「愉快な百面相? ……誰のせいでそんな顔をすることになったと思ってるのかしらね…………?」

 

地獄から響く亡者の怨嗟のように響く鈴仙の言葉で咄嗟に目を逸らすジョーカー。一瞬で彼女の怒りの原因を察した。

そんな彼の顔を下から覗き込むようにしながら鈴仙は煮え滾る怒りを口にする。

 

「正面から堂々と浸入していった挙句、真剣勝負? バカなの? 実はバカなの?? 知らないなら教えてあげるけど、怪盗っていうのはね、泥棒なの。泥棒はコソコソ隠れて物を盗むの。正面から突っ込むなんてのは泥棒じゃなくて強盗がすることでしょ? もしかして本当は強盗だったの? ねぇ、どうなの??」

「ち、違います…………」

「それで私があの亡霊にどれだけ必死に言い訳したと思ってるの? アンタが余計なことするから私もあの亡霊の目の届く範囲に移動せざるを得なかったんだけど? ん? なにか弁解はあるかしら?」

「大変申し訳ございませんでした」

 

間髪いれずに頭を下げるジョーカー。

彼女の怒りの炎が延焼する前に、可及的速やかに鎮火しなければ危ない。主に自分の命が。

頭を下げたジョーカーを見た鈴仙はしばし黙り、やがて比較的穏やかな声色でこう言った。

 

「…………まあいいわ。言い逃れは多分できたし、結果的にはうまくいったしね」

「そ、そうか…………」と安堵したジョーカーは顔を上げ、鈴仙の表情を見た途端に硬直。

 

————慈母のような穏やかな微笑み。

ジョーカーはその背後に修羅の姿を幻視した。

 

「…………そんなことより気になるのはね」

 

不自然なほど平坦な声で鈴仙はジョーカーに問う。

 

「『地底に住んでる鬼の一人に星熊勇儀ってのがいたんだが、彼女にまったく同じことをやられてな』だっけ? …………どういう意味か、教えてくれる?」

「………………………………あ」

 

致命的なミスを犯したことを認識したジョーカーは背筋と首筋から汗がドッと噴き出す。

顔色を悪くするジョーカーに鈴仙は能面のように無機質な微笑みを浮かべ続ける。

 

「いやー、よくわかんないのよ。だって私の知る限りでは? 暁が地底に行ったのはこいしちゃんと一緒だったあの時しかないし? その時は『普通に古明地さとりに挨拶をして許可を得た』としか言ってなかったもんね? ——仮にその時じゃなくて最近行ってたんだとしても、どっちみち『鬼』なんて単語を暁から聞いた覚えがないことには変わりないわよね?」

「……………………いや、その………………」

「『同じことをやられて』? 同じことっていうのは、つまり、鬼に刃物をむけて受け止められたってことよね?」

「……………………………………」

 

最早目を合わせることもなく冷や汗をダラダラと流し続けるジョーカー。

 

「…………怪盗さん。納得いく説明、してくれるよね?」

 

そんな彼の襟をギリギリと締め上げながら鈴仙はにこやかに()()()する。

ジョーカーも観念したように「…………それは…………」と口を開き。

 

 

 

——————次の瞬間。

いきなり変身を解除した。

 

「————ッ!?」

 

突拍子もない行動に意表を突かれる鈴仙。

変身が解けたことによった彼女が握っていた襟も消失し、暁は重力に引かれて落下しはじめる。

次第に加速しながら落下していく暁を呆気にとられて見下ろす。

そうして状況を呑み込めない鈴仙が固まっている間に暁の距離がかなり離れ。

 

噴き上がる蒼炎に包まれた暁は怪盗姿に再度変身し、落下の勢いをそのまま利用して凄まじい速度で滑空するように飛行を開始。

それを見て鈴仙もようやく気がつく。

 

 

————あ。逃げた。

 

 

「………………………って、逃がすかぁっ!!!!」

 

即座に彼を追って飛び立つ鈴仙は懐からスペルカードを取り出した。射程内に入った瞬間に撃墜させるつもりだ。

 

そうしてにわかに始まった逃走劇。

それを目撃していた者がいたことを、二人はまだ知らない。

 

「——————あやややや。これはまた面白そうな……」

 

 

 

————迷いの竹林。

その片隅で対峙する二人がいた。

 

「お前が喧嘩売ってくんのも久しぶりだな。どういう風の吹きまわしだ?」

「べっつにー? ただの暇潰しだけどー?」

 

妹紅と輝夜。

彼女らは些細なことをきっかけに、今まさに()()()()()()()

平時となんら変わらぬトーンの声を投げかけあいながら殺意に満ちた攻撃の応酬が繰り広げられる。その余波を受けた周囲の竹林は既に見るも無残な姿に成り果てていた。

 

妹紅は業火で形作った鳳凰を輝夜へ放ちながら疑問を口にする。燃え盛る灼熱の鳥は一直線に輝夜へと突き進む。

 

「いや、それはいつもと同じだろ。そうじゃなくて、むしろ今日まで絡んでこなかった理由はなんだ? そしてなんで今日は絡んできた?」

 

対する輝夜は鳳凰の頭を自らの手が焼け爛れることも無視して掴み、流麗な眉をやや顰めながら握り潰し、その問いに答える。

 

「だから言ったじゃない。ただの暇潰しよ」

 

そして能力によって加速し、音速を突破した蹴りを妹紅に浴びせる。

空気の壁をも撃ち壊すその威力は蹴りを放つ足そのものを自壊させながら妹紅の腹に突き立ち、土手っ腹を盛大に貫く。

少し顔をしかめる妹紅。それでも、妹紅と輝夜は双方ともに顔色一つ変えない。

輝夜の手は既に元通りに“治って”おり、妹紅の体に空いた大穴もみるみるうちに再生していく。

 

 

————『蓬莱人』。

死なず、老いず、衰えず。ただ、生き続ける。

人どころか生物の枠すらも逸脱した存在の異常性がその場にあった。

 

 

「答えになってないだろ。暇潰しだっていうなら何度か機会はあった。なのに何もしてこなかった。そして、お前は我慢なんてする奴じゃない」

「…………何が言いたいのよ」

「わからないか?」

「わからないわね」

 

言葉の隙間を縫うように血飛沫が舞い、爆ぜる炎が跡形もなく焼き尽くす。

踊るように交錯する輝夜と妹紅。

 

「暇潰しなんて必要なかった、ってことだろ。少なくとも今日までは。お前の倦怠を晴らしていたものが何かは知らんが、飽きっぽいお前がここしばらく大人しくなるくらいには面白いナニカなんだろうな」

「……………………」

「違うか?」

「…………半分正解、半分間違い。悪くはない推測ね」

 

妹紅の推測がある程度正しいことを素直に認める輝夜。数歩分の距離をとって妹紅に向き直る。

対する妹紅も手を下ろし、殺し合いより会話を優先する。

 

「回りくどいな。とっとと説明しろよ」

「せっかちねぇ。…………ここ最近退屈してなかったのは事実よ。そこは正しい。だから半分は正解」

「じゃあ残りの半分はなんだよ」

「うーん。そうね……まず前提として、あなたはあの外来人のこと、覚えてる?」

「外来人って…………お前らのとこにいるアイツの話か? 忘れるわけないだろ。私がどれだけ忘れっぽいと思ってるんだ」

 

妹紅の言葉に輝夜は微笑み、それを見た妹紅は薄気味悪そうな表情をする。

 

「なんだその顔。気持ち悪いな」

「いや、別に。あなたでも“覚えざるをえない”のね、暁は。…………それとも、覚えることが当たり前になってた?」

「…………………」

「『どうせ自分より先に死んでいく連中のことなんていちいち覚えるだけ無駄だろ』……いつ聞いた、誰の言葉だったかしら」

 

独白のように唇から言葉を零す輝夜。スッと表情を消した妹紅の顔から彼女の内心を推し量ることはできない。

 

 

「……ま、わかるけどね。あれだけ強烈な背景を持った人間、私だって忘れないわよ。本人は『自分は至って普通です』なんて顔してるけど、個性の塊みたいな存在だもの。話してて飽きないわ」と肩をすくめる輝夜。

 

「————けど、それだけじゃない。暁には“何か”がある。限られた人間だけが持つ、特別な素質が。あなたも薄々感じたことはあるんじゃない?」

「……………まぁ、な」

「永遠不変の肉体を持つ『蓬莱人』。けれど、その精神までは永遠の枷を嵌められていない。博麗の巫女が訪れたことで永遠亭の止まっていた歴史が動きだしたように、私達もまた変わりうる。——あなただってそうでしょう?」

 

 

暗に自分が変わったことを指摘する輝夜の言葉に黙って目を逸らす妹紅。

とりとめのないことをつらつらと口にしているだけのようにも聞こえるが、輝夜が言いたいことを妹紅は理解していた。

自分にとって友人と呼べる唯一の存在を思い浮かべながら、続く輝夜の言葉に耳を傾ける。

 

 

「暁はそういう“変える”類の人間。関わった者に否応なく変化を(もたら)す。……それがどういうものかはわからないけどね。ここ最近の関わりで私自身も大なり小なり、変えられた部分はあるはず」

「………………」

「…………けど、わからないのよ。私のどこがどう変わっているのか。それが良いことなのか、悪いことなのか」

 

「だから」

 

自分の言葉を噛み締めるようにしながら話を進めていた輝夜の視線が真っ直ぐに妹紅を射抜く。

 

「————こうすることで、自分の中で変わった何かを見つけられないかと思って。私もあなたも変わらない者同士、だけど変えられた者同士。以前と同じことを以前と違う状態で行えば、そこから何かが見えてくるんじゃないか、って」

「お前…………」

 

熱に浮かされたように、いつになく饒舌に語る輝夜に妹紅は驚く。ここまで自分をさらけ出すような真似をするとは予想だにしなかった。

妹紅の驚いた目を見た輝夜は我に返り、肩を落とす。

 

「…………らしくもなく語っちゃったわね。……とにかく、そんな感じよ。結局何もわからないままだったけど」

「…………お前は———」

 

妹紅が思わず輝夜に一歩踏み出し、何かを言おうとしたその瞬間。

 

————バァァァンッッ!

 

激しい轟音とともに地面が揺れた。

音の発生源はすぐ近くだ。

 

 

「「!?」」

 

音が聞こえてきた背後を揃って振り返る二人。

そこには、

 

「…………ゲホッ、ゲホッ……し、死ぬかと、思った…………」

 

よろめきながら体を起こすジョーカーの姿があった。

ジョーカーは頭を振って意識をはっきりさせながら立ち上がり、そこでようやく自分を見る二人の存在に気づいた。

 

「あれ、輝夜に妹紅さんじゃないですか。こんなところでいったい……何、を………………」

 

発せられた疑問の声が尻すぼみに小さくなっていき、最後には黙ってしまうジョーカーに首を傾げる二人。

まじまじと凝視してくるジョーカーの視線を辿り、自分達の姿を確認する。

 

「「…………あ」」

 

 

——『蓬莱人』の肉体は変化を許さない。

『蓬莱の薬』を飲んだその時の体に時間は固定され、何があろうと復元される。焼かれようと、貫かれようと、その全ては跡形も無く消え失せる。

 

…………ただし。

 

その効力が適用されるのはあくまで()()()()()()()()()()————

 

 

ボロボロになった自分達の衣服を見る輝夜と妹紅。互いに防御もせずに殺し合った結果、再生することのない服はほとんど原形を留めておらず、肌がもろに見えていた。

見えてはいけない部分を隠す部分は奇跡的にまだ残っていたが、上半身はほとんど下着一枚を着ているのと変わりないくらいの露出度だ。

 

「………………」

「………………」

 

自分達の現状を再認識して頰が次第に紅潮しはじめた二人は錆びついた人形のようにぎこちなく首を動かしてジョーカーを見る。

ジョーカーも沈黙を守ったままそんな二人を見つめる。

 

「「「………………」」」

 

——にわかに訪れた静寂。

 

全員が硬直してから数瞬の間を挟み、ふと我に返ったように上を見上げたジョーカー。

その後両手を合わせ、輝夜と妹紅に頭を下げて口早に言う。

 

「とりあえず、ごちそうさまでした」

 

——そして、脱兎の如く踵を返して走り去り、それを見ていた二人が何かを言う暇もなく、竹林の奥へと姿を消す。

 

さらにその直後。

 

「待てコラァッ!! 赤眼『望見円月(ルナティックブラスト)』ォォォオォォッッッ!!!!」

 

隕石のように上空から勢いよく降りてきた鈴仙が目から赤い光条を撃ち出し、ジョーカーが逃げた方向を薙ぎ払った。

荒々しい口調に悪鬼のような形相の彼女は輝夜達を一瞥すらせずにそのままジョーカーのむかった先へと飛び立つ。

 

 

「「………………」」

 

 

後に残された二人は顔を見合わせる。

変わり続ける状況に完全に置いてきぼりにされていた。

 

そこに。

 

 

「うーん、この私がまだ追いつけないとは……いったい鈴仙さんが追いかけているのは何者なのか————ん?」

 

 

一人の鴉天狗が地上に降りてくる。

 

————射命丸 文。

 

日光を遮るように手を目の上に当てながら竹林の奥をすかして見ようとする彼女は、視線を感じて振り返る。

そして、輝夜と妹紅の二人を目の当たりにする。

 

「………………」

「………………」

「………………」

 

「「「………………」」」

 

状況を呑み込めずにいる三人は三様に固まり、その場に再びの沈黙が訪れた。

————しかし、その均衡はすぐに破られる。

 

非常に肌色成分の多い二人の姿を認識した文。彼女は状況を理解することはいったん放棄し、西部劇に登場するガンマンもかくやとばかりに素早く取り出したカメラを二人にむけてシャッターを切る。

 

パシャッ! という音を二人の耳が拾った時には既に文は背中から生えた翼を大きく広げ、飛び立とうとしていた。

 

「これは素晴らしい! ネタになりそうなものを追いかけてきた先でさらに美味しいネタを見つけられるとは! 見出しは……『竹林の姫君と案内人のキャットファイト! 原因は痴情のもつれ!?』…………よし! いける!」

「「————ちょ、待っ…………!」」

 

二人にとって不穏極まりない言葉を興奮気味に吐き散らかした文は一目散に空へ飛んでいく。

ここに至って文に遅れをとった二人も今更ながらもようやく事態を認識する。

 

 

 

————あの鴉を今すぐ捕まえなければいけない。

 

 

 

「おいコラ鴉! 焼き鳥にされたくなければ今すぐ止まれ! 『パゼストバイフェニックス』!」

「今なら子守唄で眠らせてあげるわよ? 永遠にね…………! 神宝『ブリリアントバレッタ』!」

「あやややや! 記者たる者、脅しには屈しませんよ! 逃げるが勝ちです!」

 

 

————こうして、ジョーカーの逃走劇が引き起こしたもう一つの逃走劇によって、怪盗の正体が露見することは避けられた。

 

…………が、彼が怒り狂った鈴仙から逃げきったかどうかはまた別の話である……




色々悩んで書き直しながら形にしましたが、いかがでしょう。それなりにシリアスとギャグを入れつつまとめられたような気はしているんですが……

次回は番外編? にする予定です。


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番外編:『愚者』vs『正義』①

※注意
今回の番外編は本編として組み込むべきか悩んだ結果「こんなことがあったかもしれない、あったらいいな……」くらいの立ち位置になっています。理由は、本編として描写するにはやや根拠の弱かったりあやふやな設定になっているからです。
立ち位置としてはこの作品の二次創作……三次創作? いやでも一応コレ自分の作品だし……2.5次創作? くらいになるんですかね?

…………とにかく、そんな感じです。以上の旨を承知の上でご覧ください。

追記:サブタイを少し変更しました。


一人の小柄な少女が寝台に腰掛けている。

少女は虚空の一点を見上げるようにして動かない。何もないはずの場所を見つめる彼女は確固たる何かを観察するように時折視線を動かす。

やがて。

 

「凄い」

 

ポツリと一言呟いた。

そして意識を集中させるように目を瞑った少女は何かを掴みとるように手を(かざ)し————

 

「——————!」

 

驚いた表情で振り向く。

視線の先には何も無い。部屋の隅にできた影があるだけだ。

しかし少女は確信を持ってこう口にした。

 

 

「………………()?」

 

 

————影が、揺らめいた。

 

 

 

 

 

 

「————『まずは、深層まで沈みきった意識を表層まで引っ張りあげる。その後、意識と無意識を調整してバランスを取り戻させる』」

「…………具体的にはどうするの?」

「『引っ張りあげる方はこっちでやる。バランスの方はお前がやれ』…………って、ええ!? いきなりそんなこと言われても無理だよー!」

「……はい?」

 

突然横を向いてそこにいない誰かに話しかけるようにする少女に怪訝そうな顔を向ける永琳。

 

「あ、えっと、こっちの話で……だ、だからやれって言われても困るよ。この人の元々の……個性? 波長? ……みたいなのも知らないんだし……」

「…………あなた、いったい——」

「ねぇ!」

 

少女を問いただそうとした永琳の声は前のめりになった鈴仙によって遮られた。

向き直った少女に鈴仙は必死な表情で尋ねる。

 

「元々の波長がわかればなんとかなるの?」

「え? うーん……どうだろ。多分いける、かなぁ。私の能力はそこまで意識的に使うものじゃないから繊細な作業はむいてなくて…………」

「私がやる!」

「え?」

「元通りになるように意識の波長を操作すればいいんでしょ? 私がやるわ。だから手伝って。操作自体はできても意識と無意識そのものをどうこうするのは私一人じゃできない、だから!」

「こら、落ち着きなさい」

 

焦りのあまり少女に詰め寄る鈴仙の首根っこを掴んで引き戻す輝夜。

目を白黒させる少女に微笑み、しゃがんで視線の高さを合わせてから口を開いた。

 

「ウチのイナバがごめんなさいね。……聞かせて。今の提案で暁を戻すこと、できる?」

「えっと…………うん。できると思う。……私もこんなことするのは初めてだから自信は無いけど…………」

「それで充分よ。ありがとう」

 

困惑しながらも答えた少女の言葉を聞いてすっくと立ち上がった輝夜は振り返り、永琳と鈴仙の二人を交互に見る。

 

「さ。準備はいい?」

 

二人はその問いに顔を見合わせ、揃って頷く。

 

「…………気になることは色々とありますが、今は暁の方が重要ですしね」

「は、はい! やってみせます!」

 

彼女らの意思表明を確認した少女はおもむろに話を切り出す。

 

「…………じゃあ、まずは試してみよう。ね、兎のお姉さん。ちょっとこっち来てくれる?」

「え、わ、私?」

「そうだよ。早く早くー」

 

手招きする少女に従って鈴仙はおずおずと前に 出た。すると少女は鈴仙の後ろに回り込み、いきなりその背中に飛びつく。

 

「わっ! い、いきなり何を」と思わず身じろぎしそうになった鈴仙の肩にしがみつき、「いいから動かないで。掴めないじゃん」と少女は軽い調子で言った。

諦めて大人しくなった鈴仙の背中から少女は手を出して前を指差す。

 

「ほら、見える?」

「見える……って、何が? 竹藪?」

「……むぅ、これじゃダメか…………」

 

鈴仙の反応に不満がある様子の少女は首を捻り、今度は手をブンブンと上下に振ったりぐるぐる円を描くように動かす。

自身の背中に乗る少女の奇行に困惑する鈴仙、同じく困惑しながらそれを眺める輝夜と永琳。

しばらく色々と試していた少女はやがて何か得心がいったようにして、鈴仙の頭に生えた兎の耳をむんずと掴んだ。

 

「きゃっ!? ちょっと!」

「しー! 静かにして! 集中できない!」

 

そして、彼女の後頭部に自らの額を押し当てるようにして動きを止める。

そんな少女の様子をなんとか視界の端に収めようと鈴仙が必死に横目で後ろを伺おうとした瞬間、彼女はパチリと瞬きをする。

自分の正面——数歩分ほど離れたところに、薄ぼんやりとした透明な輪郭のようなものが見える。不定形であやふやなその輪郭を捉えようと彼女はジッと目を凝らす。

すると、波打つようにして決まった形を持たなかったその輪郭は次第に凝集していき、やがて人のような形に————

 

 

「————ここだっ!」

「ひゃぁぁっ!?」

 

 

背中の少女にいきなり耳元で叫ばれた鈴仙は思わず飛び上がり、勢いよく後ろに振り返る。

少女はいつの間にか鈴仙の背中から離れ、地面に降りていた。

どこか満足げな表情を浮かべた少女に対して鈴仙は抗議する。

 

「い、いきなり大声出さないでよ! びっくりしたじゃない!」

「ごめんごめん。仕方なかったんだよ。許して?」

「許して、じゃないわよ! そもそも今の一連の流れにいったいなんの意味が」

「「————鈴仙」」

「あった…………はい? なんですか?」

 

少女に弄ばれていたように感じた鈴仙は少女に不満をぶつけようとしたが、重なった輝夜と永琳の自分を呼ぶ声に反応し、二人を見る。

だが自分を呼んだはずの二人は自分に目もくれず、違う方向に視線が固定されている。

つられて鈴仙もそちらに目をむけ————絶句。

三人の視線の先、そこには。

 

 

 

「————ようやく終わったか。とっとと始めるぞ。こんなことに時間をかけてる場合か」

 

 

 

赤いペストマスクで顔を覆い、おとぎ話に出てくる王子のような格好をした少年が佇んでいた。

 

 

少女と同様、前触れもなく突然姿を現した何者か。三人がそれに反応して行動を起こすより、少年が動く方が先だった。

顔のペストマスクに手をやり、無造作に剥ぎ取る。

 

すると。

どこからともなく噴き上がった影が少年を覆い隠し、その影から踏み出すようにして少年が再び姿を現わす。

黒いバイザーに黒装束。一瞬で変貌した少年の姿を目撃した輝夜達は驚愕する。

それが初めて見る、理解のできない光景だったから————()()()()、ここ最近で何度も見たことのある現象だったからだ。

 

「今のは——————!」

「おい、お前ら」

 

驚きの声を漏らした永琳を遮るようにして全員に背中を向けた少年が声を出す。

 

「始めるぞ。構えろ」

「はい? いったい何を——」

 

少年は反射的に聞き返そうとした鈴仙を気にもとめず、自分から離れたところで仰向けに寝かされたままの暁を見る。

そして彼のほうへと手を伸ばし、その場で唱えた。

 

 

「——————〈()()()()()()〉」

 

 

——刹那、その一言に呼応するように意識も無いまま輝夜によって時間を止められているはずの暁が目を大きく見開く。

同時に蒼炎が迸るように溢れ出し、あっという間に彼の体を覆い隠す。そして、蛹を包む繭のようになったその状態からどんどん膨れ上がり、巨大化していく。

際限なく続くかと思われた繭の膨張は次第に速度を落とし、直径がおよそ十数メートルほどになる頃には完全に止まり————破裂した。

 

降り注ぐ蒼色の火の粉。

その中から姿を現したのは誰がどう見ても到底人間とは呼べない異形だった。

 

ベースは人の形をした巨躯。腰からは一対の漆黒の翼が生え、背中には硬質な輝きを放つもう一対の水晶、あるいは軽金属のような翼。しかし、そのどちらもが途中で折れ曲がったり捩れたりしている。体に見合ったサイズのそれらは真っ直ぐに伸ばされた状態であれば全長6〜7メートルにも及ぶであろうことがわかり、存在感をひしひしと示している。

胸部には埋め込まれるようにして三つの仮面があった。仮面の一つは黒く、残り二つは白い。

頭部はジョーカーが召喚していた【アルセーヌ】に酷似しているものの、顔は全体がひび割れており原形をとどめていない。

両手と両足からは何本もの鎖が垂れ下がりジャラジャラと音を鳴らす。

その巨躯からは目に見えない力が放射されているようにも感じられ、見る者だけではなく周囲全体に影響を及ぼすような禍々しさがある。

 

 

——総評すると、【アルセーヌ】をより大きく、より歪にしたような存在だった。

 

 

そんな怪物を見上げていた少年はバイザーに覆い隠された口角を曲げて笑みを作る。

 

「…………おいおい、これまた随分と愉快な姿になったもんだなぁ? 『心の怪盗団』の名が泣くぞ? ——ジョーカー」

「………………………………」

 

少年の言葉に反応して顔をそちらに向けた怪物——否、ジョーカーは声を発することなく静かに佇む。

数瞬の間、見つめあう両者。

 

————裂帛の気合いとともに少年が叫ぶのと、ジョーカーがその巨大な腕を振り上げるのは全くの同時だった。

 

「来い! 【()()】ィィィィイィィッッッ!!!!」

「————————ッッ!!!!」

 

振り下ろされたジョーカーの剛腕は少年を叩き潰す前に空中で止まる。

少年の目の前に突如として現われた、道化師のような格好をした存在が受け止めたからだ。

腕を振り下ろそうとするジョーカーの力と、それを阻む道化師の力は拮抗する。そこにジョーカーのもう片方の腕も振り上げられる。

 

「チッ!」

 

舌打ちをした少年は跳び退り、浮遊していた道化師も忽然と消え失せる。畢竟(ひっきょう)、抵抗が無くなったジョーカーの腕はそのまま振り下ろされ地面を砕くことになった。

それを一瞥すらせず、少年は苛立たしげに輝夜達に少女を加えた四人へ振り向く。

 

「何をボサッとしてやがる! さっさと手伝え! 俺一人にやらせる気か!?」

 

その悪態で思わぬ事態に硬直していた三人はハッとする。そして真っ先に鈴仙が少年に食ってかかった。

 

「い、いったい何したのよアンタ! つか誰よ! どっから湧いて出てきたのよ!」

「今更何言ってやがる! コイツの意識を引っ張り出すって言っただろうが!」

「引っ張り出す……って! どう見ても暴走してるじゃない!」

「そうでもしないとコイツが起きないからだろ! ごちゃごちゃ文句言ってんじゃねぇ!」

「もっと丁寧にやりなさいよ! ——ていうかアンタ、暁と同じ能力でしょ、今の! いったいどういうこと!?」

「だからいちいち説明してる場合かって————!!」

 

鈴仙と言い争う途中で背後をふり仰ぐ少年。その顔に影。すぐそこにジョーカーの振るった腕から伸びる鎖が迫っていた。

それを超人的な反応で上体を反らすことで回避し、叫ぶ。

 

「【ロキ】! 〈デカジャ〉ッ!」

 

少年の言葉に応えて再び虚空に現われた道化師——【ロキ】がジョーカーにむかって手を翳す。透明な光とともにガラスの割れるような音が連続して響いた。

途端に目に見えてジョーカーの動きが鈍くなる。鈍くなるとは言っても動作がやや遅くなっただけではあるが。

 

会話を続ける暇も無く、ジョーカーの相手をする少年。

縦横無尽に駆けながらジョーカーを翻弄する少年を眺めながら輝夜達に声をかける少女。

 

「ねえねえ、手伝わないの?」

「…………えーっと。とにかく、あの状態になった暁を大人しくさせろってこと? よね? 多分」

「……でしょうね。聞きたいことが積もる一方ですが………………ひとまず、全部後回しか。————うどんげ! あなたも!」

「へっ? は、はい! わかりました!」

「まとまった? じゃあ行こう! 表象『夢枕にご先祖総立ち』!」

 

言うなりスペルカードを取り出して元気よく唱える少女。彼女の周囲から無数の光線が発射され、互いに交差するようにしながらジョーカーへと殺到する。

少年と向き合っていたジョーカーは少女達に背中を晒していたため気づくのが遅れる。その間に光線は回避不可能な距離まで到達していた。

そのまま光線がジョーカーに突き刺さると誰もが予想した。————が、そうはいかなかった。

ぎこちなく羽撃くように動いたジョーカーの上側の翼に当たった光線はそのまま四方八方に乱反射され、ものによっては撃った本人へとそのまま跳ね返ってきた。

 

「うわっ! 跳ね返ってきた!」

 

驚いた少女は慌てて宙に浮かび光線を躱す。そこにも何本か飛んでくる光線を飛び回ることで避け続ける。

輝夜や永琳、鈴仙も流れ弾ならぬ流れ弾幕を躱してそれぞれの技を使用する。

 

「ごめんね暁。ちょっと大人しくなってもらうわ……! 難題『仏の御石の鉢 -砕けぬ意思-』!」

「私は足止めを! 天丸『壺中の天地』!」

「『マインドドロッピング』! からの……『リップルヴィジョン』!」

 

輝夜の周囲から放たれる光線に光弾、そして星の形をした弾幕がジョーカーへと押し寄せ、永琳のスペルによってジョーカーの周囲を囲むようにして別の光弾が現れる。身動きを制限された状態のジョーカーへ輝夜の弾幕に加えて永琳の無数の弾幕も殺到する。

さらに鈴仙の拳銃を模した手から上空に弾丸が撃ち出されクラスター爆弾のように破裂、散弾となってジョーカーに降り注ぎ、だめ押しで輪っか状になったビームも発射された。

 

ジョーカーは先ほどと同じく翼で光線や光弾を反射するものの、三人が同時に発動した弾幕の物量は圧倒的。その全てを反射することはできないし、反射したものも次から次へと迫り来る弾幕と打ち消しあって消滅する。

 

————結果。

数え切れないほどの弾幕がジョーカーに命中し、耳をつんざく轟音とともに爆発が起こった。

もうもうと煙が立ち込め、ジョーカーの姿が見えなくなる。

 

 

やった。これで終わりかどうかはまだわからないが、少なからずダメージは入ったはずだ。

そう思った一同が少し気を緩めたところに、

 

「——バカか! そんな程度でコイツが止まるわけないだろうが!」

「え…………」

 

煙を突き破るようにしてジョーカーが飛び出てくる。鈍重そうな外見とは裏腹の素早さに対応しきれず、ジョーカーから一番近くにいた鈴仙は自分に直撃する軌道を描く巨腕を見て恐怖の色を目に宿す。ただの人間より多少は頑丈な彼女でもあれを受けて無事ではいられないだろう。

 

「まずっ…………! イナバ!」

 

咄嗟に鈴仙にむかって手を伸ばす輝夜。普通に引き戻すのでは間に合わない。また能力を使って時間を—————

 

(——————え?)

「〈テトラカーン〉ッ!」

 

——————バギィィィンッ!!

 

少年の叫びを塗り潰すような轟音が空間を疾り抜けた。

ジョーカーの剛腕が鈴仙に直撃し——直後、()()()()()()()()()()()()()()

 

衝突の瞬間、ぎゅっと目を瞑った鈴仙は予想していた衝撃が全く無いことに疑問を抱き、おそるおそる目を開く。

 

「…………あ、あれ? なんともない?」

 

自分の体を見下ろして呆気にとられたように呟いた彼女の前に体勢を立て直したジョーカーの影が落ちる。

 

「——だから、よそ見してる場合かって言ってんだろうが!! 〈ヒートライザ〉ァッ!!」

 

鈴仙とジョーカーの間に割って入るようにして【ロキ】が出現。その全身が赤く輝いた次の瞬間、思いっきりジョーカーを蹴り飛ばす。

その蹴りの威力は凄まじく、ジョーカーの巨体を数メートル後方へと吹き飛ばした。

殺意すら感じさせる叱咤を鈴仙に飛ばした少年は自身のバイザーに手をやると、瞬時に王子のような格好へと再び変貌した。

 

「【()()()()()()】! 〈ランダマイザ〉!」

 

【ロキ】と入れ替わるようにして召喚されたのは大きな弓を背負った全身甲冑の騎士のような存在、【ロビンフッド】。

【ロビンフッド】が手を伸ばしてジョーカーを指し示すと、立ち上がろうとしていたジョーカーはがくんと膝を地面につける。

すかさず【ロビンフッド】は背中の弓を手にして矢をつがえる。引き絞られた弦の緊張が最高まで達した瞬間、

 

「射殺せ!〈メガトンレイド〉!」

 

物騒極まりない少年の命令に従って矢を放つ。

一秒にも満たない間にジョーカーとの距離を詰めた矢は頭部へと命中し、貫通こそしなかったものの盛大な衝撃を叩き込む。

 

ぐらりとジョーカーの体が傾ぐが、倒れる前に止まる。ゆっくりと体を起こしていくジョーカー。

ほとんど痛痒のないその様子を驚きもせずに見ていた少年は忌々しげに舌打ちをした。

 

(……チッ……やっぱこうなるか……ペルソナ能力者に『暴走(デスパレード)』を使うと理性はギリギリ残るのは()()()()実証済みだが、コイツの場合ペルソナと同一化なんて意味不明の状態の上、元々理性どころか意識が無い状態だったからな…………完全に暴走してやがる。単純な力で見るとパレスの主に近い…………しかも)

 

少年は視線を周囲に巡らせる。

 

(…………空間が干渉を受けて歪み始めてるな。ここら一帯がパレスになりかけてる。欲望の核が無い以上、おそらく最後まではいかないだろうが…………支配権はコイツにある。とはいえシャドウもいないし実害は無い、か?)

 

同時に、輝夜も同じことに思い当たっていた。

 

(…………さっき私の能力が()()だったのは暁に邪魔されたからじゃなかった。あの感覚…………最初から効果がなかった。……そもそも時間の流れを切り離してたはずの暁が私達と同じ時間の中で動いている時点で気づいてしかるべきだったわね。————()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()……ってことか。……マズいわね……最悪の場合には妹紅の奴も呼んで協力させようかと思ってたけど、今この世界で動けるのは私達しかいない。あいつはアテにできないか……)

 

「…………永琳、イナバ。先に言っておくわ。現状では私の能力は自分の加速くらいにしか使えない。今この空間を支配してるのは暁よ。そこんところを頭に入れておきなさい」

「! …………わかりました」

「………………」

「…………イナバ? 聞いてる?」

 

返事をしない鈴仙。

訝しんだ輝夜と永琳がそちらを見ると、鈴仙は俯いたまま拳を握りしめていた。彼女はギリッ、という歯軋りの音とともに震える声を出す。

 

「誰が、ここまで、運んできたと思ってんの…………? いきなりあんな状態になってて、私がどれほど心配したか…………それなのに…………それなのに………………!」

 

——勢いよく顔を上げた彼女は瞳を爛々と赤く輝かせていた。

 

「危うく死ぬとこだったじゃない!! いくら理性を無くしてるからって許さないわよ!! ボッコボコにしてやるから覚悟しなさいっ!!!!」

「「ちょ、待っ————!」」

 

言うなりジョーカーにむかって飛んでいく鈴仙を慌てて引き止めようとする輝夜と永琳。だが、もう遅い。

【ロビンフッド】の攻撃を受けながらも止まらないジョーカーは大振りの一撃を放つ。それを少年が操る【ロビンフッド】は受け止めようとしたのだが……

 

「短視『超短脳波(エックスウェイブ)』ッ!!」

「な————っ!?」

「!?」

 

そこに鈴仙がいきなり乱入してきた。上から落ちてくるようにしてジョーカーの目の前に自分の姿を晒した鈴仙。

信じられないものを見る目を彼女にむける少年。さすがにジョーカーもこれには意表を突かれて思わず目の前の鈴仙に意識がいく。

そして、彼女の赤く輝く瞳を正面から直視した。

 

「——————!!!?」

 

声にならない声を発したジョーカーは後ずさりし、自らの頭部を両手で押さえる。まるで激しい頭痛に襲われている人間のような仕草だった。

そこに遠慮容赦の欠片も無く、即座に追撃を入れようとする鈴仙はスペルカードを掲げ、朗々と唱えた。

 

「幻爆『近眼花火(マインドスターマイン)』!」

 

彼女の体から生み出されるようにしていくつもの大小様々な赤い玉が周囲に撒き散らされる。それは彼女の能力を凝縮させた『精神爆弾』。

 

(おい待て…………! ふざけんな———ッ!?)

 

空間を埋め尽くして溢れかえるほどの量になったそれらを見上げた少年は本能的にその危険性を察知。頰を軽く痙攣(ひきつ)らせ、無言のまま全力でバックステップする。

 

——少年が地面を蹴ったその瞬間。

『精神爆弾』は一斉に爆発した。

 

それぞれの爆風と衝撃波が互いに重なり合い、加速度的に膨れ上がる。精神に作用するはずの爆弾は物理的な破壊力を伴って一気にジョーカーを呑み込み、耳を(つんざ)く爆轟が幾万の悍馬となって空気を走り抜ける。

累乗に増大したその威力は圧倒的だった。

爆発の余波だけで捲り上がった地面。三人での同時発動弾幕に勝るとも劣らない程、鈴仙一人が行った破壊は凄まじかった。

 

その光景を見て少しは溜飲を下げたのか、満足そうな表情になる鈴仙。

そんな彼女に殺意を滲ませながら少年は怒声をぶつけた。

 

「ふざけんなよこのコスプレバニーッ!! いきなり割り込んできて見境なく爆弾ばら撒きやがって! 危うく巻き添えだ! 手伝えとは言ったが邪魔するならお前から消すぞ!!」

「なっ、こっ…………コスプレバニーですって!? これは自前の耳よ! 即刻取り消しなさい! それにそもそも、あれくらい言われなくても避けて当然よ、当然!」

「自前だぁ!? そのイタいコスプレみたいな耳がぁ!? はっ! 冗談はその格好だけにしろ!」

「はぁ!? そんなメルヘン王子様みたいな格好してるアンタに言われたくないんですけど!?」

 

ジョーカーそっちのけで口論を始めた二人。輝夜はその様子を見やりながらこわごわと傍らの永琳に尋ねた。

 

「…………ねぇ、イナバってあんなにアグレッシブな感じだったっけ? なんか性格変わってない? 前まではもっとこう……引っ込み思案というか、なんというか……あんまり見ず知らずの人間にグイグイいけるような子じゃなかったわよね?」

「そう、ですね…………」と困惑した面持ちで永琳も頷き、同意を示す。

 

「……暁の面倒を見させてる影響かしら。いったい何をどうしたらこんな風に……」

「…………まあ、良いんじゃないでしょうか? あの子も成長してるってことですよ」

「成長?」

「うどんげは良くも悪くもあまり自己主張してこない性質でした。てゐくらい打ち解けていて、なおかつ自分と対等に近い立場の相手じゃないとあそこまで自分を晒せない。それが今ではあんな風に自分から…………立派な成長でしょう」

「…………むぅ、そう言われるとそんな気もしてきたような……」

 

納得はしきれないものの、微笑ましそうな表情の永琳につられて輝夜はもう一度少年と鈴仙に視線を戻す。

 

「あ゛ぁ!? 殺すぞ!!」「やれるもんならやってみなさいよ! 暁ともども沈めてあげる!!」

「……………………」

「……………………」

「………………成長、なのよね?」

「………………だと、思います……」

 

そう答えた永琳の頬を一筋の汗が伝った。

 




本当はこの話にまとめたかったんですが下手したら文量が倍に膨れあがりそうだったのでやむなく分割。あまりお待たせするのもよろしくないような気がするので……

今回の話はジョーカーが意識不明になっていた時の裏側についてですね。
色々説明が足りないとは思いますので、感想にて質問していただければなんでもお答えします。


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番外編:『愚者』vs『正義』②

はい。まったく言い訳のしようもございません。
それでもいろいろと懺悔等々しようと言葉は用意していたんですが。
それよりも重大なことにたった今気がつきました。


書きかけのを途中投稿してましたね………………馬鹿……………………大馬鹿…………………………


それぞれの注意がジョーカーから逸れていたその瞬間、一陣の風が吹いて立ち込めていた土埃が割れるように払われた。

割れた土埃の間から姿を見せたジョーカーは動きがやや鈍く、消耗の兆しが窺える。

口論の最中だが目ざとくそれに気づいた少年と鈴仙はいったん口を閉じて視線を交わす。

 

「…………今は暁が先ね」

「ジョーカーを倒すのは俺だ。お前はすっこんでろ。敵味方の区別もつかないカスは邪魔になるだけだ」

「は? バカなの? どこの誰とも知らない不審者に任せられるわけないでしょ。アンタこそ隅っこの方で見学してたらどう?」

「………………上等だ。なら白黒つけるか。どっちが先にジョーカーを倒せるかで」

「それでいいわよ。吠え面かかせてやるわ」

 

バチバチと火花を散らしながら睨みあう二人はどちらともなく視線を外し、そのまま示し合わせたようにジョーカーにむかって駆け出す。

 

「……あ、見てる場合じゃないわ。私達もやるわよ」

「ですね。後ろからあの二人に誤射しないよう注意しましょう」

 

輝夜と永琳はそう言って頷きあい、弾幕を放つ準備を始めた。

 

 

ジョーカーはよろめきながらも自分に近づいてくる二人に無言で拳を振り抜く。

しかし大振りなうえにふらついて狙いが定まっていないその一撃はあっさりと外れ、地面を殴りつけるだけに終わった。躱すことすらなく拳から逃れた二人。

 

「『アキュラースペクトル』!」

 

まず仕掛けたのは鈴仙。

彼女が目を光らせた瞬間、その姿がブレるようにして何人もの鈴仙が現れた。

忍者のように幾重にも分身した鈴仙はジョーカーの周りを飛び回り、動きかけていた足を止めさせる。

ジョーカーは戸惑いながらも飛び回る鈴仙を叩き落そうと腕を振り回す。が、そのことごとくは空を切って当たることはない。それもそのはず、この鈴仙達は彼女の能力によって投影された幻影にすぎないからだ。

 

その隙にジョーカーに肉薄した少年は変身、バイザーに黒装束の姿となる。

そのまま走ってジョーカーの背後に回り込み、自らの顔を覆うようにして手をあてがう。

 

「〈ネガティヴパイル〉!」

「…………ッッ!?」

 

彼の命令に応じて即座に現れた【ロキ】がジョーカーの背後から首元にむかって黒いエネルギーでできた杭を発射し、命中させる。

ゴガッ!! と大きな音を立てて突き立った杭は貫通こそしないものの、ジョーカーの頭を勢いよく前に下げさせる。

そのまま【ロキ】はジョーカーの背中を思いっきり蹴り飛ばし、たまらずジョーカーはたたらを踏んで体を揺らがせた。

そしてぐるりと首を捻り、少年の姿を確認。再び拳を振り上げようとする。

 

しかしそこに入れ替わるようにして鈴仙の第二の攻撃が発動。

 

「幻弾『幻想視差(ブラフバラージ)』!」

 

ジョーカーを取り囲んだ鈴仙達が発射した何百もの銃弾が無秩序に跳ね回り、暴風雨のように視界を遮る。

その銃弾の嵐を迎撃しようとしたジョーカーは歪んだ翼を広げ、まとめて弾き返そうとする。

 

————だが、失敗。この銃弾の嵐すらも彼女の生み出した虚像に過ぎない。

 

防御の姿勢に入り硬直したジョーカー。

そこに飛来するのは——

 

「覚神『神代の記憶』!」

「難題『火鼠の皮衣 -焦れぬ心-』!」

 

後方で準備を終えていた永琳と輝夜の弾幕。

光線、光芒、光条、光弾——雑多に入り混じりながら押し寄せる色とりどりの破壊の波濤。

さらに。

 

「——この角度なら反射されないでしょ! 『サブタレイニアンローズ』!」

 

反射された弾幕を避けた後、全員の意識の外で密かに上空に陣取っていた少女が薔薇の形の弾幕を垂直に撃ち下ろす。頭上からの攻撃なら翼の可動域を超えているため防げないと判断しての行動。

 

「ハァ、ハァ…………狂夢『風狂の夢(ドリームワールド)』ッ!」

 

そして能力を酷使してかなり消耗しているにも関わらず鈴仙自身も後退しながら弾幕でダメ押しする。

彼女の体を基点として放射されるように連続して出現する光弾は至近距離にいるジョーカーの巨体をそのまま呑み込む。

それとほぼ同時に他の三人の弾幕も着弾。

 

一点で交差した弾幕(スペル)が生んだ純粋な破壊力によって音すら置き去りにした空気の振動が空間を伝播していく。

 

(マズ…………っ!!)

 

その爆心地であるジョーカーの近くから避難しようとしていた鈴仙。しかし消耗した体での後退が間に合わず、その振動の渦に巻き込まれる。

何重もの衝撃波が体の内側で反響。脳や内臓をシェイクされるような錯覚を覚えながら、彼女は一瞬で意識を刈り取られた。

そのまま紙切れのように吹き飛ばされそうになった彼女を咄嗟に捕まえたのは一足先に退がっていた少年。鈴仙をしっかりと掴んだ彼は自分と鈴仙を【ロキ】に庇わせる。

猛烈な爆風とそれに伴う衝撃波。【ロキ】から間接的に伝わってくるものと彼自身の肉体に直接かかる負荷の両方を歯をくいしばって耐える少年。

 

 

————ほんの数秒後。

日本庭園風に仕上げられていた敷地は跡形もなく、爆風が通り過ぎたところには見るも無残な更地だけ。

かろうじて家屋だけはもともと張られていた結界が功を奏して無事だった。

その光景を目の当たりにしながら【ロキ】の陰から身を起こした少年は体に走る鈍痛を無視し、チラリと背後に視線を送って尋ねる。

 

「…………おい、そっちは無事か?」

 

彼の視線の先には幾何学模様が浮かんだ半透明の障壁を張り、爆風から身を守っていた永琳の姿。その背後にはケホケホと咳き込む輝夜と抜け目なく避難していた少女の二人もいる。

 

「ええ、ギリギリ間に合ったわ。……それよりあなたとウドンゲは大丈夫? 距離が離れすぎてたからそちらにまで手を回す余裕が無かったのだけれど……」

「俺はどうということはない。……が、コイツは知らん。消耗したところに直に衝撃波を喰らって気絶してるな。とりあえずお前が面倒見ろ。俺がわざわざ守ってやる義理はない」

「ええ、もちろんよ。むしろ一緒に庇ってくれてありがとう。今すぐ治療するから渡してくれるかしら」

「…………ほらよ」

「わっ! ちょっと、何するの!」

 

永琳にむかって無造作に鈴仙を投げ飛ばした少年。それを永琳は慌ててキャッチし、少年のあまりに乱暴な渡し方を非難する。

だが、既に少年の眼中に彼女は無かった。

永琳達に背を向け、独り言のように呟く少年。

 

「さっきの一撃はさすがに耐えられなかっただろう。お前らの攻撃にあれだけの威力があるとはな。…………意外とやるな」

「…………自分達でやったこととはいえ、暁は大丈夫なの? まさか今ので————」

()()()()()()()

 

彼は語気を強めて永琳の言葉を遮る。

 

「そこの女を治療するって言ったな。……そんな暇は多分無いぞ。そいつと心中したくなけりゃせいぜい自分でなんとかするんだな」

「…………何を言ってるの?」

 

呟きのように漏らされたその言葉を耳にした永琳は首を小さく傾げた。

 

「——————イイこと教えてやるよ」

 

不可解な少年の言動に眉をひそめ、肩を揺らして笑う少年を睨む。彼は依然として視線を一面の土煙の方へ固定しながら、

 

「俺を負かした唯一の人間は」

 

心底愉快そうに、

 

「『心の怪盗団』のリーダーは」

 

口ずさむように、

 

 

 

来栖暁(ジョーカー)は——————()()()()()()()()()()()()()()()()

 

 

 

断言した。

 

 

 

————ィィィィィィィィンッッッ!!!!

 

 

少年の声を掻き消すような怪音が轟く。

それは人間の可聴範囲を半分ほど逸脱した、さながら怪物の歌声。

鼓膜を直接攻撃する暴力的な高周波に永琳はもちろん、輝夜や少女も反射的に目を瞑って耳を塞ぐ。少し顔を顰めながらも動揺すらしなかった少年だけが刹那の間に立ち昇った蒼炎の柱を目にする。

————その中に彼が予期していたものがあった。

 

 

完膚なきまでに打ちのめされたはずの、ジョーカーの姿が。

 

 

捻じ曲がり歪んでいたのが嘘のように真っ直ぐに伸ばされた、二対の美しい大翼。背中には巨大な車輪のようなものを背負い、破断されて垂れ下がっていただけの鎖は炎を纏って体の各所を保護するように巻きつき、胸に埋まっていた三つの仮面は全て白く輝いている。

縦横無尽に亀裂が走る顔の目と口に当たる部分からは炎がチロチロと噴き出し、鋭く尖った凶器のような指先を持つ腕は元からあったものに背中と腰の中間から生えた二本を加えた四本。

その巨躯が放つ圧力は数分前までのものとは比にならない。身体からに纏った炎の熱が周囲の空気を押しのけ、揺らめかせる。

 

 

そんな怪物を歓迎するかのように少年は両手を大きく広げ、哄笑する。

 

 

「ハハハハハッ!! やっぱりお前は最高だ!! それでこそ! それでこそジョーカーだ!!」

 

なおも湧き上がる笑いを口元を歪めることで堪え、彼は自分の掌をこめかみにあてがう。

 

「ククッ、『あの時』とは正反対の構図だな…………さて、遊ぼうぜ? ジョォォカァァァァァァッッッ!!!!」

 

 

————〈暴走(デスパレート)〉。

 

 

雄叫びに呼応するように少年から仄暗いオーラが際限なく立ち昇り、無秩序に周囲に溢れ出る。

ジョーカーはその様子を空中で静止したまま見下ろし————

 

 

 

 

次の瞬間。

ジョーカーの翼から純白のエネルギーが濁流の如く迸り、真っ向から少年を飲み込んだ。しかしそのエネルギーは少年に当たるとそのまま向きを変えてジョーカーへと殺到。寸毫の間に攻防が逆転する。

——だが、無意味。

反射された光はジョーカーに到達する前に突然現出した炎の海に包まれて焼失。

 

その時には既に両者とも動いている。

召喚された【ロキ】は赤熱した剣をどこからともなく取り出して炎の海を切り裂く斬撃を浴びせ、ジョーカーはそれを二本の腕を使って止め、残りの二本の腕が空気を殴りつけるように突き出されるとその軌跡をなぞって衝撃波が疾り抜ける。

偏差射撃のように回避行動も織り込まれた攻撃をアクロバティックに連続バク転することで躱した少年の体が仄かな燐光に包まれる。そして着地と同時に人間離れした脚力で地面を蹴って空中にいるジョーカーの頭部まで一気に到達。再び発光する体を捻り、側面から思いっきり蹴りを叩き込む。

人間の蹴りにしてはあまりに重すぎる衝撃がジョーカーの頭を揺らす。追撃を加えようとした少年は反撃の予兆を察知。今度は両足で頭部を蹴り、その反動で急速離脱。直前にいた空間は下から炎の顎門に喰い尽くされる。炎はさらに反転して瀑布となって降り注ぐが、少年は黒いエネルギーの渦をぶつけてそれを相殺。僅かに開いた隙間から安全圏に脱出。

 

その一方、剣を受け止められて膠着状態になっていた【ロキ】は一度姿を消し、次の瞬間ジョーカーの背後に出現。不意打ちを仕掛けた。しかし、ジョーカーの背中に生えた黒翼から無数の羽が舞い上がり、上下左右から【ロキ】を貫く軌道を描く。

これには【ロキ】もそのまま攻撃を続行することはできず、回避しきれない羽を剣で切り払いながら素早く後退して距離をとる。

間髪を入れず【ロキ】と少年の逃げ場を無くすように一帯の空間が爆発的に炎上するが、少年と【ロキ】に触れた炎はあらぬ方向へ反転してダメージを与えることはない。反撃として飛来する斬撃を同じく衝撃波によって打ち消し、ジョーカーは翼を広げて弾丸のように飛び出す。鋭角での切り返し、ジグザグと稲妻のような動きで少年に強襲。目で追いきれないほどの速度で少年を潰しにかかる。対する少年は正面から【ロキ】の剣で迎撃。

 

 

「————————ッッッ!!!!」

「死ィィィィネェェェェェェェッッッ!!!!」

 

 

——殺意の激突。周囲一帯に衝撃波と轟音が爆ぜる。ジョーカーと少年は二度、三度とそれを繰り返し、その度にビリビリと空気が震える。

 

 

「…………本当に、無茶苦茶してくれるわね……!」

 

その傍らで永琳は少年の言葉通り障壁の維持に掛り切りになっていた。周りへの影響を全く考慮しない少年とジョーカーの攻撃から自分や輝夜、鈴仙と見知らぬ少女を守るためだ。

……不死身の自分と輝夜はいい。

だが意識の無い鈴仙や、後ろの少女がこの破壊の応酬に巻き込まれたらひとたまりもないだろう。それは絶対に避けなければいけない。

単純に死なせたくないという心情だけでなく、あの状態の暁を元に戻すには鈴仙と少女の二人が必要になるという計算もあるからだが——どちらにせよ、自分は身動きがとれない。

どうにもできない現状に彼女が(ほぞ )を噛んだ、その時。

 

「——永琳! これは私が引き継ぐから、あなたは鈴仙を診てやりなさい!」

「……! わかりました!」

 

後ろにいた輝夜にいきなりそう指示された永琳はなんら異論を挟まず、すぐさま障壁を維持していた手を離す。そこに入れ替わるようにして伸ばされる手。

他人が発動した術を何の準備もなしに引き継ぎ、さらには完璧に制御するという離れ業をなんなくこなしてみせた輝夜は自らの力で永琳の張った障壁を維持しつつ、自身の能力によって補強する。永琳もその行動に微塵の驚きすら見せず、倒れたままの鈴仙の様子を確認し、大きな外傷は無いことを把握する。

ひとまず安心した永琳は体を揺らさないよう注意を払いながら鈴仙の頭を自分の膝に乗せ、呼びかける。脳震盪を起こしている可能性が高い以上、無理はできない。

 

「ウドンゲ、聞こえる? ウドンゲ?」

 

そうやって永琳が呼びかけること数回、鈴仙の瞼がピクリと僅かに震えた。

遅々として瞼が開き、焦点の合わない視線が宙を泳ぐ。

 

「………………師、匠……? あ……れ? 私、なんで……」

「……体は動かさないで、そのままでいなさい。まだ休んでいないと」

 

朦朧としながらも意識を取り戻した鈴仙を見て永琳の緊張も少し緩む。

月の兎といえど、脳震盪を起こした直後に動くことは不可能だ。……とはいえ普通の人間よりは体の頑丈さも回復速度も上回る。もうしばらく横になっていれば幾分マシにはなるはずだ。

鈴仙はぼんやりとしながらも己が師の言葉に従ってじっと横になって虚空を見上げていた。時間が経つとともにその目の焦点は次第に合っていき、やがて大きく見開かれる。

 

「………………そうだ、暁……! 師匠、暁はどうなったんですか……!? …………っ!」

「こら! まだ動くなって言ったでしょ!」

 

ようやく自身の置かれていた状況を思い出した彼女は体を起こそうとして崩れるように倒れた。慌てて彼女の体を支える永琳。その襟元を引き寄せるように掴み、なおも鈴仙は体を起こそうとする。

 

「……さっきの、攻撃の後…………暁はどうなったんですか……!? 元に戻ったんですか……!?」

「…………だから、少し落ち着きなさいって。能力の乱発に加えてあの爆風を直接受けたのよ? かなり消耗してるはずよ」と永琳は呆れたように窘める。

 

「はぁ、やれやれ……」

 

彼女はそっと鈴仙の上体を起こさせる。

永琳に支えられることで少年とジョーカーの戦闘が見えるようになった鈴仙は「嘘……」と息を呑む。

 

「あ、あの攻撃を喰らってほぼノーダメージ……? いや、むしろ最初より強くなってるんじゃ……」

「それは少し違うわ」

「…………え?」

 

かぶりを振って自分の言葉を否定した師を見上げる鈴仙。ジョーカーと戦う少年を目で追いながら永琳は説明する。

 

「さっきの攻撃は確かに効いていたわ。今戦ってる彼もそれは保証してた」

「…………でも、じゃあなんで暁はあのままなんですか?」

「『一度殺したくらいじゃ死なない』……彼はそう言っていたわ。その言葉の真偽はともかくとして……少なくとも暁が一度戦闘不能になってから“復活”したことは真実だと思う」

「復活、って……そんなのまるで…………」

 

まるで、蓬莱人ではないか。

 

彼女は絶句して視線を少年とジョーカーへ戻す。凄まじい攻撃の応酬。破壊を撒き散らすあんな存在が蓬莱人よろしく倒れたそばから何度も蘇るなど悪夢以外の何物でもない。……そんな暁と一人で互角に渡り合っているあの少年も大概だが。

 

「……私達みたいに無制限に蘇生するわけではないんじゃないかしら。仮にそうだとしたら『一度殺したくらいで』なんて回数を限定して言う必要はないわけだし」

「あ……確かにそうですね」

「それにさっきの彼の様子を見るに、倒せない相手に特攻を仕掛けるような悲壮感はなかった。断言はできないけど、きっと倒せる存在ではある」

 

淡々と自分の見解を述べる永琳。

その背後で、ざりっと靴が砂を噛む。

帽子のひさしを持ち上げた少女が目を丸くしてジョーカーと少年へと近寄る音だった。

フラフラと引き寄せられるように足を進める少女を見た永琳は慌てて引き止める。

 

「ちょっと! 何してるの? いくら障壁があるからって近づくのは危険よ?」

「……………………あ」

 

熱に浮かされたようにボンヤリとしていた少女は永琳の言葉で我に返った。驚いた表情で振り返った少女はパチパチと瞬きし、照れた笑顔を見せる。

 

「あ、あはは……うっかりしてた。ありがとね!」

「うっかりって……大丈夫なの? なんだか普通じゃなかったけれど」

「ちょっと気が抜けてただけだから大丈夫。あんなの見るの初めてだからつい引き込まれちゃった」

 

失敗失敗ー、と笑う少女はすぐに視線をジョーカー達に戻す。

我に返ってなお依然としてジョーカーや少年に注がれる彼女の熱い視線に疑問を覚える永琳。あの戦いの何がそこまでこの少女を惹きつけるのだろう。

その疑問に結論を出す前に永琳は障壁から手を離した輝夜に声をかけられた。

 

「永琳、こっちはもう大丈夫。私の能力も使ったし、解除しない限りは問題ないわ」

「……そうですか、ありがとうございます。ウドンゲも大きな怪我はありませんでした」

「それはよかった。……イナバも、よく頑張ったわねー」

「えっ? あ、えっと、はい。ありがとうございます」

 

思わぬ賛辞に戸惑いつつも頷く鈴仙。その様子を一瞥した後、輝夜もジョーカー達に視線を投げかける。

 

(…………お手並み拝見、といったところかしら。互いに拮抗したここからどうするつもりなのか……なかなか面白そうね)

 

興味の色を目に宿した輝夜はクスリと笑った。

 

 

 

————連続する爆発音が耳を殴りつける。鬱陶しいことこのうえない。だがまあ仕方ない。相手にしているのはコイツだ。

 

薙ぎ払うように振られた裏拳に対して下から〈エイガオン〉をぶつけて固定。懐に潜り込みながら〈チャージ〉、走る勢いそのままに全体重を乗せたドロップキックをみまう。ズンと重い衝撃が伝わってくるがたいして効果はない。

反撃とばかりに降り注ぐ業火にばかり気をとられていると足元から噴出する〈マハエイガオン〉と〈マハコウガオン〉に貫かれる。【ロキ】を瞬時に出して消すことを繰り返し、その度に体を引き寄せさせて強引に空中を飛び回る。

ガクンガクンと振り回されながら上下左右に回避するのは不愉快極まりない。殺す、殺す殺す殺す殺す殺す…………

 

────落ち着け。

 

殺意だけじゃコイツは殺せない。最後の一線は保て。理性が無かろうとコイツはジョーカーだ。適当な力押しで勝とうとは思うな。……仲間がいないのとペルソナの数が減ったぶんは暴走による凶暴化である程度カバーされてる。だからこそ、キッチリ狙う。

 

空中にいる俺めがけて飛んでくる拳は〈テトラカーン〉で反射。だけどジョーカーもバカじゃない。何度もやってるうちに学習されてる。反射したダメージを強引に無視した上で残りの腕を使って俺を握り潰そうとしてきやがった。

咄嗟に足元に【ロキ】を召喚。足場代わりにして跳躍、間一髪で難を逃れる。同時に【ロキ】の持つ剣を投げ渡させ、空中で体を捻りながら左手で掴んだ。そのまま袈裟斬りにジョーカーに切りかかったが全身のあちこちに巻きついた鎖が硬く、途中で止められる。クソが。面倒極まりない。

このままじゃラチがあかない。……ここらで一発デカいの当てて、一気にケリをつけにいくか。

 

俺がそう決断すると同時にジョーカーの動きが変化した。

空中で急制動し、静止したままこちらを見下ろす。奇しくもこの戦闘が始まった瞬間と同じ構図だが、続くジョーカーの行動は俺の予想を大きく外れたものだった。

 

四本ある腕のうち背中側から生えた二本を伸ばす。その動作に応じて俺の周囲が一瞬で灼熱の地獄と化す。俺は反射的に〈マカラカーン〉を使い身構えた…………が、

 

「────なに?」

 

燃え盛る紅蓮の炎は俺から一定の距離をとったまま襲ってこなかった。俺を中心とした円となってその場に留まる炎を訝りながら見やる。炎の壁はみるみるうちにそそり立っていき、ついには天蓋を形成して燃えるドームが完成した。

 

「…………ッ!」

 

次の瞬間、俺はあからさまな隙を見せていたことを自覚し、咄嗟にジョーカーを見上げる。攻撃を避けるか防ぐか。引き伸ばされた時間の中でそんな計算が組み上がり、そしてすぐに崩れ去った。

 

ジョーカーは、何もしていなかった。

不動のままこちらを睥睨している……ただのそれだけ。

 

加速した思考とジョーカーの攻撃に対応する構えに入っていた体の両方は予期せぬ事態に空回りする。

結果、数秒の硬直。空白の思考のまま無意識に息を吸い込み。

そして──それこそがジョーカーの思惑だったと気づいた。

 

(コイツ、まさか────!)

 

肺の中に取り込まれた空気。

常にはないその熱を感じた俺は顔を歪めて呻く。

 

「蒸し焼きにするつもりか…………ッ!?」

 

そう。ジョーカーの選んだ手段は単純明快。

()()()()()()()()()()()()()()

直接焼き殺そうとしても反射されて逃げられる。ならば間接的に殺せばいい。極限まで熱された空気は生物の体力を蝕むだけではなく呼吸によって肺に入り、内側から体を焼く。何をすることもなく、ただ待っているだけで相手は勝手に自滅してくれる。極めて合理的なアイデアだ。

 

そこまで考えた俺の頬を伝う冷や汗。……いや、本当に冷や汗かどうかも疑わしい。先ほどから超高温で熱し続けられている俺の周りはぐんぐん温度が上昇している。このままでは暑さに耐えきれず意識を失うだろう。

……とにかく肺をやられないように最低限の呼吸でこの状況を打開しなければ。そう思った俺は再び大きく息を吸い込み────自分の認識がまだ甘かったことを知る。

 

「……………ッ!!」

 

口内や喉が一瞬で乾く。そこまでは予想の範疇。しかし、それだけではなかった。

()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()

目一杯空気を吸い込んだはずなのに感じる息苦しさに思わずもう一度呼吸を繰り返してしまう。そして肺に流れ込む高温の空気。苦悶の声を漏らしそうになるのを堪えながら、俺はジョーカーを見上げる。

 

(えげつないな、オイ……本気で殺しに来てやがる……!)

 

()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()。ここまで見越してこの戦法をとったなら立派な策士だが、ジョーカーのことだ。実際にそれくらいの計算はしていただろう。苦々しさと愉快さが自然と口角を歪める。吸い込んだ空気を吐き出さないように口を閉ざし、速度を増していた鼓動を落ち着かせるように肩から余計な力を抜く。

 

(…………さてと。ここからどうする。強引に炎の壁を突っ切ったところで、その突っ切った場所を基点にまた新たな壁が出てくるだけだろうな。よってこの案は却下)

(……この場からジョーカーを直接攻撃するか? 手段はいくつかあるが……)

 

チラリと視線をジョーカーに移し、腕をそちらに持ち上げようと動かし、停止。俺のごく僅かな挙動に反応してジョーカーもほんの少しだけ体勢を変えたからだ。

 

(まあ、そうなるよな。四本ある腕のうち二本は使えないままだが、残り二本は使えるんだ。こっちが攻撃する前に直接潰しにかかってくるのは当然)

(むしろあそこに浮かんだまま攻撃してこないのはこちらに対する警戒か、あるいは炎を維持することでそこまで余裕がないか)

(……どちらにせよ、迂闊に手を出すわけにはいかないな。やるなら邪魔が入らないように『不意打ちで』、尚且つカウンターを喰らわないように『一撃で』決める必要がある)

 

ジリジリと肌を炙る熱気の中で連続して閃く思考。

 

(どのみち持久戦に持ち込まれたらこちらの敗北は確定なんだ。一撃で決めるのは必須条件。それを不意打ちで……か)

 

思考の過程でいくつかのアイデアが浮かび、それぞれを脳内で精査していく。成功する見込みが低いものから弾いていき、残ったものを更に修正。……不意をつける可能性が高く、万が一失敗しても継戦できる可能性が僅かにでも残る────

 

(────これならいけるか)

 

結論が出た。

俺は右半身を引く。その動きにジョーカーも反応するが構わない。徐々に全身を下へ撓《たわ》めていきながら力を込めていく。

ほとんど残っていなかった肺の空気も全て吐き出し、一気に吸い込む。流れ込む灼熱を無視。これから仕掛ける策が成功するにしろ失敗するにしろ、どちらにせよこれが最後の呼吸になる。

 

(────〈チャージ〉)

 

発動と同時に地面を思いっきり蹴りつける。倍加した脚力が瞬時に重力の軛を引き千切り、地面から宙空へと身体を運ぶ。

 

次の瞬間、視界いっぱいを漆黒が埋め尽くす。ジョーカーの攻撃。やはり余力を残していたらしい。上から降り注ぐ〈マハエイガオン〉は俺の体に触れたそばから〈マカラカーン〉によって反射され、俺よりも速くジョーカーへと殺到。ジョーカーはそれを両手から生み出した〈マハコウガオン〉の光で掻き消す。その間に俺とジョーカーの距離は肉薄せんばかりに近づいている。

 

(──────〈チャージ〉……ッ!)

 

激突するまでの僅かな時間にもう一度チャージを発動。〈マハエイガオン〉と〈マハコウガオン〉が相殺されて消滅。ジョーカーと俺の視線が重なる。一瞬硬直した動きから、思わぬ距離まで詰められていたことへのジョーカーの動揺を感じた。

 

ここしかない。

 

(〈ランダマイザ〉──!)

 

超至近距離への肉薄、そして弱体化の成功。これ以上ないほど上出来と言える成果はしかし、自分の身を慮外に置いた無謀な特攻を仕掛けたこと、そしてそれほど馬鹿げた行動を予想していなかった相手のほんの少しの思考停止によるものであり。

当然、その代償もまたしっかりと払わされることとなる。

 

 

 

「ゴ…………………ァッ……!!!?」

 

 

 

まず一撃。俺の顔面を粉砕する軌道をなぞった拳は〈テトラカーン〉によって弾かれる。

だがまあ、当然それで終わるはずもない。

間髪入れず振り抜かれるもう片方の拳。

メキグキバキボキグシャッッッ!!!! と何重にも聞こえる音を胴を中心として俺の全身が奏でる。それに僅かに遅れて去来したのは俺の身体を真下へ叩き落とす凄まじい運動エネルギー。

 

まさに致命的な一撃をくらい、瞬時に引き伸ばされた時間の中、激痛に塗り潰されそうな意識をかろうじて繋ぎとめる。焦点の合わない視界の中にジョーカーを捉え、徐々にそこから遠ざかっていく自分も知覚する。

殴られた衝撃でほとんどが絞り出された肺の空気。残されているというにはあまりに微量のそれに乗せて押し出すように口を開き、俺は小さな掠れ声を絞り出した。

 

 

 

「────〈ェ……ァ……ィン(〈レーヴァテイン〉)〉」

 

 

 

刹那。大上段に剣を構えた【ロキ】が拳を振り抜いた直後のジョーカーの()()に出現し─────

 

 

 

俺はその先を見届ける前に空気を揺るがす轟音とともに地面に叩きつけられた。

 

 

 

────ザアザア、ザアザア。

 

…………暗闇の中、激しい雨音のようなノイズが連なる。…………ああ、クソ、違うな。これは耳の血管に流れる血流の音だ。煩いくらいに響きやがる。……ハッ、こんな身体でも一丁前に赤い血は流れてる、ってか。……錆臭いな。喉もおかしい。鼻からも口からも溢れてんのか。ホント、クソッタレだ。頭が回らねぇ。

 

「────! ───────!」

「………………?」

 

止まらない耳鳴りの最中、別の何かが鼓膜を揺らす。

そちらに向けて頭を動かすことすら億劫だがなんとか視界にその何かを捉えようとする。が、視界の半分は真っ赤に染まって何がなんだかわからず、もう片方もぼやけているのか滲んでいるのか、とにかく不鮮明な有様だった。

 

そこまで認識して、ようやく思考が噛み合う。

自分の置かれた状況を、そしてこうして呑気に寝ている場合でないことも思い出す。

 

(…………だがまあ、今更か)

 

そう。今更だ。

どれほどの間かはわからないがもう自分はどうぞ殺してくれとばかりに隙を晒していたことだろう。それでいてなお今自分が満身創痍とはいえ意識があるということ、それは即ちジョーカーが戦闘を続行できない状態にあるということである。

 

(……ま、仲間のいないジョーカーを相手にしたところでどれほどの意味が有るかはともかくとして)

(それでも────俺の、勝ちだ)

 

仰向けに倒れたまま視線を空へ送る。

見上げた空は陰鬱な曇り模様。しかしその天頂、まさに自分の真上だけは巨大な裂け目によって雲が無く、青色が垣間見えている。

射し込んでくる光が眩しく感じられ、俺はろくに働かない目を静かに閉ざした。

 

 

 

「─────ぇ! ちょっと、大丈夫なの!?」

「…………ちょっと黙れ。騒々しい」

「なっ……!? アンタ、人がわざわざ心配してやってんのにその言い草は────」

「ジョーカーは」

「っ…………」

「今、どうなってる」

「……あの姿の暁をアンタが真っ二つにしたあと、人間の姿に戻って落っこちてきたわよ。意識は無いけど、命に関わる怪我も無い」

「そうか。なら、あとはお前らの仕事だ」

「………………ええ、そうね」

「俺は…………ここまでだ。所詮あのガキの力で呼び出されただけ。どのみちいつまでもここに居座ることなんざできないしな」

「それは………………」

「わざわざ、引きずり出して、やったんだ。最後くらいお前ら、がなんとか、しろ」

「わかってるわよ。……フン。結局、アンタ一人じゃ何もできやしないじゃない」

「チッ…………うるせぇ女だ、な……いいから、とっとと、行きやがれ……あの、バカが、待ってる…………」

「…………」

 

 

 

ザリ、と砂を噛む靴音がした。

次第に遠ざかっていくその音を聞いた俺はゆっくりと息を吐き。

 

 

 

ただ、元いた場所へと、還ることにした。



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Day after yesterday

「幽々子様」

「ん? あら妖夢、どうしたの?」

「言いつけ通り庭掃除を終えてきたのですが」

「まあ、もう終わったの? 早いわねぇ、お疲れ様」

「はい。ありがとうございます……いえ、それは今どうでもいいんです」

「そうなの? ……そうそう、あなたたちも蜜柑食べる? 甘くて美味しいわよ?」

「あ、いただきます」

「食べる食べるー!」

「幽々子様」

「なあに?」

「────そこの二人はいったいなんなのですか?」

 

幽々子様と同じ炬燵に入ってくつろぐ謎の二人組を見ながら私は努めて無感情に尋ねた。

 

私の記憶が正しければ、怪盗とやらと一戦交えたせいで少々荒れてしまった庭の掃除を始めようと母屋を出たついさっきまで、こんな二人はいなかったはずなのだが。というかそもそも誰なんだ。眼鏡を掛けたあまりパッとしない雰囲気の人間の若い男。帽子を被った妖怪と思われる少女。どちらも見覚えのない顔だ。というか今日は次から次に色々起こりすぎだ。ひょっとしてこれはいわゆる厄日というやつ?

 

謎の二人に蜜柑を手渡し自分も蜜柑の皮を剥き始めた幽々子様は「ああ、そういえばあなたはこの姿じゃわからないわね」とよくわからないことを言って視線を男に送る。その視線を受けた男は眼鏡の向こうで目を瞬かせた。

 

「えっと…………」

「自己紹介をお願いしてもいいかしら? 昨日の今日でやりにくいのもわかるけれど」

「……あー、はい、わかりました」

 

気まずそうに頰を指で掻いた男はすっくと立ち上がり、私と目を合わせた。そして右手で顔をすっと撫でるように動かす。するとそこには、

 

「…………昨日ぶり、とでも言えばいいのかな?」

 

─────あの怪盗が立っていた。

 

「……………………は?」

 

絶句する私の視界の端で今度はぴょこんと元気よく立ち上がった少女が高らかに名乗った。

 

「私は地底の妖怪、古明地こいし! よろしく!」

 

名乗るだけ名乗ると彼女はそのまま勢いよく座り、こちらへの興味も失せたようで蜜柑の皮剥きにいそしみ始める。

……私は意味不明な展開に対する衝撃と、もうどうにでもなれという諦観を同時に噛み締めていた。

 

 

 

「…………それで、結局なんでここにいるの?」

 

ひとまず落ち着きなさい、と幽々子に招かれて炬燵に入ってからしばしの時間が経ち、ようやく冷静さを取り戻した妖夢は話を切り出した。元の姿に戻って蜜柑を食べていた暁はその言葉に苦笑いを返す。

 

「いやその……なんというか、色々あって」

「私はその“色々”を聞いてるんだけど」

「まあ待ってくれ。ちゃんと説明するから」

 

暁は昨日の出来事を一つずつ思い返しながら口を開いた。

 

「冥界を出てから後、俺はひとまず追っ手から身を隠すために香霖堂という場所に向かったんだ」

「香霖堂は私も知ってる場所だけど…………追っ手? 追われてたの? 誰に?」

「あ、いやそれは、その…………まあ今は関係ない話だからいったん置いておくとして」

 

不思議そうな顔をした妖夢の問いに何故だか気まずそうな苦笑いを浮かべた暁は誤魔化して話を続ける。

 

「俺は逃げながらもなんとか香霖堂までたどり着いた────」

 

 

 

──怒り心頭に発した鈴仙からなんとか逃げきり、ジョーカーは香霖堂の近くまでやってきていた。

 

(か……体のあちこちが悲鳴をあげている……)

 

執拗に追いながら攻撃してくる鈴仙の弾幕が掠めた箇所はまるで硬いボールをぶつけられたかのような鈍痛がした。殺傷能力はないあたり一応手加減はしてくれていたようだが、やはり痛いものは痛い。

 

(とりあえず霖之助さんに匿ってもらおう……掠めたところもしばらくすれば【オンギョウキ】の回復力で治るはずだし……鈴仙は少し時間をおいて落ち着いた頃合いを見計らって謝りに行こう……)

 

ジョーカーはすぐそこに見えている香霖堂まで歩いていく。……が、なにやら騒々しい。物静かな霖之助が一人で騒ぐとも考えにくいが、来客でもあったのだろうか……などとジョーカーが首を傾げた直後。「じゃあな香霖! そういうことだから戸締りには気をつけろよ!」という大声とともに勢いよく店の戸が開いた。

 

さすがに見ず知らずの人間に姿を見られるわけにもいかないので慌てて道から飛び退いて身を隠すジョーカー。視線の先では店から出てきた金髪の少女が外に立て掛けてあった箒を手に持つ。そのまま少女は箒に跨るようにして地面を蹴る。重力を無視してふわりと浮き上がった少女はこちらに気づく様子もなく、かなりのスピードで飛び去っていった。

 

ジョーカーが呆気にとられていると、遅れて店から霖之助が出てきた。その表情は苦々しいとも困りはてているとも判別しがたいものであったが、しかし少なくとも愉快な表情ではないことは確実であった。

 

ひとまず他にも誰かいることを考え、変身を解いてから暁は霖之助のもとに歩いていき、少女が飛び去っていった方角の空を見上げたままの彼に声をかけた。

 

「あの、霖之助さん」

「!」

 

表情を驚愕のそれに一変させた霖之助は視線を暁に向ける。

 

「君か! いや、まったく恐ろしいタイミングで来たもんだね。驚きすぎて危うく心臓が止まるかと思ったよ」

「す、すみません。どうしたんですか? 尋常じゃない様子でしたけど……」

「ああそうだ! その話をしないといけないんだった! まさに君についての話だ、予想外ではあったがむしろ好都合と言える」

「は、はあ…………」

 

暁はらしくもなく興奮した様子の霖之助にただ困惑するばかりだった。そして彼に招かれるまま店に入り、あれよあれよと言う間に奥の座敷に通された。

困惑しきったままの暁を尻目に霖之助は急須から湯呑みに注いだお茶を口にし、その苦味で少し肩の力を抜いた。

 

「…………ふう。いやすまない。僕としたことが少しばかり焦りすぎていたよ」

「いえ、気にしていないので大丈夫ですが……本当にどうしたんですか? 俺についての話とのことですが、さっきの少女とも何か関係が?」

「ああ、実はその通りなんだ。これがなんとも厄介なことになってね…………」

 

お茶のものとは違う苦味を感じたように霖之助は表情を曇らせ、ため息をついた。彼は暁のぶんのお茶を注いで差し出しながら「魔理沙の奴……」と愚痴めいた独白を零し、暁は会釈してそれを受け取りながら「魔理沙、というとあの“霧雨魔理沙”ですか?」と鈴仙や輝夜たちから聞いて知った名前に反応を見せる。

 

「そう、霧雨魔理沙。なんだ、知っていたのかい?」

「いえまあ名前くらいは。“博麗の巫女”同様に異変を解決してきた人間と聞いています」

「そうかい。その認識でおおよそ間違いはないよ」

 

暁の返答に頷き、「さて」と霖之助は居住まいを正して口を開いた。

 

 

「単刀直入に言おう。魔理沙が動いた」

「動いた……と言うと、この場合」

「そう。()()()()だ」

 

重々しく言葉にした霖之助。だが暁は霖之助の言うことの重大さが未だ掴めずにいた。

 

「異変解決、ですか…………」

「そうだ。驚きもしないのかい? 相当肝が据わっているらしいね」

「いえ、その、それの何が問題なのかと思いまして……そもそも異変とは? 最近幻想郷で何か起きたんですか?」

「……おいおい、こともあろうに君が忘れたのかい? 幻想郷に限った話じゃない。()()()()()()()()()()んだろう?」

「………………!!」

 

ようやく霖之助の言うことに思い至り、暁は目を見開いた。

 

「時間が止まっている……そこまでは知らずとも『季節が変わらない』。これだけで立派な異変だ。……奇しくも、かの白玉楼の亡霊が巻き起こしたものと似ているね」

「……そうか、なるほど。俺がこの幻想郷に来てもう三ヶ月は経っている。本当ならもう春の兆しが見えていてもおかしくない頃合い…………」

「だというのに、外は依然として寒いまま。雪は降るし風も強い。怪しむ者が出てくるのも自然なことだと言えるね」

 

暁は霖之助の補足に頷き、そしてふと首を傾げる。

 

「……いや、でも無理ですよね? 原因もわかっていない異変の解決なんて。まして原因は幻想郷(ここ)にはない。どうするつもりなんです?」

「………………まさにそこが問題なんだよ」

 

霖之助は暁の問いに頭痛を覚えたかのようにこめかみに手をやる。

 

「霧雨魔理沙と、そして博麗霊夢。彼女たちが今までどうやって異変を解決してきたと思う?」

「どう、と言われても……原因となる相手と弾幕ごっこをする、ですよね? そう聞いていますが……」

「それは間違いじゃない。が、それだけでもない。永遠亭の人たちに聞かなかったかい?」

「いえ、それは…………」

 

 

聞いていなかった。いや、正確に言うと何故だか揃って微妙な表情をした彼女たちが言葉を濁していたのでそこまで聞けなかったのである。

 

 

「……いいかい、彼女たちは異変の原因をわかって異変の解決に臨むんじゃないんだよ」

「………………はい?」

 

霖之助のセリフに思わず聞き返す暁。そんな暁に霖之助はとんでもないことを口にした。

 

「異変の原因を知ってから弾幕ごっこを挑むのではなく、『()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()』んだよ」

「は」

 

冗談としか思えない霖之助の言葉に吐息のような一言だけを漏らし、絶句した暁はまじまじと霖之助の顔を見つめる。そしてその表情に冗談の色の欠片もないことを見てとった。

 

「…………え、いや、え?」

「……信じがたいだろうがね。正真正銘、事実そのものだよ」

「あの、それ、世間一般では通り魔って言いませんか………………?」

「…………」

 

唖然としながらもおそるおそる尋ねる暁に、沈鬱の表情を浮かべてそっと視線を逸らす霖之助。

 

「う、嘘だろ…………」

 

信じたくない気持ちから思わず漏れた暁の一言。頭では霖之助の言葉に嘘偽りは無いとわかっている。わかっているが、受け入れたくない。

 

「……わかるかい、この重大さが」

 

長いため息を吐いた霖之助は視線を床に落とす。

 

「異変の原因にたどり着くまで怪しいと思った相手に弾幕ごっこを仕掛ける。今まではそのやり方でよかった。博麗霊夢は持ち合わせた超常的なまでに冴えた“勘”で、霧雨魔理沙は異変に対する独自の嗅覚と思考によって最後には必ず異変の原因に行き着いていたんだ」

「……しかし今回に限ってはそうもいかない。なにせ、元凶は君の話によるととんでもなく厄介で強大な相手だ。それに、そもそも幻想郷の外にいる。異変を解決するどころか彼女たちがたどり着くこともないだろう」

 

 

「────つまるところ。彼女たちはただ目についた怪しそうな相手に片っ端から喧嘩を売り続けることになる…………ということだ」

 

 

 

「最悪じゃないですか」

「だね」

 

ポツリと零した暁の言葉に霖之助は深く頷いた。




前回あまりにも待たせた挙句あまりにもアホなやらかしまでしていたのでせめて今回はできるだけ早く投稿しようと思いましてちょっと頑張りました。割とリアルでアレな時期なんですがまあいいやもう!(自棄

そういやP5Aの主人公の名前、「雨宮 蓮」でしたね。やっぱり漫画版と違うじゃないか! どうしてくれんのこれ(憤り
……というのはさておき、この名前にどうも聞き覚えがあると思ったらGEB(ゴッドイーターバースト)に出てくる「雨宮 リンドウ」の息子の「雨宮 レン」でした。ツイッター見たらどうやら同じ感想を持った人もそこそこいて嬉しかったです。


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His own will

「問題はそれだけじゃない」

「まだあるんですか…………」

 

嫌そうな顔をする暁。それに対して霖之助は諭して聞かせるように語る。

 

「むしろこちらの方が問題だ。喧嘩云々は笑い話にならなくもないし、標的になるのは基本的に妖怪たちだ。頑丈だし、そうそう死ぬこともない。さほど気にしなくていい」

「結構ぞんざいな扱いですね……」

「まあそれはさておいて聞きたまえ。……いいかい? 原因を突き止めてから動くわけでなくとも、原因の推測くらいは誰だってする。当然、魔理沙もさしあたっての目星はつけている」

「……まあ、そうでしょうね。……それで、その目星とやらはいったい誰なんです?」

 

(目星と言っても全員ハズレなんだけどな……)とは思ったが、口にはしなかった。

 

「とりあえず四、五人ほど怪しんでいる相手がいるらしい。まずは冥界の管理者、西行寺幽々子。これはさっきも言った通り、以前彼女が引き起こした異変と今回の異変は一見同じだから至極当然だね」

「なるほど」

 

つい先ほど言葉を交わした相手を脳裏で想起しながら相槌を打つ暁。

 

「永遠亭の主、蓬莱山輝夜。彼女もまた異変の元凶となったことのある前科を持つし、その能力で時に干渉することもできる。これも候補の一人だね」

「吸血鬼が住まう紅魔館で働く従者、十六夜咲夜。これまた時間に関わる能力を所持している。とはいえここまで大規模に能力を使えるとは聞いたことがないし、そこまで怪しくはないかもしれない……と、魔理沙は言っていたね」

 

そこでいったん言葉を区切り、お茶を啜って一息つく霖之助。

 

「…………幻想郷そのものを管理する妖怪、八雲紫も候補に入っていた。なにせ思考も存在も謎めいた相手だ。どんな意図で何をやるか予想もつかないし、やった後でもわからないことも多い。それにこんな異変を引き起こせるだけの力も持っている」

「…………」

 

霖之助が語った異変の元凶の候補。それを聞いていた暁は僅かに違和感を覚えていた。

 

 

西行寺幽々子と八雲紫はわかる。片や立派な前科持ち、もう片方も疑われるのももっともな妖怪だ。……だが、輝夜ともう一人がその候補に挙げられるのはやや不自然ではないか? 表面上、今幻想郷に起きている異常は「季節が冬のままである」ことだけ。ならば……そう、例えば雪や氷、あるいは冬そのものに関係する妖怪の方が真っ先に疑われてしかるべきなのでは──

 

 

「────そして、あと一人」

「!」

 

霖之助が口を開いたことで思考が中断される暁。

 

「異変が起こったと同時期に現れ、堂々と予告をして物を盗んだかと思えばその持ち主の原因不明の不治の病を治し、人とも妖怪ともつかない謎の存在……………」

「………………」

「そう。()だ」

 

眼鏡越しの視線が真っ直ぐにぶつかる。

 

「はっきりと口にはしていなかったが、魔理沙は間違いなく君を──正体不明の“怪盗”を元凶じゃないかと睨んでいる。まあそれも当然だろうね……僕だって知らなければあまりに胡散臭すぎて疑うしかないよ」

「…………なる、ほど」

 

思いがけないと言えば思いがけない、しかし、心のどこかでなんとなく予期していた言葉をすんなりと暁は受け入れた。

 

「問題というのはここでね。『君が異変の根幹に関わっている』という一点を抜き取って見ると、まったくもってその通りなわけだ。正しくはないが、間違いではない」

「ええ、そうですね」

「故に、おそらく魔理沙は君のもとまでたどり着くだろう。君こそが元凶であるという勘違いを抱えたまま」

 

霖之助は言葉を区切った。そして眼鏡をおもむろに外し、服の袖でレンズを拭きながら何度目かになるため息を漏らす。

 

「君は自分の力を取り戻すため、この幻想郷を巡ってその存在を誇示しなければならない。それがひいては外の世界にいるという君の敵を倒し、全てを解決するための道のり…………そうだね?」

「…………はい」

 

暁は噛みしめるようにゆっくりと頷く。

 

「……しかし、異変解決を目指す魔理沙は確実にその障害となる。なにせ、最終的には君を倒すことが目的となるんだからね。知っているかはわからないが……この幻想郷における弾幕ごっこというのは単なる決闘というだけでなく、ある種の()()()にもなり得るんだ」

「格付け…………」

「そう。弾幕ごっこで強いというのは幻想郷において、それだけで一目置かれる要素だ。例えそれが貧弱で、襲われたら人間にすら勝てないような取るに足らない妖怪であろうとも、弾幕ごっこが強いならその妖怪は“強い”。……そういうことになる」

 

暁は霖之助の滔々とした語り口に引き込まれる。

 

「……無駄に長い話をしてすまないね。要するに、君が弾幕ごっこで魔理沙に負けてしまうとその時点で格付けがされてしまう……ということを懸念しているんだ、僕は。それは、あまり好ましいとは言えないだろう?」

「…………そう、ですね。それだけで何が決まるというわけではないかもしれませんが……」

「ああ。君がやりたいのは自分を実力者であると幻想郷の住人に認めさせること。なら、その過程で誰かに敗北するのは悪影響しかないだろう」

 

ようやく霖之助が難しい顔をしていた理由をはっきりと理解した暁。そして彼自身も突如降って湧いた問題で眉間に皺が寄る。

 

「なるほど…………うーん…………」

「……もちろん、僕もなんとかやめさせようとはしたんだが……さすがに異変解決をやめろと言うわけにはいかないし、かと言って君に無断で事情を明かしていいわけもない」

 

レンズが綺麗になったのを確認した霖之助は眼鏡を掛けなおした。

 

「さらに事情を明かした後に魔理沙がどう動くかもわからない、なんとか言いくるめられないか……と、まあ色々考えているうちに、あの子はこっちの話なんてほとんど聞かずに飛び出していったわけだ」

 

と、肩を落とした霖之助は疲れを滲ませた声色でそう締め括った。顎に手をやってしばし考え込んでいた暁はややあって頭を下げる。

 

「…………すみません、俺のために苦労をかけさせてしまいました」

「気にするな。どのみちああなった魔理沙が止まるとも思えない。次また来た時に一応、説得を試みようかとは思うが……」

「……いえ、大丈夫です」

 

暁は芯の入った声ではっきりと断った。

 

「結局のところ、俺が幻想郷を巡る間に彼女に負けなければいい話です」

「……本当にそれでいいのかい? こう言うのもなんだけど、弾幕ごっこにおいての魔理沙は、この幻想郷の中でも間違いなく屈指の強者だよ?」

 

確認する霖之助の問いに真剣な眼差しを向けて返答する。

 

「無論、極力そんな事態にならないようにはするつもりですが……出会ってしまったとしても負ける気はないです。見つかる前に目的を達成するか、もしくは正面から勝ちに行くか。どちらにせよ、それくらいこなせないようなら力を誇示したところで意味がない」

「…………そうかい。君がそう決めたのなら僕からはもう何も言うことはないよ」

 

霖之助は頷いて、暁の意思を尊重する姿勢を示した。暁は黙って頭を下げ、おもむろに立ち上がった。

 

「…………それでは、俺もそろそろお(いとま)することにします。重要な話を聞かせていただき、ありがとうございました」

「菓子も出せずにすまなかったね。あいにくと切らしていたんだ。次来る時までには準備しておく……と言いたいところなんだが、君はしばらくここには近づかない方がいいだろうね」

 

霖之助は申し訳なさそうにそう言った。

 

「僕と魔理沙はなんというか……昔からの知り合いでね。あの子が連絡も無しにいきなりここに来るなんてしょっちゅうだし、今日もそうだった。異変解決に動くからお前も気をつけろ、とわざわざ言いに来たんだ」

「……ああ、それで『戸締りに気をつけろ』と」

「聞いていたのかい。まあそういうことだ。異変解決に専念するならここに来る理由は薄いはずだが、万が一ばったり出くわしたりしたら面倒だろう?」

「さすがにそれは勘弁願いたいですね……わかりました。ではもし用事があれば、鈴仙あたりに頼むことにします」

「そうしたまえ。…………くれぐれも気をつけるようにね」

「はい。お邪魔しました」

 

 

そう言って暁は香霖堂を後にし、永遠亭に戻った。未だにご立腹だった鈴仙に必死で頭を下げ、輝夜と永琳にてゐも呼んで事情を説明し、彼女たちの了解を得たところでその日は終わった。

 

 

 

「────というわけで、彼女を異変の元凶と思った霧雨魔理沙嬢がここにやってくるかもしれないということを野暮用ついでに一応伝えにきたというわけだ」

 

片手で幽々子を示しながら、自分の正体や目的、外の世界の出来事についてはボカしたり省略した説明を暁は締め括った。

長い説明を聞き終えた妖夢は顔を両手で覆い、憂鬱さを全面に出した声で暁に確認する。

 

「……ええっと、色々よくわからないけどつまり? 季節が変わらない異変を解決するために魔理沙さんがここにやって来て暴れるかもしれないから気をつけろと?」

「そうだな」

「………………………………」

 

完全に炬燵に突っ伏して動かなくなった妖夢から放たれるどんよりとした負のオーラ。それを感じとって暁はややたじろぐ。よく聞くと「掃除……」「後片付け……」などという単語が漏れ聞こえてくる。

声をかけていいかもわからないその様子に戸惑った暁は助け舟を求めるように幽々子を一瞥し、視線が合う。

 

声には出さず(どうすれば……)と目で尋ねる暁に対してにっこりと笑い、ウインクしてみせる幽々子。そして皮を剥いた蜜柑を口に放り込んで一息で嚥下し、口を開いた。

 

「妖夢、そんなことを今考えていても仕方ないでしょう?」

「…………それはそうですが……しかし……」

「どうにもならないことを考えて気を滅入らせるなんて時間の無、駄! そんな暇があるなら剣をとって稽古でもなさい」

「…………! ……そう、ですね。申し訳ありません。おっしゃる通りです」

 

幽々子の言葉に反応した妖夢は目に光を取り戻して体を起こし、頭を左右に数回振る。……気持ちを切り替えたとも、現実から目を背けたとも言える。

 

「…………よし。やるわ! ……ファントム! 昨日言った言葉通り、早速付き合ってもらうわよ!」

「…………」

「ねえ、聞いてるの?」

「! ………………あ、ああ。わかった」

 

ファントムと名乗った経験はあれど呼ばれるのはこれが初めてだったため反応が遅れる暁。心なしか自棄になった様子の妖夢はそんな彼をおいて一足先に庭に出ていく。

これで本当にいいのか、と視線を向ける暁に「いってらっしゃ〜い」と幽々子は手を振ってみせる。続いてこいしも「頑張ってねー」と呑気な応援をしながらこちらに目もくれず、一心不乱に蜜柑を次から次へと口に運ぶ。

 

「…………」

 

別に何もおかしいことはないのだがどうにも釈然しない思いを抱きつつ、暁も炬燵から抜け出して妖夢の後を追った。




P5DとP3Dめっちゃ楽しみですね……アレンジ曲聞くのも、専用のアクターを用意したっていうダンスを見るのも両方。特にP3Dは色々特別ですよね……初めての3Dモデリングだし。早くやりたいですね〜〜


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瞳の中の非存在少女

いつのまにかお気に入り700突破しててビックリしました。拙作を読んでくださる皆様、ありがとうございます。感想や評価も大変励みになります。不安定な更新ですがなんとか気長に待っていただけたら幸いです。


連続する剣戟の音色が、澄み渡った空気を伝播していく。

 

「そこっ!」

「くっ……」

 

鋭い一閃。甲高い金属音とともにジョーカーの持つ刀は呆気なく宙を舞い、足元に突き刺さった。

白い息を緩やかに吐きながら残心をとり、妖夢は自分の“楼観剣”を鞘に納めた。対するジョーカーはため息をついて両手を挙げる。

 

「参った、降参だ。……動きについていくので精一杯だな。ここまで動けないのは我ながら情けない」

「何が動けない、よ。そもそも剣において赤ん坊同然の相手に多少なりとも粘られてる時点で私の立場が無いじゃない」

「そこはまあ、剣以外のところで培ってきたからな。躱したり見切るだけならそれなりにできるさ。肝心の剣の腕がお粗末すぎて、受けることも斬ることもままならないがね」

「そうね。今のあなたはただ自分の身体能力に物を言わせて剣を振り回してるだけ。いっそ持たない方がいいくらいね」

「…………耳が痛いよ」

 

苦笑したジョーカーは妖夢に弾き飛ばされた“薄緑”を拾う。そんな彼に妖夢は問う。

 

「ねえ、どうして剣を使おうとするの? 他に使ってきた武器があるんでしょう? それで戦えば……」

「ダメだ」

「!」

 

急に硬い声になり、明確な拒否の意思を示すジョーカーに妖夢はたじろぐ。手にした“薄緑”を見つめるジョーカーの横顔は、仮面ごしにでもわかるほど真剣な表情をしていた。

 

「今までと同じじゃダメなんだ。それじゃ足りなかった。だから……俺は、強くならないといけないんだ」

「………………」

「そのための課題の一つとしてこれがあるだけだ。他にもできなければいけないことはまだまだある。ダメなんだ。このままじゃ……」

 

言葉を絞り出したジョーカーはそれっきり沈黙する。悔恨の滲むその独白を遮ることなく聞いていた妖夢はしばらくしてため息をつき、口を開く。

 

「……黙って聞いていれば、ずいぶんと馬鹿馬鹿しい。強くなるために剣を握る? 間違いじゃないけどね、そんなあれもこれもやろうとしてる心構えで簡単にいくほど甘いもんじゃないわよ。舐めてんの?」

「っ………………」

 

切れ味のいい妖夢の指摘に思わず奥歯を噛むジョーカー。反論のしようもない。

 

「だいたいね、貴方程度が自分の実力に悩むなんて分不相応にもほどがあるわよ。卵から孵ったばかりの雛鳥がいっちょまえに空見上げて飛ぼうとしてどうすんのよ。そんなことするのは相応の時間をこの道に捧げる覚悟を決めてからにしなさい」

 

鋭い言葉と裏腹に妖夢の表情に怒りの色はない。ただ淡々と言葉を続ける。

 

「私なんかもう何十、何百万回剣を振ったかもわからないけど迷い続けてる。この道は片手間に進んでいけるほど、簡単でも楽なものでもないわよ」

「…………その、通りだ。君の積み上げてきたものの価値を貶めるような発言だった。……すまない」

 

自分の発言が無思慮なものだったと気づいたジョーカーは深く頭を下げて妖夢に謝罪した。対して肩をすくめた妖夢は腕組みをし、柔らかい声色でジョーカーに言う。

 

「……それに、当たり前のことだけど剣の鍛錬を積んでも剣術が上達するだけよ? あなたも既にわかってるだろうけど、武術はそれぞれに違う動きの“型”がある。半端にあれこれ身につけてもかえって歪むだけ。百害あって一利なしよ」

「だからこそ、あえて聞くわ。あなたの求める強さっていうのは何? 本当にあなたが必要としているのは剣術を修めることなの? あなたは、どうしたいの?」

「…………! ……それは……」

 

 

思わぬ問いに考え込むジョーカー。その様子を妖夢は真剣な顔で見守る。……ややあって、ジョーカーは口を開いた。

 

 

「俺は──とにかく、敵を倒すための手札を増やしたかった。剣はその選択肢の一つ。別にその武器を極めようとは思わない。ただ、敵を倒せればそれでいい」

「…………やれやれ、ずいぶんとまあ物騒な答えが返ってきたわね」

 

妖夢は苦笑する。彼の言う「倒す」が実際のところ、もっと血腥いものであるのは察しがつく。しかし、そこにはあえて言及しない。その「敵」とやらがなんであるかも。

 

「……なら、やっぱりあなたは剣術を学ぼうとするべきじゃないわね。剣術はあくまで剣のみを振るうためにあるんだから。むしろあなたがするべきなのは本来の自分の戦い方に立ち返ることよ。その動きの上に剣を“乗せる”。……邪道もいいところだけど」

「……なるほど」

 

妖夢の真摯なアドバイスを自分の中で反芻し、納得する。

 

「……ま、そんなものは所詮付け焼き刃にすぎないわ。どこまで効果があるかは未知数だけど………少なくとも、半端に剣術を身につけようとするよりはマシよ」

「…………重ね重ねすまない。そしてありがとう。おかげで自分が本当にやるべきことがわかった気がするよ」

「別にいいわよ。こっちとしても稽古相手を求めてるのに、その相手に変な癖がついて弱くなるなんてごめんだもの」

「ははっ、違いない」

 

軽く笑うジョーカー。そしてその手に持った“薄緑”を音も無く消失させる。妖夢はその光景を見てもはや驚こうともせずに呆れ声を出す。

 

「ホントなんでもありね。いっそ手品師にでも転職したら?」

「ふっ、廃業したらそれも視野に入れておこう」

 

言いながらどこからともなく取り出したのは一本のダガー。それに、

 

「…………何それ?」

「知らないか。拳銃という道具なんだが」

 

“R.I.ピストル改”。モデルガンを更にカスタマイズしたものだ。

 

「銃? こんな小さいのが?」と妖夢はジョーカーから受け取ったそれを物珍しそうに矯めつ眇めつする。「銃そのものは知っているのか。……幻想郷の技術の進歩具合はいまいち掴みにくいな」と呟くジョーカーに「何か言った?」と聞き返す妖夢。

「いや、なんでもない」と首を横に振って手渡された拳銃も“薄緑”同様に消失させるジョーカー。そして手の中でくるりと回転させたダガーを逆手に握り、軽く振るう。

 

「今の拳銃とこれが俺の武器だ」

「ふーん、なるほど……私の“白楼剣”よりも短いわね。かなり間合いを詰めないと使えなさそうだけど」

「ある程度の距離まではさっきの拳銃でカバーできるからな。……それ以上離れてたら離れてたでまた違う手段はあるし、な」

「……へぇー……」

 

自分ならどう戦うか想定しているのか、まじまじとダガーを見つめながら考え込む妖夢にジョーカーは「……試してみるか?」と尋ねる。その声で我に返った妖夢は「……え?」と瞬きして首を傾げた。

 

「さっきは君の稽古になるほど俺が戦えていなかっただろう? だから今度はこちらでお相手しよう。今のアドバイスに対する返礼も兼ねて」

「……いいじゃない。受けて立つわ」

 

きょとんとした表情から一転、引き締まった顔になる妖夢。彼女は“楼観剣”を引き抜き、脇構えでジョーカーに相対する。

 

 

「先手は譲るわ。どこからでも好きなように来なさい」

「……そうか。ではお言葉に甘えて────」

 

息を静かに吐いて脱力するジョーカー。右脚を後ろに下げて半身になる。

次の瞬間。

 

ギュルッ! とその場で独楽のように高速ターンしたジョーカーを見て、妖夢はその速度に少し驚きながらも反射的に予想した。この勢いで右手のダガーを振るうのだろう、と。

しかし、

 

「なっ!?」

 

その予想に反してジョーカーが選択していたのは後ろ回し蹴り。コンパスのように軸足を基点にした左踵が美しい円弧を描いて側頭部へと迫る。咄嗟に上体を反らした妖夢は、崩れそうなその体勢から右手を地面につけて体を支え、反動をつけて跳ね上がるように上体を起こしながら左手だけで無理やり斜めに斬り上げる。蹴りを放った直後のジョーカーは無理に避けようとせず、体の側面に来ていた右手のダガーで受ける。さすがに不安定な体勢で完全に衝撃を殺すことはできず、激しい金属音とともに弾かれた。横にむかって倒れこみながら妖夢と同じように左手を地面につき、一瞬折り曲げた肘を伸ばす、その反動だけで勢いよく自身を浮かせる。バネのように跳ね上がった体を空中で捻りながら着地。まるで曲芸のような動きである。

 

 

距離をとって再び妖夢と対峙したジョーカーはそこから攻勢を続けるわけでもなく、両手をポケットに突っ込んで笑う。

 

「お好きに、とのことだったからな。……どうやら驚いてもらうことには成功したようだ」

 

妖夢は呆れとも感心ともつかない表情で剣を正眼に構えなおす。

 

「何よ今の……さっきまでと身のこなしが違いすぎるでしょ。……というか、意表を突くためとはいえ、剣構えてる相手に蹴りなんて選ぶ?」

「君は“楼観剣”を脇に流すように構えていただろう? あの至近距離で左からくる蹴りをその長物で迎撃するのはまず無理、そもそも振るう前に止められる……と思ったんだが。まさか仰け反りながら、それも片手で振り抜くとは恐れ入った」

「それを防いだあなたも大概だけどね。咄嗟のことだったからかなり本気で斬ろうとしたんだけど。……怪盗、ねぇ? さすがに素性が気になるけど…………」

「………………」

「……ま、そうよね」

 

答える気はない、とばかりに肩をすくめて何も言わないジョーカー。妖夢も最初から答えを期待していたわけでもなく、特に気にした様子はない。

 

「いいわ。それより続けましょう。……弾幕を使わず剣でやりあえるなんていつぶりのことかしら」

「俺もあまり対人というものは経験したことはないからどこまでやれるかはわからないが……やれる限りはやらしてもらうさ」

「上等。来なさい」

「言われずとも」

 

 

──────刹那に詰まる彼我の距離。

交錯する二つの影が連続する刃鳴を生み出して、火花散らす剣の舞が再開された。

 

 

 

一方。

炬燵に入ったまま黙々と蜜柑を食べ続ける幽々子とこいしの二人。遠くから小さく剣戟の音が聞こえてくるが、それ以外はいたって静か。時たま使用人の幽霊が廊下を通るくらいだ。

 

「ねえ」

「……んー?」

 

ふと呟くように口を開いた幽々子。こいしは視線を手元の蜜柑から離さずに気のない声を返す。幽々子も自分の剥く蜜柑から目を離さない。

 

「あなたとあの怪盗さんはどんな関係なのかしら?」

「えー? うーん…………」

「言えないことなのかしら?」

「いやー、そういうわけでもないんだけど……関係、関係…………わかんないな。うん」

 

投げやりなようではあるが、こいしとしては至って真面目に答えた結果である。

 

「私がまず見つけて、面白そうだからつきまとってるだけ? みたいな? 別に関係だのなんだのみたいなご大層なものは無いかなー」

「ふうん。そうなの」

 

その返答を幽々子は素直に受け取る。そして相槌を打つように何気なく呟く。

 

「確かに興味深いわねぇ。何を目的として怪盗だなんて名乗って盗みを働いてるのか、とか。そもそも人間なのか、とか」

「…………」

「……? どうかした?」

 

不意に黙りこむこいし。それを感じとった幽々子は剥き終えた手中の蜜柑から視線をそちらへと向けた。こいしは手に取ろうとしていた蜜柑を置いて、ぼうっと宙空を見上げる。その目にはなにやら異様な色が渦巻きはじめていた。

 

「鏡、ってあるじゃない? ほら、道具の」

「…………ええ。私もよく使うわ」

 

幽々子はこいしが切り出した脈絡もない話題に眉をひそめながらもひとまず疑問を飲み込んで同意を示す。

 

「あれってさ。その前にあるものをそっくりそのまま映すわけじゃん」

「そうね。それが鏡の役割だもの」

「でね? それはつまりさ? ないものは映せない、ってことでしょ?」

「それは…………当たり前でしょう」

 

何を言いたいかを掴めずに困惑を深める。そんな幽々子に構わず熱に浮かされたような口調でこいしは続ける。

 

「ないものは映せない。────裏を返せば()()()()()()()()()()()()()()()()

 

「そこに確かにあるはずで、そこに確かに映っているはず。なのに見えない。見えていてもわからない」

 

「自分からも、誰からも。認識できない、映らない。……そんなもの、存在してると言えるのかな」

 

「ねえ、亡霊さん」

 

「教えてよ」

 

 

「私は生きてるように見える?」

 

 

「あなたの世界に、私はいる?」

 

 

 

「私は────()()?」

 

 

 

「──────ッ!!」

 

久しく感じていなかった悪寒が背筋を走った。そして気がつく。自分が今まで掌に持っていたはずの蜜柑がどこにも無いこと。

そして、対面の少女の口の端から伝う雫。目を離してはいなかった。気がつかないはずもなかった。なのに。

 

いつのまにか引き込まれていた幽々子が我に返ったと同時、こいしもふと瞬きをして首を傾げる。その目からは既にあの異様な色は綺麗さっぱり去っていた。

 

「……あれ? ……うわっとと、蜜柑の汁が」

 

慌ててゴシゴシと頰のあたりを服の袖で拭う彼女はごく普通の少女にしか見えなかった。

 

「いけないいけない。床を汚しちゃうところだった」

「………………」

「あ、大丈夫だよ! 零してないから! ちゃんと拭いたよ!」

 

幽々子の視線に気づいたこいしは誤魔化すように両腕をぶんぶんと振る。そして気をとりなおすように咳払いをして口を開いた。

 

「えーと、つまりそういうこと? なのかな? 私の理由は」

「…………何の話?」

「何のって…………」

 

やや表情の強張った幽々子の反問に口を開き──首を傾げる。

 

「…………なんだっけ?」

「………………」

「えーと……あ、あはは…………じゃあ私、二人の様子でも見に行ってくるから!」

 

こいしは場の空気に居た堪れなくなったのか、そう言って逃げるように走っていった。残された幽々子は強張った表情のまま考えていた。

 

 

あの少女が口にしたことと一変した雰囲気。明らかに普通ではなかった。そう、あの少女…………あ の…… ………… ………… ?

 

 

「………………あら?」

 

「私、今何を考えていたのかしら────?」




ややホラー風。不気味さ出そうとしてみたものの筆力足りてない気がするなあ……
“世界は観測するものがいて初めて存在する”ということに絡めて云々、みたいな感じでした。こいしの危うさみたいなものを表現できていたらいいんですがね……(自信無し


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