IS-光は舞い上がり、無限の時代が始まる― (今日は晴れ)
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動かした男

 

 「あ、あの~……」

 

 ソファに腰をおろした姿勢で、ゆっくりと男は右手を挙げた。いかにも恐縮してます、だからこれぐらい許してください。といった様子であった。しかし、一目に高級品とわかるソファに座りながら、男の恰好は黒いジャージ姿に茶髪で、軽い印象をあたえる容貌であったので、カチカチに凍りつきながら挙動はどこか滑稽だった。

 

 その滑稽さに普段男が接するものであれば道化ともとれる男の姿に笑みを見せ、それに応じただろう。しかし、彼を囲む人間は普段、彼の接する者ではなかった。

 

 全員が立派な巨躯の持ち主であり、それだけでなく素人目にも鍛え上げられたとわかる肉の鎧の上から黒のスーツをまとった男たち――の視線が集まった。手を挙げた彼の背後に立つ二人のスーツを着た男のうち、一人が即座に、

 

 「どのようなご用件でしょうか? 海本二代さま」

 

 片膝をつき、わずかに口角をあげて尋ねた。

スーツの男からしてみれば、少しでも話しやすいように笑みを見せてみたのだが、屈強な男と普段接することのないジャージの男――海本二代からしてみれば、「なんだ? せっかく応えてやったんだから下らねえ要件だったらぶっ殺すぞ」と言われたに等しく、またスーツの男は射抜くばかりに鋭いもので、恐怖を倍加させる要因であった。

 

 一目で極上の品と万人が理解する最高級のソファの座り心地は最高だったが、二代からしてみれば閻魔の前に連れ出され、裁きを待つ亡者の心境に等しい。

 ちなみに、横目で部屋――これもまたソファが鎮座するのにふさわしい贅の限りを尽くされ、二代が一人のスーツの男から聞かされた情報によれば応接間とのことだったが、優に十人以上の人間は収容できる部屋――の窓や観音開きとなっている扉に立つ男たちを見ても、幻視できそうなほどに濃い威圧感と圧迫感が放たれている。

 

 「い、いえ、なんでもねぇっすわ。あ、あの、テレビみてもよろしくて?」

 

 冷や汗を流しながら、使い慣れていない敬語を使用したためか、変な言葉になったので、ここぞとばかりに二代は笑いを取りに行こうとした。

 

 ほほほ、と手を口に当てて無理に笑いながら尋ねてみる。

 

 ぼくっちのキャラが崩壊してやがんなぁ、と冷静な自分が状況を整理しているが、無理に始めたボケに男たちは誰も笑わず、それどころか、終わりどころを失って、部屋の中に二代のほほほほと、似非お嬢様笑いがこだましているだけとなった。

 

 死にてぇ、と思い始めた二代の前に、そっと黒の四角い物体――テレビのリモコンが差し出される。

 

 顔をあげれば、先ほどスーツの男が「どうぞ」とリモコンを両手で差し出していた。

 

 「あ、ありがとうございます」

 

 リモコンを受け取ると、すぐにスーツの男は二代の背後に回った。その挙動に一切無駄がなく、再び放たれ、ひしひしと伝わる威圧感。

 

 うんざりした気分になるが、だからこそ一新すべく、部屋の壁に掛っている、二代は大型電気店でしか目にしない巨大なテレビの電源を入れた。

 テレビでは、二代がたまにテレビCMで見かけるスポーツ専門の有料チャンネルが放送されていた。番組はどこか外国のテニスの試合を中継している模様だったが、あいにく二代はテニスに興味はなく、地上放送のテレビを設置しただけで視聴可能な番組を選択した。

 

 CMが放送されていたが、ちらりと腕時計を見れば11時29分、チャンネルが切り替わったため、画面の隅に現れる情報欄にはお目当ての放送局の名前、そのため、なにもやることがなくただただ、放たれる威圧感に耐えながらCMが開けるのをまった。

 

 二代には夏季休暇中、ある日課があった。11時30分にワイドショーを見るのだ。正確にいえば、ワイドショーのコーナーである。番組内容はいたって単純、女子アナが視聴者の推薦した料理店に赴き、そこで食レポをするというものだが、なかなかこの女子アナが面白い。いつも奇想天外なコメントや行動をして笑わせてくれるのだ。

 

 だから、楽しみにしてた。

 

 時計の長針が12を刺そうとしていた。

 

 わくわくと心が躍ってきた。そして、CMが終わり画面が切り替われば、

 

 

 

 

 一面に映し出される、軽い印象を与える笑みを浮かべ、ザンバラ髪のかつらをかぶって左前の白い着物を着て、馬鹿面を浮かべるお化け、に扮する男――海本二代を映していた。

 

 「はい?」

 

 目が点になる。

 

 それだけでなく、次は両手で子猫を掲げ、某有名アニメのライオンの王の子供が生まれたシーンを演じる二代、変わって、傘を被って着物姿で侍に扮する二代を映し続けた。どれも共通するのは、一目で二代が馬鹿面で映されている写真である。

 

 二代にはそれが中学時代の三年生の壮行会で演じた劇だと分かった。わかったが、いつもの番組を待っていたら、映し出されたのが自分の顔、それどころか、なぜか中学時代の学生劇の写真が映ってる。

 

 わけがわからない。

 

 そうすると、画面が切り替わった。

 そこは、普段の二代が目にすることはない食レポコーナーの前、通常のスタジオの様子である。

 

 左上にテロップにはこう書かれていた。

 

 『初の男性IS操縦者発見!! しかし、これでいいのか日本男児!?』

 

 『えー、本日の高野アナの突撃!料理の穴!!ですが、一部番組を変更してお送りしております』

 

中年の女性司会者がそうにこやかに告げた。

 

 『とんでもないニュースが入ってきました。昨晩からの放送でご存知の方も大勢いらっしゃると思いますが、男性がISを動かしたというニュースから――』

 

 試しに、チャンネルを回してみるが、どの放送局も似たり寄ったり。

 

 たまに見知った顔が、黒い太線で目を隠したり、モザイクがかかっていたりするが、二代からしてみれば、知っている顔が放送されている。

 

 しばらくして、二代はテレビを消した。

 

 共通項として、どの局にも二代が映し出されている。それと、年代も場所も、状況もばらばらだが、二代のふざけた様子の写真を扱っていた。

 

 そして、

 

 『――ですから、ISを取り扱うものとして品位に欠けているとしかいえないでしょう。中には国家を背負ってISに携わる方も大勢いらっしゃいますから、こういった男性がISを動かすのは日本の品位の低下を世界に宣伝するようなものです』

 

 どこか知らない大学教授だか、ジャーナリストのセリフだったが概ねそんなところだった。

 つまるところ、二代を否定し、誹謗中傷しているに近い。

 

 スタジオではなく、街頭インタビューでも、

 

 『こういう人が日本を背負うとか悪夢ですね』――60代女性

 『女子にひどいことするんだよねーこういう男子って。女遊びばっかりしてるから女と間違われたんじゃないの?』――10代女性

 『最悪よ、人生最悪の日よ』――20代女性

 

 やたら、二代を非難していた。

 

 「ガッテム!!!!」

 

 突如、絶叫をあげて両手で頭を抱え込んだ。

 

 通常の人間なら、ここまで見ず知らずの人間に非難され、落ち込み、うなだれるだろう。もちろん、二代もその一人だろう。

 

 もしも、彼の心の叫びを聞いたものがいるなら、その叫びは不条理な世の中に対する叫びに決まって、

 

 ――うごごごごごご……まさか僕っちのせいで今日の食レポどころかほとんどの番組がつぶれるとは!!

 

 いなかった。

 

 彼からしてみれば、誰からか非難されるより、自分のせいで放送が変わったことに対しての嘆きが強いものだった。

 

 しかし、うなだれる様子は、いかにも傷ついた青年そのもので、

 

 その肩に、手が優しく置かれた。

 

 顔をあげれば、なにかつらいことがあったら、俺でよかったら聞きますので、といってスーツの男が肩を叩いて慰めてくれたが、先ほどと違い、憐れみと同情の視線が多分に 含まれていた。よく見れば、瞳が潤んでいる。

 

 「――はぁ……」

 

 あまりにも暑苦しくて、生返事で返した。

 

 と、

 

 「おれも、力になりますよ」

 

 もう一人、背後に立っていた角刈りの男が手を添えた。

 どう力になるんだ? と尋ねたかったが、醸し出す憐憫のオーラが許してくれない。

 

 「ええ、あんな報道に負けちゃだめです!」

 

 「さっきの笑い声、おもしろかったぞ!!」

 

 と、皮切りに、部屋のいたるところに立っていた男たち――二代を警護するために政府が遣わした警察庁のSP達が声をあげる。

 

 それから、SPの励ましの叫びが部屋にとどろくが、暑苦しいのと、威圧感とかで二代はいっぱいいっぱいになりつつある。

 

 ――どうして、こげなことになったのでございましょうか?

 

 天を仰ぎ、神に尋ねるが、無情にも白亜の天井が広がるだけだった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 海本二代――世界で初めて女性しか動かせないマルチフォーム・スーツ『インフィニット・ストラトス』通称ISを動かした男性である。

 

 策原工業高校に入学して初めての夏休み、その三日目にして世間を騒がせた男の後、他に中学生、二名の男性適合者が発見されるのだが、それは別の機会にする。

 

 物語はこのエピソードを最後とし、本編は彼が夏休みに突入したハイテンションで光り輝いていた時代を追っていきたい……

 




 最後とタイトルで登場する技術のクロスオーバー先が分かった人、きっとあなたはこう思う。

 クロスオーバー先考えろ、と。
 

 
 ご意見ご感想お待ちしております。


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事件に至る経緯

 夏休みは学生にとって待ちに待ったオアシスともいっていいだろう。だが、策原工業高校生にとっては別な意味を持っている。

 策原工業高校に通う生徒は夏休みが始まり一週間、様々な企業、団体に見学を行う学習旅行を行うことになっていた。

普通の学生にとって、それは退屈なものになるかもしれない。だが、策原工業高校は様々な企業・大学に卒業生を送り出した実績があり、その人脈も幅広い。ゆえに、普通ならば見学など不可能な企業や研究所にも特別に許可が下りている。

 

 その最たる例として、倉持技術研究所の見学の許可が下りる高校など、ここしかないといっても過言ではない。

 

 倉持技術研究所――通称、倉持技研。

 重工業系の企業の企業連盟と政府の出資によって成り立つ団体――俗に半民半官で運営されているが、ほとんどの人間はこの存在を耳にすることはなく生活している。特に男性にとっては耳慣れないものだろう。それもそのはず、この研究所は、「IS」について技術開発を行っているのだから。

 

 インフィニット・ストラトス 通称IS。

 元々は宇宙空間での活動を想定し製作されたマルチスーツである。しかし、これには欠陥がある。女性しか動かすことのできないという欠陥が。

 そのため、世に発表されたあとでも相手にされず、時代に埋もれるはずであった。だが、ある事件によって、世界は一変させることとなった代物である。

 

 ともかく、ISは女性にしか起動できない。そうなればおのずと関係する者も動かせる女性か、もしくはその技術について興味がある者となる。

 だが、興味があるからといってすべての者がISに携われるわけではない。ISの発展に一翼を担おうとするには想像を絶する難関が待ち受けている。なぜなら、IS開発は国家プロジェクトであるためだ。だから、優秀な、極一握りの選ばれたものしか研究・開発を行うことはできない。無論、国家プロジェクトの一つであるIS関連技術は機密の塊といってもよく、原則としてISの関連施設は、IS規定を定めたアラスカ条約で開示義務のある場所以外、開かれることはない。

 

 だが、策原工業高校はその原則を外れ、見学を許されている。

 本来であればISを主としない教育機関、それも高等教育機関に見学の認可は不可能だ。

 事前にどれほどの交渉も、年間予算規模の寄付も、施設の役員クラスの職員個人に対しての伝手があっても、実現は難しい。

 しかし、特例として許された。どんな事情があったのか、どんな便宜があったのか、見学に参加する学生たちにとって知る由もないが、その困難さを生徒全員が理解していた。

 

 ゆえに、見学を許された生徒も選ばれた者たちである。

 その見学者枠は限りがあり、そのため、将来大学に進学し、IS関連の研究に携わることを希望している生徒の中でも、一部の成績優良者や何かしらの功績をあげた生徒のみしか許されない。

 

 そんな事情のため、倉持技研の見学に参加する学生は、選ばれた特別な生徒で構成されている。現に、倉持技研を目指して走行する中型バスの中には静謐と呼んでもいいほどに静まり返っていたが、静寂さとは無縁の張りつめたばかりの殺気に等しい重圧に満ちていた。

 あるものは、分厚い参考書を黙々と読み進め、またある者は、緊張で昨夜は寝付けなかったのか、充血させた目をぎらぎらに輝かせ、またある者は目を閉じ、両手を胸の前で合わせ静かに瞑想を行っている。

 

 これが、毎年の倉持技研見学に向かう策原工業高校のバスの光景だった。

 その生徒たちの特長としてもう一つは、ほとんどが三年生を示す赤のラインが入った校章を胸つけている。生徒の中に、二名ほど、青のラインの二年生が混じっているが、それだけである。

 

 

 なにも、三年生限定というわけでなく、全学年に同じく見学のための権利があるのだが、ほぼ三年生のみとなっている。これはなにも三年生を贔屓しているわけでなく、ある種、当然の帰結なのだ。

 なぜなら、成績優良者といってもその成績が通年成績から判断されるため、選考時点では前期中に通年成績など出るわけもなく、したがって、前学年時の通年成績となる。無論、前年は中学生だった一年生は成績の判定がない。しかし、一年生にも希望がないわけでもない。

 もう一つの選考項目というのに、特別項目というものがある。これは、生徒が教員の前で行う自己アピールであった。たとえば、難易度の高いシステムプログラムを組み上げたり、一人で短時間に高度な精密機械を点検補修したりと、何かしらの特別なことを行ってそれを認められる点数のことである。

 しかし、これでも三年生が俄然有利なのだ。

 

 それは、三年生が二年生、一年生よりも高度な技術を習得しているためだ。授業を受けた内容もそうだが、自主学習に費やした時間も長く、身についた知識も養った経験も、すべてが段違いだ。そして、なによりも彼らは試験のポイントを知り尽くしている。

 試験順番は、一年二年三年とだんだんと繰り上がっていくかもしくは逆が普通だろうが、策原高校では、見学を望む全生徒の前で最初に一年生が行い、その後に三年生、そして二年生となるのだ。つまり、二年生であったときに、三年生の中でもどのようなものを教員の前で行ったものが選ばれたのか、どの教員の時にはどのようなことを行えばいいのかを知る機会となる。そのため、試験の教員で披露する技術を変えることは当たり前だし、そのための日ごろの好印象作りも忘れていない。よって、三年生が大半を占めることになる。

 

 逆に、成績の点数もなく、特別試験のポイントも知らず、それどころか大勢の生徒の前で緊張するな、ということが無理な状況で自己アピールを行う一年生が受かる方があり得ない。それまで鼻高々になってる天才とうぬぼれて、その素質と知識のあった生徒であっても、見学選考に落ちてプライドなど木端微塵に砕け散る。

 

 そうして、二年生でからくりがわかり、三年生で許可されるのだ。

 かといって、二年生でも参加するものはいる。成績が主席か次席のもので、それに合わせて特別試験で三年生を含めて全体で見ても優秀な功績を修めた二年生に許可が下りることもある。

 豊作といわれる年では数人はいるのだが、大抵は二年生が一人か全員が三年生であるかだ。そういう意味では、今年は豊作だった。二年生が2人もいるのだから。

 

 

 ともかく、この見学の学習旅行において、一年生は参加できない、ある種の策原高校の決まりごとだった。

 

 もしも一年生で参加するものがいれば、それはどういった人間なのか、まれに教員たちが冗談交じりで議論されることがあるが、それこそ、“天災”の再来だろうという結論に落ち着いていた。

 

 無論、そんな奴は現れないのが、これまでの常識であった。

 

 そんな常識は、今年、崩れ去った。

 

 

 

 

 倉持技研を目指し、進むバスは途中、高速道路のサービスエリアで休憩をとったのだが、そのことに見学旅行副顧問の高畠勉教諭が起こされたのは、バスがついて十分が経過した――つまり、出発時刻になってからだった。高畠は昨年まで大学でISの技術について研究をしていたが、男であることとそれほど優秀ではなかったことで、IS関連の職には就けなかった。しかし、教員も悪くないと思っているときに、ISの研究所にいけるとなって、自身も緊張のため寝ていないため、眠りこけてしまっていたのだ。教諭としてあるまじき失態だったが、顧問の教諭は笑って、生徒数を確認して来い、と命じ、高畠は席を立った。

 確認していくが、ぱっとみて全員がそろっている。というよりも、席を立った形跡がなく、ほとんどの生徒が出発前に人数を数えたときと同じ姿勢を継続していた。

 

 「――26,27,28……」

 

 まぁ、緊張でそうなるな、と思いながらも前の席に座る生徒から数を数える。

 

 「にじゅうきゅ……」

 

 最後列から二列目に座っていた29人目の生徒は真っ青になって震えている。声をかけると「大丈夫です、大丈夫」としかつぶやかず、前の席に移動するようにいって、場所を変えるように指示をした。

 

 そうして、29番目の生徒が席を立った時、一番後ろの席から、29番目の生徒の座席の上の荷物棚に置かれたリュックから伸びるケーブルに誰も気がつかず、それに掛ったまま移動した。

 

 『ギュピン……』

 

 不穏な音が響いた。

 高畠にはある特技があった。大抵、ビックイベントがあって寝付けない前日があると、当日、嫌な出来事が起こるのだ。必ずといっていいほど起こる。

 小学生の時に遠足を楽しみにして前日寝付けなかったときも、当日に山の斜面から落ちた。

 中学生の時に好きな子に告白しようとして寝付けなかったときも、次の日にその子が転校したことを知った。

 去年は、受けようとしていたISの装備開発会社の選考の当日、そこの会長がきて、女尊男卑に染まりきっていたため落とされた。

 嫌な予感が当たる。

 

 それが、わかった。

 

 しかし、どうすることもできなかった。

 

         

『Fooooooooooooooooooooooooooooooooooooooooooooooooooooooooooooooooooooooooooooooooooooooooooooooooooooooooooooooooooooo!!!!!』

 

 とっさに席を立とうとした生徒の耳を両手で防いだのが精一杯だったが、最善策だったようだ。

 

 高畠は、立位を取っていたため、ちょうど耳と同位の高さに当たる荷物棚から鳴り響いた大音量シャウトの直撃を食らって、ブラックアウトし倒れゆく視界を最後に、意識を手放した。

 

 

――

 

 大音量のシャウトが鳴り響き、それを合図に車内は阿鼻叫喚の地獄と化した。

 直撃を食らった高畠が昏倒したのは序の口、むしろ、彼は気絶できただけ幸せだろう。もう限界ぎりぎりまで張りつめていた学生たちは、この世の終わりとばかりに慌てふためいた。

 あるものは己の安定した世界を齎す瞑想が乱されたことによって泣き崩れ、あるものは緊張のあまり朝食も食べれなかったのにとんでもない量の胃液をぶちまけ、またあるものはこの世の終わりがきたと叫んで神に懺悔を早口に述べていた。

 

 しかし、これは幸運だった。もしも走行中だったら運転手が運転操作を狂い、事故につながっていた可能性もあったからだ。

 だが、この地獄の中にいる者にとってはそんなことは知る由もないのだが。

 

 

 即座に異変を察知した顧問の皆川功教諭は立ちあがってその元凶のものを止めようと走り、荷物棚からリュックサックを持ち上げようとして手繰り寄せたが、重い。日ごろ、整備課の教諭として、鍛え上げているのに、その皆川ですら重く感じ、落としてしまう質量を有していた。そのため、リュックサックを床に落としてしまったが、それだけでは止まらない。

 むしろ、音が大きくなった。

 

 「おい、これを止めろ!」

 

 これの持ち主である最後列にいる生徒に突き出す。皆川は知っていた。大抵の生徒が中身は本のたくさん入ったバックを持ち込むが、重い荷物はトランクルームに預けて、持ち込むのは筆記用具とメモ帳が入った軽量バックが暗黙の了解だが、一人だけ、四個もリュックサックを車内に持ち込み、後部の棚置き場を占領した生徒がいることに。

 だから、元凶に止めさせるべく突き出したのだが、皆川は見た。座席が五席ある最後列にいる生徒は、

 

 「グフー……グフー」

 

 両耳にヘッドホンを付けていた。それと、アイマスクをして、いびきをかきながら、一列に並べられた五席の椅子すべてを占有するように横たわって、手足を放り投げて寝ていた。にやけた馬鹿面をさらし、口の端からよだれが垂れていた。

 

 思わず、皆川は持っていたリュックサックをその持ち主に投げつける。

 

 「ギャン!!」

 

 生徒の腹部に直撃したバックで、生徒は「く」の字に体を曲げ、変な悲鳴がなったが、同時にリュックサックからの音も止まる。

 とりあえず、こいつは放置することにして、他の生徒のケアをしなければと皆川は狼狽する生徒一人一人に対応することにした。

 

 最後に一目、最後列に寝ていた生徒を見れば、ピクピクと微痙攣をしていたが、それが一層腹立たしさを増幅させる。やはり気をつけるべきだったと、皆川は遅すぎる後悔を抱き、奥歯をかみしめ、にらんだ。

 

 元凶――胸に一年生であることを示す緑のラインが走った校章をつけた男――海本二代を。

 

 

 ――

 

 「はい、どうも策原工業高校の皆さんこんにちは! 私が本日は担当します――ってどうされたんですか? みなさんグロッキーですが?」

 

 倉持技研入口のホールで、三十代前半の作業着を着た男性職員が出迎えたとき、策原工業高校の生徒と教師の様子がおかしいことに気がついた。

 担当者が変わらないため、出迎えた職員は毎年の、ぎらつく目をした様子のおかしい生徒には慣れていた。が、例年と様子が違うことに首をかしげる。

 挙動不審なのはいつも通りだが、やたらと疲れ切っており、そして、目が死んでいる。

 

 「いえ、こちらのことですので、どうもすみません」

 

 毎年、顔を合わせる皆川教師も、どこか目が死んでいた。

 渋滞にでも巻き込まれたか? けど、時間は予定通りなんだけど、と職員は考えたが、考えても仕方のないことでもあるため、業務に専念する。受付嬢と一緒に倉持技研を紹介したパンプレットを一人一部ずつ配布し、そのあとは生徒と職員が写真撮影をし終えた後、多目的ホールに案内した。

 

 ――

 

 『――というわけで、倉持技術研究所は第二世代IS<打鉄>の開発を行い、現在世界各国で使用されております。この打鉄の出力は第一世代と比較し……』

 

 100名も収容可能なホールには、男性職員の声が響き渡っている。

 しかし、その席に座るのは教員も含め32人というので、空席が目立つのが当然の結果だろう。だが、このホールに湧き上がっている熱意と貪欲な向上心が熱気に変換され、真摯な視線を受ける職員にとって、このホールが満員となった場合と変わらない、否、それ以上の気迫に襲われ、ゆえに職員は全力で応対していた。

 

 まれに政府関係者や有力な圧力団体――女性の権利を訴えている集団などにこのホールを使って説明することがあるのだが、政府関係者は要点だけを話せ、と訴え、圧力団体はなぜ男がいるのか、不快でしょうがないとした態度を全面に押し出すので、どちらもある意味骨の折れる大変な相手だったが、今回はそれとは違って、やりがいのある大変な相手だった。

 こうした広報活動や外部者についての説明は彼の職務内容であった。

 本来は技術者として入ったのだが、ある事情により、他の職務は許されていない。そのことに不満はあったが、ISという超技術に携われるだけで満足だった。それと、いいこともあった。こうして、年に一回、まだ萌芽もでていない技術者の卵たちに説明し、そのたびに彼らの殻を刺激して、未来を羽ばたかせる手伝いができることは至上の喜びでもあるのだ。

 

 最初は、やはり目が死んでいた生徒が大半だったが、やがて話を始めるとエンジンがかかってきた様子だった。例年通りであった。

 

 最初はこれからの予定と、倉持技研の創設から、現代に至るまでの会社概要だが、生徒たちの緊張が解かれるのはそのあと、ほとんどの生徒は、倉持技研の技術を説明すると皆真剣にその話に聞き入る。そうして、熱気がホールを包むのだ。

 

 「――と、すみません。長く話しすぎましたね、休憩にしましょうか」

 

 腕時計を見れば、すでに一時間近く話している。手元のリモコンを押し、照明をつけた。スクリーンの光が薄れ、現実へと引き返す。

 途端、メモをとったり、説明に聞き入っていた生徒たちが各々、隣の席に座る友人とグループを作り、話を始め、会場は先ほどとは種類の異なる活気に包まれる。

 どこのグループも内容は異なっているが、共通しているのは先ほど職員が話した内容――IS関連の技術についてだった。

 生徒たちは事前に調べられるものはすべて調べ、頭に叩き込んだのだろうが、職員の話は、公表されていない知識も含まれていた。

 公表されていない、といっても後々問題となるような、最重要機密にかかわることなど話してはいない。機密といえば機密だが、少しの応用力と理解力、そしてひらめきが備わっていれば、誰でもたどり着く結論だ。

 

 つまり、公表されている打鉄の技術には、どのような研究や理論が軸となっているのか、そのために打鉄はどのような芸当が可能となり、それが打鉄の特長となったかなどを説明したのだ。

 これは、機密といえば機密に属するものではあるが、話したのはすべて、ISに携わる人間が知っているものしかない。否、打鉄に秘密などないといっても過言ではない。

 

 そもそも、打鉄は世界各国に輸出され、そして、各国のISの未来を担う少女たちの通うIS学園では練習機として採用されているヒット作だ。

 それゆえ、倉持技研は打鉄の補修費や整備費、各国に対しての使用料で莫大な利益をあげた。だが、各国が採用した理由は、打鉄に癖がなかったことで能力を当てにしたわけではない。当然、その使用目的は、後継者育成のための訓練機として、そして、試作兵器を試すための試金石としての側面が強い。そのため、各国のそうした機体目的であるから、打鉄に使用された技術が徹底的に解析されてしまったことは確定的であった。しかも、ISに関した国際条約であるアラスカ条約にて、日本はIS学園の技術に関して技術公開が義務付けられているのだから、IS学園で運用されたデータはすべて流出している。

 

 ゆえに、もう打鉄には機密と呼べるものがなくなってしまっている。

 

 それこそ、素人でも前記したように知識と応用力があれば、どのような技術が使われているか解析してしまうだろう。だから、職員の彼にとってみれば、公然の秘密を秘密にしたままよりも、無垢な技術者の卵たちの刺激にする使い方が有意義だった。

 最も、生徒の中にはどの技術がどういった理論で構築されているのか、推測を立てていたものもいたようだ。説明していた途中、何度か、生徒たちに喜悦の表情を見た。あれは、己の推論が正当していたと確信した時のものだった。

 

 その時の喜びは何事にも代えがたい至福の時なのだ。職員も自分で何度も体験しているから理解している。

 

 だからこそ、話の中で次の課題を与える。

 

 そもそも、一応の機密だから、答えはいっていない。矛盾しているが、つまりは明確に、これにはこうした理論が使われこうした技術となっていますと説明していないのだ。なぜなら、そこに喜びなどないからだ。

 

 例えるなら、最初から出来あえの料理を食べておいしいというのは簡単だ。しかし、材料をそろえ、そこから己の手で苦労して作った料理は格段に美味しいのだ。

 

 よって、職員は、材料を提供したに過ぎない。

 

 こうした理論があり、こうした研究がおこなわれていた、など、IS技術に関する年表など一般知識や雑談を装って話す。無論、中には全く関係ない、倉持技研ともISとも関係のない研究結果なども話した。が、打鉄に使用された研究も混じっている。

 

 玉石混淆の中から、必要なものとそうでないものを取捨選択し、理論を組み立てる。もしかすれば間違いかもしれないし、正解かもしれない。

 

 しかも、職員の意地の悪いことに、関係ない研究結果でも、打鉄が使用している技術として成立してしまう、間違いの答えがいくつもたどり着けてしまうものとなるように話したのだ。

 

 だからこそ、生徒たちは自然とディスカッションを行っていた。議題は打鉄の技術に使用された研究と理論は何か、についてだ。

 

 しかも、聞き耳を立ててみると、正解を述べる生徒の言葉には、もちろん理論が通っている。しかし、不正解であった生徒の理論も通っていて、技術が成立してしまうのだ。

 

 

 そうして、議論は行き詰ってしまう。

 これも、職員の想定通りだ。

 当たり前の前提だが、現実の世界で使用されている技術については、間違った理論では成立しない。

 しかし、机上の場合は異なる。理論の一つが間違い、よって成立しないはずの技術が、理論上、成立してしまう技術という矛盾が生まれることがある。無論、そんなものを世に生み出せば、動いたとしても想定通りの結果は得られず、下手をすればそれで命を落としてしまうこともありうるのだ。

 

 だから、そのために人類は歴史上、ひとつの技術を生み出すために、多くの実験と試行錯誤を繰り返し、技術としての完成させてきた。

 

 だからといって、理論を構築することが無意味ではない。むしろ、理論は数多く行い、完成された技術でも、より効率的な方法を生み出すことができるのだ。そのために、実験に移るためにはこうした思考とディスカッションが必要となり、多目的な視点を養うことも必要となってくる。

 生徒たちが打鉄に使用される技術がどのように成立しているか、本当の答えを知るのは、大学で専門分野として研究をしている時か、それとも関連職種に就いてからだろう。だが、彼らは一刻も早く正解が知りたいのだ。己の推測が正しいのか、そうではないのか、その答えは万金を積んでも欲するものだろう。

 

 しかし、職員は答えを言わない。それが職員の決めごとだった。もしも答えを教えられても彼がつまらないし、一つ一つ解説をしているには時間が足りない。それと、発覚すれば倉持技研はもちろん、生徒やその家族、学校関係者など様々な人に迷惑をかけることになる。

 

 

 だが、この程度に抑えることで、この事実が発覚しても、女性優位を訴える職員に難癖をつけられ、彼の解雇はまぬがれないが、それだけだ。国家機密漏えいとして裁判にはならないし、生徒にも処罰が及ぶことはないぎりぎりの範囲なのだ。

 

 だから、最悪、職員が職を追われる程度で済む。生徒たちに被害が及ぶことはない。 それと来年も、それ以降も策原工業高校の見学旅行が実施されるように、これだけの説明で抑えるだけでなく、他にもいくつもの手を職員は打っていた。

 

 よって、本当に不利益を被るのは職員一人だが、それでいいのだ。

 職員は己の、たった一人の自己満足であることは重々承知している。

 

 だが、この漏洩事件もどきを、職員は止めるつもりなど毛頭ない。

 

 喧々諤々の議論を行う生徒たちを見て、職員は笑みを浮かべた。

 

 生徒の男女比は半々、男も女も性別に関係なく、議論している。皆、己が技術者を志すものとして己の生み出した理論の正当性を訴え、議論に徹している。殴り合いに発展しそうなときは止めるが、基本的には止めない。

 

 

 職員は、この光景に美しいと光悦を覚えた。自分の議論に真剣に取り組み、自分の正当性を訴える光景以上に美しいものなどない、と。ゆえに、気がついた。

 

 この中では最後列となる4段目の端に座った男子生徒が議論を行っていないことに。

 

 

 この生徒について、職員はすぐに思い出した。壇上で説明の最中もメモを取ることなくじっと睨むばかりにこちらを見ていた男子生徒だった。

 不真面目なわけではない。そもそも、興味がなければ政府関係者のように途中で寝入ってしまうし、聞き流しているなら女性権利団体のように視線を伏せて聞いているフリをする。だが、その眼光は真剣そのもので、むしろ、この生徒たちの中で一番に聞き入っていた生徒だったと印象に残っていた。

 

 だが、議論に混ざることなく、男子生徒はしばらく手元で何かをしていたようだが、しばらくすると、ぼんやりと空中を見上げ、天井の間接照明を眺めている。つまり、暇を持て余していた

 

 職員の視線の先に壁際に立っていた教員の一人が気がつき、その男子生徒を注意するべく歩き出そうとしていたが、職員は無理やり教員との間に入って挨拶をする。

 

 なんてことはない挨拶をすませ、教員の先に職員は歩き、男子生徒の両隣に誰もいなかったため、右側の席に座った。

 

 そうするべきだと思ったからだ。

 

 「こんにちは」

 

 なんてことはないように笑いながら職員が声をかけたとき、天井を見上げていた男子生徒が顔を下げ、職員の方を向いて驚愕に固まった。

 

 染めているのではなく、地毛だろう。ふんわりと優しい色合いの茶髪が光に輝き綺麗だな、と場違いな感想を職員は抱いて男子生徒と顔を合わせた。

 

 「ど、どもっす!」

 

 よほどあわてたのか、男子生徒は視線をさまよわせ、変な言葉遣いで応じる。その時、右胸の校章のラインが緑であったことに職員は気がついた。

 

 「なるほど、君が噂のヤングエリート君だね」

 

 話には聞いていた。一人、問題児がいると。その生徒はなんでも初の一年生見学者で、優秀なのだが、変人でとんでもないことを入学当初からやらかす問題児なのだと。

 

 「……僕は巨大怪獣の上陸場所を間違えるへましませんぜ」

 

 男子生徒がやや呆けたように指摘すると、職員の目が丸くなった。

 

 「驚いた。今時の子が知ってるなんて……うれしいなぁ、同士ができたよ!」

 

 にこにこと、心からの笑みを浮かべ職員が手を差し出すと男子生徒は気だるげに握り返す。萎縮しているというよりも、やべ、人のテリトリーに迂闊に侵入して面倒くさい事態になったと嘆きが含まれていた。

 

 「でもそんなに詳しくはねぇっすけど……」

 

 「いいんだよ、ただ嬉しいだけだから、会えたのは嬉しいなぁ……ん?」

 

 そして、職員は、男子生徒の手に握られている紙に気がつく。職員が男子生徒に気がついたとき、なにかを手元で作業していたことを思い出した。男子生徒の右手にはボールペンが握られ、左手には紙の束――A4サイズの表面がプリント印刷加工された冊子――受付で渡した倉持技研パンプレットで、その中ほどの打鉄を纏った女性の写真と簡易な解説が書かれたページが開かれていた。そのページの表面には細かな文字が並んでいる。

 

 ――そうか、これ書いてたのか。

 

 職員が納得したが、男子生徒がその視線に気がついて、まるで趣味で書いていた小説のメモ帳を友人に見られた思春期の男子のようにあわてて隠そうとするが、それを職員は意地の悪い笑みを浮かべながらひったくる。

 

 「ちょ! 返し――」

 

 「いいじゃない、いいじゃない。どうせ見られても困るものじゃないでしょうに。どれどれ……」

 

 これはいくら言っても無駄だと男子生徒が理解したのか、抵抗はすぐになくなり、さきほどよりもばつの悪そうな顔を浮かべて反対方向を顔を向けた。

 その様子をみて、大方、打鉄の基本技術に使われていた紹介項目に己の推論を書いていたのだろうと職員は予測を立て、さらりと眺めるつもりで職員は書きこまれた文字を追った。

 

 しかし、そこには予測とは違った言葉や数値が走っていた。職員の話した内容とは似ても似つかない単語や数値ばかりだった。

 

 最初は、ただのいたずら書きをしていたのかと内心職員は落胆した。

 だが、書かれた言葉を理解して、職員は驚きに目を見開いていく。

 

 

 そうして、もう一度、居所の悪そうな男子生徒の横顔を見つめ、

 

 「君、これって――」

 

 

 言葉は最後まで言い切ることができなかった。

 

 突如、ホールの扉が勢いよく開かれ、

 

 「ねぇうるさいのよ? 静かにしてくれないかしら?」

 

 傲慢不遜な態度で一人の女性が入ってきたのだから。

 真っ赤な高級スーツの上から白衣を着ていた女性だった。

 

 「あぁ、面倒な奴がきた」

 

 その顔をみて職員は誰にも聞こえないようにつぶやいたが、男子生徒には聞こえていた。

 

 「ごめん、またあとで話をさせてくれ」

 

 

 そういって男性職員は立ち上がり、女性の元へと駆け寄る。

 

 「すみません、藤原さん。しかし、いまはこのように休憩中でして、多少のことは大目に見ていただけ――」

 

 「大目に? もうこっちはみてるのよ。朝からあんたの声が遠くまで響いて響いてうるさいったらありゃしないわ。それだけじゃなくてこれ以上何を我慢しろってのよ?」

 

 「ですから、これから研究所の見学を行いますから、このホールは使用されなくなりますので――」

 

 「はんっ! どうせあんたのことだから、また研究ブロックの見せちゃいけないところまで見せるつもりでしょ? 何をいい気になってるのか知らないけどね、あんたなんておこぼれでここにいさせてあげてるんだから、それを理解しないとだめでしょ?」

 

 「はい、それは承知しております。ですが――」

 

 「その態度がもうすでに承知してないでしょうが!!」

 

 女性がヒステリーを起したようにわめき、男性職員がそれを宥めるように必死に話していた。

 あまりの事態に議論をしていた生徒は議論を止め、教師とともに事の成り行きを見守るしかない。

 

 しばらく、女性が男性職員と話していたが、女性が壇上に向かい、壇上の上から生徒たちを睥睨した。

 

 男性職員が女性を止めようとしたが、女性が耳を傾けることはなかった。

 

 「揃いもそろって、馬鹿そうなのばっかりね、特に男の方は駄目ね。期待できそうなのいないわ」

 

 嘆息を持って女性は否定する。

 

 あまりの言い草に、ほとんどの生徒は怒りが湧くというよりも呆気にとられ、そして、

 

 「いいわ。見学会は終わり。女子はあんたが案内しなさい。男は、私についてきなさい。本物のISを見せてあげるわ。あんたたち男がISに携わってもいいことなんて一つもない、使えない理由を特別に私直々に教えてあげる」

 

 そういって、壇上から降りてさっさと出口を目指す。

 

 どうするべきか職員も生徒も教師も茫然としていたが、女性のヒステリックな叫びが響き、刺激しない方がいいと判断した生徒と教師は素直に従うことにした。

 

 それを理解した職員はここで終わりでも、と提案するが、貴方の立場が悪くなるだけだと言って、教師は断った。言外にはしないが、それは生徒もそれに同意した。

 

 世界を揺るがす出来事が起こるまで、海本二代がISを起動する、32分まえのことだった。




 ちなみに一夏くんはまだ中学三年生です。
 
 つまり、原作崩壊だ!
 
 ご意見ご感想、お待ちしております。


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動かす男

 オリ主tueeeならぬオリ人物sugeeeeがあります。
 束がIS世界の最高峰科学者兼技術者でないと無理という方はご注意ください。


 東京都市ヶ谷の防衛省――日本の国防を統括する場所には一般公開されていない部署が数知れずある。

 

 その一つが、防衛省情報局――通称ダイスであった。表向きは、情報本部としてあるが、裏の顔は日本を守るために表に出れば社会が混乱に陥るほどの事件を隠ぺいするため、超法規的手段で活動をしている機関であるのだ。

 その機関に所属する男性職員の一人――桑田は頭痛のする頭をこらえながら、それでも笑顔で議員――最近の女尊男卑の影響から増え始めた女性議員を統括し、与党の中でも影響の強い女性議員に説明していた。

 

 「ですから、彼がもしも技術を公開に踏み切ることが万一あれば、それは我が国にとって――」

 

 「知ってるわよ、だから消した方が早い。貴方達得意でしょ? そういうの」

 

 「ええ、確かにそういう方法もないわけではないですが、もしも彼が我々の把握していないラインを持っていた場合は――」

 

 「それを把握するのが貴方達の仕事でしょうが、税金払ってるんだから仕事はしっかりとしなさいな」

 

 こちらを見下した様子で女性議員はそう言い放った。

 思わずこめかみがうずく感覚を桑田は理解したが、表に出すわけにもいかない。

 心の中で女性議員に9mm拳銃を撃ちまくって女性議員をハチの巣にしたことで溜飲を下げた。

 

 二人のいる部屋にはスクリーンが壁一面に敷き詰められていた。その前にはコントロールパネルが置かれ、ダイスのオペレーターや指揮を行う職員たちが作業を行っている。

 まるでテレビ局の放送スタジオの様子だったが、それに映るのはひな壇でリアクションをとる芸人でも、安い笑顔を振りまくアイドルでもない。

 

 四角く区切られた白い部屋――刑事ドラマで見るような取調室を想起させる部屋の中に、一台の机を挟んで向かい合うように椅子が置かれ、向かい合って椅子に座る二人の男がいた。

 どちらも青年期はとうに過ぎた男性であり、片方はオイルや油などで黒く汚れたつなぎに頭に手ぬぐいを巻き、でっぷりとした腹をみせている。もう一人は対照的に引き締まった肉体をもったスーツ姿の男が向かい合って座っている。

 その二人を様々な角度から映しているモニターが壁中に敷き詰められているのだ。

 

 「そもそも、この男に価値なんてあるのかしらね?」

 

 その視線は、つなぎを着た男に向けられ、ふんと鼻を鳴らして女性議員は心底見下した笑みを浮かべ言い放つ。

 

 確かに、桑田も予備知識なしに見せられたら、つなぎを着た男をどこにでもいる自動車修理工だと思うし、現に男は自動車工場に勤める修理工なのだが、彼の現在の職に問題ではない。この男そのものに、問題があった。

 

 

 この男はいま、日本政府を脅迫しているのだ。

 

 

 男の名前は海本初代。今年で40となる都内の自動車修理工場に勤める男だった。特記すべきは、初代よりも息子の方だ。約45時間前に世界で初めてISを動かした高校生、海本二代の父親なのだ。

 

 だが、それは表の話、もしも裏の世界にいたものならば、特に防衛省は、この男が表にでることへの不都合さを理解していた。表の経歴は平凡だったが、この男に裏の経歴も混ぜれば、備考欄にこう記されるべき人間だった。――元、防衛省情報局技術情報部班長と。

 

 マスコミがそこまでつかめるなんてことは、本来あり得ないが、もしも他国の工作があれば十分に可能だった。そうなれば、白騎士事件以降、世論の圧力を受け、多くの自衛隊職員が退職に追い込まれ、その影響を9年掛って再編成させようとしている防衛省にとって、痛手で済む問題ではない。また、防衛省だけでなく世論の風が政権に向けば、与野党がひっくり返る政権交代の起こる可能性が高い。

 そのため、万に一つも他国の息のかかったマスコミに察知される前に、防衛省、および内閣府と与党は、重要人物保護プログラムを父親に適用し、世間が男性IS適合者に飽きるまで、元防衛省情報局員であった父親を隠匿しようと内閣府と与党、それと防衛省は考えていた。

 その思惑は叶い、男性IS適合者発見からわずか1時間という超スピードで、各関連省庁の大臣と与党議員によって、重要人物保護プログラム対象に海本初代がなった。

 そして、施行されるタイミングは、内閣府官房長官が緊急記者会見を開き、海本二代がISを動かしたという事実を世間に公表すると同時にすることして、記者から対応が早すぎると指摘されても誤魔化せるようにしたのだ。

 

 これはうまく事が進み、発表と同時に、海本家の前に待機していた防衛省情報局とは関係のない、防衛省職員に説明とその保護に出向く。だが、思いもよらない事態が起こる。訪れた防衛省職員に対して、初代は、これを上司に、できるだけ上に見せるようにと、一枚の封書を渡す。だが、護送と説明をするようにと指示されていただけの防衛省職員には、不測の展開に決めあぐねいているしかなかった。そんな様子の防衛省職員に対して、初代はしびれを切らし、ある場所に電話をかける。

 

 そうして、二分もたたないうちに迎えの防衛省職員たちは初代を別な場所に護送するように指示が変更された。指示された場所に初代を護送すると、その場所では一台の無音プロペラをつけたヘリ――ダイスの迎えがあった。

 

 初代は、封書をダイスの職員に渡し、受け取った現場の隊員から、上層部――自衛隊幹部に渡り、幹部たちがその封書の中身を読み、事態が変わったことを知った。海本初代の防衛省情報局の漏洩につながりかねないという案件から、最も恐れていた、初代が持つ別な案件へと変貌したと覚知する。

 

 これほどまでに、海本初代が表に出ることを政府が恐れていたのは、もう一つの理由があった。そもそも、元、防衛省情報局員だったから隠した、というのも他国を欺くための、表向きの裏事情。そして、それだけで各国が納得したら日本政府の勝利だった。しかし、海本初代の持つ特異な面が牙をむいた。それは、他国ではなく、海本初代本人から日本政府へと食らいついた。

 

 この情報は、防衛省幹部では処理できるわけもなく、即座に事情を知る議員、内閣府にもその情報は渡り、即座にダイスへの正式な事案として認可された。ダイスは、海本初代を重要人物保護プログラムから切り替え、ダイスの案件として取り組んでいる。そのため、現在、ダイスの組織である、内事部特別技術管理室が海本初代と直接、取り調べという名の交渉を行っていた。

 

 その封書にはなにが書かれていたのか、一部のものしかそれを知る者はいない。桑田はその情報を知る一部に含まれるが、封書の中身は簡単なものだ。

 

 

 海本初代の要求をのまない限り、ある技術を世界中に公開する。

 

 

 仮に海本初代を殺しても海本初代からメッセージがないと自動的にネットにも、物理的にも世界中のあらゆる場所にばらまかれる仕組みとなっていると封書にはあった。そして、薬を使っても無駄だ、と。薬を使ったら最後、海本初代がどんな仕掛けを放ったのか理解できるだろうが、解ける者などいない、というメッセージとアドレスも書かれていた。

 そのアドレスにアクセスすると、日本最高峰の技術と設備を持っているダイスの技術班ですら、侵入するのにフル稼働で取りかかっても数週間を有するフォール(壁)があった。技術者たちの報告には、見たこともないもので、糸口すらつかめないものだとあった。

 これを解くのは、海本初代でも全力で行わなければならないとあって、薬を使った頭では決して解けない、と説明されていた。

 

 そう、海本初代の特異性とは、彼は異様に優れた知識とオリジナルティ、そしてそれを形作るノウハウを所有する技術者、技術の天才だった。

 かつては、天災、篠ノ之束の背を見ている男といわれていた。

 

 しかし、彼には傾倒するものがあった。

 

 国家だ。

 

 彼は国を愛していた。そして、日本が好きだった。

 それが彼を構成するもので、だからこそ、彼は日本に忠実だったのだ。彼の発明品はすべて、日本という国を良くするという志の元、作られていた。

 

 しかし、彼の誤算は、国がその技術を歓迎しなかったことだ。

 

 もしも、彼が他国に亡命したなら、もしも、これを他国が恐れたなら、という齎す国益よりも、不利益を重視したのだ。

 

 そして、白騎士事件以降、ISという発明品の生み出す社会への変革を知った政府は、初代への不信を爆発させた。初代の技術品もまた、世界を一変させかねないという認識を持った。ゆえに、政府から隠匿された技術者となった。表に出すことのできない人間となった。

 重要人物保護プログラムはそういった理由のため、適用されたのだ。

 

 そんな恐れる男が作った代物が、三日後には、ばらまかれるとされている。

 

 これを知った政治家たちの心境はいかほどのものだったろうか。海本初代の技術品を隠匿する政府だからこそ、その恐ろしさを理解していた。もしも、あれが世界中に公開されれば、ISの騒動どころではなくなる。IS技術が齎した変革は、男女の価値観と軍事産業についてだったが、民間にはまだIS技術の恩恵が齎されていないといってもいい。だが、この技術が公開されれば、軍事から民間まで、あらゆる分野に多大な影響を齎す。早い話が、政治の世界では良くて政権交代か、下手をすれば世界中で革命が起こり、経済は未曽有のパニックに陥る。

 

 その責任を負わされるものなど決まっている。

 日本だ。

 

 本来なら、脅しにはならない。公開したければすればいいだろう、だが、所詮は個人が公開しただけなんだから、日本には痛くも痒くもない、というのが九年前までの政府の回答だったろう。日本政府は関与せず、という立場を貫くはずだった。

 

 しかし、日本には忌々しい前例ができた。

 

 アラスカ条約。

 

 ISの製作者が日本人だった、というだけでアラスカ条約では、IS学園の運用と技術公開という、日本には莫大な不利益を被ることになったのだ。

 

 ――ISを日本人科学者が開発したので、日本が責任を負う。

 

 これは、本来、言いがかりも甚だしい。そんなことを言い始めれば新技術はすべて製作者や企業の国家が責任を負うことになってしまう。仮に、これがISを敵視する理性も何もない、どこかに怒りをぶつけないとすまないテロリストたちの言い分ならまだ納得がつく。だが、数十カ国の国家が記した条約なのだ。

 それまで日本と各国が築いてきた国際関係、技術協力、経済関係、地道に築かれてきたもの、すべてを崩壊させるようなものなのだ。各国の首脳や政治家たちがある天災科学者の怪電波発生装置の電波を受けて頭がおかしくなって作った、なんて理由の方が納得できる。それほどまでに、この条約には理不尽と暴挙に満ちている。しかし、こんな条約を作るほどに、ISの齎した変革に各国は苦慮させられ、そんな事態に陥らせたISへの憎悪は絶大だった、ということだ。

 

 ならば、海本初代の脅迫通り、この技術が公開されればどうなるのか。少なくとも、これを読んだ政治家たちが公開後も同じ椅子に座っているなど、あり得ないだろう。

 

 政府が極秘裏に、この要求に対して協議の結果、海本初代の要求を全面的に受諾することを決定した。

 ただし、日本が海本初代に屈したという事実ではなく、日本政府が海本初代に依頼した、という形にするために交渉を行え。

 

 それが、ダイスへの回ってきた内容だった。

 それを、ダイスの一機関である内事部特別技術管理室が行っている最中なのだ。

 

 脅しには屈しない、それが表であっても裏であっても崩すことのない日本政府のスタンスなのだろう。

 

 だが、ひとつの誤算は、若手の女性議員たちを統括する女性議員が来てしまったことだ。いまでこそ、この女性議員が最近派閥を広げて党の顔の一人となっているが、そもそも、この議員が力を強める契機となったのは、女尊男卑の傾向が現れる白騎士事件以後であるから、その前に脅威として認識された海本初代など知る由もなかった。

 また、ダイスの元職員がダイスを、その背後にいる日本政府、否、日本そのものを脅迫するなど、ダイスの歴史からみても数件しかない。特に、最近はこのような案件がなかったため、白騎士事件以降から力を強め、ようやくここまでかかわることのできた女性議員にとって、屈辱に感じたのだろう。だからこそ、現場を視察に来るなんて無茶を行ったのだ。

 

 その挙句が、海本初代の恐ろしさを理解せず、殺せと言ったのだ。

 

 ――まったく、餅は餅屋だ。俺たちに任せればいいだろうに、これだから政治屋は。

 

 となりでモニターを見つめる女性議員を横目で見ながら、桑田の心のつぶやきは誰に知られることもなく、部屋の隅に設置されたスピーカーから流れる音がそれを霧散させた。

 

 『ですからね、海本さん。我々(防衛省)としても、上(政府)にしても穏便にことを済ましたいわけですよ。何も息子さんを実験に使用したり解剖したりと、そんなわけ――』

 

 桑田と議員、職員のいる監視塔にスピーカーから声が流れた。画面の部屋――ダイス所有の取調室、の様子を逐一知るためにスーツの男――表向きは内閣府から防衛省に出向してきたとして、交渉を行う権限を持った内閣府職員に扮したダイズの職員、の声を拾い上げた。

 

 しかし、これほど馬鹿らしい交渉もないと桑田は思う。

 

 もうすでに、政府は要求を飲むと結論を出しているのだ。もう結果の出たものに対して時間を無為に重ねるなど、無駄としか言えない。だが、必要なのは初代に恩を売ることだ。政府が寛大にも要求を認めた、と。ただ体面が悪いから、政府から初代に依頼したことにした、とする内容を初代に承認させる。ここで重要となるのは、政府が初代に恩を作った、と初代本人に思わせないことであった。再度、無茶な要求をされても困るし、うまくいけば、逆に初代が恩を政府に作ったと思わせれば、これから、初代に政府の要求を飲ませることもできる。だから、交渉をする必要があった。

 

 『赤坂の圧力に屈して、アラスカ条約なんぞ屈辱しかない条約を結んだのに、信頼できかねますなぁ』

 

 けらけらと笑うように初代は職員の声を遮断した。赤坂というのはダイスにとって隠語で、CIA(アメリカ中央情報局)、つまりアメリカ合衆国を表している。赤坂に米軍基地があり、CIAはそこを拠点として活動しているため、ダイス職員にとって、赤坂がアメリカの隠語となったのだ。

 

 「殴りたいわね、この男」

 

 女性議員がつぶやく。

 それには桑田も同意するが、言葉にはしない。同意したとなれば、殺せ、とか言われる可能性もあるからだ。

 

 『だから、なにも難しいことは要求してないんだけどな、俺を八幡重工のIS開発局に戻せっていってるだけで』

 

 それが、初代の要求だった。

 

 八幡重工というのは、日本でも有数の重工業株式会社であり、産業用機械工業用機械事業を主としている。10年前まで、陸海空、自衛隊の備品の請負を担当していた会社でもあり、防衛省と関係も深い。そして、初代がダイスから出向し、約3年間勤めていた会社でもあった。

 

 初代は行っていたのだ、IS開発事業を。

 

 海本初代は政府から裏の世界に隠匿されたが、完全に裏に回ったわけではない。むしろ、白騎士事件とアラスカ条約を契機に表側に立ったのだ。

 この男の開発能力はすさまじい。しかし、それが誰も思いつかない新技術や発明品が世界を一変させかねないとして、政府は恐れた。だが、既存技術を改良させたり、組み合わせる技術開発でも同様の才能を発揮した。その才能を持て余させるのは惜しいものだった。特に、IS開発事情に関して、9年前はアラスカ条約にて各国から日本政府の有するIS技術に関して、すべての情報を開示することを求められた。それゆえに、他国に盗まれた技術など関係ないとばかりに、関連技術の開発を進める必要があった。政府への監視も強かったため、政府出資の研究所ではなく、民間企業である八幡重工に初代を出向させ、開発を任せたのだ。

 だが、6年前に、初代はダイスと八幡重工の表側と裏側、どちらの立場からも姿を消さざるをえない事件に巻き込まれた。

 しかし、なにも消されたわけではない。それから、初代は民間人として生きた。

 表も裏にも立場がないというのは、政府に関与する分野に際してのことで民間で生きてはいられる。

 

 だが、初代は要求しているのだ。再び、表の、政府の関与する事業――IS開発に戻せと。

 その要求に対して、職員は嘆息をついた。

 

 『海本さん、それがどれだけ難しいかあんただってわかってるはずだ。赤坂は完全にあんたをマークしてる』

 

 アメリカと初代の関係には一騒動あった。否、アメリカが初代という人材を見つけたといっても過言ではない。

 政府の技術開発を行う部署で、入職したばかりの初代は上司にある設計図を提出した。しかし、上司はそれを採用せず、それを拾ったのはアメリカであった。それが、現在、初代が日本政府を脅す技術であるのだが、その顛末は割愛する。結果だけいえば、アメリカは初代を危険視し、殺そうと画作することとなった。そんな男を表に出せばアメリカは好きなように初代の命を奪うことになるだろう。

 

 『大丈夫大丈夫、赤坂だって俺に手を出せばどうなるかわかってる。6年前とは状況が違うんだしな。いまや、俺にはISを動かせる息子という立派な人質がいるんだし』

 

 『あんたにはそれ以上の価値がある。所詮、あんたの息子だって、ISを動かしただけの子供だ。そもそも、赤坂はあんたの息子にそれまでの価値を抱いてなければ、あんたは消されて終わりだぞ?』

 

 『だったら、六年間、何もしなかった理由は? 公安が裏で守ってたことは知ってるが、あの図体だけでかい張り子の虎の臆病どもが手を出さなかったのは?』

 

 『それは……』

 

 言葉につまる職員の映るモニターを眺め、そうなんだよな、と桑田も同意する。確かに、6年前まで、否、9年前にISが世に出てから、IS開発事業を八幡重工が発表し、その後に初代はダイスから八幡重工に出向した。が、警護に関しては問題なかった。むしろ、今以上に安全だったといってもいいだろう。ならば、公安が監視していたといえ、6年間、初代が無事だった理由が説明できない。

 

 そもそも、現在の初代の状況も、できればアメリカが初代を処分してくれることを望んで放り出されたのだ。処分されれば、これ以上の技術が生み出されることもないからだ。

 だが、アメリカは初代に手を出すことはなかった。

 

 その後も交渉は続く。モニターを見ながら、交渉を眺めるが、変わり映えがしない。

 

 退屈だと桑田が感じていた時、議員の腕時計がなった。

 この部屋に携帯などの通信器具の持ち込みは禁止されている。

 そもそも、電波障害で使用不可能なのだが、そういった理由で次の事情が迫って退出しなければいけない議員にはあらかじめタイマーをセットした腕時計を渡していた。

 

 「時間のようね」

 

 忌々しげに、議員がつぶやく。

 桑田は心の中で万歳と喝さいをして、にこやかに議員を送り届けるように出口へ案内した。

 

 「なんで、今更政府を脅すなんてするのかしら、保護プログラムがあれば安全に過ごせるのに」

 

 議員があきれたとばかりに出ていく。

 

 そうして、見送りに向かう前に横目でモニターに映る海本初代の顔をみた。

 写真でみた息子の二代は軽薄そうだったが、初代も薄っぺらい笑みを浮かべている。

 議員以外、初代の目的を、この部屋にいる職員、交渉にあたる職員も、全員が理解していた。

 

 

 

 ――なかなか、立派なもんだな。息子のために自分を売り払うなんぞ。

 

 

 

 海本初代は、息子の海本二代を守るつもりなのだ。

 

 確かに、海本初代の実力は天災篠ノ之束に迫る実力を有している。もしも、世が世なら彼が天災として世界を動かしていた可能性もある。

 

 だが、それをしなかった。

 

 国家があったからだ。

 

 だが、国家を良くしようと、発展させようとした志は国家に否定された。

 功績も経験も知識も思いも願いすらも、否定された。

 

 しかし、それでも天災とならなかった。

 

 もしも、初代が第二の篠ノ之束となっていれば、彼は栄光をつかんでいただろう。自分を否定した国家に対して復讐を成し遂げられただろう。だが、それはしなかった。

 

 なぜなら、彼には息子がいたからだった。

 

 海本初代が愛した妻が残した一人息子がいたからだ。

 初代は、二代という息子を愛している。だからこそ、海本初代は息子を遠ざけている。それは、巻き込まれないようにするために。

 いつでも、日本でもアメリカでも、自分が殺されたときに、二代に被害が及ばないように、仮に人質となったら、喜んでわが身を差し出すのは当たり前。だが、無事に帰ってくる保証はないから、それこそ、現在のように日本政府を脅し、奪還させるのだろう。もしも、息子が殺されたら、世界を巻き込んでも、その国を滅ぼす。それを、監視していた公安に公言していた。だからこそ、政府は公安を通じて二代も監視し、二代にも手を出す国家がないようにしていた。

 

 その二代が、危機に瀕しているのだ。

 

 すでに、日本政府には各国から二代を実験に使わせろ、やら、解剖しろといった非人道的な要請が非公式に山のように来ている。

 だが、日本政府は初代の脅威を知るアメリカへ働きかけてもらうように依頼し、なんとか下火にしたのだ。

 

 だが、それから別ルートで要請が来るようになった。

 

 IS委員会からだ。

 

 IS委員会からしてみれば、初代がどれほどの技術者であろうとも、世界を一変させかねない技術を有していようとも、その技術者と敵対することになろうとも、ISの開発発展が行われれば、それでいいのだ。

 

 だから、海本二代をただの男性適合者としか認識がなく、それどころかISの齎した女性優位を崩壊させかねない脅威としかとらえていない。

 

 IS委員会から二代を守るには、IS関係者の後ろ盾が必要だった。

 

 だが、海本初代と二代にはIS関係者の後ろ盾はない。もしも、世界最強とされた織斑千冬の血族であれば、彼女が後ろ盾となって守れたことだろう。

 

 それだけでなくとも、二代の唯一の楯となる父親の初代は政府にとって厄介者なのだ。

 父親である海本初代は自らの作りだした技術公開を楯に、しばらくは二代を守ることはできるだろう。だが、いつまでも、それ一つで守るわけにはいかない。いつまでもそうして守っても、IS委員会からの要請を断るために、と真綿で首を絞めるように、初代は一つ一つの鎧を失い、やがては丸裸にされる。その時が、初代は消される時だ。本当に後ろ盾がなくなった二代は、各国とIS委員会の圧力に屈した政府によって実験体にも、解剖にも好きなように人身御供にされることだろう。日本の平穏のために。

 

 だが、そうはさせないためには、日本、ひいては世界各国とIS委員会を脅す必要がある。

 

 海本初代を殺したり怒らせるよりも、活かしておいた方がずっと益がある存在だとする脅しが必要だ。それはIS委員会の理解できる、IS関連技術でなくてはいけない。

 

 かつてはIS開発に関わった初代だが、もう六年も昔の栄光だ。

 

 ゆえに、現在のIS開発に次々と光を齎す地位であることが必要となってくる。

 だからこそ、初代は望んだのだ。

 

 IS開発に再び関わることを。

 

 そして、政府に忠誠の意思を示すため、あるものを差し出したのだ。

 それが、封書に同封されていた手紙と、一枚の設計図だった。

 

 もしも、二代が設計図を同封しなければ、政府は交渉に応じなかったことはないが、渋っていた。それがないように、一刻も早く二代の安全が確保されるようにしたのだ。

 

 ――美しい親子愛じゃないか、泣かせるねぇ。

 

 しかし、恐るべきは、ともう一度だけ、桑田は初代の顔を見た。

 

 この交渉材料は前々から用意したものなのだろうが、別な、アメリカ政府かもしくは第三国から狙われた際に、日本政府に協力を取り付けるために、日本政府を脅すために用意していたのだろう。

 

 そもそも、二代がISを動かすなど想定できるはずもない。だが、想定外のことが起こった。その想定外に、息子の危機だと察知し、機転の早さはあり得ないものだ。

 

 なぜなら、二代がISを動かしたと発表されると同時に防衛省職員が初代を確保するために乗り込んだのは、こうしたことを、小細工をしないために同時に乗り込んだ。脅されても、穴だらけのものであるから、穴をせめてひっくりかえせるようにするためだった。

 

 だが、政府は要求を飲まざる得ない事態となり、初代はしっかりとした交渉を行っている。

 

 その機転の早さとすさまじい思考力に、脱帽するしかない。ゆえに、初代が恐るべき怪物に見えてしまった。

 

 もしかすれば、篠ノ之束と同様の怪物を起こしたのかもしれないと思い、桑田は部屋を後にした。

 

 ――

 

 防衛省の廊下を女性議員と桑田は歩く。桑田が前になって迷わないようにする必要があった。

 

 「そういえば、なんていったかしら、さっきの男、ええっと――」

 

 名前ぐらい覚えておけよ、と桑田はあきれたが、指摘することなく教授する。

 

 「海本初代です」

 

 桑田がいうと、議員はふてくされたように、

 

 「そうそう、海本初代の作ったものってどんなものなんです? 幹事長もその名を出すなと眉をひそめたけど」

 

 幹事長というのは、与党最大派閥で、この議員の所属する政党の幹事長である。政務経験が豊富で、何期も幹事長を経験している。ゆえに、裏側である海本初代のことを知っていた。

 

 「エンジンですよ」

 

 「エンジン? それってISに匹敵する兵器でもないのに、あそこまで恐れたの? おとなしく作ってあげればいいのに」

 

 「ええ、車や船、飛行機などを動かす、あのエンジンです。確かに兵器もエンジンで動きますから広定義では兵器と言えなくもないですが」

 

 「それは、個人的に作ろうとしなかったの?」

 

 「予算が予算でしたから、初代の作った最初期のものはそれこそ莫大な金と資源で、仮につくっても採算が合わず、よって国が所有するイージス艦にでも搭載しないといけませんでしたし」

 

 国家のために作ったものだから、最初から個人で作るつもりなど毛頭なかったのだろうが、日本を脅したことに不快を示す女性議員にいえば、ことがややこしくなるため黙っていた。

 

 「そういえば、それの名前は? さぞや大層な名前がついてることでしょうね?」

 

 桑田がそれは機密で、と言い放とうとした時だった。

 

 

 

 

 「イレーザー・エンジン」

 

 

 

 

 前方から、声が響いた。

 しわがれた老人のものであるのに、どこまでも生気に溢れ、鋭い刃を思わせる声である。

 議員と桑田が前方に目を向ければ、一人の着物を着込んだ老人がいた。

 

 皮膚には数百のしわが刻まれ、頭頂部には毛がなく禿げていたが、その老人がいままでにどれほどの苦労と佳境を乗り越えたがよくわかった。

 だが、眼光はまるで野獣のようであった。いまにも襲いかからんとするらんらんと目を光らせる野獣。老人には、それが備わっていた。

 

 「城崎……議員」

 

 女性議員はつぶやく。

 その老人――政界の大御所にしてご意見番と言われ、戦後政治の復興から日本を支えた政治家、城崎四郎は、かつかつとしっかりとした足取りで廊下の奥――桑田と女性議員が歩いてきた方向を目指していた。

 城崎の後に数人の護衛たちが続く。

 

 自然と、女性議員と桑田は、隅により、道を開けた。

 

 「奴は作ったのだよ。人類には到達不可能とされた技術、第二種永久機関を、な。馬鹿どもがかじ取りを間違えなければ、今頃日本はもっと豊かになっていただろうに、惜しいことをしたものだ」

 

 誰につぶやくでもなく、城崎は歩く。その纏う覇気にいるものすべてを圧倒する歩みだった。茫然と佇む桑田と、座りこむ女性議員を残して、廊下の奥に城崎と護衛は消えた。

 




クロスオーバー単語説明

・防衛省情報局
通称ダイス
福井晴敏先生の小説に登場する架空組織。
家庭や仕事に疲れたおっさんとこの組織の若者が共同で戦線を張って事件を解決する。
更識家とかの関係もこれからの劇中で明かされる予定。
福井先生の小説では畳算が一番好きです。

・イレーザー・エンジン
ファイブスター物語に登場するMH(巨大兵器)に搭載されているエンジン。
第二種永久機関にして、出力は約一兆馬力という狂った代物。
しかも光を動力源にして動くという環境に優しい設計。だけど、あまりにも出力がありすぎて、このエンジンを使った兵器が突撃すると余波で地形が変わるという、環境に優しいけど生み出す被害は環境に全く優しくない。
これを出します。ええ、出しますとも。ただ、そのまま出すとインフレの頂点が来るので、百万分の一とかそんなものにして出します。

そんなわけで、最初の技術はイレーザーエンジンです。
あと、防衛省情報局を出したのは、完全に私の趣味です。
ええ、これからもすごいのを出します。組織も技術も、IS世界で行われるISを使ったスーパー技術組織決戦になります。
盾無さんの胃に穴があきそうな頭悪い展開を予定しています。

ご意見ご感想お待ちしております。


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運命の日

 夏季休業期間、まっただ中である八月の第2週の日曜日、織斑一夏の通う一帯の学校では、その貴重な時間を浪費するようなイベントがあった。

 

 男性IS適正検査。

 

 政府の実施する二人目のIS適合者を探し出すための検査である。

 検査といっても方法はいたって単純。厳重に管理されたISコアに触れて、それが起動するかどうかを試すだけだ。時間にして、2秒もかからない検査である。そして、大抵動かせず、無意味で終わるのだ。

 これは、日本のみならず、世界各国で行われていた。そもそも、なぜこんな無意味なことをするのかといえば、先々週、日本から世界を驚愕させる発見があった。

 

 女性しか動かせないISを男性が動かしたというのだ。

 それは、ISを制作する倉持技研の見学に来ていた男子高校生がISに触れ、発覚したのだ。

 

 ISを男性が動かしたというニュースは大々的に報じられ、すぐさま他の男性も検査すべきという声が世界各国で上がった。しかし、日本の実施が二週間後となったのには訳がある。

 

 その起動させた経緯が大問題となったのだ。

 

 ISは世界でスポーツとして名目上、認識されているが、実質は兵器だ。それも、既存の兵器が鉄クズだ、と評されるまでに絶対的な力を有し、もしも野に放たれれば、数万の命を奪う無慈悲な暴力でしかなく、ISにはISでしか対抗できないとされる、軍神もかくやという殺戮兵器でもあるのだ。

 

 そんなISを見学に来ていた男子高校生が『触れた』。

 

 事件の経緯としては、倉持技研で前は実験施設だったが、老朽化のため現在は広報などを担当する施設に策原工業高校の生徒が見学に来ていた。だが、その途中、女子生徒は計画通りのプログラムとなったが、倉持技研の女性職員が男子生徒たちにプログラムにない場所を案内した。この動機について取り調べを受けた女性職員は、男がISに関わっても無駄だと思わせたくて、と供述している。

 女性職員がどこに案内させたかといえば、元々はISの微調整を行う作業施設(これも特別入室許可が必要となる場所)に案内する。

 そして、事件となった。

 その施設にあったのは、その日の午後、雑誌に載せるために広報撮影用に用意されていた倉持技研製のIS「打鉄」であった。その打鉄に男子生徒たちを触らせるという暴挙を女性職員が行ったのだ。セキュリティも企業コンプライアンスもあったものでないし、本来ならそのようなことが行えるわけもないが、女性職員がその施設において独自の権限を有していたことが可能としてしまった。

 

 本来であれば、発覚を恐れた女性職員による隠匿の可能性もあったが、たまたま、次期倉持技研の専用機の操縦者に選出された女性とその肉親が騒ぎを駆けつけ打鉄を纏った男子生徒を目撃、即座に政府が知る流れとなった。

 

 そうして、男性適合者発見というニュースは表沙汰になったのだ。

 

 ISを男性が動かした件もそうだが、一般人にISに触れさせたのは、国内でも国際的にも取りざたされる大問題となった。

 普通だったら男子が触っても起動しないし問題なかったはずだ、なんて言い訳は通用しない。

 もしかすれば、触れた者が申請した男子生徒になり済ましたテロリストの可能性だってある。そして、現に男性が起動させ、その起動させた男子生徒がISで暴れた可能性もあったのだ。

 

 そうなれば、その破壊力は語るに及ばず、施設の被害で済めばいいが、ISの特徴として宙間移動にも優れ、数千キロも移動可能な飛行能力を有している。つまり、日本中のどこでも飛行可能であり、仮に人口密集地が襲撃されれば、大虐殺が行われていた可能性もあった。

 

 国内外から、倉持技研には連日、すさまじい数の批判が殺到している。そして、そんな研究所にISコアを配布した政府にも批判が押し寄せた。内閣支持率は急落し、倉持技研は社会的信用を失墜する結果となった。そのため、政府と倉持技研は事態の沈静化を図るため、一致団結する。

 具体的には、男子生徒にISを触れさせるという暴挙を行った女性職員に責任をすべて背負わせた。女性職員は即日解雇され、アラスカ条約を受けて特別法として成立したIS規定に関する法律関連はもちろん、諸所様々な法違反の疑いとして、検察を動き始めている最中だという。

 男子生徒たちも、一時はIS規定の法律違反の疑いありとされたが、検察が違反にはならないとして起訴を見送る発表を行ってマスコミも取りざたすことはなくなった。

 

 そんなごたごたがあって、日本の男性IS適合者捜索検査は二週間も延期した。他の国はもうすでに終え、一人も男性適合者はいないという結果が出ている。

 

 そのため、日本政府もこれ以上、男性適合者は見つからないだろうと予測はつけていたが、近年まれにみる大失態の傷が広がらないよう、男性のIS適正試験をごく短期間に終わらせ、話題が過ぎ去るために躍起になっていた。

 

 しかし、だからといって、

 

 「あちぃ……」

 

 「この状況で待たせるか? 普通……」

 

 降り注ぐ太陽光を一身に受け、「あちぃ」としか言わなくなった友人の五反田弾とともに織斑一夏はつぶやいた。

 

 こんな時期にやるんじゃない、との憤りが含まれている。

 

 政府のIS適性検査のための手紙が来たのは三日前。

 日本が所有するISコアには限りがあるため、地域ごとの適性検査の日付と時間も決まっていた。それが面倒になり、サボろうとしていたが、連絡網で回ってきた通知で、「行かないと夏休み明け、宿題プラス反省文百枚提出罰則がある」となり、指定された日に、友人の弾を伴ってIS適正試験会場――四駅も離れた場所にやってきたのだ。

 

 だが、待っていたのは地獄だった。

 

 IS適正検査の対象は日本の場合、全日本国民の男子が対象となるのだ。

 もしも、仕事や疾病などでやむを得ない事情のある者は免除されるが、基本的に8月は学生にとって夏季休業中である。つまりは時間がある。面倒だから行きませんでした、は許されないのだ。

 

 そのため、学生の参加率はほぼ100パーセントといってよく、また、一夏と弾の適正試験場所は四駅も離れた場所が最寄りの会場とされていた。

 

 つまり、最低でも四駅の範囲内に住む学生と男性が対象であり、そのため、会場には収容不可能な人数が集まって、会場外まで長蛇の列ができていた。また、仮に検査時間が二秒でも、受付のはがきの提示と、保険証や学生証などの本人確認も必要なため、その準備に一分ほどの時間を有する。さらに、用意されたISコアが二つや三つあれば列を分け、時間を短縮できたが、全国各地で貴重なコアを使って検査が行われているため、ひとつしか用意されていなかった。

 

 そのため、列は一向に進まない。

 

 もしも、IS学園の入学試験であれば、IS学園の保有するコアを使いスムーズに行えたのだろうが、あいにく、IS学園は日本が運営しながらも日本への不干渉の立場であるため、貸し出しは行われなかった。

 

 よって、検査を待つ男性を待ち受けていたのは、8月の照りつける直射日光と、全身を包む湿気と茹であがらせる外気温、そして、有名テーマパークの方がまだ列がスムーズだ思わせる終わりの見えない、長い、長い、長い列。

 

 一夏も弾も、周りの男性たちも、噴出して、滴り落ちる汗を気にする余裕もなかった。ただ全員がゾンビのように炎天下の路上で立っていた。

 一夏は最初、来年に高校受験ということもあって、バックにいれた参考書を読んでいたが、熱でゆで上がった頭に内容が入るわけもない。

 唯一の救いは、弾の実家の五反田食堂の店主にして弾の祖父、五反田厳が、弾が家を出る際、一夏の分も、と二人分の麦わら帽子を弾に持たせたことで、幾分の日光から守れたことだ。最も、この暑さでは、気休めにしかならないのだが。

 

 このまま帰ろうか、という衝動に駆られることも何度もあったが、そのたびに、連絡網で一夏の前のクラスメイトが言っていた、反省文百枚の言葉が蘇ってこらえさせた。

 

 帰れない、やっぱし、と思いなおしたその時、30メートルぐらいさきに並んでいた男性が倒れた。

 

 周りの人間がざわつくこともなく、誰かが手をあげて振った。

 しばらくして、担架をもった二人組が現れ、担架に倒れた男性を担ぎ、運んで行く。

 

 「……何人目だろうな?」

 

 「さぁ?」

 

 弾が珍しく、あちぃ以外の言葉を話したが、会話は続かない。そんな気力もない。最初、弾は、IS動かしたらIS学園に入れる!? つまり、ハーレム!! と意気揚々としていたが、一刻も早く終わってくれ、という懇願に変わっていた。

 もうすでに、熱中症で倒れた人間を、一夏と弾は何度も見ていた。列に並ぶ男性も、皆慣れ切っていた。

 近くにあった公園に設置された時計台で時間を確認すれば、午前11時21分。

 一夏たちの検査受付開始時間が9時からだったので、早く受けて終わらせようとしたため、7時40分に家を出たというのに、この時間になっても会場まで1キロ近くある。

 

 一夏は空を見上げた。

 

 ぎらつく太陽が変わらずにそこにある。

 家を出る前に見た天気予報は降水確率脅威の0パーセント。そして、ほぼ無風であることも暑さを増大させる要因だった。

 高齢者や幼児などは下手をすれば死亡するケースも考えられるため、検査時間を夕方や夜に設定しているそうだが(そのため、弾の祖父の厳は同じ地域でも日程と時間帯が異なっている)、はたして、検査を受けるのが先か、それとも、力尽きて死ぬのが先か、と一夏は考えていた。

 

――

 

 「次の方」

 

 「……ほら、弾、俺たちの番だ、終わったら、あれだ、どこか冷たいものを食べに行くぞ」

 

 「――つめたい、すき、あつい、いやだ……」

 

 最早、襤褸雑巾と化した友人に肩を貸しならが、いよいよ一夏たちの番になった。

 弾はうめき声ともとれる単語をぶつぶつと呟いている。

 

 会場が目前に迫った場所で弾はこうなった。さすがに危険ラインだと一夏は判断し、担架を呼んだが、救護員はこの状態では運べないと無慈悲に述べた。

 

 本来なら、一夏は憤るだろうが、会場わきに設置された救護室では人があふれかえり、地面に寝かされ、救護室から溢れかえった熱中症患者たちと比べればまだ弾の状態はよかったし、そもそも、救護室に運ばれて横になることしかできないと分かっていた。

 

 では、やはり反省文を書くことになっても検査を受けずに帰ろうか、と思案したが、弾が震える指で目前に迫った会場を指差し、

 

 「――けんさ、を」

 

 と輝きのなくなった瞳で、ぼそぼそと呟いていたため、弾の意思を尊重し、検査を受けることにしたのだ。

 

 受付は、一夏はだんだんと怪しくなってきた際に弾から、受付でもたつかないようにと預かっていた一夏と弾の検査通知書二枚と、保険証を提示し、終わらせた。

 

 そして、いよいよ、前の男性が終わり、一夏たちの番になったのだ。

 

 一夏と弾が足を進めると、広いホールの中には巨大な機械が鎮座していた。

 その中央に埋め込まれるように別な部品がある。

 

 ――ISコアだ。

 

 検査では完成品のISを使うことはしない。なぜなら、適合者がいた際、そのISを展開し、暴走でもしたら、会場の研究者や係員では止めることができないためだ。

 そのため、ISコアを特別な機械につなぎ、検査を行っている。

 

 それだけでなく、もしもコアを奪うことが目的のテログループや過激派などの襲撃があっても対応できるように、会場の内外では特殊警備車両の装甲車と機動隊員を乗せたトラックが止められ、会場内外にも警備に当たる機動隊が見られる、物々しい雰囲気に会場は包まれていた。

 その雰囲気に思わず足をとめ、一夏が飲まれていると、

 

 「早くしてください」

 

 連日、朝から晩まで一人も反応がでない検査結果とノイローゼ気味になっている様子の三十代後半の女性研究者がせかすようにいった。

 

 

 「ほら、弾」

 

 原則として、一人ずつ、自分の足で立って行わなければならない。そのため、一夏は弾を歩かせようとしたが、弾はふらふらと見当違いの方向に歩みを進めた。そのため、研究者に断りをいれ、一夏は弾に肩を貸しながら、ISコアの前に弾を立たせた。

 

 本来なら、生で見たISに対して色々と感慨を抱く一夏だろうが、いまは弾の介助の方が重要だった。研究員が名前を尋ねるので、

 

 「あ、えと、こいつの名前は五反田弾です。ほら、弾、触ってみろ」

 

 弾は震えの止まらない手をISにつける。

 

 何の反応も起きなかった。

 

 傍らに立つ女性研究員はため息をつき、次の方、と呼んだ。

 

 「ほら、行くぞ、弾」

 

 そういって一夏が弾に肩を貸し後にしようとしたが、

 

 「次の方って、君ですよ」

 

 女性研究員が一夏を見ながらそういった。

 

 「へ? 俺?」

 

 「だって、まだISに触れてませんよね?」

 

 あ、と声を出し、一夏はなぜ自分がここにいるのかを思い出す。IS適正検査で来ていたのだ。

 

 「早くしてくれませんか? あとが詰まってますので」

 

 女性研究者は本当にあきれたといわんばかりに嘆息をつき、一夏をせかせる。

 

 「はい、今行きます! ……弾、少しここでまってろよ」

 

 検査が終わった途端、真っ白になって燃え尽きた友人を床に座らせ、一夏はISの前に立った。

 

 「では、お願いします」

 

 はいはい、と返事をしながら一夏は手を伸ばした。どうせ起動しない、それよりも重大なことは、弾の様子がおかしくなってるし、帰りは救護室で横にさせて状態が安定してから帰るかそれとも五反田家に連絡して迎えに来てもらうか、それを悩みながら一夏は触れた。

 

 そして、日本で二人目の男性IS適合者が発見された。

 

 

・・・・

 

 その32分後、政府が二人目の男性適合者発見の知らせを受け、慌ただしく情報収集と、記者団を呼び、内閣府官房長官の緊急記者会見の準備を進めているとき、東北の山中にある町の公民館でIS適正検査が実施されていた。

 

 人口の50パーセントを超える住人が高齢者という限界集落も珍しくない東北の市町村だが、65歳未満の生産人口が8割を超える町という近年珍しい場所だった。

 

 その町の、公民館ではISコアの警備に当たっていた自衛隊員と順番を待つ町人たち、そしてその結果を管理する研究者が、一様に動きを止め、見入っている。

 

 研究者はこうした寒村で説明するため、IS使用規定に則り、ISコアを限定使用してもよいこととなっていた。つまり、言葉で説明するよりも見た方が理解できるので、その説明に起動してもいいのだ。そもそも、機械に繋がられたISコアでは何もできない。だからこその特例なのだろう。

 

 検査に使用するISコアは起動すると光り輝く設定にしてある。

 わかりやすさを優先するためだが、この光をみた高齢者の中には仏さまのご来光だと念仏を唱える者もいた。

 

 だから、光を抑える設定にしてあるのだが、現在、その設定以上の光に公民館は包まれていた。

 

 青白く、そして、淡い光が公民館の窓からあふれている。

 

 コアの隣に立つ女性研究者が驚きのため、眼鏡がずり落ちたが気がつかない。

 

 確かに、先ほど住人たちの前で見せたが、この光量になるように設定していなかったはずだ。

 

 だが、光り輝いている。そして、光が弱まり、やがて収まったが、会場は水を打ったような静けさに包まれていた。

 

 全員の視線がISコアの前に立つ、一人に注がれている。

 

 それは、白いワイシャツに黒の学生ズボンをはいた少年だった。肩の高さで髪を切りそろえ、俗に言うおかっぱ頭だが、前髪の長さは不均等という変わった髪型の少年だった。

 

 「……君、男だよね?」

 

 研究者は恐る恐る尋ねる。

 前に他の市町村でどれほどの年を重ねたのかも不明となるぐらいの老人がISコアを起動させ、大混乱になった。だが、その老人は女性で、体が弱まり動けなくなった夫の代わりに検査を受けに来たのだということが分かった。本人確認で提示された健康保険証には顔写真がなく、受付を担当する職員でも不明だったそうだ。

 

 もしかすれば、この少年も、実は少女なのでは? と疑問をもった研究員は質問するが、

 

 「ええ、男です」

 

 その少年の声は、変声期を終えた低い声色だった。

 研究者の手元のタブレットには、その検査対象者の名前が記されていた。

 

 『六根清音』、と。

 

 

 

 日本は、わずか一日で2人の男性IS適合者を発見する。

 

 これより、時代は加速し、情勢は混乱を極める。このことを知る者はまだいない。

 




 倉持技研大ピンチ。
 でも安心してください、技術革新しますよ。
 
 もっとも、どの技術を投入するか悩んでいますが。
 
 とりあえず、白式は魔改造決定です。
 具体的には、白式と書いて全てを焼き尽くす暴力と読む感じになりますね。
 
 一夏くんも主人公補正を最大限を発揮しまくって成長する予定です。つまり、一夏くんには死にかける試練が連続で襲ってくる予定です。
 別に私は一夏が嫌いなわけじゃないですよ!
 
 この作品の織斑姉弟は原作といろいろと変わってくる予定。
 
 具体的にいえば、千冬さんに春が来る。
 
 ご意見ご感想お待ちしております。


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一夏、動かした後(上)

原作の流れと違うことと、オリ人物が出ます。
苦手な人、ご注意

追記
ストーリーを一部改定しました。
冒頭部の一夏と浄正の会話を削除しました。


 一夏がISコアを動かしたとき、会場は騒然となった。

 だが、すぐにパニックになる研究者を尻目に、会場の、ISコアの警護をしていた警察によって一夏は身柄を確保され、そのまま連れ出された。会場に残してしまった、真っ白になって燃え尽きていた友人の五反田弾が気がかりで仕方なかったが、それを車に同乗した警察官に話をしたところ、警察官は一夏と一緒にいたこともあって、マスコミ対策のため、こっそりと家に送り届けた、と伝えられた。

 

 そして、会場からどこかのホテルに移された。

 

 その強制的な対応に怒りがなかったといえばウソになるが、しかし、そのあと、入れ替わり立ち替わり、警察庁や自衛隊やら、様々な組織に所属する初老の男性たちが謝罪を行いに来たため、その怒りもしぼんでしまった。謝罪の際、一人ひとり、一夏に階級と所属を名乗ったが、一夏には、自衛隊とか警察などの大きな組織名しか判別できなかった。だが、胸につけた豪華な階級章と部屋に入った時、部屋を警護する者たちの空気が張り付けたものに変わったため、人の機微に敏いがそれを誤読する一夏でも相当の高官だと判別できた。

 

 そんな状況にあって、一夏の心境はどういったものかといえば、

 

 ――まずいことになった、のか?

 

 という、ぼんやりとしたものだった。

 

 謝罪という、真摯な対応は受け取った。しかも、その謝罪した人たちが、本来なら、一夏に頭を下げるなどあり得ない偉い人たちであることも十分にわかった。

 

 だから、家に帰してほしいと一夏は思い始めていた。

 

 こんな日に限って、泊り込みの仕事のため、帰省するのが一カ月に一度か二度という、どこに勤め、どんな仕事をしているのか、唯一の肉親である一夏も知らない姉の織斑千冬が帰ってきたらことだぞ、と悩みがあった。かつて、日本のIS代表という肩書を持つ姉は、家事が全くできない。こんな日に家に帰っていれば、無断で留守にしたとして一夏は折檻を受けるし、どんな惨状を作り出すのか、想像もしたくなかった。

 

 と、気がつく。

 

 ――この前帰ってきたけど、様子が違ったな。

 

 二週間ほど前だったろうか、千冬が帰宅した。

 夏休み期間中であり、家に一夏はいたが、その際の姉の様子はいつもと違った。一夏に物置にしまっておいたトランクケースの場所を尋ねたり、保険証や印鑑など、貴重品を置く場所を尋ね、それらを用意すると慌ただしく荷造りをして家を飛び出してしまった。

 

 よほど急いでいたようだったが、一夏見送りに家を出たとき、自宅前に止まっていたタクシーに乗っていってしまう。

 

 よほど重要な仕事ができたんだろうな、と思いながらタクシーの背を見送ったことを一夏は思い出した。

 

 ベットに腰を下ろしたまま、窓の外を見れば、とっくに夜の帳が落ち、ホテルの窓から見下ろす町の明かりがまぶしい。

 

 そもそも、一夏は突然こんな場所に連れ込まれた謝罪は受けたが、説明は受けていないのだ。

 謝罪に来た高官に理由を尋ねようとしたが、その前にさっさと部屋から出て行ってしまった。部屋の中や外に立っている黒のスーツをきた男たちに尋ねてもいいのだろうが、見た目が恐ろしく、気後れした。

 

 さすがに、もういい加減にしてくれと一夏のいらだちが募っていた時、一人の男が入ってきた。

 

 また、どこかの組織の高官か、それとも部屋の中の黒服の男の交代か、どちらにしてもスーツだろうな、とうんざりとして視線を向かわせると、確かにスーツ姿の男だった。

 

 しかし、その男は、

 

 「よぉ! 一夏、大変なことになっちまったな」

 

 片手をあげながら、もう一方の手にはコンビニの袋を下げ、そういった。

 

 「浄兄(きよにぃ)!」

 

 思わず、一夏は立ち上がり、入ってきた男に声をあげ、

 

 「なんで浄兄がここに!?」

 

 素直に疑問をぶつけた。

 

 「なんでって、俺が警護を任されたんだよ、二番目の男性IS適合者、織斑一夏の警護を、な」

 

 浄兄は、そういって、一夏にコンビニの袋に入っていた――ペットボトルのお茶を投げて寄こす。

 

 一夏はそれを受け取り、

 

 「ま、詳しい話はあとで、いまはこれを飲めよ。積もる話もあるが、一夏は激動の一日で疲れてるだろうしな」

 

 そういって、浄兄は不器用に、顔をひきつらせてウィンクをする。

 そんな無理に恰好つけなくてもいいのに、とおかしみがこみ上げ、一夏は笑ってしまった。とりあえず、言われた通り、一夏はペットボトルのお茶を開け、一口飲んだ。

 

 ――

 

 浄兄こと、飯盛 浄正(いいもり きよただ)は一夏が数年前、姉の仕事の都合で一年間、ドイツに滞在したときに世話になった一夏の兄貴分だった。

 ドイツには仕事で来ていたそうだが、一夏は浄正がどこに務め、どんな仕事をしているのか、詳しくは知らない。

 

 ただ、一夏にとって、確かなことは、ドイツに滞在中の織斑姉弟が借りていたアパートの隣の住民であり、職場と方向が同じだから、という理由で一夏の日本人学校までの送迎と、姉、千冬の職場までの送迎をしてくれる気前のいい人であり、「俺もお兄さんと呼んでくれ」と本人自らが望んで、そのあと、真っ赤になった千冬姉に殴られた、不憫だけど気さくな兄貴でもあった。

 

 浄正は休日の一夏と千冬を誘って出かけたりもしたりと、何かと気にかけてくれていた。

 

 ――思えば、ラウラと仲良くなるきっかけも浄兄のおかげだったなぁ。

 

 一夏がドイツで過ごしていた間、友人といっていい関係の人間はできたが、その中でも特に仲良くなった少女がいた。

 だが、第一印象は最悪だった。

 

 ある日突然アパートに押し掛けてきて、ドイツ語で千冬を尋ねてきた。その時には、多少の日常会話も一夏は行えていたから、千冬姉はいませんと、無難に受け答えたのだ。たまたま、千冬は隣の浄正と出かけて不在も事実であったし。

 しかし、その少女は一夏をじっとみつめ、色々と流暢にドイツ語言ってきたので、対応と間違えたと一夏は考え、すみませんとドイツ語で謝罪した。そして、少女に殴り飛ばされた。

 

 初対面の人間に殴り飛ばされるという、類稀なる経験をした一夏のドイツの思い出だった。

 

 だが、その少女――ラウラ・ボーデヴィッヒと紆余曲折の末、一夏は友人という関係になった。そのきっかけを作ってくれたのは、いま目の前にいる浄正であったのだ。

 

 最も、一夏と千冬が日本に帰国する際、見送りにきたラウラに突如、一夏は唇を奪われ、日本語で「お前を嫁にする!」と宣言された。

 

 あれは、ラウラの勘違いした日本知識である(と一夏は思っている)ため、全く気にも留めていないが、その様子を、まだ仕事でドイツに滞在する予定だが、同じく見送りにきていた浄正に見られていたため、からかわれていた。

 その後、ドイツでの仕事を終え、日本に帰国した浄正が織斑家を訪ね、一夏を遊びに誘ったりすることがあったが、そのたびに、家で家事をする一夏を、

 

 「一夏は家事うまいな、ラウラがいつ給料三カ月分の指輪持ってきても大丈夫だよ」

 

 とにやけ顔でからかわれ、街に遊びに行った際、結婚式場の前を通っては、

 

 「おい、一夏、この式場、いまなら洋式で2割引きだとさ、ラウラに報告したらどうだ? 旦那さんの意見を聞かないと」

 

 などと、事あるごとにからかってくるのだ。

 そのたびに、一夏は、ラウラの間違った日本知識で、友達でいようということだ、と説明するのだが、浄正はどこか遠くを見つめ、

 

 「ラウラ、お前の春は遠いな……」

 

 と呟くのがお約束となっている。

 

 そんな存在の浄正が一夏の前に現れ、警護を担当するなどと言われたら、混乱寸前に陥った。

 しかし、浄正から受け取ったお茶を飲み、一息つくと、体の隅々にまで行きわたり、案外落ち着いた。どうやら一夏は自分の予想以上に一夏の肉体は疲れていたようだった。

 

 目をつぶれば、つかれがどっと押し寄せてきた。だが、その疲れで眠りこけることがないように、自分自身に活を入れる。

 

 ――そうだ、混乱しても始まらない、とりあえず、整理してみるか。

 

 「浄兄、質問があるけど、いいか?」

 

 「あ、ちょっとまて、一夏」

 

 部屋に備え付けられている椅子に腰を下ろした浄正は、同じく、ペットボトルに入った紅茶を飲みながら、手で一夏を止めた。

 その時、ぱたりとドアを閉める音が聞こえた。出入り口に目を向ければ、そこにいたはずの黒スーツの男たちがいない。

 

 「ああ、プライベートな質問もあるだろうから、外に出てもらった。何かあったらすぐさま飛んでくるが、まぁ、この部屋は盗聴の危険もないし、これで俺とお前だけだぞ。なんでも質問しろ」

 

 笑いながら浄正は言った。

 引きつる笑みを浮かべながら、一夏は尋ねる。

 

 「浄兄って、なにもの?」

 

 「ただのしがない国家公務員だ、ただ、警察官だったのに防衛省職員になったあと、外務省に出向し、それで防衛省に戻ってきたってわけのわからん経歴もちだが」

 

 いつもの笑みを浮かべながら、浄正は言った。

 




原作の人物の変更点
・一夏も千冬とともにドイツに行く
・一夏、すでにラウラと出会っている
・ラウラ、すでに原作二巻終了時点と同じ状態

一夏側のヒロイン、だれにするかまだ決めてませんが、ラウラのヒロイン力が高い、すごく高い。
誰にしようかと迷ってます。

あと、一夏、これで一夏っぽさがでてるか、悩みながら書いたので上というように分けました。
一夏はこんな感じじゃないとかありましたら、改善しようと思います。

ご意見ご感想お待ちしております。


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一夏、動かした後(下)

 いつもの笑顔を浮かべる浄正だったが、心なしかいつも我慢していたことがついに解禁された、と清々し、どうだ、すごいだろ? と自慢をする子供のような笑みであることに一夏は気がつく。

 

 もしかすれば、浄正はその経歴が誇らしいのかもしれない。だが、一夏は眉をひそめ、

 

 「……浄兄、そんなに仕事を転々と変えるなよ。もし、再就職するとなると不利になるぞ」

 

 浄正が語った経歴、警察、防衛省、外務省、そしてまた防衛省という経歴を聞き、一夏は浄正を心の底から案ずるように忠告をした。

 

 仕事を転々とすれば、再就職先を探すときに不利になると一夏は聞いていた。中央省庁の国家公務員ということで、国が就職先なら倒産の危険はないが、しかし何があるかわからない。それに、ニュースで自衛隊がISの登場により人員整理を迫られたことを放送して知っていた。それと、一夏は、防衛省が自衛隊に関係するものだという、受験の際に問題になりやすいために、一応の知識もある。つまり、一夏の中では自衛隊=防衛省、自衛隊=首になりやすい、防衛省=首になりやすい、という認識が成り立っていたため、首を切られやすい職場に勤める兄貴分に対して、再就職先に不利になるだろうという忠告だったのだ。ちなみに、防衛省は自衛隊、という認識は厳密にいえば異なり、防衛省が自衛隊を管理運営するのだが、ここでは関係なく、長くなるために割愛する。

 

 その一夏の心の底から憂慮する言葉を聞き、浄正は椅子から転げ落ちた。

 

 「浄兄、大丈夫か?」

 

 さきほどと違い、うわべだけの心配だった。派手に転んだが、怪我をするわけがないと一夏には確信があった。そもそも、アパートの三階から落下しても怪我ひとつしなかった人間がこの程度で怪我をするわけがない。だが、世話になってるし、と一夏は一応声をかけるが、浄正は立ち上がり、

 

 「一夏、お前、普通は驚くんじゃない? えー! 防衛省に勤めてるのか!? とか、ドイツに来てたのって仕事は仕事でも、国の仕事だったのかよ!? とか」

 

 ぜぇぜぇと派手に肩で息をしながら一息に浄正はツッコミを入れた。

 浄正がこれほどムキになることも中々ない。携帯で写真を取って、千冬姉に送ったら、さぞや千冬姉はいい笑顔を浮かべることだろうと思いながら、一夏も、よほどすごいことなのだろうなぁ、となんとなく理解した。

 

 だが、一夏にとって浄正は、

 

 「だって……浄兄って、ドイツにいたときから、遊んでばっかだったじゃん。よくこれで首にならないなって不思議だったけど、いきなり、そんなすごい仕事してたって言われても、なぁ……」

 

 「ぐばぁ!」

 

 突如、浄正が胸を抑え、床の上にあおむけに倒れた。

 

 織斑姉弟はドイツ滞在中、いきなりの異なる言語、文化、風習、制度、人種など、慣れない生活に直面したが、アパートの隣人であるというだけの浄正がその都度に世話をして助けられたのは事実だ。

 

 最初はかたくなに浄正の世話を拒んでいた千冬も、二人で話し合いが行われ、その後、千冬は言葉を変え、浄正の支援を受け入れるようになった。一夏には何があったのか知る由もないし、一度だけ千冬に尋ねると無言で睨まれたので口にはしていない。浄正に尋ねて、その後に千冬にばれたら恐ろしいのでダブーの一つとしたのだ。

 

 だが、それを引いても、千冬は一夏が成績が下がったことを知れば、口々に、「将来、浄正のようになるぞ」と言うぐらいに、この男は遊ぶことが好きだったのだ。

 

 一夏が日本人学校の帰りの時間が同じ時に浄正に誘われ、そのまま夜遅くまで遊んでしまい、遊び呆けてアパートで角を生やして待っていた千冬に二人で怒られたものだった。

 でも、だからと言って、嫌いではない。

 

 「大体、浄兄がすごいだなんて最初から知ってたし、俺にとっては今更だからな」

 

 むしろ、一夏は浄正が好きであった。

 一夏は浄正に連れられ、ドイツの知る人ぞ知る名所を巡り詳しくもなったし、また、ある時は、ドイツの貴族という由緒正しい家にお邪魔し、庭の森で狩猟をさせてもらったこともある。

 遊んではいるが、どこかに遊びに連れて行ってもらう度、一夏は浄正の幅広い人脈と知識に感服し、ある種、姉の千冬とは別な意味で尊敬していた。いきなりすごい仕事をしていた、すごいところに勤めている、といわれても、ピンとこないのだ。

 

 「……本当に一夏って、天然ジゴロだよ。俺が女だったら、千冬が義妹になってたね」

 

 むくりと首を浄正は一夏を見た。

 だから、普段の意趣返しとして、

 

 「そしたら、不倫になるんじゃないか? ラウラが婿なんだしな。不倫は勘弁だぜ」

 

 笑いながら、普段から一夏をラウラの嫁とからかっている浄正に対して、言ってやったつもりだった。

 

 浄正が倒れたままの姿勢で右手を持ち上げた。その右手には、いつ用意したのか、細長いシャープペンのようなものが握られ、一夏が首をかしげた時、

 

 『そしたら、不倫になるんじゃないか? ラウラが婿なんだしな。不倫は勘弁だぜ――』

 

 一夏の数秒前の発現が再生された。

 んなっ!!? と固まる一夏をよそに浄正は起き上がって手元の――ボイスレコーダーを手で遊びしながら、先ほどよりも笑顔を浮かべ、

 

 「はい、いただきました。一夏くんの『ラウラは俺の婿』発現です。さて、ドイツ在中のラウラちゃんの住所は――」

 

 がっくりと肩を落とし、一夏は降参する。

 こういう面があるからこそ、一夏が武力と威厳で叶わない千冬が真面目な狼だとすれば、少年期に近所に住んでいた姉の友人と同じく、賢い羊である浄正には敵わないのだ。

 

 「わかった、わかったから、俺が浄兄をからかおうとしたのは悪かった。だから、それはよしてくれ、本気で」

 

 「ま、これは冗談冗談だ、冗談」

 

 冗談にまったく聞こえなかったと一夏はうなだれるが、そんな一夏をよそに、ボイスレコーダーの消去ボタンを押して再び、浄正は椅子に腰かけた。

 

 「さて、一夏、本題に入るが、お前がISを動かしたのは事実だな?」

 

 「ああ、適性検査でISコア、だっけ? それが動いてここに連れてこられた。横暴だとおもわねぇ? それで浄兄、そろそろ家に帰りたいんだが、どうすればいい?」

 

 一夏からしてみれば、いつまでも家に帰れず、ホテルに軟禁状態に置かれるのは勘弁してほしい。一夏からしてみれば、ISを動かせると判明しただけで、この仕打ちはあり得ないだろう、と思いがあった。そして、浄兄ならなんとかしてくれるんじゃないか? と一縷の望みがあったのだが、

 

 「あぁ、それなんだが、一夏、いまは家に帰らないのが無難だ」

 

 へ? と、予期せぬ回答を受け、呆ける一夏をよそに、浄正は手にしていた黒の四角い物体――リモコンを部屋の隅に差し出す。

 

 そちらに一夏が視線を向けると、部屋の隅に置かれていたテレビの電源が入り、画面に映像が映し出される。

 

 もう日の暮れた時間としては珍しく、スーツを着たアナウンサーが真面目そうに、テレビ画面に映る場所の説明をしていた。画面の右上に緊急中継と打たれている。

 大きな事件が起きた時、こういった放送があることを一夏は見ていたし、もしかしたら、適性検査をまつ順番の間に大きな事件が起こったのか、と予測したが、画面に映る家家や、道路の様子をみて凍りつく。

 なぜなら、その場所には、見覚えがあった。否、見覚えしかないと言っていい。その理由は、

 

 「俺ん家の前じゃねぇか! ここ!!」

 

 なじみ深い場所――織斑家の前であるからだ。

 肝心の家の前には、警察官が数名立っていて、警備に当たっている。そして、テレビに映る報道陣の数も半端ではなかった。画面からばばばっと不快音が鳴っているのは、大方上空をヘリコプターが旋回しているためだろう。

 ライトをつけて、それぞれが大声でカメラに向かって話している様子がわかり、ご近所迷惑甚だしいと一夏が危惧を抱いていた。

 

 もう一度、浄正に顔を向ける。

 

 「これでわかっただろ? 帰ったら連中に捕まったが最後、もみくちゃにされて下手すれば家の中まで踏み込まれるぞ」

 

 「いやいやいや! どうしてこんなことになってんだ浄兄! なんで俺の家の前にこんなにマスコミがいるんだよ!? 俺と千冬姉は人様に顔向けできねぇことをやからした覚えはないぞ!」

 

 「いや、それはあれだ」

 

 どうどうと詰め寄る一夏をなだめながら、再び浄正はテレビを指差した。

 画面が中継映像から、記録映像へと切り替わっていた。そこには、よくニュース番組で流れる青天幕を背に、日の丸の旗と壇上に立って話をする六十代の男性が映っていた。一夏はその男性が誰なのか知っていた。最も、名前と職業を知っているだけで、直接会ったことも話をしたこともない。その職業に関しても、名前は知っているが、その職務がどういったものかは知らない。

 その男性の職業と肩書は――内閣官房長官。

 

 職務内容は日本の内閣府に携わり、政府のスポークスマンと呼ばれ、日本の政府公式会見を行う男だった。

 

 『――ですので、本日実施しました日本国の男性に対してのIS起動適正に関する検査におきまして、二名のISコアの起動が確認され、その適正が判明したわけであります。本来なら、二名とも未成年者であるため氏名の公表を差し控えさせていただきますが、IS委員会より、公表するようにと要請があり、一般公開となりました。一名は、織斑一夏さん、15歳の――』

 

 ――織斑一夏と、一夏は自分の名前を読み上げあられていた。

 

 「いや、すごいなマスコミは。住所公表したわけでもないのに、この発表の二分後にお前の家の前に最初の報道陣が突撃してきたぞ」

 

 はっはっはっ!! と笑う浄正だったが、一夏はテレビに視線をくぎ付けにして見入っていた。

 その後の記者団から質問で、織斑、ということで織斑千冬との関係を尋ねられていたが、個人情報のためお答えできませんと官房長官は言葉を濁すが、ほぼ特定されたといってもいいだろう。

 

 「ナンデスカ? コレハ」

 

 片言になり、長年油が差されず、整備のされていなかったブルギ人形のように首を動かして一夏はテレビから浄正に顔を向けた。

 

 「なにって、内閣官房長官の談話だ。6時のやつだから二時間前になる」

 

 「なんで官房長官が俺の名前を読み上げてるんだよ!? なんでこんなおおごとになってんだよ!?」

 

 「そりゃ、お前がIS動かしたからだろう?」

 

 「いや、それでも――」

 

 「一夏、ひとつはっきりさせておくぞ」

 

 ぞくり、と一夏の背が凍りついた。

 まるで、鋭利な牙と爪を持つ捕食者に睨まれた哀れな小動物のように、動くことができなかった。部屋の中には、よく知っている浄正と一夏しかいないのに、突如一夏は、肉食獣のさまよう森に放逐されたかのように、戦慄するほかなかった。

 

 「き、浄兄?」

 

 いつもの調子で兄と慕う男を見るが、浄正はスーツの内ポケットから数十の封筒を取り出し、それらを一夏の座るベットのわきに放り投げる。その衝撃で、数枚の封筒の中身がベットの上に散らばり、入っていた紙が広がって、書かれた内容が露わになった。

 

 「まずいことになったんだよ、とってもまずいことに、な」

 

 苦々しく、この世のすべての憎悪を吐き出すかの如くに浄正は吐き出した。

 その様子も気になったが、一夏が見たのは広がった封筒の束だった。

 

 恐る恐る一夏が一枚を手にしてみると、細かな文字でびっしりと書かれていた。どれもアルファベットや記号のような文字が並び、日本語ではない。

 

 「ドイツ語は読めるだろうが、あいにくドイツは寄こしてなくて、ここにはない。まぁ、あれだ。この二週間で日本に寄こされた手紙の一部とメールをプリントアウトしてきたものだ。IS適合者、海本二代に対して、のな」

 

 そういった浄正は笑っていたが、目が全く笑っていない。長年の付き合いの一夏でも、ぞっとするほど、冷たい目をしていた。なぜここで、海本二代の名と手紙がでるのかわからなかったが、言葉を飲み込んだ。

 なぜなら、浄正の目が一夏を射抜き、ぎゅっと心臓をわしづかみされたかのように一夏は縮こまってしまったからだ。

 

 「一夏、ISは兵器だ。この世界の常識を一変させた特大級の兵器だ。誰が何と言うとそれだけは事実」

 

 一夏は知っている。ISが兵器として生み出されたのではないことを、製作者がそれを意図していないことを。だが、浄正の言葉は、それを否定し、ただただ現実のみをつきつけていた。

 

 「だが、例外ができた。二週間前にISを動かした男――海本二代という例外が」

 

 それは一夏も知っている。IS適正検査が行われるきっかけとなった事件の当事者の一人であり、どのように関わったのか、ニュースは事の顛末を何度も放送されていたから知っている。

 だが、そのニュースの裏にはある騒動があったと浄正は述べた。国家機密だから話すなよ、と前置きして、浄正は一夏に説明していった。

 

 「これに対して、各国の反応は二つだった。二派に綺麗に別れた」

 

 浄正は手を突き出し、ピースサインを作る。

 

 「一つは、男性適合者を貴重なサンプルとして、どうして男が動かせたのか徹底的に解明したいため、その適合者をIS搭乗者として育成、取り扱い、長期的にデータを収集し、そのために、その男性を赤子のように丁重に丁重に扱えとする一派――政府は穏健派って呼んでる」

 

 人差し指を折り曲げた。

 一夏にも、その理由はわかる気がした。

 確かに、男性適合者が動かせたのか理由がわかればISの技術はさらに向上する。そのためにも、ISを学べばいいことがある、データを収集するためにご機嫌を取って、適合者自らが進んで協力してくれるためにも必要だろうと、予測がついた。

 もしかすれば、もう一派と言うのは、男性IS適合者がいても放っておいて、以前の生活を送らせてやれ、その人間にも人生があるだろうから、と願う一派なのかと一夏は予測をつけたが、浄正の言葉は複数の意味で一夏を裏切った。

 

 「そして、もう一派が徹底的に分析しろ、という共通部分を持ちながらも、そのためには人体実験などの非人道的手段も許容する、もしも死なせても、事故死という故意の死ではなく不慮の死として処理し、死後はサンプルとして回収、短期間で情報を集めろ、と訴える国々からなる一派――過激派だ」

 

 浄正は中指を折って吐き捨てるように言い放った。

 な!? と、声をあげたが、続く言葉を失い、一夏は立ちあがってしまった。

 そして、その際、ベット淵に置かれた封筒が床に散らばった。一夏は散らばるものを見た。と、なればこれは――

 

 「そうだ、それは海本二代という、IS適合者に対して、実験に使わせろ、解剖させろと、件の過激派の面々が送ってよこした催促状なんだよ」

 

 「ふっざけんじゃねぇ! 誰がそんな馬鹿げた話にのるか! 第一に二代って人は実験動物じゃねぇんだぞ! 人間なんだぞ!」

 

 声を荒げながら訴えた。確かに、今日まで男性適合者というのは世界中でも三人しか見つからなかったと聞けば、その貴重さは一夏でも理解できる。だが、それとこれとは話は別だ。そんな被検体のような生活はごめんだった。

 

 「落ち着け、過激派の主張を日本政府は断った」

 

 その話を聞き、ほっと一夏は胸をなでおろした。もしかして、政府は話にのってしまったかという懸念があったからだ。海本二代のニュースはあれから放送していないこともあったし。

 

 「しかし、その当事国であるはずの日本は決められなかった。どっちの意見にも右往左往するのみだったんだよ」

 

 「は?」

 

 一夏は、浄正が何を言っているのか、理解ができない。言葉の意味は理解できるが、なぜそうなのかが理解ができない。

 

 「決めたのは、ある理由によって、海本二代へ対して保護の動きが国内のある団体から、圧力があったためだ。過激派に与するよりも、その団体と穏健派に与した方が得策と判断した――まぁ、あれだ。政治的判断って奴だった」

 

 「人の命を、なんだと持ってんだ、そいつらは」

 

 わなわなと一夏に怒りがこみ上げる。正義を気取るつもりはないが、それでも、二代を助けたのは、そちらの方が得があるためと、人の命を命と思わない連中に対して、怒ったのだ。

 

 あまりにも純粋で青臭い一夏の正義に、浄正はわずかに笑った。嘲笑ではなく、誇るような笑みだったが、一夏は気がつかない。

 

 「落ち着けって、海本二代は穏健派の提案通り、丁重に扱われることになった。それで話は終わった」

 

 まだ納得がいかない様子の一夏だったが、しぶしぶというように、怒りをおさめた。

 だが、と顔をゆがめ、浄正は一夏を見る。

 

 「お前ともう一人がISを動かせる適正が見つかっちまったんだよ」

 

 その言葉の意味がわからず、一夏が首をかしげると、浄正が説明した。貴重な人間が三人もいることになった意味を。

 

 「――1人じゃなくて、3人“も”、いる。それも、日本から3人だ」

 

 嘆息をつきながら、浄正は一夏を見つめた。

 

 「1人だけなら、どうにかなる。他の穏健派の国々を味方につけ、立ち回れるし、仮にほとんどの穏健派が過激派になっても、その圧力に屈することなく、日本単独でも守ることもできる。だが、3人となれば話は別だ」

 

 ごくりと一夏は唾を嚥下した。

 何を言おうとしているのか、大方理解した。だから、それが不穏なことはわかる。それがわかった時、のどが急速に渇いていった。だから、唾を飲んだ。しかし、のどが全く潤うことなく、むしろ、余計にのどが乾いてしまった。

 

 「3人もいるんだから、1人ぐらい使わせろ、それが、過激派の、この二時間で何百何千と送られてきた要求書の内容だ。そして、政府も対応に困ってる。一人でも、決められなかった政府が、3人もいるとなって余計に混乱している。他にも男性適合者が発見された想定をされていたにはされていたが、二人の場合で、三人は完全にイレギュラーだ。2人なら、まだ何とかなった。

 

 しかし、日本政府のみでは三人を守りきることができない」

 

 それはそうだろう。

 日本の方針は、あくまでも一人の場合だったのだから。

 

 「じゃ、じゃあ、もしも、俺がISに関わらないと言ったらどうなるんだ? IS適正者が三人もいるから問題で、俺がISに関わらないと宣言すれば――」

 

 しかし、そんな一夏の声を遮って、浄正は言葉を繋いだ。

 

 「その場合、一夏は放逐される。マスコミさえ解決すれば以前の生活となんらそん色のない生活が送れる。だが、事実上、過激派に供物にされたと同義だ」

 

 「なんでだよ!?」

 

 「現在、国は一夏を守っている。しかし、それは男性IS適合者であった場合のみ。つまり、適合者であるための権利と義務を一切合財、一夏が放棄し、携わらないといえば、さすがの日本も一国民である一夏の生活を強制する権利も一夏に従う義務もない。けどな、それは一夏を適合者として守る義務もないことを明確にしたってことだ」

 

 一夏は、その言葉を理解し、途端、恐ろしさがこみ上げた。

 浄正の言わんとすることを理解したからだ。

 

 「過激派の国がいつ、一夏を狙っても、国が一夏を守ることはあくまでも一国民として、だ。その時、お前だけじゃなく、近くにいるものも巻き込まれる」

 

 一夏の頭に友人の顔が浮かび、彼らが巻き込まれたらどうなるかを想像してしまった。

 そんなことは、一夏は望んでいなかった。

 

 一夏は死を望んでいない。

 だが、死を回避するためには、IS適合者としての道しか残っていないことを理解してしまった。

 

 「誰かが、犠牲になるしかないのか?」

 

 ぎゅうっと胸を締め付けられる。

 しかし、それを選べば、待っているのは三人のうち、一人が犠牲になるという結果だ。二人しか座れない椅子に三人もいれば、そうなるのは必然なのだ。

 一夏は、その犠牲になりたいと思うわけがない。そこに行けば、人として扱われないのは目に見えている。人としての尊厳も奪われ、最後は死ぬ。そんなわかりきってる未来に進みたがる馬鹿ではなかった。だが、その犠牲になったのが自分でなくても、自分が誰かの犠牲の上に成り立っているということも納得できなかった。

 

 やっと、言葉の意味が理解できた。

 選ばれても選ばれなくても、犠牲がでることに。

 

 「いや、お前はならない。千冬の身内で束博士と交流があるからだ」

 

 一夏の姉、織斑千冬は日本代表として世界大会で優勝した経歴を持ち、そして、ISの生みの親である篠ノ之束は一夏の幼少期から付き合いのある人物である。

 ゆえに、怒らせたくないというのがあることを一夏も理解した。

 

 しかし、誰かが犠牲になる事実には変わりない。これは、一夏が椅子を一つ占有したために、もう一つの椅子を、他の二人が争うことになったのだ。

 

 「……浄兄、俺どうしよう、とんでもないことをしでかして――」

 

 茫然と、力を喪失してベットに座った。

 もしも、弾の様子がおかしいからとして、研究員の静止の声を無視して帰っていれば、反省文百枚でも千枚でも書くことになっても、列から抜け出して帰っていれば、二人の男性適正者は政府から守られたはずだったのだ。己を責めるように、一夏が力を失って倒れたように座った。

 それが床でも一夏は座っていたことだろう。それほどに衝撃だった。

 

 「一夏、お前は悪くない。誰も悪くないぞ」

 

 浄正はいまも苦しむ一夏に近づき、抱きしめる。その温かさに、なぜかほっとした。

 

 そうして、どれほど経っただろうか、浄正が一夏の両肩に手を置き、視線を合わせた。

 

 「落ち着いたか? 一夏」

 

 「ああ、ごめんな、浄兄、俺少し、変だった」

 

 はにかんで一夏がいったので、浄正も笑って応える。

 

 「よし! それでこそ織斑一夏だ。」

 

 浄正は、一夏の姉、織斑千冬に一夏を甘やかすなと言われていたが、これを改めるつもりはなかった。人間、誰しも参るときがある。そんな時、誰かがそばにいて慰めてやることが必要だと分かっていた。だからこそ、一夏を慰めた。

 

 本来、あり得ないことだが、もしも、もう一つの歴史があり、そこでは一夏がドイツに行くことなく、千冬のみが行き、飯盛浄正が存在しなければ、一夏は屈強に育っただろう。この事実にも負けない精神を持っていただろう。その一夏と比べれば、飯盛浄正が関わって形成された織斑一夏はナイーブなところがある少年だった。

 

 「さて、一夏、実はだな、一夏を含め、三人を救う方法だが、ないわけじゃない。これには一夏の協力が必要不可欠なんだが……」

 

 一夏は顔をあげた。

 

 「それって、なんなんだよ!? 教えてくれ! 浄兄!!」

 

一夏は、いまにも襲いかからんばかりに浄兄を見る。

 

 「協力、してくれるか?」

 

 首がおかしくなりそうなくらいの勢いで一夏は首を縦に振ってうなづく。

 

 そして、その様子を見た浄正が、静かに呼吸を落ち着け、ゆっくりと目を閉じ、もう一度開く。まっすぐに、真剣に一夏を見つめ、こういった。

 

 

 

 

 

 「――お姉さんを、千冬を俺の嫁にください」

 

 

 

 

 

 「はい?」

 

 思わず、一夏の目が点になった。

 

 




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ある夫婦の過ごし方

 プロットが出来上がりつつあるので、軽めに更新


 東北地方の山村と山村を繋ぐ県道を一台の車――黒のセダンが進んでいた。

 

 地方の農村部における高齢人口の占める割合が増え、特に山村の過疎化が懸念される昨今であるが、それを如実に示すかのように県道沿いには、つぶれた個人店と民家があるだけで、分け入っても分け入っても青い山が続く風景をフロントガラスに描いていた。

 

 少し時期が早ければお盆で田舎に帰省し、これから都会に戻る家族を乗せた乗用車ともすれ違うだろうが、八月の下旬ではそうした期間も過ぎているので、すれ違う対向車もない。

 帰省の家族を顧客に選定し、限定で店を開く個人商店もシャッターを下ろしたばかりと見え、より一層ものさびしい様相を見せていた。

 

 この道を走っていれば、いつまでも変わらない景色と乗り合わせる相手の顔に飽きてしまい、同乗者同士の会話は途切れ、車内をにぎやかせるのは運転手が気まぐれでつけたラジオと時折カーナビが示すマップ表示と決まっているものだが、県道を行くセダンの車内には、それすらもなかった。

 

 助手席に座った同乗者が俗を好まないと運転手が知っている配慮とある理由があるが、それ以上に車内は静寂に満ちていた。

 

 車には、二人の人間がいた。

 

 一人は運転席でハンドルを握る、見るものが見れば、美男子と判断できなくもない顔つきの二十代前半の男性である。軽く鼻歌を口ずさみながら、長らく整備もされておらず、時折コンクリートがひび割れ、並の運転手ならハンドルを取られそうになり悪戦苦闘するだろうが、涼しげな態度を崩すことのなく自在に車を操っていた。

 

 

 もう一人は助手席に座る女性だった。退屈な旅だというのに携帯を取り出していじることもなく、車内の静寂を通り越し、険悪といってもいい空気などどこ吹く風とばかりに威風堂々たる様子で腕を組んで豊満な胸を持ち上げているが、本人には自覚はないだろう。百人が百人、佳人と評する美貌を持ち合わせているが、その目の端はつり上がり、どこかきつい印象を持たせている女性だった。

 

 女性も男性も夏用のスーツであるため、地方に出張にいく会社員二人組、と思わせる組み合わせだったが、この二人は会社の従業員という、職場をともにする間柄ではなかった。

 

 「千冬」

 

 男は声を上げた。軽い調子で、気の強そうな女性に臆することなく堂々といってのけた。千冬と呼ばれた女性は、なんだ、と態度を軟化させることもなく、そっけなく応じる。外見を表すかのように、声の端端にどこかとげが感じられる声色であった。

 

 「音楽、聴いていいか?」

 

 コンソールボックスからCDケースを数枚取り出し、千冬に見せた。

 

 「それぐらい許可をとるな。私が聴くなといったら聴かないつもりだったのか、貴様は?」

 

 千冬を知らない人間でも、一目で機嫌が悪いと判断する様子であった。これに、男性は軽く肩をすくめて、軽い冗談染みている所作をみせるが、千冬が態度を変えることはない。むしろ、片眉をより吊り上げて、不機嫌をより深刻にさせただけであった。これ以上は藪蛇だと許可をもらった男性はすごすごとCDを取り出し、カーナビを兼務したカーオーディオで音楽を流そうとした。

 

 「貸せ、運転に集中しろ。危険だろうが」

 

 その前に、男性からCDケースを千冬が奪い、カーオーディオで再生をかけようとしていたが、慣れていないのか、カーナビのシステム画面から別な操作パネルをタッチしてしまったが、それに気づかない。

 

 あ、と男性が気付いた時には既に遅く、

 

 『――ですからブリュンヒルデといえども怪しいと思うんですよね』

 

 AM/FMと表示され、その隣に数値が書かれた画面――ラジオ放送を選択してしまったのだが、その第一声は二人を、車内に漂う空気を凍りつかせるには十分な威力をもっていた。

 

 二人は表面上、一切動じなかったが、一瞬、車内が凍りつき、危うく男性はハンドルを悪路に取られ、千冬は持っていたCDケースの中身ごと罅を入れ、使用不可能にするところだった。千冬は一刻も早く他の放送局に変えるか、もしくは別な機能を起動すべきだったろうが、一瞬の逡巡が、その考えすらも吹き飛ばしてしまった。

 

 よって、二人の動揺を知らず、ラジオは流れ続けた。

 

 『弟がISを動かしたとわかって数日のうちに結婚発表ですよ、しかも相手は公務員の男性とかありますけど、公務員というところが怪しい』

 

 『と、いいますと?』

 

 『公務員ですが、政府関係者ではないかと思うんですよ。言い方は悪いですが、私は身内を守るためにブリュンヒルデと言われた織斑千冬さんは身売りしたのではないかと――』

 

 男が手を伸ばし、別な機能に切り替え、流れる声を遮断した。これを流して話しているコメンテーターか何かはしらないが、勝手にいってくれる、と内心唾を吐きながら。

 

 「浄正」

 

 唐突に、千冬が男に声をかけた。

 男――浄正は特に気取られる様子もなく、

 

 「ん? なに?」

 

 「……なんでもないさ」

 

 「そっか」

 

 しばらく、千冬は何かを言いかけていたが、彼女にしては珍しく言いはばかれる様子であり、その末に口をつぐんだことに関して、浄正も何も言わずにハンドルを取った。

 

 しかし、心の中では千冬と浄正は完全に一致する思いがあった。

 

 ――はぁ

 

 互いに声はなく、相手に悟られないように心の中で嘆息をついたのだ。

 

 

 約一週間前のことである。全世界を驚愕させるニュースが駆け巡った。

 

 男性IS適合者でも十分に世界を賑やかせたが、ある意味、このニュースはそれ以上の衝撃をもって伝えられる。

 

 織斑千冬が結婚した、という知らせが。

 

 織斑千冬といえば、世界最強のパワードスーツ、インフィニット・ストラトス(以下ISと略称)に携わるもので知らぬ者がいない伝説の存在であった。

 ISは世に出て9年目になるが、4年に一回、世界各国の国家代表操縦者と国家を代表するISが集まり、様々な競技ごとに分かれ、覇を競う大会――モンド・グラッソの第一回総合優勝者となり、ブリュンヒルデという称号を与えられた人間であった。

 

 ISに関しての技量は語るに及ばず、ISに関わらずとも、世界トップクラスの人間であることを疑う者はいない。現在では、後学育成のため、国際IS育成機関であるIS学園にて教鞭をとっているなど、いまでもIS業界の最先端を行く第一人者であり、多くの女性の憧れとしてその名を広く知られていた。

 

 その女性が、結婚する。

 

 これに対して、最初は予想通りのものだった。驚きはあったものの、モンド・グラッソで互いに熾烈を極めたかつての各国代表者たちやISに携わる業界の人間は祝福を表明し、織斑千冬は見目麗しいこともあってか、異性同性問わず、ファンが数多く存在しており、絶望にたたき落とした。

 

 だが、それはあくまでも表面の話である。

 

 実は、これは、千冬自らが発表したわけではなかった。そして、この相手とニュースの発表経緯が問題だった。

 織斑千冬が、ひとつ年上の国家公務員と結婚した、とどこからかマスコミが嗅ぎつけたのが一週間前だった。どこから漏れたのか、いまでも千冬には謎である。そもそも記者会見を開いたわけでもなく、その時点では職場に相談し、役所に婚姻届を出したに過ぎない。

 

 後日、詳しいことは記者会見を開き、ほとぼりが冷めてから行うはずだったが、連日、千冬の自宅や職場を問わず、関係先にマスコミが押し寄せ、問題となっていた。

 

 結果、これ以上の混乱を避けるために、千冬は結婚の事実を発表することとなる。

 

 仮に役所から漏れたとすればコンプライアンスの崩壊であるが、そちらは疑ってはいない。仮に漏れたとすれば、千冬はサイドミラーでトランクルームを横目でみた。

 

 なぜ相手が国家公務員で炎上騒ぎとなるのか、その理由は、千冬の弟、織斑一夏がIS適正検査にて、ISを動かしてしまったためであったからだ。

 

 男がISを動かすという、世界の法則を乱れさせるのに等しい所業をやってのけたが、マスコミはなぜ動かしたか、よりも、これからどうなるのか、に注目していた最中であったのだ。

 いわく、男性適正者は各国の圧力に屈して、実験場送りとなるのだと、いわく、すでに某国が男性適合者を拉致するために特殊部隊を国内に潜入させたのだと。

 

 根も葉もないうわさに過ぎないが、それがより一層、民衆とマスコミの妄想を駆り立て、そのため、邪推された。

 

 織斑千冬は、弟、織斑一夏を守るため、国家の後ろ盾を作るために結婚したのだと、そのために自分を生贄に差し出したのだ、と。

 

 記者会見で千冬は真っ向から否定したが、誰もそれを信用する者はいなかった。

 ゴシップ紙の類は下世話に掻き立て、市井の人々もそれを信じてしまっている。

 

 普段の千冬ならば、烈火のごとく激怒しただろうが、それを強く言えない理由があった。

 

 なぜなら、誰かを守るために結婚したことは真実であったのだ。

 

 では、誰かを守るためなのかといえば、

 

 「千冬」

 

 浄正が千冬を呼ぶ。

 

 「そろそろ、俺んちだが、そのな、あれだ、親父はセクハラしてきても、ぶっ飛ばすなよ?」

 

 それに対して、千冬はこめかみを疼かせ、

 

 「ほう、貴様は自分の妻よりも父親を取るのか? 平然としていられるとは」

 

 千冬はむちゃくちゃ言っていたが、浄正はすました顔で、

 

 「いや、自分の女が汚されて黙ってられるか、俺が一発入れるっていいたんだよ」

 

 そう言いのけた。

 

 「戯言を……第一に、私は誰かの物になったつもりはない。大体、私は自分の意思で結婚を選んだだけだ」

 

 千冬は僅かに頬を染めながら、形のよい眉を吊り上げる。

 

 「まぁな、夫婦になったんだからさ、あとで離婚しても、最悪の記憶にはしたくはないだけだ」

 

 浄正は千冬にいった。

 

 その言葉が、それなりの付き合いで、挙句婚姻関係を結び、夫となった男の人となりを知る千冬は真実だと判断し、窓の外に視線を向けるしかなかった。

 

 織斑千冬と飯盛浄正、この二人は、婚姻関係を結び、書類上夫婦となっている。

 

 しかし、恋愛結婚の末でも見合いでもなく、ある理由のために夫婦となった。

 

 それは、第三のIS男性適合者のためであり、現在、その男性の元に向かっていた。

 飯盛浄正の実家である、東北の山中に居を構える家――六根家へと。

 




 はい、千冬さんが結婚してしまいました。
 どうしてこうなった(困惑)
 
 実を言えば、結婚したところが想像できないキャラクターだったので、一番書きたい部分でもあります。
 あと、まだ超技術がでて原作がすごいことにならないですね。
 
 早く魔改造した白式とか出したいなぁ(遠い目)
 
 ご意見ご感想お待ちしております。


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八時だョ!全員集合

 それは、変わりはしなかった。何もつかめず、すべてを感じない空間の中に放り出されている。自らが望んだわけではない。望んでもいないのにここに存在し、ここで時を過ごすのは滑稽であるが、迷い込んでしまっている。

 

 だが、やがて指先からだんだんと感覚がせり上がってくる。さきほどまで何も感じなかったというのに、指先は感覚をとらえていた。しかし、周りの世界を満たしているのは大気ではなく、大きく腕を広げればゆったりと抵抗を与え、息を吸い込めば口内から上を目指し気泡が昇っていく――幼少のころに仕事に忙殺されながらも、父が休日に連れて行ってくれた江の島の水族館の水槽の内にいるように、閉塞された有限な世界を漂っている。

 

 ゆっくりと目を開けば、砂が敷き詰められている底には数千の黒々とした岩礁が沈んでいる。否、岩礁ではない、流線形の形を取りながら、真っ二つに折れ分断されているもの、前方が欠けて圧倒的な暴力で全体が歪んでしまったものなど、それは、人工物の名残を見せながらも、不完全となった船であったり潜水艦であったりした。

 彼を囲むもの――水はあまりにも透明で、その沈殿物を一切の偏向なく、彼に知覚させてしまう。

 

 

 静謐、と表現するにはあまりにも不純物が多く、混濁というにはあまりにも純白すぎる世界を脳で処理するには、あまりにも矛盾した情報が神経を満たし、走っていく。

 

 その世界を一つ一つ解き明かし、やがて脳がすべての処理を終え、やがて、彼はここに自分しかいないことを認識するのだ。

 

 人も生命も一切を認めない冷酷な世界の中に一人、放り出され、漂っている。

 

 

 なんとさみしい世界なのか、怯えた彼は、ゆっくりとひざを抱えて背を丸める。

 

 しかし、その孤独に寄り添うように声が混ざっていく。

 

 末梢の神経からじわじわと浸されていくかのように、振動をとらえる。

 

 声だ。

 

 ゆっくりと高く、それでいて途切れることのない声が彼を包み、卵膜を形成する。

 

 彼にとって、その声は母の胎で眠り、嬰児となる時を控える胎児のように安らぎを齎すものだった。

 

 

 そうして、目を開け――

 

 

 六根清音は、目を覚ました。

 

 

 ・・・

 

 『男性IS適合者の管理が不十分とIS委員会が懸念を表明』

 

 居間の茶卓に置かれた朝刊の一面にはそんな文字が躍っていた。

 実家に戻っているから、清音は起こされることもなく、定刻通りに目を覚ますこともなかったので時刻はすでに8時を回っていた。

 中学二年生で、現在夏季休暇中であるから、それが普通だと余人は断じるだろうが、諸事情が異なり、午前5時前に家人が起床し、活動時間となっている六根家では本来あってはならないほどの不摂生である。

 

 よって、起床時間を逃した身に朝食が振る舞われ、料理が卓に並ぶことはなく、キッチンの食器棚には食器が整理されて収まっている。最も、清音は朝食を摂らずとも過ごせるようにしているために支障はないのだが。

 

 実家での時間を過ごすが、半そでの白ワイシャツに黒の学生ズボンの出で立ちという、どこか他人行儀な格好で清音は座って新聞を読むが、記事にはあまり大したことは書かれていなかったので、すぐに伏せてしまう。

記事の中には、これまでの自分たちの人生がある程度説明がなされ、そして、適正者についての現状は憶測と呼ぶしかない域の内容が書かれていたが、それはほとんど当たっている。記事には追記するようにこれからどうあるべきなのか、どう推移していくのかについても予測がなされたが、前に、内閣府と防衛省の役人が来て、これからの諸事情を説明したが、それと大差がなかった。この場合、すべての情報を統括する政府と新聞の記事が同じ内容であることを嘆くべきなのだろうか、それとも、政府が齎した内容は大衆と同様であることを嘆くべきなのか、思案に暮れたが、まとまることはない。

 

 その時だった。

 ぎしぎしと廊下をきしませながら、人が歩いている気配を感じたのは。

 

 まず、この家に仕える使用人ならばこのような足音をたてることはない。では、現在六根家を間借りしているあの男かと脳裏にへらへらとしたにやけ顔が思い浮かんだが、毎日十時以降に起床するため、いまの時間ではかなり早朝に類する。

 

 だから、清音は音をたてず立ち上がり、その足音が部屋の前に到達する時を見計らい、戸を勢いよく開けた。

 

 「へ?」

 

 まず、清音の目に映ったのは、こちらを驚愕に目を見開いて見つめる十代前半、自分とほぼ同年代の少年と呼んで差し支えない男の顔だった。顔立ちは整っており、女性をターゲットにした雑誌の表紙や番組で笑顔を振りまいていても違和感のない美少年であるが、口をぽかんと開けるさまは滑稽に思えてしまう。

 初対面ではあるが、清音は男の顔には見覚えがあった。誰であるか記憶の中から名前を導き出しつつ、男が両手にもったスニーカーとTシャツとズボンのポケットに目を配り、前の男の服装と不自然な厚みはないかを確認した。

 

 そして、

 

 「あ? ちょっ―――」

 

 困惑する男の片腕をつかみ、清音はそのまま男の背後に回り込み、捻りあげた。

 

 「あぎゃああ!!」

 

 男が激痛に声を上げて顔をゆがませ、両手に持ったスニーカーが廊下に転がった。しかし、清音はそのままの勢いで男の足を払い、廊下に低音とかすかな振動が起こる。無様に転がった男の背中に捻りあげた腕を固定したまま、清音は男を完全に無力化する。

 

 「ぐぅ……!!」

 

 足払いをうけ、床に押し倒される形となった男はうめき声と肺の空気を一気に押し出され、呼吸もうまくできないのだろう。ただただぜぇぜぇと呻いている。しかし、それでも背中で固定された腕を自由にしようと力を込めるが、

 

 「――抵抗は推奨したしません」

 

 清音が男の背に乗ったまま、耳元で囁いた。

 

 「これ以上抵抗しようとしても下手をすれば関節を痛めるだけですので」

 

 耳鳴りがしている頭に清音の声が響いたのか、それとも抵抗が無意味と悟ったのか、少しの間、男は肢体に力を込めようとしていたが、やがて、力が喪失した。

 

 「では、質問です。当家に何用でございましょうか、織斑一夏さま」

 

 男、織斑一夏は己の名が呼ばれたことに驚き、背に乗っている清音を見ようとしたが関節が固定されていたため、うめき声を上げた。

 

 ・・・

 

 「粗茶ですが」

 

 一夏の前に白磁のティーカップが差し出された。琥珀色の紅茶が注がれ、かすかな湯気に心地よい香りがのり、一夏の鼻腔をくすぐる。

 

 「ど、どうも」

 

 どこかぎこちない笑顔でそれに応じ、一夏はカップを手にとり、一口含む。ほんのりと口内を温め、甘みとも渋みとも判断のつかない複雑な味わいと香りが広がった。

 

 「うまいな」

 

 思わず、そう感想を述べていた。日本人としてお茶と言えば緑茶がもっぱらだし、それが健康に良いと思って積極的に摂取していた一夏であったが、これが毎日飲めるならば紅茶派に鞍替えしても良いと思える奥深さと味わいをこの紅茶は兼ねそろえていた。

 

 それに対して、お茶を出した本人はいつも変化のない仏頂面で軽く会釈する。

 

 「お口にあえばなによりです」

 

 てっきり、腕を固定されたまま尋問が行われるのかと一夏は思ったが、一夏を拘束した少年はあっさりと拘束を解くと、そのまま一夏を少年がいた部屋に招き入れる。部屋はこの家と同様に立派な作りの十畳ほどの和室で、部屋の中央に卓が鎮座し、部屋の隅には和室には到底相容れないだろう、紅茶セットが置かれていた。そのことに首をかしげた一夏だったが、その卓を挟み、一夏と拘束していた相手にこうしてお茶を出されていた次第であった。

 

 「さて、率直にお伺いしたしますが、織斑一夏さま、当家に何用でありますでしょうか? もし、先ほどのことでありましたら――」

 

 「ちょ、ちょっとまってくれ!」

 

 表情筋を一切動かすことなく口を動かす少年に、一夏はあわてながら手で制した。

 

 「なんで俺の名前を知ってんだ? 俺は名乗ってなんか――」

 

 それに対して、少年はこの部屋に入る際に、一夏が持っていたスニーカーを置くため、スニーカーに敷かれた新聞を指差す。その新聞の片隅に、一夏の顔写真が載っていた。

 

 「むしろ、今日の日本で貴方様を存じ上げない方が珍しく思います」

 

 それもそうだな、と一夏は言葉に詰まりながら納得せざるをえなかった。

 

 「では、一夏さま、さきほどの質問ですが――」

 

 「あと、さまはやめれくれ、さまは、なんだか、こそばゆい」

 

 それに対して、少年はしばらく虚を突かれた表情をしていたが、

 

 「でしたら、一夏さん、と。貴方様は年上でありますし」

 

 「ん? 年上?」

 

 「ええ、一夏さんは報道で中学三年生と伺っております。私は中学二年生ですので、一歳年上となります」

 

 「ああ、そうなのか……え!?」

 

 思わず、一夏は立ち上がってしまった。

 

 「なにか?」

 

 それに対して、少年は顔を変えることはなかった。

 確かに同年代ではあると一夏も思っていたが、てっきり、その落ち着いた態度などから年上とばかりに思いこんでいたのだ。

 

 「い、いや、年上とばっかり、そもそもこの家にいるのは――」

 

 ふと、年下とこの家にいることであることが一夏の頭の中で点と点が結ばれ、あるひとつの結論に到達した。

 言葉を飲み込み、もう一度、一夏は少年を見る。

 

 そして、部屋の隅に置かれたスニーカーに近づき、スニーカーをどかして新聞の記事を見つめた。

 

 「じゃ、じゃあ!! もしかして、あんたが! 第三適正者の!」

 

 「はい」

 

 それに少年はゆったりとうなづき、

 

 「一夏さんと同じく、 IS男性適正試験にて適正が確認された三番目の適正者六根(ろっこん )清音(きよね )と申します」

 

 深々と、頭を下げた。

 

 「そして」

 

 そういって、清音は立ち上がり、一枚のふすまの前に立ち留まると、一気にふすまを開く。

 

 「げるぐぐっ!!」

 

 謎の奇声をあげ、一人の青年が部屋の中に転がった。

 その青年は茶髪に、上下スェットという動きやすい恰好をしていたが、どこか、引きつった笑みを浮かべていた。

 

 「おはようございます。二代さん」

 

 「お、おはよう、きよっち。てか、容赦ないね~」

 

 「こちらは、海本二代さま。日本で初めてIS適正が確認された男性適正者であります。わけあって、現在、当家に在室されております」

 

 ども~ と転がったまま、軽薄な笑みを浮かべる青年――海本二代は立ち上がり、一夏に手を差し出した。

 

 それに応じ、言われるがまま、握手を返す。

 

 ここに、日本で、否、世界で確認されたISへの適正をもった男性三人が一堂に会するということがなされた。しかし、それを知る者はまだ、誰もいなかった。

 




ご意見ご感想お待ちしております。

早くDAISと亡国企業の激闘が書きたい。


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一夏の思いと顛末

 「――じゃあ、いっちゃんはお姉ちゃんの結婚マッタがしたくてミッションインポッシブったのね~ 無謀だね~ いやはや、若いって素晴らしいわ」

 

 けらけらと笑い声を上げ、卓に両肘をつきながら紅茶を流し込む男――海本二代は織斑一夏の話を聞き、そう概括した。

初対面でいっちゃんって馴れ馴れしいなぁ、やら、ミッションインポシブったってどんな動詞だよとげんなりとしながらも、それがこの男の人間性だと直感で理解したため、なにも口出しはしなかった。だが、どうしても聞き流せないことが多々ある。

 

 「いやいや、二代、さん。どうしてそうなんだよ!」

 

 声を荒げ、一夏は反論する。なぜ、これまでの話を聞き、そう思ったのか、一夏には理解できなかった。

 

 「だってさ、お姉さんが結婚するのが許せなくって結婚式ならぬ顔合わせに新郎さんのご実家に乗り込んで、それで未来の義兄様の車のトランクに侵入してここまで乗り込んだんじゃん? その挙句がきよっちに捕まっただなんて、だったらどう考えても、ミッションインポッシブってるよ、全米を泣かせる気か!」

 

 ズビシッと擬音が聞こえそうな、まるで推理物で犯人に探偵が動かぬ証拠を突きつけるかのように一夏を指差す。

 

 その勢いに押されてか、一夏もうすうす感ずいていることを指摘され、うなだれるように俯き、

 

 「そりゃそうだけども」

 

 絞り出すかのように声を出した。

 

 「でも、千冬様も了承されたのですよね? でしたら、いくら親族といえど、一夏さんが口をはさむことではないのは?」

 

 無表情なまま、卓に置かれたティーポットにお湯を注ぐ少年――六根清音は無表情で指摘する。

 

 「俺だって、千冬姉には幸せになってもらいたいし、相手が変な奴じゃなくて浄兄ならまだマシだと思うぜ。でも……」

 

 もう一度、卓を挟んで対峙する二人の少年――海本二代と六根清音の顔を見る。

 

 「俺が、俺のせいで、俺を守るために結婚するなんて、そんなの嫌だ」

 

 そう断言した。

 

 

 織斑一夏に家族は一人しかいない。

 木の洞から生まれてきたわけではないから、両親はいたのだろうが、一夏の幼いころに蒸発して一夏に両親の記憶は残っていなかった。

 だが、不自由したことはなかった。なぜなら、一人の家族――姉の織斑千冬がいたからだ。

 

 一夏は両親の代わりに姉に育てられたといっても過言ではない。

 姉は厳しかった。ほめてもらった記憶は殆どない。しかし、愛されなかったわけではない。姉はISに携わる仕事をしており、それで一夏を養っていた。

 

 前はISの日本代表選手として、現在はわからないが、ISに関わる仕事だと聞いてはいる。なぜわからないかといえば、千冬は家に滅多に帰ることはないからだ。顔を合わせるのも月に一度か二度あればいい方で、たまに帰ってきても生活能力は姉にはなく、部屋を散らかして仕事に戻っていく。その片づけをするのは一夏の仕事だった。だけれども、一夏は千冬を大切に思っていた。なぜなら、立派な社会人として千冬は家族を守っている、一夏は守られているという自覚はあったからだ。自分のことを守ってくれる家族を誇りに思うことが一夏にとって、当たり前であり、それゆえに、今回のことは絶対に認めることはできなかった。

 

 姉の千冬が結婚するのだ。

 

 それはいい。

 もしも、姉がそれを望んでいるなら笑顔で送り出してやりたい気持ちもある。それに、その相手は知らぬ他人ではなく、一夏が多少なりとも世話となった浄正なら、納得はできないが認めることはできる。しかし、それが、その理由が、一夏に起因するなら、話は別だった。

 

 一夏は、否、この場にいる三人にはある特記事項がある。それは、男性だというのに、ISを起動できるということが。

 

 だからこそ、後ろ盾が必要なのだ。

 他の国がこの三人に手を出さないための後ろ盾――すなわち、権力が。

 

 この三人には、それぞれ後ろ盾があった。

 二代にはIS開発に携わる父、海本初代の存在――ひいては重工業企業である八幡重工。

 一夏には姉織斑千冬と幼少のころ交流のあったIS開発者篠ノ之束。

 そして、最後になった清音には、実家六根家が少々特殊なため、前者二人よりもかなり強力な後ろ盾が存在していた。その詳細はまた後で明かすことにするが、それぞれに後ろ盾があったのだ。

 

 しかし、国家というものは貪欲で強欲で、意地汚い化け物だ。

 たとえ三者に強力な後ろ盾があろうとも、男でもISを動かせるという魅力には購い難い。だからこそ、一番力の弱いものに狙いを定める。そして、その標的にされたのが、織斑一夏だった。

 

 確かに、織斑千冬と篠ノ之束の名は強力だ。片や、世界最強の戦力、片や世界最高の頭脳の持ち主であるのだ。

 だが、それも過去のものだ。

 

 千冬は世界最強であったのは現役時代の話であり、いまは一線を退き、束はその行方をくらませ久しい。そして、どちらもただの個人であった。

 いくら個人が訴えたところで無力に等しいものというのが世界各国の認識だった。

 

 だから、男性IS適合者を何としても手に入れたい国々は、一夏をあの手この手で手に入れようとするのは当然の成り行きとして予測できる未来であった。

 

 だからこそ、それを防ぐために、一夏の後ろ盾を手に入れるために千冬は婚姻を選ぶことになった。

 

 なぜなら、その相手には、国家がついてくるからである。

 

 飯盛浄正――否、飯盛家にはある秘密があった。それこそ、すべてを知れば、日本と言う国家が転覆しかねない事実が。

 

 古来よりも、日本を守護し、日本の存亡が脅かされたときに動く特殊な事情を抱える――いわゆる暗部と呼ばれる家系の傍流であった。

 そして、その本流が六根家――つまり、第三IS適合者である六根清音であり、最初から、清音には絶対的な後ろ盾が存在したのだ。

 

 無論、この事実は国民どころか、マスコミも把握できないように何重にも隠されていた。しかし、裏の人間――暗部と呼ばれる者たちには、ひいてはそれを率いる表側の各国の政治家たちにはその意味がよくわかっていた。婚姻とはいえ、千冬がその名をその家に属することと、一夏もそれに陸続きとなったことも。

 

 下世話な週刊誌やニュースは国家の後ろ盾を千冬が手に入れるためと報道したが、事実だった。

 

 これで、どの国家も、三人の日本人、男性IS適合者に手出しはできなくなった。

 

 だが、すべてを聞かされていないとはいえ、納得できない者がいた。

 

 それが、一夏だった。

 

 一夏は、千冬と浄正が結婚するのを、第三IS適合者である清音は浄正と親戚であるから、IS業界の絶対的な関係者である千冬が親戚となれば、IS適合者全員を守れる。だから、婚約を許してくれ、と言ったのだ。

 

 そのことをIS適正検査会場から連れ出され、軟禁状態に置かれたホテルの部屋で説明したとき、浄正を一夏は激高し、殴った。

 姉を道具として見られたことへの怒りであった。

 そのあとも殴りかかろうとしたところを他の黒服が一夏を止め、一夏の護衛が変更される。その後は、一夏は納得も理解もできない状態でいた。

 

 しかし、一夏も気がつく。他人の気持ちには疎いが、一夏は馬鹿ではない。むしろ頭が回る方であったことが災いし、気がついてしまった。

 

 千冬は一夏を守るために浄正と婚約したのだという事実に。

 

 どこからか千冬と浄正の婚約という情報を嗅ぎつけたマスコミの報道も一夏の仮定を補強してくものだったし、事実であった。

 

その後に千冬と一夏の話す機会は一度しかなかったことも悲劇であった。それも、その会話が行われたのは昨夜であり、突然、一夏が滞在するホテルの一室を千冬が尋ねた。一夏は抗議した。いわく、俺のために結婚しないでくれ、俺は自分のことくらい自分で守る、だから、結婚なんてする必要はない、などを訴えたが、その抗議を千冬は一蹴し、これは私が決めたことだ、お前が指図することではない、とすべてを拒絶して話し合いは平行線に終わっている。

 

 そのすぐ後に、浄正が一夏の部屋を尋ねたが、一夏は浄正を追い返した。

 姉の態度などをみて、一夏を守るために、それを感じさせないために浄正はあのようなことを言ったのだと理解したが、心のどこかでやはり、浄正といえど、認めるわけにはいかなかった。

 

 しかし、その際に、浄正があることを提案した。

 それは、明日、飯盛の本流の家に千冬をあいさつに連れて行くから車のメンテナンスを手伝ってほしいといったことだった。千冬が急にあいさつにいくことになってしまったので、カーメンテナンスを行う店は閉まっている。いつも一夏と乗っている車で行くから一夏もメンテナンス方法を知っているし、長時間の走行を行うから不備のないように整備するのに人手が欲しいとのことであった。

 

 その時、浄正がにやけた笑みを浮かべたので、一夏もその笑みに既視感を覚えた。その笑みは、ラウラと一夏の仲を取り持った時の、悪だくみをする少年の笑みであったのだ。

 

 それとこれとは別、ということで自分を納得させ、一夏は浄正の車の整備を手伝うことを了承した。

 

 気分転換と名目で護衛を追い払い、深夜に人払いがされたホテルの駐車場で一夏と浄正は整備を行う。その際に、車のスペアキーを一夏は盗み、今日の朝、護衛が交換する時間を見計らい、一夏は駐車場まで逃げ出し、停めてあった浄正の車のトランクに乗り込み、飯盛家の本家である六根家まで織斑一夏は密入国ならぬ密入家したのである。

 

 車が停車し、息を殺し潜んでいたが、15分経っても車が発進しないことと、周りから音がしないなどを確認し、一夏は車のトランクから降りた。

 

 内心、もしやただの休憩で最悪、置いていかれるか、もしくは千冬と浄正に鉢合わせしないか不安があったが、その心配は杞憂であり、他に車が何台も停車するガレージだった。

 

 ガレージの戸は上がっており、そこからよく整理された日本庭園が見えていた。前にドイツで浄正に連れられてみたドイツの庭園とは趣が違って、人の手が加えられ、整然とした美しさに目を奪われるが、すぐにここに来た意味を思い出し、一夏はそこから離れ、慎重に庭の中を通ることにした。

 

 それから、庭の警報機や、監視カメラなどに感知されることはなく、一夏の前に巨大な武家屋敷が現れる。なぜ、一夏が暗部の、それも本家の家に侵入できたかといえば、前に浄正が冗談交じりで、もしも良い家お嬢様の家に夜這いするときは庭のどういったところを通って家に侵入するのかを一夏に教えていたことが幸いしたのだが、一夏からしてみれば、できるだけ使いたくない知識であった。

 

 このまま、家に乗り込み、千冬の婚約をぶち壊すつもりであった。もしも、千冬がいればもう一度説得する。説得できる自信は一夏になかったが、それでもなんとかする。もしも、お偉い人たちがいる場所だったら、その人たちを説得するのが一夏のプランであった。

 

 意気揚々と、一夏は六根家に侵入した。

 

 だが、一夏の誤算は、六根家が一夏の想像よりもはるかに広大であったことである。

 

 

 最初は、家人に遭遇したら侵入者として捕えられると認識はあったので慎重に進んだ。一夏が会うべきは浄正曰く偉い人たちか千冬であり、そういった人間に用はなかった。

 

 しかし、進めども進めども、様々な部屋があるが、一向に人の気配がしないことに不思議に思い始め、もしや、どこかに移動してしまったのでは? と疑惑が首を擡げ始めた。だからか、不用心にも足音を発てて移動した。

 

 そうして、清音に捕まり、こうして二人に説明を終えた一夏は冒頭へと至る。

 

 

 うなだれる一夏を二人の視線が注がれる。

 

 清音はしげしげとどう声をかけるべきかを考えながら、二代は面倒なことになったなぁ、と内心嘆息をこぼしながら。

 

 そうして、数分ののち、苦悩に蝕まれていた一夏は顔を上げ、

 

 「悪ぃ、二人とも。こんな話されても関係ねぇのに」

 

 二代は手を振って、構わないと表し、清音も何事もないようにうなづいた。

 

「だけど、ちょうどよかった。ここの家の人間なら知ってるはずだよな、教えてくれ。清音! 俺は千冬姉を止めたいんだ! だから、どこにいけばいいのか、教えてくれ!! この通りだ」

 

 姿勢をただし、一夏は清音に向かい、頭を下げた。

 その様子を、ただただ清音は眺めていた。

 

 「構いませんので、頭を上げていただけませんか?」

 

 無機質な声色で、清音は一夏に話しかける。

 

 「なら!」

 

 それに、一夏はわずかな希望が宿ったかのように顔を上げるが、

 

 「そもそも、一夏さんにひとつお教えしたいことがあります」

 

 片手をあげ、清音はそう切り出した。

 

 「教えたいこと?」

 

 「それなに? きよっち」

 

 一夏は怪訝そうに、それまで、蚊帳の外に置かれていた二代も乗り出し、そう尋ねると、

 

 「はい、当家に、本日は顔合わせなどは予定されておりません。そのように頼まれましても、私はご希望を叶えられないのが実情であります」

 

 「「は?」」

 

 二人の目が点になり、そうして、

 

 「じゃ、じゃあ、どういうことだよ! 俺は千冬姉と浄兄とは違う車に乗り込んだってことか!?」

 

 一夏が立ち上がり、最悪の想定を叫んだが、

 

 「落ち着いて、いっちゃん、きよっちがここにいるってことは、多分家あってるよ、浄兄って人ときよっちは親戚なんでしょ? きよっち」

 

 「はい、飯盛浄正は私の叔父の息子に当たる方でありますから、親戚です」

 

 「でも、それじゃあ、一体、どういうことなん――」

 

 

 「それは、これから説明しますよ」

 

 一夏が首をかしげ、最後まで言いきらない声を遮るように、戸が開かれた。

 三人が顔を向ければ、着物を着込み、大量のパンがつまれた皿を積むお盆をもった一人の女性がいる。

 

 「え? あ? だ、誰だ?」

 

 一夏の疑問をよそに、二代と清音は、

 

 「あ、おばさん、おはようございます」

 

 二代は入ってきた女性にあいさつをして、

 

 「お母様、いつからそこに……」

 

 清音は疑問を呈した。

 

 しかし、女性はその返答はせず、

 

 「とりあえず、これを食べなさい。朝ごはん、二代さんも清音も、それと一夏さんも朝食を食べてないなんて不健康です」

 

 そういって、お盆の上のパンの載った皿を卓に置いた。

 

 いや、それどころじゃ、と抗議の声を一夏は上げようとしたが、それを二代は手で制し、

 

 「いっちゃん、焦る気持ちはわかるけど、素直に従った方がいいよ。このおばさんはこの家で二番目に怖い人だから」

 

 耳元でそう囁いた。

 

 「二代さん」

 

 と、二代に件の女性から声がかけられ、

 

 「まだ“おねえさん”ではないでしょうか?」

 

 満面の笑みで訂正を求めてきた。

 

 その凄みのある笑みに二代は素直に土下座をし、一夏もおとなしく従った方が得策だと判断できた。そして、なによりも、焼き立てと思われるパンの匂いが嗅覚を刺激し、腹の虫が叫び声を上げ、おとなしく、卓の上に置かれたパンのひとつを手に取った。

 




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