セクハラ提督と秘密の艦娘達 (変なおっさん)
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『case1 大淀』

 私、陸奥里助平は、日本の為、日本国民の為に軍人として日夜真面目に努めてきた。しかし、私も男……人並みの性欲はある。そんな私の下に神の悪戯か? それとも悪魔の所業かは分からないが一冊の本が与えられた。

 

 あれは、いつものように明石に頼み秘密裏に本土から密書の数々を入手した時の話だ。厳重に封のされたその箱には、頼んでおいた密書の数々が納められていたのだがその中に見覚えのない物が一つ。

 

『誰でもできる簡単催眠術入門編 ~全てはあなたの思うがまま~』

 

 初めは、驚いたものだ。開封された痕跡が無いはずなのに頼んでもいない商品が入っていたのだ。怖くなったので発送元に確認したがそんな物は取り扱っていないと返事が返って来た。とりあえず金銭などは発生しないことに安堵した。だが、これが何かを調べなければいけない。

 

 私は、それを手に取ると早速中身を見て……実践することにした。

 

 全ては、こんな辺境とも言える泊地へと私を送り、一つ屋根の下美しく可愛らしい彼女達と共にしたこの世界が悪いのだ。

 

 

 

 ♢♢♢♢♢♢

 

 

 

「提督、お茶が入りました」

 

「ありがとう、榛名。榛名が淹れてくれる緑茶は私の業務にとって最高の助けになるよ」

 

「……ありがとうございます、提督」

 

 恥ずかしそうに運ぶのに使用したお盆で顔半分を隠している。本日の秘書艦は榛名か。できる限り多くの者に秘書艦を経験してもらおうと当初から日替わり制にしたのが幸運だった。これなら秘書艦となった者達に催眠術を掛けてセクハラができると言うもの。ただ、残念ながら今は秘書艦である榛名はターゲットではない。なに、秘書艦なら慌てる必要が無い。

 

「榛名、すまないが資材の確認をしてきてくれないか?」

 

「資材の確認ですか? それならこの前――」

 

「榛名」

 

 提督の言葉に榛名は姿勢を正す。

 

「申し訳ありません。すぐに確認して参ります」

 

「よろしく頼む」

 

 榛名は敬礼をすると足早に司令室から出て行く。上官の命令は絶対。口答えなどはしてはいけないのだ。

 

「さて――」

 

 榛名が部屋を出て行ったのを確認すると、本日のターゲットに視線を向ける。名を、大淀。私が提督として着任してからの付き合いで海軍本部をはじめ外部との連絡を行ってくれる重要な任に付く艦娘だ。今こうして私がイヤラシイ視線を向けていることも知らずに業務を行っている。

 

 黒く美しい長髪。瞳は、綺麗な地中海のような海色をしている。艦娘と言うのはなぜか美しい、可愛らしいのどちらかの容姿を持って生まれてくる。大淀は、間違いなく美しい部類に入るだろう。

 

 セーラー服を基調とした服に下縁の眼鏡を掛けている姿を見ると、本人の役割と凛とした性格から見てクラスの委員長とでもいうのか、若かりし頃の学生時代を思い出してしまう。

 

「大淀」

 

「どうかされましたか、提督」

 

 名を呼ぶとこちらを向いてくれる。

 

「なに、少し分からない所があるのだが頼まれてくれるか? ここなのだが?」

 

「わかりました」

 

 大淀は、何の疑いもなくこちらへと足を進める。掛かった。

 

「どこでしょうか?」

 

「ここだよ。ここに書いてあるだろ? 『我が虜になれ』……とな」

 

 それが催眠の合図になる。別にこれだけで催眠が掛かるわけではない。実際、ここまで来るのに時間は掛かった。今まで真面目にやって来たおかげで誰も私の行いに疑問を持つ者は居なかった。だから少しずつ催眠に慣らしていった。今では、この『我が虜になれ』を合図にいつでも催眠を掛けられるようにまでなった。

 

「どうかしたか、大淀?」

 

「……いえ、なにもありません」

 

 口調は普段と変わらない。しかし、その姿はまるで人形。ただその場に棒立ちとなっている。

 

「榛名が戻ってくるまでそれほど時間もない……さっそくしてしまうとするか」

 

 目の前に無防備に性欲の獣である私にその身を晒している美女。気分が高揚してくる。

 

「先ずは、ハグからしようか」

 

 提督は席から立つ。すると、まるで吸い寄せられるかのように大淀は提督の胸に顔を埋める。急に来たので正直ちょっとだけだが驚いたのは内緒だ。軍人は狼狽えない。

 

「大淀は、可愛いな」

 

 大淀の髪を優しく撫でる。見た目通り綺麗な髪だ。指を櫛のようにして見ればその綺麗さがよくわかる。引っ掛かりなどはなく、まるでシルクのようだ。

 

「匂いはどうかな?」

 

 せっかく嗅ぎやすい所に大淀が居るのだ、匂いぐらいは当然の権利として嗅いでおく。

 

「……香水を変えたのか? 個人的には、前の方が好きだったのだが」

 

「……では、戻しておきます」

 

 返事が返ってくる。視線を大淀の方へと移すと、耳まで赤く染まっているのが分かる。残念ながら表情は胸に埋まるようになってしまっていてよくは見えないが……まぁ、別にいいか。

 

「しかし、本当に凄いな催眠術とは……あの大淀ですらこうなのだから」

 

 大淀の髪を撫でながら思い出す。大淀は、どちらかと言えばこういった事は嫌いな方だった。それこそ泊地内の大掃除をした時に密書の数々が見つかった時などは見た事もないような冷たい目を向けられたものだ。

 

「だが、今や大淀……お前は、私のモノだよな?」

 

「……はい。私は、提督のモノです」

 

「ふふふっ、本当にたまらない……しかし、ここからどうしたものか?」

 

 実は、催眠術の本には幾つかの注意書きが書かれていた。

 

 1. 催眠術は同時に二人以上に掛ける事はできない。

 

 2. 催眠術を掛けている所を見られてはいけない。

 

 3. 体質的に催眠術の掛からない者も居る。

 

 4. 容量用法は正しく守りましょう。でないと命に関わります。

 

「すぐに榛名も戻ってくるだろうし、あまりアレコレするのも危険な気が……」

 

「……よろしいのではないでしょうか? 私は、提督のモノですから」

 

「そうは言われてもなぁ……注意書きにもあった容量用法がさっぱり分からない。と言うか、催眠術の容量用法とはなんだ?」

 

 そう、コレが分からない。何を正しく守ればいいのかが分からないのだ。

 

「……キスぐらいなら……大丈夫だったりするのかな? 別にその……口でなくともいいのだ。流石に初めてが催眠術中で記憶がないのはどうかと思うし」

 

「……そうですね」

 

「だよな。うん、私もそう思う。じゃあ……おでことか? 大淀、こちらを向くんだ」

 

「…………」

 

「大淀?」

 

「……分かりました」

 

 大淀がこちらを向く。目は固く閉じられ、顔は普段とは比べ物にならないぐらいに赤く染まっている。これは、私の催眠術が不完全なせいだ。本には、催眠術が不完全だと羞恥心から赤面する事があると書かれていた。だが、すまないな、大淀。その表情もまた私を興奮させてくれるのだ。

 

「いつもありがとう、大淀。大好きだよ」

 

 おでこに口づけする。

 

「……さて、そろそろ榛名が戻ってくる頃だ。大淀、我が虜となれと書かれた紙を見た時から今に至るまでの事を全て忘れ、業務へと戻れ」

 

「……わかりました」

 

 そう返事をすると大淀は足早に自分の席へと戻っていく。その顔は、先ほどよりも更に赤く染まっている。

 

「――失礼します。榛名、ただいま戻りました」

 

 丁度良く榛名が部屋に戻って来る。

 

「すみません、提督。少し席を外します」

 

「そうか。わか――」

 

 返事も半ばで、大淀は榛名と入れ替わるように部屋から出て行く。その足取りは物凄く早い。

 

「……大淀さんどうかしたんですか? なんだかお顔が真っ赤でしたけど?」

 

「風邪だろ」

 

「そうですか。提督、こちらが資材の状況になります」

 

「うむ。……問題はないな。ありがとう、榛名」

 

「いえ、これも秘書艦としてのお仕事ですから」

 

「そうか。しかし、私は幸せ者だ。榛名達のような素晴らしい部下を持てて」

 

「私も提督のような素晴らしい方の下に居られて嬉しいです」

 

 あぁ……なんと健気で美しい笑顔なのだろう。榛名の笑顔に自責の念に押しつぶされそうになる。だが、すまない……もう私は誰にも止められないのだ。

 

「あの……提督?」

 

「あぁ、すまない。少し考え事をしていた」

 

「そうですか」

 

 ……どうしたのだろう? 榛名が傍から離れない。もう用はないから自分の席に着けばいいのに。

 

「どうかしたか?」

 

「いえ、その……大淀さんはしばらくお戻りにならないのかなぁ……と思いまして」

 

 なるほど心配していたのか。優しい子だな、榛名は。

 

「あまり時間が掛かるようなら休みを取らせよう。今日の業務はさほど残ってはいない」

 

「……そうですね。私と提督だけで大丈夫ですよね……提督! 榛名は、今日一日は大丈夫ですから!」

 

「お、おう……そうか」

 

 榛名はそう言い残し、自分の席へと戻って行った。急に大きな声を出すものだからビックリした。

 

 しかし、これはチャンスかもしれない。大淀を休ませれば、榛名との時間ができる……ふふふっ、やはり全ては思うがままという事か。神か悪魔かは知らないがお前はこの世界に性欲の獣を解き放ってしまったのだ。

 

 榛名、次はお前を性欲のはけ口にしてくれるわ!

 



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『case2 榛名』

 少し時間が経ち、戻って来た大淀に休暇を与え、本日の秘書艦である榛名と共に業務を行う。

 

「提督、こちらの確認をお願いします」

 

「うむ」

 

 榛名に渡された書類を確認する。

 

「問題ないな。榛名の頑張りのおかげでもうほとんど終わったようなものだな」

 

「榛名、頑張りましたから」

 

 大淀の代わりを務めるように提督の目から見ても普段よりも頑張っていたのは分かる。

 

「こちらとしてはありがたいが、疲れてはいないか? 後は、私だけでもできる。榛名も休むといい」

 

「いえ、榛名は提督の秘書艦として最後まで御傍に居ます」

 

「榛名……」

 

 上官としてこれほど嬉しい言葉もない。しかし、そんな榛名を私は己の欲望を満たすために――

 

「失礼します。第六駆逐隊、輸送任務より帰還しました」

 

 部屋の扉が叩かれ、輸送任務に出ていた第六駆逐隊の四人が司令室へと入って来る。

 

「うむ、ご苦労。何か早急に報告する事はあるか? 旗艦である暁から、響、雷、電の順に申してみなさい。別に任務以外の事でもかまわん」

 

 報告書で詳しい内容はあがってくるが、現場を知る事ができない身としては些細な事でも聞いておきたい。それにこういう機会でしかなかなか話もできない。今や多くの艦娘が所属する此処では僅かな関わりも大事なのだ。

 

「暁からは何も……ただ、もし時間があるならまた司令官と遊びたい……です」

 

「私とか?」

 

「最近、司令官が一緒に遊んでくれるようになったから嬉しくって。だからみんなで遊べたらなって」

 

 暁の言葉に他の三人も頷いている。

 

「本来であるのなら私は此処を監督する立場にある。だからこそ監督役として一歩引いていたが……よし、今度時間を見つけるとしよう。そちらの方でなにをするか決めておいてくれ」

 

「本当に!? やったー!」

 

「暁、気持ちは分かるけど落ち着こう」

 

「これは、早急に考える必要があるわね!」

 

「これから緊急会議なのです!」

 

 ぴょんぴょん跳ねるように喜んでいる。第六駆逐隊の四人は小学生ぐらいにも見えるので微笑ましい光景だ。

 

「ねぇ、司令官」

 

「なんだ、暁」

 

「まだ催眠術にハマっていたりするの?」

 

 暁の言葉に場の空気が止まるのを感じる。

 

「あぁ……まだハマっているのかな? 暁達にも付き合ってもらったからな」

 

「暁は、催眠術は掛からないけど司令官と一緒なら楽しいからそれでもいいよ?」

 

 そう、暁はこの泊地の中でも数少ない催眠術が効かない艦娘なのだ。五円玉を使った物では目を回して気持ち悪くなるし、蝋燭を使った物だと催眠術とか関係なしに眠くなるらしい。

 

「そうか。私の趣味に付き合ってくれてありがとう。だが、今度は別でかまわんよ」

 

 今はまだ暁の攻略は無理だろう。なに、他の者達で実力を付けていけばいいだけのこと。

 

「私は、いつでもいい。司令官の好きな時に付き合うよ」

 

「私にも言ってよね! いつでも待ってるから!」

 

「電も大丈夫なのです!」

 

 他の三人は問題がなく掛かる。この差は何なのだろうか?

 

「嬉しいな。他にはなにかあるのかな?」

 

 確認の為に訊くが、特にそれ以外は無いようで四人は部屋から出て行く。

 

「なぁ、榛名。私は、少し距離を取り過ぎていたのだろうか?」

 

 催眠術の本を手に入れてからは、それを試したくて関わりを持つようになった。

 

「そうですね。提督は、行事や催しには参加しておりましたが常に一歩引く形で居ました。提督の立場は、みんなも分かってはいますけど少し寂しい思いをしている子も居たと思います」

 

「皮肉なものだなぁ……」

 

 真面目にやってきた結果が部下との距離を生んでいた。それを欲望で埋めるなどとは。だが、一度芽生えたものはそう簡単に消える事はない。

 

「さて――」

 

 第六駆逐隊が本日最後の訪問者だ。これ以上は、此処を訪れる予定の者は居ない。つまり、仕掛けるのなら今だ。

 

「榛名、実は分からない所があるのだが見てもらってもいいか?」

 

「はい、どこでしょうか?」

 

 榛名を傍に招き、紙に書かれている文字を見せ、言葉を言う。

 

「『我が虜となれ』、榛名」

 

「……はい、榛名は提督の虜です」

 

 紙に書かれた文字と言葉で、榛名は催眠術に掛かり人形のように棒立ちになる。

 

「今思えば、初めて催眠術を試したのは榛名だったな」

 

 本を拾った次の日の秘書艦だった榛名に本で読んだので催眠術をやらせてほしいと言ったのが始まりだった。正直、呆れられるか不安だったが榛名は受け入れてくれた。それからは、本に書かれている通りに五円玉を紐で吊るしたりして催眠術を掛ける事に成功した。あの時は、久しぶりに興奮したものだ。

 

「先ほどは、時間が無くハグだけだったが今回は榛名の頑張りで時間がある。ここは、慎重に行こう」

 

 一番上の引き出しを開け、中の物を出して底板を外す。そこには、私の人生を変えた本が隠されている。

 

「金剛型……榛名……」

 

 本を開き、金剛型の榛名のページを開く。

 

「しかし、流石は神か悪魔が創りし本だ。わざわざ艦娘の情報まで載っているのだからな」

 

 この本には、催眠術の掛け方だけではなくより上手く催眠術を掛けられるように艦娘ごとに情報が書かれているのだ。例えば、榛名の場合はこんな感じだ。

 

 《金剛型 榛名》

 

 榛名は、どんな事でも大丈夫。あなたの欲望ならどんな事でも受け止めるでしょう。ただ、より催眠術の効果を高める為に愛を囁くなどを行うと効果的。耳元で何度も囁いてあげよう。

 

「ふむ。愛を囁く……どのような状況がいいだろう?」

 

 更に読み込んでいくと幾つかのシチュエーションなども書かれている。今まで勉学と部活に励み、軍に入ってからも仕事を中心とした生活をしていた身としてはあまり女性の事は分からない。だから本当にこの本には助けられている。

 

「……抱きしめるようにしてロマンチックな曲に合わせて踊る。確か、チークダンスだったか?」

 

 互いの頬をすり合わせ、身体を密着させて行う踊り。これは、気分が高揚してくる。

 

「曲に関しては、前に明石が店の在庫としてくれた物があったな。それを流すとしよう」

 

 部屋の隅に置いてある蓄音機型の音楽機器を使う。外に音が漏れないように小さめに。

 

「これでいいな。それでは……榛名、私と踊るのだ」

 

「……はい。榛名は、提督と踊ります」

 

 席から立ち、榛名の手を引き部屋の真ん中へと移動する。

 

「それでは、やるとしよう」

 

 榛名と向かい合う。

 

 灰色がかった黒髪は、いつ見ても不思議な綺麗さを持っている。思わず手に取りたくなるが、いや、問題はない。今は、榛名の全ては私の物なのだから。榛名の橙色の瞳を見ながら頬に触れ、そのまま首の後ろへと指で撫でる。すると、榛名は頬を紅潮させ、小さな音を零す。しかし、それを気にはせずそのまま髪にまで手を伸ばす。手の甲で感じる榛名の髪は、優しく私の手を撫で返してくれる。

 

「榛名は、チークダンスを知っているか?」

 

「……はい。榛名は、知っています」

 

「なら問題はないな。榛名、これから私とチークダンスを踊れ」

 

 榛名を抱きしめる。いい香りと温もりが同時にやって来る。思わずくらっとしてしまった。

 

「……榛名も香水を変えたのか? 普段は、金剛と同じ物を使っているのに」

 

「……いつもの方がよろしいですか?」

 

「いや、これも悪くないな。むしろ、落ち着きのある榛名にはこちらの方が合う気がする」

 

「……では、明日からはコレにします」

 

 会話はそこで終わり。後は、曲に身を委ねるように互いに身体を密着させ踊る。背の関係で互いの頬に触れる事はないが、これだけ近いと鼓動や息遣いが聞こえてくる。もしかしたら自分の物かもしれないが既に正常な判断ができない。

 

「緊張するな、これは……」

 

 榛名はなにも言わないが、視線を下に移すと榛名の表情が窺える。こちらも顔が赤いが今の私といい勝負だろう。時間がある分どうしても思考を働かせてしまう、意識してしまう。

 

「こうして女性と、それも榛名のような可愛らしい子とこうして居られる私は幸せだなぁ……」

 

 これも全てはあの本を手に入れたおかげだ。此処は、憲兵も居ない孤島。今や世界は我が手中にある。

 

 しかし、これからどうすればいいのだろう? このまま過ごすのは全然かまわないが夜勤者への引き継ぎまで時間は大分ある。司令室の隣は提督の私室になるわけだが……司令室と私室は内側から繋がっているわけだが……

 

「いかんな。部屋に連れ込むのはいかんな」

 

 いずれ、いずれはそう言うのもありだろう。しかし、まだ催眠術が完璧だとは限らない。急がば回れ。機会はまだある。

 

「……榛名は、大丈夫ですよ?」

 

「ん? 何か言ったか?」

 

 気のせいか、榛名の声が聞こえた気がした。

 

「……そんな訳はないか。催眠術を掛けている間は、こちらの言葉にしか反応はないはず。仮にあったとしても私の独り言に反応しただけだろう」

 

 一瞬ヒヤッとしてしまった。やはり、ここは慎重に行くべきだろう。ふふふっ、今度は誰を欲望の対象にしてやるかな?

 



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『case3 赤城』

 

 陽もまだ出始めた頃の早朝。泊地内に設けられている弓道場にて矢を射る。泊地での勤務に休みと言うものはない。身体を休めはするがいつでも動かせるようにはしている。こうして陽が昇る前から矢を射るのも不規則ながらも万全であるという矛盾に慣れるためだ。

 

(当たらん)

 

 何度矢を放つが的に当たらない。仮に当たっても中心からズレる。

 

「何か悩み事でもあるのですか、提督?」

 

 不意に声を掛けられる。

 

「赤城か」

 

「おはようございます」

 

 この時間に此処に足を運ぶものは少ない。赤城はその中の一人だ。

 

「今日は、加賀は居ないのか?」

 

「加賀さんは、朝に弓を見るそうですので今は」

 

「そうか。赤城、加賀は鳳翔の次に古株だからな。此処では、鳳翔を師とし、赤城と加賀が姉弟子になる。私も三人には、此処では頭があがらんよ」

 

 弓を覚えたのは此処に来てからだ。一人で行える鍛錬として鳳翔に教えを乞い、二人はその手伝いをしてくれた。

 

「では、姉弟子としてお聞きします。何を悩んでおられるのですか?」

 

 静かな此処で、赤城の澄んだ声がよく耳に届く。しかし、それに答える事はできない。

 

「姉弟子でも話せない事はある。別に赤城を軽視しているわけではない。ただ……口に出しにくいものもある」

 

 言えるわけがない。催眠術を手に入れてから妄想で夜も眠れない時があるなど。

 

「そうですか。では、無理に聞かない事にします」

 

 そう言うと、隣へと来る。

 

 赤城の艦装は、弓を使用する物となる。流石に此処では艦装を身に着けてはいないが、弓を番える姿は戦場のそれだ。美しく、凛々しい。今の赤城に惚れる者は少なくはない。もちろん、私も例外ではない。

 

「――お見事」

 

「ありがとうございます」

 

 赤城が放った矢は、そうあるべきとも言わんばかりに的へと吸い込まれる。自分の姿が情けなくなるほどに見事なものだ。

 

「これでは、赤城には当分は勝てそうにないな」

 

「そんな事はありません。こうして誰よりも早く鍛錬を行っているのですから」

 

「……そうだな」

 

 今の赤城には、私の姿はどう見えているのだろうか? どうしよう恥ずかしいし、情けない……だが、私は変わったのだ。飢えた獣へと。

 

「少し集中力でも高めるとしよう」

 

 弓道場の隅に置いてある楼台と一式を此処へと持って来る。これは、昔に聞いた話。武士は、集中力と精神力を鍛える為に暗闇の中、蝋燭の灯りをジッと見て鍛えていたという。実際にしてみると分かるが、物凄く飽きる。ただ、蝋燭の灯りは綺麗で、その揺らぎを見ていると時間を忘れる事もある。要は、上手くできれば効果があるのかもしれないと言いたいだけだ。

 

「私もお呼ばれしても?」

 

「もちろん」

 

 そんな話を赤城にしたことがある。その時は、鳳翔や加賀も居たが今は二人だけ。これを使わない手はない。鍛錬とか煩悩の前では無力なのだ。

 

「既に明るいが、気持ちが大事だからな」

 

 楼台に蝋燭を乗せ、明かりを灯す。世界は既に明るいが、それでも蝋燭の光は見えるものだ。後は、ジッとして機会を待つ。赤城は既に蝋燭の灯りに集中している。座して見ているその姿は、武人のそれだろう。向かい合うようにして座っている私の事など眼中にない。

 

(……頃合いか?)

 

 催眠の合図は紙だけではない。コレでも行けるはずだ。

 

「『我が虜となれ』、赤城」

 

「……はい」

 

 どうやら成功したらしい。これも積み重ねていった結果だろう。

 

「すまないな、赤城。別に私は悩みを抱えているわけではないのだよ。ただな……別の物を胸中に抱いてしまっているのだ」

 

 返事は返ってこない。しかし、これでいい。今の赤城は正座の形をとっている。丁度いい枕ができた。

 

「実は、少し寝不足なんだ。膝枕を頼む」

 

「……わかりました。どうぞ、お好きになさってください」

 

「失礼する」

 

 楼台をサッサと片付けて、赤城の膝を借りる……素晴らしい。何が素晴らしいか? お姉さん気質な赤城の膝枕を説明せねばならない時が来るとは……先ずは、この頭ナデナデだ。言わなくても頭を撫でてくれるこの感じ。今回が初めてではないにしろ、自然とそうしてしまう所が素晴らしい。それに催眠術が掛かっているために表情はあまり変わらないが微笑んでいるように見える。あぁ……本当に寝不足だったから寝てしまいそうだ。

 

「……眠られないのですか? 時間が来たら起こしますから」

 

「んー、そうしてくれると助かる。今日は、居酒屋鳳翔がある日だ。顔を出したい」

 

「……おやすみなさい、提督」

 

「おやすみ、赤城……」

 

 赤城に見守られながら夢へと落ちる。これなら僅かな時間でも十分に休息が取れそうだ。

 



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『case4 愛宕』

 

 催眠術と言うのは便利な物だ。記憶を消すだけではなく、記憶を与える事もできる。赤城には、共に鍛錬をしていた記憶を与えて無事に事を終えることに成功した。流石に白地ではダメだろうが、今までの鍛錬の記憶があれば問題はないのだろう。

 

 赤城のおかげで十分な睡眠をとれた身体で、食堂に朝食を頂きに行く。基本的には、決められた時間内であればいつでも食事を取る事ができる。やはり、二十四時間の勤務になるので全員一緒に食事を取るのは難しい。

 

「提督~♪ おはようございま~す♪ 今日は、よろしくお願いしますね」

 

 食堂に足を運ぶと愛宕が手を振って出迎えてくれた。どうやら今日の秘書艦は愛宕らしい。わざわざ私を待っていてくれたのだろう。

 

「愛宕が秘書艦か。よろしく頼む」

 

「うふふっ、もちろんです。今日は、提督の好きなお魚さんがありますよ?」

 

「此処での食事の大部分は魚だろ?」

 

 愛宕と共に食堂へと入る。数に限りはあるがAランチとBランチの二つがある。Aが焼き魚定食。Bが生姜焼き定食。一見するとBの方が良さそうに思えるが焼き魚定食には一品多く付く。魚も好きだがコレが楽しみだったりする。

 

「愛宕も焼き魚でいいのか?」

 

「せっかくなんで提督と一緒のがいいですから。早く食べましょう」

 

「そうだな」

 

 既に食堂には艦娘達の姿がある。私の姿を見るとざわめきがある。やはり、上官と同じ場所での食事は落ち着いてできないものなのだろうな。今日は、愛宕と向かい合いながら食事を共にするが普段は一人でとる事が多い。食堂の隅で一人食事を早く済ませ場を離れる。少し前まではそれが当たり前だった。今でもそう言う日はあるが中には愛宕のように気を使う者も現れ始めた。

 

(これも本を手に入れたおかげだな)

 

 本を手に入れるまでは軍人として厳しく生きてきた。真面目にその役割を果たすように。しかし、今はそれもない。今の私は、欲望に生きる獣。獣となった私には、今や世界は新しいものとして見える。

 

「どうしましたか?」

 

「いや、なんでもない」

 

 なんでもない事はないのだよ、愛宕。平然と卓を共にしている私が、愛宕の胸をチラ見しているなどとはつゆほども知らないだろう。今までは上官が部下に劣情を抱くなど愚かな行為であると自制してきたが今はもうしていない。意識して理解することにより愛宕の胸のデカさを改めて知る事になる。愛宕は、高雄型の姉妹艦になるのだが姉である高雄は真面目な性格に反するようにエロい格好をしている。流石の私も初対面の時は、どこを見て話せばいいのか分からない程にどこを見てもエロかった。胸もデカいし、尻もデカいし、太ももも――ええい、とにかくエロいのだ!

 

 それでは、愛宕はどうだ? 高雄に比べれば露出は少なくむしろ艦娘の中では重装と言わんばかりの厚着だ。他の露出がひどすぎる気もするが、一般と比べても着こんでいる方だろう。しかし、それでもエロい、エロ過ぎるのだ。服の中に無理矢理納めている双丘は常に自己主張をしており、今は見えないが黒のストッキングもまた色気を醸し出している。性格が所謂ゆるふわ系と言うものらしく、意外と無防備な姿を見る事もあるが……今の私にとっては目の毒だ。姉同様、私をどうする気なのだ?

 

「あの、提督? 先ほどからあまり箸が進んでいないように見えますけど……どこか調子でも?」

 

「いや、何の問題もない。なに、今後の事について考えていただけだ」

 

「そうなんですか。うふふっ、お食事の時にもお仕事の事を考えているなんて提督らしいですね。でも、ちゃんと食べないと作ってくれた人たちに申し訳ないですからね?」

 

「そうだな。気をつける」

 

 二人の妹が居るからか世話好きなのもダメだ。今思うと、当初から私に対しても気を使っていた。金髪碧眼と言う日本人にはない容姿なのもいけない。なんかもういろいろといけない。クソッ――なぜ、愛宕には催眠術が効かんのだ!

 

「そういえば、提督。あの遊びはもうしないのですか? 五円玉でユラユラする遊びは?」

 

「いや、そう言う訳ではないのだが……」

 

 愛宕には催眠術が効かない。正確に言えば、効果があるのかが分からない。確かに成功はした。動物の鳴きまねもしてくれたし、言われた通りに行動もした。ただ、愛宕の場合は普通にお願いしてもしてくれそうなのだ。愛宕は、普段から駆逐艦達のような小さな子達の面倒をよく見ている。その延長で、催眠術に掛かっていないにも関わらず私に付き合ってくれている可能性がある。実は、このタイプは意外と多い。それこそ姉である高雄もこのタイプだ。

 

 生真面目な大淀なら怒るか叱るかをするだろう。恥ずかしがり屋な榛名なら反応で分かる事だろう。上官の命令に対して忠実な赤城なら内容によっては確認の為に聞き返して来るだろう。しかし、優しく付き合いの良い愛宕のようなタイプは判断がし辛い。本には――

 

 《高雄型 愛宕》

 

 愛宕は、あなたのわがままをなんでも受け止めてくれます。遠慮せずに甘えちゃいましょう。但し、エッチな事は注意。いきなりはダメですよ?

 

「なぁ、愛宕」

 

「はい、なんでしょうか?」

 

「すまないが、少し走り込みを行いたくなった。先に大淀と業務の方をしておいてくれ」

 

「……わかりました」

 

 サッサと食事を済ませ、それを片付け足早に準備を行う。自分に気を使ってくれている愛宕に対して不誠実な自分が情けない。煩悩を払わなければ、今日の業務が疎かになる。

 

(急がば回れ。焦るな、時間はある)

 

 愛宕にアレコレ試したいが、もし嫌われたら執務机の一番下の引き出しに厳重に仕舞ってある物を取り出さなければいけなくなる。

 

 待っていろ、愛宕。必ず催眠術を極めて戻って来るから。そしたら――ええい、静まれ我が○○よ!

 



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『case5 神通』

 泊地内にある運動場。普段は、艦娘達の鍛錬に使われている場所である。戦場は艦装を身に付けた上での海上となるが、基本的な肉体的な鍛錬も必要との事で配備されている。愛宕と別れ、訓練用の衣服を身にまとい運動場へと足を運んだのだがそこに島風が居た。本人も暇そうにしていたので一勝負してみた。

 

「提督ー! すっごく楽しかったよぉー! またやろうねぇー!」

 

「あぁ……望む、ところ……だッ……」

 

 島風は健やかな汗を流しながら私を置いて満足気にこの場を後にする。前に駆逐艦達との鬼ごっこに混ざったことがあった。その時に確かに身をもって島風の早さを知った。しかし、一対一で戦ってみて分かった。あれは、化け物だ。全速力からの旋回による機動力。まるで足に羽が付いているかの如く重さを感じない動きで方向を変えていた。こちらは受け身を取るように転がり、早急に体勢を整え追撃するのがやっとであった。艤装を展開していない艦娘の身体能力は、人と変わらないと言うが疑わしく思える。

 

「もう……」

 

 最後の意地を貫き、島風が立ち去るまでは決して倒れる事はしなかった。しかし、姿が見えなくなった瞬間に膝から崩れ落ちた。

 

(なんと綺麗な空だ……)

 

 こんなに疲れ果てたのはいつ以来だろうか? 陸軍との訓練に志願をした時か? 確かにあの時は死ぬかと思ったな。

 

「しっかりしてください、提督!」

 

 顔に水をぶっ掛けられる。気持ちいい。熱が冷たい水に冷やされていくのを感じる。

 

「失礼します」

 

 身体を抱きかかえられ上体を起こされる。口に触れる感覚、口腔内を通り水が喉の渇きを癒してくれる。

 

「神通か、情けないところを見せたな」

 

 意識が戻り始めると心配そうな表情を見せる神通の姿がある。

 

「いえ、提督の勇姿を見せて頂きました」

 

「勇姿か。私は、虚勢を張る事しかできなかったよ」

 

「そんなことはありません。島風さんを相手に一時間もお相手をしたのですから」

 

「……一時間?」

 

「はい」

 

 あれー? ちょっとのつもりがそんなに? どうしよう大淀と愛宕に怒られそう。いくら正式な勤務時間が無いとはいえ一時間も遅れるとか上官としてどうなんだ? この原因が煩悩とか死んでも言えない。

 

「すぐに戻らなければ……」

 

 立ち上がろうとするが足が震える。どうやら限界まで酷使したようだ。これでは、しばらくはまともに使い物にならない。

 

「提督、僭越ながら私の肩をお使い下さい」

 

「神通……しかし、それではお前を汚してしまう」

 

 今の私は、汗まみれだ。それに加え、土埃と水でもびしょ濡れだ。

 

「かまいません。失礼します」

 

 神通が躊躇いもなく腕の中へと入る。最も汗臭いであろう場所だと言うのに。

 

「感謝する」

 

 神通に連れられ、浴場へと赴く。

 

「此処でお待ちください」

 

 提督を浴場にある更衣室まで連れてきた神通は愛宕達に連絡をするために一度傍から離れる。

 

「立派になったな、神通」

 

 更衣室にある備え付けの椅子に座り、昔を思い出す。昔の神通は、オドオドした大人しい子だった。個性の強い二人の姉妹に挟まれながらも健気に頑張っていた頃が懐かしい。今では、近代化改修を受けた影響からか率先して敵陣に攻め込むまでに成長した。

 

「提督、無理しちゃダメですよ。私と大淀さんでやっておきますから休んでいてください。いいですね?」

 

 神通が戻って来た時に愛宕も一緒に来た。その手には、着替えがあったのだが渡される際に怒られた。

 

「でも、意外と子供っぽいところがあるんですね」

 

 悪戯か? 窘めか? 言い返せないのが辛い。

 

「それでは、神通さん。提督の事をお願いしますね」

 

「はい。お任せを」

 

 神通に任せ、愛宕は仕事へと戻っていく。

 

「神通、私はこれからシャワーでも浴びる。ここで十分だ。よくやってくれたな」

 

「いえ、最後まで手伝わせてください」

 

「そうは言ってもだな」

 

 確かに足元はまだ危ない。しかし、シャワーを浴びる以上は裸になる必要がある。流石に恥ずかしい。

 

「シャワーを浴びるには服を脱がねばならない」

 

「服を……」

 

 そう呟くと急に神通の顔が赤くなる。どうやら気づいていなかったようだ。おそらくだが忠誠心によるものだろう。神通は、よく慕ってくれていた。軍人としての私を。

 

「そう言う訳だからな? すまないが外――」

 

「大丈夫です! ……あっ……いえ、その……大丈夫です。私は、大丈夫ですから」

 

 そんなに顔を真っ赤にされてもそうは思えない。

 

「無理はしなくていい。神通の忠誠心はよく伝わった。今まで上官として接してきた私としては嬉しい限りだ」

 

「ですが……私は、愛宕さんと約束しました。提督の事を……任せてほしいと」

 

 ん? 急に顔つきが変わって来た。これは少しまずいことになった。

 

「しかしだな。嫁入り前の身に男の裸を見せるのはどうかと」

 

「た、確かに……恥ずかしいです。でも、提督の身に何かあれば一大事です。せめて、御傍に居させて下さい」

 

 昔から一度決めるとなかなか曲げない所がある。近代化改修を行ってからその色が強くなってきたりもする。今の神通に言う事を聞かせるのは、命令として言わない限り難しいだろう。しかし、このような私情で、尚且つ善意から来るものを命令でどうにかするなどは職権濫用もいいところだろう。仕方がない。最後の手段を行使する。

 

「神通、コレを見るんだ」

 

 着替えとして手渡された軍服の懐の中に緊急用のペンライトが隠してある。コレは、本当の緊急用で蝋燭の代わりだ。神通には今までも催眠術を行使してきたのでコレで行けるはず。

 

「『我が虜となれ』、神通」

 

「…………はい。御命令を」

 

 なんだか普段より効果が出るまで長かった気がする。やはり、ペンライトだとこんな物なのか? 本には、お手軽にできますのでオススメと書かれていたのだが。

 

「これで、神通には此処から――」

 

 なんだ!? 急に背中に寒気が!? 周囲を確認してみる。誰も居ない。此処に居るのは、私と神通だけ。気のせいか?

 

「ふぅ……今のはなんだったんだ?」

 

 久しぶりに感じた寒気に冷や汗が出る。しかし、冷えた頭である事が浮かぶ。

 

「この状態なら問題はない? 後で神通の記憶を消せば大丈夫なのか?」

 

 まさに飢えた獣の発想。我ながら恐ろしくなる。

 

「とは言え、恥ずかしいものは恥ずかしい。シャワーは諦め、身体を濡れタオルで拭いてもらおう。確かに濡れてはいるがそれで十分だ」

 

 そうと決まれば服を脱ぐ。上着を、下を、パンツだけ残して脱ぐ。拭き終わったら神通には流石に更衣室から出て行ってもらい座りながら着替えよう。

 

「神通、清拭の準備を頼む」

 

「…………はい……すぐに」

 

 顔を真っ赤にしながら神通は浴場の方へと移動する。なんだか前に催眠術を掛けた時よりも間が空く気がする。大丈夫だよな? 上官として慕ってくれている神通に冷たい目で見られるとか精神的に耐えられそうにないんだけど。

 

「…………それでは、拭かせて頂きます」

 

 風呂桶にお湯を入れて持ってきた神通は、タオルを濡らして提督の身体を背中から拭き始める。

 

「…………どうでしょうか?」

 

「あぁ、悪くない」

 

 流石にすぐに冷めてはしまうがそれでも十分に心地良い。背中とかが終わったら前の方は自分でやろう。最近の出来事と今回のでいろいろと限界のようだ。司令室に行く前に聖域に寄らなければならない。この泊地内で女性が立ち入る事の出来ない男子トイレに。

 

「ん?」

 

 気のせいか、タオル以外が身体に触れた気がした。あぁ、神通の手か。拭きやすいように支えているのだろう。少しぎこちないが別にしっかりとしてくれてかまわないのに。なんだかさすられているようでくすぐったい。

 

「神通。拭きにくいならしっかりと支えてくれてもかまわないぞ。遠慮はしなくていい」

 

「…………は……い」

 

 神通の手の温もりを背中越しに感じる。なんだかなにかのプレイみたいだ。すっごく興奮してきた。

 

「神通、もういいぞ。後は、私がやる」

 

「……いえ、このまま……やらせてください」

 

「いや、これ以上はいい、こちらにも都合がある。事情があってそちらを向けないが、ご苦労だった。神通。お前は、此処から出て行き、愛宕達にすぐに私が戻る……少ししたら戻るように伝えてくれ。そうしたら此処で愛宕と別れてからの記憶は消える、いいな?」

 

「……了解しました。失礼します」

 

 背中越しにも神通が敬礼をとったのが分かる。

 

「……行ったか」

 

 神通の足音が遠のいたのを確認して一息つく。

 

「不幸中の幸いと言うものだな。私にしては随分と頑張ったものだ」

 

 今回は、今までの中で一番欲望に素直になったと思う。これは成長しているという事なのだろう。さて、もう限界なのでサッサと着替えを済ませて静めるとするか。これ以上は身体に悪い。

 



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『居酒屋鳳翔』

 居酒屋鳳翔。それは、娯楽の少ない泊地の憩いの場所。

 

「お疲れ様です」

 

「お疲れさま~」

 

「お疲れ」

 

 大淀と愛宕と杯を交わす。場所は、店の奥のカウンター席。私の特等席だ。最近は、こうして大淀や秘書艦が席を共にしてくれるようになった。静かに一人で飲むのも良かったが……悪くはない。

 

「御通しになります」

 

 此処を切り盛りしている鳳翔がお新香を盛った小皿を三人の所へと置く。居酒屋鳳翔は、あくまでも普通の居酒屋の体裁に則って営業されている。あくまでも仕事を忘れ、憩いの場としてある為だ。

 

「美味そうだな。鳳翔の漬物は、野菜不足になる此処では食の癒しだ」

 

「ありがとうございます、提督。明日は、輸送艦が来ますので沢山食べて下さいね」

 

「あぁ、そうさせてもらう。明日は、休みだしな」

 

「鳳翔さんは、わざわざ提督の休みに合わせていますからね」

 

「うふふっ、やっぱり仲が良いのねぇ~」

 

 大淀と愛宕に茶化される。鳳翔だけならいいが、おっさんを照れさせて何が楽しいのか。

 

「鳳翔さん、すみませんが味見をお願いします」

 

「分かりました。提督、また後で」

 

 鳳翔は、手伝いの翔鶴に呼ばれる。出すかどうかはあくまでも鳳翔の判断で行われる。他にも何人か手伝いは居るが大変そうだ。

 

「しかし、こうして見ると人が減ったものだな」

 

 居酒屋鳳翔は、そこまで大きな造りではない。収納可能人数は30人程。今はそれで丁度いいぐらいだ。

 

「派遣、支援要請で大部分が居ません。当然、今も任務にあたっている方々も居りますので」

 

「摩耶ちゃんも鳥海ちゃんも居なくて寂しいのよね~」

 

「仕方あるまい。本来なら私達は、前線の方に居るべき戦力なのだから」

 

 己が招いた事とはいえ不甲斐ないばかりだ。

 

「流石に有力者の御子息を殴られたのはまずかったですね」

 

「……あの馬鹿がお前達を物のように見たのが悪い」

 

 国を守り、資源を獲得している海軍は今や花形とも言える。箔を付ける為に海軍に自分の子供を入れる者達は後を絶たない。中には真面目な者も居るがしょうもない者も居る。上官としての立場を利用して艦娘達に手を出そうなどと言う者も。……今の私が言える立場ではないが人間の屑だ。

 

「でも、カッコよかったですよ、提督。他にも嫌な思いをしていた子達はいっぱい居ましたから」

 

「だが、今はこの様だ。無能共は、自分では育てる事もできないからと必要以上に戦力を集めている。こちらとしてもお前達を死なせるわけにもいかない。腹立たしいが戦力を送らねばならぬ。まだ前線に信頼できる者達が居るからいいが、もし居なくなったら海軍本部に乗り込んでやる」

 

「ぶっそうなこといってるわねぇ~。でも~、ていとくのそういうところはすきよぉ~」

 

 酒の臭さと共に足柄が一升瓶と共にやって来た。

 

「ええい、絡むな酔っ払い!」

 

 もたれかかるように、抱きつかれるように足柄に背中から襲われる。酒くっさ!

 

「もうすなおじゃないわねぇ~。うれしいくせにぃ~ヒック……」

 

「そう言う言葉は、素面の時にでも言え。大淀、愛宕、この酔っ払いを送還しろ」

 

「了解しました」

 

「お部屋に帰りましょうね~」

 

「なにいってるの。わたしはまだのむわよ」

 

 足柄は、大淀と愛宕に脇を抱えられ退場していく。

 

「足柄があそこまで……」

 

 嫌な予感がして足柄が来た方を見てみる。

 

「天龍、貴様はこの私の酒が飲めないとでも言うのか! 妙高姉さんも言ってやってください!」

 

「アハハッ! 私は、隼鷹だよー! 那智は面白いなー!」

 

「那智姉さん、妙高姉さんは支援任務で今は居ないよぉ~」

 

「うぅ……もぅのめましぇ~ん。おれがわるかったですぅ……。うぇへ……ゆるひてくだはい……」

 

「あらあら天龍ちゃん。那智さんに勝つんじゃなかったの?」

 

「……見なかったことにするか」

 

 どうやら那智と隼鷹に煽られたのだろう。足柄も強い方だが酒豪の二人には敵わんか。しかし、なんで天龍は那智に勝負を挑んだ? あながち龍田に何か言われでもしたか? まぁ、どうでもいいか。

 

「あの提督。お隣、よろしいですか?」

 

「別に構わんぞ、榛名」

 

 大淀と愛宕の代わりに隣に榛名が着く。

 

「どうかしたのか?」

 

「いえ、少しお願いがありまして」

 

 榛名は、日本酒の入った徳利で注いでくれる。

 

「お願い?」

 

「はい。明日、金剛お姉様達が帰られます。もしよろしければ、お茶会に参加して頂けたらと思いまして。ダメでしょうか?」

 

 紅茶好きな金剛が開くお茶会。普段は姉妹艦だけで行われているが参加自体は誰でもできる。そう言えば、金剛達とは本を手に入れてからは会っていないな。

 

「私が席を共にしていいのか?」

 

「もちろんです。金剛お姉様は、提督と一緒に紅茶を飲みたがっていましたから」

 

「そうか。自分で言うのもどうかと思うが、私は寡黙な方だった。こうして鳳翔が気を使い酒が飲める場所を作ってくれなければ榛名達との交流はないほどに」

 

 あくまでも上官としてしか接してこなかった。今思えば、良い上官ではなかったのかもしれない。

 

「提督は変わられました。だから、お姉様にも……榛名と同じ思いをしてもらいたいのです」

 

「分かった。私は、酒には強いがその代わり眠りが深くなる。昼までは寝ているだろうからそれからなら参加しよう」

 

「本当ですか!? ありがとうございます、提督!」

 

 満面の笑みを見せてくれる。これなら早くしておけばよかった。

 

「そう喜ぶ事でもあるまい。榛名、お前も飲め」

 

「そんなことはありません。提督を慕っている人は少なくないんですよ?」

 

「はははっ、そんなことはないだろう。こんなつまらない男など」

 

 居るはずがない。もし居るのなら相当な物好きだろう。

 

 しかし、金剛か。

 

(金剛には催眠術が効くのだろうか?)

 

 実は、派遣や支援に行っていた者達の情報は本には書かれていない。本がそれほど分厚くない事もあるのだが本を手に入れた時に泊地に居た艦娘達の分しかなかった。

 

(神か悪魔かは知らないが私に力を貸してくれ)

 

 明日は、本土から荷物が届く。密書に関しては正直もういらないが試しに頼んである。しかし、既に何度か頼んではいるが全て不発。もうそろそろ新しい本が来てもいいのではないだろうか?

 



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『居酒屋鳳翔②』

「ていとく~、榛名よっちゃいましたぁ♪」

 

「そのようだな」

 

 榛名と共に酒を飲み始めたがどうやら榛名は酒にはそこまで強くないようだ。今では、頬を赤く染め私の腕にしがみ付いている。柔らかい……とても柔らかい。

 

「榛名、そろそろやめておいた方がいいのではないか?」

 

「むぅ~、そんなことを言うのはこの口ですか? えいえい♪」

 

 指でツンツンされる。今下手に口を開くと大変な事になりそうだ。

 

「えへへ~、ていとく~♪ もっとのみましょ~♪」

 

 新しく酒が注がれる。なんだか上官に連れていかれた夜のお店を思い出してきた。あの時は、私ではなく他の者が同じような状況だったが。

 

「あと一杯だけだぞ?」

 

「もうそんなこと言わないでくださいよぉ~。榛名はていとくのモノなんですからぁ~。なんでも命令してくれていいんですよ?」

 

 周囲を確認する。忙しいか酔っ払っているかで誰も見てはいない。

 

「まさか……」

 

 今の榛名の言葉は、催眠術を掛けている時に言う言葉だ。なぜ、それを今言うのだ?

 

「考えられるのは一つだけか」

 

 催眠術の副作用。酒により意識が混濁しており催眠状態と似た様な状態になってしまっているのではないのか? その為、何度も催眠術に掛けられた榛名は酒でも催眠術の効果がある状態に? これは調べる必要があるな。

 

「榛名」

 

「はい。ていとくの榛名ですよぉ?」

 

「危ないからしっかりとつかまっておきなさい」

 

「は~い♪」

 

 榛名の腕に力が入り、ギュッと腕を抱きしめられる。

 

(行けるのか?)

 

 仮にこれでいけるとするなら戦略に幅が広がる。催眠術を掛けるのはなかなかに大変だ。しかし、酒に誘うのはそこまで難しくはない。それこそ此処でなら問題はないだろう。隣に座った者に酒を飲ませ、そのまま……いかん。それでは犯罪ではないか。いや、催眠術を使っている人間が何を言ってもダメな気はするが。

 

「どうかされましたか、提督?」

 

「――はっ!? いや、なんでもないぞ、鳳翔!」

 

 気迫のある声に思考の底から一気に現実へと引き戻される。なんだ……鳳翔から覇気を感じる。これはまずい。

 

「すまない、鳳翔。榛名が酔ってしまっていてな。部屋に送ってやってほしいのだ」

 

「……そうですか。瑞鶴さん、龍驤さん。榛名さんをお部屋までお連れして」

 

「わかりました。帰りましょう、榛名さん」

 

「せやで。これ以上はあかんで」

 

「まってください……榛名は、榛名はていとくのおそば――」

 

 瑞鶴と龍驤に両脇を抱えられ、榛名も足柄に続き退場する。

 

「しかし、席を共にして分かったが艦娘とは酒癖が悪いものなのか?」

 

「どうでしょう? お隣、失礼しますね」

 

 榛名が居た席に鳳翔が座る。

 

「もう大丈夫なのか?」

 

「はい。後は、出すだけですので」

 

「そうか。では、注ごう」

 

 鳳翔の分の杯を用意し、酒を注ぐ。

 

「そう言えば、今日は島風さんと遊ばれたそうですね。島風さんが嬉しそうにいろいろな所で話していましたよ」

 

「恥ずかしいな。しかし、島風は早過ぎだ。これでも体力には自信があったのだがな」

 

「提督の指示で機動力の鍛錬を重点的に行っている成果ではないでしょうか?」

 

「それは、あくまでも海上での話だろ? 陸上まで影響のあるものなのか?」

 

「島風さんは、普段から走っているようですからその影響ではないでしょうか?」

 

「鍛錬の成果か……しかし、悔しいものだな」

 

 見た目が子供な島風に惨敗。情けないが、結果は絶対だ。

 

「提督も子供らしい所があったんですね。いつも気難しいお顔でお仕事をしていましたのに。いったいどのような心境の変化があったのですか?」

 

「心境の変化か」

 

 まさか催眠術の本を手に入れ、欲望の赴くままに行動しているからだとは言えない。

 

「確か、催眠術の本を手に入れたとか? 前に此処でお話していましたものね。子供の頃にそういったものに興味があったと」

 

「……話した事があったか?」

 

「もう、忘れるなんて酷いですよ」

 

「すまない。そうか……鳳翔には話していたのか」

 

 別に大した事はない話だ。子供なら一度は未知の力、不思議な力に憧れるものだ。魔法、超能力、気。それらを扱えたらどれだけ楽しいのかと想像に耽ったものだ。

 

「恥ずかしながら気ぐらいなら使えないものかと子供ながらに武術を学ぶ事にした。しかし、何をやってもできる事はなかった。ただ、催眠術は他とは違い存在する可能性があった。だからか……興味はあった。試す相手も機会もなかったが」

 

 しかし、催眠術は実在した。そして、今やその力を手に入れた。

 

「でも、その本のおかげで提督は皆と関われる事ができました。慕われては居ましたけど、上官として常に距離を取っておられましたからね。最近では、提督と何をしたのかを話すのが一つの楽しみのようですよ?」

 

「……聞きたくなかったな」

 

「もう、照れないでください」

 

「そうは言うが自分の事を話されるなど恥ずかしいだろう。しかし、こんな私の事など面白くもないだろうに」

 

「そんなことはないと思いますよ? 皆さん、提督とお話をしたかったようですから。なにかきっかけでもあればと話していたぐらい」

 

「うむ……」

 

 まさかそこまで。やはり、神か悪魔かは知らんが見ている者は見ているのだな。あの本を私に与えてくれた者には感謝せねばなるまい。

 

「提督、今日は私とお話でもしましょう。今までもこうしてお話したことはありましたけど、前よりも楽しいお話が出来そうですから」

 

「……もう少し飲んでからだ」

 

「それでは、注がせて頂きますね」

 

 居酒屋鳳翔が出来てからこうして鳳翔とは少しだけだが最後まで残り飲んでいた。此処では、上官と部下ではなく、客と店主として関われるように。本当に鳳翔には世話になっているな。

 

「世話を掛けるな」

 

「お互い様です」

 

 今この泊地に居る者の中でただ一人鳳翔には催眠術を掛けていない。おそらくこれからも掛ける事は……たぶんないと思う。

 



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『case6 ??・北上』

 提督の部屋は司令室の隣に配置されている。

 

「失礼しまぁ~す。おやおや、ぐっすり寝てますね」

 

 ??は、鍵の掛かっていない扉を開け提督の部屋に入る。非常時の為に施錠はしていないので入ろうと思えば誰でも入れる。そんな侵入者が居るとは知らず、提督は静かにベッドの上で眠りについている。

 

「司令官はお酒を飲むと簡単には起きませんからね。まぁ、その方がやりやすいんですけど」

 

 ??は、キョロキョロと部屋を見渡し手に持っている箱の置き場所を探している。目についたのは、提督の私用の机。そこに密封されている箱を慎重に置く。

 

「後は、コレを置いておきますね。司令官の勇姿が載ってますよ」

 

 箱の横に紙を一枚。『艦隊新聞』と書かれた物を置いておく。

 

「司令官、今までと同じように上手く行くと思っていると大変なことになっちゃいますよ? これからドンドン此処に戻って来るんですからね? でも……司令官には責任があります」

 

 ??は、コソコソと提督の傍に近寄る。すると――

 

「失礼しますね」

 

 提督が眠るベッドの中にコッソリと入る。それでも提督に変化はない。

 

「腕枕~♪ そして、記念に一枚……よし、これで今は十分」

 

 ??は、横で眠る提督の横顔を眺める。

 

「司令官。もっと??達と関わらないとダメですからね? ??は、いつでも待ってますから」

 

 そう言い残すと部屋から出て行く。まるで誰もそこに来なかったように。

 

 

 

 ♢♢♢♢♢♢

 

 

 

「提督~、借りてた本返しに来たよぉ~」

 

 北上が部屋の扉を叩き部屋に入って来る。

 

「まだ寝てるんだ。本当にお酒に強いんだか分かんないね、これじゃあ。とりあえず、コレ返しとくからね」

 

 本棚に借りていた本を仕舞う。

 

「……なんだかズルくない? 私だけ起きてるの?」

 

 北上は提督の眠っているベッドに近づく。

 

「いつも頑張ってるのは知ってるけどさ~、そんなに気持ちよく眠ってるのを見ると悪戯したくなっちゃうよね~。んじゃ、失礼しま~す」

 

 ベッドの中に潜り込む。それでも提督に変化はない。

 

「んしょ。……これでもダメかぁ~。緊急時には起きるから問題ないけど軍人としてどうかと思うよ? まぁ~いいいけどさ。少し前だとこんなことできるなんて思わなかったけど、この前のお返しってことでよろしくね。じゃあ、お休み~」

 

 北上は、提督の腕を枕にして抱きつくようにして眠りにつく。

 

 

 

 ♢♢♢♢♢♢

 

 

 

 これは、夢か幻か? 少なくとも腕から伝わる温かさは本物で。寝息が耳に届いている。

 

(……なにがあった?)

 

 昨日の夜は、居酒屋鳳翔で遅くまで鳳翔と飲んでいた。それから自室へと戻って来たわけだが起きたら横で北上が眠っていた。

 

「まさか、連れ込んでしまったのか……私は……」

 

 記憶にはない。部屋には一人で戻って来た。北上とは少なくとも会ってはいないはず。しかし……

 

「北上?」

 

「ん……」

 

 名前を呼び、自由な方の手で北上の頬っぺたをツンツンしてみる。柔らかい。少なくとも偽物ではない。夢でもないのだろう。

 

(軍法会議か……)

 

 部下を自室に連れ込み一夜を共にする。記憶にはないが処罰は免れまい。

 

「いや……私にはまだ奥の手がある」

 

 成功するかは分からない。しかし、他に方法が浮かばない。

 

「鍛え上げた私の催眠術で上手く記憶を操作すれば……いけるはずだ」

 

 催眠術には眠らせてから暗示を掛けるものがある。本当に眠っている場合に有効かは分からないが他に手が浮かばない。北上を起こさないように身体に絡みつく腕をはずしていく。慎重に、爆発物を扱うように慎重に。

 

「ん……ていとく……」

 

 心臓が跳ねる。

 

「起きたか?」

 

 声を掛けるが反応はない。セーフだ。

 

「起きるなよ、北上」

 

 身体から腕を外すのに成功すると今度は移動を行う。現在の状況はこうだ。私が壁側に居り、北上が内側に居る。北上の上を通るルートは危険と判断し中止。上の方も壁なので中止。そうなると下にしか活路はない。だが――

 

(北上はスカートなのか……)

 

 布団の中を潜るのはいいのだが、必然的に北上の身体の横を通る形になる。先ずは、胸だろう。布団を捲り確認してみるが、北上は意外と胸がデカい。接触は危険だ。次に問題なのは、北上はスカートなのだがその横を通る事になる。確実に変態だろう。

 

「だが、他に道もない」

 

 横になっている体勢では、催眠術どころではない。先ずはここから脱出することが先決だ。

 

「起きるなよ、北上」

 

 覚悟を決め、ゆっくりと身体を下へと動かす。北上を起こさないように慎重に。胸に気を――近い! 近いぞ! 目の前に胸が近づいて来た。

 

(煩悩退散! 心頭滅却!)

 

 布団の中と言う密閉された空間故に北上の匂いが充満している。これからそこに潜るわけだが……ええい、静まれ! 昨日、静めたばかりだろう!

 

 己が意志では制御できない事もある。それでも今はいけない。身体の中心にあるソレは、行動に影響が出る。下にズレる動きすら今はまずいのだ。

 

(よし……視覚はこれで問題は無くなったな)

 

 未だ危険な状況に変わりはないが、それでも布団に潜った為に視界が黒に染まる。しかし、代わりに北上の匂いが強まりクラクラする。ここから更に下へと移動する。私は、耐えられるのだろうか?

 

(一気に行くか)

 

 既に下半身は外に出ている。こう、スッと落ちるように上手くすれば行けるのではないかと淡い期待を抱いてしまう。

 

(いや、急いては事を仕損じる)

 

 罠だ。勢いで布団が捲れてしまえば北上が起きる可能性がある。軍法会議はこの際甘んじて受けよう。しかし、自分たちの上官が変態だったなどと言うのは彼女達にとって不名誉であり、また心に傷を残す事になるかもしれない。それだけは避けたい。

 

(神よ、私に力を)

 

 ゆっくりと下に移動する――移動する……移動……これは!?

 

 北上が動き、頬に触れる。温かく、柔らかいそれが。形状から瞬時に頭が答えを導き出す。太ももだ。すぐそこに太ももがある。否、太ももだけではない。これは、内ももの可能性が高い。

 

(士官学校時代を思い出せ! あの地獄のような日々を思い出せ!)

 

 意識し始めるとまずい! 非常にまずい! 試練としてはあまりにも厳し過ぎではありませんか神よ?

 

(負けて……負けてなるものか!)

 

 下に移動しようとすると頬に太ももが擦れ、感覚がより強く伝わる。これを無事に終えた頃には悟りが開けそうだ。

 

「任務遂行……」

 

 疲れた。主に精神的にドッと疲れた。今は、床に座り込んでいる。もう何もしたくはないが行動に移さなければならない。まだまずい状況に変わりはないのだから。

 

「さて、北上に催眠術を掛けなければ」

 

 催眠術の掛けやすい位置に移動――ん?

 

「箱?」

 

 机に置いてある箱に気づく。それは、本土からの密書が納められている箱だ。もしかしたら何か新たな力がそこにあるのではと思い開けてみる。……入っていた。前のよりも薄いが催眠術の本が。

 

「僥倖。いや、試練に打ち勝ったからこその奇跡だ」

 

 試しに読んでみる。そこには、今までに無かった艦娘達の情報が書かれている。幸運な事に金剛達のもある。

 

「これは、後で改めて読むとしよう。今は、こちらの問題を解決せねばなるまい」

 

 本を箱に丁寧に納め、北上の方へと戻る。

 

「……なんだか赤いな?」

 

 提督の代わりにベッドで眠りにつく北上は顔を赤らめている。もしかして風邪か?

 

「風邪をひいており、部屋を間違えてしまった可能性が? うむ、よくよく考えれば私も北上も服は着ているしな。それに……」

 

 自分の身体だから分かる。たぶん何もなかったはず。そうでないならこんなに元気ではないはず。確かにすっごく興奮はしたけど。

 

「とにかくやってみよう」

 

 気合いを入れ、北上の方を向く。

 

「北上……あなたはだんだん眠くな~る。眠くな~る」

 

 既に眠っている相手にどうかと思うが他の方法を知らないので手順通りに行う。

 

「よし、これでいいはず。では、北上。私の言葉を理解できるか?」

 

「……はい」

 

 思わずガッツポーズをとる。これで上手く行くはずである。

 

「北上、なぜお前は此処に居るのだ?」

 

「……トイレに行った後に自分の部屋に戻ってきました」

 

「そうか。やはり間違えたか。確か今日は夜勤だったか? 後で誰かに変わるように私から言っておこう。北上、此処での事は何もなかった、いいな?」

 

「……はい。なにもなかったです」

 

「北上。今は此処を使え。後で人を此処に寄越す」

 

 布団を掛け直し、着替えを済まして部屋から出る。着替えている間中視線を感じた気もするが、北上が居るからそう感じたのだろう。とりあえず無事に全てを終える事はできた。

 

「ごめん、提督。体調悪いみたいでさ」

 

「なに、私が起きている時に北上が来た時は驚いたが何も問題はない。吹雪、後は頼む」

 

「はい。お任せください」

 

 吹雪に事を伝え、北上を任せる。吹雪なら私の言葉をそのまま受け止めてくれるだろう。私が起きている時に北上が来た。それで、安全を考え私のベッドに緊急的処置として北上を寝かせたと。

 

「提督? 本当になにもありませんでしたよね?」

 

「……ある訳ないだろ?」

 

「そうですか……。私は、提督を信頼しています。ですが、北上さんに手を出すのはダメ……ですからね? いくら提督でも?」

 

 いつの間にかそこに居た大井に問いかけられる。普段は丁寧な物腰の良い子なのだが北上に関しては少し怖い表情を見せる。軍法会議とどちらが怖いかは言うまでもないだろう。

 



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『金剛姉妹とのお茶会』

 泊地へと帰還した金剛、霧島は榛名と共にお茶会の準備をお気に入りの場所で用意。その間に共に帰還した比叡が提督を呼びに行く。

 

「テイトクー♪ テイトクー♪ テイトクと一緒にtea time♪」

 

 金剛は、鼻歌も交えながら機嫌よく準備をしていく。

 

「金剛お姉様は、上機嫌ね。でも、榛名。本当に手紙に書かれていた話は本当なの?」

 

「はい。今の提督は、とてもフレンドリーです!」

 

「フレンドリー……どうも信じられないのよね。鬼の助平とも言われた提督が本一つでそこまで変わるなんて」

 

「霧島。本の事は内緒です。それだけは守ってください」

 

「分かっているわよ、榛名。私としてもその方が都合はいいのだし。でも、全員ではないのよね?」

 

 秘密の話。提督と一部の艦娘達には内緒にされている秘密。

 

「はい。比叡お姉様にも秘密です。提督の事は好きだとは思いますが、金剛お姉様と比べると危険です。それに比叡お姉様の場合、提督に気づかれる可能性があると判断しました」

 

「比叡お姉様に隠し事は無理よね」

 

 比叡は良い言い方をすれば純粋だ。すぐに表情や態度に出る。

 

「なんでもいいヨ! テイトクと一緒に紅茶を飲むのは私のdreamだったネ。ずっとテイトクを誘ってきたけどダメだった……それが今叶うんだから問題nothing」

 

「金剛お姉様は、提督の下に早い段階から居られるんでしたよね?」

 

「そうデース! 鳳翔や大淀達には負けてしまいますがもう何年も一緒に居マース。軍人として真面目で男らしいテイトクが好き。不器用だけど私達を守ってくれるテイトクが好き。I love Admiral」

 

「は、榛名は負けません! こればかりは金剛お姉様にも!」

 

「良い度胸ね、榛名! どっちが先にテイトクのheartをgetできるか勝負するヨ!」

 

 金剛と榛名の間に火花が散る。そんな光景を霧島は冷静に見ている。

 

(内輪揉めをしている場合ではないと思いますよ)

 

 霧島の頭の中では敵は多いと考えている。そもそもこんな馬鹿げた事を行えている以上はそう言う事なのだろう。

 

「提督をお連れしました!」

 

 そんな三人の下に提督を連れた比叡が戻って来る。

 

「お招き感謝する」

 

「テイトクー! 来てくれて嬉しいネー! Sit next to me! 此処に座って座って! 早く早く!」

 

「そうか。失礼する」

 

 金剛に促され席に座る。提督から見て左から金剛、比叡、霧島、榛名の順に続いて座っていく。

 

「今日の為に最高の茶葉を用意したの。テイトクの為に気持ちを込めて淹れるから待っててネ」

 

「金剛お姉様、不肖ながらこの比叡もお手伝いします!」

 

「Oh ……大丈夫だから比叡も待ってるネ」

 

「比叡お姉様。ここは、金剛お姉様に任せましょう」

 

「そうです。任務でお疲れでしょうから。榛名、頑張ってスコーンを焼いたんです。食べて下さい」

 

「それならお姉様も……」

 

「比叡。ここは金剛の好意に甘えようじゃないか。金剛も労いたいのだよ」

 

「そうなんですか!?」

 

「もちろんネー。だから比叡はなにもしないでいてほしいヨー」

 

 金剛の優しさに喜んでいる比叡を見て安心する。比叡は、泊地内でも少ない『料理禁止者リスト』に名を連ねている。コレに載っている者は絶対に料理当番が回ってくることはない。

 

 金剛は、手際よく紅茶を淹れていく。その動作には無駄がなく手慣れているのがよく分かる。実際に淹れてくれた紅茶は、香り高く味わいも今まで飲んだ物とは違う気さえする。

 

「あまり飲み慣れてはいないが美味いものだな。前に秘書艦をしてくれた時よりも美味い気がする」

 

「当然だヨー♪ だって今日のはspecialだからネー♪」

 

「比叡には分かります。これは、金剛お姉様の愛です。私の事を思い……うぅ……お姉様……」

 

「もう泣かないで比叡……。せっかくのtea timeが台無しだヨー。楽しく飲まないとネ?」

 

 お茶会はそんな感じで進む。主に、金剛達が話しているのを聞いているだけだが元々話をする方ではないので助かる。

 

「そう言えば、お手紙を預かっています。金剛お姉様、あの手紙です」

 

「Oh! そうでした。テイトクにお手紙がありました」

 

「私に?」

 

 金剛から手紙を受け取る。

 

「……上官からか」

 

 手紙の差出人は元上官。今は、前線の方で指揮を執っている提督の一人だ。内容は――

 

「そうか。とうとう御結婚成されるのか」

 

「今月中にも本土の方に戻られるそうです。これからは、海軍本部での任に就くそうです」

 

「その方がいい。守るべき者が居るのだ。前線に共には居られんだろう」

 

「お二人はお似合いでしたヨ。ラブラブで羨ましかったデース」

 

「よく知っているよ。相手は、私が部下だった時から傍に居た秘書艦だからな。いい加減危険な場所から離れろと皆で言ったものだ。だが、ケジメを付けるまではと……まったく頑固な男だったよ」

 

 人間が艦娘と結婚をするのは今や珍しくもない。確かに艦娘の産まれは人とは違う。しかし、艦装を本当の意味で外せば人と何も変わらない。今や人口のほとんどを深海棲艦との戦いで失った日本では、艦娘との結婚は奨励されているぐらいだ。

 

「提督は、艦娘との結婚はどうお考えですか?」

 

「私か? そうだな……」

 

 霧島の質問に考えるのだが――なんだ、この威圧感は?

 

「私の知り合いの中には、他にも艦娘と結婚している者も居る。それこそ今や一夫一妻の時代は終わり、甲斐性さえあれば重婚もできる世の中だ。複数の艦娘を嫁に迎えた者も居るからな。好き合う者同士なら問題は無かろう」

 

「本当ですか!? テイトクは、艦娘でもMarriage okay?」

 

「あぁ、特に問題はないだろう」

 

 情欲を抱いているぐらいだ。ふふふっ、少し前までは部下としてしか見ていなかったというのにな。人は変わるものだ。

 

「テイトク、少し失礼しマース。榛名、霧島、こっちに来るネ」

 

「私は、呼んでくれないのですか!?」

 

「比叡は、テイトクの相手をしててくだサーイ。二人は、こっち」

 

 金剛は、榛名と霧島を連れて少し離れた所でなにやら話をしている。

 

「提督……私は、嫌われたんでしょうか?」

 

 自分だけ呼ばれなかったショックからか比叡が涙を浮かべて落ち込んでいる。

 

「そんなはずはないだろう。私一人だけでは、招いた側として失礼にあたるとでも思ったのではないか? もしそうなら比叡のポジションはかなり大事なものになる」

 

「大事なポジション……。そうですよね、わっかりました! 比叡! 頑張って! 提督をもてなします! 今、新しいのを淹れますね」

 

 今、比叡はなんと言った? 新しいのを淹れる? 何をする気なのだ。あぁ……そんなに沢山入れなくても大丈夫なのに。

 

「どうぞ、提督! 比叡、頑張って淹れました!」

 

「そうか……ありがとう」

 

 気持ちと行動は時には切り離す事も必要である。少なくとも料理などをする時は。

 

 比叡が頑張ったのは知っている。気持ちがこもっているのも知っている。だから飲む。例え、いろいろと入れ過ぎだと分かっていたとしても。

 

「……ありがとう、比叡。比叡の気持ちはよく分かった」

 

「本当ですか! やりました!」

 

「だがすまない……少し急用を思い出した。金剛達には楽しかったと伝えてくれ」

 

 そう言い残し足早にその場から去る。部下の笑顔と気持ちを守るためなら多少の無理ぐらいは問題ではないのだ。

 

 早く、この場から離れなければ……。

 



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『case7 時雨』

 カフェインの過剰摂取の影響か具合が悪い。比叡の気持ちの量と考えれば悪くもないのだろうがフラフラする。

 

「大丈夫かい、提督」

 

「あぁ……時雨か」

 

 廊下を歩いていたら前から時雨が歩いて来た。

 

「なに、少し疲れてな。最近、歳を感じるようになってきた」

 

「提督は、そんな歳じゃないと思うけど。……ねぇ、提督。今、時間あるかな?」

 

「特に用事はないが、何か用か?」

 

「その……なんだけど……またお願いできないかな?」

 

 またか。別にかまわないのだが、なんだか上手くできているか自信が無いんだよな。

 

「私でよければ力になろう。では、私の部屋に」

 

 時雨を連れ、自室へと向かう。

 

「ごめんね、提督」

 

「遠慮などするな。私は、時雨の上官だ。上官としては、部下の悩みを聞くのも仕事の内だ。それで、椅子とベッドのどちらにする?」

 

「ベッドでいいかな?」

 

「かまわんが、男臭いぞ?」

 

「平気だよ。じゃあ、失礼するね」

 

 時雨は、提督のベッドに横になる。

 

「時雨。仰向けでなければできない」

 

「……そうだったね。ついいつもの癖で」

 

 時雨は、うつ伏せになり枕に顔を埋めていた姿勢から仰向けになる。

 

「時雨は、うつ伏せで眠る癖があるのか」

 

「……ボクの事が気になるのかい? 提督が知りたいのなら教えてもいいよ?」

 

「確かに上官としては気にはなるな。まぁ、機会があれば聞こう」

 

「……そうなんだ。そうだと嬉しいな」

 

 時雨との会話もそこそこに準備に入る。

 

「今回も『甘え上手になる』でいいのか?」

 

 提督が催眠術にハマっていると噂になってから少しして時雨から相談を受けた。内容は、甘え上手になる事。同じ白露型の夕立と時雨は仲が良いのだが夕立に比べると時雨は自分の感情を表に出すのが下手だ。単純に時雨は真面目で常に周囲に気を使ってしまう。その為、催眠術で感情を表に出せるようにしてほしいと相談を受けた。

 

「うん。提督に迷惑を掛けてしまうけど、受けた後は気分がいいんだ」

 

「ストレスの発散になっているのだろう。己が欲を解放するのは大事だからな」

 

 そう、大事だ。それこそ世界が変わってしまうほどの衝撃がある。私も今ではすっかりと欲望の虜だ。

 

「さて、それでは始めるとするか」

 

 ベッドの上で横になる時雨に手をかざす。

 

「だんだんと力が抜けていく~。ほ~らだんだんと力が抜けてきた~。リラ~クス。リラ~クス」

 

 提督の声に合わせるように時雨は目を閉じ、心を落ち着かせるように深く呼吸している。

 

「いい感じだ。このまま行くぞ」

 

 正直に言って上手く行っているのかは分からない。しかし、時雨が言うには効果があるらしいので問題はないのだろう。欲望を満たすだけの催眠術が部下の役に立っているのは良い事だろう。

 

「時雨。お前は、甘え上手にな~る。普段と違い、自分の欲望のままに行動できるようにな~る」

 

「ボクは、甘え上手になる」

 

「そうだ、甘え上手になるのだ」

 

 提督の言葉を繰り返し、自分の中に染み渡らせるように時雨も言葉を口にする。これを何度も繰り返す。そうすれば今の私の催眠術パワーなら成功するはず。

 

「……どうだ、時雨?」

 

 催眠術による暗示は掛け終わった。時雨を起こす。

 

「……提督」

 

 時雨はそう言うと、顔を覗き込んでいた提督に抱きつく。

 

「提督! 提督!」

 

 まるで豹変。二重人格とでも言わんばかりに時雨ははしゃぎ提督へと抱きついている。

 

「よしよし、上手く行ったようだな」

 

 時雨の居るベッドに腰掛ける。するとそれに合わせるように時雨が覆いかぶさるように更に抱きついてくる。なかなか力が強いんだな、時雨は。気を抜けば押し倒されてしまいそうだ。

 

「普段の真面目で大人しい姿はどこへやらだな」

 

「提督のおかげだよ。ねぇ、提督。ボクの頭を撫でてくれないかな?」

 

「あぁ、かまわんよ」

 

 時雨の頭を撫でてやる。

 

「えへへ、気持ちいいなぁ♪ 提督の手って大きいよね。力強いし」

 

「痛かったか?」

 

「ううん、もっと……強くしてほしいかな? うんそうだね、強くしてほしい」

 

 あまり人を撫でた経験はないがこれ以上力を入れては痛いのではないのだろうか? とりあえず時雨が言うので少しだけ力を込める。

 

「ん……良い感じ……」

 

 どうやらこれでいいようだ。撫でるのもなかなか奥が深いな。

 

「しかし、白露型は仲が良いように思える。甘えるのはまだ難しいか?」

 

「そうだね。仲は良いけど、甘えるのはまだ難しいかな。恥ずかしいんだ」

 

「そうか」

 

 普段との反動なのだろうか、時雨は提督の胸に顔を押し付けている。相手の匂いを嗅ぎ、自分の匂いをこすり付けているような仕草はまるで犬のようだ。なかなかに思い切ったスキンシップだな。

 

「ねぇ、提督。横になってもらっていいかな?」

 

「横にか? まぁ、いいだろう」

 

 言われた通り横になる。そうなると必然的に時雨も後に続き上に覆いかぶさる。

 

(これは……ラッキースケベと言うものか!?)

 

 身体の上に時雨が乗っかったことにより全身で時雨を感じる。駆逐艦は基本的には幼い体型をしている場合が多いが、時雨はどちらかと言うと育っている部類だ。胸を押し付けられ、太ももが触れ合うとなかなかにまずいことになる。

 

「どうかしたの?」

 

「……いや、なんでもない」

 

 軍人は狼狽えない。抱きつきながらモゾモゾしている時雨の影響で全身に刺激が来るが平気だ。匂いも……これは汗の匂いか? もしかすると運動でもしていたのか少し匂いが強い気がする。

 

(素数を数えるのだ。2、3、5……)

 

 無理だ。正常で健全な成人男性にはこれを耐える事などはできない。時々ではあるが、時雨の足がナニに当たる時がある。

 

「ねぇ、提督……提督も触っていいんだよ?」

 

 先ほどからナニを静める為に集中していたので、時雨からの刺激を無抵抗に受けていた。そう言えば、頭を撫でるのだったな。

 

「よし……任せろ」

 

 少し体勢的に撫でにくくはなったが時雨の頭を撫でる。

 

「それもいいけど、ギュってしてほしいな。お願いしてもいいかな?」

 

 そう来たか。ええい、ままよ!

 

「い、行くぞ、時雨」

 

「うん、来て……提督」

 

 覚悟を決め、時雨の背中に手を――

 

「――失礼しまーす! 青葉、艦隊新聞のお届けに来ましたー!」

 

 部屋の扉が勢いよく開けられ、青葉が部屋へと入って来る。

 

「青葉か!? どうしたんだ!?」

 

 その動きは歴史に語られるべき動きだったと後に提督は語る。ドアノブが動く音が聞こえた瞬間、咄嗟に身体を起こし時雨を座らせ、自分は何事もなかったようにベッドに腰掛けて青葉を出迎えた。その間、僅か1秒未満。軍人としての意地か? それとも生存本能かは分からないが奇跡を起こした瞬間である。

 

「もしかして青葉はお邪魔でしたか?」

 

「そんな訳ないだろう。私は、時雨の相談を受けていただけだ。だが、ノックも無しに上官の部屋に入るのは感心しないぞ、青葉」

 

「青葉と提督の仲じゃないですか。それよりもこちらをどうぞ」

 

「もう持っている。いつも通り、私の机に置いといてくれたのだろう?」

 

「そうでした! いや~、青葉うっかりですね! そう言えば、時雨さん呼ばれてましたよ?」

 

「そう……じゃあ、行くよ。ありがとう、提督。少し気分がよくなったよ」

 

「そうか。役に立ててよかった」

 

「では、青葉も用が済みましたので一緒にお部屋から出ましょうか?」

 

 時雨は青葉と共に部屋から出て行く。

 

「ふぅー、なんとか無事に終えたな」

 

 あのまま行けば危なかった。駆逐艦とは言えスキンシップはほどほどにしないと危険だ。

 

「……そう言えば、暗示を解いていないな? まぁ、あれだ。慣れるよりも暗示を掛けたままの方がいいような気もする。別に害はないようだしな」

 

 少し様子を見るとしよう。これで上手く行けばそれに越したことはない。

 



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『case8 川内』

 

 時雨が居なくなったので秘蔵のブランデーを嗜みつつ催眠術の本に目を通す。

 

「……こうして見てみると催眠術関係なしに使える本だよな」

 

 それぞれの好みや趣味なども書かれている。短い付き合いではないが知らない事ばかりだ。

 

「提督、失礼します」

 

 部屋の扉が叩かれ、川内が部屋へと入って来る。

 

「今日も借りるね」

 

 そう言うと許可も得ずにベッドへと潜り込む。

 

「……川内。確かに私は気にはしないがどうかと思うぞ?」

 

「なに言ってるの? 少しでも万全な状態で夜戦に挑むのは大事でしょ?」

 

 布団から顔だけを出している。もう慣れはした。他も理解しているようだが事情を知らない者が見たら誤解を生みかねない。

 

「危険な夜戦を率先して行ってくれる川内には感謝している。しかしだ、ギリギリまで眠るために私のベッドを使うのはやめないか?」

 

「だって夜戦に行く前に司令室に顔を出さないとダメでしょ? だったら司令室の隣の此処が一番近いよね?」

 

 任務に入る前に司令室に居る者に任務開始を伝える必要がある。

 

「そうだが……」

 

「もう、今更なんだからいいじゃん。それよりもなんだか提督以外の匂いがするんだけど? 誰か連れ込んだの?」

 

「人聞きの悪い言い方をするな。先ほど、時雨が相談に来たんだ」

 

「ふーん。それでか……まぁ、ルールは守らないとね」

 

「ルール?」

 

「提督には関係ない話だよ。それじゃあ、お休み」

 

 本格的に眠りに入る。危険な夜戦を行う川内に気を使って許しているがもうそろそろ何かしら考えないといけない気がする。

 

「そういえば、提督。催眠術でさ、いい感じに寝かせてくれない?」

 

「催眠術は、睡眠導入剤ではないのだぞ?」

 

「眠るのなら一緒でしょ。それに薬よりも安全そうだし。前にやってもらった時にさ、なんだか調子が良かったんだ。お願い、提督」

 

「まったく仕方がないな。前と同じで、『起こされるまで起きない』でいいんだよな?」

 

 川内が横になるベッドの傍まで移動する。

 

「では、始める」

 

 気合いを入れてから川内に手をかざす。当の本人は、行儀よく仰向けに寝ている。

 

「川内は、眠くな~る。眠くな~る。誰かが起こすまで何があっても起きな~い」

 

 時雨の時とは違い繰り返したりはしない。提督の声を子守歌のように吸収しながら深い眠りへとつく。

 

「……寝たか?」

 

 川内の様子を見る。反応が無いので本当に眠ったのか分かりにくい。

 

(ならあれを試すか)

 

 何事もない振りをして机を漁り、一枚の紙を取り出す。

 

「そう言えば、要請の中に夜戦の話があったな。此処からだと少し離れている場所なのだが危険な海域らしい。私としては、最も信頼している川内に旗艦として行ってもらいたいが……断ろうと思う」

 

 川内をジッと見る。変化はない。川内の大好きな夜戦。それも危険な物となれば気分が高揚するだろう。

 

「編成に関しては、川内の意見を取り入れるつもりなんだけどな?」

 

 変化はない。

 

「新装備も支給されるとか?」

 

 変化は――ある? なんだか僅かに身体が動いた様な? 気のせいか?

 

「川内、起きているのなら要請を受けるか決めてくれないか? 早急に返事をする必要があるんだ。それこそ今すぐに」

 

 最後の揺さぶり。近づいて見る。ジッと見る。

 

「……本当に眠っているのか?」

 

 頬っぺたを指でツンツンする。反応はない。

 

「どうやら成功のようだな」

 

 さて、ここからは私の時間だ。念の為、部屋の鍵は閉めておく。先ほどは助かったがこちらのペースで行われてさえいれば問題はない。邪魔が入ると困る。

 

「据え膳食わぬは男の恥とも言うしな。頂くとしよう。川内、飢えた獣である私の下に来てしまったお前が悪いのだ」

 

 今の川内は、誰かに起こされるまで眠っているはず。多少の事なら問題はないはず。

 

「前回は、フットマッサージで様子を見たんだったな」

 

 仮に起きてもいいように足のマッサージを行ってみた。上手くできたかどうかは分からないが少なくとも起きたりはしなかった。ただ、時々声が漏れていたのがエロかった。

 

「しかし、こうして見ると間違いなく美少女だな。これで化粧などはしてないのだから驚きだ。それに普段の元気な川内もいいが、お淑やかな川内も悪くない。普段からも物静かであれば、常に傍に置いておきたいぐらいだ」

 

 普段の川内とは違い今目の前に居る川内は静かだ。だからこそ川内の顔をマジマジと見る事ができる。ん? 気のせいか少し顔が赤いな。

 

「困ったな。これから夜勤があると言うのに風邪か? しかし、先ほどはそんな感じには……あぁ、なるほど」

 

 おそらくだが布団の中が暑いのだろう。おっさんである私と違い、川内は若い。体温に差があると思われる。

 

「少し布団を捲っておくか。熱が外に出れば少しは快適になるだろう」

 

 気持ち程度布団を動かす――見える。川内の身体が。右半身が僅かに顔を覗かせる程度だがそれがいい。特に足の方が素晴らしい。

 

「健康的で綺麗な足だな」

 

 まっすぐに伸びた染みやたるみなどはない素晴らしい足だ。思わず触れて見たくなるが我慢だ……いや、少しぐらいなら?

 

「ちょっと触るぐらいなら……バレんだろう」

 

 周囲を警戒する。誰も居ない。此処には、私と川内だけ。鍵も施錠はしてある……いける。

 

「今度、何か詫びの品でも贈ろう。だから今だけは許せ。いや、許せなどとは言わぬ。だが、今の私は止まる事はできないのだ」

 

 ゆっくりと川内の足へと手が伸びる。その色白の綺麗な肌に触れたい。今はそれだけが頭に――

 

「くしゅん」

 

 静寂の中で聞こえた音に全身が硬直する。

 

「……起きたのか?」

 

「…………」

 

 どうやら起きてはいないようだ。

 

「ただのくしゃみか。やはり諦めよう。部下の安全が第一だ」

 

 あと少しの所だったがやむを得まい。川内の事だ、多少の不調程度なら気にもせずに任務に出てしまうのだろう。己が欲の為に川内を失う訳にはいかない。

 

「すまなかったな、川内。今は休め。確かにいろいろと問題のあるお前だが、私は誰よりも夜戦に関しては信頼している。危険な任務であっても川内が居れば安心してお前達を任務に行かせる事ができるからな」

 

 布団を掛け直し、川内の顔を見る。

 

「頼りにしているぞ、川内」

 

 それからは邪魔にならないように静かに本を読んで過ごした。川内の事について書いてあるページを読んだのだが、催眠効果を高める為に添い寝をしてあげると良いと書かれていた。しかし、共に寝てしまえば起こす者が居ない。

 

「いずれは、添い寝をしてみたいものだな」

 

 川内を抱き枕にしながら眠りにつく自分を想像しながら時間は過ぎていく。いつになるか分からないが必ず果たしてみせる。そう願いながら。

 

「起きろ、川内。時間だ」

 

 川内を起こす時間。声を掛け、肩を軽く叩く。

 

「……もう時間?」

 

 眠気眼をこすり、川内が身体を起こす。

 

「どうだ、よく眠れたか?」

 

「……まぁ、少し物足りないけど良かったよ」

 

 なんだか不満気な目で見られる。催眠術パワーは上がっているのだろうが、それでも本があるとは言え独学に近い。不満を言われても困る。

 

「ねぇ、提督。私、頑張るからね」

 

「そうか。期待している」

 

「じゃあ、行ってくるから」

 

 そう言うと川内は部屋から出て行く。その足取りは軽い。

 

「……少し横になるか。なんだか私も眠くなってきた」

 

 提督は、周囲を確認してから言い訳をしてベッドへと潜る。

 

 まだ温かく、川内の匂いが残るその場所に。

 



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『case9 金剛』

 今日の夕飯はちょっとしたイベントになっていた。

 

「凄いな、大物ではないか」

 

「ふふふっ、凄いだろ? 俺様が取って来たんだぞ!」

 

 今日の主役となるマグロを取って来た天龍は胸を張って答える。

 

「はぁ~い。沢山ありますからね」

 

 その横では、マグロの解体を済ませた龍田が小皿に取り分けて配っている。

 

「定置網にマグロが掛かるなんて滅多にないからな。仮にあってもこんな大物はない」

 

 泊地の近海には、定置網がセットされてある。と言っても、泊地内で消費する分の規模なのでそれほど大きくはない。

 

「決まってるだろ? 俺様が確認する日だったからな。今日は、俺の奢りだ! 提督も沢山食べてくれよな! 後で、兜焼きも分けてやっから」

 

「それは期待して待つとしよう」

 

「はい、提督の分ですよ。少し多めにしておきました」

 

「ありがとう、龍田」

 

 龍田からマグロの刺身の入った小皿を貰い自分の席へと戻る。後で、マグロの兜焼きも来るとは豪華な夕餉だ。

 

「提督、失礼します」

 

「失礼します」

 

 左右の席に霧島と榛名が座る。まだ他にも席は沢山空いているというのに。

 

「金剛と比叡は?」

 

 派遣先から戻って来たばかりの三人は休暇となっている。ついでに榛名も姉妹水入らずを兼ねて休暇のはずだ。

 

「それなのですが、提督。こちらをお納めください」

 

 霧島から白地の封筒を貰う。

 

「招待状か? またお茶会でもするのか?」

 

「いいえ、違います。この後、私達の部屋まで来ていただけませんか?」

 

「ちょっとした催しを行うんです」

 

 催し? これから?

 

「気持ちは嬉しいが立場としては断らせてもらいたい。此処は、警戒地域ではない。それ故に厳しくする気もない。しかし、最低限の決まりはある。フタイチマルマルには、一部を除き消灯とし、各自部屋で待機とある。私がそれを破るわけにはいかん」

 

 居酒屋鳳翔を含め一部例外はあるが基本的には消灯時間が来た場合は、各自の部屋で待機しなければならない。

 

「ですので、食後すぐにお願い致します。それでしたらお時間はあるかと」

 

「お願いします、提督」

 

「確かに僅かとはいえ時間はある。しかし、そこまでの用事か? 改めて時間を作る方がいいと思うのだが?」

 

「いえ、問題はありません。本日は、魚になりますので歯を磨いてからお越しください」

 

「……歯を磨くのはかまわんが酒とかではないのか?」

 

「提督、これ以上は後のお楽しみという事で」

 

「そうです。楽しみは後にとっておいた方がいいですよ。榛名、お茶を持ってきますね」

 

 それから二人と共に食事をしたのだが、金剛と比叡は姿を現さなかった。食事の時間はまだあるが早く来ないと閉まってしまう。

 

 

 

 ♢♢♢♢♢♢

 

 

 

 歯を磨き、金剛達の居る部屋を訪れる。

 

「私だ」

 

 部屋の扉を叩き、声を掛ける。

 

「どうぞ、テイトク。入ってきてくだサーイ」

 

 金剛の声が聞こえる。

 

「失礼する。……これは?」

 

 扉を開け部屋へと入ると電気は消えており、代わりに蝋燭が至る所に置かれ部屋を照らしていた。

 

「よく来てくれました、テイトク」

 

 彩られた明かりに僅かに香るアロマの甘い匂い。だが、それ以上に金剛の姿に目を奪われる。赤いドレス。身体に張り付くようにデザインされたそれは、金剛の身体の線を隠すことなく出し切っている。こうして見ると金剛のスタイルの良さを改めて知る事になる。今の金剛は、芸術品とも呼べるほどに美しい。

 

「もぅ……そんなにジッと見られると照れるネ」

 

「すまない。あまりにも美しかったもので」

 

 軍帽を忘れてきたことを悔いる。照れる顔を隠すものが何もない。

 

「美しいですか……テイトクにそう言ってもらえて嬉しい……。これは、御祝い事があった時に着ようと思って買っておいた物デース。着る機会がなかなか来なかったのでちょっと着てみたネ。立ち話もなんですから座ってくだサーイ」

 

「うむ、そうだな」

 

 金剛に促され椅子へと座る。

 

「他には居ないのか?」

 

「比叡達ならちょっとお出かけしてるヨー。テイトクは、ウイスキーとブランデーどっちにする?」

 

「確か、金剛はウイスキーが好きだったな。ウイスキーを頂くとしよう」

 

「覚えていてくれてるんですネ」

 

「それぐらいはな。だが、今日は何かの祝い事なのか? 誕生日でも着任した日でもないだろ?」

 

 機嫌良く準備をしてくれている金剛に問いかけるが返事はすぐには返ってこない。

 

「特になにかあるわけではないですヨ。でも……着てみようかなーって思ったネー。はい、テイトク。テイトクもストレートでいいよネ?」

 

「あぁ、それでいい」

 

 つまみは、ナッツとドライフルーツ。此処だと十分過ぎる。

 

「それでは、無事に帰還した事に」

 

「また会えたことにですネ」

 

 金剛と杯を交わし、話をしていく――のだがやはり気になる。

 

 催眠術の本には何も書かれていなかった。あれは便利な物で私の知らない事も載っている。しかし、私の持つ知識と合わせてもこのような事を行う日ではないはず。

 

「金剛。私は、あまり察しの良い方ではない。ここまでする以上は、私に何かあるのではないか?」

 

「……ねぇ、テイトク? 私は、テイトクとは付き合いが長い方ですよネ?」

 

「そうだな。金剛が私の下に来た時の事はよく覚えている。第一艦隊の旗艦や他との共同作戦を任せた事もある。いろいろと相談に乗ってもらった事もあるしな」

 

「私も覚えてるヨ。忘れた事はないネ。……テイトク、お願いをしてもいい?」

 

「もしかしてその為にこれだけの事を? 私と金剛の仲だ。回りくどい事などしなくても気軽に言ってくれればいい。それで願いとはなんだ、言ってみろ」

 

 金剛の狙いが分かりホッとする。何か大事でもあるのかと思った。

 

「テイトク。私に催眠術を掛けて欲しいネ!」

 

「……ん? 催眠術?」

 

「榛名から聞きました。テイトクが催眠術にハマっていると。泊地に居るgirl達には掛けたのに私にはまだデース」

 

「それだけの為にここまでしたのか?」

 

「……ソウデスヨー。ホカニハナニモナイネー」

 

 目をそらした。他にも何かあるのか?

 

「まぁ、いい。ここまでされては何もせぬわけにもいかん。しかし、所詮は遊びだ。本気にはするなよ?」

 

「もちろんネ! Please come to me! 早く催眠術を掛けてくだサーイ!」

 

 今日一番のテンションの高さだ。金剛にも子供っぽいところがあったのだな。だが金剛、お前は知らないのかもしれないが私の催眠術は本物なのだ。

 

「一つ聞くが、比叡達はすぐには戻らないのか?」

 

「三十分は戻らないと思いマース。だから安心してほしいデース」

 

 三十分か。えらく具体的だが好都合だ。つまり三十分間は金剛を好きにできるわけだな。

 

「それで、金剛。どんな催眠術がいいんだ? リクエストがあるのなら聞くが?」

 

「テイトクにお任せしマース」

 

「私にか?」

 

「その方がいろいろと……おっと、なんでもないデスヨ?」

 

「よく分からんが、早速やってみるか。では、どうする? 椅子かベッドのどちらでやる?」

 

「ベッドでお願いしマース……」

 

 なんで顔を赤らめる。酒でも回ったのか? ウイスキーは度数が高いからな。

 

「では、こちらへ」

 

 金剛の手をひき、ベッドまでエスコートする。

 

「なんだか手慣れてる気がするヨー?」

 

「気のせいだろ」

 

 金剛に疑いの目で見られるが既に何度も似たような経験はしている。流石にこんな豪勢な状況はないが。

 

「これでいいの?」

 

「それでいい。ベッドに腰掛けたまま目を閉じてくれ」

 

 気合いを入れ、金剛に催眠術を掛けていく。

 

「私の言葉を聞く度に金剛の意識が薄らぎ遠のいて行く。だんだんと意識が薄らいで行く~。ほ~ら意識が遠のいて行く~」

 

 催眠をゆっくりと掛ける。初めて金剛には掛けるが、催眠術パワーが強化されている今の私ではどうだ? 今までは時間を掛ける必要があったが?

 

「……掛ったか? 金剛、私の命令を聞いて答えるんだ」

 

「……はい。なんでも言ってくだサーイ」

 

「そうだな……姉妹に隠している秘密を一つ教えるのだ」

 

 仲の良い姉妹にも隠している秘密。それを聞き出せるかどうか。

 

「……比叡が淹れてくれた紅茶をコッソリと霧島のとすり替えましたネ」

 

 気持ちは分かるが随分とつまらない秘密だ。そう言えば、霧島が紅茶で衣服を汚していた事があったがその時か?

 

「では、次にしよう。そうだな……」

 

 秘密がこれだと判断がし辛い。他の線から攻めてみるか。

 

「金剛。実は、今度の金剛の誕生日に贈るプレゼントを迷っていてな。何がいい?」

 

「……テイトクからならなんでもいいデース」

 

「そうか。では、海岸で拾った貝殻でもいいか?」

 

「……テイトクからなら何でも嬉しいヨ」

 

「これは間違いなく催眠術に掛かっているな」

 

 流石に貝殻が誕生日プレゼントだと微妙だろう。しかし、金剛の表情にはなんの変化もなかった。これは間違いなく催眠術の効果があると判断していいだろう。

 

「ふふふっ、自分の力が恐ろしいな。今や私にできない事は何もないとすら思える。さて……金剛に何をしてやろうか?」

 

 懐中時計で時間を確認する。安全を考え十分で済まそう。

 

「金剛。先ずは、私の手を取り立ち上がれ」

 

 金剛の手をつかみ立たせる。本来なら目を開けさせるのだが、目を開けると催眠術の効果が切れるかもしれないので安全のためだ。

 

「目を閉じたままだと何かさせるのは少し危ないな。うむ、ここは安全を考え……ハグでもしてみ――金剛!?」

 

 命令の途中で金剛に抱きつかれる。これはまさか!?

 

「やはり時期早々だったか。催眠術が不完全で最後まで聞く前に勝手に動いてしまった。急いては事を仕損じる。ここからは慎重に行こう」

 

 まだ金剛が起きる気配はない。あまり難しくない命令を――命令を……

 

「やめだ。命令はやめよう」

 

 命令を下そうといろいろと考えていたが、ふと見た金剛の表情でくだらないと思ってしまった。

 

「このままで十分だ。そうだろ、金剛?」

 

 返事は返ってこない。しかし、今の金剛は幸せそうな表情をしている。

 

「寂しい思いをさせていたようだな。どうも私はダメな人間なようだ」

 

 今の金剛と同じような表情をした者を何度も見てきたから分かる。私は、酷い男だ。

 

「あまりにも壁を作り過ぎていたのだな。安心しろ、金剛。これからは、もう少し関わりを持つようにするからな」

 

 未だ催眠術で眠る金剛の頭を撫でる。

 

 このままでも十分に幸せな時間だ。

 

 

 

 ♢♢♢♢♢♢

 

 

 

「金剛、目を覚ますんだ」

 

「……もう終わりですか?」

 

 改めてベッドに座らせた金剛の催眠術を解く。

 

「あぁ、金剛には催眠術はあまり効果が無いようだ」

 

「そんな事ないネ。なんだかボーとしたヨ?」

 

「そうか。まぁ、それは別にいいんだ。それよりも金剛。私からも一つ頼みがあるのだが聞いてくれるか?」

 

「私に? テイトクのお願いなら問題nothing! なんでも言ってヨ!」

 

 咳を一つし、跪く。

 

「金剛。私と踊ってはくれないか?」

 

「……踊りですか?」

 

「せっかくドレスを着ているのだ。勿体ないだろう? それに舞台は整っている」

 

 此処は、ダンスを踊るには丁度いい場所だ。未だに蝋燭は暗闇の中で揺れ、アロマの香りが場を演出している。

 

「とっても嬉しいけど、私は踊れないヨ?」

 

「なに、私に任せておけばいい。これでも教養の一つとして学んでいる。未だに機会は無いがな」

 

 外交の一環で覚えさせられた。もちろん練習の相手は同期の男だ。

 

「嫌なら別にかまわないが?」

 

「嫌なんてことないヨ! えっと、お願いしマース!」

 

 金剛の手を取り、部屋の中央へと移動する。

 

「曲も時間もない。私がエスコートするから合わせてついて来い」

 

「うん、全部テイトクに任せるネ♪」

 

 金剛の手を持ち、反対の手を腰にあてる。

 

「なんだか恥ずかしいネ……」

 

「そんな服を着た自分を恨むのだな」

 

 金剛とダンスを踊る。もっともそれはダンスとは呼べない粗末なもの。提督の言葉に合わせ金剛が足を動かす。まるでごっこ遊びではあるがそれでも催眠術で得た時間より楽しいものであると心から言える。

 

(静かな金剛よりも今の方がいいな)

 

 コロコロと忙しそうに変わる表情を見ながら会話を交える。これは催眠術では味わえない贅沢なものだ。時間を気にせずに好きなだけ過ごす。この楽しいひと時を。

 



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『秘密のルール』

「どうですか、提督? 比叡頑張りました!」

 

「うむ。少しシャリが硬い気はするが美味い。頑張ったな、比叡」

 

「えへへ、もっと褒めて下さいよー♪」

 

 どうやら比叡達は、食堂で海苔巻きなどを製作していたようだ。今は、比叡が巻いた海苔巻きを食べている。

 

「酢飯などは私が計算して調合しました。比叡お姉様には制作の方を担当して頂きました」

 

 内心、霧島に称賛を送りたい。比叡に任せたら寿司酢の内容がどうなっていたか分かったものじゃない。冷静にやれば問題ないのだろうが未だに上手くはいかない。気合いを入れ頑張るのもほどほどに。

 

「提督、お味噌汁は榛名が作りました。味見して頂いてもいいですか?」

 

「……うん、美味い。やはり味噌汁があると良いな。ありがとう、榛名」

 

「榛名、頑張りましたから。提督に喜んでもらえて嬉しいです」

 

 こちらは榛名お手製の味噌汁。ワカメが沢山入っている。同じ物を使用しているはずなのに人によって味が違うのは今思っても不思議だ。榛名の味噌汁は、あっさりとしている気がする。

 

「でも、なんで金剛お姉様はドレスを着ているんですか?」

 

「それはですネ……せっかくこうしてilluminationをしましたので合わせたんデース。似合いますか、比叡?」

 

「とってもお似合いです! 比叡も飾りつけを手伝った甲斐がありました!」

 

 どうやら比叡は金剛のドレスに関しては知らないようだ。なんだか少し得した気がする。

 

「あの、提督?」

 

「どうかしたか、榛名?」

 

「榛名もドレスをお姉様と一緒に買ったんです。もしよければ、今度着てみたいと思うのですが……」

 

 榛名のドレス。金剛が赤だとすると何色だ? お揃いも悪くないが、ピンクや白なんていいかもしれないな。

 

「機会があれば見せてもらいたいな。楽しみにしているよ」

 

「本当ですか!? 榛名頑張りますね!」

 

 妙に気合が入っているが何を頑張るのだろう? まぁ、やる気なのは良い事だ。

 

「そうだ、提督。さっき掲示板を見たんですけど今週の艦隊新聞に提督が載ってましたよ」

 

 青葉が製作している艦隊新聞。この艦隊新聞は、泊地内の物と他の場所の二つがある。早い話見た目が子供の島風相手にいい大人が本気で頑張っている姿が他の鎮守府や泊地に広まるのだ。当然、他の場所に居る別の青葉が同じような事をしていたりするので提督達の間では恐怖新聞、あるいは痴態新聞などと呼ばれている。

 

「おかげで私はあまり読めていないよ。何が悲しくて自分の恥を見なければならない」

 

「島風さん相手に善戦したと書かれていましたよ?」

 

「霧島。褒めるなら表情を緩めるな」

 

「島風girlは本当に早いですヨ。こうクルクルって演習の時にいつも避けてしまいマース」

 

「島風をはじめ、駆逐艦には戦艦の砲撃に対する回避訓練をさせているからな。その成果が出たのだと今回はそれだけを慰めにしている」

 

 此処での方針では、駆逐艦は相手の攻撃を躱しながら戦場をかき回すように指導している。深海棲艦側にも頑丈な者が現れはじめ駆逐艦では有効的な損傷を与える事が難しい時がある。逆に強力な一撃を貰う機会も増えたのでこのような考えが生まれた。今では、戦艦二隻からの砲撃を躱しながらターゲットを狙う訓練がなされている。

 

「さて、そろそろ私は戻るとしよう。これ以上は、流石にまずいからな」

 

 既に消灯時間は過ぎている。比叡達がせっかく作ってくれたので頂いたがそろそろ引き上げた方がいい。

 

「寂しいけど仕方ないネー。テイトク、また明日ネ」

 

 金剛達と別れ、自分の部屋へと戻る。

 

「疲れたな」

 

 本当に疲れたわけではないが、部屋に戻りベッドに横になるとつい口に出してしまう。

 

「しかし……私は、この力を上手く扱えているのだろうか?」

 

 今までの自分を振り返ってみる。催眠術を使い己の欲望に素直に従ってきてはいるが上手く扱えている気がしない。

 

「やはりここは、強敵に挑戦してみる必要があるのか?」

 

 更なるパワーアップの為に危険な相手と戦うのも必要だろう。

 

「未だに催眠術の掛かり具合が微妙な者や効果の無い者にも積極的になるべきだな。明日の秘書艦は……確か、加賀だったか」

 

 何度か挑戦はしたが今一つの相手だ。自分で言うのもアレだが上官として慕われていると思う。その為、上官と部下として付き合ってくれているのではと思いあまり難しい命令などは下していない。

 

「よし、明日は少し頑張ってみるか」

 

 明日の為に今日はもう寝てしまおう。加賀よ、待っていろ。この飢えた獣がお前を頂いてやるからな。

 

 

 

 ♢♢♢♢♢♢

 

 

 

「提督、書類の確認をお願いします」

 

「うむ。……大淀、すまないが今度の演習の資料はあるか?」

 

「はい。こちらですね、どうぞ」

 

「ありがとう。……加賀、この部分をコレと改めて比べてもらっていいか?」

 

「わかりました」

 

 休暇から業務に戻り、今は司令室にて加賀と大淀と共に書類を片付けている。

 

(隙の無い女だな、加賀は)

 

 今も書類に目を通し作業をしている加賀の姿は隙が無い。物静かで表情の変化に乏しい加賀だが、あれで子供らしい所もある。主に赤城や鳳翔と居る時に見られるがアレはなかなかの威力がある。しかし、それ以外だと大抵の事はそつなくこなしてしまう。

 

(あの笑みを見る事を今は目標にしているが……)

 

 難し過ぎるだろう。本にも――

 

 《加賀型 加賀》

 

 少し難しいかもしれないけど嫌われることはないよ。でも、注意は必要。あまりエッチな事はNG。段階を踏んで行ってあげてね。優しくしてあげるのがコツかも?

 

 他には加賀の好きな物などが書かれていたがほとんどが食べ物。カラオケもあったが私の方が苦手で問題がある。他の情報も使い勝手が難しく今までは簡単なものしか命令できなかった。

 

「どうかされましたか、提督?」

 

 加賀と目が合う。

 

「いや、なんでもない。少し席を外す」

 

「そうですか。お気をつけて」

 

 一度、頭を冷やすために場所を離れる。

 

「どうしたものか……」

 

 相手は強敵。勝ち目の少ない相手。しかし、だからこそ勝つ意味がある。

 

「ん? あれは、時雨か?」

 

 廊下を歩いていると雑巾とバケツを持って一生懸命廊下を掃除している時雨の姿を見つける。

 

「どうした、時雨。掃除当番だったか?」

 

「あっ、提督。別に当番じゃないけど……ほら、あれだよ。いつもこの場所にはお世話になっているからね。恩返しをしようと思って」

 

「そうか。随分と殊勝な心掛けだな。だが、当番制を用いている以上あまり無理はするなよ? 各自に与えられている時間は自由ではあるが無理をしては意味がないからな」

 

「心配してくれてありがとう。やっぱり提督は優しいね。……そうだ、提督一ついいかな?」

 

 時雨は周囲を確認する。提督もつられて確認するが誰か居るような気配はない。

 

「その、褒めてくれるのなら……頭を撫でてもらってもいいかな? 提督に撫でられるのが好きになっちゃって」

 

「撫でるか……」

 

 そう言えば、時雨に掛けた『甘え上手になる』暗示は解いていなかったな。あれから上手く甘えられるようになったのだろうか?

 

「その程度なら問題はない。よくやっているな、時雨は」

 

「えへへ……やっぱり提督に撫でてもらえると嬉しいな♪」

 

「他の者とは上手くやっているのか?」

 

「えっと……そうだね。そう、あれだよ! 少しだけど夕立に甘えてみたよ。ホントダヨ?」

 

 視線が逸れる。何かあったのか?

 

「そうか。時雨には、暗示を掛けたままだからな。上手く行かなくなったら言うんだぞ? 私にも責任はあるからな」

 

「大丈夫だよ。皆、優しいから。でも、なにかあったら提督を頼らせてもらうね」

 

「私は、時雨の上官だからな。いつでも頼るといい。では、無理をしない程度に頑張るのだぞ」

 

 時雨に別れを告げると提督はその場を去っていく。

 

「……役得だったな」

 

 時雨は、提督に撫でられた所に触れ、思い出す。すると思わず笑みが零れる。

 

「青葉、見ちゃいました」

 

 近くに置いてあった段ボールから青葉が姿を現す。

 

「い、居たのかい、青葉!?」

 

 これには流石に驚く。今の今まで一人で作業をしていたと思っていた。

 

「もちろん居ますよ。今の青葉は、公平なジャッジですからね。それでですが今のは問題なしとします。司令官からの接触でしたからね。しかし、時雨さんはなかなか積極的に行ってますね。別にそれは悪いことではないですが気をつけて下さいね?」

 

「分かっているよ。でも、提督を前にするとどうしても止められない自分が居るんだ。青葉さんなら分かるんじゃないかな?」

 

「……そうですね。ですが、これもルールです。それと、もう一つあります。先ほどの写真はどうですか? 今ならサイズを大きくしても同じ値段ですよ?」

 

「大きいのを三枚。小さいのを一枚お願いするよ。小さい方は、ラミネート加工でお願い」

 

「分かりました。ラミネート加工分は別料金になりますのでよろしくお願いします。では、また」

 

 青葉は段ボールへと戻っていく。

 

「……もう隠れる必要はないんじゃないかな?」

 

「…………」

 

「青葉さん?」

 

 時雨が段ボールの箱を開けてみるが、そこに青葉の姿はない。

 

「……そうだよね。あの時に居たら提督なら気づくもんね」

 

 ルールは絶対。それを改めて心に誓う時雨であった。

 



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『弓道場にて』

 結局、散歩中に出会った艦娘達と話が出来たぐらいで特に成果は得られなかった。諦めて司令室に戻り作業を再開したが、此処に籠っている限り何もできない。

 

「提督。もしよろしければ空母の鍛錬を見られませんか?」

 

 そんな折、加賀から一つの提案があった。他に良い案も浮かばなかったので加賀の言葉につられ弓道場へと足を運んだのだが、そこでは厳しい鍛錬が行われていた。

 

「いいですか、皆さん。今度の演習は、海軍本部から香取、鹿島の両名を招いて行われます。私達空母が制空権を獲れるかどうかが重要となります」

 

 普段の物腰の柔らかい鳳翔とは違い、たすき掛けはもちろんだが鉢巻までしている。温厚な鳳翔が気合いを入れている以上他の者達も気合が入ると言うものだろう。提督と加賀が来た事により急遽各自の確認が始まったのだが緊張感で場は重苦しい。

 

「それでは、翔鶴さんお願いします」

 

「はい」

 

 鳳翔の補佐をしている赤城の指示で並んで正座をしている空母達の中から翔鶴が立ち上がり、一人前に出て的へと向かい合う。

 

「翔鶴の最近の調子はどうなんだ?」

 

 邪魔にならないように少し離れた所で、提督と加賀は同じように正座をしながら様子を見ている。

 

「悪くはありませんが、良くもないですね」

 

 加賀の評価はどちらかと言うと厳しい。自他共に厳しいがその評価は正確だ。

 

「翔鶴、行かせて頂きます」

 

 気合いを入れ、集中する。的は、遠的用の60メートル。的は、普段は100センチのを使用するのだが見る限りそれよりも小さい50センチのを今回は用いているようだ。

 

(早いな)

 

 射に至るまでの基本動作は一般的には八つある。的へと向かう、足踏み。足踏みを基本として上体を安定させる、胴造り。矢を番える、弓構え。弓を引き分ける前に行う、打起し。打起した位置から弓を押し弦を引く、引分け。矢で的を狙い次へと繋げる、会。矢を放つ、離れ。離れ後、心身ともに一息置く、残心。

 

 これらを不安定な海上で行うのが一般的な空母の戦い方となる。確かに矢を放った後は、矢から艦載機になった物に乗っている妖精に意識下で指示を出すだけなので一見するとあまり意味が無いように思える。しかし、実際はかなり大事な部分らしく戦果の大部分に影響があるとされている。これが上手く行くかどうかで艦隊の命運が決まると言っていい。

 

 翔鶴は、実戦を想定して普段よりも早くそれらの動作を行った。提督の目には、確かにそれらは早く行えているように見えたが――ただ、それだけだった。前に赤城のを見た事があるが、それと比べるとあまりにも違う。しかしだ、提督の記憶の中にある翔鶴の弓はこうではなかったはずだ。

 

「――翔鶴さん、もう一度お願いします」

 

 赤城の声が淡々と翔鶴に次の矢を射るように告げて行く。最初のを入れ、一つ、二つ、三つと矢を的へと放ったが結果はあまり良くはなかった。最初の矢は的から外れ、二本目で当たり、最後は的を掠めた。

 

「翔鶴さん。なにが原因か分かりますか?」

 

 鳳翔が翔鶴に問う。

 

「……はい」

 

 どうやら翔鶴自身は、この結果に至る原因が分かっているようだ。翔鶴がこちらを見る。その目には、申し訳なさがある。

 

「確か、今度の演習では瑞鶴と共に最前線で戦うのだったな」

 

 プレッシャーだろう。今度の演習相手は、海軍本部に席を置く者達。彼らは、今でこそ前線から外れているが元々は最前線で功績を上げた武勲艦達だ。圧倒的劣勢だった状況からここまで押し返した功績者達を相手に一番槍を打って出るのはなかなかに厳しい。

 

「加賀、私の代わりに此処に居ろ」

 

「翔鶴をお願いします」

 

 本来なら最初に行うべき事を私が来るまで後に回していた。早く言ってくれればいいものを。

 

「鳳翔。翔鶴を少しばかり借りる。ついて来い、翔鶴」

 

 必要のない返事を待たずに翔鶴を弓道場の外へと連れ出す。

 

「すみません、提督」

 

 二人になった途端に翔鶴に謝られた。重症だな。

 

「なぜ謝っているのか私には分からん。相手は、同じ艦娘だ。何を気後れする必要がある」

 

「私がもし結果を出さなければ提督の評価に傷が付いてしまいます」

 

 呆れて大きなため息が出てしまう。おかげで、翔鶴が余計に落ち込んでしまった。

 

「私の評価などに価値はない。別に出世や保身の為に軍に居る訳ではない」

 

「ですが、提督は本来であるなら前線に居られるべき人です。今度の結果次第では復帰する事も」

 

「くだらん。翔鶴、私が求めるのはただ一つ。お前が成長するかどうかだ。お前と比べれば多くの物など大した価値もない。ゴミ屑以下だ。そもそもこうして居るのは、他でもない私自身に原因がある。翔鶴が背負う事はない」

 

「提督……」

 

 私の事を思い重圧を感じてしまう。翔鶴の優しい気質が悪い方に出てしまったようだ。

 

「翔鶴、私にお前を見せてくれ。私の知る翔鶴なら彼らと十二分に戦える。私が言うのだから間違いはない。それとも、私の言葉に嘘はあったか?」

 

「いえ、提督は嘘を吐かれるような方ではありません」

 

「お前は、私の自慢だ。だからこそ瑞鶴と共に重要な役目に就けた。赤城や加賀ではなくな。不安であるのなら私を思い出せ。いくらでも檄を飛ばしてやる」

 

 言葉を掛けるしかできない自分が歯がゆい。共に戦えればいいが他所と行う演習では口を出す事ができない。演習は、あくまでも艦娘同士で行う必要がある。実戦を想定して。

 

「提督、一つだけお願いを聞いて頂いてもよろしいですか?」

 

「私にできる事なら言ってみろ」

 

「私、頑張ります。ですから見ていては頂けませんか?」

 

「言われるまでもない。今度の演習を楽しみにさせてもらう。翔鶴が瑞鶴と共に敵艦載機を撃ち落とし、艦隊を沈めるのをな」

 

 翔鶴の表情が少し緩む。

 

「翔鶴、お前にはその顔の方が似合う。悩みなどは全て私に預け、お前は笑っていろ。せっかくの美人がもったいない」

 

「……はい、提督」

 

「では、戻るか」

 

 踵を返し、弓道場へと戻ろうと――

 

「翔鶴?」

 

「少しだけでいいです。少しだけで……」

 

 後ろから翔鶴に抱きつかれる。

 

「提督のお背中は大きいですね。安心します」

 

「それだけが取り柄だからな。……気が済んだら言え」

 

「はい」

 

 気恥ずかしさと手持ち無沙汰に落ち着かないが、翔鶴の気が済むまでその場に立ち尽くす。

 

 翔鶴も甘えるのが下手な方だったな。瑞鶴と言う妹が居る以上、どうしてもしっかりしようとしてしまう。弱音を吐く機会が翔鶴にも必要なのかもしれない。

 

(時雨で上手くいくのなら翔鶴にも)

 

 流石に演習前には難しいだろう。タイミングを見て翔鶴に話を持って行くとしよう。

 

 

 

 ♢♢♢♢♢♢

 

 

 

 弓道場に戻り、一周回って翔鶴の番が再びやって来た。本来なら一回限りだが、鳳翔の判断で行う事になったのだろう。

 

「――どうですか?」

 

 鳳翔が結果を見て翔鶴に問う。

 

「本番では、瑞鶴と共に必ずや結果を出します」

 

「そうですか。その気持ちを忘れないように」

 

 翔鶴は、自分が座っていた場所に戻る前に提督の方をチラリと見てから座る。

 

「弓が軽くなったように見えます」

 

「そうだな」

 

 先ほど行われた翔鶴の動作は美しかった。赤城のそれとはまた違う、静かで大人しい弓。しかし、それは確かに的を射るもの。

 

「提督」

 

「なんだ?」

 

「ほどほどにお願いします」

 

「…………」

 

 加賀の言葉にどう答えろと? 機嫌の良い翔鶴を見た者達からの視線が痛い。私はただ悩みを聞いただけだ。そんな目で見られる言われはない。特に鳳翔と赤城が怖い。位置的に表情が見えるのだが笑顔とは思えないぐらいに覇気がある。それに比べれば、隣で顔が見えないだけ加賀がマシに思える。

 

 私が何をしたと言うのだ……少なくとも今はナニもしていないぞ。

 



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『case10 摩耶』

 弓道場を後にした提督は、加賀を連れ司令室へと戻る事にした。

 

(どうすれば、加賀に催眠術を掛ける事ができる?)

 

 きっかけが思い浮かばない。今も会話などはなく、提督の後ろを一歩下がって加賀が付いてくる感じだ。これでは、せっかくの秘書艦と言う比較的やりやすい状況なのになにもできないまま終わってしまう。

 

「提督」

 

「ん? どうかしたか、加賀?」

 

 不意に声を掛けられる。

 

「提督、失礼かもしれませんがお聞きしてもよろしいですか?」

 

「別にかまわんが、なんだ?」

 

「もしかして何か悩んではいませんか?」

 

「……どうしてそう思う?」

 

「先ほどからどこか遠くを見ているような気がして。気のせいであればいいのですけど」

 

 まさか、加賀に催眠術を掛けてエッチな事をどうやってやろうか悩んでいましたとは言えない。しかし、心配してくれていたのは嬉しいな。

 

「心配してくれたのか。ありがとう、加賀。だが……これは、私が――」

 

 待て。これは、チャンスなのではないか?

 

「実はな、加賀。少し悩みがあるのだ。もしよければ、業務が終わった後にでも相談に乗ってはもらえないだろうか?」

 

「私でよけば相談に乗ります」

 

 ウッシッ! やったぞ! これでとりあえず機会は得られた。後は、部屋に連れ込んでなんとかしよう……なんとかできるかな?

 

「ありがとう、助かるよ。では、早いところ業務を終わらせてしまおう」

 

 気持ち浮かれ気味だが平然を装い司令室へと急ぐ。早めに終わらせて事に備える為に。

 

 

 

 ♢♢♢♢♢♢

 

 

 

 業務を物凄い早さで行い、先に大淀に休みをとらせている頃に摩耶と鳥海が派遣先から帰還した。

 

「提督! 摩耶様と鳥海が今帰還したぜ!」

 

「摩耶。司令官さんにはちゃんとしないと」

 

 久しぶりに見るがどうやら変わりはないようだ。

 

「無事で何よりだ。それで、何か報告があるか?」

 

「いんや、特にはないな。鳥海からは、あるか?」

 

「相手先から提督に感謝の言葉を預かって来ました。これが手紙になります」

 

 鳥海から手紙を受け取る。

 

「……なるほど。二人の事に関しては適時報告を受けていた。彼は、私の上官の御子息になる。上官から私の所に居る艦娘を送ってほしいと要請があり二人を送る事にした。おかげで、いい刺激になったようだな」

 

 実際は、元ではあるが上官から相談を受けた。退役した私の代わりに息子を頼むと。摩耶は、戦闘面で発破をかける為に送る事にした。鳥海は、そんな摩耶の補佐兼秘書艦の指導の為に送った。

 

「でも、他所に行くと提督って優秀なんだなって思うよ。他は、なんだかバタバタしてるんだもんな」

 

「単純に私が古いだけだ。新人は、誰しもがそれなりに大変なものだよ。摩耶だって今でこそこうして派遣として送れるが、着艦したての頃は使い物にならなかったからな。なぁ、加賀?」

 

「そうですね。戦闘では、常に先走り危険な目に遭っていました。秘書艦としては今もですけど」

 

「クソッ……加賀さん相手だと言い返せない……」

 

 摩耶の新人時代。加賀を旗艦として随伴していた時期があるために上下関係が構築されている。他にも何人か頭の上がらない者が居るが、残念ながら提督の名はそこにはない。

 

「それに比べて、鳥海は他の姉二人と同じように秘書艦として優秀だ」

 

「アタシは、頭より身体を使う方が性に合ってんだからいいだろ! これでも提督の艦娘の中じゃ腕は立つ方なんだからな!」

 

「知っている。摩耶が居ると安心だからな。頼りにしているぞ、摩耶様」

 

 提督の摩耶に対して様を付けた発言に部屋の中で笑いが起きる。

 

「なんだかアタシの扱い悪くないか? せっかく頑張って帰って来たっていうのに」

 

「ちゃんと労いはしてやる。今日は、私の部屋にある間宮アイスを二人にやる。後は、二日の休暇だ。好きに過ごすといい」

 

「食べていいのか!? アレって数に限りがあるから滅多に食えねえんだよな」

 

「鎮守府や大きな泊地にはお店がありますけど日によっては食べられない事もありますからね」

 

 間宮アイス。それは、艦娘達にとって最高の御褒美ともなる特別な物。間宮は、艦娘の中でも最も建造数が少なく、その存在は貴重となっている。その為、作る事のできる数が限られており間宮製作の甘味は決められた分しか購入する事ができない。間宮アイスだけで言えば、二週間に一度来る輸送船の時に個人で二個を頼むぐらいだ。それとは別に責任者管理で褒美として与えるアイスが少しあるぐらいで本当に貴重なのだ。

 

「あくまでも一人に付き一個だ」

 

「分かってるって。じゃあ行こうぜ、鳥海」

 

「司令官さん、失礼します」

 

 先に行く摩耶を追いかけるように鳥海も部屋から出て行く。

 

「本当に変わらんな、摩耶は」

 

「そうでしょうか? 摩耶も随分と変わったと思いますけど」

 

「そうか? まぁ、人は変わるものだからな。加賀、大淀が戻ってきたら休憩に入れ」

 

「わかりました」

 

 残りの仕事もサッサと終わらせてしまおう。加賀が休憩に入っている間に大淀とやれば今日の分は終わるだろう。そうしたら夕食を挟んで加賀に……上手く行けばいいな。

 

 

 

 ♢♢♢♢♢♢

 

 

 

 今日の分を終わらせ、夜勤者に引き継いで自分の部屋に戻って来たのだが。

 

「おう、提督。邪魔してるよ」

 

 摩耶がベッドでうつ伏せになりながら本を読んでいた。

 

(別にかまわないが……)

 

 ベッドは、頭側が部屋の奥の方にある。つまり部屋の構造上入り口側が必然的に足側になる。摩耶は、丈が短いスカートを履いている訳だが――あと少しで見えてしまう。むしろ見えろ! 動くんだ、摩耶! 本当にあと少しでいろいろと見えるんだよ!

 

「どうかしたか、提督? 早く部屋に入れば?」

 

「そうだな」

 

 扉を開けたまま立ち尽くしていた提督に摩耶は声を掛ける。流石にこのまま見続ける訳にもいかず部屋へと入る。あと少しだったのに。

 

「なぁ、提督。この本の新刊ってまだ出ないのか?」

 

「また随分と珍しい物を選んだものだな。ベルセルクは、気長に待つものだ」

 

「そっか。残念だな」

 

 机の位置が部屋の奥の方なので今度は前から摩耶を見る事になる。椅子に座って見ている訳だが、前から見た摩耶は若干前かがみのような体勢になっている。高雄型は、全員スタイルがいい。それなのに摩耶は露出が高い服を着ている。けしからん。本当にけしからん。近代化改修で更に露出が増したのもけしからん。

 

(少し前までは、まったく気にもしていなかったのが不思議でしょうがない)

 

 本を手に入れるまでは、艦娘に欲情するなど軍人の恥だと考えていた。それこそ真面目な人柄を見込まれ、大将直々に教官も兼任するようにと命令が下ったものだ。あの頃は、新人達に無理をしいていたのだと今なら分かる。こんな露出度の高い美少女達に欲情しないで過ごせとか無理過ぎるだろう。

 

(確か、新しい本に摩耶の情報があったな)

 

 《高雄型 摩耶》

 

 危険。ちょっとした命令ならできますけど、エッチなのとかは絶対にやめておいた方がいいでしょう。羞恥心が人一倍高いので催眠術に掛かりにくく簡単に解けてしまいます。時間を掛け、じっくりゆっくりと行いましょう。それこそ催眠術無しで褒めてあげるぐらいが丁度いいです。

 

「クソがッ!」

 

 思わず、机を思い切り叩いてしまった。

 

「ど、どうしたんだよ、提督……」

 

 いけない。摩耶が驚いて畏縮してしまっている。なんだかんだ根は女の子なのでこういうのは苦手なのを忘れていた。

 

「いや、なんでもない。虫が飛んでいたんだ」

 

「そ、そうか。まったく脅かすなよな」

 

 訳を聞いて安心したのか、予め本棚からまとめて取っていた内の一つを読み始める。

 

(危なかったな)

 

 エッチな姿をしているのにエッチ禁止と言う不条理に思わず手が出てしまった。これは、加賀に挑戦する前の前哨戦とかの話ではない。ラスボス級だ。誘惑の度合いも含めて。今も無防備に足を投げ出している。触りたくなるようなお腹も丸見えだ。

 

 今はこの誘惑に耐えながら時間を待つしかない。待つしかないが……なんと苦しい試練を神はお与えになるのだ。

 



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『case11 加賀』

 試練に耐えた提督は、摩耶を連れ食堂まで足を運んだ。

 

「今日は、チキン南蛮か」

 

「肉なんてラッキーだな♪」

 

 泊地に置いて肉は貴重品だ。一応、鶏を飼育しているが基本的には冷凍品になる。

 

「なぁ、提督」

 

「なんだ?」

 

「タルタルソース掛け過ぎじゃない?」

 

 提督の皿の上にあるチキン南蛮はその姿を完全に隠している。コレを見て誰がチキン南蛮だと思うのか?

 

「摩耶。お前は、なにも分かっていない。コレが最高なんだ。わざわざ大盛りで頼んだんだぞ」

 

「いや~、分かりたくないな。タルタルソースの味しかしないだろ?」

 

「それのどこが悪い? 私は、タルタルソースが好きなんだ」

 

 ソースとチキンの割合が一対一の割合で食べる。美味い。酸味の効いたタルタルソースに甘辛のタレが鶏肉の美味さを引き出している。

 

(しかし、どうしたものか……)

 

 提督の視線の先には、赤城と共に食事をする加賀の姿がある。

 

「付け合わせの小鉢は、加賀さんの好きな肉じゃがですよ」

 

「気分が高揚します」

 

 好物である肉じゃがに気分を良くした加賀が笑みを零している。もちろん肉じゃがだけが理由ではない。共に食事をしている赤城が加賀にとっては、気兼ねなく感情を表に出せる相手だからだ。

 

(あの笑顔を手に入れてやる)

 

 今あの笑顔を手にしているのは、赤城を除けば鳳翔のみ。私が三人目となってやる。

 

「テイトクー! 私も一緒にご飯食べていい?」

 

 自分の分の食事を持っていた金剛が提督の隣に座る。珍しく金剛一人だ。

 

「他はどうした?」

 

「まだルームに居るヨ。私は、テイトクが居ると思って先に来たネ。摩耶も一緒なのは驚きましたけど」

 

「提督の所で本読んでたんだよ。提督の所にしかないのがあっからな」

 

「うーん。私もたまに借りたりしますけど趣味が少し合わないんだよネ。テイトク、今度私が貸してあげマース」

 

「少女漫画は微妙だな。良いのもあるが合わない事の方が多い」

 

 娯楽の少ない泊地では物の貸し借りは普通だ。おかげで少女漫画なども知る事ができた。

 

(金剛で思い出したが……)

 

 既に加賀は何度か催眠術を行っている。実際に効果があるか微妙なところがあるが環境を整えればどうだろうか? たとえば、アロマキャンドルの灯り。それにお酒。食事が終わったら明石の所に行ってみよう。

 

「金剛。お前のおかげで妙案が浮かんだよ」

 

「んー、よく分かんないけどテイトクのお役に立てて嬉しいネー!」

 

 これで突破口は見つかった。今は、英気を養うとしよう。

 

 

 

 ♢♢♢♢♢♢

 

 

 

「提督。加賀です」

 

「鍵は開いている」

 

 加賀は、提督の言葉に招かれ部屋の扉を開ける。

 

「……これは?」

 

「最近の私の趣味だ」

 

 部屋の中には、明石の所で購入したアロマキャンドルが至る所に飾られていた。はっきり言って金剛のを完全にパクった。

 

「知らなかったわ。提督にこんな趣味があったなんて」

 

「本当に最近だからな。立ち話もなんだ、座るといい。日本酒もあるぞ」

 

 提督に促され、加賀は辺りを見渡しながらも席に座る。

 

「相談ではないのかしら?」

 

「もちろんそうだ。だが、少し飲んだ方が話しやすいだろう?」

 

 わざわざ用意した丸テーブル。真ん中には、アロマキャンドルではない赤い蝋燭が一つ。それらを挟み、提督が加賀の為に用意した酒を杯へと注ぐ。

 

「……飲みやすい」

 

「だろう。コレは、貰い物ではあるが辛口の酒なんだ。せっかくだから開けてみた。それと、つまみもある。夕餉の残りだが、肉じゃがとチキン南蛮。それと漬物だ」

 

 部屋にある個人用の冷蔵庫からそれらを取り出す。

 

「随分と準備が良いのね」

 

「加賀を招くからな。この程度はさせてもらうよ」

 

「……提督。そんなに掛けたら身体に悪いと思うのだけど?」

 

「好きなんだよ、タルタルソースが」

 

「相も変わらずなのね」

 

 そう口にすると加賀は残りの酒を飲む。余計なお世話だと言ってやりたいが今は我慢だ。今はこのまま加賀に酒を飲ます。そして、意識が混濁した辺りで勝負を仕掛ける。

 

 提督は、適当に話をしながら加賀に酒を注いでいく。返すように加賀も提督に注ぐが、自称酒豪である提督が酔う前に加賀の方が先に限界が来た。加賀の頬が朱に染まり、目が座ってきた気がする。仕掛けるなら今だろう。

 

「なぁ、加賀。この蝋燭の灯りを見てみろ」

 

「……灯り?」

 

「そうだ。どうだ、意識が遠のいて行く気がしないか? だんだんと眠くなってきたりはしないか?」

 

 加賀は、ジッと蝋燭の灯りを凝視している。

 

「だんだんと意識が遠のく。ほ~ら眠くなってきた」

 

 提督は、加賀に催眠術を掛けていく……掛けていく……。

 

「……どうだ?」

 

 試しに加賀の目の前で手を振ってみる。普段の加賀なら怒るはずだが反応が無い。

 

「これは、今までで一番上手くいったのではないか?」

 

 頬っぺたを指でツンツンしてみるがなにもない。これには内心で狂喜乱舞ものである。あの難攻不落とすら思えた加賀に催眠術を掛けられたのだ。

 

「ふふふっ、これで加賀は私のモノだな」

 

 勝利を確信し笑みが零れる。さて、早めに事を済ますとしよう。提督は、冷凍庫から秘密兵器を取り出す。

 

「加賀よ、コレが何かわかるか? ひんやりと冷えた間宮アイスだ」

 

 加賀に反応はない。艦娘達の憧れの甘味を前にしても無反応とは。

 

「加賀よ、これからお前にコレを私が食べさせる」

 

 蓋を開け、スプーンでアイスを掬う。すると、バニラの甘い香りが鼻孔をくすぐる。なんて甘美な香りだ。流石は天下の間宮アイスと言ったところだろう。

 

「加賀、口を開けろ。アーんだ」

 

 普段の加賀ならまずやらない。仮にやったとしても赤城や鳳翔の前だけだろう。だが、今は違う。目の前に居る加賀は、羞恥心から真っ赤に顔が染まるがそれでも命令通り口を開け、目を閉じ、アイスが口に運ばれるのを待っている。

 

(可愛いな、おい!)

 

 あのいつも冷静沈着でクールな加賀が顔を真っ赤にして食べ物を待つとか最高だな! このままずっと眺めていたいがそうもいかない。私は、見たいのだ。

 

「入れるぞ」

 

 ゆっくりと加賀の口にアイスを運ぶ。すると、アイスが口に入った事を理解した加賀は、スプーンから唇と舌でアイスを奪い取る。

 

「美味いか?」

 

「……美味しいです」

 

 少しズルいが間宮アイスの力を借り、夢にまで見た加賀の笑みを手に入れた。この笑みを間近で見たかった。

 

「そうか。まだあるからな」

 

 今度は、少し多めにしてみる。

 

「……ん……冷たい」

 

 目を閉じている弊害。大きなアイスを完全にはスプーンから奪い取れず僅かに口の端から零してしまうのだが、それを加賀は舌で舐めとる。

 

(素晴らしい。実に素晴らしい)

 

 舌で零れたアイスを舐めとる妖艶な姿を見ると普段とのギャップで気分が高揚してくる。

 

 それからは早かった。加賀の姿に魅了され、アイスを淡々と口へと運んでしまった。それ故にこの結果は致し方ない。

 

「無くなってしまったか……」

 

 あっという間だった。もう間宮アイスの入っていた入れ物は空だ。だが……満足できない。もっと見たい。いや、もっと別の形で味わいたい。

 

(今ならできるのでは?)

 

 欲望が生んだ閃き。それは、一度浮かんでしまったら決して逆らえない魔性を含んでいる。提督は、欲望に動かされ冷凍庫から間宮アイスを。そして、冷蔵庫からとある物を取り出す。

 

「多くの者は、間宮アイスを前にすると思考が停止する。それは、間宮アイスが貴重であり崇高な物だからだ。だが思い出してみろ? 店で出す間宮アイスはそのままか? いや、違うだろ?」

 

 提督は、間宮アイスの蓋を開け、蓋をひっくり返しそこにアイスを少しだけ置く。

 

「例えば、パフェを思い出してみろ。アイスだけではなく他にもいろいろとトッピングがしてある。フルーツ。ケーキ。ウエハース。ポッキー。スコーン。他にも様々な物がトッピングされているだろ? だが残念なことに普段はそれに気づく間もなく食べ終えてしまう。しかし、今回のように二個目があれば話は別だ」

 

 流石に私欲のために共用の間宮アイスは使用できない。コレは、この前購入したばかりの二個目のアイスだ。今度の輸送船が来るまで食べる事はできないが、それだけの価値がある。

 

「見ろ、加賀。私は、今からこの取り分けたアイスにチョコソースを掛ける。どうだ、凶悪だろう? バニラアイスにチョコのトッピングだ。美味いに決まっている」

 

 チョコソースを掛けた部分をスプーンで掬い、加賀の口へと運ぶ。するとどうだ。

 

「ん……美味しい」

 

 見ろ、この情けない加賀のトロ顔を。完全にこの味に魅了されている。

 

(これなら行けそうだな)

 

 ここからが本番。上手く行ってくれ。

 

「では、次に行こう」

 

 緊張する。だが、もう引き返せない。

 

「今度は――」

 

 覚悟を決めろ。男になれ。

 

「私の指に付けたのを食べてもらおうか」

 

 言ってしまった。自分で言っておいてなんだが凄く恥ずかしい。思わず顔を手で隠してしまう。ええい、男が一度口にした事を翻せるか。ここで終わるなら本望よ。

 

 提督は、蓋に残るアイスに指を付ける。冷たい。それに少し解けてベタベタしている。

 

「……行くぞ、加賀」

 

 零れないように蓋と一緒に移動する。

 

「口を開けるんだ」

 

 提督は、加賀の口の傍まで指を持って行く。指からは、アイスとチョコの混じったものが僅かに垂れながら食されるのを待っている。

 

「……加賀?」

 

 なかなか加賀の口は開かない。ダメか……いや、仕方がない。流石にこれは――

 

「頂きます」

 

 加賀の口が提督の指を咥える。

 

(これは!?)

 

 温かい。それにしっとりとしている。確かにそこは、加賀の口の中。先ほどから指に加賀の唇や舌が触れている。なんと言えばいいのだろう。くすぐったい? 吸われると少し痛い? もうなんだか分かんなくなってきた。

 

「加賀……お前もなんだな」

 

 提督の指を咥えている加賀の顔が今まで以上に赤い。ここまでくると心配になってくるほどだ。だがそれは加賀だけではない。今この部屋には、顔を真っ赤にした男と女が二人居る。

 

 加賀は、指からアイスを舐めとるとゆっくりと離れていく。加賀の唇から提督の指に掛けての繋がる透明な液体が蝋燭の灯りに照らされ煌いて見える。背徳と羞恥心からなる欲望の輝きだ。

 

「加賀。後は、好きに食べろ」

 

 提督は、加賀に残りのアイスとスプーンを渡す。

 

「私は、部屋の外に行く。アイスを食べたら催眠術は解ける。今日、此処であった事は全て忘れるんだ。私が相談をした事も一緒にな」

 

 提督は、恥ずかしさから逃げるように部屋から出て行く。

 

「……私ったら」

 

 一人取り残された加賀は、今しがたまで提督の指を咥えていた唇に人差し指で触れる。

 

「これは、あくまでも催眠術によるもの。それだけ」

 

 加賀は、アイスを食べずに蓋を閉め大事に手に持って部屋から出て行く。

 



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『case12 加賀②』

 あの後、提督がしばらくして部屋に戻るとそこに加賀の姿はなかった。提督は、部屋の片付けもせずにそのままベッドへと倒れる。

 

「私は何という事をしてしまったのだ」

 

 加賀に差し出した指を見て思う。いや、忘れられない。あの時の興奮を。加賀の羞恥に染まった顔を忘れられない。

 

「明日から加賀に合わせる顔が無いな」

 

 どんな顔で会えというのだ。加賀は記憶が無いが、私にはある。だが、この記憶を忘れたいとは思わない。

 

「寝よう。寝不足は業務の支障となる」

 

 提督は目を閉じ無理矢理眠りへと――つくことは出来ず朝を迎える。

 

「寝不足ですか?」

 

「いや、大丈夫だ」

 

 大淀に心配されるが業務を行わなければならない……のだが。

 

(加賀……)

 

 作業の手を止め、加賀が口に含んだ人差し指をどうしても見てしまう。流石に洗ってはいるが、あの時の感覚は未だに色濃く残っている。

 

(まさか、これは恋か? いや、変かもしれないな。変態の意味で)

 

 ダメだ。チラチラと加賀の顔が浮かんでしまう。これでは業務どころではない。

 

「司令官。指が痛いの?」

 

 今日の秘書艦である暁が心配そうにこちらを見ている。

 

「いや、少し考え事をな。心配してくれてありがとう、暁」

 

「暁は、これでもレディーだから気は利く方なのよ。なにかあったら司令官も暁を頼ってよね!」

 

「そうか。それは、頼もしいな」

 

 大淀と暁に心配を掛けてしまった。これでは上官失格だな。

 

「し、失礼しますぅ……」

 

 声が聞こえた瞬間扉の方に意識が向かう。いつもと違いオドオドした小さな声ではあるが間違いない。この声は、加賀の声だ。

 

「大淀さん。コレを」

 

 部屋に入って来た加賀は物凄い早さで大淀の下へと向かった。こちらの方は一切見ずに。

 

「……加賀さん。こちらの書類は、私ではなく提督にお願いします」

 

「て、提督に!?」

 

 加賀の珍しい驚き声に大淀の方が驚いている。

 

「どうかしたんですか?」

 

「いえ……なんでもないわ」

 

「そうですか」

 

 大淀は、何事もなかったように自分の仕事へと戻る。

 

「…………提督に、ね」

 

 加賀と目が合う。だが、互いに目を背ける。しかし、その事を知っているのは二人の様子を見ていた暁だけ。本人達は目を背けているので気づいていない。ついでに言えば、互いに顔が赤くなっているのも。

 

「ん~、もしかして司令官と加賀さん喧嘩でもしたの?」

 

「喧嘩? いや、そんなことはしていないぞ?」

 

「そう? なんだか喧嘩した後の雷と電みたいに見えたんだけど。違うならよかった」

 

 事情を知らない暁にはそう見えてしまったのか。それはそうだよな。いきなり目を背けては加賀に対して失礼になる。

 

「ショルイヲイタダコウカ?」

 

「ソウネ。オネガイスルワ」

 

 ガチガチな感じで加賀から提督は書類を受け取る。

 

「……ん? 予算と物資の数が合わないな?」

 

 書類の内容で正気に戻る。

 

「値上げか。大淀、これはどういうことだ?」

 

「本部の方から経費削減の話が出たそうです。おそらく政府の方からだと」

 

「馬鹿どもめ。我々が負ければ本土がどうなるかもわからんのか」

 

「今や攻勢に出ていると考えている方が増えてきましたからね。慎重派は、主に前線に居る方々ぐらいなものです」

 

「押し返しただけだというのに本土は気楽なものだな。未だに敵戦力に限りが見えない。むしろ敵戦力は増す一方だ。大淀、空母の方に予算を付けろ。多少の無理は私の権限で許す」

 

「了解しました」

 

「加賀。しばらくはこのままになるが、辛抱してくれ」

 

「わかりました」

 

 海軍本部に話を……いや、他の所に先に話を通しておく方がいいか。

 

「……どうかしたか?」

 

 用が済んだのに加賀は傍から離れない。

 

「……コレを提督に」

 

 加賀が後ろ手に持っていた物を提督に差し出す。それは、昨日二回も見た間宮アイスだ。まさか――覚えているのか!?

 

「コレを私に?」

 

 平静を装うので精一杯だ。心臓が激しく動くせいで息がし辛い。

 

「私の所に三個ありましたので」

 

「そうか」

 

「確かにお渡ししました。それでは、失礼します」

 

 加賀は来た時と同じように足早に部屋から出て行く。

 

「珍しいですね。明石さんが配り間違えるなんて」

 

 大淀の言う通りだ。あの明石が間違えるとは思えない。

 

「大淀、私はコレを仕舞ってくる」

 

 可能性を考え、部屋へと戻る。

 

「……やはり無いか」

 

 昨日のままの部屋を見て確信する。加賀に渡した分のアイスの入れ物が無い。どうやら加賀はアイスの入れ物を部屋に持って帰ってしまったようだ。

 

「記憶があるわけではないようだな」

 

 安堵のため息が出る。それこそ思わずベッドに倒れてしまうほどに。

 

「もし許されるのならもう一度やってみたいものだな。加賀には悪いが、あの一夜は私にとって貴重な時間であった」

 

 加賀には悪いと思うがもう一度あの時間を味わいたい。そんな願いを込め、加賀から渡された間宮アイスは大事に仕舞っておく。また訪れるかもしれない時の為に。

 



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『ドラム缶風呂』

 

 休憩を兼ねて大淀、暁とトランプをしていたところに来客がやって来た。

 

「えーと、スペードの10を北上様は出してあげちゃうよー」

 

「流石、北上さん! 私の為に出してくれたんですね!」

 

「そう言いながらハートのJなんだな」

 

「うるさいですよ、提督?」

 

「うぅ……パスしかない」

 

「暁さんの出せる場所はどうやら止められているようですね」

 

 ゲームは、七並べ。場の流れを見る限り、北上、大井、大淀の三人が暁の持っているカードの手前を止めているようだ。もちろんコレは、自分の手札を見て分かる事だが。

 

(大淀)

 

 提督は、大淀に目でサインを送る。そろそろ暁が泣き出す。あるなら出せと。

 

「今度は、私の番ですね。そうですね、クラブの9を出します」

 

「やった! やっと暁も出せる!」

 

「おっ! これから暁ちゃんが巻き返しちゃうのかな? じゃあ、私も出しちゃおう」

 

「また来た! これからは、暁の独壇場ね! 見ててね、司令官!」

 

 カード一枚でここまで変わるとは、少し羨ましい限りだ。

 

「ねぇ、提督。せっかくだから賭けしない?」

 

 ゲームも終盤に入りかけた時、北上から不敵な笑みと共に勝負を持ちかけられる。

 

「賭け?」

 

「そうそう。私と提督とで。それともやめておく? 結構、良い手札なんだけどこっちはさ」

 

「北上。私が逃げるとでも?」

 

「そうこないと面白くないよね。三人は、賭けに乗る?」

 

「先ずは、内容を聞いてからでないと」

 

 大淀の言葉に北上は考える。

 

「アレなんてどうかな? ねぇ、提督。久しぶりにアレやろうよ、アレ」

 

「アレ?」

 

「ドラム缶風呂。最近、入ってないっしょ?」

 

 ドラム缶風呂。それは、ドラム缶を利用して作られた風呂の事だ。他に言いようもないがたまにだが外風呂と言う事で入っている。

 

「それが賭けか?」

 

「用意するの面倒だからね」

 

「ドラム缶風呂なら私はやめておきます」

 

「大淀さん、付き合い悪いよ~」

 

「前に見た事ありますけど、簡単な仕切りしかないじゃないですか。北上さんは、恥ずかしくないんですか?」

 

「別に。だって、男なんて提督しかいないし」

 

「そうですけど……」

 

 顔を赤くした大淀にチラチラと見られる。

 

「解放感も醍醐味の一つだが恥ずかしいのなら無理はしない方がいい。こればかりは性分だからな」

 

「いえ……その、そう言う意味ではなくてですね……。私も別に……提督になら……」

 

 ドンドンと声が小さくなり最後の方がよく聞こえない。

 

「ねぇ、司令官。ドラム缶風呂って、浜辺に置いてあるやつ?」

 

「そうだが……そうか、暁達は知らないのか」

 

 ドラム缶風呂は、消灯時間の後にしか使用した事が無い。駆逐艦の中でも幼い第六駆逐隊の四人は寝ている時間だ。

 

「暁。今日は、少しだけ遅くまで起きられるか?」

 

「頑張ってみる」

 

「では、経験の一つとしてやってみるといい。響、雷、電の三人も誘ってみるか」

 

「じゃあ、大淀さんと暁ちゃん抜きで勝負だね」

 

「私は、参加ですか北上さん?」

 

「大井っちは、嫌?」

 

「それは……」

 

 大井と目が合う。

 

「覗かないでくれますよね、提督?」

 

「上官を信用しろ」

 

「……信じますからね?」

 

 大井に念を押される。

 

 少し前なら胸を張って答えられたが今は少し自信が無い。流石に自ら率先して覗こうとは思わないが機会があれば覗いてしまうかもしれない。第六駆逐隊の四人はともかく、北上と大井は見るだけの価値がある。

 

 

 

 ♢♢♢♢♢♢

 

 

 

 ゲームの結果は、提督の負け。北上と大井がどうやら組んだらしく三人の中では提督が最後となった。ちなみに一位は、暁。最後が大淀だった。なんだかんだ最後に暁に花を持たせるあたり仲が良いのだなと思う。

 

 ドラム缶風呂自体は、前に使用した分があるので洗浄するぐらいでいい。後は、仕切りと水。火の準備ぐらいだ。身体とかは此処では洗わないので本当に入るだけ。一人でも準備はできる。

 

「綺麗な星空だ」

 

 見慣れてはいるが、改めて見るとやはり素晴らしい。今日は、この星達を見ながら、波の音に身を任せながらゆっくりと風呂に入る。

 

「これがドラム缶風呂なのね!」

 

「どうやって入るのかしら?」

 

「この風呂底板の上に乗るように入るんだよ」

 

「緊張するのです」

 

 仕切りの向こうから聞こえる第六駆逐隊の四人の声。提督用のドラム缶を隔離するように着替え用とは別に仕切りが一つある。

 

「うーん。この開放感がたまらないね♪」

 

「絶対に見ないでくださいよね、提督」

 

「大井。お前も覗くなよ」

 

 仕切りから顔を出して大井がこちらを覗いている。

 

「確認です。確認」

 

「わかった。だが、これから脱ぐからな」

 

「――い、いきなり脱ぎ始めないでよ、バカッ!」

 

 上着に手を掛け脱ぎ始めると大井が顔を真っ赤にして仕切りの向こうに逃げた。

 

「私は、別に見られたところでなにも思わん」

 

 士官学校時代の共同生活に訓練中の野宿を考えれば裸を見られたぐらいどうってことはない。こちらには、着替え用の仕切りなどないぐらいだ。

 

(とは言え、なんだか変態みたいだな)

 

 全裸で海に対して仁王立ち。解放感は素晴らしいが誰かに見られて誤解が生まれるとまずい。

 

「サッサと入ってしまおう」

 

 既に仕切りの向こうからは入浴後の声が聞こえてくる。……少し寂しい気もするが混ざる訳にもいかないので我慢しよう。

 

「ふぅ~、いい湯だな」

 

 夜風で冷えた身体に熱が染みる。思わず大きなため息が出る。

 

「どうだ、暁。気持ちいいか?」

 

「うん、楽しい♪」

 

 素直な感想だ。他からも似た様な感想が出る。

 

(社会勉強の一つとしてやった甲斐があったな)

 

 本来なら禁止されている行為ではあるが気晴らしは大事だ。戦場に居るからこそ休める時は休んだ方がいい。

 

「――ん? 誰か居るのか?」

 

 視線を感じる。木の影からだ。

 

「にゃ、にゃ~。ネコデース」

 

「猫か。珍しいな。此処には、居ないはずだが?」

 

「Shit! ちょっと道に迷っただけデース。失礼しマース!」

 

 声の主は、足早にその場から逃げていく。ただ、足音は一つだけではない。何人か居たようだ。

 

「金剛さんは、自分に正直だね。大井っちも少しは見習ったら?」

 

「わ、私は、いつでも自分に正直ですよ! 今だって北上さんの事だけを考えてますから!」

 

「大井っちも面倒な性格してるよね。でも、それはそれでいいけどね~♪」

 

 なんだか仕切りの向こうが更に賑やかになってきたな。

 

「まったく、金剛も入りたいのなら言えばいいものを」

 

 今度やる時は金剛も誘ってみるか。これだけ素晴らしい中で入る風呂を知らないのはもったいない。

 



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『case12 大井』

 風呂から戻り、北上と大井に第六駆逐隊の四人を任せ部屋でストレッチを行う。呼吸と共に身体を動かし、身体の隅々まで意識を伸ばしていく。

 

「少し鍛錬でもするか」

 

 些細なものではあるが身体が少し硬くなっている気がする。肉体的鍛錬の量が減ったとはいえ、それでも維持には気をつけてきたのだが。

 

「大井です」

 

「鍵は開いている」

 

 部屋の扉が叩かれ、大井が入って来る。

 

「四人を寝かせ終わりました」

 

「そうか。別に報告などはいらなかったのだが」

 

「北上さんが心配するからと」

 

 意外とまめな性格だったんだな、北上は。

 

「わかった。報告感謝する」

 

 これで終わり――のはずが、まだ大井の姿はそこにある。

 

「どうかしたか?」

 

「少しいいかしら?」

 

 そう言うと部屋の扉を閉める。

 

「提督は、まだあの遊びをなさっているので?」

 

「あの遊び? 催眠術の事か?」

 

「ええ、そうです。それで、どうなんですか?」

 

 もしかして怒っているのか? 口調こそは丁寧だが威圧感がある。

 

「たまにだがな。大井には、もうやらないから安心しろ」

 

 前に一度だけだが大井に催眠術を掛けた事がある。結果は、特に無し。正直に言って、大井は信用できない。催眠術に掛かったフリをしている可能性が高く命令を下した瞬間を狙ってくる可能性がある。私から北上の安全を守るための行為ではあるが、こちらとしては手を出すのは細心の注意を払う必要がある。

 

「……私だけですか?」

 

 威圧感が更に増す。

 

「北上にもやるなと言いたいのか? わかった。大井がそう言うのならやめておこう」

 

 言葉はすぐに返ってこない。その代わりに鋭い双眸がこちらに向けられる。少なくとも上官に向けるものではない。

 

「……北上さんは、今まで通りでいいです」

 

「ん? そうか」

 

 今の大井がよく分からない。これは新たな作戦か?

 

「……もう面倒なのは嫌いなのよ!」

 

 そう言うと、大井はベッドに腰掛ける。

 

「私が身をもって提督の催眠術が安全か調べてあげます! ほら、サッサと掛けたらどうですか?」

 

「よく分からんが、流石に時間が遅い。日を改めて――」

 

「やるのやらないの?」

 

「……やります」

 

 大井に言われるがままに準備をしていく。とりあえず、五円玉のでいいか。

 

「本当にいいんだな?」

 

「何度も言わせないでくれます?」

 

 笑顔が怖い。

 

「では、やるぞ」

 

 大井の目の前に五円玉を吊るし下げる。

 

「大井は、眠くな~る。ドンドン眠くな~る」

 

 紐で吊るした五円玉を左右に揺らしていく。古典的な物だが今の私なら有効的な催眠術を掛ける事ができる。

 

「どうだ、大井? 眠くなってきただろう?」

 

 ジッと見ていた大井の瞼がゆっくりと落ちてくる。ここまでは、前回と同じだ。

 

「……大井?」

 

 大井の顔の前で手を振る。反応は無し。

 

「大井も掛かる方だと思うんだが……」

 

 《球磨型 大井》

 

 危険です。催眠術を掛ける場合は気をつけて下さい。ポイントとしては、優しく紳士的に接しましょう。焦らず騒がずゆっくりと慎重にお願いします。いろいろと大変だと思いますが一度上手く行けばこちらのものです。

 

 本に書かれていた内容が、ただの注意書きにしか思えなかった。その為、前回は命令などはせずに確認だけで終わってしまった。

 

「さて、どうしたものか?」

 

 確認の為に手に触れてみる。頬を指でツンツンしてみる。普段なら一言あるはずだが何もない。

 

「他の手段を考えるか」

 

 大井の反応を見る一番の方法は間違いなく北上関係だろう。例えば、悪口なんてどうだろうか? 北上の悪口を言われれば……いや、ダメだ。北上の悪口を言う気にはなれん。そうなると別の方向からいってみるか。

 

「大井。実はだな、この前北上に抱きついた」

 

「…………」

 

 言葉こそないが、部屋の空気が重いものに変わった。

 

「本当に眠っているんだよな?」

 

 未だに瞼は落ちている。表情にも変化はない。あるのは場に満ちる威圧感だけ。

 

(北上に抱きついた以外で何かあるか?)

 

 抱きつく以外で実際にありそうなこと。そうなると……もし仮に罠なら死ぬかもしれないな。

 

「実は、もう一つある。私は、北上とキスをした」

 

「…………」

 

 何もない。先ほどまであった威圧感も消えている。まるで嵐の前の静けさのような気もしなくはないが、キスまでした私に大井が何もしないわけがない。

 

「抱きつくだけならともかく、キスでも反応は無しか。コレでもダメならいっそのこともっと凄いことにしておけばよかったな」

 

 キス以上となるとそれはもうアレだ。嘘とは言え、大井の前ではなかなか口にはし辛いな。

 

「大井。本当に催眠術に掛かっているのか?」

 

 訊いても返ってくることはない。

 

「……よし、わかった。大井。私はこれからお前に抱きつく……起きているのなら今のうちだぞ? 本当にやるからな?」

 

 大井の横に座り、肩に手を回す。すると、ビクッと大井の身体に反応がある。

 

「嫌なら逃げろよ? 今なら殴ったとしても不問とするから」

 

 ゆっくりと大井の反応を見るように抱き寄せる。

 

「本当に眠っているのか?」

 

 未だに疑念は消えない。しかし、一つ確かな事は大井を抱きしめる事に成功した。

 

「まさかあの大井をこうして抱きしめる時が来ようとは思わなかった」

 

 大井の髪が頬に触れる。柔らかく毛並みは良いのだろう。心地良い感触だ。匂いも初めて嗅いだ。どうやら大井は香水などを付けていないようだ。もしかしたら先ほど風呂に入り、尚且つ後は眠るだけなので付けていないだけかもしれないがそれでも香るのはなぜだろう。ずっと嗅いでいたい。

 

「このまま眠りに就きたいものだ」

 

 もしそれができれば良い夢を見られる事だろう。だが、そうはいかない。

 

「名残惜しいが部屋に帰さない訳にもいかない。北上も心配するだろうからな」

 

 大井から離れ、元の位置まで戻る。

 

「これから催眠術を解く。大井、催眠術に掛かった後の事は全て忘れろ、いいな? それでは、指を鳴らすと大井に掛けた催眠術が解ける」

 

 指を鳴らして起こす。

 

「…………」

 

 ゆっくりと目を開けた大井は、提督をジッと睨む。

 

「どうかしたか?」

 

 平静に対応するんだ。大丈夫、問題はないはずだ。

 

「……やっぱり、ダメね。これなら北上さんも安全でしょう」

 

「そうか。やはり私の催眠術は不完全なようだな」

 

「当然です。提督は、素人なんですから。でも……気が向いたら付き合ってあげます」

 

 大井は、そう言うとベッドから立ち上がり扉の方まで移動する。

 

「それまで、精々催眠術の腕でも磨いておいてください」

 

 その言葉だけ残し、部屋から立ち去る。

 

「なんだこの敗北感は」

 

 催眠術に掛かったはずなのに負けた気がする。

 

「大井よ、いずれ再戦する。その時まで待っていろ」

 

 大井への再戦を誓うと、ストレッチの続きに戻る。しかし、先ほどまでと違い身の入らないそれはどれだけの意味があるのだろうか。

 

 

 

 ♢♢♢♢♢♢

 

 

 

「お帰り、遅かったね」

 

「起きていたんですか!?」

 

「大井っち、静かにしないとダメだよ? 寝ている人も居るんだからさ」

 

 大井と北上の部屋には、他にも人が居る。三、四人で一部屋が此処の決まりだ。

 

「ごめんなさい」

 

 大井は、北上が上に居る二段ベッドの下へと潜る。

 

「大井っちもさ、今の状況を上手く使いなよ。そうでないと後で後悔するよ?」

 

「私は、別に……」

 

「そうかな~?」

 

 上の段から北上が降りて来て、大井の所へと潜る。

 

「ちょっと北上さん!? 嬉しいですけど、いきなり――」

 

「クンクン。大井っちから誰かさんの匂いがするな~。これは、どういう事かな? 北上様に教えてよ、大井っち」

 

「それは……」

 

 それから北上による尋問が始まる。

 

「うるさくて眠れないクマ~」

 

 同居人の苦情も知らずに二人の夜は更けていく。

 



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『レクリエーション担当』

 

 泊地は、かつては前線基地の一つとして司令室が設置されていた事がある。その時代には、艦娘達だけではなく人間達も多くこの場所に居た。その時に人間達の鍛錬の場として造られたのが『武道館』だ。広さはそこまで広くはないが、空手、柔道、剣道をはじめ武道を行う為の環境が整えられている。

 

「ハッ! セイッ!」

 

 陽がまだ上る前から起き出し、武道館に赴いて鍛錬を行っている。着ている道着が汗で重くなってきても身体を動かす事はやめない。

 

「――今度は、素振りでもするか」

 

 空手の型を終え、今度は用意していた竹刀を手に取る。既に柔道の受け身の稽古も終えているのでなかなか堪える。

 

「相変わらず自分に厳しいですね、提督」

 

 入り口の方から声を掛けられる。

 

「そう言う鳳翔はどうなんだ? 鳳翔も弓道場に用があるのだろう?」

 

 武道館と弓道場は隣接している。

 

「これでも艦娘ですので。見てもよろしいですか?」

 

「かまわんよ。だが、見ていて面白いものではない」

 

「それは、私が決めさせていただきます」

 

 鳳翔が中へと入り、邪魔にならないように壁際で正座する。

 

「物好きだな」

 

 提督は、精神を集中させて素振りに入る。基本となる正面素振りで身体の状態と竹刀の振りを確認。次に左右素振りで様子を見る。腕、手首ともに問題はない。上下素振りで、竹刀の振りを全身で感じる。最後に飛び素振りで、上には飛ばずに床に対して平行に静かに足を運ぶ。足の運びが少し鈍いな。戻りが悪い。

 

「足の運びが悪いですね」

 

 見ていた鳳翔に指摘される。

 

「少し身体が硬いようだ。歳を取ると僅かなサボりが影響するものだな」

 

「提督は、十分お若いですよ」

 

「だといいがな。気持ちだけでは、身体は動いてくれんよ」

 

 竹刀を置き、調整の為に身体を解す。筋肉痛だけは意地でもしたくない。二日後など以ての外だ。

 

「お手伝いします」

 

 鳳翔の足音が近づいて来る。

 

「汗まみれだ」

 

「かまいません」

 

 鳳翔に手伝ってもらいながら身体を解していく。一人よりも手伝ってもらった方が捗る。

 

「提督」

 

「なんだ?」

 

「今度の演習について少しお聞きしても?」

 

 演習について? 何か問題でもあったか?

 

「言ってみろ」

 

「彼女達が相手に居るのは知っていますよね?」

 

「それがどうかしたか? まさか、臆したわけではないよな?」

 

「いえ、違います。ですが、強敵です」

 

「知っているさ、それぐらい。私はコレでも古いからな。指導役の香取も鹿島も知っている。他の二人も。わざわざ私の為に海軍本部が用意してくれたのだからな」

 

「提督に恥をかかせるのがあちらの狙いですよ?」

 

「知っている。だが、別に悪意などはない」

 

 鳳翔の手伝いを断り、最後に簡単にだが身体を動かす。

 

「私の知人は性格が悪いのが多いからな。勝手に前線を離れたのが気に食わないのだろう。たまに要請とは別に手紙が来るぐらいだ。嫌味をたっぷりと綴ったものがな」

 

「仲が良いのか分かりませんね」

 

「嫌味が言えるぐらいには仲が良いさ。演習を私的に使うのはどうかと思うが。なに、勝てばいいだけの事。その時は、私から手紙でも送るさ」

 

「では、絶対に勝たなければいけませんね。私としては、殿方達のお遊びには興味がありませんから。あるのは、提督に恥をかかせない事だけです」

 

「期待している。翔鶴、瑞鶴を支えてやれ。あの二人は、赤城と加賀に任せる」

 

 そろそろ海軍本部との演習が行われる。別に忘れていたわけではないが気にはしないようにしていた。

 

 

 

 ♢♢♢♢♢♢

 

 

 

「ねー、なんでダメなの?」

 

 朝の鍛錬を終え、今日の秘書艦である神通と大淀と共に司令室で業務を行っていると来訪者が来る。川内型の末っ子で、神通の妹である那珂だ。那珂の手には、今度のレクリエーションの企画書があった。

 

「那珂。お前の役割は大いに重要な物だ。娯楽の少ない此処で、那珂が行ってくれるレクリエーションは本当に助かっている」

 

 那珂は、此処でのレクリエーション担当となっている。通常の任務とは別に一年を通しての催し物などの企画を考えている。

 

「でしょー! だからね、これを通してほしいんだよー! 頑張って考えたんだから!」

 

「だがな、予算はこの際置いておくが内容はどうにかならんのか? 全員参加もそうだが、練習でも全員参加とか無理にもほどがある」

 

「だって、今度やる『那珂ちゃん音頭』は全員でやった方が絶対に楽しいもん。ねぇ、お願い。もしお願いを聞いてくれたら……那珂ちゃん提督とデートしてあげちゃうよ! 提督も那珂ちゃんとデートできたら嬉しいでしょ?」

 

 身体をくねらせ、ウインクを一つ。残念ながら那珂に色気はない。可愛いけど。

 

「レクリエーションの為に他からの要請を断り、むしろこちらから要請しろと? それにだ、那珂……上官を買収する気か?」

 

「那珂ちゃん。提督を困らせてはダメですよ?」

 

 神通からも言葉が出る。

 

「神通ちゃん……お顔怖いよ? 私、妹だよ? そんな怖い顔しないでよ、お願いだから」

 

 横目で見るが神通の表情は笑顔だ。ただ、鳳翔達もそうだが女性の笑顔を無性に怖いと思う時がある。と言うか、上官である私よりも神通の方が怖いのか。

 

「提督。私の顔になにか付いていますか?」

 

「いや、なにもないよ」

 

 いい笑顔だ。触れずにいよう。

 

「とにかくだ、企画を見直せ。大淀、当分の日程を那珂に教えてやれ」

 

「了解しました。那珂さん、後で資料をお渡ししますのでよろしくお願いします」

 

「むぅー、絶対那珂ちゃん諦めないもんね! 今は神通ちゃんが怖いから逃げるけど絶対に提督にいいよって言わせるんだから!」

 

 そう言うと、逃げるように部屋から出て行く。

 

「すみません、提督」

 

「別に神通が謝る事ではない。毎度の事だ」

 

 那珂が持ってきた企画書にもう一度目を通す。

 

「任務で忙しい中、こうして考えてくれるのは嬉しいのだがな」

 

 企画書には、那珂が書いたと思われる絵なども描かれている。デッサンに近い物だが、どれにも笑顔が描かれている。これには、泊地に居る者達を笑顔にしたい那珂の気持ちが詰まっている。

 

「ダメですよ、提督。甘やかしても良い事はありません。そもそも内容が不可能ですから」

 

 大淀が釘を刺してくれる。大淀も自ら悪役を演じてくれる。

 

「分かっている。既に要請などを含めて参加者の調整は行っている。手伝いなども私がなにかしなくても各々が自主的に手伝うだろう。予算に関しては、打ち上げの菓子代を既に徴収されている」

 

「それで十分だと思います。那珂ちゃんも無理なのは分かっていると思いますから」

 

「普通に考えて、本当の企画書も製作していないと間に合いませんからね。毎度ながら二つも用意するのは大変ではないでしょうか?」

 

「言ってやるな。皆で楽しみたいと言う那珂の本音だ。これは、私が預かっておく」

 

 那珂から提出された企画書を引き出しの中に仕舞う。

 

「神通。今日は、確か演習の見学があったな」

 

「はい。今度行われる海軍本部との演習の為に提督にも是非見てもらいたいと要請がありました」

 

「それぞれの艦種に合わせて担当を付けているが要請があれば仕方がない。大淀、愛宕と霧島を応援に呼んである。二人が来たら休憩に入れ。演習が長引くかもしれないからいつもより長めに取っておけ」

 

「了解しました。引き継ぎ次第休ませて頂きます」

 

「では、神通。演習場へと向かうぞ」

 

 神通を連れ、演習場へと向かう事にする。艦装を身に着ける事が出来ない私でも助力できる事があるのなら協力はしたい。

 



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『演習』

 演習場所は、泊地から少し離れた沖合で行われる。提督は、神通と共に小型の船に乗りその場所まで向かう。

 

「既に始まっているな」

 

 提督は、演習が始まっている場所を双眼鏡で見る。演習は、十五対十五で現在行われている。海軍本部との演習では、六隻で一艦隊の計三十隻での大規模で行われる事になっている。尚、潜水艦は使用不可。こちらは要請を受けているために万全の編成ではなく、あちらは前線に居た提督達の下から集めたエース級の者達で編成されている。

 

「見る限り、翔鶴さんと瑞鶴さんが全体の動きを得ていますね」

 

 翔鶴と瑞鶴が相手にしているのは、赤城と加賀だ。赤城と加賀の二人は、提督が前線に居た時から所属している艦娘の中でも有数の実力者だ。それを相手に戦えているのを見ると今後に期待できる。

 

「翔鶴と瑞鶴の連携は、赤城と加賀よりも上だからな。ただ、それが良いかは別だが」

 

 翔鶴が赤城に後ろをとられそうになると瑞鶴がすぐに応援へと向かう。瑞鶴が狙われると翔鶴が妨害に入る。広範囲に及ぶ規模で行えているのをみると十分なのだが、問題なのは個々の実力だ。

 

「赤城さんは、余力を残していますね」

 

 神通の言葉に頷く。

 

「加賀が囮になり、赤城が敵の情報を集めている。一見すると優勢に見えるが、直に形勢は傾くだろうな」

 

 翔鶴の姿を見る。

 

(焦るな、翔鶴)

 

 翔鶴の表情は険しい。普段の物静かで優しい翔鶴からは想像できない程だ。

 

(瑞鶴はどうだ?)

 

 少し離れた所に居る瑞鶴に視線を移す。そこでは、鳳翔から指示を受けている瑞鶴の姿がある。鳳翔は、一線を退いてはいるが確かな目を持っている。既に相手側の思惑を把握しているのだろう。

 

「司令官」

 

 演習用の演習弾で全身真っ赤に染まっている吹雪が提督達の乗る船に近寄って来る。演習弾はペイント弾になるわけだが見た目がドロドロだ。

 

「随分とやられたな」

 

「扶桑さんと山城さんにやられちゃいました」

 

「あの二人には、射撃訓練を徹底させているからな。あの二人の砲撃から逃れられれば一人前だ。すぐにでも前線で戦える」

 

「頑張ります。司令官できればなにかアドバイスを頂けると嬉しいんですけど」

 

 アドバイスか。正直に言って何もない。吹雪は、今回のように度々聞きに来るので同じ内容にしかならない。

 

「私の下での駆逐艦の役割は、相手を攪乱させる事と支援だ。前に話したが毒の無い蜂のように相手を翻弄してほしい。一対一は避けろ。毒が無いと分かれば、冷静に対応され潰される。あたるなら複数で行え。必ず誰かは相手の死角に回り込めるように。そうすれば、駆逐艦以外の毒蜂が敵を殺す。そうなれば、相手は毒の無い蜂にも脅威を感じ始める。死角に居るのがどちらの蜂か分からない以上はな」

 

 駆逐艦にも魚雷と言う強力な武器はある。砲撃も当たる場所によっては致命的な結果に繋げる事もできる。個人戦ではなく、集団戦である。他を活かし、他に活かされる動きをすればいい。

 

「了解しました! 吹雪、戦闘に復帰します!」

 

 敬礼をすると、吹雪は再び戦場へと戻っていく。

 

「吹雪さんは、少しずつですが確実に実力を上げています」

 

「真面目だからな。後は、自信を持つだけだ。その為にも演習と実戦を経験する必要がある」

 

 吹雪も前線に居た時から所属しているが、前線の戦闘には出していなかった。その時から比べると大分成長してきたのだろう。もうそろそろ前線の空気を教える必要があるかもしれない。

 

「天龍、摩耶、龍田が妙高型と戦っているな。妙高は居ないが、よくやる」

 

「那智さん、足柄さんはお強いですからね。前線に要請で赴いている妙高さんとで前線では暴れていましたから。羽黒さんも嫌なぐらい痛いところを突くのが上手いですし」

 

 提督の艦娘の中でも戦いを好む部類に入る妙高型に同じく好戦的な三人が戦っている光景は金を払う価値がある。全速力で一気に接近し至近距離で顔面に砲撃を喰らわせている。それに対抗して、天龍が刀型、龍田が薙刀型の武器で応戦。更にその報復でもう一撃。既に演習そっちのけで乱戦状態だ。羽黒が泣きながらも二人の姉の支援をしている姿は何とも言えない気分になる。

 

「最終的に羽黒が全員を倒すのだろうな」

 

「泣きながらですけど、狙いは正確ですからね」

 

「流石の妙高型だな」

 

 せめて高雄型の二人の内の誰かが居れば情勢は変わるのだが、他での戦闘の為に応援は無理だろう。赤城と加賀の護衛の為にその場を動く事が出来ない。島風、夕立をはじめとした駆逐艦隊を相手にするのは面倒そうだ。

 

「本番での編成はまだ決めていない。派遣先から長門達も戻るはずだしな。できれば、全員に経験させてやりたいんだが。なにせ相手は現在の最高戦力になる。今後を考えると良い経験になる」

 

 本土を守るために前線から無理矢理にかき集めたエース級に最新鋭の艤装を装備させている。最前線に居る戦力に引けをとらない程だ。

 

「神通は、戦闘面で何か悩みなどはあるか? 決めていないとは言え、まったくではない。神通には、川内と共に参加してもらう予定だ」

 

「……悩み、ですか」

 

 神通の歯切れの悪い言葉に双眼鏡を外す。

 

「何かあるのか?」

 

「いえ、その……確かに悩み事はあります。ですが、戦闘ではなくて……」

 

 先ほどまでとは違いなにをオドオドしているのだ。鍛錬を積み、実戦を経て立派になったというのに未だに変わらぬ部分がある。

 

「プライベートな事か? あまり深入りをする気はないが、私でよければ力になろう。部下の悩みの相談に乗るのも上官の仕事だからな」

 

「……申し訳ありません。提督には……言い辛いです」

 

 神通の顔が赤い。なるほど、女性特有の悩みか。

 

「謝る必要などはない。私と酒を飲んで口を滑らす事の出来る程度の物の時に私の事を思い出してくれればいい」

 

「……提督とお酒を?」

 

「昔から酒は人との関わりを良くする潤滑油と言われている。普段言いにくいことも酒の力、責任にして言ってしまえと言うやつだな。なに、私との酒は無礼講だ。嘘だと思うなら隼鷹にでも聞いてみるといい」

 

 提督の言葉に神通は、真剣な表情で考え込む。

 

「今宵、提督のお部屋にお邪魔してもよろしいですか?」

 

「別にかまわんが、そうか。では、待っている。いつでも来なさい」

 

「……ありがとうございます」

 

 神通にお礼を言われたが、これは上手くやったのではないだろうか? 神通を自室に招くことに成功した。なにかあっても相談を受けたといって誤魔化すこともできる。

 

(神通は催眠術に何度も掛けている、酒でも行けるか?)

 

 前回の件で言えば少し怪しい部分もあるが、結果として今までは成功している。それも身体を洗わせると言う行為を既に経験済みだ。この前の加賀との行為には負けるが、アレも相当な物だろう。

 

 部下からの信頼を利用するのは良心が痛むが、神が与えた力と機会を私は遠慮なく行使する。今夜が楽しみだな。

 



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『演習後』

 演習を終え、海上にて内容を振り返る。

 

「今回のMVPは、加賀だ。赤城が相手の情報を把握するまでよく耐えた。結果としては、大破判定になるわけだが最後まで生き残った事は称賛に値する」

 

 最終的に島風、夕立をはじめとした駆逐艦隊は護衛を潜り抜け攻撃を仕掛けることに成功した。それこそ控えていた赤城に迫る勢いではあったが、それを加賀が身を挺して防いだ。無謀とも思えるような行為も計算して行えてさえいればそれは勇敢と言える。

 

「翔鶴、瑞鶴の両名に関しては善戦したと言える。二人の息は合っていた。結果としての差は、単純な経験によるものだ。今度の海軍本部との演習後、二人を前線へと送る。海軍本部に居る精鋭達から多くを学び、前線で活躍してくれることを楽しみにしている」

 

 翔鶴、瑞鶴の表情は暗い。特に瑞鶴は、赤城の強襲に一方的に敗北した。瑞鶴に関しては、時間を見つけて早めに話をしておこう。翔鶴も鳳翔に一度任せてから話をする。ここが二人にとって正念場になる。慎重に行きたい。

 

「扶桑、山城の両名は戦艦組の中ではMVPだ。他の者も奮闘はしたが、今回は轟沈の数を基準として判断した。撃沈の数だけで見れば金剛一人に与えたいが戦場の整理を迅速に行えればそれに越したことはない。引き続き鍛錬に励むように」

 

 扶桑と山城は、後方からの支援射撃を想定して鍛錬させている。制空権の確保が出来れば、弾着修正射撃により精密な砲撃が行える。仮に制空権が確保できなくても駆逐艦相手に鍛錬を積んでいる砲撃は十分な結果を生むだろう。

 

「駆逐艦の中でMVPを決めるとするなら島風、夕立のどちらかだろう。よくあれだけの防衛網を潜り抜け加賀に魚雷を当てる事が出来た。他の者達の功績もあるがあれだけの激戦地を潜り抜けたのは誇りに思っていい。但し、蛮勇と勇猛は違う。その事は、決して忘れるな」

 

 島風と夕立のどちらをMVPにするかは難しい。二人による息の合った動きが結果を生んだからだ。他にも惜しい者達が居たが、撃沈判定の多さで差が開いた。

 

「最後にだが、既に此処には居ない者達についてだ。入渠にて怪我の治療にあたっている訳だが私はそれを咎める気はない。しいて言うならそれを引きずり、不協和音を生んだ場合は海軍本部へと送る。そこでしっかりと更生して戻って来い」

 

 那智、足柄、天龍、摩耶、龍田の五名は一足早く羽黒の付き添いで入渠している。資材を妖精製作の特殊な機械で精製し、風呂の形をとって艦娘は怪我や損傷を治療する。軽度であれば、装備している艤装も修復する。そうでない場合は、妖精と夕張に修理を頼む事になる。

 

 演習を終え、各自入渠か浴場にて汚れを落とし食堂へと足を運ぶ。僅かな差はあるが演習に参加した者達で食堂は賑やかになる。

 

「サバの味噌煮は美味いな」

 

「なに言ってんのよ! 肉よ、肉! 今すぐカツを揚げてやるわ!」

 

「いいな、肉食いてぇ~!」

 

 目の前の席で肉肉言っている足柄と天龍を走りに行かせたい衝動に襲われる。サバの味噌煮に対して失礼だ。

 

「いや~、でもあれだよな。那智さんと足柄さんの砲撃は効くよなぁ。未だに頭がガンガンするよ」

 

「摩耶もなかなかやるようになったな」

 

 摩耶と那智は互いに称賛し合っている。演習弾とは言え、見ている分には実戦と変わらなかったというのに相も変わらずだ。

 

「美味しいところはぜ~んぶ羽黒さんにとられちゃいましたね」

 

「私なんて……必死だっただけで……」

 

 ある意味では保護者役で、別の意味では本命同士の二人は大人しく食べている。羽黒が結果として天龍、摩耶、龍田を撃沈したが龍田は最後まで奮闘していた。それこそ羽黒との一騎打ちまでのダメージが少なければ結果は変わっていただろう。

 

(だが、なぜ私の周りに座ったんだ)

 

 神通は、大淀と共に司令室で食事をとっている。どうやら外から連絡があるようでそれを待つらしい。別に緊急ではないが、それ故にいつ来るか分からないので仕方がない。

 

「提督、私の話を聞いているのかしら?」

 

「絡むな、足柄。カツが食べたいのなら自分の当番の時にしろ。お前のカツカレーは私も期待しているのだからな」

 

「ん? それは、私の手料理に惚れたってこと? もぉー、早く言ってくれればいいのにー♪」

 

 料理を褒められて機嫌が良くなる。足柄のカレーは、香辛料が利いていて刺激的な辛さがある。女性が多い此処では、比較的甘口になるので貴重なカレーになる。ついで言えば、足柄がこだわっているカツも美味い。ただ、バカみたいな量を揚げたりするので監視が必要だ。

 

(早く、妙高に戻って来てほしい)

 

 長門を旗艦とした現在の第一艦隊の一員として前線に派遣している。報告は受けるが、戻るのは海軍本部との演習の少し前ぐらいだ。

 

「なぁ、提督。仮になんだけどさ、海軍本部の連中に勝ったら俺が最強を名乗ってもいいのか?」

 

 突拍子のない天龍の発言に一瞬理解が追い付かないが、本人は真面目に訊いているのだろうなと思うとなんだか微笑ましい。

 

「そうだな。戦いに勝利し、MVPを取れば名乗れるだろうな。だが、相手の中にはお前をボコボコにした者が居る事を忘れるなよ?」

 

「天龍、武蔵の姐さんに喧嘩売ってボコボコだったもんな」

 

「うっせえな。摩耶だって同じだろ? 大和さんが止めてくれなかったら死んでるぞ?」

 

 前線に居た時に所属していた二人。香取と鹿島は、あくまでも海軍本部からの派遣だったが、二人は直属の部下だった。前線から外された際に海軍本部に持っていかれた二人だ。

 

「思う所があるのか?」

 

 心を見透かしたように那智がこちらを見る。

 

「恨み言の一つ二つ覚悟していたが何もなかったからな」

 

「今生の別れでもない。それに鬱憤なら今度の演習で晴らすだろう」

 

 それが怖い。香取と鹿島は、前線に居た時に練習艦として指導を行っていた。こちらの手の内は熟知している。好戦的な武蔵からしたら本土での暮らしは退屈だろう。それを今度の演習で晴らすと思うと不安しかない。大和は――

 

(どうなんだろうな)

 

 前線での最後を飾った戦いでの第一艦隊の旗艦。その活躍は、記憶に残るものだった。だが、今思う大和個人の事はあまり知らない。当時は、上官と部下としてしか接していない。今の私を見たらどう思うのだろう?

 

(今の私か……)

 

 ただ変わっただけならいいが、欲望に目覚めてしまった私を見てどう思う? 少なくとも彼女達の知る軍人としての私は死んでしまった。今は飢えた性欲の権化。己が欲に従順な獣だ。

 

 今夜だって、神通に対してなにかしようと考えているぐらいだ。だが……止まる事はできない。たとえ失望されたとしても。

 



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『case13 瑞鶴』

 瑞鶴を部屋に呼んでおいた。今は、業務も一段落したので自室にて瑞鶴が来るのを待つ。

 

「し、失礼します! 瑞鶴です!」

 

 部屋の叩かれた音よりも大きな声。元気と言うよりも緊張の声だ。

 

「鍵は開いている」

 

「は、はいっ!」

 

 瑞鶴が部屋へと入って来る。

 

「緊張しているのか?」

 

「提督さんのお部屋に入るのは初めてですから」

 

「そうだったな。本当なら他の場所の方がいいが、司令室は使えないのでな。すまない、こんな部屋で」

 

「そんなことないよ! ……一度、見てみたかったし」

 

 瑞鶴は部屋をキョロキョロと見渡す。特に面白いものもないだろうに。

 

「提督さんって、アロマとかやるの?」

 

「あぁ、コレか」

 

 催眠術に使用したアロマキャンドルは今も部屋に置いてある。流石に一か所に集めて置いてはあるが。

 

「最近の趣味でな。金剛から教えてもらったのだが綺麗だし、良い香りもする。瑞鶴は、興味あるか?」

 

「ん~、あるような無いような? でも、そっか……」

 

 なにやら考え始めている。これから悩みの相談をしようと言うのに新しいのが増えたようだ。

 

「瑞鶴、なにか飲むか? お前達程ではないが、私がなにか淹れよう」

 

「それだったら私がやります。美味しいのを淹れますね」

 

「……なんだか悪いな。何にするかは瑞鶴が決めてくれ」

 

「わかりました」

 

 用意してあった物の中から緑茶を選び瑞鶴は淹れる。その様子を用意していた椅子に腰かけ、提督は瑞鶴を見る。

 

(一見すると問題ないな)

 

 表情に暗さはなく、普段と変わらないように見える。

 

「どうぞ」

 

「ありがとう」

 

 瑞鶴は、淹れ終わると提督の向かい側の椅子に座る。二人の間には、丸テーブルに用意された茶菓子の数々があるにも関わらず瑞鶴はそれらを見向きもせずに提督の方を見ている。

 

「美味い。お茶は、本当に淹れる者によって違うな。私では、ここまで美味くはできない」

 

「良かった~。翔鶴姉から教わってるけど私も苦手で」

 

「そんなことはない。これだけ美味く淹れられれば上出来だ。茶菓子もある。少し話してから本題に入ろう」

 

「……本題って、演習の事?」

 

 瑞鶴の表情が曇る。普段が明るいからこそ分かりやすい。

 

「そうだ」

 

 提督は、隠しもせずに答える。

 

「貰い物だが、用意した物はどれも本土でしか手に入らない物ばかりだ。海軍本部に居る者や退役した先輩方からの頂き物でな」

 

「う、うん……美味しそう」

 

 選びもせずに小分けにされている袋を手に取る。

 

「瑞鶴が私の下に来たのは前線に居る時だったな」

 

「よく覚えてる。翔鶴姉と一緒に緊張しながら提督さんの所に来たから」

 

「私も覚えている。私と会うまでの間、ずっと翔鶴の手をとっていた瑞鶴の姿を。あの時は、緊急の用があり司令室を空けていたが良いものが見られた」

 

「……そこは、忘れたい」

 

 二人の姉妹が建造後、提督に会いに来た。一人は、緊張からか怯えていた。もう一人も同じような状況だったが、それでも妹を守るように胸を張っていた。

 

「瑞鶴が忘れても私は忘れない。私にとっては、大事な思い出だからな」

 

 今の瑞鶴にとっては恥ずかしい思い出でなのかもしれないが、あの時に二人は私の部下になった。

 

「不安か、瑞鶴? 翔鶴の足を引っ張るのが?」

 

「……当然でしょ。翔鶴姉は、私と違って強い。それこそ赤城さんや加賀さんにだって負けないぐらいになるって思う。でも、私は……翔鶴姉の邪魔ばかりしてる」

 

 今の瑞鶴には、この前の演習での光景が浮かんでいる事だろう。優勢な状況から瞬く間に潰されたのだから。赤城の強襲は、次席である加賀ですら苦戦を強いられる。実力に差がある瑞鶴には辛いものだったはずだ。

 

「ねぇ、提督さん。なんで、私を選んだの? 他にも居るのに? 私じゃ勝てないよ……私なんかじゃ……」

 

 心の内が見えてきた。

 

「正直に言おう。私は、今度の演習に勝利を求めてなどはいない。全てはな、瑞鶴……お前達の成長の為なんだ」

 

「私達の?」

 

「演習は、勝つことが全てではない。確かに勝てば多くの物が得られる。ある者が言うには、勝てば私が前線に復帰する足掛かりになると。別の者は、私の名誉を守るためと。他にも予算は増えるだろう。発言力も増すだろう。出世にだって繋がるかもしれない。だがな、私から言わせれば全てどうでもいい。本当にどうでもいいんだ。私にとっては、お前達の方が大事だ。お前達が成長し、少しでも生き残ってくれればそれでいい」

 

 瑞鶴の目をジッと見る。未だに不安の色は濃い。

 

「瑞鶴。辛いだろう、苦しいだろう。だが、それは生きているからこそ感じる事が出来る。死ねば何もない。死んで、英雄になどなるな。お前にも大切な者は居るだろう? 翔鶴のように思える者が。今瑞鶴は誰しもが通る場所に居る。前に進むか、別の道に行くかを決める場所に。目の前にある道は、より辛く苦しいものになる。だが、そこにしかない物も確かにある。選べ、瑞鶴。自らの意思で決めろ。己の為に」

 

 戦いに絶対的な勝利などない。負ける時は負ける。死ぬ時は死ぬ。此処は、そう言う場所だ。

 

「提督さんは、怖くないの? 私は、怖いよ。だって、簡単に終わるんだよ? 本当に簡単に。私が出来なかったらみんなが死ぬんだよ? 私は、自分が死ぬのは……怖いけど受け入れる。でも、翔鶴姉やみんなが死ぬのは嫌だよ」

 

 瑞鶴は不安と共に涙を流す。感情が涙と共に表に溢れ出してきた。

 

「不安は消えない。絶対にな。だから上手く付き合って行くしかない。ただな、瑞鶴。不安なのはお前だけではない。私も、翔鶴も、他の者にも不安はある」

 

 椅子から立ち上がり、瑞鶴の下に足を運ぶ。

 

「瑞鶴の傍には、私が居る。翔鶴達もだ」

 

 泣いている瑞鶴を優しく抱きしめる。

 

「瑞鶴は一人ではない。不安なら傍に居る誰かに頼れ。不安よりも私達の方が瑞鶴の傍に居るのだから」

 

 無力だ。言葉しか無い自分が。今は、こうして瑞鶴の傍で共に居るしかできない。不安を流せ。少しでも心を軽くするために。

 

「……落ち着いたか?」

 

 瑞鶴に言葉を掛ける。

 

「……うん」

 

「そうか」

 

 ゆっくりと瑞鶴から離れる。

 

「随分と不安が溜まっていたようだな」

 

 手布を取り出し、瑞鶴の顔を拭いて行く。

 

「今は、本当に辛い時期になる。だが、瑞鶴も誰かの支えになっている。それは、言わなくても分かるな?」

 

 瑞鶴は頷く。

 

「翔鶴が強いのは、瑞鶴を守る時だ。翔鶴のパートナーは他には居ない。瑞鶴、不安があれば私の所に来るといい。私は、上官だ。いくらでも受け止めてやる」

 

「……ありがとう」

 

「泣いて疲れたろ? それに失った物は補う必要がある。ゆっくりしていくといい」

 

 提督は、冷めたお茶の代わりを淹れる。

 

「瑞鶴、飲んでみろ」

 

「……苦い」

 

「だろう? 同じ物を同じようにしてコレだ。私と瑞鶴は違う。だから焦る必要はない。時間を掛けてでも私が必ず一人前に育ててやる。厳しいが付いて来られるな?」

 

「本当に厳しくしてね。私が翔鶴姉を守れるぐらい」

 

 瑞鶴と話をする。くだらない話。それで十分。気が少しでも晴れるのなら時間はいくらでも使えばいい。

 

 

 

 ♢♢♢♢♢♢

 

 

 

 瑞鶴を見送り、次の来客が来るのを待つ。

 

「失礼します、提督」

 

 来客は、翔鶴。先ほどまで瑞鶴が座っていた席に座る。

 

「忙しい中、よく来てくれた」

 

「いえ、私もお礼を言いたかったですから。瑞鶴の表情が少し良くなっていました、目元は腫れていましたけど」

 

「アレは、入渠すれば治るのか?」

 

「分かりません。試したことはありませんので」

 

 翔鶴が来るまでに何度か試した緑茶を淹れる。

 

「翔鶴は、瑞鶴にお茶の淹れ方を教えていると聞いた。どうやったら美味くなると思う?」

 

 一口飲んでから翔鶴は答える。

 

「これが、提督の味なのではないでしょうか? 私は、好きですよ」

 

「そうか。これが私の味か」

 

 苦いお茶を飲む。

 

「翔鶴は何かあるか? 鳳翔とは話をしたのだろう?」

 

「はい、いろいろと。でも、何を話せばいいのかがわかりません」

 

「それは困ったな。仕方がない、茶菓子でも食べて行け」

 

「そうさせてもらいます」

 

 残りの茶菓子を二人で食べる。苦いお茶とは相性が良いぐらい甘い。

 

「提督」

 

「なんだ?」

 

「一つだけお願いをしてもいいですか?」

 

「聞けるものであればな」

 

「それでは、一つだけ。もし演習で勝てたら……瑞鶴を誘って三人でお酒を頂けないでしょうか?」

 

「勝利の美酒か? かまわんよ、それぐらい」

 

「ありがとうございます、提督」

 

 どうやら翔鶴からは何もないようだ。不安も悩みもないはずはないのに。ただ、翔鶴は必要となれば言うだろう。前に見た時よりも表情が柔らかくなっているのだから。

 



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『明石のお店』

 明石のお店は、小さなコンビニのようなものだ。内容は、日用品やお菓子、お酒ぐらいしか置いていないが注文をする事が出来る。カタログで選ぶか品物を言う必要はあるが誰にも内緒で取り寄せる事も可能。他にも注文に無い間宮商品が店頭に並ぶこともあり、その際は抽選にて購入者を決めたりもする。一人一票。複数ある時は慎重に。

 

 翔鶴との話が終わった後に瑞鶴を誘い提督は明石の店に来ていた。今夜、神通が部屋に来るのでお酒の補充などをする為だ。

 

「ねぇ、提督さん。提督さんのオススメはどれなの?」

 

 瑞鶴にアロマキャンドルのオススメを求められる。翔鶴との話題にも上がったがアロマキャンドルに興味を持ったらしい。

 

「……コレなんてオススメだ」

 

 正直に言うと特に興味はない。今、瑞鶴に勧めたのも金剛が好きだと言っていたものだ。あくまでも催眠術の為に持っているだけなので訊かれても困る。

 

「ふーん。柑橘系なんだ。じゃあ、私はコレでいいかな。翔鶴姉は?」

 

「私も同じので」

 

「そうか。では、私が買おう」

 

「いいの?」

 

「私からの贈り物だ。いつも二人は頑張っているからな」

 

 二人が選んだ物を受け取り、レジに居る明石の下に向かう。

 

「羨ましいですね。提督、明石には何もないのですか?」

 

「無い。この二つを頼む」

 

「ズルいです。お給料から天引きしておきますね」

 

 買物は給料からの天引きでもできる。一部の艦娘の場合は、これ以外では買物できない。未払いは絶対に禁止。

 

「翔鶴、瑞鶴。受け取ってくれ」

 

「ありがとうございます。大切にしますね」

 

「早速、使ってみるね! 行こう、翔鶴姉」

 

 二人を見送る。これで少しでも気晴らしになればいいのだが。

 

「見て下さい、あの二人の姿。嬉しそうですね~」

 

「だといいがな。それよりもだ、明石。また例の物を頼む」

 

「……例の物ですね?」

 

 顔を近づけて行われる秘密の会話。互いに周囲を確認してから行われる。

 

「報酬は、いつも通りでいいな?」

 

「……どうしましょうか?」

 

「契約を破る気か?」

 

 明石には、本土から送られてくる贈り物の中から好きな物を選ばせている。

 

「さっきの二人の姿を見たら明石も提督からの贈り物が欲しくなりました」

 

「変わらないだろ?」

 

「……これだから提督はダメなんですよ。少しは、乙女心を学んでください」

 

 呆れを含んだ不満気な顔を向けられても困る。これでも私なりに頑張っているつもりだ。

 

「なら、どうすればいい? 明石の店の物でいいのか?」

 

「それはそれでつまらないですね。提督、今度鎮守府に行くときに明石も連れて行って下さいよ。お休み合わせますから」

 

「私は、仕事で行くがいいのか?」

 

「もちろんです。そうだ、夕張さんも誘っていいですか?」

 

 明石も夕張の手伝いで修理などを行っている。

 

「どちらかに残っていてほしいのが本心だな。だが、二人は仲が良い。数日空けておいても大丈夫なようにしておけるのなら許可する」

 

「数日ぐらいなら余裕ですよ。妖精さんも居ますから。では、早速準備に入りますね。買い物はいつも通りでお願いします」

 

 明石は、足早に店から去る。監視カメラなどはある。島なので見知らぬ者も居ない。だからと言って店を空けるのはいかがなものか。

 

「まぁ、明石を敵に回す馬鹿も居らんだろう」

 

 泊地に置いて暗黙のルールが二つある。その一つに大淀、明石を敵に回してはならないだ。この二人は、海軍本部からの派遣要員で提督の直属の部下ではない。その為、機嫌を損ねでもすれば予算や物資の獲得に影響が出る。逆に機嫌が良ければ優遇処置をとってくれることもある。

 

 例えば、提督の密書がその一例だ。明石の持つ独自のルートで検閲などはされずに秘密裏に荷物を本土から調達できる。それこそ明石もその中身を知らない程の機密性だ。

 

「確か、神通の好きな物はビールと日本酒だったな」

 

 冷蔵庫には、名札の付いた取り置き商品もある。多少なら明石の方で管理してくれるので利用する者は多い。

 

「半分近くの酒が取り置きなのか」

 

 隼鷹や那智などをはじめ酒飲み達の名前が並ぶ。コレだけではなく各自の部屋や居酒屋鳳翔での飲酒も考えるとどれだけ飲むのだろうか?

 

「ビール二本と日本酒一本でいいか。後は、乾物と缶詰でも買っておけばいいな」

 

 厨房を借りて少し調理してもいいな。いや、七輪でも出すか?

 

「なんだか趣旨から外れてしまっているな。あくまでも相談を受けるだけなのに」

 

 すっかり飲む気分になっていたが、神通は相談をしに来るのだった。あまり本格的にやるのはよくないか。

 

「おっ、提督ではないか」

 

「利根か」

 

 明石の店に利根がやって来る。

 

「何を買っておるのじゃ?」

 

「酒と肴をな。利根は?」

 

「うむ。吾輩は、茶菓子を買いに来たのじゃ。提督よ、聞いてくれ。筑摩がの吾輩に言うのじゃ。一緒に買い物に行くとな。一人でも買い物ぐらいできると言うのにのう」

 

 利根は胸を張っている――が、提督の視線の先には物陰から利根を見守る筑摩の姿がある。筑摩の方が妹になるので立場が逆な気もするが。

 

「ほう、本土ではコレが流行りなのか」

 

 商品のPOP広告を読んでいる。商品を売るための物だが見事に引っ掛かっている。手に持っている籠の中に「ふむふむ、これは良い物だ」と言いながら商品が投げ込まれている。筑摩、見ていないで止めたらどうだ。

 

「筑摩も喜ぶであろう。おや、そう言えば明石は居らんのか?」

 

「明石なら夕張の所に行った。レジの所にある紙に商品名と購入者の名前を書いておけば問題はない」

 

「そうか、なるほどのう。よし、早速やってみるとしよう」

 

 レジに備え付けられている紙とボールペンを使い利根は説明書きの通りに書いていく。筑摩が一向に来ないので代わりに様子を見るが、別に読み書きはできるので問題はない。ただ、余計な物は大量にありそうだが。

 

「籠は後で返せばいい」

 

「わかった。では、またな、提督よ。今度は、吾輩とも飲むぞ」

 

「楽しみにしている」

 

 利根を見送るわけだが、既に筑摩は撤退している。保護者も大変だな。さて、自分も書いて部屋に帰るとしよう。

 



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『case14 神通②』

 

 提督は、来るべき戦に備え準備をしていた。

 

「酒の準備よし。酒の肴よし」

 

 指差し確認で神通を出迎える準備を最終確認していく。今回は、酒の力に頼る作戦で蝋燭などは使わない予定だ。ペンライトでなんとかなったのだからこれでいけると思う。むしろ相談を受けながらそっちの方向に持っていく方法が思いつかなかった。

 

「提督、神通です」

 

 部屋の扉が叩かれる。

 

「鍵は開いている」

 

「失礼します」

 

 神通が部屋に――白無垢!? いや、待て。アレは、ただの白地の和服の寝間着だ。清楚な佇まいのせいで迂闊にもそう思ってしまった。

 

「どうかしましたか?」

 

「いや、寝間着で来るとは思っていなかったのでな」

 

「そう……ですね」

 

 頬を染めるな。なんだかこちらまで恥ずかしくなってくる。

 

「立ち話もなんだからな。座るといい」

 

「はい」

 

 提督に促され椅子へと座る。

 

「しかし、あれだな。神通は、和服も似合うな。髪も綺麗な黒だから尚更だ」

 

「提督は、和服の方が好きですか?」

 

「難しい質問だ。神通の場合は和服もだからな。元が良いと得だ。何を着ても良い。私など最近では軍服以外だと道着などしか似合わなくなってきた。私服が仕舞ってあるが死蔵しているよ」

 

「提督の私服ですか? そう言えば、見た事がないです」

 

 最後に私服に袖を通したのはいつだったか?

 

「そうだな。少なくとも提督として艦娘を率いる事になった時から着る事は無くなった。神通、酒は何を飲む? ビールと日本酒を用意してある」

 

「提督はどちらを飲まれますか?」

 

「神通に合わせるつもりだったが……それなら日本酒にしよう」

 

 神通と自分の分を用意して注ぐ。

 

「前にも言ったが無理はしなくていい。相談とは自然に行う方がいいからな。今日もご苦労だったな、神通」

 

「ありがとうございます」

 

 杯を交わし、一口飲む。

 

「提督、今度は私が」

 

 空になった提督の杯に酒を神通が注ぐ。これだと少しまずいな。

 

「ありがとう。ところで、神通は酒が強い方か?」

 

「私ですか? よく分かりません。飲む機会はありますけど、二人の事がありますので」

 

「騒ぐからな」

 

「申し訳ありません」

 

 神通に謝られる。

 

「あの二人には助けられている。川内は、夜戦に関しては第一人者のようなものだ。夜戦が初めてな艦娘も安心して任せられる。那珂は、泊地に娯楽を提供してくれている。おかげで退屈しなくてすむからな。ただ、なんだ……」

 

 神通の申し訳なさそうな表情が全てを語っている。

 

「休暇の日の夜に夜戦がどうのと騒いだり。妖精さんを買収して特設ステージを勝手に作ったり。確かに問題がないとは言えないが……無いと寂しく思う。慣れとは凄いものだな」

 

 賑やかなあの二人が居なくなればその穴は大きなものとなるだろう。それだけ存在は大きい。

 

「神通よ。昔話でもしながら飲むとしよう。お前達三姉妹と出会ってからの事を思い出しながら」

 

「はい」

 

 酒を飲みながら昔を振り返る。内容は主に他の二人になるがほとんどが神通の口から語られる。

 

(仲が良いのだな)

 

 川内と那珂の話をする神通は普段と違い表情が忙しそうに変わる。迷惑を掛けられたと困り。付き合いきれないと怒り。あまり積極的な方ではない自分をいつも連れ出してくれたり。二人のおかげで他の艦娘達と関われたり……

 

「楽しいか、神通?」

 

「はい。楽しいです」

 

「そうか」

 

 二人の姉妹の話をする神通を見るのは良い。用意した肴に手を付けずとも酒が進む。いや、私が進んでどうする。

 

(神通はどうだ?)

 

 饒舌に話をしていた神通は喉を潤すように酒を飲んでいた。既に半分も残っていない。頃合いか?

 

「神通。そろそろどうだ?」

 

「そろそろですか?」

 

 そんな不思議そうな顔をされても困る。

 

「相談があったのではないかな?」

 

「相談……そうでした。すみません、忘れていて」

 

「いや、それはそれでいい。悩みを忘れられるのは良い事だからな。それで、話せそうか?」

 

 神通は俯き考え込む。そして、覚悟を決め提督の方へと向き直す。

 

「私は、提督をお慕いしています」

 

「そうか」

 

 上官冥利に尽きると言ったところだろう。神通の忠誠心はよく分かっているつもりだ。

 

「私も神通を部下に持ててよかったよ。今日も本当に助けられたからな」

 

「……違うんです。部下とか……秘書艦とかではなくて……」

 

 目と目が合う。思わず見惚れてしまうほどに美しい意志のある目だ。

 

「神通として提督をお慕いしています。提督の為ならなんでも……します。こんな私で……お役に立てるなら」

 

「そんなに私の事を……」

 

 神通は顔を真っ赤にして頷く。

 

「神通にここまで思われているとはな。こんなに嬉しいことはない……」

 

 目頭が熱くなる。

 

「本当ですか? 私も――」

 

「上官冥利に尽きるな」

 

「……上官冥利?」

 

 てっきり自分の思いを理解してくれたのだと思った神通を無視するように提督は昔を思い出す。

 

「昔、上官に言われたとこがある。上官としての価値は、どれだけ部下に慕われているかで決まると。今まで厳しく接してきたが、それはお前達の事を思えばこそだ。優しければいいと言う訳ではない。戦い、生き残る事が出来るようにとやって来たつもりだ。それこそ恨まれ憎まれたとしてもだ」

 

「そ、そうなんですか……」

 

「今日は、美味い酒が飲めそうだ。神通、すまないが付き合ってくれないか?」

 

「……提督のお役に立てるのなら喜んで」

 

 神通にお酌をしてもらいながら提督は上機嫌で酒を飲んでいく。その表情は今まで見た事が無いぐらいに晴れやかだ。

 

(提督らしいですね)

 

 機嫌良く飲んでいく提督を見ると怒る気にも呆れる気にもなれない。それよりもこうして自分の言葉一つで気分を良くしてくれたことが嬉しい。

 

「どうかしたか?」

 

「いえ、なんでもありません。それよりもどうぞ」

 

 すっかり催眠術に掛ける事を忘れた提督はいつもよりも早いペースで飲んでいく。それこそ酔いが回ってしまう程に。

 

「提督、大丈夫ですか?」

 

「大丈夫だ。ただ……少し配分を間違えたようだな。久しぶりに酔いが回って来たよ」

 

 酒豪には二つのタイプがある。単純に酒が強い人間と酒を上手く飲める人間の二通り。提督は後者であり、今回のように気分に任せて飲むとそれなりに酔ってしまう。

 

「提督が酔われている所を初めて見ました」

 

「普段は、考えながら飲んでいるからな。酒を飲むコツは、自分の限界と配分を知る事だ。そうすれば、二日酔いにもなら……」

 

 言葉の途中で提督の身体が傾く。

 

「……情けないな。助かったよ」

 

「今日は、ここまでにしておきましょう」

 

 咄嗟に動いた神通に椅子から倒れそうになるところを助けられる。心地が良い。神通に頭を抱えられるようにされている訳だが安心する。

 

「こちらです」

 

 酒と神通から与えられる心地良さに身を委ねながら、神通に連れられベッドへと腰掛ける。

 

「寝苦しいと思いますから……上着を……脱がせますね」

 

「頼む」

 

 もう何も考えたくない。全てを神通に任せよう。

 

「なんだか照れますね」

 

 提督の上着をゆっくりと脱がし終えた神通は、その上着を愛おしそうに抱きしめる。

 

「照れる神通も良いものだなぁ……」

 

 もう限界が近い。意識が遠くなっていく。ベッドに横になる。このまま寝てしまおう。

 

「お休みなさい、提督。私が御傍に居ますから安心して眠ってください」

 

 優しく頭を撫でられる。これなら眠るのに時間は掛からないだろう。

 

「提督。今度は、ちゃんとお願いしますね。私は、いつでも大丈夫ですから。提督が望むのならどんな事でも」

 

 返事は返ってこない。それでも幸せそうに神通は提督が眠りに落ちた後も傍に居続けた。

 



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『case15 大淀②』

 

「提督、失礼します」

 

 大淀は、提督の部屋を訪れる。

 

「昨日は、神通さんが提督と飲まれたとの事ですが……ぐっすりと眠られているようですね」

 

 大淀は、酒を飲んで眠りが深くなっている提督を念のために起こしに来た。但し、本来の起床時間よりも少し早い。

 

「見る限りお酒はそれなりですね」

 

 部屋に残っているお酒の量を確認する。実際の飲酒量は分からないが二人で飲み合ったと考えても十分だろう。

 

「……先に目覚ましを止めておきましょう」

 

 慣れた手つきで目覚ましを止める。

 

「全部、提督が悪いんですからね?」

 

 未だ夢の中に居る提督に声を掛ける。提督は、大淀が部屋を訪れていることを知らずにベッドで眠りに就いている。

 

「失礼します」

 

 キョロキョロと周囲を確認してからベッドの中へと潜る。

 

「温かいです」

 

 提督の腕を枕にするようにして身体に抱きつく。布団の中でこもった体熱を感じながら提督の身体に触れる。

 

「シャツ越しですからドキドキしますね。提督は、鍛えていますから……凄く男らしいです」

 

 シャツ越しに触る提督の上半身に心臓が高鳴るのを感じる。鍛えられた胸筋に腹筋。枕にしている腕もそうだ。逞しい男の身体に気持ちが昂るのを抑えられない。

 

「このまま時間が止まればいいのに」

 

 先ほど止めた時計を見る。幸せな時間は過ぎるのが早い。あっと言う間だ。

 

「これ以上は無理ですね。残念ですけど……」

 

 名残惜しい。できればここから離れたくない。そう思う大淀に一つの考えが浮かんでしまう。この前の催眠術での出来事。それが浮かんでしまうと意識がそれから離れなくなる。

 

「……提督」

 

 大淀は、ゆっくりと提督の顔へと近づく。言葉通り、その距離は目と鼻の先。あと僅かでも近づけば触れてしまえる距離。

 

「この前のお返しです」

 

 先ほどよりも更に心臓が高鳴る。痛いほどに。でも、それでもやめられない。

 

「……しちゃいましたね」

 

 提督の頬に口づけを。

 

「あの後、いろいろと考えました。できれば、起きている時にしてほしいです。でも、それだと少し怖いです。提督、あなたは酷い人です。こんなにも――」

 

「はい、ストップ」

 

 急に聞こえた声に全身が強張る。声を上げなかったのは可能性を考慮していたおかげだろう。

 

「……夕張さん」

 

「おはようございます」

 

 天井板が外れており、そこから夕張が顔を出している。欠伸交じりで眠たそうだ。

 

「まったく、朝っぱらからはやめて下さいよね。こっちも大変なんですから」

 

「……いつから見ていらしたんですか?」

 

 そそくさとベッドから出ると身なりを整える。

 

「言わなくても分かるでしょ? 私と青葉さん、それに明石の三人は公正な審判なんですから」

 

「内緒でお願いします」

 

「詳細は内緒にしますけど今日行われる会合には顔を出して下さい。皆さんのお気持ちは分かりますけど気をつけてもらわないと困るんですよ。だいたい私なんてまだ抱きしめてもらってすらいないんですからね。身近に居る大淀さんは少し自重でお願いしますよ。そうでないとズルいですよ」

 

「身近に居るからこそ辛いこともあるんです。夕張さんに分かりますか? 生殺しもいいところです」

 

「贅沢な悩みに聞こえますけど。とりあえず一旦引きますね。それじゃあ、お願いします」

 

 夕張は、天井裏に引っ込むと天井板を元通りに直す。

 

「気配はないと思ったんですけどね」

 

 目覚ましをセットし直す。あと数分で起床の時間だ。

 

「3、2、1……提督、起床のお時間になりました」

 

 部屋に鳴り響く目覚ましの音と共に提督に声を掛ける。

 

「……大淀か?」

 

「はい。おはようございます」

 

 提督は、のそのそと身体を起こす。

 

「お酒を飲まれると聞いておりましたので念のために起こしに来ました」

 

「そうか。大淀には、毎度迷惑を掛けるな」

 

「いえ、迷惑などではありません。言って頂ければいつでも」

 

「それは助かるな。上官が寝坊などするわけにはいかないからな」

 

「それでは、先に司令室でお待ちしております」

 

 大淀は、着替えなどの邪魔にならないように部屋から出て行く。

 

「……飲むことを大淀に言ったか?」

 

 言った記憶はないが、言わなかった確証もない。と言うか頭が痛くて昨日の記憶が曖昧だ。ベッドで横になってから何かあったような気がするが思い出せない。

 

「神通となにかあったか? ベッドに横なってからの記憶がないな。まぁ、私が酔う分にはないだろう」

 

 サッサと着替えてしまおう。それで神通に会えたら迷惑を掛けた詫びの一つでもしておかないとな。

 

 

 

 ♢♢♢♢♢♢

 

 

 

 泊地には、緊急用のシェルターが配備されている。整備や点検は秘書艦である艦娘達の管理の下に置かれているので内情を提督が知る事はない。今では、シェルターの形は守ってはいるが艦娘達の秘密の憩い場となっている。

 

「本日は、今まで参加していなかった『ダイヤモンド』さんからの要望で会合を開きます。司会は、『見ちゃいました』がやらせて頂きます」

 

 此処に来る際には、身元を隠すために偽名と仮面を使う決まりになっている。誰かは分かるが、その方が本音で話しやすいという配慮からだ。司会である見ちゃいましたは、マスクにサングラスをしている。

 

「my sisterから話は聞いています。ですが、どこまで許されるかが曖昧デース。詳細を求めマース」

 

 仮面舞踏会で使われる煌びやかな仮面を着けたダイヤモンドは、見ちゃいましたに詰め寄る勢いで問い質す。

 

「そうですね。メロンさんからもありましたが、どうも決まりを破りそうな人達が居るみたいですし。『やまない雨はない』さんと『メガネ委員長』さんのお二人ですよ」

 

「仕方ないじゃないか。提督と一緒だと気持ちが抑えられなくなるんだよ」

 

 こちらはサングラスだけのやまない雨はない。

 

「今まで一歩引いていた提督が傍に居るんです。決まりは分かりますけど、耐え難いものがあります」

 

 こちらはマスクのみのメガネ委員長。

 

「気持ちは分かりますが、仮に司令官にバレた場合を考えて下さい。司令官が責任を感じて、その時の誰かと結婚をするのは百歩譲って許します。ですが、艦娘達と距離をとるような事になったらどうするんですか?」

 

「それは嫌に決まってますヨ! テイトクに嫌われたくない……」

 

「嫌に決まってる!」

 

「そうですね。それだけは避けたいところです」

 

「だったら少しは堪えて下さい。後で詳しく過去の事例を交えてダイヤモンドさんに説明しますがコレだけは守ってください。『司令官からはオールオッケー。艦娘からはノー』。司令官からなら誰も文句は言いません。でも、こちらからは自重してくださいね? 分かりましたか? やっと司令官が艦娘達に興味を持ち始めたんです。ここで失敗とか許されませんよ」

 

 見ちゃいましたの言葉に各自は頷く。

 

 つい最近まで、提督は艦娘に興味を持っていなかった。あくまでも上官と部下として接してきたためだ。しかし、提督が隠し持っていた密書が見つかった事から全てが始まった。その話は、瞬く間に艦娘達の間に広がり、女性に興味が無いのではと言う疑問を見事に打ち壊した。そして、ある人物からもたらされた情報により催眠術を利用して提督が艦娘に興味を持ってもらえるように計画が動き出した。

 

「司令官が少しずつですが積極的になってきています。今は、このまま様子を見て行きます」

 

「でも……kissぐらいしたいですヨー」

 

 他の二人も頷く。

 

「まったく仕方がなない人達ですね。それに関しては、ちゃんと考えています。ですが、それはまだ先です。今度、派遣先から帰って来る人が居る時まで我慢してください」

 

「本になにか書くんだね? なにを書くか教えてもらえるかな?」

 

「そこの所を詳しく教えてください!」

 

「我慢するから教えるデース!」

 

「今は内緒です。それよりも頼みますよ? バレたら全ては台無しなんですから。それでは、今回の会合はこれにて終わりです。ダイヤモンドさんは残ってくださいね」

 

 何度目になるか分からない会合はこれにて終了。これから見ちゃいましたの下でダイヤモンドが今まで行われたものから今後の行いを学ぶ事になる。全ては、艦娘達の幸せのために。提督への秘密は続く。

 



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『武道館での死闘(頭の中で)』

 

 上官として慕われていたと知った提督は仕事を機嫌良く行っていく。

 

「機嫌が良いな。こっちは大変だって言うのに」

 

 本日の秘書艦である摩耶は既に飽きた事務作業に四苦八苦している。

 

「なに、少しあってな。それよりもどうだ、そっちの方は?」

 

「ん~、やっぱりあたしには合わないな。こう、身体を動かしてないから疲れてきた。というか飽きた」

 

 身体を解すように背を伸ばしたりしている。まだ業務が始まって一時間ぐらいしか経っていない。

 

「飽きたか。なら少ししたら休憩でもするか?」

 

「いいのか?」

 

「無理をしても効率は下がる一方だ。用があって空けている大淀が戻ってきたら気分転換にでも行こう」

 

「やったぜ! それで何処に行くんだ?」

 

「そうだな。流石にサボる訳にもいかない……よし、それでは武道館にでも行くとしよう。私が久しぶりに鍛えてやる」

 

「え~、提督とやるのか? 武蔵の姐さんが来るから少しやっておこうかとは思ったけど……」

 

「これでも私が武蔵に空手や柔道などを教えたんだ。暇つぶしと言っていたが、その実誰よりも本気で行っていた。艦娘にとってはさほど重要ではないのにな」

 

 弓道は空母にとって必要な部分がある。運動場で行われるランニングなどの鍛錬は基礎となる。しかし、接近戦がまず無いと言える艦娘にとっては不要とすら言えるものだ。

 

「そんな事ないって。弾が無くなったり、攻撃を受けて故障した時とか意外と役に立つし」

 

「……撤退しなさい、そういう時は」

 

 摩耶もそうだが一部の艦娘は好戦的で困る。非常時は確かに仕方がない時もある。それこそ摩耶が言うように攻撃の手段が他に無い時に敵に囲まれる。又は、仲間の危機を救う時などだろう。ただ、接近戦は極めて危険なのだ。見た目だけでは相手の力量が分からない。艦娘で言えば、見た目が同じ同艦であっても練度に差がある場合がある。遠距離からならどうとでもなるが接近してだと命に関わる。

 

「せっかくだから他にも誘ってみるか」

 

「あたしは別に……二人だけでもいいぜ?」

 

 摩耶の顔が赤い……なるほどそう言う事か。

 

「気にする事はない。私に勝てなくても恥ではないからな」

 

「いや、そう言う訳じゃないんだけど……まぁ、いいか。じゃあ、泊地内に放送掛けるかな」

 

 普段は、大淀が担当している通信設備のある場所に摩耶は向かうとマイクのスイッチを入れる。

 

「あーあーマイクのテスト中。よし、大丈夫だな。えーっと、後で武道館にて提督指導の下で鍛錬があります。参加したい人はご自由にどうぞ」

 

 泊地内のスピーカーから摩耶の声が木霊するように各地から聞こえてくる。

 

「これでいいな。提督、あたしも準備してきていいか?」

 

「別にかまわんが、何かあるのか?」

 

「それは……あれだよ。別にいいだろ。じゃあ、行ってくるから」

 

 摩耶は足早に部屋から出て行く。

 

「着替える以外に準備などあったか?」

 

 もしかして道着をどこに仕舞ったか忘れたのか? いや、摩耶だけならともかく同室に高雄や愛宕、鳥海が居るのだからあり得ないだろう。考えても仕方がないので摩耶が置いていった分も行おう。

 

 

 

 ♢♢♢♢♢♢

 

 

 

 時間が時間なので暇をしていた者はそう多くない。それでも意外と集まった気がする。

 

「では、私が相手をする。順番に掛かって来なさい」

 

 道着に着替えた提督が仁王立ちで身構える。敢えて相手から先に行動させる。

 

「比叡! 頑張って! 行きます!」

 

 気合十分な比叡が提督目掛け突進する。形式は特にとってはいないが空手と柔道を基本としている。

 

「悪くないな」

 

 比叡が胴体に飛び込むようにぶつかってきた。技ではなく、勢いに任せての物だがなかなかに堪える。

 

「ふふふっ、今日の比叡は一味違いますよ。なにせ、金剛お姉様の声援を受けていますから。お姉様への愛の力で勝ってみせます!」

 

「いつもと何が違うんだ」

 

「ひえぇー!」

 

 ただ抱きついていただけなので転がすように投げる。受け身はとれているようなので問題はなさそうだ。

 

「次は、誰だ?」

 

「はい。榛名が行かせて頂きます」

 

「そうか。掛かって来なさい」

 

 榛名は、ゆっくりと身構えながらにじり寄って来る。比叡もそうだが一応は泊地に居る艦娘達には教えてある。守るかは別として。

 

「えいっ!」

 

 榛名が胸に飛び込んでくる。しっかりと背中まで手を回し、道着を掴んでいる。

 

「掴んだままでは何もできないぞ?」

 

「いえ、榛名はこのままで大丈夫です」

 

 顔が胸に埋まって見えないが自信があるようだ。ここからどうする気なのだ?

 

「……榛名、何かしないのか?」

 

「榛名は、大丈夫です」

 

 試しに身体を揺らしてみる。しっかりと抱きつかれている。

 

「技を仕掛ける気が無いのならこちらから行くぞ?」

 

 とは言え、ここまで密着されると対応がし辛い。とりあえず回ってみるか。

 

「どうだ榛名? 早く手を離さないと危ないぞ?」

 

 グルグルと回ると榛名の足が畳から離れる。

 

「負けません」

 

 それでも榛名は必死にしがみ付く。

 

「良い根性だ。だが、隙を見逃す気もない」

 

 提督と榛名の間に空いた僅かな隙間を利用し、榛名の腕をひきはがし畳へと転がす。

 

「今がchanceデース!」

 

 突然の奇襲。背中に抱きついて来た金剛に押し倒されそうになるが、気合で踏ん張り間一髪持ち堪える。

 

「やるな、金剛」

 

「もうここから離れないネ!」

 

 腕だけではなく、足も胴体に巻きつかれる。背中という事もあり手も足も出ない。

 

(どうするべきか?)

 

 今の状況はあまりよくない。解決法として転がるようにして畳に叩きつける方法があるが金剛を下敷きにしてしまう。今の金剛は、人間の女性と変わらない。提督の体重が乗った一撃はキツイはずだ。

 

「もっとギュってするヨー♪」

 

 腕と足に力が込められる。顔も背中に押し付けられる。

 

「本気だな、金剛」

 

「私は、いつでも本気デース」

 

「……そうか。すまなかったな、金剛。私としたことが手加減をしてしまった」

 

 本気で行っている金剛に対して失礼な態度をとってしまった。

 

「威力は抑えるが痛いから気をつけろ」

 

 言うが早いか、提督は腰を落とし姿勢を低くしてから横に転がる。

 

「Auchi! テイトク酷いですヨ……」

 

「本気で来た金剛に応えたまでだ」

 

「意味が違うヨ……」

 

 倒れている金剛に手を差し出して立たせる。

 

「さて、次は誰だ?」

 

「いよいよ、俺の番だな!」

 

 意気揚々と天龍が前に出る。天龍は、数少ない提督が教えている弟子になる。

 

「摩耶はまだ様子見か?」

 

「……もうちょっと待ってくれよ」

 

 そう言うと、自分の髪を確認するように触る。

 

「これから戦うんだ。気にしてもしょうがないぞ?」

 

「あたしにもいろいろあんだよ! それよりも天龍の方を気にした方がいいんじゃないか?」

 

「なに?」

 

 天龍は、僅かな隙を見逃してはいなかった。コッソリと接近していた天龍は、ガッチリと道着を掴む。

 

「隙あり!」

 

 そこから一本背負いへと入ろうとする。

 

「甘い!」

 

 身体の下に潜りこまれないように重心をずらし、天龍のバランスを逆に崩す。提督と天龍の身長差に筋力も合わせれば造作もない。

 

「うわぁ!?」

 

 体勢を崩した天龍を抱きかかえ、そのまま畳の上に転がす。

 

「さてと、準備はいいな?」

 

 最後の相手に声を掛ける。

 

「……わかった」

 

 摩耶はまだ髪を気にしている。なにかあるのか?

 

「いつでもいいぞ」

 

 摩耶も天龍同様弟子の一人になる。負ける気はしないが、なにかあるのなら注意が必要だ。

 

「行きます」

 

 摩耶は、慎重に提督へと構えを崩さずにじみ寄る。見る限り、組み技に持ち込むようだ。なら敢えてそれを受けよう。摩耶の手が道着を掴む。こちらは敢えて何もせずにそれを受け入れる――ん? この香りは?

 

(シャンプーか?)

 

 互いに道着を掴んだことによりその距離は近くなる。するとどうだろう摩耶から良い香りがする。

 

「風呂に入ったのか?」

 

 摩耶は何も答えないが、代わりに顔を真っ赤に染め上げる。

 

(汗を気にしたのか)

 

 普段は男勝りな摩耶だが、やはり年相応の女の子なのだろう。別に私は気にしないと――

 

(これは!?)

 

 意識した事により提督の一部が反応してしまった。今思うと、今までも抱き合ったりしていた。

 

(まさか……こんな罠があるとは……)

 

 不覚。この状況は、飢えた獣となった今の自分にとっては好都合――ではなく危険ではないか? 今も一部が怒張しそうな勢いだ。クソッ……良い匂いだな、おいっ!

 

(早く終わらせなければ)

 

 幸運な事に後は摩耶だけだ。これを乗り越えれば適当にやり過ごせばいい。

 

「行くぞ!」

 

 気合いが入る。だが、それは簡単にかき消される。

 

(密着だと!?)

 

 摩耶が急接近し、より近くに感じる。顔を真っ赤にしながらも摩耶は勝負を捨てていない。もしやこれは憤怒の表情なのか? 照れているように見えるが本当は闘争心に燃えているのではないだろうか?

 

(強くなったな)

 

 どうやら一筋縄ではいかないようだ。強敵となった事は心から嬉しく思う。しかし、立場として負けるわけにはいかない。摩耶の胸元を掴む手に……手に……ピンク? 道着を引き寄せると胸元が開く。摩耶は、白地のシャツを着ているのだが薄っすらとだがピンクが透けて見える。

 

(なんという事だ)

 

 あれは、ブラだ。間違いなくブラだ。どうやら摩耶は本気らしい。シャンプーの匂いで意識を戦いからエロへと誘導し、組みつくことで匂いを嗅がせる。それどころか白いシャツによる透けブラを隠し持っているとは……まずい、まずいぞ。このままでは立つのが難しくなる。

 

「摩耶さん、今がチャンスです!」

 

 比叡の声が武道館に響く。

 

「……へぇ? チャンス? なにが?」

 

 言われた摩耶はそれに気づいていない。

 

「なにを言ってるんですか! 提督が前かがみになっています!」

 

 言われて気づく。普段よりも提督の顔が近い。

 

「ち、近づくんじゃねぇー!!」

 

 摩耶は渾身の力で提督を背負い、畳へと叩きつける。なんの抵抗もなく決まった見事な一本背負いだ。

 

「……見事だ、摩耶」

 

 畳に仰向けになった提督は見事な受け身をとり、何事もなかったように背中を向けて立ち上がる。

 

「もう私が教える事はない」

 

 提督は、背中越しに摩耶を褒めたたえる。

 

「……勝ったのか? あたしが?」

 

「そうだ、摩耶の勝ちだ。すまないが、少し外す」

 

 提督は背を向けたまま武道館の入口へと向かい、外へと出て行く。

 

「やりましたね、摩耶さん! 提督に勝ちましたよ!」

 

「すげーじゃねぇか、摩耶!」

 

 勝利を祝いに比叡と天龍が摩耶の傍にやって来る。

 

「あぁ、うん。勝ったみたい」

 

 勝ったにも関わらず手応えが全くない摩耶をよそに金剛と榛名は全てを理解していた。

 

「……明らかにアレでしたネ」

 

「……はい」

 

 金剛と榛名の顔が赤い。二人は気づいた。提督の下半身が途中からアレだったことに。そして、それを隠すために前かがみで腰がひけていたのも。

 

「摩耶は、時間がありましたからネ」

 

「榛名も急いでお風呂に入ればよかったです」

 

 摩耶はあくまでも汗の匂いなどが気になって事前に風呂に入っただけだが、それによって提督から勝利を得た。この事は瞬く間に泊地内で広がり、青葉による艦隊新聞で他所にも知られる事になる。

 



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