血盟騎士団調査室 (神木三回)
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初日夕方から二日目朝まで

はじめまして。
あけましておめでとうございます。



 鎧戸を押し広げると、右から左へとなかなか見事な夕焼けがあった。空の代わりとなる天井に映された薄青から赤にわたるグラデーション、乗り出して右をみれば天井と地平線の隙間に浮かぶ赤みを帯びた太陽。天井の先端が陽の斜光をうけて白く輝き、天井の存在を主張しながらも全体として狭苦しさを感じない構成になっていた。眼下の路を陽に向けて走る数人のプレイヤーも良いワンポイントだ。

 新原呼高(あらはらこだか)は「天空の城における夕焼け」に、鑑賞するよりも色々突っ込みたくなる気分が巻き起こってきたのを少し残念に思った。もうすこし素直に感動したかったと思う。明らかに先ほどの茅場晶彦(ゲームデザイナー)の監禁宣言に対する反感だった。

 ささくれ立っている心をおさめようと、ひとつ深呼吸してから振り返った。後輩の足立椎加(あだちしいか)は会議室に戻ってきてそこに座らせた時と変わらず、手をぎゅっと握って青白い顔で俯いたままだ。薄く被っていた猫が地ごとがっつりと抉られた姿が痛々しい。

 そういえば、と彼は思い出した。

 ── 髮、戻ったんだよな。

 ログイン時の、髮をリアルのショートから背中までストレートに伸ばしただけのアバターと、彼女の、なにかしらの武道あるいは茶道のような躾けの手が入った立ち振る舞いの組合せは良く似合っていて、深窓の令嬢の範疇に入るだろうと彼が褒めてからまだ二時間と経っていない。

 昔よくあったプラスティッキーなトーンはさすがに影を潜め、現在の髮のキューティクルの(C)(G)仮想(V)現実(R)の中のフル 3-D フルモーションにおいてもそれなりに仕上っている。それでも生え際と旋毛の描写はイマイチだし、逆に枝毛などの髮の傷みの表現がないから短髪よりは長髪のほうが美しくみえる。そう言うと、それは褒めるところが違う、と怒り、そのあと自分の髪の毛を一房ほど手に取って見つめ、しぶしぶ納得して頷いていた。

 長いほうが有利、というのは感覚的にも理解していたからこそのアバターデザインだろう、と言えば、すこし違うと首を振った。リアルで伸ばすと手入れが大変なのでヴァーチャルで伸ばすと。それはそれで聞きたくなかったと言って二人で笑った。

 

 開いたドアの向こう、もう一人の中辻汀(なかつじなぎさ)もまだ戻る様子はなかった。中辻も新原や足立と同じく東都大学生だが二年生で、三学年上の新原は学内で顔を合わせたことは最近までほとんどない。もともとはレクトプログレス(バイト先)での知り合いである。

 SAO のベータテスタだった中辻は、ベータ時代はアバターをいじってあったらしいが、中央広場で待ち合わせてみれば彼もリアルほとんどそのままのアバターで、訊くと「背を伸ばすのが非推奨だった理由がよくわかって。背が伸びないなら他はどーでもいい……」と恨めしそうに新原の頭のてっぺんを見上げて語ってくれた。「心機一転、速度系を目指すっす」に対して新原が「腕長いほうが同じ角速度でも運動量で有利じゃないかな?」と言うと、その場で崩れ落ちて椎加お嬢様の涙を誘う。

 元ギーク()()の風格はあって、ギーク少年とはそういうものだろうと新原は思っているが、二十センチ近く違う彼が口にして良いことではないであろう。

 

 十分ほど前、茅場晶彦(ゲームマスター)がソードアート・オンラインについてログアウト不可およびデスゲーム化を宣言し、全プレイヤーのアバターをリアルベースに強制的に変更した。彼が何を言ったかはともかく、アバターの変更は管理者権限を好き勝手に使う宣言と実行の証である。プレイヤーに対しては、この最後の瞬間のものが一番大きかったはずだ。が、彼ら三人のアバターは元々リアルベースだったため周囲から一拍遅れることになり、それだけに激烈なものになった。

 普段ほわほわした足立が首の後に手を回してそこに髮がないのに気付き、みるみるうちに顔が硬直していくさまを見つめ、新原は慌てて彼女の手を引いた。自分達の会議室用に確保してあった元縫製工場三階の一室に戻ってくるまで、彼にもそのあたりの記憶はあまりない。

 「そういえば、リボンどうした?」

 思いっきり長くしてきたストレートの髮を、褒めたと同時に少し叱った。モンスターを相手に動きまわる格好ではなかったから、フィールドに出る前に髮を結ぶためにリボンを買って渡した。髮が短くなった今は落ちたかどうかしたのか付けていない。彼女が顔を上げてすこし唇を尖らせた。

 「ちゃんと持ってますよぅ。短くなっても髮にくっついてました」

メニューを操作してストレージから取り出し、手の平にのせてみせる。少し考えて彼も納得した。

 「髮に装着した、という扱いになっていたからか」

 「たぶんそんな感じだとー」

髪の毛にカブトムシかなにかがひっついたような感触が気色悪かったとゆったりと力説する。一応モンスターからの攻撃の被命中率軽減効果があることになっているらしいアイテムが簡単に落ちては困る気もしたが、そんなことより会話出来る程度に回復してきたことを彼は喜んだ。

 「髮を長くする方向なら、たぶんわりに早く戻せると思うよ。この世界、散髪屋は無いだろうし髮もたぶん伸びない。ゲーム攻略のフレーバーとしてあまり意味ないからな。だけど、それだけだとイメチェンする方法もないことになる」

 アバター変更アイテム、つまりフィールドで髮を切られて圏内に戻った時に髮が元に戻るようなアイテムはまだ手に入らないかもしれない。しかしフィールドで髮を切られたあと圏内に戻っても髮が元に戻らないような、付けウィッグ相当のものはアバター変更アイテムに手を出してもらうための繋ぎで容易に手に入ると彼は踏んだ。彼女がぽかんと彼を見上げた。

 「はー」

 「何?」

 「先輩も、だいぶ調子戻って来ましたねー」

 「アインクラッド全百層の構造予想とか向こう二年の攻略計画とか当面の方針とか考えていたんだけど、しばらく凹んでいることにしたので代わりに考えておいてくれないか」

 彼女は平謝りした。中辻が戻ってきたのはそんな時である。

 

 「ただいまーっす。取れました。みっつを三日分、前日までに言えば十日間は延長効くそうです」

 「お帰り、それとおつかれさま。……?」

 新原は返事をかえしつつ、その内容にすこし首を傾げた。

 中辻には会議室の並びにある従業員寮の部屋を確保するよう頼んであった。今の部屋はテーブル・ソファ・風呂・流しなどはあってもベッドはない。おそらく居間・応接室もしくはたまり場として設計された空間だ。宿泊するならそれ用の部屋が必要で、三人で三部屋。そこまでは良い。だが、元ベータテスターの中辻には初心者(ニュービー)の新原や足立を置いて先に進む手もある。彼もしばらくはじまりの街に滞在する、同行するということが、適切かどうか新原には判断がつかなった。

 「さっき、下の路を走って、たぶんそのまま北西門から外に出たプレイヤーがいたけど何をしにいったか分かる?」

 「ホルンカっすね。わりと良い剣がクエで手に入りますよ」

 即答は彼が先行も考えていたことを意味した。

 「最初に訊くのを忘れたけど、中辻君は先に進まなくて良かったんだろうか?」

 「ボスに付いてったほうがたぶん面白いっす。……俺がリーダーってのはナシっすよ?」

 完全に覚悟を決めた笑顔だった。

 なお、中辻が新原をボスと呼ぶのはバイト先の立ち位置に由来する。二人とも下っ端のプログラマーのバイトでしかないはずだが、新原はプロジェクトマネージャ的な立ち位置に押し上げられることも多い。この呼ばれ方は新原としてはけっこうヒヤヒヤするのだが、どこからも悪感情を感じたことはないので放置になっている。

 「それと、ボス。さすがにアバターネームにしましょう。他の誰とも付き合わないっつーわけにはいかないっしょ」

 茅場晶彦(天才)の作り上げた仮想(V)現実(R)人工(A)知能(I)の出来不出来を見に来ただけでゲームを攻略するつもりがなかった彼らはリアルと同じ付き合いを持ち込んだ。確保した会議室は研究室の延長である。言われてみればこれはまずかった。

 「そうだな。僕がアーラン、中辻君がティクル、足立さんがタスタスか。本物の太陽ともお別れしたが、自分の名前とも向こう二年お別れか」

 は、と息をついた。彼は中辻に席につくよう促して、壁のランプに灯を入れてまわる。中辻と足立も羊皮紙スクロールを取り出してメモを用意する。

 「晩ご飯は……話の後でいいよな?」

 二人は頷いた。デスゲームに取り残された五里霧中で食事がのどを通るわけもなかった。

 「まず。僕達を含めたプレイヤー一万名は基本的にこのゲーム、ソードアート・オンラインを攻略する必要はない。というより、それは害悪だ」

 茅場の煽りが上手かったせいで新原も間違えそうになるが、彼自身が落ち着くため、また先走る選択肢のある中辻のためにも客観的な立場は確認しておく必要があった。それは自分達が茅場晶彦に捕われて監禁されている身だ、という点である。遊ぶためにこの世界に居るのではないのだ。

 「銀行強盗にとっつかまっている人質が、強盗犯人から『銃弾の雨をくぐってドアの向こうについたら助けてやんよー』とか言われた時に、それに乗っかって走り出したらそいつはただのバカだ。外部からなんとか無事に救出しようとしている警察の足も引っ張っている。その意味で、僕達はこの《はじまりの街》で寝て救助を待つのが第一義的には正しい。ついでにいえば、そのほうがたぶん拉致監禁犯野郎への嫌がらせにもなっていると思う」

 新原はそこで話を一度切った。二人の表情に意外といったような感情は浮かんでいなかった。少しは驚いてくれないとカームダウンにならないのだが。中辻がにやっとして、

 「でも先行くんすよね?」

 「結論先読みはー失礼ですよー、中辻君……じゃなくてティクル?くん」

 「タスタスも大概だ……二人とも話聞いてないだろう」

 「聞いてますよ? 行かなくてもいいけど行くって話ですよね?」

 「まあ、なぁ」

 彼は頭のうしろで両手を組んだ。

 

 最終層での話である。茅場晶彦は人工(A)知能(I)の専門家ではない。すくなくとも本職は物理屋で、ナーヴギアの開発が本業である。彼は自分の開発した、もしくは関わった AI の性能に十分なプライドが持てないだろう。自分の作った AI に最終決戦の場を任せることは出来ず、自身が出てくるだろう。

 この最終戦闘を茅場晶彦の立場から見るとどうなるか。

 ラスボス(自分)を取り囲む、一対一では絶対に適わない程度のレベルでしかない約五十名のちまちまとしたプレイヤー達という図を許容できるか? ── いや、それはない。最終決戦では、ラスボス(茅場晶彦)の相手は高々六人。事によると彼と同等レベルに成長した一人にまでしぼられると思っておいたほうが良い。

 では、それまで、九十八層まで活躍してきた攻略メンバーは何をしているのだろう? 周囲でお茶を飲みながら観戦しているのか? また、そのとき下層の非攻略プレイヤーはパブリックビューイングを楽しんででもいるか?

 その想像は解の一例ではあるだろう。しかしもし魔王(自分)と戦う勇者メンバー以外がお茶を飲んで遊んでいることを認められないとすれば、彼は何をするか? 「遊びではない」と強調する彼のことだ、許さない可能性が高い。

 

 ここまでを前提として、新原が挙げた例が「下層の平和と秩序を破壊しておき、上層の攻略プレイヤーに救助させるクエスト」だった。勇者メンバーが決戦層に上がることをトリガとして起きるクエスト。

 「僕達は攻略プレイヤーでないとしても、少なくとも余裕をもって救助されるだけの上層に居る必要がある」

 秩序の破壊はモンスターによって行われるだろう。ならば、救援グループによって容易に守ることが出来る程度には、レベルも上げておかねばならない。そしてできれば、

 「救出順序(トリアージ)の基準について口出しできるほうが良い。つまり攻略グループにいたほうが良い」

 これを達成目標の優先順序とする、と彼は告げた。自分達自身が勇者である必要はないと。

 

 下層の考察に入り、十層までに元ベータテスタ達を口減ししてくること。これは二人も頷いた。ベーターテスタという貴族階級が生まれることをゲームマスターは望まないだろう。多少前後するかもしれないと前置きした上で、二十層前後までの壁役(タンカー)優勢と三十層までに起きるその壁役の口減しイベントについて話す。これに関して彼は根拠を一つ挙げた。それは投擲武器、弓矢の禁止である。

 「デスゲームで投擲が可能なら、原始人がマンモスを倒す時に使った戦術が確実で安全だ。落し穴か何かでモンスターを固定、上から投石で HP を削る。これをわざわざ禁止にするなら、機動隊が暴れている人を取りおさえるような戦術も出来れば禁止しておきたいだろう」

 自然にプレイすれば、おそらく自分達もこのイベントの犠牲になるため、最先端の攻略集団に参加するとしてもそれは三十層前後からだと彼は告げた。

 「デスゲームで安全を期して盾だらけになったら見てて美しくないのは分かります。削ってくるでしょうね。でもそのイベントで俺達も被害出ますかね?」

 盾持ちのようには STR(筋力) に振るつもりのない中辻が首を傾げる。

 「このゲームでモンスターは本質的に恐くない。攻略必須でないなら逃げればいいだけだから。恐いのは一撃死もあるトラップの類だ。対策の基本は VIT(生命力) 上げでいいんだよな?」

 「そうっすね。VIT 上げるんですか?」

 「うん。悪いけど、ティクル、ある程度は VIT にもステータス振ってもらうよ」

 「トレジャーハンターデッキに近いっすね」

 「そうだな。モンスターや罠のそばをうろうろするが、しかし戦わずに逃げるという行動オプションを持つとそうなるか。タスタスもな。万一にもきみらを死なせるつもりはない」

 足立にそう振ると、彼女は手を挙げた。

 「先輩も、腕を食べさせるのはナシの方向でお願いします」

 「それもあったか」

 彼女はものすごく薮蛇をつついたような顔を作った。案の定、とでも言うべきことを新原は提案する。

 「二人とも、一度、街の近くで腕の一本くらい食われておくか?」

 

 これはデスゲーム化を知る前、剣がなかなか当らないことに業を煮やし、彼が左腕をイノシシの口に突っ込んで固定してから斬ったことを指す。それで間合いをタイミングを掴んだというのか、それ以後は概ねソードスキル一発でイノシシが切れるようになったのだが。今はもう三人ともそこまでする必要はないが、怪我慣れという意味ではどうか。

 

 腕を食われても大して痛くないし圏内に戻れば腕は生える。眼も同じ ── 眼は潰されたことがないからどれくらい痛いかは知らないが。大口あけてよだれたらしているモンスターが居たとして、そのよだれに触れても狂犬病にかかることはない。血液に触れて肝炎の心配をする必要もない。

 リアル世界では怪我すら社会的に致命的なのに、ここは死なないかぎりは病気(状態異常)も怪我も完治する優しい世界だ。むしろモンスターと名付けられた記号(キャラクター)相手に病気・怪我を心配して腰が引けたり、パニックしたりするのが恐い。

 

 そう彼が説明すると、二人は諦めたように頷いた。

 

── 後に。アーランの分かりにくい過保護さを説明するのに二人が引用したこのセリフは、「血盟騎士団は入団テストでモンスターに手足を食わせる」という形に歪んで外部に伝わった。アスナが団員達を鬼のように訓練して見物していたプレイヤーにドン引きさせたことで噂のリアリティが増し、「屈強な騎士団」という評判に繋がっていくとともに、入団基準の緩さのわりに入団希望者が少ないことをアスナとアーランは二人して悩むことになる。

 

 「話戻しますが……、あー、壁も VIT で防御上げてるはずですもんね…… VIT 無効かもしれないイベだとステ不足で俺達も死んじゃうってことっすか。いや、俺は大丈夫?」

 中辻が首を捻る。AGI(敏捷性) 中心に振るならそのイベントで彼は標的にされない可能性が高い。

 「そうだね。ティクルは動けるかもしれない。AGI か何かが大事なイベントが来るんだろう。パーティとしては、そのイベントが過ぎてから前に出る」

 「了解っす」

 その必要がないといいなぁと新原は思っていたりするのだが、やる気に溢れた中辻を見て口にはしなかった。

 

 彼は第一層クリアに二ヶ月を想定する。第一層クリアに必要なレベルと第十層クリアに必要なレベル差は約十。デスケームとノーマルゲームでのレベル余裕差も十とみて、ベータテストが二ヶ月で十層をクリアに少し足りない予定だったのなら、本番デスゲームは二ヶ月で第一層クリアに少し足りないくらいが相場だ。一層あたりでレベルをひとつ上げる必要があるのはベータ時代と変わらず、したがって第二層以降はベータテストと同じ速度でクリアして百層クリアに約二年。人数が増えること、プレイ時間が長くなることを、やる気にみちたゲーマの割合が減少すること、ベータ時代に第十層がクリアしきれなかったこと、低層でのいっそうのレベル上げに時間が掛かるようになること、と相殺するものとして。

 第一層クリアにかかる時間、クリアの仕方は重要なポイントだった。第一層を一ヶ月以下で無事故無問題でクリアできるようならティクルよりも質の良いプレイヤーが最前線に揃っているということなので自分達は後方で寝てて良い。逆に三ヶ月以上かかるようなら組織運営がおそろしく駄目なのか、自分達でも戦力になり得るレベルであるか。低層から首を突っ込まざるをえないかもしれないのだ。

 

 九十層過ぎで想定すべきイベントを整理しているとき、ふと足立が手を挙げた。

 「先輩、根本的に、ゲームをクリアしたらここから解放されるんでしょうか?」

 「するだろ」

 新原は断言した。茅場晶彦が約束を反故にすることは出来るが、その瞬間にソードアート・オンラインは下らないものになり果てる。これを大事にしているなら、精根込めて造ったものなら、その価値を下げるようなことはないだろう。

 「もちろん鼻唄混じりに気軽に作ったどうでもいいものならどうでもよく思われても気にしないだろうが……コレはなかなかよくできた世界だと思う。茅場がどれほどの人物であろうと、遊びでコレを作ってしまえるほど僕達との差があるわけではないさ」

 二人は拍手した。

 翌朝、足立椎加ことタスタスは大通りから中央広場に戻った。

 大口を叩いたのは幻だったのだろうか、というくらい昨夜の新原の立てた当面の行動方針は地味だった。どころか寄生的ですらあった。攻略ガイドを作るようなボランティアグループにコネを作る、というものである。

 

── 先輩のたまわく。先を急ぐ元ベータテスタも多いだろうが、まずは初心者(ニュービー)を下支えしようとする人達も居るだろう。彼らから早急にガイド冊子を受け取り、できればフレンドになった上でホルンカに向かう。

 「朝イチで配ってなかったらどうすんすか?」

 「明後日までは待とうか。……ただなあ、明日の朝イチでガイド配る準備が出来てないようなグループはあんまりアテにならないと思う。初心者さん達は明日一日を右往左往すするだけでも山ほど死にかねない。それを理解できないグループではなぁ」 ──

 

 ガイドの配布場所の想定は幾らか意見が分かれ、手分けして探すことになった。外に出るプレイヤー達にはガイドを早急に渡す必要があり、特に初心者しか来ないであろう北東門と、ガイド配布グループの人数にもよるが、配布に人手が要らない道具屋が配布地の最有力候補だ。その他には迷子達がたむろしているであろう中央広場。

 道具屋、宿屋を土地勘のあるティクルがまわり、アーランが街の外周をまわる。タスタスは中央広場で待つことになった。おそらく配布者が現場にいない道具屋をティクルがまわるのは、間違いなく元ベータテスタであろうグループの人達と顔合わせしたほうがよいのか、逆に会わないようにすべきなのかという問題を先延ばしにするという意味もある。

 

── タスタスの質問「わたし、楽してないですか?」に対して答えていわく、

 「すさんでそうな難民広場が楽かどうか……外回りに居る奴は色々忙しいと思うから、転移門に居る奴とがんばってフレンドになっておいてくれ」

 状況がどうなっているか分からないうちに市街区のすぐ脇とはいえ犯罪可能なエリア(圏外)に女性を一人歩きさせるつもりはないと先輩は告げた ──

 

 中央広場の様相は一変していた。昨日ログインした時には繁華街の歩行者天国もかくやという広場に、今は戦場から逃れてきた敗残兵のように項垂れた人達が広場周囲の柱の陰、そこかしこに座り込んでいた。

 そして広場中央から少しずれたところで屋台を組み立てている小柄な人が一人。フードを被っていてどんな人かは遠目にはよくわからないが、テキパキとした動きは他の人達とは一線を画している。

 彼女は思った。

 (たぶんあれかなー)

 もちろんアルゴは近付いてくる女性に気付いていた。屋台を組み立て終えて、徹夜で作ったばかりの羊皮紙スクロールの攻略ガイドブックを並べながら、横目で観察する。

 足取りはしっかりしていてこちらが誰か分かっている。しかし知り合いではない。広場でへたりこんでいるプレイヤー達の視線の半分をもっていっているが怯んだ様子はなく、ベータ時代、文字どおりアバター(仮面)をかぶっていたとしても言動で目立ちそうで、つまり多分ベータテスタでもない。

 年の頃は二十手前、高校生か大学生。ほんわりとしたお嬢さま風の美少女。服はややゆったりとしていて身体の線を消し気味だが、アルゴの目は誤魔化せない。日本人の平均よりは凹凸はあるほうだ。

 ざっくり羽織っているベストは実はけっこう良い防具になっている奴。服飾雑貨屋のほうで売っている物で道具・防具屋では売っていない。本人の目が良いのか、あるいは裏のアドバイザの仕事か。動きやすく防御力は高く値段もそこそこ。手に入れにくいがガイドでもお薦めの一品である。首下のリボンも確か被ダメージ減少効果のあるアイテムだったと思うが、それはおまけであろう。

 剣の類は下げておらず、武装をどうしているかは分からない。

 

そして ──

 

 「おはようございます」

 「ああ、うん、おはようございまス?」

 とても良い笑顔の挨拶だったが、アルゴは何かこう世間知らずのお嬢さまから法外な無理難題をふっかけられる自分を想像してしまったのだった。

 「タスタスです。始めまして。SAO のガイドブックを配布……販売?なさってる方でしょうか? これからいろいろと御世話になるかもしれません、よろしくおねがいします」

 「こちらこそ。情報屋のアルゴだよ。鼠のアルゴ ── 《鼠》と呼んでくれてもイイ」

 そっと表情をうかがうも「鼠」に反応なし、自意識過剰かもしれないが初心者(ニュービー)確定。

 「コレ、まだ宣伝はしてないんだけど、良く知ってるね? 無料配布だけど、何部必要カナ?」

 彼女はパンと手を合わせて、

 「あ、じゃあ三部お願いします。……先輩がたぶんそういう人達が広場に来てると思うからって」

 三人グループか、とアルゴは頭の中にメモ。目端の利く先輩とやら、あの男に紹介してもいいかなと思う。それと「先輩」という言葉から推定年齢を上に修正。高校三年生に先輩は居ない。大学生のサークルグループあたり。高校生プラス OB の大学生、なら大学生は女子高生を一人で広場に放流しまい。また、この「先輩」、多少ロリコンの気があるとメモに追加。

 「その先輩達は一緒に来てないノ?」

 「門のところとか、なんでしたっけ……道具屋さんとか、そういったところを走り回ってます」

 なんとなく彼女の背後を探していたアルゴに思いついたように、

 「あ、やっぱり人手足りないですか? わたしで良ければお手伝いさせてください」

 と綺麗なおじぎ。それくらいなら、とアルゴは彼女に何部か手渡し ── 彼女が大きく息を吸い込んだところをアルゴは屋台から身を乗り出してあわてて口をふさいだ。

 「な、何をやらかそうとしたかな、このオネーサンはっ!」

 けほ、と咳込みながらやや不満気にタスタスは答えた。

 「呼び込みですが……」

 「あ、ゴメン……」

 あまり人目を引きたくない MMO ゲーマーのサガで、おもわず口をふさいでしまったが手伝いとしては何にも間違っていなかった。

 「一応、何かやる時は一声かけてくれないカ」

 「あ、はい。ごめんなさい……」

 自分のほうが悪い気がしているところにこれだけ畏まられるとアルゴとしても何を言っていいのか分からなくなる。とりあえず、

 「そこの人達に配ってまわるのをお願いしてもいいカナ。二、三人に一部ずつ、少しはやる気のありそうな人に」

 残りの人達はどうするのかとタスタスが目で尋ねたのに対し、

 「隣の人に見せてもらえないソロ(ボッチ)とかなら……ここに来れば配ってるよと伝えてくれれば良いヨ」

 

 ざっと配り終え、屋台にも三々五々に人が来て羊皮紙スクロールを手にとっていくようになった頃、出していたメニューをしまったタスタスがアルゴに尋ねた。

 「先輩がここのと同じガイドブックを五百コルで買ったって言ってますけど、売り物でしたでしょうか?」

 苦笑いを返した。

 「先輩さんは門を回ったって言ってたよね。最初から外に出てく元気のある奴には売りつけないと、おれっチが破産しちゃうヨ。無料配布はここだけ」

 

 根本的に人手が足りないから、ホルンカの村と東の鉱山に置く分、はじまりの街外周部の配布はツテを頼って人を雇った。一冊五百コルで、二割が手伝いの取り分である。広場配布分を有料にするわけにはいかなかったから、広場は自分で担当だ。歩けるプレイヤーなら防具を整えるのに道具屋に寄るからそこにガイドブックを置いておけば目に入るが、それでは一歩も動けない広場のプレイヤーの手には渡らない。ここを省略することはできなかった。

 コストについて考えておらず、その言葉に恐縮したタスタスはあたふたとガイドブックを取り出し、二つをアルゴに差し出した。

 「これはお返しします」

 「そう?」

 有料の奴のほうが自分のマークも入っていることだし、と受け取ったスクロールを屋台の上に戻す。

 「タスタスさんのところはこれからどうするのかナ?」

 スクロールをざっと手繰って、説明の一部をアルゴに見せる。

 「明日の朝くらいからこの [森の秘薬] クエストがんばるみたいです」

 「うん、堅実だネ。ホルンカ行くならちょうどいいかな、明後日、ホルンカの村で昼食か夕食一緒にしないカ? 今日のお礼に。会わせたい人も居ることだし」

 「光栄です。こちらこそ、よろしくお願いします」

 

 ガイドブックを朝イチで受け取っておいてさっさと攻略に行くでなく「手伝う」と彼女が申し出た時点で彼らの目的が自分にあることは明らかだ。手伝いのうち、ホルンカの道具屋担当は「(コル)よりもさ、面白い人を紹介してくれないか」と言ってきていたから、会わせれば彼も満足するだろう。

 明後日というのは、アルゴ自身が今日明日まだいろいろ忙しいということもあるが、中一日あればホルンカに着けるだろうというか、それくらいでホルンカに入れるようでないと攻略組(フロントランナー)的には見るべきところがない人達ということだし、明後日までにアニールブレードを三本揃えることができるレベルなら、かなりやれるほうだ、ということがわかるという仕掛けでもある。

 「先輩」ならそれくらい理解して奮起してくるだろう。アルゴとしても少し楽しみだった。

 




原作遵守の優先順位は
 アニメの事実描写 ≧ 原作本編 >> 原作プログレ(拾えそうだったら) > 公式設定 >>> ゲーム他(無調査)。

分量比は多分
 第1層 : 第2層〜血盟騎士団結成以前 : 騎士団結成〜第74層 : 第75層 = 1 : 1 : 1 : 1 くらいで、
第1層いろいろ巻いてんだけど、けっこう先までタイトル詐欺っす。


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ホルンカへ

 タスタスが中央広場へ向かった頃、アーランは西の木戸から外に出、街の城壁にそって北上し、門があるたびに中へ、そして外へと走った。街の外周を走ると疲れるのに、ひとたび街中に戻ると疲れが抜けて身が軽くなる。ビラ配りのあやしい人を探しつつ、そういった不思議な体験を少しばかり楽しんだ。追い風参考どころではない。陸上を走るのと流れるプールに浸かって流れるのとくらいの差が出る体感だ。

 

 街をぐるっと半周したところの北東門で見かけたガイドブックの販売担当はツンデレかただの押し売りか判別の難しいプレイヤーで、アーランがガイドを買った脇をすりぬけていったプレイヤーに対し、背中から蹴飛ばし転がしてから「これ買ってけやっ!」と羊皮紙スクロールで頭を叩いていたりしている。

 必要に迫られるのでなければちょっとフレンド登録という気にはならない男だったので離れて様子をみてみたが、タスタスがどうやら配布グループのプレイヤーと仲良くなることに成功したようなので撤収することにした。

 外を走っている間に街中のティクルからも連絡があり、そちらもガイドブックの存在を確認していた。ただし予想通り配布者は影もなかったとのこと。

 

 北東門そばの茶屋で三冊のガイドブックを広げる。二冊はそれぞれストレージ共有タブ経由でタスタス、ティクルから受け取ったものである。ストレージ共有タブというのは文字通り複数のプレイヤーの間で自分のストレージの一部を共有する設定のことだが、こうして離れたところで回收したスクロールを一瞬で取り並べてみるとその便利さが分かる。というか、ティクルからレクチャーを受けた時はギミックとしては強力すぎやしないかと驚いたものだった。実際、物資蓄積に乏しかった黎明期の血盟騎士団において、これを使った通販システムは彼らの躍進を支える力の一つとなる。

 

 ガイドブックは中身は発行年月日含めてすべて同じもののようだったが、一ヶ所だけ違うところがあった。アーランとティクルが五百コルで購入したスクロールには表紙・裏表紙にデフォルメされた鼠っぽい何かのイラストとサインが入っている。

 「いやしかし、これでプレミアが付いてる訳じゃないよな?」

 目の前に配布者がいるタスタスに質問を投げておいてから、パラパラと内容を流し読み。昨夕からの徹夜仕事にしては緻密で読んでいて引っかかりは少ない。「みんなでがんばって攻略をやりぬこう」的な意思も感じて気持ちが良い。自然と笑みが浮かぶ。そうしてしばらく。

 「お?」

 ガイドの中に興味深いクエストを見付ける。ティクルと相談してその確認のために昼飯前にちょっと見ておくことにした。荷物運搬クエストである。

 

 運送屋は北東門のそばにも北西門のそばにもあるらしいが、北西門のほうまで戻って確認する。見た目の印象で言うなら都市近郊の駅脇のレンタカー屋のほうが近いか。「はて」と首をひねるに、リアルの運送業者の集配所ならフォークリフトなど荷物の集配のための作業車があるからだろうと気付く。こちらにはそんなものはなかった。小屋と小さな広場があり、そこに馬車や荷車、リアカーが数台と、ずだ袋や俵が脇に積まれている。筋力レベル的に実行できないクエストは受けられない、とティクルからは聞いているので欲張ったら向こうでハネてくれるだろう。見ておきたかったのはリアカーの強度と車高だ。

 彼にとっての要点は、リアカーがフレンジーボア(青イノシシ)で破壊されるようなものでないことである。

 集合場所に指定した料理屋はガイドブックに載っていたもので、本拠地の会議室からほど近い、大通りに面した「いちばん安い」と書かれていたところである。もう少し高価いところでも大丈夫っすよとティクルが多少難色を示したが、ガイドブック通りに動く多数派がどんなものか見ておきたいとアーランが押し切って、ちょっと後悔することになった。

 だから言ったじゃないかという顔のティクルに、口をおさえて涙目のタスタス。

 「うぅ……」

 「いや、マジすまん。そんなに睨まんでほしい。晩ごはんおごります。別のところで」

 頭を下げた。安いのに調理も味付けも腕は良く、しかして集中力が足りないというのか二割ほど地雷が混じる。

 タスタスの前のコンソメスープ。塩が入ってなかったらしい。だしなどはきっちり入っているので一口目では気付かない。彼女が気付いたのは三口目。それとアーランのサイコロステーキ。七片のうち、二つがたぶん生肉。食べて腹を壊すという観念がこのソードアート・オンラインにあるのかどうか知らないが、最初から避けておくかぎり地雷度ゼロではある。そのぶんだけタスタスにうらまれるわけだが。

 嫌な意味で緊張を強いられるので、平均値はアレでも昨晩の居酒屋のほうがだいぶ良かった。周囲の話題に耳を傾けても料理への文句が半分くらい混じる感があった。

 「ガイドブックに入れるの間違ってないか」

 「一品余計に注文すれば良いという気も、違う気も……どうなんすかね」

 「せめて地雷パターンは書いておいてほしかったです……」

 

 アーランのところから残してあった食べられるほうの最後のステーキ一片をタスタスが「えへ」と笑いながらひょいともっていく。ティクルはそっぽを向いていたが、彼もちょっと横を向いていたかった。ともかく彼女が口内の塩分調整して一息つけたところで報告会に入る。アルゴとのやりとりの詳細を聞いてアーランは唸った。パーティの概要をあらかた抜かれた風なのは良いとして、

 「明後日までに来れなきゃ話聞く価値もない……とか?」

 「そういう挑発的なところはなかったですけど……」

 ティクルの見立てではホルンカに行くだけなら既に問題ない。無いのだが ──

 「遊ぶ暇は無いかもっすねー」

 「しかし、やることやっておかないと売るネタがないぞ。情報屋なんだろう? 一方的に情報を買うだけの関係は良くない」

 

 顔にペイントのある《鼠》は、ティクルに心当たりがあって、会ったことはないもののソロの情報屋とのこと。デスゲーム宣言前にも情報収集で動いていたのだろう、ガイドブックの精緻さに納得できる人物像だった。物事の価値基準が情報量の質と量なのは基準が腕っ節の力強さなどという脳筋氏よりはるかに好ましいのだが。

 「今晩までにホルンカに行く、のは良い。でもこれ、宿とれないよな?」

 「まあ無理でしょうね」

 ガイドブックをテーブルに放り投げた。わずか十数軒の集落に何を期待するんだ、という話である。ここまで小さいとは思っていなかった。泊まれないとなるとホルンカの村での行動可能時間が短すぎる。徹夜でクエストこなしか、テント張って寝るか、はじまりの街まで帰ってくるか。

 「しょうがない、夜間戦闘の経験もないし無理はしない。日没ちょうどにはじまりの街に戻るつもりで動こう。陽が沈んで暗くなったら門の近くで夜間戦闘の練習、出来次第では太陽が昇るタイミングでホルンカ再びってところでどうだろう。明日一日でアニールブレード三本そろえるところまでいくのが目標で」

 荷物運搬クエストでリアカーを引いて行く、とアーランが告げた時、二人が想像したのは木製の枠組か錆びた鉄パイプで出来たリアカーだったが、彼が運送屋から引き出してきたのは銀色に光る棒材・板材による総金属製のリアカーだった。二人とも目を丸くする。

 「はー、立派なリアカーですねー。これなら期待できそうですねー」

 「リアルのほうのリアカーも今時は実はこんなんなんすかね」

 「どうだろ? 新しいの買えばこんな感じのなのかもな」

 クエストそのものはどうでも良かった。必要なのはリアカーを無料で借りだせるという部分で、遮蔽物のない大草原のど真中での戦闘においてリアカーを盾にするというアイデアである。

 はじまりの街とホルンカの村の間の草原で遮蔽物なしには生き延びられないから、ということではない。この先の迷宮区攻略ベースキャンプ、トールバーナ周辺で必要になるかもしれない、その練習と評価用だ。

 「まだ馬使えないっすよね。人が引くんすか?」

 「最初は僕が引くよ。タスタスは上に乗って後方の索敵よろしく。ティクルは周辺索敵と最初の盾役。モンスター一匹でたら役割交替で」

 「この上……ですかぁ?」

 タスタスがやや心細げにリアカーの荷物の上に目を向けた。後側を地面に着けて斜めになったリアカーには、いつ滑り落ちて色々崩れるか心配になる程度には荷物が積み上げてある。小さめの米袋やダンボール風の荷物で、崩れても積み直すのはなんとかなりそうなのがまだ幸いである。

 「適当に避けて段つけて腰かけるんで良いよ」

 のそのそとタスタスが荷物を片付けて座る位置を作り、おそるおそるその上に乗っかったことを確認し、アーランは彼女がひっくりかえらないように静かにリアカーを起こした。

 「じゃあ行こっか」

 この時、小さな問題があることに彼は気付いていなかった。アーランが引くときは良い。女性のタスタスや、三人では一番身体の小さいティクルが引く時は見た目がとてもアレなのである。

 

 はじまりの街の城壁がまだみえているかどうか、というあたりで最初のフレンジーボアを倒し、さて人を入れ替えようというところでハタとアーランの手が止まった。このゲームは体格・性別によって体力パラメータに本質的違いはない、見た目がどうあれ体力腕力が優る場合がしばしばある、そう理論武装を念じること約一分。結局リアカーは最後までアーランが引くことになった。時々すまなさそうに前を振り返るタスタスを乗せたまま。

 

 ホルンカがそろそろ見えて来るというころ、予定通り三人は道をそれて丘を登り始める。タスタスも降りた。眼下にホルンカの小集落が見える小高い丘の上。陣形が崩壊したときにすぐにホルンカに駆け込める距離、そして奇襲されない地形。そこにリアカーを置く。それを背にして剣を構える。人通りの多い道筋と違い、すぐにモンスターがポップしてくる。

 「ああ、そのまえに、そいつらがリアカー(これ)をどう飛び越えてくるか見ておこうか」

 「はーい」

 ポップしてきた二頭のうち片方をタスタスが消し飛ばす。残り一頭に、アーランとティクルとが軽く続けて一当て入れてタゲをとり、リアカーの両脇をぬけて反対側へ回る。リアカーに積んだ荷物の脇からイノシシを覗く。荷物を積み上げたリアカーの上を飛び越えてくるか、左右のどちらかを通るか ── イノシシは後に当てたティクルを追ってリアカーを回りこんできた。ティクルがタスタスの脇をすりぬけ、それを追って来たイノシシを彼女が一刀で切り伏せる。モンスター消滅のエフェクト。

 二人の位置交換(スイッチ)を内心で採点しつつ、アーランはリアカーをコンと叩いた。

 「いちおう、壁にはなるのかな」

 「そうっすねー」

 ドヤ顔しているタスタスを放置してアーランとティクルは頷き合った。ヘイトを取ればそちらをちゃんと素直に追いかけてくるらしい。リアカーの荷物を少し降ろして視線が通るようにしていると、ふたたびポップしてきたエフェクトが一つ。

 「タスタスは仕事したばかりだから、では僕とティクルから始めよう」

 不満顔になりかけていたタスタスの頭を軽くたたいたアーランはティクルとともにリアカーの前に位置取り、にへらっとしたタスタスはリアカーの後に下がった。これからリアカーを背にしての二人ずつのコンビネーション練習である。

 一時間ほど経った頃、突然タスタスが気合いをこめてイノシシを消し飛ばし、剣をまっすぐアーランに向けた。

 「先輩ずるいですー」

 バレたか、とアーランは苦笑いする。

 リアカーを転がしながらでも戦えるようになってしまった今、レベル 1 相当のモンスターに二人がかりの練習はオーバーキルである。一撃で討ち倒してしまってはコンビネーションもスイッチもない。途中から最初の一撃をソードスキルなしプラス技後硬直(クールタイム)があるふり、でこなしていた。ソードスキルの発光がなく、見ればすぐわかりそうなものだが思い込みとは恐い。

 けっこう長いことバレないでいたものだ、と思いつつティクルも巻き込む。

 「ティクルも何かやってたよな?」

 「まあちょっと高度なソードスキルを形だけ練習で」

 「うわー舐めプしかいなかった」

 身体動作をどんどん減らし、ついには手首の返しだけでソードスキルを発動させようとしていたタスタスの勉強ぶりには頭が下がる思いである。所作の枝葉を取りはらうのを追求してくれたおかげでスキル発動のトリガが見えて、ある程度は彼でも出来た。ずるいといえばずるい。

 「うんむ、そろそろホルンカに入ろうか」

 降ろしていた荷物をリアカーを積みなおしはじめる。二つ目の荷物を持ち上げたところでポップエフェクト。すこし遠い位置。そして今までのと比べてこころもち背が高い感がある。

 「二人でやっといて」

 アーランは積み込みを続けた。出て来たのはイノシシでなくシカのようだった。シカの体型にドリル様の金属質の角が二本 ── モンスターの分類に普通の動物の分類が通じるならレイヨウにあたるだろうか。イノシシに優る速度でティクルに向け突っ込んでくる。

 「フーリッシュディア、レベル 3 相当、注意!」

 ティクルが鋭く警告、ソードスキルによるカウンターの構えをとる。彼が突く直前、シカは身体をねじって向きを変え大きく跳ねた。リアカーの上からさらにアーランに。慌ててしゃがみこんだ彼の上を通過。腹部を割くつもりで伸び上がって切りつける。しかし後脚付け根に切り傷をいれただけ。着地後、すぐに反転して襲いかかる。

 「先輩っ!」

 問題ない。彼はそう思った。もう最初の迫力はなかったから。 HP こそほとんど減っていないが、それでも速度は二割落ちた。横っ跳びあたりを警戒しつつ届かない間合いで剣をシカの眼にむけてまっすぐ突き出す。シカは剣を避けつつ頭を下げて突撃姿勢、ドリルが身体に触れる直前、半身でかわして踏み込み烈帛の気合いとともに頭を地面に叩きおとした。かぎりなくゲンコツ落しである。

 一瞬脳震盪でも起こしたかとでも言うような間のあと、地に伏せさせられていたシカが全身でうしろに跳ね飛び起きた。頭はぱっくり裂けているが、目に戦意は残る。姿勢低く正面から踏み込む。再びシカが頭を下げて攻撃姿勢をつくるより早く、斜め下から上へ。こんどこそフーリッシュディアはポリコンとなって消えた。

 

 「鹿さん、どのへんがフーリッシュ(バカ)だったんでしょうか? ずいぶんと賢くなかったですか?」

 口を尖らしてくるタスタスにアーランは軽く謝る。あきらかに油断だった。そして目先の敵にかまわず、障害を飛び越えて油断していたプレイヤーに突撃というあたり、イノシシよりだいぶ出来の良い AI でもあった。

 「上位のスマートディアシリーズにくらべたらだいぶバカっすね。人より数が多いとバーサークするのに一対一以下だとアクティブでも逃散して様子見してくるそうっすから。三人パーティ襲ってくるようじゃ」

 「それはうざいな……ディアシリーズはボアより知能が高い設定なのかな? 上位シリーズの設定っぽく周りにまだ三頭以上居るというオチがあると嫌だな」

 ふと三人で顔を見合わせた。冗談のつもりだったが、あって不思議はない予測だった。

 「……さっさとホルンカ入りましょう」

 だいぶ駆け足でリアカーに荷物をのせ、それを引いて撤収を始める。ホルンカの圏内口まで約200メートル。リアカーも引きやすい手頃な僅かな下りの 200メートル、されど200メートル。

 シカ相手では無用の長物、ただの重荷と化したリアカーを転がしつつ、跳ねる荷物を押さえつけつつ、予感通り三人は次から次へと出現する数十体のシカを討伐するはめになった。

 「はー」

 村の境界らしき敷石を越え、最後尾のタスタスがリアカーにつっぷした。

 アーランも七割ほどになっていた HP が全快していた。身体に少しあった不快感・疲労感が霧散する。圏内に入った。

 「うむ、見事なサル知恵だったな。右手は……」

 途中、シカに右手を食われたティクルはと見ると、彼は手をふってみせた。

 「治ったな」

 「治りました。まあ予定通りっす」

 シカの口はイノシシより小さかったから、差し込んで噛まれても多分あまり痛くないという計算があったのはアーランには秘密だ。リアカーについては ──

 「イノシシ相手には役に立ったから良いんじゃないっすかね?」

 「こんどは横倒しにして盾にしてみよう」

 「懲りませんね。いいですけど」

 

── そして懲りなかった。これは後の血盟騎士団において戦車(ウォーワゴン)構想という形となって装備部の鬼才シムラが辣腕をふるったあげく騎士団に大損害をもたらすわけだが、そこで連座して経理部のダイゼンにまた同じことを言われることになる。

 

 元ベータテスタのティクルもホルンカでの運送屋の位置は覚えていなかったので先に走って位置を確認してもらい、タスタスに後から押してもらいながらリアカーを運送屋に運び込む。周囲に茶屋といった気の利いたものも無さそうなこともあって、クエストを完了してしまう前にリアカーの上にガイドブックをひらいてホルンカでのこれからの活動を確認する。

 「剣の耐久値の修復は鍛冶屋として、防具の耐久値の回復と、服の補修とか修復とかはどこに頼むの?」

 「防具も鍛冶屋っす。服は服飾屋でも直し屋でも。俺達の宿の一階でも直しのほうは受けてますよ」

 「ああ、元洋裁屋だもんね、あそこ。いや、NPC でなくプレイヤーの鍛冶屋・服屋がいいんだけど」

 「ボス……昨日の今日で鍛冶屋志望の連中がホルンカくんだりまで来れるはずないでしょう」

 「元ベータのパーティって鍛冶屋かかえてないの?」

 「そういう予定があったとしても、護衛しながら攻略するほどまだみんな余裕ないっすよ、たぶん」

 

 元ベータテスタであろうと、このデスゲームの本番プレイをもう一度レベル 1 から始めていることをアーランが忘れているような気がしてティクルは少し説明した。

 これまでホルンカに向かったグループはもちろんホルンカからさらに奥の西の森でリトルネペントの討伐をしているだろう。ホルンカの手前でわざわざモンスターを討伐したりしない。自分達はいわば処女地でレベリングした。今のホルンカでモンスターの取り合いをするより、討伐効率は良かっただろう。

 つまり自分達はおそらく今朝のうちにホルンカを通り抜けてしまったような最先端グループに次ぐ立ち位置にある。少なくともアーランが頼るに足りるレベルのプレイヤーは元ベータテスタのうちにもまだ存在しないだろうということを。

 アーランとしては納得しがたい。つまり ──

 「それにしちゃアルゴさんの要求は高くなかったかい? このペースでもけっこうぎりぎりなんだろう?」

 「それは俺も思うんすけども」

 

 こいつのどこに高く評価したくなるポイントがあったのだろう、と二人はタスタスに目を向けた。彼女はリアカーにうつぶせて二人の話を聞いていた。ぐてっとしていたわりには俊敏に起き上がって胸を張る。

 「わたしの知性?」

 「君の深い知性は否定しないが、それをアルゴ女史がウルトラスーパー人物鑑定で見抜いたとしても、有効活用されるには三日では短いことも分かるんじゃないかな」

 「うぅ、褒めるならもうちょっとすきっと褒めてくださいよぅ」

 まだ本調子ではない感があるな、と彼は思った。一日に何度も褒めることを要求したことはリアルでは無かったと思う。もっとも一日中べたっと一緒に居たことがあったわけでもないのだが。

 なんにせよ、ここで考えても分かることではなく、とりあえず物事を先にすすめるべくクエスト完了手続きをする。報酬の(コル)を確認し、アーランが鍛冶屋へ、ティクル、タスタスが宿探し。状況が悪く、部屋の妥協の範囲をタスタスに決めてもらうため、宿探しはティクルと彼女の二人である。極端な話、橋の下で寝るということも考えられた。

 予想通り宿探しは難航したらしく、アーランが全員の分の剣と防具の整備を終え、さらに農家で [森の秘薬] クエストを受けたくらいでようやく連絡があった。西の森入口で待ち合わせて話を聞く。宿が確保できたわけではなかったらしい。

 「ベータ時代の知り合い、ね」

 アバターは違うのでティクルも確信が持てるわけではないようだったが、その男はクエストで剣を手に入れたあともホルンカに居座る性格ではないということで、クエストを終え次第、宿を譲ってもらえないか持ちかけてみるのはどうかという提案だった。宿はキャンセルが効くところだったから、譲る手続きは問題ない。

 宿を見張っていて、チェックアウトしたらすぐにチェックインするのはどうかという提案のほうは却下する。

 「お互いの人となりを見ているゲーム始めたばっかりのこの時期に不審者丸出しの行動は止めような」

 その瞬間目が泳いだティクルが少し気にかかったが、隠蔽(ハイディング)スキルをもっている彼が見つかる心配はあまりない。ただ天網恢々疎にして漏らさずとも言う。ではどうするかと訊かれ、彼は答えた。

 「とりあえずリトルネペントとやら、一当てしてから考えてみようか」

 注意事項をティクルから聞いてから三人は森に踏み込んだ。

 夕方五時すぎ、はじまりの街に戻るならそろそろ ── という頃、三人はティクルの知り合いだという男を訪れた。

 集落から少し離れた水車小屋で、水車が浸かる小川が圏内/圏外の境界線になっている村の外れも外れ。

 

 ティクルに案内されて水車小屋を見たとき、アーランはその場で足を止めた。恐るべきはベータテスタ達の知識であった。ログアウトできた彼らは宿をほとんど必要としなかったはずである。適当にテントにアバターを入れてログアウトしてしまえばテントの居住性とか快適性はまったく関係ない。こんな場所に速やかにプレイヤーが居付くというのはつまり、ナーヴギアをつけてログアウトしないまま寝る廃人プレイヤーが多数居て、こういった場所を探すのが宿を探す時の定石手順と化していたことを意味した。

 「この村の十何軒、実はぜんぶプレイヤーが泊まれるようになってるとか?」

 「俺が知ってるのは六軒だけです。一、二軒見過ごしてるのもあるかもしれませんが。なんでです?」

 「いや、なんとなく」

 建物のうち三割が民宿とか、ここは温泉郷か何かかという話だが、おとなしく黙った。

 ティクルが小屋の戸を叩く。そこの一階の半分ほどが男の寝泊まりする部屋になっていた。残りは水車の管理人が住んでいる部分である。

 はじまりの街で三人が会議室にしている部屋くらいの大きさがあり、六人掛けのテーブルに、風呂としても使える水場も室内にある。もっともティクルに聞くところによれば水は宿泊料金の内でも風呂として使うための薪代は別らしい。本来は石臼などを洗うための洗い場とのこと。ベッドは一つだが、とても一人で住む部屋ではない。

 オッカムと名乗った男に挨拶のあと、アーランはストレージから剣を一本取り出してテーブルに置いた。隣に座ったティクルは初対面の顔を作っている。

 「この剣をあなたにお譲りします。その代わり、明日の晩以降のこの宿、我々に譲っていただだいのです」

 今晩から、というには男のほうも忙しいだろう。剣を揃える目処が立ち、今晩から明朝にかけての分くらいなら、はじまりの街を一往復するロスは目をつむれることになった。

 「……それはアニールブレード、[森の秘薬] クエストの報酬、かな?」

 「はい。ホルンカにいるプレイヤーが目的とする剣です。あなたもですよね?」

 「そうだな。それは君らが持っていればよかろう? たしかにここは良い部屋だが、泊まる権利と引き換えにするにしては高価すぎるものだ。あと二本要るとしてもクエストをこなす力があるならはじまりの街で泊まっても良いはずだが」

 「うちのメンバーには女性も居るんですよ。日が暮れた後、我々がついてるにしても、圏外の道をうろうろさせたくないのです」

 「つまり、その娘のぶん、ということか」

 視線がタスタスに移る。アーランも肯定した。

 「はい」

 ベッドは一つでも空間的には三人で寝られる部屋だということをオッカム氏が気にしていたことにアーランは気付いた。タスタスが許せばないでもない選択肢だったが、部屋の広さを見た時に彼が思いついたのは全く別のことで、他パーティの倫理的な面やらなんやらを気に掛けて来るのは想定していなかった。そういうことを気にするプレイヤーなら譲ることにむしろ同意してもらえるだろうか、と期待する。実際オッカムの雰囲気は柔らかくなった。

 「君達、今日の午後ここにきたパーティだろう? 村の入口でレベリングしていた」

 「ええと、はい」

 村の東側に顔を出していたプレイヤーはほとんどいなかったはずである。なぜ知っているのかと首を傾げた。オッカムが顔を綻ばせる。

 「直接見ていたわけじゃない。でもホルンカで知らない奴は居ないよ」

 荷物運搬クエストを受けたまま寄り道をした不遜なパーティのことは直接見たプレイヤーは少数ながら、それを村の中でおもしろおかしく広めた。男性二人女性一人というパーティ構成も話の中にある。ただし話の要点は彼らのどたばたした行動でなく、村の東側もレベル 3 モンスターのポップ地だったという部分だ。

 「もう向こうの狩り場も人で一杯になってるんじゃないかな」

 「うえ」

 唸ると、オッカムが居ずまいをただす。

 「その剣、二万コルで買おう。ここの権利も今晩から譲る。そのかわり、明日、君達の戦い方を見学させてほしい」

 テーブルに頭がつきそうなほど深くオッカムが一礼する。ベータ時代アニールブレードは一万五千コルで取り引きされたと聞いた。さらに五千コルを上乗せしたことにアーランは驚く。剣を無料で譲るのからすれば見た目の条件は遥かにアーラン達に良くなった。良くなったのだが、予定のリトルネペント相手の作戦はほいほい人に見せられるような、参考にされるようなものではなかったから、彼は僅かに逡巡する。

 それをどう誤解したのか硬い表情のままオッカムが追加する。

 「一万コルを先渡し、アニールブレードを受け取るのは見学の後で構わない」

 そう告げて小剣を前に置く。リトルネペントとの戦いのあとで背後から襲ったりはしない、という意志表示であることはさすがに分かった。そういう心配をしたのではないとアーランは手を振った。

 「今朝方からこの村に来られたような方、それもソロプレイヤーの参考になるとは思えませんが、それでよければ。それと、物騒なので先渡し額は五千コルでお願いします」

 「うん。それで構わない。君達は昼すぎにここに来て、もう剣を一本手にしている。幸運もあったかもしれないが、腰がひけていてなし得る討伐数ではないはずだ」

 「それはまあ、そうですね。……明日ここで待ち合わせとすると、あなたはどこで泊まるんです?」

 「男二人ははじまりの街に戻るんだろう? 私も同じことをするさ」

 そう言って彼は笑った。飢えた肉食獣がようやくにして獲物を見付けたような、凄惨な笑い方だった。

 




タイトル詐欺度があれなので、すこし予告を混ぜる。


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リトルネペント、リトルネペント、リトルネペント

 陽が落ちる前に男二人ははじまりの街に戻り、そして翌朝またホルンカに戻る。ついでだからときっちり往復とも荷物運搬クエストを受け、後から出発したオッカムに追い抜かれる時に呆れられた。夕焼けや朝焼けに照らされて光が波打っている草原の丘には確かにプレイヤー達がそこかしこでシカと格闘している。その脇を今回は寄り道せずにまっすぐ行く。

 運搬クエストを片付けた後、アーラン達は食堂に向かう。ホルンカ内で食事ができるのは二箇所、大衆食堂と予約オンリーの小料理屋。昨晩タスタスから転送されてきたアルゴからの招待メールによれば、小さい方が明日の昼食会の場所になるのだろう。そして水車小屋に泊まったタスタスが、昨日夕食をとった大衆食堂で待っているはずだった。朝から彼女と顔を突き合わせる日々に入って二日目、昨日の朝はいわば合宿の朝だっだが、今朝は待ち合わせ感があった。

 ── が。

 

 「先輩っ! おはようございます! あ、ティクル君もおはよう」

 

 この静かな朝、村の全てに通りそうな大声で笑顔のタスタスが手を振る。昨日と違いリボンの位置が首元から髮左脇へ移動していた。いまさらだな、とは思いつつ小さく呟いた。

 「リアルの関係もろバレだよなぁ……」

 「《鼠》の前で先輩呼び許した時点で手遅れっすね」

 渋い顔のティクルもフォローしない。だが、聞こえたわけでもなさそうなのにしなしなと彼女の手が下がった。

 「おはよう。……リボンの位置、変えたんだな」

 「はい。ここ小物屋さん無いんですよね。手持ちで目立とうとすると、これくらいしかないです ──」

 「そっか。すまん。良いと思うよ」

 アーランのミスである。草原での戦闘しか考えていなかったから、昨日、森に入って互いの位置を確認するのに難渋した。特にティクルは都市迷彩のジャケット上下に濃茶の革鎧である。ほとんど見えない。その反省で互いに目立つ配色を ── というのだが、服も小物も手に入らないホルンカで出来ることは少ないだろう。男二人は服装はそのままだが朱が混じった明るい赤のバンダナを巻いて先を肩に掛からないくらいに先を垂らしていた。彼女の分も買ってストレージ共有で送るということもできたのだが、カタログも写真もない状況で現物見ずに注文という訳にはいくまい。いちおう尋ねたがやんわりと断られた。なおティクルの迷彩は隠蔽スキルの補助でもあるので、そう簡単に変えることはできない。

 「ですが、やっぱりそれは無いですよぅ……」

 と二人の巻いたバンダナを交互に見ながら彼女が情けなさそうに口ごもった。

 「ティクル君はまだ突撃隊員ぽくて何とかみられます。ですが、先輩のそれ、会社の運動会でがんばる平社員ぽい」

 おお、と隣でティクルが手を打った。なにか納得するものがあったらしい。

 「あー、うん。善処しよう。でも外すという選択肢はないからな?」

 ぱさっとバンダナにしていた布を外して首に巻く。ネッカチーフかマフラー風味。タスタスは首を傾げた。

 「そこまで言うなら色違いのほうが良くなかったですか?」

 目の端に止めた時に、どちらがどちらか判別するのに一瞬遅れるだろうと。アーランは肩を落した。

 「そういうのは昨日のうちに言ってくれ」

 彼女は両手を振って、いえ、わたしはぜんぜん困らないですから、とあわててフォローすることになった。

 ホルンカの村から西に圏外に出て、小路を数分歩いたあたりから路の北側に広がりだす広葉樹の森が《西の森》だ。人の手が入っていないという意味で「森」なのだろうが「林」のイメージに近く、樹々の間隔はそれなりにあり、下草もあまりなくて歩きやすい。

 

 森にはけっこうな数のプレイヤーが入り込んでいるはずだが、たまに気合いの声が小さく聞こえるくらいでお互いの姿はほとんど見えない。路からさほど外れない、昨日三人が戦った場所にも人は居なかった。幸先は良い。昨日、この場所を見出すのに一時間は掛かっただろうか。今朝、また似たような場所を探すのは手間だ。あるかどうかも分からない、しかも見物客を連れ回して。

 アーランは小さくガッツポーズ。

 「おし、第一段階クリア」

 村出口から合流しているオッカムが疑問に思ったのを感じてティクルが説明する。

 「ここでないと()()()()()んですよ。ここであなたと俺はすこし待機します」

 アーランも同意する。

 「うん。約束通りちゃんとお見せします。タスタスは道筋確保で」

 「はい。それじゃ、いってきます」

 「あ、ああ」

 タスタスが一礼し、身を翻してアーランの後に続く。それをオッカムも目で追った。

 そういえば、と思い出す。昨日彼女は誰かと待ち合わせしているかのような顔をして、ひとりぽつんと森の中でたたずんでいた。

 

 アーラン、タスタスが遠ざかってしばらくして森に静けさが戻った頃。ティクルも周囲に気を張っているようでもそれほど戦闘姿勢ではない。花見でもするかのように、道脇に堂々とゴザを敷きはじめた。てもちぶさたになったオッカムがおずおずとティクルに話しかけた。

 「君は……あのティクル、でいいのかな?」

 「ええ。そのティクルですよ。オッカムさん」

 「知り合いということは彼らには……?」

 「そうかもってことは話してあります。俺がここに残されたのも、旧交を温めてもいいよ、ということでもあると思いますよ」

 ベータテスト時代の旧交を温めたくなる人物、というのはティクルも多くない。ベータテスタへのツテを必死に求めていたアーランの姿を見ているティクルがそれでも誰の名も挙げなかったのに、ここへきてオッカムの名を挙げたことにアーランも思うところがあったのだろうと思う。

 もっとも多少の訂正はした。べつにコンビを組んでいたわけではない。

 ベータテストプレイ末期、第七層でひそかに《狂躁のオッカム》と呼ばれた迷惑男に鈴をつける役割を担ったのが当時のティクルだった。

 「そうか……」

 交渉の場では彼らは一言も触れなかった。あの時点で互いに確信はなかったのだろう。ただ、交渉人のリーダーと宿泊客となる女性がその場に居れば良く、またリーダー氏のみ名前を告げれば良いところ、ティクルまで紹介したのはそういうこと ── オッカムの人物について最低限の知識はあるのだということを示した、という気はしていた。

 オッカムは口ごもってから、なにか押し出すようにして話を続けた。

 「君は、この死んだら終わりだというゲーム、聞いてどう思った?」

 ほとんど舌打ちしかねんばかりの勢いでティクルはオッカムを見上げた。

 「あなたがここで立ち止まってるとか、おかしいと思ったんすよ。たかがリトルネペント相手に死にかけましたね?」

 みれば明らかにティクルは怒っていた。

 「まいった」

 オッカムは手で顔を覆った。

 剣一本に彼が提示したコル。昨日一日の討伐でほぼ二万コル稼いだということで、ティクルはオッカムが彼の知るオッカムだと確信を持ったのだが、戦いでリトルネペントがドロップした金額がそれというなら、その討伐数的にもはやリトルネペントは難敵ではない。そのはずなのに、ティクルの知っていたベータ時代の彼と違って今の彼の表情に浮かぶ死の影。討伐を店じまいするにはまだ早い時刻に小屋に戻る彼を遠目にうかがった時、別人かと思ったくらいだ。

 もちろん討伐数に花付きの出現確率を掛ければ彼がどれだけ不運だったかも分かってしまう。交渉で彼が剣を買うことに同意したのは、あまりの自分の不運に折れたのかと思っていた。もっとも、昨日の午後の二十体そこそこの討伐だけで花付きに出会えたついでに実付き四体につきまとわれたティクル達も、恵まれていたかどうかは議論の余地がありそうだ。

 「フレンジーボアも、フーリッシュディアも恐くなかったんだけどねぇ。リトルネペントもそのままいけると思っていたよ」

 昨日。斬って斬って斬りまくった。もはや二体同時相手ならなんてことはなく、極悪な実付きリトルネペントもほとんど無意識にさらっと避けられるようになって。それでいてなおターゲットの花付きのリトルネペントに遭遇できなかったのは純粋に運だったのだろうとは思う。

 かつての通り名そのもののように初期装備の小剣を振るいつづけ、花付きの出現率が少しは上がるだろうかとクエスト的には何の意味もないノーマル体三体を同時相手にし。実付きを斬らねばなるまいかと心を決めた頃、群れるモンスターの奥に花が付いているのを発見、狂喜した一瞬に腕を掴まれ。腕ごと口に運ばれそうになるのを足で蹴りつけて抑えながら、彼は見た。触手を自分の頭の上からかぶせるように降ろした、リトルネペント二体が自分の前後を塞いでいくところを。

 「慌てていたわけではない。そこで死ぬとは微塵も思っていなかった。実際、こうして脱出できているしな」

 言葉に彼本来の自負を感じて微笑みつつ、ティクルは先を促す。

 「だが、想像してしまった。これがラージネペントだったらと」

 

 ネペントシリーズ ── ウツボカズラ(Nepenthes)の袋にあたる部分を劇画化したモンスターで、本体は直径 1 メートルほどの円柱形をしており、その円柱側部の上のほうにおおきな口、木の根のような木質の足と数本の草のような触手を持つ。頂上に双葉、花や実が付く場合もある。西の森の浅部ではリトルネペント ── ほぼ人の身長ほどの高さでレベル 3 相当だが、深層部で跋扈するラージネペントは人の身長をはるかに越えてレベルも 5 相当。リトルネペントと同列で語って良いモンスターではないし、現状でティクルがソロで戦うには少し博打になる相手だ。

 「リトルネペントに捕まっている時に思うことではないが、ラージネペントでなくて良かったと思ってしまった。ラージネペントだったら()()()()()()()()()()()()()()()()()と」

 そこでいわば「死んだ」のだと彼は告げた。デスゲームが他のゲームと違うのは、「死んだ」ことが自己申告であることだと思う、と彼は言う。他のゲームならばシステムから「あなたは死んだ」と告げてくれて、そしてやりなおしができる。

 「今私は、デスペナを払っている。……払わなければならない。そうでなくては次の戦いで本当に死ぬだろう」

 だが、どうやったらデスペナを払い終えることができるのか、それが分からないのだ。

 「君達の戦いを見れば、分かるだろうか」

 

 ティクルには答えられなかった。

 ティクルはゴザの上に寝っころがっては起き、また寝っころがるを繰り返していた。索敵スキルをもたず、そのあたりオッカムに頼りきりになるティクルとしては気を抜きすぎた姿を彼に見せたくない。── のだが、二人が戻ってくるのに時間が掛かるのを覚悟していてもなお長い。空気が凄まじく微妙すぎた。HP ゲージが遅々として減らないのをいっそ不思議に思いながら、そのまま一時間が過ぎる。

 じっとあぐらをかいたまま待ちくたびれてきたらしいオッカムが言うともなしに呟く。

 「どうなのかね? 奥で片付けているということは……」

 「それはないですね。うちのリーダーは見通しのないところでのソロ戦闘とか、その手の無茶はしません」

 「まあそういう感じではあるが」

 三人で索敵スキルを持っているのはタスタスだけである。アーランとティクル達の間の経路をモンスターが塞がないことをタスタスが見張っているかぎり、つまり彼女がアーランから離れているかぎり、アーランには見通しのない森の中で本格的な戦闘ができない。逆に彼女がそばにいれば、隠蔽の効かないモンスター、リトルネペントが居る森でティクルも活動できた。

 

 タスタスから「戻りますよ」というメールが届いてしばらく、彼女とアーランがゆっくりと戻って来る姿がみえた。その後に実付きリトルネペントを一体連れて。

 彼らの作戦の本質に気付いたオッカムは顔を引き攣らせた。

 「き、きみたち、まさか」

 ティクルが獰猛に笑いかける。

 「あなたの気付いてるのは作戦の半分だけですよ。()()()()()()です。……見ていればすぐ分かります」

 「そう……なのか?」

 ティクル・タスタスが剣を構えたのを確認、モンスターに向きなおったアーランは《バーチカル》一閃、実を叩き斬った。すぐにオッカムのところまで異臭が広がってくる。リトルネペントが押し寄せてくるトリガーだ。彼も剣を引き抜いて構えた。

 

 しばらくして、オッカムは構えていた剣を降ろした。彼はモンスターを一体も斬っていない。「ここでないと都合が悪い」「大丈夫」という二つの言葉の意味が分かる。

 オッカムの前方の三人パーティは三人でスイッチしつつ二体のリトルネペントと戦っているところだ。そして戦っているモンスターの後方には、リトルネペントが見えるかぎりでも十体以上、列をなして並んでいる。索敵スキルからはさらに奥から集まるきざしがあった。

 ネペントの胴体幅は広い。樹々の間、人が通れるぎりぎりくらいの隙間だとネペントは通れず、その外側を迂回しようとする。その「外側」が、森の外であって、おそらくリトルネペントの移動範囲の外だったらどうだろう。ちょうど今、三人が塞いでいるところしか、ネペントが通れそうな空間がなかったとしたら。

 森の境界近く、ネペントの来ないエリアを背後において、脇にまわりこまれないような樹々に囲まれた場所。それが「都合の良い場所」だ。現実には稀に脇の樹のふたつ奥から抜けてようとしてくるリトルネペントがあってひやっとするのだが、これ以上ないタイミングでリーダー氏が投剣で進行方向をスタックするよう変えていた。戦闘で投石まがいの低レベル投剣スキルを実用にすることができるとは思いもしなかった。集合中というだけの、なんのヘイトもないモンスターだからこそ効く技であろう。

 いずれにせよネペントの足はそれほど速くない。遠く迂回して回り込まれそうになったとすれば、それから脱出をはじめても背後から襲われる心配をしなくて良い。たしかに「大丈夫」だ。

 

 昨日、人間性を放棄しかけ、なかば狂いかけながら戦っていた西の森で、目の前のパーティはベルトコンベアよろしく流れてくるモンスターを順繰りにどこまでも機械的に処理していた。方法論さえ確立してしまえば、剣の一本やそこら惜しくないわけである。これが二万コルなら安い。自分も黙っていることにしよう。自然と声がこぼれた。

 「くは」

 昨日と同じ、やや狂気を帯びた笑みだが意味が違う。

 茅場晶彦が「これは遊びではない」と警告した意味もわからず昨日の自分と同じようにデスゲームだと深く自覚もせずに遊んでいるプレイヤーはまだまだ多いだろう。彼らの多くはこの先気持ちを切替える機会もなく死んで行くだろう。だがそもそも「デスゲームで遊ぶ」ことに折り合いをつけるのが間違いなのだ。

 彼らの背中が語っていた。百層のクリアが必要ならばしてみせよう、()()()()

茅場晶彦の哲学を気取った問いかけを全否定したプレイヤーの姿がそこにあった。

 

 「君達に、感謝を」

 




今話と次話は短い。


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昼食会

10日の奴から段落一つ修正。


 予定時刻からすこし遅れて店に入る。カランと音と立てて扉の上のベルが鳴った。

 それほど大きくない店内のテーブルの一つに、フードケープを被ったままのアルゴともう一人、見知らぬ男性プレイヤーが席についていた。この狭いホルンカの村で見た覚えはない。長身、たぶんアーランと同じくらい。長髪でイケメンの部類。

 アルゴの正面にアーラン、男性プレイヤーの前にタスタスという形で座る。この形を作るためにわざと遅刻した。正面に座って自分の表情を見ようとする意図を察したのか、不敵に笑ってアルゴがフードを脱ぐ。

 「おにーさん、細かいねェ」

 彼女のことは小柄な少女と聞いてはいたが、たしかに小さい。そもそもまだ中学生くらいではなかろうか。頬にヒゲのペイントが三本ずつ。ベータテスタの時代からなら素顔を隠す意図は無かったはずで、キャラを立てるにしても何をやっているのやら。

 「うちの子からバカスカ情報抜いてくれたお礼だけど、気にさわったかな」

 男性プレイヤーが笑いながら口を挟んだ。

 「ああ、確かに彼女と話す時は注意したほうが良い。五分雑談すると知らないうちに百コル分のネタを抜かれると言うからね」

 「初対面のおにーさんの第一印象悪くしてくれてありがトウ」と隣に小さく肘撃ちしてアルゴがアーランとタスタスに向きなおった。

 「この席はおれっチの招待だから、ぜんぶおれっチのおごりだヨ」

 「つまり、食事代くらいは情報を抜いていくわけだね」

 せっかくのボケなのでアーランが応じておくと、しれっとしてアルゴも答えた。

 「そうだヨ」

 

 ここで四人ともが料理を注文しながら自己紹介。ディアベルと名乗った男は、ホルンカの先、トロンダの村を目視できるあたりを主戦場にしていると告げた。話は主にディアベルのいる最前線のことだ。これだけ最前線のモンスターがでてくればその情報料で食事代くらい……と、ふとアルゴを見れば、彼女はむしろアーランやタスタスの反応を見ているようだった。おもいっきり目が合って彼女がにやっと笑う。

 「いやぁ、目と鼻の先なんだよ。ほんとすぐそこに村の門が見えてるんだよ。けど、それが遠い遠い。参っちゃうよ」

 六人パーティで駆け抜ければ全員でそのまま門をくぐる自信はあるんだけどね、と続ける。誰かがふとした拍子に足を止めたらそれまでだから、なかなかふんぎりがつかないのだと。

 もっともアーランが聞くかぎり、そのまま突っ込めば南極探険のスコット隊と同じことになりそうな気がした。村を目視できるあたりというのが物資損耗の限界点に聞こえる。自制して正解だと思う。

 タスタスがキノコにみえる何かが入ったパスタをつつきながら、

 「それだと村の中に入ったらこんどはこちらまで戻ってこれなくなっちゃいますね?」

 はじまりの街とホルンカの間の夜間移動を試したことはない。はじまりの街とホルンカに分かれて泊まっていた昨日今日、アーランとしてもホルンカのタスタスに何かがあっても駆けつけられない不安がなかったとはいえない。彼女はそれ以上だったろう。小さく謝っておく。目をディアベルに向けたまま彼女もほんのわずか頷くしぐさ。

 「戻ってくるには、あまり問題はないんだ」

 彼女に向いてディアベルが大きく笑顔で答えた。

 それは資材補充とレベリング環境の問題だ。奥に進む方向だとモンスターがやっかいなトロンダ周辺で戦う時にいちばん物資が消耗していることになるが、トロンダで資材補充して武器の耐久度も回復したあとに戻ってくる分には物資が消耗したころ相手するのはホルンカの易しいモンスターになる。

 すこし気になってアーランは訊いてみた。

 「トロンダに鍛冶屋……武器の耐久度を回復させてくれる他の何屋さんでもいいんですが、あることは確実なんですか?」

 アルゴとディアベルが顔を見合わせた。代表してアルゴが答える。

 「あるはずだ……と言いたいケド、確かに確実とは言えないネ。フレーバーテキストとしても、モンスターに囲まれて村が孤立することはある、という一文はあったけど、その状態で自給自足できるとは書いてなかった。むしろそれで困窮することがあると書いてあったハズ」

 ディアベルも棒を飲んだような顔をしていた。

 「つまり、あれかな。ほうほうの体でトロンダに駆け込んでみたは良いけれど、鍛冶屋がなく武器の手入れが出来ず、村の外に出られず閉じ込められる?」

 頭の中でシミュレーションしてみるに、まずないトラップだとは思う。パーティプレイなら後方に支援を求めれば多少のレベル差があったとしても数日で救援は届く。先頭を行く命知らずのソロを閉じ込めるのには面白いトラップだが、この世界、餓死はないはずなのだ ── 違うのか?

 「餓えでは死なないことは確認済み?」

 アルゴに訊いてみたが、言ってすぐ答えにたどり着く。まだ四日目の昼だった。

 「な訳ないか」

 彼女も頷く。

 「無理言うなヨ。たとえ初日から飲まず食わずでもまだ人は死なないヨ。ああでもトロンダで食糧の心配はしなくて良いかモ」

 聞くと牧場があることはほぼ確定らしい。食糧があるなら閉じ込められることにそれほどの恐怖はない。ただし、それはトロンダの場合だけだ。

 「まずない……とは思いますけどね?」

 「いや、参考になった。予備の武器を最低一人ひとつ、作戦の時に確認しておくことにしよう」

 アーランは内心で首を傾げた。そんな小手先の対策でなく、自分達ならストレージ共有タブのネットワークを充実させることを考える。物資の瞬間輸送ネットワークがあれば、孤立することが本質的に恐くなくなるのだ。

── 後日。やりすぎて《遺言システム》を提案して総スカンを喰らうことになるわけだけども。

 しばらくして話は西の森とホルンカに移る。前線と違い、そのあたりならアーランも口を出せる。あまり聞いているだけだと悪いと思っていたのだが、ふと話の流れていく先がおかしくなっていることに気付いた。

 「実付きをわざわざ斬ってトレインを作る風潮が出て来ててね。モンスター出現率は下がってるし、人は多いしで分からなくはないんだけど無茶だと思うだろう?」

 「ええ、斬ってはいけないってガイドにも書いてあるのに、そんなことしてるんですか」

 話の向かう先は分かったが、とぼけておく。ディアベルが片目をつぶってみせる。

 「うん。今日ホルンカに戻ってきてみて驚いたよ。しかもどうやらうまくやっているパーティがあるからいっそうタチが悪いんだよ。全員が駄目なら諦めもつくんだろうけど、他のパーティがうまくやったら自分達も、と思うだろう?」

 「へー、そんなパーティがあるんですねー」

 「うまくやる方法があるなら、教えてくれないかなあ」

 確信があるのか、とぼけても全く聞いていなかった。洩れた口はオッカムさんか ── と思うが彼の人となりに一致しない。確証を掴むとすれば、あとはクエスト受け付け口の農家に何往復もしているティクルを見張るくらい。彼の隠蔽スキルだが、相手のレベルが図抜けていればあまり意味がないそうだ。だが最前線から人を呼び戻してまで?

 ほとんど心を読んだようにアルゴが口を挟んだ。

 「オッカム氏は口を割らなかったヨ」

 「どなたです?」

 「……おねーさん、とぼけるの上手くなったねェ」

 一瞬だけタスタスのほうを向いてから残念そうに呟く。アルゴがカマ掛けで見ていたのは彼女の視線の先で返事をしたアーランでなく、隣のタスタスだったらしい。友好のために素をさらしていたであろう中央広場での出会いと違い、今日はポーカーフェイスでよろしく、と言ってある。にこにこと笑顔の大安売りだ。

 ディアベルも苦笑いしていた。

 「そういう攻防戦は勘弁してくれないか……もうすこし友好的にやろうよ」

 そう言って彼は両手を広げた。もっとも、そう言うディアベルのほうも人の話を聞いていないので同類である。彼はコホン、と一つ咳払いして、

 「せめて事故は減らしたい。成功率を上げるか、そもそも挑戦を諦めてもらうか。上手くやる方法がとても難しいことが分かるというならそれでもいい。誰でも出来るような方法だったとしても、皆がトレインで乱獲すればすぐに使えなくなってこの騒ぎは終わるんだ」

 現状では手の出しようがないのだと、目で語る。せめてどんな性格の方法なのかだけでもと。

 「皆に呼びかけて止めさせることも出来なくはない……たぶんそれは出来る。でもそれでは伝説が残ってしまう。僕達が……つまり、高度な攻略法を伝える立場のプレイヤーがこのあたりから居なくなり、空白になった西の森で、後から来る新人プレイヤーが、トレインを使えば手早く出来る、という点だけを人づてに聞いてしまうのを君はどう思う?」

 それは新しい観点だった。アーランがデイアベルの懸念を聞き流していたのはその懸念が杞憂に近いことを知っていたからだが、ティクルの注意があったとしても今なお自分達を攻略プレイヤーの中の下に置く彼に後続に対する責任という視点は無かった。それでも抵抗してみる。

 「うまくやる方法、というようなものがあったとして、自力で思いつけない人が先に進むというのはどんなもんでしょうか」

 「なかなかに厳しいね。皆が皆、自力でやれるわけではないさ。みんなどこかで誰かの助けを受けている。ガイドブックを読んでホルンカに来た君達もそうだろう?」

 真っ先にガイドブックを受け取ったこと、つまり教わることの重要性を重々承知していたことを指摘している。劣勢を自覚して内心で顔をしかめた。アーランの沈黙を好機とみて、話し手がアルゴに替わった。

 「十万コルで買うヨ」

 額に驚いているとディアベルが補強した。

 「人に黙ってモンスターを狩り続けた時に出る利益ぶんくらいは出すさ」

 「いやいや、人に渡せる現金としてそれだけ持っているというのは普通に驚きですって」

 最前線グループの資金力に戦慄しただけで、そういう論理でいうなら十万コルでは安い。しかしそれなら ── という思いが湧き起こる。

 「チートしてる輩の頬ひっぱたくのに使うのも良いんでしょうが、それ、別の使い道とか考えたりしないんですか?」

 ディアベルが微笑んだ。

 「これは、まあ、チートしてる奴うらやましからん、という名分だからね。はじまりの街に戻って豪遊したりしたらキャンプには帰れないな」

 一拍置いて、

 「装備以外に、君なら使い道がある……ということかな」

 「いろいろ考えることはあります。資産はあっても現金で持ってないので何をするにも困る、という面はありまして」

 これは愚痴だなと、言ってから彼は若干後悔した。金をくれるという人達に言う言葉として意味不明すぎた。手持ち資産を現金化したとして、それを使う当てはあっても、まだ行動できるほどではない。情報料とか、そんなエキセントリックな金の渡され方をされても困るのだ。前線の人達が仕事をするのに使うか、せめてアニールブレード六本と交換といった穏健な形のほうが良かった。もちろんそれはディアベルのほうが納得しないのは分かっている。

 案の定、ディアベルが考え込んだ。

 「ふむ」

 「あー、いや」

 訂正、というのも違うか。彼は言い淀んだ。その彼の言葉に、アルゴがかぶせる。

 「それで足りないなら、おれっチの身体で払っても良いヨー」

 目を見開いた。決断は速かった。彼女の発言はいかにも不用意だった。横目でタスタスを見ながらの、揺さぶりというほどのつもりも彼女にはなかっただろうけども。

 「オーケー、君を買う条件込みで乗った。細かいラインは後で話を付けよう」

 アーランが飛びついた時、残りの三名ともが目を丸くした。

 自分達がそれだと白状してしまえば、概略を話すのにも忌避感はなかった。契約を決める前に話してしまうおおざっぱさに呆れられて多少教育的指導も貰ったが、内容については感謝された。

 「地形か……」

 ディアベルが考え込んだ。戦う時には当然場所を選ぶ。しかしそこまで細かく配慮してきたかというと。

 「デーさん? これ、ガイドに書く許可が出ても、ひろめるのは無理だヨ。多分ノウハウの塊じゃないかナ」

 「ん? どのあたりが?」

 さまざまな地形に対するモンスターの行動の変化を事前に熟知する必要がある。まさに水も洩らさず。その知見に穴があれば、蟻の一穴からダムが崩れるようにモンスターに奇襲を受けることになる。奇襲の対策に頭捻るくらいなら正統な壁と火力の定石が優る。アルゴからそう指摘されてディアベルが天を仰ぐ。

 「そっか」

 アーランはフォローを入れる必要を感じた。

 「この件については前線さんが心配しなくていい。アルゴさんの協力というか、身柄があるなら一週間かからず終わるよ」

 「そこでわざわざ身柄と言い直すニーサンが地味に恐いんだけド」

 両手で身体を抱いて震えるまねをする彼女を皆で笑ったあと、ようやく空気が落ち着く。

 

 しばらくは攻略ガイドブックに対する駄目出しを皆で ── つまりディアベルも含む ── アルゴにぶつけて遊ぶ。

 アーランがティクルに作らせたガイドブックに対する赤ペンを入れたメモを受け取ったあたりまではまだ感謝する余裕をみせたものの、助けをもとめた先のタスタスから食堂についての抗議を出されてついに沈没した。

 「ブルータスお嬢サマ、あなたもですカ」

 「ごめんなさい。でもやっぱり、みんながとても頼りにしているガイドブックなので。被害が出るのは良くないと思うんです」

 

 そろそろ切り上げようかというころ、ふとディアベルが訊いた。

 「君達はいつごろ前線に上がってこれるかな? まだ目処を立てるのは難しいかもしれないが」

 今度はアーランとタスタスが顔を見合わせる番だった。戯言だ、と前置きしてから三十層までに合流する話をする。

 「ちょっとちょっと、戯言といっても、そこまで先を考えてる奴は最前線にだっていないよ。トールバーナを見すえてる奴だって一人いるかどうか。しかし、そっかー、二ヶ月かー」

 言葉のわりにディアベルは厳しい表情を作っていた。アルゴもまた。何のことだと目で問うと、彼女が身を乗り出した。

 「にーサン。二ヶ月は前線組(フロントランナー)でももたないヨ。みんなそこまで強くない」

 二ヶ月というのは第一層クリアすらできずに新年を迎える、ということを意味した。振り払うようにディアベルがパンと両手を打ち合わせる。

 「よし、いいだろう。君達の挑戦受けた。一ヶ月で第一層をクリアする。そのかわり、一ヶ月以内にボス部屋にたどり着いたら君達もボスレイドに参加してほしい」

 アーランの表情が動くのを指を立てて止める。

 「謙遜は無しだ」

 「断る」

 さすがに表情を変えた。

 「いや。僕は参加する。それは約束しよう。こちらも向こう一週間は仕事が多い。そこから仕上げて二週間。適当なパーティと野良で組んで調整に一週間。一ヶ月以内のボスレイドでうちのパーティ三人ともを間に合わせることはできない。間に合って一人だ」

 「そうか……それは、そうだな」

 ディアベルが浮かせていた腰を落ち着かせた。六人パーティの形が整い始めているらしい前線と状況が違うことを彼も理解する。アーランは彼に目を合わせた。

 「だから君も約束してほしい……一ヶ月は短い。君らの力量がどれほどか知らないが、それでも一ヶ月は短いと思う。どこかで無理して、ここは俺にまかせて先に行けとかいうロールプレイ、やらかさないでくれよ」

 女性二人が吹き出した。ディアベルも頭をかいて笑った。

 「それはやっちまいそうだな。気に留めておくことにするよ」

 アーランはタスタスを連れ、ほとんど逃げ帰るようにしてはじまりの街に戻った。会議室でティクルと合流する。

 「あ、ボス、どうでした?」

 ソファにひっくりかえるように座ってアーランは目を閉じた。

 「いやぁ、参った参った。あれが前線組か、ほんとこれはぜんぶ任せて寝てて良いんじゃないかと思うな」

 ティクルがタスタスに目を向けると、

 「そーですねぇ。わりとおされっぱなしでしたねー」

 「……マジっすか」

 「おう。何が恐いって、ティクル、君の存在が半ばバレてるってことだな。元ベータテスタってことは知られてないみたいだが、トリックプレイヤーってことでマークされてた。何時からだろう」

 元ベータテスタが身内に居ることは意識的に隠してきた。表向きの行動はすべてガイドブックに載っている範囲であったはずである。それでもティクルを連れて行くかどうかはぎりぎりまで迷ったのだ。二人になるかも、とは伝えてあったが、出てみれば向こうは「切札は表舞台に連れて来ないのが当然」という顔で座っていた。

 「強力な索敵スキル持ちがうろうろしてるようだからホルンカでの隠蔽は自粛な。あまり変なことしてると思われたくない」

 「了解っす」

 「あー、でも例の問題二点、ふたつとも解決しそうだから配役原案で話進めるぞ。ティクルは買い出し役だから、ホルンカに出入りせずにすみそうだ」

 「俺が買い出しって、鉱石以外どーすんすか? このあたりの人、そんなに金持ってませんよ」

 「手持ち資金が十万コル増えた。これで買う」

 「はあ?」

 問題の一つ目、金は解決した。残るもう一つの問題は知識の問題である。そのためにアルゴを買った。

「アルゴの身体」でなく「アルゴ」を買ったと言い換えた意味を説明すれば、本人も笑っていた。むしろディアベルのほうが羨望含みの渋い顔をしていた。

 なお、西の森でトレインを作る風潮をディアベルが懸念していたが、彼が心配するほど事故は起きていない。三人がごっそり乱獲した結果、ノーマルのリトルネペントに遭遇するのすら難しい状況になっていたからである。トレインを作る風潮は、つまりトレインでも作らないことにはどうにもならない、という状況の反映だった。

 「ピッカリング大佐(スポンサー)が出て来た。最前線プレイヤーのようだが、ディアベルという名に心当たりは?」

 「……無いっすね」

 「ベータ時代もそこそこ目立ったろうから名前変えたか。まあいいか。現金(コル)に色は着いてない」

 明言はされなかったがディアベルは元ベータテスタであろう。多忙を極めた初日のアルゴが頼れるツテ先は、すべて元ベータテスタであったろうから。

 「まず、素行調査から始めよう」

 ティクルが調べてきたプレイヤー鍛冶屋の人物一覧を取り上げた。

 最前線のキャンプに戻る帰り道。新人二人組と分かれてすぐディアベルから笑顔が消えた。「そこまでかな?」と思いつつ、横を並んで歩いていたアルゴは彼を下から覗き込んだ。

 「デーさん、にーさん達を誘うつもりじゃなかったのかナ? お目がね適わなかっタ?」

 初日の注文は元々そういうニュアンスだったはずである。初心者(ニュービー)で、攻略パーティに入れてもよさそうな人を探してくれ、といった。

 アーラン氏、たまにちらつかせる言葉の刃がなかなか恐い人物だが、本来的には人が良いのか警戒心があまり長続きしないところがある。隠蔽スキル持ちの三人目を連れてこなかったことを恐縮していたのがかわいい。チートが三人目の仕事ならそうすべきだが、普通にアーランの仕事なのだろうから、警戒するほどでもなかったはずである。

 ガイドブックへの修正・追加要求がアーランへのロールシャッハテストとして機能してしまったことも、たぶん自覚がない。そのあたりは後輩さんのほうがちゃんとしていた。たしかにすぐ前線に上がってくるつもりはないようで、突っ込みは街中の日常生活関連のものが多かった。きちんと鍛えてくるならアルゴとしては歓迎である。手品のタネをさっさと割ってしまったのは特に酷く、真似されないという自信があったのならともかく、他人にも使えると思っての開示だから無茶苦茶である。

 トータルでみてディアベルが取り込むにもそこそこいける人材だと思ったのだが、彼から提案がなかったのだ。

 ディアベルは顔をしかめた。

 「冗談じゃないよ。ギルド乗っ取られて終わるじゃないか。三十層、半年とか言ってたよな。それまでに思いっきり逃げて差をつけとくさ」

 



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女性鍛冶師

 「先輩ー、連れて来ましたー、お薦めの子ですー。山から落ちたら助けてくれましたー」

 

 リズベットが鉱山で助けた女性 ── タスタスと名乗った ── と一緒にはじまりの街に戻った時、お話がありますと、そのまま西門近くの建物まで連れてこられた。鉱山で足を滑らせて落ちるほどのぼんやりとした美人さんだったが、案外に押しが強いなと思いつつ、手を引かれてついて行く。

 三階のその部屋はリズベットが泊まっている部屋の数倍の大きさで、ただ、寝泊まりのためというよりは事務所という感じだ。壁には美術の時間で見たことがあるドラクロワの『自由の女神』の絵が飾られていた。お金ってあるところにはあるのねーという感慨を抱く。

 やや窓際寄りに四人掛けダイニングテーブルが置かれ、その上に第一層の地図がデザインされたテーブルクロスがのっていた。同じデザインのハンカチが売っているのを見たことがあるが、攻略した範囲の狭さが目についてしまって手にとる気になれなかった奴だ。地図の南半分が印刷で、北半分は空白のはずだが鉛筆書きでいろいろ書き込みがある。

 テーブルの向こうには、親しみやすそうな笑みを浮かべつつ実は腹の中真っ黒そうな男が羊皮紙スクロールをめくっていた。彼女は自分の身にすこしばかり危機を感じる。ヤクザの事務所である。たぶん。

 男が顔を上げてリズベットを見あげた。リズベット的に、睨まれたというのは彼女の思い過ごしだろう。彼はスクロールをしまい、手を口の前に組んだ。

 「あー、早かったな。はじめまして。アーランと言います ──」

 「良い子ですよー。わたしを助けてくれる人に悪い人は居ません」

 いろいろぶち壊しにする割込みに彼の頭がずり落ちた。組んだ手が額の位置に。悪人のオーラが消えて、ただの大学生になった。

 「今のロジックで、この世界に悪い人って居ると思うか……?」

 呟きはリズベットに訊いているらしい。ドヤ顔風味のタスタスの顔を見、胸を見、自分の胸に目を降ろし、ふたたび彼女に目をむけ、彼に目を戻した。これでリアルを反映しているアバターとか、世界とは不公平に出来ているなあとリズベットは思う。悪い人であっても下心満載で彼女を助けるだろう。

 「いないわね、きっと」

 一度アーランが組んでいた手をほどいて背凭れによりかかる。

 「鉱山(ヤマ)に鍛冶屋さん探しにいってもらってたんだが ──」

 彼が席を立って大きく頭を下げた。

 「うちの子を助けてくれてありがとう」

 「べつに大したことはしてないわ」

 慌ててぱたぱたと手を振る。なにをどう助けたかの話はしてないんじゃないかなーと思うがこの空気では言えない。

 「リズベットよ。お察しの通り、鍛冶屋志望レベル 1 」

 「話ってのは、君を雇いたいという話」

 アーランがリズベットに座るように促して、自分の席もつく。商談に入るなら座ってくれということねと理解して、彼女も座る。

 「拘束時間は一週間ほど」言い切ろうとしたところでアーランが小さく首を傾げ、「短くて五日間、長くて十日間くらい。そのあたりはまだちょっと不確定なんで、ごめんなさいだけど」

 「けっこう長いわね。で、もしかして拒否権とか無かったりするのかしら」

 なにしろヤクザの事務所である。

 「無いよー」さっきとは違う超絶軽い謝罪が返った。「その代り言い値は出す。ふっかけてくれて良い」

 「鍛冶の仕事よね?」彼が頷くのを確認して、「じゃあ一日二千コル、工賃込み材料費別で」

 気軽に「拒否権無いよー」とか言ってんじゃないわよと思ってふっかけては見たものの、そういえばヤーさん相手だった気がと思い出して内心はビクビクものである。しかも知らぬ顔で彼が吊り上げてくる。

 「じゃあ仕事場移動のコスト含めて一日三千コルでどうかな」

 「移動ってどこ連れてかれるの」

 「ホルンカの村」

 彼がテーブルの一点を指した。見れば指のその先に《ホルンカの村》とある。リズベットは顔を上げた。

 「前線じゃない、あんたら攻略組か」アーランとタスタスの顔を見比べ、「言われてみればそんな雰囲気かも」

 わずかに苦笑が返る。

 「今の最前線はもうすこし先かな」

 すっと鉛筆書きの領域まで指を動かす。横線が何本か引かれていてその一番北の一本。

彼女は鍛冶屋という性質上、前線の話を聞くことはよくあるが、具体的にどこかまでは知らなかった。攻略組か、それに近い人達ではあるらしい。

 「まあホルンカも君の言う攻略組がうろうろしている土地ではある。圏外での通行の安全は保証する。というか、こことホルンカの間をソロで移動できるくらいまでレベリングするのも契約のうちだ」

 仕事内容の詳細を聞けば鍛冶屋の仕事そのまんま ── というか金を払っても受けたい鍛冶スキルのレベリングだった。

 

 「まとめると、ホルンカで鍛冶の仕事、ついでにレベリングしてもらって一日三千コル? なんか話がうますぎない?」

 「優秀な鍛冶屋に仕事を頼めば高値につくんだろう? 一日三千コルでは仕事を受けてもらえないレベルの鍛冶屋に育ってくれれば僕らも黒字にするには問題ない。それと、多少恩に着てくれるとあとで僕達が助かる」

 「ああ、なるほど。せいぜい努力してみるわ」

 「それと、これは先の話だけども、第一層攻略の最終基地《トールバーナ》まで鍛冶プレイヤーを複数、鍛冶屋コミュニティの規模にもよるが、十名程度、護衛船団(コンボイ)組んで連れていくのが僕らの最終ミッションになる」

 そう言って彼は丸い地図の北端少し下、《トールバーナ?》と書かれている部分を指さした。

 「覚えておいてくれ」

 彼女は息を飲んだ。

 「……あんた達(攻略組)を助けるって、そういうこと」

 「うん」

 笑顔だったが、目が自分達を叱っていた。彼は鍛冶プレイヤー達に「攻略に参加しろ」と言っていた。今のように、後方でちまちまと言い訳のような仕事をしてないで。

 雑談に入ってリズベットが吹きだしたのが、彼らが実は三人パーティであったことだった。

 「たった三人かっ! あんたらそれでコンボイとか良く言ったもんだわねー」

 「この部屋見て何人くらいのパーティだと思った?」

 「え、五人か六人? でも椅子四つだし、ソファはある、でもほんとに三人でこの部屋」

 ソファ含めて定員は六人か。でもそれでは会議できまい。逆に三人だと優雅な部屋だ。第一感がそこそこ金の掛かった部屋だと思ったことを思い出した。

 「現時点では、資金力なら攻略組でもそこそこの部類だと自負しているよ。君達的に必要なのはまずそこだろう。もっとも一週間で僕らの地位は底辺まで下がるんだけど。なにしろ攻略しないから」

 「あ、ごめん」

 「金といえば、下世話な話になるが、あー、こっちが言葉を翻すことはない、ということは断言しておくが、二千コルというのは実は相場的にはふっかけたほう? 安売りしたほう?」

 「あははー、ちょっとふっかけたかも。あ、でもあんた達にとってもそんなに悪い額じゃないと思うわよ。けっこう良いほうの鍛冶屋雇ったんだもの」

 そう言って彼女は胸を張った。アーランは内心で驚いていた。それはつまり上位を自負するプレイヤーをして一日二千コルでふっかけた気分ということだった。ゲームが始まって一週間で生じた資産格差を、予測していたとはいえ実際に目の当りにしたのである。

 敵地に居るうちのこういう段階で気を許すな、とはディアベルやアルゴに怒られた部分だが、それは指摘しないでおく。したほうが良いのだろうか。ごまかすように彼はタスタスに話を振った。

 「タスタスからは補足ある?」

 「ものすっごく大事なこと忘れてます。リズベットさんから話が出なかったのも不思議なんですが……」

 「なんだっけ?」

 「リズベットさんホルンカの村のどこに泊まってもらう予定なんでしたか?」

 「あ」

 アーランとリズベットの声が重なる。アーランは掌を合わせてお願いの形を作った。

 「あそこ小さな村でね、ここと同じくらいのを一部屋確保できてるだけなんだ。君が一人で泊まることになるんだが、すまないが出来ればうちの子も泊めてやってほしい」

 十分に広いじゃんとリズベットは思いつつ、

 「一人で泊まるって言い張ったらこの人はどうするの?」

 「ここの並びの部屋に泊まることになるな」

 アーランが奥のほうを指す。

 「本当に一人だけになるのね」

 「まあな。夜はそうだ。昼はいずれにしても彼女が補佐に付く。それ以外に二日ほどソードアート・オンラインについて良く知る情報屋が来ることになっている。アルゴあるいは《鼠》というのを聞いたことは?」

 ガイドブックの有名人だった。リズベットは頷く。ただし会ったことはないと。アーランも頷いた。

 「そう。情報料は無料だ。つまり僕達が全額持つ。徹底的に搾ってくれて良い。夜どうするかは……メリットデメリット考えてどうするか君達で相談してくれ」

 そう告げて彼は席を立った。

 「僕は少し席を外すんで、決まったら呼んでくれ」

 何言ってんだこの人と思っていたら、あれよあれよという間に本当に彼は部屋の外へ出ていってしまった。リズベッドはタスタスと二人で部屋に取り残された。これどうなのよと少し離れて座っている彼女を見れば、やや困惑気味ながらあいかわらず微笑みを崩さず何を考えているかよく分からない。どう持ち掛けたもんかと思う。ちいさく愚痴る。

 「いや、わざわざ席外さんでも」

 女の子の秘密ーとかやるつもりはない。彼女とは遭って半日の仲である。タスタスが頭を小さく下げた。

 「不手際でごめんなさい」

 「それは良いんだけども……あなたはあたしと一緒で思うところはない?」

 「そもそもリズベットさん選んだのわたしですよ?」

 「あ、そう。そういやそんなこと言ってたわね。他に候補居たんだ」

 「いませんよ? 先輩は素行調査やろうって言ってたんですけどね。探偵仕事とか不審者丸出しじゃないですか」

 「えーとよくわかんないんだけど」

 「リストにあった女性鍛冶師、ということで話をしにいって山から落ちたら助けてくれました。それで十分だと思います」

 両手をそろえ、背筋を伸ばして椅子に腰かけている彼女は美しかった。顔の造形だけじゃないんだなとリズベットは思った。

 「女性鍛冶師、というのは分かる。つまりあんたと一緒に同じ部屋に泊まるから、ってことね?」

 「んー、順番がちょっと違います。もともと先輩がサポートに入るはずでした。鍛冶屋さん、男性しか考えていなかったので。女性の鍛冶屋さんも居るんだ、ということで、そちらを優先することになったんですよね」

 ただ、そのまま流れで素行調査に入りそうだったのは黙っておく。

 「あ、そりゃそうか。じゃあ女性というのは……」

 「女性少ないじゃないですか。一対四くらいですよね。理由はなんでもいいから早めに女性の間でフレンドネットワーク立ち上げておいてくれ、というのが先輩の指示(オーダー)でしたが、ようするに、女の子の友達増やしとけ、ってことですね多分」

 タスタスがそう言ってちょっと首をすくめる。ああそりゃ部屋出てくわ、とリズベットは思った。話を聞いているだけでも恥ずかしい。喋っているほうも耳が心なし赤くなっている気がする。

 「なら、いいわ。一週間よろしくお願いします」

 「こちらこそ」

 ふたりで顔を見合わせて、それからアーランにメッセージを送った。

 こうすぐに呼び戻されることは予期していなかったのか、彼は出ていくよりも戻ってくるまでのほうが長かった。

 「えらい早いな」

 「べつに難しく考えることでもないしね。スポンサー様の御意向には従いますわよ」

 「いや、無理しなくてもいいんだけど。けっこう長いルームシェアになるぜ?」

 「たぶん大丈夫でしょ」

 ほう、とアーランは思った。部屋から去る前より、二人の間にだいぶリラックスした感があった。良いことだと思う。

 「君の予定のほうだけど、何時くらいからならホルンカに来てもらえるかな。もちろんその時は僕らも同行するけども」

 「いちおう頼まれ仕事があるのよね」

 「そうなのかい?」

 「残念ながら、これからかかれば晩までに終わる量よ」

 見栄が張れなくて本当に残念そうだった。なかなか微笑ましい。ただし、それは前線の人間がはじまりの街まで戻って仕事を頼んでいない、ということでもあった。彼も本題を思い出す。

 「ついでだから、ホルンカに連れていってくれる人達がいるってことも宣伝しておいてくれていいぞ」

 「やあよ。羨ましがられるどころか、妬まれるでしょーが」

 「君、どうせ妬まれるよ? シンデレラさん」

 「う」

 そのあたりのトラブルを想像してリズベットが詰まる。

 「まあ普段付き合いも大事だからうまくやってくれ。じゃあ明日の昼くらいでいいかな? 昼ごはんの前と後どっちが良い? 君がふだんどこで食べてるかにもよるが、食事のレベルは向こうとこっちで似たようなもんだ。ただちょっと選択肢は少ないかも」

 「そうね。ホルンカの村って、行くのに何時間くらいかかんの?」

 「何時間……一般人の距離感ってのはそうなるのか? ちょっと感覚がズレてきたかな、これは」

 タスタスを見れば、彼女の顔にも懸念が浮かんでいる。

 「走って五分くらいかな? 歩いて三十分。すぐ着くよ」

 「それはモンスターと戦わない場合でしょうが! リアルならそんくらいの距離だってのは知ってるわよ!」

 「モンスターと戦って時間を有意にロスするほどだと圏外をソロで何往復とか無理だからな? そのうち事故って死ぬから。モンスターを片手間に処理できるくらいは大前提だから。感覚の違いはそこか?」

 「そう……そうね。そうかも」

 そっかー、片手間かー、レベル違うわーとうわ言のようにリズベットが呟いた。

 

 結局、待ち合わせは昼前になる。どうせ一週間ホルンカで食事することになるのだからということと、

リズベットなりに、護衛がお腹一杯で戦闘出来なくなるのを配慮したということもあった。

 翌日の昼前、待ち合わせて北西門から外に出る。事務室内でのさっぱりした服装と違って、三人とも戦闘服だ。アーランは革の胸当て、右に直剣を差している他、やや背中寄りのきんちゃくにダガーが数本。タスタスは見た目防具がないが、ないということはなくベストと上からの白いケープがそうなのだろう。剣が下がっているのも裾から覗いている。リズベットもフル装備だ。アーランのと似た革の胸当て、小型メイスと槌。東の門から出る時はそうでもなくなってきたが、モンスターが多いと言われる北西門から出るのは緊張する。

 「あたしこっちから外に出るの初めてだわ……」

 「じゃ、ちょっとわたし探してきますね」

 「うん」

 リズベッドはちょっとぐらい何か言ってくれるのを期待したが、二人にさっくり無視された。待ち合わせたのにすぐにタスタスが分かれて先に行く。アーランもそれを当然のように頷く。

 「えっと、何? 偵察とか?」

 「君のレベリング用にモンスター捕まえてくるんだけど……、さて、僕達も行くよ」

 

 すこしするとタスタスがイノシシっぽい大きな動物を抱えて戻ってきた。なにげなくカーソルを読んでびっくりする。フレンジーボアとのこと。あまり戦意を感じなくて恐くないが、モンスターだった。しかも見るかぎり無傷である。アーランの後に隠れながら、

 「ちょ、それモンスター。あんた大丈夫なの?」

 タスタスはにこにこと、どこかの動物園で動物を抱えさせてもらって笑っているのに近い。よく考えると動物のサイズ含めてとてもおかしいが、異和感がないのが凄かった。リズベットの戸惑いを無視するかのように、アーランが話しかけてくる。

 「そのメイスは使えるよね?」

 「そりゃ使ったことあるにはあるけど……」

 「じゃ、ちゃっちゃとやって。たぶん十回かそこら当てればいけるから」

 言われたとおりこちらに腹を向けたイノシシにメイスを打ち込む。案外早く、五回ほどでタスタスの腕の中からポリコンとなって消えた。タスタスはパタパタとケープをはたいたあと、再び二人から離れる。またイノシシを探しに行ったらしい。

 「こんなんで良いの? なんか傷だらけなんだけど……」

 彼女のケープはそこかしこで光って割れていた。つまり傷だらけということだ。アーランは遠い目をした。

 「ケープだけなら使い捨てにするつもりだから、まあ。怪我しても圏内に戻れば完治するといったのは僕だし……。この養殖法、あいつの提案なんだよなぁ。ラストアタックした人に経験値が渡る形式なら瀕死にしたイノシシ連れてくるんだけど、SAO は与ダメージ量に比例しての経験値分配だから、ぜんぶ君がやるコレが一番効率が良いのは確かなんだが」

 抱え方はタスタスに説明を受けたがさっぱり分からなかったからリズベットに説明できるものでもない。ティクルのほうも心当たりがあるようなないような感じだった。

 「いや、そういうこと聞いたんじゃないんだけど。あんたがいいならまあいいわ」

 生け捕りにする上での不慮の事故とか事故とか事故とか。

 

 そうこうしているうちにタスタスが二体目をつれてくる。

 「なんか時間かかったね。このあたり、もうイノシシ居なくなった?」

 「そういうんじゃなくて、なんかわたしの顔見るとこの子たち逃げるんですよ。酷いと思いません?」

 「戯言は放置の方向で。じゃもう一度」

 「ええ」

 リズベットはメイスを構えなおした。なんとなくタスタスとの付き合い方が分かってきたと思う。

 後の街も前にあるはずの村もみえない道の真ん中、タスタスが離れている時に白いポップエフェクト。

 「き、来たっ」

 慌ててアーランの背中にへばりついた。フレンジーボアが出現する。彼が苦笑して後ろ手に彼女をかるくたたく。

 「かえって危ないから。振り回す剣に当るかもだから」

 「あ、うん」

 そろそろと離れ、思い出したようにメイスをしっかりと握る。彼が一瞥する。

 「一人でやってみる?」

 おもいっきり首を横に振った。

 「まだ、早いかな?」

 そう呟いて、突っ込んできたイノシシを正面から叩き斬って消し飛ばした。一閃だった。

 「はー」

 感嘆していると、彼女の脇を通りすぎて背後でもう一回。へ?と思いつつ振り返ると、モンスターが消えるエフェクトの残滓。

 二頭かー、へー、と思っていれば、ダガーが彼女の脇をすっとんでいく。ひっと息を飲むと続いて本人が風のように。

 「三頭時間差とか、やるじゃないかシステム」

 彼女がなにがなにやらと思っているうちに、落ちていたダガーを拾いながら彼が感心していた。いまさらのように震えがくる。

 「さ、先進まない? ここ危なくない?」

 「むしろリポップタイムが来るまでここのほうが安全だろ。昨日この道を通った人少なかったのかな。イノシシが湧く数が増えてるみたいだが」

 「そ、そういうもん?」

 「……そうか」

 安心する彼女のかたわら、何かを思いついたように彼がつぶやいたのを耳にした。リズベットは断言できる。ろくでもないことだと。嫌がる彼女の背中を「先進もうか」と押しはじめた。

 「あ、あぶないんじゃなかった?」

 「しかし行かないわけにもいかないだろう」

 「そうなんだけど」

 納得はするものの足取りは重い。そこにあいかわらず大きなイノシシを胸に抱えてタスタスが戻ってきた。天の助け、だと思ったが ──

 「来ましたー」

 「おう、おかえりー」

 気分どん底のリズベットをほっといてハイタッチする二人。モンスター抱えた手を離すなと突っ込みたいが、言っても聞いちゃいないだろう。ついでにイノシシ君、その隙をついて暴れる気配もなかった。なぜだ、胸か。さっきの三頭の凶悪な連係攻撃とは大違いである。

 「どうしました、リズベットさん」

 タスタスが首を傾げる。一緒にイノシシも首を傾げたような気がするが、さすがに気のせいだろう。

 「いや、なんかもうどこから突っ込んでいいのか、愚痴るべきなのか……」

 「とりあえず、やっちゃいましょう」

 「あ、うん」

 「やる」も「()る」の字を当てる凶悪なニュアンスのはずだが、これが優しく「昇天させてあげる」に聞こえる不思議。せーの、とばかりにいろいろぶつけるつもりで気合いを込めてぶん殴る ── ぱあっとポリゴンの光が散った。一撃だった。初めてである。そして自分の周りにも光りがまといつき、どこからかファンファーレの音。

 「お、おお?」

 「わあ、ぱちぱちぱちー、おめでとー」

 口の擬音とともに手も叩くタスタス。アーランも拍手している。

 「なにこれ?」

 「レベルが上がったってこと。初めてならレベル 2 かな。レベルアップおめでとう」

 「あ、ああ。そうなんだ。ありがとう?」

 タスタスにレベルアップ時の音と光の消し方を教わる。鍛冶屋的にはどうでもいいことだが、アーランが言うには、攻略プレイヤー的には繁みにかくれている時にひょんなことでレベルアップで光ったりしたらかなわんだろ、ということらしい。

 「それじゃ、レベルも上がったことだし ──」

 

 リズベットの抗議も聞かず、レベリングが実戦形式になった。正面から以外は全て二人が封じてくれるものの、正面から突っ込んでくるモンスターは恐かった。しかも数が多い。反省点を一言二言アーランから聞くとすぐ次が来る。疑問に思って途中で聞けば、実に良い笑顔で語ってくれた。

 「そりゃあ人通りが少なくて、イノシシがあんまり退治されてないところに来てるからね」

 「ひー」

 脇の草原に人がちらほら見えるようになる頃、リズベットもだいぶ慣れてきた。ついて来る二人も彼女の両脇で、サイドと後方しかケアしなくなっていた。そして集落の境界を踏み越える直前、アーランが一歩先に出る。くるりと振り返って、

 「ようこそ、鍛冶プレイヤー未踏の地、《ホルンカの村》へ」

 「あ、うん。連れて来てくれてありがとう?」

 「わー。ぱちぱち」

 そんなやりとりをしつつ、リズベットはホルンカ入りを果たした。

 

 昼食と仕事場見学どちらを先にする、とリズベットに問うと、彼女は仕事場を見る、と答えた。三人が水車小屋までやってくると、柵にアルゴが腰かけている。手にはサンドイッチがあった。気付いたアルゴも手を挙げて、彼女から話しかけてきた。

 「その子が例ノ?」

 「アルゴ。君の予定は明日だろう」

 「今日はおれっチの自由意志だヨ。こういうのは初日が肝腎だからネ」

 まさに初日が肝腎だからこそアルゴを呼ばなかったアーランは内心で渋い表情をした。

 「待ち合わせてもないのによく待つ気になったな。忙しいくせに」

 「これでも張り込み経験値おっきいからネ。いつごろターゲットが来るかだいだい分かル」

 このタイミングでここに来ることは、ついさっきまでアーランも知らなかっただけに彼女の技能に身震いした。

 「とんでもないな」

 

 タスタス先導で四人が敷地内に入る。当然のようにアルゴもついてきた。リズベットが訊く。

 「その人が?」

 「そう。この人が《鼠》のアルゴ。明日と四日後、君にいろいろ教えてくれる人。いろいろ道具とか使うだろう? この人はそういったものの一部と思ってくれ」

 「ひどイ!」

 「代金のカタで受け取った身柄だからな」

 「アア、悔やんでも悔やみきれない一言、おれっチは何ということをしてしまったノカ」

 

 さらっとした話の流れだったが、内容にリズベットは驚愕した。音を立てて信頼というものが崩壊していく。人身売買だった。第一感、ヤクザと思ったことを思い出す。ここがどこかかも。辺境、ホルンカの村に閉じ込められたことに気付いた。自力でははじまりの街に戻れない。

 「うん? どうした?」

 彼の言葉も届かない。全身、手足が冷えていく。

 ── うしろからゆったりとタスタスに抱きしめられた。

 

 「先輩だめですよ、本当に怯えてるじゃないですか。アルゴさんもあんまり煽らないでください」

 「これくらいはニーサンに意趣返ししても良いと思わないカ ──」

 そこでリズベット背後に目を向けたアルゴが頭を下げる。

 「思わないヨネ、ごめんなサイ」

 アーランも苦笑いした。

 「信用がないな、何かやらかしたっけ……とりあえず五日分前払いだ。一万五千コル」

 メニューを操作して、おそらく金貨の入った袋を彼が差し出した。リズベットも見たことがない金額というわけではないが、手元に残る金額というのでは初めてで、冷たくなった手でうけとる。震えはまだとまらない。アルゴもフォローした。

 「これだけあれば、村の食堂で誰か雇えるヨ」

 アーラン達が無体なことをするなら、対抗できるプレイヤーを雇えば良いということだった。

 

 リズベットが席につく。タスタスはあいかわらず後から彼女を抱えたままだ。アーランがテーブルの前に、アルゴは壁際。アーランがテーブルの上に小剣を三本、それに白紙のメモを置いた。

 「とりあえず、こいつの強化あたりから始めてみようか。足りないものが山ほどあると思うから、書き出しておいてくれ」

 言われたままに強化素材を書き込んでいく。そのメモに彼は軽く目を通して一行ほど書き加えてからストレージにしまう。アルゴを振り返って仕方ないなという顔をする。そして、テーブルの上に剣を追加していった。次から次へと。大小合わせて総数、十三本。アルゴは驚いた。

 「にーさんそれどうやっタ?」

 アーランはすっとぼけた。

 「地道にクエストこなしてだが」

 「そっちじゃない、ストレージに入んないダロ、その数」

 「がんばれば出来るんじゃないか?」

 「そんなことしてないだろ。はじまりの街から来たばっかりじゃないか。他にも荷物はあったハズ。超舐めプしたんでないかぎり……にーさんが客人連れてそんなことしないダロ」

 そういうところ口煩いタイプだというのは分かっていた。アーランがにやりとして、

 「たいしたネタじゃないが、いくらで買う? もうひとつ見せるもんがあるが、そっちで無理きいてくれたらこれは無料にしてやるよ」

 「大盤振る舞いだった頃のにーさんが懐かしいゾ」

 「けっこうこれも大盤振る舞いだと思うんだがなぁ」

 「くぅ、無理ってのはどんなことダ?」

 「情報の管理について。売るのは構わない。だが、売ったあと、売った相手のフォロー、監督をしてほしい。べつに僕に顧客名簿をよこせということじゃない、あくまで君がやる仕事としてだ」

 「おれっチはプレイヤーのリアル、ベータテスタかどうかといった情報は売らナイ。そこまででないにせよ、それに近い扱いをしろと?」

 「そう」

 「いいダロ」

 少しして彼は別のものをとりだしてならべはじめた。鉱石、素材。最初に驚いたのはリズベットだ。

 「これ」

 「メモにあったやつ、とりあえずこれでいい?」

 彼はこの部屋から離れてもいないのに、どうやったのか。戸惑いながら彼女は答えた。

 「剣のが多いわよ」

 彼女は三本分の強化素材しか頼んでいない。十三本となれば、まったく足りなかった。アーランもそれは分かっていた。

 「そのあたりは次のメモでだな」

 そこでアルゴが気付いた。

 「おおぅ、なるほど、ストレージ共有か、こういう使いかたもあるんだナ」

 メモをストレージ共有タブ経由で受け取った三人目が買い出しして商品をストレージ共有タブ経由でこちらに送り返した。ストレージに入らない剣もこれだ。三人目が持っていた。そういえばいっぺんに出さずに一本一本取り出していた。十本入るほど共有領域は大きくないのだろう。さらに言えば、行きは一々メモするでなくメッセージで良い。リズベットへの便宜とおそらくアルゴへのヒントである。

 笑みを浮かべて彼が頷く。ただ、すぐに真剣な表情を作った。

 「人を選んで売るのは良いが、ガイドには載せるなよ?」

 「いや、そういうわけには。これ便利だよ? 攻略の武器になるだロ?」

 物を動かすのにストレージ共有を使うことはほとんどない。ストレージ共有はパーティ内部で行うことが多く、一般にパーティメンバは同一行動を取るからだ。これを発明したのがこのパーティというのは必然性があった。はじまりの街、ホルンカと二つの土地にまたがって活動し、金や物を持ち逃げされない信頼感が互いにあるからこその活用法である。

 「最前線キャンプと、後方支援のはじまりの街。攻略組(フロントランナー)的にも武器防具の修理購入とか、コレ、使えるパーティは多いんじゃないノ?」

 アーランがはっきりとアルゴに向きなおった。

 「君は SAO に奴隷階級を作るつもりか? ひたすら買い出しだけやらされるプレイヤーをどう思うよ? 買い出しではレベルも経験値も上がらないんだぞ」

 これを広めて良いなら、そもそも苦労して鍛冶屋をトールバーナに連れて行く必要がない。前線組の後方担当部隊にはじまりの街で仕事を依頼してもらえば良いのだから。買い出し部隊がトールバーナに滞在するからこそ、第二軍として前線でレベル上げする機会もある。

 「……君らの三人目はおれっチより奴隷ダナ?」

 「違うな。彼女のレベリングが軌道にのり次第、つまりたぶん明後日からは僕も買い出しに回る。うちのパーティで筋力値が一番あるのは僕なんで、鉱石掘りとかもできるしな」

 「わかったヨ、ガイドブックには載せナイ。まあ確かに奴隷は面白くない。攻略組に売る時にも、念書とってからにするヨ」

 アーランが両手を上げて降参のポーズ。

 「そんな強調しないでくれよ。僕も悪かったよ」

 リズベットが彼に気を許したのは、この時からだったかもしれない。

 

── ところで。このストレージ共有による輸送システムは、結局、発明者が所属した血盟騎士団以外では大々的に使われることは少なかった。

 迷宮区やダンジョンなどで共有タブが凍結されることが分かったからである。共有タブは自分のストレージ枠の一部を割いて設定する。リソースをもっとも必要とする迷宮区でストレージが減ることを許せるプレイヤーは多くなかったのだ。

 

 




 共有タブにまつわる制限は独自設定。ただ、原作中の SAO にも同様の仕掛けがあるはず。せっかくダンジョンではフレンドメッセージすら禁止しているのに、中で共有タブ有効だと手紙のやりとりが可能になってしまう。


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休日

 それから数日、アーランやティクルははじまりの街から前線までを走り回った。前線でキャンプしないならホルンカが前線に一番近い宿泊地である。ホルンカから前線まで徒歩約 1 時間、はじまりの街へは約 30 分とバランスも良く、タスタスとリズベットは水車小屋に二人が泊まることを提案したが、アーランは断った。二日ほどははじまりの街に泊まって前線まで出勤している。

 二人の基本的な仕事は、最前線で強化済みの剣を売って、そのかわりに未強化の剣を下取りして受け取ることである。この順序は重要である。剣を受け取って強化するという手順と違い、結果が先に見えるこの手順は商人や鍛冶屋の信用・信頼問題が無くなるのだ。前線での行商人は皆無だったから、信用上の問題がないと分かればアニールブレード専門でも大いに歓迎された。

 事前に大量の剣を準備したのもこの理由による。もちろん失敗した剣も多く出て、その補充のためにクエストで荒稼ぎすることもあった。失敗した剣はアウトレットとしてホルンカで販売である。

 

 ホルンカへの輸送も最初はタスタスとのストレージ共有だけだったが、途中からリズベットとのストレージ共有による直接転送が加わった。いつのまにかストレージに未処理の剣が増えていることにリズベットも悲鳴を上げたものだった。タスタスに

 「いわゆる嬉しい悲鳴というやつですね。はじめて聞きましたー」

とボケられた時は、この女どうしてやろうかと彼女は思ったものである。振り返るとタスタスはつっぷして既に寝ていたので呆れただけだったが。タスタスのほうもその程度には仕事が増えていた。

 

 攻略ガイドブックも更新されて、[森の秘薬] クエストを受けたいプレイヤーはまずアウトレットのアニールブレードを買って、それを使ってクエストをこなし、新品のアニールブレードを手に入れた後、アウトレットを転売もしくは下取りに出すこと、というものが推奨手順の一つになった。 そしてこれによってトレインを作る風潮は消滅した。トレインを作ってまで急ぐプレイヤーは、アウトレットのアニールブレードを入手した時点でクエストを省略して先に進むことを選んだからである。

 また、アウトレットをプレイヤーが買った、それはつまり直ちに先へ進むかもしれないプレイヤーが目の前に居るということである。そのプレイヤーがその日までホルンカで泊まっていたのなら、宿が空くということでもある。アウトレットを販売しはじめたその日のうちにアーランとティクルは自分の宿を確保することができていた。

 二回目のアルゴの協力日。小料理屋で皆でとった昼食時、メニューを閉じると同時にアルゴが唐突にがっくりと項垂れた。ちなみにメンバーはアーラン、アルゴ、タスタス、リズベットの四人。この後に及んでも三人目を連れてこないアーランにひそかにアルゴは感心していた。

 「どうしたんでしょう?」

 タスタスが心配げに言うとアーランがにっこりした。

 「僕は知っている」

 ピクとアルゴは内心で反応した。項垂れたのは本心半分演技半分でアーランに情報の確認(コンファーム)の話を振るための前振りみたいなものだったのだが、事実として掴んでいるのは想定外である。最近前線に出入りしているとはいえ、今の最新情報を彼が知っているはずはないとアルゴは頭を巡らせ、すぐに気付いた。ピースサイン付きでメッセージを送ってきそうな男がいた。トロンダ攻略チームにも居たはずである。おもわず顔を上げた。

 「デーさんかっ!」

 瞬間、失敗に気付く。アーランは当然のように正面に座っていた。表情が筒抜けである。にやりとして彼は打てば響くように応えた。

 「正解!」

 そこで彼はタスタス、リズベットに向いて、

 「さっきディアベルさん達がトロンダ入りしたんだとさ。アルゴはその場に立ち会えなかったのでこうなっていると」

 確定であった。アルゴは今度こそ本当に項垂れた。情報入手速度でアーランに負けていた。

 「情報屋の名折れダ……」

 清々しい笑顔のアーランとうつむくアルゴが良い対比である。二人も納得した。ここでアーランは肘をついて両手を組んだ。

 「さて。メイン集団がトロンダ入りしたことを確認してあげたんだ、君の親しい友人について語ってもらってもいいかな? ソロでお人好しで、しかしとっても強いことは分かっている。トロンダに人が増えたのに、君の姿が見えないのを心配してくれたんだろう?」

 メールを寄越した少年についてであった。

 「な、なんのことカナ。べつにそういうのデハ」

 実際、そんなのではない。トロンダに人が増え、もうアルゴもトロンダ入りしているに違いないと、クエスト等がベータの時とどう変わっているか訊いて来ただけである。しかし何と言うか的の外し方が微妙でかえってとても反論しにくい。第一、当る的のメッセージであったほうが彼のかばい甲斐があった。

 「うちの計画に影響があるプレイヤーかどうか、それくらいはいいだろう? 別に固有名詞だせとは言わない」

 その瞬間、リズベットが「えー」という口を形作る。タスタスに至っては具体的に抗議した。

 「あまりプライベートのことを話さないアルゴさんの貴重な()()()友人の名前を聞き出す機会なのに……」

 そう言って残念そうな彼女に、彼は肩をすくめた。

 「それはさすがに可哀想だろう」

 別の方向に話が飛びそうなことにアルゴが手を振る。

 「いや、そういうんじゃないカラ」

 じゃあどういう人かな?という顔をするアーランに、しぶしぶ話し出した。

 「昨日のうちにトロンダ入りしてる。メイン集団との差は、だから一日ほどダナ。レベルは飛び抜けて高いケド、ソロにしても周りへの影響力はほとんどないから、にーさんの計画とは無関係でイイと思う。だけど」

 ここでリズベットのほうを向いた。彼女に直接話しかけるのは珍しく、何事かと彼女も背筋を伸ばした。

 「アイツの武器を造ることが、鍛冶プレイヤーの目標になる。いつか」

 「あたし、もう NPC 鍛冶よりマシなもの造れるわよ? 強化くらいなら今すぐ受けてもいいんだけど」

 そう胸を張った彼女に、駄目だ、とアーランは割り込んだ。彼女がむくれた。

 「なんでよ」

 「そいつは NPC 鍛冶の手で限界まで強化済みだろう。次の強化は、そう、NPC に頼めば七割、君に頼めば八割の成功率としようか」

 アルゴを見る。彼女も頷いた。

 「良い数字だと思ウ」

 「そいつが大事にしてきた相棒を、二割の確率で駄目にしてしまって君は彼に謝れるのか?」

 さすがに破壊されることはない。アルゴの要請でリズベットが確認している。言葉に詰まった彼女に、彼は表情を緩めた。

 「仕事に感情移入するのはリズの大きな利点だと思う。だからこそ、君が失敗する可能性は全て潰させてもらうよ」

 「過保護ダナ。だけどまあ、もうすこし修行してから、だとおれっチも思うヨ」

 アルゴは思う。何時か、は期待する。でもそれは今ではない。今しばらくは(キリト)は独りで戦い続ける。メイン集団も、アーランもまだ彼の手助けができるほどではない。

 「……うん、分かった」

 神妙にリズベットは頷いた。アーランは空気を振り払うように、

 「で、仕事の話に戻ろうか」

 「……やっぱりおれっチで遊んでたのカ」

 「思い出したんだが、今日はアルゴから何を聞き出してもタダの日だったんだよな」

 「残念ながらそういう契約ダナ」

 もちろんそんな契約ではない。実は少しばかりアーランは反省した。アルゴのノリが良いから彼もこういう言い方をするが、こういうやり取りをするからリズベットに恐がられるわけである。ただ、それをおくびにも出さず話を続けた。

 「その彼との、出会いについて語ってもらおうか? 歳は幾つくらいなんかね? レベルはともかく、人としてはどんなんだ?」

 「マテ」

 アルゴのポリシーとして彼の情報を売るのには何の問題もない。しかし今それを話すのはとてもまずい気がした。

 「気になるところは気になるし。なあ?」

 「はい」

 綺麗な笑顔で女性二人の声が揃う。

 「で、仕事の話に戻ろうか」

 「……分かった。仕事の話に戻ってクレ」

 疲れた表情のアルゴに、彼は真剣な顔で言った。

 「トロンダ入りが早すぎる」

 「にーさんが煽ったからダロ?」

 「君の友人 A が先駆け(パスファンダー)しているからだろう? リズのレベリングはともかく、鍛冶屋コミュニティにコネ作る時間が足りない。現状ではコンボイ誘っても乗ってくれないだろう」

 「おれっチの保証では駄目カナ」

 「無料で?」

 「ええい、無料でやってヤル」

 「いや、冗談だよ。金は払うから、前線で知られてそうなパーティの下っ端何人かひっぱって来れないか? 協賛してる、という看板が欲しい」

 「今はトールバーナ目前で忙しいゾ? トロンダからトールバーナは目と鼻の先なんダ」

 「こっちが動くのは前線組がトールバーナ入りしてからだ。何日か休むよな? 休むよね? 即行で迷宮区突撃とか無いよな? そこで人が借りられればいい」

 「……あいつらそのまま突入すると思ウ」

 「おいおい。まいったね。どうしたもんかな」

 手で顔を覆う。仕事が増えそうな不穏な空気を感じてタスタスが手を挙げた。

 「先輩、わたし休暇が欲しいです。みんなで一日休みましょう」

 横のタスタスを一瞥してアーランは頷いた。

 「ん、分かった」

 即答にアルゴとリズベットは顔を見合わせた。彼も気付く。

 「なんだい? 二人して」

 「いや、……あたしが休暇が欲しいって言ったら即オーケーした?」

 「もちろんだ。鍛冶屋が集中力欠いた仕事とか、前線の人が本当に死ぬだろう、冗談じゃないぞ。もともと明日は休み入れてもよかった。証拠に君に払った分も今日までだろう?」

 釈然としない顔のリズベットだったが、それでアーランの口八丁の壁が突破できるわけないダロとアルゴは思った。思いつきもしなかったことを突っ込まれて準備万端だと言い張るのはアルゴも普通にやることだ。

 「でも今仕事増やそうとしてなかった?」

 「君のスケジュールを前倒しにしたりはしないぞ。限界一杯だろ」

 「……よく御存じで」

 タスタスが少し身を縮こまらせながら横をちらと見て、二人の話に小声で割って入った。

 「リズちゃんごまかされてます。アルゴさんの予定が今日で、今日までのスケジュールが確定してたから今日までだったんですよ」

 「あ、そうか」

 明日の予定は未定だったかもしれないが、そこに休みを入れるつもりだった、というのは嘘なのだろう。リズベットはちょっと睨んでみるが、彼は平然としていた。タスタスからもそれ以上の助けの手はない。アルゴに至ってはお手並み拝見とばかりににやにやしている。味方なんかいなかった。彼女はがっくりした。

 翌、休養日。

 

 「わたし、圏外(そと)に出たいですっ!」

 アーランがタスタスに今日何をしたいか訊いた時の返事がこれだった。《はじまりの街》に閉じこもっている人が聞いたら目を回すな、と思いつつ、彼やティクルと違って彼女は小屋に詰めっぱなしだったから分からんでもないとオーケーを出す。ティクルも来るか、と水を向けたところ、やや意外そうな顔をしたものの彼も頷いた。

 前線が《トロンダの村》に達したことは当日中にホルンカのプレイヤーに知れ渡った。アニールブレードを手に入れた後もホルンカに滞在し、レベリングしていたプレイヤーは一斉にトロンダへと移動を開始していた。つまり、その翌日の今日、森は閑散としているはずだった。休養には良いだろうと思ったのである。

 

 三人で《西の森》手前のなじみの広場に出向き、タスタスはイノシシを捕まえて遊び始めた。しばらくそんな彼女を眺めていてふとアーランは我に返った。ここはゆるやかな丘陵の草原と林の境目、道の見通しはそこそこ。つまり遠目に見ると ──

 (なかなか酷い絵面かもだなー)

 このあいだとは違って彼は注意したし、無傷にしておく意味もなかったので彼女も同意してフレンジーボアの HP はかなり削ってあるが、そんなことは分かるまい。モンスターの下からしがみついて声もあがらない様子の女性プレイヤーと手を出しあぐねているようにみえる男性プレイヤー二名が見えるだけだろう。

 頬がゆるみきった彼女に声を掛けた。

 「タスタス、ちょっと起きろ。道から外れ ──」

 「おーいおまえら大丈夫かぁっ!」

 遅かった。茶褐色の大柄のスキンヘッドを先頭に駆け寄ってくるプレイヤーが三名。先頭の一人以外は初期装備の小剣だから、さほどスキルもレベルも上がってないはずなのに、なかなか良い目をしていた。彼は溜息をついて、

 「ティクルはvP(対人戦闘)警戒、隠蔽は……手遅れだな。おいタスタス」

 「はぁいー」

 やや不満げに、短剣をモンスターの首筋、リアルなら頚動脈のある位置と言えそうな部位に突き通してポリゴンに変え消し飛ばした。手を引っ張って彼女を立たせると、彼女は礼を言ってからパタパタと服をはたく。イノシシの返り血がついていないのがこの世界の有り難いところだろう。モンスターの背後で剣を構えていたティクルが少し剣先を下げる。

 

 近付いてきたパーティのプレイヤーはいずれも大男の部類で、そのうちの二人はアーランよりも背が高い。戸惑いながら得物を仕舞っていた。

 「お、なんだ、大丈夫か? というか、余計な御世話だったか?」

 「あまりに紛らわしいことをしていたこちらが悪い。すまん」

 アーランはすまなさそうな大男に手を差し出した。握手を交わす。

 「そもそも何してたんだ? 差し支えなければだが」

 「モンスターの出来の研究だな。弱点とかクリティカルがどうなっているかとか」

 「アゴの脇のところ、柔らかくてモフモフよい感じなんですよ?」

 「首筋に剣立てれば剣の耐久減らさずにモンスター倒せるとか」

 「喉元なでるとお顔からトゲトゲした感じしなくなりますし」

 「うん、まあ、君等が何をしてたのかは分かった。しかし食われる寸前にしか見えなかったぞ……生け捕り中、とでも看板立てておいてくれ」

 大男は苦笑していた。タスタスが目一杯ちゃかしているが、これらが彼らの元々の興味だ。

 

 モンスターに頚動脈も脊髄もない。にもかかわらず腹に刺すよりは首筋のある部分を刺したほうが HP の減りが大きかった。この事実を確認した時、三人は少しばかり茅場晶彦(プロジェクトマネージャー)のコスト縛りに同情した。

 プレイヤーに心臓すらないこの世界において、モンスターとは「切れば HP が減る存在」でしかなく、刺す部位によって HPの減りは変動するものとして、どこまで真面目にモデリングしているか、は彼らの要確認事項の一つである。

 今のところ調べる方法はないし将来もないだろうが、心臓のない SAO のプレイヤーで右胸左胸を刺された時のHPの減りは違うかどうか。リアルワールドの人間は胸の中心やや右を刺された場合とやや左を刺された場合で明確に死亡率が異なるだろうが、どのくらい忠実にリアルワールドの現象を SAO のモデルに持ち込むか。

 モンスターの体表面にクリティカルエリアとして「頚動脈の位置」をマッピングするくらいならおそらく内臓、せめて血管系・呼吸器官系くらいはモデリングしたかったであろう。にもかかわらずモンスターの腹を切り裂いても安っぽい光るメッシュが見えるだけなのだ。細部まで拘りたいであろう茅場晶彦の気分とコストからくる簡略化のトレードオフの結果であることは明らかだったが、それがプレイヤーから見えるところに置かざるを得なかったのは苦汁の決断であったに違いない。

 

 アーランは重ねて謝った。

 「俺たちが困ってそうだったらやっぱり助けに来てくれると嬉しい。もうオオカミ少年をすることはないと誓おう」

 「まあ何か起きれば俺たちが助けてもらう側だと思うがな」

 それは装備の違いで一目瞭然だろう。

 「あんた達はリトルネペント狩りかな。まあこちらにはそれしかないが」

 「ああ。それがクエで貰える剣か?」

 「そう。いくらか強化してあるんで、貰える奴は色合いが違うが」

 今日が休みになることを知ってハイになったリズベットが調子に乗って成功させた三本のうちの一本である。

 「強化済みかよ、早いな」

 「まあな。その先達からアドバイス一つ。そこの林に開いた穴のような広場の向こう側の端より奥がリトルネペントのエリアで、広場の手前側の端よりこっち側がフレンジーボアのエリアだから」

 「安全地帯(セーフティゾーン)ってことか?」

 「細かい昆虫モドキが入ってくるから厳密には違うようなんだが、まあそんな感じ。まだガイドには書いてなかったろ」

 「サンキュ」

 「お騒がせした謝罪だ」

 「じゃあ行ってくる」

 「おう」

 手を振って見送る。彼らが森に消えるころ、ティクルが心配気に訊いた。

 「ボス、アレどうすんすか?」

 アーランも溜息をつきつつ首をふった。

 「しょうがない、昼ごはん食べたら見に行くことにしよう」

 「今日、うちの店休みなんですよね……」

 タスタスも悄然としていた。リーダーのスキンヘッドは斧持ちなのでともかく、残りの二人は小剣である。彼らはガイドブックも読んでいた。つまりアウトレットのアニールブレードを入手しようとしたはずで、店が休みだったために初期装備でモンスター狩りに挑戦するはめになった可能性がある。この時期に来るなら初心者(ニュービー)である。いざという時ここまで逃げてこいとは伝えたが、はたしてどうだろうか。森は人が減ってポップ率も上がっているのだ。

 森は本当に閑散としていて彼らは容易に見付かった。タスタスが索敵マップを見て声を上げる。

 「これ囲まれてますよぅ」

 パーティを解除しつつ慌てて駆けつけ、ティクルとタスタスが牽制に入るのをよそにアーランはリーダーの斧持ちにパーティ参加を申請、すぐにメンバーに入る。視野の隅に三人の HP ゲージが映った。このうちゲージが黄色なのが二人、内そろそろ赤くなりそうなのが一人、その名は ──

 「奥がナイジャンかっ?」

 「そうだっ!」

 当然ではあるだろうが、彼は舌打ちした。斧持ちのエギルは触手を断ち切れず、タゲは取れてもナイジャン達に触手でちょっかい掛けられるのを防ぐところまではいっていない。アーランが踏み込もうにもエギルが邪魔だ。エギルとスイッチした瞬間にナイジャンが飛ぶかもしれないとなると提案出来ない。

 「奥の人が赤い、ティクルは中に入れるかっ?」

 彼が答える前にタスタスの悲鳴が上がった。

 「二時の方向、7 秒で実付き 2、ノーマル 1!」

 「ティクル!」二時方向を見もせずに指示を出す。「二時方向の三つ足止め!」

 アーラン自身も走り出す。そのままだとティクルの位置からの抑えが無くなる。彼の反応も速かった。

 「了解、足止めに入る! スイッチ!」

 ポーションを一本取り出し、外側を大回りしてエギルの邪魔にならない位置から一体のタゲを強く取る。ティクルの居た位置だ。背後をケアされたのにもかかわらず、まだナイジャンは「ポーションを取り出し、飲む」という作業は出来そうに無いようにみえた。しかし彼は無理にメニューを開こうとして、目がモンスターから逸れる。エギルが大声を上げた。

 「まて!」

 「ナイジャン受け取れ!」

 

 アーラン達三人はデスゲーム宣言の後しばらくして剣を持つ手を右から左に変えていた。右手はメニューを操作する手であったためである。筋力・精確さの点では右手・左手に差がなく、対人戦で複雑なフェイントでもしないかぎり、剣を持つのに利き手である必要はなかった。その一方で、戦いの最中に一秒でも早くポーションを取り出すためには右手は空けておかねばならなかった。そうでなければ命にかかわるからである。あるいはちょうど今のように剣で触手の相手をしたまま右手で細かい仕事 ── ポーションを投げるといったようなことをするために。

 そのポーションは触手に叩き落されても構わなかった。同じモンスターから目を離すならメニューに目が釘付けになっているより宙を見てくれたほうが良い。しかし望外の結果が得られる。彼はガチガチの左手で掴むことに成功した。あたふたと握りしめる時が一番危なかったかもしれない。

 

 「三秒後に飲め! タイミング合わせ、3 2 1 ゼロ!」

 説明せずとも理解できるプレイヤーとは良いものだと彼は思う。その瞬間、ナイジャン・ウルフギャングを取り囲んだ四体のリトルネペントのタゲを、アーラン・タスタス・エギル・ウルフギャングが取った。数秒ナイジャンの周囲が空白になる。そして彼のゲージが黄色中盤に回復した。

 

 遠くの個体の触手も相手しなければならないからなかなか切り倒せないのであって、数秒でも触手を放置で良いならもうリトルネペントはアーランやタスタスの敵ではなかった。なにかしら身体が軽くなったのを感じる。身体のキレも良くなった。つまり、

 (二人分の命の重み、そこそこあったってことか)

 こういう関係ない思考ができるということが余裕の証拠だ。自然に笑みが浮かぶ。

 エギルもその笑みを見た。彼にしてみれば危機的状況は変わりない。しかしアーランとともに手伝ってくれている女性プレイヤーの表情からも厳しさが抜けてきて、二人が死から遠ざかったのを知った。冷汗がおさまってくる。

 

 ナイジャンのゲージが再び赤に落ちかける頃、まずアーラン側のリトルネペントが飛び、包囲網に穴が開く。

 ナイジャンの脱出と入れ換わるようにアーランが飛び込む。そろそろ赤に落ちそうなウルフギャングに呼びかける。

 「スイッチ(そこどけ)!」

 入れ換わって脱出するウルフギャングの背後のケアに入る。ちょうどエギルとタスタス担当のリトルネペントがそれぞれポリゴンとなって消えた。

 「タスタス、こいつよろしく!」

 「了解、担当代わります、先輩ひどくないですかー」

 抗議を無視してティクルの補助に向かう。相手は実付き二体。ノーマルは討伐済みらしい。

 「あ、ボス、てことはやっちゃっていいんすかね」

 「やってくれ」

 次の瞬間、二体まとめて消し飛ばされた。タスタスはと振り返るとエギルがスイッチして最後のリトルネペントに向かうところだ。

 「タスタス、周囲はどうなってる?」

 ここしばらくソロ行動が多かったこともあって三人とも索敵スキル持ちだが、タスタスのものがいちばん索敵範囲が広い。

 「十一時の方向 100メートル停止で一つ、一時の方向、30 秒で二つ、です」

 「うしろはクリアなのね、じゃあエギルさん。いったん森の外に脱出しないか? たしかに近付いて来る奴に花付きが居るかもしれないが……」

 「わかった。一度出直す」

 そう言いつつ、きっちり仕留めるのが中々格好良かったとは言える。ただし、彼には言わねばならないことがあった。

 森の外に出て、広場でまるく座る。ナイジャンに飲ませた分のポーションをエギルから受け取って仕舞いながら、アーランはやや非難を込めて訊いた。

 「さすがに取り囲まれるほどのピンチになっているとは思わなかったんだが、エギルさんの指揮か?」

 彼は笑いながら自分の頭を叩いた。

 「いやぁ、囲まれてる奴が居てな? そいつ助けに潜ったらミイラ取りがミイラになってた。めんぼくない。助かった。礼を言う」

 「……で、そいつは助かったのか?」

 「よく分からん。助かったと思うが、助けたあと一目散に居なくなったからな」

 

 アーランは何とも言えない感情に襲われた。今日、二回、彼らは人助けに入った。一回目は空振り、二回目は裏切られた。しかも一回目は自分達である。モンスターにやられれば本当に死ぬ世界で、不透明な状況で躊躇せずに人助けに向かう。アーラン達が唐突に横から討伐に参加して、それをターゲットの横取りとか考えない。互いに情報が筒抜けになるパーティ参加申請をすぐに受ける。タスタスやティクルの情報を彼らに渡すのが嫌でアーランは事前にパーティを解除しておいたのに、だ。

 

 エギルはそんなアーランの顔をしげしげと見つつ、笑いとばした。

 「あんたがそんな顔をすることはない」

 「そうは言ってもな……」

 「こんなことでオオカミ少年に懲りたりはしないさ」

 「……まいったね」

 アーランのほうが気を使われていた。素人二人を連れた戦闘で下手やらかした指揮について一言あったのだが。エギルがタスタス達のほうを見た。

 「そっちの二人、紹介してくれないか。礼を言いたい。まあ構わなければ、だが」

 パーティに参加させなかったのだから、嫌がっていると思うのは当然だろう。二人に目で頷いた。

 「タスタスです。どうぞお気遣いなく」

 「ティクルです。どうも」

 エギル達三人は二人に口々に礼を述べた。アーランとしては、元を辿れば自分達に責任の一端があると思うとおもはゆいのだけども。

 

 話してみると、彼らは自分達に気を使ったのか本当なのか、アウトレットを買うつもりはなかったらしい。そもそもアニールブレードを使うつもりがないと言う。両手斧を見せながら、

 「これ買うのに三人で金出してな。あと二つ買うための金作るのにクエスト受けたんだ」

 「最初に使うのがエギルさんだ、ってのは二人は納得してるんだろうか?」

 「ああ。俺たちも試しに使ってみた。こいつがいちばん上手かった」

 アニールブレードは剣としては出回る数が多くなってきていて、アウトレット含め流動性も高い。現金化を考えるプレイヤーが出てくるのはおかしくなかった。自分達が現金化しようとした時は出来る気がしなかったものだが。状況の変化にすこし笑みを浮かべる。

 「なるほど。花が取れたら僕達が買い取っても良いよ。ひとつ一万二千コルで」

 「あんたら手持ちの剣あるんだろう」

 「前線に売るぶんだよ。鍛冶屋のレベリングもしてるんで、出来あがった剣の販売をね」

 「おお、そんなのもあるのか」

 なにか納得したように彼らは頷いた。ホルンカの [森の秘薬] クエストは案外効率が悪いという噂が出回り始めていたのだが、トロンダへ人が移動してここらあたりの人が減ったことを期待してここに来たと言う。つまりアーラン達のレベルでここに居るのを不思議に思っていたとのこと。

 

 リズのレベリングはここらあたりで打切りだな、とアーランは思った。人助けとはしておくものである。低レベルプレイヤーの評判はチェックしていなかった。[森の秘薬] クエストの悪評を辿れば自分達にたどり着いてしまう。その前に撤収しておくべきであった。

 



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保護と覚悟

 リズベットが水車小屋を出ることになった日。小屋の庭先で、彼女に挨拶に来たアーラン達とタスタスが少し話をしているのをじっと見つめていた。話が終わったのかタスタスが彼女に振り向き、表情を見てやや困った顔をして、彼女に歩みよって抱きしめた。彼女はおもわずしがみついていた。

 少し離れてその今生の別れか何かを見ることになったアーランは、彼女達から目を逸すように庭の柵に腰かけていたアルゴに顔を向けた。

 「第一層クリアか、それよりもう少し先になるか、くらいかな?」

 二人が堂々と会えるようになるまでの時期のことである。リズベットが安全になる、つまり彼女以外の高レベル鍛冶師が知られてくるようになるまでの時間だ。アルゴも少し考えて、

 「それくらいカナ。今年一杯で二人くらいは出てくるんじゃナイカ?」

 少し落ち着いたリズベットがタスタスに抱きついたままアーランにおずおずと尋ねた。

 「アーランさん。ここまでの収支どうだった?」

 アーランは言い淀んだ。最終的に手にしたのは NPC 鍛冶では容易に届かない水準の強化剣四本。壮絶に高価についたが早期に手に入ったという点で彼に大きな不満はなかった。遅れを取り戻すのにも十分な武具だろう。商売自体も最前線のキャンプ一つ一つ回って前線連中と顔を繋ぐネタになった。ただし、もちろん収支で考えてはいけないレベルでの話である。

 「聞かないほうがいいぞ」

 彼女の顔がまたタスタスの胸に沈みこんだ。声がくぐもる。

 「……やっぱ、そうなる?」

 「そうだろうナ」と、やりとりを見ていたアルゴも暗い顔で同意した。

 鍛冶屋育成を始めたころは前線に居ても遜色ないパーティだったが、最前線である迷宮区に今突入するのは無理がある。相対的なレベルはそこまで落ちた。レアドロップ四つ相当で割に合うとは彼女も思わない。赤字分をリズベットの借金とすれば済むような問題ではなかった。

 「最初から覚悟のうちだよ。このほうが儲かるようじゃ、誰も攻略に出なくなる」

 「それは、分かるけど」

 自分をパーティ内に取り込んで収支が合うかどうかだろう、と彼女も訊いてみたことがある。

 「たった三人で鍛冶師のエースを抱えこんでどうする。リズというリソースの無駄遣いだろう」

 そういって断られた。そこでモノで返すべく、努力はした。そして冷たい確率の前に跳ね返され、結果として彼女の一人儲けになってしまったのだ。金も時間も足りなかった。彼らの報酬は剣がたったの四本である。これから自分で量産できるというなら一人で鍛えて彼らに安値で渡せば良いが、偶然と気合いの四本では次は何時になるかも分からなかった。

 ちなみに四本目は仕事の終わりを告げられたリズベットがアーラン達を小屋から追い出して鍛えた一本である。出来た、というメッセージを受けて、追い出された庭先でぼけっとするはめになったアーランが中に入ろうとしたところを「リズちゃんが鶴だったらどうするんですか」とかなんとかでタスタスが止めたらしい。なんだそれは、と目を泣き腫らしたまま笑ったものだった。

 

 事の最初にアーランは一週間と言った。結果的にも、それはほとんど間違っていない。しかし彼女としては彼らが黒字になるまでは協力するつもりだった。順調に軌道に乗っており、あと二週間、というところではなかっただろうか。トールバーナまで、第一層クリアまで、つき合うつもりだった。ここまで縁が切れる形になるとは思ってもみなかったのだ。

 アーランはタスタスと抱きあったまま別れを惜しんでいるリズベットから再びアルゴに目を戻した。

 「アルゴ、育成本はどうなった? 前線連中に売った反応が知りたい」

 育成本 ── 鍛冶プレイヤー育成指南本(ハンドブック)。アルゴの攻略本(ガイドブック)別冊として前線の主なパーティとめぼしい鍛冶屋に売ったもの。これでリズベットを鍛えるのに溶かした金の三割ほどが返ってきた。

 NPC 鍛冶を越えるラインまで鍛冶屋志望プレイヤーを鍛えて囲い込むまでのレベリング手順、費用と育成時間の説明書。解説と費用の試算は具体的で、明らかに実際に試した、つまり少なくとも一人、NPC 鍛冶屋を越えたプレイヤーが既に居ることが見て取れるようにして煽った書。前線の人間ならば誰がそれに関わったか心当たりがあるはずであった。

 その推測が前線の野心家グループに浸透したころに彼は護送船団のボランティア募集を告知した。つまりリズベットを餌としてスカウト兼任の護衛志願者を釣った、もとい募ったのである。

 もちろんアーランはリズベットの存在は示唆しても名前まですぐに明かすつもりはなかった。しかし、はじまりの街からリズベットがしばらく居なくなっていたことはどうにもならないし、人の少ないホルンカでの女性も目立つ。一連の計画にアルゴが関わっているのと、もう一つの有力な情報屋グループがホルンカで機能していないことから、情報統制が効いているだけである。拠点がホルンカにあることは容易に推測がつくから、彼女には速やかにホルンカから立ち去ってもらわねばならなかった。

 

 この時、アーランとリズベットは揉めた。少なくともアーランのほうはそういう認識である。データを公開する時に取り付けた約束、つまり存在が洩れることによって彼女が危険になるならちゃんと守る、という約束を彼女が持ち出してきてアーラン達が離れることを非難したのだ。彼女が心の内をほとんど全て吐き出した頃、アーランは頭を下げた。

 洩れるとすればそれは諸々隠す努力ができる育成本からでもアーランからでもない。隠しようもない、ホルンカに住み着いた鍛冶屋が居る、という事実からだろうから、彼女の安全のためにも二人目以降の育成を彼は焦らざるをえなかった。そのために彼女の安全性を削ったとしてもである。理論的には、育成本のデータを解析して彼女にたどり着くまでの手間と時間が、事実を調べてバレるまでの手間と時間に等しくなる程度まで情報を公開できる。身長・体重・目線の高さ・腕の長さ・背筋力などの基礎体力・筋肉を使う時の習慣などに関わるデータを彼が全て抜くと、彼女の育成プロセスの生データをそのまま公開したいというアルゴはものすごく嫌な顔をした。しかし、アルゴといえども鍛冶ロールでプレイしたことはない、鍛冶熟練プレイヤーがデータから女性を嗅ぎとった日にはほとんどバレたも同然だろうと主張して彼は押し切った。

 しかしこういったことにはかなりの部分に主観が混じる。これをもって彼女に納得してもらうことはできなかったから、彼が言えたのは謝罪の一言だけであった。

 

 今日、彼女は一度はじまりの街に戻ることになる。ストレージ共有も切った。フレンド登録のほうはタスタスだけ残しておけば良いだろう。

 ただ、誰が彼女と一緒に帰るかは少し悩んだ。自分達の誰かと一緒に帰るにせよ、一人で帰るにせよ、あるいはそれをティクルやタスタスに離れて見守らせるにせよ、問題が多い。アルゴに頼むことすら考えてみたが、似たようなものである。リズベットが一人で帰ることを主張し、結局、そういうことになった。一人でホルンカまで往復できるというアリバイが出来ることは大きいのだが、非戦闘職のレベル 3 をソロで圏外に放り出すのはあまり気分が良くない、そう言うと彼女は笑い飛ばした。まあ確かに非戦闘職のレベル 2 の目の前にイノシシをけしかけた男の言うことではない。ただ、少しでもポップするモンスターの数を減らすため、アーランとティクルは今朝方ホルンカとはじまりの街を一往復している。

 

 「そこそこ良かったゾ。実際に行動に移しそうなのは三つ四つってとこダケド。どうしても投資回収期間が長いってサ」

 「意外に少ない……手持ち現金残してないとか必死すぎだろう。ディアベルのところを見習えと言いたい」

 最前線グループの手持ち現金について、彼はディアベルのグループがポンと出した金額を基準にしていた。あれが攻略集団として飛び抜けたところに位置していたとしても、当時のトロンダ手前から今は迷宮区である。他の人達も今ならそれぐらいは出せるだろうと思っていた。

 死亡率がネ、高いんだヨ、というアルゴの呟きはかろうじて聞き取れた。装備に手が抜けないということだろう。現金は溜め込んでも対モンスターの防御効果はない。舌打ちしつつ彼も黙った。その部分について語っても聞き入れるプレイヤーは居ないと思うから。

 アルゴが顔を上げた。

 「まあデモ。にーさんの本来の目的は果たせそうダヨ」

 「そっか。良かった。まあこれだけ走り回って結果がでないと悲しい」

 

 耐久度を消耗した武具は鍛冶プレイヤーにとって貴重なリソースであり、それを NPC 鍛冶屋に持ち込む行為は鍛冶プレイヤーのスキルアップの機会を奪う行為だと彼は考える。それはドロップアイテムを捨てる行為に近い。リソースの無駄遣いは間違いなく攻略速度を落す。

 アルゴにガイドで呼びかけてももらったが、NPC 鍛冶屋よりもレベルの低いプレイヤー鍛冶屋に存在意義がないことは彼も認める。鍛冶プレイヤーに早急に NPC 鍛冶屋のレベルを越えてもらえれば説得力としては一番である。護送船団に至る一連の計画は基本的にこのラインに沿った。

 その本質部分以外にすこしだけ期待できることがあった。鍛冶プレイヤーが友人であった場合はどうだろう。多少のミスは許してもらえるのではなかろうか。それならば NPC 鍛冶以下でもスキルアップする機会がある。またはアルゴや彼の一連の行動によって前線の人達が彼の主張に一定の理解を示してくれた場合。気分が良い時、目先を変えてみたい時、そういった時に「プレイヤー鍛冶屋でも訪れてみようか」ということが選択肢に上ることだ。

 

 トールバーナに無理を押してまで鍛冶志望プレイヤーを連れて行くのは、この理由による。ホルンカやトロンダと違い、トールバーナは大きな街だ。前線プレイヤーは迷宮区とトールバーナだけでプレイを完結するだろう。前線の人間に鍛冶プレイヤーと接触する機会がないことには何も始まらないのに、だ。

 そしてアルゴの発言は、トールバーナに鍛冶プレイヤーが来るのを待ち望む人々が出て来ているということを示していた。

 

 ふとアルゴがアーランの奥に目を向けた。そこにはティクルが来ていた。

 「三人目を紹介してくれるとは思わなかったヨ」

 「世話になった君への礼だよ。情報の形で餞別だ」

 「……えらく安いナ」

 情報屋・スパイ・護衛としても行動しているらしい三人目についてきちんと調べるのは骨だが、商人として表に出ているのだから、その気になれば調べられる人物であった。

 「そう言うな。そうそう君に隠しておける情報の持ちネタなんかないよ」

 肩をすくめたアーランにアルゴが食いついた。

 「いやいやいやイヤ、何かあるダロ」

 「心当たりが多すぎて分からんからなー」

 「にーさんの行動計画書とかイイナ」

 アルゴがしなを作ってみせると彼はやや呆れた口調で、

 「紙の上のスケジュールみたいなものはなー。相手次第でどうなるか分からんから……そういえばアルゴ、エギルという奴は知ってるか?」

 「両手斧使いカナ。知ってるヨ」

 「彼のパーティの情報、現在の力量と今の行動計画や方針のあたりについて、今週から護送船団が出る頃までの分をまとめて売ってくれ」

 「護送船団の後の計画に関ワル、ということカナ? 確認しておくケド、にーさんが買ったことは向こうに伝わるヨ?」

 「むしろ歓迎だ。あの人達とどうするかはまだ。今なにしてるか全く知らないから。前線で見かけたこともないし。でもさ、例えば僕がボスレイドに出ている間、うちの子を預けておくには良い人達じゃないかなと思うんだよ」

 ティクルが目を丸くしたのが彼女から見えた。

 「そこの三人目君が驚いているようだケド、話通してないノ?」

 「ただの妄言だ、まだ。一人で他のパーティに参加したとして、使い潰されたり裏切られたりする心配をしなくてすむ貴重なパーティだと思うんで、唾は付けておきたい……というあたりで、お互いの礼としてはどうだい?」

 「フム。分かっタ。こちらこそ、いろいろ楽しかった。面白かったゾ」

 「そうか。それは良かった」

 コツン、と拳を二人は打ち合わせた。

 トールバーナへの護送船団出発地をアーランはホルンカとした。ホルンカまで自力で来れる実力もしくは知恵と気概を要求したといって良い。リズベットを連れて来た時の様子から、圏外に居るというストレスを過小評価はしなかった。パニックを起こされては困るのである。

 その一方で、前線グループが派遣しようとする護衛プレイヤーに対して彼は堂々と自分より強いことを要求した。試しにと護衛候補一人を ── 実は武器の力を借りて ── 叩きのめしたあと、彼はこう説明した。

 「僕より弱い人を連れて行くと、力及ばず死んでしまいかねません」

 周囲で見物していたプレイヤーの半分くらいが吹き出した。弱いプレイヤーは後方に留まるべき、というそれなりにもっともな発言ではあるのだが、この台詞の論理をちゃんと実行するとパーティで一番弱い彼がリーダーシップをとる、ということになる。パーティを運営するのは至難であろう。

 

 前線パーティで鍛冶師育成に手を出すことを決めたところが三つ。アーラン達ははじまりの街の鍛冶師四人ほどをまず誘って、OK を得た。最初はそういう静かな成行きであった。しかしすぐにいろいろおかしくなる。

 「なんかおかしくないか、このメンバー」とアーランは呟いた。それを聞いたタスタスが「類は友を……」と言い掛けて面白いように彼の顔色が変わるのを見て言い直した。

 「能力の要求が厳しいのに、先輩の度量がおっきいですから、人格の幅が広くなるのは必然じゃないかなと思います」

 「そんなゴマは要らねー……」

 アーランは項垂れた。しかも彼らが変ではないとは一言も言っていなかった。

 「えっと、でもわりとポンポン許可の判子押してましたよね?」

 彼女は首を傾げた。

 

たとえば、とある女性護衛志願者。

 「立派な仕事だと思いますぅ」

 妙な感動をしていた。ソロで鍛冶師育成とは無関係なのにわざわざトールバーナから戻ってきたとのこと。トールバーナ周辺の地理を知っている一人ということで許可する。

 

たとえば、ある打ちひしがれた鍛冶志望。

 将来の参加パーティが決定済みである。というか、ホルンカまで彼らに連れてきてもらっていた。参加する意味があるのかと訊くと、

 「こいつを鍛えてやってくれないか? 向こうのが鍛えるのにも良いんだろう? 俺たちも護衛についてもいい」

 ためしに打ち合ってみれば、彼ら五人のパーティは頑張ればトールバーナに届くか、くらいのレベルだった。護衛で頑張ってもらうとモンスターの一つ二つ後に抜かれそうなので断ろうとすると、なぜか鍛冶屋のほうが背丈が半分になる勢いで縮こまる。連れて行かないと鍛冶屋がふとした拍子に自殺しかねないので、仕方なく二人ほど連れて行くのを認めることにした。

 こっちがパーティ割っておいてなんだが、と一応残りの三人がどうするか訊けば、

 「俺たちか? 俺たちだけでちゃんとトールバーナに行ってみせるさ」

 そう言って親指を立ててみせた。こんなプレイヤーばっかりなら仕事も楽なのだが、と感動して彼は握手を求めた。

 

たとえば、上は禁じたのに勝手に来た護衛志願者。

 「いやぁ、リーダーが認めてくれなくてね」

 「いますぐ帰れ」

 ドアを指差した。冗談ではなかった。手が一つ増える代わりに前線パーティの一つと険悪になるとか、まったく冗談ではない。かなり怒ったはずだが目の前の男は顔色一つ変えなかった。

 「人手不足だろう? 猫の手よりはマシだと思うんだ。俺は強いよ」

 胸を張ったその男は、一瞬だけ隅で隠蔽しているティクルのほうに視線を向けた。彼の隠蔽を瞬時に見破るレベルだと叩き出すのは無理だと判断する。聞けばわりと大世帯なパーティに所属しているくせに何故に索敵そんなに鍛えてる、と思いながら、アーランは男からリーダーの名前を聞いて直接交渉にあたる。正直、強力な索敵スキルは有り難い。

 リーダーのほうも天真爛漫な男には手を焼いているらしく、互いのメッセージは愚痴だらけになった。それで向こうも気が晴れたのか、許可が降りた。許可が降りたことに男が素で驚いていたのが腹立たしかった。

 

たとえば、ある鍛冶屋コンビ。参加理由は鍛冶スキルアップにも攻略組にも関係がなかった。

 「リアカーでモンスターの頭ぶんなぐった奴が居ると聞いてな」

 「そんな奴は居ません」

 アーランが初めてトールバーナ入りした時、運搬クエストのペナルティと引き換えにモンスターの棒立ちを作ったことを指していた。即座に否定したあと彼は考えこんだ。噂はアーランと特定できる形で遠くまで流れるようなものではないだろう。その時このコンビはどこにいた?

 そのあたりを訊けば、自力でホルンカにたどり着いていた。彼は驚いた。ホルンカ入りした初の鍛冶プレイヤーではなかろうか。むしろそのまま先に進んでくれても良かったのだが、船団の話を聞いて戻って来たらしい。

 「なんでそんなに戦闘能力的な意味で強い鍛冶屋がいるんだ?」

 「商人と二足のわらじ履いてる奴に言われたくねーぞ。攻略もできる鍛冶屋めざしてんだ」

 「いや、無理だろ。商人と鍛冶屋じゃ習熟時間がぜんぜん違うじゃないか」

 「そうか? 鍛冶も、ここに来てるのよりはマシだと思うぜ」

 「襲われた時の救助順序(トリアージ)は最後になるが、いいか?」

 「かまわんぜ。まあトールバーナに居るのがどんなんか知らんが……いちおう死んじまうまでに頼む」

 負担にならなさそうなので参加を認めた。

 

たとえば、あるソロプレイヤー。鍛冶屋でも攻略組でもなく、護衛志望ですらなかった。

 「あんさん、事務仕事でそろそろ人手が足りん言うはるころだと思いましてな」

 ホルンカでレベリングしているプレイヤーの一人で、顔は見知っていた。事務仕事で憔悴したタスタスに懇願されて話を受ける。一応護衛待遇なので、と打ち合ってみてびっくりした。てっぷりとした腹の見た目から想像するのより遥かに強かった。見た目と実力が一致しているとは限らないわけだが、ここまで違うのは珍しかった。

 見た目とスキルは一致しない、というのは SAO の基礎だが、実はそれなりに一致する。今の見た目がプレイヤーのリアルに沿っているからだ。つまり、プレイヤーの思考・生活様式その他はリアルの姿形に反映され、したがって SAO 内の現在のアバターにも反映されている。指先の速度だけ鍛えれば良い非 VR ゲームとは違うはずなのである。

 そう言って男に訊けば、SAO の中では身体が軽く、それが楽しくてちゃんと運動しているんだそうな。

 「なるほど」

 彼は納得して許可した。

 

たとえば、ある便乗組。もはや護送船団と関係なかった。

 「うしろ付いてくから、挨拶に来たわ」

 高校生くらいの勝気でめんどくさそうな女性プレイヤー、というのが第一印象だったが、すぐに頭の中で訂正した。鍛冶スキルの機密の問題があるから部外者集団が無秩序に膨れあがるのは好ましくないのだが、挨拶に来るならまだ良い部類である。

 「船団のうしろ、少し離れて付いて来るということかな?」

 「そう。迷惑を掛けるつもりはないわ。助けにこなくていい。前に居てくれればそれでいい」

 「それだけでも君達が前からモンスターに襲われることはない、からか」

 「そういうこと。あなた達も背後から襲われることは気にしなくていいと思う」

 「何人くらいの集団になるのかな?」

 「五人くらいかな」

 「ふむ。……君、ゾンビという状態異常、ないしモンスターって聞いたことあるか?」

 「知らない」

 「君達がゾンビ化して、こっちを襲ってきたら嫌だなと、ふと思って。まあ逆もあるわけだが」

 「そんなのが居るの? 攻略本には載ってなかったけど」

 「攻略本が全てじゃないよ。攻略本に載っていることは正しいかもしれないけど、載ってないこともあると思っていたほうがいい」

 「それは、そうね。でもゾンビ……」

 「ここで思いついただけだから、本当に居るかどうかは知らないよ。居るとしても第一層で出るようなモンスターじゃないと思うなぁ」

 「ちょ、あなた」

 「迷惑を掛けない、とか簡単に言うな。なんかあったら呼んでくれ。無碍にはしない」

 「……分かった。ありがとう」

 

 もっとも、分かってんのかなと思うことはあった。彼が移動を保証するのは護送船団の鍛冶師だけである。近い将来に第二層が開放された時、護送船団の名簿に載った鍛冶師については転移門のあるはじまりの街までの逆向きの護衛をすることになっているが、こういった便乗組の人達は、攻略最前線という活気溢れた街から主街道から外れ人気の消えた辺境の街にまで凋落したトールバーナに取り残されるはずであった。彼らはトールバーナに自力で行く能力がないからついて来ているわけで、自力移動できるほどレベルを上げるかあるいは転移結晶を手にするまでは半軟禁状態である。

 

そして、ある女性鍛冶屋(リズベット)

 「あたし、SAO で一番の鍛冶屋なの」

 顔を見てアーランは固まった。登録マクロのスクロールを手放さなかったことを誰かに褒めてほしいと彼は思う。彼女は完全に開きなおった表情をしていた。脇でタスタスが微笑んで小さく手を叩いている。答えは棒読みになった。

 「ホラ吹きありがとうございます。言葉に見合った実力があると良いですね」

 断るべきであった。前線から派遣されてきた護衛メンバーは表向きはただのボランティアだが、機会があればリズベットへのアクセスを狙っているスカウトでもある。アーラン達がスキルレベルで彼らに太刀打ちできない以上、情報戦で穴がないようには出来ない。しかし断る方向であっても自然に特別扱いする理由が思いつかなかった。困っている様子の彼を見つめて、よりいっそう彼女が胸を張る。彼が呆然としている横からタスタスがスクロールを奪い取り、許可のボタンをタップして返した。

 彼は抗議の表情でタスタスに目を向けた。

 「先輩、SAO で一番の鍛冶屋とか、最高じゃないですか」

 そう言って微笑むタスタスに、彼も肩の力が抜ける。リズベットに顔を戻して苦笑した。

 「っとにもうしょうがないな」少しだけ声が小さくなる。「けど、ありがとう」

 計画の責任を一緒に背負う、リズベットがそういう覚悟を示したことに敬意を表して乾杯。彼女も破顔した。

 「どういたしましてっ」

 

 かくして船団は最終的に、鍛冶師 10名、アーラン自身を含めた護衛 11 名、後方にオマケが 5 名、という規模になる。それ以外ではティクルがトールバーナ待機、タスタスがはじまりの街待機で物資その他の補充・補給を担当する。また、リポップタイムと摺り合わせてトールバーナ近郊でモンスター掃討隊が出ることになっていた。担当は船団に人を出すことを禁じていたパーティのリーダーである。キバオウと言った。アーランは 1 コルも出していないが、毒を食らわば皿まで、というところだろうか。

 ホルンカからトロンダを経由、トールバーナまで約 8 キロメートルの旅程である。トロンダの小休憩含めて 3 時間弱と見積もられた。

 



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トールバーナへ 1

一週間て早い……



 全員の顔合せは出発前日のホルンカの村広場で行われた。二十数個の椅子を半円に並べておいたところ、綺麗に護衛と鍛冶とで分かれて座っていた。別に意図してそうしたわけではなく、知り合いの関係から自然にそうなったのだろう。ただ、攻略プレイヤーと鍛冶プレイヤーでは、やはりお互いあまり馴染みがないということは覚えておく。最初にアーランはトールバーナ側の担当になるティクルを紹介した。彼はこのあとすぐにトールバーナに発ち、受け入れ準備に入ることになっていた。タスタスははじまりの街に待機して彼らと直接関わらないので紹介の必要はない ── ホルンカで鍛冶屋の売り子をしていた彼女を表に出すといろいろ煩い可能性があったので、リズベットに続いてさっさと脱出させている。

 その後、オリエンテーションガイドブックを配布して全体の旅程、出現が予想されるモンスター、その他の困難について説明する。ちなみにガイドブックには何気に《鼠》マークが入っている。なにしろほぼそのままホルンカ〜トールバーナ間の移動における注意書きの集大成である。

 それをざっと聞いてから、戦う鍛冶屋の片割れがこちらを見てにやっとして酔狂を言い出した。

 「そうだ運搬クエ受けよう」

 「却下。確かにナイトメアスリカータの特効薬であることは認めますが、駄目です」

 経路上のモンスターのうち、凶悪なのが一種あった。全長 50 センチほどの二足歩行のイタチのようなモンスターのナイトメアスリカータである。離れていれば無害、近寄ると凶暴になるパッシブの変型タイプで、放置してもよいくらいだが御丁寧にもポップするのがプレイヤーの足元なのだ。ポップエフェクトと同時に素早く 3 メートル以上離れるか、すぐに叩く必要があった。おそらく即応性のチュートリアルのためのモンスターであろう。レベル 2 相当で今の護衛組にとってはどうとでもなる相手だが、鍛冶師の足元にもポップすることを思えば護衛に難儀することは間違いなかった。

 「ああ、やっぱり効果あるんだ」

 護衛側にそこかしこに納得と期待の声が広まる。半端に噂が伝わってんなと彼は思う。アルゴには伝えたが、彼女も攻略本には載せていない。

 「リアカーの上にはポップしてこなかった。上に乗っていてもらえば、スリカータ相手の護衛は楽になります。確かに」

 わかってんだろ、と言い出しっぺを睨む。

 「シュードユニコーン、どうするつもりですか」

 ナイトメアスリカータとほぼ同地域に現れるモンスター。サラブレッドベースのユニコーンを思い描き、そこから胴体を三倍ほどに膨れさせ、脚の太さを四倍に、長さを半分に、首の長さをほぼゼロにしたもの。丘の上、道からやや離れた高台に現れて吶喊してくるアクティブモンスターである。ほとんどまっすぐ突っ込んでくるだけなので避けてもいいが、もちろん避け続けているとそのうち数が増える。シュードユニコーンを相手するため遠くを見ていると足元にナイトメアスリカータが現れ、噛まれて敏捷性が落ちるとシュードユニコーン相手に致命的になる構図であった。

 ベータ時代での対策の基本はナイトメアスリカータのポップを置き去りにする速度で走り抜けることである。どうせ彼らの出る地域では休憩できないのだから。ただし本番のデスゲームでは走り抜けるのは一種のトラップではないか、という評価もある。レベル上げを怠って先に進むと次の沼地がとても辛いからだ。他の方針としては低地の川沿いの道でなくシュードユニコーンのポップしそうな稜線を進み、ポップと同時に掃討してしまうこと。戦術を選ぶ、ということのチュートリアルでもあるだろう。しかし道無き道を鍛冶師に歩かせるのは論外だし、低速のリアカーでナイトメアスリカータのポップを置き去りにできるとは彼は思わなかったし、リアカーに向けてシュードユニコーンが突っ込んできた時、避けられるとも思わなかった。ただその男、シムラはそうは思わなかったらしい。意外そうな顔をした。

 「正面から受けてもイケるだろ? ていうか、あんたのことだ、試したろ?」

 もちろん試してうまくいった。

 「なんでそんなことまで知ってるんです?」

 「そりゃあ命預ける相手だ、《鼠》にいろいろ聞いたからさ。みんなもだよなぁ?」

 鍛冶組護衛組を問わず半分くらいが頷いていた。おもわず彼はアルゴが高笑いするところを幻視した。信用のため、ある程度まで話して良い ── この場合の「話して良い」は、話したとしてもそのことをこちらに伝えなくて良いという意味 ── とは言ってあったが案外多かった。どちらかというとアルゴから喜々として売りつけて回ったのだろう。

 「ちゃんと言うとですね、理由は二つあります。一つは壁が薄いこと」

 護衛での最重要ポジションだが、根本的に壁装備が高価であることが理由で、レベルの高い壁プレイヤーは前線でもまだ貴重だった。後方まで戻って来るようなフットワークは偵察プレイヤーや火力担当プレイヤーのほうが良い傾向にあったから、護衛部隊は肝腎の壁役が相対的に見劣りした。突撃してくるシュードユニコーンを避ける、という行動オプションをなくすのは恐かったのである。

 ここで鍛冶組のほうに目を向けた。

 「もう一つは、どうせトロンダからトールバーナまではみんな歩くんです。致命的なのが襲って来ない楽なうちに少しは慣れておきましょうってことなんですが」

 リズベットが手を挙げた。

 「護衛の人達がばったばったなぎ倒すところは見ておきたいと思うんだけど。トロンダの向こうに出るまでに、ちゃんと強いところは見たい。降りろと言われれば……降りるくらいの覚悟はあるけどさ」

 落ち着いて確認したいと言われればそのことへの反論は難しい。が、しかし。

 「でかいのがどどどーと向かってきている時に、おとなしくリアカーで座ってままでいるのは、その時点で既に護衛に相当に信頼がないと出来ないと思うんですが」

 「う」

 既に護衛に対する信頼があるからこその盲点はなかなか可愛らしかったが顔には出さず、護衛組に目を戻すと顔つきは二つに分かれていた。「良いとこみせよう派」と「あんたがきめてくれ派」で、なぜかリアカーなどというとり回しの悪そうなものを持ち歩くことについて強い拒否反応を示すプレイヤーは居なかった。酔狂もするが TPO 弁えずにリアカー引いてまわってる訳じゃねーぞと心の中で呟いてから、あまり期待せずに訊く。

 「壁に転向できる人は居ませんか? とりあえず、僕も壁に回りますが」

 誰も手を挙げないのは仕方がなかった。自分のパーティもあるのだから。少し考えこんで、しかしまあ、いいかと思う。

 「避難所の代わりくらいにはなりますか。クエスト失敗のペナルティはシムラさんでかまいませんね?」

 ほとんど空荷のクエストに調整する。したがってクエスト成功のメリットは小さく、失敗のデメリットは大きい。提案のわりには嫌な顔はせず、

 「二台要ると思うけどクエスト重複して受けられんの? もう一つはこいつに任せるか?」

 そう言ってコンビの頭を叩く。アーランは首を振った。

 「一台でお願いします。二台は隊列が長くなりすぎて手が回らなくなります。鍛冶のみなさんが全員は乗れませんが、半分乗れれば余裕はだいぶ違うでしょう」

 戦闘能力のある二人を除いて鍛冶師八名。無理して六人は乗れても八人詰め込むのは逆に緊急時に問題が出そうである。二、三名はしょうがないとシムラも納得して頷いた。

 「さすがに移動中は怪我人以外は人を乗せませんが、スリカータのポップでリアカーに避難くらいはしてもらうことにしましょう」

 定石通り走り抜けようとすればパーティが自然にバラける。その横をシュードユニコーンに突かれたくないとすれば走らず歩くべきで、ナイトメアスリカータと混戦したくないとすれば避難所を用意するのは理にかなっていた ── と堂々と主張するほどのものかどうかは微妙なところだと思うが、捨てても良いなら行動オプションが増えるだけなので問題ない。それはともかく、彼らのエリアを通りぬけるまで三回ほど戦うことになる予定であった。

 翌日、船団がホルンカの北の口を出た時刻は朝というにはやや遅い。アーランは右手の平べったい西斜面に朝日が通って丘の凹凸の影が消えるのを待ったのである。

 この北の口は東の口よりもうらびれていて裏門という雰囲気があった。北へ伸びる道の左側に川、対岸の草っ原のさら奥に西の森が見える。右側はゆったりとのぼる丘になる。はじまりの街寄りと違い、奥のこちら側は村が見えるあたりではまだレベル 3 以上のモンスターは出ない。すぐに逃げ帰るのは許しませんよ、というメッセージがうかがえた。

 並行する川は村の近くで川幅が 1 メートルから 3 メートルほど、水深 20 センチほどと幅のわりに浅い。ただ水量はある。土地の傾斜度のわりに流れが速いのである。透明度は高く、水中にモンスターは居ない。戦闘での障害というほどではないが、水に足を突っ込んでいるときっちり敏捷性は落ちる。戦闘中に存在を忘れて川に落ちると危機レベルが上がるわけである。逆にモンスターを川に落すのを試みられることもあり、落してから水際で叩く戦術は一時期の攻略本に載ったが、堪え性なく川に入るプレイヤーが続出して取り消されている。アーランとしては好みの戦術なので使う可能性があることを全員に申し渡してあった。

 ざっと左右を見回してみてアーランは自分の緊張を感じた。ここは、もう何度も通って見慣れている道なのだが、通るたびに水量の妙な多さに突っ込んでいた。多いこと自体に突っ込むお約束に近いものなのだが、今は自然に戦闘への影響を考えたのである。

 (今日の午後まで我慢だ)

今日一日だけでももう一往復する予定である。次の往路では少しこの手のものを観てまわる機会があるはずだった。

 

 アーランが先頭、索敵スキルが最高のキタローとリアカーを引くシムラを最後尾とした隊列で進む。キタローに訊けば、自分達の後方 50 メートルほどを数人の集団が追跡しているということだった。思いついてアーランは自分でも位置を確認してみる。後方のパーティリーダーとは旅の間フレンドなのでフレンド探索で位置が分かる。使うのは初めてだが、面白い機能だと思う。逆に向こうも偵察隊を出さずにこちらとの距離を調整できるわけである。

 また、本隊よりさらに先に某鍛冶屋のオマケ二人組が先行している。どちらかというと壁役の二人で偵察には不向きなのだが、この先で急速に役立たず扱いされるはずなので、いまのうちに気分良くなってもらうことにしたものであった。名目上は本隊の最終防衛ラインとなる二人なのだが、正直、二人のところまで守備が抜かれたら負けだというのは残りの護衛組の総意である。

 先行の二人が問題のエリアに踏み入れそうなあたりで呼び戻す。踏み入れてもらっても問題ないが意味のない行為であろう。二人は喜々として戦果を誇りながら戻ってきた。アーランはほっとした思いである。

 戦力に数えるメンバーは自分の指揮に従うかどうかを見極めながら選んだが、戦闘で当てにしないプレイヤーはそのあたり無意識に適当だったのだ。そのことをタスタスに指摘されて青くなったものである。具体的には鍛冶屋のオマケのギルガメッシュとエルキドゥ、それに戦う鍛冶屋のシムラ、セドの四人のことである。よりによって反抗心の強そうな面々であった。特にエルキドゥ氏は面談の時についいじってしまったので心配だったのだが、アーランの前で親友設定のギルガメッシュ氏と仲良く戦功を争うあたり、とても微笑ましかった。

 親友設定というのはつまり、「エルキドゥ」という名前が単独で採用される可能性はほとんどなく、「ギルガメッシュ」が先に採用されていて、リアルもしくは別のゲームか何かで「ギルガメッシュ」氏とのつき合いがあるからこその「エルキドゥ」採用だと思うからだが、二人が仲良く喧嘩する様子はそのあたりも含めて周囲から生暖かく見つめられていた。

 

 少し進んで問題のエリアの直前で彼はストップを掛けた。護衛組の一部は既に真剣な顔で周囲を警戒している。

 「ここからが問題のエリアになります。とりあえず、一匹サンプルを見てみましょうか」

 10 メートルほど進み、足を止めると足元にポップエフェクト。ステップバックで大きく避けた。光が消えると、そこに小柄なモンスターがてれてれと道を外れて歩きだすところだった。

 「パッシブで、離れていれば何も起きませんが ──」

 背後からすっと近付く。唐突に身体を捻って飛びかかってきたところをメイスで歯を全て折るくらいのつもりで口に突っ込んで捻じり、消し飛ばした。

 「近くに居るだけでけっこう凶暴だったりするわけです」

 彼が戻ってくるとリズベットが手を挙げた。

 「なんかすんごくドン引きな倒し方だったんだけど、それ必要だったの?」

 見回すと鍛冶組はおろか護衛組まで一部頷いていた。もっとも護衛組のうち前線から派遣されてきた三人やキタローのあたりはアーランがソードスキルを使わなかったことに思うことがある様子だった。そういや言わなかったなと思う。ソードスキルのあとのクールタイムに入っている間の、人手が減る瞬間が一番恐いのだ。派遣組はスキルなしでも一撃のはずなので、使わずにすませるよう言っておくべきである。

 彼はメイスを少し持ち上げてみせた。

 「これ持ってまだ日が浅くって、細かい手加減が分からないんですよ。今日一日くらいなら全力全開で振り回してもどうということはないんで、オーバーキル目にやってます。他の護衛の方はもうすこし効率よくさっぱり倒してくれると思うんで、気分を悪くされたら謝ります」

 「へー、そうなんだ。普段は……」

 「アニールブレード使ってますが、壁ロールなんで今日はこっちで」

 リアカーなしで鍛冶一人に護衛一人がついてナイトメアスリカータを防ぐ形が最初の構想だった。この場合は対シュードユニコーンの壁を諦めて彼も剣を持った。シュードユニコーンの相手は二人、さらにシムラ達につく護衛を機会を見て遊撃に回して計四名が火力担当という形で駆け抜けることになったはずである。

 「じゃあ始めましょう」

 護衛組に頷いてみせると、予定通りに遊撃隊グループが稜線に駆け上がっていく。速力優先で壁役は居ない。なおオマケ二人組は鍛冶がリアカーに飛び乗る時の補助担当で、直接戦闘からは外れている。アーランはちらと二人の顔を見たが真剣味があり当面は問題なさそうだった。

 「モデルとしては空母と護衛航空戦隊になります」

 顔合せで語ったことをもう一度繰り返した。

 「鈍足の空母を狙う敵艦隊を遠方で航空戦力で殲滅します。空母に向かって魚雷(ユニコーン)が何本か飛んで来るでしょうが、当らなければどうということはありません」

 ポップしてきた小さいのを消し飛ばしながら続ける。

 「当るコースの奴は、本隊で迎撃することになるでしょう」

 見上げると遊撃隊が上でポップするシュードユニコーンの討伐に入るところだった。彼らは衝突コースを取ろうとしたものから優先して討つ。本隊の後方を抜けていきそうなのは後回しでかまわない。川そばまで駆け抜けたユニコーンを川に突き落とし、本隊直衛で叩く。そして唯一の問題が ──

 「わりい、衝突コース行った!」

 リアカーの走る、そのすこし先を駆け抜けて行くような形になる時である。無理に速度を上げてもやりすごすところまではできない。

 「止まれ!」

 周囲にポップエフェクトの光がとりまく。大急ぎでリアカーに飛び乗る鍛冶組。こちらをギロっと睨みながら目の前を通過していくユニコーン。足を止めれば途端にナイトメアスリカータが脅威になる。一通り掃討するまで一歩も動けなくなり、上でユニコーン退治にあたるプレイヤーも目が血走ってくる。

 「川担当行ったぞ!」

 「押し付けてんじゃねーっ!」

 「文句は上の連中に言え!」

 リアカーの上に避難してしまった鍛冶組はまだ良い。護衛されながらナイトメアスリカータを避ける鍛冶組が案外問題になった。鈍重なうえに予測し辛いのだ。護衛組が力任せに抱えて飛び退くことすらある。

 「おそいっ」

 「あ、すまん、どうしてもな……」

 「あれはモンスターだっつーの」

 ナイトメアスリカータの見た目が恐くなく、しかも被害がゼロなので全く切迫感がない。ちゃんと恐がってくれれば行動は二択、逃げるかすくむかなのに、中途半端に余裕があるものだから実に様々な余計なことをする。なぜそこに居る、なぜそこから動く、いつのまにそんなところに居る、いつのまにか消えてんじゃねぇ、動くなと言ったろう、引いてろと言ったろう、守備陣から離れるんじゃねぇ、etc. etc.

 護衛任務がこれほど精神を消耗するとはアーランも思っていなかった。護衛組の誰もが他のプレイヤーを連れてレベリングさせた経験を持ち、皆がその延長線上に軽く考えていた。ここまできてリアカー大正解だと護衛の誰もが思ったことである。いっそ保育園のお散歩カー、と思い浮かばなかった護衛組は少ないだろう。これ以上、鍛冶屋にうろうろされてなるものかという。なにげに鍛冶組も自分達がお散歩カーに詰め込まれる乳児待遇である感じがしていたらしいが、後にそう抗議されても護衛組は謝らなかったし、アーランも笑ってごまかした。

 良い方向に誤算だったのはオマケ二人組の補助が適切だったことで、アーランは戦力のうちに数えることにした。さすがに足手まといを連れて歩くことに慣れているだけのことはある。

 

 「上に乗ってる人! ちゃんと自分なら避けられると思う人は下の奴と場所交換!」

 アーランも提案してみたが、顔を見合わせるばかりで降りようとする人は居ない。彼もバカを言ったと思う。プライド捨てれば居心地の良い場所ではあるので、曖昧な言い方で手を挙げる人がいるわけがなかった。言い方を変えようと言葉を舌の上で転がして ──

 「あ、あたし降りるっ」

 リズベットが名乗りを上げた。

 下で護衛されていたうちでいちばん護衛に重いプレイヤーと位置を入れ替えると、彼女はメニューを操作してメイスを取り出した。周囲はぎょっとする。ポップエフェクトの光から飛び退いてリアカーに手をついたシムラも呆れて、

 「おいおい、あんたやる気かよ」

 アーランも振りむいて驚き、ストップを掛けた。

 「リズベットさん、止めてください。護衛さんが近寄れなくなります」

 「ここまで連れて来てもらって感謝はしてるんだけどさ、ただ守られてるってすんごい嫌なの! 小さいのの相手くらいさせてくんない?」

 「駄目です、特にあなたは駄目、女性がメイス振り回すと男の子が後に引けなくなります。その状態の戦闘管理なんて無理、罵ってくれてかまいませんし、協力には感謝しますが、武器を持つのは止めて下さい。お願いします」

 足元のナイトメアスリカータを消してからアーランは彼女に向かって頭を下げた。戦闘職でないリズベットではナイトメアスリカータは五分の相手だ。護衛組、特に派遣組あたりになるとハエ叩きでハエをほいほい叩くよりも簡単そうに処理しているが、パーティプレイを経験していない彼女が二匹を相手にするようなことになれば詰んでしまう。彼女はメイスを降ろし、唸りながら仕舞う。そこをほとんど横抱えしてアーランが後方へ跳ねる。彼女の居た位置にポップエフェクト、シムラが叩く。

 アーランの背にしがみついたままこわばったリズベットの手を解きほぐす。彼女の手は冷たく、一度だけ温めるように握った。憐憫の情が湧き上がる。勢いで来てみたは良いが周囲が全員敵に見える彼女のストレスは強烈なものであろう。ぶつける相手が欲しかったのは分かる。しかし聞き耳スキルのことを思えば、ここで話しかけることすら危険だった。使えるのはタスタス経由のメールくらいであって、それについては打ち合わせてある。あまり頻繁に使うのも駄目だが、タスタスのところでタイムラグを作れば数往復程度なら気付かれることはないと思われた。ただ、ナイトメアスリカータの領域を抜けるまではメールそのものが不可能である。

 派遣組の一人が上から大声で、

 「鍛冶屋共にはおとなしくしてもらうのには大賛成だが、こんな数(二十人)でヒーヒー言ってたらアーラン、レイド四十八名の指揮なんか遠いぞっ」

 挑発に彼も澄まし顔で応えた。

 「百層までに出来るようになっていれば良いんですよっ」

 心当たりがあるオマケ二人組が腹を抱えて笑う。上のプレイヤーもユニコーンを押し止めながら、

 「言うじゃねーかっ」

 「シュードユニコーンの領域抜けます。稜線の方々、戻ってください。お疲れさまでした。川はまだ放置ですが、右手の丘は注意しててください」

 シュードユニコーンの突撃がなくなると同時に、ナイトメアスリカータも半減する。シュードユニコーンとなわばりを接する形で棲息するのはムステリオービット。イタチ風モンスターが白黒二匹のペアでポップし、プレイヤーを直線上に挟んで磁石の吸着よろしく一方が超高速で吶喊してくる。ソロ殺しだがポップ頻度が低いのが幸いで、両方を同時に視野に入れられるパーティプレイでは大きな問題にならない。攻撃が短距離型なのでナイトメアスリカータと併せても近場の警戒だけでよく、ツーマンセルの薄い防御陣でも陣形が破綻することはない。

 余裕を取り戻して、ゆったりと進むうちにモンスターに道を塞がれた。高さ 1 メートル、直径 10 センチメートルほどの細い木が竹林風に林立して絡み合い、直径 10 メートルくらいに繋がった形状をした植物型モンスターである。

 「フラットカンデリアか。パッシブです。やりすごします」

 そのままなら攻撃力はほぼないのだが、縦に斬れば左右が別のモンスターとして動き、横に斬れば切り口に口が生えて攻撃してくるという性質で、しかもレアな割に狩っても美味しくないモンスターだったため、攻略本では放置推奨である。しかも大きいうちは速度も知れているのに切り刻んで小さくすると速くなるので諦めるなら早いうちが吉であった。

 「なんでこういう時に限って道を塞いで立ち止まるんですかね?」

 川岸まで降りてしばらくそこで佇んでから消えるのがお約束のはずである。

 「ほら、根っ子のさきっぽが川に届いてるからじゃね?」

 見れば、もじゃとした塊から川のほうへ一本、枝だか根だかよくわからないものが地を這って伸びていた。

 「あれ斬れば水場まで降りっかな?」

 「アクティブ化して襲ってくるだろーよ」

 「ですよね。右を迂回します。シムラさんセドさんはリアカー持ち上げてよろしく。ギルガメシュさんエルキドゥさんは二人の足元のケアを。減ったと言ってもまだナイトメアスリカータの圏内です、立ち止まり続けるのには注意してください。行きます」

 モンスターの、ちょうど脇を通過しようというころ、誰かの足元でパキという音。全員の警戒心が一気に跳ね上がった。それに応えるかのようにもさもさと身悶えして林が動き出す。

 「リアカー四人、早く降りて! 道に出たら鍛冶さん乗って、キタローさん周囲警戒、残りでフラットカンデリア包んで包囲殲滅戦よろっ」

 「おうっ」

 シムラ達のすぐそばに白いポップエフェクト、数えて六つ。多い。プレイヤーから離れていないから全て慣れてきたナイトメアスリカータなのが幸いだ。三名を引き抜いて鍛冶師保護に回す。残ったチームから悲鳴。

 「人数足りてねーっ」

 「川のほう開けてかまいません、川に押し付けて!」

 「分かったっ」

 川に沈めた場合のフラットカンデリアの挙動は報告されていない。

 「キタローさん幾つ見えてますかっ」

 凶悪化するならリアカー捨てて脱出である。どうせそろそろナイトメアスリカータの領域も終わる。注意を向けておくと小さい切れ端が大人しくふわっと消えるのが目にとまった。

 「フラットカンデリア 5 つ全部ひとっところ、ナイトメアスリカータ 4、いや 3!」

 つまり見逃したフラットカンデリアの切れ端なし、と言うことなら陣形は出来たことになる。そう思った瞬間に出現する小さいやつ。舌打ちしながら消し飛ばす。パーティ移動速度の速い今はともかく、このあたりに前線があった時はさぞかし神経を削られたことと思う。一方で林のほうは足止めといった迂遠なことは必要なくなった。

 「潰せっ」

 「おうっ」

 プレイヤーの隙間から素早く抜け出ようとする切れ端をケアしながらだからレベルのわりには時間がかかる。第一層にはトラップの類はないことになっているがさっきのはトラップではないのか、と空に向かって抗議しながら柴の塊をすくって林に突き返しているうちにリアカー側の掃討が終わった。

 「こっち終わったぞっ、手伝うぞっ」

 「それよりキタローさん先導でちっこいのの領域さっさと抜けちゃってくださいっ」

 領域の境あたりまで遠目に見えているが、間には何もない。ナイトメアスリカータでがたがたやっている間にムステリオービットが現れなかったのは僥倖である。むしろフラットカンデリア討伐を放棄して自分達も逃げだす指示をしたいくらいだ。そういう反射的な指示だったが、経験値稼ぎを断ったという点で危ない指示でもある。キタロー氏が笑って頷いたのをちらと確認して彼は安心した。

 フラットカンデリア討伐を終え、攻略本ではナイトメアスリカータのポップ領域を抜けた休憩所扱いになっている草地で先行のリアカー守備隊と合流する。戦う鍛冶屋二人も含め鍛冶組全員がへたりこんでいた。そして護衛の六人が均等に周囲に立つ。ただこの配置は ──

 「キタローさん、これ、護衛の人が挟み込まれそうになった時のリアクションの取り方は」

 「説明しておいた。心配いらんよ」

 「ああ、ありがとうございます」

 大きく礼をした。円形陣を組んでムステリオービットと対した場合、たとえば陣の一人目と三人目がイタチを相手にしていたとすると間の二人目が突然死しかねない。もちろん対策や注意の仕方はいろいろあるが、おそらくムステリオービットと対したことのないオマケ二人を含んでの円陣だったから少し心配になった。

 アーランが六人で陣を組むなら、先ほどまでそうしてきたように二人ずつペアにして三角に囲む。このほうが護衛の死角は少ない。ただ隙間が大きいから鍛冶組が怯えて逃げ出すかもしれず、護衛ついでに鍛冶組を円陣の中に拘束してしまったキタローの気分は良く分かった。

 キタローが笑った。

 「むしろ君が知っていることが驚きだよ」

 使いどころがないですもんね、とアーランも笑いながら彼とハイタッチを交わした。三人パーティで三角形の陣は二人が対処している時に三人目がイタチに挟まれて死ぬ形にはならない。

 

 これでようやくトロンダまでの道半ばであった。しかし船団の護衛組にとってはおもわずハイタッチを交わし合うほど、全旅程の九割が終わった気分になっていた。ここから先、モンスターそのものは確かにレベルアップしてくるが、慣れた定石手順ですむ相手になるのである。

 



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トールバーナへ 2

 全体を見回せば船団のリーダーとしては気を引き締めなければならない状況だった。護衛組のほうにこんなのは二度と嫌だなという空気も漂った。気が抜けて一気に疲労感が表に出て来たのだろう。

 「第二層が開放されたあと、鍛冶のみなさんをはじまりの街まで送る予定なんですが、もしかして護衛のみなさん手伝ってくれないことになりますかね?」

 「あ、わたしはやりますよ」

 何人かが手を挙げた。鍛冶組の人達がどこか不安そうに見回したのでそれに答えておく。

 「ああ、逆向きは行きほど人数要りませんから。今日トールバーナで待ってるうちのメンバーも逆向きは同行しますし」

 まだ不安そうにしているのが数人。彼は肩をすくめてみせた。

 「昨日のあなた方を減った人数で、となるとあれですけど、明日のあなた方の護衛ですから」

 鍛冶組護衛組双方に苦笑が広がった。自覚はあるのだろう。護衛のされ方、というものがあることを皆で実感していたのだった。

 体力はともかく、集中力のほうは回復するのに少し時間が掛かる。交替で休憩してから彼は言った。

 「さて。気を引き締めていきましょうか。……まあ、僕もあらかた終わった気になってんですけどねえ」と首を振りつつおおげさに溜息をつく。

 のってくれるのはシムラあたりかなと思っていたら、シムラには音沙汰が無かった。代わりに護衛の一人から、

 「嫌なフラグ立てんなや。でも実際、こっから先なんもないだろ?」

 「カメが道塞いで難渋してるところにクロヒョウが上から降って来るとかどうです? そういえば、似たようなことがついさっきありましたね」

 「……マジやめろや」

 まだ疲れた表情ながら立ち上がった護衛の顔は引き締まったのだが、代わりに鍛冶組の顔色がかげった。

 「ああ、心配は要りません。そんな可能性がほとんどないから問題なんですけどね。トーチカがこっち向いて道塞いでるほうがありそうです」

 「イナフかー、そっちは来るんじゃね、むしろ楽しみなんだけど」

 「出て来ても困らないから出て来ても構わないっちゃ構わないんですが、僕としてはモンスターなんてもん、この先に一匹も居なくて良いんですけども」

 「あんたの立場だとそーだろうなぁ」

 彼はリアカーの把っ手を大事そうに抱えている戦う鍛冶屋の片割れ、セドに向き直った。リアカーもここから先は不要になる。

 「リアカー捨てましょうか」

 「せっかくここまで持ってきたんだ、もったいないから引いてく」

 シムラのほうは変わらずリアカーの上でダウンしていて返事がない。このままリアカーで引かれていくつもりだろうか。別に怪我したとかではないので、戦闘は無理でも鍛冶屋待遇で歩いてもらうぶんには問題ないはずである。

 「……いや、いいんですけど、本気で?」

 死んだ魚のシムラに助けを求める。シムラが仰向けにねっころがったまま顔を少し上げた。

 「そもそも俺達は鍛冶屋だ。戦闘能力に期待しちゃいけねーんだぞ? 分かってっか?」

 「いやあ、その節は大変御世話になりました」

 「……てめーこそ、よくこんなもん引いて歩いてまわる気になったな? 酔狂通り越してバカだと思う」

 「あー、体験学習というやつですか。まだ貧乏してた時に《鼠》さんに売る実験データ作りで持ち歩いてたやつですから、酔狂というか、死に物狂いの部類ですね」

 「そういうことか。宝くじ当ててウハウハかと思ってたが、最初はそれなりに苦労したんかね。俺も《騎士(ナイト)》の奴に売って大儲けとかしてみてー」

 寝返りして俯せにべったりとリアカーに伏せた後、彼はのっそりと起き上がった。リアカーを捨てる案に賛成したということかと思ったが、セドには何も言わず、彼もそのまま引いてくるつもりのようだった。しっかりと把っ手を胸に抱えたまま立ち上がる。キタローと目が合って、ふたりでしょうがないなという顔をした。

 シムラが最後尾でリアカーを引くセドから離れて先頭のアーランに近寄って来た。

 「率直に訊くんだが、あんたが育てた鍛冶屋ってどいつ?」

 その瞬間、ほとんど全員の耳がこちらにむいたような気配があった。

 「率直に答えると、黙秘させていただきます」

 「うん、まあ、そうなんだろうけど。あのヘタレ野郎でないことは分かっているんだが」

 「最初から囲われてますもんね」

 「ヘタレ野郎で分かってしまうのはリーダーとしてまずくないかい?」

 「おお、失言でした。忘れてください」

 「俺たちでもない」

 「あなたの知らないうちに足長おじさんやってたかもしれませんが?」

 「あれ、俺たちのデータじゃねーよ」

 「そうですか」

 重大な示唆が含まれている発言だった。シムラのこれまでの言動と合わせてみる。

 「戦う鍛冶屋さん……か。戦うほうも大したものでしたが、鍛冶の力量のほうも大したものなのでしょうね?」

 「おう、相当なもんだと思うぜ?」

 ホラという顔ではないんだよなと思いつつ、彼は後ろを振り返って、手を上げた。

 「この人が鍛冶ナンバーワンだと思う人、手を挙げていただけますかー」

 誰も挙げなかった。

 「ノリ悪いな、クッソ!」

 言葉のわりに楽しそうにアーランの上にかぶさるように乗っかった。

 「いや、わりとマジで止めて。警戒中なんで」

 左右に離れてガードに当たっている数人もやや非難の目付きを強めてシムラを睨む。

 「おう、すまん」

 シムラも少し離れて落ち着く。

 「実のところ、どいつかは分かってんだけどな」

 「そうですか。出来れば黙秘でお願いします」

 リズベットの言動にアーランは一々チェックを入れていない。そんなことをすれば彼の挙動でバレる。だから彼女のほうで何かしら証拠になるようなものがあっても彼には分からない。

 「そこは、ほう誰だか言ってみろ、じゃねーの?」

 「その必要はないでしょう」

 彼は固い表情で答えた。シムラが自分も NPC 鍛冶のラインを越えたと暗黙のうちにアーランに告げ、アーランも彼に素晴らしい鍛冶屋がここにも、と驚いてあげた。これが誤解でないのならライン越えを自力で達成した彼らに賞讃は惜しまない。ただし、リズベットのためなら彼、もしくは彼らを生贄に差し出すことを厭うつもりはなかった。

 そこに威嚇を感じたかどうか、シムラは少しだけ大人しくなった。ただ、こういう男が哀愁に満ちた顔をしていてもアーランとしてはあまり同情する気にならない。守るものがある時は特に。

 「黙っててやるから、もひとついいか……?」

 「なんでしょう?」

 「丁寧語キモい。ふつーに喋れね?」

 困惑気味に見回すと結構な人数が頷いていた。率直に話を聞いた戦う鍛冶屋シムラとセドのコンビはともかく、丁寧に話を通していたはずの前線組まで頷いていたことにショックを覚える。

 「正直、あんたの戦闘指揮に期待してた奴は居ないだろ。前線に出入りしてたっつっても商人やってただけだし。企画したあんたを尊重はする、という程度のまとまりでもトールバーナにたどり着くくらいならなんとか、という計算が出来た奴しかここには居ないんじゃないか」

 数人がそっぽを向いた。護衛組のサーシャという女性が「そういうのは違いますよ」と怒っていたくらい。彼は思う。「尊重」まで持っていければ勝ちなのだ。なにしろ目の前にぶらさげられた経験値稼ぎの機会を奪い取ることになるたびに戦々恐々としている身である。フラットカンデリア戦の撤収指示がついに出来なかったくらいだ。

 「ぐだぐだになってねーの、そろそろ誇ってもいいんじゃねえかな」

 鍛冶組に指一本触れさせていないことは誇れるかもしれないが、それくらいである。期待値の低さにアーランは眉を上げた。

 「攻略組の人相手に指揮するのって恐いんですよ? タメ口とか無理ですって」

 「うそつけ。あの《鼠》相手に五分以上の立ち回りって本人泣いてたぞ。泣きまねだったけど」

 「片側だけの証言を採用するのは公平を欠くと思うんですが」

 前線から来た一人が横から口を挟んだ。

 「うん、まあ、あの《鼠》が冗談半分にせよ泣き言を洩らしたってところが君を信頼する根拠の一つになったことは間違いない。バラバラの二十人を引き連れて歩くんだ、それくらいの肝っ玉は欲しい。どんな暴虐野郎かと思っていたら、これだからちょっとびっくりしている」

 男は目を細めた。

 「しかし、自覚はあるんだね。驚いてない」

 そう言いながらも彼の目は笑って、非難はなかった。アーランも失敗は認めるとする。肩をすくめて、

 「驚いててもこんなもんですけどね。向こうに失言があったので、それで情報をおもいっきり値切っただけなんですが、アルゴは何て言ってました?」

 「ちょっと図に乗ったら大口取り引きで八割引きさせられたと言っていたな」

 「八割……も、行ったかな? その後も普通につき合い続いてるんですよ。そこまでやられたら敬遠するんじゃないですかね」

 「《鼠》がそういう嘘をつくとは思わないな。そうだな、八割引きの大損はそれとして、その後にあるていど取り返したとかそんなんじゃないか?」

 「うん、それはあるかもですね。コネが無くなるのは恐かったから、わりと大盤振る舞いした自覚はあります」

 「なるほどね。で、善処してくれるかな」

 「話戻しますか。……善処しましょう。善処するさ? 善処するよ?」

 語句に混乱したアーランを、皆は少し笑った。

 とはいえ、前線組に対してにせよ、鍛冶組に対してにせよ、そうそう変わるものではなかった。鍛冶組に対しては守るべき客であるという意識があって丁寧になるし、前線組に対しては自然に敬意が出たからである。

 

 その後、十分もたずにシムラはふたたびリアカーの上の人になっていた。やはり怪我ではない。

 「あいつヤベぇ……このしうち……」

 気安く右に左にと振りまわされての連戦の精神疲労である。抗議の声さえ弱々しい。

 「タメ口でレスポンスが上がったのかと思ったが、そういえば君達も守られる側から守る側になったんだな。そりゃ楽になる」

 イタチを蹴り飛ばしながら、わははと笑うキタロー。似たような感じで《鼠》もやられたんじゃないかね、と続けた。

 「あの男に皆が従う理由の二つ目、これで君も実感したわけだ」

 「そーゆーのは先に言ってくださいよ……」

  飛んで来たイタチをポリゴンに変え、リアカーの横で息を整えたサーシャがフォローに回った。

 「でも格好良かったですよ、戦う鍛冶屋さん」

 「そらー、目の前に次から次へとモンスター出るんだもんよ……わりと必死。あれって予測とか出来るもんなんですか?」

 「君から見るとそう見えるか。あれ、陣に穴が開いたところに君を回してるだけだぞ……まあ、わざわざ遠くから走らされてるのは同情せざるをえない」

 わざとらしく首を横に振った。しかし振り回されたシムラに同情的なプレイヤーは少ない。うざいプレイヤーを静かにさせておこうとアーランが思うのも仕方あるまい、というものが多い。よせあつめの指示系統のひ弱さは誰もが思っていることだ。

 「経験値稼ぎにもなったじゃないか」

 キタローはリアカーの柵を軽く叩いた。それが理由でアーランの指示を断らなかったシムラは黙った。そのまま水から煮られたカエルになるとは思わなかったのである。休憩を指示されるまで当人だけが嵌められたことに気付いていなかった。

 「君の場合、地道にレベル上げもだな。消耗が早すぎる。先々辛いぞ。攻略組に来るんだろう?」

 丘のすそを進んでいた道がやや右に折れて丘を登りはじめるようになって風景が一変した。アーランは確認のためにもう一度セドに尋ねた。

 「やっぱり、まだリアカー持ってくの?」

 「うん」

 「でもさ、両手塞がってるだろ? 上からが厳しくないかい?」

 アーランがティクルとリアカーを引きながら来た時は二人で引いて、二人とも片手を空けて対処した。両手が塞がっていると上からの奇襲を見逃した時が恐い。シムラに目で頼むと彼もおとなしくリアカーを引くのに回った。

 

 ここからは千枚田もとい千枚沼とでも呼ぶべき湿地帯である。ゆるやかな傾斜地にあちらこちらと広葉樹が生えており、道は左右にうねりながら所々でちょっとした林の中を突っ切っていた。道を外れた脇に、妙に平らな丸い草地が見えることもあって、それは沼に水草がみっしりと生えた姿である。踏み込めば腰まで沈むし、中にはレベル 1 相当とはいえ半水棲のモンスターもいて数も多い。沼と沼の間の傾斜地の部分には、沼同士を繋ぐような形に細い小川・水路も見ることができた。

 モンスターの主要なものとしてはシャドウイーター。姿・動きともクロヒョウに近い。普通に道などにポップするもの以外に、樹木の上に隠れて待ち構えているものもいた。このモンスターには、周囲から暗いところに入ると、たとえば樹木の繁みの中とか人の影に入ると、主なスペックが三割ほど上昇するという特徴があった。パーティで固まっているところに飛び込まれ、人影から人影へと飛び移るようにして次々にプレイヤーへ攻撃を加えられて撤退をよぎなくされたパーティは多い。ベータテスト時代は一割程度のアップだったこともあって、元ベータテスターも速度の変化に慣れるのに苦労することになった。

 頭上からの急襲は対処が難しく、多くの被害者を出したあとに道を避けて草地を進むことも試みられた。現在この湿地帯が通りぬけられるのは、この方向の研究の成果である。一種の迷宮・迷路なのではないかと人々が思うようになったのは、こういったルートが幾つか開拓された後のことであった。

 

 「怪我人も居ないんで、普通に途中で少し道を外れる標準コースで行きます」

 標準コースというのは、道の両側から枝が伸びて来る領域を徹底的に回避して何度か草地を回るルートである。かなりの遠回りだが、このほうが楽なので今はルートとして標準化した。

 リアカーを草地で転がすのは難しく、道なりに行って上からの襲撃をケアするか、さもなくば草地はリアカーを持ち上げてもらうかの二択だったが、アーランは後者を選んだ。もちろん素直に捨ててもらうのが一番楽だし、音を上げて諦めてくれれば角も立たない。何も言わないのにオマケ二人組がリアカーを支えてあげているのは、まあ、むしろ空気読めとか思ってしまうが、彼が何か言うところではなかった。

 標準ルートなら上からの襲撃を強く気にすることもない。中央に鍛冶組を置いて周囲に護衛組という工夫も何にもない構成で事足りて、皆も余裕があった。鍛冶組がちゃんとモンスターを恐がって身をすくませてくれるので面倒が見やすいということもある。護衛組の表情から刺々しさが抜け落ちて自然に雑談も増えた。

 「な、なんかポチャって飛んだっ」

 「ああ、スワンプピラニアです。食べると美味しいらしいですが……ルファーさんのパーティとか、いっぱい持っていたり?」

 パーティが固まって長く、蓄積物資が多そうな派遣組の一人に尋ねてみた。

 「おう、山ほどストックがあるぞ……当分、魚には困らんな。リトルタータスもあるぞ」

 リトルタータスも沼のモンスターで、六本足の小さなカメ。レベル 1 未満で攻撃能力は誰にとっても脅威ではないものの、甲羅を踏みつけて足を滑らせたところをピラニアに襲われかねないというトラップ代わりのモンスターである。ホルンカとトロンダの間は、こういった組で脅威となるモンスターが多い。

 「た、食べるんだ」

 「レストラン持ち込みで調理してくれるらしいな」

 「料理スキル持ってる人少ないから自前ではな……アーラン、今度は料理スキル持ちを育成してみないか。第二第三の育成本を出版するんだ。さあ早く」

 「キタローさん詳しそうですね。言い出しっぺということでよろしく」

 「うちのリーダーそういうの認めてくれなくて」

 しゅん、とするキタロー。そりゃあそうだろうよ、という声があちこちから上がった。まだ少し判断材料が足りないか、とアーランは思った。彼のリーダーのキバオウ氏が知られた顔なのか、それとも今上がった声が常識的判断なのか。キバオウ氏の人となりはメッセージでいくらかやりとりした以上のことを知らない。攻略に邁進するだけというタイプには見えた。

 「そういやカメってったら、フライングアーケロンっての、ここに居るよな?」

 高レベルになるとレベル上げが難しくなってくる。ラージネペントのような設定上は地雷モンスターを狩ってレベリングということになるのだが、フライングアーケロンもその一つだった。まだシムラは狩ったことがないらしい。護衛組の一人がぼやいた。

 「あれを相手にしてると虚しくなってくるとゆーか、なあ?」

 「ん? なんでです?」

 レベリングした時も船団の下見でぐるっと狩ってみた時もアーランは別にそんなことは思わなかった。ジャンプする筋力のわりに手足細いなぁと思った程度である。

 「ほら、このあたりのは敏捷性に振ると勝てそうじゃん」

 「あー、アーケロン堅いから」

 「そう、経験値の方向性がちょっと違うんだよ、あれ。苦し紛れにレベリングはしたんだけどさー」

 その時、つんつん、とアーランの裾を誰かががつついた。振り返るとリズベットである。

 「アーケロンって、カメよね?」

 「ここから道をちょい向こうに外れた先の沼に居るカメですね」

 「あんなの?」

 脇をペタッペタッと這っているカメを彼女は指差した。リトルタータスである。十センチほどで小さいほうだ。誰も狩ろうともしていない。

 「あれのざっと三十倍くらいの大きさです」

 「でかっ! って、フライングってそんなのが空飛ぶのよね?」

 「飛ぶっていうか、三回転半ジャンプみたいな捻りいれて跳ねてきます」

 「あー、なんかあったわね、そういうの」

 「ええ、まあ、そのイメージで合ってます。三メートルの巨体がブンっとうなりあげて飛んでくるのはなかなか恐いですよ」

 「うむ、あれは恐いな。しかも剣が通らない」

 「そーそー、そう聞いたがどーやんのそれ」

 「シムラさんなら、砲丸投げで飛んできた砲丸をバットで大根切りするみたいな感じでメイスでブンなぐればいけるんじゃないかなー」

 戦闘状況を想像しつつそう言えば、彼はアーランをまじまじと見つめて、

 「うん、しばらく止めとくわ。無理」

 黙りこんだシムラを横目で見て、オマケの片割れのギルガメッシュが、

 「なあ、俺らは?」

 「剣使いが倒す手順は攻略本に載ってるよ。君らならもう普通にいけそうだ……ちょっと」

 道を逸れ掛けたギルガメッシュの首ねっこをキタローが掴む。

 「こらこら、今から抜けようとしてるんじゃない」

 「ソロでいけるとは言ってないから。ちゃんとパーティでやってよ?」

 「いやいや、フリだから、フリ」

 引きずられながら彼は降参とばかりに両手を上げた。

 「さて、丘の上に出ます。トロンダ、トールバーナが見えますよ」

 湿地帯を抜け稜線に立ち、大きく伸びをした。

 「ああ、良い天気だ」

 直径 10 キロの箱庭がほぼ一望できた。丘陵の北側はまた風景が一変し、岩や石ころが目立つ荒涼とした草原が現れる。そして浅い谷間地形の向こうの斜面にトロンダの村がみえる。トロンダは全体として南斜面の牧草地になっており、その稜線から少し右奥、とても目立つ太い迷宮区タワーの手前にトールバーナの白い城壁も見えた。あと 3 キロである。トロンダとの間の微かな谷筋を左に追っていくと、鬱葱とした西の森最奥部をかすめ、これまで通ってきた道筋に並行して南に下り、ホルンカ、その左奥に第一層最大の街、はじまりの街が広がっている。

 迷宮タワーから右は陽の下で土地の色が灰色になってせりあがる。はじまりの街よりも広い鉱山区であり、その頂上は今いる丘よりもやや高い。ここから見ると天井までもう一声、というくらい。鉱山区を除けばこのあたりは第一層で一番高いのだろう。開けた北側のうねった丘陵地、西の森、南の街、東の鉱山、いずれも壮観な眺めだった。

 そしてすぐに気持ちが萎んでいく。

 茅場明彦は他人にソードアート・オンラインの鑑賞(プレイ)を強制した。垣間見えるのは自信の無さである。それは間違いなく作品の腰を砕いた。例えばデスゲーム化ソードアート・オンラインという作品を維持するにあたり、外部との通信を禁止する必要はない。外部世界との接触があってはソードアート・オンラインに専念してくれない、と彼は考えたのだ。これは現実の登山ほどにも魅力のある仮想世界は自分には造れない、と認めたに等しかった。

 ソードアート・オンラインに閉じ込められた被害者達は茅場明彦を憎むのだろう。彼も憎む。ただ、そのベクトルはほんの僅かずれている自覚があった。

 

 最後尾のリアカーのガタガタという音を耳にしてすこし脇に避けると、

 「そっか」

 リアカーを引いて登りきったセドが困惑したようにアーランを見上げた。はて、と前方と彼を見比べると、そういえば風で飛んできたのか道の上も砂利や石ころだらけだった。リアカーを転がすにはちょっと厳しいかもしれなかった。

 ただ、この厳しさは護衛任務とは一切関係ない。本来の運搬クエストとしてもそのあたりをクリアしてこそだからとアーランは思い、これまでとは一転して彼は励ました。

 「あとちょっとだから頑張ってみたら」

 「……うん」

 「てめー、俺の時と愛想がぜんぜん違うじゃねーか」

 からんできたシムラに、すました顔で答えた。

 「分割して統治せよってやつですね」

 

 この北斜面にはモンスターは主要な、と言えるようなものはない。それほどレベルは高くないかわり、尖った能力をもつさまざまなモンスターがポップする地域である。一瞬でモンスターを見極め、適切な方法で討伐することが要求されていた。

 が、今の派遣組にとっては、もはやどれがどれと区別するまでもなく物理でぶんなぐるだけの話であった。ここからトロンダ入りするまででいちばん苦労したのはセドであろう。

 

 そしてトールバーナへの道筋。彼らは大型モンスターに全く出会わなかった。自力でトロンダまではたどり着いていたシムラはトールバーナの城門を見上げて呆然としていた。

 「俺ら、ただ歩けばトールバーナに入れたんじゃ……」

 全員が拍子ぬけしていたし、アーランも感謝感動を通り越して謝罪したくなるレベルに入っていた。キバオウ氏の素晴らしい仕事ぶりだったが、そんな彼らからメンバーを一人引っこ抜いたことになる。最初にキバオウ氏が禁じていたように、キタローさんにはお帰りねがって彼らには迷宮区踏破に専念してもらうべきだったろうか。

 それと、シムラには訂正をいれておく。トールバーナの城門前に時々ポップするでかいのは、まだ彼の手にあまるだろう。城門に詰めて待ち構えていたプレイヤーが喜々として討伐してしまうこともあるが、不在なら自力で倒さなくてはならない。トールバーナのプレイヤーにコネを持たない当時のシムラ達では荒地に立往生ということになりかねないのだ。

 物珍しそうに見物客が取り巻いている中、船団はトールバーナの広場で解散した。別れを惜しみつつ感謝の挨拶をしたあと、鍛冶の数名は地理が分からないということでティクルに連れられて確保してあった宿に向かった。護衛組も広場から消えた頃、アーランは無事終了のメールを幾つか送る。メニューを閉じ、

 「終わったー」

 ぐてっと彼はベンチにもたれ掛かった。

 贅沢になったと思う。解散の別れ際に、わたしたち婚約しましたみたいな顔をして挨拶に来たところが二組。遅い昼食に誘われたが、まだ仕事があると断った。ひいき八百長出来レースと思われるのもつまらなかったからだが、前線組の食事の誘いとか昔なら間違いなくついて行っただろう。

 彼は鍛冶師をトールバーナに連れてくるにあたり、トールバーナの地図を配布しなかった。それくらい現地で買う努力してくれ、というのもないではないが、せっかくだからとトールバーナ在住プレイヤーと入植プレイヤーを繋ぐ象徴になるよとスカウトさん達に耳打ちしておいたものである。ティクルについて行った鍛冶屋が少なかったのは、だいたいはトールバーナの地図について便宜を諮ってくれるような友人が出来たということである。先の二組は極端としても、計画は全体としても成功の部類と言えた。前半ドタバタしたあたりで吊橋効果もけっこうあったかもしれないが、

 「別にそんなことを期待していたわけではないぞ」

なんとなく言い訳してみた。

 ところで、彼はリズベットにトールバーナの地図を渡していない。最初から余裕をもっているとコネがバレるから、と彼は説明して彼女も頷いたのだが、その後のコピーさせてくれる奴が居なかったらティクルにコピーさせてもらえ、というのは余計な一言だったらしく、彼女に胸ぐらを掴まれて彼は男性にもハラスメント警告バルーンが出ることを知った。ティクルについて行かなかったところをみると彼女も無事コピーさせてくれた友人が出来たようである。貰ってないけど意地を張って道具屋を探しまわるという可能性もないではないが、そこまで嫌われてはいないと思いたい。

 「眠たい。転移結晶ほしー」

 首が折れて顔が上を向く。はじまりの街やホルンカと同じ青い空の映像だ。しばらくぼーっと眺めていると、メッセージの着信が入った。キバオウからだった。眠い頭のまま開く。大規模掃討感謝に対する返事で、レイド統率なんぞしとらんわ、というものだった。謙遜を受け取る気分でもなく、彼はメニューをそっと閉じた。

 しばらくして今度は、腰を落ち着けたらしい船団メンバーからのメッセージに紛れるようにキタローとアルゴからメールが届く。短文のみのインスタントメッセージでなく長文可能なフレンドメッセージのほうである。アルゴのほうは内容に心当たりがあるので、先にキタローのほうを開いた。長文で読むの面倒だなぁと思いつつ文面を追う。だいぶ目が滑ったが、どうやら彼のリーダーから聞いた話を整理したものだった。

 十秒ほどかかって内容が頭に浸透し、彼は身体を起こした。

 本当にキバオウは掃討隊を募集したわけでも率いていたわけでもないらしい。追伸にリーダーにはタコ殴りにあったわははなどとあったがそれはスルーで良いだろう。掃討には彼らのパーティ以外に多数のパーティが参加していたとのこと。見掛けたと言う顔ぶれにはアーランの知らないプレイヤーやパーティもあった。

 護送船団の到着時刻は別に隠してはいないがアナウンスしてまわったわけでもないから、一次ソースとしては護衛を派遣してきたパーティくらいなものだ、そう思って彼らに話した先を訊けば、これまた結構な数のプレイヤーに話していた。彼は頭を抱えた。

 いくつか問い合わせているとティクルが戻って来て、ベンチの隣に座った。

 「何かありました?」

 説明すると、彼は少し考えてから昨日今日のトールバーナの空気について話した。そして、それは一種の祭だろうと。アーランは舌打ちした。

 「迷宮区に入った時と出て来た時で人数違ってちゃびびるか……」

 キャンプしているフィールドで人が死んでも分かるのは周囲にいる人達だけだが、人が滞留しているトールバーナでは朝と夕でパーティの人数が変われば分かってしまう。人が死んでいるのを、黒鉄宮まで見に行くまでもなく容易に実感できるのだった。

 「具体的にはどれくらい?」

 「日に十人くらい」

 「死にすぎだろ。身体の面倒みてる看護士の士気まで落ちるだろうに」

 ティクルも、あ、という顔をした。分かっていなかったらしい。そっちで出来ることはないから、と言っておく。

 しかし、なるほどそれだけ亡くなればどれほどぼけっとしていても死者が見える。雰囲気が悪くなるのも当然だった。

 「それで祭、か」

 迷宮区攻略から目をそらす明るい話題が欲しかったということか。連れて来た鍛冶師がどれくらい攻略に役に立つかどうかはともかく。そういえばアルゴも迷宮区に話が移るとどんよりとしていたなあと。

 彼は掃討参加者全員に直接感謝を告げるのを諦め、名前の挙がってきたパーティ及びソロ、それにトールバーナ在住が確定している知り合いに感謝メールを送る。力及ばず感謝メッセージが届いていない人もいるだろうから、心当たりがあれば伝えておいてほしいと言い添えた。

 「あと、これボスの昼メシっす。食いっぱぐれたでしょう?」

 アーランはティクルからサンドイッチの包みを受け取った。

 「おお、ありがとう」

 サンドイッチを一口かじって頭を切り換えて、アルゴからのメールがあったことを思い出す。内容をざっと見てティクルとタスタスに転送した。エギルのパーティについての最終報告である。

 ティクルが開いて、アーランに尋ねた。

 「なんすか、これ」

 「とりあえず一緒にレベリングしないか提案してみようかと」

 「あー、例の人達」

 「やっぱ裏切られる心配しなくて良いってのは大きいから。ちょっと考えておいてみてくれ。僕はホルンカ行ってくる」

 「いってらっさい」

 アーランは走り出した。彼はこれからホルンカをもう一往復する。タスタスを迎えに行くためである。

 



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旅の道連れ 1

息抜き回。もともとはトールバーナ行程一往復半を2話で収めるつもりだったんだけど、なんか息抜き回のが長くなりそう。



── 数日前。

 確保すべき宿の数について精確なところが知りたいということでティクルがはじまりの街に戻ってきた。鍛冶屋の人数調整用に二人部屋以上の大部屋を幾つか確保する予定だったが、取れなかったとのこと。人数の上限下限について名簿を覗き込みながら二人で唸っているうち、ふとアーランは横のタスタスが気になった。はじまりの街に戻ってきてから静かである。

 「タスタスも来るか? トールバーナ」

 「え、あ、はいっ」

 萎みかけた風船に空気を押し込んで表面がピンと張ったような変化だった。そんな彼女を数秒見つめ、そのことに彼女が疑問を差し挟みそうになる前に彼はティクルに向いた。

 「じゃあ、タスタスの分の宿を頼む」

 話が飛んでティクルは視線をアーランとタスタスに往復させた。アーランは言った。

 「予備に二人部屋一つ、一人部屋一つで、当日の調整なんとかなるんじゃないか?」

 ティクルの顔に理解が浮かび、にやっとする。

 「使いきったら俺ら野宿っすか」

 アーランは軽くしかめっつらをして、

 「それ、人が増えたのにスカウトが全員諦めたってことじゃないか……その場合は、ここまで帰ってきて反省会だよ」

 あの、とタスタスが手を挙げた。

 「わたし、船団が出る日は会議室に残るんですよね?」

 「向こうに着いたら船団の用事は終わりだから、昼すぎには終わる。こっちに迎えに来るから、夕方にはトールバーナに入れるだろ」

 「ええと、つまり先輩、船団引き連れてトールバーナ行って、はじまりの街に戻って、もう一回わたしとトールバーナ行くってことですか」

 「そう。一往復半、三十キロ弱ってとこか。徒歩三十キロが高々三十キロと思えるあたり圏内くぐれば疲労が消えるってのは大きいよね」

 「それはそうですけど」

 わざわざトールバーナに居る彼に迎えに来てもらうのもなんだろう、と彼女は上目遣いに提案してみる。

 「わたし、別にソロでも……」

 「だめ」

 彼は笑顔で跳ねのけた。

 「ローコストで安全に振れるんだ、出来ることはしとこうよ」

 初めての道は道筋とモンスターについてのメモを確認しながらになる。集中力がちらかった状態でのソロは避けられるものなら避けるべきだと彼は付け加えた。それでもまだどこか言葉を探しあぐねている彼女に苦笑しつつ、

 「じゃあ待ち合わせはホルンカの北の口でどうかな」

 「足して五で割ってませんかー」

 待ち合わせ場所の彼の最初の主張は多分はじまりの街で、言い分を聞いたといってもたった二キロ。初めての道になるホルンカ以北については絶対に譲らない姿勢に、仕方ないなぁと彼女は答えた。

 トールバーナ城門を出る直前にほぼ無手だったことを思い出したアーランはストレージメニューを広げ、数秒メイスの項で指を止めた。ここ数日はスキル上げのために剣でなくメイスをずっと使ってきた。けっこう手に馴染んでいる。が、すぐにアニールブレードの項に指を滑らせた。ストレージから取り出して背中に背負い、続いて短剣の袋を腰に付けた。ここしばらくの本来の戦闘衣の形である。

 門の外に邪魔するモンスターもなく、視界はクリア。城門から踏み出しつつ、しかし彼は首を捻った。

 今の彼のスキルスロットには片手用直剣・投剣・両手用長矛が入る。スキルスロットは三つしかないのに、どんなプレイスタイルであっても一つ以上の死にスキルが出る組合せであった。だから船団を送り届けてメイスが無用になったあとはすぐに索敵を取り直すつもりだったのだが。

 ゆるくうねる軽い坂道を足早に、そして駆け足になる。道から外れてポップしてくるモンスターも斬りふせていく。剣の感触を手の平に思い出しつつ、

 (笑われるなぁ、こいつは)

 彼は長矛スキルを捨てるのが惜しくなっていたのだった。ここまでスキルの取捨選択にほとんど悩まず、スキルスロットの数が足りないと七転八倒したことはなかったのだが。

 手持ちメイスのグレードは今一つ。長矛スキルも片手剣スキルに比べまだまだだが、前に立ちふさがるモンスターに対しての突破力・防御力で初期のアニールブレードを上回った体感があった。アニールブレードと同額掛けるつもりなら今のアニールブレードをも上回るかもしれなかった。

 しかし彼がなによりも欲しいのは制圧範囲だし、時間当たり攻撃量(D P S)でも剣が上回るようだから剣プラス短剣のスタイルを変えるつもりはなく、そしてスキルスロットが四つになるまではまだ遠い。いつか長矛スキルは捨てることになる。それなら軽業か疾走でも手持ちにしておいたほうが良い。現状はただの優柔不断であった。舌打ちしつつ八つ当たり気味にモンスターを叩き斬る。

 トロンダ手前で上手い具合にタスタスから昼食のサンドイッチの差し入れを受けた彼は牧草地を斜めに横切りながらそれを頬張り、さらに早足でホルンカへ。途中、シュードユニコーンが車に轢かれる直前のような顔をして彼の邪魔をしていたりしたが、もはや何の感慨も感想も持たずに討伐した。

 

 一時間ほどでホルンカへの川沿いの道に出る。ナイトメアスリカータも出なくなり、暫くして遠くに北の口が見えた。門の内側にメニューを広げ、こちらに背中を向けている女性の姿がある。

 ただ、剣を背負った厚手の服装に見覚えはなかった。遠目に仕草はタスタスなのだがはて、と思い頭の中をさらって服装について指示を一つ出したことを思い出した。敏捷性を阻害しない限りにおいて下半身の防御を重点的に上げられるだけ上げてこい、というもので、この先の小型モンスター対策である。鍛冶屋には同じ注意をしなかったこともあって忘れていた。

 「おう、タスタス、待たせた」

 「あ、先輩、いま来たところですー」

 メニューを消した彼女が振り返った。彼は演技混じりで固まったような彼女の笑顔を見、わざとらしく後方を振り返り、もういちど彼女に向き直った。首を傾げた彼女はまっすぐに伸びる道の遠くに目を向け、そして固い表情が剥がれ落ちて素に戻った。わやわやと手を振って、

 「や、突っ込みはナシでお願いしますー」

 突っ込みどころは二つ、片方は彼女に免じてスルーとして、と彼は頭をかいた。

 「えっと、遅れたのは本当に悪かった。索敵スキルで遠くから見たくなるのは分かるけど、待ち合わせの手前百メートルくらいからはそういうズルなしで頼むよ」

 「善処しますっ……実は索敵じゃないんですけども」

 「フレンド探索なの? そりゃ最後のほうはくたびれて笑うどころじゃないだろう……」

 彼は一度、門を潜って HP をリセットし、疲れが消えたところで再び門を出た。彼女は彼を少し追い越して振り向いて微笑んだ。

 「反省しましたー」

 船団がトールバーナに向かっている間、彼女に買い出し依頼のたぐいはなく、本拠の会議室に篭もりっぱなしで、たまにメールの中継と、最後の宅配便くらいである。イレギュラーの多そうな作戦行動を遠くからやきもきするだけの簡単なお仕事だった。少し考えて彼女はフレンド探索メニューを開いたのだった。

 船団メンバーで彼女がフレンド登録しているのはアーランとリズベットの二人。フレンド探索で、マップ上の二人の位置が離れていなければおそらく船団が機能している、崩壊していない証拠であり、逆に二人の位置が極端に離ればなれになっていたら異常事態の発生と考えて良い。二人の位置を交互に見ていて、移動速度は速まったり止まったりと色々ながら二人の位置はそれほど離れることはなく、無事トールバーナ入りしたのを見届けて彼女はほっとしたものだった。

 会議室に積んであった鍛冶師の商売道具の山をアーランの手元に送り届けてからはじまりの街を出発し、ホルンカに着いてもまだ彼がトールバーナ近場に居たことには首を傾げて、そのまま彼がホルンカに来るまでマップを見ていたわけである。つまり、フレンド探索を使わなかったとすればもっと精神的にくたびれていたことだろう。

 そこで彼女は首を傾げた。

 「でも、先輩もけっこうお疲れですよね?」

 途中の経過報告は時々あったものの、まあ報告をまとめる気力も時間も無かったのだろうな、ということくらいしか分からなかった。

 こき、と彼は首を二度ほど折った。

 「モンスターは想定範囲だったんだけど、人のほうがなー。気を使った」

 思いついて、彼はあたりを見回してみた。左手に川、右手に丘という風景は朝ここを通った時とまったく同じである。多少の光線の違いはあって、アンビエントな光が真上から当たり人工的な川床が見えてしまって著しく趣を欠いていたが、それくらいだった。しかし見ているものに付随する意味が変わっている。行きも帰りもほとんど何の感想も持っていなかったように思うのに、今は「著しく趣を欠いて」といったような思考が出来ていた。肩の力が抜ける。彼女も彼の表情に気付いた。

 「先輩?」

 「あ、いや」

 正面の彼女を見つめた。彼は自分でもようやく目の焦点が合ったように思う。

 「そういえば、差入れありがとう」

 「トールバーナで食べたかなーとは思ったんですけどねー」

 「ちょっとだけ食べるには食べたんだけどな。でも食いっぱぐれたようなもんだ」

 「そのわりに向こう出るの遅かったですよね。何かありました?」

 「トールバーナの情勢絡みなんで、向こうに着いてから話すよ。何かけっこう歓迎されてて、その挨拶に時間かかった感じ」

 「へー」

 「じゃあ行こうか。と」

 彼は進もうとして彼女の服装に目を止めた。防具指示のことを思いだす。

 「ちゃんと着てきたんだな」

 「そうですよー。リクエストものすごく厳しかったんですから」

 両手を広げて彼女は自分の姿を見下ろした。淡青のデニムのパンツ、濃茶色のジャケット、その上からカーディガン様に防弾チョッキ風革鎧を着る。印象は初秋から初冬の装いのものである。遠目で見たとおり、ズボンが厚めの生地になったこと、上着の裾がわずか長めのものになったことによる。剣の位置も彼と同じく背中に変わっていた。はおる上着が重くなって腰に吊ったのでは抜きにくいからだろう。

 こうしてみると指示(リクエスト)が雑だったなと彼は思った。サイズ違いという概念がほとんどない SAO で着丈の調整は苦労したことだろう。短くしすぎるとただの作業着で、長くしすぎると戦う格好ではなくなる。偶然でないならよく選んだことだと思う。

 「着丈とかの手直しって出来るの?」

 彼に後ろをみせ、彼女は肩越しに背中の様子を覗き込もうとした。

 「防御効果付きのを手直し出来る服飾屋さんはまだみたいです」

 訊いてみれば案の定、という答えだった。探し回ったことが分かってしまう。

 「あー、そいつはすまん。良いんじゃないか。似合ってるぞ」

 ぱた、と彼女が両手を降ろして向き直る。

 「先輩も剣に戻ったんですね、お揃いです。けっこう長いのも似合ってたと思うんですけど」

 「まー、君のレベリング優先だからな。こっちのが手が長い」

 しばらくホルンカから動いていなかった彼女のレベルは少し遅れている。

 「頑張れよ」

 「はいっ」

 並んで歩きだしたところで彼は尋ねた。

 「さっきメールそっちにも送ったろう?」

 「エギルさん達のやつですよね、アルゴさんの報告書。読みました。全わたしが泣きましたー」

 「あれ、どのへんで?」

 「引き合いが少ないってあたりです」

 「ああ」

 以前聞いていた通り、彼らはメンバーをほぼ同じ色(同一兵種)でそろえた。それは二つの考え方がある。一つは、リーダーが一つの兵種しか扱い方を知らないケース。もう一つは、小さくまとまって自分達だけで完結した戦力とするよりも、強く不完全であろうとすること。色が着いた戦力のほうが他のパーティと組みやすいのである。壁不足の現状、彼らを使うのに困るパーティは無いと思われた。

 中間報告で彼らのパーティの現状を聞いたあと、アルゴに重ねて確認してもらった点は二つ。彼らのレベルアップの速さは寄生によるものかどうか、他パーティと組む予約が先まで埋まっているかどうか。

 そしてアーランは最終報告に想像を蹴飛ばされた。アルゴ曰く、寄生ではありえない、予約は空いているだろう。

 いくらかオファーはあったらしい。彼らからオファーしたこともあるようだ。しかし長続きしない。他のパーティと組んでから別れるまでの時間は短く、大部分は彼らは単独で行動していた。明らかに偏った戦力だけで、恐るべき速度でレベルアップしていた。今はもうトールバーナでモンスター狩りをしている。

 「それなあ。レベルのわりに貫禄がありすぎて、組んだパーティリーダーが非常にやりづらい思いをするんだと」

 彼らと組んだパーティに知った名前があったので彼も訊いてみたところ、そういった答えが返って来た。

 「ええと、そんな理由で」

 なにかしらの意図や覚悟をもってパーティ構成を崩したのなら他人が口を挟むことではないが、それはないだろうと彼女は同情した。

 彼としては言われてみれば驚くような理由でもなかったと思う。彼もシムラを平気な顔で振り回したが、同じようにレベルが下のサーシャを振り回すのはかなり困難を感じる。こういったことにはあまりレベルは関係ない。

 「エギルさん達と組んで、先輩は大丈夫なんですか?」

 まじめに心配顔をつくる彼女に、彼は少し笑った。

 「雲の上の攻略組を顎で使った今日より大変ってことはないと思うよ。ことによったらリーダーはエギルさんに任せるかもしれないし」

 そういう理由でエギル達が煙たがられているのなら、逆転の発想でボスレイドでタガを嵌める役も良いのではないかと彼は思う。そう彼が言うと、彼女は変な顔をした。

 「何かな?」

 名目のリーダーがどうあれ、いざボスレイドが壊れそうになったらどっちにしろ先輩も口を出すんじゃないかな、と彼女は思うわけである。ただそちらには話を振らず、

 「エギルさんはエギルさんで、普通に先輩に譲ってくるんじゃないでしょうか?」

 アルゴによるレベルの推定値によればタスタスは追いつかれたものの、まだティクルやアーランが高い。

 「そのへんはまあ、お話次第かな」

 彼はトールバーナのある方角を見上げた。エギル達の側も、アーラン達が彼らに興味をもったことをアルゴ経由で知った頃であった。

 ふっ飛ばされた二匹目のイノシシが川の上でポリゴンとなって霧散した時、いまさらのように彼女が川を指差した。

 「そういえば川ですよ、川。水。あれ、よっく造りましたよねー」

 「まあなぁ。良くできてるよな。霧もどきの飛沫(ひまつ)にならずちゃんとした水しぶきとか、わりと芸術の域だと思う」

 「ですねー。ありえないほど綺麗に跳ねますよねー」

 二人の感想は文字どおりの意味である。水・液体のエミュレーションで手を抜くと計算がとても楽になるのが粘性と音速と濡れ特性の三つであり、SAO でも特に粘性項について大幅に計算を省略している気配があった。この三つ、どれの手を抜いてもしぶきは細かくなるはずなのだが、水しぶきのサイズには大きな違和感がない。アルゴリズム上になにかしらの芸術的な細工があることが窺えた。

 「これくらい合うなら三段渓みたいな表現、どっかの層にあると良いよな」

 「観光ですかぁ……天井が低いから、渓流は厳しいかもしれませんよ。高千穂渓谷みたいに高さはあっても下の川が斜めになってないならもしかすると」

 「あぁ、滝だと順繰りに高低差を加算することになっちゃうか。高千穂ね、なるほど。幼年期地形はあり得るか。高さが欲しいとすれば……階層ぶちぬきで百メートルの滝とか」

 「絶対ボスフロア飛ばして滝登りする人が出て来ますよう」

 「滝がボスになるようなフロアと思えばアリなんじゃないだろうか」

 「あー、なるほどー。それはちょっと楽しそう。中ボスは淵のヌシですねー」

 「水中決戦か? 地味に厳しいな。釣りで良いならワンチャン」

 「いえ、結局、水の中に引きずりこまれて戦うことになるんですよ、先輩がんばっ」

 「僕がやるの? それならまず淵に流れ込む水をバイパスして淵を干上がらせてだな……」

 「半分くらい水が減った頃にモンスターがやってきて水路を破壊していくんですねっ」

 「よし、そいつを水路に近寄らせない仕事はタスタスに振ってあげよう」

 「らじゃー。でも力及ばず、ごめんなさいするんですよー」

 「そこはもっと頑張れ。せっかくリズの造ったポンプを破壊されるのは駄目だろ」

 「大丈夫、リズちゃんは準備万端、予備のポンプをこんなこともあろうかと」

 「予備があるなら最初からぜんぶ使うがな」

 「わぁ、リズちゃんの工房から洗いざらい機材をかっさらっていく気ですね!」

 「そういや鍛冶屋さん達の荷物、案外まだ少なかったな」

 トールバーナへの移動中、ストレージに入らない荷物を手に下げて持ってまわるとか論外なので、ストレージを大きく占拠するような道具はタスタスとアーランの間で輸送した。十人分で会議室が半分埋まるくらいは覚悟したのだが、テーブルが埋もれるくらいですんだ。まあ他人に預けるよりは売り払って現金に換えて持ち運んだという可能性はある。

 「物買うお金あったらスキルアップに使うってことですよね」

 「うん、いちおう必死にやってんだなあと思った。ラストアタックボーナスは龍のウロコかな」

 「コイが龍に変身するんですから、こう、剣が通らない身体くらいは」

 「素晴らしすぎて滝がクモの糸になるだろ」

 「そういう時に限ってフィールドで LA ボーナスの噂が流れるんでしょうね」

 「まさに地獄になったな」

 「登りきれば天国なんですよ」

 「九十九層がそれ、ってのはアリか」

 「ラスボスがお釈迦様ですかー、強い」

 「五十六億年ほどまちぼうけになるラスボスよりは」

 「弥勒はサーバーもちませんね。あ、でも面壁五十六億年でも外は一年くらいだったり」

 「それは、ない」

 「言い切りますね」

 「ナーヴギアは化学物質、ホルモンが血管を移動するのは止められない。精巣卵巣胸腺ランゲルハンス島、首から下にある臓器が自然に作るホルモンの管理はできない。ホルモン絡みで何か違った自覚がないなら時間のずれはないよ」

 「んー、アドレナリンあたり、ちょっとあやしくないですか?」

 「アドレナリンの類は、確かにちょっと強めに出てる感じがあるんだが……」

 「ですよね?」

 「あれ、出るほうは視床下部の管理だからナーヴギアが何かやらかしてるんじゃないかな。でもさ、消えるほう、半減期にずれた感じはないから、時間は狂ってないと思うよ」

 「視床下部アクセスしてるとか恐いんですが」

 「摂食衝動あやつってるから視床下部にインパルス打ち込んでるのは確定だと思う」

 「う。……大脳皮質だけでエミュレーションどうにか」

 「出来なくもないけど、理性と感情に訴えるだけで万人に飢えを実感させるほどの表現て、茅場明彦にそこまでのコピーライターの才能がある気はしないんだけど」

 「でも我慢できるレベルなんですから、たぶん。そういうことにしましょう」

 「あ、うん」

 彼女が恐いのは良く分かるので頷いておく。大脳皮質を焼くのは、まあナーヴギア的にも一所懸命努力しないと出来ないことだからそういう事故はなかなか起きないだろう。しかし脳の奥底にある視床下部にアクセスしようとして近所に誤爆する死亡事故は多発しそうである。── 一年ほど後になって、実は遥かに面倒なことをしていて事故の心配が要らないと知り、二人して胸をなでおろすことになるのだが。

 「一応、時間軸に関しては証明できる。君が」

 彼は少し言い淀んだ。見回して近くに通行人が居ないことを確認する。

 「……えっとだな、つまり、まだ一月経ってないから今すぐにってのはあれだが、女性の月経周期は内外の時間がずれていないことの証拠になる」

 「せーんーぱーいー。一つ大きな問題点があります……」

 ここで彼女は声をひそめた。彼に耳打ちするように、

 「ないですよ?」

 彼も小声で、

 「そうなの? せっかく人がアレな勇気をふりしぼったというのに」

 「そんな勇気は要らないですよぅ、あ、いえ要るのかもしれませんけど今は要らないですー」

 二人ともしばらくおたおたしていた。

 彼は話を変えようとストレージから小さい鉄鉱石を取り出し、水際に浅く投げてみた。跳ねずに沈む。

 「あー、タスタスは風呂ん中で腕とか動かしてみた?」

 「粘性がおかしいとか言っちゃだめですー」

 どこか顔が赤いまま、彼女は眉をへの字にした。彼は笑みを浮かべた。粘性項については彼も分かっている。

 「水中の音速は調べてみたりした?」

 「んと、配水管触りながら蛇口おもいっきりキュッと……」

 「やっぱりウォーターハンマーになるか。あれなぁ……」

 「したんですけどだめでしたー、って先輩もやったんですか? 水管が破壊不能(イモータル)オブジェクトっぽいですよね。コンとも響かなかったです」

 音速は速いほうが計算が楽になる。ただ水中の音速はもともと速く、きちんと言うのは難しい。速くすると水栓を閉めた時に出る衝撃音が大きくなる、ということくらいだろうか。

 「そういえば、そりゃ NPC の水道屋さんが必要になることはしないですよね」

 「うん」

 彼女が彼に目で尋ね、彼は頷いた。まだこのあたりはナイトメアスリカータのような即応性を必要とするモンスターは居ない。一人が警戒している間は無防備でも問題なかった。彼女は川のそばでしゃがみこみ、水をすくった。指の間からさらさらと流れ落ちていく。

 「粘性の小さい液体と言うと……」

 風呂で腕を動かした時にできる渦の様子からして粘性は著しく小さいように思われた。もちろん計算が楽になる方向である。そのことは彼女も分かっているようだった。

 ただ、アーランとしてはデザイナーの頭の中を疑って良いレベルで異常な定数だと思う。よほどの何かがあったのか。ここまで違えば素人でも違和感があるだろう。アーガスが機能していたら SAO サーバの設備増強時に修正されそうな部分である。

 「液体窒素、液体水素、沸騰間近のお湯、ベンゼンあたりの有機溶媒も多分かな」

 彼女が今度は両手ですくってそっと立ち上がる。

 「リアルだと触れる液体じゃないですねー」

 「貴重な体験だな」

 出来るだけ隙間を無くしているつもりでも、指の間から水が糸を引くように洩れる。それを二人で見つめて笑う。

 仮想現実のセンスオブワンダーなんぞいくらでもこうして転がっているのであって、リアライズするのにいちいち他人を巻き込まなくても良いのではないかなと思うのだが、

 「理解はしてくれないのだろうなぁ」

 「何がです?」

 ぜんぶ流れ落ちる前に彼女は手をはたいて水を飛ばした。

 「これを作った本人がさ。他人を巻き込まない楽しみ方が出来ないタイプなんだろ。いちおう物理出身のはずなんだけどな、茅場明彦」

 「物理出身でしかないから、……先輩が前に言ったとおり、登場人物が人工(A)知能(I)だけでは世界として満足できなかった、んじゃないでしょうか」

 「入れ物は造れても、登場人物を自前で用意できる気はしなかったってことだからなぁ……」

 「……ですね」

 さっきの鉄鉱石を水中に見つけ、拾って軽く振り、ストレージに仕舞って再度取りだすと水滴は消えていた。

 濡れ特性周りはゲーム設定が絡むので物理計算の手抜きなのか意識的な仕様なのかを判別するのは難しい。たとえば今の、仕舞うと乾くのは「濡れている」のが一種の状態異常として扱われていることを示す。気化熱もおかしいが、こちらもゲーム設定が絡むので諦めるほかない。今ちょっと川に踏みこんで足が濡れたが、放置しておいて足が冷えたりすることはない。

 「こういう、物理現象がおかしいといろいろ小学生の教育に影響が出そうだよな」

 船団で、そう懸念したのはサーシャである。それを敷衍するに、二年も浸れば中学生も危ないかもしれないなと彼は思ったものだった。十四歳の子が二年間アインクラッドで過ごすのは、自分達で言うなら三年ほど南極越冬隊を務めるのに近い。

 「ふむ。元ネタはサーシャさんでしょうか?」

 「びっくり」

 「えへへへへー」

 上機嫌に彼女は水際でくるっと回ってみせた。

 「んー、そうですね、子供を見て、男の人はたぶん小さいゲーマーが居る、くらいじゃないでしょうか? 船団の中で女性は二人、リズちゃんは疚しいこと抱えてるのであまり雑談には参加しない、としてサーシャさんかなと」

 性差以前に、彼がそういう中途半端な規模の集団について語るところに違和感を覚えての反射的な考察だったが、そこは言わない。

 彼は攻略集団の攻略速度は考察しても誰がラスボスを倒すかといったことには興味がない。それと同様に、彼はプレイヤー全体の被害状況は語っても、その中のサブグループそれぞれの運命について大きな興味はないだろうと彼女は思っていた。

 「まあそうね。リズだけど、初対面だと人見知りの子に見えただろうな」

 そう言ったあと、ああ、なるほどと彼は納得した。人見知りのソロがこういう計画に乗るはずがない。ヘタレ鍛冶屋と似たようなものだが、あちらと同じくバックが居るだろうとシムラは訊いてきたわけだ。それだけでは確証に届かないだろうが、ターゲットに見定めてしまえば証拠の一つや二つ出るに違いない。

 「先輩?」

 「ん、ああ、悪い。ちょっと変に懐いた奴のことで」

 中学生を囲っているなどと言い触らされるのはどうかなぁと彼は心配になった。ただ、杞憂かとは思う。

 「ネズハさん達でしょうか?」

 懐いたと言えば、彼女には彼らが第一に来る。ネズハというか、一緒について来た保護者のギルガメッシュ達のことだが。会議室に案内した時の気張った表情と、出る時に見掛けた融けた表情の違いでよく覚えている。そう挙げてみると、

 「いや、シムラのことだけど……まあ懐くといえば、あいつらもそうか」

 彼は軽く笑った。彼女は首を傾げた。シムラについては悪友という印象がある。面談の時、悪巧み顔で話が盛り上がる横でおいてきぼりにされたセド君と目が合って、おもわずごめんなさいしたものだった。

 「そういえばネズハさん達の時、何したんですか?」

  鍛冶屋の面談にはだいたい居合わせたが、彼らの時に限って席を外していた。見たかったと思う。

 「自己紹介で微妙な顔したら、名前負けしてるだろって何か自虐的に威張るから、ギルガメッシュだって最初はホギャホギャ言ってた赤ん坊だったろと。百層までに王様になってれば良いんだよと」

 「……たぶんオチがあるんですよね?」

 なぜ分かる、という顔をして彼は答えた。

 「エルキドゥは造られた時から強かったんだよなと言ったら一人だけ凹んだ」

 「ひとつふたっつ余計な一言がくっついてきますよねーえ」

 溜息をついて、彼女はどこかうらみがましそうに彼を見上げた。

 




掛け合い部分、日常でもやってるような奴で、そのまま文字で起こしたろうかと思うこともあるのだが、
1時間もすると何喋ったか覚えてへんのよな……。

水の描写はプログレ基準。粘性を下げるとあんな感じになるのと
DFSの設定(物理計算は手を抜こうとする傾向)とも合うので採った。



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旅の道連れ 2

先月末めっさ忙しかったとかそのあと風邪で寝込んだとかいろいろあるが、実時間も掛かってるというのもあるかもしんない……。



 「生け捕りですー」

 ナイトメアスリカータの領域に入った早々にタスタスが一匹捕まえて掲げてみせた。 

 アーランは素直に感心した。やるかもしれないと思っていたから彼も少し考えてはみたのだが、すばしっこいのはなんとかなるとしても小さすぎて無力化が難しい。彼女はポップエフェクトの光と同時に後側に回り込み、ポップ完了と同時くらいに抱え上げ、口に鉄鉱石を突っ込んで無力化して生け捕り完了と、午前中と同じく彼がサンプルを見せたとはいえほぼ初見で見事な手際だった。捕えられたナイトメアスリカータも彼女の腕の中でおとなしく、口を塞ぐための石が辺りに見当たらないから代わりに鉄鉱石、というのも上手かった。

 「えへへー」

 褒めているのが分かったのか、彼女も相好を崩す。

 彼に向かって威嚇するナイトメアスリカータと彼女を見比べながら、彼は真顔に戻って釘を刺した。

 「こいつら集団でポップしてくる。集中力切るなよ」

 なにしろ彼女は片腕が使えない状況である。

 言うそばから彼女の足元に再びぼんやりとした光が灯った。ひゃ、と小さく悲鳴を上げて一歩下がりつつ彼女はナイトメアスリカータを彼の間合いに放り上げる。彼は即座に二匹を消し飛ばした。

 彼女も剣を抜く。ふたたび辺りから音が消える。あたりにポップ気配の光もなく、死体も口に突っ込んでいたはずの鉄鉱石も消えた。

 「イノシシの口に詰めこむなら金貨の袋詰めか……と思ったけど」

 「大損待ったなしですねぇ……」

 警戒しながら彼女が彼の呟きに答えた。

 もっとも、フレンジーボアの闊歩する草原なら石も落ちていたかもしれない。このあたりが綺麗すぎるのだろう。そういえばと見回してみればメンテナンスの人の手が入っているような土地である。一面の草の背丈が芝生というには高く乱れているので庭園というほどではないが。

 ただ、庭師や草刈りといったメンテナンスの NPC を見掛けたことはなかった。

 先に進もうかと誘って、歩きながらそのあたりを彼女に話す。

 「山に柴を苅りに行くおじいさんは居ませんか。……林の中の空き地に丸太とか間伐材とかは積んであったりします?」

 「そういう演出も無かったなぁ……NPCリソース掛けなくてもそういう生活感の演出はタダで出来るな、そういえば。シイタケの木組とか?」

 「マツタケでもトリュフでもなくてシイタケですか」

 「木の根元に生えてる何かならどうせそのうちあるだろう」

 「そうですね。シイタケあたりは一種の宝箱扱いになるんでしょうかねー」

 「で、一緒にワライタケが生えてるんだ、きっと。鑑別よろしくな」

 「キノコの鑑別は専門家が必要なんですよぅ」

 「一年くらい修行すればなんとかなる」

 「修行途中であたって死にません?」

 「圏内で食べてみるぶんには大丈夫なんじゃないの? あれ? どうなんだろう」

 首を捻って、さらさらとティクルにメールして訊けば、毒キノコでも圏内なら HP が減ることも死ぬこともないとのこと。ただし腹痛相当の状態異常はあるらしい。

 「それ、何の保証にもなってなくないですか? ドクササコとか、リアルでは強烈な痛みで思わず自殺するケースもあるのに」

 「あれか、やばいキノコは実装されてないとは思うと言ってみても、試食する奴にとっては何の慰めにもならないパターンだな」

 「ですよぅ、未鑑定のレア食べて大丈夫かどうか事前に誰も保証してくれませんし。それに、実際ノックバックってけっこう痛いですから……」

 「痛みの上限設定、けっこう高いもんなぁ。腹痛で七転八倒したあげくログアウトボタンを手探りで探す展開は、ジョークアイテムとして普通にありそうだ」

 茅場晶彦の人間性にほとんど何も期待できなくても、アイテムやクエスト、設定の凶悪度には上限が存在する。それはどんなものであれ、社内(アルファ)テストやベータテストを通過しなければならないからである。ベータテストは十層以上のアイテムについてチェックしないからあまりあてにできないとしても、アーガスの茅場晶彦以外のメンバーが駄目出ししたであろうアルファテストについてはアーランは幾らか期待していた。しかし、この場合はアルファテストの想定もあまり役に立ちそうになかった。

 「レアキノコ試食、無理ですよね?」

 「だな」

 

 二人の散歩道は川のせせらぎの音以外静かなものだった。すれ違うプレイヤーも居らず、レベリングのことを思うと実はあまりよろしくないが幸いにしてポップしてくるモンスターもない。午前中に大集団が通過、狩りつくした影響だろうか。ここまでタスタスは一匹もナイトメアスリカータを殺していない。となると、と彼は思う。彼女が生け捕りできるならじっくりとテイミング実験ができる。しかし ──

 「スリカータってネコって言ってたよな?」

 経路上のモンスターの予習での話である。彼が小型モンスターをまとめてイタチと呼んだところ、彼女からクレームがついていた。

 「著しく誤解を生む発言ですねぇ……オービットもスリカータもイタチって適当にまとめるから訂正を要求しただけですよぅ」

 「いやまあ、それは良いんだけども」

 テイム可能かどうかというとっかかりは今のところ不明だった。ナイトメアスリカータがネコのグループ、ムステリオービットがイヌのグループだとして、イヌならテイム可能、ネコならテイム不可能というような可能性があるかどうか。とりあず植物系・鉱物系のモンスターは考えないものとして、リアルの動物の分類がヒントになっているような設定があるかどうか。

 以前、彼女のフレンジーボアの生け捕りについてアルゴとティクルに訊いてみたことがある。二人は自信無げながら異口同音にテイミングスキルのきざしではないかと言った。狩ってしまったらいけないんじゃなかったかと訊くと二人とも降参したのだが。ただ、とアルゴは補足した。ベータテスト時代、テイミングについての研究はそれほど系統だって行われたわけではないと。ベータテストが終了した後にネットに名乗り出て来たプレイヤーを含めてやっと十名。テイミングの成功報告はそれだけしかないから、抜けも多いだろうと。

 つまり、一匹も狩っていないからテイムフラグが立っているかもしれないし、関係ないかもしれないし、ネコなのでそもそもテイム不可能モンスターかもしれないし、そうでないかもしれない。

 そしてテイミングスキルはベータ時代よりも格段に凶悪度が上がっており、当然レア度は上昇するだろう。つまり攻略の強力な武器となった ── か、あるいはレアになりすぎて攻略上必要でなくなってしまったか。

 彼は溜息をついた。そこそこ手掛かりが揃ってきたつもりでいたが、実は何にも分かっていなかった。

 「えっと、先輩?」

 「あぁ、悪い」

 話そうとした矢先、こういう時にかぎって大量にポップの光が取り巻くのだった。

 「話は後な」

 「はいっ」

 内心で舌打ちしつつも複数ポップしてくれば身体は自然に動いた。もぐら叩きよろしく次から次へと斬り飛ばしていく。もちろん彼女も同じである。「殺すな」とは言っていないから当然ではあった。彼女に不殺を貫いてもらおうとするなら、走って逃げて追いかけて来るモンスターを彼が全て狩る、という形になるだろうか。実はやってできなくもなかったことを何匹か彼女が狩ってしまったあとで気付いた。しかしもう一つ思索を進めてみれば後悔は無かった。気付いていても「殺すな」とは言わなかっただろう。それはほとんど無意味に負荷を重くする。

 

 そろそろ来るかと見上げた丘にお約束通りポップエフェクトの光が広がっていた。警告しようかと彼女に振り向けば、彼女にもまだまだ余裕があった。良いことである。

 「上からシュードユニコーン来るぞ」

 もちろん今は稜線のユニコーンを叩く部隊は居ない。彼は手早く周囲のナイトメアスリカータを狩り取って足もとをクリアにした。彼女も斜面の先を見上げ、

 「どこがユニコーンなんですかぁ」

 「初めて見た人のお約束かもだな」

 彼は拍手した。

 「鍛冶屋さん達は突っ込むどころじゃなかったからな」

 彼らにとっては要するに「上から突っ込んでくるでっかくて恐いの」であって姿・形・名称の細部はどうでも良いのだから当然である。実はアーランも名前を気にするようになったのはタスタスがスリカータをネコ科だと言い出して以後のことだが、インドサイ(Rhinoceros unicornis)がユニコーンの一種だとかはスリカータをネコ科だいう以上にどうでもよいことの気がしたので勉強会では指摘していない。

 「要するにサイですよね……って気付いてましたね?」

 タスタスが口を尖らせた。へぇ、と意外に強い反応に彼は少し驚く。もうすこし軽く流すものだと思っていた。攻略本には載っていなかったのでアルゴに伝えてみたところ、彼女も既に知っていた程度のネタである。

 「見て驚くところまでは予定調和の範囲だと思うけど」

 「情報隠すのって良くないと思いますー」

 「ん、まあそうだな。すまん」

 彼女は軽くむくれたものの、突っ込んでくるユニコーンにすぐ真顔に戻った。最初の一体について手本を見せたあとは彼女にユニコーンを任せ、彼はナイトメアスリカータの処理にまわった。これはフライングアーケロンの、「でっかいのが突っ込んでくる」という状況に慣れておくための狩りでもあった。

 三体目あたりからだいぶ慣れてほとんど気遅れせずに立ち向かっている彼女に、

 「リアルに帰って車に轢かれそうになっても勝てると思うなよ?」

 「思いませんよぅ……思っちゃうかも」

 「不意をつかれても落ち着いて受身をとるくらいは出来るかもだな」

 「先輩こそ、自分の身体が想像以上にヤワだってことにブロック塀にぶつかってから気付いたんでは遅いんですよ? 鎧とか着てないんですしー」

 

 ポップが落ち着いたころ、ここは終わりだろうと二人で走り出す。その途中で彼はテイムの可能性について話した。ムステリオービットの領域まで走り通して一息ついたところで彼女は言った。

 「そういう話は会議室でしましょうよ……」

 パーティの行動方針に関わるレベルの話である。

 「いやー、ちょっと迷ってて。そしたらイタチ……じゃなくてスリカータに襲われて決断前にルート決まっちゃったしなー」

 「え?」

 テイムについて方針をまとめていないなら会議室で提案しないのは彼女にも分かる。しかしこういうのは珍しい。意志決定しないならしないで「意志決定しない」と明言するだろう。安全について口喧しい彼がレベルが下の自分を抱えての作戦行動中に、優柔不断を表に出すのは ──

 「先輩、やっぱりけっこう疲れてませんか?」

 思い返すにポップを見てから狩りにいく後手後手感が凄かったと思う。ユニコーンが落ちてくる前に周りを綺麗にした時の手際は良かったので気付かなかった。

 「頭半分くらい明後日の方角に向いてても、いつもならもう少しいろいろ手が早いんじゃないかなと思うんですけど……」

 後半のコメント本体はともかく、前置き部分に非難と鬱屈を感じとって彼は手を上げて降参した。不要不急の話を考え込んでコンビの片割れを放置したのは非難されても仕方がない。

 「まあ忘れてて良いよ。色気だすほどじゃないのは確かだ」

 「……そういうことじゃないです」

 上目使いで彼女は言った。

 「わたしは、先輩が不覚をとったりしないか心配だ、って言ってるんです。こういうの、HP ゲージ見てても分かりませんよ?」

 彼は苦笑した。彼も自覚がないではないが、かといって今できることは少ない。それは分かりそうなものだけどなと思いつつ、

 「想定外が山積みされたというならともかく、一応予定の仕事配分のうちだから。大丈夫だよ」

 そして付け加えた。

 「エギル達との交渉は明日に回すことにするよ」

 じっと見つめていた彼女も、ようやく落ち着いたのかなんなのか頭を下げてからこぶしに力をこめた。

 「……先進むしか、出来ることはないですよね。ごめんなさい。先輩に頼ることのないよう、がんばります」

 「いや、無理されてハラハラするほうが疲れるんだけど……って聞いてないね」

 きびすを返した彼女は既にあたりの索敵、警戒に入っていた。

 ムステリオービットのエリアでは暫く待ってみても結局一対も見掛けず、止むを得ず次の林に進む。

 シャドウイーターの林では、一体を見掛けて彼が処理したあとは一転して彼女の索敵スキル大活躍になった。頭の上から落ちて来るモンスターが奇襲にならないのがどれほど気持ちを楽にするか。彼は後ろから安心して見ていられた。これならと街道を逸れてフライングアーケロンのエリアへと踏み込む。

 とば口の林と比べればだいぶ樹々の密度が上がってきた奥の林に、唐突に広場が開けていた。さしわたし五十メートルほどの芝生、にみえてやや低くなっている半分以上のエリアが沼で、その上を水草が覆いつくしていた。芝生部分とよく見比べると緑がやや濃くて葉の形も丸い。水気の多そうな土地のわりに芝生部分の土は固く締まっていて、メイスで叩けばなんとか土は抉れそうだが、剣を土に突き立てることになれば耐久度に影響が出そうである。もちろん林道の床ほどではない。あちらは破壊不能オブジェクトである。広場を抜け、林道をさらに進んだあたりに次の広場も覗いている。そちらもフライングアーケロンの巣の一つだった。

 広場に踏込み、沼を一瞥してからアーランは振り返った。

 「さて、カメだ」

 日向ぼっこでもしているのか岸辺に身体半分を乗せているモンスターの姿が二体。沼にも数十センチほど不自然にもりあがった黒光りする部分があり、ゆっくりと動いていた。

 「カメですね。やっぱり足以外に手があるんですけど……ていうか、これリクガメですよね? アーケロンなのに」

 そして彼らに目を向け、のっそりと沼から上がってくるモンスターが一体。全長三メートルほどの六本足のカメであった。甲羅の一番高いところで一メートル半かそこらで、反対側にプレイヤーが立つと少し互いが確認し辛いくらい。そしてリクガメにウミガメの前ヒレをつけくわえたような体型で、ヒレのエッジは刃になっているのか金属光沢を帯びて光っていた。

 「ねえ?」

 彼女は肩の上に乗せたカメに同意を求めるように、指先でつついた。手は肩にしがみついたまま首だけひっこむ。生まれたばかりのウミガメの子供よろしく沼地のまわりをペタペタ這いずって逃げようとしていたのを彼女が拾って来たものである。リトルタータスは逆にウミガメベースにリクガメの手が付いたような体型だった。

 「じゃあちょっとやってみせるから ──」

 「見本要らないです。やってみます」

 「そう?」

 沼の中の待機中のカメも今のところはおとなしい。一体だけなら試行錯誤も問題ないだろうと彼が数歩ひくと、彼女はリトルタータスを地面に降ろし、沼に這いずっていくのを見守ってから剣を握った。一呼吸いれて、

 「行きますっ」

 彼女は身体を沈めて横殴りに斬りつけた。アーケロンは彼女の切先の流れる方向へ身体を捻りつつ剣の間合いの外へ跳ぶ。沼の縁に着地、泥水が盛大に跳ねとんだ。

 アーランは首を傾げた。悪手とまでは言わないが、地面近くを水平に斬りにいったのでは力が入らず、ダメージは稼げない。

 「む。やりますねー」

 彼女も沼の近くまでは追いかけない。

 沼の中から首をもたげて彼女を睥睨するアーケロンと、戦いに興味をもった風情の、ひなたぼっこしていた別のアーケロン。その陸の上のカメのほうがジャンプする気配 ──

 沼から離れ、飛び掛かったカメから大きく逃げて回り込み、カメと沼の間へ。アーランは表情を厳しくした。カメを沼から切り離したつもりで間違いでもないが、彼女が挟まれたとも言える。

 「先輩の出番はまだー」

 わずかに姿勢が動いたのが分かったのだろう、彼女からそう声が飛んだ。周りを見る余裕があるならと彼は剣を降ろした。ただ、現状のまま推移するなら勝ちは拾えるだろうが合格点はやれないと思う。

 

 陸の上に居る唯一のモンスターにあれやこれやと斬りつけ、カオスながら無事しとめたあたりで彼もなんとなく分かった。彼女は予習をなかったことにしていたらしい。新発見のモンスターだとすればどうするか、で動いていたようだった。沼に首も沈めたカメが直接陸上のプレイヤーに攻撃してくることはないという知識は活用しているが、モンスターが一体だけ現れたという状況を仮定しているのなら構わないだろう。

 一体をしとめたことで必要な攻撃量は実感として得られたようだった。二体目をポリゴンに変えた時、変えたことを確認もせずに彼女は三体目の処理にかかっていた。このあたりでだいたい予習に追い付くだろうか。

 (しっかしなー)

 彼は内心で顔をしかめた。三人の中でもっとも素直なトレジャーハンターデッキで育っている彼女が情報ゼロの新モンスターにソロでぶつかり、しかも逃げずに倒す必要があるとすれば、それはアーランとしては心配と恐怖で呼吸が止まりそうな状況であるはずだった。想像するだけで胃が痛くなってくるが、そういう練習をするなとも言えない。

 こういう時に彼が思うことは一つである。早く彼女を箱に詰めて宅配便で現実世界(リアルワールド)に送り返したい、というような。

 

 彼は戦況に思考を戻した。四体目、五体目が近付いてきているから彼女がさっさと三体目を片付けにいくのは正しい。

 現状の単位時間あたり攻撃量(D P S)はカメのアクティブ化ペースに追い付いておらず、したがって陸の上のカメの残数は増える。どこかで攻撃手段をソードスキル主体に切替える必要があった。剣の出来に頼ったクールタイムがほぼゼロの戦いから長いクールタイム前提の戦いへの移行は、彼にも覚えがあるが、なかなか度胸が要ることではあった。

 彼女の表情も真剣なものに変わっていく。ジャンプする気配のカメに彼女も受けて立つ構え。カメがジャンプ ──

 「ひゃ」

 一目散に彼女がカメの間合いから大きく逃げ出し、カメの攻撃は空を切り、地響きを立てて着地した。

 「……おい」

 気合いの入った構えはなんだったんだと半眼で睨むと、

 「だって、泥水が飛んできたから……さ、作戦のうち?」

 「いいけどさ……」

 ここで汚れると洗う機会はトロンダまで進むかあるいは下の川まで戻るかで、いずれもそれなりに不快な思いをするから分からないでもないが、時間のロスは致命的だろう。

 さすがにソードスキルレスでは余裕がなくなったのか、跳んできたカメに彼女は二連続の水平斬りソードスキルで片方のヒレを切り落としつつ頭に斬りつけて沈めた。しかしまだ削りきれていない。彼女に警告した。

 「うしろ、次のやつもう来てるぞ」

 「ちょ、まだ待ってー」

 動きの悪くなった一つ目のカメの首を大きく振りかぶって切り落とし、ポリゴンに変わり始めたところだけ確認して沼から遠ざかるように飛んで逃げ、振り返る。二つ目と三つ目は陸に上がって既に飛ぶ姿勢、そして四つ目の波紋が岸辺に近付いていた。

 そして彼女は気付いているかどうか、やや離れた後ろの林の枝の上にシャドウイーターのポップが二つ。奥の沼からのっそり這い上がって道を塞ぎつつこちらにやってくる様子のフライングアーケロン一体。

 先ほどは身動きしただけで彼女から制止された。だから彼は泰然として待った。

 

 唐突に間合いを広げ、足を止めて彼女が唸り、そして後ろの林に向かって走り出した。

 「先輩の、いーじーわーるー」

 その勢いのままシャドウイーターが一体隠れる樹を蹴飛ばして揺らし、襲いかかってきたところを斬り伏せる。協調するつもりだったのかどうか二体目がその隙をつこうするも遅い。カメとの距離を目算した彼女が二連撃スキルで二体まとめて消し飛ばす。

 さきほどまでの沼は六体目がそろそろと陸に近付いていた。つまりアクティブ化したアーケロンが陸上に四体になろうとしていた。目の前の一体を片付けるか、戻って一つ増える前に三体を片付けるか、どうするのかなと見ていると、目の前のほうを先に片付けるらしい。ついていって訊いてみる。

 「各個撃破でなくて良いの?」

 「後ろからドスン、のほうが恐いですー」

 道の両脇の樹々に挟まれてジャンプに不自由していたアーケロンをだいぶ慣れて来た様子で大技ソードスキル二つで片付け、振り返ってさすがに顔から血の気が引いたらしい。四体目も陸に上がり、列をなして進むところだった。この距離からでも迫力がある。

 「半分やっとこうか?」

 取り巻くこの状況の彼女の認識と自分の口調の落差が酷いと彼自身も思うが、しかし彼女も口元に微笑みを浮べた。

 「いえ……これ、後ろのやつ、前のやつを飛び越えて来たりしますか?」

 「ひとつ後ろのやつはあるよ。ふたつ後ろのやつが跳んできたことはない」

 一番前だけ相手していれば良いのなら、沼のボスとか言われたりはしない。彼が脇に避けると、

 「わかりましたっ」

 そう言って彼女は林から飛び出した。

 彼が道からやや離れた枝の上にいたシャドウイーター一匹を片付けてから広場に戻ると、三体に半包囲されかかっている彼女の姿があった。一つは片付けたらしい。ほとんど岩壁がおしよせてくる図は壮絶だった。ただ彼女の表情は押されているものではなく、痩せ我慢の気配はない。沼地はと見ると、動く甲羅が二つ、ポップエフェクトの光が一つ。

 (ふむ)

 剣を握った手に力を込めた瞬間、再び声が飛んだ。

 「だめっ、です」

 振り絞る声に彼は再び手を止めた。

 彼女は跳ねてきた一体を避け、二連撃スキルで残る二つの HP を削る。跳んだ一体が姿勢を整える前にヒレを切り落とす。これを三度繰り返し、次の二体が陸に上がってくるまえに三体をほとんど同時に消し飛ばした。三体相手の方法論の確立だった。単位時間あたり攻撃量もそろそろポップペースに追い付いただろうか。まぁ広場の外に出るようなことがあると圧倒的に足りなくなるのは変わりないが。

 しかし間合いが近すぎて見ていて恐い。

 「五、六体相手にする時、どうするかちょっと考えてみてくれないか」

 「六匹、ですかぁ……」

 ほとんど泣き笑いの顔を彼に向けた。

 「……そんなの、決まってるじゃないですかぁ」

 超低空でのソードスキルを持っていないプレイヤーの場合、基本的にはアーケロンが跳び掛かってくるのを待つ必要がある。一対一を維持できるならともかく、そうでないなら跳び掛かってくるタイミングを管理しなければならない。彼女が彼女が今やったように、跳びかかる気配が見えたカメに対峙する、だと三体かそこらが限界だし、躱し方がぎりぎりにすぎる。最近に攻略組の間で確立した手順では、踏込み幅と量を調整して跳びかかってくるカメをこちらで決め、他のカメには少し待ってもらう。手順に感覚的な部分が残っていてまだ攻略本には載ってないが、次の次くらいには載るだろう。が ──

 彼女は二体が上がってくるのを待ち、それから踏み込みから引く、を繰り返し余裕を持って二体を狩り飛ばした。

 「驚いた。いや、教えること何にもなくなったぞ……」

 彼女は綺麗なVサインをしてみせた。

 三十四、五体ほどをたいらげたところで目の前の沼地は空になった。まわりを見回してから彼女は一息ついて手近な林の木陰に向かった。彼は苦笑しつつそれを止めた。ヒョウが樹上に湧いてでるような林の中で休むのは厳禁である。見た目は何時もと同じくほんやらと笑ったような、最初からほとんど変わったところのない様子に見えたが実のところだいぶくたびれているようだった。

 彼女も彼のほうを見つめて制止されたことで気付いたのか、あぁ、と口を開けてから U ターンして林から離れ、沼地に寄った草地で力が抜けるようにして座り込んだ。顔はまっすぐ沼を向いたままだ。

 彼は首を振ってストレージからポーションとゴザを取り出し、木陰から出た。歩くと案外遠いものである。

 「芝生のようなもんだけど、……ほら、敷いとけ」

 ゴザをひろげて、のそのそと上に移動する彼女にポーションを手渡す。

 「あ、はい。ありがとうございます。……なんかピクニックになりましたねー」

 「そうだなー」

 どかどか飛び回る岩山が無くなってみれば、草地は本来の広さを取り戻した。そよぐ風も軽い。微笑む彼女の手の中でポーションの空瓶がポリゴンの光になって消えた。

 「座りません?」

 彼女がペタペタとゴザを叩いてそう言ってきたものの、途中から声は小さくなった。

 「……と言うわけにはいかないんでしょうね、やっぱり」

 「わりと安全地帯から遠いところだからな」

 ぼけっとしていて奇襲を受け、即死は無くとも脚にダメージでも負えば救助の手が無いと簡単に詰む。人を背負ったままでは、ここからは進むのも戻るのもすこしばかり厳しい道のりである。このあたりが最前線だった頃の話として、たかがしれた傷で涙を飲んで撤収したパーティのことは良く聞かされた。怪我人をベースキャンプに置いたまま戦うな、という警告でもあるのだろう。

 「ま、歩哨は僕がやるさ」

 アーケロンのポップの様子はみられなかった。奥の沼地からもしばらく来ていない。小さい方のカメなら、そこらに数匹。

 彼女が尋ねた。

 「先、行くんですか?」

 「今日はここが本命だったんだよな。先に行けば大物は居るけど連続して狩れるわけではないから、次の連続湧きまでは期待したい……が」

 言葉を切って彼女の視線を遮るように腰を下ろすと、ほとんど一拍遅れてから彼に目の焦点が合って、驚いた彼女は少しひいた。

 「疲れた?」

 「ステータスはだいたい戻りましたけど……」

 「休むってのは心を休めることだからな?」

 「まぁ、そうですよね?」

 先輩もですよ、という声が聞こえた気がして彼は立ち上がって再び沼に目を戻した。

 「で、どういうことよ。恐かった、というのとは違うようだけど、えらく真面目に狩ってたけど」

 彼女がフィールドに出るとナイトメアスリカータ戦のような見ていて楽しいものになるものであって、こういう普通の狩りにはならないだろう ── などと直接言ってしまうとだいぶ失礼なことになるので、彼は少しもってまわった。決まりきった教科書手順で狩るにしても個性は出るものであり、センスや才覚で彩られる。彼女が頭から砂をかぶったような戦い方をするのを見たのは初めてだった。

 身体的な効率は普段より良かっただろう。だが、それは SAO ではあまり意味がない。精神的に草臥れないことが大事なのだ。頭は全く使わないでいるか、楽しんで使うかであって、苦難呻吟するとか嫌々やるとかはもってのほかである。

 ニュアンスの意味するところは分かったのか、彼女は不満げに小さく唸ってから、

 「真面目にやらなきゃ追い付けないでしょう……ていうか、なんか追い付ける気がしないんですけど、どこまで進んじゃったんですか」

 「まあ想定よりだいぶレベル上がったからな。でも君もそろそろ上がるだろうし、一日で驚くほど僕らが伸びたのなら、同じことをすれば次の一日で驚くほど差が縮まるから大丈夫だよ」

 「そおですかーねー。……先輩」

 「どした?」

 彼が振り向くと、彼女は疲れた笑いを浮かべた。

 「わたしも先輩と一緒に攻略がしたい、です」

 小声の、さらっとした言葉だったが、沼地や周囲の林に振り分けてあった意識をもっていかれて彼は一瞬慌てた。この瞬間にモンスターに襲われたらひとたまりもなかったかもしれない。

 「普通にレベリングで追い付くだろ? 何が問題になってる?」

 「追い付いても……わたしに何にもさせないつもりですよね?」

 「そんなことを思ったことはない……こともないか、な?」

 省みて少し首を捻った。ディアベルの支援もあって攻略グループに追い付くまでの工程表にかなりの余裕が出て来ていた。前に出さなくて良いのなら、出したくないという思いは常にある。そしてトールバーナに彼女を連れていけば迷宮区で偵察に出す機会が増えそうなことを彼は懸念していた。つまりなんとか出さないですませようと頭を使っている。

 要約すると、彼女の言い分は正しいらしい。彼は頭をかいた。

 「いやしかし、何にもするなとか、あれこれさせないとか考えたことはないし、提案なり立候補なりしてくれれば仕事そのまま割り振ると思うけども ──」

 ふと見れば、彼女の笑顔に「それは絶対に嘘だと思う」と書いてあった。彼は苦笑した。まあ嘘かもしれない。彼女が迷宮区で単独偵察に出たいと言いだしたとしても出すとは思えなかった。

 「そこまでやる気にならなくても。君にもしものことがあったらリアルでご家族さんに報告するの僕なんだけど。どんな顔して会いに行けと……第一、なんて報告すんの。数千名の人質の礎となりました、って伝えて心の底から納得する御両親でもないんだろう?」

 「それを持ち出すのは反則ですよぅ……それを言ったら、先輩に何かあったら、それ先輩の家に伝えるのわたしですよね? わたしと同じくらい自重してください」

 彼はひょいとストレージからスクロールを一枚取り出して彼女に手渡した。

 「なんです? なんか論文(レター)? こういうのって SAO に持ち込めたんですか?」

 「持ち込もうとは思ったんだけどな、出来るようになってなくてアーガス阿呆だなと思ったもんだが。それは僕の書いたやつだよ」

 「……何時の間に」

 「風呂入ってて手ぶらだったとしても思いついたらタブレットって便利だぞ。というわけで、僕と同じくらい自重して論文書きに邁進してください。添削突っ込み反論はしてあげる」

 「そんなところに罠があったなんて……」

 彼女はがっくりと項垂れた。言い逃れすることも出来なくはなかったが、意味がないのはすぐに分かった。つまり、あまりに攻略プレイ・危険行為に走るつもりなら宿題を積み上げるよ、という脅しだった。

 「先に進みたいという思いが強いと引く判断を間違うからさ。レベルが上がってくるの、ちゃんと待ってるから、そういうのは皆で考えようか」

 視線の先、沼の水面に光が浮かんでいた。リポップタイムが過ぎたようだった。

 

 次の連続湧きでの討伐は、いわば普段の彼女に戻っていた。

 カメの背中を蹴ってポンポン飛び越え、水際にたどり着くと上陸途中のカメの首を落していく。カメも手足半分が沼に沈んだ状態から跳ぶのは難しいらしい。それがわかったのか彼女は喜々として自身をおとりにして、一度上陸してしまったカメも再び沼に戻しはじめた。沼の中には十体、そろそろポップするスペースすらない。再上陸も順番待ちである。さっきまでは孤軍奮闘の騎士だったが、今はエアロビクスダンスだ。しかし ──

 陸の上からカメを一掃してしまったところで彼は大きく息を吐きだした。とりあえず彼女に一声かけてから奥の沼から上がってきていたカメを潰しに向かう。彼女が目の前の沼から手を離して陸に溢れたカメをまた沼の中に帰す作戦とか、何度も見ることになるのは胃に悪い。何かやらかした時に救助の手が間に合ったかどうか。さすがに沼の中のカメの背中を足場にするのは止めさせたが。

 カメ二匹ヒョウ五匹ほどを狩って戻って来てみれば、順調に作戦は続いていた。

 「あー、もしかして AGI振り組のアーケロン戦ってこうやれってことか……」

 ナイトメアスリカータからシャドウイーターまで、素早いモンスターが多い西のフィールドで、よりによってレベリング向けのモンスターがパワー寄りだったことに色々愚痴が出ていたが、こういう戦い方前提なら納得できなくもない。適切な補助があればアルゴでも狩れるのではなかろうか。

 沼の岸辺のラインにそってカメ消失エフェクトの光の壁が立ち並んだのが綺麗だった。ライトアップされた噴水だ。

 「ちょっとそこ代わってくれないか。二、三分くらいでいいや。遠目で見ると綺麗だぞー」

 そう言って彼はスイッチ、カメ討伐に入った。タイミングを合わせて岸辺上のアーケロン数体の HP を滑らかに連続的にゼロにする。すこし離れて振り返った彼女が声を上げて拍手した。それに笑顔で答えたあと、再度試みようとしてもあまりうまくない。上陸するカメの数次第なのだった。散発的に消失エフェクトを幾つか作ったあと、ようやく三体同時の消失エフェクト。ポーションを飲み終えたタスタスとハイタッチして戻った。ふたたび彼女がリズムに乗って跳び回り、剣を振るい始めた。

 「もうちょっと素早いと、もっとシャワーが綺麗だったかもですねー」

 カメの移動速度でエフェクトの光の頻度が決まるが、現状だと噴水として楽しむには少しのんびりだ。散発的になることもあるあたり、花火大会に近い。しかし彼は言った。

 「その場合は、黒子やってるプレイヤーがせわしないことになるんじゃないか?」

 複数で狩っても良いが、黒子が増えるのも見ていて鬱陶しいだろう。

 「隠蔽かけながら狩ればいけるんじゃないでしょうかー」

 「観客から消えるほどの隠蔽って、コケてカメに踏み潰されても分かんないじゃないかな……フィナーレの消失エフェクトがプレイヤーって嫌だろ?」

 「うぅ、想像してしまいました」

 それから一時間ほどしたところで彼は狩りを止めさせた。カメも居るしまだ続けられるという顔をした彼女に、

 「下から人が来てる。沼を空っぽにして反感買うのもなんだから、このあたりで打ち止めにしとこう。……何人くらいいるか分かる?」

 「まだ索敵範囲には入ってないみたいです……なんで分かったんです?」

 「エフェクトっぽい光がちょっと光った」

 道から外れた林の中、樹の上のほうの葉の照り返し具合いが一瞬変わった。風に吹かれての光度変化とはまた違う人工的な何か。こちらに向かっているかどうかまでは分からないが、少なくともトロンダに向かうだけなら通らない位置。

 「索敵で見えてないなら良いや。向こうからも見えてないだろう。知らんぷりして消えるよ」

 「あ、はい」

 神妙な顔で彼女が頷く。

 「というか、あれだ、そろそろ行かないとトールバーナまでに陽が落ちるかもしれない」

 「えへ」

 後半に入って彼女が狩りを気持ちよくできるようになった結果、アーランも止めどころを失った格好だった。

 

 トロンダまでの推奨経路から外れ、クロヒョウがパラつく道を進み、ようやくして抜けてから彼は空を仰いだ。この道を通るのは三度目か四度目かそれくらいだったが、カメでなくここのヒョウでレベリングするプレイヤーも居るに違いないと思う程度には相変わらず鬱陶しい道だった。リアルで言うなら、ヒルが頭上から落ちて来る山道のようなものだった。振り返ると彼女もげんなりとした表情を浮かべていた。晴れ晴れとした青空との対比の違和感が凄かったが、次第に光景に目を奪われていく様子は見ていて気持ち良い。

 午前中に抜けたところからやや東にずれた稜線で、ここは石塊がだいぶ大きくなってカルスト台地に近い趣がある。一見では、荒涼とした気持ちに陥りやすい荒れた草地よりも遥かに清々しい気持ちになれる土地だった。彼は笑顔でそんな彼女を見つめていた。

 迷宮区やトールバーナの城壁などに興味深げに視線をめぐらした後カルストの白い岩々に目を向け、しばらくして次第に彼女は膨れっ面に変わっていった。

 「……ここ、地雷すぎません? たぶん、破壊不能(インモータル)オブジェクトですよね?」

 ついに彼は腹をかかえて爆笑した。

 このカルスト台地では、大きな岩陰でモンスターにポップされると出現エフェクトが見えない。岩陰を確認して安心しても次の瞬間、その岩陰からモンスターの奇襲があるかもしれない。つまり市街地のゲリラ戦よりも状況が厳しい。もちろんモンスターがゲリラである。隣の西の荒地なら戦車(プレイヤー)が蹂躙して終わるところだ。

 そしてリアルの市街戦と同様、経路上の岩をすべて粉砕して進めば何事もないので、もちろんそんなフィールドになっているはずはなかった。おかげで樹の枝ごと斬り落せたシャドウイーターや必要とあれば甲羅ごと斬れたフライングアーケロンと違い、岩陰に隠れられると一々回り込んで狩らねばならない。

 彼はひーひー笑いながら、膨れっ面の鉾先が彼に向いたのを感じて謝った。

 「経験値稼ぎが出来るモンスターが出るでもないから、ぜんぶ任せたりはしないよ。普通にパーティ戦だ。頑張っていこうか」

 そう言うと、彼女は花を咲かせたように笑って頷いた。

 同じオーバーキルでも知恵の働かせがいのあるこちらのフィールドのほうがたぶん楽しいので、西を回ることは提案しない。

 「そういえばさあ、君に何にもさせないだろうってどうして思ったの。えらく悪い奴にされてない?」

 彼女がおおげさに驚いた表情を作った。

 「まさか、心当たりがないとか言いませんよね?」

 ようやく笑い転げていたところから彼も立ち直って、

 「いや、一応、士気を落さないように、角が立たないように、物事もっていったつもりだからさ」

 「んー、そういう意味では、わりと上手かったかもですね……」

 彼女が例に挙げたのは、育てる鍛冶師として女性を選んだことだった。自然に世話役として張りつけて圏内に留めておくことができた ──

 「だいたい合ってる。甘めに採点して六十点くらいだけど」

 「四十点はどの辺でしょうか?」

 「リストに女性名があったのは偶然だろ。そんな偶然に頼ったりはしない……という部分の考察」

 「そこ考えたんですけど、分かりませんでした。リズちゃんが居ることを前から知ってました? 一応、プレイヤー鍛冶屋のこだわりは前からありましたよねー」

 「女性の鍛冶屋をどこかで見掛けてたとして、しかも名前を聞く機会があったとして、それがティクルの予備調査に入って来るかどうかは分かんないでしょ。あれだけ長いリストに女性名一つだけだったし、君に連れてきてもらう時も住んでるところまでは知らなかったし」

 「そうなんですよねー。とすると、女性の確率は四分の一ほど、職業的に減るとしても一割くらいは居るだろうという? 性別不詳の名前も多いですから、それだけだと女性を当てられるか分かんないですよねぇ」

 彼女が首を捻ると、彼は笑った。

 「今年一杯の宿題にしとこうか、それ」

 そういう機会があったから、その理由で彼女を圏内に張り付けたにすぎない。男性名しかなかったら、別の理由で彼女を圏内に留めておくことになっただろう。

 ホルンカから来た場合、手前の峠の丘から見えるトロンダの村の印象は、濃い緑の森や林で覆われた丘陵のそこだけが切り取られたように広がる牧草地である。もちろん牧場があればそれの管理人 NPC も住んでいるわけで、傾斜地の一番下、浅い谷底の一角に共同牧場の管理主の住むロッジもあった。田舎の木造二階建て小学校校舎のようなそこで《逆襲の雌牛》クエストを受け、二人は手早く片付けてロッジに戻った。

 ロッジの玄関前でタスタスが首を傾げ、アーランを見上げた。

 「ティクル君が来てるっぽいですけど……」

 「……あー、寄り道しすぎかな」

 そう答えつつ、ロッジに入った。ロビーを見回すと奥の喫茶コーナーにティクルの姿がある。彼のほうも二人に目を止め、手を上げた。

 向かいの椅子に二人は座って、まずアーランは謝った。

 「や、もしかして迎えに? 悪かったな」

 「なんかそんなことになる気がしてたっす」

 どんなトラブルがあっても午後五時までにはトールバーナ入りできているはずだったが、もう五時を回っていた。タスタスもコーヒーを手にしたまま挙動不審に視線をさまよわせたあと頭を下げた。

 コーヒーと同時に注文してあったチーズケーキをひとかけら口に運び、彼は微妙な表情をした。同じものを食べてこちらは顔を綻ばせているタスタス、ティクルの前に置いてあるチーズケーキの皿、ティクルと順に見比べていると、タスタスが、

 「これ、美味しいですよぅ……ねえ、ティクル君も。いくらでも気兼ねなく食べられますー」

 ティクルが笑う。

 「はは、ボス、このあたりは砂糖が貴重品ってことになってますから」

 「そうなのか……」

 手元のケーキに目を落して悄然とした。そのケーキはほとんど甘くなかった。洋菓子というか、酒のつまみの範疇である。そういうものだと思えば確かに美味かったが、ホルンカからトロンダまで、どころかトロンダの村の中でまでずっと狩りを続けていてのようやくの休息で砂糖水でもがぶ飲みしたい気分だっただけに落胆は大きかった。

 同じ道を彼よりも長く狩りをし続けたはずのタスタスはと見れば、見た目は普通のチーズケーキを幸せそうに頬張っていた。すこしほっこりしてから彼はティクルに目を戻した。

 「で、城門前で待ち合わせくらいかなと思ってたんだけど、ここまで出張ってきたってことは何かあった?」

 「エギルさんのところからOKと言ってきてまして。とりあえず夕飯一緒にどうかと」

 アーランは目をしばたたかせた。

 「えっと、僕んところに話来てないんだけど、というか、まだ何のオファーもしてないんだけど……」

 「《鼠》から一通り聞いてるみたいっす。ボスがトールバーナから離れてるのも知ってましたよ。で、直接俺のトコに来たと」

 「うちの宿まで知ってんの。どんだけだよ……」

 「そりゃああの報告書と同じくらいじゃないっすか。確かボス、うちの情報の公開許可だしてましたよね」

 「……うん、納得した。それで君がこっちまで来たのか」

 今日のレベリングでタスタスのレベルも上がっている。話合いの前に一度ティクルとタスタスはお互いの力量を確認しておく必要があるだろう。タスタスにもそう言うと、彼女は手を止めて彼を見上げ、やや心配げに頷いた。そういえば交渉は明日にしようとか言っていたと思う。

 ともかく、短い息抜きの時間は終わった。

 




忙しかった時期にもちょろっと書いてた部分、タスタスがレベリングに励む傍らでアーランがずっと昼寝していた。リアルの状況と願望反映しすぎだろうとばっさり消えた。


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二千二十二年十二月一日

 エギル達と臨時合同パーティを作り ── ちなみにリーダーはアーランになってタスタスに笑われた。頭の回ってない状態で交渉事とかするものではない ── まずレベルが遅れていたタスタスとナイジャンを使って一週間弱かけて仮説を一つ証明した。トールバーナの会議室(ホーム)には自分達以外にアルゴも呼んであり、場違い感丸出しで借りてきた猫状態だった彼女も途中からは身を入れて聴き入っていた。だから話を終えて最初にアーランが訊く問いの答えは、予測がついた。

 「以上で発表を終わる。で、アルゴ。まず君に訊きたい ──」

 「ウン。おれっチも初耳だヨ。よく調べた …… いや、よく気付いたネ?」

 レベルが上がった直後からフィールドで狩る全てのモンスターを記録、レベルが次に上がったところから今度は迷宮区にこもってレベリング、そしてレベルが上がるまでに狩る全てのモンスターを同じく記録、そして対照用のもう一方と立場を入れ換えて、という実験で得た結論は、迷宮区とフィールドの同じレベルのモンスターを討伐した時のプレイヤーに入る経験値は、後者のほうが大きい、というものであった。

 さて、この情報。そのうち効率厨なる人種が調べつくす事項の一つでしかないといえばそうなのだが、その勤勉な人種が SAO ではまだ目立たない。寄り道して経験値やコルを大儲けしてまわるくらいなら迷宮区上階に進むことを選ぶプレイヤーが多いからだ。多忙を極めたベータテスト時代を含め、こういった未調査項目が多いのは人手がないという理由につきる。

 アーラン達もそんなに余計なことをしている暇はないはずで、ちゃんと彼やアルゴの目論見に影響しそうなもので結果を出して来るのは彼女も呆れるほかなかった。

 呟きとも問いとも言えないそれに、アーランはしっかりと答えた。

 「もし迷宮区とフィールドで同じか、あるいは迷宮区のほうが効率が良いとすれば、プレイヤーはフィールドに散らばったりせずに皆まっすぐ迷宮区に向かうだろう。それは絶対にゲームデザイナーの期待する行動じゃない」

 実は元々はティクルのベータテスター時代の体感である。彼の功績を奪う形になるが、元テスターである事実を伏せることを二人は優先した。

 アーランはエギルとウルフギャングを順に見つめた。二人の顔にも驚きと一定の納得の表情が浮かんでいた。アーランや元々の提案者であるティクルが比較実験を管理するとバイアスが掛かりそうなので、実験の管理はこの二人に任せた。事前に何が起きるか全く説明をしなかったから、彼らが結果の意味するところを知ったのは、この発表会でである。五里霧中で、討伐したモンスターのレベルと数を記録していく作業は大変なことだったはずであり、何も言わずに従ってくれた二人に向かって彼は頭を下げた。

 「エギルさん、それとウルフギャングさんも。二人とも、ありがとう。おつかれさまでした」

 「それは良いんだけどなぁ……」

 考え込んだままのアルゴに目を向けてから、エギルは頭を掻いた。

 迷宮区の内外でレベリングの記録作業である、何を目的とした実験かは説明されなくてもエギルにも想像がついていた。ウルフギャングも実験中途で「答え合わせしてみないか」と話しかけてきたくらいだ。だからそれはまぁ良い。エギルが驚いたのはそこではない。

 「いやはや、全く。驚きだな」

 対照実験のために交互に迷宮区に入るメンバー以外はフィールドでレベリングすることになっていた。最初から結果に確信をもっていたことになる。

 

 アルゴにアーランは向きなおった。

 「どのタイミングで公開するかはアルゴ、君に任せて良いだろうか」

 「ア、うん、それはおれっチの仕事だネ」

 タスタスが手を挙げた。

 「今すぐで無いのはどうしてでしょうか?」

 「迷宮区が最高の稼ぎの場だと思ってるからみんな迷宮区にこもるんだヨ。違うと分かったら迷宮区から人が減ル ──」

 タスタスに説明し始めたアルゴはそこで一瞬考え込んでアーランに向いた。

 「にーサンは迷宮区から人が減ったほうが良いと思ってなかったカナ?」

 「それは誤解だ。攻略速度をもっと落とせとは思っているが、被害を減らすためだぞ。迷宮区から人が減るとして、被害は減るのか増えるのか」

 アルゴは少し計算する様子を見せてから、

 「それはちょっと分かんないネ……でもドラスティックに人が動いたら被害は増えるヨ。たぶん第一層攻略が終わったラになると思ウ」

 「第一層ボス攻略が始まったと同時くらいかなと思ってたけど、まあいいか。君の専門だ」

 「ボス攻略始まったら迷宮区用無しカヨ、恐いねェ……」

 アルゴは顔をしかめた。彼の発言はレイド参加メンバーは迷宮区でなくフィールドで鍛え直すほうがよくないか?という意味だ。つまり一度はボス攻略に失敗する、という想定が入っていた。

 ただ、トップランカー達は数日ではレベルや経験値は動かない。鍛えられるのは戦闘経験そのものだけだから、この情報を知る知らないはレイドメンバーに関係ない。

 

 側で聞いていたエギルも思いに沈んでいた。二人の会話がおかしかった。情報の売買とはこういうものだったろうか ── プレイヤーに与えるインパクトを斟酌し、もって攻略の安全と加速に寄与せしめんとするといったことまで考えるような。言われてみれば必要なことだとは思うが。なるほどアルゴをこの場に呼ぶわけである。苦労して調べたことを情報屋にいきなり全開張とか商売の素人にもほどがあるだろうと思っていたことを心の中で詫びた。アーランにとってアルゴは一介の情報屋でなく、戦略顧問なのだろう。

 

 アルゴを除く全員に向かってアーランは言った。

 「というわけで、僕らは基本的にこのまま外でレベリングする」

 「おう」

 迷宮区上階のようにエンカウント率や宝箱で稼げるならまだしも、低階にメリットは少ない。レイド招集まで時間もあまりないが、その前に迷宮区低階を主戦場としている二番手グループを彼は追い抜くつもりでいた。

 実験の傍ら、しばらくは地道にレベル上げの毎日のつもりだったのだが、不思議な依頼・客が来るようになっていた。曰く、誰か(あるいは依頼当人)をどこそこに連れて行ってくれ、というものであったから、何の影響かは一目瞭然である。トールバーナで場違いにレベルの低い鍛冶屋を見掛けるのだから、どうやって来たのか驚くプレイヤーも多く、武具メンテの間の雑談の中で自然にアーランの名前も出る。トップパーティはもちろんアーランのことは知っているわけで、結局、その手のことを頼もうと誰かに相談すれば自然にアーラン達に行き着くのであった。

 もちろん第一層レイド直前期に時間の掛かることはしていられないし、まして護衛承りますとか看板を掲げているわけでもない。彼はあらかたは断った。ログアウト可能だという噂のある洞窟に連れていってくれといったものもあり、これは連れて行くまでもなく詐欺だと論破しておけば済んだ。知合いまで引っかかっているのだから笑えない話である。

 

 断りがたかった依頼の一つに、船団での護衛の一人、サーシャからの依頼があった。彼女と小学生二人をはじまりの街からトロンダの村まで護衛して《逆襲の雌牛》クエストを手伝ってくれ、というものである。

 ディアベルが律義によこす攻略進捗メールによれば今の迷宮区最前線は十七階。まだ良いかと思ってアーランがティクルとちょうどレベリング実験の終わったばかりのタスタスを送ることにすると、二人は渋い顔をした。レベルがようやくアーラン達に追い付いたところで、しかもそういうことに過敏になっているタスタスがふくれっ面をしたのはともかく、ティクルまで難しい顔をしたのは少し驚いたが、ボスレイドの連絡が来たら呼び戻すということで納得してもらった。

 連絡をすっぽかすとか、一度しか使えないような札は九十何層とかで使うべきものである。たかだか第一層でトロンダの村に二人を放置といったことをするつもりはアーランも無かったのだが、何度も何度も念押しされるはめになった。

 この頃、とみに二人の信用が無くなってきて困ることがある、と二人を送り出してからアーランがエギルに愚痴ったところ、彼は一笑に付した。

 「どうせ言葉が足りない口だろう。《鼠》の奴とそうしていたように、ちゃんと話せば分かってくれるだろうさ」

 アーランという男、がんばってボスレイドに参加しようみたいな大枠の方針についてはきちんと掲げるし、どこそこでレベリングしようみたいな細かいこともちゃんと指示するが、その途中がよく抜ける。対照実験がそうであったように、数日規模の行動の目標や方針が伏せられることが多く、話合いに上がってくる時も唐突だ。今回のことで言うなら ──

 「まさかと思うが、行ってこいとは言ったが、なぜそれが必要か話してないなんてことは……」

 そこでエギルは言葉を止めた。アーランの顔色が変わったからである。

 「……おい」

 「いや、話した、話したと思う。話したはずだ……あれ、どうだったかな」

 本番のレイドでは二人は救護隊として誰かを守りながら戦ってもらう位置につく可能性が高い。今回の護衛はその練習を兼ねる ── 彼は伏せていた顔を上げて、

 「いや、サンキュ。念のためということで説明送っておくことにする」

 漫然と護衛につくのと、イメージトレーニングを兼ねて動くのでは、もちろん全く異なるのだった。

 そして、どうやら多少は機嫌を直したらしいタスタスからの返信メッセージに曰く、二人以外にキタロー氏が依頼を受けたのだそうな。あいかわらずの自由人であった。サーシャ含めて護衛側は四人、小学生一人に大人二人つくのなら、まあなんとかなるだろうと彼は思った。

 二千二十二年十二月一日、朝。アーランは珍しい人物からメッセージを受けとった。キバオウからである。内容はというと、

 「キタローと連絡が取れない?」

 何やってんのあいつ、とフレンドメニューを開けば、確かにグレーアウトしていた。トロンダにダンジョンなんてあったのか?と思いながらティクルやタスタスの項を開けば二人はグレーアウトしておらず、普通にトロンダに居ることが分かった。タスタスに問い合わせメールを送る。すぐに返事が返ってきて、キタローはパーティリーダーからの招喚命令でトールバーナに帰ったとの由。それをキバオウに転送し、すこし考えてアルゴに一つ尋ねた。トロンダとトールバーナの間のダンジョンの所在について。返事は簡潔だった。「そういうのは無い」。

 もちろんキタローのことだからアルゴの知らないダンジョンを発見して寄り道したという可能性はある。彼はエギルに今日は休む、と断りのメールを入れてはじまりの街に向かった。

 何が起きているのか状況を察して青褪めていたティクルをトロンダで拾って急いだ。タスタスもついていきたがったが、サーシャ一人と小学生二人で残すと彼女が身動きとれなくなる。タスタスでなくティクルを連れて行くのは主に子供の懐き方の問題で、しかしタスタスのほうがよく懐かれていたからと後で説明して通るかどうかは微妙かもしれない。

 面倒な問題を残したなぁと彼が思っていると、横を走るティクルが笑って、

 「そこで悩むならタスタスにしときゃよかったんじゃないっすかね?」

 「そういうわけにもなぁ……というか、よくわかったね」

 「そりゃ分かりますよ。すると俺である必要ってなんです?」

 「……確認しても君なら泣かないだろ。もし泣いたら放っておいて先に外へ出る」

 「なるほど」

 道々で話を聞く限り、キタローにおかしなところはない。悪い予感が膨れあがった。

 

 はじまりの街に入り、そのまま駆け足で黒鉄宮へ。全プレイヤーの名が載る黒石板の前に立つ。けっこう線が引かれた名前が多い。二割、というところか。目的の名前を探す。

 その名前にも横線が引かれているのを見て彼は一瞬目を閉じた。それから名前のところで指を滑らせた。死亡日時が浮かびあがる。

 「本当に亡くなったのか……どうだ?」

 脇に避けてティクルに見せると、彼は頷いた。

 「ん、やっぱり、俺らと分かれてすぐっぽいすね」

 「……トロンダとトールバーナの間、ってことになるが」

 街道を思い浮かべてみた。道から逸れれば難所も無くはないが、そこで倒れる彼の姿が想像できなかった。

 「手ぶらでレッドに入ってたってトールバーナに駆け込めるだろうに……」

 と、後ろから声が掛かった。

 「あんたー、誰や?」

 自分達が来たころから様子をうかがっていた二人組である。ツンツン頭とてっぷり太った男の組合せで、あまり友好的でない調子で声を掛けて来たのはツンツン頭のほう。

 「そういうあんたは?」

 「キバオウいうもんや。そいつと同じパーティやった」

 そう言って、彼はアーランが置いている指先に目を向けた。

 「アーランだ。キタローさんにはとても世話になった。連絡、感謝する」

 お互い何度かインスタントメッセージでは挨拶しているが、こうして顔を合わせるのは初めてだった。

 「……あんたか。別に知らせたわけやない。ただの捜索願いや。そっちは」

 「うちのパーティのもんで、1時間くらい前までキタローさんといっしょに居た子だな」

 「ほおぅ、最後の様子聞かせー」

 四人で車座になり、ティクルの話に耳を傾けた。そう長い話でもない。彼が話を終えて口を閉じるとキバオウの背から力が抜け落ちた。

 「いつもと変わらん、な。あないなところでドジ踏むよーな奴やないんやで……」

 「同感だな」

 「なんであいつが死ななならんのや。クエストやってただけやろ、それが悪いちゅうんか!」

 キバオウは絡み酒風にくだをまきはじめた。もちろん酒なんかない。彼を無視してティクルに訊いてみた。

 「そういやクエストは結局どうなったんだ?」

 「昨日のうちに三つ終わったっす。四つ目どうしようかって時に、キタローさんにメール来て。じゃあまた会おうね、くらいの感じで、むしろ俺らが呼び戻されてないのが、ボスやりやがったーといった?」

 「待て、そこまでは知らないぞ。うちには何にも来てないから」

 「みたいっすね」

 「つまり予定はきちんと終わったのか」

 「ん」

 まあキタローのことだから、クエスト途中での呼出しなら無視してクエ続行、くらいはあったかもしれない。代わりに倍速でクエストを片付けたかもしれないが。そんな想像をしているとキバオウが絡んできた。

 「クエ中座させたんが悪い、思うとる顔やな?」

 「聞いてねえのか。クエは普通に終わったってさ。第一、一人でトールバーナに帰らせたことを責める気はないぞ? 夜とは言っても、あの男に保護者が要るとは誰も思わねえよ」

 ただし ── と話を切った。

 「あんたらが二人なのは、そのへんの道が危ないのを警戒した?」

 「そこまでヘタれたつもりはないわ」

 こういう言い方をすれば酒が抜けるのね、と思いつつ、アーランは立ち上がった。

 「あんたがキタローさん呼び戻したのは最上階がそろそろだから、かな? そっちは良いのか?」

 キバオウ達も立ち上がった。キバオウ達の片割れがティクルに礼をした。たいしたことは、とティクルが手を振っている。

 「あんのアホが欠けたせいでちょいと遅れとる。けど今日明日にアナウンスあるやろ。おまえら来るんか?」

 「たぶんな」

 片割れは真っ当なのに、と思いながら彼は答えた。キバオウは彼に背を向け、そして思い出したように振り返った。

 「ああ、そや。アーラン言うたな。あいつ、けっこう褒めとったで?」

 腹に一撃をもらった気がした。

 「……そんなこと言うなよ。泣くじゃないか。お互い人前で泣ける立場じゃないだろ」

 「人が死ぬのに慣れとらんようやな?」

 「悪いか? フレンド(友人)に死なれたのは初めてだよ」

 「け。この幸せな新参もんが」

 「それは罵声なのか? それならむしろ幸せでありたいもんだ」

 こんどこそキバオウ達は振り返らずにその場を立ち去った。

 トロンダに戻り、サーシャとタスタスに報告した。今度はティクルが子供のお守りである。留守番のタスタスにも報告ということで、一緒に話を聞いてもらう。そしてこれからのことをサーシャに訊いてみた。

 サーシャがトロンダまで来たのは生活費が安いということと、最前線のトールバーナが近く、彼女も攻略に参加できるからで、それはアーランも理解していた。しかし第一層クリアのあとトールバーナは過疎地になる。トロンダでもプレイヤーメイドのあれこれの入手性は歴然と落ちるだろうと彼は指摘した。宅配便の供給元をはじまりの街に一人置いておければ良いが、それなら逆にトロンダに宅配便の供給元を置いてもおなじことである。

 「……はじまりの街に戻ることになるかもしれませんね」

 「じゃあ第一層クリアした後の、鍛冶屋連れて戻る時に一緒、でどうかな」

 「……そうですね」

 彼のなかなか勝手な言い分に、彼女はやや固いながら、ようやく笑みを浮かべた。彼女も直接の知合いが亡くなったのは初めてだと言った。

 「ここでクエストをこなせば、誰でも生活できます……けど、もしかするとはじまりの街には他にまだ居るのかもしれません。そう思うと」

 牛を追うのは小学生でも出来る。ボスを倒すのはサーシャがやるしかないが。クエスト報酬のクリームがあれば、食費はとても助かる。ボスドロップのコルと合わせ、それだけでもサーシャが貯金を崩すことなく生活が回った。

 「でも、そのたびにトロンダまで連れてくるわけにも……アーランさん、凄かったんですね」

 子供を連れてのトロンダまでの旅は船団参加者の彼女にも想像を絶した厳しいものだったらしく、嘆息して彼女はそう言った。隣でタスタスも大きく頷いている。

 言われてみて彼もざっと計画を立ててみた。ぼんやりと子供一人に大人二人つける勘定でいけるだろうと思っていたが、なるほどこれは難しい。子供一人に大人何人つければよいかとかそういう問題ではない。子供を背負って走り回るだけの筋力値のあるプレイヤーと、その背中と頭上を守るだけの瞬発力のあるプレイヤーを確保するつもりでかかってどうにか、という感触だ。

 スタート時点の筋力・体力・瞬発力は子供らしい数値に落ちるのではなく、大人のプレイヤーと同一の設定である。ただでさえリアルよりもパワーもスピードもある身体にはしゃいでいるだろうに、そのアバターに気分屋で集中力も持続しない子供の精神が乗っかっている。彼は心なし青褪めた。

 「リアカー使いました?」

 「無茶言わないでくださいね」

 子供とは言え二人乗せて爆走とか丘を駆け登るとか、筋力値がぜんぜん足りません、と彼女は付け加えた。筋力値を上げるのも課題に入れなきゃ、と笑う。

 「シムラさん引っ張りだすべきでしたかね?」

 高レベルの鍛冶屋をトールバーナから引き離すのもあれか、と思い直す。実はレジェンドブレイブスに合う仕事かもしれない。守りながら戦うノウハウのあるパーティはまだ少ないだろう。上に行きたがっているパーティだが、ギルガメッシュとか子供好きということになっているのだから、文句も言うまい。

 話を戻せば、危険な動物がうろうろする土地を徒歩移動とか、リアルでも子供から死ぬに決まっていた。ティクルやタスタスにも悪いことをしたと思う。反省することしきり。後方だからと配慮が雑になったことは否めない。

 そんな中でもキタローが普通に笑っていたらしいのにはコメントしようもなく、お荷物抱えても平然としていたくせにたかだかソロで不覚を取ったらしいキタローに彼は内心で溜息をついた。

 「あの、大丈夫ですか?」

 どこかぼうっとしていた彼を、今度はサーシャが気遣った。

 「調子が良くないなら今日は休まれては? ほら、わたしも今日は迷宮区休みますし」

 人手が減って子供を預けておく先がなくなったのだから彼女が迷宮区に入るのは体調に関わりなく無理なわけだが、アーランは素直にそれを受け取って微笑みを浮かべた。

 「ありがとう。……これ、そのうち慣れちゃうんでしょうねぇ」

 慣れた先が、あの迷宮区のバーサーカー達だと思うと一緒にされたくないと思わなくもないが。

 「でも僕があんまり凹んでるわけにもね」

 そう言ってタスタスを誘って話を打ち切ろうとすると、サーシャは真顔になって、

 「アーランさん。ちゃんと下の人に気遣われるのも、上の人の仕事だと思うんですよ?」

 無理をしていることは子供にもすぐ分かります。大人が子供の気遣いを受け入れてあげるつもりがないと、子供のほうもどうしたら良いか分からなくなるんですよ、と彼女は言った。子供扱いされたほぼ同い年のタスタスはと見ると、普通に同意していた。ただしポーカーフェイス系の笑顔のようだったから、思うところはあるらしい。

 「僕の悪口、いろいろ聞かされましたか」

 アーランの普段がどうであるかサーシャが聞いているとすれば、それはタスタス達二人の口からしかあり得ない。彼女はくすっとした。

 「そういうつもりじゃないのは、分かっているんでしょう?」

 「わかりました。今日は休みます」

 彼は両手を上げて降参した。

 サーシャと別れを告げ、ティクル、タスタスとトールバーナの拠点の会議室に戻ると、何故かエギル達三人が待っていた。レベリングに行かなかったのか、と彼が訊く前にエギルのほうから、

 「おいおい、大丈夫なのかアーラン」

 「……そんなに分かりやすいか?」

 「おう、誰が見てもわかるんじゃないか?」

 ついでだから聞いていけ、と全員に着席を促して、事の経緯を説明してから、

 「で、なんでエギルさん達はここに残ってたんだ?」

 「いやぁ、リーダーが居ないと右も左も分からんだろう」

 そう言って笑う。彼は苦笑して、

 「嘘つけ」

 そして軽く手を上げて礼を言う。残っていたのは旧エギルパーティのメンバーのみである。動けないはずはなかった。何か変事があったことを察して心配していたのだろう。

 「ここからが今日の本題だ」

 全員の顔を見回す。

 「今言ったように、昨晩の時点でキバオウはトロンダに遊びに出かけていたキタロー氏を招喚し、第一層ボスレイドに備えた。キタローがキバオウに合流できなかったことでスケジュールは若干遅れ気味だそうだが、ディアベル達も十九階に入ってることだし、明日中に初のボスレイドのアナウンスがあるだろう」

 全員の顔が真剣なものに変わった。やはり二つのグループの動向が分かると臨場感が違う。

 「で、だ。僕は今日休みにする」

 反射的に突っ込みかけた顔ぶれを彼はさっと確認した。ティクル、タスタスの反応は鈍く、二人もけっこう傷心にあることが分かる。彼は二人を外すことにした。予定通りといえば、そうなのだが。

 「ティクルとタスタスはアルゴと共同パーティで後詰めのつもりで頼む。向こうに話を通してはあるけど、固めてないからどう転ぶかはまだ分からないんだけども」

 ティクルが手を挙げた。

 「隠蔽持ってないタスタスも連れていくんすか?」

 「アルゴとティクルじゃ壁が居ないだろうが。それじゃレイドの場に手が出ないだろ。知合いの火力持ちはレイド本戦に来るだろうから、タスタスが出ないとどうにもならないぞ」

 救護隊としてはティクル達のような敏捷性最優先プレイヤーで構わないのだが、流れ弾で要救護者に死なれるのも目覚めが悪い。アルゴの注文は得体の知れないティクルと控えるよりは気心の知れたタスタスと救護隊を組みたいというものだったが、さすがに話さなかった。たぶんタスタスが仲立ちしないといろいろ危ない。

 へへん、とタスタスが胸を張っているが、索敵・識別が主力スキルの彼女も、必ずしも壁に向いていない。しかし壁が出来るプレイヤーは全てレイドに投入されるはずだから、救護隊に適切な壁が居ないのは必然であった。

 「僕を含めて残り四人がレイド招集で話を受ける、そのつもりで」

 三人が頷く。エギルが手を挙げた。

 「結局あんたはどっちで出るんだ? 剣か、メイスか」

 「メイスで出る」

 「マジか」

 アーランとしては前にそう言ってあった。ボスレイドで自分達に意識的に色を着けるためである。半分くらいはメイスを捨てない言い訳だし、レベリングの小パーティで形を作るためにはアニールブレードも使わざるを得ず、それを見ていたエギルも彼が剣を使う可能性を捨てていなかったらしい。打撃武器で固めたパーティを作っていたわりには感覚が常識的で、彼は少し笑った。

 エギル・ウルフギャングの最前衛にナイジャン・アーランのメイスによる二重壁と、ティクル・タスタスの即応火力の組合せは確かに安定した形を作ったのだが、アーランがアニールブレードを持って火力に回った時のほうが単純に単位時間あたり攻撃量で優る。むしろよくエギルが打撃武器ばっかりで固める気になったものだと彼は感心はした。褒めているわけではない。あまりに戦術幅が狭すぎて、アーラン同様の両刀使いを用意しておけと言いたくなったことも多い。ただ、ティクル・タスタスを外して外部から火力を借りて来るのなら前者一択であった。

 「エギルさんがやっていたことを僕も含めてやる、それだけだけど」

 「あれ、あんま評判良くねえんだよなぁ」

 エギルが頭をなでて嘆いた。当人もけっこう傷ついていたらしい。アーランはフォローを入れる。

 「そんなに長いわけではないから」

 その言い回しにエギルは姿勢を正し、目を細めた。

 「おまえさん、やっぱりレイド一回でボスを打ち破れるとは思ってない?」

 「レイドを背水の陣にはしない。少なくとも僕らはそういう心構えで行く。だからこそ救護隊を置くんだし」

 「分かった」

 翌、十二月二日、早朝。ディアベルからメッセージが二通届く。一通は恒例の攻略進捗メールで、遂に最上階にたどり着いたとのこと。もう一通がボス攻略会議開催の告知だった。

 




アニメでキタローが亡くなったのは12/2のようにも見えるが、
会議アナウンスがあった12/2の描写が全般にあれだったので前倒し。


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ボス攻略会議

 ベータテスターを殺しにくるのか、ベータテスターに利点を与えないどまりなのか。アーランは以前、茅場晶彦の意識の置き方をはっきりさせるためにアルゴに追跡を頼んでいたことがある。

 調査結果を聞いた時に彼はアルゴに彼女の安全のために口を噤むことを勧め、彼女は笑って断っている。

 「この結果を他の人に話してもかまわないと?」

 「それくらいどうにでもなるサ。使い道、あるんだロ?」

 「それはもう。本当に」

 そしてその時のやりとりで彼は同じ調査を頼んだプレイヤーが他にもいることを知った。殉教者然としたアルゴのことはともかく、物事を俯瞰できるプレイヤーが他にもいるのはなかなか心強いことであった。

 

 彼女から聞いた調査の結果はとてつもなく寒いものだった。現時点での攻略参加プレイヤーの死亡率およそ四十パーセント。死にたがりから順に死んでいくだけに死亡率は下がる傾向にあるが、それでもベータテストの約十階層が終わるころには元ベータテスターどころか現在の攻略プレイヤーの半分が入れ換わりそうな勢いである。彼は嫌々ながらメンバーに周知した。

 「元テスターのうち三百人が死亡。テスターは千人だったが、うち今のゲームの攻略プレイヤーとして参加したのが約七百人とみて死亡率四十二パーセント。新人プレイヤーの死亡者約千七百名。自殺者五百名、攻略参加を三千人とみて死亡率四十パーセント」

 「さ、惨々たるありさまだな」

 渡したスクロールの表に目を落とす者、彼を見上げる者、一様に沈痛な表情をしていた。正直、この表に希望を見出すのは難しかったが、

 「ああ。だけど一つ分かったことがある……みんな、危険管理がけっこう出来ているな」

 一斉に首を傾げた。

 「元テスターのほうが攻略条件が良いのは分かるだろう? つまり彼らのほうが先に進む。すると相対的な危険度は高くなる」

 ここまでの説明で理解を示したのは大学生組。恒常性(ホメオスタシス)を大学で日常的に扱っていただけのことはあった。

 「みんな自分が許容できると思う危険のラインで足を止めるわけだ。色々状況が違うのに、元テスターと新人(ニュービー)で、数字が同じになるのは何故だと思う」

 「元ベータテスターと同じくらい、新人プレイヤーも目の前の危険性が見えているってことか」

 「素人とおなじくらいしかテスター共が見えてないってことかもしれないけどな。どいつもこいつも四割のラインまで進むとはどういうことだとは言いたいが」

 一ヶ月生存率が九割あってさえリアルへの帰還者は一割にも満たないことになるというのに、今週の一ヶ月換算生存率でもまだ八割。しかし危険度がちゃんと見えているのなら希望はある。危ない橋は渡るな、と教育すればすむのだから。何が悪いのか分からなければ教育しようもないのだ。

 「あとこれ、噂として広めるのは構わないが、あまり出典は出さないようにしてくれ」

 「……えっと、これ、アルゴさんですよね?」

 「これが母集団からの抜き出し調査というのでないなら、元テスターと新人を区分けする方法を知っていることになる。あんまり幸せなことにはならないだろ?」

 「ああ、そういえばそうですね。大規模サンプリングだとしても手間凄いです」

 この調査ができる程度には容易に判別できるということだった。テスターかそうでないかの情報を売らないわりにはうかつである。

 迷宮区のマップは何故か安い。例えばトールバーナのマップも売られているが、それと比べても格安だ。労力コストは段違いのはずで、アルゴに訊いてみたところ笑ってごまかされた。エギルにそう言うと彼は呆れて、安売りのコツは商売人の最高機密だろうとたしなめられている。

 アーラン達の自力到達階は十二階、タスタス・ナイジャンを除く四人は買ったマップを使って十七階までは観光しにきたことがある。ボス攻略に参加するなら当然二十階の奥まで行くことになるわけで、会議開催の日、十九階までのマップを買って皆で午前中は迷宮区にこもってみた。

 昼食までに概ねいけるんじゃないかという感触を掴んでトールバーナに戻る。北門近くの食堂、つまり迷宮区にいちばん近い食堂は自分達と同類で埋まっていると思いきや、さほど攻略会議の話は聞こえてこず、昨日までと同様に雰囲気が暗い。なんというか、ゾンビの群れだ。アーランは内心で眉をひそめていたものの、エギルは他人のことは知らんとばかりに感嘆していた。

 「いやあ、『階』というかたちで力が明確に見えるって良いよなあ」

 「……まったくな。そんなだからみんな迷宮区にこもるんだろうね」

 十五階で中ボス風のモンスターがポップしていたので当たってみたところ、無傷でどうということはなく撃破してしまった。前回、遊びに来た時には居なくてほっとしていたものである。十八、十九階の細かいのも、ティクル、アーラン、エギルあたりはソロでも安定感があった。さすがにタスタス、ナイジャンあたりはコンビを組んでいてくれないと見ていて稀に恐い瞬間があるし、索敵にやや難がある自覚のせいか、気を張り続けているウルフギャングの消耗は気になった。そのへんはタスタスが上手い。そのウルフギャングが言った。

 「もうすこし連続してポンポン出て来てくれないもんかねぇ」

 「それ、経験値低減係数によらずみんな迷宮区にこもるだろ……」

 「そりゃそうか」

 わははと笑う。これなら訊けるかと思い、アーランはナイジャンに訊いてみた。

 「ナイジャンさんは出るの? やっぱり」

 「そうだな、俺も出たい。……まずいか?」

 「僕だってデビュー戦だぞ。そんな細かいとこまで助言とか無理」

 いまさら何言ってんだこいつ、という視線が一斉にアーランに刺さった。彼は手を振って、

 「迷ってるとこで訊かれても、そんなの『止めとけ』一択になるに決まってるだろ。そういうことが聞きたいんでもないんだろうし」

 「そういやそうだな」

 「たぶん人数欲しい戦いになるだろうから、上の人達は感謝してくれるだろうけどなぁ。あんたに出られると ──」

 彼は隣に座ったタスタスに目を向けると、ミルクセーキをあおっていた彼女はコップを置いて彼を見上げた。

 「こいつが本戦のほうに出たいと言い出しても止める方法が無くてさ……君も、通るだけならソロでも問題ないよな?」

 レベリングでこもって良いのはソロで通行できる範囲まで、というのはアーランが全員に課した制限である。抗議の声には「バラける事故が起きた時に帰ってこれずに死ぬだろうが」と切り捨てている。

 「戦わないなら、大丈夫ですねー。……ただ」

 彼女達がイメージすべきなのは満身創痍となったプレイヤーをかついでの逃走劇だった。それを考えれば、もうすこし余裕が欲しいかも、とやや申し訳なさげに彼女は答えた。

 「サーシャさんのところに修行に行かなきゃ、そもそもそういう判断が出来なかったろ。ディアベル達の攻略が僕の想定より早かっただけだから君が気に病むことはない」

 聞いたかぎりアルゴは筋力値が足りない。ティクルもそれほどあるわけではないから、現地ではタスタスを省略できない。すこし考えて彼は言った。

 「じゃあ昼からは十七階あたりから上で迷宮慣れしておこうか。経験値稼ぎでなく、モンスター慣れ、ルート慣れで。ナイジャンさんも。他の人はその手伝い、で良いかな?」

 「そうだなぁ。一夜漬けで出来ることったらそんなもんだろうな」

 攻略会議の場所はトールバーナのほぼ中央にある半円形の青空劇場。夕刻にアーラン達四人が中に入ると、アーランの見知った顔もいくらかあって、目が合った何人かとは軽く挨拶した。アーラン達が座ったのは左の前のほう、壇上のプレイヤーの表情が良く見える位置の特等席。フレンド探索によればアルゴとティクルは観客席最上段右脇の壁の上で隠蔽中、タスタスは入口脇から素人見物客のふりをしてひょっこり覗いているようだった。彼女には苦労をかけてるなぁ、と思う。年の暮れには次のスキルスロットが増えそうだが、隠蔽スキルを取りたいと言い出したら許可しなければならないのだろうか。隠蔽スキルが必要な仕事を彼女に割り振った時点でアーランとしては負けの気分なのだが。

 後ろに首を捻って観客席側を見ようとして彼は少し困った。こうしてみると思ったよりも観客席側の傾斜がきつい。行儀悪く斜めに座ってみても観客の様子を見るにはやや姿勢が不自然になるかと思い、ティクルに前に出てくるよう応援を要請したところ、アルゴから推奨しないとのメッセージが来る。前に出すぎると壇上のプレイヤーと同時に視野に入ってしまうが、さすがにこの場に居るようなメンバーだと、あまり長いこと観られていると隠蔽が解けてしまうらしい。

 (……しょうがないか)

 代わりにタスタスに頼む。まったく思ったそばからこれである。こちらから観客席を見るということは向こうからも顔が見えるということを念押ししておく。

 エギル達と雑談しつつ、ぐるっと見渡せばざっと四人ほど来ていても良い人が来ていなかった。その意味するところに思い至って彼は背中に氷を入れられた気分になった。サーシャのように事情があって出てこれないなら良いのだが、キタローのように死亡している可能性があるわけである。一見、リアルでもよくある風景だが、そこかしこに死神が着席している会議だった。死の風が彼の頬をなでていったからこそ、それが見えるようになった。これが何度か重なると ── 断じて、立て続けに死者が出るなどといったことがあってはいけないと思うが ── 自分もゾンビの仲間入りするであろうことは容易に想像がついてしまった。

 彼は足立椎加(タスタス)中辻汀(ティクル)の二人をリアルワールドに物理的に安全に帰せればそれで良いと思っていた。多少の精神的外傷はやむを得ない。精神的な傷はまだ治る可能性があるが、死ねば治るとかどうとかではなくなるからだ。二人を箱に詰め込んで放置して閉所恐怖症を発症するくらいどうでも良いと思っていた。しかし今、自分も多少の傷を負ってみて分かった。これは駄目だ。

 何時の間にか話の輪から外れて黙った彼を、エギル達も黙って見つめていた。

 

 壇上にディアベルが登り、アーランも意識を切替えた。この場に居るのは壇上のディアベル含めて四十四名。青空劇場の壇上に立った彼は、弁舌も鍛えられて爽やかな演説だった。茶々を入れるグループも彼に好意的で、支持の広さを窺わせた。つまりこれが、この一ヶ月間に渡って彼が積み上げてきた業績の御披露目、ということになる。

 一服の清涼剤代りにディアベルの話を聞き流していると唐突にキバオウが壇上に乱入、ベータテスターを指弾しはじめた。非難というだけならともかく、たぶん自覚はないのだろうが、資産再分配と言うあたりに地味に後方への目線があることは感心した。

 元ベータテスター共は手持ち資産をすべて吐き出して分配せよ ──

 彼のアジテーションは所得に対する累進課税の強化でなく、プロレタリア革命にまで突き進んだ。ブルジョア層(元ベータテスター)の全資産を配分すれば、国家の生産力低下は歴史的に必然な結末である。農奴層(新人プレイヤー)に同情する元テスターが多すぎないことを彼は祈った。どうせ半年もすれば貴族の世は終わり、武家の世になるのだ。

 ふとキバオウから一歩下がって立つディアベルに意識を向けると、何を考えているのか彼は綺麗な笑顔のままだった。会議が壊れて一番困るのは彼だから、どう話が転ぶにせよ彼が止めるはずではあったが。

 

 と、一人ぶんくらい間を空けて座っていたエギルが立ち上がり、攻略本を例に出してキバオウを丸め込みにかかった。ベータテスト時代の情報が反映されていることは明らかで、あんたも既に世話になっているだろうというわけである。キバオウが言葉に詰まった隙をついてディアベルが後をうまくまとめた流れは見事なものだったが、アーランは仕事が増えたと思い、内心で溜息をついた。

 レイドリーダーがたしなめたならともかく、それ以外のプレイヤーが同じレイドに参加するプレイヤー、しかも激情的なところのあるキバオウを叩き潰してしまった。これでレイドの時に繊細な連携が取れるわけがなかった。自分達は盾である。直剣使いのキバオウを後ろに庇う形で戦うとフレンドリーファイヤーが恐い。

 

 この日の会議は大した内容を決めるでもなく、散会した。会議室(ホーム)に戻る途中、ディアベルからメッセージが届く。アーランのパーティの残り二人も誘えないかというものである。当の二人は近くに居ない。彼らはアルゴと打ち合わせだった。

 アーランは約束以上の要求に少し指を折ってみた。ディアベルの支持者 ── この場合、アーランも含む ── で会議に居たのは、ざっと十四、五名というところか。半数には届いていない。ディアベルは自力ではキバオウの封じ込めに失敗している。コントロール出来ないプレイヤーがレイドに混じるのは気に入らない、ということはあるだろうか。

 また、アーランのレベルは十二、したがって会議メンバーの平均が十三と見ればボスレイドにはやはりフルレイド四十八名が欲しいというあたりか。ベータテスト時代にすらボス相手には階層プラス十が必要と言われたのだから。

 一応、彼と同じくレベル十二のティクルを本戦に出す用意はあった。レベル十一のタスタスを本戦に出すことは絶対にない。同じ十一のナイジャンに許可したのはエギルの管轄だと思うからで、彼の承諾は得ていた。アーランが直接監督するならナイジャンも出さなかっただろう。

 「エギルさんのところにはディアベルから感謝か誘いか何かその手のメッセージ来た?」

 「来てないぞ。というかそもそもあいつは俺の名前知らないだろ」

 「いや、エギルさん名乗ったでしょ」

 「つづりが分からなければインスタントメッセージだって無理だぞ」

 「それくらいなんとかするんじゃないかなぁ」

 アーランは首を傾げた。ディアベルは間違いなく覚えているはずであり、エギルの知名度的にも彼にたどり着くのはそれほど難しくないはずである。会議の礼にかこつけてエギルを自陣営に取り込むくらいしろよ、と彼は思うのだが、その役を彼に振ったわけでもない。メールにエギルのことは触れられていなかった。

 キバオウをスルーし、アーランに頼み、エギルに手を伸ばさない。ディアベルの基準がいまひとつよくわからなかった。

 そもそも今朝に最上階にたどり着いておいて夕方の会議で何も決めないことからして違和感が凄い。徹夜するほど攻略を急いでいたなら今日の内にレイドの構成くらいは決めておかないと連携練習も出来ない。例えばの話、有力プレイヤーを劇場に釘付けにしておいてディアベル配下の本隊が裏でボスレイドを繰り広げるくらいはあっても良いだろう。むしろそのほうが良い。それならあの場で見なかった顔のことに説明がつく。

 しかしなんというか、自分でも希望混じりの陰謀論が酷いと思う。溜息が重い。

 ドン、と背中を叩かれて振り向くとエギルが笑っていた。

 「アーラン、悪い癖だぞ、それ」

 「ん、何が?」

 「説明しろ。そんな深刻な顔するようなもん、何かあったのか?」

 キバオウとの衝突が軽い扱いになっていることに彼は苦笑した。まあ、あれの後処理はエギルには出来ない。アーランの仕事である。とりあえず彼はディアベルからのメールをエギルに見せた。

 「出すのか?」

 「出さないよ。人にロクに説明もせずに協力しろと言われても無理」

 「おまえ、盛大なブーメランだぞ……」

 この場合、アーランのほうが酷いかもしれないとエギルは思った。ディアベルのメールには必要なことは書いてあるように思える。

 「会議室に戻ってから、ちゃんと説明するよ。あ、でもとりあえず、エギルさん、臨時にレイドのパーティリーダーやってくれないか」

 「おい」

 話の飛びようにエギルは軽く頭痛を覚えた。確か今さっき自分はアーランにお願いしなかっただろうか。彼のパーティの二人がよくこれで困らないと思ったが、良く考えれば二人も目から鼻に抜けるほうだった。つまりアーランが直すはずはなかった。

 「さっきの会議でまともな奴で目立ったのはエギルさんだけだから、ある程度前に出て、キバオウの首に縄つけておいてほしい」

 「キバオウって、キバオウ……?」

 そんなに気にするような奴だったか、というかアーランも全く気にしていなかったようなしかしどこかで聞いたような、と頭を巡らしてエギルも思い出した。昨日アーランが話していた攻略トップグループのプレイヤーだ。

 「あれがキバオウかよ!」

 大仰に驚いたエギルに、アーランも少し驚いた。当人、そう名乗っていたはずである。しかしさっきの唐変木が繋がらなかったのは仕方がないだろうか。あの男の醜態をアーランがスルーしたのはキタローが護送船団にボランティアに来た時のやりとりで既にイメージが確立していたことが大きかった。

 「実はそうなんだ。昨日、頼れるメンバー亡くして心身失調にあるから今日のあれは勘弁してやってくれ」

 「分かったよ」

 アーランの微苦笑しながらの発言だったが、そこには本当に同情や共感があるように思えてエギルは大きく頷いていた。

 翌、十二月三日夕方、ボス攻略会議二回目。同じ劇場広場の隅にボス攻略ペーパーが置かれていた。それを眺めてアーランは驚愕した。昨夜、ティクルやタスタスからこれについての報告は無く、昼間、彼がアルゴに連絡を取ったときもその手の気配はなかった。

 ちなみに彼が訊きたかったのはキバオウの動向だったが、彼女は逡巡したあげく、キバオウ以外の別のプレイヤーに彼が尋ねた事実が洩れるのを防げない、と彼に告げた。それを聞いてアーランは触らぬ神にたたりなしと断っている。しかしこれで裏で何かやってる連中がいて、しかもアルゴも一口かんでいることが確定なわけである。客観的にも元ベータテスターの疑いが濃厚なアルゴと反ベータテスター急先鋒のキバオウが共同戦線とか、と彼が呆れると、彼女は「にゃハハ、心配かけて悪かったネ」とあっけらかんと笑ったものであった。

 「じゃあ、あれか、キバオウと話する時にアルゴが元テスターだってこと前提にして良いのか」

 中途半端な言い回しをするよりも気を使わなくて良いのは楽だ、と呟くと彼女は一転して項垂れた。

 「いやいや、やめて。ベータテスターがどうとかそんなこと一切話してないカラ」

 にーサンが言うと情況証拠と推測が事実に化けソウで恐い、と彼女は言った ──

 

 それだけに、この踏み込みは想定外だった。

 そのペーパーはフロアボスについて語ったものである。そしてベータテスターに対する側面支援であろう、ラストの文面 ── これはベータテスト時代の情報であることと、本番が違うかもしれないことの注意。

 第一層フロアボスについて目新しい点はない。少なくともアーランとって新規性のある情報は無かった。会議室に持ち帰ってエギル達と対処法について相談できるようになったというくらいか。しかしキバオウが糾弾したあとに注意書きでこれを強調してしまうのはどうだろうと思う。これは情報という資産を、ある資産家が貧民層に分け与えたことになる。必然的な結論としてプレイヤーの士気は落ちるだろう。

 そして実際にそうなった。ディアベルが壇上で感極まったように叫んでいるのを、白々と彼は聞いた。

 「なあ、みんな、今はこの情報に感謝しようぜ! いちばん危険な偵察をやらなくて済むんだ!」

 隣のエギルが小声で話しかけてきた。

 「なあアーラン、何が気に入らないんだ?」

 エギルはディアベルの主旨に賛同していた。安全性に喧しいアーランのことだし危険でなくなるなら彼も賛成だろうと横を見れば、激発一歩手前の無表情である。キバオウの時にすら一切表情を変えなかった男が、このディアベルの話のどこが問題なのか。

 アーランは、ちらとそんなエギルに目を向けてそっけなく答えた。

 「偵察を省略しようというやる気のなさ」

 「危険だろ?」

 「危険が嫌ならはじまりの街で寝てろよ、と思ってはいけないか?」

 彼は小声で説明した。

 ベータテスト時代の情報が正しいのなら、偵察の危険は何もない代わり、偵察で得られるものもない。つまり偵察してもしなくても変わるものはない。

 ベータテスト時代の情報が間違っているのなら、もちろん偵察は危険な任務である。ただし偵察を省略するなら代わりに本隊が危険になる。

 両者をまとめれば結論は明らかである。最精鋭を偵察に送って一当たりして情報を確認しておくことで、雑多なメンバーが含まれる本隊の安全性を高めておくべきであった。少なくともアルゴのペーパーは、この情報は素晴しいものだから偵察を省略しろ、とは一言も書いていない。むしろ逆に、注意しろと大書きしてある。

 エギルも言いたいことは分かった、と頷いた。

 アーランはまたディアベルに目を向けた。だからこそ邪推してしまう。偵察隊を送る、つまりここに居るメンバーがボスフロアに近付くと何かまずいことでもあるのかと。

 

 とりあえず近くの人とパーティ組んでくれと言われ、自分達四人の他、周りで目についた二人ほどを呼び寄せながらエギルが囁いた。

 「そうだなあ、アーラン、こう考えたらどうだ?」

 エギルの提案は本隊を強行偵察隊とみなすものだった。ボス以外に取り巻きがポップするということは、偵察隊を送るにしても取り巻きを抑えこむ人数が必要になる。つまり偵察の時点で全員が精鋭とはいかず、質の良否がある。それならいっそ本隊で偵察すれば良い。

 「どうだ?」とエギルはアーランを見て肩を叩いて笑った。

 「どうせ二度か三度挑戦して勝てば良いんだろ?」

 「そういやあ、そうか」

 エギルの顔をまじまじと見つめてからアーランは頷いた。自力でおもいつくべきことだったなと言ったら彼に失礼だろうか。肩から力が抜けた。けっこうな精神力が死者を悼むことに回されていたらしい。墓の前で手を合わせて祈るのは良い。だが、それが終わったら立つべきだろう。邪魔だからと蹴っ飛ばされてもやむを得ない。

 キバオウを含むグループがまだ少しもたついているのを遠目に見物しながら彼は小さく言った。

 「あー、エギル、僕はまだリアルでも葬式に出たことが無かったんだよ」

 キタローは新原呼高(アーラン)にとって、親族・友人通じて初の死者だった。

 「そうなのか?」

 「まあ……まだ消化できてるわけではないけどさ。なんとかなりそうだ。気遣い、感謝」

 「そうか。まあ裏のリーダーに凹まれてちゃ困るんでな」

 「まったくな」

 

 大小八つの凝集体にざくっと目を通してからディアベルはほとんど迷わずに数人を入れ換えて各パーティに簡単な色を着けた。さきほどまでは混沌としていたグループが、今や俯瞰するだけでどんなグループか見て取れた。素晴しい手腕と言える。この場での即席問答だけで入れ換えたのか実は四十三名の予習を済ませてきたのかは定かではないが、後者としても大したものだとアーランは思う。

 アーラン達を含むグループは予定通り B 隊として主力壁担当となる。メンバーはエギル、ウルフギャング、ナイジャン、アーランの四人に、新たにローバッカ、ラストの二人。ローバッカはソロの幅広剣の大男、一人交替して入ったラストはキバオウパーティの戦斧使いである。昨日会った太いほうだ。

 A 隊が戦槌使いを中心とした主力壁、C 隊がディアベルの火力組、D も似たような大剣使いのグループ。E がキバオウ隊。ボス討伐そのものからは外されて、ボス周辺に湧くモンスター退治に回されたのは限りなく自業自得と言ってよいだろう。F、G が細かい奴の足止め担当の長柄武器隊で、エギルと合同パーティを組んでいなかったとすればアーランはこちらに参加していたのだろうと思う。壁よりもこちらが彼のロールに近い。H 隊、と言うほどの名前もついていないリア充ペアの予備隊がそれに加わって計四十四名であった。

 

 アーランはエギルに諒解を取ってキバオウにメッセージを送った。合同訓練の申し込みである。ゴネるかと思ったが、素直に承諾を返して来た。ついでに H 隊の二人も呼べないかと相談をもちかけたところ、こちらは恐ろしく強い調子で断って来た。どこに地雷があるかよくわからない男であった。

 



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攻略戦前夜

 アルゴ・ティクル・タスタスの打ち合わせの席上、ティクルがメッセージを受け取るそぶりを見せた。案の定というか、彼は可視化してから隣に座っていたタスタスに見せ、彼女が文面と正面のアルゴを見比べ、何か話し出しそうになったところでアルゴはそれを止めた。

 「まった。場所を変えようか。おれっチが使ってるところがアル」

 ティクルのところに届いたのはアーランからの指示書だと見当をつけた。三人が話し込んでいたのは中央広場そばの大食堂である。どちらかというと攻略会議のことをわざわざ周囲に聞かせるために選んだロケーションだったが、ここから先は人の居ないところのほうが良い。

 アルゴがそう言うと、タスタスはティクルに判断を任せるように彼を見、彼が小さく頷くと、彼女は訊いた。

 「えっと、どういうところでしょうか?」

 アルゴは「おや」と思った。

 まず。アーランと対面した時にみせる彼のアドリブは、彼らのパーティの行動原理や実際の行動との間にズレを感じない。つまり、彼らの間で話合いがもたれていたとしても、その結論に残る二人の思索は反映されていない。おそらく見たとおりのアーランのワンマンチームである。実際、アーランとの交渉の席でタスタスが同席していることもあったが、彼女が存在感を示したことはない。判断をリーダーに丸投げすればメンバーが判断能力を鍛えられることはなく、二人をアルゴに寄越した時、彼女は最初「おれっチは保育所じゃナイゾ」とすら思ったものだった。

 しかしこの席でタスタスは存外にイニシアティブをとってみせた。その出来は望外だったが、その彼女が、ずっと静かだったティクルを要所で頼った。アーランは三人目の存在を物理的に隠していたが、ことによると能力的な意味では今も隠しているだろうか。

 「脇にちょっと入ったところの小さな喫茶店だヨ。そこを貸切りにするダケ……」

 タスタスの表情で話のピントを外していたことに気付いた。

 「別に、セーフティハウスとかそんなんじゃない。こういう場所で話をすることのほうが珍しいヨ」

 二人は苦笑して頷いた。それはそうだろう。情報屋が聞き耳を立てられる場所で情報の売買などとまずあり得ない状況である。聞き耳を立てられることを前提として、つまり宣伝を兼ねて情報屋を使うのはアーランくらいのものであった。

 

 徒歩数分の、そのうらびれた間口の狭い小さな喫茶店に客は誰もおらず、店長 NPC に貸切り札を出してもらったアルゴは一口コーヒーに手を付けてから二人に訊いた。

 「それで、あのにーサンは何て言ってきたのカナ?」

 仕事に戻る店長を興味深げに眺めていたタスタスは、

 「エギルさんとキバオウさんが話をするところを聞いてみませんか、というお誘いです。さしつかえなければですが、アルゴさん、聞き耳スキルもってますよね?」

 「聞き耳スキルについては、まあ秘密にしておこうカ。無くてもなんとかするようにするよ。というか、君達持ってないよネ?」

 少し困ったようにタスタスが微笑んで、

 「わたしたちは後で先輩に聞けば良いだけですから。アルゴさんの場合、又聞きじゃ駄目ですよね」

 「それはそうだネ。で、その二人のやりとりを聞いたとして、おれっチが払う対価は?」

 「荒事になった時に、その場に乱入することで ──」

 「ちょっと待って、それ難易度が高すぎないカ、プレイヤーの乱闘を止めるとか ──」

 前衛職と攻略トッププレイヤーの喧嘩に逃走能力全振りが飛び込めば交通事故一直線である。さすがに慌てたアルゴの抗議を軽く止めて、タスタスが続けた。

 「いえ、飛び入りするだけです。何て言うんですか、身体を張るという意味では何にもしなくて良いそうです。先輩が知りたいのは、アルゴさんの判断基準、具体的にはボスレイドで何がどうなったときに危険と判断してその場に飛び込むか、そのあたりのことなんです」

 「おれっチにも訓練に参加シロ、ということカ……」

 「はい」

 椅子に深々と座り込んだアルゴを見つめるタスタスは「断りませんよね」とにっこり笑っていた。実にリーダーに良く似た表情だった。

 彼女が承諾すると、あとは細かい摺り合わせである。アーラン達 B 隊と E 隊の話合いの前提や目的を聞く。閉鎖空間から外部へ、メニューを開く動作なしで様子を送る方法を聞いたところでアルゴは目を丸くした。

 「良く思いつく……」

 窓越しにハンドサインでもするか、と思っていたところである。ここに居ないアーランに軽い賞讃を送るとタスタスがにっこりして、

 「あ、ありがとうございます。思いついたのわたしですー」

 「今回の件のために考えたってことじゃないのカ。つまりいままでモ?」

 「使ったことはありますが、こういう実用は初めてですねー」

 「でも肝腎の迷宮区の現場ジャ使えないよネ?」

 「本当にそういうところは厳しく造ってありますよね」

 アーラン達は迷宮区にこもることが少なかったから、彼らが生み出したものは迷宮区の制約を考慮していないものが多かった。フレンド探索でプレイヤーの位置が分かることを使って、立ち位置を変えることで情報を伝える、というのもその一つである。

 

 その後、簡単な先約があるからとアルゴはそのまま同行することを断り、でも話が始まるくらいには戻るよ、と言ってから彼女は二人と別れた。

 アルゴが倉庫街の草むらに身を潜めていたタスタスとティクルの二人を発見したのは、夕暮れも陽が落ちる直前である。影が伸びて目立つ時刻で、窓から見られる位置に陣どることも出来ずに二人は ── というより多分タスタスだけは背を低くして繁みに隠れるのに苦労しており、こうして背中側からみているともさもさしていて面白かった。

 「この大事な時期に、くだらん傷を残したまんまで仕事が出来るかっ!」

 声を掛けようとしたところで二人が監視していた目の前のレンガ積み様式の倉庫から大声が響いた。そちらを見ると、素人連れて中に侵入する必要があるかと思っていたが、良く見れば窓もドアも開けっ放しだった。なるほど何時でも突入できる。この倉庫はキバオウ達のホームというかたまり場だったはずである。明らかな敵地で色々良くやる、と思っていると、彼女に気付いたのかタスタスが振り返った。

 「あ、アルゴさん」

 「遅れたかナ」

 「いえ、キバオウさんもさっき戻ったばっかりでたぶん始まったばかり、というか」

 「あれ、にーサンの声だったね。聞き耳スキル要らないねェ……」

 アルゴは滑り込むようにしてタスタスの脇に座った。

 「あははは……」

 恥ずかしそうにタスタスは俯いた。ティクルが振り返り、静かにしろと指を一本立てる。こちらはこちらで、アルゴ並にこの手のミッションに慣れている風だった。

 合同パーティの話合いの中でアーランが他者の発言を切って捨てたことは何回かあった。しかし断固としてはいたが静かな声音であって、彼が声を荒げるのをエギルは初めて聞いた。

 そしてアーランの鉾先は一瞬引いたキバオウだけでなく、エギルにも向いていた。

 ちなみにキバオウの下に居たはずのラスト氏は皆を倉庫まで案内してきた後は奥に引っ込んで震えていて仲立ちの役に立つ様子はない。ここまでの道中、アーランと仲良く雑談していたが、エギルも今にして思うに、あれはラスト氏に手伝ってもらうためでなくキバオウ氏の人となりを知るためのものだったのかもしれない。エギルのほうはローバッカと話をしていた。中国風の幅の広い剣……刀?で、エギルの使う斧と剣の間のような感じだった。時々アーランが剣使いが足りないとぼやいていたが、こういう感じのものだろうかと思ったものである。

 

 エギルやキバオウの当事者については、むしろ問題ない、相手の話をどう聞いたにせよ、判断が遅れることはないだろうとアーランは言った。

 問題は B 隊 E 隊の他のメンバーである。エギルが E 隊に何か提案したとして、キバオウが受けたとする。その時に E 隊のメンバーは即応できるか? キバオウの内心をおもんばかって反応が遅れたりはしないか。その逆はどうか。

 正面のキバオウを見つめたままのアーランに後ろからエギルが話しかけた。彼の言い分に一理を認めなくはないのだが、

 「いやしかしな、アーラン、こういったことは早々すぐにどうにかなったりはしないぞ……」

 せっかく抑え込んだことをおもいっきり蒸しかえしているが、そこまでしてメリットがあるのかと思ってしまう。キバオウが帰って来た時に一瞥して睨まれ、「これはだめだ」とアーランに交渉を丸投げしてしまったのは悪いと思っているが、合同訓練を提案した当人がここまで話を壊しにくるとは思っていなかった。そのキバオウが視線をエギルにずらして微かに同意したような表情を見せるくらいである。

 アーランが一枚スクロールを取り出してキバオウの前のテーブルに置いて、

 「《鼠》の奴にこれを書かせたのはあんたか?」

 キバオウが拾いあげると、会議で受け取ったボス情報のペーパーである。

 「何のことや?」

 「違うのか。じゃあそこから確認しなきゃなんないかな」

 アーランは、このペーパーがキバオウの会議での発言による成果だと言った。

キバオウの泣き落としでベータテスター達から第一層ボスの情報を引き出し公開させた。おかげで偵察が省略できてしまい、攻略が一日早まった。

 「……泣き落としちゃうわ」

 そっぽを向きながらも、キバオウは必ずしも悪い表情ではない。むしろエギルのほうが内心で驚いた。会議で愚痴っていたことと違う。

 エギルに気付いたかどうか、アーランは首を振って、もう一つスクロールをキバオウに手渡した。

 「いや、泣き落としだね」

 「なんやとっ」

 スクロールを読めと、顔を真っ赤にしたキバオウをほとんど無視するようにしてアーランは目で言った。

 「確認が必要なら《鼠》に訊け。そこにあるように、ここまでの元テスター達の死亡率四十パーセント、新人さんは十八パーセントほどになる。テスターの半分なんだが、ま、こっちはどうでも良いや」

 「それが何や」

 もう一言なにかないのか、というアーランの表情に付け加えた。

 「……ざまぁとしか言いようがないわ」

 「まぁ自業自得な訳だが。一ヶ月で半分だぞ、このまま行きゃ、あいつら全滅するぞ」

 「ええやないか。清々するわ」

 「殺すな。すこしは助けろよ」

 アーランが大袈裟に舌打ちしてみせて語った戦略方針には、その場に居る全員が軽く引くことになった。キバオウでさえ眉を顰めている。このまま元テスター達には漢探知させておけというものである。彼らが宝箱を開けると二つに一つの確率で死に、もう一方がレアアイテムを手に入れる。現状はそういうことだと彼は言った。

 盗み聞きしていたアルゴでさえタスタスとティクルに説明を求め、部屋の中ではエギルが声を上げた。

 「待て、アーラン、それは無い……」

 振り返った彼はいつもの表情で、本気で語っているのがエギルにも分かった。

 「けどな、エギル、数字上はそういうことだぞ」

 元ベータテスターは二人に一人が死ぬ代わりに宝を独占し、何も手にすることのない新人は代わりに五人に四人が生き残る。エギルもそれは分かる。しかし昨日の話で、そのあたりのことは俎上に乗らなかったから彼の話の持って行き先が不安でしかたがない。

 「そうかもしれん、それならそれを止めるとか……」

 さんざん彼が攻略速度が速すぎることを嘆いていたのを思い出してエギルの言葉尻が小さくなる。

 「……手助けするとか、だな」

 不思議そうにアーランが首をかしげて笑う。

 「だからそう言ってるわけだけど」

 それからキバオウに向きなおって悪魔のように笑った。

 「少なくとも、泣いてすがってそれ寄越せ、というのは違うよな?」

 「先輩、豪快にやっちゃってますねー」

 元ベータテスターに対する悪意と嘲笑の説明に対してタスタスは朗らかに笑ってみせた。ティクルも顔色を変えることなく呟いた。

 「天下三分の計、どころじゃなかったな」

 どういうことだという顔をしたアルゴに、

 「現状の事実が、そう解釈も出来るというだけですから」

 死亡率の話が出たとアルゴから聞いてから表示していたスクロールをしまい、アルゴさん昨日の会合の話聞いてませんもんね、と呟いてから彼女は説明した。攻略プレイヤーにおける元テスターと新人の死亡確率はほぼ同じであること。同じデータから、今日は二対一の比率を引き出して説明していること。明らかに意図をもって話している。

 「……同じデータだロ?」

 二対一は分かるがほぼ同じって何のことだとアルゴは訊いた。

 「プレイヤー全体での死亡率の比は二対一ですね。攻略プレイヤーの死亡率が一対一。新人さんの大部分は攻略に参加してないので、母集団変えると比率変わりますよ?」

 昨日の朝の会合では攻略プレイヤーの低減具合いにしか興味がなかったから、そちらの話しか出ていない。もちろん今日の話でも本題は攻略プレイヤーの死亡率になるはずだが、そこを全プレイヤーの話にすり替えて二対一という数値を捻り出した。

 アルゴは慌てて自分で清書したデータを取り出して上から下まで読みなおしてから、顔を上げた。

 「つまり、元ベータテスター達が進んで漢探知しているという事実はナイ?」

 「はい。もっとも、本気で誤解してもらって、元ベータテスターさん達が冷や水浴びせられて、それでみんなが落ち着いてくれるならそれはそれで本望だと思ってそうなんですけどね……」

 引っかかりかけたアルゴも何とも言いようのない顔をして、

 「じゃあ、にーサンの話の意味は」

 「B隊・E隊、というかレイドに参加してる人というか、キバオウさん達とそれ以外の間に対立軸があるから、それを跨いだ命令や依頼でつまずくんですよね? 元ベータテスターさん達を嫌うキバオウさん達にも、そのキバオウさん達を疎ましく思うエギルさん達からも、ドン引きしてもらえるような意見を出してみせたわけですね」

 アーランが悪役になりすぎると一瞬思ったものの、そうではないことに気付いてアルゴは頭痛を覚えた。最悪の場合でも、ただのマッチポンプだった。

 「いざとなったら、そんな事実は無いといって火消しするつもりカ……」

 「なんですけど、このへんの話、エギルさん達も聞いてるはずなんですが、そのあたりどんな感じなんでしょうか?」

 「……あんまり分かってる感じはナイな」

 そうですかぁ ── と彼女はインスタントメッセージをどこかに送った。相手はエギルだろう。

 

 ところで、とティクルがアルゴに向いた。

 「今の瞬間て、もしかして俺らの突入のタイミングじゃなかったすかね?」

 そんな話もあったなぁ、とアルゴは遠い目をして、

 「ン、いや今のは違うネ。本番でもこれくらいじゃ突入はしないヨ。それくらいは本隊に任せヨウ」

 

── もっとも、夜半に合同訓練から戻り、リズベットの所に行こうとタスタスを誘ったアーランは道すがら別の二つのことを語った。

 一つはキバオウ達の命運である。

 現状、攻略組のトップグループのほとんどが元ベータテスターであろう。キバオウ達のグループは、そこに混じっていながら反テスターを明確にした。つまり同業者の助けが得にくい立場になった。ぬるく足をひっぱられるなら良いほうで、クリティカルなタイミングで他のグループにサボタージュされるとそこで終わってしまう。せめてこれ以上、傷口をひろげないよう心理的なはけ口を用意した。ベータテスター達からリソースを取立てようとするよりは、心の中で嘲笑させておくほうがまだ良かった。

 「もっとも、彼は十分に善良だったけどね」

 あのキタローさんが一緒に居た相手だ、そんなに悪いはずはないと思っていたよ、ラストさんからも裏付けは取れたしね、と笑いながら付け加えた。

 二つ目は、アーラン自身が彼に共感していたということである。

 迷宮区には入るなとは言ったが、最大の理由は経験値の問題ではなく、迷宮区では地の利の勘を持つ元ベータテスターと張り合うことは出来ないという点にある。元テスター達と五分で張り合える時期がくるまでは雌伏を続けるつもりだが、今の最前線で戦うキバオウ達のストレスは大きいだろう。

 「特に他人の命を背負っている人はね。昨日の宝箱が空でなければ助かった仲間が居る、と思っちゃうのはどうにもならない」

 「……先輩も、ですか?」

 「こないだ君が抗議してきた程度には僕も少しおかしくなってたかもな。この程度でどうにかなるようなやわな精神構造はしてないつもりだったが、定規ごと歪んでると分からんもんだ」

 「そこまでにしておけ」

 エギルが後ろからアーランの口をふさいだ。

 「俺らは明日のための合同訓練でここまで来たんだろうが」

 時間を取らせたとエギルが謝ると、キバオウも溜息をついた。

 「そやったな。……B隊、エギル、言うたな。そないな危険物放置するんやないで?」

 「いやー、しかしな、俺らもレイドが終わったらパーティ分かれるつもりだしな」

 「そやったか? そういえばそいつ護送船団やらのリーダーやってたはずやな? 何時の間にリーダー代わったんや?」

 アーランがトントンとエギルの腕を叩いたのでそっと手を離してみる。アーランは笑いながら、

 「いや、悪いね。興奮しちゃって。エギルさん船団の時には組んでなかったから、代わるも何もないよ」

 「そうなんか」

 毒気が吹きとんだような顔したまま、キバオウも呟くように答えた。エギルも普段に戻った。キバオウを相手にしてどう対処したらいいか分からないというような表情はしていない。火災を爆風で吹きとばしたような空気が漂った。

 「じゃあ行こうか? キバオウさんはお薦めの場所とかあるかな?」

 ほとんど何事もなかったように、しかしきっちり仕切る彼にキバオウとエギルは顔を見合わせた。

 アーランは真顔に戻って目を細めた。キバオウの態度は、この程度の悪意を前にしただけで元敵(エギル)と手を取り合うことができるということを意味した。

 「あんたは、そこまで悪党ではない、ということで良いのかな?」

 「貴様ほどではないわ。けど一人だけ高笑いしてる奴がおったらそれはゆるさへんかもしらん」

 「別に特定の個人にライバル意識持つのまで止めろとは言わないよ」

 「ライバルちゃうわ……」

 「エギルさんも、もうすこし元テスター達を何とかしようという方針にこれからも協力してもらえるだろうか?」

 「構わないが、もう少しこう言葉を選んでくれないか。あんたらと付き合って一週間か二週間か、……知らないやつが聞いたら心臓止まるだろう」

 迷宮区の天辺まで往復するくらい疲れたぞ、と彼は額を押えて天を仰いだ。

 「キバオウさんはライバル意識剥き出しで突っかかっていく相手が居るそうだけど、それについてはどう思う?」

 キバオウとアーランを見比べてから彼は言った。

 「……別に良いんじゃないか?」

 「だそうだよ?」

 いちいち答える気もなくしてキバオウは告げた。

 「迷宮の十八階にええところがある、そこ行こか」

 その言葉に、ここまで見物に徹していた E隊の何人かに気合いが入った。はて、とラスト氏に説明を求めてそちらに向くと、彼も首を捻っている。

 「そいつは知らん。ここんとこリトルアトラス相手しとらんからな」

 エギルが一歩前に出て、

 「予習はさせてくれるんだろうな?」

 「あたりまえや」

 迷宮区十八階の、ある通路を塞ぐように立つ植物型モンスターだとキバオウは言った。

 一メートル強の太さの胴体で背丈は高く、首の部分は天井につっかえてしまっている。口の部分の歯も恐いはずだが、高い場所にありすぎて無視して良い。最大十本の蔓形状の腕を持ち、腕にはサヤエンドウのサヤのような形の曲刀が付いていて、それを振り回して攻撃してくる。本体の移動速度はほぼゼロに近く、その場から動かない。

 「攻撃力はそこそこある。今の俺らでも二、三割もってかれるで?」

 ただし防御力や HP はリトルネペントと同程度。攻略組ならどれほど不器用でも二撃当てれば倒せる。リポップインターバルは二十秒。

 「リポップインターバルは短いが、レベリングの行列が出来てたりはせん」

 「防御力が無いからだな。経験値が増えない」

 答えたエギルは、キバオウに意外そうな顔を向けられて少し凹んだ。キバオウは彼に挑むように、

 「なら後ろの奴らの気が入ってる理由言うてみい」

 「すまん。もしかして誰かやられたか……?」

 「それだけでここまでなるかっ!」

 血を吐くように叫んでから、ギリと歯を食いしばってキバオウは説明した。

 攻撃力だけはあるリトルアトラス。これが中ボスと思い、その向こうに十九階への階段があると信じて戦い、一人死んだ。しばらくして十八階のマップが全て埋まり、そこで彼らは知った。リトルアトラスが塞いだ向こう側に出るのにリトルアトラスを倒す必要は無く、ぐるっと反対側まで平和な回廊が繋がっていたことに。

 せめて戦ったこと自体が身になっていれば良いものを、直感的にも経験値稼ぎにはならないことが分かっている。今や全員が全員無視するモンスターだった。

 「そうくるかぁ……」

 後ろで疑問を覚えたアーランすら、地雷すぎてキバオウに訊けなかった。つまり、そのことを元ベータテスター達は知っていたかどうかである。ベータ時代に居なかったのなら、キバオウ達が納得できるかどうかはともかくただの不幸な偶然だが、居たのなら情報を出さなかったテスターに対し、もはや彼もフォローする自信がない。あとでこっそりティクルに訊いてみることにする。精神的に歪みそうだからと近付かなかった迷宮区上階だが、具体例を聞くと近付かなくて本当に良かったと思う。

 ちなみに手持ちのマップの当該位置には非推奨モンスターのマークが入っていた。理由は攻撃力のわりに経験値蓄積が激少。マップを開いてみて彼も思い出した。

 「そういやコメント読んでスルーした記憶があるなぁ……」

 観光に来ていれば見物くらいはしたかもしれないが、十八階は観光したことがなかった。

 「で、そんなもん俺らにぶつけようというのか?」

 エギルの固い声の質問に割り込んで答えたのはアーランである。キバオウが答えると角が立つ可能性があった。ここまで来て拗れてほしくはない。

 「エギルさん、これで正しい。これからするのは強いボスを想定した練習だ。相手がボスまがいに十分に強く、なおかつ事故った時にすぐにモンスターを消して治療に入れる程度には相手が弱い必要がある。……すくなくとも、相手に攻撃力がないとただのタコ殴りになってしまって連携練習にならないぞ」

 「それでええんやけど……なんや、貴様変わった言い回しするんやな」

 「いや、こいつはこんなもんだ」

 「そか?」

 首をひねってから、

 「まあええわ。で、確認しとくことがあるんや。あんたらボコボコにリトルアトラスの攻撃受けるわけやけど、本番までに武器の手入れ出来る、んか?」

 帰ってくるころには NPC 鍛冶屋は閉まっている。あ、と言ってエギルはアーランに振り向いた。アーランはキバオウに尋ねた。

 「そういう言い方をするってことは、あんたらは当てがあるのか?」

 「懇意にしとるプレイヤー鍛冶屋に店開けてもらえばええからな……」

 へえ、とばかりに頷いたアーランをキバオウは苦々しく見つめて、

 「そこでドヤ顔するなや、感謝はせんぞ」

 なるほどプレイヤー鍛冶にはそういう利点もあったのかとアーランも初めて知った。ならもう少しレベルの低い鍛冶屋も連れて来て良かったかも知れない。基本的に夜は寝る時間なので盲点だった。

 「エギルさん達の分は僕のところで無理聞いてもらおう。ラストさんのはキバオウさんのところでやってもらえるとして、ローバッカさんは?」

 「じゃあ俺の分も頼むわ」

 「分かった。トータル五人分だな」

 見回して人数を数え、彼はリズベットとタスタスにメールを送った。

 キバオウ達の倉庫はトールバーナ北門近くの倉庫街の一画である。迷宮区タワーは北門から少し歩いたところにあった。

 キバオウがラストからアーランと何を話したか尋問していると、その当人のアーランから声が掛かった。彼は周囲を見回しながら、

 「この倉庫っていうか元倉庫街、そもそも何のためにあることになってるか知ってます?」

 「別に借りてるわけやないから、説明テキストは付いてこん」

 「……不法侵入ですかもしかして」

 「ここらにある倉庫の、あの一棟だけ鍵が壊れてるんや」

 「キバオウさんっ!」

 おそらくキバオウパーティの一人だろう男から注意が飛んだが、そちらを向いて彼は言った。

 「どうせ二、三日したら引き払うんやで?」

 「……あんた元テスターでもないのに良く知ってたな?」

 「最初に占拠した奴がおってな。そいつから買った。たぶんベータやったんやろう。業腹やが、初期経費はともかく維持費はゼロやしな」

 「あー、すまん、悪いこと訊いた」

 最前線のやつらというものは、これほど地雷を抱えているものかとアーランは内心で頭を抱えた。するとあのディアベルもなんだろうかなぁ、と思ってしまう。売ったプレイヤーも要するに情報屋としての仕事をしただけだから淡々と仕事をすれば良いだけのところ、わざわざ要らないことを言ったのだろう。

 「気持ち悪いこと言うなや。こっちからも訊きたい。あんたの立場が良く分からん。ベータ共は嫌いか? なんや助けるようなことを言うとったが」

 「論点は違うかもしれないけど、僕もけっこう怒ってるよ。けど、たかだか十層かそこらで全滅してもらっちゃ困るんだ。わりとマジで」

 「……本気で言うとったのか」

 「《野性の勘》スキル持ってそうな君に口だけでごまかせるとは思ってないよ」

 「ないわそんなもん」

 

 なお、対リトルアトラス戦では、あまりに B 隊盾職の固い壁に「こちらの練習にならんっ」とキバオウが切れ、仕方なくランダムに壁に穴をあけることになった。戦闘指揮そのものは、本人の普段の言動のわりに落ち着いた堅実な指揮で危ないところもなかっただけに、アーランはそこだけは惜しいと思う。

翌、ボス戦当日、その朝。集合場所の中央劇場にて、あくまでもディアベルの語り口は軽かった。

 「一人でも欠けたら今日は作戦を中止しようって思ってた! でもそんな心配、みんなへの侮辱だったな! 俺、すげー嬉しいよ……!」

 アーランは頭を抱えていたが、エギルもそれをたしなめようとはせず、厳しい顔つきになっていた。ウルフギャング、ナイジャンの二人もエギル達の考えていることが分かるのか、固い表情でエギルを窺う。

 「エギルさんや」

 「なんだいアーランさんや」

 「今からレイド抜けようかな……一人欠ければ中止に出来るんだよな」

 ここまで煽ったのでは最早ディアベルでは撤退指示が出せまい。完遂か全滅かの二択になる。となると事前に偵察を送って情報を確認してこなかった罪が重かった。

 「分からんでもないが……やめておいたほうがいい。皆のためではあるかもしれないが、改善策とか聞いてもらえなくなるぞ」

 急所を突いた止め方にアーランがエギルを見れば、あんたにとってはそれこそが大事なことなんだろう、と表情で語っていた。

 「それも大問題だな……。一応確認するんだけど、せめて班のリーダーの間で指揮権委譲順位とか決めてある?」

 「そういやどうするんだ。リーダーが A 隊じゃないから、次が B 隊の俺ってことはない訳だよな」

 「決めてないのかよ。まあ別に暗黙のうちに決まってても良いんだけど……キバオウさんじゃないよな? エギルさん頑張る?」

 「どっちも無いな。……まずいかな?」

 「まずいだろ」

 撤退判断を誰がするかという話である。誰にも出来ないことが一目瞭然だから各自の判断、ということになれば一瞬で戦線が崩壊する。アーランが考えこむと、エギルが彼をじっと見つめた。言いたいことは分かる。

 「で、何。僕がディアベルさんに訊くの?」

 「サブリーダーの俺らがやったら自分を二番手に指名しろと言ってるようなもんじゃないか」

 「昨日言ったと思うけど、僕、葬式に立ち会ったことないんだぜ。もちろん遺言状とかいうしろものも見たことはない」

 二番手に誰を指名するか、と訊くのはつまりそういうことである。

 「おいおい、葬式で遺言状に立ち会うのはそんな多くないぞ。……そういう感覚は大事かもしれないな」

 「なんのこと?」

 「身近な人が死ぬのが恐いってことがさ。あんたが安全に口喧しいのは、そのへんが原点なんだろうな」

 「そりゃそうよ」

 大きく溜息をついたアーランが諦めたようにメニューを操作しはじめる傍らで、エギルは小さく首を振った。言いたいことはそうではない。身の回りに死んだ人が居ない、実感が無い、というわりには誰かが亡くなることを病的に恐れている気がしたからだが、リアルに関わることだからと彼は沈黙を守った。

 ディアベルからの返事はすぐに返って来た。遠目に彼を見ると小さく片手でごめんと言っていた。彼は意外にもキバオウを指名し、それは A から G までの全サブリーダーに伝達された。昨夜の合同訓練を思い返してみて、アーラン達も特に不満はなかった。

 自分で閑職に追いやったと思われたディアベルが指名したことは不思議だったが、彼に問題が生じた時、A から D までの本隊が無事とは思えないといえばそのとおりであり、C のディアベル隊が壊滅したのならその時点で補充に E 隊が代わりに入っている。本隊の中でもっとも余力があるであろう E 隊が指揮するのも自然な話ではあった。

 



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第一層フロアボス攻略戦及びその後の顛末

 へー、と最初に浮かんだのは純粋な感嘆だった。

 第一層のフロアボスは《イルファング・ザ・コボルドロード》と言った。褐色肌で肥満体の、人の数倍の大きさの獣人だ。斧と丸盾を持つ。そのボスをだいぶ削ったなと思ったあたりでディアベルが皆を下がらせて、一人で突っ込む構えを見せた時に思ったことがである。

 それはつまりディアベルのスキルとして大量のフレンドリーファイアを引き起こすようなマップ攻撃があることを意味しているだろう。アーランはそういうものが存在することも知らなかったが、トップランカーともなるとそういうスキルも持っているのか、という感嘆であった。

 最大級の攻撃スキルとして単独の相手に使うには非効率な手段であり、どちらかといえばディアベルはロード周囲の取り巻き達、フルプレートアーマーの棍棒使い《センチネル》の群れの討伐を担当すべきではなかったか。レイドリーダーとして、そういう役を回避しようと思ったことは責められないが、彼が取り巻きを担当し、代わりに E や F のグループがボス相手のローテーションに加われるなら、そのほうが余裕はあったに違いない。

 何にしても勝てば官軍なのであっていまさら主張するようなことではないか、と彼は思った。大枠において攻撃量はかなりの余裕をもって足りていた。

 「マップ攻撃ってあるもんなんだな」

 目をディアベルに向けたまま呟く。隣のエギルも生返事だ。

 「ほう?」

 アーランはふと思いついてメニューを操作してポーションを取り出しつつ、エギルに提案した。

 「今のうちにポーション飲んでおかないか?」

 今は一種の POT ローテの休み時間である。ディアベルがケリをつけてしまったとしても、第二層主街区ウルバスに行くためにどうせ飲むものであった。

 「……そうだな。おまえらも飲んどけ」

 エギルが B隊の全員に指示。目の片隅でキバオウが呆れた表情を向けていた。

 

 みなが飲み始めたかどうかというところで後方から大声が響いた。

 「だ、だめだ、下がれ! 全力で後ろに跳べーっ!」

 見ると H 隊コンビの中学生くらいの少年のほうだ。ディアベルに目を戻しても特に変わった様子はない。エギルが彼に目で「どうする?」と尋ねる。

 全開速度で思考が回る。少年、隣のケープの女性、ディアベル、と素早く巡るが引っかかりはない。再び少年に戻り。

 少年に対するアーランの評価は乱高下が激しい。

 最初に彼を個別認識したのは、この日、ディアベルが全員を煽った時に見せた彼の思案気な表情からである。彼ら二人も誘って計八人でなら、ディアベルに撤退の提案が出来るかというものであった。

 この算段はレイドが始まってすぐ放棄することになる。彼は強かったのだ。単位時間当たり攻撃量で上から数えたほうが早い、どころか一、二位を争う。これだけの力量の持ち主が攻略組に知られていないはずはなく、グループ分けでどこからも誘われずに二人だけのグループになったということは、相当に気質か人格に問題があると思わざるをえない。単純に、攻略会議の時に後ろのほうに離れて座っていたからだという素朴な理由ではありえなかった。

 言い換えると、撤退の提案時に彼らを誘うと、かえってディアベルないしその周囲のプレイヤーから反発を買いかねなかった。

 しばらくして再び見解を変えることになった。ここで気になったのは彼とコンビを組んでいるケープを被ったレイピア使いのほうだ。会議が解散した時の歩き方からそこそこ以上に良いところの出の女性としか分からないが、彼女に対ししばしば何かを教えている姿を見るに、彼女のほうが新人プレイヤー(ニュービー)であることは間違いない。今の少年の叫びを聞いて彼女が問いただしげに見つめているあたりからも、つまり少年と同格の知識や経験を持っているわけではないことからも明らかだ。しかしこちらの力量も結構なもので、つまり彼は教えるのがそれなりに上手い、ということでもある。

 グループ分けの前、少年のほうはソロだったように思うから、彼女もソロだった可能性もあるが、だとすればそれはそれで少年がちゃんと他人と初見でペアを組めるプレイヤーだということでもあった。

 つまり、少年に対して一定の信頼を置くべきだろう。彼の発言とディアベルの行動を総合して、ワーストケースは?

 アーランはメイスを握りなおし、正面に構えて腰を下げた。

 「ボスからの範囲攻撃、来るぞ」

 エギルは慌ててポーションを投げ捨て、叫んだ。

 「全員、D隊守れっ!」

 コボルドロードは長い太刀を構えて大きなモーションで一回転、刀を振りきった。次の瞬間、爆風が彼らを襲った。

 

 何故か力が抜ける。視野の端、HPバーグラフ傍にイエローの何かが点灯する。スタン約一秒。

 崩れるにまかせて受身を取り、流れるように立ち上がりつつそのまま勢いで前転してしまうところを彼はなんとか立ち止まった。もう一本ポーションを取り出して隣で倒れたままのエギルの口に突っ込む。手の中で瓶が結晶化して消える。さいわい、取り巻きの細かいの ── 《センチネル》のポップはまだ無く、周囲はクリア。

 コボルドロードから目を離さずに訊く。

 「あとどんだけ掛かる?」

 エギルが震える手で指を折り、一つずつ伸ばしていく。あと二秒、一秒、がく、と一度大きく弛緩してから彼が半身を起こした。

 「……また助けられたな。だが多分これにポーション効いてないっぽいぞ。過信するなよ?」

 「諒解した。HP が万全というだけ良しとしよう」

 そこに悲鳴の渦が巻き起こり、彼はディアベルが死んだことを知った。ディアベルを助け出そうとして彼のところに走り込んでいた少年のポーションは間に合わなかったか。A、C隊が精神的に半壊、後方に居た D、F隊は我先にと逃げ出した。

 B隊の四人は、のそのそと立ち上がったところだ。モタモタとメニューを操作しているナイジャンにさっさとポーションを取り出して手に乗せておく。

 札三名をどちらに投入するかを思う。つまり A、C、D、F が安全圏に脱出するまで、まだ隊の形が残っている B と E で支えるとして、救護隊として前者の補助とするか、予備隊として後者への補充にするか ── 警告を発した少年はどちらに動くか目で追って彼は息を飲んだ。

 「っ!」

 少年がロードに突っ込んでいく。彼とコンビを組んでいた女性もケープを振り払ってそれに続いた。

 二人はしんがりを務めるつもりでロードの前に立ったのではない。明らかに倒す気迫でぶつかっている。

 パニックを起こしていた D、F隊のプレイヤーでさえ足を止めて振り返った。

 それなら、と彼は入口に手の平を向けてティクル達が来るのを制止した。

 その脇を、かっと目を見開いたエギルが猛然とボスに突っ込んでいく。見れば太刀をふりかぶるボスの下に警告を発した少年が転んでいる。

 おもわず目をつぶりたくなるほどの大きな金属音を立て、エギルが太刀を受け止めた。

 その一撃を受け切ったのを横目で確認し、振り返って HP がイエローの端をゆったりと戻るウルフギャングの肩を押さえ、アーランは首をふる。がっくりと肩を落したウルフギャングの身体から気迫が霧散した。ローバッカ・ナイジャン・ラストは問題ない、グリーンに戻った。彼らとともに急いでエギルに並ぶ。

 「あいつらが火力で俺たちが壁でいいんだなっ?」

 「そうだっ」

 これまでより破格に強くなったボス相手に急速に HP が減る。B隊だけでは POT ローテに足りないと振り返ると、まだうつろな顔をしたままの A隊が目が合う。彼はオットセイ共を声で蹴飛ばした。

 「A隊っ」

 「お、おお……スイッチ」

 のっさりと寄せて B隊の前に出る。棒立ちな上にまだ四肢に力が入ってないことを危惧しつつ彼らと場所を入れ替わる。少なくとも初撃は問題なく受け止めた。いつ武器ごともっていかれるかと気が気がないが、こちらのポーション補給の間だけ死ななければ良いと割り切る。

 E隊は半分残ったが火力にはオミソコンビもとい主力コンビの速度についていけず壁になるには堅さがたりず、しぶしぶ他の隊の使えそうなのを引っこ抜いてセンチネル掃討に回っている様子が遠目に窺えた。

 

 今や総指揮は少年が取っていた。

 人数が想定よりだいぶ少ないのは疲労の蓄積に繋がる。太刀を受け止めつつミスのパターンのイメトレ ── そもそも集中を切っている段階で自身の疲労も相当なものだったのだろう、と後になれば分かることだが。とはいえ、戦闘参加者の時間当たり攻撃量と HP の減り具合いからみて、アーランもコボルドロードを倒し切るのに足りると読んだ。

 

 ヘイトの見えない糸が剣やメイスに絡みつくのを感じる。

 もはや火力の主体となったコンビの片割れ、姿を現したレイピアの少女がリニアーを打ち込むたびにその糸が千切れ、引き下がる彼女にまとわりついていく。ローバッカが威圧でヘイトを巻き取り、アーランがコボルドロードと少女の間に割って入ってコボルドロードの視線を切る。

 ちなみに直剣の少年のほうはもう少しスマートだ。壁組が僅かに銃眼を開けて誘うと無理なく切りこみ、引く時も余裕のある壁プレイヤーに音もなくヘイト値をなすりつけていく。ソロと見ていたのだが野良支援プレイヤーの類だろうか?

 ナイジャンがコボルドロードの左手を叩き、ヘイト圧力を右に振ってラストに POT タイミングを作る。壁の枚数不足の中、妙な形で合同練習が活きていた。あの時も六人しか居ない壁プレイヤーを半分に分けてローテしたものである。

 戦線は再び安定化した。

 「一夜漬けってな、やっておくもんだなっ」

 苦笑したエギルが太刀の軌道をずらす。伸び切った右手に剣先を伸ばすと、いまいましげにコボルドロードが太刀を引き戻した。

 ふたたびボスと視線が合う。ちなみにスキルなしだったのでヒットしてもダメはほとんどない。ついでに技後硬直もない。

 飛んで来た太刀をラストに任せて避ける。この間にナイジャンがポーション嚥下。

 

 だが、結局、一夜漬けは B隊と E隊だけのものだ。

 

 ナイジャンのポーションを壁の交替(スイッチ)と思ったのだろう、A 隊のブリキ人形三名がナイジャンを越えてロードの前へ出る。ヘイトのないぽっかり開いた空間だ。ロードの睨みもなかったおかげで、ふらふらとロードに近付きすぎてしまう。警告も間に合わずに太刀の一閃は受け止めたもののそのまま横に転ばされる。

 顔色を変えたエギルが横から腹をぶん殴ってタゲを奪い取る。壁全体のヘイトバランスが戻り、ロードが一歩よろけ ──

 「まだ立つなっ」

 少年が鋭い警告。場を目で追ってアーランはフロアボスの AI に戦慄する。転んでいた A隊のプレイヤーの位置がおかしい。

 少年言うところの、ロードの《旋車》が禁止されているらしい半円陣を組んで対処していたが、ボスにはわざわざ円形包囲陣を形作らせようとする知恵があるのか。少しずつロードの立ち位置がずれて、転んでいた仔鹿君は相対的にボスの背後に移っていた。彼が立てば陣は半円でなく円になる。

 アーランは内心で盛大に舌打ちした。エギルの顔にも苦みが走る。しかしここで引く様子を見せれば今のしんがり隊ですら崩壊する。

 ポーションの準備以外に何の手も打てないままボスが跳び上がって身体を捻じるモーションに入る。さすがに血の気が引いた。おそらくイエロー突入と七から八秒のスタンと見る。依然として八十メートル奥に控える予備隊で間に合うか。スタン後に攻撃を受けても耐える姿勢をイメージする。多分ティクルが間に合う。しかしそれはタスタス達の戦場最深部への投入ということでもあった。彼が想定した展開の中でも最悪のものに近い。

 

 一方、警告した少年が壁に大穴を開けてつっこんだ。もはやヘイト管理どころではない。

 彼の一撃がクリティカルに入ったらしくボスがひっくりかえって技がキャンセル、手足をバタバタさせはじめた。タンブルだ。真っ青になっていた A隊の諸悪の根源君ですら目に光が戻る。

 「今だ囲んでいいっ! 《旋車》は無いぞっ」

 「おうっ!」

 大技。スキルで削りうる HP の最大値をがっつり削った手応えの快感が身体を満たす。

 その技後硬直が終わる前、ボスが立ち上がろうとするところを最後は主力コンビが綺麗にワンツーで止めを刺し、ボスを吹き飛ぶ結晶に変えた。

 Conguratulation の文字が空間に大書きされ、大歓声がわきあがった。

 最後の瞬間、隣に戻ってきていたウルフギャングと強く握手を交わし、そしてアーランは大の字にひっくりかえった。

 

 彼は少しだけディアベルに黙祷を捧げた。そのまま目を閉じて振り返ってみる。ディアベルに代って指揮をとった少年の出来は素晴らしかった。

 ただし、ボスの次の挙動があれほど正確に分かるなら、そのことはせめて元ベータテスターの間では周知しておいて欲しかったと思うのだ。ディアベルは元ベータテスターであり、少年もそうと知っていた、あるいは想像していて彼も同じことを知っているだろうとみなしていたのかもしれないが、アルゴのボス情報のペーパーにその記述はない。つまりベータテスターであっても周知されていない性質のものであることは彼も知っていたのだから。

 「は」

 彼は大きく息を吐いて立ち上がった。

 もう暫く静かに寝させろよ、と思うものであった。一部のプレイヤーが少年を非難しはじめたのである。

 

 反感を主導しているのは E隊というか、キバオウパーティに居たケープを被ったプレイヤーと C隊でよくディアベルのそばにいたシミター使い。

 分からなくもないがと最初は思っていたが、しかし良く聞くと話がおかしい。彼等は、少年が元ベータテスターとしてベータ時代のコボルドロードの情報を隠匿し、その結果としてディアベルが死んだと言う。

 少年の知識を皆で共有していた場合、レイドは速やかに無傷で勝ち抜いただろう、その主張は正しい。

 少年が知識を隠匿していた場合、つまりディアベルも知らなかった場合、ディアベルは知らないなりに計画を立て、そのように行動し、結果として長時間戦うはめになったとしても、無事に皆で勝利するか、あるいは一時撤退を決めて皆を無事に帰宅させるかを選ぶべきであった。

 無傷で勝利したのならディアベルが賞讃されたはずだったのだから、被害がでればその一義的な責任はディアベルにある。少年の責任を問うのはディアベルのリーダーの資質を問う行為なのだ。それをディアベル隊の人間がやっている。また、E隊は戦線崩壊後も仕事をしていたとはいえ、十指に入る戦力の少女ですらケープを被ってはいられなかった戦場でケープを被ったままで居たということは仕事をさぼったと声高に主張しているに等しい。真っ先に逃走、戦線を崩壊させた戦犯の C隊はもちろんそれ以下だが。

 E隊のリーダー、キバオウに止める様子はなく、彼も厳しい表情で少年を睨んでいた。

 アーランは手を挙げて発言を求めた。水をぶっかける。

 「でもさ、昨日配布された攻略本に、ボスの攻撃パターンはベータ時代の情報だ、って書いてあったろ? 彼が本当に元テスターなら、むしろ知識はあの攻略本と同じなんじゃないのか?」

 非難を主導していたシミター使いは一瞬怯んだもののすぐに噛みつくように、

 「あの攻略本がウソだったんだっ、アルゴって情報屋がウソを売りつけたんだ、あいつだって元ベータテスターなんだから、タダで本当のことなんか教えるわけなかったんだ!」

 これほど精神的に疲労していなかったとすれば、その言葉に彼が吹いたであろうことは間違いなかった。

 反応の鈍かったアーランに代わり、エギルと、少年とコンビを組んでいた少女がシミター使いに詰め寄った。

 「おい、おまえ」

 「あなたね」

 被告席の少年が二人に無意味だと手を振ってそれを止めた。

 「元ベータテスターだって? 俺をあんな素人連中と一緒にしないでもらいたいな」

 

 その後の少年の発言にアーランは胸が痛くなった。

 「今のあんたらの方がまだマシさ ──」

 こういうあたり、キバオウを持ち上げた昨日の自分も同じである。振り返るとエギルが弱々しくにやりとし、彼も苦笑以前を返すしかなかった。何が面倒だって、非難する側も少年の側もおそらく一定の真実を混ぜて話している点であろう。

 「チーターだ!」

 「ベータでチーター! だからビーターだ!」

 「ビーターか、良い名前じゃないか」

 実際にどの程度チーターなのかはこの際どうでも良いのだが、微妙に悪の道を切り開いてしまったことが気になってキバオウを窺うと、目が合ってしまった。先に向こうが気まずげに顔を背けて、アーランは少し安堵した。元ベータテスターを上手く使えとは言ったが、特定の個人を罠に嵌めろとは言ってないつもりだったから、そこまではしないというキバオウの答えに安心したのである。

 ただ、この場の反応はそれで鎮静化してしまった。ラストアタックボーナスの黒い上着を羽織ると、さっそうと少年は立ち去った。コンビを組んでいた少女がそれを追いかける。

 つまり後始末も何にもしないで最大の殊勲者が立ち去ってしまったわけで、呆然として皆がお互いを見回すことになった。

 

 口をぽかんと開けたままのキバオウにアーランは静かに詰め寄った。不穏な空気を感じてかフロア出口に向いていたキバオウの視線が彼に移る。目に力も戻っていることを見てとってから、小さく彼は言った。

 「ここから先はあんたの仕事だぞ。名分もある。あいつに仕切らせるな」

 動きのないシミター使いに目を送る。

 「……分かっとるわいっ」

 姿勢を整えてからキバオウは大声を上げた。

 「おい、おまえらっ」

 反射的に皆がキバオウに向き、次いでエギルに不安な眼差しが向いたのは御愛嬌であろう。キバオウが仕切ろうとしているのは明らかで、彼に名分もあるが、そのことに殊勲者の一角である反キバオウのエギルが承知するか。エギルは苦笑したあとキバオウに先を促した。全体の空気も弛緩する。

 アーランが一息ついて B隊が集まっているところに戻ると、ウルフギャングが出口を指さして彼に申し訳なさそうに小さく言った。

 「エギルさんがあっちもよろしくって」

 見るとレイピア使いの少女が階段途中に一人でぼけっと佇んでいた。彼も囁いた。

 「少年のほうはどうしたの?」

 「なんか置いていかれたみたい……俺等ああいうの無理」

 がんばって、とその場の四人ともが小さく手を振った。

 




最初の《旋車》の後、壁隊が出遅れた理由がよくわかんなかったのて適当に設定。


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アスナ

 「おーい、そこのレイピア使いの子、ちょっといいかな!」

 アーランが階段下から呼びかけると、少女が振り返った。気落ちしている感もないではないが無言のままで少し恐い。

 中学生、身長は平均的。髮は茶で長い。容姿も相当なものだ。顔つきは整っているというだけでなく、ものを考えることに慣れている顔で、学校の成績はともかく優等生に分類されるだろう。やや神経質そうなところが見えるが、SAO に閉じ込められた境遇によるものか本来の性質かまでは分からない。本来の性質というなら学校の成績も良いはずである。

 少し意外に思ったのは立ち姿での背筋の伸び方だ。境遇と成績、容姿に瑕疵がないのだから、もう少し自分に自信を持ってピンと背筋は伸びそうなものであった。おそらく今の彼女は学校のクラスで埋没している。

 これでほぼ同い年であろうソロの少年が振った理由が分からない。あえて言うなら、やや表情がきつめであるということくらいか。文字どおり中二病全開でバカやって発散している脇で彼女に睨まれると、とても萎えそうなのは同情できる。

 だがそれは向こうの理由であって彼女の理由にはなりにくい。彼は訊いた。

 「君、なんでついていかなかったんだ? ビーター君と一緒にいかないのか?」

 「彼の名前はキリトです」

 まずそれが最重要であるかのように彼女は固い表情のまま告げた。

 「そうなの? そいつは悪かった。で、キリト君についていかなかったのは……」

 「断られたんです」

 「別に君が黙ってついていっても向こうは断らないと思うんだけど。……逆だとちょっとあれだけど」

 「そういうわけにはいかないんじゃないですか」

 彼女自身も少し納得いかないようで、声音にむかっ腹が混じっていた。

 「しかし、あれ放っておくとそのうち死ぬぞ。困るだろ?」

 「そんなことは。あの人、強いですよ」

 「分かるかそんなこと。死にそうにない奴は死なないもんだと少し前まで僕も思ってたけどな」

 僅かに遅れて彼女が目を見開いたのが分かった。身の回りに死者が出ていないプレイヤーというものは、なるほど腹立つと思う。これが行きすぎるとゾンビ化するわけだが。

 戦闘中とは裏腹にまったく動きのないことでなんとなく理由は見えた。

 「君に迷惑が掛かる、とでも言われたか」

 なんで分かるのかという顔で彼女が頷く。

 「キリト君、さっきのあれでここに居るほとんどから縁が切れたんじゃないか。君しか味方がいない状態だと思う。君が窓口にならないでどうする」

 彼女自身の待遇悪化を心配しているわけでもないだろうに動きがなく、彼は次善に切替えた。

 「君の名前は? 僕はアーランと言う。あとでうちの女性プレイヤー寄越すから、出来ればフレンド登録しておいてくれないか。キリト君からのヘルプの手がせめてうちのところまで届くようにしておきたい。悪用はしないと誓おう。あっちのエギルさんでも良いんだけど」

 アーラン自身よりも B隊リーダーのエギルのほうが彼女の記憶に残りやすかっただろうと候補に入れてみたが、彼女の返答はそんなところから遥か手前にあった。

 知らないのを羞じるかのように彼女が小さい声で問い返す。

 「フレンド登録……て何ですか?」

 「……待って、てことはキリト君ともフレンド登録してないってこと? まさかと思うけど、さすがにキリト君が君の名前のスペルを知らないってことはないよね? お互いにインスタントメッセージは使えるんだよな?」

 「インスタントメッセージ?」

 崩れ落ちかけた彼を見兼ねたのか、思い出すようにして彼女は言った。

 「えっと、スペリングは知ってます。パーティ組んでましたから。目の端の隅に見えてたので良いんですよね?」

 「あ、うんそれ。最低限の連絡はつくんだね」

 彼女から以外のメッセージには応えない可能性が高い。危うく完全に雲隠れされたかと彼は思ったのだった。

 

 それから彼女はアスナと名乗った。彼で良いといってフレンド登録を交わす。意味するところはさっぱりわかっていないようだったが、これは仕方がない。フレンド登録にまつわる機能のほとんどが迷宮区では使えないのだから。ウルバスで落ち着いたらチュートリアルをする、という約束をして、この場ではインスタントメッセージとフレンドメッセージの送受信だけ確認しておく。もっとも物覚えは良さそうなのでヘルプで予習するだけで困ることはないだろう。

 一度上から下まで目は通したものの、そのあたりは用のない項目だと思って読み飛ばしたらしい。言い訳するように彼女は言った。

 「そのかわり、武器やモンスターについてなら、ヘルプに出ている内容はほとんど暗記しました」

 「それくらいはするよね」

 「へ?」

 優等生顔の中高生が SAO 内で孤立し、情報を得る手段が他に無いのならまずすることはヘルプを読むことだろう。似たようなことは彼もやったので、そのあたりは想像がついた。

 「しかし、キリト君はこういうの教えてくれなかったの?」

 「ええ。メッセージを受け取ったところも見たことがありませんでした」

 「あの少年てば……そりゃ気軽にビーター宣言するよなぁ、元からほとんど味方居なかったことになるじゃないか」

 「それ、わたしもなんですけど」

 「そういえばそうか。インスタントメッセージの存在も知らなかったもんね……」

 視線がきつくなった彼女に両手を上げて謝る。

 「二人、メッセージのやりとりが出来る相手が出来ただろ?」

 少し考えるようにしてから彼女はアーランに尋ねた。

 「……アルゴって人の名前の綴りは分かりますか? アールでしょうか? エルでしょうか?」

 「情報屋さんの《鼠》のアルゴのこと?」

 「……はい。そう言ってました」

 「遭ったことはあるがメッセージをやりとりしたことはないと。アールのほう。A - R - G - O になる。三人目だね」

 「はい」

 知りたかったことを知った時のその満足げな柔らかな笑みは、なかなかに可愛らしかった。

 そのアルゴを含めた予備隊三人がエギルのところに合流していたようだったので、アーランは彼女をアルゴのところまで連れてもどった。アルゴに気付いたアスナが深々とお辞儀する。

 「アルゴさん、その節は御世話になりました」

 「や、アーちゃんひさしぶり。元気そうだネ」

 二人が旧交をあたためている間に、アーランはエギルにそちらはどうなったかを聞いておく。

 今は亡きディアベルが最初に取り決めたとおり、ドロップアイテム等はドロップしたプレイヤーのものになるから、そちらの話は確認だけで終わったとのこと。ただ、その後の角付き合わせ、つまり誰が今後の主導権を握るかという点でしばらくもめたらしい ── というより、見れば現在進行形で揉めていた。彼はやや非難をこめてエギルに向いた。

 「つまり逃げて来たのか」

 うんざりした顔でエギルが答えた。

 「しょうがないだろ」

 しょうがなくはない。キリト達を除けば最大級の功労者が会議から抜けると重石がなくなる。反キバオウと思われているエギルがキバオウを支持する形だから右も左もまとまるのだ。彼が抜ければ反キバオウ的な、つまり元テスター達は堂々とキバオウから離反するだろう。彼がそう言うとエギルはしまった、という顔をして手で顔を覆った。キリトに対する風当たりがコントロールできなくなる可能性がある。

 「で、反キバオウの旗印は誰?」

 「ほら、そのキリトに難癖付けてた C隊のシミター使い。……すまん」

 最悪だった。

 「しょうがないなぁ……」

 ディアベルとのやりとりではパーティの成果という話はあっても互いの内部のメンバーの話は出なかった。アーランは悪いかなと思いつつアルゴ達の話を遮った。ちなみに彼女達の話には何時の間にかタスタスも混じっていた。彼自身がアスナとフレンド登録する必要はなかったのではと思うが、今さらである。

 「アルゴ、ちょっといいかな」

 「にーサン、今おれっチはまさに友と再会を祝い、また新たな友人関係を祝っているところなんだケド?」

 やや怒気を感じたので軽く謝りつつ、

 「あそこのシミター使いについて教えて欲しい。君を轟然と非難した奴だ、情報公開、どんと気兼ねなく心置きなくやっちゃってくれても良いんじゃないだろうか? 向こうにこちらのことを教えないくらいの悪戯しても罰が当たることはないぞ」

 明らかにアルゴの信条に反することを堂々と囁くアーランに周りは若干引きつつも、それを押しとどめる者は居ない。アルゴも悩んだものの棒読みで話し出した。

 「おおー、あそこのシミター使いはリンドじゃないカ、ディアベルと仲が良く、部下としてディアベルに心酔していた男。やや無法なところもあるが、強力なプレイヤーの一人ダナ……独り言はここまでカナ。これ以上は有料にしておこうか。誰かがおれっチ自身を敵と見なしたとしても、中立は守るヨ。これは謂れ無き非難の分ダ。おれっチはウソを言うことはナイ」

 「とりあえず、それで十分かな」

 そう言いつつ、なんかあるだろう?と彼が期待の目をしたので、ウン、とアルゴは頷くと、手を出した。

 「短いけど、とってもにーサンが必要としてそうな情報がアル」

 「商売上手いね。みんなにも知られてしまって大丈夫な話?」

 そう言って金貨を二つ彼女の手の平に置く。

 「情報屋から無料で情報毟ってくにーサンほどじゃないけどネ。これも向こうには言わないでおくヨ。皆には、むしろ聞いてもらったほうが良いと思う。……リンドって男、ディアベルがファンレター送ってたにーサンのこと薄々気付いてる。名前は知らないみたいだけど、近付くのは注意したほうが良いヨ」

 「警告、感謝。ありがとう」

 「まいどアリー」

 それを見て、エギルが妙な感心をしていた。

 「おまえら、普通に商売っぽいやりとりもするんだなぁ……」

 キバオウ達の分裂が明らかになるころ、ラストがキバオウのところに戻り、続いて「向こうも落ち着いたカ」と呟いたアルゴが、キバオウやリンド達より先行していないと商売にならないと言って彼らから離れた。わたしもこれで、とアスナがその後をついて行く。

 残ったのはアーラン達のパーティ三名とエギル達のパーティ三名、それにローバッカ。

 アルゴ達を追うようにメイン集団が出口に続き、出口の階段が混雑し、タイミングを失った彼らは空くのをしばらく待った。別れを惜しむように前に出て手を振っていたタスタスも戻り、今はその手でアーランの上着の裾を掴んでいる。

 エギルがアーランに尋ねた。

 「おまえら、これからどうするんだ? すぐ戻らないのか?」

 逆向きの護送船団の準備のためにトールバーナに戻るのなら、出口の混雑は関係ないだろうと彼は言った。

 「出口までは一緒に行くよ。鍛冶屋さん達に準備してもらうなら、アナウンスメールは早いほうが良い。そこでしばらくお別れってことになるんじゃないかな」

 「下まで行くよりは上に出たほうが早いのか」

 珍しくタスタスが二人の話に割り込んできた。

 「先輩、お昼ご飯忘れてます。エギルさんも。もしかしなくても、ローバッカさんに話してないんじゃないですか?」

 「おお」

 二人して手を打った。自分の名前が出たローバッカも何事かと三人に向く。エギルに説明を譲られたアーランが尋ねた。

 「ローバッカさん、昼ご飯、どうする予定でした?」

 「特には。ウルバスで食べることになるのかな。エギルさんはどうされる予定だったんですか?」

 あれもしかして、という顔でアーランはエギルに説明を求めた。

 「ん、うちのパーティに入ることになった」

 アーランは呆れて、

 「ぜんぜん懲りてないじゃないか」

 彼は幅広剣使いで、打撃武器とまでは言わないが、やはり重量が攻撃力の一部になっているタイプである。エギルが苦笑して頭を叩いた。

 「こういうのもアリなんじゃないかと思えるようになったからなあ」

 「分かりました。それはそれとして、話を戻しますが ──」

 B隊プラスアルファ程度の食糧を持ち込んでいることを彼は説明した。

 敗戦対策である。本隊メンバーで食糧持参のプレイヤーはおそらく皆無で、逃げ帰った時にさらに餓えているとトールバーナで期待しているプレイヤーに与えるイメージが悪すぎる。一方で予備隊に継戦能力は必要なく、ストレージに余裕があった。

 唖然とするローバッカの肩をエギルが笑いながら叩いた。

 「それだけじゃないぞ。こいつ、戦略的一時的な撤退であって負けたわけではないぞってフリで先頭に立って堂々と帰るつもりだったからな?」

 全員の分を用意したのではないのだから、B隊以外はアーランの言う敗残者の群れになるはずだった。

 そうそう負けること前提の話を吹聴できませんよ、と言ってからアーランはようやく空いた階段を登る。服の裾を掴んだままのタスタスが続いた。

 彼は振り返って言った。

 「勝ったので昼食兼ねて宴会かな。祝賀会お別れ会と追悼、それに歓迎会ですかね?」

 

 開けっぱなしの扉の向こうには大きな岩を平らに削って造ったような小さな広場があった。そして第二層が広がっていた。眼下にみえる、はじまりの街の半分ほどの大きさのウルバス主街区、遥か南の壁際に迷宮タワー、その周囲に鬱蒼とした森。大地のほぼ中央を横切る黒い溝、おそらく長大な谷と断崖が目を引いた。

 「今朝、迷宮タワーを登ってきたばっかりだけど、あれも登るわけか」

 「だな」

 エギルの沈み込みを看過できず、アーランは彼の背中を叩いた。

 「……千里の道も、もう十里も進んだんだ。頑張って行こうぜ」

 おもいっきり叩きかえされた。

 「まっくらな顔してたあんたに言われたくないぞっ」

 「ここ圏外じゃないか? 今ちょっと HP 減ったぞ!」

 もう一度叩き返す。

 ティクルが黙々とゴザを敷きはじめた。そしてそのまま宴会となった。

 

 宴会が始まると同時に再びアーランの服の裾をつまんで、今もにこにこと笑みを浮かべてサンドイッチを食べているタスタスを彼は見下ろした。

 「……君はこのままウルバスからはじまりの街に戻ってくれないか? 受け入れ側も人手が要るかもだろう」

 手を止めた彼女から一瞬にして笑みが消え、彼を見上げて真顔で、

 「はじまりの街で宿泊施設の用意とか要りませんよね?」

 笑みが戻る。

 「サーシャさん拾うのもわたしが居たほうが都合が良いですよ?」

 そして彼を見上げたまま食事を再開した。

 「……じゃ、ティクル」

 テコでも動きそうになかったのでティクルに振ると、彼も笑った。

 「そういうの無しにしましょう。レジェンドブレイブスの人達が断ってきましたから、人手足りないかもですし。あいつら、自力で迷宮区抜けるって言ってました」

 「はじまりの街に戻ったんじゃ二度手間か……」

 エギルがやれやれという顔で口を挟んだ。

 「あいかわらず大変そうだな」

 

 宴会が終わり、エギル達がウルバスへ降りていくのを見送ったあと、ティクルがアーランに訊いた。

 「コボルドロードの二度目の《旋車》の時、恐かったですか?」

 裾が引っ張られて、アーランはこわばった顔をしたタスタスに大丈夫だ、という笑みを向けてから答えた。

 「……そうだな。レイドなんか二度と参加するもんか、て思ったくらいには。出るならいっそ自分で主宰するくらいはしないと。みんな準備が駄目すぎて」

 「そんな認識かもって思ってました。どっかで VIT の感覚つかんどいたほうが良いっすよ。たぶんボスのスタンからの回復時間、《旋車》のクーリングタイムが目じゃないくらい早い気がします」

 「どういうこと?」

 「ディアベルさんもそうでしたが、エギルさん達スタン食らってしばらく倒れてたでしょう? あの人達がクーリングタイムの後の次の攻撃でちょうど HP が飛ぶくらいに攻撃力が設定されてるようでしたけど、ボス普通に動けてたじゃないですか」

 「……それ、君達も?」

 「ええ。多分」

 アーランはタスタスを顔を見合わせた。いまさらのように彼女も目を丸くして両手で口を覆っていた。

 「それでですね、《鼠》の情報公開許可どうなってます? クローズしましたよね?」

 「してある。あ、アルゴにもバレてるのか」

 「変な顔してましたから、たぶん」

 アスナとアルゴの二人は、これから先コンビを組むことになりそうな風情でボスフロアを離れたが、内情はアスナにもアルゴに尋ねたいことがあったし、アルゴもアスナに頼みたいことがあった、というのに近い。どちらも極度に敏捷性寄りのステータス持ちで、先を急ぐと言われれば他の人は遠慮することが分かっているし、逆に二人が連れ立っていても不思議はなかった。

 そういう微妙な距離感と探り合いで第二層を一望に見下ろすところまでは二人とも静かだった。そこから道を下りつつ、アルゴは話の流れを誘導してアーランの話にもっていったつもりだったが、要するにアスナのほうもそのあたりを訊きたかったらしいと気付く。ただ、情報屋を相手にするには悪い意味でも少し素朴すぎた。

 アーランさんて、どんな人なんですか?というアスナのストレートな問いに対し、まずアルゴが最初に説明したのは彼の出していた情報公開許可についてだった。逆に言うと、情報屋に安易に人のことを尋ねてはいけない、という戒めである。アスナの前でアーランがわざわざアルゴと普通の売買のやりとりをしてみせたのも、たぶんその関係だ。普段のようにやりとりすると、それが初見になるアスナがアルゴに甘えるようになるのを危惧したのだろう。あれはあれでバランスシートを思い浮かべながらのやりとりなのである。トールバーナに来てからはだいぶ彼もそのあたりがエレガントになったと思う。キリトに対した時とはまた違う楽しみがあった。

 「人に信用してもらうには、自分を知ってもらないといけないダロ? 特におれっチのような信頼できる情報源からサ。あのにーサンは、たくさんの人に協力してもらう必要があってネ。だから、信用してもらうためにそういう許可がでてタ。さすがに無制限じゃないヨ?」

 そしてこの事実そのものがアーランの人物評の一端でもあった。アスナが理解して神妙に頷いたところで本題に入る。まずはびっくりの最新情報である。

 「実はアーちゃんよりレベル上じゃないカナ? タブン、キー坊と同じくらい」

 「え、それは無いんじゃないですか?」

 驚くどころかばっさり否定するアスナに、アルゴは、にやっと笑った。レイド前はアルゴもそう思っていた。アーランの自己評価通り、レイド参加メンバーの平均よりやや下というところ。ティクルはともかくタスタスはレイド参加はまだ早い位。

 アーランがスタンから異常なほど素早く復帰したことに、ボスに対峙していたアスナやキリトは気付かなかっただろう。《旋車》で誰もがまだ倒れている中、一人だけほとんど無傷がごとく振る舞った異質さにアルゴはぞっとしたものである。もちろん二度目の《旋車》の直前に半狂乱になったタスタスを必死になって抑えつけたティクルは知っていたのだろうけども。アルゴが居たため彼は密談できずに困っていて、彼女も少し席を外そうかと思ったものの、外しても外したと信じてくれそうになかった。隠蔽スキル持ちの欠点である。そうこうしているうちにキリトが止めを刺してしまって、ようやくタスタスも落ち着いたのだったが。その後、こちらに連絡を寄越すでもなくアーランがアスナをナンパしにいった時、タスタスがボス部屋に飛び込んでいったのはさすがにティクルも止めなかった。

 (なんて言うかサ。にーサンも存分に叱られてしまえば良いと思うヨ?)

 あのタイミングでスタンから復帰するための条件を考えるに、彼の VIT は異様に高い。明らかに STR に振られている分と合わせるだけでもアスナとレベルが並ぶだろう。さっぱり強く見えないのは彼が武器スキルを剣とメイスに割っているということもあるのだが。

 「AGI(速度) に振ってるプレイヤーってのは見ればすぐ分かるヨネ? STR(筋力) に振ってるプレイヤーってのも見れば分かる。だいたい主力はこのどっちかになる。DEX(器用さ) に振ってるプレイヤーってのは、まあ、じっくり見ないと分かんないケド。でも VIT(生命力) に振るプレイヤーってのは見てもまず分からない。AGI、STR、DEX を引いた残りで見るしかない。だからそういうプレイヤーはぱっと見にはステータスが凄く低く見えル」

 あくまでも一般論であって、彼についての情報ではない。そこからアスナが何を読みとるかは彼女の自由である、とアルゴは思う。情報公開許可が取り消(クローズ)されているので、ちゃんと話すにはアスナがアーランの情報を欲したことを彼に伝えなければならない。

 ともかく、アスナはアーラン達が次のボスレイドに出てこないという話を聞いて失望したはずなのだ。彼女は途中まで次のレイドが彼ら三人のパーティのデビュー戦となることを疑っておらず、パーティに入れてくれとオファーする寸前だった。慌ててアルゴは彼らが当面休む話を割り込ませた。このほうがまだ傷は浅いだろう。彼女の顔色が変わったことはタスタスにも伝わっていて、別れ際に感謝されている。

 アルゴはアスナを見た。

 将来の超級プレイヤーだとしても、まだまだ素人で危なっかしい。キリトがあずかるのなら理想的だと思っていたが、彼が彼女をふるとは思わなかった。アーラン達には後ろに沈むのでなく是非とも前に出ていただいて当面の保護者をやってほしいと思うのである。多少の思考誘導くらいは許して欲しいものであった。

 少し考え込んでいたアスナが顔を上げた。

 「途中で休むのはデメリットが大きいと思います。追い付けるものなんですか?」

 ボスレイドって人数多いからね、とアルゴは言った。ドロップ総量は多いし、トップの取り分も大きいから目立つが、平均で言うならフィールドで頑張ってもそれほど遜色はない。ラストアタックボーナスを狙ったり、攻撃量を多くして取り分を多くしてみたりするつもりがないなら、つまり目立つつもりがないなら、出ないというのも選択肢の一つではあった。

 「それでも大変かもだけどネ」

 「アルゴさんはあの人達を認めてるんですね?」

 アルゴの言葉に彼らへの非難がないことにようやく気付いたのか、そんなことをアスナが訊いた。アルゴは頷いた。しめた、と思ったがもちろん顔には出さない。

 「ウン。どういう予定でどうするつもりなのか聞いた時は三十分くらいあのにーサンの独演会だったから、立ち話じゃちょっとね。興味があるなら直接訊いたほうが良いと思うヨ」

 

 第二層のボスは攻撃力はそれほどないが、状態異常攻撃を混ぜてくる。ベータ時代は装備を固めるための層だった。アーランにとっては、ほとんど投資せずにボス攻略に参加できる階層になるはずであり、彼のレベル・力量が正直に現れる相手でもある。翻意まではいかなくても、アスナに引きずられてレイドに参加する、というものがアルゴにとっての最良の結果だった。

 引っ張りだせずにアスナがソロで参加して、こちらはまず間違いなく参加するであろうキリトと再会したあげくコンビを組むようになるのでもかまわないが。

 




第一層でのアスナが(上層時に比べ)背中をまるめ気味なのはアニメ描写準拠だが、アスナの歩き方はアニメOPには準拠してない。
普段の歩き方が綺麗なやつとアレなやつを描き分けたアニメって見たことないからまあいいかと。


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