槌を振いし職人鬼 (落着)
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古代編
一振り目


 

 カン!カン!と金属同士がぶつかり合う硬質な音が山間の空間に響く。音の出どころを探ると、それは山中にある切り立った斜面にぽっかりと空いた洞窟から。

 洞窟の脇、人の頭の高さの場所に小さな穴が二つ空いておりそこから白い煙がもくもくと流れ出ていた。

 煙と音の湧き出る洞窟へ額に一本の角を持つ屈強な大男がのっしのっしと歩を進めてゆく。洞窟の入り口にたどり着くと、その体躯に見合う豪快な声を中へと向けて発した。

 

「おい!! 煙灰(えんかい)!! いるんだろう!?」

 

 大男が煙灰と誰かの名を呼び叫ぶ。しかし、しばし待とうとも返事は聞こえない。ただひたすらに何かを打つ音が響くばかりだ。大男はイライラしていることを隠す事無く足でタンタンと何度も地面を打つ。

 

「煙灰!! おい、煙灰!! 聞こえているんだろ!! おい!!」

 

 とうとう大男がしびれを切らし、叫び声に怒気が混ざった。しかし、それでも帰ってくる音はカン!カン!という打ち付ける音のみ。大男の額に青筋が浮かぶ。良く見れば身体もフルフルと怒りに震えているようだ。一度大きく息を吸えばドシドシと態々地面を踏み鳴らしながら洞窟の奥を目指して進んでゆく。

 洞窟内は大男一人が何とか通れる通路になっており、反対側から誰か来てもすれ違う事は出来そうにない。大男がさらに奥へズンズンと進んでゆけば、そこは灯りのともった広い空間。

 広間の一角から未だにカン、カン、と音が響く。大男が視線を向ければ、背丈がおよそ170半ばほどで煙の様に白い髪をし、着流しを纏った男が火のくべられた窯の前で槌を振う。顔は背を向けているために確認することが出来ない。

 

「おい、煙灰テメェ返事位しやがれ」

「……フン」

 

 大男が着流しの男、煙灰に声をかける。すると煙灰は一度だけ振り向くと鼻を鳴らし再び槌を振い始めた。大男の身体からメキリと音がし、筋肉に力が入って身体がさらに一回り大きく膨らむ。口元の端がヒクヒクと小刻みに痙攣し、こめかみの青筋がまるで網の様に幾筋も浮かぶ。

 

「テメェ、いい加減にしやがれ! ぶっ飛ばすぞ!!」

 

 大男がもう我慢ならんと煙灰に向けて足を踏み鳴らし歩く。煙灰もそれを察すると一度めんどくさげにため息を吐き、手に持つ槌を脇の地面に叩き付け首を一度鳴らす。力のこもった一振りで槌は持ち手の半ばまで地面へとめり込んだ。煙灰は立ち上がり振り返ると口を開く。

 

「俺が槌を振っている時には入ってくるなと何べん言えば分かるんだ、塊清(かいせい)

「やっと口利きやがったな」

「テメェ、ふざけてっと殴り倒すぞ」

「おぉ良いぜ、来いよ。鬼らしくて清々すらぁ。こんな穴倉に籠りやがって変わり者が」

 

 大男、塊清が腕を大きく左右に開き手首を来い来いと招くように動かした。塊清の態度に今度は煙灰が青筋を立て怒りを表す。煙灰の様子に塊清はしてやったと笑みを浮かべ口元を歪めた。

 

「テメェみてぇな馬鹿には言葉じゃ分からねぇって事だな」

「変わり者に馬鹿と言われるなんざ気にいらねぇな」

「頭開いて刻み込んでやるよ」

「かっかっか、良いぜ来いよ穴倉小僧」

「鳥頭の筋肉ダルマが」

「んだと、ゴルァ!!」

 

 塊清は煙灰の挑発で身体に妖力をみなぎらせる。身体が熱を帯び、蒸気が立ち昇るかのように妖力が揺らめき塊清の周囲が陽炎の様に熱と妖力で揺らめく。

 煙灰はため息をもう一度吐くと、足元の草袋を取り上げると背後の窯に投げ入れた。塊清は煙灰の行動を見ると、声をあげて非難を示す。

 

「テメェ、それは汚いだろ!! 殴り合うんじゃねぇのかよ!?」

「誰も殴り合うなんざ言ってねぇよ。殴り倒すって言ったんだよ。殴られるのはお前だけだ」

「この、また屁理屈こねやがって!! しゃらく――」

「おせぇよ」

 

 煙灰がそう言えば草袋が燃え上がり、大量の白煙が広間へと立ち込め視界を塞ぐ。洞窟の外へと通じる通路と、排気用の二つの穴だけではとても処理しきれない白煙が広まった。

 塊清が跳びかかるよりも早く、煙灰は白煙へと紛れる様に姿を消す。塊清が先ほどまで煙灰のいた場所に拳を突き出すも、手に感じる感触は纏わりつくように重さを感じさせる煙のみだ。

 

「どこい――ぐぅ!」

「馬鹿が。煙の中で俺に勝てると思うなよ」

「能力なんて使いやが――がっ!!」

「頭を使え、頭を」

「テメェは身体を――あが!」

「口が減らねぇな、テメェは」

 

 まるで変わらない塊清の姿に対して、煙灰の浮かべる表情は笑顔だ。全く、面白い友人だと煙灰は思いながらも殴りつける拳は止めない。

 塊清が暴れられない様に煙灰は的確に抉る。自身の工房で塊清に暴れられたら折角作った品々が汚れてしまうからだ。

 その後、しばらく固いゴムでも殴りつける様なくぐもった音と、塊清のうめき声が白煙の中から聞こえる。

 ドサリと重い物が地面に倒れる音がすれば、あれほど広間を覆っていた白煙が嘘のように消えていく。

 大の字で倒れる塊清と、傍らに立ちながら着流しの帯に刺していた煙管を吹かす煙灰が姿を現す。

 

「まぁ、これで勘弁してやるよ」

「テメェ、マジで覚えていろよ」

「今日の日の入りまで覚えていてやるよ」

「マジいつかぶっ飛ばしてやるからな」

「その話、もうここ数十年は聞いている気がするな」

 

 煙灰は皮肉気な笑みを浮かべると、煙管を吹かして煙を吐き出す。塊清は煙灰の吐く煙を見ながら口を開く。

 

「煙を操る能力とか弱そうなわりになんでそんなに強いんだよ、ったく」

「使い方の問題だ。頭を使え塊清」

「頭を使え、考えろ。お前はすぐそれだな」

「当り前だ。何のために頭がついているんだよ」

「頭突きの為だろ」

「筋肉馬鹿め。それに能力だって弱かねぇよ」

「そうか?」

「煙ってのは空気に何かが混ざったもんだ。つまり、俺の白煙の中は俺の妖力の中ともいえる。そこで俺に勝とうなんざ一生分早い」

「チッ……あぁーあ、うらやましいぜ」

「能力は生まれつきのもんだからな、羨んだって仕方あるめぇ。後天的に絶対得られないとは言わんが奇跡でも起きなきゃ無理だろうな。んで、何の用があって来たんだよ?まさか殴られに来たわけでもあるまい」

 

 塊清は煙灰の言葉でやっと本題かとでも言いたげな笑みを浮かべ、身体を跳ね起こした。服に着いた土を払い落としながらも煙灰に向けて本題を告げる。

 

「煙灰、人間の所に行こうぜ」

「行かねぇ」

 

 塊清の誘いに対し煙灰の反応は有無を言わせぬ拒否。塊清は煙灰のあまりの即答にカクンと上体から力が抜けた。しかし、すぐさま背を伸ばせば再び煙灰に視線を向ける。

 

「どうせわけわからん物を作っているだけだろ」

「訳の分からんとは失礼なこと言いやがるな」

「わかんねぇよ。あぁでもアレは良かったな」

「どれだよ」

「酒の美味くなる杯だ」

「酒酒酒酒、ほんとお前らはそればっかだな」

「言っとくがお前の方が少数派と言うか、お前だけだぞ」

「いいんだよ。俺は道具を作っているのが性に合っているんだよ」

「たく、変わり者め。それで?今日は何をこねていたんだよ」

「こねるってガキの遊びみたいに言うんじゃねぇよ」

「あぁあぁ、悪かったって。そうすねるなよ」

「すねてねぇよ」

 

 煙灰は不満げな表情を浮かべると、踵を返して窯の前に戻ってしまう。窯の中にいまだ燻って煙を出す草袋を、能力を使用することで煙を操り窯の火を消して中身を取り出す。

 火の消えた窯に向けて口から煙を吐き、妖術を用いて火をともす。血の様に紅い火が窯で燃え盛り揺らめく。

 

「相変わらず煙灰の妖術の腕前には舌を巻くな」

「テメェらが下手すぎるだけだろ」

「鬼の中でというか、他の妖怪全部含めたってお前以上に術に秀でた妖はいねぇよ。俺が保証するぜ」

「けっ、お前に保障されたってうれしかねぇよ」

「ひねくれ者が。声が嬉しそうだぞ」

「頭がダメだと耳まで使い物にならなくなるんだな」

「口の減らねぇ野郎だな」

「嬉しそうな声出しやがって」

「カンカンやり過ぎて耳がイカれたのか?」

「うるせぇよ」

 

 煙灰は金床に置かれている金属の棒の端を煙で持ちあげ、窯へと移す。

 

「なんだそりゃ?」

「剣だよ」

「なんでまたそんな武器を作っているんだよ」

「作りたいからだよ。それ以外に理由なんてない」

 

 剣が妖炎にあぶられ、赤熱する。煙灰はじっと見極めるように剣を睨みつけて動きを見せない。ただでさえ釣り目気味で厳つい目つきがさらに凶悪さを増す。

 眉間に刻まれる皺がさらに深くなる。炎の様に鮮やかな緋色の瞳が燃え盛る妖炎を受けさらに赤々と鮮やかに染まり煌めく。

 

「どんな剣なんだそいつは」

「使い手の能力に呼応して力を持つ魔剣だ」

「へぇ、面白そうだな」

「中々術を焼き付け、刻み込むのが難しい」

「楽しそうだな」

「楽しいさ。難しいものほど俺の心は燃え上がる」

「お前生まれを間違えているよな」

「違わないさ。鬼の馬鹿げた妖力のおかげで作れているんだ。他の妖ならこうはいかない」

「最近他の妖怪がお前の作る道具を何て呼んでいるか知っているか」

「知らん」

「くくく、だろうな。鬼の宝だとさ」

「そいつは偉く吹くじゃねぇか」

「そうか?あながちウソでもないだろ」

 

 塊清の言葉に煙灰は返答をすることなく、真っ赤に輝く剣を取り出し槌を打ち付け始めた。目を凝らせば槌が打ち付けられるたびに、打ち付けられた箇所から波紋が広がる様に光が剣を駆け抜ける。まるで剣が脈打っているかの様に光が何度も何度も広がっていく。

 

「で、お前はいつまでそこで突っ立っているつもりだ」

「人間の所に遊びに行くつもりだったが興が削がれちまったよ」

 

 塊清は肩を竦めて応えるとその場の地面にドカリと座り込んだ。腰についている瓢箪を取ると栓を開け中身を煽り酒を飲む。

 

「かぁぁ、うまいぜ」

「ここで飲み始めるのはやめろ」

「いいじゃねぇか。それとも邪魔して欲しいか?」

 

 塊清がそう言えば煙灰は黙るしかない。煙灰は舌打ちを一つすると塊清を追い出すことを諦め意識の外へと締め出す。そうと決めれば気にしていても仕方ないと、意識を目の前の剣に注ぐ。

 塊清は静かに酒を飲みながら煙灰を見つめる。我が親友ながら変わった鬼だと思いながらも、そんな煙灰だからこそ友人をやって居られるのだろうと塊清は思う。

 しばらくの間、煙灰が剣を熱し、槌で鍛えることを繰り返す。そうして何度繰り返したのかもわからない程熱し、鍛えを続けると煙灰は槌を脇へと置く。

 

「お、出来上がりか?」

「いんや、最後の仕上げだ」

 

 煙灰はそう言うと煙管を一吸いして、ふぅと煙を口から吐き出す。吐き出された煙は煙灰の手に集まると彫刻刀の形を成す。煙灰が白煙に妖力を込めると淡く輝き、色がつく。見た目は青白く発光する彫刻刀そのもの。

 

「ほぉ、器用なもんだな」

「妖術と能力の複合技だ」

 

 煙灰は手に作り出した彫刻刀で剣に紋様を掘り込んでいく。塊清にはまるで理解できない幾何学模様が彫り込まれていく。

 観賞用として見るならば何かしらの芸術性を感じるが、鬼はそういった物に対する造詣は深くない。煙灰は剣の掘り込みを終えると首を左右に曲げ、コリをほぐす。

 そして、彫刻刀を自身の指先に向け斬りつける。傷が作られ、血が指を伝う。

 

「そんなことまでするのかよ」

「妥協をするくらいなら最初からつくらんさ」

「へいへい、職人肌でございますね」

「まぁ、見ていろよ。今こいつに命を吹き込む」

 

 血の流れる傷を掘り込んだ溝に沿うように動かす。剣の溝に血が広がってゆく。片面の溝に血がすべて溜まれば、剣を裏返し同じように血を流む。裏返した剣の溝からは血が零れることは無い。両面の溝に全て血を流しこむと煙灰は傷口に妖術を施し治療を行う。

 最後に煙管をもう一吸いして、吹きかけるように剣へとかけた。吹き付けられた煙が溝の血に纏わりつくように蠢き重なる。剣と血、煙が淡く輝くと血と煙が剣に染み込む様に消えていく。剣は自らの完成を知らせるように一度キーンと高音を発して明滅をする。

 

「完成だ」

「使ってみてくれよ」

「お前で試し切りしていいのか?」

「勘弁してくれよ」

「冗談さ」

 

 煙灰は立ち上がり剣の柄を握ると振り心地を確かめるように一度振う。振った感触がしっくり来て一度考え深げに頷くと、剣に妖力を流し込む。剣は淡い白色の光を纏うと煙が剣の溝から立ち昇る。洞窟の何もない石壁に向けて剣をふれば、溝から漏れ出る煙が幾筋の鞭のようにしなり石壁をバターでも斬る様に食い込む。

 

「うぅん、微妙じゃないか?」

「まぁ、これは基本的な物だからな」

「他にも使い方が?」

「たとえば火を操る様な能力持ちならば、この剣を使えばどれだけ熱しようと決して溶けない。ただの剣で同じことをしてもすぐに溶けちまうからな」

「はぁん?」

「あぁとな……凄く頑丈でどんな能力にも耐えうるって話だ」

「頑丈な良い剣って事だな」

「説明しがいの無い野郎だな」

「お前が小難しい理屈こねるからだろ」

「頭突き以外にも頭を使え」

「おう、気が向いたらな」

 

 塊清の予想通りの返答に煙灰は苦笑を浮かべ、近場にある布で剣をくるむと洞窟内の壁に無造作に放った。

 完成品をさほど大事にするわけではないいつも通りの煙灰の様子に塊清も苦笑してみせる。

 溢れ出る創作欲をぶつけるように道具を作成する、変わった(友人)に改めて興味を持つ。

 

「よくわからん奴だ」

「何がだ?」

「お前がさ」

「急におかしな野郎だな。酒の飲みすぎか?」

「いいや、足りねぇくらいさ」

「飲むか?」

「良いね」

「待っていろ」

 

 煙灰はそう言うと広間から出口とは別の場所、倉庫につながる通路へ姿を消す。

 

「おい、受け取れ!」

 

 通路の先から煙灰の声がすると、杯が飛来する。塊清はそれを慌てて掴み取り、不満を表す。

 

「ばっかやろう! 割れたらどうすんだ!!」

「俺の杯を俺がどうしようと勝手だろ」

「うるせぇ、知るか! 酒が美味くなる杯がどれだけ貴重だと思っているんだ!! やっぱテメェ筋金入りの馬鹿野郎だな」

「あぁもう、ぎゃんぎゃん喚くなやかましい」

 

 煙で酒の入った樽を持ちながら煙灰が通路から広間へと戻る。片手には大きな枡を手にして。

 部屋の中央まで来ると煙灰はドカリと座り、樽を脇に置いて枡でそのまま掬う様に酒を酌む。

 

「ほら、勝手に飲め」

「まぁ、俺が杯を使わせてもらうんだ。やかましくは言わんさ」

「酒を飲んでいる時くらいだな、お前が俺の言う事を聞くのは」

「酒がありゃ世は事もなしってな」

「くっくっく、違いねぇな」

 

 鬼らしく煙灰も酒に目が無い。こうして馬鹿話をしながら酒を飲める友人と好きなことが出来るこの洞窟があれば煙灰は満足だと口を綻ばす。塊清も楽しげな友人の様子に笑みを深めると酒を酌む。

 

「馬鹿な友人に」

「変わり者の友人に」

 

 杯と枡がぶつかる軽いカツンとした音が鳴り、酒宴が始まる。翌日、酔いつぶれた鬼二人が川べりで死んだように項垂れている姿が確認できたという。

 

 

 



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二振り目

まだ原作キャラは出ません
次位にはたぶん……


「あぁ……頭が割れそうだ」

 

 煙灰は浮かせた煙を椅子にして、煙管を片手に頭痛を堪えるように眉間を揉む。周囲は煙灰の工房がある木々の乱立した視界の悪い森の中ではなく、視界を遮るものが無い平原。ガン、ガンと何かをぶつけ合う鈍い音が鳴り響いた。

 

「ハッハァー!! 楽しいなァ! 産巣(むすび)ぃぃぃ!!!」

「いい、加減にしろぉ!!」

「ならば降して見せろ!!」

「ぐぅぅう!!」

 

 煙灰の視界の先では塊清と神、産巣と呼ばれた男が拳と矛を交えて闘っていた。2mを超える塊清と二回りは小さい、それでも煙灰よりか少しは大きい産巣がガンガンと拳と矛をぶつけ合う。

 ぶつかる音が響くたびに煙灰が眉をひそめ、眉間の皺が数と深さを増す。

 

「塊清、もっと静かに闘え……」

「け、軟弱だなぁ煙灰!!」

「テメェは酒にしろ、毒にしろすぐに抜け過ぎなんだよ、くそが……」

「ほら、テメェも闘えよ」

「自分の仕事はしているぞ」

 

 目の前で行われる塊清と産巣の勝負に邪魔が入らないよう、煙灰の操る煙が離れた場所にいる多くの人間を抑え込む。一人一人が武器を持っている何かしらの人間の集団。それらに対し、煙灰の煙がのっぺりとした顔の人型をとり、幾体もの煙が人間達を牽制をしていた。

 今朝、二日酔いの為川辺でへばっていたはずなのにどうして今このようなことをしているのかと煙灰は内心で嘆く。二回も吐けばケロリとした塊清に無理やり連れられここに居る為、塊清に向けられる煙灰の視線はひどく剣呑だ。

 

「貴様ら、いい加減に、しないか!」

「あん? 口で鬼が止まると思ってんのか!?」

「お前らは――」

「俺たちゃ鬼だ!!」

 

 何かを言おうとする産巣の声を塊清が遮る。産巣の顔が塊清の言葉を受け、悔しげに歪む。そこから塊清も産巣も言葉を交わす事無く、肉体と矛が互いを害そうとせめぎあう。さらに両者のぶつかり合いが激しさを増す。両者の身体を纏う妖力と神力が高まっていく。

 しかし、次第に産巣が押され始めた。矛にヒビが入り始めたのだ。神力を通し崩壊を阻止しようと産巣がするも、そちらに気を回す所為で防戦一方に陥る。そしてさらに塊清の拳を矛で受け止める為に矛の崩壊が進行していく。

 

「これで(しま)いだ!!」

「がぁああぁ!!」

 

 塊清の渾身の力が込められた拳が産巣の矛を打ち砕き、矛に守られていた産巣の身体を打ち抜く。塊清の拳に殴り飛ばされ、産巣の身体が後方へと吹き飛ぶ。矛の柄の一部を持った産巣が殴られた腹に片手を当て地面を削りながら停止をした。

 

「馬鹿力め……」

「当り前だ。この腕力こそが我が恐れの根源!」

「馬鹿者が……」

 

 矛を杖の様にし、産巣が立膝の体勢で塊清を睨む。塊清が産巣の言葉に、自らの剛腕を誇る様に掲げて声を上げる。産巣は恨みがましげに声を漏らす。

 

「あちらは――」

「誰も死んじゃいねぇよ」

「煙灰……やはり貴様は――」

「勘違いするな。雑魚を散らしてもつまらんだけだ」

 

 産巣が煙灰の煙達の相手をしている人間達を心配する様に視線をやり声にすれば、煙灰がその不安を消す様に言葉を発した。

 煙灰に何かを言おうとする産巣の声をやはり塊清同様に煙灰が遮る。産巣が煙灰の反応にギチリと音が鳴るほど歯を噛む。

 

「残念だな……腕は上がっているのに武器が付いて来ていないな」

「まぁ、そうだな。こりゃなまくらだ」

「ふざけたことを……」

「だが事実だ」

 

 煙灰が塊清の隣に並び、砕けた矛の一部を手に取り握って見せた。そして、煙灰が拳を開けば砂が舞う様に粒子状になった矛の一部が風に攫われて流れていく。

 産巣が悔しげな視線を煙灰に向けるも、煙灰は熱を感じさせない瞳で産巣を見返す。

 

「都の質はたいして上がっていないようだな、嘆かわしい」

「戯言を……貴様らがいれば、貴様らが……」

「そんな仮定に何の価値もない。俺達はここに立ち、お前らはそこに立つ。それだけが事実で現実だ」

 

 煙灰の無機質で事務的な言葉が産巣の心を苛む。顔を俯け、矛を持たない手で地面を掻き毟る様に指をめり込ませる。

 

「どうする、塊清?」

「どうすっかなぁ」

「――! チッ!!」

 

 煙灰が俯いて動きを見せなくなった産巣から視線を外し塊清に問う。塊清も俯き小さく見える産巣を少しだけ気の毒気に見ながら頭を掻いて悩む。

 すると、何かに気が付いた煙灰が隣にいる塊清を自身の背後に向けて蹴り飛ばし、自身もそれを追う様にすぐさま背後に向けて地面を蹴る。直後に二人が立っていた場所に空から何かが着弾した。

 飛来物は雲の上から飛んできているようで、上空に浮かぶ雲に穴が空いている。飛来物が地面にぶつかると爆発が起きたかのような轟音が鳴り響き、地面から大量の土煙が舞う。

 煙灰が能力で舞い上がる土煙を操り、視界を確保すれば爆心地にクレーターが形成されていた。

 

「これは……月夜見」

「煙灰、まじぃのが来ちまったぞ」

「あぁ、最悪だ。月夜見のお出ましだ」

 

 産巣が呆然と呟き、煙灰と塊清が眉をひそめる。

 

「随分と暴れているようですね、エンにセイ」

「その名で呼ぶな、月夜見。不快だ」

「そうだぞ」

「月夜見……すまん」

「高御産巣、気にすることはありません。あの二人の強さは知っています」

「しかし――」

「産巣」

「……助かった」

「はい、それでは引いてください。巻き込みたくはありませんので」

 

 産巣の背後にいつの間にか、白のシャツの上から黒のサロペットスカートを着て海の様に深い青眼と黒髪に黄色のカチューシャをした女性、月夜見が僅かに地面から浮きながら存在していた。

 月夜見に呼びかけられた煙灰と塊清がその呼び方に不満を隠す事無く噛み付く。

 月夜見は二人の言葉に応えることなく、産巣に下がる様に指示を出す。その間も月夜見は目の前の鬼から、煙灰から一度も視線を逸らさない。

 産巣が悔しげに顔を歪めると足早に煙灰の煙達の相手をする人間達の元へとかけていく。煙灰も煙達を手元に呼び寄せ煙に戻し周囲に燻らした。

 

「塊清、先に行け」

「大丈夫か?」

「問題ない。勝てはせんが……逃げられはする」

「信じるぞ?」

「俺を誰だと思っている?」

「くっくっく、そうだな。俺たちゃ鬼だったな」

「あぁ」

「逃がすと思っているのですか?」

「仕留められると思っているのか?」

「いいえ、捕えます」

「……馬鹿にするなよ、月夜見」

 

 月夜見の言葉を受け、煙灰の雰囲気に怒気が混じった。腰に刺している煙管を煙灰が手に取り大きく吸い込む。塊清がタイミングを計る様に、足に力を籠め駆け出す準備を行う。

 煙灰が煙管を吸い続けると、煙灰の纏う妖力が勢いを増し大きくなってゆく。身に纏う妖力だけで周囲の地面に亀裂が走り、空間がゆがむ様に揺れ、空を雲が覆い始め、日の光が地上に届か無くなり辺りは薄暗さを増す。

 

「その煙管は……」

「煙灰が作った妖力をため込む煙管だ。コイツは道具を作る為に普段使わない妖力をいつも貯めている」

「エンが」

「塊清、行くぞ」

「おう」

 

 煙灰が口から煙管を離して塊清に合図をした。煙灰はタダの人間であれば見ただけで殺せるような圧力を伴う視線を月夜見へ向けながら、口をあけると煙が漏れていく。

 そしてフゥと力強く息を吐けば、周囲一帯を包む様に白煙が爆発的に広がった。

 月夜見は片腕をあげ人差し指を伸ばし天へ向けて空を指さす。直後に煙灰たちの姿は煙で視界から消失した。月夜見は天へ向けた指先を今度は煙灰がいた煙に包まれた場所へと指し示す。

 流星が再び煙めがけて降り注ぐ。雲に穴を二つあけ、落下してきた隕石が地表とぶつかり爆風で煙を散らす。煙が晴れた先には煙灰が一人佇むだけで塊清の姿は見えない。

 

「セイには逃げられましたか……」

「相変わらず馬鹿げているな、お前の星を操る能力は」

「エンの煙を操る力も厄介ですね」

「煙灰だ、何度も言わせるな」

「いいえ、改めません。貴方は今も昔もエンです」

「月と夜を司る王と言われる神のお前が随分と些事にこだわるじゃないか」

「些事などではありません! 私は、私は――」

「だからあんな有象無象の戦闘集団を作ったのか。滑稽だな」

 

 煙灰から溢れ出る暴力的な妖力に対し、腰を抜かし立ち上がる事さえ叶わない人間達へ煙灰が侮蔑の視線を向けた。

 視線を向けられた人間達は、煙灰が自分たちの方へ視線を向けたことを察し悲鳴をあげるも動けない。中にはそのまま泡を吹いて気を失う者も出た。

 人間達の先頭に立ち結界を張る産巣がいなければ少なくない数の人間が恐怖で心臓を止めたかもしれない。それほどの重圧と恐れを今の煙灰は身に纏う。

 

「滑稽ではありません! あの時だってこうしていれば貴方は鬼になどならなかった!!」

「産巣にも言ったがそんな話に何の意味がある? 俺は鬼で貴様は神だ。違うか、ヨミ?」

「エン……どうしようもないのですか?」

「逆に聞くがどうしようもあるのか? ねぇだろ」

 

 月夜見が煙灰の言葉に肩を震わせ顔を俯かせた。握り絞められた拳からは血がしたたり地面へと落ちていく。月夜見が顔をあげ、キッと睨みつけるような鋭い視線を煙灰へ向ける。

 

「貴方をとらえます」

「公開処刑でもするつもりか?」

 

 人間に仇なす、それも鬼となればつかまえた所で殺すしかないと普通に判断すれば明瞭な事実だ。だからこそ、煙灰は皮肉気に笑って嘲りを含んだ声で月夜見に問う。月夜見の身体に神力が満ち、圧を増す。

 

「私たちの為に武具や道具を作ってもらいます。そうすればエンの居場所などいくらでも作れます。貴方の腕前が有れば誰にも反論などさせません」

「馬鹿にするのもいい加減にしろ……殺すぞ」

「馬鹿になどしていません。私は本気です」

 

 月夜見が掌を前方へ掲げ、煙灰を頭上から押しつぶす様に動かす。煙灰は月夜見が手を掲げると同時に地面を蹴りつけ横に跳ぶ。

 煙灰がその場から離脱した直後に月夜見の手が振り下ろされ、煙灰が立っていた場所を中心とした円形状に地面が陥没し穴が開く。

 

「重力か……随分と素早くなったじゃないか!?」

「私とて研鑽を積んでいるのです」

「燃費の悪さは治ったのか?」

 

 煙灰が月夜見に言葉を投げかければ、月夜見の表情が歪む。煙灰はその表情で理解した。月夜見の燃費の悪さは変わっていない。強力過ぎるがゆえに月夜見の能力はひどく燃費が悪い。

 だからこそ都の防衛を専門にしており、今回の様に都の外延部に現れることはほとんどない。

 

「関係ありません! 長引かせるつもりなどもとよりありません」

「だろうな。流星を落した時点でお前が今都にいないことなど周囲の妖怪からすれば自明の理だ」

「エン!!」

 

 重力でつぶされないようにと煙灰は同じ場所に留まる事無く月夜見の周囲を跳び回る。

 月夜見も煙灰をとらえようと、視線で追うも煙灰の跳び交う速度が、月夜見の能力の展開速度を超えているためにとらえきれない。

 

「だが、まだおせぇ!」

 

 煙灰が吼え、月夜見との距離を縮めるようにじりじりと迫っていく。

 月夜見は浮遊を解き地面へと降り立つと片足で地面をトンと打つ。

 叩いた地面を中心に光が波紋を広げる様に地面を走り抜けた。

 煙灰の足元を光が過ぎると、煙灰の足が地面へと沈む。

 

「この大地とて星の一つ」

「チッ……フゥゥゥウ!!」

 

 煙灰が息を大きく息を吐き大量の煙をだし、出した煙を用いて身体を持ち上げる。そのまま出した煙を足場にするようにしてその場で立つ。

 

「足場が無けりゃ作ればいい」

「相変わらず器用ですね」

「テメェがおおざっぱなんだよ」

「細かい調整は苦手です」

「だろうな」

 

 気安い言葉の応酬に両者が浮かべる表情はともに笑顔。その顔から負の念は感じられない。

 しかし、次の瞬間に煙灰は舌打ちを一つして頭を掻き毟るとまた眉間に皺を戻す。月夜見は煙灰の態度に悲しげに表情を歪めた。

 

「まぁ、そろそろ潮時だから帰らしてもらうぞ」

「逃げられると?」

「あぁ、これ以上長引くのも力を使う余裕もお前にはないだろ。余力を残しておかないといけないお前と、全力で逃げられる俺とどちらが有利だと思う?」

「……エン、どうしても駄目ですか? 貴方の力があれば――」

「くどい。もう結論が出た事だ」

「……それなら、私が貴方を討ちます。他の誰でもない私が」

 

 月夜見の言葉で煙灰に笑みが浮かぶ。それはどこか嬉しげに見える笑みだ。

 

「初めてお前の言葉でまともだと思えるものが出たな」

「覚悟してください、エン」

 

 月夜見が両腕を天に掲げた。神力がその手に集まり、空間が歪むほどの力場が生成される。煙灰も身から溢れ出るほどの妖力を煙に込めて月夜見の攻撃に備える。

 

「堕ちなさい」

 

 月夜見が静かで、感情のこもらない声をだす。掲げた腕が振り下ろされた。直後、雲にいくつもの穴をあけ隕石が落ちてくる。流星群とでも呼べるほどの無数の星が視界を埋め尽くす。

 

「吐き出せ、煙雲」

 

 煙灰が言葉を発すると、空を覆う雲からいくつもの力を宿す道具が隕石群と空中で交差する様に飛んだ。隕石と、鬼が鍛えし道具が空中でぶつかり生まれる物はいくつもの爆発。

 さらに撃ち漏らしや、壊しきれなかった隕石から身を守る為に妖力をこれでもかと込めた煙で自身の周囲を覆う。無数の爆発で生まれた爆風や閃光、熱から月夜見は目を守る様に腕を顔の前で掲げる。爆発が止まる。

 

「逃げられましたか……」

 

 月夜見が悔しげに声を漏らす。先ほどまで存在していた一人で百鬼夜行をも超える様な妖力が消え失せている事から月夜見は煙灰が逃げた事を察した。産巣へ向けて月夜見が空中を滑る様にし近づく。

 

「逃げたか」

「えぇ、残念ながら」

「そうか……すまんな、俺が不甲斐ないばかりに」

「いえ、仕方ありません。武器ばかりはどうしようも――」

「産巣」

「エン!?」

「逃げていないのか!?」

 

 妖力が感じられない事から逃げたと思っていた煙灰の声が煙の中から発せられた。月夜見と産巣が驚愕の声を上げ、視線をまだ残る煙へと動かす。煙が晴れた場に煙灰が立っていた。

 しかし、その姿に二人は疑問が浮かぶ。圧力が、存在感が酷く希薄に感じられる。

 

「これを使え」

 

 弱弱しい雰囲気を発する煙灰が指を上から下へとなぞると、雲から一本の矛が産巣の目の前めがけて打ち出された。地面に突き立つ矛から強い力を二人は感じる。

 

「これは?」

「俺が鍛えた矛だ。銘は無い、勝手につけろ」

「何故俺に?」

「鬼は試練の象徴。お前は俺の目に敵った、だからやる」

「施しは――」

「えり好みできる立場でもないだろ」

「う……しかし――」

「正しく使え。お前ならできる」

「……後悔するなよ?」

「フン、させてみろ」

 

 煙灰が不敵に笑えば産巣に浮かぶものは苦笑だ。昔からこういう所は変わらないなと産巣は思う。

 

「貴方は変わりませんね」

「変わったさ」

「根っこの部分は――」

 

 パンと乾いた音が月夜見の言葉を遮る様に平原へ響く。音の出どころを探せば人間達の中の一人が持つ筒状の武器の先端から煙が出ていた。先込め式のマスケット銃から弾丸が放たれたのだ。

 煙灰の妖力の重圧が無くなり、恐慌状態から抜け出した人間の一人が発砲を行った。恐慌から抜け出しても完全に混乱がなくなったわけではなく、いまだ煙灰に多大な恐れを抱いているために恐怖が引き金を引かせたのだ。

 

「全く、もう少しちゃんと鍛えておけ。統制のとれない集団なぞ、足手まとい以外の何物でもないだろう」

 

 煙灰の胸元に穴が開いており、そこから煙が漏れ出ている。煙が漏れ出るにつれ煙灰の姿が薄れていく。月夜見と産巣はその姿に存在が希薄な理由に察しがついた。目の前の煙灰は能力と妖術で作られた分身だと。

 

「相変わらず器用だな」

「お前らが不器用すぎるだけだ」

「お前が器用すぎるのだ」

「エン、わ――」

「ヨミ、これが答えだ。きっと当時に同じような集団があっても結末は変わらなかったさ」

 

 月夜見が悔しげに顔を歪め俯く。産巣は月夜見にも煙灰にもかける言葉を見つけられずただただ口を閉ざすだけだ。

 

「またな、産巣」

「大人しくしていろ」

「塊清に言え」

 

 顔を伏せる月夜見をしり目に煙灰と産巣が言葉を交わす。産巣が煙灰の言葉に苦笑すると煙灰が不遜な態度でフンと鼻を一度鳴らす。それを最後に煙灰の姿が完全にその場から消えた。

 

「ふぅ、散々暴れて気が済めば消える。馬鹿者どもが……月夜見帰るぞ」

「……産巣」

「今は帰るのが最優先だ。分かるだろう」

「そうですね、都に帰りましょう」

 

 産巣が人間達の集団に声をかけ帰路につく。月夜見は最後に、都とは反対側の妖怪たちの住む未開の領域へ視線を向けぽつりと言葉を漏らす。

 

「エン、私はまだ貴方の事が……」

 

 月夜見は言葉を続けることなく閉口した。瞼を閉じ、しばしの間逡巡をしてから瞳を開く。手を振れば凹凸のある地面が均され、何事もなかったかのように周囲が復元された。

 それを最後に月夜見も産巣を追うためその場を後にする。後にはなんの痕跡もない大地が残るだけだ。

 

 

 

 

 

 



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三振り目

 

「よっす、煙灰無事だったか」

「ふざけろ、俺があの甘ちゃんごときに遅れをとるはずが無いだろう」

「お前も人のことを言えんだろ」

 

 戦闘地点からだいぶ離れた森の中で煙灰と塊清が落ち合う。煙灰が鼻を鳴らして不遜に言えば、塊清はそれがどうしたと言葉を返してみせた。

 煙灰は塊清の物言いが気に食わず睨みつけるも、見透かすような笑みを浮かべた顔を返され苛立ちを覚えた。

 舌打ちを一度すると森の奥へと分け入るように歩を進める。塊清は煙灰の後ろ姿を見ながら苦笑するも後を追うようについていく。

 しばらく二人は無言のまま森を進むと、唐突にその足が止まった。

 

「追い返されたみたいだな、煙灰に塊清」

「うるせぇよ、黙っていろ」

「かかっ、鬼の頭領である俺にそんな口聞くとはな、煙灰」

「別にそんなことアンタは気にしやしないだろう、(かい)

「くかか、その通りだ塊清。畏まられる方が気持ちわりぃ。虫酸が走るってもんだ」

 

 声のする頭上に二人が視線をやれば、木の枝を布団にでもするように一人の男、嵬が寝転びながら二人を見下ろしていた。

 

「今日は煩いのと良く会う日だ」

「テメェが出不精だからそう感じるんだよ」

「そうだぞ、煙灰。もうちっと外に出ろや」

「それでまた今日みたいなことが起こるのはごめんだ」

「なんでぇなんでぇ、月夜見に会えたんだろ? 愛の言葉でも囁いてや――」

「黙れ、ぶち殺すぞ」

 

 嵬が軽口をたたいて煙灰に言葉を投げかける。言葉を受けた瞬間、煙灰の空気が張りつめていく。雄弁で威圧的な殺意が嵬を突き刺すも、楽しげに嗤ってかえすだけだ。

 塊清が処置なしとあきれ顔で、煙灰の背後で肩を竦める。空気が張りつめ、煙灰と嵬の内部で妖力が活発に動き出す。

 まさに一触即発という雰囲気が辺りを包むが、不意に煙灰が妖力を抑えた。

 

「なんだ、やらねぇのか?」

「只々闘いたいだけの馬鹿の相手など御免こうむる。その辺の木とでも遊んでいろ」

「ちぇ、もっと場を整えないとダメか……」

 

 嵬が残念そうな声を出しながら口をとがらせる。心底残念そうな嵬をしり目に煙灰が煙管を吹かす。

 口から煙管を離し、ふぅと煙を吐き出した。吐き出された煙は煙灰の身体を隠してゆく。

 

「帰る」

 

 不機嫌に煙灰が呟けば身体が煙で完全に隠されてゆく。

 

「あ、おい! 煙灰!!」

 

 塊清が煙に手を伸ばすも、手には何も触れることなく煙灰を隠していた煙が散らされるだけだ。煙が散った後には煙灰の姿は無い。

 

「あぁーあ……嵬よぉ、あまり突っついてやるなよ」

「知らねぇな。たく、いつまで引きずっているんだかな」

「煙灰は頭でっかちな所があるからな。考えすぎるんだよ」

「テメェはその点うまく適応したよな」

「別に俺はどうなろうと変わらんさ。アイツが居て一緒に暴れられればそれで良い」

「なるほど、分かりやすい」

 

 嵬がヨッと声をだし、寝ている木の枝から地面に降り立つ。コリをほぐすために身体を動かせばパキパキと関節から音が鳴る。

 

「んで?」

「どうした塊清?」

「あんたがここで待っていた理由だよ」

「ん、あぁ忘れていた」

「おいおいしっかりしてくれよ、大将」

「いやぁ、久々に真剣な煙灰と闘えるかなと思ったらなぁ。忘れちまうだろ? 他の事なんざ」

「まぁ、気持ちは分からなくもないがなぁ。煙灰は本気で闘うのを嫌がるからなぁ」

「だろう? それで待っていた理由だがな、煙灰の持つ道具を分けて貰えないかと思っているんだ」

「それまたどうして」

「見込みのある人間にやるのさ。最近は骨のある人間がいないからなぁ。育つ前に死んじまう」

 

 嵬の物言いに塊清も納得を示す。産巣の持っていた武器も悪くはないが、煙灰の物と比べれば数段落ちると言わざるを得ない。

 産巣くらいの使い手であれば神力を用いる事で実用に耐えうるが他の神や人間には厳しい。

 

「まぁ、言えばくれるだろ。あいつ別段出来た物に興味はさほど持たないし」

「そういやそうだったな。……一体どうしてだろうなぁ、くっくっく」

「さぁ、俺は馬鹿だからわからん。それと嵬よ、あまり下手に突っついて爆発させるなよ」

「考えて置くさ。まぁ、少し様子を見てまた煙灰に頼んでみるさ」

「そうしろ。今言ってもどうせ断られる」

「違いねぇ」

 

 塊清と嵬は森の奥へと歩を進め、木々の合間に消えた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 月夜見との戦闘から三日たった日の日中、いつもの様に煙灰が根城としている洞窟から固い物を打つ音が響く。

 しかし、その音はどこかいつもと比べ精彩さを感じさせない。苛立ちをぶつけるような荒々しさを滲ませた音だ。

 

「チッ、またダメだ」

 

 煙灰が舌打ちをして、今まで鍛えていた金属を背後に向けて放り投げた。ギンッと背後に投げられた金属が山の様に積まれている他の失敗作とぶつかり音を立てる。

 

「すぅぅぅ……ふぅぅぅ」

 

 一度大きく息を吸い、吐き出す。身体から力が抜けてゆく。煙灰は窯の中で揺らめく妖炎と吐き出される白煙を見つめながら頭を働かす。

 

 

――俺は鬼だ。それ以外の何者でもない。そうだろう、煙灰?

 

 

 揺らめく火を、漏れ出る煙を見つめながら煙灰は自らに言い聞かせ雑念を断つ。久方ぶりに出会った月夜見に心を揺さぶられていると煙灰は自覚する。自分らしくないと自嘲気味な笑みさえ浮かぶ。

 

「散々ぱら自分で産巣や月夜見に鬼だ鬼だと言っているのに滑稽だな」

「何が滑稽なの?」

「あん?」

 

 背後から煙灰に声が掛けられた。幼い子供の声に疑問が浮かぶ。煙灰が振り返れば、自身がゴミの様に積んでいる失敗作の山を興味深げに眺めている1mを僅かに超える程度の背丈をした幼い少女がいた。

 長めの銀髪を腰でまとめ、赤のシャツに青のサロペットスカートを身に着けた姿。身体から僅かに神力を感じられることから神に縁のある者なのだろう。

 

「おい、小娘。どこから入り込んだ。ここがどこだかわかっているのか?」

「小娘じゃないわ」

「良いから答えろ」

 

 少女が不服そうに煙灰を見て不満を口にするも、煙灰は少女の不満を斬り捨て答えるように再度命じる。少女は煙灰の対応に不満を露わに頬を膨らますが口を開く。

 

「知っているわよ。鬼の住処でしょ」

「ほぉ、知っていて来やがるとは自殺志願者か」

「そんなわけないじゃない」

「じゃあ何か? テメェは俺より強いってのか?」

「い、いいえ。まだ私の方が弱いわ」

 

 煙灰が少しだけ妖力を強めて少女を威圧する。びくりと少女の身体が震えるも、表情にだけは怯えを出すまいと気丈に振る舞う姿はいじらしい。

 煙灰は少しだけ目を細め感心する。先日会った有象無象よりこの子供の方が、よほど気概があると。

 そしてまだとのたまう辺り、いつか煙灰よりも強くなると言外に告げる度胸が面白いと思う。

 

「だったらどうしてこんなところに居やがる? まさか迷子でもあるまい」

「迷子じゃないわよ。三日も探したのだから」

「あー……イマイチ話が見えないが俺に用があるのか?」

 

 わざわざ探したというのだから煙灰は自分に用があるのだろうと当たりをつけて問いを投げる。煙灰が問えば、少女は我が意を得たりと言わんばかりに笑顔を浮かべた。

 

「そうよ、貴方に用があるの!!」

 

 自信満々に少女が腰に手を当てて胸を張る。煙灰は少女の姿に頭痛を覚えた。最近の都の人間に対し不安を隠せない。

 

「帰れ」

「やだ!!」

「つまみ出すぞ」

「そしたらまた戻ってくるわよ?」

 

 誠に不本意ながら煙灰は産巣と月夜見に今すぐ会いたくなってくる。目の前の厄介ごと(少女)について有り余る不満と文句をぶつけたい衝動が胸中に渦巻く。

 

「子守りなど御免だぞ」

「私はもう一人でここまで来られるの。子守りは必要ないわ」

「お前……どうやってここまで来た?」

 

 少女の言葉を受けて、煙灰の中に疑問が唐突に生じた。煙灰の工房兼ねぐらは都から離れ、いくつもの妖怪の縄張りを超えた鬼の支配する領域の中にある。

 自らが鬼の中でも変わり者であるため、鬼の領域でも端に位置するが、だからといって容易に入ってこられる場所ではないのだ。

 だからこそ自身の目の前に少女が存在している事が煙灰には解せない。

 

「知りたいの?」

「謎かけでもしてぇのか?」

「貴方がお願いを聞いてくれたら教えてあげる」

「随分肝が据わっているな。鬼が怖くないのか?」

「鬼は怖いわ。でも貴方は怖くないよ」

「何故だ?」

「お父さんが言っていたから」

「どいつだ?」

 

 煙灰が問いかければそれまで軽快に返答をしてきた少女が口を噤む。

 言いたくないという雰囲気でない事は、少女が視線をはっきりと煙灰の瞳に向ける事から分かる。

 煙灰が探る様に少女を見れば理由が分かった。

 

「はぁ……話を聞いてやる。だから話せ」

「聞いたからね、嘘はダメよ?」

「鬼は嘘をつかん」

「本当に?」

「あぁ、誓おう。俺はお前が俺の質問に答えればお前の話を聞いてやる」

 

 すると少女の顔に花が咲く様な笑みが浮かぶ。

 

「誰に俺の話を聞いて、どうやってここにきて、何が目的だ?」

「父、高御産巣に貴方の話を聞いたわ」

「産巣の子? はぁ、これはたまげたな。産巣はなんと?」

「変わり者の鬼で子供には決して手を出さん。筋を通すが、頑固者で頭が固い。後はね……基本的に人間に恐れを振りまくけど殺すことは無いでしょ。それと最高峰の腕前を持つ術師とも言っていたわ」

「なるほどな。それで?」

「霊力を抑えて、この緑色の布で景色に紛れて来たのよ。煙の上がっている場所を探すのが大変だったわ。匂いは匂い消しを調合して振りかけてきたから完璧よ」

 

 産巣の話した内容がそこまで踏み入ったものではないことに一先ず煙灰は胸をなで下ろすが、目の前の少女の行動力に絶句した。

 隠れてくるのに使ったのであろう無駄に出来の良い緑色、いやこれはもう草が生えている様な布と言ってもいいそれを身体に目の前で巻いている。

 ここまで来るともはや感心が湧くのだなと、煙灰は自身の心の動きに新たな発見をした。少女は布を一通り見せて満足したのか、また口を開く。

 

「それでね、貴方に術とか色々なことを教えてもらいに来たの。良いでしょ?」

「……帰りはあっちだ、一人で帰れるだろ」

 

 煙灰が苦虫をつぶしたような顔をして洞窟の出口を指で示す。少女が煙灰の態度に憤慨する。

 

「お願い聞いてくれるって約束した!」

「話を聞くと言ったのだ。話は聞いた。さぁ、帰れ」

「やだ」

「産巣にでも言われたのか?」

「違う。私が自分で決めて来たの」

「何がそこまでお前を駆り立てる?」

「貴方の矛がすごかったから。私が作った矛がゴミみたいに見えたから」

「お前が作った? ……あの時の物をこの小娘が?」

「え、なに?」

 

 煙灰はつい先日の産巣の持っていた武器を思い出す。確かに出来栄えはそこそこであったが、目の前の子どもが作れるとは思えなかったのだ。小さな声で疑問がつい口をついて出る。

 

「何故お前が? 他の奴らは何をしている」

「もう都で私以上の術師はいないの。霊力や、神力の保有量の問題で行使できない術もあるけれど、技量に置いては先達がいないの」

「……そこまで都の質は落ちたのか?」

「違う、私がすごいの」

 

 少女の言葉は煙灰から見ても嘘を言っているように見えない。煙灰の中に好奇心が生まれた。

 都の質が落ちたのか、はたまた目の前の少女が卓越した技能を持つ天才なのか知りたいと、試してやりたいと心の中の鬼が顔を出す。

 

「小娘」

「だから小娘じゃない! わた――」

「試してやる。出来たら少しは考えてやる」

 

 煙灰の言葉に少女が憤慨するも、遮る様に続けられた言葉に歓喜の色が顔に浮かぶ。煙灰はコロコロと変わる少女の表情に忙しないなと僅かに微笑んだ。

 

「読み取れ」

 

 煙灰は短く告げると、口から吐き出された煙が空中を這う。煙は幾何学模様を描く様に煙灰と少女の間の空間に広がる。

 

「発光」

「ほぅ」

 

 少女が完成前の図形から構成を読み取って見せれば、煙灰から感嘆の声が思わず口から出た。面白いと、煙に次の図形を象らせ試しだす。

 

「染色、治療、屈折、燃焼、吸熱、固定、溶解、――――」

 

 次々に煙灰が図形を変えるも、完成前に少女が次々と正解して口に出す。煙を煙灰が霧散させる。少女が満足げな顔で煙灰を見やる。

 

「どう?」

「最後だ」

 

 煙灰が手を自身の胸の前に持ってきて掌を天井に向け、妖力球を出現させた。少女が今まで以上に真剣な表情をし、ジッと妖力球をみつめた。

 煙灰が少女の瞳を観察すれば、霊気が集まり隅々まで見逃すまいとするように瞳孔が開かれ小刻みな動きをする。

 

「これは、隠匿の奥に何か……」

 

 無意識であろう呟きが少女から漏れた。妖力の渦巻く塊から構成を読み取ってみせる能力にはまさに脱帽の一言だ。

 

 

――この歳でここまで……末恐ろしいな

 

 

 煙灰の笑みが深まる。

 

「これは……知らない、でもどこかで似た物を何度も……どこで…………月夜見様? それに私も?」

「降参か?」

「待って、まだ……分からないままなんて絶対に嫌」

 

 少女の声に試験であることを忘れているような色合いを煙灰は察した。なるほどと、少女についての予想をする。目の前の少女は、好奇心旺盛な研究者気質なのだろう。

 だからこそ、自分の作った矛を見て興味を持ったのだろうと確信した。

 

「あの矛にも……能力の共通符号?」

 

 少女が不安げに言葉にし、煙灰を見つめる。

 

「くっくっく、素晴らしいな。一種の天才と言うやつなのだろうな」

「じゃあ!?」

「そうだな……教えてはやらん。盗め」

「盗む?」

「あぁ、いつでもここに来い。俺の仕事を見て盗め。妖怪と人間の師弟関係など馬鹿げている。だから教えないが、お前には見ることを許す。出来るだろう?」

 

 煙灰が不敵に笑ってみせれば少女も自信を顔に滲ませて応える。

 

「出来るわ。だから貴方の全てを私に見せて」

「くははっ、良いだろう。俺を超えて見せろ」

 

 機嫌よさげな煙灰の笑い声が洞窟内へと広がった。新しい芽がしっかりと現れていることに安堵した。

 

 

――ヨミ、ムスビ……この子をお前らが導け。手助けはしてやる

――俺やセイの様に間違えさせるなよ。しっかり守れ

 

 

 その日から洞窟の中より発される音にいつもの調子が戻る。いや、以前よりもずっと軽快で、覇気に満ち、力強い音が鳴り響く。

 

 

 

 

 




本来永琳は月夜見より年上の設定ですが、話の都合上幼くなって貰いました。
原作の設定と異なりますが、ご了承くださいませ。


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四振り目

 

 

「ねぇ、これは何の術式?」

「黙って見ていろ、小娘。教えねぇつったろ」

「小娘じゃ無い! 名前教えたでしょ!?」

「あぁ、あの××って奴か? 呼びにくいんだよ。舌を噛んじまう。産巣の野郎も気取った名前つけやがって」

「だから永琳(エイリン)で良いって言ったじゃないの」

「あぁあぁ、やかましい。耳元でギャンギャンわめくな」

「煙灰がちゃんと私の名前を呼べば良いのよ」

「おう、気が向いたら呼んでやらぁ」

「いじわる!!」

 

 槌を振るう煙灰の隣で少女、永琳が疑問の声を上げるも煙灰はけんもほろろに切り捨てた。しかし、永琳が嚙みつくところは自身への呼称。

 永琳がやってくるようになってすでに月の満ち欠けが二巡りはしただろうかと、煙灰は今も喧しく名前を呼べと憤る目の前の少女を見ながら考える。

 よくも飽きもせずに通うものだとか、産巣も気がついていないとは嘆かわしいとか色々と浮かぶ思いもあるのだが。

 けれども、この時間をいつの間にか煙灰自身は心地良いと感じていた。

 初めてその感情に気がついた時には心底驚いた物で有るが、考えを整理するような時間を永琳本人が与えてくれない。

 時には泊まり込みで煙灰の仕事を観察することもあるほど、永琳はこの工房に入り浸っている。

 

「というわけよ、分かった?」

「んあ? なんの話だ、聞いてなかった」

「どうして目の前で話しているのに聞いていないって状況が生まれるのよ!?」

「話が長い。短くまとめろ」

「名前でちゃんと呼びなさい!」

「はんっ!」

「あー、鼻で笑った!」

「悔しかったら俺に認めさせてみろ」

「うぅぅぅ……」

 

 煙灰が意地の悪い笑みを浮かべて述べれば永琳は悔しげに唸り声を上げた。黙った永淋を確認すると、煙灰は再び槌を振った。

 永淋は槌を振るい、叩きつけるたびに様々な術を込めていく煙灰の業を見逃さないようにと目を皿のようにする。ひた向きな永琳の様子に煙灰は口元を緩ませ小さく笑う。

 カン、カンと目の前で槌を打ち付けられ鍛えられる細い弧を描く金属を永琳は必死に観察する。煙灰が叩けば叩くほど目の前の金属に力が込められていく。

 まるで次々とめまぐるしく見え方の変わる万華鏡を見ているようだ。数十、数百の術が瞬く間に込められていく。

 瞬きする間さえ惜しいと永琳は瞳に霊力を通わせ、渇きを防ぐ。知っている術でも考えた事のない組み方や連結のさせ方をしていた。

 先ほど聞いた知らない術も他の術が入るにつれて何であるか正体が絞れていく。

 

 

――破魔の術? 違う、精神を削る術……こんなこと出来るの?

――すごい、すごい! やっぱり煙灰は本当にすごいんだ!!

 

 

 煙灰が込める術を理解すると永琳の内にある憧憬と尊敬がさらに強まった。もっともっと、彼の持つ業を、知識を、発想の多様さを見たいと心が叫び出す。

 無意識のうちに永琳は笑みを浮かべていた。カン、カンと鳴り響く音が酷く心地良い。会話は無い。しかし、確実に伝わる物の存在する時間が過ぎていく。

 

 

 

 

 

 しばらく、無言の時間が続くも煙灰が槌を置くことでそれも終わる。

 

「完成?」

「いや。だが今日は終いだ」

「疲れたの?」

「いいや」

「じゃあ、どうして?」

「そろそろ帰る時間だろ。これで続けたらまたお前は喚き散らすだろう、小娘」

「永琳!!」

「あぁもう、うるさい。いちいち叫ぶな。しっしっ」

 

 煙灰が虫でも払うように手を振れば永琳の頬が不満で膨らんだ。煙灰はそれに取り合わずに窯の妖炎に向けて煙を吐き、火を消す。

 

「やっぱり、そういう所を見ると妖怪っぽいね」

「あん? テメェにはこの額の二本角が見えないのか?」

 

 煙灰が自身の額から延びる角を親指で示す。けれども、永琳はそう言う事では無いと首を振る。

 

「そうじゃない。煙灰の雰囲気が妖怪っぽく見えないのよ」

「けっ、危機感の鈍い。そんなんじゃすぐ死んじまうぞ」

「どうして意地悪ばっかり言うのよ……」

 

 永琳は煙灰の言葉に悲しげに目を伏せた。煙灰は永琳の様子に頭を掻くと声をかけようと口を開く。

 

「おい、こ――」

「煙灰! ちと、話がある! 入るぞ!?」

「嵬? 何だってこんな時に……おい、小娘。奥の物置で隠れていろ」

「え? え?」

「にぶくせぇ」

 

 煙灰が疑問の声を上げる永琳に向け煙を吐き身体を捕えると、煙ごと永琳を奥の物置へと押し込む。反発の声を出そうとする永琳の口をついでとばかりに塞いでおく。

 

「嵬! 何の様だ!?」

「お? いるならさっさと返事くれぇしろや」

 

 煙灰は永琳が見えなくなると嵬に向けて言葉を返す為に声を張る。しかし、嵬から帰ってくる声は思いのほか近い。煙灰は外へつながる洞窟の通路へと近づく。

 無意識に背後の倉庫の入り口を嵬の視線から隠すため通路の前に立ちはだかる。煙灰がその位置につくと同時位に嵬の姿が目視できる距離に現れた。

 

「よ、煙灰」

「何の用だ? 事と次第によっちゃ叩き出すぞ」

「かかっ、それも良いが今回はまともな用事だ。何も前回の続きをここでやろうなんざ考えちゃいないさ」

「そりゃ結構だ。んで、何の用だ?」

「ん? えらく急ぐじゃねぇか」

「そうか? 変わらんだろ」

「ふーむ? ま、そういうことにしといてやらぁ」

「えらく気にくわねぇ物言いだな」

「まぁまぁ、そう喧嘩腰で対応すんなや。それで話ってのはなお前の持ち物に関してなんだわ」

「俺の持ち物?」

「そうだ。お前が作るだけ作って埃かぶっている道具をくれよ」

「構わねぇが、そんなもんどうすんだ。お前が使うのか?」

「いんや、見込みのある都の奴らにやるんだよ。そうすりゃちっとは楽しめるだろ、くかかっ」

「なるほどな。それじゃあそのうちお前の所に持っていく。それでいいか?」

 

 煙灰は嵬の申し出を悩むことなく受諾した。もとよりそのつもりで作っていたところもあるのだから問題は無い。

 煙灰が勝手に配り、他の妖怪が被害を受けて軋轢が生まれると面倒だからと死蔵していた面もある為に嵬の申し出は嬉しいものだ。鬼の大将の嵬がそうするのなら誰も文句など言わない。

 

「ん、構わねぇが。せっかくここまで足を延ばしたんだちょいとどんなものが有るか見せてくれよ」

 

 しかし、嵬の次の言葉に煙灰は肝が冷える。動揺を出さない様に刹那の内に自制するも観察力に長ける鬼、それもその大将が相手だ。僅かでも何かしらを読み取られたと煙灰は己の迂闊さを悔やむ。

 

 

――何を視られた?

 

 

「煙灰?」

「いや、なんでもねぇが今は無理だ」

「どうしてだ?」

「……見せられねぇモノがある」

 

 嘘を嫌う鬼の気質が今ほど恨めしいと煙灰は思ったことは無い。だから中途半端にぼかすような物言いになってしまう。嵬の目が面白げに歪む。

 強行されるのはまだ許容できるが、それで嵬が永琳に何かをするような事があれば本気を出すことも辞さないと煙灰は覚悟をする。

 そして、その思考に気が付くと随分と入れ込んものだと煙灰は自身の思考に可笑しさを感じた。

 だが、そのことが嫌ではない。嵬が歪ませた口を開く。煙灰が言葉を聞き逃すまいと耳に意識を集中させる。

 

「そうか、なら構わねぇよ。持ってきたときに見せてくれや」

「あ……いや、そうか。悪いな」

「気にするな。見られたくねぇならしかたあるまい」

 

 嵬は楽しげに一度笑うと背を向け歩き出す。煙灰は嵬の物わかりの良さに一抹の不安を覚えた。

 

「いつかその見せられねぇとっておきも見せてくれや」

 

 嵬は背を向けたまま、手をひらひらと振り一度も振り返ることなく帰っていく。嵬の姿が完全に見えなくなると煙灰は安堵に息を漏らす。

 普段通りにしていたつもりでも身体が強張っていたことを知覚した。

 後ろ暗い隠し事をしている事が嵬には筒抜けだったと理解できてしまう。

 だからこそ、嵬の態度が不気味に映る。

 

「気味がわりぃ」

 

 煙灰は不安を吐き出す様に言葉にした。一度力強い眼差しで出口の闇を睨みつけると倉庫に向けて進む。

 

「────!」

 

 倉庫の入り口から中を見れば、煙の拘束を解こうと暴れている永琳がいる。暴れる音も、口から出る声も煙に吸収され無音ではあるが、その様は大変喧しい。煙灰の姿を永琳が見つけるとより激しく暴れ出す。

 何を言っているのか聞こえないが、煙を取れば罵詈雑言の嵐だろう。まったく呑気なものだと永琳の姿に毒気を抜かれるも、煙灰は気を抜くまいと意識する。

 

「落ち着け、小娘」

「──!」

「何を言っているか分からんが少し大人しくしろ。じゃないと煙は外さんぞ」

 

 永琳! と叫んでいる事は今までのやり取りから明白ではあるが、煙灰はあえてとぼけてみせる。定型通りの返しに安心感を覚えた。

 煙灰が頬を緩めてさらに言葉を続ければ、永琳が静止し呆けたような顔をした。一応静かになったがその様子に疑問がわくが、大人しくしたからと約束通り煙の拘束を外す。

 

「馬鹿みたいに呆けた面してどうした?」

「馬鹿って言った! 私頭いいもん!!」

「はっ、確かに出来は良いが使い方が壊滅的だな」

「また意地悪ばっかり! そんなに優しく笑っているのに、詐欺だよ!!」

「あん?」

 

 永琳の文句に煙灰は虚を突かれた様に反射的に意味のない気の抜けた声が出た。永琳の言葉の意味を理解すると、まさかと自分の口元に手を当て自問する。

 

 

――俺が? 優しく笑うだと? 馬鹿馬鹿しい、人間相手に優しく笑うなど

――腑抜けすぎだ、煙灰。煙灰、貴様は鬼だろう。妖怪だろう。自覚を持て

 

 

 煙灰は信じられないと手から伝わる口角の上がった感触に驚愕した。自身を叱咤する様に、言い聞かせるように、心の中で自らに言葉を投げかける。

 腑抜けるなと、油断するなと己を今一度戒めんとす。口角が次第に元に戻るのを認識すれば、煙灰は口元から手を離して顔をあげた。

 

「あぁ……またいつもの仏頂面だ」

「うるせぇ、元から優しく笑ってなんざいねぇ。例え笑っていたとしても嘲りだ、馬鹿め」

「鬼のくせに嘘ついた。私見たもん!」

「知らねぇな。そうだ、小娘」

「永琳! それで、どうしたの?」

「今日は泊まっていけ。別段いつも突発で止まるから産巣への言い訳は問題無かろう?」

「え!? 良いの!! いつもは帰れ帰れうるさいのに」

「あぁ、今日は特別だ」

「さっきのお客さんが関係あるの?」

 

 永琳が察し良く原因を言い当て、不安げに煙灰へ問う。煙灰は不安そうな永琳を安心させようと、視線を合わせる為にその場でしゃがむと頭をぐりぐりと少しだけ乱暴に撫でつける。永琳は少しだけ抵抗する素振りを見せるも、ふりだけで口元を緩めながら煙灰の手を受け入れる。

 

「念の為だ。心配するな、俺がいる」

「うん!!」

「さて、それなら続きでもするか」

「見る!」

 

 煙灰が永琳の頭から手をどけ立ち上がり窯の前へと歩を進めれば、永琳も置いて行かれまいと煙灰の後を元気についていく。カン、カンと槌を振う音が夜中絶えることなく響き続けた。

 しばらくして煙灰が槌を振り終えれば、隣で力尽き安心しきった顔で眠る永琳を見つける。本当に危機感の無い娘だと心配になりながらも煙灰は僅かに笑う。

 眠る永琳にふぅっと煙灰が煙を吹く。煙は永琳に触れると消えてゆく。それはまるで吸い込まれるようだ。

 

「全くもって世話の焼ける……子供などいらんな。産巣の気持ちが知れん」

 

 声が形作るのは憎まれ口ではあるが、含まれる声色はどこか楽しげにも聞こえた。煙灰は眠る永琳を起こさぬように煙で寝台を作り、永琳をそこへと横たえる。

 打ち終わった弧を描く金属棒に最後の仕上げを施していく。煙で彫刻刀を作り出し、紋様を掘り込む。最高の出来になる様にと丁寧に、起こさぬようにと慎重に煙灰は作業を進める。

 掘り込みに血と煙と妖力を込めて完成するのは弓。弦を張れば後は使うだけだ。

 

「正しく使え」

 

 眠る永琳に向け煙灰が優しい声でそう告げた。すると、永琳は了承したとでも言う様に寝顔にあどけない笑みを浮かべる。

 

「大物になるよ、小娘。くくくっ」

 

 煙灰の押し殺した笑いが洞窟に広がる。目の前の少女の未来に広がるものは無限の可能性だ。きっと偉大な人物になるのだろうと、目を細め眩しい物でも見るように永琳を見守る。

 

「全く、人生とは分からんものだ」

 

 本当に何が起こるか分からないと煙灰は心底思う。この出会いが、この出来事が未来で何を形作るか自分には知る術は無いが、今この時は決して無駄ではないと思う。

 自分にも残せる物が出来たことに心から愉快だと笑う。永琳の目覚めはまだ遠い。しばし、この平穏を謳歌しようと煙灰も少女を習って眠りにつく。

 人と鬼、寄り添う様に眠る両者の姿からは、恐れる者と恐れられる者と言う関係は見いだせない。どこか歳の離れた兄弟の様にさえ見える。

 それはきっと幸せなことなのだろう。

 それはきっと奇跡なのだろう。

 だからこそ、それは薄氷の上の儚いものなのだ。

 二人の運命(みち)の交差が一度終わる。

 別れの時は近い。

 

 

 



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五振り目

 

 

 目覚めた永琳にできた弓をやればたいそう喜ばれた。けれども、煙灰は仏頂面を崩すことなく早く帰れとでもいうように永琳を摘まみ出す。

 永琳は不満をわかりやすく露わにするも取り合わない煙灰の様子に諦めると都への帰路につく。

 それからも新月が満月になるくらいの日が経つが、煙灰と永琳の日常になんら変化は見られなかった。

 煙灰が嵬との出来事は杞憂であったかと思い始めた頃に、永琳がまた煙灰へと新たな要求をする。

 

「ダメだ、ダメだ。連れてくんな」

「なんで? 別に悪い子じゃないよ?」

「そういう話じゃなくてだな。どうして俺が蓬莱山と綿月ん所の餓鬼の面倒まで見にゃならん」

「だって、二人が会いたいって言うんだもの」

「口ゆるゆるじゃねぇか、小娘」

「永琳!! 言ったのは二人だけだし、二人のおかげで外に出かけても月夜見様達にバレてないのよ」

「じゃあ二人を連れてきたらバレるじゃねぇか」

「大丈夫。一計を案じたから」

「本格的に頭の使い方を間違えてやがるな」

「ねぇー、煙灰ー良いでしょ? 一回、一回だけだから」

 

 服の袖を掴み揺らしてくる永琳に煙灰は頭痛を覚えた。ここで一度認めたら一回ではすまない気がしてくる。

 そんな寒気がする予感から逃げるためにも煙灰は永琳に拒否を伝えるために口を開く。

 

「ダメだ。お前はもうちっと妖怪ってものを、鬼というものを恐れるべきだ。良き隣人なんかじゃねぇんだぞ」

「でも煙灰は良い人だよ」

「俺だって鬼だ。都の人間に聞いてみろ。煙を従えた鬼についてな」

「それくらい知ってるよ。みんなすごく怖がってる。近づくだけで身にまとっている妖力に潰されそうって話してた。それに煙を見ると恐慌を起こしちゃう人もいたよ」

「それでここまで来たお前の頭の出来を本当に確認したくなってくるな。空っぽなんじゃねぇか?」

「父の言葉を信じただけよ」

「ちっ、産巣め。余計な事を」

 

 永琳に余計な事を吹き込んだ産巣へ向けてつい不満が口をついて出る。ニコニコと笑みを浮かべ見上げてくる永琳の顔が小憎らしい。

 

「わぁっ! もう!!」

 

 その顔に煙灰はつい煙を吹きかけてしまい、永琳から抗議の声を受けた。しかし、煙灰は永琳の抗議を無視すると窯の火を落す。背後でポカポカと自らの背を叩いてくる永琳に向けて口を開く。

 

「ほら、さっさと帰れ。今日はもうしまいだ」

「煙灰のばーか。良いもん勝手に連れてくるから」

「あぁ? 小娘、お前な──」

「ふふん、来ちゃったら煙灰は追い返せないでしょ!」

「テメェ、待て! おい!!」

 

 永琳は煙灰の言葉を遮り、楽しげに言葉を口に出す。煙灰が窯から背後へ振り返り文句を言おうとするも、永琳は洞窟の外へと繋がる通路へと駆け出し逃げていく。すぐさま通路の暗がりが永琳の姿を隠してしまう。

 

「あの小娘……ちっ、舐めやがって」

 

 言い逃げする永琳に悪態をつくも届くことは無い。追いかけて捕まえた後に言い聞かせるのも馬鹿馬鹿しく感じられ煙灰は追いかけることを諦める。

 

「それにあれじゃ、何を言ってもどうせ連れてくるな……はぁぁ、たく」

 

 思わず予想が言葉になって口をつく。自分で言いながら気が重くなるなと、煙灰は額に手を当て人差し指で自らの額をトントンと指でたたき、頭痛を紛らわせようとしているようだ。そして煙灰は考える。

 

 

――そろそろ潮時かもしれん

 

 

 いい加減この生活を続け過ぎたと煙灰は自省する。もはや後はいくつか道具を与え、独学で学ばせれば問題ないだろう。

 だからこそ、自分に、妖怪にこれ以上懐かせるのは良くない。終わりにしなければならないと思う。このまま流され続けても、どちらの為にもならないと理解している。

 

「俺にも残せる物が出来た。だからもういいだろう……なぁヨミよ、そうは思わんか?」

 

 弱音がつい口から出てしまう。自分も随分と耄碌した物だと煙灰は自身の耳に届いた自らの言葉に苦笑した。らしくないと頭を振り煙管を吹かす。

 煙を口から吐きながら、明日を最後にしようと決める。どう言い聞かせた物かと、幼い弟子を思いながら煙灰は頭を掻く。

 

「誰に似たのか頑固だからな、くかか」

 

 誰にで思い浮かべる人物は自身か産巣か、それは煙灰自身にしか分からない。楽しげに笑いを零すと煙灰はまた明日が来るのを洞窟の中で静かに待つ。

 別れの時が訪れる。

 

 

 

 

 

 

 月が落ち、また日が昇る。煙灰は洞窟の中に居ながら、外から聞こえる動物たちの出す音で夜が明けた事を察した。

 また少しすればいつもの様に永琳がすぐさま顔を出すだろう。煙灰はそう考えて、さて餞別の道具は何にするかと腰を上げる。

 

「あぁ、そういやぁ嵬に見せるようにと空に留めている煙の中にしまっていたんだったな」

 

 倉庫を覗けば中身が無い為に煙灰は思い出す。嵬に見せるように言われ、とりあえずあるだけ雲に偽装した自らの煙雲へと入れたままだったと頭を掻く。

 嵬もとりあえず2,3本だけ適当に選ぶとまたその都度頼むわと、軽く言い捨てていた事を記憶から呼び起こす。またしまうのが面倒で煙雲に入れたままだった。思い出した煙灰は苦笑する。

 

「まったく、そんなことも忘れているとは……腑抜けているな」

 

 それ以上に記憶へ残る鮮烈な存在が居たために他の事が酷く曖昧に感じられる。覚えていない訳ではないが、永琳との記憶が強烈過ぎて印象に残らないのだ。

 自分はどれだけ刺激のない生活をしていたのだろうかと、永琳がどれだけ自分にとって大きかったのかと改めて認識した。

 

「それにしても遅いな。いつもは日が出た直後に突撃してくるというのに。あぁ、本当に三人で来ているのか。はっ、俺も甘ちゃんだな。塊清の言うと──!?」

 

 来るのが遅い事で煙灰はそう判断する。けれども、最後位なら我慢して子供三人くらいの相手ならしてやろうと考えている煙灰に知らせが届く。

 嵬が洞窟に来た時に、念の為と施した永琳にかけた術が作動しているのだ。

 

「あの馬鹿娘!!」

 

 術が作動したという事は何かしらの妖怪、それも永琳では対抗できない力量の妖怪に襲われているという事だ。煙灰は術の起動した地点にすぐさま向かうために、洞窟を跳び出す。

 

「ちっ、少し遠い──それにこの妖気は、くそ!!」

 

 洞窟から出て永琳の霊気を探れば思いのほかその距離は遠い。そして近くで感じる妖気には覚えがあった。

 しかし、どうするかを考えるかより先に身体が動く。膝を曲げ、グッと力を籠めて地面を蹴り空高くへと跳びあがる。

 進行方向の先に煙で足場を作り、天井に張り付くように上下逆さの体勢で再び足を曲げ煙へ着地。跳んだ慣性で身体が煙の足場に強く押し付けられる。

 その負荷を溜めとして、永琳たちの霊気が感じられ場所に向けて再び強く蹴る。さながら月夜見が打ち出す流星の様に、煙灰が空中から射出され目的地めがけ飛ぶ。

 音を超える速度に空気が弾け、ぐんぐんと目的に近づいていく。

 

「やはり、嵬か……めんどくせぇ」

 

 近づくことで視認した光景に煙灰は悪態をつく。嵬の妖気に気圧された永琳たちと、もはや消えかけの煙人が見えたのだ。嵬は煙灰の妖気を察知し、楽しげな視線を投げかけてくる。

 煙灰は永琳が無事な様子に一先ず安堵すると、足を進行方向に向け永琳たちと嵬の間に着弾した。ドンと地面へぶつかる音と共に、大地が軽く揺れ動く。

 永琳たちは何事かとさらに顔を青くし、土煙舞い上がる音の発生源へと視線を向ける。煙灰は舞い上がる土煙を能力で散らすと嵬へと向く。

 

「煙か――」

「何やってやがる、嵬」

「何とは酷い言い草だな。お前がとっておきを見せてくれねぇから自分で見に来たんだよ」

 

 永琳が喜びで煙灰の名を叫ぼうと声を上げるも、煙灰自身がその声を遮り嵬へと問いかける。

 嵬は煙灰の様子に笑みを浮かべ、何でもないように軽い調子で言ってのけた。

 

「何の話だ?」

「惚けるなよ、煙灰。そのガキの使った術を見れば解る。お前に師事していたのだろう?」

「知らんな。弟子など取った覚えはない」

「へぇ、可笑しいなぁ。ここ最近お前のねぐらにずっと出入りしていたじゃないか?」

 

 嵬の言葉に監視されていたと煙灰は理解した。本当に危機感が薄かったのは自分だと思い知らされたようだ。

 

「確かにそうだ。だが何も教えちゃいねぇよ。こいつが勝手に学んだだけだ」

「ふぅん……なるほどねぇ」

「引っかかる物言いだな」

「あぁ、引っかかるさ。そのガキの持つ弓はお前の作だろう」

「相変わらず目ざといな」

「分かるさ。俺はお前を買っているからな」

「そいつは光栄だな」

「くかか、心にもない事を……まぁいいさ」

 

 嵬が身体を軽くほぐし始めた。煙灰はその様子に嵬がやる気だと嫌でも理解させられる。

 

「闘いてぇならそう言えよ。ガキ巻き込んでんじゃねぇよ」

「かかか、折角やるならお前が本気を出す様にしたかったのさ……それについでに断ち切ってやろうとな、親心さ」

「断ち切る? 何をだ」

「未練だよ、煙灰。お前の未練を俺が完膚なきまでに叩き潰してやるよ」

「分からねぇなぁ、嵬。お前が何を言いたいのか」

「……本気で言ってんのか?」

 

 嵬の声色が落ちる。楽しげな様子が消え、威圧するような険のこもった声を出す。煙灰の背後でひっ、という小さな悲鳴が聞こえた。永琳の連れの二人が悲鳴をあげたのだ。

 

「何のことだ?」

「はぁ、馬鹿め。お前何故、作った物を死蔵している」

「関係あるのか?」

「答えろよ、煙灰」

「……別に理由なんかねぇよ。作る事が目的だ」

「くかか、だろうな」

「何が言いたい?」

「お前のそれは代償行為さ。人を襲うのが嫌で、認めた者への餞別を作ると言って自らの心を偽り、人を襲う気持ちを抑えた。お前本当に鬼か?」

「…………」

「人間を襲うのがそんなに嫌か? 違うな、お前はそれをして月夜見に見限られるのが嫌なんだ。そうだろう、煙灰?」

「言いたいことはそれだけか?」

 

 煙灰から怒気と共に妖力が漏れる。酷く押し殺したような、今にも爆発しそうな程奥底で猛る妖気だ。嵬はそれでも臨戦態勢にならずに言葉を続ける。

 

「いいや、まださ。まだ足りないな。お前、人間が嫌いだろう」

「…………」

「黙るなよ、答えろ煙灰」

「好きではないのは確かだ」

「この期に及んでまだそんなぬるい事を……お前は人間を心底憎んでいるだろ、嫌っているのだろう。言えよ、煙灰」

「……あぁ、嫌いさ。大嫌いだ」

 

 煙灰の背後にいる永琳は煙灰の言葉を受け、なぜか悲しいと感じた。今まで見ていた煙灰と今目の前にいる煙灰が酷く違って見えた。

 あんなに優しく笑っていたのに、安心しろと頭を撫でてくれたのに、今だって助けに来てくれたのに、様々な想いと記憶が浮かぶも目の前の煙灰とそれらが重ならない。

 煙灰の言葉に一つも嘘が無いと永琳には分かってしまう。煙灰は、目の前の鬼は、人間を心底嫌悪している。

 

「かかっ、やっと言葉にしたな」

「満足したか?」

「いんや」

「いいかげ──」

「お前だよ、それは。煙灰、お前が人間を嫌悪しているのに襲わないのは月夜見を思ってだろう。諦めろよ、煙灰。無理なんだよ、もう。なぜならおま──」

「嵬、そこから先は禁句だと昔教えたはずだぞ」

「かっかっか、良い殺気だぁ…………お前は人間から鬼に堕ち、月夜見は人間から神に昇華し──」

 

 ガンッと固い物同士がぶつかる音が周囲に響く。煙灰の姿が嵬の立っていた場所へ移動しており、拳を振り抜いている。地面に肉がぶつかる音がし、ザリザリと地面の削れる音が続く。嵬が煙灰の拳で殴り飛ばされ、地面を削る様に土煙を上げながら滑っていく。ドンと地面をたたく音がすると、嵬が跳ねるように滑った状態から身体を起こし二本の足で地に立つ。

 

「くははっ、図星を突かれて切れたな煙灰よ」

「もう黙れ」

「そんなに忘れられないか? 守っていたはずの人間に畏れられ鬼にされたことが? 月夜見が神になり、共に歩めなくなったことが? どうなんだ、煙灰ぃぃ!!」

 

 嵬が妖力を纏い、煙灰へと駆ける。煙灰も迎え撃つため、妖力を練り身構えた。

 

「俺がその未練を断ちきってやる!!」

「余計なお世話だ!!」

 

 嵬が拳を振り上げ、煙灰へと振り下ろす。煙灰は片腕をだし、嵬の拳を受け止める。ぶつかる衝撃で周囲の空気がパンッと弾けた。互いの妖力がせめぎ合い、ぱちりぱちりと空気が爆ぜる。歯を剥き凄惨に笑う嵬と、溢れ出る怒りを表す煙灰が至近距離でにらみ合う。

 

「そのガキを弟子にして、人間の味方に戻ったつもりだったのか!?」

「弟子じゃねぇと言っただろうが!!」

 

 煙灰が盾にしている腕の力をフッと弱め、嵬の身体を誘い込む。

 押し合いの均衡が崩されて嵬の上体が刹那の間、意思とは別に前へと倒れる。

 嵬が体勢を立て直す為のわずかな間に煙灰が拳を下から上へと振り上げる。

 

「ぐ、はぁ!!」

「俺は鬼だ!!」

 

 嵬が腹を殴られ、詰まったうめき声をあげた。煙灰の拳に突き上げられ、足が地面から浮き嵬の身体が空中で無防備となる。

 殴りあげた拳と逆の拳を、退く拳に合わせるように腰を捻りさらに追加とばかりに嵬を殴り飛ばす。

 水切りした石の様に嵬の身体が地面をダン、ダンと鈍い音を立てながら吹き飛ぶ。最後にはゴロゴロと横向きに転がりながら停止した。

 止まるとすぐさまに、嵬は四つん這いの姿勢で地面を捉え、突進の体勢を作った。地面が弾けたと思うと嵬の身体がその場から掻き消える。

 

「く――」

 

 煙灰がその場から横に避けようとするより先に、嵬が煙灰の腰を掬う様に下から持ち上げ地面へと押し倒す。突進の勢いも相まって、煙灰の背中が地面をソリで滑る様にずられてゆく。

 

「だったらいい加減にしろや、煙灰。俺の名をやったのに腑抜けてんじゃねぇ!!」

 

 馬乗りになった嵬の拳が煙灰の顔を(したた)かに打ち付ける。殴られた煙灰の頭が地面にぶつかり、毬が跳ねるようにまた浮かぶ。嵬が跳ねた頭に拳を次々と振り下ろす。

 

「お前は鬼だろ!! 妖怪だろう!! 神とは、人間とは共に生きられねぇんだよ!!!」

 

 嵬が聞き分けのない子供を怒鳴る様に叫びながら殴りつづける。顔を殴られ続ける煙灰の両手に妖力が集う。

 嵬はそれに気が付くとすぐさま後方に跳び退る。拳の嵐から抜け出した煙灰は立ち上がると、ペッと口内の血を吐き捨て口を開く。

 

「んなこと俺が一番知ってんだよ!」

「だったらしゃんとしろや!」

「出来たら苦労してねぇよ! 感情なんざ、そうホイホイ割り切れるか!!」

「だから俺が断ち切ってやるって言ってんだ!!」

「だから余計な世話だ!!」

 

 煙灰と嵬が互いに地を蹴り相手へ向かう。拳の届く距離に入れば両者共に守りなど知るかと殴り合う。殴られた拍子に跳ばない様に、グッと踏ん張り相手を押し込もうと互いに拳をぶつけ合う。

 煙灰が妖術を拳に込めだす。殴りつけるたびに嵬の身体で術が次々と弾けた。爆発し、放電し、切り裂き、凍結させ、と次々と術が起動していく。次第に嵬の身体が押され始める。

 

「テ、メェ――器用な、まねを」

「くやし、けりゃ――お前、もしろよ」

 

 煙灰の拳が強く光を放ち、嵬の目がくらむ。煙灰が身体を一回転させるように動かし、遠心力を乗せた蹴りを嵬の腹へと突き立てた。嵬の身体が煙灰の蹴りで地面と平行に吹き飛んでいく。

 嵬が空中で煙灰を見ながらニヤリと笑う。ゾクリと煙灰の背中を悪寒が駆け巡る。妖力を身体中へめぐらせ、咄嗟に受けの体勢となり身構えた。

 直後、嵬の姿がバチリッと空気の弾ける音と共に掻き消える。

 

「オラァ!!」

 

 煙灰の背後から殴りつけられる衝撃と共に嵬の声が聞こえた。腰を打たれ煙灰の身体がのけ反る。

 嵬は振り抜いた勢いをそのままに身体を回し、煙灰と嵬の身体が背中合わせの形となる。

 嵬は身体の勢いを殺さぬように後ろ蹴りを放ち、のけ反る煙灰の背を再び強く打ち空へと蹴りあげた。

 空へと打ち上げられた煙灰は煙を足場にして体勢を立て直そうとするも、それより先に再び空気の弾ける音が響いた。

 途端、煙灰より上に嵬の姿が現れる。嵬は片足を振り上げた姿勢で煙灰を待ち受け、地面へと落とす様に足を振り下ろす。

 

「ぐぅ!」

 

 煙灰から苦痛が洩れる。煙灰の身体がすさまじい速度で地面へと轟音と共に叩き付けられ土煙が舞い上がり、煙灰の姿を隠す。

 バチリッと空気が弾け、土煙の外側に嵬が姿を現す。

 

「疾風迅雷を司る能力、やはり馬鹿げているな」

「くかか、貴様がいうか。煙灰」

 

 土煙の向こうから煙灰の声が発された。先ほどまでとは比にならない妖力が煙の奥より現出した。

 嵬が笑みを深め、楽しげに笑う。ピシピシと地面に亀裂が走る音が聞こえてくる。

 

「まさに神出鬼没、鬼神の如きといったところだな、嵬」

「ならばお前は百鬼の主だろう、煙灰」

 

 妖力がさらに膨れ上がっていく。それは嵬が言ったようにさながら百鬼夜行の様に群れを成した妖怪たちの全てを合わせたような馬鹿げた妖力を感じさせる。

 空に雲が広がり、太陽が顔を隠す。大気が妖力に押され、震え始めた。

 

「本当に馬鹿げた妖力だな」

「お前が能力を使うなら俺も本気にならざるを得ないな」

「くかか、これは楽しみだ」

 

 土煙が晴れる。クレーター状に陥没した地面の中心で煙灰が煙管を吹かす。

 視線はひどく剣呑ではあるが、顔を彩る表情はひどく楽しげだ。

 闘争に喜びを見い出す鬼その者だろう。

 

 

――いい面構えだ、煙灰

 

 

 嵬は本気の煙灰に、闘いを楽しむ煙灰に心から賞賛をおくる。

 それでこそ鬼だと自身にも、歓喜に満ちた笑みが浮かぶ。

 鏡合わせでもしたかのように獰猛な笑顔が向き合う。

 

「奥儀・白鬼夜行」

 

 煙灰が口から煙管を離し、大量の煙を吐き出す。煙は周囲を覆う様に広がるも、すぐさまいくつもの人型を作るために固まっていく。

 一体一体が並みの鬼を超える妖気を有し、煙で出来た鬼たちが九十九体現れる。煙灰を含め総勢百体の鬼の軍団が出来上がった。

 

「くかか、相変わらず壮観だな。百鬼の王よ」

「気を付けろ、鬼神よ。我が百鬼の群れは手荒いぞ?」

「望むところだ!!」

 

 バチリッと空気が弾け、拳を振り抜く直前の姿勢で嵬が煙灰のすぐ目の前へと現れた。しかし、嵬が拳を振るより早く、煙灰の隣にいる白鬼が間に割って入る。

 

「チッ!」

 

 嵬が舌打ちをして白鬼を殴るも、煙がクッションの様に衝撃を吸収するだけで破壊に到らない。むしろ、拳が白鬼の頭部に埋まり嵬の腕を絡み取ろうと煙が腕を伝い身体に向かって伸びてくる始末だ。

 

「小賢しい!!」

 

 嵬の身体からブワッと暴風の様な風が吹き出し、腕に絡む煙を散らす。腕の拘束が外れると、空気の弾ける音と共に嵬の姿が先ほどの場所へと戻った。

 

「面倒くせぇ」

「どうした? 望むところなのだろう?」

「調子に乗るなよ、煙小僧」

「静電気坊主が言うじゃねぇか」

「ぶっ殺す!」

「来いよ」

 

 クレーターの中心から一歩も動かず、嵬へニヤリと嗤い挑発をする煙灰。煙管を加えて挑発する姿に嵬の頭が沸騰し、妖力を嵬が身体に行き渡らせる。

 それに合わせるように嵬は能力を強く行使した。嵬を中心にして暴風が周囲へと吹き荒び、バチバチと無数の稲光が煌めく。

 

「風神、雷神、そして鬼神……化け物め」

「くかかかか、一人百鬼夜行が何を言う」

 

 嵬の身体がふらりと揺れた。直後、地を割る様に煙灰へと疾走。嵬が通り抜けた場所は地が抉れ、空気が弾けた。白鬼たちが主を守る様に立ちはだかるも、鬼神の進撃で煙の身体を散らされる。

 しかし、妖気を含んだ重たい煙は全てが吹きとばされる事は無く、嵬の身体を縛る様に一本、また一本と煙を身体へ巻き付いていく。嵬の動きが徐々に鈍くなっていくも、煙灰の前まで白鬼の群れを貫き通す。

 

「しゃらくせ!!」

 

 怒号と共に、嵬が拳を煙灰に抜けて突き出す。

 目で追う事さえ敵わない、神速の一撃が煙灰を襲う。

 嵬は拳が当たる直前、煙灰が笑った気がした。

 拳が煙灰の顔を突き抜け、

 

「しま――」

「甘いぞ」

 

 煙灰の身体が崩れ色あせていく。崩れて煙になった煙灰だった物が投網でもするかの様に広がり、嵬の身体を捕えた。

 崩れた煙灰の近くにいた一体の白鬼の煙が晴れ、煙灰が現れる。多分に妖気を含んだ煙を嵬は振り切ることが出来ない。

 ギチギチと軋むような音がするも外れる様子どころか、緩むそぶりさえ見せない。

 

「く、テメェは狐かよ」

「俺は元人間の鬼だよ」

 

 嵬の憎まれ口に煙灰が愉快気に答えた。煙灰の偽物を殴った腕に煙灰の手が触れる。

 握りつぶさんばかりに煙灰が嵬の腕を掴むと、煙管を振り上げて嵬の肘に向かって振り下ろす。

 肉と骨を力づくで押しつぶす生々しい音が周囲に広がり、嵬の腕がその身体からもぎ取られた。

 

「ぐ、がぁぁぁぁ!!」

「喧嘩代だ」

 

 煙灰が嵬の腕を手元で軽くぽんぽんと弄び笑う。嵬のこめかみに青筋が浮かぶ。

 

「う、ア゛ァァァア゛ア゛ァァ!!」

 

 嵬が裂帛の気合を込め、叫びをあげて妖力を爆発させた。自身さえ巻き込む、妖力の爆発が起きる。

 多量の土煙と爆発の熱と光が辺りをかけ抜け、煙灰が一瞬だけ嵬の姿を見失う。

 

「あ? ぐぅぅ!」

 

 直後、煙灰が突然腕に走った違和感に視線を向ければ、自らの左腕の肘から先が無くなっていた。気が付いた途端に痛みを覚える。

 

「なら、お前も払え」

 

 煙が晴れると、嵬が突進前の位置に戻っていた。口元に大量の血が付いている事から、煙灰は自らの腕が噛み千切られたことを理解した。

 

「お前はトラか」

「いいや、鬼だ」

 

 煙灰が問えば、嵬が笑って答えた。

 

「ちげぇね、はははははっ」

「くかかかか、そうだ。俺たちゃ鬼だ、煙灰」

「……そうだな。そうだな、嵬。俺は鬼だ、鬼なんだよな」

「血が滾ったか?」

「あぁ、最高に楽しかった」

「そりゃよかった。もう大丈夫か?」

「正直分からん……が、前よりずっとすっきりした。すまんな、嵬」

「気にするな。俺はお前らの頭領だからな、かっかっか」

 

 片腕が無い両者が楽しげに笑いあう。鬼だけが、鬼にしか分からない楽しい語り合いが終わる。もう、二人に戦意は感じられない。楽しげな笑いが雲に覆われた空の下で響く。

 

 

 

 



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六振り目

 

 

 しばらく鬼二人が笑いあうだけの時間が続く。笑いが収まると、クレーターの中心に未だ立つ煙灰が口を開く。

 

「嵬」

「んあ? 何だ」

「ほれ」

 

 煙灰が言葉と共に嵬から捥いだ腕を放り投げた。腕は高い放物線を描き、嵬へと飛ぶ。嵬もそれを見て察すると、噛み千切った煙灰の腕を交換する様に投げ返す。互いの腕が宙で行き交い持ち主の元へと戻った。

 

「たく、勘弁しろよ嵬」

「あぁ? 何がだ」

「腕捥ぎやがって」

「お前が先だろ」

「俺とお前じゃ違うだろ」

「人間上がりは不便だな」

「テメェ……」

「いいだろ。別に恐れなんざなくたって存在できるんだから。義務感なく暴れられるなんてうらやましいぜ」

「けっ、簡単に言いやがって」

「くくくっ、まぁ無いものねだりだ」

「ちげぇねぇ」

 

 二人が自らの腕を掴むと嵬は千切れた腕を繋げるようにあてがう。ミチミチと音が鳴り僅かずつ、しかし目に見える速度で再生をしていく。嵬は煙灰のぼやきにニヤリと笑ってみせた。

 煙灰も同じように腕先を断面にあてがうも、嵬の様に肉はつながる様子を見せない。その様子に一度嵬を恨めしげに一瞥した後、煙灰はふぅと煙を吐き出す。

 吐き出された煙は腕を固定する様に傷口を覆う。煙灰は支えている手を腕から離すと、具合を確かめるように動かす。腕は外れることも、ずれることもなく固定された。

 

「ほれみろ、どうせすぐ治る」

「気軽に言いやがって。まぁいいさ」

「そうか。んじゃ、俺は帰るわ」

「相変わらず浮雲みてぇな野郎だな」

「雲はおまえだろ。ま、ちゃんとやれよ」

 

 嵬は最後に一言そう言うと、その場から姿を消す。煙灰は嵬の気ままな様子に苦笑を漏らす。呆れ半分、清々しさ半分といった心持ちの中、煙灰は空を覆う雲を眺めた。

 顔を上向きの姿勢から戻し、煙管を手に持つ。クルリと手の内で煙管を一度回せば、周囲に残る煙が煙管の先端に吸い込まれる様に消えていく。

 煙が全て収まると、地を割り、大気を揺らすほどの妖力が収まった。妖力を収めた煙管を再び帯に差す。

 

「はぁ。ケリつけるか」

 

 煙灰はため息を一つ漏らすと、軽く首を回す。コリをほぐすような仕草をし、気持ちを切り替えた。とん、と軽く地面を蹴ってクレーターの外縁部へと出た。

 煙灰が視線を周囲へ向けると、怯えた視線を自身を見る永琳たちを見つけた。永琳の瞳に煙灰はため息を漏らしたくなるが、その気持ちを呑み込むと三人に向けて歩を進めた。

 永琳たちは自分たちに向かって歩を進める煙灰を見ると、心の底から恐怖に震えた。永琳は気丈に振る舞おうとするも、身体が言う事を聞かない。それを示す様にカチカチと歯の鳴る音がする。

 残りの二人も似たようなものだ。むしろ煙灰の事を知ら無い為に、その度合いは永琳よりも激しい。

 煙灰の足音だけが嫌に大きく聞こえた。空が雲で覆われ陽が届かない為に、薄暗い周囲の中では白髪で白い着流しの煙灰の姿が浮き出るように良く目につく。

 

「分かったろ」

 

 少し離れた場所で歩を止めた煙灰が言葉を投げかけた。発せられる声はひどく落ち着いていた。

 永琳は応えようとするも喉がひきつり、声が出ない。口元が震えてうまく形を作れない。

 

「これが俺とお前の立ち位置だ」

 

 煙灰が短く告げ、またゆっくりと歩を進めた。威圧する様に妖力が煙灰の内より僅かに漏れた。

 永琳の中で生まれた恐怖がより大きく、明確に育つ。死の脅威に身体が無意識に抗おうと手に持つ弓の弦を引かせた。弦を引くと、霊気で生成された弓矢がつがえられた。

 

「それで?」

 

 煙灰が呟き、一歩踏み出す。ヒュンと風切り音が鳴り、弓矢が煙灰の頬を掠めた。精神を直接刻む術式を施された弓が、作り手本人へと牙を剥く。

 しかし、煙灰はまるで怯んだ様子を見せない。

 

「それは対妖怪用ともいえる。だが、俺や塊清は肉体に重きを置いている。だからそれは脅威になりえない」

 

 煙灰が足を再び止めた。立ち上がれず地面に座り込む永琳たちと、それを見下ろす煙灰が数メートルの距離で向かい合う。

 効果が無いと言う煙灰の表情がどことなく寂しげに見えると永琳は感じた。突き放すような態度を見せてくる煙灰の姿に、永琳は恐怖のほかに寂しさを覚えた。

 煙灰と過ごした日々が、思い返される。数々の記憶が永琳の中をかける。楽しかった、本当に楽しかったと永琳は思い出に感情を刺激された。このままではもう以前の様に煙灰と話すことが出来なくなってしまう。別れが訪れると判断できてしまう。ゆえに、永琳は自らを奮い立たせ煙灰の名を呼ぼうとする。

 

「煙か――」

 

 しかし、再び永琳の声は遮られた。それは空気の弾ける音。普段聞きなれない、しかし先ほど嫌になると言うほど聞いた雷が空気を破裂させる音が永琳の声を遮った。

 永琳たちと煙灰の間に人影が現れた。帯電した矛を構える産巣と、その背に乗る様な格好の月夜見が姿を現す。

 

「煙灰ぃぃい!!」

 

 怒声と共に現れた産巣が矛を振り下ろす。帯電した矛が肉を断ち、電熱で切り口を焼く。矛の勢いに飛ばされる様に煙灰の身体が後方に向かって切り飛ばされた。

 飛ばされるままに動きを見せない煙灰はそのまま自然に勢いがなくなり止まるまで空を飛び、地を転がる。

 永琳が目の前の出来事に息をのむ。父が現れたことに対する緊張か、煙灰が斬られたことへの驚愕か、言葉を失う。

 次第に勢いが衰え煙灰が停止した。転がった際に上がった土煙が、風で流され静寂が訪れると煙灰が静かに身体を起こす。

 

「よぉ、産巣に月夜見。くくく、使いこなしているじゃねぇか、嵬の能力の一部を込めたその矛を」

「煙灰! 貴様、何を考えている!?」

「くははっ、何がだ?」

 

 煙灰は斬られ、肉が焼けた傷を気にしたそぶりも見せずに声をかけた。普段通りに世間話でもするような気軽な調子が、いきり立つ産巣の神経を逆なでた。

 産巣が感情のままに疑問をぶつけるも、雲を掴む様な態度で煙灰が言葉を返す。

 

「なぜ子供らがここに居る!? 何を考えているのだ!?」

「くかか、馬鹿め。それはそいつらが勝手にしたことだ。俺は知らん」

「戯ご――」

「産巣、落ち着きなさい」

「そうだぞ。せっかく多少は悪いと思って一太刀受けてやったのだ。落ち着け」

 

 さらにヒートアップをする産巣へ、月夜見が言葉をかけた。それを後押しする様に煙灰が言葉を発すればいく分産巣の熱も落ち着く。

 わざと矛を受けられていた事にも気がつけば、混乱は加速するが頭に昇った血は下がった。

 

「そのガキにお前が俺の話をしたのだろう。それほど大事ならちゃんと見ておけ。子守りは懲り懲りだ」

「……いつからだ?」

「満月が二回上るくらいは前だ。全くもってあきれ果てるな、お前らの管理能力には」

「返す言葉もありません」

「まぁいい。俺にとっても良い機会だった」

「それはどういう意味ですか?」

 

 あきれ返った声色で煙灰にそう漏らされると、産巣は言葉を失い、月夜見は申し訳なさそうに頭を下げた。

 目の前のどこか手馴れた、それでいて気安げなやり取りに永琳は不思議な気持ちを覚えた。何故、妖怪である煙灰と神である二柱が親しげなのか、と。すると今まで気にしていなかった疑問が次々と湧き出るもそれを聞ける時間は永琳には無い。

 煙灰がニヤリと笑い言葉を発すれば、月夜見は首を傾げて問い返す。月夜見の問いに、煙灰は煙管を腰元の帯から引き抜く。産巣と月夜見が警戒する様に身構えた。

 

「二対一で闘うと。手負いの貴方が?」

「かっかっか、いいや違うさ」

「いつもに増してのらりくらりと」

「まぁ、そう急くな」

 

 煙灰が煙管を手元で遊ばせるようにくるくると、指先で回す。それに合わせるように僅かずつではあるが、妖気を含んだ煙が漏れてゆく。

 二柱の意識が煙灰へと惹きつけられた。何かの術を仕掛け様としているのではないかと警戒が強まる。煙灰の口元が愉快気に歪む。

 

「塊清! 引き離せ!!」

「任せろ!!」

 

 煙灰が叫びをあげると、一つの気配が急速に現れた。月夜見と産巣を引き離す為に、塊清が割って入る様に両者の間へ着弾した。

 月夜見の落とす隕石ほどではないが、大質量の物体が地を砕く破砕音と土煙を巻き上げた。舞い上がる土煙が月夜見と産巣、そして永琳たちの視界を封じる。

 

「くっ!!」

「セイ!?」

「きゃぁあ!」

「うわぁ!!」

「ひっ!」

「ハッハァー!!」

 

 様々な声が混線する様に発せられた。ゾワリ、と生まれた隙を逃すまいとする様に煙灰の妖力が蠢く。煙管を咥えた煙灰から煙が噴き出す。

 月夜見と産巣が煙灰の妖力に反応するも遅い。身構える間もなく視界を遮る茶色の煙が、妖力を含んだ白色の煙に塗りつぶされ流されていく。

 産巣は身体を押し流されている事に気が付き耐えようとするも、抗う事かなわずに白煙の激流に呑まれた。

 唐突に産巣の身体へとかかる負荷が消えた。負荷が消えると同時に、視界が開けている事に気が付く。そして目の前に空の雲まで届く白い煙の壁が出来ていることにも気が付く。

 

「一体なんだというのだ」

「二人きりにしてやろうぜ」

「塊清!?」

 

 産巣が起きた出来事に不満を漏らせば、返答があった。驚き振り返れば、原因の一人である塊清が立っていた。

 警戒する様に産巣が構えるも、塊清はその場に座り込むと腰元の瓢箪を手に取り中身を呷るように飲む。その気の抜ける様子に産巣も肩の力を抜く。

 

「本当に何がしたいのだ、お前たちは?」

「さぁね。俺は煙灰と楽しくやれりゃそれでいい。だからアイツが何かしらの答えを出したいというのなら俺は手伝うだけさ」

「変わらんな」

「変わらんさ」

 

 ため息を吐きたい気持ちを産巣は抑えた。視界の端にふと、別の者が目に入る。娘の永琳とその友人たちだ。その姿に頭痛を覚えた。

 

「お前達、何をしていたのだ」

 

 産巣が近づき少しだけ叱る様な雰囲気を出して問い掛ければ、三人の顔色がまた先ほどまでとは違う意味で青く変わった。さらに産巣が言葉を続けようと口を開くも、声が出る前に遮られた。

 

「おぉ、お前が煙灰の弟子か。嵬から聞いていたぞ」

 

 塊清が楽しげに声を上げて永琳へと投げかけた。その投げかけられた内容に産巣は戸惑いを覚える。煙灰が人間を弟子に取るとはとても思えなかったのだ。

 

「は? 塊清、そのデシと言うのはなんだ。まさか師弟関係の弟子ではあるまい」

「その弟子以外で何が有るんだよ、馬鹿かお前は」

「馬鹿っ!? 貴様だけには馬鹿呼ばわりはされたくない!!」

「食いつく所そこかよ。相変わらずズレてんな」

「くっ……いや、今はそんなことを話している場合ではない。永琳、塊清の言っている事は本当か?」

 

 産巣が拳を強く握り、塊清に言いたい言葉を力ずくで呑み込む。そのまま永琳へと向き直り再度問い掛けた。状況の変化になれたのか、麻痺したのか、はたまた落ち着いたのか分からないが永琳は緊張の解けた口元を動かす。

 

「煙灰は弟子じゃないってさっき言っていたけど、私はそのつもりだった。ううん……私は、私は煙灰の弟子。私は色々な事を教えてもらった、煙灰の弟子よ」

「…………そうか」

 

 永琳は胸元で手が白くなるほど強く握り、静かにしかし強い意思のこもる声でそう応えた。

 産巣は娘の様子にかける言葉を見つけられない。叱りたい事や、何を学んだのか、その時の煙灰の様子など聞きたいことが山ほど浮かぶも考えがまとまらない。

 押し黙ってしまった産巣に永琳は少しだけ困惑するも、思考を切り替えた。視線を塊清に向けると口を開く。

 

「貴方は煙灰の知り合いなの?」

「悪友さ。または一緒に鬼に堕ちた身ともいう、かかかかかっ」

「嵬っていう鬼も言っていたのだけれどどういうことなの? 煙灰はもともと人間だったの? 何があったの?」

「はっはっは、物怖じしないか。面白いガキだ。煙灰が気にいるのも分からんでもないな」

「ねぇ、教えてくれないの?」

「煙灰の事が知りてぇなら直接聞きな、弟子なのだろう」

「……たぶん駄目よ。私、煙灰が怖くて弓をひいてしまったの。だから、もうだめなの……」

「んなこと気にしねぇと思うがなぁ」

「違う。危害を加えたことを言っているんじゃないの。私は煙灰が近づいてくるとき拒絶してしまったの。恐れてしまったの。だから……」

「なるほどな。まぁ、それならそれでいいさ」

 

 塊清はそう言うと視線を永琳から切り、目の前の煙の壁へと向けた。煙灰の妖力を多分に含んでいる為、中の様子が分かりにくい。地面の揺れるような振動がない事から闘いにはなっていないと察せられた。

 永琳は顔をそむけた塊清から落胆されたような気配を感じた。そして、煙灰がさらに遠くへと行ってしまう様な予感が脳裏をよぎる。その予感に胸が酷く締め付けられた。その感覚を振り払う様に永琳は塊清へと声をかける。

 

「煙灰にまた会わせてと言ったら貴方は協力してくれる?」

 

 永琳は後ろで産巣の息を飲む音を聞く。そして直後に怒気を感じた。怒鳴られる、と反射的に身体へ力が入りそうになる前に塊清が応えた。

 

「くくく、構わねぇよ。産巣、それくらい許してやれよ。でなきゃまた今回みたいに脱走するぜ? 俺が行き帰りを保証してやらぁ」

「妖怪の言う事なぞ――」

()が保証してやる。それで足りなきゃ鬼として約束してやるよ」

 

 産巣の言葉を遮り、塊清が強く断言をした。産巣は考えるように、眉間に皺を寄せながら瞼を閉じる。しばらくして、苦々しい顔をしながら目を開く。

 

「一度だ。一度だけ見逃す」

「かかっ。だとよ、お嬢ちゃん」

 

 塊清がカラッとした笑みを浮かべ永琳に言う。永琳も産巣の言葉を受けて歓喜を示す様に、振り向き産巣の腰元に抱きつく。頭をぐりぐりと押し付ける永琳に産巣は苦笑するも、永琳の頭を強くなでた。

 

「ちゃんと納得できるように話してきなさい」

「――うん!!」

 

 短い言葉を親子が交わす。塊清は少しだけ二人を眩しい物でも見るように目を細めた。ふっ、と自嘲気味な吐息が漏れると塊清は頭を一度掻き、酒を呷った。

 

「まぁ、それも煙灰が生きていたらの話だがな」

 

 塊清が口から瓢箪を離し、そう口にした。中の様子はいまだに煙灰の煙の所為で知覚できないが、地面が揺れ始めている事から始まった事を言外に告げた。

 産巣と永琳もその言葉を受け、視線を煙の柱へ向けた。他の二人の子供も習う様に視線を追う。少しだけ怯えが残っているのか、柱との間に産巣を挟む形だが。けれども、しっかりと視線は煙を向いていた。

 

「まぁ、好きにしろ煙灰。尻拭いはしてやらぁ」

 

 塊清が上機嫌に酒を飲む。くつくつと喉を鳴らし、中の様子が見えでもしているかのように楽しげな表情を浮かべ煙を見つめた。

 

「まったく、難儀な二人だ」

 

 続ける様に口から漏れた言葉は誰の耳にも届かない。小さな声で呟かれたそれは煙に吸われる様に消えてしまう。

 

 

 

 

 



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七振り目

 

 

 

 月夜見は白煙に覆われた世界の中、自身の身体が前方へと強く引かれていることを自覚した。けれども、その力に抗うことなく引かれるままにと身を任せた。僅かな時間、煙の奔流へと身をゆだねれば視界が晴れる。いまだ手元で煙管をもてあそぶ煙灰が視界へと入ってきた。

 

「産巣とは引き離されましたか」

「はっ、よく言うな。予測もしていたし、それを望んでいたろう?」

 

 月夜見が現状を確認する様に言葉を口にすれば、煙灰が馬鹿を言えとでも言う様に鼻で笑い斬り捨てた。月夜見は煙灰のその態度に不快感を示すことはせず再び口を開く。

 

「エン、何か話があるのでしょう?」

 

 月夜見が酷く落ち着いた瞳で煙灰を見つめた。煙灰は月夜見の視線を受け一度ため息を吐く。どこか少しだけ疲れた様な、けれど少しだけ肩の荷が下りすっきりとした様な雰囲気を見せた。表情にはうっすらと笑みさえ浮かんでいた。

 

「あぁ、話がある。お前に、ヨミに話がある」

 

 煙灰がヨミと呼びかければ、月夜見の瞳が僅かに揺れ、キュッとその手に力が籠った。どこか求める様な月夜見の視線に煙灰が苦笑した。

 しかし、嬉しそうにも見えるそんな苦笑だ。煙管を腰の帯へ差し、煙灰はまた言葉を紡ぐ。

 

「まずは永琳の事だ」

「永琳ですか?」

「あぁ。俺はあいつが来てから様々な術を、知識を見せた。それをあの小娘はすべて吸収しやがった。正直もう教える事なんざねぇと言える。後は実物でも見ながら自分なりの方法を模索すりゃ一人前だ」

「貴方が弟子とるなんて……相変わらず子供には甘いのですね」

「弟子じゃねぇよ。ただ見る事を許しただけだ。あいつが勝手に学んだんだ」

「工房に入れたことがすでに驚きですよ。エンはそういうのは嫌いでしょう?」

 

 月夜見がクスクスと口元に手を当てながら穏やかに笑いかければ、煙灰は居心地悪そうに舌打ちをして視線を一度月夜見から切った。月夜見は煙灰のその態度にますます楽しそうに肩を震わせた。収まる気配を見せない月夜見の様子に、煙灰は大きく息を吐き遮る様に言葉をかけた。

 

「たく、楽しそうに笑いやがって。まぁいい。それで何が言いたいのかというとだな、あいつが居ればもう俺はいらない。俺の持っていた物はあいつにやった」

 

 先ほどまでとまるで変わらない調子で煙灰が言葉を投げかけた。しかし、その内容に月夜見の笑いが止り、瞳が大きく見開かれた。

 

「エン?」

「俺がお前にしてやれる最後の餞別だ」

「エン、それ――」

「ヨミ、聞け」

 

 月夜見が煙灰の真意を聞こうと問い掛けようとするも、煙灰に遮られた。一歩踏み出された足も煙灰の声と強い眼差しに、その場へと縫い付けられて動けない。

 

「俺は今までずっと中途半端だった。恨んでいるのに手を出さない。手を出してもまともに対峙しない。ずっと足元が定まらずにふらふらしていた。そんな時に永琳がきた。嵬にも言われたが、俺はあいつを育てることでまたお前の味方にでもなったつもりになっていた。お前の為に成れていると自らを慰めていた」

「……」

「だがそれは間違いだった。やはり俺はお前達とは共に歩めん。怯えた顔を見せられてやっと自覚できた。有象無象が怯えようが気になんざならんが……あいつのは、少しだけ堪えた」

 

 煙灰が自らを自嘲する様に喉を鳴らして笑う。痛ましく見える煙灰の姿に月夜見は言葉をかけようと息を吸うも、かける言葉を見つけられない。

 何も言う事の出来ない自らに月夜見は悔しさを感じた。その事が如実に煙灰との距離を表しているようで胸を締め付けられた。

 

「そんな顔をするな、ヨミ。次代がちゃんと育っているんだ、喜べよ」

「そう、ですね。そうですよね」

「恐れさせるなよ。お前らが守れ。お前の姉の天照(アマテラス)や弟の須佐之男(スサノオ)だっているのだ。無論他の神達もな。というかあいつらがいて何故抜け出せるのだろうな。相変わらず抜けている、揃いもそろって」

「そのあたりに関しては本当にぐうの音も出ませんね、迷惑をかけました」

「お前の領分ではないだろうに、律儀だな。統治や豊穣といった内向きな力を持つあいつらの領分だろう」

「それでも、ですよ」

「くはは、変わらんなヨミよ」

「……そうですね。私は変わっていないですね」

 

 精一杯の笑みを作り月夜見が煙灰へと返答した 。月夜見の笑みに煙灰は瞳を細めた。眩しい物を見るように、けれど決して視線は逸らさない。

 煙灰は心が酷く落ち着くことを自覚し、すぅと息を小さく吸う。

 

 

――さぁ、区切りを付けよう

 

 

「ヨミ、あいつはきっと俺がお前にしてやれる最後の事だ。もうこれから俺はお前を助けられんし、助けはしない。それとな、あの時の言葉……本当は嬉しかった」

「あの時?」

「先回の事だ。お前が俺を捉えると言った時、俺はまだお前に見捨てられていないと知った。馴れ合うわけにはいかないとあんな事を言ったが俺は嬉しかった……本当にうれしかった」

「……エン」

「お前の心が俺に残っていると知れて心が震える程歓喜した。だが、それは敵わぬものだ」

 

 煙灰が視線を虚空へと向けた。視界の先に広がるものは自らが作り出した煙の結界の内側だ。ただ白だけがひたすらに広がる壁が視界へと入る。それがまるで心にかかる靄を表しているようで少しだけ不快さを煙灰は感じた。

 月夜見は煙灰の言葉をかみしめる。無理だと告げられ、さらに以前自分が咄嗟に告げた居場所さえももはや作る事は敵わない。締め付けられる心の痛みを耐えようと瞳をきつく閉じていると煙灰の声が聞こえた。

 

「ヨミ、愛していた。お前の事をずっと愛していた。忘れないでいてくれてありがとう。見捨てないでくれていてありがとう。俺はお前のその心だけで救われた」

 

 煙灰が穏やかで、優しさに満ちた声で月夜見へと語りかける。満ち足りた笑顔を月夜見へ向けた。月夜見は煙灰のその姿に胸の詰まる思いを懐く。儚さを漂わせる様子にさらに胸が締め付けられる。

 

「そんな、そんな遺言の様な言い方はやめてください!!」

 

 月夜見が声を荒げて叫ぶ。悲しげな瞳が煙灰を捉えた。けれど、煙灰はクスリと頬を緩める。

 

「これは遺言だ。これは遺言なんだ、ヨミ」

「エン?」

「これは人としての、エンとしての遺言だ。お前に、ヨミにだけは最後に直接聞いてほしかった」

「だから産巣を?」

「ふん、産巣に改めて言う事なんざねぇ。伝えたきゃ後で勝手に教えておけ」

 

 煙灰が鼻を鳴らして不遜に言えば、月夜見は少しだけ笑ってしまう。そして後で自らが伝えた時の産巣の姿を明確に思い描けてしまい、また笑いがこみ上げてくる。

 

「産巣が聞いたらへそを曲げますよ」

「知らん。勝手に曲げさせておけ。産巣の所為で子守り何ぞやらされたのだからいい気味だ」

「もう、そうやって憎まれ口ばかりを」

 

 気安いやり取りに月夜見の纏う空気が少しだけ柔らかくなった。人として、エンとして伝えたいことは伝え終ったと煙灰は満足した。そして、ここからは鬼として始まるのだと心を入れ替える。妖怪らしく何も気にせず自由に生きようと気持ちを入れ替える。先ほど固定した左腕を掴むと、固定を解き取り外す。

 

「エン?」

 

 煙灰の行動へ疑問の声をあげる月夜見を無視して、その腕を空高く煙灰は放り投げた。投げられた腕は空を蓋する様に広がる雲へと入り、視界からその姿を消す。

 先の無くなった左腕を補う様に煙が腕先に纏わりつき形を変える。煙が腕を形成する様に固まると、煙灰は動きを確かめるように手を握り、開きを数度繰り返す。

 確認が終われば不思議そうな月夜見へと向き直った。

 

「これからお前とやり合うのにまだつながってない、指先の動かない腕では邪魔だからな」

「やり合う、ですか」

「あぁ。人としての俺は今死んだ」

 

 煙灰が言葉と共に煙管を腰から引き抜く。月夜見が反射的に警戒をし、すぐさま反応できるようにと臨戦態勢へと入る。煙灰は月夜見の反応に笑みを深めた。煙管はいまだ咥えず、手元で弄ぶ。そしてニヤリと好戦的な笑みが浮かぶ。

 

「これからの俺は鬼だ。好き勝手生きる妖怪だ。都の奴らが俺を勝手に恐れて鬼とするならば、俺だって好きに生きさせてもらう!!」

 

 快活に、生き生きと煙灰が笑みを浮かべて声を張り上げた。胸を張り、鬼であることを誇る。

 

「俺はお前を攫うぞ、ヨミ。鬼は人を攫うのだ。ならば神を攫う変わった鬼が一匹位いたとて問題無かろう!!」

 

 煙灰が強く言い切る。攫うと、お前を連れていくと、なんの憂いなく宣言した。一瞬だけ月夜見は唖然とするも、すぐさま身体が熱をもつ。身体の芯から、心の底から歓喜の熱が湧く。けれど、それらと反する様に理性が警告を発する。思考が正常に働き答えを示す。

 

「私は、私は」

 

 まるで血を吐くように月夜見は声を振り絞る。感情を無視して言葉を吐き出す。

 

「私は神です。人を守る神なのです。いいえ、たとえ神でなくとも……皆を見捨てることはできません、したくありません」

「あぁ、知っているさ。だからお前は神に成れたのだろう。だから俺は鬼になったのだろう。誰かの為にと行動できるお前や産巣。周りなど知るかという俺や塊清。きっとそれが境界であったのだ。だから、俺も悪かったのだろう。くははははっ」

 

 機嫌よさげに煙灰は笑い、あっけにとられる月夜見へとさらに言葉を重ねた。

 

「全力で抵抗しろ。俺の愛しているお前はそう言うヤツだ。俺の愛しているヨミは、感情などで自分を見失いはしない。そんなお前だから愛しいのだ。だから全力で抗え。この煙の中であれば何が起ころうと外へは漏れん。都に不在だと誰も分からん。だから本気で闘え、月夜見!!」

 

 煙灰の身体に妖力が満ち始めた。呼応するように月夜見も神力を纏う。月夜見の顔に迷いは見られない。煙灰の言葉を受け、決意を固めて見据える。決別の時が来てしまったのだと月夜見は理解した。ならば、最後は自らが終わらせようと決意を示す。

 

「本気でいいのですね?」

「あぁ、もし討たれるのならばお前がいい。お前に討たれるのならば俺はきっと気持ち良く逝ける。だが、俺とて本気だ。全てをとしてでもお前を連れて行く」

「ならば、私が貴方を討ちましょう。他の誰でもない私が貴方を。他の誰にも貴方は殺させない」

「くははははっ、楽しくなってきたぞ!!」

 

 煙灰が煙管を咥え、妖力を高める。自身が操る煙のごとく、白い妖力が体からあふれるように流れて全てを威圧する。地がひび割れ、大気が啼く。全てを隠し、消し去る濃霧よりもなお濃い白の妖力が荒ぶる。

 月夜見からも神力が漏れ出る。夜の様に黒い神力。人々を眠りへといざない、優しく包む夜の様な黒い神力が月夜見から発される。地を治め、大気を鎮める。全てを包む夜闇の如き黒い神力が湧き立つ。

 白と黒が互いの領域を侵さんとバチバチと激しくせめぎ合う。

 

「くかかかか!! 良い神力だ、月夜見ぃぃ!!」

「もう、本当に鬼なのですね」

「あぁ、そうだ。我は鬼! 白煙纏いし百鬼の大妖!! 名は煙灰、(あざな)は茨木!! 百鬼の王、茨木煙灰なるぞ!!! 我が百鬼の通りし後に神も人も妖怪さえも居られるものと思うなよ!!!」

「我は神。夜闇を纏いし人の守護者。名は月夜見。夜と月を司る王、月夜見。我が力の前では何人たりとも抗う事は敵わない、散りなさい煙灰」

 

 両者が最後の決別をするように名乗りを上げた。煙灰は凄惨な鬼らしい笑みを浮かべた。月夜見は落ち着き、超然とした平静さを見せた。

 スッと月夜見の手が、滑る様に空間を撫でる。途端、大地から槍が飛び出るように円錐形の土塊が煙灰めがけて無数に生まれる。

 自らめがけて飛び出す土塊を避ける為、煙灰は軽く膝を曲げ大地を踏み切った。重力の縛りから解放された様に煙灰の身体が空へと軽やかに舞う。

 煙管を回せば煙が生まれ、足場が出来る。見上げる月夜見と見下ろす煙灰。すぐさまお返しという様に今度は煙灰が軽く手を振った。小さな煙の球が無数に生まれ、月夜見めがけて空を走る。

 月夜見が足元をつま先で軽くトンとたたく。植物の蔓の様に土が生え、向かいくる煙めがけて伸びていく。煙と土が両者の間で幾度も衝突した。

 突かれた煙は、ある物は爆ぜ、ある物は放電し、また燃え盛り、と様々な変化を見せた。

 

「器用ですね」

「これくらいの芸、あの小娘もすぐできるようになる」

「これで芸ですか」

「あぁ、芸だ。こんなもの見世物だよ」

「全く、馬鹿げていますね」

「惚れたか?」

「もともと惚れていますよ」

「かかかっ、そいつは僥倖」

 

 軽口をたたき合いながらも身に纏う力は微塵も薄れない。むしろ両者ともさらに練り込まれ、膨れ上がっていく。

 

「我が百鬼の行軍、貴様に耐えられるかな?」

 

 煙灰が楽しげに告げ、煙管を咥えた。ただでさえ大きな妖力がさらに膨れ上がった。大きく吸い煙を吐き出せば煙達は人型をとり始め、大地へと降り立つ。軽い煙で出来ているはずなのに、白鬼達が地に降り立つ際は衝突音とともに大地が僅かにへこむ。

 

「まさか汚いと言うまいな? 全力で行くと俺は伝えたぞ」

 

 意地悪気な笑みを浮かべ煙灰が伝えれば、月夜見は僅かに冷や汗をかく。先ほどまでは拮抗していた妖力と神力が天と地ほどの差となった。一度ギリッと歯噛みをし、言葉をかける煙灰を睨む。

 

「いいえ、汚いなど言いませんとも。それに私とて修練はしているのですよ?」

 

 月夜見が言葉と共に跪くように両手を地へとつけた。煙灰は月夜見の行動に眉をひそめるも、次の瞬間には驚愕に目を見開く。月夜見から立ち昇る神力が爆発的に勢いを増す。それはため込んだ妖力を纏う自身にも匹敵するほどの大量の力を放つ。

 

「なんだ、それは? いや、それは……龍脈か?」

「ご名答、さすがですね」

「離れた地を流れる龍脈から無理矢理力を引きずり出しているのか!?」

「えぇ、一時的な物とはいえこれで私に欠点は無い」

 

 静寂な夜を思わせる静かな力を纏っていた月夜見に神力が、噴き出る龍脈の力に()てられ獰猛さを放つ。強い風が吹き荒れるように月夜見の服や髪がはためく。漆黒の神力の中で、月夜見の青い瞳が光を放つように煌めく。

 煙灰は月夜見の様子に上等だとでも言うがごとく好戦的な笑みを深めた。高ぶる気持ちに合わせる様に自らもさらに煙管から妖力を吸い上げてゆく。赤い瞳が燃え上がる様に白い世界に浮かび上がった。

 

「吐き出せ」

 

 煙灰が短く言葉を吐くと、空から無数の武具が白鬼達の目の前へと突き立てられた。力の宿る鬼の宝を、白鬼達は掴みあげ構える。威圧するような白い軍勢に月夜見は笑みを深めた。

 

「堕ちなさい」

 

 言葉共に空を覆う雲にいくつもの穴が開き、流星が落ちてきた。すさまじい速度で着弾し、白鬼達を散らす。散らされた白鬼はそれに動じることもなく再び身体を構成する。月夜見はそれらに動じる様子を見せることなくさらに言葉を続けた。

 

「神軍・星輝兵」

 

 放たれる言霊によって魂を吹き込まれる様に地を穿った星屑達が蠢く。流体のごとく星屑の表面が動き、手足をはやす様に四肢が生まれ立ち上がる。元となった隕石の材質ごとに異なる様々な人形が生まれた。

 

「小さくとも星です。この星の龍脈程ではありませんが、侮ると痛い目を見ますよ?」

 

 月夜見の神力と小さな星自らの持つ力が合わさって出来上がった人形達が、白鬼達へ立ちはだかった。月夜見が挑発する様に煙灰へ笑いかける。煙灰も応じる様ににやりと嗤う。

 

「潰せ」

「滅せよ」

 

 両者が同時に自らの軍へと号令を発した。互いを食い潰そうと激しく人形達がぶつかり合う。煙が散り、再び集う。人形が砕け、再びくっつく。互いに破壊されてもすぐさま再生するために終わりの見えない闘いが巻き起こる。

 

「いいのですか、煙灰」

 

 煙灰と呼びかける月夜見の言葉に口元を僅かに綻ばせた。しかし、それを出すまいと素知らぬふりをして問い返す。

 

「何がだ?」

「貯蔵に限界のある貴方と、湧き出るままに振える私では押しつぶされるのも時間の問題ですよ?」

「くかか、よく言うな。時間に限りがあるのはお前もだろう、月夜見」

「何のことですか?」

「そんな馬鹿げた力の奔流にいつまでももつまい。鉄砲水の如き力の噴出だ、身体が壊れるのも時間の問題だろう?」

 

 月夜見が惚けたように問い返せば、煙灰が的確に急所を突く。ばれていましたかと、月夜見が少し照れくさそうに笑いながら呟けば煙灰はあきれ顔を浮かべた。

 

「それではこのまま根競べと行きますか?」

「いいや、そんな勿体ないことなどせんよ」

 

 眼下でぶつかり合う人形達を一瞥し、煙灰は地上へと降り立つ。地につくと同時に足をふみきり月夜見めがけ肉薄する。

 

「ふっ!」

 

 掛け声とともに月夜見めがけて拳を振う。突きだされるその拳に月夜見は焦ることなく側面から手を沿えた。月夜見が押し込む様に力を込めれば、煙灰の拳が逸れていく。逸れた拳は地面へぶつかると大地を砕き、地を揺らす。

 

「ふふ、怖いですね」

「くかか、楽しいな」

 

 手を伸ばせば抱き合えるほどの至近距離で両者が楽しげに笑い激突した。煙灰が次々と拳を、蹴りを放つもそれは月夜見に受け流されていく。地を砕き、空を破裂させる鬼の拳は、神の身体へ届かない。

 けれども、煙灰も月夜見も至極楽しそうに口元を綻ばせる。まるでダンスでも踊る様に次々と立ち位置が入れ替わてゆく。幾度も二人の身体がふれあい、その速度を上げていく。相手の体温を、息遣いを、五感で感じられる他全てを互いに感じていた。

 

 

――俺は今、お前の事だけを考えている

――私は今、貴方の事だけを考えている

 

 

 一切の混じりけなしに相手の事だけを考えていると両者が同時に内心で思う。その感覚に酷く懐かしさを覚えた。分かたれてから初めての経験に胸が高鳴る。

 どのような形であっても今この瞬間だけは、自らの全てが相手の為に存在しているように感じられた。

 その感覚に途轍もない歓喜を覚える。激しい攻防とは関係ない熱を身体が持つ。そのまま溶け合ってしまうのでは思えるほど、両者の熱は高まっていく。

 しかし、すべての出来事には終わりが有る。それは煙灰と月夜見の攻防に関しても同様だ。幾度も受け流し、時に返す様に突き出されていた月夜見の腕の皮膚が裂ける。

 龍脈の力に耐えきれず身体が悲鳴をあげ、血と共に神力が吹き出す。月夜見の身体が一瞬硬直した。高速での攻防を繰り返す二人にとってその一瞬は長すぎた。

 煙灰が歯を剥きだしにする攻撃的な笑みを浮かべ、左の拳を月夜見へと振う。とっさに受け止めようと煙灰の拳の前に、月夜見が腕を盾にするように割り込ませた。

 

「捉えた!!」

「何を――!?」

 

 煙灰が月夜見の対応に笑みをさらに深めた。拳が月夜見の腕に当たったと思った直後、形が崩れ煙を増大させた。腕を模した煙が月夜見を絡め取る様に広がり、結界を作る煙の壁まで押し流す。

 月夜見が煙灰の言葉に反論しようとした声さえも煙がかき消す。結界の壁と、腕から延びる煙につかまり、蜘蛛の巣に捕えられた蝶の様に月夜見が壁に張り付けられる。逃れようと力を入れるも煙の拘束は外れない。

 

「お前の力では外れん。嵬でさえ能力が無ければ逃れられないのだ」

「いいえ、まだです! まだ私は負けていない!!」

 

 逃れるために身体に込めていた力を抜き月夜見が力の限り叫ぶ。煙灰が終わらせようと一歩踏み出せば月夜見から力の行使の兆候を感じ取った。それは重力を操り、対象を地へと縛り付ける月夜見の技。出に時間がかかる為に躱すのはたやすいと煙灰は影響範囲を読み取ろうとし、驚愕した。

 

「ば、お前!?」

「これで躱せない!!」

 

 範囲は結界内全て。それは自らも巻き込む超広域展開。龍脈からあふれる力を用いたまさに力技。驚愕に煙灰の動きが僅かに遅れた。その刹那の時間に、結界内の全てが星へと強く引かれる。人形達も押しつぶされ、地面を薄く広がりのたうつ様に僅かに動くだけとなった。

 

「ぐうぅうっ」

「くうぅうっ」

 

 煙灰が片膝をつき、押しつぶされまいと抵抗をする。月夜見は煙に囚われたまま加わる重圧に苦悶の声をあげていた。煙灰がさらに片腕を地面へとつき、その場へととうとう縫いとめられた。

 

「これで、まだ」

「だが、先に根をあげるのは、お前、だぞ」

「いい、え。これで、おわり、です」

「なに、を?」

 

 月夜見の悪あがきに煙灰がそれでも自らの勝ちは揺るがないと言い切るも、月夜見から反論がきた。月夜見の神力がすさまじい速度で消費されていく。ぞわりと駆け抜ける感覚に肌が粟立つ。何かに惹かれる様に煙灰がそれを見上げた。

 

「お、お前――」

「ともに、逝きましょう」

 

 雲を押しのけ顔を出す特大の隕石が煙灰の視界へと飛び込む。絶句する煙灰へ月夜見の声がかかった。それは酷く穏やかで優しい声色をしている。視線を戻せば、混じりけのない美しく見惚れる様な笑顔。

 

「また、会いましょう」

「月夜――」

 

 煙灰の言葉が最後まで発される事無くすべてが飲まれていく。隕石の激突による衝撃と巻き上げられる土煙、そして爆音が全てを無に帰す様に結界内を埋め尽くした。

 

 

 

 

 

 

 

 リズムよく身体を揺する感覚に煙灰の意識が呼び起こされた。うっすらとあけられた視界に入るものは土の茶色と、草の緑。そのままぼんやりと思考が働かないままに見つめていれば景色が下へと流れている事に気が付く。

 

「あ、く……どう、な――」

「お? 起きたか煙灰」

 

 煙灰の頭上から声がかかった。その声に引き起こされる様に思考が回り始めた。腹に加わる力と、揺れから煙灰は自らが塊清に抱えられて移動していると。

 

「塊、清か。俺は――」

「かかっ、無事だよ。ボロボロだがな」

「どう、な――」

「結界が月夜見の隕石で根こそぎ吹き飛んでお前らは仲良く気絶。俺がお前を、月夜見は産巣が回収した」

 

 塊清の言葉に安堵した。月夜見を捉えていた煙で咄嗟に守ろうとしたが、どうやら間に合ったようだとうっすらと微笑む。

 

「たく、ド派手に喧嘩したな。すっきりしたか?」

「まぁ」

「まぁまぁかよ。くかか」

 

 煙灰の答えに塊清が楽しげに笑う。

 

「なぁ、塊清」

「どうした煙灰?」

「惚れた弱みってのは……ずりぃよなぁ」

「なんでぇ、そんな今更な話を」

「かははっ、確かにそうだな」

「で、なにがあったんだ?」

「咄嗟に守っちまったよ」

「お前らしいな」

「かはは……そうかぁ、俺らしいか」

 

 それきり煙灰は口を閉じた。塊清も何も言わず只々走り続ける。しばらく無言が続くも煙灰が口を開く。

 

「塊清」

「なんだ」

「俺は鬼だ」

「おう」

「だからこれでいい」

「そうだな」

「また暴れに行こう」

「あぁ」

 

 煙灰がポツリポツリと言葉を漏らし、塊清が応えた。クツクツと煙灰が喉を鳴らすとまた口を開く。

 

「まだ、少し眠い」

「おう、寝てろ。ねぐらまで運んでやる」

「ありがてぇ」

 

 その言葉を最後に煙灰の身体から再び力が抜けて、意識を落したことを塊清は悟る。吹っ切れた友人の姿に塊清は笑みを浮かべた。

 そして、先ほどの二人の闘いを思い出す。結界で詳しくは分からないが楽しく戦ったのであろう二人を思う。自身の片腕に垂れ下がる煙灰の背中を見ながらぽつりとつぶやく。

 

「相変わらず遠いなぁ、お前の背中は」

 

 きっと自分では踏み入る事の出来ない二人の闘いへ思いを馳せた。相変わらず憧憬の存在の背中は遠い。

 

「まぁ、産巣の相手位は引き受けてやるよ」

 

 からからと塊清が笑い軽快に走る。月が顔を出し雲が流れる空の下、二匹の鬼が闇へとその身を消す。

 

 

 

 




華扇の話も考えてあります
ですので、茨木の鬼がいるからと華扇は出ないとかではないです


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八振り目

純狐さんが原作の設定と違いますが、のちに同じとなりますのでご了承いただけたら幸いです。


 

 

 喧騒が陽光の隠れた山頂に広がる。どこを見ようと鬼ばかり。百鬼夜行の大宴会が行われていた。

 

「それでは煙灰君の失恋を慰める酒宴をはじめるぞぉおぉぉぉ!!」

「ウォオオオ!!」「ざまぁみろ!!」「元気出せよ、煙灰!!」

「イッヤホォオオオ!!」「酒だ酒だああ!!」「なんでもいいから早くしろ!!」

 

 鬼達がまとまりなく勝手気ままに騒ぐ。一応名目としては最初に言われた通り煙灰の失恋、ではなく吹っ切れた煙灰を祝うと言う内容の宴ではあった。

 だが祭り好き、酒好きの鬼達の手にかかれば細かいことなどどうでもいいと、皆が皆一様に騒ぎ始める。

 一応主役としている煙灰は左腕に包帯を巻き、腕と包帯の境目に鉄の鎖の伸びる腕輪を付けた姿で、眉間に皺をよせ参加していた。

 闘いから幾日か経ち、傷が癒えた為に今日のこの日に行われる百鬼の宴へ塊清に連行されたのだ。参加した鬼達も煙灰を構う様に酒を片手に絡みに行く。

 

「おいおい、振られたのか煙灰よぉ。くやしいのう、くやしいのう」

「テメェェ……ぶっ飛ばすぞっ!」

「やめてやれよ、お前。な、それで煙灰何て言われて振られたんだ?」

「バッカ、お前知らないのか?」

「何が?」

「言葉じゃなくて半殺しにされたんだよ」

「くははっ、過激だな!!」

「煙灰君、かわいそー!!」

「テメェら全員そこになおれっ、ぶん殴ってやる!!!」

 

 幾人もの鬼達に囲まれ、散々に煙灰はからかわれていた。げらげらと笑いながら絡んでくる仲間たちに煙灰が怒声を上げた。

 しかし、鬼達はまるでそよ風に吹かれるがごとく気にすることなく煙灰への構いをやめない。

 煙灰が煩わしげに近場の者を二,三発殴り飛ばそうとも、まるで構うことなく次の鬼が補充されその輪へと加わる。

 むしろ煙灰の反応を喜んでその人数は増えていく。

 

「かかかっ、楽しそうじゃねぇか」

「んだな、嵬よ」

「まぁ、あの喧嘩はこいつらもなんだかんだと遠目から見ていたからなぁ」

「気の良い奴らばかりだな。それに、アイツがこういった席で中心にいるのも初めてかもしれんな」

「煙灰はずっと今まですねていたからな。だから他の奴らも無理に構わなかったが今は違かろう」

「くはははっ、喧嘩様様だな全くよ」

 

 塊清と嵬が宴の中心から離れた場所で酒を飲みかわしながら煙灰達を見ていた。何だかんだと仲間になった煙灰の事を皆心配していたのだ。

 困りごとが有れば煙灰はその知識や術、道具などで助けてくれる。けれど、決して自分から輪の中に入ろうとしないで一線を引いた姿勢を煙灰は崩すことは無かった。

 皆も煙灰の経歴などを知っているし、中には人であった頃の煙灰と戦った事のある者さえいた。そんな過去が有ろうとも鬼は気にすることなく煙灰や塊清たちを仲間へと迎え入れてくれた。

 鬼達のその心根と、過去への未練が煙灰の中で葛藤として存在していたのだ。そしてそれが態度に出るも、それがいつか解決するだろうと皆待っていた。

 だから鬼達は本当に嬉しそうに煙灰を構い倒す。

 

「まぁ、だからこれは歓迎の宴なのだろうな」

「かかかっ、またこれからは賑やかになりそうだ。やはりお前といると飽きねぇな」

 

 煙灰達を見ながら楽しげに二人が酒を飲む。視線の先ではとうとう限界を迎えた煙灰が立ち上がり、暴れ始めていた。輪を作る様に鬼達が広がり、中での喧嘩をやんややんやと囃し立てる。

 

「おらぁ、お前らどっちにかける!!」

「煙灰の勝ちに3升!!」「負けるに4升だ!!」

「人で勝手に賭けをしてんじゃ――ぐっ」

「よそ見か、煙灰!!」

「く、くくくっ……全員っ、ぶっ飛ばしてやらぁぁぁ!!」

「て、めっ、能りょ――ぶはっ」

「やれやれ!!」「いいぞいいぞっ」「腹ぶち抜いて酒出させてやれ!!」

 

 喧嘩がどんどんと過熱していく。輪の中で殴り合う二人の鬼の顔を彩る表情はとても楽しげに笑っていた。煙を顔に吹きかけられ視界を失いつつも殴り返す鬼。

 容赦なくその鬼へ拳を当てる煙灰。そして酒が入り楽しげに笑い声をあげる鬼達。鬼の酒宴はまだまだ終わりの気配を見せない。殴り合っている鬼が鬼の輪から殴り飛ばされた。

 

「オラァ、次はどいつだ!?」

 

 煙灰が吹っ切れたように雄叫びをあげ周囲に視線を巡らせる。座って酒を飲んでいた鬼達が、次は俺だと皆が一様に喧嘩の相手に名乗り上げようと競う。

 

「わっはっは、次は俺だ!!」

 

 重たい物が地面を打つ音とともに鬼の作る円陣の中に塊清が飛び込む。先を越された鬼達は残念そうにちぇと漏らすも、次の瞬間にはまた腰をおろして騒ぎ出す。

 

「お前か塊清」

「くははっ、構わんだろう」

「構うどころか大歓迎だ」

「あ? 珍しいな、歓迎するなんざ」

「歓迎するさ。お前、人が寝ている間に随分と触れ回ったみてぇじゃねぇか」

「あっ、おいお前ら言うなっていったじゃねぇか」

「酒が入ってつい、な」「俺は言うなとは言われてない、俺は」「しらん」

 

 冷笑を浮かべる煙灰に塊清が焦り、周りへと声をかけるも帰ってくる声はどれも一様に誠意の欠片もない。返答にこれはまずいと視線を煙灰へと戻す。煙灰の包帯に包まれた左腕が僅かな間に二回りは大きくなっていた。込められた妖力に思わず塊清の顔がひきつる。

 

「これは俺からの礼だ。受け取ってくれや」

「う、うぉおおおっ! こいやぁ!!」

「オラ、賭けろテメェら!!」

「塊清の負けに一升!」「煙灰の勝ちに二升!!」「塊清のぼろ負けに一樽!!!」

「賭けにならねぇじゃねぇか、あっはっは!」

「おま、お前らふざけんなっ」

「よそ見している余裕はねぇぞっ」

「――うおっ!!」

 

 勝手気ままな仲間へと塊清が非難の声をあげるも、顔の横を煙灰の拳が通り抜けていく。さらに鬼達は楽しげに熱をまし、酔いをます。

 

「くかか、全く困った奴らだ」

 

 鬼の大将は笑みを浮かべ喧騒をみつめた。月光の照らす夜の下、百鬼の酒宴は終わらない。

 

 

 

 

 

 

 

「気持ちわりぃ」

 

 酒宴の次の日の朝、二日酔いに煙灰が苦痛の声を漏らす。煙管を吹かしながら煙灰がねぐらの洞窟でぼうっとしていた。

 ぼうっとしているというよりかは気分の悪さや吐き気、頭痛で何もする気が起きない。

 煙を吹かしながらその形を変えて暇を紛らわせる。身じろぎをすると、二の腕の半ばに付いている腕輪から延びた鎖がチャリと金属音を奏でた。

 包帯で覆われて中の見えない左腕を目の前まで持ち上げ指先を動かす。ふうっと自らの腕に煙を吹き付けた。煙に覆われ輪郭を一瞬隠す左腕を見ながら、思わずと苦笑。

 

 

――感傷的になるなんざ似合わんな

 

 

 馬鹿らしいと左腕をおろし、再びのんびり過ごそうと身体からだらりと力を抜く。けれど煙灰の耳に誰かの足音が聞こえた。軽快で軽やかな足音。ここ最近で酷く聞きなれたその音に嫌な予感を覚えた。

 僅かな時間の後に、今いる広間へと見慣れた幼女、もとい永琳が姿を現す。煙灰を見つけた永琳の顔に笑みが浮かぶ。それはぱぁっと、花開く様なと表現しても差し支えの無い笑み。

 煙灰はその姿に酷く頭痛を覚えた。最後に見せた時の様子はなんだったのだろうかや、あの時の怯えはどこに消えたなど様々な考えが痛む頭に浮かんでは消えてゆく。この頭痛は酔いだけの所為ではないとさらに痛む頭を抱えた。

 

「煙灰!!」

 

 永琳が煙灰の名を叫ぶ。洞窟内に大きく反響する声が、頭を刺すようだと煙灰はしかめ面だ。永琳は永琳でやっと煙灰の名を呼べたと満面の笑みを浮かべた。そして、永琳が煙灰へとさらに近づこうと足を進めるために一歩踏み出す。

 

「止まれ」

 

 けれど、足はそこで止まってしまう。煙灰から発される低い声に永琳は再びその場へと縫いとめられた。威圧するような煙灰の低い声に永琳の肩がびくりと震えた。その様子に煙灰はあの時の経験は無駄にはならなかったようだと安堵を覚えた。永琳が気丈に振る舞っているだけで、ちゃんと妖怪への警戒心を持ったことに安心した。

 

「何しに来た小娘」

「永り――」

「良いから答えろ。ここは来ていい場所ではないと、賢いお前なら解っただろう」

「う、それは……でも」

「でもじゃねぇ」

「う、うぅ」

 

 煙灰の突き放すような態度に永琳は委縮してしまう。顔を俯きがちにして、ちらちらとうかがう様に煙灰を上目気味に見ながら永琳が言葉を探す。けれど言葉を見つけられず、口をつく言葉は意味を持たない呻きのみ。

 

「そう苛めてやんなよ、煙灰。俺が連れて来たんだ」

「チッ、やっぱりテメェか。どういうつもりだ。返答次第じゃ昨日の比じゃ済まさんぞ」

 

 永琳をかばう様に洞窟の外へと通じる通路から声が投じられた。通路の闇からぬうっと巨漢の鬼、塊清が姿を現す。昨日の喧嘩の名残りか、しこたま顔に痣や腫れを作っているが快活に塊清はわらってみせた。

 

「知らねぇよ。そこの嬢ちゃんが会いたいから手伝ってくれって言うから手伝ったまでさ」

「そういうこと言ってんじゃねぇよ」

「それと産巣からの伝言だ。泣かせたら殺すだとよ」

「あんのくそボケ……次会ったらあの矛へし折ってやる」

 

 何故そこで産巣が出てくるのかは煙灰には計り知れない。けれども勝手を言う昔馴染みには、僅かな殺意さえ覚えた。考えることが嫌いな塊清へとこれ以上詰問しても全く意味をなさないと、煙灰はため息を吐き永琳へと視線を戻す。

 

「産巣はなんと?」

「……納得できるように話してきなさいって」

「甘すぎる……馬鹿かアイツは」

 

 煙灰が頭痛を耐えるように額に手を当てて天を仰ぐ。永琳は煙灰の様子を見ながらも意を決して口を開いた。

 

「煙灰」

「なんだ」

「私は煙灰が怖い妖怪だと知ったわ」

「……そうか。なら話はそれで終いだ、帰れ」

「ううん、まだ帰らない。だって私はそれ以上に他の煙灰も知っているの」

「…………」

「ぶっきらぼうで口が悪いし意地悪ばっかり言うけど、本当は面倒見がよくて優しくて心配性だって知っているの」

「勘違いだ」

「違う!! 私は、私はずっと煙灰に甘えてた。煙灰の後悔に付け込んでた」

「何を聞いた?」

「何も聞いてない、自分で考えたの。みんなの話を思い出して、煙灰と戦った後の月夜見様の様子を見てたくさん考えた。煙灰は月夜見様の為に私に色々教えてくれたのでしょう?」

「聡過ぎるのも問題だな。それで、それが分かってどうした。お前の為なんざじゃなかったから怒ったのか?」

 

 煙灰の言葉に永琳が否定を表す様に首を横に振った。そしてまた強い視線を煙灰の瞳へと向け言葉を紡ぐ。自らの想いを余すことなく伝えたいと形にする。

 

「そうだね、きっと最初はそれだけだったと思う。でも違うって分かったの」

「何が?」

「だって何かあったら助けられるように術を憑けてくれて、助けにも来てくれた。これって煙灰が私の事を大事に思ってくれていたからだよね」

「……違う。せっかく育てたのに死んだら時間が無駄になるからだ」

「煙灰は鬼なのに嘘ばっかり」

「嘘じゃねぇ」

「そうだね。多分それも少しはあるんだろうから嘘じゃないんだろうね」

 

 永琳が穏やかに笑う。子供らしさを感じさせない、本心から慈しむような笑みを浮かべ言葉を紡ぐ。煙灰は心を悟られている様な永琳の雰囲気にたじろぐ。声が低くなり、言葉が荒くなろうとも変わらず笑みを浮かべる永琳の様子に気圧された。

 

「だって煙灰はどれだけ時間をかけた作品だってポイポイ投げたり、その辺にほったらかしにしたり、死蔵しちゃうじゃない。だから煙灰はそれだけで私を守ってくれない。だからこそ煙灰が私の事も大事にしてくれていたんだって解ったの」

「――!」

 

 完全な図星に煙灰が言葉を失って瞳を見開く。自らと同じ技量、いや自らを超えていく潜在能力を持つ永琳との時間が楽しかった。

 物怖じせずに向かってくる永琳の性格が気にいっていた。コロコロと変わるその表情に心癒されていた。

 永琳と過ごす時間に――安らぎを感じていた。まるで、それはまるで

 

 

――歳の離れた妹の様に思っていた

 

 

 自然とその言葉が煙灰の中で浮かぶ。図星を突かれ、すでに鬼である事に吹っ切れていた煙灰は永琳の言葉で自らにも隠していた内面をまた一つ自覚した。

 煙灰が顔を俯かせ、肩を震わせた。永琳が心配そうに近づこうとするも、突然あげられる笑い声に驚いて足がとまる。

 

「ふ、あはははははっ、なるほど、なるほど! 俺も産巣の事を全く言えないじゃねぇか、あははははっ!」

「煙灰?」

「あぁ、認めよう。認めるさ。ガキに言い負かされるなんざ情けないのも度を過ぎているが、これで認めないなんてさらに情けねぇ事はできねぇよ。永琳、俺は確かにお前を大事に思っている。出来の良過ぎる弟子で、ちょいと生意気な妹みたいに思っていたさ」

「煙灰!!」

 

 永琳が煙灰の言葉に嬉しそうに肩を跳ねさせた。そして口をつくのは歓喜の声。

 

「だから、もうここには来るな。俺はお前に伝えたいことは伝えきったし、月夜見との闘いで回収できなかった他の道具を見て学べばお前はすぐにでも俺を超えるだろうさ。お前に足りない経験もその学習能力があればすぐに熟せるだろう」

「それは?」

「ここは妖怪の住処だ。気軽にきて良い場所ではない。お前も何時か神に昇華するだろうが今は人だろう。妖怪にはならんだろう? だからもうここへは来るな」

 

 いままでの様に拒絶するような冷たい物言いではない。幼子を諭す様に優しく煙灰は言い聞かせた。煙灰の言い分が正しい事が永琳には理解できてしまう。

 自分は都を捨てて妖怪になるつもりが無いからこそ余計に煙灰の言葉が身に染みた。今度は永琳が顔を俯けた。

 無茶苦茶言って無理に押しかけて、それでいて覚悟の無い自分が情けなかった。煙灰を見られなくなってしまった。

 

「私は、私はね、煙灰」

「なんだ、小娘?」

「永琳だよぉ、もう。私はね、煙灰の事歳の離れたお兄ちゃんみたいに思っていたの。何だかんだで文句を言いながらも面倒を見てくれる煙灰の事をそうやって感じていたの。だから、だからね……これでお別れ何て――」

 

 永琳が俯けた顔をあげた。その双眸に透明な雫を湛え、一筋の心の欠片を頬につたわせながら永琳が想いを紡ぐ。我が儘を言っている自覚も、無理を言っている自覚もある。

 けれど感情なんて理性でどうにもできないのだ。だからこそ、それでも伝えたいと言葉が零れ落ちた。

 

「――寂しいよ」

「……そうか」

 

 煙灰が永琳の言葉をしっかりと受け止め呑み込む。素直にうれしくもあるが、難しい問題だ。煙管を咥え、煙をくゆらす。

 空気に溶けて薄れていく煙の儚さに無性に腹立たしさを覚えた。煙灰はまるで自らの無能さを見せられているような気がした。

 

「ま、それならまた来ればいいさ」

「塊清テメェ、話の中身を聞いていたのか?」

「難しい話など分からん。会いたいなら会いに来ればいい」

「そう単純でもないだろう。ばれたら都では暮らせまい。それに毎度お前や産巣が送迎をするのも馬鹿らしいし、不味い行為だろ」

「だろうな」

「だったら――」

「その嬢ちゃんが強くなればいい」

「あん?」

「最低でも鬼から逃げ切るだけの実力があれば外に出ても怪しまれないだろうし、ここまで一人で来られる。自立すりゃいいんだよ」

「簡単に言うな」

「簡単に言うさ」

 

 塊清が何でもない様に言ってのけるが確かに理には適っていた。強ければ外へ出ても不自然さは無い上に、自力で困難を打ち払えるならば危険もだいぶ低下する。

 問題の根幹の煙灰の拒絶が無いのであれば、それで解決はする話だ。けれど、鬼とはそれほど容易い相手ではない。

 だてにすべての妖怪の頂点に君臨している訳ではないのだ。その実力は、脅威は、見まごう事無く災害。

 

「だったら強くなる。煙灰よりも月夜見様よりも強くなる!!」

 

 永琳が大声を上げ宣言をした。力強く、誓う様に声をあげた。言い合いをする煙灰と塊清が一瞬あっけにとられ、次に瞬間に盛大に吹き出す。

 

「く、くはははははははっ!!」

「うっはっはっは、こいつは間違いなくお前の弟子だわ、はっはっは!!」

「な、なんで笑うのよ!?」

 

 永琳が二人の反応に憤りの声をあげるも二人の笑い声は収まらない。煙灰が立ち上がり、永琳へと近づきその頭をぐりぐりと乱暴に撫でる。

 

「よく言った、小娘。強くなったらまた来い。いつでも歓迎してやる」

「うん!!」

 

 頭を煙灰の手でぐらぐら揺すられながらも永琳が楽しげに言葉を返す。煙灰が手を離し、再び元にいた場所へどかりと座った。

 

「さぁ、なら今日はもう帰れ。次は成長してから来い」

「私、頑張るから。全部全部頑張るから待っていてね」

「ふっ、まぁ生きているうちはせいぜい待っていてやるよ」

「またそうやって意地悪言う」

「しらん。塊清うるさくてかなわんから早く連れていけ」

「へいへい、分かったよ。ほれ、帰るぞ」

「うん。貴方もありがとね」

「気にすんな」

「煙灰、またね」

「……あぁ、またな」

 

 塊清と並び歩き出した永琳が、最後に振り返り再開を願う言葉を口にした。。煙灰もそれに応えた。二人が通路の闇に消え見えなくなると煙灰はまた一人身体を休める。

 そして、またしばらくすると小さな足音が聞こえた。なんだと煙灰が視線を再び通路へと向けると、今度は小さな子狐が駆け込んでくるではないか。

 

「はぁ、またか」

 

 煙灰がけだるげにため息を吐く。子狐は煙灰の近くまで来ると飛び込む様に地面を蹴り空で一回転。ぽんと軽快な音とともに、子狐は小さな子供の姿となり煙灰の胸元へと飛び込んだ。

 金色の短髪と四本の尾を持つ小さな妖弧が煙灰の胸元で暴れる。

 

「旦那! 旦那! 煙灰の旦那! 匿っておくれよ!!」

「えぇい鬱陶しい、纏わりつくなチビ助」

狐仙(こせん)だよ、旦那! じゃなくて、匿っておくれよ旦那ぁ。頼むよぉぉ」

 

 顔をぐずぐずにしながら着流しにしがみつく狐の妖獣に、煙灰はため息をつく。化ける能力を所有しており妖力を隠し、霊力や神力さえ化けて装う妖狐の情けない姿に疲れを覚えた。

 このまま騒がれるのも頭に響くから仕方ないと煙灰は要求を呑む。

 

「あぁ、もう騒がしい。その辺の道具にでも化けておけ」

「わぁい、旦那恩に着るよ!」

「騒がしい喚くな、ばれるぞ」

「おっと、そいつはいけねぇな……んじゃ旦那頼んだよ。ほい」

 

 狐仙はそう言って再びぽんと軽快な音を立てて煙灰の道具へと混ざった。煙灰でさえ見分けがつかなくなる技量での変化。妖弧特有の変化というより、能力と併用したそのものに成るともいえる馬鹿げた技量には相変わらず舌を巻く。

 

「煙灰、入りますよ?」

 

 感心して道具を眺めている煙灰の耳に女性の声が届いた。返事をする間もなく入ってきていることを、感じる力の動きより察した。

 

「煙灰、狐仙が来ませんでしたか?」

「聞くくらいなら返答くらい待ちやがれ、純狐」

 

 純狐と呼ばれた九本の尾を持つ妖弧の女性が現れた。金髪で波打つ長髪に、抱服で身を包んだ純狐が煙灰へと狐仙の事を尋ねる。煙灰の返しにもまるで動じる様子は見せない。

 

「それで狐仙は?」

「しらん。また構いすぎたのか」

「本当ですか? それとこれは愛です」

「チビ助も見た目はあれだがガキではないだろうに」

「それは私の知った事ではありませんね」

「どこにいるか知らんがほどほどにしておけ。あれはお前の子ではないのだぞ」

 

 煙灰は狐仙を知らないと言う。実際に、あの道具の中のどこにいるか知らんと言う意味で、言葉が足りなかっただけだと自らの鬼の部分と折り合いをつけての答えだ。

 煙灰の返答を聞いた純狐の雰囲気が変わった。清廉な空気を纏っていた気配がどろりと粘つく様な気配に変化した。煙灰がその変化にため息をつく。

 

「えぇ、えぇ。知っていますよ、それくらい。私の子は嫦娥の所のくそ男に殺されたのですから。ふふふ、あの男はもっと苦しめてから殺せば良かったですね。怒りのままに楽に殺してしまって後悔ばかりです」

「おい、恨みをここで振りまくな。お前のは何でも純度が高すぎて、道具に影響が出る」

「あら、これは失礼、まぁ残りは嫦娥で晴らすとしましょう。それで狐仙は本当に知らないのですね?」

「くどい」

「そうですか。はぁ、全くあの子はどこにいるのかしらね」

 

純狐が頬に手を当て呟く、困ったわと。煙灰が勝手にしろと、構わずに煙管を吹かしていればまた狐仙を探してどこかへと向かっていく。しばらく煙灰一人の時間が続くもまた軽快な音と共に狐仙が変化を解く。

 

「いやぁ助かったよ、旦那」

「毎回ここに逃げ込むのは辞めろ、面倒くせぇ」

「ここだけじゃないよ。嵬の兄貴の所だろ、あとは――」

 

 狐仙が指折り数えながら避難場所をあげていく。よくもまぁそんなに出るものだと感心半分、呆れ半分で聞き流していると唐突に狐仙の背後の景色が揺れた。

 

「あぁ、やはりここに居たのね狐仙!!」

「うっひゃぁ!!」

 

 歪む景色の中から純狐が現れ、狐仙を抱き上げる。狐仙は突然の出来事に悲鳴を上げた。純狐に掴まれた腕の中でバタバタともがくも逃れられる気配は微塵もない。

 

「はぁ、なるほど、驚いたな」

「あら、煙灰が驚くなんて私の業も捨てた物ではないですね」

「ちょっちょっちょ!? 訳が分からない僕に誰か説明をしてよ!」

「あら、説明が欲しいのかしら隠れていた狐仙は?」

 

 純狐が腕の中の狐仙の耳元でささやけば、狐仙の動きが固まった。尾の毛が逆立ち小刻みに震えていた。まぁ、あれだけ怨嗟を振り舞く大妖だ、怖かろうなと煙灰はそれを見ながら他人事のように思う。

 

「静かに聞ける姿勢をするなんて偉いわね、狐仙。私がしたのは私の中の力を純化させて、自然以外の力を取り除いて気配を自然へと融け込ませたの。その後は狐らしく化けてしまえば狐仙には及ばないけれどばれないものよ」

「へ、へぇ~。純狐の姉御もすごいねぇ」

「もう、お母さんでもいいって言っているじゃないの、狐仙」

 

 大人しくなった狐仙を片手で抱えながら純狐が腕の中の頭を撫でた。そろそろ口から魂が抜けだしそうな狐仙を哀れに思い煙灰が声をかける。

 

「それくらいにしておけ純狐。そろそろ死にそうだ」

「はぁ、こんなにかわいがっているのにどうしてかしら?」

「怖えぇんだろうな、お前が」

「そうなの狐仙?」

「い、いやぁそんなわけないっすよ、姉御」

「ほら煙灰どうよ」

「声が震えてんだろ、ボケ」

 

 狐仙が煙灰の言葉に勘弁してくれと首をいやいやと必死に横へ振っていた。どうしたもんかと煙灰が悩んでいるとまた別の影が現れた。

 

「お、狐仙の小僧じゃねぇか。またつかまったのか。こりねぇな」

 

 通路から現れた塊清が純狐の腕の中の狐仙を掴みあげて純狐から取り上げた。ジロリと純狐が睨みつけるが塊清は気にした様子を見せない。狐仙はそのまま塊清の腕に抱きつくように掴まりかなりの小声でお礼を言い続ける。それをみた塊清に浮かぶは苦笑。

 

「塊清、狐仙を返してください」

「かかっ、おう後でな」

「へぇ……」

 

 純狐の中で力が蠢く。勘弁しろと煙灰は思うも別段口には出さない。これくらいの事は言ってしまえば日常茶飯事であるからだ。

 

「それより珍しい奴がいたぞ煙灰」

「あん? 珍しい奴って誰だよ?」

「かなり珍しいぞ。だってなぁ――」

 

 煙灰が珍しいとは誰だろうと首を傾げ問い掛けた。塊清がニヤリと笑みを浮かべ口を開く。

 

「――サグメだぞ」

 

 

 

 



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九振り目

 

 

 

 煙灰、塊清、純狐の三人が軽快に木々の間を駆け抜けていた。狐仙はもともと調べものや潜入向きの能力持ちで、なおかつ本人の戦闘力も高くない為、ねぐらを出る前に分かれたのでここにはいない。なおその時のやり取りはいささか酷い内容であった。

 

 

――あら、行くのですね? 行ってらっしゃい、二人とも

――あれ、姉御はいかないんで?

――行かないわよ。一緒にいましょうねー、狐仙

――ひぅ……姉御の武勇伝聞きたいなぁ。すごいんだろうなぁ姉御が行ったら。期待しちゃうなぁ

――あら、そう? それじゃあ今日の子守唄代わりに聞かせてあげるますね、狐仙

――ぴぃぃぃぃ!?

 

 

 煙灰的には純狐をこちらへ押し付けようとした事に思う事はあったが、その後が哀れすぎて溜飲を下げざるを得なかった。塊清も狐仙の姿には苦笑していた。狐仙の哀れな姿を思い出していた煙灰に声がかかる。

 

「それで、煙灰。あれはなんだったのかしら?」

「あれってなんだ」

「あの酒がうっすらと赤く染まる枡の事よ」

「あぁ、あれか」

 

 純狐が煙灰の持ち物に付いて疑問の声をあげた。ねぐらを出る前に煙灰と塊清がその枡を使って酒を飲んでいたのを、純狐は見ていたのだろうと煙灰は察した。

 

「あれは薬枡とでもいう物だ」

「薬枡?」

「あぁ。あれに酒を注げばその酒にある力が宿る」

「どんな力なのかしら?」

「快癒だ。怪我や病気が治る」

「なるほど。だから二日酔いや顔の腫れが引いていたのね。便利そうね」

「だろうな」

「素っ気ないわねぇ、相変わらず」

「聞けよ、純狐」

「どうしたのかしら、塊清?」

「こいつ、あの道具作るのに自分の腕潰したんだぜ」

「へっ?」

 

 塊清の言葉に純狐が気の抜けた声を出し、驚きに合わせて尾がピンと張った。分かりやすいその変化に塊清が楽しそうに笑い声を漏らす。純狐は煙灰へ視線を向け、その包帯のまかれた左腕を見つめた。

 

「じゃああの包帯の下は?」

「煙だ」

「あらあらあらあら。煙灰ってやっぱり頭が良いのに馬鹿なのですね」

「テメェ、女狐っ。言うに事欠いてそれか」

「あら、でも事実でしょう?」

「けっ」

「ふふふ、可愛いわね」

 

 文句を言う煙灰へにこりと純狐が笑いかければ、不機嫌そうに煙灰はそっぽを向く。純狐がからかう様にさらに笑えば煙灰が不機嫌そうな空気を放つ。

 

「それでどうして腕をつぶしてまで作ったのかしら?」

「ちげぇよ、余ったから腕をつぶしたんだよ」

「腕が余る?」

「あぁ、この腕はけじめとしてこのままにしようと思ったからな。色々考えて、嵬と喧嘩をした時にも喧嘩代としてもがれた物だからちょうどいいという思いもあった。これは俺の覚悟の、区切りの証だ。人としての俺は死んだ。それとこの腕輪と鎖は言ってしまやぁ戒めだ」

「けじめと戒めねぇ……相も変わらず難儀な生き方をしていますね」

「それでこいつ腕が余ったからって薬枡の材料に腕使っちまいやがったんだよ、面白れぇだろ」

「確かにそれは面白い話ですね。後で狐仙にも聞かせてあげましょうか。鬼の血肉を啜った枡の話を、ふふふ。楽しみね」

「絶対子守唄代わりにゃならんだろ」

「そうかしら? 楽しい話だと思うけれど」

 

 不思議そうに首をかしげる純狐に二人の鬼が苦笑を浮かべた。そして狐仙に降りかかるであろう受難を想像してため息を吐く。けれども二人が狐仙へ助け船を出す事も無い。何だかんだと二人は狐仙を一人前の妖怪として認めているのだ。そのため過保護にすることは無い。純狐が語る生々しく脚色された話を聞いた狐仙から、後日恨み言を聞くことになるがそれは今の二人には知る術がない。

 

「見えたな」

 

 先頭を走る煙灰が視線の先に目的の人物を見つけた。右片翼をはやした銀髪赤目の短髪の女性、稀神サグメが視線の先の平野にいた。サグメ以外にも見える人影が二人分。陽光を受け輝く様な長い金髪に金色の瞳の華奢な女性、天照(あまてらす)。薄蒼の髪に青緑の瞳の筋肉質な男性、須佐之男(すさのお)がサグメと共にいる。

 

「塊清、サグメが俺に()があると言っていたんだな、産巣は?」

「あぁ、そうだな。娘っこを渡すときにそう聞いたな」

「なるほどな。そいつは厄介だな」

 

 森を抜け、平原と森の間で三人が止まった。止まった煙灰達にサグメたちも気が付く。

 

「煙灰、テメェ人の姉に怪我させてんじゃねぇぞ! ぶっころ――おぶっ!!」

 

 薄蒼の髪の男、須佐之男が煙灰を見つけると神力を立ち昇らせながらいきり立つ。月夜見を傷つけられた事を怒りながら駆けだそうとするも、踏み出すための足へ力を込めた瞬間に顔面へサグメが裏拳を見舞う。殴られた須佐之男が鼻を押さえその場にうずくまった。

 

「あらあら、ふふ。サグメ、ごめんなさいね、うちの愚弟が」

「姉ちゃん愚弟ってひど――ぐえぇ」

 

 天照がほわほわと柔和な雰囲気を醸し出しながらサグメへと頭を下げた。須佐之男が文句を天照に言おうとするも、首裏の襟をひかれ首を絞められ言葉を止められた。サグメが天照に軽く手を振ってみせる。すると首元のリボンの中心についている黒い宝石が淡く輝く。宝石上に何か文字列の様な物が浮かび、音が発された。

 

『構わない。須佐之男が付いてくると言っていた時点で予測は出来ていた』

「なんだ、ちゃんと使っていたのか」

『貴方が鬼になった後にくれた物だけれど私にはとても助かる』

「……そうか」

 

 サグメが微かに微笑み胸元の宝石に触れた。その様子に煙灰も満足そうな笑みを浮かべた。朗らかな雰囲気が二人の間に流れるもそれはすぐに終わる。

 

「おい、何和んでんだよサグメ! アイツはもう鬼なんだぞっ。妖怪なんだぞっ」

『……分かっている。天照、須佐之男、それでは頼みますよ』

「はいな、お任せください」

「ちぇ、分かったよ。そういう約束だからな。姉ちゃんはどっちにする」

「うーん、塊清の相手は嫌なのであちらのお狐さんとお話していようかしら」

「はいよ。塊清ちょいと付き合えよ」

 

 須佐之男が親指を立て別の場所を指し示し、そちらへ地を蹴り跳ぶ。名指しされた塊清から妖力がにじみ出た。

 

「ほどほどにな」

「あぁ、久しぶりに泣かしてきてやらぁ」

 

 煙灰の言葉に塊清が短く返し、須佐之男を追う様にその場を後にした。純狐も事の運びを理解して煙灰の背後でため息をつく。

 

「あぁ、面倒ですねぇ。アレが嫦娥であるならやる気も出るのですがね。あぁ、嫦娥よ、お前はどこにいるのだろうね」

「気を付けろよ、純狐。天照は内向きに力を使ってはいるが月夜見の姉だ。ほのぼのとして植物などに恵みを与えるが、逆に日照らせ枯らす事もできる。あいつの陽は危険だぞ」

「ふふふ、煙灰が心配ですか。ありがとうございます。けれど、問題はありません。私の力は純化する力。どんな力とて操って見せましょう。それが妖の力であろうと神の力であろうと関係ありません。それに狐仙が武勇伝を待っているのでせいぜい楽しく遊んできますよ。まぁ、都にいるのであろう嫦娥へ我が妖炎が見える程度には、ね」

 

 煙灰の忠告に純狐はまるで取り合う様子を見せない。けれど煙灰は純狐の様子に憤る事も諌めることもしない。その実力を信頼しているのだ。こちらへ楽しげに手を振って見せる天照の事も煙灰は知己であるためあまり心配していない。どちらも無難に軽く一当てして終わらせる心づもりであると察せられた。

 純狐がふらりと煙灰達から離れるように移動すれば、天照も煙灰へ一度手を振りそれに付いていく。天照の相変わらずな様子に煙灰は笑みを浮かべた。二人きりになると煙灰がサグメに近づくように歩を進める。まだわずかに距離はあるが会話をするのに支障のない程度で歩みを止めた。

 サグメが煙灰を静かに見据えた。胸元の宝石から手を離しサグメが口を開く。自らの口を開き言葉を発した。

 

「久しぶりです、エンさん」

「ふ、懐かしいなその呼び方。もう筆談は辞めたのか?」

「これが有るのにいちいち文字を空中に書くのは煩わしですよ」

 

 サグメが煙灰の言葉に応え、指を宙に走らせてみせた。指の通った軌跡には淡く輝く線が生まれた。懐かしいサグメの文字に煙灰が昔を懐かしむ。人であった頃、サグメは良くこれで意思疎通をしていたと思い出す。

 

「そうだな。意外と面倒くさがりで書く言葉が最低限で良く言葉足らずだったな」

「覚えてなくていい事を、むぅ」

「くははっ、その顔も懐かしいな。よく不満があるとそうやって口をとがらせて服の裾や袖口を掴んでいたな」

 

 サグメが煙灰のからかいの言葉に口をとがらせ、非難がましい瞳を向けた。その表情さえ懐かしいと煙灰は笑う。能力ゆえに気軽に声を出せないサグメが、不満を示す行動は今も昔も変わっていないようだと懐かしむ。普段からしゃべらないせいか人間関係の構築を苦手としていて、サグメの表情はあまり変わらなかったが自分や月夜見たちの前ではよくこうやって感情を表していたなと口元を緩める。

 けれど、サグメはこの場で自らの口で話したのだ。それは能力を使う気が有るという事に他ならない。いや、もしかしたらすでに発動し始めている可能性さえあった。

 

「さて、口に出すと事態を逆転させるお前が話すとは相当な事なのだろうな。舌禍をもたらす女神よ」

「……そう、ですね。だから産巣がこそこそしているのを見逃す代わりに伝言を頼んだのです」

「相変わらずの聡さだな」

「でも、正直来るとは思っていなかった。貴方は私の能力を知っているから」

「お前の事だ。諦めずにどうにかしようとするだろう。それにギリギリまで追い詰めて大勢の前で話されても困る。お前の力は特に当事者に話すことで運命を逆転させる。少人数であれば制御もしやすいだろうが、大人数だとそれだけで逆転するものが増えるからな」

「だから今来たと?」

「どうせ遅かれ早かれの違いだ。いや、先にお前の危惧する運命が来るかもしれんからそれも違うか。まぁ、懐かしい奴が呼んでいるというのだ、顔ぐらい見にくるさ」

 

 煙灰の言葉にサグメの羽がパタパタと忙しなく動く。表情に変化はないが雰囲気はどこか嬉しそうだ。しかし、その羽ばたきがぴたりと止まり、サグメが小さく息を吸う。厳かな空気をサグメが纏った。

 

「ならば私は貴方の、煙灰のその甘さに付け込もう」

 

 サグメが煙灰を強く見据え言葉を紡ぐ。煙灰もサグメの言葉を静かに受け止めた。

 

「貴方と月夜見の闘いの話を知りました。月夜見からも話を色々と聞きました。だから私は危惧している」

「何をだ?」

「貴方達が相打つ可能性を。私はそれが一番高いと判断する。いや、それ以外が起こる事はほとんどないと考える。貴方は彼女を殺さない。彼女も貴方を殺すことに忌避を感じているけれど、自らの役目と板挟みだ」

「だから心中すると?」

「えぇ、いずれそこへ行きつくでしょう。それが定めの様に私は思う。ゆえに、私が口にするわ。貴方はもう運命から逃れられない。運命は逆転を始めた。貴方達は決着をつけられないっ!」

「……くははっ、なるほど。そのためだったか。確かにそれは月夜見ではなく俺に言う方がよさそうだ。お前の言うとおり俺には殺す気はないからな。だが……決着はつけられないと来たか」

「えぇ、貴方達の決着はつけさせません。私の力は運命を逆転させるだけで運命が視えるわけではない。だから本当はどうなるかは私にも分からない。けれど、今語った内容は実現すると強く確信はしている」

「だろうな、お前は聡い。運命とはいわば大きな流れ。お前がそう感じたのならきっとその可能性が一番高かったのであろうな」

「恨んでいますか」

 

 煙灰がやれやれとため息を吐く。逆転させようとしている事は察していたが内容は意外であった。けれど、その内容もそこまで悪い物ではないと煙灰は思う。少なくとも月夜見が死ぬ可能性が減る事が喜ばしいからだ。

 

「恨んじゃいないさ。さてこれで終わりか? それなら引き上げるが」

 

 煙灰がサグメの問いかけにそう言葉を返し、他の二人を見やる。須佐之男と塊清は殴り合いを、天照と純狐は火のぶつけ合いをして遊んでいた。よそ見をする煙灰は近くで力が蠢くのを感じた。視線を戻せばサグメが僅かに地面から浮き、力を練っていた。

 

「いえ、せっかくですから久しぶりに稽古をつけてくれませんか? 神霊となってから貴方とは一度も闘えていないので」

「稽古、か。懐かしいな、昔を思い出す」

「いけませんか?」

 

 サグメには先ほどまで語っていた時の様な厳かさはなく、最初に話した時の様な気軽さだ。いけないかと疑問を投げかけてくるサグメからは不安そうな様子を煙灰は受けた。昔馴染みや子供にはどうも甘くなるなと煙灰が頭を掻きながらも臨戦態勢を取る。

 

「いいや、かまわないさ。復帰の具合を確かめるにはちょうどいい相手だ」

「むぅ、甘く見ないでくださいよ。私とて強くなりました」

「ならば結果で持って示して見せろ、稀神サグメ」

「いいでしょう、貴方に魅せましょう。茨木煙灰」

 

 サグメから力が発せられた。サグメの片翼が空気を強く打ち、羽ばたく音がする。宙に浮くサグメが突撃する様に煙灰へと迫った。風を切り銀の髪を靡かせ、サグメが頭から煙灰へ近づく。

 煙灰もサグメを迎え撃とうと身構えた。突っ込んでくるサグメに合わせ拳を突き出す。

 二人が交差する直前、サグメの翼が再び空気を打ち付けた。螺旋の軌道をえがきサグメが煙灰の拳を躱す。拳を掻い潜り、直進する勢いのままにサグメが煙灰の懐へと飛び込む。再び翼が空気を打ち付けた。サグメの体勢が変わり、速度の乗った蹴りが飛ぶ。

 

「――ぐうっ」

 

 刹那の交差に煙灰の反応が遅れ、腹を蹴り飛ばされた。たたらを踏んで煙灰が後方へ後ずさった。

 追従する様にサグメが翼をはためかせた。僅かに上昇し、足を振り上げ頭部めがけて振り下ろす。

 

「やぁ!」

「ふん!」

 

 サグメの踵と煙灰の左腕がぶつかり合う。煙灰の足が地面へとめり込む。腕に巻かれた包帯の隙間から煙が漏れ出てサグメの足を絡め取った。サグメが足に絡む感触に目を見開いて視線を向けた。

 

「なっ!?」

「いくぞ!」

 

 煙灰が腕を引き、地面へと叩き付けるように振り下ろす。サグメが抵抗しようと羽ばたくも、鬼の膂力に押し負ける。堪えきれずに地面へ激突。轟音と共に土煙が舞い上がった。

 

「くぅう、その腕なんなのですかっ」

「くははっ、良い腕だろう。新品だ」

 

 地面へと腕をつき、耐えたサグメが問いかけた。煙灰が楽しげに言葉を返す。足を引かれる感覚に、サグメがまずいと再び身構えた。煙灰が膂力に任せ腕を持ち上げ、何度も振う。地を打つ音が平原に幾度も響く。

 

「いい、加減に、しなさいっ」

「だったら自力で抜けて見ろ」

「当り、前です! 片翼の白鷺!!」

 

 サグメの左背後から現れたのは光で象られた翼。両翼が一度強く空を打つ。足を絡める煙を引きちぎり、サグメが再び空へと戻った。身体は所々土で汚れてはいるが負傷は見られない。サグメが土を払いながら不満そうな表情を浮かべた。

 

「地面にぶつかる程度で怪我をすると思っているのですか? でしたらそれは酷い侮辱です」

「稽古なのだろう? 丁度いい塩梅だろう、くはははっ」

「ここまでわかりやすく手心を加えられると不快です」

「だったらもっと俺を追い詰めてみせろ」

「っ! 言われなくてもっ!!」

 

 サグメが声を荒げた。指先が宙を走り、光が後を追う様に浮かび上がった。瞬く間にサグメが宙に術を描く。描き上げた術をサグメが強く叩き砕く。甲高い破砕音と共に欠片が飛び散り、数多の弾幕となり空を彩った。

 

「神々の弾冠!!」

 

 サグメの声に応えるように弾幕が煙灰めがけ牙を剥く。煙灰が弾幕を避けようと隙間を縫う様に地を駆けた。

 

「甘いっ!」

 

 サグメの叫びと共に地面へ着弾した弾幕が爆ぜた。爆ぜた弾幕からまた弾幕が生まれた。降り注ぐ弾幕全てが新たな弾幕を生み、空からも尽きぬ弾幕が煙灰を追い詰める。

 

「飲まれろ」

「かかかっ」

 

 直後、楽しげに笑う煙灰の姿が弾幕に呑まれてサグメの視界から消える。着弾音と、土煙が止まることなく上がり続けてゆく。

 

「どうで――」

 

 得意げな顔でサグメが声を発するも、直後に妖力の蠢く気配を察知した。視線の先で弾幕と土煙を塗りつぶす様に白い煙が膨れるように広がった。それはその場で収まらず、周囲一帯を駆け抜けるように一気に広がり躱せない。

 サグメも一瞬煙に覆われ視界を失う。反射的に身構えるも衝撃は来ない。視線が白に覆われるも翼をはためかせれば、自身を覆う様に纏わりついていた薄い煙が散らされた。

 

「中々良い業だ、サグメ」

「一体何を」

 

 視界の晴れた先では何事もなかったように煙灰が立っていた。サグメが視線を周囲へと巡らせば、自身の弾幕全てが煙にその身を覆われて動きを止めている。いくつかの弾幕を任意で起爆させようとも煙の中で生まれた弾幕も捉えられてしまう。

 

「む、狡くないですか?」

「狡いものか。精進しろ」

「精進しろ、ですか。ふふ、懐かしいですね」

「そうだな。で、どうする。まだやるか?」

「そうですね……」

 

 サグメが周囲を見渡す。まだ須佐之男も天照もすぐにどうこうなりそうだという事はなさそうだと察した。もう少しだけ二人には自分の我が儘に付き合ってもらおうと内心で感謝を示し、煙灰へと向き直る。

 

「あと少しだけ、いいですか?」

「構わんぞ」

 

 煙灰が腰を落して身構えた。サグメは瞳を細め、口元を小さく綻ばせる。一度深呼吸をして気持ちを入れ替えた。浮ついた気持ちのままでは怪我をすると気を引き締め直す。身体に力をいきわたらせ、光で作られた翼がさらに強く輝きを放つ。

 

「ふぅぅ……いきます」

「こい」

 

 サグメが空を舞う。白翼一枚の時とは比ではない速力での飛翔。音を置き去りにし、空気が圧され衝撃が生まれた。

 

「やぁああ!!」

 

 裂帛の声と共にサグメの蹴りが空気を切り裂く。序盤の再現だという様に煙灰が左腕を身体との間に入れる。両者の足と腕が打ち合う。

 

「くははっ」

 

 煙灰が驚愕に笑いを漏らす。サグメの蹴りが煙灰の煙の腕を包帯ごと散らしたのだ。威力はいく分落ちようとも、勢いそのままにサグメの足が煙灰の顔を蹴りあげた。煙灰の身体が上向く顔に引かれるように伸びる。

 振り切った足の勢いを殺す事無くサグメは宙で一回転し、地面へとしゃがむ様に膝を曲げ降り立つ。地面を両足で強く蹴りつけ、さらに翼で空気を叩く。勢いを増したサグメは身体が伸びきり咄嗟に動けない煙灰に、宙へと打ち上げる様な強烈な体当たりをみまう。

 煙灰の身体がサグメの追撃により空へと舞った。サグメがそれを追う様に空を飛ぶ。

 

「片翼よ」

 

 サグメの呟きと共に光で作られた左翼が一回り大きくなり、込められた力を増す。サグメの速度がさらに増し、煙灰とすれ違う様に飛ぶ。光翼が煙灰の身体を跳飛ばした。サグメの飛行後には、光翼の通った軌跡をなぞる様に光の線が浮かぶ。

 サグメが身体を翻し、再び煙灰目がけて翼をはためかせた。音速を超える連撃で、煙灰に反撃の隙を与えぬよう空へと縫いとめる。サグメの突撃が繰り返されるたびに空には光の線が複雑に描かれていく。

 

「せぇい!」

 

 サグメが描かれた図の中心へと煙灰を蹴り飛ばす。描かれた光の線がいっそう強く光り輝き。

 

「爆ぜなさい!!」

 

 サグメの言霊に呼応するように光の線が一度脈動する様にその輪郭をぶれさせた。光の線が煙灰を拘束する様に収束した。ギュッと縮んだ光が明滅を一度し、直後衝撃と轟音、閃光を伴う爆発。

 

「これならば届いたでしょう」

「あぁ、良い攻撃だ」

 

 爆発の閃光の晴れた先では煙灰が煙を足場に座っていた。着流しは所々解れ、肌にはいくつかの痣と、血の滲みがみられる。

 煙灰の様子にサグメが眉をひそめた。どことなく不服そうな表情を浮かべ口を開く。

 

「ちょっと軽傷過ぎませんか?」

「かかかっ。俺にここまで傷をつけられる奴はそう多くは無いんだがなぁ」

「他と比べてどうとかではないんですよ、全くもう」

「いい向上心だ、サグメ」

「あ、当り前ですよ。ふふふ」

 

 サグメが煙灰に褒められて嬉しそうに羽を動かす。

 

「強くなったな。他の奴らの事も頼むぞ」

「エンさん……」

 

 煙灰の言葉にサグメが寂しげな声を出す。サグメの背から光翼が消えた。戦意の消えたサグメに合わせ、煙灰も妖力を収めた。

 

「エンさんは……恨んでいないのですか?」

「恨んでいないと言ったろう」

「違います!! その事ではありません!!」

「サグメ?」

 

 声を荒げるサグメに煙灰が驚きながらも労わる様にその名を呼ぶ。サグメもその声に我を取り戻すも、聞きたい事を我慢できない。

 

「私が、私だけが助かった事です。私だけが妖怪への変容から逃れた事を聞いているのです」

「あぁ……その事か。恨んじゃいねぇよ、心配するな」

「どうしてですか? どうしてそうやって貴方は笑うのですか?」

「お前が畏れられたのは能力ゆえに人当たりが悪かった事もあるのだろう。強さを持つのにまるで言葉を発さない、それが不気味に映ったのだろう。そんなお前が自らの能力で運命を逆転させ、神霊へと踏み止まったことに何故恨み言を言う必要がある。そうは思わんか、サグメ?」

「私の力があれば妖怪にはならなかったとは思わないのですか?」

 

 サグメの言葉に煙灰が苦笑した。

 

「思わんさ。変容最中の不安定な状態で自分だけでも踏み止まったのは良くやったと褒めたいくらいだ。それに、もし俺が妖怪にならなかったとしたらそれは俺達の運命が逆転したという事だろう。それは月夜見達が妖怪となり俺達が神となる事を差す。それは間違っている。堕ちる理由があるべくして堕ちたのだ。ならばこれが正しい形だ。お前は正しい事をなした、サグメ。胸を張れ」

「私は、私はっ」

「おいおい、泣くなよ。お前はもう一人前なのだろう。まぁ、お前の左側に生えた黒翼は、それはそれで綺麗ではあったからそれは惜しかったやもしれんな」

「ふ、ふふ、馬鹿ですね、エンさんは」

「今日は良く馬鹿と呼ばれる日だな。さて、これで済んだか?」

「はい。スッキリしました」

「そうか、そいつは良かったな」

 

 煙灰がサグメの声に応えると地上へと降り立つ。

 

「塊清! 純狐! 帰るぞ!!」

「おう!」「あぁ、やっとですか」

 

 煙灰の声に引かれ、二人が対峙相手を置いて戻ってきた。塊清は地を蹴り、純狐は溶ける様に周囲の景色に紛れ煙灰の隣で再び姿を現す。

 

「あぁ、疲れましたね」

「くそう、ぼこぼこ気軽に殴りやがって」

『二人ともありがとうございます。目的は達しました』

「サグメもご苦労様です」

『いえ、そういう能力ですので』

 

 地へと降り立つサグメの周囲にも天照と須佐之男が集まった。サグメも人数が増えた為に声を発するのをやめた。

 煙灰が煙管を吹かし、大きく吐き出す。塊清達も包み混む様に煙が広がる。

 

「また会おうか、都の守護者たちよ」

「須佐之男、もっと産巣に鍛えて貰え」

「嫦娥に伝えておいてくださいな。縊り殺してあげます、と」

 

 三者三様に言葉をかけると、返答を待つことなく姿が隠れた。風が吹き、煙が押し流された後には人影一つ見つけられない。

 須佐之男は煙灰の言葉に顔をしかめ、天照は変わらず柔和に笑っている。

 

『えぇ、またお会いしましょう』

 

 サグメが声を出さない様に言葉をなぞり口を動かす。口元が小さく綻ぶ。

 

 

 

 




サグメさんの能力の解釈が難しいですね
予定では後4話くらいで古代が終了の予定となります


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十振り目

 

 

 

 

 硬質な物同士のぶつかる、甲高い音が洞窟内より発せられていた。

 煙灰が一心不乱に槌を振う。鍛えている物は小さな物体。掌代程度の小さな金属塊。

 しかし、槌を振う煙灰の動きが突如止まった。槌を置き、大きくため息を吐くように煙を吐き出す。

 

「おい、純狐。勝手に入ってくるなと何度言えば覚える、お前は。鳥だっていい加減に覚えるぞ」

「煙灰、狐仙を知りませんか?」

 

 景色が揺らめくと、その場に純狐が姿を現した。煙灰の言葉にまるで取り合わず、要件を告げれば、煙灰のこめかみに血管が浮き出る。

 煙灰は怒鳴りかえしたい気持ちをぐっとこらえ、深呼吸を一度した。真面目に相手をするだけ無駄であると、直らない……否、直さない行動から理解しているからだ。

 振り返り、視線を向ければ早く答えろと言いたげな視線を向ける純狐と目が合う。煙灰の瞳が言葉にできない感情で、細くなるのは仕方のない事なのかもしれない。

 煙灰の細めた視線さえ、気にすることなく純狐は催促する様に尾を軽く揺らす。

 

「はぁぁぁ、知らん」

「隠し立てはいい結果を生みませんよ?」

「本当に知らん。少なくともこの洞窟内にはいない。これで満足か?」

「そうですね。鬼の貴方がそこまで具体的に否定するのなら、確かにここにはいないみたいですね」

「また都に行っているのではないのか?」

「……やっぱり、そうなのかしら」

「どうかしたのか?」

 

 純狐が煙灰の言葉に眉根をしかめた。

しかめられた眉根に煙灰が疑問を投げかける。煙灰の問いかけに純狐は僅かな逡巡をみせた後、答えを返す。

 純狐の醸し出す雰囲気に、煙灰も苛立ちの感情を消し向き直った。少なくともいつものようなふざけた内容ではないと察せされたからだ。

 

「最近、都の防備の質が上がったようなのです」

「ほぅ。それは面白い話だな」

「面白くないわ」

「……あぁ、そうか。都に入り込むようなのは妖獣達が主だったな」

「最近返ってこない子が増えました……その事が悲しいです」

「そうか……」

「仕方のない事だとは思います。自らの力量への認識が足りないから、討たれるのでしょう。脅かし、討たれ、人と妖怪の在り方としては酷く正しい。ですが、あの子らは私の同胞であり、子供の様なもの……狩られるのは、不快です」

 

 ザワリと蠢く純狐の妖気が、言葉の通り不快感を語る。

 純狐が感じている不快感は、煙灰にはあまり分からない感覚だ。鬼はもともと、仲間が討たれれば、それを祝うとまではいかないが盛大に弔う。

 闘い破れ、討たれたのであれば、それは鬼としては最高の死に方なのだ。だから、彼奴は良い一生を過ごしたのだ。満足したのだと、悲しみに沈むのではなく、死した者をねぎらう様に酒宴を開く。

 死した者を悲しむ事や、惜しむことは基本的に無い。それが鬼という妖怪だ。

 さらに、人間の時の煙灰は、自らに近しい者以外には興味を持たなかった。だから、他の人間が死のうとほとんど気にすることは無かった。

 月夜見やサグメ、産巣などが傷を負ったりすれば心配するし、助けるだろう。だが、親しくない人間が死んだのであれば、その者のしていた仕事に穴が空くなどの思考が浮かぶ。そこに感情は乗らない。

 そんな煙灰の様子が、人間達に恐れを抱かせた原因の一端であるのだろう。

 煙灰も、そういった事を、我が身を振り返る事で学んでいる。関わりの薄い同胞たちにも興味を。心を砕く必要があると学んでいる。

 過去に狐仙が初めて来たとき、力づくで追い返すことをしなかったり。鬼達とも距離を置いていたが、それでも気にかけたりと改善を図っていた。

 試行錯誤をして、改善している。まだ純狐の抱く感情の機微までは感じ取れないが、大まかには理解できる。だからこそ、言葉にする。

 

「お前の気持ちがはっきり分かるとは言わん。だがな、一人で突っ込むような事はするなよ。討たれるだけだ。それでは帰ってこなかった者達も喜ばんだろう」

「……分かっています。私が統制を取ればいいのにしていない時点で、これは私の我が儘です。野をかける獣であった……自由であった彼らを縛りたくない。その結果なだけです。どちらもとる事は出来ない……これはただそれだけの話です」

「それが分かるならいい。何もかもは選べんよ、たとえ神でもな」

「えぇ、そうでしょうね」

 

 純狐が煙灰の言葉に儚げな笑みを浮かべた。何かを耐える様で、それでいて慈愛を感じさせる笑み。自身の感じる苦悩と、煙灰の境遇を考え、それが入り混じった故の表情なのだろう。心配させまいと、安心させようと笑うのだ。

 煙灰もそれを頭ではなく、肌で何となく感じ取ると小さく苦笑する。純狐は愛情深い性格だ。子供の事で荒れているのは、それだけ愛していたからだ。嫦娥への恨みも、それが根底にある。

 狐仙を構うのも、自身でも持て余す感情(あいじょう)の行先を求めての事だろう。自身が苦悩しているのに、他者の事まで慮る純狐のその気質が尊く感じられる。

 普段はこちらの言葉などまるで無視する傍若無人さを見せる癖に、改まった時だけに慈愛の面を見せてくる純狐。魔性の女狐らしいと、煙灰はついつい口元がほころんでしまう。

 

「いつもそうしていろ。そうすりゃ狐仙も怯えなかろうに」

「ふふふ、ビクビクしている姿が愛らしいのですよ」

「なんだ、確信犯か。始末に負えんな」

「告げ口しますか?」

「いや、やめておこう」

「あら、意外ですね」

「はっ、その内で蠢く妖力を収めてから言え。いちいちそんな下らん事で、お前と遊ぶなど面倒だ」

「つれないですね。私と遊ぶのは嫌ですか?」

 

 純狐がクスクスと楽しげに笑い問い掛ける。

 笑う純狐にげんなりしながら、煙灰が言葉を返す。

 

「嫌に好戦的だな。うっぷん晴らしなら塊清でも誘え。喜んでのってくるぞ」

「最近籠り気味な貴方を心配したのですよ」

「あん?」

 

 純狐の言葉に煙灰が疑問の声をあげた。どうして、自分が心配されるのだと不思議そうな煙灰の様子に、純狐が悩ましげなため息を漏らした。

 

「月夜見との決着をつけられずイライラしているのかと。あれから二十数度、季節は巡りましたが、いまだつけられないのでしょう? あの神霊の能力を甘く見ていたと、何巡りか前にこぼしていたではないですか」

「あぁ、その事か。確かにその件でイラついてないとは言わんが……腐っていても仕方ないからな」

「あらあら。前向きなのですね」

「現状で難しいのならば、変えてしまえばいい」

 

 煙灰が再び視線を、自身の正面にある作りかけの道具へと向けた。

 純狐の言う通り煙灰は月夜見との決着をつけられないでいた。季節が二十数度も巡れば、幾度も相対することはあった。けれども、毎度毎度決着をつけられなかった。他者の横やりが、自然現象が、それらを測ったように邪魔をした。まさにそれが運命の如く、邪魔が入るのだ。

 ここ最近では、煙灰はその状況にやる気をそがれてしまった。以前の、嵬との大喧嘩前の様に、ねぐらに籠る時間が増えたのだ。

 純狐はそんな経緯から、煙灰の事を心配したのだろう。けれども、煙灰の意外と前向きな答えに、声色に、意外さを覚えた。そんな煙灰が何かを作っている。純狐の好奇心が刺激された。

 

「何を作っているのですか?」

「今は新しい煙管を作っている」

「煙管ですか?」

「あぁ、そうだ。現状の力で足りんならもっと蓄えるまでだ」

「なんというか……頭の中まで筋肉で作られていそうですね」

「けっ、それは塊清だけだ。俺がそんな即物的な物で解決すると思うか?」

「違うので?」

「違うさ」

 

 問い掛ける純狐の視線の先で、煙灰が金属塊。否、作りかけの煙管を手に取る。

 まだまだ、荒い意匠のそれは、煙管であろうとかろうじて察する事が出来る様な出来栄え。いくつか術を込められてはいるのか、僅かながら力を感じ取れる。

 

「どうするのですか?」

「運命を覆すくらいの力を持った道具を作ればいい。運命を覆すくらいの力があればいい。能力でさえ抗えない力を持てばいい。足りないならばもっともっと力を高めればいい、くかかっ」

「……こわいこわい。凝り性な鬼とは怖い物ですね」

 

 窯の妖炎を受け、瞳を爛々と輝かせて滔々と語る煙灰に純狐は小さな寒気を感じた。感じた寒気を振り払う為、言葉で茶化してみせる。

 恨みを、憎悪を振りまく自分を棚に上げて、煙灰の姿を恐ろしいと感じる。自らがふり撒く感情は溶岩の様にどろりと煮え立つ憎悪。

 煙灰が見せた感情は、強い執着。煙に隠されて普段は見えない。けれども煙の先では邪魔する障害を、全て燃やし尽くさんと燃え上がっていた。

 

「お前に言われるとはな」

「他者の様子をみて、自分を顧みるのも複雑な気持ちですね」

「くかかっ、どうせ直す気などない癖に。反省だけなら誰でも出来る」

「なるほど。至言ですね。さて、それではここには狐仙はいないので、用は無いですね。ですので、もう行きます」

 

 先ほどまでの真面目な雰囲気を一瞬で霧散させ、普段通りに戻った純狐が告げた。煙灰の都合など一切気にしない、純狐らしい物言いに煙灰が苦笑する。

 勝手にしろと、言葉で答えず軽く手をあげ振ってみせた。煙灰の反応に、純狐も小さな笑いを一つこぼすと景色に溶け込み姿を消す。

 純狐の気配が消えると、煙灰が再び槌を手に取り、振い始めた。再びカンカンと音が響き始める。

 煙灰のねぐらを離れてもしばらく聞こえるその音に、純狐はまた笑みを少しだけ深めた。

 

 

 

 

 

 

 純狐がねぐらを後にし、時が経過した。煙灰は疲れを覚え、槌を置く。随分と集中していたのか、身体を動かせば、腰や膝からパキパキと小気味いい音が鳴った。

 思いのほか没頭しすぎたらしいと苦笑が漏れ出た。今は何時だろうと、外の様子をみようと通路へ向かう為立ち上がる。立ち上がり、振り返る際に視線をめぐらした時、ふと違和感を覚えた。

 今は自分だけのねぐら内に、気配を感じた。妖力も、他の力も感じられないが、確かに気配を感じた。気にしなければ、気が付かない程度の僅かな気配。時たま入り込んでくる獣とも違うソレに、煙灰の瞳が細くなる。

 道具をしまっている倉庫内に気配は存在していた。基本的には煙灰以外が入ることは無い。だからこそ気が付いたようなものだ。そこに生き物が入る事が無いからだ。

 他の鬼はまず煙灰任せにする。獣が入ってきても、煙にあたりダニやノミをいぶすだけである為に奥まで入り込まない。狐仙などの他の妖怪達も奥までは行く用が無い為に誰も入らないのだ。

 

「誰だ」

 

 低く威圧するような声が発された。いくら集中していたとはいえ、気がつけなかった。その事実が煙灰の自尊心を刺激した。

 煙灰の声に反応したのか、倉庫内から僅かな物音がした。けれど、反応はそれだけで姿を現すことは無い。面倒くさげにため息を吐き、煙灰が倉庫へ向けて歩を進める。

 

「さて、鬼の倉庫に入る盗人とは……面白い」

 

 口元がほころび、笑みを作る。気づかせない技量に関心と興味を懐く。一体、どの様な使い手がいるのかと楽しみを覚えた。

 灯りをともしていない倉庫内は暗い。唯一の光源たる通路に煙灰が立っているために、中の暗さには拍車がかかっている。

 中を照らす為、煙灰は術を紡ぐ。妖力を含む、吐息を吐き出した。倉庫の内壁に沿い、小さな火の玉が次々に浮かび、並んでいく。部屋をぐるりと囲む様に火がともる。

 誰もいない室内。人影を見つけることは無い。煙灰の視界に小さな影が入る。頭上。

 

「くかっ」

 

 小さく笑うと、後方へ小さく跳ぶ。目の前に、小さな影が降り立つ。その手には、鈍く光を反射する小刀。侵入者は身長1.2~3mほどの小柄な人物。外套と目深なフードをかぶっているために人相は見えない。

 小刀の通った軌跡は煙灰の首があった場所。問答無用で急所を狙いに来る思い切りの良さが心地いい。それでいて全く殺気を感じない不気味さもまた、煙灰の愉快さを盛り立てる。

 

「終わりか?」

 

 煙灰が腕を左右に開き、挑発してみせた。身体を開き、正面をがら空きにして待ち構える。

 侵入者は、ゆったりとした外套の下から、小刀を持っていない手で、細長い透明な容器を取り出す。

 火の玉の光を受けて、内容物がきらりと光る。小さな容器は液体を湛えていた。侵入者は手を振りかぶり、自身と煙灰の中間めがけて叩き付けた。

 容器の割れる音と共に、内容物が辺りに飛び散った。煙灰には聞き取れない、本当に小さな声で侵入者が呟く。散ってできた液溜りから、小さな泡がいくつも生まれて宙に浮かぶ。光を受け、表面を妖しく煌めかせる。

 煙灰は目の前の光景に感心し、僅かに警戒をする。

 侵入者が指を弾いて、音を鳴らした。それを号令とするように、ふよふよと漂っていた泡たちが、煙灰めがけて飛翔した。

 

「面白い」

 

 煙灰は煙を吐いて、泡を迎え撃つ。泡と同じ大きさの煙が生まれ、両者がぶつかる。泡はぶつかると、火を発し、帯電し、霜を下ろした。それだけでさまざまな術が込められていることが一目で分かる。

 泡とぶつかる煙も全く同様の反応をする。火には火を、雷には雷、冷気には冷気を丁寧に返す。どれも同量で綺麗に相殺していく。その光景に、動揺したのか侵入者が小さく身じろぐ。

 生まれた隙に付け込む。ふらりと煙灰が動き距離を詰めた。侵入者を捉えようと、腕を突出し――

 

「あ?」

 

 疑問の声と共に、手を止め、思い切り地面を蹴る。直後、煙灰のいた場所を、小刀が通る。それは煙灰の背後からの一閃。クルリと空中で器用に回り、視線を向けるとそこには全く同じ姿の侵入者がいた。

 地面に降り立つと、煙灰が軽く自らの頭を叩く。侵入者は躱されると思っていなかったのか、戦意を失くしたように手をだらりとさげてしまっていた。

 

「幻覚か……腕をあげたな小娘」

 

 煙灰が侵入者に声をかけた。煙灰の呼びかけが不満だったのか、侵入者は不満そうなムッとした雰囲気を発する。

 小刀を離し、足元へ落とした。空いたその手を、そのまま持ち上げフードをずらす。目深な布の下から綺麗な銀髪が顔を見せた。幼女から少女といえる程度まで成長した永琳が顔を出す。

 

「永琳よ、煙灰」

 

 私不満です、と雄弁に訴える声色で永琳が言葉を返した。外套で髪が押し付けられるのが不快だったのか、外套と背中の間から、綺麗な銀の長髪を出すと頭を振って、髪に空気を含ませた。

 

「ちったぁ、大きくなったじゃねぇか」

「まだまだよ。一太刀入れられると思ったのに」

「くかかっ、良い線いっていたぞ」

「どうして最後に気が付いたの、幻覚だって。少なくとも幻覚を見ていた事を、自覚できていなかったはずだと思ったけれど」

「随分と口調が落ち着いたな」

「……教えてよ」

 

 質問に答えない煙灰に、永琳が口をとがらせて再度の返答を要求した。永琳の仕草に、まだまだ幼さが完全に抜けたわけではないと。煙灰は理解して、小さく笑った。

 煙灰が笑った理由を、永琳は正確に察し取り、とがらせた口を今度は膨らめてしまう。

 

「薄かった」

「薄かった?」

「あぁ。その外套の所為か知らんが、お前からは霊力やその他もろもろの気配をまるで感じん」

「ふっふっふー、頑張って研鑽した結果よ。すごいでしょ。これなら誰にも見つからないわ。前の玩具となんて全然違うんだから」

 

 煙灰に気配を読めないと言われ、嬉しさを隠す事無く自慢した。胸を張り、外套をバサバサと翻して、見て見てとアピールを始める。余程嬉しいのか、膨らめた頬はしぼみ、満面の笑みだ。

 

「まぁ、それはおいおい聞いてやる」

「ぶー」

「くかかっ。でだ、俺が解ったのはほとんど勘みたいなものだが……行ってしまえば存在感や威圧感といった物が感じられなかった、これに尽きる」

「霊力や、体温、体臭、他のそういった情報は出ていなかったと思うわよ?」

「そういった物理的な面ではない。簡単に言えば殺気や闘気といった気概を感じられなかった。何もかも忘却し、知能も失くした霊の様な希薄さが決め手だ」

「むぅ、なるほど。精神面的な圧力が足りないか……そこは要検討ね。霊力で作ったおとりを幻覚に重ねるだけでもだいぶ違うかしら。もしくはその辺りも効能で出す? 材料があるかしら……」

 

 煙灰の出した欠点を受け、永琳はぶつぶつと考え込み始めてしまった。顎に手を当て、思考に埋没して、あーだこーだと一人で呟く。

 永琳の姿に僅かな既視感を覚えた。考えるよりまず作ってみる事が多い煙灰ではあるが、思考に沈むときは目の前の永琳と大差ない。なんど、塊清や他の鬼達に不気味だとなじられたことかと、永琳の姿を苦笑しながら見つめた。

 

「小娘、考え事をするなら都に帰れ。ここは俺の工房だ」

「永琳っ!」

「相変わらず喰いつく所はそこか」

 

 呼び方にすぐさま噛み付く永琳に変わらんなと煙灰は笑う。がるる、と今にも唸り出しそうな永琳に煙灰が言葉をまた投げかける。

 

「幻覚はあの液体か。よくできている。製作者は腕の良い薬師――なんだその気持ちの悪い顔は」

「きもっ――! そんな事無い! 可愛いって近所で大評判の笑顔なのにっ!」

「知らん」

「煙灰の馬鹿っ、あほっ、頑固者! 誰が作ったか教えてあげないんだからねっ」

「そうか。別に知りたいと思わんから構わんぞ」

 

 煙灰の返答に永琳は我慢の限界なのか、煙灰に近づくと胸元をポカポカとたたき始めた。怒ってます、と眉を吊り上げる永琳の様子に煙灰は疲れた吐息を一度漏らした。

 

「あぁ、うっとうしい。その様子ならお前が作ったのだろう。使い方はアレだが中身は優秀だからな」

「全部優秀! アレって何よ、アレって!?」

「過去を反省してみろ。賢い人間の行動かどうか考えれば答えがでるだろう」

「他の人が同じことをしたら馬鹿だけど、私は良いのよ」

「無茶苦茶だな」

「それくらい出来ずして、月夜見様や煙灰を追い越せるわけないわ」

 

 意気揚々と言い放つ永琳に煙灰は頼もしさを覚えた。しばらく見ない間に随分と立派になったものだと感慨深い。無意識に腕が動き、永琳の頭を軽くなでつけた。

 永琳は突然撫でられたことに一瞬肩を跳ねさせるも、すぐにそれを心地よさそうに受け入れる。撫でられながら、永琳が口を開いた。

 

「私、立派になった?」

「ん?」

「ここに出入りしても良い?」

「あぁ……そうだな」

 

 煙灰はそう言ってしばし口を噤む。永琳は僅かに不安そうな顔をして煙灰を見上げた。

 

「霊力も良く練られている。あの泡の術も良く準備されていた。前もって込めた物を溜めている点も良かった。術を目くらましに薬品による幻覚を仕込むのも上出来だ」

「じゃあ?」

「好きにしろ。もう俺はとやかくは言わん」

「やっ――」

「だが、頻度は考えろ」

「……はーい」

「まったく。お前は大物になるよ」

「わあ、わ、頭、ぼさぼさ、になる。ぐりぐり、しな、いで煙灰っ」

 

 倉庫の中で二つの影が仲睦まじく重なり合う。わいわいがやがやと喧騒が生まれた。

 槌の音は消えたが、楽しげな声が洞窟内には広がった。また、しばしの間二人の道は重なる。

 大小二つの影が、久方ぶりの再開を、空いた時間を埋める様に、離れることなく会話を続けた。それは、きっと楽しい時間となるだろう。

 

 

 

 

 




汚れの少なかった古代の人間は、原作時点の人間とは成長の速度も、寿命も違うかな思い書きました。
20年で幼女が少女になる。長いか短いかは、賛否あるかもしれませんが、そういうものかで流していただけると幸いです。


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一一振り目

 

 

 倉庫からでて二人が向き合う。話したかった事が沢山あった様で、永琳から湯水のごとく言葉が溢れた。煙灰は苦笑しながらも、話に耳を傾けた。月夜見様がどうした、父の産巣は頭が固い、サグメさんは聡すぎて時折困る、一緒にいた二人は根性がない……尽きることなく話題が溢れた。

 最初は落ち着いて座っていたのに、話していると気分が乗って来たのか、身振り手振りが混ざり始める。

 久方ぶりの永琳が作り出す喧騒が心地いい。懐かしささえ覚える自分に、煙灰は可笑しさを感じる始末だ。綻びそうになった口元を小さく引き締める。

 

「よくそれだけ話せる物だ」

「煙灰が代わり映えしない生活をし過ぎなのよ」

「そんなもんかね」

「そうよ」

 

 ついつい煙灰が憎まれ口を叩くも、永琳の笑みは崩れない。永琳も煙灰の素っ気なく、けれどちゃんと聞いて応えてくれる対応が懐かしいのだろう。

 また、永琳が話を始めた。つらつらと、最近はどんなものを作っている、育てたい植物が上手く育たない、などなど話を続ける。

 苦笑しながら聞いている煙灰の耳が、永琳の声以外の音を聞きつけた。誰かが入って来たのかと思い、聞こえた音に意識を向ける。それは羽音だ。

 鳥類が羽ばたく際に出る、風を叩く音が煙灰の耳に届いた。煙灰が視線を洞窟の入り口へ向けた。

 永琳も、煙灰の視線が自分から通路に向いたことに気が付く。誰か、別の妖怪が来たのかと、僅かに警戒を見せる。

腰を浮かし、すぐに動ける体勢を取る永琳に煙灰は内心で称賛をおくる。あの無警戒娘が変わるものだと、感心したのだ。

 

「害はないから落ち着け」

 

 煙灰がそう言葉をかければ、永琳は僅かに首を傾げるも警戒を解いた。確かに、妖力やそれに類する力を感じない。それならば煙灰の言う通り害がないものなのだろうと。

 殆ど同時に永琳が腰を落ち着けるのと、音の主が広間へ入ってくる。全身真っ黒な鴉が一羽、姿を現した。鴉はそのまま迷うことなく空を飛び、煙灰の肩に止まった。

 そのまま一度鳴くと、毛づくろいを始める。

 

「煙灰が飼っているの?」

「そう思うのか?」

 

 永琳が不思議そうに煙灰に問い掛けた。煙灰が言葉を返せば、ぶんぶんと音が鳴りそうな程首がふられた。

 

「おい。聞いておいてその態度か」

「だって……煙灰が面倒見ている姿なんて……想像できないもん」

「まぁ、確かにその通りだがな」

「でも、それにしても懐いているのね」

 

 永琳が近づき、撫でようと手を伸ばす。伸ばされた永琳の指先をくちばしでつつき鴉は拒否を示す。

 

「むぅ。煙灰は良くてなんで私はダメなのよ」

「俺を睨むな」

「煙灰に懐くなんておかしいわ」

 

 不満をありありと湛えた表情で永琳が煙灰を睨む。面倒臭げに一度ため息を吐き、煙灰が口を開いた。

 

「まず、懐いているのは時折煙を浴びにくるからだ」

「煙を?」

「あぁ、そうだ。身体に付いた虫が鬱陶しいみたいだな」

「へぇ」

 

 永琳が興味深げに鴉を眺める。その瞳には好奇の感情が浮かんでいた。

 

「でも妖怪を怖がらないのね」

「妖怪が襲うのは基本的に人間だ。時たま食べるために襲う事もあるが。基本的に妖怪は人や恐れの感情を喰うから、めったにない。どちらかといえば人の方が獣には畏れられている」

「そうなの? 初めて知ったわ……」

「だろうな。俺も昔は知らなかった。後は妖獣も多いから、妖怪自体にも慣れているのも原因だろう」

 

 煙灰が付け加えた説明に、永琳が納得と頷いて見せた。同意を得られた煙灰は、いまだ肩に止まる鴉を手で払い退かす。退かされた鴉は不満そうに一度鳴くと羽ばたき、煙が外へ抜け出す穴のへりに止まった。

 身体に煙を浴びながら姿を隠してしまう。永琳はその様子を興味深げに眺めている。知的好奇心は今も昔も変わらず顕在かと再認識させられた。

 

「小娘、今日はもう帰れ。日暮れになるぞ」

「永琳よ、じゃなくてそうね。あまり遅くなるのも良くないから」

「おぉ……成長したな」

 

 煙灰がわざとらしく茶化せば、永琳がキッと睨む。向けられる視線にまるで取り合わない煙灰に、永琳は一度ため息をつく。このまま睨んでいても意味は無いと判断し、外套の下に髪をしまってフードをかぶる。

 途端に永琳の気配が希薄になった。今までは、霊力などは感じられなかったが、ある程度気配があった。けれど、最初と同じ格好になるとまた存在が希薄となる。煙灰は、込められた術に感嘆の吐息を漏らす。

 永琳はそれに気が付くことなく、自らの状態の確認をしている。何度か自分の身体を見下ろし、問題がなかったのか、頷くようにフードで隠れた頭が動いた。

 

「煙灰、またね」

 

 永琳が通路の前まで進み、振り返って言葉を紡ぐ。目深なフードで瞳は見えないが、煙灰はなんとなくだが、縋る様な視線をしているのだろうと感じた。

 ふ、と小さく鼻で笑う。煙灰の態度に、ムッとしたのか肩に力が入るのが外套越しでも解った。永琳がまた何かを言う前に煙灰が、口を開く。

 

「またこい」

「――うん!」

 

 欲しかった答えが貰えたからか、想像していたより煙灰の声が優しかったからなのか、どちらかは分からないが、永琳が弾んだ声で返答をした。

 煙灰が手をしっしと払えば、永琳がべーっと舌を出す仕草をして、通路へと消えていく。煙灰はしばらくその後ろ姿を見送る。

 僅かばかりの時間が経ち、煙灰が煙を吐き出す。吐き出された煙は、通路へと進み、暗闇へと消えて行った。そのまま、また少しだけ時が経つ。

 

「狐仙、もういいぞ」

 

 煙灰が声に出せば、鴉がぽんと軽快な音を立てて、四尾の妖弧。狐仙が姿を現した。

 

「いやぁ、びっくりしたー。旦那のねぐらに来たら人間がいるなんて焦った焦った」

 

 狐仙がわざとらしく汗を拭う仕草をしてみせる。煙灰がジトッとした視線を向ければ、それに気が付いた狐仙がニカッと笑い煙灰に近づく。

 煙灰が座す近くへとたどり着くと、尾を座布団に狐仙も腰を落ち着けた。

 

「あれが噂の旦那の弟子かい?」

「噂だぁ?」

「結構広まってるよ。鬼は声が大きいから」

「たく、彼奴らは……しかたねぇな」

「でさでさ、どうなんだい」

「そんなようなもんさ」

「ふーん、道理で……」

 

 狐仙は含みのある声色で呟くと、永琳の消えて行った通路を眺めた。狐仙の様子に煙灰が僅かに瞳を細めた。

 

「何かあるのか?」

「最近都の防諜の質が上がったの、知っているかい、旦那?」

「純狐がそんな事を言っていたな」

「うひっ、純狐の姉御が来たのかい!?」

「だいぶ前だから、いちいち怯えるな面倒くさい」

 

 四本の尾と耳をピンと立て、しきりに辺りを伺う狐仙に、飽きれた声がかけられる。かけられた内容に安堵したのか、張っていた尾と耳からへにゃりと力が抜け落ちた。

 

「わぁー、焦ったぁー。旦那も驚かすなんて意地が悪いなぁ」

「勝手に驚いただけだろうが。拳骨落とすぞ」

「あぁ、勘弁勘弁っ! 頭がへこんじゃうよ」

 

 拳を握って見せる煙灰に、狐仙が頭を抱えて蹲って返す。煙灰がため息を吐いて拳を解くと、狐仙も頭をひょっこりと抱えた腕の隙間から覗かせた。

 煙灰が煙管を手に取り、煙を吹かした。胡乱気な視線を向けられた狐仙は、つまみ出される前にと話を本筋へ戻す。

 

「防諜の質が上がったの、あの子が原因だよ」

 

 狐仙がぽつりと言葉を漏らす。感情が乗らない声。

 

「……そうか」

 

 煙灰が応える。狐仙が視線をあげて、煙灰の瞳を覗き込んだ。煙灰も逸らす事無く、視線を返す。しばしの間、無言が二人の間に降りた。

 煙灰が視線を外し、一度煙管を吹かして煙を吐く。消えゆく煙を見ながら口を開く。

 

「恨んでいるか?」

 

 端的な問い。けれど本質をついているであろう問い掛け。煙灰が鍛えた存在が、都の防諜の質をあげた。言い換えれば間接的に煙灰が殺したともいえるだろう。

 だからこそ、仲間の妖獣が狩られている狐仙に聞いたのだ。恨んでいるかと。

 狐仙は煙灰の問いかけに、すぐには応えなかった。同じように空間に溶け、消えていく煙をみつめた。煙が立ち消えると狐仙が口を開いた。

 

「別に恨んじゃいないさ」

「気を使う必要はないぞ? 何を言われようと受け入れるつもりだ」

「へへん、旦那。あまりおいら達を見くびらないでおくれよ」

「何がだ」

「無理だと思えば引くし、行かなきゃ死にゃしない。それで行くのを選んだのはあいつらさ。だったらそれは誰の所為でもない。強いて言うなら過信した本人の責任さ。それを誰かのせいにするほどおいら達の誇りは安いもんじゃない」

 

 嘘偽りの無い本心を狐仙は語った。自信を滲ませた表情を浮かべ、挑発的に笑ってみせる。小さな子供と同じ成りをしているが、どうしてそれは様になっていた。妖怪としての自負と、自らの能力への誇りを持った一人前の顔。

 一瞬虚を突かれて煙灰がぽかんとするも、次の瞬間にはクツクツと喉を鳴らして笑いだす。狐仙も煙灰の笑い声に合わせ、クスクスと笑う。自分何ぞより余程妖怪をちゃんとしていると、改めて認識させられた。

 

「いらん気配りだったか」

「そんな気配りするくらいなら姉御を何とかしておくれよ」

「それこそ自分でどうにかしろ」

「えぇー! 冷てぇよ、旦那!!」

「くっかっかっかっ、一人前なんだからしゃんとしろ」

「それはそれ、これはこれさ」

「調子のいい奴め」

「でも嫌いじゃないでしょ、旦那?」

「憎めない性格というのは確かだな」

 

 煙灰の返しに、狐仙がまた笑い声をあげた。いつしか酒が持ち出され杯を交わす。塊清もひょっこり顔だし、嵬に純狐、他の鬼達も加わり酒宴と変わる。誰も彼もが楽しげに笑いあい酒を飲む。

 騒ぐ同胞たちを眺めながら、酒と今いる自分の工房……それと同胞達がいれば良いと、煙灰はふとそう感じた。浮かんだ笑みを隠す様に、枡を自らの口へと運び中身を呷る。

 妖怪達の宴はまだまだ続く。

 

 

 

 

 

 

 

 それからもまた変わらぬ日常が繰り返される。妖怪が人を襲い、神が守り、人が抗う。人が死に、妖怪が討たれ、神が消える。そんな事が時折繰り返される日常。

 永琳はあれからも幾度か煙灰の元へと訪れていた。季節が一巡りする間に一、二度の頻度で顔を出す。そうして幾度も季節が巡っていった。

 

「背の高い建物が増えたな」

 

 煙灰が顔を出した永琳にそう言葉を投げかけた。煙灰の作った物を眺めていた永琳が、観察するのをやめて煙灰に向き直る。

 

「えぇ、そうね」

「作り上げた技術を自慢するかと思ったが……まぁ、そうだろうな」

 

 永琳の返答の声は僅かに暗い。煙灰が理解を示し、肩を竦めた。永琳はそれに苦笑を返す。

 

「背を高くする必要に迫られた事は、褒められるべきことではないわ」

「広げるのは厳しいか」

 

 覇気のない永琳の返答。煙灰の再度の言葉にも肩を竦めてみせる。厳しいと言う事だろう。

 背の高い建物が必要と言う事は、それだけ土地が限られているという事でもある。少ない土地を有効に活用するために、上へと伸びたのだ。そうせざるを得ない程、人間の領域が狭まっているともいえる。

 人が増えようとも、広げるほどの余力がないのだ。技術が成長し、人も武器を持ち闘う様になった。下位中位クラスの妖怪であれば、霊力の弱い人間でも抵抗できるほどに。

 銃と呼ばれる金属製の武器がそれを可能とした。けれども、それは所詮その程度だ。鬼をはじめとした、人型をとるほどの上位の妖怪相手では足りない。対抗できる実力者の増加も芳しくない。むしろ、そのクラスの戦力で言えば妖怪の方が上といえた。

 妖怪は存続に人間の畏れなどが必要であるために、壊滅させる気はない。だからこそ、押し込められながらも人間達の生活は続いていた。

 

「えぇ、そうね。広げるのは厳しいわ」

「そうか……」

 

 しばし沈黙が下りた。

 

「どうにかするつもりか?」

「どうにかするつもりよ」

「無理はするなよ」

「心配してくれるの?」

 

 煙灰の言葉に、永琳が問い返す。浮かぶ表情は得意げな笑みだ。嬉しそうで、少しだけニヤニヤとしたような笑顔。

 腹の立つ笑顔を浮かべ近づいてきた永琳へ、煙灰が吹かしていた煙管の煙を吹きかけた。煙を吹き付けられた永琳が不満の声をあげて、煙を手で払う。

 

「もう、素直じゃないなぁ」

「けっ、小娘が。俺をからかおう何ざ百万年早い」

「小娘じゃない、永琳。いつになったらちゃんと呼んでくれるのよ」

「気が向いたらな」

「もおー、意地悪」

 

 頬を膨らませ永琳が不満の声をあげた。定型化されたやり取りが、感じる不安を僅かに薄める。気が休まる事を永琳は自覚した。都で気を張って、鬼の住処で気を休める。そんなあべこべな状態に苦笑してしまう。

 

 

――あぁ、私はやっぱり……

 

 

 浮かんだ思いがすっと心に広がった。胸の前で手を組み、しばらく固まる。

 煙灰は永琳の様子を見て、静かに見守る。狐仙から、永琳が都でも頼られる人材となっていることを聞いているのだ。類い稀なる頭脳が皆の希望となっているのだ。

 今の都を支えているほとんどの技術は永琳が生んだ物だ。都の者たちは、都の人間達は少女の肩に乗っている物を想像もしていないのだろう。神童はだからこそと。特別だと思われている少女を、ただの子供として扱うのは煙灰くらいだ。

 月夜見や、親の産巣もその辺りに気を配ってはいるが、結局は頼らざるを得ない環境にいる。そして、それをするには組織を作る人間社会ではしがらみが多い。

 それを察している煙灰はだからこそ小娘と呼ぶ。ここではお前なんぞただの子供だと、言外に伝えるために。

 固まっていた永琳が、握り絞めた手を解き、瞳を開けた。煙灰を振り返って、その瞳でとらえる。ジッと強い視線を煙灰へと送った。そのまま少しの間、また静止して深呼吸をした。

 永琳の瞳に強い光が宿っていくと煙灰は感じた。何かを決意したのだと。煙灰は理解した。

 

「腹は決まったのか?」

 

 煙灰の言葉に永琳が小さく息を飲んだ。けれどもその瞳は全く揺れることは無い。にこりと永琳が綺麗な笑みを浮かべる。

 

「うん――決めたわ」

 

 力強い言葉が発された。

 

「もう迷わない。私は進む」

 

 朗々と言葉が紡がれた。

 

「どんな結果になろうと私は受け止める」

 

 魂の宿る言葉が形となった。

 

「だから煙灰――」

 

 綺麗な笑顔を永琳が()()()

 

「私を見てて」

 

 一瞬だけ泣くのを堪えたような子供の顔が見えるも、すぐにそれは隠れてしまう。煙灰は強く自らを見据える少女に言葉を返す。

 

「あぁ、見ていてやろう。何をするが分からないが、俺の弟子ならやってのけろ」

 

 返された言葉に、永琳が小さく肩を揺らす。不意打ちで弟子だと言われて動揺してしまったのだ。小さく笑い、フードを目深にして顔を隠してしまう。

 

「じゃあ、今日はもう帰るね」

「今日は随分と早いな」

「だって、忙しくなりそうだからね。もしかしたらしばらくは来られないかもしれないわ」

「そうか、そうか。そいつはのんびりできそうだ」

 

 声をあげて快活に笑う煙灰に永琳はむっとする。

 

「意地悪ばっかりいう煙灰なんて知らないっ」

 

 舌を出す仕草をした後、永琳が踵を返してその場を後にした。

 小さくなる後ろ姿を煙灰は見守る。何をするのだろうと、その背中に思う。きっと対峙することもあるだろうが、頑張れと永琳に内心で言葉をかけた。

 

 

 

 

 

 

 

 

「煙灰、今度は南の山が吹き飛んだぞっ!」

 

 煙灰のねぐらに塊清の大声が響く。焦っているというより、楽しげにわくわくとしているその姿に煙灰はため息をつく。

 

「わめくな、聞こえている。やかましい」

「くかか、これが騒がずにいられるかっ。ここ最近月夜見の無差別爆撃は常軌を逸しているぞ」

「だろうな。ぽんぽんぽんぽん周囲を無差別に攻撃しているな」

「お前は落ち着きすぎだろう……確かにここはお前が、馬鹿みたいに術を施しているから問題ないかもしれんがな。他の奴らにとっては大問題だぞ。住処が吹き飛んでんだ」

「確かにそれは腹が立つだろうが、仕方なかろう。それに一番初め以外は、警戒して墜ちてくる前に逃げ出しているのだろ?」

 

 煙灰がそう問い返せば塊清はそうだと頷く。ならば今は問題なかろうと煙灰は言葉を続けた。

 ここ最近、都の活動が活発となっていた。塊清が言う様に、月夜見が星を落として地形ごと吹き飛ばしていた。それはすでに幾度も繰り返されている。

 これは何かあるぞと妖怪達も簡単に察することが出来た。けれど都の防衛は普段とは比べ物にならないレベルで厳重となっており。かろうじて得られた情報は、都の者たちは月へと移住しようとしているという事だけだ。

 具体的な手段などの情報は得られなかったがそれだけでも十分だと。妖怪達に決意させるには事足りた。

 妖怪達は自らの存続の為に移住を阻止。もしそれが叶わないのならば、盛大に最期を迎えるのだと、鼻息荒く息まいていた。

 だからこそ、決戦は近いのだからと、住処の一つや二つは仕方ないと煙灰言う。塊清は煙灰の落ち着ききった態度にため息を吐く。

 

「全く、冷めてやがるな」

「どうだろうな」

「あん? 何かあんのかよ」

「それを考えているんだ。月夜見やあの小娘が意味もなくそんなことはすまい」

 

 煙灰の言葉に塊清は同意する。自らは考えることは苦手だが、それくらいは分かる。

 考えながら煙灰は思い出していた。この場所で決意を固めていた永琳の事を。きっと今起きている、これから起きる騒動を、あの時から描いていたのだろう。

 とんだ弟子だと笑ってしまう。大物になるとは思ったが、戦争の火蓋を切るとは予想だにしなかった。弟子は師を超えるものと産巣が良く言いながら武術を教えていたが、まさにそれだと煙灰は思わされた。

 

「んじゃ、お前は考えてろ」

「どこかに行くのか?」

「ここに居てもしょうがないからな。都の見える所ででも待っているさ」

「そうか。一応形だけ言っておいてやる。気を付けろよ」

「かかっ、おうよ」

 

 煙灰と塊清が、拳をぶつけた。鈍い音が一度、洞内に響く。塊清は煙灰に背を向け、ねぐらを後にした。

 塊清が出ていくと、煙灰は思考に沈む。月夜見の……いや、永琳の思惑を読もうと頭を働かせた。

 

 

――なぜ、無差別爆撃などした

――いらぬ刺激をして何になる?

――数を減らすことが目的ではあるまい

――それが原因で移住計画が発覚したのだ

――そうなる事は分かっていたはずだ

――だが、それでも決行し、今も続けている

――何故だ……

 

 

「もはや警戒され意味は無い……違う、続けているという事は意味があるのだ……続けている事で何が起こっている?」

 

 いつぞやに、永琳が改善方法を思考していたように煙灰が思考を進める。煙管でこつこつと自らの膝を叩きながら目的を探る。

 

「地形が吹き飛んでいる……地形を変えることが目的? 移住に必要なのか……」

 

 移住手段が解らないのが痛いと思いながらも、思考はやめない。

 呟きを漏らしながら煙灰が思考を取りまとめていく。そして、不意に煙灰の瞳が大きく見開かれた。

 

「まさか……いや、だがそれが一番……」

 

 浮かんだ考えに驚愕する。そんなことが可能なのかと。そんな事を普通思いつくのかと戦慄を覚えた。けれでも、立案者はあの永琳だ。ならばあり得ると煙灰は思う。

 地面にうずくまり、手を当てる。煙灰の中で妖力が蠢き、大地に浸透していく。煙灰が瞳を細め、妖力を操る。そして、冷や汗がたらりと煙灰の頬を伝った。

 

「地脈を、龍脈をずらす気かっ!?」

 

 その考えにゾッとした。自分たちが動くのではなく、星を流れる地脈事態を動かすなどそんな馬鹿げたことを考え、まして実行するなど想像する事さえなかった。

 しかし、現に実行され、実際に動いている。永琳の頭脳に戦慄が隠せない。

 

「すごいね、煙灰は。やっぱり気が付いたね」

「小娘か?」

 

 驚愕に思考が染まる煙灰へ声がかけられた。視線を向ければそこには永琳が外套姿で立っていた。

 

「永琳だよ、全くもう。最後位ちゃんと呼んでよ」

「最後、か……」

「私達が勝っても、煙灰達が勝っても最後になっちゃう可能性の方が高いでしょ?」

 

 永琳の言に納得してしまう。永琳たちが勝てば月に行くのだから最後だろう。煙灰達が勝てば、全滅はさせないまでも、次が起こらぬようにと首謀者格は始末される可能性が高い。

 それは煙灰一人がごねた所で変わることは無いだろう。ゆえに煙灰としては、この決戦を持って月夜見と相打つのもいいかもしれないと考えていた。

 

「確かにその通りだな」

「でしょ? ほら、せーの」

「で、お前はそんな大事な時に何しに来ているんだ?」

「呼んでくれないなら答えない」

 

 永琳がふいっと顔をそむけて口をとがらせた。決戦間近だというのに、毒気の無さにあきれて笑ってしまう。仕方ないと口を開く。

 

「永琳、なにをしている。お前は要なのだろう、俺にここで殺されるとは思わないのか?」

「思わないわ。それにもうここで私が死んでも何の影響もないもの。だから来たのよ」

 

 そう言い首を傾げて永琳は笑った。煙灰は永琳の仕草に、とうとう呆れと疲れのため息を吐いてしまう。

 永琳は煙灰の反応にクスクスと笑い声を漏らした。煙灰が胡乱気な視線を一度永琳へと向けるも、笑いは収まらない。

 放っておいても収まらないだろうと、話を進める為に言葉を投げかける。

 

「で、何しに来た?」

「もう最後くらいのんびりしようって気はないのかしら。風情が無いわね」

「永琳」

「そう言う時だけ名前で呼んで……狡いなぁ、煙灰は……お別れを言いに来たの」

「別れを?」

「はじまっちゃったらそんな時間無いでしょ? だから、始まる前に会いに来たんだ」

「じゃあ、もうすぐ始まるのか」

「えぇ、そうよ」

 

 その言葉に終わりが近いと煙灰は知る。大きく一度息を吸い、ゆっくりと吐き出す。僅かながら、ざわめく心が落ち着くことを自覚した。

 永琳がその場に座り、外套の下から荷物を取り出す。

 

「それは?」

「お酒よ。父の秘蔵の品をくすねて来たの」

 

 にひひと笑う永琳の笑顔に煙灰は頭痛を覚えた。こんな時に危機感がないと。けれども、それがまた永琳らしいとも思えてしまう。

 永琳の目の前に煙灰がドカリと座り込む。ぱっと見た感じ、確かに良さそうな酒に見えた。土瓶から漏れる芳香も、一級品だ。

 

「ガキが酒何ざ飲むもんじゃなかろうに」

「記念に一杯だけよ。大人になったら一緒に飲みたいって思っていたけれど、ね」

 

 なるほど、とその言葉に苦笑してしまう。確かに大人になるまでの時間は得られそうにない。それもよかろう、一興だと煙灰も永琳の我が儘に付き合う事にした。

 永琳が慣れない手つきで酒を杯に注いでいく。持ち運びやすい小さな杯は、すぐに一杯になった。自らの分と煙灰の分、二つの杯に酒が注がれた。

 永琳が杯を持つと、習う様に煙灰も手に取る。

 

「何に?」

「……出会いに」

「出会い?」

「私は煙灰にあえて本当に幸せだった。だから、いいでしょ?」

 

 背の低い永琳が、上目気味に煙灰を見つめる。

 煙灰が、ふっと口元を緩め、優しく笑う。

 

「構わん」

「じゃあ――出会えたことに」

「「乾杯」」

 

 カツンと乾いた木同士が打ち合う軽い音が鳴った。杯の酒を零さぬように、永琳が慎重に口元に酒を運び飲む。煙灰も、永琳が飲んだ事を確認し、酒を呷った。

 産巣の秘蔵の品というだけあって酒は美味かった。今生の最期になるかもしれない酒としては満足の行く品であった。

 

「――良い酒だ」

「意外とお酒って美味しいのね」

「まさか初めて飲んだのか?」

「そうよ? だってお酒は思考が鈍るもの。思考を鈍らしている暇なんて私にはなかったわ。目標が遠すぎるのよ」

 

 と、永琳が煙灰を見据え、愚痴の様な物を零す。煙灰も永琳の言葉に笑ってしまう。永琳らしい理由だと納得させられてしまった。

 煙灰がまだ酒の残っている土瓶を手に取り、杯へと注ごうとする。

 

「あ――」

 

 カランと物が落ちる音がする。煙灰の手の中の杯が地面へと転がった。がしゃんと土瓶の割れる音も、後を追う様に洞窟内へと広がった。

 

「な、に」

 

 煙灰の身体がぐらりと揺らぐ。前のめりで倒れそうになった身体を、辛うじて腕を突き出して支えるも。その腕は今にも力を失いそうな程に頼りない。

 瞳が前方にいる永琳を捉えた。ぼやけて輪郭がはっきりとしない視界の中に永琳がいた。

 

「ごめんなさい。許してほしいとは言わない」

 

 ぼやけていく意識の中、永琳の声が聞こえた。

 

「でも、私は貴方に生きていて欲しいから」

 

 腕から力が抜けていく。

 

「恨んでくれて構わない、それが生きる活力となるのなら」

 

 身体に力が入らなくなり、煙灰が地面へと倒れ込む。

 

「だから、煙灰。また会いましょう」

 

 その言葉を最後に煙灰の意識は堕ちていく。

 

 

 

 

 




そろそろ古代の締めですね
鬼が酒の席で騙されるのは書いていて切ないですね


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一二振り目

 

 

 

 

 眼前で意識を失い倒れ伏した煙灰を永琳が見下ろす。良く見なければ死んでいると見まごう程に動きがない。妖力も良く観察しなければ分からない。

 永琳が煙灰に近づき、髪をそっと撫でつけた。さらさらと煙灰の白髪に永琳の指が通る。指先から感じられる煙灰の体温を忘れまいと、覚えていようとゆっくりと動かす。

 

「肉体的側面の強い貴方なら独りになっても生きられる。穢れをものともしない、穢れを纏う妖怪の貴方なら大丈夫。仮に問題が出ても、きっと煙灰なら何とかしちゃうでしょうしね」

 

 小さく口元を綻ばし、永琳が消え入りそうな声で語りかけた。発される声色は慈愛に満ちていた。幼い子供に言い聞かせる様な優しさに満ちていた。はらはらと指に梳かれた髪が流れ、煙灰の横顔を隠す。

 

「これから私がすることで、煙灰はすごくつらい思いをするわ。いくら優しい煙灰でも殺してしまいたくなるほど私を恨む。だからね、その思いを糧に生きて、煙灰」

 

 永琳が煙灰の髪から指を離す。うつ伏せで倒れ、横顔が髪で隠れた煙灰の顔はもう見えない。永琳が外套の下に手を入れた。

 

「……いつかまたいっぱいお話をしましょう。今度はたくさん、たくさん、煙灰の(恨み)を聞くわ。だからまた会いましょう」

 

 永琳が外套の下より、煙灰から譲り受けた弓を取り出す。立ち上がり、永琳が弓を引く。霊子で構成された弓矢がつがえられた。矢じりの矛先を煙灰の頭部へと永琳は向ける。キリキリと弦が張りつめる音が洞内に響く。

 

「だから、煙灰……さよなら」

 

 永琳の声が洞窟内に広がった。先ほどまでの、間近にいても聞き取れない大きさと違い、はっきりとした声で永琳が決別を注げた。ふっ、と永琳が小さく息を吸う。指が弦から離れる直前に、地を蹴る音が永琳の耳に届く。

 獣の唸る咆哮が、永琳の背中へと叩き付けられた。永琳はすっと身体をずらし、背後からの襲撃を躱す。

 永琳の外套の肩口を掠り噛み千切った一匹の狼が、煙灰と永琳の間に姿をみせた。構えたままの弓をずらし、地面に着地したばかりの狼めがけて矢を放つ。

 

「がぁ、ぐぅううっ」

 

 予期していなかった素早い反撃に、狼が苦痛の声をあげた。軽快な音と共に姿が変わる。四本の尾を持つ妖弧、狐仙が正体を現す。

 射抜かれた場所は左肩であったのか、右手で肩を押さえている。けれど、苦痛に歪む顔の中、双眸だけがぎらつく殺意を湛えていた。

 

「世話になった相手へ毒を盛って殺すのかっ!? お前、どれだけ――」

「殺すのは貴方だけ。あれは貴方を釣り出す為の見せかけ」

「てめぇっ……どちらにせよ逃がす気はなかった癖に良く言うぜ」

「あら、気が付いたの? さすがね」

「気が付いた時点で、もうお前を追って洞窟に入っちまっていたけどな」

「そう」

 

 永琳が感情を乗せない、無機質な声を返した。狐仙は永琳の態度から背筋に冷たい物を感じた。向き合う視線に怖気を禁じ得ない。永琳の瞳が狐仙には、殺されることの決まっている家畜を見ている様に感じられた。

 ギリッと強く歯噛みをして考えるも、いい考えは何も思い浮かばない。狐仙が永琳を睨みつけていると、声が広間に一つ増えた。

 

「永琳、問題なさそうかい?」

 

 通路の暗がりから一人の女性が姿を現した。綺麗な黒髪で輪っかを二つ頭の上でまとめ、ひらいらとした羽衣姿の人物。まとめられた黒髪はウサギの耳を彷彿とさせるように、女性の動きに合わせてひょこひょこと揺れる。

 

「えぇ。問題ないわ、嫦娥(ジョウガ)

「そう? それは良かった」

 

 女性、嫦娥は永琳の返答に明るく笑う。目の前の二人に狐仙が苦虫をつぶした様に顔をしかめた。

 

「……嫦娥だったのか」

「そうだよ。君が入った後、逃げられないよう通路に陣取ったのは、何を隠そうこの私さ」

 

 狐仙が嫦娥の言葉に舌打ちをした。背後に別の気配が現れたのは察知した。否、奥へと追いやる為に察知させられたのだろう。まんまと誘い込まれた自分の間抜けさに毒づきたくなるが、なんとか呑み込む。

 まさか、いつも一人で来ていた永琳が連れを伴っているとは狐仙は思ってみなかった。嫦娥の手には、永琳と同じ外套がかかっている事から二重尾行されたのだと容易に理解させられた。

 狐仙は都の者達の月への移動方法を探りに潜り込んでいた。移動方法であろう巨大な円筒形の筒を見つけ、それがシャトルと呼ばれている事まで突き止めた。

 そして、狐仙はその時永琳を見つけた。隠れるように都から煙灰のねぐらへと向かおうとしていた永琳を。どちらにせよ、考えることの得意な煙灰へ、一番に伝えようと考えていた狐仙はそのまま永琳を尾行した。

 けれど、それが誘いでもあったのだろう。通路の暗がりから、煙灰が意識を失う所を見た。逃げようとしたが、その時背後の気配に気が付いた。進退窮まり、どうするか考えていたら今度は煙灰へと弓を向ける永琳の姿が。

 そこからはあっという間に現状が出来上がった。

 

「どうしても都の情報が抜けているみたいだったの。だからそれに適した能力持ちがいるとは思っていたわ。それくらい都の情報に精通しているのなら、今私が一人で都を出れば釣れると思ったの。正解だったわね」

「あぁ、あぁ、まんまとつられたよ。それに嫦娥まで出てくるなんて、気合の入れようがうかがえるねぇ。おいら、そこまで熱烈に求められていたなんて困っちまうよ」

「そうかい? それは嬉しい評価だね。私がうろうろすると、純狐が来るからと。普段から皆に外出を控える様に注意されていてね。だから都への侵入者もいつも大人しくしている私の動きなど気にしないだろうと思ってさ」

「確かに……大当たりだ。姐さんに匹敵する力量が有りながら、その頭の冴えは厄介だね」

「これはこの子の受け売りさ。私は考えるのは大の苦手だからね」

 

 嫦娥は永琳を示して、肩を竦めた。永琳はそれに取り合わず、視線を狐仙から一切逸らさない。観察するようなその目つきが狐仙には何よりも恐ろしかった。思考を読まれている気さえしてくる。

 足元に転がる意識の無い煙灰が目覚めれば状況は変わるだろう。けれど、ここまでする相手がそんなへまをするとは思えなかった。全く引き際を間違えた物だと内心で苦笑する。

 以前、自信満々に煙灰へと語ったというのにこの体たらく。情けないと実感した。いっそ派手に暴れて誰かが気が付くのに賭けるかと、妖力を練る。弱い自分では僅かな時間しか稼げないだろうが、現状よりか可能性は高かろうと狐仙は考える。

 身構えた狐仙に対し、永琳が弦に指をかけた。

 

「嫦娥」

「大丈夫。入り口で術は施してきたよ」

「そう。なら少しなら暴れても大丈夫ね」

 

 永琳からの圧力が増す。外套を羽織っているために霊力は感じられないが、存在感が増した。狐仙は二人のやりとりに察してしまう。外套に込められている術と似た物がいまこの場に張られていると。

 

「……そこまでやるかぁ」

「念入りにしすぎて悪い事は無いわ」

 

 永琳のその言葉を皮切りに弓矢が放たれ、闘いが始まった。狐仙にとっては勝ち目のない、希望のない闘いが――

 

 

 

 

 

 事切れて動かない小さな人物。目立った傷の無い狐仙が、意識の無い煙灰の身体にもたれている。

 傷一つない永琳が、感情のこもらない表情で煙灰と狐仙を見下ろす。しばらくそのまま固まっていると、戦闘に参加していなかった嫦娥から声がかかった。

 

「永琳、そろそろ行こうか。感傷的になっている時間は無いよ」

「えぇ、そう……何を持っているのかしら」

「見てわからない? ウサギさ」

「どうしてそんなものを抱えているのよ」

 

 嫦娥が小脇に二匹のウサギを抱えていた。グゥグゥと鳴き声をあげる二匹に永琳は頭痛を覚えた。首を傾げて真顔でそう言い放つ嫦娥に対し、疲れを感じる。

 

「どうしてって、連れて行こうかなって思ってさ」

「返してきなさい」

「やだよ。月まで連れて行く。どうせ、月に行ってもやる事無いしさ」

「貴女ねぇ……」

「いいじゃないかこれくらい。君のしている我が儘と比べれば可愛い物さ」

「それは、そうね」

 

 永琳は嫦娥の返しに図星を突かれ押し黙る。煙灰を殺さず、眠らせるにとどめる。これは永琳個人の独断だ。本来であれば殺さねばならないのだ。けれども、永琳はそれをしない。

 そして嫦娥は咎めない。だからこそ永琳は今回の同行者に嫦娥を選んだのだ。嫦娥の言っていた理由ももちろんあるが、一番の理由はそれだ。嫦娥は融通が利くのだ。悪く言えばちゃらんぽらんとも言える。そんな気質を嫦娥はしていた。

 

「君のしたことを内緒にしているからさ、この子達の事を口添えしてよ」

「はぁ……仕方ないわね。良いわよ。実験動物も欲しかったし」

「えぇー。まぁいいか。どうせするなら人型にでもする実験でもしようよ」

「何よそれ」

「ウサギの召使い何て可愛いじゃない」

「はいはい、考えておくわ」

 

 嫦娥へおざなりな返答をし、最後にもう一度永琳が煙灰達を見下ろした。いまだ目覚める気配を欠片も見せないその姿に少しだけ寂しさを覚えた。けれど、見送りの、別れの言葉は期待できない。してはいけない。煙灰から意識を奪ったのは自分だから。全てを奪うのは自らなのだから。

 

「またね、煙灰」

 

 別れの言葉を煙灰へと落とし、永琳がフードを目深にかぶった。嫦娥もそれを確認すると、自らもまた手に持った外套を羽織る。ウサギたちも、視界が暗くなると不思議と鳴くのをやめ静になった。

嫦娥は一度狐仙へと近づき、その死体を軽くなでた。永琳も嫦娥の行動に何も言う事は無く、それをみつめる。嫦娥は一撫ですると立ち上がった。

 そして、二人はそのままその場を後にした。永琳と嫦娥、二人の姿が通路の暗がりへと消えていく。もはや振り返る事は無い。

 残されたのは意識の無い煙灰と死した狐仙。洞窟内に静寂が訪れた。

 

 

 

 

 

「煙灰。煙灰、居るのでしょう?」

 

 通路から洞窟内へと声が投げかけられた。その声は徐々に近さを増している。

 

「煙灰、狐仙がまだ帰っていないのです。もうとっくに帰ってきてもおかしくないというのに……煙灰は何か知りませんか?」

 

 声の主、純狐が狐仙を探して煙灰のねぐらへとやってきたのだ。純狐は返答がない事を訝しみながらも、奥へと進む。

 普段であれば姿を隠して入り込むのが常である。しかし、今回は狐仙と追いかけっこをしている訳ではないので普通に入ってゆく。

 静かすぎる洞窟に疑問を抱くも、奥からは光が漏れているので何かしているのだろうかと浮かんだ疑問を呑み込む。

 しばし歩けば、純狐の視界が開けた。暗い通路から広く明るい広間へと出た。

 そして、純狐は見つけてしまう。見てしまう。倒れ伏す二人の姿を。動かない両者を。

 

「え、ん……かい? こせ、ん?」

 

 純狐の中に言葉で言い表すことのできない感情が渦巻いた。喉がひきつり上手く言葉が紡げない。ふらり、ふらりとよろめくように純狐は近づく。

 煙灰達のそばまで来ると、崩れる様に膝をつく。震えの止まらない手で狐仙を抱き上げる。

 冷たい。固い。妖力を感じない。これは、これは――死んでいる。

 

「あ、あぁああ、そんな……そんな、どうして、なぜ、あぁああ」

 

 絞り出す様に純狐が声をあげた。どうしてと、なぜ狐仙が死んでいるのかと。純狐の心が悲しみに軋む。腕の中も狐仙の死体。遠い昔、夫に殺された自らの子供と狐仙が重なる。胸を掻き毟る吐き気を感じた。心が張り裂けそうな痛みが生まれた。世界を呪い殺したくなるほどの怒りがわき上がった。

 暴れ出しそうになる感情を無理矢理理性で押さえつけ、煙灰の確認へと移る。死んでいるように見える。けれど、本当にわずかだが妖力を感じた。仮死状態に近いと純狐は感じた。近くの地面から香る酒精の匂いに、一服盛られたのだと考えた。

 

「あぁ、なるほど。鬼とは難儀ですね、煙灰。嘘をつかず、嘘を疑わない。本当に難儀ですね」

 

 煙灰は濁したり勘違いをわざとさせることはあるが、決してはっきりとした嘘はつかない。約束はたがえない。他者の嘘も疑う事はほとんどない。

 それは鬼としての気質もある。ちょっとの嘘程度、ねじ伏せてしまう実力も疑わない要因の一つだ。あと、一度懐に入れた相手にはとことん甘くなるのも盛られてしまった原因なのであろうと。

 

「それにこの神力……嫦娥」

 

 低く地の底からひびく様な、おどろおどろしい声が純狐から漏れた。煙灰の妖力を注意深く探った時、狐仙に染みついた僅かな神力も同時に感じ取っていた。感じた事のある神力。それは怨敵、嫦娥の物。

 気が狂いそうだ。いや、もう狂ってしまっているのかもしれない。純狐は荒れ狂う感情を必死に押さえつける。ここで感情の赴くままに暴れてしまえば狐仙の死体は無くなり、煙灰も死んでしまう。だから、それはダメだと必死に自らを押さえつけた。

 食いしばる唇からは血が垂れた。噴き出た妖力で地面に罅が生まれた。地面を握る指が、地を穿つ。怒りに震える身体を必死に押さえつける。

 純狐には永遠であったかのように感じられる時間が過ぎ、身体が理性の支配化へと戻ってきた。潰してしまわないように耐えていた狐仙の死体を、煙灰へともたれさせる。

 

「少し……出てきます。煙灰は起きられない様なので、狐仙をお願いしますね」

 

 血を吐くように、純狐が声を振り絞った。視界に入ればまた激情が湧くために、地面を見つめて独白する。震える肩がその身に巣食う激情を、無念を、雄弁に伝える。握られた拳からはひたひたと血が地面へと落ちていく。落ち着かない心を、忙しなく動く九本の尾が物語る。

 

「では、煙灰。また会いましょう」

 

 純狐が背を向け、歩き出す。一歩進むごとに妖力が高ぶっていく。純化され、圧力を増していく。そしてまた、洞窟内には静寂が降りた。

 

 

 

 

 

 

 満月の浮かぶ明るい夜。都を一望できる高台に妖怪達が集結している。いや、高台だけでなく、都をぐるりと囲む様に妖怪達が夜の闇の中、ひしめいていた。

 決戦だ。戦争だ。声も高々に妖怪達が叫びをあげた。都の人間達を、神々を威圧する様に数多の夜行が形を成した。

 都が一番良く見える高台の上に鬼の大将、嵬がいる。背後には仲間の鬼達が、戦意をみなぎらせ、控えている。鬼達の中に塊清の姿もある。嵬の隣には純狐の姿があった。

 

「なるほどな。馬鹿だな、彼奴も」

「えぇ、本当に」

「せっかくの祭りに参加できんとは同情物だ」

「後で散々自慢してやりましょう」

「だな」

 

 純狐が煙灰達の事を嵬に伝えた事で、この大夜行が形成された。煙灰を直接無力化してきたという事は、すぐにでも動くだろうと行動を起こしたのだ。

 生憎と狐仙以外の潜入した妖獣達も誰一人帰ってこなかった。だからこそ、判断材料となるものがそれしかなかったのも大きい。

 嵬が声をあげ、他の妖怪達も参戦してきた。妖怪最強種族の鬼。その大将の呼びかけだ。最近の月夜見による爆撃も、妖怪達には我慢の限界だったのだ。そこへ来ての大勝負の呼びかけだ。これで滾らない妖怪はいない。

 嵬が集まってきた妖怪達を睥睨した。嵬の放つ威圧に、静寂が訪れた。先ほどまでの、地面が震えるほどに響いていた声がぴたりと止まる。嵬がその様に笑みを深める。妖怪達が今か今かと期待に瞳を光らせ、嵬を見る。

 

「かっかっかっ!」

 

 辺り一帯に響き渡る笑い声。

 

「良いか、お前らっ!!」

 

 妖怪達が息を飲む。

 

「これより我らは都の者共と盛大な祭りをするっ!!」

 

 至る所で咆哮が、雄叫びがあがった。

 

「月になど決して逃すなっ! その手段は軒並み潰せぇ!!」

 

 人型の妖怪が腕を天へと突き上げる。妖獣や妖蟲は天を仰ぐ。

 

「戦える者は皆殺せっ! 戦争だっ!」

 

 湧き上がる殺せの唱和。妖怪達の熱気が高まり、妖力があらぶっていく。

 

「今宵を永劫に語られる盛大な祭りにするぞっ!!」

 

 大気が震え、地が揺れた。雷鳴のような怒号が至る所で上げられた。嵬がニヤリと口を歪めた。身に巣食う妖力が我慢ならんと暴れ出す。大きく、胸が膨らむほどに息を吸う。

 

「いくぞぉおおっ!!」

 

 嵬が吼え、高台から飛び降りた。夜行を形作る妖怪達も遅れまいと、後を追う。

 大地を埋めるほどの妖怪達が、都へと牙を剥く。

 先頭をひた走る嵬は得も言われぬ不気味さを覚えた。これだけ騒ぎ、行動も起こした。それなのに都からの反応がまるでない。誰一人都の外へと防衛に出てこない。

 その事が酷く不気味に感じられた。けれども、だからといって止まる訳にはいかないのだ。嵬は不安を打ち払おうと砲声の様な叫びをあげ、大地を蹴りつけた。

 都が近づいてきた。このまま市街地へと流れ込もうと考える嵬は、ぞくりと言い知れぬ寒気を感じた。馬鹿げた力の奔流を感じ取った。それは自分たちの足元。否、都の下の大地から感じられる。

 次の瞬間、都の全てを囲う様な巨大な結界が現れた。見るからに強固で、分厚い結界が目の前に出現した。妖怪達が動揺し、勢いが衰えた。

 

「これは……かかっ、これは本気で不味いかもしれんな」

 

 嵬が誰にも聞こえない声で小さくつぶやく。動揺している声が背後から聞こえてくる。動揺もするだろう。こんな馬鹿げた結界をみせられれば。こんな馬鹿みたいに力の込められた結界が突然現れれば驚くのは当然だ。

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 嵬が能力を身体に行き渡らせ、鬼神と化して結界へと突っ込む。妖力を纏い、全力の拳を、全速力で、結界のへと打ち込む。

 

「くかかっ、こりゃ厳しい」

 

 結界と拳がぶつかり、衝撃が生まれた。激突箇所を中心とした放射状の衝撃波が地面を抉る。けれども、結界はビクともしない。揺らぎ一つ見せることは無い。

 他の妖怪達も嵬の姿に倣い、次々と結界に攻撃を始めた。けれど、やはり結界は揺らぐことなく都と妖怪達を隔てつづけた。

 塊清も、鬼達も、自慢の膂力で殴りつけるも、効果のほどは見いだせない。

 

「なるほど。腕の良い術師の煙灰だけを狙うわけだ」

 

 煙灰が狙われた理由を嵬はここにきて察した。煙灰がいれば何かしらの手段を講じた事だろう。けれどそれは出来ない。全く、嫌な所を突くのが上手いと感心してしまった。

 どうしたものかと嵬が頭を掻いていると、隣に純狐がするりと姿を現した。

 

「どうした、純狐?」

「これは地脈の力を用いた結界の様ですね」

「地脈? はぁーん、なるほど」

「えぇ、熱心に爆撃していたのはこのためだったのでしょう。信じられないですね。都の下に地脈の流れを持ってくるなど」

「よくもまぁ持ってこれたもんだ。計算した奴は頭がおかしいな」

「でしょうね」

「それに良くあの月夜見が踏み切った物だ」

「それは?」

「どうでもいい話だ。今に関係は無い」

 

 嵬が結界を眺めて純狐の疑問を切って捨てた。純狐も追及する気がないのか小さく肩を竦める。そして、本題に入ろうと純狐が嵬へと声をかけた。

 

「私がどうにかしましょう」

「……できるのか?」

 

 嵬が僅かに瞳を見開いて驚きを示した。

 純狐が口元を歪め、瞳には自信の色を湛えた。

 

「不可能ではない、と言ったところですね」

「どうするんだ?」

「結界の力と同化してすり抜け、結界の起点を破壊します」

「それは……死ぬぞ?」

「どちらにせよ、では?」

「……確かにこのままなら全員に逃げられ、いずれ力尽きる、か」

「えぇ、その通りかと」

 

 嵬が瞳を閉じ、唸る。しかし、選択肢などあってない様な物。純狐をみつめ、死を願う。

 

「純狐、俺たちの為に死んでくれ」

「是非、喜んで」

 

 陰り一つない笑顔で純狐が笑う。慈愛に満ちた美しい笑顔。

 純狐の笑みに嵬が苦笑する。死ねと言うのに憂いの無い笑みを返されるとは思わなかった。

 

「頼もしいな」

「ふふ、褒めても何も出ませんよ」

 

 純狐が嵬の横を通り過ぎ、結界へと近づく。純狐が歩みを止め、嵬へとまた話しかける。

 

「もし、もし嫦娥がいたら送ってくださいな」

「あぁ、任せろ。すぐに送ってやる」

「それは楽しみ。精々地獄で待っていましょう」

 

 純狐がクスクスと笑い、また歩みを再開した。

 嵬の視界から純狐が消えた。数多いる妖怪達の影に純狐の姿が隠れてしまった。

 

「すまん、純狐。独りに任せる様な真似を」

 

 全員で散るのならばそれは一興。けれどもたった一人にだけ負担をかけるのは、あまりに情けない話だと顔を歪めてしまう。ままならぬ物だと嵬はため息を吐いた。

 妖怪達の間を縫って純狐が進む。皆、諦めることなく結界を壊そうと躍起になっていた。同胞たちのその姿に純狐は力を貰う。狐仙の仇を討たねばならぬと。都の者共に目に物見せてやると決意を新たに前へと進む。

 

「あぁ、そういえば――」

 

 都に単身で乗り込もうとする純狐が、意外そうな声をあげた。盲点だったと浮かんだ事柄についつい笑ってしまう。

 

「――狐仙たちの様に都へ単身で忍び込むの何て初めてですね、ふふ」

 

 口に出してみると不思議と気分が上向いた。死地へと向かうというのにわくわくしてきた。自分の同胞達の真似事を最期にするなど、洒落ているなと笑みがこぼれた。

 純狐の足取りは軽い。お気に入りの場所まで散歩をするみたいに軽やかに歩む。悲壮感は、欠片も見られない。

 見上げれば、美しい満月が飛び込んでくる。

 

「狐仙、月が綺麗ね――」

 

 一匹の妖狐が妖怪達の中に紛れた。

 

 

 

 

 



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一三振り目

 

 純狐が結界に手を触れて準備を行う。地脈の、結界に流れる力を感じ取り、自らの能力で近づけ純化していく。

 純狐の能力は純化する能力。全てのモノに宿る本質的な力を、名前さえつかない純粋な力を操る能力。ゆえに、それが霊力であろうと神力であろうと、力の根源を司る純狐には、毛色が違うだけの同じ力であると言えた。そしてそれは地脈の、星をめぐる力にも同じことが言える。

 ただ付け加えるのであれば、今回は星の力その物。ゆえに力の絶対値が自身と比べ、大きすぎることが問題とはいえよう。それを結界にふれ、直に感じ取った純狐はため息を吐く。骨の折れそうな仕事だと。

 

「じゃじゃ馬も良い所ですね」

 

 一度同化し、力に身をゆだねたらば目的達成まで解けないだろうと。純化させ、同化させている最中なら、溢れ出る力で無理がきく。けれど、解除してしまえば反動で力尽きてしまうだろう。

 結界を超えたら、速度勝負だと純狐は理解した。単身の乗り込みでも狐仙たちのこっそりとしたものと比べだいぶ派手だなと、ついつい笑ってしまう。僅かに口元を歪め、笑っている純狐に声がかかった。

 

「よ、純狐。大役だな」

 

 顔を声の下方向へと向けると、そこには塊清が立っていた。先ほどまで結界を攻撃していたのだろう、拳からは血がにじんでいた。妖力が活性化しており、力強い気配を放っている。

 しかし、気負いなく、それでいて普段通りに塊清が手を挙げながら笑っていた。変わらぬ様子についつい苦笑してしまう。

 

「楽しそうですね、塊清」

「あぁ、楽しいさ。こんな馬鹿騒ぎは生まれて初めてだからな」

「確かにそうですね。ここまで馬鹿げた物はきっと後にも先にもないでしょうね」

「だろうな。なら、今を楽しまないでどうする」

「煙灰がいたら顔をしかめそうな内容ですね、ふふふ」

「彼奴は頭が固いからな。まぁ、強いて不満があるとすれば中の奴らと()り合えない事だな」

「単純ですね」

「馬鹿だからな」

 

 あっけらかん言い放つ塊清。

 純狐も仕方のない子とでも言いたげに困った笑いを浮かべた。

 

「待っていてくださいな。今、私がこじ開けてきますよ」

「そうか……別にお前が無理をする必要はないぞ」

「塊清?」

「他の奴らも頑張っている。お前だけが酷使されるいわれはないぞ」

 

 塊清の言葉に純狐は心配をされていると理解した。妖力を放ち、気配を強めた塊清が言葉無く語る。我らはそこまで不甲斐なくないと。

 不器用な心配の仕方に、その気遣いに純狐はとうとう笑ってしまう。煙灰といい、塊清といい、面白い友人だと笑ってしまう。

 

「うふふふっ、これで良いんですよ、塊清」

「しかし――」

「いいのです。自分で決めた事。誰に強制された事でもありません。それにかなりきわどいでしょう?」

 

 純狐が辺りを見渡してそう言えば、塊清は苦虫をつぶした顔をした。都を囲う結界は、蟻の這い出る隙間さえなく埋め尽くす妖怪達の攻勢をもってしても、揺らぎ一つ見せない。

 結界を殴り破壊を試みていた塊清にも、実感を伴って分かってしまっているのだ。かなり厳しい物であると。

 

「だから私に任せてくださいな」

「……すまん」

「構いません」

 

 押し黙ってしまう塊清。純狐は塊清の心遣いに温かさを感じる。そんな塊清を思い、言葉をかける。

 

「せっかくだからお願いでもしましょうかね」

「願い? なんだ」

「後で煙灰の事をぶん殴っておいてください」

「煙灰を?」

「不甲斐ない、と」

「……あぁ、なるほど。任せておけ」

「ふふ、楽しみですね」

 

 純狐はそれを最後にして言葉を止めた。結界に向き直り、最後の準備に取り掛かる。塊清も純狐を見送るつもりなのか、その場を動かない。

 皆の心配に心安らかになった純狐。けれど、いまだ恨みの炎は消えることなく、心を焦がしていた。そして、それは純狐の活力となると同時に不安でもあった。

 もし、中で嫦娥を見つけてしまえば抑えが利かないだろうと。全てを忘れて襲ってしまうと純狐には解っていた。それは解っていてもどうしようもない事。見つけてしまえば激情を抑えられない。

 能力を行使すれば完了する。その段階まで移行した純狐が、ぽつりと言葉を漏らした。

 

「塊清」

「なんだ?」

「結界を壊すのにも全力を割いておいてくださいと、嵬にも伝えておいてください」

「かっかっかっ、なんだ、そんな事か。もうとっくに全員に伝わっているさ。お前が壊す前にぶち開けろとお達しが出ている。ぐずぐずしていると迎えに行くぞ?」

「あぁ、全く……鬼らしいですね」

 

 任せると、死んでくれと言いながらも、迎えに行くと言う鬼達の気質が好ましいと純狐は感じた。肩に加わった重みが軽くなった気がする。

 自分は出来る限りで良いと。後を任せられる者達がいるのだと勇気づけられる。

 

「それでしたらのんびりと待っていましょうか」

「のんびりできるといいな」

 

 すぐに行くさと返してくる塊清にまた笑いがこみ上げてきた。さて、もはや憂いは無いと純狐が覚悟を決めた。

 

「それでは塊清、またのちほど」

「また後でな」

 

 その会話をきっかけとする様に純狐が能力を行使した。不純な力が消えいき、純狐の力が、存在を構成する全てが地脈の力と同化していく。

 状態としては地脈の力を吸い上げていた月夜見に近しい。違いがあるとすれば、構成する身体さえ地脈と同質の力で構成されている点だ。精神にかなりの比重を置く妖怪だからこその荒業。肉体的側面が認識で変わる事もある妖怪だからこそ、身体を力の塊に変えてしまう事が出来る。

 うっすらと霊の様に透き通った身体に、ほとばしる力。周囲の妖怪達が円を作る様に一歩後退る。純狐の放つ強い気配に気圧されたのだ。湧き出る地脈の力を纏い、キラキラと光る純狐の様は幻想的で美しい。透けた身体が儚さを感じさせ、危うくも透明感のある美しさを醸し出す。

 数多の妖怪がその力強さと、神々しさに息を飲む。強い力に意識を流されまいと、純狐が平静を装った表情の裏で耐え忍んでいた。

 

「純狐。お前――」

「それでは」

 

 塊清が気付いたのか、何かを言いかける。その言葉を純狐は斬り捨て、結界に触れ、すり抜けた。結界に隔てられ、同胞たちの声は聞こえない。純狐は振り返らない。

 ふっと小さく息を吐き、純狐が都の街並みへと姿を隠す。数多の妖怪達がそれをただただ見送った。

 

 

 

 

 

 時間がないと純狐は先を急ぐ。これだけ力を放ち、気配を垂れ流しているのだ。すぐさま神々や戦える者達が来るだろうと。幸いにも結界の起点であろう場所が、純狐には解っていた。

 同一の力を源泉から引き出しているせいか、地脈の流れがよく分かった。流れを追えば、莫大な力が集まり消費されている場所が純狐には一目瞭然であった。

 人気のまるでない不気味さを感じさせる都の中を、純狐は軽やかに舞う様に駆けた。有象無象がいないことが気にかかるが、今は騒がれない上に、進行の邪魔にもならないと前向きにとらえる。

 

「私の方が早そうですね、塊清に嵬」

 

 クスリと不安を消すために、笑いながら独りごちた。起点がだいぶ近づいてきたと、純狐は実感した。力の気配が濃くなってきたのだ。

 

「あぁ――やはり簡単にはいきませんか」

 

 起点めがけて真っ直ぐに駆けていた純狐が、足を踏ん張り身体を止めた。踏ん張って溜まった力をばねに後方へと純狐が飛び退る。

 空気の弾ける音の後、固い岩の砕ける音と共に純狐が先ほど止まっていた地面が砕けた。純狐の視界には矛を携えた産巣の姿。邪魔立てを、と純狐が内心で毒づく。

 

「道をあけて――チッ」

 

 にこやかに告げようとするも、すぐさま苛立ちの顔に変わる。純狐がまた地面を蹴りつけた。頭上から飛来したサグメが、地面を蹴りで穿つ。衝撃で飛んできた地面の欠片を、純狐は尾の一払いで消し飛ばす。

 

「サグメかッ」

「ハァッ!」

 

 突き刺さる地面で勢いを殺したサグメが、背中の翼を羽ばたかせ、純狐に再度迫る。憎々しげに声を漏らす純狐が尾を使い、サグメを迎え撃つ。

 迫る尾による打撃に、サグメは光翼で身を隠して受けの体勢となった。

 轟音。尾と翼の衝突とは思えない程の激突音が響いた。

 

「その翼……貴様らッ!?」

 

 驚愕の声を純狐はあげた。翼から伝わる力の波動が自身の物と同じ。地脈の力を吸い上げているのだ。

 

「驚く事か? 慢心する余裕何ざねぇんだよ!!」

「須佐之男かっ!?」

 

 押し返し、吹き飛ばしたサグメへ、追撃をしようと構えた純狐へ別の声がまたかけられた。剣を振りかざした須佐之男が背の高い建物から、自らめがけて落下してきていた。

 視界の端では矛を構え直した産巣が見える。受けて身体が止まるのはまずいと純狐は回避を行った。

 

 

――三対一か……いや違う。明らかに待ち構えられている

 

 

 サグメや産巣、須佐之男までが身体に負荷をかける地脈の力を振っていた。明らかにここへ純狐が来ることを見越し、仕留める気でいた事は一目瞭然。ならば、この程度であるはずがない。

 純狐の考えを裏付けする様に、背後から今度は熱を感じた。見覚えのある陽炎。天照の炎だ。すぐさま九つの尾の先に狐火を灯して迎え撃つ。陽炎と狐火がぶつかり爆発が起きた。爆風と爆熱を尾で防ぎつつ周囲を見渡す。

 天照の姿は見えない。産巣、サグメ、須佐之男が純狐の隙を伺っていた。そして、他の名も良く知らぬ神や、戦えるのであろう霊力を纏う人間が至る所に現れた。

 

「ここに戦力の全てを? ……馬鹿げている。何故そこまで確信を持てる、他の手段を講じていないと……」

「うちにゃ馬鹿みたいに頭の良い奴がいるからな」

『あなた以外に結界の内へ来られる者はいない』

「ここで散ってもらうぞ、純狐」

 

 前衛の三柱に援護の神々と人間。勝ち目はない。ならばと純狐は意識を切り替える。無理やりにでも抜け出し、起点だけでも破壊しようと。

 尾を地面へ突き立て、溜めを作る。ついでとばかりに突き立てた地面から力を吸上げる。身体が許容量限界を超える力に悲鳴をあげた。びきびきと嫌な音を響かせ、身体に罅が入っていく。

 能力と自らの培ってきた技量を併用し、力が漏れ出ない様に堪える。歯を食いしばり、進行先を睨みつけた。純狐の思惑を察し、立ちはだかる様に神々が陣取るその先を純狐は睨む。

 産巣の矛が空気を弾けさせ、サグメの光翼が肥大化し、須佐之男が身体に力をみなぎらせた。

 

「そこを……どけぇぇぇッ!!」

 

 純狐が瞳を見開き咆哮をあげた。建物に嵌る透明な板が至る所で砕け散り、人間達がその身を恐怖に震わせた。

 地面が爆発し弾け飛ぶ。純狐が尾で身体を押した反動に耐えられなかったのだ。

 矢の如く放たれた純狐に対し、目の前に陣取っていた三柱が襲い掛かる。

 

 

――身体程度ならくれてやるッ

 

 

 覚悟を決めた純狐が僅かな怯みさえ見せずに猛進した。

 産巣の矛と、須佐之男の剣に対して尾を動かし受け止めた。渾身の力を籠めて振り下ろした二柱の刃が、純狐の尾を切り落とす。

 真正面から激突しようと向かって来るサグメには、狐火を残った尾から放ち、目くらましをしてすり抜ける。

 三柱への対応で手いっぱいの純狐の背後から天照の陽炎が襲い掛かる。純狐は、陽炎に対し、何もすることなくその身で受けた。

 

「ぐうぅううっ」

 

 苦悶の声が、食いしばった歯の隙間から漏れ出た。けれども、歩みを止めることなく純狐がひた走る。生まれた僅かな機会を逃すまいと振り向くことなく地を蹴った。

 

「逃がさ――」「させる――」

「弾け飛べッ!!」

 

 追いすがろうと産巣と須佐之男が声をあげた。しかし、その声は純狐の声でかき消された。言葉と共に、切り離された尾が炸裂した。力を存分に喰らった尾が、周囲のモノ全てを無に帰さんと爆裂したのだ。

 産巣と須佐之男の姿が爆発に呑まれ消えていく。サグメもいまだ狐火の中。翼を丸め、身を守っていた。死兵と化した純狐との覚悟の違いが突破を成功させたのだ。

 

「ハァッ、ハァッ……づぅっ」

 

 切られた尾が、焼けた身が痛みを訴える。けれども、駆ける速度は衰えない。むしろ上がってさえいた。気配を頼りに当初の目標地点へとたどり着く。

 

「やぁ、純狐」

 

 声が聞こえた。

 

「やはり来たか」

 

 聞き覚えのある、忘れられない声が。

 

「待っていたよ」

 

 円形の外周と、内部に幾何学模様を描き輝く紋様を持つ地面の上に嫦娥がいた。へらりと笑い、手を挙げる仕草がどこか塊清に似ていた。けれど覚えた感情はまるで違う。

 

「嫦娥ァアアアア!!」

 

 熱されて溶けたマグマの如くどろりと粘性を持った煮えたぎる怒りが噴出した。

 痛みさえ一瞬で消し飛び、純狐が鬼気迫った形相で嫦娥に迫る。起点と思われる場所の中心に立つ嫦娥めがけて純狐が牙を剥いた。

 

「すまないね」

 

 嫦娥の謝罪がさらに神経を逆なでる。思考があまりの怒りでぐちゃぐちゃになりながらも純狐が怨敵へと迫る。動きをみせない嫦娥。けれど熱されすぎた純狐の思考はそれを疑問に思えない。

 嫦娥の腹に純狐の腕が突き立てられた。

 

「――え」

 

 か細く、消え入りそうな声が漏れた。

 それに反応したように純狐の目の前の嫦娥が姿を消した。

 手ごたえのない感触、消えた身体。

 

 

――誘い込まれた?

 

 

 思考が浮かび、危険を伝える。しかし、身体を動かす前に事態にまた変化が訪れた。

 

「っ、あぁああああっ!!」

 

 激痛が純狐の身に走った。身体が縛り付けられたかのように動かない。紋様の描かれた力場に身体が引き寄せられる。

 そして、追撃とばかりに残った七本の尾に矢が突き立てられた。どこから飛来したのかわからない矢。けれど効果は劇的であった。

 矢が尾を地面へと縫い付け、動きをさらに縛った。射抜かれた尾から得も言われぬ激痛が走る。精神を直接射抜かれたかのような激痛だ。それに呼応したのか、地へと引かれる力が強まった。

 

「本当にすまないな、純狐」

 

 視界の先に嫦娥がまた姿を現した。

 

「何故ッ、あれは幻覚ではなかったはず」

 

 妖狐である純狐にとって化かすのは専門でもあった。ゆえにアレが一目で幻覚ではないと察していた。化かされた訳ではない。確かに、地脈の力が集まっている所為で神力は感じられなかった。しかし、自らの瞳が見た嫦娥は本物であったはずだ。

 

「屈折って知っているかい?」

「くっせつ?」

「なんでもね、光をずらして見える位置を変えられるらしいんだよね。虚像とか実像とかうんたらかんたらだってさ」

「貴女、何を言って……いるの?」

「いやさ、私もよく分からないんだけどさ。貴女が見た物は確かに私だよ。像の位置がずれていただけ。物理法則ってあの子は言っていたよ」

 

 嫦娥はそう言った。純狐にはまるで理解できなかった。けれどあの子というのには心当たりがあった。煙灰の弟子であろうと。

 次に会ったらぶん殴ってやらないと、と純狐は頭の隅で何となくそう思った。

 

「結界の……起点は、ここは?」

 

 動けぬ身体をどうにかせねばと、時間を稼ぐために口を開く。嫦娥も察してはいるのか、悲しげに笑い答える。

 

「結界は月夜見が維持している。ここは君をおびき寄せるための場所さ」

 

 初めから全部読まれていたのだ。純狐が侵入してくることも、妨害をすり抜けてくることも。最後の最期で疑問を抱かぬように、思考を鈍らせるために嫦娥まで配置した。

 化け物。それが純狐の思考に浮かんだ言葉だ。煙灰は一体何を育てていたのかと怖気を感じた。

 

「あぁ、サグメだ」

 

 嫦娥の言葉の後、隣にサグメが立った。身体は煤けているが、目立った傷は無い。

 話し手が変わるのか、嫦娥が一歩引いた。

 

「聞きなさい、純狐よ」

「貴女、しゃべって……」

「えぇ。私達は月に行く。このままでは妖怪達に支配される日も遠くない。それに穢れの増えてきた地上では長く生きられない。だからこそ、我々は月へと行く」

 

 サグメが朗々と語る。純狐の反応などお構いなしに、口を挟ませることなく語る。

 

「煙灰がいれば結界は壊されていた。貴女を野放しにしても同じ。そして、このままでもいずれ、シャトルが発つより、結界を妖怪達が壊すのが先。だから私が口にするわ」

 

 純狐は意図を理解した。妖怪側の当事者の自らへも語り、運命を逆転させようとしていると。解った所で遅すぎた。もはや純狐に出来ることは無い。身体は動かず、自害さえできない。

 

「もう運命から逃れられないわよ。運命は逆転し始めた。私達は無事月へたどり着いて、貴方達は滅びる。さぁ、別れの時よ」

 

 サグメが口にした。運命を覆す神霊が、世界を動かさんと言霊を紡いだ。

 純狐の中に生まれた物は仲間たちへの謝意と無念さ。完全に手玉に取られた言葉にできない悔しさ。数多の負の念が生まれては消えていく。もはや、何の感情も意味をなさない。

 純狐から力が抜け項垂れた。煙灰の一人で行くなという言葉を今更になって思い出した。力ない笑みが俯く顔に浮かぶ。

 

「純狐よ」

「なんだ、嫦娥。嘲笑いでもするのか?」

「いいやしないさ」

 

 気さくに声をかけてくる嫦娥に純狐が顔をあげた。浮かぶ表情は訝しむ物だ。

 

「君は私を嫌っている様だけれど、私は君の事は別段嫌いではなかったよ。むしろ好感を覚えていたくらいだ」

 

 何を言っているのか純狐には、一瞬だが分からなかった。殺したいほど憎悪していた相手からの言葉。命を狙っていたのだから嫌いとは言わなくとも負の感情を懐くのが普通だ。嫌悪や忌避、面倒などの感情なら理解できた。だが、嫦娥は好感と言った。

 不思議そうな顔をした純狐の内心を読み取ったのか嫦娥が苦笑した。理由を説明しようと、言葉を続けた。

 

「男を見る目がないもの同士、君には親近感を覚えていたんだ」

 

 男を見る目がない。それは嫦娥の夫で、純狐の子を殺し、そしてその子の父親でもあった男の事を言っているのだろう。なるほど、確かにそういう見方もできると純狐は理解した。

 だからといって恨みが消えるわけではない。理解であって納得ではない。それに狐仙も殺されているのだと、純狐の中で怒りが再燃してきた。

 

「私はお前が憎いよ、嫦娥。今だって殺してやりたいくらいです」

「だろうね。だからさ、純狐」

 

 嫦娥が呼びかけ言葉を区切った。射抜きそうなほどの強い視線を嫦娥が純狐へと向けていた。最初に浮かべていた薄い笑いもなく、その表情も酷く真剣味を帯びていた。

 見返してくる純狐と視線がしっかりと交わると、嫦娥はまた口を開く。

 

「待っている」

「待つ?」

「あぁ、待っている。お前がいつか戻って来るのを私は待っているよ」

「何を言って――」

「お前の恨みは死して地獄に逝った程度で消えるのか? 化けて出なよ」

 

 理解できないとサグメが顔をしかめ、純狐が驚愕に瞳を見開く。

 嫦娥が笑った。

 

「そうしたらさ、馬鹿な男の事でも愚痴り合いながら本気でやろう」

「貴女……」

「ダメかい?」

「いいえ、いいえ。構わないわ」

 

 純狐も笑った。

 

「いつかまた貴女の前に私は現れよう。貴女を殺しに現れよう。この恨みを晴らすためにどれだけの時をかけようとも」

「あぁ、たとえ永遠の時間であろうと待っているよ」

「見ていなさい、嫦娥」

「見ていよう、純狐」

 

 両者が向かい合い笑い会った。獰猛な笑顔の純狐と、楽しげな嫦娥が笑いあう。

 サグメが理解できないと頭を押さえているが、口を開いた。

 

「嫦娥、そろそろ時間が押しているわよ」

「そうかい。それなら純狐、さよならだ」

 

 嫦娥の言葉を皮切りに、純狐を捉えていた紋様が一層強く輝いた。純狐は自らの身体が強く持っていかれる感覚を覚えた。地脈へと自らの身体が流れていくのを。

 

 

――同化させたまま捉え、地脈へと還す……馬鹿げた術ね

 

 

 呆れと嘆息、それと驚嘆の感情がよぎる。

 純狐の身体が徐々に薄れていく。それに伴い、意識も同時に消えてゆく。

 消えゆく中で、純狐は最後の意思を振り絞り、口を開いた。

 

「嫦娥、私は――」

 

 そして純狐が姿を、存在を消した。描かれていた紋様が力を失い、光が消えゆく。辺りには夜の暗さと静寂が戻った。

 サグメが胸元の宝石に触れて、意思を音に変える。

 

『優しいのですね』

「何が?」

 

 サグメの言葉に嫦娥が首をかしげた。

 

『気持ち良く死ねるように言葉をかけたのでしょう?』

「……違うよ」

『そうなのですか?』

「何となく帰ってくる気がしてね。それに君の能力も手助けしてくれるかもしれない」

『私の能力が?』

「そう。地脈に流れてしまえば、膨大な力の奔流に呑まれて消えてしまうだろと、あの子は言っていたよね。でもさ、あれだけの意思を持った純狐ならって考えてしまってね。それに君の力は運命を逆転させる。消えゆく純狐の意思が消えずに済むかもしれないじゃないか」

 

 純狐の消えた所を眺めながら嫦娥がそう言葉を零した。その表情は少しだけ寂しげだ。

 

「私は純狐の話を聞くのは楽しかったよ。みんなが会うたび伝言を持ってきてくれるからね。私は子が生まれなかった。子を産んだ純狐を嫉妬したこともある。でも、その子が殺されたと聞いてね、色々と考えてしまってさ」

 

 小さく嫦娥がため息を吐いた。

 

「どうにも嫌いになれなかった。それにこんな終わり方、私は不本意だからね。だから是が非でも純狐には化けて出て欲しい。私は彼女と本気で喧嘩をしたい。それだけさ」

 

 嫦娥は肩をすくませて踵を返した。向かう先はシャトルのある場所だろう。サグメもそれを追う様に隣を歩く。

 

「それに月には穢れがないからほとんど永遠に生きられる。それはきっとつまらない人生だよ。楽しみの一つくらいあってもいいと思わないかい?」

 

 笑みを浮かべた嫦娥の問いに、サグメは返す答えが思い浮かばなかった。

 

 

 

 

 

 



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一四振り目

 

 

 

「嵬」

「逝ってしまったか」

「あぁ」

 

 結界の近くで嵬と塊清が言葉を交わす。短く、それでいて多くの想いの籠った会話。

 塊清は瞳を閉じ、しばしの間消えてしまった友を思う。

 嵬は大きく息を吐き、頭を掻いた。浮かぶ表情は歪んだ困り顔だ。

 

「さて大将、是が非でも一矢報いないとな」

「あぁ、嫦娥を送ってやる約束もあるからな」

 

 塊清が瞳を開いて嵬へと言う。嵬も塊清に応えた。塊清は嵬の隣から移動し、また結界の破壊へと舞い戻った。僅かに骨の見えている拳を構う事無く叩き付ける。

 嵬は今一度大きく息を吐き、怒号をあげた。妖怪達を檄する為の声を。

 

「同胞達よッ! 今、我らの為に、純狐がその身を犠牲にした! 決して無駄にするなッ! 純狐が稼いだ僅かな時を決して無駄にするな!! ぶち壊せッ!!!」

 

 言葉が続くほどに嵬の身体から妖力が立ち上っていく。自らの不甲斐なさと、純狐への申し訳なさで怒りがこみ上げていた。言葉にするとさらにそれが高ぶっていく。蒸気の様に身体から熱が立ち上り、身体が赤く染まった。

 嵬の声を聞き、姿を見た妖怪達もそれに触発された様にさらに力を振り絞っていく。数多の妖怪達が放つ妖力が混ざり合い、密度を増してゆく。可視化するほど妖力が濃密さを増してゆく。光り輝く結界と対を成す様に、可視化された妖力は黒く、そして粘つく様な粘性を感じさせた。

 光を呑み込み艶一つない漆黒の妖力。結界と触れ、反発しあって火花が散った。鬼達が主となって結界へと負荷をかけてゆく。飛べるものはその羽を使い、宙へと滞空しながら攻勢を加えていく。

 

「俺もやるか」

 

 嵬も同胞達の姿を確認すると、輪の中へと混ざってゆく。例え腕が千切れようと穴を空けてみせると決意を胸に。

 雷と暴風を纏い、鬼神と化した鬼の大将が縦横無尽に空を駆け、結界と幾度も激突を繰り返してゆく。ぶつかる度に轟音と衝撃が生まれた。空気が弾ける音が連続して響き、衝突音も途切れることなく発され続けた。それは音と音の間がなく、一つの音の様に連続して鳴りつづけた。

 

「う、おぉおおおおッ!!」

「ど、りゃああぁぁッ!!」

 

 塊清も嵬も、そして他全ての妖怪達も雄叫びをあげ、攻勢を一瞬たりとも緩めない。

 その時間がどれほど続いたのであろうか。深く根を張った大木の如く、不動であった結界がついに揺らぎをみせた。それは僅かな、一瞬の出来事であった。

 けれど、その変化は妖怪達にとっては大きな意味を持った。永遠に壊れないのではないかと錯覚するほどに堅牢な結界が揺らぎをみせたのだ。例えそれが僅かな揺らぎであろうと、揺らいだことが雄弁に物語る。壊れないものではない。壊せないものでないと。

 その事実が妖怪達の士気を高めていく。無駄ではないと。突破できると。

 

「ぶち破れぇえええッ!!」

 

 どこかから誰かの声が上がった。それが誰のものであったのかは誰にも分からない。あるいは自分が無意識にはなったものかもしれない。それほどまでに妖怪達は熱狂していた。それほどまでに妖怪達は必死になっていた。

 揺らめきが大きくなってゆく。小さなひびが至る所で生まれた。ひびは生まれてもすぐに直ってしまう。けれどもひびが入るのだ。入ったのだ。決壊の時は近いと数多の妖怪達は理解した。

 しかし、結局はそれさえも都の者たちの思惑の範囲であったのだろう。いくら壊せると言ってもそれが間に合うことは無い。

 なぜならそれが運命だからだ。

 

「なんだ……あれは?」

 

 疑問の声が上がった。最初に気が付いたのは空を舞う者達だ。翼をもち、あるいは能力的に飛べる者達だ。飛んでいるがゆえに、視界が地上の者達と比べるまでもなく広い。だからこそ地上の者達に先んじてソレに気が付いた。

 そしてそれは空を駆ける嵬も同様だ。視界に移りこんだ光景に絶句した。見たこともないほどの長大な物体。いや、大きさだけで言えば背の高い建物と同じ程度ではあるかもしれない。

 都の中心部に近い建物が崩れてゆくと、その中から金属製の物体がいくつも顔を見せた。先端が細くなっており、円筒形で下部には広げた羽の様なでっぱりがついていた。それは人間達がシャトルと呼ぶもの。嵬達はその事を知らないが、この場面だ。アレが月への移動方法だと察することが出来た。

 

「あんなものを隠して作っていたのか……これはまた、たまげたなぁ……」

 

 思わず感嘆の声が出てしまう。驚愕が行き過ぎた故の純粋な感想が口をついて出てきた。

 嵬が関心を漏らした僅かな時間にも状況は刻一刻と変化していく。

 シャトルの下部。底辺にあたる場所から光が発された。それは激しい勢いを伴った炎の噴出だ。数多あるシャトルの全てが火を吐き出してゆく。

 

「大将ッ!!」

 

 悲鳴のような叫びが地上より放たれた。嵬はその声にハッとして思考を巡らせた。もはや結界の破壊は間に合わない。

 どうすればと思考が廻った。こんな時に煙灰がいればと、一瞬だけ友の顔が浮かぶもそれを振り払う。いない者のことなど考えていても仕方ないのだ。

 火を吐き出すシャトルの巨体が僅かに浮かび、徐々に天へと向かって浮いてゆく。

 

「空か……」

 

 嵬が都を囲う結界の上部を見上げた。いまだそこにも結界は張られていた。

 しかし、飛び立つのであればそれはいずれ消え去るのだ。ならばと嵬は声をあげた。

 

「アレが月へと行く前に落とせッ! 飛べる者は着いて来い!!」

 

 嵬の声が響き渡った。翼をもつ妖獣、妖蟲達が羽を強く動かした。嵬はそれを確認するとまたシャトルへと向き直った。

 シャトルの放つ炎がまたその勢いを増していた。それは都の残った街並みを焼き尽くしてゆく。生まれた衝撃と熱風が建物を破壊し、家屋を燃やした。さながらそれは地獄絵図とも言えるであろう光景だ。

 自らの街を完膚なきまで破壊してゆくその光景が都の者たちの覚悟を感じさせた。嵬は狂気を感じさせるほどの覚悟に冷たい汗が頬を伝う。都の者たちの覚悟を測りちがえていたと。

 シャトルは速度を増して、飛翔を続けた。結界の上部に触れるかどうかの刹那の瞬間に、都を覆う結界が消え失せた。飛べる者達は逃がすまいと追いすがった。飛べぬ者達は仲間たちが、空を飛ぶシャトルを落す事を信じて地上で待ちうけた。

 

「大将、早すぎるッ!!」

「ダメだ、俺たちじゃ追いつけねぇ!!」

 

 嵬の背中に翼をもった人型の妖怪の悲痛な声が届く。自らの力の無さを嘆き、今にも泣きだしてしまいそうな声であった。

 シャトルの速度は予想以上の物であった。下部の一部が切り離され、飛翔の勢いを増したのだ。さらに、切り離された下部が破裂して数多の破片が、シャトルの背を追う嵬達へとばら撒かれた。

 後を追う妖怪の中で力の弱い者達は、その破片を受け地面へと落ちて行った者もいた。計算され尽くしている所業に苦々しい顔が浮かぶ。

 

 

――ただの一度たりとも交戦さえさせないかッ!?

――ふざけるな、ふざけるなよッ!!

 

 

 あまりに徹底したその策略に身を焦がすほどの怒りが嵬の中で生まれた。率いていた仲間たちを引き離して、嵬が自らの出せる最高速度をもってしてシャトルを追う。

 バチバチを稲光と雷鳴を放った雷神が空を駆け抜けた。雷が、天へと昇ってゆく。

 

 

 

 

 

 もっとも高度の低いシャトルの中に永琳達はいた。外の、地上の景色が見える様に特別に作られたシャトルの一角にいた。永琳や月夜見、サグメや他の神も最後の地上を眺めていた。

 数多の黒い点が地上を蠢いていた。空にもまばらではあるが同様の点、妖怪達がいた。皆、その光景に何を思っているのか一様に内心はうかがい知れない。

 永琳が手に持った弓を引き絞った。眼下の光景に、強い光が現れた。明滅する激しい光。いつか見た雷神の放つ力の顕現だ。

 近づいているのか光の強さが増してゆく。弦を引いた弓に透明な霊子の弓矢がつがえられた。キリキリと音を鳴らす弦が、引き絞っている強さを物語る。

 永琳が小さく息を吸う。集中しているのか、その瞳が大きく見開かれ見逃すまいと中空を睨みつけていた。

 小さなつぶやきを永琳が発する。誰に聞かせるものでもない呟き。もしかするとそれは嵬へと向けた言葉なのかもしれない。

 

「先行放電って知っているかしら?」

 

 永琳が弓矢を放った。何もない空めがけて弦を離し、弓を射る。いや、そこには小さな光があった。静電気程度のか細い光。その静電気の先端めがけて永琳が、物質的には何の作用も及ぼさない退魔の矢。精神を削る対妖怪用の矢を放つ。

 矢が届く直前、静電気の先端には激しい音と光を伴う稲妻が生まれ、嵬が姿を現した。現れた嵬に、周囲の光景を認識する時間を与える間もなく、永琳の放った弓矢が身体を貫く。

 現れると同時に弓矢が嵬の腹を打ち抜いた。

 

「――ぐ、がぁッ!」

 

 苦悶の声が上がる。予想を超えた素早い迎撃と、精神を削る痛みに嵬の身体が一瞬硬直した。しかし、その一瞬が全ての明暗を分けた。

 すでに準備をしていたのであろう月夜見が手をかざしていた。硬直した僅かな隙をつき、月夜見が重力を操り嵬を捉えた。嵬の身体が地上へと押し戻されていく。暴風を下方へ放ち、嵬も咄嗟に抵抗するも、次なる一手が嵬を襲った。

 

「く、か、かっ……ふざけ、やがって」

 

 思わず悪態が口をついてしまう。空からソレは堕ちてきた。嫌というほど見たことのある月夜見の放つ隕石。それがシャトルと交差するように飛来してきたのだ。

 上手く動かぬ身体に、少し逸れただけでは到底よけきれぬ巨大な隕石。隕石自体に宿る星の力と込められた神力。

 嵬は月夜見達の意図を明確に悟った。これを起爆剤に、眼下の地脈を暴発させて、集まった妖怪も皆殺しにするつもりだと。禍根を残さぬために狩り尽くす為だと。

 感情が爆発した。あまりの怒りに食いしばった口から血が流れた。闘い、負けるのであれば、そのうえで全滅して死ぬのであれば納得できた。しかし、こんな終わり方は納得できない。

 

「ふ、ざけるなぁ! ふざけるな、都の者達よ!! これが、これが貴様らのやり方か!!」

 

 怒声が大気を震わせた。シャトルの放つ轟音さえ切り裂く鬼の怒声が、永琳たちへも届く。憤怒と怨嗟を込められた雷鳴の如き叫びがシャトルの表面を震わせた。

 乗っている人間達など、その声に身をすくませ、怯えてしまう。それ程までに激しい憎悪の込められた声。

 迫りくる隕石を、動けぬ身体で眺める嵬の脳裏に数多の記憶が駆け巡った。人間時代の煙灰達との喧嘩。妖怪へと落ち、仲間に入れる前の歓迎の喧嘩。仲間たちとの宴。死した仲間の勇猛さと満足な生を過ごしたことを祝い騒いだ記憶。多くの事柄が駆け巡った。

 

 

――走馬灯なんざガラじゃねぇな

 

 

 死ぬ間際に生前の記憶を懐かしむなど鬼らしくないと嵬は浮かんだ記憶を鼻で笑う。けれども数多浮かぶ記憶の中で一つの事情が嵬の頭に残った。煙灰だ。

 この場に居らず、そして離れたねぐらに居る仲間の事だ。嵬はそれを思い出し笑った。

 口元を歪めこれでもかと言うほど、愉快そうな笑みを作る。

 

「く、かっかっかっかっかっ!!!」

 

 嵬が神々を都の者達を嗤った。嘲る様に盛大に声を出し、愉快そうに嗤い声をあげた。離れ行くシャトルの中の神々と嵬の視線がぶつかり合った。

 聞けと、覚えておけと、嵬は声を届かせようと大声をあげる。

 

「覚えておけッ、都の者共よッ! 我らは滅びぬ!! いつか、いつの日か我らの仲間が貴様らの前に立とうッ!!」

 

 確信を持ったその言葉に神々は嫌な予感を覚えるも、死にゆく者の戯言と浮かんだ嫌な予感を振り払った。だた、永琳と嫦娥の二人だけが嵬の言葉の真意を悟っていた。

 

「忘れさせはせぬッ! 過去にはさせぬッ!! 未来永劫怯えて暮らせッ!!!」

 

 流星が、鬼を捉えた。けれど、いまだ高嗤う声は消えない。耳にへばりつく様なその声を後に、シャトルが月へと昇って行った。

 地上にいる妖怪達も空を見上げていた。稲光が消えた暗い空に、流星が現れた。

 降りてくる流星の速度はすさまじい。塊清は向かいくる終わりをみて笑った。

 

「あぁ――」

 

 全てを悟った諦念の声が漏れ出た。

 

「俺らの敗けか」

 

 直後、星が堕ち、溜まった地脈の力と混ざり合い大爆発が起きた。起きた爆発は、都を、妖怪を、周囲一帯を呑み込み全てを無に帰してゆく。抗う事の敵わない圧倒的な暴力が全てを消し去っていく。

 星を揺らすほどの衝撃が走り、後には妖怪の一体も残る事無く、黒煙がゆらゆらと揺蕩うだけだ。

 

 

 

 

 

 身体を揺さぶる刺激と、ぱらぱらとふりかかる細かな刺激に煙灰の意識が覚醒した。

 いまだぼんやりとし、思考が不明瞭ながらも意識が身体へと戻った。小さなうめき声をあげ、煙灰が身体を起こす。

 意識を失う前の事を思い出そうと記憶を探り、思い出す。永琳に薬を盛られたことを。思い出した直後、勢いよく辺りを見渡す。意識を失う前と変化のない自らのねぐら。

 

「どういう事だ」

 

 何故、自分は生きていると煙灰は不思議に思った。殺すに絶好の機会であったはずだ。もしそうでなくとも何もせず放置する理由が煙灰には分からなかった。周囲を見渡し、身体を動かした煙灰の足に何かが当たる。

 視線を下げればそこには事切れた狐仙の姿がある。

 

「どうして……何があった」

 

 狐仙の身体を持ち上げるも、答えは得られない。狐仙が死んでいる事も、ここに居ることも何もわからない。今がどのような状況か誰かに聞かねばと、煙灰は行動に移す。

 狐仙をここに一人置き去りにするのが憚られ、その身体も運ぶ。ねぐらの洞窟から出て、誰かいないかと気配を探る。

 

「おい……まさか……」

 

 気配を探り愕然とした。何も感じられない。少なくとも自分のさぐれる範囲内には何もいない。嫌な予感が頭を過ぎ去る。冷たくじっとりとした嫌な汗が噴き出てきた。酷く口が乾き、喉が張り付く気がした。

 嫌な予感を振り払おうと再度入念に探ってみるも感じられる気配はやはり存在しない。風の音とそれに煽られた木々の音だけが響く夜の森が酷く不気味だ。

 

「くそっ」

 

 煙灰は毒づき、走り出す。浮かんだ予感を振り払うために。誰かしらいるだろうと都へと駆けた。全力で、周囲には目もくれず駆け抜けた。

 そして、山を越え、森の抜け、草原を走り抜けた煙灰の視界には絶望が映り込んだ。

 跡形もなく吹き飛び、クレーターが形成された都の跡地。空を覆う程広がった黒い雲。数多感じる力の残滓。煙灰はここで起こったであろうことを理解した。理解してしまった。

 もはやこの地上には自分の知っている者は誰一人としていない。

 この地上に存在するのは自分だけであると理解させられてしまった。

 

「あ、あぁ……」

 

 声が漏れた。浮かんだ感情はとても言葉では言い表せない。表せる言葉など存在しない。どのような言葉を用いようと表しきれない。

 孤独、絶望、憎悪、憤懣、自責、後悔、諦念、悔悟、無念、数多の感情が渦巻く。

 

「アァアアアアァアアアアッ!!」

 

 力が抜け跪いた煙灰から感情が噴出した。それは慟哭であり、怨嗟の叫びであり、仲間たちへの言い表せない謝罪の嘆きであった。喉が裂け、大気を震わせるほどの絶叫。

 膝をつき、空を見上げた姿勢で一体の鬼が叫び続ける。

 空に、見えない月に向かって吼え続ける。

 終わらない悲鳴が、世界に響き続けた。

 

 

 

 

 

 




目指すはハッピーエンド


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一五振り目

今回は少し短めです。
一五話を持ちまして古代は完全に終わりとなります。


 一体どれほどの時間、叫びを上げていたのだろうか。煙灰にもそれは解らない。喉が裂け、口内に血の味が広がっている。発される声は酷く枯れていた。

 もはや精も根も尽き果て、叫びさえ止まった。枯れ果てた朽木の様に身じろぎひとつ煙灰は見せない。

 虚ろな瞳は、焦点が何かに合う事無く虚空を見つめる。ただただ視界に広がる黒煙を呆然と見つめていた。頬を風が撫でるが、その刺激さえ今の煙灰には弱すぎた。

 燃え尽きた灰の様に、煙灰からは意思も動きもみられない。ゆらゆらと漂う黒煙をひたすらに眺める。

 このままずっと朽ち果てるまで動かないのではないかと。時が止まっているのではないのかと。それほどまでに変化がない。停滞する黒煙をぼんやりとみる。

 そんな時間がまたどれほどか流れた。それは一瞬だったかもしれない。長い時間だったのかもしれない。けれど、煙灰の意識はそれを認識できる状態ではなかった。

 そんな状態の最中、煙灰の意識が違和感を覚えた。漠然とし、それでいて確かな違和感を。無意識下で働いていた思考がそれを違和感として拾い上げた。

 視界に映り続ける黒煙に変化がないのだ。風が頬を撫でている。風が流れているのに一向に薄れない。停滞し続け、濃さの変わらない黒煙。不気味に在りつづける黒煙に煙灰は気が付く。

 

「まさか……そう、なのか?」

 

 僅かに灯った希望に、煙灰の瞳にも光が戻る。確信の持てない不確かな希望。すがる思いで煙灰は立ち上がった。震える足に力を籠めて自らの足で立ち上がった。

 立ち上がった分だけ、ほんのわずかだけ、黒煙との距離が近づいた。

 

「いるのか?」

 

 言葉をかけ、手を差し出す。

 

「まだ……いるのか?」

 

 懇願する様な弱さを伴った声が再び発された。

 

「消えて、無いのか?」

 

 差し出された手に応える様に、黒煙が蠢く。煙灰ではない。能力は使ってはいない。

 

「お前達……」

 

 空を覆い隠す黒煙が渦巻く。煙灰を取り巻き、周囲を覆う。黒煙が、独りでに動いた。

 

「あぁ、あぁ……それほどまでの無念を……すまない。許せとは言わない。だが、すまないお前達」

 

 煙灰のこぼす言葉に黒煙がまた動きを見せた。黒煙の一部が腕を象ったのだ。煙灰がその動きを呆然と眺める。

 

「なにが――」

 

 何が起きているのかと言葉が言い切られる前に、黒煙の腕が煙灰を殴りつけた。

 

「――ぐぅッ」

 

 不意に殴られた衝撃で煙灰がたたらを踏んだ。頬を通り抜けた衝撃に覚えがあった。これは、この拳は、まるで

 

「塊清?」

 

 殴られた頬に手を当て、煙灰が頭に浮かんだ人物の名を呟く。名を呼ばれた事を呼び水に、周囲からまた黒煙が集まり、今度は人型をとる。漆黒の煙で出来た塊清だ。

 

「お前!?」

 

 驚きの声を煙灰があげた。しかし、煙で出来た塊清は一瞬だけ、背中を押す様に豪快な笑みを見せると霧散してしまった。そして散った塊清が、また周囲を取り巻く黒煙へと戻ってゆく。

 

「あぁ、そうか」

 

 煙灰が漠然と理解する。

 

「ぐちゃぐちゃになり過ぎたか」

 

 肯定する様に周囲を回る黒煙の速度が増す。

 

「意識を戻すのは、骨が折れそうだ」

 

 煙灰が笑う。意識を取り戻してから初めて笑った。

 

「安心しろ」

 

 力強く言葉をかける。どれほどの時がかかろうと成し遂げると。

 

「だから……だから、共に進んでくれないか」

 

 煙灰が願う。この原因の一端を担っている、自らが口にするのもおこがましいと。分かっていながらも、言わずにはいられなかった。

 共に進んでくれと。独りにしないでくれと。思いを形にした。

 

「そしていつかあいつ等を、月の者共を見返そう。我らは滅びぬと示そう」

 

 煙灰が黒煙の先にある見えない月を睨む。ここまでの惨状だ。すさまじい未練だ。これほどまでの恨みだ。きっと相手にしてもらう事さえ無かったのだろう。

 それはきっと――――死んでも死にきれない程の未練を作る程に。

 

「もう一度俺と。今度は俺も入れて闘わぬか?」

 

 煙灰が黒煙に語りかけた。黒煙の動きが止まる。煙灰もジッとそれを見つめる。黒煙に遮られ、風一つ流れない空間。音一つしない暗闇の中、煙灰は同胞達をみつめた。

 

「もし叶うのならば」

 

 煙灰が腰元の帯に二本差してある煙管の内、一本を手に取る。白地に赤で飾りのつけられた煙管。手に取った煙管を胸の前に掲げた。

 黒煙はそれで察したのか、静止をやめた。煙灰を囲う黒煙が蠢き、そして。

 

「あぁ……ありがとう」

 

 煙灰は心からの感謝を告げた。空を覆うほどの、煙灰を覆い尽くした黒煙が煙管へと吸い込まれてゆく。煙灰の姿も蠢く黒煙の中に呑まれてしまった。

 都の跡地の上空を覆い尽くすほどの黒煙がその体積を減らしてゆく。瞬く間にその姿を消してゆく。渦巻く黒煙の中心に向けてどんどんと黒煙が流れていく。それはさながら濁流の如き勢いだ。

 

「かかかっ」

 

 声が響いた。快活な笑い声だ。黒煙の勢いが薄れてゆく。違う、黒煙が無くなってゆく。

 黒煙の晴れたその先に煙灰が姿を現す。もはや弱弱しさは感じられない。煙管を咥えた煙灰の口元が弧を描いていた。

 咥えた煙管を手に取り、クルリと回し腰に差す。煙管は先ほどまでとは色味を変えて、黒一色に染まっていた。ふぅと煙灰が一息吐けば黒い煙が口から出た。

 そして、煙灰の姿にも変化があった。雲のように白かった頭髪が灰色にくすんでいた。炎の様に鮮やかだった瞳が、赤黒い血の様にその明度を下げていた。

 身体から感じられる妖力におどろおどろしさが増していた。増悪を振りまく純狐のそれに近しい気配。

 

「またいつか。いまよりずっと先の未来で合いまみえよう、月人よ」

 

 煙灰が月を見上げて怨嗟を零す。だが、誰かの名を上げ連ねることは無かった。それはきっと葛藤ゆえだ。

 永琳の事は恨んでいる。けれど同時に自業自得でもあるのだ。

 読めなかった自分が悪い。

 目をかけ、育てた自分が悪い。

 背中を押し、決意させたのは自分の責任だ。

 最後に――弟子に出しぬかれたからと、癇癪を起すのは情けない。そんな小さな意地だ。

 

「だから俺は、お前個人を恨みはせん」

 

 最後に小さく煙灰が付け加えた。大人げない真似はすまいと。弟子の責任は師にあるのだと。

 決意を示した煙灰が踵を返そうと振り返った。

 

「ん?」

 

 足を引かれる感触を煙灰は覚えた。

 視線を下げればそこには狐仙がいた。狐仙の腕が煙灰の裾を掴む様に引っかかっていた。

 

「……すまんな。仲間外れは寂しいよな」

 

 煙灰がそう独りごちた。腰元からまた煙管を引き抜く。先ほどの黒い煙管ではなく、真新しい白一色の煙管。以前作っていた二本目の煙管だ。後は細かい細工だけを残した、真っ新な綺麗な煙管を煙灰が手に取った。

 

「お前も一緒に行こうか」

 

 煙灰が言葉を狐仙の身体へと落とした。声が落ちると同時に、狐仙の身体から炎が上がった。力強く、高温で鮮やかな炎。

 生まれた炎が狐仙の遺体を焼いてゆく。骨も残さず、灰の一匙さえ残す事無く燃やし尽くす。

 炎が消えた時、後には真っ白い煙が残るだけだ。生まれた白煙は煙管に向かおうと、煙灰の腰元へと近づく。

 白煙が漆黒の煙管に入る前に静止の声がかかった。

 

「お前はこっちだ」

 

 ずいっと煙灰が手に持った綺麗な煙管を差し出す。ヘビが鎌首をもたげる様に白煙が不満を示して見せる。

 

「ダメだ。面倒が増える」

 

 煙灰の有無を言わせぬ口調に諦めたのか、白煙がするりと煙灰の手の中にある白い煙管へ入ってゆく。

 それを見届けた煙灰が今度こそ歩き出した。辺りにはうっすらと白煙が立ち込め、濃さを増してゆく。

 

「あぁ――楽しみだ。盛大な喧嘩にしよう」

 

 声が響く。白い煙の中から楽しげな声が。煙が全てを覆い隠す。

 風が吹き、煙が押し流された。

 後には何も残っていなかった。

 百鬼の王が、夜行の主がその姿を消した。

 

 

 

 

 

 

 

 

 カン、カン、と小気味良い音が鳴り響く。灰色の髪の男、煙灰が槌を振う音だ。

 目の前に置かれた赤熱され、赤くなっている金属めがけて一心不乱に槌を振っていた。

 

「飽きねぇなぁ、旦那も」

 

 道具を作っている煙灰へと声がかけられた。煙灰の背後、洞窟内の広間の片隅に声の人物はいた。真っ白な人型。煙で象られた人形。それが声を出したのだ。

 

「うるせぇな――狐仙」

 

 煙灰が振り返る事無く、声を返す。狐仙と、その名を呼んだ。

 煙で形作られた真っ白な狐仙が、にかっと笑みを浮かべた。

 

「今度は何を作っているんだい、旦那?」

「なんだ気になるのか?」

「当り前さ。また変なもの作られたらたまらねぇよ、おいらは」

「作ったからといって何がある訳でもあるまい。結局はそれをどう使うかの問題だ。それが何であろうと使い手の問題だろ」

「そうは言うけどさぁー。ここら辺のやつ、えげつないのばかりじゃないか」

 

 狐仙が道具の置かれた山に近づき指で突く。煙で構成されている身体であるのに、しっかりと物理的な干渉をしていた。押された道具が地面の上をずれて動く。

 

「この傷口の治癒を許さない呪いの刀とか、こっちの魂を分けて生命体を作る宝玉とか、もうねぇ……」

「はっきりしねぇ奴だな。文句があるならちゃんと言え」

 

 いまだ顔を向けずに槌を振う煙灰の反応に、狐仙は少しだけむっとする。なら言わせてもらおうじゃないかと、足元に転がる一本の刀身の短い刀を手に取り、軽く振り口を開く。

 

「ならこの断迷の刀はなんなんだい、旦那」

「……ただの刃物だ」

「確かにこうやっておいておきゃそうだろうさ。でもこれって、おいら達が世界に魂を還したいって時の為のもんだろう?」

 

 手に持つ刀を狐仙が地面へと突き立てた。固い地面など物ともせず、スッと刃が通り、刀が立つ。

 煙灰は狐仙の言葉に応えない。狐仙がまた少しだけむっとして口調を荒げる。

 

「誰も文句何ざ、不満何ざねぇよッ! 馬鹿にすんな、旦那ッ!!」

 

 ダンッと地面を一度足で強く打ち、狐仙が啖呵を切った。

 煙灰も槌を置き、背後の狐仙へと向き直る。

 普段通りの煙灰と、眉をあげた狐仙が向き合う。

 

「おいら達はあの大昔に自分たちで選んで旦那について来てんだ! そりゃまだ起きてない奴もいるから絶対何て保証はねぇさ!! でもな、旦那!! おいら達を信じてくれよッ、寂しいじゃねぇか!!」

 

 狐仙が両手を大きく左右に開き、感情的に言葉を吐き出す。いつでも成仏できるようにと、逃げ道を用意している煙灰が狐仙には気に食わなかったのだ。

 表面上、吹っ切れたようにみせてはいるが引きずっていることなど、長い、本当に長い付き合いとなった狐仙にはすぐに分かるのだ。

 煙灰が狐仙に静かに言葉を返す。

 

「信じているさ」

「だったら――」

「せっかく作ったのだ。壊す必要は無かろう。道具に罪はない」

「そりゃ、確かにそうだけど……」

「それにお前らの事など、ずっと前から信じているさ。あの時、俺に着いて来てくれた時からな」

「旦那……」

「だが、負い目もある。だから何発かは殴られてやる。それだけの話だ」

 

 煙灰はそれだけ告げると、また先ほどまでの体勢に戻り槌をその手に持った。妖力を通わした槌を振う。

 狐仙は煙灰の言葉にホッとした。引きずってはいるが、ずっとましな引きずり方だと。

 

「なんでぇ、旦那。それならそうと言ってくれりゃいいのにさ」

「聞かねぇお前が悪い」

「ちぇ、性格が悪い」

「勝手に言ってろ」

 

 またカン、カン、という音が鳴り響く。狐仙は心地よさげにその音に耳を傾けた。

 またしばらくすると狐仙が口を開いた。

 

「他のみんなはどんな感じなんだい?」

「まだまだかかりそうだ」

 

 煙灰の腰元に差してある、黒い煙管の見える位置に移動した狐仙が問いかけた。煙灰の答えは時間がいるという物。

 

「塊清や嵬の兄貴なら、力が強いから起きやすいんじゃないのかい?」

「あぁ、塊清の野郎は一度起きたよ」

「あり? おいら知らねぇよ」

「お前が休眠していた時期だ」

「するってぇと、あの真っ白な雪だらけの時期に起きたのか。いやー、暇だったろうなぁ」

「お前もたまにしか起きなかったからな」

「いやー、悪いね、旦那。それにおいらも、まだあの時は万全じゃなかったし……」

「知っているさ」

 

 煙灰が小さく笑うと狐仙も小さく安堵の吐息を漏らした。お小言でも言われたら面倒だったと。

 

「それで塊清はどうしてまた寝入っちまったんだい?」

「喧嘩相手がいなくて暇だと、あの馬鹿野郎」

「あははっ、塊清らしいや。んで、嵬の兄貴は?」

「ふて寝だとよ」

「ふて寝?」

「あぁ。塊清いわく、混ざっていた意識は集まって、起きちゃいるがふて寝しているとよ。まぁ、塊清同様まだ万全ではあるまいからその方がいいがな」

「ふぅん、それもそっか。んで、それはそれとしてまたどうしてふて寝なんか? 兄貴らしくもねぇな」

「なんでも遺言の怨嗟よろしく、都の奴らに啖呵を切ったが、内容が内容だったらしくてな」

「どんな内容なんだい?」

「後は俺に任せるみたいな内容だったらしい。それが何とかなっちまったからふて寝しているんだとさ」

 

 あほくせぇとあきれた声で煙灰が言葉を漏らして槌を振う。その声は少しだけ寂しげに狐仙には聞こえた。

 まだまだ、みんなが目を覚ますには時間がかかりそうだと狐仙は思う。しかし、一つだけある引っ掛かりを狐仙は思い出す。

 

「純狐の姉御はやっぱり?」

「あぁ、あの中にはいなかった」

 

 純狐の事だ。以前、目覚めた時にも一度聞いていた。やはり純狐は黒煙の中にはいなかったらしい。

 狐仙はその事に気分が暗くなる。それを察してか、知らずにかは分からぬが、煙灰がまた口を開く。

 

「能天気な塊清でさえ未練があったのだ。あの純狐が消えるわけはねぇ。そのうちひょっこり顔出すさ」

「……そう、なのかな……そうだよな、姉御だもんな」

 

 狐仙がそう言葉を返す。少しだけ空元気さを感じさせる声だ。

 

「再会した時、お前が寂しがっていたと言って放り投げてやらぁ」

「ちょっ、ちょっ、ちょっ、それは勘弁しておくれよぉ、旦那ぁ」

「覚えてたらな」

「うへぇ、そんなぁ」

 

 情けない声をあげ狐仙がだらりと脱力した。その声に、憂いは感じられない。そして会話が途切れ、のんびりとした時間が流れる。

 だらける狐仙と槌を振う煙灰。それ以外の音の存在しない洞窟内の広間に、また別の音が聞こえてきた。

 軽い生き物の駆ける音と、小さな羽ばたき音。狐仙が通路の先へと視線を向けた。

 通路の暗がりから音の主が姿を現した。小さな動物が三匹。鴉に狐に狸だ。

 元気よく力いっぱいに、三者三様に広間へと姿を見せた。鴉が煙灰の肩に止まり、他の二匹が煙灰の足元で裾を引く。

 親に構って欲しい子供みたいだと狐仙は思った。視線の先で動物たちが忙しなく煙灰にちょっかいをかけている。

 煙灰も困り顔を浮かべるも、手荒な手段には出ない。むしろ、槌を置いて動物たちを撫でていた。

 

「で、狐仙。何と言っている?」

「ん? ちょいとお待ち、旦那」

 

 狐仙が煙灰の問いかけに応え、三匹に近づいた。しゃがみ込み何事かを語りかける。

 ふんふんと相槌をうちながら狐仙が動物らの声を聞く。やがて狐仙は聞きたいことを、全部聞き終えたのか顔をあげた。

 動物たちが褒めろと言いたげに、座っている煙灰の膝上に集まり見上げている。

 

「それで?」

「旦那、朗報だぜ」

「ほぅ、なんだ?」

 

 煙灰の再度の問いかけに狐仙が溜める様に間を作った。ニヤリと意味ありげな笑みを浮かべる。口の両端を釣り上げた狐仙が、その弧に亀裂を作った。

 

「人間を見つけた」

 

 

 

 

 




長かった。
古代の終わりまで本当に長かった。
長らくお付き合いの皆様、ありがとうございます。
次からは紀元前編とでも言うのでしょうか?
まだまだ古い時代ですがお付き合い頂けたら幸いです。
次回は少し間が空くかもしれません。


絶望の後には希望があるもの
パンドラの箱ですね

月の民側からすると
希望の中にも絶望はある、でしょうか


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原初編
一振り目


長らくお待たせしました
またぼちぼち書き進めてゆくと思いますので、気長にお付き合い頂けたら幸いです


 

 

 

 

 久方ぶりに穴倉から出た煙灰は、照りつける日差しの強さに瞳を細めた。

 さて、最後に外を出歩いたのは何時だったかと考えるも、明確な答えは出なかった。

 時間の流れを認識することなど、とうの昔にやめていた。どれほど日が廻ろうと、季節が変わろうと、それに意味を見いだせなかったからだ。

 頑強な鬼の肉体は時の流れを物ともしない。強大な妖怪としての力が、存在の風化を許さない。決して消えることのない、未練の火は煙灰の心に灯りつづけていた。

 時間など関係ない。ただ、皆が起きるのをひたすら待つ。煙灰にとって、時の流れとはただそれだけの物であった。いつか起きるであろう、同胞達を待つ。それがどれほど長かろうと関係ない。

 ただただ待つ煙灰に、それがどれほどかかったかは重要ではない。だからこそ、どれほどの時が経ったのかについて煙灰は無頓着であった。

 

「さて。どちらだ、お前達」

 

 煙灰が自らにじゃれつく動物らに声をかける。足元でじゃれつく二匹と、肩に止まる一羽はそれに反応して動きを見せた。狐仙は再び、煙管の中で眠りについた為、通訳はいない。

 我先にと争う様に、先を示す。しかし、地を行く狐と狸は喧嘩をするように互いにちょっかいをかけている。空を飛ぶ鴉のみが我関せずと言う様に、煙灰を見つめながら翼を羽ばたかせ、行き先を示す。

 煙灰はそんな鴉の姿に要領が良いなと、小さく笑みをこぼす。煙灰が歩き出すのを静かに待つ鴉や、賑やかな地を行く二匹においてかれまいと、煙灰も自らの歩を進めた。

 

 

 

 

 

 

 

 先を示す三匹に連れられて煙灰は獣道さえない野山を進む。悪路を物ともしない二匹と、そもそも地形の影響を受けない一羽、さらには疲れを知らぬ鬼。その進む速度はかなりの物

であった。

 山を一つ、二つといくつも超えてゆくと、煙灰の眼下に平原が広がった。もはや人も妖も消えて長き時が経った。都は爆発により消え、それ以外の家屋などの建物なども随分と前に風化して跡形もなく消え去っていた。

 ただただ自然が広がり、雄大な大地が地平の先まで広がっていた。大地を撫でる風に草木が揺れる。数多の獣たちが、自由に世界をかけ、生存競争に身をやつしている。

 多くの生命の息遣いが煙灰には感じられた。自然と口元に笑みが浮かぶ。命は巡る。世界で自分一人だけなどと言う事は無い。そう感じられるからだ。

 

「しかし、言葉が交わせぬのはちとつまらんか」

 

 ついついそんな不満が口をついて出た。煙灰が不意に漏らした言葉に反応した三匹が、煙灰の顔を見つめる。何か言いたげな三匹に煙灰が口を開く。

 

「別段お前らに言ったのではない。それにそのうち……巡り合わせがあればそう言う事もあるだろう。さぁ、次はどちらだ?」

 

 煙灰の言葉を理解しているかの様に、否、理解したうえで三匹が小さく鳴き声を上げて、再び歩を進める。

 

(我が妖力を浴び続けているお前達はどのような妖怪となるのだろうか?)

 

 先ゆく三匹を見つめ、煙灰は先に思いを馳せる。いつだったかに拾い、面倒を見ていた三匹。ふと気がつけば、同種のそれらより、三匹はずっと長生きであることに気が付いた。

 それが妖怪化し始めている事だと気が付いてからは、楽しみが一つ増えたと煙灰は笑みを浮かべた物であった。

 まだまだ、良く言った所で小妖とでもいうべき存在。言葉を交わすにはいか程の時を要するか。それを待つのもまた一興と煙灰は先ゆく三匹を見つめ、またその後を追う。

 またしばらく歩みを進めれば、三匹が森と平原の切れ目でその歩みを止めた。顔を煙灰へと向けた後、平原へと向ける事で、視線の先に何かがあることを示す。

 煙灰がそれに従い視線を先へと向ける。

 

「くかかっ……あぁ、なるほど。確かにあれは人間だ。くかかかか」

 

 視線の先に煙灰は人間を見つけた。滅び、消えたはずの人が映り込む。だが、目に映る人は煙灰の知る人間とは違う。月人とは、違う。

 身にまとう力や、気配が異なる。自らとは、成立ちが異なる。

 煙灰にはそれが理解できた。神に設計された(作られた)自らや、月人達と違い、視界に映る人間は違うと解った。

 永き時の中で自らが目にした、進化という過程を得て、目の前の人間達は生まれたのだと、煙灰は理解する。

 

「これは……暇がつぶせそうだ」

 

 自分で思っているよりも嬉しさを含んだ声が煙灰の口から漏れでた。

 事実、そうなのであろう。確かに人間であるが、月人達とは明確な違いを感じられる故に、憎悪の対象と()()()()()

 それが煙灰には自分が思っているよりも愉快なことであったらしい。そして思いのほか、悠久とも言えるほどの孤独は、いささか堪える物であったという事に気が付いた。

 くつくつと喉を震わせて、笑い声が煙灰から漏れる。三匹はそんな煙灰を静かに見上げていた。

 満足いくまで笑うと煙灰は再び視線を平原へと向けた。やはりそこには確かに人間達がいた。

 とても立派とは言えない、粗末な布を巻き、石を付けただけの道具を持つ人間達。

 けれども確かに自分たちで道具を生み、活用する人間達の姿がそこには存在していた。

 

「時の流れとは面白い物だ」

 

 面白い。そう面白いのだ。幾星霜を経て、人が生まれる。神の手を、理外の力を必要とすることなく人が生まれる。

 これを面白いと言わずして何が面白いと言うのだろうか。煙灰にはそう思えるほどに、目の前の光景は愉快な物であった。

 

伊弉諾()よ、伊邪那美()よ。あなた方の力がなくとも……人は生まれ、命は巡る」

 

 煙灰の口から自然と、言葉が漏れた。今は亡き、自らの造物主に言葉を投げかけた。

 くつくつとまた喉を鳴らし、肩を震わせる。しかし、視線は人間達から外さない。

 平原には、人間達の家屋があった。月人達の作りし、都と比べるのもおこがましい程の粗末なものであるが、確かにそれは人間達の拠点となる地――集落であった。 

 泥や草木で作られた簡易の造形物。煙灰が吹けば飛んでしまいそうな程に頼りない。けれどもしっかりと居住地としての機能を持っていた。

 道具を使い、物を作る。その人間らしさが煙灰には好ましかった。幾人かが、周囲を警戒している。

 それは人間が、今の時代をもってしても弱い存在だからであろう。ここに来るまでに、目にした獣達がいた。人よりも大きい、肉食獣を幾体も見た。肉食でなくとも、猿の中には人より強い膂力を持つ物もいるだろう。

 ゆえに人は、自らの弱さを補う為、群れをつくり、道具を作り、身を守る。その人間らしさが煙灰には何より嬉しく感じられた。尊く思えた。

 まさにそれこそが人の強さ。まさにそれこそが道具の本懐。道具は使われてこそ意味を持つのだ。ただ一人、暇に飽かせて道具を作り続けた煙灰には目の前の人間の在り方が好ましかった。

 ただ生きていた自分とは違う。今を懸命に生きようとしている目の前の人間達が眩しくさえ思えた。

 遠き昔、まだ煙灰自身がエンと名乗り、人であった頃。自分達を見守っていた二柱はこのような気持であったのか。ふと煙灰は、人間達を見守りながらそう感じた。

 

「いや、考えても詮無きことか。もはや確認する事さえ叶わぬのだから」

 

 煙灰の声色が沈んでいるように聞こえたのか、三匹の獣たちが見上げてきた。示し合わせたかのような、三匹の態度に思わず苦笑が浮かぶ。

 しゃがみ込み、少々雑な、けれどかわいがるように獣たちを撫でる。煙灰に構われることが嬉しいのか、三匹は瞳を細めて煙灰の手に身をゆだねる。

 

「ん? どうした?」

 

 煙灰が撫でている最中、狐が身体をびくりと跳ねさせた。耳がピンと張り、視線が煙灰から外れた。

 疑問の声をあげ、狐の視線を追う様に、煙灰が瞳を向ける。

 煙灰の向けた視線の先には大型の肉食獣がいた。上顎から生える二本の犬歯が異様に発達した四足の獣。狼や野犬とは違う。しいて言えば、虎系統に見える獣の姿が目に付いた。

 

 

――狙っているな

 

 

 一目で集落の人間達を狙っていると察しがついた。平原とはいえ、背丈の高い所もある。ある程度まで近づけば元々の運動性能が違うのだ、人間など逃げ切れまい。

 目の前の光景に煙灰はふと考えた。どうするべきかと。助けるか、助けないかを逡巡する。

 何も人がいるのはココだけではあるまい。ならば、妖怪たる自分が人を助ける道理はないと。

 折角生まれた人を、ここで減らすのは惜しいと。弱いゆえに絶滅の可能性もあろうと。

 思考がめぐる。天秤が振れる。答えは――

 

「――――――! ――――――!!」

 

 思考の最中に、事態が動いた。周囲を警戒していたうちの一人が獣を見つけて騒ぎ立てたのだ。にわかに集落が騒がしくなった。言葉が違うのだろう、何と言ったか正確な所は煙灰には分からぬが、獣が出たとでも言う様な内容だろうと当たりが付く。

 草木で作られた家々から人間達が飛び出してくる。女が、子供が、蜘蛛の子を散らす様に逃げていく。男達が木の棒に石を着けた粗末な武器を構えて、最後尾を進みながら決死の覚悟を顔に浮かべる。

 意外と手馴れているのか、風下にある、森めがけて人々が逃げていく。知識としてではなく、経験として学んでいるのだろう。獣は鼻が利くと。

 

「こちらに来るか」

 

 風下の森。それは煙灰達が居る所もその一つである。人間達に気付かれたと、獣も察し、草むらから力強く身を躍らせるように飛びだし、地を駆ける。

 狙いを固まらせない様に人間達はある程度、ばらけて逃走をしていた。その内の一つの小集団が煙灰の所へと向かっていた。少年と少女、そして数人の大人の集団だ。

 少女の手を少年が引きながら駆けている。けれど、それでもあまり速度が上がらないようだ。大人達は若い世代を守ろうという気概なのか、見捨てる様な事はせず、速度を合わせて走っている。

 それは美談なのかもしれない。だがそんなもの獣には関係ない。遅い集団があるならそれを狙う。酷く分かりやすい狩り方だ。

 背後を振り返って確認している大人の一人が、慌てたように口を開く。きっと急ぐように声をかけているのだろう。しかし、結果は変わらない。精神論でどうこうなるようであれば苦労は無いのだ。

 むしろ、起きた結果は最悪といえた。焦って急ごうとした少女が足をもつれさせて転んだのだ。手を引く少年も、繋いだ手に引かれ、足が止まった。

 大人達もそれにつられて足を止めるが、振り返った背後から迫りくる()に後退る。逃げ出したいという心の動きが煙灰には手に取るようにわかった。

 まだ若い少年たちを見捨てるのも時間の問題だろうと煙灰には思えた。少年も、少女を立たせようと手を引くが少女は立たない。

 儚く笑う少女の横顔が煙灰には見えた。そして、赤く鬱血して張れた足も。倒れた際に怪我をしたのだろう。もはや逃げられぬと悟ったのだ。死を、覚悟していた。

 少女が何かを口走る。握られた手を解く。少年は嫌だと示す様に首を振り少女の手を強く握るが、少女が握り返すことは無い。

 大人たちが、少年の身体を掴み、逃げようとし始めた。少女の状況から、無理を悟ったのだろう。正しい選択だ。それは厳しい生存競争にさらされる彼らにとって正しい選択だ。

 けれど、少年には許容できないのだろう。引っ張られた少年の手が、少女から離れた。少女は笑う。満足げに笑った。

 それをみた少年は身体を振り乱し、大人を振り切ると獣と少女の間に手を広げ立ちふさがった。

 自分を食べろと言わんばかりの行動。否、言外に自分を喰らえと言っているのだろう。

 自分をたべている間に少女に逃げて欲しいと。腹を満たせば、獣はねぐらに帰るだろうとの考えなのかもしれない。

 少年の行動に少女が声を荒げる。大人達は、めまぐるしく起きる状況の変化に、混乱をきたしていた。

 

 

――グルゥ

 

 

 獣が一度低く喉を鳴らした。その牙が少年の眼前に迫る。瞳に雫を湛えた少女が声をあげた。

 獣が飛び、少年が瞳を閉ざし、少女が絶叫する。

 

「くかかっ」

 

 愉快な笑い声。三者の耳に不思議と染み込む様にその音が届いた。

 

「惚れた女を守ろうとするか。かかっ、褒めてやろう、小僧」

 

 声が聞こえた。力強い声が。ふわりと背後から吹いた風が、少年の身体を撫でた。

 いつまでも来ない衝撃と、届いた感覚に、少年がきつく閉じた瞳を開く。

 

「お前の行いは力のないガキの青臭い自己満足だ。だがまぁ、悪くない物を見せてもらった」

 

 少年の視線の先には男、煙灰の背中が見えた。

自分たちが見に纏う衣装とは随分と異なる不思議な衣をまとい、髪色さえ違った。木々が燃えた後に残る灰の様な髪色の男が、獣の牙をその手で掴み自らと獣の間に立ちふさがっていた。

 牙を掴むその手には並々ならぬ力が込められているのか、ピクリとも動くことは無い。

 獣がもがき、腕を振るい煙灰を害そうとするも、それにひるむ様子さえない。

 少年も、背後の少女も、大人たちにも理外の出来事に思考に空白が生まれた。

 

「くかかっ。言葉が通じぬのはつまらぬか……さてはて、面倒だが覚えておくか」

 

 口をパクパクと開閉させる少年を愉快気に眺めた煙灰がそう口にした。時間などいくらでもあるのだからそれもまた一興だろうと。

 しかし、今は目先の問題だと獣を見やる。牙を捕まれ、上体が持ち上がった体勢のまま動けぬ獣。前足が地に届かず、もがく様に煙灰に振われるも爪も薄皮一枚傷つける事さえ敵わない。 

 

「運が悪かったな」

 

 一言。煙灰は言葉を獣に落とすと、首をへし折る。いたぶる趣味は持ち合わせていない為、一瞬のうちにそれは終わる。

 骨の砕ける鈍い音が周囲に響き、獣の四肢から力が抜け落ちた。獣が絶命したことを示す。

 煙灰が掴んだ手を離せば、鈍い音と共に肉が地面を打つ音が聞こえた。

 

「――――――!!」

 

 少年が声をあげた。けれども煙灰には正確な内容を察することはできない。

 振り返り少年を見据える。自身の腰ほどの背丈しかない少年と目線を合わせる様に傍にしゃがみ込む。

 煙灰の目に少年の瞳が映り込む。興奮したような熱を持つ瞳が煙灰をひたと見据えていた。

 憧憬か尊敬か……少なくとも負の感情をその瞳より読み取る事はできなかった。

 煙灰の口元が柔らかく緩む。

 

「かかか、この俺に憧れるか。これはまた新鮮な反応だ、かかか」

 

 まるで恐れをみせず、興奮した面持ちの少年に煙灰は機嫌よく笑う。

 少年も煙灰を言葉が通じぬことが分かったのか、身振り手振りが大きくなる。しかし、次の瞬間には、ハッとして、背後の少女に身体が向き直った。

 少女の傷をいたわるように、怪我の具合を確認するように、少年が少女と足を見る。

 その少年の様子に煙灰は僅かに目元を緩めた。左手を軽く開き、掌が空を向くように手を動かす。

 音もなく空に浮く雲から落ちてきた枡を、その手が掴む。腰についた瓢箪の栓を抜き、中の酒を枡へと注ぐ。

 透き通った透明な酒が、枡の中でうっすらと朱に染まる。まるで血を数滴たらしたかのようなうっすらとした赤色をつけた。

 軽く枡を揺すり、中の酒を数度撹拌する。ちゃぷちゃぷと耳に心地いい水音と、酒の香りが広がった。

 少年と少女も匂いに気が付き、顔を煙灰へと向ける。

 

「小僧の無謀な勇気と、久方ぶりに面白い物を見せてくれた礼だ」

 

 通じる事が無いと解っていても煙灰は言葉を投げかけた。二人が反応を示す前に、煙灰は枡の中の酒を少女の患部へとこぼす。

 打ち付け熱を持った患部に、冷たい酒をかけられた少女がびくりと身体を震わせた。

 少年が何か言葉を煙灰にかけるも、煙灰はそれに構う事無く、枡を傾け続ける。まだ何かを言い募ろうとしたのか、少年が口を開きかけるも、少女にそれを止められた。

 少女が何かを言い、少年の視線が足へと向かった。その変化は静かであり、また劇的だった。

 

「この程度すぐ治る」

 

 腫れが引き、赤味が無くなる。足の傷が癒えてゆく。過去に煙灰が作った鬼の宝の一つ、薬枡である。自らの腕をつぶし、素材とした傷を癒す枡。

少女の怪我が完全に癒えると煙灰は酒をかけるのをやめる。そして僅かばかり目を細めて煙管を一吸い。

 

「なるほど……」

 

 僅かばかりの嘆息混じりの声が漏れ出た。その視線が少女の癒えた足を静かに見据える。

 少女の足に宿る()()()()をひたと見据えた。それは布が水を吸う様に少女の身体に広がろうとしている事にも煙灰は気が付いていた。

 口元から煙管を離し、ふぅと一吐き。漏れ出た白煙が少女の足に降りかかり、妖力を洗い流す様に少女の身体から妖力を取り去った。

 少年も少女も煙灰の行動に、その瞳をパチクリと瞬かせ、きょとんとしていた。

 傷は治ったのにどうしたのと言いたげな表情であるが煙灰が何かを言うことは無かった。

 煙が風に流された後には、少女の足には欠片の妖力も残ってはいなかった。

 

「これで問題なかろう」

 

 煙灰はそう断ずると腰を上げた。ふと周囲を見渡せば、逃げていた集落の人間達が煙灰を含めた三人を遠巻きに見つめていた。

 集落の人間達の瞳には訝しむような感情と、警戒の色が見て取れた。

 

(まぁ、そうであろうな)

 

 とてもではないが彼らの誰であっても、獣を素手で殺すなど出来まい。であればこそ、それを成した煙灰は得体が知れない存在なのであろう――たとえ姿形が同じであろうとも。

 この際、角の有無はあまり大きな問題ではないであろう。自分達と同じような人であるのに、まるで違う煙灰は不気味なのであろう。

 

(しかしこれはまた……)

 

 けれども、どの視線からも僅かながら、少年から感じた憧憬の様な熱を感じた。強き力に引かれたのか、救われたことから来る感情なのか。

 答えが出ることは無いのだろう。煙灰が長居することは無いからだ。

 ここに人がいるという事は他にもいるのだろうと煙灰は考えている。折角だから旅でもするかと考えが浮かぶ。

 こうも好奇の視線を不特定多数から向けられるという状況が慣れず、煙灰は僅かばかりであるが居心地が悪かった。それもここを去りたいと思わせる要因の一つであるのは確かだ。

 離れようと一歩足を踏み出すも、引き止める力を感じた。少年が煙灰の服の裾を掴んでいた。何かを伝えようとしているのか、早口で何かを捲し立てる。

 自分の胸を叩き、また口を開く。自分を鍛え、強くしてほしいと言う事だろうかと、一つの考えが思い浮かぶ。

 鬼に師事する。そんな考えが浮かんだのは、はるか昔に同じ程度の背格好の子供に手ほどきした故にそう思ってしまったのか。懐かしい思いと苦い思いが同時に煙灰の胸中に浮かぶ。

 

「くかかっ」

 

 浮かんだ思いを跳ねのける様に快活な笑いを飛ばす。愉快気な笑い声を意識的にあげる。

 少年の頭に手を当て、ぐりぐりと乱暴に撫でつける。煙灰の力に抵抗しきれず、少年の身体が揺れ、手が裾から離れた。

 また手を開けば、空の雲から小さな物が落ちてきた。手のひら大の小さな円盤。表面には艶があり、光を反射し周囲を映す。そう、鏡だ。小さな鏡を煙灰は手にしていた。

 裏面には幾何学模様を描く様に、掘り込みが入っていた。端を軽く摘まみ、指先に熱を込める。上端の一部が摘ままれた指に沿い、小さく出っ張る。そして出来上がったでっぱりに小さな穴を空けて煙を通す。

 通した煙を固め、紐にする。それはほぼ一瞬で行われたために、少年を含めた周囲の人間にはいつの間にか煙灰が小物を持っているように感じられただろう。

 

「代わりといっちゃあなんだが、こいつをくれてやる」

 

 言葉と共に少年に手の中の鏡を投げる。放られたそれに対して、少年が反射的に掴みとった。

 渡された鏡を見て、少年が瞳を見開く。それは当然の反応といえる。竪穴を掘って、作った木と草そして泥で作られた家屋からわかるように、鏡など見たこともない上に、鏡という概念さえ分からない可能性の方が高いのだから。

 けれど、煙灰は気にすることなく、反応を見た後一度頷く。

 

「大事ならば決して手放すな小僧」

 

 かけられた声にまた少年が反応して、視線を手元の鏡から煙灰へ戻すがそこにはもう誰もいない。

 少年が辺りを見渡すも、やはり煙灰の姿が少年の瞳に映り込むことは無かった。

 周囲に声をかけても皆首を振るばかりで、消えた事を裏付けるばかりであった。

 

 

「正しく使え」

 

 遠く離れた丘の上で煙灰は小さく言葉を漏らした。

 豆粒ほどに見える少年らを最後に一目見た後、踵を返し歩き出した。

 足取りは軽い。煙灰の後を追う様に、三匹の小動物たちが後を追う。

 さてどちらに向かおうかと空を見上げる。風の流れに雲が日の沈む方角に運ばれていくのが見えた。

 風の向くままという様に、煙灰も進路を変えて、雲の後追う。風が吹き、土煙が舞い上がる。煙が消えた後には、やはり何も残ってはいなかった。

 

 

 

 



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二振り目

 

 

 

 

 風の流れに、木の枝が倒れた先に。その時々に決めた先へと煙灰は旅を続けていた。

 太陽を追いかけ、月とすれ違い、雲の流れを横切る。気の向くままに煙灰は世界を歩く。

 数多の集落を、人間達を煙灰は目にしてきた。時に助け、時に教え、時に見殺して。永い時間が過ぎ去った。

 それら全てもその時々の気分で煙灰は行ってきた。どれほど時が過ぎたのか、三匹達も僅かに大きくなった程度で、もはや一般的な動物と違いすぎて指標になりはしなかった。

 そして永い時間の中、煙灰は今の人間達の言葉を覚えた。生活のありようを知った。多くの事を学んだ。

 そして煙灰は今、山を登り山稜にたどり着く。

 

「あぁ、ここは……」

 

 眼下の光景に思わず言葉を漏らした。煌めく光が煙灰の瞳に映り込む。それは一時とて同じ姿を見せることなく常に変化し続けていた。

 風に、生き物に、星の動きに、数多の要因により変化し続ける。吹き抜ける風が涼を運ぶ。

 数多の命を湛える湖が煙灰の眼下には広がっていた。

 

「くかか。命潰えし土地が、今や命を育む湖か……面白い物だな」

 

 どこか憂いを含む声。漏らした言葉通り、眼下の湖は過去に都があった場所。妖怪達が全滅した地。

 都を吹き飛ばした際、地面を穿つ大穴が空いた。穴が空くとき、周囲の地面が押し出され、湖を覆うように隆起した土地が山となった。

 煙灰が立つ山もその内の一つ。そして大穴は長き時を経て、水が溜まり湖となっていた。

 

「そうか……いつの間にか戻って来ていたのか」

 

 見下ろした時、初めて煙灰はこの場所が何処であったかを思い出した。土地を流れる龍脈と、僅かに既視感を覚える地形が煙灰にここが何処であったかを思い出させた。

 思い出された記憶に引きずられ、苦い記憶も想起された。得も言われぬ感情に顔が歪む。それは怒りか、悔悟か、はたまた寂寥か。それは煙灰自身にも正確な所は分からない程に複雑な感情であった。

 持て余した感情を呑み込み、一度深呼吸をして気持ちを落ち着ける。感情の乱れが収まると煙灰は再び足を進める──向かう先は湖だ。

 最後に見た時は爆風で土がめくれ、草木が燃え尽きていた。茶色一色であった大地も今や命溢れる緑で覆われている。

 山を下ってゆけば背丈の伸びた木々が、煙灰の視界から湖を隠す。時折、揺れる葉の隙間から煌めく湖面が姿を見せる。

 元々都の痕跡など欠片も残ってはいなかった。今では湖に覆われてなおのこと。都があった形跡などかけらもない。自分はそんな湖を見た時何を思うのだろか。

 煙灰は山を進みながら自問した。けれど答えが出ることは無い。

 斜面が終わる。また少しばかりの平野を歩けば湖岸にたどり着くだろう。先を見据えた煙灰はふと、近くにいる三匹へ声をかける。

 

「少しその辺りで遊んで来い」

 

 普段と変わらぬ声色、雰囲気で煙灰はそう言った。けれど、獣の勘か、長い間煙灰のそばにいた故か、三匹は何かを感じ取ったのか大人しく言う事を聞いた。

 いつもであれば、そう言っても素直に離れないことの方が多い三匹であった。けれどもこの時ばかりはスッと、森に溶け込む様に離れていった。

 聡い三匹に煙灰は笑みを一つこぼす。楽しげで、少しだけ苦笑気味な笑みを。

 その賢さが面白く、気を使われたであろう気配りに少しの情けなさを感じていた。子や孫ではきかぬ程の若い動物に気を使われる。それがたまらなく可笑しかったのだ。

 

「まったく、可愛げのある奴らだ」

 

 煙灰の肩から力が抜けた。僅かにあった固さが抜け、自然体に戻った煙灰が歩みを再開した。

 一歩踏み出すごとに湖が近づいてきた。澄んだ水の香りが鼻をつく。魚を狙いに集まったのか、鳥の鳴き声が耳を撫でた。

 迷いなく煙灰は歩を進めるが、ふと一瞬足が止まった。

 

「……ふむ」

 

 止まった足はまたすぐに歩みを再開した。けれど、僅かにその歩みは速度を上げていた。

 煙灰が湖岸へとたどり着く。湖が大きい為か、海の様に風で煽られた水が波打っていた。僅かに足元が水に触れる。

 煙灰は湖岸へたどり着くと立ち止まり、湖を見つめた。煙灰がじっと見据えるその先に、一人の少女がいた。

 その少女は湖の先、対岸にいるわけではない。その少女は湖面に()()()()()

 水に浮かんでいるのではない。二本の足で湖面の上に立っていた。不安定に揺れることなく、波に煽られ上下に振れることなく静謐に佇んでいた。

 それは美しい光景であった。光を反射し、煌めく湖面に、黄金色の髪を風に揺られる少女が立つ。

 どこか神秘的にさえ感じさせる光景。けれど、煙灰はその神秘さに引かれ瞳を奪われたのではない。

 確かに、長き旅の中でここまで個として確立した人外を見たのは初めてであった。けれど違う。そうでないのだ。煙灰が視線を奪われた理由はそうではないのだ。それはいうなれば()()()故の物だ。

 見つめる煙灰の視線に何かを感じ取ったのか、俯けて湖を見つめていた少女の顔が持ち上がった。横顔はあどけない少女のように純粋で、けれどどこか老獪な女性の様にも見えた。

 飾りや髪留めの無い髪が風に流されてサラサラ揺れていた。少女の顔が煙灰を向く。その顔に表情が、感情が浮かぶことは無かった。湖面を眺めていた時と同じく、それは酷く凪いでいた。

 両者の視線がまっすぐに交差する。二人の視線が互いをしかと捉えた。

 直後、煙灰は地面を蹴りつけ背後に跳ぶ。

 煙灰が跳んだが先か、はたまた同時か、それほどのタイミングで煙灰の立っていた場所に巨大な白樺が地を割いて生えた。

 

 

――シュゥゥッ

 

 

 否、それは木ではなかった。大木の如き胴回りを持つ蛇――大蛇であった。地を割き、姿を現した白き大蛇は尾を振るわして、煙灰を威嚇していた。

 見上げるほどの巨大な蛇が煙灰を見下ろす。跳び退った煙灰は蛇を見上げた後、身をかがめた。かがむ煙灰に合わせたように左右の地面からまた蛇が二匹飛び出す。それは煙灰より僅かに大きい程度の蛇であった。それらは先ほどまで立っていた煙灰の胴があった場所を、通過するように交差していった。

 煙灰の目の前の大蛇が今度は上から煙灰めがけてその巨体を突っ込ませて来る。それに慌てる事無く煙灰は軽く地を蹴り、前へと出る。

 背後を掠める様に過ぎ去る大蛇が、地面を穿ちその身体をまた地へと沈めてゆく。

 けれど煙灰の視線は、襲い掛かってきた大蛇よりも大きな蛇の頭上に立つ少女から離れることは無かった。

 大蛇が地面から出た直後に、少女が乗っていた大蛇が鎌首を擡げ、湖からその半身を顕にしていた。

 少女は湖に立っていたのではなく、最初から湖に沈む大蛇の頭上に立っていたのだ。

 そして、その大蛇も少女を乗せたまま、すさまじい速度で湖岸にいる煙灰めがけて近づいていた。

 

「ふっ」

 

 軽く息を吐き出し、トンと軽快に地を蹴る。それに合わせて少女がのる大蛇も湖岸付近にたどり着いた。煙灰が跳ぶに合わせて少女も蛇の頭を軽く蹴り空に向けて自らの身体を躍らせた。

 少女が頭上から消えた大蛇が煙灰を呑み込まんと大口を開けて突進を行う。身体をしならせた鞭の如く使い、鋭い噛み付きが幾度も煙灰を狙う。

 けれどトントンと軽快に地面を蹴り、煙灰は風に舞う木の葉のように蛇の噛み付きを躱してゆく。

 幾度も繰り返される応酬の中、不意に煙灰の踏みしめた地面が再び揺れた。最初に躱し、地に潜った大蛇が再び大地の下より顔を出したのだ。

 大口を開け、煙灰を地面の土ごと呑み込まんとする。口が閉じられる直前に煙灰は蛇の中へと落ちてゆく土塊を蹴りつけ、その場を脱した。

 

「くかか」

 

 体内へと土塊を蹴り込まれる形となった大蛇が一瞬身体を震わせた。その様に煙灰からつい笑いが漏れる。

 くるりと空中で体勢を整え、眼下の大蛇二匹を見つめる煙灰に影が差した。

 地面に降り立った煙灰はすぐさま半歩後退る。直後、頭上に跳んでいた少女の足が目の前を薄皮一枚の近さで通過した。

 硬質な破砕音と共に地面が爆ぜた。少女の蹴りで地面が砕け、煙が上がる。

 煙灰は背後にむけてまた軽く地面を蹴り跳ぶ。煙灰の身体が舞い上がった煙から脱すると、追従するように少女も姿をあらました。

 姿を見せた少女の右腕は引き絞られており、手も硬く握り絞められて拳を作っていた。

 煙灰と少女の瞳が至近距離で向き合う。少女が追従する速度を上げるために再び地を蹴りつけた。

 少女の拳の射程に、煙灰の身体が入る。身体を捻り、拳を突き出す。

 煙灰の身体が反射的に躱そうと動くも、びくりと一度震え硬直した。

 生まれた一瞬の硬直の間に、少女の拳が煙灰の顔面を捉える。

 先ほどの地面を砕いた時とは比にならない轟音と共に煙灰の身体が吹き飛んでいく。

 水切りされた石のように地面を幾度も跳ね転がり、最後にはずるずると地面を転がり停止した。

 少女は拳を振り抜いた姿勢から動かない。煙灰も大地に転がったまま動きをみせない。

 静寂が訪れる。少女の背後で顔を持ち上げる大蛇二匹も、少女に合わせているのか微動だにしない。

 吹き飛び地面を転がった時の発生した土煙も完全に風で流され消えて行った。

 風が吹いて、草木が、湖面が揺れていなければ時間が止まったのではと思えるほど誰も動かない。

 しかし、しびれを切らせたのか不意に少女が腕をおろした。

 

「なんでさ」

 

 見た目相応の可愛らしく、しかし不満に満ち満ちた声で少女が問い掛けた。何故、と。

 けれど煙灰はその声にも反応を示さない。

 

「何でわざと殴られたの、と聞いている?」

 

 タンッと無視された不満を示す様に足を踏み鳴らし再度少女が問いかけた。

 それに反応したのか煙灰が身体を起こす。ぱらぱらと身体に乗った土が落ちる。

 鼻っ柱を完全にとらえられたにも関わらず、煙灰の姿に変化はない。

 殴られた顔は腫れるどころか赤くさえなってはいなかった。

 

「かかっ、それじゃあどうしてお前さんは俺を殴ろうとした?」

「それは……」

 

 上体を起こし、片膝を立てた姿勢で座り込む煙灰が、少女を見据えて問いを返した。

 煙灰に問われた少女が言いよどむ。それは言いづらい、というよりも自分でも怪訝そうに、どこか持て余しているように見えた。

 言葉を探しているのか、口を開いては閉じる。幾度か繰り返して少女は言葉を形にした。

 

「……なんとなく」

「ほぅ」

 

 どこかふて腐れた様に少女が言葉を漏らせば、煙灰は楽しげに口元を歪めた。

 煙灰の態度が不満だったのか、少女の目尻がキッと持ち上がった。

 

「何、悪い?」

「何も。悪い事なんかありゃしねぇよ。かっかっか」

 

 睨みつけながら問う少女に煙灰がそれを笑い飛ばす。

 不満が募ったのかさらに少女の眉間に皺が刻まれた。

 

「それで、なんでわざと殴られたのよ」

「あぁ、そうさなぁ……殴られる謂れがあった、と俺がそう思ったからだ」

 

 視線を少女から切り、煙灰は空を見上げそう言葉を返した。

 今までの剛毅な雰囲気から一転、どこか寂しさを感じさせるその姿に少女が小さく息を飲んだ。

 けれど、なぜ自分が見ず知らずの目の前の男の寂しげな姿に息を飲むような反応をしたのか少女には分からなかった。

 一呼吸。少女は気持ちを落ち着けるとまた煙灰へと言葉を投げかけた。

 

「謂れがあるって、じゃあどうして私が殴りかかったか分かるの?」

「知らんよ」

「謂れがあるって言ったのはそっちでしょ」

「想像はできるが、それが絶対に正しい答えというわけでもあるまい。なら、それは知らんともいえる」

「それははぐらかしているだけじゃないの?」

「くかか、そうとも言える。だが、直接的にはお前さんには関係の無い話だ。それに一度殴ってすっきりしたのだろう? ならそれでこの話は終いだ。お前さんは殴って満足。俺は殴られて満足、って事はねぇが納得した」

 

 煙灰が肩を竦めてそう返す。少女はしばらく睨みつけるような視線で煙灰を見据えるも、ため息とともにとげとげしい気配を霧散させた。

 目尻が下がり、眉間の皺も消えた。

 

「やれやれ、頑固そうだねお前さんは」

「殴った側に不満を言われちゃ敵わんな」

「謂れが有って殴られたんだ。神妙にしときな」

「く、かっかっかっ。なるほど、その通りだ」

 

 カラッとした含みの無い少女の言葉に煙灰は機嫌よく笑う。

 理由を知らないのにそういってのける少女の大胆さが好ましい。

 そして、何よりも自身と対等な目線で話しかけてくる少女が愉快であった。

 

「で、お前さんは何者なのさ?」

「鬼、といっても分かるまい。そうさな、いわゆる畏れの塊、そんなものだ。お前さんと違うのは確かだがな」

「私と?」

 

 少女が煙灰の言葉に首をかしげた。

 少女の反応に煙灰は僅かに逡巡する。

 

「ふむ、お前さんは自分が何者かと問われたら何と答える?」

「うーん、それは答えに困る質問だね。人間ではないのは確かさ。気がついたらこの姿で私は存在していたからねぇ」

 

 袖口の広がりゆったりとした服の裾を掴み、ひらひらと振って見せながら少女は応えた。

 

「違うと断定できるお前さんは、私が何か分かるのかい?」

「分かるさ」

「私は何者なのか聞いても?」

 

 好奇の色を宿した瞳で少女が煙灰に問い掛けた。

 

「神だ」

「カミ?」

「あぁ、神。いわゆる信仰の先にある存在(モノ)だ」

「ふぅーん?」

 

 いまいちよく分からないと言いたげな様子を少女は見せる。

 

「お前さんはきっと、自然への畏れ、感謝、懇願、謝意、清濁入り混じった数多の想い(シンコウ)の先に生じた者だろう」

「それが神って者なのかい?」

「そうだ。しかし、普通の神と比べてちと毛色が違って見える」

「普通と違うって私みたいのが他にもいるのかい?」

「そうだ……いや、違うな」

「違う?」

 

 少女が煙灰の言い回しに首をかしげた。

 

()()()()。今はこの地にはいない。少なくとも俺はお前が初めて会った相手だ」

「いたねぇ。それはどれくらい前なんだろうね」

「ずっとずっと昔の話だ。それこそ本当に気が遠くなるくらい昔の事だ」

「ふぅん。まぁいいや。いないのなら話したって今は意味の無い事か。それで私はどこら辺が一般の神ってのと違うんだい?」

「負の念だ」

「負の念?」

「お前さんは祟り神の類なのだろう。神であるが畏れも纏う。清廉な神力の中に澱みを感じる」

 

 煙灰は少女を見つめる。煙灰に見つめられた少女は僅かに身じろいだ。煙灰の自らの中身を見透かす様な視線が少しだけ気になったのだ。

 煙灰もそれに気が付くと視線を緩めた。少女も煙灰の視線が緩むとホッとしたのか体の力みが消えた。

 

「それにしても神ねぇ」

「まぁ、形の話なんざそう気にするな。それが知れたからとお前さんの何が変わる訳でもあるまい」

「それもそうだね」

 

 大蛇を従える祟り神はからからと普通の少女と変わらない笑みを浮かべた。

 

「お前さん、名はなんという」

「私のかい?」

「そうだ」

 

 煙灰が少女に名を問う。けれど、少女は瞳をパチクリさせ自らを指さし煙灰に聞き返す。

 きょとんとした様子に煙灰は訝しむ。

 

「そう言うお前さんは何て名だい?」

「……まぁよかろう。茨木、茨木煙灰という」

「茨木煙灰ねぇ。なるほどなるほど」

「で、お前さんは?」

 

 煙灰がそう再度問い掛ければ、一瞬だけ罰が悪そうな表情を浮かべた後、誤魔化すような笑みを浮かべて頭を掻く。

 

「いやー、それがね。誰かに名乗るって行為をしたことがないから名前なんて考えた事も無かったよ」

「……あぁ、なるほど」

 

 少女の言葉に煙灰は理解を示した。確かに名乗る相手が居なければ名を付ける意味は無いのだろうと。

 けれども煙灰が何かを考える前に少女がぽんと手を打つ。

 

「あぁ、でもそう言えば人間達に呼ばれている呼び方は名といえなくもない、かな?」

「何と呼ばれている?」

「諏訪、そう呼ばれているよ。最初の頃はさわ様って呼ばれていたんだけれど、それがいつの間にかすわ様に変わっていたのさ。これなら名、といえなくもないのかな。まぁ、おいおいちゃんと考えるから今はこれで納得しておくれよ、煙灰?」

 

 諏訪と名のった少女がからからと快活に笑った。

 それはとても楽しそうに、幸せそうに笑っていた。沈みゆく夕日を背負い、少女の姿をした神は名を名乗り楽しげに笑った。

 

 

 

 

 



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三振り目

 固い物が擦り合わされる音が辺りに響く。山中にある川辺。大岩が転がるだけの特別な所など何もない場所。

 しかし、あたりには神気が満ちていた。その大岩を中心に神域とでも呼べるような空間が形成されている。その空間内に、規則正しく音が響く。乱れることなく音が続く。

 

「飽きないねぇ」

 

 幼い少女の呆れ声が発された。声をかけられた相手は大柄な男、煙灰だ。

 声の主は湖で出会った諏訪と名乗った少女。

 

「物を作るってのはもう俺にとっちゃ自分の一部みたいなもんだ。それだけ長い間時間を費やした物でもあるし、時間をつぶした物でもある」

「ふぅん……石を擦り合わせるだけでもかい?」

「くかか。確かにお前さんから見たらたいした面白味もないかもしれんな」

 

 諏訪にそう言葉を返した煙灰が手を止めた。音を出していた固い物。手に持った石を、すっと瞳を細めて眺める。

 

「ほれ」

 

 一通り見分した後、手に持ったそれを諏訪に向けて放る。

 

「おっと」

 

 危なげなくそれを受け取ると訝しんだ視線を投げかける。

 しかし、煙灰はそれに何か言葉を投げかける事はせず、自身の周りにある手のひら大の石を手に取り、煙管で叩いて形を変える。

 

「石なんて貰ったって嬉しかないよ。まだ人間達が持ってくる獲物の頭なんかのがましってもんさ。まぁ、あれだって貰っても困るけど、食べることはできるからね」

 

 カツカツと石を叩き、歪な形の石を整えていく。

 

「まぁ、そう言わずに見て見な」

「なんだい、不躾に。まぁ、暇だから……へぇ」

 

 先ほどから手元にあった石へと視線を落した。手にある石は、すべすべとした肌触りで、光沢をもっていた。更に、石の一部が薄く潰れていた。

 

あの子等(ニンゲン)が持ってた石の道具みたいだけど、こっちのがよく切れそうに見えるね」

「だろうな。あっちは割って切れそうなのを見繕った物。これは斬る為にわざわざ削った物だ。違いは出るさ」

「なるほどね。それで?」

「あん?」

 

 疑問を投げかける言葉に、煙灰が疑問の声をあげた。削りやすいように小さく割った石を片手に視線をあげた。

 

「こんなもの作ってどうするのさって話だよ。正直私が持ってたって何の意味もないのは言うまでもない事だろう?」

「だろうな」

「で、どうするんだい?」

 

 少しだけにやにやとした表情の問いに、煙灰は小さくため息を吐いた。

 

「どうもしねぇよ」

「作ったのにかい?」

「俺は作るだけだ。どうするかは貰った奴が決めたらいい。泊める代わりにお前さんがなにか見せろと言ったのだ」

「確かに何か面白い物でも見せてくれって言ったのは私だけど……面白いかねぇこれ」

「どうだろうな。ま、何かは見せたんだ。好きに使え」

 

 一瞥もくれない煙灰に、諏訪はそんなものかととりあえずの納得した。

 さてどうしたものかねと手元の石を弄ぶ。

 投げては掴み、投げては掴み。規則正しく石を放って思案に耽る。

 また一つ、音が増えた。

 

 

 

 

 

 

 

「作り方を教えろだぁ?」

「あ、え、その……おね、お願い、しま、す……」

 

 言葉が続くほど声が消え入りそうに小さくなってゆく。

 煙灰は目の前の人物、青年の手前程の人間を見据えていた。

 大柄とはいえ座っている煙灰と立っている青年とではやや青年の方が大きく見えるだろう。

 しかし、ふてぶてしささえ感じられる煙灰と、身を竦めている青年では青年の方が小さく見えてしまう。

 萎縮する様子をまるで隠せないながらも引く様子の見せない青年に煙灰はどうするかと頭を掻く。

 諏訪の所に留まってから幾日も過ぎ去った。

 時に何かを作り、時に人を眺め、時に諏訪とじゃれ合いという名の手合わせの真似事もした。

 そういった行動故か、煙灰も諏訪を崇める人々から畏敬の念を送られるようになった。

 煙灰がナニかは分からなくとも人を超えるモノであることは解るのだろう。

 ゆえに、煙灰は今まで人々から何かしらの接触を受けたことは無かった。

 遠巻きに眺められるか、はたまた不本意ながら手を合わせて崇められるかといった具合であった。

 そして本日も暇に飽かせて狩猟に出かける人間達を丘の上から眺めていたら、現状となった次第だ。

 大きくため息を一つ。それに反応してびくりと青年が肩を跳ねさせた。

 

「ソレか」

「は、え、ソレ?」

「手に持ってるその石っころだよ」

「あ、は、はい!」

 

 煙灰に指摘されて、青年が手に持った石。先日に煙灰が諏訪に渡した石を差し出した。

 差し出されたそれを煙灰が手に取って眺めた。

 確かに自分が渡した物に相違なかった。あの神が下賜することは想定していたが自分に教えを乞いに来る人間がいたことが意外であった。

 

「諏訪にやれと言われたのか?」

 

 本人からの入れ知恵かと煙灰は問う。

 

「い、いえ、違います!」

 

 けれど青年の回答は否である。

 愉快気に瞳を細めた。

 

「ほぅ、ならどうしてだ?」

 

 問う。何故、どうしてと。

 

「もっと欲しかったから」

「もっと?」

「これはすごく良く切れた。だからこれがあればみんながもっと助かると思った。でも諏訪様はもうないと」

「だから教えろと」

 

 僅かに声を低くして言葉を返す。

 青年が生唾を飲んだ。緊張か恐れからか、顔には汗がにじんでいた。

 緊張のしすぎか、唇が白く血の気がない。

 しかし、青年は逃げ出さなかった。

 

「教えて、ください。貴方様なら作り方を知っていると諏訪様がおっしゃっていました。どうか、どうかお願いします」

 

 青年が這いつくばり教えを乞う。

 教えを授けて欲しいという姿に煙灰はふと昔を思い出した。

 

 

――あの餓鬼と違って物を頼む態度はできているな

 

 

 思い出すは(ねぐら)に一人で押しかけてきた騒がしい小娘。

 伏したまま動きをみせない青年に煙灰は愉快気な笑いをあげた。

 身体の芯まで響くその笑い声に青年は圧倒された。

 

「良いだろう」

 

 短い一言。けれどそれは青年の欲してやまなかったもの。その事に身体の底から歓喜に震えた。

 自分たちが崇めた奉る諏訪と一歩も引くことなく付き合う煙灰に物を頼むという事は青年にとって酷く恐ろしい物であった。

 諏訪に対しても自分たちは供物をささげ、日々の感謝をささげるだけである。

 要求など一度たりともしたことは無かった。

 たとえそれが超常の存在の気まぐれでも、時折もたらされる庇護や恵みは確かに自分たちの命を助けてくれた。

 何かを要求することで、気を変えられでもしたらそれだけで死ぬような自分たちが何かを欲すると言う事は考えられなかった。

 しかし、此度にもたらされた石は違った。

 決して届かない超常の物ではない。手を伸ばせば届くかもしれない。

 そう感じてしまう物であった。

 諏訪から渡された石を眺めて考えていると、耳元でささやかれたのだ。

 あの者なら作り方もしっておろう。そう耳元でささやかれた。

 故に、青年は煙灰に乞いに来たのだ。

 

「だが手取り足取りと丁寧に教えることなどせん。自分で学べ」

 

 煙灰がすくりと立ち上がる。

 煙管を一吹かし。風がすぐさま白煙を流してゆく。

 

「小僧、いつまで地べたで寝てるつもりだ。覚える気が無いなら構わんがな」

 

 すたすたと歩いてゆく煙灰。

 青年はすぐさま飛び起き、置いてかれまいと煙灰の後をついて行った。

 諏訪も面白い者を選んで渡した物だ、心の内に浮かんだ思いに口元を緩める。

 さて、筋が良いのか悪いのか。川辺を目指す煙灰の足取りは軽い。

 

 

 

 

 

「痛っ!」

 

 青年が額を抑え、声をあげた。

 視線の先には物を放った姿勢の煙灰がいる。

 

「これで切れる物なんざこの世にねぇ。手を抜くなドアホ」

 

 岩に座り、煙管を吹かす煙灰に青年が恨めしげな視線を送る。

 しかし煙灰はまるで意に介さない。それどころか顎でしゃくって早く次に取り掛かれと促す始末だ。

 青年が煙灰に教えを乞うてから二日が経った。

 煙灰は最初に一度だけ、青年の目の前で同じものを作って見せた。

 それからは青年に何も教えることなくひたすら作らせ、出来上がった物を評価している。

 

「これだって細い枝位なら……」

「あん?」

 

 口をとがらせて不満を口にしようとするも、一言でそれを押し込める。

 しゅんと項垂れつつも、不満を隠せていない青年に煙灰はため息を一つ。

 青年が呆れられたかと怯えるがそうではない。

 

 

――小娘の筋が良過ぎたのも問題だな。アレが基準では誰でも腐る、か……

 

 

 一度見せれば覚える様な特異な存在を経験している所為で、煙灰の中での要求が知らずに高くなっていたのだ。

 そしてその事を煙灰自身が今自覚したのだ。

 

「確かにそれくらいなら千切れるだろうさ。だがな、お前さんが求めているのはそうじゃないだろ。それくらいなら今までの石を割って作った物と変わるまい。違うか?」

 

 煙灰の言葉に青年ははっとして地面に落ちた石を見つめる。

 

「とはいえ俺も手を抜きすぎたな」

 

 どれ、と短く言葉を発して煙灰が岩の上から青年の立つ川辺に腰を下ろした。

 

「まずは小さく平たい石で作れ」

 

 手近に落ちている平べったい石を一つ手に取る。

 

「確かにこれから使う事を見越して手で持ちやすい物や、槍の穂先に使う用で大きめの物を選びたいお前さんの気持ちは分からんでもない。だが、まずは基本が出来ていないのだ。欲張るな」

 

 小さくもすでに平たいそれを青年に見せる。

 表面の平らで大きめの石に、川の水を手で梳くいかける。

 

「次に加水が少ない。擦れば熱を持つ。削ればカスが出る。乾いていると引っかかりやすい。水は熱をさまし、カスを流し、滑りを良くする。こまめに濡らせ」

 

 煙灰が石を研磨し始める。鬼の膂力で研磨される石はみるみる鋭さを増してゆく。

 少しずつ石を動かし、裏表を変え、均一になるよう、鋭くなるように研いでいく。

 

「手を抜くな、楽をするな。それは道具の出来を左右する」

 

 擦れる音が一定間隔で刻まれる。時折水を掬い、かける音が挟まれる。

 

「少なくともこれは、お前達の命を預けるものだろう。なら決して妥協するな。自分の命を安く見るな」

 

 そうだ。狩猟では死ぬことだってありうるのだ。青年は改めてそれを自覚させられた。

 半端な物を作るなと、煙灰の熱が伝わる。

 

「ただの石だと侮るな。これは生き物を殺せる武器だ」

 

 スッと青年に向けられた煙灰の視線。

 それはお前だって殺せるのだぞ。青年は煙灰の視線にそう言われた気がした。

 それから煙灰は言葉無く、研磨を続ける。

 しばらくすれば磨き上げたのか手を止めた。

 

「二度目の見本だ」

 

 軽く放られた石を青年は受け止める。

 研ぎ澄まされた石は歪みなく真っ直ぐで鋭い。

 指先に当てるだけで皮が薄く切れた。

 

「そこまでとは言わん。だが目指すことはやめるな。上を見るのをやめたらそこまでだ」

「……ありがとうございます」

 

 食い入る様に石を見つめた後、青年は礼を一言。

 

「さて、もう帰れ。日暮れだ」

 

 茜色に染まる空を見上げて終わりを告げる。

 

「最後の一回だけでも……」

「焦るな。それにいつだって出来る。今でないといけない理由は無い」

 

 青年の頭を煙灰が乱暴に撫でつけた。

 まるで抵抗できない力に青年の頭がぐわんぐわんと揺れる。

 目が回った青年がしりもちをつくと煙灰は楽しげに笑い、その場を後にした。

 青年は山へと消えていく煙灰の後ろ姿を、見えなくなるまで見つめていた。

 

 

 

 

 太陽がすっかりと姿を消し、月が我が物顔で中天を制していた。

 諏訪と煙灰は山中の大岩の近くで腰を落ち着けていた。

 煙灰が取り出したのか、意匠の凝った杯を手に二人は酒を酌み交わしていた。

 尽きることのない酒を生み出す瓢箪。

 湯水のごとく酒を飲む二人にとっては丁度良い逸品であろう。

 

「くぁ! 美味いねこいつぁ」

「かっかっか。当り前だ、命の水だぞ」

「なぁなぁ煙灰よ」

「駄目だ」

 

 撫でつける媚びた声の諏訪を煙灰がぴしゃりと撥ね付ける。

 まるで取り合わない態度に眉根を寄せて諏訪が口を開く。

 

「まだ何も言ってないじゃないか?」

「瓢箪はやらん」

「…………」

「ほれみたことか」

 

 したり顔で言われてしまえば諏訪に返す言葉は思いつかなかった。

 ふて腐れた事を隠す事無く顔に表し、杯を煽る。

 諏訪の態度に煙灰が快活に笑い、自らも杯を乾かす。

 新たな酒を注ごうと瓢箪に煙灰が手を伸ばすも、サッと諏訪が掻っ攫う。

 

「おい」

 

 煙灰が威圧して声を出す。

 鬼の酒を掠める何ざいい度胸だと。

 対する諏訪はクツクツと楽しげに笑い自らの杯に酒を注ぐ。

 

「固い事言うんじゃないよ。好きに呑めと杯と酒をだしたのはお前さんだろうに。私は好きに呑んでいるだけさ」

 

 悪びれることなくそう嘯く諏訪に煙灰が口をへの字に曲げた。

 確かに始めにそういって酒の席を作ったのは自分なのだから言い返す言葉は無い。

 だからといって酒を盗られてすごすごと引き下がっては鬼が廃る。

 

「まぁ、好きにしろ。今日で最後だからな」

 

 何でもない様に煙灰は告げた。

 目の前に差してある鹿の串焼きに手を伸ばしかぶりつく。

 供物として諏訪に献上された肉だ。酒を盗られたのだから遠慮なく食べても構うまいと腹に収めてゆく。

 それとは対照的に、諏訪は注いだ姿勢のまま固まっていた。

 

「おい、酒が零れてるぞ。いくらでも湧き出るからといって無駄にするな」

「あ、悪いね……じゃなくて最後ってどういう意味さ、煙灰!?」

 

 グイッと身体を乗り出して諏訪が問う。杯と瓢箪を持っていなければ胸倉を掴みあげかねない勢いだ。

 しかし煙灰は諏訪が近づいたのを良い事に、諏訪の持つ瓢箪を奪うと自らの杯に酒を注いでいく。

 

「もとより一時の逗留のつもりだったのだ。何時ふらりといなくなろうとかまうまい」

「煙灰はそうかもしれないけど私がかまう!!」

 

 納得できぬと顔にありありと書きながら諏訪が詰め寄る。

 出会いがしらに顔面を殴り飛ばした間柄であるというのに、随分と気安くなった物だと可笑しさがこみ上げて来た煙灰が笑いを漏らす。

 煙灰の胸中など知らない諏訪にとってはあしらわれた様で煙灰の反応は気にいらなかった。

 ますます眉間に皺が寄るが、諏訪が言葉を発するより先に煙灰が口を開いた。

 

「別段二度とここへは来ないというわけでもないさ。ただちょいと他も見て見たい、そう思ったのさ」

 

 手にした瓢箪を諏訪へと向ける。

 なみなみ注がれた手元の酒を一息で飲みきると、諏訪が空の杯を煙灰へと向ける。

 とくとくとく、と音を立てて酒が注がれる。

 あまりになんでもないように言ってのける煙灰に毒気を抜かれたのか諏訪も気を落ち着けた。

 

「ふぅん。そんなもんかい」

「そんなもんだ」

「あーあ、でも急に言うなよなー。寂しいじゃないか」

 

 あっけらかんと、まるで寂しさなど感じさせない口調で諏訪が告げる。

 欠片も寂しさを感じている様には聞こえないが、諏訪は確かに寂しさを覚えていた。

 初めて会った人外という同類。仲間。何もなくとも一緒にいて苦痛でなかった相手が急にいなくなる。

 想像すれば諏訪の心に感情が浮かんだ。

 

 

――なるほど、これが寂しいって気持ちかい

 

 

 自身の心の動きに諏訪が楽しげに笑いを漏らした。

 存外、自分たちの精神性もそう人間と変わらないところも有るのだと思うと可笑しくてたまらなかったのだ。

 

「次はいつ来るんだい?」

「さぁな、気が向いたらだ」

「随分と先になりそうな話だねぇ」

「酒でも作って待ってろ」

「ふふっ。それもいいかもしれないねぇ」

 

 諏訪の言葉を最後にしばらく無言が続く。

 パチパチと薪が音を立てている。近くを流れる川の水音。

 風のざわめき。虫の声。鳥の鳴く声。

 夜が二人をそっと包み込む。

 

 

 

 

 

「まぁ、殺しても死ななさそうだけれど達者でな」

「くかか、俺を追い詰めれる様な奴がいるなら見て見たいな」

 

 陽が山間から顔出し始めたころに諏訪が煙灰へ見送りの言葉を口にする。

 

「そいで?」

「あぁ、なんだ藪から棒に」

 

 頭の裏で手を組みながら見上げてくる諏訪に煙灰が眉をひそめた。

 問い返された諏訪がため息を一つ。

 

「腰を上げた理由さ。いつでもいいなら昨日言って今日出ていくなんて忙しなくする必要もないだろ。ちょっとしたもんでも理由、あるんでしょ?」

 

 自分の考えをまるで疑っていない諏訪にやれやれと言いたげに苦笑した。

 諏訪は煙灰の反応にほれ見た事かと口元をニヤリと歪めた。

 

「楽しくなる前にやめておくためだ」

「うん? 何が楽しくなるってんだい?」

「物を教えんのがだ。そのうちあれこれ教えてしまいそうでな」

 

 その言葉に諏訪も思い至る。

 ここ幾日の間、煙灰が面倒を見ていた青年の事をだ。

 

「それのどこがダメなのか私にはちょいと見当がつかないなぁ」

「物を教えることは悪かない。だがな、今はまだ何もかもが早すぎる」

「早すぎる?」

「あぁ。文化も文明も何もない。これから一つずつ作っていく。今を生きるあいつらがだ」

「ふむ」

「それなのに過去の幻想がそれにちゃちゃ入れんのは違うと俺は感じた。だからそうなる前に出ていくのさ」

「ふぅん……ま、いいさ。私は別段そんな事気にしやしないけれど、お前さんが気になるんなら仕方ない」

 

 陽が顔を出して輝きを失くした月を見上げながら煙灰は言った。

 諏訪も煙灰の様子に何かを感じたのか強くは止めなかった。

 ただ少し、寂しいと感じた。煙灰がいなくなる事にではない。

 過去の幻想。それが何を示すのかは具体的には分からない。

 けれどそれを聞き、煙灰の視線を追う様に月を見上げた時、胸の中に寂しさが満ちたのだ。

 煙灰と初めて出会った時と同じ正体不明の感情の動き。それはきっと自らの起源に由来するのかもしれない。

 諏訪はそう感じたが思いを霧散させるように小さく息を吐く。

 

「またきな、煙灰」

「次までに名を考えておけ」

「あー、うん、まぁ気が向いたらね」

「ものぐさめ」

「別段困りはしないからねぇ」

「かっかっか、確かにな」

「だろう? ふふ」

 

 何でもない事に笑いあう。諏訪にとっては煙灰と出会うまでにはあり得なかった出来事。

 煙灰にとっては酷く久しぶりに感じる出来事。

 それは二人にとって、かけがえのない時間であった。

 けれどどちらも未練に縋ってしまう性格ではない。

 またこれから先何度でも顔を突き合わせることもあるだろう。

 そう考える故に別れはあっさりとしたものだった。

 じゃあな。煙灰は最後に一言告げると振り返る事無く彼方へと消えて行った。

 諏訪も煙灰が歩き始めれば背を見送る事もせず、湖へと向かい歩み出す。

 特別なことなど何もなく、また明日とでも言いそうな程にあっさりと二人は別れた。

 そうしてまた二人は自らの日常へと戻っていく。

 去りゆく煙灰の足元にはいつの間にか三匹のお供が戻っていた。

 風で薄れていく雲のように、煙灰達の姿が地平に消えた。

 

 

 

 



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四振り目

短めです。


 

 

 

「久しぶりの自由はどうだった」

 

 諏訪の所へ厄介になっている間、自由にさせていた三匹に煙灰が問いかける。

 楽しかったとでも言う様にぴょこぴょこ狐が飛び跳ねた。

 ぼちぼちだったとでも言いたげに狸が安らいだ様子であくびを一つ。

 不満だったと示したいのか鴉が煙灰の肩に止まりたしたしと足踏みをする。

 

「そうか」

 

 それぞれの個性的な反応に煙灰がくつくつと喉を鳴らして笑った。

 そうしてまた一人と三匹の旅が始まった。

 また気が向くままに世界を歩く。西へ東へ、海越え山超え目的もなくふらつく。

 時に眺め、時に手助けし、時に教え。

 時に試し、時に与え、時に看取る

 多くの人が一瞬の交差の後、消えてゆく。

 だからといって煙灰が悲しさを感じることは無かった。

 それは自分を過去の存在だと思っているからか。はたまた、人間がそういうモノだと正しく認識しているからか。

 もしくはまた別な理由からか。本当の所を知っているのは煙灰ただ一人であろう。

 その煙灰が理由を口にすることが無いゆえに、誰もその胸中を知る事は叶わない。

 

「ふむ、またなりそこない」

 

 何処か感心したような呟きが漏れた。煙灰の見据える先には黒い靄の塊があった。

 人の子供程度の小さな靄。それが煙灰から逃げる様に離れていく。

 その様子に煙灰がくつくつと喉を鳴らして笑った。

 

「駄目だぞ」

 

 否を告げる言葉。告げられた言葉に三匹の獣が駆けだそうとした身体を止めた。

 少しだけ不服そうにぐぅぐぅと喉を鳴らす。

 やれやれと言いたげに苦笑しながらも、煙灰は楽しげだ。

 白色の煙管を一吸い。ふぅと煙を吐き出せば、妖力の籠った煙が三つ生み出される。

 

「大喰らいどもめ」

 

 言葉とは裏腹に浮かべられた表情は優しげであった。

 三匹も待ちきれないとばかりに妖力にかぶりつく。

 いまだ小さき姿のままであるが、身の内に秘めた妖力は随分と大きくなっていた。

 食事に夢中な三匹から視線を外し、煙灰は離れていく靄を眺めた。

 妖怪のなりそこない。煙灰は靄の事をそう呼ぶ。

 個として確立するための恐れが十分で無い為に不定形の存在となっている。

 時折、ちゃんと妖怪として確立した個体を見かけたが、そちらも煙灰に近づくことは無かった。

 強すぎる力が恐ろしかったのかもしれない。そう考えた煙灰は靄や妖怪に自ら近づくことは無かった。

 けれど三匹は違った。幾たびか靄を見かける機会があった。その内の一度、戯れか野生の性故かは分からぬが、靄を追いかけ噛み付いたことが有った。

 捕まえて煙灰の元へと持っていこうとしたのだろう。過去にも捉えた獲物や拾った物を煙灰の元へと持ってくることが有った。

 しかし、その時は違った。噛み付いた時、しばしその場で動きを止めた。そしてその直後に靄を喰らったのだ。

 個として確立してない靄は不安定な妖力ともいえる。普段から煙灰のそばでその妖力に浸る三匹には、靄は煙灰の妖力とは違った味わいの食事たりえたのだろう。

 その出来事より後、味を占めたのか三匹は靄を見つけるたびに狩ろうとする姿勢を見せた。

 煙灰としてはこれより先の未来で妖怪になるかもしれないその可能性を摘み取る事を勿体なく感じてしまった。

 だから、靄の代わりに三匹に妖力を直接与える様になったのだ。

 食事に勤しむ三匹を意識の端に見つめながら煙灰はふとある事を思い浮かべた。

 

「核となる妖力が潤沢であればあるいは……ふむ」

 

 食べ終わった三匹が煙灰を見上げた。

 いくぞ。そう一言煙灰が言葉を落とし、歩を進めた。

 三匹が迷いなく進む煙灰についてゆく。

 風の向くままと旅をしてきた煙灰にしては珍しく、その足はどこかを目指していた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 日が昇り、月が降り。幾ばくかの時が流れた。

 煙灰の眼前には茜色に染まった山々が映り込む。

 進む足元には落葉した色鮮やかな葉が敷き詰められていた。

 ヒトも獣も通った後の無い道なき道を煙灰とお供は進む。

 迷いなく歩む煙灰の口元には軽い笑みが浮かんでいた。

 景色が前から後ろへと流れていく。どこもかしこも同じに見える景色の中でたどり着く先は

 

「あぁ……やはり」

 

 かかかっ、と愉しげに鬼が嗤った。

 瞳には強い光が宿っている。

 根拠のない確信をもとに煙灰が目的地、長き時を過ごした(ねぐら)であった洞窟へと足を踏み入れた。

 人を見つけて後にしてから一度も戻る事の無かった地。

 お供達は煙灰の雰囲気に何かしらを察したのか、連れたって中へ入る事はせずに洞窟から距離を取る為に森へと姿を消した。

 

「喰らったか」

 

 歓喜の籠った言葉。

 

「この地に染みついた妖力を」

 

 堪えきれないとばかりに歩みが加速した。

 

「全て平らげたのか」

 

 そしてたどり着く。

 作られていた洞窟内の広がった空間。

 永きを過ごし、道具を作り出していた懐かしき塒。

 

「あん? 客が来るなんて珍しいねぇ」

「そうさねぇ」

 

 しかし、見慣れたはずの中に見慣れない異物が二つ。

 

「くかかっ」

 

 堪えきれぬとばかりに煙灰の笑みが深まった。

 それはある種、凄惨な笑顔とも言える凄みがあった。

 

「これはまた……」

「くはっ、面白そうな客だ。そうは思わないかい――」

 

 洞内でだらける様に身を伏していた異物が身体を起こした。

 堂々とした立ち振る舞い。傲慢不遜とも言い換えられる程にふてぶてしい態度。

 

「――勇義」

「だねぇ、萃香」

 

 立ち上がった異物の内の一人は、二本の角を持つ小柄な少女の鬼、萃香。

 もう一人は一本角の背丈の高い女性の鬼、勇義。

 二匹の鬼に向かい合うは、一匹の灰色の鬼。

 

「鬼……鬼か……くかかっ、面白い、面白いな」

 

 怯え一つみせない。あまつさえ、力の底を見極めようとする視線を寄越す二匹の鬼。

 漏れ出る妖力は酷く懐かしさを覚えた。現在(いま)とは違う過去を思い起こさせる懐かしい妖力。

 明らかに今の世代とは違う妖力を放つ鬼達に煙灰は自身を抑えきれなかった。

 

「試してやる」

 

 発された言葉は短い物。

 されど誤解のしようがないほどに明瞭な内容。

 くいくいっと、手をこまねく。

 

「来い」

 

 言葉を紡いだ次の瞬間、煙灰の身体が洞外へと吹き飛んだ。

 

「あっちゃぁ、死んだかねこりゃ」

 

 小柄な鬼、萃香が期待が外れたと言いたげに頭を掻きながら、殴り飛ばした勇義へと声をかけた。

 殴り飛ばした勇義の方はというと振り切った拳をじっと眺めていた。

 

「勇義、どうかしたのか?」

 

 萃香の知る勇義らしくない反応に、問い掛ける言葉が発された。

 視線を拳から外した勇義は破顔して応えた。

 

「ありゃ化け物だ、萃香。信じられ――」

 

 勇義の言葉が言い切られる前に二人はそれを感知した。

 ゾッとするほどの妖力の高ぶり。すぐさまそれは収まったがあからさまな挑発であった。

 自らと相方の妖力を足し合わせてなお比較にさえならない程の馬鹿げた妖力。

 それはまだ健在であると。これを感じて向かってくる気概はあるかと。雄弁に語っていた。

 つぅっと冷や汗が頬を伝った。生まれ出でてより、初めて感じた自身よりも圧倒的な強者の気配。

 それに対して二人は

 

「くくくっ」

「あっはっは」

 

 獰猛に嗤った。

 

「ここで引いちゃあ」

「鬼が廃るさね」

 

 新たに生れ落ちた鬼達と、最古の鬼との邂逅。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 勇義に殴り飛ばされた煙灰は大地に身体を預け、空を見上げていた。

 

「くくくっ」

 

 押し殺せない愉快さが笑いとなって口から漏れ出た。

 笑うたびに震える腹から感じられる痺れが酷く心地よかった。

 殴りつけられた腹からは芯より響く痺れを感じた。

 一体いつ以来だろうか。一体どれほどぶりに感じた痛みだろうか。

 思い出せぬほどに忘れていた刺激に最古の幻想(バケモノ)は嗤う。

 

「あぁ、良い。良いぞ。お前達は真に――」

 

 寝かせていた身体が起き上がった。

 平時と変わらぬ動き。殴られた事による後遺症を欠片も感じさせない。

 爛々した輝きが瞳には宿っていた。

 

「鬼だ」

 

 言葉と同時に煙灰は妖力を解き放つ。

 その身に宿る力を誇示した。

 立ち昇る妖力によって煙灰の周囲の景色が歪む。

 密度を高めた妖力が存在感を増す。

 空間が圧に耐え切れずに軋むような音を出す。

 どろりとした粘つく程の濃さを持つ妖力。

 立っている足元を中心に亀裂が走る。

 液体とさえ言えるほどに高密度化した妖力を纏う。

 

「さぁ、愉しもうか」

 

 誘いは十分と撒き散らした力を収める。

 歪んだ景色が、軋んだ空間がもとに戻る。

 構えは無く、自然体のままに悠然と立つ。

 見据える先は先ほど追い出された洞窟の出入り口。

 

「それでこそだ」

 

 誰にも届かない小さなつぶやき。

 洞内の暗がりより二匹の鬼が姿を見せた。

 怯えは無く、媚びるような卑屈さもない。

 あるのは絶対的な自信。自らの力を欠片も疑わない強固な精神性。

 煙灰はその姿に眠りし仲間たちを幻視した。

 二人の中に確かな鬼を見た。

 

「んで、人様の縄張りへ土足で踏み込んだんだ。高くつくよ」

 

 萃香が身体のコリを解しながら煙灰へ鋭い視線を送った。

 

「まぁ、同族みたいだからほどほどですましてやるよ」

「くかかっ」

「何が可笑しいってんだい?」

 

 笑う煙灰に勇義が問いかける。

 上から見下ろすような感じを受ける煙灰の視線に不快感を感じている為か、発された声は険しかった。

 

「鬼を見たのが懐かしくて、ついな」

「へぇ、他にもいるんだ。私らみたいなのが」

 

 仲間がいる。そう聞かされて興味を引かれた。

 互い以外にまともな人外を見た記憶が二人にはほとんど無かった。

 時折見てもまだまだ生まれたてなのか、脆弱であったり、形にさえならない靄であった。

 そんな中であるのに自分達の様なのが他にもいる。

 その事実は好奇心を刺激される事柄であった。

 

「何処にいるんだい?」

「探した所で会えはせん」

「ん? なんでだい」

「今はこの地には存在しないからだ」

 

 心惹かれる事実であるのに、煙灰からの答えは期待を裏切る物。

 上げて落とされる感覚に萃香と勇義は眉をひそめた。

 

「何だってもういないんだい?」

「人に敗れたからだ」

 

 問いに対する答えは簡素な物であった。

 しかし、彼女らにはそれで十分であったのだろう。

 先ほどまでの不機嫌さは消え去り、笑みが浮かんでいた。

 その笑顔は見る者によっては酷く不安を、恐怖をかき立てられる物であった。

 しかし、それでも浮かべられた表情は笑顔に相違なかった。

 二人の反応に煙灰の中では形にならない感情がこみ上げてきた。

 歓喜であり、感動であり、愉快さであり、悲しさであり、不安であり、安堵であった。

 他にも数多の想いが混ざり合うが、そのすべてを煙灰自身でさえも把握しきれなかった。

 けれども確かに充足感を感じていた。それは胸が一杯になるほどに。

 

 

――あぁ、やはり彼女等は鬼だ

 

 

 人を好むその性質は時代を経ても変わらぬものだと口元が緩む。

 どこまで行っても鬼は鬼。その事に呆れを懐く。

 けれどそれが嫌いではなかった。

 

「その人間はどこに?」

「知りたいか?」

「あぁ、知りたいね」

 

 勇義が問いかけた。何処だと。

 感情が高ぶっていることが妖力を、身体に込められた力を通して手に取る様に煙灰には解った。

 その高ぶりは勇義の隣にいる萃香も同様であった。

 射抜くような視線が煙灰へと向けられた。

 それに対して煙灰は開戦の言葉を告げた。

 

「知りたきゃ聞き出してみろ――」

 

 煙灰の瞳に剣呑さが宿る。

 口元が喜悦に歪む。

 

「――鬼だろ」 

 

 もはや、言葉は不要。

 大地が割れ、雲が裂け、山が消えて、湖が生まれる。

 怪物たちの狂宴は一昼夜続いた。

 そしてそれを知る者は当事者達と離れて見守っていた三匹以外には誰もいない。

 

 

 

 

 



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五振り目

長らくお待たせしました。
次話は今月中に出します。
以後、月一更新を維持できるよう頑張ります。


 

 

 カッ、カッ、と硬質な音が辺りに響く。ゆらりゆらりと燃える炎のそばで煙灰は槌と彫刻用の刃物を手にしていた。槌を振い、少しずつ紋様を彫り込んでいく。

 一瞬たりとも手元から離れない視線が煙灰の没頭具合を雄弁に物語っていた。

 いつもは周囲を賑やかす獣達の姿も見えない。一体どれほどの間、作業していたのか。陽の動きの見えない洞窟内ではそれも判然としない。

 

「………ぅ」

 

 作業音と、時折混ざる薪の弾ける音以外の音が混ざった。されど自分の世界に入り込んでいる煙灰は気づいていないのか、ピクリとも反応を示さない。

 

「…い…う」

 

 先ほどよりも音が大きくなった。それは声であった。声に付随するように足音も混ざる。

 どうやら声の主は煙灰に近づいてきているらしい。しかし、それでも煙灰の様子に変化は見られなかった。

 カッ、カッ、と一定の間隔で槌を振っている。その間も近づいて来ていた声の主の姿が、焚かれた火に照らされた。

 額の中心に一本の角。身体から漏れる妖気。鬼。紛うことなく鬼であった。その鬼は作業に没頭する煙灰を見やると呆れを含んだ溜息を吐き出す。

 

「大将! 呼び掛けているんだから返事くらいしておくれよ」

 

 吐き出された呼びかけは呆れ具合に比例し、大きな声量であった。離れた焚き火が僅かに揺られる程度の規模。

 

「俺が槌を振っている時にぎゃあぎゃあ喚くなって何べん言やぁ、分かんだ勇義。言ってもわかんねぇ馬鹿は塊清一人で十分だってんだ」

 

 ようやく反応を見せた煙灰。槌を振う手を止めて視線を一角の鬼、勇義へと向けた。

 煙灰の態度がお気に召したのか、勇義がニヤリと口角を釣り上げた。

 

「大将が一遍で返事をくれりゃ誰もぎゃあぎゃあ喚かないっていつも言ってるじゃないか」

 

 肩を竦めながら勇義が返事をする。しかし、楽しそうな声と表情が勇義の心中を表していた。

 煙灰は面倒臭そうに一度息を吐くと腰に差している黒い煙管に手を伸ばす。煙管の先端の火皿に懐から取り出した丸めた煙草を詰めながら口を開く。

 

「どうせ何言ったって素直に聞く何ざ思っちゃいねぇが、その大将ってのだけはやめろ。気持ち悪くて背筋が寒くなる」

「まぁ、何言われたって私も萃香も好きなようにするから確かに意味は無いかもしれないねぇ。それは呼び方だって同じさ」

 

 勇義の返答を聞きながら吸っていた煙を吐き出す。

 

「他は最悪諦めてやるが、その呼び方だけは許容できねぇ」

「何だってそんなに嫌がるのさ。私らより強いアンタを大将って呼ぶのがそんなに不満かい?」

「不満なんじゃねぇ、許容できねぇんだ。理由何ざ腐るほどあるが強いてあげるとすりゃ二つだ。まず、俺は大将なんてがらじゃねぇ。次に、俺は今のお前ら(世代)とは違う。お前らはお前らの中で大将なりなんなりを決めろ」

 

――それに、こいつ等を皆殺しにした俺がどの面さげて大将張るってんだよ

 

 内心にこみ上げる苦い感情を噛みしめながら指で撫でる。数多の同胞達の魂が今だ眠る煙管を。

 

「はぁ……ったくしょうがないおヒトだねぇ」

 

 煙灰から何かしらを感じ取ったのか、勇義は居心地悪そうに少しだけ視線を彷徨わせた。

 さて、それでは何と呼ぼうかと勇義は思案を始める。そしてパッと浮かんだものを提案してみる。

 

「んじゃ、無難に旦那って呼ばせてもらうさ。それなら問題ないだろう?」

「あぁ、そいつなら文句はないさ」

 

 納得を示した煙灰に、勇義はよしよしと頷いた。そして、煙灰の対面に陣取り、腰を落とす。

 

「それじゃあ改めて旦那」

 

 勇義が不意に楽しげな表情を引き締める。

 

「一献やろうじゃないか」

 

 くいっと猪口を傾げる仕草。

 

「またか」

「まただ」

 

 呆れた声色の煙灰の呟きに、にぃっと笑った勇義が間髪入れず言葉を返す。

 

「萃香は良いのか?」

 

 無駄だと知りながらも煙灰は言うだけ言ってみた。言外にのけ者にされたと騒ぎ出しそうな萃香がいないのに始めるのかと。

 

「萃香は賭けに負けたからつまみの確保にいってるだけですぐ来るさ。今頃その辺で食いでが有りそうな獣でも捕まえているんじゃないかな?」

「あぁ、まったく。鬼ってのがどうしようもねぇのは昔も今も変わらねぇな」

 

 事あるごとに馬鹿騒ぎする昔の仲間を思いながら煙灰はひとりごちた。

 煙灰のぼやきに不満を示す為か、手の中の煙管が小さく脈動した。

 勇義はそれに気が付く事無く、煙灰に向けて手を伸ばす。

 その姿に煙灰はいつかの日の友人を思い出し、口角が僅かに持ち上がった。

 しょうがねぇ奴だと言葉を落すと、杯を取りに行くために腰を上げた。

 焚き火から離れていく煙灰の背を目で追いながら勇義は逡巡する。

 多くを語らない煙灰に問いを投げかけて良い物かと。

 幾月の時が過ぎていた。圧倒的な地力の違いを前に、初めての敗北を味わったその日から。

 

 

 

 立ち上がる体力さえ湧かぬほどに全力で立ち向かってなお、悠然としていた煙灰の姿には一種の清々しささえ覚えた。

 自分達を見下ろしていた煙灰の表情が至極満足そうだった事も清々しい気持ちを懐いた理由の一端だったのだろう。目の前の怪物に認められたみたいで胸が高鳴った。

 戦闘の意思が二人から無くなった事を察した煙灰は、更地となっている地面に腰を下ろすと告げた。

 

――気力が戻ったら好きなだけ呑め

 

 空に浮く雲から落ちてきた枡と杯、腰の瓢箪を外して並べた。

 煙灰が瓢箪の栓を外すと酒の香りが漏れ出る。そしてその香りは風に乗り、地に倒れ伏す二人にも届けられた。

 現金なもので、目の前に酒が現れると二人の鬼はゆっくりながら身体を動かし始めた。

 指一本動かす事すら億劫であるというのに酒の力とは斯くも偉大であった。もしくは、鬼の酒好きの度合いとは限界を超えさせるほどの物であったのか。

 そのどちらにせよ、のっそりと、されど確実に近づいてくる二人の鬼に煙灰はさらに笑みを深めた。

 枡と杯に酒を注ぎ、瓢箪の栓は開けたままにされた。煙灰は枡を手に取り、二人を待つ。

 たまたま手近にあった杯を勇義が、瓢箪を萃香が手にした。誰ともなく、それぞれが手に持った物を近づけて軽く当てた。カンと小気味いい音が響く。

 暴れに暴れて乾いていた喉をぐいっと呷った酒が通り抜ける。火照った身体を冷ます心地よさ。喉を通り抜ける灼熱感。鼻腔を通り抜ける香り。全てが心地よかった。

 そして、なによりも美味かった。生涯この味を忘れることは無い。勇義と萃香は漠然とそう思った。

 一息に杯の酒を勇義は呑みきる。飲み干してしまえば、先ほどまでの充足感は途端に消え去ってしまった。呑み足りないと勇義は煙灰へと視線を向ける。

 煙灰は楽しげに笑い声を漏らすと、萃香を示す様に顎をしゃくった。

 

――あの瓢からはいくらでも湧くから好きなだけ飲むといい

 

 言われてみれば、確かに瓢箪から出た酒の量はおかしかった。杯と枡、二つを合わせた許容量は瓢箪に入るであろう許容量を超えていた。

 最初に言ってくれれば瓢箪を取ったのに、と勇義は不満げに口を少しだけとがらせて文句をこぼす。

 煙灰は勇義の文句に対しからからと笑い酒を飲む。勇義は言っても無駄かと悟り、萃香に杯を差し出す。しかし、萃香は気が付くことなく、酒を飲み続けている。

 一人、心行くまで酒を楽しむ萃香に対して勇義は少しだけ腹立たしい思いを懐き、心のままに萃香を小突く。

 小突かれた萃香は萃香で、折角の楽しい時間を邪魔されたと勇義に不満を漏らす。売り言葉に買い言葉。まるでそれを体現するように二人はやんややんやと賑やかさを増していく。

 少し前は動くのすら億劫そうだったのにその名残は見当たらなかった。けれど、取り合いは本気の喧嘩ではなく、じゃれ合いと言える程度には収まっていた。

 煙灰は二人のやり取りに懐かしいモノを見る様に瞳を細めた。くつくつと笑いをかみ殺しながら、何でもない様にまた一つ火種を投げ入れる。

 曰く、杯は酒の美味さを格段にあげる物であると。

 煙灰の投げ入れた言葉に二人が一瞬止まるが、また次の瞬間動き出した。

 二人の織り成す喧騒は止まる前よりも激しい物であったが、煙灰は楽しそうに笑い、酒を飲むだけであった。

 

 

 

 初めての邂逅。その後のぐだぐだな酒宴。言ってしまえば真面目な話をする機会を逃してしまい、なんとなく聞けずにいた。

 大層なことなど何もない。けれども今更改まって色々聞くのも何とはなしに聞きにくい。

 それに別段知らずとも困る訳でもない。それゆえの逡巡。

 付け加えるなら、初めてであった時に問い掛けた鬼を討ち破った人間の話。

 聞き出してみろと言われ、鬼らしく力に訴え破れた。それも理由の一端だ。

 煙灰について色々聞けば、その人間の話も出てくると確信している。だからこそ、約定を破るようで聞きにくい。

 思案に耽って、煙灰が戻ってきた事に気が付いていなかった勇義に声がかけられる。 

 

「歯に物が詰まったみたいな顔しやがってどうしたんだ? 困ってんなら聞いてやるぞ」

 

 勇義のもやもやとした心情が顔に出ていた故の言葉であろう。

 バツが悪そうに勇義が頭を掻く。

 

――賭けに負けておくんだったなぁ

 

 しゃっきりとしていない表情を見られたことが少しだけ気恥ずかしく感じられた。

 勇義の様子に言いにくい話かと思った煙灰は杯を投げ渡し、瓢箪を差し出す。

 条件反射的に受け取った杯を勇義は差し出した。とくとくと音を立てながら注がれる酒。

 

「まぁ、言いたくなきゃ言わんでいいさ」

 

 煙灰は一言口にすると自らの枡にも酒を注ぐ。

 何をうだうだしているんだかと漏れだそうとしたため息を勇義は呑み込む。

 もとよりあれこれ考えるのは自分の気質に合わないと勇義は先ほどまでの逡巡を投げ捨てた。

 

「いやさ、考えてみれば私ら、旦那の事をほとんど何も知らないなぁと思って。別段困りはしないけど、大将って呼ばれるのを嫌がったりとかしているのを見ると、ちょいと気になったって話さ」

「それにあの時話題に出た人間の話も気になるしさぁ」

「萃香! いつの間に」

 

 勇義の言葉を引き継ぐように萃香の声がした。直後、勇義の隣に霧が集まり萃香が姿を現した。ついでとばかりに、焚き火の横にも霧が集まり事切れた猪が出現する。

 

「というか、負けたんだから人間の話は聞くのは駄目だろ」

「あん時、旦那は聞き出せって言っただけで、力ずくで何て一言も言っちゃいなかったじゃないか? なら普通に聞いたって何の問題もない。そうだろ、旦那?」

 

 そうだったかな、と記憶を探っている勇義を尻目に萃香が煙灰へ問い掛ける。

 煙灰は萃香の言葉にその通りであると、肯定の言葉を返しながら内心で笑う。

 旦那と呼びかけてくる。その事は随分と前から萃香がここにいたと言外に示していた。

 それを解ったうえで。否、煙灰だけに解らせる為に迂遠に匂わす萃香は鬼としては少しひねくれている様だ。

 勇義には意識がそれる様に、自然と記憶を探る必要のある話題を振る当たり良い性格をしていた。

 実直な勇義と、ひねくれ者の萃香。その取り合わせが何となしに自分達を思い起こさせる。

 それが輪をかけて煙灰には愉快であった。

 

「面白い話でもないが少しくらい昔話をしてやるか」

 

 郷愁の念を刺激されたか、酒が口を軽くしたのか。もしくはその両方か。

 煙灰は現代の鬼に、遥かなる幻想の話を語り始めた。

 

 

 




少し宣伝をさせて頂きます。
5/6の博麗神社例大祭にて、ゲスト寄稿という形で参加しております。
参加させて頂くサークルは、「ヒヨリミ」(た14-b)となります。
主催の方は私の二次創作の切っ掛けとなった方であり、とても素敵な作品を書かれます。
もしよろしければ、立ち寄ってみてください。
それでは、また次話で。


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六振り目

ぎりぎりセーフ?
駆け込みで書いたので週末に修正するかもです。
その場合は言葉尻や言い回し程度ですので話の流れは変わりません。


 

 

 

 かさかさと草を踏みしめる。風に乗った青葉の香りは清々しさを煙灰にもたらす。

 葉の隙間から漏れる光を受けながら煙灰は山道を歩いていた。

 煙灰の周りにはいつもの如く、三匹の獣が共をしている。

 

「さてさて」

 

 短い呟き。手の内の物を指先で軽く撫でながら煙灰は思案を巡らせる。

 なんてことは無いただの鉱物。特別なことなど何もない不純物交じりのそれ。

 けれども平凡な鉱物を手で弄ぶ煙灰は実に楽しげな雰囲気を発していた。

 もともと何かを作るには材料が必要だ。それは金属であり、土であり、そしてそれ以外にも多くの物がある。

 物作りがもはや人生の一部とも言える煙灰にとって、材料集めもまた物作りと同じくらい身近な物であった。

 材料を集め、作るものを思案し、作り出す。雑念が混じらないその時間が煙灰は好きであった。

 何を作ろうかと楽しげに思案に耽る。それは三匹から見ても何も変わらない普段の光景。

 これまでもずっと繰り返してきた特別なことなどない特別な日常。

 

 

 

 

 

 近づく塒。足元の狐が不満げに鼻を鳴らした。

 鳴き声に煙灰の意識が引かれる。すんと小さく鼻を鳴らせばお供の一人が不満そうな理由を察した。

 

「まったく、彼奴らときたら……」

 

 言葉の続きは消え、ため息が後を引き継いだ。

 呆れ気味でいて少しだけ嬉しそうな声色。

 その機微を感じ取った鴉が、狐の反応は無粋とでも言いたげに煙灰の肩から降りてくちばしで突く。

 狐は狐で鴉へとやり返す。狸だけは少し離れて静観していた。

 いつものじゃれ合いにまた小さな笑いを一つ漏らす。

 しかし、いつまでも突っ立っていても仕方ないと煙灰は喧騒を尻目に歩みを再開した。

 気づいた狸はじゃれあう二匹の顔に尻尾をぺしんと一度当てると煙灰を追う。

 低く喉を鳴らした狐と翼を広げた鴉も一人と一匹が先に進んでいるのに気が付くと慌てて後を追いかけた。

 

「よくもまぁこれだけ振りまいたものだな」

 

 塒の入り口に足を踏み入れた煙灰がぼやく。

 それは当たりに漂う酒気に対して。進むほどに濃くなっていく酒精の香り。

 かつかつという煙灰の足音と、獣たちの小さな足音だけが木霊する。

 それ以外の音は無く、行く先はしんと静まり返っている。

 

「仕方のない奴らだ」

 

 先に進む煙灰の視界に映る二つの置物。萃香と勇義。

 やや不規則な寝息であるが、幸せそうな顔をさらして眠りこけていた。

 萃香の脇に倒れている栓の開けられた瓢箪からは途切れることなく地面へと酌がされている。

 塒内に充満している匂いの原因はどうにもそれらしい。

 だらしのないその姿に煙灰は溜息を吐く。萃香に近づき、瓢箪の栓を閉める。

 

「地面に酒を吸わせる何ざこの贅沢物め」

 

 お小言一つと共に萃香の頭を軽く小突いた。

 しかし、萃香は目をあける事もなく、寝心地悪そうにうめき声を短く上げるだけ。

 くつくつと喉の奥で押し殺した笑いが煙灰から漏れる。

 萃香と勇義の頭を一度乱暴に撫でつける。

 やはり二人からは寝苦しそうな呻きのみ。

 けれども煙灰はその反応に満足すると、二人をその場にまた少し奥へと進む。

 自身の作業場で騒がない位の分別のあった二人が愉快であり好ましかった。

 

 

 

 

 

 

 火のつけられた炉の前で煙灰は熱されていく鉱物を見つめる。

 手元にはそれとはまた別の材料類。

 煙管を吹かし、赤熱していく鉱物を見つめた。

 作る物は決めたと頭の中で工程を描いていく。

 口元から煙管を離した時に、腕の鎖がじゃらりと音を奏でる。

 その音に反応して煙灰は小さく笑う。

 煙管を持たぬ指先で鎖の輪の一つをもてあそぶ。

 作る物は鎖。自分のつけているそれと同じ物。

 製作理由など単純明快。ただあの二人が欲しがったから。

 それだけだ。けれども煙灰にとってはそれで十分すぎるほどの理由であった。

 前にこれが欲しいなどと明確に言われた事などすぐには思い出せない位の遠い記憶。

 そして今回それを口にした相手は同じ鬼であり、後輩の様な存在。

 それを無下にしてしまう程、今の煙灰は無粋ではなかった。

 目を覚ました二人に渡した時の反応を想像し、煙灰は再び笑みをこぼした。

 

「ん? あぁ、気の利く奴め」

 

 袖を引かれる感触に、視線を落せば狐が炉の中を鼻先で示していた。

 見れば十分に赤熱され溶解を始めた様子が見て取れた。

 気の利く狐へ感謝の一撫でをして、煙灰は赤く染まったそれを取り出す。

 心地よさげに狐が喉を鳴らせば他の二匹が少しだけ不満そうに低く鳴いた。

 

「さて、お前達」

 

 離れていろ、と続けるまでもなく少しだけ離れた獣達に煙灰はまた一笑い。

 ふっと小さく笑う。液状になった部分を炉から器へ移し再度冷却をする。

 そして煙灰は槌を握った。大昔から使っている槌を握ると気持ちが引き締まった。

 先ほどまでの楽しげに浮かれていた感情の波がすっと引く。

 爛々と燃える炎を照らす瞳は真剣さだけを宿していた。

 槌が振るわれる。何千、何万そんな数では利かない程に振るわれた槌。

 見る者によっては犯しがたい神秘を感じ取れる光景。

 

 

――カン

 

 

 甲高い音が辺りに木霊した。

 硬質な物同士がぶつかり合う音。

 しかし、すぐに違和感が現れた。

 続かない。次の音が奏でられない。

 時が止まったように煙灰の動きが停止している。

 唯一の観客である獣達は互いに顔を見合わせた。

 反応の無い煙灰にじりじりと警戒しながら近づく。

 危ないと叱られるかもしれない。心の片隅に小さな恐怖を宿しながらも心配が勝った。

 もう少しで煙灰の顔が見える。そこまで獣たちが近づいた時に煙灰が不意に立ち上がった。

 

「少し出かける」

 

 ぽつり。

 その一言だけを口にすると煙灰は足早に外へと去っていった。

 残された獣たちは顔を見合わせるとすぐさまおいて行かれまいと煙灰を追った。

 後に残るは揺らめく炎と鈍く光る金属。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 匂いを手掛かりに三匹は野山を駆けた。

 僅かな時間の後に煙灰を見つける。

 そして同時にソレも視界に入った。

 煙灰に付き従い永き生きた自分達も初めて見た光景。

 

「馬鹿げている……こんなモノは馬鹿げている……」

 

 唖然とした声が聞こえた。

 その煙灰らしくもない声に無償に不安をかき立てられた。

 

「く、くく……くははは、何なのだこれは……なんだというのだ」

 

 どこか投げやりにも感じる声色。呆れと度を過ぎた驚きがもはや笑いになっている有様。

 

「海が割れた」

 

 海が割れる。言葉の通り。

 たとえ話でもなんでもなく文字通り海が割れていた。

 水平線の彼方まで海が真っ二つに割れていた。もしくは水平線の先までも。

 仕切りなどなく、神力も妖力も、ましては霊力も辺りからは感じられない。

 ただそうである。そういうモノであるとでも言いたげにただただ海は割れていた。

 

「ただの一言で」

 

 割れているのに海は何事もなく穏やかであった。

 生命は満ち、海鳥がなく。

 割れていること以外何一つ異常がない。

 

「ただの一振りで」

 

 だらりと下げられた煙灰の手には槌が握られていた。

 見慣れた槌。煙灰が振い続けた槌。

 

「願えばかなう槌だと?」

 

 声が震えていた。

 

「馬鹿げている」

 

 怒りだ。

 

「馬鹿にしている!」

 

 矜持を傷つけられ怒りに震える鬼がいた。

 

「ふざけるな!!」

 

 吐き出された怒声に空気が、海が震えた。

 魚は去り、鳥が飛び立つ。

 

「くっ」

 

 持ち上げられた拳が振り下ろされることは無かった。

 大きく息をすい、ゆっくりと吐き出す。

 煙灰から発されていた怒気が霧散してく。

 

「物に罪は無い」

 

 言い聞かせる様な呟き。

 それを最後に完全に怒りの気配が無くなった。

 

「だが、だからといってどうしたものか」

 

 割れた海を前に煙灰は槌をもてあそぶ。

 

「追って来たか。律儀な奴らめ」

 

 煙灰は振り返り、背後の茂みに言葉を投げかけた。

 かさりと草木の当たる音がする。

 どことなく肩を落とし気味な三匹が姿をみせた。

 その姿に煙灰は苦笑いを浮かべる。

 煙灰が詫びと感謝の言葉をかけようと口を開く直前に音がした。

 べきべきと力ずくで木をへし折った様な音。

 ぴきぴきと張った氷に割れが広がる様な音。

 

「なんだ!?」

 

 悪寒が走った。

 今まで感じたことない程の嫌な予感に煙灰の警戒はいやがおうにも高まった。

 周囲を見渡した煙灰の目に割れた空間が映る。

 地面や後ろの何かに割れ目があるのではなく、何もない空中に亀裂が走っていた。

 音と共にそれはどんどんと広がっていく。

 警鐘が鳴りやまない。しかし、対処法がすぐには出てこない。

 その間にもどんどんと亀裂は広がっていった。

 そして、その時が訪れた。

 ざぱんという水音と共に海がもとに戻ろうとする。

 左右に別れた水が、割れた間に入り込み飛沫が上がった。

 

「逃げろ!」

 

 もはや猶予は無いと煙灰は直感した。

 三匹に向かって叫びを上げるもそれはすでに遅い。

 亀裂がその口をあけた。

 向こう側などかけらも見通せない黒。

 何処につながっているのか。どこにもつながっていないのか。

 何も解らない。ただただ黒の広がった裂け目。

 

「ぐぅうっ」

 

 一瞬の空白の後、暴風が吹き荒れた。

 裂け目に向け、周囲の全てが等しく、吸い寄せられていく。

 引かれる力に煙灰は反射的に足を地面へ刺す事で耐えた。

 獣たちも近くの枝に捕まるも、それは僅かな時間を与えただけであった。

 三匹が三匹とも、最も自らに近い裂け目へと姿を消した。

 後を追おうと考えるも、別々の裂け目が同じ場所へとつながっている保証の無い事実が行動を鈍らせる。

 先がある保証もない。それがまた煙灰の足を重くした。

 腰に差した黒い煙管を指先で撫でた。軽率に危険に身をさらす事が仲間たちへの裏切りであると感じた。

 

 

――許せ

 

 

 獣達へ煙灰は言葉にならない謝罪をする。

 せめてと指を振う。頭上の雲がするすると落ちてきた。

 それら無差別に空いた周囲の裂け目へと吸い込まれていく。

 それは三匹が消えた裂け目も同様である。

 雲に、煙に隠された道具が裂け目に呑まれ見る見る量を減らしていく。

 煙雲に入れ持ち運んでいた物が全てなくなった。後は塒に放り込まれているものくらいであろう。

 しかし、裂け目から発される圧力は一向に弱まらない。

 それどころか、強まる一方であった。

 

「まずいな」

 

 煙灰は、身体を固定している地面が動き始めた事に気が付く。

 どうせ呑まれるくらいならと煙灰は煙管を咥えた。

 妖力が高まっていく。煙灰の周囲の空間が陽炎の様にゆらめいた。

 一か八か力づくで突破しようと、力を溜めていく。

 

 

――それはオモシロクない

 

 

 そんな声が聞こえた気がした。

 直後、ぐんと引かれる力が強くなると同時に、自らの妖力まで吸い込まれ始めた。

 際限なく四方から力を吸われる状況はもはや一刻の猶予もない事を理解するには十分すぎた。

 飛び出ようと足に力を込めるが、蹴り出す前に足元が爆ぜる。

 痛みなど感じない。傷もつくような規模の威力もない。

 だが足場を奪うには十分すぎる破壊。

 一瞬の浮遊感の後、煙灰は裂け目の先へと姿を消した。

 後には何も残らない。辺りに散った煙灰の妖力も余す事無く呑まれていった。

 割れた事へのぶり返しで少しだけ荒い海と、草木の剥げた砂色の地面。

 しばらくすると徐々に裂け目も小さくなっていく。

 そして、最後の一本。

 瞼を閉じる様に上下の裂け目が細くなっていく。

 裂け目は閉じ、亀裂が残る。

 けれど、亀裂は消えずにナニかが溜まった。

 閉じた瞳から雫が垂れる様に、亀裂からどろりと淀んだナニかが産み落とされた。

 べちゃりと地面にぶつかった黒い何か。

 徐々に黒は消えていく。気化する様に。地面に吸われる様に。

 そして消えゆく黒の中からソレは現れた。

 小さな少女の姿のナニか。日を知らない白い肌。野に咲く華の如き金色の頭髪。

 倒れ伏した身体をそっと起こした。調べる様にぺたぺたと二本の腕を動かし、自らの身体に触れる。

 足元から最後に頭部まで手は昇って行った。両頬に手を付けた少女の口元。

 一筋の亀裂は弧を描き裂け目が生まれた。

 

 

 

 

 

 

「旦那ぁ、旦那ぁ? まだ帰ってないのかい?」

「んでも明かりがついてるじゃないか」

「槌振ってる音も聞こえないし、って萃香!」

「お、おお! 勇義早く来なよ」

「何だってんだい萃香」

「鎖だ!!」

 何も知らぬ鬼達は贈り物を無邪気に喜ぶ。

 

 

 

 

 

 

「お前は、何だ?」

「あはは、私は一体なんでしょう?」

 

 世界の何処かで鬼と世界を手中にする化け物が相対した。

 

 

 



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七振り目

またもぎりぎりです申し訳ないです。


 

 

 

 煙灰の意識が覚醒する。

 裂け目に呑まれた際にどうやら意識を落していた事を目覚めた時に自覚した。

 身体を起こしながら閉じた瞼を持ち上げる。

 引き寄せる力に抵抗して妖力を消費していた。しかし、妖力の消耗は感じられなかった。

 その事実からいくらかの時間を気絶していたのかもしれないと感じる。

 

「ここは……どこなのだ」

 

 視界に映り込む光景。

 黄昏時を連想する薄暗い世界。

 濃紺と深緋の色合いが混じる。

 何処ともしれぬ世界。

 

「ここは俺のいた場所ではない……世界が違う」

 

 そう、文字通り世界が違う。

 太陽は無く、月は無く、星も無い。

 空とも呼べる場所には何もない。

 ただただ色が付くのみ。

 周囲を見渡しても何もなく、地平の彼方。否、視界の届く限り起伏と呼べる物は何もない。

 煙灰の周囲に落ちる道具の一部と自身以外何も見当たらない。

 不意に手に握る感触からソレの存在を思い出した。

 視線を落とせば今回の原因の一端とも言えるであろう槌が存在している。

 しかし、その槌からは何も感じ取れなかった。

 行使した時に感じた何らかの力も感じ取れなかった。

 だが槌に宿った機能が喪失したとは思えなかった。

 ただ、燃料が尽きている。そんな印象を受けた。

 

 

――少なくともこれで帰れそうにないか……いや、使えたとしても、か

 

 

 浮かんだ考えを打ち払う。

 壊すことは無くとも自らの為に使うことはしまいと自身に戒める。

 そして使えたとしても反動が起こりうる可能性を考えれば安易に使うことは危険に感じられた。

 標も何もない世界。まずは手近なことから始めようと煙灰は散乱している道具を煙でまとめていく。

 片付けられていく道具を眺めながら独りごちる。

 

「界を渡る道具でも作ってみるか」

「えぇ、そんなにせかせかしないでよ!」

「っ!!」

 

 発した言葉に返答があった。

 すぐさまその場を飛び退り、煙灰は声の発生源へと視線を向ける。

 そこには一人の女がいた。

 黒の襯衣(しんい)に色鮮やかな腰巻。

 そして何よりも目につく首から延びる三本の鎖と先端につながる球体。

 そのうち二つは分からないが一つは月に酷似しているように煙灰には感じられた。

 

「お前は……」

「んー?」

 

 無邪気な子供みたいに女は身体をふらふらとさせる。

 だが煙灰は身体を強張らせた。

 淀んだ血の如き赤黒い髪と瞳。

 自身と似た色合いにも関わらず結ばれた視線にゾッとした。

 これは同じ生き物なのかと問いたくなる。

 引きつる喉を無理矢理動かした。

 

「お前は、何だ?」

「あはは、私は一体なんでしょう?」

 

 何が楽しいのかカラカラと女は笑う。

 ひとしきり笑い満足したのか、顎に指先を当てて小首をかしげた。

 ちょっとした小さな悩みをどうしたものかと考えている仕草。

 

「うん、決めた」

 

 煙灰をその視線が明確に捉える。

 

「まどろっこしいのは無し」

「!?」

「およ?」

 

 言葉の途中で突然女が煙灰の目の前へ現れる。

 前触れも予兆も、ましてや動いた事さえ知覚できなかった。

 振り抜かれた足を躱せたのは偶然。否、ある種の必然とも言えるかもしれない。

 煙灰は無意識の内に半歩足を引いていたのだ。

 助走の為ではない。自覚できない無意識の内で臆していたのだ。

 

「な、ンのつもりだ!?」

 

 空を蹴った足先で空間が破裂する。

 生まれた衝撃波が煙灰を押し流した。

 

「暇だったから遊ぼうと思ってね。丁度いい感じな所に貴方が居たから招待したの」

 

 女の言葉に記憶を刺激された。

 呑み込まれる直前、聞いた声。

 目の前の化け物がその声の主であったと煙灰は理解する。

 

「そんな理由で呼んだってのか!」

「うんうん、そうだよ。その通り。それだけの理由で貴方を呼んだ。それだけの理由で貴方をここに堕としたの」

「そうかい。ついでといっちゃなんだがここは一体どこなんだ?」

 

 問われた瞬間、女は堪えきれない楽しさを笑みにした。

 その笑顔に牙を剥いた獣、歯を無視出しにして笑う鬼を連想した。

 自慢する小さな子供みたいに女は答えを返す。

 張り上げられた声には誇らしさが籠っていた。

 

「ここは全ての命の終着点! 何人たりとも! 何者であろうとも! 逃れることはできない生命の果て!」

 

 女の言葉に、感情に、動きに呼応し世界が脈動する。

 

「生命の、世界の、宙の、地の、すべての果て! それがここよ!!」

 

 女の背後に光が生まれた。先が見えない程高く伸びる光の柱。

 圧倒される程の生命の息吹。ここは生命が最後に行きつき、生まれ変わる為の場所。

 目の前の光景に煙灰はその事実を本能的に理解し圧倒された。

 

「私はこの世界の管理者、ヘカーティア! 貴方はもう逃れられない! 私と遊んで貰うわよ!」

 

 世界を従える怪物が、ちっぽけな鬼に力の一端を向ける。

 

 

 

 

 

 

「ぐぅうっ!!」

 

 苦痛が漏れる。顔を守る為に交差した腕にはいくつもの傷が刻まれていた。

 ヘカーティアの放った光弾が爆裂した前方の地面は大きく抉れていた。

 大昔、仲間たちの澱みが残っていた大穴を思い出させる大きさ。

 だがそれを起こしたのはただの一個体。

 さらにそれ程の破壊を生み出したというのにまるで消耗が見られない。

 欠片も本気を出していないのは理解していた。しかし、それでいてなおヘカーティアの力量は煙灰をまるで寄せ付けない。

 羽虫を振り払う程の気軽さで煙灰を右へ左へと吹き飛ばしていた。

 浅いとはいえもはや煙灰の身体に傷を負っていない部分は無い。

 ほんのわずかな間に満身創痍と言っても過言では無い程に傷ついていた。

 突き出す拳は空を切り、放った術はそれこそ風で散らされる煙のようにかき消された。

 いくら溜めていた妖力で力を増してもまるで届かない。

 文字通り次元が違った。存在としての格が違う。

 

 

――だが、だがな!!

 

 

 その程度であきらめてしまう程、煙灰の物わかりは良くなかった。

 ここで諦めているくらいなら遥かなる過去。あの時の大穴でとっくに自決していたと煙灰は自らを鼓舞する。

 

「うーん……クラウンと遊ぶよりかはちょっとだけマシかなぁ」

 

 反応できぬ速さで近づけるのに、そうする事無くヘカーティアはゆっくりと煙灰へと歩く。

 二本の内の一本。白い煙管を手に取る。

 

「あ、また妖力を補給するのかな? 無駄だって解んないかなぁ」

「好きに言えばいい」

 

 くるりと手の内で煙管を回す。煙管の両端から回転に合わせて煙が漏れていく。

 煙管に纏わりつき、その大きさを増していった。

 

「おぉ、当ったら痛そうだなぁ。まあ、私痛みとか分からないんだけどね」

 

 パチパチと打ちならし、関心を示す。

 別にからかいなのではない。ヘカーティアは先ほどから何度も煙灰の術や技に関心を示していた。

 初めて目にしたように、無邪気に喜びを示していた。

 ただ、通用しなかっただけで、目新しいということには変わりないのであろう。

 煙灰はそれを知ってなお足掻くことをやめない。

 煙を纏わせた煙管を肩に担ぐ。穢れなき純白の大槌。

 殴りつける先端部は人を詰め込める大樽程度の大きさがあった。

 

「はぁぁああ!!」

 

 裂帛。小細工無用と、真正面から全力で叩き付ける。

 細工を施す手間さえ惜しむ。僅かでも破壊力をと全身全霊で振り下ろした。

 

「綺麗だし面白いけれど……ちょっと脆いかなぁ」

 

 衝突の轟音。押し負けて仰け反ったのは煙灰。

 手の甲で一払いされた大槌の先端は霧散して形を失っていた。

 

「まッだだァァ!」

 

 後ろに仰け反る身体を力ずくで従わせる。

 再び、今度は柄だけとなった大槌だった物を振う。

 

「おぉ」

 

 直撃する直前に、周囲を漂う煙が再び形を成した。

 小さな関心の声をあげるヘカーティアの身体を大槌が薙ぎ払う。

 確かに感じた手ごたえと共に吹き飛んでいく身体。

 

「……化け物が」

 

 欠片も堪えた様子は無い。

 湧き上がる徒労感から目をそむけるために煙灰は毒づく。

 毒づかれるのさえ楽しいとヘカーティアは口角をあげた。

 

「うんうん……君は実にいい具合だ。予想以上で嬉しくなっちゃうね」

 

 煙灰はヘカーティアの言葉を受けて眉を顰めた。

 ヘカーティアの放った言葉を口の中で音にすることなく転がす。

 確かに目の前の怪物は言ったのだ。()()以上だと。

 思い浮かんだ最悪に煙灰の身体が僅かに身じろぐ。

 煙灰の僅かな変化にヘカーティアの口元が喜悦に歪んだ。

 匂わせた先を察したことを理解した。

 答え合わせのつもりかヘカーティアの視線がゆっくりと下がる。

 

「テメェっ!」

 

 ずれた視線の先を理解した煙灰が気炎を吐く。

 無垢な少女を思わせるクスクスとした笑い。

 楽しげなヘカーティアを見る煙灰の視線の険しさが増す。

 

「どうして私が君を知らないと思うんだい」

 

 発される言葉。

 

「偶然だったんじゃねェのか」

 

 頭に浮かんだのは告げられていた理由。

 丁度引き込める場所にいたから暇つぶしの為に呼んだ。

 それ故に偶然だと思っていた。

 けれど違うと明確に否定された。

 知っていると。知っていたと言われた。

 

「偶然さ。たまたま君に興味があって、そんな君がここにこれそうだった。だからこれは全部偶然。偶然の産物であり、奇跡なのよ」

「こんな奇跡があってたまるか」

 

 煙灰の憎まれ口もまるで意に返さない。

 それどころかそれさえヘカーティアは楽しいと笑う。

 

「ふふ、そうか。それは残念。でも君の事はずっと昔から知っていたよ。それこそ地上の巨大な蜥蜴が絶滅する前よりも。月で死者が出なくなる前よりも。ずっとずっと昔から君の事は知っていたよ」

 

 煙灰は喉がひりつく感覚を覚えた。

 明確な言葉となろうとしている。

 ヘカーティアに目を付けられた原因が。

 想像が真実へ変わろうとしている。

 

「だって君、私から魂を掠め取っているんだからね」

 

 煙灰の指先が先ほど視線を向けられた黒い煙管に振れた。

 仲間達が眠る揺り籠。自らの罪の具現。

 絶対的な化け物がそれを奪うと告げたのだ。

 

「―――ェ」

「ん?」

「知らねェって言ってんだよ」

 

 返された言葉に小首をかしげる。

 しかし、それに構う事無く言葉を吐き出す。

 

「これは俺の仲間だ。誰のもんでもねェ。俺でも、ましてやお前の物でもねェ!! こいつ等の魂はこいつ等のもんだ!!」

「……へぇ」

 

 声が僅かに低くなった。

 

「成仏するかどうか何ざ、こいつ等自身が決める事だ! そしてこいつ等は俺に託してくれた! 着いて来てくれた!! テメェの入り込む余地何ざ欠片もねェんだよ!!!」

「もう飲めないよ?」

「俺は鬼だ! 自分で吐いた言葉を取り消す何ざある訳がねェ」

 

 煙灰が全力の抵抗を示す為に妖力を纏う。

 吐き出された呼気に煙が混ざる。

 漏れた煙が一気にその体積を広げて煙灰と周囲を覆い隠す。

 

「白鬼夜行」

 

 白煙の中からぽつりと一言。煙がそれに呼応してめまぐるしく動き出す。

 遥かなる過去、嵬との闘いでみせた百鬼夜行がその姿を再び現した。

 

「通じると?」

 

 再びヘカーティアに愉快気な様子が戻る。

 欠片も気後れすることなく問い掛ける。

 

「通じさせるさ」

「ふふ、そう。じゃあ、おいで」

 

 再びの激突の合図は気安げな手招き。

 百に迫る程の白鬼が殺到する。

 白鬼に埋もれ、煙灰の視界から一瞬ヘカーティアが消えた。

 

「脆いし遅いよ」

 

 しかし、それも本当に一瞬。

 腕の一振りで半数を超える白鬼が散らされた。

 

「おや?」

 

 開けた視界にヘカーティアは首をかしげる。

 煙灰を見失ったのだ。

 視界には白色の人型しか存在しない。

 にぃっと口元が持ち上がった。

 

「なるほどなるほど」

 

 散らされた煙が再び視界の端で再生して自身へ向かってくるのをヘカーティアは知覚していた。

 けれどそんな些事はどうでもよかった。

 何処で仕掛けてくるか。何を仕掛けてくるか。それが楽しみで仕方なかったのだ。

 しかし、この程度の脅威では脅威にさえならない。何億回でも繰り返せる。

 煙灰が仕掛けてくるよりこちらから仕掛けた方が良いかと僅かに思考した。

 再度向かってきている白鬼達を尻目に、ヘカーティアは本体を隠すために攻めに入っていない白鬼を見やる。

 さてどれかなと視線を巡らせる。

 

「ふふ」

 

 遊びとはいえ思考していることが新鮮だった。

 無聊の慰めに造った妖精たちが相手ではこうはならない。

 だからこそヘカーティアは今を楽しんでいた。

 そしてそこに意識の隙が生まれていた。

 再び視界を覆う白鬼達を散らす。

 先ほどと変わらない煙が散っていく景色。

 されど背後で風の動きに違和感を覚えた。

 

「――!」

 

 刹那。振り返った先に煙灰がいた。

 剥がれゆく煙から鬼気迫った鬼が姿を現す。

 どんな仕掛けをしてくるかと思考で遊んでいたヘカーティア。

 繰り返しても意味がない事を嫌という程理解していた煙灰。

 

「ッラァァアア!!」

 

 怒声と共に左腕が振り抜かれる。

 だが一瞬の虚をついてなお遠いといえる彼我の地力の差。

 突きが届く前に手首を掴まれる。

 

「捕まえた」

 

 捕まれてた腕はピクリとも動かない。

 圧倒的な腕力さが目に見えてわかる。

 どうだと言わんばかりに不敵な笑みを浮かべて煙灰を見やる。

 しかし、目の前の煙灰の表情には欠片も動揺は無かった。

 むしろ右の拳を振りかぶっている姿に驚く。

 ならばと掴んだ腕を引き、体勢を崩して投げ飛ばそうとヘカーティアは握る手を動かした。

 そして煙灰の左腕が二の腕付近から分離した。

 離れた腕は煙となって霧散して、ヘカーティアの視界を覆った。

 咄嗟に拳の軌道上に自身の左腕を上げるが、右側からの衝撃に煙から叩き出された。

 水きりされた石みたいに地面を跳ねてヘカーティアが吹き飛ぶ。

 煙灰は振り切った左足を戻すと再び油断なく身構える。

 勢いがなくなり、吹き飛んだままの恰好で地面に寝続けるヘカーティア。

 それが酷く不気味に感じた。

 

「あ、はははは」

 

 楽しげな笑いと共に上体が起こされる。

 蹴り飛ばされた頬に軽く手を添えて心底愉快そうにヘカーティアは笑った。

 

「凄い。ひりひりしてる」

 

 幼子の様に無邪気に笑う。

 頬を愛おしげに撫でる姿はゾッとするほど気味が悪かった。

 しばらく得られた感覚を楽しんで満足したのかヘカーティアは立ち上がった。

 軽く衣類に付いた埃を払うと再び煙灰を見据える。

 向けられた瞳は先ほどまでと少し違っていた。

 

「君は私と遊べる相手だ」

 

 言葉だけ。それ以外の変化など何もない。

 構えるわけでも、武器を出すわけでも、まして力が発された訳でもない。

 だが煙灰は胸の奥に感じていた重さが増したことを実感していた。

 直後、ヘカーティアの姿が掻き消える。

 

 

 

 

 

 のしかかる疲労に背が丸まる。

 力を失った両腕がだらりと下がる。

 ぽたり、ぽたりと鮮血が滴る。

 繰り返される浅い呼吸。

 煙灰は間近に死を感じていた。

 だが、白い煙管を目の前でぽんぽんと投げて遊ぶヘカーティアを睨む視線には少しの陰りもない。

 けれど意志に対して肉体の反応は鈍い。

 

「大丈夫? もう限界でしょ?」

「か、かか……抜か、せ」

 

 それでも煙灰は不敵に笑う。

 たとえ命尽きようとその場で悪霊にでもなって抗おうと挫けることは無い。

 煙灰の返答に一瞬ヘカーティアはきょとんとした。

 直後また笑みを浮かべる。

 

「君のその意思の強さには敬意を覚えそう」

 

 くつくつと喉を鳴らして笑う。

 だからそうだねとヘカーティアは言葉を続けた。

 

「ソレ、手放してくれるんだったら終わりにしてあげるよ」

 

 ソレが何を示しているかなど説明はいらない。

 そしてソレを手放す事などそれこそ死んでもあり得ない。

 

「応じると思うか?」

「思わない。私が気にいった君ならそう言う」

「かかっ……酔狂だな」

「ふふ、酔狂だね。さてそれじゃあ意思確認も済んだし良いよね。君が選んだ道だよ」

 

 よしと可愛らしく掛け声を一つヘカーティアが漏らす。

 準備運動をするように軽く腕を回す。

 互いの視線が絡まり合う。

 トンという小さな音の後、眼前にヘカーティアが姿を表した。

 酷くゆっくりと動く視界。煙灰が避けようとするも、身体から反ってくる反応は鈍い物だ。

 もはや避けれぬと確信が浮かぶ。

 仲間たちの顔が浮かんでは消え、最後に弟子と最愛の相手が浮かぶ。

 

「すまん」

 

 何に対して謝罪だったのか。

 迫る拳に対して煙灰が出来た事はその短い一言を漏らす事だけだった。

 拳が振り抜かれて轟音が一つ。煙灰の姿がその場から消えた。

 

「君は本当に」

 

 ヘカーティアが言葉を漏らす。

 

「愉しませてくれるなぁ」

 

 振り返った視界の先、雷を纏う鬼がいた。

 

 

 



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八振り目

 迫り来る拳。

 脅威を前にただ眺めることしかできなかった煙灰。

 そしてその最中、それは生じた。

 

 

 ——情けねぇなぁ

 

 

 呆れた事を隠そうともしない声色。

 煙灰が懐かしむよりも早く変化は訪れた。

 気がついた時にはすでにへカーティアの背を眺めていた。

 パチパチという小さな空列音が耳に届く。

 ひどく懐かしい妖力が身を包んでいる。

 

 

 ——俺は知っている

 ——俺は覚えている

 

 

「嵬」

 

 

 確信を持った呼びかけ。

 応える変化は劇的だった。

 

「けっ、情けねぇ。情けねぇぞ煙灰」

 

 腰元の黒色の煙管から煙が漏れ出る。

 それはすぐさま形を造った。最古の幻想最強種族。その頂点に立った存在の姿を。

 不満を隠す気は欠片もない。あぐらに頬杖。さらに吐き出される特大のため息。

 それら全てがありありと不満を表していた。

 へカーティアは静観を決めたのか、先ほどの場所から動く様子を見せない。

 それを気にすることなく両者が言葉を交わす。

 

「狸寝入りは飽きたのか」

「テメェ……」

 

 煙灰の憎まれ口に嵬の口元がヒクつく。

 額に青筋が生まれ、手先が小刻みに震えていた。

 

「不甲斐ねぇお前を助けてやったというのに感謝の1つも言えねぇた——」

「——助かった」

「……そうかい、そいつは良かったな」

 

 思いのほか素直な反応に嵬が一瞬ほうけてしまう。

 しかし、すぐに持ち直すと昔と変わらぬ不敵な笑みを浮かべた。

 そして視線が前方にて未だ動きを見せない化け物へと向けられる。

 

「どうしようもねぇくらいどうしようもねぇな」

「だろうな」

 

 嵬の評価に煙灰が同意を示す。

 最古の幻想、さらにその中でも最高峰の2人をしても目の前の化け物はどうしようもないと解ってしまう程の差が存在していた。

 

「煙灰」

「なんだ」

「なんぞ使えそうなもんはないのか? ちっとでも可能性があるんなら試すべきだろ」

「それは……」

 

 嵬のその提案に煙灰は小さく息を飲む。

 道具は作れど自分で使うことを前提に作った事など煙灰には数えるほどしかなかった。

 他にも過去にした様に煙の鬼達へ持たせて使うというのもあるが、腕の一振りで散らされるのが目に見えていた。

 そして極めつけは小槌だ。自身が意図的に生み出した物ではないとはいえ、引き起こされた出来事を忘れるには時間が足りなさすぎた。

 それらが合わさり煙灰は自らの持つ道具を使うという意識を持っていなかった。無意識的に選択肢から廃していたのだ。

 嵬の言葉を受け、煙灰は自問する。自身が生み出した物の中で目の前の怪物に通用する程の逸品があるかと。可能性を宿す物はあると答えが生じる。

 スッと指先が中空をなぞる。上から下へ流れる指先に従い頭上に浮かぶ煙から幾多の道具がその身を躍らせた。

 流れ着いた物の中にあるのかと煙灰は降り注ぐ道具たちに視線を送る。

 

「どうだ?」

「さて、どうだろうな」

 

 嵬の問いかけに答えを返さない。されど煙灰の足取りは確かなものであった。地に散乱している幾多の中の一つ。煙灰の手がそれを拾い上げた。

 

「ほぅ、断迷の刃か」

 

 煙灰の手の内に収められた物の名を嵬が呼ぶ。

 断迷の刃。迷いを断ち切り、魂魄を世界へと還す。

 成仏の、未練を断ち切る、鋼の一振り。

 その切先が煙灰の手の内で鈍く輝く。

 

「いけるか?」

「愚問だな」

 

 嵬の問いかけに煙灰はだらりと腕を下げて構えた。されど口元に不敵な笑みを浮かべ、妖力をもって応えた。

 煙灰の反応に嵬は満足げに一度笑う。すると嵬の輪郭が次第にぼやけていく。そして最後にはただの黒色の煙となった。

 

 

——使え

 

 

 声がした。広がった煙がするりと煙灰の身体に溶けて消える。灰の髪が黒に染まる。赤黒い瞳も明度と彩度を落としていく。

 放たれる妖力の圧が上昇した。今までの煙管を使った補給による燃料の無尽化とは違う、出力の上昇。雷電を纏い、輝く一体の鬼。

 ヘカーティアの笑みが深まる。煙灰の身体に力が籠る。互いの視線が絡んだ刹那、化け物同士の狂宴が再開された。

 

 

 

 

 

 欠片の楽しみも浮かんでいない、真剣な表情の煙灰。

 口元を、目元を緩めながら笑みを浮かべるヘカーティア。

 向き合う両者の表情は対照的である。

 余裕のない煙灰。余力のあるヘカーティア。

 これまでとまるで変わらない焼回しの如き二人。

 しかし、明確な変化が存在していた。

 

「あ、ははは! 本当に、本当に楽しいね!!」

「そのまま最期まで油断してろ!!!」

 

 煙灰が刃を振い、拳を突出し、蹴りで薙ぐ。

 ヘカーティアが刃の腹をはたき、拳をそらし、蹴りを避ける。

 そう、ヘカーティアは初めて煙灰の攻撃を脅威であると認識したのだ。

 自身に傷を与え得るものであると認めたのだ。

 故に、ヘカーティアは喜悦に笑い、享楽に酔いしれる。

 危機を感じる。脅威を覚える。

 

「あぁ、良い、良い! どうしようもないくらいに楽しいよ、煙灰!」

 

 自らを脅かしうる初めてのソレにヘカーティアは感情を爆発させた。

 へカーティアの発する力が一層強まる。

 世界が呼応して鳴動をあげた。大気が軋み、地が揺れ裂けた。

 放たれる力の奔流に煙灰がたまらず吹き飛ばされる。

 

「しゃ、らくせぇぇぇぇえ!!」

 

 臆すまいと気炎をあげた。屈さぬ意志に、煙灰の、嵬の妖力が高ぶっていく。

 それにつられて、腰元の黒い煙管から仄かに煙が漏れ出て煙灰へと吸い込まれていった。

 眼球の血管が、身体に根を張る血管が浮き出て、うっすらと黒に染まる。

 力の高まりを感じると同時に煙灰は意識が押し流されそうな事を知覚した。

 刀を握らぬ手で、黒の煙管を軽く撫でる。それだけで、煙管からの煙の流出は止まった。

 

「不甲斐ない姿ですまんが信じろ」

 

 誰にでもなく漏れた言葉。肯首するように煙管が一度脈動する。

 僅かに薄れた意識を引き戻すと煙灰はヘカーティアを油断なく見据えた。

 

「つまらなくならなくて安心したよ」

「言ってろ」

 

 煙灰が地を破壊する勢いで蹴りつけた。

 託された仲間の力がまた煙灰の力を増していた。

 予想よりも早い煙灰の姿にヘカーティアの動きが一瞬遅れる。

 笑みを浮かべた化け物(煙灰)と、驚愕に瞳を見開く化け物(ヘカーティア)

 両者の間で鈍い光が煌めいた。

 

 

 

 

 

 

「ひやっとしたぁ。これが肝が冷えるってやつね」

 

 ちょっと足を踏み外しそうになった。物を手から落としそうになった。まるでその程度の事が起こった様な気の抜けた声。

 眼前で鎖と拮抗する切先に力を込めながら、驚愕と落胆に言葉を失う。

 ヘカーティアへと届くその瞬間に、首元と周囲に浮かぶ球体とをつなぐ鎖が両者の間に割って入ったのだ。

 力を籠め、鎖が軋みを上げようともそれ以上刃は先へと進めなかった。

 鎖と刃が拮抗している最中、ヘカーティアの身体が一瞬ぶれた。直後、煙灰は腹部に感じる強烈な圧迫感と共に吹き飛ばされる。

 吹き飛び、地を転がり地に倒れ伏した煙灰が、刃を杖に上体を引き起こす。

 見上げた視線の先で悠然と佇むヘカーティアを目にし、反射的に視線を下げようとして思いとどまる。頂きのあまりの高さに屈しかけた自己の心を叱咤する。

 ゆっくりと、だが確かに煙灰は自らの足で立ち上がる。されど、目の前に化け物に打つ手立ては浮かばない。浅い呼吸を繰り返し、肩を揺らす。

 ヘカーティアは煙灰の考えがまとまるのを待つつもりなのか動きをみせない。

 

 

——煙灰

 

 

 声なき声が聞こえた。

 嵬の思念。それが煙灰に届く。

 

 

——根競べをしても勝ち目はない、次で決めろ

 

 

 嵬の言葉は煙灰とて分かっている。貯蔵しているゆえにまだ妖力には余裕がある。

 けれども目の前の存在は世界を従えている。使う端から世界に補給されているのだ。

 根競べがいかに馬鹿馬鹿しいかなど子供でも解る。

 だが、解るからといってどうしようもないのもまた現実だ。

 短期で決着をつけられるほど目の前の存在は甘くない。

 

 

——いいや終わらせる

 

 

 嵬の意思には強さが宿っていた。

 

 

——だから

 

 

  告げられる。

 

 

——躊躇するな

 

 

 何を、とは聞かない。

 煙灰は一度瞼を閉じた。一呼吸。その時間を置いて再びヘカーティアを視界に入れる。

 

「行くぞ」

 

 身体に力を巡らせる。

 体表で雷電がほとばしり、煙灰を中心に暴風が吹き荒れ、煙が立ち上り視界を封じる。

 流動する煙に含まれる妖力が知覚を鈍らす。絶え間ない風音と雷鳴が他の音を塗りつぶす。

 真っ白な白煙の中、煙灰が駆け抜ける。自身の煙の中にいるヘカーティア目がけて煙灰が突き進む。

 ヘカーティアが煙を払おうとしたのが解った。されどそれに意味は無い。周囲全てを覆う程に煙は広がっていた。

 周囲の煙を払おうとも、払った場所に流れ込むものは大気ではなく煙である。故にヘカーティアの行動に意味は無い。

 しかし、それでもヘカーティアは気が付くであろう。雷鳴が、暴風が音をかき消そうとも、雷鳴の発生源が動けば、ヘカーティア程の化け物であれば聞き分けられる。

 故に

 

「な——!」

 

 驚愕の声が出るのは必然で合ったのかもしれない。

 視界をつぶす煙の中でも視認できるほどにヘカーティアへ近づいた煙灰の視界には、ヘカーティアと纏わりつく積乱雲の如き紫電を宿す黒煙が映る。

 

「やれ!」

 

 嵬の怒声と、心底からの驚愕に見開かれた瞳。雷を纏わぬ煙灰が渾身の一刀を振り下ろす。

 煙灰の手に初めて伝わる斬撃の感触。肉体を裂く手ごたえ。

 だが、しかし、足りない。圧倒的に足りなかった。

 致命に届くには、届かせるには、その一太刀では足りないのだ。

 

「腕一本、か」

 

 それまでの何処か遊びのある力の行使とは一線を画する暴力の発露。

 全力の抵抗は袈裟懸けに通り抜けるはずであった刃を腕一本で済ませてしまった。

 その変わりと言うわけではないが両断されるはずであった嵬も身体の一部で済んだ。

 腕を落とされたヘカーティアはその場を飛び退き、煙の無い場所まで移動していた。

 広げた煙を煙灰が晴らす。遥か遠くに見えるヘカーティアは俯いたまま動きをみせなかった。

 切り落とされた腕を片手で抑え、傷口を見つめていた。

 傷口からの滴りが無ければ時が止まっていると錯覚しそうな程動きは無かった。

 だが、追撃に煙灰達は移れなかった。不気味に感じた。言語化できない感情を覚えた。

 不快でなく、恐怖でなく。言うなれば悪い事が起こりそうな予感。

 それが煙灰達の身体を縛り付けていた。

 

「——い、—たい、痛い痛い痛い痛い! これが痛み!! これが傷!!! 確かに、確かにこれは痛みだ!! あははハハハハハハ、なるほどなるほど。そりゃあ誰だって痛いのは嫌がる筈だ!! 遠慮したがるはずだ!!! だってこれは、この感覚は!!」

 

 突如狂乱を始めたヘカーティアの頭がゆらりと持ち上がった。

 髪の奥から覗く薄暗い双眸が煙灰達を射抜く。

 

「酷く不快じゃないか!!!」

 

 言葉通りの不快さを隠しもしないヘカーティアの視線。

 煙灰達が距離を置こうと足に力を入れた瞬間、背後から耐え切れない衝撃を受けた。全身を砕かんばかりの衝撃に煙灰達は吹き飛ばされる。

 体勢を立て直すより早く二度目の衝撃が訪れた。上からの叩き付ける圧力。何が起こっているのかを知覚する間もなく地へと叩き付けられてクレーターを作る事となった。

 地に埋もれる煙灰と、形を保つ程の妖力が無くなり煙管へと消える嵬。

 満身創痍の中、首だけを動かし煙灰がクレーターの淵へと視線を送る。

 先ほど立っていた場所からすれば正面となる場所には片腕を失くしたヘカーティアが。

 背後となる場所には五体満足の()()()のヘカーティアが。

 右側には同じく無傷の()()のヘカーティアが。

 感じられる力が幻覚でも、まして煙灰が作る煙人形とは明確に違うと声高に訴えていた。

 

「私は生命すべての管理人。生命が有る世界すべてに存在するために私は写し身を作れる」

 

 ヘカーティアは写し身と言ったが、保有している力はどれも変わらない。

 なればこそ、どれが本体という話ではなく、全てが本体なのであろうと察しがついた。ついてしまった。

 

「これが私の本当の本気よ」

 

 それは全ての意思を砕くには十分すぎる力を持っていた。

 自殺となにも変わりはしないと誰にでもわかるよう示されていた。

 だが、それでもその事を良しとしない。

 

「そ、うか……よ」

 

 腕で必死に身体を支えながら起き上がろうとする。

 もはや手元に武器は無い。

 もはや溜めていた妖力も底が見え始めた。

 もはや嵬の力添えも期待できない。

 それでも鬼は頭は垂れぬと抗う。

 ここで膝を折る事が出来ない故に。

 一度黒い煙管に指を触れさせ自らを鼓舞する。

 

「まったく、騒がしいと思えば」

 

 今だ立ち上がれない煙灰の耳に声が届く。

 ヘカーティアの物とは違う別の声。

 

「貴方らしくも無く、貴方らしくもある。けれど、もう不甲斐ないとは言えませんね」

 

 煙灰の隣に声の主が降り立つ。

 

「後は、私が話をつけておきますよ」

 

 視界に映る金色の尾。見覚えのある紅の瞳。

 

「じゅ、んこ?」

「えぇお久しぶりです、煙灰。今は少し休みなさい」

 

 純狐の慈愛の籠った声。そして直後の衝撃により煙灰の意識が薄らいでいく。

 最後に煙灰は視界の端に揺れ動く一本の尾を見た。

 

 




麻酔(物理)!!


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九振り目

お久しぶりです。
また間が空いてしまい申し訳ありません。
リハビリがてら短めですが更新致します。
ちょっとでも更新しないと永遠にしない気がしたので……。
次はもうちょっと早く出せるように頑張ります。


 堕ちていく浮遊感。もしくは粘性のある液体に浸かっている不可思議な心地。

 少しずつ、少しずつ沈んでいく。抗いようもなく深みへ堕ちていく。

 視界に広がる光景は黒。光は無く、色は無く、濁り混ざり淀んだ黒だけがあった。

 身体が重い。声が出ない。

 分かる事は一つだけ。酷く、酷く疲れていた。

 

 

 最後に何をしていたのだろうか。

 記憶を探ろうと問いかけが浮かび、ずるりと黒が蠢いた。

 その問いかけを待っていたとばかりにずるりずるりと自らを取り巻くように渦巻いていた。

 

 

――また……

――また……

 

 

 声なき声が聞こえた。

 

 

――また舞台にさえ立てなかった

――また何もすることなく敗れた

 

 

 嘆きだった。

 

 

――何故だ

――何故約束を違えた

 

 怨嗟だった。

 

 

――我らは不要か?

――我らは重荷か?

――我らは、我らは

 

 

 慟哭だった。

 

 

――仲間ではなかったのか!!!!!

 

 

 剥き出しの想いが突き刺さる。返す言葉は存在しない。

 手を差しのばそうにも身体は動かず、言葉をかけようにも声が出ない。

 助力を断り敗れた己には何かを示す事も言う事も許されるはずがない。

 あぁ、何と無様な姿だろうか。最後の記憶は思い出せていた。

 全力で抗い、戦い、挑み……そして羽虫を払うように敗れた。

 無様でないはずがない。闘う事も出来ず敗れた同胞達が納得するはずがない。

 袋小路に迷い込んだように思考が空転していた。どれほどそうしていたのか。

 一分だっただろうか。一日だっただろうか。はたまた一秒にも満たない時間だったろうか。

 

 

――しょうがねぇな

 

 

 手がかかると言いたげな様子の、懐かしい声。

 

 

――まだまだ眠りかけの寝言みてぇなもんに惑わされんな

 

 

 あぁ、またお前は

 

 

――本能であって本心じゃねぇよ、こいつ等も

 

 

 俺の背を押してくれるのか

 

 

――だからこれは景気づけだ

 

 

 塊清

 

 

 殴りつけられるような感覚を最後に意識がスッと薄れていった。

 

 

 

 

 

 懐かしい顔にあった気がする。

 落ちていた意識が覚醒を始める。

 瞼の先の視界で何かが揺らめいていた。

 光源の前を揺れ動いているのか浅く明滅を繰り返す。

 

「……はぁぁぁ」

 

 深い吐息が漏れた。溺れていて久方ぶりに息をしたような心地を覚えた。

 身じろごうとして全身を駆け巡る痛みを自覚する。

 感じた痛みを呼び水に意識が完全に覚醒し、そして

 

「ッ!!」

「い、ッたぁぁぁぁ!!」

 

 意識を失う前の出来事を思い出して跳ね起きた。

 跳ね起きた際に何かに頭部をぶつけた。

 覚醒直後であることが原因か、開いた視界は僅かにぼやけておりぶつかった物が何であるか判然としない。

 不確かな視界で解る事は赤と青それと金の色合いを持った何かであるという程度。

 強いて推測するならばその何かは生き物で蹲っているのではと思われる。

 

「あ、いたたたぁぁ。ぐおぉ、頭割れるぅぅぅう」

 

 視界が明瞭となる前に浮かんだ予想を裏付ける呻きが聞こえてきた。

 数度目元を擦れば視界が定まっていく。

 紅白の横縞、青地に白の星形。身体の正中線、腰元で上下左右に分かれた奇抜な模様の衣類。

 煙灰が今まで出会ってきた中ではもっとも印象的な様相といえるかもしれない人物。

 それ故に意識を奪われ、ソレに気が付くのが遅れた。

 

「んははー。元気そうだね、煙灰君」

「テメェ……ヘカーティア!?」

 

 蹲る人物のさらに先、ヘカーティアは居た。一気に臨戦態勢まで心身を高ぶらせる煙灰。

 しかし、ヘカーティアはまるで応えることなく気を抜いたままだ。

 空中に腰かけたまま手元で()()()()を弄ぶ。投げて、受け止め。投げて、受け止め。

 ぽん、ぽんと楽しげに弄ぶ。

 弧を描くその口元を見た瞬間、視界が真っ赤に染まった。全ての思考が掻き消える。

 

「ヘカァァーティアァァァァアア!!」

 

 周囲の地面が怒号によりひび割れた。力を込められた肉体が膨張する。

 もはや体の痛みなど感じない。それ程の狂乱。

 けれど飛び込もうと足に力を込めた瞬間、()()が飛んできた。

 

「ほい、返すよ」

 

 何でもない軽い調子でぽんと投げられた煙管。あまりに想定外の行動に煙灰の威勢が削がれる。

 思考に一瞬空白が生れ落ちた。煙灰の中で一瞬が引き伸ばされる。

 ゆっくりと煙管が宙を飛びながら自転する。くるり、くるりと放物線をえがく。

 

「落ちちゃうよ?」

 

 気軽な問いかけ。投げ掛けられた言葉に刺激され思考が戻る。

 同時に引き伸ばされていた時間ももとに戻った。

 反射的に煙灰の手が伸びる。危うく地面を転がるかという直前、煙灰の手が煙管を手に収めた。

 地を転がろうと破損する事などない。けれども煙灰には許容できなかった。それだけの話。

 大仰な隙を晒す事になろうともこれ以外の選択肢は煙灰に無かった。

 煙灰のその反応にヘカーティアは予想通りだと楽しげに声をあげる。

 機先を制され、直前まで高ぶっていた感情が僅かばかり鎮火した。冷却された脳内で思考がめぐる。

 きゃっきゃと手を叩いているヘカーティアの姿がまた更に毒気を抜いていく。

 

「……何のつもりだ?」

「別に。何でもないよ」

 

 煙灰の問いかけにやはりヘカーティアは軽く応える。何でもないように。気安い友人であるかのように。それが当たり前と言いたげに気負いはなかった。

 その様子が不気味だった。気を失う前との乖離に思考がまとまらない。確かに気まぐれな所はあった。しかし、何故今の様な対応をするのかが煙灰にはまるで分らなかった。不気味で気味が悪い。

 喉の奥に何かが詰まる様な不快さを覚える。煙灰に視線がヘカーティアを見定める為に鋭さを増す。しかし、その反応さえ楽しいのかヘカーティアはただ笑みを深めただけだった。

 

「腕を斬られた時の激発はどうした? 盗人からとられた物を取り返すのではなかったのか? お前は……お前は一体何を考えている?」

 

 ヘカーティアは応えない。ただただ笑みを深め、瞳を細くする。まるで「君はどう思う?」と、問い掛けられているかのようだった。

 沈黙が両者の間に降りる。ヘカーティアから答えを得られないと思ったのか煙灰はその場にいたもう一人に声をかけた。

 途中から混ざりたくないとでも言いたげに気配を消して、両者の視界から逃れようと離れていた奇抜な服装の少女へ。

 

「一体全体どういった状況かお前は知っているな」

 

 スッと交わっていた視線がヘカーティアから外れ少女へ向けられる。視線を外された事が不満だったのか僅かにヘカーティアは面白くなさそうに鼻を鳴らした。

 煙灰に見据えられた事か、ヘカーティアが鼻を鳴らした事か、そのどちらが原因かは分からないが少女が肩を跳ねさせる。

 断定的な煙灰の物言いに少女は視線をあちらこちらに彷徨わせる。あー、とか。うー、とか。考えをまとめているのか言葉にならないうめき声を少女は漏らす。

 しばらく視線が彷徨うと最終的に少女の視線はヘカーティアへと固定された。両手の人差し指をもじもじとすり合わせてへらっと笑った。

 それはどこか助けも求めるように、許可を求めるようにも見えた。見る者の主観で受け手の印象が変わるそんな曖昧な笑み。

 

「ヘカーティア」

 

 ヘカーティアが何かしらの動きをみせない限り状況に変化が起きないと悟り、再びヘカーティアに問う。ヘカーティア自身も、現状に飽きたのか満足したのかは分からないがようやく口を開いた。

 

「さてそれじゃ何から聞きたい?」

 

 興味深く煙灰を観察しながらヘカーティアが問いかける。両者の意識から外されて少女は助かったと言いたげに再び身を小さくした。

 ヘカーティアの問いかけに煙灰の中にいくつもの問いが浮かんでは消える。何から聞いた物かと問いを吟味する。

 僅かな間逡巡して一番気になる事を最初に聞こうと口を開く。

 

「結局何が目的だったんだ、お前?」

「結局の目的か……そうだね、やっぱり暇つぶしって言うのが一番しっくりくる答えかな」

 

 少しの間どう言うべきかと言葉を選びながらも最終的には面倒くさくなりヘカーティアが答えを述べた。

 ヘカーティアの回答に煙灰は僅かばかり眉間に皺を寄せるが次の言葉を投げかける。

 

「何故、煙管に何もせずに返した?」

 

 問いを発した煙灰の身体が僅かに強張った。煙灰の持っていた黒い煙管に対し、何もせずに返したヘカーティア。結果だけをみれば煙灰に不都合な点は何もない。

 だがヘカーティアは言っていたはずだ。私から掠め取ったと。それであるのにヘカーティアの行った対応。それがどうしても解せず、気味が悪かった。

 再び話の流れ次第では抗わねばならないかもしれない。それ故に煙灰の気配が緊張するのは仕方のない話であった。意識が張りつめ、妖気が燻る。

 近くにいた少女の顔色が煙灰の状態に顔を青くしていく。だがそれも長くは続かなかった。

 

「別段固執するほどの物でもないから」

 

 やはりなんでもないと言いたげな返答。声色、表情、雰囲気。そのどれもが雄弁に語っている。()()()()()()()()()()、と。

 だからこそ困惑した。煙灰はヘカーティアがどういった存在かを理解していた。争いの前と最中に語られた僅かな言葉。放つ気配に力。そして自らの魂がヘカーティアはどんな存在であるかを解っていた。

 故に解らなくなった。仲間の魂がヘカーティアの物であると認めるわけではない。だが、ヘカーティアの言い分も理解できる。生命の巡る世界の管理者たるヘカーティアには権利も権能もある。

 どうとでも出来たはずだ。障害たる煙灰の意識は無かった。手元に煙管を回収した。それであるのに今煙灰が握っている煙管には何もされていなかった。困惑している事を表情から読み取ったのか、二の句が続かない煙灰を待つつもりはないのかヘカーティアは言葉を続けた。

 

「大海から杯一汲み分取られたからと目くじらを立てる奴なんていないだろう? 私からしたらそれだけの話だよ」

 

 自らの言葉にどう反応するかとヘカーティアが煙灰を見据えた。向けられる瞳に居心地の悪さを覚える。

 平静を装いながら煙灰は懐古していた。ヘカーティアとのやり取りを。思い出される言動。ヘカーティアは取り返すとは一言も言っていなかった。

 取られたら取り返すという行為は当り前である。だからこそ煙灰は死ぬ気で抵抗したのだ。それでも今、ヘカーティアは取り返すつもりはないと言った。普通であれば信じられない。

 だが、掠め取ったとは言ったがそれを取り返すとは言わなかった。だからだろうか、ヘカーティアの言葉をすんなりと納得できたのは。

 匂わせたり勘違いさせたりはするが、決定的に嘘をつこうとしない。そしてその態度を理解した時、煙灰の内から明確な敵意は消え去った。

 

「本気の俺と遊びたかったってだけの話か……はた迷惑な」

 

 本気を出させたかった。行きついた結論に思わず深いため息が漏れ出る。正解だったのだろう。ヘカーティアがまた笑う。

 

「そうだよ。本気の君と遊びたかった」

「そうかい。それで満足できたかい?」

 

 疲れが滲む声色で煙灰が問えば、ヘカーティアが快活に応えた。

 

()()の所は」

 

 端的な言葉の後にちろりと茶目っ気たっぷりに舌を出して笑うヘカーティア。

 これからの先行きに多大な不安を覚えてとうとう目元を手で覆った煙灰。

 そしてそんな二人を眺めながら、一先ず嵐は去ったと胸をなで下ろす少女が一人。

 

 




ヘカーティア「えーんかーいくーん、あーそーびーましょー!!」


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