ヒトとして生きる (sophiar)
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竜の工匠
工匠として生きる


「んん~」

 

 朝日が差し込む部屋で目覚まし時計の決して控えめとは言えない音をBGMに布団を被りながらもぞもぞと青年は身動ぎする。

 

「だぁーくっそ」

 

 睡眠を妨害された恨みからか青年は悪態をつきながら布団をどけて立ち上がると、覚束無い足取りで未だにけたたましい音をあげ続ける目覚まし時計に近づき壊さないように慎重にその頭を叩く。どこにも損傷もなく音が止まる目覚まし時計を確認するとのそのそと洗面台に向かう。

 

「はあ」

 

 鏡を睨みため息をつくとのろのろと顔を洗い始める。跳ね上がった見事なまでの赤い髪にそれよりはるかに赤い、見る人によっては恐怖を抱く深紅の両眼。そんな二年前までなら絶対お目にかからない人物が鏡に映っていた。

 

「目が覚めたら全部嘘でしたーなんて……もう流石に望み薄か」

 

 おおよそ八百回近く願った希望がまた叶わなかったことを悟ると諦めて着替え始める。ゆったりとした寝巻きから探索用の服に着替える。黒いシャツの上にやたらポケットがついた上着を着ると朝食を取るべく一階に降りていく。そしてパンを齧りながら今日も朝から仕事のために家を出る。これが黒川良也、改めクロン・プレイアのいつもと変わらぬ一日の始まりだった。

 

 神々の業と人間の営みが融合する世界『ディル=リフィーナ』。古くより伝わる力と魔法、日々生み出される技術がせめぎ合うこのラウルバーシュ大陸で急成長を遂げる都市国家があった。名をユイドラ。数多の工匠と呼ばれる人間達が切磋琢磨し、他に類を見ない技術都市に発展させたのである。

 

 カランカランと音とともにウエスタンドアを開けてクロンは酒場の中に入るとキョロキョロと辺りを見渡す。そして見知った人物を見つけそちらに歩み寄る。

 

「よう、ウィル、レグナー」

 

 片手を上げながら金髪の同い年ぐらいの青年と同じく年の近そうな黒髪の青年に声をかける。二人共コップを片手に朝食後の談笑中のようだ。

 

「おう、おはよう、クロ」

 

 にこやかに挨拶を返す金髪の青年ウィル、ウィルフレド・ディオンにクロンは顔を歪める。

 

「そのクロってのやめてくれないか……一文字抜いただけなのに犬とか猫の名前っぽく感じる」

「そう犬や猫を馬鹿にするものじゃない。君は大いに犬や猫に学ぶべきだと思うよ」

 

 クロンの抗議に黒髪の青年レグナー・アーシェスは皮肉げに口を歪める。

 

「どういう意味かな? レグナー君」

「犬や猫でも一日もあれば素材の一つや二つ見つけられるからね」

「素材ぐらい俺だって見つけられるしー」

「あれ? この前一日かけて収穫無しかよーとか愚痴ってなかったっけ?」

 

 ニヤニヤと笑うウィルフレドにクロンは歯噛みする。すると、そんな様子を見てとったのか頭が禿げあがった中年の店員らしき男が三人に歩み寄ってくる。

 

「おはよう。クロン、注文は何にする?」

「おはようッス、水で」

「それだけかい? クロン、まだ金欠か。工房運営うまくいってないのか?」

 

 クロンの返事をおっちゃん、ティアンは聞くとため息をつく。工房とはユイドラにおいて中心的役割を担う工匠がそれぞれ管理する仕事場のことである。そこでそれぞれ作ったものを売ったり、客の依頼を請けたりすることで工匠はそれぞれの生活費、研究費、設備費を賄う。当然これがうまくいかなければ新しい物も作れない。するとそれが経営をさらに悪くするという悪化の一途をたどることになる。

 

「だ、大丈夫ですって。よゆーっす」

「ほんとにキツイようなら言ってくれよ?」

 

 焦るクロンを心配しながらもティアンは別の客の注文を取るために離れていく。それを見届けるとクロンはため息をついた。

 

「で、ほんとのところどんなもんなんだ?」

 

 ウィルフレドは心なしか楽しそうにクロンに問いかける。

 

「い、いやあれよ? ちょっと前まで余裕あったんだけど俺この前昇格したじゃん? 匠巣から錬士に。そしたら工匠会組合費が倍近くなってさ……マジヤバい」

「匠巣って一番低い階級だろ? それが一つ上がって錬士。それぐらいでも組合費ってヤバいのか?」

 

 まだ工匠見習いのウィルフレドは二ヶ月後に工匠になるべく試験を受けることになっている。自分の一歩先に工匠になった友人が資金繰りに焦っているのをみて冷や汗を流す。笑ってばかりもいられない、他人事ではないのだ。

 

「そんなことはないはずさ、そもそも匠巣の組合費は初級だけあって格安。それが倍になったところでまだ普通にもほど遠い。そもそもユイドラ鉱山の素材を適当に集めて加工するだけでもそれぐらいは賄える。君ならあそこの魔物程度に手こずることもないだろう?」

 

 レグナーは心底不思議そうな顔をする。レグナーはこの友人の不器用さ加減は知っているつもりだが、それでも工匠としての必要最低限の中の底辺ぐらいにはギリギリ指がかかっていると評価していた。それだけに組合費の支払いに追われるというのはもしかしたらあるかもしれないが……。いくらなんでも錬士ぐらいで組合費に追われるなどありえないだろう。そう思いクロンの次の言葉に耳を傾け、愕然とした。

 

「テヘ、ユイドラ鉱脈出禁になっちゃった」

「「はぁ!?」」

 

 ユイドラ鉱脈とはユイドラ近くにある工匠会が管理する鉱脈で、工匠の階級によって地下への立ち入りが順次許可されることになっている。匠巣や錬士では貴重な素材はとれないが、それでもそこで手に入る素材は工匠にとって生命線とも言えるものでユイドラ鉱脈だけを探索する工匠も多い。そこに出入り禁止とは何をすればなれるのかと二人の顔に驚愕が張り付く。

 

「いやね、金がこころもとなくなってきたから闘技場に参加してみたんだよ」

「もう言わなくていい。一昨日の騒ぎはやはり君か」

「ん? どういうことだ?」

 

 全てを把握してため息をつくレグナーと何もわからない様子のウィルフレド。レグナーを無視してクロンは続ける。

 

「なんか強そうな奴いる、本気で来な坊主とか言われる、本気で殴ってみる、闘技場炎上、ロサナ様に呼びだされる、鉱山出禁なう」

「おかしいだろ!?」

「何もおかしくないよ。そんな自分でも制御できてない力を鉱山で使われて崩落でもされたら工匠全体でどれほどの損失になるかわかったものじゃない。自業自得さ」

「ん~それもそうか」

「ごふっ」

 

 レグナーの言葉にユイドラ領主ロサナ・レビエラの一昨日の説教を思い出しクロンは崩れ落ちる。その様子を二人は生暖かい目で見つめていた。二人ともこの友人の力、戦闘力という意味でだがその一点のみでなら多大な信頼をおいていた。しかし、彼は壊滅的なまでに不器用だった。なぜ工匠を職業に選んでしまったのか、ユイドラ七不思議にカウントされてもおかしくないほどにあってなかった。兵士になっていれば今頃英雄とは誰の言葉だろう。

 

「まあ、それでだね、レグナー様」

 

 ケロリと立ち直ったクロンはレグナーに揉み手をしながらすりよる。

 

「本日もしお暇でいらっしゃいましたらシセティカ湖で素材採取を手伝ってはいただけないでしょうか、おねがいしますレグナー大明神」

「断る。僕が行ってはそもそも君のためにならないよ」

「そう言わずに~生活がかかっているんです、これマジで」

 食い下がるクロンにレグナーは目を閉じため息をつくと、

「しょうがない……流石に今回だけだよ? それと代わりに今度僕の実験を手伝ってもらう」

「アーザッス、流石だぜレグナー先輩」

「はあ、君と僕は同期で同年齢だったと記憶しているが?」

 

 二人のやり取りを黙って眺めていたウィルフレドは何か決めたように背筋を伸ばす。

 

「なあ、二人ともその探索俺も行っちゃダメかな? シセティカ湖は匠巣でいける比較的安全なところみたいだし工匠になった時のためにさ」

「お! いいね、久しぶりに三人で外出としゃれ込もうぜ!」」

「僕達工匠が居れば確かにウィルも一緒に行けるが……まあ、今回は予行練習ということでそうしようか」

「おっし! そうと決まればさっそく準備してくるぜ!」

 

 拳を握りウィルフレドは立ち上がる。一時間後に集合ということでそれぞれ準備のために酒場を出て家にむかった。

 

 

 

 シセティカ湖。ユイドラ郊外にあるエルフの森にある湖で比較的穏やかな場所である。比較的というだけでグレイハウンドという強靭な牙をもったオオカミの魔物やハイチュエといった水場に生息する鳥の魔物がいる。当然一般人には危険極まりない存在で工匠のようにある程度戦闘力がなくてはどうしようもない。だからこそ工匠会である程度管理され出入りを制限されているのだが。

 

「ちゃっちゃと採取してこーか」

 

 先程とまったく変わらぬ服装でクロンは先頭を丸腰で意気揚々と歩き出す。

 

「あまりはしゃがないでくれ、シセティカ湖まで出入り禁止に君がなるのは勝手だが僕はなりたくない」

 

 はしゃぐクロンを戒めるレグナーの後ろにはいくつもの岩が集まってできた巨大な創造体がまるで意志があるかのようにのしのしとついてきている。

 

「はーふー」

 

 そんな二人の横でウィルフレドは深呼吸を繰り返す。魔物と戦うのは別に初めてというわけではない。何度か三人で出かけたことがある。だが、戦った回数で言えば今は他の二人の半分と言わず十分の一、いやもしかしたら百分の一かもしれない。それに加えウィルフレドは戦闘が苦手だった。自分はこれほど緊張しているのに比べて二人の自然体を見ると一年間の出遅れの大きさを感じる。

 

「もしかして緊張しているのかい? 予行練習とは言ったが君はまだ工匠じゃない。戦わせるつもりはないよ? 試験前に大怪我でもしてまた一年間なんてなったら流石に張り合いがなくなってしまうからね」

「わかってるよ、次は大丈夫だよ! あっという間に追いついてやるから!」

 

 幼馴染であるレグナーの言葉につい声が大きくなる。ウィルフレドが意気込み新たに手に持つ鎚に力を込め、前へ進んでいると先行するクロンの横の茂みからオオカミの姿をした魔物がクロンに飛び掛かる姿がウィルフレドの目に映る。その首元めがけて飛びかかる魔物の牙に気付いたクロンはとっさに左手を首を庇うように差し上げる。それは確かに首を守ることには成功した。しかしその牙は差し出された左腕に容赦なく突き刺さり、その激痛にクロンから苦悶の声があがる。

 

「いたーい」

「何してんだよ、クロ」

 

 気の抜けた声を上げる友人にこっちまで気が抜けるのをウィルフレドは感じる。そもそも魔物が飛びかかる姿が目に映ったウィルフレドも心配などまったくしていなかった。噛み付いたグレイハウンドの首を持ってブラブラと振り回している友人の服装は酒場にいた時と何も変わっていない。しかし、その姿は異様としか言い様がない。その背には赤い巨大な翼、歩くたびにそれ自体が生きているかのように動く尾、今もグレイハウンドを突き刺し命を削る黄金の爪、そして赤い髪の中でも一際目立つ二本の金の角。

 

「いやあ、こいつは骨があるぜ。グレイハウンドに飛びかかられたのは人生で初めてだ。人間じゃないけど」

「半人半竜。その姿を見ると改めてなぜ君が工匠をやっているのか理解に苦しむよ」

「やりたいからやるのさ。人生そういうもんだろ?」

 

 そう答えるとクロンは拳を握る。

 

「ちょっと待て! 素材が」

「受けてみろ! 我が奥義! なんかすげえパンチ!」

 

 レグナーの叫びも虚しくクロンの拳が息も絶え絶えなグレイハウンドに突き刺さる。その名の通り理解不能な理で生み出された力は獲物を貫くでもなく、引き裂くでもなく、粉々に打ち砕く。そう本来彼が手に入れに来たであろうその爪も牙も等しく……。

 

 これはそんな不器用な竜が立派な工匠を目指す物語。

  



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錬士として生きる

 黒川良也がディル=リフィーナに来た理由はわからない。目が覚めた時には血まみれで、何処とも知れぬ草原に倒れていたのだ。なんの変哲もない日本の一般人だった彼の体はその時には赤髪で赤眼で、有角で有翼な竜人と呼ぶにふさわしいものだった。目が覚めた時は何も思い出せず、自分の名前もわからず彷徨うことしかできなかった。その内に人に出会った。何日経ったかわからないがその頃には何故か角も翼もなくなっていた。名前を聞かれ、とっさに思いついた単語、クロンとプレイアからクロン・プレイアと名乗った。

 

 クロン・プレイアは人間ではない。有角有翼その上、尾に爪まである人間などいてたまるか。じゃあ、竜族? なら、それら角や翼を失う時の姿をどう説明する。半人半竜。クロンは自身をそう結論づけた。最初の自分の姿はどのコミュニティからも拒絶されたが故の血まみれだったのではないか? その後なんの迎えも来ずにユイドラまで流れてしまったのも誰も探していないのならば当然だ。この体は半人半竜。もうそれでいいじゃないか。きっとそうなのだろう。暗闇に立つクロンの後ろから声が聞こえる。未だなお答えが出ぬ問いが投げかけられ続ける。落ち着いたからなのか、ユイドラに着く少し前にこのディル=リフィーナに来る前の黒川良也の記憶を思い出した。でも、クロン・プレイアと名乗り続けた。自信がないから。問いが聞こえる。これは夢で、後ろを振り向けば目が覚めることはわかっている。ならば、振り向けばいい。なのに、体はピクリとも動かない。この体に元々の持ち主はいたのだろうか? それとも今の自分は黒川良也の記憶を持った『それ』なのだろうか? いつも心の片隅で考え続けることが頭を巡る。

 

 ___俺は誰なんだろう?___

 

 

 

「だぁーくっそ」

 

 クロンは目を覚ますと、角のない頭を掻きむしりながら立ち上がる。

 

「俺は俺。結論なんて随分前に出てるっつーの! 柄にもなく哲学したわ」

 

 陰鬱な気分を吹き飛ばすために声を張り上げると、まだ鳴り始めない目覚まし時計をきる。なんの変哲もない丸い時計に台座が付き枕元に置けるようになっているだけの簡素な目覚まし時計だが、これで八代目。今まで七機が寝ぼけた竜の一撃によって殉職した。これ以上お金をかけるわけにもいかなくなってきたので最近は触れるのにも慎重になってきた。ぐっと全身を伸び上げると今日も一日を始めるべく二階にある寝室から一階の工房へと降りていく。クロンの家は二階建ての一軒家。土地自体が広いわけではないので二階建てでも広すぎるということはないが流石に持て余している感を拭えない。現に二階にある三つの部屋の内二つは効率の悪い物置と化している。一階は三つの部屋の内二つを工房として改造し、一つはリビングとして活躍中である。昨日ウィルフレドとレグナーに手伝ってもらいシセティカ湖から大量の素材を採取したのだ。今日はそれらの加工をしなければいけない。今回は魔法糸、魔法石、木の実、蔦、キノコ、緑草に加えバギルという巨大魚のヒレや牙。クロンに立ち向かわなかったグレイハウンド達の牙や皮や爪といった素材をかなりの数集めることができた。どれも珍しいと言えるものではないが贅沢は言えない。これらでしばらくの生活費などを賄わなければいけないのだから。

 

「まあ、これでしばらく採取しないでいいわけだ。レッツ、引きこもり!」

 

 クロンは採取が苦手だった。力の加減がうまくいかない上、竜人の姿の時はどうにも好戦的になりがちなのである。攻撃されると体が勝手に反撃していることなど珍しくもない。オートカウンターと言えば聞こえはいいが、融通が効かないことこの上ない。ひどい時はオートナックルである。採掘しようとしたらツルハシが破砕、それならばと素手でやってみればなぜかクレーターになっていたり、木の実を取ろうと手を伸ばせば勝手に大炎上したりともはや苦手という表現すら生ぬるいありさまであった。事実昨日の友人二人との採取もほとんど彼は獣避け程度にしか使われなかった。ならば竜人ではない状態で戦えばいいのかもしれないが、それも特に意味はない。竜人化していない彼の身体能力は竜人の時とほとんど変わらない上、攻撃を受けたり興奮したりビックリした拍子に竜人化してしまう。それじゃあ日常生活に支障があるのではないかとよくウィルフレドやレグナーに心配されるがまったくもってその通りで、目覚まし時計に始まり沢山の物を破壊しまくり自身を破産一歩手前に追い込むほどである。

 

 そもそもクロンはディル=リフィーナに来てわずか二年。工匠になって十二ヶ月。ディルリフィーナでは一年が十四ヶ月なのでもうじき一年になる。ユイドラにくるまで大体三、四ヶ月費やした。つまり下積み期間は一年にも満たないのである。訓練学校も通わず師事もしないで工匠になったというととんでもない天才のように聞こえるが、彼が工匠になれたのにはいくつか特別な理由があった。工匠において必要とされるものはいくつかある。戦闘力、知識、工房である。無論器用さや人脈、度胸など他にも優秀な工匠になるのに必要なものはあるが、なるだけで考えればこの三つさえあれば十分なのである。戦闘力は必要以上にあり、当時、ユイドラにたどり着くまでのゴタゴタで工房を手に入れるのには十分な金はあった。残るは工匠としての知識だが、これにしても真っ当ではない。ディル=リフィーナの竜族は高度な知性と長年受け継がれた膨大な知識を持つ。それらはクロンの体にも半竜とはいえちゃんと断片的に残されているらしく、その知識を土台とすることであり得ざるショートカットを成功させた。その上工匠会は竜族を受け入れることに何らかの思惑があるらしく試験のレベルも今になって考えると低かったように思えた。当然そんなツギハギだらけのハリボテの工匠ではボロが出るのも早く、同期のレグナーが一つ上の匠士の位に昇ったのに対してやっと錬士。しかも技術が追いつかず工房存続の危機に立たされている現状である。

 

「やっぱ、錬士にならなきゃよかったかなあ」

 

 工房にて加工のための道具を引っ張り出しながら今の自体を引き起こした事件を思い起こす。匠巣として落ち着いてきたもののまだ錬士に上がるには技術が足りなく、猛勉強中の時だった。まだ組合費の半額だった上最初の貯金も残ってたので工房の運営にも生活にも勉強にもかなり余裕があった時期だ。あのころはよかったなどと思いながらも当時の自分の迂闊さに歯噛みする。

 

 

 

 

 

 匠巣に解放されている場所はシセティカ湖とエルフ領域の森だけである。それ以外の工匠会が管理している場所となると危険度、手に入る物の加工難易度などから許されていない。特に危険度の面では最初の二箇所はうってつけの場所である。出てくるのはせいぜい日本の動物を少々凶暴にしたような輩ばかりなのでこれから工匠として戦闘力は上げるのにも便利なのである。その上、この二箇所とユイドラ鉱脈の資源は駆け出しとして基本的な技術を定着させるのにふさわしいものばかりだった。

 

 クロンは同期のレグナーが匠士に上がったのを聞いても特に焦る気持ちはなかった。積み重ねてきたものが違う。差が出て当たり前、そもそもクロンはさほど工匠の階級などには興味がなかった。無論いづれは色々な素材を扱えるようにするためにある程度には上がらなければいけないのはわかっているのだが、まだまだ技術を磨く段階だった。だから、今日も今日とてシセティカ湖に踏み入っていた。未だに魔物からの素材取得率は二割を割る奇跡の効率だったが零だった頃を考えれば十分望みがある。

 

「そーと、そーと」

 

 魔物に気づかれないように注意しながら翼を畳み木の実や草花を探す。来る前に図鑑と睨めっこした上、幾度となくこなした工程。見事青いキノコを視界に収めほくそ笑む。キノコ類は加工がしやすく染料や香料に使え粘着剤にも使えたりと何かと便利なのだ。何より彼の目的には染料は不可欠とも言えるもの。

 

「いつもならこの辺で……」

 

 キノコを確保すると辺りを見渡す。竜というものは魔物から見ても目立つらしくクロンは魔物に寄ってこられやすい。流石に力の差はわかっているからか特攻してくるものは少ないが、それでも包囲されるのは気分が悪い上に数少ない蛮勇によって傷ついてしまうのは良くない。もし、特攻の拍子に戦闘のスイッチが入って暴走してしまっては目もあてられない。そんなことになれば集めた素材も高確率でなくなってしまうのだ。まだ、魔物に気づかれていないからか、なにも寄ってきていないことを把握すると次の素材を求めて視線を落としながら歩く。蔦や木の実を採取しながらも出来るだけ道の端を通る。木の実はそれぞれ違った効能がありその効果も凄まじいの一言に尽きる代物だった。なぜなら木の実を潰して液体にしたようなものでも、かつての世界の栄養ドリンクなど裸足で逃げ出すような効能なのだ。初めて飲んだ時はこの世界と元の世界のギャップに驚いたものだ。

 

「これあれば、睡眠とか休憩とか必要ないんじゃないかと本気で思ったもんなあ、必要だったけど」

 

 ユイドラにたどり着く前の放浪期間を思い出して身震いする。木の実と一緒に採った蔦はよく弓の弦に使われるらしく武器をメインに据えた工匠はよく集めている。弦に使われる『らしい』というのはクロンが武器をほとんど制作していないことに起因する。工匠の収入はかなり作成した武器の売買によるところが大きいので、その部分を完全に捨てているところも彼が資金繰りに苦労している理由である。

 

「ありゃりゃ?」

 

 翼と尾を目立たぬように丸めながらこそこそと草刈に勤しんでいると、なんとなく違和感を覚え翼を広げ立ち上がる。辺りを見渡せばまだ魔物が自分の周りに一匹たりともいない。今まではなかったことだった。その上、全身がピリピリと緊張するような次の瞬間に飛びかかるために力を蓄えているような異様な感覚をクロンは自分の体内から覚える。

 

「あぎゃあああああぁぁぁぁぁ」

 

 奥地。クロンの居る場所よりずっと奥の湖がある場所から何かに驚愕するような大声がきこえる。クロンは異常事態だとは思ったもののまるでオバケ屋敷みたいだなどと的外れの感想を抱いた。もしかしたら、誰か命の危険なのかもしれない。にもかかわらず、奥へと進む歩みは一向に速くはならない。

 

「はぁ、工匠なら自分の身ぐらい自分で守れよなあ。ましてこんなところで、チッ」

 

 不満を口に出してみるがどうにもスッキリしない。どうやら自分が気に入らないのはそこではないらしいとクロンは自分のことながらよくわからない心に舌打ちする。さっきまでの違和感も続くなか何故か重くなる体を理性で奥地へと引きずっていく。

 

「な!? そんな……」

 

 湖のある広場に無造作に入ると女性の何かに絶望するような力が抜けていく声が聞こえる。中央に視線を向けると片手を失ったのか夥しい血を流す一人の男性とその血を止めようと必死に止血し、薬を飲ませる女性が見える。しかし、何故かクロンを見て二人共顔が青ざめている。さらに一人剣を持ってこの状況の元凶と思われるものと戦う男がいる。既に満身創痍、剣を持つ逆の手は既に動いていないようだ。あれが足だったら今頃死体に変わっていただろう。

 

 体が沸き立つ……。

 

「ふむ……なんで、あんなのがこんなとこに居るのよ?」

 

 湖の前には暗い緑色をした巨大なトカゲがいた。トカゲというのはクロンの目から見た感想であり、実際は違う。全てを砕く牙に獲物を切り裂く爪、大空を駆る翼こそ無いが紛れもない竜種、リムドラ。幻獣の中でも下位の存在だが間違ってもシセティカ湖のような場所にいる存在ではないし、工匠のひよっこである匠巣にどうにかできる相手ではなかった。しかもそれが三匹。一匹は剣を持つ男に腕や尾を振るい、一匹は呑気に湖で水を飲んでいた。最後の一匹は隻腕の男と看病する女性を見つめ今にも噛み付こうという様子だった。

 

 理性が溶ける……。

 

「迷い込んだにしては多くね? 家族旅行? もしかして」

 

 吐き出した言葉に実は伴っていない。今クロンの頭を巡るのは敵をどう屠るか、その方法だけが頭を駆け巡る。

 

「ギャオ!」

 

 リムドラは目の前の男にその豪腕を振るう。

 

「邪魔だよ、あんちゃん」

 

 クロンは地を蹴る力と、飛行の推進力を合わせて男とリムドラの間に滑空すると両者の腕を掴む。そして、男を後方に放り投げると空いた手で拳を握る。

 

「純粋な竜も大したことねえなあ、おい」

 

 腕を握られ動けないリムドラにクロンは笑いかけると、顎に拳を叩き込む。常識外の推進力を一瞬で得たリムドラは湖に向けて吹き飛ぶ。水柱をあげて沈むリムドラを眺めながらまたクロンは笑った。

 

「手握ってれば離れないと思ったのに、脆いなあお前」

 

 クロンの元に残されたとめどなく血が溢れるリムドラの片腕を放り投げると他の二人を視姦しているリムドラに向けて飛びかかる。それを察知し、向かってくるクロンにリムドラは腕をカウンター気味に振るうが、クロンは慣性を無視して直角に僅かに上昇することで回避する。

 

「羨ましいか? なら一名様ごあんなーいってねえ」

 

 クロンが回避したことで外れ、勢いがなくなったリムドラの腕を掴むとクロンはリムドラを持ち上げ、縦に振り回す。そしてその遠心力を使い遥か上空に放り投げる。翼を持たぬリムドラではあとは大地に衝突するだけだろう。

 

「さてさて」 

「ガアアァァ」

 

 水を飲み終えたからか異変に気づいたからか最後の一匹がクロンに向かい今更のように威嚇する。

 

「ハハッ愉快だなお前、爆ぜろよ」

 

 握った拳が発熱しいつしか燃え上がる。それを空中からまっすぐ突き落とす。拳がリムドラに突き刺さるとその炎は瞬時にリムドラを覆い、拳の与えた推進力でその巨体は湖の反対側に飛び立つ。しかし、反対側に到達する頃には炎の中には何も残っていない。空中で炎が掻き消えるのを見届けると、クロンは空を見上げる。

 

「もうちょい、時間かかりそうだな。迎えいくか」

 

 地を蹴り、先ほど放り投げたリムドラに向けて飛び立つ。落下するリムドラの真下に位置を取ると大きく息を吸い込む。

 

 竜族の一番の武器は牙でも爪でもましてやその膂力でもない。災害にまで例えられる竜族の本懐はブレス。その一撃は地形すら変えうるほどの竜の絶対の武器だった。その一撃を空へとクロンは解き放った。

 

 竜にも属性があり、使う魔法やブレスはその属性に依存することになる。クロンの属性は炎。無限に広がり、触れるもの全てを消し去るその属性はどこまでも工匠には不釣り合いなもの。天へと昇る豪炎はリムドラを難なく消し去り果てしなく伸び上がっていく。それと同時にクロンの頭も体も急速に冷めていった。その行方を数瞬、ぼんやりと眺めていたクロンは我に返ると慌てて大地に降り立つ。

 

「戦闘になるとどうしてこう抑えがきかないんだ」

 

 さっきまでの自分のハイテンションぶりに頭を抱える。いつまでも自己嫌悪に襲われているわけにはいかない。そう思い直し、クロンは大怪我をしている男を探す。

 

「重傷なそこのあんた、掴まれ」

 

 呆然と湖を眺める三人組に近寄ると後ろを向きおんぶするような格好をする。一瞬そこまでする必要があるのかという考えがクロンの頭をよぎるが、今回は僅かにある正義感やら良心やらが勝った。しかし、

 

「ど、どこに連れて行く気だ……」

 

 男の目に怯えが走る。近くの女性の顔は最初見た時より蒼白になっており、投げ飛ばした男は信じられないものでも見たかの様にクロンに向けて目を大きく見開いていた。それとともにクロンは全身の血が冷たくなるような感じがした。だが、クロン自身リムドラの討伐、素材獲得のために戦っただけだし、特に助けたいなどと思ったわけでもない。助ける気なら最初から相手に呼びかけるべきだったろうし自分は思いのまま戦っただけだ。それに考えようによっては獲物を横取りしたとも言える。そう考えるとクロンは頭を切り替えた。

 

「どこだろうなあ? まあ、もうどこにも連れて行かないから安心しろよ」

 

 クロンは立ち上がると集めた素材とリムドラの片腕を拾い、出口に向かって歩き出す。何故だか知らないがまだピリピリした感じは収まらない。どうやらリムドラが原因ではなかったようだ。クロンは周囲を警戒しながら早くその場を離れるべく歩みを早めた。

 

 クロンが立ち去った後、茂みにて笑う紫色の髪の少女の姿があった。目の部分に縦に赤く走る線やその奇妙な格好からピエロのような印象を受ける。サーカスで使われるようなカラフルな大玉に座って大きく二股に分かれた帽子の耳のような部分をゆすりながらクロンが立ち去った方向を見つめる。

 

「面白いもの見つけちゃったなー。一緒に遊んだらきっとすっごい愉しいだろうなあ」

 

 その顔には残虐な笑みが張り付いている。そして、視線を手元にある漆黒に輝く水晶のようなものに落とす。

 

「でも、今はこの新しいおもちゃで遊んでるしまた今度にしよう」

 

 水晶を手のひらの上で転がすとまた視線をクロンの進んだ方向に戻す。

 

「だから、このおもちゃに飽きたらミレーヌと遊んでねー」

 

 そう呟くと空間がぐにゃりと歪み、少女の姿はその場から消え去る。

 

 その後、リムドラのシセティカ湖の出現はユイドラで話題となり、クロンはその討伐が認められ錬士に昇格するための試験を受ける許可を得た。

 

 

 

 

 

「つまり、技術が認められて錬士になったわけじゃないんだよなあ。試験も本来なら手に入らないリムドラの素材で得点アップしてるし」

 

 工房にて大きくため息をつくと工房の巨大な本棚から技術書を引っ張り出す。すると、錬士昇格試験に提出した腕輪とグローブを見つけてこちらも手に取り眺めてみる。腕輪はコルシノ鋼と呼ばれる鉱石を腕輪状にしてシセティカ湖の魔法石を埋め込んだものにリムドラの血液を流し込み魔法作用を起こさせたもの。まだクロン自身原理を把握しきってないがどうやら微弱ながら平衡感覚を強化できるようだ。

 

「リムドラって地震起こすらしいしその影響だと思うんだけどなあ」

 

 頭を掻きながら腕輪を元あった場所に戻す。時間があれば原理解明をしなければいけないが今は他にやることがある。グローブはリムドラの皮と爪で作られたものだけありかなり頑丈な代物だった。リムドラの皮は意外に伸縮性が強く頑丈なのでグローブにするにはもってこいの材質だった。これがもっと大量にあれば衣服も作れるかもしれないと未来に思いを馳せる。

 

 

「腕輪の魔法発現は全くの偶然だったけど計算して作りましたみたいな何食わぬ顔で出したんだよな。あれ? これってもしかしなくても錬士昇格に俺の実力全く絡んでなくね?」

 

 驚愕の事実に背筋が一瞬寒くなるが、すぐに気を取り直してて素材の加工に入る。

 

「ワタシニンゲンチガウ。コマカイコトキニシナイ、うん」

 

 クロンは魔法糸をとりだし今日もまた布を織り始める。まずは明日生きる糧のために。

 

「とりあえずの目標は全身発火しても残る服の作成かなーいつになるやら」

 

 



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経営して生きる

 クロンは先ほど完成した服らしき大きな布を両手で広げると、そのあまりの完成度に唸る。

 

「完璧だ。無地だけど魔法糸によって編まれたシャツ。ユニクロで売れるレベル」

 

 因みに魔法糸なんて使っているせいでコストは無地のTシャツにしては尋常じゃないほどにかかっていた。しかしこのシャツには特に魔術的な力は備わっていない。ディル=リフィーナにおける魔術とはディル=リフィーナの神々への信仰によってなりたっている。魔力もまたそれら神によって与えられるもの。そして魔法具というものはそうして得た魔力を多種多様な方法によって物に宿らせたものである。クロンは服に魔術を施し任意の術式が発動するようにしようとしていた。クロンは武器、鎧、家具の生産を全て捨てて服や装飾に力を注いでいる。そのかいあって、今は複雑なものになるとまだまだだがいくらかのものは作れるようになっていた。女物から子供服まで色々作っているが男性用のものは大抵耐炎加工実験の犠牲となり殆ど店に出していない。

 

「これで土台は完璧だ。後はこれに望み通りの術式を込められるようになればめでたく魔法服の完成ってわけだ。とりあえず耐炎を全ての服に施せるようにならなければ……」

 

 クロンは立ち上がると大きく息を吸う。作業を中断しなければいけないことを残念に思う気持ちを切り替えて別の仕事に取り掛かるために準備を始める。クロンは午前を自分の研究に、午後は店に売り出すための商品作成に費やしている。最近は懐が寂しいこともあって商品作成の時間を増やしていた。なので、これ以上自分の研究を進めていればズルズルと店のための時間がドンドン減ってしまう。

 

「早く売れる魔法服が作れるようになればなあ。時間を分ける必要もなくなるのに」

「こんにちはー」

 

 突然工房の扉が開けられ一人の少年が入ってくる。年は十三、四といったところか、その少年は年上のクロンに臆することなく近くまで歩み寄ると嫌そうな顔をするクロンの顔を覗き見る。

 

「どうしたんですか?」

「いやあ、またこいつかって思ってさ」

「こっちも仕事ですから」

 

 工匠会は素材を探すために店を空けることも多い工匠のために無料で店員を派遣している。一人で暮らし、特に協力者も居ないクロンも当然この制度を利用しており、それの結果がこの少年である。

 

「そうじゃなくて、工匠会に頼んでんのはこっちだしさ。来てもらうのはありがたいんだけど、このガキがかわいいねーちゃんに代わってくんねえかなあって」

「酷い!?」

 

 派遣される店員には女性が多い。それを聞いて胸を弾ませていたクロンのもとに初日にやってきたのはこの少年である。それ以降一度も代わることなく彼がクロンの店の店員を務めていた。

 

「無理しないで代わってくれていいのよ?」

「いやー新人の僕が異動願いなんて出せれるわけないじゃないですか。工匠会に変更願いは?」

「あれは割と金がかかる。それと変更じゃなくて指名だからな」

 

 なにか不祥事を起こせば無論代えられるが、まださほど大きな失敗というものをこの少年はしていなかったし、指名するほど金もない。

 

「へー、ところでこの前の盗難ですけど……」

 

 小さい体をさらに小さくして少年はクロンの様子を窺う。

 

「あー今のところ放置かなあ。今日のところは俺が居るし流石になんもないと思うが」

「すいません、僕がしっかりしてれば」

「それに関しちゃあ、こっちにも非があるし……十分な対応できなくて、ごめんな」

 

 この前クロンが素材を採りに行った隙に盗難が発生したのだった。幸い盗られたものはたいしたものではないが目の前で盗難が発生して止められなかったという事実を少年は気にしていた

 

「工匠会に報告しないんですか? 多分対応してくれると思います……」

 

 それによって下されるのであろう処罰を思ってか声が幾分か小さくなる。強盗のようなものには処罰はないが万引きのような盗難には工匠会から店員に減点が課される。

 

「そうしたいのはやまやまなんだが、いろいろあってなあ。この前鉱脈出禁咬まされたしこれ以上不祥事重ねると辞めさせられるかもしんないんだよなあ」

「え? 別にテンチョーは悪くないじゃないですか。この店員派遣って工匠が安心して素材採取に赴けるようにするためにあるんですよ?」

「ふ、残念ながら俺がそんなことを工匠会に持ち込めば、俺を工匠にするのに反対していた連中がそら見たことかってな具合に元気になっちゃうんだよ」

 

 クロンが工匠になる時おおいに工匠会は荒れた。一応は現ユイドラ領主であるロサナ・レビエラ匠貴のユイドラに新しい風を取り込むべきという言葉により試験を受けることができたわけだが、闘技場半壊事件によりやはり竜など迎え入れるべきではなかったという声が大きくなっているのだ。

 

「いくらでも言い分なんて作れんだぜ? これは住民の竜を追い出せという意思の表れですとかいろいろさ。とにかくしばらくは工匠会に突かれたくないんだよ。まあ、自業自得なんだけどさ」

「はあ……でも闘技場半壊って鉱脈出入り禁止だけで済んだんですか?」

「一応な、まあ工匠会の気が変わって首が飛ぶ可能性も否めないけどね」

「もし、気が変わっちゃったら?」

「首を飛ばす、むこうのを物理的に」

「ハハハ……冗談ですよね?」

「当然冗談だ」

 

 淡々と話すクロンに少年は冷や汗を流しながら話題を変えるべく頭をフル回転させた。

 

「な、ならなんでそこまで工匠に拘るんです? そのなんちゃってドラゴンパワーがあればもっと楽に稼げるんじゃないですか?」

「おい、なんちゃってってなんだよ。まあ、あれだ。一つは竜としての力ではなくて自分自身の力でなんかやりたかった……みたいな?」

「嘘だあああああああ、今までの流れから全っっっっっっっ然力を抑えようという気が感じられませんよ!!」

 

 やたらと騒ぎ始めた少年をこの子どうしたんだろうとでも言いたげな可哀相なものを見る目でクロンは見つめながら伝染しないように一歩遠ざかる。

 

「やめてください。僕がまるで痛い子じゃないですか。というかそれならどっかで職人でもやればよかったじゃないですか。工匠みたいに戦う必要がない職の方がよくないですか?」

「理想と現実は違うんだよ。純粋に技術だけで誰にも師事せずにやるなんて無理だ。だからある程度はこの力が有利に働く職種にしたの。最初頼るのはしょうがない、うん。意地張って死ぬわけにはいかんだろ?」

「そうですけどーそこは意地を通した方がかっこいいですよ?」

「はいはい、霞が食べれるようになったら考えとくよ。さ、仕事仕事」

 

 クロンが話は終わりだというように少年をシッシッと工房から追い払うように両手を振る。それを受け少年はしぶしぶ店に新しい商品を持っていくため工房を見渡す。するといつも通り台車の上に積まれているのを見つける。そして、押していこうとして急にクロンに振り返る。

 

「最後に一つ、なんでこんな立派な工房持てるお金持ってたんですか?」

「今の仕事が竜としての力じゃなくて自分自身の力でやるための仕事だって言ったろ。つまり前のは竜じゃなくちゃできなかったってことだよ。そして、もうやらないと心に決めた。さ、働けー」

「はーい、ちゃんと今月の報告書には勤勉で物分りが良くて将来が楽しみな逸材って書いといてくださいねー」

「はいはい」

 

 クロンの話を黙って聞くと少年はやっと工房から出ていく。クロンは一人工房に残るとため息を吐いた。

 

「まあ、肝っ玉だけは逸材だな、間違いなく」

 

 静かになった工房で竜に臆することなく話す店員に対する呆れ半分感心半分の複雑な感情を漏らした。

 

 

 

「よいしょ、これは栄養剤、これは……手袋? すごい長い。肘までありそう。しかもこんなふわふわしたのがついてんの? また変なもん作って……服屋に転職した方がいいよ、絶対」

 

 先の少年、アリトは先ほどの台車から品物をおろし陳列していく。時折服装関係ではへんな物も混じっているが、クロンが趣味で作っているものなのでクロン自身も売れたら儲けもの程度に考えているらしく纏めて適当に置いておいてくれと言われていた。なのでそういうものは目につきにくい隅の方に、できるだけきれいに陳列する。もう開店しているが開店と同時にこんな新米工匠の店、しかも竜族の店に来る者などいない。客が来るのは他で買い物を終えたついでに立ち寄る夕方が多い。そこでどれだけ売上を上げられるかが勝負だった。

 

「うーん、帰りに立ち寄ると考えると一般的な雑貨とか服置いてても意味ないよなあ。いっそ奇抜な物を中心とかに置いて衝撃を与えてった方がいいかな? でも、一般的な物も目につくとこにないと奇抜なものしかないと思われて一般のお買いもの客が遠ざかりそう。いや! 結局いままでそれで一般客も芳しくないわけだししばらくはテンチョーのよくわかんないのをメインに出してこ!」

 

 並べおわった商品をまた配置を変えるべくアリトは店内を一生懸命駆け回る。別にクロンが好きだからとか彼のために頑張ろうとかいうわけではない。工匠会の派遣店員になった時、彼が感じたのは喜びではなく自分の人生に対する失望だった。何か劇的なことがあってなったわけではない。家が貧乏なのは別に珍しくないし彼ぐらいの年で働くのもそう珍しくない。ただ、なんの問題もなく店員として受け入れられ、先輩の店員の話を聞いておおよその自分の道を悟り、このまま人並みな人生を誰にも注目されずに歩むんだなっと子供ながらに予感したのだ。自分は物語の登場人物ではなくただの背景なのだと。ある時、皆が嫌がった仕事を新人だからということで押し付けられた。それが唯一の竜の工匠、クロン・プレイアの店だった。平凡な少年の目にはその姿は特別という言葉がそのまま服を着て歩いているように見えた。そして、思ったのだ。彼は自分の人生が変わるきっかけになるかもしれないと。これはチャンスだから逃したくない。具体的にどう変わるかなどわからなかったがアリトはとにかく頑張ると決めた。

 

「よしよし、でもなんかもっと目立つ方法ないかなあ」

 

 中心のテーブルに魔法糸で編まれた服やらつるつるする長い手袋やらやたらもこもこする毛が縁についた上着など並べたものの手に取ってもらわないとその奇抜さがよく伝わらない。なにか並べ方にも奇抜さが欲しいと頭を悩ませる。

 

「おい、台車返せ、台車。重量は平気でも多くは持てないんだから」

 

 工房の素材運びに困ったのかクロンが店の戸をあけて奥の工房から出てくる。

 

「おお、ちょうどいいです。テンチョーなにとぞ竜の英知を貸してください」

「え? 英知? いや……全然覚えてな……」

「このテンチョーの奇天烈グッズを前面に押し出してくつもりなんですけど、なんか目立つ見せ方ないですか?」

 

 きらきらした瞳を受けクロンは冷や汗を流しながら高速で思考を展開する。店長の威厳を示すために元の世界の光景を思い出してなにかいいものはないかと記憶の海に沈む。

 

「つ、吊るすとか? 板に引っ掛けて」

「普通ですね」

「ちげーよ! 今のは小手調べだよ」

 

 アリトの目が失望の色に沈んだのを読み取り再度記憶の海に潜る。ハンガーはよくよく考えなくてもディル=リフィーナに置いても一般的なものだった。

 

「マ、マネキン! そうマネキンだ」

「はい?」

「人形に服を着せて見本にするのよ。これで服の着た感じとか合わせた時の感じとかがよく伝わる」

「へえ、まあとりあえず損になるもんでもないですしやってみましょ。その人形はテンチョーが作れるんですか?」

「え?」

「え?」

 

 店内に静寂が訪れる。案を出すことに必死で実行方法までは全く考えていなかったクロンは人形の作成方法を考え自分では間違いなく作れないと確信し、代替案を考え始める。

 

「あ、別に人形じゃなくてもいいんだよな。とりあえず着せて見せればいいんじゃね?」

「人雇うお金がどこから出てくるんですか」

 

 クロンの提案にまたも失望の光をアリトは目に宿らせるが、不意にその目が面白いこと思いついたとでも言うような明るい表情のクロンの目と合う。

 

「ここにちょうど女性平均よりちょっと小さいぐらいの人間が一人」

「無理無理無理無理。着たら売れないですよ? あと女性もの男性もの8:2ぐらいじゃないですか。絶対女物着せる気ですよね!?」

「いいじゃん、面白そうだし。減るもんでもないだろ」

「男としての何かが減りますよ!」

「あんま暴れるなよ。男の尊厳じゃなくて命奪っちゃうかもしんないだろ」

「さ、さらっと脅すのやめてください。あ! いいんですか? 工匠が簡単に物作るの諦めちゃって。人形も作れない工匠でいいんですか?」

「さあ、覚悟しな」

「うわあああああああああああああああああああああ」

 

 二人っきりの工房に少年の叫びが木霊する。

 

 

 

「さて、そろそろ本気で考えないとやばいなあ」

 

 アリトに女装させ店内に置いてきたクロンは真面目に金策を考える。商品の質を上げるのが一番だが、そう一気に上がるものでもない。依頼を受けようにもみんななかなか竜に任せようという気にはならないのだろう。そんな勇気出さなくても他にも工匠はいるのだ。今のところ依頼をくれるのはティアンぐらいのものだった。

 

「友好関係が狭いのが問題か、やはり」

 

 とりあえず頻繁に街を歩いて交友関係を広げなくてはいけないと思いながら他の店を外から眺める。正午を過ぎたあたりで今はどの店も人へ溢れている。朝市がある朝は店を開けてもほとんど意味がない。そして今の時間帯は激戦区。

 

「夜とかどうかなあ。ああ、でもそれだと店番自分でやんなきゃいけないのか。無理だな。誰も来ねえ」

 

 夜は店員派遣が行われない。深夜、竜が店番する店に軽い気持ちでお買い物など出来るのは竜より強い存在ぐらいのものだろう。その上自分で店番するということはその分作業時間が削られることになってしまう。深夜営業をクロンは頭から消し去る。

 

「はあ、帰るか」

 

 家に近づくにつれ人が減っていくのを感じながらクロンは自分の家へとトボトボ歩いて行った。そして店内に入ると案の定他とは違って閑散としている。黒いローブに黒いフードと全身を真っ黒に染め上げた性別不明の客が一人ファーのついたロンググローブを珍しそうに手に取って全方位から眺めてみたり、伸ばしたりとしているだけで他に客はいない。伸ばされると弱いのでやめてもらおうかともクロンは考えたが、せっかくの客がいなくなっては元も子もない。カウンターにしゃがんで恨めしそうに睨むアリトのもとにクロンは歩み寄る。

 

「どーよ、状況は」

「いつも通りですよ」

 

 やる気なさそうにアリトが答える。それに対してクロンは声を落としてアリトに聞く。

 

「あの客含めて?」

「はい、あのお客様含めてです」

「さよか」

「いつもああして眺めるだけで何も買いませんよ。まあ、お客様が零と一じゃ全然違いますからいてくれていいんですけどね」

 

 クロンはその唯一の客に目を向ける。表情は見えないが手に持ったものではなく自分が動いていろいろな角度から商品を眺めるさまはなんだか可愛らしい。あれで中身が男だったら文句の一つぐらい言ってやろうと心に誓いもう一つ気になっていたことをアリトに尋ねる。

 

「そういや、盗難したやつってどんな奴だったんだ?」

 

 アリトは視線を上に外し考える素振りをする。

 

「顔とか見てないですけど、多分男だったと思います。あと片手が無かったです」

「隻腕ね……ふーん」

「もしかして、知っている人ですか?」

「うんにゃ、よく知らん奴だけど」

 

 もしかしたら別人かもしれないと希望的観測をしながらクロンは工房へと足を進めた。二つ確かなことはこれで放置するわけにはいかなくなったということと、とてつもなく面倒なことになるということだった。

 

 

 



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密漁者と生きる 上

「うおお!? ガントレット作ってたはずが料理用のミトンになったぞ、おい」

 

 窃盗を放置しないと決めてからちょうど一週間後、結局のところクロンは工房に篭ってものづくりに終始していた。というのも最近隻腕になった工匠などすぐ見つかると高を括っていたら、誰に聞いてもそんな奴は知らないとしか返ってこない。ならば、と工匠会に問い合わせてみれば流石にそんな情報は教えられないと言われ、逆に他の工匠の情報を何に使うのだと疑われる始末である。別の日に錬士昇格の際の怪我をしていた工匠にお見舞いがしたい、と今まで一度たりとも考えていなかった殊勝なことを言ってみてもそれが誰かわからないとキッパリ言われ追い出されることになってしまった。あまりにぞんざいに扱われるものだから工匠会が絡んでいるのではないかと邪推してしまうほどである。そして今は気の進まない武器の代わりに経営のためにもガントレットぐらいは作ろうとして出来上がったミトンをマジマジと眺めながらクロンはまた窃盗が起きるのを気長に待っているのだった。

 

「赤いミトンってなんか女子っぽい。俺のイメージカラーなんだけど……そもそもこれ刃防げんの?」

 

 鉄甲もなにも付いてないミトンには耐炎は未だうまくいかないので実装できなかったが耐熱の加護が働いている。今クロンが安定して付加出来る数少ない術式の一つである。耐熱仕様の頑丈なミトン、完全無欠なまでに料理用だった。ちなみにあと一つは縮小で、例えば腕輪などにつけることで持ち主の腕の太さに合わせて縮めることができるのだ。ただし、そうした場合拡大できないので外せなくなるが……。

 

「でも、需要はありそうだしまあ、これはこれでいいか」

 

 ミトンの説明をカードに書き込むとそれを添えて店舗に陳列するためのものを置く袋に放り込む。

 

「このまま工房に篭っててもいいんだけどいずれ素材が尽きる。また素材採ってる時に盗まれたら堪んないよなあ」

 

 頭を掻きながら手詰まりな状況に眉間に皺を寄せる。気分を変えるためにもとりあえず店舗の方に陳列用の袋を持って足を運ぶ。

 

「よーう、どんな案配?」

「はいテンチョー、いつも通り正午ちょっと過ぎの時間はお客様一人です」

 

 店舗に足を踏み入れたクロンの目に飛び込んできたのはいつも通り真っ黒なローブに真っ黒なフードを被って防御を固める女性と思われる客が一人いるだけの閑散とした様子だった。もうお互いに慣れたもので声を落とすこともしない。

 

「今日あたりになにか進展ないとおちおち採取にも行けねえよ。苦手だから数こなさなきゃいけないのにさ」

「おかげで僕は安心して店番できます!」

「留守番できるようになろうな、ぼく」

「うう……いつもは出来てますよお!」

 

 笑いながらクロンは持ってきた袋をアリトに渡すと陳列を開始する。いつもは手を出さないクロンも今日は手が空いたからか率先して動く。それを見たアリトは陳列するクロンの後にバインダーを持ってついて回る。初めて見るものに対してアリトは素材などを聞いて大雑把に値段を書き込んでいく。小さい店舗で固定客も少ないので値引きなどを行い、なんとしても固定客を得なければいけない。なので、最低値段さえ把握していればいいというのがアリトの考えだった。

 

「そういえば籠手作るとか言ってませんでした? そのためのスペース作ったんですけど……一個ぐらい完成してないんですか?」

「うぐ……」

 

 アリトの言葉にクロンは動きを止める。数日前に大見得切った結果がちょうど今袋から取り出していて手の中に収まっていたが、非常に言い出しづらい。

 

「も、もうすこしでできるんだけどな……いやあ、いつもあんま鉄甲とか使わないから時間かかっちゃって」

 

 そもそも全く鉄甲なんて加工していないなんて言えずに見栄を張ったクロンは何食わぬ顔でミトンをガントレットが置かれるはずだったのであろう場所に陳列する。

 

「慣れないだろうけど頑張ってくださいよ。武器、防具は単価が高い上に店の顔になりやすいものなんですから。インテリアに使う人や安心感のためとかに買う人も居るんですから意外に需要は高いですし、見た目も大事ですよ!」

「はいはい、頑張りますよー」

 

 最近グイグイ来るようになったなーなどと内心驚きながらもおざなりにクロンは返事する。すると、今まで出したことのないものを出したからだろうか、黒いローブの客が駆け寄ってくる。そして、陳列したミトンに顔を寄せて何やらまじまじと見つめていた。

 

「えーと、た、ただのミトンですけど珍しいですか?」

 

 恐る恐るといった調子でクロンは客に話しかける。何度も見てはいたものの実際に話したことはなかったので妙に緊張していた。すると、話しかけられると相手も思っていなかったのか、少し動きを止める。

 

「ええ、なんだか可愛らしい見た目だし、日用品に魔法が施されているのはあまり無いもの」

 

 予想通り少し高い声が帰ってきてクロンは僅かに安堵する。どうやら文句は言わないで済んだようだ。

 

「だったら買ってって頂けるとありがたいのですけど」

「うーん、最初は買おうと思ってのだけど、だんだん良くなっていってるからもうちょっと待とうかなあって思ってるのよねぇ」

「そうですか、期待していただけるのはありがたいです」

 

 客と会話するクロンをアリトは目を見開いて見つめる。そのさまをクロンは感じ取りまた失礼なこと考えてるんだろうなあとため息をつく。

 

「あらあら、ため息つくほどお金ないの?」

 

 クロンのため息を買われないことへの失望だと勘違いしたのか黒い客はころころと笑う。その際クロンを見上げ、フードの中の顔がクロンの目に映る。赤紫色の目に整った顔立ちそして暗いローブの奥で輝く金糸の髪。長さはわからないが綺麗だとクロンは思った。

 

「あ、あーまーそう、そうなんですよ、お金あんまりなくてね」

 

 しどろもどろになりながらクロンはなんとか返答する。答えづらいということもあったが相手が美人だとわかり緊張が一気に加速した。アリトもどっかのタイミングで顔が見えたのかそそくさと離れ自分の聖域たるカウンターに引っ込み始めていた。

 

「そう……。なら、そうね。今日はお金あまり持ってきてないからできないけど、明日はたくさんお買い物させてもらうわ。だから今日のところは面白いこと教えてあげる」

「面白いこと……ですか」

「ええ、貴方にとってとても有益だと思うわ」

「まあ、一応聞いときます」

「一応なんて酷いわ。きっと役立つのに。最近密猟者がたくさん出ているんですって。工匠会が資源を独占しているのはおかしいっていう論理でね。それで魔物に殺されてるんだから可笑しな話よね」

 

 人間が殺されていることを話しながらそれがさも可笑しなことのように笑う女性。クロンが思ったのはそれの何処が俺に有益なの、ということだった。それをおかしいと思う気持ちは二年前に失った。

 

「フフフ、そんな呆れた顔しないでぇ。その密猟者さんたちねぇ、あんまり仲間が死んじゃったもんだから割に合わないってことでやめることにしたみたいなのよぉ。密漁の目的は不明だけどどうやらこのままじゃ達成できないみたいだしね。あと工匠会も気づいたみたいだし」

「全然俺に関係ない……ですよ?」

「焦らないで、もうちょっとなんだから。それで、素材の処理に困るじゃなぁい? 持ってたら密漁しましたって言ってるようなものだしねぇ。売ってもいいのだろうけど売ったところから足が着いちゃうわ。さあ、困ったわ。しかし、そこに救いの手が!」

「つーか、処理できねえならなんで密漁したのよ」

 

 密猟者達の恐るべき計画性の無さに呆れるとともに、身振り手振りまでいれて話し始める客をクロンは生暖かい目で見つめる。緊張が解れ今感じているのはこの人どうしたんだろうという呆れだった。その視線に気づいたのか客はコホンと咳払いして調子を整える。ローブで顔色は見えなかったが赤くなっているのではないだろうか。

 

「……それでね。どこぞの高官さんと取引したみたいよ。その素材を誰かさんの留守中にその工房に放り込んで犯人に仕立て上げれば見逃してあげるってね」

「誰かさんって……マジで言ってんの?」

「マジデ? まじで馬路でマじで……マジで? 竜語?」

「ちっ違う! マジでってのはアレだよ。本気で? っていう俺の個人的な造語だから気にしないで」

「そうなの。貴方と会話するにはそういうの知る必要があるのね。苦労しそうだわ」

 

思いもかけないところで引っかかった客にクロンは慌てて弁解するが誤魔化すにしても下手だったと頭を抱える。

 

「それで、誰かさんってもしかして俺のことですか?」

「別に敬語じゃなくていいのに。さっきは普通だったじゃない」

「そ、そうですか。いや、そうか。うん、そうさせてもらうよ」

「そうして。私だけ砕けた言葉で話してるとなんだか頑張って踏み込んだ片思いの少女みたいじゃない?」

 

 微笑みこちらを見つめる女性に視線をそらす。年頃の女性と仕事や買い物以外で話すなど二年ぶりである。耐性などとうに失っていた。

 

「そ、それで、誰かさんってやっぱ俺のことなのかな?」

「少女に突っ込みないってことは私まだ少女で通るのかしら?」

「い、いや、もう女性かなあ」

 

 クロンは相手の顔から若干視線を落としながら答える。そこにはゆったりとしたローブの上からでもわかるほどに膨らんだものがあった。

 

「あらあら、女性相手に面と向かってそんなこと言うなんて大したものねぇ。意外にお盛んなのかしらぁ?」

「な、そんなことないぞ!? 俺竜だから人間に興味ないし」

「蛇に発情するの? すごい性癖ねぇ」

「竜=蛇って認識はどうかと思うよ? というか俺に失礼じゃね?」

 

 クロンは三度同じ質問をして答えてもらえないことにも、見事に変な方向に会話が向かい本題が全く進まないことにも内心戦慄した。

 

「あれ? 気にした? マジでごめんなさい。以後気をつけますわ」

「謝ってる? それ? あと別に使わなくていいからね? その言葉」

「ふふふ、ところで、貴方はかわいらしい上着とか作れないの? 最近この黒いローブで生活するの嫌なのよね」

 

 自身の服装を見下ろしながら顔をしかめる。クロンはこの世界に来てからあまり洒落っ気のない女性が多いと思っていたのでそうは感じていなかったが、黒いローブに汚れなどは見当たらないとは言え若い女性が生活するには不適応かもしれない。因みにファッションはクロンのストレス発散法の一つなのだが、自分の発火に耐えられる素材がないことと尾と翼を出すと破れるという問題から今はまだ服装は簡素なままだった。

 

「もうちょっと素材と金があればな。凝ったもの作って売れないとダメージでかいし」

「じゃあ、確実に売れるなら作るのね!」

 

 目を輝かせて顔を近づかせてくる女性に対して同じ距離だけ下がる。

 

「そ、そうだな。売れる保証があればな。だから何れは注文受けてから相手に合わせたものを作るようにしたいんだよ。しばらくは無理だけど。そして近いからもっと離れて」

「まあ、そこら辺の話はまた今度にしましょ。まだ貴方にはいろいろ足りないようだし」

「採取苦手だし、まだ錬士な上にいろいろ技術が足りないからな。こう言うのは変だけどどうしてもほしいものは他の工匠か着物屋に頼んだほうがいい」

「そうねぇ、気が向いたらそうさせてもらうわ」

 

 ニヤリと整った口元を歪めながら話す女性に理由はわからないが他の人間に頼む気は無さそうだとだけ理解した。

 

「買ってくれるのは嬉しいが、過剰に期待されるのは困るね。できる限り応えるつもりだけどさ」

「マジで頑張ってねぇ。じゃあ、今日はもう帰るわぁ」

 

 まるで言い訳は聞かないというように話を打ち切ると軽やかな足取りでクロンの脇を通り抜け、入り口付近でクルリと向き直る。そして右目を瞑ってウインクした。その瞬間だった。クロンは自分の足場が崩れたような感覚に囚われる。平衡感覚がなくなり視界も歪む、その姿が魅力的で衝撃を受けたなどという話ではない。今、この瞬間にどういう効果かはわからないがクロンは確かに魔力による浸食を受けているのだ。

 

「があぁあ、あああ!」

 

 翼と尾が作業着を突き破り、黄金の角と爪が具現する。竜の力により全身が発熱するとともに侵入した魔力を焦がす。そして、脂汗を滲ませながらも未だに入り口で微笑む黒いローブの女性を睨みつける。

 

「はぁ、はぁ、ど、どういうつもりで! 何をした!」

「そう怒らないで。効かないって分かってたんだから、確認しただけよ。明日、いやそうね、密猟者さんのことが片付いたらまた来るわ。私はセレスティア。貴方の味方寄りの美人の女の子よ。覚えておいてね」

 

 そう言いたいことだけ言うと外に駆け出す。その様子をクロンは視界に収めながらも追うことはできなかった。自分の腕を見下ろすと未だ震えている。恐怖や高揚といった精神的なものではなく単純に魔術を強引に破った後遺症のようなものだろう。

 

「これが戦闘なら……相手が攻撃手段を持ってたなら御陀仏だったってわけか。なんだよ、おい! 強い奴は身近にも居るじゃねえか!」

 

 深紅の目をさらに輝かせて子供のように騒ぎ始める。急に竜人になった瞬間に驚いてカウンターの下に潜っていたアリトはカウンターから外の様子を覗き込む。すると、竜人の姿ではしゃぐクロンより先に先ほどの女性がスキップして遠ざかるのが見える。その後、それには気づかずにはしゃぎ回るクロンに視線を戻すと、なんだか可笑しな二人組だと溜息を吐きながら竜人の傍に寄った。

 

「なんか個性的な人でしたね。それと、もしかしなくてもテンチョーって戦闘狂なんですか?」

「ん? 違うよ。俺戦うの嫌いだし、清く正しくニッポン男子やってきたから人とか傷つけるとストレスが異様に溜まるし」

 

 先ほどのはしゃぎぶりが嘘のように冷めた表情でアリトに返答する。そのあまりの変化にアリトは表情を引き攣らせた。

 

「そ、そうなんですか……随分楽しそうでしたけど」

「まあ、テンションが上がってるときはしょうがない。攻撃されたり敵意ぶつけられるとつい上がっちゃうんだよねえ。二年前まではこんなこと無論なかったんだけどね」

 

 と同時に他の買い物の帰りだろうか、幾つか袋をぶら下げた客が店内に入ってくると、それに反射して二人とも声を上げる。

 

「いらっしゃいませー!」

「え、あ、ごめんなさい!」

 

 竜人の姿のクロンを視界に収めるや否や客は外へと走り出す。店内に嫌な沈黙が訪れると共にアリトの冷たい視線がクロンの体に突き刺さる。そして、静かに工房を指さした。

 

「工房へどうぞ」

「はい」

 

 肩を落として工房に引っ込む竜族の背に冷たい視線が突き刺さり続けた。

 




原作キャラここまでほとんど出してないのはヤバいのではないか。ウィルフレドさんが試験受けてくれれば一杯出るんですけどね


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密猟者と生きる 中

「密猟者ねー。俺関係ないじゃん」

「でも、あのおねーさんが言うにはテンチョーが狙われてんでしょ? 罪を着せるのに」

 

 ガランとした店内のカウンターにて二人は今後について話していた。客の話を受けてクロンは店から殆ど出ることはできなくなっていたが、実際あの話が嘘とも限らないのである。ただ、クロンを店に貼り付けるメリットもわからない。だからこそ二人は頭を悩ませていた。

 

「殴って終わりなら楽でいいのになー。もう次期ウィルの試験もあるしそれまでには決着つけたいな」

「じゃあ、密猟者に殴り込みですか?」

「どうしてそうなった。それに居場所がわかんねえよ」

 

 カウンターに頬杖をついてクロンは唸る。そろそろ流石に採取に行かなければならないが、行けば行っている間に何か起きるかもしれないのだ。それも致命的なことが。

 

「そういえばなんで盗難なんて起きたんですかね? 逆効果じゃないですか?」

「そりゃあ、多分俺への警告じゃね? 隻腕の密猟者って俺が助けた奴っぽいし。店から出ないほうがいいよーって不器用ながらにも伝えてんだろ。コミュニケーションすら盗みを使うとか盗人の鑑だな」

「なるほどー鋭いですねー」

「これぐらいで鋭いってのはどうなのよ?」

 

 クロンはため息を吐きながら結局何もできない現状に頭を抱える。

 

「だったら、相手の居場所を探るマジックアイテム作りましょ」

「そんなもん作れんなら俺はもう匠貴になってるよ」

「じゃあ……協力を頼むのは? 誰かいないんですか?」

「おいおい、俺の嫌われっぷりは知ってるだろ?」

 

 アリトの提案を受け流しながら二人の友人の顔が頭を過ぎる。実際問題として、誰かに助けを乞い事態が好転するならやっているのだ。だが、今のところ手を借りても明確にやってもらうことがない。居場所がわかればこの面倒事も終わるのだが、今のところ助けを呼んでもただ共犯者を作るだけになる可能性の方が高い。

 

「居場所さえわかればな……」

「結局殴り込む気じゃないですか……」

「これしか切れる札ないんだからしょうがねーだろ! 物事はシンプルでいいんだよ。複雑なのは物作りだけでいいの!」

「複雑なもの作ってから言ってくださいね」

「ゴフッ」

 

 少し上手いこと言ったと満足していたクロンはアリトの言葉の刃を受けて倒れこむ。竜の体は言葉には別に強くないのだ。

 

「君たちはこの状況で随分楽しそうだね」

 

 倒れこむクロンの頭上から呆れたような声が聞こえる。その声の元に二人共視線を向けると、キザっぽく笑うクロンの数少ない友人レグナー・アーシェスが立っていた。

 

「おーレグレグ! 久しぶり」

「なんだい、それは」

「俺のことみんなクロって呼ぶし、ウィルフレドのことはウィルじゃん? レグナーをレグナーって仲間はずれっぽいから俺があだ名を決めてやろうと……」

「結構だ」

「なら俺のことクロって呼ぶなよ」

「随分余裕だね。君は今追い詰められていると、もっと危機感を持つべきだよ」

「おい、無視すんな」

 

 ぎゃあぎゃあ騒ぐクロンを無視してレグナーは要件を伝える。

 

「そもそも今回のことは僕としても鬱陶しく思っていたからね。今回の依頼は丁度よかった。君達は彼らの居場所が知りたいんだろう?」

「はい、それさえわかればテンチョーが突っ込んで終わりですし」

「だからその居場所を伝えに来たのさ」

「え、マジで!?」

「ああ、本当だとも」

 

 心なしか得意げに話すレグナーをちょっと微笑ましく思うとともに、クロンはこんなにも友達が自分のことを思っていてくれることに感激していた。

 

「霊悔の森に拠点を築いているらしい」

「霊悔の森ぃ? なんでそんな毒だか瘴気だかに塗れた死の森で生活してるんだよ……」

 

 霊悔の森とは錬士より解放される森であり、森全体が紫色の瘴気に覆われている。そのためそこに生きる生物も狂っていたり、体が腐食していたりと影響を受けているものが多い。さらには吸魂霊や引き摺るモノという霊体まで存在する。当然そんな環境のため、そこで手に入る素材は有用性が低く工匠もほとんど寄り付かない。事実クロンも解放されてから一度も採取には行ったことがなかった。

 

「でも、よかったですね! テンチョーが行ける場所で」

「ああ……まあ、そーだな」

 

 笑顔を向けるアリトにクロンは苦笑いを返す。今回の戦いはもしかしたら上級工匠並みの力を持つ者も相手にはいるかもしれない。そうとなれば、クロンも本気を出さざるを得なくなるかもしれないのだ。その際、森というのは都合が悪い。炎という属性の関係上、できれば森だけは避けたかったというのが本音だった。

 

「しっかし、俺と戦いたいんだか戦いたくないんだかわからないポジショニングしてんな。錬士じゃ行けない所にすりゃあいいのによ」

「下級工匠が行ける場所でかつあまり上級工匠が立ち寄らない場所となるとそこしかなかったのだろう。あそこの素材は価値が低い上に敵も面倒だからね」

「なんでそんな条件が必要なんだ?」

「目的はこの際重要じゃないだろう? しかし、仮にも竜である君と鉢合わせする可能性のあるところに陣取っているんだ。相応の準備があると考えていいだろうね」

 

 少なくとももうほとんど全力は出すことが確定ということにクロンはうんざりとした表情をする。クロンはある程度の力を持つ相手ならば高揚してしまい、出さなくてもいい力まで使ってしまう。つまり今回どう考えてもある程度の苦戦はすると思われるのでまず、全開の力をどこかで使う羽目になるだろう。その何が問題か。何も疲れるからとか破壊しすぎてしまうとかそういった話ではない。無論それらもあるが、今クロンが悩んでいるのはそういったものではなかった。全力を出した場合クロンは全身にかつてリムドラを瞬時に塵に変えた炎を纏う。敵の魔法も武器も技も全てが無駄になる防御力と敵に触れるだけで必殺となる攻防一体のクロンの奥義だが、この技を使うと服が無くなるのだ。服が無くなるのだ。つまり、戦闘後全裸になる。戦闘前に服を脱いでおくとかしなければいけないわけだが、敵を前に高揚したクロンにそんなことができるはずもない。全裸でユイドラに帰らなければいけなくなってしまう。そうなれば、竜族であるとかそういうのとは別の理由でユイドラから追い出されるだろう。

 

「対炎装備が間に合っていれば……」

「どうしたんだい? 居場所が分かったのに嬉しそうではないね」

 

 そんなことは知らずに不思議そうな顔をするレグナーに苦笑いを返すと、無くなってもいい失敗作の服を取り出す。

 

「俺、やるよ! 大丈夫! いざとなれば奴らから剥ぎ取るし」

「何を言ってるんだ君は……」

 

 決意を込めて拳を握るクロンを冷めた目で見ながらレグナーは目の前にある商品を手に取り眺める。

 

「相変わらず雑な作りをしているね。これで得意なものなのだから驚きだよ」

「うるさいなぁ、つーか触んな」

「そういえばテンチョー。テンチョーが殴りこみに行っている間にここに向こうの人が来たらどうするんですか? 僕は逃げますよ?」

「お前……」

「そうそう、僕は帰る前に客としてしばらくここで君の商品の乱雑さを見させてもらうから」

 

 レグナーは商品である腕輪の不恰好さに口を押えながら意味ありげに視線を送る。それを見てクロンは口の端を釣り上げる。

 

「ハ! 存分に見て行けよ」

 

 捨て台詞のように走りながら叫ぶと店の外に駆け出し、外に出るや否や赤い翼を広げ大空へと飛び立つ。胸が熱い……。強敵を相手にする期待に対する高揚だろうか。クロンは工匠として生きると決めたことが間違っていないことを確信し、大きく羽ばたいた。

 

 

 

 霊悔の森。紫色に染まる森に異様な魔物達が蠢いている。とてもではないが人間が長時間留まるような場所ではない。にもかかわらず、何故か数十人の人間が木を積み食品を持ち込み留まっていた。住み始めて二、三日といった様子ではない。魔物に対してかそれ以外に対してか見張りらしき人物が三名、武器を片手に外に視線を向けながら雑談に花を咲かせる。

 

「結局あの糞竜が外出ねえせいでこんなところに張り付けられっぱなしだ。やってらんねえな」

「その通りよ。今回は甘く見すぎっていうか買いかぶりすぎよ。他人を!」

「そうだな。全体の錬度が低すぎた。まさかヴェアヴォルフのような獣人崩れにもパーティを組んで勝てない者ばかりとは予想外だった」

 

 明らかに戦闘慣れしているという空気を纏う三人は現状を作り出してしまった元凶達に悪態をつく。茶色い髪の強暴そうな光を目に宿す男は苛立ち紛れに乱暴に巨大な剣を地面に叩き付る。

 

「あの糞商人のお抱えの戦士とかいうのがどいつもこいつも弱えのが問題だな。結局まともなのは俺ら三人と大将だけだ」

「仕方がないさ。魔物との戦闘経験など望まなくては得られんのだ。それに今回の失敗はそれだけでもない。工匠会が思いのほか優秀だったのもある。まあ、厄介払いすれば見逃してもらえるんだ。いいじゃないか」

 

 青い髪の魔術師風の男は大剣を持つ男に薄く笑いながらユイドラのある方に視線を向ける。

 

「厄介払いってさ、そんなことしないでも工匠会潰しちゃえばいいじゃない。私達四人なら楽勝よ楽勝」

「そいつはいくらなんでも無理だぜ。工匠ってやつらはどいつもこいつも並の騎士ぐらい戦える。上級ともなれば一対一でもキツイ」

 

 黒い髪を二つに束ねた女性が二本の剣を振り回しながら騒ぐのを茶髪の男が苦笑いで返す。

 

「じゃあ、竜の方ならいけるでしょ? 私一人でもやれそうだったわよ」

「そいつは間違いなく錯覚だから落ち着けよ。一対一で竜なんて倒せるわけねえだろ」

「そんなことないわよ、きっと勝てるってば」

「じゃあ、戦って死ね。泣きべそかいたまま灰に転職させてもらえ」

 

 二人が喧嘩する様を視界の端にとらえながら青い髪の男は杖を弄びながらため息をついた。タイムリミットは近い。今拠点の奥で彼らのリーダーと今回の雇い主である商人がこれからのことを話しているが、そうそういい方向には話は進まないだろう。長引くことは厄介払いを依頼してきた工匠会の高官にとってよくないはずだ。ならばそろそろ彼らを切り捨てる方向に動いてもおかしくない。今にも討伐隊が拠点に向けて進んでいるかもしれない。ここまで長引く羽目になったのも裏切り者が出たせいだった。三人組でパーティを組んで初級エリアを探索していた者が突如件の竜の店で盗難を行ったのだ。このせいで竜が遠出をしなくなってしまいここまで長引いてしまった。その三人組の内、隻腕の男と女は粛清したが一人は取り逃がしてしまった。何から何までついていない。どうにも今回はうまくいかないことが多すぎた。そもそも最初はもっと強力な者が集っていたのだ。それこそ彼らと同レベルの存在が。だが、エリアにそぐわないレベルの敵との立て続けの遭遇、突然の歪魔の出現、どれも今までユイドラ近郊ではありえなかったことだ。天に見放されているとしか男には思えなかった。

 

「ふー、皆が生き残る。たとえ別の地に放浪することになろうとも。それもかなわないかもしれないな」

 

 青い髪の男のそんな諦めめいた言葉と同時に奥から彼らより一回り大きい大男がのしのしと歩いてくる。その後ろには大男と比べるとあまりにも小さいきれいな身なりをした小男が身をかがめながらオドオドした様子で追従している。彼らのリーダーと依頼主だった。

 

「よう、野郎ども。待たせたな」

「私は女よ! それで竜を殺すことに決めたの?」

「ガハハ! そのお前の威勢の良さは好きだぜ。だが、やれば確実に俺らの内三人は生きて帰れねえ。それじゃあ、意味ねえだろ?」

 

 豪快に大男は笑うと後ろを向き拠点全体に声が聞こえるように声を張り上げた。

 

「全員聞きやがれ! もう今回は失敗だ。工匠会にいつ見限られるかわからん。だから、裏切られる前にトンズラする! 荷物をまとめろ! 俺らみてえな荒くれ共は草を枕に寝れる! 新たな土地に旅立つぞ!」

 

 了解だの分かっただの口々に拠点に住まう人間は答えるとそそくさと逃げるための準備を始める。

 

「お、おいジフカ。わかっておるのだろうな? わしを何としても生きて送り届けるのじゃぞ? 金なら弾む。盾となった者の分は褒賞を倍にしてやる」

「へーへーわかってますよ。まあ、件の竜とか歪魔に襲われた場合は諦めてくださいよ? そんときゃあこっちも自分の身で精一杯なんでね」

「な、なんじゃと!? そいつらが来た時こそ体を張ってわしを守れ!」

「無駄だと思いますけどねえ」

 

 顔を真っ赤にする商人をみてクツクツとジフカは笑う。今回移動中に間違いなく先のどちらか、もしくは工匠会の襲撃があるだろう。そのどれが来てもこの男は連れて行かれるか殺されることは確実だった。ここにいる人間に一人も守る気がある者などいない。手駒が全滅した時点でこの男の運命は決まっていた。とはいえ、自分も分かったものではない。工匠会、竜のどちらかならうまくすれば命は助かるだろうが歪魔の場合はそうもいかない。竜族、飛天魔族と並ぶディル=リフィーナにおける最強種族歪魔。しかも今回の個体はかなり高位であり好戦的であることが確認されている。歪魔は転移を行うことができる以上、逃げることは叶わない。これに全員で遭遇してしまえばまちがいなく全滅だろう。

 

「ククク、どれに当たるかね。工匠会なら逃げ切れそうなんだがねえ」

 

 目の前で武器を入念に調べる先の三人を見てジフカは思う。何としても守りたいと。この拠点に居るものは商人以外みな家族同然の存在だった。

 

「全員余すことなくクズだが、それでも……生き残りてえなあ」

「リーダー……今回、全員の生存は……」

「ガハハハ、大丈夫だ、なんとかしてやるよ、俺様がな!」

 

 青い髪の男の暗い表情に豪快に笑うとワシワシと頭を撫でる。

 

「止めてくれ、リーダー! 私ももう子供ではないのだ! ……まさか!」

「おいおい、これは!」

「噂をすればなんとやら……かしら?」

「いったい、どうしたのだ? まさか魔物か?」

 

三人の表情に驚愕が貼り付く。ジフカは口を歪め、空を見上げた。商人だけは訳も分からずおろおろと歩き回る。四人ともそれを叱咤する余裕はなかった。この状況で空からの襲撃者など一人、否一匹しか居ないのだから。

 

「見っけ! 全員揃ってなくてもいいけど、とりあえずリーダーは居てほしいもんだね」

 

 そこに真紅の翼を持つ死神が降り立つ。黄金に輝く角と爪は紫色に沈む森で威圧的にその存在を主張する。

 

「因果応報、陥れようとした側だしな。しょうがねえやな」

 

ジフカはそう呟くと三人組共に武器を構え、絶対の強者の前に立つ。

 

「なんだ逃げないのか? やっぱり俺と戦うことも考慮してたのか……あんた等強そうだけど何故かまだ理性残ってるし、さっさと決めるぜ!」

 

 その言葉と同時にクロンの体が跳ねる。だが、同時にジフカが肉薄する。激突は一瞬。

 

「舐めんな!」

 

 お互いが大地を蹴ることで推進力を得る。だが、空を駆るクロンには飛行能力分の推進力が上乗せされジフカの巨体を180°逆の方向に弾き飛ばす。だが、相手が一撃目に正面から向かってくると思っていなかったのか確実に次の行動が遅れる。そこに魔術が発動する。

 

「受けよ、裁きの雷を!」

 

 杖から稲妻が放たれると同時にクロンの頭上から落雷が起こる。いかに竜族といえども雷を見てから反応など出来ようはずがない。その稲妻をもろに受け僅かに浮いていた体が地に落ちる。そこに 双剣を持つ女性と大剣を持つ男性が左右に膨らむようにして走り寄る。

 

「殺った!」

「何をだ! 女!」

 

 両側から迫る剣を認識するや否や、クロンは女性の足を尻尾で絡め捕り宙に吊り上げ、迫る大剣を両手の爪で挟むようにして止める。二人が次の行動を起こすより早く片方を尾で投げ飛ばし、片方を翼で叩き付ける。

 

「がは!」

「あぎゃう」

 

 叩き付けられた二人に視線を向けることなく魔術師に向かって飛びかかろうとする。この中で一番厄介な存在を感じ取ったのだ。しかし、それがいけなかった。叩き付けたダメージは決して小さくない。間違いなく次の行動をとるのには相応の時間がかかる筈にも関わらず、クロンの背に双剣が躍りかかる。

 

「くそ!」

 

 素早く前に転がる要領で反転して後ろを向くと両手を前に突出しそれぞれの手の前に火球を発生させる。一方を迫る女性に、もう片方の手をもう一人の地に叩き付けらたままであろう方に狙いを定めようとして、その場から消えていることに愕然とする。今は体を半回転した状態である。視界が悪い、まず見つからないと判断したクロンは片方を女性にもう片方を適当に放り頭を大地に向けたままの体勢で空へと飛ぶ。

 

「単純だなあ、おい!」

 

 その横合いから大剣が突き出される。ガードが間に合わずわき腹に突き刺さるが、かまわず空に逃れる。だが、ここまでに時間をかけ過ぎた。魔術師の二射目が放たれる。稲妻を球体に押しとどめたような魔法弾が連続で体勢が崩れに崩れたクロンへと殺到する。

 

「があ、くそったれ!」

 

 数発の電磁弾を受けながら翼を必死に羽ばたかせ、さらに上空に逃れる。彼らの武器はどれも接近用。唯一の遠距離手段であろう魔術師は今しがた魔法を放ったばかり。ならば追撃の手段はない。クロンは一度体勢を立て直そうとして、ありえざる追撃を無防備のまま受けた。

 

「休憩には早えんじゃねえか? ドラゴンさんよお!」

 

 クロンはダメージに揺れる視界のなか、最初の一撃で遠くに吹き飛ばしたジフカが叫ぶのを捉えると同時に、今の一撃はジフカが放った光属性の魔法攻撃だと知る。

 

「芸達者だな! 盗人が」

 

 魔法と武芸の両立。人間の身でそれを達成するのは並大抵のことではない。そんなことができるのは神殿の騎士と呼ばれるような者達や神格者と呼ばれる神の力を与えられている者達ぐらいのものではないだろうか。もっとも寿命のない神格者を人間と定義できればの話だが。手酷いダメージを受けたもののクロンは体勢を立て直すことに成功する。空中から地より見上げる四人を見下ろす。最初の一撃はさほど堪えていないらしく、にやつかせながらジフカは長剣を片手に持ちクロンを見上げている。魔術師は次の魔法のために目を閉じ集中していた。その様からまだまだ魔力には余裕があるようだ。大剣を持つ男性は剣を振り下ろした体勢からクロンに向けて構え直す。翼を叩き付けられたもののまだまだ余力はあるのが見て取れる。唯一双剣の女性は叩き付けられたのと火球をもろに食らったからか服もほとんど残っていない状態で片膝をついて頭を垂れていた。火球を受けてそのまま気絶していないことに驚きながらもクロンは視線を外す。戦闘中だが女性の半裸の姿など見つめるわけにはいかない。

 

「はあ、しっかし! 押されたなあ、ホント。やるじゃん! つーかもっと理性失うかと思ったんだが人間相手だとそうはいかねえな、まあ良いことだな」

 

 場違いにも陽気に話すクロンを眺めながらジフカは魔術師に声をかける。

 

「裁きの雷に電磁弾、俺の光燐衝撃。これだけ魔法食らっても余裕があるみたいだな、あの化け物」

「今ので決められずともかなりダメージを与えておきたかったですね」

 

 魔術師は顔をしかめる。性能では竜のほうがはるかに上なことは分かっていた。クロンの属性が炎である以上森ではかなり戦闘力が制限される。そこを突くしか勝ち目は最初から無い。だが、苦戦がわかれば竜も己の生存のために周囲の環境を無視して攻撃を始めるだろう。もしも、ブレスなどが解禁されれば今戦闘している者では飽き足らず後ろに控えている者達も焼き尽くされてしまうだろう。

 

「このまま空中放火ってのもいいけど相手は魔術が使えるの二人もいるみたいだしな。しょうがない、行くか!」

 

 言葉が終わるとともにクロンは魔術師に向けて急降下する。

 

「単調な!」

 

 魔術師は杖を突きだすとその先から稲妻を放つ。いくら竜といえども見てから回避するのは困難だ。突っ切ってくる可能性もあるがそうすれば必ず動きは鈍くなる。そうすれば双剣を持つ女性は動けないが他の二人とで総攻撃の的となるだろう。しかし、クロンはそんな魔術師の思考をあざ笑うかのように電撃の発動に反応して直角に曲がるという化け物技を披露する。

 

「お前がな!」

 

 クロンは予め敵の迎撃が直線のスピードの速いものと予測して急降下したのだ。そしてあとは発動の瞬間を予測して曲がる。無論、魔術なんてわからないクロンに発動の予兆などわからないが、竜の本能が正確にその時を警告してくれた。さらに、方向転換した先には大剣をもつ男。驚きつつも防御の体勢をとるがそれは自殺行為。勢いに乗る完全な体勢のクロンの一撃を立ち止まって受けるなどそれこそ人間業ではない。拳が炎に覆われ、前面に盾にするように押し出された大剣に突き刺さる。拮抗叶わず砕ける大剣を通り抜けた拳を無理やり方向転換させ、男の脇腹を掠める。そしてすれ違いざまに翼を立てて、殴打する。男はトラックに撥ねられたように吹き飛ばされる。

 

「貴様あぁ!」

 

 ジフカは咆哮をあげてクロンに向けて光属性の衝撃波、光燐衝撃を放つと同時に駆け出す。クロンは横っ飛びと同時に羽ばたき、攻撃範囲外に逃れると駆け寄ってくるジフカではなく魔術師に顔を向けて睨む。近寄ってくるジフカの相手をするうちに二射目の体勢が整ってしまう。それではまた前衛後衛として機能され厄介だった、だから無効化することにした。

 

「まさか!」

 

 魔術師は自分を向くクロンの口から炎が漏れ出すのが分かると、なりふり構わず横の茂みに飛び込む。竜のブレスを防ぐ術など持っているはずがない。だから、とにかく回避に全力を尽くすしかなかった。だが、そんな魔術師の決死のダイブとは裏腹にブレスは放たれず、クロンはジフカに向き直る。

 

「タイマンだなあ、ボスゴリラ!」

「おらあ!」

 

 魔術師への脅しのせいで次の動作に遅れたクロンだが、尾を地面に叩き付け推進力を補うことでさらなる上空に飛翔する。羽を羽ばたかす余裕など無かったにも関わらず行われた細かい空中移動にジフカは瞠目する。竜の飛行とは本来翼は必要ない。魔術的なもので行われており、翼は補助的なもの過ぎない。故に尾を地に叩き付ける推進力だけで大剣の僅かに射程範囲外に逃れてみせる。そして、拳を放たれる直前の弓矢のように引き絞る。

 

「惜しかったな」

 

 そして、拳は放たれた。進んできた方向とは逆の方向の茂みへと吹き飛んでいくジフカをクロンは見つめると緊張を解く。

 

「あ~、きつかった。意外に理性残っているもんだ。人間相手はやっぱ勝手が違うのか」

 

 瞬間、全身に電流が走る。一瞬魔術師の攻撃かと飛び込んだであろう方向に振り向くが、それは警告だった。竜の本能が緊張を解くクロンに教えてくれたのだ。今までの敵とは違う。いや、今までクロンが戦ったものは敵ではない。誰もクロンを打倒しうる力を持っていなかった。全力を出せばたやすく踏みつぶせる相手だった。だが、今回は違う。自らを打倒しうる、もしかしたら格上かもしれない相手だと。そうクロンの体はクロンに、黒川良也という戦闘素人に教えてくれた。今回は性能に頼るだけでは勝てないと。

 

「こんにちは、おじさん達」

 

 そんなクロンの危機感とはそぐわない明るい声が響き渡る。ピエロ、それがクロンのその異常な生物を見たときのイメージだった。青い短い髪に二股に分かれた黒い帽子を被り、右目の周りには星の形に赤いメイクがされており、左目にはこれまた縦に赤く傷のようなメイクがされている。それはサーカスで使うようなカラフルな玉の上に立つ、少年だった。

 

「おい、誰がおじさんだ。どう見てもおにーさんだ、カスガキ」

「でも、ドラゴンって長生きなんでしょー? だから絶対おじさんだよ。もしかしておじーさんかな?」

「バカめ、何年生きてるか関係ないんだぜ? どう見てもって言ったろ? 見た目の話だよ」

「屁理屈だー大人お得意の屁理屈だー。絶対おじさんだよ」

 

 乗っている玉を足蹴にしながら顔を振って駄々をこねる少年は突如、無表情になるとゆらりとクロンに向き直る。

 

「さって、殺そ」

 

 その表情がニタリと底冷えする笑みに変わる。その奇行と狂気にクロンは怖気が走る。それはこの世界に来て二年間会うことのなかった、かつての世界では幾度となく世間を騒がし良也自身も幾度か遭遇したことがある、変質者のそれだった。竜と歪魔。ディル=リフィーナにおける最強種族同士の戦いが始まろうとしていた。

 




何度このカスガキをミレーヌに差し替えようと思ったか


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密猟者と生きる 下

 歪魔の体がグニャリと歪んだと思うとクロンの視界から消え去った。と同時に腹部に激痛が走る。視線を落とすと、先ほど大剣によって傷ついたところにナイフが突き刺さっていた。確認後、すぐさまクロンは飛び上がる。どういう攻撃かわからないが全く反応できなかった事実に戦ったことのないタイプの攻撃だと直感した。

 

「あはは、必死に逃げるんだね」

 

 空を飛ぶクロンの周囲にナイフが次々と飛びかかる。その際も少年の姿は目に映らない。

 

「なんなんだ、これは」

 

 空中で回転して翼でナイフを叩き落そうとするが、どういう芸当か弾かれるどころかナイフは翼に突き刺さる。高速で移動することで逃れようとするが、あらゆる場所からあらゆる方向からナイフが飛来する。一本一本は大したダメージにはならないが確実にクロンを疲弊させていた。

 

「ちょこざいんだよ!」

 

 クロンは翼で体を覆うと防御態勢をとる。高速回転しても突き刺さったナイフである。ただ盾とするだけでは容赦なく突き刺さるだろう。しかし、見えない壁に阻まれるように翼に触れることなくナイフは弾かれ大地に降り注ぐ。クロン自身理由はわからないが、あの体勢を防御の意思とともにすることで見えない盾のようなものを作れるのだった。僅か一手。ナイフを乱射するという至極単純な戦法でそんな不確かなものに頼らなければいけないほどに追い込まれていた。

 

「もう効かねえぞ、こんな玩具は! 出てこい!」

 

 姿を見せない歪魔に向かって声を上げる。すると、グニャリと空間が歪みクロンの真下に姿を現す。

 

「あはは、凄いや! そんなにナイフ刺さっても死なないなんて頑丈なんだね! じゃあ、もっと強くいくよー」

 

 そう言いたいことだけ言うとグニャリとまた姿を消す。それを見てクロンは舌打ちするとその姿を探すべく視線を走らせる。歪魔が攻撃を始めてから一度もその姿を捉えられていないのだ。森という戦場は隠れやすさからもクロンに不利だった。焦土に変えることも頭に過ぎるが、それは最終手段。実行すれば工匠ではいられないだろう。

 

「くそ、あんなカスガキじゃ俺の工匠人生終了の対価には見合わねえ」

 

 クロンが毒づいているうちにナイフの投射が始まる。舌打ちとともにクロンはまた翼で体を覆い、盾を展開する。ありとあらゆる方向からナイフは襲いかかるが、すべて翼に届くことなく地に落下する。しかし、突如クロンの全身にドゴッという爆撃音とともに衝撃が襲う。

 

「ガハッ」

 

 その一撃はクロンの防御態勢を解かせる。ならば当然、ナイフは防げない。態勢の崩れたクロンにナイフが殺到する。いくつかナイフに身を裂かれながらも急降下して被害を押しとどめる。その際も歪魔の姿を探すが見つからない。

 

「姿を見えなくする能力に念動力……違うか、あの感じからすると転移」

 

 相手の能力の凶悪性に唇を噛む。今の衝撃で歪魔には防御を貫く強力な攻撃があることも発覚した。ならば引きこもり、接近のチャンスを窺うこともできない。となればクロンが打てる手は二つ。森を焦土に変えて敵を丸裸にするか、丸裸になる覚悟でナイフの攻撃をかいくぐりかくれんぼを制するか。高速で飛行しながらも体は徐々にナイフにより消耗していく。

 

「二つ、リスクを被るが子供の遊びにつきやってやるか」

 

 立ち止まり、目を閉じ、イメージする。自分の体を自分よりも大きな竜の咢で飲み込む。飲み込んだ先にあるのは胃。炎竜の胃。今自分の周囲は炎竜の胃そのもの。その中に自分は居る。紅蓮のブレスを生み出す胃の中は当然紅蓮に満たされている。万物を飲み込む炎。食べ物だけではない、敵もこの身もなんであろうが焼き尽くす。目を見開くとともに咆哮する。

 

「あああああああぁぁああああ、纏え纏え纏え纏え纏え纏え纏え、この身を焼くかの様に! 鎧よりも空気よりも密接に! 隙間なく、揺るがなく覆い尽くせ! 炎の鱗よ!」

 

 最後にイメージを口に出すことでイメージをさらに強める。こうすることでかつて偶然できたものを再現する。炎の鱗、クロンのイメージではそうなっていたが、実際に具現したものは鱗と呼べたものではない。まるでクロンの体自体が炎に変わったかの様に隙間ない炎の塊と化していた。クロンの顔も判別できない。人型の炎の塊に翼と尾の形の炎の塊がくっついているようなモノだった。突き刺さっていたナイフを焼き尽くし殺到するナイフも体に届く前にその形を奪われる。一瞬ナイフがやんだかと思われた瞬間、純粋な魔力が練られた弾丸が高速で着弾する。しかし、僅かも炎の塊は揺るがない。その様を隠れて見ていた歪魔の少年は舌を巻いた。

 

「なにあれ、顔も見えないし気持ち悪い。全身覆うとか普通顔は外出しとくもんだよ。技は見た目も大事だよ」

 

 先ほどの魔力弾はクロンの防護壁を打ち破ったものだったが、微塵も効果がない。ナイフもどの角度から投げても燃料を投げているようなものだった。さて、どうしようかと少年は考え込む。少年にはあの炎の上からクロンにダメージを与える術がなかった。少年を探して飛び回るクロンを眺めていた少年は何かに気づいたように一瞬無表情になると、ニターっと笑みを作る。

 

「居ねえな、くそ」

 

 やはり焦土にするべきだったかとクロンが後悔し始めたとき突如としてクロンの背後に歪魔は姿を現す。そして、接近状態からナイフを投げつける。だが、いくら勢いが増そうとナイフはクロンの肌に到達するまで形を保てない。クロンは振り向き腕を伸ばす。それを僅かに下がって歪魔は回避するとナイフを投擲しながら徐々に後退していく。

 

「無駄だ!」

 

 ナイフを気にせずクロンは突撃する。振るう豪炎の腕を器用に避けながら歪魔は無駄な攻撃を続ける。かくれんぼから鬼ごっこに変わったが、クロンは誤算に気づく。転移を抜いても歪魔の方が早い。直線の最高速度ではクロンが勝るかもしれないが、一つ一つの動作のスピードが比べ物にならない。クロンが腕を歪魔に向けて突き出すうちに歪魔は横に滑るように回避してナイフを投げつけ、バックステップ、これらをたやすくやってのけていた。

 

「鬼さん、こちら。あはは、手の鳴る方へ」

 

 実際に回避しながら両手を叩いてみせる歪魔に苛立ちながら尾や翼も使って攻撃を繰り返すが、異様な動きと圧倒的な速度で回避される。突き出した腕をリンボーダンスのようにのけぞって避けたかと思うと、その隙をついて尾を横から叩きつければ横にずれて背筋を伸ばしてから縄跳びのように跳んでかわす。そんなありえない速度の差をクロンは思い知らされていた。仰け反った態勢からそのまま飛び跳ねるというなら驚異的なバランスに驚くだろうがまだ理解できる。だが、腕と尾、連動して行った攻撃に対して向こうは回避、態勢を立て直す、回避の三動作をやってのける。こちらの攻撃は向こうを追い詰めてすらいない。その事実が重たくのしかかった。炎の鱗を形成していなければいまごろ急所を刺されて死んでいただろう。

 

「何!?」

 

 攻勢に出ていたクロンの腹部に痛みが走る。突き刺さったナイフは瞬時に覆われた炎に消滅させられるが、確かに皮膚へと届いていた。

 

「どういうことだ……」

 

 今の攻撃がいままでナイフの攻撃を防いでいた炎の鱗を貫通するほどの攻撃とは思えない。反撃しながらも次々と鱗の奥の体に攻撃が突き刺さる。

 

「ガアァ!」

「ははは、不思議? 不思議だよね。でもおじさんのその炎、おじさんが早く動けば動くほど揺らぎが大きくなるんだ。揺らぐってことは防御にも揺らぎができるってことだよね? あはは」

 

 笑いながらクロンの技の弱点を指摘する歪魔にクロンは戦慄する。その眼力に驚いたのではない。この歪魔はあの回避をしながらクロンの炎の揺らぎを観察する余裕があったということだ。クロンはこのままでは一度も触れることもできずに敗北することを悟った。度重なるダメージで体もそう長くはもたない。そもそもこの竜の鱗は長時間維持できるものでもない。動きを止め、思考を巡らす。戦いで思考を巡らすなど何時振り、いや初めてかもしれなかった。いつもはそんな理性は残っていないのだ。だがなぜか今日は幸か不幸かずっと理性を保ったままでいられた。

 

「あれ? 鬼ごっこは終わり? 缶蹴りかな? 何秒待てばいいのかな?」

 

 立ち止まられては炎の揺らぎができないからか、立ち止まるクロンの周りを攻撃しないで回り始める。

 

「いいや、鬼ごっこ継続だ。俺が触れれば終わりだから気をつけろよ?」

 

 そう呼びかけると両腕を覆う炎が無くなる。そして、両腕の傷だらけの肌が露わになる。

 

「うっわ、いったそー」

「そーでもない。これからお前が味わうものには負けるよ」

「何言ってるの、おじさん。僕にはおじさんみたいなのろまな攻撃はあたらないよ、あはは」

 

 歪魔は腹を押さえて背を大地につけて笑い転げる。信じがたいことにこの状態でもクロンの攻撃を回避できる自信があるのだろう。

 

「じゃあ、行くぜ」

 

 後方にクロンは飛び上がると両手の前に火球を作り、連続で放り続ける。それを、寝そべった体勢から側転やら逆立ちやらしながら余裕綽々で回避していた歪魔も爆風で視界が悪くなったことで、クロンの頭上に転移して火球を放り続ける両腕にナイフを投擲する。クロンの両腕から血飛沫が上がるとそれでやっと居場所が分かったのか炎に覆われた表情のわからない顔を頭上の少年に向ける。

 

「あはは、遅い遅い!」

 

 両腕の痛みと攻撃途中だったからか、腕を前に向けたままで反撃に移れないクロンに二射目を放つ。そして、さらにあがるであろう血飛沫を想像して口を歪める。少年は知識として竜の特性を知っていたからそれを最初はかなり警戒していた。だが、クロンが物理攻撃に拘ったことと、クロンの顔が炎で覆われていたからその表情を読めなかったせいですっかり忘れてしまっていた。竜の真骨頂とは何か、炎に覆われた中でクロンの口が大きく開かれている可能性など全く考えていなかった。

 

「え?」

 

 一瞬年相応の無邪気な表情が歪魔に張り付く。驚愕は命を繋ぐ一コンマを奪い、その身を紅蓮の放流の中にとりのこした。クロンの口から発せられた豪炎とともに空に打ち上げられる。全身を焼く痛みと 炎の勢いにより頭が真っ白になる。

 

「ぎゃう……ああああああ!」

 

 歪魔の特性である存在するだけで空間を歪ませることが対魔力として働き、即死を免れブレスから泳ぐようにして抜け出す。しかし、圧倒的なスピードを最初から持っていたが故に、攻撃に当たることなどなかった少年は痛みに耐性がなく、ブレスから抜けた後頭が真っ白になり何もできずに落下していた。

 

「言葉まだわかるなら、歯ぁくいしばれ!」

 

 全速力で移動してきたせいで炎の鱗が胴体以外無くなったクロンが一度少年の隣で静止すると、拳を握る。そして、下から腹部を殴り更なる上空へと打ち上げた。

 

「あづ、がふぁ……」

 

 そして完全に歪魔の少年は意識を手放した。

 

 

 

「首謀者は?」

 

 戦闘が終わり、一番近くにいた人間から服を強奪したクロンはそれを身に纏い腕を組み、密猟者の拠点で転がっていたジフカを尾で叩き起こし問いかける。

 

「ゴホ、ゴホ、怪我人に酷い仕打ちだぜ」

「なに? 文句あんの?」

「い、いや殺されてねえだけめっけもんだからな。文句はねえ」

 

 疲労からか異様なまでに機嫌が悪いクロンから後ずさりながらジフカは拠点の奥の倉庫のようなところを顎でしゃくる。

 

「奥で縮こまっているのがそうだ」

 

 暗い倉庫で荷物に隠れるようにして蹲っているきれいな身なりをした小男にクロンは視線を一瞬向けるとすぐにジフカに視線を戻す。

 

「嘘だったら容赦なく次は一手目からブレス叩き込むからそのつもりでいろ。訂正すんなら今だぞ」

「ハッ! 依頼人なんか庇うわきゃねえだろ。別に誇りとか無えんだからよ」

「さよか」

 

 是非以外は興味なさげに淡白に返答するとクロンはツカツカと商人に歩み寄り、片手で首根っこを掴んで持ち上げる。

 

「ヒイ!」

「おい、動くな、喋るな。爪刺さるぞ」

 

 淡々と話すクロンに顔を真っ青にして商人は動きを止める。事実、商人が呼吸するたびに鋭い爪が肉を引き裂きそうになる。それ以上大きな動きをすれば警告通りその爪は商人の命を削るだろう。

 

「俺らは逃がしてくれるっていう解釈でいいのか?」

 

 ジフカは一度周りを見渡してからクロンに尋ねる。その視線を追ってみれば、いつの間にか戦った三人も含めて数十名の人間が周りに集まって不安げな眼を向けていた。もっとも大剣を持っていた男だけは気絶したままで他の人間に担がれていたが。クロンはそれらを視線で一周すると深く溜息を吐いた。

 

「まあ、いいんじゃね? 正直どーでもいいわー。もう頭痛いし腹痛いし全身痛いし気持ち悪いし疲れたし帰りたい」

「そりゃ、ありがてえことだ。俺はジフカ。まあ、一応名前覚えといてくれよ。それとユイドラの討伐隊組織もそれとなく妨害してくれるとありがたいんだけどな」

「はいはい、言っとく言っとく」

 

 その言葉に四方から歓声が上がる。クロンはこいつらなに盛り上がってんの、と落ちてくる瞼と戦いながら呆れる。そしてジフカという名前を何度か頭の中で復唱するがどうもしっくりこない。それにもう会わないだろうと考えて覚えることを諦めた。

 

「これでみんな助かるってわけね。ありがとね、私は」

「あ、別にいいよ。自己紹介とかどーせ覚える気ないし」

「ちょっと!?」

 

 とにかくもう家にクロンは帰りたかった。まだユイドラに帰っても工匠会に商人を連行しなければいけないのだ。その際またいろいろと言われるに決まっている。そう考えるとただでさえ疲れているのに更に疲れがどっと押し寄せてきた。

 

「女の子の自己紹介遮るのはどうなのよ!? それでも男?」

「いや、だってあんたさっき俺をガチで殺しに来たじゃん。女性としては見れないだろ、普通」

 

 地団駄踏んで騒ぐ双剣を持つ女性を無視してクロンは視線を巡らすと魔術師風の男に目が留まる。途端、魔術師だけはダメージを受けずに戦闘を終えたことを思い出し思わず食って掛かる。

 

「おい、てめえ! さっきピンピンしてたんだから手を貸してくれてもよかったんじゃないか?」

「無茶言わないでくれ。あんな人外の戦いで私のような人間に何が出来る。そもそもあの時点で君に味方する理由がない」

「何だと? お前だけロサナ様に会ってく?」

「ちょっと無視しないでよ!」

 

 いきり立つ女性に一度視線を向けるがそのまま通過してジフカに向き直る。

 

「じゃあ、帰るわ。まあ、元気でな。二度と会わないと思うけど」

 

 そう言うとクロンは顔を真っ青にした商人と焦げあがったまま伸びている歪魔を担いで背を向ける。

 

「おう、そいつも工匠会につきだすのか?」

「うんにゃ、こいつには聞きたいことがあるんでしばらく飼うつもり」

「そーかい。まあ達者でな。二度と会いたくねえけど」

「ねえったら! 無視しないでよ」

「色々大変だろうが頑張ってくれ」

 

 三人から別れの挨拶を受けて空によろよろと飛び立つ。もう霊悔の森には絶対来ないと誓って。

 

 

 

「わかりました。その商人は預かります。よくぞやってくれました。あなたには追って褒賞が届くでしょう」

「ありがとうございます」

 

 ユイドラに帰ったクロンは歪魔を自分の工房に放り投げてから、すぐさま領主ロサナ・レビエラの居る領主館に向かった。そこで商人を引き渡し、報告を終えたところだった。

 

「今回の件には工匠会にも落ち度があります。そのせいで貴方に随分と負担を強いました。申し訳ありません」

「へ? いやいや! なんてことないです。やめてください、俺なんか低階級の工匠にそんな」

「なにか求める褒賞はありますか? 出来うる限り応えますが」

「じゃあ、ユイドラ鉱脈の」

「ダメです」

「……解禁を……なんて」

 

 出来うる限り応えると聞いて意気揚々と望みを伝えようとしたら言い終わる間もなく断られる。どうやらユイドラ鉱脈の解禁はどうしても出来ないことらしい。

 

「じゃあ、お金でいいです。次点は武器以外ならなんでも」

「わかりました。善処します」

「そういえば、もうすぐ工匠試験ですよね? 俺が試験官は」

「無理です」

「あ、はい」

 

 またしてもきっぱり断られて頭を垂れる。

 

「貴方には期待しています。ユイドラの発展にきっと貢献してくれると。頑張りなさい」

「はい、がんばります。あ! そうだ密猟者に追手ってつけるんですか?」

「いいえ、首謀者は捕えましたしそのつもりはありませんが?」

「じゃあ、いいです。では、失礼します」

 

 そのままクロンは踵を返し、領主の館を後にする。ロサナ・レビエラ、ユイドラの領主にして凄腕の工匠である。クロンが工匠になる際は随分と力を尽くしてくれた。無論それはクロンのためというわけではなくユイドラの発展のためなのだろうが、クロンはそれなりに感謝していた。銀髪の貴婦人といった容姿でありメルヘンリミッタという娘もいるらしい。クロンは会ったことはないがロサナ譲りの綺麗な銀髪の美少女なのだろうと容易に予想できた。もっとも、クロンは領主の家族関係などまったく興味はなかった。とにかく言えることは、ロサナ・レビエラはクロンを差別しない数少ない人物の一人ということだった。

 

 

 

 領主の館から出てさっさと自分の家に向かう。閑散とした店内には一人ポツンとアリトが立っていた。

 

「あれ? レグナーは?」

「さっき帰りましたよ。これ、問題点らしいです」

「どうしたらいいじゃなくてここがダメとしか書いてないところがいやらしいな」

 

 アリトから受け取ったメモの束にはびっしりと文字が書き連ねてあった。密猟者がこっちに来た様子はないので暇だったのだろう。サラッと目を通した後にクロンはうへえと声が漏れる。そんないつも通りの様子のクロンを見て、アリトは呆れる。

 

「というか当然のように普通に帰ってきますね」

「まあな。じゃ、俺しばらく引きこもるから!」

「え!?」

 

 突然のクロンの告白に戸惑うアリト。そんなアリトを無視してクロンは奥へと引っ込んでいた。これから連れてきた歪魔のことなどいろいろあるが、もう休みたかったのだった。

 

「気持ち悪い……頭痛い」

 

 人を殴ったせいで異様に疲れていた。クロンには歪魔の少年も人間臭かったからか異様なまでに殴ることに抵抗があった。未だに日本の教育で培ったものは吹っ切れたつもりになっても残っているらしい。高揚していれば関係ないのだが冷静な時は終わった後に殴った時の映像がフラッシュバックして気分が沈む、吐き気のおまけ付きで。つまり、戦闘が終わってから歪魔やらおっさんやらが殴られ吹き飛んでいく様が定期的に思い出されるせいで非常に気分が悪かった、しばらく外にもう出ないと誓ってクロンは眠りについた。

 




序章終了。本作的にも原作的にも本編入ります


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工匠と死神
工匠として繋がる


「やるぞ、絶対今年こそ!」

 

 ウィルフレド・ディオンは自らの工房で拳を握り意気込む。今日は工匠最終試験当日。去年は落ちてしまったが今年は必ず受からなければいけない。去年はウィルフレドの両親が当日に不慮の事故にあってしまったため頭が真っ白になり、それどころではなくなってしまった。十年来の親友レグナーと去年出来た友人クロンはもう工匠として一歩も二歩も先を行っている。これ以上遅れられない。大きく息を吸い込み気合を入れると荷物を確認し、試験会場へと走り出そうとして、出鼻をくじかれる。

 

「やあ、約束を忘れているみたいだからこちらから来てしまったよ」

「レグナー!? 約束? 今日は大事な日だからそんなもの入れているはずないんだけど」

 

 今日は随分前から決まっていた工匠試験の日。例えレグナー相手でも約束をいれるはずはないとウィルフレドは頭を捻る。予定の確認のために手帳をポケットから出そうとして思いとどまる。たとえどんな約束だろうと工匠試験より優先するべきものなどあるわけない。レグナーならばそれもわかってくれるだろう。

 

「悪い、今日は大事な用があるからまた今度にしてくれよ」

「ふむ、また今度か。僕はそれでもいいがそれではまた一年勉強し直す気かい? 一緒に頑張ってきた友人が二週遅れというのも張り合いがなくなりそうだ」

「は?」

 

 意味のわからないことを言うレグナーに一瞬呆けた顔を返すが、すぐに落ち着きを取り戻す。レグナーのいつも通りの回りくどい言い方に付き合っている場合ではない。話を急かそうとして、その横から工房を覗き込む女性が目に映る。

 

「ちょっと待っていてくれ」

「急いでいたんじゃないのかい……」

 

 呆れるレグナーを尻目に覗き込む女性に近寄る。その女性は頭からすっぽりと布を被ったあからさまな訳ありの旅人といった風体であり、その証拠に布からユイドラではまず見ない異国風の衣装を覗かせていた。クロンの店で見たことがあるような気もしたが、そこにある物よりも作りがしっかりしているようにウィルフレドは感じた。その手にはこれまた刀剣の柄が握られており、その先を布で覆っていることから剣士の類だろうと想像がつく。

 

「えっと、何か用かな?」

「ここは工房か」

 

 静かな綺麗な声が響く。意志の強そうな目に見抜かれ少しドキリとしたが落ち着いて答える。

 

「うーん、工房のような、違うような……」

「普通の工房ではないということか」

 

 ウィルフレドはまだ工匠ではない。だからまだ依頼を受けることができない。つまり、工房も親から受け継いだもので形は整っているもののまだ工房としての機能を発揮できないという、言葉にはしにくい状態だった。ウィルフレドが戸惑っているうちにその女性はスッと歩き去ってすぐさま見えなくなってしまう。

 

「あ……」

 

 女性が居なくなってしまったことに肩を落とすウィルフレドにレグナーは背後から忠告する。

 

「わかっているのかい? 工匠見習いの身で依頼を受けるのは重罪だからね?」

「わかってるよ」

 

 ムスっとした様子で口を尖らせるウィルフレドにレグナーは笑う。

 

「相変わらず他人を優先する気質のようだね」

「ほっといてくれって、時間が無いんだった」

 

 今度こそ時間が無い、と走り出そうとするウィルフレドにレグナーは落ち着いた声で話しかける。

 

「そうそう、最終試験の試験官は僕だ」

「え?」

「よかったね、労せずして試験管に会うことが出来たわけだ」

 

 楽しそうに笑うレグナーを見ながらため息をつく。この親友は昔からこんな奴だった。

 

「なんでお前が?」

「話してもいいけれど、ここは試験会場ではないからね。遅れても知らないよ」

「じゃあ、いいよ! 急ごうぜ!」

「ふむ、そうしようか」

 

 口ではそういうもののなかなか急ごうとしないレグナーを急かしながら急いで試験会場に向かう。今年こそ、今度こそ工匠になる。工匠はユイドラに生まれ育ったウィルフレドにとって子供からの夢だった。そして、工匠だった両親に近づくために、そして超えるためにも、ならなければいけない。絶対に。

 

 

 

 ユイドラ鉱脈。クロンが現在出入り禁止になっているユイドラの管理している鉱脈だ。数々の鉱石や土などの素材が採れるユイドラ工匠の生命線とも言える場所だった。そして、ここが工匠最終試験の会場となる。

 

「ユイドラ鉱脈は初めて入るな」

「シセティカ湖やエルフ領域の森は既に行ったことがあるのだったね。よかったじゃないか。予習は意図せず済んでいるということだ」

「まあ、そこだけは感謝……か?」

 

 クロンが工匠になる前や工匠になってから色々な地に引っ張り回されたことを思い出す。魔物との戦闘という貴重な経験をさせてもらったが苦労の方が多かったと思う。そんなことを思い出しながらその場にしゃがみこみ、荷物の最終確認をする。武器となる鎚。鉄でできており、重量もある。これならプテラット程度なら一撃だろう。プテラットとはスライムの一種で魔物と言われた際に真っ先に思い浮かぶような存在である。目立った能力もなく新米工匠でも問題なく倒すことが出来る、否、倒せないといけない。服装も動きやすいような形にしたノースリーブの黒いインナーに、これまたノースリーブの茶色い上着をその上に留め具で固定している。そして繊細な作業の邪魔にならないように手の甲から肘上までを保護するロンググローブ。これもズレないように上着から伸ばした布地を留め具で固定している。何をするのにも都合がいいので普段着のように使っているが探索用のものだ。そして武器が鎚のため切断用のナイフを何本か。採取用の袋を幾枚か。暗いところを照らすためのランプ。いざという時の木の実をすりつぶして作った薬、包帯。全て確認を終えると一つ頷いてウィルフレドは立ち上がる。

 

「準備は終わったぜ!」

「じゅあ、行こうか」

 

 奥地。試験会場となる地へと。試験会場のために作られた迷宮であり、最近多発している想定外のモンスターの発生が起きないようにあらかじめ徹底的に調査されている。

 

「さて、今回の目的は二つ。一つは牙次印に相応しい牙の入手。もう一つは……試験官の手を借りずに生還することだ」

「え……生還?」

 

 牙次印に使われる牙を思い出そうとしていると、危険な香りのする言葉に思考を遮られる。

 

「もっとも試験官の助言は許可されている。何かあったら僕に聞いてくれ」

「いや、生還ってそんな物騒過ぎるだろう」

「まあ、本物そっくりな作り物が置いてあるからね。まあ、どれも興奮した竜族と比べれば子猫みたいなものだよ」

 

 レグナーなりに緊張を解そうとしているのかもしれないが、ウィルフレドの頭では興奮した竜族と比べて子猫ってことは自分と比べた場合猛獣じゃないか、などと恐怖心が渦巻いていた。しかし、工匠になるためには乗り越えなければいけない。

 

「うっし! 大丈夫だ! やれる。俺は工匠になるんだ!」

 

 両頬を叩いて気持ちを切り替え、ウィルフレドは迷宮に踏み込む。レグナーは口元を少し緩めながら見届けると邪魔にならないよう後ろから少し離れてついて行く。薄暗い迷宮を歩きながら周囲を見渡す。前回の採取、クロンがされたように突然の奇襲というのも有り得る。竜族の頑丈な体を持つクロンは噛み付かれても大丈夫だったが普通はそうはいかない。細心の注意をはらう。

 

「あれは、プテラットか……」

 

 少し開けた部屋に緑色の粘泥体が二匹這っているのが見える。あんなものから牙次印に使う牙など採れるはずもないが倒さねば先には進めない。戦闘は初めてではないが今まではレグナーとクロンとの三人で挑んでいた。しかもほとんどはクロンを狙ってくれていたのでかなり楽をさせてもらっていた。一人で戦うのは初めてだ。鎚を持つ手に力が入る。汗で少し滑るのを感じながら飛び出すべく足に力を込める。

 

「はあ!」

 

 力を解放して一気に走り寄り鎚を近いほうの一匹に叩きつける。勢いも合わさりグチャリという音と共にプテラットは形を大きく変え飛び散った。

 

「よし!」

 

 うまくいったことに喜ぶがその隙にもう一匹が飛びかかってくる。後方に跳んで躱そうとするも明らかに遅く、左腕にプテラットが被さる。養分を吸うかのようにギュッと締めつけられ、苦悶の表情を作るが片手を大きく振るとともに鎚の柄の部分で無理矢理引き剥がす。

 

「くらえ!」

 

 半歩後ろに距離を取り、狙いやすい距離を保つと鎚を叩きつける。しかし、今度は大きく形は変えたものの飛び散らずに体を保っている。触れたものを破壊しようとしてか、鎚をプテラットが覆い始めたのでそのまま迷宮の壁に叩きつける。ビチャッっという音ともにプテラットが弾け飛ぶ。もう一度周りを見渡し敵が居ないことを確認すると、ウィルフレドは大きく息をついた。

 

「ふー、どうだ! 俺の腕前は!」

「そうだね、あまりの変化の無さに僕も脱帽せざるを得ない」

「そ、そんなに?」

「工匠としてよりよい素材を得ようとしたら強力な魔物とも戦わなければいけない。このままじゃクロとは逆の理由で採取もおぼつかないね」

 

 ウィルフレドは自分も不器用な友人と同じくお金に苦労するのかと項垂れた。

 

「さあ、牙次印の牙は影も形も見えないが帰還するかい?」

「まさか! 今年こそ工匠になるんだ」

 

 入口を指差すレグナーに吠えかかると、奥へとズンズンと進んでいく。部屋から出ようと足を伸ばした瞬間、顔面めがけて何かが飛びかかってくる。

 

「うわっ」

 

 反射的に手で顔を庇うと何かは手の甲の布地と皮膚を引きちぎり頭上へと飛んでいく。牙コウモリ。牙が異様に発達したコウモリで人を襲う。迷宮ではかなりポピュラーな魔物だった。本などでは簡単に紹介され大して危険がないように記されているが、実際はそんなことはない。突然襲いかかられ顔面を噛み付かれなどすれば大怪我である。だが、見つけてしまえばなんということはない。再び飛びかかろうとする牙コウモリに鎚を叩きつける。ひと振りで動かなくなった。隠密性さえ除けば耐久力も敏捷性もたいしたことはない。ただ、その隠密性がやっかい極まりないのだが。

 

 

「おっ!」

 

 倒れた牙コウモリから牙を剥ぎ取る。牙次印に使えるかもしれない。牙次印とは判子を作成する際に貴重な竜の牙などで全てを作ってしまっては莫大な費用がかかってしまう。なので、そういった貴重なものは先の部分だけに使い、それ以外は安いもので作った判子だ。判子である以上それなりの耐久力と太さが求められる。判子の作成など工匠にとってさほど重要なことでもないにも関わらず、最終試験に使うとは現ユイドラ領主は随分厳しい方だとウィルフレドは驚いていた。

 

「うーん、流石にコウモリの牙じゃ細すぎるな。別のを探そう」

 

 採取用の袋に牙を押し込む。その後、手の甲に軽く治療を施す。そして、今度は慎重に奥へと進んでいった。

 

「なあ、この試験って二人共通ったんだよな?」

「そうだね、もっとも課題は一つだったけどね」

「なんで今年は二つなんだ?」

「まあ、いろいろあるのさ。もし無事に帰れたら教えるよ」

 

 暗い道をレグナーと話しながら進むとまたも開けた部屋が見える。

 

「あれは……」

「グレイハウンド。ここらへんでは通常一番凶悪な魔物だね」

 

 グレイハウンドは蜥蜴の頭をもつ猟犬である。かつてシセティカ湖にクロンとともに行ったときは木っ端のように吹き飛ばされていたが、いざ自分で戦うとなると容易い相手ではない。今度の牙は噛まれれば服と薄皮だけではすまないだろう。肉もごっそり持っていかれる。

 

「それでも、勝つ!」

 

 ザッと音をたてて一気に距離を詰める。すぐに蜥蜴の緑色の目と視線が交差する。構わず鎚を振り下ろすが、飛び跳ねて回避される。

 

「くっ」

 

 噛み付こうと飛び掛かるグレイハウンドに鎚を突き出し噛み付かせる。さらに一気に押し込むことで呻き声とともにグレイハウンドはよろめかせる。ここで一度大きく振りかぶり、横から鎚を叩きつける。ギャウっという叫びともに吹き飛ばされる。だが、仕留めきれていない。鎚を一度振り切り体勢も悪い。よろめくグレイハウンドから追撃を恐れて、一度離れて様子を見る。離れて見ていたレグナーはその様子に目を細める。

 

「ふっ!」

 

 ウィルフレドは相手がまだ行動に移れないと見抜きもう一度距離を詰める。振り下ろし。鎚において範囲は狭い代わりに一番威力の高い攻撃方法だった。しかし、地を蹴ったグレイハウンドは振り下ろしにより空いた懐に潜り込む。首を丸めた体当たりはウィルフレドの体を浮き上げる。嘔吐感が押し寄せる。

 

「ガッ! ハ……」

 

 視界がチカチカと瞬くがまだ敵からは目を逸していない。呼吸する度に痛むのを我慢して一気に空気を吸い込み、渾身の力で鎚をはらう。飛び上がるグレイハウンドに躱されたかと思ったが鎚は敵が範囲外に逃れるより早くその横っ腹に突き刺さった。

 

「はあ、はあ、やった……」

 

 倒れこみ動かなくなるグレイハウンドを見届けると荒れる息を整える。

 

「いやあ、お見事。随分ヒヤヒヤしたよ」

「だ、……ったら、はあ、助、けて」

「おや? 僕が手を出した時点で試験終了だがいいのかい?」

 

 答える気力もなく手をブンブンと振る。ここまでの苦労を簡単に無駄にされては堪らない。グレイハウンドに近寄ると牙を引き抜く。壁や指で叩いたり、色々な角度で眺めたりと観察し太さ、硬さともに牙次印に申し分の無いことを確認する。

 

「ふう……レグナー、これは牙次印に最適とは言えないけど相応しい牙だ」

「最終確認だ。本当にこれでいいんだね?」

「ああ」

「わかった。受け取ろう」

 

 レグナーが牙を収めたのをみてホッと息をつく。後は来た道を戻るだけ。簡単だった。

 

「さっきの戦闘だけど離れずにすぐ追撃するべきだった。グレイハウンドは君もよく知る相手だ。あそこで慎重になる必要はなかったね」

「う……ま、まあもう終わったんだしいいじゃないか」

「まだ試験は終わっていない。気を抜いてはいけないよ」

「家に帰るまでが試験だ、とかそういう話か?」

「僕は確かに忠告したよ」

 

 レグナーの真面目な表情に息を呑む。わざわざ帰還を試験に含むほどだ。何かまだあるのかもしれない。もう一度気を引き締め来た道を引き返す。部屋を出て暗い通路を進む。牙コウモリに注意するが見当たらない。暗い道にコツコツと二人分の足音だけが響く。そして、最初にプテラットが二匹居た部屋にたどり着く。恐る恐る覗き込んで見ると動くものも変わったものも特にない。一息ついて歩を進めた。

 

「なんにもないな」

 

 ウィルフレドの呟きが静かに響く。不安になって後ろを向くとレグナーは後ろにしっかりついてきていた。部屋を出て、また進んでいくと道に大きな岩がある。通れない訳でもないし、行く時は気に止めなかったのも十分有り得る。だが、強烈なまでに嫌な予感がした。そこに機嫌の悪いクロンが居るようなそんな感じだった。ニゲロ、そんな声が頭の中に響く。その時、岩から突如亀のような頭と虫の足をがっちりさせたような足が生え岩ごとウィルフレドに向かって体当たりしてくる。

 

「な!?」

 

 反射的に鎚を盾にするが意味はなく、ボロ切れのようにウィルフレドの体は宙を舞い地面に叩きつけられた。唯の一撃で気力と体力を奪い去られる。視界も歪む。ただ分かることはあれには勝てないということと、このままでは確実に殺されてしまうということだった。

 

「ぐ、死ねるか……工匠にならずに!」

 

 力を振り絞って立ち上がる。なんとか通り抜けてここから出なければいけない。走り込み渾身の力を鎚に込めて横殴り、道を開けさせようとするもまるで壁に鎚を叩きつけたような衝撃が全身に伝わる。渾身の攻撃を受けて相手は何も感じていないようだった。岩の破片がいきなり相手の体から飛び出し鎚を破壊する。手に残った柄だけを呆然と眺めるウィルフレドに猛然と岩でできた魔物は襲いかかる。

 

「うわああ」

 

 上着の留め具を咄嗟に外して相手の顔に投げつける。意外にも目に感知を頼っていたのか、微妙に敵の狙いが外れる。それを見届けることなく、転びそうになりながら無様に背を向けて入口に向けて全力で走り出す。今の自分では逃げることしかできない。無我夢中で走ると入口に立っていた。それがわかり一気に力が抜けてへたり込む。まだユイドラ鉱脈の中だが、とりあえず試験会場の入口までは来ることができた。

 

「おめでとう。試験は終了だ」

 

 何故か余裕綽々といった様子で隣に立っているレグナーから終了の言葉が告げられる。

 

「お前あんなのが居ることも知ってたのか?」

「当たり前だとも」

 

 とてもじゃないが見習いが相手するようじゃない強力な魔物との遭遇に未だ震えが止まらない。レグナーには昔から戦闘では叶わなかったが、あれはレグナーでも厳しいだろう、そうウィルフレドが思えるほど強大な力を持った魔物だった。

 

「随分疲れたようだね。とにかく試験は終了だ。帰ろうじゃないか」

 

 笑いかけてくるレグナーになんとか笑い返すとゆっくりと立ち上がる。すると地響きとともに何かが背後から近づいてくる。振り向くと先ほどの魔物が猛然と追いかけてきていた。

 

「嘘だろ……」

 

 愕然とするウィルフレドの前にレグナーは立ち、魔物の壁になるように立ちはだかる。

 

「もう試験は終了した。お役御免だよ」

 

 そう微かに笑うとレグナーは手を前に突き出す。その手には魔力が収束していく。それが解放されたかと思うと魔物を囲むように魔力の檻のようなものが展開され、収縮しながら魔物の体をみるみる砕いていく。ツカツカとゆっくり歩み寄りながらレグナーはウィルフレドに話しかける。

 

「意外にもこの魔物、捕石亀は魔法に対する防御力も高いんだよ。だから、魔法を覚えれば容易く倒せる、なんて思わないほうがいい」

 

 ガリガリと魔物が体の形を変えていく前でゆっくりと拳を握る。

 

「ブレイクフィスト!」

 

 魔法の檻が消えると入れ代わるようにレグナーの拳が捕石亀に突き刺さる。その巨体は吹き飛びこそしなかったが、ビキビキと音を立てて崩壊し、活動を停止した。

 

「本当は生かして次の試験にも使うはずだったんだけどね。ここまで来るようなのはこうしてしまっても構わないだろう」

 

 先ほどの戦闘がなんでもないことのようにレグナーは笑うと帰り道を一人で歩き始める。ウィルフレドはその後ろ姿を複雑な気持ちで眺めていた。この一年の差はとてつもなく大きい。さっきの魔物は自分では無様に逃げることしかできなかった。だが、レグナーは容易く蹴散らしてみせた。創造体使いのはずのレグナーが素手で、だ。ウィルフレドは震える自分の手を見下ろし、しばらく動くことができなかった。

 

 

 

 どうやって家に帰ったかわからない。家に帰ってからもウィルフレドは試験の結果への不安とレグナーに追いつけるのかという不安に押しつぶされそうになりながら一日を過ごした。

 

翌日、試験の結果の発表当日だ。結局一晩中眠ることができなかった。今もまだ機能していない店のカウンターで惚けているだけだ。

 

「顔でも洗うか」

 

 ゆらりと立ち上がると洗面台へと向かおうとする。するとカランコロンというドアベルの音と共に人が入ってくる。勢いよく振り返るとそこには見慣れない少年が立っていた。二股の特徴的な帽子に青い髪、ピエロのような目の周りのメイク。それはクロンとかつて戦った歪魔の少年だった。

 

「えーとどちら様?」

「僕はグノーシス。ウィルでいいんだよね?」

「ウィルフレドは俺だけど」

「よかった、よかった。間違えてたらどうしようかと思ったよ。それで落ちたの? ダメだったの? 諦めたの? 死にたいの?」

「な、なんだよ、いきなり。試験のことならまだ結果は出てないから」

 

 いきなり親しげに話しかけた上に失礼なことを言う少年にムッとしたが相手は子供である。ここは受け流すべきだろう。何の用か聞こうとした時、別の人間が入ってくる。

 

「おや、客なんて珍しいね。随分余裕があるじゃないか」

 

 レグナーは店に入ってくると少年に視線を向ける。それに気づいたグノーシスは笑顔で手を振る。

 

「レグナー! 結果は? 試験の結果は? 俺は工匠になれるのか?」

 

 試験官のレグナーは結果を伝えに来たのだろう。レグナーの返答で去年一年の意味と今年一年の意味が大きく変わる。身を乗り出し返答を待つ。

 

「まずは顔を洗ってきたらどうだい。これから領主様に会うんだ。身なりには気をつけなよ」

「え……それって」

「こう言わなきゃわからないかな? 合格だよ」

「よ、よっしゃああああああああああああ!

 

 ユイドラ中に響けと言わんばかりの大歓声をあげる。ついに苦労が報われ工匠になれたのだ。喜ばない者がいるはずがない。

 

「オシ、準備してくるぜ!」

 

 急いで洗面台へと駆け出すウィルフレドの様子から視線を逸らし、レグナーは隣の少年へと視線を向ける。

 

「君は? 僕はレグナー。工匠をやっている」

「工匠? レグナーって……ああ、レグレグか! よろしくねーレグレグ。僕はグノーシス」

 

 突き出された手に反射的に握手するとブンブンと手を上下に振り回される。レグナーはその嫌な呼び方に覚えがあった。そして誰の関係者か把握するとため息を吐く。

 

「それで、クロとはどういう関係かな?」

「ん~弟? 少なくとも強敵と書いて友と呼ぶみたいな関係じゃないよ。もうクロ兄ちゃんとは戦いたくないもん。あんな痛い思いは一度で十分だよ」

「弟か……まさか君も竜族なのか?」

「違うよークロ兄ちゃんと一緒にしないでよ。あんなに僕は野蛮じゃないよーどっからどう見ても人間でしょ?」

 

 レグナーは見せつけるようにクルクルと回転しながらケラケラと笑う少年に怪しさを感じながらも一応は納得することにした。今この少年の正体はさほど重要ではない。いずれクロンの口から聞けばいいことだ。

 

「よっし! 行こうぜ」

 

 準備を終えて元気よく奥から飛び出してくるウィルフレドに頷き、レグナーは領主の館に向かう。それにグノーシスとウィルフレドが続く。

 

「君もついてくるんだ?」

「一応僕はクロ兄ちゃんの代わりだから」

「クロの関係者なのか……というかクロは来れないのか?」

「兄ちゃんお腹痛いとか頭痛いとかで二週間ぐらい調子悪いままだもん」

「二週間って大丈夫なのか?」

「大丈夫だよ? 採取にも連れてってもらったし。でも必要にかられなきゃ外出たくないみたい。なんか変なところで真面目だよねー」

「真面目? 何の話だよ?」

 

 領主の館への道すがらグノーシスという少年と話してみると、何処となく違和感を覚える。もっともその違和感が相手の話す内容なのか相手の存在そのものなのか今のところウィルフレドには判断できなかったが。悩んでいるウィルフレドをグノーシスは笑う。

 

「あはは、今は僕のことなんて気にしないでいいよ。それにまだウィルは弱そうだもんね」

 

 その笑顔に狂気が宿る。ウィルフレドの頭では今回に限っては恐怖より呆れが先行した。またクロンは厄介事を抱え込んでいるのかとため息をつく。そしてレグナーはそんなウィルフレドの姿にため息をついた。ウィルフレドは厄介事に飛び込んでいく、クロンは厄介事を引き寄せる、レグナーは二人の手綱を握る。それが三人の関係だった。引き寄せる側のクロンの手綱を握ってもしょうがないのではないかと思われがちだがそんなことはない。なぜならば放っておけば殴るために引き寄せたんだ、とでも言わんばかりに引き寄せたものを片っ端から殴り飛ばしてしまう。気分は両手に好奇心旺盛な子猫と獰猛なライオンのリードを持つ飼い主である。ライオンばかり手がかかる訳ではない。子猫の方も目を離せばどこに首を突っ込むかわかったものではない。自分の体が傷つくこともお構い無しなのだから心配でしょうがない。だから、自分のことを棚に上げて呆れている友人にレグナーは呆れていた。しかし、好きでやっているのだから自分も業が深い。

 

「着いた。ここでロサナ様に会うんだ。粗相のないようにね」

「あ、聞いたことある! 一番凄い工匠なんでしょ? 兄ちゃんより強いのかー。えへへ、戦ったら面白そうだなあ」

 

 領主の館に着くとグノーシスが何やら見当違いな上に物騒なことを言い始める。

 

「おっし、行くぜ!」

「正直、彼を残しておくのは不安なんだが、まあ、今は行くしかない」

 

 目をキラキラさせて館を見上げる少年にチラリと視線を送るとウィルフレドとレグナーは領主の館に入る。豪華な部屋に案内される。領主のいる場所だろう。絨毯、窓、燭台、壁、柱、どれも工匠達の技術の粋を集めたような完成度のものばかりで圧倒される。さらに、壁には多くの品が飾ってある。刀剣、鎧どれも東方のものだ。ロサナは東方の技術を極めた方だと言われている、それがここにも色濃く出ているのだろう。口を一文字に結び部屋の中央まで進む。まだ領主は来ていないようだ。

 

「じゃあ、僕はここまでだ。決して粗相のないようにね」

「わかってるよ」

 

 レグナーは案内を終えると部屋から出ていってしまう。ウィルフレドは領主が来るのをじっと待つ。ロサナは気難しい方だともっぱらの噂だ。注意して話さなければいけない。

 

「どなたかしら? 私に用?」

 

 奥から銀髪の女性が出てくる。呼ばれてきたのだが、相手はウィルフレドの顔など知らないのだ、無理もない。

 

「ウィルフレド・ディオンです。本日は工匠試験合格の知らせを受け、その資格を頂戴すべく参上しました」

 

 跪き、慣れない敬語を頭の中で反芻しながら慎重に選ぶ。言い終わるとなかなかしっかり言えたことに安堵する。こんなことで一年間を棒に振っては親に会わす顔がない。

 

「そうですか、おめでとうございます。用件はわかりました。ですが、随分と遅い。ユイドラの工匠として名実ともにこの都市を支える存在になるのですから時間はしっかり守りなさい」

「はい……すみません」

 

 浮かれていて時間を過ぎていることに気づかなかったようだ。自分の馬鹿さ加減に唇を噛む。

 

「これが、免許証です。管理地域に入るのにも必要になります。常に携帯するように」

 

 刺繍で彩られた紋章と美しい装飾用の剣と木製の看板が目の前に置かれる。全てに工匠会の紋章が描かれている。その内の紋章を指差し、説明される。そういえばクロンは燃えるからという理由で持ち運んでいなかったな、などと思い出す。緊張していたはずが随分と余裕が出てきたものだ。

 

「次に剣は店舗の飾り、看板は通りからよく見える位置に飾りなさい。どちらも工匠会に認可された証です」

「ありがたく、頂戴します」

 

 三つの品を受け取る。ズシリと重い。今、今までの苦労が実を結んだのだ。全身が感動に震える。

 

「ウィルフレド・ディオン。今貴方を工匠会の一員と認めます」

「ありがとうございます」

 

 これで終了、後は帰るだけだと退出の挨拶をしようとした時、声をかけられる。

 

「領主として一つ問います。貴方はどんな工匠になりたいですか?」

 

 突然の質問にすぐには答えが思い浮かばない。なので、当たり障りの無い答えをする。

 

「立派な工匠になりたいです。新しい技術を開発しいつかは両親を超えるような工匠に」

「そうですか、もう結構です」

「あ、いや、立派な工匠になってユイドラに貢献します、それで」

「もう結構だといいました! 帰りなさい!」

「……失礼します」

 

 素っ気ない返事に言い繕ったところを怒鳴り返される。こうなってはもう引き下がるしかない。すごすごと来た道を引き返す。館を出るとレグナーが何やら怒鳴るように話し、グノーシスが首を傾げている。だが、ウィルフレドが出てきたことが分かるとそちらに向き直る。

 

「おめでとう、ちゃんともらえたようだね」

「……ああ」

 

 レグナーと話しながらも先ほどの質問が頭を巡る。自分のなりたい工匠とはなんだろうか。

 

「なあ、レグナー。お前もロサナ様に聞かれたか? どんな工匠になりたいかっての」

「ああ、聞かれたよ。やるからには一番を。領主になると言った」

 

 言われてみればレグナーのものも普通といえば普通だ。このユイドラでは工匠はみな領主を目指す。一番の技術を持つ者が領主になるのだ、当然と言えば当然の帰結である。

 

「普通だな」

「そうだ。後悔しているよ。匠王になるぐらい言えばよかった」

 

 匠王とは工匠の最大級の階級である。領主であるロサナですらその下の匠貴であり、いままでその匠王になった者は居ない。言うなれば存在するだけの階級である。何か思うところがあるのかお互い少し黙る。それを面白そうにグノーシスが眺めていると、突如として轟音が響き渡る。

 

「こんっっのカスガキがあああああああ!」

 

 超高速で飛来したクロンはその勢いを二人の横にいるグノーシスに叩きつけようとするが、追撃の尻尾も含めて左右にクネクネと回避される。

 

「チッ」

「危ないなあ。当たったら死んじゃうところだったじゃないか」

「なら死ね」

 

 突然騒がしくなった状況にお互い目をぱちくりさせるが、もう慣れたものである。

 

「クロ、俺も今日から工匠だぜ! すぐに追い抜いてやるから覚悟しろよ」

「だからクロって呼ぶな! つーか俺を追い抜く~? 正直なところ俺さ、お前より先に工匠になったって事実以外に技術関係で既に優っているところが見つからないんだけど」

「まあ、客観的に見てもウィルの方が技術は上だろうね。まあ、それも素材が手に入ればの話だが」

 

 皮肉を忘れないレグナーをウィルフレドが睨む間もクロンはグノーシスへ攻撃を重ねる。ジャブ、ジャブ、ステレート、ウイング、テイル、アッパーと連続攻撃を放つが側転やらブリッジやらジャンプやらで躱される。

 

「そういや、クロンもロサナ様に聞かれたのか? どんな工匠になりたいか」

「おう! 聞かれたな。まあ、あれだ。面接官の言いそうな言葉だったから回答はあらかじめ用意しておいたのを答えたよ」

「予想してたのかよ、凄いな。なんて答えたんだ?」

「俺が必要だと思った物をパッと作れる、何をするにも不自由のない工匠になるって答えた」

「俺が客に変わるといい言葉なのにね」

 

 グノーシスの茶々とクロンの殺人的な速度で放たれる打撃の空を切る音だけがしばらくあたりに響く。

 

「客か……そうだ、そうだよ!」

 

 ウィルフレドは自分の中にあった言葉にならない想いがようやく分かる。そうだった、工匠になりたいと思った理由は両親の工房に訪れる人々の笑顔だった。ウィルフレドは自分のなりたかった工匠がなんなのか思い出す。ちょうどその時、ロサナが館から出てくる。

 

「何を騒いでいるのですか、貴方たちは!」

「あん? ……げえ! ロサナ様!?」

「あー! あのオバサンが兄ちゃんより強いっていうロサナ様かー」

「な、オバ……」

 

 なにやら衝撃を受け少し驚いた後、ロサナはキッとウィルフレド達を睨む。

 

「ロサナ様! 俺さっきの答え分かりました」

 

 ウィルフレドは睨むロサナに臆さず声を張り上げる。

 

「俺は客が喜ぶような工匠になりたい。困っている人たちの役に立ちたい。俺の工房に来る客がみんな笑顔で帰っていくような、そんな工匠になりたい」

「そうですか。さっきよりはマシになりましたね」

 

 ロサナは今の言葉に心なしか機嫌を良くしたのか表情が一瞬和らぐが、キッとクロンを睨む。

 

「クロン・プレイア! 貴方はもっと落ち着きを持ちなさい。そのままではいつまでも鉱脈の探索は許可出来ませんよ!」

「はい……すみません」

「いけ、兄ちゃん! 今こそ下克上の時だよ」

「少し黙れ、マジで」

 

 クロンに睨まれるとグノーシスは帽子を深く被って視線から逃れる。

 

「それと今度オバサンなどと言ったら免許を取り上げますからね! 気をつけなさい、クロン・プレイア!」

「え、俺!?」

 

 最後にまた大きな声でクロンを怒鳴ると屋敷の中に戻っていく。

 

「おい、カスガキ。お前、晩飯抜きな」

「酷いや! 横暴だ。保護者は子供を育てる義務があるんだよ?」

「今明らかに僕まで関係者に入れられたような気がするんだが……いや、止めなかった時点で同罪か」

 

 ロサナが去った後もウィルフレドは工匠になった嬉しさを再び噛み締めるために、クロンとグノーシスは口論のために、レグナーはそんな彼らを一歩ひいて見守るためにしばらく留まるのだった。

 




今回はたいしたものではありませんが、戦闘描写についてもしよければ前回のも含めなにか感想でもアドバイスでも頂けるとありがたいです。これからちょくちょく入るので。状況が解りづらいとか、説明がくどいとか、今のままでいいから後は慣れとか、地味とか。もしよければよろしくお願いします。


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歪魔と生きる

「とりあえず、おめでとう」

 

 ひとまずの落ち着きを取り戻し四人は酒場に集う。ウィルフレドとレグナーはエールを片手に、クロンとグノーシスはミルクを差し出す。

 

「あーうまい。これで俺もやっと工匠だぜ!」

「俺も酒飲みたいなー」

 

 ご機嫌でエールを飲むウィルフレドを横目にクロンは料理に箸を伸ばす。クロンは酔うと暴走するかもしれないということでまだディル=リフィーナでは一度も酒を飲んだことがなかった。実際のところ暴走する可能性は限りなく低いが、もし暴走して友人を傷つけるようなことになれば立ち直れないかもしれない。なので、今日のところは料理で気を紛らわせるしかない。幸い、今日の料理は新鮮な魚が朝、商隊から手に入ったということで東方から伝わったという料理、刺身をティアンが振舞ってくれた。生で魚を食べるのは抵抗があるのかウィルフレドとレグナーはあまりフォークを伸ばさなかったが、クロンとグノーシスは平気でパクパクと口に運ぶ。もう一つっとクロンが刺身に箸を伸ばそうとすると、グノーシスの箸の持ち方が目に映る。箸を握っていた。箸をグーで握っているのである。あろうことか箸を突き刺す用途でしか使っていない。

 

「おい、カスガキ! なんだ! その箸の持ち方は。なんで箸は二本で一組なのかわかってんのか?」

「いいじゃんか、別に。うるさいなあ」

「お前にはがっかりだ。迷いなく箸を持つから期待してみればこれか。お前はフォークでも使ってろ!」

 

 箸を小さい手から奪い取り、フォークを握らせるべく腕を伸ばすが持ち前の俊敏さで抵抗してくる。

 

「チッ、めんどくせえ奴だな。なら教えてやるから練習しろ」

「え……教え……うん! やるやる!」

 

 教えてやるとクロンがグノーシスの小さい手を握ると何故かにへらっと表情を緩め大人しく教わり始める。そんな微笑ましい様子を見ながらレグナーはウィルフレドに話しかける。

 

「ウィル、君は護衛でも雇ったらどうだい? 正直君の力では素材採取は辛いものがあると思うよ」

「ん~お前とかクロンはダメなの?」

「本気で言ってるのかい? これからはライバルなんだ。部分的に協力することはあったとしてもそこまでは出来ないよ。それに君のためにも僕達のためにもならない」

 

 ウィルフレド自身、戦闘力という面では三人の中で飛び抜けて劣っていると認めないわけにはいかない。工匠はより良い素材を得るために危険な場所に行かなければいけないことも多い。ならば護衛を雇うのは必要かもしれない。

 

「そういえば、グノーシスはクロンの護衛なのか?」

「そうだよ。兄ちゃんを僕が護衛してあげてんだよ」

「そんなわけあるか! ただの穀潰しだよ」

「嘘だ。前、僕のほうが沢山素材集められたじゃないか。兄ちゃんの方が役に立ってないぞ」

「馬鹿め。素材集めは護衛の仕事じゃありませんー。それは子供のお手伝いレベルですぅー」

 

 また喧嘩を始める二人を放っておいてレグナーは会話を続ける。

 

「出来ればあまりあっちに会話を振らないでくれるかい。進みそうにない」

「ああ、俺も今実感したところだよ」

 

 ギャーギャー騒ぐ二人の声をBGMにレグナーはエールを呷って続ける。

 

「一人、二人ぐらいは雇うべきだね。特に君は魔法が使えないのだから魔法が使える人なんてどうだい? 何かと魔法が使える人材は必要になるはずさ。後は、君は初心者だから色々教えてくれる指南役なんてのも居るといい」

「お前も工匠二年目の初心者だろ」

「まあね。とはいえ僕はもうじき小工匠。クロンも前の恩賞で匠士になる資格を得たらしいから近々上がるだろう。それに比べ君はまだ匠巣だ。先達の意見は聞くものだ」

「ったく、わかったよ」

 

 レグナーのおせっかいにも困ったものである。昨日の試験の戦闘を見て心配してくれているのはわかるので素直に聞くことにするが、護衛なんてすぐ見つかるわけでもない。焦ってもしょうがないだろう。

 

「それと街の人には一度挨拶しておくべきだろうね。教会のハンナさんや闘技場のジェーンさんあたりには」

「大丈夫だって、元々するつもりだったから」

「ならいいけどね」

「待ってろよ、すぐ追いついてやるから」

「なんで待たなきゃいけないんだい? 君が進む間に僕は先に行かせてもらうよ」

「おい!? そこは足を緩めてくれよ」

「僕の目標はずっと先にあるんだ。待ってなんていられない」

 

 酒が回ってきたのか少し二人共饒舌になる。これ以上醜態を晒さないためにもレグナーは立ち上がる。

 

「じゃあ、僕は帰らせてもらう。またね」

「おう! じゃあな」

 

 レグナーと別れを告げ、エールを一口含む。クロン達を見れば、動いたよ兄ちゃんなどとまだ箸で騒いでいた。クロンの前で箸を使うのは上達してからにしようと心に誓い、気になっていたことをクロンに聞く。

 

「で、クロ。その子はなんなんだ?」

「あん? このカスガキはな、居候兼お手伝いさんだよ」

 

 クロンはグノーシスに箸の練習をさせたままウィルフレドに向き直ると、ぬるくなったミルクのカップを手に取りレグナーが抜けて空いた隣の席に座る。

 

「いや、そうじゃなくて。と言うかカスガキって酷いな」

「いや、酷くない。サーカスガキンチョの略だから侮辱してない」

「そうかぁ? まあ、その子がそれでいいならいいけどさ。それで、その子はなんで一緒にいてどういう子なんだ?」

 

 クロンはどこまで言ったものかと顎に手を当ててグノーシスとの和解の経緯を思い出す。

 

 

 

 時は遡り、クロンが密猟者達との戦いを終え、家に帰った後のことである。結局その日、クロンは腹痛と頭痛で寝込んだためなんの変化もなく終わった。翌日の朝には少し落ち着いたので工房にほったらかしだった歪魔の少年を見に行くことにした。

 

「なんだろうこれ? わっ、切れないや。すごいすごい」

 

 本気で叩いたのに次の日には元気に動いている生物に驚きつつも表情には出さないようにして近づく。威圧感を持って接すれば優位になるかもという浅知恵だが、何も考えないで話しかけるよりはマシではないだろうか。クロンがこの歪魔を連れてきた理由は聞きたいことがあるからだった。それはこの歪魔が自分と同じ境遇かどうか。この世界に飛ばされるというのはどっちの世界の常識でも異常事態だ。だが、いくらなんでも自分一人ということはあるまい。この歪魔には自分と同じく、どこか精神と体に乖離を感じた。もっともそれは漠然としたもので確信があるわけではない。なので、もしかしたらという話なのだが。

 

「おい!」

「わっ、ごめんなさい。ぶたないで!」

 

 声をかけると急いで作業机の裏に隠れていく。昨日の狂人ぶりからの拍子抜けに少し戸惑うが思い返せば、最初以外はそこまで狂った言動でもなかったかもしれない。少し気を緩めて話しかける。

 

「単刀直入に聞くけど、お前って転生とか憑依って心当たりあるか?」

 

 探りは無しに聞きたいことを聞く。相手は子供だ。何か隠すようならきっと見抜けるだろうという打算もあった。

 

「てんせい? ひょーい?」

「いや、もういい。俺の勘違いだった」

 

 本気で首を傾げる少年の様子にガックリと肩を落とした。二年、この世界で生きているが竜の体故の周りからの視線、勝手に動く体への不満、絶えずしなければいけない力のコントロール、昔の生活と比べた不便さ、並べればキリがないがとにかくクロンはストレスが溜まっていた。その中でもとりわけ大きいのが自分の境遇を誰にも話せないことだった。とにかく誰かに打ち明けたい。だが、これはとてもではないが簡単に言えることではない。信じてもらえなければ余計不満が貯まるだけだし、より白い目で見られることになるかもしれない。それにただ話したいのではない。なんだ、そんなことかと他人には笑われるかもしれないが、転生、憑依の苦労を分かち合いたいのだ。だから、ウィルフレドにもレグナーにも生涯話すことはないだろうと考えていた。だが、同じ境遇の人間なら違う。必ず分かってくれるし苦労も共感してくれるに違いない。だから、この歪魔がそんな存在になるかもしれないと期待していたのだ。しかし、結果は外れ。一人ということはないだろうと思っていたがもしかしたら一人なのかもしれない。大きくため息を吐く。これぐらいの発散はしなければやってられない。

 

「えーと、ごめんなさい?」

「ああ、気にすんな。これに限っちゃお前はなんも悪くない。俺が勝手に期待して勝手に失望しただけだから」

 

 わけがわからないだろうに謝る歪魔になんだ、可愛いところもあるじゃないかと口元が緩む。もっとも、危険な存在には変わらない。工匠会に突き出すかどうか思案していると少年が話しかけてくる。

 

「ねえ、聞きたいことがあるんだけど?」

「なんだよ」

「おじさんはさ」

「お兄さんだ」

「……おじさんはさ、家族ってなんだと思う?」

 

 いつになく真剣で戦っていた時からは想像できない儚げな様子にクロンも真剣になる。

 

「いや、血のつながりとか心許す関係とかそういうのじゃね? あんま得意じゃないんだからそういうのやめてくれ」

「家族ってよくわかんないんだ、僕。最初のはそこにいるだけだったし、次のは殺されそうになった」

「はあ、歪魔も大変なんだな」

 

 突然語りだした少年にクロンは困惑しながら頭を掻く。

 

「ねえ、家族って何? 何をするために居るの?」

 

 今度は少し具体的な質問だったが、ここまででとにかくクロンがわかったことは多分自分ではこの少年の悩みは解決できないということだけだった。哲学とかそういう難しい話や他人の心や生き方に口出すのは苦手なのだ。いい言葉でも出てくればいいのだが、全く出てこない。竜での生活を含めても所詮二十歳前後の若造である。

 

「あれだ。ロサナ様に聞いてみればきっとわかる」

 

 だから、クロンは丸投げすることにした。ロサナ様ならきっとなんかいい言葉で諭してくれるだろう、と予想して送り届ける方向に話を持っていく。

 

「ロサナ様?」

「おう! このユイドラで一番偉くて強い人だ。竜の俺が言うんだから間違いない」

「一番偉くて強い……その人ならわかるの?」

「わかるわかる。そう、ロサナ様ならね!」

「じゃあ、行ってみる! 行こう竜のおじさん」

 

 呼び方に反応しそうになるがなんとか抑える。きっと領主の館に届ければこの少年は監禁だか保護だかされるだろう。間違いなくおさらばである。それまでなら力づくで連れてきた手前、ほんの小指の爪の先ほどの僅かな罪悪感に従うのもやぶさかではない。年相応の笑顔を向けて腕を引っ張る少年に従って外に出た。

 

「何処に居るの? そのロサナ様って」

「領主の館だ。あのデカイ奴だな」

「へー、あ! ねえねえ! あれ何? あのいっぱい人が集まってるのは」

 

 領主の館からすぐに興味が他に移り、人だかりに向かって目をキラキラさせる。そういえば今日は商隊が来る日だったなと思い出す。キャラバンと言えば馴染みが深いが商人がリスク回避のために共同出資して移動してくる集まりだ。ユイドラはこれが毎週決まった時に訪れ、広場を賑やかにする。こんな時は店を開いても意味がないのでアリトも休ませていた。

 

「いいでしょ? 行っても。止めても行くけどね」

「おい、ちょっと待て」

 

 あっという間に目の前からいなくなる歪魔を追ってクロンも走り出すが、時すでに遅くすぐに見失った。そもそもスピードが違う。それは昨日散々思い知らされたがまさかこんなことでも再び見せ付けられるとは思わなかった。辺りを見渡しても影も形もない。自分の罪悪感に文句を言って人ごみに突入する。日頃の行いや風評というのはこんな時にものを言う。クロンが歩けばヒソヒソ声と共にかき分けるまでもなくモーゼの如く人が道を開けてくれる。実はそこまで強くない精神力がガリガリと削られていくが我慢して歪魔を探す。

 

「こら、坊主。金ねえなら帰れ!」

 

 キョロキョロと周りを見回し視線が合うたびにそそくさと走り出されるというイベントをこなしながら歩いていると、特徴的な帽子が商人に叩かれて揺れるのが見える。

 

「痛い……アハッ、おじさんも痛くしてあげるよ!」

 

 首を曲げて商人の顔を覗き込むようにしながら、口が半月に開かれる。その時になって商人は目の前の小さな存在が軽い気持ちで触れてはいけないものだと知る。周りの人間も異変に気付き距離をとり始める。魔物が身近に存在する世界の住人である、街中とはいえこれぐらいの危機管理はあってしかるべきなのだ。

 

「おい、勝手に何してる!」

「あぎゃう!」

 

 首を捻ったままの少年の頭を掴んで下げさせる。流石に立っていられなかったのか悲鳴をあげて倒れこむ。

 

「いやあ、申し訳ない。うちの馬鹿がご迷惑お掛けした様で」

「あ、ああ。あんた兄弟かなんかか? しっかり見といてくれよ。こういうのは困るんだよ」

「はい、すみません」

「兄弟……」

 

 かつての人間生活で培った愛想笑いを浮かべて穏便に済ますことを目指す。少年の両手には高そうな布地が握られているが何故か切れてはいけないところが切れていた。弁償は財布的に勘弁して欲しいが、これはそうもいきそうにない。

 

「まったく……売りもんが台無しだ。どうしてくれる!」

 

 さっきまでビビっていた人物とはとても思えない。すげえぜ、商人、と内心感心しながら頭を下げて買わせてもらう。見た目ほど高い商品ではなかったらしく、財布はそれほど痛まなかった代わりに自分の観察眼の精度に肩を落とした。

 

「痛~い」

 

 少年の手を引っ張ってその場を離れると、ポッカリと人の空いた空間で手を離し頭に拳を落とす。

 

「さっきから殴られっぱなしだよ」

 

 目に涙を溜めて抗議する少年に今度はデコピンを咬ます。

 

「落ち着きの無い奴だな。俺以上に無い奴に久しぶりに会ったぜ」

「むーまだ物足りない~まだ見たい~」

 

 駄々をこねる少年を睨み、手を伸ばす。

 

「なに?」

「ほら、お前速いから見失うんだよ。掴まっとけ」

「うん……」

 

 その手をじっと見た後、おずおずと手を伸ばす。クロンは近づいた手をギュッと握ると先を促す。

 

「ほら、行くぞ。そういやお前名前は? 俺はクロンな。クロンお兄さんと呼べ」

 

 グノーシスはお兄さんという言葉を何回か反芻し、随分高くに位置するクロンの顔を見上げる。

 

「僕はグノーシス。グノーシスだよ、兄ちゃん!」

 

 グノーシスはニカッと笑いクロンの手を握り返す。年相応の笑顔にクロンも知らず笑みが溢れる。

 

「じゃあ、行くぞ。カスガキ」

「あれ? 酷い呼び名だ」

「いや、サーカスガキンチョの略だからこの上なくお前を表してる。それともグノーカスの方がいいのか?」

 

 頬を膨らませながらも手を離そうとしないグノーシスを笑いながら、割れる人の波を歩く。結局人が疎らになるまで買い物は続くのだった。

 

 買い物を終え、結局疲れただのなんだの駄々を捏ねるグノーシスをおんぶして家に帰る。領主の館に行く予定だった気がしたがクロンもなんだか疲れたので気にするのをやめた。

 

「僕って強いよね」

「俺よりは弱いけどな」

 

 家についた途端グノーシスが脈絡なく自己アピールを始める。

 

「でも、きっと役に立つよ」

「それ以上に世話かかりそうだけどな」

「だから、僕をこの家においてよ! 言うこと聞くから。ちゃんとユイドラの人攻撃しないしお手伝いもするから。お願い!」

「んーまあ、いいんじゃね」

 

 眠い様子を装って生返事をする。だが、それでも嬉しかったのかグノーシスは満面の笑みを浮かべて走り回る。

 

「ねえ、ねえ、クロ兄ちゃん」

「ああ?」

「兄ちゃん兄ちゃん!」

「なんだよ?」

「お休み!」

「ああ、お休み」

 

 そう言うとグノーシスは昨日と同じく工房で寝るつもりなのか工房に消えていく。クロンはあくびを一つしてディル=リフィーナに来てからのことを思い出す。二年、間違いなく一生で一番長い二年だった。黒川良也として生きていた時は家族がいた。お休みを言う相手は当然いて、それは自分が家を出る時まで続くものだと思っていた。だが、それは唐突に終わりを告げた。いきなり知らない世界に投げ出され二年間家族とは無縁に、一人で生きた。朝起きれば一人、夜明かりを消せば一人、帰ってきても一人、ご飯は一人分、それが普通の生活をしてきた。

 

「ふん」

 

 恥ずかしさを紛らわすように鼻を鳴らす。そう、ただちょっとだけ嬉しかったのだ。同居人が増えるということが、家族が増えるということが。

 

「とりあえず、明日はちゃんとした寝る場所見繕ってやるか」

 

 

 

 

「特に話すべきエピソードは無いな」

 

 一通り回想を終え、クロンは頷く。間違いなく話したら赤面モノである。

 

「なんだよ。教えてくれたっていいじゃんか」

「やだね。あいつはまあ、とりあえず俺の弟だと思っとけ」

「え……」

 

 ウィルフレドは一瞬言葉に詰まりクロンを見る。

 

「なんだよ?」

「あ、いや、なんでもないよ。いや、違うか。なんかお前がそんなこと言うと思わなくて。なんだかんだでいろんなところから距離をおいてるからさ、クロって」

 

 これには今度はクロンが言葉に詰まる。

 

「ハッ! 適度に取んなきゃみんな壊れちまうからな。つーか俺の話はいいだろ。今日はお前の工匠合格祝いだ」

 

 バシバシとウィルフレドの背中を叩く。

 

「酌が男で申し訳ないがお前なら直ぐモテモテだって。だから今は俺で我慢しろ、ハハハッ」

 

 酔ってもいないのに機嫌よくウィルフレドに酌をすると自分はミルクを一気に飲み干す。

 

「酒飲ましてやれなくてごめんな」

「なんで祝われてる側に謝られなきゃいけないんだ。それに酒はお前らが酔った俺に叩かれても平気になった時の楽しみにとっとくよ」

「つーかクロン。痛いぞ。最近お前人間体でも力強くなってないか?」

「そうか? まあ、力仕事してるからな」

 

 バシバシと叩かれていたのが地味に効いてきたのかウィルフレドは背中を擦る。

 

「ウィル、俺がお前の力になれることって少ないけどさ。でも、俺に頼って間違いないことが一つある。もし本当にどうしようもない敵が現れたら言えよな! 俺が必ずブッ飛ばしてやるからさ。お前の敵は俺の敵だろ?」

「ああ、そうだな。どうしようもない敵が出てきたら頼むことになるかも。でも、工匠になったんだからできる限り自分の力でなんとかしたい」

「そーかそーか! まあこんな俺と仲良く出来るお前だ。敵なんていないかもな? 俺とは違う意味でな」

 

 二カッとウィルフレドに笑うと席を立つ。ウィルフレド・ディオン、この友人はきっとこれから会う多くの存在と繋がって生きていくだろう。彼の歩む道に敵という存在は恐ろしく少ないのではないだろうか。戦うという選択肢が最初からある自分とは根本的に違う。だからこそ、この男と友人になれたのだ。

 

「じゃあな、ウィル! おい、カスガキいくぞ」

「はーい、バイバーイ。ウィル」

 

 ウィルフレドに手を振るグノーシスの反対の手を引き酒場を出る。友人が工匠になった。うかうかしていれば直ぐに追い抜かれるだろう。今までは出世欲なんてなかった。だが、後ろに足音が聞こえた瞬間焦りが生まれた。我ながら人間くさいなと笑う。目的はあるが今はそれよりもただ負けたくない。その気持ちがふつふつと心に湧き上がっていた。

 

 家に着いたクロン達はアリトが着くのを待って店に商品を陳列する。予定としてはこの後匠士昇格のための提出用の品物を作らなければいけない。匠士昇格は前回の密猟首謀者捕獲の件の報酬として言い渡されたことだった。そもそもお金がいいとかいろいろ要望を言った気がするが、贈られたものはこれである。今となってはそれもありがたいことだが当時は随分ロサナの陰口を言った。主に聞かれたら工匠資格剥奪になるような単語を。

 

「しかし、匠士に俺の技術が追いついてないんだよなあ、流石に今回は上がるのが早すぎる。贅沢な悩みだが研鑽を積む時間が欲しかったな」

「でも、テンチョーの作る服はそれなりのものですよね」

 

 出勤してきたアリトが陳列しながら後ろを向いて口を挟む。グノーシスはうまく服が畳めずにうーうー唸りながら奮闘していてそれどころではないようだ。

 

「まあ、俺のメインだし? でもどれも魔術作用とかファッション性に偏重してて提出するものとしてふさわしくないんだよな。やっぱ武具関係が好まれるみたいなんだよ」

「あとは腕輪とかの装飾品ですよね」

「そうだなあ」

 

 うーむとクロンは唸る。すると、思い出したようにアリトが言う。

 

「そういえば、ガントレットいつできるんですか? 作ったスペースがいつの間にか長手袋やらミトンに占領されてるんですけど」

「まあ、あれだ、もう少しなんだけどね。ままならないものだね」

「もう少しならちょうどいいじゃないですか! それだけ時間かければそこそこ好いものでしょうし、一つはそれでいいじゃないですか。あとはお得意の服とかで固めてもう一つ装飾品作ればそれで十分じゃないですか?」

「え?」

 

 良い事思いつきましたとでもいうようにパアッと顔を輝かせて提案するアリトに驚く。まさか三週間続けている今の言い訳を信じられるとは思っておらず、引くに引けなくなる。

 

「そ、そうだな。まあ、もうじきできるし、うん。そうしようかな」

「それがいいですよ」

 

 役に立てたことが嬉しいらしく鼻歌なんぞ歌いながら陳列に戻る。もっとも、クロンにはやり込めて喜んでいるようにしか見えなかったが。

 

「じゃあ、俺は工房に今日は篭るから、お前らは仲良く店番しろよ! カスガキ! アリトの言うことをよく聞いてお手伝いしろ、いいな」

「アイサー」

 

 目線は服から離さずに手だけで敬礼モドキをしてクロンを見送る。その様子に少し心配になるものの工房に来させては仕事にならない。年齢も近いだろうしそんなトラブルも起きないだろうと自分に言い聞かせて作業に移る。ガントレット、板金を切り抜いたものを組み合わせて中の手袋を保護する。至極簡単に言えば作り方はこれであるが、問題があった。作るといってもそんなに鉄が無い。鉱脈が出入り禁止なので手に入れるのにお金がいるのだ。故にあまり使いたくないというのが本音だった。それにただ鉄で作ったガントレットでは錬度の低いクロンでは並以下の評価しかでない。何か工夫が必要だ。中の手袋の部分はお手の物だが問題は外側である。

 

「魔法石で作れたりしないかな?」

 

 もしかしたら鉄あるんじゃね、なんて思って森の採掘場を掘りまくってみた結果、溜りに溜まった魔法石を手に持って眺めてみる。魔法石とはそれ自体が微弱に魔力を宿しているため魔術に役立ち魔力も浸透しやすい、という石だがそれ以外は色が綺麗なことを除けばほとんど普通の石である。手慰みに青い魔法石でお手玉しながらいろいろ考えを巡らす。魔法石を使うのなら魔術を組み込まなければ意味がない。

 

「魔法石を砕いて厚い布地に埋め込む。魔力が浸透しやすいんだから、縮小の術式を圧縮っぽく使って……いや、ダメだダメだ。中の腕が潰れる」

 

 中の腕が強靭なら耐えられるだろうが、みんながみんなクロンのような腕のわけじゃない。意外にもいけるんじゃないかと思い始めていた案なだけにガッカリする。

 

「いっそ全て布地にするか? でも流石に防御力がなあ……んん? んんん!? 別に防御力が高い必要はないんじゃないか!? 防御力以外の付加価値があればいいんだ。縮小の術式をわざと半端にしておいてガントレットの爪の部分の魔法石を対象に刺すことで術式が完成。つまりどんな大きなものでも生物でなければ小さくできるマジックハンド! 来た、これは工作の神が俺に降りてきた! 今日から俺も神格者。フハハハハハ」

 

 翌日、領主の館にてボロボロに酷評され涙目になって自分の工房に向かって走る竜の姿がユイドラで発見されたそうな。

 



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護衛と繋がる

 酒場を出てウィルフレドは一人帰路につく。工匠になり、やらなければいけないことは山ほどある。とにもかくにも工房に戻ったら看板と剣を飾らなければ潜りの工匠だと思われてしまう。

 

家に着くとまずはもらった剣を店の目立つ場所に飾る。そして、外のよく見える位置に看板を飾ろうと脚立を奥から運んでくる。すると、ドアベルの音と共に人が入ってくる。

 

「店主はお前か?」

「ああ、そうだよ。依頼ならちょっと待って」

 

 さっきの客のようだ。すぐに用件を聞きたいところだが、グッと抑える。看板が掛かっていないのに依頼を請けているところを見られれば要らぬいさかいが起きてしまうかもしれない。たいした時間はかからないしさっさと看板を掛けてしまおうと脚立を外に持ち出すべくもう一度力を込める。その瞬間、ウィルフレドの視界が回る。

 

「おい、貴様。潜りの工匠だな?」

 

 目の前には美しい女性の顔があった。少女は突如ウィルフレドを押し倒し、剣をその首筋にあてる。目にも止まらぬ早業だった。油断していたのも確かだが、仮に身構えていたとしても軽々とウィルフレドは押し倒されてしまっただろう。

 

「な、なんだ!?」

 

 黒髪の少女は薄く笑いながら驚くウィルフレドを脅す。

 

「ここでは正式に認可された工匠は看板を飾るのが習わしなのだろう? なら、それをしていないお前は何かやましいことがあるはずだ。工匠会に通報されたくなければ私に手を貸せ」

「ちょ、ちょっと待ってくれ! 俺は今日から工匠になったんだ。だからまだ看板を掛けていないだけで正式な工匠だ。そこに看板もある」

「なんだと……」

 

 驚く少女はウィルフレドの指差す先の視線を送ると、確かに他の工房で見たものと同じ看板が置いてある。店内に静寂が訪れる。

 

「……すまなかった。非礼を詫びる」

 

 感情を押し殺したようにそう静かに言うと店から出て行こうとする。いきなり押し倒して人違いだと分かればスタスタと立ち去る少女に本来なら憤りそうなものだが、ウィルフレドの脳裏に浮かんだものは全く違うことだった。少女はどのような形にせよ自分の工房に何かを求めてやってきたのだ。なのに、帰るときの表情は雲ったままだ。それは違うだろう、自分が、ウィルフレド・ディオンがなりたい工匠とはそういうものではなかったはずだ。ロサナ様に言った言葉は嘘だったのか、とほんの少しでもこのままにしようと思った自分への憤りと彼女の力になりたいという思いが口を動かした。

 

「待ってくれ。なにか頼みがあってきたんだろ? 教えてくれ、何か力になれるかもしれない!」

 

 そう背中からかけられた言葉に少女は振り返ると値踏みするようにウィルフレドを観察する。そのときウィルフレドも少女の姿をはっきりと見た。場違いにもウィルフレドは少女のことを美しいと思う。膝下あたりまである長い黒髪、意志の強そうな切れ長の赤い目、白い鳥の羽で作られた特徴的な髪飾り、異国風のゆったりとした服装、青い装飾のなされた剣。どれもが綺麗に調和がとれて芸術品のようだった。

 

「貴様には関係がない」

「く……いや、こんなことされて無関係はないだろう」

 

 すぐさま外に出ようとする少女に食い下がる。すると、思うところもあるのか動きが止まる。睨み合うことしばし、少女は折れたようにため息をつくと口を開いた。

 

「なら、貴様にこれの力を戻せるか?」

 

 少女は手に持つ剣をウィルフレドに見せる。黒い柄に青い宝石が埋め込まれた見事な剣だ。ユイドラのあるセテトリ地方ではあまり見ないものだ。多分ディスナフロディのものだと当たりを付ける。

 

「これは?」

「故郷の剣だ。魔力を失った」

 

 ディスナフロディの剣、しかも魔力を失ったと言うことと見た感じから推測するに何らかの魔術的作用が施されていて、それが無くなったのだろう。つまり新しく魔力を送り込めばいい。もっとも魔力付与と言われる技術はかなり高位の技術だ。素材、対象の構造によって当然魔力付与の方法も変わる。なので、東方のディスナフロディで作られ、希少な素材で作られているであろうこの剣に魔力付与を行うのは並大抵のことではない。

 

「俺には無理だけど……ロサナ様なら、東方の技術を極めたあの人ならできるかもしれない」

「ロサナ?」

「ユイドラの領主だよ。俺が頼んでみる」

「いらん」

「でも必要なんだろ?」

「……」

 

 どうしても必要だということらしい。

 

「よし、行こう」

 

 

 

 結論から言うと魔力付与をしてもらうことはできなかった。技術的には可能ということだったが、とんでもない金が要るのだ。額にして二万S(サントエリル)。ウィルフレドが工房の運営用に少しずつ貯めた貯金が五百Sである。クロンが払えないとヒーヒー言っていた組合費は十S。とんでもない額だということがわかるだろう。当然そんなもの払えるはずがなく、ウィルフレドと少女は店に取って返すこととなった。

 

「ごめん、俺のやったこと意味なかったな」

「いや、好意には感謝している」

 

 そう淡々と述べると今度こそ立ち去ろうとする。

 

「待ってくれ! 俺はまだ新米だからその剣を強化出来ない。でも、いずれは出来るようになるから。だから! 俺に任せてくれないか」

 

 その言葉に少し目を見開くが力なく首を横に振る。

 

「どうして?」

「……無い袖は振れん」

 

 顔を赤くして声を荒げる少女にウィルフレドは失礼だとは思いつつも笑いが零れた。お金がないなどさっき領主の館からそれが理由で取って返してきたのだ、百も承知である。

 

「わ、笑うな!」

「ああ、ごめん。あのさ、俺の護衛をしてくれないかな? 俺は戦闘が苦手だからいろいろなところに採取に行くのがどうしても危険なんだ。当然お金も払う」

「護衛ということは管理地域にもいくのか?」

「うん、そうだけど」

「悪くないな」

 

 少女はそう呟くとウィルフレドの顔をじっと見つめる。

 

「じゃあ、よろしく! 俺はウィル。君は?」

「私はユエラ」

「わかった。ユエラよろしくな」

 

 握手のために腕を突き出すとその手を不思議そうに眺められる。

 

「握手だよ。これからよろしくとかそういう時にお互いの手を握り合うんだ」

「そんな習慣はない」

 

 取り付く島もないとはこのことでユエラの腕はピクリともしない。ならばと話題を変える。

 

「それで泊まる場所とかは決まってるのか?」

「いや、決まっていない」

「だったらうちに泊まる?」

「ば、馬鹿な。お、男の家に泊まるなどできるはずがない! 毎日来る。その時に予定を教えてくれ」

 

 顔を真っ赤にして大声を上げるとユエラは逃げるように家から出ていく。正直最近は勉強ばかりだし、友達関係もレグナー、クロンで完結してしまっている。もしかしたら、女性との関わり方がかなり拙いんじゃないかと不安を覚える。確かに今のは幾らなんでも失礼だったような気もしてきた。相手は女の子なのだ、もっと気を使わなければいけない。ふとユエラが去って行った方を見ると外はもう暗くなっている。ウィルフレドは明日こそ教会や闘技場にあいさつしてくるかと決めて工匠初日を終えることに決めた。明日は依頼が受けられればいいが、どちらにせよ採取に行くことになる。ユエラが居るが二人とも初心者だ。気力を溜めておかなければいけない。

 

 翌日、支度を済ませたウィルフレドはユエラが来るのを待って、周囲にあいさつにいくことにした。

 

「おはよう、ユエラ」

「おはよう」

「今日は他の所にあいさつしてくるからちょっと別行動で」

 

 最初は店番をしてもらおうとも思っていたが、愛想のない子である。それに店員派遣は無料なのだ、利用しない手はない。

 

「わかった。ちょうど私も行きたいところがあった」

「なら、ちょうどよかった。でも、昼頃にはこっちに戻ってきてくれ。採取に行くから」

「了解した」

 

 店を出てユエラと別々の場所に向かう。ウィルフレドはまず教会を訪れた。中は人もあまりおらずあいさつするには絶好の機会だ。すこし教会の管理者であるハンナさんの手が空くのを待つ。ディル=リフィーナでは神とは重要な存在である。なぜなら彼らのおかげで人間は魔術を行うことができるのだ。なので、信仰心も半端なものではないのだが、ユイドラは工匠会が管理しているので他の都市ほど信仰心は強くない。ちなみに工匠会はテール・ユンという水神を友好的である。もっともユイドラで生活するうえでほとんど恩恵は感じられないが。

 

「お待たせしました。本日はどのようなご用件でしょうか?」

「昨日から工匠になりました。ウィルフレド・ディオンです。よろしくお願いします」

 

 腰まである水色の髪に青いローブを着た、静かな感じの女性だった。

 

「あいさつ回りですか、ご苦労様です。教会では薬品などを取り扱っていますが、みなさん慣れてくると自分で作ってしまって……」

 

 何やら遠い目をするハンナさんに修道女なのに随分俗物的な、と思ったものの口に出すのは控える。

 

「私どもから依頼を頼むこともあるかもしれません、その時はよろしくお願いします」

「はい! こちらこそ!」

 

 ニコリと微笑むハンナに力強く挨拶すると教会を出る。次は闘技場に向かおうと足を進める。しかしその途中、目を擦りながら肩を落として歩く友人の姿が目に映る。

 

「ど、どうしたんだ? クロン」

「うん? ウィルか。別にぃ、なんでもない」

 

 その手には鉄鋼がついてないにもかかわらずやたらごつごつした手袋が収まっていた。さらに異様なのは手袋の指の部分に爪のような形状の石がついている。正直なところなにがしたいものか全くわからなかったがクロンのこういう類の発明は初めてでなかったので触れるのをやめた。工匠には少なからずみんなあることなのだが発明について語りだすと長いのだ。

 

「ウィルは何してるんだ?」

「俺は挨拶回り」

「ふーん」

 

 まったく興味なさそうに言うクロンにこういう奴だった、とウィルフレドは肩を落とす。基本的に自分に関係ないことには興味がないのだ、この友人は。まさしく自分の挨拶回りなど興味の外だろう。このまま立ち去るかと思ったが、以外にも動き出さずに口を開く。

 

「あ、そうだ。ウィル。お前は知らないかもしれないけど最近想定外に強力な魔物が管理区域に出るみたいだから気をつけろ」

「想定外の魔物?」

「俺が錬士に上がる前にリムドラを何匹か倒したつったじゃん? あれもそうだ。シセティカ湖で会ったんだからな。本来いるはずのない魔物がでることが多発しているらしい」

 

 当時は割と人ごとだとクロンの話を聞き流していたが、シセティカ湖、エルフ領域の森は匠巣が行ける数少ない管理区域だ。このままだともしかしたらリムドラのような敵と戦うことになるかもしれない。試験の時にあった捕石亀と同等の力の魔物だ、背筋が寒くなる。

 

「下級工匠だけじゃなく中級工匠にも被害が出てる。まあ、どいつもこいつも相手の実力を見誤った阿呆共だけどな。つまり、見るからにヤバそうなのが居たら全て投げ出してでも逃げろってことだ。お前はよわよわなんだから」

「よわよわって……でも、ありがとな。気を付けるよ」

 

 自己中心的な考えのクロンが心配してくれたことを嬉しく思い礼を言う。

 

「いいって、これぐらい。それで次はどこに行くんだ? 場所によっては付き合うぜ」

「ああ、闘技場だ」

「急用ができた。そうだ、俺は匠士昇格のための物品を作らないといけないのだった。悪い悪い、帰らせてもらうわ」

 

 途端クロンは早口でまくしたてると足早に離れていった。そういえば、とクロンが闘技場を半壊させたことを思い出す。ならば、クロンが闘技場関係者から睨まれるのは必然である。あまり近寄りたくないのだろうと考え自分も足を進める。

 

 

 

「えーなんで出れないの!?」

「工匠しか出れない決まりなの」

 

 闘技場に足を踏み入れると少女と女性がいがみ合っている。ピンク色の短い髪をした元気そうな子だ。全身もピンク色を基調とした露出の少ない服装で年相応な子供っぽい印象を受ける。もう一人は対照的に水着のような露出の多い服装で大人な雰囲気を醸し出していた。

 

「あーわかった、工匠以外の人に負けるのが怖いんでしょう!」

「そんな挑発には乗らないよ」

 

 口を挟むのもどうかと思い、クロンが壊したという闘技場を見渡すと何処も壊れたところは見当たらない。工匠達の努力の賜物だろう。自分もこういう形に残る仕事を早くやりたいものだ。

 

「ケチッ、おっぱいお化け!」

「お化けってなによ、私のはね、飾りじゃないの。ちゃんと役目果たすんだから!」

「もうそのくらいにしたら?」

 

 流石に見苦しいレベルにまで口論のレベルが引き下がってきたので口を挟む。

 

「あ、貴方、ウィルフレド・ディオン!」

「え?」

「ウィルフレド? どこかで聞いたような……」

 

 ピンク髪の少女がウィルフレドを見るや否や名前を叫ぶ。予想外の反応にすこし戸惑うが、一応喧嘩を止めるという目的は果たせたようだ。大人な雰囲気の女性は何やら頭を悩ませているが、とりあえずここに来た目的を果たす。

 

「昨日から工匠になった。ウィルフレド・ディオンです。よろしくお願いします」

「あら、そう。私はジェーン。よろしくね」

「ウィルも工匠だったの!?」

「君はなんで俺のことを知ってるんだ?」

「けっこう有名なんだよ」

 

 ニコッと少女は笑うがウィルフレドは自身が有名など思ったことはない。もっとも追及してもはぐらかされるだけだろうが。

 

「あー! あなた、あの竜の知り合いでしょ?」

 

 ジェーンにいきなり胸倉を掴まれる。

 

「な、何?」

「ちょっと、あのクロンって奴をここに引っ張ってきてくれない?」

「な、なんで? もしかして弁償の話ならあいつ金無いから期待しないほうが」

「違うわよ、戦いに出て欲しいのよ。あんな強いやつならここももっと盛り上がるわ。でも、なかなか捕まらないのよ。店に一回行ったら店番してる子に泣かれちゃったから行き辛くて……ホントたまにでいいから出て欲しいのよ。強い奴がいるってだけでみんなのやる気も変わるんだから!」

 

 凄まじい勢いで迫るジェーン。ウィルフレドはクロンが闘技場に近寄りたがらなかった真の理由を悟った。クロンは戦闘狂的面があるが人間との戦いは異様に嫌がった。もっとも例外はあるらしいが、それでも人間と戦った後は気分が悪くなると言っていたのを思い出す。人間とばかり戦う闘技場など彼にとっては悪夢のようなものだろう。

 

「わかった、わかったから。今度言っておくよ」

「頼んだわよ! 私からの依頼だからね」

 

 初めての依頼のしょうもなさに心の中で涙を流しながら頷く。

 

 闘技場を出ても少女はついてくる。

 

「えーと、なんでついてくんの?」

「私、エミリッタ。ねえ、ウィル。私を護衛に雇ってよ」

「は?」

 

 突然の申し出に一瞬思考が停止する。

 

「えっと、君が護衛?」

「あー疑ってるでしょ? 私こう見えても強いんだからね」

 

 杖を取出しブンブンふるって見せる。杖ということは魔術師だろうか。闘技場に一人で参加しようというのだ、腕にはかなり覚えがあるのだろう。とは言ったもののおいそれと護衛に決めていいものとも思えないが、なんとなく悪い子ではないんだなとは感じた。特に理由があるわけでは無かったが。

 

「わかった。じゃあ、これから採取に行くからそこで力を見せてもらってその結果ということで」

「話せるね、ウィル!」

 

 そうと決まれば採取に行こうかと思ったが、ジェーンさんの依頼がある。気は進まないがとりあえず一度話すぐらいはしないと不義理が過ぎるというものだろう。あまり行くことがなかったクロンの工房に向かう。

 

「ねえ、ウィル。どこに行くの?」

「クロンの家」

「クロン?」

「友達だよ。ほら、あの竜の」

「うわ、竜族に会えるんだ」

 

 なんだか嬉しそうにするエミリッタを見てほんの少し不安を覚える。クロンに会わせて大丈夫かと。依頼がある以上とりあえず今日のところは会わせない方がいいかもしれない。なにか、トラブルが起きてクロンがへそを曲げたら唯でさえ低い成功確率がさらに下がる。ただ、嬉しそうにはしゃぐエミリッタを見るとかわいそうな気もしてくる。しかし、そうこうする内にクロンの店についてしまう。しかたないか、と店のドアを開けて中に入る。

 

「いらっしゃいませー」

 

 店に入るとエミリッタと同じくらいの子供がカウンターから笑顔を向けてくる。すぐ横にはこの前あったグノーシスが服を折ったり開いたりしながら首を傾げている。

 

「クロンは居る?」

「おや、ウィルさん。テンチョーなら工房に居ます。呼んできますから待っていてください。グノー君、ちょっと行ってくるから」

「うーん」

 

 パタパタと走り出す少年を見送り帰ってくるのを待つ。工房に踏み込んでもよかったが今は工匠同士。流石に気軽に仕事場に入ってはいけないだろう。ユイドラでは技術流出を恐れて工匠同士がいがみ合うことなど珍しくない。できれば友人といがみ合う様なことはしたくなかった。しばらく待つがなかなか出てこない。もしかしたら何かの作業中だったのかもしれない。

 

「うわーなにこれ可愛い」

 

 暇になったのか店を見渡していたエミリッタが陳列されている子供服を掴む。何やらヒラヒラしたものがついていてファンシーな仕上がりになっていた。なんでそんな物作っているんだとつっこみたくなるが多分大層な理由は出てこないだろう。そうこうする内に奥から先ほどの少年、アリトが出てくる。

 

「すみません、テンチョー手が離せないみたいなのでそのまま工房に行ってください」

「いいのか?」

「テンチョーが言うんだからいいんじゃないですか?」

 

 困ったように笑うアリトに頷く。そう言われたなら中に入ってしまっても問題ないだろう。

 

「悪いんだけど、待っててくれ、エミリッタ」

「ええー」

「流石に何人も他人の工房に入るのは不味いからさ」

「……はーい」

 

 肩を落とすエミリッタに軽く頭を下げてから奥に足を進める。工房が近づくにつれ糸やら石の数が増える。工房に足を踏み入れると、ウィルフレドの常識が音を立てて崩れていった。そこには確かにクロンがいた。角や翼があるのは別に自分の家だ、好きな方でいればいいのだから気にしない。だが、やっていることが理解できない。ついに鉄に手を出そうと思ったのか、鉄を熱し鎚で形を整える、その作業をやっているのだろうが、火床は動いていない。炎を調整するための鞴がない。その手には熱せられた鉄があるだけで何も握られていない。

 

「そんな、バカな……」

 

 熱せられた鉄を素手で持ち、素手で形を整える。炎は自分の能力で起こし意識するだけで調整出来る。そして熱による疲労もないという鍛冶の常識を覆す彼だけのスタイルを見せつけられる。ウィルフレド・ディオンが初めて友人に本気で嫉妬した瞬間だった。

 

「おう、ウィル。来たのか、ってどうしたんだ? 怖い顔して」

「ク、クロン! な、なんだよ、それは!」

「え、ああ、俺もガントレットのために鉄でも使うかって」

「俺、初めて竜の体が羨ましいと思った」

「そ、そうか? だから顔が怖いって……」

「なんでお前鍛冶やんないんだよ? 天職じゃん」

「そりゃあ、武器が作れたって俺の生活に彩は生まれないからな」

「ゆとりは生まれそうだけどな」

 

 柄にもなく皮肉を返してからそれもそうか、とため息が漏れる。そもそもこの友人は本当の天職とも呼ぶべき騎士や兵士の道を蹴って工匠になっているのだ。今更自分に合っているぐらいでやることを変えないだろう。

 

「服とか作ってる方が楽しいしなあ」

「ああ、羨ましいなぁ」

「そ、そうか……なんかごめん」

 

 クロンが少し顔を引き攣らせるが構ってられないほどに羨ましい。もし自分が同じ能力があればいったいどれだけ作業効率が良くなるか。制度も格段に上がる。初めてクロンの翼と爪を人外のものなんだと認識できた気さえしてきた。

 

「そ、そうだ、ウィル。なんか用があんだろ? さっさと言ったらどうだ?」

「ん、ああ、ジェーンさんに会ったんだけど。闘技場に出てくれないかって」

「嫌だ」

「まあ、そうだよな」

「心労と寝不足で死んでしまう。なんで人間と好き好んで戦わねばならんのか。もしかして……それ初めての依頼?」

「まあ、一応な。無理だと思ってたし、いいよ別に」

 

 依頼は失敗したが元々失敗するものと思っていたものだ。ジェーンに報告する時のことが不安だが、しょうがないだろう。ウィルフレドが頭を掻いて納得している間、クロンはウィルフレドをじっと見つめて何か考え込む。

 

「闘技場を俺の攻撃に耐えられるぐらい強固にする。俺の相手は相応の力を必ず持つ。この二つが守れるなら出てもいいよって言っといてくれ」

「え、ど、どうしたんだ、急に」

「ストレス発散場所を増やしてもいいかなって思っただけだよ。ほら、終わり終わり」

 

 シッシッと手のひらを振るとクロンは手に持った鉄に集中する。感謝と共にウィルフレドは去り際にクロンに視線を送ると鉄を直に掴む腕が視界に入る。本当に羨ましい、あの能力だけは。

 

「あ、ウィル! 終わったの?」

「うん、終わったよ。じゃあ、行こう」

「うーん、おかしいなあ」

「また来てくださいねー」

 

 エミリッタを連れ一先ず自分の工房に戻る。ジェーンさんへの報告は後日でも平気だろう。これ以上エミリッタを待たすわけにもいかない。今日のところは一先ず素材の採取の練習と決めた。ユエラとエミリッタの実力を知らなければいけないし、連携などもある。採取のときの約束事なども現地で確認したい。余裕のある内にそういうことを終えてしまおう。家に着くと既にユエラが待っていた。心なしか沈んでいるように見えるが踏み入っていいものか悩む。とりあえず、ユエラとエミリッタにお互いに自己紹介をしてもらう。

 

「ユエラだ」

「私エミリッタ、よろしくね」

 

 笑顔を浮かべるエミリッタとは対照的にユエラの表情は動かない。

 

「ユエラの剣ってディスナフロディの? 服も凄い着心地良さそう! ディスナフロディってどんなところ?」

「こことたいして変わらん」

 

 視線を逸らし素っ気なく言い放つユエラによってエミリッタの会話は打ち切られる。これは前途多難だ。

 

「よ、よし! じゃあ、採取に向かおう」

「うむ」

「うん!」

 

 なんかこの二人は合わなそうだなあと思いながらも、今日は初級工匠御用達として有名なエルフ領域の森に向かう。これが工匠としての第一歩。やっと待ち望んだ生活に足を踏み入れたと心躍らせながら三人で採取に向かう。だが、ウィルフレドの工匠人生を暗示するかのように初めての採取にはとてつもない波乱が待っているのだった。

 




キャラ説明回。まだ、ウィルフレド視点に慣れていないのと、ユエラ、エミリッタも性格は掴めているはずなんですがどうにもうまく動いてくれないので書き上げるのが大変でした。もう一人の主人公ということでこの章ではかなり出張ることになるので早く慣れていきたいです。


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森で繋がる縁

 ウィルフレドが工房を出て行ってから一時間ほど経ってクロンはガントレットにおける板金以外のプレートを作り終える。工房の温度がとてつもないことになっているがクロンにとっては平温と大して変わらない。慣れないことをしたこともあり、息抜きも兼ねて外にでも出てくるかと体の筋を伸ばす。そろそろグノーシスも飽き始める頃だ。相手をしてやらないとアリトの仕事も進まないだろう。店に出ると、案の定グノーシスが大玉に乗りながらナイフを弄び、なにごとか叫んでいる。

 

「あ、兄ちゃん!」

「オッス。休憩がてら採取にでも行くか」

「おお! 行こう行こう」

「あくまで俺は気分転換、休憩に行くから、お前戦えよ?」

 

 もう聞いていないのか、急いで二回に上がっていく。ナイフしか持っていくものないだろうに何を準備するつもりなのだろうか、とクロンは首を傾げる。

 

「そういえば、アリト。なんか最近お金が足りないとか言わないけど店どうなってんだ?」

 

 グノーシスを待ちがてらアリトに近況を尋ねる。最近、グノーシスの件やら趣味の研究やら昇格の発明やらのせいで経営の方をアリトに任せてしまっていた。それこそもしこれでアリトが着服するような輩だったら全く気付けないぐらいに。

 

「順調ですよ。まさに始まって以来の大繁盛です」

「なんだと……そんなバカなことが……」

 

 確かに最近商品を適当に出しまくっているのに店内がすっきりしていると思っていたが、売れているとは思わなかった。いらないということでアリトが陳列していないのだとばかり思っていたのだ。

 

「まあ、奇跡の客単価がなせる業ですね」

「奇跡の客単価?」

「はい、一日一万S(サントエリル)ぐらい払ってくれるお客様が一人いますから」

「は? 一万? なんじゃそりゃ」

 

 アリトが差し出した売上記録を見ながら驚愕の声が漏れる。とてもではないがクロンの店にそんな大金を支払うほど欲しいものがあるとは思えない。服は昔見たものを魔術で再現、魔改造するのが楽しくてそれこそ節操なくいろんなものをいろいろな魔術を込めて作っているが、服なんてものは好みが出る。何軒も店が連なっているにもかかわらず一ヶ所の店で大量に買うことなどあまりないのだ。まして何日もなど現実味のない話だった。因みに色々な魔術と誇張したが、実際は最近できるようになった防水を加えた三種類である。

 

「どんな客なんだ?」

「あの黒いローブのお姉さんですよ」

「あれか……」

 

 密猟者の件で苦しんでいる時店に毎日来ていた客だ。終わったら来ると言っていたが本当に来ていたらしい。よくわからない魔術で苦しめられたのを思い出すと体が熱くなる。クロンは闘争心がふつふつと湧いてくるのを感じた。

 

「次会ったら決着つけなきゃなあ!」

「今日はイケイケですね、テンチョー」

「ああ、この前は虚仮にされて勝ち逃げされたしな。なんかテンション上がってきた! フハハハハ、今日来たら店に引き止めとけ、帰り次第決着を」

「もう既に来ました」

「うそん」

 

 冷水をかけられたように気分が冷めていく。何故か久しぶりに戦う気になっていたのにこれでは肩透かしもいいところだ。

 

「というか、やめてください。あの人来なくなったら極貧経営に逆戻りです。今するべきことはこの余裕を使って商品改良、施設増設、宣伝です。ですが、本来宣伝なんて必要ないんです。テンチョーのユイドラ内の知名度ははっきり言ってロサナ様に次ぐぐらいにすごいんですから」

「やっぱり? まあ、カリスマってやつか」

「ですから、後はその知名度をいい方向に変えるだけです」

「あ、はい」

 

 クロンも当然わかっていたが竜族であるクロンは特に何もしていなくてもイメージが悪い。にも関わらず、闘技場半壊なんてやらかしたものだから住民からはああ、やっぱり、なんて目で見られてしまうのだ。店主の評判は店の評判に直結する。怖い竜族の店になど普通の感性の持ち主は行かない。ならば、繁盛するためには怖い竜族から優しい竜族や良い竜族にならなければいけない。

 

「つまり、具体的には何すればいいんだ?」

「ユイドラ中に広まるぐらいいいことをするか、親しみやすい姿を見せるかですね。グノー君と一緒に歩くのとか意外と効果あるんじゃないですか? あと闘技場も」

「はいはい、頑張りますよ。つーかいいことってなんだ?」

「ユイドラの危機を救うとか?」

「ユイドラが危機になったらな!」

 

 話が一区切りしたところでタイミングよくドアベルが鳴る。

 

「こんにちは」

「ああ、こんにちは」

「いらっしゃいませー」

 

 クロンは振り向き相手を観察する。見事なまでに輝く金髪をツインテールにまとめ、綺麗に切り揃えられた前髪は几帳面さを表しているようだ。だが、その髪から覗くとんがった耳が種族を主張する。

 

「エルフ……初めまして、店主のクロンです。どのようなご用件で?」

「私はセラヴァルウィ・エンドースと申します。本日は貴方に少しお伺いしたいことがあって参りました。お時間を頂けるでしょうか?」

 

 ユイドラ近郊にはエルフの住まう森、レイシアメイルがある。もっともエルフという種族は平和を望み、あまり人間に関わることもない。なので、ユイドラにも殆ど関わってこなかったとクロンは聞いていたが、こうしてユイドラ市内で会えたことに驚きを禁じえない。一応高貴な種族が相手ということと相手が丁寧なこともあり口調に気をつける。

 

「興味……ですか?」

「はい、私は竜族である貴方がユイドラで、しかも工匠として暮らそうとしていることに興味があるんです。どうしてそのようなことをなさろうと思ったんですか?」

 

 相手の丁寧過ぎる対応と美人が相手ということでどうにも居心地が悪い。考える振りをして周囲を見渡すとアリトは既に我関さずを決め込んでおり、カウンターに座り込んでペラペラと何か書き込みながら紙をめくっている。お年頃らしく大人の女性と話すのが苦手なんだそうな。グノーシスは未だ降りてくる様子はない。彼もアリトと同じく女性と話すのが苦手である。もしかしたらセラヴァルウィが居なくなるまで降りてこないかもしれない。助けが来ないことを悟るとクロンはできるだけ視線を合わせないようにしながら返答する。

 

「ああ~工匠の仕事に惹かれたみたいな……そう、殴るだけじゃなくて物作りに励みたいと思いまして」

「そうなんですか! それは素晴らしい心がけです! 私も人間の世界の物には興味がありますが自分で作ろうとまでは思い至りませんでした。中庸の調律者と呼ばれる竜族の中でそういった革新的な行動に移れるのはとてもご立派なことだと思います。」

 

 クロンは褒められることに慣れておらず、ここまで純粋に賞賛されるとむず痒かった。中庸の調律者とは竜族の呼び名で、世界が荒れ、乱れる時にそれを正すべく力を発揮することに由来する。もっとも、クロンの認識は腰の重いじーさん達の集い程度だったが、実のところクロンも竜の実態をよく知るわけではない。クロンの認識も伝聞、推測によるものなので偏見に満ちていた。

 

「そ、そうですか……」

「はい! クロンさんはとても素晴らしい方だと思います」

 

 セラヴァルウィの言葉に少し違和感を覚える。クロンは意外にも友人と話す時と戦う時以外はいつも話す前に言葉をよく吟味してから使う方なのだが、この時ばかりは不思議と言葉が流れ出した。

 

「凄いのは俺じゃない」

「え?」

「こんな形でも俺を受け入れたユイドラ、それとこんな俺を白い目で見ずに接してくれる友人達。本当に凄いのはそっちなんだ」

 

 セラヴァルウィは驚いた表情をして固まる。しばらくの間店内に沈黙が流れる。そして、何かに納得したように大きく頷くとセラヴァルウィは微笑みながら沈黙を破った。

 

「ふふ……そうですね。この街は凄い。それと貴方が言う凄い友人にも会ってみたくなりました。どちらに行けば会えるでしょうか?」

「あ、ああ。そこの大通りを右に真っ直ぐ行くと工匠達が集まる大きな酒場が左手に見えるから、そこを酒場とは逆に曲がってずーっと行くと右手側にウィルフレドの工房が見えるよ。わかんなかったらウィルフレド・ディオンの工房はどこですかとか聞けば答えてくれるよ。居なかったら今日はアンタらの森の辺りにいるんじゃないか? もう一人の変人はウィルに聞いてくれ」

「ありがとうございます。この後寄らせてもらいます。ふふ、貴方は随分と砕けた口調で話すんですね。竜族はもっと厳かな口調で話すものとばかり思っていました」

 

 やべっと小さく漏らし、クロンは咳払いして調子を整える。

 

「今のは忘れていただきたい……いや、やっぱいいか。まあ、半人前にも満たない竜族だからね。しきたりに囚われてないだけですごくもなんともない。本当に凄いのは受け入れる側だということだよ」

「確かに受け入れることもすごいですが。貴方もやはりすごいと私は思います」

「……まあ、ありがとう」

「ふふ」

 

 ニコニコと笑うセラヴァルウィから照れたように視線を大きく外すと話題を求めて店内を見渡す。そして、せっかくの客に商品を勧めていないことを思い出す。

 

「そうだ、セラヴァルウィ。ウチの商品はどうだ? これを機に人間族みたいな服に着替えるのも人間を知る上で重要じゃないか?」

「そうですね、ちょっと見させていただきます」

 

セラヴァルウィは近くにあった服を掴んで自分に合わせてみたり、服をクルクルと回して見てみたりと気軽に店内を歩き始める。その様子にクロンはほうっとため息を吐いた。やっとエルフ、しかも美人との会話が終わり緊張を解いたのだ。

 

「ところでクロンさん」

「は、はい!」

 

 正直クロンとしてはもう会話は終わっていたのだが、セラヴァルウィとしては違ったらしい。突然かけられた言葉に飛び上がる。

 

「どうしたんですか?」

「いや、なんでも……で、なに?」

「都市ではあまりこういう服を着た人はいませんが、どういう服なんですか、これは?」

 

 手に持った上着をクロンに向けて広げながら頭の上に疑問符を浮かび上がらせる。というのもその上着はダウンジャケット。ハイチュエの羽根を突っ込み、ポリエステルが無かったのでそれらしい糸を色々試している過程で生まれたものだ。本来はキルト加工という綿を布状にしたものを布地で挟む技術が行われるのだが、クロンはそんなことは知らない。なので、随分とごわごわした仕上がりになっているが、今の季節は春。今度の冬に間に合えばいい程度の思考の元作られているのでまだまだ改良の余地は大いにある駄作だった。だが、曲がりなりにも昔自分が使っていた服を再現出来ていることにクロンは満足感を覚えていた。

 

「まあ、春だし。だが、よくぞ聞いてくれた! このダウンジャケットは流行る。むしろ流行らせる。今年のユイドラの冬はクロン印のダウンジャケット一色になるね」

「ダウンジャケットというのですか……防寒着なのですね。何故か自然の温かみがあっていいですね」

「そうだろう、そうだろう。話せるね! セラヴァルウィ!」

 

 自分の研究が褒められ上機嫌になって話すクロンをニコニコとセラヴァルウィは見つめていたかと思うと、急にダウンジャケットに視線を戻す。

 

「これは、魔法?」

「気づいたのか? すごいな、セラヴァルウィ! 実は魔法糸に魔力を巡らしありとあらゆる素材を再現する技術を研究していてだな。それはその試作も兼ねているんだ。いずれは魔法糸だけであらゆる質感、性質を再現できるようになる。どうだ、すごいだろう? ふはははは」

「それは凄い。本当に人間の世界というものには驚かされます」

 

 上機嫌ここに極まれり。工匠として絶対に漏らしてはいけない研究内容までペラペラと語りだす。セラヴァルウィをある程度信頼してのこともあるが、大部分を占めるのはただ自分の成果を声高に自慢したいだけだった。この技術も当然魔力を使う以上費用は異常にかかるし、耐用期間も驚くほど短いし精密に術式が施されていてそれが殆ど保護されていないことから強度も雀の涙。更に再現できる性質、質感の数も片手で足りるという問題だらけだったが、完成間近の如く高笑いする。

 

「なんだ、欲しいならあげるぜ。今日は機嫌がいいからな、ハハハ」

「本当ですか!? ありがとうございます。大切にしますね」

「まあ、いつでも来てくれたまえよ。俺はこれから採取に行ってくるから。……グノオォォォォォォシス! 遅えぞ! 先行くからな!」

 

 得意になっていたクロンは奥へと続く通路のドアから顔だけ出して店の様子を伺うグノーシスを怒鳴りつける。すると、グノーシスは慌ててクロンに走り寄る。

 

「ごめん、兄ちゃ~ん」

「今のは……歪魔?」

 

 涙目になって走る去る少年に取り残されるようにセラヴァルウィの驚愕の言葉だけが店内に響き渡った。

 

 

 

 

 エルフ領域の森を黄色と黒と桃色の頭が並んで進んでいく。

 

「よーし、頑張っちゃうぞー」

「勝手に前に出るな」

 

 ウィルフレド達は採取に来ていた。はしゃぎ回るエミリッタにたびたびユエラが叱責するが変化は無い。ウィルフレドは頬を掻きながらそんな二人についていくのだった。ここまでの採取では二人は圧倒的だった。ユエラはディスナフロディの剣術だろうか、腕と剣を前に突き出すようにして間合いを測りながら流れるように敵をなで斬りにする。エミリッタは広範囲の魔法や魔法弾を相手の数や配置に応じて器用に使い分けていく。こと戦闘だけで言えばウィルフレドが必要ないぐらいだった。

 

「あ、キノコだ」

 

 明らかに死角になっていたキノコの群生地にウィルフレドが飛びつく。

 

「うわあ、ホントだ。よく気付いたね、ウィル」

「まあ、採取が苦手な工匠なんて……居るか……まあ、俺は得意なんだよ、こういうの」

「うむ、大したものだ」

 

 しばらくそこに留まり赤いキノコを袋に放り込んでいく。

 

「ウィル、この森は本当に初級の工匠が使うところなのか?」

「ん? そうだけど、どうしたんだ」

 

 突然ユエラがウィルフレドに疑問を投げかかける。

 

「ならばこの森はおかしい。なにか嫌な気配が漂っている」

「嫌な気配……」

 

 ウィルフレドにはわからなかったが、戦闘慣れしているユエラが言うのだ、そうなのかもしれない。そう思い、撤退も視野に入れる。わざわざ危険に飛び込む必要も無い。もっとも、いったい何が起きているのか確かめたいという気持ちも多分にあったが。

 

「なにあれ?」

 

 遠くに目を凝らしていたエミリッタが奥に僅かに見える物体を指差す。遠くからでは判別できないが確かに何かがある。確認すべく三人で走りよってみるとそれは動物の死骸だった。

 

「これは……」

「うわあ……」

 

 死体というだけなら別に珍しくもない。だが、それには強靭な爪、牙。そして、あらゆる物を拒む鱗がある。クロンがシセティカ湖で遭遇したと聞いた時に調べていたのが幸いしてウィルフレドはすぐに正体に気づいた。竜種、リムドラ。エルフ領域の森には居るはずのない魔物だ。死体はまだ新しく血が大地を流れている。この死体からわかることは三つ。一つはこの辺りにはリムドラがいるということ。クロンが戦い、注意を促していた想定外の魔物というやつだ。二つ目はそのリムドラをも倒せるほどの何かがここら辺にいること。そして、まだその相手は近くにいるのだ。戦っている気配すらウィルフレド達に気取らせないほどあっさりリムドラを倒す化け物が。そして最後にわかることは爪も牙も鱗も残っている。つまり、その相手は捕食も剥ぎ取りもしていない。ただ目的もなく殺しているのだ。すぐ逃げろという友の言葉を思い出し、ウィルフレドは叫ぶ。

 

「撤退だ。これ以上ここにいちゃいけない!」

「いや、もう遅いようだ」

 

 淡々と答えたユエラは上空を見上げる。それにつられるようにウィルフレドも空を見上げると、そこには両腕には赤い鳥の翼を、足には鉤爪を備えた人間のような姿があった。ハルピュアと呼ばれる亜人族だ。好戦的で知られるハルピュアはエルフ領域の森にも生息する魔物だ。そうおかしいことはない。だが、ウィルフレドを圧倒的なまでに嫌な予感が支配していた。文献で知られているハルピュアは青い髪に白い翼だという。目の前に居るのは緑色の髪に赤い翼だ。個体差と割り切っていいものだろうかウィルフレドには判別がつかない。

 

「私が打ち落とすよ」

 

 エミリッタが上空のハルピュアに狙いを定め魔力を練り上げる。ウィルフレドはエミリッタに魔力が充実していくのを感じながら、急降下、魔法どれにも対応できるよう槌を取り出し身構える。上空のハルピュアが甲高い声を上げるのとエミリッタの魔法が完成するのは同時だった。杖から発生した純粋魔力の弾丸をハルピュアは垂直に降下して躱す。だが、そこにいつ走り出したのかユエラの剣が振り下ろされる。

 

「クッ」

 

 翼に食い込みはしたものの両断とはいかない。ハルピュアはユエラの体勢を崩すべくもう片方の翼を振るいその後両足の鉤爪で引き裂こうとするが、驚異的な軽さを持ってユエラは最初の風で大きく後方に飛ばされる。あのまま留まっていれば鉤爪で引き裂かれたちまちの内に絶命していたろう。ユエラが離れた今、ここで手を緩めれば空に逃げられる。恐怖を圧して大地を蹴る。

 

「はああ!」

 

 裂帛の気合を込めて放った横殴りの一撃の衝撃は盾にするように差し出された翼からハルピュアの全身に及ぶ。だが、脳を揺らすまでには至らなかったのかハルピュアはもう片方の翼でウィルフレドの身体を殴りつける。衝撃で揺らぐ視界の中にエミリッタが杖を掲げるのが映る。その勢いのまま転がるようにして攻撃範囲から逃れるとエミリッタの二撃目が放たれた。

 

「いっけー!」

 

 イオ=ルーン。エミリッタが今使える最大威力、範囲を誇る魔法だ。ハルピュアを中心として突如起こった魔力爆発は羽根を毟り取りながらその身体を宙に放り投げる。しかし、バサバサと羽ばたいて体勢を整えるとクエーという甲高い鳴き声とともに魔力の衝撃波のようなものがエミリッタに向けて放たれる。魔術師は障壁を展開しており魔法や物理攻撃に対して見た目以上に耐性を持っている。エミリッタもその例に漏れず障壁を展開していたが衝撃波を受けてその小さな身体を浮き上げろくに受身も取れずに地に叩きつけられる。ここに来てウィルフレドは確信する。目の前のハルピュアはハルピュアの上位種だ。あらゆる面で普通のハルピュアの枠を飛び抜けた性能だった。ウィルフレドは自分の迂闊さに唇を噛む。

 

「あ、ぐ!」

「エミリッタ!」

 

 今度は小さくうめき声を上げるエミリッタに駆け寄ろうと立ち上がるウィルフレドに向けて鳴き声とともに衝撃波が飛ぶ。次の瞬間襲いかかるであろう衝撃に備え身を硬くするが、それはその身を盾としたユエラによって無駄に終わる。

 

「がふ……」

「ユエラ!」

「わ、私はお前の護衛だ」

 

 撥ね飛ばされるユエラの身体を支えようとすると、ユエラはなけなしの力で強がって腕を払いのける。撤退はできない。二人を置いていくことなどウィルフレドには考えられなかった。友人の強そうな敵に出会ったら逃げろという言葉が思い起こされる。最初から撤退するべきだったのだろう、だが、こうなっては倒すしかない。戦闘は苦手なんて言っていられない。雄たけびを上げて走りかかる。ウィルフレドは魔法が使えない、自分の作った槌を信じてただ突き進むのみ。油断しているのかのろのろと上昇していくハルピュア。手の届くうちに叩かなくてはいけない。ウィルフレドはグルグルと槌を回転させて勢いをつけるとハルピュアに向けて投擲する。ハルピュアは虚を突かれたのか動きが固まり、槌に見事に当たり地に落ちる。槌を拾う暇は無い。剥ぎ取り用のナイフを抜いて飛び掛るが起き上がったハルピュアに殴り飛ばされる。ハルピュアの筋力は如何に上位種であろうとそう高くない。だが、それでもウィルフレドがほぼ素手で戦うにはあまりにも無謀な相手だった。

 

「うおおおおおお!」

 

 だが、今ウィルフレドにできるのは無謀であろうと殴りかかるだけ。空に飛ばれれば攻撃手段などないし、離れれば魔法が飛んでくる。ここで仕留めなければ全員殺されてしまう。ナイフもなくなり攻撃も受けてさっきより状態の悪いウィルフレドとさっきよりはいくらかダメージから立ち直り体勢が整ったハルピュア。結果は火を見るより明らかだった。殴られ倒れるウィルフレドにハルピュアは今度は追撃するべく僅かに宙に浮き鉤爪を煌かす。何故かゆっくりと迫る爪を眺めながら、朦朧とする頭にレグナーの皮肉気に笑う姿が思い浮かぶ。試験の時の言葉が思い起こされる。さっきの戦闘だけど離れずにすぐ追撃するべきだった。グレイハウンドは君もよく知る相手だ。あそこで慎重になる必要はなかったね。そんな言葉だった。今とあの時では状況がまるで違う。まるで役に立たない。だが、慎重になる必要は無いのは今も同じだ。今必要なものは思い切り。ここで引けばそれこそ意味が無い。

 

「まだっ、まだだ!」

 

 動き出した世界でウィルフレドは迫るハルピュアに逆に襲い掛かる。狙いを下に定めていた鉤爪を飛び越えウィルフレドの正真正銘の全力の拳がハルピュアの頭を揺らす。だが、悲しいかなウィルフレドはそれでも戦士としては三流。その一撃をもってしても倒すには至らなかった。そのまま受身を取ることもかなわず倒れこむウィルフレド。逆にハルピュアは揺れる視界の中、空へと必死で飛び上がる。わけなく倒せるはずの相手に手痛い攻撃を受け一先ず空へと逃げていく。その頭上に木から飛び上がった人影が覆いかぶさる。

 

「私を忘れてもらっては困る!」

 

 ユエラの剣は防御のために差し出された翼をすり抜けるようして懐に入り込む。刹那、ハルピュアの首が舞うとともに空に赤い花が咲いた。

 

 

 

「大丈夫か」

「うーん、大丈夫」

「全然大丈夫じゃないよぉ」

 

 ユエラは二人を揺り起こして目を覚まさせる。三人ともこれ以上ここに居るのは危険だと頭でも肌でもわかっていた。

 

「とにかく、一度帰ろう」

「ラ、ラジャです」

「うむ、急いだほうがいい」

 

 そのとき三人は肌に吸い付くような悪寒を感じる。ユエラが森の奥に顔を向けると、異様な空気が充満しているのがわかる。

 

「ウィル、急げ!」

「ああ」

 

 その言葉が終わるや否や真後ろに何かが突然現れる。それで三人ともが理解した。リムドラを軽々と屠ったのは誰かということを。それは漆黒のローブを着た赤い髪の女性だった。だが、それを普通などとは口が裂けても呼べたものではない。まず宙に浮いている。そして紫色の瘴気のようなものを纏い、薄く笑う様は恐怖を呼び起こす。なによりその手に握られる血に濡れた巨大な処刑鎌は決して相容れない存在なのだと雄弁に語っていた。

 

「早く行け!」

 

 ユエラは体力の尽きた震える足で地を蹴り、死神に向けて特攻する。だが、特攻虚しく死神は鎌で攻撃を止めると手首を捻るような動作で鎌を持ち上げてユエラを弾く。実力差は歴然だった。たとえ三人に疲労がなくとも手も足も出ないだろう。ユエラに追撃すべく死神は鎌を振り上げる。

 

「ルリエンよ。我が矢に宿りて悪しき力を払いたまえ!」

 

 直後、一本の矢が死神へとまっすぐ軌跡を描き炸裂したかと思うと死神は大きく距離をとる。

 

「さあ、走って!」

 

 ウィルフレドはユエラに肩を貸そうとするがユエラはその手を払いのけて一人でよろよろと走る。矢が次々と飛来する中三人は無我夢中でその場を離れるのだった。

 

 

 

「はあ、はあ、ここまで来れば大丈夫みたいだな」

「そう、みたいだね」

 

 息を絶え絶えで三人は森の入り口付近に座り込む。生きているのが不思議なぐらいだった。

 

「ご無事でしたか、よかった」

 

 助けてくれたであろう人物に視線を向ける。金色のツインテールをした見事なスタイルの女性、セラヴァルウィがそこには立っていた。

 

「はあ、ありがとう、助かったよ」

「はい、助けられてよかった。どうやら先ほどの死神は近づくものを攻撃するようですね。追ってくる様子はありません」

 

 セラヴァルウィの言葉に再び大きく息を吐く。

 

「俺はウィルフレド・ディオン。工匠だ。何かお礼がしたい」

「ウィルフレド……貴方が!?」

「ああ、うん」

 

 予期せぬ反応に戸惑いながらうなずく。

 

「お礼でしたら少しお話を聞けないかしら」

「それぐらいならいくらでも。一度俺の家に行こう。ご飯でもご馳走するよ」

「わーい賛成賛成。私疲れちゃったよ」

「そうだな」

 

 九死に一生を得た三人はセラヴァルウィとともにウィルフレドの家へとゆっくりと帰還するのだった。

 

 死神。それはウィルフレドにとって初めて立ちふさがる、超えなければならない巨大な壁だった。

 




クロン遅刻。どうやっても死神オワタにしかならないのでクロンは邂逅無し。しょうがないね。ここで退場されると逆にクロンがオワタになるし。
ここから色々キャラが増えていきますので〇〇がよくわからないとか、〇〇のキャラが掴めないとかあったら言ってください。意識して描写していこうと思いますので。正直沢山のキャラを描写しきれるか不安で不安でしょうがないので沢山のキャラを扱う際のアドバイスとかあるとありがたいです。無論普通に感想も待ってます


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