恋姫†国盗り物語 (オーギヤ)
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プロローグ

 

 戦火轟く中平一年。荊州南陽郡宛県は宛城。

 

 謁見の間にて玉座に腰かける青年は、近々この地へやってくる官軍について頭を悩ませていた。

 

 始めこそ黄巾賊に扮して悪政を敷く領主の追い出しを画作し実行した青年であったが、今や黄巾賊を率いる張角を凌ぐ天下のお尋ね者っぷりには流石に苦笑いを禁じ得ない。

 

 これまでも散々官軍を返り討ちにしてきた青年とその軍勢。全ての罪を黄巾賊に擦り付けるため頭に巻いていた黄色の布は、今やその悉くが返り血で赤く染め上がるという熾烈さである。いつしか付いた名称は南陽赤巾軍。その本拠地である宛城は不落の城と呼ばれていたのだが……。

 

「……先に討ち取るべきは張角だろ。なんのために黄巾賊の本拠地情報を流したと思ってんだ」

 

 どうしてこうなった、と頭を抱える青年。その理由は簡潔明瞭に暴れに暴れたせいである。

 

 後漢の首都である洛陽と距離が近い南陽郡。近いといっても今日明日で行き来できる距離ではないが、だだっ広い大陸全土を狭めた縮図で見てみると到底捨て置けない距離であった。

 

 青年が奪い取った領土が中原から離れた僻地であれば朝廷も対処を後回しにしていただろう。あるいは同じ中原でも片田舎に近い地であれば張角の方を優先していたことだろう。南陽郡は都から近いから警戒されていた。そして近い故にこそ、朝廷はこの地へ多大な兵数を割けないでいた。

 

「何進って確か凡人だったような。なら大将軍という名ばかりの雑魚なのは明らかだが…………」

 

 青年はニワカ知識ながらもこの時代、もとい次の三国時代のことをある程度知っていた。

 

 所謂転生者である。なぜ知識持ちの転生者でありながら敗北必至の黄巾の乱にガッツリ絡んでいるのか。その件は後述また話すことになるが、今は間近に迫った一戦について触れようと思う。

 

「二人が動いてくれれば楽勝だろうが、さて……」

 

 数刻悩んでいた青年はそう呟くと一つ息を吐く。そして同刻、謁見の間に入る三つの影。

 

「おう、大将。嬢ちゃん達を連れてきたぜ」

 

 先頭でやってきた男は開口一番そう言った。一目で戦闘力の高さを窺わせる大きな体躯。

 

 髪は短く逆立っている。広い額に大きな顔。全身の至るところに刻まれた真新しい傷跡。虎のごとき体に熊のごとき腰回り。その容姿は誰もが振り返る程の堂々たる威丈夫っぷりである。

 

 姓を文。名を鴦。字を次騫。三国時代末期から西晋にかけて活躍した武人であるが、この外史においては正史よりも早くに生まれ落ちていた。女に仕えるなんて御免蒙るという強い信念から本来なら表舞台に登場することのない男であったが、青年との出会いがそれを変えることとなった。

 

「おう、ご苦労さん! そんでよく来た孔明!」

「相も変わらず馴れ馴れしい人です! そして私はここへ来たのではなく連行されました!」

「ハッハッハ! 天下の逆賊相手に正論並べてゴネたところで変わらんぞ。残念だったな!」

「清々しさすら覚える理不尽っぷりですね……」

 

 青年は文鴦に労いの言葉をかけるとその後ろにいるベレー帽を被った少女に声をかける。

 

 その少女の名は諸葛亮孔明。穴だらけの三国志知識しか持ち得ていない青年であっても知っている名前である。そしてその横にいる魔女っ娘帽子の少女もまた後の時代の有名人であった。

 

「士元もよく来てくれた!」

「あ、あわわ……。こ、こんにちはです……」

 

 鳳統士元。内気な鳳統は小さくそう答えると帽子のツバを握って顔を隠してしまう。

 

 伏龍鳳雛の二人。南陽郡を始め南郡、江夏郡と荊北三郡を事実上の支配下に治めていた青年は、かなり早期の内から諸葛亮と鳳統の二人が通う水鏡女学院との接触を図っていた。

 

 そして「劉備に仕えるまで年月もあるし、ちょっと知恵を拝借しようか」とばかりに度々こうして呼び寄せてはその頭脳を活かしていた。青年に二人を配下に収めようという野心はなく、困った時の助っ人扱いであったのだが、幸か不幸か青年はこの世界での二人の動きを知らなかった。

 

 今日こうして二人を呼び出したのは前述に書いた官軍の一件。間者から大将軍が軍を率いてやってくるとの報告を受けた青年は、必殺の策を聞き出そうとこうして二人を頼ったのであった。

 

「それで今日はどのようなご用件ですか?」

「ああ、そうそう。少し困ったことがあったから二人の知恵をまた借りようと思ってな」

「少し程度で呼びつけないで下さい! 私達だって暇を持て余してるわけじゃないんですよ!」

 

 控えめに尋ねる鳳統に対し不満気な諸葛亮。だがその言葉は紛うことのない正論である。

 

 やたらと刺々しい諸葛亮であったが青年を嫌っているというわけではなかった。嫌っていたら呼び出しになど応じはしないし、そもそも今日まで荊州に留まってはいなかったことだろう。

 

 統治については及第点。兵の練度は中の下。だが官軍はこの地を長く落とせずにいた。それは突出した個の力が優れているということもあるが、それよりも青年は領民の支持がとにかく厚かった。荊北の民は黄巾の乱に参加しないで青年と共に王朝へ反乱を起こす道を選んでいた。

 

 諸葛亮にはその理由がなんとなくわかっていた。それを好ましく思う気持ちもあったが、それでもこうして事あるごとに噛みつくいてしまうのはやはり、出会いの印象が悪すぎたせいだろう。

 

「ウチの連中脳筋ばっかりだからさ……」

「貴方も大概だと思いますけどね! それで用件はなんですか? 手短にお願いします!」

 

 青年の言葉をバッサリと切り捨てる諸葛亮。鳳統はその様子を見てあたふたと慌てている。

 

 ふん、と鼻を鳴らす諸葛亮。「今日はこのまま何を頼まれても反発しようかな」なんてことを考えたりもしていたが、青年が次に発した言葉を聞くとそんな気もすぐに吹き飛んでしまう。

 

「また懲りずに官軍が来るらしいんだわ」

「と、言うことはまた中郎将がやってくるんすか。あの人なんで罷免されないんでしょう」

「さあ? いつも負けて帰ってるのにな。政治力が高いのかもしれんが、今回は相手が違うぞ」

「相手が違う?」

「おう。都から大将軍が軍勢率いて来るみたいだ。後はここの前領主の袁術とその従妹の袁紹」

 

 あっけらかんと言い放つ青年。諸葛亮と鳳統は口を開いたまま暫し呆気に取られる。

 

「それは困ったどころの騒ぎじゃないですよ……」

「大将軍っても何進だろ。なら大したことない」

「どこからその自信が湧いてくるんですか。それに名門汝南袁氏も参戦してくるとは……」

「この地は元々袁術の領土だからな。それで話を続けるが、今回二人を呼んだのは他でもない」

 

 嫌な予感が諸葛亮の脳裏を過ぎる。

 

「討伐軍を血祭りに上げる策を立ててくれ!」

「お断りします!!」

「そう答えると思っていたが考えてもみろ。大将軍を破った立役者ともなると箔が付くぞ?」

「箔どころか札が付きますよ。これまでも何度か言いましたが、王朝に歯向かうのは流石に……」

 

 申し訳なさそうに俯く諸葛亮。隣の鳳統は諸葛亮と同じく俯きながらも熟考の構えを見せる。

 

 諸葛亮はこれまでも青年に呼び出されることが度々あったが、軍事について触れるような内容は全て断っていた。知恵を出し助言するのはいつも治世や内政といった類のものばかり。

 

 青年も断られると毎度あっさり引き下がった。武力を背景に脅すという手段もあったが、そんなことをしたところで二人は動かないだろうと考える。それにやっていることは黄巾賊と同じ国家反乱。二人が敵側に着かなかっただけマシと考え、せっかくだからと少し粘ってみようとする。

 

「そうか。無理言って悪かったな」

「こちらこそ申し訳ありません。南陽軍の勝利を願っている、かどうかは微妙なとこですが」

「仕方のないことだろう。賢明な判断だと思う。まあ、真面目な話はそれぐらいとして、最近は物騒だし今日は城に泊まって行くといい。一泊、二泊と言わず一週間でも一カ月でも一年でも……」

「なし崩し的に巻き込もうとしてもダメです! 一泊したら帰りますから。ねえ、雛里ちゃん?」

 

 諸葛亮は鳳統を真名で呼んでは同意を求める。ここまではいつものお約束の流れであった。

 

 熟考を重ねる鳳統の脳裏に浮かぶは先に迫った官軍との大戦の展望。泰平の世であれば勝てるはずもない一戦。だが今は黄巾賊が大陸各地で暴れ回る動乱期。時代は青年の味方をしていた。

 

 鳳統は思う。既に南陽軍が削りに削ったせいで官軍の兵は質が相当落ちている。数を揃えたところで多くは徴兵したばかりの新兵中心だろうと。警戒すべきは招請されてやってくる諸侯達。

 

 こちらも黄巾賊との兼ね合いもあってどの程度集まるかは不明瞭。各領地の守備もあるので割ける兵数も限られているはず。厳しい戦いなのは間違いない。だが次の大戦で勝てばもう…………。

 

「討伐軍の総数兵とその編成。進軍経路や兵糧。主だった将兵の情報などがありましたら……」

「雛里ちゃん!?」

「お、マジか士元。言ってみるもんだな。ホント助かるよ。こりゃ本格的に勝ちの目もあるか」

 

 次の大戦で大将軍の率いる軍勢を破ればもう、その次に続く軍はない、と鳳統は確信する。

 

 元々蛮地として名高い荊州は、青年が荊北を支配してからは魔境の地と呼ばれた。だがそれはあくまでも外からの評価。この地へ住む民は豊かではないにせよ他州ほど飢えてもいない。

 

 古より農民反乱は国の崩壊を示唆するもの。移り変わる時代の中で求められるは強い指導者。そして脇を支える優秀な臣下。青年は既に巨大で鋭利な矛を従えていた。足りていないのは盾となるべき頭脳。そしてその部分を補えば、後の時代でも十二分に戦える戦力が整うことになる。

 

「重圧を掛ける気はないが、士元の双肩に五万の兵士の命運が掛かってるからよろしく頼む」

「あ、あわわ。あわわわわわ…………」

「正気なの雛里ちゃん!? ちょ、ちょっと雛里ちゃんを説得するので少し席を外しますね!」

「ああ、いいよ。そんで孔明が説得されて来い」

 

 

 

 

 

 諸葛亮と鳳統の二人が部屋を出てから少しの間、青年は一言も発することなく口を閉ざす。

 

 終始黙って三人の話に耳を傾けていた文鴦。壁に背を預けながら腕を組み一人になった青年の様子を窺う。普段通りと変わらぬ様子の青年だが、長い付き合いの文鴦はその変化に気づく。

 

「なんだよ大将。珍しくヤル気満々じゃねえか」

 

 本人の失言があったにせよ、周囲に担ぎ上げられて首謀者となった青年は当初萎えていた。

 

 それもそのはず転生者である青年は黄巾の乱で賊側が敗れることを知っていたからだ。歴史通り敗れれば死罪は逃れられないことだろう。逃げ出そうとしたことは一度や二度じゃない。

 

「ウチの兵は貧しい農民の出ばかりだ。飢餓のせいか鍛えても鍛えても大して変化がなかった」

「そうだったな。最近は多少マシにもなったが」

「最初は土の匂いがする連中ばかりだった。だが今はもう違う。揃いも揃って血の匂いがする」

 

 それでも青年は結局逃げ出さなかった。逃げ出そうと思えば逃げることは叶ったはずだ。

 

 人の考え方なんてものは、言うならば一瞬で変わり得るものだ。昨日まで長く好きだった事柄が、今日になって急に嫌いになることだってある。心の移り変わりとはそれだけ激しいもの。

 

 青年の場合はきっかけらしいきっかけがあったわけじゃない。天啓が下ったわけでもなければ、誰かのタメになる言葉に感銘を受けたというわけでもない。ただ日々を過ごしているうちに自然とそうなった。多くの仲間と触れ合うことで自然とこの地で戦う決心が固まっていった。

 

「こんな時代だ。斬らなきゃ斬られて死ぬだけのこと。今更感傷に浸ってもしょうがない」

「座して飢え死ぬよりはマシだと思うぜ」

「ああ、そうとも。もう逆賊なら逆賊で構わん。開き直って我が道を突き進んでやるよ!」

「ならその道に立ち塞がる敵は俺が斬るぜ!」

 

 静かに、だが熱く闘志を滾らせる青年。その様子に相槌を打つ文鴦の口元が緩む。

 

 青年の頭には次の官軍との大戦が。そしてその先の時代のことがあった。大陸を三つに割り覇権を争う三王の名。一騎当千にして万夫不当の将。深謀遠慮の名軍師、名参謀の名が浮かぶ。

 

 戦い続け、生き残ればどこかで必ず遭遇するだろう名前。戦わずして膝を折るか。友好的に協力体制を築くことができるのか。それとも勇敢に挑んで散るか。はたまた灰に勝ち続けるのか。

 

「オレは覇を唱えるなんてデカいことは言わん。だから賊らしく奪い盗んでやる。この国をな」

 

 この先の未来は誰にも知る由がない。

 

 そして場面は一先ず前へ巻き戻る。青年がこの地へ降り立った数年前へと遡ることとなる。

 



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プロローグ2

 

 数奇な運命に翻弄されること数年。今日まで生きて来れたのは運が良かっただけだ。

 

 この世界へやってきた当時のことを思い返せば苦い記憶ばかりである。そりゃ地を耕したこともなければ漢文の読み書きも出来ない、異邦人の若造に優しくする理由なんてないだろう。

 

 着の身着のままの姿にて荒野の真ん中で目が覚める。それから半年は、ただ日々を生きてくことで精一杯だった。この世界の時代だとか帰る方法なんてことを考える余裕はほとんど無い。その日の口に入れる食事や雨風を凌げる住処を得ることに必死。実にサバイバルな半年間を過ごす。

 

 元の世界じゃオレは単なる大学生に過ぎない。体が強く丈夫であるぐらいしか取り柄も思いつかない。悪い事をした覚えだって大してない。高校時代に友達と飲酒をしたことや、鍵の掛かっていない他人の自転車に勝手に乗ったこと。雨の日に置き傘を拝借したとかその程度のことだ。

 

 だがこの世界では生きるためならなんでもやった。畑泥棒なんて日常茶飯事。罵声を浴びせられて追いかけ回されたことや、石を投げつけられて血を流したことも頻繁にあった。

 

 食べ物を求めて山に入った時に山賊に襲われて、その時に初めて人を斬った。相手は一人で丸腰のオレに油断していた。怯えた素振りを見せたら斬ろうとしてきたので得物を奪って逆に斬ってやった。心得があったわけじゃないが、それは向こうも同じだったようで意外と楽だった。

 

 初めて人を斬った時にオレは何を思っただろう。数年も経てば当時のことなんて鮮明に思い出すことはできない。斬らなきゃ斬られて死んでいた、と納得したような気もするし、自責の念に駆られて吐いたような覚えもある。思い出さない様に記憶を消し去っているような気もする。

 

 賊が油断していなければ勝てなかった。賊が複数人いたら間違いなく死んでいたはずだ。運良くたまたま生き残ったに過ぎない。そして生き残ったことが良かったかは今もわからない。

 

 奪い取った錆びた剣と賊が身に持っていた食料と路銀を手にしてその場を立ち去った。時間にすればたった数分の出来事で、オレは毎日苦労して手にする何倍もの報酬を手に入れた。そうなるとこれまでの苦労が馬鹿らしく感じて仕方ない。こっちの方がよっぽどシンプルで楽ではないか。

 

 色々と考えることに疲れきっていた頃でもあった。倫理観や道徳観なんてものを考える心の余裕は到底なかった。これからは斬って斬って、やがては誰かに斬られて死のうと思った。

 

 そう決意してからは生きる糧のためにお尋ね者や少数の賊を見つけては斬った。中には手強い相手もいて斬られることもあったが、今日まで後遺症の残るような傷は幸いにも負わなかった。

 

 どんなボンクラであっても生き残れば強くもなる。実践ばかり繰り返していくうちにオレはメキメキと力をつけ、次第に憎くもない相手を斬ることに抵抗を感じなくなった。オレはこの先どうなるのだろう。光の見えない夜になるとそんなことばかり考えた。そして二年の月日が流れ経つ。

 

 

 

 

 

「おう、兄ちゃん。随分と強いんだってな。ちょっとばかりオレと遊んでいけよ」

 

 いくらか名も売れ出した時期。通りかかった荒野で武者修行の旅をしていた文鴦と出会った。

 

「…………誰かの仇討ちか」

「そんな安っぽい理由じゃねえよ。これは単なるオレの腕試しだ。断るなら後ろから斬るぜ」

「迷惑千万の極みじゃないか。まあ、いいや。良い矛持ってんな。お前を斬って奪うとしよう」

「ああ、いいぜ。オレに勝てればの話だがな!」

 

 文鴦が強いことは一目でわかった。見た目も雰囲気もこれまでの相手の中でも数段上だ。

 

 勝ち目が薄いことはなんとなく察しがついたが、これまでだってそんなことは何度もあった。負けても斬られて死ぬだけのことに過ぎない。オレは暗く淀んだ目をしながら剣を構えた。

 

 結果だけ述べると勝負は引き分けた。十数合余り打ち合ったところでオレの手に持つ錆びた剣が文鴦の矛によって砕かれた。普通にオレの完敗だが、文鴦がなぜか勝負無しと場を流した。

 

「得物が潰れちゃ続きはできねえな」

「斬れよ。オレがお前の立場なら斬ってるぞ」

「これは腕試しだからな。斬り殺すことが目的じゃねえ。少なくても途中までは互角だった」

「いきなり絡んできたくせに面倒なことを言うヤツだな。まあ、いいか。どうでもいい…………」

 

 気の抜けたオレはその場に倒れ込んで天を見上げた。心を映すかのような暗い曇天の空だ。

 

 馬鹿力に押されていたせいか、剣を握っていた利き腕の甲や腕の関節が鈍い痛みを発していた。僅か十数合打ち合っただけでこの様だ。続いていても何れは敗れていただろうと確信する。

 

「そんでお前さんはこれからどうすんだよ」

「そうだな。どっかのデカブツに剣をぶっ壊されたから、一先ずはその調達でもするかな」

「そりゃそうか。名乗るの忘れていたがオレの名は文鴦だ。文次騫。そんで話があるんだが……」

 

 触れ合う袖に多生の縁があるなら、斬り合う刃にも似たようなものがあるのだろうか。

 

「出会ったのも縁だ。お前さんの旅にオレも連れてけよ。斬るのはお手の物だし役に立つぜ」

「なんでそんな話になるんだよ」

「堅いことは言いっこ無しだ。旅は道連れとも言うだろ。面倒な話も無しだ。オレを連れてけ」

 

 文鴦は挨拶もそこそこに同行したいと申し出てきた。当時はさっぱり理由がわからなかった。

 

 だが裏を考える必要性はない。その気であれば文鴦はオレを斬り殺すことができていたのだから。理由はわからないが、理由がわからない出来事なんてこの世界じゃ然して珍しくもない。

 

「…………ま、これも縁っちゃ縁なのかな」

「おっ?」

「拒む理由もないことだ。同行したいなら好きにすりゃいい。その代わり働いてくれよ。文鴦」

「話が早くて助かるぜ。これから宜しく頼む」

 

 それから後になって知ったがこの世界、男よりも女の方が優秀で権力者の数が多いようだ。

 

 オレはそんなことにも気づかないぐらい日々の生活に余裕を持てていなかった。考えることを放棄しては鉛の詰まった頭と体を引きずり続け、ただ毎日を意味もなく過ごしていた。

 

 文鴦は女に仕えることを善しとしない男だった。それからも旅を続けていると文鴦のような連中が現れては腕試しを挑んできた。文鴦クラスはいなかったが中々骨のある連中が多い。

 

 そしてどいつもこいつも負けた後は決まって同じことを言った。一人旅が終わったかと思えば、ものの数カ月で多くの仲間と共に旅をするようになっていた。柄が悪くむさ苦しいが気の良い連中ばかりだった。そして人と接するようになればこの世界へ関心を向けようと思うようになった。

 

 

 

 

 

「男女の性別逆転と真名の存在か……」

 

 一人旅をしていた頃から薄々気づいていたがこの世界は古代中華も後漢の時代のようだ。

 

 鼻で笑いたくなる話だが全てを明晰夢と割り切るにはあまりにも永い年月が経ち過ぎている。後漢から三国時代にかけて深い見識はなかったが、まったく知らない時代というわけない。

 

 人並みという曖昧な表現を用いるなら人並みには歴史を知っていた。劉備に曹操に孔明に呂布を筆頭に、高い知名度を誇る人物ならわかるだろう。歴史上の重要な出来事についても覚えているはずだ。黄巾の乱に連合戦に赤壁の戦い。曹操と袁紹が雌雄を決した舞台は官渡だったか。

 

 オレの半端な知識には当然漏れはあるだろうし、細かく突き詰めれば間違えて覚えている部分もあるだろう。この性別が逆転している世界で歴史が歴史通りに進むという確証だってない。

 

 だがこの世界にも曹操や袁紹の名前は存在するようだ。劉備や孔明の名を聞かないことも、まだ黄巾の乱が起こっていない年代なら納得がいく。全てを信用するには足りなくとも頭の片隅に覚えておく分には問題ないだろう。信憑性なんてものはこれから時間をかけて見定めればいい。

 

 男女の性別が逆転しているとは言っても全員が全員そうであるとも限らない。国の正規兵は男の方が比率が高いと聞く。領主をしていると耳に入った曹操と袁紹は女であるようだが、劉備は男かもしれないし呂布は男じゃないと違和感が凄いだろう。本当によくわからない世界である。

 

 それよりも気になることがある。ウチの連中は中々の腕利きが揃っていたが、誰一人としてオレは名を聞いたことがなかった。一番強い文鴦の名前ですら耳にした覚えがないのは気になる。

 

「文鴦。お前は凄く強いけど脳筋の極みのようなヤツだから早く死ぬのかもしれないな」

「藪から棒になんだよ。オレは不死身だぜ」

 

 文鴦は単独で十や二十の相手にだって臆することなく真っ向から打ち倒す程の剛将だ。

 

 本人も言うように死んでも死にそうにない男だが、後の世に名が残っていないということは早くに死んだのだろうか。それとも文鴦の実力じゃ名が残らない程、この時代の武将は強いのか。

 

 呂布を頂点に蜀なら関羽に張飛に趙雲。魏なら夏侯惇に夏侯淵に張遼。呉なら孫堅に孫策の名は有名だ。勿論それ以外に知っている名前はあるし、他陣営にも名の残っている武将は多い。

 

 オレが知らないだけというならそれまでの話だが、知らないということは少なくとも上記の将より格が一枚は落ちるということになる。いぶし銀の活躍はしていても、史に燦然と刻まれるような華々しい戦功は残していないというわけだ。

 

「戦って散るのも一興だが、わざわざ敵対する道を選ぶこともない。どうしたものかな……」

 

 この時期になると旅をする仲間も増えていた。

 

 人が増えればこれまでとは役割を変え、今では見知った隊商の護衛をしたり、地方の尉が動くかどうかの規模の賊を討ち取り、溜め込んでいる財などを奪い取ることに精を出している。

 

 後漢も末期ともなると仕事には事欠かなかったが評判は微妙だった。感謝されることも多かったがそれと同じぐらい、ごろつき集団や愚連隊と揶揄されることも多い。総じて支配階級に受けが悪く、労働階級層に受けが良い。評判なんて気にしないが、何れ討伐対象となるかもしれない。

 

 ロビー活動にでも取り組んでイメージ改善を図れば回避できるかもしれないが、少なくない犠牲の上に得た報酬で媚を売ることに気乗りがしなかった。だがこのまま放置するのも考え物だ。

 

 どうしたものかと長く考えていると、この日は珍しく居を構える砦に来客がやってきた。

 

 

 

「やいやいやい! お前達が賊を討つ賊と悪名高い連中だな。このワタシが成敗してやる!」

 

 なんとも威勢の良い言葉と共に現れた黒と白のメッシュが目立つハイカラな少女。

 

 手には大きな金棒を握っており、どうやら単身で殴り込みにやってきたようだ。たまにこの手の輩が現れるが、どうも今回の少女はかなり腕が立ちそうな雰囲気を醸し出している。

 

 見張りには少数であれば基本的に中へ通すように伝達していた。押し止めても手強い相手なら破ってくるだろうから無駄な犠牲を出すこともない。今日の少女ならまず通して正解だろう。

 

「いやいや、賊を討つ賊ってなんだよ」

「この周辺の領主様がそう言っていると聞いたぞ! 神妙に御縄について頭を下げるんだな!」

 

 随分と面倒な噂が出回っているようだ。なまじ間違っていないだけに扱いが難しい。

 

「知ったことか。話があるならそいつをここへ連れて来い。流石に賊呼ばわりされる謂れはない」

「むむむ! ならば実力行使にでるぞ!」

「ああ、そうですか。姉ちゃんが勝てば頭でもなんでも下げてやるよ。おう、誰か相手してやれ」

 

 そう言うと周りに控えていた連中が色めき立つも、いち早く返事をしたのはやはり文鴦だ。

 

「つまりはオレの出番ってわけだ」

「数に物を言わせず一対一で挑む気概は認めるが、それが仇となることを思い知らせてやる!」

「威勢がいつまで続くか楽しみだぜ。表に出な」

 

 文鴦が出たならジ・エンドだ。胸も大きく綺麗な少女だが残念ながら斬られるだろう。

 

 この場にいた連中はみんな野次馬根性で二人に着いて行ったが、オレだけは留まって再び考えた。この世界へやってきて三年余り。元の世界に居た頃とはすっかり考え方が変わった。

 

 一番大きな変化は価値観だろう。特に死生観は大きく変わってしまった。他人の命もそうだが自分の命にどれだけの値打ちがあるかわからない。今日まで運良く生きて来られたが、明日にはあっさり死んでいるかもしれない。恨みだって大小問わず腐る程買っていることだろう。

 

 そんな生き方を選んだのはオレ自身だ。今更御託を並べても仕方ない。この世界にやって来た当初にオレを受け入れてくれる人と出会っていれば何か変わっていただろうが今更、今更になって言ったところで全てはもう後の祭りだ。

 

「…………お、決着が付いたようだな」

 

 長く思考の渦に飲まれていたが、外から大きな歓声が聞こえ意識を起こす。

 

 どうやら決着が付いたようだ。歓声の質からどちらかが斬られたという類のものではないことを察する。予想通り文鴦が勝ったのだろう。負けていればみんな驚いて歓声なんて上げない。

 

 考えることにいい加減飽きたオレは歓声の聞こえた方角へと歩いて行く。文鴦と少女の勝負が行われたであろう現場では、少女が大の字のままうつ伏せになって伸びていた。そしてドヤ顔の文鴦と目が合う。一対一にしては珍しく血を流していた。やはり少女はかなり腕が立ったようだ。

 

「手心を加えたんだな。派手に伸びてるけど」

「殺し合いって空気じゃなかったからな。そうなってりゃもっと苦戦していたかも知れねえ」

「高評価だな。けっこう手強かったのか?」

「おう。魏延はまだまだ荒削りな部分も多いが、高順や張燕相手でもタメ張れる強さだったぜ」

「そりゃ強いな。名は魏延か…………魏延!?」

 

 ぼんやり伸びている少女のケツを眺めていると文鴦があっさりと驚くべき名を言い出した。

 

「この伸びてる姉ちゃんが魏延なの?」

「ああ、前口上でそう名乗ってたな。魏延。字を文長だったか。なんだ知り合いなのか?」

「知り合いってわけじゃないが……。同姓同名ってことはないよな。そうか魏延に勝ったのか」

 

 まだ理解が追いつかなかったが、結果を見るにどうやら文鴦は魏延よりも強いみたいだ。

 

 それもけっこう力の差がありそうな勝ち方である。魏延がまだ未熟である可能性やら、文鴦が実は超人である説もあったが、ともかくこの世界は本当に数奇で波乱の多いことばかりである。

 

 

 

 

 

 やがて目を覚ました魏延は帰るのかと思いきや、なぜかこのまま残ると言い出した。

 

 文鴦との一戦で思うところがあったのか。それとも誰かが魏延に熱を入れて考えを変えさせたのか。見た印象だと脳筋の気が強そうなので、ウチの連中とは馬が合うのかもしれないが。

 

 文鴦超人説を確かめるために魏延の回復を待ってから軽く手合わせをした。魏延はウチの連中の中でも五本の指に入る実力者だが、今の段階では良くても三番目だろう。つまりは魏延未熟説が濃厚である。ゴリラの文鴦はともかくとしてオレにまで後れを取ってるようじゃまだまだ甘い。

 

「お頭! ワタシが間違ってました。賊ではなくて義賊だったんですね。ホントごめんなさい!」

「お頭ってもしかしてオレのことか?」

「勿論そうです!」

「いや、意味わからんし止めてくれよ。それに義賊だろうが公権力からすれば賊と変わりないぞ」

 

 魏延は居座ることを決めるとオレのことをお頭なんて名で呼び始めた。

 

 長い目で見ても魏延が残ることは歓迎だが、変な名で呼ばれることは勘弁してほしい。だが魏延は何回注意しても直らなかった。そのうちウチの連中まで魏延に触発され始めたので困る。

 

 それでもこうして仲間が増えていくことは楽しいことだった。オレはこの世界で多くの出会いと、決して少なくない別れを繰り返していった。長く沈んでいた淀んだ気持ちもいくらか持ち直したような気がする。そして歴史は針を進め、やがてこの世界にも本格的な動乱期が訪れる。

 




 次話から原作スタートの年代となります。
 今回の話はかなり駆け足気味ですが実質的な第一章。この先作品が続くようなら度々掘り下げることになると思われます。


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南陽赤巾軍
第一話


 

 蒼天已死。黄天當立。歳在甲子。天下大吉。

 

 ここ最近よく耳にする言葉だ。遠く離れた地方では県の役人が賊に討ち取られたとも聞く。物騒な世の中である。そしてこれが局地的なものでなく、大陸全土で起こるのだから性質が悪い。

 

 年号なんて細かいことまで覚えてないけど、要するに黄巾の乱が勃発するということだろう。乱の主犯者である張角は易姓革命を目指したのか。はたまた別に崇高な目的があったのか。

 

 事の顛末を知っていれば色々と考える幅も広がるが、顛末を知っていれば黄巾の乱について考えるだけ無駄という気持ちも湧いてくる。敗れる賊側のことなんて考えても仕方ないし、実際のところ大して興味があるわけでもない。だが世が乱れることはオレ達にとって実に好都合が良い。

 

「これから何か悪さをする時は頭に黄色の布でも巻くか、蒼天已死って文字を現場に残しとけよ」

「なんでそんな面倒なことするんだよ」

「流行るから覚えといて損はないぞ。悪行が許される免罪符ってとこだが、現行犯だと御用かな」

 

 見知った隊商の護衛をしながら南陽郡へと向かう道中。隣の文鴦にポロッと軽口を零す。

 

 まだ世間には黄巾賊の名が広く知れ渡ってはいない。朝廷は地方で起こっている出来事に対して大きな動きを見せてはいないようだ。ボヤ程度で騒ぎが収まると高を括っているのだろうか。

 

 現状、未来の歴史を知るオレだけが黄巾の乱の存在を正しく認識していた。地方を守護する領主の中でも優秀なのは動乱の兆しに勘付いているかもしれないが、国を揺るがす程の大乱が起きるなんてことは想定できないだろう。

 

「…………苦節数年。本当に色々と苦労したけど、ようやく面白いことになりそうだな」

 

 自分の知る時代へと移り変わることに喜びを覚える。それが乱世だろうがぜんぜん構わない。

 

 黄巾の乱の始まりは三国時代の始まりでもある。後の時代を彩る英傑達が大いに飛躍した舞台。それが黄巾の乱だ。実際この認識が正しいのかは知らないがオレはそう思っている。

 

 つまりは時代が動く時期に差し掛かっている。何か事を起こすなら今が絶好のチャンスだ。勿論このまま動かず動乱を静観するという手もあるが、動く方が遥かに面白味があるだろう。

 

 未来の大勢力へ早い内から仕官を果たし譜代格として居座るのも悪くない。本来なら門前払いを食らいそうな軽い身分ではあるが、ヤクザな仕事もしてきた分そこそこ名は通っているはずだ。魏延が現れた翌日からは方針転換も図り、民衆へ向け地味に地道に善行を積んだりもしている。

 

 それとも劉備玄徳のように義勇軍を立ち上げるのも面白い。張角を討ち取るのは流石に無理でも、適当な賊将の首でも刎ねれば僻地の領主にでも任命される芽もある。この時代に立身出世を目論むなら王道。ウチの連中も相当に強い。そんじょそこらの雑魚に遅れを取ることはない。

 

 パッと思いつくのはこの二択。人に仕えるか国に仕えるか。結局三国に分かれるのが決まっているのなら、早く何れかの勢力に仕えるべきとも思うが、別にそうする義務があるわけでもない。

 

「今は確かに絶好機だが、すぐ膝を折るのもつまらないな。動くにしても道中を楽しまないと」

 

 今すぐに焦って決めることではない。今後のことは何れみんなで相談して決めてみようと思う。

 

「お頭! アニキが言ってたけど、黄色の布を頭に巻いたら暴れていいってホントですか?」

 

 そんなことを考えていると魏延に声をかけられた。魏延もすっかりウチに馴染んでいる。

 

 いつからだったか魏延は文鴦のことを兄貴と呼ぶようになっていた。そしてオレのことは一度もブレずに御頭と呼び続けている。本当に困ったヤツだが憎めないのでついつい許してしまう。

 

「本当だけどお前はダメ。ヘマしそうだし」

「ヘマなんてしませんよ! それと蒼天快晴って文字を書けば悪行が許されるんでしたっけ?」

「どう伝わればそうなるんだよ。まあ、ある意味では快晴って書けば許されるかもしれないな」

 

 相変わらず変なことを言い出す魏延に笑いそうになる。伝言ゲームでもしてたのだろうか。

 

 そしてそのまま和やかに南陽郡は宛県を目指す。南陽郡へは頻繁に立ち寄ることが多い。南陽郡は袁術が治める領地となるが、オレ達が頻繁に立ち寄るということはつまり治安がよくない。

 

 

 

 

 

 後漢は領土を13の州に分け、その州の中に郡国を置き、さらに郡国の下に県や村がある。

 

 これを元の世界に置き換えるなら州は地方の総称。郡国は県。県は市とイメージするのが正しいだろうか。たった今着いたのは袁術の領土である南陽郡は宛県。正式名所は荊州南陽郡宛県。

 

 つまり荊地方南陽県の宛市となる。地方領主を指す郡太守は県知事。県令や県長は市長の役職といったところだ。それでも郡太守は兵権を所有していたりするので県知事とは権限の格が違う。

 

 地方なら郡太守が一番偉い。その郡太守を怒らせると兵隊を寄越し兼ねないので、悪さをするならその辺は特に気をつける必要がある。郡太守如き知ったことかと兵隊を返り討ちにするもなら、次は朝廷が軍を差し向けてくるかもしれない。何時の時代であっても権力者とは厄介なものだ。

 

 この世界へやって来て早数年。日々生活を送っていれば自然と一般常識は身に付いた。役人を刺激するようなことは控えなければならない。いくらか窮屈ではあったが致し方ないことだろう。

 

 絶妙なバランス感覚をもって今までこの世界を渡り歩いて来たが、これから黄巾の乱が起こるのであれば話は別だ。史に大きく刻まれる大反乱。王朝の屋台骨をも揺るがす黄巾の乱が起こるのであれば、平時のように権力者にビビる必要はない。汚名は黄巾賊に着せればいいだけのこと。

 

「南陽郡っていつ来ても活気がないですよね。お頭はさ、その原因がなんでだかわかります?」

 

 隊商の護衛を終えたオレ達は、宛でよく訪れる酒場にて仕事終わりに一杯ひっかけていた。

 

 酒場の中にはオレ達の他に客の姿は無く、店主も魏延の言葉を受けては数度頷く。あまり酒に強くないオレはいくらか鈍った頭を働かせながら、他に客がいないなら構わないかと口を開く。

 

「税が高いとか領民の陳情を聞かないとか色々あるけど、つまり領主の袁術が悪いんだろう」

「領主の袁術って確か子供って噂でしたけど」

「みたいだな。どうして子供が太守なんてやってるのかは知らんが、大人の事情もあるのかな」

 

 そこらの事情は気になるが、どうせ考えてもわかりっこないのであまり考えないことにする。

 

「南陽郡は今年も凶作と聞いたが、課せられる人頭税は減るどころか増えているらしい。まあ、これは袁術の責任と言うよりも、汚職が蔓延し役人の質が下がっていることが原因だと…………」

「ちょ、ちょっと待って下さい! 小難しい話をされてもワタシにはわかりませんよ!」

 

 話している途中で魏延にストップをかけられる。いくらか説明臭くなってしまったようだ。

 

 手元の陶器が空になると、向かいに座る文鴦が溢れんばかりの酒を注いでくれた。お決まりのアルハラを受けたオレは酒をチビチビと飲み進めながら、次第に顔が熱くなっていくのを感じる。

 

「要するにみんな生活が苦しいんだよ」

「でしたらワタシ達の出番ですね! 義の名の下に貧困に喘ぐ民に施し物を与えましょう!」

「焼け石に水だ。郡全体でどれだけ人がいると思ってんだよ。半端な施しは却って不幸を招く」

 

 魏延は義という言葉を頻繁に口にする。きっと正義感が人よりもずっと強いのだろう。

 

 オレ達が民衆へ向け地味に地道に積んでいる善行は色々とあったが、貧しい村々に食料を都合することはハズれなく喜ばれた。素直な魏延は村人達に喜ばれるといつも嬉しそうにしていた。

 

 魏延の言いことはわかるが流石に規模が大き過ぎて無理だ。郡全体ともなると10万単位の人口を誇るし、南陽郡は漢王朝全体でも特に人口の多い郡だろう。正確な数はわからないが大雑把に100万人。いや、下手をするとそれよりも多いかもしれない。全てを賄いきることは到底不可能だ。

 

「えー。なんとかならないんですか?」

「無理」

「そこを曲げて。こう、気合いでなんとか!」

「絶対無理」

「そこを曲げて曲げてなんとか! お頭が首を縦に振るまでワタシは食い下がりますよ!」

 

 酒が入ってるせいかやけに面倒くさい魏延。

 

 周囲に助けを求めて目を向けるも、みんな遠巻きに面白がって眺めていた。薄情な連中である。

 

 素面なら適当に話を流す場面。だが今は酒の席である。ぞんざいに扱うこともない。それにようやく面白い時代になることじゃないか。そう考えたオレは顎に手をあて想像を膨らませる。

 

 護衛の仕事が終わった後であるため懐は暖かい。だが物資があり余っているわけでもない。魏延の言う通り貧困の民に施すというのであれば、どこからか仕入れる必要があるだろう。普通に考えれば商人に頼むのが常套。でもそれでは集まる量も高が知れているし、何より面白くもない。

 

 せっかく黄巾の乱が起こるんだ。どうせなら今このタイミングでしか出来ないことがしたいものである。平時の世では検討にすら値しないようなこと。灼けるようなスリルを味わうのもいい。

 

 瞬間、脳裏を過ぎった閃きに口の端が上がる。そして間を置かず魏延に向かい口を開く。

 

「まあ、実のところ方法が無いこともない」

「ホントですか!?」

「難しい話じゃない。施す食料がないなら食料のある場所から奪えば済む話。つまりは…………」

 

 この城を落とせばいい、とオレは続けた。

 

 

 

 

 

 オレの言葉に呆気に取られる魏延。ほんのり赤みを帯びていた頬の色が次第に落ちていく。

 

 魏延と同様に新参の連中は驚いた表情を浮かべていたが、古参の連中は落ちつきを払っている。今でこそ丸くもなったが、昔は平然と無茶をしてきた。本当によく生き残れたものだ。

 

「城を落とすとなれば数より速さが肝要かな。内から城門を開ければあっさり陥落まである」

「おう、大将。詳細を詳しく聞かせてくれ」

「文鴦。お前は荒い話になると絶対入ってくるよな。待ってましたと言わんばかりじゃないか」

 

 真っ先に食いついてくる文鴦。文鴦は都を攻めると言っても賛同してきそうだから物騒だ。

 

「お、お頭! ちょ、ちょっと待ってください。城を落とすだなんてことしたら流石に…………」

「不味いだろうな。お尋ね者待ったなしだ」

「面倒なことは城を落としてから考えればいいだろ。オレは賛成だぜ。最高に面白そうだ」

 

 文鴦は一先ず置いといても秘策が無いこともない。今の時世ならとっておきの一手が打てる。

 

 つまりはこうだ。これから流行る黄巾賊に扮して城を攻め落としては袁術を追い出す。袁術はこの時代でも指折りのボンボンの出だ。懐に溜め込んでいる蔵を開いては領民に施しをする。

 

 この時代に袁術の一族である袁家から睨まれるのは不味過ぎるが、どうせ大陸全土で収拾がつかない程の騒ぎとなるんだ。城を落としたのは黄巾賊とし罪を張角に押し付ければ問題ない。

 

 もし失敗するようならそのまま遠くの地方へとんずら。成功すればちゃっかり財の一部を着服しつつ、軍隊が動き出す前に南陽群から立ち去るだけのこと。実に隙のない構えだと思う。

 

 これなら魏延の言う施し物もかなり賄えるし、実際のところ領民の貧困は深刻な問題でもある。黄巾の乱が勃発するような世の中だ。これを袁術の責任と一言で片付けるのは酷だろう。

 

 それに普通に考えれば子供に統治なんて不可能だと思う。ここの治安が悪いからこそ護衛の仕事にあり付けていることもある。どちらかと言えばオレは袁術を好意的に思っているぐらいだ。だがオレ達は正義の集団というわけじゃない。危険を伴うことでも十分な見返りがあるなら動く。

 

 そうと決まればさっさと行動を起こしたいところだが、ここには一つ厄介な問題があった。

 

「袁術は虎を飼っているのが面倒だ。かち合うと洒落にならんだろうから、そこだけが問題」

 

 袁術は孫家を客将として抱えているようだ。

 

 当主は孫策。理由は知らんがこの世界の孫堅は既に死去しているらしい。元の世界での孫堅は連合戦に参戦していたように思うが、あまり知識に自信がないのではっきり言い切れない。

 

 ともかくこの世界では孫堅が既に存在していない。だが子の孫策はいる。孫策は何度かこの街で見かけたことがあった。褐色肌のスタイルの良い美女。一見するといつも飄々としているように見えるが、六感で受ける印象には圧がある。安い言葉じゃ形容し難い鋭い雰囲気があった。

 

「あの艶っぽい姉ちゃんか。相当なもんと見た」

「あれは絶対ヤバい。敵対するのは極力避けたい。というか断固として避けなきゃならんな」

 

 選択次第では将来の仕官先になる孫家。この街には何度も足を運んでいたが交友はない。

 

 近寄り難い雰囲気であったせいか、オレは孫策をいつも遠目から見ていた。あるいは直感的なものだろうか。下手に用件も無く話かけるより、今はまだ接点を持たない方がいい気がした。

 

 袁術と孫家は折り合いが悪いという噂だ。孫家の不在の頃合いを見計らって攻めればいい。薄々勘付いてはいても見逃されるかもしれないし、オレ達は留守に忍び込むのが得意である。

 

「虎は餌で釣って外へ放ち、不在の隙を突いて攻め落とすのが基本だな。いつ決行しようか」

「オレは今からでも構わないぜ」

「今からは論外としても少しは待ちたいな。もうちょっとばかり世間が騒がしくならないと」

 

 黄巾賊の名が轟き出してから始めたいが、義勇軍を立ち上げるなら機を逃すかもしれない。

 

 悩ましい問題だ。孫家には話を通しておくべきかと考えるも、内容次第では問答無用で斬りかかられる可能性もある。それは非常に困ってしまう。まあ、やったのがバレなきゃ問題ないか。

 

 孫家を不在にさせる餌となる理由も用意しないといけない。折り合いが悪いという噂の信憑性も確かめるべきだろう。実は両者蜜月の仲でしたなんてオチだと中止しなきゃならないし。

 

 文鴦を筆頭とした古参の連中と作戦会議に華を咲かすも、魏延の様子がどこかおかしい。寄らば大樹の影という言葉もあるぐらいだ。おそらく王朝に背くことに抵抗を覚えているのだろう。魏延の他にも比較的新参の連中はどこか物怖じしているように見えるが、無理もないことだと思う。

 

「どうしたお前達。気が進まないのか」

「あ、いえ…………その。お頭のことは信じてますけど、本当に正しい行いなのかが…………」

「躊躇う気持ちはわかる。確かに義の道には背く行いかもしれない。だがこれも必要なことだ」

 

 正しい事ばかりが全てじゃない。正しさだけでは片付けられないことなんて山ほどある。

 

「多くの民を救いたいなら少々のことには目を瞑れ。オレ達は敢えて泥をかぶる役割を担う」

「ワタシ達が泥をかぶる……?」

「誰かがやらなきゃならんことだ。世間から糾弾されようが知ったことじゃない。好きなだけ言わせておけ。オレ達は弱きを助けるために強きを挫く。今の時代じゃこれこそ仁の道だよ」

「弱きを助け強きを挫くが仁の道……!」

 

 袁術の持つ財を着服したいという思惑もあったが、それは半分から八割程度に過ぎない。

 

 残りの二割は人のため。いや、或いはこれも自分のためか。オレは単純に民が飢えているのを見るのが嫌いだった。性格云々の話じゃない。在りし日の自分を見ているようで嫌だった。

 

「大事を成すため小事は捨て置く。無謀に思える挑戦が時代を切り開くことだってあるしな」

「お、お頭! ワタシ感銘を受けました!」

「そうかそうか。ならやってくれるよな?」

「勿論です! この魏文長。世のため人のためお頭のために尽くすことを改めて誓います!」

「そうこなくっちゃ。お前達も頼むぞ。役人相手だからってビビってんじゃねえ! やるぞ!」

 

 応、と勇ましい声が揃う。なんでかんだ言ってもみんなノリが良いから気に入っている。

 

「大将、お前やっぱ頭に向いてるわ」

「そうか。って文鴦。お前さり気なく酒を注ごうとすんなよ。オレが弱いの知っているだろ」

 

 後になって思い返せばこの日この時の出来事が全ての原因、始まりだったんだろう。

 

 この日は確かに酒に酔っていた。それでも頭も呂律も普段通り回っていたし、発言もおかしくなかったと思う。大きなことを言いはしたが、素面であっても検討していた可能性は高い。

 

「(黄巾の乱が本格化してから)城を落とすか」

「(王朝と構える第一歩のため)城を落とすぜ。こんな日が来るなんて夢のようだ。血が滾る」

 

 だが酒に酔っていたせいだと思う。オレはみんなとの間にある認識の違いに気付けなかった。

 

 気付いたのは作戦決行日の直前。それまでもやけにみんなが街や村で秘密裏に兵隊を集っていたことや、馴染み深い商人達が一世一代の大勝負、と多額の出資を申し出てくれたりもした。

 

 気になることはいくつかあった。オレも言葉足らずだったとは思う。それでもまさか、いくらウチの連中が脳筋揃いとは言っても、国を相手に反乱を起こそうとしているとは思いもしない。

 

 いや、オレの迂闊な発言が全ての原因であることは誰の目にも明らかではあるのだが…………。

 

 

 

 

 

 中平一年(184年)一月。宛のとある酒場にて宛城を攻め落とす話が持ち上がる。

 

 同年二月。黄巾賊が大陸各地で勃発。諸侯らはその鎮圧に追われるも手が足りない様子。

 

 同年三月。朝廷は何進を大将軍とし都である洛陽の守護を命じると共に、黄巾賊の勢力が強い地域への将兵及び軍の派遣を検討。同月の吉日、南陽郡内の県で小規模な反乱が勃発する。南陽郡太守の袁術は客将孫策とその兵を派遣し反乱鎮圧に向かわせる。同日、南陽郡は宛県…………。

 

 

 

 

 

「確かに面白いことを求めてはいたけど…………」

 

 眼前にずらっと広がった兵。数は七千と聞いた。よくもまあ、これだけ揃えたものである。

 

 最悪の場合は遭遇戦となることも覚悟していたが、どうやら孫家の目を欺けたようだ。それとも見逃されただけか。まあ、どちらでも構わない。そのまま戻ってこなければ構いはしない。

 

 認識の違いに気付いた時に止めていれば騒ぎを抑えられていただろうか。がっつり扇動していた手前、中々引っ込みがつかなかったこともある。こんな時代だ。止めたところで別の形でやがては堰が切れていたような気もする。ならばこうなってしまったのも必然と納得することも…………。

 

「…………できるか。そんな達観が」

「おう、大将。準備はもう整ったぜ!」

「お頭! いつでも突撃できますよ!!」

 

 文鴦と魏延の二人がやってきた。二人はやる気満々の御様子。手に握る得物が怪しく光る。

 

 袁術の居城である宛城から一里離れた平原にいるのは、頭に黄色の布を巻いた七千の集団。異様な光景だ。当て付けとして黄巾賊に扮しはしたが、城から逃げないのであれば必要性は薄い。

 

 人に仕えるか国に仕えるかなんて考えていたが、まさかこんなことになるとは。これは夢なのかと思わず頬を抓りたくなるも現実だ。いや、永く覚めないだけでやはり夢なのかもしれないが。

 

 ともあれ今はぶつぶつ言っても仕方ない。こうなった以上は勝たなきゃ意味がない。後のことは後になって考えるべきだろう。黄巾賊の、張角の御利益がオレ達を守ってくれるかもしれない。

 

「こうなりゃヤケくそだ! よし、お前達行くぞ! 蒼天已死! 黄天當立! 張角万歳!」

「よっしゃあ! 官兵共かかってこいや!」

「お頭万歳!!」

 

 足並みも揃わぬままオレ達は宛城を強襲する。

 

 内通者や領民の協力もあって城は驚くほどあっさり陥落した。袁術はほとんど抵抗らしい抵抗も出来ないまま、城内にある秘密の通路を通っては側近と共に宛を脱出したようである。

 

 入城を果たしたオレは津波のような大歓声を耳に受けながら先のことを考える。たかだか数千の兵士で何ができるのだろうと。背中に嫌な脂汗を感じながらも、こうして時代は動き始めた。

 




 美羽が不憫ですが後々必ず挽回の機会を設けるますので今回は一つ御容赦を。
 主人公の原作知識は横山三国志を読んだぐらい。私見で人並みと書きましたが、ぜんぜん人並みじゃないですね。次話で蓮華と思春が出ます。


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第二話

 

 遺憾ながらも城を落とせば公約を守り、袁術が貯め込んでいた私財を領民へと開放した。

 

 宛県の街や村邑に食糧を施す。南陽郡内の他県でも領民の反発や郡太守の袁術が去ったことで多くの領主は領土から立ち去ったようであるが、正式に落とすのは少し間を置こうと思う。

 

 理由はいくつかある。一つ目はまだ気持ちの整理がついていないこと。どうしてこうなった、と頭を抱えたくて仕方ない。先々のことを考えると気が滅入る。これまでは深く考えない様に後回しにし続けてきたが、城を落としてしまえば考えざるを得ない。この先どう動くべきだろうか。

 

「まず領内の整備。物資が滞りなく配り終えたら治水や灌漑といった食に関わる事業を…………」

 

 いや、と思い直す。オレは何を真面目に考えてるんだ。普通にやってちゃ世話がないだろ。

 

「なら領内の豪族の理解を得ることを最優先に…………って無理だろ。絶対ぶち切れてるよな」

 

 ため息が零れる。四面楚歌もいいとこだが、それでも顔を上げて動かねばならない。

 

 城一つ落としたところで満足していたら即座に四方を囲まれるので、少なくとも郡内は全て落とす必要があるだろう。新野辺りを押さえて海路への道を確保しておけば少しは安心できる。

 

 唯一の救いは黄巾賊に扮している点だ。増援を見込めるかもなんてことはどうでもいい。オレ達の素性が割れていない点が重要だ。黄巾賊として一括りに認識されるということが最重要。

 

 最悪追い詰められたら城を捨てて逃げ出せばいい。南方へ逃げれば追いかけては来ないだろう。名を変え姿を変え、また仲間と一からやればいいだけのこと。どうせこれから大陸は大荒れだ。

 

 ほとぼりが冷めるまで僻地で大人しくしてればいい。仮に元黄巾賊とバレたところで、いちいち処罰していたらキリがないはずだ。そんな連中は巨万といる。せいぜい労役が課せられる程度だろう。好き勝手に暴れ回って適当に逃げ出す手も悪くない。確かに悪くはないんだが─────。

 

「しかしそうなると……。どうするかな…………」

 

 だがこの方法を選ぶと反乱に集まった兵や協力してくれたみんなを置き去りにしてしまう。

 

 そんなこと知るもんかと投げ出してもいい。どうせこっちに参加していなくとも黄巾の乱に加わっていただろうと。加担したことを当人の自己責任とするのも間違っていないと思う。

 

 ただ顔馴染みの商人達を始め知り合いが多いのが難点だ。知らない連中が何人死のうが全く興味無いが、知り合いが死ぬことは困る。だが甘えたことは言ってられない。官軍と構えれば大勢死者が出るだろう。本当にどうしたものかな。

 

「お頭! 細かいことなんていちいち考えずに全員ぶん殴ってやればいいんですよ!」

「お、おお。そうだな…………」

「魏延の言う通りだ。目障りな連中は全員始末すりゃいい。その方が面倒がなくて楽だろ」

「お前達はマジ脳筋だな。まあ、でもそれが正解なんだろう。あれこれ悩んでも仕方ないか」

 

 占拠した城の謁見の間には、あれこれと悩むオレの他に文鴦と魏延の姿があった。

 

 二人は本当に豪快だ。悪く言えば脳筋らしい言葉ではあるが、今の状況を考えれば正論だろう。この時代の将らしく腹を据えている。それに引き替えオレは何をうじうじ悩んでいるのか。

 

 黄巾賊が敗れる未来を知っているから。それに連鎖して敗れて死ぬことを恐れているのか。死ぬことは怖い。だがそんなことは今に始まったことじゃない。これまでだって何度も─────。

 

「…………まあ、ともかく集まった連中を兵として形にしないと始まらん。練兵から始めるか」

「任せて下さい! ビシバシ鍛えますよ!」

 

 あれこれ考え出すとキリが無い。こうなった以上は備えだけでもしておくべきだろう。

 

 郡内の他県を落とさない理由の二つ目。外へ出向かせた孫家がこの城へと戻ってくる危険があること。袁術に恩義があるかは知らんが、戻ってくればいきなり正念場を迎えることになる。

 

 孫家はただでさえ超弩級でヤバいのに、こっちが戦力を分散している隙を突かれては勝負にすらならない。孫策は私兵の他にも袁術の兵をいくらか借りて行ったようだ。総兵数は五千から七千弱。ウチにいる兵が七千だから数の上で不利になることはないが、問題はやっぱり将だろう。

 

 孫策を筆頭に周瑜と黄蓋がいることは確認がついている。戦うハメになるなら孫策には文鴦でもいいが、出来れば魏延をぶつけたい。魏延が万全なら孫策とも渡り合える公算が高い。そして黄蓋には文鴦。他にも面倒なのがいれば高順、張燕、周倉、廖化とウチの中で強い順にぶつける。

 

「魏延は文鴦と乱取りしてこい。十本……いや、百本取るまで一生続けろ!」

「えー!? アニキ相手に百本取るなんてそんなの無理ですって! 倒れちゃいますよ!」

「なら倒れる前に百本取れ。こっちはお前の覚醒待ちなんだよ。悠長なことは言ってられん」

 

 大雑把だが武将対武将はこれである程度の格好がつく。そうなると問題は周瑜の存在だろう。

 

 智将、軍師、参謀とでも呼ぶべき人材がウチには一人もいない。みんな揃いも揃って涙が出るぐらい脳筋。となれば必然的に周瑜と向き合うのはオレしかいないが、なんとかなる気がしない。

 

 策の読み合い化かし合い。もしくは単純に兵を率いる統率力。規模が数百程度の戦いなら個の力で押し切れる可能性もあるが、数千ともなると流石に厳しいだろう。なら野戦は避けて籠城か。

 

 だが初っ端から亀のように丸まって戦うのも士気に関わるし、籠城とはいっても地の利はオレ達よりも、この地を拠点にしていた孫家側にあるはずだ。逃げ出した袁術の件もある。城外へ繋がる秘密の抜け道が他にも存在するのなら、内から潜り込まれてサクッと落とされかねない。

 

 ならば籠城は避け、か細い可能性であっても野戦に一発賭けるべきか。ただ純粋な兵の練度だって寄せ集めのオレ達は孫家の軍勢よりも劣っているだろう。前途多難もここに極まれりな状況だ。

 

「覚醒ってなんですか?」

「細かいことはどうでもいいだろ。これは大将の命令だ。お前が千本取るまで続けるぞ」

「桁が増えてますよアニキ!!」

「今すぐ行って来い。練兵はオレが適任者見つけて任せとく。二人は気にせず存分に励めよ」

 

 色々と不安しかないが、魏延が急成長して覚醒でもすれば光明が見出せるかもしれない。

 

「…………軍師か。本格的にやるなら必須だよな。まあ、ともあれ今は孫家の動向次第だが」

 

 魏延が文鴦に引きずられて謁見の間を立ち去った後、一人静かに噛み締めるように呟く。

 

 

 

 

 

 城を落として十日も経てば否が応にも事態は動く。良い報告と悪い報告が耳に届いた。

 

 良い報告は孫策率いる軍勢が南陽郡を抜けてお隣は豫州へと向かったこと。これは文句なしの吉報だ。豫州はオレ達のような偽物ではなく、本物の黄巾賊が幅を利かせている地域である。

 

 豫州の荒れた地域では賊の手によって領主が斬られたり追い出されたりしているらしい。実に物騒な話だが孫策にとっては朗報だろう。賊に占領された地域を軍勢を率いて奪い返せば、その地域の後任となれる目もある。少なくとも正式な後任が決まるまでは居座っても問題無いはずだ。

 

 放浪軍である孫家には渡りに船の展開。兵糧も手元にたっぷりあるはずだ。孫策なら賊に占領された地域を攻め落とすぐらい訳も無いだろう。どうぞ好きなだけ豫州で無双したらいい。

 

 これはオレが城を落とす前に考えていた孫家の動きの中でもかなり好ましい分類に入る。こうなるように色々と準備したり、城攻め決行の日時を微調整した甲斐があったというものだ。

 

 この知らせを聞いてからオレ達は南陽郡内の他県を落としにかかる。太守の袁術が既にいないこともあり、ほとんど抵抗らしい抵抗もなくあっさり落ちた。これもまた良い報告だが─────。

 

「捕虜を捕えた?」

「ああ、大将の耳に入れておこうと思ってな」

「報告してくるってことはそれなりの人物か。誰かは知らんが逃げ遅れるなんてドン臭いな」

 

 城を落とせば領主だけでなく、城に仕えている役人達の処遇も考えなくてはならない。

 

 城を落とす過程において勇敢にも戦いを挑んで来る者もいれば、占領される前にそそくさと逃げ出す者もいる。その辺は個人の自由だ。挑まれれば斬るが逃げるならわざわざ追わない。

 

 それ以外にも降伏を願い出る者もいる。黄巾賊が暴れ回るような御時世だ。逃げたところで行く当てが無ければ仕方ないんだろう。郷土出身の役人なんかは基本的に降伏を願い出てくる。

 

 それらは捕虜という名目を付けては占領前と同じように働かせる。給料だって変わりなく払うし休みだって必要に応じて与える。オレの下で働くのが嫌なら別に辞めても構わない。正直なところ相手をしている余裕なんてないので干渉は緩い。というか捕虜に対する興味が特別無い。

 

「まあ、ここへ連れて来いよ。ここ最近は気分も良いし話ぐらいは聞いてやってもいいかな」

 

 そのことは既に周知であった。だから文鴦が口に出したということは理由があるはずだ。

 

 孫家が離れたとの報告を聞いたオレは気分が良かった。一先ずは危機が去り、当面はなんとかなるだろうと。それでも世の中は甘くないもので、浮かれていたオレの下に悪い知らせが届く。

 

 

 

 

 

 数刻後、南陽郡宛県は城内の謁見の間。

 

 矛を持った文鴦に連れられるのは二人の女。その姿を見た途端、オレは頭を抱えたくなる。

 

 下半身の褌がモロ見えな髪の短い女についてもツッコミたいが、一旦は置いておく。鋭い目付きで睨んできているが、オレ達がやったことを考えれば睨まれるのも至極当然だろう。

 

 問題はもう一人の女。どこか既視感を覚えるその容姿。スタイルの良い褐色肌。長く艶のある髪。その髪の色も瞳の色も、なんなら身に付けている衣服でさえもあまりに酷似している。

 

 どう見ても褐色肌の女は孫策の血族。つまり孫家の一員だろう。袁術が孫家の人間を固めずに分けたのは耳にしていた。裏切られないための人質か。それとも戦力を分散させるためか。

 

 郡内の他県を落とさない理由の三つ目はこれだった。早々に落としてしまうと孫家の関係者が逃げ遅れてしまう危険性があったためである。こうならないために攻め落とすのを遅らせたというのに、どうして今になってノコノコ捕えられているのか。なぜさっさと逃げ出していないのか。

 

「…………お前さん達は孫家の関係者だな。両方初めて見る顔だが、名前はなんて言うんだ」

 

 頭が痛かった。せっかく孫策一行が郡外に立ち去ったのに、これで戻って来るかもしれない。

 

「────ッ! 賊に名乗る名などない!」

「あっそ。ならいいや。どうするかな…………」

 

 目付きの鋭い褌女が威勢良く言い放った。そしてその表情には瞬時に怒気が帯びる。

 

 褌にばかり目を奪われそうになるが、褌女はかなり使えそうな雰囲気がある。パッと見だと丸腰のようだが帯刀しているオレや矛を持っている文鴦を前にしても臆した様子は無い。

 

 無手でも制圧する自信があるのか。それとも暗器でも忍ばせているのか。どうせボディーチェックもガバガバに連れて来たのだろう。なら仕込みがあると警戒するのは当然の流れか。

 

 しばしの沈黙が場を包む。誰も口を開かなかったしオレは孫家の血族を見て気持ちが萎えていた。褌女はオレとの距離感を頻りに図っている様子。隙を見せたら襲い掛かってきそうだ。

 

 オレは腰に帯刀している剣に目線を送った。孫家の関係者相手に抜いたら不味いが、どうせもう不味いことに変わりないだろう。出来ることなら穏便に済ませたいものだが、仕掛けられて流せる程の余裕もなければ、そんなに人間も出来てはいない。来るなら来い、と覚悟を決める。

 

 長い沈黙。それを破ったのは孫家の女だった。女は唾を飲み込むと一歩前に出て口を開く。

 

「…………私の名は孫権。字を仲謀。この子の名は甘寧。字を興覇…………だ」

「蓮華様!?」

「君は名乗ってくれるんだな。しかしまあ、孫権と甘寧ときたか。こりゃ本格的に不味いな」

 

 乾いた笑いが零れそうになる。そりゃこれだけ孫策と似ていれば姉妹ともなってしまうか。

 

 これほどの大物を一体誰が捕えて来たんだろうと考えるも、孫権と甘寧の二人には争いがあったような痕跡は見当たらない。抵抗をしないで捕えられたと見るのが妥当なところである。

 

 しかしそんなことがありえるのか、と疑問に思う。褌女こと甘寧も言っていたが、オレ達は外から見れば完全に賊のそれだ。女なら捕まれば薄い本も真っ青な展開だって頭に過ぎるだろう。

 

「頭領である貴方……いや、お前に一つ尋ねたい」

「ああ、オレのことか。まあ、聞くだけは聞いてやるよ。答えるかは知らんがな」

 

 あれこれ考えていると今度は孫権の方から質問が投げ掛けられた。そして孫権と目が合う。

 

「何故お前は此度の騒ぎを起こしたのだ」

「説法でも聞かそうってか。今更そんな…………」

「そうではない。領主の袁術に不満があったにせよ、もっと違う方法があったんじゃないか?」

 

 その発言を聞いたオレは首を傾げた。二言目に続く言葉にしてはどうにも違和感がある。

 

 これまでの捕虜なら対面しても反乱を起こしたことを罵倒してくるか単純に命乞い。または自分の処遇を聞いてくるパターンが圧倒的に多い。この手の質問をされるのは初めてだった。

 

 高度な煽り文句かとも考えたが、どうも孫権は真面目に尋ねてきているようだ。意思の強そうな蒼く澄んだ瞳をしている。その瞳にはなぜか敵意の色は無く、ただ真っ直ぐにオレを見ていた。

 

「オレは別に袁術に不満なんてないぞ。ただ城を落とせる自信があったから落としただけだ」

「…………飢えた領民のために?」

「それは理由の一つに過ぎん。まあ、時世に合わせただけさ。今は悪魔が微笑む時代だからな」

 

 良く言えば領民のため。悪く言えば金のため。後は責任を押し付けて好き勝手にしたかった。

 

 何か理由を述べるならそんなところか。ただ早速ながらに悪さをしたツケが回ってきそうでウンザリする。巡り合わせが悪いと捉えるか、こうなるのも当然と捉えるかは難しいところだ。

 

「しかし孫権はどうして捕まったんだ。横の甘寧がいれば逃げ出すぐらい訳も無いだろう」

「逃げ出すとはなんだ貴様!?」

「思春、落ちついて。確かにお前の言う通りだ。私達は自ら進んでこの城へきた。私は────」

 

 見極める必要がある、と孫権は呟いた。

 

「とにかく月影。しばらくの間、世話になる」

「世話になる? もしかして居座るつもりか?」

「食い扶持は用意するし邪魔立てもしない。城の空いている部屋を一つ貸してくれればいいわ」

 

 そう言い残すと孫権は、オレの返事も聞かず下を向いて謁見の間から歩き去って行った。

 

 孫権の思わぬ言葉に呆気に取られる。孫権ってこんなぶっ飛んだ性格をしているのかと。だが呆気に取られたのは甘寧も同じようで、孫権の後を追うことを忘れ無防備に立ち尽くしていた。

 

「やけに肝の据わった姉ちゃんだな。大将の名を知っていたが、もしかして知り合いか?」

「いや、知らん。名乗ってないよな。別に名前ぐらい知っていてもおかしくないが…………」

 

 オレは長くこの付近の地域を中心に活動していた。だから名前ぐらいと思わなくもない。

 

 文鴦だってオレの名が売れたから腕試しを挑んで来たこともある。ここへ来る途中でウチの連中の誰かから聞いたのかもしれない。だが、なんだろう。孫権の態度に妙に違和感を覚えてしまう。

 

「おう、甘寧。ボーっと突っ立ってるとこ恐縮だけどオレ達って初対面だよな」

「なっ!? 気安く話しかけるな! 私は貴様のことなど知らん。人心を惑わす逆賊め!」

 

 ハッと我に返った甘寧。その口は悪いがこっちの方が当然の反応に思えてしまう。

 

「ともかく蓮華様の仰った通りだ。非常に遺憾だがこの城で一番の部屋を直ちに用意しろ!」

「え、何言ってんだよ。お前達は捕虜だぞ?」

 

 捕虜にそんな待遇をするわけがないだろう。

 

 ましてや相手は孫権に甘寧ときた。他の連中ならまだしも猛獣を野放しするのは危険過ぎる。

 

「二人共簀巻きして牢にでもぶち込むかな」

「な、なんだと!?」

「大将の言う通りだな。そんで孫家の連中や官軍がやって来た時に矢避けの盾代わりとするか」

「くっ…………殺せ!!」

 

 様式美の流れだ。まあ流石にそんなことはしないが、ここへ残られると非常に困ってしまう。

 

「それが嫌なら孫権連れて出てってどうぞ。馬も道中の路銭も用立てしよう。返済もいらん」

「…………なぜそう極端に変わるんだ。至れり尽くせり過ぎて裏を考えずにはいられん」

「孫家とかち合うのは困るんだよ。お土産でも渡すから宜しく伝えといてくれ。マジで切実に」

 

 いくらか物騒なことを言って脅しはしたが、この二択なら誰もが迷わず後者を選ぶだろう。

 

 フンと鼻を鳴らして甘寧が立ち去った。決して悪い話じゃないと思うがどうなるか。甘寧は孫権を様付けで呼んでいたし護衛のような立ち位置だった。おそらく決定権は孫権にある。

 

 となれば孫権の一存で決まるはずだ。なんだか掴みどころの無い女だったが、英傑というのはあんな感じなのだろうか。思えば以前街で見かけた孫策も昼間っから酒ばかり飲んでいたが。

 

「で、大将はどうなると思うんだ」

「普通はあれだけ言えば出て行くが、おそらく二人は残るな。理由は謎だがそんな気がする」

 

 文鴦の言葉にオレは返事を返す。理由はわからないが二人が城に残るような予感がした。

 

 

 

 

 

 そして幸か不幸かその予感は的中してしまう。翌日以降も孫権と甘寧は城に残った。

 

 魏延は仲間が増えたと喜んでいたけどオレは複雑だった。二人をどう扱えばいいかわからない。邪魔立てしないと孫権は言っていたが正直なところ居るだけで既に邪魔だ、と思ってしまう。

 

 四六時中、城の中で野生の虎が放し飼いされているような状況。ただでさえ気が休まらないのに余計に悪化しそうだ。慣れればサファリパークと楽しめるのだろうか。そしてもう一つ────。

 

「お頭どうしたんです。剣柄なんて握って」

「いや、なんだ。一瞬なんか気配がしたような」

 

 孫権と甘寧がやってきた翌日からだろうか。

 

 昼夜を問わず、オレは背中に薄い影が伸びているような違和感を感じ取るようになった。

 




 原作二年近く触ってないので細かい設定やキャラ同士の呼称等が怪しいです。
 犬が苦手なの焔耶だったか蒲公英だったか考えるレベルで、風が頭に乗っけてるホウケイの口調とか覚えてません。恥ずかしながら色々間違えて書くこともあるかと思われます…………。


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第三話

 

 孫権と甘寧が城に居座り始めて一週間が経ったが、意外にも変わりなく平穏を保っている。

 

 隙を見せれば斬りかかって来るんじゃないかと警戒もしていたが、孫権の邪魔立てしない発言は本当だったようだ。少なくともオレの知る限りでは何か問題があったということはない。

 

 そして豫州へ放った間者の報告によれば、意外にも孫策達がこの地へ戻って来るような様子はない。孫権と甘寧の行動を孫策は把握していないのか。それとも戻って来るような余裕がないのか。あるいは姉妹仲が良好ではないから放置しているのか。はたまたそれ以外の理由があるのか。

 

 意外なこと続きだが事態はそう悪くもなさそうだ。都では朝廷がようやく重い腰を上げ、討伐軍を編成しているとの話だが、これは意外でもない。黄巾賊の蜂起から考えれば遅いぐらいだ。

 

 討伐軍の標的はまず黄巾賊で間違いないだろう。黄巾賊に扮している以上、この地へも来るだろうが優先度はどの程度か。張角のいる場所が既に割れているなら、そこが最優先のはずだが。

 

「都から南陽郡へと入るには北の伏牛山脈を通るのが基本。山路は険しい道が続くが…………」

 

 都からこの地へ向かうには河南の伏牛山脈を通り抜ける必要があるはずだ。

 

 傾斜の激しい山路の難行は、行進する兵士の体力を大きく奪い士気を落とす。万全に越えたいなら春か秋が望ましい。夏は灼熱の暑さが襲いかかり、冬は険しい雪山を行進するハメになる。

 

 真夏や真冬の進軍を好んでは選ばないだろう。河南の伏牛山脈を避けるなら迂回して豫州方面から入って来る選択肢もある。豫州は黄巾賊が非常に盛んな地域なので官軍の足止めが図れる。

 

 今が夏か冬であれば討伐軍は豫州からの進軍路を選び、一先ずは豫州の黄巾賊が討伐軍と戦って時間を稼いでくれる、と安易に楽観視して構えてもよかったが、残念ながら今は三月下旬。攻め込むには打ってつけの時期だ。むしろ優先してこの地へ討伐軍を派遣して来る可能性が高い。

 

「官軍に本気出されたら賊が勝てるわけないんだよな。乾坤一擲の大勝負を挑む気もないし」

 

 城を落とした当初は七千程だった兵も、一郡を落とした今となっては数を増やしている。

 

 日を追う毎に何処からともなく荒くれ者共がワラワラと集まって来る。以前は色々な地域を行き来していたこともあり、他郡に住むちょっとした知り合いの顔も数多く見かけて驚いた。

 

 やって来た知り合いに『なんで誘ってくれないんだ』とキレられた時は思わず苦笑い。物見遊山もここに極まれだ。頼りにはなるだろうが本当に脳筋の気質が強い連中ばかり。ひょっとするとそのうち他州からも流れて来るかもしれないが、軍師を任せられそうな人材には期待できない。

 

 後は志願兵も含めて総兵数は一万と数千。数が増えると兵糧の備蓄も考えなければいけないのが辛いところだ。大盤振る舞いで領民に食糧を配ったが、少しやり過ぎてしまったかもしれない。

 

「商人の伝手を探るか。それとも気は進まないが他郡で略奪。いや、略奪はちょっと…………」

 

 どうしたものかと唸りながら一人で城内を闊歩する。先行きは依然として暗いままである。

 

 

 

 

 

「なーなー甘寧。お前だって暇だろ?」

「私は貴様の相手をするほど暇ではない」

「いいじゃん。ちょっと鍛錬の相手しろよ!」

 

 城内を歩き回っていると庭先で魏延と甘寧が話をしている姿を見つけて足を止める。

 

 パッと見たところ甘寧が魏延に絡まれているようだ。甘寧は孫権の護衛という話を耳にしたが、この場に孫権の姿は見かけない。唯一の護衛がその対象から離れていて大丈夫なのだろうか。

 

 甘寧は初日から変わらずオレ達に対して厳しい態度を崩していないが、ウチの連中はそんなのお構いなしで甘寧に話しかけている。身のこなしや佇まいから強者ということを察したのだろう。

 

「だから暇ではないと言っているだろう。つい先程も別の者に同じことを言われたぞ」

「じゃあさ。また暇な時でいいから頼むよ」

「この城は戦闘狂だらけだな。しかし毎度断るのも面倒だ。ここは一つ、ふむ───── 」

 

 強者と見れば戦いを挑まずにはいられない。オレには謎だがそんな連中がこの城には多い。

 

「なんで甘寧はそんなに嫌がるのさ」

「ふふっ簡単なことだ。私は弱い者いじめが嫌いでな。貴様らを相手にしてられんのだ。許せ」

「な、なんだと! 聞き捨てならんな!!」

 

 少し考えた甘寧は挑発気味に言い放った。

 

 甘寧はウチの連中と馬が合うのだろうか。言葉や目付きは鋭いが僅かに口元は和らいでいた。挑発が決まって愉悦に浸っているようにも、このやり取りを楽しんでいるようにも見える。

 

 どちらにせよ魏延は挑発にモロ乗りの様子。放っておいてもよかったが、やはり面倒になる前に止めるべきかと近づこうとした際、肩にポンと手を置かれて振り向くと文鴦が立っていた。

 

「大将。ここは一つ、オレに任せてくれ」

「そうか。なら小娘共に貫禄を見せてやれ」

 

 そう言うと文鴦はズンズンと二人の方へ歩いて行った。どうにもあまり良い予感はしないが。

 

「まあ、落ちつけ魏延。そうカッカするな」

「アニキ! こんなこと言われちゃワタシだって黙っていられませんよ!!」

「ほう、文鴦だったか。いかにも猪武者な風貌だが、力の差を正しく理解しているのだな」

「勿論だ。確か弱い者いじめが嫌い、だったな」

 

 そりゃそうだろ、と文鴦は続けた。

 

「いじめられるのは誰だって嫌いだよな」

「─────なっ!?」

「お前の予想は正しい。無理に鍛錬に付き合って怪我でもしちゃ大変だもんな。わかるよ」

 

 ガッツリ甘寧を挑発する文鴦。面倒事の芽を摘み取るどころか即座に水をかける有様。

 

 肝が太いというか無鉄砲というか。どちらにせよ予想を裏切らない男である。そして文鴦はデカいことを言うだけの力を兼ね備えている。甘寧相手でも決して見劣りしない力量のはずだ。

 

 文鴦や魏延を筆頭に武官の駒は揃っている。足りていないのは優秀な文官の存在。皆無といっていい。この欠点を補わないことには先行きは暗い。そして補うにはどうするべきだろうか。

 

「ヒュー! 流石はアニキだぜ!」

「吠えたな文鴦! そこまで言うなら貴様らの実力を見せてもらおうか。相手をしてやる!」

「いいぜ。かかってきな。話に聞いた孫家の将ってのがどの程度なのか、このオレが見てやるよ」

 

 今にも剣戟が聞こえてきそうな庭先。こうなれば止めるのも難しいし何より面倒くさい。

 

 一応は鍛練という名目だったはずだし大丈夫だろう。死なない程度に比武を競って仲良くなるならそれもいい。そう考えたオレは声をかけることもなく、静かにその場から離れて行った。

 

 

 

 

 

 城内を歩くことにも飽きてきたので外へ出ることにした。春は散歩するには良い季節である。

 

 以前に比べるといくらか活気が戻った街を歩いて回る。心なしかガラの悪い連中の姿が以前にも増して目につくが、これは治安が悪いのかオレが悪いのか悩ましいところである。

 

 街を歩いて声をかけられたら返事を返し、領民に対して偉そうにしている荒くれ者を見つけては頭を叩いて回った。食が行き届いて余裕が出たのだろうか。街全体の雰囲気は悪くない。

 

 街を歩き、やがて端の城門まで辿り着く。門の前には衛兵のような見張りが数人立っていて、オレを見つけると親しげに話しかけてきた。十数分ばかり話をして、さて今からどうしようかと城壁を見上げると孫権の姿が目に止まった。

 

「孫権か。あんなところで何してるんだろ」

 

 城へ引き返そうかと思いもしたが、孫権の姿を見つけて城壁の上に登ることを決めた。

 

 壁の内から階段を上がって城壁の上に立つ。上がった先は孫権の居る場所からは少し離れていたが、一先ずオレは城壁の上から壁の外を見た。もし籠城すれば討伐軍はどう攻め込んで来るか。

 

 東西南北にある四門は当然堅く閉ざす。そうなると討伐軍は梯子や雲梯を使ってよじ登って内から門を開くか、それとも攻城兵器を用いて外から門を破壊するかの二択。そして門が開くか壊れれば騎兵を突入させて一気に中を制圧する。力攻めで城を落とすならこれが一般的のはずだ。

 

 搦め手なら内通者を利用するか。それとも城の四方をガチガチに囲んで兵糧攻めにするか。籠城するなら日々の生活に使う薪や水も城外から事前に集めなければならないだろう。

 

 城には長く籠城する蓄えは無い。野戦に打って出るにも古参の連中は腕利きだが、その後に集まった兵士達がどれだけやれるか疑問が残る。当たり前かもしれないが百姓が多く練度も低い。

 

 鍛えるにしても最低半年は欲しいが、黄巾の乱は何時まで続くのだろう。乱が五年も十年も続くことはないだろうが、一月で収まることもないはずだ。半年から一年程度と考えるべきか。

 

「…………討伐軍が豫州方面から来るなら一月から三カ月程度の猶予は見込めるが、伏牛山脈を越えて来るなら早ければ来月中もある。遠征の疲れが残るうちに虚を突いて叩きたいが…………」

 

 良い策が思い浮かばない。やっぱり戦わずに逃げ出すのが一番正しいように思える。

 

 こちらが十全に備えているとわかれば討伐軍も気を引き締めるだろう。斥候や偵察を出さなければ馬鹿な賊と油断させられるかもしれないが、相手のことを一切知らないのは危険過ぎる。

 

 兵数や将の名前。後はこの地へやって来る日時ぐらいは大まかにでも知っておきたい。だがこちらだけでなく向こうも斥候を放つ以上、勘付かれずに相手を探るなんて真似は非常に困難だ。

 

 城壁の外を眺めながら思考を巡らせる。やがて日は西に傾き空は赤みを帯び始めた。しばらくの間どうしたものかと考えていると、春の柔らかい風と共に甘い香りが頬から鼻へと通り抜けた。

 

「お、孫権か。どうかしたのか?」

「いや、特に用は無い。貴方が難しい表情をしていたから、なんとなく近づいただけよ」

「そうか。色々と考えることが多くてな。ウチの連中は頭を使うのが得意じゃないからさ」

 

 甘い香りのした方向を振り向くと孫権がいた。孫権の褐色肌が夕日によく映えている。

 

 孫権は甘寧とは違いウチに馴染んでいるようには思えなかった。甘寧以外と話をしている姿も見なかったし、いつも何か考えている様子だった。こうして近づいて来たことにも驚きを覚える。

 

 孫権と甘寧の二人がやって来てから一週間が経ったが、孫権は未だに掴みどころのないままだ。甘寧はなんとなく性格がわかってきたが、孫権は初日から変わらず謎が多い。オレが孫権について知っていることといえば美人。そして実に扇情的で見事な胸を持っているということだけだ。

 

「なに? どうかしたの?」

「いや、なんでもない。ホントなんでも」

 

 チラッと視線を顔から胸へと落とす。少し表情が緩んだのか孫権が疑問の声を上げた。

 

「ところでこんな場所で何してたんだ?」

「少し風に当たりたくなって。そういう貴方は? 供も連れず一人でいるようだけど」

「ああ、ウチの連中なら今頃城で暴れてるだろうな。甘寧も参加してたが勘弁してやってくれ」

 

 そう言うと孫権は心配そうな表情を浮かべたが、オレが大丈夫だと言うと柔らかく微笑んだ。

 

 なんだか初日に比べると態度や口調がかなり軟化しているように思える。この一週間の間に孫権と話をした覚えはなかったが、一体どういう心情の変化だろう。やっぱり孫権は謎が多い。

 

「ところで孫権は────────ん?」

 

 いくつか質問してみようと思った矢先。また背中に影が伸びているような違和感を感じた。

 

 咄嗟に剣柄に手が伸びそうになる。ここ最近、毎日のように何度も感じていたが今日はこの時が初めてだった。誰かに見られていることは薄々察せたが、正確な場所までは判断できない。

 

 城を落とした手前、思い当たる節が多過ぎて却って候補が絞り切れない。刺客か間者か。刺客なら今は孫権が巻き込まれるから後にして欲しいと思った瞬間、ふと違う考えが頭に浮かぶ。

 

 護衛の甘寧と離れて孫権が一人で城壁にいるというのはどうなんだろうと。城内で見た甘寧の様子からは、孫権がこっそり甘寧の目を潜り抜けて一人になったという雰囲気ではなかった。護衛を付けなくても大丈夫なんて信頼されていることはないだろう。だとすれば影の正体は─────。

 

「どうかしたの?」

「なんでもない。そう言えば君の姉ちゃんの軍だけど、豫州へ入るのかと思ったが…………」

 

 他県に囚われていた孫権と甘寧の二人は孫策の今の動きを知らされていないはずだ。

 

「南陽郡から漢水に沿って南下しては江夏郡へ入ったみたいだな。そこで無双してるって」

「えっ? そうなの。私は豫州に入って汝南郡辺りを目指すって聞いたけど、違ったかしら」

 

 カマをかけてみると見事に引っ掛かった。言っていることはオレより孫権の方が正しい。

 

 孫権は孫策の情報を正しく持っている。甘寧も知らないはずだから第三者が孫権に伝えたと考えて間違いないだろう。影の正体が孫家の関係者ならば、甘寧が護衛を離れたのも説明がつく。

 

 最初に影を感じたのも二人がやって来た翌日だった。今日一日なんともなかったのも甘寧がオフで孫権が外に出ていたのなら合点がいく。絶対とは言い切れないが、これが最有力候補だろう。

 

「そうだっけ? ウチの諜報なんてホントいい加減だからさ。方向ぜんぜん違うじゃないか」

 

 そう言って軽く笑い飛ばしてみる。さて影の正体に検討がついたがどうするべきか。

 

 普通なら後顧の憂いは断っておきたいが、正直憂いだらけなので今更である。孫家の関係者が刺客なら二対一で戦える今を逃す手はないはずだが、孫権にはそんな素振りが欠片も見えない。

 

 なら刺客というよりも影の護衛兼スパイみたいなものか。オレの感覚はけっこう鋭い方だと思うが、知覚し切れないのは気にはなる。確かに気にはなるが、わからないものは仕方ないだろう。影の護衛なら聞いても存在を教えてはくれないだろうし、敵じゃないのなら別にそれでいい。

 

「ま、気にしても仕方ないか。ところで孫権に聞きたいんだけど、なんで甘寧って褌なんだ」

「ええ!? あ、あれは立派な正装で…………」

 

 それからも孫権とポツポツ話を続けた。孫権は聞いたことには一生懸命答えてくれた。

 

 いくらか話し込んでいると西に傾き始めた日がそろそろ落ち始める。気温も下がり出したのでそろそろ戻ろうかと声をかけると、孫権は少し考えてからオレの目を見て口を開いた。

 

「貴方は昔に比べると陰が薄くなったわね」

「陰?」

「…………ええ、そうよ。残念ながら貴方はもう覚えてはいないみたいだけど─────」

 

 どこか意味深な響きを感じる声色だった。

 

 だが孫権の話の途中でどこからともなく一匹の猫がやって来てはそれが全てを止めてしまう。

 

「私は二年前、貴方に一度─────」

『────────っ! お猫様です!!』

 

 いないはずの第三者の声が大きく響き渡る。声に驚いて走り去る猫以外の時間が止まった。

 

 一瞬。いや、数秒ばかり目の端に黒く長い髪が棚引いているのが見えるも、振り向いて見ると影も形もなかった。物凄く素早い動きで隠れたようだが、流石にもう言い逃れはできんだろう。

 

「今さ、誰かいたよな?」

「…………はあ。私は見てない。猫ではないか」

「─────っ! にゃ、にゃ~あ…………?」

 

 孫権の言葉に呼応するように猫の鳴き声が、オレが上がってきた階段の方向から聞こえる。

 

 非常に猫に似た声色だった。中々に巧みな一芸だが騙される程オレは耄碌していない。絶対に誰かがいる。それでいて孫権が庇ったことから、九分九厘孫家の関係者で間違いないはずだ。

 

 さて、どうしようかと考える。ここにきて白を切り通そうとする意気込みは認めるが、見逃してやるわけにはいかない。バッチリ気付いた以上は追及するが、しかしもう少し遊んでもみたい。

 

「猫なのか。馬の尻尾のような黒い髪が見えた気がしたら、オレは絶対に馬だと思うんだが」

「そうか。私もそんな気がしてきたな」

「─────っ! あ、あうあう…………」

「もし馬なら納得がいくんだけどな。違ってたら面倒だけど調べなければならんが…………?」

 

 オレはニヤニヤしながらも警戒を怠らない。

 

 利き手を小まめに動かしながら一応は備える。孫権の方をチラッと見ると額を押さえながら小さくため息を吐いていた。なんとも意味深な話の途中だったが次の機会に聞けばいいだろう。

 

「ヒ、ヒヒーン…………?」

「ぜんぜんやる気が感じられないな」

「ヒ、ヒヒーン! ブルブルブルブルル! フーフーフー。ヒヒヒーン! ブルブル…………?」

 

 即興で振ったにしては完成度が高く、思わず噴き出しそうになってしまった。

 

 孫権も両手で口元を覆っては小刻みに小さく震えていた。実に見事な馬っぷりだった。素晴らしさのあまり見逃してもいいかなと思いもしたが、やっぱりそういうわけにはいかない。

 

「馬がこんな場所に居るわけないだろ。馬鹿なことしてないで出て来い。引きずり出すぞ」

「─────っ!?」

「ふふふっ。良いわ明命。出てきなさい」

「は、はい。蓮華様がそう仰るなら…………」

 

 ついに観念したのか階段の影からトボトボと力無く少女が一人現れた。

 

 黒く長い髪に額当てをした少女。額当てや服装。それと背中に長刀を抱えていることから忍びのような印象を受ける。忍びだったら気配を断つことぐらい訳も無いことかと勝手に連想する。

 

「でも蓮華様! この人酷くないですか!?」

 

 それでも猫に釣られて見つかるなんて、忍びというにはなんともお粗末な登場の仕方だが。

 

 隠密娘の周泰。後々に黄巾の乱の時を思い返せば、周泰の存在は官軍と渡り合う上で欠かせない存在であったと確信できる。情報戦という舞台において周泰の隠密力は絶大な効果を発揮した。

 




 見切り発車のつもりでしたが、意欲が湧いたので書き続けようと思います。遅筆なもので更新は週一。多くても週二程度しか出来ませんが、何卒宜しくお願いします。


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第四話

 

 猫で忍者が釣れた。喜劇の一幕みたいな問答を交わした後、目の前の二人を眺める。

 

 影から現れた忍者とその上役であろう孫権。孫権は甘寧からも忍者の少女からも様付けで呼ばれている。孫家は袁術の客将の地位に甘んじていたはずだが、配下は粒が揃っているようだ。

 

「だから離れていなさいって言ったじゃないの」

「ですが蓮華様。いくら蓮華様の御言葉でも二人っきりにするのは流石に心配でして…………」

「それに馬のマネなんてして…………ふふふっ」

「わー! どうか思春殿にはご内密に願います」

 

 基本的にこの世界では仲の良い者同士は互いのことを真名で呼び合うのが通例らしい。

 

 しかし第三者の立場だとそれが真名なのか字なのか姓名なのか判断がつかないことが多い。うっかり釣られて真名を呼んでしまうと首を刎ねられても文句が言えないというデスワードである。

 

 首を刎ねられたら文句なんて言えないが、なんとも物騒な文化である。うっかりには気をつける必要があると思う反面、戦術的に使えないものかとも考える。例えば戦場にて籠城する敵を誘き出すために、その者の真名を調べ上げ、執拗に連呼して挑発してみるというのはどうだろう。

 

 効果覿面な手段ではないかと思う。それでも真名とは神聖なものらしいので、非人道的な行為と敵味方問わず非難されるのだろうか。文化の違いというのは難しくどうにもピンとこない。

 

 オレが黙っていると孫権と忍者の少女はいつまでも話し込んでいる。話が終わるまで待っていてもいいが日が落ちかけている手前、早く城へ帰りたいので二人の会話に割って入ることにした。

 

「で、そろそろ説明して欲しいんだけど」

「あ、そうだったわね。どう説明したらいいかしら。まずこの子の名前だけど…………」

 

 周泰、と孫権は教えてくれた。字は幼平。どうも周泰は隠密担当であるとのことだ。

 

 聞いたことのある名前だった。呉の武将だろう。甘寧と同じぐらいの知名度だと思うが、周泰が隠密だということは知らなかった。全体的に呉の将は蜀や魏の将に比べると印象が薄い。

 

 軍師の周瑜や陸遜は火計の印象があるが、武将の方はなんともいえない。大国なんだから強くて優秀なんだろうけど、蜀の関羽に張飛に趙雲。魏の夏侯惇に張遼と比べたらどうだろう。劣っているとまでは言わないが勝っている気はしない。どうもオレは呉を過小評価している節がある。

 

 袁術の客将が蜀や魏の面々だったら城を落とそうだなんて発想には至らなかったはずだ。孫策を見て争いを避けるべきと口にしておきながらも、戦う場合のこともちゃっかり想定していた。

 

 既に孫堅が死去しているということも呉の評価に影響を与えたのかもしれない。甘い認識は早急に改める必要があるとも思うが、周泰の登場シーンを見てしまってはなんとも悩ましい。

 

 あるいはこれもオレを油断させるための高度な擬態なんだろうか。さっぱりわからない。

 

「隠密。隠密ねえ。その割には猫に釣られてノコノコと出て来たようだが…………?」

「う、うう…………。お二人が和やかに話されていたので、不覚にも油断してしまいました」

 

 オレの言葉にガックリと肩を落とす周泰。だがその隠密力は確かなものだと思う。

 

 背中に影を感じてからというもの正体を突き止めようと探ってみたが、結局この時まで何も掴めていなかった。文字通り影も形も無く、いつも煙のように痕跡も残さず姿をくらまされていた。

 

 そもそもオレ以外は気配すら満足に感知出来ず仕舞い。気になっていたが周泰が忍者ならば納得がいく。忍者の由来は日本だろうが、似たような役割ぐらい何時の時代にもあるだろう。

 

「しかし大した隠密だな。オレも近くにいるって気配を感じ取るのがギリギリだった」

「─────っ! そ、そうですよ! どうして遮断した私の気配がわかるんですか?」

「どうしてそんなことを聞いてくるんだ? 気配がわかることに深い理由なんてないけど」

「具体的に聞かせて下さい!」

「いや、具体的にって言われてもだな…………」

 

 なぜか食い気味に尋ねてくる周泰。孫権をチラッと見るも興味がありそうにしている。

 

 具体的にと言われても本当に理由なんてない。オレは自分でいうのもなんだが感覚が鋭い方だと思う。それは先天的に備わっていたというよりも、この世界へ来てから後天的に得た物だ。

 

「…………例えばの話だけどさ。器の表面ギリギリまで水を注ぎ、それを手に持って運ぶとする」

「はい! 運びます!」

「うん。少しの振動でもすぐに零れそうな水だけど、幸いにも目的地まで零さずに運べました」

「やりましたね!」

「お、おう。それで誰でもいいや。辿り着いた目的地で誰かに『なぜ水は零れなかったんだ』と聞かれたとしよう。正しい回答はなんだと思う?」

 

 深く考えずに出したにせよ、我ながら意味不明な謎かけだと思う。だが答えは単純なものだ。

 

「注意して水を運んだからですか?」

「それもあるだろうな」

「零れないコツを知っていたからですか?」

「それもあるけど答えはもっと単純だ。そもそも水が零れていたら質問自体されてないだろ」

 

 この世界へ来てから後天的に得た物、というよりも自然と身に付いたといった方が正しいか。

 

 斬った斬られたの世界。そんな世界で生きて行く上で鈍いなんて論外。危機回避能力なんてものは大なり小なり誰にでも備わっているものだが、オレはその程度が人より優れていたというだけ。

 

 早い話が元々弱かったオレは鈍けりゃとっくに死んでいた。今日までこうして生きて来られたから腕も磨かれたし感覚も鋭くもなった。だから周泰の気配に気付いたことにも理由なんてものはない。ただ気付いたから反応しただけだ。逆に気付かない理由を答えろと言われて困るだろう。

 

「要するにそういうことだな」

「え、ぜんぜん具体的じゃないですけど?」

「悪いな周泰。もう暗いし長々話すのも面倒でさ。ところでだが、なんか縛る物持ってない?」

「は、はあ。縛る物ですか。短いですが縄なら持っていますが、何かに使うんですか?」

「ま、ちょっとな。すぐに返すから貸してくれ」

 

 頭を捻って考えなくてもこれでいい。相手に考えさせて注意を逸らさせることに意味がある。

 

 疑問符を浮かべる周泰はオレの申し出に戸惑いながらも懐から縄を取り出して渡してくれた。肌の温もりがする縄を受け取っては、二度三度伸ばしてみたりして強度を確認してみる。

 

「助かるよ。ついでに一つ頼みがあるんだけど、両手を開いたまま重ねて前に出してくれるか」

「こ、こうでしょうか?」

「そうそう。やっぱ隠密なら縄ぐらい持ってるのな。本当は手錠でもあればよかったが…………」

 

 そう言うとオレは顔に笑みを張り付けたまま流れるように周泰の手首に縄をかける。

 

 鼻歌交じりに複雑に括りながらも肌に痕が残らないように微調整も怠らない。逃がすわけにはいかないが肌に痕を残すのも忍びない。どっちも正確にやらなきゃいけないのが辛いところだ。

 

「明命。貴女ねえ…………」

「あれ? 私なんで縛られてるんですか!?」

「そりゃ周泰さんよ。オレしか認識できない存在を見す見す野放しにはできんだろ。はい、確保」

「わ、私はどうなってしまうのでしょうか!?」

 

 周泰がこの場に出て来なかったらスル―していただろうが、出て来たならば捕まえる。

 

 当然のことだろう。孫権も甘寧も、そして周泰もオレ達に対して特別敵対的ってわけじゃないが、かと言って味方でもない。味方じゃない凄腕の忍者を見つけたら見逃す手はないと思う。

 

 官軍の忍者だったら見つけたことを此れ幸いとこの場で始末する。在野の忍者なら口説いて雇用するのが一番だろう。なら中立気味の他所様の忍者ならば、どうするのが正しい対応だろうか。

 

 牢にぶち込むのが一番無難っちゃ無難だと思う。縄をかけた今なら楽に斬れるだろうが、斬っても良い事なんて一つもない。牢に入れて無力化を図るか。あるいはここは一つ──────。

 

「簀巻きして牢にでもぶち込むか」

「─────っ! 様式美の流れですよね!?」

「いや、割と本気。見逃して次また捕まえられる保証も無いし。まあ一年以内には出すからさ」

「長すぎますよ! あ、あの虫の良い話とは思いますが何か見逃してもらう手立ては…………?」

 

 隠密に特化した凄腕の忍者。先に迫った討伐軍の件もある。この機を活かさない手はないか。

 

「だが簡単に許すのも沽券に関わるし」

「そこをなんとか一つ! 孫家に不利益の出ないことでしたらなんでも致しますから!」

「お、そういうことなら話は別だな。ならば周泰。君のその隠密力を見込んで頼みがある」

 

 

 

 

 

 周泰を見逃す代わりに出した条件は一つ。都の動向をなるべく詳しく探ってくること。

 

 ウチから斥候を放っても警備が堅い場所になればなるほど帰還率は低くなってしまうはずだ。噂話程度ならどうとでもなるが、詳しく調べるとなれば深い部分まで忍び込む必要がある。

 

 そうなると並大抵のことでは情報を盗めないだろうし、盗んでも偽の情報を掴まされるかもしれない。情報戦で逆手に取られて一網打尽にされるなんて笑えない。数多く放てば正確性も増すだろうが、朝廷の警戒心も増すだろう。馬鹿な賊と思われるぐらいじゃないと色々と都合が悪い。

 

 その点、周泰は単独でも優れた力を発揮してくれるはずだ。隠密力もさる事ながら、史に名を残す将らしく腕も立ちそうな雰囲気がある。何気ない動作や体の捌きが実にしなやかで力強い。

 

「調べてくれば許して頂けるんですね!」

「おう、前向きに考えとく。とりあえずは討伐軍の兵数と指揮官。進軍経路が知りたいな」

 

 ただ問題があるとするなら、周泰のことをどこまで信用できるかという点だろうか。

 

 オレ達が討伐軍に大敗すれば主君の一族である孫権が巻き込まれる可能性だって十分にある。孫家の当主である孫策は他州で無双してるようだし、今は敵対する必要だってないはずだ。

 

 今すぐ裏切るような理由はない。それでも会ってすぐの相手を信用するというのも無理のある話だ。あまり多くの期待はしない方が双方の為だろう。無理して周泰が死んでも寝覚めが悪い。

 

「まあ、無理の無い範囲で探ってくれ。失敗しても気にしなくていいぞ。牢獄行きだけど」

「それでは戻って来られませんよ…………。ま、私は失敗しませんけどね! 任せて下さい!」

 

 それから少し話した後、元気の良い言葉と共に周泰はスッと闇の中に姿を隠し去って行った。

 

 なんだか妙に自信満々の周泰。今日は遅いから明日からでいいと言ったのに仕事熱心だ。あれだけ自信があるなら指揮官の闇討ちでも頼めばよかった。見つからないのなら凄く効率的だ。

 

 周泰が戻って来るまで何も動かないのは甘過ぎる。だが今日明日で事態が急展開することでもないはずだ。今日は遅いし城へ帰ってゆっくり休んで、明日また考えることにしよう。

 

「しかし、どこまで信用していいものか」

「その心配はいらないわ。あの子が貴方を裏切らないことは私の真名に誓って約束してもいい」

「真名に誓ってか。なら安請けしてるってわけじゃないのな。オレはその辺、詳しくないけどさ」

 

 すっかり明るくなった月を眺めながら、考えていることを口にすると孫権に声をかけられた。

 

 真名に誓ってとも言えばこの世界、嘘偽りがないことを表す最上級の約束になるのだろうか。オレはそこらの事情は未だにわかっていない。だが孫権は嘘をつきそうなタイプには見えない。

 

 孫権は謎の多い女だと思う。一週間前に出会った時は高圧的でもあったが、今日はどこか親しげだ。オレが周泰をパシらせようとしている時でも孫権は黙って横から口を挟むことはなかった。

 

 どうしてだろうと考える。聞けばあるいは話してくれるかもしれないが、協力的な関係であるのなら無理に詮索することもない。人は誰しも秘密の一つや二つ、胸に秘めているものだろう。

 

「周泰を勝手に借りて悪いな。お詫びにヘマして帰って来ても牢獄行きは免除するから」

「別に構わないわよ。牢獄行きは困るけど。あの子は自分の役目をしっかり果たしているわ」

「そうか。色々と気にはなるが、今はともかく目先に迫った山を越えることが最優先だ…………」

 

 ため息が漏れる。さてどうしたものか。

 

「貴方は本気で官軍と構える気なの?」

「向こうの数や率いる将によるが、一応はそのつもりだな。みんなやる気満々だし」

「勝っても負けても、きっと辛いことになるわ」

「面倒だが勝ってるうちは大丈夫だろう。オレは人を斬ることに理由なんて求めたりしないし」

 

 結局のところ勝てば全てが許される。逆に負ければどんなに高尚な志があっても駄目だ。

 

 わかりやすくて大いに結構。色々と面倒で正直気乗りはしないが、やるからには勝ちを目指すのは当然のことだ。官軍を二度三度と返り討ちにしてやれば、別の光明が見えるかもしれない。

 

 何か言いたげな視線を向ける孫権。少し待ったが口を開くことはなかったので、いい加減城へと戻ることにした。夜の風は変わらず冷たく、春と呼ぶにはまだいくらか早いような気がする。

 

 

 

 

 

 それからさらに一週間が経った。

 

 周泰が情報を掴んで戻って来たのでそれを元に作戦会議を始める。場所は城の謁見の間。理由は一番広いからだ。面子はウチの主だった面々。それと孫権と甘寧にも話があるから呼んだ。

 

「都から三軍の討伐軍が出る。南陽郡へ来る一軍は三万。総大将は朱儁とかいうジジイ」

「敵が三万なら一人で三人斬れば楽勝ですね!」

「お、おう。その計算だとウチもボロボロのズタズタになるんだけどホントに楽勝か?」

 

 周泰から得た情報を読み上げる。周泰はギリギリまで頑張らせるのでこの場にはいない。

 

 討伐軍は三方向へ軍を向ける。冀州方面と豫州方面。そして荊州は南陽郡方面。賊の勢力が強い地域に将兵を派遣するということだろう。理に適っているがその分、兵数は分散されている。

 

「討伐軍は河南の伏牛山脈を越え、魯山と雉、西鄂県を通って宛へ入る。まあ、そんなとこか」

「大将の予想通りってワケか」

「おう。回り道せず最短距離で真っ直ぐ来るみたいだ。さっさとこの地を鎮圧したいんだろう」

 

 お隣の豫州には正確な情報ではないが黄巾賊の数が五万から十万人もいると聞いた。

 

 本当に修羅の時代である。この地へやってくる討伐軍はこの地を早急に落としてそのまま豫州に入る狙いとのこと。攻城兵器も碌に揃えて来ず、兵糧だけは十分に運んでいるとの話である。

 

 要するにオレ達は舐められているがそれも当然か。南陽郡の兵は一万とそこそこ。決して少なくはないが他の方面に比べると大きく劣る。都から距離が離れていれば討伐軍を寄越すことなく、隣接する郡の領主に討伐を任せていたかもしれない。その方がオレ達も相手をするのが楽だった。

 

「そんじゃ作戦を発表するが、その前に…………」

 

 既に粗方作戦は一人で決めていた。報告のためにみんなを集めたのだが、嬉しい誤算が訪れる。

 

「お前らはなんか腹案ない?」

「そう言うと思って考えておいたぜ。オレと魏延。それに甘寧にも手伝わせた渾身の力作だ」

「本当か。よし、すぐに聞かせてくれ!」

 

 なんとなく振ってはみたものの期待はしていなかった。オレは自分の浅はかさを恥じる。

 

 脳筋脳筋と侮っていたが、やっぱりここ一番となると遊んでないでビシッと決めてくれるんだと。どうして甘寧も混じっているかは知らんが別に構わない。オレも周泰をパシらせてるし。

 

「まず先鋒のオレが三千率いて突っ込む!」

「おう」

「次に次鋒のワタシが三千率いて突撃します!」

「お、おう?」

「そして最後に月影。貴様が残った連中を率いて大将旗目掛けて突進すれば勝ちは手中だ!」

 

 文鴦、魏延、甘寧が続けて口を開く。作戦もなにも真っ直ぐ突っ込んでるだけじゃないか。

 

「お前ら正気か。戦力の逐次投入はやめろ」

「人がせっかく知恵を出してやったのに随分な言い草だな。それなら貴様が策を言ってみろ!」

「ああ、はいはい。そんじゃあまずは…………」

 

 甘寧に急かされたオレは用意していた作戦案を一から順に話してみた。

 

 成功するかはやってみなければわからない。相手がオレの想定よりも強ければ失敗する。逆に想定通りか以下なら成功する。要するに行き当たりばったりだが、オレ達は昔からこんな感じだ。

 

「…………貴様こそ正気か?」

「正気なら城なんて落とさんよ。孫権と甘寧は留守番な。敗勢と見れば南門から抜け出すといい」

 

 賽の目はまず投げてみないことには、出る目がどうなるかなんてわかりっこない。

 

「廖化は城壕を深くし、土塁を高くして守備を固めろ。周倉は城の四方に乾いた柴の束を積め。張燕は城外まで薪と水を集めてこい。文鴦、魏延、高順の三人は今話した通りだ。よし、やるぞ!」

 

 応、と勇ましい声が揃う。さて、この地へやって来る官軍はどの程度の力量なんだろうか。

 

 もし討伐軍の中に後の世で名を残すような猛将が混じっていたら不味いなと思う。それこそ呂布でも居たらどうしようと考えるも、その時はその時になって対処するしか仕方がないだろう。

 

 兵士一人一人の名前まで調べることは流石に不可能だ。だが逆にこうも思う。そこらの有象無象相手に死ぬのはご免蒙るが、天下の呂布に斬られるのであればそれも悪くないかもしれないと。

 

 

 

 

 

 中平一年(184年)三月。南陽軍が宛県で蜂起。月影率いる精鋭は半月で一郡を平定する。

 

 同月。朝廷は何進を大将軍として洛陽の守護を命じると共に、冀州方面へ盧植。豫州潁川方面へ皇甫嵩。荊州南陽方面へ朱儁。三名を北、左、右中郎将とし、賊の勢力が強い地域へ派遣する。

 

 四月。右中郎将、朱儁は三万の軍勢を率いて南陽へ進軍。同月、宛県にて南陽軍と激突。

 



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第五話

 

 小が大に打ち勝つには、戦いが始まる前段階から勝つための条件を整えておく必要がある。

 

 五分の条件で戦えば負ける。事前に優位を築いてこそ勝ちの目が見出せる。月影が討伐軍との緒戦において最も重要視したのは、兵の数でも練度でもなく如何に敵を欺けるかであった。

 

 月影は討伐軍相手に正面から戦う気など端からなかった。それは兵の数や質が同等であっても同じことだ。戦いに勝ったとしても自軍の損失が多ければ、それは敗北に等しいと考えていた。

 

 仮に自軍の兵が半数に減れば最悪の場合、次の戦いはその半数で挑むことになる。新たに徴兵したり志願兵を募ることで数は補えるかもしれないが、確実に集まる保証なんて有りはしない。それにただ討伐軍を追っ払って勝つというのは、自軍が消耗するだけで実益の無い戦いである。

 

 討伐軍三万に対して自軍は一万余り。非常に劣勢な状況ではあったが、強欲にも月影は戦いに勝った上で成果が欲しいと考えていた。見方を少し変えて見れば、討伐軍は宝の山でもある。

 

 三万の兵が長く行進するに足る兵糧。武器や防具を始めとした軍事物資。さらには貴重な馬。

 

 月影はその全てが欲しかった。それらを手にする絶好の機会は、討伐軍との緒戦において他にないと考える。こちらを油断させて巧みに欺き、賊らしく全てを奪い盗んでやろうと決意する。

 

 そのためには戦って勝つだけでは足りない。討伐軍を退けるのではなく、敗走へと追い込む必要があった。打てる手立ては限られていたが、成功率は緒戦こそが一番高いと月影は考えた。

 

「戦略の要諦は敵を欺くこと。意表を衝いて混乱させては撃破する。これが一番手っ取り早い」

 

 軍議の場で月影が話した作戦案は夜襲。

 

 討伐軍が遠征疲れで疲弊している初日の夜を狙い、その虚を衝くという作戦。一見すると効果的に思えるが、これはお決まりの戦法でもある。遠征軍が夜襲に備えるのは基本中の基本。

 

 荊州方面の討伐軍を率いる右中郎将の朱儁は十分に良将と呼べる人物だ。指揮に戦術、または兵站運用に至るまで高い能力を誇る。討伐軍の一軍を預けられるに足るたけの指揮官であった。

 

 朱儁の評判は周泰を通して月影の耳にも届いていた。評判なんて何時の世も都合良く誇張されがちなものであるが、月影は周泰の話を聞いて朱儁が決して無能な将ではないと判断する。

 

 月影は討伐軍を欺くために、その指揮官である朱儁の立場に立って考えた。そして自分が朱儁なら敵を知ることから始めるだろうと考える。敵の情報を知らなければ戦いなんて勝てはしない。

 

 例えば城に百万の兵隊がいるとわかれば、三万の討伐軍は刃を交えることなく引き返すだろう。その逆に百人しかいないと知れば、三万の討伐軍は一息の間に強引にでも攻め落とすだろう。相対する敵の強さによってその戦法を変える。なんてことない極々当たり前の話である。

 

 賊討伐の詔勅を授かった朱儁は、こちらの情報を十二分に調べ上げた上で攻め込んで来るはずだ。薄氷は踏まず石橋を叩いて渡りたいに違いない。大軍を率いる将ならそうするのが普通だ。

 

 朱儁は定石通りの方法を選ぶはず。そこに討伐軍の隙があると考える。それならば────。

 

「ウチの情報は敢えて垂れ流す。兵の数や兵糧の備蓄について探ってるヤツがいても見逃せ」

 

 間者、間諜と呼ばれる役割の者。要するにスパイがこの城に入り込んでいると月影は考えた。

 

 討伐軍の標的となる城であれば当然の如く調査は入るだろう。素性の知れない荒くれ者がやって来るような城である。潜入することは難しくない。間者は複数人いると考えるのが自然だった。

 

 情報を封鎖したり偽りの情報を流すことも可能ではあったが、見破られた時に打てる手が限られてくる。それならいっそ、全て正しい情報を送り込んだ方が対策が練りやすいと思い至る。

 

「向こうは三万。こっちは一万。野戦じゃ勝ち目が無いから籠城する。普通の発想だよな」

 

 月影は正しい情報を送り込むことで相手の動きを逆に縛りつけることにした。

 

 城壕を掘って塁を固めること。城外まで薪や水を集めに行ったこと。兵に攻城戦の鍛練を課したこと。城民の居住を内に集めたこと。一万余りの兵を常に目立つ場所に配置したこと。

 

 これら一切は夜襲には必要の無いことだった。全ては籠城するという裏付けのために、わざわざ間者へ向けて見せるための寸劇である。そのため直前まで夜襲の話は一般兵には伏せていた。

 

 本命は夜襲。だがこちらも監視の目が光っている以上、普通の方法じゃ決行はできない。

 

「少数精鋭で敵陣深くに夜襲をかける。数は千……いや、五百ってとこか。文鴦はついて来い」

「よっしゃ!」

「魏延と高順は城に残る兵を分けて待機。火の手が上がったら真っ直ぐ敵陣深くまで突っ込め」

「お頭! バッチリ任せて下さい!」

 

 淡々と作戦を述べる月影。その場にいた孫権と甘寧は危険度の高さに目を丸くした。

 

 三万人の敵に五百人で夜襲を敢行。少しでも勘付かれるか仕損じれば全滅は免れないだろう。それでも誰一人懸念の言葉を口にすることなく、指示を聞いてはキビキビと準備に取り掛かる。

 

「…………おい」

「なんだよ甘寧。お前も来るか?」

「馬鹿を言うな。…………貴様こそ正気か?」

「正気なら城なんて落とさんよ。孫権と甘寧は留守番な。敗勢と見れば南門から抜け出すといい」

 

 表情一つ変えることなく言い放つ月影。

 

 甘寧が城へやって来てから半月余り。城の住人は血の気こそ多いが、民を虐げる事もなければ、その逆に物資を施し支持は篤い。月影の下、荒くれ者なりに和を重んじているように思えた。

 

 元々江賊の出である甘寧は城の住人と馬が合うと感じることも少なくなかった。また荒くれ者達の中でも唯一知的な月影は、ひょっとすると戦う道を選ばず降伏を願い出るんじゃないかとも考えていた。今の時勢や月影の徳行を鑑みるに、僅かながらも許される見込みはある。だが────。

 

「失敗すれば全滅。まあ、それだけの話か。どうせ死ぬなら名のある将に討ち取られたいもんだ」

 

 その言葉を聞いた孫権は目を伏せる。

 

 王朝に真っ向から叛いた月影。やはり普通の精神じゃない、と甘寧は小さく身を震わせた。

 

 

 

 

 

 討伐軍は都のある洛陽を出発しては河南の伏牛山脈を越え、新城、陽人を抜け荊州へ入る。

 

 魯山から博望を目指さず雉、西鄂県を抜けたのは豫州の黄巾賊との接触を避ける狙いと、南陽郡の賊を早急に鎮圧する目論見があった。都から程近いこの地を野放しにするわけにはいかない。

 

 結成時は五千から七千人の賊も日を追う毎にその数を増やしているとの報告。今はまだ一万程度との話だが、蝗の如く現れる賊を看過することは到底できない。早急な鎮圧は急務であった。

 

 討伐軍を率いる右中郎将の朱儁は表情や言動には出さぬものの、南陽郡の賊を甘く見ていた。賊は斥候を出すこともなければ、宛の地まで抵抗らしい抵抗もせずに素通りで抜けさせる有様。下手をするなら賊共はもう城から抜け出して、他郡へと逃げ出しているんじゃないかとも考える。

 

 道中、行進する討伐軍には弛緩した空気が流れる。朱儁はその空気を引き締め直そうかと考えるも、討伐軍の最終目的は南陽郡ではなく、鎮圧した後に豫州へ入ることにあった。先はまだまだ果てなく長い。遠征の疲労もあるだろう。常に気を張り詰めたままでいろというのも困難だ。

 

 宛の地へ入った討伐軍に宛城内に潜む間者からの報告が届く。賊は討伐軍が南陽郡内へ進行してから慌しく篭城の準備に掛かり始めたと。初動があまりに遅過ぎる、と朱儁は嘲笑する。

 

 それでも朱儁は賊が攻城戦に向けての鍛錬をしている報告を聞いたり、城回りにそれなりの準備を整えているのを見ると少し考えを改める。城攻めとは守り手より攻め手が不利である。兵法のへの字も知らない賊相手なら問題ないだろうが、急いで攻めて悪戯に被害を増やすこともない。

 

「三里離れて布陣する」

 

 少し考えた朱儁は一晩ゆるりと遠征の疲れを癒してから城を攻め入ることに決めた。

 

 宛の地へと入った当日には複数の間者から一万の賊が城に滞在しているとの報告も入っていた。それでも一応は警戒を怠らず、事前に伏兵が伏せられそうな地形を簡単に調べ上げる。

 

「よし。見張りは城門の監視を怠るな。少しでも動きがあれば、すぐに報告を挙げろ」

 

 伏兵無しと見れば朱儁もやっと気を緩める。間者の報告と完璧に一致していると。

 

 朱儁は気を緩めた。そしてそれ以上に幕僚以下兵士は気が緩んでいた。賊の居城を監視する見張りの兵は城外に上がる僅かな砂煙に気付く事はなく、そのまま夜を迎えることになった。

 

 

 

 

 

 草木も眠る丑三つ。夜の帳はすっかり下り、暗い空には丸い月だけが微かに光輝いていた。

 

 薄い雲が空を覆い隠し、星の光を遮断する。南西の風は未だ冷たく、吹き抜ける風の音だけが討伐軍の陣中に静かに鳴り響いた。遠征疲れの兵士達は夢を見ることもなく深い眠りに落ちる。

 

 静かな静寂。それを破ったのは音も無く歩み寄る黒い影。瞬間、陣隅の篝火がフッと消え、その脇に立つ数人の見張りの兵士が倒れた。一度倒れてしまえばもう二度と起き上がることはない。

 

 見張りが倒れると蹄の音が聞こえる。月影を先頭に現れたのは五百人の精兵は枚すら噛まない。

 

「柵の一部を取り外せ」

 

 月影は簡易に打ち立てられた柵を取り外すように命じると、馬を止めて陣内を見回した。

 

 眼前に広がるのは漆黒の闇。その暗さに月影は作戦が仕損じれば生きては帰れないことを思い知る。討伐軍がこちらの狙いを丸々読み取っていたとしたら、一刻の間に全滅するだろうと。

 

 そのことは文鴦を筆頭とした五百の精兵も承知であった。それでも不安を微塵も見せないのは大将である月影を信じていたからである。月影に従い殉じて戦うことに、なんら不安はなかった。

 

「切り込めば後は早い。目に入る全てが敵だ」

 

 馬を止めた月影は後ろを振り返ると、突入前の最後に仲間へ向け飛檄を発する。

 

「高官だろうが遠慮はいらん。天に出会えば天をも穿ち、ただ獣の如く死力を尽くして戦え」

 

 その言葉には然しもの猛将文鴦さえも一瞬息を呑んだが、すぐにニヤりと口の端を上げた。

 

 手綱を緩めると歩を進める。月影は優しく馬のたてがみを撫でると足で合図を送る。漆黒の闇に向かって馬が速度を上げれば、誰もが声を張り上げて敵陣深くへと切り込んでいった。

 

 

 

 

 

「銅鑼を鳴らし幕舎には火矢を放て」

 

 月影率いる五百の精兵が夜襲を敢行すると、討伐軍の陣内は直ちに恐慌状態に陥った。

 

 討伐軍の兵士たちは甲冑も忘れ着の身着のまま外へと飛び出しては月影達の的になる。剣に矛で斬られ、槍で突かれ、矢で射ぬかれ、馬に踏みつけられては簡単にその命を落としていく。

 

 それでも五百人で出来ることなんて限られている。幕舎から上がった火の手を合図に城の兵がやって来るまでの間、混乱を加速されるべく月影は声のでかい者を選んでは叫ばせた。

 

──夜襲だ! 五千から一万はいるぞ!

──既に本陣にも火の手が上がっているらしい!

 

 それを聞いた討伐軍の兵はさらに混乱した。

 

 討伐軍の兵士はまだ徴兵されたばかりの寄せ集めが多く、人影を見つければ恐怖に駆られ、敵だと思い込んでは同士討ちを始め出す。それを見た月影は剣を一旦鞘に納め、馬を走らせた。

 

「雑魚に構うな。大物を討ち取るぞ」

 

 月影の狙いは指揮官の首。総指揮官の朱儁が最良ではあったが、まずは近くの首を狙う。

 

 幕舎は階級によって違いがあるが、今一番わかりやすい判断要素は護衛の厚さであった。恐慌、混乱状態の今、数十人単位で守りを固めている幕舎には高官が居ると判断して間違いない。

 

「わ、儂の警護をもっと固めんか。儂は大司農──の弟で家柄も──褒美は望むだけ────」

 

 馬を走らせ討伐軍の陣中を回っていると、それなりに位の高そうな人物が目に入る。

 

「大将! ありゃ名のある首に違いない!」

「あんな無能には興味ない。生かしていた方が混乱を助長させるだろうからほっとけ」

 

 文鴦の言葉を月影は一蹴する。月影が討ち取りたい首は、今この場で邪魔な人物であった。

 

「怯むな! 聞けば声色は限られている! 騒ぎ立てる輩をひっ捕らえ、場を落ち着かせろ!」

 

 混乱を収めようとする者。兵を奮い立たせる者。つまりは優れた指揮官。将兵を狙い討つ。

 

「あいつは邪魔だな」

「だがけっこう守りも堅そうだぜ?」

「張り子の虎だ。オレが仕掛けるからお前ら離れてろ。馬を降りたのを合図に突っ込んでこい」

 

 月影の言葉を受けて文鴦以下は手綱を絞る。ただ一騎抜け出した月影は一直線に進む。

 

 月影は一見すると冷静そうな者の内にこそ不安が犇めいていることを理解していた。月影が『伝令』と声を張り上げるだけで容易に目的の首へ近づけたことこそが、その良い証明だろう。

 

 討伐軍の甲冑をつけていない月影に周囲の兵は気が回ることもない。月影は下馬し目的の首の前で膝を折ると、静かに力量を値踏みする。大した腕前じゃない、と判断すれば後は早かった。

 

「本陣より急報です!」

「うむ。して火急の知らせ……と…………は」

 

 月影は兵が傍に控える中、腰に帯刀している剣を抜くと瞬く間に目的の首を刎ね飛ばした。

 

「これまでご苦労さんだってさ。半端に優秀だと早死にするのは、なんとも不憫ではあるがな」

 

 月影の凶刃を見てその場が凍りつく。

 

 鋭い反応を見せる兵は無く、みな口を開いたまま呆気に取られていた。その場の兵には何が起こったのかを理解するまでに時間が必要であったが、戦場においてそんな悠長な時間は無い。

 

 月影の背後から文鴦率いる騎馬兵がやって来れば、数分と経たず地は赤く染まり、兵の悉くが骸と化した。将来を渇望視されていた若き将兵は史に名を刻むこともなく宛の地に斃れた。

 

「手応えのねえ連中ばかりだな」

「本当だよな。拍子抜けもいいとこだ」

「で、次はどこを狙う。大物なんているのか?」

「そろそろ魏延と高順がやって来そうな頃合いだから退いてもいいが、面白い旗を見つけたぞ」

 

 再度乗馬した月影は南東の方角を指差す。

 

「…………へえ。当然突っ込むよな。大将!」

「そうだな。せっかくだし覗いて行こうか。守りが薄ければ混乱に乗じ、大将首を狙ってみよう」

 

 風に棚引く牙門の旗。その旗が意味するは、総指揮官である朱儁の幕舎が近いということ。

 




 誤字報告いつもありがとうございます。ぜんぜん減りませんが気をつけます。
 次話はこの続きと呉+魏か蜀か美羽視点の話。候補の三つについては何れ書きますが、順番はまだ決まっていません。長くなったら呉だけとなります。二話先で朱里と雛里の回を予定。


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