名探偵コナン×ペルソナ5 (PrimeBlue)
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FILE.1 再投獄

 

「イゴールめ……戯言では、なかったか……」

 

 

 渋谷を中心に世界中を騒がせた心の怪盗団"ザ・ファントム"。

 ペルソナという人間の持つ可能性の力。理不尽な世に対する反逆の意思によって覚醒した、困難に立ち向かうための人格の鎧であり、もう一人の自分。

 その力を駆使して人々の認知世界を巡り、歪んだ心を盗む。そうやって彼ら怪盗団は腐った大人達を改心(・・)させていった。自分達のように苦しむ人々の助けとなるべく、それが正義だと信じて。

 

 しかし、そんな彼らの最大の敵となったのは、手を差し伸べた相手である大衆そのものであった。

 

 大衆の圧倒的支持を得て総理大臣目前であった野党議員、獅童正義。人々の暴走や廃人化が相次いで事件となっていたが、獅童こそがその黒幕であると突き止めた怪盗団。

 獅童を改心させ、その罪を自白したことで彼を支持する大衆も目を覚ますと信じて疑わなかった。

 

 だが、何も変わらなかった。

 獅童のようなカリスマ性を持つ人物が他におらず、他力本願な大衆は相も変わらず獅童を支持し、果ては自分には関係ないと吐き捨てた。

 

 事態に焦った怪盗団は大衆の認知を具現化させた世界(パレス)"メメントス"に潜る。そして、悪神"ヤルダバオト"の存在を知った。

 大衆の持つ怠惰や被支配願望といった集合的無意識から生まれた悪神。全て、彼が用意した勝ち目の無いゲームであったのだ。

 

 悪神は大衆の負の願望を叶えるべく認知を現実に侵食させ、世界の破滅を目論んでいた。その存在を討つため、彼らは奮闘した。

 だが、奮闘空しく怪盗団は敗れてしまう。十にも満たない人数の怪盗団では、億まで及ぶ大衆による保護を破ることができなかったのだ。

 

 悪神に敗れた怪盗団は人々から忘れられ、認知上からも消し去られる。

 それは、認知が現実に侵食した世界での消滅――死を意味していた。

 

 精神と物質の狭間に存在するベルベットルームの住人の力を借りることで消滅を逃れた怪盗団は、悪神を打倒すべく再び現実世界へと戻る。

 そして、怪盗団の協力者達や、怪盗団に救われた者達。彼らの声援により、その者達の宿す希望が大衆に浸透していく。怪盗団は真の意味で現実世界に復活したのだ。

 

 

 大衆の声援を背に、その希望の力で生み出したペルソナが放った弾丸が、悪神を撃ち抜いた。

 

 

 

◆◇◆◇◆◇◆◇

 

 

 

「ここも正解だな……なんだ、大体出来てるじゃないか」

 

 もう一つの故郷となった渋谷を離れ、地元へと戻ってきた怪盗団のリーダー、来栖暁。

 

 見事悪神を討ち倒し、歪みの大元であるメメントスを消滅させた怪盗団。

 人の認知が現実に侵食した世界は復元された。悪神の支配から解放された人々が、ほんの少しでも希望に目を向ける世界へと。

 

 それと同時に、活動を行えなくなった怪盗団は解散となった。

 

 リーダーである暁は他の仲間に捜査の手が行き渡らないよう自ら警察へ出頭し、少年院に収容された。

 だが、それも一年前のこと。仲間達や協力者達の働きかけによって無事に出所がかない、こうして地元に戻ってきている。公安にマークされてはいるが、自由を手にした暁達にとってそんなことが悩みの種に入ることはなかった。

 

 仲間達からは最後まで本当に戻るのかと聞かれたが、両親とも一年間ろくに連絡を取れていなかったし、何より一つの区切りとして一度戻っておきたいというのが暁の意見であった。

 もちろん普段仲間に会えなくなってしまうのは寂しいが、休みの日などには十分遊びに行ける距離だ。

 それに、離れているからといって簡単に疎遠になってしまうほど、仲間達との絆は薄いわけではない。

 怪盗団として、あれだけのことを共に活動してきたのだから。

 

「さすがはアキラだ。まあ、ワガハイの弟子なのだからこれくらいは当然だな」

 

 そう言って、暁を賞賛する声。その声の主はどう見ても人間ではなく黒猫である。

 名前はモルガナ。先の戦いで、ベルベットルームの主が暁というトリックスターを導くために生み出した存在だ。 

 

 あれから一年の時が過ぎた一月。培ってきた知識でセンター試験を終えてきた暁。

 十分な手応えを感じていたので、自己採点でそれに間違いがなかったことに満足する。モルガナの賞賛にも、余裕だったと答えて頷く。後は願書を出して受験の日を待つのみだ。

 

 東京の大学を受験することを決めている暁は、大学への進学に伴って再び東京へと移り住むつもりである。以前お世話になった四軒茶屋にある喫茶店ルブランにまた居候する予定だ。

 暁が一時期東京に移り住んでいた理由は、冤罪によって保護観察処分となってしまったからだ。そんな暁を引き取って保護司を担当してくれたのが、喫茶店のマスターである佐倉惣治郎である。

 

 最初は無愛想で印象はお世辞にも良いとは言えなかったが、一年間の内に色々な出来事を経てきた。今では、彼の娘で怪盗団の仲間でもある佐倉双葉を含めて、家族同然の仲となっている。

 惣治郎が経営するその喫茶店の屋根裏で、保護観察中の一年を過ごしてきた暁。広くはあるもひどく埃っぽい部屋であったが、住めば都。惣治郎は家の方に招くと言っていたが、暁は再びあの屋根裏を借りるつもりである。何だかんだで、あそこでの生活を気に入っているのだ。

 

 自己採点を終え、チャットアプリを起動する。暁のセンター試験の結果に、元怪盗団の仲間達が一喜一憂している様子が画面に映る。暁以外の同学年の者達は進路的にセンター試験の成績が関わるわけではないため、そもそも受けてすらいない。

 

 とある事件でスポーツ推薦という道を潰されてしまった坂本竜司は、スポーツインストラクターとなるべく体育系の専門コースがある私立大学を。

 プロのファッションモデルを目指している高巻杏は、その夢の実現の助けとなる知識と教養を得られる専門学校を。

 若手の芸術家として名が売れ出している喜多川祐介は、指定校推薦により芸術系大学への入学が確定しているも同然だ。

 

 暁が受験する予定の大学には、一年先輩である新島真と奥村春が在学している。暁の普段の成績から特に問題はないと思っていたようだが、実際に試験結果を聞いて安堵している様子だ。

 対して、双葉は去年から高校に通い始めた身で、今年の四月から高校三年生となる。それまでは、所謂引き篭もりであった。とはいえ、母譲りの天才的な頭脳を持つ彼女であれば、仮にどこかの大学を受験することになったとしても大して問題になりはしないだろう。対人コミュニケーションに難はあるだろうが。

 

 アプリを閉じ、伸びと同時に欠伸をする暁。

 夜に自己採点を始めて、時刻は既に23時を過ぎている。マークシート方式とはいえ、問題数が問題数なので思ったよりも時間がかかってしまったようだ。

 

「すっかり夜も更けちまったな。明日は久しぶりに東京へ行くんだし、今日のところはもう寝ようぜ」

 

 モルガナの言葉に頷いて照明を消し、屋根裏の寝床とは違って柔らかいベッドに潜り込む。

 明日は仲間達と久しぶりに会う予定となっている。受験を控えているとはいえ、息抜きも必要だ。

 早朝の東京行きのバスに乗る予定である暁は、寝過ごすことがないようスマホのアラームを確認して目を閉じた。

 

 

 

 

 

 

 寝入ってからしばらくして、暁は唐突に目を覚ました。

 目の前の群青色の装飾に彩られた空間を見て、目覚めたのは現実でなく夢の中であることを理解する。

 

 ここは、ベルベットルーム。夢と現実、精神と物質の狭間。

 かれこれ一年、最後の戦いから訪れなくなって久しい場所だ。もう二度と訪れることは無いだろうとすら思っていた。

 監獄を模した様相をしているが、円周上に並べられた牢獄は全て開け放たれている。

 

「ようこそ……我がベルベットルームへ」

 

 声のした方を見ると、見慣れた長い鼻の奇怪な老人が椅子に座り、両肘を机に突いていた。

 彼の名はイゴール。このベルベットルームの主だ。ここで彼の力を借りて、ペルソナの強化や新たなペルソナを生み出すなどのことを行ってきた。

 最も、暁とやり取りしていたイゴールは悪神が化けていた偽者であったのだが。今相対しているのは悪神から解放された本物である。

 

「お久しぶりでございますな。お変わりないようで、私としてもお客人として貴方様を迎えることが出来たことを大変嬉しく思っております」

 

 見た目に反して高い声で、そう歓迎するイゴール。

 以前は偽者によって囚人としてこのベルベットルームに投獄されていた暁としても、再びあのような扱いを受けるのは御免被りたい。

 しかし、なぜ自分は今になってまたベルベットルームに迎えられたのだろうか?

 

「……貴方様に一つ、依頼したいことがございます。それが、今回貴方様をベルベットルームにお迎えした理由です」

 

 依頼? 暁は首を傾げた。

 課題であれば彼の従者から色々と出されたことはあるが、依頼としての形は初めてである。

 

「貴方にしか頼めないことなのです。マイトリックスター」

 

 イゴールの陰から現れたプラチナブロンドの長髪の少女。暁のことをマイトリックスターと呼ぶ彼女の名はラヴェンツァ。

 悪神によってベルベットルームが乗っ取られていた際は、彼によって二つに裂かれ、ジュスティーヌとカロリーヌという双子に成り代わっていた。イゴールに扮した悪神に従っていたが、暁によって本来の記憶と身体を取り戻し、悪神討伐の助けとなってくれた。

 

 暁はベルベットルームにこそ訪れていなかったが、彼女自身は暁の部屋に扉を作って度々彼の元を訪れていた。その度に現実世界の本屋や映画などに連れて行ったりしたものだ。

 その時の彼女はうきうきしているのを顔に出さないように努めているのが丸分かりであった。そんな彼女が真面目な顔で話を切り出そうとしているのを見て、暁は少し噴き出しそうになるが、得意のポーカーフェイスで何とか凌いだ。

 それに気付いていない様子のラヴェンツァが説明を始める。

 

「……実は、現実世界を再び歪みが蝕み始めたのです」

 

 彼女の言葉に、暢気なことを考えていた暁は驚きに目を開く。

 平和ボケしていた自身を叱咤して、ラヴェンツァに詳しい説明を求めた。

 

「歪みが生まれた場所の名は東京に存在する"米花町"。その場所を中心に、歪みが徐々に広がり始めているのです」

 

 米花町。東京都にあるという話だが、暁には全く記憶にない地名であった。

 東京中を全て網羅したというわけではないが、聞いたこともないとなると余程小さい町なのだろうか?

 

「このまま放っておけば、確実に世界は破滅への道を辿ることとなるでしょう。大衆の集合的無意識から生み出されたメメントスが無くなったとはいえ、人々の認知や負の感情自体が消えたわけではありません。歪みは次元を狂わせ、認知上の存在が現実にその姿を現し始めます」

 

 認知世界にはメメントスの他に、人の負の感情そのものであるシャドウという化物が存在する。それらが現実に現われれば、確実に宿主を襲うこととなるだろう。

 何とかしなければならない。依頼というのは、その歪みをどうにかすることだろうか?

 

「さすがはマイトリックスター、その通りです。とはいえ、我々も独自で調査を進めておりますが、主も悪神に負わされた傷が完全に癒えておりません。ですので、極めて情報が少ない状態なのです。先ずは、現実世界の方から歪みの調査を始めていただければと」

 

 暁は頷いた。丁度、明日は東京を訪れる予定だ。仲間達にも相談して、早速調査に取り掛かろう。

 

「先の戦いで尽力され、我々をも救っていただいた貴方様に再び助力を求めるのは私としても心苦しい。しかし、そうせざるをえないのでございます……」

 

 皿のように見開かれた目を伏せるイゴールに、暁は気にする必要は無いと返した。

 自分達の未来に関わることだ。わざわざ依頼という形でなくとも、協力するつもりである。

 

「そう言ってくださると思っておりました……心配めさるな、我々もできる限り助力いたします。貴方様ならば、きっとやり遂げるでしょう……」

 

 イゴールがそう言い終えると、暁の意識が朧げになり始める。

 最中、ラヴェンツァの口元が動き、何やら呟いているのが聞こえた。

 

 

「……しも……すぐに……ちらに……ります……」

 

 

 それを聞き取ろうとしている内に、暁の意識は完全に闇に落ちていった。

 

 

 

◆◇◆◇◆◇◆◇

 

 

 

 翌日、暁はスマホのアラーム音で目を覚ました。

 同じように目を覚まして欠伸をしているモルガナを布団の上から退かし、冬の凍える寒さに耐えながら部屋の照明を付ける。

 まだ5時前、カーテンの隙間から覗く外はまだ暗い。6時発のバスに乗って東京へと向かうのだから、仕方がない。

 寝巻きから着替えて身支度を整えていると、ベルベットルームで聞かされた話が頭を過ぎる。息抜きに仲間達に会うはずであったというのに、とんだ爆弾が潜んでいたものである。できれば、不発弾であって欲しいところだが、そう都合の良い話になりそうもない。

 

 ふと思い立って、スマホのマップアプリを起動する。ラヴェンツァの言っていた米花町が本当に存在するのか、確かめるためだ。

 案の定、東京にそんな町はどこにも見当たらなかった。だが、彼女が間違いを教えたとも思えない。

 まさか、認知世界上に存在する架空の町なのだろうか? 今までのケースからいって、その可能性は捨て切れない。

 

「ん、どうした? もう準備は出来たんだろう? 呆けてたらバスに乗り遅れるぞ」

 

 物思いに耽っていると、既にショルダーバックの中に入ってスタンバイしているモルガナに急かされる。

 歪みのことについてはバスの中で伝えようと決めた暁は、モルガナの入ったバックを肩に掛けて、忘れ物がないことを確認してから部屋を出た。

 両親には今日東京へ行くことは既に伝えている。まだ寝ているであろう彼らの部屋へ向けて、心の中で行ってきますと声を掛け、東京行きのバスに乗るべく駅へと向かった。

 

 

 

 

 

 

「むぅ……しかし、なぜ主とラヴェンツァ殿はワガハイもベルベットルームに招かなかったんだ? ワガハイも主に生み出された存在であるというのに」

 

 バスの中でモルガナにベルベットルームで伝えられたことについて話すと、モルガナは事態の深刻さに唸った。それと同時に、ベルベットルームに招かれなかったことに不満を漏らす。

 確かにこうして説明する手間もできてしまうのだから、モルガナも一緒に招いて欲しかったものである。どうして暁だけを招いたのだろうか?

 

「まあ、それはともかくとして、その歪みの原因を調査しなければならないな。普通ならば人間達の無意識が原因のはずだが、たった一年で歪みが再発生するなんて……ワガハイとしても信じたくない。別の原因が存在するというケースも視野に入れるべきだとワガハイは思う」

 

 モルガナの言葉に、暁は頷く。

 世界は怪盗団によって倒された悪神からの干渉が消え、支配から解放された人々は自らが主体性を持って生きる世界へと再構成された。文字通り、世界を頂戴したのだ。

 だが、人間の認知で構成される世界というものは本当に歪みやすい存在でもある。だからこそ、悪神を倒すことで世界を復元することができたのだ。

 悪神という存在を再び生むことも、それ以外の外部の存在によって歪みが作り出される可能性も十分ありえる。

 

 そうこうしている内に、バスは東京都内に入った。

 暁はポケットから取り出したスマホを起動させて、マップで現在位置を確認してみる。

 

 しかし、画面に映るマップに対して、暁は奇妙な違和感を覚えた。駅などは、目立つようにその名前が他と違う色でポップアップされているものである。その名前が、おかしいのだ。

 

 品川駅が、川品駅に書き換えられている。

 

 マップアプリのバグだろうか? はたまた、双葉のようなコンピューター技術に長けた者による悪戯か?

 だが、マップアプリは多くの人が利用するアプリだ。こんな現象ならば、他の者も気付いて既に話題になっているはずである。暁はそう思ってSNSアプリを開いてみたが、どうしたことかマップアプリの駅名がおかしいといった呟きは全く見当たらなかった。

 

 自分の見間違いだろうかと、再びマップアプリを起動してみる。そこで、暁は一つの地名に目を引き寄せられた。

 

 

 ――米花町

 

 

 家から出発する前に確認した時には見当たらなかった地名が、暁の目の前でその存在を自己主張している。

 一体どういうことだ? 奇妙な現象に、暁の顔から汗が滲み出る。

 

「アキラ、そろそろ新宿に着くみたいだぜ」

 

 混乱している暁を余所に、モルガナがアナウンスを聞いてそう伝えてくる。

 それを聞いた暁は、四軒茶屋への道順を確認すべくマップアプリでルート検索を行う。

 

 しかし、四軒茶屋が見つからない。調べてみると、四軒茶屋に当たる場所は三軒茶屋(・・・・)という地名に書き換えられていた。よくよく見てみれば、山手線も東都環状線という名前に変わっている。

 

 そういえば、今日は仲間からの連絡が一つも来ていない。いつもならば、竜司あたりがそろそろ着いたか? などとチャットアプリで連絡を寄越してくるはずだ。

 嫌な予感が過ぎった暁は、そのチャットアプリを起動してみた。

 

 

 

 ――アプリには、フレンドが一人も登録されていなかった。

 

 

 

 ここは、この世界は……自分のいた世界ではない。

 

 それに気付いた暁は、ただただ呆然とするしかなかった。

 自分の置かれた状況が信じられず、目的地に到着したというアナウンスにも、どうしたと問いかけながら肉球を押し付けてくるモルガナにも反応できなかった。

 

 

 元の世界によく似ているがどこか違う世界に、暁は閉じ込めれらてしまったのだ。

 

 




見切り発車な上、筆者多忙のため、続くかどうかについては期待しない方向でお願いいたします。




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FILE.2 知らぬ間の罪状

 今いる場所が、元いた世界とは別の世界であることに気付いた暁。

 呆然とするしかなかった彼は、バスの運転手に声を掛けられてようやく新宿の地へと下りた。

 

「しかし、本当なのか? 別の世界だなんて……」

 

 事情を聞いたモルガナもにわかには信じ難いという表情をしている。

 暁とて、これがスマホ自体のバグで全て自分の勘違いであって欲しいと思っている。しかし、脳裏を巡る不吉な予感が、以前冤罪を掛けられた時のような絶望感が、それは間違いであると伝えてくるのだ。

 

「アン殿達とも連絡が取れないとなると……これからどうする? ゴシュジンの連絡先も無くなってるんだろう?」

 

 念のため連絡帳も確認してみたが、やはり仲間達やルブランのマスターである惣治郎の連絡先が軒並み削除されていた。

 あるのは、両親の連絡先と"妃英理"という見慣れぬ名前の連絡先だけ。一応両親の方には掛けてみたが、一向に繋がる気配がなかった。

 

 色々とやっている内に、新宿に着いてから三十分も時間が過ぎてしまった。何時までもバス停にいる訳にもいかないだろう。

 ひとまず、暁は喫茶店ルブランがあるであろう四軒茶屋――改め、三軒茶屋へと向かうことにした。

 

 

 

◆◇◆◇◆◇◆◇

 

 

 

 東都環状線という山手線を名前だけ変えた路線で渋谷へ行き、そこで銀座線――微妙に漢字が違っていた――に乗り換えて三軒茶屋へと向かった。

 

「ここ、ルブランのあった場所で、合ってるよな……?」

 

 久しくも通い慣れた道順を辿って着いた場所には……ルブランは、暁にとってのもう一つの家は、存在しなかった。

 ルブランがあった場所には、喫茶店どころか全く別の……理髪店が営まれていた。玄関にはさも昔からありましたと言わんばかりに古びたサインポールが設置されている。

 

「ゴシュジン、喫茶店やめて散髪屋始めたなんて……そんなわけないよな? じゃあ、本当にこの世界は……」

 

 モルガナと同様に、顔を曇らせ俯く暁。

 しかし、すぐに顔を上げて来た道を戻り、別の路地へと向かっていく。

 

 向かう先は……佐倉家だ。

 

 

 

 

「おお! ゴシュジンの家はそのままだな! 双葉の奴もいるんじゃないか!?」

 

 佐倉家の方は特に変わりなく、モルガナの言う通りそのままであった。

 双葉の部屋の窓に目を向けるが、カーテンが閉まっている。まあ、元々彼女はカーテンを開けていることはほとんどない。誰もいないから閉まっている……なんてことは、ないはずだ。

 期待に胸を膨らませて、暁は玄関のチャイムを鳴らした。

 

 …………しかし、誰も出ない。

 虚しくチャイムの音が鳴り響くだけであった。

 

 どこかに出掛けているのだろうか?

 惣治郎はともかく、双葉が出掛けているというのは考えづらい。以前よりも外出するようになってはいるが、学校などを除けば基本的には家にいるはずなのだ。

 

 諦め切れず、駄目元で何度もチャイムを鳴らす暁。

 しばらくチャイムを鳴らし続けていると、ドタドタという階段を下りるような音が聞こえてきた。双葉か? と思ったと同時に、横開きの玄関扉が物凄い勢いで乱暴に開け放たれる。

 

「うるっせぇんだよっっ!! ぶッ殺されてぇのかテメェッ!!?」

 

 出てきたのは見慣れた眼鏡を掛けた小柄な少女ではなく、不衛生な見た目をした無精髭の目立つ痩せた男。

 暁は予想外のことに目を丸くし、モルガナも尻尾を伸ばして驚いている。

 もちろん、暁はこんな男は知らない。以前問題になった双葉の親戚とも違うし、また別の親戚だろうか?

 

 一言謝り、念のため佐倉という人を知らないかと聞いてみる。

 

「ああッ!? んな男知らねぇよ! 分かったらさっさと出てけクソガキ!」

 

 続けて質問する暇さえ与えず、男は力任せにピシャリと扉を閉めてしまった。

 昔の漫画で扉がひん曲がるような表現がよくされていたが、それを思い浮かべてしまうほどの乱暴さである。

 

「お、驚いて侵入することも忘れちまってたが……あの様子じゃ、ゴシュジンや双葉はいそうもないな……」

 

 溜息を吐いて項垂れるモルガナ。

 玄関から離れて路地に出ると、門札が目に入る。そこには、佐倉ではなく全く別の苗字が書かれていた。

 家は同じでも、住んでる人間は違っていたようだ。

 

 

 

 

 

 

 しばらく途方に暮れていた暁であったが、モルガナに勧められて、ひとまず歪みを生み出したという米花町に向かうことにした。

 胸ポケットから取り出したファッショングラスを掛け、経路を調べるためにスマホを手に取るが、そこでメモウィジェットに見慣れない住所が記入されているのを見つけた。

 どうやら、それは米花町にある住所のようだ。

 

「何でそんな知りもしない住所がお前のスマホに書かれてるのかは分からないが……他に当てもないし、そこへ行ってみようぜ」

 

 暁がモルガナの言葉に同意してまもなく、電車のアナウンスが米花駅に到着したことを知らせる。

 

 降りてすぐに、マップアプリを使って件の住所へと向かう暁。

 どうやら駅前の商店街に当たる住所だったらしく、さして時間もかからずにその場所へと到着する。

 

 三階立ての雑居ビル。目的地であるその一階には、喫茶店が営まれていた。

 

「ここか……ゴシュジンの店と違って、なかなか小奇麗な所じゃないか。ワガハイ気に入ったぞ」

 

 ポアロという名前のその喫茶店は、路地にあるルブランとは違って表通りに面しており、若者でも気軽に入れそうな印象を受ける店であった。

 その二階に目を向けると、窓に貼られた文字からして探偵事務所が構えられているのが分かる。

 

 探偵という文字が目に入って、暁の脳裏に"彼"のことが思い浮かぶ。

 が、今はそれどころではない。頭を振って余計な思考を払い、目の前の喫茶店に入るべきか逡巡する。

 

 結局、入らなければスマホに書かれたメモと何の関係があるのか分からない。暁はファッショングラスを指で直す仕草で気持ちを落ち着かせ、ポアロの扉のドアベルを鳴らした。

 ノブに手をやりながら、店内を見回す。お客はそこそこ入っているようで、ルブランのようにいつ潰れるか分からないという不安に駆られる心配はなさそうである。

 こちらは商店街の小休憩所で、ルブランは隠れた名店といったところだろうか。

 

「いらっしゃいま……あれ?」

 

 入ってすぐ、ウェイトレスの女性が応対しに来たが、何やら様子がおかしい。

 最初は客に対しての挨拶であったが、暁の容貌を見た女性は少し驚いたような素振りをした後、小さく溜息を吐いた。

 

「遅刻するならそう連絡してくれないと……あ、もしかしてポアロの電話番号知らなかった?」

 

 何故か少しぎこちない表情でそう言うウェイトレスの女性。

 何の話か分からない暁がどう答えたものかと思っていると、後ろから暁に続く形でお客が入ってきた。

 

「ああっと! いらっしゃいませ! ほら、君もエプロン着てきて! 奥のスタッフルームに用意してあるから!」

 

 後から入ったお客の対応に追われる女性は、どういうわけか同様にお客であるはずの暁の背中を押して奥にある扉へと誘導した。

 言っていることからして、ここで従業員として働けということだろうが、今日始めて知ったこの喫茶店のバイトを志望した覚えなどもちろんない。

 

「よく分かんねぇが、お客がどんどん入ってきてるぞ。ここは手伝った方がいいんじゃないか?」

 

 モルガナに言われて見ると、一人二人とどんどんお客が増えてきている。

 そういえば、そろそろお昼時。見たところ、従業員はウェイトレスの女性一人のようである。このお客の数を一人で捌くのは無理とは言わないが、少々骨が折れそうだ。

 

 暁は奥の扉からスタッフルームらしき部屋へと向かい、用意されていたエプロンを身に着けた。

 喫茶店の仕事は慣れたものだ。ルブランで散々扱き使われたのだから。大勢のお客に対しての対応も、牛丼屋のバイトで経験済みだ。ただ、久しぶりなので少々腕が落ちているかもしれないし、それを確かめるのにも丁度良いだろう。

 

 

 

◆◇◆◇◆◇◆◇

 

 

 

 しばらくすると、お客も疎らになってきた。

 最後のお客が退店したのを見届けてから、暁達も小休憩に入る。お昼時が過ぎたら、夕方頃になるまで大体空いてくるのだそうだ。

 

「お疲れ様~。それにしても、手際がすごく良くてびっくりした! コーヒーも入れられるみたいだし、喫茶店のバイト経験があるの?」

 

 最初のぎこちなさもどこへやら、やや興奮気味のウェイトレスの女性に暁の仕事ぶりが高く評価される。久しぶりであったが、腕は落ちていなかったようだ。

 

「……まあ、ゴシュジンにはまだまだって言われてるけどな」

 

 カウンター脇に置いてある鞄の中でモルガナが呟く。

 そんなモルガナを鞄の外から小突きつつ、女性の質問に以前喫茶店の手伝いをしていたことがあると暁は答えた。

 

「なるほど。それなら問題なさそうだね」

 

 そう言うと、女性は外に出て玄関に掛けられた営業中の札を引っ繰り返してくる。

 

「よし、と。それじゃあ、ちょっとついてきて」

 

 戻ってくるなり、暁を奥の扉から倉庫へと案内する女性。この倉庫からシャワー室や先ほどの更衣室兼スタッフルームといった部屋へと繋がっているのだ。

 女性が急に座り込んだのでどうしたのかと思っていると、そこに古ぼけた床下扉があるのが目に入った。

 その扉が開かれると、人一人住むには十分な広さのスペースが備えられていた。簡単な掃除はしてあるらしく、古くはあるが使用するには申し分ないソファなどの家具が置かれている。隅には、比較的新しいパイプベッドがあるのが見えた。

 

 しかし、この地下室がどうかしたのだろうか?

 

 

「ええっと……ここが今日から君が住む部屋なの」

 

 

 …………は?

 女性の言葉が理解できず、思わず暁は聞き返してしまう。

 

「……ごめんね? 他に人が住めるような部屋がなくて……私もマスターに無理だって言ったんだけど……」

 

 一体全体何の話かと混乱していると、客が来たことを知らせるドアベルの音が聞こえてくる。

 

「あ、多分"先生"よ」

 

 そう女性が口にするのを聞いて、一瞬メイド服の女性を思い浮かべてしまったが、違うだろう。その先生とやらに心当たりはないが、一旦話を中断して店内に戻る。

 

 そこには眼鏡を掛けた茶髪の女性がいた。見た人全員が美人だと答えそうなほど整ったルックスをしている。

 彼女は暁の顔を見ると、少しほっとしたような顔をして話しかけてくる。

 

「連絡が無かったから少し心配してたのだけど、どうやら無事に着いていたみたいね」

「妃先生、彼すごいんですよ! 喫茶店のバイト経験があるみたいで、コーヒー淹れるのなんて私より上手なんですから!」

 

 興奮気味に話すウェイトレスの女性をよそに、暁は驚きに目を見開く。

 妃? 妃といえば、暁のスマホの連絡先として登録されていた見慣れない名前の苗字も、妃であった。まさか、彼女が妃英理なのだろうか?

 

 少し動揺している暁を見て、妃先生と呼ばれた女性は心配そうな顔をして近づいてきた。

 

「大丈夫? どこか具合でも悪いのかしら?」

 

 それに対して、暁は苦笑いを浮かべながら大丈夫と答える。

 どうやら、彼女は暁のことを以前から知っているようだ。もちろん、暁からしたら初対面。話したこともなければ、会った覚えさえない。

 

 純粋に心配してくれていることに申し訳なさを感じつつも、女性に対して"妃英理さんですか?"と尋ねてみる。

 

「? ……ああ、あの時はずっと心ここにあらずって感じだったものね。大変だったもの……顔を覚えてなくてもしょうがないわね」

 

 女性はそう言うと、優しい手付きで暁の肩に手を添えて、励ますように答えた。

 

「そう。私が妃英理。あの事件で、貴方の弁護を担当した弁護士よ」

 

 

 

◆◇◆◇◆◇◆◇

 

 

 

 それから、現状を振り返るという名目で、暁の身の上話が始まった。

 

 なんと、暁は一ヶ月ほど前まで、実の両親を殺害・家宅を放火した容疑で身柄を拘束されていたというのだ。

 そして、つい最近裁判が開かれたが、証拠不十分で無罪となり釈放されたらしい。いわゆる灰色無罪だが、暁の弁護を担当した妃先生が相当やり手だったようである。

 

 話を聞いた暁は呆けてしまい、妃先生の話を他人事のように聞いていた。

 裁判に殺人事件の被告人として出席したことなどないし、両親だって殺されていない。昨日一緒に夕飯を食べた記憶だってあるし、その家から今朝バスに乗って東京に来たのだ。全く見に覚えのないことなのだから、他人事にしか聞こえないのは至極当然のことである。

 

 そこまで来て、暁は自分が別の世界に迷い込んでいるということを思い出す。

 そういえば、東京に着いてから何度か両親に連絡しているが、一向に電話に出る気配がなかった。とうの昔に起きている時間であるはずなのにだ。

 

 

 まさか、この世界では自分の両親は妃先生の言った通り、本当に殺害されてしまったということなのだろうか? 何者かの手によって。

 

 

 駄目だ。頭の中を悪い思考ばかり巡っている。

 

 両親がもうこの世におらず、しかも殺したのは自分であると疑われていたなど、いきなり言われてもすぐには受け入れられない。別の世界のことだと分かっていてもだ。

 

 ふと視線をずらすと、モルガナが鞄から心配げに暁を見ているのが目に入る。

 それを見た暁は取り乱しそうになるのを必死に抑え、落ち着けと自分に言い聞かせた。

 

「ごめんなさい。貴方にとって辛い話でしかないけど、自分の立場はしっかりと理解していないといけないから……話を続けるけど、弁護を担当した私がそのまま貴方の後見人になったの。でも、暁君の家は無くなってしまったから……私のマンションに住まわせるってわけにもいかないし、困ってたところでポアロのマスターが住み込みで働かないかって提案してくれたのよ」

 

 なんでも、ここ喫茶店ポアロのマスターは暁の両親とは学生時代からの知り合いで、両親のことや暁の身の上を知り、従業員として働くことを条件に例の地下室を住居として提供してくれたらしい。

 殺風景で日の光も当たらない地下室だが、聞くところによるとニュースでは大々的に暁が犯人という扱いで事件についての情報が報じられていたようである。そんな中、ただでさえ疑わしい目で見られている状況で住居を提供してくれただけでも非常に有難いことだ。屋根裏から地下室へグレードダウンしたのかアップしたのかは分からないが、暁にとっては寝泊りできれば十分である。

 

 マスターにお礼を言いたいのだが、肝心の本人はどこにいるのだろうか?

 

「あ、実はマスターはその、事故で大怪我しちゃって……今入院中なの。命には別状はないんだけど、完全に治るまで数ヶ月はかかるみたい」

 

 ウェイトレスの女性――榎本梓が気まずそうな顔でそう答えた。

 詳しく聞いてみると、商店街の飲み仲間と飲んできた帰りに暴走車に轢かれてしまったとか。暁を受け入れたのは、代わりの人手が欲しかったからというのもあるようだ。

 しかし、命に別状はないとはいえ、心配だ。

 

「大丈夫よ。包帯だらけだったけど、元気そうにしてたし……暁君、優しいんだ。噂とは真逆ね」

 

 梓が申し訳なさそうに口にする。

 噂……やはり、ネットを介して色々と好き勝手言われていたようだ。そう、あの時(・・・)と同じように。

 

 しかし、現状はさらに厳しい。以前は傷害罪であったが、今回は殺人罪に放火罪である。しかも、殺害相手は実の両親ときた。

 もちろん、以前と同じく冤罪であるが、裁判で黒と判決が出ていれば、保護観察なんて生易しい処分とはいかなかっただろう。つくづく、妃弁護士やポアロのマスターには感謝してもし足りない。

 

「噂なんてそんなものよ、梓さん……あら、もうこんな時間。御免なさい、仕事で待ち合わせしているから、そろそろお暇するわね」

 

 そう言って、出されたコーヒーの残りを飲み干す妃弁護士。

 梓によると、妃弁護士は無敗記録を更新中の敏腕弁護士であるらしい。なるほど、忙しいはずである。

 

「それじゃあ、暁君。諸々の手続きは私の方でしておくから、何か困ったことや分からないことがあったら連絡してちょうだい」

 

 カウンター席から立ち上がる妃弁護士に対して、暁は頭を下げて礼を言う。

 会計を終えた彼女は玄関へと向かっていったが、途中思い出したかのように「そうそう」と言って振り返った。

 

「この喫茶店の二階にある探偵事務所だけど、あそこには何があっても近づかないこと。ましてや、依頼なんて絶対にしないのよ。分かったわね?」

 

 妙な凄みを利かせて忠告してくる妃弁護士。

 なぜと聞けそうもない雰囲気に圧倒されつつ、暁は冷や汗を垂らしながらこくこくと頷く。

 それに満足したのか妃弁護士はニコリと笑い、ドアベルを鳴らしてポアロを後にしていった。

 

 なんにせよ、暁本人の預かり知らぬところではあるが、一応の拠点は手に入った。

 

 本来の世界と似てはいるが違う別世界――言うなれば平行世界に入り込んでしまった暁。

 そんな中で一体何をすべきなのかも分からない状態ではあるが、今は空いた時間を利用して地道に歪みについての調査を行うしかない。

 

「ええっと……これからよろしくね。暁君」

 

 はにかんだ笑顔で右手を差し出す梓。

 一瞬ポカンとしてしまったが、気持ちを入れ替えて笑みを作り、暁も右手を差し出して梓と握手を交わした。

 

 焦っても仕方がない。そう、まずはお世話になるポアロでの仕事をよく知ることから始めよう。そして、落ち着いたらマスターのお見舞いに行くのだ。

 

 暁は梓に業務についての指導をお願いしつつ、これからのことに思いを馳せるのだった。

 

 

 

 

 

 

「住み込みで働くってことだが……この店、猫は大丈夫なのか? いや、ワガハイ猫じゃないけどな!」

 

 




とりあえず、本文を書き上げてるものだけ投稿しました。






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FILE.3 死神の魔の手 前編

 喫茶店ポアロの営業時間は7時から20時まで。定休日は水曜。

 

 暁は一応バイトという扱いらしく、働ける時に働いてくれれば大丈夫と梓から言われている。

 梓はバイトだからと渋っていたが、住み込みさせてもらっている手前、信用を得るためにもひとまず最初の定休日まではフルタイムで働くことにした。

 

「モナちゃ~ん! こっちおいで~!」

 

 今対応しているのは買い物帰りであろう子連れのお客達。その子供がモルガナと遊ぼうと手招きしている。モルガナは双葉を相手にしている時のように嫌そうな顔をしつつも、猫のフリをして構われに行った。

 

 モルガナについては梓も猫が好きということもあって、一緒に住むことを許してもらえた。もちろん、マスターからも電話で許可をもらっている。

 最初は店内には出さず、基本地下室で大人しくさせていたが、隠れて暁の様子を見に来たところをお客の子供に見つかってしまったのだ。

 大人と違って、子供は目線が低い。その上、ルブランでは子供がお客として来ることはほとんど無かった。そこから生まれた油断が、見つかってしまった要因なのだろう。

 

 ただ、モルガナは普通の人間からは非常に賢く見える猫である。

 傍目からはまるで人の言葉を理解しているかのように振舞うので、お客の一人がSNSにその様子を撮影した動画を投稿したらしい。そのせいか巷で少し話題となっており、その日から彼はポアロのマスコット的な存在となりつつあった。

 

「でも、良かった。猫アレルギーのお客さんがいたらどうしようかと思ってたけど、モナちゃんだったら不思議と症状が出ないらしいし」

 

 隣で洗い物をしながら、そう話しかけてくる梓。

 暁もそのことは心配しており、実際前々からポアロを贔屓にしていたお客の中に猫アレルギーの人がいた。

 だが、猫の姿をしているが実質猫ではないモルガナに対してはアレルギーの症状が出ない。そのことが人気に拍車をかけているのだろう。

 

 おかげで、カウンター内で作業をしている暁のことに注目する人間は少ない。

 

 事件当時、ニュースで暁が容疑者として逮捕されたことが流れた途端に、暁の顔写真などの個人情報がSNSに拡散されたらしい。もちろん、未成年なのだから実名は報道されなかったが、同級生などの学校関係者が情報をばら撒いたのだ。

 眼鏡を掛けているため少し見ただけでは分からないだろうが、じっくり見られればそうもいかない。初対面の時の梓がそうだ。

 

 モルガナが目線を集めているのはいいが、猫に興味のないお客相手は例外だ。

 今も、カウンター席の若い男性客がちらちらと暁の顔を盗み見ようとしている。働き始めて四日間。あの客は頻繁にポアロに通い詰めている。店の前の歩道に派手にカスタムしたバイクを止めて。

 注意したいところだが、正体がバレてしまう可能性があることを考えるとそれも難しい。

 

 ……梓には申し訳ないが、少し休憩をさせてもらおう。

 

 子連れのお客達はそろそろ退店するだろうし、そうなればお客はあの男性客と隅の席に座っている帽子とサングラスを着けた女性客だけとなる。

 

「あ、うん。分かった。大丈夫、モナちゃんは私が見ておくから」

 

 ぺこりと頭を下げる暁に梓はそう答えたが、少し困ったような顔で例の男性客にちらりと目線をやっている。

 それに首を傾げながらも、暁は奥の扉からスタッフルームへと移動した。

 

 

 

 

 スタッフルームのテーブルに着き、一息つく暁。

 

 こんな調子で大丈夫なのだろうか。そう一人ごちた後スマホを起動して、SNSを確認してみる。

 今のところは特に情報は流れていないが、喫茶店ポアロが殺人の疑いをかけられた者を雇っているという噂が広がるのも時間の問題かもしれない。

 

 裁判で無罪になったとはいえ、例の事件は未だ犯人が見つかっていないらしい。

 なぜ暁が逮捕されたのかというと、現場から逃げるように走り去るところを近所の人間に目撃されたのだという。もちろん暁はそんなことしていないが、他に怪しい人間が目撃されていないのであれば、疑いの目を向けられて当然だろう。

 今現在の事件についての話題といえば、やはり暁が犯人だったのだという話や、証拠固めを怠って事を急いだ検察を責める話ばかりである。

 

 歪みについて調査したいところだが、この状況もどうにかしなければ。

 ポアロに悪い評判が立ったなんてことになれば、お世話になっている梓やマスターに申し訳が立たない。

 

 モルガナをスケープゴートにするのにも限界があるし、ルブランカレーをメニューに入れるのはどうだろうか? 惣治郎直伝のあのカレーならば、人気が出ること間違いなしだ。

 

 ちなみにだが、ポアロのメニューにもカレーはある。

 仕込みは梓が担当しており、マスターが作るものよりも自信があるらしい。休憩の時の賄いで食べさせてもらったが、さすがというべきか美味しかった。

 だが、ルブランのカレーを食べ慣れており、かつ回る寿司よりも回らない寿司ばかり食べて舌が肥えている暁としては、正直に言って少し物足りなさを感じた。もちろん、口には出さなかったが。

 

 ……あれこれ考えている内に、気が付くと30分ほど時間が経ってしまっていた。少しばかり休憩しすぎてしまったようだ。

 慌てて席を立ち、暁はスタッフルームを出て店内へと戻る。

 

 

 店内に戻ると、すでにお客は全員退店していた。例の男性客や、女性客も含めて。

 カウンターにいる梓の手には何やらメモ用紙のようなものが握られている。そのメモ用紙を、暁がスタッフルームに引っ込む時以上に困った表情で眺めていた。

 

 さすがに気になった暁は、戻ってくるのが遅れたのを謝りつつ、どうかしたのかと聞いてみる。

 

「え!? あ、ううん、何でもないから! 私もちょっと休憩してくるね。お客さんが来たら呼んで!」

 

 しかし、暁が声を掛けると梓はすぐにそのメモ用紙を背中に隠し、そそくさと奥の扉に引っ込んでいった。

 梓の様子に訝しんだ暁は、毛繕いをしているモルガナに暁がいない間のことを聞いてみる。

 

「ん? ああ、あの若い男の客がいただろ? アイツ、オマエや子連れの客がいなくなったのを見計らって、アズサ殿を口説き始めやがったんだ。話を聞いた感じだと、あれが初めてじゃないみたいだな。以前からあの男にしつこく迫られてたみたいだ」

 

 そんなことがあったのか。

 暁をちらちらと見ていたのは、事件のこととは関係なかったのだ。邪魔になりそうな暁が、トイレにでも行かないか期待していたのだろう。

 

 それでは、あのメモ用紙は何なのだろうか?

 

「う~ん、男はワガハイが威嚇して無理やり追い払ったんだけどな。あのメモ用紙は、いつの間にかアズサ殿のエプロンのポケットに入ってたんだ。男が店を出るのをアズサ殿が見送って、戻ってきた時には既にな。書かれていたのは、多分あの男の住所だな」

 

 その男が、店を出る際に梓のエプロンのポケットに忍ばせたということだろうか?

 

「だろうな」

 

 なるほど。今後、あの男性客にはこれまで以上に注意しておこう。

 しかし、そんなことがあったのに暢気に休憩していた自分に、暁は情けなさを感じた。色々なことがあってまだ落ち着けていないということもあるが、これではいけない。

 

 ひとまず、疲れているであろう梓のためにコーヒーを淹れてあげよう。そう思い立った暁は、すぐに準備に取り掛かった。

 

 

 

◆◇◆◇◆◇◆◇

 

 

 

 そして、火曜。

 

 地下室での生活も少しばかり慣れてきた暁。

 起床して喫茶店の準備を始めるが、いつもは暁が起きてくるよりも早く来てカレーの仕込みなどをしている梓の姿が見えなかった。

 どうしたのだろうかと、スマホで連絡がないか確認してみる。

 

『ごめん! 今日は少し遅れるから、カレーの仕込みお願いできるかな?』

 

 という旨のチャットが届いていた。

 カレーの仕込みについては問題ないが、普段ポアロではどのような仕込みをしているかなど、暁は知らない。

 仕方がないので、ルブランカレーと同じ要領で作ることにした。

 

 

 カレーの仕込みをしていると、モルガナがリモコンを器用に使って店のテレビの電源を付けた。

 

「また事件か。でも、今度のはあのモウリとかいう探偵が解決したみたいだな」

 

 見ると、毛利小五郎という探偵が事件を解決したというニュースが流れている。口髭を生やした中年の男性が下品な高笑いを公共の電波に晒しているのは、何とも滑稽である。

 以前梓に聞いたが、彼はこのビルのオーナーで、二階にある事務所で探偵業を営んでいるようだ。今までは全くの無名だったが、最近事件をトントン拍子に解決し続けて名が売れ出し始めたらしい。

 それはそれとして、先日も事故や事件だとかニュースが流れていた気がする。どうにも騒がしい世界だ、と暁は眉を顰めた。

 

 開店時間となって店を開けると、数分もしない内に朝の常連のお客が来店してくる。

 いつもいる梓がいないことに不思議そうな顔をしているお客に、暁はモルガナを壁にしつつ対応する。

 

「暁君、ごめんね遅れちゃって~! 仕込み大丈夫だった?」

 

 しばらくしない内に、少し息を切らした様子の梓が出勤してきた。

 彼女は申し訳なさそうにしながら遅れたことを謝ると、暁が仕込んだカレーの鍋を覗き見る。

 

「わ、すごい! ちゃんと出来てる! やっぱりね~」

 

 しっかりとカレーの準備が出来ているの確認すると、梓は何やら含みのある顔で暁に視線を送った。

 やはり、ルブラン流の仕込みはまずかっただろうか?

 

 

「すみません。おかわりいいですか?」

「あ、はーい」

 

 暁の淹れたコーヒーを飲んでいたお客におかわりを頼まれ、梓が対応するためにテーブルに向かおうとする。

 

 

 

 ――その時、凄まじい衝撃音が辺りに響いた。

 

 

 

 驚いて店の外に飛び出す暁。

 ポアロから見て左、その先で事故が起きたのか、煙が立ち上っているのが見える。

 

 道路際に寄せて停車している大型トラックと横転したバイク。

 停車していたトラックに後方からバイクが衝突したといったところだろうか。

 この通りは商店街になっているためか、早朝の時間帯でも結構な人数の野次馬が集まり始めている。その中に、ビルの階段を駆け下りてきた眼鏡の少年を追う形で、ポアロの真上に事務所を構えている毛利探偵が加わるのが目に入る。

 

「す、すごい音がしたけど……何かあったの?」

 

 心配そうな顔をした梓も、おっかなびっくりとした様子で店の中から外に出てきた。

 

 どうやら、今日は喫茶店の業務をするだけでは済みそうになさそうだ。

 

 

 

 

 

 

 ほどなくして、救急車と交通課の警察が事故現場に駆けつけてきた。

 救急隊員が車から担架を運び出し、警察官達が現場を立ち入り禁止のテープで囲み始める。

 

「ああッ! あ、あの人……!」

 

 バイクの運転手が担架に乗せられるのを見ていた梓が、突然声を上げる。

 見ると、バイクの運転手は事故の衝撃でヘルメットが脱げており、顔を拝むことが出来る状態になっていた。

 

 

 その顔は、ポアロで梓にしつこく言い寄っていたという、あの男性客であった。

 

 

 すぐにシートで隠されたが、救急隊員の様子からして恐らく即死だったのだろう……

 

「うう……そんな、嘘よぉぉ……!」

 

 担架で運ばれる最中、女性がテープを越えて飛び込んでいった。

 男性の知り合いなのか、担架に乗せられている彼に縋り付くようにして嗚咽交じりに泣いている。

 

「…………」

 

 そんな女性とシートで隠されている男性を、梓は沈痛な面持ちで見ている。

 迷惑していたとはいえ、仮にも店の常連だった人が亡くなったのだ。暁もなんだかんだで事故現場に遭遇するのは初めてだが、それでも梓の方がショックが大きいに違いない。

 そんな梓を気にしていると、横転したバイクの方から妙にわざとらしい子供の声が聞こえてきた。見ると、毛利探偵が追っていた眼鏡の少年が、男性のバイクをじろじろと眺めている。

 

「あれれ~? このバイクおかしいな~」

「このガキ! 現場をウロチョロするんじゃない!」

「お父さん、乱暴は駄目よ!」

 

 それを聞きつけた毛利探偵が声を上げた少年を殴って叱ろうとしているが、制服を着た女の子がそれを宥めている。

 

「あの子、毛利さんの娘の蘭さん。あの眼鏡の子は私もよく知らないけど……親戚の子かな?」

 

 梓の耳打ちに頷きつつ、少年の言葉に耳を傾ける。

 

「だって、ここ変だよ! なんだかテカテカしてるもん」

 

 少年は、バイクのブレーキパッドの部分が変だと言っている。暁もテープ外から少し近づいて見てみると、ブレーキパッドに潤滑油のようなものが塗りたくられていたのが分かった。

 

「こいつは……! おい、誰か一課の目暮警部に連絡してくれ!」

「え、ど、どういうこと?」

 

 交通課の長髪の女性警官がいきなりの毛利探偵の言葉に戸惑っている。

 

 

 

「これは事故なんかじゃない……殺しだ!」

 

 

 




ポアロの営業時間については調べても情報が無かったので、ある程度適当です。

死ぬほど美味いラーメンの話で夜中にポアロで夕食を済ませようとする描写がある辺り、それくらいの時間までは営業してそうなので、それを考慮した形にはなっています。

ちなみに、梓さんはアニメでは出る度に見た目が変化していますが、この作品では原作基準の外見で通しています。


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FILE.4 死神の魔の手 後編

 少し時間が経って、現場に新たにパトカーが駆けつけてきた。

 

「目暮警部、お待ちしておりました!」

「おお、毛利君。君も大変だな、こうも事件に遭遇するとは。まあ、今回は場所が場所だから仕方がないが」

 

 他の刑事と共にパトカーから出てきた茶色の帽子とコートを被った小太りの男性が、それを迎えた毛利探偵と話をしている。どうやら、彼が目暮という警部のようだ。

 

 ちなみに、現場をうろついていた眼鏡の少年は、警部の到着を待っている間に毛利探偵の娘である蘭に学校に遅れると言われて引っ張られていってしまった。少年は最後まで抵抗していたが。

 好奇心旺盛なのはいいが、さすがに人が死んだばかりの現場を子供がうろつくのは駄目だろう。

 

「それで、これが事故ではなく事件だと?」

「ええ。被害者のバイクには、ブレーキに細工された痕跡が残っていました。何者かによって、仕組まれた事故……いえ、殺人だったのです」

「なるほど……それで、ガイシャの身元は?」

 

 目暮警部が尋ねると、交通課の女性警官が一課が到着するまでに調べていたことを答える。

 

「ええっと、名前は桑原誠。ここからバイクで数分ほどのマンションに住んでいたみたいです。経路はほぼ一直線ですから、運悪く停車しているトラックの前で止まろうとするまでブレーキの細工に気付かなかったみたいですね」

「あの……」

 

 その話の中、梓が手を挙げて声を掛けたため、一斉に周りの視線が彼女の方に向く。

 

「梓ちゃん! 警部、彼女はそこの喫茶店のウェイトレスです。それで、どうかしたのか?」

 

 集まった視線に思わずたじろいでいた梓に、毛利探偵がそう尋ねる。

 

「あ……その男の人。ウチの常連さんなんです。それで、その……」

「ちょっと、アンタ!!」

 

 梓が言い淀んでいると、先ほど泣き声を漏らしていた女性が突然梓を指差して怒鳴り始めた。

 彼女とは面識がないようで、梓は困惑した表情をしている。

 

 

「アンタが……アンタが誠を殺したんでしょ!?」

 

 

 いきなりとんでもないことを言い出す女性。刑事達は驚き、周りの野次馬はざわめき始める。

 

 彼女の名前は大谷華子。

 被害者である桑原誠と付き合っていたが、最近は関係が悪くなってきており、かれこれ一ヶ月はまともに会話もしていなかったらしい。

 それを梓のせいだと声高に主張している。そして、彼氏が梓に好意を向けていたことを知っていたらしく、それが迷惑で事故に見せかけて殺したんだろう、と。

 

「全く何なんだあの女は。アズサ殿がそんなことをするはずないだろう」

 

 モルガナはそう言うが、目昏警部と毛利探偵の疑惑を持った目が梓に向けられる。

 毛利探偵は梓と顔見知りなので、多少の動揺が顔に含まれていた。

 

「梓ちゃん……今の話は本当なのか?」

「し、しつこく迫られていたのは本当です。一ヶ月ほど前から……でも、私ブレーキに細工なんかしてませんし、ましてや殺そうなんて……!」

 

 疑いの視線を向けられた梓は慌てて弁解し始めるが、女性がそれを許さない。

 

「嘘ばっかり! アンタが殺ったのよ!」

 

 そう迫る大谷に対して、梓はそんな人ではないと主張する暁。

 まだ会って数日しか経っていないが、彼女が殺人を犯すような人ではないことぐらいは分かる。

 伊達に人間の汚い部分を幾らも見てきてはいない。

 

「暁君……」

「誰だ、おめぇ?」

「ん? 君は、確か……」

 

 毛利探偵が訝しげな顔をし、目暮警部は暁の顔を見て何やら見覚えがあるというような目を向けてくる。

 暁は前髪をいじるフリをしながら顔を隠し、四日前からポアロでバイトをしている者だと答えた。本当なら受験して春には大学生になる予定だったが、この世界では例の事件の影響でそれも難しいだろう。

 

 梓に動機があるということは事実だ。

 それに、彼女は先日、いつの間にかエプロンのポケットに男性の住所が書かれたメモを入れられていた。

 彼のバイクは派手にカスタムされており、そのバイクに乗ってポアロに通っている。メモに書かれた住所へ赴き、駐車場に置かれたその目立つバイクを見つけて細工をすることは十分可能だろう。

 

 だが、それは桑原と付き合っていたという大谷も同じである。暁はそう指摘した。梓にうつつを抜かしていた桑原に対して、恨みを抱いていたとしても不思議ではないだろう。

 大谷は余計なことを言うなといわんばかりに暁を睨み付けてくる。

 

「あのぉ……そういえば、梓さん。今日は珍しく出勤してくるの遅かったですよね?」

 

 しかし、そこでポアロに来ていたお客の一人が、梓が珍しく遅刻していたことを零してしまう。

 

「そうなんですか? なぜ遅刻されたんです?」

「そ、それは……」

 

 目暮警部に問い詰められて、梓が言い淀んでいる。何やら暁の方をチラチラと見ているが……

 そこへ、向こうから一人の刑事が駆け寄ってきた。

 

「目暮警部! 被害者が住んでいたマンション前の防犯カメラを調べたのですが……まだ明るくない早朝の時間帯に、マンションの敷地内に入っていく怪しい女性の姿が映っていました! ……あ、あれ? 貴方、防犯カメラに映ってた……」

 

 調べてきた内容を報告している最中、梓を見たその刑事が驚き、防犯カメラに映っていた女性が彼女であることを漏らした。

 

「何ィ? それは本当かね、高木君!」

「は、はい……映っていたのは、間違いなく彼女です。ええと、正確な時刻は――」

 

 高木と呼ばれた刑事は言うには、梓が映っていた時刻はポアロの開店時間より一時間ほど前。

 そのせいで、一気に梓への疑いが深まる。そんな時間に、彼女が男性の住んでいたマンションに行く理由などないはずだからだ。もちろん、ブレーキに細工をした犯人でなければの話だが……

 

「ち、違います! 私犯人なんかじゃありません!」

「梓ちゃん……」

 

 毛利探偵は困惑した様子であるが、状況が梓が犯人であると伝えている。

 

「私、このメモをいつの間にかエプロンのポケットに入れられていて――」

 

 梓が言葉を切って、件のメモを取り出して目暮警部に見せる。

 モルガナは気付かなかったのだろう。メモには住所の下に、"今日の夜に来て欲しい"と小さく書かれていた。

 

「夜はさすがに怖いんで……朝、そのマンションに寄ってみたんです。でも、ブレーキに細工なんてしてません!」

「し……しかし、どうしてマンションへ行ったんですか? 言い寄られて迷惑していた相手だったんでしょう?」

 

 目暮警部にそう問い詰められるが、梓は言葉を濁している。

 なぜマンションに……いや、今はそれより梓の身の潔白を証明するのが先だ。

 

 結局どうしてマンションに向かったのかは答えなかったが、それでも梓は必死に容疑を否認している。

 だが、警部は事情聴取のために署までの任意同行を求め始めた。何とか止めたいのだが、暁は何かが引っかかってしょうがない。

 

 

「うにゃ~~!」

 

 

 その時、警察に問い詰められている梓を見て笑みを浮かべていた大谷に向けて、モルガナが威嚇の声を上げた。

 

「な、何よこの猫! あっち行きなさい! ……全く、飲食店で猫なんか飼うなんて、頭おかしいんじゃない!?」

 

 大谷は動物が嫌いなのか、梓を睨みながらそう憎々しげに怒鳴る。

 その言動に、暁は少し違和感を覚えた。

 

 ポアロに以前来たことがあるなら、梓のことを知っていたこと自体は不思議ではない。だが、モルガナは別である。

 モルガナと暁がポアロに住み始めたのはつい最近だ。だが、彼女が来店したことは住み始めてから一度もない。なぜ飲食店――ポアロに住んでいる猫だと知っているのだろうか?

 

 

 そういえば、あの大谷華子という女性……昨日来店していた帽子とサングラスを着けた女性に風貌が似ているような気がする。

 

  

 暁は梓を連行しようとしている警察を止めて、大谷に対してなぜモルガナがポアロの猫だと知っているのか、と問うた。

 

「え……? そ、それは……」

 

 困惑している大谷を尻目に、暁は梓に彼女が最近ポアロに来たかと聞く。自分は見覚えがあると付け加えて。

 

「うん……桑原さんの後ろの、隅の席に座ってた女の人がいたでしょう? あの人……大谷さんだと思う」

 

 予想通り、梓も彼女の風貌に覚えがあったらしい。しかも、あの隅の席の女性が大谷であると確信しているようだ。十中八九、彼女で間違いないだろう。

 そして、証拠はないが恐らく、桑原のバイクのブレーキに細工をしたのも……

 

「わ、私は店に行ってなんかないわよ! そう、猫のことはSNSで知ったの! ポアロの猫だって写真が投稿されてて……」

 

 大谷はそう言って、店に行っていないことを証明しようとしている。

 

「写真か……そういえば、昨日も写真を結構撮られたな」

 

 モルガナがそう言うのを聞いて、暁はそれをそのまま梓に伝える。

 

「昨日……? あ、ちょっと待って! 確か……」

 

 急に梓がズボンのポケットからスマホを取り出して、何やら操作し始める。

 

「昨日来た子連れのお客さんがモナちゃんの写真を撮ってたみたいで……ほら、この写真!」

 

 そう言って、SNSアプリの開かれた画面を見せる。

 心底嫌そうな顔をしたモルガナが写った写真がポップアップされている。

 

 そして、その後ろには、カウンター席に座る桑原と、隅の席に座っている帽子とサングラスを着けた女性が写り込んでいた。

 

「この女性です。これ……やっぱり大谷さん、だよね? 暁君」

「ふむ……確かに、風貌はよく似ているみたいだが……」

 

 毛利探偵や目暮警部も、スマホを覗き込んで写真の女性と大谷を見比べている。

 

「そ、そんなの、他人の空似よ!」

 

 苦し紛れな様子で反論する大谷。

 そんな大谷に向けて、暁は話を続ける。

 

 少し前の梓の話によれば、被害者である桑原誠がポアロに通い始めたのは一ヶ月ほど前から。そして彼女、大谷華子はここ一ヶ月ほど彼とまともに会話すらしていないと言っていた。

 

 仮に写真の女性が彼女ではないとしよう。それならば、店に行っていないと主張する彼女は、どうやって桑原が梓に好意を寄せていたことを知ったのだろうか?

 

「なるほど……この写真のように、コソコソと彼を付け回っていたということか」

 

 そう納得して頷く目暮警部。

 よし、梓に向けられていた疑惑が少し薄らいでいる。暁は続けて大谷の怪しい言動を指摘しようとするが――

 

「――ちょっと、いい加減にしてよ! その写真の女が私だとして、それが何だって言うの!? 防犯カメラに映っていたのはそのウェイトレスでしょう!?」

 

 いい加減我慢ならないと大谷が大声を上げたことにより、暁の大谷への指摘は中断させられてしまう。

 

「……確かに、その通りだ。暁君、と言ったかね? すまないが、この女性が仮に大谷さんだったとしても、一番疑わしいのが梓さんであることに変わりはない……ですが大谷さん、念のため貴方も後日署まで事情聴取を受けに来てもらいますよ」

 

 必死に梓を庇おうとしている暁に申し訳なさそうな視線を送りつつ、目暮警部は他の刑事を連れ立って梓をパトカーへ乗せようとする。

 

 確かにそうだ。大谷が嘘をついていたからといって、それが犯人である証拠となるわけではない。

 だが、引っかかるのだ。そうであるはずなのに、どうしてああも彼女は店に行っていないと主張し続けているのか?

 

 パトカーのドアが開かれたところで、梓が暁の方を振り返った。

 きっと大丈夫。すぐに誤解が解ける……無理をして作っているその笑顔が、そう言っていることを暁に伝えてきた。

 

 

 

 ――諦めるのか?

 

 

 

 ふいに、暁の耳に懐かしくも聞き慣れた声が届いた気がした。

 

 思えば、こちらの世界に来てからというもの……どこか気持ちが沈んでいるというか、消極的になっていたような気がする。 

 だが、今目の前には、前の自分のようにやってもいない罪で人生を棒に振ってしまいそうになっている人間がいるのだ。

 

 

 訳の分からない状況に立たされて、弱気になっている場合ではない……!

 

 

 ブチッという音と共に、元怪盗団リーダーとしての矜持が、元々持ち合わせていた有り余る正義感が、暁を奮い立たせた。

 

 その身に纏う雰囲気を変えた暁は、その場で"サードアイ"を発動させる。

 

 一瞬、暁の目の色が変わったかと思えば、視界がフィルターがかかったように薄暗くなる。

 悪神から得た能力である"サードアイ"。心の眼を開き、あらゆる物を見透かす賊の技だ。元の世界で認知世界を駆け巡っていた時には大いに役に立った。

 この力はペルソナと違って、認知世界でなくとも発動できる。

 

 研ぎ澄まされた感覚で辺りに視線を巡らせると、今まさにパトカーに入ろうとしている梓が目に入る。

 

 その手に持っている例のメモが、黄色い光で照らし出された。

 

 

 ――暁の口元が、ニヤリと歪む。

 

 

 

 

 

 

「ん? 暁君。まだ何かあるのかね?」

「おい、いい加減にしろ坊主。梓ちゃんを助けたいのは分かるが……」

 

 待ってください、と再び声を上げてパトカーに乗り込もうとする目暮警部達を止めた暁。

 毛利探偵はそんな暁を嗜めようとするが、暁は堂々とした態度でそれを無視して言葉を続ける。

 

 梓のエプロンのポケットに忍ばされていた例のメモに、梓以外の指紋が付いていないか調べてくれ、と。

 

 それを聞いた女性は、余裕気な顔をして暁を小馬鹿にするように笑った。

 

「バッカじゃないの? まさか貴方、あのメモは誠じゃなくて私が忍ばせたなんて言うんじゃないでしょうね。どうぞ、好きに調べれば? どうせ付いているのはそのウェイトレスの指紋だけ(・・)でしょうけど」

 

 だが、暁はそれを聞いて、口端を歪ませながら返す。

 

 なぜ指紋が付いていないなんて思うのか?

 それに、付着しているか調べたいのは、大谷華子の指紋ではない。

 

 

 ――被害者である、桑原誠の指紋だ。

 

 

 例のメモは、桑原誠が梓のエプロンのポケットに忍ばせたものと思われている。実際、暁もついさっきまではそう思っていた。

 だが、桑原は来店中、バイクグローブの類は着けていなかったのを記憶している。

 ならば当然、桑原の指紋が付いているはずだ。それが付いていないということは、明らかにおかしい。

 そして、指紋が付いていないということを知っている大谷も、また然りである。

 

 メモを仕込んだのが桑原ではなく、昨日いつの間にか退店していた大谷だったとしたら……梓は彼女に誘導されたということなのだ。

 

 暁がそれを指摘すると、警察関係者や毛利探偵が大谷に疑惑を向ける。

 その中でも一際、射抜くような鋭い視線を向けている暁に恐れのようなものを抱き、大谷は反論しようにも何も言葉が浮かばずにいた。

 

「ちがっ……さっきのは、勘違いで――」

 

 大谷が苦し紛れに言葉を濁していると、目暮警部の携帯に着信が入る。

 

「目暮だ。どうした? ……何ィ?」

 

 警部はうんうんと頷いて電話を切ると、大谷を見据えた。

 

「今朝、眠気覚ましにベランダに出ていた者が、被害者宅のマンション裏からコソコソ抜け出そうとしている怪しい人物を目撃したそうです。目撃者はその人物と知り合いだったようで、誰であったかも答えてくれました……貴方ですよ、大谷華子さん」

 

 目暮警部がそう告げると、周りの野次馬の目が一斉に大谷へと集まる。

 

 

 ――どうやら、チェックメイトのようだ。

 

 

「……ほ、本気じゃなかったのよ。大体、あんなメモで、本当にマンションに来るその女がいけないんじゃない!」

 

 夜の内にマンションの敷地内に隠れて、しばらく待っても来なかったら、ブレーキに細工せずにそのまま帰るつもりだったとか。気が付いたら寝ていて、朝になる頃に目を覚ました丁度その時に梓が来たとか。大谷はあれこれ聞いてもいないことを口にし始める。

 

「もういいから。詳しい話は署で伺いましょう。大谷さん」

 

 目暮警部とその部下達はそれに耳を貸さず、大谷に近づいて連行しようと近づく。

 

 

 

 ――その様子を悲痛な眼差しで見ている梓が、大谷の視界に写った。

 

 

 

 心臓がドクンと波打ち、彼女の視界が真っ赤に染まっていく。

 

 

「……アンタが、アンタさえいなければーーッ!!」

 

 

 まるで抑えている感情が一気に爆発したかのように突如叫び声を上げた大谷は、鞄に忍ばせていた折り畳みナイフを取り出し、油断していた警部達を振り払って梓目掛けて突っ込んでいく。

 

「いかんッ! 誰か止めろー!」

 

 目暮警部の声を皮切りに、毛利探偵を含め周りの警官はそれを止めようとするが、突然のことに動き出すのが遅れたために間に合いそうにない。

 

 

 ――梓の近くに立っていた、暁以外は。

 

 

 今までの戦いで仲間達が何度かそうしてくれたように、暁は咄嗟に梓の前に出て庇う。

 大谷のナイフが暁の腹から僅か数ミリのところまで達する。背後から梓の悲鳴が耳に届くが……それは、どこか遠くから聞こえてくるに感じた。

 

 次の瞬間には来るであろう衝撃と痛みに身構える。

 

 

 

 ――が、それは一向に訪れなかった。

 

 

 

 数秒、時が止まったかのような錯覚に陥いる。

 

 頭の中で何かが弾けたような、まるで初めてペルソナが覚醒した時のような感覚が暁の身体全体に走り、目の前がフラッシュを焚いたかのように白くなった。

 

 

 

 

 

 

 気が付くと、大谷は目の前に座り込み、ナイフは暁の足元に落ちていた。

 

 ぼうっとした頭で警察が急いで未だ暴れようとする大谷を取り押さえるのを眺めていると、慌てた様子で梓が暁の身体を揺らしてきた。

 

「暁君! 大丈夫!? 怪我は!?」

「あ、コラ! 落ち着くんだ梓ちゃん!」

 

 近づいてきた毛利探偵が、暁の肩を掴む梓を止める。

 意識がはっきりしてきた暁は、自分が刺されたと二人は思っているのだとようやく理解する。

 

 だが、自分で確認してみても特に身体に異常はない。

 凶器のナイフを足元から拾い上げ、ベルトのバックルに当たっただけだから大丈夫だと二人に言い聞かせた。

 

「そ、そうなの? ……良かったぁ」

 

 ほっと胸を撫で下ろし、安心して腰が抜けてしまったのか梓はその場にへたり込んでしまった。

 

「全く、大した度胸と運してやがるな」

 

 そう言って、舌を巻く毛利探偵。

 暁は毛利探偵に対して、ニュースでの高笑いを見たのもあって少し頼りない印象を持っていた。だが、本気で心配してくれていたことを察して少しばかりその印象が変わる。

 

 本当はベルトのバックルに当たってなどいないし、ポアロのエプロン越しに腹にナイフが当たる冷たい感触を覚えている。だが、滑るようにして(・・・・・・・)大谷のナイフが逸れたのだ。

 

 まさか、ペルソナが? しかし、ここは認知世界ではない。現実でペルソナを召喚することはできないのだ。

 

 ……一体何が起こったというのだろうか。

 

 

 

 

「それでは、梓さん。今回は疑いをかけてしまい申し訳ありませんでした。ただ、一応事件の参考人として後日署で詳しい話を伺いたいのですが、よろしいですかな?」

「はい……分かりました」

「暁君。君もありがとう。君が色々と推理して時間を稼いでくれたおかげで、真犯人を捕まえることができた。あのまま梓さんを犯人として連行していたら、捜査に出ていた他の刑事もその時点で帰していただろうからね」

 

 暁が首を振ってとんでもないと返すと、目暮警部はうんうんと頷いてパトカーに乗り込んだ。

 

 大谷が警察に連行されていくのを見送ると、急激に暁の身体を疲労感が襲う。

 額に手を添えてその場に膝を突く暁を見て、梓が暁の身体を支えた。

 

「だ、大丈夫!?」

 

 少し疲れたにしては凄まじい疲労感だが、心配する梓に大丈夫だと返す。

 気付けば、周りの野次馬も少なくなってきている。

 

「おい、一応病院に行った方がいいんじゃねえか?」

 

 毛利探偵にそう言われたがその場は遠慮し、礼を言って暁は一旦梓と共にポアロに戻ることにした。

 

 

 

 

 遅れて、毛利探偵の娘である蘭に連れて行かれた眼鏡の少年が事故現場に戻ってきた。

 

(ちくしょう! 蘭の奴、オレが小学校に入っていくのを確認するまで一緒にいるもんだから、戻ってくるのがすっかり遅れちまった)

 

 しかし、現場は既に人だかりが無くなっていた。残っているのは後部が凹んでいるトラックと大破したバイク、それに事後処理をしている道路管理者の人達のみである。

 

(あれ? もう事件は解決しちまったのか?)

 

 既に落ち着きを取り戻している現場を見て驚いているところを、コンビニで朝食を買ってきた様子の毛利探偵に見つけられる。

 

「コラッ、コナン! おめぇ何でここにいるんだ! 学校はどうした!」

「あ、おっちゃ……小五郎のおじさん! 事件はどうなったの?」

「こいつ話を……事件は解決しちまったよ。おめぇと同じ眼鏡をかけた、ポアロでバイトしてるっていうくせっ毛の坊主がな……ま、まあ、オレも事件の真相は分かっていたんだが、今回は梓ちゃんを助けようとしたあの坊主に花を持たせてやったというかだな……」

 

 小五郎がぶつぶつと嘯いているのを尻目に、コナンと呼ばれた少年はCLOSEDの札が掲げられたポアロへと目を向けた。

 

 

 

◆◇◆◇◆◇◆◇

 

 

 

 今日はもう仕事はいいから休めと言われ、仕方なく地下室で休んでいる暁。

 疑いをかけられて梓も疲れているだろうに……

 

「しかしオマエが探偵の真似事とはな……だが、さっきは焦ったぜ。ワガハイも飛び出そうとしたが、この身体じゃ吹き飛ばされるだけだっただろうしな……それにしても、どうして助かったんだ? どう見ても腹に当たってたじゃないか」

 

 元怪盗としては、こういうのもたまにはいい。

 それは置いておいて、先ほどの不可思議な現象についてモルガナに話す。

 

「ナイフが滑った? どういうことだ? う~ん……でも、確かにペルソナ能力を発動している時に雑魚から殴られた時のような感じだったな」

 

 そう、ペルソナ能力を発動すれば、宿主の身体能力は大幅に向上する。

 シャドウの攻撃や銃による攻撃ならまだしも、あんなひ弱な女性が扱うナイフでの攻撃ではびくともしない。俗に言う、痛くも痒くもないという奴だ。

 

「だが、ここは別世界ではあるが認知世界というわけじゃない。ペルソナが召喚できるはずがないんだが……」

 

 そこまで話したところで、淹れ立てのコーヒーを持った梓が地下室に入ってきた。

 

「大丈夫? 暁君。コーヒー淹れてきたよ」

 

 礼を言い、暁は彼女の両手を塞ぐコーヒーを受け取って、梯子を降りるのを手伝う。

 

 店はいいのかと聞くと、梓に疑いを向けるきっかけを作ったお客が謝って退店していくのを見届けた後、店仕舞いにしてしまったらしい。騒ぎの影響で今日一日はろくにお客は来ないだろうと判断して。

 そこで会話が途切れ、二人の間に沈黙が流れる。

 

 

「あのね……実は私、暁君がポアロに住み込みで働くこと、正直言って不安だったんだ」

 

 暁がコーヒーに口を付けていると、湯気が立っている自分のコーヒーを見つめている梓がポツポツと話し始めた。

 

 妃先生の活躍により無罪判決が出たことで同じ罪に問われることはないだろうが、灰色である以上暁が実の両親を殺して放火したという疑惑は完全に拭えたわけではない。

 未成年故に名前や顔は公表されていないが、世間は所詮他人事と面白がり、未だに暁が真犯人だろうとまことしやかに囁いている。

 

「でも、数日一緒に仕事して、そんな不安すぐに吹っ飛んじゃった。暁君、絶対そんなことする子じゃないもの」

 

 梓がコーヒーに向けていた顔を上げ、ゆっくりと暁の方へ向ける。

 

「今日なんか、命を救ってもらっちゃった。本当に、ありがとう」

 

 暁はそれに首を横に振って答える。自分が助けたいと思ったから助けたのだ。

 

 それに、礼を言うのはこっちの方である。

 マスターや梓のおかげで、こうして住む所に不自由していないのだから。

 

 

 しかし、梓はなぜ被害者である桑原の住むマンションへ行ったのだろうか? あのメモには、大した脅し文句も書かれていなかったというのに。

 

「ああ、そのこと? 実はね……」

 

 聞くと、実は梓は桑原が店に来ている時、彼の背後から見張るような視線が向けられていることに気付いており、隅の席に座っている大谷が桑原と交際している女性だと感づいていたらしい。

 このままだと絶対に良くないことが起きるんじゃないかと薄々思っていた梓は、それを伝えるという名目でメモに書かれた住所に向かった。だが、部屋の前で怖気づいて結局何もせずに帰ってきたのだ。

 

「やっぱり……私が行かなければ、あんなことにはならなかったのかな?」

 

 自分が行かなければ事件は起きなかったと後悔している梓を見て、梓のせいじゃないと励ます暁。

 全てはあの女性に責任がある。それに、色々と運が悪かったのだ。あんなガバガバな殺人計画が成功してしまったのだから。

 

「……うん、そう……そうだよね。ありがとう暁君」

 

 今まで悩みを持つ人間を幾人も立ち直らせてきた実績のある暁の言葉に、梓は気を取り直したように微笑んだ。

 

 ――梓から疑いの一切無い信頼を感じる。

 

 

「なんだか暁君、慣れてる感じだよね。まあ暁君だし、こうやって人の相談に乗ること、よくあるんでしょ? ……もしかして、その相手は女性ばっかりとか?」

 

 微笑みながら、半目で暁の方を見てくる梓。

 暁はそれに苦笑いで答えつつ、話題を変える。どうして、マンションに向かった理由を警察に言わなかったのか?

 

「え? まあ、昨日まではマンションに向かわずに警察に相談するつもりだったんだけど……」

 

 それならばなぜ、と聞くと、梓は意地悪気な顔をしだした。

 

「……暁君。この前私が賄いで出したカレー、物足りないって思ってたでしょう?」

 

 言われて、ギクリとする暁。

 ポーカーフェイスには自信があるのだが、バレていたようだ。

 女性はこういうところは感が鋭い。観念して、暁はそうだと答える。しかし、どうして分かったのだろうか?

 

「だって、私がカレー作ってる間、何か言いたげにしてるんだもん。それで、自分が作るカレーの方が美味しいって思ってるんだろうなあって」

 

 そこで、何も言わず自分から進んでカレーを作ろうとしない暁にカレーを作らせるため、あえて今日は遅刻したのだ。

 そのため、開店時間まで暇を持て余していた彼女は、例のメモのことを思い出して、ズル休みをしている時のようなテンションのまま被害者宅のマンションへ向かったのだ。良くないことが起きるのでないかと警告しに行ったというのは、建前だったらしい。

 

 それにしても、警部に遅刻した理由を問われた時、暁の方をチラチラ見て言い淀んでいたのは、それが原因だったのか。

 そのことは伏せて話せば良かったのにと言うと、梓は「あ、そっかぁ!」と笑いながら舌を出した。

 

 

 

 ところで、時刻は既に昼時。

 色々とやっていた梓は朝食を食べ損ねてしまったらしい。

 

「丁度いいから、暁君の作ったカレーをご馳走になろうかな。暁君も食べるでしょ?」

 

 お手並み拝見と、準備しに地下室を出ていく梓。

 

 

「今回の居候先の主は、中々茶目っ気があるようだな。暁」

 

 モルガナにそう言われて、暁は主じゃなくて上司だと、肩を竦める。

 

 

 

 

 

 

 後日、暁の作るルブランカレーは喫茶店ポアロの名物兼人気メニューとなった。

 

 




次回、アイドル密室殺人事件

Next Joker's HINT 「換気扇」





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FILE.5 アイドル密室殺人事件 前編

前編・後編と分けるつもりでしたが、思ったより長くなったので前編・中編・後編と分けます。


 しばらくして梓が帰宅していくのを見送った暁は、夕飯を食べてシャワーを浴びた後も疲れが取れないでいた。

 

「だいぶ消耗しているようだな。大事をとって、今日はもう寝ようぜ」

 

 モルガナの言葉に頷き、それに従って早めに就寝することにする。

 

 暁の寝床は用意してもらっていたパイプベッドだ。ルブランでの寝床は、並べられた飲料輸送用の黄色いコンテナの上にマットレスを敷いただけのベッドであった。それに比べれば、簡易的な物とはいえ寝心地は段違いである。

 

 寝巻きに着替える暁。元々ルブランで一泊する予定であった暁は、替えの衣服と寝巻きを一着ずつ用意していた。というより、持ってきた荷物といえばそれくらいである。

 この世界から脱することができるのがいつになるのかも分からないし、替えが一着だけでは心許ない。近々、身の回りの物を揃えるために買い物に出掛ける必要があるだろう。

 

 まだ一月。冬真っ只中の時期だ。

 スタッフルームから持ち込んだ電気ストーブを切ると、急激に室温が低下していく。

 頼りない光で部屋を照らす蛍光灯のスイッチを切り、冷えていく身体を布団の中に潜らせて暁はゆっくりと目を閉じた。

 

 

 

 

 

 

 夢の中、暁は何やら久しい感触を覚えた。

 

 案の定というべきか、目の前に広がっていたのは群青色に染められた監獄であった。

 円周上に並べられた牢獄の一つ、その中に閉じ込められた状態で目を覚ます。

 

 顔を下に向けて目に入ったのは、その身に纏う怪盗団リーダーの怪盗服。

 

 赤い手袋に黒の夜会服。そして、服と同じ配色の足元にまで届くロングコートだ。

 怪盗服はペルソナ同様、宿主の反逆の意思を示した物であり、その意思に含まれるイメージが形となって現れた物だ。認知世界やベルベットルームでのみ、その姿を発現することができる。

 

 

 別世界に閉じ込められた暁が、そこからの脱出――反逆を志しているが故にこの服装に変わってしまっているのだろうか?

 

 

「ようこそ、ベルベットルームへ……」

 

 目の前の閉ざされた扉の向こうには、暁のことをマイトリックスターと呼んで慕うラヴェンツァがいた。

 いつもは彼女の主であるイゴールが言う歓迎の台詞を、どういうわけか今回は彼女が口にしている。

 

 彼女の背後にあるテーブルにはそのイゴールがいると思っていたが、意外なことにその席は空席となっていた。暁にとって、本物か偽者であるかを抜きにすればイゴール不在のベルベットルームは初めてのことだ。

 

「この度は、貴方を別世界へ閉じ込めることになってしまい、申し訳ありません。私共としても、予想外の事態でした」

 

 牢獄の柵越しにそう謝罪するラヴェンツァ。

 謝る必要はない。元々厄介事であることは分かっていたし、自分の意思でそれに向かっていったのだ。想定外のことにわざわざ謝っていては切りがない。暁はそう返した。

 

 それはさておき、なぜ自分はまた牢獄に閉じ込められているのだろうか? 別世界に迷い込む前に招かれた時には、そのような状態ではなかったはずだ。それに、イゴールの姿も見えない。

 

「……ベルベットルームは、客人の心象風景に従って変化するのです。別世界に閉じ込められたということが影響して、この状態を作り出してしまったのでしょう……主は、悪神から受けた傷の治療に専念するためにお休みになられています」

 

 なるほど。ベルベットルームにはそういった特性があったのか。

 招かれた客人によってはバーやエレベーターに、はたまたリムジンになったりすることもあるのかもしれない。

 

 それにしても、と。暁は思った。

 イゴールがいない状況でラヴェンツァと二人。特に自分が牢獄に閉じ込められた状況だと、何とも言えない気分になってしまうのは気のせいだろうか?

 傍から見れば、まるで自分がラヴェンツァに閉じ込められているようだ。

 

 思えば、彼女が悪神によってジュスティーヌとカロリーヌという双子に分かれていた時は、いつもこの位置関係でコミュニケーションを取っていた。

 もの静かであるが辛辣なジュスティーヌに子供っぽく荒い言動の目立つカロリーヌ。どちらもラヴェンツァの心の一面……一種のペルソナのようなものであったのだろう。

 

 その頃を思い出した暁は、少しばかり懐かしい気分になった。

 

「マイトリックスター? 聞いているのですか?」

 

 声を掛けられて、思い出に浸っていた暁は一言謝り、話を促す。

 暁が話を聞いていなかったことに少しばかりむっとした顔をしているラヴェンツァだが、一つ咳払いをして仕切り直した。

 

「ですから、私も貴方の傍へ直接赴き、歪みの調査や脱出の手助けをしたいと思っているのです」

 

 

 

 ――今、なんと?

 

 そう聞き返すと、どこから取り出したのかラヴェンツァは右手に持った警棒を牢獄の柵にガンッっと思いっきり叩き付けた。

 

「人間は大切なことを二度言うと聞きましたが、貴方は三度言わなければ理解できないのですか? マイトリックスター」

 

 ……どうやら、カロリーヌ成分が表に出てきてしまったようだ。

 暁は首を横に振って、理解はできたと言って謝る。

 

 今までベルベットルームの住人からはペルソナの強化や合体といった、あくまで間接的な助力を得ていた。この世の理とはかけ離れた存在である彼女らが、先ほど言ったような直接的な手助けを申し出てくるとは思っていなかったのだ。

 

 暁としても、問題になっているのは自分達の住む世界なのだから、解決するのは自分達で、というのが筋だと考えている。

 

「……今回の件については、依頼をした私共にも責任はあります。主も、私が貴方の元へ赴くことに賛同してくださいました……それに、前例がないわけでもありませんから」

 

 ベルベットルームの住人にも色々あるらしい。

 だが、何にせよ手助けしてもらえるのであれば有難い。双子時代の彼女と戦った経験のある暁は、彼女の強さは身を持って知っている。

 

「ですが、貴方の元へ行くには、目の前のこの扉を開け放たなければなりません」 

 

 そう言って、ラヴェンツァは暁との間を隔てる冷たい鉄の柵を、その子供ながらにしなやかな白い指で握る。

 

「この扉を開け放つために必要な鍵は、"反逆の意思"です」

 

 反逆の意思……もちろん、それは持ち合わせている。

 両親や仲間もきっと心配しているはずだ。必ず元の世界に戻らなければならない。現に今、暁が着ている怪盗服は反逆の意思の現れである。

 

「この世界に閉じ込められていることに対して、ではなく……いえ、これは……貴方自身の力で知る必要があるでしょう」

 

 ……いまいち要領を得ないが、とりあえず暁は頷いておくことにした。

 個人的には、はっきりと言って欲しいところではあるが、そう言われたら仕方がない。

 

 腕を組んで先ほどの言葉について考えている暁を、ラヴェンツァは微笑みながら見ている。

 まるで、言葉攻めを楽しんでいるカロリーヌのような笑みだ。

 

「……ふふ。貴方の元へ赴く日を楽しみにしています。期待してますよ、マイトリックスター」

 

 ラヴェンツァにそう言葉を投げ掛けられたかと思うと、急に暁の視界がまどろむ。

 

 それと同時に、青の空間はまるで水に流し込まれるかのように暗闇に包まれていくのであった。

 

 

 

◆◇◆◇◆◇◆◇

 

 

 

 再び目覚めると、視界は群青色から一転して殺風景な灰色に染まっていた。

 最近ようやく慣れてきたポアロの地下室――その天井だ。

 

「おお、おはようアキラ。よく眠れたか?」

 

 朝の挨拶をするモルガナにおはようと返し、地下室の冷え切った寒さに堪えながら枕元に置いたスマホを起動して時刻を確認する。

 既に時刻は、開店時間である7時を過ぎていた。

 

「おいおい、何慌ててんだ? 今日は休みだろう」

 

 布団から飛び出し急いで準備をしようとしているところを、モルガナにそう止められる。

 そういえば、今日は定休日である水曜であった。

 

 安心してベッドに腰を下ろす。そこで、スマホのバイブレーションがチャットの着信を知らせる。

 アプリを開くと、梓から朝の挨拶と体調についての連絡が届いていた。

 

『おはよう。体調はどう?』

 

 挨拶を返して問題はないことを伝えると、続けてチャットが届く。

 

『良かった! 今日はお店も休みだから、マスターのお見舞いに行こうと思うんだけど、暁君も一緒に行かない?』

「ポアロのゴシュジンのお見舞いか。挨拶しておきたかったし、丁度いいんじゃないか?」

 

 願ってもない。元々もっと早く挨拶しておきたかったが、仕事と環境に慣れるのに追われて後回しになってしまっていた。

 暁はチャットにぜひ一緒に行かせて欲しいと返信し、寝巻きから着替えて支度を始めた。

 

 

 

 

 

 

「お待たせ~! それじゃ、行こっか。すぐ近くにバス停があるの」

 

 しばらくしてポアロへ迎えに来た梓と共に、バスでマスターが入院しているという米花総合病院へ向かう。

 ちなみに、暁の鞄にはいつも通りモルガナが入っている。ただ、向かう先が病院なので梓には伝えていない。しばらく顔を出さないよう、チャックはほとんど閉めた状態だ。

 

 

 病院に着くまでの間、バス内で梓と談笑することにする。

 

「マスターは何というか……優しい感じの、その辺によくいそうなおじさんよ」

 

 マスターがどんな人なのか聞く暁に、梓はそう答えた。

 梓は今現在23歳。専門学校卒業後にポアロで働き始めたということだから、マスターとは数年以上の付き合いということになる。長い付き合いなだけあって、言うことに遠慮がない。

 

「暁君も喫茶店の手伝いしてたんでしょ? そこのマスターはどんな人だったの?」

 

 どんな人か……と、暁は顎に手を添えて考える。

 

 ルブランのマスターである佐倉惣治郎は、はっきり言ってしまえばガラが良いとは言えない人だろう。

 とはいえ、何だかんだ言って面倒見は良い。実際ルブランには常連の客がそこそこいたし、中には惣治郎を狙っている女性もいた覚えがある。

 仲間の女性陣も素敵な人だと言っていたし、大人の魅力という奴なのだろうか。暁も少ながらずそんな彼に憧れのような物を感じている。未だに彼からもらったチョコレートの味は忘れられない。

 

 ちなみにだが、彼は大の女好きだ。「携帯電話には男の番号を登録しない」と言うほどである。詳しく聞いたわけではないが、口振りからして若い頃は数々の女性を泣かしてきたに違いない。

 

「へ~、なんだかダンディって感じでいいね! 暁君の作るカレーが美味しいのも納得かも……あ、でも私パスタも自信あるから。パスタは絶対負けないからね」

 

 そんなに張り合わなくても、パスタを作ったこと自体あまりない。

 迫る梓に、苦笑いでそう答える暁であった。

 

 

 

 

 

 

 そのまましばらく談笑して、10分ほど経った頃には米花総合病院前のバス停に到着した。

 受付で手続きを終えて、マスターが入院している個室へと向かう。

 

「やあ、よく来てくれたね梓ちゃん。それに、暁君も」

 

 マスターは梓の言っていた通り、よくいる中年の優男といった感じの人物であった。

 テーブルにミステリー物の本が何冊も重ねられているのを見る限り、そういった類の物が好きなのだろう。喫茶店の名前がポアロだというのも、それが理由だと梓から聞いたことがある。

 

「おはようございます、マスター。どうですか? 怪我の方は」

「いやぁ、見ての通りだよ。まだリハビリも始められていなくてね」

 

 事故にあって大怪我をしたと聞いていたが、ひどいものだ。左足と左腕を包帯でグルグル巻きにされている。本を読むのにも苦労していそうだ。

 そして、極めつけは顔のほとんどを覆った包帯。辛うじて目や顔の右下部分が見えているだけといった状態である。点滴と合わせて、非常に痛々しい。

 

「ははは、入院している子供達にはよくミイラ男だーッ! って言われているよ」

 

 心配する暁を余所に、マスターは全く気にしていない様子で笑っている。

 

「……それにしても、暁君。大きくなったねぇ」

 

 そう言って、懐かしむように目を細めて暁を見るマスター。

 暁からすると全く記憶にない人物なので、当たり障りの無い返事しかできない。

 

「あれ? そうか、覚えていないのも無理はないか。僕が君と会ったのは、まだ君が小さい頃だったしね」

 

 ぎこちない顔をしている暁を見て察したのか、マスターはそれもそうかと頭に手を当てて笑う。

 

 確か、マスターは両親と学生時代からの知り合いだったと聞いている。

 弁護士の妃英理に例の事件の弁護を依頼したのも、マスターらしい。こんな繋がりで腕利きの彼女に弁護を担当してもらうことができたとは、やはり人間関係の繋がりというのは馬鹿に出来ない。

 

「マスター。小さい頃の暁君って、どんな子だったんですか?」

 

 話を聞いていた梓が、興味津々といった様子でそんなことを聞く。

 

「いや、僕もその時に会ったきりだからね……でも、人より正義感が強くて、やるといったことは絶対にやり通す子だと、ご両親は言っていたよ」

 

 他人が自分の子供時代のことについて話しているのを聞くというのは、どうにも恥ずかしくてしょうがない。

 暁は話を変えようとしたが、マスターが暁をじっと見据えているのに気付いてそれを中断した。

 

「どうやら、今もその本質は変わっていないようだ……君なら、どんな困難に苛まれたとしても、きっとやり遂げるだろう。例え、一人だとしてもね」

 

 雰囲気を変えて神妙に語るマスターに少し混乱しつつも、暁はこくりと頷いた。

 言われるまでもないことだ。仲間がいないからといって、諦めるようなことは決してしない。先の戦いで諦めるなと言い聞かせてきた仲間を、裏切ることにもなるのだから。

 

「……もう、マスター。また小説に出てくるお気に入りの台詞ですか? 心配しなくても、当分はできる限り暁君一人でポアロを任せるなんてことしませんよ」

「あ、バレたかい? ははは」

 

 昨日カレー食べたさに遅刻した人が何か言っているが、暁はあえてそれには突っ込まず一緒に笑っておいた。

 

 

 

 

 

 

「それじゃあ、マスター。お大事に。次は何か手土産を持ってきますね」

「ああ。期待してるよ。暁君、またね」

 

 左手を挙げて挨拶するマスターに頭を下げ、暁と梓は病室を後にする。

 病院の廊下を歩いている途中、梓との話題がポアロの入ったビルの二階に事務所を構えている毛利探偵の話になった。

 

「お二階さんってこともあって、贔屓にしてもらってるよ。でも、最近は依頼がそこそこ増えてきて忙しくなってきてるみたい。少し前までは飼い猫探しとかの依頼ばかりって言ってたのに、不思議よね……」

 

 全くもって不思議である。

 昨日の事件のこともあって多少印象は良くなったが、未だにニュースで見たあの下品な高笑いが暁の頭から離れないでいた。彼が所謂名探偵のように事件を解決している姿が想像できない。

 

「そうそう、昔は一課の刑事さんだったんだって」

 

 なるほど。一課に所属している目暮警部と親しそうにしていたのは、元々知り合いだったからなのであろう。

 捜査一課といえば、それなりに実績を上げないと配属されることはない部署のはずだ。ニュースでのアレは、自分がそういう人間だと油断させるための演技なのかもしれない。だとしたら、相当のやり手である。

 暁は色々あって警察はあまり好きではないが、個人的に一度話をしてみたい人物だと思った。

 

「あ、私名刺持ってるよ。え~と、ほら」

 

 梓が鞄の中をゴソゴソと探り、取り出した財布から一枚の名刺を暁に差し出す。

 

 

 ――その名刺は、金色に輝いていた。 

 

 

 窓からの光がその名刺に反射して、暁の視界をチラつかせる。 

 何を考えてこんな悪趣味な名刺にしたのだろうか……やはり、ニュースで見た通りの人物なのかもしれない。

 

 娘がいるのだから結婚はしているのだろうが…………いや、止めておこう。

 多少とはいえ世話になった相手だし、ポアロが入っているビルのオーナーだ。あることないこと勝手に想像するのは良くない。される側の気持ちは痛いほど分かっている。

 

 そこまで考えて、暁は毛利探偵についてアレコレ推察するのを止めた。

 

 

 

 名刺を片手に梓と共に廊下を歩き、目の前に十字路が見えてきた。左手のすぐ傍には、放置されている車椅子が見える。

 そこへ、俯いた様子の女性が暁達の前を横切ろうとする。女性はバッグを肩に掛け、黒いミンクの帽子を深々と被った上にサングラスを掛けている。

 お覚束ない足取りをしている女性は、放置されている車椅子に気付かなかったのか、その椅子のフットレストに足を引っ掛けてしまう。

 

「あっ!」

 

 梓が声を上げ、咄嗟に名刺を放って前へ出た暁は、バランスを崩して倒れ込んでくる女性を抱き留めた。その時の衝撃で、女性のバッグから物が転げ落ち、帽子も脱げてしまう。

 リボンでハーフアップにした長い茶髪がはらりと舞い、女性特有の香りが暁の鼻を擽る。

 

「す、すみません……!」

 

 慌てて女性はしがみついていた暁の身体から離れ、ペコペコと何度も謝りながらバッグから転げ落ちた物を拾っている。見かねて、暁もそれを手伝う。

 

「はい、どうぞ……あれ?」

 

 落ちている帽子を梓が拾い上げ、謝罪する女性に手渡す。

 その際に梓は女性を見て、何か思い当たるような表情を浮かべた。

 

「……あの、貴方もしかして――」

「ぼ、帽子ありがとうございます! 急いでるので、これで!」

 

 梓の言葉を遮り、女性は手短に礼を言うと、コートを翻してそそくさとその場を立ち去っていった。

 

 梓は女性に何を言おうとしていたのか、気になって聞いてみる暁。

 

「え? ううん、何でもない。こんなところにいるはずないし……それより、暁君。この後どうする? 買い物とかするなら付き合うよ」

 

 そう聞いてくる梓に、暁は眼鏡をくいと上げて考える。

 

「……おい、服を買いたいんじゃなかったのか?」

 

 モルガナが鞄の中から少し顔を出し、小声でそう伝えてくる。

 

 そうだ。服を何着か見繕っておきたかったのだ。それに、足りない日用品も。

 お金については、未成年後見人として財産管理をしている妃先生に新たに口座を作ってもらい、必要な分だけ用意してもらっているから大丈夫だ。

 

「了解! でもその前に、もうすぐお昼だし、コロンボっていうレストランでご飯食べてから買い物に行こっか! 暁君背が高いし、似合いそうな服探すの楽しみだな~」

 

 暁の服をコーディネートする気満々の梓。まるで弟ができたかのように楽しげにしている。

 

 弟……暁にとっての兄弟のような存在といえば、キングの称号を持つ織田信也。暁を兄と慕ってくれる彼は今も秋葉原のゲームセンターでその腕を磨いているのだろうか。

 暁はこちらの世界に来てからゲームセンターに寄れていないので、腕が落ちていないか少々不安に感じている。同じガンシューティングゲームの筐体があるかは分からないが。

 

 ――そして、もう一人。ルブランのマスターである佐倉惣治郎の娘である、佐倉双葉。

 彼女は、暁にとって怪盗団の仲間であり、妹のような存在だ。コンピューター技術に長け、情報収集や認知世界での探索、戦闘のサポートと、見た目に反してとても頼りになる少女である。

 

 東京へ遊びに行くと連絡をしたまま行方を眩ましてしまったことを、彼女と惣治郎、竜司や杏達は怒っているだろうか。それとも、心配してあちこち探し回っているのだろうか。

 

 

 ……必ず、元の世界に戻らなければならない。仲間達のためにも、自分のためにも。

 

 




毛利小五郎の名刺が金色になるのは劇場版17作目『絶海の探偵』からですが、本作ではお話が始まった当初から金色だったということにしています。

次回は少し間を空けて投稿します。






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FILE.6 アイドル密室殺人事件 中編

 日も傾き始めた頃、買い物を済ませた暁はバス停で梓と別れてポアロに戻った。

 

 梓に散々着せ替え人形にされてしまった。地下室に下りた暁は、防寒具を脱いで少しばかり疲れた身体を休ませようとソファに腰を下ろす。

 

「おいおい、電気くらいつけろよ」

 

 鞄から出てきたモルガナが、地下室の電気をつけようと梯子の中段から手を伸ばしてスイッチを押す。

 

「……あれ? つかないぞ」

 

 どうやら、蛍光灯が切れてしまったようだ。

 梓の話ではこの地下室は長く使っていなかったようだし、湿気などで腐食劣化してしまっていたのだろう。この栄光灯がつかなければ、窓のない地下室では天井の扉から漏れる倉庫からの明かりに頼るしかなくなる。

 

 小さく溜息を吐いた暁は、脱いだ防寒具を着直し、近所のコンビニへ替えの蛍光灯を買いに出掛けるのだった。

 

 

 

 

 

 

 蛍光灯を買い終えてポアロに帰り着く頃には、既に日没を迎えていた。

 近場のコンビニに目当ての蛍光灯が売っておらず、少し遠出して周りにタワーマンションが立ち並ぶ大きな家電量販店まで出向くことになってしまったのだ。

 昼と比べて寒さも一段と増しており、暁の吐いた息も白く染まる。

 

「さぶっ……早くストーブにあたって休もうぜ」

 

 震えるモルガナに急かされつつ、暁はポアロの前で玄関の鍵を取り出そうとポケットを漁る。

 

 そこでふと、顔を上げてみる。ビルの隅――二階にある毛利探偵事務所に続いている階段の前で、何やら入ろうかどうか迷って右往左往している女性が目に入った。

 気になった暁が声を掛けると、彼女はひどく驚いたように身を竦ませ、恐る恐るといった風にこちらを見る。

 

 なんと、その女性は病院で出くわした、あの茶髪の女性であった。

 

 病院で会った時と同じく帽子を目深に被り、サングラスをかけている。まるで、昨日の大谷がしていたような顔を隠すための装いである。

 

「あ、貴方は、病院で会った……」

 

 どうやら、彼女も暁のことを覚えていたらしい。

 目の前の喫茶店に住み込みでバイトしている者だと言った後で、毛利探偵事務所に用があるのかと暁は尋ねる。

 

 彼女は、サングラス越しでも分かるほど不安そうな顔付きをしつつ、こくりと頷いた。

 

 

 

 

 毛利探偵事務所に依頼をしに来たようであるが、どうにも踏ん切りが付かないようである女性。

 買った蛍光灯をポアロに置いた暁は、そんな女性を連れ立って二階に上がり、毛利探偵事務所を訪れる。階段は三階まで続いており、ビルの三階は毛利家の自宅となっているようだ。

 

 アルミ製の扉の前に立ち、事務所のチャイムを鳴らす。中から「はーい」という女の子の声が聞こえてくる。

 

「お待たせしました! ……えっと、仕事のご依頼ですか?」

 

 扉から開けられ、中から長髪の少女が暁達を出迎えた。

 確か、毛利探偵の娘の毛利蘭だ。エプロンをしているところからして、これから自宅に戻って夕食の準備に取り掛かろうとしていたのだろう。

 仕事の依頼かと聞く彼女に対して、暁が連れてきた女性は小さく「そ、そうです」と頷いて答える。

 

「ダメダメ、今日はもう閉店! 店仕舞いなんだよ!」

 

 奥から毛利探偵の声が聞こえてくる。まさか酒でも飲んでいたのだろうか? 妙に呂律が回っていない口調だ。テレビでも見ているのか、女性の歌声のようなものも聞こえる。

 

「もう、お父さん! ……ごめんなさい、今日は訪問先の依頼主が料金が高いって依頼をキャンセルしちゃって……それで機嫌が悪いんです」

 

 どうやらその依頼主は軽い気持ちで探偵に依頼したようだ。暁も相場を詳しく知っているわけではないが、気軽に依頼できるほど安くはなかったはずだ。

 扉の向こうから、「全く、何がそんなに高いと思いませんでした、だ。探偵舐めてんじゃねえぞ!」と毛利探偵の文句がぐちぐちと聞こえてくる。

 事件を解決するようになって仕事の依頼が少しずつ増えてきているようだが、まだ前途多難な様子だ。

 

「……あ、あの、もしかしてなんですけど……アイドル歌手の沖野ヨーコさん、ですか?」

 

 暁の隣に立っている女性をじっと見ていた蘭が、急にそんなことを女性に向けて聞いてきた。

 

 ……アイドル歌手?

 

「な、何ィッ!? 沖野ヨーコ!!?」

 

 それを聞きつけた毛利探偵が、血相を変えて娘である蘭を押し退けて扉から顔を出してくる。相応に荒れていたようで、髪はボサボサ、シャツもヨレヨレだ。

 

「は、はい……その沖野ヨーコです」

 

 飛び出してきた毛利探偵に少し引き気味になりながらも、女性はサングラスを外してそう名乗った。

 毛利探偵は数秒ほど硬直していたが、再度蘭を押し退けて事務所内にとんぼ返り。「ちょっと、お父さん!」と、文句を投げ掛ける彼女も目に入らないといった勢いで奥に引っ込んでしまう。

 

 扉の隙間から埃が舞い出てくるほどドタバタ何かしていたかと思うと、奥の扉がガチャリと開いた。

 先ほどの乱れた髪やシャツはどこへやら。結婚式で着るような白いスーツでポーズを決めた毛利探偵が姿を現した。

 

「お待たせしました……お話を伺いましょうか、お嬢さん」

 

 毛利探偵の着ているスーツよりも白い視線が彼に集まり、暁の鞄からモルガナも顔を出す。

 

「……誰だ、このオッサン」

 

 

 

 

 

 

 なんと、女性の正体は今現在探偵事務所のテレビに映し出されている人物、沖野ヨーコというアイドル歌手であった。

 事務所に彼女のポスターが貼られているのとあの反応からして、毛利探偵は彼女の大ファンのようだ。

 

 暁もルブランの屋根裏に杏からプレゼントしてもらったアイドルのポスターを飾っていた。が、仲間からのプレゼントだから飾っていただけで、生憎とそのアイドルの名前すら覚えていない。

 

「私……誰かに監視されてるみたいなんです」

 

 そう言って、ヨーコは己を悩ます問題について話を切り出す。

 監視されているという話だが……帰宅すると家具の位置が変わっていたり、無言電話や隠し撮りした写真が送り付けられたりしているらしい。

 

「先日、担当のマネージャーが私を家に送ってくれた帰りに刺されてしまって……私、怖くてしょうがないんです」

 

 そして、ついには被害者まで出てしまったようだ。件のマネージャーは重症だったようだが命に別状はなく、今は入院しているらしい。

 今日の午前中に病院で暁と出会ったのは、そのマネージャーの見舞いに来ていたからだったのだ。

 

「マネージャーが刺された? それは、警察には連絡したんですか?」

「いえ……意識を取り戻したマネージャーから騒ぎになったらいけないと言われて、連絡はしてません」

 

 仮に騒ぎになって色々と噂されれば、国民的アイドルとしてのクリーンなイメージに汚れが付いてしまう。マネージャーはそれを危惧し、刺された自分を発見した通行人にも救急車だけ呼んでくれと頼んだといったところか。

 犯人をヨーコのファンと推測し、大好きなヨーコ自身を殺そうなんて真似はしないと考えてのことだろうが、それでも警察に連絡しないのは考え物だ。

 

「なるほど、それで私に依頼を! では、まずは何か手掛かりがないか、ヨーコさんのご自宅に……ん? おめぇ、なんでここにいるんだ!?」

 

 そこまで話して、毛利探偵はヨーコと一緒にいる暁にようやく気付いたらしい。

 昨日の一件で暁のことは覚えていたようだが、まさか今の今まで同席していることに気付いていなかったとは……ヨーコのことしか目に入っていなかったようだ。

 

「あ、この方は下の喫茶店の前でお会いして……えっと」

 

 そういえば、まだ名乗っていなかった。

 来栖暁ですと名乗り、たまたまヨーコと出くわして探偵事務所に入りづらそうにしていたから、付き添いを買って出たと伝える暁。

 しかし、大好きなアイドルと一緒にいるのが気に食わないのか、毛利探偵の顔がみるみる歪んでいく。

 

「じゃあ、もう用はねえな。おめぇはさっさとウチに帰れ!」

 

 ウチといっても、今それにあたるのはこの下にある喫茶店なのだが。

 ストーカーの類は怪盗団として活動していた頃に関わっている。そのこともあって、暁はできれば手助けしたいと言うも、毛利探偵は帰れの一点張り。

 

「あの、毛利さんも依頼を受けてくださるみたいですし、大丈夫ですよ。これ以上ご迷惑をおかけするわけにはいかないですから……」

 

 当のヨーコにそう言われてしまうと、さすがにお暇するしかない。

 暁は来客用のソファから腰を上げようとする。

 

「小五郎のおじさん! このお兄さんにも手伝ってもらおうよ!」

 

 ――暁が腰を浮かせたところで、今の今まで黙って話を聞いていた眼鏡の少年が急にそう声を上げた。

 彼は確か、先日の事件で現場をウロチョロしていた好奇心旺盛な子だったか。

 

「コナン君?」

「ああ? 急に何言い出すんだこのガキは」

 

 蘭にコナンと呼ばれた少年――えらく変わった名前だ――は、暁を指差して続ける。

 

「だって、昨日の事件ってこのお兄さんが解決したんでしょ? 一緒に来てくれたらすごく心強いと思うんだけどな~」

「え、そうなの? お父さん」

「ま……まあな。オレほどじゃねえが、人並み以上には頭が回る坊主だ」

 

 梓を救おうと懸命だったことから、暁のことを多少は認めているらしい毛利探偵は素直にそう答えた。

 

「……事件を解決した? あ、あの……でしたら、申し訳ないんですけどご一緒していただけますか? 人が多い方が安心できるので……」

 

 暁が事件を解決した経験があると聞いて、ヨーコは暁の手を両手で握ってそう懇願してくる。本当に不安でしょうがないのだろう。

 元より、協力しようと思っていたのだ。暁はもちろんですと答え、ヨーコを落ち着かせるべく、自分の右手を握る彼女の両手をもう片方の手でそっと包む。

 

「ぐぎぎぎぎぎッ……!」

 

 それを見ていた毛利探偵はさらに顔を歪ませ、周りに音が聞こえてくるほど激しく歯軋りをする。睨み付けるその血走った目は、どう見ても探偵がしていい目じゃない。

 暁は身の危険を感じ、慌ててヨーコの手を離した。

 

「ほら、お父さん! ヨーコさんが住んでるマンションに行くんでしょ? 早く支度してよ。コナン君もね」

「ぐぎっ……って、蘭! おめぇらまで付いて来るつもりか!?」

「だって、アイドルの部屋って滅多に見ることできないし。ヨーコさんも人が多い方がいいって言ってるんだもの。そうですよね?」

 

 ウキウキした様子の蘭の問い掛けに、ヨーコは「は、はい」と頷く。

 まるで友達の家に遊びに行くような雰囲気だが、不安そうにしているヨーコを元気付けようとしているのか、それとも素なのだろうか。

 

 とにもかくにも、ヨーコの同意を得られては毛利探偵も断ることができない。

 

「……ったく、絶対に捜査の邪魔をするんじゃねえぞ。分かったな!?」

「「はーい」」

 

 毛利探偵の言葉に、揃って答える蘭とコナン。

 子連れの探偵なんて聞いたこともないが、なんとも愉快な三人である。探偵事務所とは思えないほど和やかな空気だ。ヨーコも最初の時と比べて顔色が少し良くなっている。

 

 ……それにしても、ヨーコはどうしてこの探偵事務所を訪れたのだろうか? 毛利探偵も最近名が売れてきているが、他にも実力のある探偵はいそうなものだが。

 

「おい坊主! ぼうっとしてねえでさっさと行くぞ!」

 

 早々に支度を終えた毛利探偵に急かされ、暁は彼らに続いて探偵事務所を出る。

 

 すっかり暗くなってしまった星空の元、一行はヨーコの自宅であるマンションへと向かうのであった。

 

 

 

◆◇◆◇◆◇◆◇

 

 

 

 ヨーコの自宅は、タワーマンションの25階にある部屋。

 

 その部屋に向かう中、あまり縁の無い場所に暁はついキョロキョロと辺りを見回してしまう。

 高い所と言えばスカイタワーに何度か赴いたことはあるが、それとは違った高揚感がある。窓から覗く夜景はまさに絶景だ。

 

「暁兄ちゃん、そんなにキョロキョロしてどうしたの?」

 

 コナンにそう指摘され、暁は自分が都外から来たということと、こういった華やかな場所に馴染みがないということを告げた。

 それを聞いたコナンは「ふ~ん」とだけ口にして、何事もなかったように廊下を進んでいく。

 

 それにしても、妙に幼げな口調で話す少年だ。

 暁が事件を解決したことを話す彼の言葉には確かな知性を感じさせたが、その口調のせいで少し奇妙な印象を受けてしまった。周りの人間はそこまで気にしていないようだが……

 

 先日の事件でバイクのブレーキに細工がされているのを見つけたのも、そういえば彼であった。

 蘭によると、彼は毛利探偵の息子というわけではなく、事情があって預かっている居候らしいが、一体どんな親だったらあのような子供――決して悪い意味ではない――に育つのだろうか?

 

 会ったこともないコナンの両親に少しばかり興味を持った暁であったが、今は関係ないと窓にやっていた視線をヨーコ達の方へと戻した。

 

「ここが私の部屋です。どうぞ、上がってください」

 

 自宅の扉の鍵を開け、暁達を部屋に案内しようとするヨーコ。

 

 

「え……? き、きゃあああああッ!!」

 

 

 しかし、部屋の中を見たヨーコが恐怖に顔を歪ませ、甲高い悲鳴を上げた。

 それを聞いた毛利探偵が「どうしました!?」と、後ずさるヨーコを庇うように前へ出て部屋の中に入る。

 

 

 

 部屋には、バスローブを着た茶髪の女性が、包丁で背中を刺された状態で倒れていた。

 

 

 

「坊主! 警察に連絡しろ!」

 

 すぐさま容態を見た毛利探偵は既に女性が死亡していることを確認するや否や、そう暁に声を投げ掛けた。

 蘭は携帯を持っていないらしい。急いで暁はスマホを取り出して警察に連絡した。

 

 

 

 

 

 

 ほどなくして、暁の連絡により目暮警部が部下を引き連れてヨーコの部屋に駆けつけ、現場検証が開始される。

 

「また君かね、毛利君。一度お祓いでも受けた方がいいんじゃないかね?」

「何を言うんですか、目暮警部! 事件に遭遇するのは名探偵の宿命という奴ですよ! なっはっは!」

 

 目の前で人が死んでいるというのに、よく笑えるものである。元刑事だから死体など見慣れているのかもしれないが、不謹慎には変わりない。

 暁や蘭、それにコナンの咎めるような視線に気付いたのか、毛利探偵は一つ咳払いをする。

 

「ん? 君はもしかして、暁君じゃないかね!? 昨日ぶりじゃないか。一体、どうして毛利君と一緒に?」

 

 暁のことを覚えていたらしい目暮警部。暁は頭を下げ、ヨーコの依頼のことやそれに協力していることを伝えた。

 

「その坊主のことはどうでもいいでしょう、警部! それよりも、被害者と現場の状況についてご説明します!」

 

 続いて、毛利探偵がヨーコから聞いた情報を警部に説明する。

 

 殺害された女性の名前は池沢ゆう子。死亡推定時刻は今日の夕方過ぎ頃で、ヨーコと同期デビューした女優らしい。

 バスローブの他、耳にイヤリングを付けた彼女の遺体は、入り口の扉の方を向いた状態でうつ伏せに倒れていた。恐らく、犯人から逃げようとしたところを背中目掛けて包丁で刺されたのだろう。

 だが、部屋の扉には鍵が掛けられていたし、窓も同様だ。ヨーコの話では、自分の他にこの部屋の鍵を持っている人はおらず、マンションの25階にあるこの部屋に外部から侵入するのは特殊な道具でも使わない限り不可能……つまり、密室殺人ということになる。

 

 それにしても、昨日に立て続けて殺人事件に遭遇してしまうとは……しかも、今回は密室殺人と来た。

 まるでサスペンス物の漫画や小説の中の世界に入ってしまったみたいだと、暁は心の中で一人ごちる。

 

「しかし、なぜこの女性は沖野ヨーコさんの部屋に? よく遊びに来ていらっしゃったんですか?」

「いえ、彼女がヨーコさんの部屋に来たことはないそうです」

 

 自分の部屋で人が殺害されたことにショックを受けているヨーコは、蘭に付き添われる形でソファに腰を下ろしている。顔色の悪い彼女の代わりに、毛利探偵が目暮警部の質問に答えた。

 

「……ふむ。ひとまず、現場検証の方を始めましょうか」

 

 目暮警部のその言葉を皮切りに、彼の部下達や鑑識課員、それに毛利探偵が部屋中を調べ始めた。

 暁も鑑識課員が被害者の物と思われる鞄を漁っているのを覗き見るなどして、控えめに現場検証に混じる。

 

 死体のあった部屋は、人が争ったような痕跡がそこかしこに散らばっている。

 警部達は、他の部屋に何か変わった様子がないか調べ始める。

 

「なっ! こ、これは!?」

 

 家具を調べていた目暮警部の部下の一人が、何かを発見したのか大声を上げた。

 それは、女性の部屋には似つかわしくない――拳銃であった。

 

「ヨ、ヨーコさん! この拳銃(トカレフ)は……」

「あっ、そ、それは……マネージャーが役作りのために用意してくれたモデルガンです。以前、出演した映画で女スパイの役を任されて……あの、有名な工藤有希子さんが出演していた映画のリメイク作ですよ」

「おお、あの映画ですか! 私も見ましたよ! いやぁ、有希子ちゃんに負けず劣らずといった感じで実に素晴らしかったっす!」

 

 警部達は銃口が埋められているのを確認して一安心し、その拳銃を手近なテーブルに置く。

 どうやら、見つかった拳銃はモデルガンだったようだ。遠目から見たら本物にしか見えないことからして、役に成りきれるよう極めて精巧に出来ているに違いない。

 暁はトカチェフじゃないのか? と首を傾げつつも、そう思案した。

 

 横で話を聞いていたコナンの口が引きつっているように見えたが、どうかしたのだろうか?

 

 

 

 

 それから、続けて現場検証が進められた。

 台所は足元の戸棚が開け放たれ、四本ある内の包丁差しは二本の空きが出来ていたが、その他の部屋は特に荒らされた形跡は見当たらなかった。密室を作り出すための仕掛けといったものも、また然りである。

 

「あれれ? お風呂、誰か使ってたみたいだね」

 

 そんな中、現場検証に混じっていたコナンがそう幼げな声を上げる。

 コナンが覗いているバスルームは換気扇が回されており、隅に腰掛けが倒れた状態で転がっていた。被害者の池沢ゆう子がバスローブを着ていたことからして、恐らく彼女が使用したのだろう。

 

「コラッ! ガキは大人しくしてろ!」

 

 それを見咎めた毛利探偵が、コナンの服の襟を掴んで蘭や暁達のいる方へ放り投げてくる。

 飛んできたコナンを、暁は咄嗟に受け止めた。

 

「あ、ありがとう、暁兄ちゃん。ねえ、暁兄ちゃんは何か見つけた?」

 

 床に降ろしたコナンにそう聞かれるも、離れたところから警察の現場検証を見ていた暁は、これといって手がかりになりそうなものは見つけていない。

 

「おい、暁。ソファの下に何か落ちてるみたいだぞ」

 

 と、そこへ、部屋を歩き回っていたモルガナが、ソファの下に何か落ちているのを暁に伝えてきた。

 

「わあ、かわいい! ヨーコさん、猫飼っているんですね!」

 

 モルガナの猫声を聞きつけた蘭。現場検証の邪魔にならないようにとモルガナを抱き上げ、そうヨーコに問い掛けた。

 首を横に振っているヨーコに代わって、暁は自分が飼っている猫だと答える。

 

「え、ええ! この子、来栖さんの猫なんですか!?」

「おまッ、こんなとこに猫なんか連れてくんじゃねえよ!」

 

 モルガナがポアロの猫だと知っている毛利探偵にそう注意されるが、暁はそれに待ったをかけてソファの下を覗く。

 そこには、派手な装飾をしたイヤリングが落ちていた。

 そのことを皆に伝えると、目暮警部がソファの下からそのイヤリングを取り出す。

 

「これは……ヨーコさんのイヤリングですかな?」

「い、いえ、違います。それ……ゆう子さんの物です!」

 

 イヤリングを見たヨーコは、そう断定した。以前、仕事先で会った時に付けているのを見たことがあるらしい。

 しかし、遺体の両耳にはしっかりとイヤリングが付けられたままになっている。恐らく別に持っていたものなのだろうが、どうしてそれがヨーコの家のソファの下に落ちていたのだろうか。

 

 皆が首を傾げている中、暁はゆう子がヨーコに嫌がらせをしていた犯人ではないかと、自分の考えを口にした。

 

 このイヤリングは、以前侵入した時に落とした物だろう。替えのイヤリングを落としたという可能性もあるが、覗き見した遺体の持ち物の中には替えのイヤリングを仕舞うようなポーチや袋は見当たらなかった。

 

「……そういえば、マネージャーからゆう子さんが私のことを恨んでいるって話を聞いたことがあります。ドラマの主役を、私に取られたからって……」

 

 暁の話を聞いていたヨーコが、力無い声でそう話し始めた。

 さらに聞くと、以前ヨーコは家の鍵を失くしてしまったことがあるようだ。忙しくて、鍵の交換をする暇もなかったらしい。

 そして、失くしたその日は仕事で件の池沢ゆう子と一緒だったと、ヨーコは付け加えた。

 

「失くしたと思っていた鍵は、恐らく池沢ゆう子に盗まれた……そして、その鍵を使って、彼女はヨーコさんの自宅へ不法侵入を繰り返していた。辻褄も合いますし、十中八九嫌がらせをしていたのも彼女と見て間違いないでしょうな」

 

 それから、粗方現場検証が終わって、大勢いた警察関係者も方々へ捜査に向かっていった。

 そのまま一息つき、色々と考え込んでいる目暮警部や毛利探偵にしばらく付き合うことにする。

 

「はぁ……こんな時、新一がいてくれればあっという間に解決してくれるのに」

 

 蘭が溜息混じりにそう呟いた。その呟きを聞きつけた暁が、新一? と聞く。

 

「工藤新一。私の幼馴染で、さっき話題に出た工藤有紀子さんの息子なんです。同じ高校二年生なんですけど、探偵やってて……これまで色んな事件を解決してきたんです」

 

 それはすごい。高校生という年齢で探偵として実際に事件を解決するというのは、普通できることではない。

 暁の知る高校生探偵も数々の事件を解決していたが、それは自作自演によるものであった。だが、それでも彼の頭脳は暁達怪盗団メンバーの誰よりも優れていたのは確かだ。彼もその工藤新一のように、真っ当な探偵を志していれば良かったのだが……

 

「でも新一、数週間前から行方が分からなくなってて……今どこにいるのかしら」

 

 そう言って、俯いた蘭の顔に影が差した。

 行方不明ということだろうか? だったら、目暮警部に相談した方が……と、暁が口を開きかけるが、傍らで何やら落ち着かない様子だったコナンが急に騒ぎ出す。

 

「あー! 蘭姉ちゃん、ボク喉渇いちゃったなぁ!」

「そ、そう? ヨーコさん、ジュースか何かありませんか?」

 

 妙なわざとらしさに声を掛けられた蘭は不思議がっているが、ヨーコから冷蔵庫にジュースが入っているのを聞いて台所へ向かおうとする。

 そこへ、警部の部下――確か、高木という刑事だ――彼が指紋鑑定の結果を報告しに来た。

 

「目暮警部! 包丁の柄から採取した指紋の鑑定が終わったと、鑑識から連絡がありました」

「おお。それで、どうだったのかね?」

「はい。家主であるヨーコさん以外の指紋は見つかりませんでしたが、指紋とは別に手袋痕が付着していたようです」

「手袋痕か……」

 

 報告を聞いた毛利探偵が、そう呟く。

 手袋などをしていれば、もちろん指紋は検出されない。しかし、その手袋で触った痕跡は残るのだ。犯人を特定することはできないが、重要な手がかりと成りえる。

 

 状況としては家主であるヨーコが怪しいと考えていた目暮であったが、その報告を聞いた時点で彼女を犯人の候補から外した。わざわざ手袋を着けて指紋の付着を防ぐ必要がないからである。

 もちろん、そう思わせるためにわざとそうしたという線もあるが……

 

「ねえ! ゆう子さんとヨーコさんって、後ろ姿がそっくりだよね!」

 

 その時、遺体の傍に近づいていたコナンが、大きな声でわざとらしくそう口にした。

 それを聞いた暁達は、うつ伏せの遺体とヨーコを見比べてみる。

 

 同じウェーブのかかったロングの茶髪。背格好も似ているし、後ろから見たら確かにそっくりに見えるかもしれない。

 

「そうか! 分かりましたよ、警部! 池沢ゆう子を殺害した犯人と、ヨーコさんのマネージャーを刺した犯人は、同一人物なんです!」

 

 コナンの言葉を聞いた毛利探偵は、得意気にそう声を上げた。

 そして、自分の考えを述べ始める。

 

「常日頃ヨーコさんのマンションを見張っていた犯人は、池沢ゆう子がヨーコさんのマンションに入っていく姿を見て、彼女をヨーコさんと勘違いしてしまったんです。入った部屋もヨーコさんの部屋とくれば、その勘違いもさらに深まる。大ファンであるヨーコさんに近づきたいと、頃合を見計らって犯人は鍵が開いたままの部屋に侵入しましたが、自分を拒否して抵抗する池沢ゆう子にカッとなって、台所の包丁で逃げる彼女の背中を刺してしまった! そこで、殺害した相手がヨーコさんでないことに気付いた犯人は、彼女が持っていた鍵を使ってこの密室を作り出したんです」

 

 この寒い中、外でマンションを見張っていたのであれば、手袋などをしていたとしても不思議ではない。衝動的な殺害である場合、証拠を残さないために包丁に触る前に手袋を付ける、なんてことはできないが、そういうことであれば包丁に付着していた手袋痕にも説明が付く。

 

「なるほど……それならば、そのマネージャーを刺した人物について捜査しなければならないな」

 

 毛利探偵の話を聞いた目暮警部はそう呟くが、その顔は少し浮かない。

 それもそのはず、マネージャーが刺されたのは数日前だ。証拠が残っている可能性は低い。それはつまり、事件の捜査が行き詰まる可能性が高いことを示していた。

 

 しかし、毛利探偵はそれには及ばないとばかりに首を横に振る。

 

「いえ、警部。その必要はありませんよ」

「何ィ? ま、まさか毛利君、犯人の目星が付いているのかね!?」

 

 驚きに目暮警部はそう声を上げる。周りの人間も同様だ。

 暁も毛利探偵の話に集中して耳を傾ける。一体、その犯人とは誰なのだろうが?

 

 毛利探偵は、勿体ぶるように含み笑いをし、左手をポケットに入れながらゆっくりと右手を挙げ始める。

 

 

「ヨーコさんのマネージャーを刺し、池沢ゆう子を殺害した犯人……それは――」

 

 

 その右手の人差し指が立てられ、ある人物(・・・・)を鋭く指差す。

 

 

 

「来栖暁! お前だッ!」

 

 

 




誤字報告をしてくださった方々、ありがとうございます。

誤字報告といえば、感想からではなく運営側で用意された機能を使って誤字報告することもできるようです。
最近その機能を使って報告してくださった方がいらっしゃり、私もそれで存在を知りました。

誤字箇所と報告者による修正文がDiffソフトのように比較されて表示されるので、便利な機能だと思います。

こちらもなるべく推敲して誤字を無くすよう努めますが、それでも誤字を発見された方は、申し訳ないですがそちらの機能を利用して報告をしてくださると助かります。









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FILE.7 アイドル密室殺人事件 後編

 周りの者が一斉に驚愕の声を上げて、暁を見る。

 犯人と指差された暁は、予想外のことに茫然自失状態だ。そんな暁を鋭い目で睨め付けつつ、毛利探偵は腕を下ろして言い分を続ける。

 

「どうして、ああもヨーコちゃんに積極的に協力しようとしていたのか……それは、その猫を殺人現場であるこの部屋から回収するためだ!」

 

 そう言って、今度はモルガナをズビシッと指差す毛利探偵。

 

「ワ、ワガハイ?」

 

 モルガナはまさか自分が話に出てくるとは思わず、うろたえている。

 

「ポアロでその猫を使って客の人気を得ていたお前は、ヨーコちゃん相手にもその方法を試みようと鞄に入れてマンションを見張っていた。だが、勘違いで池沢ゆう子を殺害してしまい、慌てて逃げた先で鞄からいつの間にか猫がいなくなっていることに気づいたんだ。今更部屋に戻れないお前は、たまたまヨーコさんに出くわした状況を利用したんだよ! 部屋の中に入ってから猫が見つかれば、実は連れてきていたと言って誤魔化せるからな!」

 

 言っていることは辻褄があっていそうではあるが、モルガナをここへ連れてきたのは今日が初めてだ。もちろん、暁はそう反論して自分は犯人ではないと主張した。

 

「確かに、猫は一度身を隠すと中々見つからないというがね毛利君。私は彼が犯人とは思えないのだが……暁君、念のため聞くが、ゆう子さんの死亡推定時刻である夕方過ぎ頃は、どこで何をしていたのかね?」

 

 目暮警部からアリバイの確認をされた暁は、顎に手を添える。その時刻、自分が何をしていたかを思い出した。

 確かその時刻、自分は切れてしまった蛍光灯の替えを買いに出掛けていた。

 だが、購入したのはこのマンションの近くにある家電量販店。そこで買い物したレシートを見せたとしても、アリバイにはならない。

 

 暁にアリバイのないことを確認した毛利探偵は、間違いないとばかりに目暮警部に顔を向ける。

 それでも、目暮警部は納得いっていない様子だ。証拠らしい証拠はないのだから。

 

「ところで、ヨーコさん。貴方はどうして毛利君の事務所へ依頼をしに行ったんですかな?」 

 

 ふと気になったのか、目暮警部がそうヨーコに問う。

 

「えっと……実は、いつの間にかバッグに毛利さんの名刺が入っていて、それを見て依頼をしに行ったんです。他に当てもありませんでしたから……」

 

 答えつつ、ヨーコはバッグからその金色に輝く名刺を取り出す。

 それは、暁が梓から受け取った毛利探偵の名刺だった。病院でヨーコと出くわした時に手放した記憶があるが、その後すっかり存在を忘れていた。恐らく、その時彼女の荷物に紛れてしまったのだろう。

 暁に渡した本人である梓も忘れていたのだろうが……あんなにも輝いているというのに、なんとも皮肉である。

 

「あ、そういえば、午前中に病院で来栖さんと会った時に、バッグの中身を撒き散らしてしまって。もしかして、その時に紛れたんじゃ……」

 

 ヨーコもそのことを思い出したようだ。

 しかし、暁としては出来れば思い出して欲しくなかった。

 

「毛利君、暁君に名刺を渡したことは?」

「いえ、ありません。ですが、梓ちゃんに渡したことはあるので、恐らく彼女から……」

 

 目暮警部と毛利探偵はそうコソコソと話した後、暁に目線を向ける。それには、はっきりとした疑いの念が含まれていた。

 つられる形で、蘭やヨーコもソファから立ちあがって警部達と同じく暁を見ている。ヨーコはどうにも戸惑っているような様子だ。

 

「なるほど、お前はヨーコちゃんのバッグにオレの名刺を紛れ込ませ、事務所へ来るよう最初から仕向けていたんだな」

 

 そんな、昨日の大谷のようなことをした覚えはない。名刺が紛れたのは偶然だ。

 そう首を横に振って訴える暁だが、そんな彼の元に目暮警部が歩み寄ってくる。

 

「……毛利君の推理が正しいかは定かでないが、君に疑わしい部分があるのは確かなようだ。すまないが、重要参考人として署まで同行を願えるかな?」

 

 目暮警部が不承不承といった顔でそう声を掛けてくる。

 暁が梓を助けようと庇った事実が、犯人なのかどうか判断するのを迷わせているのだろう。

 

 そんな顔で言われては、強く出ることができない。

 目暮警部なら、他者の話を鵜呑みにして話を聞かずに暁を逮捕するなんてことはしないだろう。疑いを解くためにも、任意同行に応じて詳しい事情を話す方がいいのかもしれない。

 

 そう考えて、暁は同行を求める目暮警部に頷こうとしたが――

 

 

「ふぎぇッ!?」

 

 

 突然、毛利探偵が潰れたカエルのような声を上げてふらつき、近くにあった椅子に座り込んだ。

 

「おいおい、どうしたんだあのオッサン。すげぇ声出したぞ」

 

 モルガナが驚きのあまり、尻尾の毛を膨らませてそう声を上げる。

 一体どうしたというのだろうか?

 

「待ってください、警部殿。彼は犯人ではありません」

「はぁ!? 毛利君、さっきと言っていることが真逆だぞ……そういえば、以前もこんなことがあったような……なあ、高木君」

「え、ええ……以前関わった事件でも、こんな感じで座り込んだかと思ったら急に態度を変えてしまって……」

 

 どうやら、毛利探偵がこのような状態になるのは初めてではないようだ。

 傍目からは眠っているように見えるが、声を出している辺り起きているらしい。しかし、口が動いていないように見えるが……

 

「暁君が犯人ではないと……しかし、君が先ほど言ったように、暁君が怪しいというのは間違ってないだろう? 彼がヨーコさんのバッグに君の名刺を紛れ込ませて――」

 

 目暮警部の言葉を遮って、毛利探偵は俯いた状態のまま話を続ける。

 

「警部殿、それこそが彼が犯人でない理由ですよ。ちゃんと状況を整理してみてください。彼とヨーコさんが病院で会ったのは、午前中の出来事。そして、被害者である池沢ゆう子が殺害されたのは夕方頃で、彼らが私の探偵事務所の前で再会したのが日没時……」

 

 毛利探偵がそう出来事を整理したことで、目暮警部の隣に立っている高木刑事がポンと手を打つ。

 

「そうか! 故意に名刺を紛れ込ませて毛利さんの探偵事務所で出くわすように仕組んでいたとしたら、この殺人は起こるはずがないです! だって、わざわざマンションを見張って侵入する必要なんてないんですから!」

 

 名刺のことを考慮すれば、辻褄が合わなくなるのはちょっと考えれば分かることだ。

 犯人扱いされてしまって混乱していた暁は、それに気づくことができなかった。前の世界での冤罪経験が、暁の思考を鈍らせていたのだ。

 

「その通りだ、高木。それと、猫は今日初めて連れてこられたようです。部屋に猫を放っておけば、普通テーブルなどの上に置かれている小物を玩具にして落としたりしますが、そんな形跡は荒らされた現場以外の場所で見受けられませんでした」

「(い、言ってることが本当にさっきとまるで違う)……し、しかし、彼が犯人でないとしたら、捜査は振り出しに戻ったということか」

 

 目暮警部は溜息を吐いてコートと同じ色の帽子に手をやる。

 暁としては疑いが晴れたことは嬉しいが、どうにも釈然としない。疑われる原因となったのは、疑いを晴らしてくれた毛利探偵自身なのだから。

 

「警部殿、捜査は振り出しに戻ってなどいません。私が先ほどわざと間違えた推理をしたのも、その犯人を油断させるためです」

「え、お父さん。どういうこと?」

 

 そう目暮警部に返す毛利探偵に蘭が疑問の声を上げ、その場にいる全員の視線が集まる。

 振り出しに戻っていないとは、一体どういうことだろうか?

 

 

 

「真犯人はここにいるんだよ。そう……バスルームの天井裏にね!」

 

 

 

 毛利探偵がそう言い切ると同時に、バスルームから男が勢い良く飛び出してきた。

 突然のことに対応が遅れる警部達の横をすり抜けて、男はヨーコを羽交い絞めにするとその首に包丁を突きつける。包丁を握る手には、手袋が嵌められていた。

 

 ヨーコを人質に取った男を刺激しないように皆が距離を取り、部屋に緊張が走る。蘭などは武術の心得があるのか、何か拳法の構えを取っている。

 

「……どうして、分かった?」

 

 ひどく荒い呼吸のまま、男は毛利探偵にそう問いかける。

 

「……あのバスルーム、換気扇がつけられていたんですよ」

「当たり前だろ! そこの女が使ったんだからな!」

 

 毛利探偵の答えに、池沢ゆう子の遺体を顎で指して怒鳴り返す男。

 暁はなるほどと納得して頷いたが、警部達は毛利探偵の言葉の意味を理解していないようだ。

 

「おかしいじゃないですか。貴方が殺した池沢ゆう子は、嫌がらせ目的でヨーコさんの部屋に侵入していたんですよ? それならば、バスルームを使った後も換気扇をつけずにおいて、水浸しの状態にしたままにしておくはずでしょう」

「だが、毛利君。彼はどうして換気扇をつけたんだ?」

「人を殺害したばかりで興奮状態であった彼は、湯気が篭ったままのバスルームが息苦しくてしょうがなかったんです。だから、換気扇をつけたんですよ。バスルームを使った後で換気扇がついていても、普通なら不審に思われることはないでしょうからね」

 

 

「……そういうことか」

 

 そこまで説明されて、男は大きな溜息の後でそう吐き捨てた。

 憎々しげに毛利探偵を睨み付けるその表情からして、本当は見つけられた理由なんてどうでも良かったのだろう。

 

「おい、そこのお前! ここにいる奴ら全員から携帯を取り上げて、ガムテープか何かで縛り付けろ!」

 

 男はナイフをヨーコの首に食い込ませて、視界の隅にいた暁にそう命令した。

 目暮警部に目配せすると、彼は神妙な顔付きで従えと頷く。

 

 暁はヨーコにガムテープの場所を聞くと、警部達の手や足をそれで縛り、回収した携帯を手の届かない場所へ放る。手抜きをしていないか男が確認した後、暁も自分のスマホを放り、包丁を突きつけられたヨーコによって縛り付けられた。

 

「おい、ヨーコ! ちゃんと縛れ!」

「は、はい……」

 

 ヨーコは暁の手首に巻くガムテープを緩くしようとしていたが、犯人に指摘されて已む無くそれを諦める。

 

 

 全員が縛られて動けなくなったことを見届けると、男はそのままヨーコを連れて部屋を出て行った。

 部屋を出て行ったことを確認して少しした後、いつの間にか姿を眩ましていたモルガナが暁の元に駆け寄ってくる。

 

「ったく、ワガハイに感謝するんだぞ」

 

 モルガナは暁の手首に巻かれたガムテープを、器用に爪を使って剥がす。

 暁はモルガナに礼を言うと、足首に巻かれたガムテープも外しにかかった。

 

「あ、暁君! 一体どうやって……」

 

 動けるようになった暁を見て警部達は驚くが、ヨーコがほんの少しだけ緩くしてくれていたと言って誤魔化し、警察関係者を優先して他の人の拘束も解きにかかる。

 

「ありがとう、暁君! 高木君、急いで犯人を追うぞ!」

「はい!」

 

 警部達は動けるようになると同時に、携帯を回収して急いで部屋を出て犯人を追いかけ始めた。 

 部屋の外に出ると、ヨーコのリボンがエレベーターの前の床に落ちているのが目に入る。視線を上に上げると、エレベーターの現在位置表示が下の階に向かっていき、1階で止まるのが見えた。

 

「犯人は下へ逃げたみたいだ! すぐに連絡を……」

「警部! こちらのエレベーターに乗りましょう!」

 

 警部達は犯人が下へ向かったと判断して、携帯で下に待機させている部下達に連絡する。そして、自分達も別のエレベーターに乗って下へと向かった。

 

「こらっ、コナン君! どこ行こうとしてるの!? 危ないからここにいなさい!」

「は、離してよ蘭ねえちゃん! あっちは違うんだってば!」

 

 蘭の次に拘束が解かれたコナンは真っ先に部屋を出ようとしたが、蘭に羽交い絞めにされている。毛利探偵は拘束する時もそうだったが、ガムテープを解いても眠りこけたままだ。先ほどまで鋭い推理を披露していたというのに……憧れのアイドルがピンチの時に何を考えているのだろうか。

 

「暁、ワガハイの耳はしっかりと聞いていたぞ! あの男、一度エレベーターに向かった後、すぐ引き返して別の場所へ向かっていったんだ!」

 

 モルガナは男が出て行った後、ドア越しに足音を聞いていたらしい。

 猫の聴覚を持つモルガナが言うのなら間違いない。落ちていたリボンは、下へと向かうエレベーターを見て、咄嗟に仕掛けたのだろう。

 暁はテーブルに置かれていたヨーコのモデルガンを手に取ると、毛利探偵や蘭達をその場に残して部屋を出る。

 サードアイを発動して男が残していった足跡を辿ると、足跡は非常階段へと続いていた。

 

 上と下、どちらに向かったのだろうか? 25階もの高さを階段で降りるには時間が掛かりすぎる。ましてや、人質を連れているのだ。降りるとしたら、わざわざ仕掛けなどせずにそのままエレベーターを使うだろう。

 だとしたら、上に? 上へ行っても屋上に着いて行き止まりだ。

 

 そこまで考えて、暁の脳裏に最悪の事態が浮かび、急いで非常階段を上へと登っていった。

 

 

 

◆◇◆◇◆◇◆◇

 

 

 

 肌を刺すような寒さが襲う真夜中。

 月が照らす屋上で、犯人の男はヨーコの腕を掴んだまま彼女と相対する。

 

「ヨーコ……一緒に死のう。僕らを引き離そうとする、こんな世の中なんて捨てて」

「や、やめて……! 明義さん!」

 

 男の名は藤江明義。ヨーコと高校時代に付き合っていた、所謂元カレだった。

 

 ヨーコがアイドルデビューすると同時に、担当マネージャーからヨーコと別れてくれと頼まれ、自分から交際を切った。しかし、アイドル歌手として有名になったヨーコをテレビで見て、必死に諦めようとしていた彼女への想いが抑え切れなくなったのだ。

 

 ヨーコに会いたい一心で彼女の周辺を嗅ぎ回っている最中、彼女の自宅から帰宅する途中のマネージャーに見つかってしまった。

 そこで、急に目の前が真っ白になり、気付いたら自分が持っていた折り畳みナイフで刺された彼が目の前に倒れていた。

 

 部屋に侵入した時も、バスローブを着た池沢ゆう子をヨーコと勘違いして話しかけようとしたが、自分を見るなり悲鳴を上げて逃げようとしたのを見て、またしても目の前が真っ白になった。

 気付けば、マネージャーの時と同じように刃物で彼女を刺し殺していた。

 

 そんなつもりなんてなかったのに、気がつけば目の前の人間を殺している。

 逃げてもいつかは警察に捕まってしまうことに絶望した彼は、そのままバスルームの天井裏に隠れて彼女が帰宅するのを待った。丁度今そうしているように、愛する彼女と無理心中しようと考えたのだ。まさか、探偵を連れてくるとは思わなかったが。

 

 

 藤江が包丁を手にヨーコへ迫る中、非常階段を登り切った暁が扉を開け放って屋上に現れる。

 

 

「ッ!? 来るなぁ!!」

 

 藤江が先ほどと同じようにヨーコの後ろに回りこんで、彼女の首に包丁を突きつける。

 暁は、息が荒い状態で何とか説得しようとするが、彼は聞く耳を持たない。

 

「うるさい! お前に僕とヨーコの何が分かるっていうんだ! 誰にも邪魔なんかさせないぞ!!」

 

 暁に向けて、大声でそう叫ぶ犯人。

 彼の目はヨーコを見ているようで焦点が合っていない。もはや正気でないのは明らかだ。まるで、絶望によって負の精神が暴走しているかのように。

 暁の持っているモデルガンは視界にすら入っていないようだ。何かの役に立つかと思って持ってきたが、これでは脅しにも使えない。

 

「ぶにゃあーッ!」

「ガッ! こ、このクソ猫め!」

 

 モルガナが背後から忍び寄ってヨーコを助けようと飛び掛るが、微々たるダメージしか与えられず、振り払われて床に叩きつけられてしまった。

 応援のパトカーのサイレンがマンション下から聞こえてくる。そろそろ、目の前の男が下へ逃げたのではないと気付く頃だろう。

 

「もう、時間がない。できれば、君に頷いて欲しかったけど…………ヨーコ、僕もすぐにそっちへ向かうよ」

「い、いやぁー!!」

 

 サイレンを聞きつけた彼は、ヨーコにそう告げると、手に持った包丁を高く掲げて彼女に向けて振り下ろそうとする。

 ヨーコは悲鳴を上げて目を瞑り、目の前に迫る刃から逃げようとする。

 

 暁もなんとか止めようと駆け出して手を伸ばすが、とても間に合わない。

 

 

 ――それでも、暁は諦めない。最後の、その瞬間まで。

 

 元いた世界にいる仲間のためではない。元の世界に戻るためでもない。

 

 

 

 目の前の、救いを求める人間を助けるために――!

 

 

 

 その時、時間がゆっくり流れていくような感覚を覚えると、次の瞬間には世界が止まり、暁以外の物の色が失われた。

 

 デジャブを感じている暁の頭に、聞き覚えのある透き通るような声が届く。

 

 

 

 ――ようやく思い出したようですね、マイトリックスター。それこそが、貴方という人間を形作る信念。これまでの困難に打ち勝ってきた礎です……これで貴方は、力を行使する条件を満たしました。

 

 

 

 その声に続く形で、昨日の事件でも聞いた懐かしい声が内より響く。

 ……いや、懐かしいというのは間違いだ。これは、この声は、自分自身の声(・・・・・・)なのだから。

 

 

 

 ――フハハハハ! 待ちわびたぞ、我が半身よ! さあ、我が名を叫び、解き放て! そして、汝に宿る反逆の意思という名の正義を、世に知らしめるのだ!

 

 

 

 声に応じて暁は頷き、ゆっくりと顔に手を翳す。

 

 

 

 

 ア ル セ ー ヌ !

 

 

 

 

 何かを皮膚ごと引き剥がすような動作を切欠に、暁の背後に大きな人の形をした何か(・・・・・・・・・・・)が、内に秘められた反逆を示すもう一人の自分が、地鳴りを響かせつつ現れる。

 黒翼を携え赤を基調とする夜会服を着た、まさに"怪盗紳士"と呼ぶに相応しい風貌をしたそれが顕現すると同時に、世界の有り様が乱されるかの如く、青白い波に包まれた暁の様相が怪盗の姿へと変化する。

 

 白いドミノマスクを着けた、漆黒の夜会服。

 心の怪盗団"ザ・ファントム"のリーダー……ジョーカーの姿だ。

 

 見据えた先でナイフを振り下ろそうとしている男に、悪魔のような姿が重なって見える。

 

 

 

 ――奪え!

 

 

 

 認知の影響によって本物へと変化した銃を構え、アルセーヌと共に発砲した弾丸が音速を超えて風を切る。

 男が高く掲げている包丁の刃が暁の銃弾によって砕かれ、アルセーヌの銃撃が悪魔の身体に風穴を開ける。

 

「ぐわあぁッ!?」

 

 その衝撃で男は放り出され、ヨーコと共に倒れる。

 ヨーコは、倒れた際に頭を打って気絶してしまったようだ。

 

 

 

 倒れた男――藤江は、悔しそうに泣き声を上げている。

 

「どうして、皆邪魔をするんだ……僕達は、愛し合っているのに……」

 

 それに対してジョーカーは、今の自分を見てもそう言えるのかと、問うた。

 藤江は、砕けて地面に散らばっている包丁の刃の欠片に映る自分の顔を見る。

 

 ――欠片に映った自分の顔は醜く歪み、愛する人に向ける顔など、これっぽっちもしていなかった。

 

 何もかも悟った藤江は、その場にがくりと項垂れる。

 そして、地を涙で濡らしながら謝罪の言葉を繰り返し始めた。

 

 

 終わった……と、一息ついているジョーカーの目の前に光が現れる。光を掴み取ると、その正体が露わになる。

 それは、沖野ヨーコの写真であった。見た感じ、隠し撮りしたものだろうか。

 

 ……これが彼の"オタカラ"か。

 このオタカラが柱となって、彼はあそこまで歪んでしまったのだ。

 

 ジョーカーはそれを頂戴し、懐にしまう。

 それと同時に、急に身体を極度の疲労感が襲う。大谷から梓を庇った時とは比較にならないほどだ。

 

 壊れた機械のように謝り続ける藤江と気絶するヨーコを残して、ジョーカーはその場に倒れ込んで意識を手放してしまった。

 

 

 

◆◇◆◇◆◇◆◇

 

 

 

 気が付くと、暁は病院の個室のベッドで寝かされていた。

 病衣に着替えさせられている暁は上半身を起こし、ぼうっと窓の向こうの風景を見やる。

 

「あ、暁君! 目が覚めたんだ! 良かった~、心配したんだよ!」

 

 扉の開く音が聞こえたかと思うと、梓と目暮警部が病室に入ってきた。

 どうやら、丁度お見舞いに来てくれたようだ。

 

「具合はどうかね? 暁君」

 

 目暮警部の問いかけに、特に問題はないと答える暁。

 それを聞いた警部は、梓に続いて暁に疑いをかけてしまったことを謝った後、暁が気絶してからの出来事を教えてくれた。

 

 警部とその部下達が屋上へ駆けつけた時、倒れている暁と気絶しているヨーコの前でひたすら謝り続けている犯人の藤江を発見した。

 先に駆けつけていたコナンと蘭が到着した時には、すでにその状態であったようだ。

 

 警察は謝罪を繰り返す藤江を逮捕し、倒れているヨーコと暁を救急車で米花総合病院へと搬送させた。それが暁が気を失った後の顛末らしい。

 

「しかし、どうやって藤江明義を無力化したのかね? あのモデルガンは役に立たなかっただろうし、ヨーコさんの話では包丁で刺される寸前だったみたいだが……」

 

 そう警部に問われるが、ペルソナのことを話すわけにもいかない。

 暁は蹴りで包丁を砕いて説得したと答えた。そして、説得が成功して安心すると同時に気が抜けて気絶してしまったと。

 

「なるほど。しかし、蹴りで包丁を砕くとは! 蘭君と良い勝負ができそうだな」

「でも、暁君無茶しすぎだよ!」

 

 何とか納得してくれたようだ。

 苦笑いしながら梓に謝る暁だが、モルガナがいないことに気付いてどうしたのかと聞く。

 

「ああ、そうだ。暁君、モナちゃんまで連れていっちゃうんだから。病院にいさせるわけにもいかないから、私がポアロに連れて帰っておいたよ」

 

 そう答える梓の様子からして、モルガナも特に問題は無さそうだ。

 

 それからしばらく雑談し、特に怪我を負っているわけでもないので、軽い検査をし終えればすぐにでも退院できるだろうということを聞かされる。

 ちなみに、ヨーコの部屋から持ち出したモデルガンは警察が回収し、物が物なので後日ヨーコの元へ送り返すこととなっているようだ。

 

「では、ワシはそろそろお暇しようかな。調書を取りたいから、体調が回復したら時間がある時にでも警視庁へ足を運んでくれ。これは、ワシの携帯の番号だ」

 

 一通り話し終えた目暮警部は、そう言い残して電話番号を書いたメモをテーブルに置くと、病室を後にしていった。

 

「それじゃあ、私もお見舞いに持ってきた林檎を切ってくるね。後でマスターの所にも持っていこうかな」

 

 そう言って、梓も病室を出ていく。

 

 目暮警部に言ったように、身体に異常は見当たらない。

 意識を失うほどの疲労であったというのに、一晩休めば大体回復するようだ。

 

 それにしても、久しぶりにペルソナを召喚した。

 包丁を正確に撃ち抜くこともできたし、銃の腕はコーヒーやカレーと同じで落ちていないようだ。

 だが、どうしてペルソナを召喚できたのだろうか? ここは認知世界ではないはずなのだが……

 

 そこまで考えたところで、病室の扉がノックされたので暁は返事をする。

 開けられた扉の先には、暁と同じく病院に運ばれた沖野ヨーコが立っていた。

 

「あの……昨日は助けてくださって、本当にありがとうございました」

 

 そう礼を言って、深々とお辞儀をするヨーコ。

 礼には及ばないと、暁は首を横に振る。人を助けることこそが暁の信念であり、正義なのだ。

 

 刺される前に自分の蹴りが間に合って良かったと、暁は話す。

 確か、彼女は刺し殺されそうになった際に目を瞑っていたし、倒れた後は気絶していた。目暮警部との話では、自分がナイフを蹴り砕いたということにしておいたし、変にごまかさずにそれに合わせる形で話して大丈夫だろう。

 

 しかし、そんな暁の言葉に対して、ヨーコは口を開けて小さく疑問の声を漏らした。

 思わぬ反応に、暁は首を傾げる。

 

「え……? でも私、来栖さんが白い仮面を着けて、大きな翼のようなものを生やしていたように見えたんだけど……」

 

 何やら、ぶつぶつと呟いている。

 しかし、暁の視線に気付いて、慌てて取り繕うように笑った。

 

「ご、ごめんなさい! 私何か見間違いしてたみたいで……」

 

 顔を赤くして困ったように笑っているヨーコ。

 アイドルなだけあって、それは雑誌に写っている杏のように魅力的に見えた。

 

「でも……白い仮面を着けてた来栖さん、テレビに出てくるヒーローみたいで格好良かった、かな」

 

 ヨーコは照れ臭そうにしながら小さく呟いているが、上手く聞き取れなかった暁はもう一度言って欲しいと頼む。

 

「な、何でもないです! 本当に、何でもないですから!」

 

 さらに顔を赤くして、ヨーコは顔の前で両手をヒラヒラとさせつつそう捲くし立てた。

 しかし、急にピタリとその手を止めてしまう。彼女の目は、ある場所をじっと見つめている。つられて彼女の視線を辿ると、そこには暁の服が畳まれているのが見える。

 

 

 その服に挟まれる形で、藤江から頂戴したヨーコの写真がはみ出していた。

 

 

 しまった、と暁の顔が引きつる。

 

「あの……もしかして、来栖さん……本当に私のファン、だったんですか?」

 

 本当に、というのは、毛利探偵の迷推理のことを言っているのだろう。

 ここでそうではないと言ったら、なぜ写真を持っているのかという話になってしまう。

 

 仕方なく、暁はそうだと答えた。せっかくだ、この機会に彼女のファンになるのもいいかもしれない。毛利探偵のような熱狂的なファンまでとはいかないが、陰ながら応援しよう。

 

 それと、自分のことは名前で呼んで欲しいと、暁は付け加えた。

 来栖さんと呼ばれることは元の世界でもあまりなかったし、何となく落ち着かないからだ。

 

「え? ……う、うん! これからも応援よろしくしますね、暁君!」

 

 ――彼女からの信頼と好意を感じる。

 

 

 ほどなくして、暁と電話番号などを交換した彼女はマネージャーのお見舞いに行くと言って暁の病室を後にしていった。

 

 アイドルか……と、手を頭の後ろに組んで枕に沈む暁。

 あっちの世界で言えば、杏からもらったポスターのアイドルと知り合いになれた、ということである。協力者であった東郷一二三も美しすぎる女性棋士として有名ではあったが、アイドルというわけではない。

 人並み外れた経験をしているとはいえ、まだ杏の胸に目が行くような青少年。アイドルと知り合いになれて暁はなんとなく良い気分になった。

 

「お待たせ~」

 

 そんな彼の元に、林檎を切り終わった梓が戻ってくる。

 

 

「ところで暁君、私聞きたいことがあるんだけど……その隠し撮りの写真について」

 

 

 目が笑っていない梓を前にして、先ほどの良い気分もどこへやら。

 その目は、世紀末覇者先輩を彷彿とさせるのであった。

 

 

 




ようやくペルソナを召喚させられました。と言っても、出番は一瞬ですが。

それはさておき、いつも感想ありがとうございます。全て目を通してあります。
感想に答えられる質問が含まれている場合のみ返信しようと考えていますので、よろしくお願いします。







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FILE.8 怪盗団再結成

 無事その日の午後には病院を退院し、ポアロに戻ることできた暁。

 

「まだ本調子じゃないだろうし、今日は休んでてもいいよ」

 

 そう梓に言われ、モルガナと状況を整理したいのもあって今日一日はお言葉に甘えることにした。

 

 これは目暮警部が教えてくれたことだが、真犯人である藤江明義は進んで逮捕されたらしい。今現在も相変わらず謝罪を繰り返しつつも自責の念に駆られた様子で留置所に拘束されている。

 ヨーコを人質にして心中を図ろうとした殺人未遂に加えて、彼女のマネージャーを刺した容疑と池沢ゆう子を殺害した容疑――それらについて自供から証拠が固められ次第、じきに拘置所へ移送されることとなるだろう。

 

 藤江の身体と重なって見えた悪魔のような影――すなわち、シャドウ。

 抑圧された一面、歪められた人間の感情そのものであるソレを倒し、歪みの元であるオタカラを頂戴したことで"改心"したのだ。

 

 もはや、ペルソナを使って誰かを改心させるようなことは無いと思っていたが、こんな形で再びそれを行うことになるとは思わなかった。

 しかし、どうしてペルソナを召喚できたのだろうか? ここは別世界とはいえ、現実であることには違いない。

 

「確かに現実じゃペルソナは使えない。あの時(・・・)のような状況になれば別だが……」

 

 モルガナが言っているあの時(・・・)という言葉を聞いて、暁の脳裏にある光景が浮かぶ。

 

 ――認知世界が現実に侵食した、赤い雨水に浸された渋谷。

 巨大な骸が地中より這い出た、まるで地獄のような光景。それが、暁達怪盗団の最終決戦の場であった。

 

 あの光景は、大衆が心の奥底で己を生きる屍のような存在と思い、現実そのものを地獄として見ているという無意識が生み出したものなのかもしれない。

 大衆のシャドウを地上から地下深く悪神の元へ運んでいた列車は、さしずめ棺桶といったところだろうか。

 

 だが、この世界はそのような状況に陥っているわけではない。

 そんなまさかと思っていると、ポアロの地下室に見覚えのある光を放つ青い蝶が舞い込んできた。

 

 蝶がまばゆい閃光を放ち始め、暁とモルガナは思わず目を閉じる。

 

 

 

 光が止んで目を開けると、群青色のドレスを着た少女――ラヴェンツァが暁の目の前にその姿を現していた。

 

 

 彼女のプラチナブロンドの髪がふわりと浮かび、消えていく青い粒子と共に華奢な足を地下室の床に着ける。

 そして、ゆっくりと瞼を開き、その琥珀の如き金色の瞳を覗かせた。

 

「御機嫌よう、マイトリックスター」

 

 ラヴェンツァは優雅に一礼し、柔らかに微笑んで挨拶する。

 ここにラヴェンツァが来られたということは……彼女が以前言っていた条件をクリアしたということだろうか? 暁はそう問い掛ける。

 

「その通りです。貴方はこの世界でも己の最たる信念を反逆の意思として発現させ、見事アルカナの力を行使することを成功させました」

 

 アルカナの力? と、彼女の言葉に首を傾げる暁。

 

「覚えているでしょう。貴方が悪神を討ち倒し……"世界"のアルカナを手にしたことを」

 

 その言葉を皮切りに、ラヴェンツァは暁がペルソナを召喚できた理由を説明し始めた。

 

 歪みの影響なのか定かではないが、この世界は通常ではシャドウが顕現できない程度に中途半端な状態で認知世界と混ざり合っている状態だということが、調査の結果判明したらしい。

 もちろん、そんな不安定な環境ではペルソナを召喚できたとしてもまともに扱うことはできない。暁が正常にペルソナを召喚できた理由は、悪神との最終決戦を制して得た"世界"のアルカナにある。

 

 アルカナは簡潔に言えばペルソナの属性のようなものであり、それぞれに対応した意味と力を秘めている。

 暁は元の世界で様々な人物と交流を深めてきた。交流相手の辿っている人生、性質からアルカナが定められ、それに対応した仮面(ペルソナ)の力を得る。それはすなわち、現実世界において暁という人物を構成する認知要素の一つとなるのだ。

 

 その中でも、"世界"は特別な力を秘めたアルカナ。奇跡の意味を失くすと言われるその力があれば、多少の制限はかかるものの、現実世界においても認知を操作することによってペルソナを正常に扱うことができるらしい。暁があの時ペルソナを召喚できたのも、己の信念に基づいた反逆の意思に反応し、そのアルカナの力が行使されたからである。

 

「なるほど……そういうことだったのか。だがラヴェンツァ殿、それならあの藤江とかいう男のアレはどういうことなんだ?」

 

 そこまで黙って説明を聞いていたモルガナが、ラヴェンツァにそう疑問をぶつける。

 モルガナの言っているアレとは、藤江のシャドウのことだろう。暁がアルカナの力によってペルソナを召喚したのなら、彼は一体どうしてシャドウを顕現させることができたのか? 確か、ペルソナとシャドウは本来同一のものであり、大体は制御できているか否かの違いしかないはずである。

 

「……それも"世界"のアルカナによる力です。追い詰められた状況という前提はありますが、暴走(・・)の影響を受けた相手のシャドウもアルカナの効果によって表に引きずり出すことが可能なようです」

「暴走? まさか……!」

 

 モルガナが思わず声を上げると、ラヴェンツァがそれに応えるようにこくりと頷いた。

 

「この世界で立て続けに起こる事故や事件……元の世界でも似たようなことがあったでしょう? ……恐らく、同じ"精神暴走"によるものと思われます。以前の物とは毛色が少し違い、その者に生じた歪みを大きくするような作用を起こす形になっているようですが……可能性は十分考えられるかと」

 

 元の世界でも、地下鉄の脱線事故や殺人、不祥事などが頻繁に発生していた。しかし、それはある人物の力で故意に精神を暴走させられたことによるものであったのだ。

 ……確かに考えてみれば、こうも事件が頻繁に起きている状況はそれとよく似ている。もし、ラヴェンツァが言っていることが本当ならば――

 

「同じような能力を持った何者かが、暗躍しているということです。この世界でも……」

 

 そういうことだ。暁はラヴェンツァの言葉に頷く。 

 だが、獅童の時と違って、かなり無差別で自分達の利益のためとは思えない。なぜそんなことをしているのか不明だ。

 

 何にせよ、このまま見過ごすことなど到底できない。

 

「これは、怪盗団の出番だな!」

 

 モルガナが飛び上がり、興奮気味にそう口にする。

 確かに、精神暴走によって歪みを大きくされた者をどうにかするには、シャドウを懲らしめて歪みの大元であるオタカラを頂戴し、"改心"させるしかない。

 

 しかし、言い出したモルガナはすぐに意気消沈したような顔をしてその場に座り込んだ。

 

「と言いたいところだが、アイツラがいないし……ワガハイとコイツの二人だけじゃ、"団"とは呼べないな……」

 

 残念そうに尻尾を垂らすモルガナ。

 暁も仲間のことを考えて目を伏せていると、ラヴェンツァはクスクスと悪戯っぽく笑い始めた。まるで、次の課題を発表する時のカロリーヌを思わせる笑いだ。

 どうしたのかと思っていると、とんでもないことをラヴェンツァが告白する。

 

 

「ご心配なく。この私が怪盗団に入団し、マイトリックスターを支えます」

 

 

 これで三人ですね、としたり顔で付け加えて。

 暁の眼鏡が傾き、モルガナが座っていたソファの肘掛けからズレ落ちた。暁は震える手で眼鏡を直しながら、イゴールのことは放っておいていいのかと聞く。

 

「今まで遠出していた兄がこの度帰省しましたので、彼に任せることにしました。世話することに関しては、私より兄の方がおあつらえ向きです」

 

 ……それでいいのか。

 そのラヴェンツァの兄と会ったことはないが、いつも面倒事を押し付けられて尻に敷かれているのではないだろうか。会ったこともないその人物に同情の念を抱く暁。

 

 いずれにしても、ベルベットルームの住人であるラヴェンツァがいてくれるのは心強い。元の世界の仲間達がいないのは非常に残念だが、状況からして怪盗団を再結成せざるをえないのだから。

 特殊な能力など無くても、自分や絆を結んだ人達の力を合わせれば困難を打破できることは前の世界で理解したが、精神暴走が絡んでいる以上そういうわけにもいかない。

 

 それに、どうやら今回はパレス――歪みを持った人間の目に映るもう一つの現実が具現化した場所――に侵入するといったことをする可能性は低いらしい。なぜなら、この不安定な環境の影響なのかパレスがあったとしても具現化できないからである。それならば、少人数でもどうにかなりそうだ。潜入して仕掛けを解いて行くなどの楽しみが無くなってしまうのは惜しいが、それは贅沢というものだ。

 

「ま、まあ、何にせよ……これで怪盗団再結成、だな! "ジョーカー"!」

 

 ベルベットルームの群青色を模したような青い瞳を暁に向けて、嬉しげにそう呼ぶモルガナ。その言葉に、暁は懐かしい高揚感を覚えてニヤリと笑う。

 力強く頷いて応える暁と、それに満足気な笑みを浮かべるモルガナとラヴェンツァ。

 

 ――コードネームで呼ばれるのは、実に久しぶりのことであった。

 

 

 

 

 しかし、再結成したはいいものの、これからどうするべきだろうか。

 

 この世界では前の世界と違って三島が作った怪盗お願いチャンネルのようなサイトは存在しない。前の世界では、そのサイトを使って大衆から改心して欲しい相手を募り、標的(ターゲット)を絞っていた。そういった手段が取れない上にこんな無差別な被害状況では、精神暴走の標的にされるような相手を探そうにも当てが無さ過ぎる。

 不謹慎ではあるが、都合良く事件に巻き込まれるなどすれば、いずれ精神暴走の犯人の足取りを掴めるかもしれないが……それも雲を掴むような話だ。

 

 

 そこまで話し終えたところで、地下室の天井扉がノックされる音が頭上から聞こえてくる。

 梓だろうか? 暁はとりあえず今はベルベットルームへ戻ってくれとラヴェンツァに言う。

 

「嫌です」

 

 いや、そんなこと言わずに。と、暁は口を引き攣らせながら戻るよう促すが……

 

「嫌です」

 

 澄ました笑顔で、その一点張りを繰り返すラヴェンツァ。

 どうしたものかと焦っていると、暁の返事を待たずして天井扉の開く音が聞こえてくる。

 モルガナが咄嗟に梯子を登って扉の前まで走り、暁は慌ててラヴェンツァの手を取ってベッドの毛布の下に隠す。

 

「わっ!? びっくりした~……モナちゃん、そんなところにいたら危ないよ?」

 

 梓が開かれた扉から顔を覗かせているが、モルガナが上手く壁になってくれている。

 もごもごと暴れるラヴェンツァを毛布の上から押さえつつ、仕事かと梓に問い掛ける暁。

 

「あ、ううん。そうじゃないの。えっとね……」

 

 梓は何やら言いづらそうにしつつ、自分の背後を気にするようにそちらへ目線をやっている。

 一体どうしたのだろうかと思っていると、横から眼鏡を掛けた女性が梓を押し退けて顔を出してきた。

 

「こんにちは、暁君」

 

 笑みを浮かべて見下ろすその女性は、暁の後見人を担当している弁護士の妃英理。

 ……その笑みは、怒ってますということがありありと分かるほど、歪なものであった。

 

 

 

◆◇◆◇◆◇◆◇

 

 

 

 ラヴェンツァをモルガナに任せて地下室を出た暁は、妃弁護士にこってりと叱られた。

 無罪放免となり再び同じ罪に問われることはないといえ、警察関係者からマークされていることには変わりない。例の事件を担当した静岡県警から警視庁へいくらか情報が伝わっている可能性もある中で、自分から事件に首を突っ込むような真似をするなんて、何を考えているのかと。

 

「まあまあ、妃先生。暁君も反省してると思いますし、それくらいにしときましょうよ」

「でもね、梓ちゃん! ……はぁ、しょうがないわね」

 

 梓が妃弁護士を宥めたおかげで、彼女は渋々といった様子でそれ以上の文句は胸の内に押し留めることにしたようだ。しかし、暁は叱られたというのに、どこか胸に込み上げるようなものを感じて思わず微笑んでしまった。

 

「ちょっと、暁君。何を笑ってるの?」

「叱られたのに……もしかして、暁君そういう趣味が……」

 

 私も仕事で厳しく怒った方が嬉しいのかなと、とんでもないことを言い出す梓に暁はイヤイヤと首を横に振り、弁解し始める。

 

 元の世界での傷害事件が仲間達の働きかけによって冤罪であったことが証明され、晴れて堂々と地元に戻ることができた暁。だが、息子の無実を信じてやることができなかった両親は、戻ってきた暁に対して過度に優しく接しながらも、どこかぎこちない態度を取っていた。

 何が言いたいかというと、暁は地元に戻ってからというもの親から叱られるといったことが全くなかったのだ。

 

 だからこそ、彼女が親身になって自分のことを叱ってくれることを嬉しく感じた。そういう存在は貴重である。思わず、惣次郎や川上のことを思い出してしまったものだ。

 

「……はあ。とにかく、今後は事件や厄介事に首を突っ込まないこと。例え巻き込まれたとしても、無茶はしないようにするのよ」

 

 暁の話を聞いて怒るに怒れなくなった妃弁護士は、重ねてそう釘を刺した。

 頷いて応える暁だが、心中は申し訳なさで一杯であった。再び怪盗団として活動し始めるのだから、事件に首を突っ込まずにいるなんてことは無理だからだ。

 

 そこでふと、暁は妃弁護士が先日去り際に言い残していったことを思い出した。

 

『この喫茶店の二階にある探偵事務所だけど、あそこには何があっても近づかないこと。ましてや、依頼なんて絶対にしないのよ。分かったわね?』

 

 これはもう、ほとんど"毛利探偵と関わるな"と言っているようなものだ。にも関わらず、妃弁護士は毛利探偵について特に言及することはなかった。暁が事件に首を突っ込んだという話だけを聞いて、毛利探偵が関わっていたことは知らないのかもしれない。

 ……とりあえず、暁はそのことについては黙っておくことにした。数々の死線を潜り抜けて培ってきた直感によって、話せばとんでもないことになりそうだと察したからである。

 

「あの子もそういうことを考えてたりするのかしら? アレを叱ってばかりでしょうし……あ、それよりも梓ちゃん。例の物は届いているかしら?」

 

 カウンター席のテーブルに肘を突いてぶつぶつと独り言を呟いていたかと思うと、妃弁護士は思い出したかのように顔を上げて梓に問い掛ける。

 

「ああ、制服ですよね? 届いてますよ。ちょっと取ってきますね!」

 

 問い掛けられた梓は淹れたばかりのコーヒーを暁に渡すと、パタパタと奥の扉を開けてスタッフルームの方へと向かっていった。

 制服? 誰の制服ですかと、暁がコーヒーを口に入れつつ妃弁護士に聞くと――

 

 

「何言ってるの。貴方の制服に決まってるでしょう?」

 

 

 …………は?

 

 飲み込んだコーヒーが気管に入ってしまい、激しく咽る暁。

 大丈夫? と聞いてくる妃弁護士に暁は片手を挙げることで応えつつ、咳が収まってからどういうことかと尋ねる。

 

「先日ようやく手続きが完了したの。来週からまた高校に通えるわよ」

 

 いや、そんな話を聞きたいのではない。全くもって訳が分からないのだ。

 例の事件の影響で地元の高校は裁判の結果を待たずして退学処分とされているらしいが、その後転校を希望していたということだろうか? 前の世界での暁は大学受験を間近に控えた高校三年生。こちらでも同じ学年だとしたら、妃弁護士の言っている帝丹高校もよく受け入れてくれたものである。そんな時期に編入を受け入れてくれる学校など、普通ないからだ。

 

「転校先は私の母校なの。貴方は二年だから、もしかしたら私の娘と一緒のクラスになるかもしれないわね」

 

 妃弁護士の言葉に眉を潜めて耳を疑う暁。

 

 ――二年? どういうことだ。元の世界とこちらでは、時間軸が違うのか?

 

 暁が思わずお金をばら撒きかねないほど激しく混乱していると、奥の扉から戻ってきた梓がビニールに包まれた制服を広げて見せてきた。

 

「じゃ~ん! ほら、これが暁君が新しく通う帝丹高校の制服よ!」

 

 藍色のブレザーに緑色のネクタイが目に入る。それが、暁が明日から通うことになる帝丹高校という学校の制服らしい。

 ……まさか、また二年から高校生活をやり直さなければならないのか。

 

 暁は混乱する頭を無理矢理治め、心の中で深い深い溜息をついた。怪盗団を再結成したばかりだというのに、前途多難とはまさにこのことである。

 

 

 

◆◇◆◇◆◇◆◇

 

 

 

 深夜。虫の音も聞こえない静かな暗闇の中、月明かりの差し込むある一室で電話をしている大柄な男がいた。

 男の服装は黒いスーツに黒い帽子とサングラス。周囲の暗闇に溶け込むようなまさに黒尽くめの様相をしており、その身体が月明かりによって一部照らし出されている。

 男は小さく、それでいてはっきりとした低い口調で電話口の相手と話を交わす。

 

「で、そっちの調子はどうだ?」

『へ、へい。特に問題はねぇです』

 

 携帯電話がスピーカーフォンになっているのか、相手の声が部屋中に伝わっている。

 男が話している相手は口調的に立場が下の人間なのだろうが、それだけとは思えないほどひどく怯えているということが電話越しでも分かる。まるで、電話を持つ相手の手の震えまでもが伝わってきているかのようだ。

 

「そうか。変わったことは何もなかったということだな?」

『もちろんです……あっ』

 

 そこまで話して、電話口の相手は何か思い出したかのようにそう声を上げた。

 

「何だ? どうした」

『いや……実は一度、妙な坊主が家を訪れまして……しつこくチャイムを鳴らすもんだから怒鳴り散らして追い払ったんすよ』

「ほう。どんな坊主だ?」

『背は高くて、年は……十代後半ぐらいですかね。妙に大人びていた感じだったんで、大学生かもしれませんです』

 

 男は電話口の相手の言葉を鼻で笑う。

 

「大人びている奴がしつこくチャイムを鳴らす、か。イタズラ目的じゃないようだな。で、それだけか?」

『い、いや! その……あの坊主、聞いてきたんすよ。"佐倉という人を知っているか"って』

「何?」

 

 聞き返す男の口調に怒気のようなものが含まれているのを感じてか、相手は焦ったように言葉を返す。

 

『も、もちろん俺は、"そんな()知らねぇ"って追い返しやしたよ! ヘマなんかしてねぇですって!』

「……そうか。引き続き、不審な奴が家を訪ねないか見張ってろ」

 

 聞くや否や、男は未だ言葉を続けている相手にも構わず電話を切った。

 その男の背後――影になっている部屋の隅から、同じ黒尽くめの服装をした長身で長い銀髪の男が月明かりの元に現れる。銀髪の男はゴロワーズ・カポラルという銘柄の煙草にマッチで火を点け、黒尽くめの空間に赤い灯りと灰色の煙を混ぜた。

 

「兄貴、どうやらあの家にアイツを訪ねてきた奴がいるみてぇですぜ」

「そのようだな……」

「……今更ですが、あのガキが作ったこの通話アプリ……本当に大丈夫なんですかい?」

「ヤツの娘の技術力は折り紙つきだ。組織随一と言っていいだろう。通信事業者に要請しようがハッキングしようが、情報を傍受されるようなことはない」

 

 銀髪の男も懐からスマホを片手で取り出し、見せ付けるように操作し出す。スマホの明かりに照らし出される人相の悪い顔。

 

「ところで、あの家を訪ねた奴についてはどうします?」

「放っておけ。ただの学生風情が嗅ぎ回ったところで、組織に辿り着くことなんざできやしねぇよ……それと、家を見張らしている男だが、都合の良い日にでも始末しておけ」

「え、なぜです?」

 

 大柄な男の疑問の声に口端を歪めた銀髪の男は、咥えた煙草を手に取って煙を吐き出した。帽子のツバから覗く三白眼が、人殺しなど厭わないとばかりに鈍く輝く。

 

「……いらねぇ情報を無自覚に渡すような奴は、必要ねぇからな。何、どうせ――」

 

 まだ吸い始めたばかりだというのに、銀髪の男は手に持った煙草を床に捨てる。そして、それを服と同じ黒い革靴で甚振るように踏みにじった。灰や残っていた葉が、血反吐のように散らばる。

 

「――末端の奴なんざ、いくらでも替えが利く」

「……了解」

 

 冷徹な笑みを浮かべた男達は、そのまま静かに部屋を後にしていった。それから、数分も経たない内に外から車のエンジン音が鳴り響き、闇へ紛れるかのように遠ざかっていく。

 

 後に残るのは、踏みにじられて真っ二つに千切れた煙草の残骸と、そこから香る独特な臭いのみであった。それはまるで、死臭のように――

 

 

 




プロットから書き上げてる途中、暁の転校先を帝丹高校ではなく怪盗キッドのいる江古田高校に変える案を思い付きました。ですが、帝丹高校に転校できたのは妃弁護士の口添えあってこそと考えると、何の関係もない学校に転校させるのは無理があるので諦めました。

学校まで案内するのをキッドにすれば、竜司と重ねて良い感じになるとは思うんですけどね。

追記:
暁の地元は原作でも正確に説明されていませんが、話の中で地元がどこか決めていないといけなくなってしまったので、静岡県としました。
ですので、事件を捜査したのも静岡県警となっています。コナンで静岡県警といえば横溝警部(兄)ですが、この頃はまだ埼玉県警所属ですので彼は事件に関わっていません。




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FILE.9 再びの高校生活

暁が米花高校に通い始められるのは明日からとしていましたが、来週からに変更しました。
重要な要素では全くないのですが、念のため報告しておきます。


 暁が盛大に頭を抱えている頃、帝丹小学校で授業を受けているフリをしながら考え込む小学生が一人。

 毛利探偵事務所に居候している眼鏡の少年――江戸川コナンだ。

 

 例の沖野ヨーコの事件は犠牲者は出たものの、事件自体は無事に解決できた。

 毛利探偵がポアロに住み込みでバイトをしている来栖暁という少年を犯人と名指ししてしまった時は焦ったが、コナンにとってはいつものことである。事件の度に彼が的外れの推理を披露するというのはもはや様式美となりつつあるが、いつか訴えられるのではないかと多少の不安を抱くコナン。

 当時のことを思い出して、引き攣った笑いが彼の頬を歪ませる。その呆れを含んだ顔は、小学一年生という年齢に似つかわしくない雰囲気を醸し出していた。

 

 それもそのはず、彼の正体は"工藤新一"という有名な高校生探偵その人なのだから。

 

 高校生(・・・)探偵であるはずの彼が、なぜ小学一年生などに身をやつしてしまっているのか。その原因は、数週間前に遡る。

 

 幼馴染の毛利蘭とトロピカルランドというオープンしたばかりの遊園地に遊びに行った新一は、そこで遭遇した事件を解決する最中、容疑者として立ち会った怪しい黒尽くめな二人組の男のことが気にかかった。

 結局彼らは犯人ではなかったが、事件が解決して帰ろうとしていたところでその二人組の片割れが人気のない場所へ向かうところを目にした。蘭に先に帰るよう言い残してその男の後を追った新一は、その先で拳銃密輸に関わる裏取引の現場を目撃する。新一はその様子を撮影していたが、夢中になっていたせいで背後から忍び寄ってきたもう一人の男の存在に気づかなかった。

 後頭部をバットで強打された新一は倒れ、意識が朦朧とする中で自分を殴った男に組織が新開発したという毒薬を飲まされる。毒薬の効果により骨が溶けるような激しい痛みに襲われた新一は、そのまま意識を失ってしまった。

 

(そして、気づけばこの身体か……)

 

 右肘を突いた状態で、自分の左手の平を広げて見るコナン。

 未完成であったのか定かではないが、毒薬は彼を死に至らしめることはなかった。それだけなら運が良かったで済まされるが、驚くべきことに身体が十七歳から七歳相当の状態へ幼児化してしまったのだ。

 それから、自宅の隣に住んでいる阿笠博士に事情を説明して匿ってもらった新一は、自分が生きていることを黒尽くめの男達に悟られないよう"江戸川コナン"という偽名を名乗ることにした。そして、蘭の父親で探偵事務所を営んでいる毛利小五郎の元へ、阿笠博士の親戚という形で居候することにし、今に至るのである。

 

 現在は、博士の開発した道具(メカ)――蝶ネクタイ型変声機と腕時計型麻酔銃を駆使し、迷推理を披露する毛利探偵の代わりに事件を解決している。そうすることで毛利探偵を有名にし、舞い込んで来る依頼から自分に毒薬を飲ませた黒尽くめの組織の手掛かりを掴もうと目論んでいるのだ。

 今のところ、大した成果は得ていない……が、気になることは一つある。

 

 

 ――来栖暁

 

 

 幼児化する前、まだコナンが工藤新一であった頃に何度か喫茶店ポアロへ行ったことはあるが、その頃彼はまだポアロで働いてはいなかった。コナンが毛利探偵事務所に居候し始めてから数週間後に、住み込みで働き始めたのである。まるで狙い澄ましたかのようなタイミングだ。

 

(奴らは自分達が殺した工藤新一の周辺を探っているかもしれない。そう仮定すると、来栖暁は奴らの仲間である可能性が少なからず出てくる。何度か視線を感じていたし、工藤新一を殺した同時期にひょっこり現れたオレを怪しいと見たか……行動に出ないことから見て、確信を得られていないことは確かだろう)

 

 とはいえ、来栖暁があの黒尽くめの仲間とは思えない人となりをしていることはコナンも承知している。

 ポアロのウェイトレスである榎本梓の危機を身を挺して庇い、先日は人質にされた沖野ヨーコを助けた。そんな人間が、人殺しに加担なんてするだろうか? それに、コナンは彼の顔はどこかで見た覚えがある……が、どうしても思い出せない。一体どこで見たのだろうか?

 

 とにかく、少しでも奴らの仲間である可能性が残っているのであれば、警戒するに越したことはない。真剣な顔付きでそう結論付けるコナン。

 そこで、隣の吉田歩美が彼の肩をトントンと叩いていることに気づく。コナンが反射的に黒板の方を見ると、教壇に立った先生が自分のことをじっと見ている。

 

「コナン君。教科書、56ページだよ」

「え? は、はい!」

 

 今は国語の授業中であった。コナンは慌てて教科書を持って立ち上がった。

 

「江戸川君。先生は教科書を開けと言っただけで、立って読みなさいとは言ってませんよ。授業は真面目に聞くように」

 

 教科書を持ったまま、顔を赤くして立ち尽くしているコナンを周りの子供達がゲラゲラと笑う。

 

(ちっくしょ~……早く元の身体に戻りてぇ)

 

 

 

◆◇◆◇◆◇◆◇

 

 

 

 暗澹とした曇り空にしとしとと雨が降る中、秀尽学園高校の黒いブレザーとは違う藍色のブレザーを着た暁は、他の生徒と混じって目的地である帝丹高校へ向けて歩を進めていた。

 

 どういうわけかは知らないが、この世界での暁はまだ高校二年生であったらしい。事件のせいで上京を余儀なくされ、上京先の高校へ転校する。多くの違いは存在するが、この状況はあの時(・・・)とまるでそっくりだ。暁の差している傘を打つ雨が、それを物語っている。

 それにしても、また高校生活を過ごすことになるとは思ってもいなかった。しかし、今は一月末。三学期なのだから、すぐに三年へ上がることとなるだろう。何も問題がなければの話だが。

 

「おい。前を歩いてるあの女子生徒、モウリの娘さんじゃないか?」

 

 いつも通り学生鞄に入っているモルガナがそう声を出して前方を指し示した。

 見ると、十数メートル先を二人の女子生徒が歩いている。傘が邪魔で見えにくいが、一人は毛利探偵の娘である蘭で間違いない。制服からして、彼女も暁と同じ帝丹高校に通っているようである。その隣を歩いているカチューシャを付けた茶髪の女子生徒は知らないが、一緒に登校していることからして蘭の友達なのだろう。

 

 ところで、現在進行形で困っている暁の元へ某青狸の如くやってきたラヴェンツァなのだが、彼女はポアロの地下室で留守番中だ。モルガナが着いて行けるのになぜ自分は駄目なのかと渋っていたが、こればっかりは仕方がない。モルガナのように鞄に詰めることはできないし、できたとしても色々と洒落にならない。暁とて拉致監禁の罪を問われる経験までしたくないのだ。

 今は余計なことは考えず高校に向かおうと、暁はモルガナの入った鞄を背負い直す。周りの生徒に着いて行けば、スマホで地図を確認せずとも辿り着けるだろう。

 

 

 

 

 無事帝丹高校に到着し、職員室を探し始める暁。

 初めての学校なのでどこに何があるのか分からない状態だ。周りの生徒に聞こうにも、先ほどから暁のことを遠目にヒソヒソとしている様子が見て取れる……慣れたものなので特に気にはならないが、気軽に尋ねるということは無理そうだ。

 

 そんな中、職員室を探して廊下を歩いていると、暁の背中に声が掛かった。その声を聞いた瞬間に、暁の胸がドクンと跳ね上がる。

 

「おーい、そこの君! 例の転校生でしょう? 職員室はこっちよ!」

 

 聞き違いだ、と思いつつも、込み上げる期待を捨てきれず。暁は、ゆっくりと背後を振り返った。

 

 ……目の前に立っていたのは、秀尽学園高校で暁の所属していたクラスの担任――

 

「私は川上貞代。貴方が入るクラスの担任。よろしくね、問題児君」

 

 ――兼メイドとして働いていた、川上貞代その人であった。

 

 

 

 

 

 

 結論から言うと、川上貞代は川上貞代ではなかった。

 

 何を言っているかと思うだろうが、そう言わざるをえないのだ。目の前の彼女は、暁のことを何一つ覚えていなかった。いや、覚えていないのではなく、知らないというのが正しいのだろう。

 

 ようするに、彼女はこちらの世界(・・・・・・)の川上貞代なのだ。名前も、声も、見た目も同じだが、それでも彼女は暁の知っている川上ではない。

 惣治郎の家がそのまま残っていたのだし、元の世界と同じ人物がこちらにもいるという可能性は暁も考えていた。だが、見つけたとしても相手は自分のことを知らないのではないかという懸念があったのだ。結果はその通りだった。

 自分は相手のことをよく知っていて共に日々を過ごした記憶があるにも関わらず、相手にとっては全くの初対面。これほど空しいものはない。

 

「まあ、色々大変だと思うけど、何かあったら相談して。弁護士の妃さんから話は聞いてるし、担任として力になるから」

 

 そう言って、暁に微笑みかける川上。

 元の世界の川上は、転校してきた暁という問題児を疎ましい存在として見ていた。もちろん、それは最初の頃の話だが、会って間もない頃の"頼むから大人しくしていてくれ"と言外に訴えるあの気怠げな目はよく覚えている。

 だが、この川上はそういった様子がないどころが、積極的に生徒の力になろうとしている。その姿はまるで、自分を取り巻く問題に向き合うことで教師を目指そうとした理由を思い出し、自力で改心を遂げた元の世界の彼女のようであった。

 

 どうやら、こちらの彼女に手を差し伸べる必要はなさそうだ。立派な教師として立ち振る舞っている川上を見て、暁は少し寂しさを感じたものの実に頼もしい気持ちになった。

 

「……あ、そろそろホームルームが始まるわね。それじゃあ教室に案内するけど、私が呼ぶまで廊下で待っててくれる?」

 

 秀尽高校に転校してきた日と同じような言葉――あの時は、城に迷い込んだり牢屋に閉じ込められたりと色々あって遅刻してしまったが――に内心くすりとしながらも暁は頷き、教材を抱えて先を歩く川上の後に続いた。

 

 

 

 

 暁が所属することになるクラスは2年B組だ。

 秀尽高校の時と同じように、川上から呼ばれて教室内に入る。

 

 入る前はヒソヒソと囁き合う声が聞こえていたが、暁が入った途端にしんと静まり返り、条件反射のように視線が暁に集中する。じろじろとこちらを伺うような視線。恐怖や不安が入り混じったもの、あるいは興味本位のもの、視線に含まれる感情は概ねそのようなものであった。

 自分があの事件で逮捕された人物であることは関係者以外には公表されていないはずだが、この様子だとSNSなどを通して地元から拡散された情報を皆見ているということだろう。暁を含めて、今時の若者はSNSを利用していない者の方が少ない。その若者が集まる高校なのだから、当然と言えば当然である。

 

「ああっ!」

 

 教壇の横に立つと、突然そう声が上がって、皆が声のした方を見る。

 声がした席には、先ほど通学路で見かけた毛利蘭が座っていた。隣には、一緒に登校していた女子生徒も座っている。

 

「毛利さん、どうかしたの?」

 

 川上の問いに、蘭は「な、何でもありません……」と返した。

 思えば、昨日の事件で蘭は暁に対して大人に向けるような口調で話していた。恐らく、背が高くて落ち着いた雰囲気を纏っている暁を見て、大学生かフリーターなのだと勘違いしたのだろう。元の世界であれば数ヵ月後には大学生になっていただろうし、ある意味では正解だったが。

 

「そう……ええっと、みんなには先日話したと思いますけど、うちのクラスに転入生が入ることになりました。来栖暁君です」

 

 川上が黒板に暁の名前を書いていると、ボソボソと囁き声が教室のあちこちから零れ始める。それを聞きつけたのか、名前を書き終えた川上は振り返り、幾分か鋭い目付きで教室中を見渡す。

 

「……彼について、色々と根も葉もない噂が流れているみたいですが、先生はみんなが噂に惑わされてアレコレ囁きあっているのを見たくはありません」

 

 そこまで言って川上は一度目を閉じると、スっと息を吸い込んでから再び目を開いた。

 

「ある評論家がこう言っていました。噂が流れると人はその話題で陰口を弾ませて、知らず知らずに鬼になってしまうと……みんな、自分が噂の対象になったという気持ちで、よく考えてみなさい」

 

 川上の言葉に、生徒達はそれぞれ顔を見合わせて気まずそうな面持ちになった。囁き声は止み、再び教室は静寂に包まれた。

 

 そのまま、その静寂を維持した状態で紹介は終わり、暁は窓際の空いた席に座ることとなる。これまた、秀尽の時と同じ位置だ。前の席に座っているのは仲間の高巻杏ではなく、毛利蘭だが。当の蘭は、先ほどまでの話が良く分かっていないのか、何やら困惑気味な様子をしている。

 ちなみに、隣は暁の席と同じく空席となっていた。見た感じ最近まで使われていた様子だが、体調不良で休んでいる生徒の物だろうか?

 戸惑いがちな視線を周りから感じつつも、暁は慣れたものと気にもせずそんな益体もないことを考えながら、自分の身体を壁にしてモルガナを机の中に忍ばせた。

 

 

 

 

 一時限目、国語の授業が終わって担当の川上が教室を出ると、蘭を除くほとんどの生徒が暁の席から離れる形で集まり、それぞれグループを作ってヒソヒソと話し始めた。

 

 

 ――川上先生はああ言ってたけどさ……

 

 ――絶対、アイツだよ。まとめサイトでそう断言されてたし……

 

 ――鞄にナイフとか仕込んでるんじゃない?

 

 ――てか、何でアイツ猫連れてきてんの?

 

 

 川上の注意はそこまで効果を与えなかったようだ。だからといって、暁は特に気にしない。こういった問題が簡単にどうこうできれば暁は元の世界でも苦労しなかったし、川上の言っていた格言も生まれなかっただろう。

 

「ねえ、みんなどうしたの?」

 

 皆の様子を訝しげに見ていた蘭が、そう問い掛けた。

 周りと同じように離れていた女子――蘭の隣に座っていた生徒だ――が暁に背を向けるようにして蘭の手を引き、コソコソと耳打ちする。しかし、彼女は普段から声が大きいのか、その内容が暁に筒抜けだ。

 

「蘭、アンタ知らないの!? 彼、去年噂になった事件で裁判に掛けられた奴なのよ! SNSでトレンドになってたじゃん!」

「そうなの? 私、新一のせいで携帯失くしちゃってるから……でも、確かそれって無罪になったんだよね?」

「……そうだけど、真犯人捕まってないし。やっぱり彼が犯人なんだってみんな言ってるわ」

 

 女子生徒から話を聞いた蘭が、肩越しに振り返って暁の方へ視線を向ける。

 

「全く、好き勝手言いやがるぜ……」

 

 机の中で毒づいているモルガナを暁は撫でることで嗜めていると、蘭が口を開いた。

 

 

「来栖さんは犯人じゃないわよ」

 

 

 思わず、暁はモルガナの撫でる手を止めて、蘭の方を見る。他の生徒達も、困惑した表情で蘭に注目し始めた。

 

「え……ら、蘭?」

「だって来栖さん、一昨日の事件で人質を命懸けで助けたし、その前のポアロで起きた事件でも梓さんを庇ったってお父さんが言ってたわよ。そんな人が、殺人なんてすると思う? それに、川上先生も言ってたけど、そんな風にコソコソと好き勝手噂話するの……良くないわ」

 

 蘭の話を聞いた周りの生徒達は、信じられないといった様子で暁を見る。

 

 

 ――本当に?

 

 ――ちょっと信じられないけど……

 

 ――ねえ、何でアイツ猫連れてきてんの?

 

 

 続けて、妙に迫力のある目で蘭に睨みつけられたせいか場が居た堪れないような雰囲気になる。生徒達はそれ以上噂話を続けることは諦め、各々自分の席に向かうか教室を離れるなどしていった。

 

「……その、ゴメンなさい!」

 

 暁が思わぬ擁護に少し呆けていると、蘭と話していた女子生徒が暁の前まで来てそう頭を下げた。

 

「蘭や先生の言う通りよね。アタシ、どうかしてたわ」

「園子……」

 

 園子と呼ばれた女子生徒に、暁は笑って気にしていないと答える。

 それを聞くや否や、その女子は先ほどとは一転、明るい口調で自己紹介し始めた。

 

「アタシ、鈴木園子。何を隠そう、あの鈴木財閥のご令嬢よ! んで、こっちは知ってるんだろうとは思うけど、親友の毛利蘭。よろしくね、暁君!」

「よろしく。それと、ごめんなさい。私同級生だなんて思わなくて……すごく大人びてたし」

「あれ~? 蘭、アンタ工藤君っていう夫がいるのに目移りしちゃったわけ?」

「違うって! て言うか、夫じゃないし!」

 

 工藤と言うと、蘭が以前言っていた工藤新一という幼馴染のことだろう。園子の言い方からして、その二人はクラス公認の仲と察せられる。

 それにしても、園子は財閥の令嬢で――ようするに金持ちらしい。暁が知っている財閥と言えば、南条財閥とその分家である桐条財閥。それを除いて、単純に金持ちなら仲間である社長令嬢の奥村春が当てはまる。暁が真っ先に思い浮かんだのも彼女だ。だが、園子は彼女と違って一見して令嬢と思えないほど明け透けな印象を受ける。典型的なクラスのムードメーカーという感じだ。

 

 そこで、二時限目の開始のチャイムが鳴り、次の授業を担当する教師が教室に入ってくるのを見た二人は、パタパタと自分達の席に座りに戻る。

 

「良かったな、アキラ。噂を気にせず接してくれる奴がいて」

 

 机の中から小声でそう言うモルガナを、暁は先ほどよりも優しい手付きで撫でた。

 

 

 

◆◇◆◇◆◇◆◇

 

 

 

 そして、四時限目。四時限目は体育で、暁は学校指定のジャージがまだ届いていない。今日は仕方なく見学することにした。

 担当の体育教師にそれを伝えようとして、暁は目を剥いた。

 

「ん? どうした、転校生」

 

 程良く鍛えられた身体に、ワックスがかけられたべたつきの目立つ髪。そして、あの特徴的な鼻。

 忘れもしない、その教師は秀尽で愚行を働いた末に暁の仲間である杏の親友を自殺未遂に追い込んだ……鴨志田卓であった。

 

 彼は暁達怪盗団によって改心させたはずだが、それは元の世界の話だ。この世界では秀尽でなく帝丹に勤務しているのだろうか?

 

「何だ、ジャージまだ届いてないのか? 俺の予備を貸してもいいが、サイズが合わんだろうし……仕方ないな。今日は見学していていいぞ」

 

 警戒する暁に対して、鴨志田は元の世界とは打って変わって裏の無い表情で応対した。それどころか、暁の境遇を心配して気遣っているようにも思える。

 それに暁がうろたえていると、鴨志田は別の生徒に呼ばれてその場を離れていった。川上とはまた違って、元の世界とは全く別人に見えるが……ひとまず、暁は様子を見ることにした。

 

 今日の体育は男女共同。体育館でC組とバレーボールを行うようだ。担当する鴨志田はバレーボールの元オリンピック金メダリスト……暁からしたら予想通りのことである。

 生徒がバレーボールに励んでいるのを体育館の隅に座って眺めている暁。その隣へ、誰かが座ってきた。蘭と園子だ。

 

「おーっす、隣座るね」

「私達もジャージ持ってくるの忘れちゃって……」

 

 蘭はそう言っているが、恐らく嘘だろう。三時限目が終わって教室で男子が着替え始めた時、暁はジャージを持って着替え用の空き教室へ向かう二人を見かけていたのだ。

 あれ以降は、周りの生徒も影でコソコソと話をするようなことは無くなったが、相変わらず避けられているせいで暁は孤立している状態だ。それを気にして、体育の授業を利用したといったところだろうか。暁は二人の気遣いに心の中で感謝した。

 

「そういえば、来――暁君、ウチの一階にあるポアロに住み込みで働いてるんだよね?」

「そうなの? ポアロっていうと、最近猫カフェになったとか聞いてるけど……後、コーヒーとカレーが美味しくなったってチラホラ呟かれてるわよ」

 

 園子がスマホを片手で弄りつつ、女子高生らしく収集した情報を口にする。つくづく令嬢には見えない。

 

「猫って……もしかして、あの時連れてきてた黒猫?」

 

 蘭の問いに暁は頷き、猫の名前はモルガナだと答えた。コーヒーについては極上の淹れ方を梓にアドバイスしているし、例のポアロ前で起きた事件以来、朝にカレーの仕込みをするのも暁の仕事になっている。

 

「うっそ! もしかして暁君、意外と料理上手!? ……なんか野暮ったい印象だったけど、もしかして結構優良株?」

 

 コーヒーとカレーが作り慣れているというだけで、別に自分は料理上手というわけではないが……そう暁が伝えようにも話を聞いた園子は何やらブツブツ呟いている。聞くとトラウマを刺激されそうだったので、暁はあえてそれを耳に入れなかった。

 

 秀尽での一年間は結局学校関係者のほとんどから疎まれたままだったが、彼女達のような存在がいるならばこちらでの学校生活は大丈夫そうだ。

 

 

 

 

 しばらく二人と話をしている間、鴨志田を含む何人かがトイレをしに体育館を出ていくのを暁は視界の隅に収めた。皆バラバラの時間帯に戻ってきたが、鴨志田ともう一人の生徒だけは未だに戻ってきていない。

 授業は男女で分かれて各チームを作り、試合をしているようだ。今は丁度三試合目の真っ最中といったところである。今しがた、外に出ていた生徒が戻ってきた。遅れたことを詫びるその声に、暁はなんとなく聞き覚えがあってそちらに顔を向ける。

 

 

 そこへ突然、ボールが見学している暁達目掛けて飛んできた。

 

 

 まともに当たれば怪我をしかねない勢い――だが、暁にとってはサードアイを使うまでもない速度だ。迫るボールに気づいて反射的に目を閉じている蘭と園子の傍で、暁は片手を挙げてボールを掴み止めた。

 ……どうやら、このボールは暁を狙って放たれたもののようだ。

 

「あっぶな……!」「だ、大丈夫? 暁君」

 

 事なきを得た二人が安堵の溜息をついていると、ボールが飛んできた方から舌打ちが聞こえてくる。

 見ると、茶髪に染めた髪をオールバックにした大柄の男子が露骨に暁達を睨んでいる。彼がわざとボールを飛ばしてきたと見て間違いないだろう。

 

「ちょっとアンタ! 危ないじゃないのよ!」

 

 園子が文句を言っていると、その大柄の男子の近くにいた短髪の男子生徒が暁達の元へ駆け寄ってくる。怪我をしているのか、顔に絆創膏が貼られており、腕には包帯を巻いている。見ているだけで痛々しい風貌だ。

 

「ご、ごめん……」

 

 ボールを飛ばしてきたのはあの大柄な男子であるにも関わらず、彼はそう謝りながらボールを暁から受け取ろうとする。その男子生徒の顔を見た暁は、驚きに目を見開いた。元々地味な顔立ちをしているが、間違いない。

 

 

 ――その生徒はどう見ても、怪盗お願いチャンネルの管理人である三島由輝だったのだ。

 

 

「……な、何? 俺の顔に、何か付いてる?」

 

 これで三度目となる元の世界の人物との遭遇に驚きを隠せないでいる暁。そんな暁に対して、三島は戸惑いがちにそう聞いたが、先ほどのボールを飛ばしてきた大柄な男子に「三島ァ!」と呼びつけられると、顔を歪ませてボールを手にコートへと戻っていった。若干気まずげな空気に変わった中で、試合は再開される。

 

 教師に先ほどのことを伝えようにも、件の鴨志田はトイレをしに体育館を出たままだ。それに、彼に伝えたとして果たして意味があるのだろうか? 外面は問題なさそうであったが、あの鴨志田が元の世界のように歪みを抱えていないと確定したわけではない。

 

「おや、大丈夫だったかね? 鈴木君、毛利君」

 

 そんな中、横から蘭と園子に向けて声をかける者が現れる。スキンヘッドを脂っぽくテカらせ、卵のような丸々と肥えた身体を揺らして歩み寄ってくるその姿は、見るだけで嫌悪感を覚えてしまうほど醜悪な印象を受けた。

 さすがに暁も驚かないというかもはや予想していたが、秀尽学園高校で校長を務めていたあの事なかれ主義の男だ。これで元の世界で見知った人物は四人目となる。

 

「こ、校長先生……」

「……タマゴが体育館に何の用なわけ? せっかく来たんだからあのボールぶつけてきた奴を注意しなさいよ!」

 

 暁が疑問符を浮かべていると、蘭がそっと耳元で呟き伝えてくれる。

 名前は肥谷(ひや)玉夫。この私立帝丹高校の理事長兼校長を務めている男だ。最近前校長が持病の心臓病で急死したため、遺言状に従って彼が後継者としてその地位に就いたらしい。タマゴ(・・・・)というのは、生徒達の間で伝わっている渾名だとか。

 

「口を慎みたまえ、鈴木君。いくら君が財閥のご令嬢だからといって、この学校では一生徒でしかないんだぞ?」

 

 ニヤリと厭らしく笑う校長を、園子は嫌悪感が顔に出るのを隠さずに睨み付ける。

 当の校長はどこ吹く風といった様子で、今度は暁に目を向けた。背は暁の方が断然高いが、その目からはどうしようもない人間(ゴミ)に向けるような見下しの感情がありありと見て取れた。

 

「……君が例の転校生か。感謝したまえよ? 君のような問題児を受け入れてくれる学校なんて、そうはない……まあ、精々大人しく学業に努めることだ。弁護士の口添えがあったからというのもあるが、私の学校は問題児も受け入れるほど懐が大きいというところを宣伝したいのでね」

 

 校長はネチネチと言い連ねながら、脂肪で首の隠れた頭をずいと暁に寄せてくる。

 

「そういうわけだ。少しでも問題を起こしてみたまえ? 少しでも、だ。その時は……分かってるだろうね?」

 

 そう暗に退学を匂わせた警告をされるが、暁はそれに対して怯まず、自分を見上げている校長をただ静かに睨み返した。この男はこちらの世界でもそのままの人格をしているようだ。彼は暁達怪盗団によって改心されたわけではなく、元の世界では精神暴走の被害者として不審死を遂げている。

 目立った反応のない暁につまらないとでも思ったのか、校長はフンッと鼻を鳴らして顔を離し、暁から目を反らした。

 

「ところで、毛利君。工藤君がこのところ学校に来ていないようだが……何か聞いているかね?」

「あ、その……やっかいな事件に関わっているみたいで、しばらく学校には来れそうにないみたいです」

「……困るねぇ。彼の活躍が学校の評判を上げるのに大きく貢献しているというのに……色々なメディアから取材も申し込まれているんだぞ? ……出席日数については特別措置を与えるつもりだが、戻って来たらすぐに私に連絡を寄越すよう伝えておくように。分かったかね?」

 

 それから、校長は暁達にボールを投げつけてきた男子生徒にチラッと視線を送った後、体育館をいかにも偉そうな足取りで後にしていく。

 

「あーやだやだ。何であんなのが校長なんだろ」

「ホント。あんな露骨に言われたら、いくら目立ちたがり屋の新一でも嫌がるよ」

「仕事も生徒会長に丸投げしてるんだって。会長本人から聞いたわ。当の自分はいつも校長室でふんぞり返ってるか、学校中をふらふらして目を付けた生徒に偉そうに説教垂れ。どうしようもないわアレは」

 

 忌々しげに不満を口にする二人。これは暁がされているような好き勝手な噂話というわけではなく、周知の事実なのであろう。彼は元の世界でも同じように、怪盗団の仲間兼生徒会長である新島真に対して自分がすべき仕事を丸投げしていた。

 そこへ、複雑な表情で二人の話を聞いていた暁のスマホが振動し、電話の着信を知らせる。番号は文字化けしているが、暁には見覚えがあった。

 蘭と園子の二人に断りを入れて、体育館の外へ。給水所辺りで適当に足を止め、小雨になりつつある雨の音を背にして電話に出る暁。

 

『調子はどうですか? マイトリックスター』

 

 予想通り、電話の相手はラヴェンツァであった。あの文字化け番号は、彼女が悪神によって双子に裂かれていた時に、その双子からの電話を着信した時の番号だったのだ。結んだ絆を頼りに、アルカナカードを電話に見立てて声を送っているらしい。

 何の用事か聞く途中で、電話口から微かに腹鳴りの音が耳に届く。

 

『……どうやら、この身体は空腹(・・)という生理現象を感じているようです』

 

 思わず、開いた口が塞がらなくなる暁。

 ベルベットルームの住人も腹が減るのか? と問うと、通常は人間のように食事を取る必要はないが、外に出たことによって身体に変化が生じたのかもしれないという答えが返ってきた。自分でもよく分かっていないようだ。

 

『下のお姉様もよく外に出ては食道楽に励んだと仰っていました。私も、マイトリックスターの作るカレーとやらを食道楽したいです』

 

 そんなこと言われても、暁は見学とはいえ授業中の身である。体育が終われば昼休憩だが、ポアロに行って帰るだけの時間はない。隠れて食事を取ってこさせようにも、昼時はポアロも客で混むので難しいだろう。

 

「どうした、アキラ? 何かトラブルか?」

 

 困ったなと顎に手を当てて考えている暁の足元に、散歩に出ていたモルガナがやってくる。

 ちょうどいい、とばかりに暁はモルガナに一つ頼みごとをする。懐の財布から一食分のお金を渡し、それをラヴェンツァに届けて欲しいと。お金がありさえすれば、裏口から外に出て客としてポアロで食事を取ればいいのだ。

 何でワガハイが使いっぱしりにされなきゃならんのだと渋るモルガナに、帰り際にポアロの隣にある寿司屋で寿司折を買ってくるからと言って聞かせる。

 

「絶対だぞ! 大トロの入った特上の奴だからな!?」

 

 それを聞くや否や、モルガナは意気揚々とした様子で学校を飛び出していった。暁はラヴェンツァに先ほどの案を伝え、電話を切る。

 

 

「暁君、電話長い! 女子じゃないんだからさ~、もう授業終わっちゃうわよ」

「しょうがないでしょ、園子。転校初日だし、まだ色々手続きとかあるのよ。でしょ?」

 

 体育館に戻ると、待っていた蘭と園子から長電話を指摘される。

 手続きの電話の方がまだマシであった。蘭の問い掛けに暁が首を横に振ろうとしたところで、園子の言う通り授業終わりのチャイムが学校中に鳴り響く。

 

「おーい、お前達! 片付け手伝ってくれ!」

 

 他の生徒達が着替えに体育館を出て行く中、暁達はいつの間にか戻っていた鴨志田にそう声を掛けられた。どうやら、暁が戻る少し前には戻ってきていたらしい。

 見学をしていた立場の暁達は断るわけにもいかず、さっさと終わらせようと手分けしてボールやネットの片付けに取り掛かる。鴨志田が下心無しで率先して手伝ってくれているのが違和感あり過ぎだが。

 

「終わった終わった! ねえ、お昼どうしよっか?」

「雨降ってるし、教室で食べようよ。あ、暁君、良かったら一緒にお弁当食べない?」

 

 体育館を出ようとすると、そう声を掛けられる。暁はポアロで作ったカレーをタッパーに入れて用意しているが……

 

「すまんな二人とも。転校生とちょっと話したいことがあるんだ。先に教室に戻っててくれ」

「え? あ、はい。分かりました」

「じゃ、お先に失礼しま~す」

 

 横から割って入ってきた鴨志田の言葉を聞いて、蘭達は先に体育館を後にしていった。

 一体何の話だろうかと、暁は警戒しながら鴨志田の下に歩み寄る。 だが、当の鴨志田は暁の考えなど露も知らないといった様子で暁の肩に手を置いた。

 

「どうだ、転校生。転校初日だが、これから上手くやっていけそうか? ……弁護士の人から話は聞いてる。俺はお前が犯人だなんて思ってないからな。何か困ったことがあったら、遠慮なく相談するんだぞ!」

 

 誰だコイツは。

 

 ……どうにも納得いかないが、この世界の鴨志田は本当に良い人間のようである。まさか、元の世界で改心させたのが関係しているのだろうか? それならば、川上のことも説明が付く。何かしらの法則があるのかもしれない。

 

 だが、鴨志田が真人間になっているのだとしたら、先ほどの三島が負っていた怪我のことが気になってくる。

 元の世界では鴨志田が練習と言う名の暴力を繰り返しており、三島を含むバレー部のメンバーはいつも痣だらけの身体を晒していた。今、暁の目の前にいる鴨志田がそんなことをしているとは思えないし、それならば彼はどうしてあんな怪我を負っているのか。

 

「お? どうした、難しい顔して。さては、毛利と鈴木のことか? お前、あの二人のどっちが好みなんだ?」

 

 ニヤニヤとした気持ち悪い顔でそう聞いてくる鴨志田をうっとおしく思いつつ、暁はどうして自分が犯人じゃないと思うのかと聞いてみた。

 

「そりゃお前、あんな美人の弁護士さんにお願いしますって言われちゃ……いや、違うぞ。スポーツマンとしての勘というかだな、お前の澄んだ目を見て先生は――」

 

 やっぱりコイツ鴨志田だ。

 

 改心しているとはいえ、肝心なところはそのままのようである。彼らしいと言えばそうだが。

 伸びた鼻の下を隠して適当な言葉で言い繕っている彼を見て、暁は溜息をつくのであった。

 

 

 

◆◇◆◇◆◇◆◇

 

 

 

 暁が教室の前まで戻ってくると、何やら隣のC組が騒がしい。

 野次馬も集まっており、それらから少し離れた場所に蘭と園子もいた。蘭は心配そうな顔、園子は気に入らないといったような顔をして騒ぎを遠巻きに眺めている。暁は二人の元へ歩み寄り、何があったのかと尋ねた。

 

「暁君……」

「さっきの体育でアタシ達にボール飛ばしてきた奴――近藤浩之っていうんだけど、アイツが何か騒いでるみたいなのよ」

 

 ボールを飛ばしてきた、近藤という名前の男子が騒ぎを起こしているようである。話を聞いて気になった暁はC組の教室に入ろうと足を向ける。

 

「ちょっ、危ないから関わらない方がいいって!」

 

 が、園子に止められてしまった。何でも、近藤は元空手部なのだそうだが、最近傍若無人を働き出したので現主将である蘭が前主将と顧問に相談した結果退部処分となったらしい。

 

「……私が行く」

「ら、蘭……」

 

 目を鋭くさせた蘭がそう呟いて、C組を見据えた。ヨーコを人質に取られた際も同じような雰囲気を纏わせて構えを取っているのを見たことがあった暁は、蘭が空手部の主将だということを知って納得した。暁もジムで相当鍛えていたので、彼女がやり手であることは一目で分かった。

 

 

「 きゃああーーッ! 」

 

 

 しかし、突如渦中の教室から悲鳴が聞こえてきたので、暁と蘭達は教室へ向けて走り出した。

 教室内に駆け込んだ暁達の目の前には、殴られて床に倒れている三島の姿があった。慌てて彼の元へ駆け寄る暁。自分の身を案じている暁を見て、三島は殴られた頬を庇いながらも不思議そうな顔をしている。

 

「おい転校生、邪魔すんじゃねえよ!」

 

 三島を殴ったと思われる近藤が、割って入ってきた暁に怒声を浴びせてくる。

 関係ないとばかりに庇うようにして三島の前に立つ暁に向けて、近藤はその無骨な拳を振り上げた。しかし、それは傍まで来ていた蘭の見事な受け流しによって反らされる。

 

「いい加減にしなさい! これ以上の暴力は私が許さないわよ!」

 

 怒りを込めた目で睨み付ける蘭。近藤は舌打ちをすると、「おーこわいこわい」とおどけた様子で下がっていく。暁は蘭の実力に驚きつつも彼女に礼を言い、一体何があったのかと近藤に説明を求めた。

 

「……コイツが、俺の彼女の制服を盗みやがったんだよ!」

 

 未だに起き上がれないでいる三島をそう指差す近藤。

 彼によると、体育が終わって皆が着替えている中、自分の彼女――高見沢恭子が「制服が見当たらない、盗まれた」と教室に駆け込んできたらしい。誰かが、体育中に三島がトイレにしては長い時間体育館を出ていたということを零し、それを聞いた彼は三島を犯人と決め付けて殴りかかった、ということだ。

 だが、それだけで三島を犯人と決め付けるのは早計過ぎる。他にも体育館から出た者はいたし、別のクラスの人間が授業中に抜け出して制服を盗んだのかもしれない。

 

「ねえ、そういえばあの転校生も長い時間いなくなってたよね……?」

 

 壁に寄りかかって様子を眺めていた野次馬の女子生徒の一人が、三島を庇っている暁を見てそう零した。それを聞いた周りも、その言葉に頷いて同調し始める。

 

「ちょっと待ちなさいよ! 暁君は電話しに外に出てただけよ!」

「でも、転校生が電話してるとこ見てたわけじゃないんでしょ? 鈴木さん達はずっと体育館にいたじゃない。ねえ、毛利さん?」

「そ、そうだけど……」

 

 園子達が暁を擁護しようとするも、勝気そうな野次馬の一人の反論に二人は押し黙ってしまう。暁が電話しているところを直接見たわけではない彼女達では、暁の身の潔白は証明できないのだ。

 そのため、今度は暁に疑いの目が向けられた。

 

 

 ――盗みまでするなんて……しかも女子の制服かよ。

 

 ――やっぱり、アレも本当なんじゃ……

 

 

 再び周りの生徒からヒソヒソと無責任な話が零れ始める。正直うんざりしていた暁であったが、三島へ向けられていた疑いを反らすことができるのなら、むしろ好都合だと思った。

 

 

「いや、来栖は犯人じゃないぞ」

 

 

 そこへ、今しがた駆けつけてきたC組の担任である鴨志田がそう否定した。予想外の所からの擁護に、周りの生徒もコソコソと話すのを止めて彼に注目する。そういえば、彼も長い時間体育館から姿を消していた。

 

「俺はちょっと職員室に用事があったんだが、職員室の窓から給水所の傍で来栖が電話しているのを見た。だから来栖は違う」

 

 よりにもよって鴨志田に庇われたことに、何とも言えない気分になってしまう暁。庇ってくれたことは感謝するが、今回については余計なことをしてくれたものである。暁の疑いは晴れてしまったし、職員室にいたということは鴨志田も犯人ではないということだ。

 

「じゃあ、やっぱり三島が犯人ってわけだ……そうだよな? 先生」

 

 もう一人、未だ疑いの晴れていない三島を、話を聞いていた近藤がニヤニヤと歪な笑みを浮かべて睨み付けている。暁は鴨志田に目配せするが、彼は困ったように頭を掻いた。どうやら、鴨志田も三島のことは見ていないようだ。

 

「……三島、どうなんだ? 正直に答えてくれ」

 

 膝立ちになった鴨志田は尻餅を突いている三島にそう問い掛けた。様子からして、鴨志田は三島が犯人だと決め付けていないようだ。心配げな顔で、三島の肩に手を置く鴨志田。

 

「三島。先生はお前を疑っているわけじゃ――」

「――俺がっ!」

 

 気遣う鴨志田の言葉を遮って、三島が突然声を上げる。彼は諦めたような顔で、ゆっくりと口を動かした。

 

 

「…………俺が……盗みました」

 

 

 

 

 

 

 それから、実際に三島の鞄から高見沢恭子の制服が出てきたことで、この騒動は一旦解決という流れになってしまった。三島は鴨志田によって職員室へ連れていかれ、休憩時間が過ぎてもC組の教室に戻ってくることはなかったらしい。

 三島が怪我をしていた理由は、いつもあの近藤から乱暴な扱いをされていたからだという。だからと言って、その仕返しで彼女の制服を盗むなんて……という当事者を無視した好き勝手な話題が瞬く間に学校中に広まっていった。

 

 一方の暁は、三島が制服を盗んだということを未だに信じられないでいた。

 元の世界で、自分のことを空気と貶していた同級生でさえも助けようとした三島。彼自身も歪みを持っていたが、自力で改心を成し遂げた。そんな彼が、そのようなことをするとは思えないのだ。鴨志田の例があるので、もしかしたら元の世界とは違う性質の人間になっているのかもしれないが……

 

「じゃあ、私達部活があるから」

「また明日ね。暁君」

 

 部活のある蘭と園子――園子はテニス部に所属しているらしい――と別れ、閉じた傘を持って帰路に着く暁。今朝から降っていた雨は既に止んでいる。

 三島の事件について考え事がしたかったので、通学路を外れて少し寄り道をすることにした暁。その途中、米花公園という公園に通りがかった暁は、公園のベンチに座っている帝丹高校の制服を着た男子を見つける。

 

 俯き、歯を食いしばるようにしてじっと地面を見つめているその男子は、今まさに暁が考えていた三島由輝であった。

 

 厳重注意を受けて解放されたといったところだろうか。暁が話しかけると、三島は吃驚した様子で顔を上げた。

 

「お、お前……転校生の」

 

 声をかけたのが暁だと分かると、三島は今日の件で自分を庇ってくれたことに礼を言った。だが、すぐに顔を歪ませて暁から目を反らした。

 

「せっかく庇ってくれたのに、こんなことになっちゃってゴメン……でも、校長や鴨志田先生が近藤君達と話して、何とか停学にもならずに済んだよ」

 

 そうどこか自虐的に言う三島に、暁は鴨志田はともかくあの校長が? と疑問を浮かべた。暁に対しては問題を起こせば即退学と言っていた男だ。元々問題児である暁だからなのかもしれないが、少なくとも生徒を庇っている校長の姿は想像できなかった。

 暁は、三島に対して本当にお前がやったのかと問い掛ける。

 

「…………そう、だよ。俺が、盗んだんだ」

 

 彼は苦虫を潰したような顔で、搾り出すように答えた。

 その様子を見て、暁は何が理由があるのではないかと続けて聞こうとするが、三島は急に怒鳴り声を上げてそれを遮った。

 

「やめてくれよッ! ヒーロー気取りだか何だか知らないけど、ありがた迷惑なんだよ! こうしないと、秋山君が――」

 

 そこまで叫んで、三島はしまったとばかりに手で口を押さえた。

 三島の口から零れた秋山という人物。秋山といえば、元の世界で三島を空気と貶していた例の同級生のことだ。確か、中学時代の同級生と暁は記憶している。

 

「……ゴメン。庇ってくれたことは本当に感謝してるけど、もう……これ以上俺のことは気に掛けないでくれ」

 

 三島は辛そうな表情で謝ると、暁を置いて逃げるように公園を去って行くのであった。

 

 

 

 

 やはり何かあると確信を得た暁は、今回の件に秋山がどう関わっているのかを考えながらポアロに帰宅した。学校から帰宅次第ポアロの業務を手伝うことになっている暁は、少し帰りが遅くなったことを梓に謝ろうとするが、思わぬ光景に目を丸くしてしまう。

 

 ポアロには客が一人だけ。しかも、その客は見慣れた群青色のドレスを着た少女。

 

「おかえりなさいませ。マイトリックスター」

 

 コーヒーを片手にいつもの澄ました笑顔で出迎えの言葉を口にする彼女――ラヴェンツァに暁は顔を引き攣らせながら、カウンターにいる梓の方を見る。梓はカウンターに突っ伏していたが、暁が帰ってきたことに気づくと、顔を上げてその泣き腫らしたのであろう目を暁に向けた。

 

「暁君、そんな子じゃないって信じてたのに……こんな小さな子を拉致監禁するなんて!」

 

 そう涙交じりに叫ぶと、梓はまたカウンターに突っ伏してわんわんと泣き始めるのであった。それを見たラヴェンツァはコーヒーを一口飲むと、何か納得したように暢気に頷いている。

 

「なるほど。これがお姉様の言っていた修羅場というモノですね」

 

 この元看守は何を他人事のように言っているのだろうか。

 

 いつの間にか足元まで来ていたモルガナが「これは上手い言い訳を考えなきゃな……」と言うのを聞いた暁は、先週に引き続いて再び頭を抱えるのであった。

 

 

 




今回前編後編に分けようかと思いましたが、分けると前編の半分が皆さん知ってるコナンのあらすじになってしまうので諦めました。

後、校長についてですが……ペルソナ5の校長って名前が不明なんですよね。なので、当初はあの校長ではなくペルソナ2のハンニャ校長を出そうと考えていたんです。
しかし、そうすると名前を借りるだけでなくキャラもそのままになってしまうので、2をプレイしたことがない方が読むのを敬遠してしまうのではないかと思い、考え直して5の校長の名前を捏造することにしました。

肥谷(ひや)玉夫さんです。ようするにただのタマゴです。






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FILE.10 梓VSラヴェンツァ

前回、鴨志田が体育館に戻ってくるタイミングがおかしかったので、修正しました。
校長が体育館を出て行く時に入れ違いで戻ってきたとなっていましたが、そうするとその後電話しに行った暁の姿を見れるわけないですものね。


 暁が傘を片手に米花高校へ登校してから数時間。朝の短い時間を除いてそれまで客も疎らだったポアロは、昼食を求めてやってきた常連客で賑わっていた。

 

 以前までマスターと二人で喫茶店を切り盛りしていた梓であったが、彼が事故に合ってからというもの、暁が引っ越して来るまでの間一人でポアロの業務を務めてきた。最初は無理だと思っていた梓。しかし、数日もすれば一人で料理をしながらお客の対応をしていくことにも慣れていき、平行して複数の作業を同時に裁いていく技術も身に付いた。結局のところ、気が付けば一人でも全く問題なくなっていたのだ。

 慣れとは恐ろしいものである。暁がこの話を聞いていれば、牛丼屋でのバイトを思い出してうんうんと頷いていたことだろう。

 

 とは言うものの、慣れたからといって楽かと言えばそういうわけではない。ただ、梓は暁が来てくれてから仕事終わりの疲れが少なくなってきているようには感じていた。彼がよく働いてくれて自分の仕事が減ったからというのもあるだろうが、それだけが理由ではないと梓は思っている。

 疲れが減るようになったのは暁の作ったコーヒーをよくご馳走になるようになってからだし、同じく暁の作ったカレーを昼食として食べるようになってからはそれが顕著になった。

 

「――本当に、不思議な子」

 

 お昼時が過ぎて、客がいなくなった店内で件のカレーを食べつつ、そう一人ごちる梓。

 実の両親を殺害した凶悪犯という容疑を掛けられた要注意人物かと思いきや、会ってみれば地味で大人しい――悪く言えば野暮ったい印象を受ける少年であった。きっと、彼と初めて会った妃弁護士もそう思ったに違いない。

 そんな少年は、見た目に反してしっかりとかつ素早く業務をこなしていき、梓を驚かせた。加えて、事故に合って入院しているマスターを心の底から心配した。そして、例の事件では梓は疑いを向けられたにも関わらず、彼は必死に擁護してくれて、果ては命まで助けてくれた。

 

 暁は人一倍正義感の強い少年なのだ。ああやって他人のことを思い、誰かを救うことができる人が、殺人を犯すなんてことするわけがないと、梓は胸の奥底にあった暁への疑念を払い除けた。

 それからというもの、梓は肉親を失った暁の家族代わりになってあげたいと思うようになった。高校生とはいえ、彼はまだ成人もしていない子供だ。後見人の妃弁護士は忙しくてそういった役割を担うことは難しいだろうし、少し頼りないかもしれないが姉として暁のことを支えようと決意したのだ。

 

 ……沖野ヨーコの隠し撮り写真を持っているのを見た時は目を疑ったが、本人は頂いた物(・・・・)と言っていた。恐らく、本当のことなのだろう。ずいぶんと大人びていて時々同い年かそれ以上と思ってしまうこともあるが、暁はまだ高校生なのだ。アイドルやそっち方面に興味を持つのは当然である。

 

 綺麗に食べ終わったカレーの皿を目にした梓の頭の中に、暁の顔が思い浮かぶ。

 彼が掛けているあのファッショングラスは、本来の用途のファッションとしてではなく目立たないために掛けているのかもしれない。彼の素顔はネットに拡散してしまっているからだ。

 梓は彼がそうせざるを得ないことを察して、歯痒い気持ちになった。暁はあの眼鏡のせいで地味な印象を受けてしまうが、よくよく見れば端正な顔立ちをしているであろうことが伺える。非常にもったいないことだ。

 

 気にしないで外せばいいのに、と思いつつ眼鏡を取った暁と喫茶店で働いている様子を想像する梓。

 

「……美男美女ウェイトレスって騒がれたりして――って、私何考えてるんだろ! 相手は高校生なのよ、梓!」

 

 一人で顔を赤くして、スプーンを片手にキャーッと身体を横に揺らす梓。自分で美女と言っている辺り、容姿には多少なりとも自信があるらしい。まあ、常連の客から割とロリ顔だけど美人だと言われることも多く、先の事件では男性に目を付けられるという経験もしたのだから、少しばかり自意識過剰になってしまうのも仕方ないだろう。

 

 そこへ、はしゃいでいる梓しかいない店に客の来店を伝えるベルの音が響き渡る。

 

「うひゃッ……い、いらっひゃいまへー!」

 

 恥ずかしい現場を目撃されたかと焦り、呂律の回らない舌で接客の挨拶をする梓。

 だが、慌てて振り返った玄関には、梓のこれまでのウェイトレス経験にない珍妙かつ予想外なお客が立っていた。ドアの閉まる音を背にそこへ立つのは、入り口の高さの半分ほどしかない背をした外国人の少女であったのだ。

 玩具屋などならまだしも、喫茶店に子供が一人で来ることなんてそうそうない。ましてや、外国人である。梓は先ほどとは違う意味で焦りを覚えた。

 

(ど、どうしよう。私英語はあまり得意じゃないんだけど……)

 

 顔汗を垂らしながらどう対応すべきか迷っている梓のことなど気にせず、件の少女はトコトコと梓の正面にあたるカウンター席によじ登る形で座った。子供に似つかわしくない澄ました顔で椅子によじ登る様は、何ともシュールである。

 どこぞのご令嬢か何かなのか、着ている群青色のドレスはまるで少女のためだけにあつらえたかのようにお似合いである。蝶の飾りをあしらったヘッドドレスも相まって、ファンタジーの世界からやってきましたと言われても納得できるだけの神秘さを醸し出していた。それだけに、普通の外国人よりも実に話しかけにくい。

 

「……ドゥ、ドゥーユースピークジャパ――」

「給仕。マイトリックスターの作ったカレーと、食後にコーヒーをお願いします」

 

 梓が中学生以下の英語で必死の意思疎通を図ろうとしたところ、少女はあっけらかんとした様子でそう注文を述べた。ものすごくお高くとまっている。

 

 ――マ、マイトリックスターって何ッ!?

 

 梓の頭は聞きなれない言葉と不可思議な客によって混乱攻撃(プリンパ)の直撃を受けてしまう。

 マイトリックスターとは一体全体何のことだろうか。人のことを指しているとは思うが、そんな呼ばれ方をする人物に梓は心当たりがない。ポアロでカレーといえば、最近は暁の作ったカレーのことを指す。評判も良いし、もはやカレー作りは彼に任せっきりの状態だ。

 ……少なくとも日本語は通じるのだ。梓はその事実に幾分か冷静さを取り戻し、応対を試みる。

 

「……え、えっと、ウチはカレーは一種類しか用意していなくて……そのマイトリックスターという方の作ったものは――」

「ですから、そのカレーを用意しなさいと言っているんです!」

 

 ――急にキレた!?

 

 小さな両手でバンとテーブルを叩く少女を前に、びくんと震えて半泣きになる梓。

 マイトリックスターとは、まさか暁のことを指していたのだろうか? 暁のファンか何かだろうか? なんとなく予想していたけれど、やっぱり彼は女性にモテるのかデモコンナチイサイ子ニマデモテナクテイイダロウ。

 何とか冷静さを取り戻そうとしていた梓の頭は、もはやコンセントレイトからのテンタラフーが効果を成したかの如き状態である。

 

「まさか貴方、マイトリックスターのカレーを独り占めするおつもりですか? どうなのです!?」

「ひいッ!? す、すぐに用意しますぅー!!」

 

 某検事の如くバンバンとテーブルを叩き続ける少女。梓は慌てて自分が先ほどまで食べていたカレーの皿を片付け、首にナイフを突きつけられているかのような面持ちで少女の分のカレーを用意した。

 

「お、お待たせしました……」

 

 目の前に目当てのカレーが置かれると、少女は実に満足げな顔で微笑んだ。「あの検事の攻め方はなかなか効果があるようですね」と言いながら、カウンターに置かれた食器を手にする少女。だが、手に持っているのは明らかにスプーンではなくお箸である。

 

「あの……お、お箸じゃなくて、スプーンじゃないと食べられないと思いますけど……」

「何を言うのです。お米はお箸で食べるものなのでしょう? そのくらいは私もお姉様から聞いています。そんなスプーンなどという首を狩るための武器を使うはずがありません」

 

 ――ああ、本当に、何だこの少女は。浮世離れしすぎている。

 

 もはや思考停止してしまった梓を尻目に、少女は箸を使ってカレーを食べようと試みるが……どうも箸を上手く使えていない。というよりも箸を持ったことさえないのか、彼女は箸二本をグーで握り締めて槍のように米とルーを混ぜたり突いたりしている。

 

「……スプーン、使う?」

「…………はい」

 

 

 

 

 しばらくして、少女は暁の作ったルブランカレーを完食した。

 一口食べる度に意味不明な感想を述べていたのにはさすがに辟易してしまったが、徐々に慣れてきた梓は単純に話し相手が欲しいだけなのかなと思い始めていた。

 

「はい、食後のコーヒーですよ」

「ほう……これがコーヒー。この吸い込まれるような黒さは、まさしく悪魔の飲み物という名に相応しい飲み物ですね」

 

 梓は少女の子供らしからぬ言葉を聞こえなかったフリをして、そのコーヒーを少女に差し出す。子供なので比較的酸味が少ない豆を、暁に教わったやり方で淹れたものだ。もちろん、ミルクの入ったミニピッチャーも添えているし、少女の目の前には角砂糖の入ったお椀が置かれている。

 しかし、少女はそれらをものの見事にスルーしてコーヒーをそのまま口に含んでしまう。

 

「……………………」

 

 まるで人形のように綺麗な少女の顔が微妙に歪む。寄せられた眉根に、真一文字に閉じられた口。目尻には涙が少し溜まっている。

 

 ――うん。苦かったんだね。ブラックだもん、そりゃそうだよね。

 

 その様子に微笑ましくなる梓。恐ろしく変わった子ではあるが、子供であることは変わりないようだ。

 

「えっと、苦いだろうから砂糖とミルクを入れて――」

「? なるほど。コーヒーとはそれらを入れて飲むものなのですね」

 

 少女は梓に教えられた通りに角砂糖とミルクをコーヒーに入れた。角砂糖はそれが入っているお椀ごとコーヒーにぶち込もうとしかけていたので、慌てて梓が一、二個で十分だと伝えて何とか事なきを得た。マドラーでよく掻き混ぜ、ようやっとまともにコーヒーを味わい始める少女。

 

「……ふむ、マイトリックスターの淹れたものでないのが残念ですが、コーヒーとはなかなかどうして味わい深いものですね。香りも、不思議と落ち着きが得られます」

 

 気に入ってもらえたようで何よりであるが、涙目で苦味を堪えていた手前格好がついていないのはご愛嬌である。やがて、彼女はそのコーヒーを綺麗に飲み干した。

 

「ご馳走様です。このお腹の満たされる感覚から得られる安心感……食事とは実に感慨深いものですね。とても有意義な時間を過ごせました」

「ど……どうも」

 

 まるで生まれて初めて食事をしたかのような物言いだ。見た目は不思議の国のアリスのような少女であるのに、不思議の国に迷い込んだのは自分の方なのではないかと、梓は思わず乾いた笑いが出た。

 さて、食事も終えたのだし、後は会計を残すのみ。この妙ちくりんなお客様との会話もこれで終わりかと思うと、今までにない達成感に安堵すると同時に少し名残惜しさを覚える梓。

 

「それでは、お客さん。お会計を――」

「対価の支払いですね。心得ています。どうぞ、お受け取りください」

 

 梓の言葉を遮って、少女は懐からがま口の財布を取り出した。カレーとコーヒーで締めて800円の支払いとなる。梓は少女からお金を受け取るため、手の平が上になる形で両手を差し出した。

 

 

 

 次の瞬間、とんでもない量の500円玉硬貨が滝の如く梓の両手を襲った。

 

 

 

「え、えええ、えええええ!? えええええええええええーーーーッ!!?」

 

 カウンターから零れ落ちた無数の硬貨がけたたましく耳を弾き出す。明らかに財布の許容量を越えた量の硬貨が一向に止まる気配もなく落ち続け、あっという間に梓の両手は500円玉の山に埋もれていく。その山で、少女の顔すら見えなくなってしまった。

 

「全く、マイトリックスターは自分が支払ってきたお金のことを忘れているのでしょうか。わざわざ持ってこさせようとしなくても、こうしてそのお金を使えば済む話だというのに」

 

 少女が何かブツブツ文句を言っているが、もちろん梓は聞いていない。あまりのことに一瞬意識を失いかけたが、未だに硬貨を落とし続けている彼女を止めるために必死に声を上げる。

 

「二枚! 二枚で十分だから!!」

 

 その言葉を聞いて、少女は驚いたような顔をして下に向けていた財布を引っ繰り返した。落下した衝撃で響く耳障りな金属音がようやく収まる。

 

「たった二枚でよろしいのですか? 私が得た満足感に対する正当な対価としては、あまりにも不釣合いかと思いますが……そうであれば、仕方がありませんね」

 

 そう不満げに言って、少女は山のように積もった硬貨をそのがま口の財布で掬い始めた。「アバドン製のお財布にしておいて良かったです」と言いながら、まるで掃除機を使って吸い込んでいるかのように硬貨を綺麗に回収していく。一分もするとほぼ全ての硬貨を回収し切り、ついさっきまで硬貨の山に埋もれていた梓の手の平には二枚の硬貨だけが残されていた。

 

「…………あ、ありがとうございました」

「こちらこそ。今後もお世話になると思いますので、どうぞよしなに」

 

 また来るつもりなのか。梓としては、できれば常連にはなって欲しくないものである。

 少女はドレスの裾を摘まんで優雅に一礼すると、カウンターの奥にある扉から地下室へと入っていった。それを見送り終わると、ドッと梓の身体を疲れが襲い、そのままカウンターに突っ伏してしまう。まるで一週間分働いたかのような精神的疲労を感じた。

 

「……って、お客さん、お釣り!」

 

 200円のお釣りを渡していないことに気づいた梓は、カウンターから起き上がると急いで少女の後を追った。奥の扉を開き、床下扉の先の地下室へと入る。梯子を降りると、そこには件の少女が姿勢正しくソファに座って分厚い本を読んでいた。

 

「お客さん! お釣り忘れてますよ」

「まあ、わざわざどうも」

 

 無事少女にお釣りを渡し終えると、梓は安心して梯子を昇って店内に戻っていった。

 それにしても良かった、地下室にいてくれて。店の外に出ていたら見失っていたかもしれない。

 

 

 

「……………………え゛?」

 

 

 

◆◇◆◇◆◇◆◇

 

 

 

 そして、梓が少女――ラヴェンツァを問い質しているところに帰ってきたモルガナ。

 ラヴェンツァは、『暁に地下室に閉じ込められた』『そこから出るなと言われた』と答えた。"閉じ込められた"というワードで変に勘違いした梓がショックを受けて泣いているところに暁が帰宅して、現在に至る。

 

 続いて、梓にどういうことか問い質される暁。

 ラヴェンツァについては、暁の母の祖父の兄の娘のいとこの叔父の知人の孫であるということにした。

 物心ついた時から親がいないラヴェンツァは今まで祖父と共に日本で暮らしていて、暁の家族とも交流があった。最近ラヴェンツァの姉兄がいる母国のスウェーデンへ帰国することになったが、彼女は東京へ引っ越した暁のことを心配して無理矢理日本に残ったのだ。

 この生い立ち話を一息の内に考えた暁は、元の世界の協力者から教授された技術を行使し、梓にさも真実であるかのように解説した。もちろん、その技術とは杏の大根演技術のことではなく、政治家である吉田寅之助の演説技術のことだ。

 

「そんな……暁君だって大変なのに、こんな小さな子を残して帰国するなんて……」

 

 即興の作り話をすんなりと信じてくれた梓。吉田先生様々だが、こうもちょろいと逆に不安である。

 梓は心配そうな顔をしながらラヴェンツァのことを見ている。彼女の祖父(架空)を非常識だと思いつつも、それを言葉に出して肉親を貶してはいけないだろうと思っているのかもしれない。

 

「問題ありません。イゴールお爺様は、マイト――こほん、暁お兄様の元なら大丈夫だと言っていました。実はこのモルガナも、天涯孤独となってしまった暁お兄様を心配したお爺様が寄越した猫なのです」

 

 それを察してか否か、ラヴェンツァがそう答えた。ついでに、モルガナの首根っこを掴み上げて彼についても付け加えている。大体合っているところが何とも言えない。

 ところで、彼女が暁のことを"お兄様"と呼んでいるのは、話を聞いて悩んでいる梓に隠れて呼び方について話し合ったからである。"お兄ちゃん"はどうかと暁は提案したが、「貴方は番長ではないから駄目です」と意味不明な返しをされ、最終的に今のような呼び方になった。番長とは。

 妹扱いされることにも妙に不服そうな顔をしていたが、マイトリックスターと呼ばれるよりかは断然マシである。

 

「……はあ、追い出すわけにもいかないし、しょうがないか。明日は午後までポアロを臨時休業させて、マスターに事情を説明しに行こう。もちろん、二人共一緒にね」

 

 どうやら、ラヴェンツァが暁と共に地下室に住むことを許してくれるようだ。もちろん、マスターに説明しなければいけないことは分かっているので、暁は梓の言葉に頷く。明日は少し遅刻してから学校へ登校することになった。

 

 ちなみに、暁はモルガナに約束していた寿司折りのことを綺麗さっぱり忘れていた。未だにラヴァンツァに首根っこを掴まれたまま苦しそうにしているモルガナ。彼自身も忘れているようなので、このまま黙っておくことにしよう。

 

「た、タスケテクレ……」

 

 

 

◆◇◆◇◆◇◆◇

 

 

 

 翌日、ラヴェンツァを連れて米花総合病院を訪れた暁達。マスターは前と同様、何でもないような笑顔でラヴェンツァがポアロに住み込むことを許してくれた。

 

「今更一人や二人増えたところで、オーナーの小五郎君も五月蝿く言わないだろうし。まあ、暁君の時も特に連絡はしてなかったんだけどね」

 

 そんな適当でいいのだろうか。

 毛利探偵は暁と初めて会った時、ポアロに住み込みで働いている者がいるとは知らなかった様子であった。それもそのはず、そもそも連絡が行っていなかったのだ。それに対して何も言わない毛利探偵も毛利探偵だが、まあオーナーとの付き合いは長いようだし、とやかく言うつもりにならなかったのかもしれない。

 

 マスターはお辞儀するラヴェンツァをじっと見つめながら、意味深にうんうんと頷いている。

 

「……何か?」

 

 その視線に気づいたラヴェンツァが首を傾げて問うが、マスターは何でもないとばかりに首を横に振った。

 

「いやいや、ラヴェンツァちゃん……だったね。初めまして。イゴールというお爺ちゃんにも、よろしく伝えておいてくれるかな」

 

 そう言って、マスターはラヴェンツァに包帯で拘束されていない右手を差し出し、握手を求めた。ラヴェンツァは訝しげな顔をしつつも、それに応えて握手を交わす。

 

「……スウェーデンって、電話料金いくらぐらい掛かるんだろう」

 

 よろしく伝えてくれというマスターの言葉に、自分のスマホを取り出して電話料金を調べ始める梓。そもそもイゴールはスウェーデンにはいないので、掛ける電話番号すら存在しないのだが。掛ける先があるとしたらベルベットルームだが、電話料金はいくらになるのだろうか。

 

「お爺様は以前持っていたイビ――電話を壊して以来、新調していないのです。お姉様方は忙しい方達ですし、私の方で手紙を送っておきましょう」

 

 先んじて、ラヴェンツァがそう誤魔化すことで事なきを得た。まあ、彼女なら暁にしているようにアルカナカードを電話に見立てて連絡を取ることもできるし、蝶に変化している時みたいに念話のようなこともできるだろう。

 

 それにしても、と暁は考える。ラヴェンツァとマスター……二人の間に妙な距離感があるのを覚えたのだ。まあ、彼女にも苦手な部類の人間が一人や二人いてもおかしくはないだろう。

 

「……おい、そろそろ学校に向かった方がいいんじゃないか?」

 

 鞄から少し顔を出したモルガナにそう言われ、腕時計で時刻を確認する暁。そろそろ学校に向かわないといけないと、梓に伝える。

 

「あ、そっか。じゃあラヴェちゃんは私がポアロに連れて帰っておくね」

「ラヴェちゃ……」

 

 呼び方に不満そうなラヴェンツァを梓に任せ、暁は病室を後にしていった。

 

 

 

 

 病院を出た暁は、そのまま学校へ向かおうとする。

 その途中、来る時は気が付かなかったが、病院の入り口近くに首輪を付けた犬が座り込んでいるのを見かけた。看護師の人や警備の人が、その犬を優しく撫でるなどして構ってあげている様子が見て取れる。

 

「可哀想にね……」

「この子のご主人、事故で亡くなったんだっけ?」

「そうよ。元々お年を召していたお婆さんだったし、病院に運ばれた時にはもう手遅れだったわ」

「事故を起こした車は、そのまま逃走したって……まだ犯人の特定もできてないらしいよ。誰か目撃者がいてくれればいいんだけど……」

 

 聞き耳を立てている暁の耳に、そんな話が聞こえてきた。

 どうやら、あの犬は病院に運ばれて間も無く亡くなった老婦のペットのようである。老婦は夜中、人気のない交差点で倒れているのを犬の鳴き声を聞きつけた近所の住人に発見された。場所と残されたタイヤ痕からして、信号無視した車に撥ねられてしまったと警察は断定したらしい。

 あの犬は主人が亡くなったことも知らずに、その主人が出てくるのを待って入り口でずっと待ち続けているのだ。

 

「健気だな……轢き逃げしたっていう犯人は一体どこのどいつだ。猫じゃなくても、ワガハイ許せないぞ!」

 

 暁はモルガナの言葉に頷き、静かに憤りを覚えながら学校へと足を運んでいった。

 

 

 




また長くなったので、元々一話だったものを二話に分けました。大体一話8000~10000文字くらいあれば丁度いいかなと考えています。

今回のサブタイトルはラヴェンツァの名前が入ってしまっているので、目次を開いた時点でネタバレになってしまうんですよね。大丈夫かどうか不安ですが……問題があれば変更しようと思います。





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FILE.11 探偵不在

 場所は変わって、帝丹小学校。その1年B組。

 相も変わらず顎に手を当てて考え込んでいる江戸川コナン――もとい工藤新一。

 

 思い起こしているのは、昨晩の出来事だ。部活を終えて夕飯の買い物を済ませてきた蘭は、珍しく何か悩んでいる様子で帰宅してきた。いつもなら元気良くただいまと挨拶するのに、今日は下手すれば聞き逃すほど消え入りそうな声であった。

 

『蘭姉ちゃん、何かあったの?』

『え? うん……何でもないわよ。それよりコナン君、お腹空いたでしょ? お夕飯、すぐ作るからね』

 

 そう誤魔化すように笑う蘭の笑顔は、どうにも無理をしているようにコナンの目には映った。隠しているつもりであろうが、幼馴染で腐れ縁のコナンにはお見通しである。

 

『本当に大丈夫? 蘭姉ちゃん』

『どうせ、またあの探偵坊主のことでも考えてんじゃねーのか?』

『もうっ、違うわよお父さん!』

 

 小五郎の適当な物言いに、堪らず反論してしまう蘭。一つ溜息をついて、仕方がないといった様子で話し始めた。

 

『……ちょっと、学校で騒動があったの。一年の時同じクラスだった三島君が、女子生徒の制服を盗んだって――』

『三島がっ!?』

『? コナン君。三島君のこと知ってるの?』

『え? あ……いや、新一兄ちゃんから少しだけ聞いたことがあって』

『そうなの? 新一、三島君と結構仲良かったのかな……』

 

 思わず反応してしまったコナンは、蘭の問いに対して咄嗟にそう誤魔化した。

 本当のところ、新一としては三島とそこまで交流があったわけではない。せいぜい蘭と同じで、一年の頃のクラスメイトだったというだけだ。あまり目立たないが、人当たりは良くそれなりに友人もいる。そして、少々ネットに詳しい。思い浮かぶのはその程度だ。

 

『ほーお、大それたことしたもんだなソイツも。道端に落ちてる雑誌で我慢しとけばいいものを……いや、最近はそういうのも見かけなくなったな』

『お父さん……』

『で、でも、新一兄ちゃんの話だとそんな悪さする人じゃなさそうって印象だったけど』

 

 相変わらずの小五郎に蘭が拳をわなわなと震わせ始めたので、コナンは慌てて話の続きを催促する形で取り成した。

 

『うん。私もそう思ってて、それで悩んでたんだ。本当に三島君が盗んだのかなって……』

『他に怪しい奴でもいたのか?』

『……というか、三島君本人が盗んだって言ったのよ。先生の前で』

『自白してんじゃねえか! じゃあ、ソイツで決まりだろ!』

 

 小五郎は何を悩む必要があるんだと言い飛ばすが、それでも蘭は納得いかない様子だ。

 コナンも三島が盗みを働くとはあまり思えないので調査したいところではあるが、今の自分では帝丹高校に行っても門前払いを喰らうだけだ。だが、放課後に見学と称して蘭と校内を周ることは可能だろう。

 

『蘭姉ちゃん。色々聞き込みしてみたら? 三島さんが犯人じゃないっていう手掛かりが何か掴めるかもしれないよ』

『う~ん……』

『ボクも手伝うから。学校が終わったら帝丹高校へ行くね』

 

 コナンがそう提案するも、蘭はあまり乗り気ではないようであった。新一という、こういう時一番頼りになる人がいないのが原因なのかもしれない。新一がいないのに、自分だけで真実を掴めるのか。そういった不安と、いつも傍にいるはずの人がいないという空虚感が、蘭の行動力を削いでいるのだ。

 

(蘭……)

 

 少し心配だったが、その晩はそれ以上どうすることもできずそのまま夕食を終えて床に就いた。回想を終えたコナンは、今日の放課後のことについて考え始める。

 

(来栖暁とは例の沖野ヨーコの事件で多少なりとも接点は持てている。ここらで探りを入れてみようかとも思ったけど……急いては事を仕損じるって言うし、それはまた別の日だな)

 

 考え込むコナンの肩を、先日に続いて隣の吉田歩美が叩く。気づけば、周りのクラスメイト達の視線が軒並みコナンに注がれていた。期待の入り混じったような小さい笑いが漏れている。

 

「コナン君。教科書、60ページだよ」

「あ、うん」

 

 応えて、前回の二の舞は演じないとコナンは立ち上がらずにそのまま60ページを開く。しかし、いつまで経っても周りの注目がなくなることはなかった。首を傾げるコナン。

 

「……江戸川君。先生は60ページの文章を読みなさいと言ったんですよ?」

 

 ドっと一斉に笑い出すクラスメイト達に、コナンは遠い目をして苦笑いを零す。恥ずかしいのを通り越してもはや諦めの境地だ。

 

(ハハハ……早く放課後になんねーかな)

 

 

 

◆◇◆◇◆◇◆◇

 

 

 

 病院を出て数十分後、学校に到着した暁。今はちょうど二時限目が終わった後の休憩時間だ。

 校門を潜って、校舎へと向かう。その途中、暁は駐車場に妙に目立つ高級車が駐車されているのを見かけた。見るからに上の立場の人間が乗っている車で、パッと見ただけでもそれが新車であることが分かる。

 

「おい、何してんだ。早く教室に行こうぜ」

 

 モルガナに促された暁は、車から目を外して昇降口に入っていった。次の授業がある教室へ移動する生徒達とすれ違いながら、自分のクラスである2年B組の教室へと向かう。

 教室に着くと、クラスメイト達は入ってきた暁に気づいてすぐに視線を逸らした。暁は彼らの横を通って自分の席に座り、モルガナを机の中に忍ばせる。

 

「あ、暁君。おはよう」

「おっはよー」

 

 隣同士で話していた蘭と園子と挨拶を交わす。一体何の話をしていたのか、何気なしに尋ねる暁。

 

「よくぞ聞いてくれました!」

 

 暁の問い掛けに、園子が大げさに席を立ってその場に仁王立ちした。蘭は苦笑いをして、いつものことだと暁に目で伝えてくる。

 

「昨日の三島君の事件、蘭がどうしても彼が犯人とは思えないって言うのよ! ねえ、蘭?」

「うん。だって、私達一年の頃は三島君と同じクラスだったんだけど、そんな悪さするような人には見えなかったし……」

「それはアタシも同意見。ちょ~っとオタクっぽくはあったけど、見たところそこまでの度胸があるとは思えないわ」

 

 一年の頃の三島を思い出して語る二人。元の世界での三島は友人が多いというわけではなかったが、彼女らが言うにはこちらの三島は深い仲とはいかないまでも割と友人はいる方だったらしい。

 

「ねえ、アタシ達で真犯人を見つけましょうよ!」

 

 暁の机を両の手で突き、ずいっと顔を前に突き出してそんなことを言い出す園子。真犯人とは、高見沢恭子の制服を盗んで三島の鞄に入れた人物のことを指しているのか?

 

「その通り! 真犯人を見つけて白状させれば、三島君の無実が晴らせるじゃない!」

「でも、その三島君が『自分がやった』って言ってたのよ?」

「その犯人に弱みを握られてるのよ、きっと! そうに違いないわ!」

 

 意気込みながら話す園子。恐らく、園子の言っている通りだろう。三島は何かしらの理由があってその真犯人に逆らうことができない状態なのだ。

 だが、話を聞いていた蘭は少し考え込んでいる様子だ。

 

「何考え込んでるのよ蘭! アタシ達だけで解決して、帰ってきた新一君をアッと言わせましょうよ!」

「新一を……そうね。分かったわ、園子!」

「よーっし! そうと決まれば、昼休憩になったら三島君に話を聞きに行きましょう! 今日は学校休むかと思ってたけど、登校してるみたいだし」

 

 やる気になっているところ申し訳ないが、その言葉に暁は待ったをかけた。話を聞こうとしたところで、三島は何も喋らない。昨日、暁が彼と米花公園で話した時もそうだったのだから。

 

「え~、本人から話を聞けないんじゃあ……う~ん」

 

 暁のその言葉を聞いてげんなりした顔をする園子。そこで、三時限目開始のチャイムが鳴る。次の授業の担当教師が教室に入ってきて、立ち上がっていた園子は話を切って自分の席に座った。

 

 

 

 三時限目、四時限目と授業が終わって昼休憩に入ると、教室の生徒達は各々購買に向かったり机をくっ付けて弁当を広げて昼食を食べながら話に興じ始めた。話題はもっぱら、昨日の三島の事件についてだ。

 

「二人共、さっさとお弁当片付けて職員室に行くわよ」

 

 周りと同じく机に弁当を広げた園子はそう言うや否や、その中身を口に掻っ込み始める。

 

「職員室? どうして?」

「むぐっ……ゴクン。ふふん、実はアタシ……真犯人の見当が付いてるのよ」

「ほ、本当に!? 園子!」

「ホントよ。食べ終わったら、そいつに直談判しに行ってやるわ。まあ、この女子高生探偵園子様に任せておきなさい!」

 

 得意げな顔をしている園子だが、ほっぺのご飯粒のせいでどうにも格好が付いていない。

 困り顔の蘭から「とりあえず、お弁当早く食べましょう」と言われ、暁は頷いて鞄から風呂敷に包まれたタッパーを取り出す。もちろん、中身はカレーだ。

 

 遠慮なくカレーの臭いを教室中に流す暁は、いつもとは違う意味でクラスメイトの視線を集めるのであった。

 

 

 

◆◇◆◇◆◇◆◇

 

 

 

 素早く弁当を片付け終えた三人は、園子を先頭にして職員室へと向かった。ちなみに、モルガナも後をつける形で隠れて付いてきている。

 園子は真犯人の見当が付いていると言っていたが……向かう先が職員室ということは、つまり――

 

 

「鴨志田、白状なさい! アンタが真犯人なんでしょう!?」

 

 

 案の定である。

 暁の目の前では、園子がいつかの毛利探偵のように鴨志田を鋭く指で指している。その指の先にいる鴨志田は、実に困った顔をして頭を掻いた。

 

「鈴木……いきなりどうした? 真犯人って、一体何のことだ?」

「とぼけんじゃないわよ! アンタが三島君の鞄に高見沢さんの制服を入れたんでしょう!?」

 

 それを聞いて、さすがの鴨志田もしどろもどろになって慌て始める。元の世界の傲慢さやふてぶてしさが嘘のようだ。

 

「な、な、何だってぇ!? 俺はちゃんと職員室にいたぞ! 来栖が給水所で電話をしているところも窓から見てる!」

「でも、ずっと見てたわけじゃないでしょ? 職員室で用を済ませた後で制服を盗んだのよ! あれだけの時間体育館を出てたなら、それくらいの時間は――」

「それは違うわよ。鈴木さん」

 

 横から、弁当を食べていた川上がそう言って園子の言葉を止めた。川上は箸を置いて、園子たちの方へ向き直る。

 

「鴨志田先生、昨日中に提出しなきゃいけない書類をどこかに失くしちゃったみたいなのよ。私もその時授業には出てなかったから一緒に職員室中探し回ったんだけど、見つからなくて……結局、書類は体育準備室の机の上にあったけど、先生が制服を盗みに行くような暇はなかったわよ」

「ほ、本当ですか?」

「ああ、そうだ。トイレで出くわした教頭に書類のことを聞かれて、あると思ってた職員室にないもんだから慌てたぞ……もちろん、俺は高見沢の制服を盗んでなんかない」

 

 川上の話を聞いて、予想外といわんばかりの顔で問う園子に、鴨志田は安心したように嘆息してからそう答えた。それを聞いた園子は落胆した様子で空いている席に座り込んでしまう。

 

「あの、体育準備室って女子が体操服に着替えるのに使ってた空き教室に近いですよね。怪しい人物とか、見かけませんでしたか?」

「う~ん、別に怪しい人()見かけなかったわよ。ですよね、鴨志田先生」

「まあ、そうですね」

 

 蘭の問い掛けに、川上と鴨志田はそう答えた。収穫を得られず、「そうですか……」と残念そうに呟く蘭。

 

「そもそも、鴨志田先生が高見沢さんの制服を盗んだとして、それがどうして三島君の鞄から出てきたの? 三島君の鞄に入れる動機がないじゃない。先生、よく彼のことを気に掛けてたわよ」

「そうですとも。アイツ、最近妙に怪我していることが多いんですよ。心配して聞いてみても、本人は転んだだけって言って話を拒むし……」

「近藤君が彼を殴っているところを見たっていう生徒がいて私も一度問い質したんだけど、当の三島君が誤解だって言って、結局それ以上は何も出来なかったわ……」

 

 それまで黙って話を聞いていた暁は、問い質した時近藤は何と言っていたかと川上に尋ねた。

 

「え? え~っと、『俺達は中学も一緒だったから、仲良しなんすよ』って言ってたわよ。とてもそうには見えなかったけどね」

「仲良しと言えば……近藤の奴、最近校長と話していることをよく見――」

 

「私が、どうかしたかね?」

 

 そこへ、まるで話を遮るように校長がその太い図体で割って入ってくる。あからさまに嫌そうな顔をする園子。

 

「あ、校長! いや、別に何も……」

「校長先生。最近、近藤君と妙に仲が良いみたいですけど、何か理由があるんですか?」

 

 誤魔化そうとする鴨志田を無視して、川上が率直に近藤との仲について校長に問い質した。校長は一瞬舌打ちを抑えるかのように顔を歪めたが、すぐにいつもの厳格な表情――所詮、形だけだが――へと戻った。

 

「ああ、近藤君かね? 実は、彼は親戚の息子さんでね。空手部を退部になってから粗暴な振舞いが目立つから、面倒を見てあげてくれと頼まれているんだよ…………ところで、そこの鈴木君達は一体何をコソコソ探ろうと――」

「こ、校長! そういえば、最近車買い替えたそうじゃないですか! 前の車はフレームがひどく凹んでましたからねぇ。いやぁ、羨ましいなあ!」

「ん? ま、まあ、修理するのもなんだからね。せっかくだから新調したのだよ」

 

 鴨志田が校長の相手をしている隙に、川上が今のうちに職員室から出ろと暁達に手で促した。それに従って、職員室を後にする暁達。

 

 

 職員室から離れて、手近な手洗い場で立ち止まる三人。暁は顎に手を当てて考え込み、蘭は落胆している園子を気遣っている。

 

「はぁ~……絶対鴨志田が犯人だと思ってたのに。アイツ、前々から女子を見る目が怪しかったじゃない?」

「いや……確かにそうだけど。川上先生の言った通り、アリバイはあるし動機もないんだから、鴨志田先生は違うわよ」

「じゃあ、あのタマゴが犯人よ! あんな厭らしい性格してるんだし、三島君の鞄に制服を忍ばせてもおかしくないわ!」

「あのね、園子……」

 

 どんどん言っていることがいい加減になっている園子に、苦笑いを零す蘭。

 そんな話をしている二人に対して、今しがたまで考え込んでいた暁が口を開きかけた。

 

 

 

 ――その時、三人の横を複数の生徒が慌てた様子で走り抜けていった。

 

 

 

 何事かと思っていると、後から走ってきた同じクラスの生徒を蘭が捕まえる。

 

「ねえ、何かあったの?」

「三島がまたやらかしたんだ! 今度は近藤の彼女を襲ったって!」

 

 その生徒から、耳を疑うような言葉が告げられる。生徒は驚いている蘭の手を振りほどいて、走り去っていってしまった。

 

「襲ったって……ど、どういうこと?」

「……とにかく、行ってみましょう」

 

 神妙な顔付きの蘭に、園子は頷いて先の生徒を追いかける形で三島のクラスである2年C組へと向かっていった。

 走っていった蘭達とは別に、暁は密かに後をつけさせていたモルガナに自分のスマホを渡した。そして、何やら話してからモルガナをどこぞへと向かわせる。それを見届けると、暁は園子達を追って走り出した。

 

 

 

 

 

 

 2年C組の教室に着くと、辺りは野次馬の集まりでごった返していた。あの生徒の話では、近藤の彼女である高見沢恭子が三島に襲われたとか。制服を盗んだ相手を今度は襲ったとあって、興味本位で集まる者が後を絶たない状態だ。

 

 幾分か背が高い暁が並んだ野次馬の隙間からC組を覗くと、近藤がその襲っている瞬間の証拠写真をスマホに映し出して周りに見せびらかしていた。被害者の高見沢が他の女子生徒に慰められているのも見える。肝心の三島は、教師によって連れて行かれた後のようである。

 

「そんな……」

「…………」

 

 暁がそのことを伝えると、園子と蘭は茫然自失といった状態で俯いた。

 

 ……恐らく、襲ったのは高見沢の方だ。それを三島が襲っているように見える形で近藤が撮影したに違いない。暁はそう推測した。証拠があるわけではないが、暁は例え違う世界であったとしても三島がそんなことをする人間ではないと信じたいのだ。しかし、昨日と同じ調子では、三島は昨日と同じく否定せずに罪を認めてしまうだろう。

 

 そのまま昼休憩が終わり、五時限目開始のチャイムが鳴って野次馬は自分達の次の授業がある教室へと向かっていった。

 五時限目は自習で、今は緊急職員会議の真っ最中だそうだ。三島のクラスの担任である鴨志田はもちろん、川上も出席しているようだ。

 前回に引き続き警察沙汰にはなっていないようだが、先日不祥事を起こしたばかりな所に立ち続けてとなれば、処分は免れない。退学処分は確定だろうとクラスメイトや周りの人間はまるで祭りのように騒いでいる。

 ……所詮は他人事ということだろう。だが、中にはその祭りに参加せず不安げな様子で見ているだけといった生徒達もいる。恐らくは、三島と友人関係にあった者達なのかもしれない。

 

「おい、静かにしろ!」

 

 会議に参加していない教師がそう言って場を鎮めようとしているが、はっきり言って何の効果もない。

 異様な状況に園子は机に片肘を突いて辟易し、蘭は俯いて暗い表情をしている。

 

「…………こんな時、新一がいてくれれば……」

 

 蘭の呟き声が、暁の耳に届いた。

 そういえばと、思い出す。例のヨーコの事件で、幼馴染の工藤新一という人物が高校生ながらに探偵をしているという話を蘭から聞いたのだ。恐らく、暁の隣にある空いた机は彼の席なのだろう。

 今まで数々の難事件を解決しているらしいし、その彼がいてくれれば真犯人を突き止めてくれるかもしれないが……今いない人物のことを考えても仕方がない。

 

 

 

 

 そして、祭り騒ぎも収まらない内にチャイムが鳴り、六時限目は通常通りの授業となった。その授業が終わって、帰りのホームルームの時間となっても、三島が教室に戻ることはなかったらしい。

 

「みんな、今日は部活動はせずに速やかに真っ直ぐ帰宅するように……寄り道なんかしちゃ駄目よ」

 

 ホームルームで川上はそう言い残し、暗い表情のまま教室を出て行った。

 興奮冷めやらぬ者は机に座ったまま友人と事件について話し始め、自分には関係ない話だという者は大人しく帰路に着き始める。

 

「コナン君、放課後にこっちに来るって言ってたけど、それどころじゃなくなっちゃったな……」

「校門で待ってるんじゃない? 帰りがてら拾っていきましょうよ。暁君も一緒に帰る?」

 

 そう誘ってくる園子に、暁は申し訳なさそうに少し用事があると言って断る。

 

「そう……じゃあ、また明日ね」

 

 下駄箱へと向かう蘭達を静かに見送る暁。

 

 彼女達の姿が見えなくなると、暁はそのまま人気のない階段の踊り場へ向かう。そこには、暁のスマホを抱えたモルガナが積み重ねられた机の上に座って待っていた。

 

「遅いぞ、アキラ」

 

 大して遅れたわけでもないが、とりあえず謝る暁。そして、例の件はどうだったかと聞く。

 

「ワガハイを誰だと思ってるんだ。お前に言われた通りアイツをつけてたら、案の定だ。バッチリ会話も録音してやったぞ。本当は動画を撮影したかったんだが、さすがに猫の身体じゃ厳しいからな」

 

 そう胸を張って答えるモルガナ。器用にスマホを操作して、ある音声を流し始める。最初は雑音ばかりであったりが、しばらく待つと聞き覚えのある声が聞こえてきた。

 

『…………いやいや、上手くやってくれたものだ。これだけやれば、彼の退学に文句を言う人物は出てこないだろう』

『だろうねぇ。それよりおじさん、お礼はちゃんと用意してくれてるのか?』

 

 雑音交じりではあるが、間違いない。前者が肥谷校長で、後者は近藤浩之の声だ。気安い会話からして、親戚の息子というのは嘘ではなかったのだろう。

 

『もちろんだとも』

『へへ……貧弱な奴を嵌めるだけで金がもらえるなんて、ボロい商売だな』

 

 封筒を手に取るような音と、それを受け取る衣擦れ音が聞こえる。

 

『それにしても、三島の奴友達のためだか何だか知らねぇけど、あれだけやられて、よくもまあ何も喋らないでいたもんだ。俺だったらはなから見捨てて、おじさんが轢き逃げしたってこと吐いちまうぜ』

『そのことはあまり口にするなと言ってるだろう。せっかく、前校長の遺書を偽造をしてまでこの地位に昇りつめたというのに、こんなことで何もかも台無しになるなど冗談ではない…………秋山、だったかな? 君が彼を脅すために利用したという中学の同級生は』

『そうそう。三島がああいう性格してるのはよおく知ってたからなぁ。だから、三島本人じゃなくて秋山の彼女がトイレで用を足しているところを盗撮して、それをネタに秋山の奴を脅したんだ。三島がそのことを知れば、庇いに出てくるのは簡単に予想できた』

 

 そこまで聞いて、もう十分だと暁はスマホを操作して再生を終了させた。

 

 

 ……どうやら、暁の推測は完全に当たっていたようである。

 

 

 川上の『怪しい人()見かけなかった』という言葉が引っかかったのだ。あのイントネーションでは、怪しい人物は見かけなかったが、そうでない人物は見かけたと解釈できる。

 授業中、校舎内をうろうろしていても怪しまれない人物――それは校長だ。園子の話ではいつも仕事をせずにうろうろ歩き回っていたというし、そのせいもあって怪しいと捉えられなかったのだろう。

 それに、車。病院前で聞いた話と繋がりがあるとすれば……そう推測した暁は、校長と三島の因果関係を知るためにスマホを持たせたモルガナを寄越したのだ。怪盗団の参謀役、新島真のやり方を参考にして。

 

「どうする? これを校長に突きつけるか? それとも視聴覚室を使って学校中に垂れ流すか?」

 

 モルガナがそう言うが、暁は首を横に振った。

 証拠を突きつけようとすれば、校長はすぐに秋山の彼女の盗撮写真をネット中に拡散させるだろう。それは、三島の覚悟を踏みにじることになってしまう。

 

 暁はスマホを拾い上げモルガナを鞄に入れると、学校を出てある場所へと向かった。

 

 

 

◆◇◆◇◆◇◆◇

 

 

 

 暁が向かった場所――それは米花公園であった。

 

 その公園のベンチには、予想通り噂の渦中にある三島が座っていた。当たり前だが、昨日よりも顔色はすごぶる悪い。

 暁が声を掛けると、三島はゆっくりと顔を上げた。その目は虚ろで、それは元の世界で自殺を図った杏の親友である鈴井志帆を思わせた。

 

「もうこれ以上気に掛けないてくれって言ったのに……ホント変わった奴だよな。お前」

 

 そう吐き捨てるように言う三島は、何もかも諦めているかのように乾いた笑いを見せた。

 

「…………退学処分、だってさ。正式な手続きはまた後日になるらしいけど、それまで自宅謹慎だよ」

 

 皆が噂していた通りの結果となってしまったようだ。窃盗に暴行……これだけの理由があれば、退学にされても誰も文句を言うことはできない。

 

 

 ――それが犯人の狙いだったんだろう?

 

 

 予想外の暁の言葉に、三島は目を丸く驚いている。

 

「お前……もしかして、全部分かってるのか?」

 

 三島の問いに、暁はスマホを取り出し、例の録音データを再生した。三島にとっては全て分かっている内容だ。ヤツらの声など聞きたくもないだろうし、触りだけを流して再生を止める。

 

「どうやって、って言うのは聞かないでおくよ……それ、校長に聞かせてないよね?」

 

 もちろんだ、と暁は頷く。

 

「……ならいいんだ。聞かせてたら俺、お前のこと一生恨んでたかもしれない」

 

 それから、三島は淡々とした様子で事の発端と経緯を説明し始めた。

 

 ある日、三島は夜中にコンビニへ向かいに出掛けると、途中犬の散歩をしていた老婦が車に轢かれるのを目撃してしまった。

 車から出てきた人物は、自分の通う帝丹高校の新しい理事長兼校長――肥谷玉夫だったのだ。校長は三島が見ていることに気付くと慌てた様子で車の中に引き返し、倒れている老婦や吼え続けている犬を放置してどこぞへと走り去っていってしまった。

 

 それ以降、自分の見たことを警察に言うべきか悩んでいた三島。元々そういう経験がなかっただけに、すぐに行動に移ることができなかったのだ。意を決して警察へ連絡しようとしたところで、中学時代の友人である秋山から助けてくれというメールが届いた。

 

 中学時代から付き合っていた彼女がトイレで用を足しているところを、三島と同じ帝丹に通う近藤が自分の彼女――高見沢恭子と吊るんで盗撮したらしい。それをネタに秋山達が脅迫されていることを知った三島は、自分が何でも言うことを聞くから秋山達には手を出さないようにして欲しいと土下座して頼んだのだ。

 

 だが、それは近藤を使った校長の計画だったのだ。近藤と繋がっていた校長は、自分が轢き逃げしたことを黙っていれば秋山の彼女の盗撮写真をばら撒くような真似はしないと言った。近藤も三島が自分から頼んだ通り、彼を好き勝手遊びの道具として扱い始めた。三島は、自分が耐えていればいいと、ただただ我慢し続けた。

 

 しかし、あの窃盗に続く、暴行事件。校長達は、三島に悪評をつけて彼を退学に追い込もうとしていたのだ。三島が考えを変えて轢き逃げ事件について暴露しようとしても、誰も彼を信じないようにするために。

 

「一度、自殺することも考えたんだけど……校長から自殺すれば写真をネットにばら撒くって言われたよ。自殺なんてされたら学校の名前に傷が付くっていってさ。でも、今頃は逆に自殺して欲しいと思ってるかもね。これだけ悪さしたことになれば、世間は自業自得って思うだろうし」

 

 言いなりで終わるつもりかと暁は言うが……全てを諦めている三島の死んだ目は、何も映していない。

 

「そんなこと言われても……もう、どうしようもないだろう」

 

 その呟きには、諦めの中に隠れたやり場のない怒りが込められているように、暁は感じた。三島はそのままふらりと立ち上がると、暁に背を向ける。

 

「……多分、もう会うことはないだろうけど……気に掛けてくれて、ありがとう」

 

 それだけ言い残して、三島は公園を立ち去っていった。

 

 

 

 

 

 

 ポアロに帰宅した暁とモルガナ。

 いつもとは違う顔付きに、梓が心配そうに眉を潜めている。

 

「おかえり……何かあったの?」

 

 そう聞く梓だが、暁はそれに何でもないと答え、今日はちょっと用事があるからバイトを休みたいと伝えた。明日については、定休日の水曜なので特に断りを入れなくても問題ないはずだ。

 

「え? う、うん。それは別に構わないけど……」

 

 暁は梓に礼を言うと、出掛ける準備のため地下室へと向かう。地下室では、ラヴェンツァがポアロに置かれている雑誌をソファに座って読んでいた。

 暁の顔を見たラヴェンツァはそれだけで全て理解したらしい。

 

「今から準備ですか?」

 

 ラヴェンツァの問いに、暁はニヤリと笑ってみせた。そして、告げる。

 

 

 

 

 ――怪盗団の出番だ、と。

 

 

 




ちなみに、近藤浩之と高見沢恭子の名前は、初代女神転生の原作である『デジタル・デビル・ストーリー』で、主人公の中島朱実を逆恨みから暴行した生徒達が元ネタです。









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FILE.12 怪盗団の復帰初仕事

 今日は水曜、多くの人達にとっては週の中日とあって月曜の次に憂鬱な気分となってしまう日である。しかし、此度はその憂鬱な気分を吹き飛ばすような出来事が起こり、米花町はその話題で持ちきりになった。

 

 前日の陽が出ている間は見なかった"あるモノ"が、米花高校中のそこかしこに貼られていたのだ。

 

 

 

 シルクハットにドミノマスクが付いたマーク――"心の怪盗団"を名乗る赤色に染まった予告状が。

 

 

 

 SNSを通してそれを知った野次馬やマスコミ達が、平日にも関わらず興味本位で件の予告状を見ようと帝丹高校に集まってきた。午後になる頃にはそれも疎らになったが、午前中はそれはもう酷い騒ぎであった。

 校長が頑なに警察を呼ぶことを拒んだので、教師達はマスコミへの対応と校舎の至る所に貼られた予告状の回収に追われ、授業どころではなかった。結局、人手が足りず生徒達まで駆り出される始末である。

 

 昨日の三島による暴行事件に引き続いて、今日も部活動は自粛措置。生徒達は教師から今回のことを周りに言い触らさないようにと念を押され、速やかに帰宅するよう促された。

 

 

 

「それにしても、何なのかしらね。心の怪盗団って」

 

 下校中の蘭と園子。

 園子は、学校の掲示板に貼られていた予告状の一枚を教師に提出せず持ち帰っていた。新聞紙などの文字を切り抜いてコピー印刷されたであろうそれを手にしながら、興味深そうな顔でそう口にする。

 

 予告状の内容はこうだ。

 

 

 

 ――他人が築いた学び舎で私腹を肥やす木偶の坊にして傲慢の大罪人、ヒヤタマオ殿。

 

 お前が密かに行ってきた非道な行為の数々は、断じて許されるべきことではない。

 

 我々はその罪とひた隠しにしている真実を、お前の口から告白させることにした。

 

 その歪んだ欲望を、頂戴する。

 

 心の怪盗団『ザ・ファントム』より――

 

 

 

「心……それも、欲望を盗むなんて……そんなことホントに出来るのかな?」

「さあねぇ。ま、アタシの心は既にキッド様に盗まれちゃってるけど!」

 

 そう言って、園子は夢見がちな少女のように目を輝かせ、両の手を組んで空を見上げた。

 園子の言うキッドとは、暁の仲間である坂本竜司のペルソナ――のことではなく、昨今世間を騒がしている怪盗キッドのことだ。八年ほど前から音沙汰がなくなっていたが、最近になって不死鳥のようにまたその姿を現わすようになった、主に宝石を専門としている泥棒である。 

 

 それはさておき、同じ怪盗を名乗るザ・ファントムがターゲットにしているのは、宝石ではなく帝丹高校の理事長兼校長の肥谷玉夫の心だ。もし、彼が本当に欲望とやらを盗まれたとしたら、どうなるのだろうか?

 予告状を見た学校の生徒達がSNSで情報を流し、マスコミがたちまちニュースや新聞などでザ・ファントムのことを取り上げた。それでも、警察が動いている様子はない。あの校長は、意地でも警察沙汰にしたくないようだ。

 

 そこへ、蘭の視線の先に子供が数人集まって何やら話し合っているのが見えた。その中には、自分の家に居候している江戸川コナンの姿も見える。

 

「あれ、コナン君」

「蘭姉ちゃん! 例の怪盗団の話って、本当なの?」

 

 コナンが蘭の存在に気付き、開口一番そう聞いてきた。傍にいるコナンの友達である三人の子供――小嶋元太、円谷光彦、吉田歩美も蘭の方に期待の眼差しを向ける。どうやら、小学校にまで怪盗団の話は知れ渡っているようだ。

 

「本当よ、ガキンチョ。ほら、これがその怪盗団が出した予告状!」

 

 園子が自慢げに件の予告状を子供達に向けて差し出した。

 

「わー、すごーい!」

「でもよ~、これ何でペンで書いてないんだ?」

「筆跡を隠すためですよ、元太君。基本中の基本じゃないですか」

 

 怪盗を名乗る者達が出した予告状に、子供達は興味津々な様子だ。ただ一人、江戸川コナンだけは真剣な顔付きで予告状の文章を読んでいる。

 

(ヒヤタマオって……俺がこの身体になる半年前に新しく校長になった奴か。前校長の遺書に従って校長に就任したって聞いたけど、キナ臭いとは思ってたんだよな)

 

 前校長には血の繋がった後継者に当たる人物がいなかった。肥谷は就任の挨拶で前校長とは親しい仲にあったと言っていたが……

 

「……蘭姉ちゃん、この予告状に書かれてるヒヤタマオって人。何かしたの?」

「ウチの新任の校長先生なんだけどね……う~ん、特別何かしたってわけじゃないと思うんだけど」

「学校の評判とか世間体ばかり気にしてるどうしようもない奴よ。誰かから恨まれててもおかしかないわね」

 

 それを聞いて、コナンは顎に手を当てて考え込み始める。

 

(隠れて悪さしてるってわけだな……しっかし、歪んだ欲望を頂戴するってどういうことだ? 怪盗キッドみたいに宝石っていう分かりやすい標的(ターゲット)ならまだしも、そんな非物理的な物をどうやって盗むってんだ!)

 

「つまり……悪いことをしている人の欲望を盗むってことですよね!」

「アニメのダークヒーローみたい!」

「ヨクボーって何だ? それ盗まれたらどうなんだ?」

「それは……良い人になるんじゃないでしょうか?」

 

 子供達のはしゃぐ声がコナンの耳に届く。テレビのヒーローに向けるような羨望の気持ちを怪盗団に向けている。

 

「ほら、みんな。いつまでも道端で話し込まないで、お家に帰――」

「ああっ!」

 

 蘭が話を切り上げて子供達を家に帰そうとしたところで、園子が突然大声を上げた。驚いて皆が彼女の方へ振り向く。彼女は何やら慌しくブレザーの内ポケットを探ったり、鞄を引っ繰り返す勢いで漁ったりしている。

 

「ど、どうしたの園子?」

「ごめん蘭! スマホ、学校に忘れてきちゃったみたい! ガキンチョ達連れて先に帰ってて!」

 

 そう早口気味に伝えて、園子は来た道を走って戻っていった。スマホを学校に忘れたらしいが、恐らく予告状に目を取られすぎていたせいだろう。

 もはや現代人にとって必需品と言ってもいいスマホ。それで普段の買い物をしたり定期券代わりにして令嬢らしくなく電車通学をしている園子にとって、スマホを失くすことは死活問題と言っていい。

 

「コナン君! ボク達も、帝丹高校へ張り込みに行きましょうよ! 噂の怪盗団を捕まえて少年探偵団の手柄にするんです!」

「えっ、何でだ? カイトーダンって悪い奴を良い奴にするんだろ?」

「でも、ドロボーはドロボーだよ。ね、コナン君!」

 

 キラキラした目で目の前の事件への期待を隠しもしない光彦達。彼らは少年探偵団を名乗っており、子供ながらに手柄を上げることを目的に執拗に事件を求める傾向にある。実際、これまでにもいくつかの事件に巻き込まれた経験をしている。今回もその好奇心旺盛さを発揮して首を突っ込みたがっているようだ。

 

「バーロー。学校中に予告状を貼るなんて手間かけちゃいるが、コイツは多分……ただのイタズラだよ。大体、心を盗んで悪人をどうにかできたら、警察も探偵もいらねーじゃねえか」

「「「えー、そんな~……」」」

 

 一方のコナンは、気にはなるが心を盗むなんて荒唐無稽なことはありえないと考えていた。何かの例えかと思いつつも、恐らくは愉快犯だろうと。コナンの中身は見た目通りの子供ではなく数々の難事件を解決してきた高校生探偵なのだから、この考えに至るのは至極当然である。

 

「じゃあ蘭姉ちゃん、今日も三島さんの事件の聞き込みは……」

「うん。怪盗団騒ぎのせいで、今日もみんな部活自粛で帰されちゃってるから…………それに、多分もう……」

 

 沈んだ顔をする蘭に、コナンは苦虫を噛むような思いを否めなかった。

 コナン自身も、三島が引き続いて事件を起こしたことは蘭から聞いている。だが、三島から話を聞こうにもそれは叶わないし、学校で情報を得ることもできない状況では調査しようにも難しい。なぜこんな時(・・・・)に予告状なんて騒ぎになることをしでかしてくれたのか、コナンは怪盗団を名乗る愉快犯に憤りを覚えた。

 

 

 その瞬間、コナンの脳裏に電撃が走り、胸の奥に沸いた憤りが一気に冷めていった。

 

 

 

 ――こんな時(・・・・)に? まさか……!

 

 

 

◆◇◆◇◆◇◆◇

 

 

 

 予告状に書かれた標的(ターゲット)、帝丹高校の校長である肥谷玉夫は冷静であった。

 

 

 ――心の怪盗団? イタズラに決まっている。そんなふざけた奴らがどう言おうと、知ったことではない。欲望を盗むなど、出来るものならやってみろという話だ。

 

 

 否、冷静というのは当人がそう思っているだけで、頭の中はそんな怪盗団に対する感情で一杯だ。その肥えて首と一体化した顔は、機嫌が悪いということがありありと分かるほどひどく歪んでいた。

 冬の季節は日が落ちるのが早い。既に夕方近く、窓の向こうの夕焼けが苛立ちからのストレスによって止め処なく流れる汗に映し出される。その薄暗い夕焼けに照らされた部屋の中、革椅子に座った校長は電気も点けずに頻繁にその汗をハンカチで拭った。

 

 学校には予告状の情報を耳聡く聞きつけた警視庁の捜査二課から連絡があった。念のため警備を派遣すべきだと言っていたが、校長はただのイタズラだと言い張り、断固として警察の介入を許さなかった。教師陣の中にも警察の要請を受けるべきだと言い出し始める輩が出始めたので、皆既に校長によって強制退勤させられてしまっている。

 

 三島についての職員会議でも、全会一致で退学処分に皆頷くかと思いきや、一部の教師が反対の声を挙げた。鴨志田と川上である。

 校長は二重顎に手を添えて考える。元オリンピック選手で知名度がある鴨志田はともかくとして、問題は川上の方だ。愚かにも大して価値のない生徒を慮って反抗の姿勢を崩さなかった川上。結局三島を庇い切ることはできずに終わったが、彼女が将来的に学校経営において邪魔になる可能性は十分にある。

 

 

 また近藤を使って退職にでも追い込んでしまおう。三島の時と同じように。

 

 

 校長は汗の染みたハンカチを乱暴にポケットに突っ込み、誰に向けるでもなく歪に笑ってみせた

 

 

 

 ――その時、クスクスと幼い子供の小さな笑い声が校長の耳に届いた。

 

 

 

 誰だと思って校長が振り返ってみると、校長室の扉が少しだけ開かれている。その隙間から目に入ったのは、通り過ぎていく子供の影。明らかに小さかったその背は、その影の主がこの学校の生徒ではないことを示していた。

 近所の子供が予告状の噂を聞きつけて、遊び半分で忍び込んできたか。校長は苛立ちを隠しもせずに舌打ちして椅子から立ち上がると、乱暴な手付きで扉を開け放って通り過ぎていった子供の後を追い始める。

 

 廊下の先に見える子供は、群青色のケープに付いたフードを目深に被っている。そのため顔は伺えないが、学校という場所にそぐわないドレス姿が少女であることを伝えてくれた。少女はまるで待っていたかのように校長が廊下に出てきたのを確認すると、また小さく笑い声を響かせて誘うように階段を上がっていく。

 どこかこの世の物ではないような神秘的な魅力を放つ少女。校長は非日常との対面にゴクリと生唾を飲み込んで、誘われるがままに少女の行く先へと足を動かした。

 

 

 

 少女はそのまま階段を上へ上へと上がっていき、ついには屋上に入る扉を開けてその先へ行ってしまった。

 普段は鍵が掛かっているその扉は、何者かによって開けられてしまっているようだ。何度か不届きな生徒がこじ開けて侵入したことがあるが、今までと違って今回のそれは手際が良過ぎるように見える。

 

 先ほどとは打って変わって少し不気味さを覚えてきた校長の顔に嫌な汗が伝うが、ここまで来て戻るなんて気にはなれなかった。学校に侵入した傍迷惑な子供を放置するわけにもいかない。それに、ただでさえ例の予告状のせいで悪い形で目立っているこの状況だ。万が一にも屋上から飛び降りるなんてことをされれば警察の介入は防げない上、学校の評判は地に落ちるだろう。

 

 校長は思い切って扉を開けて、屋上へと出た。

 しかし、そこには先に屋上へ出たはずの少女の姿は影も形もなかった。

 

「一体、どこへ行った……!?」

 

 まさかと、校長は慌てて飛び降り防止のフェンスへ向かおうとした。

 

 その時、突然その背中へ声が掛けられる。

 

 ギョっとして校長が振り返ると、そこには黒いベストにロングコートといった黒尽くめの格好に白いドミノマスクで顔を隠した若い男――怪盗団"ザ・ファントム"のリーダーであるジョーカーが、入り口の塔屋の上に見下すようにして悠然と立っていた。

 

「な、何だお前は! ふざけた格好をしおって……今すぐにそこから降りろ!」

 

 謎のコスプレ男にしか見えない相手に対して、校長は罵声を浴びせる。が、ジョーカーはそれを無視してその場から飛び上がり、優雅に一回転して校長の目の前へ片膝を突く形で降り立った。およそ人間業ではない身のこなしに校長が驚いていると、ジョーカーはゆっくりと立ち上がって口を開く。

 

 

 ――肥谷玉夫。お前の歪んだ欲望を頂戴しに来た。

 

 

 その言葉を聞いた校長は、目の前の人間が例の予告状を出した怪盗であることを理解した。まさか、本当に来るとは。

 ジョーカーはパッと見細身な身体をしているが、校長より圧倒的に背が高い。見下ろされる形になっている校長は、ジョーカーのマスクの目穴から覗く血のように赤い目に恐れ慄いた。そして、ジョーカーが懐から出した代物を見て、思わず後ずさるってその場に尻餅を突いてしまう。

 

 ジョーカーは、右手に構えたサイレンサー付きのハンドガンを校長に向けていた。

 

「ど、ど、どこでそんな物を手に入れたんだ!?」

 

 所持を許可されている人間ならいざ知らず、ミリタリーの趣味を持っていない限り非銃社会の日本ではほとんど見ることのないそれを見て、校長は唾を撒き散らしながらパニック気味に叫んだ。しかし、ジョーカーはそれさえも無視して口上を述べ始める。

 

 ――お前は前校長の遺言書を偽造し、今の立場に成り上がった。加えて、老婦を轢き逃げし、あろうことかそれを目撃した生徒を嵌めて退学に追い込んだ。これに間違いはないか?

 

「……な、何を言うかと思えば。私には何の話か、さ、さっぱり分からないな」

 

 ――お前は嘘をついている。

 

 ジョーカーは左手をポケットに入れ、中に入ったスマホを取り出さずに操作して例の音声を流した。それを聞いた校長の顔が、みるみる青褪めていく。

 

「どうやってそれを……!? い、いや……私は、関係ないぞ! 声が似ているだけだ! 断じて私じゃない!」

 

 声紋は指紋に次いで証拠価値が高い。校長はそんなことも知らずに、駄々をこねるようにして否定の声を上げている。最も、ジョーカーは声紋鑑定に出すつもりなど最初からないのだから、関係ないことだが。

 

「あくまで自分の罪を認めないというのですね?」

 

 ジョーカーの後ろから、先ほどのフードの少女――ラヴェンツァが屋上の扉を閉めて現れた。彼女は『OXYMORON』と刻まれた飾りの付いたそのフードを下ろし、その澄ました視線を校長へと向ける。格好はいつもと同じ群青色のドレスだが、その人形のように端正な顔は片目に蝶の羽を象ったドミノマスク――モルフォ蝶のような鮮やかな青色に彩られている――で隠されていた。

 

「もっとマシな言い訳をしてはいかがですか? 醜いのはその図体だけにしてほしいものです」

 

 マスクを被った黒尽くめの男に青尽くめの少女。

 目の前で好き勝手に自分を責める妙ちくりんな仮装をした二人組。あまつさえ、自分よりはるかに小さな子供にまで。侮蔑を込めた遠慮のないその物言いは、校長の心の奥底にある引き金に指を掛けさせる。

 

 

 ――ドクリと、胸が波打った。

 

 

 視界が波紋の広がりのように揺らぎ、震え上がっていた校長の心に段々と苛立ちのようなものが膨れ上がる。予告状のせいでぐつぐつと煮えていた怒りが、今しがた沸点を超えて飛沫を上げ始めた。

 

「……わ、私の半分も生きていない、餓鬼風情が……す、好き勝手言いおって……」

 

 尻餅を突いた状態から震えた手足で立ち上がりながら、校長はぶつぶつと言葉を紡ぐ。その足元に赤い水溜りのようなものが湧き、同時に地響きも起き始める。

 

 

 

「お前らのようなふざけた餓鬼は……大人の――私の言うことを、黙って聞いていればいいんだ!!」

 

 

 

 まるで悪魔のように金色に染まった目を剥けて、ジョーカー達に暴言を投げ掛ける校長。

 

 それが切欠となったのか、校長に重なるようにして赤い波飛沫が勢い良く巻き上がる。波飛沫はそのまま校長と一体化して、そのタマゴのような丸々と肥えた身体が心臓の脈動のような音と共に一回り、二回りと膨れ上がっていく。

 やがてその脈動が止まると、ジョーカー達の目の前には小さな手足の生えている巨大なタマゴの化け物が鎮座していた。その白い殻の真ん中に校長の顔がむくりと浮かび上がり、不届きな輩を睨みつけるようにしてジョーカー達を見下ろしている。これが校長のシャドウの姿だ。

 

『おい、誰かいないか!』

 

 浮かび上がった校長の口が虚空に向けて大声を上げると、屋上の方々から先ほどと同じように間欠泉の如く赤い波飛沫が吹き上がる。

 その場所から、角の生えた大男達が現れた。全部で三体。紫紺、浅葱、黄金とそれぞれ異なる肌色をしている。鬼の名を冠する悪魔の姿を象った、認知世界を散々駆け巡ってきたジョーカー達にとっては懐かしい顔触れとなるシャドウだ。

 

 これらのシャドウは、認知世界で具現化された人間の感情そのものである。その主――根源は、恐らく学校において絶対数の多い生徒達のものであろう。それがよりにもよって鬼として具現化したのは……これまでの短い学校生活を省みれば納得が行く。川上の言葉は、間違いではなかったのだ。

 

『お前達、コイツらを捕まえれば報酬をやるぞ! なあに、心配はない。無敗記録を誇る弁護士の出身校、元オリンピック選手の教師に有名高校生探偵。そこへ新たに眠りの小五郎の出身校という宣伝文句も加われば、金など勝手に貯まっていくのだからなぁ!』

 

 校長の言葉を聞いた鬼達は舌なめずりをすると、調子を確かめるかのように腕を捲り上げる。

 その手に持った得物を一振りして鈍い輝きをチラつかせると、鬼達は屋上の床を踏み鳴らして一斉にジョーカーとラヴェンツァに踊りかかってきた。二人は床を蹴り上げて飛び、二手に分かれる形でその攻撃を避ける。

 

「やはり、あの校長も精神暴走の影響を受けているようですね。米花町を中心にして悪巧みをしている人間は、総じて何かしらの影響を受けているのでしょう」

 

 表情を崩さずに解説するラヴェンツァに向けて、黄金の鬼が横合いから長刀を振り下ろした。ラヴェンツァはちらりとそれに目を向けると、緩やかな動作でマスクに手を添える。

 

 

「 ジ ョ ジ ー ヌ 」

 

 

 ラヴェンツァの足元から光が巻き起こり、ペルソナが召喚される。名を"ジョジーヌ"という煌びやかな白いドレスを着た女性の姿をしたそれは、鹿子色(かのこいろ)に輝く長い髪を翻してその手から光の波動を放った。白のドレスが反動に煽られて、黒い裏地を晒す。

 

 今まさにラヴェンツァの小さな頭を切り割ろうとしていた鬼は波動を受けて長刀ごと吹き飛んでいき、大きな背中を強かにフェンスへと打ちつける。頑丈な柵がその背中の形に歪み、崩れ落ちた鬼はそのまま溶けるように消失した。

 

 そこへ、間髪入れずに離れた場所で紫紺の鬼がその無骨な手から強烈な冷気を迸らせる。大気中の水蒸気が昇華し、結晶と化して無数の鋭い氷柱となる。それらは、屋上の床を凍りつかせながら真っ直ぐにラヴェンツァ目掛けて飛んでいった。

 

 それが彼女に到達する寸前で、ジョーカーが間に立ちはだかった。その氷結晶の凶器をまともに受けて白い煙に包まれるジョーカーとラヴェンツァを見て、鬼は歪に穴の開いた口をニヤつかせた。しかし、次の瞬間にはその顔を驚愕の形へ変えることとなる。

 煙が晴れた先に立っていたのは、先ほどの攻撃などまるでなかったかのように無傷のジョーカーの姿であった。その後ろにいるラヴェンツァもまた然り。

 ジョーカーの傍らには、赤装飾を身につけた右半身が青い肌の男性の姿が浮かび上がっている。以前の事件で召喚したアルセーヌとは違うペルソナ、"アルダー"だ。

 

 

 通常、ペルソナは一人につき一体しか宿せない。しかし、ジョーカーはペルソナ使いの中でも"ワイルド"という能力を有した無限の可能性を秘める類稀な存在である。その能力を持った彼は、通常とは異なり複数のペルソナをその身に宿すことができる。

 最も、元の世界では様々なペルソナを扱えたが、今現在は制限のためかごく一部のアルカナに対応したペルソナしか召喚できない。現在ジョーカーが召喚できるのは"愚者"、節制"、"恋愛"。"節制"のアルダーは、その内の一体だ。

 

 

 ジョーカーは余裕げに添えた手で首を回すと、もう片方の手で挑発するかのようにクイクイと指を曲げた。

 冷気を放った紫紺の鬼はそれを見るや否や激怒し、その場から飛び上がって得物である両刃剣を空中で振りかぶる。だが、その切っ先がジョーカーの元へ辿り着く前に、彼はアルダーによる不可視の強烈な殴打を背中に受けて、空中から屋上の床へ陥没する勢いで叩きつけられる。筋骨隆々だった身体は無残に潰れ、背骨があり得ない方向へ曲がったそれはそのまま塵となって消失した。

 

 残った浅葱の鬼。彼の顔は空洞となっているが、実力の差に恐れをなしているのは表情がなくとも明らかであった。ジョーカー達が今まで戦ってきたシャドウには劣勢と見るや命乞いを試みる者もいたが、彼は違った。得物を放り捨てて逃げ出し始めたのだ。

 

『お、おいお前! 校長の私を置いてどこへ行くつもりだ!』

 

 劣勢状況に焦っていた校長が、慌てた様子で逃げ出す鬼を呼び止める。それでも鬼は聞く耳を持たず、飛び上がった先のフェンスに手を掛け、屋上から飛び降りようとする。

 

 

「 ゾ ロ ! 」

 

 

 しかし、その逃走行為は失敗に終わる。

 

 飛び降りようとした鬼は突然穴の空いた顔面に衝撃を受け、先の紫紺の鬼とは逆に仰向けになる形で屋上の床へ叩きつけられる。

 鬼が手を掛けていたフェンスの上には、黒猫を思わせる二頭身の出で立ちをした生物が仁王立ちしていた。モルガナ、いや――モナだ。先ほど鬼の顔面を襲ったのは、モナのペルソナ"ゾロ"による攻撃だったのだ。

 

「フフン。助かりたいのなら、まず交渉するということを覚えるのだな」

 

 モナは認知世界においては普段の猫姿から、アニメに出てくるキャラクターのような姿へと変貌する。形だけ人間のようなそれは、モナにとっての反逆者のイメージが人間そのものであるからなのかもしれない。

 

 ゾロによる攻撃が急所を突いたのか、浅葱の鬼は苦しそうに身動ぎした後にそのまま力尽きてしまった。

 これで、校長の呼び出したシャドウは全て返り討ちにした。怪盗団側は一切の傷を受けていない。完全勝利という奴である。

 

『だ、誰か! 誰かいないのか!? 何でもするから、誰か私を助けてくれぇ!』

 

 ジタバタと短い手足を振るいながら助けを求め喚き散らす校長だが、もはやその声に応えるものはいない。例え報酬を用意していようがだ。人望があれば希望はあっただろうが、彼ほど人望という言葉が似合わない者は他にいないだろう。

 どうやら、校長自ら挑むつもりはないらしい。シャドウですらそれが出来る力も度胸もないということである。最後まで何もかも他人任せな男だ。

 

 ジョーカーが校長の足元に向けて威嚇射撃を行うと、校長は悲鳴を上げてバランスを崩しその場に倒れる。その丸い身体は倒れるだけに止まらず、ゴロゴロと屋上の床を転がった。

 

『うああぁあぁ! だ、誰か、止め――』

 

 必死に叫ぶ校長だが、短い手足ではどうすることもできず回転は止まらない。校長がフェンスにぶつかったりしながら転がり回っていると、その大きな丸い身体は萎むように徐々に小さくなっていく。やがて、身体は元の校長の姿に戻り、そこまで来てようやく回転は止まった。

 

 校長はうつ伏せの状態で荒い息を吐き、大量の汗が顔を伝って落ちて屋上の床を濡らしている。そんな校長の元へ、ジョーカー達がゆっくりと歩み寄る。

 

「……し、仕方がなかったんだ。私は小さい頃からこの図体のせいで苛められ続け、何をやっても上手くいかなかった。前校長の後釜に乗ることができなければ、一生こんな上の立場に立つことはできない。だから、持病による病死と見せかけて殺害するよう依頼して、それと同時に私へ遺産を相続させるという遺書を書かせた……」

 

 聞いてもいないのに、校長は汗を垂らしながら釈明するように口を動かす。

 

「どうせアイツは近いうちに死んでいたし、跡継ぎだっていなかったんだ! それまで散々媚びへつらってきた私が美味しい思いをしたっていいだろう!?」

 

 吐き出すように叫ぶ校長。

 しかし、ジョーカーはそれに何も答えず、ただ彼を見下ろしている。マスクの下の目は、言いたいことはそれだけか? と、言外に訴えていた。

 

 

「…………お前、その黒尽くめの姿……そうか、そういうことか」

 

 

 校長は床に手を突きながらジョーカーを見上げて、小さくそう呟いた。ジョーカーがその言葉に首を傾げていると、彼は諦めたように項垂れる。

 

「これで、おしまいか。短い絶頂期だったよ…………私は、どうすればいい?」

 

 首を下に向けたまま問う校長に、罪を認めて全ての真実を皆に話せ、とジョーカーは答える。

 ゆっくりと頷いた校長は力が抜けたかのようにその場に倒れ伏し、そのまま意識を失ってしまった。

 

 倒れた校長の頭上に、光の塊が現れる。

 ジョーカーがそれを掴み取る。光が止んでジョーカーの手に収まっていたのは、透き通るような青い液体が入った瓶であった。これは、元の世界でも怪盗団が度々お世話になった霊薬の一種だ。現実世界では何の効果もない液体でしかないが、認知世界では秘めた効果を発揮する。

 

 これが、校長のオタカラということか。

 神話上寿命を延ばし活力を与えると言われている霊薬。学校のトップという安泰の立場が形を得た結果、この霊薬がオタカラとして現れた……そんなところだろう。

 

「体調はどうだ? ジョーカー」

 

 ジョーカーがしばらく校長のオタカラを眺めていると、モナからそう尋ねられる。

 疲労感が凄まじいが、前回と違って気絶するほどではない。怪盗服のチェンジについては大した気力を使わずに済むが、これ以上ペルソナを扱うのはさすがに無理だろう。

 

「ふむ……ラヴェンツァ殿はどうだ?」

「ラヴェンツァではありません。今の私は"ベルベット"です。私は大して疲労はありません。貴方もそうでしょう? アルカナの力を行使しているのはマイトリックスターなのですから」

「そ、そうか。負担をかけてすまないな、ジョーカー……よし、そろそろズラかるとしよう。校長は……他に暗躍している輩がいることを考えると、放っておくのは危険だな。校長室へ――」

 

 モナが校長をどうするか話していると、閉められていた屋上の扉が開く音が聞こえてくる。

 

「!? ヤバッ! 仕方ない、このままズラかるぞ!」

 

 モナが先行して屋上から飛び降り、ベルベットがそれに続く。

 モナの話を聞きながらオタカラを眺めていたジョーカーは、反応が少し遅れてしまう。「ジョーカー!」と、モナに呼ばれて、倒れている校長を気にしつつも続いて屋上を飛び降りる。

 

 飛び降りたといっても、そう見せかけて下の階にある部屋に入り込んだだけだが。

 

 

 

 

 こうして、この世界での怪盗団の初仕事は無事に完了したのだった。

 

 

 




ラヴェンツァのコードネームは”ベルベット”にしました。パピヨンやらプシュケーやら色々考えたのですが、やっぱりベルベットが読んですぐに誰か分かり易いと思ったので。

ラヴェンツァが召喚したペルソナ"ジョジーヌ"はオリジナルです。
原作のベルベットルーム姉妹のようにペルソナ全書から召喚したわけではありません。つまり、正真正銘のペルソナ使いとして目覚めています。
目覚めた理由は、死の恐怖を乗り越えたからではなく、自分の本音と向き合ったからでもなく、反逆の意思として現れたからでもありません。

帝丹高校編はペルソナ寄りな話になってしまったので、次回以降はコナン寄りな話にしたいところです。









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FILE.13 米花に知れ渡る怪盗団

 翌日、心の怪盗団ザ・ファントムのリーダーであるジョーカー改め暁がいつもと同じように帝丹高校へ登校すると、彼の予想通り帝丹高校は昨日に負けない勢い……いや、それ以上に騒がしかった。

 

 話題の渦中にある人物の名は、肥谷玉夫。私立帝丹高校の理事長兼校長だ。

 彼は昨日の内に学校の屋上で意識を失っているところを発見され、その日の夜に病院のベッドの上で目を覚ました。そして、事情聴取をしに来た警察に対して、今まで行ってきた悪行について自供し始めたらしい。

 

 今まで前校長の小間使いのような立場だった肥谷は、心臓に持病を持っていた前校長を病死に見せかけて殺害するようその筋に依頼し、同時に自分へ遺産を相続させるよう遺言書を書かせた。

 そうやって、今の地位に成り上がった肥谷だったが、ある日の夜中に飲酒運転で赤信号を見落とし、犬の散歩中の老婦を轢き殺してしまった。偶然その現場を目撃した帝丹高校の生徒である三島由輝を、親戚の息子である近藤浩之を使って嵌め、完全に悪者に仕立て上げた上で退学処分へと追い込んだ。

 

 それらを気持ち悪いほど素直に自白した肥谷は、退院と同時に警察によって逮捕され、現在留置場に拘禁されている。検察が事実関係を確認次第、拘置所に移送されることとなるだろう。前校長の殺害を依頼した相手についてもこれといった情報は掴めそうにもないことから、恐らく実行犯逮捕は叶わず仕舞いとなるだろう。

 

 肥谷とつるんでいた近藤浩之も、その彼女と共に盗撮による迷惑防止条例違反と脅迫罪で学校へ登校する前に逮捕された。未成年とはいえ、14歳以上なので刑事責任を問われるのだ。校長と同じく留置場に勾留され、近く家庭裁判所に送られる予定である。

 

 以上の内容は、今日の午前中に警視庁による記者会見で発表されたことだ。これは、自供した校長たっての希望である。もちろん、下手な混乱を招かないよう組織などの情報に関しては伏せられていたが。

 あの肥谷が自分の立場のことも省みず素直に自供したことについて、彼を良く知っている学校関係者達は首を傾げるばかりだ。もし、原因があるとしたら、それは……あの予告状を出した心の怪盗団"ザ・ファントム"以外にはありえないだろう。

 

「ぜっっったいに! 怪盗団の仕業よッ!!」

 

 時刻は昼。弁当を食べ終わった園子は机に身を乗り出して、興奮気味な様子で蘭と暁にそう断言する。その手には、例の怪盗団が出した予告状がこれ見よがしに握られていた。

 蘭はそれを少し引き気味な様子で、苦笑を交えながら受け答えしている。その怪盗団のリーダーである暁は、得意のポーカーフェイスでそ知らぬ顔をするというのも不自然なので、適当に興味がありそうな顔で園子の話を聞いている。

 

「やっぱりあの校長が三島君を嵌めた犯人だったんだわ! おかげで校長は逮捕されて、川上先生の話じゃ三島君の退学処分も取り消されるって話だし、もー怪盗団様々って感じよね!」

「で、でも、ただの偶然かもしれないでしょ? 心を盗むなんて、そんなことできると思えないし……」

 

 イマイチ信じていない蘭の言葉を聞いて、園子は何やら声を潜めて耳打ちし始めた。

 

「……実はね、アタシ……怪盗団の姿をこの目で見ちゃったのよ!」

「ほ、ホントに!?」

 

 衝撃発言をする園子。さすがの蘭も驚きのあまり思わず席を立った。

 暁は内心ビクリとしたが、何とか表情を変えずに済んだ。机の中にいるモルガナへと視線をやると、彼はじとっとした目で「お前が遅れるからだ」と訴えている。ズラかる間際に屋上の扉を開けたのは、園子だったのだ。

 

 

 昨日、園子はスマホを学校に忘れたことに気付き、蘭達に先に帰ってくれと言い残して学校へと戻っていった。教室の机に置き忘れていた目的のスマホを回収し終わり、帰ろうとした園子は何やら上の方が騒がしいことに気付いたらしい。

 日の落ちるのが早い冬とはいえ、まだ夕方だというのに教師連中の姿も見えない。一体誰が何をしているのか気になった園子は好奇心に釣られて上へと階段を上がっていった。その先で、園子は屋上の扉を閉めている南京錠が開けられているのを発見した。しかも、何やら話し声がするのを耳にして、その扉を開けてしまったのだ。

 

 扉の影から顔を出した園子の目に映ったのは、黒いロングコートを着て白いドミノマスクで顔を隠した男の姿。園子は、その男が屋上から飛び降りる瞬間を目撃した。

 慌てて園子は駆け寄ったフェンスによじ登って下を覗き込んだが、そこには誰かが落ちたような形跡はどこにもなかった。黒尽くめの男は忽然と姿を消してしまったのだ。

 

 

 そして、彼女は倒れている校長を発見して慌てふためていると、後から駆けつけてきたコナン少年がその様子を見て警察に連絡した、というのが事の顛末らしい。

 

「コナン君、園子が学校に戻っていってから、急に血相変えて後を追っていっちゃったのよ」

 

 あの眼鏡の少年が? という暁の言葉に、蘭がそう答えた。まるで、怪盗団による怪盗行為が本当に実行されることを確信したかのような挙動だ。つくつぐ不思議な少年だ、と思う暁。

 

「ガキンチョのことはどうでもいいのよ。それより、飛び降りていった彼、"ジョーカー"って呼ばれてたわ……きっとコードネームだろうけど、これって切り札って意味でしょう? きっと彼が怪盗団のリーダーなのよ! 横顔をチラッと見ただけなんだけど、マスクの上からでも超格好良かったわぁ~!」

 

 キッドを思い浮かべている時と同じように目を輝かせて乙女の顔をする園子。最初は小声だったのに、いつの間にかいつもの大きな声になってしまっている。

 写真などを撮る暇はなかったみたいだが、これ以上広まるのはよろしくない。暁は何とか話題を変えようとした。

 

「鈴木さん、怪盗団を見たって本当なの?」

「ええ、そうよ!」

 

 ――が、時既に遅し。園子の背後からクラスメイトが話を聞きつけて絡んできたのだ。近くにいる暁という問題児を気にするよりも、怪盗団への興味が勝ったようである。喜んでいいのかどうか、微妙なところだ。

 

 そこからあっという間に園子が持っている情報が知れ渡ってしまう。

 校長を除けば、自分だけが直接怪盗団を目撃したのだと優越感に浸っている園子。大勢のクラスメイト達に囲まれるそんな彼女を見て蘭は呆れ、暁は顔に手を当てて深く溜息を吐いた。

 

 

 

◆◇◆◇◆◇◆◇

 

 

 

 一方、警視庁では米花町を中心に世間を騒がした怪盗団について、どう扱うべきか頭を悩ませていた。

 

 実際に怪盗団と接触した被害者であり標的(ターゲット)の肥谷校長は、接触前後の記憶が曖昧で、ろくな証言を得られなかった。覚えていたのは、青いドレスを着た少女と黒尽くめの格好をして白いドミノマスクで顔を隠した男がいたということだけ。

 二人とも、すこぶる特徴的な風貌をしている。そんなコスプレ染みた格好をした男がドレスを着た少女を連れてうろついていれば、どう足掻いても目立つに違いない。しかし、学校周辺でそんな怪しい人物達を目撃した情報は、今のところ一切得られていない。怪盗キッドのように瞬時に変装する技術を持っているのなら、話は別だが。

 

 加えて、欲望を盗むなんて所業、実際にできるとはとても信じ難い。だが、肥谷校長が一夜にして改心したのは紛れもない事実である。まさか、本当に超常的な存在が現れて、悪しき人間を断罪したとでもいうのだろうか?

 

「全く、怪盗は一人で十分だってのに……」

 

 刑事部捜査二課に所属している中森銀三警部。彼も心の怪盗団の登場に頭を悩ませている者の一人だ。

 新参の怪盗団とは違って、何年も前から世界中の宝石を盗んで世を騒がしている怪盗キッド。彼を相手にしていることもあって、怪盗団の捜査は二課が担当すべきでは? という話が警視庁中で広がっている。

 

 冗談ではない。自分はキッドを追いかけるのに手一杯である。そんな本当にいるかも分からない怪盗団に構っている余裕などないのだ。

 

 中森警部はキッド逮捕の邪魔になりそうな怪盗団の出現に対して、余計な仕事を増やさんでくれと言わんばかりに苛立ち、一面を怪盗団出現で飾った新聞をくしゃりと歪めた。

 周りの部下達もおっかなびっくりといった様子でそんな中森警部を遠巻きに見ているが、一人が彼に近づいて話しかける。

 

「中森警部。怪盗団の出現に対して、怪盗キッドは何かアクションを起こすでしょうか?」

「んん? いや、それはないな。怪盗団はキッドに挑戦状を出したというわけではないからな。目的も宝石ではないし、商売敵になるようなことはないだろう」

 

 部下の質問で少しばかり冷静になったのか、顎に手を添えて考え始める中森警部。彼の言う通り、怪盗団の目的は悪人の改心で、キッドの目的は宝石。標的(ターゲット)がダブルブッキングするということはないと思われる。

 だが、それは外的要因さえなければの話だ。中森警部は、どこか気掛かりな様子で警視庁の窓から覗く東京の街を見つめるのであった。

 

 

 

 

 

 

 怪盗キッドを担当している二課に怪盗団の捜査を任せようという話が持ち上がっているが、それとは別に担当は一課にすべきではないかという話も出ている。被害者である肥谷校長が気絶させられたという事実があることから傷害事件という扱いになるし、欲望を盗まれたという非現実的な事象を認めるのならば強盗罪に当たるからだ。

 

「全く、困ったことになったものだ……」

 

 そういうことで、一課に所属している目暮警部もやれやれといった様子で新聞を眺めていた。

 

「でもですよ、目暮警部。怪盗団は悪人を改心させたんですから、別に捜査する必要なんてないんじゃないですかね? 他に被害届けが出てるわけでもないですし……ねえ、佐藤さん?」

「そうね~……私、初恋がルパンだったし、昔だったらそういう存在に憧れてたかもね」

「ええっ! 佐藤さん、ルパンが初恋なんですかぁ!?」

 

 目暮警部の部下で巡査部長の高木渉は楽観的に話し、その高木の先輩である警部補の佐藤美和子までもその話に乗る始末。美人でショートヘアのよく似合う彼女の初恋話に、周りの同僚達が聞き耳を立てる。

 佐藤刑事は元々正義感の強い女性で、犯人逮捕にかけては誰よりも積極的に動く人物である。しかし、心の怪盗団という存在に対してはその現実感のなさのせいか、普段とは違ってあまり乗り気ではない様子だ。

 

「バッカモン!」

 

 そんな彼らを、目暮警部は怒鳴りつけた。

 

「仮にも怪盗を名乗る者達に警察の仕事を横から奪われておいて、何もしないなんてことできるわけがなかろう! 我々警察の怠慢から、ああいった存在が生まれたとも言えるのだぞ!?」

「「も、申し訳ありません!」」

 

 目暮警部のお叱りを受け、姿勢を正す二人。佐藤刑事は気持ちを改めたが、高木刑事は落ち込んで小さくなっている。

 

「うむ、目暮の言う通りだ」

「ま、松本管理官!」

 

 そこへ横から現れたのは強面で大柄な男性、松本清長管理官。その見た目に加えて、左目の刀傷が余計に凄味を作り出している。彼も目暮警部と同意見のようだ。

 

「今回の件が本当に怪盗団を名乗る者達の仕業であれば、再び同じように改心させられる者が現れるに違いない。方法は定かではないがそのような私刑を黙って見過ごすことはできない。それ以前に、警察の面子にも関わることだからな」

 

 そのまま、周りを見渡して言い聞かせるように続ける松本管理官。彼の指揮する一課のメンバーが、一言も聞き漏らさないよう耳を傾けている。

 

「場合によっては、特捜が動くことになるかもしれんが……とにかく、怪盗団の対応をどうするかについては上の判断を待て。今は、例の10億円強奪事件を優先して捜査するんだ!」

「「「はいっ!」」」

 

 発破をかけられた強行犯三係を含む一課員は、各々のすべきことのために持ち場へと戻っていく。

 

 そんな中、茶色がかった黒髪を三つ編みのカチューシャで飾った女性が、持ち場に戻る途中で佐藤刑事に声をかける。

 

「ルパンが初恋だなんて。貴方らしいわよね、美和子」

「何よ。警察のくせにバンディットなんて名前の大型バイク乗り回してる貴方に言われたくないわね」

「あら、確かに役職にそぐわない名前だけれど、あれは白バイのベースモデルでもあるのよ?」

 

 彼女は目暮とは違う班を担当する警部で、佐藤刑事に勝るとも劣らない美貌の持ち主である。その吸い込まれるような赤い瞳に見惚れる者もチラホラ見受けられる。佐藤刑事と彼女は、捜査一課のアイドル的存在なのだ。

 

「……やっぱり、佐藤さんと彼女が並ぶと映えるなぁ」

「ですねぇ。それにしても、二人共仲が良いですよね」

 

 高木の呟きを聞いて、彼と同じ巡査部長の千葉和伸が同調する。それを聞きつけたのか、警部補の白鳥任三郎が話に混ざる。

 

「二人共同期だからね。それに、お父上が親友同士で小さい頃から家族ぐるみの付き合いだったらしいよ」

「へ~、そうなんですか……」

 

 そんな風に男三人がコソコソと話をしていると、話題の渦中の片割れであるそのカチューシャの女性が目暮警部に近づいて何やら話し始める。

 

「あの、目暮警部」

「ん? 何かね?」

「帝丹高校の校長が、前校長の殺害を依頼したという相手の件なんですが……」

「ああ……それなんだが、彼は仲間と思われる仲介人を通じて殺害を依頼しただけで、直接実行犯と会ってはいないらしい。その仲介人も、黒尽くめの格好をしていたということしか……顔も隠していたようだし、全く持って手掛かりは掴めていない状況だよ」

「……そうですか。ありがとうございます」

 

 目暮警部の言葉を聞いた彼女は、軽く会釈してそう礼を言った。その左手は、右手に着けられた女性には似合わない無骨な腕時計へと添えられている。

 そんな彼女を心配げな様子で見ている佐藤刑事。何やら、事情があるらしい。顔には出さないようにしているが、目暮警部の話を聞いた彼女はどうにも落胆した様子なのである。彼女の幼馴染である佐藤刑事だからこそ、それを察することができた。

 

「大丈夫? 真」

「ええ、大丈夫よ。今は10億円の方に集中しないとね」

 

 声を掛ける佐藤刑事に真と呼ばれた彼女は無理に笑って返し、自分の席に戻っていく。

 

 

 

「…………怪盗団、か」

 

 席に着いたその女性――新島真は、机に置かれた10億円強奪事件についての資料に手を付けながらも、PCの画面に映った真っ赤なサイトを見つめて、そう呟いた。

 

 

 

◆◇◆◇◆◇◆◇

 

 

 

 昼頃と比べて幾分か落ち着きを取り戻しつつある帝丹高校に、授業の終わりを伝えるチャイムが鳴り響く。

 帰りのホームルームを終えた生徒達は、皆部活の準備や帰りの支度をし始める。

 

「ねえ、今度の休みに新宿の有名な占い師のトコに行かない?」

「占い師?」

「そそ。絶対当たるってネットで評判なのよ! ジョーカー様と次はいつ会えるか占ってもらおうと思ってさ。相性占いもしてくれるっていうし、蘭も新一君とのこと占ってもらったら?」

「だ、だから新一とはそういう関係じゃ……」

 

 身支度をしながら話をする蘭達。その傍らでスマホを見ながら下校の準備をする暁に、彼女達が声をかける。

 

「あ、ねえ! 暁君って部活とか入る予定あるの?」

「まだ色々言ってくる人もいるだろうけど、空手部だったら私がちゃんと言って聞かせるよ」

 

 帝丹高校は、部活動に関しては空手部とバレー部が強いことで有名だ。空手部主将の蘭は都大会で優勝しているし、さらにバレー部は顧問の鴨志田がオリンピック選手ということで注目されている。

 ところで、これは後から聞いた話だが、意外なことにこちらの鴨志田は元の世界とは違ってメダルを獲得できなかったらしい。それでも、チームの中の誰よりも活躍していたという話だ。金メダルという分かりやすい名誉は得られなかったが、それでも試合でのひたむきさが評価された。元の世界で改心されたというのも少なからず関係しているだろうが、恐らく彼に歪みが生じなかったのはそのためかもしれない。

 

 閑話休題。暁は残念そうに首を横に振って、ポアロのバイトがあるからと蘭達に返した。二人は罰が悪そうな顔をしながらも納得する。

 

「あ、そっか……それじゃ部活は無理だよね」

「ごめんなさい……そうだ、今度お父さん達と噂のカレー食べに行くね。それじゃあ、また明日」

 

 そう言って、部活へと向かう蘭と園子。それを、どこか寂しげな様子で見送る暁。

 

 特に未練があるわけではないが、高校二年以降部活というのに縁がなくなってしまった暁。そんな彼からしたら、青春を謳歌する二人をほんの少しばかりでも羨ましく思ってしまうのも無理はない。

 

 

 ――と、いうのは嘘である。寂しげな顔から一転、暁はニヤリと笑みを浮かべた。

 彼にも所属している部活があるのだ。もちろん、それは課外活動を主とした裏の部活動だが。

 

 

 暁はモルガナを鞄に入れると、速やかに学校を出た。そして、通学路から少し外れた先にある業務用スーパーへと向かう。先ほど梓から連絡があり、食材の買出しを頼まれたのだ。

 

 歩道を歩きながら物思いにふける暁。

 校長の改心は無事に完了したが、これからどうしたものか。前にも述べたが、こちらには元の世界の三島が作った"怪盗お願いチャンネル"のようなサイトが存在しない。そんな現状では、裏で悪さをしている標的(ターゲット)を自分の足で見つけるしかない。手当たり次第なんて真似はできないし、そうでなくとも限界がある。

 何とか情報を収集する手段を見つけるしかない。標的(ターゲット)に生じた歪みが、何者かの手による精神暴走の影響で大きくされてしまっている現状を放っておくわけにもいかないし、何より米花町を中心とした歪みをどうにかするための手掛かりもそれしかないのだ。

 

 そういえばと、暁は鞄から顔を出しているモルガナに問い掛ける。昨日、彼はペルソナ"ゾロ"を召喚していた。しかし、彼のペルソナは元の世界で暁との絆を深めた結果、"メリクリウス"へと超覚醒したはずである。

 

「ん? ああ、何だか良く分からないが、こちらの世界に来てからゾロに戻ってしまったみたいなんだ」

 

 モルガナは舌で毛繕いをしながら答える。

 

「これはラヴェンツァ殿に聞いたことだが、こちらではお前のアルカナの力で無理矢理認知世界との境界を捻じ曲げているだろう? あれも、完全というわけじゃないらしいんだ。ラヴェンツァ殿が使った祝福魔法だって、本来だったらもっと威力が出せるはずだからな。ワガハイのペルソナが超覚醒前に戻ったのも、その影響かもしれん」

 

 正確な原因が分からないのでイマイチしっくり来ないが、ひとまずはそういうことにしておこう。

 

 ちなみに、そのラヴェンツァの魔法によってフェンスが歪み、敵のシャドウによる氷結魔法で屋上の床が氷漬けになったりしたが、あれらは暁がアルカナの力を解除すると同時に元通りとなっている。認知世界上での建造物などに対する被害は、あくまで認知世界だけの出来事として処理されるようだ。

 

「……あっ!」

 

 ふいに、考え事をしている暁の耳に声が聞こえた。声のした方を振り返ると、そこは米花公園であった。公園の柵越しに、ベンチから立ち上がってこちらを見ている三島の姿が見える。

 暁は少しばかり寄り道をしてもいいだろうと、米花公園に立ち寄ることにした。一番近い入り口から公園内に入ると、三島が暁の元へ駆けてくる。

 

「や、やあ……」

 

 少し息を切らした様子の三島は、頭を掻きながら少し気まずそうな顔をしてそう挨拶した。

 

「……鴨志田先生から電話があった。退学処分、取り消しになったって…………正直、まだ信じられないよ。あの校長が素直に全部話したなんて」

 

 普段の校長を知っているなら、それも当然であろう。

 暁はこれからどうするのかと、三島に問うた。退学処分が取り消しになったからといって、帝丹高校に通い続けるのは心境的に難しいだろう。現に、元の世界で自殺を図った鈴井志保は結局転校してしまった。

 

「……転校はしないつもりだよ。そりゃ、色々と気まずいだろうけど……転校しちゃったら退学処分とほとんど変わらないし。自供したとはいえ、校長の思惑通りになるのは癪だしね。意地でも卒業まで通い続けるさ」

 

 暁の質問に答える三島は、照れ臭そうに笑いながら鼻の下を指で擦った。公園のベンチで黄昏れていた頃の彼からは想像もつかないようなその表情を見て、暁は彼を救えたことに心の底から安堵する。

 

「なあ、やっぱり校長が急に改心したのって、怪盗団の仕業なんだよな?」

 

 やはり、三島は怪盗団の存在に興味を示したようだ。暁はどうだろうな、と当たり障りのない返事をするが、三島は構わずに話を続ける。

 

「怪盗団といえばさ……このサイト、もう見た?」

 

 そう言って、三島は興奮気味にポケットから取り出したスマホの画面を暁に見せてくる。何だと思いつつその画面を見た暁は、驚きに目を見開いた。

 

 

 

 スマホの画面を真っ赤に染め上げているサイト――そのトップページには、"怪盗お願いチャンネル"と書かれたロゴがデカデカと貼られていたのだ。

 

 

 

 サイトには『あなたは心の怪盗団を信じますか?』というアンケートが行われており、既にいくつかの書き込みがされている。まさか、前の世界と同じように三島が作ったのかと暁は問い掛けた。

 

「え? 違うよ。俺もこういうの結構得意だけど、さすがにこんな早く立ち上げるのは無理だよ。このサイト、ついさっき出来たばかりみたいなんだ。怪盗団が校長を改心させたって情報が流れてからまだ一日も経ってないのに、すごいよな!」

 

 後半の話はもはや暁の耳に届いていない。この怪盗お願いチャンネルが三島の作ったものでないのなら、一体どこの誰が作ったというのだろうか。

 

 なおも話を続ける三島を尻目に、暁は誰かも分からないその人物に思いを馳せるのであった。

 

 

 

◆◇◆◇◆◇◆◇

 

 

 

 ――カタカタ

 

 その夜、電気も点いていない暗い部屋の中。

 明かりといえば四角い形の明かりだけで、その静かな空間には一人の人間の姿があるのとタイピングの音が響くのみ。

 

『ノア:見てくれた? あのサイト』

 

 四角い明かり――ディスプレイの画面に、そんな文章が現れる。それと同時に、明かりに照らされている人物の付けているヘッドホンに通知音が届く。その音を聞いたその人物は背中に垂れる長髪を翻し、手馴れた様子でキーボードを打つ。その髪型と小柄な体格からして、その人物は少女であることが伺える。

 

『アリババ:見た。赤い部屋かよ』

『ノア:うん。ネットにアップされてた予告状の色は赤を基調としてたし、印象に残ると思ってそうしたんだ』

『アリババ:まあ、いいんじゃないか? 人間の五感の中で視界と最も関係が深いのは赤色だし、気分を高揚させる効果があるらしいしな。それに、暗い中で作業してる私には刺激が少ない』

『ノア:電気点けなよw まあ、僕も人のこと言えないけどね』

 

 どうやら、チャットアプリを使ってノアと名乗る人物と会話をしているらしい。

 次々と文章が浮かび上がっていく中、その人物はタイピングしながらもショートカットキーを使って話題のサイトを開いた。それと同時に、部屋を照らす唯一の明かりが真っ赤に染め上げられる。明かりの中の少女が掛けている眼鏡のレンズも、また然り。

 少女が作業を続けながらそれを眺めていると、新たに相手側から書き込みが行われる。

 

『ノア:僕、怪盗団を応援するつもりだよ。だから、このサイトを作ったんだ。今回の帝丹高校の事件もそうだけど、世の中には腐った大人が沢山いる。そんな大人によって育てられる子供達が、将来どうなるかなんて簡単に想像できるだろう?』

 

 その書き込みを見て、少女は今まで止まることのなかったキーボードを打つ指をピタリと止めた。しばし、部屋が沈黙に包まれる。数秒経ってから、再び指を動かし始める少女。

 

『アリババ:好きにすればいいんじゃないか? 私は少し作業に集中したいから落ちるぞ』

『ノア:あ、うん。またね』

 

 ノアの返事を待ってから、少女はチャットアプリを閉じた。

 作業に集中したいからと伝えてそうしたというのに、少女は指を止めて怪盗お願いチャンネルのサイトを睨みつけるように見つめている。暗い中、赤い明かりに直接照らされたその表情ははっきりとは伺えないが……それは憎々しげながらも、どこか懐かしげな――色々と複雑な感情が入り混じっているのが分かる。

 

「入るわよ」

 

 そこへ、白衣を着た茶髪の女性が部屋の扉を開いて中に入ってきた。少女は少し首を動かすと、またすぐにディスプレイへと向き直る。

 

「何なの? その悪趣味なサイト」

「噂の怪盗団にお願いできるサイトだ。ノアの奴が作ったらしい」

「怪盗団? ああ、小耳に挟んではいるわ」

 

 少女の操作で、怪盗お願いチャンネルに書き込まれたお願いの数々がスクロールされていく。それを全く興味なさげに眺めている白衣の女性。溜息さえも吐いている。

 

「馬鹿馬鹿しい。欲望を盗んで改心させるなんて、そんなことできるわけないでしょう? もし本当にそれができるなら、私達はこんなところにいないわよ」

「……私だって、そう思ってるさ」

 

 自分の言葉に少女がそう返すのを聞くと、女性は白衣を翻して部屋から出て行った。少女はそれに目を向けずに、先ほどと同じ表情でディスプレイを眺め続けている。

 

 視線が向けられているのは、サイトのシンボルとなっているシルクハット――心の怪盗団ザ・ファントムのマーク。

 

 

 

 

「…………けど、何なんだ……何で、涙が流れてくるんだ……」

 

 その呟きは誰の耳にも届かず、頬を伝う煌きも誰の目に入ることもなかった。

 

 

 




世紀末覇者先輩を警視庁の人間として登場させました。
佐藤刑事や高木刑事などとは違って、白鳥警部補(後に警部)と同じくキャリア組なので警部に昇進しています。

後、鴨志田の歪みに関しての設定は感想の方で実に納得性のある見解がありましたので、そちらを参考にさせていただきました。ありがとうございます。
実は当初は鴨志田や川上を登場させるつもりはなかったので、細かい設定は考えていなかったのです。

一話の後書きに書かれてあるように見切り発車で投稿したものなので、こういった設定は面白いんじゃないかという意見があれば、参考にしたいと思っています。
よろしくお願いします。









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FILE.14 10億円強奪事件 一

 人の雑踏がひしめくビジネスの中心地、新宿。

 

 そんな街の片隅にある寂れた雑居ビルの一室で、ひっそりと営まれている占い屋がある。今話題の絶対当たるという謡い文句の有名占い師が営むお店とは違って、人の目に留まることのなさそうなお店だ。

 

 今日もいつもの営業開始の時間が近づいてきた。

 

 

「さあ、今日も一日頑張りましょう!」

 

 寂れた占い屋の主――御船千早は愛用しているヘアーターバンを金髪の頭に巻き直し、両手を握って気合を入れる。今から準備を始めるわけだが、お店の寂れた外観から察することできるように、彼女は人気の占い師というわけではない。なので急ぐ必要はないだろうと、千早はのんびりとした動作でテーブルに黒い布をかけた。

 

 それにしても、ビルの一室で一人静かに客が来るのを待つというのは何とも心細いものである。今でこそある支援者のおかげでこうして雑居ビルの一室を間借りすることができているが、それまでは路上で占い屋を営んでいたのだ。その頃であれば、目の前を通る人の往来が寂しさを紛らわせてくれただろう。

 

 はっきり言って、稼ぎは右肩下がりの状況だ。こんな目立たないビルの一室では、それも当然である。宣伝費などもちろんないのでSNSで自分なりに広めようとしているが、効果もたかが知れている。支援者のおかげで最低限お客が来てくれるということが、唯一の救いである。

 

 最初のお客は何時頃来るだろうか。暢気にそう考えながら、スマホのブラウザを開く千早。最近の話題は、もっぱら怪盗団のことについてばかりだ。怪盗お願いチャンネルなるサイトまで作られたということが、話題性に拍車をかけているようである。

 

 その怪盗お願いチャンネル――改め怪チャンでは、色々な改心候補の書き込みが何件も行われている。千早はそれを見て、細い眉を潜めた。書き込みが行われるということは、それだけ周りを省みない悪意を持った人間がいるということである。もちろん、それには書き込まれた相手だけでなく、書き込んだ本人も含まれている。イタズラや逆恨みで、何も悪いことをしていない相手を改心候補として書き込む輩のことだ。

 怪チャンは、まるで日本中の人々が持つ悪意を一箇所に集めているかのような雰囲気を醸し出していた。

 

 だが、そうであっても、千早は怪チャンを完全に否定することはできなかった。どうしてかは分からないが、怪盗団という存在を嫌うことができずにいる。それどころか、ある種の親しみのようなものを感じているのだ。事実、怪チャンには本当に救いを求めている人の書き込みも存在している。

 

 千早が怪チャンの書き込みを眺めていると、扉をノックする音が聞こえてくる。

 

「あっ! は、はい!」

 

 千早が慌ててスマホを閉まって返事をすると、ゆっくりと扉が開く。眼鏡を掛けた長い黒髪の女性が入ってきた。こういった場所に来るのは初めてなのか、キョロキョロと店内を見渡している女性。

 千早の店には、びいどろの花瓶や星形の装飾品が飾られている。こういった占いの店では、オカルト的な装飾があちらこちらに飾られているものと思われるが、生憎千早はそういった物をあまり好まないので飾られている物は全て彼女の趣味だ。

 

「いらっしゃいませ~。どうぞ、そちらの席にお座りください」

 

 そんな彼女を、千早はテーブルを挟んだ向かい側の椅子に座るよう促した。女性は頷いて千早の言葉に従う。

 

「初めまして、御船千早といいます。お客さんのお名前を伺ってもよろしいですか?」

「……広田雅美です」

 

 しかし、彼女の名前を聞いた千早は、細い眉を八の字にして困った様子を見せた。

 

「あの、どうかされましたか?」

「え? あっ、すみません! なんでもないです……」

 

 その様子を見た広田雅美がそう聞くと、千早は笑って誤魔化した。

 千早は女性が名乗った"広田雅美"という名前が偽名であることを何となく(・・・・)見抜いていた。

 

 

 そう、彼女は千里眼の能力を宿した正真正銘本物の超能力者なのだ。

 

 

 その能力を用いることで、占いも百発百中の結果を導き出せるのである。本来ならもっと有名であってもおかしくないほどの実力なのだ。そんな千早に対して、嘘を吐くことはできない。

 

 だが、千早はあえて知らないフリをした。

 何か事情があるのだろう、と。それさえも、彼女は察していたのだ。

 

「あの、私、人を探してるんです。少しでも何か手掛かりが得られればと思って、有名な占い師さんのお店を伺ったんですけど、予約制だったみたいで……それで、こちらを紹介されたんです」

「むむむ、人探しですか。分かりました、早速占いますね! あ、御代は5000円ですので」

「え? あの、相手の名前とか、写真はお見せしなくてもいいんですか?」

「大丈夫です、任せてください! はい、確かに。それでは、始めますよ~」

 

 千早は雅美から御代を受け取ると、テーブルへ裏にしたタロットカードの山を置いた。彼女の行う占いは、タロットカードを使った所謂タロット占いというヤツだ。

 

 タロットカードは、"大アルカナ"と呼ばれる二十二枚のカードと"小アルカナ"と呼ばれる五十六枚のカードの計七十八枚で構成されている。杖、杯、剣、硬貨の四つのスートが存在する小アルカナを用いれば、より具体的にカードが象徴する問題などが見えてくるようになるが、千早は主に大アルカナのカードのみを用いて占いを行っている。小アルカナのカードまで使えば、能力故に知る必要のないことまで知ってしまうからだ。

 

 早速、雅美の探し人の居場所を占い始める千早。

 二十二枚の大アルカナのタロットカードを扇形に広げ、それを両手でバラバラにしてシャッフルする。十分混ぜ終えると、再びカードをまとめて山を作り、その山の一番上から一枚一枚、合計七枚を手に取っていく。最初の一枚をテーブルの中心へと運ぶと、残りの六枚を最初の一枚を囲むようにして並べて六芒星を作り上げた。

 カードを並べ終えた千早は一つ深呼吸をすると、真ん中の一枚を表に返した。

 

 そのカードに描かれていたのは、太陽――成功を意味しているアルカナだ。千早は笑みを浮かべた。

 

「探し人は無事に見つかるようですよ。安心してください!」

「ほ、本当ですか!?」

 

 千早の言葉を聞いて、雅美も嬉しそうに微笑んでいる。彼女の笑顔に千早はうんうんと頷くと、続けて手前に並べたカードを表に返した。

 そのカードは先ほどの物と違って逆を向いており、月桂樹の冠を被った女性が玉座に腰掛けている様子が描かれていた。それが意味するアルカナは、"女帝"。逆位置を向いているそのカードをじっと眺める千早。

 

「むむむ……これは、探し人は若者が大勢入れ混じった場所にいるみたいですね。恐らく、杯戸町のどこかだと思います」

「すごい、そこまで分かるんですね。でも、若者が大勢いる場所ですか……」

 

 考え込む雅美に目をやりながら、千早は自分から見て左手前のカードを表に返す。そのカードを見て、思わず身体を引いてしまう。

 

 

 そのカードのアルカナは、"塔"であった。

 

 

 塔は困難や崩壊を意味するアルカナ。タロットの中でも、最悪のカードとして扱われているものだ。つまり、探し人は見つかるが、その先にあるのは――

 千早は彼女が何らかの事件に巻き込まれてしまうのではないかと思い、椅子から立ち上がった。

 

「あ、あの! その人を探すのは、諦めた方がいいと思います!」

「え? あ、あの……いきなりどうしたんですか?」

「探し人は見つかるでしょうけど、その先にはきっと……不幸な未来が待っています!」

 

 そう捲くし立てる千早に雅美は目を丸くして驚いている。彼女は少しばかり考え込んだが、結局「それは、できません」と首を横に振った。

 

「そんな……どうして!」

 

 なぜ諦められないのかと取り乱しかける千早だが、思い止まる。一旦深呼吸して、椅子に座り直した。

 

 運命は変わらないわけではない。やりようによっては、変えることだってできる。

 千早は、いつもそれを信条として占いを行ってきた。誰から何を言われても、それだけは曲げることはなかったのだ。気を取り直して、左奥のカードを表に返す千早。

 

 カードのアルカナは……"愚者"。

 

 描かれているのは一人の旅人と一匹の犬。全ての始まりを意味し、自由を象徴するかのようなそのカードに対して、千早はなぜだか分からないが特別な親しみを持っていた。

 トリックスターの存在……それが雅美に迫る最悪の運命を変えるための手掛かりに違いない。千早はそう判断した。そして、愚者のカードに対して抱いている感情が、怪盗お願いチャンネルに対して抱いているそれと同じであることに気づく。

 

「そうです! 怪盗団にお願いしてみたらどうでしょうか!」

「……は?」

 

 千早は思わず頓珍漢なことを口走ってしまった。雅美も千早の言っていることを理解できていないのか、困惑気味だ。自分の言っていることのおかしさに気づき、千早は自分の口を手で覆う。

 

「あの……怪盗団って、最近噂の心の怪盗団のことですよね? でも、あれって悪人の改心が目的みたいですし、人探しで頼るような相手ではないと思うんですけど……」

 

 ご尤もである。

 しかし、千早は彼女の言葉に納得いっていない様子だ。

 

「あ、悪人の改心は手段であって、目的じゃないと思います! きっと、怪盗団は救いを求める人に手を差し伸べようとしているんですよ!」

 

 また思わずそう口走ってしまう千早。彼女とてそんなことを言うつもりはなかったが、自分の意思に反して口が勝手に動いてしまったのだ。

 

「……すみません。私、そういった話には興味がないので、これで失礼しますね」

「あ、ま、待ってください!」

 

 雅美は付き合っていられないと言わんばかりに、席を立った。どうやら、変な勧誘か何かと勘違いされてしまったようだ。千早は慌てて彼女を引き止めようとするが、彼女は応じずそのまま店を出て行ってしまう。

 バタリと、無情に閉まる扉。

 

「……あ゛~、なしてあねぇなこというちゃったんよ。うちのバカ~!」

 

 一人残された千早は、頭を抱えてテーブルに突っ伏すのであった。 

 

 

 

 

 

 

 千早の店を出た広田雅美は、深く溜息を吐いた。目の前を通り過ぎる人の往来と聞こえてくる雑音も、どこか遠くに聞こえてくる。

 店は出たが、他に当てがあるわけでもない。これからどうするべきか……

 

 先ほどの千早の占いが、雅美の頭の中で繰り返し響くのであった。

 

 

 

◆◇◆◇◆◇◆◇

 

 

 

 数日後の土曜日、米花町の毛利探偵事務所。

 まだ午前中、朝食を食べ終えたもののまだ眠気の残っている毛利探偵こと小五郎は、それを取り除こうと蘭の用意したコーヒーを飲んだ。

 彼の目の前では、蘭とコナンが来客用のソファに座って朝のニュースを見ている。ニュースの内容は、数週間前に起きた10億円強奪事件についてだ。未だ犯人は捕まっておらず、単独犯なのかどうかさえ分かっていない。

 

「例の10億円強奪事件の犯人、まだ見つかってないんだね」

「みたいだね……」

 

 コナンと蘭の会話を聞いて、小五郎は捜査をしているだろう目暮警部のことを考える。警視庁は今頃大変だろうなと思いつつ再びコーヒーを啜った。そこへ、来客を知らせるノックの音が小五郎の耳に入る。

 

「は~い」

 

 コナンと一緒にニュースを見ていた蘭が、テレビの電源を消して客を出迎えにいく。扉が開けられると、そこには帽子にコートといった黒尽くめの格好をした身長の高い男が立っていた。

 

(く、黒尽くめの男!?)

 

 男の姿を見たコナンは目を見開き、顔は蒼白となる。まさか、ついに自分の正体が工藤新一であると断定されてしまったのかと、警戒心は露わにして男を見据えるコナン。

 

「お前か? 眠りの小五郎っちゅう探偵は?」

「はあ……いかにも、私が毛利小五郎ですが」

 

 口髭の目立つその男は小五郎を見てフンッと鼻を鳴らし、続けて蘭とコナンの姿が目に入るとあからさまに顔をしかめた。子供がいることへの苛立ちを隠そうともしていない。

 

「あ~っと、蘭、お茶の用意を。仕事のご依頼ですよね?」

 

 小五郎に言われて、台所へと向かう蘭。男は乱暴に返事をすると、来客用のソファにドサリと腰掛けた。コナンはなおも警戒心を解かずに小五郎の仕事机の影に隠れている。

 

「この男の居所を突き止めて欲しい」

 

 男はそう話しながら、懐からある写真を取り出した。写真には、無精髭が生えていてあまり清潔感のない男性が写っている。

 

「ふむ……それで、お名前は?」

「……コイツの名前は杉本裕樹や」

「いえ、貴方のお名前を聞いているのですか……」

「…………ッち、手木来蔵(てきらいぞう)や」

 

 小五郎から名前を聞かれて、男――手木来蔵はこれ見よがしに舌打ちをして答えた。

 

「この杉本という方と、貴方のご関係は?」

「そないなもん教える必要ないやろが。お前は杉本がどこにおるか突き止めればええんや」

 

 続けて小五郎が詳しい話を聞こうとするが、手木は突き放すような物言いで応じようとしない。

 

(よーし。この発信機を……)

 

 コナンは腰を低くしたまま机の物陰から出て、足音を立てないよう手木の傍に忍び寄った。阿笠博士が新開発した発信機を取り付けようとしているのだ。これを取り付ければ、コナンが掛けている追跡メガネを使って半径20km以内のどこにいるのかが確認できる。

 そーっと、コナンはシール型の発信機を手木の靴に近づけていく。

 

「ああ? なんや、このクソガキ!」

「うわぁっ!!」

 

 しかし、後もう少しといったところで手木に見つかってしまった。四つん這いになっていたコナンはその腹を強烈な勢いで蹴り上げられ、事務所の玄関の方へ吹き飛ばされてしまう。

 その時、ある女性が事務所の扉を開けて中に入ってきた。蹴り飛ばされたコナンは、その女性に受け止められる。

 

「ボク、大丈夫?」

「うう……」

 

 女性はコナンのことを心配げな様子で見ている。慌てて蘭が彼女に支えられているコナンの元へ駆け寄ってきた。

 

「コナン君! 大丈夫!?」

「だ、大丈夫だよ。蘭姉ちゃん……」

 

 蘭の問い掛けにしっかりと受け応えするコナンを見て安心した様子を見せた小五郎は、客向けの態度を一転させて手木の胸倉を掴む。

 

「おいアンタ、子供相手に何しやがるんだ!」

「へっ、躾がなってねえガキなんざしばかれて当然やろ」

 

 小五郎が手木を怒鳴っているのを目に入れつつ、痛む腹を左手で抑えるコナン。その時、彼は右手に握っていたはずの発信機がないことに気づいた。どうやら、発信機は蹴り飛ばされた衝撃でどこかに飛んでいってしまったようだ。コナンは慌てて周囲を確認する。

 蘭はそんなコナンの様子に気づいた様子もなく、彼を支えている女性に頭を下げた。

 

「ありがとうございます。あの、貴方は?」

「広田雅美です。すみません、そこの手木来蔵とは知り合いでして……」

「なんや、何でお前こっちに来よったんや?」

 

 広田雅美と名乗った女性は、コナンを蘭に預けると手木に近づいて何やら耳打ちし始めた。その間、コナンは事務所中を見回して飛ばされた発信機を見つけようとしたが、どこにも見当たらない。

 

「……フンッ、依頼の件はもうええ。邪魔したな」

 

 雅美は何を話したのか。彼女の話を聞いた手木は杉本の写真を回収して、開いた扉から事務所を出て行ってしまった。雅美も小五郎達に頭を下げると、手木に続く形で事務所を出て扉を閉めた。

 

「ったく……何なんだ、あの連中は」

「ホント。コナン君、お腹大丈夫? 湿布持って来るね」

「う、うん。ありがとう」

 

 蘭の言葉に頷くコナン。自力で動けないことはないし、吐き気などもないので内臓にダメージは受けていないだろう。しばらくすれば、痛みも引いていくはずだ。

 コナンは腹を庇いつつ、小五郎の仕事机の椅子によじ登って窓から大通りを見下ろした。窓から見える範囲には、既に例の二人の姿はなかった。

 

(チクショウ……奴らの手掛かりが掴めると思ったのに)

 

 蘭が湿布を持って戻ってくるまで、コナンは大通りを悔しげな顔付きで眺め続けるのであった。

 

 

 

◆◇◆◇◆◇◆◇

 

 

 

「ご馳走様です。本当においしかったぁ。暁君、料理上手なんですね!」

 

 毛利探偵事務所に黒尽くめの男がやってきた日。そのお昼時が過ぎた時刻、事務所の下にあるポアロでは暁がとある女性客の対応を行っていた。

 

「でも、大丈夫なんですか? 人気アイドルがこんなお店に来て……」

「大丈夫です! 帽子を被って髪型を変えれば、わりと気づかれませんから!」

 

 帽子を被り、長髪をその中に納めている女性客は、ハツラツとした笑顔を梓に向けている。対する梓は、複雑そうな顔付きで苦笑いを零した。

 

 そう、暁の目の前にいるお客の正体は、以前事件で知り合いになった人気アイドル、沖野ヨーコである。

 

 今日も撮影の仕事があるみたいだが、少し時間が空いたのでこうしてポアロへ噂のカレーを食べに来たらしい。現在、ポアロにいる客は彼女一人だ。最初から客の少ないこの時間帯を狙って来たのだろう。

 

「ねえ、ラヴェンツァちゃんも、暁君のカレー好き?」

 

 ヨーコがカウンター隅の席に座って本を読んでいるラヴェンツァに声を掛ける。彼女が人形のように可愛らしい見た目をしているからか、それとも暁の遠い親戚と紹介されたからかは分からないが、ヨーコは事ある毎に彼女に声を掛けていた。

 

「……ええ、まあ」

 

 しかし、対するラヴェンツァはこのようにつれない態度を徹底している。その顔は読んでいる本に向けられたままで、表情は無関心を絵にしたかのように硬い。

 隣に座っているモルガナはやれやれといったように首を横に振り、梓はじとっとした目で暁を見ている。そんな目で見ないで欲しい。

 

「……ラヴェンツァちゃん、私が暁君と話してるから嫉妬しちゃってるのかな?」

 

 ヨーコが少し残念そうな顔をしながらそう言う。 

 ラヴェンツァは普段ジュスティーヌのように澄ましているが、時折カロリーヌのように子供っぽい所を垣間見せる。だが、それを差し抜いても、こちらの世界に来てからの彼女は以前よりも人間味があるような雰囲気を纏っている気がしてならない。

 

「まあとにかく、ヨーコはあの事件からだいぶ回復したみたいだな。良かったじゃねえか」

 

 モルガナの言葉に、暁は頷く。水を飲み干して食後の余韻を楽しんでいるヨーコを見て、心から安心したという笑みを顔に浮かべた。

 例の事件で数日は休むかと思っていたが、彼女は退院後すぐに仕事を再開したのだ。あんな事件があって辛かったはずだろうに。それだけ、ヨーコのアイドルに対しての思いが強いということだろう。

 

 

 それからしばらくした後、彼女は急にテーブルへ身を乗り出した。そして、口元に手を添えて向かいに座っている暁だけに聞こえる声量で何やら話し始める。暁は戸惑いがちに耳を傾けた。カウンターの向こうにいる梓の視線が痛い。ラヴェンツァの視線も痛い。

 

「あの、前にあげたモデルガンなんですけど……」

 

 ヨーコの言葉を聞いて暁はああと頷き、大事にしていると答えた。

 

 肥谷校長を改心させる際に使っていたあのハンドガンは、実はヨーコの持っていた例のモデルガンだったのだ。スパイ役の練習のために用意されたものとあって、サイレンサーまで持っていてくれたのは実にラッキーであった。

 認知世界で利用する場合、見た目の出来が良いほど優れた性能を発揮する。改心実行の前日、懐に余裕がない暁は連絡先を交換していたヨーコに例のモデルガンを貸して欲しいと頼んだ。すると、ヨーコはもう必要ない物だから助けてくれたお礼としてプレゼントすると言ってくれたのである。

 助けた礼とはいえ何だか申し訳なかったので、暁は今度カレーをご馳走すると約束していたのだ。

 

「う、うん。大事にしてくれてるのは嬉しいけど……あの、梓さんから聞いたんですけど、暁君って帝丹高校に通ってるんですよね?」

 

 急に話を変えてそう質問するヨーコに、暁は頷きつつも首を傾げた。そんな彼を見て、ヨーコは自分の頭の中にある疑念を頭に巡らせる。

 

 

 ――目の前にいる(かれ)が、怪盗団の人間なのではないか?

 

 

 帝丹高校の校長が改心されて人が変わったようになったという話を聞いて、ヨーコは自分の元恋人が心中寸前で心変わりしたことを思い出した。これらは状況は違うが、起こったことは似ているように思える。

 

 何より自分が気絶する寸前に見た、白い仮面に黒尽くめの格好をした暁の姿。当初は見間違いかと思っていたが、これがネットに出回っている怪盗団のリーダー、ジョーカーの出で立ちとそっくりだったのだ。その暁は事件が起きた帝丹高校に通っているらしいし、暁がジョーカーであると考えると何もかも辻褄が合う。

 

 あのモデルガンも、怪盗団の活動に必要だから貸して欲しいと言ったのではないだろうか? ガンマニアだと彼は言っていたが、とてもそうは見えない。

 考えれば考えるほど、ヨーコの中で暁がジョーカーであるという疑念は深まっていった。

 

「どうしたんだ、ヨーコは。急に黙りこくっちまったぞ。話しかけてみろよ」

 

 痺れを切らしたモルガナに言われて、暁がどうかしたのか? とヨーコに問い掛ける。

 

「あっ、はい! えっと、その……」

 

 暁の声にビクリと肩を揺らしたヨーコは、戸惑った様子でその口を開きかけた。その時、来客を知らせるドアベルの音が店内に鳴り響く。

 

「こんにちはー」

「あ、お二階さん。いらっしゃいませ~」

 

 どうやら、来店してきたのは毛利一家のようだ。この前言っていたように、蘭がカレーを食べに来てくれたのだろう。

 

「ヨ、ヨーコちゃん! どうしてポアロに!?」

「ど、どうも……」

 

 ヨーコがいることに顎が外れる勢いで驚く小五郎。一般人相手には帽子を被ることである程度何とかなっていたようだが、ヨーコの大ファンに加えて一応探偵を名乗っている小五郎の目は誤魔化せなかったようだ。

 

「あ、私、そろそろ時間なんでお暇します。暁君、またね。ラヴェンツァちゃんも」

「えっ! そんな、ヨーコちゃあぁん! ……ああ、せっかく会えたのに」

 

 そう言ってヨーコは御代を梓に渡すと、そそくさといった様子で店を出て行ってしまった。それを見送った小五郎は、心底がっかりした様子で肩を落としている。

 

「ほら、お父さん。いつまでもそんなところに突っ立ってないで。あ、ヨーコさんが食べてたのって、もしかして暁君が作ったカレー? じゃあ、それお願いします。いいよね? コナン君」

「う、うん」

「ちょっと待て、蘭! 俺は坊主が作ったカレーなんか食いたくないぞ!」

 

 テーブル席に座った蘭が暁の作ったルブランカレーを注文しようとしているのを聞いて、小五郎は喧しく声を上げて引き止めた。暁がヨーコと仲良く話していただけでも気に入らないのに、さらに彼が作ったカレーを食べるなんて気が進まないということだろう。蘭はそんな自分の父親へ、責めるような目を向ける。

 

「あら、お父さん。ヨーコさんの事件で暁君を犯人扱いしたこと、忘れたの?」

「ウッ……しょ、しょうがねえな」

 

 痛い所を突かれて、小五郎は渋々といった様子で蘭の真向かいに座る。ちなみに、コナンが座っているのは蘭の隣だ。

 

「はい、暁君。お願いね」

 

 梓がよそってくれたルブランカレーを、暁が蘭達のテーブルへと運ぶ。

 

「ありがとう。いただきまーす」

「「い、いただきます……」」

 

 蘭は元気良く挨拶して食べ始めたが、対照的にコナンと小五郎はあまり乗り気ではない。小五郎はまだしも、コナンはどういうことだろうかと暁は首を傾げた。大抵の子供はカレーが好物であるはずなのだから。

 

 コナン――新一としても、別にカレーが嫌いというわけではない。むしろ、例に漏れず好物の一つだ。ただ、蘭がいつの間にか暁のことを名前で呼んでいることを気に掛けているのだ。そのせいで、暁の作ったカレーも素直に食べる気になれなかった。

 

(あんにゃろう、いつの間に蘭と仲良くなりやがっ……って、うめええ!)

 

 心の中で文句を垂れつつカレーに口を付けるコナン。予想外のうまさに目を見開く。見ると、文句を言っていた小五郎もスプーンを持つ手が止まらない様子だ。

 

「おいしい! 学校で園子も言ってたけど、これなら評判になるのも納得だわ! 暁君、今度の家庭科の実習でも活躍しそうだね」

 

 生憎だが、暁が得意なのはカレーとコーヒーだけである。蘭の期待には応えられそうもない。

 しかし、蘭の言葉を聞いた途端、小五郎とコナンが同時に噴き出した。

 

「ど、どうしたの二人共!?」

「ら、蘭姉ちゃん……もしかして、暁兄ちゃんって帝丹高校に通ってるの?」

「うん。少し前に転入してきて……てっ、あれ、言ってなかったっけ? 私」

 

 どうやら、蘭は暁が帝丹高校に通っていることをコナン達に教えていなかったようだ。無理もない。三島のことで色々と悩んでいたのだから。

 暁が三島のために奮闘していた蘭と園子の事を思い出していると、小五郎がその肩をいきなり掴んで引き寄せた。そして、小さく耳打ちしてくる。

 

「おい、坊主。ヨーコさんだけじゃ飽き足らず、蘭にまで手を出したりなんかしたら……許さねぇからな」

 

 凄みを利かせる小五郎に、暁は苦笑いする他なかった。

 もちろん、暁にそんなつもりはない。大体、蘭には新一という恋人がいるという話でないか。

 

「ちょっ、暁君。園子の話真に受けないでってば! お父さんも何話してるのよ!」

 

 

 

 

 そんな風にしっちゃかめっちゃかな会話を繰り広げながら毛利一家がルブランカレーを食べていると、ポアロに置かれてあるテレビが怪盗団ブームの到来を知らせるニュースが映し始めた。怪盗団のシンボルマークを模したキーホルダーなどのグッズが販売されている様子が暁達の目に入る。

 

「ふんっ、怪盗団ねぇ……」

「お二階さんは、怪盗団のこと信じてないんですか?」

「当たり前だよ梓ちゃん。そんなのがいたら、商売上がったりってもんだ」

 

 小五郎の言葉に、蘭は少し顔を曇らせる。

 

「でも、園子は怪盗団の姿を見たって言ってたわよ?」

「んなの、ただの見間違いだよ。でかいカラスか何かだったんだろ」

 

 その怪盗団のリーダー本人としては、小五郎のような解釈で済ませて欲しいものである。そう思いつつ、暁は蘭達の会話に耳を傾けた。

 

「そんなことはありません。怪盗団は実在します」

 

 そこへ、横から声が割って入る。ラヴェンツァだ。彼女は本を閉じて、隅の席に座ったまま毛利一家を見つめている。蘭と小五郎は、今の今までそこに少女が座っていることに気づいていなかったのか、驚いた顔をしている。

 

「あ、暁君。誰、あの子?」

 

 蘭の質問に、遠い親戚のラヴェンツァだと答える暁。

 ちなみに、ラヴェンツァが今着ている服は梓が選んで買い揃えた物である。白いカーディガンに元のドレスと同じように青を基調としたジャンパースカートを着ている。これなら、街中でも違和感がない。

 

「怪盗団がいるとやっていけなくなるというのであれば、それは向いてない証拠です。探偵業など止めてしまえばいいのでは?」

「な、なんだと! このガキ!」

「まあまあ、お父さん……」

 

 失礼極まりないラヴェンツァの発言に小五郎が憤慨するも、蘭がそれを押し留める。

 さすがの暁も、小五郎に謝るようラヴェンツァに言った。しかし、彼女はぷいと顔を背けてしまう。

 

「暁君の言うとおりよ。ラヴェちゃん、毛利さんに謝って!」

「私は自分の考えを言ったまでです。軟弱者に謝ることなどありません」

 

 そう言ってラヴェンツァは椅子を降り、トコトコと奥の扉へと向かって地下室にこもってしまった。

 

「……何だぁ? あのガキ。怪盗団のファンか何かか?」

「すみません、普段はあんな子じゃ……いや、そうでもないかも」

「…………」

 

 一方のコナン。彼は怪盗団を擁護するような発言をするラヴェンツァのことを気にしつつも、カレーを食べる手を止めて何やら考え込んでいる。

 

 怪盗団騒ぎがあったのは、来栖暁が帝丹高校に転入してから数日後だ。怪盗団は明らかに三島の問題を解決するために事を起こしていた。そして、正義感の強い彼ならば、例え知り合ったばかりの三島でも助けようとするだろう。これらのことから、コナンは怪盗の正体は来栖暁なのではと疑い始めていた。そうであれば、親戚であるというラヴェンツァがああも怪盗団を擁護することも頷ける。

 

 元々、コナンは暁のことを黒尽くめの組織の者と疑っていた。だが、何度考えてみても、やはり人殺しを行うような組織がそれに矛盾するような人助けをするとは思えない。もし彼が、本当にあのような大々的なことを行う怪盗団であれば、なおさら組織の人間である可能性は低くなるのだ。

 

「ほら、コナン君。早く食べないと冷めちゃうよ?」

「あ、うん」

 

 思考の海に浸っていたコナンは、蘭に声を掛けられて慌ててスプーンを握り直した。

 

 来栖暁……彼が黒の組織の人間でなく怪盗だったとしても、犯罪者には違いない。例え相手が悪人であろうとも、人を無理矢理改心させるなんて、洗脳と同じだ。

 コナンはカレーを食べつつも、ラヴェンツァを気にして奥の扉の方を見ている暁に目線をやった。

 

 

 

 

 

 

「ねぇ、あの手木来蔵って人が探してた男の人のことなんだけど……」

「ああ? いいじゃねえか、あんな男の依頼なんて気にしなくても」

 

 毛利一家がカレーを食べ終えると、話題は毛利探偵事務所を訪れた手木雷蔵という男の話に変わった。蘭は手木が探していた杉本裕樹のことを気にしているようだが、写真は男が持ち帰ってしまっている。

 

「ボク、あの写真をスマホで撮ってたんだ。ほら」

「すごい、コナン君。よくバレなかったね!」

 

 コナンがテーブルにスマホを置いて、例の写真を撮影したものを映した。撮影には、無音カメラアプリを使ったのだ。

 

「あんな乱暴な人が探してるなんて……何か悪いことが起きそうな気がする。お父さん、私達がこの杉本裕樹って人を先に見つけて、危険を知らせましょうよ」

「んなこと言ったって、手掛かりも何もねえし……この男だって、人相悪いじゃねえか」

 

 話を聞いていた暁は、ひょいと身を乗り出してその写真を覗き見た。そして、その見覚えのある顔に目を見開く。

 

 

 

 ――うるっせぇんだよっっ!! ぶッ殺されてぇのかテメェッ!!?

 

 

 

 間違いない。写真の男は……惣治郎の家に住んでいた、あの男(・・・)であった。

 

 暁は男に見覚えがあると、蘭達に伝えた。

 

「えっ! 暁君、この男の人知ってるの!? お、お父さん……」

「……ったく、しゃあねえな。梓ちゃん、ちょっと坊主を借りてもいいかい?」

「は、はい。大丈夫ですけど……」

 

 どうやら、小五郎はその男の元へ行く気になったようだ。蘭がこう言い出したら止まらないということは、実の父親だから分かっているのだろう。それにもしかしたら、先ほどラヴェンツァに言われたことを気にしているのかもしれない。

 

「そういうことだ。坊主、今からこの男を見たっていう場所まで案内してくれるか?」

 

 元よりそのつもりだ。小五郎の言葉に、暁はこくりと頷いた。

 

 それを見た小五郎は「それじゃあ、行くぞ」と言って席を立った。蘭も立ち上がり、梓の元へ会計をしに向かう。

 

「あ、園子と占いのお店に行く約束してたんだった……ちょっと、断りの電話入れてくるね」

 

 会計が終わった蘭は、小走りにポアロを出て探偵事務所の階段へ向かって言った。小五郎も外へ出て、蘭が戻ってくるのを煙草を吸って待っている。

 

「暁君。私、ラヴェちゃんを見てくるね」

 

 蘭から受け取った御代をレジに納め終えた梓も、そう言い残して奥の扉へと引っ込んでいく。その場に残されたのはコナンと暁、そしてモルガナだけとなった。

 

 続けてポアロを出ようとしたコナンが、ふいに振り返って暁を見た。玄関からの光の反射で眼鏡の奥が見えないが、真剣な目で見つめているのは分かる。

 そんなコナンに、暁はどうした? と問い掛けた。

 

「……ボク、分かっちゃったんだ」

 

 小さく、それでいてはっきりとした声で、そう呟くコナン。

 暁も子供に向けるような態度を改めて、ポケットに突っ込んだ手をそのままに身構える。何が? と続けて問うた。

 

 

 

 

「…………怪盗って、お前のことなんだろ? 来栖暁」

 

 

 




名探偵コナン×ペルソナ5 完








というのは嘘です。


やっぱり黒の組織が絡むと慎重になってしまって、案の定遅れてしまいました。体調も崩してましたし。

昨日の22時以降にアクセス数が増えているのを見たのですが、なんというか……すみません。
元々できる限り毎週投稿してましたが、わりといつもギリギリだったので、推敲などの時間も含めてもっと時間を取ってもいいかなと思っています。








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FILE.15 10億円強奪事件 二

 

 

「…………怪盗って、お前のことなんだろ? 来栖暁」

 

 

 子供の成りで、子供とは思えないような口調でそう告げるコナン。眼鏡の向こうにあるその目には、自分の推理に間違いなどないという自信がありありと見て取れた。その姿はまるで、物語に出てくる探偵のようであった。

 

 このコナン少年は一体何者なのだろうか? はっきりとお前が怪盗だと断言する彼に、動揺を抑えられない暁。いくつもの修羅場を潜り抜けていた暁であっても、さすがに彼のような子供に追究されるハメになれば動揺してしまうのも無理はない。それでも、暁は顔には出さず努めて平静を装い、静かに目の前の眼鏡の少年を見下ろす。

 

 しかし、黙りっぱなしでは肯定しているのと同じだ。暁はモルガナに目配せして、彼が頷くのを確認する。そして、なぜそう思うのか? とコナンに対して逆に質問した。質問に質問で返すことになるが、コナンは気にした様子はない。むしろ、待っていましたと言わんばかりにその口は笑みを浮かべている。

 

「なぜ肥谷校長が狙われたのかということを考えれば、簡単さ。蘭から聞いたけど、騒ぎが起きる前日に三島って人が退学処分を宣告されていたらしいじゃねえか。肥谷校長の企みは関係者なら知っていたかもしれないが、その人達の誰かが校長に制裁を加えたとしたら、何もこのタイミングでなくても良かったはずだ。それなのに、三島が危機的状況になったタイミングで怪盗団は行動を起こした。これは、三島の身近な人物が怪盗であるということに他ならない」

 

 コナンは、犯人を追い詰めるようにそう捲くし立てる。その言動から、彼の推理力は明らかに保護者である毛利小五郎をはるかに上回っていることが分かる。

 見た目子供で大人のような言葉遣いをするのはラヴェンツァで慣れていたが、彼の場合は正体が不明なだけにはっきり言って不気味だ。まさか、彼もラヴェンツァと同じく人間ではない存在なのだろうか?

 

「蘭の話だと、お前は三島を庇っていたそうだな。蘭達を除けば、誰も彼を助けようとしなかったのに……お前が他人を助けるためなら自分の命もかえりみない性分をしているのは、今までの行動でよく分かってる。そんなお前が、もし何かの切欠で肥谷校長の企みを知ったなら……今回のような騒ぎを起こしてもおかしくはない」

 

 自分の推理を言葉にして並べるコナン。それを聞きながら、暁は脇にあるカウンター席に腰を下ろして足を組んだ。例えそうだとして、それでは自分はどうやって校長を改心させたのか? そう続けて質問する。

 それに対してコナンは先ほどまでの自信満々な表情を一変させる。突き刺すような目線を向けていたその顔を暁から背けた。

 

「…………方法は、まだ分からねぇ」

 

 コナンは、心底悔しげに多少の自嘲を込めてそう答えた。

 

「だが、お前が怪盗であるという根拠はもう一つあるぜ……さっきまでこの店にいた、沖野ヨーコの事件だよ」

 

 背けていた顔を再び暁の方へと向けて、勝ち誇ったような笑みをその口に浮かばせているコナン。言われて、暁はヨーコの事件を頭の中に思い浮かべる。

 

「犯人の藤江明義は、ヨーコさんと心中を図ろうとするほど極度の錯乱状態だった。そんな相手を説得するなんて、簡単に出来ることじゃない……それでも、お前はやってのけた」

 

 暁は藤江の持つ包丁を蹴り砕いて、彼を説得したと説明した。もちろん、本当は彼のオタカラを頂戴して改心させたのだ。目暮警部相手には前述のお粗末な説明で事なきを得ていたが……

 

「知ってるか? 今現在獄中にいる藤江は、犯した罪からは想像できないほどの模範囚らしいぜ。警察が彼の周辺に聞き込みをした時にそのことを話したら、揃ってこう答えたらしいよ。まるで、人が変わったようだ(・・・・・・・・・)って」

 

 これらは、コナンが変声機を使って小五郎の声を出し、目暮警部から聞き出したことだ。

 コナンは――沖野ヨーコの事件で小五郎がしたように――左手をポケットに突っ込んだまま、ゆっくりともう片方の右手で暁のことを指した。

 

 

 

「……これらの状況が、お前が怪盗だってことを示してるんだよ!」

 

 

 

 明らかな繋がりを指摘してお前は怪盗だと断言するコナンに、暁はカウンターに肩肘を突いたまま小さく溜息を吐く。それは、開き直りに近いものであった。

 

 元の世界であればパレスやメメントスといった別の世界で怪盗活動を行っていたから、川上など直接やり取りをした相手に正体を見破られることはあっても、それ以外で足が付くようなことは早々なかった。

 一方、この世界では認知世界との境界を弄っただけの空間で活動している。標的(ターゲット)を改心させている場面を見られずとも、遅かれ早かれこうして足が付くのは予想していた。していたが、まさかここまで早いとは思っていなかった。しかも、相手がこんな子供とは。

 

「……このコナンとかいう少年、本当に子供なのか? いや、今はそれどころじゃないな。どうする? アキラ」

 

 カウンターに登って、暁の傍らまでやってきたモルガナが耳打ちする。

 

 コナンが言っているのはあくまで状況証拠に過ぎない。ここで自分は関係ないということを突き通せば、今日のところはそれで終わるだろう。

 だが、もし彼が自分の推理を小五郎に話し、それが警察に伝わったら……恐らく任意同行は避けられない。そうなれば捜査の手が入って、確実に正体がバレてしまう。コナンもそれを見越して、ここで自分の推理を明かしたのかもしれない。 

 

 

 どうするべきか……暁は思考を練りながらも、自分を指したまま目線を外さないコナンをじっと見つめ返す。

 

 

 ポアロを張り詰めたような空気が支配し、両者の間に緊張が走る。そんな状況が数秒、いや、数分も続いているような錯覚を覚え始めた。その時――

 

 

 

「えー、暁君は怪盗じゃないよ。コナン君」

 

 

 

 どこから話を聞いていたのか、奥の扉からいつの間にか戻っていた梓がそう口を挟んできた。

 

 今、店内には自分とコナンしかいないと思っていた暁は、思わず彼女の方を振り返る。尻尾を立たせているところからして、モルガナでさえ気づいていなかったようだ。

 

「……あ、梓さん。暁兄ちゃんが怪盗じゃないって、どういうこと?」

 

 推理の披露に集中していたコナンも気づいていなかったのか、目を丸くしながら質問する。

 

「だって、肥谷って校長先生が改心させられたのってこの前の水曜日の夕方頃なんでしょう? 水曜はポアロが定休日だから、私渋谷まで買い物に行ってたんだけど……その時間帯に暁君が駅前の交差点にいるのを見かけたよ。遠くから声掛けたのに、暁君気が付かないんだから」

 

 じとっとした目を暁の方へ寄越しながら、そう答える梓。

 

「ほ、本当に? 本当に暁兄ちゃんだったの?」

「うん……まあ、人混みに埋もれてはいたけど、あの癖っ毛と眼鏡は暁君だよ。絶対」

 

 暁にアリバイがあることを知って「そんな……」とショックが隠し切れない様子のコナン。だが、一方の暁は彼以上に衝撃を受けている。

 

 

 ――彼女は一体何を言っているのだろうか?

 

 

 あの日の夕方頃、もちろん暁は渋谷にはいなかった。コナンの推理通り、怪盗として肥谷校長の改心を遂行していたのだ。米花町とは何駅も離れている渋谷にいるはずがない。よく似た誰かと勘違いしているのだろうか? 

 

「だが、これは好都合だぜ。ひとまずこの場を乗り切るためにアズサ殿の話に合わせよう」

 

 モルガナの言葉に暁は頷く。今、この少年から向けられる疑いをどうにかするには、そうする他ないからだ。暁は学校から帰宅してから、野暮用で渋谷へ出掛けていたと話した。

 

「何か買い物なら私も誘ってくれれば良かったのに~。ラヴェちゃんも一緒だったの?」

 

 いい感じに話を続けてくれる梓に、心の中で胸を撫で下ろす暁。そんな暁を、コナンはまだ疑いの眼差しで見つめている。だが、アリバイがある以上先ほどのように追究することはできないはずだ。

 それにしても、全くもって恐ろしい少年である。今後はただの子供として見ないようにすべきだろう。暁は眼鏡を指でかけ直し、未だ自分を見つめてくるコナンに目をやった。

 

 

「おいっ! いつまで待たせんだ!」

 

 

 そこへ、外で待たされ続けていた小五郎がドアベルを乱暴に鳴らして怒鳴り込んできた。見ると、電話をすると言って探偵事務所の方へ向かった蘭も既に戻ってきている。

 

「ご、ごめんなさい!」

 

 慌てて謝り、ポアロを出るコナン。暁も鞄にモルガナを入れ、梓にいってきますと伝えてコナンの後に続いた。

 

「い、いってらっしゃい。ラヴェちゃんは私が見とくから(相変わらずモナちゃんも連れてくんだ……)」

 

 

 

◆◇◆◇◆◇◆◇

 

 

 

 暁の証言を元に三軒茶屋へと向かう一行。東都環状線で渋谷駅まで行き、田園都市線に乗り換えて三軒茶屋駅へと辿り着く。

 同じルートであるはずなのだが、見慣れない駅や路線を使っている。それに対して多少の違和感を覚える暁であったが、横目で自分を監視しているコナンの前で下手な真似はできないので、顔には出さないでおいた。

 

(何でコイツ猫連れてきてんだ? ヨーコさんの事件の時も連れてきてたよな……)

 

 当のコナンはそんなことを考えて暁をガン見していたわけだが。

 

 暁を先頭にして、一行は駅周辺の北側へ歩き出した。

 リサイクルショップにスーパームラマサ、バッティングセンターが見えて少しばかり懐かしい気分に浸りながら、暁は通りを進んでいく。その途中、元の世界でルブランがあった路地に目をやると、スーツを着た見覚えのある男性が目に入った。

 

「あれ? 高木刑事!」

「え、あっ、蘭さん!? それに、毛利さんまで!」

 

 少し間の抜けた印象を受けるその男性は、目暮警部の部下である高木刑事であった。今しがたまで、元の世界ではルブランであった散髪屋に聞き込みをしていたようだ。

 

「おい、高木。お前こんなところで何してんだ?」

「は、はい。毛利さんも知っているとは思いますが、例の10億円強奪事件の捜査ですよ」

 

 10億円強奪事件。今朝もニュースで犯人が未だ捕まっていないと報道されていた事件だ。暁も事件のことについては把握している。

 

 数週間前、10億円を載せた現金輸送車を白バイに乗った警官が止めた。その警官は『貴方の銀行の米花支店長宅が爆破された。輸送車にも爆弾が仕掛けられているかもしれない』と言って、乗車していた銀行員を遠ざけさせた。しかし、その警察官はあろうことか輸送車に乗り込んでそのまま逃走していったのだ。警察官は偽者だったのである。

 事件の数日前に米花支店長宅を爆破するという脅迫状が届いていたということもあって、銀行員は爆弾が仕掛けられているという犯人の言葉を鵜呑みにしてしまったらしい。

 

「警官を装った実行犯が乗り捨てた偽白バイは盗難車だったんですが、その偽造ナンバーを三軒茶屋近辺で見かけたという目撃証言を得られたので、こうして聞き込みを――」

「コラッ! 高木!」

 

 そこへ、濃い赤色のスーツを着た美人の女性が横から現れて情報をペラペラと喋る高木を叱った。

 

「さ、佐藤刑事!?」

「何捜査情報を漏らしてるの! 犯人がどこで聞いてるかも分からないのに……って、何だ。毛利さん達か」

 

 どうやら、佐藤と呼ばれた彼女も刑事らしい。高木刑事の先輩らしく、小五郎や蘭達は顔見知りのようだ。

 

「まあ、予想はしていたが、色々と大変そうだな」

「そうなんですよ。バイク以外にも、犯人の物と思われるハンチング帽から髪の毛が採取できたんですけど、データベースには一致する人物がいなくて「高木君」あっ、すみません……」

 

 なおも情報を漏らす高木。再度注意されて反省している彼に、佐藤刑事はやれやれといった様子で溜息を吐いた。

 

「毛利さん達は、ここへ何の用事で?」

「ボク達、この近所に住んでいる人に用事があって……」

「あ、今朝事務所に男の人が依頼しに来たんですけど――」

 

 コナンの言葉を引き継いで、蘭が事務所を訪れてきた手木という乱暴な男のことなど詳しい事情を佐藤刑事達に話した。話を聞いて、顎に手を当てて何やら考え込み始める佐藤刑事。

 

「あの、佐藤さん。どうしたんですか?」

「……高木君。私、毛利さん達に同行してその杉本という人が住んでいる家まで行ってみるから、後お願いね」

「ええっ!? ちょ、佐藤さぁん!」

 

 縋るように慌てる高木刑事を無視して、佐藤刑事は小五郎達の元へ歩み寄ってきた。なかなか我の強いというか、思い切りの良い人である。

 

「おいおい、アンタも来んのかぁ? ……まあ、注意しにいくわけだし、警察がいてくれた方が都合がいいかもな」

「そういうこと。さ、暁君……だったかしら? 貴方が案内してくれるんでしょう?」

 

 先を歩くよう首で促す佐藤刑事に暁は頷き、止まっていた足を再び動かして佐倉家へ――いや、杉本裕樹の住んでいる家へと向かった。

 

 

 

 

 数分後、小五郎達と同行を申し出た佐藤刑事は、暁の案内で件の家に到着する。

 

「暁君、この家なの?」

 

 蘭が目の前の家を見上げつつ、問い掛けてきた。それに頷いて答え、蘭に釣られて家を見上げる暁。その目は自然と双葉の部屋の窓へと向けられる。相変わらずカーテンは閉められたままだ。

 

「おい、本当にこの家にいるんだろうな?」

 

 未だにヨーコの件を根に持っているのか、小五郎は暁に疑いの眼差しを向けてきている。もちろんだと、暁は頷いて答えるが……

 

「暁兄ちゃん。杉本って人がこの家にいるとして、どうしてそれを暁兄ちゃんが知ってるの? 三軒茶屋に何か用事でもあったの?」

 

 もう一人、暁に疑いを向けている眼鏡の少年が道端に転がっていたのであろう野球ボール――近くにあるバッティングセンターの物だろうか――を足で弄びながらそう質問してきた。

 元の世界で世話になっている人の家を訪ねに来たと正直に説明できるわけもないし、暁はこの近くにある銭湯に入りに来た途中で杉本と思われる男性が家に入っていくのを見かけたと答えた。元の世界で散々世話になったあの銭湯がこちらにも存在するのは、最初に三軒茶屋へ来たときに確認している。

 

「あ、それって、さっきの散髪屋さんの近くにあった銭湯のことだよね? 確かあそこ、魅力が上がる穴場の銭湯だって聞いたことあるよ。暁君、そういうの興味あるんだ!」

 

 話を聞いていた蘭が意外そうな顔をしてそう反応した。穴場だなんて暁は聞いた事もなかったが、そうそうと首を縦に振って話を合わせる。肝心のコナンは「ふ~ん」と、どうにも納得していない様子で呟いているが、とりあえずは事なきを得たと思っていいだろう。

 

「そんな話どうでもいいじゃねえか。さっさと用事済ましちまおうぜ」

 

 痺れを切らした小五郎がそう言うので、先頭に立っていた暁が玄関のチャイムを鳴らした。

 

 ピンポーンと、誰でも聞き覚えのある音が鳴り響く。それを耳にして、そういえばと暁は思い出した。以前はチャイムを鳴らしても誰も出なかった。それで、しつこく何度も鳴らした結果ようやく杉本と思われるあの男が出てきたのだ。

 今回もそうすべきだろうか? 暁は再びチャイムのボタンへと指を運ぼうとする。

 

「はい、どちら様でしょうか?」

 

 が、暁の予想に反して扉はあっさりと開けられた。しかし、出てきたのは清潔感漂う人の良さそうな茶髪の男性。例の杉本裕樹とは全くの別人であった。

 話が違うじゃないかという小五郎の視線を背中に受ける暁。どうしたものかと思っていると、後ろに控えていた蘭が暁の隣へ来て出迎えた男性に頭を下げた。

 

「あの、突然すみません。ここに住んでいた杉本裕樹という人を知りませんか?」

「杉本……? いえ、存じ上げませんが、もしかしたら私の前にここに住んでいた人のことかもしれませんね。私、数週間前にここへ引っ越してきたばかりですから」

 

 どうやら、既に杉本は別の場所へ引っ越してしまったようだ。「引っ越しちゃったんですか……」と残念そうにしている蘭。その後ろから、佐藤刑事が前に出てきて懐から警察手帳と例の偽白バイの写真を取り出して見せる。

 

「失礼。警察の者ですが、この辺りでこのバイクを見かけませんでしたか?」

「バイク? ……いえ、見覚えはありませんね」

「……そうですか。ありがとうございます」

 

 佐藤刑事の方も、大した収穫は得られなかったようである。完全に空振りだ。

 

「いないんじゃしょうがねぇよな。いや、どうもお邪魔してすみませんでした! 蘭、帰るぞ!」

 

 当人が既にいないと分かると、小五郎は礼を言ってさっさと帰ろうとしだす。彼の言う通り、これ以上ここにいても無意味であろう。蘭達も再び男性に礼を言って小五郎に続こうとする。

 

 

 ――と、そこへ、開け放たれた玄関扉の隙間へ野球ボールが転がっていった。ボールは男性の足をすり抜けて、玄関の奥へと入っていく。

 

 

「あっ! ゴメンなさい!」

 

 転がっていったボールは、先ほどまでコナンが弄んでいた物のようだ。コナンはわざとらしく謝って玄関内へと入り、ボールを拾って戻ってくる。

 

「もう、コナン君! すみません……」

「あ……い、いえ、いいんですよ。それでは」

 

 蘭が頭を下げるが、男性は首を横に振ってそそくさと玄関の扉を閉めた。

 一行が門を出て家から離れると、見計らっていたようにコナンが佐藤刑事の元へ歩み寄る。

 

「はい、佐藤刑事」

「え? 何、コナン君…………これは、髪の毛?」

 

 見ると、コナンがその手に持って差し出しているのは、髪の毛であった。色は染めた形跡の一切ない黒。まさか、先ほどボールを拾ったと同時に玄関に落ちていた髪の毛を回収したのだろうか?

 

「これ、色からしてさっきの人の髪の毛じゃないよね。もしかしたら、前に住んでいた杉本さんのなんじゃないかな?」

「そ、そうかもしれないわね。でも、どうしてこれを私に?」

 

 身を屈めてコナンに尋ねる佐藤刑事。コナンは眼鏡を光らせ、ニヤリと口端を歪めた。

 

 

「……佐藤刑事、ボクらが探してる杉本さんが10億円強奪事件の実行犯なんじゃないかって睨んでるんでしょ?」

 

 

 

◆◇◆◇◆◇◆◇

 

 

 

 暁達が杉本の家を訪れた次の日の日曜。

 杯戸町にある、寂れた小さな公園である人物を待つ二人の男女がいた。一人は毛利探偵事務所を訪れた手木来蔵という男。そして、もう一人は広田雅美だ。

 

 彼らは10億円強奪事件の共犯者で、10億円を持ち逃げした実行犯である杉本裕樹の行方を追っていた。

 

「もうじき約束の時間やぞ。アイツ、ホンマに来るんやろうな?」

「きっと来るわ。大人しく待ちましょう」

 

 そう、今日はその杉本裕樹と落ち合う日なのである。

 

 数日前、千早の占いを聞いた雅美。結局他に当てもなかったので、駄目元で占いを参考に杉本の行方を探ってみたのだ。その結果、なんと杯戸町のとあるクラブで杉本を発見したのである。"若者が大勢入れ混じった場所"、まさに占い通りであった。

 

『ア、アンタはッ……!』

『待って、話を聞いて!』

 

 杉本は雅美を見て慌てて逃げようとしたが、雅美は彼を引き止めて落ち着かせた。そして、しばらく杉本と話し合って、今日ここの公園で10億円を隠した場所の鍵を持ってくると約束させたのだ。

 その話を二日前、毛利探偵事務所を出てから聞かされた手木は、そのまま逃がしたのかと雅美を怒鳴ったが、既に過ぎたことだ。仕方なく、彼もこうして杉本が来るのを待っている。

 

 

 しかし、約束の時間になっても杉本が来る様子はない。

 

 

「…………おい、けえへんやないか」

 

 手木は苛立たしげにそう呟く。それでも雅美は焦った様子もなく腕時計で時間を確認している。すると、彼女は公園のベンチの下に何か置いてあることに気づいた。

 

「ねえ、何かしらアレ」

 

 言いながら、雅美はベンチの下にある物を屈んで拾い上げる。土に汚れたそれは、どこにでもあるような茶封筒であった。中を確認して見ると、とある屋外トランクルームの場所が書かれたメモと、鍵が入っていた。恐らく、メモに書かれたトランクルームに10億円が隠されているのだろう。

 

「あの野郎……鍵だけ渡してトンズラこきやがったのか!? だから言うたやないか、このアマ!」

 

 手木が雅美に拳を振るおうとしたが、咄嗟に離れた彼女は片手を前に出してそれを制する。

 

「ちょっと待って! ひとまず、これでお金の方は取り戻せたわ。彼の後始末は置いておいて、まずは10億円を確認しに行きましょうよ!」

 

 雅美の言葉を聞いた手木は、チッと大きく舌打ちをすると、渋々といった様子で拳を下ろした。

 それを見た雅美は、茶封筒を持った手でほっと胸を撫で下ろす。そして、彼から見えない角度で薄く口元を緩ませた。

 

 

 

◆◇◆◇◆◇◆◇

 

 

 

 一方、米花町の毛利探偵事務所。

 小五郎は蘭に言われて、嫌々ながらも引き続き杉本の捜索を続けていた。

 

「なあ……もういいじゃねえか、蘭」

「駄目よお父さん。もしかしたら、その杉本って人が10億円強奪事件の犯人かもしれないんでしょう? ちょうど他に仕事の依頼もないんだから」

 

 小五郎は頬杖を突きながら溜息を吐いた。ちなみに、話に出た小僧――コナンはソファに座ったまま何やら気難しげな顔で眼鏡を弄っている。

 

「……つっても、俺は小僧が拾った髪の毛が一致するとは思えねえけどなぁ。杉本の髪の毛だって決まったわけでもねえし」

「そうかもしれないけど、せっかくコナン君が――」

 

 蘭が小五郎の愚痴に付き合っていると、彼の仕事机に置かれている電話が鳴り響いた。気怠げな様子の小五郎がゆっくりとした動作で受話器を掴み取る。

 

「はい、毛利探偵事務所ぉ~」

『あ、毛利さん。警視庁の佐藤です。例の髪の毛のDNAと、遺留品のハンチング帽から採取した髪の毛のDNAが一致しました!』

「い、一致したぁ!?」

 

 小五郎は先ほどまでの気怠げな様子が嘘のように大声を上げ、弾けるようにして机から立ち上がった。ビクリと肩を揺らす蘭。

 

『はい。それでなんですが、杉本裕樹の捜索を依頼してきた手木来蔵という男の連絡先はご存知でしょうか?』

「い、いや、あの男は話の途中でやってきた女性と一緒に帰っちまって、連絡先は……」

『そうですか……分かりました。我々は今から髪の毛の持ち主と思われる杉本裕樹の捜索を開始します。また何かありましたら連絡しますので』

「あ、お、俺も捜査に――くそっ! 切れちまった……」

 

 小五郎は詳しい情報を聞こうとしたが、佐藤刑事の耳には入らず電話は切れてしまった。恐らく、一課総出で杉本の捜索を開始し始めてドタバタしているのだろう。

 これでは自分はどうすることもできない。再び溜息を吐いた小五郎は、乱暴に受話器を置いた。

 

「……あ、あれ?」

「ああ? どうした、蘭」

 

 小五郎が受話器を置いてから、蘭は誰かを探すように事務所中をキョロキョロ見回している。

 

「さっきまでそこにいたのに……コナン君、どこか行っちゃった」

 

 

 

◆◇◆◇◆◇◆◇

 

 

 

 探偵事務所を飛び出したコナンは、ターボエンジン付きのスケボーに乗って歩道を疾走していた。時速80kmを超えるスピードが出せるこのスケボーは、例によって阿笠博士の発明品だ。

 

「奴の居場所は……杯戸町か」

 

 彼が仕掛け損なってどこかに紛失したと思っていた発信機だが、今朝方眼鏡の追跡機能で確かめてみると反応が動いていることが確認できたのだ。

 

(恐らく、俺が蹴り飛ばされた時に、偶然あの手木来蔵の身体のどこかに発信機が付いたんだ)

 

 数日経っても外れていないところからして、いつも愛用している装飾品などに付いている可能性が高い。杉本の捜査は警察に任せて、発信機の反応を頼りに煙をたなびかせながらスケボーを走らせるコナン。

 

 しばらくして、コナンは米花町の隣町である目的地の杯戸町に辿り着く。

 

(ん……あれは?)

 

 杯戸町にあるショッピングモールの前を通りがかると、屋外広場の方に見覚えのある子供達がいるのが目に入った。少年探偵団の連中だ。気になったコナンは、スケボーから降りて彼らの元へ駆け寄る。

 

「お、コナン!」

「お前ら、こんなところで何してんだよ?」

「10億円強奪事件の犯人の杉本って人を捜してるんだよ!」

 

 歩美の言葉に、コナンは思わず目を見開いた。杉本が強奪事件の容疑者であることはまだ世間に出てはいないはずだ。

 

「何で杉本のことを知ってるんだ!?」

「さっき、この辺りで高木刑事に会ったんですよ。何してるんですかって聞いたら、強奪事件の実行犯がこの辺りに潜伏しているって……」

 

 高木刑事か……コナンは心の中で呆れるしかなかった。コナンとしても情報を漏らしやすい彼のことをよく利用しているので、責められる立場ではないが。高木刑事からは危ないから家に帰るよう言われたらしいが、この三人がそんな話を聞くはずもない。

 コナンは溜息を吐いて追跡メガネの電源をオフにし、何とか家へ帰るよう彼らを説得し始めた。

 

 

 

 

 

 

 少し時は戻って、杯戸町のとある歩道橋の上。

 そこに、歩道橋の柵に両腕をかけて何やら悩んでいる様子の男がいた。

 

 一人ぶつぶつと思い悩む彼を挟むようにして、スーツを着た男女が現れる。高木刑事と佐藤刑事だ。

 

「杉本裕樹だな?」

 

 男――杉本はビクリと肩を揺らして振り返った。声を掛けた高木刑事のスーツの襟に付いている赤バッジを見て、彼らが捜査一課の人間であることに気づく。

 

「警視庁の者です。ちょっと、署までご同行願えますか?」

 

 後ろから、佐藤刑事がそう伝える。彼女の方を振り返った杉本は、挟み撃ちにされているということに俯いて身体を震わせている。そんな彼に近づこうと、高木刑事がゆっくりと足を動かす。

 

 

「や、やっぱり……嫌だぁ!!」

 

 

 杉本は唐突にそう叫ぶと、懐からナイフを取り出した。

 

「うわっ!」「っ!?」

 

 その場でナイフを我武者羅に振り回して、高木刑事達を遠ざける杉本。その隙を突き、杉本は歩道橋から飛び降りて、下を通りがかったトラックの荷台の上に映画さながらのような形で着地した。トラックの運転手は音楽を聴いたまま運転しているのか、杉本が荷台に飛び移ったことに気づいていないようだ。

 

「し、しまった!」

「追うわよ! 高木君!」

 

 慌てて歩道橋を駆け下りる高木刑事と佐藤刑事。目暮警部を含む周囲に潜んでいた刑事達も、急いでトラックの跡を追い始める。

 

「…………」

 

 その中にいた新島警部は彼らに続かず、ある場所へと向かった。

 

 

 

「はあっ……はあっ……」

 

 走行するトラックの荷台の上に張り付くようにして座り込んでいる杉本。緊張と興奮でその息は荒い。元々運動神経が良い方ではなかったため、無我夢中で目に入ったトラックに無事飛び移れたのは奇跡と言っても良かった。

 周りの通行人が荷台の上に乗っている自分を見て驚いている。適当な場所で降りて別の場所に隠れなければと考えながら、杉本は額を伝う汗を拭った。

 

「…………ん?」

 

 そこへ、猛スピードでトラックの方へ迫ってくる一台のバイクが目に入る。

 

 

 

 アイスシルバーにカラーリングされたバンディット1250F。乗っているのは――新島警部だ。

 

 

 

「そこのトラック! 止まりなさいッ!!」

 

 新島警部はトラックに向けて叫ぶが、運転手は気づかない。小さく舌打ちをする新島警部。そんな彼女と杉本の乗っているトラックの前方に、先ほどとは別の歩道橋が迫っているのが見える。それを確認した新島警部は、ニヤリと口端を歪めた。

 

「……少々手荒になるけど、仕方ないわね」

 

 新島警部はさらにスピードを上げてトラックを追い越し、車道と歩道の段差を利用してバイクをジャンプさせる。目の前の歩道橋の階段の手すりに見事着地すると、なんとそのままアクセルを回して階段の手すりを登り始めた。

 

「な、何考えてんだあの女!」

 

 そして、スピードを維持したまま登った先の歩道橋の上からバイクごと飛び降りると、丁度歩道橋を通り過ぎたトラックの荷台の上――杉本の目の前に降り立った。衝撃で荷台が大きく凹み、ガゴンと大きな音が響く。

 

「ひ、ひいいいぃぃーーッ!!?」

 

 バイクに乗ったまま赤い目で杉本を見下ろす新島警部。杉本は恐怖のあまり、尻餅を突いて悲鳴を上げた。近くの歩道を歩いていた通行人達も、映画でしか見たことのないようなアクションに目を奪われている。

 件の運転手もさすがに気づいたのか、トラックは耳障りなブレーキ音を立てながら急停車した。

 

「じょ、冗談じゃねえ!」

 

 杉本は大慌てで荷台から飛び降り、通行人を乱暴に押し退けて目の前のショッピングモールの屋外広場へと逃げていく。

 

「待ちなさい!」

 

 新島警部も荷台からバイクごと飛び降りる。通行人が沢山いる中をバイクで走るわけにもいかないので、降車して杉本の後を追った。

 

 

「――だから、危ないからお前らは家に帰ってろって」

「そんなこと言って、また抜け駆けするつもりだろ!?」

 

 その頃、屋外広場では少年探偵団と彼らを説得しているコナンがいた。

 そして運悪くも、そんな彼らがいる場所に新島警部から逃げる杉本が走り込んでくる。

 

「どけええぇーーッ!!」

「「うわぁ!?」」

 

 その中でただ一人の少女――歩美に目を付けた杉本。彼によって突き飛ばされたコナンや光彦達は、勢いよく地面に叩きつけられる。

 

 

「きゃああぁぁーー!!」

 

 

 杉本は歩美を抱きかかえると、その細い首にナイフを突きつける。

 歩美は、人質にされてしまったのだ。

 

「歩美ちゃん!」「歩美!」

 

 痛む身体を抑え、尻餅を突きながら光彦と元太が叫ぶ。コナンは思わず舌打ちをして杉本を睨んだ。

 そこへ、杉本を追ってきた新島警部が現れる。遅れて、目暮警部達も追いついてきた。その後ろには大勢の野次馬が並んでいる。

 

「杉本! その女の子を離しなさい!」

「う、うるさい! それ以上近づくんじゃねえ!!」

 

 新島警部が説得を試みようとするが、杉本は聞く耳を持たない。唾を撒き散らす勢いで叫んで警察を牽制した。

 

(ちくしょう……どうする! どうすりゃあいいんだ!)

 

 予想外の展開に、コナンは眉間に皺を寄せる。打開策を求めて、思考を廻らせるのであった。

 

 

 




10億円強奪事件の内容は、現実で起こった3億円事件そのままです。金田一少年の事件簿の『蝋人形城殺人事件』でも3億円事件まんまの話がありましたね。

それはさておき、その10億円なのですが、原作ではホテルのフロントに預けられていて、アニメではある事情のため内容が変化してコインロッカーに隠されていました。

本作品も内容が改変されているため、トランクルームに隠したということにしています。
当初はアニメ同様コインロッカーに隠したということにしようかと考えていましたが、10億円ってコインロッカーに入り切らないだろうし、小分けにして入れるにしてもそれはそれで大変だろうと思ったので。










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FILE.16 10億円強奪事件 三

前・中・後編と分ける予定でしたが、後編が長くなりすぎたので四話に分けることにしました。


 一方その頃、午前中のポアロでの仕事を終えた暁。彼はモルガナとラヴェンツァを連れて、小五郎や捜査一課と同じく杉本の行方を捜していた。そんな彼らは今しがた、東都環状線に乗って杯戸駅に到着したところだ。

 

 何の情報もない暁達がここまで辿り着けたのは、ひとえにモルガナの嗅覚のおかげである。メメントスでも、ナビ担当の双葉が怪盗団の仲間に入るまでは、彼の鼻を頼りに標的(ターゲット)の居場所を探っていた。こちらでも、名前に加えて顔まで知っている今の状況であれば、十分に反応を探ることができるのだ。と言っても、ここ杯戸町のどこかにいるということまでしか分かっていないが。

 

 ちなみに、ラヴェンツァは以前と同じく梓がコーディネートした花紺色のレトロワンピースを着ている。初対面の時は戦々恐々としていた梓であったが、なんだかんだで世話を焼いてくれている。妹が出来たような気分になっているのだろう。暁としても、ファッションセンスに自信がないというわけではないが、いかんせん女の子の服となると話が変わってくるので大助かりである。

 

「先ほどから私の方をじろじろと見ているようですが、どうしたのですか?」

 

 ラヴェンツァが何気なしに彼女を見ていた暁に問い掛けてきた。その手にはいつも通り本が抱えられている。本のタイトルは『中華スイーツナビ』。神秘的なオーラを纏う少女が持つには何とも似つかわしくない本だ。彼女の頭には未だに食道楽への欲求が渦巻いているのだろうか。

 

 暁は似合っている、と素直に微笑んで答えた。数日前に小五郎達がポアロへ来店してからというもの、彼女は少し不機嫌気味であった。ここらでご機嫌を取っておいた方がいいだろう。それに、似合っていると思っているのは事実である。

 

「……そ、そうですか?」

 

 暁の褒め言葉を聞いたラヴェンツァはその琥珀色の目を丸くし、白い頬をほんのりと桃色に染めて気恥ずかしげに顔を背けた。

 

「私は今まで主が用意した服しか着たことがなかったので、あまりよくは分からないのですが……貴方が気に入ってくれたなら良かったです」

 

 あの服はイゴールが用意していたのか。夜なべして彼女の服を仕立てているイゴールの姿を想像して、暁は何ともいえない気持ちになった。

 

『――えー、とっ突然ですが、臨時ニュースです』

 

 そんな暁の頭上、CMを流していた街頭ビジョンに臨時ニュースが映る。上を見上げた暁と同様、周りの人々も足を止めて大型のディスプレイに映るアナウンサーに注目し始め、駅前のガヤガヤとした雑踏の音が嘘のように掻き消える。

 

『杯戸ショッピングモールに警察から逃走中の男が現れ、居合わせた女子児童を人質に取ったとのことです。男はナイフを持っており――』

 

 アナウンサーの言葉が続く中、画面に大きな観覧車がトレードマークの杯戸ショッピングモールが映る。数秒してカメラが変わり、そのショッピングモールの屋外広場で少女が男に抱きかかえられている様子が目に入る。その首には、ナイフが突きつけていた。

 

「おい、アキラ! あの男って……」

 

 モルガナの言葉に、暁も頷く。少女を人質に取っているのは、10億円強奪事件の容疑者――杉本裕樹だ。

 

『あっ、たった今情報が入ってきました! 男は、数週間前に起きた10億円強奪事件の容疑者であると――』

 

 マスコミも耳聡くその情報を掴んだようだ。それが伝えられたことによって、それまで静かだった周りの人々がざわつき始める。

 

「行ってみましょう。マイトリックスター」

 

 ラヴェンツァが暁の服の袖を引っ張って促す。暁はスマホでショッピングモールの場所を調べると、彼女とモルガナを連れて全速力で駆け出し始めた。

 

 

 

◆◇◆◇◆◇◆◇

 

 

 

「おい、銃を持ってる奴らは地面に置け! 置いたら俺の方に投げて寄越すんだ!」

 

 少女――吉田歩美を人質にして警察と対峙している杉本。鼻息は荒く、歩美の首に突きつけているナイフは小刻みに震えている。目も焦点が合っていない。

 精神的に切羽詰った状態の彼が人質の命を保証するとも思えない。何を切欠に得物のナイフで人質を傷つけるか分からない中、警察側もうかつに手は出せない状況だ。

 

「わ、分かった! 新島君、言う通りにするんだ!」

 

 人質がいる手前、持っていた銃を下に向けていた新島警部は、先輩に当たる目暮警部の言葉を聞いて悔しげに歯軋りをする。そして、ゆっくりと銃を地面に置き、杉本の方へ転がすようにして放る。周りにいる佐藤刑事や高木刑事を含む警官達も、彼女に続く形で銃を杉本の方へ転がした。

 屋外広場の地面の大半はレンガが敷き詰められている。ワックスのかけられた床というわけではないので、投げ寄越された銃が杉本の元まで届くことはなかったが、それでも本来の持ち主である警官達がすぐに回収できることはできなくなった。

 

 杉本は一番近くまで転がってきた銃まで近づき、ナイフを持った手で歩美を抱え直すと、空いた手で素早くその銃を拾い上げた。ナイフからその銃に持ち替えるかと思いきや、彼はそのまま銃をズボンに突っ込んだ。警察と同様に杉本と対峙していたコナンがその様子を見て、首を傾げる。

 

(どうしてせっかく手に入れた銃を使わないんだ……?)

 

 他に用途があるとでもいうのだろうか。いや、今はそれどころではない。歩美を助けることが先決だ。コナンはつい推理をし始めそうになる自分の頭を振って、余計な思考を追い払った。そこで、自分が身に着けている腕時計の存在を思い出す。

 

(そうだ! この腕時計型麻酔銃で、杉本を眠らせれば……)

 

 博士が開発したこの腕時計に仕込まれた麻酔針が命中すれば、象でも30分は眠り続ける。とんでもない性能だが、博士曰く人体に悪影響はないらしい。小五郎を眠らせて代わりに事件を解決しているコナンは、いつもこの道具を使っている。

 コナンは早速、リューズ型のボタンを押して腕時計の蓋を開き、眼前に杉本に照準を合わせた。蓋は開くことでスコープとなるのだ。そして、狙いを定めたところで再びボタンを押して麻酔針を発射しようとした。しかし――

 

「あ、あれ?」

 

 何度ボタンを押しても麻酔針が発射されることはなかった。一体どういうことだろうか? よく調べてみると、腕時計のフレームが少しばかり欠けているのを見つけた。

 

(――そうか! さっき杉本に押し倒された時、ぶつけて壊れちまったんだ!)

 

 博士の開発した道具は驚くほど高性能だが、耐久性に難がある。

 これで、もはや成すすべがなくなってしまった。他に何かないかと辺りを見回すが、あるのは自動販売機と空き缶用のゴミ箱ぐらいだ。そのゴミ箱には許容量を超える空き缶が入れられており、一つだけ地面に零れ落ちているのが見える。

 それにチラチラと目をやりつつ、コナンは真剣な表情で杉本の一挙一動を注意深く見据え始めた。

 

 

 

 

 

 

 そんな状況を、マスコミを含む野次馬に混じって遠くから眺めている者が二人。

 ――手木来蔵と広田雅美だ。

 

「おいおい。アイツ、サツに追い詰められてるやないか」

 

 手木は杉本の様子を見て、楽しげに喉を鳴らす。傍らにいる雅美はひどく動揺しており、「どうして……」と小さく呟いている。

 

「ヘッ。まあ、アイツは組織についてはろくな情報も知らない。俺や奴らのコードネームすらもな。サツにワッパを掛けられようが、問題ないやろ」

 

 どこまで抵抗できるか拝ませてもらうかと、手木は完全に観客気分で笑みを浮かべている。彼の清潔感のない黄色い歯が剥き出しになるのが見え、雅美は嫌悪感を露わにする。そして、杉本と人質にされている少女に視線を戻して、口紅の塗られた唇を噛んだ。

 その顔はまるで、何もできない自分への怒りや自責の念に駆られているかのように歪んでいるのであった。

 

 

 

 

 

 

 数分して、ショッピングモールに辿り着いた暁達。ある程度駅に近かったことが幸いした。

 

 花壇の上に登り、人混みの上から騒ぎの渦中となっている場所を覗く暁。その目に警官達と数名の子供の背中が見える。コナンの姿があることにも驚きつつ、その向こうにいるナイフを突きつけられ恐怖で涙を流している少女とその子を抱える杉本の姿を確認する。花壇を降りた暁は、どうするべきかとモルガナ達と相談し始めた。

 

「あの杉本という男は、十中八九精神暴走の影響を受けています。何時思考が狂い始めて少女に危害を加えるかも分かりません。今までのように彼のシャドウを引き摺り出して、倒すのが一番確実でしょう」

「だが、ラヴェンツァ殿。大勢の人間がいる状況だぞ。そんな中でペルソナを出して戦うのは……」

 

 モルガナはそう言うが、やむを得ない。少女の命には代えられないのだから。

 暁はアルカナの力を行使し、認知を操作する。一瞬の立ち眩みと共に、認知世界との境界が歪む。

 

 しかし、杉本からシャドウが現れる気配はない。

 

「なっ! どうしてだ!? アキラがアルカナの力を使ったのに……」

「当然です。シャドウは追い詰められた状況でなくては姿を現わさないのですから。彼は警察に囲まれてはいますが、人質という存在がある以上むしろ立場は有利。完全に追い詰められたわけではありません」

 

 ラヴェンツァが焦った様子もないまま、そう説明する。

 ヨーコの時のように相手が心中を図ろうとしていれば話は別なのだろうだが、このままではシャドウを出現させることができない。

 

「どうしたら……ん? 待て。なぜだが分からないが、我輩の鼻はここじゃない別の場所(・・・・・・・・・・)からシャドウのニオイを感知しているぞ」

 

 急にくんくんと鼻を鳴らし始めるモルガナ。別の場所から匂うとは、どういうことなのか?

 

「恐らくですが、彼――杉本の現実でのオタカラに値する物が別の場所にあるのだと思います。そして、彼のシャドウもそのオタカラがある場所に潜んでいるのでしょう。シャドウはペルソナと違って、宿主と同じ場所にいるとは限りません」

 

 ラヴェンツァの推測に、なるほどと暁は頷く。ヨーコの写真に、校長の地位……今までの相手は現実でのオタカラに相当する物をその本人が持ち合わせていた。今回の杉本はそれとは別のケースということになる。

 モルガナの鼻で大体の場所は分かるようだが、肝心のシャドウを出現させる方法がまだだ。

 

 以前モルガナも言っていたが、アルカナの力によって認知世界との境界が歪められたこの空間は完全というわけではない。よって、例えオタカラがパレスを生み出すほど歪んだモノであったとしても、メメントスに出現するシャドウが所持しているオタカラのように、全て"芽"のような形で出現するのだ。パレスのシャドウはオタカラを奪いさえすれば改心できるが、この場合シャドウを倒さなければオタカラは頂戴できないし、改心させることもできないのである。

 

 予告状があればシャドウを出現させることができるかもしれないが、それを作っている暇はない。暁は冷静さを保ちつつも、徐々に膨れ上がる浮き足立った焦りを感じて眉間に皺を寄せる。

 

「マイトリックスター。貴方のスマホを貸してもらえますか?」

 

 そんな暁を気にせず、突然そんなことを言い出したラヴェンツァ。

 スマホを借りてどうしようというのだろうか? そう思いつつも、暁はポケットからスマホを取り出してラヴェンツァに手渡した。彼女は手渡されたスマホを嬉しげに一撫でする。

 

「……シャドウを引き摺り出す件については、こちらで何とかします。貴方達は先ずシャドウが潜んでいるであろう場所に向かってください」

 

 詳しい話をしている時間はない、とラヴェンツァは目で訴えている。何をしようとしているのかは分からないが、とにかく今は彼女を信じるしかない。

 

「何だか分からないが……任せたぞ、ラヴェンツァ殿。こっちだ、アキラ!」

 

 暁は頷き、先行するモルガナの跡を追って再び走り出した。

 

 それを見届けたラヴェンツァは、暁のスマホを持って野次馬の間を潜っていく。

 あまりの密度に多少時間がかかってしまったが、なんとか杉本を取り囲む警官の背後にまで辿り着いた。その警官達の傍には、人質にされている少女の友達なのであろうコナン達もいるのが見える。

 

「――杉本裕樹!」

 

 ラヴェンツァが前へと歩み出ながら杉本に声をかける。その声を聞いて、杉本と対峙していた者達が一斉に彼女の方へと振り向いた。コナンはラヴェンツァの姿を見て、驚きに目を見開いた。

 

(――あれは……来栖暁の親戚の子か? どうしてこんなところに?)

 

 周りの注目も意に介さずに足を進めるラヴェンツァを止めようと、高木刑事が慌てた様子で駆け寄る。

 

「コ、コラッ! キミ、危ないから下がって!」

 

 だが、そんな高木刑事をラヴェンツァは左手で押し退け、もう片方の右手で暁のスマホを杉本へ見せるように突き出して掲げる。その画面には、あるサイトが表示されていた。

 

 

 

 ――液晶を赤く染め上げるそのサイトの名は、怪盗お願いチャンネル。

 

 

 

「今すぐに人質を解放しなさい。貴方のことは怪チャンに書き込まれています。人質を解放しなければ、怪盗団に改心されてしまいますよ?」

 

 ラヴェンツァはスマホを掲げたまま、どこか楽しんでいるような顔付きでそう告げた。彼女の言葉を聞いて、周りの野次馬達が一斉にスマホを取り出して怪チャンを開く。

 確かに、怪チャンには10億円強奪事件の犯人である杉本裕樹を改心させろという書き込みがいくつも書き込まれていた。恐らく、ニュースを見た者が書き込んだのだろう。

 

「本当だ……」

「……そ、そうだ。お前なんか怪盗団が来たらおしまいだぞ! 改心されたくなかったら、女の子を解放しろ!」

「そうだそうだ! 女の子を放せ!」

「怪盗団! こんな奴さっさと改心させちまえー!」

 

 

 ――怪盗団! 怪盗団! 怪盗団!

 

 

 怪チャンを見た野次馬達が、虎の威を借る狐のように次々に声を上げ始めた。その声の集まりは集団心理の影響により怪盗団コールへと化していき、警官達は杉本に目を向けつつも扇ぎ立てる野次馬達への動揺を隠し切れないでいる。

 声の行き先である杉本は、怪盗団のことを知っているのか、小刻みに震えながらその顔を青褪めさせている。実在するかも分からない存在だが、こうも大勢から煽りを受けてしまえば、本当に自分が改心されてしまうのではという思考に陥っても無理はないだろう。

 

「……う、うるせぇッ!! もう一回怪盗団って言ってみろ! このガキをぶっ殺すぞぉ!!」

 

 杉本はそんなふざけたことがあるものかと、怒鳴り声を上げて野次馬の声を黙らせようとする。

 さすがに人質を殺すと聞いて怪盗団コールはピタリと止んでしまったが、杉本の顔から動揺の色が消えていないのは一目で分かる。

 

 ――それを確認したラヴェンツァは、ニヤリと口元を歪ませた。

 

 

 

◆◇◆◇◆◇◆◇

 

 

 

 同じ頃、シャドウが出現するであろう場所に辿り着いた暁達。

 

 そこは、大通りから外れた場所にある屋外トランクルームであった。モールでの事件もあってか、普段から人通りが少ないであろうその場所には人っ子一人見当たらない。好都合である。

 ひとまず、暁達は物陰に隠れて様子を見ることにした。

 

「恐らく、杉本のオタカラは例の強奪された10億円だろうな」

 

 傍らにいるモルガナの言葉に、暁は頷いて同意した。

 

 実行犯である彼は強奪した金をそのまま持ち逃げしたのだ。毛利探偵事務所を訪れた手木来蔵と広田雅美という人物は計画を企てた者で、彼は共犯者だったのであろう。そして、その10億円はこの倉庫のどれかに隠されている。

 

 頭の中でそう推測していると、暁達の視線の先――ある倉庫の前に、赤い波飛沫が吹き上がった。その中から杉本の物であろうシャドウの姿が現れる。シャドウは倉庫の扉に張り付いて何やらぶつぶつ呟いている。

 

「ラヴェンツァ殿がやってくれたんだ! ……ようし、やるぞ! ジョーカー!」

 

 暁はモルガナと頷き合うと、怪盗服へとチェンジする。物陰から風の如き勢いで飛び出し、標的のシャドウへと踊りかかった。

 

 

 ―― ア ル セ ー ヌ !

 

 

 

◆◇◆◇◆◇◆◇

 

 

 

 場面は戻って、騒ぎの渦中であるショッピングモール。

 怪盗団コールの鳴り止んだ屋外広場を見回す杉本。広場に舗装された道路に野次馬の一人が乗っていたであろう車が停車されているのを見つけた彼は抱えている歩美の首にナイフを食い込ませ、息も荒い状態で口を開いた。

 

「……おい、お前ら! 人質を解放して欲しかったら、あの車を俺に寄越せ! 持ち主にキーを持ってこさせろ!」

 

 どうやら、その車を使って逃走を図るつもりらしい。警察に用意させたものでは発信機などを仕掛けられる危険性があるので、一般人が使っている車を指定したのだ。

 

「す、すみません! あの車の持ち主の方はいらっしゃいますか!?」

 

 目暮警部が背後に群がる野次馬達に向けて声を掛けた。大勢の人間が自分の周りと顔を見合わせる中、一人の女性が手を挙げた。警部はパンクな服装をしたその女性の元へ近づき、頭を下げる。

 

「子供の命が掛かっています。どうか、ご協力いただけますか?」

 

 女性は悩む素振りも見せず無言のまま頷いて、目暮警部にキーを手渡した。警部は女性に再び頭を下げると、再び杉本に対峙する。そして、見せ付けるようにしてその手に持ったキーを掲げる。

 

「あの車のキーだ。子供と引き換えに手渡すというのはどうだ?」

 

 目暮警部はそう提案すると、対する杉本は悩む素振りを見せた。顔を伏せて、何やら呟いている。

 

「……だ、駄目だ。まだ、アレが残ってる…………キ、キーを寄越せ!」

「こ、子供を解放しないのであればこれを渡すわけには……」

「いいから寄越せってんだよ! ガキが死んでもいいのか!?」

 

 交渉に応じず、焦ったように声を荒げる杉本がさらに歩美の首筋にナイフを食い込ませた。首の皮が切れ、少しばかり出血しているのが見える。痛みのためか、歩美が声にならない悲鳴を上げて目を閉じる。

 

「わ、分かった! 分かったから、落ち着いてくれ!」

 

 慌てた目暮警部がキーを投げて寄越した。杉本は足元に落ちたキーをナイフを持った手で素早く拾う。それを見たコナンは、傍らにある空き缶のゴミ箱の方へ近づく。地面に落ちている空き缶に足を付けるが、その頃には杉本はキーを拾い終えていた。

 

「……ガ、ガキは後で解放する。お前ら、俺を追うんじゃねえぞ! 追ってきてるのが分かったらガキを殺す!」

 

 杉本は歩美を抱えたまま、後退りする形で停車されている車の方へと向かい始めた。

 

「あ、歩美!」

「コナン君! このままじゃ歩美ちゃんが連れて行かれちゃいますよ!」

 

 元太と光彦が叫ぶが、あの様子では下手なことはできない。

 

(分かってる!)

 

 コナンは頭の中でそう返事をした。後もう一回、決定的な隙を見せてくれれば……と、車の元へ辿り着いた杉本を睨みつける。このままでは本当に歩美を連れ去られてしまう。

 

 

 

 だが、後ろ手で車のドアノブに手を掛けようとしたところで、杉本の動きが止まった。

 

 

 

「え……?」

 

 そんな杉本を、顔を上げて訝しげに見る歩美。彼はまるで呆然としたような様子で、何で自分はこんなことをしているんだというような顔をしていた。

 

「……な、何で俺、こんなこと。アレのことは諦めたはずなのに……じょ、嬢ちゃん、すま――」

 

 

 

(――動きが止まった? 今だ!)

 

 それを隙と見たコナン。キック力増強シューズのダイヤルを回し、ツボを刺激することで筋力を高める。そして、足元の空き缶を思いっきり蹴り飛ばした。凹んだ空き缶が風圧を伴って杉本の方へと飛んでいく。

 

「え? ぐあっ!!?」

 

 空き缶は杉本の額に直撃した。彼は抱えていた歩美を放し、衝撃を受けた勢いで車の窓に後頭部を打ちつけてその場に跪く。歩美は急いでその場から離れ、駆け寄ってきた光彦達に迎えられた。

 

「歩美ちゃん!」「歩美!」

「元太君! 光彦君!」

 

 歩美の無事を喜ぶ二人。その様子を見てコナンも安堵の表情を浮かべ、野次馬達も歓声を上げる。

 

「いてて……」

 

 そんな最中、杉本は額を押さえつつ、呻きながらも車に体重を預けて立ち上がろうとしている。

 

(!? やっべ!)

 

 それに気づいたコナン。杉本を昏倒させるつもりで空き缶を蹴ったのだが、どうにも蹴りが浅かったようだ。

 

「っ、鉄拳制裁!」

 

 彼は今拳銃を所持している。人質を取られたことに逆上して乱射してしまう可能性を危惧した新島警部が、杉本目掛けて肉薄し拳を振り上げた。

 

「あ、お姉さん! 待って!」

「――ええ!?」

 

 何を思ったのか人質にされていた張本人である歩美が待ったをかけた。新島警部は驚いて顔を振り向けるが、もう遅い。

 

「ぐええぇーーッ!?」

 

 彼女の拳はものの見事に杉本の横っ面へと炸裂し、彼はもんどり打った先でドシャリと仰向けに倒れてしまった。目暮警部を含む周りにいた警官達が、一斉に集まって倒れている杉本を包囲する。

 

 

 

 

 コナン達は、歩美を連れて予め呼ばれていた救護班の元へと移動した。

 

「歩美ちゃん。どうして止めようとしたんですか?」

「アイツ、お前にひどいことした奴なんだぞ!」

 

 警察が杉本を現行犯逮捕しているのを遠巻きに見ながら、光彦は首を傾げて歩美に問い掛けた。現太も憤慨した様子で両の拳を握り締めている。

 

「歩美ちゃん、どうしてなんだ?」

 

 コナンとしても、気に掛かっていたことだ。歩美は救護班から首の手当てを受けつつ、口を開く。

 

「だって、あの人もう改心されちゃってるもん。怪盗団に」

「「えええっ!!?」」「な、何だって!?」

 

 

 

 

 

 

 杉本が逮捕される様子を、野次馬に紛れて遠くから見ている手木来蔵と広田雅美。

 

「……何や、あっけない。もうちょい粘ってくれたら面白くなりそうやったのにな。まあ、ええわ。行くぞ」

 

 手木は興味を失くしたかのように野次馬の群れから離れ、10億円が隠されているであろうトランクルームへと向かい始めた。雅美はしばし逮捕された杉本を心配そうに見ていたが、遅れて手木の後に続いた。

 

 

 




前回のコナンの推理披露について、色々と感想を頂きました。
私自身先走ってるなという印象があり……良し悪しに関わらず書かないで見送った方が良かったかなと思ってたりします。

ただ、現状コナンはどう足掻いても状況証拠しか得られないんですよ。ペルソナによる怪盗団の改心行為に居合わせたとして、それを説明できるかといえばジョーカー側から解説を受けない限り無理なので(コナン世界で元の世界と同じように認知訶学の研究が進んでいたとしても)。

ペルソナ5本編では、それを解説できる人物が警察側にいたから現行犯逮捕することができましたが、コナン側にはそういう人物が現状いないわけです(設定を作っていないせいですが)。なので、コナンがいつまでも決定的な証拠を求めて先走らないでいると、ジョーカーに対して自分はお前が怪盗だと疑っていますと推理を披露する機会を一向に書けないわけでして……

まあ、これは単に私の力量不足なところがあるので、そういった箇所は生暖かい目で見ていただけばと思います。









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FILE.17 10億円強奪事件 四

 屋外トランクルームでは、ジョーカーが杉本のシャドウを倒し、オタカラを頂戴し終えたところであった。

 

「お、おい……何だそれ?」

 

 だが、そのオタカラは、金は金でも錆付いた10円玉であった。しかもそれは、ジョーカーが少し力を加えると砕け散ってしまったのだ。

 

「どういうことだ? オタカラにしては、あまりに不相応だぞ」

 

 現実において、10億という大金が彼の歪みの元であるはずなのに、シャドウから得られたオタカラがまるで金に興味などなかったかのような朽ちた硬貨であるということに、首を傾げるしかないジョーカーとモナ。まあ、今この場で大金が手に入ってもそれはそれで困るので都合が良くはあるが。

 

 元の世界でも、金を歪みとしたマフィアのボスである金城潤矢を改心させた経験があるが、彼のオタカラは金塊であった。だが、現実世界に持ち帰ってみると、それは高価なジュラルミンケースに入った子供銀行――いわゆるオモチャのお札に姿を変えていたのだ。

 彼は外見などの理由で蔑まれてきた過去があり、そんな事実をどうにでもすることができる大金を手にしたことで歪んでしまった。お札がオモチャと化した理由は、彼にとって金は歪みの元であれど自尊心を満たすための道具……見栄でしかなかったからである。

 

 今回もそれと似たケースなのだろうかとジョーカーが考えていると、二頭身姿のモナが何かを聞きつけたのかビクリと耳を動かした。

 

「まずい、誰か近づいてくるぞ。隠れよう!」

 

 慌てて、隠れることができる場所を探すジョーカー。そして、目にも留まらぬ早さで他の倉庫の陰に滑り込む。ペルソナによる身体能力の向上効果によって、彼らは常人とはかけ離れた身のこなしで動き回ることができるのだ。

 

 二人が隠れたと同時に、黒尽くめの格好をした男性と眼鏡を掛けた長髪の女性が現れる。ジョーカーは彼らを見て、小五郎から聞いた杉本の捜索依頼をしにきたという人物達と風貌が似ていることに気づく。恐らく、彼らが杉本の共犯者なのであろう。男の方が手木来蔵で、女が広田雅美だ。

 

「これか。おい、鍵を寄越せ」

 

 例の倉庫の前に手木が立ち、そう雅美に向けて命令する。

 

「…………」

 

 しかし、雅美はそれに応じようとしない。何時までたっても鍵を渡そうとしない雅美。手木は苛立たしげに倉庫へ向けていた目を彼女の方へと向けた。

 

「……おい、何しとるんや。さっさと――」

 

 手木の言葉が止まる。

 

 

 ――彼の眼前には、拳銃の銃口が向けられていたのだ。

 

 

「鍵は渡すわ。でも、それは私の妹をここに連れてきてからよ」

 

 雅美は手木に拳銃を突きつけたまま、告げる。手木は目の前に自分を殺す凶器があるにも関わらず、全く焦った様子がない。

 

「コードネームを持ってる貴方なら、妹の居場所くらい知ってるはず。そうでしょう、テキーラ?」

「……ああ、知っとるぜ。元々、お前は10億円と引き換えに、その妹と組織を抜け出す約束やったんやからな。全く、監視役ゆうてもコードネーム持ちの俺がこないなつまらん仕事を――」

「御託はいいわ。早く妹を連れてきてちょうだい。急がないと、杉本の供述からこの場所が突き止められて10億円は警察に取り返されてしまうわよ。そうなれば、貴方も任務に失敗して組織から消されることになる」

 

 まるでこの状況を楽しんでいるとでも言いだけな口調でペチャクチャと喋る手木――改めテキーラの口を、雅美は向けた銃を押し出すようにして止めにかかる。

 だが、テキーラはそんな雅美を嘲笑うかのようにくつくつと笑い始めた。

 

「何がおかし――ッ!?」

 

 憤慨する雅美の耳に、後ろから近づいてくる足音が聞こえてくる。振り返ると、そこにはテキーラと同じような黒尽くめの格好をしたサングラスの男が立っていた。

 

「おう、遅いやないか。ウォッカ」

「ふん……ご苦労だったな。テキーラ」

 

 テキーラからウォッカと呼ばれたその男も銃を構えており、雅美が驚いている間にテキーラもまた懐から銃を取り出して構えた。挟み撃ちされる形となってしまった雅美。

 

「さあ、銃を捨てて鍵を渡してもらおうやないか。明美さんよ」

 

 テキーラに命令されて、雅美は悔しげに唇を噛み締めている。それでも、彼女は手に持った銃を捨てようとはしなかった。

 

 

 

「おい、ジョーカー。このままじゃ彼女が殺されちまうぞ!」

 

 モナが身を隠しながら、小声ながらも焦った口調で言う。

 広田雅美は彼らの言う組織とやらの捨て駒か何かとして利用されているようだ。妹という複雑な事情がある彼女を放っておくことはできないし、何より目の前で行われようとしている殺人を見てみぬフリなどできない。

 

 頷き、懐から発煙物を取り出すジョーカー。実は、東京へ赴く際に彼はお守り代わりとして幾つかの潜入道具を実家から持ち出していた。だが、こちらの世界に来てからいつの間にか鞄の中に入れていたそれらが消えていたので、この潜入道具はこちらで調達した素材を使って製作したのだ。

 取り出した発煙物を、ジョーカーは物陰から放り投げるようにして彼らの頭上に投げ入れた。彼らの足元に転がった発煙物から濃い煙幕が絶え間なく噴き出し、周囲を包み込み始める。

 

「ッ! 何だこれは!?」

 

 突然発生した煙に驚き、口元を抑えて撹乱するテキーラとウォッカ。その隙を突く形で物陰から飛び出すジョーカー。サードアイを使って雅美がいる位置を確認し、彼女の手を取ってその場から逃げ出した。

 

「――っ!? ちょ、ちょっと!」

 

 雅美は何か言おうとしているが、聞いている余裕はない。煙の中から脱したジョーカーは、予め先にトランクルームの敷地内から出て車に変身しておいたモナ――題してモルガナカーに乗り込む。大衆の「猫は乗り物に化けるもの」という認知により、猫の姿をしている彼は認知空間内であればこうして車に変身できるのだ。

 乗り込んだジョーカーは、そのまま急スピードでモルガナカーを発進させる。

 

「おい、ジョーカー! どこへ逃げるんだ!?」

「え、何!? 今誰が喋ったの!?」

 

 驚いている雅美を余所に、ジョーカーはハンドルを握って当てもなくモルガナカーを走らせる。ジョーカー自身、杯戸町の地理には詳しくない。そういう時の頼みの綱であるスマホも、今はラヴェンツァに貸していて手元にない状態だ。モナにカーナビが付いていれば良かったのに、と心の中で不満を述べるジョーカー。

 

 とにかく、今はあの黒尽くめの者達の手が届かないところに逃げるのが先決だ。ジョーカーはスピードを上げて、杯戸町から離れる道を進んでいく。

 

 

 

 

 煙が収まり、テキーラとウォッカは辺りを見回すが雅美の姿は見えない。先ほどエンジン音がしたことから、他に協力者がいてそいつの車で逃げたといったところだろう。

 

「ッチ、逃げやがったか……」

「……おい、ウォッカ。あのアマ、鍵を落としていきやがったみたいやで。全く馬鹿な女やな」

 

 雅美がいた場所に鍵が落ちているのを目敏く見つけたテキーラは、逃げ去った彼女を貶しつつその鍵を拾おうとする。

 

 

 ――カチャリ

 

 

 だが、そんな彼の頭に銃が突きつけられた。

 銃の持ち主は――ウォッカだ。

 

「……ああ? 何の真似や!? ウォッカ!」

 

 テキーラは怒鳴り銃を振り払おうとしたが、対するウォッカは銃口をさらに食い込ませて強引にそれを止めさせる。

 

「言っただろ? ご苦労だったな(・・・・・・・)って」

 

 ニヤリと口端を上げて言うウォッカに、テキーラは顔を青褪めさせる。冗談ではないことを理解したのだ。

 

「お前にはあの女と杉本の監視役を任せたと言ったが……あれは嘘だ。元々、あの女や杉本共々、お前も処分する予定だったんだ……以前任せた仕事もミスが目立っていたからな。用済みなんだよ、お前は」

 

 ウォッカの一言一言がテキーラの耳を通して脳に伝わる度に、彼の心の奥底から死への恐怖が膨れ上がる。顔から滲み出た嫌な汗が滴り落ちた。

 

 

「…………ぐっ、ぅ……く、くそったれがあぁぁーーー!!」

 

 

 死を前にして自暴自棄になったテキーラは、怒りに身を任せて自分の銃をウォッカに向けようとする。

 

 しかし、それよりも早くウォッカの銃が火を噴いた。怒声を上げていたテキーラは、頭を撃ち抜かれて口を開けたまま即死する。

 糸が切れた人形のようにバタリと倒れたテキーラを尻目に、雅美が落とした鍵を使って例の倉庫を開けるウォッカ。

 

「――ッ!? コ、コイツは……」

 

 だが、中を見たウォッカは驚きにしばし呆然とその場に立ち尽くした。そして我に返ると、焦ったようにスマホを取り出して操作し始める。

 

 そこへ鳴り響くサイレンの音。ウォッカは舌打ちをし、速やかにその場から離れていった。

 

 

 

 

 ウォッカがトランクルームを離れてから少しして、杉本からの供述を元に10億円の場所を突き止めたのであろう高木刑事達と、それをスケボーで追ってきたコナンが現れる。

 

「なっ!? し、死体だ!!」

 

 脳天を撃ち抜かれて倒れている手木来蔵(テキーラ)の死体を発見して、驚く刑事達。だが、コナンは訝しげにそれに目をやりつつ、自分の眼鏡に映る発信機の反応を確認している。

 

(どういうことだ? まだ発信機の反応は動いているぞ! それも、車並みのスピードで……)

 

 発信機が取り付いていたであろう男が死んでいるにも関わらず、未だ動き続けている反応。

 

(……そういうことか!)

 

 コナンは踵を返し、事件現場から離れてスケボーに乗る。最大出力で発進して、発信機の反応を追い始めた。

 

 10億円の場所を警察に問い詰められた杉本。そんな彼が漏らした言葉を、スケボーを走らせながら思い出すコナン。

 

 

 ――俺も彼女も、アイツラに殺される

 

 

 杉本が警察から手に入れた銃をその場で使わずにいたのは、自分を殺しに来るのであろう相手から身を守るためだったのだ。アイツラ(・・・・)ということは、相手は複数人――恐らくは組織立った存在だ。そして、杉本の言葉に含まれていなかったあの手木来蔵(テキーラ)はその組織の仲間。恐らく、用済みと判断されて殺されてしまったのだろう。

 

 コナンはそんなことをする組織に心当たりがあった。

 そして、気づいた。その組織が今まさに、杉本の言う彼女(・・)を狙っていることも。

 

 

(――広田雅美さんが危ない!)

 

 

 

◆◇◆◇◆◇◆◇

 

 

 

 時刻は既に夕方近く。

 杯戸町から遠く離れた、コンテナの積まれた人気のない波止場に車を止めたジョーカー。

 

 さすがにここまで離れれば大丈夫だろう。未だ混乱している様子の雅美と共に、モルガナカーを降りるジョーカー。彼らが降りたことを確認すると、モナも車の姿から二頭身の猫の姿に戻る。

 

「……なんだかもう、訳が分からなすぎて考えが追いつかないわ」

 

 コミカルな姿のモナを見て、ハイライトの失った遠い目をする雅美。しかし、一度深く溜息を吐いて気持ちを整えたのか、ゆっくりとジョーカーの方へと振り向いた。

 

「でも、助かったわ。ありがとう……怪盗さん、でいいのかしら?」

 

 眼鏡を取って礼を言う雅美。梓やヨーコとはまた違ったベクトルの美人である。

 しかし、怪盗という言葉にジョーカーは目を見開いた。自分が噂の怪盗であることは、明かしていないはずだ。

 

「その格好よ。白いドミノマスクに黒いコート、ネットで噂の怪盗の姿そのままだもの……それに、あの占いのこともあったし」

 

 最後の方は小さな声で聞き取れなかったが、そういえばジョーカーの怪盗姿は園子の口から伝聞してネットに流れていたのであった。

 どちらにせよ、ジョーカーは自分が怪盗であることを話すつもりだったのだ。彼女をこの場に降ろして何の説明もせず去るなんて無責任なことはできないのだから。

 

「バレているのなら今更かもしれないが……お察しの通り、ワガハイ達が心の怪盗団"ザ・ファントム"だ」

 

 ふんぞり反ってそう告げるモナ。雅美は屈んでモナに視線を合わせ、実に不思議そうな顔をする。

 

「車に化ける猫――猫なのかしら? 加えて喋るなんて……まさにファンタジーね。杉本の様子が急におかしくなったのも、もしかして貴方達が心を盗んだからなの?」

「その通りだ。あのままじゃ子供が危険だったからな」

 

 モナの言葉を聞いて、納得すると共に膝の上で組んだ手を強く握り締める雅美。

 

「……本当にありがとう。ああなったのは、私のせいでもあるから」

 

 だが、雅美とてあの黒尽くめの男達から利用されていたのだ。妹を救うために、10億円を強奪するしかなかった。もちろん責任はあるだろうが、全て組織とやらのせいだ。ジョーカーはそれらのことを述べて、自分を責める雅美を気遣った。

 しかし、雅美はかぶりを振る。

 

「違うのよ……実は――」

 

 躊躇いがちな様子で立ち上がり、ジョーカーの方を振り向いてその口紅の塗られた唇を開こうとする雅美。

 

 

 

 ――その時、一発の銃弾が彼女の胸を貫いた。

 

 

 

「なっ……!?」

 

 花が散るようにして鮮血が辺りに飛び散る。

 その銃弾が彼女の身体を貫通して、ジョーカーの左前腕を掠めた。

 

 血が流れ出す左腕に構わず、自分の方へ倒れ込む雅美に慌てて駆け寄るジョーカー。その際、シールのような物が彼女の腕時計から剥がれたが、ジョーカーはそれに気づかない。銃弾は彼女の胸ポケットに入っていたスマホごと貫通している。そのおかげで軌道が逸れて、ジョーカーは左腕を掠めるだけで済んだようだ。

 

 襲ってきた銃弾の角度と発砲者の姿が見えないことからして、これはスナイパーライフルによる狙撃だ。またどこから銃弾が襲ってくるか分からない。ジョーカーは倒れた彼女を抱えて、モナと共にコンテナが何台も積まれている場所の陰に隠れた。

 

 咳き込み、口から血を吐く雅美。ジョーカーはすぐさまペルソナを召喚して治療を試みる。

 

 

 イ シ ュ タ ル !

 

 

 ジョーカーの背後に、角の生えた露出度の高い純白の装いの女神が現れる。そのペルソナの力を使って、雅美の傷口を癒そうとするジョーカー。

 しかし、効きが良くない。それどころか、力を行使するジョーカーの意識が急激にグラツき始めた。

 

「駄目だ、ジョーカー! 前に言っただろう、この空間は完全じゃないって! 特に回復に関わる魔法は負担が大きい。彼女の傷が治る前にお前が倒れちまうぞ!」

 

 モナがそう言ってジョーカーを止めようとする。恐らく、モナのペルソナであるゾロも同じなのだろう。しかし、それを振り払って雅美の胸の上に手を翳し、力の行使を続けようとするジョーカー。

 

 その手を、雅美がそっと握り締めた。

 

「もう……いいわ。元々、覚悟はしてた、から……」

 

 ジョーカーの目を見て、血の垂れた唇で弱弱しい笑みを浮かべる雅美。彼女は懐から鍵を取り出した。

 

「これ……10億円を隠した、トランクルームの鍵。偽者の方は、逃げる時に落としちゃったみたいだけど……こっちが本物なの」

 

 雅美は、息も絶え絶えな様子で話し始めた。

 

 実は、クラブで杉本と会った時、彼は10億円は返すから見逃して欲しいと頼んできたのだ。だが、見逃したところで奴らに見つかって殺されるだけ。雅美は警察に事情を説明して保護してもらうのが一番安全だと説得した。杉本もそれに頷き、雅美に鍵を渡したのだ。

 

 しかし、雅美はその鍵を使って、別に契約したトランクルームに10億円を移したのだ。テキーラに渡した鍵がダミーで、今彼女が持っているのが移した先の――正真正銘10億円が隠された倉庫の鍵なのである。

 

「彼……杉本は、10億円への執着をキッパリ絶ったんだと思ってたんだけど、やっぱり大金に目が眩んじゃったのかしら。話した時は、本当に後悔している様子だったんだけど…………ね? あの子供が危険な目に合ったのは、私のせいなのよ」

 

 雅美は自嘲げに息を漏らした。

 

 杉本のオタカラが朽ちた10円玉であった理由が分かった。恐らく、彼は精神暴走の影響を受けて、歪みを失くしかけていた大金への欲望を無理矢理に増幅させられてしまっていたのだ。

 

「……でも、最後に、ヤツラに一泡吹かせてやったわ。いつも何の力もないただの女ってバカにされてたけど、そんな女に、偽者を掴まされたんだから……」

 

 してやったりと口端を上げる雅美。死の間際であるというのに気高に振舞う彼女に対して、ジョーカーはある種の尊敬の念を抱いた。

 

「この鍵を……警察に渡して。直接じゃなくて、いいから」

 

 雅美は震える手で鍵をジョーカーに手渡す。手渡されたそれを、確かに受け取ったとしっかり握り締めるジョーカー。

 

「……私の、本当の名前、宮野明美……妹を……志保を、組織から、助け、て……」

 

 どんどん小さくなっていく雅美――いや、明美の声。縋るようにして呟かれるその言葉にジョーカーは頷き、それ以上喋るなと答えた。

 ジョーカーはまだ諦めていない。何とか彼女を救う方法があるはずだ。知恵の泉と評価された頭をフル回転させる。

 

 そんなジョーカーに、彼女は小さく笑みを浮かべた。そして、その目はジョーカーを通して別の誰かを見ているかのように映る。

 

 

 

 

「…………ごめ…ん……い……大……ん……」

 

 

 

 

 宮野明美がその目を閉じた。端からは、一筋の涙が頬を伝っている。

 ジョーカーは必死に彼女の身体を揺するが、反応がない。

 

 

 助けられなかったのか?

 

 

 明美の身体を抱えたまま、呆然とするジョーカー。

 

「ジョーカー……」

 

 傍らのモナも、悔しげに目を伏せて俯いている。

 

「……狙撃手のこともある。これ以上、ここにいるのは危険だ。早くここを離れて――」

 

 モナの言葉は、ジョーカーの耳に入っていない。彼はいつものポーカーフェイスを歪ませて、怒りを露わにしていた。謎の組織と、精神暴走の種を撒く謎の人物に対して。そして何より、彼女を助けることができなかった自分に対して。

 

 

 ――組織とは一体何なのか? 種を撒き散らす者の目的は何なのか? 彼女はなぜ殺されなければならなかったのか?

 

 

 拳を震わせる暁の頭に、少女を人質にしていた杉本の姿が思い浮かぶ。

 彼は自力で改心しかけていたところだったのだ。それなのに、謎の存在によって消えかけていた欲望を操作された。彼もまた、被害者だったのである。

 

 今までとは訳が違う。ジョーカーの頭にこれまでの標的(ターゲット)の顔が過ぎった。

 

 行動を起こす切欠を作り出したのは精神暴走の影響によるものであろうが、ヨーコの事件の犯人である藤江は前々から異常な行動が目立っていたようだし、遅かれ早かれ歪みを大きくさせて事を起こしていただろう。肥谷校長にいたっては、元の世界であればパレスが出来ていてもおかしくないほどの歪みで――

 

 

 そこまで考えて、ジョーカーは震わせていた拳をピタリと止めた。

 

 

 

 ――そういえば、校長のオタカラは何だっただろうか?

 

 

 

 ジョーカーは慌てて懐から一本の瓶を取り出した。瓶の中は透き通るような青い液体で満たされている。

 

「それは……霊薬(ソーマ)か! そういえば、校長のオタカラがそれだったな!」

 

 モナが飛び上がって歓喜の声を上げる。

 この霊薬の回復効果はペルソナによる力の比ではない。アルカナの力で空間を歪めている今なら、完全ではなくとも、彼女を何とかするだけの効果は発揮するかもしれない。

 

 ジョーカーは迷わず、その霊薬を彼女の口に流し込んだ。全て流し終えると、彼女の身体が淡く光り始める。

 祈るような気持ちでその様子を見守るジョーカー。

 

 少しして、その光がゆっくりと止み始める。

 

 

「ッ……ゲホッ! ゲホッ!」

 

 

 光が止むと、何の反応も示さなかった明美が、咳き込むようにして息を吹き返した。

 

「やったな! ジョーカー!」

 

 拳を胸の前で握り締めて、モナと成功の喜びを分かち合うジョーカー。

 

 しかし、息は吹き返したものの、明美の意識は戻っていない。彼女の身体の下には、大量の血溜まりが出来ている。傷口は閉じているが、血を流しすぎているのだ。もしかしたら、流した血まで完全に元に戻すことはできなかったのかもしれない。

 恐らく死は回避できただろうが、だからといってこのままというわけにもいかないだろう。早いところ病院に連れて行かなければ。

 

「よしっ! 病院へ向かうぞ! 乗れ、ジョーカー!」

 

 急いでモナが車へと変身する。雅美を抱えて、モルガナカーに乗り込もうとするジョーカー。

 そこで、遠くの方からパトカーのサイレンが聞こえてくることに気づく。

 

「――待てぇッ!」

 

 サイレンが聞こえる方を振り向いたジョーカーの目に、軽快なエンジン音と共にこちらへと迫ってくる小さな影が映る。

 

 

 ――まさか、コナンか?

 

 

 しかし、今は相手をしている暇はない。ジョーカーは明美から受け取った鍵をその場に放り投げると、アクセルを踏み、全速力で波止場を後にした。

 

 

 

 

 

 

「……くっそぉ! 逃がすかよ!」

 

 走り去る黒い車を追う少年、コナン。ジョーカーの予想通り、小さな影の正体は彼だったのだ。

 

 コナンは間違いないと前方を見据えながらスケボーを走らせる。広田雅美と思われる血だらけの女性が、黒いロングコートを着た男に担がれて車に運び込まれていた。男は左腕を負傷しているようであったが……

 

(今は考えてる場合じゃない! とにかく、あの車に追いつかねえと!)

 

 余計な思考を振り払ったコナンは、スケボーの速度をさらに上げようとした。だが、スケボーはコナンの意思とは正反対に急激に速度を低下させ始める。

 

「お、おい!? どうしちまったんだ!」

 

 何事かと戸惑うコナン。そんな彼の目に入ったのは、水平線に沈む太陽。黄昏色も薄まり、辺りを暗闇が支配しようとしていた。

 

(そうか、もう日没……)

 

 このスケボーは太陽電池で稼動している。太陽が出ていない状況では、エネルギー源を得られずエンジンがうんともすんとも言わなくなるのだ。

 

「ちくしょうッ!」

 

 コナンはその場に膝を突き、悔しさの余り地面に拳を叩きつける。

 

 

 その場には、明美が流した大量の血液と、10億円が隠されているトランクルームの鍵しか残っていなかった。

 

 

 

◆◇◆◇◆◇◆◇

 

 

 

 モルガナカーで何とか杯戸町まで戻ってきた暁。

 地図がなければどこに何があるのか分からないし、ひとまずあの波止場から警察の目を掻い潜って来た道を戻ってきたのだ。

 

 すでに長時間アルカナの力を行使している。少しでも負担を失くすため、怪盗服からチェンジして普段着のままモルガナカーを運転している。これならば、仮に誰かに見られたとしても地味な男が耳と尻尾を付けた痛車を運転しているようにしか見えない。

 

 既に時刻は真夜中だ。道中、内科診療所を見つけたので、明美を背負ってモルガナカーを降りる。銃創は完治しているし、輸血だけなら内科で事足りるはずだろう。

 病院の裏口に回ってチャイムを鳴らしたが、反応がない。明美を背負った状態のまま他に病院がないかと見回す暁。人に聞こうにも、夜中であるが故に誰も見当たらない。

 

 

「――ちょっと、そこの不審者。ウチの診療所の前で何してるの?」

 

 

 そんな彼に、声を掛ける女性が現れた。パンクな服装をしているが、暗闇のせいで顔がよく見えない。ウチの診療所(・・・・・・)ということは、目の前の内科診療所は彼女が経営しているということだ。

 暁が急患だと告げると、彼女は訝しげに暁が背負っている明美を見やった。断られることを危惧した暁は、土下座する勢いで頭を下げて頼み込む。

 

「…………ま、いっか。付いてきなさい。今日は色々とあったし、もう一つくらい面倒が増えても構わないわよ」

 

 女性は必死に頭を下げる暁に何を思ったのか、そう告げた後背中を向けて街灯のない暗闇に染まった道を歩き始めた。どことなく聞き覚えのある声に暁は首を傾げる。

 

「……何、来るの? 来ないの? 私はどっちでもいいけど?」

 

 振り返ったその女性に声を掛けられ、暁は慌てて明美を背負い直して彼女を追いかけた。

 

 

 

◆◇◆◇◆◇◆◇

 

 

 

 一方、暁達が立ち去った波止場を捜査をする警察達。

 その様子を、離れた高台から煙草を吸いながら見下ろしている黒尽くめの男が一人。

 

 その手には、スナイパーライフルが握られていた。明美を撃ち抜いたのは、この男のようだ。

 

 

 ――ブー、ブー

 

 

 懐のバイブ音に気づいて、スマホを取り出す男。

 

「……ウォッカか。金の方はどうだった?」

『それがですね、ジンの兄貴。どうもあの女が落とした鍵は偽者だったようです。倉庫の中身は空でした』

 

 電話の相手はウォッカのようだ。恐らく、本物の鍵は警察の手に渡ったのだろう。

 だが、ジンと呼ばれた男は10億円を手に入れられなかったというのに、その話をどうでもよさげに聞いていた。それどころか、不敵に笑みを浮かべている。

 

「そうか……まあいい。元々、不要な奴を始末する口実を作るための任務だったからな」

『へい。それで、女の方はどうなりましたか?』

「俺を誰だと思ってる、ウォッカ……当然始末したさ。バカな女だ。支給したスマホで居場所がバレバレなことに気づいていなかったようだ」

 

 宮野明美は最初から殺す心算だったのだ。彼女にはFBIの人間を組織へ手引きした疑いがあった。疑わしきは罰するジンであるが、彼女の殺害についてはあの方(・・・)から正式に許可を受けていない。が、任務を失敗したということであれば文句は言われないだろう。杉本とテキーラについては、ついでである。

 

『杉本の奴はサツにパクられちまいやしたが、女以上にろくな情報を持っていないですし、放っておいても大丈夫だと思いやす……そういえば、女の逃走を助けた奴は?』

「ああ、女ごと始末しようとしたが、運よく銃弾が逸れたようだ。女の陰に隠れていたせいで姿をしっかりと拝むことはできなかったが、まあ楽しみは後に取っておくさ……もしかしたら、噂の怪盗団とやらかもしれねぇな」

『は? え、まさか……兄貴、アレを信じてるんですか? 確かに、杉本の奴は改心されたとか話題になっちゃいますが……』

「ククッ、冗談だ」

 

 意味ありげに笑ったジンは、電話を切ってスマホを懐に収める。

 

 そして、満足げな顔でその場を後にし、その黒尽くめの身体を闇に溶け込ませたのであった。

 

 

 




暁のワイルド能力についてですが、正直手に余りすぎて困ることが多々あります。

全アルカナのペルソナを全て登場させるのは大変ですし、仮に登場させることができたとして絶対に空気と化すペルソナとかが出てきそうな気がしてならないんですよね。

個人的には怪盗として活躍している暁であれば、ペルソナはアルセーヌだけで十分ですしバランスも取りやすいと考えているのですが、ワイルド要素を外すのもどうかと思っていまして。

難しいところです。










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FILE.18 その後の顛末

 翌日、まだ日も出ていない早朝の時間帯にポアロへと帰宅した暁。もちろん、モルガナも一緒だ。

 既に梓が店の準備に取り掛かっている頃だろう。暁はドアベルを鳴らさないよう静かに玄関の扉を開いた。

 

「……あ、暁君! もう、ラヴェちゃん置いてどこ行ってたの!? 心配したんだから!」

 

 案の定、出迎えた梓にひどく心配された。カウンターから飛び出てきてパタパタと暁の方へ駆け寄る梓。

 昨日の出来事を正直に伝えるわけにもいかないので、暁は友人の家に泊まって寝坊したと誤魔化した。

 

「お泊り? ってことは、男友達ってことだよね? 女の子の家じゃないよね? ……そっかぁ」

 

 梓は心底安堵した様子で胸を撫で下ろす。無事に帰ってきたのはもちろん、風当たりが強いであろう暁に蘭や園子以外の友達が出来ているということを喜んでくれているようだ……念のため、後で三島と口裏を合わせておいた方がいいかもしれない。

 

「でも、そうならそうと連絡してくれないと。ラヴェちゃん一人なんて可哀想でしょ? すっごく寂しそうにしてたんだから」

「してません」

 

 梓の肩越しに、いつも通り隅のカウンター席に座っているラヴェンツァの姿が見える。顔はいつもの澄ました表情をしているが、その大きな瞳は不満たらたらであることをこれでもかと示していた。

 

「……まあ、今回は仕方がありません。暁お兄様は私にスマホを貸したままなことを忘れていたみたいですから」

「え、そうだったの? それじゃあ、連絡取ろうにもできないよね。ポアロの電話番号なんて覚えてないだろうし」

 

 これがカロリーヌなら問答無用で警棒で滅多打ちにしてきていただろうが、ジュスティーヌの悠々たる性質も持ち合わせているラヴェンツァは理不尽に怒ろうとはしない。有難いことだが、毎日のように尻を蹴られていた頃を思い出すと、何となく寂しい気持ちになるのはどうしてだろうか。そんな雑念が浮かんできた暁であった。

 

 

 積もる話はひとまず置いておいて、暁はカレーの仕込みに取り掛かろうとする。

 

「ふ、あぁ~……」

 

 すると、傍らにいた梓が顔を手で覆って欠伸をした。もう何年も朝早くからポアロで働くという生活をしてきている彼女にしては珍しい。思わず、寝不足なのかと聞く暁。

 

「え? ああ、うん。暁君、昨日閉店時間になっても帰ってこなかったから、心配であまり寝られなかったの。ほら、昨日事件があったでしょ? またヨーコさんの時みたいに首を突っ込んでるんじゃないかと思って……」

 

 梓は眠そうに涙交じりの目を擦っている。

 これは申し訳ないことをした。準備の方は自分がやっておくから開店時間まで仮眠を取っていてくれと、暁は梓を気遣う。

 

「……うん。ごめん。じゃあ、ちょっと仮眠取ってくるね」

 

 梓は間延びした口調で暁に謝り、スタッフルームの方へと覚束ない足取りで引っ込んでいった。

 自分のことのように心配してくれる彼女に対して本当のことを話せない暁は、心の中で謝りつつ開店の準備に取り掛かり始めた。

 

 

 ルブランカレーの仕込みをしていると、梓がいなくなってこれ幸いとばかりにラヴェンツァが昨日の事件について話し始めた。

 

「……と言うわけで、怪盗お願いチャンネルの書き込みを利用して杉本のシャドウを出現させたのです」

「なるほど。そういえば、ワガハイ達もメメントスに標的(ターゲット)を出現させるために怪チャンの書き込みを予告状代わりにしていたな」

 

 ラヴェンツァは杉本の改心を確認した後、暁が戻ってくるのをしばらくの間待っていた。しかし、一向に戻ってくる様子がなかったので、仕方なく先にポアロへ帰宅したのだ。彼女はベルベットルームの住人なだけあってシャドウの気配などを感知することはできるらしいが、モルガナのように大まかな居場所を探知することはできないらしい。そのため、暁達の元へ駆けつけるということができなかったのだ。

 

「さあ、次はマイトリックスター、貴方の番です。あの後、何があったのですか?」

 

 暁は、無事に杉本のオタカラを頂戴したが、後からやってきた彼の共犯者達が仲間割れをしだしたこと。その内の一人である広田雅美――改め宮野明美には事情があったこと。テキーラとウォッカというコードネームを持った男達の所属する組織から、妹を助け出すために彼女は事件を起こしたことを話した。

 その後、組織の者達に殺されそうになっていた明美をモルガナカーに乗せて逃げた暁。しかし、その先で明美は恐らく組織の者による狙撃を受けて生死の境を彷徨った。校長のオタカラである霊薬を使って何とか事なきを得たが意識が戻る様子がないため、病院へ運ぶために再びモルガナカーを走らせた。

 

 そして、運良く受け入れてくれる病院――正確には診療所を見つけて、そこの女医に明美のことを任せてきたのである。まさか、その女医が彼女であったとは思いもしなかったが。

 

 暁はカレーのルーを混ぜながら、昨日診療所を見つけた後のことを思い出し始めた。

 

 

 

◆◇◆◇◆◇◆◇

 

 

 

 医者だという女性に連れられて、杯戸町の外れにある小さな内科診療所を訪れた暁。その背には、明美が背負われており、モルガナもその後を付いてきている。

 

「ちょっと待ってて。鍵開けるから」

 

 女性は武見内科医院と書かれた表札が飾られている裏口まで暁を案内すると、鍵を使って扉を開けた。そして、中に入るなり慣れた様子で照明スイッチの方へと手を伸ばして屋内の電気を点ける。

 そうして、彼女は続いて入ってきた暁の方へ振り返った。明るくなってはっきりと見えるようになったその顔を見て、暁は驚きのあまり背負っている明美を落としそうになった。

 

 

 

 暁の目の前に立っていたのは、元の世界で散々お世話になった町医者の武見妙であった。

 

 

 

 彼女が作った薬や湿布などは、現実世界はもちろん、こと認知世界においては現実離れした効能を発揮して怪盗団の助けとなっていた。退廃的な雰囲気とパンクな格好を好んでいるところからして、あまり人当たりが良いというわけではなかったが、新薬を開発して難病の少女を助けた――本当の意味で患者と向き合うことができる医者だ。

 

「……何、ぼうっとして。一目惚れでもした? 悪いけど、私年下は興味ないのよね。それに、背負われてる彼女が可哀想なんじゃない?」

 

 じっと見つめている暁をからかう武見。慌てて、暁はそういう関係ではないとかぶりを振った。

 

「フフ、冗談に決まってるでしょ。って――」

 

 武見は微笑を返したが、暁の足元にいるモルガナを見つけて目を丸くする。

 

「……ちょっと、ここは動物病院じゃないんだけど?」

 

 モルガナに目をやる暁。仕方がないので、しばらく玄関で待っててもらうしかない。暁の言いたいことを理解したモルガナは、一鳴きすると玄関前に大人しく座り込んだ。

 

 

「それで、患者はその背負われてる彼女でしょ? 名前は?」

 

 診察室に行く途中で、武見からそう聞かれる。モルガナも言っていたが、彼女の偽名である広田雅美では、後々警察の捜査に引っかかる可能性が出てくる。そう考えた暁は武見の問いに対して、彼女の名前は宮野明美だと、本名の方を答えた。ついでに自分の名前も答えたところで、診察室に到着する。

 

「宮野、明美……ね。じゃ、そこのベッドに寝かせて」

 

 暁は明美を背中から下ろし、診察室のベッドに寝かした。相変わらず意識はないままだ。

 

「……え? ちょ、ちょっと、血まみれじゃない!」

 

 明美の服に付いた大量の血を見て、血相を変える武見。傷はもう大丈夫だから、他に問題がないかどうか診察してくれと暁は頼んだ。

 

「大丈夫って、こんな大量の出血でそんなわけ……」

 

 慌てて武見は明美の身体の傷口があると思われる箇所を調べ始めたが、どこにも傷口が見当たらないことに信じられないといった顔で目を見開いている。

 

「…………とりあえず、意識がないようだから身体に異常がないか診てみるけど……しばらく廊下の待合で待っててくれる?」

 

 納得いかない様子をしているが、ひとまず診てくれるようだ。言われた通り、診察室を出る暁。

 

 診察が終わるまでの間、暁は廊下の待合で長椅子に腰掛けて待っていた。だが、長時間アルカナの力を使ったことによる疲労で身体はとうの昔に限界を超えていた。

 

 そしてそのまま、暁は椅子に身を沈める形で深い眠りに落ちてしまったのであった。

 

 

 

 

 

 

 翌日のまだ暗い時間。

 暁は眠りに落ちた時とは違い、椅子に横になった状態で目を覚ました。身体の上には毛布が掛けられている。

 

「お? 起きたか、アキラ」

 

 目を覚ました暁の顔を、モルガナが覗き込んでいる。暁が上半身を起こすと、丁度診察室から武見が出てきた。

 

「おはよう。と言っても、まだ日も昇ってないけど」

 

 武見と朝の挨拶を交わす。どうやら、彼女が毛布を掛けてくれたようだ。

 

「全く起きる様子がなかったから、仕方なくね。後、その猫も。外でずっと待たせるのも可哀想だし、特別に入れてあげたわ。感謝しなさい」

 

 億劫そうな顔をしているが、なんだかんだで面倒見が良いのが武見だ。こちらの武見は、元の世界の彼女とそう変わりないようである。

 ところで、明美の容態はどうだったのだろうか?

 

「血が足りていないようだったから輸血はしておいたけど、それ以外は特に問題なかったよ」

 

 武見に促されて、再び診察室に入る暁。そして、奥にある個室へと案内される。しかし、案内された個室のベッドには、依然意識が戻らないまま昏睡状態の明美が寝かされていた。

 

「どうも、大量出血によるショックで意識障害を起こしてるみたい。でも血圧自体は安定してるから特に危険な状態ってわけでもないし、恐らく意識は戻るはず。でも、それがいつになるかは分からないかな」

 

 個室に置いてある椅子に座った武見は、もう片方用意していた椅子に暁を座らせた。

 それで、と彼女は続ける。

 

「どうして傷口が綺麗さっぱりなくなってるのかしら?」

 

 武見は暁の目を覗き込むようにしてそう問い掛けた。

 

「あの服の血は明らかに彼女自身が大量出血して付着したもの。それなのに、傷どころか痕さえも見当たらなかった。百歩譲って傷口を治療できたとしても、まるで何もなかったかのようにまでするのは不可能よ……それこそ、魔法でも使わなきゃね」

 

 問い詰めるようにじっと暁を睨む武見。

 しかし、そう言われても暁がそれについて説明することは難しい。霊薬を使ったと言っても、納得してもらえるわけがないのだから。下手に誤魔化すのも無理だろう。実際にできることを証明しようと思えば、武見の作った薬でもできるだろうが……

 

 武見から目を逸らさずにいるが、どう答えるべきか悩み黙りこくっている暁。そんな彼を見かねたのか、武見は暁に向けていた目線をゆっくりと外して溜息を吐いた。

 

「…………事情があって話せないのなら、それでいいよ。とりあえず、彼女は意識が戻るまでウチで介護するから」

 

 暁は驚き、思わず本当か? と口にした。

 

「説明しなかったら追い出すとでも思ったの? まあ、もちろん代金は頂くつもりだけど……貴方、学生? だったら難しいかな」

 

 慌ててお金の方は大丈夫だと答える暁。梓に秘密で学校へ通いつつ介護なんて、無理に近い。代金の方は後見人の妃英理から定期的に送金されるお金から支払えばいいだろう。

 

 だが、どうしてそこまでしてくれるのか? 元の世界の彼女は暁が怪盗であるということを知っているが、こちらではそうでないはずだ。協力してくれる理由がない。

 

「仮にも医者なんだから、患者を放り出すなんてことしないよ。まあ、傷を消した方法は気になるけど、普通の方法じゃないってことは明らかだし、はっきり言って内科の私には専門外なことだしね……それに――」

 

 暁の顔を見て察したのか、そう語る武見。しかし、途中で言葉を止めて何やら言い難そうにしている。他にも理由があるのだろうか?

 

 

 ――ガチャッ

 

 

 と、そこへ、暁達が入ってきた裏口から一人の女性が入ってきた。咄嗟にモルガナを椅子の下に隠す暁。武見の方はというと、その女性を見て目を丸くしている。

 

「中沢さんじゃない。こんな時間にどうしたの? 始業時間には早すぎると思うけど」

「どうしたのって、武見先生こそ! ほら、私近所に住んでますから。夜中に目が覚めてベランダに出てみたら診療所の明かりが点いてるのが見えて、気になったもので……」

 

 中沢と呼ばれたその女性は、どうやら武見の診療所で働いている看護師のようだ。元の世界の武見内科医院のスタッフは武見一人であったが、こちらはそうではないらしい。

 

「ところで、そちらの方は? 急患の方ですか?」

「正確には急患を連れてきた子よ。その患者の方はしばらくウチで面倒みることになったけど」

「そうなんですか? じゃあ先生、あまり寝てらっしゃらないですよね。やっぱり、私が来て良かったじゃないですか」

 

 嬉々とした様子で言う中沢。武見の役に立てることを心底嬉しく思っているようだ。ただの雇い雇われの関係という訳でもないらしい。

 

「こんな町外れの小さな診療所に来る患者なんてそう多くないし、人手については別に心配ないっていつも――」

「それがそもそもおかしいんです! 武見先生は新薬を開発した優秀な方なんですよ!?」

 

 慣れた様子の武見が何でもないといった風に中沢をあしらおうとしたが、彼女はとんでもないとばかりに声を上げ始めた。

 

「本当ならこんなところで町医者なんてせずに元の大学病院でもっと活躍しているはずなのに! それを、私のために……」

 

 武見の現状について、まるで自分に責任があるかのように吐露する中沢。廊下を照らす心許ない明かりが、その目尻に溜まった涙に反射して煌く。最後には顔を俯かせてしまった。

 

 武見はこの世界でも新薬の開発に成功しているようだ。元の世界と同じく、以前は大学病院に所属していたらしいが、こちらでは一体どういった理由で町医者という立場に身をやつしてしまったのか。

 暁は伺うようにして武見の方を見やる。彼女の態度や様子からして、医療ミスの濡れ衣を着せられたなどの理不尽な目にあったということはないと思うが……

 

「ちょ、ちょっと、泣かないでよ! 別に研究自体はここでもできるし、町医者って立場も割と嫌いじゃないから。それに黒川の件については私が勝手にやったことで、貴方が責任感じることない……って、これ何回目かしら」

 

 俯いている中沢とは対照的に、全く気にしていないというか多少うんざりした顔で中沢を諭している武見。

 イマイチ話の内容を汲み取ることができないが、中沢が武見のことを尊敬している――心酔と言ってもいいが――ことは確かだ。元の世界では藪医者と呼ばれていたことを知っている暁は、自分のことでもないというのにどこか誇らしい気分になった。

 

 二人の会話を聞きながら、何気なしに掛け時計を見た暁。二針の傾きを見て、ポアロでカレーの仕込みを始めなければならない時刻を当に過ぎていることに気づく。

 

「え? ああ、もう帰るの。じゃあとりあえず、連絡先だけ教えてくれる? 何かあったら貴方に連絡するから」

 

 暁は礼を言い、武見と連絡先を交換した。そして、モルガナと共に病院を後にしたのであった。

 

 

 

◆◇◆◇◆◇◆◇

 

 

 

 以上が、事の顛末である。

 

「どうやら、アキラが元の世界で関わりを持った人物は、こちらの世界でも何かしらの影響を受けているようだな」

「確かにそのような傾向にあるようですね」

 

 川上や鴨志田、武見といった人物達について、モルガナとラヴェンツァが語る。

 

 改心させた鴨志田は歪みの原因となる金メダルを獲得することができず、恐らくだが川上も彼女の弱みを握って悪巧みをするような輩と関わりを持たずに済んだ。そして、武見も新薬を開発していることからして医療ミスの汚名を着せられるようなことはされていないのだろう。それなのに町医者として診療所を開業しているのは、あの中沢という女性が関係しているみたいだが、それ以上のことは分からず仕舞いである。

 

「ところで、私が貴方を待っていた間に現場から江戸川コナンを連れ帰ってきた毛利父娘が夕食を食べにポアロへやって来たのですが、何でも屋外トランクルームで手木来蔵(テキーラ)の死体が見つかったそうです……それと、何やらコナン少年が貴方を捜していたようですが、何かあったのですか?」

 

 あのテキーラという関西弁の男が殺されてしまったということを聞いて、思わず仕込みの手を止める暁。

 恐らく、殺したのは駆けつけてきたあのウォッカという人物だろう。本物の鍵は警察の手に渡っただろうし、結局奴らは10億円を手にすることはできなかったのだ。それを理由に殺されたということだろうか?

 コナンの方も、明美をモルガナカーに乗せて病院へ向かうところを見られてしまったが……まあ、それについては(・・・・・・・)心配ないだろう。

 

 何にせよ、警察が無事に10億円を回収できたか、テキーラを殺害したと思われているだろう明美の捜査の方はどうなっているのかは、今日行われるだろう発表を待つしかない。

 

 

 といったところで、カレーの仕込みが完了した。一通りの準備も終えているし、後は梓に任せれば大丈夫だろう。暁は時計を見てまだいつもの登校時間までには少し余裕があることを確認し、一息つく。

 

「マイトリックスター。朝のコーヒーをお願いします」

 

 ラヴェンツァに頼まれ、はいはいとコーヒーを淹れ始める暁。もはや彼女にとって習慣になってしまっているようだ。

 

「おい、アキラ。学校に行く前にシャワーを浴びといた方がいいんじゃないか?」

 

 昨日の内に帰れず武見の病院で寝てしまったので、モルガナの言う通り登校前に汗を洗い落としておいた方がいいだろう。

 

 ……そういえば、武見はどうして明美の親類の連絡先を聞かなかったのだろうか? 聞かれても答えられなかっただろうが、もしかしたら暁のことを親戚か何かと勘違いしていたのかもしれない。

 

「暁君、ごめんね~! 仮眠取って眠気も取れたし、もう大丈夫よ!」

 

 暁がラヴェンツァにコーヒーを振舞っていると、スタッフルームから梓が戻ってきた。暁は丁度良いと、開店準備が完了したことを伝え、梓と入れ違いになる形でシャワーを浴びに奥へと向かおうとする。

 

 しかしそこへ、まだ開店していないにも関わらず、何者かがドアベルを乱暴に鳴らしてポアロに入ってくる。

 

「すみません、まだ開店時間じゃ――って、あれ、コナン君?」

 

 梓の声に暁が振り返ると、そこには少し息を乱したコナンが閉まるドアを背にして立っていた。

 

「ど、どうしたの? コナン君。何か用事?」

 

 梓が戸惑った様子でコナンに声を掛けるが、彼はそれに構わず一歩一歩迫るような足取りで暁の元へ近づいてくる。光の反射で眼鏡の奥の瞳は見えず、その表情は伺えない。

 

 暁の目の前に辿り着いたコナンは、ゆっくりと口を開いた。

 

 

 

「……暁兄ちゃん。服を脱いで」

 

 

 

 何をトチ狂ったのか、暁に対してそう要求してくるコナン。それを聞いて、目が点になる梓と変な声を上げるモルガナ。そして、ラヴェンツァはコーヒーを噴き出した。

 

「コ……コナン君。何を言って――」

「そ、そうです! マイトリックスターのふ、服を、ぬぬ、脱がすなんて! 一体何をする気!?」

「ラヴェンツァ殿。ちょっと落ち着け」

 

 ラヴェンツァがいつもの調子を一転させ、竜司を叱った時のように口調が乱れている。顔はカロリーヌが自分の恥ずかしい秘密を晒された時のように真っ赤だ。中々貴重なシーンであるが、今はそれどころじゃない。

 

「いいから! 脱げって言ってるんだよ!」

 

 コナンは強引に暁の上着に掴みかかって脱がしに掛かり始めた。子供の力なので振り払おうと思えばできるだろうが、怪我をさせかねない。暁はされるがままだ。

 

 

 そしてついに、暁の上着の左袖が大きく捲り上げられた――――

 

 

 




いつもより少し短めですが、事件が終わった後のまとめ回でした。

本当はもっと書き込んでも良かったんですが、これが投稿されている頃にはコナンの劇場版最新作を見に行ってると思いますので。仕方ないんでおまんがな。

平次や和葉も出したいですけど、それより前にキッドですよね。キッドの前にもう何話か入れると思いますけど。

恐らく次回は遅れるかと思いますが、よろしくお願いします。









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FILE.19 ラヴェンツァ7歳小学1年生

 10億円強奪事件から一週間が過ぎ、二月に入った。

 見上げれば、雲一つなく清々しいほどに青く澄んだ空。所謂冬晴れで、最高気温も適度に高い。口から漏れ出す白い息も鳴りを潜めてしまっている。

 

 そんな晴天の影響か、帝丹小学校の校庭ではいつもより元気の良い朝の挨拶が飛び交っている。もちろんそれは校庭だけに留まらず、廊下や教室の中でも。特に教室では友達同士が集まり、昨日放送していた番組のことや、今流行りのゲームがどこまで進んだか、昼休憩は外で遊ぼうなどといった話題が室内を活気立たせていた。

 

 だが、そんな朝の会話の輪に入らずに机に突っ伏している少年が一人。後頭部のピンと跳ねた毛が特徴的なその少年の元へ、綺麗に大中小の背を並べた三人の子供、元太、光彦、歩美が近寄る。

 

「おい、コナン! 昨日のアレ見たか!?」

「……んあ? アレって、何だよ?」

「仮面ヤイバーVS不死鳥戦隊フェザーマンですよ! 昨日のロードショーでやってたじゃないですか!」

「すっごく面白かったんだよ! 最初はすれ違いで敵同士になっちゃうんだけど、最後は仲直りして一緒に悪の総帥ニャンコホテプを倒したんだから!」 

 

 少年――江戸川コナンは心の中で溜息を吐く。中身が高校生である彼が子供向けの映画に興味を抱くはずもない。仮にコナンが本当に小学生だったとしても、それは変わらないだろう。なにせ、彼は生粋のシャーロキアンなのだから。昔から、テレビを見るより本に噛り付いているのが常であった。

 

 彼らの話を聞き流しつつ、一週間前の出来事を思い出すコナン。例の10億円事件のことについてだ。

 杉本の共犯者で組織に命を狙われていた広田雅美は、何者かによって連れ去られてしまった。だが、残されていた血溜まりが明らかに致死量を超えていたことからして、恐らく彼女は助からないだろう。警察は今現在も連れ去った者の捜索を続けているが、広田雅美に関しては死亡したものと判断している。

 

 広田雅美を殺害したのはあの黒尽くめの組織だろう。だが、あの広田雅美を連れ去った男。あの男の風貌は、巷で噂になっている怪盗団ザ・ファントムのリーダー、ジョーカーのそれであった。

 なぜ、怪盗団は助かる見込みのない彼女を連れ去ったのか? 改心のように、何かしら彼ら独自の助ける方法が存在するとでも言うのだろうか?

 

 ひとまず、それは置いておくことにしよう。コナンが注目しているのは、杉本が改心された時、怪盗団がその場に姿を現わさなかったことだ。もしかしたら付近に潜んでいた可能性もあるが、少なくともあの場で直接何かしていないのは確かである。

 ということは、改心する際は直接標的(ターゲット)と相対する必要はないのかもしれない。例えば、予め別の場所で洗脳を施しておいて、それが何かをトリガーにして効果を発揮するようにしていたとか。

 

 

 

 ……だとしたら、帝丹高校の校長が改心された事件での来栖暁のアリバイは、なくなる。

 

 

 

 園子が目撃した男は別の者からジョーカーと呼ばれていた。つまり、ザ・ファントムが複数犯で、明言している通り怪盗"団"であることは間違いない。ということは、帝丹高校で目撃されたそのジョーカーは、来栖暁が万が一自分に疑いが掛かった時のアリバイ作りのために用意した仲間――偽者の可能性が出てくる。なんせすぐ二階に有名な自称名探偵がいるのだ。それくらいの保険を用意していたとしてもおかしくはない。

 

 そう考え付いたコナンは、一週間前にポアロへ帰ってきた来栖暁に対してすぐに行動を起こした。

 

 

 ――いいから! 脱げって言ってるんだよ!

 

 

 恐らくだが、怪盗団は杉本の改心を行う過程で、コナンと同じく何者かが広田雅美の命を狙っていることに気付き、彼女を助けるために近づいた。だが、それは叶わなかった。

 あんな切羽詰った状況だ。広田雅美を連れ去ったジョーカーが偽者という可能性は低いだろう。とすれば、あの時見た左腕の怪我(・・・・・)を負っているはずである。

 

 だからこそコナンは、その傷を同じ箇所に負っていないか確認するために来栖暁の上着を脱がせにかかった。だが――

 

(…………やっぱり、アイツは白だったってことか?)

 

 そう、彼の左腕には傷はおろか、痕さえ残っていなかったのである。念のため、傷痕を隠すためのメイクなどが施されていないかも調べたが、それも違った。

 

 これはコナンが知る由もないことだが、暁は左腕に負った傷をペルソナ――イシュタルの力で治療していた。もちろん魔法ではない。回復に特化したイシュタルには、自然治癒を促進する能力を備わせていたのだ。魔法と同じく効力は低下しているが、あの程度の傷を治すには一晩あれば十分であった。

 

 一晩で傷を跡形もなく治すすべなど見当もつかないコナンは、自分の推理が間違っていたのかと暁=ジョーカーの疑いを薄めていく。

 

(くっそ~、絶対アイツがジョーカーだと思ってたんだけどなぁ……)

 

 自らの推理ミスの可能性に苛立ちを覚え、まるで金田一耕介のように頭を掻くコナン。彼と違ってフケは落ちないが。

 

 コナンとしては、歩美を助けてくれたことに関しては怪盗団に感謝の念を抱いている。

 だが、人の心というものは探偵であったとしても易々と看破できない、ある意味では究極のミステリーだ。コナンは心理と事実を元に推理する探偵である。故に、それを好き放題に弄ることができることの恐ろしさが人並み以上に理解できた。例え、人を救うためだとしても。だからこそ、怪盗団に対して憤りを感じ、執拗に彼らを追っているのだ。

 

 まあ、仮に逮捕できたとしても、洗脳によって犯罪を唆してはいないことから、その件で怪盗団の罪を立証することはできないが。恐らくは、帝丹高校の校長に対しての傷害の容疑でということになるだろう。

 

「フェザーマンの数の暴力で仮面ヤイバーが追い詰められるシーンは手に汗握りましたね~。あ、元太君達はフェザーマンの中で誰が好きですか? ボクはブラックファルコンです!」

「オレはイエローアウルだな!」

「わたしはね~、ピンクアーザス! コナン君は?」

「え? そ、そうだなぁ……う~ん(内容知らねえのに答えられっかよ!)」

 

 そんなこんなで映画の話で一名を除いて盛り上がっていると、朝の会の始まりを知らせるチャイムが鳴り響く。

 

「はい、みんな席についてー!」

 

 教室に入ってきた眼鏡を掛けた女性――小林澄子先生は、生徒達が皆席に座るのを確認すると、にこやかに微笑んで口を開く。

 

「えー、江戸川君に引き続いてなんですが、うちのクラスにまた転校生が入ることになりました」

 

 教室中がザワザワとどよめき始め、一体どんな子かと皆が顔を見合わせる。

 

「それじゃあ、入ってきてー!」

 

 小林先生が声を掛けると、教室の扉がゆっくりと開かれた。入ってきた少女を見て、目を見開くコナン。

 

 

 白襟に青を基調とした色のワンピース。プラチナブロンドの長髪に蝶を象った髪飾り。

 

 

 

 1年B組に編入してきたその少女は、来栖暁の親戚と名乗っていた――ラヴェンツァであった。

 

 

 

「今日から新しくみんなのクラスメイトになる来栖ラヴェンツァちゃんです。えーっと、軽く自己紹介してもらえるかな?」

 

 黒板に彼女の名前を書いた小林先生に促されて、教壇の横に立たされるランドセルを背負ったラヴェンツァ。

 ラヴェンツァの見た目は北欧系外国人のそれだ。ほとんどの生徒が物珍しさから彼女に注目し、またその人形のような端麗な装いに心を奪われた。おめでとう、ラヴェンツァ。君は1年B組のほとんどの男子生徒の初恋の相手となった。

 

来栖(・・)ラヴェンツァです。どうぞよしなに」

 

 麗しい令嬢のようにワンピースのスカートの裾を摘まんで礼をするラヴェンツァ。なぜか苗字を誇張しており、澄ました顔にも関わらず妙に嬉しげに見える。

 

 自己紹介が終わり、お決まりの質問タイムが始まる。

 

「わたしは吉田歩美! よろしくね! ラヴェンツァちゃんって外国人さん? どこから来たの?」

「ポアロです」

「え?」

 

 多分、歩美はどの国から来たのか聞きたかったのだろう。ラヴェンツァの答えに、コナンはポアロなんて国があったら自分が行ってみたいと乾いた笑いを出した。

 

「そ、そうじゃなくてね、ラヴェンツァちゃん。吉田さんはどこの出身か聞いてるのよ」

「そうでしたか。出身はベルベットルームです」

「いや、だからどこの国それ?」

 

 意味不明な答えを返されて困惑する小林先生。後から「間違えました。スウェーデンです」と答えてはいたが、何をどう間違えたらそうなるのか。

 

「オレ、小嶋元太! 好きな食いモン何だ!? オレはうな重!」

「食べ物、ですか。暁お兄様の作ったカレーとコーヒーです」

「コーヒーが好きだなんて、大人ですね!」

 

 そばかすの目立つ痩せた少年――円谷光彦が顔を赤くさせて感嘆の声を上げる。

 

「当たり前です。私は子供ではありませんから」

「あ、はい」

「ところで、うな充とは何ですか? リア充という言葉の亜種か何かですか?」

「はい、他に質問したい子はいるかなー?」

 

 そんな感じで、意味不明な面を完全にスルーしつつ、ラヴェンツァへの質問が続いていった。

 

 小林先生も言っていたが、1年B組は少し前に毛利探偵の元に居候している江戸川コナンが編入したばかりである。が、直後に転校することとなった近藤という少年が引っ越してしまったため、その穴埋めも兼ねてまたB組に編入することとなったのだ。

 

 引っ越してしまった少年は、帝丹高校の校長改心事件で関係者として逮捕された近藤弘之の弟である。彼の家族は、押し寄せるマスコミに耐えかねて、数日もしない内に他県へと引っ越してしまった。親は校長と内通していたわけではないが、近藤が良からぬことをやっていたことには気づいていたらしい。しかし、何もしなかった。

 

 近藤はやったことへの責任を問われ、その親はやらなかったことへの責任を問われた。世間はただ巻き込まれてしまったその近藤の弟を、その家族の中の唯一の被害者として哀れんだことだろう。一方で、近藤の弟も家庭環境のためかあまり性格が良かったというわけではなかった。何とかしようとよく話しかけていた小林先生は彼が転校してしまって落ち込んでいたが、B組の生徒の大半はこれ幸いと喜んでいたものである。

 

 そんな情勢を、コナンは複雑な気持ちで眺めるしかできなかったわけだが……

 

「じゃあ、ラヴェンツァちゃんはそこの空いてる席に座ってもらえるかな?」

「分かりました」

 

 質問タイムが終わって、ラヴェンツァは示された空いている席に座る。コナンの右斜め前の席だ。コナンは頬杖を突きながらお行儀良く座っているラヴェンツァを観察する。

 

 そういえば、彼女は杉本が歩美を人質にした事件の現場にいた。しかも、堂々と杉本の前に出てきて、怪盗お願いチャンネルに書き込みがされていることを伝えていた。

 彼女が怪盗団に入れ込んでいることは以前ポアロで会った時の会話で分かっていることだが、なぜわざわざそのような真似をしたのだろうか? 野次馬が同調して結果的に杉本に精神的な揺さぶりをかけることはできたが、それが狙いだったとしても妙である。

 

 その点は気掛かりではあるが、それとは別にコナンが今一番気にしているのは、彼女が子供にしては肝が据わりすぎていることにある。見た目に似つかわしくない大人びた口調もだ。

 

 もしかすると、自分と同じように例の薬を飲まされて……

 

(ハハ、まさかな)

 

 多分、ただのませた子供だろう。彼女がいつから日本に住んでいるかは知らないが、平和ボケして子供を甘く育てがちな日本と違って、外国では子供に対して早い頃から精神的自立を促している。恐らく、大人びているのはそのためだろう。いつもの癖で考えを巡らせていた思考を、そう結論付けて留めるコナン。

 

「何だよコナン。あの子のことじろじろ見て」

「もしかして、コナン君。彼女に一目惚れしちゃったとか!?」

「えー! そうなの!? コナン君!」

「バ、バーロー! んなわけねぇだろ!」

 

 コナンはからかってくる元太と光彦、問い詰めてくる歩美から顔を背けてあしらった。

 そんな彼らの会話を耳に入れつつ、横目で様子を伺うラヴェンツァ。思い出されるのは、先週のポアロでの会話だ。

 

 

 

◆◇◆◇◆◇◆◇

 

 

 

「じゃーん!」

 

 時は遡って、喫茶店ポアロにて。

 満面の笑みで両手に持った背負い鞄を掲げる梓。いかにも丈夫そうなそれは、暁どころか日本に住んでいるほとんどの人間が使ったことのある鞄――

 

 

 そう、ランドセルだ。

 

 

 ランドセルを見せつける彼女を呆然とした様子で見る暁達。

 

「なんですか、その鞄は?」

「何って、ランドセルだってば」

「ほう、ランドセル。中々良いデザインをしていますね。暁お兄様への贈り物ですか?」

「え゛? 違うよ! ラヴェちゃんへのプレゼントに決まってるでしょ!」

 

 ランドセルといえば、外国ではファッションアイテムとして一部で人気らしいが、ここは日本。梓がラヴェンツァにそれをプレゼントしたということは――

 

「来週から、ラヴェちゃんも学校に通えるようになるのよ!」

 

 何でも、妃弁護士と相談して、梓が保護者代理として手続きをしたらしい。

 なんてことだ。突然の衝撃発言に、暁は眩暈を覚えた。対して、ラヴェンツァは渡されたランドセルを抱えて目を輝かせている。

 

「まあ! 私も暁お兄様と共に学校へ行けるのですか!?」

 

 どうやら、小学校ではなく暁と同じ帝丹高校に通えると思っているようだ。

 

「う~ん、ごめんね。暁君と同じ学校は無理かなぁ。ラヴェちゃんが通うのは帝丹高校じゃなくて帝丹小学校だから」

「なぜ高校へ行けないのですか?」

「なぜって言われても……ラヴェちゃんまだ小さいし」

「私はこのようなナリをしていますが、見た目通りの子供ではありません。こう見えても、長い時を過ごしてきているのです!」

「へー、そーなんだー、すごいねー」

 

 必死に自分が子供ではないことを伝えようとしているラヴェンツァだが、梓は生暖かい眼差しを向けてそれに取り合おうとしない。いきり立ったラヴェンツァがまた口調を乱しそうになったその時、梓の携帯のバイブが鳴った。

 

「あ、電話。学校からかな?」

 

 梓はエプロンのポケットから携帯を取り出して、電話に出るためスタッフルームへと引っ込んでいった。梓がいなくなって、顔を見合わせる怪盗団の一同。

 

「ラヴェンツァ殿が、ランドセル背負って、しょ、小学校に……ブハッ」

 

 ランドセルを背負っているラヴェンツァの姿を想像して、思わず噴き出してしまうモルガナ。しかし、そんな彼にラヴェンツァが冷たい視線を送る。

 

「……久しぶりに処刑をしたくなりました。ですが、ここにはギロチンがありませんし、ホームセンターとやらでチェーンソーでも見繕ってきましょうか」

「ごめんなさい」

 

 彼女はペルソナを合体させる際、ギロチンを使った公開処刑――何がどうなってそれで合体になるのか説明できないが――を用いていた。そのギロチンが不調の時は、どこからともなくチェーンソーを取り出して処刑を行っていたのだ。暁も今では慣れたものだが、初めて見たときはさすがにドン引きした。

 ベルベットルームには他にも客人がいたらしいが、彼らも似たような経験をしたのだろうか。だとしたら、その彼らも苦労したに違いない。もっとマシな方法を新たな客人が現れた時のために用意しておくべきではなかろうかと、暁はランドセルを抱えているラヴェンツァをスマホで撮りつつ考える。

 

 そこで、ふと思い付く。そういえば、帝丹小学校はあの毛利探偵事務所に居候している江戸川コナンが通っている学校のはずだ。となると、これは丁度いいのかもしれない。

 

「つまり、私に江戸川コナンの動向を見張っていて欲しいと?」

「そうだな。子供とはいえ、怪盗団の正体に最も近づいているのはアイツだ。アキラの傷痕の件で疑いが限りなく薄まっているだろうが、見張りを立てておいて損はないだろう」

「……仕方がありませんね。そういうことであれば、小学校に通うことにします」

 

 心底不満げではあるが、何とか納得してくれたようだ。ぶっちゃけて言えば、コナンの見張りはついででしかないが、文句を言わずに学校に通ってもらうにはそう理由付けする他ないだろう。ラヴェンツァのような見た目子供が学校に通わず喫茶店に入り浸ったり街中を歩いているのは変に悪目立ちしかねないのだから。

 

 こうして、ラヴェンツァは帝丹小学校に通うことになったのである。

 

 

 

◆◇◆◇◆◇◆◇

 

 

 

 転入生ラヴェンツァの紹介を主とした朝の会が終わって、一時限目が始まった。

 一時限目は道徳。せっかくだからと、ラヴェンツァのために皆で校内を案内することになった。しかし、自己紹介でも薄々感付かれていただろうが、その案内によって彼女が色々と浮世離れしているちょっとおかしい少女であることを皆は知ることとなる。

 

 理科室に行けば――

 

「ここが理科室だぜ!」

「ほう、ここで電気椅子処刑を行うのですか?」

 

 図書室に行けば――

 

「ここが図書室です!」

「なるほど。武器庫も完備されているのですね」

 

 体育館に行けば――

 

「ここが体育館……」

「どこに雪の女王の仮面があるのですか?」

 

 音楽室に行けば――

 

「こ、ここが音楽室だよ」

「音楽ですか。歌はお姉様方より自信があります。せっかくですから、一曲披露しましょう」

 

 と言って、長い鼻の唄という変な歌を歌う始末である。「皆さんもご一緒に」と言った時にはほとんどの者が遠慮して首を振った。ラヴェンツァの声は透き通るように綺麗であったが、歌はお世辞にも上手いとは言い難いものであった。約一名、音痴仲間が増えてほんの少しばかり嬉しい気分になっている者がいたが。

 

 そして、給食の時間にコーヒーを要求し出す頃には、皆が彼女の言動や行動をスルーするようになっていたのである。

 ラヴェンツァはすごく可愛いけど、ものすごく変な子だ。そんな認識が出来て、皆があまり彼女に近寄ろうとしなくなるのに、そう時間はかからなかった。一方で、彼女はそれを特に気にした様子もない。というよりも、なぜ変な目で見られているのか分かっていないようだ。

 

 

 

 

 

 

 そんなこんなで、放課後の時間となった。

 

 1年B組の生徒達は妙に疲れた顔付きで帰宅の準備を始めている。そんな中でも仲の良い者同士で声を掛け合って放課後のことについて話しているが、ラヴェンツァに目を向けても近づこうとする者はいない。

 

「ねえ、ラヴェンツァちゃん! 明日の放課後って空いてる?」

 

 そんな孤立気味なラヴェンツァを気にしてか、吉田歩美が明るい口調で彼女に声を掛けた。

 

「……どうでしょう。特に用事はないと思いますが」

「じゃあ明日、わたし達少年探偵団と一緒に探検に行こうよ!」

「探検、ですか?」

 

 この少年探偵団を名乗る歩美・元太・光彦の三人組。これにコナンも入っているらしいが、彼らは杉本の事件にも居合わせていた。しかも、誘っている本人である歩美は人質にされた張本人である。活動を続けてことからして、全く懲りていないらしい。

 

「ボク達、この前も古びた洋館を探検しに行ったんです。実はそこである事件に巻き込まれちゃったんですけど、ボクら少年探偵団が見事に解決したんですよ!」

(解決したのはオレだっつーの)

「それでね、また不気味な屋敷を見つけたから、そこへ探検しに行こうって話なんだ!」

「もしかしたら、オタカラが見つかるかもしれねーぞ!」

 

 興奮気味の三人と、呆れた顔でその様子を伺っているコナン。オタカラという言葉に少し反応しつつも、ラヴェンツァは「ふむ」と腕を組んだ。

 

「それで、その屋敷というのは?」

「うんとね、二丁目二十一番地の『えとう』さんってお家!」

「えっ」

「屋敷中怪しげな本で埋まってて、たった一人で住んでた少年も化物に食べられちまったって噂だぜ。今は誰も住んでないんだってよ」

「それにしても、カタカナ混じりの苗字なんて珍しいですよね。ボク初めて見ました」

 

 コナンは事前に知らされていなかったのか、話を聞いていく内にどんどん顔色を悪くさせていく。

 

「お、おい……その家ってまさか――」

「なるほど、分かりました。少し興味があるので、私も一緒に行きましょう」

「ホントに!? じゃあ明日の放課後、家にランドセル置いたら米花公園に集合ね!」

 

 ラヴェンツァの返事を聞いた歩美は、嬉しそうにはしゃいで教室を出ていく。元太と光彦も彼女に続く形で教室を後にしていった。

 

「どうしたのですか? 顔色が悪いですよ」

「え? あ、いや、なんでもないよ……」

 

 コナンはぎこちない笑いで誤魔化したが、目が泳いでいるし何かあるのは誰が見ても明らかである。ラヴェンツァはそれに訝しげな目を向けつつも、「お先に失礼します」と開いた引き戸を潜って昇降口へと向かっていった。

 

 

 

「…………それって、オレん家じゃねーか!」

 

 

 




恐らくですが、次回も遅れるかなぁと思います。
まあ、今まで一週間毎に投稿できてたことが奇跡みたいなものですから!

ゴールデンウィーク? 私の認知には存在しませんねぇ。








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FILE.20 工藤邸殺人事件

「おーい、待たせたなー!」

「あ、元太君!」

「もう~遅いですよ、元太君」

「それでは全員揃ったことですし、その屋敷に行きましょうか」

「……ああ、そうだな」

 

 翌日の放課後、家にランドセルを置いてきた少年探偵団とラヴェンツァは米花公園で落ち合い、例の『えとう』という名前の屋敷へと向かい始めた。

 

 元太達はそれぞれ持ってきた荷物を鞄に入れている。元太は菓子類にバット、光彦と歩美はそれぞれ家にある懐中電灯を。手ぶらなのはコナンとラヴェンツァだけだ。いや――

 

「わあ、かわいい! ラヴェンツァちゃんの猫なの?」

「そうです」

「……また連れてきてるのかよ」

「またとは?」

「いや、別にいいけどさ……」

 

 ラヴェンツァはモルガナを連れてきていた。自分達の後をついて来る見覚えのある猫に、苦笑いを禁じえないコナン。

 

 しばらくして、件の屋敷に辿り着く一行。

 今日は曇りがかった天気。冬というのもって、まだ昼過ぎにも関わらず薄暗い。そんな中、人気が全くないためかその屋敷からは少しばかり薄気味悪さが感じられた。

 

「よーしっ! それじゃあ行くとするか!」

 

 それにも関わらず、元太達は意気込んで屋敷の門を開けて侵入する。コナンはやれやれといった様子でその後に続いた。

 

 

 この()とう――改め工藤邸は、子供の姿になる前のコナン、つまり新一の家だ。新一は例の黒尽くめの男達に例の薬を飲まされて縮んで以来、この家には全くといっていいほど訪れていない。せいぜい、子供の時の服を回収しに来た時ぐらいである。

 元太達が無人と化した工藤邸に侵入するという話になって、コナンはその隣に住んでいる阿笠博士に電話で相談した。例のユニークなメカを開発してくれる自称天才科学者で、コナンの正体を唯一知っている人物だ。

 

『え、今なんつった博士?』

『だからの、新一。いっそのこと探検させてみてはどうかと言っとるんじゃよ』

 

 当初コナンは、工藤邸は今は誰も住んでいないだけで空き家というわけではないことを説明して欲しいと博士に頼もうとした。だが、博士は何を考えているのかそんな提案をしてきたのだ。

 前回事件と遭遇した洋館と違って何もないことが分かれば拍子抜けし、怪しい物件を見つけては探検するなどということはしなくなるだろうということらしい。そんな博士の提案に、コナンは多少渋りながらも承諾した。

 

 

 そこかしこに枯れ葉の溜まった広い庭を横切って、工藤邸の玄関に入る。

 屋敷の中は一ヶ月もの間人の出入りがなかったためか、床にうっすらと埃が溜まっていた。現在は別人として毛利家で生活しそれに慣れ始めているためか、自分の家であるというのにどこか帰ってきたという気がしないコナン。そのことに若干の虚しさを覚えた。

 

「まずはこっちから探ってみましょうか」

 

 電気の点いていない屋内となるとかなり薄暗いので、それぞれ懐中電灯を持って左手のダイニングキッチンに入る一行。キッチンには色々と生活用具が残されていた。

 

「なんだか、色々と物が残ってるね」

「綺麗に整頓もされてますし……もしかして、ここ空き家じゃないんでしょうか」

 

 光彦が不安気に辺りを見回して呟いた。実際、その通りだ。

 

「何言ってんだよ、空き家に決まってんじゃん。だってほら、冷蔵庫に何にも入ってないぜ」

「本当だ」

「それにまだ電気が通ってるみたいですし、懐中電灯持ってくる必要なかったですね」

 

 勝手に冷蔵庫を覗いた元太が、そう言って光彦の不安を一蹴する。電気が通っているという時点で無人だという考えには普通至らないのだが、コナンはあえて黙っておくことにした。

 

 冷蔵庫の中身についてだが、コナンが新一としてこの屋敷で生活していた時から空であった。これは新一が自炊を全くしていなかったからだ。たまに蘭がおせっかいを焼いて料理を作りに来てくれることはあったが、大抵はいつもデリバリーかインスタントで済ませていた。

 新一からしたら嬉しさ反面、気恥ずかしさからおせっかいが過ぎるという気持ちが強い。だが、この日本で幼馴染の異性に料理を作ってもらえる人間が何人いるだろうか。これをパツキンモンキーや某田舎のジュネス店長の息子が聞いたら羨ましさに咽び泣くことだろう。

 

 

 そんな下手したら全国の非モテ男子からの呪いを受けそうなダイニングキッチンを出て、一行は反対側にあるリビングへと入る。

 

「わー! すっごく大きなテレビですねー!」

「う、うん……そうだね」

 

 大型の液晶テレビがあるのを見て、興奮する光彦。しかし、やはりと言っていいか生活感の残る装いに、歩美も不安気な顔をし出した。

 

「き、きっとまだ家財道具を処分してないんだよ。色々と手間がかかるから放置してるって話はよくあるし」

 

 そんな歩美を見て、コナンは引き攣った顔付きのまま適当にはぐらかす。別の部屋を見に行こうと口にしようとして、元太の姿が見当たらないことに気付いた。

 

「あれ? 元太の奴、どこ行った?」

「いないの? ラヴェンツァちゃん、元太君知らない?」

「さあ、このリビングに向かっている時にはいたはずですが」

 

 どこへ行ったのかと廊下に出て辺りを見回すコナン達。そんな三人を、ラヴェンツァは手を後ろに組んで遠巻きに見ている。

 

 

「――おーい! こっち来てみろよ! すっげえぞ!」

 

 

 そこへ、どこからかコナン達を呼ぶ元太の声が耳に届く。声は廊下の奥から聞こえてきた。

 

 廊下を進むと、奥にあった扉の向こうに元太の姿が見える。扉を潜ると、そこは円形型の図書室であった。高い天井まで続く本棚には所狭しと本が並べられている。

 

「わー! すごーい!」

 

 自分達の学校の図書室とは違う、まるで映画に出てくるような空間を前にしてはしゃぎ出す元太達。

 この屋敷の主である新一の父親、工藤優作は世界的に有名な推理小説家で、この図書室は彼の書斎だ。コナンは慣れ親しんだ古本が醸し出す独特な匂いを嗅いで、ようやく自分の家に帰ってきた気分になった。

 

「さほどが推理小説のようですね」

 

 対して、いつも通りな様子のラヴェンツァ。

 これらの棚に納められている本は、主に工藤優作が小説を書くに当たって参考とする小説や資料ばかりである。その中には、彼自身が関わった事件の資料なども含まれている。優作は新一以上の推理力の持ち主で、新一と同じく若い頃から探偵として数々の事件の捜査協力をしてきていたのだ。この親にしてこの子あり、ということである。

 

「も、もしかすると、この屋敷の主は推理小説家なのかもしれないね」

「そうですね。私も、暁お兄様に連れられて本屋で色々な物語の本を購入しました。中でも、推理小説はお気に入りでしたね」

「! へ、へー。ボクもだよ」

 

 共通の趣味を持っているということに親近感を覚えるコナン。

 

「ボクはコナン・ドイルのシャーロック・ホームズシリーズが好きかな! キミはどの作品が好きなの?」

「色々と読みましたが……一番はモーリス・ルブランのアルセーヌ・ルパンシリーズですかね」

「はあ?」

 

 ラヴェンツァの答えを聞いて、露骨に嫌な反応を返して眉間に皺を寄せるコナン。

 

 確かにアルセーヌ・ルパンシリーズは冒険推理小説だ。幾つもの名を持つ世紀の大泥棒であり、変装の名人。そして、人を殺さないことを信条としている。そんな主人公であるルパン自身が名探偵として活躍する場面も多々あり、怪盗でありながら探偵社を設立したりといったこともある。

 

 数ある推理小説の中には、アルセーヌ・ルパンシリーズの他にも犯罪者が探偵役を担う内容の物もたびたび存在する。しかし、コナンはそういった犯罪者探偵をホームズや他の有名な探偵と同列に考えたくはないと思っているようだ。

 探偵としての実力があるにしても、泥棒は泥棒。一探偵として、コナンはそんな存在を同じ探偵と認めるわけにはいかなかった。

 

「オレは正直どうかと思うけどな。ルパンがホームズと対決する話が幾つかあるけど、色々と問題がある作品ばかりだったし」

 

 他人の好みをどうこう言うつもりはなかったが、思わずコナンはそう言及してしまった。口調も元太達に対してと同じような崩したものになっている。

 

 怪盗と言えばアルセーヌ・ルパン。探偵と言えばシャーロック・ホームズ。といったように、ルパンはホームズと対比されることが多い作品だ。そんな中でルブランが執筆した対ホームズの作品は、いずれもホームズの扱いがあまり良くない内容であった。正確にはホームズとして登場させたのは一作だけであり、後の作品では名前を変えて別人として登場させているが、ホームズが元となっていることには変わりない。現に、邦訳ではいずれもホームズと訳されている。

 当然の如くルブランはシャーロキアン達から不評を買い、さらにはホームズの生みの親であるドイル本人からも抗議を受けた。コナン自身も、読んでいて不愉快な気分になった覚えがある。

 ルパンが好きだというラヴェンツァの言葉を聞いてコナンが良い顔をしなかったのは、ルパンが犯罪者だからということもあるが、概ねの理由はそちらに比重が置かれているようだ。

 

「そんなことはどうでもいいんです」

 

 コナンの言葉に、さも当然といったようにそう答えるラヴェンツァ。てっきり色々と反論してくるかと思っていたコナンは少しばかり呆気に取られてしまう。彼女は怪盗が活躍するという内容だから気に入っただけで、ルブランやアルセーヌ・ルパン本人については特にどうも思っていないらしい。

 そういえばと、コナンはラヴェンツァが例の怪盗団に傾倒していることを思い出した。どうもこの少女は怪盗という存在をいたく気に入っているようだ。

 

「じゃあよ、怪盗団とは別に、最近復活して世間を騒がせている怪盗キッドについてはどうなんだよ?」

 

 ならばと、コナンは興味本位でキッドについてどう思っているかラヴェンツァに聞いてみた。

 

「キッド……? ああ、そっちのですか。そういえば、そんな存在もいると聞きましたね。せいぜい名前を聞いた程度で、そこまで興味はありません」

 

 しかし、ラヴェンツァの答えは予想に反して素っ気無い。それどころか、世界中で有名なはずであるキッドのことを、まるでつい最近知ったかのような反応であった。

 

「ですが……」

 

 ラヴェンツァはパラパラと捲っていた本をパタンと閉じた。

 

「怪盗同士の対決というのも、見てみたいものですね」

「……?」

 

 

 

「――痛っ!」

 

 ラヴェンツァの言葉についてコナンが考えあぐねていると、二人の会話を少し離れた場所から聞いていた歩美が短い悲鳴を上げた。

 

「だ、大丈夫か? 歩美ちゃん!」

 

 聞きつけたコナン達が駆け寄ると、歩美の指からはプクッと血が膨れ出ていた。木製の本棚の一部が少し荒れていて、ささくれ立った棘が指に刺さってしまったらしい。幸い、棘自体はすでに取れているようだ。

 ひとまず、コナン達は洗面所を探して傷口を洗わせることにした。

 

「ここが洗面所みたいだな」

「それじゃあ、オレ救急箱取ってくるから」

「あ、大丈夫ですよ。ボク、絆創膏持ってきてますから」

「え? そ、そうか……」

 

 受け取った絆創膏を貼る歩美を見つつ、コナンは危ない危ないと安堵の溜息を吐く。光彦が絆創膏を持ってきていなければ、あのまま迷わず救急箱を取っていくところだった。ラヴェンツァ辺りに疑問を抱かれて、なんで救急箱がある場所を知っているんだと問い質される羽目になってしまっていたかもしれない。

 

 

「――ッヒ!」

 

 

 すると、突然元太が短い悲鳴を上げた。彼の方を見やると、その顔はひどく青褪めている。

 

「どうしたんだよ、元太」

「……ふ、風呂場に、誰かいねぇか?」

 

 元太は震える指で浴室扉を指差した。

 浴室扉にはスモークガラスが取り付けられており、中に人がいれば人影で分かるようになっている。確かに浴室に浸かるような形で頭部の影が映っているように見える。

 

「ハハッ、そんなまさか」

 

 コナンは軽い気持ちで浴室扉の取っ手に手を掛けた。泥棒が侵入していたとしても、わざわざ他人の家の風呂を利用するわけがない。海外で他人の家に侵入してシャワーを浴びた者がいたらしいが、ここは日本だ。

 恐らく、人ではなく畳まれた風呂ふたか何かと勘違いしているだけだろう。そう考えながら、扉を開き中を覗く。

 

 

 

 浴室には、肥えた中年の男性が、血だらけの状態で浴槽の中に倒れていた。 

 

 

 

 すぐにピシャリと浴室扉を閉めるコナン。

 

「何があったんですか? コナン君」

「どうしたんだよ! 人がいたのか!?」

「べ、別に何もなかったって……それよりおめえら、腹減ってきてないか? さっきのリビングで休憩にしようぜ」

 

 コナンは隠すようにして浴室扉に背を向け、何があったのかと聞く光彦達に対して曖昧に笑ってごまかした。そのまま、彼らをさきほど訪れたリビングへ無理矢理に追いやる。

 

「わりぃ。オレちょっとトイレ行ってくるから、先に食べててくれ」

「え、う、うん」

 

 そして、すぐにまた適当な理由を付けて洗面所へと戻ってきた。

 自分の家に死体があった。それだけでも信じられないことであるが、それ以上にある事実がコナンの脳裏を駆け巡っていた。

 

 

 ――あの死体は、阿笠博士ではなかっただろうか?

 

 

 見たのはほんの一瞬だけだ。だが、あの体格と顔はどう見ても隣に住む阿笠博士であった。物心ついた頃からの長い付き合いだ。血だらけであってもコナンが見間違うはずがなかった。

 

 だが、それでも。見間違いであって欲しい。

 

 決して、赤の他人の死体であればいいと考えているわけではない。親しい人物の死が間違いであって欲しいと考えるのは、至極当然のことである。

 

 手汗でじっとりと濡れた手で、浴室扉の取っ手に手を掛けるコナン。

 今まで死体は散々見てきた。それこそ、見るも無残と言わざるを得ない物まで。しかし、その死体が自分の身近な人物であるというだけで、これほどまでに思考が乱れ、精神が揺さぶられる。

 

 緊張で歪む視界。激しく動悸する心臓。目を閉じ、首を横に振って深呼吸する。

 

 

 ――自分は探偵だ。ならば、真実を見据えなければならない。例え、それがどんな残酷なものであったとしても。

 

 

 コナンは、震える手で……ゆっくりと、扉を開いた。

 

 

 

 

 しかし、そこには死体どころか一滴の血も存在しなかった。

 

 

 

 

「そ、そんな馬鹿なッ!」

 

 コナンは打って変わって扉を勢い良く開け放ち、中に入って確認する。何度見直しても結果は変わらない。死体は消えていた。

 一体全体どういうことだろうか。死体の身元ならまだしも、探偵の目を持つ自分が死体の有り無しを見間違うことなんてことあるはずがない。

 

 まさか、犯人が今もこの屋敷に潜んでいて、死体を別の場所に移動させた? 浴槽に付着していた血液は、洗い流したのだろうか?

 

 いや、とコナンはその線を否定した。

 死体を移動させたのは確かだ。だが、浴槽は乾いている。水を流した痕跡は一切見受けられない。

 

(ということは……)

 

 浴室を出て顎に手を添えて推理を組み立て始めるコナン。

 

 しかし、そこで足音が近づいてくる。

 

 足音から歩幅を推定したコナンは、足音の主が元太達のような子供ではなく大人であることに気付く。それは既に洗面所の前の廊下を歩いている。今飛び出ても見つかってしまうだろう。

 コナンは洗面台の下の棚を開けて中を確認した。しかし、中には日用品が置かれていて、隠れるスペースはありそうもない。コナンの顔に汗が滴り、焦りは頂点に達する。

 

 

 

 

 そして、ついに足音の主が洗面所の前まで辿り着いた。

 足音の主は、黒尽くめの格好にドミノマスクを着けたふくよかな体格の女であった。

 

 女は扉が開かれたままの洗面所に気付き、口端を吊り上げて中へと入ってくる。誰の姿も見えない洗面所を見て、したり顔で浴室扉の方を向き、開け放った。

 

 

 しかし、誰もいない。

 気のせいかと、女は鼻から溜息を吐いた。

 

 

 その隙を突いて、コナンは開かれた洗面所の扉の影から飛び出した。

 

(急いで脱出しねえと! 元太達は無事なのか!?)

 

 元太達とすぐに合流して屋敷から脱出し、警察に連絡しなくては。コナンは廊下に出て、リビングの方へ向けて駆け出し始める。

 

 

 だが、廊下の先の影からもう一人、女と同じ黒尽くめの様相にフルフェイスの仮面を被った男が現れた。

 

 

「――なっ!?」

 

 仲間がいたのか!?

 予想外のことに慌てて足を止め、その男と対峙するコナン。間髪入れず、洗面所から出てきた女がコナンの背後に立つ。

 

 完全に挟み撃ちされてしまった。

 

「初めまして、工藤新一……」

 

 男は仮面の奥の唇を動かし、くぐもった声で語り出した。

 

(コイツ、オレの正体を知っている!?)

 

 自分の正体を知られていることに、動揺を隠せずに目を見開くコナン。

 

「我々は君に毒薬を飲ませた組織の一員だ」

「組織の調査によって、貴方が死亡しておらず幼児化したことが判明したから、私達が始末を任されたのよ」

 

 背後に立つ女がコナンを羽交い絞めにし、暴れ出すコナンの口を塞ぐ。これでは、麻酔銃も使えない。

 男はゆっくりと近づいてきながら、懐からサイレンサー付きの拳銃を取り出した。銃口が眉間に突き付けられ、冷たい死の感触がコナンの額を通って心臓に伝わり、呼吸が止まる。

 

 

(――蘭!)

 

 

 そして、無情にもその引き金が引かれた――――

 

 

 

 

 

 

 一方、リビングでは元太達が持ち込んできたお菓子を食べてくつろいでいた。

 

「遅いですね、コナン君」

「大きい方なんじゃねえか?」

 

 帰りの遅いコナンに、スナック菓子を貪りつつ文句を言う元太と光彦。

 そして、不安げな表情をしてソファに座っている歩美。その隣に座るラヴェンツァは膝にモルガナを乗せて、書斎から勝手に持ち出した本を読んでいる。本のタイトルはコナン・ドイルのシャーロック・ホームズシリーズの一つ、『空き家の冒険』だ。

 

 手をつけていたスナック菓子を食べ終わった元太は、次の菓子袋を鞄から取り出そうする。その時、歩美がすっくと立ち上がった。

 

「ねえ、コナン君を捜しに行こうよ」

 

 そう提案する歩美に、光彦と元太は顔を見合わせる。

 

「でも、そんなに広い屋敷ってわけでもないですし、きっと大丈夫ですよ」

「きっと悪いモンでも拾い食いして腹壊しちまったんだよ」

 

 二人して全く危機感がない。今までの経験から、何かあってもどうせ何とかなるといった心持ちなのかもしれない。

 

「もう! 二人共!」

 

 歩美が怒る中、ソファから降りたラヴェンツァが三人の脇をすり抜けるようにしてトコトコと扉へと向かっていく。

 

「ら、ラヴェンツァちゃん。どこに行くの?」

「……江戸川コナンを捜しに行くのではないのですか?」

「え? ……う、うん!」

 

 ラヴェンツァの答えに歩美は嬉しそうに頷いて、彼女の後に続こうとした。

 

 しかし、ラヴェンツァがドアノブに手を伸ばそうとしたところで、リビングの扉が独りでに開いた。

 

 

 否、廊下側にいた黒尽くめの福々しい風体の女が扉を開いたのだ。

 

 

「――っ!? ご、ごめんなさい!」

 

 驚いた歩美がこの屋敷の住人かと思い、慌てて謝り出す。元太と光彦もおっかなびっくりとした様子で立ち上がってそれに倣った。

 対して、女はマスクの奥の両目を細めて口を開く。

 

「まあ、かわいい子供達ね。全然大丈夫。謝ることなんてないのよ」

 

 そう言葉を紡いだ赤い口紅が塗られた唇を一層綻ばせて、女は続けた。

 

 

「だって私達、この家の住人じゃないんですもの」

 

 

 え……という声を漏らした歩美達が女の言葉の意味することを考えていると、女の背後から同じく黒尽くめの仮面を被った男が現れる。

 男の右手に握られているのは、黒光りする拳銃。それを認めた歩美達は一斉に顔面蒼白となり、お互いに寄り添う形で後ずさる。ラヴェンツァは三人を庇う形でマスクの男女の前に出た。

 

 男と女はそんなラヴェンツァ達を嘲笑うかのような態度を示し、何やら二人で話し合い始めた。

 

「アイツは始末したけど、この子供達はどうするの?」

「ふむ。本来なら目撃された以上殺すべきだが……このまま連れ去り、組織の人材として洗脳教育するのもいいかもしれんな」

 

 その会話を聞いた歩美達が、短い悲鳴を上げて嘆く。

 

「……アイツというのは、江戸川コナンのことですか?」

 

 ラヴェンツァは冷静に話に出てきた気になる点について問い掛ける。

 

「コナン? ああ、あの少年は組織にとって都合の悪い存在でね。先ほど、私がこの銃で殺したところだよ」

 

 男は右手の銃を掲げて、事もなげにそう答えた。

 

「う、嘘だろ……?」

「コ、コナンくん……!」

 

 絶句する元太。歩美は涙を流して嗚咽を漏らし始めている。

 

 元太の後ろ、彼の肥えた身体の影に隠れて光彦は鞄から携帯を取り出し、震える手で警察に連絡しようとしていた。しかし、コナンを殺したという言葉を聞いて、驚きのあまり携帯を落としてしまう。

 

「ん? そうか、最近の子供は携帯を持っているのだったな。おい、他の子供の携帯も取り上げておけ」

 

 男がそれに気付き、近づいて床に落ちた光彦の携帯を回収する。続いて、女が元太と歩美の携帯も取り上げてしまった。

 女はラヴェンツァからも取り上げようとしたが、彼女は携帯の類を持っていなかった。それどころか、手に持っている書斎から持ち出した本以外、荷物の類を何一つ持ってきていない。

 

「おい、本当にその本以外何も持っていないのか?」

 

 男の方もラヴェンツァの元へ歩み寄る。

 

 

 

 その時、リビングに置かれていた花瓶が急に倒れて床に落ち、音を立てて割れた。モルガナの仕業だ。

 

 

 

 男と女は花瓶の割れた音に驚いて、二人同時にそちらへ振り向く。その隙を突いて元太達とラヴェンツァは彼らの横を走り抜けてリビングから廊下へ飛び出した。

 

 飛び出してすぐに玄関から外に出ようとしたが、玄関前に黒尽くめの男女の仲間と思われるロングコートを着た大男が立っていた。大男が元太達に気付き、妙によたよたとした動きで近づいてきたので、無我夢中の元太達は悲鳴を上げて二階へと逃げていく。ラヴェンツァはその後を追った。

 

 元太達とラヴェンツァは二階へ上ってすぐにあった部屋に入り込むと、内側から鍵を掛けた。恐怖に震える身体を寄せ合って、部屋の隅に座り込む元太達。

 

「全く、なぜ二階に逃げたのですか。一階の部屋であれば、窓から逃げられたというのに」

「あ、そ、そうでしたね……」

「……まあ、過ぎたことは仕方ありません」

 

 立て篭もったその部屋には、机とパソコン。それにラックの上には数冊の本とサッカーボールのオブジェが飾られていた。家主の息子の部屋だろうか?

 

 ラヴェンツァが部屋を観察していると、歩美が再び嗚咽を漏らし始めた。コナンが殺されたということを聞いて、ショックを受けているようだ。

 

「わたしがこの屋敷を探検しようなんて言わなきゃ良かったんだ……わたしのせいだよ」

「……いえ、反対しなかったボクにも責任があります」

「お、オレだって……」

 

 後悔の念に駆られ、元太と光彦も釣られるようにして涙を流し始める。

 

「責任共々を話している場合ではないですよ。今はこの状況をどうするべきか考えましょう」

「……ぐすっ、ラヴェンツァちゃんは、悲しくないの!?」

 

 あくまで冷静沈着なラヴェンツァ。歩美は涙の溢れる目で彼女にそう問い掛けた。

 ラヴェンツァは手に持っていた本を机の上に置くと、懐からカードを取り出した。それを耳に当てながら、歩美を諭すように語る。

 

「江戸川コナンであれば、こういう時何がなんでも犯人達を捕まえようとするでしょう。ならば、友人という縁で結ばれた貴方達は泣き喚いてばかりでなく、その意思を継ぐべきなのではないですか?」

 

 その言葉を聞いて、鼻を啜りながらも黙り込む歩美達。

 

 

 その時、ドアノブがガチャガチャと回された。

 

 

 思わず、悲鳴を上げる三人。それでこの部屋にいることを分からせてしまったのか、まるで恐怖を煽るかのように一層ドアノブが激しく回される。ラヴェンツァは先ほどと同じく三人を背にして前に出る。

 

 やがて、扉がこじ開けられた。先ほどの仮面の男と女、それに玄関にいた大男も一度ドア枠に頭をぶつけてから部屋に入ってくる。

 

「やれやれ、手間を取らせてくれたな」

 

 男は右手に持った銃をラヴェンツァ達へと向けた。

 

「殺さずに連れ去るつもりではなかったのですか?」

「大人しくしていればそうするつもりだったけど……下手に抵抗するつもりなら、組織の邪魔になるだけ。生かしておく理由はないわ」

 

 女が答えて、男の指が引き金に掛けられる。迫り来る死の恐怖に、元太達の緊張が頂点に達する。

 

「何、痛いのは一瞬だけだ。心配はない。あの世へ行っても、コナンとやらが出迎えてくれるだろう」

 

 男は銃の引き金を引こうと指に力を入れ始めた。声にならない悲鳴を上げて目を閉じる元太達。

 

 そこまで来て、男は急に首を傾げて動きを止め、自分の握り締めている銃を見つめ始めた。

 

 

 

 ジ ョ ジ ー ヌ !

 

 

 

 それと同時に、ラヴェンツァが一瞬だけペルソナを召喚し、光の波動を放って男の銃を弾き飛ばす。

 

「今です!」

 

 ラヴェンツァの掛け声と共に、元太達が目を開けて男に向けて一斉に飛び掛った。

 

「「「わあぁーーー!!!」」」

 

 三人の子供、特に体重の重い元太の力によって男はバランスを崩し、仰向けに倒れされる。後ろに控えていた大男がそれに巻き込まれ、男と女の上に被さる形で倒れ込んだ。

 

「どうだ! まいったか!」

「えいっ! えいっ!」

「コナン君の! 仇です!」

 

 躍起になった元太達は大男の背中に登って何度も飛び上がり、男達を抑え込みにかかっている。

 

「うおっ! ま、まいった! まいったから、止めて!」

「いたたたっ! お、重いぃ!」

 

 さすがに耐えかねたのか、男達は急に声色を変えて必死に声を出しているが、興奮状態の元太達は気にも留めない。

 

 

 

「おい、おめえら! その辺にしとけ!」

 

 

 

 そこへ、もう聞くことないと思っていた声が部屋に響いた。まさか、と元太達が声のした方を振り向く。

 

 

 扉の外の廊下には、男達に殺されたはずの江戸川コナンの姿が立っていた。

 

 

 

◆◇◆◇◆◇◆◇

 

 

 

「いやー、すまんすまん」

「ったく……」

 

 結論から言うと、この少々どころかかなり行き過ぎた茶番は、コナンの両親を名乗るこの黒尽くめの男達による画策であった。大男の長いコートの下から、死体役も兼任した阿笠博士が顔を出してネタばらしをし始めたのだ。

 

 常日頃、事件と聞けば首を突っ込み無茶をする少年探偵団。近頃は下手に事件を解決――主にコナンによって――した経験があるためか、それに拍車をかけてしまっている。少し前に歩美が人質にされたことから少しは懲りたかと思いきや、全くその様子がない彼らに対して、博士から新一の事情と共に話を聞いた工藤夫妻がお灸を据えるつもりでやったことらしい。

 

 また、この屋敷は阿笠博士を介して使わせてもらっているだけで、本来は工藤優作という有名な推理小説家の家だと元太達は説明された。もちろん、それを説明した本人がその工藤優作と妻である工藤有紀子なのだが。彼らは依然、変装したままだ。

 

 ちなみに、死体に成りすましていた阿笠博士が浴槽から消えたトリックについてだが、あれは浴槽に血痕を模した模様が描かれたシートを貼っていただけという単純なものであった。コナンと元太達が洗面所を出て行った後、急いでシートを剥がして死体役から大男に変装したのだ。シートを剥がすだけだから、血液を洗い流したような痕跡がなかったのである。

 

「おい、コナン。お前知ってたのかよ?」

「いや、オレは屋敷のことについては博士から聞いてたけど、計画については知らなかったんだよ」

 

 責めるようにして問い掛ける元太にそう答えて、コナンはジト目で自分の親を見上げて睨みつけた。

 

「コホンッ! まあ、それはそれとしてだ……君達、これで自分達のしていることの危険性に気付いたかな?」

 

 優作が子供達に問い掛ける。隣に立っている有紀子もその場に屈んで、子供達と同じ目線になった。

 

「そうよ。今回は芝居だったけど、もしかしたら私達が本当に犯罪者で、コナンちゃんも本当に殺されていたかもしれないんだから。これに懲りて、もし何か事件に遭遇したらまずは大人に相談するように。分かった?」

「「「……はーい」」」

 

 元太達は反省したように項垂れている。

 それに頷いた優作は「君もすまなかったね」と抱えていたモルガナを放し、部屋の隅でカードを耳に当てて何やらコソコソしているラヴェンツァに謝った。

 

「少々やりすぎだとは思いますが……まあいいでしょう」

 

 実は、この部屋に立て篭もってすぐにラヴェンツァはカードで暁に連絡して、アルカナの力で認知空間と現実の境界を弄ってもらっていた。ラヴェンツァ達は最近これを擬似認知空間と呼ぶようにしているが……ともかくそれによって、先ほどペルソナを召喚することができたのだ。暁を中心にして、この空間は米花町を丸々囲うほどの大きさまで広げることができる。

 

 ラヴェンツァは暁に擬似認知空間の解除を伝え終わるとカードを懐に仕舞い、コナンとその両親を名乗る男達をじっと見据えた。

 彼女は人の絆や縁といった繋がりをある程度感じ取れる能力を持っている。それによって、コナンが脅されているというわけではなく、本当に血の繋がった実の家族であることが分かっていた。

 

「そうだわ。お詫びと言っちゃなんだけど、私が腕によりをかけてお夕飯をご馳走するわ!」

「やったぜー!」

「もう、元太君ったら!」

「ホント、芝居で良かったですよ……」

 

 

 

 

 その後、携帯を返してもらった元太達は両親の了解を得て工藤家の夕食を堪能し、また明日とそれぞれの帰路に着いた。

 

 ラヴェンツァはというと、ポアロからわざわざ暁が迎えに来ていた。何やらラヴェンツァは暁に謝っている様子であるが、暁は気にした様子もない。暁は門越しにコナンの両親に対してぺこりと頭を下げると、ラヴェンツァを連れてポアロへと帰っていった。その後をしっかりとモルガナが付いていっている。

 

 ラヴェンツァ達が去っていくのを確認すると、優作を口を開いた。

 

「新一。どうだ? 私達と一緒に海外に行くというのは」

 

 今は死んだと思われているだろうが、何時黒尽くめの組織に正体がバレて命を狙われるかも分からない。親として、新一の身を案じているのだ。

 

 

「……イヤだ」

 

 

 しかし、新一はそれを断った。これは自分の事件だと。何より、蘭に嘘をついたまま日本を離れるなんて考えは新一にはできるはずがなかった。

 

「新ちゃん……」

 

 組織による被害者が他にも大勢いる中、これは新一のエゴでしかない。息子の消息が分からないとくれば、両親が調査に乗り出すのは当然のこと。恐らく、将来的に優作達も組織に目をつけられるだろう。

 

「そうか……だが、もはや私達も関係者だ。私もICPOの知り合いに掛け合って独自に組織について調査してみる。何かあれば、連絡してくれ」

「……ああ」

 

 新一は渋々といった様子で、それでも真剣に頷く。

 

「それと、子供達は今日のことで大分堪えたと思うけど……これでも懲りずにまた危ないことに首を突っ込むだろうから、元々の原因を作った新ちゃんが責任を持って守ってあげるのよ」

 

 有紀子の言葉に、新一は心底傍迷惑だと言わんばかりの顔をしつつも「分かってるよ」と返した。元太達の存在が事件解決の助けになることもあるし、何だかんだで新一自身彼らのことを気に入っているからだ。

 

「ところで、黒尽くめの組織についてもだが、近頃日本では心の怪盗団とやらが世間を騒がせているようだな」

「そうそう、ザ・ファントムね! 怪盗お願いチャンネルなんてサイトも出来てるみたいだし……もしかして、新ちゃん、もう怪盗団の正体見破ってたりするの!?」

 

 怪盗団の話題となって、新一は不貞腐れたように唇を窄める。

 

「いや、オレも調べてるんだけど、当初の当てが外れちまって……今のところドン詰まり状態だよ。でも、オレがぜってぇ捕まえてみせるさ」

 

 新一の話を聞いた優作は、ふむと顎に手を添える。

 

「……もしかすると、怪盗団を相手するには今までの常識に囚われない考えが必要になるかもしれないな」

 

 それを聞いた有紀子は「どういうこと?」と首を傾げ、新一は眉を潜めるのであった。

 

 

 




遅れて申し訳ありません。
次回は妃先生の話にする予定だったのですが、そろそろキッドを出した方がいいかなと思っているのでそちらを先にしようと思います。とりあえず、まじっく快斗読み直すところから始めないと……









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FILE.21 心の怪盗団VS怪盗キッド  前編

 ある日の陽が落ちてまだ間もない夜。場所は下野公園にある東都国立博物館。

 

 窓からの明かりが館前の池を照らす中、厳重な警備のもと、ある宝石の展示準備が慌しくかつ慎重に進められていた。

 

 

 その宝石の名は、ホープダイヤ。

 

 

 約45.5カラットのブルー・ダイヤモンドで、ある伝説故に世界中で有名となっている宝石。

 それが、薄暗いホールの中心で二重の防弾ガラスの中に運ばれる。降り注ぐ照明を浴びて煌びやかな燐光を発するその姿は、さながらスポットライトで照らされる舞台の主役のようだ。

 

 いや、その表現では不十分だろう。なぜならば、周りで警戒の目を光らせる警備員の存在が、彼女(ホープダイヤ)をこの博物館のみならず宝石界に君臨する女王たらしめているからである。

 

「慎重に扱えよ。お前達の生涯年収でも手が届かない価値を持った宝石なんだからな」

 

 その警備体制の様子を、少しばかり離れた場所から眺めて満足気に頷いている若く身なりの良い男が一人。

 

「ほお、それがかの有名なホープダイヤとかいう宝石ですか。杉村殿」

 

 そんな彼の元へ、スーツを着た髭面の中年が近づく。警視庁捜査二課に所属している中森銀三警部だ。

 中森警部はホープダイヤを守る警備員に目をやり、次いで杉村というその男に対して不満を顔に描いたような表情を見せた。

 

「しかし……この警備員達は何なんですか? 警備なら我々が――」

「申し訳ないですが、あまり貴方達警察を信用していないものでして。何度も奴を逃がしてしまっているという確かな実績があるようですからね」

 

 杉村は皮肉を込めた態度をこれでもかと言うほど顔に出して、中森警部をあしらった。

 

 この厳重警戒態勢を敷いている警備員達は、杉村が雇った民間の警備会社に所属している者達だ。警備専門なだけあって、それに当たっては機動隊等を除けば一介の警察官以上の活躍をしてくれるだろう。

 であれば、なぜわざわざ自分達警察を呼んだのだと、中森警部は眉を潜める。

 

「このホープダイヤには、手にした者をことごとく破滅させるという不吉な伝説が纏いついていましてね……」

 

 警備対象であるホープダイヤのことについて、頼まれてもいないのに語り始める杉村。

 

「実際に何人もの人間が不幸になったそうで。そうして様々な人間の手に渡り、その青き輝きを発する場所を転々としてきたこの宝石は、『呪われた宝石』と世界中からまことしやかに呟かれているんですよ」

「はぁ……しかし、あくまで伝説でしょう?」

「もちろん、そうですが……前の持ち主が病に倒れたということもあって、ネガティブな印象がさらに顕著になってしまったのですよ」

 

 そこまで言って、杉村は懐から一枚のカードを取り出した。

 

「そんな中で届いたのが、この怪盗キッドからの予告状(ラブレター)ですよ」

 

 そのカードには『次の満月の夜、ホープダイヤを頂きに参上する』という文章と、コミカルなマークが描かれていた。

 

「僕はこのホープダイヤをあのオクムラコーポレーションの奥村社長から譲り受けました。彼のためにも、そんな負の伝説を祓い清めたいんです」

 

 杉村はわざとらしく憂うような仕草を見せる。

 

「であれば、キッドの予告状はまさに好都合というもの。奴を負かすことができれば、宝石に纏わる不吉な噂などすっ飛ぶことでしょう。だからこそ、こうしてホープダイヤを特別展示して出迎えの準備をしているわけでしてね」

 

 腕時計を確認した杉村は、そこで話を切って展示準備が完了した宝石の元へと足を向け始めた。通り際に、中森警部の耳元で口を開く。

 

「……お前達警察もわざわざ呼び寄せて協力させてやっているんだ。キッド逮捕の手柄にあやかれるんだから、せいぜい感謝するんだな」

 

 杉村は嫌味な目つきを中森警部に送って彼の横を通り過ぎていく。

 

「――っ、あ、あの若造! 下手に出てれば好き放題言いやがってぇ……!」

「お、抑えてください! 警部!」

 

 中森警部は憤慨して怒鳴り声を上げようとしたが、部下に抑え込まれてしまう。そんな彼らを尻目に、杉村は警備員を退かして宝石の目の前に辿り着いた。それを見計らったかのように、外で待機していた記者の大群がホールの中に入ってくる。

 

「「うおおっ!?」」

 

 記者の集団は警部達を弾き飛ばし、続々と杉村にカメラとマイクを向けた。どうやら、このホールを即席の会見場とするようである。今回の展示が急に決まったというのもあって、記者会見の準備はあまり優先されていなかったのだ。

 

「杉村さん! キッドから予告状が届いたというのは本当なんですか!?」

「ホープダイヤを狙っているとのことですが――」

「今回の展示はどういったご意向によるものなんでしょうか!?」

 

 カメラのフラッシュを浴びながら、槍の如く突き出されたマイクに向けて杉村は口上を述べ始める。

 

「仰る通り、僕の元にかの有名な怪盗キッドの……ホープダイヤを頂戴すると書かれた予告状が届きました。僕としては、奥村社長から譲り受けたとても大切な品をむざむざ盗まれるわけにもいきません。故に、真っ向から立ち向かうために今回の展示を決断したのです」

 

 続けて、記者達はお互いを押し退けてマイクを揺らしつつも質問を投げ掛ける。傍から見たら何とも滑稽であるが、本人達は怖いほど真剣である。

 

「しかし、ホープダイヤには呪われた伝説があると――」

「前所有者である奥村夫人も病に倒れ亡くなられましたが、それに続く形で今回のキッドからの予告状! これについてはどう思われているのですか!?」

 

 記者達からのダイヤの伝説に関する質問に対して、杉村はなんでもないかのように余裕げな笑みを浮かべた。

 

「ダイヤの呪いなど存在しませんよ。ご安心ください。所詮はただのコソ泥……見事キッドを返り討ちにして、それを証明してみせましょう!」

 

 カメラに向けて怪盗キッドを挑発するような言葉を投げ掛ける杉村。

 

 

 シャッター音が途切れることなく鳴り響く中、中森警部は自分を羽交い絞めしていた部下の腕を振り払い、ホープダイヤを囲む警備員達に目を配った。見た目頑強そうな男達であるが、力があればキッドをどうにかできるというわけではない。

 神出鬼没で正体不明。誰もが予想だにしない方法で標的(ターゲット)を盗み出すのが怪盗キッドだ。

 

 今まで幾度もキッドを取り逃がしてきた警部は、この警備態勢を見て不安を感じずにはいられない。余計な真似はするなと言われているが、正式に協力要請を受けている以上、いざとなれば杉村側の指示を無視してでもキッドを追い詰めねばならない。

 

(状況がどうであろうと、関係ない。見てろぉ、今度こそキッドを捕まえてみせる……!)

 

 乱れたスーツを直した警部は、明日の満月の夜に現れるであろうキッドと対峙するその瞬間のことを考え、期待に胸を膨らませる。

 が、それとは別に、妙に自信有りげにしている杉村の存在が、警部の心に多少の不安を覚えさせたのであった。

 

 

 

◆◇◆◇◆◇◆◇

 

 

 

 昨今、米花町を中心にして世間を騒がせている心の怪盗団ザ・ファントム。

 

 米花町にある帝丹高校の校長と、巷を騒がせた10億円強奪事件実行犯の改心。それらによって一気に知名度を増した怪盗団。

 

 今では「悪いことをすれば怪盗団に改心されてしまうぞ」というような文句をあちらこちらで聞くようになるくらい、怪盗団は世間から認知される存在となっている。

 

 

 

 その噂は、練馬区にある私立江古田高等学校にも当然広まっていた。

 

 

 

 学校の生徒達が怪盗団の話題を度々交わして怪盗お願いチャンネルを覗いている中、極一部の生徒だけはそのトレンドに興味を示していなかった。

 

 江古田高校の2年B組に所属している、黒羽快斗もその一人だ。

 彼の場合は興味を持っていないのではなく、興味を持たないように努めているというのが正しいのかもしれないが。

 

「快斗~。すっごい人気だね、怪盗団」

「んだよ。青子……」

 

 そんな彼に対して、怪盗団の話題を振ってくる幼馴染の中森青子。何を隠そう、彼女の父親はあのキッド逮捕に執念を燃やしている捜査二課の中森銀三警部である。そういう関係で、怪盗に関する話題は自然と耳に入れてしまうのだ。

 

「ねえねえ、快斗は怪盗団のことどう思ってるの?」

 

 ぶっきらぼうな態度をしている快斗に、そんな質問を投げ掛ける青子。快斗が怪盗キッドのファンであるということを知っているからだ。盗む標的《ターゲット》は違えど、同じ怪盗。比較の対象にされるのは当然である。

 

「……別に、どうも思っちゃいねえよ」

 

 快斗は面白くなさそうにしながら、そっけなく返した。

 

「ふ~ん? そう? 青子からは気になってしょうがないって感じに見えるけど」

「バ、バーロー! んなわけねぇだろうが!」

 

 そんな彼の態度を見てか、青子は顔をニヤつかせからかい始める。普段から彼にイタズラをされてばかりなので、その仕返しのつもりなのだ。そのイタズラというのは彼の得意な手品(マジック)を用いたもので、青子は度々それでスカートの下を覗かれたりしている。

 

 黒羽快斗の父親――盗一は世界中で有名な手品師(マジシャン)。彼は八年前に事故で亡くなったらしいが、その才能は息子の快斗に受け継がれているようだ。青子としては、その才能をくだらないイタズラに使って欲しくないと思っているが。

 

「はいはい、夫婦漫才はその辺にしてね~」

「「誰が夫婦だ(よ)!」」

 

 そこへ、眼鏡を掛けたツインテールの女子生徒が二人の元に近づいてきた。彼女は青子の親友で、桃井恵子という。

 

「相変わらず息が合ってる……まあそれよりさ、見てよこれ」

 

 恵子がニュースサイトを開いたスマホの画面を見せてきたので二人が覗いてみると、そこには世界中で有名なホープダイヤの写真と、それが期間限定で東都国立博物館に展示されるという内容が書かれていた。

 

「すごーい! これって一般の人も見れるの?」

「入場料支払えばね。でも、土曜日の午前中までみたい。午後からは例の怪盗のための準備があるらしいから」

 

 画面をスクロールさせる恵子。なんと、ホープダイヤを頂戴するという怪盗キッドからの予告状が届いているらしい。ダイヤの現所有者である杉村という有力議員の息子がそれを迎えたんと今回の博物館への展示を決断したという。

 

「え~、休日しか見に行けそうにないのに、キッドのせいで午前中までしか見れないの?」

「バーロ。キッドが予告状を出したから展示が行われるんじゃねえか。むしろ感謝しろよ」

「アハハ……それでね、このダイヤの持ち主の杉村って人のこと調べてみたんだけど――」

 

 何でも、あのホープダイヤは元々あのオクムラコーポレーションの社長が結婚前の今は亡き夫人のために贈った宝石なのらしい。

 とある事件によってオクムラは経営が傾いてしまったのだが、杉村がそんな状態のオクムラに出資し、有力議員である父親と共に色々と手を回したおかげで窮地を救い上げられた。そのお礼として、ダイヤを譲り受けたのだという。

 

「へ~、すごい人なんだね。その杉村って人」

「キッドを迎え撃つ理由は、宝石にまつわる悪い噂を断って元の持ち主である社長夫人を弔うためらしいよ」

「噂って?」

 

 そのまま女子二人はホープダイヤの伝説についての話で盛り上がり始める。

 一方、傍らで机に頬杖を突いて話を聞いていた快斗は、終始どこか納得していない様子であった。

 

 

 

◆◇◆◇◆◇◆◇

 

 

 

 翌日の午前。オクムラコーポレーション本社ビルにて。

 

 その最上階にある一室で、薄茶色のショートボブの髪型をした少女が物憂げな表情でドレッサーの椅子に腰掛けていた。その手に握って見つめているのは、写真立て。入っている写真には、眼鏡を掛けた男性と彼女によく似た女性が仲睦まじい様子で写っている。

 

 そんな静かな空間に、ノックもなしにドアが開かれる音が横から割って入るようにして鳴り響いた。入ってきたのは、例のホープダイヤ現所有者である杉村だ。

 

「ようやくホープダイヤの展示準備が完了したよ」

 

 彼がそう告げるが、対する少女は写真立てをデスクに置いて少し杉村の方へ目を向けただけで、反応は芳しくない。

 

「婚約者が疲れて戻ってきたんだ。少しくらいは労ってくれてもいいんじゃないか? なあ、春?」

 

 杉村は馴れ馴れしく少女に近づいて、椅子の背もたれ越しにその肩を抱いた。

 少女――奥村春はビクリと震え、条件反射的な動きで自分の肩を抱く杉村の腕を払い除ける。そのまま椅子から離れて、杉村を睨みつけた。

 

「おいおい、何だ? その態度は? 僕が何かしたかい?」

「しらばっくれて……! 貴方が……貴方が、お父様を嵌めたんでしょう!?」

 

 おどけた様子で対応する杉村を、春は涙混じりの声で糾弾した。

 

 春の母親が病に倒れてこの世を去って以来、父親であり社長の奥村邦和は多少憔悴気味になりながらも今までと変わらず経営を続けてきた。

 だが、ある日を境に各所から急にクレームが相次ぐようになってきたのである。仕舞いにはチェーン展開していたビッグバンバーガーで集団食中毒事件が起こり、大勢の被害を出してしまう。

 そして、最終的には倒産寸前にまで追い込まれてしまった。主な原因は、今まで不祥事など起こしたことがなかったために十分なマスコミ対応を行うことができなかったことにある。

 

 そんな時に手を差し伸べてきたのが、有力議員である父親を伴ってやってきた杉村であった。彼らは会社に出資することと、自分達の伝手を使ってオクムラのイメージ回復を取り計らおうと提案した。

 しかし、その条件として、奥村社長が結婚前の妻へ贈ったホープダイヤ――彼女が亡くなってからは娘である春に受け継がれた――を譲って欲しいと言ってきた。加えて、あろうことか杉村はまだ高校生である春との婚約もついでとばかりに要求してきたのである。

 

 奥村社長は、ダイヤだけならまだしも、娘との婚約を持ち出されてはさすがに渋り始めた。娘のことを考えて、その口から断りの言葉を返そうとした時、話を聞いていた春が自ら進んで申し出を受けたのだ。

 そうして現在に至るわけだが……

 

「でも、全部貴方が仕組んだことだった……!」

 

 ある日、春は会社の社員の中に杉村の息のかかった者が紛れていることを知ってしまった。その者達が隠れて話し込んでいるところを偶然にも盗み聞きしたのだ。彼らが、クレームや食中毒の原因を作っていたのである。

 

「……それで? 僕が奥村社長を嵌めたという証拠でもあるのかい?」

「っ、それは……」

「あるわけがないよなぁ? あったとして、お前みたいな子供にどうにかできるわけでもないさ」

 

 問い詰める春を、杉村は醜く口を歪ませてあしらった。

 

「となると……やはり、あの怪盗お願いチャンネルに僕のことを書いたのはお前か?」

 

 そしてお返しとばかりに、そう問い質し始める。数日前に怪チャンへ杉村を改心させてくれという書き込みがあったのである。

 春は俯き、ただ無言で返す。

 

「……ふん、まあいいさ。どうせあんな拙い書き込みじゃあ、怪盗団も動きやしない」

 

 鼻を鳴らし、それ以上追求することは止める杉村。

 言ってることからして、彼は怪盗団の存在を信じているのだろうか? 意外な事実に目を丸くする春。

 

「それよりも、見ろ」

 

 杉村は春に近づいて再びその肩を抱く。今度は逃がさないように力を込めて。嫌がる春を余所に、弄っていた自分のスマホを見せ付ける杉村。

 

 開かれているサイトは先ほど話に出た怪盗お願いチャンネル。そこには、『怪盗キッドを改心させろ』という書き込みが大量に書かれていた。

 

「これは……」

「予告状が届いた後で、僕のことが怪チャンに書かれていることを知らされてね。そこで思いついたんだよ。あの怪盗キッドを改心させろという書き込みをしたらどうなるか……それで実際に書き込んでみたら、どうだい。多くの人間が僕の書き込みに同調してくれたんだよ!」

 

 笑いながらそう答える杉村に、春は複雑な表情を浮かべる。

 

 怪盗キッドは多くの若者達から人気を得ているが、それと同時にいたずらに世間を騒がせ続けるその怪盗行為を迷惑がっているアンチ的存在も多く存在する。そういった者達が、杉村の投稿を見て自分達も同意見だと書き込みをしたのだ。それどころか、なぜ今までキッドの名が怪チャンに書き込まれていなかったのかとまで言われる有様である。

 おかげで、最近怪チャンに実装された改心の標的(ターゲット)を対象としたランキングのトップには、怪盗キッドの名が飾られている。

 

 この男は超常的存在である怪盗団を味方につけようとしているのか。春は信じられないとばかりに眉を上げた。

 

「……まさか、怪盗団を当てにしてあそこまで強気な態度を? 本当に、現れると思ってるの?」

「はっ。お前がそれを聞くのか?」

 

 自分も怪盗団に助けを求めているということを暗に指摘され、春は黙るしかなかった。

 

「正直に言って、怪盗団が現れようが現れまいと関係ないんだ。現れればキッドを改心させて、勝利した僕は注目を浴びる。怪盗団と繋がりを持っていると恐れる者も出るだろう……そして、現れなかったとしても、僕の勝利は変わらない」

 

 そこで言葉を切ると、杉村は懐からある物を取り出した。目の前に差し出されたそれを見て、目を見開く春。

 

「それは……!」

「そう。博物館に展示しているホープダイヤは偽者なんだ」

 

 杉村が取り出したそれは、青く輝く宝石が備え付けられたペンダント。見間違うはずがない、春の両親が大事にしていたホープダイヤであった。

 

「僕は優秀だからね。あの捜査二課の連中みたいに、馬鹿正直に本物をわざわざ用意して出向くなんて真似はしない。キッドの敗北は確実なのさ」

 

 杉村は語りながら、抱いていた春の肩から離れる。春はすぐさま杉村から離れ、鳥肌の立った肌をさすった。

 

「どちらにせよ、世間に僕の名を知らしめることができる。ホープダイヤにまつわる不吉な伝説を覆したという事実は、将来父上と同じく政治家として活躍するための売名行為として大いに期待できるだろう……全く、ホープダイヤ様々さ」

 

 春の目の前で本物のホープダイヤに口付けをする杉村。

 

「……そういえば、奥村社長は体調を崩して休んでいるらしいね。もしかすると、これも呪いの影響かな?」

「貴方……!」

 

 わざとらしく聞く杉村に、春は怒りを露わにする。

 

「ふん、僕はそんな呪いなどには屈しない。このホープダイヤは、僕にこそ相応しい宝石だ。お前達が持っていても、豚に真珠といったところだろうからね。ククッ、ハハハハ!」

 

 春が嫌悪感と怒りに震える中、高笑いを響かせながら杉村は部屋を出ていくのであった。

 

 

 

 

 

 

 離れていく杉村の笑い声。聞きたくないとばかりに両耳を手で塞いでその場に蹲る春。

 

 きっと、あの男は将来的にオクムラコーポレーションも乗っ取るつもりなのだろう。いや、父は既に杉村一家に逆らえない状態だ。もう乗っ取られていると言っても過言ではない。

 

 

 

 

 

 

(どうしてこんなことに……)

 

 不快な笑い声が聞こえなくなってしばらくした後、春はふらりと起き上がってドレッサーの前に立った。そして、先ほど眺めていた写真を再び手に取る。

 写真に写っている父と母を見て、昔聞かされた二人の馴れ初め話を思い出した。

 

 

 

 春の父親、邦和は小さい頃は今となっては信じられないほど貧しい生活をしていた。喫茶店を経営していた祖父が少々度の過ぎた人情経営をしていたからだ。が、そんな中で祖父が無理をして買ってくれたプラモデルがきっかけで、邦和は玩具会社の社長になって自分のような貧しい家庭にも玩具を提供したいという夢を持った。

 

 かくして、大学を卒業した邦和は若くしてそれを実現させた。その後も、新たにオクムラフーズという別会社を設立して飲食業にも手を出し始める。社員待遇の良いファーストフードチェーンを展開し、さらには祖父の店と同じ名前のコーヒーチェーンも作り上げた。

 

 そんな邦和は、昔祖父の喫茶店によく通っていた幼馴染の女性――後の春の母親である――と友達以上恋人未満な付き合いを何年も続けていた。事業を成功させた邦和も女性の扱いは慣れておらず、それ以上の関係に踏み切ることを躊躇していたのだ。彼女も邦和を立てるためか、彼の方から踏み出してくれるのを待っているようであった。

 

 あくる日、彼女が実は良家の娘であることを知った邦和は、結婚を前提に告白するために思い切って例のホープダイヤをプレゼントしたのだ。そのダイヤは社交界の付き合いで参加したオークションで衝動買いした物であり、当時はそのダイヤが『呪いの宝石』として有名であることを知らなかった。ただ、社長という立場にある自分が良家の娘と結ばれるには、それくらいの物を用意できなければならないだろうと思っていたのだ。

 

 

 だが、返ってきたのは強烈なビンタであった。

 

 

 彼女はプレゼントされたダイヤを歯牙にもかけなったのだ。彼女が邦和を好きになったのは、貧しさで心が荒れてしまう子供達を救いたいと自分の夢を熱く語っていた邦和のキラキラと輝く瞳に惹かれたからであった。そんな彼が金に物を言わせたプレゼントを贈ってきたことに腹を立ててしまったということである。

 

 結局、彼女から話を聞いた邦和は薄れ気味であった自分の夢を思い出し、度々貧困地域でのチャリティイベントなどを開催するようになった。それから紆余曲折ありつつも、最終的に彼女と仲直りして告白し結婚に至ったのである。

 

 その時の思い出として、ホープダイヤは大切に残されていた。

 

 ……あの杉村が現れるまでは。

 

 

 

 写真立てを置いた春は、桃色の上着のポケットからスマホを取り出す。そして、真っ赤に染まる画面。怪盗お願いチャンネルを開いたのだ。赤色の光に照らされる春の顔は、先ほどよりもどことなく血色が良い。

 

 画面には、もはや過去ログに追いやられてしまった春の書き込みが映し出されていた。

 

 

 

 

 ――オクムラコーポレーションを倒産寸前にまで追い込んだのは杉村議員とその息子です。

   どうか、彼らを改心させてください。

                                     ノワール

 

 

 

 本当に、短い文章であった。

 それだけ、春の精神状態が追い込まれていたということである。藁にも縋るような気持ちで、書き込んだのだ。

 しかし、その書き込みへの返信は同意というよりも興味本位の質問ばかり。それに一つ一つ答えるような気力は、今の春に残ってはいなかった。

 

(これじゃあ、来てくれるわけないよね……)

 

 春は僅かに残っていた期待と共に小さく溜息を吐き、目を閉じてスマホのロックボタンを押した。

 

 

 

 

 そんな春の様子を、開いた窓から密かに眺めている視線が一つ。

 高層ビルの最上階には似つかわしくない、純白の鳩だ。その足には、超小型のカメラと集音マイクが取り付けられている。

 

 しかし、そんな鳩を見つめる視線もあった。猫だ。何時の間に侵入したのか、白い鳩とは対照的な黒い猫が春の部屋の中から鳩を見ていた。

 

 

 

 お互いの視線が、交差する。

 

 

 

 やがて、鳩の方がその白い羽を散らしながら空へと飛び立っていった。

 猫は目を細め、翼をはためかせてビルを離れていく鳩の姿を、ただじっと見つめているのであった。

 

 

 




というわけで、導入編です。

ひとまず書き終えてるところだけを投稿しました。
本当は全部書き終えてから投稿しようかと思ってたのですが、またしばらく間が空いてしまいそうでしたので……

さて、内容の方ですが、当初はまじっく快斗原作にあるサブリナ公国の王女様の話を土台にしようかと考えてました。
しかし、キッド→宝石→金持ち→ペルソナ5で金持ちと言えば→春という思考に至って、このような形になったわけです。

もしかしたら、次話を投稿する際に導入編の方を編集するかもしれませんが、その際は前書きに書いておきます。









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FILE.22 心の怪盗団VS怪盗キッド  中編

 時は少し戻って、東都国立博物館でホープダイヤの展示準備が完了する前日。

 米花町の喫茶店ポアロでは、学校から帰ってきた暁は梓と一緒に仕事帰りのお客へコーヒーを振舞っていた。

 

「そういえば、梓ちゃん。知ってる?」

 

 その内の常連の女性が会計の最中、対応をしている梓に声を掛ける。

 

「? 何をですか?」

「キッドよ、キッド。また予告状出したんだって。今度の標的(ターゲット)はなんと、あのホープダイヤよ」

「はあ……?」

 

 女性は少しばかり興奮した様子で語るが、それを聞いている梓の反応は薄い。

 

「これよ! これ!」

 

 見かねた女性が、その展示会のであろうパンフレットを取り出す。それには、夜空に浮かぶ月をバックにして輝きを放つブルー・ダイヤモンドの写真が掲載されていた。

 

「へ~。これって、すごい宝石なんですか?」

「ええ、知らないの? すっごく有名な宝石なのよ」

「すみません。光り物って綺麗だな~とは思うんですけど……」

 

 苦笑いで答える梓。どうやら、宝石の類は見るだけで満足なタイプらしい。

 

「そういえば、二階の毛利さんは前にキッドと対決したことがあるのよね? ほら、例の鈴木財閥の『漆黒の星(ブラックスター)』の奴で」

「らしいですね。でもお二階さん、明日から旅行に行くみたいですから今回は出番ないと思いますよ……ねえ、暁君は知ってる? 怪盗キッド」

 

 梓はその話を傍らで洗い物をしている暁に振る。それに対して、歯切れの悪い曖昧な返事で返す暁。

 

 同じ怪盗を名乗っている者として、暁も怪盗キッドの存在は一応把握している。まるで姿を隠す気のない純白のタキシードを着た、主に宝石を標的(ターゲット)にした怪盗であるが、大胆不敵な手品で警察を翻弄するその手口は怪盗というよりも奇術師と呼んだ方がいいかもしれない。

 

 しかし、そうやって手間隙かけて盗んだ宝石も、ほとんどは持ち主に返しているらしい。その持ち主が宝石を不当な手段で手に入れていた場合は、正統な所有者に引き渡すなど義賊めいたこともしているという情報もチラホラ見受けられたが、然程は世間を騒がすだけに終わっている。

 はっきり言って、何が目的なのがよく分からない人物だ。警察は世間を騒がしたいだけの愉快犯と決め付けているらしいが、果たして本当にそうだろうか?

 

 いずれにせよ、今現在怪盗キッドは怪チャンの標的(ターゲット)ランキングでトップを飾っている。掲示板の方も逐一チェックしているが、これも当然の如くキッドに関するレスばかり。大衆はキッドを改心させろと、怪盗団に求めているということだ。

 いや、恐らく本心で改心させろと思っている者は少ないだろう。大半の連中は、謎の存在同士であるザ・ファントムとキッド、両者の対決を望んでいるだけなのである。

 

 ランキングに従うのであれば、次の標的(ターゲット)はキッドということになるが……

 

 何気なしに暁はいつもの隅のカウンター席でコーヒー片手に本を読んでいるラヴェンツァへ視線を寄越す。その視線に気付いた彼女も、ただ肩を竦めるだけであった。 

 

 

 

 それから暁が洗い物を続け客の注文に対応している内に、段々と客足は減ってきていった。

 客がいなくなったところを見計らって、伸びをしている梓が暁に話しかける。

 

「ねえ暁君、せっかくだから明日午前中だけポアロを休みにして、さっきの展示会に行ってみない? ラヴェンツァちゃんも一緒に」

 

 その提案を、暁はすみませんと謝り断った。そして、明日はそれとは別に用事があるから休みをもらえないかと梓に頼む。

 

「え、そうなの? う~ん、分かった。もうこの際だから明日は一日休みにしちゃおっかなぁ……」

 

 梓は残念そうにしながらも、そう言って了承する。

 実質、彼女はオーナー代理であるから特に問題ないとは思われるが、それでいいのだろうか? 休みをもらっている身としては何も言えないので、暁は苦笑いするだけに留めた。

 

「ようし、アキラ。明日はいよいよ決行だな」

 

 そんな暁にモルガナが声を掛けた。ラヴェンツァも本を読む手を止めて、暁の方を見ている。

 

 暁は静かに、こくりと頷くのであった。 

 

 

 

◆◇◆◇◆◇◆◇

 

 

 

 そして、キッドが予告した満月の日。土曜日の夜。

 

 東都国立博物館への一般入場は既に午前中で終了している。

 昨日までは夜も入場でき、その際にはプロジェクションマッピングを使って博物館全体をダイヤモンドの輝きで演出し、此度の展示を華やかに彩っていたらしい。

 

 だが、今日の夜はキッドがホープダイヤを頂戴しに現れるということもあってその演出も行われず、夜闇を照らす照明は外灯と博物館の窓から漏れる明かりのみ。

 博物館の敷地を囲うようにして張られた黄色い立入禁止テープの外には、キッド見たさに大勢のマスコミを含む野次馬達がカメラやスマホ片手に集まっていた。その様はまるで博物館の明かりに群がる虫のようで、それらがこの場を彩るという表現は些か適当ではないだろう。

 

 そんな野次馬達の中には、江古田高校の生徒で中森警部の娘である青子の姿も見えた。しきりに背伸びをして、厳重な警戒態勢にある博物館の様子を伺おうとしている。

 

「あーもう! 全然見えない!」

 

 黒髪だったり金髪だったりテカッていたり、千差万別な後頭部の群れが青子の視界を阻み続け、足の限界が来た青子は悪態を吐いて背伸びを止めた。止めてしまうと、背の低い青子の目の前には野次馬の背中しか見えなくなる。

 途端に、青子の胸に心細さが湧き上がってきた。

 

(ったく、快斗の奴どこ行っちゃったのかしら……)

 

 今日の午前中にホープダイヤを見学しに東都博物館を訪れた青子。実際に見学していた時は快斗も一緒であった。ダイヤの話題を出してきた本人である恵子も誘ったのだが、「わざわざお邪魔虫になりに行くわけないでしょ~」とニヤついた顔で断られたのだ。

 

 そして、今は一人。父親がホープダイヤの警護に当たるということで、一般入場が終了して辺りが暗くなってもこうして入り浸っていた。が、ふと気がついたら一緒にいたはずの快斗はその姿を消してしまっていたのである。

 キッドのファンであるはずの快斗は、なぜかそのキッド本人をお目にかかれるという時は決まってどこかに行ってしまう。間が悪いのかわざとなのか、相変わらず何を考えているのか分からない奴だ。

 

 

 ……それとも、そんなに自分と一緒にいるのが退屈だったのだろうか?

 

 

(……快斗のバカ)

 

 青子は地面を見やり、心の中でどこかに行った幼馴染を毒吐く。周りの喧騒音は大きいはずなのに、どこか遠くから聞こえるように感じる。この場に自分一人でポツンと立っているような、そんな気分に苛まれるのであった。

 

「きゃっ!?」

 

 その時、横から勢い良く押されてしまった青子は、バランスを崩して背中からその場に倒れ込みそうになった。何かを支えにしようと手を伸ばすも、空振りに終わる。次の瞬間に来るであろう衝撃を前に目を閉じる青子。

 

 しかし、青子の体は地面に叩きつけられることはなかった。丁度青子の倒れ込んだ先にいた人物が、受け止めてくれたのだ。

 

「あ……す、すみません」

 

 背中から抱えられている状態となり、肩越しに助けてくれた人物を見る青子。その人物は不規則なクセ毛をした眼鏡を掛けた男性で、身長は快斗と同じかそれより少し高いぐらいだろうか。

 

 そんな風に考えながらぼうっとしている青子に、男性は小首を傾げて疑問符を投げ掛ける。ハッとした青子は顔を赤くし、慌てて姿勢を戻した。

 

「ごっ、ごめんなさい! 助けてくれてありがとうございます!」

 

 男性は問題ないとばかりに首を横に振ると、青子の手を取って群集の中から出ようと歩き始めた。

 

「え? あ、あの……」

 

 女の子が一人じゃ危ないから、帰った方がいい。群集の外に出てから、そう青子に勧める男性。

 

「でも、青子……じゃなくて私、父が警察関係者なんです。いっつも無茶ばかりするから、今日の展示が終わるまでは心配で帰れなくて……」

 

 青子の事情を聞いた男性はしばし顎に手を添えて考える。

 暫しして、自分は用事があるから、離れている間連れの面倒を見ててくれないかと青子に頼んできた。一人でいるよりかはいいだろうと。

 見ると、男性の後ろの方で外国人の少女と黒猫が青子のことを見上げている。

 

 まるで不思議の国のアリス――絵本から出てきたような子だ。少女の身なりを見て、青子はそんな印象を受けたのであった。

 

 

 

 

 

 

 一方、高台から博物館の周りに集まる野次馬達を見下ろす影が一つ。

 その影は、乾いた闇夜をまるで上塗りするかの如く純白に染められていた。

 

 肌寒い冬の夜風でたなびく白いマントにシルクハット。そして、右目に掛けられた片眼鏡(モノクル)

 

 その顔は――青子の幼馴染、黒羽快斗その人であった。

 

 そして、彼の正体こそ、今宵行われる演目の主役の一人にして、ホープダイヤの所有者に予告状を届けた世を騒がす奇術師――

 

 

 

 平成のアルセーヌ・ルパンこと、怪盗キッドである。

 

 

 

 

 

「 レディース・アンド・ジェントルメーン! 」

 

 突如、どこからか大勢の観客に挨拶するかのような声が博物館の周りに響き渡った。集まっている野次馬や警備員達が一斉にどよめき始める。

 

「あ、あそこ!」

 

 その内の一人が、大声と共に博物館の屋根の上を指差した。

 

 

 その指が差す先、そこには彼らが待ち望んだ白き奇術師――怪盗キッドが悠然とその姿を月明かりの元に晒していた。

 

 

「キッドだ! キッドが現れたぞ!」

 

 色めき立つ群集を尻目に、中森警部率いる警察関係者達がすぐさま屋根の上へと向かう。

 

 キッドは自分を捕まえようとしている者達に目もくれず、博物館の庭先に集まる野次馬という名の観客達に向けて、声明を述べ始める。

 

「盛大な歓迎、ありがとうございます。予告通り、ホープダイヤを頂戴しに参上しました」

 

 観客達が一斉に「わー!」と歓声を上げる。

 

「怪盗キッド! 今回の相手はその界隈でやり手と名高い杉村氏ですが、自信のほどはいかがでしょうか!?」

 

 周りを無理矢理押し退ける形で前列に出て、キッドに向けてマイクをかざしてインタビューするマスコミ。

 

「らしいですね。しかし、関係ありません。私は泥棒である前に、マジシャンですから。今回も皆さんがあっと驚くようなマジックで――」

「おい、なんだこれ!?」

 

 キッドが律儀にインタビューに答えていると、群衆の中からまた別の声が上がった。

 

 その声の上がった箇所を避けるようにして丸い空間ができており、その中心には一枚の赤いカードが落ちていた。最も近い人物が恐る恐るといった様子でそのカードを拾い、書かれた内容を読み上げる。

 

 

 

 私利私欲で悪戯に世間を騒がせる奇術師、怪盗キッド殿。

 

 月下において行われるその大体不敵で巧妙な手口は、標的が違うとはいえ

 

 一同業者として賞賛に値する。が、お前の断罪を望む大衆の存在を無下にはできない。

 

 日輪の下にその姿を晒させてみせよう。今宵、その欲望を頂戴する。

 

                 心の怪盗団『ザ・ファントム』より

 

 

 

 誰かが、「怪盗団からの予告状だ!」と叫ぶ。

 予告状のカードはそれ一枚ではなく、周辺にも何枚か散らばっていた。その内の一枚は、博物館の屋根の上に立つキッドの足元にも落ちている。

 

 群集から少しばかり離れた場所で、青子も予告状のカードを拾う。

 

「本当に怪盗団の予告状だぁ。ほら、見て見て」

 

 青子は興奮した様子で、傍らにいる先ほどの男性が連れていた少女にカードを見せた。少女はなぜか妙に得意げな顔をしてそれを見ている。

 

 

「なんと、どうやら最近巷で有名な心の怪盗団が私の改心を目的にここへやってくるようですね」

 

 突然の横入りにも態度を崩さず、おどけた様子の口調で怪盗団について言及し始めるキッド。

 

「これは面白いことになってきました。ショーの標的(ターゲット)はホープダイヤですが、今回私は杉本氏やいつもの警察の方々に加えて、かのザ・ファントムも相手にしなければならないようです」

 

 キッドは右手の人差し指を立てて、続ける。

 

「……では、観客の皆さん。此度の演目を変更することにしましょう。私がダイヤを頂戴する前に改心されれば、怪盗団の勝利。逆に、改心される前に見事ダイヤを頂戴することができれば私の勝利、という怪盗対決にね!」

 

 恐れた様子もなく堂々と怪盗団を迎え撃とうとしているキッド。その言葉に興奮したファン達が、黄色い声を上げて応援し始める。

 いつもの警察との対決ではなく対抗馬と思われている怪盗団との勝負ということで、マスコミはここぞとばかりにカメラと集音マイクをキッドの方へと向けた。

 

「キッド! そこを動くなよぉ、観念しろ!」

 

 そこへ、屋根を登ってきた中森警部達がキッドを捕まえようと一斉に飛び掛かる。

 しかしその瞬間、キッドの体から煙が勢い良く巻き起こった。煙が晴れると共に、キッドの姿は見えなくなってしまう。

 

「っくそ! おい、奴の狙いはダイヤだ! 中央ホールへ向かうぞ!」

「「「はい!」」」

 

 部下達に命令し、飛び降りる勢いで屋根を降りていく中森警部。

 それに続く部下達の数が一人増えていることにも、気付かないでいた。

 

 

 

 

 

 

 ホープダイヤの展示してある中央ホールに辿り着いた中森警部達。

 そこでは、杉村が雇った警備員達がダイヤの入ったガラスケースを囲むようにして見張りを続けていた。

 

 ダイヤ展示用の特注ガラスケース。まるでビルのように縦に伸びたデザインをしており、二階まで吹き抜けとなっているホールの天井と台座との間を直接繋げている。これは、博物館の外装演出も飾ったプロジェクションマッピングを有効利用するための設計である。

 ケースは四桁の暗証番号によってロックが施されており、それを解除することによって台座が床に埋もれる形で下の方に駆動し、中身を取り出すことができる構造になっている。暗証番号を知っているのは、ダイヤの所有者である杉村だけだ。

 

「ダイヤは……まだケースの中か」

 

 中森警部はダイヤが無事なことに安堵しつつ、周りの警備員達に問い掛ける。

 

「おい、キッドがここへ向かってきているはずだ。異常はないか?」

「連絡は受けています。今のところ、特に異常はありません」

 

 

 その時であった。突然照明が落ち、カーテンが閉じているホールは暗闇に包まれる。

 

 

「な、何だ! どうした!?」

「停電か!?」

 

 何事かとざわつき始める警備員達。

 

「キッドだ! どこから来るか分からんぞ! とにかくダイヤの周りを固めるんだ!」

 

 瞬時にキッドの仕業だと理解した中森警部は、そう周りに伝えて警戒態勢に入った。

 

 

 ――しかし、キッドは現れない。そればかりか、信じられない現象が警部達の目の前で起き始めた。

 

 

 

 なんと、ケースに入っているホープダイヤが独りでに宙へと浮き始めたのだ。

 

 

 

「な……な、何ィ!?」

 

 一体どういうことかと、ホールにいる全員が驚愕の声を上げる。あまりのことに、動くことさえも忘れてしまうほどに。糸でも吊るされているのかと目を凝らす者もいるが、そんな物は見当たらない。

 

 そのまま輝きを放ちつつ音もなく上昇していったダイヤはホールの二階を通り過ぎ、天井にぶつかる寸前にまるで溶け込むようにしてその姿を消してしまった。

 

「――ッハ!? し、しまった!」

 

 それが切欠となってようやく正気に戻った警部達は、ダイヤはどこへ行ってしまったのかと慌てふためき出し、ケースへ近づこうとする。

 

「どうも、中森警部。早速で悪いですが、ホープダイヤは頂いていきますよ」

 

 そこへ警部達の耳に、そんな響きのある声が聞こえてきた。キッドだ。

 

「キッド! どこだ! どこにいる!?」

 

 姿の見えないキッドを探して、辺りを見回す中森警部。

 

「警部! あれを見てください!」

 

 二階にいた部下の一人がホールのカーテンを開き、その先を指差して叫んだ。

 窓の向こうには、白い飛行物体が博物館を離れていっているのが見える。それは、キッドが移動に使うハンググライダーに間違いなかった。

 

「くっそぉ……キッドめ! 逃がしてなるか!」

 

 わなわなと拳を震わせた中森警部は弾かれたように走り出し、キッドを追ってホールを出て行った。警部の部下と警備員達もそれに続く。

 

 

 

 ……そして、ホールには誰もいなくなった。

 

 

 

 警部達の走り去る足音が聞こえなくなると、ホールにある柱の影から警察関係者の服装をした者が姿を現す。

 その人物は、カーテンを開き、飛び去っていくハングライダーを指し示した男であった。

 

 男は服に手を掛け、破るようにして一気に脱ぎ去る。瞬きもしない間に、男の姿は白いシルクハットを被ったタキシード姿に変貌した。

 

「……ふう、毎度毎度お疲れさん。中森警部」

 

 そう、怪盗キッドは中森警部の部下の一人に化けていたのだ。

 変装の名人であるキッドには造作もないことであった。つまり、さきほどのハンググライダーはダミー。警部達を博物館から遠ざけるための囮で、警部達はまんまと騙されてしまったのだ。

 

 もちろん、まだダイヤは頂戴していない。ダイヤは未だケースの中。先ほどの現象は、プロジェクションマッピングを用いて投影された映像に過ぎない。いわゆる、バーチャル・マジックだ。予め、その映像が再生されるよう仕込みを入れておいたのである。

 

「さて、と……」

 

 キッドはダイヤの入っているケースに近づき、白い手袋を擦り合わせてから暗証番号の入力にかかる。彼は展示準備が始まった頃から鳩を使って杉本の監視を続けていた。杉本が暗証番号を入力しているところもしっかりと覗いていたのだ。

 入力が完了しロックを解除したキッドは、ケースの中から解放されたホープダイヤを頂戴する。

 

 その時、どこからともなく拍手がホールに鳴り響く。 

 キッドが音のする方へ振り向くと、そこにはダイヤの所有者である杉村が立っていた。

 

「お見事、怪盗キッド。まさか、こちらが演出として用いた技術を利用してくるとはね」

 

 厭らしげな笑みを浮かべつつ、キッドを褒め称える杉村。

 

「それはどうも。貴方の博物館全体を輝かせるという俗な演出よりも、楽しめたでしょう?」

 

 キッドの皮肉の言葉に眉をピクリと歪ませた杉村は、右手を上げて親指を鳴らした。それが合図だったのか、杉村の背後から大勢の警備員がバタバタと現れ始める。

 

「残念だがキッド、そのホープダイヤは偽者だよ。本物は、僕が肌身離さず持ち歩いている」

 

 お返しとばかりに、杉村は胸元からペンダントにしているホープダイヤを取り出して見せた。

 

「お得意のマジックは警察相手に使い果たし、この警備員の数相手にもはや逃げ場はない。君の負けだよ、キッド」

 

 状況から考えて、キッドに勝機はないのは目に見えている。

 しかし、キッドは焦るような態度も見せず、逃げようともしない。それどころかシルクハットを目深に被り、笑いを押し殺すように肩を揺らし始めた。そのせいで、有利であるはずなのに勝った気になれない杉村は眉を潜める。

 

「な、何がおかしい!?」

 

 対するキッドは、前を向いて吊り上げた口端を見せた。

 

 

「このダイヤが偽者だということは、最初から知っていましたよ」

 

 

 そう告げて、偽者のホープダイヤを眼前に掲げるキッド。

 すると突然、辺りから有色のガスのようなものが吹き出し、瞬く間にホール全体へと広がった。

 

「なっ!?」

 

 杉村が慌ててハンカチで鼻と口を塞いでいる間に、彼の周りにいた警備員達が咳き込み始め、次々と床に倒れ込む。

 

「ご心配なく、ただの催眠ガスです。身体に害はありませんよ」

 

 と、ガスマスクを取り付けたキッド。

 

 ガスは瞬く間にホール全体に充満していく。咳き込みながらその場に膝を突く杉村。そんな彼の元へ、本物のホープダイヤを頂戴するべくキッドが徐々に近づいていく。

 

 

 

「……?」

 

 杉村の目の前まで来たところで、キッドは少しばかりの立ち眩みを覚えた。それと同時に、辺りを包む有色のガスの流れが変わったことに気付く。

 

 足を止めて、ガスの流れる方向を辿り、ホールの二階を見上げる。

 

 

 

 風でたなびく黒いロングコート。

 

 そして、キッドとは対照的な漆黒の夜会服。

 

 白いドミノマスクで顔を隠した黒髪の男が、開いた窓を背にして立っていた。

 

 

 

 昂然たる姿勢の黒尽くめの男は、およそ人間業ではない跳躍力で二階の柵を跳び越えた。

 夜闇に染まるような黒いロングコートをたなびかせ、先ほどまでキッドのいた展示ケースの近くへと緩やかに着地する。ゆっくりと、キッド達の方へ振り返りながら立ち上がる男。

 

「は、はは……本当に来たぞ。怪盗団だ……ジョーカーがやってきたぞ!」

 

 キッドは予告状の件もあって身構えてはいたものの、内心では自分以上に正体不明な上、形のない物を盗むというその不可思議な存在に対して半信半疑な心情を持っていた。

 

 だが、間違いない。目の前の人物はそれを可能とする力を持っている。

 

 錯覚か定かではないが、迸る赤い覇気のような何かが、そう思わせるほどの貫禄を感じさせるのだ。今までに感じたことのないような感覚に、キッドは舌なめずりをする。

 緊迫した空気の中、赤い手袋を嵌め直したジョーカーが、その口を開く。

 

 

 ――頂戴しに来たぞ。その歪んだ欲望を。

 

 

 

(コイツが、心の怪盗団ザ・ファントムのリーダー……!)

 

 対するキッドは、努めて冷静な態度を崩さない。いかなる場合でも表情を変えない、ポーカーフェイスこそがマジシャンとして一番大切なことだ。

 

「お初にお目にかかります、ジョーカー。同業者としては、もっと別な出会い方をしたかったものですが……それはそれとして、予告状を出されていましたね。私としては、そこまで自分が歪んでいるとは思っていないのですが」

 

 ジョーカーは何も答えない。

 ただじっと、キッド達の方を見据えている。

 

(聞く耳持たないってか……)

 

 やれやれと、キッドは肩を竦める。

 見たところ、出向いたのはリーダーであるジョーカーだけのようだが、仲間がどこかに隠れているのだろうか? 一人だけならば、やりようはいくらでもある。

 

「分かりました。どうしても私を改心させるというのであれば、どうぞご自由に――」

 

 そこまで言うと、キッドは徐に懐から何かを取り出し、頭上へ放り投げてみせた。釣られて、ジョーカーが上を見る。

 宙を舞うそれは、ただのトランプカードであった。

 

 

「――やれるもんならな!」

 

 

 相手の出方が分からない以上、後手に回るのは得策でない。

 先手必勝とばかりにキッドは特徴的なフォルムの銃を構え、引き金を引いた。発射されたのは銃弾ではなく、先ほど放り投げた物と同じトランプカードだ。キッドは人殺しはしないという信条を持っているため、実銃ではなくトランプ銃を用いている。

 

 風を切って飛んでくるカードを、身を軽く反らすことで避けるジョーカー。通り過ぎたカードが、防弾ガラスの展示ケースに突き刺さる。ドミノマスク越しにジョーカーが目を丸くしているのが見て取れる。

 

 それを好機と見たキッドは、すかさず懐から筒を取り出して放り投げる。

 床を落ちて転がった筒から、煙幕が勢い良く吹き上がり始めた。数秒もしない内に、辺りを視界がなくなるほどの白い煙が包みこんでいく。

 

 だが、窓は開いている。じきに煙は晴れるだろう。

 ジョーカーは何をするでもなく、静かに辺りへ目を配らせている。

 

 しばらくすると、扉を開け放つような音がホールに響いた。

 それから少しもしない内に、杉村がジョーカーの前に煙を掻い潜る形で飛び出してくる。

 

「ぶはッ! ハア、ハア……キ、キッドが……僕のホープダイヤを奪って、ホールから逃げていった! 何してるんだ! 早く追いかけて、改心させろ!」

 

 息も絶え絶えといった様子で捲くし立てる杉村。

 ジョーカーはそれを聞くと、杉村の横を通り過ぎて煙の晴れかかっているホールの入り口へと足を向け始めた。

 

 

 しかし、すぐにその足を止めてしまう。

 

 

「……お、おい! な、何をぼさっとしている!?」

 

 不可解な行動をするジョーカーに対して、杉村は苛立たしげに喚く。ジョーカーはそれに答えるようにして、杉村の方へと振り返る。

 

 その手には、黒光りする拳銃が握られていた。

 

「なっ! 何のつもりだ!?」

 

 青褪めた顔で怒鳴る杉村を、無言で睨みつけて銃口を向けるジョーカー。

 

 

 ――数秒間、いや、数分だろうか。そう感じさせるほどの緊張が続く。

 

 

 やがて、杉村が観念したように両手を挙げた。

 

「……っち、どうして分かったんだよ」

 

 姿は杉村のままだが、声色は先ほどジョーカーが聞いたキッドのそれと同じであった。

 そう、この杉村はキッドの変装だったのだ。本物は……ホールの柱の陰で縛られている。

 

 ――サーマルゴーグルを使って煙の中で行動していたようだが、良い目を持っているのはお前だけじゃない。

 

 ジョーカーの言葉を聞いて、乾いた笑いを出すキッド。

 

「オレの負けだよ。そら、杉村から奪ったホープダイヤだ。返すぜ」

 

 ポケットに手を入れ、杉村が身に付けていたであろうホープダイヤを取り出し、差し出した。

 それを受け取ろうと、ジョーカーは手を伸ばす。

 

 

 

 その瞬間、キッドの手の上にあるホープダイヤが眩い閃光を放ち始めた。

 

 

 

 思わず、ジョーカーは銃を持った方の腕で目を庇う。

 すぐに光は止んだが、ジョーカーの目の前からキッドの姿は掻き消えている。

 

 ジョーカーが辺りを見回していると、頭上から笑い声が聞こえてきた。

 

「どこ見てるんだジョーカー。オレはこっちだぜ」

 

 二階を見上げると、変装を解いたキッドがポケットに手を入れてジョーカーを見下ろしていた。

 

「予告通り、ホープダイヤは頂戴しました。わざわざご足労頂いた怪盗団には申し訳ないが、私はまだ怪盗をやめるわけにはいきません。改心とやらを実行される前に、お暇させてもらいましょう」

 

 そう告げたキッドはハンググライダーを展開し、開いた窓から外へ出ようとする。

 

 その間際、ジョーカーはガラスケースに刺さった先ほどキッドが放ったトランプカードを手に取り、それを縦に引き裂いてみせた。

 

 それを見たキッドは、訝しげな目をしつつ動きを止める。

 

 そのまましばらくジョーカーと視線を交わすが、キッドはやがてその身を窓から放り出し、夜闇の星空へと飛び立っていってしまった。

 

 

 




次回は既に書き上がっているので、一週間後に投稿します。










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FILE.23 心の怪盗団VS怪盗キッド  後編

 視界を遮る煙は、完全に晴れた。

 大勢の警備員が床に倒れているホール。その光景はまさに死屍累々といった言葉が相応しい。

 

 その柱の陰、床の上で芋虫のようにジタバタと暴れている杉村。手足を紐で縛られ、口にはガムテープが貼り付けらている。

 無様な姿を晒している杉村を、ジョーカーは静かに見下ろしていた。そしておもむろに跪き、紐を切り裂いた後でガムテープを一気に剥がす。

 

「あぅッ! ぐ、この……もっとゆっくり剥がせよ!」

 

 杉村は痛みに呻くが、すぐにジョーカーの胸倉を乱暴に掴み出す。

 

「おい、どうしてさっさとあのコソ泥を改心させなかったんだ! まんまと逃がしているじゃないか!」

 

 赤く腫れた口で喚き散らす杉村。

 しかし、少しして冷静さを取り戻したのか、一旦深呼吸してジョーカーから手を離した。

 

「……ふー。だが、やはりコソ泥はコソ泥だったな」

 

 乱れたスーツの襟を正し、髪を整える。

 

「僕が身に付けていたダイヤ、そう……あれも(・・・)偽者なのさ」

 

 得意げな顔で、頼んでもいないのに自分から次々と語り出した。

 

「正真正銘の本物は別の場所に隠してあるんだ。奴の今までの手口からして、宝石(ターゲット)の所有者を監視していることは大体推測できたからね。わざと身に付けているダイヤこそが本物だと口にしてみせたんだよ」

 

 興奮気味にそこまで語ってみせたところで、杉村は自分のことをただ睨み続けているジョーカーを見やる。

 

「おい、何をしている。ぼさっとしてないで、さっさとあのコソ泥を追いかけろ! ただ勝つよりも、捕まえた方が僕の知名度はより上がるんだ。みすみす逃がすなんて馬鹿な真似をしてくれるな!」

 

 指先を突きつけて、まるで自分の部下に命令するように言う杉村。

 

 ……しかし、ジョーカーはその場を動こうとしない。

 ただじっと、ゴミを見るかのようなその赤い目で杉村を見下ろしている。そして、その色には、明らかな怒りの感情も見て取れた。

 

「…………おい、待て。まさか――」

 

 杉村の顔がみるみる青褪めていき、目の前のジョーカーから後ずさる。 

 

「お前は、キッドを狙ってここに来たんだろう? さっき配られた予告状にもそう書いてたじゃないか!」

 

 杉村の言葉に答えるようにして、ジョーカーは懐から例の予告状を取り出す。それを、キッドにやってみせた時と同じように縦に切り裂き、千切れた片方を床に落として手に残されたもう片方をヒラヒラと杉村に見せつけた。

 

 

 

 

 私    利私欲で悪戯に世間を騒がせる奇術師、怪盗キッド殿。

 

 月    下において行われるその大体不敵で巧妙な手口は、標的が違うとはいえ

 

 一    同業者として賞賛に値する。が、お前の断罪を望む大衆の存在を無下にはできない。

 

 日    輪の下にその姿を晒させてみせよう。今宵、その欲望を頂戴する。

 

 

 

 

「し、()月一日……? エイプリルフールとでも言いたいのか?」

 

 信じられないといった様子の杉村だが、対するジョーカーの目が本当だと告げている。

 

 エイプリルフール。

 それは、怪盗キッドが鈴木財閥の『漆黒の星(ブラックスター)』を狙って予告状を出した際、文頭に加えていた一文だ。

 

「……な、何だそれは。キッドのようなふざけた真似をしやがって。標的(ターゲット)がキッドではないと言うなら、一体お前は何をしにここへ――」

 

 震える杉村は尻目に、ジョーカーは残った片方も捨てると、ポケットからスマホを取り出した。そして、その赤い画面――怪チャンに書き込まれたある一文を見せる。

 

 

 

 ――オクムラコーポレーションを倒産寸前にまで追い込んだのは杉村議員とその息子です。

   どうか、彼らを改心させてください。

                               ノワール

 

 

 

 杉村は驚きに目を見開いた。その見覚えのある書き込みは恐らく……いや、十中八九自分の婚約者である春が書き込んだものだ。

 まさか、怪盗団はランキングを無視して、こんな誰も同調していない、誰も見向きもしていないような書き込みを優先したというのか。なぜ他を差し置いて、そんな小娘の戯言を信じたのか。

 

 

 いや、今はそんなことは重要ではない。

 その書き込みが切欠でここに来たということは……

 

 

「……う、うわああぁぁーーーッ!!」

 

 全てを理解した杉村は悲鳴を上げて走り出し、ホールを飛び出していった。

 途中何度も転びそうになりながらも廊下を走り続け、目的の部屋を辿り着く。扉を開けて中に入り、すぐに内鍵を閉めた。

 

 そこは、杉村に宛がわれた臨時の客室であった。

 電気の点いていない真っ暗なその部屋から聞こえるのは、杉村の荒い息遣いのみ。

 

 ……次第に、目が暗闇に慣れてくる。

 

 息が落ち着いてくると、杉村は窓際の机に近づいた。棚の鍵を外して中を探り出し、中から本物のホープダイヤを取り出す。その時、ガタリという杉村の息遣い以外の音が部屋に響き渡った。杉村は弾かれたように音がした方を振り向く。

 

 

 ジョーカーだ。いるはずのないジョーカーが、そこにいた。

 

 

 椅子に座っているジョーカーは傲然な態度で膝を組み、背もたれに片腕を掛けている。膝の上に置かれているもう片方の手が持っているのは、拳銃。

 

「どうして! 鍵を閉めたはずなのに、どうしてお前がここにいるんだよ!」

 

 ――何を喚いている。お前が招き入れたんだろう?

 

 ジョーカーはさも杉村の言っていることがおかしいと言わんばかりの口調で答える。

 タネ明かしをすると、潜入道具の一つである存在消臭剤を使って気配を極限まで消し、欠伸が出そうなほど走るのが遅い杉村の後を追っていただけだが。

 

 杉村は、目の前の男が――その纏っている雰囲気も相まって――自分達とは違う超常的な存在であると認識した。

 

 茶番はここまでだ。杉村とその父親である有力議員は裏で悪事を繰り返していたことは明白。杉村を改心させれば、つるんでいた父親も遅からず捜査の手が入ることとなるだろう。

 だが、今のジョーカーにとってそんなことはどうでもよかった。重要なのは……椅子から立ち上がったジョーカーが、杉村に告げる。

 

 

 

 ――お前は、仲間(・・)を傷つけた。その罪は重い。

 

   故に、その歪んだ欲望を頂戴する……!

 

 

 

「……うっ!? ぁぁ、ぁがああああぁぁーーー!!!」

 

 ジョーカーの言葉に反応してか、精神的に極限まで追い詰められた杉村が獣のような雄叫びを上げた。

 

 その目が黄色く濁り始め、地響きが起き、赤い波飛沫が吹き上がった。

 杉村の顔は黒い梟とも鴉とも取れる鳥のそれへと変化していく。背中からは大きな翼が生え出し、身体は血のように赤く染まり上がった。

 

「――――――――――!!」

 

 元は知性的であったであろうその悪魔は、喚き声にも似た咆哮を上げながらジョーカー目掛けて我武者羅に飛び掛かった――

 

 

 

◆◇◆◇◆◇◆◇

 

 

 

 それから、しばらくの時間が経った。暗闇がより深く夜を染める。

 

 警察関係者達が博物館の外へと飛び出して以降、外部からは全く進展がないように見える対決劇。警察が飛び出していった理由を知らない観客達からは、諦めて家に帰る者やその場で野宿し出す者まで現れ始めている。

 

「うぅ……眠い」

 

 青子は眠そうに目を擦りながらも、スマホで父親である中森警部に連絡を取ろうとする。しかし、出ない。溜息を吐く青子。

 

「それでは、私達は先に失礼します」

 

 すると、傍らにいた少女が急にそう言い出した。眼鏡を掛けた男性から、自分が戻るまで一緒にいてやって欲しいと言われて預かっていた子だ。

 

「え? でも、まだあの人戻ってきてないよ」

「先ほど、遅くなるから先に帰ってくれと連絡がありました。他にも寄り道を頼まれましたが」

 

 そう返されるが、こんな夜中に子供一人で大丈夫かと心配そうな顔をする青子。

 

「心配は無用です。一応、一人ではありませんから」

 

 そんな青子を察してか、足元にいる黒猫に目を向ける少女。

 そういえば、この猫は先ほど少しばかり姿が見えなくなっていたが、一体どこに行っていたのだろうか? 青子は首を傾げるも、一礼して離れていく少女に慌てて声を掛ける。

 

「あ、待って! 本当に大丈夫なの!?」

 

 少女からの返事はない。 

 その小さな背中が見えなくなるまで青子は見送ったが、少女が青子の方を振り返ることは一度もなかった。

 

 

 

◆◇◆◇◆◇◆◇

 

 

 

 一方、そんな夜闇の中、自己の存在を主張するかの如く白い男――怪盗キッドが窓から博物館の一室に忍び込んだ。

 その部屋で、床に横たえている杉村。すぐ傍には、椅子に座って足を組んでいるジョーカー。その手には暗闇の中でも輝きを放つホープダイヤが握られている。

 

「よっ、終わったみてえだな」

 

 キッドは馴れ馴れしい態度でジョーカーに近づき、倒れた杉村の傍に腰を下ろす。

 微かに息をしている。死んではいない。意識を失っているだけのようだ。

 

「何をしたのかは知らねえけど、これで改心は済んでるのか?」

 

 ジョーカーはそれに無言で返す。

 口数の少ない奴だな、とキッドは肩を竦めた。

 

「……まあ、オレには関係ねえか。それじゃあ、オレは頂くモン頂いて、今度こそ本当にオサラバさせてもらうぜ」

 

 気付くと、ジョーカーの手からダイヤがなくなっていた。手をわきわきさせてからそれに気付いたジョーカーは、辺りを見回す。ダイヤは、いつの間にかキッドの手に収められていた。

 

「そこに転がってる奴は最低な性格してやがるが、あれでも一応その界隈ではやり手と言われてる。それだけあって、今までにないくらい用心深い男だったぜ。結局、本物のダイヤを隠している場所が掴めず仕舞いだったからな」

 

 杉村は『馬鹿正直に本物をわざわざ用意して出向くなんて真似はしない』と語っていた。その言葉から、展示されているダイヤはもちろん、身に付けてくるであろうダイヤも偽者であることは容易に想像できたのである。

 

「当初はオメーらに勝ちを譲ったと思わせて安心しているところを出し抜こうと考えてたんだが……オレじゃなくて杉村が真の標的(ターゲット)だってわざわざ教えてくれたオメーを利用させてもらったよ」

 

 ジョーカーはダイヤを取り返そうとするような素振りを見せない。

 怪盗団がどういう理由で悪党の改心を続けているのかはキッドの知るところではない。改心を目的としている彼らがホープダイヤのことまで考えているのか定かではない以上、当初の予定通りダイヤは自分が本来の持ち主の元へ返しておこう、とキッドは判断したのだ。

 

 正直に言って、キッドは怪盗団の改心という行為に対して思うところがないわけではない。怪盗である前にマジシャンであるキッドは、手品(マジック)を用いて観客の心に驚きと興奮を与えることに生き甲斐と誇りを持っている。それ故に、通り魔同然に無理矢理心を弄るということに良い感情を持てるはずがなかった。

 

 しかし、命まで取られないだけ儲け者だろうと思えるほどの悪党が世の中に存在するのも確かである。そういった者達が数多く放置されているのもまた然りだ。それをどうにかしようという気概に対しては、キッドも素直に感嘆の気持ちを抱いた。加えて、同業者という存在の登場に若干の興奮を覚えてもいる。

 

 それ故にキッドは、怪盗団が自分の邪魔さえしないのであれば今のところは深入りしないでおこうと決めたのである。

 

「じゃあな、怪盗団――いや、ジョーカー。標的(ターゲット)は違うが、同じ怪盗同士また会う機会を楽しみにしてるぜ」

 

 シルクハットを目深に被って別れの挨拶を告げるキッド。すると、彼を中心にしてポンッという音と共に煙が巻き起こった。

 

 キッドは、まるで煙と共に窓から出て行ったかのように、ジョーカーの目の前からその姿を消していた。

 

 

 

◆◇◆◇◆◇◆◇

 

 

 

 キッドがジョーカーからホープダイヤを頂き、博物館から逃亡して少しの時間が経った。

 その頃になって、ようやく例のハンググライダーが囮であるということに気付いた中森警部達が、慌てた様子で下野公園へと戻ってきた。

 

 しかし、残されていたのはいびきをかいて寝ている警備員達と、自分に宛がわれた部屋で気を失っている杉村だけ。その杉村のスーツの胸ポケットには、ホープダイヤは頂戴したというキッドのシンボルマークが描かれたカードが忍ばされていた。

 

 

 此度の勝負は、怪盗キッドの勝利ということで幕を閉じたのである。

 

 

 その場は、キッドの勝利を喜ぶ野次馬達と、結局心の怪盗団は現れなかったのかとつまらなそうな顔をしている者達に別れていた。前者はキッドが怪盗団を打ち負かしたのだと言い触らし、後者は会場にばら撒かれた例の予告状は偽者で場を騒がせるための愉快犯による仕業だったのでは、という推測話を展開し始めている始末である。

 

 

 

 

 

 

 現在時刻は零時前。

 話題の渦中の一人である怪盗キッドは、深夜にも関わらず明かりの目立つビル街をハンググライダーを駆使して飛んでいた。

 

 

 彼――黒羽快斗が執拗に宝石を狙う理由は、父親の死が関係している。

 

 快斗の父親である黒羽盗一は世界的有名なマジシャンだが、その正体は先代の怪盗キッドであった。彼は、八年前にマジックの最中の不慮の事故で亡くなったとされている。

 

 しかし、真実は違った。伝説のビッグジュエル――『パンドラ』を狙う謎の組織によって殺害されたのだ。

 

 真実を知った快斗は、仇討ちのため組織よりも先にパンドラを見つけ、破壊することを決意した。故に、名のあるビッグジュエルを片っ端から盗み続けているのである。

 盗んだ宝石を後になって返していたのは、それが目的のビッグジュエルではなかったからである。  

 

 

 そして今回も、盗んだ宝石を本来の持ち主に返すため、キッドは夜闇を飛び駆っている。実は、ホープダイヤが目的のビッグジュエルではないことは盗む前から知っていたのだ。 

 例の展示会のパンフレット、それに掲載されている月をバックにして輝くダイヤ。あれがホープダイヤが標的(ターゲット)ではないことを示していた。

 

 目的のビッグジュエルは月の光に翳すと、中に眠っているもう一つの宝石『パンドラ』が赤い輝きを放つと言い伝えられている。写真のホープダイヤは、その赤い輝きを放っていなかった。

 それでも事に及んだのは、調査によって知った杉村の悪行を放っておけなかったのと、春に両親の大切な想い出である宝石を取り戻してあげたかったからである。

 

 

 やがて、春の住んでいるオクムラコーポレーション本社ビルが見えてきた。

 キッドはビル風を利用してさらに上空へと舞い上がり、ビルの最上階へと辿り着く。

 

 バルコニーに着地し、窓をコンコンとノックする。それに反応して、ソファに座ってスマホを覗いていた奥村春が立ち上がり、窓を開けた。

 

「どうも、少し羽を休めに――」

「怪盗キッド! 来てくれたんだ! さ、どうぞ上がって!」

「? え、え~っと、じゃあ、お邪魔しマース……」

 

 春は突然のキッドの訪問にも構わず喜び、彼を部屋に招き入れる。それに首を傾げつつも、部屋にお邪魔させてもらうキッド。部屋に漂う女子の独特な香りがキッドの鼻をくすぐった。

 幼馴染の青子の部屋には度々侵入することはあるが、それ以外の女子の部屋にはあまり入ったことはないキッド。態度は紳士的でも中身はまだ子供っぽさの抜けない高校生だ。それ故に、好奇心に負けて部屋の中をさりげなく見回す。そして、棚にスプラッター物の映画などがズラリと並んでいるのを見つけて、心の中で声にならない悲鳴を上げた。

 

(こんなお嬢様でも意外な趣味してるもんだなぁ……さっさとダイヤ渡して退散しよう)

 

 キッドはホープダイヤを渡してすぐに退散しようと思い話を切り出そうとしたが、それよりも早く振り返った春がキッドにお礼を述べる。

 

「ありがとう。貴方のおかげだわ! さすが月下の奇術師ね!」

「え? あー……うん?」

 

 春は興奮した様子で捲くし立て、キッドに話す暇を与えない。何のことだがさっぱり分からないキッドは訳も分からず頷くしかない。

 

「本当に、貴方には感謝しているの。お母様が大事にしていた宝物が、こうして戻ってきたんだから!」

 

 そう言って春が桃色の上着のポケットから取り出してきた物を見たキッドは、愕然とする。

 

 

 

 それはまさしく、正真正銘のホープダイヤであった。

 

 

 

(なッ――!?)

 

 キッドとて宝石専門の泥棒として、それらを見る目はプロ並みに養われている。だからこそ、見間違うはずがない。春の持っているダイヤは本物であった。ご丁寧に、キッドのシンボルマークが描かれたカードまで添えられている。もちろん、キッドには覚えのないことだ。

 

 しかし、それならば今自分のポケットの中に入っているホープダイヤは何なのか? こちらもジョーカーから頂戴した時、本物だと確信している。キッドはこれまでにないくらい混乱していた。

 

「……えっと、それでキッドさんはどうしてまたここに……もしかして、何か忘れ物でもしたのかな?」

 

 可愛らしく小首を傾げる春。

 

「あ、そ、そう! そうだったんですけど……どうやら私の勘違いだったようです。ハハハ……そ、それでは!」

 

 キッドは頭に手を回して苦笑いしつつ、言葉少なに慌てた様子で早々に春の部屋を後にした。

 引き止めようとする春の声も耳に入らないほど、キッドは冷静さを欠いていた。

 

 

 

 

 

 

 ビル街をハンググライダーでとんぼ返りするキッド。

 その飛び方は予想外の事態を前に未だ混乱が抜き切れていないのか、どことなく危うい。

 

 その右手には、ポケットから取り出したホープダイヤが握られている。

 

(間違いねぇ。こっちも本物だ)

 

 なぜ、どうしてホープダイヤが二つもあるのか? 全く理解できない現実に、眉を潜めるキッド。

 

 ホープダイヤが一つの原石から作った双子だった、というような話は存在しない。どうあがいても現実的な論理でこの現象について説明できそうもなかった。

 

 ……だとすると、これは非現実的な事象と関係していると考えるのが自然だ。

 

 もちろん、これが現実的推理に重きを置いている探偵であればそんな考えには至らない。しかし、キッドには思い当たる節があった。

 キッド――黒羽快斗の知り合いで、同じ高校に通っている小泉紅子という女子生徒がいる。少し前に転校してきた彼女は普段学校のマドンナとして振舞っているが、その実態は『赤魔術』という超自然的な力を使いこなす"魔女"だったのだ。

 彼女のような存在がいるのだから、物体をそのまま複製するといった芸当も可能なのではないだろうか?

 

 そう考えを巡らせながら、キッドは何気なしにそのダイヤを頭上に浮かぶ満月に翳してみる。

 

 

 すると、ホープダイヤの中にある歪な形をした小さな塊が、赤い輝きを眩く放ち始めた。

 

 

(な、なにィ……!?)

 

 キッドは驚きの余り目を見開き、思わずダイヤを落としそうになってあたふたとなる。

 この宝石はパンドラではないはず。しかし、目の前の赤い輝きがそれを否定していた。

 

 引き続いての信じられない現象に、さしものIQ400を誇るキッドも思考が乱れる。

 キッドはそれを振り払うようにして激しく首を横に振る。とにかく、一度人気のない場所に降りて落ち着こう。そう決めて、平常心を取り戻そうと努めた。

 

 

 

 ――その時、キッドの右目の片眼鏡(モノクル)を銃弾が貫いた。

 

 

 

 衝撃に態勢が崩れ、ハンググライダーが大きく傾く。

 

 さらに横からのビル風に煽られて、グライダーの制御ができず吹き飛ばされてしまうキッド。

 そのまま、キッドはハンググライダーと共にビル街から離れた森林公園へと墜落してしまった――

 

 

 

 

 

 

(ぐっ……クソ……身体が、動かねェ……)

 

 雑木林の中、地面に激突してバラバラに壊れてしまったハンググライダーの下から這いずり出ようとするキッド。しかし、身体中を強く打ち付けてしまったためか、思うように動けない。

 

 そんなキッドの元へ、一人のライダースーツを着た人間が近づいてくる。ただでさえ暗い中、月明かりが逆光になってその顔立ちははっきりと確認できない。それとは別に、闇夜に忍ぶかのようなその黒尽くめのライダースーツが明かりに反射して艶光りしているのが、キッドの脳裏にきつく焼き付いた。そして、その形からその人物が女性であることが分かる。

 

「……怪盗キッドの正体がまさかこんなボウヤだったとはね」

 

 その黒尽くめの女性は、倒れているキッドの右手から未だ赤い輝きを放つホープダイヤをもぎ取る。その際、キッドがダイヤを離すまいとしたことで、彼がまだ生きていることに気付く。

 

「っ! あれだけの高さから落ちてまだ生きてるなんて……しぶといボウヤだこと」

 

 女性は懐からカプセルケースを取り出した。それを開き、その内の一錠を手に取る。

 

 

 

「安心なさい。すぐに寝付きを良くしてあげるわ……」

 

 

 

 そして、その錠剤をキッドの口に、流し込んだ――――

 

 

 




散々な目に合うキッドでした。
一応言っておきますが、怪盗団側は別にキッドを嵌めようなどとはしてません。

え? VSなのにキッドと対決らしい対決もしてない?
ルパン三世VS名探偵コナンもそんな感じでしたし、そこはご勘弁いただければと……









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FILE.24 怪盗同盟

 気付くと、黒羽快斗は真っ白な空間に一人、ぽつんと立っていた。

 それこそ自身が身に纏っている純白のタキシードのような。快斗はそんな空間と自身が一体となり、溶け込んでいるかのような錯覚を覚えた。こんな場所では、自身の存在を明瞭にさせることもできない。

 

(オレ、死んじまったのか……?)

 

 恐らく、そうなのだろう。だというのに、悔しいという気持ちはこれっぽっちも湧かない快斗。目の前の白い光景が、心の中を空っぽにさせてそういった感情の湧き上がりを失くしているのだろう。

 そのためか、快斗は自身が死んだということにも関わらず、死後訪れる場所は三途の川ではないのかと益体もないことを考えていた。親より先に死ぬと、その罪によって永遠に賽の河原で石を積み上げなければならないという言い伝え。どれだけ石を積み上げても鬼がやってきて積んだ石を崩してしまうという、あの賽の河原の話だ。

 父親は死んでいるものの、母親は現在も存命。一人息子を置いてラスベガスに長期滞在中である。もしここが三途の川だったなら、自分も積み石をさせられていたのだろう。だからこそ、快斗は落胆した。怪盗キッドである自分ならお地蔵さんが助けてくれる前にその鬼を欺いてやるのに、と。

 

 死んでまでそんなことを考えている自分に、思わず乾いた笑いを出してしまう快斗。まさか、目的だった『パンドラ』を手に入れた矢先に殺されてしまうなんて、なんと間抜けなことだろうか。父の教えも忘れて、動揺を露わにしてしまった。その結果がこの始末では、怪盗キッドの二代目として、マジシャンとして失格である。

 

 

 ――快斗

 

 

 地獄の沙汰もお金次第。渡し守にお金を払って黄泉帰れないだろうかと思っていると、快斗の耳にどこからか懐かしい声が聞こえてきた。快斗は、ばっと顔を上げて辺りを見回す。

 

 そして、振り返った先に、その声の主がいた。

 

 

 快斗の父――黒羽盗一だ。

 

 

 父を思い出す時に決まって浮かべているあの心理を悟らせない薄い笑みで、快斗と同じ怪盗キッドの衣装である白いタキシードを着込んで、そこに立っていた。

 

 死んだはずの彼がいるということは、やはりここは死後の世界なのだ。快斗は八年振りに見る父の姿に内心喜びが込み上げるが、仇を取れずに後を追う形になってしまったことが後ろめたく、つい目を反らしてしまう。そのまま少し話し辛そうにしながらも、久しぶりの父に挨拶をする快斗。しかし、対する盗一はおかしなことを聞いたかのようにクツクツと笑い出した。

 何がおかしいんだとムッとした顔で盗一に目を向けた快斗は、驚きに目を丸くする。盗一が立っている場所は快斗のいる白い空間とは違う、星空をバックにした高層ビルの屋上であった。白とは対照的な闇夜の黒が、白い怪盗衣装を着る彼の存在を際立たせていた。

 

 盗一はその整った口髭のある唇を動かして、快斗に語りかけ始める。

 

 

 ――どうした快斗。お前はこんなところで終わる男なのか? 前に教えたはずだろう。いつ何時たりともポーカーフェイスを忘れるなと。

 

 

 そう、それが父の教え。常日頃盗一が口にしていた言葉であった。快斗がキッドとなってからも、盗一の付き人であった寺井――快斗はジイちゃんと呼んでいる――から口を酸っぱくして言われ続けていたのだ。

 

 

 ――まだお前の人生という名のショーは終わってなどいない。幕は未だ開いており、観客も席に着いたままだ。ならば、マジシャンとしてステージを降りることは許されない。それに、もう一人の怪盗(・・・・・・・)は未だステージに立ち続けているぞ。

 

 

 その言葉に、ハッとなる快斗。気付けば、快斗の周りを取り囲んでいた白の空間は盗一の立っている場所を中心にして水が乾いていくかのような形で徐々に薄まり始めていっている。

 

 そして、盗一が快斗に向けて手を差し伸ばした。

 

 

 ――さあ、戻ってこい。快斗!

 

 

 

◆◇◆◇◆◇◆◇

 

 

 

 再び快斗が視界を取り戻した時、彼の嗅覚をくすぐったのは消毒液の独特な匂いであった。背中には再び目を瞑りたくなるような柔らかな感触。白い空間の次は白いベッドときたかと快斗は苦笑いを零した。

 時刻は昼頃といったところだろうか。窓のカーテンの隙間から覗く陽光がそんな彼を眩しく照らし、ぼんやり気味であった意識をはっきりとさせる。

 

 どうやら、自分は生きているらしい。さきほどまでいた白い空間や自分に語りかけてきた盗一は夢だったのだ。ほっと胸を撫で下ろすと共に、少しばかりの虚無感に浸る快斗。あの黒尽くめの女に毒薬らしき物を飲まされた記憶があるが、あれは勘違いだったのだろう。もしくは、運良く効果を発揮しなかったか。

 

 快斗は掛け布団を退けて身を起こそうとしたが、思い出したかのように身体の節々が痛みに悲鳴を上げ始めた。

 

(ぐっ! いってぇ……)

 

 呻き声を上げ、再び枕に後頭部を埋めてしまう。仕方なくベッドに身を預けたまま辺りを見回すと、カーテンに阻まれているが、もう一つ女性が寝かされているベッドがあるのが目に入った。部屋自体はそこまで広いというわけではないことから、どこかの小さい病院だろうかと快斗は検討を付ける。

 

 そんな快斗の耳に、部屋の扉が開く音が聞こえてくる。反射的にそちらの方を向いた快斗は、入ってきた女性を見て心の中で興奮の声を上げた。

 

(うっひょー! すっげえ美人!)

 

女性の髪型はボブカット、白衣を着ているがその下は黒のタイトなミニワンピースといったセクシーな出で立ちであった。

 

「おはよう。もう昼だけどね。身体の方はどう?」

「ちょ、ちょっと痛いけど、大丈夫」

「そう……ああ、私は武見妙。この診療所の医師よ」

 

 どうやら、ここは彼女が運営する診療所のようだ。昨夜、新宿にある行きつけのバーからの帰りに立ち寄った公園で快斗が倒れているのを見つけたらしい。容態を確認して緊急性はないと判断した後、いちいち適当な病院を探すのも面倒だったので、そのまま自分の車に乗せて運んできたということだ。

 

「全身に打ち身があるけど、骨に異常はなかった。丈夫な身体してるのね」

 

 彼女は内科医ではあるが、何時でも整形外科医として転身できる程度の外科知識と実力を有しているようである。あれだけの高さから落ちてそれだけで済んだということに、武見の言う通り我ながら丈夫な身体をしているな、と思う快斗。恐らく落ちる直前に木の枝に引っかかったりなどして衝撃が和らいだのだろう。落ちた地面に枯葉が溜まっていたのも幸いしたと思われる。

 

「それで、怪盗キッドくんのお家はどこなの?」

「ぶッ!」

 

 思わず噴出してしまった快斗。今現在は診療所に置いてあったのであろう適当な替えの服に着替えさせられているが、考えてみれば倒れていた快斗の服装は怪盗キッドのそれであったのだ。自分が怪盗キッドだと思われてしまっても仕方がない。

 

「あ、いやぁ……実はオレ、キッドの大ファンで! コスプレしたまま木に登って遊んでたら、足を踏み外しちゃいまして、アハハハ……」

「なるほど。まあ、そんなところだろうと思ってたけどね」

 

 慌てて誤魔化そうとする快斗の言葉を、武見は意外にもあっさり信じてくれた。

 そういえば、妙に武見との身長差を感じてしまうのは自分がベッドに寝ている状態だからだろうか? 快斗は首を傾げた。

 

「……それで、お家はどこなの? 電話番号とか、分かるかな?」

 

 会話の内容は快斗の身元についてに戻る。随分と小さな子供に対するような話し方だが、快斗はひとまずそのことは気にせず誤魔化すことに専念することにする。

 

「お、親は今海外へ旅行に行ってて、ええっと電話番号は~……あれ、なんかド忘れしちゃってみたいです、ハハ」

 

 事実、快斗の母は今現在ラスベガスに滞在中だ。余計な嘘をつかず、言える範囲は本当のことを言った方が誤魔化しやすい。

 

「子供を放って海外旅行だなんて、何考えるのよキミのご両親は……」

 

 顔に手を当てて呆れたように言う武見に、苦笑いしか返せない快斗。

 さて、あまり長く話をしていては面倒事が増えそうだ。快斗は痛む身体を抑えて、ベッドから降りようとする。

 

「ちょっと、何してるの! まだ安静にしてなさい!」

「もう大丈夫ですよ! お金は後日支払いますんで――」

「ったく、子供がそんな遠慮するんじゃないの」

 

 止める武見の言葉に、さすがの快斗もムッとし始める。確かに自分は世間一般的には子供だろうが、それと同時に十分大人扱いされてもいい高校生だ。これ以上の子供扱いはさすがに我慢ならないと快斗は言い返そうとしたが、次に起きた出来事にその文句も出ず仕舞いとなってしまう。

 

 武見が快斗の脇を両手で抱えて、持ち上げたのである。

 

(……へ?)

 

 先ほどから違和感を覚えてはいた。しかし、そんな馬鹿なことがあるはずがないと脳が無意識にそれ(・・)を認識しないようにしていたのだ。壊れた玩具のように首を動かす快斗。その動かした先の壁に貼られた鏡を見て、疑念は確信へと変わる。

 

 

 ――か、身体が……縮んでる!?

 

 

 

◆◇◆◇◆◇◆◇

 

 

 

 一方、時は少しばかり遡って。

 ポアロでの仕事を午前中で終えて昼食を食べ終えた暁は、手土産の花を持って未だ昏睡状態のままの宮野明美のお見舞いに行こうと杯戸町にある武見内科医院へと向かっていた。今回はラヴェンツァも同行している。

 

「その診療所まではどのくらいかかるのですか?」

「杯戸町だから、隣町だ。結構近いし、徒歩で30分といったところだな」

「そうですか……そういえば、テレビで杉村についてのニュースが流れていましたね」

 

 ラヴェンツァの言う通り、仕事中ポアロの店内に置いてあるテレビで臨時ニュースが流れていた。あの杉村がオクムラコーポレーションに行った悪行を自供し、父親である杉村議員が裏で行っていた不正も暴露したのだ。どうやら、改心は成功したようである。国会議員は不逮捕特権によって会期中は逮捕されないが、会期が終えるまでに十分な捜査を行った検察によって豚箱送りにされるはずである。それこそ、順調に事が進んで許諾請求が認められれば、会期中に逮捕という形もありえる。

 怪盗団はキッドではなく、最初から杉村を狙っていたのではないかという話もチラホラと聞くようになってきていた。

 

 事の経緯を説明しよう。

 ある日、怪チャンを覗いていた暁は、オクムラコーポレーションという反応せざるをない名前の会社が書き込まれているのを見つけた。そして、その書き込みをした人物のハンドルネームが"ノワール"であったことから、それがこの世界の(・・・・・)奥村春の書き込みであることに気付いたのだ。春は元の世界では心の怪盗団の一員で、ノワールは怪盗団で活動していた際に彼女が名乗っていたコードネームだったのである。

 

 早速暁はモルガナをオクムラコーポレーション本社に派遣し、詳しい事実関係の確認を行った。その最中、杉村は怪盗キッドに対して宣戦布告をし、ホープダイヤを東都国立博物館に展示することを決定した。それを知った暁は、その展示会で杉村を追い込もうと判断したのだ。怪盗キッドが狙いと見せかけて裏切り、杉村を追い込むチャンスだと。

 調べたところ、春の父親は元の世界とは違ってブラック経営もせず家族を大切にしていた。そんな奥村一家を騙し裏切ったからには、それ相応の報いを受けてもらう。元の世界の話とはいえ、仲間である春をこちらでも(・・・・・)傷付けた罪は重い。今まで以上に暁は冷徹となっていた。

 幸い、最近怪チャンに実装されたランキングの首位は怪盗キッドとなっていたこともあって、何をするまでもなく杉村は怪盗団の介入に期待を寄せる形となったのである。

 

 だが、改心するにあたって怪盗キッドの存在が邪魔になってしまうという懸念もあった。そこで、あの予告状を作ったのだ。キッドは過去、漆黒の星(ブラックスター)という宝石を盗むにあたって、文頭にエイプリルフールと書いた予告状を作っていた。そのことを知った暁はそれに似せた予告状を作成し、暗に本当の狙いは杉村であることをキッドに伝えようとしたのである。最も、キッドも相応に怪盗団を警戒しており、予告状の文章を読んだだけでは気付いてくれなかったが。

 

 そうして、暁――ジョーカーは杉村を追い詰め、シャドウを倒し本物のホープダイヤを奪還した。それはモルガナに手渡しキッドが取り返したという形で春の元へ送ったのだが、都合の悪いことに杉村のオタカラもホープダイヤとして現実に現れてしまったのである。

 

 特大のダイヤモンドを前にどうしたものかと手をあぐねいていた時に、キッドが横からそのダイヤを奪っていったのだ。扱いに困っていたので持っていってくれるなら好都合だと、暁は特に取り返そうとはしなかった。

 しかし、もしキッドがダイヤを元の持ち主である春の所へ持ち込んだとしたら、すでにダイヤが春の手にあるのを見て吃驚仰天したことだろう。そのことに後から気付いて暁は少し罪悪感を覚えたが、持っていかれた以上どうすることもできなかった。

 だが、そこまで気にすることもないだろう。同じ怪盗同士、また相見えることがあるかもしれないのだから。

 

 閑話休題。そうこうしている内に、暁達は武見内科医院に到着した。

 

「休日でも診療してるのは元の世界と同じだな。さすがに午前中までみたいだが」

 

 元の世界の武見は時折出掛けることはあれど、休日問わずほとんどの時間を診療所での新薬研究に費やしていた。こちらでもまた別の薬を研究中なのだろうか? いや、恐らく単に医師として働いている時が一番落ち着くのだろう。彼女はそういう人だ。

 

 昼時を過ぎた今は時間外であるのだが、武見は別に構わないとお見舞いを許可してくれた。正面玄関は開いていないので、初めて来た時と同じように裏口に回ってインターホンを鳴らす。

 

「は~い。あ、貴方は……」

 

 少しすると、女性が返事をして扉を開けた。確か中沢と呼ばれていた、この診療所で働いているらしい看護師だ。妙に武見に心酔していたのが印象に残っている。

 

「そうそう、暁君ね。武見先生から話は聞いてるわ。宮野さんのお見舞いよね?」

 

 中沢の言葉に頷いて答える暁。武見から話が通っているのだろう。中沢はそのまま明美が入院している部屋に案内してくれようとする。

 

「……あら? まあ、可愛らしいお嬢さん。お兄さんと一緒にお見舞い? 偉いわね」

 

 暁が玄関に入ると、その後ろに隠れていたラヴェンツァを見つけて笑顔になる中沢。彼女はその場にしゃがみこみ、優しい手付きでラヴェンツァの頭を撫で始める。 

 ラヴェンツァは子供扱いされて眉をピクピク、いかにも不機嫌そうな様子だ。撫でられている彼女の姿をスマホで撮影する暁であったが、ちらりと見た中沢の笑顔からどこか哀愁的な感情が覗いていることに気付いた。

 

「あの人が生きていれば、私にも……あっ! ごめんなさい!」

 

 何やら小さい声で呟く中沢。そこではたと気付き、慌てて立ち上がって暁達を案内し始めた。

 

 中沢に案内されて廊下を歩く暁達。入院設備がある有床診療所といっても、ここはさして大きく診療所ではない。診察室などを除けば、ベッドが用意されているのは恐らく一部屋くらいだろう。しばらくしない内に、明美が入院しているであろう部屋の扉が見えてくる。

 

「あの部屋です」

 

 と、手で指し示す中沢。

 

 その時、扉が突然音を立てて開き、間髪入れず中から少年が飛び出してきた。

 そのまま中沢の横を走り過ぎようとしたが、その先にいた暁にぶつかって尻餅を突いてしまう。

 

「いってて……」

「大丈夫? 坊や」

 

 痛そうに呻いているのを中沢と暁が抱き起こそうとするが、少年は助けは要らないとばかりに自分で起き上がる。続けて、少年を追いかける形で武見が部屋から出てきた。

 

「言わんこっちゃない。いきなり飛び出したりするからよ……? ああ、もう着いてたの」

 

 困ったように溜息を吐いた武見は、遅れて暁が来ていることに気づいた。

 

「って、今度は猫に加えて女の子連れって……まあ、それはそれとして、悪いね、立て込んでて」

 

 そう謝りつつ、明美のことについて話し始める。

 

 

(くっそ、溜息を吐きたいのはこっちだぜ……)

 

 その間、少年――黒羽快斗は溜息を吐きたいのはこっちだぜと心の中で毒吐いた。暁の後ろに控えているラヴェンツァを見て、彼女と目線の高さがあまり変わらないという事実を前に、さらに泣きたい気分になる快斗。

 快斗はそんな気分を誤魔化すように視線を外す。その先で目に入った物を見て、呼吸が止まった。

 

 

 ――黒猫。

 

 

 ある記憶がフラッシュバックする。快斗はホープダイヤを盗むに当たって、鳩の足に集音マイクと小型カメラを取り付けて調査を行っていた。そのカメラが、奥村春の自室にいる黒猫の姿を捉えていたのである。

 当初、快斗はその猫を春が飼っているペットだと思い、特に気にも止めないでいた。しかし、昨晩春の部屋を訪れた時、猫の姿はどこにも見当たらなかったのだ。

 

 快斗は思考を巡らせた。奴――ジョーカーは、明らかに展示されているダイヤと杉村が持ち歩いていたダイヤが両方偽物であることを事前に知っていた。自分はその情報を、鳩を使った調査で得たのだ。

 ならば、怪盗団はどうやってそれを調べたのか? 改心のように人知を超えた力を使ったのか? いや、恐らくだが怪盗団にそんな万能な力はない。あれば、とっくの昔にこの世の悪人は自分を含めて軒並み改心させられているだろう。とすれば、怪盗団も怪盗団で何かしらの方法で調査を行っているはずなのだ。

 

 ……そう、例えば、猫を使ったとか。

 

 目の前にいる猫の瞳は幻想的な青色をしている。奥村春の部屋にいた猫も、同じ色の瞳だった。これは、もしかすると……猫を凝視していた快斗の視線は、武見と話している暁の方へと向けられる。

 

「それじゃあ中沢さん。その子のこと、お願いね」

「あ、はい。分かりました」

 

 武見は快斗のことを中沢に任せ、暁達を部屋へと招き入れた。彼らが部屋に入っていくのを、快斗はじっと睨み続けるのであった。

 

 

 

 

 部屋に入った暁達。そこには、相変わらず目を閉じたままベッドに寝かされている明美の姿があった。規則正しい呼吸はしているが、それだけだ。

 

「あれから特に変化はなし。まあ、気長に待つしかないわね」

 

 早く意識を取り戻して欲しいが、こればっかりはしょうがない。とりあえず、持ってきた花を飾ってくれるよう頼む暁。

 

「へえ。この花、虹色セージ? 花言葉は確か……幸福な未来、だっけ?」

 

 その通りである。武見はあまりそういうことに興味がなさそうだったので、意外だと思う暁。

 

「自分でも似合わないってのは分かってる。内科だし、研究の一環で植物とか色々個人的に調べたりしてたのよ」

 

 どうやら顔に出てしまっていたらしい。武見に花が似合わないなんて思っていない。お詫びに今度来た時は武見にも贈ると言う暁。サボテンとか。武見は目を丸くして驚いている。

 

「……いや、別に気にしてないから。というか、貴方花言葉なんてよく知ってるね」

 

 暁は花屋でバイトをしていた経験がある。それを聞いた武見は「エプロン着て? ……ちょっと見てみたいかも」とくすりと笑う。エプロンならポアロでほぼ毎日着ているのだが、喫茶店と花屋ではイメージが変わってくるのかもしれない。

 ちなみに、先程から横に立っているラヴェンツァがしきりに暁の脛を蹴っているのだが、これはこれで可愛いのでもうしばらくそのままでいさせよう。暁はそう心の中で独りごちた。

 

 

 

 

 それから少し話を続けて、お見舞いを終えた暁達。廊下に出ると、そこにいたのは中沢一人だけで先程の少年の姿は見えなくなっていた。

 

「すみません、武見先生。少し目を離した隙に診療所を出ていってしまったみたいで……」

「そう……まあ、あれだけ元気なら大丈夫でしょ。中沢さんも、もう帰っていいよ」

「え? でも……」

「とっくに営業時間外だし。それにほら、例の放火事件……昨日ニュースでやってたの見た。色々思うところあるでしょ? 無理しなくていいから」

 

 武見の言葉を聞いて、中沢は少しばかり俯いて黙り込む。そして、「すみません……それじゃあ、お先に失礼します」と言って、ナース服を着替えに更衣室へと向かっていった。

 

「一昨日の晩、黒川邸って所で放火があったのよ。家主の黒川病院の元院長が亡くなったって。家族は偶々外出してて助かったらしいけどね」

 

 暁が首を傾げていると、武見がそう説明してくれた。昨日は杉村の件やそれに関わる準備もあってテレビをろくに見ていなかった。そのせいで、暁はそんな事件がニュースで報道されていたことを知らなかったのだ。

 その黒川邸の放火と中沢に何の関係があるのか、気にはなるが無理に聞くのは止した方がいいだろう。暁は武見に礼を言って、そのまま診療所を後にした。

 

「はい、お疲れー」

 

 

 

 

 診療所を出て正面玄関の門に差し掛かった所で、モルガナが暁に声を掛ける。

 

「なあ、今更なんだが……ホントにハルと会わなくて良かったのか?」

 

 モルガナの言葉に、暁は無言で返した。

 もちろん、会えるものなら会いたかった。だが、元の世界で仲間だったとしても、ここでは赤の他人。この世界の彼女が誰かを裏切ることはない。だからこそ、悪党と関わりを持たせるわけにはいかないのである。

 

 いや、多分、それは建前でしかないのだろう。

 本当は、ただ逃げているだけだ。仲間に対して、二度目の自己紹介をすることから。

 

 今までどんな相手でも逃げずに立ち向かってきたというのに、こんなことで尻込みしてしまうとは。ここに来て気づいた自分の弱さに、暁は自嘲気味に鼻を鳴らした。

 

「……杉村は改心しました。奥村春はもう大丈夫です。私達は私達のすべきことをしましょう」

 

 そんな暁に対して、気遣うような視線を向けてそう声を掛けるラヴェンツァ。

 

 

 

「――ビンゴ」

 

 

 

 その時、彼らの頭上から声が聞こえてくる。子供特有の幼く高い声質。しかも、ついさっき聞いたばかりの声だ。暁が声のした方に顔を向けると、門塀の上に先程診療所で顔を合わせた少年が仁王立ちで暁達を見下ろしていた。

 少年は塀から飛び降り、暁達の前に着地する。その動作を見た暁は、鳩の羽が撒き散るような錯覚を抱いた。

 

「また会ったな、ジョーカー」

 

 少年は片笑みを浮かべて、そう口にした。

 なぜ少年が、ジョーカーの正体が暁であることを知っているのか? ラヴェンツァは警戒を露わにした目で少年を睨み、モルガナは尻尾を山の形にする。 

 

 当の暁は少年の発した、また会ったな、という言葉に首を傾げていた。この少年に会ったのは今日が初めてのはずだ。誰かと勘違いしているのだろうか? そう考える暁であったが、よくよく少年を見ればどこかで見た覚えがあるような気がしてくる。それは既視感とはまた別の、はっきりとしたものであった。

 

 黙り込んだままの暁を見て、諦めたように溜息を吐いて頭を掻く少年。

 

「……やっぱり分かんねえか」

 

 すると、少年は片手をおもむろに後ろ手へ回し、どこからか白いシルクハットを取り出した。暁達には見覚えのあるシルクハットだ。それからポンッと小さな煙が出たかと思えば、中から一羽の鳩が出てきたのである。白いシルクハットに白い鳩……さながら、それは怪盗キッドを思わせるようなマジックであった。

 

 そこまで来て、暁は思わずまさか、と口にする。そんなことがありえるのか。そんな暁に対して、少年はやれやれといった様子で答えた。

 

「そう……オレが月下の奇術師こと、怪盗キッドさ。不本意ではあるが、オメーの予告状の通り日輪の下に現れてやったぜ」

 

 

 

◆◇◆◇◆◇◆◇

 

 

 

 場所を移動して、米花駅前にあるビッグバン・バーガーへと訪れた暁達。そこで、キッド――改め快斗から昨晩博物館で別れた後の顛末を聞かされる。

 黒尽くめの女に薬を飲まされた後激痛で気を失い、気が付いたら武見に介抱されていた。しかも、子供の姿になって。キッドファンの子供が嘘を吐いているというわけではないだろう。彼は博物館での出来事を事細かに説明してみせた。何より先程見せたマジックこそ、彼がキッド本人であるということを示していた。にわかには信じがたいが、彼は若返ったのだ。恐らく、女に飲まされた薬の影響で。

 

「もちろん、最初から子供にするために飲ましたわけじゃねえ。多分、何かの作用で毒薬が毒薬としての効果を発揮しなかったんだ」

 

 こう言ってはなんだが、子供に身をやつしてしまったとはいえ死ななかっただけ幸運と言ってもいいのだろう。

 とはいえ、怪盗団も全く関係がないとは言えない。少しばかり責任を感じている暁であったが、快斗はそれを察して何でもないとばかりに片手を振った。

 

「てめえで盗んだ物にケチ付けるほど腐っちゃいねえよ。そんなことはどうでもいいから、一体どうしてダイヤが二つあったのか、オメーは知ってるんだろう? タネを聞くのはご法度だが、そうも言ってられねえからな」

 

 ここまで来たら、説明せざるを得ないだろう。ラヴェンツァは少しばかり渋っていたが、暁は快斗に怪盗団の手口(・・・・・・)をかいつまんで教えた。

 人間の感情が具現化した存在であるシャドウ。人々の認知によって有り様を変える認知空間にのみ現れるそれを打ち倒し、歪みの原因であるオタカラを具現化、頂戴することで改心させるのだ。

 

「……つまり、杉村のオタカラがホープダイヤとして具現化して、それをオレが盗っていったということか」

 

 快斗の言葉に、こくりと頷く暁。

 荒唐無稽な話だが、事実ダイヤは二つあったわけだし、店内テレビでは杉村が改心されたというニュースが繰り返し放送されている。聞いた話を顎に手をやりながら頭の中で整理していた快斗が、ふいに暁に質問した。

 

「……一つ聞いていいか? なんでオメー、心の怪盗なんてものをやってるんだよ?」

 

 暁は言葉を濁さず、快斗の目を見据えながら答えた。それが正義だからだと。正義という青臭い言葉に思わず吹き出す快斗。

 

「人の心を無理矢理捻じ曲げるのがお前の正義なのか?」

 

 目を細めた快斗が続けて問う。対する暁は、首を横に振る。

 

 誰かを助けることこそが、自分の正義だ。

 

 一瞬足りとも目を反らさず、暁は答えた。全くもって単純ではあるが、それ故に分かりやすい。暁の目を見た快斗は理解した。暁は自らを正義の代理人だと言っているわけではない。悪党であることを自覚しつつ、それでも誰かを助けるという覚悟をしているのだと。

 快斗は暁のことをひとまず信用することにした。コイツは、人を騙すような人間ではないと。

 

 ところで話は変わるが、と暁。毒薬を飲ませてきた黒尽くめの女について、心当たりはあるかと快斗に聞く。もしかすると、その黒尽くめの女は自分達の追っている組織と関係があるかもしれない。

 

「それはこっちが知りたいぐらいだっつの。そのお前達が追っている組織っていうのは?」

「貴方が寝かされていた部屋に、もう一人女性が寝ていたでしょう? 彼女は、黒尽くめの者達で構成されている組織に利用され、撃たれた所をマイトリックスターが何とか助けたのですが、今は昏睡状態になっているのです」

 

 ラヴェンツァが続けて話す。暁達はあの事件から黒尽くめの組織について情報を集めていた。だが、今日までろくな情報を得ることもできず仕舞いであった。

 その話を聞いた快斗は少しばかり考え込み始めた。会話がなくなり、暁の耳は他の客の話声や店員の接客する声にフォーカスが移る。それに紛れる形で、店内のテレビは東洋火薬から大量の爆薬が盗まれた事件や、邸宅が放火された事件を繰り返しの形で報道している。後者は恐らく武見が言っていた事件だろう。他にも何件か放火されており、今回の放火事件と同一の犯人によるものとして警察は捜査しているようだ。

 気になった暁がそのニュースに耳を傾けようとしたところで、快斗がその小さな身体を前のめりにして一つの提案をした。

 

 

「なあ、"怪盗同盟"を結ばないか?」

 

 

 あの『パンドラ』を奪っていった黒尽くめの女が本当に暁の言う組織の者であったとしたら、その組織こそが快斗の父を殺した組織であるということになる。快斗としても、その黒尽くめの組織についての情報が欲しいのだ。

 だからこその怪盗同盟である。お互いに組織のことについて情報を集め合い、追い詰める。本来なら快斗は巻き込むことはしても進んで必要以上に部外者の力を借りることはない。だが、幼児化というバッドステータスを受けている以上そういうわけにもいかないだろう。

 

 暁はモルガナとラヴェンツァと顔を見合わせる。不満げなラヴェンツァが「子供の成りをしている貴方に何ができるというのですか?」と問うた。

 

「オメーも子供じゃねえか! ……怪盗キッドは不死身だ。子供に身をやつそうとそれに変わりはないさ」

 

 幼児化しようと、キッドとしての活躍は十分できる。そう答える快斗。

 

「いいんじゃないか? 組織の規模が分からない以上、協力者は多い方がいいだろう」

 

 と、快斗には聞こえない声で言うモルガナ。暁もそれに頷き、同盟を結ぼうと答えた。

 

「決まりだな」

 

 快斗が右手を差し出す。暁はその手を取って、握手を交わした。快斗からの信頼を感じる。

 

 

「っ、やっべ!」

 

 握手を交わしていると、ふいに快斗が慌てて手を放して机の下に隠れた。

 何事かと思って暁が背後を振り返ると、店内に妙に焦った様子のコナンが入っていくのが見えた。旅行から帰ってきていたのだろう。彼はそのまま暁達に気づかず二階へ上っていき、少しもしない内に足早に階段を降りてきて店を出ていってしまった。一体彼は何しに来たのだろうか? 店員も呆気に取られている。

 

「まさかあの坊主と会うなんてな……というか、よく考えたら隠れる必要なかったか」

 

 コナンが出ていったのを確認して、いそいそと机の下から這い出てくる快斗。

 

「……話は戻るのですが、なぜ黒尽くめの女はホープダイヤを奪っていったのでしょうか?」

 

 コナンのことをスルーして、ラヴェンツァが疑問を述べる。本物のホープダイヤを狙ってなのか、はたまたオタカラとして具現化したホープダイヤを狙ってなのか。

 

「オレが追っている組織はパンドラっていう不老不死の力を得られる宝石を探し求めていたんだ。本物のホープダイヤはパンドラじゃなかったが、オメーらの言うオタカラの方にはそれが内包されていた」

 

 ひょっとしたら、オタカラとパンドラは何かしらの関係があるのかもしれない。

 仮にそうだとすると、組織は認知訶学について多少の見識があるということになる。いや、それ以前に精神暴走の種を蒔いている犯人が組織であるという可能性も浮上してきた。

 何にしても、どうにかして組織の情報を得なければならない。しかし、闇雲に探しても今までと同じで徒労に終わってしまうだろう。

 

「……一つ当てがあるぜ」

 

 どうするかと腕を組んで考えている暁に、快斗が口を開く。当てというのは、一体何のことだろうか?

 

「そうだな。困った時の神頼みならぬ、魔女頼みって奴さ」

 

 

 




実はキッドを幼児化させるかさせないかは前話の投稿ギリギリまで迷っていました。幼児化させると色々面倒事も増えてショタ枠もコナンと被りますし、暁の裏事情を知っている同年代の男友達という存在が欲しくもあったので……
ですが、あの状況で一番自然にキッドが助かる方法がAPTX4869を飲ませて幼児化させることだったんですよね。まあ、幼児化させた以上どうにかしていくつもりです。

後、同時進行である事件が展開していますが、本作ではその事件の時系列と進行の仕方が原作と異なっています。予めご了承ください。










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FILE.25 Wicth May Cry 前編

 赤き魔女は怒りに震えていた。

 

 東京のどこにあるかも分からない、痩せ細った老婆のような枯れ木に囲まれた古ぼけた屋敷。魔女の怒りに応えるようにして噴き上がる不吉な気配が靄という形で現れ、足を踏み入れれば切り傷を負ってしまうかのような錯覚を起こしてしまうほど鋭利な空気に包まれている。

 

 魔女は再び問い掛ける。

 

「鏡よ、鏡よ、鏡さん? この世で一番美しいのはだぁれ?」

 

 鏡は答える。

 

『それはもちろん、紅子様でございます。その魔性の如き美貌に並ぶことができる者など、どこにおりましょうか』

 

 聞くまでもない。そんな者がいるはずもないのだから。

 魔女の妖艶たる美貌を前にして、心を奪われずに済む男はいない……はずであった。

 

 魔女――小泉紅子は苦々しげに親指の爪を噛む。思い浮かべるのは、月下の奇術師と世間を騒がせる怪盗キッド。だが、紅子にとっては忌まわしいだけの小生意気なコソドロでしかない。

 以前、鏡は答えたのだ。怪盗キッドだけは紅子の虜にならないと。それと同時期に、紅子は学校で唯一自分に靡かない人物を見つけた。黒羽快斗だ。彼をキッドだと見定めた紅子は、彼の心を奪わんと勝負を挑んだ。しかし、追い詰めはすれど結果は敗北。彼の心は未だ奪えず仕舞いである。

 

 なぜあの男は自分に靡かないのか。どうすれば自分に振り向くのか。苛立たしげに腕を組みながら考える紅子。

 

『――あ~、その、紅子様……?』

 

 そんな彼女の刺々しい顔を明瞭に映し出している鏡が、妙に言い辛そうにしながら言葉を濁している。

 

「何? 言いたいことがあるなら早く言いなさい」

 

 それに気づいた紅子が、苛立ちをぶつけるようにしてそう命令する。鏡は吃りながら答えた。

 

『その……キッドの他にも、紅子様に魅了されない男がいるみたいで――アヒャッ!?』

 

 紅子の拳が振るわれ、鏡に亀裂が入る。

 たった一人でも悩みの種だと言うのに、もう一人いるだと?

 

「誰なの!? それは!」

 

 両手で枠を握り、眉間を歪ませた額を鏡面に押し付ける紅子。慌てた様子の鏡が自らの身体に映る紅子の姿を消し、入れ替わりに一人の男性の姿を映し始めた。

 

 

 それは、黒のロングコートに夜会服を着こなした男であった。その目元は白いドミノマスクで隠されており、正体は知れない。

 

 

「この男は……」

 

 その装いを見て、紅子は最近キッドと同じく世間を騒がせているザ・ファントムという名の怪盗団のことを思い浮かべた。心を奪い、悪人を瞬く間に改心させる謎の組織。巷ではそれを率いるリーダーのコードネームはジョーカーであるという情報が流れている。確か、そのジョーカーの容姿は黒の夜会服に白いドミノマスク。

 

『――フヘッ!?』

 

 さらにもう一振り、鏡に拳がめり込む。先ほどの亀裂と今しがた生まれた亀裂が繋がって、鏡の一部が枠から剥がれて床に落ち、バラバラと音を立てた。

 

「なぜ今頃になって、そのもう一人の情報を話したの? まさか、黙ってたなんて言うんじゃないでしょうね?」

 

 あるはずのない鏡の襟首を掴む勢いで問いただす紅子。鏡はしどろもどろに答えた。

 

『め、滅相もございませんで! 以前は違ったんですが、最近いつの間にか検索に引っかかるようになったんですがな! そ、それこそ、今まで存在しなかったモンがいきなり現れたかのように……』

 

 その言葉を聞いた紅子は、スッと鏡から手を放した。ほっとあるはずのない手であるはずのない胸を撫で下ろす鏡。

 

「いきなり現れた、ですって……?」

 

 鏡の言葉を反芻する紅子は、しばし腕を組んで考え込み始めるのであった。

 

 

 

◆◇◆◇◆◇◆◇

 

 

 

 魔女頼み――そんなことを言い出した快斗に、暁は眉を潜めた。

 巫女であれば怪盗団の協力者の一人である御船千早が思い浮かぶが、魔女と言われるとそうもいかない。強いて言えば仲間である高巻杏がペルソナの能力も相まって魔女らしいと言える。敵のシャドウの中に魔女の名を冠する者もいたが……とにかく、魔女というのは非現実的体験が豊富である暁でさえ疑問符を浮かべる存在だということだ。

 

「ああっと、比喩なんかじゃないぜ? 信じられないだろうが、アイツは正真正銘本物の魔女なんだよ」

 

 そんな暁の心中を察したのか、快斗がそう続ける。彼自身、魔女の魔法をその身で経験したことがあるらしい。

 

「むしろ、心を奪うなんて魔法のようなことをしているお前らだから、てっきり既に知っているものかと思ってたぜ」

 

 まあ、そう思うのも無理はない。まだまだ世界は広いということなのだろうか。 

 とにかく、その魔女に頼めば組織のことについて何かしら情報が得られるかもしれない。

 

「善は急げですね。その魔女がいる所まで案内しなさい」

 

 ラヴェンツァが快斗に催促する。無駄に偉そうなその態度はどうにかならないのか。

 

「……あ~、まあ、案内したいのは山々なんだが……」

 

 しかし、言い出しっぺの快斗は頭を掻きながら何やら言い難そうにしている。どうした、と暁が問うた。

 

「いや、実はよ……アイツの居場所がはっきりとしねえんだ」

 

 その魔女は小泉紅子という名で、快斗と同じ学校に通っている同級生らしい。一度彼女の住処と思われる場所で相対したことがある快斗だが、その時は魔術の影響で意識が朦朧としていたのもあって住処までの道程をはっきりと覚えていなかった。

 そのため、今後に備えて相手の情報を探ろうと快斗は下校中の彼女をつけたことがある。しかし、何度試みても人里離れたところの川辺辺りで彼女は忽然と姿を消してしまい、結局住処を突き止められず仕舞いとなっていたのだ。

 

「ここ数日は家の都合だとか言って学校も休んでるから、明日学校で待ち伏せるってのは無理だろうな……そういえば、オレ学校どうしよ」

 

 話を外れて、学校のことを心配し始める快斗。その気持ちは分かるが、とりあえず今は置いておこう。

 

「ではどうするのですか? そもそも、襲われたということは貴方と魔女は敵対関係にあるということではないですか? そんな敵対している関係で頼み事など聞いてもらえるのですか?」

「ま、まあまあ。ラヴェンツァ殿」

 

 容赦なく文句を並べるラヴェンツァをモルガナが肉球で抑える。ちなみに、快斗にはモルガナの声は猫の声にしか聞こえていない。

 

「まあ、最後まで聞けよ。オレ一人じゃ、紅子の家は突き止められなかった。だが、今は違う。魔女と同じく現実から逸脱した能力を持った心の怪盗団っていう協力者がいる。だろ?」

「……そうだな。確かに暁の力を使えば可能性はあるかもしれない」

 

 幾分か落ち着いた様子のラヴェンツァに押し付けている肉球を払われながら、モルガナが言う。快斗には聞こえていないので、代わりに暁が頷き試してみようと答えた。

 

「それじゃあ、嬢ちゃんの言う通り善は急げだ! 話に出した例の川辺まで案内するぜ」

 

 椅子から飛び降りて店を後にする快斗に続く形で、暁は立ち上がった。

 

 

 

◆◇◆◇◆◇◆◇

 

 

 

 幾つか電車を乗り継いで、一行は件の川辺へと辿り着いた。時間にして一時間強かかる距離だ。高校生の身分では少しばかりキツイと言える距離だが、都内の学生の通学時間としては平均的でもある。

 川の反対側には痩せ細り枯れ果てた木々が散見した空き地が広がっており、その向こうには禿山が見える。周辺に魔女の住処らしき建物はもちろんなく、姿を隠せるような場所も見当たらない。こんな場所で尾行相手を見失うのは逆に難しいだろう。

 

「さて、頼んだぜ。暁」

 

 先頭に立っていた快斗がそう言って暁に目配せした。暁は片手の平を目元の前にかざし、サードアイを発動する。

 

「おおっ!」

 

 目の色が変化した暁を見て、感嘆の声を上げる快斗。だが、暁はそんな声も耳に入らないほどの光景を前にして目を見張っていた。

 

 まるで大昔からそこに存在していたかのような蒼然たる森林地帯が、暁の目の前に広がっていたのである。

 

 

 川辺の向こうに広がる閑散とした空き地は見る影もない。暁達を手招きするかのような奇妙な枝の形をした木々が生い茂っている。一度足を踏み入れれば二度と生きて出ることはできないと思わせるほどの陰鬱とした空気が目に見えるほど感じられた。

 

「マイトリックスター? 大丈夫ですか?」

 

 呆然としている暁にラヴェンツァが声を掛ける。ハッとして暁は頭を軽く振り、一言謝る。そして、サードアイで見た光景をラヴェンツァ達に話した。

 

「……なるほど。恐らく、認識阻害や人払いの類の結界が張られているのでしょう」

「ああ、ワガハイもそう思う」

 

 実際に目の前に広がっているのは森なのだが、その結界とやらのせいで常任はそれを認識できないらしい。しかも距離感覚までも狂ってしまうのか、明らかに先程の空き地よりも広大である。

 十中八九、この森の中に魔女の住処があるのだろう。しかし、このままではどうしようもない。目の前の森を認識できているのは暁だけなのだ。

 

「おーい、イマイチ要領を得られないんだが。とにかくどうにかできねえのか?」

 

 快斗のぼやきに、どうしたものかと悩む暁。

 

「なあ、試しに疑似認知空間を展開してみたらどうだ?」

 

 暁が悩んでいると、モルガナがそう提案してきた。

 常人、つまり大衆が空き地と認知しているこの場所は認知空間でも空き地のままだと思われるが、モルガナの言う通り一度試してみる価値はあるだろう。

 暁はアルカナの力を行使し、認知空間を展開させた。紅い水飛沫が巻き起こり、それが暁を中心にして放射状に広がっていく。何をするのかと様子を見ていた快斗は、次の瞬間に起きた現象に驚愕する。

 

 

 たった今まで広がっていた空き地が、まるで上塗りされていくような形で瞬く間に鬱蒼とした森へと変化していったのだ。

 

 

 どうやら魔女による認識阻害と人払いの効果の影響で、大衆からはこの場所の存在自体が認知されていなかったようだ。それ故に魔女自身の認知情報が認知空間の様相に反映されたということだろう。

 

「うおーッ!? スッゲー!!」

 

 快斗は興奮した様子ではしゃいでいる。幼児化した今の身なりからして、もはや子供そのものである。キッドとして相対した時は紳士を気取っていたが、元々こういう子供っぽい性格なのだろう。

 

「間違いねえ。前に来たのはこの森だ! 行こうぜ、暁!」

 

 先行する形でその中へ意気揚々と入っていく快斗。

 この疑似認知空間では野良シャドウが現れることはないだろうが、魔女が絡んでいるとなると話は別である。ましてや今は子供の身体なのだ。暁達は怪盗姿に変身し、ラヴェンツァ改めベルベット達と共に慌てて快斗の小さな背中を追いかけた。

 

 森の中は濃い霧が立ち込めており、陰鬱とした空気に包まれている。少しでも目を離してしまえば、逸れてしまいかねない。

 

「……なんつーか、わかってたけど、改めて見ると本当にオメーがジョーカーだったんだな。さっきまでの眼鏡かけた冴えない見た目じゃ想像つかないぜ」

 

 颯爽と追いついてきた暁――ジョーカーの怪盗衣装を見て、感慨深そうにそう呟く快斗。そして、怪盗姿のモルガナ改めモナの二等身を見て吹き出した。

 

「おまっ! もしかして、あの黒猫か!?」

「そーだが……なんだよ。文句あるのか?」

「い、いや、ねーけどさ……ククッ、オメーらコミカル集団かよ」

「ジョーカー、コイツ殴っていいか?」

「そのコミカルというのは私も入っているのですか? 私も殴っていいですか?」

 

 落ち着け、とモナ達を窘めるジョーカー。元の世界でもコスプレ集団とか言われていたのだから、今更どう呼ばれようが気にしない。

 

「お? 何か見えてきたぜ」

 

 そのまましばらく森の中を歩いていると、霧の向こうにぼんやりと建物の影が見えてきた。それは煙突が数本伸びている屋敷であった。外観は若干古びており所々蔦が這っているが、人が住む分には十分問題ないレベルだ。どこか見覚えがあるような気がすると首を傾げるジョーカーだが、まあ気のせいだろうとかぶりを振る。 

 一行は入り口の扉の前まで行き、快斗がドアノッカーを鳴らす。しかし、反応はない。続けてドアノブに手を掛けてみると、鍵が掛かっていた。留守なのだろうか? 

 

 どうする? とジョーカーが快斗に聞く。

 

「どうするも何も、こうするに決まってるだろ」

 

 彼は当然とばかりに家の壁を登って屋根に上がり始めた。どうやら、煙突から侵入するつもりらしい。

 普段ならそんなことせず待つかまた後日訪ねればいいのではないかと思うところだろうが、今は怪盗としてこの場に立っている。こちらの世界に来て以来侵入らしい侵入をしていないジョーカーは少しばかりの高揚感を覚え、快斗の後に続いた。

 

「お、来たか」

 

 ジョーカーがモナ達と共に屋根へ登ると、先に登っていた快斗の服装が怪盗キッドのそれへと変わっていた。いつの間に準備したのか、サイズは子供用の物となっている。

 それはさておき、煙突の穴は人一人が入れるほどの大きさであった。誰が先に降りるか、話し合いを始めるジョーカー達。先んじて、ジョーカーは自分が降りると提案した。

 

「いや、オレが先に降りる。もし罠でも仕掛けられていて、オメーがやられちまったらどうすんだ。この場所はオメーがいないと来られないんだろ?」

「それはそうだが……この中はもしかするとシャドウっていうお前じゃ対処できない奴がいるかもしれねぇんだ」

 

 その通りだ。もしシャドウと相対したら、ペルソナが使えないキッドでは太刀打ちできない。

 

「シャドウ? ……ああ、確か人間の感情が具現化した存在とか言ってたな。そんな危険なのか?」

「説明は後です。私が先に降ります」

「いや、嬢ちゃんはさすがに駄目だろ」

「私が先に降ります」

「……別に嬢ちゃんのスカートの中なんて誰も覗かな――あべし!!」

 

 ベルベットの鉄拳がキッドの横っ面にクリーンヒットし、吹き飛ばされたキッドはそのまま煙突の中を落ちていった。ひゅ~んっという降下音がした後、グシャッという鈍い音が煙突を通って響き渡る。お前もコミカル集団の仲間入りだ。

 煙突越しに、ジョーカーが大丈夫かと声を掛ける。

 

『……あー、問題ねえよ。ちーとばかし首が痛えけど。罠も特に見当たらねえから降りてきていいぞー』

 

 キッドの言葉に従って、ジョーカーは煙突の縁に手を掛けようとする。

 

 

 

『……ん? ぐあぁっ!!?』

 

 

 

 その時、キッドの悲鳴が煙突を通ってジョーカー達の耳に届いた。

 

 何かあったのかと、急いで煙突を飛び降りるジョーカー。モナとベルベットもそれに続く。

 狭い煙突内を難なく通って着地し煤だらけの中を這い出ると、そこは分厚い本が所狭しと棚に並べられた図書室らしき部屋であった。キッドの姿は見当たらない。魔女、あるいはその下僕に見つかって連れて行かれてしまったのだろうか?

 

「ともかく、キッドの奴を探さないと……ったく、世話の焼けるヤツだ」

「全くです」

 

 ベルベットが殴ったせいでもあるのだが。

 とにかく、ジョーカー達は出入り口となる扉を注意深く開け、誰もいないことを確認して廊下へと出た。廊下は屋敷の外観からは想像できないほど長く、向こう側が霞んで見えるほどであった。

 

「おかしいぞ。外観から考えて、この廊下は長すぎる」

「そうですね。これは、もしかしたら……」

 

 二人が言うには、どうやらこの屋敷は疑似認知空間故に不完全ではあるもののパレス化しているらしい。以前この空間ではパレスは生まれないと推測していたが、やはり歪みの元によっては例外があるようだ。

 そして、パレス化しているということは……ジョーカーの言葉に、二人が頷く。

 

 つまり、強く歪んだ心を持つ者がここにいるということだ。

 その歪んだ認知がオタカラの芽を開花させ、パレスを生み出すのである。

 

 とすれば、ここには今まで訪れてきたパレス同様、野良シャドウが現れるのではなかろうか? 彼らは具現化した人間の感情であり、パレスの主の欲望によって歪められた存在だ。それ故に、侵入者を見つけるや否や襲い掛かってくる。

 

「噂をすれば、ですね」

 

 廊下の奥で赤い水飛沫が沸き起こり、そこから下半身が蛇の姿をした女とナイトドレスを着た身の丈よりも長い金髪の女が姿を現した。シャドウだ。彼女達はジョーカー達の姿を視界に収めると、例に漏れず蠱惑的な笑みを浮かべて躍りかかってきた。

 

 ジョーカーは懐かしい感覚にニヤリと口端を歪ませ、それを迎え撃つ――!

 

 




ちょっと上手いこと分けられなくて、前編は短めになってしまいました。後編は来週投稿する予定です。メインPC故障のため、投稿が遅れます。

仕事が忙しくなってきたので、執筆が遅れました。基本休日に一気に書き進めているのですが、ここ最近の休日はドラクエXIを猿のようにプレイしていたので……
基本クロス物が好きなので「ダイの大冒険×ドラクエXI」が書いてみたかったりしてます。そんな時間はもちろんないですけど。

それにしても、これじゃあ「名探偵コナン×ペルソナ5」ではなくて「まじっく快斗×ペルソナ5」ですね……











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FILE.26 Wicth May Cry 後編

忘れている方もいらっしゃると思うので、念のため。

ベルベットはラヴェンツァのコードネームです。

ここだけの話、作者自身しょっちゅう忘れたり、書いててベルベット? 誰だっけと思うことが多々あります。


 目を覚ましたキッドをまず襲ったのは、頭に響く鈍痛であった。その痛みに思わず呻き声を上げつつ、何が起こったのかを思い出す。

 

 確か、自分は屋敷に侵入するために煙突へ入って……いや、自分から入ったわけではないが。ともかく、誰もいないと思って油断したところを、何者かに頭を殴打されて気絶してしまったのである。魔女相手だからと変な物が仕掛けられてないかばかりを気にして、物理的な襲撃をしてくることを考えなかった。

 キッドは痛みに耐えつつ、辺りを見回す。どうやら、屋敷内のどこかの部屋に閉じ込められてしまったようだ。空気と音の響き方からして、地下室といったところだろう。

 

「いっつつ……もう少し手加減してほしいぜ」

 

 手で痛みのある後頭部を抑えようとしたところで、気づく。何かに阻まれるようにして腕を動かすことができない。ジャラジャラという金属音がすぐ耳元で響く。見ると、壁にぶら下がっている手錠で両手首を拘束されていた。

 

「なっ、何だこれ!?」

 

 キッドは慌てて自慢の解錠スキルを行使して手錠を外そうと試みたが、さすがに道具もない上両手が使えない状態ではそれも難しい。加えて、子供の身体ではろくに力も出ない。それでも何とかできないかと試行錯誤していると、部屋の扉が開いた。

 

「ふふ、お目覚めかしら」

 

 顔を正面に向けたキッドの目の前に立っていたのは、目的の魔女――小泉紅子であった。どこか古代エジプトを思わせる装飾が施された衣装を着ている。

 

(紅子……!)

 

 驚きの声を上げるキッド。自分を拘束したのが紅子であったから驚いているのではない。ここの家主は彼女なのだから、そんなことは当然予想していた。キッドを驚かせたのは、彼女の両眼が黄金色に鈍く輝いているからだ。

 

「まさか、天下の怪盗キッド様がこんな子供に身をやつしてしまうなんてね」

 

 そんなキッドを見下ろしながら、そう嘲笑う紅子。さすが魔女というべきか、幼児化してしまっていてもキッドが本人であることを見抜いているようだ。妙に加虐的な笑みを浮かべたその顔は普段の紅子を思わせるものではない。

 

「……それより、この手錠は何なのですか? 貴方のような麗しいお嬢さんには似合わない趣味ですよ」

「あら、侵入した白鼠を捕らえるのは屋敷の主として当然でしょう? ……後、そんな成りで紳士ぶっても滑稽なだけよ」

「……ウッ。いや、その……悪い」

 

 キッドはまあそうなるなと思いつつ、侵入したことを謝った。口調も、本来の彼の口調に戻っている。彼女はキッド=快斗であることを見抜いているが、キッド自身からそれを明言していなかったので、あくまで自分は快斗ではないと紳士的な口調でこれまで通してきたのだ。だが、幼児化の件について相談するなら、自分がキッドであると認めるしかない。

 

「今回はその……オメーに頼みがあって来たんだよ」

「ふーん? 頼み、ね。聞いてあげてもよろしくてよ。その代わり、条件があるわ」

 

 唇の端を曲げ、紅子はキッドを指差した。

 

「私の物になりなさい。キッド――いえ、黒羽快斗」

 

 その言葉を聞いたキッドは溜息を吐く。以前紅子が襲ってきたのは、キッドを自分の下僕にするためであった。その一悶着が終わった後も紅子はそれを諦めていない様子だったため、彼にとっては予想通りの答えだったのである。

 

「前にも言ったけど、断る。それ以外で何とか頼めないか? オメーに頼みがあるのは、オレだけじゃねえんだよ」

「……ああ。貴方と一緒にやってきた黒鼠ね。まさか、気になっていたジョーカーが自分からやってくるなんて、占いをするまで思いもしなかったわ」

 

 まるでジョーカーのことを知っているかのような口振りに、キッドは眉を潜める。そのことを聞こうとしたが、それは遮られた。紅子がキッドの前に目線を合わせるようにして腰を下ろしたのだ。キッドの顎を、紅子の細くすらりと伸びた指が撫でる。

 

「貴方が若返ったのは好都合だわ。私の物にならないのなら……いっそ記憶を失くして、私好みに育ててあげる」

 

 思わぬ言葉に「いいっ!?」と素っ頓狂な声を上げるキッド。

 そんなキッドを他所に、紅子は魔術を行使するつもりなのかキッドの顎を撫でていた指を上に…‥額へと運び始める。

 

「ちょ、ちょっと待て! 紅――」

 

 

 その時、地上の方で破壊音が響いた。

 

 

 ジョーカー達か? とキッドは目線を天井へと向ける。チッと舌打ちをし、キッドの額から指を離して立ち上がる紅子。

 

「邪魔が入ったようね。いいわ、先ずはあちらを先に落としてやりましょうか。私、好物は最後までとっておく派ですもの……貴方はここでキッドを見張ってなさい」

「畏まりました。紅子様」

 

 いつの間に傍らにいたのか、執事と思われる老人にキッドの見張りを任せ、紅子は部屋を立ち去っていく。

 

(くそっ……情けねぇ。これじゃ完全に足手まといじゃねえか……!)

 

 キッドは苛立ちをぶつけるかのように手錠の掛けられた手首を我武者羅に動かすが、それは虚しく鎖の金属音を響かせるだけであった。

 

 

 

◆◇◆◇◆◇◆◇

 

 

 

 どこに捕まっているかも分からないキッドを当てもなく探すよりも、パレスの主からオタカラを盗む方が早いだろうと結論付けたジョーカー達は、モナの鼻の反応を辿っていかにもというような扉を見つけた。

 門番と思われるシャドウを倒し、勢いのままにその扉の中へと転がり込む。

 

 扉の先の部屋、その床には巨大な魔法陣が描かれていた。中央には石製の煙突と繋がった大釜が鎮座しており、それはまるで悪魔合体の儀式でもするかのような様相であった。加えて、天井や壁一面に男の肖像画が無数に飾られている。それを見たジョーカーは眉を潜めた。

 

「ようこそ、黒鼠さん」

 

 頭上から声を掛けられる。見上げると、宙に浮いた玉座に女性が膝を組んで座り、ジョーカー達を見下ろしていた。彼女がキッドの言っていた魔女……小泉紅子だろうか? その瞳は金色に輝いている。

 

「彼女がパレスの主であることは間違いないな」

 

 モナの言葉に、こくりと頷くジョーカー。

 絹糸のような艶やかな長い黒髪に、透き通るような白い肌。魔女は男性であれば思わず目で追ってしまうような魔性の美貌を有していた。その切れ長の目が、ジョーカーに誘うような視線を送る。

 

「無駄なことを。そんな魅了紛いのまじないはマイトリックスターには通じません」

 

 ベルベットが鼻を鳴らして前に出た。キッドと同じく、ジョーカーの心はただの魅了でうつつを抜かすほど腑抜けたものではない。いや、女性経験が豊富だからというのもあるかもしれないが……とにかく、ジョーカーには通じなかった。

 

「……ふん、そんなことは分かってるわ。私に心を奪われない男は、貴方で二人目よ」

 

 紅子がそう憎々しげに口にする。一人目は、恐らくキッドのことだろう。

 音もなく玉座を床に下ろし、ジョーカー達と相対する紅子。

 

 キッドはどこだ、とジョーカーが問う。

 

「彼はこの先の地下室で大人しくしてもらってるわ……ホホホ、怪盗キッドはもう私の物。後は貴方をこの世から葬り去れば、世界中の男達は皆私の虜ということが証明できる」

 

 なんとも無理矢理な証明の仕方だ。なぜそこまで男を魅了することに固執する? 続けて問うジョーカー。

 紅子は何を馬鹿なことをとでも言いたそうな目でジョーカーを睨んだ。

 

「虜にならない男が存在するということは、私の美貌が絶対ではない……偽りであるということじゃないの!」

 

 そんなことは、断じて許されない。

 紅子の黄金色の瞳の輝きが、燃え上がる炎の如く揺らめき始める。

 

 

「そう……この世界に、貴方のような余計な存在は不要なのよ!」

 

 

 紅子はその言葉を皮切りに、彼女とジョーカー達との間で二つの赤黒い水柱が勢い良く立つ。その水柱から、二体のシャドウが現れた。白銀の鎧を纏った黒い長髪の端正な顔立ちをした男達だ。二体共、その手に槍を携えている。

 シャドウ達は得物を構え、一斉にジョーカー達へと飛びかかった。

 

「あの二体は私達が相手をします。ジョジーヌ!」

「魔女の方は頼んだぞ、ジョーカー! ゾロ!」

 

 ベルベットとモナは、飛びかかってきたシャドウ達を迎え撃ちにそれぞれ散らばっていった。

 残されたジョーカーと紅子が、真正面に対峙する。

 

「……ほほほ、鼠風情が。私の赤魔術に恐れ慄くがいい!」

 

 紅子はニヤリと笑みを浮かべると、グツグツと泡を立てている大釜に何やら怪しいブツを幾つか落とした。そして、呪文を紡ぐ。それに反応するかのようにして、足元の魔法陣が輝き始めた。

 

 

 ――ヤーヤグ ヤルガ アユル マルガ アユル ガマム……

 

「いでよ! この世で最も邪悪な神、ルシュファーよ!!」

 

 

 呪文を唱え終わると同時に、魔法陣の輝く光が一層強まる。あまりの眩しさにジョーカーは片腕で目を庇う。

 光が収まって再び紅子を視界に入れると、彼女の背後にはガス状の何かがその姿を現していた。それは身体中に無数の髑髏が浮かんでいるようにも見え、頭部と思われる箇所からは山羊の角のような物が見て取れる。見ようによってはペルソナのようにも見えるが、恐らく違うだろう。魔術によって召喚された正真正銘の悪魔かもしれない。

 

「行きなさい! ルシュファー!」

 

 紅子が命令すると、ルシュファーと呼ばれた悪魔はその煙状の身体を変化させ巨大な腕を作り出した。その腕が、ジョーカーを鷲掴みにせんと襲いかかる。ジョーカーはそれを前方へ飛び転がるようにして回避すると、そのまま紅子の方へ突っ込む形で走り出した。

 

 

 ア ル ダ ー !

 

 

 そしてペルソナを召喚し、悪魔目掛けて不可視の剛拳を叩きつける。それは悪魔の身体をぶち抜き、大きな穴を開けた。

 しかし、その煙状の身体は分断されても全く意にも介さない。それどころか、見る間に元の形へと戻っていく。どうやら、物理攻撃が効かないようだ。この分では銃による攻撃も効果はないだろう。シャドウの中には攻撃を反射してくる者もいる。それに比べればマシだが、厄介なことには変わりない。

 

 ひとまず距離を取ろうとしたところで、ジョーカーの腕を紅子の華奢な手が掴んだ。悪魔による補助が加わっているのか、予想外の力で引っ張られるジョーカー。前のめりになったその腰に、紅子にもう片方の腕が絡みつく。

 

「貴方も何か降魔術に似た力を持っているようだけれど、所詮無駄なこと。ルシュファーには傷一つ付けられないわ……そうね。潔く諦めて私の下僕になるというのなら、命だけは助けてあげてもよくってよ」

 

 紅子の囁きが、ジョーカーの耳元を擽る。

 

 囚人扱いは慣れているが、下僕は御免だ。ジョーカーはかかる吐息を振り払い、紅子を突き放した。お前がメイドになるなら歓迎してやらないこともない。挑発的な視線を送りつつ、そう付け加える。もちろん冗談だが。メイドは川上だけで十分だ。

 

 紅子は一瞬何を言われたのか分からなかったのか、ポカンとしている。が、すぐに我に返ってその顔を赤くさせた。メイド? この私を?

 

「私を逆に下僕にするだなんて……そんなふざけたことを言った愚か者は、お前が初めてよ!」

 

 紅子は怒りを露わにし、ルシュファーにジョーカーを攻撃させる。その大きな口が裂けるようにして開かれ、灼熱の炎が吐き出された。

 地獄の業火とも思えるその炎を、ジョーカーは飛び退いて避ける。だが、炎はまるで意思を持った蛇のようにジョーカーの後を追ってきた。このままではすぐに追いつかれて身を焼かれてしまう。

 

 

 ア ル セ ー ヌ !

 

 

 ジョーカーはペルソナをアルセーヌに切り替えた。アルセーヌは速さに特化したペルソナだ。その補助を受け、隼の如き速度で部屋中を縦横無尽に駆けて迫りくる炎を避け続ける。

 その最中、ルシュファーに向けて強力な呪怨魔法を放つジョーカー。光を吸い込むかのような禍々しい闇の波動がルシュファーを貫く。しかし、それはルシュファーの身体に触れた瞬間に四散してしまった。どうやら、呪怨にも耐性があるようだ。

 何か弱点はないのかと、ジョーカーは炎を避け続けながらルシュファーの全体を観察する。その視線が、煙状の身体の根本となる部分に移る。それは、大釜の中へと繋がっていた。

 

「ちっ……すばしっこい。これでは埒が明きませんわ……ルシュファー!」

 

 対して、ジョーカーの予想以上の素早さに苛立ちを隠し切れない様子の紅子。何を思ったのか、ルシュファーに何やら命令すると、しつこくジョーカーを追っていた炎を掻き消してしまった。

 諦めたのか? ジョーカーは警戒しながらも距離を取って紅子の様子を伺う。

 

「これからとっておきの魔術をお見せしますわ。それにかかれば、貴方はこれ以上私に攻撃するどころか逆らうこともできなくなる」

 

 そして、(おもむろ)に指を鳴らす紅子。彼女の背後にある鉄製の扉が嫌な音を響かせながらゆっくりと開いていく。

 

 開いた先から出てきたのは、化物のような顔立ちをした彼女の執事と思われる老人。

 そして、その老人によって手錠で繋がれているキッドであった。

 

「ジョーカー! ……って、一体どういう状況なんだよ!?」

 

 キッドは紅子のルシュファーとジョーカーのアルセーヌを見て、その常識外れの光景に目を見開いている。

 紅子が目で促すと、老人は懐からナイフを取り出し、あろうことかそれをキッドの首に押し当てた。

 

「……なっ!?」

 

 脂汗を垂らしつつ、歯を食いしばってそのナイフに目を向けるキッド。

 随分と低俗な魔術だな。そう言って紅子を睨むジョーカーの目には、明確な怒りが含まれていた。

 

「おほほ……その低俗な魔術によって貴方は死ぬことになる。分かってるとは思うけど、少しでも抵抗しようとすればこの部屋をキッドの血で染めることになるわよ」

「ハッタリだ、ジョーカー! コイツはオレの心を手に入れようとしている! 殺すような真似はしねえはずだ!」

「おだまり! ジョーカーが倒せないのなら、幼児化した貴方を私好みに育てても意味がない。ジョーカーがいる限り、世の男は全て私の物とならないのだから! ……それなら、それなら二人共殺してやるわ。それが魔女というものよ!」

 

 どこか悲壮さを感じさせる叫びを、ジョーカーとキッドにぶつける紅子。

 ジョーカーはただ紅子を強く睨みつけると、背後に控えているアルセーヌを消した。

 

「素直な子は好きよ……ルシュファー!」

 

 それを見た紅子は満足げに目元を緩ませると、ルシュファーの豪腕を正面からジョーカー目掛けて叩きつける。まともに攻撃を受けたジョーカーは後方に大きく吹き飛ばされてしまう。

 

「ジョーカー!」

 

 キッドの声も良く聞こえない。うつ伏せに倒れたジョーカーは腕を支えに何とか立ち上がろうとするが、追撃の拳を背中から受けて再び地面に這いつくばらされてしまう。その衝撃を物語るように床に亀裂が走る。

 

「――がぁっ!」

「っ……!」

 

 そんなジョーカーの元へ、モナとベルベットがお互い背中を打ち付けるようにして吹き飛ばされてくる。紅子のルシュファー、そして二人が戦っていた鎧を纏ったシャドウ達がジョーカー達を囲うようにして並んだ。

 

「くっ、すまないジョーカー。あのシャドウ、ワガハイとベルベットのペルソナでは相性が悪すぎる……!」

 

 ジョーカーの背中の上で倒れているモルガナがそう苦しげに伝えた。

 

「くそっ……! ジョーカー! オレのことはいいから戦え!」

 

 キッドが悲痛な面持ちで叫ぶ。だが、片膝を立てて起き上がったジョーカーはただ紅子を強く睨みつけているだけで、それ以上何もしようとしない。

 

「無駄よ。弱者を助ける心の怪盗が、それを見捨てるなんてことをするわけがないわ」

 

 正義の怪盗様はつらいですわねぇと、せせら笑う紅子。

 紅子の言葉に、キッドは意識を取られてしまう。その顔が己への失望に歪み、沈んだ。

 

 自分が弱者? 夜闇を飾る大泥棒である怪盗キッドが?

 

 そんなこと、あってはならない。認められない。怪盗キッドが足手まといの弱者だなんて……本来のキッドである黒羽盗一に顔向けできない!

 

 

 

 ――どうした。君はこんなところで終わる男なのかい?

   教わったはずだろう。いつ何時たりともポーカーフェイスを忘れるなと。

 

 

 

 ハッとして頭を上げるキッド。激しい頭痛がキッドを襲う。

 

「っが!? ぐ、ああああ……!」

 

 その激痛の中、父の言葉を言い聞かせるこの声は一体誰なのだろうか。父の声のようにも聞こえるが……いや、この声は――

 

 

 ――そんな腑抜けた顔ではせっかくの純白の衣装も影がかかるというもの。

   怪盗は常に夜闇を飾る光でなくてはならない。

 

 

 

 そうだ。自分はここで終わる男ではない。なぜならば……

 

 

 

 ――今こそ契約の時だ。我は汝、汝は我……

 

 

 

「 そう。オレは……月下の奇術師、怪盗キッドだ! 」

 

 

 

 その叫びを切っ掛けに、キッドを中心にして青白い炎が巻き起こった。衝撃で、手錠の鎖が砕かれる。傍にいた老人は腰を抜かしてその場に尻もちを突き、紅子は何事かと目を見張る。

 

 そこに立っていたのは、幼児化したキッドではない。本来の姿のキッドであった。

 

 その背後には、機械的な白い翼を羽ばたかせる長身の男の姿が見える。翼と同じ白一色のスーツが眩く、その顔はホログラムがかけられているかのように判別がつかない。そう。ペルソナを、覚醒させたのだ。

 

「い、一体何をしたの!?」

「なあに、新しいマジックといったところですよ。種も仕掛けもないつまらないものですが……ね」

 

 続けて、キッドは冷静さを取り戻した顔でジョーカーの方を見やる。片膝を突いているジョーカーはそれに応えるように頷き、大釜の方に目を向けてみせた。

 

「なるほど……ラウール!」

 

 ジョーカーの意図を理解したキッドは、己のペルソナの手元に長身型のトランプ銃を出現させる。その銃で、大釜を狙い打った。普段とは比べ物にならない勢いで風を切るトランプはそのまま大釜を粉々に粉砕し、その中身を盛大に周りへバラ撒かせる。

 大釜の中身をまともに浴びた鎧のシャドウ達は悲鳴を上げてのたうち回る。それは、まるで硫酸を浴びたかのように鎧を溶かしていった。

 

「っ! ゾロ!」

「……ジョジーヌ!」

 

 間髪入れず、モナとベルベットがペルソナを召喚して追撃を喰らわす。鎧を失って耐性が弱まったシャドウ達は、攻撃に耐えられず消滅していった。 

 

「しまった……!」

 

 悲鳴を上げる紅子。だが、悲鳴を上げたのは彼女だけではなかった。大釜がバラバラになってしまった影響か、ルシュファーも野太い苦痛の声を上げ始めたのだ。ルシュファーの煙状の身体も乱れ始める。

 

「今だ! ジョーカー!」

 

 キッドが叫んだ。立ち上がったジョーカーは、弱っているルシュファー目掛けて駆ける。今なら、物理攻撃が効くかもしれない。

 

 

 フ ツ ヌ シ !

 

 

 キッドとの縁を結ぶことで扱うことが可能となったペルソナを召喚するジョーカー。背後に、鈍い鉄色の肌をした長髪の屈強な男が胡座をかいた姿勢で現れる。その男は霊剣フツノミタマを身体中に纏っていた。

 その全ての剣が一斉に動き出し、眼前のルシュファーを空間が歪むほどの速度で滅多切りにしていく。

 

 

 一撃、

 

 二撃、

 

 三撃――舞の如き鋭い剣撃が続く!

 

 

 千、いや、万に及ぶ剣撃で身体を細切れに刻まれたルシュファー。

 最後の一閃で、首だけを残して宙を舞う。それは地獄から鳴り響くような低い呻き声を漏らしながら、溶けるようにして消えていった。

 

「そんな、まさか、私の赤魔術で呼び寄せた邪神が敗れるなんて……!」

 

 ルシュファーが敗れてしまったショックで気力を失くしたのか、その場に崩れるようにして床に膝を突く紅子。そんな彼女の元へ、老人が駆け寄る。キッドとジョーカー、それにモナ達も彼女らを囲うようにして集まった。

 

「お待ちください。こんなことを言える立場ではないことは重々承知しておりますが……どうか、どうか紅子様のことをお許しになってあげてください」

 

 紅子を庇うように前へ出た老人は手を突いて頭を下げ、語り始めた。

 

 

 

 

 紅子は生まれた時から歴代最高とも思われる強力な魔力を持ち合わせていた。だが、幼い時分は制御の仕方も拙く、不可思議な現象を頻発させた影響で周囲から孤立していた。父親は紅子が産まれる以前に儀式の失敗で死に、身体の弱かった母親は紅子を産んで亡くなった。一族の中で残ったのは紅子だけという中で、彼女が魔力の制御ができるようになるまで時間がかかってしまったのは想像に難くない。

 一緒の女子小学校に通っていた仲の良かった友達も、紅子が普通とは違うと分かるや否や疎遠になってしまう。そういうことが何度も繰り返されたのである。顔も見たことがない赤の他人が悲鳴を上げて逃げていったこともあれば、両親がいないのは魔女である紅子が魔術の生贄にしたからだというような根も葉もない噂まで広がる始末であった。

 

 中学に上がる頃にようやく制御を完璧に出来るようになった紅子は、元いた女子小学校から知り合いの誰もいない共学の中学校へ進学した。そこで自分の美貌に魅了され気を引こうと何でも言うことを聞く男子達を見て、彼女は徐々にそれに固執していった。魔術を使わずとも簡単に落ちていく男共の様が愉快だったのだ。

 

 幼少期の孤独が、それを増幅させた。

 

 もちろん、周りの女子達はいい顔をしなかった。だが、そんなことは関係ない。むしろ注がれる嫉妬の視線が紅子の気を良くさせた。いつも自分のことを影で悪い魔女だ悪魔の子だと蔑んでいた女共が、女性としての高みにいる自分を下から恨めしげに見上げているのだから。

 

 そう、いくら強力な魔力を持つ魔女であっても、彼女は女性……ただの一人の人間に変わりなかったのだ。

 

 

 

 

「もう、止めて……」

 

 紅子の消え入りそうな呟きを受けて、老人は口を閉じた。自分の生い立ち話など、聞いていて気分の良いものではないだろう。

 

 キッドは困ったように頭を掻いている。それも仕方がないだろう。誰とでも分け隔てなく明るく接することができるキッドは、今まで孤独というものを経験したことがないのである。母親が彼を残して度々旅行に出かけたりはするが、そういう時は決まって隣の家に住んでいる中森家の世話になっていた。

 紅子はキッドがそんな黒羽快斗であることを見抜いている。つまり、彼がどんな慰めの言葉(マジック)をかけても、今の彼女を騙し楽しませることはできない。

 

「……さあ、私の歪んだ心を盗んで、改心なさい。それが心の怪盗である貴方の仕事でしょう?」

 

 紅子はその場にへたり込んで顔を俯かせたまま、そう口にした。諦めのような、乾いた笑いも混じっている。

 パレス化はしているが、これまでと同じようにオタカラは独立しておらず彼女自身が所有しているようだ。モナとベルベットに促されて、ジョーカーは紅子の前に歩み寄った。

 

「お、おい――」

 

 キッドがそれを止めようとしたが、ジョーカーの目を見て思いとどまる。

 もう誰かを殺そうなんて真似はしないか? ジョーカーが紅子に問うた。

 

「……さあ、どうでしょう……でも、そうね。どうせ負けることが分かっているなら、そんな馬鹿な真似はしないわ」

 

 

 少しばかりの間、沈黙が流れる。

 

 

 

 

 

 

 ――それなら、改心は行わない。

 

 

「「えっ!?」」

 

 ジョーカーの思わぬ言葉に、紅子のみならず周りの者達も驚きの声を上げた。対して、キッドだけは笑みを浮かべている。

 

「よいのですか? ジョーカー」

 

 ベルベットの問いに、頷いて答えるジョーカー。

 彼女は自力で改心できるだろう。怪盗団の仲間である真の姉、新島冴のように。

 

「……そうだな。幸い、被害者らしい被害者もキッドだけだしな」

「幸いってなんだよドラネコ」

「ワガハイは猫じゃない!」

 

 ……しかし、このままでは紅子は孤独であり続ける。例え、星の数ほどの男を従えても、彼らが見ているのは紅子の外面だけなのだから。

 言い合いをしているモナとキッドを背に、ジョーカーはへたり込んでいる紅子へ続けて語りかける。

 

 ――過去を恐れず、周りに心を開け。そして他人を頼れ。

   世の中どうしようもない人間ばかりだが、きっと応えてくれる人がいる。

 

 なんなら、キッドでもいい。コイツは頼りになる。

 ついでとばかりにそう提案するジョーカーに、キッドが「おい」とツッコミを入れるが、それを無視してジョーカーはその場に跪く。呆けている紅子の顎に、ジョーカーは赤い手袋をした手を添えた。

 

 ――お前がもっと魅力的な女性になったその時、また心を頂戴しに来よう。

 

 常日頃キザな台詞を口にするキッドも閉口してしまうほどの口説き文句を吐くジョーカー。紅子は一気に顔を真っ赤にさせた。

 

「……おい、ドラネコ。もしかして、アイツあれで結構プレイボーイなのか? つーか、性格変わってね?」

「アイツは怪盗姿になるといつもあんな感じだぞ。後、猫じゃねーって言ってんだろ」

 

 耳打ちしてきたキッドに呆れ顔で答えるモナ。そして、その横で静かに青筋を立てているベルベット。

 

「……というかお前、元の身体に戻ってないか?」

「へ? ……うおっ! 戻ってる!?」

 

 キッドは自分の身体を見て、素っ頓狂な声を上げた。どうやら、今の今まで気づいていなかったらしい。何だか分からないが元に戻れたと大喜びするキッド。

 

 そこで、ビシッとガラスが割れるような音が彼らの耳を打った。歪みが解消され、パレスがその形を保てなくなったのだ。屋敷内の歪みの影響を受けた箇所が現実に沿った物へと戻っていく。

 ジョーカーはそれを確認すると、疑似認知空間を解除した。普段着に戻り、紅子の顎に添えられた素の手を外す。が、当の紅子は顔をほんのりと赤くさせてぼ~っとしたまま、心ここにあらずといった様子だ。その目尻に、少しばかりの涙が輝いているのが見える。

 ゴホンッと、怪盗のマスクを外したラヴェンツァの咳払いが響く。

 

「……ハッ!?」

 

 それを聞いて、紅子はようやく正気を取り戻した。慌てて暁から離れる様は、魔女ではなくただの少女にしか見えない。

 

「あ、紅子様! 大丈夫ですか!?」

「お、おだまり! 大丈夫に決まってるでしょ! この私があんな言葉で動揺するとでも思ってるの!?」

 

 案じて声をかけた執事の老人に荒々しく返す紅子。だが、老人が心配しているのはそこではない。

 

「違います! 涙が(・・)……!」

 

 老人は焦った様子で紅子の目尻で光る涙を指した。

 

 

 

「 ……ひゃあああぁぁぁーーー!!!?? 」

 

 

 

 突然甲高い悲鳴を上げ、パニックを起こす紅子。乱暴にその涙を拭っている。

 

「ま、まだ零れてないからセーフよね? そうよね!?」

「あああ、紅子様! お、お、落ち着いて――」

 

 必死に確認する紅子だが、老人は激しく肩を揺さぶられて答えることができない。

 

「おいおい、どうしたんだよ? 血相変えて」

 

 何があったのかと声をかけるキッド。紅子は恨めしげに暁の方を振り向き、普段の美貌はどこへやら般若の顔でズンズンと迫る。

 

「貴方のせいで、私の魔力が失くなってしまったかもしれないのよ!」

 

 何のことだが分からず、迫る般若に冷や汗をかきながら後ずさるしかない暁。とりあえず落ち着いてくれと言うが、紅子は「どう責任取ってくれるの!」と文句を止めない。そこへ、「近すぎです。マイトリックスターから離れなさい」とラヴェンツァも加わる。

 

 

「おーい……」

 

 蚊帳の外のモルガナとキッド。ふいに、モルガナがキッドの方を見た。

 

「……お前、また縮んでないか?」

「えっ!?」

 

 

 




PCが故障して投稿が遅れていましたが、何とか復活しました。
マザーボード交換→CPU交換→マザーボード交換でようやくです。

それはともかく、ペルソナ5も一周年ですね。早いものです。
アニメも楽しみですが……ジョーカーの名前がどうなるのか気になるところですね。コミカライズ版の来栖暁のままなのか、そうでないのか。多分4と同じでアニメ版の名前が主流になるのでしょうね。


さて、今回の話ですが、快斗をペルソナ使いとして覚醒させました。アルカナは魔術師です。
本当はキッドという名前の特殊なペルソナを覚醒させ、それと一体化することによって一時的に元の姿に戻るというよく分からない設定にしようかと思っていたのですが、ラウールという良さそうなペルソナを思いついたのでそれに変えました。
ラウールはご存知の方もいらっしゃると思いますが、アルセーヌ・ルパンの幼名です。黒に染まる前、純白の若きルパンというのはキッドにピッタリなのではないでしょうか。

……まあ、今後そんなに出番はないと思いますけど。


ちなみに、紅子がルシュファーを召喚する際に唱えていた呪文は赤魔術でデーモンを呼ぶ際に唱える呪文を適当に改変させたものです。
赤魔術って調べるとエジプト発祥の物しか見つからなかったんですよね。思えば、紅子の魔女衣装が古代エジプトっぽいのもそこから来ているのかもしれません。


ちょっと長くなってしまったのでこの辺で。
次の話ですが、色々練らないといけなさそうなので時間がかかると思います。












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FILE.27 時計じかけの摩天楼 一

「それで、どうなんだよ?」

 

 ソファの背もたれに腰を下ろした快斗――姿は子供のそれに戻っている――が、伺うようにして紅子に問いかける。少し時間が経って幾分か落ち着きを取り戻している紅子であったが、未だその整った眉の根は眉間を歪ませたままである。

 

「……少なくとも、全ての力を失ったわけではないようだわ」

 

 紅子は先ほどから魔力が本当に無くなってしまったのか確認するため、簡単な検証を行っていた。

 全ての魔女がそうなのかは分からないが、その内の一人である紅子はその目から涙を流すと魔力を失くしてしまうらしい。魔女として生まれて相応に辛い目にあってはきたが、それと同時に両親から受け継いだその力を誇りにも思っていた。それを失ったかもしれないとくれば、あれだけ取り乱すのも致し方ないことだろう。

 

「つまり、大事には至らなかったわけだよな。良かったじゃねえか。まあ、コイツのことは許してやってくれよ。悪気があったわけじゃねえんだからさ」

 

 同じくソファに座っている暁の頭を背もたれの上から叩く快斗。怪盗衣装からいつもの姿に戻った暁は、申し訳なさそうな顔で頭を下げている。その隣では、モルガナを膝に乗せたラヴェンツァが執事の用意した紅茶に舌鼓を打っている。

 快斗の言葉に、紅子は深い溜息を吐いた。

 

「……分かってるわ。魔女が涙を流したら魔力を失うなんて話、知らなくて当然でしょうし……一応、こちらも暴走から救われたわけだから、今回は不問にしてあげる」

「暴走?」

 

 紅子の言葉を聞いて、暁は小さく安堵の溜息を吐いた。しかし、"暴走"という気になる単語にモルガナが反応する。同じく気になった暁はそれについての説明を求めた。

 

「私からご説明いたします。ここ最近、紅子様は突然起こった魔力の暴走に悩まされていたのです。膨れ上がる魔力を抑えるのが精一杯で、ろくに外出することも叶わない状態でした」

「ああ。だから学校にも来てなかったんだな」

「今頃になって魔力の制御ができなくなったなんて考え難いし、私としては外部からの影響によるものだと思ってるわ。それが何なのかは、今となっては(・・・・・・)調べられないのだけれど……でも、どうして暴走が収まったのかしら? ジョーカー、貴方が改心を行ったからじゃないの?」

 

 紅子の問いに暁は首を振り、君自身が自分で改心したからだと答えた。怪盗衣装を着ている時とはまた違う落ち着いた雰囲気の暁に、紅子は少し気恥ずかしさを覚えて思わず目を逸らしてしまう。

 それから暁は、ふむと顎に手を添えて執事と紅子から聞いた話を元に考え込み始める。外部からの影響による魔力の暴走……それはもしかすると、精神暴走の件と何かしら関係があるのではないだろうか?

 

「その話はひとまず置いておこうぜ。紅子、さっきも言ったけどオレ達、オメーに頼み事があってここに来たんだ。オレの身体をこんなにした組織のことについて、何でもいいから手掛かりが欲しいんだよ。確か、占いとかで色々調べられるんだろ? 迷惑ついでに試してみてくれねーか?」

 

 この通りだと、両手を合わせて頼み込む快斗。しかし、対する紅子の表情は硬い。目線を逸らし、頬杖を付いて大きな溜息を吐いている。

 

「…………無理ね」

「何でだよ? ちょくちょく俺の未来を占って警告したりしてたじゃねえか」

 

 無理と返す紅子に、快斗は減るもんじゃないだろとばかりにしつこく迫る。暁が無理に頼むのは良くないだろうと止めようとしたところで、紅子がバンッと机を割る勢いで叩き、般若のような顔付きで快斗を睨んだ。

 

 

「 だ・か・ら! その占う力を失ってしまったのよ!! 」

 

 

 またも機嫌を悪くしてしまった紅子にモルガナの肉球を触らせて再び落ち着かせ、詳しい話を聞く。

 紅子は"全ての力を失ったわけではない"と話していた。それはつまり、一部の力は失ってしまったということ。占う力――所謂千里眼能力を失ったということだが、正確には紅子自身にそういった能力はなく、その能力を持った悪魔を呼び出す力を失ったということらしい。魔力の暴走原因について、"今となっては調べられない"と言ったのも、それが理由であったのだ。

 

「紅子様、あの魔法の鏡ならどうでしょうか?」

「駄目よ。あれは鏡に千里眼能力を持った悪魔を呼び出していただけだもの。鏡自体には何の能力もないわ……それより、黒羽君。貴方元の姿に戻りたいって言うけど、さっき元に戻ってたじゃない」

「ああっと、そうだ! あれは結局何だったんだ? 暁達の言うペルソナってのを呼び出せるようになったってことは分かるんだが……」

 

「恐らく、あれが貴方の"反逆のイメージ"を具現化させた姿なのでしょう」

 

 紅茶を飲んでいたラヴェンツァが、カチャリとマグカップをソーサーに置いて口を開いた。

 

「マイトリックスターの怪盗姿を見たでしょう? あれと同じです。普段怪盗キッドとして活動している貴方なら、イメージから具現化されるのが本来のキッドの姿というのも、至極自然なことです」

「確かに、ラヴェンツァ殿の言う通りだな。認知空間上限定ではあるが、一時的には元の姿に戻れるってわけだ」

 

 ラヴェンツァの解説に、モルガナも同意した。暁から認知空間についての補足を聞き、快斗はふむふむと感慨深そうに頷いている。

 

「なるほど。オメーらの姿が変わるのはそういう仕組みだったのか……つまり、暁の反逆のイメージがあのマジシャン風の姿なんだよな。オメーも手品(マジック)とかやるのか?」

 

 手先の器用さには自信があるが、生憎手品(マジック)の類は手を出したことはない。暁は首を振ってそう答えた。

 

「そうなのか? オメーなら普段からポーカーフェイスだし、向いてると思うけどな。なんならオレが教えてやっても――」

 

 バンッ! と立ち上がった紅子の手によって、またしても机が叩かれる。無残にも耐久力の限界を迎えた机には歪な亀裂が走った。

 

「傷心の女を前にして何男同士でイチャついてるのよ! そんな話は今どうでもいいでしょうが!」

「いや、別にイチャついてなんか……」

「ああ、もう! 不問にすると言ったけど、やっぱり怒りが収まらないわ! どういう形であろうとも責任は取ってもらうから、覚悟しておきなさいジョーカー!」

 

 ズビシッと指を差され、困惑気味ではあるものの分かったと頷いて返す暁。それを見た紅子は、満足げに椅子に腰を下ろした。

 紅子との間に、歪ではあるが確かな繋がりが生まれたことを感じる。

 

 

 

 

 それからしばらく話し、辺りが暗くなってきたのでその場はお開きとなった。

 帰り道、紅子の標的が自分から暁に移ったことを悪いとは思いつつこれ幸いと心の中で安堵の溜息を吐く快斗。しかし、相変わらず組織についての情報は得られず仕舞いだ。

 

(さーて、これからどうすっかなぁ……)

 

 組織のことについてもだが、先ずは自分の身の回りのことを考えなければならない。そんな彼の脳裏に、ある少女の顔が思い浮かぶ。

 そんな快斗の心中を知ってか否か、暁が振り返りこれからどうするのかと快斗に問うた。その目から、組織についてではなく幼児化した自分を心配していることを察する快斗。

 

「ん? あ~、そうだな……まあ、何とかやってくさ。心配すんなって。一応組織についても調べておくから、オメーも何かあったら連絡してくれよ。それじゃあな」

 

 暁達に背を向け、暗い夜道を歩いていく快斗。小さなその姿は、先ほどの言葉とは裏腹にどこか寂しげに見えた。

 

 

 

 

 その夜、蝋燭の火が弱弱しく部屋を照らす中、紅子は物憂げな様子で両親が写った写真を眺めていた。

 

 父は紅子が生まれる以前に死に、母は紅子を産んで死んだため、二人共直接顔を合わせたこともなければ、言葉を交わしたことさえない。

 それでも、紅子にとっては大切な家族であった。周りから悪い魔女だと蔑まれても、自身を産んだ両親を恨んだことはなかった。魔女である自分こそが、両親が生きていたという証になるのだから。

 

 魔女としての力を制御できるようになってからは、二人を蘇生しようと死に物狂いで魔術の修行をしてきた。赤魔術は"呼び出す"ことに長けた魔術。悪魔を召喚するように、黄泉から両親を呼び戻そうとしたのだ。

 

 誰にも頼らず、縋らずに。

 

 もちろん、紅子は頼り縋ることができる相手を求めていなかったわけではなかった。求めていたからこそ、両親を甦らそうとしていた。紅子が魔女と知っていてそれでも答えてくれる相手は、両親以外にいないのだから。

 だが、結果は……今ここに両親がいないことから察することができるだろう。

 

 紅子の傍らに、醜い顔の執事が音もなく現れた。朧げな部屋の蝋燭の明かりに、執事が持つ燭台の明かりが加えられる。

 

「……紅子様。お風邪を引いてしまいます。もうお休みになられた方がよろしいでしょう」

「…………ええ」

 

 紅子の返事を聞いた執事は、頭を下げて部屋を後にしようとする。

 

「ねえ」

「はい、何でございましょう。紅子様」 

 

 呼び止められて足を止めた執事が、振り返って紅子の言葉を待つ。

 

 この執事は紅子が生まれた頃からいつも傍で見守っていた。小学校で虐められて、それでも泣くわけにもいかず必死に涙を堪えていた紅子のことを慰めようとしてくれていた。思えば、あの頃は素直に彼のことを家族のように思っていた。

 だというのに、紅子は自分の容姿端麗さに溺れるようになってから、醜い顔の彼を忌み嫌うようになった。コイツもきっと自身の外面しか見ていないのだと、そう思い込んでいた。紅子は心の中で自嘲する。外面だけしか見てなかったのは、自分も同じだったのだ。

 

 ……そういえば、彼の名前は何だっただろうか?

 

 

『ねえ、あなた名前はなんてゆーの?』

『紅子様。私は名前を持っていないのです。私は紅子様のご両親の魔術によって生み出された存在。ご両親は私に名前を付けてくださりませんでした』

『ふーん……じゃあ、わたくしが名前を付けてさしあげますわ! あなたの名前は――』

 

 

 まだ彼のことを家族と思っていた頃に、こんなやり取りをした覚えがある。

 いつの間にか忘れていたが、結局彼にどんな名前を付けたのだろう。

 

「…………貴方、名前は?」

 

 紅子の問いに執事は目を見開き、ゆっくりとその口元を緩めた。

 

 

「私の名前は……ヤマオカと申します。紅子様」

 

 

 

◆◇◆◇◆◇◆◇

 

 

 

 そして、数日の時が流れた。

 相も変わらず組織の情報を得る方法を探ってはいるが、今のところ収穫はゼロのままだ。帝丹高校2年B組の自分に宛がわれた机で、暁は窓の向こうを眺めつつ小さく溜息を吐いた。

 

「まあ、そう焦ってもしょうがないさ。地道にやっていこうぜ」

 

 机の中のモルガナの言葉に頷く暁。

 しかしそうは言っても、情報を得られない中一度は卒業した高校生活を再び繰り返すというのは退屈という他ない。

 

 手持ち無沙汰になり、ポケットからスマホを取り出す。適当に開いたニュースサイトで、堤向津川緑地公園でラジコンが爆発したという記事が目に入る。その記事に並ぶ形で見つけたのは、米花駅近くの河川敷で爆発事件が発生、少年が負傷したという記事。

 まさか、例の組織が関わっているのでは? と邪推する暁であったが、当然これだけでは確信には至れなかった。

 

「おーっす、暁君」

 

 そんな暁の元へ、園子と蘭が歩み寄ってきた。スマホから目を離し、挨拶を返す暁。

 

「どうしたの? 何か悩み事?」

 

 見た目あまり変わらないが、雰囲気から察したのかそう心配げに尋ねる蘭。暁は首を振って何でもないと答えた。

 そこでふと、最近コナンの姿を見ないことを蘭に話した。先日蘭達はポアロへ夕食を食べに来たが、その時コナンはいなかった。組織のことを考えていて、そのことに触れず仕舞いになっていたのだ。

 

「あれ? ラヴェンツァちゃんから聞いてないの? コナン君、事件に巻き込まれて怪我しちゃって、今警察病院に入院してるのよ」

「確か、例の爆発事件だよね? ガキンチョが巻き込まれたの」

 

 蘭と園子の話を聞いて、驚く暁。

 先ほど暁がスマホで見ていた爆発事件。負傷した少年とは、コナンのことだったのだ。

 

 

 

◆◇◆◇◆◇◆◇

 

 

 

 翌日の金曜の放課後、暁達は梓に断って毛利父娘と共にコナンのお見舞いに向かうことにした。

 コナンが怪盗団として気になる存在だからというのもあるが、それよりも純粋に心配であったからだ。それに、彼はラヴェンツァのクラスメイトでもある。暁達が同伴することを蘭はもちろん快諾してくれた。

 

「おい、坊主。まさか病院にまであの猫を連れてきちゃいねーだろうな」

「もうお父さん! いくら何でも病院に猫を連れてくわけないって。ね、暁君」

「モルガナなら鞄の中に――」

 

 咄嗟にラヴェンツァの口にお見舞い用に用意したじゃがりこを突っ込んでそれ以上言わせなくする暁。不満そうな顔でポリポリとじゃがりこを食べ始めたラヴェンツァを見て、蘭は首を傾げた。

 

 

 しばらくして、一行は警察病院のコナンが入院している病室に辿り着いた。

 

「あっ、蘭姉ちゃん! おじさんも……あれ、暁兄ちゃん達も来たの?」

 

 ベッドにはすっかり元気そうなコナンがいた。傍らには、同じくお見舞いに来ていた元太、光彦、歩美、それにふくよかな体つきをした白髪の男性がいる。

 

「ラヴェンツァちゃん、わたし達がお見舞いに誘った時は行かないって言ってたのに……」

「暁お兄様が行くと言ったので」

「おまえ、口を開けばその暁って奴のことばかりだよな」

「そちらの方がその暁お兄さんなんですか?」

「おお、君が暁君かね。コナン君から話は聞いとるよ。ワシは阿笠、コナン君の遠い親戚みたいなものじゃよ」

 

 一体どんな話を聞いたのか、そう思いつつも阿笠と名乗った白髪の男性と握手を交わす暁。見た目お爺さんのようだが、年齢的にはそこまで老けているというわけではないらしい。

 暁はコナンにお見舞いのじゃがりこを渡し、怪我の方は大丈夫なのかと聞いた。

 

「あ、ありがとう……怪我は大したことないよ。今日中には退院できるらしいし……って、もう開いてるじゃねーかこのじゃがりこ」

 

 どこか気まずそうに答えるコナン。彼の頭には包帯が巻かれたままだが、後遺症が残るほどの大事には至らなかったようである。

 

 事の経緯を説明すると、この前の日曜、つまり暁達が紅子の館へと向かった日の昼頃、蘭の幼馴染である高校生探偵工藤新一宛てに挑戦状とも取れる電話が掛かったらしい。ニュースを見ていない暁は知らなかったが、一昨日東洋火薬の火薬庫から大量の爆薬が盗まれていたのだ。そして、電話をかけてきたのが何を隠そう、その犯人だったのである。

 しかし、挑戦状を叩きつけられた当の工藤新一は不在。代わりにコナンが爆弾処理に向かったということだ。

 

「ったく、あの探偵坊主。今度会ったらただじゃおかねえ」

「いなかったんだから、しょうがないじゃない! 新一だって、そこにいたらコナン君に爆弾処理に向かわせるなんてことしなかったはずよ」

 

 行方知れずの新一に対して憤慨する小五郎。蘭はそんな小五郎に反論して、新一を擁護した。

 

「ボク達、堤向津川の緑地公園で犯人から爆弾の仕掛けられたラジコン飛行機を手渡されたんです」

「爆弾のことなんて知らないまま遊んでてさ、死ぬかと思ったぜ」

「でも、コナン君のおかげで助かったんだよ! 飛んでる飛行機目掛けてリモコンを蹴ってぶつけたの!」

 

 随分乱暴な処理の仕方だが、致し方ないだろう。そうでもしなければこの子供達が犠牲になっていたのだ。

 ラジコン飛行機の爆弾を処理した後、続けて犯人から次の爆破予告の連絡を受けたコナンは、すぐさまその場所――米花駅へと向かった。そこで爆弾を見つけ出し、何とか爆発寸前までに河川敷まで移動させたということである。頭の怪我は、その時の爆風を受けて出来たものらしい。

 確かあの日、暁は米花駅前のビッグバンバーガーで慌ただしい様子のコナンを見かけていた。まさか爆弾を探していたなんて思いもよらなかったが。

 

 ところで、直接犯人と接触した元太達は犯人の似顔絵を描いていた。 

 子供が描いたものなので上手とはいえないが、帽子とサングラスに長い髭をした男性という最もな特徴はよく表現できている。電話では変声機を使っていたらしいことから、十中八九変装で間違いないだろう。

 

「おお、毛利君。君達も来ていたのかね」

「目暮警部!」

 

 暁が犯人の似顔絵を眺めていると、病室に目暮警部が入ってきた。その後ろには、高木刑事や佐藤刑事とはまた別の部下と思われる男性が立っている。蘭によると、白鳥という名の警部補らしい。

 

「それで、その後犯人について何か分かりましたか?」

「工藤君に挑戦状を出したことから、犯人は彼に恨みを抱いている者と推測して調べてみたが……」

「彼によって解決した事件の犯人は、全員刑務所で服役中でした。ですので、その家族や恋人などの関係者の方も対象にして捜査の範囲を広げていますが、今のところ目立った収穫はありません」

「そうですか……」

 

 そのまま、話は工藤新一が解決した事件の中で最も世間の注目を浴びたものについてに変わる。目暮警部によると、恐らくそれは平崎市の藤原市長の息子がOLを車で轢き殺してしまった事件だという。

 当初はただの事故だと思われていたが、実は息子ではなく父親である藤原市長が車を運転していたことを新一が見事に見抜いたらしい。それによって、藤原市長は失脚し、彼が進めていた新しい街作りの再開発計画は一から見直し、もとい白紙になってしまった。

 

「その事件のことで、藤原市長の息子があの探偵坊主を恨んでいる可能性は十分にあるな……」

「我々もそう思って調べてみましたが、彼は爆発事件の当日は県外に出掛けていたというアリバイがありました」

 

 小五郎と目暮警部達は、難しい顔付きで話し合っている。

 暁達も怪盗団として爆弾事件の犯人はどうにかしたいが、今のところはどうしようもない。組織同様、情報が不足しているのだ。

 

「ボク達はそろそろ帰りましょうか」

「そうだな。コナン、またな」

「また来週、学校でね!」

 

 これ以上病室に屯するのはよろしくないだろう。元太達もそろそろ帰るようだし、暁達もそろそろお暇させてもらうことにする。

 

「おい、蘭。おめえもそろそろ帰れ」

「でも……」

「コナンのことはオレが見とくから大丈夫だ。どうせもうすぐ退院するんだし、先に帰って上手い飯でも作っておいてやれ」

 

 コナンのことが心配なのか渋る蘭であったが、小五郎にそう言われ彼女は仕方なく頷いた。

 

「それじゃあ、先に帰ってるね。今日はコナン君の好きなカレーにするから……そうだ! 暁君、良かったら美味しいカレーの作り方教えてくれる? 暁君の作ったカレー凄くおいしかったから前に真似して作ってみたんだけど、上手くできなかったの」

 

 蘭の頼みに、暁はもちろんと頷いて答えた。

 そのまま、子供達に続く形で蘭を連れ立って病室を出ようとする。

 

 

 しかし、そんな蘭の上着の裾をコナンが握って止めた。

 

 

「? コナン君?」

 

 蘭が振り返って不思議そうにコナンを見る。コナンは俯いていた顔をゆっくりと上げた。

 

「行っちゃやだよ、蘭姉ちゃん。一緒にいて?」

 

 そう言って、縋るような顔を見せるコナン。蘭は小さくその口元を緩めた。

 

「……ゴメン、暁君。やっぱり私残るね。いいでしょ? お父さん」

「ったく、しゃあねえな」

 

 初めて年相応なコナンを見た気がする。暁はそんな感想を抱きながら小五郎や目暮警部達に頭を下げ、コナンをからかう元太達と共に病室を後にした。

 

 そんな暁の後ろ姿を、コナンは複雑な感情を宿した目で見つめていた。

 

 

 




まだ途中までしか書いてないのですが、一応書いてますアピールということで冒頭のみ投稿しました。
書いている内に設定の矛盾や無理が生じてきた場合は次話投稿時にこちらの文を編集する可能性がありますが、その際は次話の前書きにてお知らせします。





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FILE.28 時計じかけの摩天楼 二

 東都環状線に乗って米花町に戻るため、緑台駅へと向かう少年探偵団と暁達。

 

「何だか店が活気立ってるな。何かイベントでもあるのか?」

 

 道中、鞄の中のモルガナの呟きに道沿いの店に目を向ける暁。確かに、コンビニやスーパーなどの店が普段より活気立っているように見える。自然と興味を注がれる暁。

 同じように店の方へ視線を向けていた歩美は、まるで準備は整っているとでも言いたげにその小さな両の手を握り締めて頷くような仕草をしている。

 

「あ……あの、歩美ちゃん」

「え、何? 光彦くん」

「明日は、その……いえ、やっぱり何でもないです!」

 

 顔を赤らめた光彦が歩美に話しかけようとしているが、目は泳いでいて終始落ち着きがなく、全く話を切り出せない様子である。傍目から見ても、この光彦少年が歩美という女の子に気があることは明らかである。

 しかし、そうだとしてもなぜこんな駅へと向かう道中でそんな気恥ずかしさを覚えるような話題を出す必要があるのだろうか。ふと、暁は周りへと目を向けてみた。気にせいかもしれないが、妙に町の雰囲気が色めき立っているように感じる。

 イマイチその雰囲気の正体が掴めず、首を傾げる暁。今日は二月十三日、何か特別な日であっただろうか?

 

「ねえ、ラヴェンツァちゃん。ラヴェンツァちゃんはもう準備できてるの?」

「準備とは、何の準備ですか?」

「え? だって……」

 

 ラヴェンツァに何やら問いかけていた歩美は、どういうわけか何か言いたげに暁の方へ視線を向けた。暁がどうかしたのか聞こうとしたところで、先を歩いていた元太の声が耳に届く。

 

「おーい! 何やってんだよ! 電車もう着いちまうぞ!」

 

 いつの間にか目的地である緑台駅の前まで着いていたようだ。元太に急かされた歩美はラヴェンツァの手を引いて走り、光彦はそれを追う形で駆け出した。暁も小走りで子供達を追いかけ、改札を抜ける。階段を上ってホームに出ると、電車は既に駅を出発した後であった。

 

「チックショー! 間に合わなかったぜ!」

「仕方ありません。次の電車を待ちましょう」

 

 東都環状線は元の世界でいう山手線に当たる。少し待てばすぐに次の電車が来るだろう。子供達をホームにあるベンチに座らせて一息ついていると、暁のスマホが着信を知らせた。ポケットからスマホを取り出し、着信相手の名前を確認して電話に出る。

 

 ――私だ。

 

『って、誰だよ!』

 

 相手は怪盗キッドこと黒羽快斗であった。何事もなかったように組織についての話かと問いかける暁。

 

『あ、いや。そっちは相変わらず収穫なしだ。ちょっと別の話があってよ……』

 

 何やら話を切り出し難そうにしている快斗。遠慮のない性格をしている彼にしては珍しいことである。それくらいのことはまだ同盟を結んで日が浅い暁にも分かった。

 

『……えーっと、その前にオメーは今何してんだ?』

 

 とりあえずといった感じで快斗がそう聞いてきたので、暁はコナンが被害にあった爆弾事件についての話をする。

 

『ああ、それなら知ってるぜ。なんだ、例の爆弾処理した少年ってあの探偵坊主のことだったのか。まあ、予想はしてたけどな。というか、オメー知り合いだったのかよ』

 

 情報通な快斗は当然の如く知っていた。快斗は以前キッドとして鈴木家の家宝である黒真珠『漆黒の星(ブラックスター)』を狙った際にコナンと衝突したことがあるらしい。コナンに変装を見破られ、手に入れた宝石を手放して逃げる羽目になったとか。最も、目的の宝石ではなかったので元々返すつもりではあったが。

 それにしても、キッドの変装を見破るとは。つくづく子供とは思えない頭脳を持った少年だ。暁はサードアイのおかげで彼の変装を看破できたが、それなしで見破れと言われたらかなり難しいだろう。

 

 ともかく、コナンのことは置いておこう。暁は続けて爆弾犯についての話を始める。 

 今現在、警察は工藤新一が解決した平崎市の事件の関係者が怪しいと踏んでいる。だが、一番怪しいと思われる市長の息子にはアリバイがあった。

 その話を聞いていた暁としては、アリバイがあってもなくても市長の息子は犯人ではないだろうと思っていた。父親を庇うために罪を被ろうとした人だ。それが悪いことだとは重々理解していただろうし、そんな自己犠牲精神のある人が真実を見破った者を恨むとは思えないからである。

 

 さて、事件の関係者を洗っても怪しい人物がいないとしたら、別の線を探ってみる必要があるだろう。その事件で逮捕されたのは市長。そんな立場の者が逮捕されれば、影響を受けるのは何も人間だけではない。

 

 そう、平崎市の再開発計画だ。

 

 その計画が白紙となって不利益を被った者。その中に工藤新一を恨んでいる者がいても、何ら不思議はない。

 暁は快斗に平崎市の再開発計画について調べるのを手伝ってくれないかと頼んだ。工藤新一への個人的な恨みだとしたら例の組織が関わっている可能性は低いが、黙って見過ごすわけにもいかない。

 

『……しゃーねえな。分かったよ。確かに組織が関わってる可能性は低いが、こんな感じで犯罪を追ってりゃその内尻尾を掴めるかもしれねぇ。探偵の真似事をするのは癪だが、情報収集は怪盗にも必要なことだしな』

 

 暁は快斗に礼を言うと、そういえば何か話があったんじゃないかと聞く。元々、この電話は快斗の方から掛けてきたものだ。

 

『あー……オレの話はまた明日でいいや。何か分かったら連絡する。それじゃあな』

 

 結局、快斗は自分の話をしないまま電話を切ってしまった。幼児化してしまってからどういう生活をしているのか分からないし、何か困り事でもあるんじゃないかと暁は思っていたのだが……

 

「あ、来た来た!」

 

 暁が首を傾げてスマホをポケットに入れると、丁度電車がやってきた。元太達と共に電車に乗り込む暁達。

 そういえば、暁は元太達とは初対面であった。工藤邸での時は、彼らが帰路に着いてからラヴェンツァを迎えに行ったので、顔を合わせてはいないのだ。席に座りつつ、自己紹介をする暁。

 

「わたし、吉田歩美です!」

「円谷光彦です」

「小嶋元太ってんだ。よろしくな!」

 

 暁のことをラヴェンツァから耳にたこができるほど聞いている元太達は、この人が噂の暁お兄様かといった顔で受け答えしている。ついでとばかりに暁は学校でのラヴェンツァがどんな感じか聞いてみた。ちなみに、ラヴェンツァは暁の隣で会話を聞きながらガン見している。

 

「「「え˝?」」」

 

 三人共、口元を引き攣らせて妙な反応をしている。彼女は普段上から目線なところもあるし、授業態度があまり良くないのかもしれない。

 

「……お、大人びてて、勉強もできるみたいですし……えーっと、それから――」

「いっつも変なことばっか言ってる奴だぜ! この前も給食のカレー食べて『こんな物はカレーじゃありません』ってさ。普通にうめえのに」

「ちょっ! 元太君!」

 

 光彦と元太の話を聞いてラヴェンツァの方に目を向ける暁。ラヴェンツァは目線を返すが、首を傾げている。本人に変なことを言っている自覚はないのだろう。まあ、これは予想していたことだ。きっと、ポアロの梓が聞けば「やっぱりね……」と遠い目をするだろう。

 

「でも、すごく良い子だと思うよ! それに、暁お兄さんのお話も沢山してくれるの! ね、ラヴェンツァちゃん」

 

 健気にフォローを入れてくれる歩美。ラヴェンツァは当然だとばかりに頷いている。

 そのまましばらく話をしていると、元太のお腹が鳴った。見ると、他の二人も元太ほどでないにしろ空腹な様子である。

 

「腹減ったぜぇ……」

「もう少ししたら夕方になりますものね」

 

 せっかくだ。いつもラヴェンツァが世話になってるだろうし、米花町に着いたらポアロでカレーを御馳走しよう。暁がそう言うと、三人は声を上げて喜んだ。

 

「ホントですか!?」

「やったぜー!!」

「ラヴェンツァちゃんがすごく美味しいって言ってたカレーだよね? 楽しみー!」

 

 もちろん、快斗だけに調査を任せておけないし、カレーを御馳走し終えたら暁自身も平崎市の再開発計画について調べるつもりだ。子供達の喜ぶ声に微笑ましい気分になり、暁は小さく笑みを浮かべた。

 

 

 

 

 さて、もうすぐ米花駅に着く頃だろう。

 

「……なあ、なんかこの電車おかしくないか?」

 

 しかし、モルガナが疑問の声を上げた。

 確かに。止まる駅を目前としているのにも関わらず、電車の速度が落ちるどころか増していっている。

 

『――歩美―ちゃ――聞―え―……』

 

 何かトラブルかと暁が思っていると、どこからか雑音混じりの声が聞こえ始めた。その声は、歩美の方から聞こえる。

 

「何か、声が聞こえますが……」

「あ、探偵バッジ!」

 

 ラヴェンツァの言葉で、歩美が胸元に着けているバッジを手に取った。それは、阿笠博士が子供達のために開発した探偵バッジなる超小型トランシーバーが内蔵されたバッジらしい。半径20km以内の通信可能距離を誇るとのことだが、玩具にしては凄まじすぎやしないだろうか。

 

「私も先ほど病室を出る間際に渡されかけましたが、断りました」

「えー! どうしてですか!?」

「必要ありませんから。そもそも、私は探偵団に入ったつもりはないです」

 

 ラヴェンツァは例のカードをスマホに見立てた方法で電波関係なしに連絡が取れる。それならば、確かに必要はないのかもしれない。

 歩美達三人以外で他にバッジを持っているのはコナンだけだ。バッジから聞こえる声は予想通りそのコナンであった。

 

『歩美ちゃん! 今どこにいるの!?』

「コナン君! えっとね、環状線の中だよ!」

『……やっぱりか』

 

 どうも様子がおかしい。コナンの口振りは、まるで環状線に乗っているのが不味いとでも言いたげだ。

 そうしている間にも、電車は止まるはずの米花駅をスピードを保ったまま通り過ぎていってしまった。他の乗客も様子がおかしいことに気づいて騒めき始める。

 

『――コナン君! 暁君が傍にいるはずだから、代わってもらって!』

 

 バッジから蘭の声が聞こえてきた。冷静に対処できそうな暁に代わってもらった方が良いと判断したのだろう。

 

『あっ、そ、そうだね。歩美ちゃん、暁兄ちゃんに代わって!』

「うん、分かった! はい、暁お兄さん」

 

 コナンに言われて暁に探偵バッジを渡す歩美。暁はそれを受け取り、子供達三人には聞こえないよう背を向けて応答する。

 

 

『……落ち着いて聞いてね。例の爆弾犯が、東都環状線に五つの爆弾を仕掛けたんだ』

 

 

 真剣な雰囲気と共に小声でそう伝えてきたコナン。さすがに驚く暁であったが、それを顔には出さずに詳しく教えてくれと詳細を促す。

 コナンによると、つい先ほど爆弾犯から脅迫電話が届いたとのこと。仕掛けられた爆弾は午後四時を過ぎてから電車の時速が60km未満になると爆発する仕掛けになっているらしい。加えて、日没を過ぎても爆発してしまうようだ。

 コナンの声の向こうから、目暮警部が爆弾がどうのこうのと声を上げているのが聞こえる。警部達も相当慌てているようだが、鉄道会社の指令所はそれ以上に大騒ぎとなっていることだろう。

 

『とにかく車掌さんが車内を調べるだろうから、子供達には上手く誤魔化して大人しくしてるように言って欲しいんだ』

 

 自分も子供だろうに、まるで歩美達少年探偵団の保護者のような口振りだ。暁はそれに分かったと返して探偵バッジを歩美に返そうとする。

 

『あ、ちょっと待って!』

 

 急に声を上げて待ったをかけるコナン。まだ何かあるのかと、暁はコナンの言葉を待つ。

 

『…………その……疑いをかけて、ごめんなさい』

 

 少しして、言い辛そうにしながらもそう謝罪の言葉が聞こえてきた。暁のことをジョーカーだと決めつけてかかってきた時のことだろう。実際当たっているのだから何とも言えないが……暁はフッと微笑んで気にしていないと返した。そして、子供達のことは任せてくれと言い、バッジを歩美に返す。

 

「ねえ、何のお話してたの?」

 

 そう聞いてくる歩美に、さてこの状況をどう誤魔化すかと考える暁。その時、車内放送が流れてきた。

 

『――大変申し訳ございませんが、この電車は非常事態発生によりしばらくの間駅には止まらず走行いたします。なお、車内で不審物を見つけましたら、絶対に手を触れず車掌までお知らせください。繰り返します――』

 

 実にタイミングの悪い車内放送だ。しょうがないことだが、これでは察しの良い人間なら爆弾を連想してしまいかねない。現に、子供達三人の中で一番頭が良いだろう光彦の顔は蒼褪めている。

 

「なあ、光彦。不審物って何だ?」

「そ、それは……多分、ば――」

「爆弾ですね」

 

 震える光彦の代わりとばかりに横からラヴェンツァが口を開き、あろうことか一切誤魔化さずに事実を伝えた。爆弾発言とはまさにこのことである。なぜバラすんだとラヴェンツァに目線をやりつつ暁は慌てて誤魔化そうとするが、時既に遅しだ。

 

「暁お兄さん。爆弾を探すの?」

 

 歩美がそう問いかけてくる。暁は誤魔化すのを諦め、頷いて答えた。爆弾の扱いはそれなりに慣れている。見つけた場合はもちろん車掌に伝えるが、いざという時は自分がなんとかするつもりだ。

 

「だったら、わたし達にも手伝わせて!」

「こういう時こそ、少年探偵団の出番です!」

「さっさと爆弾見つけて、カレー食べようぜ!」

 

 心意気はあっても、彼らはまだ小学一年生だ。幼稚園などに通っていなければ、蛇口の使い方さえ分からない子もいる年代である。

 暁は遊びじゃないんだぞと若干口調を強めて言う。彼らは少しビクッと震えたが、それでも「分かってる!」と返した。

 

「暁お兄様。仮に爆発するとして、何も知らないまま死ぬのは彼らとて本意ではないでしょう。それに、彼らはこれで何度か事件に巻き込まれているようですし、そこらの大人よりかはまともな対応ができると思いますよ」

 

 ラヴェンツァの言葉を聞いて、改めて歩美達を見る暁。少年少女達の混じり気のない純粋な目を見て、観念したかのように小さく笑みを浮かべた。

 協力してくれるのは構わないが、さっきの車内放送で言っていたように不審物が見つかっても絶対に触らずに車掌か自分に伝えろと念を押す。

 

「うん!」

「もちろんです!」

「よーしッ! 少年探偵団、出動だー!」

 

「「「おーッ!!」」」

 

 

 

 

 この列車は十一両編成だ。現在暁達がいるのは真ん中辺りの六両目。今いる六両目を調べた後、続けて進行方向の車両を調べることにする。

 

「なあ、大丈夫なのか? アイツラも一緒で」

 

 ラヴェンツァを伴った元太達を先頭に車両をくまなく調べていると、モルガナが暁にそう声を掛けた。恐らく、問題はないだろう。

 

 なぜなら、車両の中に爆弾は仕掛けられていないのだから。

 

 仮に車両内のどこかに爆弾を仕掛けたとしても、事を起こす前に車掌や乗客に発見される可能性が高い。暁自身、潜入道具として爆弾を何度も製作して使ってきた。自分が犯人の立場であったら、そんな方法は絶対に取らない。列車が一定の速度まで落ちると爆発するなんていうギミックを組み込んだ爆弾を作る犯人なら尚更である。

 

 仮に爆弾が仕掛けられているとしたら……車両の下か、それとも――

 

「すみません。ちょっとよろしいですか?」

 

 そこまで思考を巡らせていると、背後から暁の耳に聞き覚えのある声が届いた。

 

 

 

◆◇◆◇◆◇◆◇

 

 

 

 先週起きた東都国立博物館のホープダイヤを巡った怪盗騒ぎ。

 それが当初の相手である怪盗キッドどころか心の怪盗団ザ・ファントムまでもが乱入し、ダイヤの所有者であった杉村が改心させられるという事件にまで発展してしまった。帝丹高校の校長と10億円強奪事件の実行犯に続いての犠牲者である。

 心を盗むなんてそんな絵空事、と誰もが思っていた。だが、今現在はどうだ。米花から始まり、関東を中心にして日本中が怪盗団は実在するものとして認知している。 

 

 その事実を前にして、環状線の座席に座っている新島真は目を閉じて小さく溜息を吐いた。

 

 大衆に怪盗団の存在が認知されているということは、警察側も何かしらの対応をせざるをえない。とは言うものの、警察とてどう対応すればいいか検討がつかない状況だ。せいぜいが対応しているという形だけの体裁を整えるのが関の山である。

 そして、その怪盗団対策の体裁を整える責任者として、なんと真が選ばれてしまった。キッド専任として活動している二課の中森警部のように、怪盗団関連は真が担当する形になったのである。

 三課でも二課でもなく一課の真に任されたのは、怪盗団に適用できる罪が傷害罪ぐらいだからだろう。本当に心を盗んでいるとしても、そんな荒唐無稽なことで窃盗罪として逮捕することはできない。厄介事を任されたというのはもちろんだが、それ以前に真自身なぜなのかは分からないが怪盗団を調査することにあまり乗り気になれずにいた。

 

 最も、それらのことが真に溜息を吐かせた理由というわけではない。

 真を憂鬱な気分にさせていること、それは――

 

 

 例の10億円強奪事件の際に無茶をしたせいで、免許停止処分になっているからであった。

 

 

 今日は非番の真が環状線に乗っているのもそのためである。先ほどまでは同じく非番であった警部補の佐藤美和子と一緒だった。用事を済ませて、そのまま車で実家に寄るという美和子と別れて今に至る。

 かれこれもう二週間はバイクに乗っていない。早く愛車のバンディット1250F――命名ヨハンナ――に乗りたい。彼女は今、自宅で寂しく留守番中だ。バイクに乗って気持ち良く風を切れば、その時だけは頭を悩ます多くの事柄を忘れることができる。バイクに乗ることこそが真の唯一のストレス解消法であった。

 しかし、乗れない。バイクに乗れないという事実を頭に浮かべてしまったせいか、真は苛立たしげに腕を組んで指をトントンと鳴らし始めた。

 

 ――ああ、早くバイクに乗りたい。乗りたい。乗りたい乗りたい……

 

 そんな感じで禁断症状を発症させている真は、ふと車内が何やら騒がしくなっていることに気づいた。何人かの乗客は立ち上がって車両を移動したり、不安そうに外を眺めている。

 

(何かあったのかしら……?)

 

 真がそう思っていると、車内放送が流れ始めた。

 

『――大変申し訳ございませんが、この電車は非常事態発生によりしばらくの間駅には止まらず走行いたします。なお、車内で不審物を見つけましたら、絶対に手を触れず車掌までお知らせください。繰り返します――』

 

 どうやら、何かしらのトラブルが発生して駅に止まることができない状況のようだ。確かに、真は禁断症状のせいで気づいていなかったが、いつもならとっくに駅に着いているはずである。 

 それはそれとして、車内で不審物を見つけたら絶対に触るなというお達し。警察の人間である真の頭に嫌な予想が浮かび上がる。

 

(もしかすると、本庁の誰かに連絡すれば情報が得られるかもしれない)

 

 そう思い立った真は、スマホを取り出して目暮警部に連絡を取った。

 

「もしもし、目暮警部」

『新島君! すまないが、今ちょっと立て込んでいてね……環状線に爆弾が仕掛けられたんだ!』

「…………私、今その環状線に乗ってるんですが」

『何ぃッ!?』

 

 真が今まさに事件の渦中にいることを知って、驚きの声を上げる目暮警部。そして、その環状線に五つの爆弾が仕掛けられたことや爆発する条件について口早に説明してくれた。

 

「とにかく、君なら冷静に対処できるだろう。車掌と協力して、車内を隈なく調べてみてくれ!」

「了解しました」

 

 電話を切った真は、すぐさま席を立って車掌を探しに車両を移動し始めた。

 真が座っていたのは最後尾の車両だ。そこから何両か乗客に警察手帳を見せて荷物を確認しつつ辺りに目を配らせながら移動したところで、視線の向こうにどこか既視感のある眼鏡の青年が目に入った。

 

「すみません。ちょっとよろしいですか?」

 

 何とはなしに、その青年に声をかける真。ゆっくりと振り返った青年は、真の顔を見るや否や目を見開いている。

 

「……? あの、車掌を探してるんですが、どこにいるか分かりますか?」

 

 その反応に首を傾げつつ、真は問いかける。

 しかし、青年から返事はない。まるで硬直しているかのようだ。

 

「あ、あの時の刑事さん!」

 

 どうしたものかと真が思っていると、青年が連れている子供の一人が真を見てそう呼んだ。

 

「貴方は、あの事件で人質にされた……確か、吉田歩美ちゃん?」

「はい、そうです!」

 

 その子供は、10億円強奪事件で杉本に人質にされた吉田歩美であった。その事件に続いて、今度は爆弾事件に巻き込まれているという事実に、彼女を不憫に思う気持ちと犯人に対しての憤りを感じる真。

 

「ねえ、車掌さんを見かけなかった?」

「ううん。わたし達も探してるところなの」

「それにしてもよー、ホントにあるのか? 爆だ――」

「元太君!」

 

 少し太り過ぎな少年の口を、そばかすの少年が慌てて塞ぐ。真は太り過ぎな少年が言いかけた言葉に反応する。

 

「今、貴方何て――」

 

 その時、一つ先の車両で車掌が乗客の男性と揉めているのが真の視界に入る。

 

「っ、ごめんなさい!」

 

 話を中断して、真は急ぎ足でそちらへと向かっていった。

 

 

「おい、不審物って何だ! まさか爆弾なんて言うんじゃねえだろうな!?」

「お、落ち着いてください!」

 

 車掌の襟首を掴んでいる男性は、不審物という単語から爆弾を連想して車掌を問いただしていたようだ。爆弾という単語を聞いて、周囲の乗客も慌てふためいている。

 

「ちょっと! 手を放しなさい!」

 

 真は男性の手を掴み、車掌から引き剥がす。

 

「何だ女!? 引っ込んでろ!」

「私は警察の人間です。これ以上暴れるのであれば、それ相応の覚悟はしてもらいますよ」

 

 そう言いながら、警察手帳を取り出して見せる真。男性は真が警察であることが分かると押し黙ってしまった。

 真は周りに聞こえないよう小声で車掌に確認する。

 

「……状況は聞きました。爆弾の方は見つかりましたか?」

「いえ、先頭車両からここまで隈なく調べましたが、まだ見つかっていません」

「私は最後尾の車両からここまで調べてきたのですが……見落としがあったのかしら」

 

 既に環状線を走る列車が止まらなくなって三十分以上は経過してしまっている。そろそろ夕方に入る頃合いだ。この列車は真という警察が睨みを利かせたため乗客の暴走をある程度抑えられているが、他の列車はそうもいかない。恐らく、そろそろ限界を迎えているはずだ。

 真は焦りを感じ始めていた。目暮警部から連絡がないことから、他の列車でも爆弾は発見できていないのだろう。爆弾は明らかに車両の中には隠されていないのだ。

 

 そもそも本当に爆弾は仕掛けられているのだろうか? 本当は爆弾など存在しないのでは? ……いや、それはない。目暮警部によると、犯人は数日前に堤無津川近辺で起きた爆弾事件にも関与しているらしい。高校生探偵として名高い工藤新一への挑戦状として。ならば、爆弾はどこかに必ず隠されているはずだ。 

 列車の速度が60kmを下回ると爆発し、さらには日が落ちても爆発してしまうという仕掛けになっている爆弾。もしかすると、この仕掛けが爆弾の在処に関係しているのではないだろうか?

 

(日が落ちると爆発……日……光……)

 

 そう真が考え込んでいると、彼女の視線の先――列車の窓の向こうにビルの壁面に設置されたソーラーパネルが目に入る。

 

(まさか――)

 

 それと同時に、彼女のスマホが着信を知らせる。歩美の探偵バッジからも声が聞こえ始めた。子供達と青年がそれに耳を傾ける。

 

『新島君! 工藤君のおかげで爆弾の在処が分かった! その在処は――線路の間だ!』

 

 やっぱり、と真。彼女も今しがたそう推理したところだったのである。

 爆弾は光を感知しなくなって一定時間以上経つと爆発する仕掛けになっているのだ。日没を過ぎると爆発するというのは、それが原因。そして、時速60km未満で走ってはいけない理由は爆弾が走行する車体の影に隠れてしまうから。60km以上が爆弾が爆発するまでの時間が経過しない最低限の速度なのだ。

 

 そうと分かれば、後は列車を環状線の線路から別の線路に移し、日没までに爆弾を処理してしまえばいい。とりあえず安心し、真は目暮警部との電話を切った。切ったところで、また電話が掛かってくる。相手は環状線に乗る前に別れた美和子だ。

 

「どうしたの、美和――」

『どうしたのじゃないわよ! ついさっき白鳥君から電話で聞いたんだけど、貴方今環状線に乗ってるの!?』

「だ、大丈夫よ。もう事件は解決したも同然だから!」

 

 

 

◆◇◆◇◆◇◆◇

 

 

 

 そして、指令所からの連絡を受けて環状線を走り続ける各列車は貨物線の線路へと移ることとなった。

 

『59、58……異常ありません!』

「よし! そのまま減速して貨物駅に停車してくれ!」

 

 貨物線へ移り、60km以下に減速しても爆発しない列車状況を見て、スタッフ達は汗を拭い安堵の溜息を吐く。

 

「し、指令長!」

 

 だが、最後の列車が貨物線へと移ったを見届けたところで、一人のスタッフが焦ったような声を上げた。すっかり解決ムードになっていた他のスタッフ達は冷や水を浴びせられたような面持ちになる。

 

「どうした! 何かあったのか!?」

「そ、それが……貨物線に移った最後の列車が、どんどん加速していってるんです!」

「な、何だって!?」

 

 指令所は、またしても深刻な状況に逆戻りしてしまった。

 

 

 

◆◇◆◇◆◇◆◇

 

 

 

「だから、後は日没までに線路の間に設置された爆弾を処理すればいいのよ」

『……でも、万が一ってこともあるし、私迎えに行くわ。列車を降りたら連絡を頂戴』

「ええ、分かったわ。ありが――」

 

 迎えに来てくれるという美和子にお礼を言おうとする真。

 

 

 その時、車内が揺れた。

 

 

 各車両で悲鳴が上がる。真もバランスを崩しそうになったが、何とか踏み止まった。

 子供達も倒れかけたが、咄嗟に座席のスタンションポールを掴んだ眼鏡の青年が歩美の手を取り、そして歩美が金髪の少女の手を、その少女がそばかすの少年の手を、その少年が太った少年の手を、といった形で何とか難を逃れたようだ。

 だが、車掌は背中から勢い良く倒れ、ポールに後頭部を強く打ち付けて気絶してしまった。

 

『大丈夫、真! 何かあったの!?』

「わ、分からないわ……急に電車が揺れ始めて」

 

 無事に線路も移り、後は減速して貨物駅に停車するだけのはずだ。しかし、列車は減速するどころか急加速していっている。事態の把握のため、真は電話を切って急いで運転士のいる先頭車両へと走った。

 

 運転室の前まで辿り着く真。だが、ドアが開かない。

 

「運転士さん! どうして減速しないの!? 返事をして!」

 

 ドアを叩いて運転士に状況の説明を求めるが、返答はない。窓からは運転士の背中が見えるが、まるで真の声が聞こえていないかのようだ。まさか、意識を失っているのか?

 

「聞こえますか!? ここを開けてください!」

 

 必死に運転士へ声を掛け続ける真。

 すると、突然後ろから肩を叩かれる。振り向くと、先ほどの眼鏡の青年がそこに立っていた。その手には、鍵。目の前の扉を開けるための鍵だ。恐らく気絶した車掌から拝借したのだろう。

 

「あ、ありがとう!」

 

 真は礼を言って鍵を受け取り、ドアを開けて運転室の中に飛び込む。

 運転士は運転台に力なく項垂れるようにして操縦席に座っていた。だが、その様子とは裏腹に、その手はしっかりとマスコン――加速レバーを握っている。

 

「あの……大丈夫ですか?」

 

 真は近寄って運転士の肩を揺すった。その揺れで、運転士の顔が真の方へと向けられる。

 

 

 その両目は白く濁り、黒い泥のような液体を止めどなく流していた。

 

 

「――ッ!?」

 

 声にならない悲鳴を上げて運転士から離れる真。運転士は真へ顔を向けたまま、マスコンからゆっくりと手を離して床にうつ伏せになる形で倒れ込んだ。マスコンは手前に引かれたまま、列車は加速する一方。

 

 運転士の顔を見た真は、まるで金縛りになったかのように身動きが取れないでいた。

 

 

 

 

 

 

「お、おい! このまま止まらなかったら、オレ達どうなっちまうんだ!?」

 

 腰が抜けてしまったのか、床に這いつくばっている元太が怯えの混じった声を上げる。

 

「そ、それは、この貨物線は環状線と違って行き止まりがありますから……そこに正面衝突ですよ!」

「衝突したらどうなるんだよ!?」

「ボクらみんな死んじゃうに決まってるじゃないですかぁ!!」

 

 ポールにしがみつきながら元太に返事する光彦。

 彼と同じようにポールを掴んでいる歩美も、今まさに迫ってきている死に恐怖して震え、目元からは涙を零してしまっている。そんな彼女の目に、平然と立って先頭車両の方に視線を向けているラヴェンツァの姿が映る。ラヴェンツァは暁に言われて、歩美達の傍で待機しているのだ。

 

「ら、ラヴェンツァちゃんは、怖くないの? もうすぐわたし達、死んじゃうかもしれないんだよ」

「さあ、それはどうでしょうか?」

 

 いつもの調子で答えるラヴェンツァ。

 一体どうしてこの子はそこまで冷静でいられるのだろうか? 目の前の死から意識を逸らしたいがためか、歩美の頭はそんなこの状況にそぐわないことを考えていた。

 

「もしかして、何とかなるの?」

「分かりません。ですが、私は信じていますから。マイトリックスター……暁お兄様がなんとかしてくれると」

 

 一切の迷いのないその金色の瞳を向けて、ラヴェンツァは答えた。

 それを聞いて、歩美はコナンのことを思い浮かべる。きっと、彼がこの場にいたら自分もこう思うだろう。"コナン君がなんとかしてくれる"と。だが、その頼りになる彼は今この場にいない。

 

『友人という縁で結ばれた貴方達は泣き喚いてばかりでなく、その意思を継ぐべきなのではないですか?』

 

 以前、工藤邸での騒動でラヴェンツァに言われた言葉が思い出される。

 

「意思を……継ぐ」

 

 ――こういう時、コナン君ならどうするだろうか?

 

 そう考えた歩美は、ポールから手を離して先頭車両の方へと駆け始めた。

 

「あ、歩美ちゃん!?」

「どこ行くんだよ、おい!」

 

 光彦と元太も慌てて彼女を追う。

 そんな子供達を見て、ラヴェンツァは小さく笑みを浮かべた。

 

 

 

 

 

 

 そして、転がりこむような形で運転室に入った歩美達。

 

「う、運転士さん!?」

「……し、死んでるのか!?」

 

 倒れている運転士を見て驚く光彦と元太。幸いにも、うつ伏せになっているので顔は見えていないようだ。

 傍には真がいるが、放心したようにその場に膝を突いている。

 

「電車を止めないと! 光彦君、ブレーキってどれ!?」

「え、ええ!? そんなの分かりませんよ!」

 

 運転席に駆け寄った歩美の言葉に、さしもの物知り光彦も答えられない。その時、手前へ引かれているマスコンのレバーが歩美の目に入る。

 

「もしかして、これがブレーキ!?」

「よし! 三人でやるぞ!」

「「「せーのッ!!」」」

 

 三人で力を合わせ、レバーを奥へと思いっきり倒した。

 

 ……しかし、止まらない。もう貨物駅は目の前だ。それを過ぎた先は車止め。このままでは、猛スピードで車止めに衝突してしまい、大惨事は免れない。

 

「そ、そんな……!」

「もう駄目だー!!」

 

 光彦と元太が目前に迫る車止めに、目を瞑ってその場にしゃがみ込む。

 

(コナン君――!)

 

 もう駄目だ――――誰もが、そう思った時だった。

 

 子供達に続く形で暁が運転室に入り込み、マスコンとは別のハンドルを思いっきり回した。

 車輪とレールの摩擦から鳴る耳をつんざくような甲高い音が乗客全員の鼓膜を刺激する。さながら、それは人生の終末を知らせる警笛音(ラッパ)にも聞こえた。

 皆目をきつく瞑って頭を抱え、来るであろう衝撃に備える。

 

 

 

 

 ……しかし、一向に衝撃は訪れない。

 

 列車は、車止めにピッタリ収まる形で停車していた。

 

 

 

 

 助かった。

 

 それが分かった乗客達は、一斉に歓声を上げる。

 我が子を抱いて泣く母親や、腰を抜かしたまま泣き笑いしている者。隣同士で知り合いでもないのに喜びを分かち合う者達。誰もが膝が笑っている状況の中、窮地から生還したことを心の底から喜んだ。今頃、指令所の方でも騒ぎになっているだろう。もちろん良い意味でだ。

 

「と、止まったー!」

「やりましたね!」

「少年探偵団の大勝利だぜー!」

 

 子供達も例に漏れず、諸手を挙げて喜び合っている。

 

 

 

「……と、止まったのね」

 

 一方で、真はようやく我に返ったところであった。

 気づけば、列車は止まっていた。運転士のあの顔を見て呆然自失となり、何もできなかった自分を恥じる。と同時に、運転士の安否を確認し始める。

 恐る恐るその身体を動かして上に向けさせると、その顔は黒い涙に塗れてぐちゃぐちゃになっていた。思わず顔を顰めてしまう真。脈を取り、死んではいないことを確認する。

 

(……同じ、だわ)

 

 死んではいないので状態にそぐわないが、白目を剥いて黒く汚れた顔を隠すため、真はポケットから取り出したハンカチを被せた。

 

 そうこうしている内に貨物駅のスタッフが駆けつけてきて、乗客達を列車から降ろし始めた。

 

「やっと降りれるんですね……」

「カレー! カレー食いに行こうぜ!」

「ラヴェンツァちゃん、先に降りてるね!」

 

 子供達は先んじて運転室を出ていく。続いて、眼鏡の青年といつの間に入っていたのか歩美にラヴェンツァと呼ばれた金髪の少女も運転室を出ようとする。

 

「……あ、待って! その、列車を止めてくれて、ありがとう」

 

 真がそう礼を言うと、青年は振り返らないまま首を振り、礼は先ほどの少年探偵団に言ってくれと答えた。それに、止めれたのはただ運が良かったからだと付け加える。自分は、運転が得意じゃないからと。

 

 その言葉に首を傾げる真を置いて、青年は少女と共に列車を降りていった。

 

 

 

◆◇◆◇◆◇◆◇

 

 

 

 同時刻、暴走していた最後の列車が無事に止まったことをニュース番組が伝えていた。

 適当な駐車場で車を降り、通りがかった店前のテレビでそれを確認していた美和子は安堵の溜息を漏らす。

 

「チッ」

 

 その隣で、食い入るようにテレビを見ていた初老の男性が舌打ちをするのが聞こえた。

 

「……ちょっと、貴方」

 

 訝しんだ美和子が男性に声を掛けると、彼は答えずにそそくさとその場から離れようとする。

 しかし、段差に足を引っかけて勢い良く転んでしまう。そのポケットから、先端にボタンらしき物が付いた筒状の何かが零れ落ちた。

 

「だ、大丈夫? ……あら、何かしらこれ?」

 

 男性の安否を確認しつつ、筒状の物体を拾い上げる美和子。

 

「!? か、返せ!」

「ちょ、何するのよ!」

 

 それに気づいた男性は乱暴に美和子を押し退けて、筒を取り返そうとする。しかしその最中、男性の指が筒のボタンを押してしまった。

 

 

 

 その瞬間、遠く離れた場所で爆発が起こった。

 

 

 

「えっ!?」

 

 爆発音が聞こえた方向を確認する美和子。その方向には、隅田運河に架けられた橋梁があったはずだ。

 それを尻目に、コソコソその場から逃げようとする男性。あの男性が持っていた筒のボタンが押された瞬間に爆発音が聞こえた。ということは――

 

「――待ちなさい!」

 

 美和子は咄嗟に男性を取り押さえ羽交い絞めにする。

 そして、いつも携帯している古びた手錠を懐から出して、その男性の手に掛けたのであった。

 

 

 




前にも書きましたが、映画本編とは時系列が異なっていますのでご了承ください。








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FILE.29 時計じかけの摩天楼 三

前・中・後編に収まらなかったので、サブタイトルを変更しました。
また、『FILE.24 怪盗同盟』に連続放火事件についての記述を追加しました。


 そして、翌日の土曜。

 昨日の内に警察病院を退院したコナン。彼は無事に事件が解決して機嫌が良さそうな小五郎の横で、その事件について振り返っていた。

 

(被害があったとはいえ、死傷者がでなくてホントに良かったぜ……)

 

 東京中を騒がせた東都環状線爆弾事件。犯人を特定するのは困難と思われていたが、予想外にもスピード解決したことが報道された。偶然、非番の警視庁の人間が犯人の傍に居合わせ、現行犯逮捕したのである。

 その代償と言ってもいいのか、隅田運河の橋梁に仕掛けられた爆弾は爆破されてしまった。幸いにも周辺に船舶はなく、橋梁を通る環状線は貨物線に移動していたため、損害はあれど被害者はゼロであった。もちろん、環状線はしばらく正常運行できないだろうが。

 

 犯人の男の名は阿玉和宗(あだまかずむね)。帝丹大学建築学科の教授で、同時に建築家として確かな実績を上げている人物でもあった。その実力は同じく日本でも指折りの建築家である東都大学建築学科教授の森谷帝二と並ぶとまで言われている。

 例の平崎市の再開発計画の設計は、その森谷教授と阿玉教授が担当の座を争っていた。だが、その最中に市長が工藤新一の活躍により例の交通事故の件で逮捕されてしまい、計画は頓挫してしまったというわけではある。最も、最終的に設計担当は森谷教授に決まる予定であったらしいが。

 これらのことから、阿玉教授は邪魔をした工藤新一の名を落としてやろうと復讐を計画、それをカモフラージュにしつつライバルである森谷教授の建築物の破壊を画策したということだ。本人が取り調べでそう自白している。

 

 仕出かしたことが大きかった割に、いやにあっけなかったなとコナンは心の中で独り言ちる。今回は偶然佐藤刑事が犯人と居合わせたから逮捕できたものの、そうでなかったら相応に苦労していたに違いない。

 何にせよ、これで爆弾の脅威からはおさらばできたわけだが、今度は"暇"という別のベクトルの脅威がコナンを襲っていた。例の組織の情報を探りたいところだが、手掛かりがない以上探偵事務所への仕事の依頼を待つ他ない。一週間前に行った旅行――シャーロックホームズ・フリーク歓迎ツアーの時のように、事件に巻き込まれでもすれば話は別だが。

 

 そんな感じでぼけっとテレビを眺めていると、爆弾事件で自ら設計した建築物を爆破された森谷教授がニュース番組のインタビューに答えている映像が流れた。

 コナンは森谷教授とは一応知り合いである。数週間前、彼が自宅で開いたパーティに出席していたからだ。元々招待されたのは工藤新一であったが、もちろん元の姿に戻ることはできないので新一の声で蘭に代わりに出席してくれと頼んだのである。

 

 インタビュアーがコナンを除けば唯一の被害者と言ってもいい森谷教授に対して色々と質問している。傍から見たら何ということもない至って普通のやり取りだ。だが、コナンはそれに若干の違和感を覚えた。

 

 

 ――この人、自分の建築物が破壊されたってのに、ちっとも残念そうじゃねえな……

 

 

 コナンが首を傾げていると、事務所の扉が開いて蘭が顔を出した。

 

「それじゃあ、行ってくるね」

「行くって、どこへ?」

 

 蘭の急な外出発言に小五郎が首を傾げた。

 

「えー、忘れたの? 今日は米花シティビルで新一と映画を見てくるって言ったじゃない」

 

 しまった、とコナンは心の中で嘆く。そういえば、ホームズ・フリーク歓迎ツアーに行く前に電話で話してそんな約束をしていた。思い返せば、旅行中も何度か嬉しそうにその話をしていたような気がする。

 

 そして、なぜ今日なのか。

 今日の日付は二月十四日――そう、バレンタインデーだからだ。

 

 バレンタインデーと聞いて、どういう日なのか知らない人はいないだろう。国によって内容は異なるが、日本では専ら女性が男性にチョコレートを贈って愛を告白する日という認知が定着している。

 町ではビジネスチャンスとばかりにバレンタインデーにあやかったデパートでのチョコレートのセールや各国のチョコレートを集めた祭典などといった催しが開かれているようだ。蘭が新一と見る予定の映画も、例に漏れず時期を狙って公開された"赤い糸の伝説"といういかにもなラブロマンス映画である。

 映画は夜十時に米花シティビルの中にある米花シネマ1で見る予定で、それまでは園子と買い物したり色々イベントを見て回るつもりらしい。

 

「じゃあ、行ってきまーす」

 

 止める間もなく、蘭は事務所を出て行ってしまう。楽しみだという感情が目に見えるほど、彼女の足取りは軽かった。

 

(待ち合わせっつっても、どうすりゃいいんだよ……) 

 

 コナン、もとい工藤新一は頭を抱え、諦めにも似た大きな溜息を吐いた。

 

 

 

◆◇◆◇◆◇◆◇

 

 

 

 一方、そんな毛利探偵事務所の真下――喫茶店ポアロでは、一番の稼ぎ時である昼時を過ぎたのもあって梓と暁が暇を持て余していた。今日は天気が良いし気温はいつもより高い。モルガナも日の当たる場所で丸くなっている。

 

 片や、いつもの隅のカウンター席で、暁の淹れたコーヒーを傍らに小学校の宿題に取り組んでいるラヴェンツァ。これは歩美達から聞いた話だが、彼女は授業中の質問に対して頓珍漢な答えや哲学的な答えを返しまくり、問題児として教師を困らせ続けているらしい。ただ、算数などの決まった答えのある質問では必ず正解を返すので、成績が悪いということはないと思われる。だからこそ下手な問題児より厄介なのだろうが。

 

 暁はラヴェンツァから目を離し、コーヒーを飲みながらテレビで情報収集をする。しかし、昨日の列車暴走事件の報道ばかりで、その他の情報といえばそれ以前に起こった連続放火事件のことぐらいだ。武見が言っていた黒川邸の放火事件も、その内の一つである。

 場面が変わり、爆弾事件で唯一爆破被害にあった橋梁の設計者らしい建築家がインタビューを受けている。設計者だというのにあまりショックを受けていないように見えるその建築家に、暁は首を傾げた。

 

「ね、ねえ、暁君。ちょっと話があるんだけど……」

 

 テレビを見ている暁の元へ、梓が近づいて声を掛けた。だが、声を掛けた本人である梓は何やら両手を後ろに回して話を切り出し難そうにしている。

 どうしたのだろうかと暁が思っていると、梓は意を決したように顔を上げて口を開――きかけた。

 

 

 ――カランカラン

 

 

 来店を知らせるベルの音が店内に響いた。続いて、ズカズカと遠慮のない騒がしい足音が入り込んでくる。

 騒がしい客だと暁が玄関に目を向けると、なんとそこにいたのは快斗と紅子であった。

 

「おーっす、暁――」

 

 挨拶する快斗の小さな体を押し退けて、紅子は来店した時の勢いのまま足を踏み鳴らして暁に近づいていく。そして、その襟首を掴んで引き寄せた。

 

「貴方、何考えてるのよ! どうトチ狂ったら探偵事務所の下に居を構えるなんて馬鹿な真似ができるわけ!?」

 

 呆れの籠った紅子の怒声が暁を襲う。言われてみれば、確かにヤバイ環境である。

 

「貴方それでも怪――」

「おいおい、その辺にしとけって!」

 

 紅子がそう言いかけたところで、快斗が慌てて止めに入る。紅子は呆気に取られている梓を見ると、小さく咳払いをして暁の襟首から手を放した。

 

「え、えっと……暁君、お友達?」

 

 戸惑っている様子の梓に、暁は頷いて答えた。

 しかし、快斗達にこのポアロに住んでいることは教えていないはずだ。なぜ知っているんだと疑問を浮かべる暁を察してか、快斗が耳打ちする。

 

「……怪盗キッドの情報収集能力を侮ってもらっちゃ困るぜ。ジョーカー」

 

 どうやら、そういうことらしい。

 しかし、快斗は分かるが、紅子は何の用があってポアロへ来たのだろうか? 暁が聞くと、紅子はさも不機嫌ですと言わんばかりに鼻を鳴らした。

 

「何? 用がなかったら会いに来ちゃいけないのかしら? ……貴方、私にしたことを忘れたんじゃないでしょうね?」

 

 蛇のような睨みを利かせて言う紅子に、暁は慌てて謝る。改心したのに相変わらず女王様気質なのは、元々そういう性格だったからなのだろうか。

 

「ま、まあ、別に用がないというわけじゃないけど……」

 

 彼女は再度咳払いをすると、懐から包装された薄い箱を取り出して暁へ差し出した。

 はて、何だろうか? と首を傾げる暁。その横で、梓が目を見開いて「――あっ」と小さく声を上げる。

 

「……まさか、今日が何の日か知らないなんて言うんじゃないでしょうね? 黒羽君じゃあるまいし」

 

 イマイチ分かっていない様子の暁に、紅子がジト目で問い掛ける。

 二月十四日、何か特別な日だっただろうかと暁は頭を捻る。建国記念日……はとうに過ぎている。

 痺れを切らした紅子が箱を持っていない方の手でカウンターを叩いた。

 

「本当に分からないの? 今日は……バレンタインデーよ!」

 

 

 

 

 バ レ ン タ イ ン デ ー

 

 

 

 

 その言葉を聞いた瞬間、暁の脳裏に衝撃が走った。

 無意識に記憶の隅に追いやっていた過去の凄惨な修羅場が思い起こされる。

 

 

『わざわざ持ってきたんだけど、チョコ』

 

『チョコ、受け取ってよ』

 

『チョコ、もらって? 私が握りつぶさないうちに』

 

『チョコ……一応受け取ってよ』

 

『チョコです、これ……』

 

『チョコ、遠慮しなくていいんだよ』

 

『チョコ、食べられるよね?』

 

『チョコあげるって言ってるんです』

 

『チョコ。分かる?』

 

 

 怪盗団の仲間達や、懇意にしていた協力者の女性達に囲まれて一斉にチョコを差し出されている光景が目に浮かぶ。差し出されているチョコに籠められた意味とは裏腹に、彼女達の目は動揺と怒りに満ちている。

 彼女らは全員、暁が帰省してしまうということでここぞとばかりにバレンタインデーにチョコを用意した。が、同じことを考えている他の女性大勢と鉢合わせして、一体誰が意中の相手なんだという話に発展してしまったのだ。

 バレンタインデー当日は仲間の一人である竜司と一緒にいたわけだが、彼女達はそれを暁が懇意にしている女性と密会していると勘違いした。問い詰める彼女達に正直に竜司といたと答えた――間違ってもチョコは欲しいとは言わない――が信用されず、結果ボコボコにされてしまったのである。

 

 暁はその内の誰かと所謂後戻りのできない深い関係になっていたわけではない。彼は朴念仁というわけではないので、彼女達からの好意にはもちろん気づいていた。だが、彼なりの理由(わけ)があってそれに答えるということはしなかった。にも関わらず頼み事や誘いを断ることもしてこなかったので、友達以上ギリギリ恋人未満という状況が続いてしまったというわけである。それに甘んじて放置させていたのだから完全に暁が悪い。責められても仕方がなかった。

 

「おい、どうしたんだよ」

 

 反応のない暁を見て、快斗が声を掛ける。

 正気を取り戻した暁は首を振って何でもないと答えたが、顔色はすごぶる悪い。

 

「心配しなくても毒なんか入ってないと思うぜ、市販品みたいだし。なあ、オレにもくれよ紅子」

 

 ぴょんぴょん跳ねながら要求する快斗を、紅子がジロリと睨む。

 

「あら、前のバレンタインデーであげると言ったのに断ったのは誰かしら?」

「……っちぇ。分かったよ」

 

 どうやら、紅子は前回のバレンタインデーで快斗にチョコを贈ろうとしたことがあるらしい。しかし、そのことを知った暁はどういうわけか若干の違和感を覚えた。

 

「……例の件で世話になったし、このチョコはそのお礼よ。言っとくけど、受け取らないなんて言わせないわよ」

 

 有無を言わせない紅子の気迫に押され、暁はぎこちなく頷いてそれを受け取ろうとする。

 

 

 ――カランカラン

 

 

 そこへ、またしても来店を知らせるドアベルが鳴る。

 新たに入ってきた来客は、コートを羽織り帽子を目深に被った、まるでお忍びでやってきたかのような風体の女性。慌てて梓がいらっしゃいませと挨拶しようとしたが、それも女性の顔を見て途切れることとなる。

 

 

「あ、あの、こんにちは……」

 

 

 女性の正体は、アイドル歌手の沖野ヨーコであった。

 

 傍で紅子と暁のやり取りをニヤつきながら見ていた快斗は目を丸くして驚いている。さすがにアイドル歌手とこんなところで会うとは誰も思わないだろう。対して、紅子は邪魔されたせいか眉を潜めている。

 

「……誰よ?」

「アイドル歌手の沖野ヨーコだって! オメー知らねぇのかよ?」

「そんな俗物、この私が興味あると思って?」

 

 ヨーコがポアロに来店するのは、これで二度目だ。国民的アイドルの彼女は多忙故、頻繁に来ることができないのは仕方がない。今日も少ないプライベートの時間に食事をしに来てくれたのだろうか?

 そんな風に暁が思っていると、ヨーコが暁の方へと近づいてきた。そして、少々顔を赤らめながら、おずおずと肩掛け鞄から何かを取り出して暁に差し出した。

 

「暁君……その、これ!」

 

 それは先ほど紅子が渡そうとしていた物に似た、包装された箱であった。

 つまりは……チョコである。

 

 

 ポアロ内の空気が、一気に変わった。

 

 

「えっと、これはファンへの贈り物だから! 受け取ってくれたら嬉しいな」

 

 照れ臭そうにそう言うヨーコ。ここで断れば、わざわざ渡しに来てくれた彼女に申し訳ないし、悲しませることになってしまう。暁がチョコを受け取りお礼を言うと、彼女ははにかんで答えた。

 

「そ、それじゃあ、私はこの後仕事があるから……またね!」

 

 ヨーコは去り際注文もせず申し訳ないと梓に謝り、そそくさと店を後にしていった。

 それを見送っていた暁は、唐突に肩を掴まれて勢い良く紅子の方へと振り向かされる。

 

「アイドル歌手からチョコを頂けるなんて、随分と良いご身分だこと……ねぇ? 来栖君」

 

 暁の肩に紅子の指が食い込む。暁はファンサービスの一環だろうとお茶を濁す。

 

「あの態度と忙しい中わざわざ直接渡しに来たことからして、どう見ても本命かそれに近いチョコでしょうが!」

 

 が、紅子に反論される。全くもってその通りである。 

 その時、快斗が暁の手からヨーコのチョコを掠め取った。

 

「ふむふむ……バレンタインチョコマイスターであるこの黒羽快斗の推察によると、このチョコは手作りみたいだな。て言うか、アイドルから手作りのチョコもらえるとか羨ましすぎだろ! おい暁、半分くれよ」

 

 上目遣いでそう言う自称バレンタインチョコマイスター快斗の手から、駄目だと言ってチョコを取り返す暁。

 

「貴方、よくもまあマイスターなんて名乗れるわね。学校の女子生徒相手に片っ端からチョコをくれって迫っただけじゃない。しかも、バレンタインデーのことを知らなかったくせに」

「バーロー。もらえてるんだから文句言われる筋合いはねぇっての。そう言う紅子のは市販品じゃねえか。なあ、暁。どうせもらうんだったら手作りの方がいいよな、な?」

 

 快斗の問いに答えあぐねている暁。

 すると、ズイッと紅子の手にしている箱が暁の眼前に差し出された。

 

「手作りなんて、万が一失敗して満足に食べられないようなものだったら元も子もないじゃない。それに比べて、私が用意したこのジゴバのチョコレートは完璧そのもの。それをわざわざこの私が用意したんだから、も・ち・ろ・ん、受け取ってくれるわよね?」

 

 受け取らないと呪うわよと言わんばかりの顔で迫る紅子。

 そんな紅子に、つい暁は本命なのか? とからかい半分で聞いてしまう。

 

「なっ……ななっ!?」

 

 それを聞いた紅子はみるみる内に顔を赤くし、手に持ったチョコレートの箱を暁の顔面に投げつけると一目散にポアロを出て行ってしまった。

 顔面に張り付いた箱を取って、呆然とそれを見送る暁。同じく見送っていた快斗は珍しい物を見たというような顔をしている。

 

「紅子の奴、オレを狙ってる時はぐんぐん攻めていくタイプだったのによ。比べて暁相手にはあの反応……全くもって女ってのはよく分からないぜ」

 

 溜息混じりに言う快斗。

 なるほど。恐らく、彼女は攻めることに慣れていても攻められることには慣れていないのだろう。快斗の話を聞いて、暁は納得したように再度紅子の出て行った玄関を見やった。

 

 それはさておきと、暁は何か用事があってここに来たのであろうと快斗に用件を聞く。爆弾事件の犯人が捕まったということで、平崎市の再開発計画について調査をする必要はなくなったはずである。

 

「ああ。ちょっと話があるんだけど……」

 

 快斗はそれに答える前に、何やらチラチラとこちらの様子を伺っている梓の方に目をやった。人がいる場所では話せない内容のようだ。暁は梓に少し休憩してもいいかと聞く。

 

「えっ!? う、うん。いいよ」

 

 彼女は変な反応をしつつもそう返してくれた。お言葉に甘えて、暁は快斗とモルガナを伴って奥の扉から地下室へと移動した。

 

 

 

 

 

 

 暁達のいなくなった店内で、盛大に溜息を漏らす梓。

 そして、背中に回していた手を前に出し、その手に持っていた包装された箱をカウンターに置いた。

 

「何ですか、それは?」

 

 物思いに耽っている梓に、誰かが問い掛ける。顔を上げると、ラヴェンツァが目の前のカウンター席に座っていた。珍しく暁に付いていかず店内に残っていたのだ。視線は、梓が置いた箱に注がれている。

 

「ラ、ラヴェちゃん……」

「貴方も、マイトリックスターにチョコレートとやらを贈るつもりだったのですか?」

「ああ、えと、うん……で、でも、もちろん義理だからね!」

「…………よく分かりませんが、バレンタインデーというのは女性が男性にチョコレートを贈る日なのですね?」

「え? そ、そうだけど……」

 

 ラヴェンツァはそもそもバレンタインデーが何なのかさえ知らない様子であった。

 

「んーとね、バレンタインデーっていうのは、女性が特別な相手に特別なチョコを贈る日なの。まあ、家族や友達に義理のチョコを贈ったりもするけどね。わ、私みたいに」

 

 梓の話を聞いたラヴェンツァはなるほどと頷くが、イマイチ得心を得ていないような様子であった。

 

 どうしたものかと思っているところへ、店の窓越しに女の子が通りがかるのが目に入る。

 彼女は確か、ラヴェンツァのクラスメイトである吉田歩美。昨日暁が連れてきた三人組の内の一人である。彼女達はお二階さんの所の居候である江戸川コナンの友達ということもあって、以前にも何回かポアロに来たことがあったのだ。

 歩美は梓達に気づくと、やり遂げたといった笑顔と共に小さく手を振り、ポアロを通り過ぎていった。

 

「そっか。歩美ちゃん、コナン君にチョコを渡しに来たんだ」

 

 色々と察する梓。同じ女だからというのもあるが、彼女がコナンに気があるのは傍目から見ても丸分かりであった。あの様子だと、チョコは無事に渡せたのだろう。

 しかし、当のコナンは少年探偵団のことを保護者目線で見ている節がある。今頃二階にいるコナンは渡されたチョコを持て余して困っていることだろう。

 

「ラヴェちゃんも、暁君にチョコを贈りたいんだよね?」

「? ……なぜですか?」

 

 意外な答えであった。てっきり、いつもの傲岸不遜な態度で当然ですと答えるんだろうなと梓は思っていたのだ。

 

「だってラヴェちゃん……暁君のこと好きなんでしょう?」

 

 彼女が暁のことを特別に想っているのは、歩美以上に分かりやすい。というより、分からない人間などいるのだろうか。

 だが、当のラヴェンツァは難しい顔をして首を傾げている。どうやら、彼女は所謂恋愛感情という物を理解しておらず、それ故に自分が暁に向けている感情がどういう物であるかさえ分かっていないようであった。

 

 年齢の割に知識は豊富だが、どうにもチグハグな印象を受ける子だと思う梓。

 本来ならばここで大人としてラヴェンツァに色々と教えてあげるべきなのだろう。しかし、梓はこの無垢な少女にアドバイスできるほど恋愛経験豊富というわけでもなかった。高校の頃に先輩に告白されて、何とはなくOKしたものの卒業する頃には自然消滅していた。精々その程度である。もしかすると、先ほど店を通り過ぎた歩美の方がまだマトモなアドバイスができるかもしれない。

 

「それじゃあ……今から私の家に行ってチョコレート作ろっか! 作り方教えてあげるから」

「ですが……」

「暁君だって、ラヴェちゃんからチョコをもらったら喜ぶと思うけどなぁ」

「! ……そ、そうですね。では、お願いします」

 

 善は急げと、梓はエプロンをスタッフルームに仕舞い、ラヴェンツァを連れ立ってポアロを出た。

 

「チョコレートはお店でも作れるのではないですか?」

「うん。でも、どうせなら驚かしたいでしょ?」

 

 そう言って、ドアに掛けているプレートをCLOSEに引っ繰り返す梓。

 ……必然的にポアロは休みになるわけだが、今この場でそのことについて考えている人物はゼロであった。

 

 

 

◆◇◆◇◆◇◆◇

 

 

 

 一方、ポアロの地下室改め、怪盗団のアジトを初めて訪れた快斗。

 

「オメー、ここで普段生活してんのか? マジかよ……」

 

 暁に同情の目線を送る快斗。そして、言い辛そうにしながらも暁を調べたことについて謝罪した。

 

「わりぃ。オメーがどこに住んでるのか調べたら、余計なことまで知っちまってさ……その、色々と大変だったみてえだな」

 

 色々なんて言葉で片付けられるもんじゃねえけど、と快斗は罰が悪そうな顔をする。

 住居を調べるにあたって、暁の身の上についても知ってしまったのだろう。暁は別に構わないと答えてベッドに座り、用件を話すよう促した。頷いた快斗はソファに座り、口を開く。

 

 まず、平崎市の再開発計画について。

 これは一連の爆弾事件の犯人が予想外にも早く逮捕されたので、最早調査の必要はないだろう。快斗は骨折り損となってしまったわけである。調査を依頼した手前、申し訳ないと思った暁は快斗に謝った。

 

「別に構やしねえって……少し気になることも残ってるしな。まあ、これは憶測の域を出ないから話してもしょうがねえよ。それよりも、だ」

 

 急に快斗が居住まいを正し、(おもむろ)に立ち上がった。

 一体何だと首を傾げる暁。恐らく、昨日快斗が電話で話そうとしていたことに関わっているのだろうが……

 

 暁の前に立った快斗はゆっくりと深呼吸をし、意を決したような面持ちをしたかと思うとその場に勢い良く手と膝を突いて頭を下げた。

 

 

「今晩だけでいいから、オメーの力を使ってオレを元の姿に戻させてくれ!」

 

 

 この通りだ! と後頭部に回した両手を合わせて懇願する快斗。

 ようするに、暁の力で疑似認知空間を展開して一時的に元の姿に戻りたいということのようだ。

 

「んな頭まで下げて、今すぐ元の姿に戻る必要があるのか?」

 

 モルガナが問う。快斗とて元の姿に戻りたいのは当然だろう。だからこそ組織を追っているのだ。だが、今すぐそうしなければならない理由は何だろうか?

 

「ん? いたのかよドラネコ。ってか、猫の姿でも喋れんのかオメー!?」

「ずっといたっての! それに今更だろ! 紅子の館で散々この姿のまま会話してたじゃねえか! ……認知世界でワガハイが言葉を話せると認知すれば、現実でも会話が出来るようになるんだよ」

「はぁ~、なるほどなぁ」

 

 話が逸れてしまった。それで? と暁が続きを促す。

 快斗は少し照れ臭そうな様子を見せつつさも不本意だと言いたげな口調で話した。

 

 なんでも、幼馴染の青子という女の子と今夜米花シティビルで映画を見ることになっているらしい。今現在、快斗は家の都合という適当な理由をでっち上げて学校を欠席している。なので、電話でその話をした時はもちろん断ったのだが、絶対に来いと言われて強制的に約束させられたのだとか。

 ……恐らく、その青子という子は快斗に気があり、バレンタインデーというこの日を逃すまいとしているのだろう。しかし、当の快斗は心底迷惑だと言わんばかりに顔を歪ませている。幼馴染の気持ちに気づいていないのか、気づかない振りをしているのか。いずれにせよ、少なくともすっぽかして悲しい思いをさせたくないという気持ちはあるようだ。

 

「カイト。お前には色々と世話になってるが、さすがにその頼みは聞けねえよ」

 

 モルガナの言葉に暁も頷く。

 確かに疑似認知空間では野良シャドウが現れる可能性は極めて低いので、近くに強い歪みを持った者さえいなければ一般人に危害が及ぶことはない。だが、それは外的要因がなければの話だ。紅子の時は彼女の持つ魔力の影響かパレスが生まれてしまったし、例の精神暴走の種を蒔く謎の存在のこともある。シャドウと関係ないことで安易にアルカナの力は使えないのだ。

 そう説明をすると、快斗は「やっぱり駄目か……」と溜息を吐いた。

 

「……分かった。無理な相談しちまって悪ぃな」

 

 元から断られるだろうことは分かっていたようで、起き上がった快斗はそう言って謝った。本当なら力になりたいところだが、こればっかりはしょうがない。

 申し訳なく感じた暁は代案を考えた。得意の変装でどうにかならないだろうか?

 

「いや、オレも何とかそれでいけないかと思ったんだけど……さすがに難しくて諦めたんだ」

 

 暁の提案に快斗は首を横に振った。

 大人が子供に化けるのが無理なように、子供が大人に化けるのもまた然りだ。前者は上半身だけといった限定的な形なら可能かもしれない。後者も大人の四肢を模したパーツを作り、それを義手義足のような形で扱えば変装をすること自体は可能だ。だが、その状態で動くとなるとどうしても不自然な動きになってしまう。例え訓練したとしてもその不自然さを完全に失くすことは難しいだろう。

 

 そうか……と、他に良い案がないか再び考えを巡らせる暁。

 

「ん? 待てよ……そうだ、その手があった!」

 

 だが、そんな暁を尻目に快斗が声を上げた。

 何か良い案が浮かんだのかと暁が聞くと、快斗は答えずにまじまじと暁の身体を下から上まで眺め始めた。

 

「……身長は同じくらい。オレよりかなり鍛えられてるけど、まあ傍目からは分かんねえだろ」

 

 などとブツブツ呟いていた快斗は頷いて顔を上げる。

 

「協力して欲しいことがあるんだ。力を貸してくれねえか?」

 

 元よりそのつもりだと暁が答えると、快斗はどこか悪戯を思いついた子供のようにニマリと笑った。

 

「それじゃあちょっと準備があるから、夕方頃にこの場所まで来てくれ」

 

 そう言うと、快斗は暁のスマホ宛てにどこかの住所を送ってきた。

 一体どういうことかと暁が聞く前に、快斗は「また後でな」と意気揚々といった感じで地下室を出て行こうとする。途中、梯子を登る手を止めて暁の方を見下ろした。

 

「……オレはオメーが両親を殺したなんて話、信じてねえからな。んなこと仕出かす奴じゃねえってのは、ここ数日の付き合いで嫌でも分かっちまうさ」

 

 快斗は不敵に笑い、地下室を後にしていった。彼なりに、暁のことを案じてくれているようだ。

 

 だが、結局具体的に何をすればいいのかは分からないままだ。一体何をさせられるのだろうと、少しばかりの不安を覚える暁であった。

 

 

 

 

 

 

 それから少しして暁とモルガナが地下室から出ると、ポアロ店内には誰もいなくなっていた。

 

 梓とラヴェンツァは? と店内を見回す暁。カウンターの目立つ場所に置き手紙があるのが目に入る。見ると、"ラヴェちゃんと一緒に出掛けるから今日はもうお店を閉めることにしました。暁君も遊びに出掛けたりしていいけど、遅くなる前に帰ること"、という旨が書かれていた。

 

 店長代理権限を有効活用している梓。聞くところによると、店長もよく商店街仲間と出掛けるために店を閉めていたらしいので、この店的には平常運転なのかもしれない。

 それはさておき、店番もする必要がないならこれからどうしようか。

 

「そうだな……適当にどこか出掛けないか?」

 

 モルガナの提案に、暁は頷いて答えた。まずは武見の診療所へ宮野明美のお見舞いに行こう。土曜も日曜と同じで午前診療のみだが、連絡すれば構わないと答えてくれるだろう。お見舞いがてら自分磨きに励むのも良い。

  

 暁は身支度を整えてモルガナを鞄に入れると、戸締りをしっかりして診療所へと向かった。

 

 

 

 

 しばらくして、暁達は武美の診療所に到着した。途中、見舞いの花も買ってきている。

 いつも通り裏口から入ろうとすると、あまり受診者を見かけることがないそこに何やらキナ臭い数名のスーツを着た男達が屯しているのが見えた。対応しているのはもちろん武見だ。

 

 彼らは武美に会釈をすると踵を返し、途中その中の強面の男が門の前に立っていた暁を一瞥して診療所を立ち去っていた。それを見送った暁は門を潜り、疲れた顔をしている武見に声を掛ける。

 

「ん、君か。どうぞ、入って」

 

 武見に促されて、お邪魔させてもらう。廊下を歩きながら、暁はさっきの人達は、と聞く。

 

「ああ、さっきの? ……まあ、別に話してもいいか。警察よ、警察」

 

 驚いて微かに目を見開く暁。

 あのスーツの男達は警察の人間だったようだ。爆弾事件の前に起こった、例の連続放火事件の件でここを訪ねてきたらしい。ということは、彼らは一課の火災犯係に所属する者達なのだろう。

 

 なぜ刑事が放火事件関係で武見の元を訪ねたのかと聞くと、なんと武見は一連の放火事件の犯人として疑われていたらしい。武見は放火された邸宅の一つである黒川邸の家主、黒川大造と関係があった。黒川病院の院長である彼の手術ミスを告発して、失脚させたのである。

 だが、当時の武美は元々大学病院に所属している人間で、黒川病院へは医療技術交流の一環で一時勤務していただけであった。当然大学病院の上層部は関わりのある病院で内部告発をした武見を煙たがるようになった。一方の武見は、気になっていた女児患者が自分が完成させた新薬で無事回復したこともあって丁度良いと思い、色々根回しをされる前に自分から病院を出て行った。その後は自分の診療所を建て、現在に至るというわけである。

 そんな彼女のことは露知らず、病院内のあまり事情を知らない者達の間では彼女が上層部からの圧力によって辞めさせられた――事実自分から出て行かなければそうなっていただろう――という噂が流れていた。そのこともあって警察はそんな彼女が元々の原因である黒川を憎み、彼の邸宅を放火したと疑っていたらしい。他の邸宅を放火したのは、カモフラージュのためと考えて。

 

「ま、今日はその疑いが晴れたってことを伝えに来たんだけどね」

 

 電話連絡でもいいだろうに、律儀なことだ。しかし、疑いが晴れたというのはどういうことだろう。

 あの刑事達によると、昨日逮捕された爆弾事件の犯人である阿玉和宗が放火事件にも関わっていると断定されたらしい。放火された邸宅は全て森谷教授によって設計されたものだということが分かったことで、疑いが彼に向いたのだ。発火原因は軒並み時限発火装置によるもの。それもあって、動機と爆弾製作の技術を兼ね備えている阿玉に疑いがかかるのは当然であった。阿玉自身は否定しているらしいが、警察は彼を被疑者としてそのまま送検するつもりのようである。

 

 一通り話を聞き終わって、明美の見舞いをする。

 相変わらず、意識は戻らないままだ。花瓶に持ってきた花を飾って、しばらく物思いに耽る暁。

 彼女が起きてくれさえすれば、組織のことについて何かしら分かるかもしれないのだ。しかし、だからといって何かできるわけでもない。

 

「……今は無事に目を覚ましてくれることを祈るしかないな」

 

 モルガナの言う通りだ。最悪、情報を得られなくてもいい。無事に目を覚ましてくれるなら。

 

 ……ところで、中沢の姿が見えないが今日はもう帰宅したのだろうか? 暁が尋ねる。既に診療時間外だが、前来た時と同じでてっきり残っているものと思っていたのだ。

 

「中沢さん? 彼女なら、つい先日辞めていったわ」

 

 暁は少しばかり驚いた。彼女は武見のことをいたく心酔していたし、診療所で働いていたのも武見のためといった様子が見て取れたからだ。そんな彼女が武美の診療所を辞めるとは思えなかった。

 

「彼女もね、色々とあったのよ」

 

 暁の考えていることが分かったのか、武見は詳しい話を聞かせてくれた。

 

 例の黒川元院長の手術ミス――酒に酔ったまま手術をしたというふざけたものだが、それによって死んだ人物こそ中沢真那美の夫であったらしい。

 それを告発するために中沢は病院内の関係者に協力を求めたが、皆院長である黒川を恐れて彼女に応えようとはしなかった。そんな中、唯一彼女に応えたのが医療技術交流で黒川病院を訪れていた武見だったというわけである。なるほど、そういう過去があったならば、武美に心酔する理由も頷ける。

 しかし、例の放火事件で黒川元院長は死亡してしまった。中沢はそれによって色々と気持ちの整理がついたらしく、心機一転のために別の場所で人生をやり直すことにしたらしい。これは武見から提案したことだ。元々人手には困ってはいないし、自分のことを気にしてずっと身を捧げるようなことをしているのでは中沢のためにならないと考えてのことであった。

 

 説明してくれた武美の顔は、いつもと比べて少し寂しそうにも見える。彼女も天才とはいえ人の子である。いつも傍にいる人がいなくなったのだから、寂しく感じるのは当たり前だろう。やはり、武見は優しい人だ。

 

 さて、随分と長話をしてしまった。あまり長居するのも良くないし、そろそろお暇させてもらおう。

 暁は武見に礼を言って、一緒に個室を出る。

 

 ――その後ろで、静かに眠る明美の指が、ピクリと動いた。

 

 

 

 

 

 

 「はい、おつかれー」

 

 そして、診療所を後にした暁達。

 まだ午後三時。快斗との約束の時間はまだまだ先である。

 

 さて、これからどうしようか? そう考えながら歩く暁の耳に、妙にわざとらしい子供の声が届く。

 

 

「――あれ、暁兄ちゃん?」

 

 

 声の主は、江戸川コナンであった。

 

 

 




暁のバレンタインデー絡みの話はゲーム原作とは少し違う形になっています。
バレンタインデーと言えばあのネタなんで入れましたけど、九股しといて他人を改心って何様やねんってことになりますしね。

次回も遅れると思います。


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FILE.30 時計じかけの摩天楼 四

 武見の診療所近くで、江戸川コナンとバッタリ出くわした暁。その手には、何かの雑誌が丸めて握られている。

 この辺りは子供の遊び場もないし、少年探偵団の姿も見えない。暁はこんな所でどうしたんだと尋ねてみた。

 

「ボク、例の爆弾事件のことがどうも気になっちゃって。だから、ある場所に向かおうと思ってたところなんだ」

 

 あの事件の犯人は逮捕されたはずなのに、何が気になるというのだろうか? 

 聞けば、コナンは多少渋った様子を見せつつも答えてくれた。テレビでインタビューを受けていた、あの爆破された橋梁を設計した建築家――森谷帝二のことが引っ掛かっているらしい。

 

 ああ、と暁もインタビューでの森谷教授のことを思い出す。確かに、彼には違和感を覚えていた。自分の設計した建築物が爆破されたというのに、その顔が形作る憂いはガワだけ。その内にはどこかその状況を喜んでいるような色が透けて見えた。 

 

「もしかして……暁兄ちゃんも?」

 

 暁の反応を見て、コナンが口を開く。暁は頷いて答えた。そして、向かおうとしている場所とはどこなのかと尋ねてみる。

 コナンは暁の目を見据えて答えた。

 

「……森谷帝二、彼の自宅だよ」

 

 

 

◆◇◆◇◆◇◆◇

 

 

 

 一方、梓の自宅であるマンションの一室にお邪魔しているラヴェンツァ。

 これといって普通の1Kの部屋ではあるが、それでも若い女性らしく壁紙は薄い桃色をしており、その壁には姿見が立て掛けられている。棚の上には贈り物――ポアロの常連客からだろうか――と思われる包装された箱が幾つか置かれていていた。まだ冬の季節であるため、炬燵も完備。男性が入れば女性特有のほのかに香る甘い匂いに興奮を覚えるところであろうが、同じ女であるラヴェンツァには至極無縁な話だ。

 

「それじゃあ準備するから、炬燵にでも入って待ってて」

 

 梓はそう言い、台所に向かう。チョコレートを作るための材料はまだ余っていて、途中のスーパーで買い物する必要もなかったのである。

 

「…………」

 

 ゴソゴソとボウルなどを戸棚から取り出している梓の横で、ラヴェンツァはここでチョコレートを作るのかと台所を見回す。しっかり整理整頓と掃除がされているが、それでも壁に掛けられている調理器具などから長い期間使い込まれていることが感じ取れた。そんな中で、恐らく新品であろうオーブンレンジが一際目立って見える。

 

「私はメレンゲショコラっていうのを作ったんだけど、ラヴェンツァちゃんはもっと簡単に作れる物にしよっか」

 

 メレンゲショコラとは焼いたメレンゲでガナッシュ――生クリームを加えたチョコレートのこと――を挟んだ物である。同じ物を作るのもいいが、ラヴェンツァは料理のりょの時も知らない初心者以下の存在だ。ここは比較的簡単で時間のかからない物にしようと提案する梓。

 

「……いえ、私も貴方と同じ物を作りたいです」

「ええ? で、でも……」

 

 だが、ラヴェンツァがそれに異を唱えた。

 対抗心を持ち始めたのか、どうしても梓と同じメレンゲショコラを作りたいと駄々を捏ね始める。

 

「……もう、しょうがないなぁ」

 

 梓は仕方なくそれを承諾した。失敗したとしても出来が悪くなるだけで、焦がしたりさえしなければ食べられないなんてことには早々ならないだろうから。

 

 準備が出来たので二人で台所に並ぶ。しかし、ラヴェンツァの背が足りていない。

 眉を潜めてプルプル背伸びしているラヴェンツァに、梓は慌てて折り畳み式の踏み台を用意するのであった。

 

 

 

◆◇◆◇◆◇◆◇

 

 

 

 森谷邸へと向かう江戸川コナン。愛用している例のスケボーは例の病院送りになった爆弾事件でおしゃかにしてしまったので、現在は製作者である阿笠博士の元で修理中だ。

 そんな彼の目線の高さは、元の高校生の時より若干高い眺めの良い物になっている。

 

 両手の下には、パーマのかかった黒髪。そう、コナンは暁に肩車してもらっていた。

 

 森谷邸に行くといったコナンに、暁が同行を申し出たのだ。小さな子供一人で行くよりはマシだろうと。コナンは訝しげに暁を見たが、事実自分一人で行っても門前払いになりかねないので仕方なくそれを承諾したのだ。肩車されているのは、歩幅の違いからこの方が早く着くと暁に無理矢理担がれたからである。

 彼の肩掛け鞄から覗く黒猫の頭を見て、コナンは苦笑いを零した。

 

 それで、と暁。森谷邸で開かれたパーティではどんなことがあったんだと聞く。先ほど、コナンからそのパーティに参加していたことを聞いたのだ。

 

「ああ、うん。元々は新一兄ちゃんが招待されてたんだけど、事件の調査で忙しいみたいで。それで、蘭姉ちゃんに代わりに出席して欲しいって頼んだみたい」

 

 コナンは話を続ける。

 森谷教授は所謂帰国子女で、高校の頃までイギリスで暮らしていたらしい。その影響か英国風の建築に心酔し、特に左右対称のシンメトリー様式に異常とも言えるこだわりを示している。これらのことから、彼は建築家である前に芸術家としての強い自負があるのが見て取れるだろう。

 

 そんな教授が開いた屋内のパーティ会場では、森谷教授の手作り料理が並んでいた。独身であるということもあるだろうが、彼は所謂完璧主義な人間で何から何まで自分でやらないと気が済まないタチなのだという。

 

『さすが森谷教授。その精神が美しい建築を生み出してきたのですね』

 

 周りの招待客が彼をそう褒め称えた。それを受けた教授は、

 

『私は美しくなければ建築とは認めません。それなのに、今の若い者ときたら美意識が欠けていると思いませんか? ただでさえ狭い日本の貴重な土地を駄作で埋めていくばかり。もっと自分の作品に責任を持たなければならないのですよ!』

 

 と、発言した。その言葉を口にする教授からはどこか得体の知れない凄みが感じられた。それこそ、招待客の面々が思わず喉を鳴らすほどであった。

 

『……ところで、毛利さん。クイズを出してもよろしいですか?』

 

 そこで教授は話題を変えるかのように余興としてクイズを出題した。それは、ある三人が経営している会社のPCのパスワードをヒントの書かれた紙から推理するというものであった。

 招待客や毛利探偵が苦戦する中、コナンは苦も無く正解を答えてみせた。その褒美として、保護者である蘭を同伴に教授のギャラリーを見せてもらえることになったのだ。

 

「あ、そういえば、もう一人正解を答えた人がいたっけ」

 

 もう一人、コナンの説明を継ぐ形で正解を答えた人物がいたらしい。スラッとした身長の高い美形の男性で、テーブルに並んだ料理を教授に断って片っ端からタッパーに詰め込んでいた変わった人物だったとか。

 パーティの招待客はいずれも名のある人物ばかりなので、彼もその一人だったのだろう。生憎コナンや蘭が知っている人物ではなかったみたいだが。

 

「直接聞いてみたけど、しがない絵描きだとしか答えてくれなくて……」

 

 ともかく、そういうわけでその男性も教授のギャラリーを見せてもらえることとなったのである。

 ギャラリーには教授が今までに手掛けた建築物の写真が壁に飾られていた。もちろん、その中には後日例の連続放火事件で全焼される黒川邸、水嶋邸、安田邸、阿久津邸も含まれていた。そして、昨日爆破された隅田運河の橋梁も。

 

 そこで、暁が口を挟んだ。連続放火事件、あれも爆弾事件の犯人である阿玉教授による犯行らしいと。

 

「うん。ボクもそう思っ――いや、えっと、小五郎のおじさんもそう思ってたみたい」

 

 少し挙動不審な様子でそう答えるコナン。

 暁はそれに首を傾げつつ、話を戻す。そうして作品の数々を眺めていく中で、蘭が米花シティビルの写真を見つけた。

 

『あ、これ米花シティビルじゃないですか?』

『そうです。そのビルは私の自信作なんですよ』

『私、今度ここで新一と映画を見る約束してるんです! 赤い糸の伝説って映画なんですけど、その日はラッキーカラーも赤だからピッタリだと思って!』

 

 そう嬉しげに話す蘭に、教授は微笑ましそうな様子で言葉を返していた。コナンにはなぜかそれが印象的だった。

 それからしばらくしてコナン達はギャラリーを後にし、そのまま何事もなくパーティはお開きとなったのである。

 

 しかし、コナンには気にかかることが一つあった。それは、例の絵描きを自称する男性が教授のギャラリーで終始その整った眉を潜めて疑問ありげな顔をしていたことだ。しがない絵描きと言えど、教授のパーティに招待されているということはそれなりに名のある芸術家であることは間違いない。その彼が、芸術作品の写真が並ぶギャラリーでそんな顔をしていたことが気掛かりだったのだ。

 帰り際、コナンはその男性を探してそのことについて問い掛けた。

 

『ねえ、お兄さん!』

『何だ?』

『どうしてお兄さん、ギャラリーであんなに難しい顔してたの?』

 

 彼はどこか睨むような目で森谷邸を見て、答えた。

 

『……あのギャラリーは、矛盾で満ちている』

 

 そう答えると、彼は背中を向けて教授宅を後にしていった。

 

 

 

 

「あ、あそこだよ。森谷教授のお家」

 

 パーティでの話を聞き終えた頃合いで、丁度良く暁達は目的地でありそのパーティが催された森谷邸に辿り着いた。

 立派な門越しに、荘厳とした美しさを誇る英国風の邸宅が見える。地下暮らしをしている暁とは全く縁のなさそうな場所だ。

 暁はコナンを肩車したまま、門に備え付けられたインターホンのチャイムを鳴らす。怪盗団のお金持ち代表である春から作法の一つでも学んでおくべきだったかと思いつつ、返答を待つ。

 

『――はい、どちら様ですか?』

 

 少しばかりして、インターホンのスピーカーから森谷教授の声が聞こえてきた。カメラに映る暁のことを知らない教授の声からは訝しげな様子が感じ取れたが、暁の肩越しにコナンが応対したことでそれは解消された。

 

「こんにちは、森谷教授!」

『君は確かコナン君じゃないか。わざわざ訪ねてくるなんて、何か私に用事かな?』

「うん。ボク、あれから建築に興味が沸いてきちゃったんだ! だから、またあのギャラリーを見せて欲しいなぁと思って!」

 

 平気で口からデマカセを言うコナンに暁は心の中で苦笑いする。

 

『ああ、いいとも。今門を開けるからね』

 

 もう一度ギャラリーを見たいというコナンのお願いを、二つ返事で受け入れてくれた教授。遠隔操作で門が開かれ、暁達は森谷邸の敷地内に入る。

 

 本来は緑豊かだったであろう広大な敷地の大半を占める庭は、未だ冬であるために枯れ色に染まっている。しかし、それを除いてもその庭と先に見える邸宅は見事なまでに左右対称(シンメトリー)で徹底されていた。暁自身は英国を訪れたことはないが、それでもここだけ日本から切り取られて英国に挿げ替わったかのような錯覚を感じてしまうほどであった。

 完璧主義な人間だという森谷教授。ここまで徹底した設計をしているのだ。その設計者がそういう人間であることは話を聞かずとも理解できただろう。元々、こういった均整を保った物を好む人間は完璧主義――悪く言えば神経質であることがほとんどである。

 

 庭の真ん中にある噴水を通り過ぎ邸宅の前に来たところで玄関が開き、家主である森谷教授が顔を覗かせる。アポなしだというのに、教授はにこやかに微笑んで暁達を歓迎してくれた。

 

「やあ、コナン君。いらっしゃい」

「おじゃましまーす。あ、森谷教授。この人は来栖暁さん。蘭姉ちゃんの同級生で、今日は付き添いに来てくれたんだ」

「なるほど。初めまして、森谷帝二です」

 

 教授と握手を交わす暁。テレビのインタビューを見たと言うと、彼は照れた様子で笑った。

 

「ははは、あまりテレビ慣れしていないものでね。おかしな映り方をしていたら目を瞑ってもらえると助かるよ。さあ、どうぞ」

 

 邸内に入った暁はまたも驚かされた。さすがと言うべきか、内装も左右対称(シンメトリー)で徹底されていたのだ。案内された目的のギャラリーも、飾られた写真の並びを除けば燭台などの装飾が鏡写しのように配置されている。

 

 ギャラリーに入るなり、コナンは真剣な顔付きで教授の建築物の写真を順番に眺め始める。その鋭い眼差しは、とても子供のそれではない。

 コナンに続く形で端から順に写真を見ていく暁。しかし、怪盗団の仲間であり芸術家である喜多川祐介ならともかく、建築についての知識は全くと言っていいほど乏しい自分が見ても、出るのは一般的な感想ぐらいだろう。

 

 だが、そうではなかった。

 

 暁は思わず眉を潜める。写真に写る建築物のほとんどが英国風のそれで、左右対称(シンメトリー)はもちろん、レンガ張りの外観からは重厚感が溢れている。アンティークなその様相に英国に憧れを持つものならば感嘆の溜息を漏らすに違いない。

 ところが、暁にはそれらが醜く歪んで見えた(・・・・・・・・)のである。建築家の美意識をそのまま形にしたかのような建物。左右対称(シンメトリー)の様式がその荘厳性と均衡性を高めているはずなのに。

 

「……ない」

 

 そんな暁の横で、コナンがそう声を漏らした。

 暁はコナンが見ている辺りの写真に目を向けてみる。特に他と比べて特別に何か違うようには見えないが……

 

「あれれ~?」

「どうかしたかね? コナン君」

 

 唐突にわざとらしい声を上げるコナンに、教授が反応する。

 

「ねえ、森谷教授。ここ、前はもっと写真が飾られてたよね? どうしてなくなってるの?」

「ああ、それは昨日倉庫に仕舞って――「なくなっている写真って、全部教授が三十代前半に設計した物だよね?」

 

 どうしてと聞かれた教授がその理由を話している途中で、コナンが口を挟む。

 

「黒川邸と水嶋邸、安田邸、阿久津邸。そして……昨日爆破された、隅田運河の橋梁」

 

 教授の目が一瞬、細くなる。

 

「……よく覚えているね、コナン君。そう、事件のせいでなくなってしまったから倉庫に仕舞ったんだよ」

「自分の作品なのに、なくなってしまったからという理由でギャラリーから外すなんて、おかしいと思うけどなぁ。人間と同じだよ。なくなったからこそ、それを写した写真はちゃんと飾っておくべきだよね?」

「ああ、でも――「ひょっとして……」

 

 再び、コナンが教授の言葉を遮る。

 

元から(・・・)飾りたくなかったんじゃないの?」

 

 暁がどういうことだ? と疑問を口にする。コナンは教授を見据えたまま答えた。

 

「被害を受けた建築物はね、全部完全に左右対称(シンメトリー)になってなかったんだ。教授の作品を特集した雑誌で、しっかりと確認したよ」

 

 そう言って、手に持っていた雑誌を広げるコナン。

 恐らく、建築法や予算等の理由で叶わなかったのだろう。完璧主義の森谷教授であれば、そんなことは絶対に許せないことだ。であるからには、失敗作(・・・)を自身のギャラリーに飾りたくないと思ってもおかしくはない。

 

「……それで? 君は一体、何が言いたいのかね?」

 

 一層険しくなった目で、教授がコナンに聞く。

 コナンは教授を鋭い眼差しで睨みつけているが、何も言わない。

 

「まさか、この私が阿玉和宗を焚きつけて君の言う失敗作を処分した……とでも?」

 

 下らないとばかりに教授はクツクツと笑った。

 

「そこまで言うからには、君らは平崎市の再開発計画についても知っているんだろう? 確かに、一連の事件は私にとって実に都合の良い物になっている……これはあくまで例え話だが、再開発計画の件で私を少なからず憎んでいた阿玉君に対して、若かりし頃の作品であるからこそ特別に大事に思っているとでも言えば事を起こすかもしれない。阿玉君とは長い付き合いだから、彼が人の大事な物を壊して悦に浸るような人間であることは知っているからね」

 

 言い切ると、教授はパイプに火を点けて煙を燻らせた。一息吸うと、その整った口髭が歪ませる。

 

「だが、仮にそうだとしても、一体私は何の罪に問われる? 犯罪教唆? 何を馬鹿な。私は純粋に自分の作品を大事に思っていると言ったに過ぎない。よしんば阿玉君が事を起こすのを期待して言ったとして、それをどうやって証明しようというのかね?」

 

 教授の顔は今までの朗らかな形から、コナンと暁を見下すようなそれへと一変していた。その顔は、今の話が例え話ではなく、事実であることを物語っている。

 しかし、彼の言う通りこれでは罪に問うことはできない。暁の横にいるコナンも目線は教授から外していないがその眉を潜めている。

 

「さて……用はそれだけかな? 今夜は用事があるから、そろそろお引き取り願いたいのだがね」

 

 暁がコナンに目配せすると、彼は渋々といった様子で頷いて返した。そして、後ろ髪を引かれる思いをしつつ教授の横を通って森谷邸を後にしようとする。

 

「ああ、コナン君」

 

 玄関前で、教授がコナンを呼び止めた。

 

「警察の人間から聞いたが、君は工藤新一君と仲が良いらしいね。今後の活躍も期待していると伝えておいてくれたまえ」

 

 そう言い残すと、教授は玄関を閉めてしまった。彼の言葉の意味を考えて、コナンは首を傾げた。

 

 

 門が閉じた森谷邸の前で、暁とコナンの間にはしばし気まずい沈黙が流れていた。

 やり切れない表情で門越しに森谷邸を眺めるコナン。森谷教授に芸術家としての強い自負があるように、彼にも探偵としての自負があるようだ。暁を怪盗(ジョーカー)と推理した時と今回のことからして、それが子供の遊びとは違う信念を持った物であることは言うまでもない。

 

「……もし、怪盗団が教授のことを知ったら、彼を改心させるのかな?」

 

 ふいに、コナンが森谷邸に目を向けたまま口を開いて暁にそう尋ねた。それに対して、怪チャンに書き込んでみたらどうだ? と答える暁。

 だが、コナンは首を振って森谷邸から目を外し、暁の方を振り返った。

 

「そんなことしないよ。絶対にね」

 

 そう答えるコナンの顔は、不敵な笑みを浮かべていた。

 その笑みに、そうかと答える暁。そこで、コナンが付けている腕時計が目に入る。快斗との約束の時間が近づいていることに気づいた暁は、そのままコナンに別れを告げてその場を後にする。

 

「あ、うん。ありがとう。またね」

 

 暁の去った後で、コナンは一人呟いた。

 

「……そうさ。オレは真実を求める探偵。その先が行き止まりだなんて、あってたまるかよ」

 

 

 

◆◇◆◇◆◇◆◇

 

 

 

 快斗から渡された住所を地図アプリで辿り、着いたのは一階に不動産屋が入っている雑居ビルであった。

 暁達の目的地はこのビルの二階、『ブルーパロット』という名のビリヤード場だ。階段を上って、CLOSEDと書かれた看板に一瞬躊躇しつつもその小綺麗な紅色の扉を開ける。

 中は至って普通のビリヤード場であったが、壁に飾られている宝石が散りばめられたキューはいかにも人目を集めそうな見た目をしている。普段はそれなりの客が玉を突きに来ているに違いない。

 

 視線の先、カウンターの上に座って老人とお喋りしている快斗の姿が見える。快斗の方も暁に気づいたようだ。

 

「おーい、こっちだこっち!」

 

 快斗に誘われて、暁はカウンターの方へと足を運ぶ。

 

「待ってたぜ暁。ああ、こっちはこのビリヤード場のオーナーの寺井(じい)黄之助。昔からの知り合いでさ、オレはジイちゃんって呼んでんだ」

「坊ちゃまのご友人だとか。初めまして、寺井です」

 

 普通は"てらい"と読むだろうに、なんとも変わった苗字だ。怪盗キッドの協力者といったところか。快斗が幼児化してしまったことなど諸々のことは把握しているようだ。こんな娯楽場が休日にも関わらず休みとなっているのは、キッドの要請があったからなのだろう。

 

 それで、協力して欲しいということだが、一体何をすればいい?

 暁がそう聞くと、快斗が自信ありげな様子で微笑む。そして、「付いてきてくれ」と言って奥にある扉に足を向けた。暁は首を傾げ、ショルダーバッグをカウンターに置くと、寺井に会釈して快斗の後に続く。

 

「しかし、幼児化されてから出来た友人……彼は一体「ニャー」ひょえッ!?」

 

 唐突にバッグから顔を覗かせた黒猫。思わず飛び退いた寺井は強かに床へと頭を打ちつけた。

 

 

 

 

 数時間ほど経っただろうか? 客の来ないビリヤード場で、寺井はようやく目を覚ました。心配げな様子で猫が自分のことを覗いているのが視界に入る。

 あいたた……とぶつけた後頭部を擦りながら起き上がったところで、丁度快斗と暁が入っていった扉がガチャリと開く。寺井は未だぼーっとする意識の中で扉の方へと目を向けた。

 

 そして、一気に目を覚ました。

 目の前に幼児化した快斗と、元の高校生姿の快斗が並んでいたのである。

 

 そう、暁は快斗の姿に変装させられたのだ。快斗本人の手によって。

 

 訳も分からぬまま変装させられて困惑している暁を余所に、寺井は快斗を引っ張って耳打ちする。

 

「よろしいのですか!? 坊ちゃま!」

「ん? ああ、大丈夫だって。アイツはオレがキッドだってこと知ってっから」

 

 快斗の返答に、寺井は驚いて暁の方を見やる。先ほどの黒猫と会話をしているように見えるが……

 

「……坊ちゃま。彼は一体何者なんですか?」

 

 寺井の質問に、快斗は少し迷って暁に目線を送る。その目線を受けた暁は、協力者なら良いと頷いた。

 了解を得た快斗はニヤリと笑い、「驚くなよ?」と言って答えた。

 

「アイツこそ、最近巷で噂になっている心の怪盗団ザ・ファントムのリーダー、ジョーカーなんだよ」

 

 目を丸くして暁を凝視する寺井。

 快斗が幼児化した姿で会いに来た時もそれはもう驚いたのだ。そして、今度は実在するかも怪しかった怪盗団のリーダー。驚愕の連続で頭が追い付かない。一体全体どうしてジョーカーが怪盗キッドに協力しているのか。

 

 暁が鏡から目を離し、快斗に尋ねる。自分の姿に変装させて、何をさせるつもりだと。

 

「オメーも予想付いてんだろ? ……その姿で、オレの代わりに米花シティビルに行って欲しいんだ」

 

 

 

◆◇◆◇◆◇◆◇

 

 

 

 暁達のいる雑居ビルからある程度離れた場所にあるマンションの一室。表札は榎本梓。

 女性の部屋とあって普段はほのかに甘い香りで包まれているそこは、焦げ臭い匂いで充満していた。

 

 テーブルに並ぶのは、黒い煙を燻らせる何かも分からない黒い塊。しかも、なぜか一部凍っている。

 メレンゲショコラだ。白いはずのメレンゲがメの字も見当たらないぐらいの異物と化しているが、誰が何と言おうとメレンゲショコラだ。

 

「あはは……何でこうなっちゃったんだろうね」

 

 梓がげんなりとした様子で呟く。

 

 メレンゲは低温のオーブンでじっくりと時間を掛けて焼くのが基本。が、なぜか真っ黒焦げに出来上がってしまったのである。当然ながら時間を掛けすぎたわけでもなく、間違えて高温に設定したわけでもない。

 ガナッシュの方は材料となるチョコレートに市販の物を使わず、カカオバターを用意して一から作った。そして、冷蔵庫に入れて冷やした。が、取り出してみるとなぜか見事に氷漬けとなっていたのだ。冷凍庫に入れたわけでもないのに、もはや意味不明である。

 今まで何度も作った経験がある梓は首を傾げるばかり。横ではラヴェンツァが真っ黒なメレンゲで挟まれた溶ける様子のない氷漬けのガナッシュを遠い目で見ている。彼女は早く完成させて暁に贈りたかったのか、作業中ずっと焦った様子で落ち着きがなかった。

 

 もう時間はとっくに夕方を過ぎ、外は真っ暗になってしまっている。時間的にこれ以上は難しいだろう。

 

「もう諦めてこれを贈るしかないよ、ラヴェンツァちゃん。失敗作でも気持ちを込めて作ったものだし、暁君ならきっと文句を言わずに受け取ってくれるから」

 

 梓はそうラヴェンツァに言って、テーブルに並べた暗黒冷凍物質を用意しておいた小箱に入れるよう促す。

 

「……いえ、こんな失敗作を暁お兄様に贈れません。まだお店はやっています。近場で市販品のチョコレートを買いましょう」

「でも……」

 

 渋る梓だが、ラヴェンツァは構わず続けた。

 

「どこか近くに良いお店はないのですか?」

「う~ん。この辺りだと、品揃えの良い所は米花シティビルの地下にあるお店くらいかなぁ」

「では、急いでそちらに向かいましょう!」

 

 ラヴェンツァは善は急げと上着を羽織って玄関に向かっていく。

 

「あっ! 待ってラヴェちゃ――」

 

 梓は慌ててその後を追おうとしたが、途中で足を止めてテーブルに放置されている失敗作に目を向けるのであった。

 

 

 

◆◇◆◇◆◇◆◇

 

 

 

 時刻は、21時。

 東京では珍しく、ポツポツと雪が降り始めていた。

 

 そんな雪降る夜空に向けて聳える摩天楼に、役者が集い始める。

 

 

「後一時間……」

 

 映画館の前で、想い人を待つ少女。

 

 

「ちゃんと来てくれるかな……快斗」

 

 その少し離れた場所の木の下で、夜空を見上げる少女。

 

 

 

 少女達が期待に胸を躍らせるように、時計の針は刻み続ける。

 

 その時が来るまで――

 

 

 




次回で時計じかけの摩天楼を終わらせたいところです。

ところで、ジョーカーのアニメ版での名前が『雨宮蓮』に決まりましたね。

今更変えるのもアレなので、当作品では漫画版の『来栖暁』で通していきます。
個人的にはこちらの方が好きというか、アトラス的にアキラという名前は特別感ありますしね。













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FILE.31 時計じかけの摩天楼 五

『FILE.30 時計じかけの摩天楼 四』の蘭の台詞にラッキーカラーに関する記述を追加しました。


 黒く染められた空を、星に代わって白い雪が疎らに飾る。

 今夜はホワイト・バレンタインデー。基本的にはホワイトデーのことを言うのかもしれないが、雪の降るバレンタインデーにもこの表現は当てはまるだろう。

 

 そんな光景を米花シティビルの窓から見上げながら、暁は深い溜息を吐いた。普段ならそれが顔を隠すための眼鏡を少し曇らせるが、今は違う。なぜなら、眼鏡が必要ない状態だからだ。むしろ、余計だと言ってもいいだろう。

 

 なぜならば、今――来栖暁は黒羽快斗に成りすましているからだ。

 

 いつものパーマのかかった髪型は見る影もなく、クセのあるショートヘアーに。顔の方も快斗本人によるメイクで彼本人とそっくりな形に仕上がっている。これは今から行うミッションのために施されたものだ。

 一体快斗はどこでこんな技術を覚えたのだろうか。器用さには自信があるが、彼には敵わないかもしれない。暁は通りがかりのショーウィンドウのガラスに映る自分の物ではない顔を見ながら、同盟者の技術力に舌を巻く。

 

 ただ、その口にはマスクが着けられていた。声だけは変声機のような物を用意しなければどうしようもない。快斗には自前の変声術があったため、変声機の類は無用の長物であった。用意する時間もなかったので、今回のミッションでは服の襟に忍ばせたスピーカーフォンからマイク越しに快斗が声を出すことになっている。快斗が声を出している間、暁はそれらしい仕草をしていればいい。

 なぜそんなことをしなければならないのか。その理由は、ミッションの内容が関わっている。

 

 

 そのミッションとは……

 快斗の代わりに、彼の幼馴染である中森青子と映画を見てくる、というものだ。

 

 

 本人は幼児化しているため当然会うことはできないし、これが最善だとのことである。少なくとも、青子を映画館に一人放置するということはしなくて済む。

 だが、本当にそれでいいのか? 変装を施された暁は例のビリヤード場から出発する際にそう快斗に聞いた。快斗は他に良い案がないと答えた。確かにその通りだ。だが、そう答える快斗の顔は無理をしているような、いつものハツラツとした様子が少し薄れているような気がした。彼とて本意ではないのだろう。

 

 暁は自分の背後――物陰に隠れている快斗の方に目を向ける。視線が合った快斗は、申し訳なさそうに片手を挙げた。スピーカーから『今度飯奢るから』という小さな声が聞こえてくる。

 本人はちゃんと来ているし、マイク越しとはいえ会話をするのは彼だ。そう考えると問題はないようにも思えてくる。いや、実際は大有りなのだろうが。

 

 溜息を吐く暁。煮え切らない気持ちを胸に抱えながらも目的地である米花シネマ1を目指して歩を進め始めた。

 

 

 

 

 

 

 米花シネマ1はこのビルの五階に入っている映画館だ。モールの中の一角に同じ系列の映画館がずらりと並ぶ、所謂シネマ・コンプレックスの形を取っている。

 通路の壁には現在上映中の映画の看板が飾られており、快斗が青子と見る予定だと言っていた"赤い糸の伝説"という映画の看板もあった。最も、見るのは快斗ではなく暁なのだが。

 しかし、なんとも典型的なラブロマンス映画だ。そんな内容の物を一切縁のない少女と見なければならないのか。イマイチ乗り気でない暁は一層及び腰になった。

 

 そういえば、と暁は思い出す。元の世界でもよく映画を見に行っていた。一人と一匹の時もあれば、仲間に誘われて見に行ったこともあったか。バック・トゥ・ザ・ニンジャとか、ZAWとか。変わった映画が多かったような気もするが、今では良い思い出である。機会があれば、自分磨きがてらラヴェンツァや梓を誘ってみるのもいいかもしれない。

 

「あ、快斗!」

 

 そんなことを考えていた暁の耳に、少女の声が届く。声のした方を振り返ると、そこには癖のある長髪をした少女が立っていた。彼女が今回のミッションのターゲット、中森青子だ。

 快斗から写真を見せてもらった時からどこかで見た覚えがあるような気がしていた暁だが、面と向かって会ったことでようやく思い出すことができた。彼女は、例の東都国立博物館での事件――キッドと初めて相対したあの日にラヴェンツァとモルガナを預けた少女だ。

 確か、父親が警察の人間だと言っていたはず。そんな子と幼馴染の関係にあるとは、快斗も探偵事務所の真下に居を構えている暁のことを言えないだろう。

 

 快斗の姿をした暁を認めた青子は、嬉しそうに駆け寄ってくる。その左手には二枚のチケットが握られていた。その内の一枚は快斗の分に間違いない。そして、右手には手提げ袋。中身は恐らく、アレ(・・)だろう。少し罪悪感を覚える暁だったが表情には出さず、気さくな快斗をイメージし手を挙げて応える。

 一方で、青子は暁の着けているマスクを見て訝しげな顔をした。

 

「……? どうしたの? そのマスク」

『あ~っと、ゴホッ、ちょっと風邪気味でさ』

 

 マイク越しに話す快斗に合わせて咳をする振りをする暁。

 

「ええ! だ、大丈夫なの快斗?」

『平気だって! それより、そろそろ入場開始の時間だろ? 行こうぜ』

 

 そう催促し、入場口へ向かう。彼女には申し訳ないが、事情が事情なだけに早く終わらせて帰りたいのだ。

 青子はそれでも気遣わしげな様子を見せるが、頷いて後に続こうとする。

 

 

「――ちょっと!」

 

 

 その時、横から二人に声が掛かった。

 この声は聞き覚えがある。まさか、と暁は声のした方を振り向いた。

 

 そこには、お二階さん――つまり毛利小五郎の娘である毛利蘭が立っていた。

 

 どうしてここに? 彼女も映画を見に来たのだろうか?

 いや、それ以前になぜ声を掛けてきた? 今の暁は黒羽快斗を模した変装姿。例え相手が元の世界の怪盗団メンバーであったとしても、見ただけで来栖暁であるということを看破するのは難しいだろう。

 

 では、蘭が快斗と知り合いだった? そう思いマイク越しに尋ねてみると、快斗はキッドならともかく快斗としては知らないはずだと答えた。

 ということはつまり、蘭は知らない相手に声を掛けたということになる。混乱している暁に対して、蘭は眉を潜めて聞く。

 

「……その子、誰?」

 

 青子に目線を向けつつ、そう問いかけてくる蘭。

 しかし、答えようにも暁は今声を出せない状況にある。快斗もしどろもどろといった状態で、どう答えたものか迷っているようだ。青子も青子で蘭のことはもちろん知っているはずもないので、状況を全く把握できていない。えっ? えっ? 蘭と暁のことを交互に見比べている。

 答えない暁に業を煮やしたのか、蘭が再び口を開いた。

 

 

「 答えなさいよ! 新一! 」

 

 

 周りのことなど頭に入っていないのか、蘭の大声がホールに響く。

 新一といえば、蘭の幼馴染だという高校生探偵のことだろう。しかし、なぜ快斗の姿をしている暁のことをそう呼ぶのか?

 

『そうか、しまった!』

 

 あちゃーと言う快斗の声が耳に届いた。なんと、二人は元々顔立ちがよく似ているらしい。それこそ、わざわざ変装マスクなどを用意せずとも、髪型を似せるだけで完全に工藤新一に化けることができるほどだと。

 

 つまりだ。蘭は快斗の姿をしている暁のことを、新一と勘違いしているのだ。

 彼女も今夜新一と映画を見る約束をしていたのだろう。そういえば、コナンがそんなことを言っていた気がする。なんという偶然か。とばっちりも甚だしい。

 

「あの、人違いだと思うんだけど――」

「貴方は黙ってて!」

 

 青子が遠慮がちに人違いを教えようとするが、蘭は聞く耳を持たない。

 掴みかからんばかりの勢いで迫る蘭に暁はホールにある柱まで追い詰められた。

 

 

 

◆◇◆◇◆◇◆◇

 

 

 

 一方その頃、まばらな雪が降り注ぐ中、米花シティビルの近くにあるオフィスビル。

 米花シティビルよりも低いビルだが、丁度いい距離に建てられているのもあって一望するには十分な高さだ。

 夜十時前とあってか、そのビルの窓からは照明の明かりが一、二点ほどしか漏れておらず、入居しているテナントのほとんどは終業しているようである。

 

 そのビルの屋上に、壮年の男が一人佇んでいた。

 右手をポケットに入れ、パイプ煙草を左手に煙を燻らせながら、正面に聳える摩天楼――米花シティビルを眺めている。暗闇で人相は伺えないが、纏う空気は憎き相手を前にしているような不穏さを感じさせた。

 

「こんな時間にこんな場所で、一体何をしているのですか?」

 

 そんな男へ後ろから声をかける者が現れた。その者は物陰に隠れているのか、その姿は見えない。

 男がゆっくりと振り返る。それと同時に、月明かりが差し込んで男の顔を照らし正体を晒した。

 

 

「――森谷教授」

 

 

 教授はニヤリと笑って、口を開く。

 

「こうして直接言葉を交わすのは初めてだね……しかし、本来こうなるつもりはなかった。当初の予定では、君は誰とも分からない者に敗北の味を舐めさせられ、その名声を地に落ちさせることになるはずだったのだから」

 

 声をかけた物が隠れているであろう物陰を見据えて、教授は続ける。

 

「全く大したものだよ。さすがは平成のシャーロック・ホームズ……工藤新一君」

   

 物陰で森谷教授の言葉を聞きながら、工藤新一――いや、江戸川コナンは寒空に晒されて乾燥したその唇を舌で一舐めした。

 今のようにコナンの姿になる前は目立ちたがりな性格も相まってメディアへの露出は拒まず、インタビューなどにもよく応じていた。故に、教授は声だけでその主を工藤新一だと断定できたのだろう。当然、これはコナンも想定していたことだ。だからこそ、こうしてわざわざ変声機を使って声をかけている。

 

「ところで、どうして私がこのビルにいると分かったのかね?」

「人間観察が得意なのは何も芸術家だけじゃない。考えてみたんですよ。貴方という人があのビルの爆破を見物するなら、一体どんな場所を選ぶか。この周辺で見晴らしが良く米花シティビル以外に障害物がない、なおかつ良好な角度でビルの崩壊を見届けることができる場所……それがここだったというわけです」

 

 なるほど、と森谷教授が頷く。コナンは一拍置いて続けた。

 

「コナン少年から話を聞きました。貴方は阿玉教授を焚きつけて連続放火事件や例の爆弾事件を引き起こさせ、自らの忌々しい失敗作の破壊を目論んだ」

 

 その言葉を聞いた森谷教授はクツクツと笑う。

 

「コナン君にも言ったが、それで私は何の罪に問われるというのかね? それ以前に、私が阿玉を焚きつけたという証拠は一体どこにある?」

「確かに、そのことに関して貴方を罪に問うことは難しい。例え阿玉教授本人が貴方に焚きつけられたと言ったとしても、それは変わらない」

 

 まさに完全犯罪。さすがは建築家である以前に芸術家。

 

 芸術とは評価する者がいて初めて成り立つものだ。あの巨匠ゴッホでさえ生前は全く絵が売れず、芸術としてさえ見てもらえなかった。だからこそ、傍目からは建築しか頭にないかのように見える森谷教授も芸術を評価する人間観察に長けていたのである。どういう建築が人間の目に魅力的に映るか、どういった構造に精神の平穏を得るか。それを突き詰めて得た答えが、あの左右対称(シンメトリー)様式だったのだろう。

 コナンの目には、彼の姿がある人物に重なって見えた。シャーロック・ホームズが"犯罪界のナポレオン"と呼んだ、あのジェームズ・モリアーティに。

 

「――だが、貴方は犯罪界のナポレオンになり損ねた」

 

 森谷教授が目を細める。

 

「現実は物語のように上手くはいかない。貴方は今まで椅子に腰かけて事の成り行きを見ていたのでしょうが、当の阿玉教授は予想外にも早く逮捕されてしまった。だから、貴方はその重い腰を上げてここにやってきたんだ」

 

 あの摩天楼を、自らの手で葬るために。

 

 完全な左右対称(シンメトリー)でなかった建築物は、あの橋梁が最後ではなかったのである。そう、コナン達の正面に聳え立つ米花シティビルこそが、教授にとって残された最後の失敗作。

 実は森谷教授のギャラリーから消えていた写真の中に、米花シティビルの写真も含まれていたのだ。当初は写真を見ただけでは完全な左右対称(シンメトリー)でないということは分からなかったが、そのおかげでコナンはまだ事件が終わっていないことを知ることができた。

 

「その右手に、起爆スイッチを握っているのでしょう?」

 

 ポケットに入れたままの森谷教授の右手がピクリと動く。

 その顔はさきほどとは違って、作り物のように無表情となっている。

 

「今夜貴方が外出してから、屋敷の方を調べさせてもらいました。色々と見つかりましたよ。今回の米花シティビルの爆破に使うつもりであろうリモコン式爆弾の設計図に、大量の爆薬。大方、阿玉教授が東洋火薬の火薬庫から手に入れていた爆薬の残りを彼が逮捕された後すぐに回収しておいたのでしょう?」

 

 これはまだメディアは公表していない話だが、今までの事件で使われた爆薬の量と盗まれた爆薬の量は合っていなかったのだ。警察は残された爆薬はどこにあるのかとしつこく阿玉教授を問い詰めた。しかし、彼が答えた隠し場所を探しても見つからなかった。当たり前である。既に場所を把握していた森谷教授がとうの昔に掠め取っていたのだから。

 

「先ほど警察にも事情を説明して、今まさにこちらへ向かってきている途中です。もう貴方に逃げ場はありませんよ。その起爆スイッチを捨てて大人しく投降してください」

 

 コナンのその言葉を皮切りに、しばらくの沈黙が訪れる。

 森谷教授は表情を変えず身動き一つしない。しんしんと降り注ぐ雪が、音もなく屋上のコンクリートを濡らしていく。

 

 息をするのも忘れかけたその時、月明かりが雲に隠れて二人の立つビルの屋上を薄暗く染めた。物陰から覗くコナンから見て、森谷教授の身体がシルエットのように黒く塗り潰される。

 月の瞬きか、数瞬後に雲が過ぎて再び明かりがビルを差す。

 

 その瞬間、コナンの目に映ったのは――ポケットから起爆装置を取り出した森谷教授の姿。

 

 

 ――やっぱりこうなるのかよ!

 

 

 舌打ちをするコナン。この展開は彼も当然予測していた。できれば前もって今も米花シティビルで自分を待っているであろう蘭を避難させたかったが、生憎と彼女は携帯電話を持っていない。

 目暮警部にはビルにいる人々を避難させてくれと頼んでいるが……いや、ここで自分が森谷教授を止めさえすればいい話だ。

 

 間髪入れず、コナンは物陰から飛び出した。

 そして、腕時計型麻酔銃を今まさにスイッチを押そうとしている森谷教授目掛けて撃ち放つ!

 

 

 

 ――腕時計から放たれた麻酔針は、確かに森谷教授の首に命中した。

 

 

 

 だが……

 

 

「なんで、どうして……確かに当たったはずなのに……!」

 

 コナンは愕然とした顔で言葉を漏らした。その声は驚愕に震えている。 

 森谷教授は、象でさえ眠らせる麻酔針が命中したにも関わらず、何事もなかったかのようにその場に立っていたのだ。

 

 

 ニヤリと口端を歪めた森谷教授は、起爆装置のスイッチを――――押した。

 

 

 

◆◇◆◇◆◇◆◇

 

 

 

 自分を囲む二人の少女にどう対応すべきか苦慮していた暁。

 その内の一人であり、怒りを含んだ鋭い目で睨みつけている蘭。とにかく一旦落ち着かせようと口を開きかけた。

 

 その時であった。

 一瞬だけであったが、立ち眩みのような違和感を覚えたのは。

 

 まるで世界が塗り替えられたようなその覚えのある感触に、暁はハッと息を飲んで辺りを見回す。

 

「どうしたの?」

「まさか、逃げようとしてるんじゃ……」

 

 そんな暁を見て青子が怪訝そうに首を傾げ、蘭はどこか逃げ場所を探そうとしているのかと勘違いしたのか暁の腕を掴もうとする。

 

 

 

 次の瞬間、鼓膜を破かんばかりの爆音が響いた。

 

 

 

 立っていられないほどの激しい揺れがビル全体を襲い、停電と共に大きな亀裂が走ったロビーの天井が崩れ落ち始める。

 悲鳴を上げて人々が逃げようとするが、辺りが暗い中舞い上がった煙にさらに視界を奪われて身動きが取れない。

 

 暁も蘭と青子の二人を連れて逃げようとした時、大きな瓦礫が暁達と蘭の間を遮るように落ちてきた。

 続けざまに瓦礫が襲ってくる中、暁は咄嗟に傍らにいる青子の手を取り、彼女を庇うように覆い被さった――

 

 

 

◆◇◆◇◆◇◆◇

 

 

 

 コナンの目と鼻の先で、米花シティビルが激しい火の手と煙に包まれていく。

 

「どうかな? 探偵君。出来損ないがあるべき姿へと戻る光景は実に素晴らしいだろう。こんな特等席で見れることに感謝したまえ」

 

 教授はまるで長年心に燻っていた鉛をようやく取り出せるといったような、晴れ晴れとした表情をしている。

 

「……それにしても、驚いた。まさか工藤新一がこんな子供に成り果てていたとは」

 

 その言葉で我に返るコナン。怒りでわなわなと震える身体を必死に抑えながら教授を睨む。それを涼しい顔で流す教授。

 

「安心したまえ。まだロビーの出入り口と非常口を塞いだだけだ。君のガールフレンドもまだ生きているだろう……いや、もしかしたら運悪く瓦礫に押し潰されてしまったかもしれないがね?」

 

 コナンは思わず教授に掴みかかりそうになったが、すんでの所で堪える。それでも、怒りを込めた目で教授を睨みつけた。

 

「冗談だ。探偵が頭に血を昇らせるものではないよ。お楽しみはこれからさ」

 

 教授は懐から何かが書かれた紙を取り出した。

 

「君とガールフレンドのために一番でかい爆弾(ヤツ)を用意しておいた。コイツは先ほどの物とは違って時限式でね、急げばまだどうにかできるかもしれないぞ」

 

 取り出した紙をコナンに差し出す教授。それは爆弾の設計図であった。先の言葉にあった時限式の物だろう。

 

 コナンは何のつもりだと眉を潜める。そもそもどうしてこの男には麻酔針が効かなったのか? コナンの頭の中に次々と疑念が湧いてくる。

 

「……クソッ!」

 

 しかし、すぐに時間がないということを理解すると、差し出された設計図を奪うようにして掴み取り、急いでビルを降りて行った。

 教授は含みのある目線でそれを見送り、再び煙を上げる米花シティビルを眺め始める。

 

 救急車や消防車のサイレンの音に紛れて、人々の悲鳴が微かに耳に届く。

 

「さながら、地獄のオーケストラといったところか。君の最後を飾るには実に相応しい。残り少ない時間をガールフレンドとじっくり味わいたまえ、工藤新一……」

 

 

 

 




スケジュールの変更である程度私生活に余裕ができたので、ちまちま書いていたのを一気に書き上げました。
ただ、今回で時計じかけの摩天楼を終わらせるつもりがやっぱり長くなってしまいました。イマイチ良い感じに区切れる所も見つからなかったので小出しに投稿していきます。

さて、ペルソナ5はアニメが放送開始し、コナンも今映画が公開中ですね。
ゼロの執行人……梓さんが最高に可愛かったとだけ言っておきます。










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FILE.32 時計じかけの摩天楼 六

 薄暗い中、揺れが収まったのを見計らって目を開けた暁は、自分の下にいる青子に大丈夫かと声をかける。

 

「え? う、うん……」

 

 青子は戸惑いの目を見せつつも、こくりと頷いた。

 

 背中にかかった小さな瓦礫を払い、青子に手を貸しつつ立ち上がる。埃と塵が立ち込めているせいか、咳き込む声が周囲から聞こえてくる。生存者がまだ他にもいるようだ。

 蘭は無事だろうか? 暁は辺りを見回してみたが、蘭の姿はどこにも見当たらなかった。まさか……と思ったところで、積み重なって壁となっている瓦礫の山が目に入る。

 

 もしかしたら、この瓦礫の向こう側にいるのかもしれない。暁がそう考えた矢先、青子が瓦礫の向こう側へ向けて呼びかけた。

 

「あのー! 誰か、いますかー!?」

「――いるわ! こっちは大丈夫!」

 

 その呼びかけに答える声が返ってくる。蘭だ。無事であったことに暁は心の中で胸を撫で下ろす。

 

「貴方、さっきの子よね!? そっちは、新一は無事!?」

 

 蘭が瓦礫越しに新一――暁のことを聞いてくる。

 

「えっと、無事だけど……その、やっぱり人違いだと思う!」

 

 どう返したものかと暁が思っていると、代わりに青子が答えた。

 

「そんなはず……だって――」

 

 戸惑うような蘭の声。その時、どこかから電話の着信音が鳴り始めた。瓦礫の向こう、蘭のいる方から聞こえる。ロビーに置かれた電話からだろう。足音が響き、遠のいていく。蘭が電話に出るために向かったようだ。

 

 改めて周囲を見渡す。どうやら、暁達はロビーの入り口付近にいるようだ。その入り口もまた瓦礫が重なって壁となっているが、こちらは脱出する隙間はありそうである。

 入り口側には暁と青子以外誰もいない。ほとんどの者は蘭と同じくロビー側に閉じ込められているようだ。快斗は恐らく、入り口の向こうにいるのだろう。

 

 暁は襟に忍ばせたスピーカーフォンで快斗の安否を確認しようとした。しかし、そこで青子がこちらをじっと見つめていることに気づく。その視線を受けて、暁は黙って彼女と顔を合わせる。

 

 

「……貴方、快斗じゃないわね?」

 

 

 しばし沈黙した後、暁は小さく溜息を吐いた。

 先ほど暁自身の声で話したせいだろうが、例えそうでなくともいずれ気づかれていただろう。こういう時の女性は妙に勘が鋭いものだ。

 

「さっきの子が言ってた……新一って人でもないわよね?」

 

 気まずげに頷いて答える暁。

 青子は特に怒りもせずに「そう……」とだけ呟く。 

 

 その時、再び別の場所で爆発が起きたのか、ビルが地響きを起こした。

 今度は天井が崩れ落ちることはなかったが、小さな瓦礫と塵埃が暁達を襲う。咄嗟に暁は青子を抱き寄せてその場に伏せた。蘭のいるロビー側から悲鳴が耳に届く。

 

 しばらくして、揺れが収まった。

 蘭や他の客も助けたいが、この瓦礫は崩すのは無理だ。それ以前に崩そうとすれば逆に危険だろう。レスキュー隊がどうにかしてくれるのを期待するか、あるいは……

 とにかく、青子だけでも早く脱出させなければ。暁は青子を起こそうとした。しかし、彼女は床に塞ぎ込んだまま立ち上がらない。

 

「……ぐすっ……快斗……」

 

 彼女は、泣いていた。

 嗚咽を漏らしながら、小さく快斗の名前を呼んで助けを求めている。

 

 暁は彼女の肩に手を置いて慰めようとした。しかし、途中で肩に触れる前にそれを止めてしまう。

 

 

 

 ――これは、自分の役目じゃない。

 

 

 

 暁は着けていたマスクを投げ捨てて、傍らに置いてあった青子の手提げ袋を持ち上げた。袋の中身は予想通り、チョコレート。

 

「あっ……ちょ、ちょっと!」

 

 それに気付いた青子が動揺した顔を向けてくる。

 

 ――申し訳ありませんが、お嬢さん。この贈り物は私が頂戴いたします。

 

 暁のその言葉を聞いて、青子はハッとして目を見開いた。

 

「貴方、もしかして……怪盗キッド!? でも、それは宝石なんかじゃ……」

 

 女性の想いが籠った贈り物は、どんな宝石よりも価値があるものですよ。

 そう言い残して、足早に瓦礫の隙間を縫って入り口から廊下に出て行く暁。

 

「……あっ、待って!」

 

 青子は少しばかりその場で呆然としていたがすぐに我に帰り、床に転がる瓦礫に足を取られつつもその後を追い始めた。

 

 

 

 

 廊下に出て少ししたところで、暁は急いでいる様子の快斗と鉢合わせた。暁達の元へ向かう途中だったのだろう。彼と一緒にいたモルガナも暁の姿を見て安心した顔を見せる。

 

「アキラ! 無事だったんだな!」

「わりぃ、マイクどっかに落としちまって探すのに手間取ってたんだ! ……それで、青子は?」

 

 暁は快斗の問いには答えず、持っていた手提げ袋を快斗に押し付けた。

 

「っと……何だよコレ?」

 

 疑問の声を上げる快斗。

 

 ――本来の持ち主の元へ戻すのが、怪盗キッドなんだろう?

 

 それに、この宝石は自分が持っていても価値はない。そう言って、暁はモルガナに目配せをしてそのまま快斗の脇を通り過ぎようとする。

 

「あ、ちょっと待てよ! このビルを爆破しやがった犯人は恐らく――」

 

 快斗の言葉を、暁は分かっていると言って遮った。

 

「……なら話は早い。奴はこのビルを完全に破壊することが目的のはずだ。つまり、まだ爆弾は残ってるってことなんだよ!」

 

 頷く暁。

 それはこちらで何とかする。お前は自分の心配をしろ。もうすぐ彼女がここに来るぞ。

 

「……は? ちょ、彼女って――おい、このガキの姿じゃ会えねぇだろ!」

 

 快斗がバタバタと慌て始める。

 

 問題ない。

 そう言うと、青白い光が暁を包む。

 

 快斗の変装をしていた暁の姿は、瞬く間に怪盗(ジョーカー)のそれへと変化した。

 

 

 

 

 ――もう訳分かんない! 頭がパンクしそう!

 

 青子はこんがらがる頭を必死に抑えながら、廊下を目指して瓦礫の隙間を潜る。あの怪盗はスルリと潜っていたのに、青子は予想外にも手間取っていた。

 快斗がちゃんと待ち合わせ場所に来てくれたと思ったら、でも実は快斗じゃなくて、正体はまさかの怪盗キッド。それだけならまだしも、あろうことかそのキッドは青子が快斗のために作ったチョコレートを持ち去ってしまった。

 

(どうしてキッドが私のチョコレートを? いや、理由なんてどうでもいいからとにかく返して欲しい。あれは、快斗のために作ったんだから!)

 

 青子は無我夢中で身体を動かし、ようやく瓦礫の中から廊下へと抜け出すことに成功した。乱れた息を整えつつ、立ち上がってキッドを追いかけようと顔を上げて走り出す。

 

「――わっ!?」

 

 と、そこで眼前に人がいることに気づき、思わず仰け反る。

 目の前には立っているのは、快斗であった。もちろん子供の姿ではない、いつもの快斗だ。しかし、先程のこともあってキッドかと身構える青子。

 

「良かった! 無事だったんだな青子! 遅刻しちまって急いでたらこんな大惨事になっちまって……」

 

 だが、心底安心という様子を見せる快斗に、青子は快斗本人だとすぐに理解する。

 

(……ちゃんと来てくれてたんだ、快斗)

 

 青子はこんな状況にも関わらず、それが嬉しくて顔をほころばせる。

 

「あっ、そうだ。これ――」

 

 と、快斗が持っていた手提げ袋を差し出した。

 

「っ! それ、キッドに盗られた私の……」

 

 袋を見た青子がそう声を漏らす。

 

「やっぱオメーのか。オレが取り返しといてやったぜ。感謝しろよな」

 

 ぶっきらぼうに答える快斗。青子は少し驚きつつも、「あ、ありがとう……」とそれを受け取ろうとする。 

 しかし、快斗はわざとらしく青子の手を避けて袋を取れないようにした。

 

「ちょっ……快斗!」

 

 怒る青子を余所に、快斗は袋に何が入ってるのかと手を突っ込む。そして、取り出されたのは丁寧に包装された箱。

 

「これは……」

「えっと、その……今日、バレンタインデーだから」

 

 顔を真っ赤にした青子が誤魔化すように続ける。

 

「い、いつもは学校で色んな子からクレクレってせがんで食べ飽きてるだろうけど、今年は休日だし、どうせ一つももらってないんだろうから――」

 

 早口で捲し立てる青子の唇を、快斗が人差し指で止めた。

 

「……確かに、コイツはオレにしか価値がない宝石みたいだ。ありがとな、青子」

 

 いつもと違う真剣な顔付きの快斗に、青子は先ほどとは違った意味で赤面してしまう。

 

「……うん」

 

 その時、青子が通ってきた瓦礫が崩れ始めた。青子の腕を抱いてそれを避ける快斗。

 

「ヤベッ! とにかく、早くこっから出よう!」

「でも、まだ中に人が……」

「オレ達だけじゃどうにもならねぇ! レスキュー隊に任せるしかない!」

 

 後ろ髪引かれている青子の手を取り、快斗は瓦礫を避けてビルの外を目指した。

 

 

 

◆◇◆◇◆◇◆◇

 

 

 

 快斗達が脱出を開始したその頃、ジョーカーとモナは既にビルの外に出ていた。一階に出さえすれば、脱出は比較的容易であったのだ。

 外では消防士達が懸命にビルの消火を試みている。何人もの怪我人が担架に乗せられて救急車に運ばれているのも見えた。怪我人が多すぎて、手が回っていない様子だ。

 その光景を見て沈痛な思いをしつつも、ジョーカー達は見つからないように素早い動きで移動する。

 

「それで、この空間についてだが……お前が擬似認知空間を展開させたわけじゃないんだな?」

 

 モナの問いにジョーカーは頷く。

 そう、こうして彼らが怪盗姿に変身し、快斗が元の姿に戻ることができたのは、ジョーカーがアルカナの力を使って疑似認知空間を展開したからではない。爆破が起こる前、立ち眩みを覚えたあの時にこの空間がこの周辺一帯を覆ったのだ。こほぼジョーカーの疑似認知空間と同質と言っていいが、ジョーカー以外の者がそれを展開したという事実が問題なのである。

 

 そうやってモナと会話を交わしながら場所を移動している最中、ジョーカーは目暮警部の姿を見つけた。数台のパトカーも見える。近くの物陰に隠れて様子を伺うと、警部とその部下である白鳥警部補の会話が聞こえてきた。

 

「まだ見つからんのか! 工藤君が言っていた場所はちゃんと探したのか!?」

「そ、それはもちろん。しかし、その……どういうわけか分からないのですが、向かった部下達がなぜかビルの中が迷宮になっていて奥に進めないと……」

「何を訳の分からないことを言っているんだ! とにかく、何が何でも見つけるんだ!」

 

 必死な形相の目暮警部の言葉を受けて、白鳥警部補は急いでパトカーに乗り込む。

 

「全く、肝心の工藤君とは連絡がつかないし……森谷教授は見つからない。一体どうなっているんだ……!」

 

 やはり、この爆破事件の犯人は森谷教授のようだ。このビルも完全な左右対称(シンメトリー)にはなっていなかったのだろう。黒幕が彼だというコナンの推理は正しかったのだ。

 モナの鼻を使って教授の居場所を探ろうとしたところで、ジョーカーのスマホが振動する。

 

『マイトリックスター、今どこにいるのですか?』

 

 出ると、相手はラヴェンツァであった。丁度連絡を取ろうとしていたところだ。米花シティビル前にいると伝え、そういうラヴェンツァは一体今どこにいるのかと聞く。

 

『近くにいるのですね。私と梓は今、米花シティビルの地下一階にいます』

 

 予想外の返事にジョーカーとモナは驚く。まさか、彼女もこのビルに来ていたとは。しかも梓と一緒に。

 エレベーターは動かず、一階へと続くエスカレーターは瓦礫で埋まって登れない。非常口の扉もひん曲がってしまって開けられない状況にあるらしい。今はスタッフと他の客が力を合わせてその扉を何とかしようとしているようだ。

 ペルソナで何とかできないだろうか? 今召喚が可能なことはラヴェンツァも把握しているはずだ。

 

『もちろん、私もそう考えましたが……肝心の扉をどうにかしようとしている者達が邪魔でペルソナによる魔法を使おうにも使えない状況なのです』

 

 確かに、それでは無闇にペルソナを使えない。構わず使ってしまえば、巻き込んでしまうのがオチだろう。

 ジョーカーはモナにラヴェンツァ達を助けに向かってくれと頼んだ。瓦礫ならともかく、扉ぐらいながらペルソナで何とかできるだろう。それに、確か蘭が閉じ込められているロビーも非常口に繋がっていたはずだ。もしかしたら、蘭も助けられるかもしれない。

 

「分かった。だがジョーカー、お前一人で大丈夫なのか?」

 

 モナはジョーカーのことを心配した。彼が今から向かうところは、この爆破事件を起こした犯人の元なのだから。

 大丈夫だと答えるジョーカー。それに……と目を閉じて思い浮かべる。変わり者だが、真の芸術家であると誇れる仲間のことを。

 

 こんなことをしでかす人間を、芸術家などとは断じて認めない……!

 

 

 

◆◇◆◇◆◇◆◇

 

 

 

 紙袋を片手に持ったラヴェンツァはジョーカーとの電話を切ると、傍で非常口の扉をこじ開けようとしている人達を心配そうに見つめていた梓に声をかけた。

 

「暁お兄様と連絡が取れました」

「えっ、ほ、本当に? よく繋がったね。私の方は全然繋がらなくて……」

 

 梓は電波が混雑しているこの状況で電話が繋がったことを驚きつつも、暁と連絡が取れたということを聞いて少しばかり安心したような顔を見せた。

 梓はラヴェンツァの目線の高さに合わせるために腰を下ろし、彼女の小さな手を両手で優しく握って語り掛ける。

 

「大丈夫だよ、ラヴェちゃん。きっと助けが来るから、心配しなくていいからね」

 

 しかし、梓の両手は小刻みに震えていた。彼女も他の客同様、怖くてしょうがないのだ。当たり前だ。こんな状況、例え初めてでなかったとしても慣れるものではない。それでも、身近な大人として子供であるラヴェンツァを不安にさせまいと、懸命に恐怖と戦っているのだ。

 ラヴェンツァは持っていた紙袋を床に置き、その震える手に空いたもう片方の手を置いた。

 

「大丈夫です。必ず、助かりますよ」

 

 いつもの凛とした顔でそう答えるラヴェンツァに、梓は数瞬呆けてしまう。

 

(この子はこんな状況でも変わらないなぁ……)

 

 梓はラヴェンツァが傍らに置いた紙袋に目をやった。そして、ラヴェンツァに悪戯げな笑みを向ける。

 

「早くこんなところから抜け出して、暁君にチョコを渡さないといけないもんね」

「は、はい……」

 

 ラヴェンツァは少しばかり顔を赤らめつつも、こくりと頷く。

 

 その時だった。非常口の扉をこじ開けようとしていた者の一人が、扉に体当たりをかました。その衝撃が伝わった影響か、丁度ラヴェンツァと梓のいる場所の天井のヒビが大きく割れ、そのまま瓦礫となって二人の頭上目掛けて落下し始めた。

 

 

「――ラヴェちゃん!」

 

 

 梓が咄嗟にラヴェンツァを抱きかかえ、そして――

 

 

 

◆◇◆◇◆◇◆◇

 

 

 

 米花シティビルの騒動とは打って変わって、暗く静かな階段に急ぐ足音が響き渡る。

 モナと別れたジョーカーは、モナの嗅覚によって特定した標的(ターゲット)の居所――米花シティビル近くのオフィスビルの階段を駆け登っていた。

 

 このビルは、どうやらパレス化しているようだ。標的(ターゲット)である森谷教授が尋常ならざる歪みを持っている証拠である。

 しかし、このビルが森谷教授と関係のある建物とはとてもじゃないが思えない。元の世界の例からして、パレス化の対象は標的(ターゲット)の活動拠点などが主となっている。紅子の時は彼女の屋敷がパレス化の対象となっていたので、これは法則通りと言えるだろう。

 歪みの大本はオタカラにある。そして、こちらの世界では標的(ターゲット)自身がオタカラを持っていることが多い。もしかしたら、そのためにパレスと化す場所が固定化されることはないのかもしれない。

 

 そしてこのパレス、森谷教授の趣向に沿って内装がことごとく左右対称(シンメトリー)となっている。まるで森谷教授が設計し直したかのようだ。十中八九、教授自身の歪んだ欲望による影響だろう。

 何度か警察が侵入を試みようとしていたが、迷いに迷って気が付いたら外に出ているということを繰り返していた。これまでに経験してきたパレスと同様、迷宮のような構造になっているからである。

 

 ジョーカーは非常口の扉から直接侵入したのだが、先の警察のように迷うことはなかった。それは侵入経路が理由ではないだろう。もちろん、サードアイが使えるからというわけでもない。

 

 恐らく、呼ばれている(・・・・・・)のだ。

 

 

 

 

 やがて最上階に足を踏み入れ、ビルの屋上へと出る扉の前に辿り着く。

 

 モナのような嗅覚がなくても分かる。この先に、標的(ターゲット)がいる。

 今までの標的(ターゲット)とは毛色の違う歪みを持った相手だ。金や名誉、権力などといった分かりやすい欲望からの歪みではない。自らの芸術心という、他者からは理解されない類の歪みだ。簡単にはいかないかもしれない。

 しかし、だからといって立ち止まるわけにはいかない。快斗が言ったように、まだビルを完全に崩壊させるだけの爆弾が用意されているはずなのだ。彼を改心させれば、それを解除させることができるかもしれない。

 

 ジョーカーは意を決し、扉を開けようとノブに手を掛けた。

 だが、かかりが悪くなっていたのか、扉はジョーカーがノブに手を触れただけで独りでに開き始めた。まるで、向こう側から開けられたかのように、ゆっくりと。

 

 視線の向こうに、煙草の煙を燻らせている背広を着た男の背中が見える。

 

 

「――待っていたよ。心の怪盗君」

 

 

 男――森谷教授は、咥えていたパイプを口から離しジョーカーの方へと振り返った。 

 予告状を出していないにも関わらず、まるで来るのを知っていたかのような口振りだ。ジョーカーはドミノマスクの下で僅かに眉を潜めた。

 

 この空間(・・)は、お前の仕業か? ジョーカーの問いに、教授は口端を歪める。

 

「……ノーコメント、と言っておこうか」

 

 クツクツと笑う教授。彼自身にジョーカーと同じ能力があるわけではなく、バックに誰かがいるということだろうか? いや、今はその辺りを気にしている場合ではない。

 まだ爆弾は残っているのか? と問い詰める。

 

「もちろん。タイマーが0時になると爆発する仕掛けの、一番デカい奴をね」

 

 やはり、爆弾はまだ残っているようだ。

 

 ……そういえば、コナンの話では教授は自分の作品に責任を持たなければならないと言っていたらしい。

 これがお前の責任の取り方なのか? ジョーカーが再び問う。

 

「その通りだ」

 

 教授は笑みを絶えさせず続ける。

 

「建築に愛は必要ない。生みの親である私が子供(さくひん)をどうしようと勝手だろう? 最も、バブルの崩壊などというくだらん理由で出来損ないの失敗作に成り果てたアレを、子供と思ったことなどないがね。巻き込まれた者達は……まあ、運が悪かったと思って諦めてもらおうじゃないか」

 

 ビルを爆破し大勢の死傷者を出したにも関わらず、一切悪びれもしていない。己の完璧主義な建築精神のためなら人の命など露ほども考えない目の前の男に、ジョーカーは拳を握りしめた。

 

「ところで、予告状も無しに現れるというのは怪盗としてマナー違反ではないかね? 加えて、来たのは一人だけ。お粗末に過ぎるな。心の怪盗団というのは」 

 

 嘲笑うよう教授をジョーカーはその紅い目で睨みつける。

 生憎、形式に従っているほど余裕のある状況ではない。予告が欲しいというなら、今ここでくれてやる。ジョーカーは赤い手袋を直し、告げる。

 

 お前のその歪んだ欲望を、頂戴する――!

 

 

 




今更ですが、ラヴェンツァの口調って難しいんですよね。P5本編で出番が少なかったのもあってイマイチ把握し切れなくて。

P5Dのラヴェンツァの紹介映像を見ると大人びた感じですし、マーガレットに対してあの反応するところからして、恐らく常識人枠なのかなと。

本作のラヴェンツァは全体的に丁寧口調で堅苦しい感じですが、特に修正はせずこのままで行こうと思います。










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FILE.33 時計じかけの摩天楼 七

 パラパラと小さな瓦礫屑が床を鳴らす中、倒れ込んでいた梓はきつく閉じた瞼を開けた。

 

「……だ、大丈夫? ラヴェちゃん」

「……はい、大丈夫です」

 

 梓は自分の下にいるラヴェンツァの安否を確認し、特に怪我がないことにほっと心の中で胸を撫で下ろす。

 床に手を突き、上半身を起こす梓。ふと、瓦礫の落ちてきた背後を振り返ってみる。

 

 瓦礫は粉々に砕け、まるで梓達を避けていったかのように辺りに散らばっていた。

 

 その光景を見て、梓は首を傾げた。落ちてきた瓦礫は、確かに複数の人間を容易に潰せるほどの大きさだったのだ。ということは、梓達の元へ落下してくる前に砕けて四散したということである。だが、自然にそんなことが起こるとは考えにくい。

 梓は自分の下から退いて立ち上がり服に付いた瓦礫屑をはたき落としているラヴェンツァを見やる。瓦礫屑を落とし終えた彼女は顔を上げたところで何かを見つけたのか、その大きな瞳を見開かせた。

 

「あっ……」

 

 見ると、そこには四散した瓦礫に潰された紙袋があった。ここに来た目的――暁のために買ったチョコレートが入っていた紙袋だ。ラヴェンツァはすぐさま瓦礫をどかそうとしたが、非力な少女の力ではそれも徒労に終わってしまう。

 

 ラヴェンツァの人形のように綺麗な顔に影が差す。梓はそんな彼女の頭を撫でて、励ました。

 そうだ。こんな子供に何ができるというのか。魔法でも使えなければ無理に決まっている。梓は頭を横に振り、くだらない疑惑を放り捨てた。

 

「痛っ」

 

 そこで、梓は痛みに声を漏らす。どうやら、瓦礫には当たらなかったものの足をくじいてしまったようだ。

 

「だ、大丈夫ですか!?」

 

 少しばかり離れた場所にいた人達が声を掛けてくる。非常口の扉をこじ開けようとしていた人達も扉から離れて梓達の元へ駆け寄ろうとした。

 刹那、非常口の扉が向こう側から強い衝撃を受け、枠から外れた。厚みのある扉は重力に従ってゆっくりと傾き、バタンと大きな音を鳴らして床に倒れる。

 

「…………や、やった! 開いたぞ!」

 

 一瞬の間を置いて状況を理解した人々は、唯一の出口が解放されたことに歓喜し、我先にと非常口から外を目指して駆け出し始めた。

 その先、非常口の向こうには、レスキュー隊の隊員達が驚きの顔で立っていた。

 

「レスキュー隊が扉を開けてくれたのか!」

「ありがとうございます! 本当にありがとう!」

「い、いえ、自分達が来た時には既に扉は開いていたのですが……」

 

 感謝の声を上げる人達に対して、隊員達は困惑気味にそう答えている。が、助けられた人達はその言葉を耳に入れることはなかった。

 

「私達も行きましょう。ラヴェちゃん」

 

 遅れて、梓もラヴェンツァの手を取って非常口から出ようとする。くじいた足が痛むのか、足を引きずっている。

 非常口を抜けた先で、ラヴェンツァは瓦礫の影から出てきた黒い影を見つけた。モルガナだ。

 

「まあ、モナちゃん! どうしてここに!?」

 

 梓も猫の姿のモルガナを見つけて、驚きの声を上げる。

 

「……暁君がレスキュー隊の人達を呼んでくれたのかな?」

 

 モルガナを抱き上げながら、そう口にする梓。

 ラヴェンツァは目を閉じ、フッっと笑みを浮かべるのであった。

 

 そこへ、レスキュー隊の話し声が聞こえてくる。

 

「‥…五階の方に向かったチームから連絡はあったか?」

「はい、たった今。また新たに天井が崩れた影響で、予定のルートからの救助は難しくなったと。我々非常口側からの方が早く到着できるかもしれません」

「よし、二名はこの人達を外まで誘導しろ。それ以外は私と一緒にこのまま瓦礫を除去しながら上へ向かう」

 

 どうやら、まだ五階の方に閉じ込められた人達の救助はできていないらしい。暁の話では、その中に蘭もいるはずだ。だが、現場に到着するまでもうしばらく時間がかかる見込みのようである。

 ラヴェンツァはモルガナに目線を向けたが、彼は首を横に振った。ペルソナを使えば力押しでどうにかできるが、そうすると派手に瓦礫を崩すこととなる。自分はおろか、レスキュー隊も危険に晒すことになってしまう。ここからは、専門家であるレスキュー隊に頼る他ないし、その方が確実だろう。

 

 

 

 

 誘導を担当する隊員の後に付いていき、ラヴェンツァ達はようやく外へと脱出を果たすことができた。

 

「おーい!」

 

 一人一人、怪我を負っている人を優先的に救急隊員達が担架を使って運んでいく中、ラヴェンツァ達に声をかける者が現れる。それは、先に脱出していた快斗と青子であった。梓は幼児化した快斗の姿しか見たことがないので、小首を傾げている。

 

「ラヴェちゃん、知り合い?」

「ええ、まあ」

 

 快斗は青子の手を握ったままラヴェンツァ達の元まで駆け寄ってきて言葉を交わす。彼らが脱出に成功した後で先程のレスキュー隊が話していたように再び天井が崩れ、五階へのルートが完全に塞がれてしまったらしい。間一髪だったのだ。

 

「しかし、嬢ちゃんも閉じ込められてたなんてな」

「あれ、貴方確か……快斗、この子のこと知ってるの?」

「まあ、ダチの妹みたいなモンっていうか……それより――」

 

 快斗はラヴェンツァの足元にいるモルガナを見て、その顔付きを真剣な物にさせる。ラヴェンツァもモルガナもここにいるということは、今暁は一人で戦っているのだ。

 

「梓。私達は先にポアロへ帰ります」

 

 モルガナが抱えられていたラヴェンツァの腕から飛び降り、ラヴェンツァ自身もその後を追い始める。ポアロへ帰ると言っているが、恐らく暁の元へ向かうつもりなのだ。

 

「え? ま、待ってラヴェちゃん!」

 

 もちろん、梓はそれを止めようとする。

 

「貴方は足をくじいているのですから、病院へ連れて行ってもらった方がいいです。私達は特に怪我はしてませんし、大丈夫ですよ」

「でも……」

 

 それでも渋る梓にラヴェンツァは振り返り、目を細めて微笑んだ。

 

「今日はありがとうございます。バレンタインのチョコレートは結局手に入りませんでしたが、とても有意義な時間を過ごせました」

 

 そう礼を言うラヴェンツァの微笑みは、子供のそれではなかった。まるで自分より年上、いや、遥か高みから見守っている女神か慈母のような、そんな気持ちにさせるような笑みであった。

 

「では……」

「――待って! ラヴェちゃん!」

 

 そのまま駆け出そうとするラヴェンツァを、梓は再び止めた。今度は引き留めようとしているわけではないと察したラヴェンツァが足を止めると、梓は鞄から何かを取り出しそれをラヴェンツァに手渡した。

 手渡されたそれを見て、ラヴェンツァは目を見開く。

 

「これは……ありがとうございます」

 

 そして、ラヴェンツァとモルガナは今度こそ走り出した。

 

 

 

 

 暁の元へと向かっていったモルガナとラヴェンツァを見て、快斗はそわそわと落ち着きのない表情を隠せないでいた。いてもたってもいられないというのが見て分かるほどである。

 

「……行っていいよ」

 

 そんな快斗を見てか、青子が口を開いた。快斗は予想外の青子の言葉に「え?」と呆けた声を出す。

 

「快斗がそういう顔している時はいつもそうだから。行かなきゃいけないところがあるんでしょ?」

 

 そんな青子の言葉に、快斗はしばし俯いて考える。

 そして、意を決したかのように顔を上げて青子の肩に両手を置いた。

 

「青子、オレ……多分このまましばらく戻ってこれないと思う」

 

 驚く青子に、母親のいるラスベガスでマジックの修行をするため、学校を休学するつもりだと告げる快斗。

 もちろん嘘だ。自分は嘘を吐き慣れている。だから問題ない。

 

 だが、吐き慣れているはずなのに、その胸はひどく傷んだ。

 

「――だから、待っててほしいんだ。他の誰でもない、お前に」

 

 それでも、この気持ちだけは本物だ。快斗はそれを言葉に乗せて伝えた。

 長い付き合いにも関わらず、今までに見たことのないような真剣な眼差しでそう言う快斗に、青子は胸の高鳴りを覚えながらもこくりと頷く。

 快斗はそれに笑みを浮かべ、青子の肩から両手を離す。

 

「絶対待ってろよ! オレがいねーと、オメー危なかっしくてしょうがねーからな!」

「ちょっと、危なっかしいって何よ!」

 

 と、戯けた調子に戻って煽る快斗に青子は憤慨する。そんな青子を笑いつつ、「じゃあな!」と快斗は背を向けて走り出した。いつもと同じように。

 

(これでいい。これでいいんだ)

 

 快斗は何度も自分をそう納得させながら、目的の場所を目指して全力疾走する。モルガナ達から場所は聞いていないが、快斗の頭脳を持ってすれば、かの高校生探偵のように場所を割り出すことは十分可能だ。

 

 ――今行くぜ、暁!

 

 

 

◆◇◆◇◆◇◆◇

 

 

 

 上空からビルのような形をした砲弾の雨が、柱を立てるようにジョーカーを襲う。

 それらを避けきったところで、今度は正面から放たれたそれに直撃してしまったジョーカーは、そのまま塔屋の壁に縫い付けられる勢いで叩きつけられてしまった。

 生憎、こういった物理的遠距離攻撃に対して耐性を持ったペルソナを今は召喚できない。血反吐を吐き、壁から崩れ落ちるジョーカー。

 

 そんな彼をつまらなそうに眺めるのは、悪魔としての身体を顕現させた森谷教授。

 その見た目は、どこからどう見ても建物のそれであった。教授の愛して止まないシンメトリー様式の城で、イギリスの古城がモデルだろうか。その中心に教授の顔の形がポリゴン調――まるでどこかの邪教の館の主のようだ――で浮かび上がっており、口に当たる所が正面玄関となっている。その後ろ、左右には一対のビルの形をしたオブジェが浮かび上がっていた。

 

 サイズからして本物と対比するとミニチュア同然であるが、全身鎧と言ってもいいその身体に傷を負わせるのは骨が折れる。

 しかも、苦労してダメージを与えても、見る見る内に破損した箇所が修復していく。まるで自らの理想である左右対称(シンメトリー)が崩れるのを拒むかのように。そのおかげで、相手は今だ無傷にも関わらずジョーカーは満身創痍状態だ。疑似認知空間と大差はないこの空間では、イシュタルのような回復に特化したペルソナを召喚できても力を存分に振るえず、体勢を立て直すのは難しい。

 

「つまらん。心の怪盗と聞いてどんなものかと期待したものだが、所詮はこの程度か。これでは話と違う。私の平崎氏ニュータウンの計画を台無しにした工藤新一の方がまだ楽しめたよ」

 

 膝を突きながらも教授を力強く睨みつけるジョーカー。しかし、絶対的優位な立場にある教授にとってはどこ吹く風である。

 教授の背後に控えていたビルのオブジェの一つがふわりと上昇し、まるで標準を合わせるかのようにその先端がジョーカーに向けられる。

 

「世間を騒がせた心の怪盗の最後がこんなあっけないものとは……怪盗も人の子ということか。そろそろ終わりにさせてもらおう」

 

 オブジェが砲弾となるべく、急速な回転が加わる。 

 

「だが、私にも慈悲はある。安心したまえ。お仲間もすぐに同じ運命を辿らせよう……それでは、さらばだ」

 

 弾丸が、発射された。超高速で放たれたそれは、標的であるジョーカーを撃ち殺さんと風を切り――

 

 

 

 ――横合いから飛んできた何かによって、真っ二つに分断された。

 

 

 

「何ッ!?」

 

 教授がその何かが飛んできた先を見やる。

 上空――疎らな雪が降る中、それに混じるかのように宙を漂う白い影。

 

「怪盗キッド……!?」

 

 どうやら、教授のビル砲弾を真っ二つにしたのは彼のペルソナによるもののようだ。そのままキッドはハンググライダーから手を放し、ジョーカーの前に颯爽と降り立った。

 

「ようジョーカー。随分苦戦してるみてーじゃねえか?」

 

 軽口を言うキッドにジョーカーはフッと笑みを浮かべ、痛みに耐えつつもゆっくりと立ち上がる。

 

 ――お前こそ遅かったな。もう少し遅ければ、一人で片付けてやるところだった。

 

 その返事にキッドは「それだけ元気ならまだ大丈夫そうだな」と笑う。そして、白と黒の衣装を纏った二人は並んで教授に対峙する。

 予想外の助っ人にさしもの教授も驚いたが、すぐに気を取り直してその正面玄関――口を動かした。

 

「まさか、キッドと手を組んでいたとは。宝石が専門なのではなかったのかね?」

 

 教授の姿が城そのものとなっていることに驚きつつも、キッドは不敵に口角を歪める。

 

「もちろん、盗ませていただきますよ。貴方のその歪んだ建築精神……この世で最も価値のない宝石をね」

 

 石で出来た眉を顰める教授。

 さすがキッド。いつも警察を相手に鬼ごっこをしているだけあって、人を煽ることに関しても一流だ。

 

「よかろう。ならば、今宵貴様らの怪盗人生に終止符を打たさせてもらおう。未来の設計図に、貴様らのような非対称(アシンメトリー)な存在は必要ないのだからな!」

 

 教授の歪みによる圧が増大したと同時に、彼の背後に控えていた一対のビル砲弾が二人目掛けて放たれる。直撃する直前で、二人共その場に伏せることでそれを避けた。

 間髪入れず、教授の背後に再び装填されたビル砲弾が続けざまに放たれる。ジョーカーとキッドはそれぞれ軽快な動きで砲弾の雨を避けつつ、言葉を交わす。

 

「それで、何も無抵抗に攻撃を受け続けてたわけじゃないだろ? 見た感じ奴のあのふざけた身体は並大抵の攻撃じゃ歯が立ちそうにない。何か打開策はあるのか?」

 

 キッドの言葉にジョーカーが答える。奴の身体にダメージを与えることができても、すぐに再生されてしまう。だが、奴は身体が崩れて左右対称(シンメトリー)の形状を保てなくなることをひどく拒んでいる様子であった。一度に複数の箇所を攻撃して左右対称(シンメトリー)を崩せば、再生を阻害させられるかもしれない。

 疑似認知空間内である以上、大規模な魔法は行使し辛い。故に、一人で一度に攻撃できる箇所は限られてくる。しかし、今ジョーカーは一人ではない。

 

「なるほど。オレ達二人でそれぞれ別の箇所を攻撃するってことだな」

 

 頷いて答えるジョーカー。ただ、それだけならいつも通りだ。今回のこれは、それぞれの攻撃をほぼ同時に行わなければならない。しかし、教授は冷静沈着で用意周到な男だ。下手に攻撃を仕掛けても対策されてしまいかねない。できるだけ相手の気を逸らしつつ攻撃に出たい。

 そこまで言うと、ジョーカーはキッドに耳打ちした。これから行う作戦を聞き終えると、キッドはニヤリと得意げに笑う。

 

「任せな。人を真似ることに関しては自信があるからな」

 

 

「相談は終わりかな?」

 

 教授が言葉を交わす二人の頭上目掛けて、上空からビル砲弾を叩きつける。二人はそれぞれ反対の方角に飛び退いて避けた。丁度、教授から見て左側にジョーカー。右側にキッドがいる状態だ。

 

 先程まで避けることに専念していた二人が纏う空気が変わったことに、教授は警戒心を強める。

 だが、どんな攻撃だろうと、この左右対称(シンメトリー)による防御壁を越えられることはない。私の芸術が怪盗などという存在に負けるはずがないのだから。

 

 

 

 ――ショータイムだ!

 

 

 

 掛け声と共に、二人が同時に駆け出し始めた。ジョーカーは右足から、キッドは左足から。

 教授はそれを迎え撃たんと身構えるが、徐々にその顔を驚愕の色に染め始める。

 

 

 ジョーカーとキッド、彼らはそれぞれ左右対称の動きをしながら向かってきているのだ。

 途中で前転宙返りなどの体操選手を思い浮かばせるアクロバティックな技を繰り出しつつ。

 

 

 もちろん、教授は戸惑いつつもビル砲弾による迎撃自体を行っている。しかし、それらも同じ動きで避けられてしまうのだ。二人を別のタイミングで攻撃すればいいのだろうが、二人の左右対称(シンメトリー)な動きに魅せられてしまっている教授の身体は単調な攻撃しかできない状態異常(バッドステータス)を引き起こしていた。

 彼らの怪盗衣装の見た目は教授が先ほど言ったように非対称(アシンメトリー)。しかし、色的な観点から見れば対照色だ。故に、それぞれがお互いの存在を引き立てているのである。

 

 気づけば、二人は教授の眼前にまで迫ってきていた。

 

「……ッ!」

 

 教授は渾身の力で身体に喝を入れて体勢を整える。そして、口を大きく開いて奥の手を起動させた。パワーが口内に収束し、光が溢れ始め瞬く間に広がっていく。

 今までその場を全く動かず、遠距離攻撃に徹底していた教授。それは何も、城という不動の身体に変化したからではない。奥の手である口からの光線攻撃を行うためにパワーを溜めていたのだ。

 だが、ジョーカーとキッドは構わず突き進む。

 

「馬鹿め! 喰らうがいい!!」

 

 教授の口がさらに開かれ、二人の身体が死の光に照らされる。

 

 

 ――その瞬間、教授の身体を魔法による攻撃が襲った。

 光の波動と、風の衝撃だ。

 

 

「なっ……ぐあぁあぁ!?」

 

 野太い悲鳴を上げて悶える教授。

 ベルベット(ラヴェンツァ)モナ(モルガナ)。今まで物陰に隠れていた二人が、魔法を放ったのだ。疑似認知空間上でも強敵に対して威力が出せるよう、機会を伺いながら魔力を集中させていたのである。そう、教授と同じように。

 魔法攻撃が教授の防御壁を貫くことはなかったが、それでも体勢を崩させるには十分な威力を発揮した。この絶好のタイミングを、ジョーカーとキッドの二人が見逃す理由はない。

 

「行くぞ! ジョーカー!」

 

 キッドの掛け声に、ジョーカーは頷いて仮面に手を添える。

 

 

 

 ア ル セ ー ヌ !

 ラ ウ ー ル !

 

 

 

 黒と白の怪盗紳士が現れ、漆黒の羽翼と純白の機翼が舞う。

 それぞれが愛銃を構え、その銃口を標的(ターゲット)の両目に叩きつける。ゼロ距離からの射撃。それは下手な物理攻撃よりも威力を発揮する、まさに一撃必殺(ワンショットキル)

 

 

 重なり合った銃声が、米花シティビルの騒ぎの影で人知れず鳴り響いた――――

 

 

 

◆◇◆◇◆◇◆◇

 

 

 

 ……ッ!?

 

 米花シティビル、その五階。

 米花シネマ1のロビーへと繋がる扉前で、江戸川コナンはハッと顔を上げた。そして、辺りを落ち着かない様子で見回す。

 

「……新一! ねえ、新一! どうしたの?」

 

 変形して開かなくなった扉を隔てて、ロビー側にいる蘭の声が届く。コナンは蝶ネクタイ型変声機を介して答える。

 

「なあ、今どこかから銃声が……」

「え?」

「……いや、何でもない」

 

 コナンは頭を横に振り、気のせいだと自分に言い聞かせた。今はそれどころではないのだから。

 

 そう、コナンと蘭は森谷教授が残した最後の爆弾の解体を試みていた。

 コナンが到着した時には既に残り四十分、そして今現在はたった残り五分の状態だ。だが、切らなければならないコードは後一本だけ。十分間に合う。

 

「よし。後は黒いコードを切れば完了だ」

「分かった。黒いコードね?」

 

 蘭は頷き、ハサミで言われた通り黒いコードを切った。

 

 額に流れる汗を拭い、緊張を抜くように大きく息を吐くコナン。

 無事に済んで良かった。もうこれ以上できることはないだろう。コナンが蘭と爆弾の解体を行っている最中、新たに天井が崩れた影響で上はおろか下へと続く階段も封鎖されてしまっている。故に自力での脱出は不可能。後はレスキュー隊の到着を待つ他ない。

 

 

 

「……新一。黒いコード切ったけど、止まんないよ? タイマー」

 

 

 

「な、何だって!?」

 

 コナンは驚愕に顔を染めた。

 蘭によると、まだ赤と青のコードが残っているらしい。クソッと思わず心の中で悪態を吐くコナン。教授は自分を嵌めるために、わざわざ爆弾の設計図を手渡したのだ。二本のコードを書かずにおいた設計図を。

 

「どうする? 二本共切っちゃおうか?」

 

 そんなことを言う蘭にコナンは「バカヤロウッ!」と声を上げる。恐らく、二本の内の一本はブービートラップ。切った瞬間に起爆させてしまうことになるだろう。

 

(どっちを切ればいい? どっちを……!)

 

 何のヒントもないこの状況では、どちらが正解か推測のしようがない。それでも、焦りで普段のように回らない頭を必死に働かせて考えるコナン。そうしている内にも、タイマーリミットは刻一刻と近づいていく。残りは、一分。

 

「……ねえ、新一」

 

 蘭に声をかけられ、コナンは慌てて変声機を手に返事をする。

 

「ごめんね、こんなことに巻き込んじゃって。私のせいだよね? 一人で舞い上がって、新一のこと映画に誘ったりしなければ…… 」

 

 その自嘲めいた蘭の言葉からは、諦めの感情が聴き取れた。

 そして、それはコナン――新一にも伝わる。張り詰めていた感覚が、消えていく。

 

「お前のせいじゃねえよ……」

 

 新一の身体から力が抜けてその場にドサリと座り込んだ。

 後数分と経たずに爆弾が爆発してしまうという状況にも関わらず、扉を隔てて背中合わせになった二人の心はとても穏やかな気持ちで包まれていた。

 

「……なあ、アレは持ってきてるのか?」

 

 新一の問いかけに蘭は「アレって?」と聞き返す。

 

「アレだよ、アレ。えっと…その……」

 

 何やら照れ臭そうに口を濁してはっきりしない新一。

 

「もしかして……チョコレート?」

「そうそうソレ!」

 

 それならそうとさっさと言って欲しいものである。蘭は素直じゃない新一にくすりと笑みを浮かべた。

 

「オメーが作ったのか?」

「まあ、一応……」

「甘いのか?」

 

 矢継ぎ早に質問してくる新一に戸惑いつつも、答える蘭。

 

「甘いけど……新一、コーヒー好きでしょ? だからちょっとだけ苦めにしてあるの」

 

 手間暇かけて作ってくれたようだ。蘭の返事を聞いて「そっか……」と呟く新一。

 そして、意を決したかのように顔を上げて口を開いた。 

 

「……蘭。好きなコード、切れよ」

「ええっ!?」

 

 驚いて思わず扉の方を振り向く蘭。

 

「でも、もし間違ってたら……」

「構やしねえよ。どうせそのままでも爆発しちまうんだ。だったら、一か八か運試しといこうぜ。オメー、昔からくじ運は良いだろ?」

「新一……」

「心配すんな。オメーが切るまでずーっとここにいるから……死ぬ時は一緒だぜ」

 

 新一の言葉を聞いた蘭はこくりと頷き、はさみを手に取った。

 残り三分ほどのタイマーを映す爆弾に目を落とす。

 

 

 

「もし死んじまったらさ……あの世でそのチョコ、食わせてくれよ」

 

 

 

 続けてのその言葉に蘭がハッと顔を上げたその瞬間、非常口の扉周辺の天井が崩れ始める。

 新一は咄嗟に飛び退いて瓦礫を躱し、蘭は瓦礫から逃れるために爆弾を抱えて扉から離れた。ロビー側からは完全に扉に近づけなくなってしまった。

 

「おい、蘭! 返事しろ!」

 

 新一はすぐさま扉に駆け寄り、蘭に声をかける。しかし、反応はない。スマホで連絡が取れないかとポケットを探る。

 それと同時に、轟音と共に下の階から積み重なった瓦礫を除去してレスキュー隊が現れた。

 

「おい、子供だ! 生存者を発見したぞ!」

 

 隊員達が新一――コナンを見て喜び騒ぐ。隊員の一人がそのままコナンを抱えようとする。

 

「待って! まだ中に人がいるんだ!」

 

 隊員の腕を払いながら訴えるコナンの言葉を聞いたリーダーらしき隊員が他の隊員に削岩機の準備を指示する。

 それを待っている間もその隊員が扉に体当たりしてみるが、歪んだ扉は大人の力を持ってしてもやはり開かない。助けが目の前まで来ているというのに、無情にも時間は過ぎていく。

 扉に手を突いた隊員が、溜息と共に言葉を零した。

 

「今日は家族と家で映画を見る約束をしてたってのに、この分じゃ帰れそうもないな……」

 

 隊員の言葉を耳にしたコナンの頭に、閃光が過ぎる。

 

 ――――映画?

 

 

 

『私、今度ここで新一と映画を見る約束してるんです! 赤い糸の伝説って映画なんですけど、その日はラッキーカラーも赤だからピッタリだと思って!』

 

 

 

 ……ヤバイッ!!

 

 その時、コナン達のいる階段室側の天井が完全に崩れ始めた。コナンは隊員に慌てて抱え上げられる。それを振り解こうとするが、大人の力には適わない。

 

「蘭! 赤を切るんじゃねぇ! 青を、青を切れぇ!」

 

 そんなコナンの必死な声も届かぬまま、残り十秒。蘭は一本のコードにはさみを向け……

 

 

 

 ――――切った。

 

 

 

◆◇◆◇◆◇◆◇

 

 

 

 両の目を潰された森谷教授は野太い苦痛の悲鳴を上げた。

 城壁が崩れるようにして教授の悪魔としての身体が掻き消え、入れ替わるようにして人間の身体に戻った教授が倒れ伏す。

 

「この私が、こんなコソ泥如きに……ッ!」

 

 床を這い呻っている教授の元に、暁が静かに歩み寄る。キッドにベルベット、モナもそれに続く。

 諦めて爆弾を解除しろ。ジョーカーがそう要求する。

 

「爆弾……? フフッ、爆弾か……」

 

 ジョーカーの要求を聞いた教授は、クツクツと笑い声を上げ始めた。

 

「何がおかしいんだ?」

 

 眉を顰めて問うキッド。

 

「……爆弾は解除できんよ。アレは遠隔操作できない設計になっているからな」

 

 ほくそ笑みながらそう答える教授の胸倉をジョーカーが掴み上げる。

 だったら、今からお前を連れて直接爆弾を解体しに行くまでだ。ジョーカーのその言葉を聞いた教授は、ますます笑みを深くさせた。

 

「無駄だ。もう爆発まで後三十秒しか残っていない」

 

 何だって!? ジョーカー達に衝撃が走る。

 ジョーカーは教授を乱暴に放り、キッドにハンググライダーで米花シティビルに向かえないかと投げかけた。だが、キッドは首を横に振る。ハンググライダーは紐で繋がっていて、既に回収しキッドのマントとして格納されている。しかし、今から向かってもとてもじゃないが間に合わない。

 

 キッドは焦った様子でスマホを取り出して操作し始める。恐らく、まだ米花シティビル近くにいるであろう青子に避難するよう連絡するつもりなのだ。

 梓は? とジョーカーがベルベットに問いかける。

 

「彼女は救急隊によって病院に向かっているはずですが……まだ米花シティビル周辺にいるかもしれません」

 

 それを聞いたジョーカーもスマホを取り出した。

 

「もう遅い。残り五秒だ」

 

 

「四」

 

 

「三」

 

 

「二」

 

 

「一」

 

 

 

 ジョーカー達が一斉に米花シティビルを振り返る。

 

 

 

 ………………

 

 …………

 

 ……

 

 

 爆発は、一向に起きなかった。

 

 

「そ、そんな馬鹿な……」

 

 教授は顎を外れんばかりに口をあんぐりとさせ、驚愕に震えている。

 どうやら、誰かが爆弾を解除してくれたようである。九死に一生を得た気分だ。

 

「……工藤新一め。私の計画は尽く奴によって台無しにされる運命なのか」

 

 教授の呟きを聞いてジョーカーは驚く。

 工藤新一、蘭の幼馴染である彼が爆弾を解除したということか。そういえば、環状線の爆弾事件でも彼が爆弾の在り処を発見していた。爆弾解除もできるとは、高校生探偵というのはどうしてこうも優秀すぎるきらいがあるのか。

 が、今そのことは後回しだ。ジョーカーは両手を床に突いている教授を見下ろす。

 

 ――確かにお前には芸術家としての才能があったのかもしれない。だが、人々を蔑ろにするような者に芸術家を名乗る資格はない。

 

 芸術とは、芸術家とそれを評価する者の数だけ意義が存在する。実際教授の作品を評価する人がいるからこそ、彼は今の地位に就いている。故に、教授にとっての芸術を否定することは自分都合な文句と言えるだろう。

 だが、ジョーカーは知っている。見る人が希望を見出だせる、そんな絵を描きたいと言った芸術家を。例えおこがましいと言われようとも、ジョーカーが教授を否定する理由はそれで十分であった。

 

「君は、私以外の芸術家を知っているようだな……」

 

 教授はじっとジョーカーの目を見つめ始めた。悪魔体で両眼を潰された影響か、視界は朧げだ。それでも、霞んだ視界の中でジョーカーの紅い瞳ははっきりと見えた。そこから見出だせるのは‥…強い意思の力と、希望の光。

 

「……芸術とは得てして独善的な物。しかし、同時に普遍的でもある。君の知る人物は実に良い芸術家のようだ……私のような失敗作とは違ってね」

 

 そう言うと、教授は懐から何かを取り出した。握られた手の指の間から光が漏れ、ジョーカーを照らした。

 

「持っていくといい。これが君の求めていた物だろう?」

 

 ジョーカーは光り輝くそれを受け取る。光が徐々に収まっていく中、急激にサイズが変わり始めたので慌てて両手で持ち直す。

 それは、もはや幻となった平崎市ニュータウンのジオラマであった。全体を見ると見事なまでに左右対称(シンメトリー)の形となっている街で、そこかしこに英国風の意匠が施されている。完成していれば、観光名所として賑やかになっていたことだろう。

 教授にとってこれこそが夢であり、人生最大の建築だったのだ。彼は建築に愛は必要ないと言っていた。だが、ジョーカーはその街からこれ以上ないほどの建築への愛を感じ取れた。

 

 彼は愛しすぎたのだ。そして、それが分からなくなるほど歪んでしまった。

 

 力が抜けたようにその場に座り込んでいる教授。

 展開されていた疑似認知空間が解けていくのが感じ取れた。やはり、この空間は彼の仕業だったのだろうか。それと同時にジョーカーも元の姿へと変化し、キッドは子供の姿へと戻った。キッド――快斗は溜息を吐いて小さな自分の身体を見ている。

 

「ふう……それで、ソイツがオタカラってヤツか? これで改心は完了したってことでいいんだよな?」

「ああ、その通りだ」

 

 快斗の問いに、モナが答える。後は教授が黒幕だと知っている様子であった警察に任せておけばいいだろう。

 

 ところで、お前は改心に関わっても良かったのか? と暁が快斗に聞く。

 快斗は改心行為自体にそこまで積極的というわけではなかったはずだ。マジックで人の心を楽しませるマジシャンの快斗が、無理矢理その心を盗むなんてことを肯定できないのも無理はない。

 

「おいおい、今更だな。同盟組んでんだ。だったら例え直接力を貸さなくても改心に関わってないなんて言えねえだろ……まあ、確かにこういうやり方で心を盗むのは気乗りしないけどな。そうも言ってられねぇ状況なんだ。とっくに覚悟はできてるさ」

 

 そう言って、快斗は暁の持っているジオラマをひょいっと持ち上げた。

 

「多分もうすぐ警察が来ると思うから、オレは先に帰らせてもらうぜ。オタカラは邪魔になりそうだし、とりあえずこっちで預かっとくからな」

 

 またな、とジオラマを抱えたまま去ろうとする快斗。

 

 お前にしか価値のないチョコレート、大事に食べろよ。

 暁が快斗の背中にそう投げかけると、ズコッと快斗が転げかける。快斗が用意したスピーカーフォンから彼と青子の会話がバッチリ聞こえていたのだ。

 

「オメーな! ……そのスピーカーフォン、さっさと処分しとけよ!」

 

 捨て台詞を吐いて快斗はビルから飛び降りた。そのままビル風を利用して飛び去っていくハンググライダーを、ジョーカーは感謝の念を込めながら見届けるのであった。

 

 

 

◆◇◆◇◆◇◆◇

 

 

 

 しばらくして、件のオフィスビルから警察に連行される教授の姿が現れる。

 大人しく従う教授に駆けつけた目黒警部は怪訝な顔を隠せない。工藤新一から彼が狡猾な計画犯罪を企てていた人間であると聞いていたからであろう。未だ雪の降る寒空の中、暁達はその様子を物陰から伺っていた。

 

「これで完了だな。正直に言えばバックに誰かいるのか調べたいところだったが……」

 

 モルガナの言葉に暁は頷く。彼の言う通りだが、教授を連れて一時的に身を隠す余裕はなかった。このような重犯罪では面会は無理だし、例えできたとしても職員が付き添いすることになる。少々危険ではあるが快斗に協力してもらって刑務所に忍び込み、連絡手段を手渡すのが最善かもしれない。

 

「……あの」

 

 ふいに、それまで後ろに控えてずっと黙っていたラヴェンツァが口を開いた。暁は彼女の目線の高さに合わせるために腰を下ろし、どうした? と返す。

 

「その、これを……」

 

 そう言って、ラヴェンツァは後ろ手に回していた紙袋を手渡してきた。彼女にしては珍しくまごまごした様子に首を傾げながらも、暁はそれを受け取る。

 中身を見てみると、中にはビニール袋に入った真っ黒な謎の物体が入っていた。これは? と聞く暁に、ラヴェンツァは眉尻を下げる。

 

「メレンゲショコラという物です。梓に協力してもらって作ったのですが……」

「ショコラ? 炭の間違いじゃ――」

 

 モルガナがラヴェンツァに蹴飛ばされる。

 どうやら、この謎の物体はラヴェンツァが暁のために作ったバレンタインチョコレートのようだ。メレンゲショコラと言っているが、とてもじゃないがそうは見えない。彼女の顔からして、失敗してしまったということだろう。

 

「……やはり、失敗作では駄目ですね。それは私の方で処分しておきます」

 

 居た堪れなくなったのか、ラヴェンツァは暁の手から黒い物体の入った袋を取り上げようとする。しかし、暁はそれを腰を上げることで制した。そして、袋から物体を一つ取り出して口に含む。

 

「あっ!」

 

 驚き、慌てて止めようとするラヴェンツァ。しかし、暁は硬そうにしながらもしっかりと咀嚼して飲み込んだ。

 確かに見た目はアレだが、味の方はなかなかどうして不味くはない。炭化していたのは表面だけだったようだ。苦味が増していて暁には丁度良い塩梅であった。失敗作も、捨てたものじゃない。

 

 すごく美味しい、ありがとうと暁が告げると、ラヴェンツァは顔を赤らめつつも微笑んで頷いた。

 

 

 

「――――おい、どうしたッ!?」

 

 

 

 突然、教授を連行していた警察達が何やら血相を変えて騒ぎ始めた。何が起こったのか、急いで暁達が物陰から顔を出して様子を伺う。

 それを見た暁達は、目を見開いた。

 

 

 

 教授が、白目を剥いたその両目から黒い涙を流して膝を突いていたのだ。

 

 

 

 鼻や口、穴という穴から黒い液体を流して倒れる教授。警察達は慌てて救急車を呼んでいる。

 

 ――これは、この現象は……

 

 

 

 暁達は、その様子をただ呆然と見つめることしかできなかった。

 

 

 

◆◇◆◇◆◇◆◇

 

 

 

 米花シティビルの騒ぎから遠く離れた駐車場。

 停められている内の一台であるイタリア車の運転席に金髪の白人女性が座って煙草を吸っていた。その女性の元へ、アルミケースとボロボロの紙袋を持った茶髪の青年が歩み寄り、車の助手席に乗り込む。

 

「……ちょっと、随分待たせてくれたじゃない。一体どこで道草食ってたのよ」

「すみません、途中で美味しそうなチョコレート屋を見つけまして。こう見えて僕、甘い物に目がないんですよ。あ、お一ついかがですか?」

「結構よ」

 

 そうですか、と美味しそうにチョコレートを頬張る青年に、女性は呆れ顔で見る。時刻は深夜零時を過ぎている。こんな時間に店などやっているはずもないのに、この青年は真面目に誤魔化す気もないらしい。

 

「今更だけど、貴方ってホントに変わった子よね。この前もそうよ。私の変装技術を体験してみたいとか何とか言って、わざわざ自分をメイクさせるし」

「いや、実に見事でした。いつもは女の子達に囲まれちゃって大変なんですけど、おかげで新鮮な気分で渋谷を回れましたよ。さすが千の顔を持つ魔女ですね」

 

 にっこりとした笑みで女性を褒める青年であるが、女性は溜息を吐いて灰皿に灰を落とす。

 

「私が聞きたいのは、貴方が頼んだ変装のモデルのことよ。なかなか可愛い眼鏡の坊やだったけど、結局誰だったの?」

 

 女性の疑問に、青年はチョコレートを食べる手を止める。そして、僅かに口端を歪めた。

 

 

 

「……僕の、友人ですよ。とても大事な、ね」

 

 

 




突然ですが、本作品に登場するオリジナルペルソナの簡易ステータスを考えてみました。


■ジョジーヌ(ラヴェンツァのペルソナ)
無効:祝福
弱点:呪殺
スキル:コウハ系、コンセントレイト

■ラウール(キッドのペルソナ)
耐性:念動
弱点:物理
スキル:サイ系、ワンショットキル


本当に簡易的ですが、こんなものですかね。
読んで分かるように本作品では魔法や技の名前は口にさせず、ゲーム的な部分をなるべく排除しています。なのでステータスもそこまで考えてはなかったのですが、まあせっかくなので。

次回は、またしばらく間を空くかと。
妃弁護士の話が書きたいのですが、さっさと話を進めようと思うととなかなか難しいですね。次回予定している話ではキッドじゃなくて紅子が沢山出るようになると思います。









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