魔法少女RIRIKARUなのは (koth3)
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STAGE1:始まりの出会いなの?
そこは木々が鬱蒼と生い茂っている暗黒の森だった。星明かりすらも通さない梢。生き物の気配もなく、乾いた風がただ寂しげな音色を奏でて吹き抜けるだけ。九条甲矢はなぜこのような場所に一人でいるのか分からず、ただ木々の合間を右往左往しつつ辺りを見渡すことしか出来なかった。
しかしいくら歩こうとも、湿った腐葉土の匂いばかりが漂うこの森が一体何であるか噸と見当がつかず、またどうしてこの森を一人彷徨う羽目に陥っているのか、まるで理解が及ばず、そのために底知れぬ恐怖が徐々に重みを増して足下に縋り付いてくる。
唾を呑み呑み土に足を取られながらも恐る恐る歩んでいると、近くからガサリと葉の擦れあう音が、森閑たる森にちょっと信じられないくらい大げさに響いた。
咄嗟に近くの茂みに身を潜めた。そして叢の隙間から音のした方をよくよく見やると、草木の揺れが激しくなり、次いで枝の折れる音がした。そして木々の影から黒い何がぬるりと現れた。
それは、大きな影だった。頭が梢に触れそうなほどの高さで、ずんぐりとした体格だ。そいつは知性がないのか、あるいは悪意を持ってなのか、歩くたびに近くの枝葉を巻き込んで盛大な音を響かせへし折っている。葉っぱが哀れにもぱらぱらと新雪のように降り積もる。
甲矢は隠れ潜みながら、そいつの動きに目を配っていた。
そいつはのんびりと闊歩していた。しかしふと動きを止めると、突然甲矢の方へものすごい速度で迫ってきた。余りに唐突な動きに、甲矢は逃げ出すことも出来ずただ目を閉じて顔をかばい、化け物と衝突した。
しかし痛みはない。そっと目を開けば、化け物が通った痕に一人ぽつんと突っ立ていた。
「夢、か? そ、そうだよな、夢じゃないとおかしいよな」
へなヘなとへたり込み、力ない笑い声をこぼす。一度夢だと分かり落ち着けば、様々なことにも納得がいった。ここがどこだか、そしてどうして一人でいるのか。全て夢だから。それで話がつくのだ。
ひとしきりげたげた笑い、笑い疲れた頃、甲矢は立ち上がった。夢だと分かれば、向こう見ずな勇気がどんどんとふくれあがり、先程の化け物が妙に気になりだしてしまう。
夢なのだから構わないだろうと、化け物が通ったであろう痕を気楽な気持ちで追ってみる。
そうして歩き出してから十分もしないうちに、腑が震えるような轟音が辺りを打った。
一瞬間甲矢は足が引けたものの、直ぐ様思い直し、音のした方へ駆け出した。
息を切らしながら走っていると、少し開けた場所にでた。そこでは奇妙な衣服――おそらくどこかの民族衣装――をした少年が倒れていた。
夢であることすら忘れ去り、甲矢が少年を助け起こそうとしたとき、少年の胸元から琥珀色の玉がこぼれ落ちた。それが甲矢の掌に触れる。
【パイロット適正者を感知。適正者を仮パイロットとして登録】
合成音が奏でた言葉を理解するよりも早く、甲矢の頭は激痛に襲われた。
余りの痛みに立っていることすら出来ず倒れ伏す。意識が遠のく最中、琥珀色の光だけが甲矢の目に色濃く映った。
甲矢は気がつくと、再び森の中にいた。鬱蒼と生い茂った梢の隙間から僅かばかりの陽光が木漏れ日となり降り注いでいる。その光線に目を細めながら、なぜ森にいるのか、考えを巡らす。
といっても、話は簡単だ。学校から帰宅している最中、森の入り口を通りかかった時から一切の記憶がなく、我を取り戻したときには森の奥深くまで入り込んでいたというだけ。
しかし昨日見た夢といい、直前の出来事といい、何か霊妙な力でも働いているのかと、空恐ろしい気持ちがわき上がってくる。
一度そう思うとまだ日も高いというのに、この森がどこか現実離れした、魔女や悪魔が潜むような、兎角まっとうな人がいて良い場所ではない、そんな気がしてならなくなる。幹の影にはいたずら好きな妖精が潜み、地面の下や木の枝を素速く走り回るなどして人の目がない場所に悪霊の類いが潜んでこちらの隙を窺っているような……。
恐怖からの錯覚だと理解していながらも、感情はそう簡単に納得してくれない。甲矢の手足がぎこちなく動く。
しかし甲矢の意志に反し、その手足が何故か勝手に動き出す。何かに導かれているかのように、手を曳かれているように。その手足は迷いがなかった。予め目的地をインプットされたからくり人形のように滑らかに突き進む。
たどり着いた先は、開けた空き地だった。見覚えのある場所に、甲矢は息を呑んだ。
アレが夢だった。その確証が欲しく、甲矢は恐る恐る自由になった足で広場へ進ぶ。そして広場のちょうど中央に、一匹の小動物が倒れていた。それはクリーム色の体毛をした、オコジョのような動物だ。ぐったりと倒れているが、口元の若葉が震えていることから、生きているようだ。手をのばしたそのとき、甲矢の瞳に琥珀色の光が入り込んだ。小動物から僅かに離れたところに琥珀色の玉が転がっている。無意識にそれを拾い上げポケットにしまい込む。そして小動物を抱え上げた。
暖かかった。抱きかかえている腕を通じ、小さいながらも懸命に胸を打つ鼓動、小さいながらも懸命に吸い込む呼吸、それらの命のぬくもりが伝わってきた。
「誰?」
振り返ると、そこには一人の少女が立っていた。可愛らしいツインテールが風に揺れると、柔らかで幼げなほっぺに届く、そんな少女だ。
少女は甲矢が抱えている小動物に気がついたのか、驚きの声を挙げた。
「大変! 早く病院に!」
「あっ」
甲矢は僅かに顔をしかめた。自室の貯金箱を思い出す。道路に落ちていたお金を拾い集めて貯めた全財産はようやく千円を超えるかどうか。
病院に行くにはお金がいる。そして甲矢にそんなお金はない。そもそも甲矢は親に捨てられ、孤児院に厄介になっている。たとえ病院に行けたとしても、面倒を見るなんて出来やしない。
しかし目の前の少女ならば違うのかもしれない。甲矢の目の前にいる少女は、ここらでも有名なお嬢様学校の制服を着ている。ならば、甲矢と違いお金に困ることはないだろう。
お金がないという恥ずかしさとその程度のことも解決できない己の無力さを悔やむのを誤魔化すように、赤く染まっているであろう頬を見られぬように、そっぽを向く。
「悪いけど、頼めるか? 俺は、そいつの面倒を見られないからさ」
「……うん、分かった。ありがとね」
少女は甲矢から小動物を受け取った。そこでようやく甲矢が前を見られるようになった。見上げれば、少女の顔がすぐそこにある。少女は甲矢の視線に気がつくと、「大丈夫だよ」と微笑み、そして立ち去っていった。
少女が去ってしばらくしてから、甲矢もまたその場を立ち去った。
夜もだいぶ深まり、深紫色の帳がしっとりと夜を濡らす中、甲矢は孤児院の一人部屋――一番狭く、一番ぼろぼろの――で、何時の間にかポケットに入っていた琥珀色の玉を前に胡座をかいて悩んでいた。夢に見た玉がなぜ手元にあるのか。玉を手にした記憶なぞないのだ。それにその玉の琥珀色が、なぜか夏の夕暮れ染みた、もの悲しい、うら寂しい感情を揺さぶり、目を背けたくなる。
かといって感情にまかせ、こんな深みのある色合いをした琥珀色の玉を捨てることなど出来ない。甲矢は見たことなどないが、この玉こそ琥珀なのだろう。だとしたきっと高価な代物だ。そんな代物を下手に捨てることなど出来やしない。もし持ち主が現れて弁償を要求されても、貧乏孤児院に大金などあるわけない。
明日交番にでも届けるかと、思考に一応の決着をつけた時、甲矢は世界が揺れたのを感じた。地震かと警戒したが、揺れは一瞬で、それ以降揺れることはない。しかし、甲矢の頭に、ノイズが生じた。不快感に眉をひそめていると、それは徐々にノイズから声のようなものに変わっていき、終いには雑音混じりで聞き取りづらいがそれでもいくつかの言葉を拾える程度にはっきりした。
『お願……です。ぼ……え……助け……くださ……』
ラジオのチューニング中のように遠くなったり近くなったり、ノイズで聞こえなかったり、それでも助けを求める声だけは拾うことが出来た。
そしてその言葉を聴き終えた瞬間、何をすれば良いのかも分からないのにただ座しているのが出来ずその場所をうろついてしまう、あの猛烈なまでの何かをしなければならないという強迫観念が襲いかかってきた。それと共に頭に霞みがかかり、声が聞こえてくる。高いような、低いような、若いような、老いたような、男のような、女のような。
矢は放たれた。
――何をいっている?
矢は放たれた。
――何を?
放たれた矢は飛ぶ。
――了解。
琥珀色の玉を引っ掴み胸元にしまい込むと、窓を開け、そこから飛び出し、甲矢は人目のつかないよう夜闇に紛れて海鳴の街をかけていた。
たどり着いたのは海鳴りの住宅街だ。しかしその住宅街は、甲矢の知っていた場所ではなかった。空は奇妙な色合いに照り返す、オーロラのような膜があり、都会の弱々しい星明かりが屈折し降り頻り、非現実染みた光景を晒している。そしてそれよりも強い人工光があちらこちらで光り輝いているのに、その光を浴びるべき人の姿が全くない。いくら探しても、人どころか、犬一匹いない。一体これはどういうことかと辺りを見回しながら考える甲矢の耳朶に、小さな地響きのような音が滑り込んだ。
音のする方へ足を向ける。だんだんと音が大きくなる。そして曲がり角を曲がると、夢で見たあの黒い何かがいた。
慌てて逃げだそうと踵を返したとき、甲矢は別の音を聞いた。それは少女の声だ。再び振り返れば、そこにはあの森で出会った少女がいた。
足が止まる。その間にも少女と化け物は迫ってくる。今逃げ出せば、おそらくは甲矢だけならば助かるだろう。
だから甲矢は走った。前へ、化け物へと。
逃げたら助かるかもしれない。でも、そしたら少女が死ぬかもしれない。いや、おそらくは死んでしまう。それは、嫌だった。
今にも転びそうな少女の手を掴み、駆け出す。曲がり角を曲がる。まだ追いつかれていない。とっさに目のついた植え込みへ飛びこむ。
背後を、植え込み越しに化け物が通る音がずるりずるりと耳に粘つく。二人して口元を抑えて息を殺していると、化け物の発する音が遠ざかっていった。
ようやく一息をつける。甲矢は地面に大の字に倒れ伏した。自分よりも背の高い相手を引っ張りながら走るのは体力にきついものがある。
となりでは少女が小さく咳き込み、そして眦に涙をため込みながら、甲矢に話しかけてきた。
「ありがとう、たすけてくれて。私、なのは。高町なのは」
「九条、甲矢」
息も絶え絶えに返答する。ようやく体力が多少回復し、座り直した時、小さな音がした。二人してその音に肩をはねあげた。甲矢はとっさになのはを背中に隠し、音のした方を睨み付ける。背中を掴む小さな暖かい手が震えていた。
そこには森に倒れていたあの小動物がいた。首元には赤い玉がかけられていた。そして身体の至る所には、包帯が巻かれている。包帯には血がにじんでいる様子もなく元気そうだ。
「フェレットさん。よかった、無事だったんだ」
なのはが小走りに駆け寄ろうとした。そのときだ。
「良かった、お二人とも僕の声が聞こえたんですね」
聞こえてきたのは人間の言葉だった。それも明らかにフェレットが発している。
「ひぇ、しゃ、喋ったァ!!」
「あ、馬鹿! 騒ぐな!」
咄嗟になのはの口を押さえる。手を十字にして押さえつけたが、なのはが堪えきれなかったらしく、二人して倒れ込む。なのはの上で甲矢は辺りの様子を探る。物音はしない。どうやら化け物には聞こえなかったらしい。
ため息をついていると、ぽこぽこ胸元が叩かれる。下を見れば、なのはが顔を真っ赤にして、甲矢の手をはずそうともがいている。慌てて手を放すと、荒い息で甲矢のことを少し恨めしそうに睨んできた。
甲矢がその視線から逃れようとあくせくしていると、ユーノがおずおず話しかけてきた。
「僕はユーノ・スクライアといいます。二人は僕の声を聞いて来てくれたんですよね」
「うん」
「声? ああ、アレか」
ユーノの顔色は、小動物ながらも明らかに変わったのが分かる程、変化した。うれしそうな、悔やんでいるかのような。まるで人間のように表情が変わるのだ。
「そうですか。……お願いがあります。これを」
しかし真剣なまなざしに変わると、ユーノは首元にかけられていた赤い玉を身をよじって外し、二人に触るよう促した。
甲矢がなのはと視線を交わす。なのはも困惑した表情で、赤い玉を見ている。その間もユーノがさあさあといわんばかりに赤い玉を二人の方へ転がしてくる。甲矢は唾をのみ恐る恐る指先を赤い玉に触れさせる。しかし何の変化も起きなかった。
続いてなのはが触ったとき、赤い玉に変化が起きた。桜色の光が玉の中心に灯しる。
【マスター登録完了。初めまして、マイマスター。私はレイジングハートと申します】
「レイジング、ハート?」
「良かった。適応してくれた。お願いです。そのレイジングハートを使って、ジュエルシードを止めてください!」
「じゅ、ジュエルシード? レイジングハートを使って?」
困惑するなのはにユーノはつかみかかるように懇願する。甲矢はユーノの首根っこをつまみ一旦なのはから引き離す。暴れるユーノを目の前に持ってきて、落ち着くよう言い含める。
「いきなりいわれてもこっちは何が何だか分からないんだ。もう少し詳しく教えてくれ」
「あ、そうですね。分かりました。時間がないので短く話します。僕はこの世界ではなく別の世界で遺跡発掘をしている一族の者です。そこで発掘したジュエルシードという遺物を移送中、事故でこの世界に落ちてしまい、僕はそれを探しているんです」
「それが何故ジュエルシードを止めるなんて話になるんだ?」
「それは僕たちの世界が魔法文明で成り立っているからです。ジュエルシードは古代の魔法技術が込められており、その一端が暴走してあの黒い化け物の姿をして暴れ回っているんです。ですのでジュエルシードを止めるためには魔法でもって暴走している機構を封印するしかないのですが、そのためにはそのレイジングハートを使わないといけないんです」
なのはの方を見やる。なのはがレイジングハートを見詰めている。何かを決意したのか、一度頷いてユーノに訊ねる。
「どうすればいいの?」
「それは――」
それ以上の言葉がユーノから告げられることはなかった。
なぜなら突如頭上に影が差し込み、甲矢たちが顔を見上げれば、ジュエルシードの暴走体がこちらを見下ろしている。そしてその巨躯を叩きつけてきた。
甲矢がユーノを抱えて影から逃げることは成功した。しかし辺りになのはの姿がない。
まさかと思い、化け物の方へ視線をやる。
「なのは!!」
「は、甲矢君! そっちにいるの!?」
化け物越しからなのはの声がする。分断されてしまった。さらに悪いことに、化け物は甲矢が考えていた以上に知性があるらしく、身体を起こしながら甲矢とユーノを見た後、なのはを見た。身体を起こしたことで生まれた隙間から、なのはが後ろに下がるのが見えた。そしてその手に持つレイジングハートに気づいた化け物が忌々しそうになのはを睨み付けた。
立たせた身体を竦めだす。そして一杯に押しつぶされたバネのように力を解放し、凄まじい速さでなのはめがけて突撃した。
「なのは!!」
化け物は狙いを誤ったらしく、なのはの直ぐそばを通り過ぎただけだった。おかげで遠目から見えるなのはには傷一つなかった。しかし化け物がなのはを狙っているのに変わりなく、その無機質じみた目でなのはを探していた。
なのはがその場から逃げ出した。しかしその走り方は今にも足をもつれさせてしまいそうなほど気が動転したもので、見るからに冷静さを欠いていると分かる。なのはの逃走に気がついた化け物は、甲矢たちを気にもとめず凄まじい速度で追いかけていった。
「クソ!」
甲矢がユーノをポケットに押し込んでなのはと化け物の後を追いかける。しかし化け物はかなりの速度をだしており、どんどんとその後ろ姿が離れていく。
「急いで、甲矢! レイジングハートの使い方をなのはに伝えないと!」
「分かってる!」
孤児院暮らしで十分な食事を行えず、同学年の中でも特に小柄な甲矢の短い足では、懸命に手足を動かしたところで絶望的なまでに速度を生み出すことが出来ない。それでも必死に走る。間に合ってくれと願いながら。
「い、イヤ、イヤァアアアア!!」
しかしその願いも虚しく、なのはの悲鳴が静かな住宅街を満たす。甲矢の脳裏に嫌な予想が広がる。
化け物に追いつかれてしまったのか。あるいは化け物に追い詰められてしまったのか。それとも……すでになのはが化け物の手にかかってしまったのではないか。
足りない。足りないのだ。今の速さでは全く足りない。何者をも逃さぬ速さが、そして助けられるだけの強さが欲しい。
【状況把握完了。LAST-ARROW起動】
その欲求に応えるように、胸元から琥珀色の光が放たれる。
「そ、それは僕が持ってきたデバイス!? どうしてそれを!? いや、そもそもどうして起動しているんだ!? 誰も起動できなかったのに!」
琥珀色の玉は甲矢の手から離れ、空中に留まると、その姿を変貌させた。それは、
甲矢はその光に当てられ一切の自我を失い、渇望していたものを与えられた愚者のようにロッドを手にした。
【OPERATION-SYSTEM
FORCE・・・・・・・・・・・・・NG
WAVE CANNON・・・・OK
VULCAN・・・・・・・・・・・OK
ANTI-AIR LSR・・・・・・NG
REFLEX LSR・・・・・・・・NG
SEARCH LSR・・・・・・・NG】
触れた指先から何かが流れ込んでくる。それと共に、意識の縁に見たこともない飛行機が宙を飛び立つ姿を幻視した。青い美しい飛行機を。
そのイメージが明確になるにつれ、甲矢の身体は自然と動き出していた。ただ確信と共に跳んだ。大地を蹴り、跳びはね、そして飛んだ。地面から十メートルの高さまで浮かび上がる。辺りを見回すことなく、360°全てが理解できる。それがどうしてかは分からないが、都合は良かった。
「見つけた」
「えっ? 見つけた? いや、それよりも」
それ以上は甲矢の耳に届くことはなかった。
一瞬で甲矢は発見した化け物の場所まで飛び、襲われていたなのはをすくい上げその場から離脱した。
眼下では黒い化け物がなのはのいた場所を砕き、獲物に逃げられたことを悟り、辺りをきょろきょろと見渡している。
すくい上げるように抱きかかえられたなのはの手足が徐々にこわばりをなくす。そしてなのはが目を開いて甲矢の顔を見ていた。
「え? 甲矢、君?」
なのはの声に一度頷いてみせる。今更ながら空を飛んでいることに気がついたらしいなのはが、甲矢の服にしがみついてくる。なのはを落とさぬようにしっかり抱きかかえる。
そしてなのはを落とさないよう注意を保ったまま、ロッドを化け物へ差し向ける。ロッドの先端で電気エネルギーが磁界の砲塔を形成し、膨大な電気エネルギーを流動させる。フレミング左手の法則に従い、莫大な運動エネルギーが蓄えられていく。そしてため込んだエネルギーを一挙に解放した。
化け物が、アスファルトもろとも甲矢のいる上空十メートルの宙まで軽々と跳ね上がる。轟音が今更ながらに響き、そして化け物が歓声の音色を耳にしながら大地へと叩きつけられた。
「甲矢、君?」
「ユーノ、なのはに使い方を」
「え? あ、う、うん。な、なのはひとまず僕が言った言葉を続けて」
なのはがユーノからレイジングハートの使い方をレクチャーされている最中、甲矢は一人化け物を観察していた。
化け物はダメージを感じさせない俊敏な動作で立ち上がり、攻撃した甲矢を認識し睨み付けている。その瞳からは苛立ちや怒りはなかったが、確かな敵意だけは存在している。
「よし……こっちを見ていろ、馬鹿」
そうしている間に、ユーノから告げられた言葉を繰り返していたなのはが、最後の節を高らかに歌い上げ終えた。
すると、なのはの身体が光に包まれる。光が収まると、昼間に出会った制服を基調とした白い衣服に身を包み、その手には桜色の柄をした杖を持っていた。杖の先端は黄金に輝き、半月のように歪曲していた。またその中心の箇所に赤い宝玉が力強い光を発しながら存在していた。
「凄い! バリアジャケットまで造れるなんて!」
「ば、バリアジャケット? そ、それよりユーノ君。私はどうすれば良いの?」
「自分の心に問いかけて。答えが返ってくるはずだから。甲矢、一旦降りてくれる。君は出来たけど、魔法を始めて使うなのはがいきなり空を飛ぶのは危ない」
高度を下げる最中、甲矢は再び攻撃を繰り出す。VULCAN、正式名称を超高速電磁レールキャノンを。轟音が一度、二度。下りてきたところを攻撃しようとしていた化け物は吹き飛び、近くの塀に突っ込みその姿が見えなくなる。
その隙に地上に下り立ち、甲矢はなのはを降ろす。なのはが一度甲矢の方を見返したが、何か言うこともなく化け物が吹き飛んだ場所を見据える。赤い玉が変化した杖を両手で握りこみ、その先端を化け物が吹き飛んだ方へ向け、集中していく。
なのはの集中が最高潮に達したとき、化け物が飛び出してきた。それは最初なのはを襲ったときよりも速く、狙いも研ぎ澄まされていた。しかしそれに対し、なのはの表情は微動だにせず、滑らかに言の葉を告げる。
「リリカルマジカル、ジュエルシード封印」
杖の宝玉から桜色の光が迸る。細い光が化け物に当たると、瞬く間に奔流とも呼ぶべき光が後を追うように杖から噴き出し、光柱となった。そして化け物の突進を軽々と受け止め、拮抗することすら許さず飲み込んだ。化け物の断末魔が響く。光が消え去る頃、そこには化け物の姿などなく、青い菱形の宝石らしき物体が宙を浮かび、折れ曲がった外灯の光を受け、弱々しく輝いていた。
「やった! 封印に成功した!」
ユーノの歓声をよそに、甲矢となのはとは二人してへたり込んだ。
そんな二人の足下にユーノが駆け寄り何度もお礼を告げてくる。甲矢はそのお礼を幾度も受けているうちに、生き延びたという実感がわいてきて、腹がよじれるほど笑いがこみ上げてきた。
「それで、あの!」
「悪いけど、もう遅い。孤児院から抜け出してきたんだ。心配させたくない。後のことは明日で良いか?」
「えっ、あ、はい。ごめんなさい。それと、ありがとう。なのは、甲矢、君たちのおかげでジュエルシードを封印できたよ」
「ああ。じゃあな、ユーノ、なのは」
「ありがとう、甲矢」
「バイバイ、また明日、甲矢君」
二人の笑顔に見送られた甲矢は、帰路についた。孤児院の自室へ誰にも見つからず帰ると、その場でくずおれた。酷い頭痛と鈍痛が身体のいたる箇所を襲う。くずおれたまま痛みにより意識を失う最中、甲矢は再び幻を見た。青い飛行機が、暗い宇宙へ飛び立つのを。そして人類が生み出した悪夢を。覚めることのない悪夢を。
甲矢はただ、悪夢を見たまま震えることしか出来なかった。
第一話の改変した点は、所々にR-typer御用達のキーワードを混ぜたのと、四千文字くらい圧縮してみました。
また、最後まで呼んでくださった読者の方々は、よろしければ一言でも良いので、個々が悪いないし個々が良いなどご指摘くだされば、作者としても大変うれしくありがたく存じます。
それでは皆様、明けましておめでとうございます。良いお年を過ごされることを心より祈らせていただきます。
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STAGE2:戦うのは大変なの?
ジュエルシードの暴走体が住宅街を暴れ回った夜も明けた。
窓から差し込む青い日差しに、甲矢は瞼を細める。カーテンを閉めたくなるが、立つのも億劫だった。昨夜の影響で、身体が殆ど動かないからだ。実際朝日で目が覚めた後も、着替えてベッドに入るだけで体力を使い果たしたくらいだ。
そのために孤児院の職員に体調不良を訴えたほどだ。
「それじゃあ、ちゃんと休んでいなさい。熱はないようですから、休んでいたらきっとすぐ良くなりますよ。学校には連絡しておきますから、安心なさい」
「はい、分かりました」
職員の人が部屋から出て行く。その様子は普段と変わりない。甲矢は何時の間にか強張っていた身体の力を抜いていく。どうやら職員には不審に思われなかったようだ。
苦労しながら寝返りを打つ。古くて汚れている、それでも自分だけの壁が視界いっぱいに出迎えてくれる。
「魔法……か」
昨夜の事を思い出す。夢のような出来事。しかし胸元にある琥珀色の玉、LAST-ARROWがそれは真実だと証明している。
甲矢は、ぼんやりと汚れていた壁を見詰め、想いを馳せていた。壁の染みが輪廓をじわじわと崩し、二人分の顔に見えてくる。
「魔法なら、分かるのかな」
しかしぽつりと呟いた言葉にハッとして首を振る。影は消え去り、染みに戻る。力なく壁を叩く。
「今更親なんて……」
捨てられた理由なんて、別段どうでも良いはずだ。親なぞいなくても、生きていけるのだから。
それが強がりだと甲矢も分かっている。
孤児院で面倒を見られているような子供が、一人で生きていけるはずがない。それが分からないほど甲矢は馬鹿ではない。だから、それは強がりだった。
でも、甲矢が手にしたものを使えば、どうだろうか。魔法さえあれば、一人でも生きていけるのだろうか。それは堪えようのない甘い夢だった。
昨日の事を思い出す。遠くの人に語りかける声、摩訶不思議な空、暴れる黒い怪物、そして全てを無に帰す破壊の跡。甲矢は顔を青ざめた。そうだ。夢は夢だから甘いのだ。現実はすえた臭いと錆びついた風景が立ち並び、どうしようもない虚無感だけが満たす世界だ。
一人で生きていくというには、LAST-ARROWの力は、余りに破壊的だ。あれは魔法と言うより――そう、兵器だ。甲矢の意志に呼応し、アスファルトを簡単にえぐり取るような攻撃を放った、恐ろしい兵器だ。
その兵器をどう利用するというのか。この日本に、兵器を振りかざす場所なぞない。行き着く先は大量殺人鬼としての牢獄か、どこぞの戦場で殺戮兵器として利用されるだけだ。
首を振り、それ以上考えないようにする。
「大丈夫……。大丈夫。そんなことしない」
壁に額を押し当てる。壁の冷たさが、灰汁だらけになった頭を落ち着かせてくれる。
甲矢が冷静さを取り戻した頃合いに、声がした。それは頭に直接響いだ。昨日の声とそっくりだ。違うのは、ノイズが一切混じらずクリアな声というだけだ。
『聞こえる、なのは、甲矢? 聞こえていたら、返事に意識を集中してみて』
頭の中で声が響く奇妙な感覚に戸惑いながら、甲矢は言われたとおりに返事へと意識を集中する。
『ユーノか、聞こえているぞ』
しかし何の返答もない。何度か挑戦していると、不意に前頭葉の辺りがむず痒くなった。成功したイメージが湧き上がって来る。
『二人とも聞こえているようだね。よかった。一寸待ってて。今二人の念話もつなげるから』
なのはの声が聞こえだした。ユーノと比べ、声も時折混じるノイズも大きい。
『昨日話せなかったこと、きちんと説明するね』
ユーノが静かに語り出す。
ユーノは、この世界に生まれ落ちたのではないと語った。
『まだこの世界では観測されていないけれど、僕たちの世界では別世界を観測し、移動する術が存在するんだ。その技術を含め、体系化されたものが魔法』
荒唐無稽な話だが、それでもユーノの言葉に嘘はないのだろう。昨日の化け物や、なのはが持つレイジングハート。それに甲矢の手元にあるLAST-ARROW。それらがユーノの話を真実だと告げている。
『そして僕たちスクライアは、遙か昔の遺跡を発掘して、魔法技術や文化を調べているんだ。そして今回の調査で出土したのが、ジュエルシードだった。21個の宝石は、ロストロギアだった』
『ロストロギア?』
『うん。昔の魔法技術の中には、現代では考えられないほどの技術があったんだ。ただそれだけの技術を誇った文明が、何故か滅んでしまっている。そういった失われた技術が使われている物をロストロギアと言うんだよ。基本的には解明できないだけで危険がないから個人所有も許される。なのはと甲矢が持っているデバイスも、そのロストロギアなんだ』
甲矢はそっとLAST-ARROWを窺った。これが危険ではないと語るユーノに、本当に信頼できるのかと不信に思う気持ちがむくむくと湧き上がって来る。
『問題は、危険な技術が使われているロストロギアだ。下手をすると、文明社会を滅ぼしかけない力を持つものもある。新暦より以前、あるロストロギアで十三の世界が壊滅。他の世界も大きなダメージを負った事件があったらしいけど、それも発掘されたロストロギアの暴走が原因らしい』
寒々しさを感じながら、甲矢の胸は痛いほど暴れ回った。世界を滅ぼしたロストロギア。それはLAST-ARROWなのではないだろうか。そんなわけがない。そう信じたいのに、信じられない。信じ切れない。
『ジュエルシードは危険なロストロギアだ。だというのに事故でこの星に流れてしまって。だから僕は追いかけてきたんだ』
『それでユーノ君が戦ってたんだ』
『うん。でも、僕も事故に巻き込まれて怪我をしていたし、そもそもレイジングハートと僕の適性とはそれほど良くなかったから……』
力を出し切れなかったユーノは、ジュエルシードの暴走体に敗れ、あの森に倒れていたのだろう。それを甲矢が見つけ、なのはが助けた。
『そういえば、レイジングハートは一体何なの? レイジングハートを持ったら、魔法が使えるようになったんだけど』
『ああ、そうだね。デバイスの説明もしないと。レイジングハートは魔導師の補助をしてくれるんだ。そういった機械を総称してデバイスって僕らは呼んでいるんだ。デバイスがあるのとないのとでは、全然魔法の効力が違うんだよ』
『あれ? じゃあ、ユーノ君。どうして甲矢君が使っていたデバイスは使わなかったの?』
『さっきも言ったけど、デバイスには適性があるんだ。適性があれば凄い魔法も使えるんだけど、適性が低いとお互い足を引っ張ってしまうんだ。そして甲矢の持つデバイスは、僕が最初に発掘した代物なんだけど、あれは誰にも起動できなかったんだ。危険性がなかったから特別に所有が許されたんだけど、お守り代わりになるかなぁって肌身離さず持っていたんだよ』
震える指先でそっと琥珀色の玉をつまむ。デバイス。魔導師の補助。ユーノが口にした言葉が甲矢の頭でグルグルと巡りだす。本当にそうなのだろうか。本当に……。
甲矢は黙りこくり、考えに沈み込んでいく。
ユーノが何かを語っている。しかし甲矢は、ただそれを右から左に受け流していた。
『ね、甲矢君』
『え、あ、何だ?』
なのはの語りかけに、甲矢は反応しきれなかった。
『もう、ちゃんと聴いていてよ! ユーノ君のお手伝い、一緒にしよう?』
『え、ああ、うん……』
ぷりぷり怒り出したなのはをなだめながら、甲矢はどこか後ろめたい、あるいは嫌な予感がひたひたと忍び寄ってきているように感じた。
なのはに叱られながら、天井を眺め続けた。
なのはとユーノとの話を終えた後、甲矢は考えにふけていた。黄ばみがかった天井は、そんな甲矢をあざ笑っているように見えた。枕を掴んで汚らしく笑う天井へ投げる。枕は天井に当たることなく、甲矢の顔に落ちてきた。
何をしているのだろうか。こんなことに意味はない。自嘲し、枕を頭元に敷く。
そうして目線を胸元にやる。布団で隠れているが、そこには昨日手にしたLAST-ARROWがある。回復してきた身体を起こす。ベッドの上で胡座をかき、琥珀色の玉を対面においた。
こんな掌ほどもない小さな玉。それがユーノの言った
では、やはりLAST-ARROWはデバイスではなく、唯の兵器なのだろうか。
思考は永遠に続く螺旋階段に囚われている。決着をつけなければならない。そうしないと、甲矢は何もできなくなる。ただ一言。唯一言で良い。大手を振り、LAST-ARROWを使える一言が、どうしても欲しかった。
見詰める玉は無機質に照るばかりだ。一つ大きく息を吸う。昼の暖まった柔らかな空気に、決意が固まった。
「LAST-ARROW、お前は何だ?」
【質問の意図が分かりません。回答不可能です】
感情のない合成音声が端的に回答し黙りこくる。甲矢は、LAST-ARROWが言葉の裏を最初から理解しようとしなかった事に、言葉を詰まらせた。
腰が引けそうになるものの、再び訊ねる。
「……お前はデバイスじゃないな?」
頭をひねり、質問を明確化する。Yes/Noで答えられるこの質問ならば、LAST-ARROWも答えるだろう。
【はい。私はデバイスではありません】
質問の答えが返ってきた事に、甲矢はひとまず安堵を覚えた。しかし望んだ答えではない。組んだ腕を指先で一定のリズムに叩く。
「デバイスでないなら、お前は……兵器なのか?」
【はい。私は異層次元戦闘機 R-102 LAST-ARROW。カテゴリとしては兵器に属します】
甲矢は顔色をさっと青ざめた。
胃の腑辺りにずっしりとした重さがかかる。吐き気がし、口元を抑える。
眼前に転がるLAST-ARROWが、訳の分からないまでも、強力な兵器であるということが分かり、頭痛を訴える頭を抱えたくなる。子供である甲矢ですら簡単に扱えて、凄まじい威力の兵器。もしこれが他者にばれてしまえばどうなる?
奪い合いが起きるだろう。それはこの地球だけではない。ユーノたちの世界も、きっとこの兵器を欲するだろう。そしたらどうなる? 戦禍が世界を覆う。
誰にも話せない重苦しい秘密に、甲矢はより一層孤独を感じ取った。
しかしだからこそ、逃げ出すこともできず、かといって素知らぬふりなどできなかった。
知らなければならない。LAST-ARROWのことを。抱えてしまった秘密の重さに押しつぶされそうになりながらも、強い決意をその瞳に潜め、甲矢はLAST-ARROWへの質問を続けた。
「異層次元戦闘機? 異層次元っていうのはなんだ?」
【異層次元は異なる次元のことを指します。現在我々がいる三次元空間以外の次元を異層次元と呼びます。広義では並列世界の他、未来や過去等も異層次元に含まれます】
「異層次元戦闘機という名前なら、異層次元で戦うのだろう? 何のためにその異層次元で戦うんだ?」
【BYDOを滅ぼすためです】
息を呑んだ。BYDOというのは敵なのだろう。しかしいくら敵だからといって敵対存在を滅ぼすのを目的とするのは、余りに異常すぎる。嫌悪感の余り、甲矢はLAST-ARROWから目をそらした。
それでも意志の限りを尽くし、再び目線をLAST-ARROWへ合わせる。
「そのBYDOっていうのは何だ?」
【星系内生態系破壊用兵器です。BYDOは光の性質と同じく波動の性質を持ち、伝播し、汚染し、同化していく兵器です】
「へ、兵器? BYDOっていうのは生き物じゃないのか?」
【生物兵器です。二十六世紀の人類が造り出し、それが暴走したのがBYDOです】
甲矢は頭がこんがらがり、頭痛が強まった。
LAST-ARROWの語る内容の荒唐無稽さ、しかしそれが事実であろうという確信に、目の前が暗くなる。なんてものをユーノは発掘したのだろうか。怨み言の一つや二つ、ぶつけたくなる。
それでも複雑な感情を腹に押し込め、なんとか口を開こうとしたとき、その身を貫く感覚があった。それは慣れないが、確かに記憶にある感覚だった。
「これは……まさか、魔法か?」
『聞こえる、甲矢!?』
『ユーノか。どうした?』
『僕たちの前でジュエルシードが突然覚醒したんだ! なのはが襲われて。怪我はないけど、追い込まれかけているんだ!』
甲矢はLAST-ARROWを見た。琥珀色の玉は何ら変化がない。ただ受け身で待ち構えている。奥歯を噛みしめ、LAST-ARROWを引っ掴み、甲矢は窓から飛び出した。
学校の授業を終えたなのはが、通学バスから一人降りた。普段ならば仲の良い友達と窓ガラス越しに別れの挨拶を交わすのだが、今日はその友達が習い事でさきに帰っている。だからバスを振り返りもせず、とことこ帰路につく。
バスの発車音が聞こえてくる。そこでなのはがくすりと笑い、鞄を開けた。鞄の底にはユーノがおり、なのはを見上げて小首を貸している。
『なのは、どうしたの?』
『えへへ。ちょっとね』
ユーノをなのはの肩へ載せる。小さな暖かさに、笑みがこぼれる。
鼻歌を歌いながら二人で歩く通学路は、景色が全然違った。木々が、行き交う車が、風が、光が、全てが全て、生き生きと輝き弾んでいる。
いつもは、例え辺りが明るくても、世界はどこか物憂げに見えて、このままずっと一人になってしまうのではと思い、駆け足で家に帰っていたのだ。が、肩に小さな、けれども確かな暖かさがあるだけで、そんな気配がなくなるのだ。本当はいけないのだが、これからもユーノを学校に連れて行こうかと思ってしまうほどに。
そうして道なりに歩いていると、道端に石階段があった。普段は走って過ぎ去るので、忘れていたが、この石段の上には神社があった。一度だけ家族でお参りにも行ったことがあるのだ。
静かで、落ち着いた雰囲気の、神様のいる世界。
――魔法があるなら、神様もいるのかなぁ?
『そうだ、ユーノ君。せっかくだからお参りでもしようか』
『お参り?』
『うん。そこの階段を登るとね、八束神社っていう神社があるの。ユーノ君の探しているジュエルシードが見つかりますようにって。それにペットの散歩道としても人気があるんだよ?』
『なのは、まさか僕をペットとして紹介する魂胆じゃないよね……』
じっとりした視線が肩から突き刺さる。なのはは視線をそらす。うまくふけない口笛を必死に吹き、ユーノの返事を聞かず、階段を登りだした。
仕方がないのだ。なのはは幾度も心で呟く。
なのはの家は、喫茶店を営んでおり、そのためにこれまでペットは飼えなかった。しかし昨夜、家に帰ったら家族に見つかり叱りに叱られた。その際、連れて帰ってしまったユーノも見つかったのだ。必死に家族を説得したおかげで、店に出さないことを条件に、ペットとして飼って良いとお達しが下されたのだ。念願のペットなのだ。自慢したいと思って何が悪い。いや、悪くない。
『ちょっとなのは! 僕だって怒るときは怒るんだよ?』
『あっ、ほら鳥居。鳥居だよ、ユーノ君』
なのはの指差した先の鳥居には、一匹の小さな犬と女性がいた。トイプードルだろうか。愛らしい姿をこれでもかと見せつけてくる。なのはの顔も思わずだらしくなった。
しかしその程度でユーノの怒気がなくなるわけもなく。
『なの――なのは! あの人の近くにジュエルシードがある!! しかも暴走直前だよ!?」
ユーノは途中から叫んでいた。
「えっ、いけない!」
駆け出したなのはをあざ笑うように、女性と犬の間から光が迸った。
光に驚き、足を止めるなのは。その間にも、犬の影がどんどん大きくなっていく。大きくなっていく愛犬の姿に、飼い主の女性は泡を吹いて倒れてしまった。
小さな犬は、シェパードほどの大きさになると、なのは達に気がついたのか、牙をむき出しにして襲いかかってきた。
【Stand by Ready.Set up】
何も出来ないまま固まっていたなのはだが、その胸元にかけていたレイジングハートにより、危機は免れた。
かみつかれる寸前、着ていた衣服は消え去り、なのはの通う私立聖祥大学付属小学校の制服を模した衣服に変わっていた。その白い衣は、犬の牙からなのはを守り抜いた。
犬は「キャウン」と悲鳴を上げて、なのはから弾かれた。十数メートルは弾いた。それでも犬の戦意は消えないのか、弾かれた先で素速く立ち直り、なのはめがけてうなっている。
「これは……昨日のお洋服?」
「バリアジャケットだよ。魔導師が身を守るために魔力で編み出す防護服さ。それならばちょっとやそっとの攻撃、通しはしないよ。でも気をつけて。相手はジュエルシードの暴走体。連続して攻撃を受ければ、バリアジャケットでも防ぎきれないから」
「う、うん。ところで、あの可愛かったワンちゃんが、どうしてあんな姿になったの!? 元に戻るよね、ユーノ君!!」
「も、戻るから安心して。たぶんジュエルシードの機能の一つ、周囲の魔力を集める機能が働いて、過剰に魔力を集めてしまい、排出された結果ああなったんだと――「ご託は良いから、方法!」――は、ハイ! 魔力ダメージを与えて気絶させれば問題はないはずです。魔力ダメージならば、非殺傷、つまり怪我をさせないようにできます」
「後遺症はないんだね? 分かった。他に方法もないなら、かわいそうだけど一度大人しくなってもらわないと……」
なのはがレイジングハートを構える。攻撃をしようとした瞬間、犬の姿がぶれた。
「きゃあ!」
衝撃がなのはの身体を打つ。なのはが衝撃に驚き閉じてしまった目を開ければ、そこには犬の逞しい身体が視界いっぱいに広がっていた。
犬がタックルしてきたのだ。犬が爪をむき出しにし身を強張らせているなのはを薙ぎ払う。
【protection】
火花が散る。眼前に見えない壁のような物があり、それが犬の爪からなのはを守っていた。
犬は直ぐ様さらなる攻撃を加えてくる。そのたびに、火花が散る。
「なんて強固な防御魔法なんだ! いや、それよりもなのは、守ってばかりじゃジュエルシードを封印できない!」
しかしなのははそれどころではなかった。傷一つないなのはの事が気に入らないのか、犬は執拗に攻撃してくるのだ。しかも右に左にと縦横無尽に動くせいで、的を絞ることも出来ず、ただやられたい放題やられていた。
「このままだと……そうだ、甲矢だ! なのは! 甲矢が来るまでなんとか持ちこたえて!」
「う、うん。頑張る」
さらに犬の攻撃は激しくなる。爪どころか、牙を使って噛み付いてくる。いつまで経っても止まない攻撃の嵐に、とうとうなのはのことを守っていた見えない防壁から鈍い音がした。
「くっ、甲矢、頼む。一刻も早く!」
それを好機とみたのか、犬がひときわ強く噛み付いた。
とうとうなのはを守っていた防壁が砕けた。開かれた犬の顎がよだれを垂らし、なのはの顔を食まんとする。
その刹那。犬は横合いから来た何かに吹き飛ばされた。
「無事か、なのは、ユーノ!」
「は、甲矢君! こ、怖かったよぅ」
泣き出しそうな顔で、なのははレイジングハートをひしと掴み、その場にへたり込んだ。
駆けつけざま、なのはを襲っていた犬を蹴り飛ばした甲矢だが、その顔色は悪かった。
足が動かない。痛みからして、まともに動かすこともできないだろう。
大型犬を吹き飛ばす速度でぶつかれば、反作用で同じだけの衝撃が返ってくる。生身の甲矢は、そのダメージで足首を完全にくじいたのだ。幸い骨が折れているわけでもないため、なんとか立つことは出来る。だがそれだけだ。歩くのすら難しい。
LAST-ARROWをロッドに変化させ、杖代わりにする。これだけのダメージを負ったのだ。犬にはよりダメージがあるだろう。しかしその期待はあっけなく覆された。
犬はすくと立ち上がり、甲矢を威嚇している。その動きにダメージを負った様子はない。最悪だ。機動力のある相手を固定砲台が相手にできるわけない。
「甲矢! 魔力ダメージでノックダウンを狙って」
「魔力ダメージ? 何のことだ!?」
「LAST-ARROWには非殺傷設定がないのかい!? まさか戦乱期の古代ベルカ時代のデバイスか? いや、そんなことより、甲矢、なのはのサポートをお願い。なのはなら、ジュエルシードを安全に摘出できるんだ!」
「事態がつかめない。だが、なのはならばできるのか?」
ユーノは唯一度頷いた。
それで十分だ。甲矢はロッドをくるりと回す。できうる限りなら、使うべきではないのだろう。しかし使わなければ、甲矢が死ぬ。
脂汗と冷や汗を垂らしながら、決断を下す。
LAST-ARROWの力を解放する。
【OPERATION-SYSTEM
FORCE・・・・・・・・・・・・・NG
WAVE CANNON・・・・OK
VULCAN・・・・・・・・・・・OK
ANTI-AIR LSR・・・・・・NG
REFLEX LSR・・・・・・・・NG
SEARCH LSR・・・・・・・NG】
解放された武装。兵器の象徴。それを自らの意志で使う。
その瞬間、間違いなく九条甲矢は、LAST-ARROWの一部となった。
轟音が響く。音速を超えた弾道の衝撃波が辺りを薙ぎ払う。弾道の草むらは超音速の物体が動いたことで発生する摩擦熱により、自然発火した。恐ろしい、恐ろしいまでの破壊力。
後ろでユーノの息を呑む音が聞こえた。努めて無視し、犬にけして当たらないよう、その周囲へ
砂柱が巻き上がる。噴火した活火山の有り様だ。その近くから怯えた犬の鳴き声が聞こえる。もはや猟犬は負け犬へと変わっていた。砂煙の間に犬が半狂乱に走り回る姿が見える。
「なのは、狙えるか!」
「砂煙が酷いけど、やってみる!」
犬は逃げて逃げて逃げて――。
十分に狙いをつけたなのはの一撃でとうとう倒れた。
倒れた犬からジュエルシードが飛び出す。それはなのはの手により封印され、レイジングハートのコアに吸収された。
「これで一件落着か?」
「そうだね。もう近くにジュエルシードの反応はないよ」
どこか怯えた様子のユーノが答えた。甲矢の胸がちくりと痛む。それを顔に出すことなく、LAST-ARROWを元の玉へ戻す。琥珀色の輝きは、相も変わらず無機質だった。
二人の間に沈黙が広がる。そんな二人になのはが、駆け寄ってきた。二人の顔を交互に覗き、そして開口一番言い放った。
「動物は怒らせると大変だね」
そういうなのはの視線はユーノに注がれていた。
「そうだね、なのは。動物の身体能力はって、まさか僕に言っているの!? さっきもそうだったけど、もう我慢の限界だよ!!」
怒ったユーノが歯をむき出しにし、なのはを追いかけ回している。涙目のなのはは「ごめんなさい」と謝りながら、逃げている。
その様に、甲矢は笑った。腹がよじれるほど笑い、青空を眺めた。
頬を冷たい雫が流れ落ちていった。
旧作との改変は、甲矢となのはの内面描写を増やしたのと、エピソードの増加ですね。そのせいか甲矢が妙に悲観主義のニヒリズム者になってしまいました。
一方のなのはも一人が嫌だというトラウマが顔を少し出してますし。この二人は大丈夫なのでしょうか?
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STAGE3:戦う覚悟って一体なんなの?
日差しは高く、照りつける。
海鳴市の上空五キロメートルを、甲矢は飛んでいた。
普通ならば上空で人が生存などできない。だが、甲矢もなのはより遙かに劣るとはいえ、魔力を有す。LAST-ARROWをデバイスの代用としたうえで、その僅かな魔力を使いとある魔法を発動して空に滞在していた。大気の流れを僅かに操作する魔法だ。それで呼吸や気温、さらには気圧の問題を解決している。
とはいえそれもそろそろ限界を迎えようとしていた。現在使用している魔法はそれほど魔力を消費しないとはいえ、甲矢の保有魔力量は少ない。ユーノ曰く、魔導師をギリギリ名乗れる程度だ。その少ない魔力をどうにかやりくりして、魔法を維持しているのだが。
【探索開始四時間経過】
腕時計を確認すれば、LAST-ARROWの語ったとおりの時間が過ぎている。早朝からそれだけジュエルシードの探索を行っているが、手がかり一つ見つからない。それどころか、それだけの時間魔法を使い続けたため、魔力がほとんど空だ。
それでも甲矢は空を飛び続ける。しかし魔力欠乏で胸に痛みが走りだす。胸を握り締め、痛みを誤魔化す。
このまま空を飛び続ければ、リンカーコアが崩壊するかもしれない。本能がそれを告げても、けして魔法をやめない。空からの方が探索の効率は良いから。
「うぅ……」
痛みを堪えながら見下ろす街は排ガスと熱気により僅かに歪んで見える。それでも街角へ目をこらす。裏路地一本見逃さず。ジュエルシードを探す。
普通ならば五キロメートルも離れた場所から物を探すことなんてできやしない。人間の視力ではそれほど遠くは見ることができない。だというのに、甲矢の目には、道行く人々の服についたゴミすらも視認できていた。
異様なまでに視力が向上している。それはLAST-ARROWを手にした時から日々強まっていく、甲矢を悩ます異常の一つだ。他にも真夜中壁越しに虫の歩く音が聞こえたり、全速力で走っても息切れがしない等々、悩みの種は消えない。それらの中でも特に際立つのが、視力の異常だった。
この五感の鋭敏化や身体能力の強化も、全てLAST-ARROWの機能の一つだ。だけれども、その目的は分からない。何故甲矢を、唯の子供にそれだけの力を貸すというのか。軍事兵器であるはずのLAST-ARROWが何故民間人を、いや、それよりも人間の能力を強化できるというのか。
何も分からないということが、粘ついた闇の中で溺れているかのように息苦しい。あがいても沈んでいくばかりで、だというのにもがくのをやめてしまえば、その瞬間おぼれ死ぬようである。もがく甲矢の耳元で誰かがそっと呟く。墜ちてしまえばもうお終いだと。
だから甲矢はあがくのをやめられない。
一刻も早くジュエルシードを全て回収し、LAST-ARROWから離れなければならない。ユーノならば、甲矢の話を信じてくれるだろう。そしてきっとLAST-ARROWが二度と使われないよう封印してくれるはずだ。
だからジュエルシードを探すのだ。
これまでにジュエルシードは五個封印した。しかしまだ全てのジュエルシードを封印できたわけではない。あとどれだけ残っているのか。それらはどこに転がっているのか。甲矢には分からない。
首元からぶら下げているLAST-ARROWを一瞬だけ見た。琥珀色の玉は何も反応を示さず、唯そこにあるだけだ。
【E-3地帯、ジュエルシード発見せず】
冷たい音。人のぬくもりの感じられない合成音声。電子的な信号により空気を振るわす機械音声。
その無機質さに、甲矢は唇を食んだ。
「分かった。次の地帯を」
それでもLAST-ARROWのナビゲートに従う。それが一番効率が良いから。忌避している力に頼ることしかできないことに、甲矢は自らの拳を握り締めるしかできない。それがまた無力な自分を突きつけられているようで、気がつけば口の中に血の味が広がっていた。
心がどれほど叫んでも、見つからない。海鳴の上空を三度は往復した。それでもジュエルシードは全く見つからない。
太陽が西の方角に動き出した頃、甲矢は上空からの探索を諦めた。
しかしジュエルシードの探索を諦めたわけではない。
歩く。人いきれする街を。草いきれする草むらを。かき分けるように歩き続ける。徒労だと理性は分かっている。しかし足を止めることはできない。むしろ、足を速めていく。
見つかってくれ。それだけが心中を埋め尽くす。
【集中力の低下を確認。休憩を推奨します】
「必要ない」
切り捨てる。自分でも疲れを認識している。効率を考えれば休むべきだ。それが理解できてなお、足を止められない。ジュエルシードはまだ存在しているのだから。
走り出したそのとき、地面が微かに揺れた。ようやく足が止まる。
【高エネルギー反応感知】
「ジュエルシードか?」
【そのようです】
次の瞬間、LAST-ARROWの言葉を証明するように、地面が揺れに揺れた。周りにいた通行人は立ち上がることもできず、めいめい何かに捕まるか、その場にしゃがみ込んでしまっている。
甲矢もまた電信柱に抱きつくように捕まった。そうやって揺さぶられながらも甲矢は見た。ビルの向こうに、ツタを絡ませた大樹が、豆の木の如く天高くそびえるのを。
揺れが収まるや、甲矢は裏路地へといち早く飛びこんだ。裏路地に入り込んだ後、表通りではパニックになった人々が我先に逃げようと、押し合いへし合いしている。甲矢の背丈では踏みつぶされたかもしれない。
甲矢はLAST-ARROWを首元から取り出した。
「LAST-ARROW、……戦闘状態へ移行開始」
【了解しました】
琥珀色の玉が変化する。表面が波打ち、その琥珀色がすっかり抜け落ちる。銀色の、水銀のような状態へと変わり、その球体を蠢かせ、変化していく。そしてそれは形をなし、色を取り戻す。白みを帯びたロッドへと。
【OPERATION-SYSTEM
FORCE・・・・・・・・・・・・・NG
WAVE CANNON・・・・OK
VULCAN・・・・・・・・・・・OK
ANTI-AIR LSR・・・・・・NG
REFLEX LSR・・・・・・・・NG
SEARCH LSR・・・・・・・NG】
甲矢は震える指先でロッドを掴む。すると、僅かな違和感が神経を伝い、五感がさらに研ぎ澄まされていく。
それを認識するや、地を蹴った。
昼過ぎの河川敷、なのはの父高町士郎がオーナー兼コーチを務めるサッカークラブ、翠屋JFCと、となりの街のクラブとが練習試合を行っていた。
今は翠屋JFCがパスを回し攻めあがっている。
「逆サイドがら空きだぞ! もっと周りを見てみろ!」
手をメガホンにし叫ぶ士郎の側、なのはもベンチに座りながら応援を飛ばす。
ベンチにはなのはの他に、なのはの友達であるアリサ・バニングス、月村すずかが並んで応援している。
「あと一寸よ、頑張りなさい!」
「あっ、後ろから来ている!」
両チームは実力が拮抗していて、手に汗握るゲーム展開だ。だからこそ、自然と応援に熱が籠もる。
それは、普段物怖じしてしまい、人前で喋れないマネージャーですら、立ち上がって声を張り上げ応援しているほどだ。
「ああっ、ダメぇ!」
パス回しの最中、小柄なすばしっこい敵ディフェンスに、カットされてしまう。慌ててボールを取り返そうとする翠屋JFCだったが、敵ディフェンスはすでにロングパスを繰り出し、敵チームのエースにボールが渡ってしまっている。カウンターだ。
翠屋JFCの選手が急いで自陣に戻ろうとする中、敵チームのエースが、ドリブルで深く潜り込んでくる。カットに入ったディフェンスも、流れるようなボールさばきに翻弄され、簡単にあしらわれてしまう。
そして最後のディフェンスが抜かれた。後はキーパーとフォワードの一対一だ。
「頑張れ!」
マネージャーの声がひときわ大きくなる。
他の皆も負けず声を張り上げている。
敵エースが大きく足を振り上げ、ボールが蹴られる。大砲のような音を立てたボールは、ゴールの右上を狙い鋭く穿つ。大人顔負けの威力だ。これは防げないだろう。なのは達の間に落胆が流れる。
だけれども、マネージャーだけは手を組み祈るようにゴールキーパーの名前を叫んだ。
「ああ!?」
瞬間、キーパーの身体が猫のようにしなやかに飛んだ。信じられないほど軽やかな跳躍。その跳躍で猛烈なシュートに追いついてみせ、キャッチした。そのファインプレーに誰もが歓声をあげた。
「ようし! ナイスプレー!」
士郎がガッツポーズをして、ゴールキーパーの子を褒めている。キーパーは照れくさそうに鼻をこすり、ボールを蹴り上げた。
「凄い、凄い!」
「うちの猫みたい!」
きゃいきゃいとなのは達が喜ぶ。その間にも試合は進む。どうやら翠屋JFCの選手は、キーパーのファインプレーに感化されたらしく、一人一人がめざましい活躍を遂げて勝利した。
終わってみれば二対〇。翠屋JFCの勝利だ。
「よく頑張ったな、皆! 今日は祝勝会だ!」
士郎が満面の笑みで頑張った選手たちを労う。
そしてなのはの家が経営している喫茶、翠屋へ祝勝会へなだれ込んだ。
翠屋では、試合後お腹の空いた選手たちにシュークリームが振る舞われていた。選手たちは頬にクリームをつけながら、翠屋自慢のシュークリームを幾つでもほおばっている。その姿にくすくす微笑みながら、なのはもアリサやすずかと一緒にシュークリームやジュースを肴に話を弾ませていた。
「今日は凄かったわね!」
「そうだね、アリサちゃん。特にあのシュートを止めたのは凄かったね」
興奮したアリサが、身を乗り出して話し込んでいる。なのはとすずかはそれに相づちを打つ。
「でも、本当凄かったね。私だったら、絶対キャッチできなかったよ」
「なのはならジャンプもできなかったでしょう」
「そんなことないよ! 私だって、ジャンプぐらいはできるよ」
「なのはちゃん、あのシュートに合わせてだよ? たぶんうまくいかないんじゃないかな?」
「すずかちゃんも酷い!」
怒るなのはだが、二人は笑うだけで取り合ってはくれない。それに頬を膨らませていると、視界の隅に見覚えのある“青”が見えた。青の見えた方へ視線をやれば、ゴールキーパーの子がその掌に何かを持っているだけで、ジュエルシードの姿はなかった。
見間違いだったのだろうか。気になってゴールキーパーの後ろ姿を目で追う。
「な……のは……なのは!
「ふぇ。な、なに、アリサちゃん」
「なのはったら! 話聞いてなかったでしょう?」
「ご、ごめんね」
アリサは頬を膨らます。けれどもすぐに機嫌良くまた元の話に花を咲かした。なのはももうゴールキーパーを目で追ったりしなかった。
夕方に近づいた頃、盛り上がっていた祝勝会もお開きとなった。士郎と一緒に皆を翠屋の入り口まで送りだした。士郎が先に店内へ入った後、なのはの身体はとある感覚を嗅ぎ取った。身体の奥底を突き抜けるこの感覚は、以前神社の近くで感じた感覚だ。
『ユーノ君、これって!』
『間違いない、ジュエルシードだ!』
なのはが駆け出す。魔力を感知した場所はそう遠くない。息を切らして走っていると、その足下にユーノがやって来た。
「ユーノ君!」
『なのは、あとちょっとだ、頑張れ』
息を切らしてたどり着いたのは、見晴らしの良い場所にある公園だった。公園の中央、噴水の前。そこで翠屋JFCのゴールキーパーが、マネージャーに何かを手渡していた。それは、青い菱形の宝石、ジュエルシードだ。
「ダメ!」
止めなければ。
なのはが近づく前に、ジュエルシードから感じられる魔力が急激に上昇した。
「まずい! 暴走する!」
ジュエルシードからは目映い光が放たれた。咄嗟に腕で目をかばった。昂ぶる魔力に目を開けば、なのはの眼前には、巨大な大樹がそびえ立っていた。
「ふ、二人は?」
見当たらない。どこを探しても見当たらない。まさかと思い大樹を見上げれば、その大きな幹に二人が手を組み合いながら、包みこまれようとしている、二人の姿があった。なのはが助けるよりも早く、ツタに飲み込まれ、見えなくなってしまった。
なのはの膝が崩れる。震えた声で呟いた。
「私の、せいだ。私があのときちゃんとジュエルシードか確認しなかったから……」
「なのはのせいじゃないよ!」
ユーノの擁護する声も、今のなのはには届かなかった。レイジングハートを起動させることもなく、夢遊病患者の如く、生気なくフラフラ大樹へ近づいていくなのは。
その後ろで青い光が瞬いた。
海鳴の上空、十キロメートル。先程甲矢がジュエルシードを探索していた地点よりもさらに五キロメートルは上空。大気はより薄く、呼吸すら困難。されど吹き付ける風は颶風。そして外気は冷たさを通り越し、凍て付く痛みしかもたらさない。極寒の生命を拒絶する空域。それでも甲矢は、牙をむき出しにする空気に身を浸す。睫毛は凍り、呼吸の間隔は短くなる。そんな状態で絶対なる座に漂う。
空には氷のように透明な空気だけが存在しているというのに、視界に映る世界は、霞んでいる。酸素と水分が絶対的に足りないのだ。眼球が空気にさらされるだけで、とがったガラスを目に入れられ、揉まれたような激痛が走る。痛みから逃れようにも、甲矢の魔法では出力が絶対的に足りない。だからこそ、魔法は殆ど使わない。魔力を温存するために。その分痛みはよりダイレクトに、強烈に伝わる。発狂しそうになる痛みが襲う。
それでもなお、甲矢は目を閉じない。視界が赤く染まりだすが、それでもジュエルシードの暴走体である大樹を見据える。
「高高度から一気に近づく。身体保護を」
【保護フィールド起動準備。リンカーコアの魔力量から稼働時間を換算。維持限界は五秒です】
「一秒もあれば十分だ」
一秒。それだけあれば、LAST-ARROWの力を借り受けている甲矢はトップスピードに到達できる。
魔力とは違うエネルギーが足下から放出される。それは青い光を纏っていた。その光は、なのはのように魔力をもって空を飛ぶためのシステムではない。それは翼なき人間が、それでも空を飛ぶために、力尽くで空を、重力を蹂躙するための力だ。
はき出されるエネルギーの音が変わる。出力が高まり、耳を劈く高音へと。もう抑えることは不可能だ。
「フィールド展開!」
【展開】
甲矢を中心に、鉛色に光る円状の魔方陣が広がっていく。そしてその魔方陣から半球状に光が形成された。その魔法の光が展開された瞬間、吹き付ける風が遮られた。一種の風防だ。風が遮られる中、甲矢は身を投げ出すように前へ進んだ。
そして放たれた。最後の矢が。
青い光だけが残滓となってその場に残る。
超音速。音を置き去りに飛び続ける。展開した魔方陣が摩擦熱で溶け出していく。リンカーコアを振り絞り、魔力を捻出する。鉛色の光は赤熱しているが、それでも完全に溶けることなく甲矢を護り続けている。
そして言葉通り、甲矢は一秒も経たずに、大樹のそばまで近づいた。急停止。同時に魔法が限界を迎え砕け散る。魔力の残滓が空気中に溶けて消えていく最中、甲矢は大樹を睨み続けた。
巨大という言葉が相応しかった大樹だが、それでもそれは甲矢が認識していたそれよりも遙かに大きい。たった一秒で駆けつけたというのに、大樹は未だ成長し大きくなっている。
大樹の近くにある五階建てビル。それの何倍も全高。海鳴の建物という建物に影を落とすそれは、もはやセルロースで構成された植物とは思えない。妖樹と呼ぶべき存在だろう。
地揺れを引き起こしながらどんどん成長していく妖樹。これ以上被害が広がる前にどうにかしなければならない。
だが様子がおかしかった。身を守るバリアジャケットを装着することなく、引き寄せられるように、妖樹へふらふらと近づいている。
なのはの眼前に下り立つ。
「何やっている、なのは」
しかしなのはは甲矢の横をすり抜けた。そして妖樹へと近づいていく。レイジングハートを起動させることもなく、暴走しているジュエルシードの近くへと。
通り過ぎようとしたなのはの手を後ろから掴み取る。
「甲矢……君。放して、私が止めないと……」
なのはの視線は、妖樹にだけ注がれている。
今も甲矢の顔を見ることなく。後ろから追ってきているユーノのことも、眼中にはないようだ。
甲矢は口を開きかけ、そして閉ざした。そして。
「えっ?」
なのはの頬をはたいた。
なのはが頬を抑えながら、ようやく甲矢の顔を見た。
今ならば伝わるだろう。
「俺にはお前がどうしてそこまで執着するか分からない。部外者の俺に言われるのも癪だろう。だけれども、それで言わなくちゃならない。お前一人で何になる。ユーノすら置き去りにするほど周りの見えていないお前に、アレを止められるのか? 周りに被害をもたらさないように」
「でも、私が止めないと! 私がジュエルシードを見つけていたのに見逃したから……。それに私だけがジュエルシードを封印できるんだから!」
身体を震わすなのはの瞳には、先程までなかった涙がこぼれていた。力弱く見詰めるその瞳が、甲矢は何故か見ていたくなかった。それはなのはの瞳ではない。なぜだかそう思う。
何を言えば良いのだろうか。何を言えばなのはが止まってくれるのだろうか。甲矢には止めるための言葉が見つけられない。
「それは違うよ、なのは」
ようやく追いついたユーノが息を切らしながら、なのはへ語りかけた。
「ユーノ君……」
「確かに僕も甲矢もジュエルシードの封印はできない。でもね、なのはを手伝うことはできるんだよ。だから一人で抱え込まないで」
「でも」
「なのは。全部一人で背負う必要はないんだ。一人で背負ったらどんなに強い人でもいつかは折れちゃうよ。そうならないように、手を助け合うんじゃないか。僕は知っているよ、スクライアは協力して生きてきたから。なのはは違うのかい?」
「ううん。そんなことない。知っている、知っているよ」
「じゃあ、僕たちにも手伝わせて。なのはが僕を助けてくれているんだから。今度は僕になのはを助けさせて」
「うん、うん。ありがとう、ユーノ君」
なのはが目元を一度拭う。拭い去った後は、赤く染まっている。だが、先程とは比べようもないほど強く輝いた瞳が甲矢たちを見詰めていた。
その瞳の輝きに甲矢は、なのははもう大丈夫だと確信した。
「それで、アレは何だ、ユーノ?」
指差す先にジュエルシードの暴走体が存在する。しかし今までの暴走体と比べると、遙かに暴走の規模が大きい。ユーノならばその理由も分かるだろう。フェレットとはいえ、ロストロギアの専門家なのだから。
「ジュエルシードが二人の子供を吸収したんだ。ジュエルシードには願いを叶える機構があるんだ。たぶんその機能が働いて、ジュエルシードが二人の願いを曲解して叶えようと、暴走したんだと思う」
「つまり、あの樹の中にジュエルシードと、それを願った二人がいるっていうことか」
「うん。だからまずはジュエルシードを見つけないと……」
下手に手を出せば、二人の命が危ないということか。甲矢は幹の部分へ攻撃をするわけにいかなくなり、舌打ちを漏らす。
「しかしどうする? 俺には探知なんてできやしないぞ。ジュエルシードの暴走した結果、これだけの魔力が溢れ出しているんだ。魔力での探知は不可能だろう」
ユーノは何か手段を考えているのだろう。黙り込んでしまった。
甲矢も組んだ腕を指先で叩き始める。LAST-ARROWの機能にそういった機能はないだろうか。それを訊ねようとしたとき。
「私が見つける。レイジングハート、手伝って」
【Of course.Area Search】
なのはを中心に、桜色に輝くピンボール大の光球が放射状に放たれた。
それらは妖樹へ纏わり付くように、その周囲を旋回している。
なのはの目が見開かれる。
「見つけた」
なのはの呟きに呼応したかのように、あるいは覚醒したかのように、妖樹がその枝を、根を駆使して襲いかかる。先端の鋭さは、人程度やすやす貫くだろう。それ以外の箇所も人程度簡単に砕くだけの堅さと威力はある。封印作業に入ろうとしているなのはの邪魔をさせない。
「甲矢!」
「分かっている!」
ロッドを妖樹へ突きつける。突きつけたロッドの先を照準に、一射、二射。超高速電磁レールキャノンが火を噴く。
射線上にある全てを燃やし、穿つ。滅びの光。滅びの弾丸。一つ放つたびに、ソニックブームと摩擦により拡散した空気が澱んだ臭いを運んでくる。火薬の、荒んだ香り。鼻が曲がる、いや、鼻が麻痺するような臭い。
それが分かっているというのに、超高速電磁レールキャノンをばらまくのはけしてやめない。
「チェーンバインド!」
ユーノも又、なのはを守ろうと魔法を駆使して戦っている。
緑色の魔方陣が展開される。そしてその魔方陣から光と同色の鎖が飛び出し、なのはを狙う触手を捕らえる。よほど強固に捕らえているのだろう。建物すらなぎ払えそうな触手を身動き一つ許さず拘束しきっている。
【Shooting Mode】
その間にも、なのはの封印は進んでいく。
レイジングハートが変形していく。コアを半月のように覆っていた杖先が二叉に別れる。その間から魔力が迸る。
「いっけぇええええ!」
なのはの声と共に放たれた桜色の光が妖樹の中心を貫いた。
【Stand by Ready】
「リリカルマジカル ジュエルシードシリアル10 封印!!」
【Sealing.Receipt Number X.Mode Release】
妖樹は消え去り、公園の中央、噴水前に二人の子供がお互いの手を握り締め、気を失って座り込んでいた。それを見たなのはがほっと息を吐いた。
そして封印したジュエルシードがレンジングハートに取り込まれていく。
夕焼けが地平線に沈んでいく。その様を甲矢たちは無事だったビルの屋上から見ていた。
なのはが屋上の縁に近づいていく。そして辺りを見渡している。
辺りには崩れた建物が幾つもある。道路は壊れ、人々は途方に暮れた面持ちで、街を見詰めている。それを見たなのはが、屋上の転落防止用の柵を握り締めた。
「私ね、ユーノ君の手伝いができたら良い。そんな気持ちで手伝うって言ったんだ。でも、今は違う。こんな光景もう二度と見たくない。だから、ジュエルシードを集めたい」
何かを口にしようとして、甲矢は結局やめた。
もう一度辺りを見渡す。見える光景、それら全てはジュエルシードでもなく甲矢とLAST-ARROWであれば簡単に引き起こせる。そんな輩がなのはにわかりきったような言葉を吐く権利はない。
なのは達に背を向け、夕日を眺める。夕日は琥珀色に染まり、壊れた街を優しく包んでいた。
なぜだか無性に叫び出したくなった。
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STAGE4:二人目の魔法少女との戦いなの?
海鳴市の入り組んだ路地裏に、猫の額ほどの公園がある。誰からも忘れられたような公園だ。甲矢は放課後、その公園にいた。公園には、甲矢の他に誰もいなかった。
甲矢は公園のさび付いたブランコを、きぃーきぃーと揺らしている。ブランコに腰掛けたまま、懐から取り出したLAST-ARROWを太陽にかざした。琥珀色の玉は、何も反応を示さない。ただ光をうけて、輝くだけだ。
LAST-ARROWの琥珀色が、大樹と化したジュエルシードの封印をした日の夕日を、甲矢にふと喚起させた。
多くの建物が崩れている中、偶々被害が軽微だったビルの屋上。そこで、なのはが夕日に照らされながら、眼下の町並みを見下ろしていた。両手を胸の前で合わせぎゅっと握っている。町を見詰めるその目は、普段の柔らかな眼差しではなく、強く引き締まっていた。
ブランコの鎖が悲鳴を上げる。甲矢はその音に現実へ引き戻され、反射的に手を放した。ため息をこぼし、頭を垂れる。しかし頭に響いた声に、顔を弾かれたようにもたげた。
『甲矢、ジュエルシードを見つけた!』
『ユーノ、どこだ』
『町外れの豪邸、ええっと、月村邸っていう所だよ』
辺りに目をやる。公園にも通りにも人がいないことを確認し、LAST-ARROWを起動させる。地面を蹴り、空を飛ぶ。
風を切って上空へ。
眼下では、ビルの激突防止用の赤い光が点滅している。
幸い、甲矢は月村邸を知っていた。地元の名家である月村家は、甲矢の住む孤児院にも多額の寄付をしてくれている。その縁で幾度か屋敷を訪れる機会があった。
記憶の告げる方角へ目をやれば、はるか彼方に月村邸がある。大きな庭には小さいながらも森がある。そこからジュエルシードのエネルギー反応があった。
「行くぞ、LAST-ARROW」
【了解しました】
青い光が後方に解き放たれる。甲矢は月村邸の森へ、隕石の如く降り注ぐ。
森は昼だというのに薄暗く、至る所に障害物があった。ただ突っ込むだけでは障害物に激突するだろう。
だが、LAST-ARROWに搭載されているザイオング慣性制御システムは、物理法則である慣性をねじ曲げる代物だ。例えば、最高速度で飛行しながら九十度直角に、それも機首を旋回させず、曲がることすら可能とさせるシステムだ。
故に、障害物の多い森であっても、たとえ最高速度であっても、翔け抜けられる。
ジュエルシードのエネルギー反応のある所に甲矢がたどり着いたのは、十秒もかかっていなかった。
そこになのは以外の人物がいた。
見覚えのない金髪の少女だ。甲矢に背を向けている。その手には戦斧のような杖が握られており、そのコアにジュエルシードが吸い込まれていった。
「誰だ、お前は」
ツインテールを揺らし、少女が振り向いた。目を見開き、戦斧を構えた。そのとなりには、オレンジ色の体毛の狼がいた。
「甲矢、君」
両者の後ろに、なのはがいた。樹木にもたれかかっている。バリアジャケットは傷だらけだ。LAST-ARROWがきしみを上げた。
狼がうなる。
「フェイト、気をつけて。こいつ、さっきまで気配をさせなかったよ。きっと手練れだ」
甲矢の眉がぴくりと反応した。
なのはの側にいたユーノを一瞥し、二人へ再び視線を戻した。
「貴方もジュエルシードを求めているんですか」
「そうだ」
「だったら……!」
フェイトが斬りかかってくる。なのはと比べると速い。瞬きする間に、近づいてくる。
しかし甲矢からすれば遅い。フェイトの動きは、スロー再生のように見えていた。振り下ろされた戦斧を、LAST-ARROWで難なくいなしてみせる。技量も何もない動作だったが、それでも敵の挙動が丸見えならば、いなすのもたやすい。
フェイトは目を見張った。そして飛び退り、甲矢から距離をとった。警戒しているのか、甲矢に近づく気配はない。
甲矢はLAST-ARROWの武装を確認する。標準装備の超高速電磁レールキャノンだ。人に向けて放てば、間違いなく相手が死ぬだろう。跡形も残さず。
殺すわけにはいかない。
その前提条件がある限り、甲矢の武装は封印されたも同然だった。甲矢の顔が歪みかける。しかし、すぐさま表情を引っ込め、素人丸出しであるが、LAST-ARROWを棒術のように構えた。
フェイトは甲矢の挙動を見て覚悟を決めたのか、戦斧を持つ手に力をこめた。
「行くよ、アルフ!」
「分かった、フェイト!」
二人が抜群のコンビネーションで攻めかかってきた。戦斧と魔法。牙と爪が襲いかかってくる。
甲矢はフェイト以上の速度と機動性で狭い空間内を飛び交い、二人の連撃をよけ続ける。
圧倒的なスペック差により攻撃をよけている。だが、それでも余裕があるわけではない。反撃をしようにも、武装は封じられ、LAST-ARROWを利用した接近戦しかできない。だが素人の甲矢ですら、フェイトとアルフの接近戦の技量は格上だと分かっていた。下手に手を出せば、手痛い反撃を食らうだろう。攻撃の機会が激減する。
その上さらに厄介なのは、フェイトの魔法だった。フェイトの魔法は電気の性質を帯びており、掠めることすら許されない。一度でも食らえば感電し、身動ぐことすらできなくなる。その上、大きく回避しなければ、静電誘導により引き寄せられた魔法に直撃してしまう。よけたと思った一撃に当たるという、非常に厄介な代物だ。それを避けるためにも、大きく回避するしかない。
敵の強さと厄介さとが、甲矢から攻撃の機会を奪っていく。甲矢は攻めあぐねる。
だが一方のフェイト達も、徐々にその顔色を悪くしていく。
攻撃をよけ続ける甲矢にじれたのか、アルフが雄叫びを上げて突撃してきた。その勢いは、本人にも制御しきれないのか、明らかに無理をしている機動だった。しかしその分速い。これまでで一番の速度だ。
爪をむき出しに、串刺しにしようと迫る。
「ひっ」
よけようとした甲矢の身体が止まる。甲矢の真後ろには、なのはがいた。迫り来るアルフは、とてもではないが、自らの意志で動きを止められそうにない。よけようものなら、なのはに爪が届いてしまう。
だからよけられなかった。
絶叫が響く。甲矢は茫然としているアルフの腹を蹴り飛ばす。体格差はあったが、それでもアルフは吹き飛んだ。
甲矢は右肩を押さえる。押さえた所から、血が止め処なく垂れ流れている。後ろで息を呑む音がした。
肩が燃えているかのように熱くなる。その熱が、すべて痛みに変わる。
――痛覚神経を遮断します。ナノマシンによる急速治療を開始します。
脳内で合成音声がした。すると痛みが引き潮のようにみるみる引いていく。額をびっしり覆う脂汗を拭い去り、甲矢は血にまみれた手でLAST-ARROWを握る。血のぬめりでうまく握れない。舌打ちがもれる。
「しょ、正気じゃない! バリアジャケットを着けていないなんて!」
アルフが腹を押さえながら叫んだ。その爪は、根元まで赤く染まっている。
動揺し、足が止まっている今がチャンス。甲矢は一瞬でアルフに肉薄し、LAST-ARROWを全力でその横面に叩きつけた。
だが、片腕で振るったこと、さらに小柄な体格が合わさり、アルフを倒すには威力が全く足りなかった。
立ち上がったアルフは足下がふらついている。だが、まだまだ戦えるだろう。甲矢へと威嚇をしている。
甲矢はLAST-ARROWを両手で構えなおす。徐々にであるが、肩の傷は血が止まり、治癒し始めている。十全にはほど遠いが、戦うだけの余裕はある。
アルフとフェイトとを見据える。両者ともうろたえており、特にフェイトにいたっては青白い顔をしていた。
甲矢はLAST-ARROWを構えた。気が動転している今ならば、二人を下すのは難しいことではない。飛びかかろうとした。
だが、後ろから抱きついてきたなのはによって止められた。腰の辺りに抱きついたなのはが、声を張り上げる。
「ダメ! 急いで治療しないと!」
甲矢はなのはを振り払おうとした。予想以上の力で抱きつかれており、失敗した。
その間にフェイトとアルフは、上空へ逃げ出してしまう。
甲矢が追いかけようとする。しかし、はのはが抱きついているためにできなかった。
甲矢は二人が去って行く後ろ姿を、その眼に焼き付けるように睨んでいた。
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STAGE5:どうしてなの?
忙しい中、なんとか書き上げられたので投稿します。
甲矢は空を仰視していた。
何キロ先をも見通す千里眼は、青と白、そして緑のまだら模様を織りなす森の梢に遮られ、その真価を発揮できずにいた。遮蔽物のない上空ならば、たといどれだけの距離があろうとも、塵一つ見逃すことなぞありはしないのに。
墨を落とし込んだような瞳が蠢く。三千世界全てを見渡さんと。しかしその瞳に、金髪の少女と犬耳の女性の姿は映らない。
二人は撤退をすませていた。
なのはが甲矢に抱きついたために気をとられた僅かな隙。瞬きより少し長いくらい。その少し許りの時間に、飛行魔法を使い素速く退散していった。
その様はまさしく生き延びることに特化した獣のように合理的で。
その様はまさしく戦い続けることに特化した軍人のように無駄がなく。
逃げる敵は、追いかけて徹底的に殲滅するのセオリーだというのに、今から追いかけた所で、追い付くわけがない。
だが、だがそれは普通の人間の話だ。
甲矢ならば追い付ける。LAST-ARROWの存在がそれを可能とする。ここに来るまでも、たやすく音速を越えられたのだ。魔導師がいくら速く空を飛べるといっても、音速を超えられるわけではない。
鳩は鷹、否。流星からは逃れられない。
だというのに、甲矢は追いかけられなかった。
それはきっと、甲矢の腰にしがみつき、小刻みに震える熱のせいなのだろう。今も、麻痺した神経でも分かるほどの熱が、伝わってくる。
少し力を入れれば、多少体格差があろうと、振り払えるだろう。
だというのに、振り払えない。
歯ぎしりがもれる。
下ろしそうになるLAST-ARROWを必死に構え、去っていった敵の残影を懸命に睨み付ける。
一分、いや二分は経った。
いくら甲矢とて、もう追いかけても無駄だ。それだけの時間が過ぎたと判断した甲矢は、ようやくLAST-ARROWを下ろした。
だが、まだ終わりではない。甲矢はこれからすべきことに、顔をしかめるのを抑えきれなかった。
息を深く吸い込み、覚悟を決める。
続けて言葉を一息に吐き出す。
「痛覚神経の遮断を解除しろ」
網膜にグラフが映し出される。それは、ナノマシンが観測している、アドレナリンの分泌グラフだった。
グラフのバーは異常を通知する赤色に染まり、グラフ全体を塗りつぶすようにOVERDOSEと警告文が表示され明滅していた。
そのグラフが急減していく。
それはつまり、アドレナリンの過剰分泌により感じられなかった痛みがぶり返すということだ。
甲矢自身、それが自ら発した声だと自信を持てなかった。
ただ周りが白く、黒かったのだけを覚えている。
気がつけば倒れていた。のたうち回ったのか、辺りの下生えには、赤黒い塊がこびりついている。
なのはが、甲矢の身体を抱きしめていた。その頬には、血しぶきがついている。
立ち上がろうと身体に力をこめた瞬間、うっとうしいネズミのように全身を駆け巡った苦痛から呻き声がもれてしまう。
「は、甲矢君、早く病院に」
なのはが甲矢の無事な肩の側に周り、抱き起こそうとした。
だが甲矢は、なのはの助けを拒絶した。なのはを振り払い、離れようとするが、よろめく足には全く力が入らず、倒れ込むように近くの木にもたれかかる。
荒い息をしばらくしいしい、擦れた声をようようしぼり出す。
「ダメ……だ」
「なにを、言っているの」
動揺している様子のなのはに対し、甲矢は首を振る。
「ダメだ。病院に行ったら、魔法の存在が知られてしまう」
肩を貫かれた小学生が病院に担ぎ込まれたならば、ちょっとした騒ぎになるのは火を見るよりも明らかだ。当然、警察も呼ばれるだろう。
その時、甲矢はまだしもなのはが魔法について隠し通せるだろうか。
甲矢は無理だと否定した。それに例え隠し通せた所で、監視がつくだろう。そうなってしまえば、ジュエルシードの回収が難しくなる。
それになによりも。
甲矢はLAST-ARROWを垣間見た。
瞬きの合間に音速を超えられる速力。戦艦だろうと一撃で粉砕できる数々の武装。
この兵器の存在がばれたらどうなる。
高度な科学技術により異常なまでの能力を有す兵器。もし手にすることができ、運良く設計図の作成ができたら。その国家は世界を支配できるだろう。
そんなものが人々に知れ渡ったらどうなる。おそらくは、各国での奪い合いが発生する。世界の覇権なんていう、くだらないものを手にするために。
それはすなわち、あってはならない第三次世界大戦の勃発に他ならない。
それだけはさけなければならない。
だから甲矢は、なのはが病院へ行こうと何度告げようとも、頑なに拒絶する。
それを見かねたのか、足下まで駆け寄ってきたユーノが、諭すように語りかけてくる。
「それだけの傷だ。早く治療しないと破傷風になってしまうよ。それに魔法だって必ずばれるわけじゃないよ」
ユーノの楽観的な言葉に、甲矢は気怠さを深めながら再び首を振る。
とうとう根負けしたのか、ユーノは口を濁しだした。
「せめて魔法で治療を……」
「その必要はない。すでに治療は行っている。後五分もしないうちに完治する」
「そんな馬鹿なっ。あれだけの傷、魔法でだってそう簡単に治るものじゃないよ」
「LAST-ARROWにはそういう機能があった。それだけだ」
甲矢はそれだけ言い切ると、口を噤んだ。それ以降、ユーノ達がどれだけ話しかけようとも、反応を返さなかった。
ただ瞼を閉ざし、脂汗を流しながら、奥歯を噛みしめていた。
そして黙りこくったまま五分が過ぎた。甲矢は、目を開くとLAST-ARROWを杖代わりに、若干足下がおぼつかないながらもやおら立ち上がる。
身体が重い。水中にいるかのように、身体がどんくさくしか動かない。血液を流しすぎたのだろう。いくらナノマシンとはいえ、すぐに血液を増やすことはできやしない。
立ちくらみを堪えながら、甲矢は飛行の準備に入った。そういえば、服の言い訳はどうしようと考えながら。
が、それらは止められた。ぐいと引っ張られる。
「どうしてなの……」
首を後ろに巡らせると、なのはが甲矢の手をしっかりと握りこんでいた。
力をこめられた手は、振りほどけそうにはない。
「……高町」
「どうして……」
ぽたりと目尻からこぼれたそれを見て、甲矢はなのはと向き合った。
なのはは向き合った甲矢の痛々しい姿に、顔を歪めた。その拍子に、涙が頬を伝い落ちたのを感じた。
滲んだ視界でもはっきり分かるほどに、甲矢の右半身は肩口から流れでた血で真っ赤に染めあげられている。
赤々とした滝の痕に、どれほどの痛みが伴ったのだろうか。なのはには分からない。だって、全て甲矢が肩代わりしてしまったから。
あのとき、なのはは身動ぐことすらできなかった。三人の戦闘があまりにも早く、見守ることすらできず。ただそれでも、小さな甲矢の背丈越しに、オレンジ色の塊が白い爪を光らせて迫り来るのは見えた。包丁のような切っ先に、小さく息をもらし。
それで、甲矢の動きを止めてしまった。
甲矢ならばよけられた攻撃を、なのはを守るために真っ正面から受け止め、こんな大怪我を負った。
じくじくと、なのはの胸が痛む。爪に貫かれたのは甲矢だというのに、まるで自分の胸に風穴が空いたように鋭く痛む。
自分のせいで甲矢が怪我をした。その事実が、なのはを責め立てる。
だが、そんな自責の念よりもなお、なのはの胸を埋め尽くそうとするものがある。それは怒りだ。
「どうして、どうしてあんな無茶をしたの」
大怪我を負って、それでも戦うなんて。
なのはの脳裏をかつての父の姿がよぎる。今でこそ、喫茶店のオーナーとして働き、サーカーチームの監督もしているが、なのはがもっと小さかった頃、士郎は病院のベッドで眠り続けていた。
身体中包帯とチューブだらけで、こんこんと眠り続けていた。どんなに家族が呼びかけても、目を覚まさなかった。
そうなったのは、ボディーガードの仕事で、爆発に巻き込まれたからだそうだ。誰かを守るために、自分の身体を犠牲にして。
甲矢の姿が眠り続ける士郎と重なってしまう。
「ダメ……だよ、自分のことは大切にしなきゃ」
甲矢の胸元を掴み、縋り付く。こうでもしないと、甲矢はどこかへ消えてしまいそうだった。なのはの震える肩に甲矢の手が置かれた。しばらくして、なのはは引き剥がされた。
「あっ」
肩に生暖かな感覚が残っている。見なくても分かるほど、鉄臭い臭いが鼻をつく。なのはは背筋を震わせた。
背中を見せた甲矢に、なのはは手を伸ばした。
「やだ、よぅ。甲矢君……」
甲矢は身体を一度震わせると、か細く呟いた。そして空へ飛び立っていってしまった。
それを見届けたなのはがくずおれた。
「なのはっ」
駆け寄ってきたユーノをなのはは抱きかかえると、胸元に押しつけた。
「ユーノくん、私、何もできなかった」
堪えようにも堪えられない、熱い雫がぽたぽた零れ落ちていく。後から後から湧き出てきて、止まりそうにない。
「そんなことないよ、なのは。なのははいつも頑張っているじゃないか」
慰めの言葉に、なのはは激しく首を振った。
「私、私……何も伝えられなかった。たくさん、たくさん伝えたかったのに。何も」
空に飛び立つ寸前の甲矢の言葉が、なのはの中で反響する。
悲しさだけが満ち満ちた言葉が。
「どうせ誰も必要としなかった命だ」
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STAGE6:飛べなかった日なの
甲矢は夕食後の自由時間に、誰にも見付からぬよう、孤児院の廊下を忍び足でひっそりと歩いていた。
この時間帯廊下は使われない。が、トイレか何かで廊下を使う者もいる。誰かに出くわす可能性はなきにしも非ずだ。
ちらりと手元に目をやる。スタッフルームから拝借した大振りの鋏がそこにある。危ないので勝手に持ち出すことが禁止されているものだ。こんなものを持って歩いているのが見付かれば、騒動になってしまう。それは避けたかった。なぜ持ち出したのか根掘り葉掘り聞かれるのもそうだが、周りに余計な心配を掛けてしまう。それは何としてでも避けたかった。
悠長にしていると、誰かに出合う可能性が高まる。自然と足が速くなっていく。急ぎ足のまま、自室へ向かう。が、自室へはまだ多少距離がある。曲がり角に着いたところで、幾度目かになるが、人の気配を探る。
Last-Arrowに投与されたナノマシンにより強化された甲矢の五感が力を発揮する。嗅覚は体臭を、触覚は風のうねりを、聴覚は微かな音もあまさず感知する。
どうやらここいらには甲矢以外誰もいないようだ。息を吐き出す。ここを越えれば後は少しだ。
角を曲がり少し進む。自室の前まで辿り着いたとき、甲矢の額からひとしずくの汗が流れ落ちた。それを拭い去り、自室に入ると後ろ手に扉の鍵を閉める。こうすれば、作業中に誰も入ってこれない。だが甲矢は念には念を入れる。扉に耳を押し当て、もう一度周囲の人気を探ってみる。扉越しであるが、物音一つせず、静かなものだ。頭の中でゆっくり十秒数えるが、何も変化はない。そこまでしてようやく部屋の近くにひとがいないと、肩の荷を下ろすことができた。
Last-Arrowに尋ねれば、こんなことをする必要はないだろう。その優秀極まるレーダー群からすれば、街の孤児院程度丸裸も同然だ。が、甲矢は不必要にLast-Arrowの力を使いたくはなかった。どれだけ便利であろうとも、その力の源泉は兵器なのだから。
甲矢は鋏を一旦机に置くと、ベッドの下を漁った。見付からないよう奥に隠していたので、なかなか目的のものが探り出せない。それでも腕を伸ばし、探していると、指先にごわごわした感触が掠めた。掠めた付近を重点的に漁ると、目的のものに指が引っ掛かった。引っ張り出したのは、血塗れのシャツだった。思わず肩を触ってしまう。そこに風穴はもうないというのに。
このシャツは、数日前月村亭でジュエルシードを回収したとき着ていたものだ。肩に傷を負い、血塗れになってしまった。
どうにか人目に付かぬうちに処分しなければいけないものだ。が、今日までそのチャンスは巡ってこなかった。
持ってきた鋏を取上げ、シャツにあてる。手に力を込めるが、シャツはなかなか切れない。四苦八苦していると、Last-Arrowが話しかけてきた。
『あなたの筋力はナノマシンで強化されております。シャツ一枚の裁断程度、苦労するはずもありません』
ぴたりと刃が止まる。
「黙ってろ、Last-Arrow」
『命令、承諾しました』
再び鋏に力を込めようとしたが、甲矢はやめた。代わりに鋏を脇に置く。作業はしなければならない。だが、もうそんな気分ではなくなってしまった。
膝にシャツをかける。おさがりで貰ったシャツはすり切れて、黄ばみが酷く、元の白い色合いなど全く見えない。もうそろそろ着るのも限界で、買い換え時だ。
そんなシャツでも、なくなれば保育士達は困るかもしれない。そう思うと、鋏にこめる力が入らなくなってしまった。
「やらなきゃいけないことなのに、どうしてやりきれないんだ」
こうなったら他の方法を考えるべきか。そう甲矢が思案していたときだ。
突如世界が揺らいだ。すべてが波打ち、極彩色に縁取られたように見える。いや、それは甲矢の認識が歪んだに過ぎない。
膨大な魔力が一挙に押し寄せたために、甲矢の魔法的な処理能力がオーバーフローを熾し、誤認したのだ。
「Last-arrow!」
打てば響くように求めた情報が返ってくる。
『空間中の魔力濃度の上昇を確認。魔力波のパターン照合中。照合終了。ジュエルシードの暴走に間違いありません』
Last-Arrowから送られたデータが、ナノマシンを通じ、瞳孔に投射される。そこにはサーモグラフィのように、魔力濃度を測ったグラフが表示されている。部屋中真っ赤だ。データを切り替える。先程までのグラフが表へと変換された。表の数値を見れば、普段の一万倍もの魔力がここらを満たしている。
状態を把握してからのは行動は素早かった。
甲矢はシャツで鋏を包むと、再びベッドの下に押し込んだ。鍵をもう一度確認し、窓から外へ抜け出す。
月明かりに照らされる中、魔力が放たれている場所をサーチする。
『回収目標の現在地、海鳴温泉街』
「距離および方角は」
『距離は168.25678キローメートル。方角は北北東』
舌打ちがもれる。距離が遠すぎる。
Last-Arrowのおかげで甲矢は魔導士でも追いつけない超高速移動ができる。が、それは甲矢自身の身を守るバリアが存在するのが前提条件だ。魔力さえあれば、超音速でいくらでも移動できる。
が、それだけの能力に反し、甲矢の魔力は少ない。なのははもちろん、消耗しきっているというユーノですら甲矢より豊富な魔力を有しているほどだ。
そんな甲矢ではLast-Arrow最大の利点である速度を生かし切れない。
奥歯を噛みしめる。歯がゆさばかりが募る。が、ここで悔しさからいくら歯軋りしていても意味がない。
青い光を発しながら、甲矢は孤児院上空に飛んだ。
「うまくできればいいんだが」
北北東へ飛びながら、なのはとユーノへの念話を試みる。ジュエルシードの魔力が空中に大量に霧散された状態で、念話が届くか。さしもの甲矢も見当が付かない。
【聞こえるか、高町、ユーノ】
伝わらない。が、わずかに繋がりを感じる。めげずに幾度も繰り返す。
【甲矢君!】
なのはだ。ノイズまみれで聞き取りづらい。が、確かに繋がった。
【今、どこにいる】
【今? 海鳴温泉にいるの。そこでジュエルシードが暴走して……】
【わかった。すぐに向かう。ただ、時間がかかりそうだ】
現在時速1020キロメートル。あと少しでマッハとなるほどの速度。しかしそれでも海鳴温泉街に付くには十分もかかるだろう。いや、途中で魔力が不足するだろう。だとすれば速度はぐんと低下する。それをかんがみれば、一時間弱はかかるだろう。
それだけの間、なのはとユーノが無事ジュエルシードを封印できれば良い。が、甲矢は金髪の少女達のことを考え、楽観視することはできずにいた。一刻も早く合流しなければならない。
少しでも早くと、アフターバーナーをさらにふかす。周囲の風景が、甲矢の強化された五感ですらほとんど何も認識できない領域になっていく。もはやLast-Arrowのセンサー群が知覚する情報だけが頼りだ。
周囲に張ったバリアが赤熱していく。みるみる残存魔力が減っていき、バリアの強度が失われていく。バリアが破れてしまえば、甲矢など刹那の間に燃え尽きるだろう。
それでもなお、甲矢は速度を弛めなかった。
【甲矢君……バリアジャケット、着ているよね?】
甲矢の魔力では、バリアジャケットを纏えば、それだけで魔力が枯渇しかける。身を守るために使いたくとも、使うわけにはいかなかった。使ってしまえば、さらに時間がかかってしまう。
なのはをごまかそうと、無難な返事をしようとしたとき、リンカーコアのある胸が痛み出す。
苦悶に顔を歪ませ、胸に爪を突き立てる。魔力が不足しだしたのだ。視界に風景が飛び込む。いや、甲矢が飛行つづけることができなくなり、急停止したに過ぎない。
【ああ】
それでもなのはをごまかすために言葉を絞り出す。多少受け答えに不自然さがでてしまった。が、なのはも甲矢よりジュエルシードのことを優先するだろう。
そんな甲矢の予想は裏切られた。
突如送られてくる念が膨れ上がる。あまりの出力に、受け取るだけで魔力ダメージをくらいそうなほどだ。
【嘘つき!】
突然の大声に驚いたのは甲矢だけじゃなかったようだ。ユーノの念話が甲矢にまで届いた。
【な、なのは? いきなり何を?】
【だって、甲矢君?吐いてるもの。それくらい私にだってわかる】
【どうして嘘を吐かなきゃゃいけないんだ】
返す言葉が震えていなかったのは、奇跡だろう。
【……甲矢……】
【高町? おい、高町!】
なのはの声がノイズにかき消えていく。
『魔力障害の発生を確認』
どうやらジュエルシードが原因らしい。ジュエルシードから発せられた膨大な魔力が、念話の魔力に干渉しているようだ。
ぐずぐずしている暇はない。甲矢はとにかく目的地へ向かうのを優先した。
が、その飛行速度は先程よりもはるかに遅い。風景はなかなか変わらない、可能な限り早く飛んでも。それでいて風圧に息はつまってしまう。
まったく思い通りにいかない。甲矢は嫌な予感ばかりが募っていく。そしてそれは現実となった。
甲矢がようやく海鳴温泉街に辿り着いたとき、すでにジュエルシードは奪われていた。
「甲矢……君。ごめん、ね。取られちゃった」
力なく崩折れるなのはを前に、甲矢は掌から血がしたたり落ちるほど、拳を握り締めた。
文章量といい、中身といい、なんだかなぁ。時間が合ったらもう一度再考したい気持です。
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STAGE7:破滅は光なの?
でもこれは嘘じゃありません。新年初投稿です。
いや、本当にもう謝るしかありません。ここまで遅くなってしまい、申し訳ありません。作品は完結させます。投げっぱなしだけはしないつもりです。はい。これからもご愛顧よろしくお願いいたします。
「甲矢君、少しお話をしたいのですが、良いですか」
三時過ぎ、孤児院近くの市立小学校から帰って来た甲矢は、中庭に通じる渡り廊下の中ほどで、院長に呼び止められた。
声のした方に目を向ければ、中庭の隅にある小さな花壇の前に院長はいた。麦藁帽子を阿弥陀にかぶり、動きやすそうなシャツとジーパンを纏っている。足下には泥まみれのスコップと如雨露が、平行に並べられている。どうやら、庭仕事に精を出していたらしい。
院長が日に焼けた皺だらけの顔を、柔和に微笑ませる。
甲矢はこくりと頷いた。
「分かりました」
「今なら誰もいないでしょうし、食堂に行きましょう」
再び頷く。
甲矢は普段よりゆっくり足を進めれば、ちょうど二人が横並びになる。そのまま連れ添って食堂へ向かう。
食堂に入ると、薄暗かった。孤児院の北側に設けられているため、採光がないためだ。とはいえ、泳ぐような闇というわけでもないため、甲矢には十分部屋の様子が見て取れた。しかし、院長には暗すぎるだろう。きっと何も見えていない。甲矢はそう考え、電灯を付けた。僅かな明滅の後、白熱灯が部屋を照らし出す。細長い食堂が、その姿をはっきりさせる。二十人程度ならば一度に食事ができる広さがある。部屋の中央には細かな傷がたくさんついた長机があり、等間隔で赤い花の造花が三つ飾ってあった。
甲矢は入り口に一番近い椅子に座った。院長がその対面に座る。
「そういえば、そろそろ甲矢君の誕生日でしたね」
「はい。でも、全然大きくなれませんが」
甲矢の表情がわずかに変わる。よほど付き合いが長くなければ分からないくらいだが、確かに顔をしかめた。
院長は相好を崩す。
「はっはっは。まだまだ君は若い。後から嫌でも大きくなれますよ」
「だと良いのですが」
「大丈夫ですよ」
しばらくの間、二人の間で談笑が弾んだ。その話が途切れた合間を見計らい、院長が話頭を転じた。
「甲矢君。君に何がありました?」
何の気なしに告げられた言葉に、甲矢は身を強張らせた。
院長は笑みを崩していない。しかしどこかかなしげに甲矢を見澄ましているようにも見える。
その表情が甲矢に悟らせた。院長は気付いている。どこまでかは分からないが、甲矢が超常現象に巻き込まれたと言うことを。
だが、なぜ気付かれたのか。
甲矢は魔法の存在を知ってから、誰にも不審に思われないよう、細心の注意を払って日々を過ごしていた。実際それは上手くいっていた。これまで誰も甲矢の変化に気が付かなかった。
だのに院長は、甲矢の身に何かあったのを確信しているらしく、甲矢の目を真っ直ぐに見つめてきた。
「どうして、そう思ったのですか」
声は震えていなかった。それだけのことなのに、甲矢は助かったと思った。
院長は甲矢の問いに答えることなく、静かに瞼をつぶりだす。それは、遠い遠い何時かに思いを馳せているようだった。
「ここ最近、甲矢君の顔が懐かしい風貌だったからです」
その言葉に甲矢は小首を傾げる。顔付きが何だというのか。
聞き返そうとはした。だが、院長の声音はどこかかなしげで、聞き返すことができなかった。
「それは私がまだ若い頃、周りの人がした面影です。戦いへ、いえ、戦争へ駆り出された人の顔です。国を、友を、家族を守るため、自らが戦わなければならないと覚悟した面持ちです。この平和な時代に、全く相応しくないのですよ、甲矢君。きっと、私の世代の人が今の君を見れば、心配せずにはいられないでしょう」
甲矢は何も答えられなかった。ただ、自らの頬に手を当てていた。
「甲矢君、どうか、教えてくれませんか」
「……何もありません。いきなりそんなこと言われても、僕にはさっぱり分かりません」
「そう……ですか」
院長は再び目をつぶった。悲しさと弱々しさに浸った顔だ。ちくりと甲矢の胸が痛む。
院長からそれ以上の問いはなかった。
「失礼します」
「ええ……」
一人になった甲矢は、自室へ戻る。赤々とした斜陽が、目に突き刺さる。
わずかに目を細めた甲矢は、後ろ手に部屋の鍵を閉め、辺りの人気を探りだす。
人が近くにいないことを確認するや、カーテンを閉め、ベッドの下から血塗れのシャツを取り出す。
どす黒く変色したシャツを両の手で持つ。わずかに逡巡する。
院長の言葉が蘇ってくる。甲矢は、シャツを一息に引き裂いた。
「いい加減にしなさいよ!」
机を叩く音が、教室の喧騒を静まり返した。
教室にいる全員の目が、なのはとアリサ、すずかを見つめている。いくつもの目線に射すくめられた、なのはは肩を縮こませた。
「ア、アリサちゃん」
だが何よりもなのはの身を竦めさせたのは、眼前で怒りをあらわにしているアリサだった。
「そんなに私たちといるのがつまらない!? ずっと何か考えてばかりで! 気のない返事ばかり!」
「ご、ごめんね、アリサちゃん」
アリサの言うことになのはは覚えがあるために、ただ平謝りするしかなかった。
だがそれがアリサの怒りをより一層強めたらしく、いよいよ彼女は湯気を立てて「もう知らない!!」と教室を飛び出してしまった。
「なのはちゃん」
「あっ、すずかちゃん……」
「アリサちゃんは私に任せて。でも、ね。何か心配事があるなら、私たちにも相談して欲しいな」
そのまま立ち去っていくすずかの背を見つめ、なのはは独りごちた。
「言えるわけないよ、あんなこと」
脳裏には血だらけの甲矢の姿が浮かび上がる。
なのはは黙りこくったまま、好奇の視線に晒されたまま、教室を出て行った。
夕方、なのはは学校近くの児童公園にいた。
いつもならば、スクールバスなどを使うので、公園へ寄り道などはしない。だが、今日は歩いて帰りたい気分だった。そしてその道中で見掛けた公園に、誘い込まれるように入っていった。
ちょうど公園は誰もいなかった。なのはは、風に吹かれるままのぶらんこに座る。
誰もいない。そう思うと、なのはの涙腺は崩壊してしまった。
「どうしてこんなことになっちゃったんだろう」
『気を落とさないで下さい。きっと彼女たちと仲直りできますよ』
なのはの胸元から返答がある。
胸元からレイジングハートを取り出せば、淡い輝きを発しながらなのはを励ます。
「うん……ありがとう、レイジングハート」
『元気になられたようで何よりです』
なのはの顔に笑みが戻る。
しかしその笑みはすぐに消え去った。
「レイジングハート!!」
『ジュエルシードの魔力波長です!』
繁華街の方角から、膨大な魔力が流れ出している。
なのはは周囲に人の目がないことを確認すると、バリアジャケットを纏い、空を飛んだ。
「すずか、覚えている? 私たちが友達になった日のことを」
リムジンの後ろに座っているアリサは、窓の外の流れていく光景を見つめながら、隣にいるすずかに語り掛けた。
「もちろん。アリサちゃんが私のカチューシャを取っちゃったもの」
「うっ。すずか、アンタね」
痛いところをつつかれ、呻き声を漏らす。振り返れば、すずかはくすくすと笑っている。
「あのとき、なのはが止めてくれたのよね、私を。引っ叩いて」
「そうそう。それでなのはちゃんが言ったんだよね。『痛い? でも大事なものを取られた人はもっと痛いんだよ?』って。あの後も凄かったよね」
「そうね。私が素直に謝れなくて、なのはに飛びかかって大げんか。側にいたすずかは大わらわ」
「最後は皆で謝りあって。それで仲良くなれたよね」
二人の思い出し笑いが車内に満ちる。
けれども、それも次第に静かになる。
「私って、そんなに頼りないかな」
「そんなことないよ。アリサちゃんはいつも私たちを引っ張ってくれるじゃない」
「でも、なのはは」
「なのはちゃんだって、何か事情があるんだと思うよ。待ってあげよう。それもきっと友達だよ」
「……そうね。でも、いつかはきちんと話してもらうんだから」
「それじゃあ、明日はまた謝ろう」
「皆して?」
「そうだね。アリサちゃんとなのはちゃんだけでかな?」
今度の笑い声はいつまでも消えなかった。
引き裂かれたシャツを前に、佇んでいた甲矢は、荒れ狂う魔力の波動に気が付いた。
のろのろとした動作で胸元から玉を取り出す。
「Last-arrow」
『魔力パターン検知。ジュエルシードです』
同時に、周囲のスキャン情報が送られてくる。
3Dモデル化された町並が脳裏に鮮明に映し出される。隆起されたビルディングは、細かな汚れも再現しており、一目でそこがどこなのかを告げていた。ここは、繁華街だ。
煌やかなネオンに紛れ、青い宝石がチロチロとその光を漏らしている。
辺りには大勢の人がいる。
急がなければ大変な事態になる。甲矢は顔をしかめた。
思い出すのはジュエルシードで発生した巨大な樹木。わんさと人が集まっている中でジュエルシードが覚醒すれば、その被害は計り知れない。
甲矢が空を飛んだ瞬間、今も送られているスキャン情報に特異な二つの人影が映った。他の人間はすべて影法師のような真っ黒な人形だというのに、二つの人影だけは鮮やかに色めいている。その顔を甲矢は認識した。
なのはとフェイトだ。
「接触間近か……」
二人の行く先には、当然ジュエルシードがある。後五秒もあれば、二人はジュエルシードを視界に収めるだろう。
甲矢もLast-arrowを携え、空へ飛び出す。空気の壁を強引に破りながら、加速していく。それでもなお、ジュエルシードの元に辿り着いたのは、二人と同時だった。
それぞれの立ち位置は、眼下の街路樹の根元に転がるジュエルシードを中心に、等間隔の距離に三角形で浮かんでいた。なのはへ視線をやれば、その近くにユーノはいない。逆にフェイトはアルフと共におり、こちらを険しい目付きで睨んでいる。
ジュエルシードを確保するのは簡単だ。単純な速度ならばこの中で甲矢が一番速い。フェイトにワンテンポ遅れたとしても確実に手にすることができるだろう。しかし、二人を前にジュエルシードを優先すれば、大きな隙が生まれる。それは致命的だ。
お互いがそのことを理解しているが故に、奇妙な緊張感が漂う。
「甲矢君、どうしてまた!?」
緊迫した空気をなのはの叫びが切り裂く。
甲矢は横目になのはを見据えると、口を開くことなく、フェイトたちへ視線を向ける。
フェイトたちは油断なくこちらを見詰め、各々の
息が張り詰める。雷の刃と、鈍色の爪牙はその鋭さを見せ付けてくる。手に持つLast-arrowがどこか頼りなく感じてしまう。どれほど強力な兵器を装備していても、使えないのであれば、ただの棒だ。
瞠っていたフェイトの姿がぶれる。
魔法での高速移動だ。
強化された動体視力がなければ、見失っていただろう。甲矢はすぐさまLast-arrowで迎撃する。振り下ろされた戦斧に、逆側から振り下ろしたLast-arrowがぶつかり合う。金属が衝突した甲高い音と目を焼く火花が飛び散る。二つの長物はお互いがお互いを食らわんと、ギチギチ音を立てながら鍔迫合う。
甲矢は歯を剥き出しにし、渾身の力を込める。だが、どれほど力を込めようとも、見上げるフェイトの顔には余裕がある。体格差から甲矢の方が力負けしていた。戦斧が徐々に押し込まれてくる。
甲矢の表情が苦悶に歪む。フェイトより小柄な甲矢では、力で勝てる道理はない。かといって、他で勝負しようにも、戦闘の技術はフェイトの方がはるかに格上だ。
その証左に、苦し紛れに放った甲矢の蹴りは、フェイトがわずかに動かした戦斧の柄で捌かれてしまう。さらにはその動きをそのまま利用され、横腹を強かに打ち据えられた。
「っ!」
強烈な一撃に、甲矢の身体がくの字に曲がる。激痛が脇腹から頭頂まで走り抜ける。
痛みから硬直した瞬間、フェイトの鋭い蹴りが腹を穿った。しかも電撃を纏った一撃だ。
胃液が逆流する。身体が感電し、麻痺する。連続のダメージに反応したナノマシンが、急速な回復を行う。常人場慣れした回復能力が発揮される。だが、それでも一瞬で身体の自由を取り戻せるわけではない。
唯一動く眼球が、フェイトを追う。
戦斧がトドメとばかりに振りかざされる。否、
「ディバインシューター!」
だがそれは、横合いから放たれたなのはの魔法で防がれた。
フェイトは絶好の機会だというのに、躊躇うことなく刃を翻し、なのはの魔法を切り裂いてみせた。勝利を目前にしておきながら、油断なく周りへ目をやっている冷静さ。あまつさえ、絶好の機会でもそれに固執しない恐るべき戦術眼。
間違いなく、フェイトはこの場の誰よりも強者だ。
「それが、どうした。俺はやらなければならないんだ」
Last-arrowを握り締める。麻痺から回復した甲矢は、フェイトへ突撃する。接近戦が不利なことは百も承知だ。しかし甲矢には中・遠距離の対人用の攻撃など有さない。どんな方法を取ろうも、確実に殺してしまう。
いくらなんでも殺すわけにはいかない。
「ここ」
滑らかな動きでフェイトはLast-arrowを受け流した。
体勢が崩れる。このままでは再び痛打を受ける。
時間が遅く感じられる。
「お、おおおっ!!」
流れた身体を無理矢理に引き戻す。身体の内側からブチブチと嫌な音が響く。筋肉が断裂した。
それがどうした。その程度の代償、安いものだ。
無茶をして間に合わせたLast-arrowが大きく弾かれる。甲矢も後ろに弾き飛ばされた。
だが、防ぎきった。甲矢の口角がつり上がる。
が、それもすぐに消え去った。
「逃がさない!」
フェイトはすぐさま甲矢との間合いを詰め寄り、デバイスを幾度も振るう。
連続で振るわれる刃。Last-arrowが火花を散らす。甲矢はなんとか白銀の一閃を一つ一つ拙いながらも確実にいなしていく。それでもフェイトの連撃は留まることを知らず、むしろいなされるごとに全身のギアを上げ、回転を速めている次第だ。
徐々に甲矢の防御が間に合わなくなってくる。奥歯を食い縛り、甲矢はフェイトの一挙手一投足を睨む。
「甲矢君!? 今助けに、っ、邪魔をしないで!」
「そういうわけにはいかないね!」
救援は期待できそうにない。
最悪な状況下に、甲矢は思わず舌打ちを漏らす。空しく木霊する。
とにかく流れを変えなければ。なけなしの魔力で、見よう見まねの魔法を放つ。射撃魔法。ただ一直線に魔力弾を放つだけの、簡単な魔法。それですら、甲矢の魔力の大部分が消費された。
全霊の魔力を込めた弾丸。しかしそれはフェイトに裏拳で弾かれるだけで終わってしまった。
むしろ、さらに苛烈な攻撃が、甲矢を襲う。
一撃を受け止めれば、数歩分後退る。その間に相手は十分な踏み込みを加えたさらに強烈な一撃を繰り出す。そんな悪循環が続く。
Last-arrowがなければ、今頃その雷を纏う刃にて両断されているだろう。
「ぐうぅ!」
大きく振り下ろされた一撃に、甲矢はこれまで以上に吹き飛ばされる。背中が冷たい。背後にはビルの外壁がある。死地に追い込まれた。
顔を上げれば、鋭い蹴撃。片腕で防ぐが、鈍い痛みが前腕を蝕む。さらには背後の壁にたたきつけられ、全身に痺れが広がる。
『一時撤退を推奨します』
Last-arrowがそんなことを抜かす。
だから甲矢は叫び返した。
「それができる相手ならな!」
『最高速度での離脱は容易です』
「できるものか!」
最高速をだせば、確かに逃げ切れる。それだけのスペックをLast-arrowは有している。しかし、そうすれば、衝撃波だけで、ここらの生物が死ぬ。それはフェイトのみならず、なのはもだ。そんな手段、取れるはずがない。
かといって、このままただ一方的に攻撃されるだけでは、いつか
フェイトの猛攻に晒されながら、反撃の糸口を探す。
大振りな一撃。それを受け止めるために渾身の力を込めたLast-arrowが、フェイトのデバイスとかち合う。しかし甲矢はみた。お互いの武器が衝突する瞬間、フェイトのデバイスを魔方陣が加速させたのを。
誘われた。それを理解するのは遅すぎた。
耳に残るくぐもった音が響き、Last-arrowだけが跳ね上がる。
体勢が完全に崩れてしまっている。
Last-arrowを力尽くで引き戻し、防御に回す。が、そんな無理矢理な受けでフェイトの一撃を満足に受け止めることができるはずもない。一撃で身体ごと弾かれる。
そして、完全にがら空きになった腹部へ、戦斧の石突がめり込んだ。
「か……はっ」
ビルへと磔にされる。胃液に鉄臭い匂いが混じる。
「しぶとかった」
石突を押しつけてくる力が弱まる。フェイトの表情はわずかに和らいでいた。おそらく、これで甲矢が無力化できたと考えたのだろう。
が、甲矢の瞳に込められた力はいささかも衰えていない。
押しつけられたデバイスの柄を掴む。
「なっ!?」
フェイトはデバイスを振り回し、甲矢を振り落とそうとする。
だが、甲矢とて負けるわけにはいかない。奥歯を噛みしめ、必死に食らい付く。これが最後の勝機なのだ。
「放して!!」
どれだけ振り回そうと食い下がる甲矢に業を煮やしたのか、フェイトは自らの身体に紫電を纏う。このままデバイスから手を放さなければ、その紫電を流すと脅しているのだろう。フェイトの電撃が強力なのは、甲矢もよく知っている。
が、甲矢は決してその手に込めた力を緩めなかった。
フェイトが顔を歪めた。そして、その身から雷光が迸る。
「がぁああああっ!!」
全身が焼かれていく。白く染まった視界に時折映るのは、スパークだけ。それでも脳髄が、ナノマシンが、甲矢の身体に命じる。決してその手を放すなと。それこそがフェイト・テスタロッサを相手取る唯一の方法だと。
となれば後は根比べだ。フェイトの放電か甲矢の意志のどちらかが先に限界を迎えるか。そして、だからこそ、甲矢は必ず勝つと確信していた。
甲矢が死なないよう手加減された電撃。であれば、それはただ苦痛なだけ。そして甲矢という存在はそれ以上の苦痛を何度も味わっている。それらと比べれば、たかが全身を打ち据えられ、焼かれる痛みなど、無に等しい。
「どう、して」
全身から湯気を立たせ、感電により自由の利かない身体を、それでも無理矢理に従わせ、顔を上げる。そこには青ざめたフェイトが甲矢を呆然と見つめ立ち尽くしていた。
「どうして、そこまでして……。この、化け物……」
甲矢は何も答えない。何も答えず、フェイトの肩に手を置いた。
フェイトの肩が跳ねる。逃げようとしたのを抱き竦めるように留める。
「な、なにを!?」
そのままフェイトを羽交い締めにしてがっちりと固定すると、甲矢は足下から青い光りを放ちはじめる。
脳裏にて、Last-arrowが告げる。
――ザイオング慣性制御システム起動
一瞬にして視界からコンクリートジャングルがかき消え、星空だけが世界を満たす。寒々とした空気が甲矢たちを包む。その寒さは焼け焦げた肌を冷やしてくれる。僅かな活力を取り戻すと、甲矢は笑った。
「ま、まさか」
一瞬夜空に見とれていたフェイトが甲矢を見て、先ほどよりも顔を青ざめる。そして必死になって甲矢から逃れようと身を捩りだす。が、甲矢は放れない。
「放して!」
フェイトは今度こそ、一切加減されていない電撃を放った。
甲矢の前腕が焼け焦げていく。あと五秒もあれば、腕を焼き切ることすら可能だろう。それほどの電力。
が、それはすでに遅すぎた。
甲矢とフェイトは高度二キロメートルから地上へと、隕石の如く落下していく。死へのフリーフォール。甲矢は眉一つ微動だにせず、肉体が耐えきれる速度まで加速していく。
フェイトの目が瞠かれる。その先には黒々としたアスファルトがある。
「あ、ああっ! 嫌! し、死にたくない!!」
もはやフェイトに魔法を発動する余裕はないらしく、甲矢の拘束から逃れようと暴れるばかりだ。が、それは甲矢も百も承知。黒焦げの腕で抱きついたまま、決して放さない。
「助けて! アルフ!」
脇腹に衝撃が走る。その勢いで、フェイトの拘束が力付くに外されてしまう。
衝撃のした方へ顔を向ければ、そこには恐らくなのはの魔法でぼろぼろになったアルフが、震えているフェイトを抱え、荒い息を吐きながら甲矢を睨んでいた。
甲矢は地球に引かれている慣性を打ち消す。空中にぴたりと停止する。それは飛行魔法以上に冴えた技術だった。
アルフとにらみ合う中、甲矢はなのはに叫んで伝える。
「今だ! 封印を!」
上空から桜色の光りが降り注ぐ。見上げれば、なのはが険しい顔で甲矢を見つめつつも、砲撃魔法をチャージしている。目標はジュエルシード。
甲矢はそれを確認し、ようやく気を緩めた。もう、大丈夫だ。あれに対処できるフェイトは戦意喪失しており、アルフではあの砲撃を防ぐ手筈はない。
一度安堵を覚えると、身体を犯す痛みに耐えきれなくなり、近くのビルの屋上へ着陸する。ナノマシンが本来ならば治癒せぬほど深刻な状態を徐々にいやしていく。
ほっと溜息をつく。
が、それが間違いだった。桜色に染まっていた光りに異物が混じる。黄色の光りだ。見れば、フェイトが震えながらもデバイスをジュエルシードに突きつけている。
戦意は確かに折れていた。だというのに、彼女はあの短時間で持ち直し、遠距離からジュエルシードを封印しようとしている。
フェイトを止めようとしたが、身体が動かない。一度休んでしまったせいか、気力が根こそぎ失われた。もはや立ち上がることすらできそうにない。
もはや甲矢には止められない。できるのは、願うだけ。なのはの魔法でジュエルシードが封印されていることを。
二人の魔法がジュエルシードを撃ち貫いた。
一瞬場が静まり返る。どちらの魔法によってジュエルシードが封印されたのか。
この場にいる全員が見守る中、ジュエルシードはその身を震わせた。ぶるりと震える様は、まるで赤子が不快さを感じ取ったかのようだった。それを見た瞬間、甲矢は骨身が凍える恐怖を覚えた。
「逃げろっ!!」
張り上げた声は、膨大な魔力がすべて打ち消した。
衝撃が辺りを鞭打つ。甲矢は伏せ、顔を覆った。それでもなお、衝撃に意識が奪われかけた。気を失わなかったのは、ナノマシンのおかげに過ぎない。
朦朧とする意識で眼を開ければ、視界は霞んでいた。二度、三度瞬きを繰り返すと、世界がはっきりした。天を光柱が衝いている。その光柱はすべてジュエルシードから放たれる魔力だ。
視認できるほど高密度の魔力。それが留まることを知らず解き放たれ続ける。まさしく大噴火という言葉が相応しいほどの規模。
「うそ……」
「こ、こんなの……」
真っ先に動いたのはアルフだった。
動けないフェイトを抱きかかえる。
「逃げるよ、フェイト!」
「で、でも! ジュエルシードが! 母さんの!」
「そんなこと言っている場合かい! あれはもう、私たちの手に負えないよ! もう、この世界は次元震で崩壊する!」
その言葉に、なのはが反応を示した。
「そ、それって本当なの!? み、みんなは!」
アルフとフェイトが顔を伏せた。
「多分、あのイタチがそろそろやって来る頃さ。前戦ったときに見たところ、あいつはサポートに特化している。多分、他次元世界への移動も不可能じゃないはずだ。せめて、アンタだけでも生き残りな。それがアンタができる最善だよ」
「皆を置いてそんなことできるわけ!」
「現実を見な! 現実を、見るんだよ……」
「で、でも!」
「なのは……」
なのはの足下にはユーノがいた。
なのはは涙を流しながら、ユーノに笑いかけた。
「嘘だよね、ユーノ君。なんとか、なるよね?」
「っ! 無理だよ、なのは」
ユーノはなのはから顔を背けた。
「そ、そんなことないよ、ユーノ君だったらジュエルシードをどうにかする方法が――」
「そんなの、ないんだよ、なのは。もうあれは世界を滅ぼすだけのロストロギアだ」
なのはが膝から崩れ落ちる。レイジングハートが、アスファルトを転がる。
「お父さん、お母さん、お兄ちゃん、お姉ちゃん、アリサちゃん、すずかちゃん……」
フェイトが、アルフが、そしてユーノが歯を食いしばり、なのはから顔を背けた。
その横を、甲矢は通り過ぎた。
いくらか癒えた腕は、Last-arrowを掲げている。
膨大な魔力に近づこうとしている甲矢に、ユーノが叫びかけた。
「甲矢!? 何をする気だ!?」
「このまま手をこまねいていたら世界が崩壊するんだろう。だったら、足掻くだけだ」
「足掻くって、不可能だ! 暴走したロストロギアを個人でどうこうできるわけがない!」
「……超常の兵器なら、破壊することだけならできるかもしれない」
「そんなのは不可能だ! よしんばそれができたとしても、次元震を抑えられるかは分からない!」
「だけど、抑えられるかもしれない。もう世界は滅ぶしかないなら、どんな大博打もできるさ」
声音とは裏腹に、甲矢の表情からは一切の感情がそぎ落とされていた。
脳髄に人工音声が響く。
――Wave Cannon・・・OK
Last-arrowが誇りし、最強の兵器がその牙をむく。
世界が歪む。甲矢の眼前が歪曲する。その中心に青白い光りが存在した。それは瞬く間に大きさを増す。
それに比例し、世界の歪みが拡大していく。
それは、まるで超重力の塊。時空間をねじ曲げながら拡大する超大型ブラックホールのよう。そこにあるだけで、すべてを引き付ける膨大な負のエネルギー。破滅をもたらす、破滅しかもたらさない恐ろしい力。
甲矢以外の全員が驚愕にその身を震わす。
「そんな、馬鹿な……。なんなんだ、それは……。魔力じゃない。魔力じゃないのに、魔法以上の何かを引き起こしている!」
ユーノの独り言を聞き過ごし、甲矢は変化した視界に意識を向ける。
視野の中央にはガンサイトがある。ガンサイトの中央は、暴走をしているジュエルシードに合わせられている。
またガンサイトの下には左端から右端まで伸びるバーが存在する。バーは甲矢の眼前に存在する青い光りの輝きに呼応するかのように、左端から徐々に青く染まっていく。ついにはバーが丸々青く染まった。
その頃には、眼前の光球は、甲矢よりも大きくなっていた。
「1ループチャージ完了。……スタンダード波動砲、発射!」
チャージされたエネルギーに、ベクトルが与えられる。すべてを討ち滅ぼし前へ進めと命を下された青い光りは、今も天を衝く光柱へ目掛け、猛然と突き進む。
放たれた波動砲が、滅びの光りに触れるや否や、凄まじい轟音と共に辺りを目映い光芒が埋め尽くす。視界が真っ白に染まる。
「嘘……」
轟音が過ぎ去った。世界は嵐の後のようにただ凪いだ。
回復した視界には、いつも通りの繁華街があった。
いつも通りの繁華街が。
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STAGE8:それが戦う理由なの?
そろそろ佳境へいたるところ。頑張っていきます。
全身を麻痺が蝕む。力を込めようとも入らず、崩折れそうになる身体をLast-arrowで支える。
身動ぐことすら、億劫だ。
それでも気力を振り絞る。まだ戦いは終わっていない。であれば、戦わなければならない。
振り向けば、魔導師たちは肩を震わせていた。
痺れる足を叱咤し、一歩踏み出す。息をのむ音がした。
「何だよ、それ……」
「答える義理はない」
問いを切って捨てる。敵との馴れ合いなど馬鹿馬鹿しいにも程がある。
弱っている姿などみせるものか。自らに活を入れ、Last-Arrowを構えてみせる。
もはや戦闘に身体が耐えられない。その証左に、杖先の震動を止められない。こうしているだけで限界が近づいていく。
このまま引いてくれ。脂汗を垂れ流し、そう願う。
「っ、逃げるよ、フェイト!」
「あ、アルフ!」
アルフがフェイトを抱きかかえ跳び退り、ビルの影へと消えていった。
生体反応が遠のいていくのを確認し、甲矢は前のめりに倒れた。
頭蓋で鈍い音が反響する。
「甲矢君!!」
なのはが甲矢を抱き起こす。
甲矢の瞳は虚ろで、濁っていた。
額の傷にハンカチをあて止血する。幸い見た目ほど酷い傷ではなかったらしく、すぐに血が止まった。
「どうしてこんな無茶を!」
涙ながらに問いただすが、甲矢は何も答えない。
瞳をなのはへと向けただけだ。
人形のような眼に、なのはの胸が膿んだように痛む。
「甲矢、いまのは一体」
戦くユーノが、甲矢とLast-Arrowとに目を瞠っている。
怖気を含んだ視線を浴びながら、待機状態へと移行したデバイスを甲矢はふらつく手で鷲掴む。琥珀色の輝きが指の隙間からこぼれ落ち、その光が顔に影を落とす。
「ひっ!?」
「それを知って、どうする? ユーノ、お前に何ができる? ちっぽけな一人に。既に矢は放たれた。放たれた矢は二度と戻らない」
そう告げると、甲矢は口を固く閉ざした。
それ以降は、なのはとユーノとがどんな言葉で語り掛けても沈黙を守ったままだった。
そして立ち上がると、繁華街のネオンへと消えていった。
夜の闇も一層深まりだした頃、アルフとフェイトは拠点としているマンションへと辿り着いた。追っ手を撒くために短距離転移を繰り返したため、二人とも魔力を使い切ってしまっている。
額から大粒の汗を流し、アルフは叫ぶ。
「何なんだよ、アイツ! それにあの光!?」
魔法は奥が深い。様々な世界でその世界特有の魔法だってある。故に、とても造詣が深いとは口にできないが、それでも二人の知識はそこいらの魔導師なぞ凌駕している。その上で、九条甲矢の放った魔法は未知の魔法だった。
既存の魔法と文字通り桁の違う破壊力。それでいて、大規模魔法と比べて短すぎるエネルギーの収縮時間。初見では対応が不可能だ。
戦っている最中にあんなものを放たれていたら、間違いなく死んでいた。
背筋が寒くなる。アルフに気が付かれないよう、そっと二の腕を掴んだ。かすかに感じられる脈拍はあまりに頼りない。
あの男と戦えば、ふとした拍子に死の臥所に囚われるのではないかと思うと、気が気ではいられない。
「フェイト、もう無理だよ!」
アルフの瞳は恐れで満たされている。自らの眼も似たような脅えが出ているのではないだろうか。
だが、それでも戦わないわけにはいかない。
ジュエルシードを集める理由がある。今更逃げ帰ることなどできやしない。
「ううん。大丈夫。あの攻撃は多少のチャージ時間がある。私とアルフならその時間で十分射線から退避できる」
白々しい嘘だ。
アルフもそれは分かっているのだろう。渋面のままだ。
だけれども、フェイトの気持ちを、想いを汲み取ってくれたのか、それ以上言うことはなかった。
「母さんのためだから」
「フェイト……」
アルフが狼形態ですり寄ってきた。
そっと抱き寄せる。温もりが伝わる。
二人はずっと抱きしめ合っていた。
どれほどそうしていただろうか。カーテン越しに白々とした曙光が差した。
道場の明かり取りから、日の目が覗く。
場に満ちる厳粛な空気に当てられたのか、なのはが正座をして座っていると、入り口の開く音がした。
振り返れば、姉の美由紀が立っていた。
きょとんとした顔をしていたが、すぐに微笑みが浮かぶ。
「どうしたの、なのは。珍しいわね」
「うん。ちょっとね」
話をしながらも、美由紀は小太刀をもした木刀を二振り掴んできた。
姉の邪魔にならないよう、なのはは道場の隅に移動する。
「偶には見ていく?」
「……うん」
しばし迷ったが、肯定のことばを返す。
小太刀が宙を舞う。
武術のことなぞ何等分からないなのはだが、姉の振るう一太刀一太刀がとても美しいことだけは分かった。
「……何かあった?」
美由紀が演武の合間に息を整えながら尋ねてきた。
話して良いのだろうか。迷いが一瞬過ぎった。だが、自分だけでいまの状況をどうにかできるのか分からず、結局ある程度誤魔化して姉に相談することにした。
「ねえ、お姉ちゃんは痛いのが怖くないの?」
美由紀が収めているのは永全不動八門一派・御神真刀流と呼ばれる小太刀二刀流の武術だ。それも実戦を前提とした流派で、荒行なども平然と行う。例えば組み手だ。竹刀こそ用いるが、防具などは身に着けない。一歩間違えれば怪我をしてもおかしくはない。それを毎日繰り返している。
当然、なのはが覚えている限り、青あざなどはしょっちゅう拵えている。だが、それでも姉は一度も修行を止めたいと言ったことはなかった。
「そりゃあ、怖いよ。人間誰だって痛いのは嫌いだし、怖いに決まっている」
「じゃあ、どうして続けるの?」
「ううん、難しいなぁ。そうして怖い思いをしたとしても、やりたいこと、したいことがあるからかな」
「やりたいこと?」
「色々理由はあるよ。人によっては戦うのが楽しいという人だっているだろうし。でも、私がこうやって剣を振るうのは、やっぱりいざというとき大切な人を、家族を守れるようにかな」
はにかみながら告げると美由紀は再び小太刀を振るった。
「守るため……」
その言葉は、なのはの胸にしみこんだ。
ファイトも、そして甲矢も痛々しいほど戦う。その理由の一端が、垣間見えた気がする。
「ありがとう、お姉ちゃん」
姉の邪魔にならないよう静かに立ち上がると、なのはは道場を立ち去った。
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STAGE9:三人目の魔法使いなの?
ようやく書き上げられたので、投稿します。
皮膚の裏側を襲う、猛烈なかゆみに甲矢は目を覚ました。折れた頭蓋にナノマシンが急速な治療を施した影響だろう。
額をかきむしれば、指先の感覚で骨が元通りになっていることが分かった。
念のためにLast-Arrowのメディカルチェックを受ければ、陥没していた前頭骨はすっかり治っていた。
立ち上がれば、昨夜に流した血のためか、立ちくらみに襲われる。身体から力が抜け、頭に重さが集中する。おぼろげな意識の中に、不快感が生まれた。
うめき声を漏らし、壁に手をつきその感覚が立ち去るまで耐える。
ふと、手をついた壁を見れば、それは鏡だった。そこに映るのは、生白い肌をした、そのくせ目ばかりが剣呑な色を帯びた、人の形をした何かだ。
じっとその影を見据えていた甲矢だが、目覚ましの音に反応し、目をそらす。
普段ならばとうに顔を見せる時間帯だ。
食堂に向かえば、ほかの子たちがいた。何人かはまだ眠っているのか、姿が見受けられない。しばらくすると、バタバタと足音を立てて、寝坊した子が食堂に流れ込んできた。
慌ただしげに椅子へ着くと、朝食が始まった。
幼い子供のおしゃべりを耳に入れながら、甲矢は黙々と皿の上を片付けていく。
普段と変わらない朝。だというのに、眼前に座った子が話しかけてきた。
「甲矢お兄ちゃん、どうしたの?」
いつもは食事の最中に話しかけられることはあまりない。だというのに、おっかなびっくりとした口調で話しかけられたことに驚いた。
「何かおかしいか?」
「うん。なんかお兄ちゃん、最近もだけど、今日は特に怖いよ」
そう言われた甲矢は、無意識に自らの顔に手を当てた。
自分よりも幼い子供たちが分かるほど、感情を表に出しているのだろうか。
「何でもないよ。ちょっと、学校で出た宿題が難しくって、悩んでいただけだ」
その返答に納得いったのか、安堵した顔を浮かべたのを確認し、甲矢は内心で眉をひそめた。
気をつけなければならない。誰かに知られてはならない。
そのことを再び自らに刻み込み、甲矢は席を立った。
海鳴市の高層ビルの屋上にフェイトはいた。
抜けるよう青空が広がり、吹き付ける風は強い。さらわれる髪を鬱陶しげに押さえたフェイトは中央へ向かう。
そばにはアルフもおり、眉を力なくたれ下げて後をついてくる。
「ねえ、フェイト。本当にこんなものいるのかい? アイツなんかに」
乱雑に持ち上げられた手には、洋菓子店の箱があった。甘い香りがあたりにぷうんと立ちこめる。
中身はシュークリームだ。海鳴市で根強い人気のある品らしい。
「そんなこといわないで、アルフ」
アルフの眉がさらに力なく垂れ下がる。
その表情に、胸がちくりと痛む。
力なく笑いかければ、余計アルフの顔はひどくなった。
そんな表情をさせたくないのに。
フェイトはアルフから顔を背け、デバイスを構えた。
循環する魔力がデバイスを通して術式に注ぎ込まれる。転移の術式は起動を始めた。
扉が開かれる。界と界をつなぐ次元の扉が。
同時、フェイトとアルフとを守るために、魔力が繭と化す。
この魔力の守りがないと、別の世界を渡る次元転移魔法は使用できない。厳密には、使用しても死んでしまう。
世界と世界の間はいまだ未知の世界。強固な守りがなければ、生存できないのだろう。あるいは次元潜行能力を有した次元艇ならば話は別だが。
「うぐっ」
すさまじい負荷に、うめき声が漏れる。
歯を食いしばり全身を締め付ける息苦しさに耐える。ふっと痛みが消え去り、まぶたを開ければ、高次元空間に浮かぶ城、時の庭園が眼前に広がっていた。
玉座の間へ向かえば、そこにはフェイトの母、プレシア・テスタロッサが待ち構えていた。
「フェイト」
「はい、母さん」
バルディッシュのストレージから、集めてきたジュエルシードが飛び出てくる。
青い菱形の宝石は、プレシアの手に収まった。
「……ふうん、あれだけ時間がありながら、この程度しか集められないの」
「この程度って! ロストロギアをあんな短時間でこれだけ集めるのがどれだけ難しいか!」
「黙っていなさい。フェイト、貴方は使い魔もまともに作れないのね」
フェイトが身を縮こまらせた。
プレシアは大きなため息をつくと、手で退室を促す。しかし、フェイトは部屋をでなかった。
「何かしら、フェイト。何か報告でもあるの」
「あの、母さん、これを」
差し出された洋菓子の箱を見つめたプレシアは、フェイトに近寄る。
そして、箱をはたき落とした。
「あっ」
「こんなことをしている暇があるのならば、一つでも多くのジュエルシードを見つけてきなさい」
地面に落ちぐしゃぐしゃになった箱を見て、フェイトの目から涙がしたたり落ちる。
それを見たアルフは狼の姿になると、うなり声を上げてプレシアに飛びかかった。が、地を蹴った瞬間、全身をバインド魔法により縛り上げられた。
「ふん。主が主なら使い魔も使い魔ね」
プレシアが自らのデバイスを取りだすと、魔法を発動した。転移魔法が、わずか一挙動で発動される。
アルフは転移の光に包まれながら、歯ぎしりをしながら叫ぶ
「アンタは母親だろう! どうしてフェイトを悲しませるんだ!」
プレシアの返答はなく、海鳴の拠点としているマンションに転移させられた。
夕方、ジュエルシードが発動した。
ジュエルシードは樹木を取り込み発動したらしく、周囲へ無差別に攻撃を繰り返している。
最初にたどり着いたのは、甲矢だった。
ジュエルシードの封印を単独では行えず、かといって、攻撃をしようものならば周辺の被害がジュエルシードの暴走よりも酷いことになる。
甲矢にできたのは、フェイトかなのはがやってくるまで、ジュエルシードの攻撃を引きつけ続けることだった。
クラゲの触手のように、暴走体は枝を、根をしならせて攻撃してくる。だがその硬度は鋼鉄並みらしく、アスファルトをたやすく粉砕している。当たれば、もろい甲矢の身体など、はじけ飛ぶのは間違いない。
死の一歩手間でありながら、ナノマシンの感情抑制機能を駆使しながら、冷静に、いっそ冷徹なまでに回避動作を続ける。
『フェイト・テスタロッサおよびタカマチ・ナノハ両名の到着を確認しました』
Last-Arrowの報告を聞き、甲矢は一瞬で暴走体の攻撃範囲内から離脱する。
危険があれば暴走体を跡形もなく粉砕できるよう、照準を合わせる。
そうこうしている合間にも、なのはとフェイトとが協力してジュエルシードを封印して見せた。
先の時と違い、ジュエルシードの封印は安定している。
ひとまずLast-Arrowを下ろす。
「私、高町なのは。貴方の名前を教えて」
「なんで、そんなこと……それにアルフが言ったから知っているはず」
「貴方の口から聞きたいの」
「私は……」
言いよどむフェイト。だが、覚悟を決めたのか再び口を開く。その瞬間、なのはを狙い、アルフが奇襲を仕掛けた。
当然、甲矢はその一撃を防ぐ。
「くっ、邪魔をするな! この化け物! フェイト、こんなやつらに関わる必要ないよ、ぬくぬくと甘えているだけの、こいつらに!」
気炎を上げるアルフに対し、どこまでも冷静に、対処する。爪、爪、牙。時にその尾すら利用した連撃。だが、それらは当たらない。圧倒的な速度差が、アルフの攻撃を空振りにさせる。
唐突にあたりの魔力素に変動が起きた。高魔力の存在がユーノの張った結界内に現れた。
アルフもそれに気がついたらしく、すぐさまフェイトを抱えると、目くらましの魔力弾を放ち、消えていった。
「逃げられた、か。仕方がない。とりあえず、そこの三人、話を聞きたい」
それはデバイスを持った少年だった。
甲矢はLast-Arrowを下ろすことはしなかった。
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STAGE10:ぶつかり合うは決闘なの?
時間がかかってしまい、申し訳ありません。
後、今回は連続投稿させていただきます。最終話まで書き上げさせていただきました。
新たに現れた魔導師は、フェイトたちに逃げられた苛立ちからか、ぶっきらぼうに告げた。
手にしたデバイスは、なのはのレイジングハートに似たもので、黒いバリアジャケットを身にまとっている。
今のところ、何かしかけてくる様子はない。
しかしだからといって警戒を解く理由にはならない。
Last-Arrowを握りしめ、いつでもなのはたちを逃がせるように、そして魔導師に気がつかれないよう、力を蓄える。何らかの魔法を発動すれば、離脱ができるように。
「僕はクロノ・ハラオウン。時空管理局の執務官だ。少し前にこの次元世界から救難信号が発信された。誰が信号を発信したんだ?」
ユーノが前に出る。
魔導師は一つ頷く。
「事情を詳しく聞きたい。アースラに案内する」
その瞬間、歩み出そうとしたなのはを甲矢は制した。
「甲矢君?」
「本当に貴方が時空管理局の人間か信用できない」
クロノが眉根を潜めた。
デバイスを握る手に力がこもっていく。
「僕が嘘をついていると?」
「ロストロギアの貴重性を考えれば、慎重になりすぎることはない。それに初対面の組織の本拠地に乗り込むなんてあり得ない」
一瞬クロノの杖が動いた。甲矢の背からわずかな燐光が漏れ出す。
だが、クロノは再び杖を下ろした。
「君の警戒はロストロギアを扱ううえで正しい。……信用してもらえないのは、少々悲しいけれどね」
見た目とは裏腹の冷静さに、甲矢は内心で警戒をさらに高める。
ここで激高するならば、軍人としての質を窺えた。しかし才能かそれとも経験か、自らを律して任務を優先できるのであれば、それは厄介な存在であることは間違いない。
「ここで話を聞くのならば問題ないか?」
なのはとユーノを制していた腕を下ろす。
相手の腹の中という最悪の状況を抜け出せたのであれば、十分だ。
それに相手が本当に時空管理局の人間であるかは、すでにLast-Arrowが調べきっている。
「ロストロギア、ジュエルシードがこの管理外世界に事故でばらまかれてしまったと聞いたのだが」
「は、はい。全部で21個のジュエルシードがこの海鳴市を中心に……」
「なるほど。艦長」
クロノの眼前に、投影型のディスプレイが現れ、緑髪の女性を映し出す。
女性の肩には階級章があり、星が三つある。艦長と呼ばれていたことから、おそらく地球の軍隊でいう大佐クラスであろう。
「初めまして、リンディ・ハラオウンと申します。時空管理局、巡航L級8番艦・次元空間航行艦船アースラの艦長です。皆さんのお名前を伺っても?」
柔和な笑み。警戒を解きほぐすような表情だ。
実際、元々警戒心などないようななのはであるが、リンディの表情を見て明らかに安堵を覚えているようだ。
「ユーノ・スクライアです」
「高町なのはです」
「九条甲矢です」
一切の気を緩めるな。自らを戒めながら、誰何に答える。
リンディは微笑みを崩さず、一つ頷く。
「そうですか。現状を知りたいのですが」
「あ、それなら僕が話します」
ユーノがこれまでに発見したジュエルシードについて、そしてフェイトについて語り出す。管理局の二人は静かに聞いていた。
「そうですか。これまでのジュエルシードの回収を貴方たちが……。ところで1つお聞きしたいのですが、数日前に発生した次元震について、何かご存知ではないでしょうか」
息をのむ音がする。
なのはとユーノの視線がこちらに向けられる。ことここに至ってごまかすことは不可能だ。
甲矢が一歩前に出る。
「それは俺です」
予想外だったのだろう。管理局二人の表情に、一瞬動揺の色が見て取れた。
当たり前だ。なのはは当然、消耗しきったユーノよりも遙かに魔力の少ない、むしろ魔力を持つと表現して良いのか悩むほどの人間が、高位の魔導師ですら、引き起こすことの難しい現象を発生させたというのだ。信じられないのも仕方がない。
「それは、どのような魔法で……」
ここが分水嶺だ。わずかに上昇した心拍数を、ナノマシンが強制的に通常時へ戻す。
「なぜ教える必要が」
「次元震を起こすほどの魔法ともなれば、その危険性は計り知れません」
「だが、貴方たちに情報共有を強制する権利はない」
時空管理局の定めた法に、管理局員が個人の所有する魔導術式を開示させる権利は認められている。ただしそれはあくまでも、管理世界の人間にだけ認められている権利だ。地球という世界で生まれ、生きてきた甲矢には適用できない。
たとえ、不信感を抱かれようとも、管理局という組織に教えるわけにはいかない。たかが一組織が知るには、Last-Arrowは猛毒過ぎる。
「……分かりました」
「艦長!?」
「クロノ執務官。彼の言うことは事実です。我々に、管理外世界の住人に魔法の提示を強制する権利はありません」
驚愕を示したクロノを切って捨てたリンディは、先ほどと全く同一の微笑みを浮かべる。
「さて、時空管理局から正式な要請となりますが、ジュエルシード回収のご協力をお願いできますか?」
「なぜです! 艦長!」
アースラ艦内ブリッジに、クロノの怒声が響く。
現地人との交渉を終えた後、押っ取り刀で戻ってくるやの一言だ。
「クロノ執務官、エイミィ通信主任。こちらへ」
艦長室に入り、リンディはロックをかけた。
さらには防諜用の魔法を発動した。
そこまでする様子にただならぬ何かを感じ取ったのか、クロノは先ほどの剣幕が嘘のようにおとなしくなっている。
「クロノ執務官。彼は危険です。監視と調査の必要性があるでしょう」
「九条甲矢がでしょうか。確かに危険な魔法を有しているようですが、それでもあの魔力量ならそこまで危険視する必要があるのでしょうか。僕のバインドでも十分に捕縛は可能かと。むしろ、高町なのはの方が、危険ではありませんか? 彼女は僕よりも豊富な魔力を有しています」
「確かにそうでしょう。しかし問題はそこではありません」
リンディはそこで言葉を途切れさせると、指を振った。
先ほどの話し合いが再生される。
「……これが何か?」
クロノの言葉に、リンディは一度まぶたを閉じた。そのときのことを思い出しているのであろうか。
「なのはさんは人を疑うことを知らない子供です。それに誰かのために行動できる正義感を持っています。しかし彼は違います。人を疑い、信じない。警戒し、できる手を打ち続ける。おそらく、必要であれば手を汚すこともためらわないでしょう」
「何らかの犯罪行為を行っていると?」
「なぜ彼が、『管理外世界の住人に対する法律』を知っているのですか? たとえ、管理世界の住人であるユーノ・スクライアが近くにいたとしても、知りすぎています。スクライアは確か考古学の一族。決して法の専門家ではありません」
クロノの額に汗が浮かぶ。
「まさか、そんな、馬鹿な……」
「それらの知識を知るには、管理世界と接触するしかありません。しかし彼らに管理世界と接触する方法はありません。……このアースラ以外。エイミィ通信主任。ただちにアースラのシステムをチェックしなさい。また外部からのアクセス、外部へのアクセスのログを洗いなさい」
「ま、待ってください! 管理外世界の技術で、このアースラのシステムをクラッキングするなんて不可能です! 通信主任としてそれは保証できます!」
「確かにそうです、エイミィ。ですが、彼は次元震をも起こす何かを有しています。それだけの技術力を持っていれば、このアースラのシステムへの侵入すらも不可能ではないでしょう」
エイミィが口をつぐむ。反論は続かなかった。
「すぐに調査をいたします。失礼します」
「ええ、お願い。少しでも不信を覚えたら報告を」
「はッ!」
エイミィが退室する。今頃サーバールームに駆け込んでいるだろう。
それを見送った二人は、額を付き合わせた。
時空管理局がやってきてから、ジュエルシードの回収は大きく変わった。
これまでのジュエルシード探索は三人だけで行っていた、必然負担は大きくなりがちで、効率もあまりよくない。しかしアースラメンバーが回収に加わったことで、人海戦術が可能となった。バックアップ、交代要員、そして甲矢となのはとが学校に通っている間にも探索が続行されている甲斐もあり、ジュエルシードはどんどん集まっている。
その間、フェイトとの遭遇はない。どうやらこちらを避けてジュエルシードの回収を行っているらしい。
だが、残りのジュエルシードは少ない。パイを奪い合うのであれば同じテーブルに着く必要がある。そろそろフェイトとかち合うことだろう。
なのはもそれを理解しているのか、最近は妙に張り切っている。
だが、意気込みに反し、ジュエルシードは見つからなかった。どこに隠れているのやら、アースラの人海戦術でも、Last-Arrowの探索能力でも発見できていない。
今までは海鳴市を探索していた。となると市内にはもうないだろうと、市外、あるいは海中の探索を実施することにした翌日、事態は急変した。
朝早くから、膨大な魔力が海鳴市を横殴りにした。その魔力量はジュエルシードが一二個発動してもまかなえる量ではない。いったいいくつのジュエルシードが励起しているというのか。
「Last-Arrow」
すぐさま魔力の放たれている震源地へ向かう。
そこでは六つの竜巻が海水を巻き上げ暴れていた。それぞれの竜巻は、中心地にジュエルシードの反応があり、連鎖反応でも起こしているのか、一つ一つの観測される魔力値が普段より増大している。
竜巻の切れ間に金色が覗く。
何らかの魔法が幾度も竜巻を打つ。しかし、フェイトの魔法は電気の特性を有しているためか、ジュエルシードの周囲を囲う海水によって遮られてしまっている。
それでもフェイト本来の魔力ならば、海水を突破してジュエルシードを封印するのも可能だろうが。
『フェイト・テスタロッサの魔力量、最大値の二十二パーセントを確認。ジュエルシードの同時励起を実行したと推測します』
魔力がほとんどないのであれば、苦戦しているのも納得だ。ミッドチルダ式魔法の威力は結局のところ魔力量に左右されるのだから。
このままでは、フェイトはジュエルシードに破れるだろう。残存魔力値を元にした試算では。
だがそれは、あくまで外部要因がないのであればの話だ。
「フェイトちゃん!」
アースラから転移してきたのだろう。なのはがフェイトを襲う竜巻を防いだ。
二人が協力してジュエルシードを封印していく。先ほどまでの苦戦が嘘のように竜巻はその威力を失い、消滅していく。
そしてなのはの魔法により、すべてのジュエルシードが封印された。
なのはとフェイトがお互い顔を見合わせる。
「半分ずつだね」
「……それで良いの?」
「うん、もちろん!」
屈託のない笑顔に邪気を削がれたのか、フェイトは首を縦に振った。
二人同時にジュエルシードの回収へ向かう。
刹那、Last-Arrowの警告が響き渡る。
『魔素の流入を確認。警戒を推奨』
二人が振り返ると同時に、天高くからジュエルシードめがけ、雷が降り注ぐ。
まばゆい閃光がはじけ、視界が一瞬潰される。それはナノマシンで強化された甲矢も例外ではない。
いち早く視力を回復した甲矢の前で、ジュエルシードとフェイト達とが、陽炎のようにその姿を消していく。
それを認識するや、飛び出してジュエルシードに手を伸ばす。
届いたのは半分。残り半分はフェイト共に消えてしまった。
フェイト達の逃走を許してしまった後、甲矢となのはとはリンディの要請を受け、アースラへ転移した。
そのまま作戦会議室に通されると、そこにはリンディとクロノとがいた。
二人の顔色はあまりよくない。当然だ。最後のジュエルシードを回収されたのだ。
時空管理局として、ロストロギアであるジュエルシードはすべて回収する義務がある。だというのに眼前で3つも奪われてしまったのでは、失態も同然なのだろう。
「つい先ほど、アースラの秘匿通信回線を通じ、こんなものが届けられた」
クロノが操作すると、ホログラムが投射され、何かの文面が表示された。
その内容は果たし状そのものだった。
「高町との一騎打ち……」
「そうだ。現状では後手に回るが受けるしかない。すまないが、なのは、頼めるかい?」
なのはは一も二もなく頷いた。
「となれば、決闘までの間になのはさんには対魔導師戦の基礎を教え込まないといけません。クロノ」
「訓練室の予約はすでに取ってあります」
時間が惜しいとばかりに、クロノがなのはを引き連れていく。
ホログラムが閉じられる。
「問題は先の魔法を放った黒幕の存在です」
「探知は成功したのですか?」
リンディは黙って首を振る。
「次元跳躍魔法が使用されていました。あの短時間ではどこの次元から攻撃されたのか判別するのは困難です。現在もデータを解析中です」
「となると」
「決闘にも手を出す可能性があります。クロノを派遣しますが、貴方にも警戒していただきたいのです」
「承知しました」
そして二人は決闘に向けて作戦を詰めていく。
決闘までの時間、なのははクロノの手によって、魔導士戦のいろはをたたき込まれていた。
その甲斐あり、これまでは豊富な魔力量に頼った、言ってしまえば力任せな戦い方だったそれが、体系化された戦闘技法を砂が水を吸うかのごとく、取り込んだ。
今ではアースラの武装隊員相手に、魔力量を制限した状態でも互角に戦えるほど。
これならば、たとえフェイトが相手であろうとも、勝ち目はある。
決闘当日、アースラから戦場へと赴くなのはの表情は、緊張を含んでいたが、それ以上に自信と決意に満ちあふれていた。
「いいかい、君が無理をする必要はない。いざとなれば僕らがなんとでもする」
戦いへ赴くなのはへ、クロノが語りかける。
なのははこくりと頷くと、レイジングハートを天高く掲げる。バリアジャケットが展開され、その足に魔法の翼が生える。
「準備はできたようだな。では、行こう。ユーノ、それに甲矢。協力を申し出た上で言うのはあれだが、君たちは民間人だ。危険を感じたら、撤退してくれ」
クロノが甲矢とユーノを見据える。その瞳には警察機構として民間人を巻き込んでいる現状への苛立ちと、不甲斐なさに対する怒りと、そして何より二人へと向けられた掛け値ない心配が込められていた。
「問題ない。危険を感じることはない」
「う、うん。大丈夫、なのはなら、きっと」
「……そうか。そうだな、あの子は強い。きっと勝つだろう。一時的とはいえ、師であった僕が信じなくてはどうしようもないな」
浮かべた苦笑いをかき消し、クロノはエイミィへと転移の指示を出す。
転移装置に魔力が注ぎ込まれ、徐々に発行していく。光が最高潮に達した瞬間、転移の魔方陣に包まれる。
頬に風が当たる。残光が消え去ると、甲矢たちは海鳴の海浜公園へ立っていた。
しばらく待っていると、フェイトたちが橋の方からやってきた。牙をむいてうなっているアルフは敵意をむき出しにし、ぶつけている。だが、それに対しフェイトは、どこか悲痛な面持ちをさらしていた。
クロノがホログラムから通知された果たし状を見せる。
「君となのはの一騎打ち。これに間違いはないな」
フェイトが指定してきた条件を突きつければ、彼女は無言で頷いた。
クロノの合図に甲矢とユーノ、それにアルフが下がる。クロノが合図の魔法弾を打ち上げた。上空でパンと破裂音が響く。
なのはとフェイトが飛び上がる。それを黙って見送る。
二人は上空でおおよそ十五メートル程度の距離を保っている。相手がどんな動きをしても対応できる距離であり、同時に一息で間合いを詰めることもできる距離だ。
同時に金と桜の魔方陣が展開される。
「アクセル・シュート!」
「アークセイバー!」
両者の魔法が激突し、煙が立ちこめる。初手はお互いに牽制。
「アクセル・シュート!」
次いでなのはが同じ魔法を放つ。
フェイトのアークセイバーは単発の威力ならば、アクセル・シュートよりも強力な攻撃だ。しかし、なのはのアクセル・シュートと違い、連射はきかない。
フェイトは上へ逃げ、アクセル・シュートをやり過ごす。そしてそのまま踵を返すと、なのはへ鎌を振るう。
なのはは落ち着いた様子で片手を掲げると、そこを起点に魔力を巡らす。術式に沿って魔力は強固な壁へと変貌する。金色の刃と桜色の盾が激突し、火花を散らす。
パワー勝負は不利と感じたのか、フェイトは身を翻す。
「ディバインバスター!」
その背に向けて放たれる桜色の光線。偏差射撃であるが的確に狙い撃たれた魔法を、フェイトも砲撃魔法を放ち、相殺した。
それを予期していたのか、なのはが煙を切り裂き、フェイトの眼前に迫る。
「なっ!?」
驚愕に目を見張るフェイト。その顔にレイジングハートを突きつける。
「アクセル・シュート」
桜が散る。移動魔法を駆使して距離をとったフェイトのバリアジャケットは、肩口のあたりが引き裂けていた。
なのはの一撃によるダメージだ。
初撃を与えたことで勢いに乗ったのか、なのはが猛烈な攻めに打って出る。どっしりと腰を据えて、フェイトの回避動作に惑わされず、的確に、そして大量に砲撃の雨を降らす。
こうなってはいくら速度に優れたフェイトであろうとも、窮地から脱するのは難しい。
徐々に追い込まれていく。
だが、敵もさるもの。逃げるだけではどうしようもないと、一転して攻勢へと打って出た。
攻撃をかいくぐり、時には魔法で相殺し、時にはダメージを覚悟で強引に突っ切ってくる。
なのはの表情がゆがむ。火線を集中してなお、押しとどめられない。
「ぁあああああ!」
「キャ!?」
鎌の一振りがなのはを襲う。シールドで身を守ったとはいえ、衝撃までは殺しきれない。後退りながら、フェイトから目をそらさない。
「後ろ!」
スピードに乗ったフェイトがヒットアンドアウェイで襲い来る。四方八方から縦横無尽に斬りかかってくる。
なのははそれらすべてをシールドで防ぎきる。だがいくら強固な護りでも、強烈な攻撃を幾度も浴びせられては、耐えきれない。一筋の亀裂が走り、そこから細かな亀裂が幾筋も増えていく。そして最後には砕け散った。
瞬間、なのはの四肢を光輪が捕らえる。
「こ、これ、バインド!」
クロノの手で幾度もたたき込まれた記憶がなのはの脳裏によみがえる。身動きを封じ、大規模な攻撃を行うのは常套句。必死に身をよじり拘束から脱出しようとあがく。
それを嘲笑うかのごとく、下方から紫電が迸る。
目線だけをそちらに向ければ、フェイトが巨大な魔方陣を展開し、怖気が走るほどの魔力を注ぎ込め続けている。時間と共に光は強く、スパーク音は高まっていく。
「――サンダーレイジ!!」
雷火が空を埋め尽くす。
雷が細まり、なのはの姿が見える。
なのはの全身はボロボロで、火傷の跡も見える。さらには身体がしびれているのか、動きが鈍い。
それでも、その目だけは全く死んでいなかった。
「こんどは、こっちの番だよ」
「なにを――!? バインド!?」
自らの魔法を耐えられたことに衝撃を受けていたフェイトだが、いつの間にかかけられていたバインドのせいで身動き一つとれなくなっていた。
「これがディバインバスターのバリエーション。集え、星の光。不屈の輝きですべての困難をうち貫け!」
なのはの頭上に魔力が集まる。それはなのはの魔力だけではなく、フェイトが放出した魔力すらも貪欲に取り込み、巨大な日輪と化す。
離れている甲矢たちですら、その魔力の強大さが肌で感じられるほど。
「ま、まずい! えい、スフィアプロテクション!」
ユーノの魔法が甲矢たちを囲み、守ろうとする。
その間にも魔力の収束は留まらず、収束しきれず漏れ出した魔力だけで結界がきしみ出す。
「スターライト・ブレイカー!」
桜色の光線が、フェイトを飲み込み、眼下の大海を圧力だけで押しひらいていく。
収束されていた魔力が解放されきると、意識を失ったフェイトが海面に漂っていた。
「私の勝ちだよ、フェイトちゃん」
その言葉を証明するかのように、フェイトのデバイスからジュエルシードが放出される。なのはがそれに手を伸ばした瞬間、あたりがふっと暗くなった。
見上げれば、先ほどまで晴天だった空が、暗雲に覆われている。ゴロゴロと雷鳴が響くや、視界を白く塗りつぶすほどの雷が降り注いできた。
「「スフィアプロテクション!」」
ユーノと、そしてクロノの魔法により、降り注ぐ次元跳躍魔法を防ぐことができた。
あたりを警戒しながらなのはの元へ合流する。
ユーノがなのはにけがはないか尋ねている最中、クロノが自らの太ももをたたく。
「やられた……っ!」
クロノの目線の先には、あるはずのジュエルシードが一つもなかった。
なのはを襲った魔法はただの目くらましだった。本命は、ジュエルシードをかすめ取った魔法だ。
別次元越しに強力無比な魔法を放ちながら、誰にも他の魔法を使用していたことを気づかせないほどの繊細な技術力。クロノの言う通り、向こうの方が上手だった。
「これ以上ここにいても収穫はない」
「分かっている!」
甲矢が告げれば、クロノは一度大きく息を吸うと、アースラへ通信を行う。
これ以上の追撃を避けるために、この場にいる全員は、一度アースラへ帰還することになった。
転移の光に包まれる中、甲矢は空を見上げ、そしてLast-Arrowを握りしめた。
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STAGE11:事件解決なの?
甲矢たちがアースラ内部へ帰還すると、そこは戦場だった。
クルーたちは慌ただしく、特に技術班のメンバーが目まぐるしく動き回っている。
彼らは皆一様に、先ほどの次元跳躍魔法のデータを解析していた。あるものはモニター上を流れていくデータから、あるものは判明したデータを元にシミュレーションをかけ、魔法を発動した次元世界を割り出そうとしている。
彼らの鬼気迫る努力の甲斐もあってか、十分もしないうちに解析結果がリンディへと報告された。
データを受け取ったリンディは、常に浮かべていた微笑みを消し去り、クルーへと力強く命令を下す。
すぐさま武装隊には強行偵察を、それ以外の人員には武装隊のバックアップを命じた。また、フェイトとアルフには魔力封印を行った上で、女性クルーの監視下に置かせ、甲矢たちはこの艦橋に留まるように指示を出す。
なのはに至っては普段とあまりに違うリンディに、ただただ目を丸くしている。
そうこうしているうちに、武装隊は装備を整え、調査員たちの苦心によって判明した次元世界へ転移していった。
「……クロノ君は行かなくって良いの? 確かアースラのエースなんだよね?」
なのはの問いに、クロノが答える。
「僕は後詰めだよ。それにエースだからって何でもかんでも一人でやれるわけではない。時には他者を信頼して任せることも重要だ。大丈夫、彼らもアースラの精鋭さ」
普段から仏頂面や難しい顔つきをしているクロノだが、武装隊のことを話すその時は、眉根のしわが取れ、声音も普段よりわずかであるが柔らかだ。
なのはが再び目を丸くしてクロノを見つめている。その目線に気がついたのか、クロノの額に再びしわが寄った。それを見て取ったなのはは、慌てて顔をそらす。
『リンディ、こちら準備が整いました』
モニターから声がする。目を前にやれば、武装隊が大きく映し出されていた。
彼らは皆、バリアジャケットに身を包み、デバイスを片手に巨大な扉に張り付いていた。
「了解です。作戦を開始します」
武装隊員がアイコンタクトを交わす。一人が扉をあけるや、他の隊員がクリアリングを行い、建物の中へ侵入する。
『時の庭園内部へ侵入成功しました』
エントランスは広大な空間だった。明かり取りのステンドグラスから差し込む光が、祈る女性を床に投影している。
それを踏み越えながら、武装隊員は何隊かに別れ奥へ進む。
時の庭園は人気がなかった。どれほど奥へ進んでも、人の生活痕を見つけられない。果てには明らかに放棄されたであろうエリアが存在しているくらいだ。城と見紛うほどの大きさを鑑みれば、不要なエリアの管理はしない方が効率的なのだろう。
そして、最奥にたどりついた。
そこは玉座の間だった。円い部屋の奥に贅をこらした玉座がある。そこに、一人の女がいた。
『プレシア・テスタロッサだな?』
武装隊員のうち数名がプレシアへデバイスを向ける。
「テスタロッサ?」
なのはが疑問を口にする。
それに対し、クロノが答える。
「非常に高名な魔導科学者だ。……数十年前に開発中の魔導炉を暴走させていらい、行方不明になっている。そしておそらく……」
クロノは言いよどんだ。しかしすぐに後を続けた。
「フェイト・テスタロッサの母親だ」
なのはが小首をかしげていると、艦橋に鋭い声が響く。
「母さん!」
フェイトがいつの間にか艦橋に現れていた。後ろからは監視を務めていた女性クルーが追いかけている。
どうやら意識を取り戻して飛び出してきたらしい。
「母さん!」
モニターに映されたプレシアは頬杖を突いて、気怠げに武装隊員を眺めている。
その目は解体される
嫌な予感が胸を襲う。
甲矢は静かにLast-Arrowを胸元から取り出すと、プレシア・テスタロッサのデータをとらせ始めた。
『ロストロギア不法所持、および公務執行妨害で貴方を逮捕します』
『……』
『弁護士を呼ぶ権利は保証されています』
『な、何だ、これは!?』
突然割り込んだ声。それは玉座の間を調べていた他の隊員のものだった。
彼らは隠し扉を見つけ、その奥へ乗り込んでいた。
そこにあったのは、ポッドだった。
膝を抱えれば成人男性も入れる程度の大きさで、中は何らかの液体に満たされていた。だが、何よりもその中心には一人の少女が浮かんでいた。
『私の』
それまで反応がなかったプレシアの唇が緩む。
こぼれ落ちた言葉が世界に響いた瞬間、空気が死んだ。次元越しですらはっきりと分かる殺意。
リンディはすぐさま転移魔法による武装隊員の強制帰還を命じた。
だが、それをクルーたちが実施するよりも、プレシアの動きの方が早かった。
『私のアリシアに触るな!!』
紫電が画面を覆う。白く塗りつぶされたモニターから、武装隊員の悲鳴が響く。
たとえ視界が利かずとも分かる。画面越しに行われたことが。
雷火が収まる頃には、武装隊は全滅していた。
「強制転移魔法発動!」
一拍遅れて転移魔法が発動する。武装隊全員がアースラへ帰還する。だが、それは、アースラの戦力が激減したも同然だった。
「プレシア・テスタロッサ……」
リンディがぽつりとつぶやく。それは言葉にするつもりはなかったのにこぼれ落ちてしまった言葉のようだった。
『そう、貴方が私の邪魔を』
プレシアの瞳だけが動き、こちらを見据える。
それだけでクルーたちが恐怖に固まる。
玉座からすくと立ち上がる。ゆっくりと隠されていたポッドへ近づいていく。
「かあ……さん」
その歩みが止まった。振り返ったその表情は鬱陶しげだった。
『貴方には失望したわ、フェイト。やっぱりだめね』
「何が、何がだめだ! アンタのためにって、フェイトがどれだけ頑張ったか分かっているのか!」
冷たい声に唯一反応できたのはアルフだけだった。
怒気をあらわに、プレシアへ噛みつく。だが、それに対し返ってきたのは残酷な事実だった。
『頑張った? それに何の価値があるというの。現実で評価されるのは結果だけ。過程に意味はない』
「何だよ、何だよ、それ!? フェイトはアンタの娘なんだぞ!」
『娘?』
プレシアの顔に冷笑が浮かぶ。
それを見たリンディが叫ぶ。
「プレシア・テスタロッサ!」
『人形は、人形よ』
「……母さん?」
『結局の所、どれほど頑張ろうとも、アリシアにはなれやしない。できの悪いお人形。貴方のことよ、フェイト?』
「どういう、こと? 母さん」
フェイトは声を震わせ、問いかけた。眦には涙がたまっていく。
自分の知らない秘密が明かされようとしている。それが自らを傷つけようとしているのを、無意識に理解しているように。
『貴方はアリシアを元にして私が作ったクローンよ。アリシアを蘇らせるために作った、ね。結局失敗でしかなかったけど』
その言葉に、フェイトがくずおれた。
アルフが放心したフェイトを抱きかかえた。
リンディとクロノとが一瞬だけうつむき、しかし毅然とプレシアをにらみ返す。
「どうして、どうしてそんなひどいことを言えるの!」
だが、それよりも早く、なのはが叫んだ。
流した涙を拭うことなどはせず、ただプレシアをにらみつけている。
それを押し黙ってみていたプレシアだが、わずかに口角を上げた。
『貴方には関係のないことよ。さて』
再び歩き出したプレシアは、アリシアのポッドの表面をなでた。
そして片手でジュエルシードを取り出した。
『ジュエルシードはこれだけ。でも、アルハザードへ行くには十分ね』
「アルハザード? あれはおとぎ話のはずです」
考古学の一族出であるユーノが反論する。
それに対し、プレシアはひどく鼻白んだ目でユーノを一瞥した。
『あなたも歴史を学ぶのなら神話・伝説を蔑ろにするのはやめなさい。神話・伝説というのは実際にあった出来事を、形を変えて伝承したもの。そこに真実が隠されているのよ。私は各地の伝説を調べ、検証し、アルハザードの実在を確信した。アルハザードは虚数空間へ堕ちた古代の超文明。その魔法技術はあまたのロストロギアを上回る。それこそ死者蘇生すら可能なほどの。虚数空間への穴を開ければアルハザードに至れる。アリシアを蘇らせることができる』
最初は冷静に話していたプレシアだったが、徐々に口早になり、つばを飛ばしていた。目は見開かれ、縁が充血していた。
まさしく狂人と呼ぶに相応しい形相。ユーノは後ずさりした。
『アハハハハハハ! さあ、行きましょうアリシア。私たちが奪われたすべてを取り戻すために』
ジュエルシードが怪しく輝く。
同時、アースラのクルーが悲鳴を上げた。
「次元震発生! いつ大規模化するか分かりません!」
「プレシア・テスタロッサ!」
『アハハハハハ!』
そこで通信が途絶えた。
プレシアが通信を切断したのだろう。
周囲が緊張自体に包まれる中、甲矢はただただあることを考えていた。
通信が切断された後、プレシア・テスタロッサおよびジュエルシードの確保のため、残存戦力による侵攻作戦が行われることになった。
クロノは当然、本来ならば時空管理局ではないなのはとユーノすらも、戦力に志願した。
その中で甲矢は一人時間をもらい、アースラの廊下を歩いていた。
向かう先はくずおれてしまったフェイトを収容した部屋だ。
開閉音と共に扉が開かれる。
中は殺風景な部屋だった。部屋にはベッドとソファがある程度だ。
フェイトは魔力を封じる腕輪をされた上で、ベッドに寝かされていた。枕元にはアルフが狼の姿でフェイトの顔をのぞき込んでいた。
「アンタ!」
扉の開閉音に気がついたのか、アルフがこちらを向いた。同時、うなり声を上げてくる。
それを一切気にもとめず、甲矢はフェイトたちへ近づいていく。
「近寄るな!」
アルフがわずかに体勢を沈めた。今にも飛びかからんと力を蓄えてい
それも気にもとめず、甲矢はフェイトたちへ近づいていく。
フェイトまで後十歩といったところで、アルフが飛びかかってきた。
襲いかかってきたアルフに対し、甲矢は左腕を押しつけた。
前腕を火がついたような熱が襲う。ついで鋭い痛みが走り、血がしたたり落ちてきた。
アルフの牙が前腕を貫いていた。だが、それすらも甲矢の表情を変えることはなかった。
ただフェイトへ近づいていく。
「フェ、フェイト、に近づくな!」
近づいてきた甲矢に気がついたフェイトは悲鳴を上げて、シーツを引き寄せて後退る。
フェイトの枕元まで来た甲矢は。おびえに染まった瞳を覗きながら問いを投げかけた。
「お前の名前は何だ?」
「は?」
「プレシア・テスタロッサが語った内容と、お前の名前は矛盾するんだ。もし俺の懸念が正しかったら、今起きている事件の根底がすべて変わる。答えろ、お前の名前は何だ」
つかみかからんばかりに近寄った甲矢におびえた様子を見せるフェイトは、震える声でつげた。
「フェイト……フェイト・テスタロサ」
それを聞き届けた甲矢は踵を返す。左腕に噛みついていたアルフを力尽くに引き剥がし、扉をくぐり抜ける。
「な、何だったんだよいったい!? 何をしたかったんだよ!」
「……アリシア・テスタロッサの復活を目的としていたなら、何でお前はフェイト・テスタロッサなんだろうな」
呆然としている二人を残し、甲矢もまたアースラの機材から時の庭園へ転移した。
すでになのはたちは時の庭園のかなり奥へ進んでいる。甲矢の魔力では、空間中の魔力の乱れにかき消され、とうに念話も届かない。
だが、Last-Arrowのセンサー群ならば、先行しているなのはたちの場所を把握できる。甲矢の飛行速度なら今からでも十分に追いつくことが可能な距離だ。
青白い燐光を残しながら、なのはたちの元へ飛ぶ。道中、強化された視界が眼下に粉砕された機械群を捕らえた。どうやらこの機械群が道を塞いでいるようだ。
あと数秒もあれば合流できるという段階でセンサーが補足していたなのはたちが二組に分かれた。
さすがにどちらがなのはかまでは分からない。となれば、危険度の高いプレシアの方へ行った方が良い。そう判断を下し、甲矢は飛行ルートを選定し直す。
ザイオング慣性制御システムの働きにより、常人では耐えきれないような動きをしつつ、先を急ぐ。
「甲……矢」
玉座の間に入ったところ、プレシアとクロノとがにらみ合っていた。
だが、その様は全く違った。クロノはズタボロになっており、今にも膝を突きそうになっているが、デバイスに身体を預けて倒れるのを拒否している有様だった。
一方のプレシアはそんなクロノを睥睨し、空中に浮かんだジュエルシードに魔力を注ぎ込んでいた。
「逃げ、ろ。プレシアは、君では、勝てない……」
甲矢の逃げる時間を稼ごうとでも言うのか、それとも自らを盾にしてでも守ろうとしているのか、クロノは牛歩であるがちょっとずつ甲矢の方へ近づいてくる。
「一つ聞かせろ、プレシア・テスタロッサ」
「何かしら? 貴方みたいな子供が」
「できなかったのか、それとも最初からだったのか」
その問いに、プレシアの表情が驚愕にゆがんだ。
だが、すぐさまそれをかき消した。
「……最初からよ」
「そう、か。……分からない。なぜ娘のためにそこまでできる?」
「それが母親だからよ」
「分からない、俺には分からない。捨てられた俺には、そんなこと分からない」
かぶりを振る。それに対し、プレシアはわずかな憐憫をはらんだ瞳を向けたが、それだけだった。
静かにデバイスを持ち上げた。
魔力が集う。しかしそれが魔法として解き放たれることはなかった。
玉座の間の壁を粉砕し、フェイトが乱入したからだ。すぐそばにはアルフとなのとがいる。
フェイトは静かにプレシアへ近寄っていく。
プレシアは魔法を放つ事なく近寄ってくるフェイトを見据えていた。
「何をしに来たのかしら?」
「母さん、私は貴方の娘です」
「くだらない。そんなことを伝えるために、わざわざここへ来たというの?」
「くだらなくなんてないです。たとえ私がアリシア・テスタロッサではなくても、私はフェイト・テスタロッサです」
「……貴方がそう思うが、私は貴方を娘と認めない。私の娘はアリシアだけ。あの子だけが、私の娘」
「母さん!」
「黙りなさい。さあ、ジュエルシード! 次元断層を起こすには十分な魔力を注ぎ込んだ。今こそその力を発揮しなさい」
青い厄災の宝石は、その身に蓄えた魔力をさらに励起させる。
膨大な魔力がはじけた瞬間、世界が震えた。床や壁に亀裂が走る。そこからは極彩色の奇妙な空間がのぞけた。
「開いた! とうとう開いたわ! さあ、行きましょうアリシア!」
それだけを叫ぶと、プレシアはアリシアのポッドをと共に、その極彩色の空間へ身を投げた。
「母さん!」
「だめだ、フェイト!」
プレシアを追って自らもその空間へ身を投げようとしたのを、アルフが羽交い締めにして止めた。
『皆、早く脱出して! 虚数空間が開き始めている!!』
「虚数空間?」
『簡単に言えば魔法が使えない空間だよ! 魔導士ですら、そこに堕ちたらおしまい。脱出できず、永遠に何もない空間をさまよい続けるの!』
なのはの顔色がさっと青白くなった。
エイミィの言う言葉を端的にまとめれば、堕ちたら死ぬ、というわけだ。恐怖の一つもするだろう。
なのはとユーノとが満足に歩くこともできないクロノを抱え、アルフがフェイトを支えて脱出しはじめる。甲矢はLast-Arrowの通信装置越しに、アースラへ通信する。
「一つ聞きたい、リンディ」
『……なんでしょうか』
「このままにしておいた場合、この次元世界の崩壊は、どこまで巻き込むと想定できる?」
『……』
「情報開示を要請する」
『第九十七管理外世界も、巻き込まれると想定されています』
甲矢は思考を巡らす。
Last-Arrowの機能を考慮しても、この次元世界の崩壊を防ぐのは不可能だ。
「Last-Arrow。機能の限定解除は可能か」
【貴方に権限はありません】
今のLast-Arrowの機能では。
「他に方法はないか。……Last-Arrow、お前の申し入れを受け入れよう。入隊する」
【了解しました。ただいまより、九条甲矢を地球連合軍Team R-type所属のテストパイロットとして入隊を許可します】
Last-Arrowの球体表面が震える。琥珀色が失われ水銀色へと変貌した
表面の波が拡大し、球体を維持しきれなくなった瞬間、Last-Arrowは甲矢を飲み込んだ。
飲み込まれた中で、甲矢はLast-Arrowにより改造されていく。
神経には接続用のバイパスが形成され、Last-Arrowとの肉体的接続のためのインターフェースが植え付けられた。何よりもとある施術を施された。
甲矢が解放されたとき、眼前には玉のLast-Arrowが失われていた。
その代わり、一台の奇妙な機械が横たわっていた。
琥珀色のラウンドキャノピー、大きく突き出た一対の翼。そして背面には巨大なジェット・エンジンとおぼしきものが三角に積まれている。
そしてその側面には、白い機体に良く映えるようにか、黒い文字でLast-Arrowと書かれている。
『何、が……、それは、いったい』
リンディの呆然とした声がする。それに対し、甲矢は答える事なく、Last-Arrowと記載されている機体へ乗り込む。
コクピットの椅子に身を預けると、首筋あたりでカチリと音を立てた。機体と神経を直結することにより、操縦をダイレクトに、そして簡易化するために必要なサイバーコネクターだ。
またラウンドキャノピーが外部の映像を映しだす。操縦桿を握りしめると、機体後部から青白い輝きが発せられる。
【OPERATION-SYSTEM
FORCE・・・・・・・・・・・・・NG
WAVE CANNON・・・・OK
VULCAN・・・・・・・・・・・OK
ANTI-AIR LSR・・・・・・NG
REFLEX LSR・・・・・・・・NG
SEARCH LSR・・・・・・・NG】
「システムオールグリーン。地球連合軍Team R-type所属九条甲矢、出撃する」
ザイオング慣性制御システムにより、機体が垂直離陸する。
「これより本機は異層次元・虚数空間へ侵攻。そして次元世界崩壊の原因たるジュエルシードを破壊する」
アースラへの単方向通信をかける。向う側からこちらに向けてコンタクトをとろうとしているが、それらすべては遮断する。虚数空間への侵攻など彼らは信じられず、また反対することしかできない。ならば、雑音を耳にする必要はない。
「これよりスタンダード波動砲による次元潜行を実行する」
機体の前方にチェレンコフ光を思わせる青白い閃光が集う。それらは瞬く間に莫大なエネルギーとなり、天井から落ちてきて光にかすめた建築材の欠片を消滅させていく。
エネルギーの充填は五秒もかからなかった。集めたエネルギーに対し、前進するベクトルをかける。球体を維持したエネルギーは、与えられた指向性に従い前進する。それは十メートルもいかないうちに、蓄えられたエネルギーを解放し、世界へ干渉する。
Last-Arrowが放ったエネルギー弾・波動砲は、その収集した波動エネルギーの性質により、別次元世界への穴を開いた
完全な円に広がった穴は、確かに虚数空間へつながっていた。
甲矢とLast-Arrowは放たれた矢のように突入した。
「虚数空間内部への侵入に成功」
内部は次元世界で通常使用されている艦船ならば、すぐさま歪曲してねじ切られていたであろうほど、空間がゆがんでいた。
また、いつの時代、どこの世界のものか分からないが、崩壊した遺跡や、ロストロギアや、ユーラシア大陸や地図に載るか載らないか程度の小島が浮いている。
その中から今もなお、活性化している魔力を探索する。Last-Arrowのレーダー群にヒットしたのは数分後だ。
すぐさま反応があった場所へ向かう。これまで甲矢がだしたこともないほどの超高速飛行。208km/sを超える驚異的な速度であっても、しばらく時間がかかったほどだ。
そしてたどり着いた先では、暴走したジュエルシードがそれぞれ等間隔に距離をとりながら、お互いが放つ魔力を増幅し、それをまた別のジュエルシードが増幅するという一種の永久機関、否それを上回る究極の魔力炉が生まれていた。
「ジュエルシードの封印は?」
【不可能。本機の性能では魔力封印によるジュエルシードの沈静化の成功確率は0%です】
「ではそれ以外の方法は?」
【波動砲による同時完全破壊です】
「波動砲をスタンダード波動砲から拡散波動砲へ変更」
【変更完了しました】
「波動エネルギー充填開始」
【2ループ拡散波動砲のエネルギーは十秒後に充填されます】
機体前方に再び青白い光が集う。その光を見守りながら、甲矢は波動砲の発射スイッチに指をかける。
「これでおしまいだ。高度に発達した文明なんて、いらないんだ。結局の所不幸にしかならない」
静かにスイッチを押した。
波動砲が放たれる。それは今までのように直進するのではなく、途中から放射状に分かたれる。その軌跡はまさしく球だ。完全な球を描き前進するエネルギーはジュエルシードへ接触すると、膨大な魔力ごとすべて砕いてしまう。
後には静けさを取り戻した虚数空間が広がっていた。
Last-Arrowをしばし虚数空間の宙域をたたずんだ後、飛び去っていった。
「あれはいったい何ですか」
アースラ内部の会議室。そこにリンディと甲矢がいた。
拘束こそされていないものの、それは甲矢に対する尋問のようなものだ。
過剰なまでの攻撃力、何よりもデバイスではあり得ないあの兵器としての姿。時空管理局にとっては、決して無視できることではない。
「Last-Arrow。それは次元世界で製造されたものではない。今より遙か未来、この地球で製造された兵器だ。ブラックホールのシュヴァルツシルト半径内でも、それこそ恒星内部でも戦闘を可能とする究極の兵器だ。ザイオング慣性制御システムにより慣性を完全に支配した挙動。大気圏内でも秒速208kmという異次元の超高速での運用。波動エネルギーを利用した戦艦の主砲を上回る波動砲。さらには異層次元での航行能力。それらを利用すれば、別次元の過去へ行くというのも不可能ではない。おそらく、そうして次元世界に流れ着いたLast-Arrowをスクライアの一族が発掘したのだろう」
リンディが驚愕に身を固める。甲矢の語ったことは、次元世界でも実現不可能なことだ。それを管理外世界が実現しているとは到底信じられない。
だが、それは事実だ。次元世界でも実現不可能な兵器は確かにここに存在する
「あなたならばその危険性も分かるはず」
「……分かりました。貴方に関するデータはすべて破棄しましょう。また、箝口令を発令します」
「良いのですか? こう言ってはなんですが、俺からLast-Arrowを取り上げると思ったのですが」
「私たちではそのLast-Arrowを管理しきるのは難しいでしょう。残念ながら時空管理局も一枚岩ではありません。中には……。それならばいっそ、管理外世界の貴方が隠し持っていた方が、余計な情報が広まるのを防げます」
「なるほど。貴方の英知に感謝をします」
リンディは一つため息をついた。
「ですが、それは同時に貴方の危険性を排除できたわけではありません。私は次元世界のために、貴方の危険を排除することを諦めたも同然です。貴方に感謝をされることをしたわけではありません」
「それでもです。貴方のおかげでLast-Arrowを世に広めずにすみます。これは、本当ならば存在して良いものではないのですから」
再び琥珀色の玉と化したLast-Arrowを持ち上げる。二人の表情には苦々しいものが浮かんでいた。
「そういえば、貴方はプレシア・テスタロッサに質問していましたが、あれには何の意味が?」
明らかな話題変換に対し、甲矢は何も言わずのった。
「プレシアの言葉には大きな矛盾がありました。アリシアを蘇らせると言った割りには、そのクローン体に与えられた名前はフェイトです」
「……確かに、そうね」
「それに、クローン体を製造するまでの時間もおかしいです。プレシアのパーソナルデータは確認しました。アリシア・テスタロッサの死亡が確認されたのは十数年前。プレシアほどの科学者、魔導士がフェイトを完成させるのに十数年もかかりません」
「どうどうとアースラに対しハッキングしたことを告げないでほしいのだけれども」
リンディが甲矢をあきれた目で見つめる。甲矢はそれに対し、何も返答しなかった。
「いろいろな研究をして、クローン体の研究をしたのが最近だったというのは?」
「その可能性もありました。ですが、そうするとやはり名前が引っかかります」
「……ああ、そういうこと。そういうこと、なのね。プレシアは、とうの昔に諦めていたのね」
「そうです。最初のころはアリシア・テスタロッサの蘇生を行おうとしていたと思われます。しかしいくらか時間が過ぎたことで、それを受け入れることができるようになった」
「『よい記憶力はすばらしいが、忘れる能力はいっそう偉大である』とはこの世界の名言だったかしら。時が傷を癒やしたのね。そして、おそらくプレシアは」
「今度は孤独に耐えられなくなったのでしょう」
「プレシアに家族はもういない。分かれた夫はすでに死んでいる。たった一人残された彼女にとって、唯一家族を得る方法が」
「アリシア・テスタロッサのクローン体。自分のクローン体ではないのはテロメアの問題もあったのでしょう。プレシアは高齢ではないが、それでも年を取り過ぎていた。クローン体の寿命を考えれば」
「アリシアの方が良かった。だとしても何故こんなことを?」
甲矢は押し黙った。一度静かにまぶたを閉ざした。暗闇にプレシアとの最後の問答をした情景がありありと浮かび上がってくる。
「おそらく、プレシアに死期が近づいていたのでしょう。それは寿命なのか、あるいは病なのか、それは分かりません。ですが、フェイトを生み出した後、自らの余命が少ないことを覚ったプレシアは、迅速にフェイト・テスタロッサを保護してくれるような存在を探す必要があった。そして白羽の矢が立ったのが、貴方です、リンディ・ハラオウン」
「それはなぜ?」
「おそらく貴方の人となりを信頼して。ハラオウンの名が次元世界でも知れ渡っているのはユーノの反応から推測しました。その内容も決して悪名の類いではない。ならば、それに賭けたのかもしれません」
「私がフェイトさんを保護しない可能性もあるのでは?」
「確かにそうです。ただし、それがもし虐待を受け、犯罪の手駒にされているような少女ならば?」
「……」
リンディは答えなかった。一度席を立って壁際に近寄った。
「この仕事に就いていると、いくらでも苦しむ人々を見かけるの。ほとんどの人が言ったわ。慣れろと。でも、どれだけたっても私は慣れることができなかった。……きっと、保護しようとしたでしょうね」
沈黙が広がった。甲矢も立ち上がり、そして入り口へ向かう。
そんな甲矢にリンディは語りかけた。
「この事件で唯一の救いは、プレシア・テスタロッサがフェイト・テスタロッサを愛していたことね」
甲矢は何も語らず、部屋を立ち去った。
Last-Arrowと共に。
これにて本作は終了とします。
本当はもっといろいろ考えていたのですが、現状中々書ける時間がとれないのと、
続きを書こうとすると、中途半端なままになってしまいそうだったのでここまでとさせていただきます。
ここまでご愛読くださり、ありがとうございます。私の力不足で本当の最後まで書けず、申し訳ありません。
一応本来の想定では下に記した通りにする予定でした。
闇の書事件を解決した後、異層次元にバイド反応を検知。バイドの殲滅を行うことを決意。周囲の記憶を消去したが、魔導士たちの記憶消去までは実行できず、動きを覚られた邪魔をされる。戦闘で全員を倒し、そのまま異層次元へ侵入。
異層次元でバイドと戦闘していく。あるときグリーンインフェルノと遭遇。撃沈される。死ぬ寸前に、Last-Arrowの最終機能により、完全制御されたバイドとして復活。グリーンインフェルノを撃破。
それから数百年・数千年と戦闘を繰り返す。その果てに、物資補給のために訪れた世界でジェイル・スカリエッティと遭遇。最初は気にもとめていなかったが、ジェイル・スカリエッティのLast-Arrowというつぶやきにより方針変換
最終的にジェイル・スカリエッティと協力関係に。
(本作品のジェイル・スカリエッティはかつてアルハザード、22世紀の地球でTeam R-typeの一員だった設定。ただし、自ら志願したのではなく、経営していた孤児院のことで脅迫されてTeam R-typeに所属していた。無限の欲望というコードネームはジェイル・スカリエッティではなく、Team R-typeに与えられたコードネーム)
ヴィヴィオの確保のサポートとしてヴィータたちと戦闘。はやての広域魔法を相殺するために、波動砲を撃つ。
(このとき甲矢になのはたちの記憶は存在しない。数千年の戦闘で、思い出をすべて消去して、戦闘データに置換したため)
最終的に最終決戦でジェイル・スカリエッティは自らの境遇を全管理世界に暴露。管理局の暗部が照らし出され、さらには証拠として聖王のゆりかごを機動。ただし、ジェイル・スカリエッティは世界を支配する願望はないため、すぐに甲矢へ指示し、ギガ波動砲によりゆりかごを消滅させる。
甲矢はなのはたちと会話をし、またバイドを倒すために異層次元に去って行く。
ちなみにジェイル・スカリエッティは無罪となる。その後は医者となり、再生医療の権威として有名になっていく(Team R-type所属前の専門が体細胞データを元にした再生治療だった)。
ヴィヴィオはなのはたちに預ける。(ヴィヴィオがなのはになついていたのと、なのはが甲矢のことを拒絶しなかったことを知ったため)
設定
・アルハザード
22世紀の地球が何らかの理由で滅び、異層次元へ陥落した世界。
すべての魔法があるのではなく、ほとんどすべての事象を科学的(魔法含む)に再現できる世界であった。
・Last-Arrow
Team R-typeで製造された最終兵器。彼らは究極の兵器とは進化する兵器と結論を出し、それはバイドであった。そのためR戦闘機でありながら、バイドである機体を製造した。それがLast-Arrow。また、Last-Arrowに隠された機能として、パイロットをバイド体にする機能が搭載されている。
・ジェイル・スカリエッティ
22世紀の地球で医者をやっていた。バイドとの戦いで身体を失った人たちに、再生医療を施して五体満足まで回復させていた。しかしその優秀な頭脳・研究成果からTeam R-typeに勧誘を受ける。一度は拒絶したが、彼の経営していた孤児院について脅迫を受け、屈服。それ以降、望まぬ研究をすることに。そのため、管理局によって蘇っても、望まぬ研究をさせられていたため、一切の感謝はなく、むしろ憎悪しか抱かなかった。
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