ハイスクールD×D 嫉妬の蛇 (雑魚王)
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第一章 一女守護事変 影の国 ~救済の乙女~
1話 彼女を救うのは———


 絶望に沈む聖女。義憤に駆られる少年。悪辣なる堕天使。
 幾人もの思惑が交錯し、爆ぜる時、嫉妬の蛇が現れる。

 ハイスクールD×D嫉妬の蛇 第一章一女守護事変~救済の乙女~

「俺はあの時、お前を助けられなかった。だから、今度こそは救ってみせる」




FGO信者なのでそれっぽい宣伝にしてみました。
文体やらなにやらはこれから調整していくので、自最初の内はブレることもあると思いますが、暖かい目で見守ってください。……作者は豆腐メンタルなのでマジでお願いします!!


 兵藤一誠。それはつい先日までただの高校生であった、そして現在は悪魔としてリアス・グレモリーの眷属『兵士』を務める少年の名だ。男子高校生に相応しい身長と健康に恵まれた、茶髪のどこにでもいるような少年でしかない彼だが、その身に『神器』と呼ばれる特殊な存在を宿していたことを切っ掛けに堕天使に殺され、その後に悪魔に転生した。

 

「一誠くん、助けて! お願い、あなたを殺したのも上からの命令で嫌々やったことでしかないの!!」

 

 涙目の上目遣いで必死に訴えるこの黒髪の女こそが、兵藤一誠を殺した堕天使レイナーレである。彼女は天野夕麻という偽名を使い一誠に近づき殺した。

そんな彼女を恨んでいないと言えば嘘になる。彼女が一誠に近づいてきた方法は彼に好意を持っていると装うという、一誠の心を馬鹿にするような方法だったことも、そして殺されたことにも当然憤りはある。だが、それでも、一誠はレイナーレを見つけ出して復讐するつもりなど毛頭なかった。結果論になってしまうが、レイナーレに殺されたことで一誠は憧れのリアス・グレモリーの眷属となることができたのだし、容易く騙された自分にも非があると思う部分も少なからずあるのだ。

 

「一誠くん、私たちならきっとやり直せるわ! だから早くあの女を止めてよ!?」

 

 しかし、この女は一誠の大切な『友達』――アーシア・アルジェントを殺したのだ。他人のためにその身を投げ出せる、誰よりも優しい少女を殺したレイナーレを許してはアーシアが報われないではないか。

 

「リアス部長……お願いします」

 

 思っていたよりも遥かに重い声音だった。恨みと憎しみと怒りと悔恨に身を焼かれそうになっても尚、初めての恋人だった天野夕麻との思い出が一誠の決断に待ったをかけようとしていた。が、それを捻じ伏せ、過去と決別するために、そしてせめてアーシアの仇を取るために主たるリアスに処刑することを願い出る。

 

「ええ。任せない、イッセー」

 

 リアスは一切の慈悲を感じさせない冷たい眼差しをレイナーレに向け、両手に母方のバアル家の特色『滅び』の魔力を纏わせる。彼女の性格を示すように荒々しく脈打ちながらも、その本質は全てを消滅させ得る冷たさを持つ。

 

 

「滅びなさい!!」

 

「や、やめ――」

 

 命乞いをみっともなく続ける女堕天使に一切の躊躇なく極大の魔力塊をリアスは放った。リアスの管理する土地で問題を起こしたことはリアスを舐めているとも言えるし、一誠が悪魔に転生したあともこの堕天使の一派に襲われているのだ。情愛に深いと言われるグレモリーとして、上級悪魔の一人として慈悲をかけることはない。

 加えて言うならば、プライドの高いリアスにとって、今回のアーシア・アルジェントの神器を抜き取って己の力とするレイナーレの計画は好くものではなかった。神器は所有者の魂と密接なかかわりを持つ特性があるために、強引に引き剥がせば、所有者は死んでしまう。アーシアの命を省みず、己の欲望を優先したレイナーレは、グレモリーの次期当主でも上級悪魔の令嬢としてでもなく、一人のリアスとして裁くべき対象だった。

 

 端的に言って、気にいらない。できることならすぐにでも視界から消してやる。そう思っていただけに可愛い下僕からレイナーレの処刑を頼まれてすぐに行動に移せた。

 最強にして最高の一撃で、レイナーレの痕跡一つ残すことなくこの世から消し去ってみせよう。

 それだけの意気込みで放った魔力であったが、しかし結果は予想とは大きくかけ離れていた。

 

「そう怒るなよ、グレモリー」

 

 一瞬の内に滅びの魔力が爆散してしまったのだ。開けた視界には、いまだ床に蹲ったままのレイナーレとどこからか乱入してきた褐色肌の男。外見は百八十代後半ほどの長身で、身に纏った外套の上からでも、よく鍛え込まれた戦士の肉体であることが察せる。髪と瞳は一切の陰りを許さない黄金色。

 振り抜かれたままの右拳から、裏拳で先ほどの魔力を防いだのだろうと察することが出来るが、『滅び』と称される魔力を生身で受けておきながら僅かな傷さえ見えない。その防御力たるや、グレモリー眷属の想像の及ぶ領域ではなかった。

 

「グラナ!? あなたがどうしてここに!?」

 

 新手の出現かと戦闘態勢に入ろうとしたグレモリー眷属に動揺がはしる。堕天使を庇った男がリアスの知り合いという、摩訶不思議な関係にどう動くべきか判然としないのだ。

 

「部長、あいつはいったい……?」

 

 新参の一誠が知らないのも無理はない。いや、最古参の朱乃ですら知らないのだから、むしろ当然とさえ言えた。

 

「彼はグラナ。グラナ・レヴィアタン。旧レヴィアタンの末裔よ」

 

 旧レヴィアタンとはすなわち、旧四大魔王の一角である。その子孫は現在の冥界でも大物と言えるだろうし、『グラナ・レヴィアタン』という個人の名前は殊更に有名だった。

 曰く、使用人と眷属に片っ端から手を出す色狂い。

 曰く、魔王陛下の子飼いの戦士。

 曰く、異常な場所に居を構える変人。

 曰く、曰く、曰く……。良い意味でも悪い意味でも有名な若手悪魔、それがグラナ・レヴィアタンに抱かれる大衆の印象だ。

 一誠を除くグレモリー眷属の面々も大よそそのような印象を持っていたと言って良いが、しかし、まさかこうして唐突に対面することなど予見できるはずもなく、驚愕に身を固めてしまう。学の浅い一誠でさえ、レヴィアタンという大悪魔の名を前にして驚きを隠せずにいた。

 

 そして驚愕だけでなく、なぜここに、という疑問も主と共有する。次期公爵家当主のリアスですら、グラナと会ったことは片手の指で足りるほどに彼はグレモリー家と距離を取っている。そんな彼が、こうして姿を現し、堕天使を庇うのか。リアスには皆目見当もつかなかった。

 

「……一応、訊いておくけれど、あなたがそこの堕天使に篭絡されたってわけじゃないのよね?」

 

「ああ。俺がここにいるのは完全に俺一人の意思だ。この女も俺のことは一切知らないはずだぜ」

 

 リアスもほとんど知らないこの男のことを下っ端堕天使が知っていたら、ある意味感心するほどだ。ゆえにこの答えは予想できていた。

 

「ならなぜここに? 困っているヒトがいれば誰彼構わず助けるお人好しでもないでしょ?」

 

「わざわざ命を救ったことと、こうして人間界まで足を運んでいることを考えればわかりそうなもんだけどな」

 

 予想は一つだけだがついている。ただそれが外れてほしいだけだ。

 

「答えはこれだよ」

 

 グラナが虚空に展開した魔方陣から取り出したのはチェスの『騎士』の駒。ただの騎士の駒でないことはこの距離からでもわかる。なにせ、リアスも全く同じものを持っているのだから。

 

悪魔の駒(イーヴィル・ピース)! やっぱり、あなたはそこの堕天使――レイナーレを眷属に加えるつもりなのね……!」

 

 それはかつての戦争において数を激減させた悪魔が、再び力を取り戻すために作った特殊なアイテムだ。上級悪魔に与えられる、計十五個の駒を眼鏡に適った相手に与えることで眷属にすることができ、与える相手が他種族の者だった場合は悪魔に転生させるというものだ。

 

「でも、レイナーレは私の可愛い下僕を傷つけたの。はい、そうですかって見逃すと思う?」

 

 上級悪魔の中には下僕を省みない者もいるが、反対に下僕を庇護下に置く者もいる。前者が旧時代の思想を引き継ぐものであり、後者は現魔王を筆頭とした一部の上級悪魔たちだ。ここで重要なのは、リアスはグラナと交流が少ないために彼がどういった思想を持っているのかがさっぱりわからないことである。下僕を省みないのならば、レイナーレに対する罰ともなるが、逆だった場合はまんまと逃げられるも同然だ。そんなことを許せるはずが無い。

 

「別にお前の許可なんかいらねえよ。冥界の法にも『よその上級悪魔の眷属を傷つけた者を配下にしてはならない』なんて記されてないんだからな」

 

「そんなの……!」

 

 当たり前だ。と言えたら、どんなに気分が良い事か。確かにグラナの言う通り、冥界の法において、今の状況に陥ったレイナーレを下僕にすることを禁止する条文はどこにも記されていない。だが、それは記すまでもない当然のことだからだ。『犯罪者を配下にしたいと思う者がいるはずもない』という前提があるために、記されなかったにすぎないのである。配下にした後も信用できるか甚だ怪しいうえに、他所の上級悪魔とその眷属との関係の悪化も懸念されるというハイリスク・ローリターンの決断をする者がいないという考えが根底にある。

 

「文句もないようだし、この話は終わりだ。――レイナーレ、俺の眷属になれ」

 

 ふい、と何事もなかったかのように視線を外すと、グラナはレイナーレに『騎士』の駒を差し出した。

 レイナーレは何度もグラナの顔とその手の内の駒を見比べ、百面相を演じていく。なぜ自分を眷属にするのかという疑問、これで助かるという期待、罠の可能性もあるのではないかとの猜疑、いくつもの感情をその顔に描き、しかし最後には『騎士』の駒を取る以外に生き残る術がないために結局駒を受け取ることにした。

 が、駒を掴み取る寸前にグラナは手をひょいと動かして、レイナーレの手から逃れた。

 

「何を……?」

 

 やはり罠だったのか。レイナーレの目は、彼女の口以上にその心情を吐露している。

 

「俺のほうから誘っておいてなんだけどな……この駒を受け取るってことは俺の眷属になるってことだ。かつての仲間の堕天使とも戦うこともあるかもしれない」

 

 アザゼルやシェムハザといった堕天使のリーダーを尊敬するレイナーレには酷なことだろう。尊敬する相手に直接槍を向けることは無くとも、裏切ったという事実だけで傷心には充分過ぎる。それにレイナーレにはこの地に連れてきた部下以外にも、堕天使陣営に親しい相手がいるはずだ。親しいのならば階級が近い可能性も高く、ならば実際に槍を交える未来が来たとしてもおかしくない。

 

「今の悪魔の世界は数が減ってもなお、純潔悪魔を至上としていて転生悪魔や混血悪魔を差別しているからお前にとっちゃ居心地の悪い場所かもしれない」

 

 現四大魔王は差別や迫害をなくそうと尽力しているが、上層部の悪魔の多くは大戦以前から生きている老獪な者ばかりであるために、なかなか結果が出せないでいる。元龍王のタンニーンは最上級悪魔となり、冥界最強と謳われるルシファー眷属の大半が転生悪魔であってもなお、それなのだ。これから先、何十年も何百年も、きっと差別と迫害は続くのだろう。彼女が産んだ子供も悪意に晒されるかもしれない。子供の幸福を願う、ありふれた母としての想いさえ成就されないことがあり得る。それが今の悪魔の世界なのだ。

 

「俺自身、冥界の老害どもにしょっちゅう喧嘩を売りまくってるから、あちこちから敵意と悪意を向けられてる。眷属になればお前の身にも危険が及ぶこともあるかもしれない」

 

 愛した女を差別し迫害する連中に愛想よく接することができるわけがない。愛した女との間に子供を作ったとしても、子供が幸福な未来を歩めないだろう世界を慈しめるはずがない。ゆえに、グラナはそんな連中のことが、そんな世界を作る連中のことが殺意を抱くほどに大嫌いなのだ。

 

「俺の眷属になればこの場を生きて切り抜けることができる。でもな、これから先の生活は決して希望と幸福に満ちた、順風満帆なものじゃない。ここで死んでいたほうが良かったと思うこともあるかもしれない――それでもお前は俺の『騎士』になってくれるか?」

 

 これは選択であり、決断だ。レイナーレにとって己の全てを決め得る、最大のターニング・ポイント。あくまで、グラナは情報を開示し、選択肢を提示したにすぎない。ここで死ぬか、グラナの眷属となって生き永らえるか。それを決定するのは、単にレイナーレの意思である。それゆえに、この決定の結果がどうなろうと、今後何が起ころうともレイナーレはその責任を自身で追わなければならず、言い訳の余地が一切存在しない。

 

「私は……」

 

 ここで死ぬか、生き永らえるか。その二択なら、断然後者を選びたいとレイナーレは思う。しかし、生き永らえる場合は今後、悪魔として生活しなければならず、グラナの挙げたいくつもの弊害に困らされることもあるだろう。

では、この場では眷属になることを了承してこの場を切り抜け、その後で逃げ出して神の子を見張る者(グリゴリ)へと帰還するか。絶対に無理である。魔王の妹と事を構えてしまった下っ端を組織が庇うはずもなく、蜥蜴の尻尾のように切り落とされるのが目に見えている。それに一時とはいえ、主従関係を結んだグラナが裏切りを許すとも思えず、闘争を開始した途端に死ぬ可能性が高い。

 

「――あなたの『騎士』になる」

 

 それでも生きたい。まだ何も残せていない。まだ何も成せていない。ここで死んでしまったら、『レイナーレ』という女が何のために生まれてきたのかすらわからなくなってしまう。それがレイナーレは怖かった。アーシアの神器を狙ったのも、上位の堕天使の気を惹こうとしたのも、自身を誰かに見てもらいたかったからだ。誰かにとって必要だと言われ、存在を認めてほしかったからだ。

 そして、グラナはレイナーレを必要としてくれている。貴重な眷属の枠を使ってまで、レイナーレを手に入れようとしている。グラナの与えてくれるものが、レイナーレの欲するものだという保証はどこにもないけれど、ここで死んでしまうよりは一か八かに賭けてみたい。

 

「そうか、よかった。これからよろしく頼むな、レイナーレ」

 

 

 

 

 



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2話 嫉妬の蛇の眷属たち

風邪をひいてグロッキーとなっていた雑魚王です。この季節はインフルもありますし、健康には気を付けないといけませんね。風の予防にはうがいと手洗いを徹底しましょう! pail健康薬局より


「あ、そう言えば、お前、怪我はもういいのか?」

 

 なんだかんだですっかりと忘れていたが、レイナーレはグレモリー眷属にコテンパンにやられていたのだ。当然、無傷とはいかずにいくらか負傷している。

 

「ああ、うん。まあ、大丈夫よ。怪我と言っても赤龍帝に腹パンされただけだし」

 

 俺はレイナーレが滅ぼされる寸前に乱入しただけでそれ以前の経緯はほとんど知らない。怪我の深度についても知らなかったが、どうやら杞憂に過ぎなかったようだ。

 隣を歩くレイナーレの姿は、無理をしているようには見えない。時々、腹部を摩ってはいるが精々が打撲程度だと本人も言っている。。堕天使の回復力があれば、時間経過で鈍痛も消えていくことだろう。

 視線を横から正面へと移せば、白亜の居城がそびえ立っている。人間界で言うところの西洋建築でありながら魔術もふんだんに盛り込んだ、俺と配下たちの最高傑作だ。

 

「ここが、お前の新しい家だ」

 

 旧魔王が現魔王に敗北した煽りを受けて、俺の城は広大な冥界の中でも辺境と呼ばれるところにある。ちなみに俺以外の旧魔王の関係者も辺境に追いやられたが、俺は彼らとそりがあわないこともあり、旧魔王派の関係者の中からもハブられて、辺境中の辺境に居を構えている。利点もそれなりにあるので、俺としては好都合なので大歓迎である。

 

「大きいのね。屋敷と言うよりは、もう城じゃない」

 

「これでも旧レヴィアタンの末裔だからな。相応のものを使ってんだよ」

 

 周りが自然だらけの中にポツンとそびえ立つ白亜の巨城は違和感がある。俺自身、自然が好きだから気にしないが、他の者では納得しかねるのも理解できる。

 

「城の感想はこれくらいにしてさっさと入ろうぜ。お前以外の眷属がいるから、紹介し合わないといけねえし」

 

「ええ。……嫌われたりしないわよね?」

 

「案外シャイなんだな」

 

「これから先、長い間一緒に過ごす相手なんだからこれくらい当然でしょ。……それとリアス・グレモリーがなんか叫んでいたけどよかったの?」

 

 そう、俺がレイナーレを眷属にした後、断罪しなくてはならないとかなんとか言っていたじゃじゃ馬姫を俺はガン無視して冥界に帰ってきたのだ。現魔王の妹として名を馳せる、あの女の不興を買うのが得策ではないとレイナーレは思っているらしいが、それは杞憂である。

 

「心配するな。普段から方々に喧嘩売ってるから今更だ」

 

「むしろ心配しかないんだけど!?」

 

 そう驚かれても、必要なことなのだから我慢してもらう他ない。一族から追放された俺には『家』という力がない分、どこか別の場所で無理を通さなければいけないのだ。

 

「あのじゃじゃ馬姫はやたら有名だけどな、結局魔王の妹の次期当主でしかないわけだ。今はまだ実質的な権力はほとんど持ってねえから、精々文句垂れるくらいしかできねえよ」

 

 最強の魔王の妹。最強の女王の義妹。グレモリー公爵家の次期当主。どれもこれもそうそうたる肩書だが、所詮は肩書でしかない。権力、財力、武力、あの女は実質的な力を持っていない。対して俺は『旧レヴィアタンの末裔』と言う切り札がある。これも肩書に過ぎないが、じゃじゃ馬姫の持つ肩書よりも強力だし、年齢が自分でもわかっていないせいで、公式に『成人した悪魔』と認められているわけではないが、すでに俺は数々の仕事をこなした実績があり、一人前の悪魔として周囲には見られている面もある。じゃじゃ馬姫と争うことになっても、俺が負けることはないだろう。

 

「それに最悪、冥界から逃げるって手も使えるしな。北欧、ギリシャ、インド、ケルト、須弥山から勧誘受けてるおかげで、いつだって冥界を切り捨てることができる」

 

 そんな感じに話をしつつ、ところどころでレイナーレが額を押さえて若干呻く様を愉悦混じりに眺める俺。

 しかし、その愉しい時間も終わりの時がきた。あらかじめ呼びかけておいた眷属の集まる部屋の前に到着してしまったのだ。隣を見ると緊張を隠せずに冷や汗を流すレイナーレの姿がある。教会のシスターまで巻き込んだ一連の騒動では、最後の命乞いの場面以外で常に自信を保っていた姿とはかけ離れている。自信満々の美女が自分の前だけでは弱い所を曝け出す。心躍るロマンがそこにはあった。

 

「入るぞ」

 

 一声かけてから扉を開け放つ。そこにあるのは絢爛豪華な一部屋だった。貴金属と宝石をふんだんに使われた、豪奢なシャンデリア。天井には魔法を使って一面の星空が映し出され、いくつもの彫刻が描かれた壁面に、いつか集まる眷属全員で食事ができるようにと用意した十メートルを超える長机、その上には和洋中を問わないいくつもの料理が並べられており、部屋の入り口にいる俺の鼻にまで食欲をそそらせる香りを届けてくる。

 

「早く席に着いたらどうだい? せっかく用意してくれた夕飯が冷めてしまう」

 

「うん? そのヒトが新しい眷属なの?」

 

 すでに席に着いている二人はもちろん俺の眷属だ。現在は故郷に帰省中のためにここにはいない『戦車』と新入りのレイナーレを足しても四人、同年代の若手と比べても眷属の集まりが悪いとたびたび忠告染みたことを受けてきたくらいに、俺の眷属集めは捗っていない。まあ、それも俺の気に入るやつが見つからんと突っぱねているわけだが。

 

「ああ。元神の子を見張る者(グリゴリ)所属のレイナーレだ。種族はもちろん堕天使。詳しいことは食事の間にでも本人から聞いてくれ」

 

 レイナーレが勢いよく頭を下げて、口上を述べる。その勢いは、女は度胸と言わんばかりのものであり、緊張を強引に振り切るためのものだろう。人と人との付き合いは第一印象が肝心だ。ここで滑っては今後の生活が精神的に辛くなってしまう。失敗は許されないぞ、レイナーレ!!

 

「よよ、よろしくお願いしましゅ!」

 

 などと心の内でふざけ半分に応援した甲斐も虚しく、静寂が部屋を支配した。

 

 

 

 

 

 

「へー、じゃあレイナーレはグラナに命を救われて眷属に加わったんだね。うん、慣れない悪魔生活でわからないこともあるだろうから、いつでもボクを頼ってくれていいよ!」

 

 常ににこにこと笑顔を浮かべている、小柄なボクっ娘。動き易いようにショートボブに切り揃えた薄茶色の髪が、激しい挙動の影響を受けて常に跳ね回っているのが特徴だ。名前はルル・アレイス。裏に関係する人間たちの間で『剣聖』の異名で知られるアレイス家の才女であり、現在は俺の『騎士』を務める剣士だ。使用された『騎士』の駒は『悪魔の駒(イーヴィル・ピース)』のバグとも言われる『変異の駒(ミューテーション・ピース)』。

俺は武芸百般に高い適性を持つ天才だとと多くの神から言われたが、ルルの剣術の才気は、そんな俺から見ても異常の一言に尽きる。便宜上、俺は天才だと呼んでいるが、口の悪い者の中には彼女を化け物呼ばわりする者もいると言えば、その才能の凄まじさの一端程度は理解できるだろう。

 

「こう見えてルルは実力者の上、ここでの生活も長いから、案外頼りになるよ。まあ、少しばかり頭の捻子が緩いのが欠点だがね」

 

 どこか学者然とした雰囲気を纏い、話し方も冷静さを窺わせる。長く伸ばした金色の髪を三つ編みにまとめて右の肩から垂らしており、赤い瞳と鋭く尖った犬歯を持つ。彼女の名はエレイン・ツェペシュ。高レベルのウィザードタイプであるために、『僧侶』の駒を二つ消費してようやく眷属に加えることができたハーフ吸血鬼(ヴァンパイア)だ。ちなみにいつも、血のように鮮烈な赤いドレスを着ているが、そこに本人のポリシー以上の理由はない。

 ビスクドールのような美貌とドレス衣装は非常に良く似合い、惜しげもなく晒された胸元や白い肌は眼福である。

 

「ええ、気を利かせてくれてありがとう。それに二人が凄く気立てが良くて助かったわ」

 

「ははは。あんなに緊張してたもんね。そんなに他の眷属のことが不安だったの?」

 

「そりゃあもう。だって私の先輩にあたるヒトでしょう? 私は新参だし、関係が拗れでもしたら厄介すぎるじゃない」

 

「心配いらないさ。ここにいるのは面倒な過去を抱えてる者ばかりだし、王のグラナが一番のトラブルメーカーだ。そう易々と愛想を尽かれることはあるまいよ」

 

「……さりげなく俺をディスるなよ」

 

「つい先日、どこからかヒュドラの幼体を拾ってきたのは誰だったろうね?」

 

「俺だな」

 

「三か月ほど前にとある上級悪魔の顔面にワインを浴びせたのは?」

 

「……俺だな」

 

「半年前には眷属候補と共闘してエクソシストの部隊を全滅させたそうだね?」

 

「……」

 

 心当たりがありすぎて何も言えない。今、エレインの挙げたものは全て正しく、そして彼女が把握していないところでも俺は事件を起こしているのだ。認めるのは癪だが、そうしなければ更に追い込まれてしまいかねない。

 

「まあ、俺がトラブルメーカーだということは認めてやるよ。だが、お前らだって大して変わんねえだろうが。ルルはどっかから変な魔獣を次々に連れてくるし」

 

「変じゃないよ! 可愛いもん!」

 

 頬をぷくりと膨らませたその抗議こそ可愛いと思う。その様子は楽しむけれど、反論を受け付けることはない。カーバンクルは小動物のようで可愛いと認めるが、超巨大蛞蝓には生理的嫌悪しか感じないのがまともな感性だろう。あれは、使い魔は使い魔でも、エロゲの悪役ポジのやつが使役するものだ。

 

「エレインが収集した本の中には付喪神やら魔導書が混じってやがる。この前だって力ある本が再生能力持ちの魔獣を次々に吐き出したおかげで、使用人まで動員した城全体の事件になっただろ」

 

「う、うむ。悔しいけれど反論できないな。けれど、あれらの書物は宝と言っても良い物だろう? 君の言う通り、厄介ごとは起こすけれど、手元にあったほうがいざという時に頼りになるはずだ」

 

 力ある魔導書などそう易々と手に入るものではなくだからこそ機会があれば積極的に手に入れる方向に力を注ぐ気持ちはわかる。だが、それならそれで、まともに扱うだけの用意などをしなければならないはずだ。

 

「いざという時に、制御できるかも怪しいもんに頼りたくねえよ。最悪、それが止めになりけねないし」

 

「その点、ボクの魔獣たちは言うこと聞いてくれるもんね! 頼りにしてくれていいよ?」

 

「……確か三日前にドラゴンに頭からガブリと咥えられたまま空を飛んで行ったよな?」

 

 ドラゴンとしては親愛の印だったのかもしれないが、頭を口に加えたまま空を飛ぶ様は巣に餌を持ち去られる餌にしか見えなかったくらいだ。体を張ったギャグの度合いを遥かに超えたあれには肝を冷やされた。

 

 

 

 

 

 

「………上手くやっていけるか、ものすごく不安になってきたんだけど」

 

 誰かの小さな呟きも、慌ただしく言い争う俺たちの耳には全く入ることはなかった。

 

 



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3話 不滅の城

最近、くしゃみと目の痒みが止まりません。花粉症かなにかでしょうかね……。もしかしたら、風邪とかって可能性もありますし、体調管理には気をつけたい今日この頃。


「……やっぱり夢じゃなかったのね」

 

 レイナーレがリアス・グレモリーに殺されかけ、グラナに助けられ、そしてグラナの眷属となった怒涛の一日の翌日。

 レイナーレは新たなホームとなったグラナの城で――自身に与えられた私室のベッドの上で目を覚ました。

 頬を叩いて強制的に眠気から解放した脳が、周囲の状況を認識する。机、椅子、その他諸々の家具に天井や壁に至るまで、レイナーレに馴染みのないものばかりだ。今まで住んでいた場所とは全く違う様相が、レイナーレの生活が一変したことを告げている。

 

 暫し、そのことを感慨深く思っていると部屋をコンコンとノックする音が聞こえてきた。誰が来たのかさっぱり予想もつかないが、とりあえず入っていいと返答する。

 

「朝食の用意ができたから、昨晩、夕食を摂った広間まで早く来い。わかったな?」

 

 扉を開き、足音もなく部屋に入ってくると訪問者は言い切った。まるでレイナーレの意見など聞く気がないかのような態度、というより実際にないのだろう。訪問者の双眸には、レイナーレに対する興味が微塵も感じられない。

 容姿は黒髪黒目の二十前後、その身に纏った執事服の上からでもわかる起伏に富んだ肉体が女性らしさを表現している。全体を見ても美人だと評せる外見だが、切れ長の目が唯一の欠点だろうか。昨晩の夕食の席で初対面を果たしたエレイン・ツェペシュも切れ長の目をしていたが、彼女の印象は『冷静沈着』『落ち着いた雰囲気』だった。それに対して、眼前の女執事は、眼光の鋭さは刃物を、冷たさは氷を連想させる。

 

「ええ、大丈夫よ。それと、あなたの名前を教えてくれる?」

 

 第一印象として取っ付き難そうに思ったが、だからと言って尻込みするわけにもいかない。これからは、ここが居場所になるのだから使用人とも良好な関係性を築いていきたい。

 

「……ふん。アイン・ペイルドークだ。好きに呼べ」

 

 若干、ほんの僅かにだが彼女の雰囲気が軟化したように思えた。新入りで為人もわからないレイナーレのことを測るためにわざと尖った雰囲気を出していたのか。軟化した状態でもかなり冷たい雰囲気なので、素の部分もあったのだろう。しかし、こうして目に見える形で僅かなりとも認められるというのは気持ちの良いものだ。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 所変わって広間。卓に着いているのはレイナーレの他に、グラナ、ルル、エレインの三名、昨晩と同じメンバーだ。昨晩は天井に星空が映されていたが、朝ということもあってか別の景色になっていた。橙、緋、紅、赤、黄、など様々な色の光の球体が飛び回り、宙に次々と幾何学模様を描いていく。球体が通った後に残る淡い軌跡と舞い散る光の粒子に目を奪われる。

 

「ふぅ」

 

 思わず感嘆の息が漏れる。原理だとかはまるで見当もつかないが、その美しさに心を奪われたのは事実だし、仮にも研究機関に属していたおかげで、使われている技術がかなり高度なものだろうと察しがついたからだ。

 機を窺っていたのか、レイナーレが頭上で繰り広げられる光景に讃嘆し、そして一呼吸ついた時にグラナが声をかけた。

 

「レイナーレ。お前には、今日この城の中を回ってもらう。これから住む場所の構造が把握できてないんじゃ不便だろうからな。で、案内役は―――」

 

 言葉を区切って生まれた空隙の内に出した、結論を出したのだろう。レイナーレではなく、件の人物に対して目をやって告げた。

 

「―――アイン、お前に任せる」

 

「承知しました」

 

 レイナーレにはあれほど鋭い気配を向けていた執事が、グラナの言葉には恭しく頭を垂れている。その様子は演技だとは思えず、アインがグラナに対して高い忠誠心を持っていることの証明だ。

 

(あんな癖の強さそうなやつを従えるって、グラナも大概よね)

 

 パンを齧りながら、視界に捉えた主従をそう評す。仕事を任され、期待に身を震わせているとか、グラナに熱い視線を向ける執事とかはあえて意識からシャットアウト。ただでさえ、身の回りの状況が変わってレイナーレ自身も混乱しているので、これ以上価値観を揺らがせるようなことは御免なのだ。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「行くぞ」

 

 一体いつから待機していたのか、丁度食事を終えた後の歯磨きを済ませたタイミングでアインが声をかけてきた。

 

「朝ご飯はもう摂ったの?」

 

「無論だ。グラナ様に任せられた仕事に全力で取り組むためにエネルギーの補給は欠かせない」

 

 やはり忠誠心がカンストしている。この場に本人がいないのに、アインが口にするグラナの名にはほとんど交流の無いレイナーレでさえ察することのできる敬意が込められているのだから筋金入りの忠誠だ。

 

「そう、じゃあお願いね」

 

 ――どうしてそこまでグラナに忠誠を誓っているのか

 

 思わず口から零れかけた質問を呑み込んで、代わりに承諾の意思を返した。会って間もない今、踏み込んだことを訊くのは適切ではないだろう。気になることなら、心理的距離をもう少し詰めてからでも遅くはないはずだ。

 

 心持ちを新たにしたレイナーレは、アインに先導されて城の中を歩いていく。アインの迷いのない歩きぶりを見るに、目的地はすでに定まっているようだが、そこに向かう間も口頭で説明を受ける。

 

「『不屈にして不敗の城塞』という理念の元にエレインとグラナ様が一から設計し何度も改築を繰り返したのがこの城だ。冠した名は、理念を由来としたイモータル」

 

 不滅の城(イモータル)。随分と仰々しい名だが、決して恰好つけの類ではないのだろう。アインの口ぶりには熱が籠もり、グラナを讃嘆する念が言葉の端々から感じ取れる。同時にエレインのことも認めているのだと、自然と伝わってきた。

 

「このイモータル城は大きく分けて、北と東西、そして中央の四つの棟から構成されている。そこに南の城門を加えて風水の概念における四神に見立てた術式を展開しているのだ。

 イモータル城が建つ場所はちょうど龍脈の交錯する場で、そこから吸い上げたエネルギーを効率よく運用するための方策だな」

 

「……それって」

 

 龍脈とは、大地を流れる気の道のようなものだ。エネルギー源ではあるが、強力すぎるせいで使い勝手が悪いとされるそれを使おうとする発想からすでにおかしい。龍脈に流れる気は濃厚で、しかも大量なのだ。これを個人が運用するということは、風呂を沸かす際にマグマを火山から引いてくるようなものである。

 そこで持ち出したのが、四神に見立てた設計、というよりは術式か。神の名を冠する四体の獣をモデルにした術式は、なるほど強力に違いないだろう。こうして城全体を媒介にして発動させたのならば、相応の力を持つ術となるはずだ。

 しかし、その程度(・・・・)ではあるまい。ただ強力な術式を一つ発動させた程度で御しきれないからこその龍脈なのだ。四神の術式以外にいくつもの方策を講じているに違いない。

 

「そうして吸い上げたエネルギーを動力として、この城は動いているのだ。様々な機能があるが、例を上げるとするなら広間の天井のあれもその一つだ」

 

 夕餉の際の星空、今朝の朝食の際の光の乱舞。魅了されていただけに、アインの出した例がレイナーレにはわかり易かった。

 

「……あれ、本当に綺麗だと思ったけど……。せっかく利用できる龍脈の力をそんなことに使ってて大丈夫なの?」

 

「非常時には、ああいったものは停止させられるから問題ない。そもそも、平時では魔力が有り余るほどで、その余剰分を使っているだけに過ぎん」

 

 必要のない魔力を回しているだけなら、問題もないだろう。それに、そうして生み出された美しい景観は精神衛生的にも良好だ。無駄も省けて一石二鳥と言ったところか。

 

「ふぅん、成程ねぇ」

 

 その後は、アインによる『崇高なるグラナ様講座』が始まったが、それについては割愛しよう。刃物のような印象を持つ女が、目に狂信的な輝きを持ちながら話す姿はレイナーレに少なくないトラウマを与えたのである。思い出したくもない。

 うっかり狂気が伝染しそうな時間を耐え抜き、ようやくたどり着いた先にあったのは巨大な扉だった。素材の良さを引き出した、上品な木製の二枚扉をアインの後に続いて潜り抜ける。

 

「なにこれ……」

 

 本、本、本。右を見ても、前を見ても、左を見ても、視界に移るのは本棚に収められた無数の本。上へと視線を向けてみると、天井が驚くほどに高く、吹き抜けの構造になっているのだと理解できた。上階も内容は変わらないようで、置かれているのは本棚ばかりだと見てわかる。

 まるで神殿、ある種の聖域のようにすら感じた。これほどの蔵書量は国一番の図書館でもあり得ない。本を好む者にとってはまさに天国だろう。本を好まない者でも、この光景を前に何も感じずにはいられまい。

 

「ここは――」

 

 一体、何なのだ。レイナーレが声にするよりも早く、それを引き継ぐ者が現れる。

 

「図書館さ。歴史書から魔術書、果ては私やグラナが個人的に研究したものの論文や資料まで置かれている、情報の宝庫とも言える場所だよ」

 

 ただ歩いて寄ってくるだけなのに、どこか気品のようなものと色気の漂う赤目の美女。照明の明りを反射して煌めく金色の髪を三つ編みに束ねて肩口から降ろし、口元からは鋭く尖った牙が覗いている。

 

「エレイン、あなたがどうしてここに?」

 

 まさかエレインまで城の案内をするために来たのか。そんな思いを孕んだレイナーレの問いに答えたのは、エレインではなくアインだった。

 

「ここがエレインの仕事場の一つだからだ。彼女の役職の一つは、この図書館の司書なのだ」

 

「………役職の一つってことは、他にも何かやっているの?」

 

「ああ、この図書館近くにある研究所はもう見に行ったかい? 私はあそこでグラナと一緒に魔法やらなにやらの研究を一緒にやっているんだ。その過程で生まれたマジックアイテムの一部は市場に流して財源の一部にもなってるのさ」

 

 図書館の司書。魔法の研究員。成程、どちらも学者のような雰囲気を持つエレインに見合った職に思える。

 

「研究所はまだ見に行っていない。順番としてはこの後に行くつもりだ」

 

 グラナ様と並んで研究できるなんて……。答えを返しつつも、ぐぬぬぬぬと隣から歯軋り混じりの呻き声を上げるアイン。字面にすると可愛らしいが、レイナーレは全くそんな思いを抱くことができなかった。ただでさえ鋭いアインの眼光が、今では殺人鬼でも一目で逃げ出すほどに強力なものとなっているのだ。ある程度アインの眼光に慣れていたから良かったものの、そうでなければ悲鳴を上げていただろうと確信できる。

 そんな目に射抜かれても、余裕の態度を崩さないエレインには敬意を覚えざるを得ない。それとも、エレインが豪胆というわけではなく、アインの強力すぎる眼力がここでは日常なのか。後者だとすると、この城はとんだ魔境である。まともな者では数日で精神がどうにかなってしまうのではないだろうか。

 

「ああ、言い忘れていたが、城の外を無闇に出歩かない方がいいぞ。決して晴れることのない霧に覆われた谷に始まり、魔獣巣食う山に今でも活動している火山などの危地が集まった地帯のど真ん中にあるのが、この城だからな。素人が城から出れば、三日と経たずに死体すら残るまいよ。広大な冥界の中でも魔境と呼ばれる土地なだけはある」

 

 城の中が魔境なら、外も魔境らしい。散歩に出かければ死亡するとは物騒すぎる。こんな土地に住み着くとはグラナも大概頭がおかしいのではないだろうか。悪魔陣営の中でも敵がいると言っていたが、それでももう少しまともな土地に住んだほうが良いと切実に思った。

 

「そう青い顔をしなくていいよ。野生の魔物がこの城に近づけないようにグラナが手を打っているからね。この城の中にいる限りは安全だ。話を戻すが、研究所にはマジックアイテムの試作品も多く置かれているから楽しみにしているといい。まあ、その前にこの図書館の中を見て行ってくれ」

 

「アイン、構わない?」

 

「ああ。ただ場所を覚えるだけでは意味もないだろう。どういったものが置かれているのか――この図書館ならば、どの分野の本が豊富で、逆にどの分野の本が不足しているのか、そういったことまで把握しておいて損はない」

 

「レイナーレもここを利用するときが来るだろう。その時のためにも予め、どういった本が置かれているのかを知っていた方が君のためになる」

 

 先ほどの険悪な雰囲気とは打って変わり、息の合ったアインとエレインの言葉。冷徹と冷静、方向に若干の違いはあれど根は似ているのだろう。二人が並んで話す様子は自然なものに思えた。

 

「じゃあ、ちょっと見て回らせてもらうわね。いいでしょ、アイン?」

 

「他にも回る場所が多いから、そう時間は取れんがな。精々、二十分といったところか」

 

 案内人の許可も取れたので、早速レイナーレは図書館の中を巡ってみる。特別好きというわけではないが、空いた時間に読む程度には本が好きなこともあり、心が期待に湧きたつ。

 

「歴史書、歴史書、……これも歴史書。この階にある本は全部が歴史書みたいね」

 

 三大勢力に関する歴史書だけでなく、人間界の国家の歴史書まである。現存している国は当然として、数千年前に滅びた国の歴史書などどこから持ってくるのか疑問が尽きない。堕天使や悪魔のような異形の存在は、言語を自動で翻訳する能力が備わっているが、それは言葉だけで文字には適用されない。この階に置かれている歴史書は悪魔文字以外で記されている物も多数存在しているようだが、まさかグラナや司書のエレインはこれら全てが読めるのだろうか。

 気になる点はいくつもあるものの別の機会に訊けばいいと、この場では飲み下す。限られた時間の中で歴史書を眺めていても楽しくもなんともないので、この階層に早々に目切りを付けたレイナーレは堕天使の翼を広げて上階へと移動する。

 ゆっくりと上昇しつつ各階層の本を眺めていってわかったことは、どうやら階層ごとに違う分野の本が置かれているということだ。一階は歴史書、二階は武術書、三階は魔道書、……といった具合に各階層には特定の分野に合致する古今東西から集められた本が並べられているのだ。

 

「………あ、これ」

 

 充満するインクと紙の匂いを楽しみつつ、棚に収められた本をあっちからこっちへと見聞しているうちに漏らした声。これだけ巨大な図書館なのに、自分のお気に入りの本が収められていると予想していなかったことに内心自嘲しつつも、件の本を手に取った。

 

「『七つの恋』」

 

 新進気鋭の女流小説家、レイ・ヴァンプのデビュー作だ。この著者は特定のジャンルに拘ることなく、様々な小説を出しているが、レイナーレは中でも『七つの恋』が一番のお気に入りだった。レイナーレもいっぱしの女なので、恋愛やら、愛やらには興味津々なのである。

 『七つの恋』はジャンルで言えば、恋愛短編小説だ。七人のヴァルキリー、それぞれの恋愛を描いた七つの短編から一冊の小説となっている。どの物語も恋愛ものではあるが、その実、内容は全くと言って良い程に違いがあり、一つ一つの話を最後まで楽しめる。また、読み込めば、七つの物語が水面下で繋がっている伏線にも気付く。そのため、一度目と二度目に呼んだ時で全く違う感想を抱かされるのだ。また、七つの短篇がそれぞれ全く違うストーリー、結末を迎えるので、読み手のそのときの感情によっても感想が変わってくるという傑作である。

 

「……ちょっとだけ読みましょうか」

 

 特別、読みたい本を探していたわけでもない。ただ何となく図書館の中を歩き回るよりも、偶然出会えた好きな本を読む方に心を惹かれた。表紙を捲り、開いた目次の中から最も好き  な短篇のページを探し出す。

 図書館に留まっていられる時間は二十分だけと制限されてしまっているせいで、一つの物語と言えど最後まで読むことはできないだろう。しかし、幸いにしてここは図書館だ。読み切れなかったのならば、借りればいいだけだ。今は時間の許す限り楽しめばいい。

 

 

 

 

 

 

 そう思っていた過去の自分を張っ倒したい。レイナーレはひとえにそう願う。

 

「なんだ、お前は時間さえ守れんのか」

 

 眼前には相も変わらず、人を目線だけで殺せそうなアイン。苛立たしさを隠そうともしない声音と眼力には閉口するしか、レイナーレにできることは無かった。

 

「たかだか二十分目を離しただけでどこかへと消え、声を張り上げても返事をしない。大層な身分だな」

 

 結局、あの後、レイナーレは『七つの恋』を読むのに夢中となり、時間の感覚を忘れて読書に没頭してしまった。その結果が、アインの怒気である。全面的に自身に非があるとわかっていることもあり、レイナーレには反論の余地さえ残されていない。

 というか、普通に怖い。長いものに巻かれろ理論に則り、体の強張りを強引に振り切って頭を下げる。

 

「本当に申し開きのしようもございません」

 

 しばらく頭を下げていると、怒気が収まる気配がした。実力者でもなく、気配なんてものを碌に感じ取れないレイナーレにさえ察知できる怒気とはこれ如何に。

 下らない疑問はさておいて、ため息を吐くアインと再度目を合わせるとギロリと睨まれ、つい竦み上がる。

 

「次の場所に行くぞ。それと、その右手に持っている本を借りるつもりならエレインに一言告げてからにしろ」

 

 時間が推していることに反して、本を借りる程度の時間は待ってくれるらしい。気遣い、なのかもしれないが、だとすれば無器用すぎる。まあ、あの鋭すぎる眼光から考えて、気遣いという線があり得るか否かは半々といったところか。

 

「ありがとう。そうさせてもらうわ」

 

 一言、礼を言って踵を返す。この場所には、町の図書館のように受付のようなものがあり、本の貸し出しを申し出る際にはそこにいる者に告げてからにするのだとすでにエレインから説明されている。

 向かった先の受付には、司書としての仕事中なのか、エレインが座っていた。手元の紙に何か書き連ねているが、角度と距離が悪くその内容は判然としない。

 

「なんだ、レイナーレか。借りたい本でもあったかい?」

 

 足音で彼女に近づく存在に気付いたのだろう。レイナーレが声をかけるよりも早く、顔を上げた得エレインが問うた。

 

「ええ。この本を」

 

 と言いながらレイナーレは右手に持っていた本をエレインへと差し出す。表紙を見たエレインの目が驚いたように見開き、そして口元には笑みが浮かんだ。

 

「どうかしたの?」

 

 その反応の意味がわからず、問いかける。そんなことをした動機はただの興味本位でしかない。答えが返ってくるのなら疑問が晴れる、答えがなかったとしても別段レイナーレに実害があることでもないので今日の夜には忘れているだろう。どちらに転んだとしてもデメリットがなく、駄目で元々程度の軽い気持ちでの質問だっただけに、意外すぎる回答に驚愕を隠せなかった。

 

「うん。新たな仲間が私の著書を読んでくれるのだと思ったら嬉しくてね」

 

「……ん? なんて? もう一度言ってくれる? なんか私の耳、調子が悪いのか聞き間違えちゃったみたいで」

 

 若き鬼才としてその手の界隈では名を知られるレイ・ヴァンプ。その人気は留まるところを知らず、人間界だけでなく、堕天使の間でもかなり高い。これまでに出版されたレイ・ヴァンプ出版の本の中でどれが一番の良作かと議論されることはよくあり、次回作の発売が決定されれば瞬く間に予約の枠が埋まるという。

 今、一番ホットな作家。それがレイ・ヴァンプだ。その正体が、まさか新たな同僚だなんてことがあるわけ――

 

「ペンネーム レイ・ヴァンプの正体は私で、君が借りようとしている『七つの恋』は私の執筆した作品だということさ」

 

 ――あるわけあった。

 これまで性別しか判明してこなかったレイ・ヴァンプ本人に、偶然転がり込んだ先で出会うなどどんな偶然だ。レイ・ヴァンプの著書の中にはヴァルキリーの他にも、悪魔や堕天使のような人外が多く登場する。本人が元吸血鬼の悪魔ということや他種の人外と出会った経験を作品に反映させていたということだろう。グリゴリにいた頃のレイナーレはもちろん、上司や同僚もただの偶然だと思考停止していたが、そう考えれば、妙に『裏』の世界の描写について正確だったことにも納得がいく。

 

「おや、まるで信じられないとでも言いたげな顔をしているね。う~ん、では私が小説家レイ・ヴァンプだというちょっとした証拠を上げよう。このペンネームは結構安直でね、レイは本名の『エレイン』から、ヴァンプは『ヴァンパイア』から取っているのさ。確証には遠くとも傍証にはなるだろう?」

 

「……あ、あー」

 

 確かに。レイナーレは心の中で手をポンと打った。訊いてみれば納得できるものだ。また今まで明かされなかったペンネームの由来、エレインが語ったそれは即興のものとは思えないほどに筋が通っている。

 

 天秤の針が大きく傾いていく。

 

 そもそもエレインにレイナーレをだます理由がないことは考えるまでもない。レイナーレが疑いの声を上げてしまったのも、本心から疑っていたわけではなく、反射に近いものだった。

 それ故、こうして論と証拠を示されれば疑惑から信用へと容易く変化する。

 ちょっとした憧れを抱いていた相手と思わぬ出会いを遂げたことに気分は右上がりとなるレイナーレ。だから、まあ、話し込んでしまうのも仕方ないはずだと、レイナーレは自分に言い聞かせてレイ・ヴァンプ(エレイン・ツェペシュ)との会話にのめり込んでいく。

 

「『七つの恋』の七つの短篇の中には実話をそのまま使っているものはある。実話を少しばかり脚色したものもね。それも大筋まで変えたわけではないから、実話だと言っていい」

 

「脚色って、例えばどんな風に?」

 

「七人のヒロインの種族が最たるものさ。いくら私が『裏』の住人だとしても、他神話の人員の恋愛事情を七つも把握しているはずないだろう? モデルとなった実話では、七人のヴァルキリーではなく、堕天使や悪魔、人間など様々な種族の七人の女性の恋愛模様だったんだ」

 

「はー。成程ね。でも、どうしてそんな風に変えたりしたの? 物語の大筋に変化がないのなら、わざわざ変える必要なんてないと思うけど」

 

「うん、まあ、ね。……本当の種族で書いたりなんてしたら、モデルとなった本人たちが特定されかねないからだよ」

 

「確かに、それじゃあ変えるしかないわよね。今の情勢でそれは危険すぎるもの」

 

「ああ。三大勢力は今も対立状態にある。こんなときに、他勢力とのつながりを見つけられれば、組織からの追放もありえる。彼女たちは知らない仲でもないし、それは私の望むところではなかったんだよ」

 

「……世知辛いと言うか、何と言うか。物語の裏側には、現実的な事情があったのね」

 

 意外だった。そして、感慨深くもある。件の小説の一ファンとして、こうした裏事情を知れたことは素直に嬉しく思う。

 

 ここで終わりなら万々歳。しかし、現実は無常であり、そうは問屋が卸さなかった。

 

「――何を呑気に話し込んでいる?」

 

 ――ああ、やってしまった

 

 つい先ほど失敗したばかりだと言うのに、似たようなことをこの短時間で二度もしてしまうなど、と後悔しても後の祭りだ。

 レイナーレは背筋を震え上がらせる剣呑な声に振り返ると、予想通りに鋭利な目をしたアインが立っていた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「時間がお前のせいで押してしまっている。さっさと行くぞ」

 

 再度、こっ酷く説教を食らった、レイナーレはすごすごとアインの後ろについていく。不機嫌オーラが目で見えそうなほどになっていることもあり、次にアインを怒らせるようなことがあればうっかり殺されるのではないだろうかという危惧が頭から離れない。

 この雰囲気のまま行動を共にしていくのは、胃に悪すぎる。僅か数時間の内に胃に穴が空いてしまいかねないほどだ。

 地雷原に飛び込むような真似だとしても、このままではジリ貧だ。意を決してアインに声をかける。

 

「ねえ、ちょっといいかしら」

 

「………なんだ」

 

 たった一言にもレイナーレの心を折るには十分な拒絶の意思が込められている。すでに後悔し始めるが、ヤケクソとばかりに言葉を紡ぐ。

 

「私があなたに怒られている時に、私を見ていたエレインの目が少し変だったんだけど……心当たりはない?」

 

 口角はつり上がっていたし、瞳にも喜悦が浮かんでいたように思える。しかも、舐め回すような視線は、まるで盛った男が異性に向けるもののようだった。

 アインには思い当たる節があるらしく、低く告げる。声の調子から、苦虫を噛み潰したかのような表情を浮かべていることがありありと想像できた。

 

「あいつはバイなのだ」

 

「………は?」

 

「バイ。つまり、バイ・セクシャル。両性愛者だ、あの女は」

 

 思わず問い返したが、再度告げられる答えは無情なもの。予想の斜め上を行き過ぎである。

 

「えぇ………、じゃあ、もしかしてさっきの視線は私に対して……」

 

「ああ、性的に興奮していたのだろうよ。エレインは女を相手にするときはSになるからな」

 

「……んん? その言い方だと、まるでエレインが男を相手にする所を見たことがあるような感じね。それに、そんなことを知ってるってことは彼女が女を攻めているところも見たような――」

 

「言葉の綾だ」

 

「いや、そんな食い気味で言われてもまるで説得力がないんだけど」

 

「言葉の綾だ」

 

「だから、ね? 何て言うか、こう、もっとほら、言い方ってものがあるじゃない?」

 

「言葉の綾だ」

 

「………」

 

 (これは、あれね。駄目ね)

 

 痛い沈黙が空間を支配した。居心地の悪さを解消するために始めた会話なのに、さらに状況が悪化してしまうとは痛恨の極みである。しかし、悔やんでも遅い。ならば、前向きに考えるべきだと無理矢理自分を納得させたレイナーレは、状況の悪化という失敗を頭の中から追い出し、成功と呼べるだけの何かを探し始める。

 

 (……そんなのないわね)

 

 まあ、都合よくあるわけもない。考え始めて数秒と経たない内に導き出される結論は至極真っ当なものだった。

 図書館ではアインを怒らせること二回。そしてエレインが性的にテンションを上げることが一度。レイナーレがお気に入りの小説『七つの恋』を借りた。起きた事例を挙げればこの三つしかないのだ。アインを怒らせて良かったと思えるはずもなく、エレインが興奮していたことについてはアレだなぁと思うくらい。そして最後の小説に関しても、レイナーレにとっては良い事だが、会話の種とするには心細い。アインが本に興味を持っているかどうかわからないし、この重い空気の中で恋愛小説について語るのは難易度が高すぎる。

 

 しかし、そうやって考えること自体がある意味では正解だった。集中して考えることで目の前の険悪な雰囲気から逃れることができたし、時間の経過が体感ではかなり短くなったのだ。

 気が付いた時には、図書館の木造りの大扉とはまた別のタイプの――金属製の扉が目の前に鎮座していた。

 

「えーっと、アイン、ここは?」

 

「研究室だ。ここに来るまで内部まで案内するかどうか迷ったが、しなくてもいいか」

 

 時間も押しているのだからな、と再度注意を受ける羽目になったが些かアインの機嫌も和らいでいるようで安心した。

 優雅に踵を返したアインの後ろをこれまで通りレイナーレはついていく。

 

「次はどこに行くの?」

 

「そうだな……。中央棟のほうに一度戻るか」

 

 この西棟には研究室と図書館以外にも、医務室と地下牢と訓練室があるのだとアインは言う。しかし、訓練室と医務室は場所さえ知っていれば事欠かなく、地下牢に行く意味も特にないので無視することと相成った。

 

「そうだ。まかり間違っても研究室に無断で入ったりするなよ」

 

 スタスタと進める歩を止めることなく、アインは言った。

 

「どうして?」

 

「死にかねないからだ」

 

 そして帰ってくる答えは当たり前のように物騒すぎた。何なのだろうか、この城と住人たちは。物騒に行くことが生き甲斐か何かなのだろうか。昨晩、エレインは夕食の席でルルのことを『頭の捻子が緩い』と評していたが、レイナーレからすればこの城の住人たちは皆『頭の捻子が飛んでいる』ようにしか思えなかった。

 

「研究室には聖水から致死毒まで幅広く素材が置かれているから、下手に触ると『痛い』では済まないのだ」

 

「何でそんなものまで置いてあるのよ……」

 

「例えば、聖水は悪魔を害するが、悪魔が作れないわけではない。魔獣やはぐれ悪魔を討伐する際には有用であり、魔道具の材料にもなる………とのことだ」

 

「あ、グラナの受け売りなのね」

 

「私は研究に携わっているわけではないのでな。仕方あるまい」

 

 それはそうなのだが。と、釈然としないながらも、微妙な納得を覚える一方で、アインの狂信的な忠義を確信した。

 彼女の言う通り、専門外のことについて語るのなら現場の者の声を借りると言うのは一つの有効手段だ。だから、アインがグラナの言葉を引用したところで別に不思議はない。と、言いたいところだが、件の研究に携わっているのはグラナ以外にもエレインなどがいるとアイン自身が言っていた。しかし、数居る関係者の中からグラナの言葉を選んだこと、それを口にするときに浮かんだ歪な恍惚とした笑み。それらがアインのグラナへと抱く想いを象徴しているかのようにレイナーレには思えたのだ。

 

 (うん、放っておこう。触らぬ神になんとやらとも言うんだし)

 

 使徒と戦う巨大ロボ並の精神汚染を撒き散らすアインとまともに付き合っていては精神が持たない。

 レイナーレは早々に本日何度目かもわからない決断をして、アインの言葉と雰囲気を右から左へと受け流す。このたった数時間だけでスルースキルが非常に鍛えられたが、これほどに嬉しくない成長も早々あるまい。

 

「あー、えーと、そうだ」

 

 聞き流すとは言っても、一度は耳に入ってしまっているということでもある。聞き入れることに比べれば精神的負担は遥かに少ないが、無いわけではない。鬱々と辟易とさせられること間違いなしだ。ならばとばかりに、テキトウに思いついた事柄を口に出して話題を強引にでも転換させる。

 

「これから行く中央棟には何があるの?」

 

 咄嗟に考えたにしては中々に良い質問ではないだろうか。レイナーレは自分を称賛したくなった。

 第一に城の案内という、アインが与えられた仕事に沿った話題である。彼女の異様なまでの忠誠心からすれば、グラナから与えられた仕事に貢献できる話題は無視できないはずだ。

 第二にこれから中央棟に向かうので、話題に出すことに不自然さがない。第一の理由と合わせて、アインがこの話題を原因に機嫌を崩す可能性は非常に低いと予想が立てられる。

 

 その推論の結果は如何に—————————

 

「ああ、そうか。まだ説明していなかったな」

 

 ―――勝った

 

 思わずガッツポーズを取ってしまい、アインに怪訝な目で見られたことなど些細なことだ。レイナーレが自身の力で、勝利を掴み取った。この世に残った結果はそれだけだ。それに歓喜して何が悪い。

 

「中央棟には……ダンスホールや応接室、厨房に使用人用の食堂などがある」

 

 勝利の余韻を味わいつつも、レイナーレは抱いた疑問を即座に口に出す。

 

「ダンスホールって……なんか意外」

 

 貴族社会が今でも続く悪魔の世界の上流階級の住人だが、破天荒を地で行くように思えるグラナが踊っている様子は、レイナーレには想像もつかない。踊るとしても、社交ダンスではなく、()闘のほうがしっくりくる。

 

「ダンスホールは、客人を招き入れ、歓迎する場だ。二重の意味でな」

 

 二重の意味。

 一つ目は恐らく、そのままの意味だろう。客を招待してパーティーを執り行う。グラナの上級悪魔としての身分や場所の名称がダンスホールということから鑑みれば自明の理と言っても良い。グラナには似合わないが。

 では、二つ目の意味とは何か。『客人を招き入れ、歓迎する』この文言が何かしらの暗喩となっているのだと推測できるが、正直、ヒントも無しでは答えが思いつかない。

 

 アインに問い質してみれば——――

 

「さあな。自分で考えるがいい」

 

 と、凶悪な笑みを浮かべながら告げるのみでヒントも答えも教えてくれそうになかった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「――あれでよろしかったでしょうか?」

 

「ああ、問題ない。一日、レイナーレの案内してくれてご苦労だったな」

 

「いえ、グラナ様の勅命となれば苦労など。しかし、彼女は信用できるのですか? 城の内部を子細に明かしてしまいましたが、もし外部に漏れでもすれば……」

 

「その外部とやらに、漏らす当てがあると思うか? 魔王の妹の直轄地で問題を起こしたんだ、神の子を見張る者(グリゴリ)にはもう戻れない。同じ理由で、悪魔の大半はあいつと関わりたがらないだろう。わざわざ火種を抱え込みたくないからな。で、天界と教会は言わずもがな。堕ちた天使を受け入れちゃくれない」

 

「……レイナーレには、もはやここしか居場所がないということですか」

 

「そういうことだ。まあ、他神話なら問題を起こした過去を気にしないでくれる可能性もあるが、他所の神の目に留まるほどに何かを持っているわけでもない。後は、まあ……犯罪組織とかなら受け入れてもらえるだろうが、わざわざそこまで堕ちる必要もないだろ」

 

「流石の慧眼です」

 

「いや、別に慧眼ってほどでもないけどな……」

 

「ご謙遜を。私にはわかっております」

 

「うん、まあ、お前がいいなら、それでいいわ」

 

 

 

 

 

 

 




『イモータル城』

 龍脈のエネルギーを利用するための四神術式の他にも様々な仕掛けの施された、超巨大魔法道具。障壁を張り外部からの攻撃を防ぐことはもちろん、侵入者の逃亡を許さない転移阻害に迎撃術式など多岐に渡る。


 侵入者をそのまま返したことはなく、およそ七割が城の中で死に、残りの三割ほどは生きて城から帰ることを許されるが、その場合は捨て駒として使い潰されるだけなので結局は死亡する。極々稀に自身らを害そうとした罪を不問にするほどの『何か』を侵入者に見つけた場合に限って、グラナが配下に勧誘することがある………かもしれない。

『中央棟』

 本館とも言うべき建物で、『城』としての機能の多くはこの棟に集中している。ダンスホールでは、客人を歓迎し、ショーやパーティーが開かれることがしばしばある。

『東棟』

 グラナ、眷属、使用人。城の住人全員の私室が収められた棟。寝ている間に暗殺者が来ることもあるが、これまでにグラナの寝室までに辿りつけた者はいない。

『西棟』

 研究所、図書館などの施設が集まった棟。図書館に収められた魔導書から召喚された魔獣が暴れ出したり、研究所が実験によって爆発に包まれるなど騒ぎが最も多い建物。地下牢では悲鳴と呻き声が絶えず、捕らえた敵対者から情報を引き出すために苛烈なお話が行われることが当たり前となっている。それに対して、医務室は寝台に薬などの医療設備が整えられており、地下牢とは真逆の清潔な空間となっている。

『北棟』

 武器庫、食糧庫、宝物庫などの倉庫関連のものがまとめられている棟。宝物庫には決して奪われてはならない物も仕舞われているため、城の中でも特に警備が厳重となっている区画。ちなみに宝物庫にも武器は収められているが、それは貴重だったり、とりわけ強力な物に限られ、量産品や失敗作は武器庫に放り込まれている。既にグラナは次なる標的に目を定めているので、宝物庫の中身が増える日もそう遠くはないのかもしれない……?

『城門』

 門からぐるりと、城全体を囲うように城壁が立ち並んでいる。城壁、城門ともに強度が非常に高く、最上級悪魔でさえ破壊には手間取る上に、防御用に障壁を展開したり、迎撃用の魔力砲台まで設置されているので力技で突破することはかなり難しい。


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4話 虚構に塗れたハリボテの魔王と、箱庭を統べ草の冠を戴く覇王

今回のサブタイトルは……伏線みたいなものですね。回収するとすれば、物語のかなり後半になってしまうと思いますが、回収できるように頑張りたいです


 ヴォン

 

 この部屋の主、紅髪の悪魔は机の上に手をかざして魔方陣を作り上げ、鈍い駆動音を立てて魔方陣からモニターが展開される。数秒後、通信先の状況も整い、画面に映ったのは金色の髪と褐色の肌が特徴的な青年である。

 

「やあ、グラナ君。仕事を一つ依頼したいんだけど構わないかな?」

 

『内容を聞かせてもらってからじゃないと判断のしようがないでしょう、サーゼクス様』

 

 ここまで敬意を感じさせない敬語があるのだろうかと思わせる、形だけの敬語で褐色の青年———グラナは最強の悪魔とまで称されるサーゼクス・ルシファーに気取った風もなく返す。

 グラナの声をモニター越しに聞き、顔を見た、サーゼクスの女王たるグレイフィアは少なからぬ魔力を立ち昇らせる。右後方から感じられる魔力の波動に苦笑いしつつ、冷や汗を流すサーゼクス。位置関係上、グラナの側から見てもモニターの中に今のグレイフィアの姿が移り込んでいるはずだが、彼の表情にはまるで変化が見られない。

 いつものことと言えど、もう少しどちらかが折れることはできないのだろうか。グラナとグレイフィアが会うたびに同じことが繰り返され、そのたびにサーゼクスの胃にダメージが入っているのだ。グレイフィアの気持ちも、グラナの気持ちも、どちらにも相応の理解と納得は、サーゼクスとてしている。しかし、それとこれとは別の話だ。最強の悪魔と言われても、世界全体で見てもトップクラスの実力を保有していたとしても、ストレスを覚えるし、胃に痛みも感じるのだ。もう少し、自身の精神と胃に配慮してほしいとサーゼクスは切実に願う。

 せめて表面上だけでも。そう妥協したのは何年前のことだっただろうか。まあ、こうして過去に思いを馳せて軽く現実逃避をしなければならなくなっていることこそが、サーゼクスが内心諦めていることの証明なのだが。

 

「私の妹、リアス・グレモリーが新たな眷属を二人手に入れたんだ。一人は僧侶(ビショップ)アーシア・アルジェント、元教会のシスターにして神器『聖母の微笑み』の所持者だ。二人目が兵藤一誠。彼は取り立てて特別な生まれでも育ちでもないが、その身に宿した神器は別格のものだった。――これが今回の依頼をする理由の根本だよ」

 

『ふぅん。で、その兵藤一誠とやらの持っている神器は何なんですかね?』

 

「それを私が言う必要があるのかい?」

 

『――――』

 

 僅かに滞る返事。それは動揺によるものか、あるいは演技なのか、それさえ魔王であるサーゼクスをして見抜けない。こうした一つ一つのやり取りからも、グラナの大器を窺わせる。

 いずれは冥界を引っ張る大悪魔へとなる。その確信を持てるだけに、グレイフィアとの関係を改善してもらいたいのだが、サーゼクスの思いは二人にはどうにも届かない。

 

 話を戻そう。兵藤一誠とアーシア・アルジェント。そもそも、この両名がグレモリー眷属に加わることとなったのは、とある堕天使がリアスの治める駒王町にて事件を起こしたからだ。

 その事件を切っ掛けに兵藤一誠は『裏』の世界へと入ることとなり、教会から追放されていたアーシア・アルジェントはリアスの元で保護されることとなった。

 その事件を起こした下手人というのが、中級堕天使レイナーレである。サーゼクスでも覚えていない名前ということからもわかる通り、レイナーレは所謂下っ端である。昇進するために力を求めたレイナーレは、アーシア・アルジェントの持つ神器に目を付け、それを奪おうとした。これが事件の大筋であり、そしてレイナーレは今現在グラナの『騎士』として彼に保護されている。

 兵藤一誠が『赤龍帝』として覚醒したのは、レイナーレが起こした事件の最中だ。つまり、レイナーレは兵藤一誠が赤龍帝ということも、リアスの配下に加わったことも知っているのである。

 レイナーレがその情報をグラナに伝えていない? そんなはずあるまい。それを隠す理由はなく、グラナに伝えれば心象も良くなること間違いないのだから。

 グラナが、レイナーレからそのことを聞き出していない? そんなはずあるまい。サーゼクスの目から見ても、厄介な配下を纏め上げるだけの王の器を持つグラナが、たかだか中級堕天使一人から有益な情報を引き出せないとは思えない。

 それに、リアスの報告によれば、グラナはリアスがレイナーレを滅ぼす直前に乱入してきたのだと言う。その時には兵藤一誠は『赤龍帝の籠手』を装着しており、グラナもそれを目撃している。グラナほどの場数を踏んだ戦士が、天龍の強大な気配を見逃すこともあり得ない。

 

 では、グラナの沈黙は演技なのか。その可能性は高いと思う反面、そこから生まれる利点がわからない。あるいは、こうしてサーゼクスを混乱させることが目的か。

 

 ――まあ、いいか。

 

 グラナにどんな目的があったとしても、サーゼクスの方針は変わらないし、変えるつもりもない。グラナが目的を果たすというのなら、サーゼクスも己の目的を果たすだけである。

 

「私の依頼は『リアス・グレモリーとその眷属のサポート』だ。件の兵藤一誠の持つ神器の特性が厄介だというのもあるが……。何分、リアスがまだ実力不足という面も大きい。彼女の『僧侶』が封印指定されていることも君ならば知っているだろう?」

 

 ふむ、とわざとらしく考える姿勢を取ったグラナは痛烈に言う。

 

『つまり、なんですか。あなたは自身の妹がした身に余る行為の尻拭いをしろと言ってるんですか?』

 

「それは些か表現が過激だろう。次世代の教育の一環だと言ってほしいな」

 

『教育ならば親兄弟か教師がするべきだと思いませんか?』

 

「グレイフィア、いいんだ」

 

 鉄面皮を保っていたメイドを押しとどめる。グラナの言葉は暗喩、正しく翻訳すれば『お前の仕事を俺に押し付けるな』である。リアス・グレモリー、そしてグレモリー卿と魔王サーゼクス・ルシファーの尻拭いなど御免。グラナはそう言っているのだ。

 あまりに不躾。あまりに無礼。魔王に対して、こんな物言いをする悪魔など冥界全土を見渡してもそうは居まい。

 サーゼクスの顔面に貼り付けた笑みはすでに剥がれる寸前となっているが、同時に楽しさも感じていた。なにせ『最強の悪魔』やら『超越者』やら『紅髪の魔王』といった数多の二つ名を与えられた男と対等に接する者など限られている。両親と同じ魔王の職に就く者、そして愛する妻。誰もがサーゼクスにとって大切な者だが、数えられる程度しかいないのも事実だ。ましてや、昨今の若者はサーゼクスに対して距離を取る傾向にある。それが畏敬や立場の違いからくるものだとわかっていても、『ルシファー』ではなく『サーゼクス』個人としては寂しいのだ。

 その点、グラナとの掛け合いはひどく楽しい。敬語を使いながらもまるで敬意を抱いていないことを隠さない姿勢には新鮮味があり、彼の才覚には冥界の希望を見る。敬意と信用を得られていないことは悲しいが、個人として、大人として、王として、グラナ・レヴィアタンという一悪魔の存在は興味が尽きないのである。

 

「君の言いたいことは尤もだ。成程、私を始め、リアスの周りの者が負う責を君に押し付けているようにも思えるだろう。だが、君はそんなことを気にする男じゃないだろう(・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・)?」

 

『まあ、それはそうですね』

 

「なら依頼を引き受けてくれてもいいんじゃないかい?」

 

『これとは別に断る理由がありますので』

 

「それは?」

 

『面倒なんです』

 

 緊張感はなかった。それを告げることに忌避も遠慮もせず、さながらそれが当然のことだとでも言うかのように、端的にグラナは告げる。

 

『そう不思議に思うことでもないでしょう? 明かしますが、俺はあなたの考えたとおり、すでに兵藤一誠が何の神器を持っているかについて知っています。ドラゴンの面倒事を引き寄せる特性は厄介極まりなく、しかも天龍のそれは他のドラゴンとは別格だ』

 

 過去の資料を紐解けば、二天龍の衝突によっていくつもの街や山、島までもが吹き飛ばされたことが記されている。その尋常ではない被害もまた氷山の一角に過ぎず、天龍同士の衝突とは別のトラブルを引き起こして招かれた被害もあるのだ。

 実力、経験、知識、様々な方面において未熟な部分を残すリアスでは赤龍帝をコントロールすることは不可能と見るのが妥当だ。赤龍帝が引き寄せたトラブルをリアスとその眷属が解決できないのならば、周囲の者が解決することとなる。グラナが依頼を承諾すれば、その役目を負うのはグラナとなる。控え目に言っても、全く嬉しくないポジションだろう。

 

『付け加えて言うなら、今代の赤龍帝のその特性がどれほどのものなのかまだわからない。脅威度が未知数の危険地帯に飛び込むのは……勇敢ではなく、ただの蛮勇ですよ』

 

 人によっては臆病と罵るほどの慎重さだが、これもまたグラナの長所の一つだとサーゼクスは思っている。グラナは己の過去について自分から話そうとはしないため、サーゼクスも詳しく知るわけではないが、多くの戦場を乗り越えてきたということくらいは知っている。グラナの慎重さはその経験に裏打ちされたものなのだ。『生き残る』ための知恵であり、手段。それを愚弄することは三大勢力の大戦と内戦を経験したサーゼクスにはとてもではないが出来ない。

 

「じゃあ、つまり……君が依頼を拒む理由は『リスクの高さ』だと考えていいのかな?」

 

『……そうですが』

 

 訝しげなグラナとは対照的に、サーゼクスは剥がれかかっていた笑みを深める。

 

「なら話は簡単だ。君と君の眷属の安全を保証しよう。君たちに対処しきれない問題が起こった場合は私のところに連絡すれば、すぐに魔王直轄の部隊を派遣する。それでどうだい?」

 

『へえ? 魔王陛下が一悪魔をそんなに贔屓していいんですかね?』

 

「君自身が言ったことだろう? 赤龍帝のドラゴンとしての特性が厄介だと。山や島が吹き飛ぶほどの事態が起きるのなら、魔王が部隊を派遣しても何ら不思議はないじゃないか」

 

 そしてサーゼクスはグラナを信頼している。グラナほどの実力者が対処困難と判断する事態は早々起こりうるとは思えず、もし発生したのならば、それは魔王が干渉しなければならない事態なのだと断言しよう。

 

「まあ、これでも完全に安全を保証できたわけではないが……」

 

 グラナがサーゼクスに連絡を寄越す間もなく、あるいは連絡があったとしても部隊を派遣する前に被害が出るなどと言ったパターンは考えられる。しかし、そんなことを言っていたらキリがない。

 

「はぐれ悪魔の討伐が最たるものだが、悪魔の仕事は大なり小なり危険を含む。私の出した条件はそれを限りなく小さくするものだ。リスク理由に断る君からすれば、願ってもない好条件じゃないかな?」

 

『……そうですね。俺でよければ引き受けましょう』

 

 話に一段落ついたことで、サーゼクスは安堵のため息を漏らす。なにせ、話の最中、グレイフィアのプレッシャーを常に感じていたので、精神と胃に大きな負荷がかかっていたのだ。胃壁はジュウジュウ、SAN値はガリガリと削られたが、結果が出た喜びを切実に味わいたい。

 

『――となれば、報酬の交渉ですね』

 

 ここまで依頼を受けることを渋っていたくせに、この応対である。休む間もなく、平然と新たな話題(課題)を提供してくれるグラナには慈悲の欠片もない。

 

「そうだな。では一月に―――」

 

 サーゼクスが提示した代金は、およそ冥界の悪魔の平均年収を二倍したものだ。しかし、グラナはそれを躊躇なく切って捨てる。

 

『ダメです。この仕事を受ければ、俺の時間の多くが拘束され、魔法道具の開発を始めとする他の仕事に遅れが出るんですよ。その報酬じゃあ、それらの仕事で得られる利益に満たない』

 

「ではいくらなら引き受けてくれる?」

 

『一月ごとの報酬は提示された額の三倍。さらに面倒ごとを解決するたびに、その事件の大きさに応じて追加報酬を要求ってところですかね』

 

 ふむ、と顎に手を当てたサーゼクスは少し考え込む。

 グラナの実力は上級悪魔の中でも抜きん出ており、その配下も精鋭揃いだ。そんな彼らを起用するための費用として考えれば、提示された基本料金は許容範囲内に入る。

 

(懸念すべきは追加報酬か)

 

 今、この場では追加報酬としか言っておらず、もしサーゼクスが無条件で了承すれば、後々何を要求されるかわかったものではない。

 

「前者は構わないが、後者の追加報酬についてはいくらか制限をつけさせてもらう。仕事の大きさに見合わない過剰な要求を防ぐための措置だ。こればかりは譲れないよ」

 

『そんな念押しされなくても受け入れますよ。ていうか、そういった措置を取ってないと他の上級悪魔とかに知られたときに面倒ごとが起きるのは確実ですし……、サーゼクス様が言わないようなら、俺のほうから提案してましたよ』

 

 ――いや、それは怪しいだろう……

 

 つい反射的に漏れそうになった声を抑え込む。気に入らなければ、上級悪魔相手にも躊躇なくワインを顔面に浴びせかけるグラナならば、今更面倒ごとの一つや二つは気にしないはずである。先日の駒王町の一件ではリアスとの衝突を恐れることなく、堕天使レイナーレを己の配下として保護しているのがその証拠だ。

 

 とはいえ、ここでいらないことを口走って、グラナの機嫌を損ねるのもまた愚かな話だ。折角、悪名高いこの男が提案に好意的な姿勢を見せているのだ。それに乗らない手はない。

 

「ああ、それならよかった。詳しいことは後程書面で送ろう」

 

『はい。それと、グレモリー眷属に関する情報も送ってもらえますか? 依頼の内容上、そういうことも知っておいて損はないでしょうから』

 

「わかった。では依頼に関する書類と共に送ることにしよう」

 

 リアス・グレモリーの眷属には厄介な事情や過去を持つ者が多い。『女王』は堕天使幹部と人間の間に生まれたハーフで、『騎士』は教会の最大級の闇に囚われていた不遇な少年、『戦車』は姉がはぐれ悪魔と化したことで周囲から責め立てられた過去を持ち、『僧侶』の吸血鬼は故郷で酷く冷遇されていたという。

 表面的には、過去の傷が癒えたように見える。しかし、『僧侶』の吸血鬼の少年が良い例だが、彼はその過去がトラウマとなり、今でも対人恐怖症となっている上に引き籠もって他者との関りを持つことを極力避けている。これでは、問題が解決したとは言えない。

 本人の承諾も無しに、その過去を他者へと明かすことはマナー違反も甚だしいが、それを割り切るのも魔王としての務めである。マナー云々を気にして情報を開示しなかったことで、悪影響が出るようでは依頼も本末転倒だ。

 

 ブツッ、と通信の途絶えたモニターを消したサーゼクスは、グレイフィアに淹れさせた紅茶で喉を潤す。

 

「グレイフィア。君はやはり、グラナ君のことが嫌いなのかな?」

 

「はい」

 

 即答。通信中も紅茶を淹れる際も、常に不機嫌なオーラを漂わせていたのだ。この答えは分かりきっていたものである。

 

「仕えるべき魔王に敬意を一切持つことなく、更には多くの上級悪魔と揉め事を起こして社会に混乱を招きかねない人物をどうして好きになれるでしょうか」

 

 ルシファーの側近の役を担うルキフグス家に生まれた彼女は幼少期から主に仕えることの何たるかを教え込まれて育った。故にこそ、はっちゃけるサーゼクスを叩いて黙らせることもあるグレイフィアだが、その忠誠心は一級品だ。しかも、彼女は男女の想いもサーゼクスへと向けているため、殊更魔王に対して従順ではないグラナのことが疎ましく思えるのだろう。

 

「だけど、君も彼の才能は認めているだろう?」

 

 そう、誰が何と言おうとグラナ・レヴィアタンは才気に溢れている。巷では誰にも制御のできない『狂人』、眷属はもちろん使用人にまで手を出す『色情狂』などと散々な呼ばれ方をしているが、それはほとんどがやっかみによるものだ。莫大な魔力、類稀な武芸、豊富な魔術の知識、優れた経営手腕、他を魅了するカリスマなど、グラナの長所は数多く、それ故嫉妬を買い易いのである。その嫉妬こそが、彼我の実力の差を明瞭にしているということは皮肉以外の何物でもない。

 

 そして、苦々し気な顔で頷くグレイフィアは嫉妬するわけでもなく、グラナの実力と才能は認めている。しかし、それを差し引いても、グラナの態度は目に余る。そのため、グレイフィアを始め、魔王眷属の中にはグラナのことを良く思わない者がいるのだ。

 

「彼はこれから先の冥界に必要な存在だ。……けれど、酷く歪な一面もある」

 

 グラナは己の過去を語りたがらない。己の過去は己の物で、それを背負う責任があるとでも言うかのように、サーゼクスにさえ話したことは無い。

 けれど、ある程度推測することならばできる。

 グラナが今、冥界で住むこととなった始まりは、人間界で活動していたサーゼクスの眷属が瀕死の重傷を負うグラナを保護してきたところから始まる。全身の傷、十代半ばというまだまだ子供とも言える年齢にそぐわないほどに鍛えられた肉体と豊富な魔力と無数の傷跡。それらが、グラナの歩んできた半生を楽なものではないと容易に気付かせた。

 

「私は彼には幸せになってほしい……いや、そういうと少し語弊があるか」

 

 魔王たるサーゼクスは冥界に住む悪魔全員の幸福を願っている。そこには、当然、グラナも含まれるが、今言いたいのはそういうことではない。

 

「彼は歪んでいて、深い闇を抱えている。それこそ、私にも見抜けないほどのね。私にはそれをどうすることもできなかった」

 

 現魔王政府に保護された当初、グラナはサーゼクスの元で生活していたが、サーゼクスに対して心を開くことは決してなかった。辛い半生を歩んできたがために他者を信用できなくなったわけではないことは、グラナの身内に向ける笑顔と深い愛情から理解できる。

 『愛』や『信用』の念を失ったわけではない。むしろ、グラナの持つ愛情は『情愛』を司るとされるグレモリー家に生まれたサーゼクスから見ても、非常に深く温かなものだ。つまり、あの時のグラナはサーゼクス個人を信用するに値しないと判断した、そういうことになる。今でこそ、サーゼクスや他の魔王に対しても笑顔を見せるようになったグラナだが、あの慇懃無礼な態度から魔王たちを尊敬も信頼もしていないことがよくわかる。

 

「だから、依頼にかこつけてリアスと近づくように取り計らった」

 

 自身では難しくとも、彼と同じ若い世代ならばあるいは。そのような思いがサ-ゼクスの胸中にはある。彼ら彼女らと触れ合ううちに、グラナの闇が解消されることを願ったのだ。

 

「しかし、それならば人選が間違っているのでは? リアスお嬢様のことを彼は毛嫌いしております。冷えた心を溶かすのならば、好感を抱く相手――バアル家次期当主やシトリー家次期当主のほうが適任ではないかと」

 

「ああ、そうだね。そのとおりだ。だが、リアスもいずれは冥界の将来を担う存在となるんだ。並び立つ者同士がいつまでもいがみ合っていても仕方ないだろう? この依頼は二人の仲を改善するためのものでもあるんだよ」

 

 時代を牽引する二人の悪魔が、手を取り合う姿をサーゼクスは幻視する。現四大魔王の政策によって悪魔社会には新たな風が吹き込まれ、冥界は変わりつつある。しかし、こうして次の世代が育っていることを見れば、サーゼクスたちも古い世代と呼ばれる日が近いのかもしれない。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「は、はは、はははははは!!」

 

 グラナは、酒に満たされたグラスを手に取ることもなく哄笑する。魔力を滾らせたわけでも、仙術を用いて気を纏ったわけでもない。その全身からは覇気とも呼べるオーラが立ち昇り、対面に座るエレインの心を躍らせた。

 

(これだ、これこそがグラナだ)

 

 普段の好青年とした姿もエレインは好きだ。そして、それと同じ程に、この覇王として姿のグラナのことも愛していた。

 

 冥府の最下層に投獄されれば、囚人と魔獣を率いて反乱を起こして脱獄する。

 

 神々に仲間を攫われた時には、仲間一人を助けるためだけに神に挑んで、武神二柱を相手に大立ち回りを演じる。

 

 この世の全てに対しての怨恨と憤怒から生まれた呪いは、悪魔、天使、堕天使、果ては神さえも犯し尽くして殺すだろう。

 

 強さを得るために理性を失った獣に堕ち、しかし、再び理性を取り戻して新たな力を振るう。

 

 まさに理不尽に対する理不尽。己の前に立ち塞がるあらゆる敵を蹂躙し、苦難を踏み潰して歩いていく。

 誰よりも深い闇にその身を浸しながら、誰よりも高く飛翔する姿に夢を見た。グラナが輝く姿に、あるいは自身も、そう思わされる者はこの城には多い。エレインもまたその一人だ。

 

「このタイミングで、俺に城を空けるだけの依頼を持ってきてくれるか! 都合が良すぎて笑いが止まらねえな!!」

 

 グラナの立てた計画の全貌はエレインも知っている。そのため、グラナのこの喜びようも理解できるが、慢心や油断に繋がっては元も子もない。エレインは己の内にも沸き上がる歓喜の念を抑え込み、グラナに釘を刺す。

 

「君の気持も理解できるが、依頼に手を付けるまでには気持ちに整理をつけておくべきだ。君の有能さは良く知っているが、万に一つということもある。足元を掬われないようにしなければなるまい?」

 

「ふ、ふふ……ああ、そうだな」

 

 口元に手を当てても尚、グラナの笑いは収まることがない。彼も油断と慢心の危険性を知るがゆえに、深呼吸を何度か繰り返して平静へと戻る。その変化は表面上だけのもので、心中は未だに喜びに満ち溢れているだろうが、この場で即座に表面だけでも取り繕えたのだ。依頼の出立までには心の中でも整理をつけるだろう。

 

「あぁ、けど、本当に俺に都合のいいことをしてくれたぜ、あの魔王サマは。三大勢力の和平が近いという噂が流れ、その情報を掴んだあの負け犬どもも血気盛んになりだした」

 

「そして、連中と敵対状態にある君と、主戦力と目される眷属たちが城を留守にすれば探りを入れてくる可能性は非常に高くなる」

 

 引き継いだエレインの言葉に、グラナは相槌を打った。

 

「そうだな。ここであいつらが動くのならそれでいい。動かないのならこちらから動かせばいい。後者を選んだところで、俺の意図によるものだと連中に気付かれることはない」

 

「だろうな。あの者たちは酷く傲慢で自分たちが賢いと考えている。多少、不自然な情報だったとしても、それが有益な物ならば疑うことは無く、それを入手した自分たちの有能(無能)具合を喜ぶはずさ」

 

「ましてや、『グラナ・レヴィアタンと眷属は不在』なんだからな。まさか俺の張った罠だとは思わねえだろ」

 

 酒を一口飲んだグラナは、その冷たさが喉から頭にまで伝わったのか、グラスの中で波打つ酒を眺める視線は非常に澄んでいる。冷静でありながらも、その身から放たれる覇気は一層衰えることはなく、むしろ他を退かせるだけの圧力を持つオーラは波のように静かだ。凪の海面のように、濡れた黒曜石のように、美しい刀の刃のように、静かに、澄み、研ぎ澄まされた覇気。全体ではなく、ただ一点に向けられた覇気の対象となった者には、もはやどうする術もないだろう。エレインは、これから死ぬことになるだろう者たちへ同情するべきかと思ったが、別に好ましく思っているわけでもないので、そうそうに地平の彼方まで下らない考えを押しやる。

 

「三大勢力の和平がなれば、その後の展開は早い。この和平は三つの勢力が弱体化したことが根本的な要因だ。手を取り合ったからと言って、ここでわざわざ他の神話相手に喧嘩を吹っ掛けるわけがねえ。融和・和平の交渉を行っていくんだろうさ」

 

「で、君は――と言うより、私たちはそれを利用すると」

 

「そうなるな。三大勢力の和平、悪魔政府内部の対立、負け犬とそのお仲間たち、他神話の神々、悪魔社会の抱える問題、そして人間。全てを利用してやる」

 

 酒を一息に吞み干したグラナが、獰猛に笑いながら宣言した。

 

 

「最後に勝つのは―――俺たちだ!」

 

 



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5話 レイナーレの日常

どうも、こんにちわ。消費期限切れの食パンを食べて下痢になったpailです。
たかが一日過ぎただけならば大丈夫だとタカを括った結果が腹痛と十数分にも及ぶ格闘というのは割に合いません。皆さんも食事の際には消費期限を守るようにしましょう。


 魔王からの依頼を受けたグラナは眷属を引き連れて人間界へと移っていた。どこからか、この話を聞きつけた現レヴィアタンまでもが、妹のサポートをするようにと依頼してきたことを除けばすべては順風満帆に進んでいると言って良い。

 現在、グラナたちが生活しているのは駒王町にある一軒家だ。ちなみに依頼が完了すればすぐに引き払う予定なので、この家は買い上げたわけではなく、ただの借家だ。

 グレモリー眷属とシトリー眷属のサポートを引き受けたグラナと外見的に問題のなさそうなルルは数日後には諸々の手続きも終了し、無事に駒王学園に編入することが決まっている。今は、それまでの準備期間といったところだ。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「はい、これで上がりっと。ドベはレイナーレだな」

 

 眷属たちとやっていたのはトランプを使ったゲームの中でも、かなりの知名度を持つ大富豪である。俺は手元に残った最後のカードを場に出して何とか上がることができた。途中、ヒヤヒヤさせられる場面がいくつもあったが、終わりよければ全て良し。罰ゲームがあるのはドベだけなので、半端な順位でも問題ないのだ。

 

「約束通り、買い出しよろしくね~」

 

「私は、そうだね。少しばかり時期的には早い気もするが、アイスを買ってきてくれるかな?」

 

「しょうがないわね。買ってくる物はジュースとお菓子と、エレイン用のアイスでいいのよね?」

 

 一応の確認を取るレイナーレに、勝者たる俺とルルとエレインは好き勝手に返答する。

 

「ああ。ただ、できるだけ早くな」

 

「時間かけるとジュースが温くなっちゃうから五分以内だよ?」

 

「そういうことなら、ジュースより私のアイスのほうが心配だね。ジュースは温くなっても飲めるが、アイスは溶けたらアイスとは呼べない代物になってしまう」

 

 レイナーレが徐々に額に青筋を浮かべていくが、それに構わないのが俺たちだ。そして、それが俺たちの性格だと短いながらも共同生活の内に知ったがために、レイナーレは文句を言うこともない。

 

「はいはい。早く戻ってくればいいんでしょ!!」

 

 玄関のドアを力いっぱいに閉めて轟音を響かせるのも、彼女なりのささやかな抵抗だろう。可愛らしいものである。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「ありあっしたー」

 

 人間のバイト店員の中には理解不能な謎言語を使う者がいるが、レイナーレもそれには慣れた。あちらは業務で言っているのだから、理解できないのなら無視していれば良いと達観するに至ったのである。

 

「……意外と持ち難いわね」

 

 数種類のジュースと菓子類にアイスは一つ一つの重量は然程ではないものの、合計すればそれなりの重さとなる。それをレジ袋二つに押し込んでいるので、重量が持ち手に集中し、堕天使のレイナーレでも顔を顰めるほどだ。

 重さに手をやられたわけではない。レイナーレの手ではなく、レジ袋のほうが先に天寿を迎えそうなのだ。レジ袋の持ち手部分は細くて短い。それでこの重量を支えようとするのが間違いだった。こうしている間にも軋みながら、薄く伸びていく持ち手。こんなことになるのなら、なぜ家にあるバックを持ってこなかったのか。そう悔やんでももう遅い。

 

「あ!?」

 

 鬱々とした不安を内包する視線を向けていたレジ袋の持ち手がついに千切れてしまう。拘束を逃れた中身が中空へと、袋からその身を投げ出していく。ジュースはまだいい。菓子類も許容範囲内だ。しかし、アイスはまずい。地面に落下すれば中ほどから真っ二つということもあり得る。そうなれば、ここ最近、毎日行われているエレイン指導の下による特訓の難易度が急上昇すること間違いなしだ。今でさえ死を覚悟するというのに、これ以上上げられたらどうなってしまうのか――

 

「にょ」

 

 唐突に夜の道に響く声。張り上げたわけでもないのに、自然とレイナーレの耳に届いたのは、その声には確かな“力”が宿っていたためか。

 下を向いていた視線を上げると、そこにいたのは一人の漢(誤字にあらず)だった。二メートルを超える長身とそれに見合った強靭な筋肉。その漢には幾多もの死線を潜り抜けたであろう“圧”が宿っている。

 

(何者!?)

 

 過去に敵対したグレモリー眷属はもちろん、先日紹介されたシトリー眷属にもこんな戦士はいなかった。旧レヴィアタンの末裔であるグラナの眷属となったレイナーレに、彼らが配下を隠すとは思えない。つまり、この漢は外部から送り込まれた刺客に違いない。

 

「にょ!」

 

 そして漢が奇妙な掛け声とともにレイナーレに向けて猛進し始めた。一人で勝負を仕掛けるなど、絶対の自信が無い限りは行わない愚策だ。つまり、ここでレイナーレを襲うということはかの漢は必勝を確信しているのだろう。そして、その速度はレイナーレが必負と瞬時に理解できるほどのものだった。両脚は踏みしめるたびに路面を罅割らせ、その屈強な肉体は空気の壁を突破する。剛弓の如く引き絞られた右腕から放たれる拳は容易く岩を砕くだろう。

 

 ――死

 

 レイナーレの脳裏に過ぎるのは、正にその一言だ。回避? 逃走? できるはずがない。漢の速度はレイナーレの移動速度を容易く上回っている。逃走は不可能であり、奇跡が起きて一撃を躱せたとしても、続く第二撃に沈められることは目に見えている。

 咄嗟に両腕を交差し、急所を庇う。死の恐怖に怯えながらも、両目を閉じないのはきっと特訓の賜物だろう。こんな死の間際に成果を感じたくなかった。できれば、もっと平和な感じで、特訓の時にエレインを負かすような形で実感したかった。

 

「にょにょにょにょにょぉおおおお!!! 無属性魔法 見えざる腕(インビジブル・アームズ)!!」

 

 漢が腕を振り抜いたのは、レイナーレのいる位置よりはるかに手前だ。衝撃波を飛ばせるのならば別だが、あの距離からでは攻撃は届かない。

 

――なぜ?

 

 その疑問はすぐに氷解するが、新たな疑問の誕生でもあった。

 漢は逞しい腕を使って、レイナーレの持っていた、破れたレジ袋からこぼれる商品の数々を地面に落ちる前に掴んでいったのだ。商品を掴み取るのは地面に落とさないためだろう、それはわかる。が、なぜそんなことをする? レイナーレの買った品物がどうなろうと、この戦士には関係ないはず。しかし、漢は現実に品物の数々を掴み取った。その理由がレイナーレには皆目見当が尽かない。

 疑問を覚えるレイナーレに我関せずとばかりに、漢はその右腕を振るう。右腕だけでは品物が地面に落ちるまでの数瞬の内に拾いきれないと判断したのか、左腕まで使い始める。

 『見えざる腕(インビジブル・アームズ)』と名付けるだけあって、その腕の動きはまるで見えない。動きが早すぎて残像がいくつも生じるために、本物の腕がどれなのかわからないのである。

 あれは魔法なのだろうか。正しくは魔法(物理)だと思ったレイナーレを誰も責められまい。しかし、魔法ではないと一概に否定する要素がないのも確かである。例えば身体強化、例えば肉体を自在に操るといった魔法ということもあり得るだろう。

 

「にょにょ。全部拾いきれたにょ。これも毎日の魔法の練習の成果にょ」

 

 やはり魔法か。屈強な戦士でありながら、魔法使いとしての側面まで持つとは、この漢はどれだけの高みにいるのだ。

 

「これ、あなたの落とし物なんだにょ?」

 

「え、ええ。ありがとう」

 

 差し出された品の数々を見て、ようやくレイナーレは再起動を果たした。どうやらこの漢に敵対の意思はなく、品を拾ったのも善意から来るものらしい。筋骨隆々とした外見に見合わない優しさだが、『人は見かけによらない』とはこのことだろう。

 

(これは!?)

 

 渡されたジュース、菓子類、アイスの数々を見てレイナーレは驚きを隠せない。あれだけの超高速での動きだったのに、傷一つついていないのだ。ジュースはともかくとして、勢い余ってアイスや菓子類を握りつぶすくらいのことはありそうなものなのに、破れてしまったレジ袋を除けば無傷である。

 この漢はただ肉体を鍛え、魔法を習得するだけではなく、それらを使いこなしているらしい。グラナはリアス・グレモリーのことを才能に使われているだけと言っていたが、今ならその意味がわかる。使うとは、使いこなすとは、この漢のように咄嗟の判断であっても呼吸するかのように自在に力を扱えることを言うに違いない。

 

「あなたは……いったい」

 

「ミルたん。ミルたんはミルたんって言うにょ」

 

 ミルたん。何とも奇妙な名である。しかし、その奇妙さがこの漢の特性を現しているように思えるのは、レイナーレの気のせいではあるまい。

 類まれな魔法の腕。屈強な肉体とそれを覆う少女染みた衣装。改めて見てみると、その衣装がこの漢にはまるで似合っておらず滑稽にすら思え、つい鼻で笑いそうになったところでレイナーレは真実へとたどり着く。

 

(まさか……、道化だと思わせて油断させる戦術!?)

 

 成程。これほどの強者ならば、己の力を隠そうとするのもわからないではない。その際に、戦いとはかけ離れた少女の衣装を身に纏って偽装するというのも理に適っている。しかし、あまりにも強者然としすぎているがために、衣装だけでは誤魔化しきれず、どこか不気味で滑稽な道化(ピエロ)のようになってしまってるが、それすらも作戦の内なのではないか。

 そう考えれば辻褄は合う。衣装で誤魔化しきれないということにこれほどの強者が予め気付かないはずはなく、しかし最初からそれが作戦に盛り込まれているとすれば何ら問題はないではないか。

 

(つまりこれは……二重の策ってことね)

 

 衣装で誤魔化せればそれで良し。誤魔化せずとも、違和感のありすぎる風貌から滑稽な道化だと侮らせることができればそれで良い。中々に考えられた戦術だとレイナーレは心中で称賛していた。こうしているレイナーレですら、先ほどの動きを見ていなければ、漢の策に見事に嵌っていたに違いないと断言できるからこそ、漢の叡智には脱帽の念しか浮かばない。

 

「……ミルたん、あなたはどこを目指しているの?」

 

 戦士としても魔法使いとしても策士としても、すでに十分な力量を備えているミルたん。彼とて、何かしらの目標があったからここまで来れたはずなのだ。レイナーレはそれを知りたかった。何が、一人の男を漢とするまでに後押ししていたのか。それを知ることができれば、レイナーレも前に進める気がしたのだ。

 

「ミルたんは魔法少女になりたいんだにょ」

 

「魔法……少女?」

 

 確かそれは、子狐のような外見をしているくせに内面は外道な白いマスコットキャラと契約してなることができるものだったと記憶している。あれはアニメ――フィクションの中の話だったが、この世には魔法があるのだから、なにかしらの方法で『魔法少女』になることは不可能ではないだろう。

 

 ――魔法少女

 

 名前の通りに『魔法を使える少女』と定義するのなら、この漢は世界に挑んでいると言えるのではないか。漢は見た目からしてすでに成人をしているだろう。少女になるということはつまり、若返りの秘術を求めていることになる。それはこの世に存在するものなら神であろうと逆らえない時の流れに反する行為だ。いや、それだけではない。性別さえ超越しようとしているのだ。生まれるよりも以前からすでに定められた性別を完全に変えることは、神の子を見張る者(グリゴリ)の技術を以ってしても実現できていない。この漢は、戦士、魔法使い、策士だけでは飽き足らず、発明家としての能力まで求めているのか。

 

(なんて……志が高いヒトなの)

 

 漢がこれだけ偉大な存在となることができたのは、その志ゆえのことかもしれない。時の流れに反逆し、己の歴史全てを改変しようとする。まさに世界に挑む行為だ。挫けそうになることもあったのかもしれない。諦めてしまいそうになったこともあったかもしれない。それでも尚、進み続けることができたのは、漢の『心』の強さがあったからこそだろう。十二の難行を乗り越えたヘラクレス、姫を助けるために無謀な戦いに身を投じたペルセウス、英雄と呼ばれる人間たちを支えたものは、この漢が持つような強い心だったに違いない。

 

「私も、私もあなたのように強くなれるかしら?」

 

 堕天使より遥かに矮小な人間。彼らが強くなれたのだから、レイナーレも強くなれると信じたい。だが、これまで目立った成果を上げることができなかったために、自分には自信が持てない。強い心を持つ者が成長できるのなら、自分を信じることさえできない己が強くなれるはずない。レイナーレもそう思っている。それでも、この偉大な漢ならば、愚かなこの身にも道を示せるのではないか。レイナーレの切なる願いであり、それは期待とも言えるものだった。

 

「? 諦めたらそこで試合終了なんだにょ。ミルたんは魔法少女になることを諦めないし、あなたも諦めたらダメなんだにょ」

 

 深い。何て深い言葉だろうか。これを言うのが、そこらの餓鬼ならば、ただの生意気小僧で終わっていたが、実際は偉大なるミルたんが発した言葉である。決して諦めることなく歩み続け、人外の身であるレイナーレを遥かに上回る力量を身に付けたミルたん。彼が言う言葉には確かな重みがあった。

 

「ありがとう、ミルたん。あなたのおかげで私は明日から一層頑張れるわ」

 

「それは良かったにょ」

 

 がしり、と力強く握手するレイナーレとミルたん。二人の間には出会ってからの時間は短いながらも、温かな友情が生まれていた。

 

「また会えることを願っているわ」

 

 ミルたんから渡された、つい先ほど破れたレジ袋からこぼれた品の数々をどうにか持ち帰るために考えを巡らせ、少々不格好になるが致し方ないと割り切る。ジュース類は腕で抱きかかえ、菓子類とアイスは服とズボンのポケットに捩じ込む。量が量なだけに、やけに膨らんで色気の欠片もなくなってしまうが、まさかここに品物を放置していくわけにもいかない。堕天使としてはまだ若輩のレイナーレの乙女心的には結構痛いが我慢するしかないというのも、罰ゲームの一環だと思わねばやってられない。

 

「これを使うと良いにょ」

 

 しかし、それを見過ごさないからこその偉大なる漢(ミルたん)である。彼が差し出したのは、背負ったリュックから取り出した小さな――ただしレイナーレの荷物を入れる程度には充分な大きさ――バッグだ。『魔法少女ミルキー』と銘打たれ、大きく少女の姿がプリントされたバッグは材質も良く丈夫そうな代物だった。

 

「でも、これは……あなたにとって大切な物なんでしょう……?」

 

 本音を言うのなら受け取ってしまいたい。いくら百年以上の月日を生きているとはいえ、レイナーレの心はまだ純情な乙女である。服の至る所を膨らませ、腕にはジュース類を抱えて夜道を一人歩く、いかにも『男っ気のない寂しい女』のような真似をしたいとは思わない。罰ゲームでないのなら確実にやりたくもないそれを、回避する手段が目の前にある。例えるなら、砂漠でオアシスを見つけた旅人、雪山で遭難した登山者が山小屋を見つけたときの心境のようなものか。たかだか不格好で、などと言う者は女心の何たるかをまるで分っていない愚者だけだ。女は煌びやかな宝石であり、可憐な花でありたいと常に願っている。ゆえに、その外見を損なうことを酷く嫌い、ある意味ではその生命以上に大切な物が美しさなのだ。

 ミルたんから差し出されたバッグはレイナーレの女としての矜持を守ってくれるものだろう。しかし、レイナーレは受け取ることができないでいた。ミルたんとミルキー。この二者の名前の近似性が偶然のものだと思えず、何かしらの縁があるのだとわかってしまったがために。そして、偉大なる漢の所有物を受け取る資格が自身にあるのか疑わしいからだ。

 

 だが、それでも尚、ミルたんが退くことはない。強さを宿した瞳には不退転の意思があった。

 

「女の子はいつだってお姫様なんだにょ」

 

 ミルたんは、この偉大なる漢はこの卑しい身でさえ姫だと言うのか。何という度量、寛容さだ。いや、あるいはこれこそが真の強者、歴史に名を刻んだ英雄の心意気なのかもしれない。

 

「……ありがとう。それしか言葉が見つからないわね」

 

「気にしなくていいにょ。友達を助けるのは当然のことなんだにょ」

 

 強面でありながら、誰よりも深い優しさを持った漢。彼に頭を下げて、礼を尽くそうと思ったが、寸でのところで押しとどめた。きっと、この漢は頭を下げられることを望んではいない。レイナーレはそのことに気付いたからだ。

 

「また今度」

 

「会えるといいにょ」

 

 だから、別れは笑顔と共に。それでいい。荷物を持っているために、手を小さくしか振れないが、ミルたんがそんなことを機にするとは思えない。あの漢ならば、目に見えるだけの形などには価値を見出すことはないだろう。きっと、この再会の念を受け取ってくれる。

歓喜と信頼を胸に、レイナーレは偉大なる漢――ミルたんと別れて、帰路につく。このから先、どんな艱難辛苦が襲ってこようとも、今日出会った偉大な漢のことを思い出せば、乗り越えることも難しくない。そう信じて――

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 元堕天使にして現転生悪魔、そして旧レヴィアタンの血族であるグラナ・レヴィアタンの眷属でもある。それがレイナーレの現状だ。そんなレイナーレの日常は中々に過酷な物だったりする。これはそんな日常の一ページを切り取った話だ。

 

「ブラッド・アロー。おやおや、どうしたんだい。もっと早く動かなければ躱せないよ?」

 

 金色の髪を揺らし、口元にはサディスティックな微笑みを浮かべながら放たれる赤い矢を、レイナーレは体をひねって強引に躱す。続けて放たれる、二の矢、三の矢を躱すために更なる無茶な動きをしたせいで、背中の骨が嫌な音を立てた。

 まずは戦闘訓練。主のグラナは旧レヴィアタンの血族だから、その眷属に入れば玉の輿のように楽できる、そんな思いは幻想だ。そもそも旧魔王の一派は現魔王によって辺境に追いやられた旧時代の敗北者たちだ。しかも、グラナは一族の中においても味方と見さなさることは無く、追放されている。現魔王派からも旧魔王派からも、良く思われていないのだ。したがって、敵も多く、たびたび不慮の事故(・・・・・)がグラナと眷属を襲うので、それなり以上の強さを持っていないと、サックリ死にかねないのがグラナの眷属の実情である。

 

「くぅ!」

 

 お返しとばかりに即座に作り出した光の矢を投擲する。並の下級悪魔ならば即座に消滅するだけの力を込めた、レイナーレ渾身の攻撃だ。しかし、対戦相手は手元に作り出した赤い剣を使って光の槍をいとも容易く打ち払った。

 

「攻撃が途切れた隙を突いて渾身の一撃を放つ、か。まあ、狙いは良いと思うよ? ただね、その戦術はスタンダートすぎてこちらとしても予想、対応しやすい。実戦で使うとするなら、君なりのアレンジを加えないと駄目だな」

 

 余裕綽々とばかりに丁寧に解説し、更には改善点まで指摘する対戦相手は、同じ旧レヴィアタン眷属の一人であり、『僧侶』のエレイン・ツェペシュだ。息を切らせ、額に玉の汗を浮かべるレイナーレに対して、息一つ切らすことのない姿が両者の力の差を物語っている。

 

「ほら、今度はこちらの反撃だ」

 

 剣を一振り。それを合図にして、宙に再び作られる赤い矢の群れ。全ての鏃がレイナーレへと向けられており、すでに射出準備は整っている。

 

「――射抜け」

 

 静かな号令を皮切りに、赤い矢の群れがレイナーレへと殺到する。

 

「そう簡単に貫かれてちゃ、堪らないわよ!」

 

 一本、二本、三本、四本と矢を躱すうちに次第に矢の速度に対して、回避行動が遅れ始める。以前のレイナーレなら、ここで勝負がついていたことだろう。だが、毎日毎日必死になって特訓していれば僅かなりとも成長するのだ。

 裂帛の気合を以って、迫りくる矢の群れへの恐怖を抑え込み、後退しそうになる足を押し止めてその場を踏みしめる。重心は前に、実力差は圧倒的なのだから、無茶を押し通さなければ、一矢報いることさえできない。

 握りしめた槍にありったけの光力を流し込んで強度を引き上げる。疲労困憊の体に鞭を打ち、渾身の槍撃を連続で見舞って赤い矢を弾き飛ばしながら進んでいく。

 

「はぁあああああああああああああああッッ!!」

 

特訓を始めてからまだ日も浅い。以前より向上したと言っても、その技術は拙く、付け焼刃のようなものだ。上手く弾ききれずに体を掠める矢がある。槍による防御が間に合わずに、レイナーレの身を貫いていく矢もある。それでも尚、歩みを止めることはなく、これまでさんざん特訓で絞ってくれたエレインにお返しをせんと迫る。

 

「ふふ、はははははは! 予想以上にやるじゃないか! 私も少しばかり力を入れていこう!!」

 

 先ほどまでの余裕の雰囲気を捨てて、エレインは闘志を露にする。その姿を見てレイナーレは人知れず歓喜した。これまで行われた幾度の特訓では、決してエレインの余裕を崩せなかった。つまり今、目の前にある闘志を剝き出しにしたエレインの姿こそが、レイナーレの成長の証なのだ。

 “指導”から“戦い”へと意識を変化させたエレインの攻撃は苛烈の一言に尽きる。数本の矢に翻弄されるだけだったのに、今では二十を軽く超える矢が次々と放たれているのだ。勝ち目などどこにもない。だが、それでもレイナーレは笑う。エレインの攻撃の脅威を感じることができている。それは今、この瞬間も猛撃に耐えて、一歩ずつ前進していることに他ならないのだから。

 

「これで……ッッ!」

 

 ついにエレインを槍の射程に捉えた。あとはただ一度、槍を振るうだけで事足りる。魔の存在にとって堕天使のレイナーレが使う光は猛毒にも等しい。そして、エレインは悪魔に転生する前の、元々の種族も魔に属するものだったために、特に光に弱い。

 堕天使として決して上位とは言えない半端な実力しか持たないレイナーレの槍でも、急所を貫けば一撃で倒すことも可能だろう。足で地を捉えてしっかりと体を支え、腕だけでなく、腰のひねりも含めて全身の力を総動員した渾身の一撃。それを当てることができれば、勝負は決する。だというのに、レイナーレの体は最早それ以上動くことは無かった。

 

「かっ……はっ!」

 

 熱い。まるで熱した鉄の棒を差し込まれたような感覚が襲った腹部に目をやると、赤い槍によって背面(・・)から貫かれていた。更には、両脚と両腕に、やはり背後から赤い触手のようなものが伸びて纏わりつくことで、レイナーレの動きを阻害しているのだ。

 

「ごふっ」

 

 口から吐いた血の色は、レイナーレの体を拘束する物と同じ赤だ。それを見たレイナーレは一つ息を吐いて、呼吸を整えた。

 

「私が放っていた矢の群れは本命であり、同時に伏線でもあったということさ。矢で倒れればそれで良し、尚も向かってくるのならばこうして背後から捉えてケリをつける。どちらになっても私は構わなかった」

 

 戦いにおいて、相手の能力を看破する洞察力が必要とされる場面は結構多い。そのため、レイナーレは同じ眷属仲間の能力を一切明かされておらず、模擬戦の中で相手の能力を解き明かすことも課題の一つとされている。

 

――そして、一人目の、エレインの能力についての答えは出た。

 

 基本的には液状であり、エレインの意思に従って形を変えて凝固することであらゆる武器を再現できる。色は混じりけの無い赤。エレインの元来の種族は、鋭い犬歯と金色の髪に赤い瞳を持つ、あの夜の血族だ。

 

 彼女の能力の二つの特徴と、元来の種族の逸話。そこから答えは導き出せた。だから、レイナーレは笑う。今回も負けてしまったが、課題を完了させることができた。そのことがどうしようもない程に嬉しくて、負けたというのに勝者のエレインに向かって勝ち誇った笑

 

「あな、たの……能力は……」

 

 いつ気を失ってもおかしくないだけの傷を負っているせいで、呼吸が荒く、満足に言葉を紡ぐことができない。体の内側からせり上がってくる血液に邪魔されて、呼吸もままならなかった。

 

「ごふっ、うぅ……」

 

 喉元にまで上がってきた血液を嚥下しようとして、しかし失敗し、堪らずに吐き出した。その動作も辛い。というより、呼吸するだけで、こうして意識を保っているだけでも辛い。それでも、一歩前進できたということを自身だけでなく、エレインにも証明するために言葉を紡ぐことを諦めない。

 

「ぃ………を……あやつ、る…………こと」

 

 意識の混濁し始めたレイナーレには自身が発した言葉の判別もつかない。しかし、意識が暗転する間際には、エレインの褒め称えるような笑顔が見えた気がした。

 

 

 

 

 




 今回のエレインとレイナーレの模擬戦ではレイナーレが重傷を負う結末となりました。
「たかが模擬戦でここまでやるのか?」そう思う人もいると思うので後書きで軽く説明しちゃっておきますね。
 結論から言えば、エレインのあの対応は例外とも言えるものです。普段、他の眷属と模擬戦をする際には、決して相手を瀕死にするまで続けたりなんてことは絶対にしません。今回、レイナーレが気絶するまで戦いをやめなかったのは、圧倒的な実力差がありながらも前に進もうとするレイナーレの意思をエレインが汲んだからです。
 結果論になってしまいますが、レイナーレは敗北こそしましたが、エレインの能力を看破するという目標の達成はできました。本人にやる気が充溢しているのだから、それを実らせる機会を奪ってはいけない、それが根幹にある考えですね。



「……ていうか、エレイン。あなたの能力って名前のまんまじゃない。そんなのでいいの?」

「まあ、一理あるが……しかし、それでいいんだよ。私の能力はアレ一つではないからね」

「……え?」

「あれの他には、念動力に魔眼、変身その他諸々の能力がある。一つや二つ、能力の正体が看破されたところでどうということはないんだ。それに、手札がバレてからが頭脳戦のの醍醐味さ」

「……遠いわね、本当に」


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6話 嫉妬の蛇とオカルト研究部

 ブックオフとかで数時間の立ち読みとかを普通にしちゃう傍迷惑なpailさんです。いや、本当、立ち読みしてるといつの間にか時間が経ってて驚きます。そして店員さんは、何時間も平気な顔で立ち読みする俺に驚いていると思います。ごめんなさい、店員さん。謝るけど、これからも行動を改めるつもりはないのでもう一度謝ってておきます。ごめんさい。

 5月25日。大幅修正いたしました。


 一誠はレイナーレの一件で心に傷を負ったが、何とか持ち直すことができた。というのも、レイナーレに殺されたアーシアの持つ神器『聖母の微笑み(トワイライト・ヒーリング)』を欲したリアスによって、アーシアは眷属悪魔の『僧侶』として第二の人生を歩めるようになったからだ。

 レイナーレを生かして逃がしたことに思うことがないわけではない。まだ胸の奥で種火のようにじくじくと燻ぶっているけれど、一番守りたかったものを守れたのだから、一誠は前を向くことができた。

 

 新たに転入してきたアーシアとの日々は笑顔に満ちたものだ。彼女の優しさに癒され、世間知らずな面に驚かされつつも世話を焼き、眼鏡とハゲの変態の毒牙からアーシアを守る。充足感の溢れた、幸福な日常と言って良いだろう。

 が、今は全く幸福でも何でもない喧騒に教室は包まれている。

 

「見て、木場君よ、木場君」

 

「はぁ~。今日もかっこいい」

 

「木場君が兵藤の毒牙に!!」

 

「木場×兵藤……これで今年のナツコミは勝つる!」

 

 聞こえてくる声の数々に、内容が内容なだけに一誠はげんなりとしていた。事の原因は聞いていればわかるように、別クラスのはずの爽やか王子の木場佑斗が一誠を訪ねてきたことにある。

 

「イッセーくん、ちょっといいかな?」

 

「むしろ早く終わらせてくれ」

 

 ここで渋っても話が長引いて、被害が増すばかりだ。話していても被害は増すが、終わりのない被害よりはマシだと思うことにした。

 

「ありがとう。早速になるけど、イッセーくんは別のクラスに転校生が来たことは知ってるかな」

 

 言われて頭の中で検索をかけ、そういえばと思い出す。

 

「女子たちが、イケメンとかなんとか騒いでたくらいだけど」

 

 イケメン死すべし。黄色い歓声を上げる女子を見て、呪詛の念を覚えたことに一片の後悔の余地もない。駒王学園に入学して一年と少し経ったこの身が女子からの好意を一切向けられていないのに、転入初日から女子に好意を向けられるイケメンのほうが罪深い。

 本気でそう思ってしまうあたり、思春期のモテない男子らしい思考の一誠である。

 

「その転校生なんだけどね……」

 

 やけに言い難そうにしている木場に疑問を感じた。一誠の勝手なイメージにすぎないが、木場という人物は常に微笑みを浮かべて誠実にあろうとする、まさに『騎士』のような男だと思っていただけに、この反応は意外だった。

 

「先日のアーシアさんの件で出会った、グラナ・レヴィアタン氏なんだよ」

 

 一拍。同僚の言葉を反芻し、それでも信じられずに、脳が拒絶し、再び頭の中でリピートしてようやく受け入れることができた。

 

「はあああああああああああああああ!?」

 

 受け入れることができたからといって、驚愕しない理由にはならないのだが。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 その日の放課後。早速呼び出しを食らった俺は、俺と同じタイミングで一つ下の学年に転入したルルを連れてオカルト研究部の部室を訪れた。それにしてもオカルト研究部とはなんだろうか、名前からすでに危ない匂いしかしない。この学園は一応、名門で通っているだけに違和感が物凄い。

 

「お掛けになってお待ちください」

 

 黒髪ポニーテールの『女王』促され、客人用らしいソファに座る。高校の部活動で使うものとは思えない高級品だが、費用はどこからきているのだろうか。

 

 シャーーー……―………―

 

 もし、部費だとしたら、厳重注意ではすまないものだと思う。自費負担、あるいは個人の持ち物を持ち込んできたのだとしても、一市民と装って学園生活を過ごしているのだから、それはそれで問題があるだろう。絨毯、ソファ、ティーセット、見る者が見れば、一目で高級品だと察せる物がズラリと並んだこの部屋は、『部室』とは到底思えない。

 

 シャー……―……

 

 更に、部室の壁面には怪しげな魔法陣が描かれていたり、どこぞの民族が祭儀に使いそうな奇妙な仮面が飾られている。この部室があるのは、現在は使用されていない旧校舎だが、それでも壁に魔法陣を描くのはやりすぎではないだろうか。オカルト研究部の一環として魔法陣を飾るのなら、テキトウな紙に描いて貼り付けておけばいい。

 

 ――………―……

 

「あら、もう来てたの」

 

 そして極めつけはこれだ。部室内になぜかシャワールームがあるのだ。運動部ならば、汗を流す目的で、シャワールームが設置されていることもあるかもしれない。しかし、ここはオカルト研究部の部室だ。オカルト研究部、運動とはまるで関係ない文化系の部活なのに、なぜかシャワールームがある。先ほどの壁に描かれた魔法陣も大概だが、現在は使用されていないとは言え、学校の設備に手を加えるのは如何なものなのだろうか。

 

(もうじゃねえだろ。予定時刻より早く、余裕を持たせて来るのは当たり前だわ)

 

 カーテンを引いて姿を現した、紅髪の女に内心で毒を吐く。容姿はかなり整っており、その体を隠すものはバスタオル一枚だが、まるで欲情しない。俺がこの女を嫌っているのもあるが、色々と常識はずれな一面を目にして呆れているのが最たる要因だ。

 客と会う前に身だしなみを整えることはあるだろう。しかし、自分から呼び出しておいたのに、シャワーを浴びているのはどうだろうか。身を清めるのならもっと早くにしておくべきだ。少なくとも、予定時刻より五分早く到着した俺を待たせるような、ギリギリの時間帯でシャワーを浴びるのはマナー違反も甚だしい。本当に貴族としての教育を受けて育ったのか疑問が尽きない。

 

(……………まあ、文句を言っても仕方ないよな)

 

 両親と兄、義姉の言葉があってコレ(・・)なのだ。今更、交流の薄い俺があれこれ言ったところで意味を為さないだろう。

 本題に入る前からすでに鬱々としてきた。判断力を削るために狙ってやっているのなら大したものだ。そんな馬鹿げた妄想でもしないと、馬鹿らしくて回れ右して帰りそうになる体を抑えることもできない。

 

 

 

 

 それから数分経ち、着替えを終えた紅髪の女――リアス・グレモリーが対面に座ったことで話が始まる。

 

「あなたがどうして転入してきたのか教えてもらえるわね?」

 

 グレモリーは初っ端からマナー違反をアクセル全開で犯してくれたが、し返すような真似はしない。この手のタイプは自分がやるのはよくても、他人にされるのは目に余り、文句を付けたがるからだ。正直、すでに精神的な疲労が溜まっているので余計なもめ事は起こさずに、手早く話を済ませたかった。

 

 俺とグレモリーが向かい合ってソファに座り、それぞれの背後には眷属が立って控えている。グレモリー眷属は『女王』『僧侶』『戦車』『騎士』『兵士』の五名の眷属がいるのに対して、俺の眷属は『騎士』のルルただ一人。数では劣るが、質ではこちらがはるかに上だ。

 

「魔王サマからの依頼だよ。んなことでもなけりゃ、今更学校に通うわけもねえっつうの」

 

 俺の年齢は十八~二十二――親からまともに育てられなかった(・・・・・・・・・・・・)ので自分の年齢が正確にはわからない――だが、すでに飛び級制度のある国で大学課程を修了しているし、野球部に入って甲子園に出場したいといった願望も持ち合わせていないので、高校に通う意味は皆無だ。ついでに言えば、グレモリーが通う高校というだけで避ける理由には充分過ぎる。

 

「そこのツンツン頭の『兵士(ポーン)』。今代の赤龍帝なんだろ? ドラゴンは厄介ごとを引き寄せる性質を持つが、二天龍のそれは他のドラゴンとは比べ物にならないくらい厄介なものらしい。で、せっかく悪魔陣営が手に入れることのできた赤龍帝がサクッと死んじまわないようにするのが俺の役目ってわけだ」

 

 赤龍帝の引き寄せる厄介事は町全体を巻き込む規模になることも考えられるので仕事内容の『グレモリー眷属のサポート』には『町の安全』も含まれる。

 

「イッセーは私の下僕よ。私が守るわ」

 

 俺は冥界のトップから言われてき来ている以上、グレモリーの意見など誰も聞いていないのがわからないのか。もう、面倒くさい。明日から不登校になりそうなくらい憂鬱だ。

 

「ほー。全盛期の三大勢力でさえ手を焼いた二天龍の片割れを、お前一人で制御できると? たいした自信だなぁ、おい」

 

 傲慢もここまでくれば、軽蔑を通り越して殺意しか湧いてこないぞ。『傲慢』は七つの大罪の一つなのだから、魔王の妹に相応しいのかもしれないが。

 

「そういや、眷属の『僧侶』が一人、数年前から封印されっぱなしらしいな。その状態で、さらに『神滅具』持ちを抱え込むなんてすごい勇気だな」

 

 人はそれを蛮勇と呼ぶのだよ。とある国のトップならこう言うだろう。ぐぬぬぬ、と唸る紅髪のじゃじゃ馬姫に更なる追撃をかける。相手が起き上がるのを待つのではなく、ダウンさせたら馬乗りパンチに繋げるのが俺のポリシーだ。

 

「歴史の本を読んだことねえのか? 過去に二天龍の喧嘩でどれだけの山や島が吹っ飛んだのか知らないのか? お前がしくじればこの町全体、あるいは冥界全土での問題になりかねないことに、まさか気付いてなかったのか?」

 

 精神攻撃は喧嘩の基本である。相手が嫌いなやつともなれば、やる気もで漲り、ついついうっかり偶然にも、責めすぎてしまった。別に俺は顔を真っ赤にして俯くグレモリーの姿を見て、ざまぁなどとは思っていないし、日頃の鬱憤を晴らせてスッキリしたわけでもない。これは本当、俺は嘘を吐かないのをポリシーにしているかもしれないのだ。

 

「まあ、俺が動くのはグレモリー眷属とシトリー眷属で解決できない事態が起きた場合のみだ。基本的には今まで通りやってくれればいい。この土地の管理者はそっちだからな、でしゃばるような真似はしねえよ」

 

 そのあたりの領分はちゃんと俺も弁えている。この土地の管理者という仕事も彼女らのものであり、将来のために経験を積む側面もあるのだから、むやみやたらと俺が動いていいわけではないのだ。それと、正直なところ面倒くさい。ドラゴンの性質がゴキブリホイホイよろしく引き寄せるトラブルをいちいち片付けるなど馬鹿らしいし、彼女らに対処しきれない事態のみに的を絞らなければ手が足りない。

 

「……そう。お兄様は私を――」

 

「信用してない、とでも言いてえのか? 舐めたこと言ってんなよ。信用するしない以前に、客観的に見てお前の実力が足りてねえって話だ」

 

 悔しげにグレモリーは唇を噛んでいる。震えるほどに握り締めた拳の内側では手の皮が破れて血も流れているのではないだろうか。まあ、だからどうしたという話だが。同情するほど親しいわけでも好きでもないし、そもそも実力不足はこの女自身の責任だ。ご立派な肩書きに胡座をかいていたツケが回ってきただけのことである。

 

「悔しいけれど……納得するしかないわね。あなたがこの地にきた件についてはもう何も言わないわ」

 

 なんで上から目線なの、とは言っちゃいけないんだろうなぁ、と思う今日この頃。話の腰を折っても長引くだけだ。仕事に鍛錬、放送禁止用語など、やることとヤルことが豊富にあり、借家に早く帰りたい俺にとってはデメリットしかないので茶々を入れるのは我慢する。

 

「その言い方だと他に何か話があるみてえだが?」

 

「ええ――レイナーレのことよ」

 

「スリーサイズは知らんぞ。俺もプライバシーとかは守るからな」

 

「そんなものに女の私が興味あるわけないでしょ」

 

 呆れ声とともにため息を吐いてくれやがるグレモリー。ジョークが通じないお堅い頭の出来をしているのはそっちだろうに、何故におれを悪者風に言うのか。これが責任転嫁か。

 

「そうじゃなくて、私が知りたいのは彼女がどうしているのかよ」

 

 ピリッ。微かに、けれど確かに部屋の中の空気が張り詰めた。グレモリーはごまかしを許さないとばかりに目に力が篭っているし、眷属の連中も同様だ。レイナーレが一度は神器を奪って殺した元シスターの金髪が体を震わせ、顔を青くしている。それに気づいた赤龍帝が彼女の肩に手を置くと、気丈にも笑みを浮かべて持ち直した。ルルに膝枕をさせている俺が言えた義理ではないが、客人の前でイチャつくな。

 

「元気に暮らしてるぞ。他の眷属から悪魔社会のことを教わったり、模擬戦でボコられたりボコられたりボコられたり、家事を叩き込まれたり……。そんな感じだな」

 

「ボコられすぎだろ……」

 

 赤龍帝の言葉も尤もだが、こればかりは仕方ない。ルルにせよエレインにせよ、もちろん俺にせよ、レイナーレを片手でぶっ飛ばせる程度には強いのだから。明確な実力差がある以上、レイナーレが模擬戦をすれば連戦連敗するのは当然のことである。

 

「そっちに今後、害を及ぼすようなことはねえから安心しな。……そっちから手出ししてきたなら、半殺しくらいは覚悟してもらうけど」

 

 完全に殺さないなんて、俺は本当に優しい。最早、俺の心の広さは仏級だ。いや、帝釈天とかいう(ハゲ)より遥かにマシだから、仏以上の心の広さを持っているのではないだろうか。悪魔史上初の涅槃エンドを達成する日も近いのかもしれない。

 

「でも、私の下僕は本当にあの女とその部下に傷つけられたの。イッセーは何度も殺されかけたし、アーシアは神器を奪われて一度は本当に死んでるわ」

 

「だから許せない。何ならぶち殺したいと?」

 

「贖罪の内容はイッセーとアーシアに決めてもらうけど、私個人としては死んでほしいわね」

 

 グレモリーは目を眇めて、魔力を迸らせる。脅しているつもりなのかもしれないが、俺にとってこの程度の魔力はそよ風レベルでしかないので、言うなれば調子に乗った野良猫に睨まれたようなものだ。全く怖くないし、圧倒的弱者が自身を強者だと思い込んで敵意を向けてくる様が哀れすぎて、可愛く思えてしまいそうだ。まあ、根本的に俺はグレモリーを嫌っているのでそんなことはないのだが。

 

「なあ、お前、それブーメランだってことに気付いてるか?」

 

「……え?」

 

 パチクリ、と瞬きをするグレモリー。どうやら自分が何を言っているのかについてさえ気づいていなかったらしい。

 はぁ、と呆れの息を吐きながら順繰りに説明してやることにする。

 

「お前がレイナーレをぶっ殺したいのは、自分の眷属候補を傷つけられたからだよな?」

 

 事の当初、赤龍帝は一般人、金髪シスターは教会から追放されたはぐれシスターでしかなかった。後々、眷属に加入することにはなるが、この時点ではどちらも眷属悪魔ではない。

 

「ええ、そう、ね」

 

 そのことをギリギリのところで、おそらく、きっと理解しているだろうグレモリーは歯切れを悪くさせながらも肯定する。

 

「それは、こっちも同じなんだぞ? 眷属候補(レイナーレ)を傷つけられたのは。お前がレイナーレの処刑を要求するのなら、俺も金髪シスター以外のグレモリー眷属全員の処刑を要求するぞ」

 

「それは! でも、おかしいでしょう!? 先に手を出したのはレイナーレの方なのよ!? どうして私たちまで!?」

 

 自分は悪くない。自分は間違っていない。自分は正しいのだ。

 そう正義面で訴えるグレモリーが、本当に鬱陶しくて仕方ない。

 

「一般人だった赤龍帝に攻撃を仕掛けたのは、上からの命令だ。文句をつけるのなら、魔王様経由で神の子を見張る者(グリゴリ)に抗議でもしろ。第一、お前が予め赤龍帝の存在を把握し保護していればレイナーレに狙われることもなかっただろう」

 

「それは……そうかもしれないけど」

 

「金髪シスターの件っつう独断専行がなけりゃあ、レイナーレは神の子を見張る者(グリゴリ)から除名処分を受けることもなかった。つまり、魔王の妹の眷属が、堕天使組織の正規構成員をぶっ殺したことになる。一歩間違えれば、戦争秒読み段階だぞ」

 

 堕天使にせよ、悪魔にせよ、天界にせよ、三大勢力の冷戦状態に不満を持つ者は、それぞれの組織にそれなりにいる。理由さえ与えられてしまえば、そういう連中は喜んで武器を取るだろう。

 

「それは違うわ。私が、イッセーたちがアーシアを助けに行くのを黙認したのは、アーシアの件が完全にレイナーレの独断で、戦争になる可能性が無いことを確認してからよ。もし可能性が僅かにでもあったのなら、絶対に止めていたわ」

 

「どうだか。報告書を見た限りじゃ、そこの赤龍帝は天界やら堕天使組織との関係性を聞いていても、お前から注意を受けていても、シスターを助けに行ったんだろ? 本当に止めることができたか怪しいよな。………つーか、止めるってことはそこの金髪シスターを見殺しにするってことなんだが、当人に聞かせてよかったのか?」

 

 グレモリーは慌てて振り返り、そこで青い顔をしてふらつく金髪シスターに寄り添いフォローの言葉を繰り返し囁く。

 主従の熱い絆、にはとてもではないが見えない。自身の信じていた相手に裏切られたように感じるショックと死の恐怖に震える少女に、言葉を投げかけて落ち着かせ、元の関係へと戻らせる光景は、マインドコントロールに近い。

 俺も、駒や道具と評した相手にはマインドコントロールを使うことを厭わないが、流石に配下にまでは使わない。愛しているだの何だのと語る眷属相手にさえ、外法を用いるというのは見ていて気分が悪い。しかもそれを無意識で、自然と行えるというのだから背筋が寒くなる。

 シスターを抱き寄せて、彼女の頭部を何度も撫で愛を囁く。俺にはそれが、理解のできない醜悪な化け物が、何も知らない少女を誑かしているようにしか見えなかった。

 

(あぁ、やっぱりこの女は好きになれん)

 

「アーシア。アーシア、聞いて頂戴。私が見捨てると言ったのは『はぐれシスターのアーシア・アルジェント』なの。そして今、ここにいるのは『グレモリー眷属の一員でリアス・グレモリーの家族でもあるアーシア・アルジェント』。両者は全くの別人なのよ」

 

 所属が変わるだけで別人になれるのなら世話ないだろう。と言うよりも、別人になるということは、過去を捨てることと同義である。そんなに簡単に過去を捨てて良いものなのだろうか。遠回しに過去を捨てるように要求するグレモリーの悪辣さは中々に悪魔らしい(・・・・・)

 

「部長、私のことを家族って……」

 

「ええ、そうよ。私はあなたのことを家族だと思っているし、愛しているわ」

 

 愛。成程、確かにグレモリーはシスターに愛を向けている。ただし、それは『愛情』ではなく、道具やペットに向ける『愛玩』なのだが。そのことに言葉を放った当人でさえ気づいていないのだから滑稽だ。

 

 シスターを励まし終えたグレモリーは、眷属たちの尊敬の籠った視線を背負いながら、悠然と歩き、優雅に席に着く。

 

(この分なら問題ないか)

 

 グレモリーには天性のマインドコントロールの才能がある。ただ、そのことを本人が自覚していない、あるいは受け入れていないので、使いこなすことができないのが現状である。

 ならば、問題ない。

 マインドコントロールの才能は破格だし、脅威ではあるのだが、満足に使いこなせない武器を警戒する必要もないだろう。それに、その才能を抜いてしまえば、リアス・グレモリーという女には何も残らない。それでもいざという時があるのならば、羽虫のように叩いて潰してしまえばいい。

 

 そんな俺の思考を露とも知らないグレモリーは、紅茶を一口だけ飲み干して、舌を潤してから言葉を発する。

 

「待たせたわね。話はどこまで進んだのだったから?」

 

「レイナーレが除名処分を受けていなかった場合、お前はシスターを見捨てていたってところまでだ」

 

「そして、それはifの話であり、私はただ眷属となったアーシアを愛していくと決めたと決めたの」

 

 ドヤ顔で胸を張りながら宣言されても、あーそうですか、以外の感想が浮かぶはずも無し。とりあえず、脱線した話を本題へと戻す。

 

「赤龍帝の件については話したから、次は金髪シスターのほうだな。そこのシスターは教会から追放され、はぐれシスターとなった後でレイナーレの一向に拾われた。つまり、この時点で堕天使陣営に加入したわけだ。極論ぶっ殺そうが何しようが、お前に『眷属候補を傷つけられた』と文句をつけられる筋合いはない。先につばを付けたのはレイナーレだし、シスターは当たり前のことだが、悪魔側ではなく教会の出身者なんだからな」

 

 レイナーレが追放処分を受けた理由は『アーシア・アルジェントの神器を強奪しようとしたから』ではなく、『魔王の妹が治める土地で独断専行をしたから』なのだ。

 つまり――

 

「――お前がシスターの件で主張できるのは『眷属候補を傷つけられた』じゃなく、『縄張りで好き勝手やられた』だろ」

 

「……悔しいけれど、一理あるわ」

 

 一理ではなく十理ある。きっと、そう突っ込んではならないのだろう。

 

「そして、シスターを助けるためにグレモリー眷属が廃協会に乗り込んだ際に、レイナーレによって傷つけられたこともあったわけだが……これは、グレモリー眷属のほうから仕掛けた戦いだからレイナーレを責めるのはお門違い。怪我を負ったのは当人の責任だ」

 

「でも、それでもやっぱり、私はレイナーレを許すことはできない。イッセーは、色恋を利用した詐術によって騙されて心に深い傷を負った。アーシアだって、窮地を救ってくれた相手が、初めから自分を利用するつもりなのだと知って傷ついたのよ」

 

 グレモリーの一見まともそうな言い分に、ふむと相槌を打ち、暫し考えてから口を開く。

 

「………それはひょっとしてギャグで言っているのか?」

 

「……私の聞き間違いかしら? 私は本気で憤っているのよ?」

 

 グレモリーは額の青筋をぴくぴくと震えさせる。どうやら、自身は真剣なのに揶揄われたのかと思ったらしく、相当に怒っていた。

 そこまで理解すれば、俺は勘違いしていたのだと悟ることができた。すなわち、グレモリーはギャグでもなんでもなく、本気で、素面で、あの台詞を宣ったのだということを。

 

「いや、悪い悪い。あまりにもアホらしいことを言ってるから冗談かギャグだとしか思えなかったんだ。だって、そうだろ? 普段から覗きに盗撮、その他諸々のセクハラを含めて性犯罪をしまくり、女生徒を精神的に傷つけることが日常であり、いくら注意されようが反省の色が一向に見えない赤龍帝が精神的に傷つけられた? アホか、そういうこと言うならまずは性犯罪をやめさせろよ」

 

 頭脳が優れるわけでもなく、運動が得意なわけでもなく、特技があるわけでもなく、顔が良いわけでもなく、社会的に問題ばかりしかない男が女に好かれるはずが無い。

 だというのに、初対面の女から恋の告白をされる? そんなことがあるものか。

 丸見えの罠に自分から飛び込んでいく馬鹿の面倒まで見切れるか。

 

「それとこれとは、話の規模が違うでしょう」

 

「違わねえよ。俺の部下には、過去のトラウマから重度の男性恐怖症の女がいる。盗撮されたら、覗きをされたら、そいつはどう思うだろうな? トラウマがフラッシュバックするか、盗撮犯をぶっ殺すか……正確なところは知らんが、碌な結果にならんことは確かだろ」

 

 一生もののトラウマを何度も何度も、無造作に、無責任に、無邪気に穿り返す。到底、許せるものではないだろう。

 

「で、だ。そいつと似たような女がこの学園にいない保証がどこにある?」

 

「っそれは例が極端すぎるわ!」

 

「だとしても、赤龍帝のやった性犯罪がトラウマになるかもしれない。何のために法律で取り締まってると思ってんだ。覗きでも盗撮でも、それで傷つく女がいるからだろうが」

 

 俺は鼻で笑って続けた。

 

「日常的に女を傷つけ、反省はまるでしない。そのくせ、自分が傷つけられた途端、善良な一市民、一被害者を語るのか。随分とふざけた生き方してるな。世の中舐めすぎだろ」

 

最早、性犯罪者に関して言うべきことは何もない。さて、と前置きして次なる話題へと移った。

 

「次は――――金髪シスターが、自分を救ってくれた相手が自身を利用するつもりでしかなかったって話だが……それってお前も同じだよな?」

 

「…………え?」

 

「神器を奪われて一度死んだシスターを、どうしてお前は悪魔に転生させた? 優秀な回復能力に目を付けたからだろ? 神器を持っていなかったら、わざわざ『悪魔の駒』を使うこともなかったはずだ」

 

 レイナーレは神器を奪い自身の力としようとした。

 グレモリーは眷属悪魔として従えることで、己の力としようとした。

 

「お前のやってることはレイナーレと大して変わらん。どっちも神器に目を付けて利用しようとしただけだ」

 

「違う! 私は――」

 

 グレモリーが言葉を続けるのを遮り、代わりに俺が紡ぐ。

 

「じゃあ、シスターが神器を持っていなかったとして―――武力も特殊な能力も持たない、蝶よ花よと育てられた無力な女が死んだとして、お前は『悪魔の駒』を使って生き返らせたのか?」

 

 そんなことはあり得ない。眷属は主の力量を表す指標、つまりステータスの一種であると教育され育ったリアス・グレモリーが、悪魔の基準では無能そのものの少女に貴重な『悪魔の駒』を費やすはずが無い。

 

 渋面を浮かべるグレモリーに、俺はさらに畳みかけていく。

 

「そもそも、赤龍帝とシスターの件、このどちらにも共通することだが……ぶっちゃけお前の管理ミスが原因の面もあるよな。ちゃんと町を支配していれば、堕天使が侵入してあれこれすることなんてなかっただろ。自分の責任と失態を棚上げするような女に、相手を責め立てる資格はねえよ」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「話は着いたし、用はもう終わりってことでいいんだよな? じゃあ帰らせてもらうわ。他に用があるわけでもないからな」

 

 立ち上がり、ルルを連れて部室の出口へと向かって歩みを進める。

 

「じゃあな。できるだけ俺たちが出張ることのないようにしてくれよ」

 

 俺の物言いにグレモリーは不機嫌になったようだが、それは今日だけでも何度もあったことなので特に気にする必要はない。

 オカルト研究部の部室の出入り口の扉を開けて廊下へ出ると、室内とは違って風が足元を吹き抜けた。

 

 

 

 




 グレモリーアンチ! これから先もグレモリーアンチの方向性は変わらないのでよろしくお願いしまっす!


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7話 嫉妬の蛇と生徒会長

 最近、花粉症が本当に酷いんです。鼻水と目の痒みが止まらなくて、毎日が辛いです。


 あのオカルト研究部での一件から数日。特に問題事も起こらずに、俺は日々を謳歌していた。今日も今日とて、シトリー眷属の『女王』森羅椿の仲介を元に使えるようになった生徒会室で昼食を広げている。

 

「この弁当って、レイナーレが作ったんだよな。最初の頃は焦げた野菜炒めくらいしか作れなかったのに、ずいぶん成長したなぁ」

 

 日本の弁当の定番とも言えるタコさんウィンナーを口に放り込む。肉以外にも総菜に白米と、上手いこと栄養バランスに配慮したメニューまで習得しているのだから、成長著しい。エレインから様々なことを一日丸ごと使って教わっているのも要因だろうが、本人の努力も垣間見える結果である。

 

「うんうん。この卵焼きなんかボクの好みど真ん中だしね。食べる人のこともよく考えてるよ」

 

「それぞれの弁当の味付けは好みに合わせて微妙に変えてるっぽいな。俺のほうの卵焼きは薄味だし」

 

「………」

 

「あ、ところでさ、ゴールデンウィークも近いじゃん? どっか行く?」

 

「このままじゃあ、マジでレイナーレが死にかねんし、とりあえずは年柄年中真っ暗闇の陰気なところに住む女王陛下にご指導願うかねぇ」

 

「…………」

 

「うん。それでいいでしょ。あのヒトなら信用できるし、得意な武器が槍だからレイナーレの目標にもなるんじゃないかな。……ただ大丈夫なの? あのヒトの趣味的にレイナーレの指導をしてくれるとは思えないんだけど」

 

「そこは何とか話を押し通すしかないわな。それに槍以外の武器、つーか武芸百般修めてるから俺たちの相手もしてもらえるし」

 

「……………あの」

 

 ここは生徒会室である。俺がルルと昼食を取るために選んだ場所であり、そしてこの場にいる三人目が以前から昼食を取る際に使用していた部屋でもある。今、声を上げたのはその三人目、短く切り揃えた黒髪と黒縁の眼鏡奥に覗く切れ長の瞳が特徴的な生徒会長の支取蒼那、またの名を冥界の上級貴族シトリー家の次期当主――ソーナ・シトリーといった。

 

「どうした? 青春真っ盛りの高校三年生なのに一人寂しく生徒会室で昼食をとってきた生徒会長さん」

 

「大丈夫だよ、心配しないで! 明日からもボクたち、ここでゴハン食べるからもう一人じゃないんだよ!」

 

「悪意のある呼び方も、悪意はないのに天然で傷を抉りにくるのもやめてください!」

 

「……抉る傷があったんだな」

 

 相談していれば、眷属の真羅たちと食べる機会もあったはず。しかし、ここに彼女らがいないということは、外面は優秀でいかにもリア充然としているがゆえに、悩みを打ち明けることができなかったのだろうか。なんちゃってリア充の悲惨さだ。

 

「貴族令嬢の秘密を暴いちゃったね。……こういうの好きだったりする?」

 

「貴族令嬢の秘密……。エロゲっぽくていいな」

 

 響きは好きだが、実情が実情だけに好きにはなれない。正直、ソーナへの憐みの度合いが強すぎるのだ。それにソーナの姉がアレだ。普段から心労も酷いだろう。それが薄い交友関係の遠因となっているのかもしれない。やはり哀れだ。

 

「そういうことではなくてですね。私があなたに訊きたいのはもっと別のことです」

 

「どんどん訊いてくれていいぞ。俺的にはソーナの好感度はかなり上位に来るからな、大抵のことは答えるぜ」

 

 今の若手の上級悪魔の中で言えば、バアル家の次期当主であるサイラオーグに次ぐ第二位の座を確保しているのがソーナ・シトリーだ。身内でもない中ではかなりの好感度である。ちなみにグレモリーは、ヤンキーとキモイ上っ面優男と並ぶドベベスト3に名を連ねている。

 

「では遠慮なく。どうして生徒会室(ここ)で昼食を取っているのですか? 昼食ならば、自分たちの教室でもいいでしょうに」

 

「俺は二年。クラスが別とはいえ、俺の教室に一年の美少女転校生が弁当を持って訪ねてくれば騒ぎになる。で、その騒ぎを聞きつけた変態三人組が俺のクラスまで来て、ルルを視姦する可能性があるから、俺のクラスで食べるのは無しだろ? で、ルルの教室で食おうにも騒ぎが起きるのに変わりない。変態三人衆がいないのはいいけど、うるさいのはちょっとな」

 

「うんうん。ボクも最初はそこまでする必要あるかなって思ってたんだけどさ、変態三人衆の話は転校して数日で耳に入るどころか、実際に犯行現場まで見ちゃったしね。正直、性犯罪者にジロジロ見られながら食べるのは遠慮したいんだ。それにクラスの子たちはみんな良い子たちなんだけど、グラナとの食事はちゃんと楽しみたいから、質問攻めは勘弁してほしいかな」

 

「あの三人のことについては私からもお詫び申し上げます。何度先生方や生徒会から注意しても一向に改善する余地がなくて……」

 

「いや、お前が謝る必要は本当にないからな。ソーナは生徒会長として責任を感じてるのかもしれねえけど、本来なら自分の眷属の犯罪を見事に放置してるじゃじゃ馬姫が謝ることだし」

 

 赤龍帝はもちろん、赤龍帝の友人二人についてもグレモリーの管轄だろう。赤龍帝は眷属なのだし、残りの二人は赤龍帝の友人なのだ。その二人に関しても、赤龍帝を介して注意するべきだ。

学園の教員も、生徒会の役員も注意するなど、己の義務を果たしているのだ。責められるべきは彼女らではなく、眷属とその友人の犯罪を放置するグレモリーと本人たちだろう。

 

「グラナの言う通りだよ、ソーナさん。ていうか、自分が責任を負わなくていいことでも真摯に謝ることのできるソーナさんを尊敬してるんだよ? そんなに頭を下げられちゃボクも困るよ」

 

「お二人とも……、ありがとうございます」

 

 ソーナは人格的に本当にできている。今の冥界ではグレモリーのほうが評価は高いが、俺としてはソーナのほうを断然推したいくらいだ。あの魔王少女がシスコンになるのも頷ける。

 

「それともう一つだけお聞きしたいことがあるのですが……」

 

「妙に歯切れが悪いな。さっきも言ったように遠慮なんかしなくていいぞ? 答えられない質問なら、正直に俺も答えられないって言うだけだし」

 

 一つ咳払いして、では、と前置きするとソーナの雰囲気が変わった。生徒会長の支取蒼那から、上級悪魔のソーナ・シトリーへと切り替わったのだろう。同年代の俺が言えることではないだろうが、若輩ながらも軍師のような気配を感じる。

 

「あの堕天使を眷属に加えたのはなぜですか?」

 

「……同じ質問をグレモリーにもされたな」

 

 レイナーレを配下に加えた後、一応ソーナにも顔見せは済ませてある。俺の眷属に加わったことを知られていないがために、レイナーレが襲われるようなことがあっては互いに不幸にしかならないし、彼女のほうでも紹介したい新入りがいるということだったので、タイミング的にも丁度よかったのだ。

 

「『才能があるから』じゃあ駄目か?」

 

「納得できませんね。リアスは信じたようですが、彼女は自信家な部分がありますからね。自分の目から見て才能が無いというのを信じ、あなたの発言は見る目が無いとでも判断して勝手に納得したのでしょう」

 

 勝手に能力不足の烙印を押されたことに苛立つよりも、呆れが先に出てしまうのだから、グレモリーの傲慢はある意味凄いものだ。

 

「改めて聞くと、ほんとにスゴイ思考回路だよね。どんだけ自信があるの」

 

 ルルとは全くの同意見である。ソーナも同じらしく、親友の悪癖にはため息を漏らしている。

 

「グレイフィア様やリアスのお母様も注意しているそうなのですが、一向に直る気配はなく……、先は長いですね」

 

「馬鹿は死んでも治らないって言うし、諦めたほうがいいんじゃねえか?」

 

「いっそのこと、人格面の矯正は諦めてそれ以外を伸ばすとか良いと思うよ」

 

 どういうわけか、今の冥界では評価されているのだし、このまま突っ切ってしまうのも一つの手だろう。グレイフィアあたりは頭痛に悩まされそうだが、常に距離を取り続ける俺には関係のない話だ。

 

「リアスのことは本題ではありませんし、話を戻しましょうか」

 

「あー……、レイナーレを眷属にした理由、真面目に答えないと駄目か?」

 

「どうしても、と言うのなら構いませんが……。正直、興味があるので聞かせてもらいたいものですね」

 

 他意はなく、言葉通りの意味だろう。ソーナが悪魔らしからぬ誠実さに溢れた人柄だというのは知っているし、そんな彼女ならばレイナーレを眷属にした理由についてもこれ以上の追及をすることはなく、周囲に余計な詮索もさせないように気を回してくれる。

 そう確信できる程度には、俺とソーナは友好的な関係を築けているのだと思っている。だからこそ、俺も彼女には報いたい。

 

「まあ、うん。じゃあ、話すか。話したところでデメリットがあるわけでもないし。――ちっとばかし昔にレイナーレには助けてもらった恩があるんだよ。当の本人は全く覚えちゃいないだろうけどな。それでも恩があるだけにあいつには死んでほしくなかった。それが、あいつを眷属に加えた理由だ」

 

 脳裏に浮かぶのは、どれだけの月日が過ぎようとも決して薄れることのない日々だ。あの時に俺は、優しさとは、愛とは、大切なものとは、生きる上で必要となるものを学んだのだ。

 

『あなた、悪魔よね? どうして死にかけてるの?』

 

『治療しておいたから、早くどこかへ行きなさい。悪魔と堕天使が一緒にいて良く思われることなんてないんだから』

 

『親に捨てられた? あなたも大概な人生を送ってるわね。私も主に見放されて堕ちたんだから、似た者同士よ』

 

『はぁ? 自分の誕生日がわからない? じゃあ、私と出会った日を誕生日にしましょ。この世のどこにも、自分が何年何月の何日に生まれたかなんて知っているヒトはいないんだもの。誰も彼もが、親や兄弟から教えられた日を誕生日だと信じてるだけ。だから、私が言った日をあなたの誕生日だと思えばいいのよ』

 

『あのクソ上司! ホント腹が立つわ! 仕事の間中下心満載の目線を向けてくる上に、私の手柄を掻っ攫って!! 昇進して私が上の立場になったら、絶対扱き使ってやるんだから!』

 

 下っ端の堕天使でしかない彼女が、死にかけの悪魔の子供を助けた理由なんて、気まぐれか何かだろう。実際に彼女自身がそう言っていたし、俺を助けるメリットがないことなども含めて考えてみても気まぐれというのが最も納得のいく答えだ。

 気紛れであるがゆえに、彼女はきっとあの頃のことを覚えていないだろう。でも、それでいい。彼女に助けられた恩を返したい、彼女には死んでほしくない。それだけが俺の想いなのだから。

 

「……なんか恥ずかしいから、もうこの話はやめだ。」

 

「少し意外です」

 

「あん?」

 

 あのソーナが表情を崩して漏らした反応が意外だったせいで、つい不良染みた返答をしてしまった。

 

「グラナの眷属は精鋭揃いでしたから……。てっきり能力しか見ていないのだとばかり思っていたんですよ」

 

「あぁ、そういうことか」

 

 ルルは有名な家系の中でも才女として育てられていたし、エレインは混血でありながら純血の吸血鬼を歯牙にもかけない潜在能力を持っている。今は離れて活動している『戦車』は能力に偏りがありすぎて使い所こそ難しいものの、得意方面に限っては極めて優秀だと言える。これでは、能力しか見ていないのだと思われても仕方ない。

 

「そりゃあ、優秀なやつを好んじゃいるけどな。優秀なだけのやつならそこら中にいるさ。俺の基準ではあるけど、人格面とかも見てるっての」

 

「グラナの基準はアレだから……。人格面がアレなヒトでも勧誘しちゃうこともあるけどね」

 

 わかっている。わかっているから、そんな「ダメなヒトだなぁ」とでも言いたげな視線を寄越すのはやめてもらいたい。

 ルルが思い起こした『人格面がアレなヒト』とは、最強の白龍皇とかのことだろう。このクソイケメン白龍皇は冗談抜きで話が通じないというアレぶりだ。最強のエクソシストを勧誘しながら戦っている際に、それを見た白龍皇が「フッ、これほどの戦いを前にして何もしないでいられるか」などと言って、俺とエクソシストの話をガン無視して乱入してきたときには頭を痛めた。

本当に、お前のことはお呼びじゃないから。エクソシストの相手だけで手一杯だからな。勧誘はまた今度するから、とりあえず今回は帰ってくれ。これら全ての言葉をものの見事に曲解、もしくは無視するのが今代の白龍皇だ。赤龍帝は性犯罪者、白龍皇は人の話を聞かない戦闘狂。今代の二天龍はどちらもマトモではない。

 

「少なくとも、眷属入りしたやつはまだマトモだろ。ルルは頭が緩いだけだし、レイナーレは良くも悪くも普通。エレインは比較的(・・・)常識人で出張中の戦車は忠義がカンスト」

 

「なんでボクだけ悪口なのさ!」

 

「それが事実なんだから仕方ねえだろ」

 

 かのアストルフォのように理性が蒸発している、とまでは言わないが、ルルの頭の捻子が緩いことは確かである。すでに大学課程を終えている俺とエレインが勉強を教えてきたため、決して馬鹿ではない。ただ、優れた直感に導かれるままに大抵の局面を打破してきたせいで、生来の楽観的な性格を助長してしまっているのだ。

 

「グラナ、そんなに言うほどのことではありませんよ。ルルさんは眷属としての役割をしっかりと果たしているのですし」

 

「そうだそうだ! ソーナさんの言う通りだよ!」

 

「援護受けたからって良い気になるな、アホ」

 

「ふぎゅ」

 

 椅子に座り柄も器用に上体だけを跳ねながら講義する騎士に頭に一発チョップをお見舞いして黙らせる。ルルが眷属としての役割を果たしていることは認める。基礎能力が高いので、現状の眷属の中では最も使い易く、有利な局面ではより勝利に近づき、不利な局面では逆転の一手を担う存在だ。欠点の頭の捻子の緩さも、不利な局面であっても躊躇いなく突っ込むことができる点を見れば長所と言えなくもない。それに楽観的で考えなしの、その部分がルルの自信を支え、大きな自信がルルに強さを齎しているのだ。徒に否定するわけにもいかない。

 が、それでももう少し考える癖は付けたほうがいい。引き際を誤ることもあれば、敵の罠にまんまと嵌ることもあったのだから、ルル自身の身の安全を考慮する上でも、改善した方がいいことは間違いないだろう。

 

「ルルの欠点は今後改善していくとして……。俺の眷属のことを話したんだから、シトリー眷属のことも教えてくれないか? 真羅とかの古参メンバーは知ってるけど、新入りの四駒消費の兵士以外にも知らん奴が結構いるからな」

 

 以前はソーナともかなり親交が深かったこともあり、彼女の眷属とも話す機会があった。が、三年前からこの駒王学園へと通うにあたり、生活拠点を冥界から人間界へと移したために、ソーナとの交友は希薄になってしまっていたのだ。連絡はしばしば取り合うし、休日には一緒に出掛けることもあるが、逆に言えばそれだけだ。

冥界にいた頃は眷属もまとめてシトリー家の屋敷で暮らしていたので、ソーナと交友していれば自然とシトリー眷属とも知り合えたが、人間界ではソーナと眷属は別々の家に住んでいる。よって、ソーナとの交友が続いても、シトリー眷属と知り合う機会はめっきり減ってしまったというわけだ。

 

「ええ、もちろん構いませんよ。あなたが自身の眷属に誇りを持つように、私も私の眷属を誇っていますからね。隠す理由がありません」

 

 口元に薄い笑いを浮かべる、その心中は如何なものか。見定めた相手を打倒してみせるのだという挑戦者か、友人と配下を自慢しあう上級悪魔令嬢か。

 

『あなたは私の憧れであり、目標ですので。タメ口なんて利けませんよ』

 

 その心中を窺い知ることはできないが、ふと、以前ソーナが発した言葉を思い出した。

 偶然、ではなく、直感だろう。今、目の前にいる彼女の浮かべる笑みがかつてのそれと類似しているからこそ、こうして想起したのだ。

 

『あなたは眷属を持つには覚悟が必要だと言いますよね? あなたの言葉を借りて宣言しましょう』

 

 故にこそ、理解はできずとも、予想できる。

 

『私はあなたを越えてみせる。その時には真に対等な関係となると、私から申し込ませていただきます。――これが私の覚悟です』

 

 この笑みはきっと――

 

「私の眷属は、あなたの自慢の眷属にも負けていませんよ」

 

 好敵手の喉元に喰らい付かんとする、挑戦者の不敵な笑みだ。

 

 

 




 自分でも思いますが、進行が遅いですねぇ。もっとテンポよくストーリーを進められたらなぁとは思いますが、早すぎては話に重みがなくなってしまいますし……。そのあたりのさじ加減が難かしく、プロの作家の方々に敬意を覚えますね。


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8話 事情説明

「ん? この魔力は……」

 

 今日もすでに理解できているために、つまらない授業を受けて、昼休みには最近の日課となったルルとソーナとの昼食を楽しんで迎えた放課後。ルルと一緒に帰ろうと昇降口から出たところで、旧校舎――オカルト研究部の方角から莫大な魔力を感じ取った。

 グレモリー眷属など目ではない魔力量、魔王クラスと呼べるだけの魔力を持つ存在は限られている。その中で、グレモリー眷属と関りのある悪魔と言えば――

 

「――グレイフィア・ルキフグスか」

 

「うん。この魔力の感じは間違いなくグレイフィアさんだね」

 

 戦いを生業にする者の中には気配を読むことができる者がいる。ルルの場合はその感覚が人一倍強いおかげで、こうして離れていても個人を特定できるのだ。俺は状況から推測しただけである。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 そして翌日。日課のようになっている生徒会室での三人での昼食だ。レイナーレの調理技術の向上は目覚ましく、毎日変更するだけのレパートリーを持つくらいで、毎日の弁当には飽きが回ることはない。おかずと白米を口に運びながら、俺とルルはソーナの話に耳を傾ける。

 

「昨日のグレイフィア様の訪問グレモリー家の問題に関係しています」

 

 まるで興味のない俺に対して、ルルはクイズの答えを待つかのようにそわそわとしながら聞いていた。ルルもグレモリーがどうなろうと気にしないが、こうも意欲的に話を機構としているのはただの興味本位。野次馬根性とも言う。

 

「それでそれで?」

 

「がっつくな。ご飯粒が飛ぶだろ」

 

 身を乗り出して口から白米ショットを繰り出すルルの頭に、手を乗せて強引に席に押し戻す。それから改めて視線をソーナへと向けて、答えを言ってくれと促した。

 

「リアスは以前からフェニックス家の三男のライザー氏との婚約が結ばれていました。そしてそれを公にするのは彼女が大学を出て一人前になったかという話だったそうです。そして今回のグレイフィア様の訪問はその婚約が早まったということを伝えに来るものでした」

 

 ソーナの話とフェニックス家とグレモリー家の事情を鑑みて、情報を軽くまとめるとこうなる。

 第一にグレモリー家は公爵家なので政略結婚は当然ある。もちろん、相手の家はかなり格のある家だ。

 第二に、フェニックス家は炎と風を操り高い攻撃力を持ちながらも、『不死』の特性を持つ戦闘に秀でた一族であるということ。さらに、あらゆる傷を癒すフェニックスの涙の製造元でもあることから、レーティング・ゲームの普及した現在の冥界では地位を瞬く間に上げた家である。

 これらのことから、リアス・グレモリーの婚約相手として格だけを見るならライザー・フェニックスは相応しく、以前から内々に婚約が結ばれていた。しかし、突然、期限が短くなり、早急に正式な婚約を結ぶように促してきたのだという。

 

「……婚約が早まったのは、やっぱ赤龍帝が原因か?」

 

「そこまでは聞いていません。……しかし、意外ですね。リアスのことには点で興味がないとばかり思っていたのですが……。心境の変化か何かですか?」

 

 俺がわざわざグレモリーに関することで質問したことが本当に意外だったのだろう。目を大きく見開いたソーナの双眸からは、彼女の感じた驚愕の念が伝わってくる。

 

「別にそんなんじゃねえよ。グレモリーのことには今だって興味ない。ただ、赤龍帝が原因なら俺のほうにまでとばっちりが来ないとも限らんから、先に予防線を張るために情報が欲しいだけだ」

 

 赤龍帝は、それこそ単体で世界を動かし得る潜在能力を秘めた存在だ。これが全く関係ないやつだったら俺も気にしなかっただろうが、生憎とすでにレイナーレの件と現在の駒王町への赴任で関わってしまっている。

フェニックス家とグレモリー家の婚約話で、全く違う家の俺はそうそう巻き込まれないはずだが、ドラゴンのトラブルメーカーとしての特性が騒動を大きくして、飛び火しない保証はない。

 

「うわー。初っ端から予防線張りに行くとか……。臆病すぎない?」

 

「この婚約話はどっからどう見ても政治的な意味合いが含まれてんだろ。権力だとかめんどくさそうなもんに付き合ってられるか」

 

 現魔王を輩出したグレモリー家の婚約話に、旧魔王の血族である俺が巻き込まれたら、話が拗れに拗れて収拾がつかないことになりかねない。絶対に関わりたくない。

 

「それにこの婚約を早まるタイミングといい……。関係者が何も考えずに行動を起こしたとは思えないんだよな」

 

 赤龍帝を眷属に加えて一ヶ月も経っていないのだ。このタイミングを偶然の一言で済ませるには無理がある。

 それにグレモリー眷属の女王、騎士、戦車は確か過去に色々あったはず。そして女王の『雷の巫女』の二つ名が示す彼女らの現状。

 それらの情報を元にすれば――結婚を早める理由もわかってくる。それに対する俺の答えも定まる。

 

「静観だな。グレモリーとライザーがくっついてくれたほうが俺としちゃ楽でいい」

 

「ところが、そうはいかないかもしれませんよ?」

 

 思わぬところから入った横やりに問い質す。そういってくれないと俺の負担や懸念材料が増えて、仕事がより面倒なことになるのだから、ついつい声も低くなってしまう。

 

「あん? そりゃどういうことだ、ソーナ?」

 

「正式な婚約はリアスが一人前になってからだと言ったでしょう? 彼女は今回の婚約を早めることについて、話が違うと異議を申し立てたのです。それに元々、彼女は添い遂げる相手を自分で選ぶとも言っていましたしね。唯々諾々と従わないことにも納得できます」

 

 俺は思わずため息を吐いた。あまりにもじゃじゃ馬過ぎて、グレモリーの行動が完全に予想の遥か外を突き抜けていたのだ。しかし、言われてみれば、あの我儘娘ならば、その程度のことは軽くやってのけると、全くありがたみの欠片もない納得ができてしまう。今も、グレモリーが魔力を撒き散らして抗議する姿を簡単に思い浮かべることができる。

 

「あぁ……本当に嫌だが、俺も納得できちまう」

 

「あはははは! ある意味、ホント面白いヒトだよね。見てて飽きないっていうかさ!」

 

 ルルの笑い声にため息を吐く。彼女の言うように、見ている分には楽しいだろう。しかし、こうして護衛か監視のような任務で送り込まれた身としては全く笑えない。当事者として巻き込まれることを楽しめるのは、よほど酔狂な者か、ただの狂人くらいしかいないだろう。

 

「それで? 結局、申し立てた後はどうなったんだ?」

 

 まだ語られていない結末を訊くと、ソーナは言いづらそうに眼を逸らす。なので、静かに視線を無言で送り続けると、根は優しいためにソーナのほうが折れて話してくれる。

 

「レーティング・ゲームで決着をつけるそうです。リアスが勝てば婚約は解消、逆にライザー氏が勝利すれば即婚約となるそうです」

 

 それを聞いたルルが噴き出す。

 

「ぷっ! あはははははは!! はははっははは、ごっほごっほ! ……笑いすぎて(むせ)た」

 

 この結婚にグレモリー家とフェニックス家だけでなく、多くの貴族や商人も関わっているはずであり、結婚を間近に控えた今ではそれを見越した商談なども結ばれているはずだ。それを全て無に帰す我儘には、呆れを通り越して笑うしかない。

 

「ああ……。ルルの言う通り、ある意味面白いな。損害を受けるやつらからすれば文句を言うだけじゃ気が収まらんだろうけど」

 

 我儘すぎる気性も、関係の浅い俺にさえ容易に予想される単純すぎる行動原理も、ここまで極まればある種の才能のようにも思えるのだから不思議だ。

 

「つーか、レーティング・ゲームで決着をつけるって……、まさかグレモリーのやつ、ライザーに勝てるとでも思ってんのかね」

 

「……その言い方だとあなたは、リアスは確実に負けると思っているんですね」

 

 どこか気遣うような物言いは、親友のグレモリーに気を遣ってのことだろう。あんな愚物を親友と言える度量も凄い。そして、こうして俺に訊けるのは彼女の優しさゆえだ。グレモリーとは違って、聡明な彼女なら、すでにライザーの勝利は確定したようなものだと理解できているはずだ。それでも俺に訊くのは、自身のその考えが間違いであってほしいから、親友の願いが成就してほしいからと思ってのことだろう。本当に、悪魔とは思えないほどに優しい女だ。

 

「そりゃそうだろ。まずレーティング・ゲームの経験に差がありすぎる。ライザーはすでにプロデビューしていて、公式戦もいくつもこなしているし、家の関係のためにわざと負けた試合を除けば全勝だ。経験だけじゃなく、実力もあるわけだ。……まあ、経験云々を抜きにしても、そもそも今のグレモリー眷属の中にはライザーを倒せるやつがいないから、どうやってもグレモリー眷属に勝ちの目はねえが」

 

 スクランブル・フラッグのような特殊ルールでもない限りは、レーティング・ゲームの勝利は相手キングの打破を意味する。その前提がある以上は、ライザーを倒す手立てのないグレモリー眷属はどうやっても勝利を引き寄せることはできない。

 

「――ではリアスたちが十日間の特訓をした、と考えれば結果は変わりますか?」

 

 その質問で、クラスの女子たちが、二大お姉さまがいないとか学園の貴公子がいないと騒いでいたことを思い出した。

 

「まさか、グレモリー眷属は今、特訓中なのか?」

 

「ええ。本日から十日間かけての突貫仕様ですが」

 

 俺はグレモリーが婚約を破談にすることを条件にレーティング・ゲームに挑んだと聞いた時には、呆れかえっていたと思ったが、実はそうでもなかったらしい。理由は至極単純で、ソーナの今の言葉を聞いて更に呆れるのを自覚したからだ。

 

「私情で十日間も学校サボるなよ。将来のために通ってるってこと忘れてんのか」

 

 間には休日も挟まっているので、正確には十日間ではないが、そんなことはソーナにもわかっていることなのでわざわざ訂正することはない。

 

「ひ、ひー、ひー。笑いすぎてお腹裂けちゃいそうなんだけど……。これ以上笑ったら、本当に死んじゃう」

 

 ルルに至っては、弁当を食べることができないどころか、腹部を抑えながら机に上体を倒している。絶えず全身を痙攣させる姿は何らかの体調異常のように見えるが、その原因はただの笑いすぎである。

 

「――それで十日間の特訓で結果が変わるかどうか、だったな。まあ、十中八九無理だな」

 

「理由をお聞きしても?」

 

「グレモリー眷属の突貫仕様の特訓は、一夜漬けでテストに挑むようなもんだ。何もしないよりはマシだろうが、勝つことはできねえさ」

 

 というか、これまで碌に努力してこなかった連中が、僅か十日間特訓しただけでプロ選手に勝てるのなら、冥界の大半の悪魔がレーティング・ゲームの選手となれるだろう。そうはならないのは、プロとそれ以外の間には生半なことでは埋められない、明確な差が存在しているからだ。

 

「所詮は悪足掻きだよ。眷属の何人かを倒せても肝心の(ライザー)にまでは届かない。その上で、フェニックス眷属には超強力な回復アイテム『フェニックスの涙』があるからな。万に一つもグレモリー眷属には勝ち目はないってわけだ」

 

 回復手段なら、グレモリー眷属にも新入りの元シスターが持つ神器がある。しかし、本人が未熟であるために、負傷者に触れて発動しなければならず、自衛手段を持たない彼女がレーティング・ゲームでどれだけ活躍できるのかは疑問だ。

 また、それ以外の眷属の質、数ともにライザーの眷属がグレモリー眷属を上回っている。グレモリー眷属の不安要素は考えれば考えるほどにぽんぽん出てくるが、その逆はほとんどない。

 

「ライザーの勝ち、そしてグレモリー家とフェニックス家の縁談も晴れて成立。それが結末だな――ルル、昼休みももう終わりだから、教室に戻ろうぜ」

 

 ちょうど、結論が出たところで弁当も食べ終わり(ルルは途中笑いすぎて食事を中断していたので、後半では喋ることなくかき込んでいた)、次の授業も迫っているので席を立つ。ソーナも時計を見て、時間を確認すると弁当箱を手際よく片付けて、俺たちに続くようにして生徒会室を出た。

 

「あ、そういえば、ソーナ」

 

 一つ言っておかなければならないことを思い出し、彼女を呼び止めた。

 

「俺、今週末にちょっと死にかけるだろうから、週明けに包帯巻いてても気にしないでくれ」

 

 ぱちぱちと二度の瞬き。そしてソーナは大きく目を見開いた。

 

「……は?」

 




 次回から本格的なバトル展開にようやく入れます。……ここまで結構長かった! レイナーレの話でもバトル要素はありましたが、模擬戦ではほとんど一方的な展開ですし、ミルたんとの出会いはバトルと呼んでいいかわからないものでしたし。
 戦闘シーンを何度も書き直しているので投稿はいつになるかわかりませんし、途中で妥協しちゃいそうな気もしますが、温かい心でお待ちになってもらえると嬉しいです。


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9話 嫉妬の蛇と影の国

 まさかのまさかの二万文字!? 一部を消して付け足してを繰り返してたら、過去最大の文量となってしまいましたね……。


 ――影の国

 

 そう呼ばれる場所がある。ケルト神話において語られる伝説の地だ。ここでは時間の流れも人間界とは異なり、影の国で一日過ぎれば人間界では三十日経過する。数多の男が訪れ、躯となり果てた墓場であり、同時に稀代の英雄を育て上げた聖地でもある。城壁の中に街があり、そこにも城壁があり、計七重の城壁に守られたこの国は、上空から見ればまるで石礫を放り込まれた波紋を生み出す水面のような構造となっている。

 

その中心。七つの城壁にある門を潜り抜けたその先、国の中央に鎮座する女王の城に俺は足を運んできていた。理由はただ一つ、()の女王に頼みごとをするためだ。

 

「ほう? では私に才能の欠片もない凡人を育てろと?」

 

 玉座から見下ろす、一人の女。住民が一人としていなくなった国においてさえも、彼女の凛然としたカリスマが失われることはない。大地を照らす天の太陽はないが、国を照らす太陽は彼女だろう。そう思わせるだけの輝きを、意識をすることもなく目の前の女王は纏っていた。

 

「ああ、そうだ。俺はあいつに死んでほしくねえ。だから、自衛できるように力を付けてやってほしい」

 

 美しい女王が、怒りを宿らせて放った言葉に応じる。もしかしたら、この質問で引き下がれば許してやる、という彼女なりの気遣いだったのかもしれないが、その程度の覚悟しかないのなら、そもそもここに来ることはなかった。

 

「あんたが育てるのは才能のあるやつだけっつう拘りを忘れたわけじゃない」

 

 影の国に足を踏み入れた者に与えられる試練の数々は、女王が育て上げるに足るかどうかを見定めるためのものでもある。あの程度の試練を突破できないようなら、そして半端な力量で教えを請いに来た愚か者は須らく死ぬがいい。それが、数千年前から続く、この女王の在り方だ。

 

「でも、それでも頼む。レイナーレを鍛えてやってほしい」

 

 頭を下げる。視界に移るのは黒塗りの床だけだ。玉座から向けられる視線に含まれた殺気は、こうしている間にも強くなっていく。次の瞬間には魔術による十字砲火で焼き殺されるか、あるいは魔槍の投擲で体を床に縫い付けられるか。悪い想像ばかりが頭の中を埋め尽くし、額からは冷や汗が流れ落ちた。

 元々、女王の実力は俺を遥かに上回る。彼女が本気を出せば、俺は一分も持たずに殺されるのではないだろうか。その女王が殺気を漲らせているのに、俺は頭を下げ続けているので全く相手の姿を見ることができず、死の恐怖が募っていくばかりだ。

 一分か、十分か、あるいは一時間か。実際にはそんなに時間は立っていないのだろうが、極度の緊張状態の俺にとってまるで永遠にも等しい時間が経過した後に、女王が再び口を開いた。

 

「――ふむ」

 

 僅か一言。たったそれだけであろうとも、その言葉を機に女王が殺気を緩めたことで俺は呼吸を整えるだけの余裕ができた。顔を上げ、空気をゆっくりと吸って吐く。日常の中では気にも留めない行動を、意識して行わなければならない。その事実が、女王の放っていたプレッシャーの凄まじさを物語っている。

 

「私は試練を乗り越えた者には稽古をつけてやった。お前や、お前の眷属たちの場合がそれだ」

 

 試練さえ乗り越えることができれば、人間であろうと、悪魔であろうと鍛えてくれる。他勢力との関わりを断ちがちな裏の世界(・・・・)では珍しいことだ。だからこそレイナーレを鍛えてくれるように頼める相手が限られていた。北欧の主神なども教導役を務めることは可能だろうが、あの神話とは少なからず因縁がある。本人ならぬ本神が気にしていなくとも、周りの連中が、俺から主神へ頼みごとをすることを許さないだろう。

 対して影の国には女王以外の神がおらず、しかも同神話内の神でさえ訪れることも少ない。よって、彼女に稽古をつけてもらうことが他の神にバレて問題に発展する可能性は非常に低い。そして、影の国は天然の要塞とも言えるので、ここにいる限りは敵対勢力に襲われることもない。今のレイナーレにとってそれが一番重要な理由だ。

 

「それは転じて『試練を突破した者の願いを聞き届けた』と言えるかもしれんな」

 

 試練に挑戦する者は、女王の稽古を望む者だ。ならば、若干こじつけじみてはいるが、

彼女の言うように解釈できないわけではない。

 同時に話の着地点が見えてきた。鍛えられた恩を忘れたわけではないが、こうして無茶を言うばかりの俺の要望に応えてくれる女王に心中で感謝の言葉を贈る。

 

「……前回、俺と眷属は試練を突破してあんたに稽古をつけてもらえるようになった。もう一度試練を乗り越えれば――」

 

「ああ。また一つ、お前の願いを叶えてやる。私も神の一端なのだからな、願いを叶えるのは本分だ。無論、どこかの神のように約束事を踏み倒すこともないと、私の名と誇りにかけて誓おう」

 

 感謝する。が、女王の浮かべる愉悦の表情が、俺の危機意識をやたらと刺激してくる。何度も死にかけるような人生を送ってきたせいか、不本意ながら磨き抜かれた危機察知能力が脳内アラートを絶えず鳴らしている。だが、退くことはありえない。ようやく降って湧いて出た様な、希少すぎるチャンスなのだから逃すことはありえない。それにここで退こうものなら、彼女は俺に失望し金輪際頼みを聞いてくれなくなるだろうという確信もあった。

 

「グラナ、お前は『覚悟』と言う言葉を使うことが多いな? 眷属を持つにあたり、最も必要なものは『覚悟』である、と。その者の人生を背負う覚悟、矢面に立ち守る覚悟、夢のために導いていく覚悟、どれも納得できるものだ。今回、ここに来たのも配下のためを思った覚悟ゆえだろうが……その覚悟、果たして本物かどうか試させてもらう。―――かつてお前が突破したものを遥かに超える難易度となるが、それでも試練に挑戦するか?」

 

 故に、いくら死の危険があるとわかっていても、他人が愚かだというこの答えを曲げるつもりは毛頭ない。

 

「もちろんだ。必ず突破してやるよ」

 

 女王が嗜虐的に唇を歪めながら、指を鳴らす。

 

「――では、今から試練を始めようか」

 

 瞬間。空間を波紋のように揺らして現れた赤い魔槍が俺の左肩を貫いた。噴水のように飛び散った血液が宙に弧を描きながら床へと落ちる。

 

「っぐ!? ああああああ!!」

 

 唐突に奔る痛みに思わず上げた叫び声を全く気にすることなく、魔槍に貫かれた俺の左肩を差して女王は言った。

 

「お前の左肩を殺した。左腕へとつながる神経や筋肉までも完全に殺した故、片腕は使用不可能だな。この状態もまた試練の一環だ」

 

 彼女の持つ魔槍の力は治癒の不可、不死殺しとも呼ばれる呪いである。魔槍に貫かれた左肩が癒えることは、女王が呪いを解除するか魔槍を破壊する以外にない。また、傷口からは血が次々に流れているので、このままではいずれ失血によって気絶、最悪死ぬこともあるだろう。

 

「安心しろ。試練を突破できたのなら、後遺症もなく完璧に治してやる。それと、この薬は今回の試練の意図に反するため預からせてもらおう」

 

 と、言いながらゆらゆらと細い指で揺らして見せたのは、俺が亜空間に収納していた『フェニックスの涙』だ。いざという時のために保管していたのだが、さすがは魔術の腕も卓越すると語られる神だけあり、俺が全く気付く間もなく目的のブツを掠め取られていたらしい。

 

「達成条件は影の国の果てにある出入り口に到着することだ。本来なら外から内へと入ることが試練なのだから今回はその真逆ということになる」

 

 しかし真逆なのは道程だけであり、予め女王が言っていたように難易度は別次元と呼べるまでに跳ね上がっているのだろう。

 

「無論、転移魔法の類は封じさせてもらった。それと悪魔の翼の使用も禁止する。撃ち落とされても構わないのなら、使うことも許すがな」

 

 試しに転移魔方陣を展開しようとしたら、完成まであと少しのところで陣が砕け散った。広域の結界を張るような時間と気配はなかったから、空間に対して術をかけたわけではないだろう。となると俺自身に対して、転移を封じる呪詛を仕込んだのだ。恐らくだが、俺の肩を貫いた魔槍を介して術を発動させたのだと思う。

 

「通常の試練では解放されない強力な魔獣も今回に限っては解き放つ。くれぐれも前回のように行くとは思ってくれるなよ」

 

 言われなくても、そんなこと思わない。すでに重傷を負った挙句に、抜け道を片っ端から潰されたのだから。この時点で俺の危機察知能力が確かなものだと改めて証明されたようなものだが、更に女王は言葉を続ける。

 

「また、この刀も預からせてもらおう。お前に全力を出されれば土地の被害も馬鹿にはできんからな」

 

「おい、待て。その刀がねえと全力を出せねえんだが」

 

 フェニックスの涙と同じ様に亜空間から掠めとられた刀は、俺の力を封じ込んだものである。その刀に内包された力を解放した状態こそが俺の全力なのだから、当然刀が無ければ全力を出せるはずもない。

 だからこその抗議だったのだが、これも当然だと言わんばかりに女王は全く取り合うこともない。凶悪すぎる試練の内容、本筋をその態度でわかってしまった。

 

「――負傷と制限を重ねた状態で凶悪極まりない数々の難関を突破する。それが今回、お前の成し遂げなければならない試練だ」

 

 コツコツの具足と石畳のぶつかる硬質な音を響かせながら、女王は近づいてくる。その顔には愉悦の限りを塗りたくったような満面の笑みが浮かんでいた。

 

(この天然サド女王が。試練を突破した後に必ず仕返ししてやる)

 

俺の肩を貫く槍を女王に遠慮なく引き抜かれる痛みに顔を顰めながら、内心で毒づく。俺にできることは、そんな些細なことだけだった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 あの女王の城から抜け出して最初に俺がいたことは傷の処置だった。まず、回復魔法をかけてみるが、効果はない。これは予想通り。死人が生き返ることがないように、『殺された』部位が回復することはありえないのだ。癒すには原因の呪いを解くほかない。

 そこで俺が次善の策として講じたことは、傷口を焼いて塞ぐという手段だった。火葬が良い例だが、死人が生き返ることはなくとも、その死体を『壊す』ことはできる。俺の『殺された』傷も、焼いてさらに『壊し』て塞ぐことは可能だった。

 相変わらず、神経などが死んだ左腕は全く動かないし、傷口をやいたことでさらに負傷が増えたわけだが、少なくとも出血死することはなくなった。

 けれど安心する暇もない。流れる血の匂いと、新鮮な肉の焼ける香りに釣られた魔獣たちが、その姿を続々と現す。

 

『グルルルゥ』

 

 虎に似た魔獣はいつでも飛びかかれるように体勢を低くして、四肢に力を込めながら唸りを上げる。

 

『ハッ、ハッ、ハッ』

 

 ハイエナに似た魔獣は、待ち遠しいと言わんばかりに開きっぱなしとなった口から涎をだらだらと溢していた。

 

『ウオオオオオオン!』

 

 灰色の体毛を持つ狼に似た魔獣は天高く咆哮を上げる。それは合図のようなものだったのだろう。同じ種類の魔獣たちが四方八方から次々に押し寄せ、あっと言う間に包囲された。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

『グォオオオオオ!』

 

「うるせえんだよ、クソ熊野郎が!!」

 

 あれから三日が過ぎた。

初っ端から魔獣の包囲網という死地に立たされながらもそこから辛くも脱出した俺は、魔獣の群れに追い回されながらもその勢いのままに第一の門に到着。門番を倒し、その翌日には第二の門番まで倒した。

 

そして現在、咆哮に怒鳴り返しながら、魔獣の顎にアッパーカットを食らわせて吹き飛ばす。弱点の顎にマトモに攻撃を貰い、三メートルばかり吹き飛んだくせに、軽やかに着地して再び咆哮を上げてくる。その姿からは、とてもではないがダメージを負ったように感じられない。

 

目の前にいるのは全身が黒い体毛に覆われた巨大な熊だ。額には第三目の目があり、しかもその目が魔眼の類らしく、見つめられ続けると体の動きが鈍くなるというものだ。爪は鋼を容易に切り裂き、牙と頑強な顎は岩をゴリゴリと嚙み砕く。そして、漆黒の体毛はこちらの半端な攻撃を弾き、その下の脂肪が衝撃を吸収する。基礎的な能力が高いうえに厄介な特殊能力まで備えた、この熊型の魔獣の戦闘能力は地獄の番犬ケルベロスの遥か上を行く。なにより厄介なことは、この熊ですら、今俺の挑戦している試練においては雑兵に過ぎないということだ。

 

『グルルルァア!』

 

 熊を相手にしている間にも、背後からは銀色の獅子が飛びかかってくる。棒立ちしていれば首に噛みつかれて敢え無く即死するだろうそれを、俺はその場にしゃがみ込んで避けた。

 俺から見て前方に獅子は着地する。つまり、熊と獅子が一直線上に並んだということだ。好機と見て取り、即座に右腕に集めた魔力を砲撃として打ち放つ。

 

虚閃(セロ)!」

 

 魔力砲が二頭の魔獣を呑み込む。巻き上げた土煙の晴れた先には、掠り傷を負っただけで依然として戦闘を継続できる状態にある二頭の魔獣が立っていた。ダメージを与えることはできたが、僥倖とは言い難い。魔獣たちは怒り心頭とばかりに唸り声を上げるのだから、むしろ確実に危険度は上がってしまっている。

 

「あぁ、クソッタレ……。マジできついぞ、これ」

 

 第一に左肩を貫かれた上に呪いのせいで、左腕が全く動かない。文字通り、手が足りないのだ。手数が足りないし、重心が普段と違うせいで動きにズレが生まれる。徐々に修正してはいるが、慣れるまではやはりきつい。

 

 第二に刀を奪われたせいで力の開放もままならない。また、試練の突破条件が『魔獣を倒すこと』ではなく、『所定の場所に到着すること』なので、戦闘にかまけて力を出し切っては本末転倒である。ある程度の余力を残すことまで考えてのペース配分では一度の戦闘が長期となり、リミットを考えればかなりまずい。

 

 三つ目は単純に向かってくる魔獣が強いということ。魔獣は一体一体の身体能力が強く厄介な特殊能力を持っている。しかも、俺は左肩の傷口から血を流して匂いを発しているせいで常に魔獣を引き寄せてしまうのだ。足を止めれば、あっという間に囲まれて圧倒的物量に押しつぶされる未来が容易く想像できる。

 

そして最後に、環境的要因が凶悪すぎる。環境として一番に挙げられるのは彼の有名な七つの城壁だ。城壁の一つ一つが巨大で堅固であるために破壊して突き進むということは不可能、門を開けて正面から出る他ない。が、それぞれの城壁には侵入者を阻むための兵器が設置されており、現在は俺を狙いに定めて、射程範囲に入った途端に悪態も吐きたくなるような集中砲火を見舞うのだ。ただでさえ、魔獣に手を焼いているところにそんなことをされては堪ったものではない。城門は何とか二つ突破できたが、ここに来るまで何度も死ぬような思いをしている。

 

「でも……、きっとこれでもまだ序の口なんだろうなぁ」

 

 ペース配分的に、元々一体一体の魔獣とマトモに戦うつもりはなかった。目の前の二頭の魔獣にしても襲い掛かってきたから応戦しただけで今も逃げる機会を窺っているに過ぎない。

 だが、そうしていては試練を突破できない。あの女王の性格からして、ゴールに近づくほどに凶悪な罠を仕掛けていることは想像に難くなく、こんなところで魔獣にかまけて消耗している場合ではないのだ。

 

「三十六計逃げるに如かず!」

 

 即断即決、決断はすぐに出た。即座に行動に移す。今度は足元に魔力砲を放って、土煙を上げて魔獣どもの視界を塞いだ。それと同時に第三の城門へ向けて、今の俺に出せる(・・・・・・・)最高速度で駆けていく。

 だが、視界を塞いだからといって魔獣から逃げ切れるわけではない。そもそも魔獣が俺の元に寄ってきたのは、なぜか。もっとわかり易く言うのなら、どうやって俺の位置を補足したのか。それを解明し、対策を立てることができなければ、逃走を試みたところですぐに追いつかれてしまうだけだ。

 

 そこで、おそらく、俺の体が発する『悪魔の血臭』と『悪魔の体臭』を嗅ぎつけたからだと仮説を立ててみた。

脳裏に浮かぶのは初日の一番初めの戦闘。集団で狩りをする修正を持つ同種の魔獣同士ならばともかく、異種の魔物が何十匹と集まってその場で争うこともなく俺一人を標的に定めたことは明らかに異常だろう。ここから先はさらに推測が重なることになるが、おそらく、魔獣たちはスカアハから俺一人を標的にするように命じられたのではないだろうか。そして、この試練の最中は魔獣間での争いを中断するようにとも。

 証拠に欠ける推論に推論を重ねた考えだが、もし正しいのならば賭けてみる価値はある。

 

 あの黒い熊と銀色の獅子に出会う前に、殺した魔獣。それらを捌いて、肉は食料として、毛皮は暖を取るために、それ以外の部位にしても無事に戻れたら魔道具の材料として売って金にするために亜空間に保存してある。その中から、魔獣の血液を入れた小瓶と毛皮を取り出す。

 

「うわ!? ()っせえ!?」

 

 頭から一思いに魔獣の血液を浴びると、当たり前のことだが血生臭さに襲われた。しかし泣き言を言いながらも、鼻が曲がりそうな臭いに耐えて毛皮を上着のように羽織る。さらに、全力で走り続けながらも取り出したいくつかの魔獣の肉塊を四方八方に空高く蹴り上げる。

 

 作戦は至って簡単なものだ。悪魔の体臭や血の臭いで捕捉されるのならば、別の臭いで上書きしてしまえばいい。平時ならば、魔獣だろうと悪魔だろうと、血の匂いを垂れ流していれば周辺の魔獣を呼び寄せたに違いない。しかし、もしも、スカアハによって魔獣同士での争いが禁止されているという予想が当たっているのならば、獲物になり得ないものをわざわざ追い回すことはないはずだ。まあ、あくまで臭いが原因となって追い回されることがなくなるだけなので、目視されてしまえばどうにもならないが、先ほどまでの状況に比べれば大分マシになる。

 

「……どうやら、賭けには勝ったみたいだな」

 

路地裏に飛び込んで身を隠した俺を見失った魔獣たちは、時間差で地面に落ちる肉塊の立てた音に反応して、俺のいる場所とは見当違いの場所に向かっていった。

 

「……はっ、はっ。あの二頭は撒けたが他にも魔獣はうじゃうじゃといやがるからな。さっさと動かねえと」

 

 ひたすら走る。二頭の魔獣は俺を見失ったようだが、諦めたわけではないだろう。今はダミーの肉塊に向かっているかもしれないが、それが囮だとわかれば血眼になって探しに来るはずだ。追いつかれないように、そして別の魔獣に見つからないように、最大限に警戒しつつも街の裏路地を何度も曲がりながら進んでいく。

 

建物は石造りのものが多く、さながら西洋ヨーロッパの街並みのようだが、どこか様式が違うために違和感のような物を覚える。店の前に出された看板の種類はいくつもあり、民家の数もかなり多い。

だが、住民がひとりとして見当たらない。かつては大いに繁栄し、英雄の卵を受け入れ育て上げた影の国。その栄光はすでに過去のものなのだ。時代の流れとともに、影の国の記されるケルト神話は他神話に領域を侵されることもあったし、影の国に入るための試練を突破できるだけの傑物もほとんどいなくなってしまったためだ。

 

――だからだろうか、時にあの女王が試練を突破してこの国に入ることのできた俺や眷属たちに異様な執着を見せるのは。

 

「いや、今はそんなことを考えてる暇もないな。どうにかしてあそこまで辿り着かねえと」

 

 かぶりを振って、逸れた思考を元に戻す。視線の遥か先に聳え立つ巨大な城門。七つあるうちの第三の城門に向けて、足を止めることは無い。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「ふふふ。やはり良いな、あの男は」

 

 グラナが試練に挑むために出て行った後の玉座の間。そこでは一人の女王が玉座に座り、遠見の魔術を用いてグラナの奮戦する様子を見ていた。武芸だけでなく、魔術の腕さえも神域にある女王にとって、この程度のことは造作もない。

 

「もっと見せろ。そして私を魅せるが良い」

 

 女王が己の考えを曲げてまでグラナの要望を聞いたのは、ただの気紛れではなかった。あの稀代の英雄に成り得る悪魔の青年が気に掛けるレイナーレという女のことが気にならなかったと言えば嘘になるが、グラナの要望を聞いた一番の目的はこうして見物するためである。

 

「人間も悪魔も堕天使も、神仏でさえ死を間際にすれば本性を露にする。グラナ、私はお前の魂の輝きを知っているがな……。それをもっと見たいのだ」

 

 例えるなら、深海に沈んだ財宝を引き上げるようなものだろうか。その輝きは海上からでも見えるが、実際に引き上げて間近で見た方がより美しい。あの青年は時代が時代ならば、稀代の大英雄、あるいは覇王として未来永劫語り継がれるだけの器がある。

 

今の悪魔を率いる四大魔王は英雄と呼ばれてはいるが、あれらは駄目だ。ルシファーとベルゼブブの『超越者』二名は確かに強い。だが、それだけでしかない。生まれた時から最強の力を与えられていたから、英雄と呼ばれるようになった。ただそれだけの者たちだ。残りのレヴィアタンとアスモデウスは『超越者』以下だ。戦闘力では『超越者』に劣り、他のカリスマや策士としての能力も特別高いわけではない。英雄と呼ぶには足りないものが多すぎる。英雄とは、力があるだけのものを指すのではないのだ。

 

 それに対してグラナは、本物の資質を備えている。天賦の才を持ちながらも、それに慢心することなく、血反吐をぶち撒ける鍛錬に身を投じることができる。ただ強いだけではなく、他者を惹き付ける奇妙なカリスマがある。絶体絶命の窮地に陥りながらも、決して諦めることなのない精神力を持っている。そして、実際に活路を見出して窮地を脱する天運まで授かっているのだ。あれほどに輝く卵は、女王の長い生の中でも見たことがなかった。

 

「グラナ、お前の資質は私の弟子の中でも最強を誇ったあの男をも超えているのだ」

 

 クランの猛犬。光の御子。そう呼ばれた、ケルト神話最大最強の英雄がいた。彼の男も英雄としても素養を持ち、早世したが、確かに大英雄として大成した。その名が今でも語り継がれているのが、良い証拠だ。

 

 あの大英雄を育て上げた女王には、一つ確かに言えることがある。

 

それはグラナ・レヴィアタンという悪魔の少年が、そのケルト最大の英雄に匹敵――ともすれば、凌駕し得る才能を持っているということだ。

 

 ――だからこそ見たい。

 

 育てた女王自身がこれ以上ないと思った、大英雄を超える可能性を持つ悪魔の魂の輝きを。生涯において何を成し遂げるのか、何処に辿りつくのか。あの悪魔の青年の全てを知りたい。

 

 そのための試練だ。

 

 今回の試練は、グラナの現在の力量から考えて生存率は限りなくゼロに近い。ましてや数々の難行を突破しきれる可能性など、ゼロパーセントだと断言してもいい。

 

 しかし、だからこそ良いのではないか。

 

 英雄とは強いだけの者ではない。不可能を可能にする者を指すのだ。その背中を仰いだ諸人に夢を見せる者のことだ。この試練に立ち向かう姿はまさに英雄のそれであり、突破できた暁にはグラナはまた一段階成長する。

 

 無論、試練を突破できずに死ぬ可能性の方が高い。だが、そんな些細なことはどうでもいいのだ。冷酷にして残酷。ヒトでないからこその人でなしが神なのだから。女神として神の末端に名を連ねる者として、これもまた正しいあり方だ。

 

 そして同時に影の国の女王でもある。試練を与え、死んだ者には目もくれずに、突破できた者にだけは褒美を与える影の国の女王だ。なればこそ、今行っていることも影の国女王として何らおかしなことではない。

 

「何より、私がスカアハであるがゆえにな」

 

 英雄を好であるあまりに、自身の手で英雄を作り上げるようになった女。この結末に至るのも当然の帰結だったのかもしれない。

 

 グラナの戦っている姿を見たい。死力を尽くし絶望に抗う姿で魅せてほしい。

 

 試練を突破し、歓喜に打ち震える場面を見たい。称賛の言葉を送り、抱きしめることを考えてやってもいい。

 

 逆に試練に敗れて死ぬ姿も、同じ程に見てみたい。あれだけの傑物が死ぬときには何を思うのか聞いてみたい。あの男の最期を独占できるのならば、未来の芽を摘んでここで殺してしまうのも構わない。

 

「私は一人の女として、お前を愛してしまったのだ。女神の祝福を受けることに喜ぶのか、強欲な女神に目を付けられたことに後悔するのか。……お前はどっちなのだろうな?」

 

 女王にして女神たるスカアハは玉座にて一人笑い続ける。その脳裏には、第三の城壁を守る門番と戦う、一人の悪魔の青年の姿があった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 牛頭の巨人。しばしばそのように形容される魔獣で、最も有名な種族は迷宮の番人ミノタウロスだろう。体長は約四~五メートル程もあり、武器は両手振りの斧を使い、群れで生活を営む。戦闘力の高さはいわずもがなだろうが、実はその肉は珍味としても知られている。

 

 ――では、目の前のコレは何だ?

 

 筋肉という名の鎧に包まれた、十五メートルを優に超える赤褐色の巨体。両手で構えるポールアックスは一目で業物だとわかる。一歩進むごとに小さな地響きが起きて、周囲の物を揺らしていた。

 

「……コレ、もうミノタウロスとは別種でいいんじゃねえの?」

 

 蟀谷(こめかみ)からそそり立った双角と、牛の頭と人の体が合体した姿の特徴はミノタウロスそのものだが、規模がまるで違う。

 

 ――ミノタウロスの突然変異体。どうやらそれが、第三の城門を守る番人らしい。ミノタウロスの咆哮と、俺が走り出すタイミングは全くの同時であり、それが開戦の合図となった。

 

『オオオオオオオオオオオオオオオォォッッ!!』

 

 接近しながらも周囲の状況を観察することも忘れない。敵がこのミノタウロス一体とは限らないし、罠があることもスカサハの性格上あり得るための処置だ。

 フィールドはこれまでに突破した二つの城門の門番と戦った時と同じタイプのもののようだ。約百数十メートル四方の結界に囲まれた城門前の広場であり、障害物の類は存在しない。広場に踏み入れた瞬間に展開された結界は非常に頑丈で、全く嬉しくないことに全力の魔力砲を打ち込んだところで傷一つつかない優れものだ。つまり、退路はすでに断たれている。門番を打倒して城門を突破する以外に打開策は存在しない。

 

「とりあえず、一発食らっとけ!!」

 

 四十メートル。巨大ミノタウロスのリーチの外であり、かつ相手が何をしてこようと対応できると自信を持てる距離だ。俺を迎え撃つためにポールアックスを大きく振り上げたミノタウロスの胸の中央部分目がけて魔力砲(虚閃)を放つ。

 様子見ということで三割ほどの力しか込めていないが、威力は十分にあるはずだった。例えを出すなら、リアス・グレモリーをぶち殺してお釣りが来るくらいだ。それを、このミノタウロスは回避も防御することもなく受け止める。

 

「……うん、まあ、わかってたわ」

 

 着弾して上がった煙が晴れた先には、当然のように傷一つどころか、焦げ目すらないミノタウロスの姿がある。これまで二度倒した門番たちも似たようなものだったために、呆れこそすれど、驚くこともなく足を動かし続けミノタウロスの射程に踏み込む。

 

『ッッ!』

 

 轟ッ!!

 

繰り出されるのは大気を引き裂き、悲鳴を上げさせる一撃だ。当たれば一瞬にして真っ二つにされるだろう振り下ろしを、半歩ステップすることで躱す。斧が石畳を割って飛び散った石礫が全身を叩くのが地味に痛く、風圧に囚われそうになる体を無理やりに動かして跳躍。ミノタウロスの頬を全力で蹴りつけ――

 

「がっ……」

 

 ――るよりも早く、俺は吹き飛ばされた。

 

 俺がミノタウロスの頬を蹴ろうとしたときにはすでにミノタウロスはポールアックスから手を放していた。そこから裏拳を放ち、俺を吹き飛ばしたのだ。俺にできたのは咄嗟に右腕を体の前に持ってきて急所を守ることだけだ。拳を受けた前面と、吹き飛んだことで結界に叩き付けられた背面の痛みが酷い。口内を切ったせいで溢れた血を吐き出してから立ち上がる。

 

(パワーは凄ぇが、それだけじゃない)

 

 俺の蹴りに対する裏拳(カウンター)。あれは単なるパワーだけのものではなかった。状況の変化に対応して武器を手放す瞬間的な思考力と胆力、確かな技量に裏打ちされていたものだからこそ、回避する余裕もなかったのである。

 

「このミノタウロス、スカアハのやつが自前で育て上げたわけじゃねえよな」

 

 口から出たのはただのボヤキだ。言葉と裏腹に、このミノタウロスはスカアハに指導されたものだと確信している。でなければ、ミノタウロスが武術の技量を持っているはずはなく、ミノタウロスを鍛えることができるのは、世界広しと言えどもスカアハくらいのものだからだ。

 

『ウウウウッ』

 

 追い打ちをかけるべく近寄ってきたミノタウロスと、再び相対する。こうして真正面から見るのは二度目だが、やはりその姿は異様なものだと感じさせられる。そして、それがただの見掛け倒しで無い事もこの身を以って教えられた。

 

 脅威の身体能力と頑強さ。本来ならばあり得ないだろうに、女神の手によって植え付けられた武技。しかも、まだ目にしてはいないが、魔獣なのだから所謂『野生の勘』のようなものまで持っていると思われる。

 

「強いな……けど、強すぎるわけでも、勝機が無いわけでもない。通してもらうぜ、ミノタウロス!!」

 

『ヴオオオオオオオォォッッ!!!』

 

 横薙ぎに振らわれる大斧を前転することで、体を斧の下へと潜り込ませて躱す。髪が一房切られて宙を舞ったことに肝を冷やす暇もなく、起き上がると同時に脇目も振らずに走り出す。壁際では、あの巨体は脅威だ。あの頑丈さとパワーを持つ巨体の体当たりで結界とサンドイッチにされたら確実に即死してしまう。それゆえの逃走だ。

 

「威勢よく啖呵切ったのは言いけど、勝つ手段がまだ思いついてないんだよな、っと!!」

 

 背後から振り下ろされる大斧を、今度は横に飛び退(すさ)って回避する。何度も振るわれるポールアックスを、これまた何度も回避しながら走り続けて結界の中央付近に到着した。この位置ならば逃げ道がなく圧殺される心配もない。

 

「ちっと早いが、第二ラウンドの始まりだ」

 

 ミノタウロスへと振り返ると同時に亜空間から一本の魔剣を取り出す。グラムやアロンダイトほどに有名ではないし、力もない。銘すら与えられることのなかったこの剣は、魔剣の中でも最下位に位置するものだろう。

世界各地を飛び回る傍らに強力な魔剣や聖剣、その他諸々のアイテムを収集してはいるが、それらは冥界にある城の宝物庫にて現在も保管されている。俺は剣術を使うが、その際には力を封じた刀を用いる。あれがかなりの業物なだけに、伝説の魔剣やらなにやらを亜空間に入れて携帯する必要もなかった。しかし、現在、あの刀はスカサハによって没収されてしまっている。よって、旅先で拾ったはいいが、宝物庫で保管するほどの価値はなく、かといって捨てるのも面倒で亜空間に放置しっぱなしになっていただけの木っ端魔剣では若干以上に心許ないが、何もないよりはマシだと思って振るしかない。

 

『オオオオオオオオオッッ!!』

 

 左方から俺の首を斬り飛ばさんと迫るポールアックス。それを軽々と振るうミノタウロスの怪力も凄まじいが、武器自体の重量も馬鹿にできない。まともに受け止めれば、魔剣は一瞬にして砕けてしまうことだろう。技術云々の話ではなく、それだけ武器の質の差が大きいのだ。

 

「ふっ」

 

 上体を下げて、魔剣をポールアックスの刃に沿うように這わせる。猛然と殺意が迫る中でも、いや、迫る中だからこそ焦っては失敗するだけだ。できて当然だと、呼吸のようにできるものだと自分に言い聞かせて、少しずつ魔剣を動かしていく。

 位置の調整に角度の修正。失敗すれば即死確実の、恐らくはミリ単位の作業は心臓に悪い。早鐘のように響く心音は、意識すればするほどに大きくなることを経験上知っている。

 だから、俺は努めて心音を意識の外へと追い出し、『最強の自分』を脳裏に描く。このミノタウロスに勝利し、いくつもの難行を突破する姿をイメージする。

 

「ああッッ!!」

 

 そしてイメージ通りに、魔剣の軌道を僅かではあるが、確かに逸らして受け流すことに成功した。

 

『ッッ!?』

 

 ミノタウロスもまさか、己より遥かに小さく、しかもつい先ほどには思いっきり殴り飛ばした相手に、攻撃を反らされるとは思っていなかったのだろう。その視線から、全身の強張りからは驚愕の気配が滲み出ていた。

 

「はああ!!」

 

 魔剣を一度真上に放り投げて右手を空けて、亜空間から取り出したナイフを指の間で掴み取り、すぐさま投擲する。魔剣でも聖剣でも何でもない、ただのナイフでは、このミノタウロスの肉体を傷つけることはできないとわかっている。が、それは場所にもよる。どんな生物にも防御力が全く存在しない部位というのは必ずあるのだ。

 

「今まで、魔獣は数百体と戦ってきたけどな――目と喉が斬れねえやつには会ったことがねえんだよ」

 

 ミノタウロスは振り切った大斧をすぐさま握り直し、体の前面で回転させることで、さながら円盾のようにして四本のナイフを弾いた。スカサハが育てただろう相手に隙を突いた程度の小細工で倒せるとは思っていなかったので、思考の妨げになることも無い。

 

 この行動からわかったことは二つ。一つ目に、目の前のミノタウロスは予想外の事態に直面し、体が硬直した隙を狙われても即座に対応するだけの状況判断能力を持っており、また技量はその判断についていける水準にある。二つ目は変異種とは言っても、純粋な生物であることに変わりはなく、やはり眼球と首筋には攻撃が通るだろうということだ。でなければ、わざわざ武器を戻して防御することは無く、初撃の虚閃(セロ)のように受けていたはずだ。

 

「本命は首と眼球、次点で手足の腱か脈ってとこか」

 

 急所といえば心臓も挙げられるが、心臓はあの分厚い筋肉の奥に仕舞われているので除外だ。正直、本来の獲物無しにあの筋肉を斬り裂ける気がしない。空中散歩から戻って再び右手に収まった木っ端魔剣では弾かれるどころか、剣身が真ん中からへし折れるのではないだろうか。

 

『オオオオオオオオオオオッッ!!』

 

 分析を続け自分から攻める気がないとミノタウロスも悟ったのか、咆哮を上げながら大斧を振り下ろしてくる。そこから始まるのは、暴風のように苛烈な攻撃の連続だ。

 振り下ろしをステップで回避する俺に向けて、地面に刃先を埋めた大斧を強引に振り回すことでミノタウロスは追撃の一閃を放ってきた。飛び上がって回避し、空中で一回転することで態勢を整えて着地する。そこでまた追撃だ。今度は反対方向から斜めに振り下ろされる大斧の軌道を、魔剣を使って少しだけ逸らした。回避行動の直後だったせいで最適の動きができず、逸らした大斧は俺の左足のすぐそばのところに刃先を埋めた。直撃こそしなかったが、やはり砕けた石畳の礫が全身を打ち据えて地味に痛い。

 

「……ただ、対応できないわけじゃねえってわかったのはデカいな」

 

 結界の端から広場の中央に来るまでの間、ミノタウロスの攻撃を避け続けることができていたのはマグレではなかったらしい。初っ端から、裏拳で吹っ飛ばされたために自信がなかったが、あれは意識的には不意打ちに近かったから対応できなかっただけと見ていいようだ。

 ミノタウロスが武術を使うと心得て構えていれば、十分に対応できる。まして、こうして常にミノタウロスの全身を視界の内に留めている間はその精度も上がり、相手の戦闘力を分析するだけの余裕も生まれる。

 

『オオオオオオオオッッ!!』

 

 一度、後方に跳躍して距離を取る。寸前まで俺の立っていた空間を大斧が轟音を立てながら通り過ぎた。俺が跳躍して取った距離を、この冗談のような巨大ミノタウロスはたった一歩で詰めると、再度大斧を振りかぶった。

 振り下ろし、薙ぎ払い、袈裟斬り、逆袈裟。大斧を縦横無尽に振るうその姿は脅威そのものだが、それだけではなく、斬撃に混じって蹴りや体当たりまで仕掛けてくる。その全てを回避、もしくは防御して無傷でやりすごす。振り下ろしはステップで躱し、薙ぎ払いと逆袈裟はしゃがんで回避、袈裟斬りは魔剣で僅かに軌道を逸らし直撃コースから外れる。体当たりは予備動作が大きいために、余裕をもって普通に走って回避した。逃げる際には起爆性の魔道具をプレゼントしてみたが、やはり筋肉の鎧は突破できず、相手を煙に包んでフラストレーションを高めるだけに終わった。

 

 ――そして、蹴りはこうして凌いでみせる。

 

『オオオッッ!』

 

 終末の怪物レヴィアタンは、陸のビヒモス、天空のジズに対して海の怪物と呼ばれる存在だ。そして悪魔の魔力の特性は子孫に受け継がれるということを踏まえれば、俺の魔力が水を支配するのはある種当然のことだろう。

 

 左方から迫る、大木のように逞しいミノタウロスの脚。その軌道上に、俺は魔力で作り出した水を盾のようにしていくつも設置する。

 

 バシャリ。そんな音と共にミノタウロスの蹴りに敗れて、破れた水の盾は数多の滴となって地面に落ちた。そして、ミノタウロスの脚は二つ目の水の盾(・・・・・・・)に入る。二つ目の盾も敢え無くバシャリと崩れ去れば、次は三つ目の水の盾だ。

 俺が設置した水の盾は一つではなく、合計で四つ。水でできた盾なので一つ一つの物理的な壁としての防御力はまるで期待できないが、勢いを減衰させることはできる。それを四回も繰り返せば、いくら剛力の巨大ミノタウロスの蹴りであろうとも、目に見えて速度は落ちる。

 

 俺は軽く跳躍し空中で体を横たえて、ミノタウロスの脚に靴底を向けるような態勢となる。勢いを半分以上殺されていればミノタウロスの蹴りに合わせることも難しくはない。その脚を足場にして、俺は蹴りの残された勢いを利用しながら吹き飛ばされる(跳躍する)

 

 数十メートルもの距離を水平跳躍するのは初めてのことだが、悪魔の翼での水平飛行ならば何度も経験がある。その経験に基づいて、空中で体を捻り両足から着地する。勢いを殺しきれずに何メートルも滑走し、石畳と靴底の不協和音が辺りに響いた。

 

「じゃあ、今度は俺のターンだ!」

 

 ミノタウロスに向けて一直線に駆けていく。ミノタウロスも俺に合わせて、体の向きを変えて正面から待ち構える。

 

 ミノタウロスの射程に踏み込んだ途端に先手必勝とばかりに振るわれる大斧。ミノタウロスの尋常ならざる怪力とリーチを考えれば、守勢に入るよりも初めから押していくほうが向いている。スカアハが長所を生かしきれるように指導したに違いない。

 

 ――まあ、だからどうしたのだ、という話なのだが。

 

 レイナーレのために、俺はこの影の国から脱出するという難題をこなさなければならないのだ。こんな序盤の三つ目の城門の門番にいつまでも手を焼いているわけにはいかない。勝たなければならないから勝つ。シンプル・イズ・ベストというやつだ。

 

 走りながらも胸部が地面につくほどに上体を倒して、大斧を回避し、ミノタウロスの側面へと足を踏み入れる。地面に魔剣を突き刺して、ここまで走ってきた勢いのベクトルを強引に転換、弾かれるようにしてほぼ直角に曲がってミノタウロスの背後へと回り込んだ。魔剣からミシリと、不安を煽る音が聞こえたが、努めて無視する。

 

 この巨大ミノタウロスの長所は巨体ゆえの重量とリーチ、及び武器の重量とリーチ、そしてそれらを支える超怪力だ。その性質上、白兵戦では適切な距離を取ってさえいれば、相手からの攻撃は届かずに一方的に攻撃できるというワンサイドゲームを展開できる。

が、その反面で、長大すぎるリーチは至近距離まで近づかれた際には重荷にしかならない。あのポールアックスがいい例だが、懐にまで入り込んだ敵を払うのに振るのは些か以上に勝手が悪いだろう。また、あれだけの巨体のため、必然的に死角も増える。

 

 つまり、このミノタウロスの攻略法は、ポールアックスの脅威を恐れることなく搔い潜り超至近距離の戦闘に持ち込むことだ。

 

 

 

 

 

 ――と、思ったら大間違いである。

 

 スカアハが、そんなわかり易い弱点を克服させていないはずがない(・・・・・)。素早く死角を移動する俺から平面で距離を取るのは難しいと判断したミノタウロスは、真上に跳躍した。平面で距離を取れないのなら、立体で距離を取るというわけだ。合理的な答えである。そこらの上級悪魔よりはるかに頭が良い。

 上空から見下ろすミノタウロスの視線から逃れる術はない。障害物がないこの場所では身を隠すことはできないし、幻術を発動させる時間もない。

 

 上空から重力に従って落ちてくるミノタウロスはすでに大斧を構えていた。全体重と落下の勢いを合わせた一撃は、これまで幾度となく繰り出された攻撃のどれよりも強力であることは想像に難くない。必殺どころか、オーバーキルの域にある。レッドランプが点灯し、脳内アラートが甲高く鳴り響くピンチ。しかし、『ピンチの時こそ、最大のチャンス』のような格言が古今東西にあるように、この瞬間こそが、逆転の一手を打てる機会であり、勝利するために必ず通らなければならない道なのだ。

 

『ヴオオオオオオオオオォォッッ!!』

 

 咆哮を以って咆哮を制す。起死回生の好機を必ずものにしろ、と己を互いに鼓舞した。宙から地面に向けて落ちるミノタウロスと、地面から宙に向けて飛び出す俺。

 

「うおおおおおおおおおおおッッ!!」

 

 ミノタウロスの握ったポールアックスが振り抜かれる。空中では回避もできない、だから勝ったとでも思ったのだろう。ミノタウロスからは勝利を確信した歓喜が気配として伝わってくる。

 

 ――だが甘い

 

 俺が水の盾を使って威力を減衰させたミノタウロスの蹴りを利用して距離を取る前。あの時に、俺がわざわざミノタウロスにとって最適の間合いで攻撃を捌き続けたのは、単なる伊達や酔狂ではない。

 ミノタウロスにとってあの距離が最適の間合いであったように、あの距離は俺にとっても最適の距離だった。攻撃を躱し、逸らし、捌き続けながらもミノタウロスの全身を常に視界に捉えることのできる、あの距離はミノタウロスの攻撃を分析にするのに最適だったのである。

 ミノタウロスの全力の速度、重さ、威力、軌道、リーチ、更には癖に至るまですでに分析済みだ。たとえ、悪魔の翼の使用さを禁止され、碌に動けない空中であろうとも、ミノタウロスの攻撃を捌けるほどに。

 

「ああああああッッ!!」

 

 魔剣を這わせて軌道を逸らした大斧の斧頭に足を着ける。剣に限らず、刃物は刃で切る物なのだから、それ以外の場所に殺傷性はない。見切ることさえできれば、刀身の腹なり斧頭なりに乗ることも可能だ。

 そして駆ける。斧頭から柄へと、全身を叩く風に耐えて今もミノタウロスの剛腕に振られるポールアックスの上を走り抜ける。俺の木っ端魔剣ではミノタウロスの筋肉を斬り裂けない、逆に言えば筋肉以外ならば、筋肉の少ない部位ならば斬ることも可能だということだ。いくら巨体といっても指一本の大きさはたかが知れており、備わった筋肉量も相応のものでしかない。ミノタウロスの胸の丁度正面辺りを通り過ぎる際に、大斧の柄を握りしめる右手の親指に狙いを定め、骨の隙間である関節に魔剣を差し込んで容易く斬り飛ばす。同時に、狙いを完遂できたのだからわざわざ敵の懐にいる必要もなくなり、一段と足に力を込めてポールアックスの柄から跳躍。

 巨岩が叩き付けられたかのような音を背後に、数秒ぶりに地面を踏みしめる。

 

『ヴオオオオオオッッ!?』

 

 振り返った先には悲鳴を上げるミノタウロスの姿がある。たかが指一本と侮るなかれ、親指は五指の中でも物を握る際に最も重要な役割を果たす指だ。それを渾身の力を込めている時に斬り飛ばされた痛みは凄まじいものがある。

 またポールアックスは両腕で振るう武器である。目の前のミノタウロスが変異種で、いかに巨体で怪力持ちであろうと、その体格に合わせて造られたポールアックスも相応の重量だということはわかっている。親指を失い、右手で物を握れなくなったミノタウロスに扱うことのできる代物ではないのだ。

 

「さて、と。これでだいぶ楽になったな」

 

 とりあえずは凶悪すぎるリーチと攻撃力の大半を削げたと見ていいだろう。武器を手放してもなお、あの怪力が脅威であることに変わりはないが状況が好転したことに間違いはない。

 

 ポールアックスが地面に落とされ、周囲に地響きが広がる。何度か試した結果として、左腕だけで使えないとわかったのだろう。徒手空拳の心得があるのなら、この潔さも納得だ。

 

『――――!』

 

 互いに油断は欠片もない。あるのは目の前の敵を打ち倒さんとする闘志のみ。

 

「――――!」

 

 前蹴りを放つミノタウロスの脚を足場にして、首を断ち切ろうと飛びかかれば横から拳が飛んでくる。数メートルも吹き飛んだ割にはガードが間に合ったおかげでダメージは少なく、着地と同時に走り出す。

 

 ミノタウロスが目潰しとして、断ち切られた親指の根本から流れ落ちる血を飛ばしてきた。対して俺は即座に魔力を使って水を展開し、いくつもの血液の粒を回収、水を一か所にまとめ背後へ放り捨てることで視界を遮られることを防ぐ。

 

 右から迫る、回し蹴りをしゃがんで躱しつつも脹脛に魔剣を這わせる。鈍い、まるでゴムの塊を斬りつけたかのような重い感触だ。だが、ミノタウロスの蹴りの勢いは凄まじいものであり、ただ刃物を添えておくだけで表面を斬り裂くことくらいはできる。

 

 ミノタウロスの脚が通り過ぎ、障害物の消えた道を駆ける。これまでに何度も狙った頸部(・・・・・・・・・・・・・)に強い視線を向けながらも、魔剣を掴む五指の内の一本、人差し指だけをミノタウロスの顔面へと向けた。

 

「――――虚閃(セロ)

 

 ミノタウロスは放たれる一条の魔力砲を、両手を交差して受け止める。スカサハに育てられた戦士が、急所への攻撃を無防備に受けるはずはないとわかっていた。

 

 そして、俺にとって防御されようとされまいとどちらに転んでもでも問題ないのが今回の策だ。

 

 虚閃(セロ)が当たったことで上がる白煙に、ミノタウロスの視界は遮られる。その間にも俺は移動を続け、ある程度距離を詰めたところで力強く踏み込むことで、まるで跳躍するかのような足音を鳴らす。

 俺はこれまでに顔面か頸部を狙う攻撃を何度もしてきた。そして今回、虚閃(セロ)を放つ直前にも、頸部に強い視線が送られていたことから予測できるのは、目晦ましに身を隠して頸部を斬り裂く、だ。

 故にミノタウロスは交差していた両腕を力任せに外側に向けて振り払う。頸部を斬り裂こうと飛び上がっていれば確実に左右どちらかの腕で放たれた裏拳を喰らっていたに違いない。

 

 が、生憎と俺は今も地面の上を走っている。いかに超怪力と言えども、自身に害があるとは思えない遥か頭上で発揮された物にはまるで恐怖を覚えない。

 戦闘のこれまでの経過と視線等から、相手の思考をミスリードしその隙を突く。単純明快な作戦だから二度は通用しない類のものだが、一度目は通用するということでもある。現にミノタウロスは見事に引っ掛かった。

 

「おらあああッッ!」

 

 ミノタウロスが俺の狙いに気付いたときには、もはや手遅れだ。全力で横薙ぎに放った一閃が、ミノタウロスの左足のアキレス腱を断裁する。

 

『ヴォォオオオオオオオオオオオオオッッ!!?』

 

 バツン! 太く、そして大きい音が鳴り、わずかに遅れてミノタウロスが絶叫した。唐突に片足の支えを失ったことには流石に耐えきれずに、ミノタウロスは転倒する。

 ズズゥン、という鈍い音。巻き上がる土煙。

 

「チェックメイト――にはまだ早いか。……チェックってところかね」

 

 右手は物を握ることも叶わず、片足のアキレス腱が斬れたことで立ち上がれもしない。中々に長引いた戦いだったがようやく終わりが見えた。

 

『ン、オオオオオオオオオオオオオオオオッッ!! オッ! オオオオッッ!!』

 

「いくら気合を入れても無駄だぜ。お前の左足の腱は完全に機能を停止してる。片足立ちくらいなら誰でもできるが、それは平常時の話で……。片足が唐突にまともに動かなくなったら立ち上がれねえよ」

 

 重要部位を破壊されたことによる激痛が脳を蹂躙し、戦闘の最中だというのに倒れて隙を晒すことと、起き上がれないことに対する焦りが精神を苛む。アキレス腱が切れれば足をまともに動かせないので平時のバランス感覚とのズレもあり、それを修正できるだけの余裕と時間もない。

 

「超一級の戦士なら立ち上がれたかもしれねえが、お前には無理らしいな。もう諦めろ」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 結末は簡単なもので、碌に身動きの取れなくなったミノタウロスをちまちまと削っていくことで俺の勝利となった。

 ミノタウロスが絶命するとともに結界は解除され、俺は早々に第三の城門を開けて先に進む。いつまでも留まって居ようものなら、後ろから新たな魔獣が来ないとも限らない。結界が消えた以上、戦闘になることは確実であり、余計な消耗を避けるための判断だ。

 

 俺がいる場所は第三の城門と第四の城門の間にある街だ。魔獣に発見されることを避けるために、薄暗い路地裏を足音を殺しながら歩いている。

 

「……この辺りには魔獣もいないみたいだな」

 

 建物の壁面に背中を預けて、ずるずるとへたり込んだ。正直、もう体力切れだ。一度休憩を入れなければどうにもならない。丸一日戦い通しで疲労困憊、おまけに多量に出血したために意識が危うい。気を抜けば立ったままでも眠ることができそうなくらいだ。

 睡魔に応じ瞼を閉じて、眠りに落ちる際にも意識を完全に手放すわけにはいかない。周辺に魔獣がいないことは確認済みだが、この状況がいつまでも続くとは限らず、熟睡している最中に襲われでもしたら溜まったものではないからだ。

 眠りは浅く、それこそ小さな物音一つでいつでも飛び起きて、すぐさま臨戦態勢を取れるようにしておく。

 

 気を緩めることは許されないのだ。

 

 まだ第三の城門を越えただけ。試練は始まったばかりなのだから――――

 




 スカアハはfateのスカサハ師匠とは全く関係ないです。サーヴァントを出したい思いはあるんですが、ルシファー眷属に思いっきり沖田とかベオウルフがいるし……。すまないさんとか旗の聖女とか魔拳士を出すとすれば英雄派とかいう厨二集団になってしまって、それだとfateキャラに合っていないように個人的には思うのですよ。
 まあ、だからといって完全に諦めたわけではなく、宝具名をそのまま技名に転用するくらいはする予定です。


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10話 第四の門番と第六の門番

 前話のときにも思ったことですが……戦闘描写が難しいよぉっ!!!
 なんなの、この難易度の高さは。他の作者さん型はどうやってあんな臨場感のある文章を生み出してるんすか。自分の脳内には鮮明な戦闘シーンの画があるんですが、それを全く文章に起こせない……。己の非才が恨めしいです。


「ふぅ」

 

 巨大ミノタウロスを打倒した日の翌日。朝から移動し続けて第四の城門まで少しの位置にまで到達し、一安心とばかりに息を吐く。今は建物の影に隠れているが、城門前の広場に踏み入れるまでの数十メートルの距離を進むうちには城門から数々の飛び道具が放たれて来るのだ。

 挑戦する前に、一度くらいは呼吸を整えておきたいし、覚悟を決めるためにもこの行為は必要だ。

 

「――よし、行くか」

 

 何度も深呼吸をするうちに瞑想のように閉じていた目を開いて、言葉を口に出す。

 深く腰を落として、足を前後に開いた状態から、一息に駆けだした。

 

 ヒュン! 風切音を立てながら、頭部目がけて飛来する矢を、首を傾げる様に躱す。当たれば俺の体を一瞬で蒸発させる熱量を持つ魔力砲が、二門の大砲から放たれる頃には、その場からすでに俺は消えている。

 

「これで四度目だけど、……やっぱ怖ぇなぁ、おい!!」

 

 城門に近づくほどに増す飛び道具の雨を、ある時は躱し、ある時は弾き、ある時は防御しながらも、決して足を止めることは無い。一度でも足を止めれば、二度とその場から動く機会を与えられることなく、飛び道具の嵐に物量で蹂躙されることがわかっているだけに、前に進む以外に取り得る手段がないのである。

 

「おおおおおおおおおおおおおおおッッ!!」

 

 止まりそうになる足を、恐怖を覚える心を、雄叫びで叱咤し鼓舞しながら走り続けた。

 

耳の横数センチを魔力砲が通り過ぎ、髪を揺らされる。それに構わず走り続ける。

 

 太腿目がけて飛んできた矢を躱すために飛び上がったところを、周囲に潜んでいた魔獣が飛びかかってくる。

 

『ガルルァアッ!』

 

「うおおおおらああああああ!!」

 

魔剣を地面に突き立て、一時的に右手を空ける。大きく開いた顎から覗く鋭い牙を掴んで右腕一本で前方に投げ飛ばして、城門から飛来する矢の群れの盾にした。骨肉と血潮が撒き散らされるが、魔剣を地面から引き抜いて走り続ける。

 

 躱すどうこうの話ではない。今も走り続ける道、視界に移るこれから進むべき前方には矢の雨が迫ってくる。数十、数百では利かないだろう。おそらくは数千、数万の域に達する矢の豪雨は回避や防御を許さない猛撃だ。かといって、ここで止まれば、放たれる矢の雨の照準は徐々に俺の現在位置へと修正され、蜂の巣のようにされることは想像に難くない。だが、だからこそ、それに構わず走り続ける。

 

「ほっ、と」

 

道が通れないのなら、道以外を通ればいい。道の左右に並び立つ建物の壁面を駆け上がり、屋上に躍り出る。単純な話、矢の雨が降り注いでいるのは眼下の道なのだから、こうして屋上を走ることは可能なのだ。

 

 そして、もちろんのことだが、城門に設置された兵器の数々は照準を再度修正し直す。魔力砲が、バリスタが、弓が、等しく殺害を目的として放たれた。しかし、それに構わず走り続ける。

 

「堪んねえな。あの女王、鬼畜過ぎるぜ」

 

 屋上を全力で疾走し、縁に着けば大きく跳躍して次の建物の屋上へと飛び移る。城門前の広場まではまだ距離がある。それはこれから更に攻撃される余地があるということを意味しているが、同時に、城門から放たれる攻撃が俺の元に来るまでに相応の時間がかかるということでもあった。

 

 矢が、魔力の砲撃が当たる寸前。およそ一メートルも離れていない、ギリギリと呼べる距離に近づいてくるまで走り続け、そして屋上から飛び降りて建物と建物の間の路地に身を潜めることでやりすごす。

 直後に鳴り響く轟音が、背後と上方から体を揺らす。城門からの攻撃が、先ほどまで俺がいた屋上に直撃し、破壊し尽くしたのだろう。落下してくるいくつもの瓦礫を回避しながら、路地から中央通りへと転がり出ると、息を吐く暇もなく走り出した。

 

 

 

 そして城門前の広場へと足を踏み入れた。直後、張り巡らされる強固にして頑丈な結界が、高い殺傷性を秘めた遠距離攻撃の数々を弾く。

 

「ここまで来りゃ、もう城門の設備での攻撃はなくなるはず……これまでの経験上は」

 

 代わりに新たな脅威が現れた。ヴヴヴヴヴヴヴヴヴ、携帯電話のヴァイヴレーションにも似た音を鳴らしながら現れたのは、体長三十センチを超える大型の蜂だ。全身を覆う装甲のように分厚い甲殻は、一目でその強度を知らしめている。ガチガチと打ち鳴らされる顎は、牛の首を一噛みで千切ることを可能にするだろう。臀部の先端から伸びる、杭と見紛うような極太の針は鉄板を容易く貫くだけの強度と鋭さを持つ。その魔獣の名は―――――

 

「――――装甲軍蜂(アーマード・ビー)か」

 

 蜂らしい高い機動力と獰猛な攻撃性に加えて、防御力まで備わった危険な魔獣の一種である。その戦闘力に反して、小柄であるがために小回りが利く装甲軍蜂(アーマード・ビー)は地獄の番犬としても知られるケルベロスを凌ぐ強さを持つが、その本当の脅威は『個』としてものではなく『集団』で発揮される。

 統率された軍隊のような連携。それこそが、この魔獣の最たる長所であり、脅威でもあり、名前の由来でもあった。

 

 そして、眼前の装甲軍蜂(アーマード・ビー)の数は百を容易に超えていた。本来ならば、数十匹程度の群れしか形成しないはずの魔獣であり、発生すれば即座に討伐部隊が編成されるだろう凶悪極まりない魔獣がだ。

 

「ミノタウロスのときも思ったが……、ほんと、どっから連れてくるんだろうな」

 

 ヴヴッヴッヴヴヴヴヴッヴヴヴ

 

 第四の門番との戦いは、こうして幕を上げた。

 

 

 

 

 

 前方からまっすぐに向かってくる蜂型の魔獣の群れ。所謂、長蛇の陣と呼ばれる柔軟性に優れた隊列を滞りなく組んで飛ぶ様は、名前の通りに軍隊を連想させる。使う陣形が戦国時代のものであってもだ。

 

「確か……この陣形は場面に柔軟に対応できるのが特長なんだっけか……?」

 

 以前読んだ戦術書にはそのように記載されていた気がする。魔境に城を構えてから行われることのある、魔獣との集団戦闘のための知識がこんなところで役立つとは思わなかった。

 

 この長蛇の陣は、甲斐の武田家が中国の有名な軍師・諸葛亮公明の作ったとされる『八陣の法』を元に作られた『武田八陣形』の内の一つだ。長蛇の列の語源にもなった陣形であり、名前の通り蛇のように縦一直線に長く伸びたものである。中央が攻撃されれば後尾と先頭が、先頭が攻撃されれば後尾が敵を討つといったように、蛇のようにクネクネとした動きを用いて柔軟性の高い戦いができるのが最大の特徴だ。

 

「とりあえずは様子見、っと!」

 

 軽く虚閃(セロ)を真正面からぶつけて、相手の防御力を見定める。回避動作を取ることもなく、魔力の嵐に呑み込まれた蜂たちはしかし、爆煙の中から猛然と向かってくる。

 

「……単純に火力不足か? いや、全力でぶっ放せばいけるか……」

 

 飛翔速度は落ちるどころか、むしろ攻撃を受けたことに対する怒りによって上昇している。だが、その蜂の体をよく観察してみれば甲殻には罅が入っており、羽も傷ついている。全くの無傷というわけではない。

 防御力はミノタウロス未満、速度はミノタウロス以上。攻撃力は武装や体格の関係上、間違いなくミノタウロスのほうが上だろうが、眼前の蜂たちの顎や針も馬鹿にできたものではない。あの顎は俺の骨を軋ませ、針は肉を貫くと見ていいだろう。そして、一体であったミノタウロスに連携もクソも無いので、その点はこのアーマード・ビーの軍勢が勝っている。

 大雑把に分析すれば、そんなところだ。

 

 軽く確認し終えると、背中を蜂の軍勢に見せながら全力で逃走する。真っ向から迎え撃つことに意味はないし、そんなことができるはずもない。仮に仁王立ちして待ち構えていれば、確かに最初の数匹は魔剣で殺せるだろうし、魔力も併用すれば更に殺せるだろう。が、いつしか手数が足りなくなって物量で押し切られるのは分かりきっている。あるいは、全力の虚閃(セロ)を連発すればアーマード・ビーの群れも倒しきれるかもしれないが、その場合は魔力の枯渇によって、第五の城門に辿りつく前に力尽きることは確実だ。

 

 つまり、ミノタウロス戦でも理解していたことであり、もっと言うのなら、それ以前に理解していたことだが、消耗は極力抑えなければならない。そのためには真っ向からぶつかってはいけないし、敵に背後を見せることも必要になってくる。

 

 

 

「ここらでいいか」

 

 立ち止まり、蜂の軍勢へと振り返った場所は結界の端から十メートル程度の位置だ。正面には百を超える蜂の群れ、その奥には巨大な第四の城門が威容を発している。

 

渦壁(ボルティセ)

 

 魔剣を持つ右手を前方へと向けて照準を定め、作り出したのは、轟轟と音を立てる渦潮だ。海ではなく宙に出現した渦潮は、渦を蜂の軍勢へと向けるように横を向いている。

 飛んで火に入る夏の虫。そんな諺があるが、目の前で起きたことはそれに非常に近い。全力で逃走する俺に追い縋るには、装甲軍蜂(アーマード・ビー)もそれなり以上の速度を出す必要があるために、急に出現した障害物(渦潮)を前に進路変更することはおろか、急停止することも難しい。先頭を飛んでいた十数匹の蜂は、渦に呑み込まれ、もがき苦しみながらも決して脱出することは叶わずに絶命していく。いくら魔獣の中で強力だと言っても、蜂であることには変わらないのだから、水中で活動できないのは自明の理だ。飛び込んだ水が荒々しくうねる渦潮ならば尚のこと。

 

 同胞が渦潮に飲まれて行く様を見ても、蜂の軍勢が及び腰になることはあり得ない。隣の者が死のうと、目的を完遂させるために行動し続ける。完成された軍隊とはこのようなものを言うのだろう。

 

 直進するだけでは、横向きの渦潮に呑み込まれてしまう。ならば、当然の手段として、蜂の軍勢は迂回してくる。左側から、さながら蛇が木に体を巻き付ける様にして周ってくる姿は、長蛇の陣という名付けにも賛同したくなる。

 

 対する俺の行動もまた単純明快だ。前方には渦潮を設置しているために塞がれてしまっている。左側からは敵が、攻撃が迫っている。なら、右側に逃げればいい。

 追いかけてくる蜂たちが、結界と渦潮の間にきたタイミングで魔力を行使した。渦潮は形を崩し、瀑布となって蜂を結界へと叩き付ける。いくら甲殻が硬くとも、内部に響く衝撃までは防げない。それに、荒れ狂う水流によって機動力の根幹を担う羽をもぎ取られた蜂たちにはもはや追跡の術はないだろう。

 

「で、これでまた十数匹――いや、二十ちょい倒してるか……」

 

 それでも先は長いと嘆息する。肩から振り返ってみる背後には、未だに百を超える蜂の群れが荒れ狂う水の本流を越えている。二度の攻撃で三十~五十の装甲軍蜂(アーマード・ビー)を倒したが、それはトラップのように使うのが上手くいったからだ。ギリギリまで引き付けてこその戦果である。失敗すれば一気に食い殺されかねない綱渡りだけでは、とてもではないが蜂の群れを殲滅することはできないだろう。

 

 軽快に走りながらも、後ろの蜂たちの観察は怠らない。陣形が変更された場合や、ミノタウロスの会得していた武術のような“特殊な何か”を警戒してのことだが、それらは杞憂だったらしい。

 今も尚、蜂の軍勢は蛇のようにうねりながら迫ってくるし、隠し玉を使ってくる様子もない。異常なほどにこの蜂が用心深く、切り札を隠している可能性も無いわけではないが、蜂という生物の特性を前提に考えれば、切り札の内容もいくつか予想が立てられる。ならば、切り札を使わせない、効果を発揮できない状況を維持し続けることも難しくない。

 

 タン、と魔力を込めながら軽く石畳を蹴って跳躍すると結界の側面へと足を着きそのまま垂直に駆け上がっていく。蜂たちも背後から――あるいは下方から?――追跡してくる。

それよりも下の、俺が跳躍の際に踏みしめた石畳には小さな水たまりができていた。

 

屹立水柱(アクア・ピラー)

 

 水たまりを起点として、間欠泉よろしく莫大な量の水が噴き出した。上空の敵を追いかけていたら、伏兵もいなかったはずの下方からの奇襲である。いくら軍隊染みた動きをするとは言っても、完全に虚を突いた攻撃に完璧に対処できる個体がどれだけいるだろうか。

 

 あと少しで水柱が俺の背中に当たるといったところで、結界を強く蹴りつけて地面へと飛び降りた。

 

「ひー、ふー、みー……大体三十ちょいか」

 

 それ以外のこれまで追いかけていた蜂たちは等しく水柱のなかでもがいている。魔剣を指揮棒のように振るい、水柱を一つの巨大な球体へと変化させ、水流を操り、蜂を中央へと集めることで脱出を防ぐ。水の操作と並行して、視線を周囲にやって蜂の数を数えつつ、ここから先の展開をいくつか予想する。そして、その中の一つが現実に起こる。

 

「長蛇の陣をやめて囲んでくるか。まあ、それも数の利を生かす方法だな」

 

 一人の敵を多数の味方で包囲する。古今東西にありふれた、数の利を生かす戦術だろう。蜂たちは一定の間隔で前後左右と上方まで、さながら半球状のドームのように俺を取り囲む。

 

「――あっちはもう終わりだな」

 

 軽く視線を向けたのは、上空で百体ほどの装甲軍蜂(アーマード・ビー)を捉える水塊だ。魔力を通して抵抗される感覚が消えたことを察知し、溺死したのを目で見て確認した。意識を緩めて魔力での操作を解除すると、水塊は砕け散り、無数の水滴となって降り注ぐ。大量の魔獣の死体も水滴に混じって落下し、頑丈な甲殻と石畳がぶつかる音を幾度となく響かせた。

 

「残りの死亡予備軍も、まとめて相手してやるからさっさとかかってこい」

 

 完全に包囲され、死角を取られている。なら、視覚に頼る意味もたいしてない。瞼を閉じ、他の感覚へと意識を回す。

 体内で高めた魔力を、薄く、広く、さながら波紋のごとく大気中へと放射する。レヴィアタンの魔力の特性は『水の支配』とでも呼ぶべきもの。大気中に存在する水分に干渉し、数秒と経たぬ内に掌握する。

 大気中の水分に触れた物は魔力を通して、俺へと伝わるのだ。

 

 ヴヴッヴヴヴヴッヴヴ

 

 四方八方から発せられる無数の羽音が、不協和音となって俺の耳に届く。そして、水を通して羽ばたきの一つ一つまで感じ取る。

 

 ギチギチギチギチ

 

 顎を打ち鳴らすのは威嚇動作の一つ。何度も合わさる顎の凶悪さも水を通して理解できる。それを合図にして、一斉に蜂の群れが突撃してきた。

 

 

 

 

 

 右手の魔剣では、間違いなく装甲軍蜂(アーマード・ビー)の甲殻を斬り裂くことはできないだろう。しかし、それならそれで、やりようはいくらでもある。

 全身鎧と呼ばれるものがある。名前の通り、全身を覆う鎧だが、中にヒトが入って動くためには関節部分まで完全に金属で覆うことはできない。この魔獣の甲殻にも同じことが言える。

 正面から迫る装甲軍蜂(アーマード・ビー)の頭と胸の間、首ともいえる箇所に魔剣を差し込む。一瞬で貫き、首の後ろから剣身が飛び出た。魔剣に貫かれた蜂の様子は、昆虫標本のように思えるが、細かく痙攣できる程度には生きている。それでも、この傷では碌に動けはしないだろう。魔剣を振り払って、その勢いで蜂の体から刃を引き抜く。

 

「正面のやつを相手してるうちに背後から襲う――これもありふれた手なんだよなぁ」

 

 背後にいた蜂たちの中の一体が、俺の右足首に狙いを定めて飛来する。肩越しに確認する間でもなく、大気中の水分を通して得た情報から、針ではなく顎を向けてきており、足首を食い千切ろうとしているのだとわかる。即座に右足を上げて回避し、真下に飛び込んで来た蜂の背中を踏みつけた。甲殻の頑丈さゆえに潰すには至らないが、石畳に猛烈な勢いでぶつけられれば多少はダメージも入る。追加で踏み躙って、背中から生えた羽を破壊する。

 

「蜂の脅威はその攻撃力と機動力の高さ。そして機動力は羽に依存してるから、羽さえ潰しちまえば、戦力にはならない」

 

 左腕は動かず、鞘に収めたわけでもない魔剣を左腰に持っていき、深く腰を落とす。日本剣術における居合の構えだ。

 切先が地面につきそうな魔剣の刃には、魔力で生み出した水を這わせる。

数十もの蟲に囲まれているという危機感にギリギリまで耐え、残りの魔獣が全て射程範囲に入ったことを察知すると、即座に右腕を閃かせた。横薙ぎ、返す刀で流れるように二太刀目を刻む。勢いのままにその場で回転しながら剣を振ることでまとめて薙ぎ払う。その全ての斬撃は、刃の延長線上に高圧の水を伸ばすことで射程を増やしていた。縦横無尽に振るわれる斬撃。それに付随して動き、柔軟に形を変える水の刃は鞭に近い。鞭と言えど、高圧水流はダイヤモンドの加工にも使われる鋭利な刃だ。その切れ味は馬鹿にできたものではない。

 

「はあああああッ!」

 

 関節から切り落とす。断面からはごぼごぼと体液が零れ、一目で致命傷だと判断できる。まあ、関節部位が弱点だというのは一目でわかることなのでこの結果に達成感を得ることはない。やはり、と確認するに留まる。

 

 さらに剣を閃かせる。

 ギギギャギャギィ! 耳障りな不協和音は、甲殻とそれにぶつかる高圧水流の奏でたものだ。水の刃が通り過ぎた先には、依然として飛ぶ蟲の姿。甲殻の表面は鑢で削られたかのように窪んでいるがそれだけで、戦闘は続行可能だ。

 

 ――まあ、それがどうしたという話なのだが。

 

 甲殻が魔剣の刃で斬れないから、水の刃を用意した。水の刃で斬れないか試してみた。それが無理だったというだけで動揺するような柔な精神はしていない。魔剣の刃で甲殻を斬ることを諦めたように、水の刃で甲殻をきることを諦めるだけだ。そして、別の手段を取る。

 返す刃で、再度蜂の躰を捉える。水の刃の中程が先と同じように甲殻に弾かれるが、その先は別だ。狙いは背中の羽である。紙のように薄い羽の耐久性は非常に低く、それこそ、半ばから絶たれて威力の落ちた水の刃でも切断できるほどだ。俺は剣を振るいながらも、宙に散った水へと意識を向けて薄羽を潰す。

 

「おおおおおおらああああああああああああああッッ!」

 

 そして剣戟の速度をさらに引き上げた。関節部だけでなく、背中の羽という弱点への攻撃手段も得た俺にこれ以上様子見を続ける理由はなかった。

 とにかく、斬って斬って斬りまくる。残像を生むほどの速度で剣を振るい、その先の水の刃が縦横無尽に暴れまわる。前方、右方、左方、上方、後方、ありとあらゆる角度まで射程に収めた斬撃の数々はもはや致死領域のドームと化していた。

 

 然れど、第四の門番はこの一手のみで攻略できるほど甘い相手ではない。

 何匹もの蜂が次々に墜落する中、攻撃を躱す個体が現れ始めたのだ。だが、その程度のことは想定の範囲内。すでに勝利までの布石は打ち終えている。

横に転がり、上方からの攻撃を回避。唐突に標的を失って、一瞬動きを止めた魔獣の首筋に、俺は起き上がると同時に魔剣の刃を滑り込ませる。引き抜けば、頭部と胴体が分かれて落下し、二つの音を鳴らす。

 

 高圧水流の刃を振るう際に、その一部をわざと落とすことで、あるいは甲殻に弾かれて雫となることで、いくつも作っておいた水たまり。靴底を軽く石畳に当てて鳴らした音を合図に、その水たまりから一斉に水の槍が湧き立ち、装甲軍蜂(アーマード・ビー)を呑み込む。

 

「―――チェックメイト」

 

 討ち漏らしもなく、全ての蟲を水の槍に捉えることができたことに安堵の息をようやく一つ吐いた。魔力を解除し、溺死体がいくつも落ちてくる中、行動不能にするだけに留めていた蜂にも止めを一体ずつ確実に刺していく。

 

 これで、第四の門番との戦いも終わりである。

 

 

 

 

 

 そして、第五の城門の門番との戦いは苦も無く勝利した。門番は巨大な一つ目の魔人、サイクロプスと呼ばれる魔獣だったが、巨大な武人ならすでに第三の門番で経験済みだったというのが勝因に挙げられる。

 大きな単眼からは冗談でも比喩でもなく『目からビーム』を放ってきて驚かされたが、それだけでしかない。光線の威力は高く、速度もあった。しかし、直進するだけのものなので、視線から攻撃個所を予測することは容易く、簡単に回避できたために脅威にはなり得なかったのである。

 戦局は常に俺の優勢で進み、最後は単眼から脳髄までを虚閃(セロ)で焼き尽くして殺した。

 

 

 

 

 

 そして、三日程挟んで第六の門番と対峙する。

 

「ォォオオオオ」

 

 地鳴りのように重苦しく、背筋に嫌なものを感じさせる声。音源は俺の頭より遥か高く、しかも複数ある。

 ズリズリ、と這いずって移動しているがそこに緩慢さは感じられず、捕食者が獲物を狙う直前のような鋭い殺気を纏っている。

 全身を覆う鱗が鈍い輝きを放つ。華美でも壮麗でもないが、どこか力強さを感じさせる輝きだ。

 

 これらの特徴を持つ第六の門番。その名は――

 

「―――ヒュドラかよ」

 

 多頭のドラゴンの中でも、一位二位を争う知名度を誇る魔獣だ。一つの体から九つの頭部が生え、ケンタウロスの賢者や人類史上最大最強の大英雄すら死を受け入れるほどの毒を持つ。鈍色の鱗は剣を通さず、矢を弾く。おまけに、頭部を斬り落とされようとも、すぐに生えてくるという化け物染みた――バケモノなのだから当然だが――再生能力を有している。

 

 端的に言って、強敵である。

 

 

「……あー、嫌になる」

 

 魔剣を握りながらも、苛立ちを紛らわすために右手で頭を掻いた。

 ヒュドラは鎌首を擡げて、十八もの眼を向けてくる。背筋に寒気が奔るほどの迫力が、今から行う戦いの厳しさを知らせるようだ。

 

「ルァアアアアアッッ!」

 

 俺の恨み言など知ったことないとばかりに轟く雄叫び。戦いの火蓋は、早々に切って落とされた。

 

 




 


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11話 第六の門番と最凶の呪詛

 ヒュドラに関する記述の中で最も有名なものは、やはりギリシャ最大の英雄ヘラクレスに与えられた『十二の難行』の中の一つとして打倒された話だろう。

 怪女エキドナの息子が冥府の王ハーデスの怒りに触れて、九頭の蛇頭を持つ、不死身の大蛇へと変貌したものがヒュドラだ。ヘラクレスは落としても再び生えてくる蛇頭に苦戦するも、甥のイオラオスへと助けを求め、ヘラクレスが蛇頭を落とすと傷口をイオラオスが焼いて塞ぐことで再生を防ぎ、中央の蛇頭は土に埋めて岩に封じ込めることで打倒したという。

 

 

 

「クソったれ! さすがの再生能力だな!!」

 

 懐に潜り込んで斬りつけた、鱗の生えていない顎下の傷が瞬く間に癒えていく。凶悪な攻撃を搔い潜った先に得たものが、ただの徒労では悪態もつきたくなる。

 

「オオオオオオッ!!」

 

 大樹のように太い蛇体が絞殺そうと俺を包囲し、九つもある蛇頭は鞭のようにしなって頭突きを繰り出す。大質量の頭部が高速で振り回されれば、それだけで立派な凶器の出来上がりだ。おまけに、ヒュドラには頑丈な鱗が生え揃っている。体に掠っただけでも、肉を削られてしまうだろう。あらゆる方向から襲ってくる殺傷性能抜群の攻撃を、しゃがむ、転がる、背を反らすなど曲芸じみた動きで躱していく。逃げ場を塞ぐように四方から同時に顎が迫れば、大きく跳躍して蛇頭の一つに着地し、更なる跳躍で殺意の包囲網から辛くも脱出する。

 

(迂闊に近づくこともできない、か。……厄介だな)

 

 距離を取って正面から見据えた、ヒュドラの姿にはまさに王者の気風が宿っている。過信ではなく、自信。傲慢ではなく、自然の摂理として、自身の勝利を信じて疑わない。そこにシ生まれ持った強靭な肉体と、スカサハに鍛えられた技が加わるのだ。戦士は『心・技・体』が揃ってこそだというが、このヒュドラはまさにそれに当てはまる。

 先ほどの攻防で得られたものはほとんどない。俺が攻撃できたのはたったの一度だけで、しかもそのときに与えた傷は数秒と経たずに癒えてしまった。対してヒュドラの反撃は苛烈なもので、逃げるのが精一杯。カウンターを考える暇もなかった。得られたことと言えば、ヒュドラが高い再生能力を有していることと近接戦ができるということを知れたことくらいだ。

 

 距離を互いに詰めることなく、睨み合うこと十数秒。ヒュドラは九つの下をチロチロと口から出し、俺は魔剣の刃先をヒュドラの目へと向けることで戦意を示す。出方を伺いつつも、先手を取られても対応できるようにするために頭の中ではいくつかの受け攻めのパターンを思い浮かべる。

 

 しかし、ヒュドラの行動はその予測の全てを裏切るものだった。

 

「なっ!? ブレスなんてあり得ねえだろ!?」

 

 九つあるうちの一つの蛇頭が、口を開くと喉の奥から炎がせり上がってくる。それに気づくと同時に走り出したのが功を奏し、直撃は避けられた。

 しかし、振り返って先ほどまで立っていた場所を見ると冷や汗が流れるのを止められない。ブレスを吐いたヒュドラの蛇頭の一つから直線上の石畳が熱気で溶けているのだ。ドロドロと融解し、煙を絶えず上げ続けるそれは、もはや溶岩か何かのようである。もし、咄嗟に逃げていなければ全身が跡形もなく蒸発していたかもしれない。回避ではなく水の盾による防御を選択しても結末は同じだっただろう。あの場面で咄嗟にアラートを鳴らす直感に従って心底良かったと安堵した。

 

 そして一安心すれば、再び疑問へと目を向けることとなる。ヒュドラがブレスを放つ。ブレスはドラゴンの代名詞であり、必殺技のようなものなのだから、ドラゴンの一種であるヒュドラが使えてもおかしくない―――そんなわけない。そうだったら、疑問に思うことなど決してないのだから。

 ヒュドラは高い不死性と不死殺し兼英雄殺しの毒という二つの凶悪極まりない能力を備えることで有名な魔獣だが、その代償なのかドラゴンとしての能力のいくつかが欠落している。大空を自由に飛翔するための翼、代名詞のブレスがまさにそれだ。

 

 だというのに、目の前のヒュドラはブレスを使った。その事実と、これまでの凶悪な門番と戦った記憶が綯い交ぜとなって一つの結論を導き出す。

 

「……こいつも変異個体ってわけか」

 

 種族としての平均を大きく上回る、第三の門番(巨大なミノタウロス)、同じく第五の門番(巨大なサイクロプス)。生態を逸脱した巨大な群れを形成する第四の門番(アーマード・ビーの軍勢)

 これまでに戦った門番が埒外な存在だっただけに、すんなりと受け入れることができた。まあ、それだけの変異個体をどこから調達してくるのか、と不可解に思ったりもするわけだが、それは試練が終わってから女王に訊けばいい。

 

「―――行ってみるか」

 

 まずは距離を詰める。ヒュドラの放つブレスは、一発で俺を殺し得る威力と凄まじい速度、さらに結界の端から端まで届くだろうというだけの射程まで兼ね備えている。俺も遠距離攻撃はできるが、ヒュドラと撃ち合えば分が悪すぎる。威力が違いすぎるために相殺どころか、かき消された上でこちらまでブレスが届きかねないし、そもそもヒュドラが鱗で受け止めた場合にその防御を突破できるのかさえ判然としないのだ。

 

 だからこその近接戦である。少なくとも、鱗のない部分ならば魔剣で斬り裂ける――ダメージを与えることができるのはすでにわかっている。近接戦でもリスクはあるが、そうでもしなければジリ貧でお陀仏だ。選択の余地などどこにもなかった。

 

「オオァァアアアアア!!」

 

 一つの蛇頭が食らいついてくる。噛みつかれれば傷口から毒を流し込まれて敗北は必至。というより、毒云々以前にあの牙と顎で噛みつかれれば普通に死ねる。

 その場で半回転するように回避し、顎下へと魔剣を突き入れる。何かにぶつかるような手ごたえを感じても、力を込め続けて脳天まで貫き、頭頂部から刃先が飛び出した。

 顎下、頭部、口の三か所から血を流しながらも、その目の光が失われることはない。あろうことか、魔剣に脳まで貫かれたまま、その蛇頭は攻撃を続行した。

 

「悪魔の俺が言うことじゃねえけど、本当に化物染みてやがる!!」

 

 言ってしまえば、頭突きの派生形だろうか。ただ長い首を真横に薙いだだけの攻撃だが、ヒュドラの身を覆う頑強極まりない鱗はさながら下ろし金のように俺の肌を削った。その質量と速度は膨大なエネルギーを生み出し、巨人のハンマーで真横から殴りつけられたような凄まじい勢いで吹き飛ばされる。

 空中で体勢を立て直すことすら許されない超絶威力。ただ首を振っただけでこれだけのパワーになるのだから、最強種族ドラゴンの名は伊達ではない。

 

「ちっ……」

 

 右手に握る魔剣は刃元から見事に折れてしまっている。ヒュドラに視線を移すと、頭部を刃貫いたままの状態だった。その状態でいてなお平然としているのだから、巫山戯ているとしか思えない。

 

「クソっ、……こりゃあ肋骨が何本か逝ったか」

 

柄と鍔のみとなった魔剣を投げ捨て、フィールドを囲う結界を支えにして立ち上がる。痛む胸を右手で押さえ調子を確かめつつ、喉の奥からせり上がってきた血塊を吐き捨てる。骨の痛みに気を取られていたようだが、体全体が痛みを訴えていることに気づく。今の吐血もその一例だ。破裂こそしていないものの、おそらく、胃か肺のあたりを傷つけているのだ。痛みと吐血だけで判断できるようになってしまった経験に感謝するべきか、恨むべきか。

 

「待ってくれねえよなぁ、やっぱり」

 

 一切、闘志を緩めることのないヒュドラの頭部の一つ。顎の下から刃が突き刺さり、頭頂部から切先が飛び出しているが、意に介した様子もない。あろうことか大きく口を開き、剣身を吐き捨ててしまう。異物がなくなった傷口は、みるみるうちに塞がっていく。

万全の状態を取り戻したヒュドラが再度顎を開くと、喉の奥に垣間見える火種。追撃として放たれたのは、またもや石畳を融解させるほどの熱を持つ、業火だった。

 無論、それだけで終わることはない。それもそうだ。先ほど放たれた灼熱のブレスを俺は躱しているのだから。馬鹿の一つ覚えのように効果のない同じことを繰り返すはずがない。

 

「オオオッ!」「「グルルォオ!」オオオオッ「ガァアアアア!」」「オオオ「ッッッ!!」オオオオオッッ!」「オオオオ「グァァアアアッ!」オオオオンンンンンッ!」「ガアアアアッ!!」

 

 暴風、冷気、雷、瀑布、岩槍、毒霧、衝撃波、振動波。再度放たれる灼熱も含めて計九つのブレスが次々に襲いかかってくる。

 

「首のそれぞれが別々のブレスを撃つとか、どこのラスボスだってんだよ!?」

 

 ブレスはそれぞれ違う特性を持つために、その速度には違いが生じる。初めに俺のところまで到達したのは雷の奔流だった。バチバチと絶えず音を発し、その脅威を主張する雷電に接触すれば、感電死することもありえそうだ。即死しなかったとしても、全身の神経が麻痺して、その後のブレスにすり潰されるので、直撃=死亡の公式が成立してしまうので、とにかく回避の一択だ。

 

「ッああああ!」

 

 そして次の脅威は風の嵐だった。文字通り雷速の一撃を回避するのは容易ではなかったため、体勢を崩していた俺を暴風が絡めとり動きを封じ、そのままの勢いで結界に叩きつけた。背中から全身へと伝わる衝撃に、傷ついた肉体が蹂躙され、口からは意識せずとも血が飛び散る。

 

「がはっ!」

 

 痛い。とにかく痛い。このまま地に伏していたい。どこが痛いかと聞かれたら、全身が痛いと答えるような有様だが、その痛覚の全てを無視して立ち上がった。

 

「やられて堪るかぁッ!」

 

 叫んだ拍子に口から血反吐をぶち撒ける。両の目から血涙が流れている。その中でも衰えることのない感覚が、続けて襲ってきた衝撃波と振動波の二つを捉えた。両方とも視覚で捉えられないという、単純でありながら凶悪な代物だが、そこはそれ。

 俺は普段から手札を隠すために魔力を抑えて戦うことを心がけているが、試練が始まってからは温存の意味合いも込めて魔力に制限をかけていた。

 しかし、目の前のヒュドラは温存だとか、制限をかけたまま勝てるほど甘い相手ではないことを理解し、魔力を完全に解放する。それによって数段階跳ね上がった身体能力を以てすれば、雷と風に劣る程度の速度しか持たない衝撃波と振動波を躱すことは造作もなかった。

 

「次は毒霧と冷気か」

 

 岩の槍は何本と飛んできたが、その質量ゆえに鈍重なそれらは警戒する必要もないほどだった。けれど、ひょひょいと躱したそれの次に飛んできたブレスは対応を誤れば死に直結するものだ。

 冷気と毒霧。

前者は軌道上に次々と輝く粒を生み出している。待機中の水分を一瞬にして冷やした結果である。舐め上げた地面は霜が降りたかのように白く染まっていく。

 後者の毒霧は、一目で毒だとわかるほどの毒々しい真紫の煙だ。正確な効果のほどまではわからないが、元々、ヒュドラはその強大な毒で知られる魔獣である。原液に比べれば薄まっているとしても、その威力は凶悪だと判断するには十分だ。

 

 パン!

 

 戦場全体に響く柏手を打ち、そこから開いた両手を前方に向けて魔力を展開。轟々と唸る巨大な水の壁を生み出した。高さは十メートル、厚さは三メートル、長さは数十メートルにも及ぶ。形状は直方体や立方体のように単純なものではなく、上空からみればくの字(・・・)、ヒュドラに向かうに従って口を開くような壁だ。

 口の部分で二種類のブレスを受け止める。パキパキと音を立てながら、冷気が当たった水面から氷に侵食されていき、水の壁から氷の壁に早変わりだ。凍てつく氷の大壁は冷気を放つ。そして、気体の特性に従って、冷やされた大気は上から下へと流れていく。

 冷気に押し流される形となった毒霧が行き着く先は、氷壁の開いた口の先――つまりヒュドラの正面だ。

 

(これで――――どうだッ!)

 

 ヒュドラの生命力は驚嘆に値する。不死の怪物と恐れられるのも納得だ。しかし、どんな生物にも弱点は存在する。敵が不死身ならば、不死殺しを用意すればいいだけのこと。丁度良いことにヒュドラの毒は不死殺し。防御の不死がヒュドラのものなら、攻めの毒もヒュドラのそれ。相性によって攻めのほうに軍配は上がるはずだ。

 ヒュドラの毒を以て、ヒュドラの不死を制す。一発逆転の策となる一手だと確信して打った。視線をヒュドラがいるはずの方向へ向けても、氷の壁に阻まれてその姿を視界に収めることはできない。それでも、じっと視線を向け続けて警戒を続け――――

 

 ――――そして轟音が襲いかかってきた。

 

「がっ、あ、あぁ!?」

 

 全身が衝撃に叩かれ、肌は高熱に焼かれる。全く嬉しくない過去の経験からそれが爆発に巻き込まれたことによるものだと瞬時に理解できた。しかも、追い討ちとばかりに砕け散った氷の破片が鋭利な刃物と貸して突き刺さる始末。形成を逆転する一手を打ったと思った直後に、満身創痍となる有様だった。

 軽く二十メートルは吹き飛ばされただろう。何度も石畳に上を跳ね、ゴロゴロと無様に転がって漸く動きが止まる。

 

(あの毒霧、可燃性なのか……!?)

 

 毒霧、爆発、そして火種と成りうる雷撃や灼熱のブレスを扱えるとくれば答えは一目瞭然。ヒュドラは毒を吸い込むより早く、毒霧に火をつけて大爆発を引き起こしたのだ。

 

辛うじてつなぎ止めた意識の中、視線を前方にやると濛濛と立ち込める爆煙が晴れたその先に、ヒュドラがいた。九つある内の頭部の三つが半ばから消し飛んでいるに飽き足らず、ある部分の鱗は剥げ、ある部分は火傷で爛れている。その姿は俺に負けず劣らずの満身創痍と呼べるもの。しかし、俺とは違って傷口はジュクジュクと生々しい音を立てながら徐々に修復されていく。首の断面から肉が盛り上がる速度を見るに、あの瀕死の重傷から全快までに要する時間は、おそらく三分以内と言ったところか。

 

(俺と同じ重傷の癖にここまで違いがあるかよ。どんなチートだ、くそったれ!)

 

 もはや、呼吸をするだけで全身に痛みが奔る。そのすべてを無視して、石畳に手をついて、必死になって立ち上がろうとする俺の目の前にコロコロと乾いた音を立てて転がってくるものがあった。色は白、先端が鋭利に尖ったそれの正体は一目で理解できる。

 

「……ヒュドラの牙か。あの爆発で吹っ飛んだ頭にあったやつがここまで飛ばされてきたんだな」

 

 周囲を観察してみれば、目の前のそれ以外にもいくつもの牙や鱗が散乱しているのが見て取れた。どれもこれも、欠けていたり、折れていたり、割れていたり、焦げていたりと、爆発に巻き込まれた影響で散々な有様だったが、間違いなくヒュドラの牙や鱗だ。

 

(この牙をぶっ刺せば勝てるか……?)

 

 正直、まともな方法(・・・・・・)であのヒュドラを倒せるとはもはや考えてもいない。万全の状態ならいざ知らず、試練の始まりから力を制限され続け、ここまでの道のりの中でいくつもの傷を負った状態で戦いは始まったのだ。

 そして、さらに体は傷つき瀕死の状態だ。

 ヒュドラの尋常ではない生命力は遺憾無く発揮され、ここから先もしぶとく戦い続けるだろう。対して俺は歩くので精一杯。武器を振るうだけでも命懸けという有様だ。

 これではまともな手段で勝てるはずがない。

 

 そんなときに見えたわずかな光明こそが、このヒュドラの牙だ。

牙に残った毒を流し込めばヒュドラを殺せるか。その疑問の答えはおそらくYESだ。満身創痍となるほどの傷を負うリスクを冒してまでも毒霧を吸い込むことを避けた事実から、ヒュドラに対してヒュドラの毒が有効であると推測出来る。

 

 しかし、“ヒュドラの毒が有効であること”と“ヒュドラに勝てる”はイコールで結ばれない。これについても先ほどの毒霧に対するヒュドラの対応から分かることだが、毒を避けるためならばヒュドラは自傷を恐れないのだ。牙を持って近づけばこれまで以上の苛烈な攻撃がくることは明白だ。その上、万が一の確率で牙をヒュドラの体に突き刺すことができたとしても、全身に毒が回ることを防ぐために患部を食い千切るくらいのことは容易くするだろう。

 

「あ、あぁぁあああああアアアッッ!!」

 

 叫びを下げて立ち上がった。

足がガクガクと震え、空気が撫でるだけで肌は痛む。呼吸するたびに喉から肺まで激痛に見舞われ、生命が続く一秒ごとに全身の痛みを認識する。

 それでも、俺はまだ負けていない。まだ戦えるのだと、意志の全てを叫びに変えて戦いを再開する。

 

「はぁ、はぁ、はぁ……ッこれは使わん」

 

 拾ったヒュドラの牙を、躊躇いを振り切って虚空に展開した魔法陣を通じて亜空間に放り込む。どうせ見込みが無いのなら、手に持っていても仕方がない。いや、瀕死の重傷を負って弱った精神では、先ほどのように“あるいは”“もしかしたら”と薄い希望に縋って隙に繋がることも有りうる。それならばいっそのこと、手放してしまったほうが良い。

 

 ―――代わりに最悪を解き放つ。

 

 『王』として使ってはならない・使うべきではない力だと理解している。個人として使いたくない力だし、感情的にも非常に嫌っている。

 

 だが、それで死んでしまっては元も子もないのだ。

 

「―――俺は、俺の死ぬ意味を知っている」

 

死ぬわけにはいかないのだ。

 

 死にたくない。

死ぬ訳にはいかない。

生きたい。

 

生きて、そして愛する者たちとの日々を過ごすためならば、制約など知ったことか。俺は加減して勝てるほど強くはないのだ。

 

 この力は間違ったものだと理解しているが、だからどうしたというのか。くだらない倫理観など犬にでも食わせてしまえ。

 

 この力は赦されないものだろう。だからどうした。俺がいつ赦しを求めたというのか。

 

 この力を使わなければ死ぬ状況で、しかも俺が死ねば愛する者たちが死ぬかもしれない現状で、尚も力の成否を叫ぶ者がいるのならば、その者のほうが間違っている。目に見えない倫理観だとか、己の心情だとかを優先した挙句に勝手に死に、愛する者たちを護ることも救うこともできないのはただの無責任の糞野郎だ。そんなやつには、呆れと侮蔑と嫌悪の三点セットをプレゼントしてやろう。

 

「その身に満ちるは限りのない恩讐」

 

「オオ、アアアアアッッ!!」

 

 吹き出す呪詛が、俺の髪を揺らし、服を撫でる。

 ヒュドラの口から放たれた、最速の雷を回避だけの余力は残っていない。

 だから、俺は倒れ込んだ。膝の力を抜いて、全身を石畳に投げ出す。頭上を雷撃が通過する際に髪の毛がいくらか焼け焦げたがそれだけだ。

 

「無力の海に沈み、悲嘆の叫びを上げることに意味はない」

 

「グルァアアア!!」

 

 ただ倒れ込んでいるだけで安全ならば、そもそも苦労していない。倒れ込んだ俺を殺すべく、ヒュドラは頭の一つを地面スレスレの位置まで下ろして、灼熱の業火を吐く。

 俺は詠唱が進むに連れて濃くなった瘴気を右腕に集める。体のうちから湧き上がる瘴気を右腕に充填させて、遂に砲撃を放つ。

 俺とヒュドラの中間地点でぶつかった灼熱と呪詛は、互いに譲らず相討った。巨大な爆発を起こし、砂塵を巻き込んだ熱風が俺のところまで流れてくる。

 

「憎悪を薪に、憤怒の業火を齎す」

 

 呪詛がさらに強まる。そんな中、吐いた血を俺は乱雑に服の袖でぬぐい去る。ここまでくれば、あとは殺すか、自壊するかのいずれかだ。痛みに構っている暇はない。

 

「ゥオオオオオオオッ!」

 

 衝撃波を目で見ることはできない。しかし、掌握した大気中の水分を通じて感じ取ることはできる。俺は右手を虚空に振るい、目前にまで迫っていた衝撃波を打ち消した。

 

 が、ヒュドラの攻撃はそこで終わりではない。衝撃波と同じタイミングで放たれただろう振動波が向かってくる。回避するだけの体力はない。先ほどの衝撃波のように右手に呪詛を纏って弾くことも難しい。振り切った腕を戻すためには踏ん張る必要があるが、俺にはその程度のことを行う体力さえ残っていないのだから。

 

「ぐあっ!?」

 

無防備となった俺の胴体から全身へと伝わり蹂躙する。ボロボロの筋繊維は解かれ、骨に入った罅が広がる。活動しているのかすでに怪しい臓器はさらに壊され、体内を乱雑に撹拌されたかのようだった。口からは大量のどす黒い血が噴き出す。

 

「ぶふっ!」

 

 何メートルも後退させられた。一度倒れ込んでしまえば、二度と立ち上がれないと自然と理解できた。両手を両膝に置いて、ぼやけた視界の中で感覚の薄れ始めた足を交互に動かす。

 

「はぁ、はぁ。……罪過は許しを求めることはなく、悪逆を躊躇う余地もない」

 

 俺の体から湧き出す瘴気はもはや台風のようだった。俺を中心に、幾重もの層を作っている。何者の干渉も許さず、侵入することを拒む防壁のようだが、瘴気に囲まれた中心こそが最大の危険地帯だというのは皮肉である。

 

「オオオオオオオンンンッ!!!」「オオオッ!」「「グルルォオ!」オオオオッ「ガァアアアア!」」「オオオ「ッッッ!!」オオオオオッッ!」「オオオオ「グァァアアアッ!」オオオオンンンンンッ!」「ガアアアアッ!!」

「アアアアアッ!」

 

 ヒュドラの叫びに怯えのようなものが混じっているように思えるのは俺の勘違いだろうか。

 人間、堕天使、天使、ドラゴン……etc。神さえ殺し尽くす災厄の顕現。それは生物だけでなく、環境や現象にまで影響を及ぼす。

 雷も、暴風も、衝撃波も、振動波も、灼熱の業火も、大質量の瀑布も、毒の霧も、凍てつく風も、土の大槍も、その全てが瘴気の壁に阻まれ、霧散していく。もはや、防御も回避も必要としなかった。ただ突っ立っているだけの俺を、ヒュドラは全力を用いてもまるで害せない。

 

「故にこの道を阻むものは須らく無に帰る」

 

 瘴気が広がるに連れて、大気が死んでいく。感覚の失われた足を、一歩一歩と踏み出すたびに靴裏の石畳が朽ちていく。その下にある大地が顔を覗かせるも、数秒と経たぬ内に腐っていった。

 

「―――その身は恩讐の化身だった」

 

 俺が進む速度は愚鈍そのもの。一周回って痛みを感じなくなった体を引きずるようにして前に進む。

 対峙するヒュドラは、数分前は瀕死の体だったくせにすでに全快している。鱗は生え揃って輝きを取り戻し、火傷痕も残っていない。首の断面からは生えてきた新たな頭部はブレスを早速撃ってきたほどだ。

 小突けば倒れてそのまま死んでしまいそうな俺と、万全の状態にまで回復したヒュドラ。字面にすれば後者が撒ける要素はまるでないように思えるが、現実では俺が進む速度をはるかに上回る勢いでヒュドラが後退していく。

 

 王者然とした雰囲気はとっくに霧散し、怯えを見せていた。

 俺の放っている呪詛はありとあらゆるものに対して特攻を持つ。言ってしまえば、あらゆる存在の天敵。恐れて、怖れることこそが自然だ。

 

 北欧の主神をして、最凶にして最悪とまで言わせた世界殺し(ワールド・キラー)の呪詛。

 

 その名も―――

 

森羅万象を虚無へと還す(ヴォイド・アポカリュプス)

 

 

 

 

 

 

 

 

「オオッ、……アァ」

 

ヒュドラは刻一刻とその命を失っていく。彼我の距離は数十メートルあるが、すでに互の攻撃圏内。俺の体から溢れ出す瘴気が、猛烈な勢いでヒュドラの不死身と言われた肉体を侵していた。

 ヒュドラもやられているばかりではなく、もちろん反撃を試みている。九種類のブレスを次々に放つこともあれば、同時に放つことで威力を高めることもある。尾で叩き割った石畳の破片を、さらに尾で弾き、散弾のように飛ばしてくることもあったが、その全ては瘴気に蝕まれて塵芥と化して霧散していった。

 

「がふっ、げほっ……っくそ」

 

 吐き出した血の色も、ぼやけた視界では判然としない。

 血塊は足元に落ちたはずだが、音は遠くて聞こえない。

 おそらく、たった今作り出した血溜まりに足を着けたはずだが、その感触が脳にまで伝わることはない。

 

 猛烈な勢いで自分の体が呪いに侵されていることがわかる。世界殺しの呪詛たる森羅万象を虚無へと還す(ヴォイド・アポカリュプス)は全てのものを侵す、その『全て』には俺自身さえも含まれているのだ。

 体力があり余っていれば呪いに耐えることもできただろう。魔力が潤沢ならば、呪いを強引に体内から弾き出すこともできただろう。

 だが、それは所詮、もしもの話に過ぎず、体力も魔力もここまでの道のりでその大半を消費してしまっていた。抵抗と薬を無くした俺の体は呪いにされるがままだ。

 

「それでも、……はぁ、はぁ、俺の、勝ちだ……!」

 

 遂にヒュドラの位置にまで到達する。十八の瞳はすでに光を失い、九つの頭は地面に横たわっている。全身の鱗は輝きを失い、皮の下の肉は生命の躍動停止していた。

 

 シュウウウウウウウウウ

 

 ただそこにいる。ただそれだけで、溢れ出した瘴気によって世界屈指の魔獣は一切の抵抗を実らせることなく斃れた。

ただ触れる。それだけの動作で、あれほどの猛威を奮ったヒュドラの躰は塵と化し、宙を舞う。そして、その塵さえもが、瘴気によって姿を消す。

 

「……これで、第六の門を突破か」

 

 俺は戦いに美学を求めるようなことはしない。最終的に勝てば何をしてもいいと思っているし、目的のためならば殺戮でも拷問でも喜んでする。

 

 しかし、この呪詛を使って得た勝利だけは好きになれない。

 

 禁忌の呪詛を使わなければ勝てない、己の弱さを責めずにはいられない。

 

 俺はきっと、未来永劫、この後味の悪さにだけは慣れることができないだろう。

 

「…………くそったれが」

 

 

 

 ヒュドラの死体があった場所に背を向けて歩き出す。

 呼吸は荒く、とてもではないが、巨大な城門を押し開けるだけの余力は残されていない。

 だが、それでも問題なかった。ヒュドラを殺して尚、噴出し続ける瘴気が扉を侵食、風化させていく。

 サラサラサラと砂粒のようになってしまった扉は、風に流されていった。扉部分は跡形もなく消え、隣接する壁面にも瘴気による侵食が急速に進んでいく中、城門をくぐり抜ける。

 

「……ようやく次の門番で最後か」

 

 七つの城門を突破したあともまだまだ試練は続いていくとは言え、一つの節目であることは確かだ。口に出すと、これまでの険しい道のりを思い出し、我ながらよく生きてここまで来れたものだと感心するほどだった。

 

 すでに限界などとうに超えていた。

微かな安堵。気の緩みが背中を押し、俺は膝から崩れ落ちた。受身も取れない。瀕死の体で石畳にぶつかったというのに痛みも感じなかった。崩れ落ちたことを認識したのも、地面に横たわり視界が変わってからだ。

 

(なんだよ、これ。クソ、クソ! こんなとこで死ぬわけにはいかねえのに!!)

 

 いくら心の中で叫ぼうとも、体に力が入ることはなく、瞼はゆっくりと下がっていく。

 

『グルルルル』

 

 薄れゆく意識の中、最後に目に映ったものは口から涎を垂らす、獰猛な魔獣の姿だった。

 




 ~戦闘の流れ~

 グラナVSヒュドラ→苦戦したグラナは魔力を完全開放→だけど一瞬で瀕死に追い込まれる→世界殺しの呪詛を使って打倒→ヒュドラに勝利したものの呪詛に侵されて倒れる



 制御していた魔力を完全解放したのに一瞬で倒されるのはどうなんだよ!? そう思われる方もいらっしゃることでしょう。けれど、実戦ならば一瞬の判断ミスで敗北につながることもあると思うのでこれはこれで良いと思っています。少年漫画的な熱い展開を所望されていた方には悪いですけどね。
 
 本編で語りたいけど語る場面がなさそうな裏設定として、森羅万象を虚無へと還す(ヴォイド・アポカリュプス)を完全開放した際のグラナの戦闘力は滅びの魔力の化身となったサーゼクスに匹敵します。ただし、世界殺しや呪詛といった特性によって、殲滅能力はグラナのほうがはるかに上なわけですが。
 仮に魔力と呪詛を全開にした両者がぶつかった場合、ほぼ必ず相打ちとなります。グラナが勝ったとしても、呪詛に身を侵されているので戦闘後に死亡。グラナが殺された場合においては、呪詛の基本的な部分にある『死んでも殺す』という性質が発動し、死後、より強力となった呪詛がサーゼクスを襲い、消耗している状態では為すすべもなく消え去ることとなりますね。


 次回予告

 狂い始めた女王との問答。
 彼女が差しすのは毒の林檎。
 破滅の未来しかなくとも、甘美な匂いの誘惑は強烈だ。
 愛する者への想いを胸に誘惑を断ち切り、悪魔は試練を続ける。
 
 ハイスクールD×D 嫉妬の蛇 十二話 病める女神の誘惑。そして現れた最後の門番

「裂かれようとも、焼かれようとも、凍らされようとも、砕けようとも……それでも諦めない。それが覚悟だ。それが――――」



「―――愛ってもんだろう?」
 


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12話 病める女神の差し出す毒林檎

 いやはや、マジですいません!! 投稿かなり遅れましたね……。
 書いては直して、書いては直しての繰り返し。ついでに新しい二次小説にハマったりなんなり。そこから、新しい作品を執筆したいなぁと思っちゃったりと色々あったんですよ。
 



 はい、すみません。全て言い訳ですよね。
 こんな言い訳がましい私ですが、今後ともよろしくお願いします。


「あ、が……ごほっがはっ」

 

 痛い(・・)。痛みが駆け巡り、脳髄の奥まで犯してくる。咳き込むたびに口から血が飛び散り、全身の傷がさらに痛んだ。

 痛みに喘ぎ、地に伏していると、上方から声をかけられた。聞き覚えのある、力と気品に溢れた声だ。倒れたまま、顔を上げて視界に映った声の主は、影の国の女王ことスカアハだ。

 その目には呆れの色が濃く映されている。やれやれ、そう言いたげに女王は口火を切った。

 

「あれだけの傷、そして重度の呪いに犯されながらもこうして再び目を覚ますとはな。全く、賞賛を通り越して呆れる回復力だぞ。お前は本当に悪魔なのか」

 

「フェニックスは不死身なんて言われてるんだぜ? このくらい驚くことでもないだろ」

 

 精一杯の笑みを浮かべて返す。虚勢だと見抜かれている、そしてそれでもいいのだ。俺はまだ負けていないのだと、諦めていないのだという意思表明なのだから。ただの虚勢、されど虚勢だ。吠えるだけの元気と気力がまだ有り余っているのだと叫ぶ。

 

「ふん、戯けたことを。あれだけの傷を負い体力と魔力を消耗している状態で、あれだけの呪詛を受ければフェニックスであろうと致命的だろう。まして、不死身の特性を持たない悪魔が生きていられるはずがない」

 

 森羅万象を虚無へと還す(ヴォイド・アポカリュプス)は世界殺しの特性を持っている。試しことこそないものの、負傷やら体力と魔力の消耗やらが無かったとしても、おそらくはフェニックスを封殺できるだろう。

 不死身の特性を持たない悪魔ならば言わずもがな。正直、森羅万象を虚無へと還す(ヴォイド・アポカリュプス)に対抗できる悪魔は、超越者と讃えられるサーゼクス・ルシファーとアジュカ・ベルゼブブの二人だけだと俺は確信している。それ以外の悪魔では、たとえグレイフィア・ルキフグスであろうと、一切の抵抗が実を結ぶことなく屍となる。

 

 世界最凶とは、そういう次元なのだ。

 

 そのことに気づいていない、もしくは鎌をかけているスカアハにそのことを教えるつもりは毛頭ない。スカアハはすでにヤンデレなのだ。もしも、俺の用いた呪詛が歴史上類を見ないほどに強力なものだと知れば、最後の一線を超えてしまいかねない。それこそ名誉が傷つくことを恐れずに約束を踏み倒して、この場で試練を中止し、俺を拉致監禁するくらいのことは軽くするだろう。そして彼女から離れることができないように魂レベルでの契約を強制的に結ばされ、二度と日の目を見ることのできない人生の墓場コースへ直行である。

 本気で洒落になっていない。しかも、彼女の双眸に浮かぶ狂気からはそれ以外の未来を感じ取れない。

 

(……呪詛のことは黙って、他の話題で気を逸らすか)

 

 浮かんだ名案、というより唯一の選択肢に飛びついた俺は、さながら芋虫のように這いずりながら道脇の建物までたどり着き、そのまま上体を起こして背中を壁面に預ける。

 

「……俺は五年前にあの愛刀に覚醒した力を封じ込めた頃から、普通の悪魔じゃなくなりつつあるんだよ」

 

「力を封じ込めたことではなく、その力に覚醒したことが原因だな?」

 

「ああ。身体能力に肉体強度、回復力に至るまで軒並み上がり続けてる」

 

 能力の上昇は、特訓の成果という側面もある。が、それだけでは説明の付かない部分も確かに存在しているのだ。

 その理由こそ、肉体が『悪魔』から別のものに変質していくことになる。

 

「レヴィアタンは元々、陸のベヒモス、空のジズと並んで神に創造された怪物だ。そこから悪魔に堕ちたのが俺の先祖なわけだが、俺はその怪物だった頃の力を呼び覚ました」

 

「そして、あらゆる武器を通さない最硬の鱗が肉体の頑丈さに繋がったように、回復力や膂力にも影響を及ぼした……。ふむ、解放状態のあの姿からおおよその検討はついていたが、やはりそういうことだったか」

 

 ――だが、一つ疑問が生まれる

 

 スカアハはそう言って続ける。

 

「レヴィアタンは海龍の一種。見た目こそ普通だが、その力を覚醒したとあっては、お前は『悪魔』と言えるかも怪しいだろう。一体、何をして現四大魔王を黙らせた?」

 

「何もしてないさ。あいつらの前では一度として刀に封じ込めた力を解放したことは無いし、俺が『悪魔』から外れたことについても話してない。まあ、悪魔の駒(イーヴィル・ピース)を使えばドラゴンベースの悪魔もできるし、肉体の変化そのものについては話したところで問題ないと思うけどな」

 

 許すか、許さないか。それを決めるためには、まず対象の事案について認識する必要がある。つまり、そもそもバレなければ追及されることさえ無い。

 

「明かす必要のない手札を明かすなんて馬鹿げてる。俺は一度はぐれ悪魔よろしく、わざと理性を失った異形と化して力を覚醒させて、そこから戻る(・・)ことでこの力を手に入れた。同じ方法を取ったとしても、他の悪魔が力を手に入れられる保証はない。つーか、九分九厘失敗する」

 

「で、あろうな。力を求め続け、理性を失った化物ゆえに、はぐれは討伐されるのだから。そう容易く元に戻れるのであれば、討伐以外の選択肢もあるというもの」

 

 俺が取った強さを得るために取った手法はかなりリスクが高い。今の貴族主義がはびこる冥界でこの方法が広まれば、横暴な上級悪魔が多くの中・下級悪魔、それに転生悪魔にこの手法を強制しかねない。

 

「関係のない市民を思いやれる。お前にそんな良識があるとはな」

 

「俺は目的のためなら神話体系の一つや二つ滅ぼすし、嫌いな相手を甚振るくらいのことはするけどな……。無駄に被害を広げて愉しむサイコパスじゃねえんだよ」

 

「……そうか。私はお前のことを少しばかり勘違いしていたようだ。しかし、いくつになっても愛する男の新たな一面を知ると胸が高鳴るものだな」

 

(……ん?)

 

 スカアハの冷徹な美貌が朱に染まり、吐息には心なしか色気が混じっているようだ。全身を鎧に固めた状態であっても、強烈な女の気配。世界中の男を魅了するだろう色香を振りまきながらも、その二つの瞳だけが歪な光を宿している。そのことが不気味でならない。

 

「お前の死にざまを見て楽しみ、その後は死体を保存して、世界が終焉を迎えるその時まで共に過ごそうかとも思っていたが――」

 

「おい、前半部分が滅茶苦茶不穏な内容だったんだが」

 

「――気が変わった」

 

「無視かよ」

 

 そして、このぼやきも当然とばかりに無視される。あるいは、熱に浮かされたように話すスカアハの耳に、そもそも声が届いていないということもあり得る。

 

「試練をここで終え、我が伴侶となれ」

 

「断る」

 

 熱が冷め、殺意さえ籠もった視線が向けられる。だが、視線を逸らすことをしない。それをしてしまえば、負けだと認めるようなものだからだ。

 ここは退けないし譲れない。

 実力はスカアハのほうがはるかに上で、しかも今の俺は瀕死の重傷を負っている。相対したところでまともな勝負にならないだろう。だが、だからこそ精神でまで屈するわけにはいかないのだ。

 

「何故だ。何故断る。業腹ではあるが、私以外の女を抱きたくなれば許すし、お前の欲するものは全て用意してやれる。それでも尚、断るのか」

 

「ああ。考えは変わらん」

 

 数十人単位のハーレムを維持する中、心に闇を抱えた女を抱いたこともある。心に傷を負った女に寄り添ったことがある。その経験によって磨かれた眼力が、スカアハの精神状態が非常に危ういことを教えてくれている。ヤンデレやらメンヘラならまだ良いが、すでにそんな次元を突破してしまっている。

 心身の区別なく、自身と相手を破滅させる暴走機関。それが、現在のスカアハだ。

 

「…………そう、か」

 

 スカアハは長い沈黙の後にぽつりと一言だけ漏らす。俯いた彼女の顔に前髪がかかり、表情を見ることができない。何か言葉を続けることなく、立ち上がったスカアハは去っていく。

 

「なあ」

 

 聞いているかどうかの確認は取らない。ただ彼女の背中に声を投げかけるだけだ。

 

「別に、お前のことを嫌っているわけじゃないぞ」

 

 カツカツ、カツン、カツン

 

 本人は意識しているのか無意識なのか。僅かに足音の間隔が伸びる。

 

「そもそも、嫌いな相手に大切な配下(レイナーレ)を預けるわけないしな。お前のことは信頼しているし、それなりに好きだ」

 

 まるでガッツポーズを必死にこらえるかのように、プルプルと震えるほどに拳を握りしめるスカアハが、何とも可愛らしい。先ほどまでの狂気が嘘だったかのように思えるが、残念ながら現実だ。故にこそ、スカアハのことを受け入れられない。

 

「……では、何故?」

 

 背を向けたまま放たれる問いかけに間髪入れずに答える。

 

「破滅するからだ。今のお前を受け入れれば、確実に俺もお前も死んだほうがマシだって結末になるだろうさ。だから、今は受け入れられない」

 

 スカアハには何度も死ぬような思いをさせられたが、殺意や悪意を向けることはできない。彼女と出会わなければ、彼女に師事していなければ、俺は現在(ここ)まで辿り着くことができなかった。何人も配下を失い、取り戻すことさえできなかっただろう。

 彼女から受けた恩はあまりにも大きい。それなのにどうして恨めようか。

 彼女のことが好きで、恩を感じているからこそ、今の彼女を突き放すしかない。

 

「けど、それは逃げるって意味じゃない。いずれ決着をつけよう。俺が死ぬか、俺がお前の物になるか、お前が俺の女の一人になるか………。結末がどうなるか知らんが、俺は逃げないよ」

 

 スカアハのことが好きで、恩義を感じている。

 なればこそ、彼女のことを救いたいと願うのは当然のことだろう。

 そのための誓いを今、ここに立てる。

 

「一緒に未来(明日)を歩けるようにしてやるよ」

 

「……ふんっ」

 

 鼻を鳴らし、どこかへと転移していくスカアハ。彼女の背に滲む喜悦が、俺の勘違いでないことを祈ろう。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 




 新しい小説についてざっくりと紹介しますね。興味があれば、感想覧にて教えてください。
 ぶっちゃけモチベーションの問題もありますが、皆さんの期待には応えたいと思ってますので、読みたいと思ったものについて教えてくださいね。


 一つ目:東方project 狼さんと鬼さんと
 鬼の四天王のあの方に恋した一匹の白狼天狗の物語です。ハーレム要素は皆無で、想い人のハートを射止めるために滅茶苦茶頑張る純愛ストーリって感じですかね。


 二つ目:東方project 中国になりまして
 世界観は、東方のパラレルワールドになります。ほとんど原作と変わりない世界ですが、ただ一点、紅の門番だけ偶然に偶然が重なったことで大きく原作と乖離しています。
 性格は原作同様に朗らかで社交的。けれど、実力は風見幽香並、年齢はスキマBBAと同等、普段は昼行燈だけれど実は頭がキレるというチート中国の物語です。
 タグはガールズラブや、残酷な描写が付くこととなります。


 三つ目:僕のヒーローアカデミア 私のヒーローアカデミア・悪の帝王に至るまでの物語
 一言で言えば、、転生物の俺TSUEEEEEですね。ただし、主人公が正義ではなく悪に憧れ、(ヴィラン)として大成するために雄英に入学するというのは珍しい形式だと思いますが。
 主人公は前世で読んだ漫画の悪役に畏敬の念を持っていて、その姿を追っていきます。その悪役というのが、《人類の病》ことシックス様というわけなのですが。個性の使用方法や喋り方はシックスを参考にしていますが、シックス本人ではありません。



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13話 最後の門番

 スカアハと別れた後。これまでと同様に次の門へと向かう道程は、肉体の損耗に反して容易なものだった。

 ヒュドラを倒すために発動した呪詛の代償として、今も呪われ続ける俺の肉体は毒の塊にも等しい。魔獣どもから見れば“弱ったお手頃な獲物”ではなく、“食らえば即死確実の毒肉”。食せば死ぬのは確実な上、触れるだけでも呪いが伝染しかねない厄介者と関わることを、本能で察しているのだろう。俺の視界にただ一匹として魔獣が入ってこないのは、その表れだ。

 

 とは言え、呪いに恐れ戦くのは生物に限った話であり、命を宿さない物はまた別の話となる。

 

 門に近づき、発動する迎撃システム。雨の如き矢の群れに大気を引き裂く魔力砲。第一から第六の門では迎撃システムはどれも同じだったというのに、今回だけはまるで別物。それはもちろん、俺の負傷具合を憐れんだスカアハが難易度を下げたというわけではなく、むしろ殺しにかかっているというレベルの難易度に引き上げられていた。

 魔力砲は石造りの建物を軽々と貫通し、矢を突き立てられた石畳には大きな罅が入る。そんな猛攻の中、魔剣を杖代わりにして歩く俺が無事でいられるはずもない。

 魔力の奔流に右足を焼かれた。膝から下の皮膚はほとんど消えて失せ、生々しい肉を覗かせる。鼻をつく香ばしい肉の匂いの発生源が自らの肉体という現実にはげんなりさせられる。動かない左腕には駄目押しとばかりに十数本の矢が生えており、中には貫通している物さえある始末。

 

 最後に見た、スカアハの背中。そこからは確かに喜びの感情を感じ取ることができたのだが、返答はコレである。照れ隠しか何かが、殺意に繋がるのだから、あの女神は相当に頭がおかしい。

 

 

 

(そして、そんな女に惚れた俺も大概アレってわけだ……)

 

 ちょっとアレな愛情表現と言う名の洗礼を受けてなお、生きていられたのだ。ヒュドラを倒した後の損耗具合から考えれば重畳と言っていい。

 

 はぁ、とため息を一つ吐き、道程の想起から現在の戦闘へと意識を切り替える。

視線の先にいるのは、第七の門番。鋭い瞳は金色に輝き、全身の体毛は美しい群青色。大きな翼を羽搏かせるたびに火の粉が舞い、嘴からはチロチロと炎が覗く。二つの脚は、猛禽類のように強靭に見え、軽々と鉄塊を握りつぶすくらいのことをしそうだ。

 その名は不死鳥、あるいはフェニックスと呼ばれる幻獣。その亜種だ。

 

『ィイイイイイイイ!!』

 

 甲高い、金切り声を響かせながら青い不死鳥は空を舞う。滑るような流麗な動きでありながらも、その速度は凄まじい。瞬き一つの間に、はるか上空まで飛び去ってしまった。

 

「戦意は十分。流石に、雑魚みたいに呪いの残滓にビビることはねえか」

 

(………前回のヒュドラもそうだったが、これ、かなり分が悪いな。俺はスカアハに飛行を禁止されているんだから、機動力に大きな差がある。しかも、負傷と疲労。不死性を持つ幻獣相手にこれはきつい)

 

 ――きついがやるしかない。

 

 試練とはそういうものだ。軽々しく突破できないからこそ、試練を成し遂げた者を、神は優遇する。

 太古から続く理の一つ。

 万に一つの勝機を掴め。不可能を可能にしろ。限界なんてものは超えるためにあるのだから。

 

 

「アンザス!!」

 

 柄から唯一離した、人差し指で宙にルーン文字を描いて魔術を放つ。間隔を短く三連続で飛翔する火球を、不死鳥は軽やかに翼を翻して回避した。

 

(今の回避、かなり余裕があったな。あの速度で放った三連続の魔術がまるで当たらないとなると、虚閃(セロ)はまず当たらないと見ていい。つーか、飛行速度が半端ない上に、あれだけの回避技術まで持っている相手を狙撃するのはかなり難易度が高いよな)

 

 では“点”を攻撃する狙撃ではなく“面”を攻撃する広範囲魔法ならばどうか。これも厳しいだろう。半端な攻撃では幻獣種の肉体には傷をつけることさえ敵わず、高威力の魔法を放とうと思えば発動までの溜め時間に手痛い妨害を受けることは想像するに容易い。

 

(……遠距離攻撃はボツ。飛行を禁止されてるから、上空を飛ぶ不死鳥相手に近づいて斬ることもできない。となると――ッ)

 

 迫る危機を前に思考を打ち切る。フェニックスの口腔からチロチロと火炎が漏れた。

 

『ィイイイイイイッ!!』

 

 そして咆哮と共に放たれるブレス。その熱量は大気を焦がし、大地を焼く。

 当たってしまえば、殺害から火葬までを一瞬のうちに完了させる火炎を、よたよたと回避する。だが、回避がギリギリだったからだろう。熱せられた空気を吸い込んでしまい、体の内側から焼けるような痛みが襲った。

 

「あああああっ! ()っついな!! ヒュドラの火炎ブレスより威力高いんじゃねえか、これ!?」

 

 体内を焼く熱に我慢できず、何度も唾を呑み込み少しでも熱を和らげようと試みる。

 しかし、その行為は焼け石に水。熱気を吸い込んだのは肺であり、呑み込まれたつばの行き着く先は胃なのだから、効果が出るはずもない。

 

「ッ! 俺が調子を整えるまで待ってくれるわけもないか!!」

 

 あまりの熱さに沸いた、胸を掻き毟りたい衝動を抑え込む。そうしなければ、次の攻撃を躱せないのだ。

 相変わらず上空を舞う不死鳥から放たれる超高温のブレス。一度目と同じ様に回避、そして一度目の際の失敗から得た教訓として、熱された大気を吸い込まないようにしばらく呼吸を止める。

 

(とりあえずは何とかなったが、このやり方はあまりいいとは言えないな)

 

 戦闘は全身を使った有酸素運動だ。その最中に呼吸を一時とはいえ止めるのは、動きの鈍化などに繋がる危険な行為である。一度や二度ならまだしも、戦闘が長期化し、何度も繰り返せば決して無視できないだけの変化が現れる。

 かといって熱気を吸い込まないだけの距離まで退避することも負傷によって難しい。やってやれないことはないだろうが、何度も繰り返せばなけなしの体力が完全に尽きて攻撃もままならなくなる。それでは完全にチェックメイトだ。

 

「じゃあ、防御? いやいや無理だろ。水の盾なんて張ったら、あの熱量と合わさって水蒸気爆発で爆死だし。ブレスのたびに、その威力に耐えられる障壁を展開することも難しいよな」

 

 防御、回避共に厳しい。嘆いても仕方なしと、魔剣を手放して右手を亜空間に突っ込み、役に立ちそうな道具をごそごそと漁る。

 

(あ、これとか結構いけるんじゃないか?)

 

 虚空から引っ張り出したのはミニガンの名前で知られる、M134の外見をした(・・・・・)銃だ。本家本元のミニガンは、毎分二千~四千発という単銃身機関銃をはるかに超える発射速度を持ち、被弾したときには痛みを感じる前に死んでいることから『Painless gun(無痛ガン)』とも呼ばれる。

 俺が握りしめる銃は、そのミニガンを裏の世界仕様にしたものである。素材はダークエルフの鍛えた金属を使い耐久性と射程を引き上げ、弾丸の一つ一つにはルーン文字を刻み込むことで威力を高めている。銘は『禍ツ風』、殺傷性能は本家のミニガンの十倍以上と断言できる代物だ。

 

「よっこいせ、っと」

 

 右腕だけで長大な銃身を持つガトリングを持ち上げる。片腕ではバランスを取ることが難しいので、腰を落として重心を固定してから、銃口を不死鳥へと向け引き金を引く。

 

「ちぃっ! 反動がデカすぎだろ。こんなことになるんだったら、テキトウなところで試射しとけばよかった」

 

 ドゥルルルルルルルルルルルルルルルルルルルルル!! 猛烈な勢いで放たれる弾丸の嵐。反動はその勢いに見合ったもので、銃身を固定することに集中しなければすぐさま銃口があらぬ方向を向いてしまいそうだ。

始めこそ、弾丸の嵐をアクロバット飛行で巧みにかわしていたフェニックスも、そのたびに狙いを修正していくことでついに捉える。

 

『ィイイイイイイ!?』

 

 ドッドドドォン! ドドドン! 弾丸が一つ着弾するたびに巻き起こる爆発。そして、この魔改造ミニガンの連射速度は、毎分五千~七千だ。あっという間に、フェニックスの姿は爆炎に包まれて見えなくなる。

 

(つっても、爆発は着弾しない限り起きねえんだから、爆発が続く限りはそこにいることはわかってる)

 

 鼓膜が痛みを覚えるほどの轟音と連続する爆発は、見た目こそ派手だが大したダメージを与えることはできていないだろう。そも、魔術的に『火』は生命の象徴とされており、不死の特性を持つフェニックスはその最たるものだと言ってもいい。そんな相手に爆発が効果的であるはずもない。爆発を抜きにした弾丸の威力は、その大半が頑強な幻獣種の対比と体毛に殺されてしまう。よって深部にまで到達することは無く、フェニックスならばその程度の軽傷を癒すことなど朝飯前だ。

 今も尚、フェニックスを爆炎の中に拘束し続けることができているのは、途切れることのない爆風が動きを阻害した結果である。弾薬が尽きれば、あの相手にアドバンテージがありすぎる状況に逆戻りだ。

 

(――決め手はあるんだ。問題はそれをどうやって当てるかってことに尽きる。考えろ考えろ考えろ考えろ! 膠着状態が解けるまでに策を思いつかなければ死ぬだけだ!)

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 




 今回は短く、戦いも途中で切り上げとなりました。自分の文才的にここから先の展開の描写がきつかったことが最大の要因です。
 これから先、「今なら上手く表現できるかも!」と自信が付いたならば、書き足すことがあるかもしれませんね。


 『禍ツ風』

 一言で言ってしまえば改造ミニガン。半端な結界や障壁ならば容易く削り取り、並の上級悪魔をミンチにすることができるほどの威力を持つ。ただし、試作段階であり、調整と改良が必要になると思われる代物。
 
 なぜグラナがこれまで『禍ツ風』を使わなかったと言うと、街中で使えばその騒音により多くの魔獣を引き寄せる危険があり、これまでの門番との戦いでは使うタイミングが無かったというのが最大の要因ですね。ミノタウロス戦では使わずとも勝てましたし、アーマード・ビーは一体一体が小さいので銃は相性が悪い。ヒュドラ戦では結構早いタイミングで大ダメージを負ったため、余裕がなく、呪詛による短期決着を狙った――――そんな感じです。


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14話 影の国のレイナーレ

 キング・クリムゾン! 時を破壊したッッ!!




「―――これがお前に稽古をつけてやる理由であり、グラナの為したことだ」

 

 ―――私にどうしてここまで指導してくれるのか

 

 影の国の女王――スカアハへと投げかけたその問いの答えは、レイナーレの想像を遥かに超えた壮絶極まりないものだった。レイナーレとて、グラナが何か手を回したのだろうとは思っていた。それは話を通すとか、対価を差し出した取引を持ちかけただとか、そういったものだ。だが、実際にグラナがしていたことはそんな生温いものではなかった。

 

「やつが突破したのは七つの城門だけではない。心を試す橋を、魔獣の棲み付く谷を、光が一切存在せず見通せない大森林を、そして不毛の平原をも越えたのだ」

 

「どうして、そこまでグラナがしてくれるのか……教えてもらえますか?」

 

「……それがあいつなりの『覚悟』なのだろう。眷属を死なせないために『王』が体を張ることに躊躇いがない」

 

 短い時間ではあるが、ともに生活するうちに、グラナがエレインやルルをどれだけ大切にしているかを嫌というほどに見せつけられたし、彼女らのためなら死地にも軽々とグラナは足を踏み入れるだろうという確信もある。だが、まさかその対象に自身までもが含まれているとは、レイナーレは露程にも思わなかった。

 

 再び問うと、スカアハはすげなく言った。

 

「そんなことまで私が知るものか。知りたいのならば、自分で考えるか、グラナに訊けば良いだろう」

 

 

 

 

 

 

 

 

 あの問答の後、スカアハによるスパルタ特訓で心身ともに疲れ切り、一歩も動けなくなったところで休憩となった。特訓は慈悲もクソもない難易度ルナティック状態だが、こうして休憩を取らせてくれるところには感謝している。レイナーレには才能がびた一文存在しないので、努力は人一倍必要ではあるが、過ぎればそれはただの無茶となるという話だ。筋力トレーニングにおいて適度に休憩を挟まなければファイブローシスを引き起こすように、無茶というのは逆効果にしかならないのである。

 

「せっかくの空いた時間だし―――」

 

 影の国の住人は最早、女王たるスカアハのみだ。そのため、娯楽と呼べるものがほとんど存在しない。あるとすれば、城の本か川での釣りくらいではないだろうか。無礼を承知で言わせてもらえば、休憩時間には疲労も合わさって体を休めるくらいしか、やることがない。

 

 そんな寂しくて、ある意味悲しい場所が影の国である。

 

 それを理解したのは、ゴールデンウィーク中でグラナたちも影の国で修行していた頃のことだ。レイナーレだけはゴールデンウィーク以降もこうして影の国での修練に身を(やつ)しているが、当人の実力不足だということをレイナーレ自身も理解しているので特に不満もない。

 

「―――師匠に言われたことについてでも考えてみましょうか」

 

 ――グラナがどうしてここまでレイナーレに気を使うのか。

 

 それについて知りたい。レイナーレの胸の内を満たすのはこの一念だ。

 ふとした折にレイナーレに向けられた悲哀の籠った眼差し。頭の奥を刺激するような、まるで見覚えがあるかのような横顔。大きく頼もしい背中を見るたびには、どういうわけか喜びで心が満たされる。

 レイナーレが知りたいのは、それらの理由だ。きっと、その理由は、グラナのレイナーレへの対応の理由でもあるのだ。しかし、自身ではいくら考えても、まるで思い当たらない。何か頭の片隅に引っかかるような感覚はするものの、その感覚が結果に繋がったことは一度としてない。毎度毎度、『何か』があるとわかっているだけに、結果を出せないことに悶々とした思いが募っていくばかりだ。

 

 影の国に来る以前は、新たな生活に慣れることに苦慮したり、無遠慮に尋ねることで関係が壊れることを恐れてもいた。

 それも、もう終わりにする。

 影の国に来て、こうしてグラナと離れてみると、一層悶々とした気持ちが募っていくばかりなのだ。こんな気持ちがいつまでも続くくらいならば、いっそのこと訊いてしまえとレイナーレ開き直る。

 

 

 石畳に座り込んだまま、光を束ねて槍を作る。身の丈ほどの長い柄の先端に小さな穂を付けたプレーンな形状をしている。以前は、投擲を主軸に据えたデザインのものだったが、スカアハに「投擲は上級者向けの技だ。まずは基本からやり直せ」と指摘された結果、現在のデザインに落ち着いた経緯がある。

 

 槍を杖代わりにして立ち上がると、軽く動作を確認するために槍を振るう。突き、薙ぎ、振り下ろし、切り上げといった単発の動作から、それぞれを繋げた連続技。その次には派生として、手首を軸に槍を回転させて放つ変則技など、スカアハから教わった基本の動作を一通り行った。

 

 こうして改めて確認してみると、スカアハの言っていた言葉の意味が良く理解できる。基本からやり直せ、それは以前のレイナーレは基本さえもできていなかったということだ。槍のデザインを改め、基本動作を学ぶだけで、レイナーレは自身の動きが大分変わったことを実感した。

 

 真面目に鍛錬に打ち込むのは、まあ、スカアハが怖いというのもある。あの女王は模擬戦の際には死ぬかどうかのギリギリのラインを見極めた攻撃を放ってくるのだから、自主的な特訓にも身が入る。

 けれど、それだけが理由ではない。

 影の国での鍛錬、その環境を整えてくれたグラナへの義理立てやしばしば「才能がない」と言ってくるスカアハへの対抗心もある。

 そして、最たるものが、あの知りたいという気持ちだ。

 どうしてあんな眼差しを向けるのか。胸に湧く既視感と喜びは何なのかと問いただしたいのだ。けれど、グラナはここにはいない。ここにあるのは鍛錬の毎日のみ。ならば、それにひたすら打ち込んで結果を出す。グラナの元へ戻った時に、「どんなものだ」と言ってやり、そして聞きだすのだ。

 

――隠さないで教えて欲しい。過去に何があったのかを

 

 レイナーレが質問するだけでは――要求を一方的につきつけるだけでは道理が通らないし、わざわざ修行の場を整えてくれた恩にも反する。

 結果を出したことの『褒美』として情報を開示させる。これがレイナーレの最近の目標である。

 

 影の国での時間の流れは、人間界の約三十倍。人間界での一日は影の国での三十日となる。

グラナは去る前に、夏に若手悪魔の集まりがあるため、修行期間はそれまでだと伝えてきた。影の国に入ったのはゴールデンウィーク、つまり五月の初めからだ。終わりは八月頃。人間界では約三ヶ月足らずの時間だが、影の国ではその三十倍。実に九十ヶ月――約七年半だ。

 

 

才能がないことくらい、レイナーレ自身、良く理解している。特別な血筋でもなければ、特異な能力も持たない、ただの平凡な下っ端堕天使。劣等感に苛まれる時期もあったが、もう言い訳の時は過ぎた。

 

特別な血筋でないから何だ。世の中の大半は特別な血筋ではないのだ、別に気にするほどのことでもない。

 

 特異な能力がないからどうしたと言うのだ。堕天使としての基本的な能力しかないが、それで十分ではないか。翼で飛べるし、光で武器も作れる。この基本を高めた結果、幹部にまで上り詰めた者がいるのだ。レイナーレもそれに習えばいい。

 

 平凡な下っ端の何が悪い。世の中の大半は凡人なのだ。組織で最も大きな比重を占めているのは下っ端なのだ。世の中を回しているのは凡人だ。組織を支えているのは下っ端だ。凡人も、下っ端も舐めるんじゃない。

 

 

 この七年半の歳月を費やして、必ずあの高慢ちきな女王に一泡吹かせてやろう。予想を超えた成長を遂げて、あの鼻先に槍を突きつけた時の驚いた顔を想像するだけで活力が漲ってくる。

 

「…………」

 

 その姿を見せたら、きっとグラナは喜ぶだろう。その場面を想像すると、あの理由のわからない喜悦が心を満たしたが、不思議と不快感はなく受け入れることができた。

 

 

 




 今回は皆大好きレイナーレの心情を明らかにする話です。眷属入りして以来、彼女が優しさを見せていたのはこういった思いを抱いていたからですね。いずれはその根源も明らかにしていきたい!


 そして女神の元での七年半の修行がスタート。修羅道を地で行くケルト神話が誇る武神スカアハの元での鍛錬がレイナーレにどんな変化を与えるのか。ここからレイナーレさんの魔改造が始まるのだッ!!!


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15話 婚約パーティーと嫉妬の蛇

 東方vocalにハマる今日この頃。新たな趣味の開拓に喜ぶことで勉強から目を逸らすと言うスタイル!!

 東方vocalは最近聞き始めたばかりなので、にわか君ですが、おすすめの曲とかあったら教えてください! ちなみに私の一押しは「愛き夜道」「忘れじの故郷」「嘘のすゝめ」です……かね。他にも良いなと思った曲はありますが、割愛することとしましょう。

 あっ、東方以外の曲でもおすすめの曲があれば教えてくださると嬉しいです!!


「よう、サイラオーグ。久しぶりだな」

 

 右手を上げながら、黒い髪を短く刈り上げた男に声をかける。高い身長とバランス良く着いた筋肉は、彼が長年厳しい鍛錬に身を捧げたことを如実に物語っており、その実力もかなりのものだ。

 男の名前はサイラオーグ・バアル。大王バアル家の次期当主であり、俺と並んで若手悪魔最強と呼ばれる上級悪魔である。

 

「ああ、グラナ。包帯を巻いてはいるが……元気そうでなによりだ。―――それにしても意外だな。お前はてっきりこの式典には来ないものだとばかり思っていたんだが」

 

 サイラオーグの疑問に、肩を竦めて答えた。

 

「さすがに魔王様から招待状を受け取っておきながら、ボイコットはできねえよ」

 

「違いない」

 

 冗談めかした言い方が気に入ったのか、サイラオーグは破顔する。俺もつられるようにして笑い、互いの気のおけない関係が変わっていないことに安堵した。

 周囲では俺たち以外の上級悪魔たちも談笑し、中には俺とサイラオーグを見つけて声を上げる者すらすらいた。旧レヴィアタンの末裔の俺と、バアル家次期当主のサイラオーグにとってはその反応は慣れたものであり、いつも通り風のように受け流す。その代わりと言ってはなんだが、眷属の様子を観察してみても問題はなく、それぞれがバアル眷属との談笑や食事を楽しんでいる。

 眷属の中で唯一レイナーレだけは今も修業中の身なのでこの場に来ていないが、それでよかったかもしれない。堕天使の下っ端でしかなかった彼女には、まだこういった場は早すぎるだろう。雰囲気にも慣れていないだろうし、何分実力が低すぎる。他者に見下されて悪い影響を受けるだけだ。

 

「――グラナ」

 

 俺と同様に眷属の様子を見ていたサイラオーグは、視線を俺に向け直すと神妙な顔つきで口火を切った。その目の色から、ただの世間話ではないと察し、一度グラスを置いて聞く姿勢を取ってから先を促す。

 

「お前は今回の話をどう思ってる?」

 

 ぐるり、と会場全体へと目を向けながらサイラオーグは問いかけた。

 幾人も集まった上級悪魔とその眷属たち。中には冥界のテレビ番組でもよく見かける有名な悪魔や、現四大魔王までいるこの会場は、とある上級悪魔の婚約パーティーの会場である。

 

「ま、いいんじゃないか?」

 

 そして、とある上級悪魔というのはフェニックス家の才児ことライザー・フェニックスと『紅髪の滅殺姫』リアス・グレモリーだ。

 この上級悪魔同士の婚約は、今も純血主義が色濃く残る悪魔社会にとっては記念すべきことである、このパーティーの参加者の多さは、そう思う悪魔が多いことの証明だろう。それにリアス・グレモリーの兄は現魔王の一角であるサーゼクス・ルシファーだ。魔王の妹の婚約パーティーに参加しないほうが不自然かもしれない。

 

「ほう? それはなぜ?」

 

「もともと学校を卒業するまでは自由だって話が急に変わったタイミングは赤龍帝がグレモリーの眷属に収まったのとほぼ同時期だ。ただの偶然で片付けるのは無理があるよな?」

 

 一度確認を取り、サイラオーグが頷くのを見てから話を続ける。

 

「今も『僧侶』の一人が封印指定されているし、明らかにグレモリーじゃ赤龍帝の主として力不足。最悪、暴走した赤龍帝が街を吹っ飛ばすか、トラブルを引き寄せて全滅するかのどちらかの結末を迎えかねない」

 

「……なるほど、そういうことか」

 

 すでに答えがわかったように呟くサイラーグ。見た目は筋肉ゴリゴリで頭が切れるタイプには見えないが、実はそれなり以上に頭脳も優秀だったりするのだ。過去には魔力を継げなかったことで一族と揉めていたが、次期当主の座に着いてからは上級悪魔の家系に生まれた者に相応しい高水準の教育を受けてきた結果だ。

 

「血縁関係は、一種の契約だからな。しかも、かなり強力な。こうして婚約を結んじまえば、いざというときにフェニックス家の力を借りることができる」

 

 フェニックスは『不死』の特性を持ち、炎と風を司る悪魔の一族だ。『不死』で耐え、火炎で焼き尽くす。七十二柱の上級悪魔の家系の中でも、かなり戦闘向きの一族だと言える。実際、フェニックス家次期当主のルヴァル・フェニックスは近々、最上級悪魔に昇格するとの話もあるので、その実力は折り紙付きだ。しかも、回復アイテムの『フェニックスの涙』もあるので荒事を引き寄せるドラゴンのそばには是非付いていてほしいだろう。

 

「サーゼクス様からグレモリー眷属のフォローに回るように依頼されてる身としちゃ、フェニックス家のサポートがあったほうが仕事も楽になる。そういう意味で、今回の話はいいんだよ」

 

「……結局は自分が楽をするためか」

 

 サイラオーグは呆れているが、俺としてはかなり重要な問題であり、彼の反応は心外としか言い様がない。

 

「こちとらサーゼクス様だけじゃなく、セラフォルー様からも妹の眷属のフォローに回るように依頼されてんだぜ? 赤龍帝の厄介体質はかなりのもんらしいから、妥当な判断なんだろうけどよ」

 

 厄介体質の最たるものといえば、赤龍帝と白龍皇の対決だ。周りの被害度外視でドンパチやり始めるせいで、今までに島や山がいくつも消し飛んだという。あの駒王町で赤白対決が始まれば、町全体に影響が出かねないので、グレモリー眷属だけでなくシトリー眷属のフォローに回る必要は確実に出てくる。だから、セラフォルーの判断も間違ってはいないのだろうが、何分あのヒトは極度のシスコンである。ついでに言えば依頼の大元であるサーゼクスもシスコンだ。万が一にも妹たちに被害が及べば、どうなるかなんて想像したくもない。

 

「あー、嫌な仕事だ。あの町に戻りたくねえ」

 

 俺が引いたのは絶対に貧乏くじだ。今からでも依頼をキャンセルできないかと、割と真剣に悩む。

 

「配下を養っていくためには、どうにかするしかないのだろう? 何か困ったことがあれば俺に相談しろ。話くらいは聞いてやれるし、時間が空いていれば手も貸せるだろうからな」

 

 サイラオーグの気遣いが、本当にありがたい。俺の気も知らずに、婚約を破断しようとするグレモリーに苛立たされた精神がいくらか癒されるようだった。

 

「冥界に名だたる貴族の皆様! ご参集くださりフェニックス家を代表して御礼を申し上げます」

 

 ドウン! という派手な音を上げて噴き上がった火炎の中から現れた金髪の男の口上に合わせて、俺とサイラオーグを含め、会場中の悪魔は口を塞いで耳を傾ける。

 

「本日皆様にお出で願ったのは、この私ライザー・フェニックスと名門グレモリー家次期当主リアス・グレモリーの婚約という歴史的瞬間を共有していただきたく願ったからであります―――それではご紹介します、我が妃リアス・グレモリー!」

 

 展開された紅の魔方陣から、白のウェディングドレスに身を包んだリアス・グレモリーが現れる。姫と讃えられるだけあって、その美貌に質の良いドレスが似合っている。俺のように彼女を嫌うごく一部の悪魔を除いて、参加者たちがグレモリーのドレス姿に見惚れ、そして感嘆のため息を吐こうとしたその時―――

 

「部長!!!」

 

 ―――リアス・グレモリーの『兵士』兵藤一誠(赤龍帝)がドアを突き破って乱入した。息を切らせているところと、彼の足元に転がる数人の衛兵から、部屋の外で戦闘が行われていたことがわかる。

 

「部長、リアス・グレモリーさまの処女は俺のものだ!!」

 

 ……何を言っているのだろうか、あの変態は。そしてそのセリフを受けて、照れるグレモリーの感覚は本当におかしいと思う。

 

「何を考えているんですの、あの男は!?」

 

 ライザーの妹のレイヴェル・フェニックスの呟きには全面的に同意する。レイヴェルも頬を赤く染めているが、グレモリーのそれとは違い、性的なことに対する気恥ずかしさゆえだろう。どうして同じ貴族の令嬢で、これほどまでに違いが出るのだろうか。

 

「貴様、何を!? ――衛兵、そいつを捕らえろ!!」

 

 さすがのライザーもここまで正々堂々としたセクハラには度肝を抜かれたらしく、驚愕を隠せていない。だが、レーティング・ゲームのプロ選手として踏んだ場数のおかげか、すぐに状況に適した指示を出す。

 

「お前は出て行かないのか?」

 

 全身鎧を装備した衛兵が何人も赤龍帝に向かって行くが、矛を交えることは叶わない。『女王』の黒髪と『騎士』の金髪、『戦車』の白髪が赤龍帝と衛兵の間に割って入ったからだ。

 黒髪は雷撃を広範囲に放って数人の衛兵をまとめて昏倒させ、金髪は槍を『神器』で作り出した剣で受け止める。白髪は小柄な体格を生かして攻撃を躱しながら衛兵の懐に潜り込み、『戦車』の力を生かして殴り飛ばしていく。

 

「冗談やめろよ、サイラオーグ。魔王様がなにも言わないで見てるってことはそういうこと(・・・・・・)なんだろ」

 

 これは初めから予定されていたこと。でなければ、今も衛兵相手に眷属仲間が大立ち回りをしていることや額に血管を浮かび上がらせたライザーに啖呵を切って無事でいることに説明がつかない。

 わざわざ、こんなことをするのは、やはり妹のリアス・グレモリーのためだろう。しかし、仮に破談できたとしても、婚約が確定した状態からそれでは、多くの貴族や商人の受ける被害も馬鹿にできない。サーゼクス・ルシファーは今後、かなり苦労することになるだろう。

 

 

 

 

 

 

 

 

 その後は、予定調和だった。この場に来ていた多くの悪魔にとっては予想外の事態だったのだろうが、魔王にとっては予定調和だったに違いない。

 赤龍帝とフェニックスの決闘。グレモリー眷属とフェニックス眷属のレーティング・ゲームの結果に納得していない者がいることや、記念すべき日の余興にもなるということで伝説に語られる怪物同士の決闘が執り行われることとなった。しかも、赤龍帝が勝った場合は今回の婚約を破談にするという条件付きだ。サーゼクス曰く『悪魔なのだから対価を払うのは当然のことだろう』らしい。妹に過保護すぎると思ったのは俺だけではあるまい。

 

『部長、十秒でケリをつけます!』

 

 決闘用のフィールドに降り立った赤龍帝が、左腕に『神器』の籠手を装着しながら宣言する。俺もビデオで見たが、レーィング・ゲームではライザー相手にあの赤龍帝はボロクソにやられていた。いくら馬鹿でも実力に大きな差があることくらい理解できたはず。そのうえで勝負を挑んだのは、何かしらの勝算があってのことだろう。

 

『俺には木場みたいな剣の才能はありません。朱乃さんのような魔力の天才でもありません。小猫ちゃんのような馬鹿力もないし、アーシアが持っているような素晴らしい治癒の力も持ってません。――――それでも俺は最強の『兵士』になってみせます!!』

 

 叫びながら走る赤龍帝は『兵士』の特性たるプロモーションを発動させ、『女王』へと昇格する。『女王』は『戦車』の攻防力、『僧侶』の魔力、『騎士』の速度、三種の駒の特徴全てを兼ね備えた最強の駒である。

 その能力の上昇はモニター越しでも明らかになるほどだが、元が低いだけにライザーには到底及ばない。

 

 これだけでは勝てない。たったこれだけの手札でここに現れるはずがない。

 確信を胸に見続けるモニターの中で、赤龍帝は動きを止めない。

 

『輝きやがれ! オーバーブーストォォォオオオオオオ!!』

 

 掲げた『神器』から眩いばかりの鮮烈な光が迸る。フィールド全体を覆いつくし、何が起きているのか、モニター越しにはさっぱりわからない時間が数秒過ぎ、光が止んだ先では赤龍帝がドラゴンを思わせる赤い全身鎧に身を包んでいた。

 

禁 手(バランス・ブレイカー)か? ……いや、いくら赤龍帝でもたった一ヶ月で元一般人の変態が至れるはずねえな」

 

 『神器』は所有者の思いに答えて成長する性質を持つために、使い手によっては元来の姿からかけ離れた外見を持つ『神器』も存在する。いわゆる亜種と呼ばれるものだ。しかし、籠手の亜種が全身鎧というのも無理があるし、最初に『神器』を出した時には確かに籠手の外見をしていた。そこから外見が変化し、力が跳ね上がったので禁手に思えるが、最初の結論に戻る。変態がたかだか一ヶ月で禁手に至れるはずがない。

 

「だが、あの能力の上昇幅は禁 手(バランス・ブレイカー)の他にあるまい?」

 

「そうなんだよなぁ。何か無茶して一時的に至ったとかそんな感じかね」

 

「一時的に至る? そんなことが可能なのか?」

 

「いや、知らんけど。ただ、あの『赤龍帝の籠手』には赤龍帝ドライグの意思が封印されてるって話だし、そのドラゴンの協力があればワンチャンあるんじゃねえの」

 

 モニターに移されたフェニックスと赤龍帝の戦いを見物しながら、サイラオーグと意見を交わす。サイラオーグは力の出所が気になっているようだが、それ以上に有望な若手が現れたことを喜んでいるらしい。その口元には笑みを浮かべて、戦いの前のように全身から覇気を飛ばしている。

 遠巻きに俺たちを眺めていた悪魔の多くは、その覇気を前に委縮して距離を取る。招かれた側として礼を失するかもしれないと、サイラオーグを諫めようと思ったが、それも今更だと思いなおす。あの変態の乱入とセリフは礼を失するどころではなく、それを魔王は見逃しているのだから、サイラオーグのこれを追求できるはずもない。

 

『フェニックスの炎はドラゴンの鱗さえ砕く! 貴様のような『神器』がなければただのクズに負けられるかぁ!!』

 

 ライザーの拳が赤龍帝の顔面に、赤龍帝の拳がライザーの顔面に突き刺さる。ライザー少なくないダメージを負っているが、そこはすでにレーティング・ゲームを何度も経験しているためか、痛みを平然と耐えている。

 対する赤龍帝は、ライザーに殴り飛ばされたことで地面に叩き付けられ巨大なクレーターを作り上げた。クレーターの中心で倒れ込む赤龍帝の兜には罅が入り、吐血したらしく兜の隙間からぼたぼたと血が零れている。

 

 鎧を纏った状態なら、赤龍帝はライザーとほぼ互角の力量だろう。ただし、それはパワーやスピードといったスペック面のみの話であり、経験で勝るライザーが依然有利なままだ。

 

『ぐはっ!』

 

 ライザーが唐突に吐血する。唐突過ぎて俺とサイラオーグはもちろん、当のライザーでさえ何が起きたのかわからないが、赤龍帝が調子に乗ったのか懇切丁寧に説明する。

 

『ドラゴンの腕なら十字架も効かないだろう?』

 

 グレモリー眷属の癒やし手を務める『僧侶』は元教会のシスターであり、今も手元に残していた十字架を彼女から借りてきたのだという。そして左腕をドラゴンに捧げることで一時的なバランス・ブレイカーを可能としたらしい。

 フェニックスも精神が不滅というわけではないから効果的な手段ではあるが、一時的に禁手に至る代償として左腕をドラゴンに捧げたからこそできる暴挙だ。ただの十字架では悪魔に与えるダメージもたかが知れているが、赤龍帝の力で倍加すれば、いくらライザーと言えども無視できないダメージになる。

 

「勝つためとはいえ無茶しすぎだろ……」

 

「それだけ覚悟がある。そう見れば評価もできるだろう」

 

 サイラオーグは赤龍帝のことがよほど気に入ったらしく弁護するが、俺は同意できない。サイラオーグの期待に満ちた目とは対照的な、失望しきった目をしていることが自分でもわかる。

 

「あいつ、悪魔に転生して一ヶ月なんだぜ。たったの一ヶ月で腕一本捧げるなんてやりすぎだろ。……ありゃ確実に早死にするタイプだな」

 

 歴代の赤龍帝も碌な死に方をしなかったらしいから、その点ではあの変態も赤龍帝ということなのだろう。

 

「魚の切り身じゃあるまいし、自分の体をほいほい犠牲にするなんて何を考えてんのかね……。悪魔の生は一万年だってのによ」

 

 

 

 

 

 

 

 結果は俺としては全く嬉しくないことに、そして魔王にとっては嬉しいことに赤龍帝の勝利だ。

 十字架を付けた左腕での殴打がライザーに着実なダメージを与えたものの、あと一歩というところで赤龍帝の禁手が溶けたときはライザーの勝利かと会場中の誰もが思ったことだろう。しかし、赤龍帝は十字架だけでなく聖水まで用意しており、止めを刺そうと近寄ったライザーの顔面に、赤龍帝の倍化を譲渡して効果を高めた聖水をぶっかけた。悪魔にとって聖水は弱点、しかも火を司るフェニックスにとって属性的に水も弱点。つまり聖水はフェニックスにとって鬼門である。

 効果を高めた十字架でもダメージを受けていたが、それとは比較にならないほどの威力を聖水は発揮し、ライザーは戦意喪失。最後に赤龍帝が拳を叩き込んで勝負を終わらせた。

 

「囚われの姫君を王子様が助けて一件落着ってか? 物語の筋書としちゃ、ありがち過ぎてつまらねえな」

 

 一見、幾多の叙事詩で語られる王道のように思える。だが、仕組まれていた結果だとすれば、王道も陳腐に落ちるというものだ。フェニックスも悪魔もドラゴンも、最初から最後まで魔王様の掌の上で踊っていただけ。これでは誰が主役なのかさえわかったものではない。

 

「穿った見方をするな、お前は……。もっと単純に、有望な男が悪魔に転生したとでも思えばいいだろうに」

 

「いくら有望でも早死にするんじゃ大成のしようもないしな。……そもそも今の勝負だって、ライザーが舐めプしてたから勝てただけだろ」

 

 あの一時的な禁手はやはり、相当の無理をしていたらしく、たった十秒の間でさえ保つことができずに鎧が解除された。鎧を纏った状態でようやく互角なら、鎧が消えるまでライザーが逃げに徹していれば、赤龍帝に勝ち目はまるでなかった。最後の聖水にしても、ライザーがわざわざ近づかずに遠距離から炎を放っていれば聖水をかけることもできなかっただろう。

 要は運頼りだ。しかも、肝心な場面になって運に任せるという、かなり性質(タチ)が悪いタイプである。

 

「ぱっと見、あの熱血を好むやつもいるかもしれんけど……、格上相手にあそこまで突っかかるやつが今の冥界で生きていけるわけないしな」

 

 純血主義。そう呼ばれる考え方が、今の悪魔の間では主流である。例えば、貴族の家に生まれた悪魔は頭脳や力量如何に問わずに眷属を持つことができるのに対して、中級下級・転生悪魔は上級にまで昇進しなければ眷属を持つことができない。しかも、その昇格試験を受けることができるのはほんの一握りだ。実力があろうと、軍略に秀でていようと、階級がなければ冷遇されるだけ、それが悪魔の現状である。

 自分の地位を奪われるのではないかと恐れる上級悪魔たちにとって、将来強力になるであろう赤龍帝は目のたんこぶのように思えるだろうし、赤龍帝の性格からして階級を気にせずに目上の者に突っかかることもあるだろう。上層部に目を付けられることは確定だ。

 

「五年か十年か。どんなに長くても百年も生きられないだろうよ」

 

 

 

 

 




 第一章、完!!

 いやぁ、なんだかんだで長かった第一章。後半はグラナ君の独壇場で、皆さんオリヒロインの眷属たちのことを忘れたりしてませんか?? 彼女たちは『知られざる英雄(ミスター・アンノウン)』ではありませんよ?
 どうにも絡みが少なかったと実感があるので次章からは触れ合いも増やしていくつもりです。レイナーレは修行中なので次章では出ませんが、その分オリヒロインたちの魅力を伝えることができればなぁ。

 ストックが尽きかけているので、次の投稿がいつになるかはわかりませんが応援のほど、引き続きよろしくお願いします!!!!


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第二章 光輝聖剣奪還 駒王 ~月光に輝くエクスカリバー~
1話 新たなる激動の幕開け


謳歌する日常は次の激動までの間隙にすぎない。
奪われた聖剣と再燃する復讐心。
彼らが出会うのは予てよりの仇敵か。怨恨は、憎悪は正しいのか。その思いの向かう先はどこなのか。

ハイスクールD×D 嫉妬の蛇 第二章光輝聖剣奪還~月光に輝くエクスカリバー~




 ――球技大会

 

 それは青春を彩る一ページとして挙げられる一例であり、駒王学園では目前に迫った学校行事でもある。球技大会に備えて、この時期の体育の授業では毎年、球技が実施されることもあり、運動部の生徒たちのテンションは常にハイだ。

また、球技大会の種目は公平を期するために、本番まで前もって公開されることがないので、授業で行われる種目は毎回変わるというのも一役買っていることだろう。

今回の授業内容はドッチボールだが、サッカー部だろうと、野球部だろうと、バスケ部だろうと、等しく活躍の機会を与えられるというのは、人なら誰もが持つ事故承認欲求を満たす切っ掛けとなる。

 

 ―――というのは建前だ。

 

 実際のところ、思春期真っ盛りの男子高校生がそんな高尚な動機を持っているはずがない。彼らの心の根底にあるのは――

 

 ――女子にカッコイイところを見せたい。

 

 ――そして、あわよくば彼女ゲットまで!!

 

 俗な思惑である。

元は女子高であるために駒王学園の生徒の大半は女子であり、時にはそれを目当てに入学を志す男子がいるくらいだ。中には、異性目的に球技大会に向けて気合を入れる男子生徒がいてもおかしくない。

 

「死ねええええ!!」

 

「このクソリア充野郎が!! てめえの幸運を俺にも分けろおおおおお!!」

 

「幸せは皆で分かち合うべきだろう! 不平等は間違ってる! ならば正すのが俺たちの役目だ! そして――新世界の神になる!!!」

 

 だから、まあ……異性に飢えている男子生徒に、グラナ・レヴィアタンが狙われるのも当然の帰結だった。

 噂の美少女転校生の後輩と付き合っている上に、美少女だらけの生徒会と懇意にしている。おまけに休日には金髪の美女とデートをしているという目撃証言まであった。これで狙われないはずがない。

 

「うるせえ! 女が寄ってこねえ責任を俺に押し付けんな、アホども!!」

 

 しかし、そんなことは彼らの論理であり、グラナからすれば知ったことではないのだ。グラナは歴戦の猛者としての能力を遺憾なく発揮して敵コートと自陣の背後にある外野から投げ込まれるボールを左右それぞれの手で軽く受け止め、次々に相手チームの選手へと当てていく。狙いは男子の急所たる股間だ。狙われる理由がグラナからすれば濡れ衣に近いこともあり、情け容赦なく金的を喰らわせ続ける。

 

「ほぎゅ……!?」

 

「お、俺の息子がァアアアアッ!!」

 

「やばい、腹痛くなってきた」

 

「あ、あれ? 俺の玉が一つしかないんだけど……もう一つはどこ行った?」

 

 ボールを当てる、跳ね返る、キャッチする、ボールを投げる、跳ね返る、キャッチする。

 無限コンボによる阿鼻叫喚の嵐。鶏が首を絞められたかのような、憐みを誘う悲嘆を叫ぶ相手チーム。その光景には、自分が狙われることはないとわかっていても、男子ならば恐怖を覚えるものがある。事実、グラナの味方の膝までもが笑っていた。

 

「自業自得だ、バカ野郎ども」

 

 一切悪びれることなく、そう宣う下手人(グラナ)を前に、クラスの男子生徒の心は完全に一致した。そこには、ドッチボールで分かれた敵味方というチームの垣根も存在しない。彼らはチームに分けられるよりも以前に『男』なのだから。

 

 ―――絶対にあいつに逆らっちゃダメだ!!

 

 そうでなければ、『男』としての人生がそこで終わってしまう。未だ女体の神秘を知らない少年たちにとって、それはあまりに酷なことだ。というよりも、昔の中国の文官でもあるまいし、去勢されたいと思う男子はそうそういない。

 

 しかし。しかしだ。ここまで恐怖に体が震えようとも。心を怯えに支配されようとも。逆らってはならないのだと、頭が理解しても。

 

「グラナ君、カッコイイ!!」

 

「ちょっと、そこの男子どきなさいよ! グラナくんが見えないじゃない!」

 

「グラナくん、こっち向いてー!!」

 

 数多の女生徒から黄色い声援を送られる姿を見てしまうと、グラナへの殺意が湧くことを、男子生徒たちは止められない。

 

「付き合いの長さで言えば一年の頃から、この学園にいる俺たちのほうが有利なはずなのに……!!」

 

「なぜ、なぜなんだ。どうしてグラナのやつばかりッ!」

 

「……知るか、そんなこと」

 

 ギリギリと体育館のあちこちから発生する歯軋りの音。甘い歓声と黄色い声援。そして、一人の男子の呆れ声。今日も今日とて、平和に時間が過ぎていく。似たようなことはすでに何度も起きているが、それでも感情を抑えられないのが思春期の少年少女たちなのだ。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 ソーナ・シトリーという名の少女がいる。悪魔の世界では名門中の名門、七十一柱が一つシトリー家に生まれた才媛であり、次期当主でもある上級悪魔だ。同年代の有望な若手悪魔の中では、魔力の才能はリアス・グレモリーに劣るものの、知略は侮れないといった評価を下されている。内に秘めた知略と性格を表に出したような、美貌には多くの男性悪魔が惹かれている。

 そんな多くの悪魔から注目されるソーナ・シトリーだが、現在は人間界の教育システムと政治体系を学ぶために、駒王町で仮住まいをしている。

 最近は、学園で行われる球技大会に向けて生徒会の仕事が増え、しかしそんなことは知ったことではないとばかりに依然と同じ様に要請される悪魔の仕事。学生としての義務である勉学。それぞれが疎かにできない三重の責めは、ソーナをして疲労に追いやっていたが、避けたいと思うことはない。むしろ、その疲労には心地良ささえ覚えるのが、周囲から真面目と評される所以だろう。

 

「椿姫」

 

 隣を歩く、己が腹心『女王』の真羅椿姫へと声をかける。椿姫は護衛として、登下校を共にしているが、なにも護衛だけが理由ではない。ただの友人として付き合いも兼ねているこの時間は、二人にとって楽しさを覚える一時なのだ。

 

「なに、ソーナ?」

 

 余人を交えない二人だけの会話。主従の関係を意識しないで済むそれは、貴族主義のはびこる悪魔社会では貴重なものであるだけに、二人とも笑みを浮かべている。

 

「球技大会、絶対に成功させましょうね」

 

 すでに二度経験した行事だが、ソーナは三年生であるためにこれが最後となる。それだけに、これまでの二度の時よりも、行事にかける思いは大きく固いものとなっているのだ。

 

 それは椿姫も同様である。

 

「ええ、そうね。頑張りましょう」

 

 椿姫は元々、退魔の家系の出だが、生まれ持った『神器』が悪い方向に――それこそ呪いとして椿姫を苦しめていた。そこで彼女の両親は娘を助けるために悪魔を頼ることを選び、その時に現れたのがソーナだ。

 結果として椿姫は救われたが、代わりに両親は『悪魔と関係を持つなど真羅の名に相応しくない』として家から椿姫ともども絶縁されてしまった。ソーナは椿姫を『女王』として眷属に迎え入れ、椿姫の両親についても真羅の本家から襲われないようにと手を回している。

 椿姫にとって、ソーナ・シトリーとは、命の恩人であり、使える主であり、生きる道を用意してくれ共に歩む友人であり、両親を守ってくれる庇護者でもある。

 椿姫にも友人としての情はもちろんあるが、それ以上に大恩あるソーナには報いたいという気持ちが強い。それだけに、ソーナが意気込む球技大会を絶対に成功させなければならないと、椿姫も強く決意を固めていた。

 

 だからこそ、なのだろう。その声と気配に瞬時に反応して、ソーナを庇うように前に出ることができたのは。

 

「この土地の管理者ソーナ・シトリーで合っているかな?」

 

 路地から現れたのは二人組の少女たちだった。一人は短く切り揃えた青髪の中に、一房だけ緑のメッシュを入れており、もう一人は長い茶髪を二つに結び活発そうな雰囲気を纏っている。共通点は、二人が真っ白いフード付きのローブに身を包んでいることだ。胸元にあしらわれた十字の紋章は、彼女たちが教会の関係者――戦闘を生業にするエクソシストだと告げていた。

 

「そうですが……あなたたちは一体、何者ですか?」

 

 ソーナが答える声が後ろから届く中、椿姫は一切視線を二人組のエクソシストから逸らさない。愛用の薙刀を所持していない状態で戦闘ともなれば、この距離はかなり分が悪い。ソーナは中・遠距離を得意とする魔力型であるし、椿姫は獲物が無い状態では『神器』によるカウンター待ちしか打てる手がないからだ。

 冷や汗が垂れる。背筋に怖気が走る。しかし、椿姫が下がることはあり得ない。椿姫は今も危険に察らされているが、それは主のソーナも同様だ。ここで怖気づくようでは恩に報いることなど到底できない。

 

「やれやれ、そんなに殺気立たれては満足に話もできないな。少し落ち着くように君のほうから何か言ってやってくれないか、ソーナ・シトリー?」

 

 青髪のエクソシストの視線を追って、ソーナへと目を向ける。彼女がコクリと小さく頷くのを確認してから、椿姫は戦闘態勢を解いて一歩下がる。無論、もしもの時のためにいつでも動けるように心構えだけはしておくのだが。

 

「この通り彼女は下がらせました。それで、教会のエクソシストがこんな朝早くから一体、何の用ですか?」

 

「用件を話すにはまず私たちのことから話したほうがいいだろうから、まずはそうさせてもらうよ。――私はゼノヴィア、『破壊の聖剣(エクスカリバー・デストラクション)』の担い手さ。それでそっちの茶髪のツインテールのほうは――」

 

 青髪のエクソシスト改め、ゼノヴィアの言葉をもう一人の少女が引き継ぐ。

 

「――紫藤イリナよ。私は『擬態の聖剣(エクスカリバー・ミミック)』の所有者なの。ちなみに所属はプロテスタント。ゼノヴィアはカトリックの所属ね」

 

 ふむ、と顎に手を当てていたソーナが小さく呟く。状況から導いた推測を二人のエクソシストに投げかけた。

 

「わざわざ、こうして名乗り出てきたところを見ると抗戦の余地はない。エクソシストが悪魔に歩み寄るとも思えませんし……何らかの交渉のために来たのですか?」

 

「ああ、話が早くて助かるよ。私たちはとある任務を受けてこの町に来たんだ。用件というのは、我々の仕事が片付くまで悪魔の介入をやめてもらいたい、というものだよ」

 

「……その用件の内容によります。この町は悪魔(私たち)の管理地ですから、町に被害が出るようなことになるのなら見過ごせません」

 

「悪魔が人間の町の心配をするとはね……、利用する相手がいなくなると困るって魂胆からかな? まあ、それは置いておこう」

 

 皮肉気にゼノヴィアは言ったが、ソーナと椿姫の雰囲気が若干険悪なものとなったことと話が脇に逸れていることを自覚し、本題へと戻す。

 

「先日、教会で保管されるエクスカリバーの内の三本が奪われた。事件の首謀者は堕天使の幹部コカビエルだ。私たちの目的は奪われた聖剣を取り戻すことさ。わかり易いだろう?」

 

「確か大戦の最中に、かの聖剣は砕け、今では破片を核に七つのエクスカリバーとなっているのでしたね。その中の二本があなたたちの持つ、破壊の聖剣(エクスカリバー・デストラクション)擬態の聖剣(エクスカリバー・ミミック)。奪われたものと合わせて五本。今も行方不明になっているものが一本。そして最後の一本は教会に保管されているはずですが……そちらの使い手は来ていないのですか?」

 

「ああ。最後の一本の祝福の聖剣(エクスカリバー・プレッシング)は正教会が保存しているんだが、どうやら正教会は奪い返すことよりもこれ以上奪われないようにする、という方針のようでね。かの聖剣は今も正教会の最深部で厳重に保存されているとのことだ。今回の任務でこの地を訪れた聖剣使いは私とイリナの二人だけだよ」

 

 聖剣は、教会のシンボルの一つと言ってもいいものだ。ましてや、それがかのエクスカリバーならば、教会としても奪われたままではいられないだろう。戦力の低下もそうだが、信仰の揺らぎに繋がりかねないのが、一番のネックだ。

 

「なるほど……。では、聖剣を盗み出した実行犯は? 先ほど、コカビエルが事件の首謀者だと言いましたが、その言い方だと協力者がいるんですよね? 堕天使の幹部が単身で教会に突撃するとも思えませんしね。そちらについても情報を掴んでいるのでしたら教えてください。でないと、判断が付きませんから」

 

「我々が要求を呑んでもらう立場だし、それで不介入を得られるのなら儲けものだ。イリナもそういうことで構わないな?」

 

 一度、ゼノヴィアが相方に確認する。イリナにも反対するつもりはないようで、快活に笑いながら返す。

 

「ええ、そうね。機密じゃないし、知られて私たちが困ることでもないしね。それで交渉が進むのなら、話しちゃっていいんじゃない?」

 

「というわけでだ、そちらの要求にも答えようと思う。聖剣奪取の実行犯はフリード・セルゼン。若干十三歳でエクソシストとなった天才でありながら、魔の存在を殺すことのみに執着する狂人だったために教会から追放されたはぐれだよ。特徴は若い身なのに白髪という点、使う武器は光剣と光銃、注意点は実戦経験を積んでいるせいで引き際を弁えていて中々仕留められないことだろうな」

 

「あと……もしかしたらの話なんだけど、バルパー・ガリレイっていう研究者も関与しているかもしれないの。こっちの人は聖剣に詳しい研究者で、しかも教会から追放されているから、堕天使の傘下に下っていてもおかしくないって上の人は考えているみたい」

 

 蛇の道は蛇といったところか。聖剣を盗み出したということは、如何なる方法によるものかはわからないが、活用する目論見があるのだろう。でなければ、盗み出すことなく、その場で破壊するはずだ。

 そして、聖剣には錬金術を始め、いくつもの技術が使われているので素人に扱える代物ではない。専門の研究者を使うというのは理に適っている。

 

「ということは、今回の件の犯行グループは少なくとも二・三人以上ということですか……」

 

 ソーナの呟きは重く、暗い響きを伴っていた。

 バルパーは研究者なので戦闘力は無いだろうから、町への被害も出さないだろう。問題は残りの二人、特に首謀者のコカビエルである。

 

「エクソシストはどれだけ強いと言っても人間ですから、破壊半径には限りがあります。問題はコカビエルですね。古の大戦から生き残っているという堕天使の大幹部の一人、彼が全力で戦闘した場合、被害を広げないように付近に張った結界がどれだけ()つことか……」

 

「仮に戦闘になったとすれば、一時間と()たないだろうな。とはいえ、私たちとしてもわざわざ堕天使幹部を正面から撃破するなんて真似をするつもりはない」

 

「……盗み返す気ですか?」

 

「理解が早くて助かる。それなら町への被害も抑えられるし、正面から撃破するよりは成功率も高いだろう?」

 

 例えば、コカビエルが留守にしている間に盗みに入れば、周囲への被害はかなり抑えることができるだろう。エクスカリバーの警護にフリード・セルゼン等を置く可能性は高いが、人間同士の衝突ならば戦闘範囲も広がらない。コカビエル以外の上位堕天使が(くみ)していた場合はその限りではないが、もしそうだったら、もはやなるようにしかなるまい。

 

「………それが一番被害を抑えられると私も思います。ですが、この町の管理者は私だけではなりません。『悪魔側の意見』を聞きたいのなら、もう一人の管理者リアス・グレモリーにも今の話を通してください」

 

 数秒か、数十秒か。この場にいる四者にとって等しく、体感的に長い時間を沈黙が支配する。ようやく声を絞り出したのは、この町の管理者の一人であるソーナだった。

 

「『悪魔側の介入』を嫌うのは、悪魔と堕天使が水面下で手を組んでいる可能性を警戒しているからですよね? 実際、聖剣は堕天使と悪魔にとって脅威になり得るもの。共通の価値観を持つ者通し手を組んでいても不思議ではありませんしね」

 

 ですが、と一度区切ってからソーナは続けた。

 

「コカビエルと我々は手を組んでいませんよ。そして、これからも組む気はありません。シトリー家次期当主として、そして魔王さまの名に懸けて誓いましょう」

 

「それはなによりだ。私たちも本命の前に悪魔と争って消耗したくないのでね」

 

 ニヤリと笑うゼノヴィアに、ソーナも微笑みを返す。

 

「ところで質問なのですが……、具体的に聖剣を取り戻せる確率というのはどれほどのものなんですか?」

 

「およそ三割だ。奥の手があるが、それを使ってもね」

 

 三割。それはあまりにも低い勝算だろう。負ければ死ぬ戦いに望むのならば、最低でも五割、できれば八割以上の勝算が欲しいところである。

堕天使の幹部相手に三割の確率で奪われたものを取り返せると考えれば、それはそれで凄い。しかし、土地の管理者のソーナにとっては、三割という勝算は低すぎた。

 

「あなたがたを侮辱するつもりはない、と前置きしておきますが……、仮にあなたがたが殺されてしまった場合は、おそらく悪魔側で対応することになるでしょう。さすがに、そこまで制限したりしませんよね?」

 

「ああ無論だとも。もちろん、私たちは任務に失敗するつもりなんてないけどね」

 

「それを聞くことができて良かったです。リアスとの交渉も頑張ってくださいね」

 

 話も無難に着地点を迎えて、立ち去っていく二人の年若いエクソシスト。彼女たちの背中を見つめながら、ソーナは腹心へと声をかける。

 

「堕天使の幹部は彼女たちの手には余ります。私たちの手にもです。椿姫、あなたは今回の件を魔王さまに報告すべきだと思いますか?」

 

「どうかしら……。堕天使の幹部に対抗するとなれば、魔王様直属の部隊を派遣してもらうのがベターだとは思うけれど……、それほどの実力者同士が闘って、この町が無事である保証がないと思うの」

 

 一例を挙げてみよう。ソーナの姉のセラフォルー・レヴィアタンが援軍としてこの町に来たとする。広範囲の殲滅攻撃を得意とする彼女は、小国を瞬く間に滅ぼすことが可能だ。それほどの実力者が、実力の近い者と町の中心で戦えば、町全体が凍結されて御の字と言ったところか。

 無論、そんな結末を許容するつもりはない。駒王町を支配しているのは悪魔だが、それは何をしても良いという意味ではないのだ。この町の住民を守る義務がある。

 

「無難に行けば、でグラナに相談といったところでしょうか……?」

 

 赤龍帝のことを皮切りにグレモリー眷属のフォローへと回されたグラナだが、それに乗じて魔王少女もまた、妹のソーナとその眷属たちのフォローに回るようにとグラナに依頼しているのだ。依頼の内容に則ったものでもあるし、相談を無碍にされるということもないはずだ。

 シトリー眷属、グレモリー眷属では束になってもコカビエルに勝てる気がしないが、あのグラナならばあるいは、ソーナはそうも感じるのだ。グラナ個人が勝てないにしても、ソーナやリアスよりもはるかに多くの場数を踏んだ彼ならば、今回の件に関しても適切な策を講じてくれるだろうという思いも強い。

 

 そのような内心からこぼれた言葉は、椿姫に向けてものではなく、意図せずに漏れた独り言に近いものだ。それだけに件の人物から返答があったことには心底驚く。

 

「フォローつっても俺はサポートよりも、後詰めって言ったほうがいいと思うけどな。できる限り、グレモリーとソーナのやることに口出しするなって言われてるから」

 

 脇道から、グラナが『騎士』のルルを連れて現れる。瞠目する椿姫を尻目に、ソーナはグラナへ問い質す。

 

「一体いつから話を聞いていたのですか?」

 

「最初からだ。登校中に全身白ローブの不審者二人組がいたから、ストーキングしてみるとここに到着。話の最中に出て行っても、現レヴィアタンの妹と旧レヴィアタンの末裔が揃っているってのは他所から見たら妙なもんだろ? だから、話が終わるまで隠れていたってわけだ」

 

「あの二人、聖剣使いなのに…、これだけ近くに隠れてる悪魔に気付かないんじゃ実力もお察しだよねー」

 

 コカビエルが暗躍しているという話を聞いていたのに、グラナは緊張をまるで見せない。ルルもまた、緊張することは無く、ゼノヴィアとイリナのエクソシストコンビの実力を揶揄する余裕があるほどだ。

 

「単刀直入に聞きますが……、あなたがたはコカビエルに勝つことができますか?」

 

「楽勝だな」

 

 気負うことなく言ってのけるグラナに、ソーナは心の重荷が少し減るような気がした。これを言ったのが他の若手の上級悪魔だったら、自身の実力を過信していると侮蔑の視線を向けるか、不安を覚えるだけだっただろう。

 しかし、グラナの場合は決して過信しない。自己の実力を正確に把握し、相手の情報を収集することを怠らない彼は、おおよそソーナの知る限りでは過信や慢心とは最も縁遠い人物の一人なのだ。

 そのグラナが勝てると断言した。ならば、勝てるのだろう。そう思える程度には、ソーナはグラナの為人を知っているし、信頼していた。

 

「一応、その根拠を聞かせてもらえますか」

 

「堕天使陣営には今代の白龍皇がいてな、そいつが生粋の戦闘狂なんだが……、ちょくちょく殺し合うことがあって、まあ、どっちも死ぬわけにはいかないからほどほどのところで切り上げるってのを繰り返すうちに話も結構するにようになってな……その白龍皇が言うには俺はコカビエルよりは強いんだと」

 

 敵対陣営の者の言葉を鵜呑みにするというのは、典型的な悪手でしかないが、それは話をした者が『典型的な敵対陣営の者』であった場合に限られる。前提が破綻していれば、結論も破綻するのは自明の理だ。

 その点、今代の白龍皇は必要もない嘘を吐くようなタイプではなく、戦闘に関して言えばかなり真摯な人柄をしている。グラナのことを好敵手のように見ていることと合わせて考えてみても、やはり嘘を吐くというのはあり得ないと語った。

 

「それに……昔、コカビエルと戦ったことがあるから、あいつの実力は知ってるんだわ」

 

「堕天使幹部と交戦したなんていう話を聞いた覚えはないのですが」

 

「訊かれなかったからな」

 

 では早速とばかりに訊いてみると、グラナがコカビエルと交戦したのはまだ幼かったころの話だと言う。実戦で運用するには心許ない魔力しか持たなかった、ガキの時分に経験した敗北。生還できたのは、恥も外聞もなく、ただひたすらに逃走に専念していたからに他ならない。

 華も栄光もない、苦い敗北の思い出だ。わざわざ他人に語って聞かせたいと思える類のものではない。こうして聞いてみれば、成程、訊かれなければ、答えたくもない話題である。

 

「ま、ともかく、俺はコカビエル相手にも十分勝算がある。タイマン張って問題ないが、いざとなればルルたちの手を借りてタコ殴りにもできる。だから、心配するな。ソーナはソーナのやりたいようにやりゃあいい」

 

 軽く笑うグラナの顔を見ていると、緊張が和らいでいくことが自分でもわかった。

包み込むような優しさと実績に裏打ちされた自負、そして他者を引き付けてやまないカリスマ。改めて思い知らされる、グラナとの『(キング)』としての格の違い。己の目指す壁の高さを認識して、その上でソーナは諦めることは無い。

 

「……あなたには敵いませんね」

 

 今は敵わずとも、将来、必ず超えてみせる。そうすることでソーナの夢は実現へと近づくのだから。

 

 




 話を書いている最中に「どうせなら作品内の時間とも合わせたらいいんじゃね?」とか思ってたこともあってこの時期の投稿になりました。たぶん、聖剣編は六月ごろの話でしょう、きっと、おそらく!


 ちなみに一章の第六話、グレモリー眷属との言い合いの話を大幅改稿しました。気が向いたら、そちらのほうも是非ご覧になってください。


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2話 シトリー眷属とグレモリー眷属と

 レポート……。課題のレポートさえなければもっと早く更新できたんだぁああああ!
 我が怨敵(レポート)の火葬は苛烈なるべし!!


 ……レポート焼いちゃったらやり直さないといけないじゃん


「―――と、いうわけで現在この町には聖剣を奪った堕天使幹部と聖剣を奪い返そうとする教会のエージェントがいます。エクソシストのほうはともかく、コカビエル側の目的は未だわかっていません。私が現レヴィアタン様の妹ということから、シトリー眷属を狙う可能性もあります。そのため、事件が収束するまでは一人での外出はできる限り慎んでください。登下校の際は、二人組以上で行動すること。いいですね?」

 

『はい!』

 

 教会から派遣された、エクソシストの二人組との邂逅を迎えたその翌々日。ソーナは二日かけて考え出した方針を伝えるために、生徒会室に自身の眷属を集めていた。

 

「それと、守りに入っているばかりに行くつもりはありません。危険が迫っていることに気付いた時には、すでに手遅れだったなんてことにならないためにも情報の収集を行っていこうと思います。ただし、これは危険を伴うので、行う際には慎重を期して一回ごと私が実行役の子に口頭で伝えることとします」

 

 その方針とは、端的に言ってしまえば『安全第一』である。今では下僕としてソーナに忠誠を誓ってくれている眷属悪魔の面々ではあるが、元を正せば学生だ。それも、保護者からその身を預かっているに等しいので、おいそれと危地に追いやるわけにはいかない。また、眷属の主としてではなく、『ソーナ・シトリー』個人として眷属の面々には傷ついてほしくないということもある。

 

「不安を感じるのも、恐怖を覚えるのも無理はありません。しかし、それで足を止めては悪い方へと転がっていくだけです。自分と信頼する仲間を信じて、この状況を乗り切りましょう!」

 

『はい!』

 

 眷属たちの息の揃った返事には元気づけられる。彼女らは頼もしく、そして今回の件にはグラナという切り札(ジョーカー)も控えているのだ。

 

 ―――誰一人として欠けさせない。

 

 王として未熟な身だということはソーナ自身が最も理解できている。だが、だからこそ、自分に仕えてくれる者たちを守りたいのだ。 

 その決意だけは、誰にも否定させはしない。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 カチャリ、と鳴った小さな音は、ソーナがカップをソーに戻した際に発生したものだ。

 場所は旧校舎のオカルト研究部の部室。時刻は放課後。

 昼休みに、自身の眷属へと方針を伝えたソーナは、グレモリー眷属の方針を聞くためにこの場所を訪れていた。

 

「リアス、あなたはどう動くつもりなのですか?」

 

「そうね……。教会のエクソシストには釘を刺されたことだし、積極的に関わるつもりはないわ。事態の収拾に動くのは、あのエクソシストたちが敗北した後になるでしょうね」

 

 下手に動き教会側に妙な誤解をさせることを避けるための判断だろう。

 リアスの感情的な部分を知るソーナとしては、あの挑発的な物言いをするエクソシストたちと喧嘩でもして、競争を始める可能性さえあると考えていた。しかし、提示された判断は現実的かつ無難なもので安堵する。

 

(教育と政治システムを学ぶために日本の学び舎に通っている私と違って、リアスは領地経営を学ぶために駒王町を治めているんですものね。流石に杞憂でしたか)

 

 しかし、とソーナはオカルト研究部の部室を見て、心中で首を捻った。

 部員が少ないのだ。現在、部室内にいるのはソーナの対面に座るリアスと、紅茶を淹れてくれた朱乃とアーシアの三人のみ。封印指定中の『僧侶(ビショップ)』はともかくとしても、『戦車(ルーク)』の小猫と『兵士(ポーン)』と『騎士(ナイト)』の佑斗の姿が見えない。

 日が沈むよりも早いこの時間帯に、同眷属内の悪魔が三人も悪魔召喚の仕事に出向いているとは思えない。また、件の三人は委員会に所属しているわけでもないので、学校行事に関する準備と言う可能性も低い。そもそも、直近の学校行事である球技大会の準備は生徒会が行うこととなっているので、グレモリー眷属の悪魔には関係のない話だ。

 

「……リアス、木場くんたちはどうしたのですか?」

 

 そう問いかけた瞬間、リアスの顔が曇るのを見て、ソーナは天井を仰ぎたくなった。ただでさえ、堕天使幹部コカビエルという曲だの問題が差し迫っている状況下で、更なる問題など厄介極まりないからだ。

 

「佑斗はこの間から調子がおかしかったの。あの子の過去のこともあるのだろうけれど、昨日、教会のエクソシストたちが持つ聖剣を目にしてからはより顕著になってしまって……。小猫とイッセーは佑斗の精神的なケアに回っているのだと思うわ」

 

 ――あの子たちは優しいから

 

 そう締め括るリアス。その顔は、佑斗のことを憂いながらも、小猫と一誠の優しさを認め称賛していた。

 その一方で、焦りからソーナは冷や汗を流す。

 

(この状況で眷属たちが主の目の外に行く? それはどう考えてもまずい。コカビエルが私たちを狙っているかどうかはわからないけど、視界に入れば見逃してくれるとは思えない。偶然でも出会ってしまえば、戦闘は避けられないでしょう。実力差を考えれば、死亡は確実……!)

 

「リアス、それはかなりまずいです! すぐにでも木場くんたちを探しに行きましょう!」

 

「え? ソーナ、それってどういうこと?」

 

 リアスは生粋の自信家だ。そこには、公爵家次期当主としての恵まれた環境で育った影響も少なからず存在する。

 この町の支配の地位についてからは、その自信家としての面が増長したようにソーナは思っていた。堕天使やはぐれ悪魔などの討伐をこなし成果をみるみる積み上げれば、自信が増していくのは当然のことだ。

 だから、ソーナは「自信を持ち過ぎてはいけない」とリアスに言わなかった。着々と成果を上げる彼女に忠告をしたところで聞き入れてもらえるとは到底思えなかったし、下手をすればリアスに取り入ろうと考えた上級悪魔があることないこと吹聴し、シトリー家とグレモリー家の仲が悪化することもあり得たためだ。

 

 それが仇となった。

 

 リアスはこれまで、駒王町に侵入してくる堕天使やはぐれ悪魔たちに勝利を積み重ね続けた。その経験があるせいで、心のどこかで「今回の件もなんとかなる」と楽観視してしまっているのだろう。

 本人は気づいていないことだろうが、堕天使幹部の実力を過小評価してしまっているように、ソーナには感じられた。

そして、『もしも』や『最悪の場合』といった可能性も無意識のうちに切り捨ててしまうほどに警戒心が薄いのである。

 

「今は時間が惜しいです! 説明は移動しながらします!!」

 

 どうか間に合ってくれ。その一念を胸に宿したソーナは、事態を呑み込めないリアスの手を掴み、部室から飛び出していった。

 




 はい、今回は短めでしたね。原作では描写されることのなかった裏側を想像して書いてみました。



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3話 ファミレスでの邂逅

 今話は原作とほとんど変わらないので、ぶっちゃけ読み飛ばしても問題ないと思います。
 


 とある平日の午後。学園での授業を終え、一度帰宅した俺は、三人の連れを伴って町中を歩いていた。

 

「こうして眷属メンバーが揃うことは久しぶりだね」

 

一人目は、俺の右腕であり『僧侶』のエレイン・ツェペシュ。百六十代後半の長身に金髪赤目の女だ。私服の八割ほどがドレスに占められ、しかもその大半が赤系という彼女だが、そのような恰好を平日の昼間から街中でしていては目立ってしかたない。よって、今の彼女の服装は、ロングのスカートとベージュのカーディガンを引っ掛けたものとなっている。ありふれた服装であっても、その所作や雰囲気から気品を漂わせるのだから、服とは人を選ぶものだと感じさせられる。

 

「新しく入ったレイナーレはここにはいないけどね」

 

二人目はルル・アレイス。歩くたびに跳ねるブラウンの髪は彼女の快活な気質を表しているようで、ホットパンツとチューブトップという服装がそれに拍車をかけている。どこぞの女神からは、『史上最高の才能を持つ剣士』と評される自慢の『騎士』だ。

 

「だとしても、こうして私たち三人が揃うのは久しぶりでしょう。できれば、私も新しく入ったという『騎士(ナイト)』と話してみたかったですが」

 

そして三人目は、先日、長期任務から帰還したばかりの『戦車(ルーク)』。長い銀髪をポニーテールにして一つにまとめた碧眼の美女。キリッと引き締まった美貌と整った姿勢から真面目そうな印象を受ける『戦車』。

 忠誠心皆無のルルやエレインとは正反対の、忠誠心カンスト勢の筆頭たる彼女の名はレイラ・ガードナー。

 黒のスーツを着こなし、カツカツとヒールを鳴らして歩く様はまさしく『できる女』だ。当人は不本意だろうが、町中を彼女が一人で歩けば同性からナンパされるのも納得できる。

 

 

 なぜこの面子で出かけることになったのかと言えば、ルルの一言が原因である。

 

『お出かけしよう!!』

 

 唐突にルルが出した提案は、『最近デートしてないから』や『レイラの帰還祝い』といった理由によるものだとルル本人は述べていた。俺は、ただ久々に仲間内で外出して遊びたいだけなのだろうとは思っていたが、それを口にはしない。そんなことを言えば、妙なところで子供っぽい部分のあるルルが拗ねることは目に見えているし、ルルの挙げた理由も全く心にもないというわけではなく、少しくらいならそういう思いもあるだろうと考えたからだ。

 

「メニューの一番上から下まで一通り」

 

 というわけでテキトウに着飾り外出した、俺とルル、エレインにレイラは昼食を取るために入ったファミレスでこれまたテキトウに注文する。注文を取りに来た店員の顔が若干以上に引き攣っていたが、どの店でもこの注文をすると大抵はあの反応なので気にすることもない。

 

「新入りの『騎士(ナイト)』は不在ということでしたが……どちらに?」

 

 店員が去っていく後ろ姿を見送ってから、ふと思い付いたとばかりにレイラが言った。もののついでのような言い方だが、面識がまるでなく有名でもない相手のことなど、あまり興味が沸かない気持ちも理解できる。

 

「弱すぎてこのままだとうっかり死にかねないから、影の国で修業中だ」

 

 ルルが先んじてドリンクバーで取ってきてくれていたジンジャエールに口を付けながら、俺は答えた。レイラは「成程」と一つ頷いてから同じようにグラスを傾ける。話しながら飲めばいいものを、飲む行為と会話を並列ではなく別個に行うことから彼女の忠誠心の度合いが滲み出ている。エレインをして、忠誠心が天元突破していると言わせるだけのことはある。

 

「成果が出る前に死んじゃうかもしれないけどねー。あの女神さま、容赦なさすぎるし」

 

「縁起が悪いことを言うものじゃあないよ。そういうことは殺したい相手にだけ言っていいのさ」

 

ルルは冗談めかして笑い、エレインがそれを軽く嗜める。

 

 席は俺が一番奥の窓側で隣にはレイラが座り、俺の正面にエレイン、レイラの正面にはルルという配置である。

 ルルがふざけて、エレインが注意を口に出し、レイラが偶に会話に参加する。今までどおりの光景だ。

 

 

「ご注文の品の一部をお届けに参りました。どちらに置きましょうか?」

 

 視界の端で捉えていたために、店員が来ることはわかっていた。妙な勘違いをされても困るので一度会話を区切り、店員に返事をする。料理が机の奥――俺とエレインの間――あたりに次々に並べられていき、一通り並べ終わると、店員はまた戻っていった。

 

 俺たちは各々が好きなものを手に取って自分の前へと持ってくる。そして、そそくさと各々が料理を口に運んでいく。このメンバーの中には、過去に泥水を啜る生活を営んでいた者もいるだけに食事には厳しい面がある。食べながら話すのは構わないのだが、食べ残しは確実にアウト、早い話が『もったいないこと』は全面的に禁止されていると言っていい。誰が言い始めたことでもないが、まあ、暗黙の了解というものだ。

 

「もぐもぐ、んんっ……。それでどんな風に動くつもり?」

 

 俺はガツガツと周囲の客が胃もたれしそうな勢いで料理を口に運び込んでいく。ルルは一口ごとの量こそ少ないもののテンポがかなり速い。エレインとレイラは育ちの良さを感じ差せるマナーに準じた食べ方だが、やはりこちらもかなり食べる量が多い。外見の美しさも然ることながら、動作の一つ一つにまで目を奪われそうになるが、気づいた時には皿が積み上がっているので、若干手品染みている。

 

 一通り、レイラの土産話を聞き、反対に俺たちの近況を話して一心地付いた頃。ルルが皿の上に残った最後のからあげを咀嚼してから、俺へと問いを投げかけた。

 

「基本は放置。危なくなれば介入するって感じだな。あれこれ世話焼くなんてのは俺の柄じゃないし、ソーナとグレモリーもそんなに子供じゃないだろ」

 

「私とグラナの二人で、昨晩に話し合った結果だよ。依頼の内容がそもそも、フォローということだったからね、主役はグレモリー眷属とシトリー眷属に譲ることになる」

 

「私はグラナ様の御意向に従うのみです」

 

 参謀の役目も持つエレインと忠義が限界突破しているレイラの言だ。エレインはあくまで依頼の本旨に則るべきという、理解しやすい考え方だ。対するレイラはまともなようでいて、その実、俺がGOサインを出せばどんなことでもやってみせる気概の持ち主なだけに危険な面もあったりする。

 

「ふーん……。じゃあ、とりあえずは待機ってことなんだ」

 

「まあ、そういうことだな」

 

 グラスの中身を一口だけ嚥下し、目を閉じて思考に意識を沈める。

 現状、受け攻めいくつも手がある(・・・・・・・・・・・・)。例えば、コカビエルの拠点に攻め込む。これは、依頼の趣旨と合致しない部分があるので却下。では、反対に最後まで静観するかと言えば、その選択肢もあり得ない。上級悪魔の家の次期当主であり、魔王の妹二人を眷属共々死なせたとあっては、俺の受ける被害が大きすぎる。

 やはり、死なない程度にまでシトリー眷属とグレモリー眷属が追い込まれてから動くのが最適か――

 

「――うん?」

 

 思考の波に揺蕩う意識を、エレインの声が引き戻す。エレインが演技でもなんでもなく、純粋な疑問を孕んだ声を出すのはほとんどないために、俺の興味は自然と引き寄せられた。

 

「どうした?」

 

「いや、ああ……アレだよ」

 

 動揺を隠しきれないままにエレインが指差す。その先はファミレスの入口部分であり、丁度、五人組が入ってきた。年齢は遠目に見ても十代だとわかる。五人のうちの三人は女で、残りのふたりは男。これだけなら問題ない。年齢から考えて、彼ら彼女らが学生だということや仲の良い友人同士で昼食を一緒に取りにきたとの推測も立つ。何も不思議も不信もない、ありふれた日常の一コマにすぎない。

 普通に考えればそうなる。

 一般的に見ても、そうなる。

 

 では、普通でも一般的でもなかったらどうなる。ファミレスに入ってきた五人組が普通や一般という言葉から縁遠い存在だった場合はどうなる。

 例えば、男二人が生まれつきドラゴンをその身に宿していて、悪魔に転生していたり。二人の女が先日見かけたばかりのエクソシストだったり。最後の一人の小柄な少女までもが悪魔だったとすれば。

 

「は? なんで悪魔とエクソシストが一緒に?」

 

「仲良く一緒にランチとか? 親睦会的な感じに」

 

 少なくとも、ルルの能天気な予想が正答ではないことだけはわかる。なにせ、先日、ソーナとその『女王』の真羅に対して高圧的に交渉し、不干渉をもぎ取るような性格をしたエクソシストたちが悪魔と仲良くなんてするはずがない。

 それに赤龍帝と白髪ロリ――グレモリー眷属はレイナーレとの一件で堕天使と教会が敵だという認識を強めていることだろうから、安易に近づくとは思えない。そして、短い金髪の少年はシトリー眷属に所属する新入り『兵士』なのだが、明らかに場違いだ。グレモリー眷属二、エクソシスト二に対して、シトリー眷属は彼一人なのである。

 

「? あの者たちに何か不審な点でもあるのですか? この時期の昼間に白いローブを着ていることは不自然と言えば不自然ですが……、教会の者の制服のようなものですし」

 

 不審者一歩手前の服装だが、あれはレイラの言うとおりに教会の者――その中でもエクソシストが着用する制服のような役割を持つ。そのため、見る者が見れば、一発で教会の関係者だとわかるのだ。

 

「ああ、そうか。レイラはまだ資料を見てないんだっけな。家に戻ったら見せるか。―――んで、まあ、あの五人組についてだったな。あの内二人がエクソシストで、残り三人が悪魔なんだよ」

 

「ちなみにエクソシストは二人共が聖剣使い。悪魔の内二人は伝説のドラゴンを宿している、とびっきりのスターさ。ファン(トラブル)に好かれているのは確かだろうね」

 

 エレインのように茶化しても事態が変わるわけでもない。こうも早々とトラブルを招き寄せるのはドラゴンとしての性質なのだろうか。封印された後も面倒を起こすとは、本当に傍迷惑なドラゴンたちだ。

 俺はソーナに対して自由にやれと言った。それは彼女の将来のためでもあるし、彼女の思慮深さならば、地雷を踏みに行くこともないと予想したからだ。

 しかし、眷属がエクソシストと一緒にいるところなど、他所の上級悪魔にでも見られれば、一発でスパイの容疑をかけられかねない。それに、先日は交渉にきたが、悪魔と教会は敵対関係にあるのだから戦闘に突入することもあり得る。それらの事態を防ぐためには、最低でも監督役として主人たる上級悪魔が同席し常に事態の推移を見守る必要がある。

 

 だが、この場にはソーナ・シトリーもリアス・グレモリーもいない。もしも、眷属の行動を看過しているとすれば、それは思慮が浅すぎる愚行だ。グレモリーはともかくとして、ソーナがそんな真似をするとは思えなかった。

 

「……眷属たち(あいつら)の独断か?」

 

「ふむ。そうだとして、そんなことをする理由がわからないね」

 

 エレインのつぶやきに首肯する。実際のところ、情報が少なすぎるのだ。推測ならばいくらでも立つが、証拠がないためにどれが正答なのか見当もつかない。

 

「じゃあさ、訊いてこよっか?」

 

 パパーンと手を上げながら出された、ルルの提案。しかし、主人に秘密で行動しているのなら、部外者のルルに事情を教えることもないだろう。

 

「却下。とっくにこいつらに尾行させてるしな(・・・・・・・・・・・・・・・・・)

 

 俺の袖口から覗くのは、白い使い魔だ。体長は十五センチほどで、外見は栗鼠(りす)(いたち)に近い四足獣。種族名を管狐というこの妖怪は、戦闘能力は非常に低いが、その小さな体躯と群れで行動する習性から優秀な斥候となる。グレモリー眷属+αがエクソシストたちに接触した知らせがなかったのは、単純に、それがつい先ほどの出来事であり、俺に情報を寄越す時間がなかっただけだろう。

 ちなみにこの場に召喚した個体は、群れの長ということもあり取りまとめ役として、管狐の中で唯一俺が名付けた個体である。

 

白英(びゃくえい)、あの五人には予備として三匹、監視役を追加しろ。それとグレモリー眷属、シトリー眷属の他のメンバーの監視に付けている個体にも、何かあれば即時に連絡を寄越すように再度徹底させるんだ。いいな?」

 

「キュッ!」

 

 可愛らしい返事をするや否や、白英はピョイッと袖口から飛び出し、机の上をトコトコと歩き回り、帰還用の魔方陣を形成し、光の中に姿を消していく。俺の指示を実行するために同胞たちの元へ向かったのだろう。

一連の動きをルルがキラキラとした眼差しで見ていたが、その気持ちはなんとなくわかる。見た目と仕草が相まって、管狐には小動物的な可愛らしさがあるのだ。男の俺でさえ愛らしく思うのだから、年頃の少女からすれば破壊力は抜群である。

 

「は~、やっぱりかわいいなぁ………いや、ボクの使い魔たちも負けてないけどね!?」

 

「いつ競ったんだよ……」

 

 競う気もないのだが、なぜかやる気をみなぎらせているルルの耳にはまるで届いていないようだった。

 

 

 

 

 

 

 

 

「……では、残りの品はまた後ほど」

 

 空いた皿を抱えて、来た時よりも明らかに気落ちした声を残して、店員は去っていった。その足取りが重いのは皿を持っているからだけでなく、おそらくは精神的な要因もあるだろう。まあ、だからといって、俺たちが自重する理由はないし、するつもりもない。

 

「あー!! それ、ボクが食べようとおもってたのに!」

 

「早い者勝ちだろ、こういうのは」

 

「ルル、グラナ様に献上できたのだと思えばいいだけのことでしょう?」

 

「君の食べたいものはそれ一つじゃないだろう? 次に運ばれてきたものの中から好物をすぐに取ればいいだけじゃないか」

 

 俺、レイラ、エレイン、順に諭していくが、当のルルはぐぬぬぬぬと唸ってばかりいる。その反応が可愛らしくて、ついついからかいたくなってしまった。

 

「いやいや、ここはルルの仕事の報酬として応えてやるよ」

 

 と、スプーンで皿から料理を掬って、ルルの口元へと差し出す。

 彼女は途端に輝かんばかりの笑顔を浮かべる。

 口を大きく開き、さあ食べようとした瞬間に、俺はスプーンを引き戻し、ガチンと空振りした音を鳴らすルルの目の前で、ゆっくりと見せつける様にしてスプーンを自分の口へと運んだ。

 もぐもぐと咀嚼し、無駄に訳知り顔で解説も付け足す。

 

「うぅん、ジューシーな味わいが舌を楽しませつつも、食欲をさらに掻き立てる香りが鼻を直撃するダブルパンチ。シンプルでありながらも、いや、シンプルだからこその美味さがある」

 

「グラナの意地悪!」

 

 身長差――座っているので座高差のほうが適切かもしれないが――により、見上げるような状態で、美少女が涙目となる。この状況で喜ばない男がいるだろうか、いや、いない。

 

「はっ、その顔が見たかった」

 

「同感。そして眼福だよ」

 

 満足気に頷く俺と、それに続くエレイン。ルルは俺たちの反応を見て更に憤慨するのだが、如何せん可愛いばかりで威厳は欠片もないので、その様子までも俺とエレイン、そして表情にこそ出さないもののレイラも楽しむのだった。

 

 

(……しかし、俺たちはこれだけ食いまくって、容姿も目立つってのに、あいつら一向に気付く様子がねえな。今は好都合だが、注意力が散漫なままだとフォローが面倒になりそうだ)

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 聖剣計画。一誠が主であるリアス・グレモリーから聞かされた、多くの子供たちを襲った悲劇の名前だ。教会に保管されていた伝説の聖剣エクスカリバー、それを扱う者を作り出すための計画だったが、計画が失敗だと判断されると同時に実験に付き合わされていた少年少女たちの廃棄(・・)が決定したのだという。その唯一の生き残りが木場佑斗、一誠の友人であり、仲間であり、悪魔家業では先輩でもある少年だったのだ。

 

 そんな過去を背負っていれば、当時の実験を恨むのはヒトとして当然のことだろう。実験のそもそもの原因とも言えるエクスカリバーが目の前に現れれば、我を失ってしまうのも無理はない。

 

 事の発端はつい先日。この町に訪れたエクソシスト二名は、堕天使に奪われた聖剣を取り戻すことを目的だとリアスに告げ、手出しは無用だと忠告した。理由は主犯の堕天使と悪魔が水面下で手を組んでいる可能性があるかもしれないから。レイナーレの一件で一誠は堕天使に良い印象を持っていないため、エクソシスト達の言い分には憤りを覚えざるを得なかった。リアスや他の眷属たちも同様だったようだが、結局はグレモリーと魔王サーゼクスの名にかけて、堕天使とは手を組んでいないとリアスが宣言したことで事なきを得た。

 これで終われば問題ないのだが、そうは問屋が卸さなかった。事件解決のために教会から派遣されたふたりのエクソシスト、彼女らが木場の憎むエクスカリバーの使い手だったのだ。

 憎悪を隠しもしない木場と、二人の聖剣使いが激突するのはある種、運命染みたものがあったかもしれない。木場は二人に模擬戦を挑み、一誠も参加。そして、その結果が一誠と木場の敗北に終わった。二人の敗因は、一誠の場合は単純な実力不足、木場の場合は冷静さを失ったことによって長所を生かせなかった点にある。

 

 以前から不自然さの目立つ木場だったが、その日を境により悪化する。友人の有様を見ていられなくなった一誠は主から事情を聞き、友人の抱える悲嘆の大きさに愕然とした。佑斗の抱える問題を解決することは想像よりもはるかに難しいことなのかもしれない。それでも、何もしないではいられなかった。

 

 

 

「頼む! 匙、どうか手を貸してくれ!!」

 

 一誠と志を同じくする『戦車(ルーク)』の塔上小猫とともに向かった先は、シトリー眷属の新入りの『兵士(ポーン)』匙元士郎の元である。

 リアスがエクソシストたちの要求を呑み、不干渉を決めたために同眷属内での助力を望むのは厳しかったのだ。小猫は一誠に協力を申し出たが、『女王(クイーン)』の朱乃は主のリアスよりの考えだろうということは親友という関係性から想像が付くし、戦闘手段を持たないアーシアに頼ることもできない。

 

 そこで白羽の矢が立ったのが匙だ。

匙は、一誠がグレモリー眷属入りするのとほぼ同時期に、シトリー眷属入りした転生悪魔である。消費した駒は『兵士(ポーン)』を四つ。それだけの消費数になったのは匙が生まれつき『神器(セイクリッド・ギア)』を宿していたことが起因する。名称は『黒い龍脈《アブソープション・ライン》』、龍王の一角ヴリトラの魂を封じた、ドラゴン系の『神器』だ。

 悪魔に転生した時期、宿した『神器』の特性、性別、年齢など多くの部分で被ることもあって、一誠は匙のことを少なからず気にしていた。使い魔の獲得に際してもともに行動し、なんだかんだ言って気が合う面もあったのだろう。眷属以外で頼れる者と考えた際には、匙の顔が一斉の脳裏には一番最初に浮かんだのである。

 

「木場を助けるにはお前の助けが必要なんだ!」

 

「いや、そう言われてもな……。俺も会長から今回の件には手を出すなって釘を刺されちまってるし」

 

 オカルト研究部を訪れる前に、ソーナ・シトリーから許可を取ってきたとエクソシストの二人も言っていた。ソーナの眷属である匙が、ソーナから忠告されているのも当然のことだ。

 だが、それでも、諦められるはずがない。何もできずに、のうのうと日常を謳歌することなど、一誠には到底想像もできない。

 

 リアスが望まぬ婚約を迫られた際のレーティング・ゲーム。あの時には、一誠は最後の重要な局面で体力がそこをついて何もできなくなってしまった。愛する女性が涙を流す姿を眺めることしかできなかった。

 

 もう、嫌なのだ。大切な誰かが苦しむ姿を見ているだけの自分が。

 

 もう、嫌なのだ。何も出来ないでいるだけの自分が。

 

 何度も頭を下げ、何度も頼み込む。視線が地面に固定されているせいで匙の顔は見えないが、しばらくすると観念するかのようなため息が聞こえた。

 顔を上げてみると、匙はガシガシと頭を掻きながら言う。

 

「……少しだけだからな」

 

「ありがとう! 匙、マジで助かるぜ!」

 

 小猫と匙の協力を取り付けてまでしたいこと、木場を救うためにしたいことの見当はすでにつけていた。しかし、それを実行するためには、木場は当然のこととしてエクソシストたちの協力も必要だった。

 先日、不干渉を申し込んできたエクソシストたちの手を借りることは難しいとわかっている。というか、それ以前に、彼女たちがどこを拠点にしているのかさえもわからないのだ。これでは、まずコンタクトを取る段階から厳しい。

 

 ――と思っていたが、その考えは杞憂に終わった。

 

「えー、どうか寄付を。主への信仰のために寄付をしてくださーい!」

 

「迷える子羊たちに手を差し伸べてください!」

 

 顔を隠すようにフードを目深に被った、白コートの二人組。怪しい新興宗教の関係者か、不審者にしか見えない者たちが駅前の広場にいたのだ。

 先日の勇ましさはどこへやら。今では頭の出来が残念な二人組にしか見えなかった。周囲では、彼女らをケータイで写真を取る若者がちらほらと居り、警察が呼ばれるのも時間の問題だ。

非常に話しかけたくない。常ならば、見かけた途端に回れ右をするか110番通報するところだが、彼女らと話をつけることが木場を救うために必要なことなのだ。そう割り切って二人のエクソシストに向かって歩を進める。……割り切らなければ、近づきたくもなかった。

 

「あー、ちょっと話があるんだけど」

 

 彼女らに話しかける一誠の背を匙と小猫が尊敬混じりの目で見ていたことは余談である。

 エクソシスト二人はどうやら軽い詐欺に遭い、持ち金が尽きていたらしい。そこで昼食をご馳走することを交換条件に会談の約束を取り付けることに成功した。

 

 

 

 

 ガツガツ。バクバク。そんな擬音語が似合いそうな勢いで、質素倹約を旨とするはずの宗教家とは無縁の食い意地を発揮するエクソシストたち。つい奢ると言ってしまったが、一誠は次々に運ばれて来る料理を見るうちに財布の中身が心配になってきた。匙はご愁傷さまとばかりに手を合わせ、小猫は申し訳なさそうにしているが、まさか後輩の少女にたかるわけにもいくまい。

 

「――で、赤龍帝。今日は一体何の用かな?」

 

 一心地つき青髪のエクソシスト――ゼノヴィアがフォークを机の上に置き、質問を飛ばす。キリッっと張り詰めた表情は先程までの食事風景とは似ても似つかない。そしていくら格好をつけても、駅前での物乞いや女子力の欠片もない食べっぷりという醜態を散々目にした後では、いくら格好をつけられてもまるで格好良く思えない。

 

「ああ、うん。そのことなんだけど、もう一人話してほしいやつがいるんだ。そいつを呼んでもいいか?」

 

「構わないとも。承諾しなければ話が進まないしな。こうして一食の恩も受けたのだし、ちゃんと話を最後まで聞くくらいの配慮はするさ」

 

「そうか、ありがとう」

 

 一度頭を下げて礼を言ってから、あらかじめ店内の別の卓に待機していた、親友とも呼べる少年を手招きして同じ卓にまで呼び込んだ。

 金髪碧眼の優男。グレモリー眷属の『騎士』であり、聖剣エクスカリバーには並々ならぬ憎悪を燃やす少年、木場佑斗だ。

 

 ゼノヴィアとイリナの二人も、エクスカリバーの使い手ということもあって、『聖剣計画』についての知識はあったし、昨日の会談の折に木場佑斗本人の口から『聖剣計画』の犠牲者だということも聞き及んでいる。そのこともあって、二人のエクソシストは別段驚いた様子もなく、成程と小さく頷いた。

 

「頼みってのは俺たちにも聖剣を奪い返す手伝いをさせてほしいんだ」

 

 教会側から見れば、戦力が増えることで聖剣の奪還に成功する確率は上昇する。一誠たちから見れば、介入の機会を得ることで仲間の復讐を果たさせ、過去に踏ん切りをつけさせることができる。どちらにとってもメリットのある話だ。

 

「つまり一時的な共同戦線を張るということでいいな?」

 

「ああ」

 

「そうか」

 

 それだけ言うと、ゼノヴィアは暫し黙考し、彼女なりの答えが出たのだろう。イリナへと確認の意味も込めて問を投げかけた。

 

「私は協力するのもありだと思う」

 

「そんな! ダメよ、ゼノヴィア! 主の使いたる私たちが悪魔と協力するなんて!!」

 

 数年ぶりに再会してわかったことだが、狂信者と化した幼馴染はやはり悪魔と轡を並べることに強い抵抗感があるらしい。まあ、彼女は浄化と称して幼馴染に躊躇なく斬りかかる自分に酔うほどだ。ここで反対意見を出さないはずがなかった。

 

「ま、まさか悪魔にたぶらかされてしまったの? なんてこと! イッセーくんがエッチだっていうことは知ってたけど、こんなにも早くゼノヴィアに手を出すなんて!?」

 

「出してねえよ!? 冤罪だから、小猫ちゃんもそんな変態を見るような目を向けないでくれ!!」

 

「でも、実際に変態じゃないですか」

 

「うん、それは否定できないよね……」

 

 まさかの裏切りである。同性であるがゆえに、どこか同士だろうと期待していたこともあって、一誠のショックは大きかった。

 

「木場ぁぁああああ!? お前まで裏切るのか!?」

 

「裏切るも何も本当のことだろ。生徒会に何度も注意されてる覗きと盗撮のことを忘れたわけじゃねえよな?」

 

 匙の述べたことは事実そのもののため、反論もできない一誠を見て小猫と佑斗がため息を漏らす。おまけに、エクソシスト二人からは軽蔑するような目線まで貰い、一誠にとっては踏んだり蹴ったりだ。

 

「オホン! まあ、赤龍帝の常日頃の行いは置いておくとしよう。―――イリナ、まず言っておくが私は別に悪魔の言葉に惑わされても踊らされても誑かされてもいない」

 

 そこからゼノヴィアが語ったのは、任務成功のためには少しでも確率を上げるべきだろうという考えだった。元々の成功率は三割。失敗すれば死ぬ確率も高いが、それを承知した上で二人は任務を引き受けたのだ。ゼノヴィアは死に恐れをなしたわけではなく、生き残った後も進行を捧げることこそが信徒の本懐なのだと言う。

 

「でも、でもでも! 悪魔と手を組むなんてダメよ!!」

 

「悪魔じゃない。私たちはドラゴンの力を借りるんだ。教会の規則でも、ドラゴンと協力することを禁止するものはないのだから別に構わないだろう」

 

「そんなの屁理屈じゃない!」

 

「屁理屈でも何でも任務の成功率は上げた方がいいだろう。私たちの心情を優先した挙句に失敗するよりも、ときには柔軟に対応することも必要だと思うがね」

 

 ゼノヴィアも協力体制を如くことに賛成はしても、不満がないわけではないのだ。一誠が赤龍帝であっても、現在は『悪魔の駒』でリアス・グレモリーの眷属悪魔に転生している。一誠はドラゴンであると同時に悪魔でもあるのだ。『ドラゴンの力を借りる』というのが詭弁にすぎないことくらいゼノヴィアにもわかっている。要は、詭弁を弄してでも聖剣を取り戻したい。そういうことなのだろう。

 

「だって、そうだろう? 私とイリナの二人だけでは成功率は三割だと上司にも言われたじゃないか。三割が成功ということは、七割は失敗に終わるんだぞ? 死が怖くなったわけではないが、意地を張っている場合でもないだろう」

 

 任務に失敗してしまえば、聖剣を奪還することができないばかりか、二人の持つ聖剣まで奪われかねない。それでは本末転倒もいいところだと、ゼノヴィアは語る。

 

「う、う~ん。それなら、いい、のかなぁ………」

 

「まあ、教会の本部にバレれば確実に罰則物だから気をつけなければならないな」

 

「……グリゼルダさんにだけはバレないようにしないとね。特にゼノヴィアは」

 

「イリナ、余計なことは言わないでくれ。バレた時のことを想像してしまう……」

 

 グリゼルダという名の人物が、どういう存在なのかは一誠にはわからない。ただ、顔を真っ青にしてガタガタと震えるゼノヴィアの姿から、余程怖い人なのだろうと想像がつく。

ちなみに一誠の中での『怖い人』の筆頭は依頼の常連でもあるミルたんだ。アレに怒られる場面を想像すると一誠も震えが止まらない。かなり失礼な言い方になるが、正直、命と貞操の危機を本気で感じてしまう。

 

「まあ、そっちにも色々あるんだろうけど、とりあえずは協力してくれるってことでいいんだな?」

 

 確認のための問いかけに、二人のエクソシストは頷く。

 

「ああ。……そうだな、一時的なものとは言え、共に戦うんだ。そちらの魔剣使いの探しているだろう人物についての情報をやろう」

 

 眉根を寄せる佑斗を見ながらゼノヴィアは告げる。

 

「教会でも最大クラスの汚点とされる『聖剣計画』の首謀者のことだ。その男は、聖剣に関して深い知識を持つことから今回の件にも関わっていると目されている」

 

 瞬間、佑斗の顔からは微笑みが消え、憎悪が漏れ出す。彼はその悲惨な過去から聖剣エクスカリバーを憎んでいるが、実験を行っていた者たちについても同様だ。むしろ、突き詰めれば物に過ぎない聖剣よりも、実験に組みしていた研究者や教会への憎悪のほうが強かった。

 

「それはありがたい。是非聞かせてほしいな」

 

「ああ。その男の名はバルパー・ガリレイ。今では『皆殺しの大司教』と呼ばれ、教会から追放された聖剣狂いの男だよ」

 

 

 




 真面目に暴走するグレモリー眷属と、おちゃらけているように見えて仕事をこなすグラナチームの対比でしたね。
 


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4話 堕天使幹部コカビエル

 一万字超え!!!
 更新が遅れたことは多めにみてつかぁさい。

 レポートが、レポートがマジできついんだ。一つ終えたのに、七月の初めまでにあと三つ仕上げないといけない。しかも、フィールドワークを複数回こなした上で……。
 


「―――で、彼らは神父に変装することで敵を誘き出そうとしている、と」

 

「みたいだな。最近、この町に入った神父――聖剣関係で教会から派遣されたエクソシストが次々に殺される事件が起きてるから、囮捜査を選んだんだろ」

 

「効果的かもしれないが、かなり危険だね。彼らの実力を敵側が上回ったのなら、自殺行為に等しいよ」

 

「だから、俺たちがこうして監視してるんだろ」

 

 エレインとパーカー姿の俺はとある雑居ビルの屋上に並んで座っている。向ける視線はお互いではなく、数百メートル先。双眼鏡を介して、『神父姿の六人組』を観察していた。

丁度、餌に釣られてやってきた馬鹿丸出しのはぐれエクソシストが六人組へと襲いかかる。

 

「あの白髪頭、なんか見覚えあるな。エレイン、わかるか?」

 

「…………確か、フリード・セルゼンだったかな? 十代前半でエクソシストになったという天才。まあ、今では追放処分を受けて堕天使陣営に下ったようだが」

 

 変わらずに戦闘する彼らへと向けられる視線が胡乱気なものとなったことを自覚する。

 

「あれで天才ねぇ。教会も人材不足だな」

 

 グレモリー眷属の三人とシトリー眷属の『兵士』一名、そこに武器頼りのエクソシスト二名を加えた六人組相手に一人で立ち回るはぐれエクソシスト。六対一で食い下がれる、と言えば聞こえはいいが、相手の六人組は連携も個々の質も低い集団だ。俺やエレイン、ルルならば十秒以内に皆殺しにできる。

 

「ああ、あの程度で『天才』とは聞いて呆れるよ」

 

「なんちゃって天才のはぐれも大概だが、それに勝てないあいつらもアレだよなぁ」

 

 シトリー眷属の『兵士』匙元士郎に関しては仕方ないだろう。なにせ、ついこの間までは争いとは無縁の生活を送り、悪魔になってからの実戦経験が浅いのだから。最初から強くないことを責めるのは理不尽だ。

 

「匙元士郎、だっけか、シトリー眷属の新入り『兵士(ポーン)』。あいつの神器、見た目はダセえけど応用力高そうだな」

 

 『黒い龍脈(アブソープション・ライン)』。龍王の一角にして邪龍でもあるヴリトラは、魂を幾重にも分割されて封じられた。そのうちの一つが、匙元士郎の神器に宿っている。

 

「能力はラインでつないだ相手から力を吸い取ること。白龍皇の『吸収』に近しいものがあるね。鍛錬次第では、ラインを切り離して自分以外のものに力を流すこともできるそうだが、そうしたら赤龍帝の『譲渡』に近い。そう考えると相当に優秀な神器だよ」

 

「ああ。それに、ラインを縄代わりにして相手を拘束したりもできる。もしくはラインをくっつけた相手を引き寄せて殴り続けるとかな」

 

「それをするには相手を遥かに上回る身体能力が必須だがね。でなければ、逆に殴られるハメになるか、そもそも引き寄せることができない。あの神器は応用力が高い分、地力と技量を研鑽しなければならないね」

 

「それに頭も鍛えねえとな。戦局を見極める、相手の手の内を読む、そういったことは戦闘の基本だが、テクニックタイプはそれができるかできないかで、戦闘力が相当変わってくるからな」

 

 

 と、話しているうちに戦闘は推移していき、次の出番はエクソシストの二人組だ。

 何度か、はぐれエクソシストと剣を交える彼女らを見ているうちに、眉が顰められ、呆れ声が漏れる。

 

「……なんだ、ありゃ」

 

「………随分、お粗末な戦い方だね」

 

 エクソシスト達は二人ともが完全に武器に頼りきりで、技量が未熟すぎる。

青髪メッシュことゼノヴィア・クアルタは破壊力を周りに撒き散らすだけでコントロールが出来ているかも怪しく、しかも無駄な破壊が多いせいで味方の連携にまで支障を来たす。

 

「あのメッシュ頭、チーム戦ってこと忘れてんのか」

 

「聖剣の能力を撒き散らす。おまけに大振りすぎて、一度に複数人で近接戦を仕掛けることもできないだろう、あれでは。物の見事に数の利を潰しているな」

 

 茶髪ツインテールこと紫藤イリナは変形能力を持つ聖剣の使い手なのに、なぜか形態を日本刀に限定して戦っている。

 

「あの茶髪ツインテ、どうして剣の形を変えねえんだ? 普通に能力を使って戦えよ。相手は天閃の聖剣(エクスカリバー・ラピッドリィ)の能力をガンガン使ってるのに……」

 

「正規の聖剣使いより、異端とされたはぐれの方が聖剣をより上手く使えるとは……」

 

 エレインは頭が痛いとばかりにため息を吐いた。俺も同感だ。片やチーム戦のチの字も知らずに破壊を撒き散らす脳筋と、聖剣をただの名剣として使う馬鹿。

 あの程度の剣士が使い手になってしまうことができるというのだから、伝説の聖剣エクスカリバーも堕ちたものだ。

 

 

「次は金髪ナイトか……」

 

 破壊の聖剣(エクスカリバー)の撒き散らす破壊の暴流から、はぐれエクソシストは聖剣の能力を用いて得た速度で即座に退避する。距離の開けた奴に、次に攻撃を仕掛けたのはグレモリー眷属の『騎士』木場佑斗だった。

 

「流石は『騎士(ナイト)』と言ったところかな? あのメンバーの中では最速だ」

 

「しかも、その速度が上手い事剣術とマッチしてるな。」

 

木場佑斗は、その動きからかなり剣術の才能を感じさせる。しかし、実戦経験が少ないのか、剣筋が正直すぎて『何でもアリ』を心情にしていそうなはぐれエクソシストとは相性が悪いようだ。

 

「……ただ、アレだ。神器を使いこなせていないな」

 

 あの『騎士(ナイト)』の神器は『魔剣創造(ソード・ヴァース)』。あらゆる属性、効果を持つ魔剣を作り出すことができるという、使い勝手の良い代物だ。この神器を使いこなすことができれば、苦手な相手など存在しないだろう。なにせ、自分の手札を好きなように作ることができるのだから、相手の手を見てからでも十分に対応できる。

 

「それは仕方ないんじゃないか? 彼の師匠はルシファー眷属の沖田総司だ。神器を扱えない男が、神器の指導をできるはずもない」

 

「それもそうなんだけどなぁ……。剣術特化の沖田じゃなくて、神器の扱いと剣術の両方にそこそこ長けたやつのほうが、あいつの師に向いてると思うんだよ。それか沖田には剣術、別のやつに神器について教わるとかな。そこらへんが、人選ミスっぽい感じがするわ」

 

 沖田総司が師についたのは、魔王パワーか何かのおかげだろう。ならば、その魔王パワーを使ってもう少し、手広く師に相応しい人材を探すべきだったのではないか。

 

(いや、まあ、そもそも、眷属の師匠探しは『(キング)』の役割だけど……)

 

 

 グレモリーの怠慢はさておき、次は期待のトラブルメーカーにして、無関係の他所の眷属を引き込むという暴挙をみせてくれた、赤龍帝の『兵士(ポーン)』だ。

 

「経験の浅さ、鍛錬不足がよくわかる戦いぶりだな」

 

 戦況の読みが甘く、体捌きはぎこちない。構えは大雑把で隙が大きく、身体能力も低い。

 シトリー眷属の『兵士(ポーン)』と同じく、未熟、その一言で表せる戦いぶりだ。

 

「『譲渡』に専念して味方を援護するなり、弱いなら弱いなりにやりようもあるだろうに。ライザーとのレーティング・ゲームで連携やらチーム戦の基本についてまるで学ばなかったのか、あいつ」

 

「……彼が突っ走るのは責任や焦燥もあるのかもしれないね。眷属仲間や友人まで巻き込み、ようやく到来したチャンスを逃すわけにもいかないだろう。それに、ライザー・フェニックスとの戦いは最終的には己の力で勝利できたんだ。知らず知らずのうちに付いた自信が行動に現れているのだろうさ」

 

 一度は完膚なきまでに敗北した相手に、代償を支払いながらも勝利する。成程、それなりに達成感のあることだろう。自分の努力と決断が身を結んだと感じ入ることもあるだろう。

 

 ――しかし、それは紛い物だ

 

 ライザーを打ち倒した『赤龍帝の鎧』は急ごしらえの仮初の力。更には、終盤の展開もライザーの慢心と運に助けられ、偶然に勝利を引き寄せただけに過ぎない。

 

 ライザー・フェニックス(有望な上級悪魔)に勝利したから自信を持つ? 違うだろう。一生抱えていくほどの重い代償を払わねば勝てなかったのだと己を戒めなければならない。

 戦う相手が、どいつもこいつも慢心と油断をする輩だとは限らない。故に、知恵を振り絞り、策を編み、工夫を重ねる必要があるのだ。偶然の勝利の価値などたかが知れている。真に価値があるのは、必然の勝利だ。

 

 

「――で、最後はあの白髪ロリか」

 

「戦闘スタイルは、殴って殴られての典型的なパワーファイターか。………普通に無理があるね」

 

 パワーファイターの戦いとは、特に身体能力や体格の差が出やすい。あの『戦車(ルーク)』の種族は猫又の中でも上位のものだが、その特長は術方面にある。猫ゆえに俊敏ではあるが、耐久性とパワーは心許ない。現状、駒の特性でゴリ押ししているだけだ。

 

「レーティング・ゲームなら、ドラゴンとか、身体能力の高い種族の『戦車(ルーク)』を相手にしたら確実に負けるな。……まあ、種族を抜きにしても、女の身で、しかもあの体格じゃ、今の戦い方はまるで合ってねえだろ」

 

 怪力を特性として持つ種族ならば、女であろうと真正面から難敵と殴り合うこともできるだろう。しかし、彼女はそういった種族の出身ではないのだ。ならば、術なり道具なり技巧なりといった工夫が必要となることは自明の理。そのことに気づけないようでは、あの『戦車(ルーク)』の成長も遠くないうちに止まることとなるだろう。

 

 

 

グレモリーはそのあたりのことについて気づいていないのだろうか。『(キング)』は眷属の人生を預かる立場なのだから、真剣に眷属のことについて考えを巡らせなければならない。このままでは、冗談抜きで眷属が死ぬ。

 

(まあ、今回は依頼もあるし守ってやるが………はてさて、いつまで生きていられるかね、あいつらは)

 

「―――おっと? 動きがあったな」

 

「ふむ。撤退するはぐれエクソシストを追う心算の者もいるようだが、どうする?」

 

 追跡を選択したのは、エクソシスト二人とグレモリー眷属の『騎士』だ。残りの三名は、事に気づいたグレモリーとソーナに捕まって折檻され、動きが止まっている。

 

「こりゃまずいな、追うぞ」

 

 逃げ出したはぐれエクソシストが向かう先はどこか知らない。拠点に戻るつもりかもしれないし、あるいは拠点を掴ませないために町中を走り回ることもあり得る。前者なら、敵の拠点にて大将たるコカビエルと接敵するだろう。女エクソシストどもがどうなろうと構わないが、グレモリー眷属の『騎士(ナイト)』は依頼上死なせるわけにはいかない。後者の場合では、フリードがご丁寧に人払いの結界を張りながら逃走するとも思えず、民間人にも被害が出かねない。まあ、どちらにせよフォローが必要になるということだ。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 佑斗、ゼノヴィア、イリナの三名は、白髪頭が特徴的なはぐれエクソシスト――フリード・セルゼンを追いかけ続ける。フリードはその手に持つ『天閃の聖剣(セクスカリバー・ラピッドリィ)』のチカラで高めた速度で追跡を逃れようとするものの、そこは速度自慢の『騎士』と聖剣使いに選ばれたエクソシストたちである。決して視界から逃れることを許さない。

 常に聖剣の能力を使っているためにフリードの体力は、追手の三人よりも早く消耗されていく。

 徐々に詰まる距離に三人は一層奮起して足に力を入れる。しばしば飛んでくる、フリードの鬱陶しい罵詈雑言は完全に無視だ。

 

『おい、この万年処女二人組。ふたり揃って刃物持ちながら男を追手恥ずかしくないんですかー!?』

 

『男日照り! 男日照り! 男日照り! 男日照りこじらせて刃物を持ち出すヤンデレさぁん! そんなんだから彼氏の一人もできないんだぜぇ?』

 

『ヒュー、ヒュー! この金髪色男ぉ! 両サイドに可愛い娘ちゃん連れて夜のランデブーなんて羨ましいねぇ! 教会のエクソシストまで誑かすなんて流石の悪魔くんだなぁ!!』

 

―――うざい

 

 追手の三名の心を満たしたのは、ただその一念のみだ。言葉だけでなく、仕草や表情まで動員された挑発は、無視しようと思っていても尚、精神を逆撫でする。

 

そして、殺意が数割増した三名がたどり着いたのは、町の隅にある廃墟。壁の劣化具合などを見るに持ち主の手から離れて久しいようだが、その一方で窓ガラスが一枚たりとも割れていない等、所々に最近修繕された痕跡もある。フリード・セルゼンのバックに控えるコカビエルの指示によるものだろう。

 

「二人共、覚悟はいいか?」

 

 問うまでもない問いを発したゼノヴィアに、しかし、イリナと佑斗は憤激しない。二人も、この廃墟から漂う圧倒的強者の気配を感じ取っているからだ。

 相手は太古から生きる堕天使幹部。たった三人だけの戦力では心許なく、勝算も低い。敗北すれば死ぬだろう。つまりゼノヴィアの問いは、今ならば生きて引き返せるという最終勧告なのだ。

 

「任務を受けたときから決まってるわよ」

 

「チェックまでかけておいて引き下がれるはずないだろう?」

 

 イリナは任務を受けたときから、死ぬ危険性を受け入れていた。佑斗は自身の復讐が何の障害もなく負えられるものと思ったことなど一度としてない。二人共、すでに覚悟は終えていたのである。

 

「愚問だったな。行くぞ!」

 

 

 

「ふん、フリードが助けを求めるから何かと思えば……ただの鼠か」

 

 踏み込んだ建物の中にいたのは、黒髪の男ただ一人。佑斗たちがここまで追ってきたフリードはすでにどこか別の場所へ避難しているようだ。体力を消耗させた今こそが仕留める好機だったので惜しく思うが、すぐさまその念を捨てた。

 眼前にて悠然と佇むのは歴戦の雄コカビエルだ。フリードにかまけて集中を乱せば、数少ない初期を逃すことになる。フリードを仕留め損なったのではなく、コカビエルに集中できるようになったのだと、佑斗は己を鼓舞した。

 

「あなたが堕天使コカビエルね?」

 

「いかにも。そういう諸君らは、エクソシストと悪魔が共闘するとは随分と愉快な面子のようだな」

 

 イリナの問いかけに隠すこともなく、威風堂々とした佇まいで答えるコカビエルから立ち上えるオーラは間違いなく強者のそれだ。コカビエルは一瞬の内に作り出した二振りの光の剣を両手に構える。

 それに応じ、ゼノヴィアは背中に『破壊の聖剣』を、イリナは『擬態の聖剣』を、そして佑斗は『神器』で生み出した魔剣を握る手に力を込めた。

 

「ほう! そこのエクソシストどもは聖剣使いか。俺が教会から奪い取ったのも聖剣、こうして派遣されてきた者の獲物も聖剣。俺はどうやら聖剣とよほど縁があるらしい。堕ちた天使が聖なる剣と縁があるとは、中々気の利いた皮肉だと思わないか?」

 

「ああ―――そうだ、な!」

 

 気合一閃。臆することもなく、距離を詰めたゼノヴィアは渾身の一撃を見舞うが、コカビエルは左手に握った光の剣一本で軽く受け止める。至近距離で睨みつけながら、ゼノヴィアが叫んだ。

 

「だが、お前がどう思っていようと関係ない! ただ聖剣を奪還するのみだ!!」

 

「良い剣だ。迷いがない。が、実力差を弁えない行いは寿命を縮めるぞ?」

 

 左手は防御に塞がっている。しかし、コカビエルは両手に光の剣を握っているのだ。もう一本の剣が、ゼノヴィアの首を断つべく迫る。危険な輝きを放つそれは、あと少しで柔肌を斬り裂けるというところで日本刀の形をした聖剣に受け止められた。

 

「あなたを倒そうとしているのはゼノヴィアだけじゃないの!」

 

 見た目こそ何の変哲もないただの日本刀だが、その実、姿を変えた『擬態の聖剣』である。堕天使幹部の作り出した光の剣は相当な業物なのだろうが、二人のエクソシストが持つ獲物も質では負けていない。

 

「僕のことも忘れてもらっては困る!!」

 

 そこに切り込んで行くのはグレモリー眷属の『騎士』木場佑斗だ。両手で構えた魔剣の特殊能力を発動させた。

 

「魔剣よ! 光を喰らえ!!」

 

 コカビエルの光の剣からは、淡い輝きを持つ珠が一つ、二つと溢れて佑斗の魔剣へと吸い込まれていく。この珠の一つ一つが、剣を構成する光そのもの。光の剣と聖剣が互角だったのは、両者が万全の状態だった時の話だ。こうして、片方の力が落ちていけば、その均衡は容易く崩れる。

 

「ぬぅッ!」

 

 二振りの聖剣が徐々に光の剣にめり込んでいく。しかし、聖剣が切断するよりも早く、分の悪さを見て取ったコカビエルは大きく後方に飛んで一旦距離を取った。

 

「やれやれ……『魔剣創造(ソード・ヴァース)』だったか? 特殊能力・属性を付与した魔剣を自在に生み出す『神 器(セイクリッド・ギア)』。バルパーから話には聞いていたが、予想よりも厄介な代物のようだ」

 

「僕としては、バルパーについて教えて欲しいんだけどね」

 

「ふん。あいつを引き入れたのはただの余興のためだ。重要度は低いが、あいつがいなくてはその余興さえ楽しめん。お前たちがその余興の代わりとして楽しませてくれるのなら、教えてやっても構わないが?」

 

 戦意を新たに、コカビエルは光の剣を再構築する。光を喰らう魔剣が有効打に成りうることはわかったが、それはコカビエルも同様のはずだ。歴戦の烈士を相手に二度も三度も同じ手が通用するとは思えない。

 

(ならば!)

 

「ほう」

 

 これで正しいのか。湧き上がる疑問を押し殺して佑斗は手に持つ魔剣を、闇を喰らう魔剣から風を操る魔剣へと作り替えた。火や氷を操る魔剣で攻撃力を重視する選択もあったが、佑斗の防御力は皆無であり、一度でもコカビエルの剣で斬りつけられればリタイアしてしまう。だからこその回避重視、速度重視の魔剣の選択だ。

 それを見たコカビエルの感嘆の息はフェイクか、それとも本心からのものか。前者ならば、佑斗たちを上回る力を持ちながらも策を巡らす侮りがたい相手だ。後者ならば、悠長に相対する剣士を評価するだけの余裕があることになる。

 どちらにせよ、難敵であることに変わりはない。佑斗が気を一層引き締め対峙するコカビエルのその背後から、二人のエクソシストが斬りかかる。

 

「呑気に話しているところ悪いけど!」

 

「戦いの最中だ! まさか卑怯とは言うまいな!!」

 

 コカビエルは聖剣の振り返ることもなく受け止める。光の剣でではない。その背中から生える漆黒の翼でだ。「ふんっ!」とコカビエルは気合の篭った声を漏らし、黒翼が激しく動き聖剣と共にその持ち主までをも弾き飛ばす。

 

「そんなことは言わんさ。なぜならば、お前たちごときが何をしたところで、俺に傷一つつけることさえできんのだからなぁ……!」

 

「……ッ!」

 

 石畳を砕くほどの力強い踏み込み。振り下ろされる光の剣を魔剣で受け止めるが、一瞬で罅が出来、そのまま広がっていく。力を込めて弾こうとすれば、それよりも早く剣が限界を迎えて砕けることだろう。

 圧倒的な自力の差だ。獲物を同じように『創って』いるというのに、その強度には目に見える差がある。さらに身体能力も隔絶している。技術ではどうにもできないだけの開きが、佑斗とコカビエルの間にはあった。

 

「はあぁッ!!」

 

 魔剣が砕け、胴を切り裂かれる直前に、魔剣の能力を発動。コントロールを完全に度外視し、威力を高めた。一瞬のうちに魔剣を暴風が包み込み、次の瞬間には炸裂させる。上下左右全方向に向かって流れる強風に佑斗は全身を打ち据えられ、後方に大きく距離を取った(吹き飛ばされた)

 あと一歩のところで死んでいた。その事実が巨大なプレッシャーとなってのし掛かり、背中にじっとりとした気持ちの悪い汗をかく。

 あれだけの暴風を、佑斗と同じく間近で受けながらも、佑斗とは違いその場に踏み留まったコカビエル。その判断の成否はともかくとして、佑斗にはできないことを容易くやってのける堕天使の幹部の実力には舌を巻く。

 

「ふははははっ! どうした!? 三人がかりでその程度か? ……俺が多少やる気になった程度で死にかける。拍子抜けもいいところだ」

 

 コカビエルは背中越しに、後方に視線を向ける。二人のエクソシストが聖剣を構えているが、そのどちらもが佑斗と同じように力の差を感じ取っているようだった。

 次にコカビエルがどう動くのか。それに自身は対応することができるのか。そうした不安が佑斗の剣気を鈍らせる。

 新たに創造した魔剣を握る際に感じた手の汗が不安から目を逸らすことを許さないかのようだ。

 

「また魔剣の種類が変わったな。次は何だ。火か水か、それとも雷か。何であろうと掛かってこい、格の違いというものを教え込んでやる」

 

 ただし、とコカビエルは続きを口にする。それを言葉にするのが心底愉しいと言わんばかりの凶悪な笑みを添えながら。

 

「掛かってこれるかは知らないがな?」

 

 コカビエルは黒翼を羽ばたかせて、一瞬のうちに中空へと上昇する。その身から、ゼノヴィアとイリナの持つ聖剣が可愛らしく思える程の光力を発すると、宙に数十にも及ぶ槍を創り出した。穂先を佑斗たちへと向けている、二メートルを優に超す長槍の全てが、コカビエルの号令に従って降り注ぐ。

 

「これに耐えられるものなら、耐えてみせろぉッ!!」

 

 ゼノヴィアは幅広の刃を持つ『破壊の聖剣』を盾のように構え、イリナは槍の数々を迎撃せんと日本刀へと変じた『擬態の聖剣』を握り、佑斗は一瞬のうちに創り上げた無数の魔剣を周囲に展開して即席の壁とした。

 

 三者三様の対応を見せる剣士たちと、彼らを試すように槍を降らせる堕天使の幹部。この四名を監視するかのように赤い瞳を向ける、小さな妖怪に気づく者は誰ひとりとしていなかった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「…………まずいな」

 

 廃墟へと侵入させた管狐の一匹と視覚を共有するために、両目を閉じているグラナが唸った。

 

「状況は?」

 

「コカビエルがマジになり始めた。今は何とか凌いでるが、遠くない内に死人が出る」

 

 ここまでは三名でも、手加減したコカビエルとぎりぎり戦えるといった具合だったのだ。ならばコカビエルが本気になれば、戦況は悪化の一途を辿るのが自然な流れである。エクソシストたちはどうなっても構わないが、グレモリー眷属の『騎士』を死なせるわけにはいかない。監視はここで中断だ。

 

「エレイン、この距離で俺の指示する場所に正確に撃ち込めるな?」

 

「当然」

 

 心強い返答だった。彼女のことを信頼していなかったわけではないが、やはり応えてもらうと感じ入るものがあった。

 グラナは口元を薄く歪め、右目の視界を自身のものに戻してから開いた。左目は今も閉じたまま、管狐のものと繋がっている。

 

「目標はあの廃墟の中、正面入り口から右に三メートル、奥に十三メートル、地上約十メートルに滞空するコカビエル。ただし、建物の中には攻撃対象だけじゃなく、保護対象もいる。金髪ナイト(木場佑斗)に当たることを避けるために攻撃の軌道として接地地点は廃墟を貫通した先にしろ」

 

「了解だ―――ブラッド・アロー」

 

 エレインの足元から湧き出した、赤黒い液体がボコボコと気泡を発しながらその形を変えていく。重力に逆らい、柱として屹立したかと思えば、滞空する球体となる。色合いと感じ取れる悍ましい雰囲気を除けば、まるで風船のようなそれがエレインを囲むようにして幾つも出来上がった。

 変化はそこで終わらない。それぞれの球体が内部から爆発するかのように弾け、飛沫がそれぞれ集まり直して百を超える矢と化した。

 矢尻の向けられた先は、グラナが指示し、今も指で示す方向。下手に広範囲に矢を放っては保護対象に直撃するだけでなく、廃墟が倒壊する恐れまである。これだけの矢が殺到すれば、廃墟の壁の一部は確実に崩れるだろう。保護対象がその瓦礫に押しつぶされてしまうことも考えられた。

 

「ならば、瓦礫が粉微塵になるほどの密度で矢を放てばいいだけだ」

 

 ヒュヒュヒュヒュヒュヒュン! 機関銃もかくやと言う連射速度と密度で放たれた矢の群れが小気味の良い風切り音を鳴らして飛翔していく。

 夜目の利く吸血鬼と悪魔あの瞳は、この暗い夜の中であっても正確に矢の軌道を追うことができる。微かに弧を描くような軌道の矢の群れが、狙い通りの一の壁を貫いたことを確認した。

 

「グラナ、結果は?」

 

 この距離からではさすがに内部を目視することは敵わない。エレインは、今も廃墟の中を観察するために左目を閉じたグラナに結果の確認を願う。

 

「さすがだな、成功だぜ。コカビエルにはギリギリで回避されたけど、伏兵の存在を警戒してるみたいだ。―――出てくるぞ!」

 

 次の瞬間、廃墟の壁の一角が吹き飛び、粉塵の中からコカビエルがその姿を現した。両手に持った光の剣で壁面を斬ったのだろうが、もう少しスマートにできなかったのだろうか。正確無比な狙撃の後では、コカビエルの行為は酷くお粗末だ。

 

「エレイン、もう一発攻撃だ。あぁ、矢の本数は減らしていいぞ?」

 

「わかっているさ。あの廃墟から引き剥がすために、私たちの位置を教えることが目的なんだろう?」

 

 グラナは一つ頷き、立ち上がる。すでに廃墟の内部を観察する意義は薄れたが、保護対象が安全圏に非難するまでは油断できない。管狐を佑斗に張り付かせ、その行動を観察する。

 

「そらっ、来たぞ!」

 

 二度目の攻撃で二人の正確な位置を把握したコカビエルは、迷うことなく向かってくる。人払いの結界を張っているからいいいものの、あれほどの殺気と光力を人間の町中の野外で発するとは、あまりに常識外れな行いだ。情報通り(・・・・)、この一件はコカビエルの独断だということを確認できたことは僥倖である。

 

「一旦退くぞ!」

 

 グラナとエレインはコカビエルのいる位置とは逆の方向を目指して走る。グラナは人払いの結界はもちろんとして、光の剣を携えて宙を飛ぶ成人男性の姿や赤黒い矢が見えないように幻術系の結界、音も漏れないように遮音結界まで広範囲に展開。その上、佑斗の行動を監視するために左目の視界を管狐とリンクさせつつ逃走する、五つの作業の同時進行である。

 

 だが、ただ逃げているだけでは、コカビエルの戦意と興味が消えてしまうかもしれない。せめて、佑斗が避難したことを確認するまでは引きつけておく必要がある。

 

 グラナが並列作業へと集中するために、コカビエルの注意を引きつける。それがエレインの役割だ。矢を作り出してはコカビエルに向けて発射する。弾かれようとも、躱されようとも、残弾が無限であるかのように次々に矢を作っては放つことの繰り返しだ。

 

「グラナ、木場佑斗の動きはどうだ!?」

 

「エクソシスト組共々無事みたいだ。いくらか怪我してるが、体力さえ回復すりゃ戦闘可能だろうな――っと、危ねえ」

 

 グラナは一際強く地面を蹴り、大きく跳躍。一瞬前までいた場所を、コカビエルの放った光の槍が崩す。逃げる二人目掛けて更なる槍が飛んでくるが、グラナはその悉くを躱し、エレインは赤黒い矢を放って宙で衝突させる。

 悪魔の駆ける地上には粉塵が舞い、堕天使の飛翔する空には砕けた槍と矢が破片となって四方へ散っていく。

 

「一応、聞いておくがここでコカビエルを殺しては駄目なんだろう?」

 

「ああ。俺たちがシメるとしたらもっとギリギリの状況になってからだな。ここでは金髪ナイトたちの撤退を稼ぐだけだ」

 

「ッ忌々しいな。この距離では加減が難しいぞ。弱すぎれば槍を防ぐこともできず、強すぎればコカビエルを殺してしまいかねない」

 

 苛立ちを隠そうともしないエレインの物言いを、グラナは責めない。遥か格下相手に気を遣ってちまちまとした攻防を続けるというのはストレスが溜まる作業であるとグラナもわかっているからだ。

 

「そこは、ほら、……なんとかしてくれ」

 

「丸投げなのか」

 

 ジト目で睨まれたグラナは肩を竦めて弁明する。

 

「俺、今も結界やらなにやらを同時展開してるんだから、攻防はお前に任せていいだろ?」

 

「それは理解しているがね……。それでも、丸投げされては文句の一つも言いたくもなる」

 

「コカビエルの飛行速度と金髪ナイトの現在位置から考えて、それもあと二分……いや、一分の辛抱だ。何とか()たせろ」

 

「やれやれ、……眷属使いの荒い王様だ!」

 

 焦らしを切らしたのだろう。コカビエルは光力を複数に分けるのではなく、一つに集中させて巨大な槍を創り、これまで放たれた槍の中での最速をはるかに凌駕する速度で投擲した。

 対するエレインは周囲に展開させていた矢の群れを一箇所に集中。個体から液体に変えて一つの塊にし、そこから再度個体にする中で形状を変化。そうして創りあげられた全長三メートルを超える、禍々しい両刃の大剣を操り、光の大槍を真っ向から迎え撃つ。

 

 拮抗は一瞬。これまでの鬱憤の全てをぶち撒けるように、全力を込められた赤き大剣が光の大槍を斬り裂く。槍の断面から罅が広がっていき、遂には空中で木っ端微塵となった。

 

「はっ! どんなものだ。あの程度、全力を出せば私の敵ではない」

 

「今のでさらにコカビエルの戦意が滾ってきたみてえだけどな」

 

 空を舞う堕天使幹部はさらに光力を撒き散らす。コカビエルは戦争狂として一部では有名だが、戦争狂ならば戦闘を好むのも道理である。未熟なエクソシストと半端な悪魔相手に鬱憤が溜まっていたところに実力者が湧いて出れば、成程、興奮もするだろう。

 

「やれやれ……本当に面倒な手合いだ」

 

 嘆息と苛立ちの入り混じる声にグラナは同感だと首肯を返す。逃走劇はもう少しばかり続きそうだった。

 

 

 




 イッセーたちがフリードと激突。それをグラナとエレインは観戦と解説。
               ↓
 木場とゼノヴィアとイリナが逃亡するフリードを追いかける。グラナとエレインも追いかける。
               ↓
 三人はコカビエルと接敵、奮戦するも大ピンチ。エレインが遠距離攻撃にて横やりを入れて注意を引き付ける。
               ↓
 三人は辛くも撤退に成功する。エレインとグラナは逃走劇に身を投じる。
 

 最後の部分は原作改編でございますね。イリナは大けがを負わずに、コカビエルとの最終決戦に向かう模様。
 どのような結末を迎えるのかは皆さまのご想像にお任せします。


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5話 ソーナたんは苦労人

 投稿遅れてマジですいません!!
 いや、マジでレポートとかいろいろパナかったんすわ~~



 ………言い訳ですね。他の二次小説読み漁ってましたし、感想とかも普通に送ってたし。
 戦犯は私でした!!!


「エレイン、そっちは終わったか?」

 

 耳元に通信用の魔方陣を展開して問いかける。

 

『いや、まだだよ。なにせ、あれだけ派手に街中で暴れ回ったんだからね。破損個所の規模が馬鹿にならない。君のほうもまだ終わっていないんだろう?』

 

「ああ。俺、エレイン、それと城から呼び寄せたメイド長のアマエル。眷属・使用人を三チームに分けてそれぞれが指揮して町の修繕を行うっつってもなぁ……」

 

 ――単純に数が足りない。

 

 使用人は八十名弱。だが、偶然でもコカビエルと遭遇すれば戦闘になる可能性を考えれば、この町に呼ぶ者は戦闘のできる者に限られる。また、城の管理等の仕事を滞らせるわけにもいかないので、動かせる人員には更に制限がかかる。

 そういった背景から、現在、この町に来ている俺に仕える使用人は僅か二十名ほど。そこにエレイン、ルル、レイラの眷属三名と俺自身を含めても三十にさえ届かない。

 個々の能力が高いと言えど、町の修復と言う人海戦術が適切な事案を前にしては、そうそう事が上手く運ばないのだ。

 

「これ、コカビエルとの戦いまでには終わらんかもな」

 

 先刻、グレモリーに張り付かせていた管狐から、あの逃走劇の後、コカビエルが赤龍帝の家に赴き宣戦を布告したという情報を得た。なぜ、グレモリーが眷属の家に泊まり込んでいるのかという疑問はこの際無視する。あのじゃじゃ馬のやることなのだから、どうせ碌でもない理由があるだろう。

 そして、その少し後にはソーナからも同じ情報と共に、彼女らが取る作戦内容も伝えられた。シトリー眷属とグレモリー眷属の二チームに分かれ、前者は戦域に結界を張ることで周辺に被害を出さないようにし、後者がコカビエルの打倒を目指す。まあ、グレモリー眷属が堕天使幹部に勝てるとは到底思えないので、彼女らが窮地に陥ったところで、俺たちが助け舟を出す形となるはずだ。

 

『それならそれで、後回しにするしかないんじゃないか。コカビエル程度なら、私かルルか君一人でも打倒可能なのだし、手早く終わらせて修繕作業を再開という形になるだろう』

 

「コカビエルは駒王学園の校庭を戦場に指定したそうだが、戦闘に荒れた校庭の修繕にまで駆り出されたりしないよな……」

 

 ――町の修繕と合わせれば、普通に徹夜する羽目になりそうなのだが。

 

 言葉には出すことのなかった陰鬱な思いはエレインに伝わったようで、彼女の声も暗いものだった。

 

『あー、うん……。町の修繕があるのだと事情を話せば大丈夫、だと信じているよ』

 

「そこは断言してほしかったなぁ」

 

『あのリアス・グレモリーにまともに話が通じるとでも? ……最悪の場合は、責任感の強いソーナ・シトリーに学園のほうは丸投げすればいいさ』

 

 こうして、本人の与り知らぬところで、勝手にソーナの肩の荷が増えるのだった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 場所は駒王学園生徒会室。会長、副会長、書記、会計、庶務など、生徒会役員はそれぞれの席に座っていた。

 生徒会唯一の男子生徒である匙は、座り心地が悪そうに何度か体を揺すっているが、そのことについて誰も言及しない。友人に頼まれたからとはいえ、『(キング)』の命令に逆らうことは言うまでもなく問題であるし、その罰として課せられた尻叩き千回を知っている面々は下手に声をかけては精神的な苦痛を与えるだけだと理解しているのだ。

 

 

 緊張に震えそうになる手を、ソーナ・シトリーは眷属たちにバレないように隠す。堕天使幹部との争いを前にして、眷属たちも、恐怖を感じているし、緊張を覚えているのだ。

 ここで、『(キング)』たるソーナまでもが、緊張していることを知れば、彼らの不安を増長させることになる。

 怖いし、不安だし、緊張している。だからこそ、平常通りの行動を取って、眷属たちを少しでも安心させる。それもまた、『(キング)』の役目だ。

 

「私たちの役割について、改めて説明します。私たちシトリー眷属は、リアス率いるグレモリー眷属がコカビエルと交戦する際、その被害が周囲に広がらないよう、周辺住民に争いのことを知らせないように戦域を結界で囲むこととなります」

 

 椿姫、と『女王(クイーン)』に声をかけ、取り出した学園の地図をホワイトボードに張らせた。

地図には、学園を取り囲む大きな円と、その外側にいくつもの小さな点が書き込まれている。

 

「この地図を見てください。円が結界、円の外側に沿うようにしていくつもある点は、結界を維持する術者――つまり私たちのそれぞれの配置です。点の下か横には名前が担当の子の名前が記されているので各々確認してください」

 

 結界の強度を均一に保つために、術者の間隔はばらつきがある。これは、個々人によって魔術を得意不得意といった違いがあることに起因している。得意な者の担当範囲を広く、反対に苦手な者の範囲は少なくといった具合にだ。また、魔術の苦手な者の隣には『僧侶(ビショップ)』を配置するなど、少しでも結界の状態を最善に保てるような工夫にも気を回した。

 

 もちろん、だからと言って安心も油断もできない。

 

 相手は歴戦の猛者なのだ。準備はいくらしても足りないほどであり、そもそも格上相手に、安心や油断など慢心を通り越して馬鹿以外の何物でもなく、そんなものをする者に『(キング)』たる資格はない。

 

「―――何か質問はありますか?」

 

 見回す中で、一人挙手する者がいた。眷属の中で唯一の男であり、一番の新人でもある。実力は低く、頭の出来も良いとは決して言えないが、欠点を補うだけの努力家な一面を持っており、眷属の女性陣からは好感的に思われている少年だ。

 彼の顔は緊張によってこわばり青白くなっている。匙、とその名を呼び、答えを促す。

 

「会長、こういうこと訊いちゃいけないんだとわかってるんですけど………勝てるんでしょうか?」

 

 勝てるかどうかわからないと言い換えることのできる質問だ。プライドの高い上級悪魔なら、叱責するところだろう。だが、ソーナにそんな気はまるでなかった。

 

ヒトは誰しも、心の中に弱さを持っている。苦境に立った時に、他者に答えを求めてしまうのは、心の拠り所を求めての行為だ。経験の浅い匙ならば、『上級悪魔』であり『魔王の妹』でもあるソーナのことを、無根拠に信じてしまってもおかしくない。

 だが、匙は問うた。コカビエル相手に勝算はあるのか、と。

 それはつまり、匙が無根拠に主を信じて答えを委ねるのではなく、自身で考えを導いた結果だ。己の中の不安や恐怖と向き合い、そこから逃げることのなかった成果だ。

 

(……責めるわけにはいきませんね)

 

 さりとて、強敵を前に気を緩ませるわけにもいかない。緩みそうになる口元をきつく結び、努めて冷静に振舞う。

 

「正直、数千年を生きる堕天使の幹部を相手に、私たちシトリー眷属とグレモリー眷属が勝てる可能性は限りなく低いと思っています」

 

 匙だけでなく、顔を更に青くする眷属一堂に向かって、ですが、と続ける。

 

「私たちが勝てなかったときのために保険を用意してあります」

 

 椿姫、と『女王《クイーン》』の名を呼び、エクソシスト二名と邂逅したときの――ひいてはグラナとの会話のことを説明させた。

 

「グラナの実力は若手悪魔最強と言われています。また、その戦略眼も確かなもの。物事の判断にシビアな彼が、勝てると言ったのですから勝てるのでしょう」

 

 実戦では判断を誤れば死ぬのだ。無数の修羅場を潜り抜けてきた実績が、グラナの判断力の高さを証明している。

 

「え、っと、ちなみにグラナさ……まの強さってどれくらいなんですか?」

 

 呼び方に戸惑いつつの遠慮がちな問いに、ソーナは自嘲気に嗤って答えた。

 

「数年前の話ですが……私と彼が模擬戦をした際に、彼は一歩も動かずに、無傷で十秒以内に勝負を決めたくらいです」

 

『………はい?』

 

 眷属たちも、グラナのことを侮っていたわけではないだろう。だが、それでも、予想の遥か上を飛んでいく答えに漏れた呟きに、ソーナは更なる追撃を加える。

 

「ちなみに当時の私は悔しさのあまり何度も再戦を申し込み……結果、五戦してすべてが同じ結果に終わりました」

 

 数年前の時点でそれ(・・)なのだ。現在ではさらに高まっているだろうグラナの実力には、全幅の信頼を置いていい。

 そう言うと、目に見えて安心した眷属たち。その光景を見て、ソーナも安堵の息を吐く。

 

 

 

 

 




 次話からはついにコカビエルとの本戦を迎えることになりますね。
 コカビーさんの死に様はすでに決まってるのですが、それだけでは味気ないので、グレモリー眷属には奮闘(笑)をしてもらおうと考えています。

 もしよかったら、コカビーさんの死に様を予想して感想に送ってくれてもよろしくてよ?


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6話 グレモリー眷属の死闘 First

 あ~、最近は本当に暑いですね。朝なんて寝苦しくて無駄に早起きしちゃって、睡眠不足に陥るくらいですよ。おかげで大学の講義で居眠り連発……期末試験近いから、これはヤバい。



 場所は駒王学園前。日はすでに沈み、辺りは夜の帳に閉ざされている。昼間とは一風変わった雰囲気を醸し出す学園は、巨大な結界で覆われていた。それもその筈、今日これから、グレモリー眷属は堕天使幹部が一角たるコカビエルと交戦するのだから、その被害を出さないためにシトリー眷属が結界を張り、サポートに徹しているのだ。

 

 理解していたこととはいえ、こうして”戦う準備”の整った学園を見ると緊張を抑えきれない。グレモリー眷属の『兵士』兵藤一誠は顔が強張るのを自覚する。

 

 先刻、兵藤家にまで宣戦布告をしに来たコカビエルを見た際のプレッシャーには圧倒された。これまで堕天使幹部と聞いても、どうにもピンとこなかった強さをようやく察したのだ。

 自身は最強の赤龍帝を宿している転生悪魔であり、つい先日にも上級悪魔の一人であるライザー・フェニックスを打倒した。そのせいで、我知らずのうちに調子に乗っていたのかもしれない。

 早い話が慢心していた。油断していた。レイナーレのときのように、ライザーのときのように、心のどこかでは”どうにかなるだろう”と楽観視してしまっていた。

 

 死線を前にして、そのことをどうしようもない程に理解させられる。

どうして、もっと努力してこなかったのだと後悔する。

ここで死ぬのかもしれないと恐怖を覚える。

絶望的な戦いを前にして緊張は増すばかりだ。

頼りになる仲間たちを見回してみても、それは変わらない。むしろ、尊敬する先輩方までもが、緊張を隠せていないことを感じ取り、己の中の不安が肥大化していった。

 

「部長、あいつに――コカビエルに勝てるんですか……?」

 

「イッセー、勝てるかどうかじゃないの。私はこの町を治めるリアス・グレモリー、あなたはその眷属。勝たなければいけないのよ、この町の平穏を守るためにね」

 

 そう言ってリアスは微笑む。その笑みは、常日頃彼女が浮かべている自身に溢れたものではなく、不安と緊張に彩られた歪なものだった。

 それを見て、一誠は後悔に囚われる。

公爵家次期当主であろうと、魔王の妹であろうと、上級悪魔の一人であろうとも、リアス・グレモリーは一人の少女なのだ。神話に記される、遥か格上の敵との戦いを前に恐怖を覚えないわけがない。そんなことにも気づけずに、あまつさえ甘えてしまうなど、男として恰好悪すぎるではないか。

 

 

「部長、魔王様に連絡を入れましたわ。援軍は一時間後に到着するそうです」

 

 一誠が陰鬱とした気分に沈む中、鈴の音のような声が響く。

声の聞こえてきた方向へと目を向けると、そこに立っていたのは予想に違わない女性だ。夜空のように深い黑髪を頭の後ろで一つに束ね、男を誘惑するような凹凸に富んだ肢体を学園の制服に包んだ『女王』。彼女のトレードマークとも言える優し気な笑みは影を潜め、その顔つきは真剣そのもの、『女王』の名に相応しいものだった。

 

「朱乃! あなた、どうしてそんな勝手なことを!?」

 

「リアス、事態はもう私たち若手悪魔の手に負える段階じゃないわ。魔王様に迷惑をかけたくないあなたの気持ちもわかるけど、応援を要請すべきよ」

 

 目をきつく閉じ、唇を固く引き結んだ『(キング)』の心境は如何なるものか。

 そのままの状態で数秒経ち、目を再度開いたリアスが大きく息をついた。

 

「………ありがとう、朱乃。冷静じゃなくなっていたわ」

 

「はい、部長」

 

 誇り高い『(キング)』と、それを支える『女王(クイーン)』。上級悪魔となり眷属を持つことを夢見る身として、一誠はその光景に憧れた。忘れるまいと目に焼き付ける。

 

「敵は堕天使幹部コカビエル。その力は強力無比、けれど全く抵抗できないわけじゃないわ。魔王様が来るまで持ちこたえてあげましょう、私の可愛い下僕たち!!」

 

『はいっ!!』

 

 『女王』姫島朱乃、『戦車』塔上小猫、『僧侶』アーシア・アルジェント、そして『兵士』兵藤一誠。この場に集った、リアス・グレモリーの眷属は声をそろえて返事をして気合を入れる。

 

 不安はある。恐怖もある。けれど、仲間がいれば前に進めるのだ。

 

「リアス、任せましたよ」

 

「ソーナ、お互いに頑張りましょう」

 

 協力し合う『(キング)』同士が激励を交わす。それは配下たちも同様だった。

 

「兵藤、一発かましてやれよ!」

 

「おう! 匙、任せとけ!!」

 

 一誠はほぼ同時期にシトリー眷属入りを果たした匙と、朱乃、小猫、アーシアもそれぞれが交友のあるシトリー眷属と言葉を交わし、固めた決意を胸に、コカビエルの待つ戦場(校庭)へと向かう。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「ふはははは! よく来たな、グレモリー眷属の諸君。リアス・グレモリー嬢、貴様の紅髪は忌々しい兄君を思い出させてくれるよ」

 

 遥か上空にて、椅子に座って悠然とグレモリー眷属を見下ろす黒髪の男。彼が発する圧は、一誠が左腕を犠牲してようやく勝利できたライザーを軽く超えていた。

 その威圧を一誠だけでなく、リアスも感じていたはずだ。けれど、彼女は臆することなく、コカビエルを睨みつけて宣言する。

 

「御機嫌よう、堕天使幹部の一人コカビエル。私たちが来たからには、あなたの悪事もこれまでよ。――グレモリー公爵家の名において、消し飛ばしてあげるわ!!」

 

「ふふん、それができるかどうか、まずは試してやるとしようか」

 

 パチン、とコカビエルが指を鳴らすと校庭にいくつもの魔方陣が展開され、そこから三つ首の魔犬が這い出してきた。

 

「俺のペットたちだ。可愛がってくれ」

 

「ケルベロス! なんてものを人間界に持ち込むの!?」

 

 三つ首の魔犬――ケルベロスは有名だ。昨今ではゲームや漫画などにも頻繁に取り上げられ、一誠も何度か耳にしたことがある。

 召喚されたケルベロスは五頭。この場にいるグレモリー眷属は、リアス、朱乃、小猫、アーシア、一誠の五名で、数ならば互角ではあるのだが、アーシアは回復専門の非戦闘員だ。よって数で劣ると考えても良いだろう。

 そしてこのケルベロスたちを打倒した先にこそ、本来の目的たるコカビエルがいるのだ。ケルベロスとの戦闘で消耗した状態で、圧倒的強者たるコカビエルに勝てるのか、不安は尽きない。

 

「ぅわっと!? 危ねえ!?」

 

 ファイティングポーズを取り、出方を窺っていた一誠を目がけて放たれる火炎ブレス。前もって警戒していたために躱せたが、消し炭になっていただろう熱量である。熱せられたことと、死の危険を感じたことで額には汗が浮かぶ一誠に、主からの指示が届く。

 

「イッセー、あなたは一旦下がってアーシアを守っていて頂戴! その間に力を倍加して譲渡の準備もお願い!」

 

「――了解です!!」

 

 敵の脅威に怯えている暇はない。回復役のアーシアは戦闘において重要な反面、本人に戦闘能力がないことから狙われやすい。ならば、誰かが守らねばならない。その使命を、リアスは一斉に託したのだ。その期待に背きたくない、応えたい。

 

 アーシアを手振りで下がらせ、すぐに一誠も追いつく。一旦下がったことで戦場全体を見渡せるようになり、すかさず状況を確認していった。

 

 まず唯一の前衛となった小猫。彼女はその身に宿した『戦車(ルーク)』の駒の特性をフルに発揮して、ケルベロスと真っ向から肉弾戦を演じている。

 火炎を躱し、爪牙を受け止め、お返しとばかりに殴りつける。小猫の拳は、体格差を覆してケルベロスを大きくのけぞらせていた。一発一発のダメージが大きく、高い防御力と合わさって直に決着はつくはずだ。

 

 次に『雷の巫女』の二つ名を与えられる朱乃。彼女はその二つ名の通りに、幾条もの雷を操っている。生体によく通る雷は、毛皮、筋肉、骨に至るまで損傷させる。痺れて動きの鈍ったケルベロスに、サディスト全開の笑みを浮かべた朱乃は追撃を繰り返す。朱乃の笑顔が怖いことを除けば何の問題もない。

 

 最後に、オカルト研究部の部長にして『(キング)』のリアスだ。彼女の戦闘スタイルは『滅び』の魔力をぶっ放すという、雷で遠距離攻撃する朱乃と似通ったものがある。スタイルが近く、実力もほぼ同等ならば、結果も同じようになるのが道理だ。リアスも朱乃同様に、ケルベロスの爪牙の届かない一から攻撃を仕掛けて終始、有利に戦いを進めていく。

 

 仲間たちの状況を把握した、一誠は拳を握る。自身とアーシアの元へと向かってくるケルベロスの姿を見つけたからだ。

 

「アーシア、心配するな。俺が絶対に守ってやるから」

 

「……イッセーさん」

 

 今の一誠は、アーシアの前に背を向けて立っているので、彼女の顔を見ることはできない。だが、か細く震えた声から、不安げな顔をしているだろうが理解できる。

 その曇った顔を晴らすのが一誠の役割だ。仲間たちの奮戦を前にして、滾ることがなければ、それは最早兵藤一誠ではない。

 

『Boost!』

 

 左腕に装着した『赤龍帝の籠手』が倍加を告げる。今、その効果を発揮させたところで、自力の低い一誠では、ケルベロスを打倒できない。

 

 ――だから、躱す。

 

『Boost!』

 

 躱して躱して躱し続け、その中で倍加の効果を溜め続けていく。

 

『Boost!』

 

一度でも攻撃をするか、あるいは当てられてしまえば解除されてしまうだけに精神をすり減らしながらの作戦だが、その実りは大きい。

 

「朱乃さん! 部長! いつでも譲渡いけます!!」

 

『Transfer!』

 

 飛んで近づいてくる二人に、手を触れて『譲渡』の力を行使した。一誠は体から力がごっそりと抜ける感覚に襲われる一方で、朱乃とリアスの纏うオーラは一回り以上も強力な物へと変化する。

 

「これなら――」

 

「いけますわ!」

 

 譲渡を終えた二人から感じられる魔力は、あのライザーを遥かに上回っており、頼もしい。

その信頼に応えるかのように、リアスの放つ滅びの魔力が、ケルベロスの頭の一つを丸ごと消し飛ばす。

 それに続いて朱乃の指先から放たれる、極太の雷はケルベロスの全身を打ち据えて、黒焦げにした。

 

 これで二頭。残り三頭の内の一頭は、今も小猫が相手をしており、朱乃はその援護に向かう。リアスは一誠の正面にいるケルベロスを相手取り、最後の一頭の居場所はどこだと視線を巡らせて気づく。

 

「アーシア!!」

 

 後方に下がらせたアーシアの更に後ろに最後の一頭は立っていた。一誠が正面のケルベロスを相手取り、朱乃とリアスの二人に譲渡する隙に回り込まれていたのだろう。

 今になってようやく気付き、沸き上がる後悔の念を打ち捨てて、アーシアの元へ向かおうとし、新たな頼もしい三つの人影が目に入った。

 

「木場!」

 

「イッセーくん、遅くなって悪かったね」

 

 爽やかに微笑みながらも、グレモリー眷属が誇る『騎士(ナイト)』の剣閃が煌めく。神器の力で作り出した魔剣を以って、佑斗はケルベロスの体を大きく斬りつけ怯ませた。

 

「イッセーくん、私もいるんだからね!」

 

「イリナ!」

 

 二人目は、一誠の幼馴染にして『擬態の聖剣(エクスカリバー・ミミック)』を教会のエクソシスト。彼女は、自身の腕にリボン状にして巻き付けていた聖剣を日本刀へと変じさせて、ケルベロスの脚を斬り裂き動きを止める。

 

 ズガァァァアアアアアアアアアアアアアアン!

 

 三人目の登場は、豪快な破壊音を伴ってのものだった。青髪の中に一房だけ緑色のメッシュを入れた、イリナと同じ教会のエクソシスト。

 

「ふふ、赤龍帝。私のことも忘れてもらっては困るな」

 

「ゼノヴィアも!」

 

 『破壊の聖剣(エクスカリバー・デストラクション)』の使い手たる彼女の攻撃力は凄まじく、動きの止まったケルベロスは、たった一撃で仕留められ、地面にまで威力が伝わったらしく大きなクレーターが生まれていた。

 

「数時間前に拠点に来ていた三人組か。貴様らの底は知れている、わざわざ俺が相手をしてやるまでもない。―――フリード!!」

 

 コカビエルが声を張り上げると、近くに待機していたらしいフリードが聖剣を片手に、へらへらと笑いながら歩み出た。

 

「へい、コカビエルの旦那! あの三人は、俺が料理しちゃっていいんですかい?」

 

「ああ。俺には、別の楽しみがあるからな。あの二人組が現れるまでは、お前たちの戦いを見て時間を潰すこととする」

 

 

 

 

 グレモリー眷属には、佑斗、ゼノヴィア、イリナの三名が、コカビエルの戦力にはフリードが追加される。

 第二ラウンドの始まりは互いの戦力の増加、それはここから先の戦いが更に激化していくことを予期させた。

 

 

 

 




 ふええええええん!! 大人数の戦闘描写の書き方がわからないよぉおおおお!!!
 妥協してこんな感じになっちゃったけど、その内改稿して質を高めます!!


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7話 グレモリー眷属の死闘 Second

 はい、皆さん、約一週間ぶりですね。ご無沙汰しております。
 さんざん愚痴りまくってたレポート課題三つの内、すでに二つは終えました。まあ、写真の添付を忘れたりして焦ることもありましたが、色々達観してというか……諦観してというか、疲れちゃったのでもういいかなっていう心境です。

 私の心境はさておき……今回は皆さん大好きなあの人が大活躍します。さあ、あの人が誰なのか、想像しながら読んでみてくださいな!!!


 

「リアス・グレモリー、フリードのやつは私と木場佑斗の二人で片付けよう。構わないな?」

 

 と、提案するゼノヴィア。

 

「ちょっとちょっと、ゼノヴィア! 私も戦うわよ!」

 

「いや、イリナ、よく考えろ。フリードの後にはあのコカビエルが控えているんだ。消耗を抑えるためにも、私と木場佑斗の二人だけでフリードを倒すべきだ」

 

「それは、そうかもしれないけど……」

 

 理解はしても納得はできない。小さな声からはそう感じ取れるが、否定されないのであれば問題ないだろう。

 そう判断したゼノヴィアは、リアスへと視線を向けて返答を促した。

 

「あなたの判断は合理的みたいだし、構わないわ」

 

 ゼノヴィアは教会から追放された異端者を斬ることができる。

 木場佑斗は聖剣に復讐ができる。

 二人の思惑を達成するための道筋が整い、剣を握る手の力が強まる。

 

「だ、そうだ木場佑斗。共同戦線の続きといこうか」

 

「僕はエクスカリバーに復讐さえできればなんでもいいんだけどね」

 

 

 

 

 

 

 

 

 歩みを進めるゼノヴィアと佑斗の二人。その視線の先にいるのは、はぐれエクソシストの白髪の少年、フリード・セルゼン。

 教会時代から性格に難こそあるものの、天才と称された実力は並ではなく、事実、以前の戦いではゼノヴィアとイリナと佑斗の三人がかりでも仕留めることができなかった。

 三対一で仕留められなかったのだ。数的有利にあるとは言え、二対一で油断することなどあり得ない。

 

「へいへいへいへい、聖剣ちゃんの調整は終わってっかい、バルパーさんよぉ!?」

 

 十メートルほどにまで距離を詰めた二人を前に、フリードが声を張り上げた。呼ばれた名を聞き、佑斗の憎しみが高まる。

 

「ああ、もちろんだとも。十分に、いや、十二分にできている。三本の聖剣の統合は済んでいる。その真価を発揮させるのだ、フリード」

 

 フリードの背後から、暗闇から浮き出るようにして現れた、眼鏡を掛けた一人の男。髪は白く染まり、顔には皺も多い。彼こそが、『皆殺しの大司教』バルパー・ガリレイ。

 『聖剣計画』を主導し、その最後には用済みだからと、被験者の子供たちを毒ガスで殺すように命じた男。佑斗は今は亡き同胞たちの仇を鋭く睨みつけるが、当のバルパーに聖剣に熱を浮かされたように見えるほどに夢中で、まるで気づいた様子がない。

 

「おぉ、おぉ。これが俺の愛剣エックスカリバーちゃんですかぁ。いいねいいねぇ、いい感じに悪魔を絶対殺すオーラ出ちゃってんじゃねえですか!!」

 

 バルパーから聖剣を受け取ったフリードは興奮しながら、聖剣を振り回す。その度に聖剣のオーラが飛び、地面にいくつもの傷をつけていくが、フリードにはそんな周辺被害を気にする様子は微塵もない。むしろ、それだけの破壊力があることを喜んでいた。

 

「木場佑斗、フリードの持つエクスカリバーの能力はわかっているな」

 

 すでに一度戦っている際に、その能力を直に見ているのだ。もちろん、と返す。

 

天閃の聖剣(エクスカリバー・ラピッドリィ)。使い手の速度を飛躍的に上昇させる聖剣だろう?」

 

「ああ、その通りだ。そしてバルパーの言葉を信じるのなら、あのフリードの持つ聖剣は、天閃の聖剣(エクスカリバー・ラピッドリィ)ともう二つ、教会から盗み出された透明の聖剣(エクスカリバー・トランスペアレンシー)夢幻の聖剣(エクスカリバー・ナイトメア)の能力も使えると思っていい。前者の能力は名前のとおり、剣が不可視になるというもの。後者は幻を見せたり、睡眠中の夢を支配することのできる魔法的側面の強い能力だ」

 

 フリードが握るエクスカリバーは、成程、こうして対峙してみると、前回戦った時よりも確実に聖なるオーラがましているように感じられた。透明の聖剣(エクスカリバー・トランスペアレンシー)夢幻の聖剣(エクスカリバー・ナイトメア)と統合した結果だろう。

 前回の戦いでは、天閃の聖剣(エクスカリバー・ラピッドリィ)を持つフリードに振り回された。そして今回は、そこに透明の聖剣(エクスカリバー・トランスペアレンシー)夢幻の聖剣(エクスカリバー・ナイトメア)まで加わるという。強敵に違いないが、怖気付くことはない。むしろ、憎い聖剣をここで三つまとめて破壊できるのだとより戦意を高めた。

 

「ご忠告ありがとう。お礼にあの聖剣を破壊してあげるよ」

 

「私もこの状況で、聖剣を無傷のまま取り戻せるとは思っていない。存分にやってくれていい」

 

 悪魔と教会のエクソシストが手を組む。その光景が気に食わなかったのか、フリードは眉を吊り上げながら、ドスの利いた声を吐く。

 

「はぁ? おいおいおいおいおいおい、ちょっち前にも思ったけど、なぜに敵同士のはずのお前らが仲良く並んで立ってんの? 意味わかんねーんだけど?」

 

「事情が事情でね。臨機応変な対応ってことさ」

 

 納得いかないとばかりに、フリードは問いを重ねていく。

 

「金髪のイケメンくんはエクスカリバーに恨みがあるんだろう? だったら、隣のやつが持ってる剣からへし折ってやりゃいいじゃねーか。俺と同じ清く正しい聖剣使いちゃんは、悪魔を俺よりも先に悪魔をぶっ殺せよ」

 

「答えは変わらないよ」

 

「私も同じだ、フリード。少しでも任務の成功率を高めるこそ、私の主への信仰だ」

 

 更にフリードは何かを言い募ろうとしたが、バルパーが止める。彼は少しでも早く、自身の手で統合したエクスカリバーの力を見たいらしく、興奮を抑えきれないようだった。

 

「フリード、無駄話なんぞいらん! エクスカリバーの力を存分に発揮させるのだ!」

 

「あ、はいはい。わかりましたよー、バルパーのおっさんよぉ」

 

 フリードは空いた手で片耳をほじりながら、気のない返事をする。指先に付いた耳垢を吹いて飛ばす姿は、あまりにも無防備。

 

――いっそのこと、この隙を突いてしまおうか。

 

 佑斗がそう考えた瞬間だった。天閃の聖剣の力を使ったフリードがノーモーションで踏み込み、すでにその聖剣を佑斗の眼前で振り上げている。

 

「くぅっ、早い!!」

 

「当ったり前じゃないですかぁ!! こちとら三つの聖剣ちゃんを合わせてんだぜ。出力は高まるに決まってんだろ!!」

 

 そこから始まる、フリードの止まることのない連撃を前に、佑斗は防戦一方だ。と言うのも、初めの一撃を間一髪のところで防御したは良いものの、不意を打たれていたために体勢を崩されてしまっていたのだ。

 そして、フリードは連撃へと繋げて、アドバンテージを保ち続ける。流石は、元教会の天才だ。一度、ペースを奪ったら一気呵成とばかりに攻め込む技量と判断力は一朝一夕で身に付くものではない。

 剣の技量はほぼ同等であっても、戦闘の技量はフリードが圧倒的に勝っている。それを理解して尚、佑斗は不敵に笑う。

 

(君の相手は僕だけじゃない!!)

 

「フリード!! 私のことを忘れてもらっては困るな!!」

 

 佑斗が攻め立てられている間、ゼノヴィアは何もしていなかったわけではない。動きを悟らせないように、慎重にフリードの死角へと回った彼女は背後から襲い掛かる。

 

「はっはぁ!! 誰が忘れたなんて言ったんですかねぇ!?」

 

 フリードは体勢を崩す佑斗の腹部に重い蹴りを叩き込む。

佑斗は何メートルも吹き飛ばされ、体内からせり上がるものを何度も嘔吐した。対するフリードは佑斗の腹部を蹴った際の反作用を利用してくるりと反転、ゼノヴィアの聖剣を軽々と受け止める。

 

「な!? 破壊の聖剣(エクスカリバー・デストラクション)の一撃を受け止めるだと!?」

 

「おやおやぁ? ま・さ・かぁ、攻撃力に特化したそれなら同じエクスカリバー相手にパワー負けしないとでも思ってた? バァアアアカ!! さっきも言ったろうがよぉ! こちとら三本のエクスカリバーちゃんを統合してるから出力が段違いだってなぁ!!!」

 

 その言葉の通りに、フリードは片手振りでゼノヴィアの両手振りの斬撃を次々に捌いていく。

破壊の聖剣(エクスカリバー・デストラクション)が幅広の大剣であるのに対して、フリードの持つ統合されたエクスカリバーは細身の長剣である。当然、後者のほうが軽く、斬撃は速くなる。そしてフリードは大きく踏み込むことで、大剣を振り難い間合いにまで詰めた。

 そこからは最早一方的だ。近すぎる間合いでは存分に破壊の聖剣(エクスカリバー・デストラクション)を振るうことのできないゼノヴィア。その持ち味たる攻撃力を活かせず、しかも速度ではフリードが遥かに上回る。

後は、佑斗に対して行った際の焼き直しだ。天閃の聖剣(エクスカリバー・ラピッドリィ)で得た速度を用いての高速斬撃で反撃の一つも許さない。

 

「そらそらそらそら! 教会のエクソシストちゃんは追放された異端くんにも勝てないんでちゅかぁ? 自信満々に出てきた癖して恰好悪ぅうううううい!!」

 

「グチグチとうるさい男だな、お前は!」

 

 ゼノヴィアは、防御しながらも聖剣に蓄え続けていたオーラは解放する。盾の如く構えられた聖剣を一閃。極大の斬撃がフリードへと迫る。

 

「おっほぉ!? こりゃまずい!」

 

 防御、あるいは回避と脳内に選択肢として浮かぶが、フリードはそのどちらも却下する。どちらを選んでも体勢が崩れる可能性が高く、追撃されれば後手に回ってしまうからだ。

 

 そこで第三の選択肢として、距離を取ることとする。ゼノヴィアの放った極大の斬撃に垂直に交差するようにエクスカリバーを構えて、刃を触れさせる。剣から掌へ、掌から腕へと、伝道する衝撃に敢えて対抗することなく、身を任せる。衝撃を利用して後方に大きく跳躍するフリード。

 しかし、そこにはすでに佑斗が魔剣を携えて待ち構えていた。

 

「これで、どうだ!」

 

「ぐっ、あああああああああああああああ!?」

 

 フリードは胸元を横一文字に斬り裂かれる。傷口からは血が噴き出し、瞬く間にフリードの纏う神父服を濡らしていく。額からは脂汗を垂らし、足元が覚束なくヨタヨタと歩く様はまさに瀕死。

 

「フリード、お前もここまでのようだな」

 

 前門の虎、後門の狼。前後をゼノヴィアと佑斗に挟まれたフリードに逃げ場はない。

 

「エクスカリバーはここで破壊させてもらうよ。友の無念を晴らすためにね」

 

 佑斗は復讐の達成を前にして喜色を隠さない。あと少し。本当にあと少しのところで復讐を完遂させることができるのだ。何年も憎み続けた聖剣を破壊できる。そう思えばこそ、喜びだけでなく、余裕も生まれてくる。

 

「何か、言い残すことはあるかい、フリード・セルゼン?」

 

「ぐっ、……………ああ、そうだな。最期くらい本音で話すか。俺はな、いわゆる試験管ベビーってやつだったんだ―――」

 

 そこから語られたフリードの過去は、佑斗の想像を絶するものだった。

 試験管から生まれ、人体実験や拷問まがいの訓練を強制させられエクソシストとなったフリード。彼には何もなかったのだ。愛情も、友情もなかった彼にとっては『魔性を殺す』というエクソシストとしての使命だけが己を証明するものだった。

 

「だから俺は、ひたすらエクソシストとしての仕事に打ち込んだ。悪魔も吸血鬼も堕天使も魔物もぶっ殺しまくってやった。で、そんな俺に待っていたのは何だったと思う?」

 

「………教会からの追放、だろう」

 

 事情を知るゼノヴィアが答えた。フリードは眉を顰め、吐き捨てる様にして言葉を続ける。

 

「ああ、そうさ。追放だよ、追放。勝手に作っておいて、勝手に生きる意味を押し付けて、今度は勝手に放り捨てる。おまけに、汚点が生きてちゃ都合が悪いってんで殺すための死角を寄越す始末だ」

 

「お前はやりすぎた。ただそれだけのことだ。異端と認定されたお前が間違っていたんだ」

 

「ああ。そうだな、聖剣使いちゃん。当時の上司や同僚からも似たようなことを言われまくったぜ。けどな、俺は間違ったことをしたつもりはねー、お前らが何と言ったところでな」

 

 フリードは一切の反論を許さない、強い口調で言い切った。

 

「殴られたことのないやつには、殴られる痛みがわからねえんだよ! 天使も枢機卿も凄腕のエクソシストも本当の意味で俺の苦しみをわかっちゃいない。人伝に聞き、報告書の紙面で見て、たったそれだけでわかった気になって『大変だったね、辛かったね』とか言いやがる」

 

 遠い目をするフリードの脳裏には、過去の出来事が映し出されているのだろう。

 そして、全身からは憤怒のオーラが溢れ出す。

 

「―――ふざけてんのか、そう言ってやりたかったね。半端な同情は本当に腹が立つ……!!」

 

 佑斗には、フリードの気持ちが理解できた。教会の施設で辛い実験の毎日の先に待っていたのは毒ガスによる虐殺。ただ一人生き残った佑斗が抱いた、聖剣エクスカリバーへの恨みは生半なものではない。それを上から目線で、諭すように高説を垂れられれば殺意も湧こうというものだ。

 

(……そうか。彼はきっと、僕のあり得たかもしれない姿なんだ)

 

 自らの人生を理不尽に振り回される苦しみを理解できてしまう。それを行った元凶にむける憎悪には共感できてしまう。どうして自分ばかりが、と嘆く絶望は佑斗も抱いた。

 

 ―――ならばこそ

 

「君に引導を渡すのは僕の役目だ」

 

 失血により顔を蒼白にしながらも聖剣を支えにして立つフリードに、佑斗は魔剣を構えながら歩み寄る。

 

(せめて彼が苦しむことがないように)

 

 一太刀で即死させてやることがせめてもの慈悲だろう。剣を大きく振り上げた佑斗に、フリードは逃げる素振りを見せることなくニヒルな笑いを向けた。

 

「お前は自分の心の思うままに生きろよ。先輩との約束だぜ?」

 

「ッッ!!」

 

 魔剣を握る剣が震えた。

 

 逸らしてしまいそうになる視線を固定し続ける。フリードの最期を見届けることが己の役割だと定めるが故に。

 

 そして、歯を食いしばりながら魔剣を振り下ろす。

 

 フリードの胴体を袈裟斬りに裂き、血の華が咲いた。噴出する血は優に一メートル以上は飛び、その中には佑斗の顔を濡らすものもあった。

 

 ヨタヨタと後退するフリードは、ついに力尽き、膝から崩れ落ちる。聖剣を最後まで手放さなかったのは剣士としての矜持か、あるいは教会に対する皮肉なのかもしれない。

 

「教会が汚点として君の記録を抹消しようとも、せめてボクだけは君のことを忘れないと誓おう」

 

 魔剣の刃に付着した血を振り払い、黙祷を捧げる佑斗の目の前で、フリードの亡骸がぼやける。ゆらゆらと揺らめいたと思ったら、さながら空間に溶け込むように、霞みが晴れるかのように、血も肉も神父服も神の一本さえ残さずにフリードの亡骸は消えた。

 

「避けろ、木場佑斗!!」

 

 危険信号が脳裏に響き渡るのと、ゼノヴィアの叫びが耳に届いたのは全くの同時だ。

 

「ッッ!?」

 

「なーんちゃって  幻術だよ、ブァアアアアアアアアッッッカ!!」

 

 そして、染み出すように佑斗の真横に姿を現したフリードが、凶刃を振り下ろす。

 

 

 

 

 




 何気にフリード君が好きな私です。唐突に過去語りが始まったかと思えば、全て不意打ちのための布石だったというフリード君。きっと彼ならこれくらいは余裕でしてくれることでしょう。


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8話 グレモリー眷属の死闘 Third

更新遅れてすいません!



「つまらん」

 

 宙に浮かぶ玉座に悠然と座す堕天使は誰に向けるわけでもなく呟いた。彼の視線の先にいるのは、魔剣使いの少年とエクスカリバーの担い手たる少女、そして二人に相対する白髪の己が配下。

単純なスペックだけならば、前者の二人組はフリードに勝るとも劣らない。数の利を得ている現状ならば常に優勢のままに勝利してもおかしくないのだ。しかし、現実にはむしろフリードが押している。教会の保有する正規の聖剣使いが、よもや異端として追放されたはぐれエクソシストに同種の武器の扱いで負けるとは思わなんだ。魔剣使いの小僧は小手先の技ばかりで、基礎的な身体能力が足りない上に神器の扱いも未熟に過ぎる。

 

 

「見どころがまるでない勝負だ」

 

 大戦を生き残った歴戦の強者だと、正しく自覚するコカビエルは失望を禁じえなかった。教会は無論のこと、この土地を支配する悪魔たちも、聖剣を強奪した主犯は堕天使幹部だと知っていたはずなのに、刺客が三流以下の雑魚では興醒めだ。

 

「消し飛びなさいッ!!」

 

 同様のことが、たった今、魔力をコカビエルに向けて放ったリアス・グレモリーにも言える。

 

「たわけが。その程度で消せるのは、ゴミを漁ることしかできないはぐれ悪魔くらいのものだろう。この俺に通じるはずがない」

 

 組んでいた足を解き、魔力塊を無造作に蹴りつける。光力を纏ったわけでも、身体能力を高めたわけでもない蹴り。ただそれだけで、滅びの魔力で構成された砲弾は霧散する。

 

「滅びの魔力。大王バアルの家に伝わる特色だな。物質的な破壊に留まらず、魂まで無に還すその力は絶対攻撃能力と言っても過言ではない。………が、お前はそれを全く使いこなせていない」

 

 さしものコカビエルとて、絶対的な攻撃力の特性を有する魔力を真正面から生身で触れれば、無傷ではいられない。しかし、それも相手が一流だった場合に限られる。

例えば、魔力量が雀の涙ほどしかない相手が滅びの魔力を放ったところで、痛くも痒くもない。あるいは魔力を十分にその身に宿していても、正確に制御できていないのなら『滅び』の特性が存分に発揮されることもない。

リアスは典型的な後者のタイプだ。おそらくは、生まれながらに豊富な魔力に恵まれたのだろう。おまけにその特性は高い攻撃力を有する『滅び』である。大抵の相手はテキトウに魔力を放つだけで塵も残さずに消滅する。そのために魔力の操作技術を磨こうとしなかったのだ。

 

「大戦時には、それこそ初代バアルとも幾度となく戦った。奴の魔力に比べれば、お前の魔力なぞ綿毛も同然だ」

 

 ただの力押しで苦労もなく勝てるのなら、技術を磨こうと努力する理由も気概も湧くまい。無論、己の魔力ならばあらゆる敵を討ち滅ぼせるという考えなぞ傲慢そのものだ。

 

 ――故にこれはツケの清算だ。

 

 指をパチン! と鳴らし、小型の槍を数本創り出す。射出された槍の群れは、そのどれもがリアスに向かって飛んでいる。リアスは滅びの魔力を使って撃墜しようとするものの、槍は巧みに宙を舞って掻い潜る。

 

「それならッ!」

 

 迎撃が不可能ならば回避。翼を広げ、槍の軌道上から逃れようとするが、それは無駄だ。魔力による迎撃をものともしない機動力と操作性を有するのだから、鈍間を追い立てることなど造作もないのである。

 

 右に左に、上に下にと逃げ回るリアスを幾本もの光の槍が追尾する。それはさながら、獲物を追い詰める狼の群れと哀れな被捕食者の様相だ。

 

(身のこなしは粗雑、魔力の扱いは稚拙、身体能力は半端。唯一マトモだと言えるのは魔力の量くらいなものか)

 

 逃げまわるリアスを評する。隠し玉も無いようなので、これ(・・)が底なのだろう。何とも浅い底である。

 槍とリアスの逃走劇に楽しさを見いだせるほどの質はなく、戦力分析も終えたことでコカビエルは詰みにかかる。

 

「なっ!? まだ速度が上がるというの!?」

 

「馬鹿が。俺は堕天使幹部が一角コカビエルだぞ。これしきのことができずして何とする」

 

 リアスを追いかける光の速度は倍以上にまで跳ね上がるが、コカビエルにとっては児戯と言って良い。そして、この程度の事態に瞠目するのだから、リアス・グレモリーがどれほど堕天使の幹部を侮っていたかを露呈している。

 

「その愚かしさのツケを今、支払わせてやる」

 

 速度の増した槍から逃れることは難しく、防御のための障壁を張る時間もない。リアスが全身に傷を負い惨めに地面へと墜落する未来を確信し、口元に残虐な笑みを浮かべるコカビエル。

 

 しかし、その確信を邪魔する者が現れる。

 

「リアスは私が守ります!!」

 

 そう叫びながら、巫女装束に身を包んだ少女が横合いから雷撃を放ち、コカビエルの光の槍を消し去った。小型にしていたために耐久力が落ちていたか、と考察しつつ雷撃の主へと目を向ける。

 

「その雷撃、容姿ともに見覚えがある。バラキエルの娘だろう? よくよく母親に似ているが………。どうした、父親譲りの『雷光』は使わないのか?」

 

「私の前であの者の名を口にするなッ!!」

 

 ―――青いな。

 

 威勢良く啖呵を切って、主を守るために割って入った癖に、早々に己の感情に呑み込まれる。主が未熟ならば、眷属も未熟。この有様で堕天使幹部に挑もうというのだから笑わせる。

 

「さて――」

 

 朱乃とリアスから放たれる、雷撃と滅びの魔力を手の甲で弾く。

数時間前に戦った二人組こそがコカビエルの狙いなのだが、戦場に姿を現したのはグレモリー眷属。本命が来るまでの準備運動とばかりに遊んでやっているが、しかし本命が来ないのでは準備運動の意味もない。

 

「グレモリー眷属を半殺しにでもすれば来るか……?」

 

 自問するが、答えは何だってよかった。件の二人が現れないのであれば、グレモリー眷属を皆殺しにして戦争を巻き起こし、魔王たちとの戦いでも楽しめばいい。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 グラウンドには四人の人影があった。

 グレモリー眷属の『僧侶』アーシア・アルジェント、『戦車』の塔上小猫、『兵士』の兵藤一誠、そしてエクスカリバーの担い手を務める紫藤イリナ。彼女たちが戦闘に参加しないのには、相応の理由がある。

 戦闘力が無い反面、回復能力に秀でたアーシアが下がるのは当然のこととして、残りの三人はアーシアの護衛なのだ。三人の戦闘員を護衛に費やすほどの価値がアーシアにはある。

 

 しかし、当の護衛の一人である一誠は忸怩たる思いで、二つの戦場を見ていた。

 一つは、リアスと朱乃がコカビエルと戦う上空。

 二つ目は、佑斗とゼノヴィアがフリードと戦う剣士勝負。

 そのどちらの戦いも、仲間と主が劣勢となり追い込まれているのだから、自然と拳を握る力が強くなる。

 

「クソっ、俺は何もできねえのかよ……」

 

「イッセーさん、ごめんなさい。私のせいで」

 

 背後に庇う少女の謝罪の声を聞き、慌てて前言を修正する。

 

「いや、アーシアのせいじゃないよ。勘違いさせるような言い方して悪かった」

 

アーシアの回復能力はそれこそ重傷でさえ治せてしまう。つまり、今、戦っている面々が大きな傷を負っても、再度立ち上がることができる。

そうしたアーシアの、ひいてはアーシアを守ることの重要性を理解しているがために一誠は飛び出していくことができない。

仲間を守るために共に戦いたい、しかし、仲間を癒すことのできるアーシアを放置するわけにもいかないというジレンマは、つい数ヶ月ほど前までは一般人に過ぎなかった一誠にとって難題そのものだった。

 

「イッセーくん」

 

 唇を血が流れるほどに噛み締める一誠に語り掛ける者がいた。名前を紫藤イリナ。ゼノヴィアと共にこの町にやってきたエクソシストでもあり、一誠の幼馴染でもある少女は、今や一誠とともにアーシアの護衛役を務めていた。

 

「イッセーくんの辛い気持ちは私もわかるよ。私だって仲間(ゼノヴィア)が戦っているのに、私は戦えていないんだもの」

 

 高い回復能力を有する反面、自衛や戦闘の手段を持たないアーシアを守るための二重の守り。赤龍帝とエクスカリバー使いを護衛役に押し込むほどの戦略的価値がアーシアにはある、それが指揮官たるリアスの判断だった。

 

「でもね、辛いからこそ信じるのよ。一緒に戦うことはできなくても、心が共に在ることはできるんだから! 私はゼノヴィアを、イッセーくんは木場くんを、これまで一緒に過ごしてきた仲間を信じましょ!!」

 

「彼女の言う通りです。佑斗先輩も伊達にリアス様の『騎士』を名乗ってはいません」

 

 イリナと小猫の言葉を聞き、一誠は己を恥じた。心配し、今にでも駆けだそうとする考えは仲間への信頼の裏切りに他ならない。それに、自分が参戦すれば戦況を好転させられるなど、傲慢にも程がある考えだ。

 そして何より、こうした考えが態度として表に出てしまうことで、護衛対象のアーシアに責任を感じさせてしまった。

 

 あまりにも考えが足りなかった。しかし、そのことで落ち込んでいる暇はない。

 

 ――バチン!

 

 両頬を引っ叩き気合を入れ直す一誠。心の内から迷いと焦燥を追い出し、目を覚まさせてくれた幼馴染へと礼を言う。

 

「ありがとな、イリナ、小猫ちゃん。俺が間違ってたよ」

 

「気にしないで、イッセーくん。イッセーくんも私の仲間なんだから 」

 

「歳はイッセー先輩のほうが上ですけど、悪魔歴では私のほうが先輩ですから。後輩を導くのは先輩の義務です」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「ッはぁ、はぁ……」

 

 佑斗は、もはや右手に握る魔剣を杖代わりにしてようやく立っているような状態だった。袈裟斬りにされた胸の傷からは絶えず肉を焼く煙と血液が噴出し、左手を当てても指の隙間から溢れるそれらの勢いは留まるところを知らない。

 端的に言って、重傷。傷の深さはもちろんのこと、毒のように苛む聖剣の力が全身に回り、強烈な倦怠感や目眩まで引き起こす始末。どうやっても戦えるような体ではない。

 

「ひゃっはぁあああ!!! 死んでおくんなせえよぉ、悪魔くん!!」

 

 そして、そんなことを気にしないのが白髪のはぐれ神父だった。相手が傷ついて動けないのならぶった斬る。傷を付けた攻撃が誇りも糞もない不意打ちであろうが何のその。むしろ、手段を選ばずに悪魔を殺すのは強い正義の顕れだ。

 神などまるで信じる気のないフリードだが、しかし、自分が高揚し愉悦するためだけに都合よく引っ張り出してきて、テキトウ極まりない理論武装を展開する。

 

「どこかのお空にいる神様ちゃん、今から悪魔をコロコロする俺っちの活躍を見ててちょいな! 褒美に金と金と金と金を空から落としてくれるとなお良し!! 信仰が倍プッシュとなりますぜぇぇえええええええええ!!!!!」

 

 俗な欲望に塗れ切った信仰に宿る価値などゼロに違いない。倍にしたところでゼロはゼロだ。いや、信仰を汚すという意味で、フリードの言葉はマイナス値に突入していると言ってもいい。

 ならば、フリードの凶刃を、青髪のエクソシストが止めるのも道理である。

 

「信仰を汚す貴様を私が見逃すはずがないだろう!!」

 

 「おろろろん? 悪魔くんを庇うなんていけないんだー。背信者の君は、俺っちがちゃああああんと断罪してあげるから感謝してね!!」

 

「誰がお前なぞに感謝するか! そんなことをするくらいなら死んだほうがマシだ!」

 

 負傷した佑斗を背に庇いながら、ゼノヴィアはフリードと斬り結ぶ。しかし、それは先の剣戟の焼き直しでしかない。

 ゼノヴィアの持つ破壊の聖剣(エクスカリバー・デストラクション)では、三つのエクスカリバーを統合したフリードの操る聖剣には勝てないのだ。

 二度躱し、三度弾き、一度反撃する。その間にゼノヴィアはいくつもの傷を負う。対して、フリードは全ての攻撃を見事に捌ききっていた。彼我の差は一目瞭然、フリードは余裕の笑みを浮かべているが、ゼノヴィアは眉根を寄せ苦しんでいることが明らかだ。

 

「無理だって。無理無理。どうやったら君の聖剣ちゃんで俺の聖剣ちゃんに勝てんのさ。そもそもの性能が段違いだってさっきも言ったし見せたじゃん。それがまだわかんないの? あ、そっか! 君、いかにも馬鹿そうだしねぇ、脳みそ筋肉って感じで。理解するだけの頭がないのか、メスゴリラちゃん」

 

 ふー、やれやれ。そう言いたげに嘆息するフルード。元からあまり気が長い性質ではないゼノヴィアは眉の谷の上に、青筋の山脈を浮き上がらせる。

 

「人を馬鹿にするのもいい加減にしろ!! そして我々エクソシストは勝算があるから戦場に立つのではない!! 人を守り、救済する。その理念の実現のために戦場に立っている。例え勝算がなかろうとも、それが諦める理由にはならない!!」

 

 猛りに応じて更なるオーラを発する聖剣を一閃するゼノヴィア。その一撃は余波だけでも大地を抉るほどの一撃であり、武器の性能で勝るフリードをして回避を選択させるものだった。

 武器の性能はフリードの持つ聖剣が勝る。つまり、フリードが感じた驚異の理由を武器の性能だと言い訳することはできない。単純な才能の差、聖剣因子の結晶を取り込んだのは同じであっても、元からあった剣士としての、戦士としての才能ではゼノヴィアが勝ることの証左であった。

 そのことがフリードを苛立たせる。聖剣使いのエリートとして持て囃され、甘やかされてきたエクソシスト如きに、己が劣ることを認められない。

 

「ハッ! ぶっ殺してやんぜ!!」

 

 ――故に殺す。

 

 ありったけの殺意を込めた一撃。それは歴戦のフリードをして、過去最高の一撃と呼べるものだ。鋭く、速く、故に強い。身体能力と技術が揃い、振るわれる獲物は伝説の聖剣。

 

「舐めるなッ!!」

 

 必勝を確信するフリードの一撃を、ゼノヴィは裂帛の気合を以て弾く。フリードが剣に載せる想いが殺意ならば、ゼノヴィアは信念を載せている。その想いの強さは勝るとも劣らないものだ。

 大きく態勢を崩すフリード。好機とばかりに間合いを詰めたゼノヴィアは、フリードと剣を交えながらも佑斗に向かって檄を飛ばす。

 

「何を惚けている、木場佑斗! お前にも譲れない想いがあるはずだろう! 長年追い続けていた聖剣を前にしながらも、たった一度斬られた程度で足を止める程度のものだったのか、その想いは!?」

 

「そんなわけッ、ないだろう……!!」

 

 悪魔にとって聖剣の一撃は猛毒にも等しい。それを受けた痛みがどれほどかわかっていないゼノヴィアの言葉は、勝手な物言いだ。しかし、そこまで言われて奮起できないほど、グレモリー眷属の『騎士』は腰抜けではない。

 激痛に苛まれながらも、戦意を滾らせ剣を握る手の力を強める。支えを失い傷の痛みが増すことも厭わずに剣を引き抜いた。向ける先は、フリードの背後に佇む怨敵、バルパーガルレイ。

 

「僕は、あなたが行った聖剣計画の生き残りだ。

失敗作として処分されそうになったあの日のことは今でも昨日のことのように思い出せる。毒ガスを吸った苦しみ、次々と倒れていく同胞たちの姿、助けの声に耳を傾けずにガスを撒き続ける大人たち。………何年経とうとも消えてはくれなかったこの恨み、今日ここで晴らさせてもらう!!」

 

「ほう、一人逃げ出した実験体がいたとは聞いていたが……まさか悪魔に転生して生き延びていようとはな」

 

 それは予想外、とバルパーは顎を摩りながら感心するように声を出した。

 

「これでも私はお前たちに感謝しているのだぞ? あの実験があったからこそ、人工的に聖剣使いを生み出すことが可能となったのだからな」

 

「……? どういうことだ? あなたは僕たちを失敗作として処分しようとしたじゃないか」

 

「私と部下の研究チームは、研究を進める中で、聖剣を扱うにはある因子が必要だということに気づいた。お前たち実験体にもその因子はあったが、残念なことに聖剣を扱うに足る量ではない。では、どうするか? 答えは簡単だよ。足りないのなら他所から持ってきて合わせればいい」

 

「……それでは、僕たちを殺そうとしたのは……?」

 

「お前が脳裏に描いている通りだとも。因子を取り出すために殺したのだ。まあ、あの甘いミカエルのことだ。今では殺さずに因子を取り出す方法を編み出しているのだろうが……、その大元の功績を築いた私を追放しおって。まったく忌々しい」

 

 バルパーの熾天使への恨み言はもはや佑斗の耳には届いていなかった。彼の心中を支配するのは、あまりにも身勝手なバルパーたち実験関係者への怒りのみだ。

 

(自分たちの都合で集めておいて、今度は自分たちの都合で殺す? ヒトの命を何だと思ってるんだ!?)

 

 施設での暮らしは辛いこともあったし、苦しいこともあった。しかし、仲間と励ましあい、毎日を必死に生きていたのだ。そこにはただの数値や文字では表せない、『命』があった。

 それを目の前の男とその部下は、まるで何の価値もないかのように、中身(因子)を取り出すためだけに放り捨てたのだ。

 

 ――許せるはずがない。

 

 一体、いつから剣を交わすのを止めていたのか。バルパーと佑斗の話に、ゼノヴィアとフリードも耳を傾けていた。

 

「私たちの受けた祝福が、まさか、そんな!?」

 

 ゼノヴィアは、自分がかつて受け入れた因子の由来に愕然としつつも、バルパーの外道そのものの行いに憤慨し、構えた聖剣が震えるほどの怒りを放っている。

 

「ほほ~ん。因子がどうやってできるのかとか初めて聞いたけど、そういう感じだったのねん。ま、あれっすわな、世の中そう美味い話はない的な?

そういや、俺っちも因子を入れちゃてるわけだけど、これってあれじゃん? 彼らの魂は俺が継ぐ!!って主人公ぽいじゃん!! さすが俺!!!」

 

 対してフリードの反応は、佑斗やゼノヴィアのそれとは正反対と言えるものだった。特殊な出生を持つためか、聖剣に妙な幻想を抱くこともなく、ある種達観したような視点を持っている。しかし、ネジの外れた思考がその全てを台無し似している辺りが、フリードがフリードたる所以だろう。

 

「ってか、あれじゃん? 天使サマだか教皇サマだか知んねーけど、どこぞの誰かが自分の体の中に入れてくる物を全く疑わずに何年も過ごすとか………教会の聖剣使いってアホなん?」

 

 斯く言うフリードは因子を体に取り込む前に、何重にも渡ってバルパーと魔術契約を結び、保険に保険を重ねている。これによって、フリードはバルパーに意図的に害されることがなくなり、万が一、害が及べば馬車馬の如く働いて害を取り除くことを強制することを可能とする。

 体内に取り込む物に、爆弾のような妙な仕掛けでもされたら堪ったものではない。ならばむしろこの程度の用心は当然である、というのがフリードの考えだ。

 

「くっ……」

 

 唇を噛み締めるばかりのゼノヴィアを、フリードは腹を抱えて笑い、バルパーまでもが失笑を漏らす。

 

「聖剣使いだのエリートだのと呼ばれても所詮は世間知らずの小娘か。いや、その方が教会の上層部や天界にとっては都合が良いのか。象徴(シンボル)たる聖剣を担う者は必然人々の憧憬を集め易いから、妙な知恵でも付けられたら厄介極まりない存在になるものな」

 

「そんな……まさか私が裏切るかもしれないと上層部や天使様は考えておられたと言うのか!?」

 

「でなければ、知恵を与えない理由が他にあるのか? まあ、教会の連中や天界が何を考えているかなど私には瑣末なことだ。どうでもいい。それよりな、魔剣使いの少年よ。君と仲間のおかげで聖剣の研究が進んだことに礼を言いたい」

 

 バルパーは懐から手のひら大の結晶を取り出すと、佑斗に向かって放り投げた。決勝は地面に落ち、コロコロと転がり佑斗の足元にまで辿り着く。

 結晶を拾い上げた佑斗は呆然としながらも、その正体が何であるのかを瞬時に看破していた。全身を震わせ、嗚咽を漏らしながら、答えを口にする。

 

「これが……仲間たちから、取り出した因子なのか」

 

「ああ、正確にはその最後の一つだよ。他のものはフリードに使ってしまったからな」

 

 無感動な声は、声の主が因子のことを何とも思っていない証左だ。しかし、今の佑斗はその程度のことで怒りを燃やさなかった。

 かつて失ってしまった同胞。彼ら彼女らは佑斗の身を庇ってくれたが、当の佑斗は彼らを見捨てたのではないか、という猜疑をいつの間にか抱え込んでいた。日に日に増していく後悔と罪悪感、それらが復讐心を萎えさせることがなかった一因であることは言うまでもない。

 そして、後悔と罪悪感の大きさは、亡き同胞たちへの想いの大きさとも言える。もはや会えないと思っていた、その同胞たちと再会できたのだ。胸中を満たすどころか溢れ出すほどの歓喜に、佑斗は涙を流した。

 

「ああッ、みんながここにいるんだ……ッ!!」

 

 すると、胸に抱きしめた、因子の結晶から光の珠がいくつも溢れ出し、人型となって佑斗を取り囲む。彼ら彼女らは外見年齢こそ同程度であるが、肌の色や顔の堀の深さは別々であり、様々な人種であることが察せられた。彼らこそが、佑斗と同じく世界中から実験のために集められた、聖剣計画の被害者だ。

 

『――――』

 

 お世辞にも幸福な生涯を送ったとは言えない同胞たち。しかし、彼らの口から出るのは恨み言ではなかった。

 

『――――』

 

 それは祈りであり、唄だ。

 

『――――』

 

 彼らが紡ぐのは、どこまでいこうと言葉でしかない。しかし、そこに込められた真摯なる想いが聞く者の心を揺さぶる。

 その影響が最も大きいのはもちろん、彼らと過去を共有し、彼らへの想いを積み重ねていた佑斗だ。

 

「ああ、そうか」

 

 佑斗の周囲で歌っていた人影が空へと上り、一つの塊となって佑斗目掛けて落ちていく。光の中、佑斗の声が校庭に響く。

 

「僕は剣

になる 部長、そして仲間たちの剣になる! 今こそ僕の想いに答えてくれ、魔剣創造(ソード・ヴァース)ッッ!!」

 

 掲げた右腕へと集まっていく力の奔流。やがて、それは一つの剣として形を成した。

 

「―――禁手、『双覇の聖魔剣(ソード・オブ・ビストレイヤー)』。聖と魔を有する剣の力、その身で受けるといい」

 

 そう告げると、剣を止めていたフリードに向かって佑斗は駆け出した。

 それを横目で確かめるゼノヴィアは切り札を使うことを決意し、呪文の詠唱を開始した。

 

「ペテロ、パシレウス、ディオニュシウス、そして聖母マリアよ。我が声に耳を傾けてくれ――――この刃に宿りしセイントの御名において我は解放する。デュランダル!!」

 

 破壊の聖剣(エクスカリバー・デストラクション)を手放し、本来の獲物を手にしたゼノヴィア。その実力は先ほどまでの比ではない。

 

「木場佑斗、あまり動くと傷が開くぞ?」

 

「お生憎様、悪魔は頑丈でね。この程度の傷で倒れることなんてないさ!」

 

 ゼノヴィアは挑発するように語りかけ、佑斗は笑みを返す。最高の武器を手にし、戦意の高まった二人の剣士を相手に、フリードは徐々に押されていく。

 

「くっ、土壇場で覚醒と切り札開放て、どんなご都合主義展開だ、コラァ! エクスカリバーちゃんも悲鳴あげちゃってるじゃねえか!?」

 

 防戦一方となったフリードの抗議に、耳を傾けることはなく、佑斗たちはさらに攻め立てていく。

 

「それが真のエクスカリバーならば勝てなかっただろうね。―――でも、そのエクスカリバーでは、僕と同志たちの想いは断てない!!!」

 

 フリードの持つ聖剣は三つのエクスカリバーを統合したものだ。その性能は折り紙付きだが、今回は相手が悪かった。

 デュランダルは本来のエクスカリバーと同等の性能を持つため、デュランダル一本の相手でさえ難しい。そこに聖魔剣の加勢まであるのだ。単純に質と量でフリードとその獲物は負けている。

 すでに勝負は決まったのだ。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 ――――と、聖剣使いや堕天使幹部の戦いを眺める二人組がいた。

 場所は駒王学園の屋上。上空で戦うコカビエルやリアスたちからは丸見えの位置でありながらも、二人を認識する者はいない(・・・・・・・・・)

 

「聖魔剣、ねぇ……前例がねえから、性能は何とも言い難いな」

 

 一人は二十歳前後の青年だ。短く切り揃えた金髪と鋭利な金眼が夜の闇の中でも輝きを放つ。服の上からでも察せるほどに鍛えられた肉体と、まるでブレることのない重心が、彼が相当な武を嗜む者であることを告げていた。

 

「現状見る限りでは、統合された聖剣ともそれなりに打ち合えていますし、鈍らというわけではなさそうですが……」

 

 二人目は青年と同じほどの年頃に見える美女だ。銀色の髪を一つにまとめ、主の意に沿わんとする立ち振る舞いは、まさに騎士のそれ。

目を引くのは、左腕に構えられた巨大な十字盾。持ち主の女の全身を覆えるほどの大きさとそれに見合うだけの厚さがあり、重量も相当なものだと窺える。それだけに、彼女が左腕一つでその巨大な盾を構える姿は異常と言えた。

 

「ありゃ剣士の腕がどっちも一流ってほどじゃねえしなぁ、ちっとばかし判断材料としちゃ弱い。それに神器は所有者の想いによって変化する特性がある。どれだけ伸びるのか、上限はどれくらいなのかは、今後の活躍を見るしかないだろうな」

 

 青年の名はグラナ・レヴィアタン。腰に下げた刀剣の柄を指先でコツコツと叩きながら、グレモリー眷属の『騎士』が至った禁手を分析する。

 

「成程。確かにそうですね」

 

 聖魔剣についてはこれまで、とばかりに視線を青髪の剣士へと向けたグラナの顔に呆れが滲み出る。

 

「しかし………教会のエクソシストが使ってんのはデュランダル、と。発現したばかりの力と同程度の性能しか発揮させることができないって、使い手としてヤバくないか……?」

 

 デュランダルは数多ある聖剣の中でもトップクラスの知名度と性能を誇る代物だ。それがまさか、聖書の神が作った神器の禁手とはいえ、発現したばかりの力と張り合える程度の能力しか発揮していないのだ。使い手の技量不足が際立っていた。武器の性能に使い手がまるで追いついていないことの証左である。

 

「魔性から恐れられる教会の斬り姫とやらの化けの皮が剥がれましたね。所詮は武器だよりの小娘ということでしょう」

 

「だな。あれじゃあ斬り姫っつうより、力任せに武器を振り回すだけのメスゴリラだ。……いや、それも過大評価か。振り回すどころか振り回されてるしな」

 

 剣士とは剣を使いこなす者のことだ。剣を使いこなす、使う、扱う、振る、振り回す、その段階に至ることなく、武器の性能に振り回されるだけでは剣士としてのスタートラインにも立てていない。

 

「まあ、そんな有様であれだけドヤ顔できるんだ。その面の皮の厚さだけは一人前だろうよ」

 

「悪く言えば単なる馬鹿ですが、良く言えば自信家。メンタルが実力に与える影響は馬鹿にできませんし、経験を積んでいけば大成する可能性もありますか……」

 

「そのためには偶然と奇跡が山のように積もる必要があるだろうけどな」

 

 グラナは唇を歪めながら揶揄し、レイラもそれに首肯を返す。戦場を至近で眺めながらも緊張感を滲ませない秘密はレイラにあった。

 レイラ・ガードナーは他者とチームを組んで真価を発揮する、サポートに秀でた女傑だ。その能力は単純で、一言で言い表せる。

 

 即ち、『防御特化』だ。

 

 レイラは攻撃能力の一切を持たない。速度を上昇させる術もなければ、幻術を操ることもできない。彼女にできることは己の神器たる十字盾による防御のみ。

 特化しているためにできることが少ないというのは、彼女に関しては当て嵌らない。むしろ、極めた技術の応用性は非常に高く、特化しているからこそできることが多いのだ。

 

 現在、グラナとレイラの二人が誰にも気づかれずに悠々と観戦することができる理由もそこにある。

 

 そもそも、『防御』とは何であるか。頓智のような回答を出すひねくれ者も中にはいるだろうが、一般的には『攻撃を防ぐこと』と答えるだろう。

 では、『攻撃』とは何か。殴打などの物理攻撃はもちろんとして、神器や魔術による傷害も『攻撃』に含まれるだろう。仮に『他者を障害する手段、及び行為』が『攻撃』だとするならば、魔眼や念動力の発動条件である『視線』や『認識』もまた『攻撃』の範疇に収まるだろう。ならば―――

 

 ―――『視線』や『認識』が『攻撃』なら、『防御』することもできるはず。

 

 今、校舎全体を囲い、コカビエルたちが二人を認識できないようにしている大結界は、そんなこじつけに近い無茶苦茶理論から生まれたものだ。

 視覚で捉えることも、聴覚で捉えることも、嗅覚で捉えることも、認識することも敵わない。

 恐るべきは、それを実現してしまうレイラの才覚か。あるいはそこに至らせる精神力か。はたまた、その精神の影響を受けて、防御に更に特化する方向へと変化を遂げた神器か。

 

 いくつもの偶然が積み重なって生まれた、この言うなれば『認識防御結界』だが、実はかなり有用性がある。

 

 第一に、結界を展開するレイラの神器が防御特化型ということもあり、結界の強度(性能)が非常に高い。裏の世界では、この結界と似て非なる認識阻害結界なるものが出回っているが、その結界と比べると強度、効果の差が非常に大きいことが容易に理解できる。

 

 第二に、『認識防御結界』はレイラの独自技でありかつ主の意向から周囲に広めようとしないため、その存在自体が知られていない。

ヒトは物事に直面した際、対策を立てるが、そのためには情報が必須となる。解毒剤を作るのなら毒の性質を調査する必要があるし、政治を行うのなら国全体に目を向けなければならない。

 しかし、『認識防御結界』は前述したように、その存在そのものが知られていないのだ。これでは対策の施しようもない。

 

 結界の純粋な強度。情報を一切漏らさない周到さ。

 

 その二つの要素により、『認識防御結界』を破ることができた者は過去に一人としていない。無論、校庭と上空で戦闘に集中するコカビエルやグレモリー眷属たちが見破ることなど到底できるはずもなかった。

 

「俺たちの出番はもう少し後になりそうだな」

 

 結界に守られた屋上から、二人は気軽に談笑しながら観戦を続ける。

 グラナたちに気づくことができないコカビエルとグレモリー眷属と、コカビエルとグレモリー眷属を終始掌の上で躍らせる(・・・・・・・・・・)グラナたち。

 

そこには覆しようのない格の差があった。

 




 ぶっちゃけグレモリー眷属の戦いが面倒になってきたので巻きでお送りした今回のお話。さて、実はとっくに現地にインしていたグラナくんたち、眷属の若干頭のおかしい能力から彼らの凄さが伝わってほしいぜ!
 ちなみに次回でグレモリー眷属の死闘(笑)もようやく終わり、本当の意味でのクライマックスになります。この小説は俺TUEEEものです。引くくらい主人公が無双するので、その凄さをうまく伝えられたらなぁと思う今日この頃。

 シーユーアゲインです!!


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9話 グレモリー眷属の死闘 Final

長らくお待たせしました! 今回も巻きで行くぜぇ!!


 デュランダルを開放したゼノヴィアと聖魔剣に覚醒した佑斗は、瞬く間にフリードを攻め倒した。異端者を処断したエクソシストと因縁の聖剣を打倒した悪魔の少年は、フリードの背後に控えていた研究者へと剣を向ける。

 

「『皆殺しの大司教』バルパー・ガリレイ。主の名の下に貴様を断罪する」

 

「僕たちの想いは聖剣を超えた。あとは、あなたを斬ることで聖剣計画に幕を引いてみせる」

 

 バルパーは倫理観の欠如した、非人道的な研究を行ったことで協会を追われたが、聖剣計画の成果が今も教会で利用されていることからも、研究者としての能力は一級品であることが窺える。しかし研究に没頭していたために先頭の心得はまるでなく、戦闘能力は皆無だ。

 そんなバルパーが、ボディーガードが倒れてその身を守る者がいなくなり、さらには相対する二人の剣士に剣を向けられながらも恐怖を表に出さないのは奇妙な話だ。顔面を手で覆いながら、ブツブツと小言を繰り返す姿は不気味ですらある。

 

「ありえん。聖魔剣、聖と魔の両方の性質を併せ持つだと? 聖と魔の融合だと? そんなことができるはずが………いや、待てよ。…………そうか、そういうことか! 先の大戦では魔王が没したという話だったが、もう一方も――――アッ!?」

 

 誰に聴かせるつもりもないのだろう。バッ、と顔を上げたどり着いた答えを自分のペースで語りだすバルパーだったが、その声が唐突に止まる。ドスッ、と無造作に思える程に前触れ無く、光の槍がバルパーの体を貫いていた。位置は胸の中央、完全に急所であり助かる見込みはない。

 血反吐をぶち撒けたバルパーは尚も何かを言おうとしているようだったが、次から次へと喉元にまで登ってくる血のせいで遺言を残すこともなく、その両目から光が失われる。

 

「バルパー、その考えに独力で至ることができたのだから、お前は優秀な研究者に違いない」

 

 バルパーを殺した凶器は光の槍。この場でそれを扱える者は、堕天使幹部たる彼しかいない。

 コカビエルは賞賛を声音に滲ませながらも、己の行為に後悔を微塵も抱いていなかった。リアスや朱乃から一旦距離を空け、交戦を中断するコカビエルは戦場全体を見下ろしながら愉快そうに笑う。

 

「くくくく。あの脆弱な剣士たちがまさかフリードを打倒するとは思わなんだ。俺の予想は裏切られたわけだが、だからこそ余興として楽しめたと言うべきかな」

 

 予想外の事態と表現しているものの、しかし微塵も動揺は感じさせない。片方は自信が殺したとは言え配下の二人が死に、残りはコカビエル一人。状況のみを見れば、追い詰められていると思える。だが、追い詰められていようが、配下が全滅し王一人になろうが、チェックメイトを決められようが、盤面を丸ごとひっくり返すだけの力があれば、窮地は窮地とならないのだ。

 

 だからこそ、コカビエルは悠然と笑っていられる。愚かな者たちを嗤うことができる。

 

「しかし、なぁ。お前たちエクソシストは本当に滑稽だよ。敗色濃厚の戦いに挑み、傷だらけになりながら勝利を掴み取っても……その原動力たる信仰にはすでに罅が入っているのだからな」

 

「何を言ってる……?」

 

「罅って何のことよ!? 私たちは一切の疑いなく主を信じているわ!!」

 

 ゼノヴィアは剣を構えながら訝しみ、イリナは分かり易すぎるほどに憤慨を露にして問い質す。

 

「お前たちが崇める主、聖書に記されし神はすでに死んでいるのだよ」

 

 しかし、エクソシストたちの意気をコカビエルの一言は容易く打ち砕いた。

 

「な……に!?」

 

「そんなことあるわけない!!」

 

 驚愕し、そして反発する。それはエクソシスト、いや聖書の教えを信仰する者ならば当然するだろう反応をコカビエルは嗤い、そして嘲る。

 

「先の三大勢力の大戦で四大魔王が没したとされているが、やつらは神と相討ったのだ。故に、今も聖と魔のバランスが崩れており、そんなものが生まれる」

 

 コカビエルは佑斗の持つ聖魔剣を指しながら述べた。

 

「……とは言え、ミカエルを筆頭とする熾天使どもはよくやっているさ。長い間、その情報を漏らすことなく信徒たちから信仰を集め続け、『システム』を動かしているのだからな。………だから、神器システムのバグとされる『神滅具』が出現するのだろうよ。本来のシステム管理者がいるのなら、バグなど発生するまい。ましてや、神器の意義についていくつもの考えが横行することなど有り得ない」

 

 少し考えればわかることだろうに。コカビエルの語り口はまるでそう言いたげだった。

 

「そんな……」

 

「嘘よ、嘘……嘘嘘嘘嘘!?」

 

 絶望に暮れる二人のエクソシスト。その醜態を楽しみながらも、しかし、このあとに控えるメインディッシュに期待を抱く堕天使は、徐々に高度を落としながら本気を出すか前を取った。

 

「お前たちがどれだけ()つかは知らんが―――せめて、準備運動の相手くらいは務めてみせろよ?」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「行くぞッ!!」

 

 地に足を着けたコカビエルは光の槍を一本作り出し、それを軽く握って構える。降下する最中につけていた狙いに向かって一息の間に肉薄する。

 

「最初の狙いは僕か!?」

 

 エクソシストの二人は精神的なショックから立ち直っていないため警戒する必要がなく、リアス・グレモリーと姫島朱乃は攻撃力不足であり脅威には成りえず、残りの面子は後方で待機を決め込むようなのでこれも後回し。

 故に、初めに狙うのは聖魔剣使いの木場佑斗となる。選択した理由は単なる消去法だが、しかし斬りかかるコカビエルの胸には心躍るものがあった。

 

「ああ、そうだとも。正直、聖魔剣という未知のものに興味がある」

 

 神器の研究を積極的に行う組織に属するだけあって、神器への造形も深いコカビエルだったが、その彼をして聖魔剣などという代物は初めて見る。しかも、その性能は統合されたエクスカリバーを超えることがつい先ほど証明されているのだ。どこまで出来るのか(・・・・・)、それを知りたくて戦士の血が疼いていた。

 振り下ろされる光の槍を、ドガンッ! と爆音染みた音を響かせて佑斗と呼ばれていた聖魔剣の担い手は受け止めた。しかしながら、フリードとの戦いで重傷を負っている身だ。受け止めた衝撃により、傷口が悪化し、血が大量に噴出する。

 

「ぐ、ぬぅ……!!」

 

 好調とは言い難いコンディションであり、しかも地面がひび割れるほどの衝撃を受けてもなお、屈することなく槍を押し返そうとする剣士の覚悟は見事なものだろう。しかし、精神論だけで勝てるほど戦いは甘くはないし、それを理由にコカビエルが手加減することなどあり得なかった。

 

「そら、脇腹がガラ空きだぞ!」

 

 ボキボキベキィ、と骨の砕ける音が、蹴りを入れた佑斗の脇腹から鳴る。十数メートルは軽く吹っ飛んでおきながら、しかし闘志を失わずに立とうとする。

 だが、骨が何本も砕け、十メートル以上も吹き飛ばされるほどの攻撃を受ければ、内蔵や筋肉にまでダメージがいくのは当然のことであり、聖魔剣を支えにして立ち上がった佑斗は吐血しながら再度倒れ込んでしまった。

 

「木場ぁ!」

 

 左腕に赤龍帝の籠手を付け、事態を後方から見守っていた茶髪の少年が声を上げた。

 コカビエルは、赤龍帝と戦えるのなら良いと、かかってこいとばかりに手を招いて挑発するが、少年の主に邪魔される。

 

「イッセー、駄目よ! あなたは自分の役割を全うしなさい!! アーシアさえいれば佑斗の傷も癒すことができるのだから! コカビエルは私と朱乃が倒す!!」

 

(口ぶりから察するに………後方で数人に守られたあの金髪の少女―――アーシアとやらが回復系の能力を持つのか)

 

 聖剣で深々と斬られ、たった今コカビエルの打撃で骨をいくつも粉砕された少年さえ癒すことができる、と断言されるほどの回復能力。それ程のレベルの回復能力者は、数千年の時を生きるコカビエルから見ても珍しいものだ。

 

「まあ、しかし見込みが甘いな。甘すぎる」

 

 目前でわざわざ敵の治癒を見逃す阿呆はいないし、リアスは『女王』とともにまるで自分を倒せる風なことを宣っていたが、つい先刻まで良い様にあしらわれていたのは誰だったか、そんなこともさえ忘れてしまっているらしい。

 

「消し飛びなさい!!」

 

「雷よ!!」

 

 馬鹿の一つ覚えそのものである。全力での魔力攻撃、それが通用しないことはすでに証明されている。あまりの愚劣さに意気を削がれたコカビエルは、ため息を零しながらその場から飛翔して二人の攻撃を回避する。

 中で旋回し、二人と自分の位置関係を確認し、より近いリアスを標的に定めて突貫した。

 

「くっ、もう一度!!」

 

 もう一度と言っているが、すでにもう一度どころではない。何度も破られた全力魔力攻撃を再度放つリアス。

 

「だから無駄だと言っているだろう」

 

 極大の魔力塊を前にして、あえてコカビエルは進路を変えずに真正面から攻める。荒々しい魔力制御故に密度の薄い場所を見極め、そこに槍を突き立て一息に穿った穴を通り抜け、リアスの眼前に姿を現す。

 

「なんですって!?」

 

 驚愕するリアスに、もはやコカビエルは呆れることさえ億劫だと、槍を無造作に振るった。血潮が夜空を舞い、紅髪の上級悪魔は地上へと落下していく。

 

「これで一人……味気ない」

 

「部長を! よくもッ!!」

 

 背後から怒声と共に放たれた雷を軽く回避して振り返れば、指先をコカビエルへ突き付け表情を大きく歪めた巫女姿の女王が雷を纏って漂っていた。

 

「……………それほど激昂するのなら、『雷光』を使えばいいだろうに」

 

「うるさいッ!! 私はあのヒトの力になんて頼らない!!」

 

「事ここに至ってもそれか……まあ、いい。手早く終わらせるぞ」

 

 準備運動にもならない、茶番など早々に終わらせるに限る。

 聖剣に斬られても尚、闘志を失うことのなかった『騎士』と比べてなんと脆く、愚劣な『王』と『女王』だろうか。片や格上相手に無策で真正面からの突進を決断する低能、もう一方は仲間と主の危機だというのに己の下らない拘りを捨てることのできない自己中心的女。

 

(どちらも他者の上に立てる器ではないな)

 

 自身に向かう雷撃の波を前にコカビエルは槍を逆手に持ち替えて構えた。身体は半身に、足を前後に開いて槍を担ぐ。大きく広がった雷によって視界の多くが塞がれているものの、馬鹿のように術者がその気配を垂れ流しているので目で確認するまでもなく狙いをつけることが可能だ。

 

「……悪魔に下っているとはいえ、戦友の娘だ。死なん程度に加減してやろう」

 

「ッ!?」

 

 投擲された槍は空気を斬り裂き、紙のように雷を貫いた。僅か一瞬さえ拮抗することができなかったことに驚愕し、身を固める朱乃の腹部に光の槍が突き刺さる。

 

「くっ、あ……わた、しは」

 

 最後まで言う前に意識を失い、落下していく黒髪の『女王』。その様を見るコカビエルが呟く。

 

「『王』と『女王』がまったく同じタイプというのはあまり賢い選択ではないだろう」

 

 リアスにしろ、朱乃にしろ、その戦闘力は魔力に依存している。攻撃は魔力による遠距離のものがメインであり、制御技術を不得手とする反面で力押しになりがちという点まで共通しているのだ。これでは、『王』と『女王』が同じ戦術で破られてしまう。

 最強の駒であり、側近としても『王』を支える『女王』ならば、『王』の手が届かないところで働く必要があるのに、これでは右腕には決してなり得ない。

 堕天使であれ、悪魔であれ、個体差の激しい異形の集団をまとめるトップには相応の実力が求められる。であるならば、『女王』と同一の戦術で破られる『王』など落第も良い所だ。

 

「魔王の妹、公爵家次期当主と言ってもこの程度か………悪魔も随分と腑抜けたらしい」

 

 平和な世。成程、それは素晴らしいものなのだろう。いくつもの悲劇を内包した戦乱の世に比べれば、楽園のように思う者もいるに違いない。しかし、危機意識が薄くなり、己を錬磨することがなくなる、それは平和が抱える大きな問題だ。

 

 どれだけ取り繕ったところで世の中の本質は弱肉強食である。戦う本能を忘れ、爪牙を失った獣など食われるのみ。

 

 現在の三大勢力などまさにそれだ。天界はシステムの維持だの何だのと言って軍事を疎かにしている。神が消えたことで残された上位天使たちの負担が増えたことは確かなのだろうが、それは力を蓄えることを怠っていい理由にはならない。ましてや、天界は全盛期において他神話の領域で散々聖書を広げて領土侵犯を行い、恨みを買っているのだから、報復されないためにも戦力の拡充は必須のはずだ。

悪魔は戦いを忘れないためと宣いレーティング・ゲームなどという遊戯に現を抜かす始末。命の保証がされた遊戯と生死を賭けた戦場はまるで別物だ、ルールを取り決め、指定された日時に、多くても数十人程度の規模で、囲われたフィールドの中で行われるスポーツが一体どれだけ軍事教練となるのか、甚だ疑問である。

そして、堕天使。グリゴリは元々研究機関であり、戦闘員が三大勢力の中でも最も少なかったが大戦で、それがより顕著となった。ならばこそ、戦士の質の向上と量の確保が急務であるというのに、幹部の大半が日和見主義であるために勢力の拡大を行う気がないのだ。『神の如き強者』として創造された、堕天使総督アザゼルに至っては、神器の研究に没頭するあまり実力が大いに下がるほどだ。

 

 大戦で大きく消耗した、三大勢力は全盛期ほどの力を持たない。このままでは過去の遺恨から、諸神話に戦いを挑まれれば容易く滅ぼされてしまう。三大勢力が生き残るためには、戦うための力を取り戻さなければならないのだ。

 

「……聖魔剣使いもここで脱落か」

 

 空中戦を制し、地に降りたコカビエルは佑斗に歩み寄り、その状態を確認する。

 手足が微かに動いていることから、依然意識を失っていないようだが、立ち上がるだけの体力は残っていないことが見て取れる。コカビエルが空中で戦っている間に、悪魔にとっては毒にも等しい聖剣の力が全身に回ったのだろう。時間を置いたところで、回復するどころか増々悪化していくのみだ。

 

(と、なれば態々止めを刺すまでもないか………残るは赤龍帝とその他のみ。……準備運動にさえならなかったな)

 

「ぜああああああああ!!」

 

 戦意を叫びに乗せて、デュランダル使いのゼノヴィアがコカビエルに斬りかかる。その潔さと戦意は、彼女がショックから立ち直ったかのように思えるが、それは的外れだ。

 今も尚、彼女の心には『主の死』という杭が突き刺さったままである。彼女を突き動かすのは、『エクソシストとしての使命』や『共闘した者を救うため』といった言い訳でいくら脚色されようとただの意地だ。いわば空元気に過ぎない。

 

「そんな鈍りきった刃で俺を斃せると、本当に思っていたのか?」

 

 振り下ろされる刃に対して、左右の二枚の黒翼を交差させて受け止める。しかしながら、最上級悪魔たるコカビエルには計十枚の翼があるのだ。残り八つの黒翼を操り、ゼノヴィアを上方、左右、正面から攻め立てる。

 

「くぅっ!!」

 

「そうだな。お前の武器は剣一つ。個の数は捌き切れず、躱しきるだけの技量もない。

―――となれば、後方に下がるしかあるまい?」

 

 距離を取ろうとゼノヴィアが跳躍したその時。すでにコカビエルは光の槍を構え、投擲の準備を終えていた。

 そうして放たれた光の槍に対して、ゼノヴィアは滞空しているために回避行動を取ることができない。選択肢は迎撃か、防御か。彼女が選んだのは前者だった。

 

「くっ、あああああああああああッ!」

 

 正真正銘、全力で振るわれたデュランダルが、真っ向から槍と激突する。家事場の馬鹿力と呼べばいいのか、その一閃は今夜彼女が振るった斬撃の中でも屈指の威力を誇るものだったが、なにぶん位置が悪かった。

 彼女が今、居る場所は空中だ。当然、踏みしめるものなど何もない。一瞬、剣と槍が拮抗するも、全力の斬撃がそれと同等以上の威力を持つ高速飛翔物体とぶつかったことで、ゼノヴィアの態勢が崩れてしまう。

 体勢が崩れれば、無論のこと、手で握る剣の向きや位置にも狂いが生じる。デュランダルの刃が滑るように、槍を捉え損なった。

 残るは、空中で回避もできず、迎撃にも失敗した無防備な少女が一人。その腹部を光の槍が無情にも貫き、ゼノヴィアの体躯を校庭の端にまで吹き飛ばした。

 

 

 

 

 

 

 コカビエルの胸には、ゼノヴィアを下したこと対する感慨はなかった。先代と比べれば、あまりに呆気ない、雑魚と言って差し支えない子供を斃して、むしろどう喜べばいいと言うのか。

倒れ伏したゼノヴィアから視線を切り、一誠、イリナ、小猫、アーシアといった残りの面々と正面から視線を交える。

 

「グレモリー眷属よ、俺は戦争を起こすぞッ!」

 

 三大勢力の戦う本能を呼び起こし、諸神話に滅ぼされることを防ぐために―――

 

「堕天使が三大勢力のトップに立つためにッ!」

 

 天使や悪魔では駄目なのだ。弱点が多すぎるトップなど何時倒れる分かったものではないのだから――――

 

「お前たちはその礎となれッ!!」

 

 回復薬の少女を守るために、逃げることを許されない者たちへ向けて、コカビエルは全力の投擲を見舞う。聖剣使いと赤龍帝が前に出て、相殺しようと力を溜めているが、明らかに実力不足である。幾らかは削られるだろうが、残った力だけでも十分に彼女らを吹き飛ばせる。

 

 勝利と理想への第一歩を踏みしめたことを確信し、笑みを漏らすコカビエル。

 

 敗北を悟り、己の無力さを痛感するグレモリー眷属とエクソシスト。

 

「そこまでです」

 

 勝者と敗者が決定づけられた戦場。そこに突然乱入してきた戦姫に誰もが注目する。

 一つにまとめられた銀色の髪が光を反射する様は、まるで夜空に煌めく星のようだ。蒼天よりも尚澄み渡る、切れ長の瞳は高潔さと意志の強さを示している。

女らしい起伏に富んだ肉体を包む衣服は、シンプルなレディーススーツ。飾り気がないからこそ、女自身の魅力が際立つ装いだった。

 

 ドガァァアアン! 上空から猛スピードで落下してきた女が着地したことにより、爆音染みた衝撃音が鳴る。その足元を中心に蜘蛛の巣状の亀裂が入るほどの衝撃、それは地面だけでなく女自身にも伝わっているはずだが、眉一つ動かすことなく平然としていた。

 

 女は迫る光の槍を前にして左腕に持った十字盾を構える。その判断に一瞬の躊躇もなく、回避は元より度外視していることが誰の目にも明らかだった。

 堕天使幹部コカビエルの一撃を前にして、その瞳には怯えの色は一切ない。

 

 そして、槍と盾が真っ向からぶつかり合った。

 

 衝撃波が一瞬の内に広がり、校舎の窓ガラスが一斉に割れる。グレモリー眷属と聖剣使いが情けなくも吹き飛ばされる一方で、件の盾使いの女はその場に根を下ろしたかの如く小動(こゆるぎ)もしない。

 

「ふ、ふは、はははははは! まだ余裕があるな? では、これならどうだ!? 壊れた幻想(ブロークン・ファンタズム)!!」

 

 瞬間。十字盾と鬩ぎあう光の槍が炸裂し、女の姿は光と土煙に呑み込まれた。

 一手取った。しかし、コカビエルが油断することはない。相手は、己の投槍を真正面から受け止めても尚、余裕を保つほどの女傑なのだ。不意を打った爆裂一つで打ち取れる、甘い戦士ではあるまい。

 

 推測を超えた確信。それに答えるかの如く、美しい声が煙の中から発せられる。

 

禁手化(バランス・ブレイク)

 

 土煙を引き裂いて現れた女の姿は、一新されていた。左腕の十字盾はそのままに、胸部や腰部、脚部と腕部といった部位にのみ鎧が装着されている。神器の形状から防御系だと考えていただけに、装甲の薄さと部分鎧であることに違和感を覚えるが、神器には使い手の想いに応えて変化する性質がある。あのような禁手(バランス・ブレイカー)となったのも、おそらくは使い手の意思に関してのことだろうと結論付ける。

 

主を守る不壊の盾(アンブロークン・クロス・ガードナー)

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 




 後々この話も手直しすることになるかもですが、とりあえずの投稿でした。バルパンの退場、フリードのいつの間にかのフェードアウト、グレモリー眷属フルボッコ、コカビーの心情など、一気に展開が進みましたね! 

 そしてようやく登場する『戦車』さん。彼女を活躍させるか否か、今の段階に至ってもなお迷い気味というかなり優柔不断な私ですが………まあ、なんとかなるでしょう!(根拠皆無の謎の自信)



 名前:レイラ・ガードナー
 性別:女
 年齢:21
 属性:善
 駒:戦車
 称号:ヒト型城塞、くっ殺系女騎士
 保有する神器:不壊の十字盾(アンブロークン・クロス)

 銀髪をポニーテールにして纏めた北欧系美女。忠義天元突破勢の一角であり、その忠誠心はグラナが赤と言えば、敵兵を皆殺しにして地面を赤く染める程。尚、凶人一歩寸前の忠誠を除けば、真面目で義理堅い良識人でもある。

 保有する神器は、巨大な十字盾の『不壊の十字盾』。耐久力及び防御力の向上に始まり、障壁や結界の展開まで行える防御型神器。能力の応用により、対物理障壁やタイ魔術障壁、認識防御結界などを作ることも可能で防御面に関してはかなり多彩かつ優秀。ただし、それ以外の―――攻撃等に関する能力は一切有していないので、かなり尖った性質と言える。
 禁手は『主を守る不壊の盾』。本来の禁手は重厚な全身鎧を纏うものであり、レイラの部分鎧を纏う禁手は亜種。「重厚な鎧は防御力が向上するが、動きが鈍くなり、その結果として主の危機に間に合わないようでは盾として失格」というレイラの考えが反映されたために身軽な部分鎧を纏う形態となった。
 ちなみにその防御力はグラナの一派の中でも随一であり、全力時のグラナやヴァーリでさえ手間取るほど。


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10話 石頭なんだよ

 例によって更新が遅いけれど、怒らないでください! ゲームや他の小説が面白くてそっちに時間を費やしていただけなんです! ………普通にダメな感じの言い訳だなこれ。


「くはははは! 堅い守りだな」

 

「我が身は主を守る一つの盾。ならば、これも当然のことです」

 

 コカビエルは惜しみない賞賛を送るが、当のレイラはそれを躊躇なく当然だと切り捨てる。言葉を交わしながらも両者は戦いの手を一切止めることがない。

 速度と攻撃力に手数など多くの点で上回るコカビエルが終始攻め立てているが、それは決して彼の優位を示してはいなかった。レイラがコカビエルに勝る防御力、そのただ一つの要素をコカビエルには決して超えることができていないからだ。

 互いが校庭を駆け回りながら、槍と盾を打ち合わせるたびに轟音が鳴る。コカビエルの踏み込みで地面が割れる。上段中段下段へと三連続の突きを見舞い、振り戻す勢いをそのまま回転に使い、側面から槍を叩き付ける。

その全てがフェイントでも何でもない全力のものだ。並の上級悪魔であればミンチになるどころか、光力に耐え切れず灰も残らず消滅しているだろう。

 

 ――だが、レイラ・ガードナーは倒れない。

 

 いや、その言い方さえ不適当だ。コカビエルの渾身の連撃を、無傷で捌き切ったのだから。

 最初の三連突は一撃ごとに盾の位置と向きを微調整することで、正面から受け止めるのではなく、盾の表面を穂先が滑るようにして全て受け流した。続く側面からの叩き付けだが、装甲に覆われた腕で穂先を下からかち上げる(・・・・・)ことでまたしても軌道を逸らした。

 前者の対応はまだ理解できる。ひたすら盾術を学び、実戦経験を積んだ歴戦の猛者ならば、自身の視界さえ塞ぐ大盾を手足のように扱い、その程度のことは可能とするだろう。しかし、後者の対応は流石のコカビエルとて瞠目した。何せ、僅かに受ける位置を間違えれば腕を切断されかねず、タイミングを誤ればほぼ無防備な状態で攻撃を受けることになるのだ。それほどのハイリスクを侵して得られるリターンはたった一つの攻撃を捌けるというだけのこと。まるでリスクとリターンが釣り合っておらず、ならば後方に跳躍するなりして回避したほうが遥かに無難のはずだ。

 しかし、レイラはそれだけのことをしておきながら冷や汗一つかいていない。彼女にとって、先ほどのやり取りが何でもないことだという証である。

 余人が絶技と呼ぶだろうそれが、レイラにとっては何でもないものなのである。

 

 ――リスク? 失敗しなければそんなものは無いのと変わらない。

 

 達成感も疲労も感じさせない、冷たい面貌は、まるでコカビエルにそう語り掛けているかのようだ。

 

 その不敵なる自信を見て取り、コカビエルは戦士の笑みを作った。侮っていたつもりはない。だが、想定を超えていたことは事実。その力量を称賛し、認めるがゆえに己の全力を見せねばなるまいと奮起するのだ。

 

「では、これならばどうだ!」

 

 レイラは悪魔、コカビエルは堕天使。互いに翼を持つ種族。その戦場は地上に限定されることがなく、空中も含めた三次元的なものとなる。

 上空に陣取ったコカビエルは、その全身から光力を放出し、僅か数瞬の内に数十本もの槍の葬列を生み出した。

 

 

 

 

 

 

 

(すげ)え」

 

 コカビエルとレイラの攻防。コカビエルの速度は目で追えるものではなく、レイラの技巧は常識の範疇の外。両者の鬩ぎあいは『理解できないほどに凄まじい』ということを、一誠は感覚で理解し、知らず知らずのうちに声に出していた。

 そして、その思いを抱いたのは一誠だけではない。一度は吹き飛ばされバラバラになった仲間たちも、再び一誠の元に集まり、食い入るように戦いに見入っていた。

 

 イリナは己たちが挑もうとした堕天使幹部の強さに恐れを抱き――

 

 小猫はレイラの防御に、同じ『戦車』として尊敬を向け――

 

 アーシアは戦況の把握がままならなくとも、戦場の猛々しい空気に呑まれまいと気合を入れ――

 

 そんな思いなど知ったことがないとばかりに、無遠慮に投げかけられる声に四人の意識を戻る。

 

「おい、届けものだ」

 

 声の主は金髪金眼と褐色の肌が特徴的な美丈夫、グラナ・レヴィアタン。彼は脇に抱えていた、リアス、朱乃、佑斗、ゼノヴィアの四名を一誠たちに向けて投げ渡した。

 

「部長さん、朱乃さん、木場さん、ゼノヴィアさん!」

 

 意識を失い、荒い呼吸を繰り返す三人にアーシアが縋りつき、安否を確かめる。すぐさま両手を当てて神器を発動させ治療を始める。

四人をここまで運んできたグラナは、そのことに何も感じ入るところがないらしく肩をグルグルと回して調子を確かめながら、まだ間に合うのだと告げる。

 

「四人とも重傷だが………傷を塞いでおけばとりあえず死ぬことはないはずだ」

 

「なあ、おい」

 

 一誠の声は、わざとでなくとも、険のあるものだった。睨むような目で問い詰める。

 全滅の危機に直面した瞬間に乱入したレイラの存在。そして、現在も眼前で行われているコカビエルとレイラの激闘。そこで披露される歴戦の技の数々。

 それらに驚愕し、目を惹き付けられていたのは事実。それこそ、僅か一時とはいえ、負傷した仲間の存在を忘れてしまうほどに、見入ってしまっていた。ただし、それほど鮮烈な印象をのこされる出来事が連続していただけであり、仲間への思いが希薄ということを意味しない。こうして苦痛に呻く仲間の姿を見れば悔恨と憤怒が沸き上がる。

 

「お前は……いや、あの女のヒトも入れたらお前たちか。お前たちはずっと前から、この戦いを見ていたんじゃないのか?」

 

「そうだ、と言ったらどうする?」

 

「どうしてだよ。木場も部長も朱乃さんもゼノヴィアも傷ついてる。それも擦り傷やかすり傷なんかじゃない! 重傷だ!」

 

「見ればわかる」

 

 抑揚のない声音。若干ずれた返答の内容。それはグラナが、リアスたちが傷ついたことを本当に何とも思っていない証拠であり、より一層、一誠の語気を強くする。

 

「どうして!? どうしてもっと早く介入してくれなかったんだ!? あの女のヒトだけでもコカビエルと互角じゃねえか!? それこそお前があのヒトと組んで早く戦ってくれてたら、皆こんなに傷つかなくて済んだはずなのに!?」

 

 前にも言ったはずなんだがなぁ、とため息を吐いてから、グラナは答えた。

 

「ルシファー様、レヴィアタン様から受けた依頼は『グレモリー眷属とシトリー眷属で対処できない問題が起きた場合の対処』だ。しかし、最初から丸ごと俺が解決しちまったらお前らが経験を積めなくなる。それじゃあ、わざわざ人間界にまで上級悪魔の令嬢が留学しに来てる意味がねえだろう? 

 だから出方を見ていたんだよ。

それと、まるで自分たちに全く非がないとでも言いたげな被害者面をしてるがな……。仮にグレモリー眷属(お前ら)が俺に救援要請をもっと早い段階で出していれば、そりゃ介入もしたさ。だが、お前らはそれを選ばなかった。神父姿の囮作戦もこの場所に来ての決戦もあくまでお前らが勝手に選んだことだ。その四人が倒れてんのはその結果だ、自分たちの無能を棚に上げて俺に責任を擦り付けるなよクソガキ。

まあ、あれだな。痛い目を見るのも経験の内っつうことで受け入れろ」

 

 ここで何か口にしても、それはただの感情からくる癇癪だ。グラナは、反論できずに手を固く握りしめるだけの一誠に一瞥もしない。興味がない。ここまで会話に付き合っていたのも、準備運動を終えるまでの暇つぶしに近かったのだろう。

 沈鬱なグレモリー眷属とイリナの様子に構うことなく、グラナは戦場へと歩みを進めていった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「レイラァ! 交代だ! お前はグレモリー眷属とエクソシストどもを守ってろ!」

 

 盾と槍の打ちあう音に混じって、男の声がどこかから届く。その出所をコカビエルが探るよりも早くに跳躍して下がるレイラの反応は最早脊髄反射の域である。

 

「オラァッ!」

 

 後方に下がるレイラと入れ替わるように、コカビエルの眼前へと飛び出した人影こそが声の正体。褐色肌の拳を魔力で強化して殴りかかる男が己の名を告げる。

 

「グラナ・レヴィアタンだ。魔王サマからの依頼でてめえをぶちのめしてやるから感謝しろ」

 

 剛拳を光の槍で受け止めたコカビエルの腕に、ビリビリと衝撃が走る。己に殴りかかったグラナと名乗る男から感じられる魔力の強大さ、光の槍に触れても焼けない拳を見て、歓喜に打ち震える。

 

「成程、成程! お前は旧レヴィアタンの末裔なのだな!! 金髪金眼に褐色肌の外見的特徴だけでなく、その特異な体質までも受け継いでいると見える!!」

 

 旧レヴィアタン、嫉妬の蛇とも呼ばれた悪魔が、魔王という悪魔の頂点に立てた理由の一つが全悪魔の中で唯一保持する特異体質である。

 

「初代レヴィアタンには苦戦させられたものだ! なにせ悪魔でありながら悪魔祓いが通用しないのだからな!」

 

「だろうな。この体質の前じゃあ、聖水は飲料水、十字架は妙なオブジェ、光の槍はただの槍に成り下がる。悪魔としての弱点(・・・・・・・・)をゼロにできる体質(これ)は中々便利だぜ?」

 

 不敵に笑いながら宣うグラナは、コカビエルの槍を拳一つで迎撃していく。グラナの拳は槍の側面を捉えて軌道を逸らすのではなく、真正面から穂先にぶち当たっているのだ。しかも、その褐色の拳には傷一つ付かないときた。その光景は、一般的な悪魔と光の相性を知る者が見れば唖然とするものだっただろうが、コカビエルには見覚えのあるものであり、同時に納得するものでもあった。

 

「ちぃ! 『不死身』の特性まで持っているとは、増々初代レヴィアタン(あの女)を思い出す!」

 

 初代レヴィアタンが有した特異体質は、なにも悪魔祓いが効かないというものだけではない。元々、初代レヴィアタンは巨大な海の怪物であり、その鱗はあらゆる攻撃を通すことがないことから『不死身』と称された。

 悪魔に堕ちてからも初代のその防御力は健在であり、その肉体こそが最強の鎧であったほどだ。

 

 グラナは、その防御力まで発現させているのだ。悪魔祓いが効かない体質により特攻を失った光の槍は、桁違いの頑強さを有する肉体を貫けないでいた。

 

「くくっ。おいおい、どうしたよコカビエル。まさかその程度じゃねえだろ? 堕天使幹部の、最上位堕天使の底力を見せてみろよ」

 

 そして、肉体が頑強ということはそれだけ攻撃力が高いということにもなる。拳を振るえば槌となり、指先は短剣、蹴りは文字通りの足刀だ。全身が凶器と言っても過言ではないだろう。

 しかもグラナの体技は凄まじい冴えを見せる。攻撃に依らず、防御にも依らず、回避に依ることもない。攻撃、防御、回避、その全ての錬度が達人の域にあるために隙が無いのだ。

 貫手を槍の如く突き出し、拳は破城槌にも似た迫力がある。側頭部を狙う上段蹴りに続いて繰り出されるのは、膝を真横から潰す下段蹴り。顔面、胸部、腹部に続けて放たれる三連続の直蹴りは槍術の如き鋭さと速さを有していた。

 腰に差した一振りの刀を抜くことなく、防御はその身一つでこなす。時に槍を真正面から殴りつけ、時には踏みつけてコカビエルの動きを止めることさえしてみせる。

 回避は身体能力と技術に任せたものだ。そこに蝶の舞うような優雅さは皆無であったが、無駄のない洗練された武の輝きに見る者の目を奪わせる。

 

 正しく千変万化。清流の如き美しさと、荒波の如き力強さを同居させている。

 

 ―――しかし、コカビエルは倒れない。

 

「ォオオオッ!」

 

 成程、速度で劣っているのだろう。攻撃力で劣っているのだろう。防御力でも劣っているのだろう。だから、どうしたと言うのだ。その身はかつて創造主たる神や、破壊の化身たる二天龍に挑んでも生き延びた堕天使幹部。スペックが上の相手など今までにごまんと見てきたのである。その程度のことで臆するほど、(やわ)な生涯を歩んできたつもりはない。

 歴戦の経験とその中で培われた技巧を駆使してコカビエルは立ち回る。

 剛拳を受け止めたことで罅割れた槍には即座に力を注いで一秒にも満たないうちに修復し、槍を絡めたられれば取り戻そうとするのではなく新たに作り出す。攻撃を続けざまに躱されても前のめりにならずに、己のペースを維持して好機を窺った。

 

 ――そして、チャンスが到来した。

 

 人外の膂力を持つ戦士たちが攻防を繰り返す中で、校庭には無数の穴と罅が生じていた。いくら馬鹿力をもっていようとも、躓くときは躓く。一目見てはわからないほど小さな隆起に足を取られるグラナ。姿勢の崩れを最小限に止める技術は称賛物だが、その僅かな隙さえコカビエルは見逃さない。

 

「ちぃッ!」

 

 槍が防御を貫けないのならば、それを弁えた上で攻撃すれば良いだけのこと。槍の穂先で貫くこと、斬り裂くことを諦め、柄頭での打撃へと変更。顎を打てば脳震盪を引き起こせるし、足に絡ませて転ばせることも可能だ。そこに防御力如何など関係する余地がない。

 

 僅かな隙を突いて繰り出される技の数々。態勢を立て直す暇を与えなどしないとばかりの攻撃はその一つ一つがコカビエルに出せる最速であり、最高のものだった。一撃たりとてフェイントを混ぜることなく全てが全力。

それを捌くグラナの技量は凄まじい。その一言に尽きるが、徐々に遅れが出始める。一手の遅れが二手の遅れへと繋がり、二手の遅れが三手の遅れと化す。

 

 その連鎖が何度も何度も続けば、いずれは取り返しの付かない致命的な遅れとなるのが道理だろう。

 

 僅かな罅でも、叩き続ければ巨大な亀裂と化すように、遂にグラナの態勢が完全に崩れた。駄目押しとばかりに足払いを仕掛けられた体が宙を舞う。地面に落ちるまで、あるいは翼を展開するまでの数瞬。その間に決着をつける算段が、コカビエルにはあった。

 

 グラナの防御力は、コカビエルの槍でも貫けない。その事実はすでに証明されている。何度も何度も、素手で真正面から槍を掴まれ、弾かれ、殴り返されれば馬鹿でも理解できることだ。

 

 では、拳以外の部位ならばどうか?

 

 そもグラナが拳に魔力を纏って強化している。筋力、速度、そして防御力・耐久性等を引き上げる身体強化。魔力の使い方としては非常にメジャーなものだ。

 この戦いにおいて、グラナは終始、攻防でコカビエルを圧倒している。が、槍に触れるのはほとんどが拳だ。足で槍を踏みつけることもあったが、拳のように真正面から打つ合うことは決してない。

 

 嫉妬の蛇(レヴィアタン)の防御力は確かに高いのだろう。しかし、グラナの防御力は、若さゆえか、本人の才覚不足が原因かは知らないが、あらゆる攻撃を無効化できるほどではないのだ。故に、魔力で強化した拳だけが、槍と真っ向からぶつかっても負けることがない。

 

 ――それはつまり、魔力で強化していない部位ならば、コカビエルの槍が貫ける可能性が存在することを意味している。

 

「これでッッ! チェックメイトだぁああああああああああ!!」

 

 足払いをかけ、宙に浮かんでいるために、この数瞬の間だけは回避行動がとれない。さらに言えば、グラナの両腕は宙に浮かぶ前の攻防により大きく後ろに流されてしまっており、防御に使うことは不可能だ。

 完全なる無防備。狙いは魔力を纏っていない額。柄頭から光力を噴射し加速する槍が、グラナの額へと突き立てられた。

 

 コカビエルが抱いた勝利の確信と喜悦。しかしそれは、一瞬の後に驚愕へと変わる。

 

「残ァーー念!」

 

 三日月に歪んだ、グラナの口から、心底楽しそうな声が飛び出す。何故、額に槍を突き立てられて平然としているのか。答えは単純だ。

 槍は突き立てられているだけで、突き刺さっていないのだ。ただの皮膚の一枚すら貫くこともできずに、コカビエルの渾身の一撃は無防備な額に受け止められていたのである。

 

「な、にぃ!?」

 

「石頭なんだよ、悪かったなァ……!!」

 

 そしてお返しとばかりに放たれる拳が、渾身の一撃を放った直後であるが故に、無防備であったコカビエルに深々と突き刺さる。拳がめり込み、骨が折れる音が鳴り、筋肉と内臓が軋む感触がグラナの拳へと伝わった。

 

 




 はいはい、最後の攻防。いやーコカビーさんはグラナ君の素の防御力なら敗れると考えていたようですけど、それは間違いだったようですねー。まあ、そのあたりの解説は次回にしたいなぁと思っています
 さて、今回の話でも、作者の好きなキャラのセリフをぶち込んであります。気付いた方は感想にて答え合わせをしましょうか?


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11話 すべては仕組まれていたことでした

 前回の石頭発言………あれ、ジャンプ漫画のサイレンのセリフなんですけど、誰も気付いてくれなかった。影虎さん、好きなんだけどなぁ


 バリィィイイイイイン!!

 

 コカビエルとの決着がついた戦場に、まるでガラスが割れるような音が響き渡る。音源は上空、結界を突き破った侵入者は白い龍の鎧に身を包んでいた。

 

「久方ぶりだな、グラナ。どれだけお前が強くなっているのかと観戦していたが……思ったより長引いたな。いや、あれだけ加減していれば妥当というべきかな?」

 

 話を聞かない系戦闘狂たるこの男。今も己に警戒と猜疑の目を向けるグレモリー眷属+αの視線を見事に無視している。きっとその心臓には毛が生えているのだろうが、親し気に語り掛けられる俺のほうにまで警戒の目が向けられることに気付いてほしい。グレモリー眷属の戦闘力などチワワ程度の認識ではあるが、だからといってわざわざ吠え立てられたい趣味があるわけではないのだ。

 

「まあな、ヴァーリ。全力を出せば秒殺もできたが……堕天使側(お前ら)との協定上殺すわけにもいかねえし、かといって加減して楽に勝てるほど弱い男でもなかったよコカビエルは」

 

 堕天使側の使者に、コカビエルの身柄を引き渡す。その代価として、悪魔側は事態の収拾を図ることとする。厄介事を押し付けられたようにしか思えないが、どうやら上層部はそうも考えないらしく、若手の貴重な成長の機会と捉えたからこそこの代価となったのだろう。それは翻って、あるいは穿った見方をすれば、人間界への被害ないしは人間という種族そのものへの侮りとも取れるのだが、今に始まった話ではない。

 

「……コカビエルを連れて帰る前に一つ聞かせてもらっても構わないか? 最後の攻防、あれはお前が誘導したものなのか?」

 

 戦闘狂らしく、楽し気さえ滲ませて問いかける白龍皇。任務の最中、悪魔の領地内でさえ己のスタンスを崩さない一貫性は、ある意味流石と言って良いだろう。どこまでも己の気持ちには正直に、己の意思を貫徹する姿勢こそがこの男の強さの根源なのだ。

 切り札の情報は決して漏らさない主義の俺だが、今回の策は正直、漏れたところでどうということはないレベルのことなので首肯を返してやる。

 

「ああ、そうだよ」

 

 全力を出せば殺してしまいかねないので、コカビエルを生きて捕らえるためには加減する必要があった。しかし、加減した状態では中々勝つことも難しいだけの技術と経験をコカビエルが有していたことも事実。

 そこで、何度かの攻防を経て、このままではじり貧であると判断し俺はとある罠を仕掛けた。それが、ごく僅かに、かつ自然な形で態勢を崩すというものだ。極小の隙であろうとも、それをコカビエルは見逃す戦士ではない。

 予想の通りにコカビエルは、隙を突き、拡大させ、そして必殺を確信して渾身の一撃を見舞った。

 無防備に額で槍を受けることができたのは、槍を何度も殴る中で素の防御力でも傷がつかないと確信していたためだ。

 

「……陳腐な言い方になるが、コカビエルはずっと俺の掌の上で踊っていたってことだ」

 

「ふっ、ははははは! 堕天使の幹部をこうも容易く手玉に取るとはな! またいずれ、全力で死合(しあい)たいものだよ」

 

「そりゃタイマンの誘いか? 生憎と自分と互角の野郎と真っ向から戦いたくはねえな。お前が挑んでくるのなら、俺は配下と共に袋叩きにしてやるぜ」

 

 囲んで殴る。古来より伝わる、もっとも単純であり最も確実な戦い方だ。相手が雌雄を決することを望んでいるとしても、どうして俺がそこに付き合う必要があるのか。ましてや、当の相手が自身と同等の力量を持つ男ならば猶更だ。罠を張り、策を練り、そして叩いて潰す。戦いですらない処刑をくれてやる。

 

「――さて、と。あちらが俺の宿敵クンか」

 

 校庭へと降り立ち、気絶するコカビエルを肩に担いだ、ヴァーリの視線の向く先はグレモリー眷属――正確にはその『兵士』たる兵藤一誠だ。唐突に視線を向けられ動揺する赤龍帝を品定めする気配が兜の奥から伝わってくる。しかし、それも数秒程度のこと。すぐにヴァーリは視線を打ち切り、どこか失望と納得を一人で勝手にしていた。

 

「……彼では俺の好敵手(ライバル)にはなれないだろうな」

 

「そりゃそうだろ。お前とアレじゃあ格が違う」

 

 神をも滅ぼす『神滅具』の一つ、『白龍皇の光翼』とそれを十全に扱う才能を持って生まれたヴァーリは紛れもなく戦闘において天賦の才を有している。おまけに、本人の気性が、戦いを好むものであり、厳しい鍛錬をものともしないストイックさまである。

 対する赤龍帝こと兵藤一誠が持つものは神滅具のみ。平和な日本の一般家庭という、おおよそ幸福な環境で育ったために悪魔に転生するまで戦闘系の鍛錬を一切積んでこなかった。戦闘以外の分野でも、取り立てて目立った成績を残したことは無く、そのことから何かに本気で取り組み努力したことがないのは既に判明している。取り柄と言えば性欲のみ。それすらも性犯罪に手を染めている時点で汚点というべきなのだが。

 両者の差は歴然だ。生まれ持ったもの、そしてこれまでの生涯の中で磨き上げたもの、精神性、ありとあらゆる面でヴァーリが勝っている。ただの変態風情が、ストイックな天才に勝てるはずがない。と言うか、自分と同格のヴァーリが変態に負けたりしたらかなりショックを受ける自信がある。

 

 少しばかり赤白勝負に関して思いを巡らせているうちに当の二天龍同士で話し始めていた。ヴァーリの光翼と変態の籠手から、強烈な存在感を伴った声が発される。

 

『だんまりか、白いの』

 

『久しいな、赤いの。どうやら出番はまるで無かったらしいな』

 

『宿主が弱いからな。これからだよ、アルビオン』

 

 どうやら赤龍帝とまで謳われたドライグ・ア・ゴッホは長年の神器生活により日和(ひよ)ったらしい。彼の言う通り、弱者にはそれだけ伸びしろがあることは事実だが、天龍ほどの大物が成長するまでの時間、敵対者が悠長に傍観していると考えている。愚かな考えだ。

例えば、俺が何か心変わりして今すぐに兵藤一誠を殺そうと襲い掛かれば、普通に殺せてしまうだろう。戦いを引き寄せる性質を持つドラゴンでありながら、成長するための時間が豊富に存在すると前提に置いているのだから、お笑い草である。

 

『いや、今回はこちらの勝ちだ。正直、負ける気がしない。こうして対面して理解したよ、私も宿主もな』

 

『ほう、言うじゃないか』

 

 肉体があれば好戦的に口角を吊り上げていることを容易く想像できるドライグ。対する白龍皇ことアルビオンは自信のままに笑いを返している。

 

「……なんだ、二天龍って意外と仲がいいのか?」

 

 その問いに答えたのは当人ならぬ当龍たちではなく、その片割れを宿すヴァーリだった。

 

「ある意味ではそうだろうな。なにせ封印される前も、された後もひたすら戦い続け共に高め合ってきた間柄だ。そこには敵意以外の感情もなければやっていられないだろう」

 

「あ~、何となくわかるかも。俺もムカつく野郎は基本、一回の勝負で決めるからな。拷問も最初のうちは愉しいんだが、やってるうちに萎えてくるし」

 

 戦いにせよ、拷問にせよ、それは相手と対面して行うものだ。それを繰り返すということは、必然、何度も顔を合わせることになる。しかし嫌いな相手の顔なんぞ、そう何度も見たいものではない。二天龍が、封印されるまで世界各地でドンパチと元気よく、傍迷惑に戦い続けることができたのは互いに認める部分があったからなのかもしれない。

 

「とはいえ、封印されてからも戦いを続けるのはどうなんだよ……馬鹿は死んでも直らねえな」

 

『何だと、二天龍と呼ばれた我らを愚弄するか小僧?』

 

 旧知の相手と再会したことによる穏やかさから一転。ドライグが殺気を露に憤怒している。俺はその殺気を柳に風とばかりに受け流し、調子に乗った赤龍帝を黙らせる魔法の言葉を口にする。

 

「黙れ。女から宝を借りパクした挙句逃げ続けてるヒモドラゴンの分際で調子に乗るなよ」

 

 俺が魔法を唱えてから数秒。言葉の意味を理解するに十分な時間が流れると、ドライグの怒りは驚愕へと塗りつぶされた。

 

『何故知っている!?』

 

「は? いやいやそんなことどうでもいいだろ。いいか、今回は初犯だから仏心を見せて許してやるがな……次に調子に乗りやがったらお前がヒモドラゴンだってことを全世界にビラにしてばら撒くぞ」

 

 二天龍から二天龍(笑)への即時ジョブチェンジである。尚、アルビオンが完全に巻き添え食らっていることに関しては気にしてはいけない。

 

「二度と表道を歩けなくなり、すれ違った相手には毎度毎度後ろ指をさされる精神的地獄に叩き落してほしいのか?」

 

『や、やめろぉぉおおおおお!! というかアルビオン! 何なのだ、この外道は!?』

 

『遺憾ながら、本ッッッッ当に遺憾ではあるが、我が宿主が生涯のライバルだと見定めた男だよ。………気を付けろ、ドライグ。この男、普通に戦っても相当に強いくせに手段を選ばんからな。宿主(ヴァーリ)も以前、四肢を砕かれた上に気絶した状態で丸太に括りつけられて川流しに遭ったほどだ』

 

 ヴァーリの方から戦闘を仕掛けてきた際に返り討ちにしただけだというのに、さながら俺を悪党のように言うアルビオン。あの場で殺すこともできたのに、わざわざ無力化程度で許した俺の気遣いを理解するだけの脳がないらしい。

 これでは、二天龍と呼ばれながらも、貧相な知性しか持ち合わせないドラゴンにため息を吐くしかないではないか。

 

「なあ、ヴァーリ。アルビオンの言い分、言い訳をどう思うよ? 誇り高いドラゴンであるはずなのに、吠えることしかできてねえ」

 

「アルビオンとて敗北は理解しているはずだ。ただ、力の権化たる彼にとって初めて味わう類のものだったのだろう。単に咀嚼に手間取っているだけさ」

 

『ヴァーリぃいいいいい!? しっかりしろ! そいつの張った、底意地のひん曲がった罠の数々を忘れたのか!? 抵抗できないお前を、喜々として甚振ったそいつになぜ高い評価を出せるんだ!? というか、あれを敗北と呼んで良いのか!? 私には戦いだったようにすら思えんのだが!?』

 

「ふっ、アルビオン。自分の常識だけで物事を測るようになっては成長できないぞ。あの巧妙な罠の数々、配下と協力しての全方位からの不意打ち。あれは、俺たちにはない強さの形だった。如何に悔しくとも、それを真摯に受け止めねば前には進めまい」

 

 話はこれで終わり、とばかりに背を向けて飛び立ってからも、肩に担いだコカビエルの存在を忘れたように相棒とあれやこれやと議論するヴァーリの姿はとても戦闘狂とは思えない。常時、あのテンションでいてもらいたいと切実に願う。

 

(ヴァーリがコカビエルを連れてったし、俺も町の修繕に戻るか)

 

 これから行う、時間のかかる面倒な作業に辟易しながら踵を返すも、強い語気で呼び止められる。無視してもいいのだが、それはそれであとで難癖を付けられそうなので、仕方なく振り返る。名を呼ばれずとも俺の隣に侍っていたレイラが、形の整った眉を顰めたのを視界の端で捉えながら、声の主に問いかける。

 

「……何だ」

 

「何だじゃねえよ!! どうしてコカビエルを渡してんだ!? それに協定って、裏切ってたのか!?」

 

 何もできなかったくせに――否、暴走した挙句間抜けを晒してばかりだった勢筆頭の兵藤一誠が怒鳴ってくる。睨みを利かせているのはこの変態だけではなく、茶髪ツインテールのエクソシストも同様だ。回復役のアーシア・アルジェントは負傷者の治療に専念し、塔上小猫は様子見を決め込んでいた。

 

「私は彼が裏切っていたとは思えませんが……。詳しい話を聞かせてほしいですね」

 

 涼やかな声が、グレモリー眷属+αと俺の間に割って入る。声の主は兵藤一誠にとって知己であり、悪魔としての立場が上だ。見てわかるほどに、彼の激情は内面へと押し戻される。無論、納得はしておらず、感情が燻ぶっているのは丸わかりなのだが。

 

「おぉ、ソーナか。お前には事件が収束した後に話そうと思ってたんだぜ、一応な」

 

「それはどうでしょうか。グラナは少々、物臭なきらいがありますからね。誰かに説明を丸投げして、その口から語らない……私にはその可能性がかなり高いように思えますよ」

 

 と、駒王学園の生徒会長は眼鏡の位置を調整しながら評する。その動作といい、まごつかない口調といい、一般的な男子ならば見惚れるようなものなのだが、会話の内容は俺の信用度が皆無と非難しているだけなので、まるでときめく要素がない。

 まあ、友人からの信用が半端であることにショックは受けない。町の修繕だの報告書の作成だのを考えただけで憂鬱となりそうな現状である。ソーナへの説明は姉の魔王少女に丸投げしようか、と半ば本気で考えていたのも事実なので否定することもできない。

 

「じゃあ、そうだな……初めから話すか。ソーナには、俺がコカビエルを斃せる根拠を二つ示したよな? 実はあれ嘘なんだわ」

 

「はい、そうですか……って、え? どういうことです? 初っ端から特大の爆弾なのですが」

 

 驚愕し目を大きく見開いた容貌は、普段の物静かな姿とはまた違った魅力がある。この姿を撮った写真を、彼女の姉に渡せばかなり高額で引き取ってもらえるであろうことは請け合いだ。それをやってしまうと、本気でソーナが凹むのでやるつもりはないが。

 

「あのとき挙げたのは『十年前の経験』と『堕天使側の友人からの情報提供』だったよな?」

 

「ええ」

 

「ソーナが俺のことを信用していたのか知らんが、よくよく考えるとこの二つって根拠とするには弱いんだよ。特に命を懸けた実戦っつう状況を想定するならな。

 『十年前の経験』っつったって、そんなクソガキだった頃の観察眼なんて当てにできるわけねえし、コカビエルがガキ相手に本気を出していたとも考えづらい。十年の歳月の中で、記憶が錆びついているってこともありえるし、コカビエルが現在までに実力を高めている可能性だってある」

 

 不安要素は考え出せばキリがなく、しかし確証はまるでない。これでは『十年前の経験』なぞ参考にはできないだろう。

 

「で、次の『堕天使側の友人からの情報提供』ってのは、まあ、この友人ってのがさっきまでこの場にいたヴァーリなわけで、俺はある意味あいつのことを信用しているんだが……、『十年前の経験』が根拠にならないとすると、残るのは『堕天使側の友人からの情報提供』だけだろう? こんな曖昧な根拠だけじゃ命は賭けられんわな」

 

 例えばヴァーリがコカビエルと碌に交流が無かったら。例えばコカビエルは常に力を抑えているようだったら。

 そうしたifはいくらでも考えることができてしまう。そのうちの一つでも真であるのなら、ヴァーリの証言の価値は途端に落ちる。

 

「成程、確かに納得させられます。しかし、あなたはこうして戦場に現れた。それはつまり先に挙げた根拠とは別の、勝利への確信があったから来たのですよね?」

 

「ああ、まあ単純な話、見定め終わってたんだよ。ソーナがポンコツ二人組と遭遇してコカビエルの一派がこの町に侵入していると聞いた時には、コカビエルの実力を測り終えていた。それだけのことだ」

 

「それは……どうやって、と訊いても構いませんか?」

 

 手の内を明かさせること躊躇いを覚えているようだが、俺が使った手段は珍しいものでもないので隠す必要もない。手をひらひらと振り、気にするなと言外に伝える。

 

「俺の従える使い魔に管狐っつう妖怪がいる。こいつらは体小さい上に妖力も少ねえから滅茶苦茶弱いんだが、数百匹の群れを形成する点と連携能力が高い点が特徴の種族だ。

俺は魔王サマの依頼を受けてから、こいつらを三匹ずつグレモリー眷属とシトリー眷属の面々に張り付け警備していた。で、だ。両眷属を合わせて二十名にも届かないんだから、そこに動員される管狐の数は六十に届かないってのもわかるよな。じゃあ、残りは?」

 

 ソーナは暫し顎に手を当てて考え込む。その時間は短く、才媛と呼ばれるだけあり僅か数秒の内に正答を口にする。

 

「……まさか町の全域に放って警戒網を作っていた?」

 

「その通り。だから、コカビエルがこの町に入ってきた瞬間から騒動には気づいていた。で、当然、監視も付けるわな。飯食ってる時も、クソしてる時も、寝てる時もひたすら観察を続けりゃ、そりゃあ実力くらい見抜ける。ってか、それだけやって見抜けなかったら他人の上に立つ『(キング)』の資格がねえ」

 

 監視網を築いても尚、生まれた待機組。ファミレスでグレモリー眷属の一部が暴走を始めていることに築いた際の増員はこの待機組から出ているというのは余談である。

 

「じゃ、じゃああなたは教会の関係者がフリードに殺されてることも知っていて放置していたの!?」

 

 と、さながら正義の味方のような顔をして非難する茶髪のエクソシスト。己が数日前に放った言葉を見事に忘れ去る、その頭の悪さに辟易とさせられる。

 

「悪魔の手は借りない、とか言ってたのはどこの雑魚二人組だったか……。そっちの要望に叶う動きをしてやったのにどうして文句を言ってる?」

 

 仮に俺がエクソシストを助けたとしよう。彼らは『主に仕える自分』を素晴らしいと考えている節があり、無駄にプライドが高い傾向にある。であれば、神敵たる悪魔に感謝する可能性はかなり低く、悪魔に助けられたことを恥に思うだろう。それだけで済めばまだ良いほうだ。最悪、自尊心を守るためだけに「悪魔の手を借りずとも己の力で打倒できていた」などと言って、刃を向けてくることさえあるのだ。そんな連中をどうして、理由もなく助けられるだろうか。

 

「口に出したことを実現させるだけの力を持たねえくせに、非難だけは一丁前か? 自分の失敗から目を逸らすために、他人の粗を探そうとするなよ」

 

 脳足りんの馬鹿女のせいで脱線してしまった話を元の路線へと戻す。

 

「俺がコカビエルの一派の目的や人員、戦闘力を知ってからも行動を起こさなかったのは、魔王サマ方かたの妹眷属のサポートって依頼と上層部の指示があったからだ」

 

「前者に関しては理解できます。私たちの能力を測る、あるいは伸ばすために事件の解決は極力私たちの手で行わせるということですよね? しかし……上層部の指示とは?」

 

「堕天使幹部が悪魔の領地で行動を起こす。これって事件の規模が大きすぎるんだよ、それこそ上級悪魔の一人や二人が抱え込んでいい案件じゃねえ

 例えばの話だが……他勢力の有力者が悪魔の領地に入り込んで怪しい動きを見せている。じゃあ、ぶっ殺して事態を収拾しようとはならんだろ。いくら小競り合いをしているからっつっても普通に外交問題になるわ」

 

「まあ、それはそうですね。当然のことです」

 

 今回の事件の主犯のコカビエルは、堕天使の中でもかなり地位が高い。悪魔の世界で言えば、悪魔領に数える程度しかいない最上級悪魔のようなものだ。それほどの地位、名声、力を持つ者をおいそれと害するわけにいかないのは当然のことである。もし、そんあことをやってしまえば戦争まで秒読み段階だ。しかも、この土地に住まうリアス・グレモリーとソーナ・シトリーは魔王の妹であり上級悪魔家次期当主なので言い訳もできない。

 

「まあ、俺もそういったごたごたに巻き込まれるのは御免でね。コカビエルたちの情報をそれなりに集めた段階で、一度上のほうに報告したわけだ。で、上層部の決定が堕天使側との協定だよ。

 悪魔側は『若手の成長の機会』を得て、堕天使側は『裏切り者を楽に捕まえる』ことができる。もちろん、シトリー眷属とグレモリー眷属の安全の確保は優先されている。成長させようと思って苦難を与えたら死んじまった、なんてのは冗談にもならんからな」

 

 例えば、戦闘が始まる前にグレモリー眷属は魔王サマに連絡を入れて援軍の要請をした。援軍が到着するのは一時間後とされ、それまでの時間稼ぎがグレモリー眷属の目標となったわけだが、魔王サマの言葉はまるっきりの嘘である。

 不治の病(シスコン)を患う魔王サマはとっくに、俺たち旧レヴィアタン眷属以外の援軍を学園周辺に配備しているのだ。

 またヴァーリが来たのも同じ理由である。悪魔側がコカビエルを叩きのめすだけなら、堕天使側の人員はただの回収係となり、戦闘力は皆無でも構わない。だのに、『最強の白龍皇』とアザゼルに称されるヴァーリが寄越されたのは、グレモリー眷属とシトリー眷属を死なせないためにコカビエルと交戦する可能性も視野に入れてのことだ。

 

「事件の裏事情は、大体そんなとこだ。グレモリーにはソーナの方から伝えてくれ。正直、同じ説明を何度もするのは面倒臭え

 校庭だの校舎だのの修復は……近くに潜んでるはずの魔王サマが寄越した援軍にでも手伝わせりゃそう時間はかからんはずだ。町の修復は俺のほうでやるから、もう行かせてもらうぜ」

 

 

 




 あ~、これからの展開を考えると心がピョンピョンするんじゃ~。グラナさんと配下の無双を夢想するのが楽しい。

 しかし……しかし、それを文章に起こすのが滅茶苦茶大変というジレンマ。

 これからも頑張りたいぜ

 次話から「第三章聖書和平会談~新旧レヴィアタン~」が始まります。楽しみに!

「恋人よ、枯れ落ちろ」

 さあ。誰のセリフか!? ヴァーリさんの相手はこのセリフを吐く者だ!!


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12話 もう一つの決着

 すいません! 三章に入る前にもう一話残ってました!
 それと前回の感想はすごかったですね、中尉殿の人気ぶりにはビビりましたわ。


「ハァ、ハァ、ハァ……」

 

 ズリ、ズリ、ズリ……と塀に体重を預けながら、歩く男がいた。白髪赤目で神父服を着ており、しかも胴部の大きな傷からは止めどなく出血している。

彼の名前はフリード・セルゼン。コカビエルの協力者としてグレモリー眷属と戦い、敗北したはぐれ神父である。

 傷口は深く、いくら手で押さえようとも次から次へと血が溢れてくる。大量に血を失ったためか、視界がぼやけ始めているほどだ。だが、それでも歩き続ける。駒王町は悪魔の管理する土地であるため、フリードにとっては安全な場所とはならないのだ。治療は後回し、まずは出来るだけ早く町を出なければならない。そういう意味では、深夜で人通りがないというのは僥倖だ。少なくとも、一般人に目撃されて騒がれるリスクが減るのだから。

 

「……チッ、ここまでボロカスにやられといて幸福もクソもあるかよ。俺っちも焼きが回ったな。………って、誰だテメエ」

 

 路地を曲がって出た通りに一人の女が立っていた。髪は金、瞳は血のように赤く、口の端から覗く鋭く尖った牙が、女は吸血鬼であると告げている。ビスクドールのように整った肉体を赤一色のドレスで包み、更には履いているハイヒールまで赤だ。派手な趣味をしているか、もしくはポリシーの問題だろう、とあたりを付けるがそれは然程重要なことではない。元より女は外見にあれやこれやと金を賭けるものだ。センチメンタリストでもあるまいし、そこに一々意味を求めても無駄に終わるだけだ。

 

「エレイン。エレイン・ツェペシュという。よろしく頼むよ―――君が死ぬまでの短い間だがね」

 

「てめえが死ぬまでの間違いだろ!!」

 

 傷口を抑えていた手を滑らせ、服の内側から銃を抜き取る。流れのままに拳銃を構えるまでに要した時間はまさに一瞬。自分の負傷具合、相手の言葉、そして夜という吸血鬼が本領を発揮する時間帯まで考慮すれば、目の前の女は力押しで目的を完遂すればいいだけなのだから、交渉の選択肢は残されていない。

降伏勧告も脅迫も必要ない。フリードに残されるのは先手必勝、それだけだ。戦闘時間が延びれば傷口が悪化するし、そも逃亡中の身なので時間を賭けられない。

 

 ドドドドン!!

 

 続けざまに放たれる四つの光の弾丸。狙いは頭部、頸部、胸部、腹部と急所の四か所だ。一か所に攻撃を集中しないのは、相手の防御と回避の難易度を上げるためである。フリードと手、これで勝負が決まるとは思っていない。ただ四つの内の一発でも当たって手傷を負わせることが出来ればいい。

 

 しかし、そんなフリードの思惑など知ったことかとばかりに、吸血鬼の姫君は力を奮う。

 

「――ふむ、何だ、こんなものなのか。エクソシストとはぐれエクソシストの扱う光の銃は天使や堕天使の加護あってのものだが、この威力から見るに君の銃に加護を与えたのはあまり高位の存在ではなさそうだ」

 

 彼女は回避も防御もしていない。ただ、その場で突っ立っていただけだ。一発どころか、四発全てが急所に直撃している。しかし如何なる手段を用いたのか、無防備な女の柔肌に傷の一つさえつける事は叶わない。

 

「なに、しやがった……ッ!?」

 

「うん? 君は吸血鬼と戦ったことがないのか? 変身能力を使い、体表の硬度と光耐性を引き上げただけさ。身近に馬鹿げた肉体を持つ男がいてね、彼の体を参考にすればこの程度のこと造作もない」

 

 吸血鬼と戦った経験なら何度もある。上級と呼ばれる者さえ屠ったことさえある。だが、その中には目の前の女程に変身能力を使いこなせる者はいなかった。

 吸血鬼は強大な夜の種族として知られるが、同時に多くの弱点を持つことでも有名だ。身体能力等で劣る人間が勝利するためにはその弱点を突くしかない。しかし、目の前の女はその弱点を消せるという。人間の唯一の勝機を塞ぐことができるという。まさに理不尽と呼ぶに相応しい存在だ。

 

「このバケモンが!」

 

「ああ、そうだとも。天に輝く星に届きたいと願うのだから、化物となるしかない。生まれも育ちも真面ではないんだ。始まりから劣る故に、他者を喰らって喰らって喰らいつくして、その力の限りを奪い、糧として天に向かって飛翔するのさ」

 

 勝てないことを悟り、即座に逃走を選ぶ。懐に忍ばせていた閃光球を叩き付け、エレインの目を焼いた隙に踵を返した。傷口が痛み、出血が増すが、ここで逃げ切れなければ死ぬしかないのだと、己の生存本能に訴えかけ、限界以上の力を発揮させた。

 

 飛び乗った塀を足場に更なる跳躍を行い、近くの民家の屋根に足を着ける。気配を限りなく消し、俊敏に動く様は狼に近い。跳躍、跳躍、疾走、さらに跳躍。屋根から屋根へと次々に飛び移る。

 

 フリードの身体能力は人間の中ではかなり高い。そのポテンシャルを遺憾なく発揮したこともあり、瞬く間にエレインと遭遇した場所から数百メートルもの距離を取ることが出来た。大小として、傷口が悪化して出血が酷くなったが、あの化物染みた女から逃げられるのだとしたら安い代償である。

 

「はぁ、はぁ、……これで何とか振り切れたか……?」

 

「残念。君はもうこの地で死ぬことが決まっているんだ。逃げることはできないよ」

 

 何処からともなく現れた霧が集まり、ヒトの形を成す。その姿は数十秒前に出会った吸血鬼に相違ない。その表情は変わらず余裕に満ちたもので、つまりフリードは必死になって駆けたが、エレインの掌の上から飛び出すことはできなかったのだ。

 

「さて、これ以上鬼ごっこを続けても展開は変わらず面白味もなさそうだ。幕を引くとしようか」

 

 エレインの両腕がボコボコと内側から膨張、と収縮を繰り返す。そして伸長した。まるで蛸の触腕のように、うねりながらフリードへと迫る異形の両腕。これまでに見たことのないレベルでの変身能力だが、その速度は目で追えないほどのものではない。回避のタイミングを見極め、ここぞという時に足に力を踏み出して気付く。

 

「クソったれぇ!」

 

 両脚にはすでに影が鎖のように纏わりつき、碌に動かすことさえ不可能となっていたのだ。踏み出すまで、そのことに気付かなかったせいで、フリードは足を取られてその場で崩れる。

 つまり、最初に腕をこれ見よがしに変化させ、真正面から伸ばしたのはフェイクだったのだろう。異形の腕に注意を逸らしたうちに、影で縛り、機動力を殺す。後は、動けなくなった獲物を悠々と回収するだけで事足りる。

 そして、異形の腕がフリードへと到達した。両腕と胴体をぐるりと囲って縛り付け、そのまま人外の力で強引にエレインの元へと引き寄せられる。

 

 そうなれば当然、フリードの視線はエレインへと向くわけで。

 

 エレインの姿を見れば、これから自分が何をされるのかを想像できてしまうわけで。

 

 しかし、恐怖をどれだけ感じようとも、人外の膂力による拘束からは逃げられず。

 

 故にこそ、彼にできるのは恨み言を言うことだけだった。

 

「ふざけるなよ……」

 

 どうして、こんな目に遭わねばならないのか。真面な生まれではなかった。育ちも同じだ。教会が宣う、幸福だの救いだのというものに出会えた試しはない。ならば、せめて、最期くらいは真っ当でありたいと思ってもいいだろう。

 

 何故、自分がこのような目に遭うのか。嘆いて、哀しんで、そして恨み、怒る。それは人間として当然の反応であるが、相対するエレインが慈悲を下す理由にはなり得ない。

 

 エレインの腹部に奔った横一文字の亀裂。それがぐちゃぁと開いて、現れたのは巨大な口だ。幼児の腕程の大きさにもなる牙とそこから滴り落ちる唾液、その奥では舌が獲物を今か今かと待ち構えている。

 

「ふざけるなよ!」

 

 フリードの声から出た声は、罵声ではなく、最早絶叫だった。抗えない『死』を前にして、彼は心の底から恐怖していた。何よりも恐ろしいのはグロテスクな巨大な口ではない。エレインの目だ。弱者にむける傲慢なる強者の目ではなく、教会の連中がフリードへ向けた敵意や侮蔑の混じったものでもない。

 彼女の目に宿っていたのは『食欲』だ。敵意、殺意、悪意、侮蔑、憤怒のような人が嫌う思いは欠片もない。ただ、眼前のはぐれエクソシストを喰らいたいという欲求だけが痛いほどに伝わってくる。

 

「イタダキマス」

 

 

 

 捕食者と被捕食者。その絶対的な力関係を、フリードは終ぞ覆すことが出来なかった。

 




 フリードさん、ぱくりんちょエンド!
 いやーDD世界の吸血鬼ってぶっちゃけ普通すぎるので、あえて過激にしました! 不死身の怪物、人間の敵ならこれくらいでもオッケーだよね?


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13話 襲撃

『紫藤イリナ、ゼノヴィア・クァルタの両名を本日この時をもって破門する』

 

 教会へと戻った二人のエクソシストに下された処分は追放だった。理由は語られなかったが、神の不在について知ってしまったためだと容易に推測できるだけに驚きはなかった。

 教会から追放された二人が一番初めに直面した問題は、ずばり宿だ。イリナは父親が教会の関係者であるため己の実家に戻ることはできない。ゼノヴィアは教会の施設で育ったために猶更だ。二人はエクソシストとして訓練と任務ばかりの日々を過ごしていたために、教会の外におけるパイプがまるでない。このままでは餓死する未来が現実になりかねない、と危機感を覚えていた頃に思い出した。

 

 グレモリー眷属。

 

 聖剣騒動の折に協力した彼らならば、宿を貸してくれるかもしれない。共に戦う中でその人格に信用がおけることが分かっているのだから、頼んでみるだけの価値はある。

 

 

 

 

「もう夜も深いな。……今から訪ねるのも迷惑になるだろうし、今夜は野宿でもするか?」

 

 飛行機やバス、電車の乗り継ぎに時間を食ったため、ゼノヴィアとイリナが駒王町に辿りついたのは、深夜と言って良い時間だった。天気は快晴、夜空には星々と月が輝いており、二人の不安残る未来とは正反対である。

 

「そうね。季節的にもそれほど寒くないし、雨も降ってないんだから野宿でも凍死するなんてことはないでしょ」

 

 十代後半の、花の乙女たちの会話としては非常に世知辛いが、本人たちはそう感じていない。エクソシストとしての教育を幼いころから受けた二人には一般的な常識、感性に疎い部分がある。

 

「んー、でもどこにするの? 人目に付くところだと、お巡りさんに補導されちゃうわよ?」

 

「野山でいいんじゃないか? 食べ物も取れるし」

 

「え? ゼノヴィアってそういうのにも詳しかったんだ。なんかちょっと意外かも」

 

「これくらい誰にでもできるさ。口に入れて大丈夫そうなら食べられる、駄目っぽいなら食べられない。それだけのことだろう?」

 

「言われてみればそうね! それなら私にもできそう!」

 

 常識と感性に疎いが故の、頭の痛くないそうな会話を続ける二人。毒のあるものは口に入れただけでも危ない等と指摘してくれる常識的な人間はこの場にいない。

 

 とりあえずは、今日の寝床の確保に向かおう。未来に不安はあるが、一人ではないのだ。隣には誰よりも信頼できる相棒がいる。ならばきっと、この程度の苦難も乗り越えることが出来るはず。

 すでに主がいないこと、そして教会から異端者として追放されてしまったことは辛い。けれど未来への展望が全く無いわけではないのだ。僅かな光であろうとも必ず掴み取ってみせる。

 

「グレモリー眷属との交渉は明日になるだろう。エクスカリバーは教会へ返還したが、幸いにも私の手元にはデュランダルがある。この力を交渉材料とすれば、そう悪い結果にはならないはずさ」

 

「うん、ありがとねゼノヴィア! ……私はエクスカリバーが無くなって力になれないけど、戦闘以外の面でアピールするか―――」

 

 とある男がイリナの声を遮った。百八十を優に超える長身と、金髪近眼に褐色の肌が特徴的な男だ。

 

「――いや、その必要はねえよ」

 

 彼の名をゼノヴィアは知っている。グラナ・レヴィアタン。旧魔王の系譜に連なる者である、何度も大事件を起こし、教会のブラックリストにも乗っている悪魔である。

 

「お前ら二人、ここで死ぬんだからな」

 

 グラナはイリナの真後ろに立っていた。いつからそこに居たのかは分からない。ただ、声をかけられた時にはすでにそこに居た。

 

「がっ、あ、あぁ、ゼノ、ヴィア……」

 

 褐色肌の右腕が背後からイリナの腹部を貫いている。イリナの腹部からは血が溢れ、着衣を瞬く間に赤く染め上げる。口からも血が零れ、その目からは意識の光が消えた。

 

 ズッ、とグラナが右腕を引き抜くと、イリナは力なくその場に倒れ込む。まだ生きているのか、それとも死んでしまったのか、ゼノヴィアには判断が付かなかった。ただ一つだけ分かるのは、目の前の男が自身の相棒を害したということだ。

 

「貴様ぁあああああああ! よくもイリナをッ!!」

 

 展開した魔法陣からデュランダルを引き抜き構える。ゼノヴィアの殺意に呼応して、聖なるオーラが暴力的と言って良い程に吹き荒れる。

 

「そう怒るな。すぐにお前も同じところに送ってやるからよ」

 

 

 輝ける月の下で、嫉妬の蛇と元エクソシストの戦いの火蓋が切って落とされた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 駒王町にやってきた元エクソシストの二人。彼女らを待ち伏せできた理由は単純だ。まず神の不在を知ったことで教会から追放されることは確定的。悪魔や堕天使、異端者を悪だと決めつける視野の狭さからくる傲慢の言動によって教会以外に居場所がないことには予想が付く。となれば、紫藤イリナの幼馴染が所属し、更に聖剣騒動の際に共同戦線を張ったグレモリー眷属が寄る辺の第一候補として挙がる。

 そこまで考えが及べば、後は簡単だ。数百匹の管狐から構築される警戒網を用いて、件の二人が町に入ってきた瞬間に察知できるようにする。報せが入れば二人が行動するうちに人気のない場所に入った途端に、人払いの結界を張り襲撃する。

相手の思考回路が単純だったおかげで、大した苦労もない作戦で功を得ることができるというわけだ。

 

 

 ピッ、と右腕を振り払い、血を落とす。その動作が癪に触ったのか、更に眉を吊り上げる、青髪の元エクソシストに向けて拳を構える――わけでもなく、両腕を広げて無防備を晒す。

 

 さあ、斬ってみせろと、言葉よりも雄弁に態度で示せば、面白いくらいに猪武者は勇んで突っ込んできた。

 

「なん……だと!?」

 

 結果は当然、俺の体に傷一つ付かない。斬れぬものは無い絶世の名剣とまで謳われるデュランダルも、使い手が糞では本領をまるで発揮できないのだ。(なまくら)と化した聖剣の刃を素手で掴み、そのまま膂力に任せて奪い取る。

 

「同僚かグレモリー眷属から聞いていなかったのか? 俺の体はコカビエルでさえ傷つけられなかったんだぞ。お前程度の雑魚の攻撃が通用するわけねーだろ」

 

 青髪の元エクソシストは渾身の一撃がまるで通じず、更には無造作に聖剣を奪われたことに動揺し、隙を晒す。剣士が無手の状態で敵の眼前において無防備でいるとは、阿呆にも程がある。

 腹部に直蹴りをプレゼントすると、彼女は血を吐きながら野良犬のように吹き飛んだ。塀に背中から強くぶつかったことで更に内臓へのダメージがあったのだろう。崩れ落ちてからより一層強く咳き込み、血を吐いていく。

 その首を飛ばすために近づきながら、手元でくるりと回転させたデュランダルの柄を掴み取る。戦意を込めて握った途端に溢れ出す聖なるオーラは予想を超えて戦闘意欲に富んでいた。俺の求めよりも遥かに多く、さながら間欠泉のごとく次々と湧いて出てくるオーラだが、俺とて伊達に王様をやっているわけではない。この手の武器の収集は趣味の一環と言って良いレベルであり、扱いにも精通している。

 

 力のある武具は所有者を選ぶ。バルパー・ガリレイの見つけた因子以外にも、剣士としての才能などを見極めることも少数ながら過去の事例として存在する。

 つまり、格の高い武器には因子を探すセンサーのようなものが搭載されているのではなく、己の使い手に相応しい者を探すだけの知恵があるのだ。

 

 それは言葉による意思の疎通が可能ということでもある。

 

「はしゃぐな」

 

 声に僅かに覇気を込めただけ。一時的に使うだけなら、それで十分だ。小動物のように震える聖剣を振り上げる。刃に纏うオーラは最小限、かつ最大効率。この剣ならば大地を、空を、時間を、空間を、世界を、あらゆるものを斬り裂けると、そう直感できてしまうほどの力だ。

神聖さと危うさを同居させるこの姿こそが、絶世の名剣の本来のものなのだろう。恐らくは先代の使い手が行使しえただろう力を前に、馬鹿が阿呆面を晒して叫ぶ。

 

「なぜ、なぜお前がデュランダルを使える!? なぜ力を引き出せるんだ!?」

 

「努力、経験、知識……、『聖剣に選ばれた私超スゲー』で思考停止してる馬鹿どもが持っていないものを俺が持ってるってだけの話だ。

 さあ、その傲慢に塗れた生涯の幕をここで下してやる。聖職者は聖剣で断罪されるのなら本望だか名誉なことなんだろ? 泣いて喜びながら感謝しろよ」

 

「クソぉおおおお!」

 

 馬鹿は顔を歪めて、涙を流す。死への恐怖か、仲間の仇を取れないことか、あるいは誰にも看取られずに一人で逝くことの虚しさゆえか。

 しかし、その思いの全ては無価値だ。畜生以下の存在が何を考えていようと、世界に何かを残せるわけでも為せるわけでもないのだから。

 

 そして、聖剣を振り下ろす。彼女がこれまで己の命を預けてきた刃は、この時を以って断罪の刃(ギロチン)と化したのだ。内臓を損傷し、さらに立ち上がる気概さえ失った女が生き残る術などない。そう確信していたのだが、残り数センチで首に届くといったタイミングで邪魔が入る。

 

「グラナ! 私の領地で一体何のつもり!? これ以上の勝手はリアス・グレモリーの名において許さないわ!」

 

 横合いから放たれる滅びの魔力を、デュランダルで一刀両断。魔力塊が消えて開けた視界に映る、紅髪の馬鹿姫に向けて言えることはただ一つのみ。

 

「お前、何でこういうときばっか無駄にタイミングがいいんだよ」

 

 

 

 

 

 

 

 

「ちょっと散歩に行ってくるわね。その間に朱乃たちとエッチなことをしちゃ駄目よイッセー」

 

 その日の夜、リアス・グレモリーは愛する眷属に注意を喚起してから兵藤家を出た。

 理由はない。強いて言うのなら、気分だろうか。何となく、夜風に当たりながら歩きたいと、そう思ったのだ。

 行き当たりばったりの行動ではあるものの、そこに価値はあった。冥界には存在しない美しい星々と心地の良い夜風は、聖剣騒動でなにもできなかった少女の心の傷を優しく包み込む。

 

 公園、河川敷、学園……etc。目的地のない散策は、自分たちが守っているものの大きさ、大切さをしるには充分なものだ。傷心しているのは自分だけではなく、自分は彼らを率いる『王』なのだ。ならば、いつまでもいじけている場合ではなく、前を向かなければならない。

 

 力が足りないのなら、鍛錬しよう。

 

 知識が足りないのなら、本を読もう。

 

 どれだけのことが出来るのかは分からない。ただ、それは足を止める理由にはならないのだ。何が、どれだけ出来るのか分からないのならば、片っ端から挑戦して確かめればいい。

 

 そうして心機を一転させ、晴れやかな心持ちとなったことで、ある異変に気付いた。

 

「あれは……人払いの結界? ソーナがはぐれ悪魔の討伐でもしているのかしら?」

 

 ソーナはリアスとともに、この町の支配者として連名されているが、実質的に支配を行っているのはリアスだ。ソーナは日本の政治や教育システムについて留学しているのに対して、リアスは統治についての予行演習としての側面が大きいためだ。通常なら、はぐれ悪魔の対処はグレモリー眷属の仕事となるが、シトリー眷属とてまるでその手の仕事をしないわけでもない。

 

(う~ん、はぐれ悪魔と偶然出会いでもしたのかしらね……。一応、様子を見に行きましょうか)

 

 

 

 

「なん……だと!?」

 

「同僚かグレモリー眷属から聞いていなかったのか? 俺の体はコカビエルでさえ傷つけられなかったんだぞ。お前程度の雑魚の攻撃が通用するわけねーだろ」

 

「はしゃぐな」

 

「なぜ、なぜお前がデュランダルを使える!? なぜ力を引き出せるんだ!?」

 

「努力、経験、知識……、『聖剣に選ばれた私超スゲー』で思考停止してる馬鹿どもが持っていないものを俺が持ってるってだけの話だ。

 さあ、その傲慢に塗れた生涯の幕をここで下してやる。聖職者は聖剣で断罪されるのなら本望だか名誉なことなんだろ? 泣いて喜びながら感謝しろよ」

 

「クソぉおおおお!」

 

 そこで行われていたのは、最早戦闘とも呼べない一方的な蹂躙劇だった。ゼノヴィアの攻撃は全く通じず、グラナのたった一度の攻撃でゼノヴィアは動けなくなってしまう。

 二人の近くには血溜まりに沈むイリナの姿がある。すでに意識があるようには見えず、遠目からでも失血死が危ぶまれるほどの出血量だ。

 そして、何故かデュランダルはゼノヴィアではなくグラナの手の内にあり、見たこともない程の清浄なオーラを立ち昇らせている。刃の向かう先はゼノヴィアの首。このままでは一秒と経たないうちに彼女の首は寸断されてしまうことに気付き、リアスは場に驚愕し呆けていた体を叱咤する。

 

「グラナ! 私の領地で一体何のつもり!? これ以上の勝手はリアス・グレモリーの名において許さないわ!」

 

 

 

 

 

 

 




 グラナさんがいきなりゼノヴィアたちを襲撃したことについて理由が明かされてないので「は?」って感じですかね? 三章の後半で理由を明かすのでそれまで気長に待っていてください。


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14話 新たなグレモリー眷属と蛇の次なる行動

「これ以上の勝手ってのはこいつをぶっ殺すことか?」

 

「当然でしょ。ここは私の領地なんだから従ってもらうわよ」

 

 グレモリーは魔力を滾らせ、一歩も引かずに宣言する。自分が正しいと信じて疑わないいつも通りの姿である。彼我の実力差や襲撃の理由についてはまるで考えが及ばないという点もいつもどおりだ。

 

(この女はとびっきりの馬鹿だが……まさか魔王の妹をぶっ殺すわけにもいかねえしなぁ。従うしかねえか)

 

「リ、リアス・グレモリー! イリナを治療してやってくれ!!」

 

 俺が思慮に意識を割いていると、動けぬようにと踏みつけていた青髪の元エクソシスト―—―ゼノヴィアが助けを求めた。

 それに持ち前の正義感(笑)で応じるのがリアス・グレモリーという脳足りん女の誇り(埃)である。これまで一切、倒れていたもう一人の元エクソシストに意識を向けていなかったというのに、さながら正義の味方のように俺を睨みつけ、配下へと連絡を取る。

 

「アーシア、魔方陣を用意するから家から急いでジャンプしてきてちょうだい。重傷者がいて、あなたの力を必要としているの」

 

 言うやいなや、手際よくグレモリーの用意した魔方陣が淡く輝き、癒し系元聖女アーシア・アルジェントが登場する。状況を確認するためか、周囲をきょろきょろ見回す内に腹部に穴の開いた紫藤イリナと、俺に踏みつけられるゼノヴィアの状態を見て小さく悲鳴を漏らす。

 だが一度呼吸を整えただけである程度の冷静さを取り戻し、「ゼノヴィアさんのことをお願いします」とグレモリーに小さく言伝して己は重傷者の治療に入る迅速さは称賛されるものだろう。見た目にそぐわないメンタルの強さを持っているようだ。

 

「アーシア・アルジェント! 君しか彼女を助けられる者はいないんだ!!」

 

 グレモリーが難易度の高い治療魔術を習得しているとは思えないし、クァルタも以下同文。俺は長年の研究や必要性からそれなりに精通しているが、そのことについてクァルタは知っているはずもない。無論、頼まれたところで治療は断る。

 

「おいおいマジかよ、お前。事情も聞かずに一方的に魔女だなんだと蔑んで、首を落とそうとした相手に対して懇願するのか……。そりゃ都合が良すぎるだろ」

 

 最初は聖女として利用して、都合が悪くなれば魔女としてポイ捨て。また必要となれば、力の提供を求める。傲慢ここに極まれり、とでも言えばいいのか。

 罪を忌避する教えを受けていた者が、罪に染まり切っているのだからお笑い草だ。この手の存在は世の中にはいくらでもいる。自分は正義だと抜かし、積極的に正義に反することをしながらも詭弁を弄して正当化する屑。生きる価値さえ無い分際で、生きるべき者の幸福と安寧を邪魔する、これまでに幾度となく殺した手合いだ。

 

「……ッ」

 

 ゼノヴィアは図星を突かれて、わずかな間呆然とする。反論できないことを悟り、悔し気に唇を噛み締めながらも未練がましく、治療を行うアルジェントの背中を見つめていた。

 

「グラナ、足をゼノヴィアから退けなさい!」

 

 屑の癖にしおらしく後悔しているらしいゼノヴィアを、内心で嘲笑していた俺を怒鳴りつけるのはお馴染みのグレモリー。空気をまるで読まない行動ではあるが、それも仕方のないことだ。この女はじゃじゃ馬なのだから。畜生なのだから、ヒトの道理を弁えていないのである。

 

「なぜ? つーか、さっきのこの女を殺すなってやつもだが、俺が従う理由ないぜ。だって、この女ははぐれなんだぞ。一悪魔として、一上級悪魔としてはぐれエクソシストは狩らないといけないだろう?」

 

 現在、ゼノヴィアと紫藤はどこの組織にも所属していないし、裏の事情を表に出さないという不文律もある。つまり、二人を殺しても裏の組織や表の国が騒ぐことは無い。早い話、俺の行動を妨げる問題はないということだ。

 また、組織に縛られないがゆえにはぐれエクソシストがどのような行動を起こすかを完璧に予測することは困難を極め、どこかで敵対的な行動を起こさないという保証もない。

 危険度は未知数、殺しても咎められることは無い。ならば殺すべきだろう。それが無難な対応だ。

 

「そうね、はぐれエクソシストは狩らないといけないわ。でも、だったら彼女がはぐれでなくなれば、彼女を殺す理由はなくなるでしょう?」

 

「おい、まさかてめえ」

 

 その手法を俺は以前、グレモリーを相手に使っている。兄や実家に泣きつかず、同じ手段を取るのは意趣返しのつもりか。

 

「ねえ、ゼノヴィア。あなた、私の眷属にならない? できればイリナも一緒に。彼女は気絶しているから、彼女の分はあなたが代理で決めてくれるとありがたいわね」

 

「それは……でも」

 

 ゼノヴィアの生死が懸かった状況であるにも関わらず、笑顔で勧誘するグレモリー。それを他者の心を読めない能天気と取るか、確実に眷属にできる自信を持つ楽天家と取るかは迷うところだ。

 そして、肝心のゼノヴィアは判断に迷っているようで、グレモリーに問い返した。

 

「私たちなんかでいいのか? あなたたちに酷いことをかなり言ってしまったし、アーシア・アルジェントには死ぬべきだとまで言ったんだぞ」

 

「あなた達だから良いのよ。コカビエルとの戦いで一緒に戦って、あなたたちのことを知っての決断だから後悔しないわ。それと間違いは誰にでもあるものよ。あなたに負い目があるのなら、反省しているのなら、謝って再スタートすればいいじゃない」

 

 ある日突然、初対面の相手に死ねと本気で言われ、本気の殺意を向けられた。もしかすれば、その場で殺されていたかもしれない。それを一言の謝罪で許せる者は極稀だろう。

 これでアルジェントが謝罪を受け入れなかったら、これから先の一万年もの間ずっと気まずい思いをし続けるのだろうか。そう考えると、この謝罪は元エクソシスト組ではなく、アルジェントにとってプレッシャーとなりかねなない。何と言うか、不幸属性が滲み出ているかのようだ。

 

「大丈夫。私は『情愛』を司るグレモリー家次期当主のリアス・グレモリーよ。配下のケアは怠らないわ」

 

「……ッ」

 

(どの口で言ってるんだこの女!? 思わず吹き出しそうになったぞ!)

 

 シリアスな場面で唐突にギャグをぶち込まないでほしい。咄嗟に笑いが漏れるのは我慢できたが、表情筋がピクピクと痙攣を起こして今にも崩壊しそうだ。

 ゼノヴィアから足を退けて、勧誘の邪魔とならないように彼女らの視界の外へとフェードアウト。出来るだけ自然に、空気を読んだかのように実行したが、内心は全く別。

 笑いを堪えているのを隠すためだ。ここで爆笑してしまうと、グレモリーが無駄に怒りだして興味のない話が伸びる恐れがある。すでにこの先の展開が読めていることもあり、そんな事態はただの時間の無駄遣いでしかない。

 

「私は、私たちはこれまで多くの悪魔を殺していた。それでも配下として信用してくれるのか?」

 

「ええ、もちろん。あなたたちの行動は信念に従った故のものだと思うから」

 

(信念と書いて独善と読むんだな、よく分かる)

 

「私たちは小さい頃からエクソシストとしての教育を受けていた。普通の学校には通っていないから、一般常識とかにも疎い面があるだろう。色々と迷惑をかけてしまうぞ?」

 

「フォローするわよ。私は眷属のことを家族のように愛することを誓っているんですもの」

 

(フォローできてないから、聖剣騒動のときには『騎士』が暴走したんじゃねえのか?)

 

「悪魔に転生しても、私たちはきっと信仰を完全に捨てることはできないと思う。正直、そんな眷属は主からみても鬱陶しいんじゃないか?」

 

「そんなことないわよ。ヒトにはそれぞれ信じるものがあり、あなたの場合は偶々『聖書に記されし神』だったってだけのことでしょ」

 

(上級悪魔の眷属が、死んでいるとはいえ敵対組織のトップを信仰しているのは普通にまずいだろ)

 

 等々。グレモリーとゼノヴィアの問答は随所に突っ込み所があるので、色々と大変だった。主に笑いを堪える俺の腹筋と表情筋が瀕死の重傷を負う羽目となった。

 

 見ているだけだった俺が大きな犠牲を払うこととなったものの、二人の話し合いの結論は予想通りのものとなり、ゼノヴィアはその場で『戦車』として眷属入り。紫藤は今も治療中のため、後日『騎士』として眷属入りする次第となった。

 

「グラナ、これであなたも納得したかしら?」

 

「あー、うん、そうだな。そういうことで」

 

 ――突っ込み所が多すぎて納得するしない以前の問題だったけどな!

 

 しかし、ここで蒸し返してしまうと、今度こそ俺が笑い死ぬことになるので華麗にスル―。全ては心の内に留めておくのが大人の対応というものだ。

 この場での用もたった今消えたので、さて帰ろうかと踵を返す俺だったが、待ったをかけられた。

 

「なにどさくさに紛れてデュランダルを持っていこうとしているのよ。置いていきなさい」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「それで元エクソシストの二人の抹殺とデュランダルの入手に失敗したというわけか」

 

 借家へと戻った俺は眷属へと事情説明を行い、エレインから帰ってきた感想がこれである。

 

「珍しくしくじったと言うから何だと思えば……ビギナーズラックにしてやられたわけか。流石のグラナも運には勝てなかったようだね」

 

 エレインはソファに座り込んだ俺の隣に陣取り、しなだれかかってくる。対角線上の席に座ったルルは3DSをポチポチと操作し、スマッシュなブラザーズで大乱闘を繰り広げながら大笑い。俺は正面のレイラから、酒を注いだグラスを受け取り、喉を潤した。

 

「ひーっ、ひーっ……ふふっ。あー、うん。何て言うかスゴイね。アレな勧誘もグラナの突っ込みも冴え渡ってるよ!」

 

「おいルル。お前、それ褒めてんのか?」

 

 足をパタパタと動かして大笑いするルルの手元のゲーム機からはドカーン! と景気の良い効果音が鳴り、彼女の敗北を告げる。切りも良くなり、ゲームの電源を落とすも、ルルは笑い続け、話には当分参加できそうもない。

 

「まあ、結局得るものはなかったわけだが……問題はないし、気にしなくていいよな。ルルはちっと笑いすぎだが、笑い話で済ませていい程度のことだ」

 

「ええ。紫藤イリナとゼノヴィアの両名は所詮三流。どこまでいこうとグラナ様の障害にはなり得ません。敵対するようなら、叩いて潰してしまえば良いだけのことです」

 

「それに今回奪い取ろうとしたデュランダルは、私たちの計画に必須というものでもない。入手しても、宝物庫に放り込んで終わりだろう」

 

 今回、行動を起こした理由は、実は特に無かったりする。丁度良く、予想通りに阿呆どもが宝を持ちながら現れ、殺す口実もあったから、奪取しようとしたというだけだ。この機会そのものが偶然の産物なので、得るものがなくてもマイナスにはならないのである。

 

 エレインの腰に手を回して抱き締めて更に密着度を上げると、正面のレイラと彼女の隣のルルの目が期待に濡れる。最近は夜中でも出歩くことも多かったせいでご無沙汰だったために、普段より溜まっているのだろう。

 二人にも、こっちに来いと目線で命令し、さあ今からリビングで始めようというタイミングで邪魔が入る。机に仕込まれた魔方陣が輝き出して、宙に展開されたモニターに見覚えのある紅髪の魔王サマが映し出された。モニターが俺のほうを向いているのをいいことに、ルルとレイラが殺意を向けているとも知らずに、サーゼクスは話し始めた。

 

『やあ、グラナくん。邪魔をしてしまったのなら申し訳ないね』

 

 彼の目線は俺の隣、というか密着しているエレインへと向けられている。人間界の時刻やエレインの赤らんだ顔を見れば、情事の前後だということくらい容易に理解できるだろう。

 少なくとも謝意を三倍にしないと足りないぜ、と訂正を心の中でしつつ、先を促す。この魔王に限って不敬罪で首チョンパされることはないだろうが、一応、エレインとも体を離し誠意らしきものを示してみせる。

 

「いえいえ、気にしないでください。それでこんな時間に連絡を入れるってことは、何か火急の用事でも入ったんですか?」

 

 これまでと打って変わって、いつも通り外用の(・・・・・・・・)猫を被る。それを見たルルが、またもや視界の端で爆笑し始め、俺の額には血管が浮き上がる――ということはない。グレモリーの連発ギャグには敗北しそうになったが、俺はかなり表情を作ることに慣れている。内心でプッツンしながらも、笑顔を浮かべることなど造作もない。

 

『気遣いありがとう。こうして連絡を入れたのは、大事が入ってのことなんだ。もうすぐ公表することになるだろうけど、それまでは内密にしてほしい』

 

「はぁ、別にいいですけど。話す相手もいませんし」

 

 サーゼクスは他の悪魔たちに話すなと言っているのだろうが、俺はほとんどの上級悪魔と付き合いが薄い。というか、現魔王派、大王派という派閥を問わずに暗殺者を送り込まれる程度には嫌われている。数少ない例外と言えるフェニックス卿とはしばしば話す間柄だが、彼とは商品の取引を頻繁に行っているというだけで、友人のようなものではない。

 

『実はね、近日、三大勢力のトップが駒王町に集まり和平会談を行う予定なんだよ。君には会談に参加する私とセラフォルーの護衛を頼みたい』

 

「返事をする前にいくつか質問をいいですか。なんで俺を護衛に? 他にも実力者はいくらでもいるでしょう」

 

 この魔王の前で俺が見せている程度の実力を有する者なら、魔王眷属にも最上級悪魔にも上級悪魔にもいるだろう。そしてトップに付けられた護衛というのは、その陣営の中でも実力者と相場が決まっている。軍事力を見せつけるという意味では、俺のような若輩者よりも、ネームバリューのある年を食った歴戦の強者を引っ張ってくるべきだ。

 

『和平は前から結ぼうと考えていたが、会談を開く決め手となったのが聖剣騒動だからだよ。君はその渦中にいた。しかも、使い魔の警戒網を張っていたこともあって事件の詳細を説明できる。それが実力以外の、君が選ばれた理由さ』

 

「俺以外にすでに護衛を務めることを決まってるやつっているんですか?」

 

『会場の周囲に展開する者が、私とセラフォルーの部下から百余名ほど。ただし、会談の只中で私たちのすぐ傍に待機する人員は君だけだよ』

 

 会場警備の人員を悪魔だけが負担するとは思えないので、天界とグリゴリからも同等近い人数が周囲に配置されると思われる。単純計算で三百名以上といったところか。

 そして、会談は当たり前のことだが屋内で行われるのだろう。となれば、トップ陣のすぐ傍に待機する者は、多くても十名程度に限定される。まさか会談を講堂や体育館で行うとも思えないし、それ以上だと人口密度が高まりすぎて部屋の中が狭く暑苦しい。

 

「俺を護衛に、って話ですが眷属を連れて行っても構いませんかね?」

 

『眷属の同伴は一名まで許可しよう。あまり多くなると、余計な勘ぐりをされかねない』

 

 天界やグリゴリ側から見れば、自分たちのトップに敵対勢力の実力者が何人も近づくと言うことになるのだから、警戒の一つや二つはするだろう。

 外交では軍事力を誇示することも大切だが、和平を結ぼうというときに火種は生み出したくはない。そういった思惑から、護衛質を求めつつも数を極力減らしたいのだと予想する。

 

「では、そうですね。当日、俺は……」

 

 エレイン、レイラ、ルルの顔を見て、それぞれを連れて行った場合を脳内で思い描く。

単純な戦力ならばエレインかルル、護るということを念頭に置くのなら防御特化のレイラ。護衛の仕事を果たす際には、会談場所には魔王サマを含めて傷つけてはならない存在が複数いるため、広域殲滅系統の能力は使えないと考えて良い。また、戦闘が行われると仮定しても、肝心の相手の能力が現時点では特定のしようがない。

 となれば、求められるのは、図抜けた攻撃力や特化型の能力者ではなく、応用力に秀でた者となる。

 

「エレインを連れて行きますよ」

 

 吸血鬼の特殊能力はいくつもあるが、エレインはその全てにおいて高い才能を発揮する。更に悪魔に転生することで得た魔力と、長年の修行や研究の中で培った魔法まで合わせれば万能と言ってもいい。

 

『依頼は受けてくれる。当日の護衛は君とエレイン・ツェペシュの二人ということでいいんだね?』

 

「はい、そういうことで」

 

 

 

 

 

 




 あぁ、何と言うか色々予告をぶっちぎっちゃってるなぁと思う今日この頃。
 次こそ! 過ぎこそは第三章に入りますから!


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第三章 聖書和平会談 駒王学園 ~新旧レヴィアタン~
1話 月下の夜会


 和平に向けて進んでいく三大勢力

 されど、平和を尊ぶ者がいれば、争いを求める者がいることもまた事実

 水面下より顔を覗かせた蛇ともう一匹の蛇が激突する――――!

 ハイスクールD×D嫉妬の蛇 第三章聖書和平会談~二人のレヴィアタン~



 全ては黄金の掌の内にある


 アルフォンスという男がいる。旧魔王派に属する貴族の家系に生まれ、長男ではなかったために家督を継ぐことはできなかったものの、平均を上回る力を有していたために派閥の中ではそれなりの地位を有している成熟した悪魔だ。

 

 彼は真なる魔王に忠誠を捧げており、派閥の主たちの行動には以前から全面的に賛同してきた。その意思を、主からの命令を忠実にこなすことで示すことも出来ており、真なる魔王からの信用を得ていると自他ともに認めている。

 

 そんな彼ではあるが、近年、とある仕事を任されることとなった。その内容は敵対陣営に潜んだ、スパイとの情報伝達の役割を担うというものだ。

策の素晴らしさはアルフォンスも同意するところではあるが、しかしスパイのような下賤な者と密会するなど、上級悪魔のすることではない。己の役割を聞いた当初、彼が派閥のトップに珍しくも直訴し、役割の変更を願うのも無理はない。少なくとも、彼自身はそう考えていた。

 

「ええ、あなたの言い分は尤もです。しかし、この任務の重要性もまた理解しているのでしょう? 信用のおけない者には任せられない。実力の無い者では、やつの手先に囚われて、情報を抜き出される可能性さえある。故にこそあなたなのですよ、アルフォンス。真なる魔王に付き従う、忠臣たるあなただからこそ任せることができるのです」

 

 そう、真なるレヴィアタンに告げられ、アルフォンスは歓喜した。己の忠義はこうして認められたことが、見てもらえていたことが何よりも嬉しかったのだ。

 そして歓喜の次に彼に訪れたのは自戒の念である。己は偉大なる主に付き従う下僕であるのに、何故仕事を選ぶような傲慢さを持ってしまったのか。真に忠義に生きると誓ったのならば、どのような種別の任務であれ、身命を賭して臨むべきだというのに、彼は下らない考えから主へと抗議までしてしまった。寛大なる主は咎めこそしなかったが、アルフォンス自身が、己の傲慢と怠慢を許すことが出来なった。

 

 今の彼に出来ることはたった一つ。主から与えられた任務に全力で取り組み、過去の失敗を上回る成果を上げる事だけだ。

 

 

 

 遊具がいくつも設置されているものの、その多くに錆が目立ち、人気の無さを物語る公園。満月が輝く深夜という時刻のため、より一層物寂しさが目立つ。

 

その公園の中央には一人の女が立っていた。黒髪黒目、そして雪のように白い肌が特徴だが、最も目を引くのはまるで変化のない表情だ。なまじ美人なだけに、表情が無くなると、女はヒトではなく人形のように見える。

 

「ほう、待ち合わせの時刻までだいぶ余裕があるが、すでに来ているとは……殊勝なことだな」

 

 目の前の女は悪魔ではある。けれど、それ以上のことは分からない。本人が言うには、生まれた頃から貧民街に住んでいた孤児らしい。親の顔はもちろん、自身の生まれた場所さえ知らない女は下級悪魔や転生悪魔よりも身分が低いと言っても過言ではない。

 

「アルフォンス様、私は時間に余裕を持てないのは心に余裕がないからだと思っています。ですから、毎回、私は早く来ているのですよ。それに……今後のことを考えれば少しでも心象を良くしておきたいとも思いますから」

 

「ふ、はははははは! そんなに明け透けに言っては意味がないのではないか?」

 

「さて……あなた方に寝返りスパイをすることを承諾した際の条件は利益。それを知られている以上、打算を隠して外面を取り繕うことに然したる意味があるとは思えませんが」

 

「やれやれ本当に打算的、そして欲望に忠実な女だ。主を裏切ることを何とも思っていないのか?」

 

「悪魔とは言葉で他者を騙す者でしょう。ならば、悪魔であ(・・・・)りな(・・)がら騙されるほうが(・・・・・・・・・)間抜けというだけの話ではないですか」

 

「ふふっ、言い得て妙だな」

 

 アルフォンスは、女の言に思わず笑いを漏らす。対して、何を言っても、女の表情は鉄仮面のように変わらない。そのいつもと変わらない様子に鼻を鳴らしつつも、アルフォンスは早速本題へと入った。

 

「……ツヴァイ。近々、三大勢力のトップが集まり、和平会談を行うことを知っているか?」

 

 女――ツヴァイ・ペイルドークはやはり表情を変えずに答えた。

 

「ええ、勿論。グラナ・レヴィアタンが偽りの魔王から、会談中の護衛を請け負ったと聞いています」

 

「そうか、あの裏切り者まで出てくるのか……それは僥倖だな」

 

 アルフォンスは己の頭の中で未来を幻視し喜悦を浮かべるが、肝心の話の内容がほとんど語られていない。目線だけで問うツヴァイに、アルフォンスは自慢げに説明した。

 

「我らに通じている者は何も貴様一人だけではない。そして連中は間抜けなことにそのスパイを会談の護衛にするのだそうだ。我らはスパイの手引きで会談に乱入し、そのままトップ陣を殺すのだよ」

 

「成程。天使長、堕天使総督、現四大魔王の首を掲げながら『禍の団(カオス・ブリゲード)』はその存在を叫ぶわけですか」

 

 アルフォンスの所属する派閥を取り込んだテロ組織『禍の団(カオス・ブリゲード)』。一つの神話勢力のトップを皆殺しにした組織が、名乗りを高らかに上げれば誰も無視はできまい。禍の団(カオス・ブリゲード)、ひいてはその一勢力である旧魔王派はたった一日にして、世界中から強大な組織だと認知されるに違いない。

 

 アルフォンスが本心からそう信じており、その日を今か今かと待ち望んでいることが傍目からも察せる。

 しかし、目の前にいる女はいついかなる時も表情を崩さない鉄仮面だ。今、この時も喜びを露にするアルフォンスの目の前で無表情を披露していた。

 ツヴァイの反応が皆無であることは常だが、まるで喜びに水を差されたような気になったアルフォンスは僅かに機嫌を崩す。

 

「ふんっ。まあ、そういうことだ。そのついでにグラナ・レヴィアタンも殺してやるがな」

 

 三大勢力のトップ陣を殺せるだけの戦力があるのなら、いくら名を馳せていようと所詮は若輩者に過ぎないグラナなど取るに足らない。アルフォンスはそのように確信しているし、他の旧魔王派の者も誰一人として否定していなかった。

 

 しかし、目の前のツヴァイは否定する。

 

「それは些か厳しいかと。多大な戦力を用意して突撃すれば、グラナ・レヴィアタンは恐らくすぐさま逃走を選択するので」

 

「やつは護衛としてその場に来るのだろう。なのに逃げ出すのか?」

 

「彼は魔王に対して一切の忠誠心を持ち合わせておりませんし、仕事に命を懸けるようなタイプでもありません。魔王の護衛任務も、彼にとっては大金を手っ取り早く稼ぐチャンスとしか映らないのでしょう」

 

「納得はしたが……生き汚いやつだな。仮にも真なる魔王の血を継ぐ者としての誇りはないのか」

 

 一時は旧魔王派の期待を一身に背負いながらも、結局は逃げ出した愚か者という訳か。どれだけの才能を有していようと、誇りを持たない愚図に魔王を名乗る資格はない。

アルフォンスは己が主に捧げる忠義のために、確実にグラナを殺すことを決意する。

 

「訊くが……、会談の場でグラナ・レヴィアタンを逃がした場合、次の殺すチャンスはいつだ?」

 

「若手悪魔の顔合わせが行われる八月かと。魔王が弑されれば、例年通りにその催しが開催されない可能性もありますが、その逆もあり得ます。仮に開催されるとすれば、グラナ・レヴィアタンとて己が居城に戻ることでしょう」

 

「己の領域に戻り安堵した隙を突いて殺す……そういうわけか」

 

「はい」

 

 グラナは魔王からの依頼を受けてあちこちを飛び回っていることが多く、その動きを予測することは困難を極める。そのため、そもそも襲撃を仕掛けること自体難しいのだが、ツヴァイの提案ならば、その難題をクリアできる。

 それに、拠点に襲撃を仕掛けるというのも良い。現政府側の悪魔の中にもグラナを嫌う者は多く、グラナを殺すために旧魔王派と結託するほどだ。多くの外敵から身を護る、城という唯一にして最大の防壁を失うわけにはいかないために、不意の襲撃を仕掛けられても逃走することは決してできない。

 

(それに、この女(・・・)もそうだが、やつの部下には美女が多い。城を落とした暁には愉しめそうだ……)

 

 グラナは色狂い、女好きとして知られているが、それと同時に彼の配下の女の容姿が整っていることも有名である。表に出てきたことがあるのは二十名もいないが、そのタイプは様々だ。未だ顔の知れない他の女たちも含めた、数十名を順繰りに使い回せば飽きることもないだろう。

 

 憎い裏切り者を打ったことによる栄誉を受け取り、更にはおまけのお愉しみまで手に入れる未来を前に愉悦を禁じ得ずにはいられない。

 

「ふ、ふふふふ。いいぞ。お前の案に乗ってやろう。ただ、やつの城は魔境に存在する。お前は魔方陣の設置を行い、我らを城の内部へと招き入れるのだぞ?」

 

「ええ、了解しました。それと成功した暁には報酬に色を付けてくださいませ」

 

 ああ、そうだなと返事をする中でアルフォンスはツヴァイを嘲笑う。城が落ちたその日には、己も凌辱される運命にあるのだと気づかない間抜けのことが可愛く思えた。鉄仮面のような無表情も無理矢理に押し倒せば、あるいは媚薬の類でも使えば崩せるのかもしれない。今から想像するだけで、未来への期待に呑み込こまれそうだ。

 

「ああ、たっぷりとな」

 

 そう言い捨て、アルフォンスは踵を返した。背後ではツヴァイが礼をしたまま動きを止めていることが気配でわかる。

 礼儀は弁えているし、身分の差も理解している。けれど、欲望を隠すことはせず、表情がまるで変わらないことから慇懃無礼なように思えるツヴァイ。これまで何度も苛立たしく思うことはあったが、近いうちにその全てを手に入れ汚すことができるのだと思うと、唇の端が釣り上がる。

 

(ツヴァイ、その時を楽しみにしていろよ?)

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「………薄汚い蛆虫もようやく行きましたか」

 

 完全にアルフォンスの気配が消えてから数十秒経ってから、主より授かった魔法道具で周囲に悪魔がいないことを念入りに確認してから、ツヴァイはようやく意識を緩める。

 その表情をアルフォンスが目撃すれば、大いに驚愕したことだろう。現在の彼女は明らかな表情を浮かべているのだから。

 

(所詮は害虫。身の程を弁えるだけの能さえないとは……。主は『三下の負け犬』と呼称していますが、強者に尻尾を振る能さえ持たない者を犬と呼んでいいものか悩みますね)

 

 その瞳は侮蔑の色で染まっている。歪んだ口元は笑顔と言うには歪で、まさしく嘲笑と呼べるものだ。

 

(あぁ、いえ、未来の潰れた愚図どものことなどどうでもいいです。それより情報の整理をしなければ)

 

 不滅の城(イモータル)への襲撃は八月。正確な時期は未定であり、今後、その詳しいところも決定されていくのだろう。襲撃にはツヴァイの手引きが必須であることから、襲撃前に連絡がされることだろう。

 裏切りの報酬として多額の金銭を提示されてはいるが、旧魔王派にはその約定を守るつもりは欠片もない。古臭い考えに染まった連中からすれば、純血の悪魔かどうかさえ判然としない女との約定など守る価値もないという考えなのだろう。報酬を踏み倒すどころか、むしろツヴァイたちから毟り取るつもりである。その程度のことは、アルフォンスの下卑た視線から容易に察することができた。

 

(あれで内心を隠しているつもりだったのでしょうか。表情にも僅かながらに出ていましたし、視線や声にも欲望が乗っていました。……その全てがフェイクということなら厄介な相手なのですが……まあ、そのようなことはあり得ませんね)

 

 旧魔王派が栄光だと信じて向かう先は、王による断頭台だ。きっと死ぬ時まで、あるいは死んだ後さえも利用されていたことに気づかないのかもしれない。

 

「本当に愚かで惰弱。その程度で世界を変えられるのなら誰も苦労などしませんよ」

 

 

 

 

 




 予告がいろいろとはっちゃけてんなぁと思いますね。まあ、いいか。いいよね? 予告についてめっちゃツッコミとか入れられても困るから、若干ノリで決めてたりするんですよ。ただの前書きだし、ただの予告だし、そんな激しいツッコミはしないでね?

 閑話休題
 本編では、う~ん、色々と策謀が蠢いていますねぇ。
 政府内にテロリストと通じる者がいて、テロリストは色々と調子に乗っている。更にはグラナさんの城にまでスパイが紛れ込んでいる!! さあ、いったい誰が己の思惑を果たすことが出来るのか……乞うご期待!!
 


  追伸
 ゼノヴィアってこの時点だとまだクァルタ姓じゃなかったんですね。指摘されて気づきました。一応修正はしたつもりですが、漏れもあるかもしれません。クァルタ表記を見つけたら、教えてくれると助かります


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2話 三大勢力会談 開幕……の前に小話

 深夜テンションと昼寝の後のボーっとした頭で書き上げた話なので、どこか抜けている部分があるかもしれません。まあ、ぶっちゃけ今日は居ろ位rともう疲れて面倒なので確認とかは後日やります。

 さて、キング・クリムゾン! 

 一気に時間をすっ飛ばすッッ!!!


 緊張、不安、期待が高まる中、遂に三大勢力の和平会談が行われる日がやってきた。

会場は駒王学園、一般の者が関わることがないようにとの配慮から時刻は深夜だ。この学園は悪魔が支配しているので、今回の会談のホストは当然、悪魔の役割となる。

 悪魔側からの参加者は魔王サーゼクス・ルシファーと同じく魔王のセラフォルー・レヴィアタン。ホスト役と言うこともあって会場の準備やその他の雑務を一手に担う、サーゼクスの『女王』グレイフィア・ルキフグス。そして護衛役のグラナ・レヴィアタンとエレイン・ツェペシュがすでに会場入りしている。

 天界からの参加者は代表として天使長ミカエル。彼の背後には『最強のエクソシスト』として名高い神滅具(ロンギヌス)使い、デュリオ・ジェズアルドが護衛の任を担って控えている。

 堕天使組織『神の子を見張るもの(グリゴリ)』からは総督のアザゼルが席に着き、彼の秘蔵っ子兼問題児でもある白龍皇が護衛を務めていた。

 

 

 

 

 

 

 

 

「アザゼル、大事な話があるから会談の前に集まるようにと言っていたが……その話とは和平に関するものなのかい? わざわざソーナやリアスには会談の開始時刻だけを伝えてこの場には来ないようにする理由も気になるね」

 

「あ~、いや直接的には関係ないと言っていいものだ……。ソーナ・シトリーやリアス・グレモリーとその眷属を遠ざけたのは、まあ、若いのに聞かせて気分のいい話じゃないってだけのことだ。……護衛にも若いのがいるが、これに関しちゃ仕方ないわな。まさか護衛を外して俺たちトップだけで会うわけにはいかねえんだから。

 ……まず質問だが、サーゼクスとセラフォルー、お前らの後ろにいる二人のうち、金髪金眼の男のほうがあのグラナ・レヴィアタンってことでいいんだよな?」

 

 魔王ルシファーの首肯を受け、堕天使の総督は両目を細め、剣呑ささえ漂わせながら問うた。

 

「なあ、グラナよ。お前さん、どうしてバラキエルのやつを徹底的に痛めつけた?」

 

 バラキエルとは現在では堕天使の幹部であり、かつては『神の雷光』とまで称された戦士だ。それほどの戦士を相手に、自分たちの知らぬ間に暴行を働いていたという事実を唐突に知らされた魔王の二人は目を剥いて事の真偽をグラナに訊く。

 

「グラナくん、今の話は……」

 

「本当ですよ。数年前の、政府に保護される前のことですがね。人間界に来ていたバラキエルに不意打ちをかまして罠に嵌めて、徹底的に拷問しました」

 

 グラナは後悔も反省もしていないとばかり開き直り、己の所業を語る。身動き一つ取れないバラキエルの爪を剥ぎ、指を折り、体の末端部から徐々に焼いていき……等々。湯水の如く、趣向を凝らした拷問の数々が詳らかにされていく。

 無駄に鮮明な説明であるために、それを聞く者たちは当時の情景を事細かに思い描くことができてしまい、中には思わず吐き気を覚え者もいるほどだ。

 二人の魔王は事の大きさゆえに、これまでどうして言わなかったのだと問い質すも、当のグラナ本人はあっけらかんとして言い放つ。

 

「聞かれなかったので」

 

 質問されなければ回答を提示することはない。理屈としては間違っていないが、それで済ませて良い問題でもあるまい。会談が始まる前からすでに頭と胃が痛くなりそうな二人の魔王を遮り、アザゼルが再度詰問した。

 

「で? どうしてあんな真似をした?」

 

 虚言、誤魔化しの類は一切許さないし見逃さない。普段は自堕落でも、今この時のアザゼルは堕天使の長としての凄みを両目に宿している。

 グラナはその威圧感を前に騙すことも不可能だと悟る。そも真実を隠す理由もないのだからと、平然と、まるで今日の天気を答えるかのような調子で口を開く。

 

「三大勢力の戦争を起こすためです」

 

 この場に三大勢力が集まった目的は和平を結ぶことである。まだ会談が始まる前の私的な話だとはいえ、この場で和平とは対極にある戦争を唱えることが一体どれほど異常かつ危険なことか分からない者はいないだろう。

 

 ――グラナがその程度のことは理解していないはずがない。

 

 ――つまり、理解した上で臆することなく述べたのだ。

 

 その事実をいち早く察したのはグラナと何度も戦ったことのある二人だ。

戦闘狂たるヴァーリは面白いと言わんばかりに獰猛な笑みを浮かべ、デュリオは早速仕事が来たのかと戦闘態勢を取った。

 

「おい、ヴァーリ楽しそうにするな。俺はお前と違って楽しむために戦争を起こそうとしたわけじゃねえ。デュリオもそう力を入れんな。ここで戦っても意味ねえからな」

 

 二人の反応を予想していたグラナは、焦るまでもなく宥めるための言葉をかけた。それが効果を発揮しようとしまいと関係ないと言わんばかりの真剣みの欠けた声だ。

 けれど、この場で即開戦というわけにはいかないことを理解しているため、デュリオが最初に戦意の矛を下げた。続けて、ヴァーリが肩透かしを食らったとでも言いたげに鼻を鳴らす。

 

(勝手に期待して勝手に落胆してんじゃねえよ、馬鹿野郎)

 

 心の内では罵倒しつつも、やはり表情にはまるで出さないグラナ。無駄に演技派である。

 

「では、戦争を起こそうとした理由を教えてもらっても構いませんか?」

 

 ハリウッドも真っ青な演技力を有するグラナに、次なる問いを投げかけたのはミカエルだった。

 戦争ともなれば、それは己が陣営の幹部を拷問されたという堕天使だけの問題には留まらず、三大勢力全体にまで波及し得るものだ。まさか自分たちトップ陣が望む和平を阻む可能性のある者がこの場にいることに驚愕しつつも、即座に精神の均衡を持ち直して警戒心を強める意志の強さは、伊達に現在の天界のトップを張っているわけではないことの証左だろう。

 

「それを話すとなると当時の俺とツレたちの状況から説明することになりますが構いませんか?」

 

 グラナは質問者のミカエルだけでなく、アザゼル、セラフォルー、サーゼクスにまで視線を巡らせて前置きし、反対が無いことを確認してから語り出す。

 

「昔の俺には庇護者ってやつがいなかった。けれど、敵はアホじゃねえのかってくらいにいた。

 俺自身、生まれはクソでね……物心ついた頃には虐待ばっかされてた。日がな一日殴られ蹴られ、メシはパンと味の薄いスープだけって生活でしたよ。生まれがクソなら育ちは畜生だ。当然、親子の情なんてものは無いし、味方なんてあの家には一人だっていなかった。

 で、俺は家から脱走したんです。まあ、連中にとってみれば『道具』かそれ以下に思っていた存在に歯向かわれたのが癪だったんでしょうね。俺をぶっ殺すための刺客をこれでもかと送り込んでくれましたよ。

 さらには行く先々でエクソシストや天使、堕天使からも敵意を向けられる。まさに四面楚歌だ」

 

 淡々とした口調ではあるが、語られる内容は凄絶そのものだ。

幼少期に父親から虐待されていたヴァーリでさえ、母親からは愛情を受けていたし、その母親という寄る辺があった。

 神滅具という極大の力を有するがゆえに、エクソシストとしての訓練を受けてきたデュリオにも、共に高め合う仲間や、導いてくれる先達がいた。

 グラナには、そういったものが何一つとしてなかったのだ。物心つく頃から奈落の底に居て、そこから這い上がってきたのである。

 その異常性に、幼い子供が成し遂げたという精神力の強さに三大勢力のトップ陣は恐怖さえ覚えた。何よりも、今こうして語るグラナの淡々とした口調が恐ろしい。彼にとっては、己自身を取り巻くこの程度の不遇など、気にするほどのことでもないと痛いほどに伝わってくるからだ。それは転じて言えば、グラナはこれ以上の地獄を駆け抜けてきたということであり、それが今から語られる。

 

「そんなクソッタレな状況の中でも希望ってやつはあるらしく、俺は仲間と出会った。今は主従関係を結び配下となっている女たちです。この場にいるエレイン・ツェペシュもその一人。

 ところで、類は友を呼ぶって諺をご存知ですか? まあ、知らなくてもそのままの意味なので構わないんですけど……。

 先ほど、俺は自分の生まれをクソ、育ちを畜生だと表現しましたが、行く先々で出会う女たちも似たようなのが多かった。ある女は実の姉を喰らい国を脱走した。ある女は人間には過ぎた才能を持っていたがために排斥された。ある女は持って生まれた力を、同性を守るために使おうとしていたのに、その力を目当てとした者たちに追い回された。ある女は同族とは違う姿を持って生まれたせいで、疎まれ迫害され追い出された。

 もちろん、真っ当な生まれと育ちをしたやつと出会うこともあったが、碌でもない境遇にある女との出会いのほうが圧倒的に多かったのは事実です」

 

 地獄の底を這いずるグラナと出会う者もまた地獄の住人だったのだ。地獄で誰かと出会うということは、その者も地獄に居るということだ。不遇な者同士が出会ったというのも道理である。

 

「で、そんな連中が一塊になって行動していたらどうなるかくらい想像が付きますよね?」

 

 子供とはいえ、嫉妬の蛇(レヴィアタン)の末裔や吸血がいるというのなら、教会のエクソシストや天界の天使が動かないはずがない。例え、一行に人間の少女が紛れていようとも、悪しき者どもと行動を共にするのであればその少女を断罪するのが神の使徒だ。

 古き悪魔、純潔の悪魔としての誇りとやらを重んじた種族を見下す傾向にある旧魔王派が、偉大なる旧魔王の血を引きながらも多種族と馴れ合う恥知らずを見逃すはずが無い。多種族の女諸共に消し去ろうと考えるのも、ある意味自然だった。

 様々な神器所有者が揃っているのだから、神器の研究機関として神の子を見張る者(グリゴリ)が動かないはずが無い。神器を手に入れることが出来なくても、一種の武装集団と化した者たちを放置することなど一組織、一国家として許されるものではなく、排除しようと考えるのは間違いではない。

 

「結果として、敵の数は俺一人だった頃の数十倍にまで跳ね上がった。来る日も来る日も戦いだ。血反吐をぶち撒けようが、裂けた腹から内臓が飛び出そうが、五感がまともに機能しなくなろうが、そんなもんは戦いをやめる理由にはならない。眼前の敵はチャンスとばかりに攻め立ててくるんですから。

 だから俺も抗った。魔力が尽きれば殴り殺し、両腕が潰れたのなら足を使って蹴り殺す。足さえ使えなくなったら、相手の首筋を嚙み千切る。

 手段を選ぶ余裕なんて無い。どれだけ不格好でも、無様でも、戦い続けることだけが俺たちの生きる道だったんです」

 

 戦い戦い戦い戦い戦い戦い戦い戦い戦い戦い戦い戦い戦い戦い戦い戦い戦い戦い戦い戦い戦い戦い戦い戦い戦い戦い戦い戦い戦い戦い戦い戦い戦い戦い戦い戦い戦い戦い戦い戦い戦い戦い戦い戦い戦い戦い戦い戦い戦い戦い戦い戦い戦い戦い戦い戦い戦い戦い戦い戦い戦い戦い戦い戦い戦い戦い戦い戦い戦い戦い戦い戦い戦い戦い戦い戦い戦い戦い戦い戦い戦い戦い戦い戦い戦い戦い戦い戦い戦い戦い戦い戦い戦い戦い戦い戦い戦い戦い戦い戦い戦い戦い戦い戦い戦い戦い戦い戦い戦い戦い戦い戦い戦い続ける。

 

 果ての無い、戦いの日々。どれだけ苦しくとも、どれだけ辛くとも、決して終わることのない戦いこそが日常となったそれはまさしく地獄。無限の闘争に縛られた修羅道だ。

 

「……誰かに、誰かに救いを求めることはできなかったのですか?」

 

 思わず、と言った風に声を上げたミカエルを責めることは出来まい。長い時を生きたトップ陣から見れば、グラナはまだ二十前後だということが感じられる。年若い魔王でさえ数百歳、アザゼルやミカエルならば一万歳近いのだから、二十のグラナなど幼い子供と言えるほどだ。

 子供が、それほどの地獄を彷徨っていたことを哀しみ、嘆く。それは至って善良な感性によるものであり、美徳と言って良かった。サーゼクスとセラフォルーも顔を沈痛に歪めており、グラナに敵意に近いものを抱いていたアザゼルでさえ同情を禁じ得ない。

 

 しかし、それは彼らの理屈である。グラナに通じるかどうかは全くの別問題だ。

 

「誰かに救いを求めれば何か変わったんですかね?」

 

 責めているわけではない。純粋な疑問を淡々と口にしているだけだが、そこには反論を許さない強さにも似たものがあった。

 

「教会に駆け込んだら、エクソシストにぶっ殺されて終わりでしょう? グリゴリにしたって同じようなもんだ。同族の悪魔だって信用できたもんじゃあない。何せ、脱走した俺にすぐさま追手を放ったんだから。一番初めに殺し合いを演じたんだから。………それまで殺し合いを散々やってきた相手に保護を求めて何になる?」

 

 教会や天界、グリゴリは『悪魔だから』と言って、出会った瞬間には殺しに掛かってくる相手なのだ。そうした者たちが組織の末端の構成員に過ぎないのだとしても、何の根拠も無しに上層部が守ってくれると考えるのは愚かだろう。そこに保護を求めるなど、自ら絞首台に上ることと同義と言っても過言ではない。

 グラナに追手を放っていた悪魔の勢力は旧魔王派だ。当然のことながら、グラナはその旧魔王派から脱走してきたので、そこに戻るという選択肢はあり得ない。では、現魔王政府に保護を頼めば良いのかと言うとそれも否だろう。彼にとって物心つく頃から散々虐待してきた相手が『悪魔』なのだから。幼き日からの常識が、派閥の違いに関わらず、悪魔そのものを信用しないという結果に繋がったのは仕方ないことだ。

 

「先ほども言ったでしょう、戦い続けることだけが俺たちの生きる道だったと。

 だが、限界はある。俺自身、いつまでも無理をしていられるわけじゃないし、仲間に無理を強いるのも本位じゃない。後ろには戦うことのできないやつらだっていた。

 対して、前方には戦いたくもねえのにうじゃうじゃうじゃうじゃと湧き続けるクソどもがいる。すでに相手は武器を抜いている。殺す気で武器を向けてきている。おまけに戦力差は百倍どころの話じゃあない。

 ならば、遠慮はいらないし、躊躇は必要ない。一秒の遅れが地獄の底で出会った花の死へと繋がりかねないんだ。ありとあらゆる手段を取るほかないでしょう? 妊婦の腹は蹴り飛ばせ、ガキの頭蓋は踏み潰せってね、あの頃は戦場のど真ん中で叫んでいたもんですよ。非道? 外道? ああ、そうだろうとも。だが、それが何だと言うんだ。よってたかってガキの背中を追い回す分際で、何をマトモなことを言ってやがる。そんなにも聖人面したいのかよ」

 

「………それが、バラキエルを拷問することで戦争を起こそうとした理由か?」

 

アザゼルの確認に、グラナは首肯を以って肯定した。

 

「ええ。俺が国から脱走しているとか、そんな事情までは堕天使側も知らないはずでしょう? 堕天使側から見れば、自分たちの尊敬する大幹部がある日突然『悪魔』に襲撃されたと映る。そして『悪魔』への報復を考える」

 

「だが、魔王政府は原因となったバラキエルへの襲撃に関しては知らない。正直にそう告げても俺たちからはシラを切っているようにしか見えず、フラストレーションが溜まっていき、悪魔と堕天使間の戦争が勃発、更に事の規模の大きさから天界も参戦って寸法かよ。性格悪すぎるなおい」

 

 苦虫を嚙み潰したかのような表情でグラナの策略を先読みしたアザゼルに、しかしそれは満点ではないのだとグラナは補足する。

 

「正確に言えば、バラキエルはあの時にぶっ殺すはずでしたがね。無残な死体をグリゴリの本部に、罵詈雑言を書き記した挑発文と一緒に投げ込む予定だった。それで、戦争が起きなかった時のために、外側から三大勢力を外側から煽りまくる用意もしてあったんですがね………結局は頓挫した。

 バラキエルを殺す寸前で救援が来たことは完全な予想外、また、グリゴリがバラキエルの件をごくごく一部のメンバーの心の内に秘めることとするとは思わなかった。完全な誤算、そして舐めすぎでした。今でも教訓として俺の中に残っていますよ」

 

 悪魔だから、と種族を理由にして出会いがしらに襲い掛かってくるような構成員とばかり戦っていたために、グラナはグリゴリのことを頭の軽い蛮族揃いだと考えていたのだ。ごく一部にはヒトとしての情や考えがあることを知ってはいたが、それは少数派で、大多数は戦闘を好む低能。そして組織というものは多数の意見が尊重される傾向にあるために、容易く戦争を誘発させることができると踏んでいたのは見込み違いだったと言わざるを得ない。

 末端にいくら馬鹿が多くとも、それは上層部まで低能揃いだという証拠にはならないのだ。策を練り、罠を仕掛けるのなら、敵の手足ではなく頭の出来を見ることが重要なのだと思い知らされた一件である。

 

「……以上がバラキエルに襲撃をかまして拷問した理由とその背景になります。過去には教会の高名なエクソシストの部下を皆殺しにしたこともありますが、その理由はバラキエルの一件と同じです」

 

 グラナが何か質問あるかと問えば、アザゼルが口を開いた。

 

「バラキエルの件に関しては理解した。仕方ない事だとも言えるだろう。その件について知る部下には俺のほうから、後日、説明を入れるつもりだし、これ以上の抗議はしないと誓ってもいい。

 ただ、な……これはバラキエルの件とは全くの無関係なんだろうが、一つ訊いておきたい。お前さん、どうして今は冥界に住んでいる? 現魔王政権が人間界に住む上級悪魔の子孫を保護しているって話は聞いちゃいるが、お前は『悪魔』という種族そのものに良い感情を持っていないんだろう?」

 

「一つ見解の相違があります。俺は魔王に保護されたなんて思っちゃいませんよ」

 

 まずアザゼルの勘違いを訂正してから、グラナは言葉を続けた。

 

「人間界の各地を巡る中、ちっとギリシャのクソ骸骨の罠に嵌められたことがあった。まあ、何とかそこから脱出することはできたんですが、仲間共々満身創痍だ。で、その時に何の偶然かルシファー眷属の『兵士』のベオウルフに見つかり、冥界に連れて行かれることになっただけです」

 

 傷が深く消耗していることもあり、当時のグラナたちはかなり警戒心を強めていた。そんなときに出会ったのが、何年も戦い続けている悪魔の一員である。当然、その場で即開戦となり、グラナ一行はベオウルフを殺す気で襲い掛かった。

 しかし、意気がいくら強かろうとも所詮は若造と小娘の集団である。伝説にその名を遺した本物の英雄であるベオウルフとの間には、一対一では決して勝てないだけの実力差があった。だが、グラナの一行はその当時で数十人規模となっていたため、一人で勝てないのなら囲んで殴ればいいとばかりに集団戦に持ち込み、かなり善戦したのだ。

 ただ、結局は、全員が重い傷を負っていたということもあって多対一でも攻め切ることはできずに、ベオウルフが別のルシファー眷属を呼び寄せたことでグラナたちの敗北が決定づけられ、そのまま冥界送りとなったのである。

 

「冥界に連れ戻された後は、色々とあった。その時になって初めて知ったんですが、俺ってそもそも戸籍がなかったんですよ。書類上は存在しない、今までは知られていなかった旧レヴィアタンの末裔が現れたことで悪魔の上層部はてんやわんやの大騒ぎ。中には旧魔王の末裔を僭称する紛い物と言う野郎までいやがった。アジュカ・ベルゼブブ様を責任者兼証人とした検査の結果で、その疑いもすぐに晴れましたがね……しかし、それはそれで困る連中がいた」

 

 旧レヴィアタンの末裔とは旧魔王の末裔と言い換えることが出来る。つまり、元王族だ。

 現政権において地位を獲得した悪魔が、自分に取って代わられるのではないかと恐怖を抱くのもある意味自然な成り行きと言えた。

 また、現政権内部には、魔王派と大王派と呼ばれる二つの派閥が存在している。魔王派にとっては大王派にグラナが入れば、大王派にとっては魔王派にグラナが入れば、愉快なことにはならないだろう。それこそ、派閥間のパワーバランスが大きく崩れる要因ともなり得る。

 旧魔王の末裔のほとんどが内戦において僻地に追いやられているからこそ、政府内における旧魔王の末裔(グラナ・レヴィアタン)の価値と重要性は非常に高いのだ。

 

「自分の利益を守るために暗殺を企てるやつなんざ珍しくもない。現に政府に『保護』の名目の元、冥界に連れ戻されてから五年の歳月が経ちましたが、未だに俺のことを疎んで暗殺者を送り込んでくれやがる。まあ、俺が気に食わねえ貴族の顔面にワインをぶっかけたりするのも嫌われる原因にはなっているんだろうが、仮にそういったことをしなかったとしても暗殺者が送り込まれることにはなっていたでしょうよ」

 

 元から貴族にとっては疎ましい存在だったのだ。嫌われるような行動を取ったことで現れる変化など、送り込まれる暗殺者の数が増加する程度のことだろう。

 

「じゃあ、そういった連中と仲良しこよしすることは可能なのか。その問いの答えは正直、無理としか言えない。

 今の俺は魔王派と大王派のどちらにも属さない、中立とも言える状態であり、遠回しに権力に興味はないと伝えているわけですが……、だからといって連中が俺をぶっ殺したい理由がなくなったわけじゃない。俺を殺そうとするやつらにとっちゃ、俺が『旧魔王の末裔』であるだけで殺す理由には充分なんだ。だから、今でもわんさかと暗殺者が送り込まれてくるし、悪魔領にある魔法道具やその他の雑貨を売る俺の店に対して営業妨害をやりまくる」

 

 グラナを殺す者たちを動かす衝動は、本人がどれだけ否定しようとも私利私欲の一言で片付けられるものだ。そんな彼らにとって、権力や利益に興味を示さないグラナの姿は、それはそれで不気味に映ることだろう。ヒトは理解できないものを忌避するし、旧魔王の末裔ということまで含めれば恐怖を抱いているかもしれない。

 故に潰す。そのために彼らは行動する。

 臆病な自尊心を有する彼らにとって、グラナ・レヴィアタンは殺さずにはいられない存在なのだ。そうしなければ、不安で夜も満足に眠れなくなってしまう。

 

「では、例えば、何かの偶然と奇跡が重なって俺が大王派か魔王派に属したとしましょう。しかも、派閥が俺を本当の意味で保護してくれて殺される心配が消えたとしよう。

 では、その代価は? 飴を貰うことによって発生する代金は何になる? まあ、隷属でしょうね。家から脱走した後はずっと戦い漬けの日々だった俺は金銭だとかを持っていない。あるものと言えば、そもそもの原因の『旧魔王の末裔』という称号だけだ。派閥のために、自分の利益のために、俺を利用する。まあ、それが妥当なところでしょう。

 あるいは、俺ではなく、俺の連れている女たちに目を付ける可能性もあるか。多種族を見下しまくるのが、悪魔の中に今も蔓延る多数派の意見ですからね。転生悪魔や中級・下級悪魔といった同胞でさえ見下す彼らが、多種族の女を道具扱いすることに躊躇いを覚える可能性なんざ皆無。使い捨てられて、誰にも看取られることなく死ぬのが落ちでしょう」

 

 グラナの口から語られる二つの可能性。凡そ最悪と称してもいい醜悪なifだが、彼の歩んできた半生と悪魔という種族の現状を考えれば決して被害妄想とは言えない。

 

「俺が利用されるだけならまだいい。愚図に頭を垂れるのはクソムカつくし、殺意も湧くがまだいいんだ。何せ、碌でもない生まれと育ちなんですからね。そこからクソみてえな扱いをされたって、それまでの延長線上でしかない」

 

 仮面が剝がれていく。そして素顔と共に、覇気が流れ出す。会議室が突如深海に沈んだかのような圧迫感に満たされ、呼吸が苦しくなる。

 グラナは百八十を超える長身だが、この場に居る者からはそれさえ疑問に感じる程に大きく見えた。

 

「けど、エレインたちは別でしょう? 俺のところには悪魔でさえない女も多数いる。何で彼女らが悪魔の理屈に振り回されなければならない。地獄の底でようやく出会えた花をどうして枯らせる。何も待たずに生まれた俺がようやく手に入れたものを、何を理由に奪う。

 許せるものかよ。認められるものかよ。

彼女らを傷つける可能性のある貴族を同胞と看做すことなどあり得ない。彼女らに差別と迫害を押し付ける国を愛せるかよ。その現状を許す魔王サマたちに忠誠だの信頼を向けられるわけないだろう」

 

 グラナが一息ついたことで僅かに空気が緩む。

 

「だから魔境に城を構えたんだ。あの土地は天然の要塞、いくら高名な戦士や暗殺者でもそうそう踏破できるものじゃねえ。大多数は城に辿りつく前に死亡し、城まで来た少数は俺の配下に袋叩きにされて終わりだ。それに、物理的に距離を取ることで政治的にも精神的にも、他の貴族から距離を取ることが出来る。

 もし仮に、俺のことを疎んじた貴族が大部隊を編成したとしても、城に辿りつく前に大半が死ぬのだから数の差はそこまで無く、戦いは防衛側が有利と相場が決まっている。負けることは無いでしょう。俺を殺したいのなら、それこそ魔王サマの承諾でも得て戦争を起こす必要があるが、俺を殺して得られるメリットよりも戦争による人材の消耗などのデメリットがデカすぎる。よって、悪魔総出の戦争を起こすことも叶わない」

 

 それが彼とその配下が漸く辿りつけた仮初の楽園だ。誰に利用されることもなく、城の中で愛する同胞たちと暮らす日々。それはきっと、臭いものから遠ざかっただけの箱庭と呼ばれるものなのだろうが、グラナたちにとっては掛け替えの無いものなのだ。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 エレインだけが知っている。この場で見せたグラナの姿は本来のそれには遠く及ばないことを。本来のグラナはこの程度ではないのだと。

 

 

 彼らは知らない。

 三大勢力のトップ陣さえ慄かせた黄金色の覇気は、懸命に自己を抑えるグラナから零れたほんの一滴に過ぎないことを。

 この場で見せた顔は、剥がれかかった仮面の隙間から僅かに見えただけのものだということを。

 三大勢力のトップたちは、知る由もなかったのだ。

 

 

 




 グラナさんのこれまでの軌跡が少し明らかになりましたねー。終わりのない修羅道、しかしそれがあったからこそ彼らは絶大な力を得たとも言えるわけで……世知辛いですね。


 さて、グラナさんは百倍以上の戦力差がある中、数年間戦い続けることができたそうです。しかも子供と言って良い時分に。……マジぱねえ。まあ、この小説オリ主最強ものですし? 俺tueeeeeeタグ付いてるから問題ないよね? ね?

 次回で和平会談に入れるかなぁ。何か書こうと思っていた内容があったはずなのにド忘れしてしまう。くっ、昼寝の後の寝ぼけた頭が忌々しい!


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3話 会談

 ――危険だ。

 

 僅かに弛緩した空気の中でアザゼルが最初に思ったことはグラナの危険性だった。

 グラナには嫉妬の蛇(レヴィアタン)の末裔に相応しいだけの力があるのだろう。それだけならば優秀な若手の一言で済ませることも可能だ。しかし、グラナには祖先から継いだ力とは全く別の『強さ』がある。それが問題なのだ。

 

 例えば、知力。『悪魔の頭脳』と称しても良いほどの悪辣さと計算高さを同居させたそれは、容易く世界を混乱に陥れることが可能だ。数年前の策略ではグラナの望み通りとは行かなかったが、あれは運に助けられた部分もある。成功するまでトライ&エラーを繰り返されれば、衰退した堕天使勢力では抵抗できるかさえ怪しい。

 

 次に精神力。件の戦争を引き起こそうとした件だが、その当時はグラナの手元に仲間以外には何もなかったという。その状態からあれだけの計画を発案し、実行に移した胆力と精神力は並ではない。あるいはそれさえも過小評価か。地獄の底を疾走し続けた男の精神力を測ろうとすることが、そもそもの間違いなのかもしれない。

 

 それほどの存在が、今では己の城を持ち、かつてより力を蓄えているというのだ。配下が増えているだろう。個人の実力は高まっているだろう。より多くの知識を取り込んでいるだろう。その手元にはかつては存在しなかった道具や物資もあるのだろう。

 グラナが動乱を望めば、その影響はかつての比ではあるまい。例え計画を看破することができたとしても、その掌の上から逃れるためにはどれほどの被害が必要となるのか。

 

 堕天使の総督として、アザゼルはそのことを考えずにはいられない。

 

 だから訊くのだ。動乱の原因ともなりかねないものを放置している現状について。

 

「なあ、サーゼクス、セラフォルー。お前さんらにとってそいつは大事なんだろう? 数少ない旧魔王の血族だもんな。混血となりながらも一族を絶やさなかった上級悪魔の末裔を保護しているお前さんらが、グラナ・レヴィアタン(・・・・・・)を大事に思わないわけがない。

 なら、なぜだ? なぜ、そいつが虐げられている現状を放置している? 数百年も魔王をやっているんだ。一部の貴族連中がそいつにやっていることについても把握しているんだろう? どうして、間に入って問題を解決しないんだ?」

 

 瀬領に記されし神や旧四大魔王と争ってきたアザゼルは歴戦の雄であると同時に、優れた為政者でもある。己の経験から質問の答えについては、すでに検討はつけていた。だが、それとこれとは別なのだ。現魔王としての考えを聞かねばならない。

 

「私たちも解決しようと努力している。だが、グラナ君の『旧魔王の末裔』という称号を疎む者、羨む者が多すぎるんだ」

 

 合議制をとっている以上、多数の貴族が意見を同調させた場合、それを撤回させることは難しくなる。

王とは少数より多数を選ばなければならず、その判断に私情を介在させることは許されない。グラナ一人よりも、グラナのことを排斥する多数の貴族を優先することは為政者として当然の判断だ。

 

「なあ、グラナ・レヴィアタンよ。お前さんはそれでいいのか?」

 

 いいわけがないだろう。訊くまでもないことだ。

 それでもこの質問を投げかけたのは、特級の危険人物をプロファイリングするための材料を少しでも得るためだ。

 

 アザゼルの考えを理解していないのか、あるいはした上での敢えての判断なのか。グラナは臆することなく答えてみせる。

 

「まあ、いいわけないですね。しかし、じゃあ文句を言えば何か変わるんですか? 状況が改善されるなら文句をこれでもかとばかりに言いまくりますが……魔王眷属に睨まれるだけでしょう?

 口より先に手を動かせってね。無駄口叩く暇があるのなら、せこせこと状況を改善するための努力を自分でしますよ」

 

 一見まともなことを言っているように思えるが果たしてそうなのだろうか。自分たちの安全のために戦争を引き起こそうなどと考える男が、ありふれた答えを出しただけに留まるものだろうか。

 アザゼルには、どうしてもグラナの言葉を額面通りに受け取ることが出来なかった。

 

 (……自分の本当の考えを隠している? あるいは今の回答には裏の意味があるとかか?)

 

 と、そこで思考が止まる。証拠がないからだ。

 グラナの過去は壮絶なものであり、今も苦境に立たされているのだろう。けれど、それが危険な発想に繋がるという証拠にはなるまい。

程度は違えど、苦境の中で騒動を起こすことなく真っ当に生きようとする者がいることは事実。グラナ・レヴィアタンがそうした例の内に入る可能性は当然のことながら存在する。

 

(現状じゃあ、どちらもあり得るな。今、結論を出すのは早計か……)

 

「殊勝だな。現魔王に対する恨みの気持ちなんかはねえのか? 今の魔王たちの政治を批判する気はねえが、彼らが内戦で勝利したことが原因でお前の一族は冥界の辺境に追いやられたんだぜ? 現状の問題だってある。……そのあたりについちゃどう考えている?」

 

「勝者には敗者の処遇を決定する権利がある。それを行使して追いやっただけではないですか。正当な行為だ。そのことについて兎や角言ったところで、それは負け犬の遠吠えにしかならんでしょうに。それに、普通に考えりゃあ一族皆殺しにされたっておかしくないんだ。処分が辺境に追いやるだけってのはかなり温情がある。

 今の貴族たちとの敵対に関しちゃ、仕方ない(・・・・)としか言えないでしょう。俺一人より多数の貴族を優先することの正しさは理解できるし……そもそも俺を優先するとしてどうするんですか? 貴族どもを監獄にブチ込む? いやいや、その程度で更生する真っ当な連中なら初めから暗殺者を送り込んだりしないっての。何なら、俺が逆恨みされるまである。なら一発で確実に黙らせることのできる処刑か? いや、これもありえない。ただでさえ純潔悪魔の保護が叫ばれているし、糞どもは糞どもなりに社会の歯車として働いているんだ。一度に大量にぶっ殺そうものなら国が立ち行かなくなってしまう」

 

 グラナの語った細かい政治的事情を抜きにしても、貴族の大量処刑などという真似はできない。そのようなことをしようものなら、かつての内戦で再び巻き起こされることは容易に想像がつくのだから。

 

「まあ、暗殺者をいくら送り込まれようとも、それを指示した上級悪魔をぶっ殺せない状況を歯痒いと思っているのが本音ですがね。……俺にとって悪魔の国は(タチ)の悪い闘技場みたいなものだ。保護の名目のおかげで逃走を禁じられ、対戦相手は殺す気で武器を向けてくるが俺に出来るのは防御と武器破壊のみ。対戦相手を斬りつけようものなら、ペナルティを課せられる。……ふざけた勝負だ。まるでフェアじゃない。が、実戦なんてそんなものでしょう。実力差、人数差、体の状態、その他諸々の条件がまったくの公正公平の戦いなんてあるかよ。それでも戦うしかねえんだから戦う。それだけです」

 

 嘆きたくなるような現実を直視しながらも決して逃げ出すことのない、不退転の覚悟がある。決して歩みを止めず諦めることのない鋼鉄の意志がある。

 アザゼルは、ヴァーリこそが若手において最強だと今日この時まで信じていた。血筋も宿した神器も強くなることに賭ける想いも、全てが突き抜けているヴァーリに及ぶ者がいるものか。

 その考えが揺らがされた。

 血筋はほぼ同等。地獄で生き抜いたグラナは努力の量で勝るだろう。そして意志の強さにおいてはグラナが圧倒的に上回っていると言わざるを得ない。

 

「………サーゼクス、とんでもねえの拾ったな」

 

「日々痛感しているよ」

 

「はぁ……。会談を始める前から色々と疲れたぜ。――――っておい、もう残り数分で会談の開始時間じゃねえか」

 

 時間の経過に気付かないほどに、この場の面々はグラナに呑まれていたらしい。問答に時間を取られすぎた。これでは休憩時間を取ることもできないではないか。

 

「あ~、クソ。失敗したぜ」

 

精神に疲労を溜めた状態で会談に臨むことに、ため息を再度吐くアザゼルだった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 アザゼルがため息を吐いたおよそ五分後にソーナ・シトリーとその『女王』真羅椿姫が、更にその十分後にギャスパー・ヴラディと塔上子猫を除くグレモリー眷属会場入りし、和平会談の幕が上がる。

 

「では、まずは聖剣の奪還騒動において活躍した私の妹、リアス・グレモリーから事件についての説明をしてもらうこととしようか」

 

 実の兄であり、現魔王でもあるサーゼクスの指名に緊張を感じさせる返事をしたリアスは、その場で口頭による説明を始めた。彼女がやったことと言えば、駒王学園の校庭に陣取ったコカビエルに特攻を仕掛けて玉砕したことだけなので、説明は非常に薄っぺらく、騒動の大きさに反して僅か数分の内に彼女は口を閉じることとなった。

 

「―――というわけで聖剣エクスカリバーはコカビエルの手から奪還され、今は私の眷属となっている紫藤イリナとゼノヴィアの手によって教会へと返却されています」

 

「ありがとう、リアス。もう座っていいよ」

 

 ひと仕事終えたとばかりに安堵の雰囲気を漂わせるリアス。

 その姿を見てデュリオは苦笑する。ヴァーリは興味がないとばかりに完全に無視し、エレインとグラナも会議の腰を折るわけにもいかないので口を開くことはなかった。

 三大勢力のトップ人の反応が薄いのは、彼らがすでに例の騒動についての情報を入手しているためだ。

 

「アザゼル、コカビエルの行動についてあなたはどう思っているのですか?」

 

 優男風の外見に似つかない、ミカエルの詰問に対してアザゼルはあっけらかんとして答える。

 

「別に? 事前に渡した文書の通りさ。あいつの行動は完全に独断だ、俺や他の幹部連中とはまるで関わりがない。処分はすでに下し、コカビエルは冥府の底のコキュートスに落とされた。もうあいつが何かをすることはないだろうよ」

 

「それはそうでしょうけれど……はぁ、そう簡単に済ませていい話でないことくらいわかっているでしょう? 文書を寄越してはい終わりで済むのなら外交官はいりませんよ」

 

 ミカエルの言葉にうんうんとばかりに頷いているのは、四人の魔王の中でも外交を担当するセラフォルーだ。プライベートでは魔法少女のコスプレ趣味を持つ彼女ではあるが、数百年もの間、外交を担ってきた手腕と経験は侮れない。外見と能力に乖離があるという良い例がこの魔王少女である。

 

「これだからアザゼルちゃんは……。シェムハザちゃんの苦労が偲ばれるよ」

 

「はっはっは。総督の補佐を出来て、あいつも副総督冥利に尽きるだろ」

 

 パンパン、とサーゼクスが手を叩いて場を諌める。この会談の本旨を忘れるなという遠回しの警告だ。

 

「さて、……それぞれの勢力に思惑があるのだろうが、この場に来た主目的は一致しているはず。―――和平を結ぼうか」

 

 ほう、と息を吐いたアザゼルは若き魔王に問う。

 

「随分と直球じゃねえか。俺はてっきり細かい腹の探り合いの一つか二つくらいはすると思っていたぜ。どういう風の吹き回しだ?」

 

「どうもこうもないさ。……アザゼルとミカエルも分かっていることだろうけれど、私たち三大勢力はそれぞれの力を大きく落としている。このまま争い続ければ共倒れとなってしまうほどに。

だから手を組む。種の存続のためさ。分かりやすいだろう?」

 

 国力が低下していることは揺らぐことのない事実。そして、悪魔をはじめとする長命の異形は出生率が低い傾向にある。これでは早期に自陣営の復興を行うことは難しい。

国力は少なく回復も難しい状態のままさらに小競り合いを続けていれば、どこの勢力が勝利しても、勝者となった勢力も長続きしないことは明白だ。

 

「神に仕えた私が言うのも何ですが……、先の大戦において、大戦の要因となった魔王と神はこの世を去ってしまった。その事実だけでも、手打ちとする理由としては十分でしょう」

 

 サーゼクスの意見を補強するかのように、ミカエルは賛同を示す。その内容は、トップ陣が以前から抱いていたものだ。

自分たちが生き残る術は戦いではなく平和。

大戦が終わりを告げてから長い年月が経ち、漸く実現の兆しが見えてきたのだという思いを共有する。

 

「それ以外にも、私としてはもう一つ理由がある」

 

 指を立てて、注意を集めてからサーゼクスが続けた。

 

「時代の変化、新たな時代が近づいてきているように感じたからだ。かつては敵対していた二天龍が三大勢力に属している。上位神滅具を有する最強のエクソシストがいる。現悪魔政府側に旧魔王の末裔がいる。

 以前までなら考えられなかったことだ。いや、その内の一つくらいならあったかもしれないが、これだけのものが一つの時代に揃うなんてことを偶然で片付けるのは無理があるとは思わないかな?」

 

 今はまだ大きな動きがあるわけではない。最強のエクソシストは極めて優秀でいくつもの仕事をこなした実績があるだけだし、二天龍が魔王や神を弑逆したというわけでもないし、旧魔王の末裔は一応おとなしくしている。

 しかし、そのことを軽視してはならないのだと、サーゼクスは語る。

 黙示録の始まりにはラッパが吹き鳴らされるように、嵐や地震には前兆があるように。一つの時代を代表してもおかしくない英傑たちが同年代に集まったことは、『何か』の始まりを告げるものなのかもしれない。紅髪の魔王は、そのように推測していた。

 

「今が時代の節目なのだと私は考えている。そして、時代が変わる時には『何か』が起きる。……時代の潮流に呑み込まれないようにするために協力は必須だろう」

 

 聖書に記されし神が存命だった頃から生きている、アザゼルとミカエルは深く頷いた。長い時を生きてきた彼らは、それだけ多くの時代の変化を見てきた経験があり、時代の変化を乗り切ることは生半なことではないと経験で知っているからだ。

 

「時代が変わると言やぁよ……、お前らも知ってるよな? 九年前に北欧神話で神々の黄昏(ラグナロク)が起きたって話」

 

 裏の界隈では有名な話をアザゼルは挙げた。

 

「無論。ただ、親交があまり無いために詳しい事情まで知りませんが」

 

 肯定しつつも、天使長の口ぶりは苦いものだ。北欧神話の代名詞とも言える出来事についての情報を碌に集めることが出来なかったのだから意気消沈するのも仕方ないだろう。

 

「うん、悪魔も全然だね。何回か事情を訊こうとしたんだけど良い返事はまるでもらえなかった」

 

「悪魔としてはかなり譲歩したつもりだったんだけどね……、情報や技術を見返りに提示してもまるで考慮する素振りを見せることさえないのだから相当なものだよ。おそらくは我々だけでなく、他の神話大系もラグナロクの詳細については知らされていないんじゃないかな」

 

 魔王二名は残念がりつつも、仕方ないのだと諦観を滲ませている。衰退し和平を考える勢力の長として、諸勢力に対して無茶を言うことは御法度ということもあり、他の勢力も知らされていないのだから、と妥協する他ないのだ。

 

 天使長の気持ちも、二名の魔王の気持ちもアザゼルにはよく理解できる。彼自身もその気持ちを味わったのだから。

 故にこそ、アザゼルは己の思いが届くと確信した。

 

「俺のとこも似たようなもんだ。知っているのはラグナロクが起きたってことと、それ以降の北欧神話で改革が行われ続けているってことだけだ。

この一連の動きは今でも話題になることが多いが、北欧以外でも動きがある。

 およそ十年前から、アステカ、須弥山、ギリシャ、インドにケルト、そのほかの神話体系でも大なり小なり変化が起きてるんだよ。どこの勢力も時代の潮流を感じ取ってんだ。……俺たち三大勢力も備えを早くしねえと乗り遅れちまう」

 

「漸く和平が結ばれる和平ですが、それでも遅すぎると?」

 

「ああ、焦りを感じているくらいだ。なんたって、あの帝釈天の治める須弥山とハーデスの冥府の変化はキナ臭すぎるからな。前者はシヴァ相手に、後者は他勢力相手に戦争をマジで吹っ掛けるつもりじゃねえかと危惧しているくらいだぜ」

 

「実際にそんなことが起きれば私たちも知らんぷりってわけにはいかないよね。関わりたくなくても、戦争の規模が大きすぎて絶対に巻き込まれる……。しかもそれに耐えきるだけの力が悪魔にない」

 

 暗い未来を幻視したセラフォルーが憂鬱だと言わんばかりに項垂(うなだ)れた。自分たちの陣営が攻め込んだわけでも攻め込まれたわけでもなく、ただ巻き添えを食らっただけで滅びかねない現実は、為政者として相当辛いものがある。

 

 超越者と呼ばれるサーゼクスでさえ、その声には陰鬱とした感情が滲み出てしまう。

 

「衰退した状態で巻き込まれれば、戦いの勝敗がどうであれ我々の国は滅亡するだろうね」

 

「ただし、それは俺たちがそれぞれ一勢力ずつだったらの話だ。天使と堕天使と悪魔が手を結べば多少はマシになるはず」

 

 結論は出た。そして反論はない。

 一拍ほどの時間を取り、三大勢力のトップたちはそのことを認識し、会談の目的を果たす。

 

「……では、決まりですね」

 

「決まってた、の間違いだと俺は思うけどな」

 

「アザゼルちゃん、今のタイミングで話の腰を折るのはどうかと思うんだけど」

 

「私もセラフォルーと同意見だよ。妙な茶々を入れる必要はなかったね」

 

「……何か俺への対応が地味にきつい気がするな」

 

「そんなことは置いておいて……。

 ――今、この時を以って我ら三大勢力の和平を結びましょう」

 

 

 

 




グラナさんが危険視されてますなー、まあ過去にやらかしたことを考えれば当然なわけですが……。
アザゼルとの問答においてグラナさんは色々と別の意味がありそうなことを言ってましたねぇ。ではなぜ、そんな真意を悟られかねない発言をトップ陣の前で行ったのか……その辺りについても予想されては如何か? ちゃんと伏線回収するまでこの作品が続く自信が無いですけどね!!


原作との相違点

十年前から各神話体系において変化が生まれている。


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4話 違う。俺じゃない

 話が進まねええええええええええええ!!! え? 他の作者さんはどうやってテンポよく進めてるのかマジで疑問なんですけど!?

 さて、本日は盛大なツッコミ回です!


「さて、会談はひと段落ついたことですし……兵藤一誠くん、先日のお話の続きを聞かせてもらってもよろしいかな」

 

 会談の主目的が果たされ、着地点が見いだされたタイミングで、天使長ミカエルが一誠へと水を向けた。

 アザゼルやサーゼクス、セラフォルーもどのような話なのかと興味を示す中で赤龍帝の口から語られたものは彼の仲間に関することだった。

 

「どうしてアーシアを追放したんですか?」

 

 悪魔をも癒す力を持っていたために、教会から追放された悲劇の少女。一誠が知りたいのは悲劇の理由だ。

 

「それに関しては申し訳ないとしか言えません。神が消滅した後、奇跡などを司る『システム』だけが我ら天使の元には残されたのです。しかし、私たちだけでは『システム』の力を十全に発揮させることは、大戦から数百年経過した現在でも叶っていません。そのため、どうしても救うことのできる信徒の数には限りが出てしまうのです」

 

 ただでさえ、満足に『システム』を稼働させることが出来ない状況下では、『システム』に僅かでも悪影響を及ぼす可能性を持つ存在を許すわけにはいかない。信仰心を動力とする『システム』にとって、『悪魔をも癒す治癒能力』というのは好ましい存在ではない。故にアーシア・アルジェントを追放する他なかったのだ。

 また、『神の不在を知った者』も『システム』に悪影響を与えかねないことから、ゼノヴィアとイリナは追放されたのだとミカエルは語った。

 

 ミカエルの語るやり方は、『小を切り捨て、大を救う』というものだ。その言葉に一誠は反論することが出来ない。彼の貧弱な脳味噌では、少数をも救いたいと願っても肝心の救う方法を考えることができないのだ。

 そして、それ以上に、当の被害者とも言えるアーシアがミカエルのやり口を批判していないことが大きい。教会から追放されたことは辛かったけれど、そのおかげで今の仲間たちの出会えたなどと言われてしまうと、一誠の胸中は瞬く間に喜悦に満たされてしまった。

 

「兵藤一誠くん、君の話はそれだけでいいのかな?」

 

「えっと、ミカエルさんにする話はそれだけです」

 

「私にする話は、ですか」

 

「俺が次に訊きたいことがある相手は、グラナ・レヴィアタンお前だ」

 

 一誠の視線は、魔王二名の後ろに控える金眼の男へと向けられていた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 唐突に自身が話題の中心に放り込まれたグラナではあるが、その心中は平静そのものだった。ふむ、と予想を立ててから、まずは一言だけ返す。

 

「とりあえず口の利き方から直せ馬鹿。てめえ、誰に向かってタメ口きいてやがる」

 

 グラナの身分は上級悪魔、しかも元王族と言える名家の出だ。対する一誠は、人間界の一般的な家庭に生まれた学生であり、悪魔社会には今年の四月に入ったばかりの新参者。両者の立場には、大きな隔たりがあることは言うまでもない。

 

「まあ、礼儀だのなんだのをグチグチと言う場でもないか。この場に限っては不問としよう。で? 質問は何だ?」

 

 傲岸不遜と言って良い態度は、立場の違いであり、身分の違いであり、そして実力の違いによるものだ。そのことを理解する頭が一誠に備わっているかどうかは全くの別の話だが。

 

「ッゼノヴィアとイリナをどうして襲った!?」

 

 一誠の叫びに、ゼノヴィアとイリナの元同僚であったデュリオと元上司のミカエルが瞠目した。サーゼクスとセラフォルーはまた問題事かと意気消沈し、アザゼルは警戒を強めるかのように目を鋭くさせる。彼らのように大きな反応を見せないシトリー眷属とグレモリー眷属はすでに事の次第を聞いているのだろう。

 

「そんなことも分からないのか? その頭は飾りかよ」

 

「はぐらかすんじゃねえよ! 早く答えろ!」

 

 馬鹿と常識は対極に位置するものだ。まして、馬鹿が感情的になった時に道理を説くほど無駄なものはない。しかし、状況が逃避を許さないのだから、答えるしかあるまい。

 グラナは溜息を一つ溢して、仕方ないと言わんばかりに始めから語り出す。

 

「俺がそこの元エクソシスト二人をぶっ殺そうとしたのにはいくつか理由がある。お前が納得するかどうかは知らんが、一つずつ順序良く教えてやるよ。

 ――第一に、その二人が真性の下種だからだ」

 

『……は?』

 

 疑問の声を出したのは誰だったのか。ミカエルか、デュリオか、一誠か、リアスか、あるいはイリナかもしれないし、ゼノヴィアかもしれない。一人や二人ではない数の声が重なって響いた。

 

「ある時、教会に『聖女』として利用されていた少女はちっとした失敗から『魔女』の烙印を押されて教会から追放されてしまった。……ああ、言いたいことは分かってる。どうして唐突にアーシア・アルジェントの話をするのかってことだろう? 本題に関係があるからだ。まあ聞けよ。

 組織に利用された者が、組織の都合で捨てられる……悲劇的だが、よくある話とも言える。ただ、これの続きが二人の元エクソシストが下種だって話に通じている」

 

 話の前提を共有し、グラナは室内の面々を見渡す。誰も彼もが疑問を浮かべるか、約一名の戦闘狂は興味がないと我関せずを決め込むだけ。その反応に侮蔑を抱かずにはいられない。事情を知らない者が答えを思いつかないのは当然だとしても、当事者が、加害者が気づかないことは間違っている。

 

「悲劇の少女はあれこれを経てとある上級悪魔の眷属となった。で、悪魔としてそれなりの生活を楽しんでいたわけだが、そこにかつてのお仲間が現れてこう言ったんだ。

 ――『信仰のために死ね』

 魔女に堕ちて尚信仰を失わぬのなら、死を主に捧げる事こそが信徒の本懐だとか理屈を捏ねてな」

 

 答えを告げられることで漸く思い至ったゼノヴィアとイリナの二人が体を震わせて、顔を俯かせた。

 しかし、その程度のことに同情して口撃を緩めるグラナではない。

 

「勝手な理屈だ。ああ、反吐が出るよ。各地を巡っていた頃、いきなり襲ってくる屑どもの中にもお前らと似たような連中がいたよ。街中で人払いの結界も張らずに戦端を開き、一般人の巻き添えが出ようとも、信仰のために死ねるのなら本望だろうとかほざいたりしてな……。

 視界に入るなよ、殺意が湧くから。

 近づくなよ、腐臭で鼻が曲がるじゃねえか。

 声を上げるなよ、この世の数少ない花が汚れるだろうが」

 

 演技ではない。冗談ではない。挑発でもない。

 グラナの全身から、一点の曇りもない、純粋な侮蔑と嫌悪の念が放射される。

 

 それを色で例えるのなら黒だろう。混じりけの無い純黒だ。

 

 ヒトはここまで悪感情を他者に向けることが出来るのかとトップたちがある種の驚愕を抱く一方で、グラナに睨まれた二人は蛇に睨まれた蛙よりも哀れなほどに震えてしまう。

 

「しかも、だ。この二人は任務用の費用を私的に使い果たし、街頭での募金を行っていたんだがな……。なあ、おい赤龍帝。お前も知っているだろう、その時の会話が本当にクソだってことをよ。

 曰く、募金が進まないから、これだから信仰の匂いがしない国は嫌だ。

 曰く、聖剣で異教徒を脅して金をふんだくればいい。

 発想がチンピラだ。自分たちの馬鹿さ加減で金を失ったくせに、金が集まらないことを他者のせいにして貶し始める。それどころか凶器を使って脅し取ろうなんてのは、モロ強盗だしな」

 

 ――魔性の殺し方よりも先に、常識を知れ。

 

 ただの屑が理想だの正義だのを語り、善人面をすることが心底気に食わないのだ。こうした屑のせいで、過去のグラナたちが一体どれだけの苦労したことか。こうした屑が居なければ、真っ当に生きている者たちがどれだけ救われることか。

 

「こいつらの性質(タチ)が悪い所は、自分たちを悪だと認識していないことだ。信仰のために、理想のために、正義のためにとお題目を並べていくらでも蛮行を働く。

 独善を振りかざし、暴力に酔う。まさしく下種じゃねえか。それ以外に何と言えばいい?」

 

 一切の躊躇のない断定に、しかし一誠が否と申し立てる。

 

「違う! そんなことはない! 俺はあの聖剣を巡る事件の中で二人と一緒に戦って、二人の良い所をいくつも見てきた。この二人は、ゼノヴィアとイリナを絶対に下種なんて呼ばせねえ!」

 

「そう言うと思ったぜ。その意見を撤回させるのは面倒だし、そもそも撤回させる必要もないから次の理由を話すとするか。

 第二に二人が教会から追放され、はぐれエクソシストと化したからだ」

 

 はぐれエクソシスト、はぐれ悪魔。種族と職業に違いはあれど、国や組織から追放され、誰の保護下にもいないという点では共通する犯罪者だ。

 

「なあ、おい一度でも考えたか? これまでその二人は聖剣を使って、ドヤ顔で何体もの悪魔を殺してきたんだぜ? それはエクソシストの義務なんだろうが、悪魔側から見ればただの殺戮者だろう。

 そんなやつが組織と言う名の鎖から解き放たれたんだぞ。血に濡れた凶器を握って自由に徘徊しているんだぞ。

 一悪魔として、一上級悪魔としてぶっ殺すのが義務だろう?」

 

「違う! ゼノヴィアもイリナもそんな危ないやつじゃない! 二人とも無器用だけど、優しいところもある普通の女の子だ!」

 

「……さっきからキャンキャンとうるせえやつだな、おい。初めに言っただろ、納得するどうかは知らんが話すって。お前が納得するかどうかなんてそもそも俺の知ったことじゃねえんだよ。

 あーだこーだと言ってるがな、お前の言葉に価値があるとでも思ってんのか? ねえよ、まるで無い。価値はないし重みもない。

 主の言葉を無視して暴走するだけでなく、他所の眷属の統率を乱し死中に連れて行くような馬鹿の言葉が誰に届く」

 

 言霊から作られた言弾の掃射は漸く終焉を迎えた。イリナとゼノヴィアの心は蜂の巣のように滅多撃ちにされ、一誠の心にも巨大な空洞が顔を見せる。

 イリナ、ゼノヴィア、一誠の三名が己の愚行を指摘されたことに意気消沈する中、リアスが数々の暴言を咎めようとする。

 

「ちょっと、グラナ! あなた、いくらなんでも――」

 

 しかし、その言葉を当のグラナは完全に無視し、己も言いたいことがあったのだとサーゼクスへと視線を送った。

 

「いやはや魔王サマ。そういえば先ほど気になることを言っていましたね?」

 

 曖昧な問いかけに、サーゼクスは眉を寄せながら問い返す。

 

「気になることとは一体どれのことかな? この部屋に入ってからそれなりに発言したから見当が付かない」

 

「和平会談が始まってすぐのやつですよ。活躍した妹が~~ってやつ。あなたの妹さんはまるで活躍なんてしていないでしょうが。間違いを正してください」

 

 和平会談が始まる前から、散々、問題発言を繰り出してきたグラナである。二度あることは三度あるとばかりに、躊躇なく紅髪の魔王(シスコン)に向かって、妹贔屓をやめろと言う。

 

「だって普通に活躍なんてしていませんよね? やったことは格上相手へ無策で突貫してボコられただけ……あぁ、眷属も含めれば暴走もありますか。

 マイナスはいくらでも挙げることはできますが、活躍したなんて事実はどこにも無いではありませんか」

 

「それは……」

 

 口籠る魔王にグラナは更に畳みかける。先ほどは三人に向けられた、言弾を放つ銃口が今度は魔王に向けられた。グラナは当然のように、一切の躊躇なく引き金を引く。

 

「活躍したっつうか失敗を積み重ねただけじゃないですか。え? どこが有能なんですか? むしろ俺にはただの無能以外に見えないんですけど?」

 

 サーゼクス・ルシファーが妹のリアス・グレモリーを溺愛していることは有名の話だ。そのことをグラナが知らないはずが無い。知った上で、堂々と魔王の妹を貶すグラナの発言に室内にいた者のほとんどが呆気に取られる。反論・疑問を述べる暇さえ与えることなく、グラナの言葉だけが続けられていく。

 

「しかもその失敗二度目だし。ライザー・フェニックスとのレーティング・ゲームでも格上相手に突っ込んで負けてるんですけど。格上相手に無策で突っ込むことが愚の骨頂だってことくらい、戦術・戦略に疎いド素人でも分かることなんですが? 

 なのにこの短期間に二度もやらかすって……、何なんですかね。賢者は歴史に学び、愚者は経験に学ぶって言いますけど、経験から学ぶこともできずに最大級の愚行を繰り返すバカを無能以外に何と言うんですか?」

 

 呆気に取られ言葉を継げないでいた者のうちの何人かが漸く反応を見せ始める。どこかの総督は腹を抱えて笑い、最強のエクソシストは下手な反応を見せるのはまずいと感じてか苦笑い。唯一の女性魔王は、己の隣に座る紅髪の魔王が一体何を思うのか心配そうに何度も窺っていた。

 そして、やはりと言うべきか。主を盛大に、公的な場で侮辱されたことに怒りを見せるグレモリー眷属の言葉を無視してグラナは続ける。

 

「部長だって一生懸命―――」

 

「戦術・戦略について言いましたけど、リアス・グレモリーの場合それ以前に問題があるんですよね。

 ぶっちゃけ行動が遅すぎ。コカビエルが聖剣を持って支配地に入ってきたことに気付くのが、教会の使者に教えられてからなんですよ? いや、お前、土地の支配者を名乗るならもっと早く把握しておけってな。

 しかも、教会側の要求を呑んで不干渉の姿勢を取るし。下手人のコカビエルは格上ってことは分かりきってんのに、どうして後手に回るのかマジで意味不明なんですけど? 実際に被害が出た場合はどうするつもりだったんですかね? つうか有事の際に行動しない支配者とか居る意味あんの?」

 

 グラナの口から語られる、リアス・グレモリーの至らない点の数々。まるで濁流のような勢いで溢れ、山積するそれらは確かな事実に基づいたものであるだけに一切の反論を許さない。

 

「教育や政治のシステムを学びに留学しているソーナ・シトリーは情報収集と眷属の統率をこなしていたのに。まあ、グレモリー眷属の暴走のせいで完璧にとはいかなかったわけですけど。

 ……えっと、何ですかねこの違い? ソーナ・シトリーがこれだけの働きを見せる中、どうして領地の支配を学ぶリアス・グレモリーはマイナスを突っ切るような行動ばかり取ってんの? リアス・グレモリーは活躍してないっつうより、味方の足を引っ張っただけじゃないですか。

 ついでに言うとコカビエルの件だけじゃあないんですよ、リアス・グレモリーの無能っぷりは。領地内に侵入した、はぐれ悪魔への対応も遅すぎる。なんだよ、太公アガレスからの指令を受けてから動き出すって。遠く離れた本国にいるやつのほうが事態を把握するのが早いっておかしくないですか? アガレスからの指令を受けてから動くのなら、わざわざ土地の管理者を置く意味もないですよね。アガレスが私兵を派遣すればいいだけなんだし。

 マジでもっと早く行動しろよ。一々トロいんだよ。自分たちで集めた情報を上に送って判断を仰ぐくらいのことはしろよ。何で上に頼り切り? 魔王派と大王派の間に立って胃薬をベストパートナーにするアガレスの仕事を更に増やすって……、グレモリー家次期当主サマは大公に恨みでもあるんですかね? 大公が割とマジで胃に穴を開けて死にそうなんですけど?」

 

 出るわ出るわ。グラナの口からは次々にリアスへの駄目だしが溢れてくる。リアスへの鬱憤がかなり溜まっていたことが、それだけで良く理解できるというものだ。

 グラナの声には呆れが色濃く出ており、裏方として奔走する中での苦労を連想させる。

 

「さっき部長が一生懸命~~とか言おうとしてた馬鹿がいたような気がしますけど……一生懸命やってたら失敗しても許されるとでも? 失敗には許されるものがあるけど、許されない失敗だってあるだろうに。もしコカビエルが駒王町の破壊を企んでいたらどうする? いやそうでなくてもあれだけの実力者との戦いなら、町に被害が出てもおかしくない。実際、シトリー眷属の張った結界はかなりギリギリのところだったわけだし。

 コカビエルの目的は戦争を引き起こすことだったわけですが、それを防ぐことが出来なかったとしても一生懸命やってれば許されるんですかね? 三大勢力に幾万の屍が積み上がり、そして共倒れすることになったらどうするつもりだったのか……。屍の山に向かって、『私は一生懸命やったけどおつむが足りないせいで失敗を積み上げまくった挙句、戦争を引き起こす原因となってしまいました』とか何とか言って謝罪するんですかね?」

 

 三大勢力の戦争が引き起こされる未来予想図。それは鮮明に思い描けてしまう。

 教会からの使者は常識知らずの下種で、土地の管理者を名乗る悪魔はただの無能。これでは堕天使の幹部の思惑を防ぐことなど不可能だ。堕天使側からは白龍皇のヴァーリが派遣されていたわけだが、当時のリアスたちが知るはずもないし、仮にも敵対関係にある勢力の力を頼りにするわけにもいかないだろう。

 で、あれば、自分たちに対応できる範囲を超えた事態が目の前にあるのなら、上の者に判断を仰ぐか援軍を要請すればいい。しかし、それが出来ないからリアス・グレモリーは無能なのだとグラナは罵った。

 

「ここまで言えば馬鹿でも理解できると思うんですけど、リアス・グレモリーが活躍したなんて事実は全くありませんよね。で? しかしルシファー様は先程、彼女が活躍したと仰った。ああ、おかしいな。活躍していないのに活躍したと言う。無いはずのものをあると言う。

 ――その手柄はどっから持ってくる?」

 

 無から有を生み出すことなど誰にも出来ない。ヒトに出来る事は、別の場所から引っ張ってくることだけだ。

 

「困るんですよねぇ、手柄を横取りされるのは。

 会談が始まる前に言ったでしょう。俺たちは今も多くの上級悪魔から目の敵にされていると。城と魔境が物理的な盾ならば、名は形を持たない盾だ。誰だって強いやつに自分から喧嘩を売りたくはないでしょう? 威圧し、そもそも争いが起こらないようにするための道具が名前なんですよ。

 だってのに、ねえ? 手柄を取られちゃ敵いませんよ。俺の名が貶められる。舐められちまう」

 

 サーゼクスにグラナの名前を貶める意図があったかどうかなど、この際些末な問題だ。グラナ・レヴィアタンは、自分がどれだけ侮辱されようと気にも留めない。しかし、結果的にそれが配下の身の危険につながると言うのなら話は別だ。その一点に関してだけは決して譲ることはできない。

 曲解を混ぜた意趣返しと共に線引きを図る。

 

「ああ、いや鼠が増えたのなら殺鼠剤を撒けばいいと考えているのでしょう? あなたは超越者と呼ばれるほどの実力者ですからね、鼠が少し増えた程度で手間は変わらんでしょう。しかし、俺はあなたとは比べるべくもない矮小な身。鼠が増えることで色々と困るんです」

 

「グラナくん、すまなかった。けれど、リアスが活躍したことにしなければグレモリー家の評判が落ち……、下手をすれば貴族間のパワーバランスの崩壊にも繋がりかねないんだ」

 

 魔王のやんわりとした否定の言葉を、しかし、まるで耳に入れないのがこの男。グラナの天秤は1と0の二つのみ。価値観は箱庭の内側へと向ける愛か、それ以外の有象無象だ。蟻の群れが争っているのを見て気に病む人間がいないように、貴族同士の大きな争いが起きようとも頓着しないのである。

 

「は? で? それが何か?」

 

「それが何かって……グラナくん、サーゼクスちゃんも悪気があったわけじゃないの。ただ、大きな争いに発展するかもしれない芽があったのなら摘まなければならないでしょ? グラナくんも分かってるよね?」

 

 魔王少女の同僚を擁護する声。その言葉は理解できるし、賛同する者も多いだろう。悪魔の衰退している現状を考えれば、争いを避けるためにあらゆる手段を取りたくなってしまうだろう。それは間違っていない。悪魔という種のことを第一に考えればこその判断なのだから、むしろ魔王として称賛を集める行いだ。

 しかし、それは為政者の理屈だ。体制のために潰される側の気持ちなど頓着されていない。

 どれだけ加害者が理屈を捏ねようと、それで被害者が納得するとは限らない。

 

「ああ、分かっていますよ。そして逆に問いましょうか、俺がその程度の些事に構うとでも?」

 

 貴族間の争いが起きれば、悪魔は更に衰退することだろう。その隙を突いて天使や堕天使の過激派が争いを仕掛けてくれば、悪魔は滅びてしまうかもしれない。しかし、配下の安寧を第一に考えるグラナにとってはどうでもいい話だ。

 

死を想え(メメント・モリ)。逃れることのできない終末()がいずれは訪れるからこそ、愛する者と出会い過ごすこの刹那を俺は全力で謳歌したい。この刹那を守ることに比べれば、国だの種族だのの存亡は塵芥に等しい」

 

 

 

 ――瞬間、世界が停止した。

 

 最も早く反応したのは三勢力の首脳陣だ。彼らは瞬時に、時間が何者かの手によって停止されたのだと察し、下手人は一体誰なのかと考え、そして一人の男へと視線が集まっていく。その男は、かつて三大勢力の戦争を望み、堕天使の幹部を徹底的に拷問したと言う前科がある。更には、たった今反逆を示すような発言をした直後に世界の流れが停止したのだ。これで疑うなと言うのが無理な話である。

 

 己へと向けられる視線の意味を瞬時に理解して、しかし、グラナはこれだけは言いたかった。

 

「違う。俺じゃない」

 

 




 盛大にツッコミまくりでしたねー。いや、原作を読んだ時に思った作者の気持ちを全てブッ込みました。

 そして最後のオチ。うん、まあ、シリアスからいきなりの急落下ってのもいいかなって思ったのですよ。


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5話 復活―――とでも言やぁ良いのか、この場合はよ

 皆さん、アニメ『dies irae』を見ているでしょうか? いろいろ、言いたいことはあるでしょうが、これだけは言わせてほしい……、メルクリウス超うぜえええええええ!
 うざさこそがメルクリウス。メルクリウスこそがウザさだと思いますがね、ウザくないメルクリウスなんてメルクリウスではないと思いますがね、それでも言いたかった……!!


 最強のエクソシスト、デュリオ・ジェズアルドの保有する神器は神滅具の一つにも数えられる『煌天雷獄(ゼニス・テンペスト)』。能力は天候を操るという神にも似たものだ。転じて、嵐を操るがゆえに『水』と『風』を、雹を操るがゆえに『氷』を支配することもできるという万能性を持つ。

 その能力を上手く使い、今回の下手人と疑われるグラナを凍らせていく。足元から徐々に凍らされ、体が動かなくなっていくのはかなりの恐怖であろうに、まるで抵抗することなく自然体であり続ける男へ、デュリオは軽く手を挙げて謝意を示す。

 

「いやーごめんね。流石に何もしないってわけにはいかないよね」

 

「はぁ、まあ疑う気持ちは分かるから捕まってやるがな……。それ以上のことをやったらマジで許さんからな」

 

 ちらり、とグラナが流し目を送った先には、彼の腹心とも言えるエレインがいる。ただし、すでに氷の棺に閉じ込められているのだが。

 グラナの言いたいことが、彼と何度も戦ったことのあるデュリオには良く分かった。封印以上の真似を、具体的にはエレインを傷つけるような真似をするのなら殺す、要はそういうことだ。

 

「わーかってるって。容疑が晴れれば、ちゃんと解凍するし、後遺症も残らないから安心してよ」

 

「あと、一つ訊きたいんだが、俺の冤罪が晴れた際の賠償金の請求ってどこにやればいいんだ?」

 

「う~ん、それはちょっと答えかねるなぁ」

 

 下手に答えた挙句、封印を行ったデュリオ当人に請求が来たら、正直困る。グラナの性格的に、大義名分が立つ状況であれば遠慮などするはずもないからだ。冤罪が証明されたとなれば、これ幸いとばかりに目玉が飛び出るような金額を吹っ掛けてくるに違いない。

 

「じゃあ、とりあえず三大勢力のトップに請求書を叩き付けてやるかぁ」

 

 それがグラナ・レヴィアタンの最後の言葉だった。最初から最後まで決して己のペースを崩すことのない悪魔であったが、全身を凍り付かされた今となっては流石に動きを止めている。

 教会の誇る最強のエクソシスト、デュリオ・ジェズアルドをして決して勝てないと思わせた男の幕切れにしては、拍子抜けしてしまう程にに呆気ない。

しかし、終わりとは元来そういうものであるのかもしれない。世界中で毎日多くの人々が死んでいるが、その大半の終わりは実に呆気ないものだ。グラナ・レヴィアタンの終わりも、それらとは変わらないということなのだろう。

 

 

 

 第一部、完ッッ!

 

 

 

 

 ――となることもなく、物語は、この世界は動き続ける。

 この場に集った面々の中で時間停止を免れた者たちは、氷に覆われた悪魔と吸血鬼の主従を前にして疑惑についての意見を語り合う。

 

「で、実際のところどう思うよ?」

 

「私は正直、怪しいと思います。彼が過去に起こした事件などを考えれば、裏切りを企てることに躊躇するような性格ではないことは明白です」

 

 アザゼルの問いに、ミカエルは黒だと返答しながらも、しかし疑問があるのだと続けた。

 

「仮に彼がこの件における下手人だとするのなら、抵抗せずに捕まることを選ぶでしょうか?」

 

「常識的に考えればあり得ねえな。まあ、そうして俺たちを油断させる作戦って線もあるかもだが………しかし、わざわざ過去の事件について隠し立てせずに話し、俺たちを相手にあれだけの啖呵を切った男がそんなショボい真似するかっつう疑問が出てくるな」

 

 と、アザゼルは次に視線を魔王の二人へと移す。

 

「私の知る彼ならば、言い訳だとか誤魔化しを用いることなどせずに即座に行動を移すはずだ。今回の場合で言えば、時間が止まった瞬間に首脳陣に攻撃を仕掛けるか、リアスたちを人質に取るだろうね。余計なことを話して時間を浪費すれば、せっかくの奇襲で意表を突いた意味が無くなってしまう。グラナ君がそんな愚行を犯すとは思えない」

 

「私は、う~ん、ちょっとまだ保留かな。怪しいのは確かだけど、証拠はないしね。もう少し様子を見るってことで意見は控えさせて」

 

 ミカエル、サーゼクス、セラフォルーの意見にはそれぞれの理がある。一概にどれが正しく、どれが間違っているとも言えない。アザゼルは唸りながら意見を纏めた。

 

「つまりだ。ミカエルは黒寄り、サーゼクスは白、セラフォルーは判断待ちってことか」

 

「アザゼル、あなたはどう思うのですか?」

 

 問われ、アザゼルは窓の外へと目を移す。そこには校庭が広がり、天に輝く魔方陣から次々と魔法使いたちが現れる光景があった。幾人殺そうともともすぐに補充される魔法使いの一団は、新校舎を守るために張られた結界へと攻撃を続けている。

 

「……俺はセラフォルーに賛成だな。幸い、主従揃って抵抗することなく拘束を受け入れてくれたんだ。結論を急ぐ必然性もない。

 それにあれだけ襲撃者がいるんだぜ? ここであれこれ話し合うより、テキトウなやつを捕まえて事の真偽を問い質したほうが手っ取り早い」

 

「だったら何故、わざわざ話題を振ったのですか」

 

 ジトリとした目を天使の長から向けられても尚、アザゼルは飄々とした態度を崩すことは無い。

 

「意識の共有ってやつをしておきたかったのさ。後になってから意見の食い違いで揉めたくないだろ? で、おいヴァーリ、表の魔法使いどもをテキトウに相手してやれ」

 

 ヴァーリが選ばれた理由は消去法だ。

 悪魔側の護衛であるグラナとエレインの二人は下手人の容疑により凍結されているために戦いようがない

天界側の護衛を務めるデュリオはその封印の担い手であり、グラナたちの様子を見張る義務がある。

トップ陣の誰かなら戦力的には問題ないのだろうが、襲撃者たちの狙いが判然としないままトップが戦陣を切るというのは不用心極まりない。

グレモリー眷属の内の何名かは時間停止から逃れているが実力に些かの不安が残る。彼らを戦わせるのなら、主戦力ではなく補佐として使うしかない。

 

「やれやれ、正直やる気は出ないが仕方ないな」

 

 自分の選ばれた理由が、戦力を買われたからではなくただの消去法。獲物は小物たちが群れを成しただけの有象無象。これで滾れというほうが無茶な話だ。

覇気に欠けた答えを返しながらも、しかしヴァーリという戦力は超の付く一級品である。窓を開いて飛び出すやいなや、魔法使いの集団相手に単騎で蹂躙を開始する。

 

 禁手状態と化したヴァーリは、『白龍皇の光翼』の有する『半減』と『吸収』の二つの力を用いて片っ端から魔法使いたちを叩きのめしていく。無論と言うべきか、ヴァーリの持つ武器は神器だけではない。単純な格闘術や魔法にも秀でており、遠・中・近と距離を選ばなず、その手練手管はまさに千変万化。

 魔法使いの群れを、まるで紙を切り裂くような勢いで、流星と化したヴァーリの姿は強さだけでなく美しさまで感じさせる。

 

 

 

 

 ヴァーリが有象無象の雑魚を相手に無双をしている間に、会議室の中では、一誠が『赤龍帝の籠手』を宿しているおかげで時間停止の拘束から逃れ、初めから時間停止を受けていなかった眷属仲間より事情を聞く。

 曰く、唐突に時間停止が発生し、奇襲された。

 曰く、その原因はおそらくグレモリー眷属の『僧侶』ギャスパー・ヴラディの神器によるもの。

 曰く、ギャスパー・ヴラディはは今もテロリストに拘束されているはず。 

 

 ギャスパーは神器を制御できないことを悩み、恐れ、苦しんできた。その心の内を聞き、克服するための特訓も見てきた。故にこそ、彼の努力や葛藤を踏み躙るテロリストの存在がどうしようもないほどに許せない。

 テロリストに拘束されているだろうギャスパーを助けに行きたくても、そこまでの道のりには多くの敵がいる。真正面から突っ込んでいっても、ギャスパーを人質に取られて摘んでしまいかねない。

 臍を噛む一誠だが、しかし敬愛する主が機転を利かせた。『悪魔の駒』はチェスの駒を模したものであり、その特性はもちろん、その他の機能のいくつかにもチェスのルールに準じたものがある。その一つ、キャスリングを使うと言うのだ。幸いにもギャスパーが囚われているはずの旧校舎には、リアスの未使用の『戦車』の駒が置かれている。キャスリングを用いれば、いきなり本丸への突撃が可能となるのだ。

 本来のキャスリングは『王』と『戦車』の駒を入れ替えるだけだが、魔王の『女王』を務めるグレイフィアの協力もあり、リアスだけでなく一誠も転移することができることとなった。

 

 魔法陣が輝きリアスと一誠の姿が消えていった。代わりに二人がいた場所には、旧校舎に安置されていた未使用の『戦車』の駒が現れる。

 

 無事、転移が成功したことに安堵の息を漏らしたサーゼクスは、一人の女へと視線を向けた。

 特長的な褐色の肉体を扇情的な衣装で彩る、眼鏡をかけた女悪魔の闖入者。彼女こそが、リアスと一誠の転移を急がせた原因である。

 

「旧魔王の血族、カテレア・レヴィアタン。どうしてこんな真似をした?」

 

 目の前に現れた現実から目を逸らすことはできない。サーゼクスは振り絞るようにして、問う。

 返された答えは、平坦な声だった。それこそ、当たり前のことを、分かりきったことを告げるかのようだ。

 

「あなた方、偽りの魔王を殺して真なる魔王として君臨するためです。サーゼクス、あなたは良き王ではあったが、最高の王ではなかった。所詮は偽物、紛い物でしかありません。間違いは正さねばならないでしょう?」

 

「話し合いはできないのか?」

 

「その段階はとうの昔に過ぎているでしょう。かつての内戦と同じです。話し合いで解決しないから、暴力に訴える。簡単なことではないですか」

 

「同族同士で争うことを、どうしてそんな簡単に受け入れることができるんだ」

 

「争いたくないのであれば、あなた方が降伏すればよろしい」

 

 それは出来ない。旧魔王派の思想は、一言で言ってしまえば好戦的なものだ。悪魔こそが至高の種族であり、堕天使と天使は滅ぶべし。一昔前ならばその考えこそが悪魔の世界では主流だったと言っても良いが、現在の衰退した状況でその考えを貫くことは、破滅への道を邁進することと同義である。そのようなこと、一国の主として、悪魔の王たる魔王として許せるはずもない。

 

「……意志は固いようだね。残念だよ本当に」

 

 悪魔という種族は、血統によって力を受け継ぐ特性がある。中でも強力な特性を有する貴族たちは『家』という一つの共同体の結びつきが非常に強いこともあって、基本的に一族を一つのグループと見る。

 であれば、カテレア・レヴィアタンがこうして現魔王たちに反旗を翻したということは即ち、グラナ・レヴィアタンも彼女の仲間である可能性が非常に高くなる。

 

 二重の意味で残念がるサーゼクスだが、しかし彼の確信を崩したのは、こともあろうにその確信を抱かせたカテレアその人だった。

 

「どういうわけかは知りませんが、グラナとその配下は戦えないようですね。……そんなにも我ら旧魔王の血筋が憎かったのですか?」

 

「……いったい、何を言って……」

 

 カテレアとの間に、大きなすれ違いのようなものを感じる。彼女の言いぶりでは、グラナとエレインは旧魔王派とは無関係のようではないか。

 

「とぼける必要はありません。事ここに至り、こうして目に見える証拠があるのですから。

 我々を裏切り、旧魔王の血族の中で唯一現魔王派についた者を捕らえたのは、それほどまでに我らを恐れたからでしょう? 疎んだからでしょう? 正統なる血筋が煩わしかったのでしょう、自分の地位を奪われるかもしれないから!」

 

 サーゼクスは旧魔王の血筋を恨んでなどいない。憎んでいなければ、恐れてもいないし、疎んでもいない。悪感情など抱いていないと言って良い。サーゼクスが旧魔王の子孫たちに向けているのは、罪悪感の類である。内戦で勝利した結果とはいえ、栄えある王の系譜たる彼らを辺境へと追いやったのは自分たちだという罪の意識。内戦の終結から何百年経とうと薄れることはなかったものだ。

 

「おいおい……、こりゃあ、いったいどういうことだ……?」

 

「この場にいる者全てが、それぞれ思い違いをしているようですが……」

 

 堕天使と天使の長は、二人の悪魔の会話から得られた情報に混乱しつつも整理していく。悪魔たちの会話に割って入ることが無いのは、それが悪魔たちの事情・領分であると弁えているからだ。

 

「……君は、いや君たちとグラナ君は手を組んでいるじゃなかったのか?」

 

 瞬間、カテレアの全身から憎悪と憤怒が放射される。

 そのような可能性を示されただけでも虫唾が走ると言わんばかりだ。

 無論、カテレアの言動が演技と言う可能性も捨てきれない。仲間を助けるためにわざと敵対関係にあるかのようなフリをする。ありふれた手法だが、彼女の視線、顔つき、口ぶりに至るまで深い憎悪が滲み出しており、とても演技だとは思えない。

 

「あり得ない。天地が引っ繰り返ろうとも、私たちがグラナと手を組むことなどあり得ない! ……サーゼクス、いえセラフォルーでもグレイフィアでもいいですが、あなたたちの中でグラナが何をしてきたのか知っている者はいないのですか?」

 

「何をしてきたのかってどういうこと、カテレアちゃん」

 

 問うたセラフォルーは魔王レヴィアタンの座に座る存在だ。カテレアからすれば、己の玉座を奪い取った憎むべき女であるはずなのに、セラフォルーへ悪感情が向けられることは無い。

 なぜなら、この場にはセラフォルー以上に憎い存在がいる。

 カテレアの憎悪に染まった目が向かう先氷の棺、正確にはその中身。上位神具の能力によって封じられたグラナだった。

 

「その男は、我らの同士を何百何千と殺したのですよ。老人も赤子も関係なく、焼いて、斬って、裂いて、貫いて、殴って、蹴って、沈めて、絞めて、撃って、殺して殺して殺し続けたッ!

 我がレヴィアタンの系譜からも犠牲者が出たのです。私の妹とその夫も、グラナによって惨殺された。妹と義弟の葬儀を行う際に棺桶へと収められたものは遺体のごく一部だけだった私の気持ちが分かりますか!?

 その原因と手を組めるはずないでしょう!?」

 

 グラナとその配下は、悪魔政府に保護される以前は修羅道に居た。その際の敵の一つが旧魔王派だったというだけの話。そして、自分たちの安全を確保するために堕天使の幹部を拷問にかけ戦争を引き起こそうとする程に頭の捻子が飛んだ男ならば、敵と認識すれば同族どころか親族さえ手にかけたとしてもおかしくない。

 無論、先に仕掛けたのは旧魔王派なのだから、その結果として友人や親族が殺されたとしても、旧魔王派の自業自得と言える。だが、それは客観的な意見だ。遺族(カテレア)からすればそう簡単に割り切れるものではないだろう。

 

「グラナは殺す! 必ず殺すッ!! 私から全てを奪った(・・・・・・・・・)男を、殺せる日をずっとずっと待っていた!!」

 

 超越者とまで呼ばれるサーゼクスは勿論として、セラフォルー、ミカエル、アザゼル、三大勢力の首脳陣は一対一の対等な条件でカテレアと百回戦ったとしても勝利できると断言できるほどに実力が高い。

 しかし、圧倒的に実力で勝っていても尚、カテレアの気迫に僅かながら押された。カテレアの身から噴き出す、憎悪、憤怒、嫌悪、怨恨、といった様々な感情の奔流は並ではない。

 

 家族を殺された。友人を殺された。成程、恨みを持つに足りる理由だ。ただし、カテレアの抱く激情に届くのかと疑問が残る。が、今はそのことに追及している場合でもないとサーゼクスは思考を切り換えた。

 

「随分とやる気を漲らせてきたところ悪いが……カテレア、忘れたのかい? 君たち旧魔王派がかつての内戦で敗北したのだということを。しかも現政府は他種族の転生も受け入れている。―――あの頃より力の差は広がっているぞ」

 

 力強い宣言は決して傲慢から来るものではない。過去の事実と現状を鑑みたものだ。

 内戦時の英雄は現政府の重役として健在であり、更には龍王タンニーンを始めとする強力な新加入者まで政府内にはいる。冥界最強と名高いルシファー眷属を始め、多くの実力者がいるのだ。

 翻って、旧魔王派は内戦での敗軍ということからも察せるように、実力者の多くが斃れた。しかも、純血主義や悪魔至上主義を掲げているために、現政府のように外部から実力者を招き入れるとこともない。純粋な悪魔のみで構成された旧魔王派は、統一感があると言えば聞こえは良いが、たった一つの攻略法で全員が打破される危険性を持つ。サーゼクスと同じく超越者と称される旧ルシファーの遺児が加勢するのなら話も変わってくるかもしれないが、生憎と彼は内戦の頃から行方知れずである。

 

「ふふふふふ。まさか我々が何の策も用意していないとでも? 我々、旧魔王派は『禍の団(カオス・ブリゲード)』に組みすることとしたのです」

 

「……禍の団? 聞いた覚えのない組織だ」

 

 首を捻り疑問を口に出すサーゼクスに、カテレアは肩を竦めながら言う。

 

「それはそうでしょうね。なにせこれまでは表立った行動をほとんどしてこなかったのですから。

 我らの目的は世界の変革。神と前魔王が亡くなった世界を、あるべき姿にすること。

 我らの頭目は無限の龍神(ウロボロス・ドラゴン)オーフィス。()の者の力を借りれば、あなたたちなど恐れる必要もない」

 

 オーフィス。二つ名の通りに無限の力を保有する世界最強のドラゴンである。その戦闘力は凄まじく、三大勢力のトップ陣が一斉に挑みかかったとしてもが鎧袖一触されてしまうほどだ。

 それほどの存在が動き出したのなれば大事であることに疑いはない。魔王として強い危機感を抱かされる。

 

「……あのオーフィスが随分と大胆な動きをするものだね」

 

 サーゼクスの知るオーフィスは、他者に一切の関心を寄せることがなく、思考の読めない存在だ。感情を見せることさえ皆無。興味を抱くこともないドラゴンが、今更大きな行動を起こすというのは些か不可解な点がある。

 

「あの世界最強の龍神が動いたという結果こそが重要なはず。理由なぞ些末なことです。ふふふふ、あの力があれば、敵対する者を全て容易く殺せる。私が、私こそが真なる魔王なのだと! 私こそが真なる嫉妬の蛇(レヴィアタン)なのだと証明してあげましょう!」

 

 ――真なる魔王の血を引き、更にはオーフィスの助力まで得た自分たちが負けるはずが無い。

 

 自信の漲る宣言から、カテレアの心の内が聞こえてくるようだった。あるいは、それはカテレアだけのものではなく、旧魔王派の総意なのかもしれない。

 

『くくくくく』

 

 オーフィスの力を考えれば、現魔王や天使長、堕天使総督を斃すことも不可能ではないだろう。内戦時に敗北した旧魔王派は兎も角としても、頭目のオーフィスには警戒を以って当たらねばなるまい。

 首脳陣がそう考えていると、笑い声が響いた。まるで何かに遮られているかのようにくぐもった声だが、嘲りの念が込められていることは明らかだ。

 

『おいおい、カテレアぁ。お前、最初から他人の力を当てにしてる癖に、よくもそんなにデカい顔ができるなぁ。恥を知ることのない、面の皮の厚さだけは称賛物だぜ』

 

 会議室に屹立する二つの氷の塊。その一方の表面に、ピキピキと亀裂が走っていく。拘束されているはずの中身の眼球がギョロリと動き、カテレアへと焦点が合わさる。

 

「まさか……」

 

 ミカエルは知っている。天使長という立場故に、最強のエクソシストがこれまでに挙げた功績を確認し、その実力を正確に看破している。

 神や魔王さえ滅ぼすことのできると言えば聞こえは良いが、神滅具を極めることは至難の業だ。元来、神や魔王に歯が立たない人間が、それを可能とする能力を使うことがそもそも無理をしていると言っても過言ではない。  だが、最強のエクソシストはその無理を可能とするだけの潜在能力を秘めていた。幼い頃に『煌天雷獄(ゼニス・テンペスト)』を宿していることが判明して以来、厳しいエクソシストとしての修練を続けてきた。生死を賭けた戦いを前に抱く恐怖を制御するだけの精神力も備わっていた。最強のエクソシストには才気、努力、精神の三拍子が備わっていたのだ。

 そして、遂に神器(セイクリッド・ギア)の到達点ともされる禁手(バランス・ブレイカー)を習得する。天候を操るという能力上、広範囲の殲滅、つまり神滅具の中でも戦闘を得意とする『煌天雷獄(ゼニス・テンペスト)』の禁手(バランス・ブレイカー)は強力無比の一言に尽きる。それこそ、禁手(バランス・ブレイカー)を発動した、デュリオ・ジェズアルドは最上級悪魔さえ打倒可能だ。

 では、禁手を使わなければ、デュリオは弱いのか? そんなことはない。禁手は神器の奥の手であり、切り札。それが強力であることに疑いの余地はない。そこに到達するということはそれだけ神器の扱いに長けているということであり、地力の高さの証明にも繋がる。

 故にこそ、驚愕する他ない。デュリオの施した拘束がまるで意味を成していないと言う事実に。

 

「嘘だろ、おい」

 

 アザゼルは理解している。神の子を見張るもの(グリゴリ)という一大組織の頂点であり、かつ優秀な神器研究者でもある彼は、神滅具の危険性を正しく察している。上位のものともなれば、国を瞬く間に滅ぼすことさえ可能という超兵器、それが神滅具だ。中でも『煌天雷獄(ゼニス・テンペスト)』は十三ある神滅具の中でも上位に位置付けられている。しかも、四つの上位神滅具の内の二つは直接戦闘系のものではない。つまり、神滅具の中でも『煌天雷獄(ゼニス・テンペスト)』は二番目に戦闘に長けた、そして破壊力を有する代物なのだ。単純な順位だけで見ても、かつて三大勢力を相手に大暴れした二天龍の神器を超える。上位神滅具を上回るということは、あの暴虐の化身とも恐れられた二天龍を超えることに等しい。

 故にこそ、瞠目せざるを得ない。国をも滅ぼせる力を、その身一つでねじ伏せるという常識外れの事実に。

 

『世界の変革だの何だのと……何だそりゃあ、新手のギャグのつもりかよ。言ってることが小物臭ぇんだよクソが。しかも、それでさえ背伸びしてる感(・・・・・・・)が半端ねえしな』

 

 声の主は氷の塊。否、その言い方は正しくない。氷の棺の中のグラナ・レヴィアタンそのヒトだ。

 氷の棺に閉じ込められていた? 否である。この男は、今まで、氷の棺に閉じ込められてやっていただけだ。

 

『かははははは! 小物にすらなれねえカスが粋がってんじゃねえよ!!』

 

 ガッシャアアアアアアアアアアアアアアンッッ!!!!!

 

 木っ端微塵に氷の棺が粉砕された。いくつもの氷の破片が四方八方に飛び散り、その中心では光を反射する小さな氷の粒に囲まれたグラナが不敵な笑みを浮かべて立っている。

 

「さて……復活――――とでも言やぁ良いのか、この場合はよ」

 




 ヴェェエエエエエアヴォルフゥウウウウウウ!!!

 


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6話 カテレア・レヴィアタンは真なる嫉妬の蛇(レヴィアタン)である

19000文字超え……、あと少しで二万文字て。過去最高の文字数でした。


「とりあえず俺の冤罪が晴れたことを喜ぶとするか。あぁ、魔王陛下、堕天使総督、天使長。あなた方には後日、正式に賠償金を求めますので悪しからず。あっはっはっはっは。まあ、後でグチグチと蒸し返したりしないと誓いますので、そこらへんはご安心ください。面倒ごとは金で解決していましょうよ。

 それと、こうして復帰したんで、カテレアの相手は俺がやりますよ。サクッとぶっ殺すだけの簡単なお仕事だ」 

 

 カテレアは柳眉は吊り上げる。グラナの言葉の前半は、カテレアなど居ないも同然の扱いをしたものであり、後半は完全に舐めているからだ。しかし、この場で獣の如く飛びかかるような真似はしない。約二十年もの間、溜め込んだ憎悪や憤怒をそう簡単に発露するべきではないのだ。どうせやるのなら、ギリギリまで蓄え、噴火の如く派手にだ。

 

「いや、出来れば確保に留めてほしい。彼女と、いや彼女たちともまだ話し合えると私は思いたい」

 

 敵に回ったというのに、カテレアの心配をする魔王(サーゼクス)。その見当違いの優しさは、まるで馬鹿にされているようで苛立ちが募る。これ程他者の想いを察せない男が魔王をしていることが信じられない。

 

「あー、いやー、無理です。この馬鹿も一応レヴィアタンの末裔だし? それなりに魔力はあるわけだし? この場に来たからにはそれらしい秘策もあるわけだし? 捕縛は無理です。それに、ほら、一応俺とカテレアって親戚ですからねえ。血を分けた女と長時間戦うのは心苦しいんですよ。だから短期決戦で辛い時間を早く終わらせたいんです。で、速攻で終わらせるとなるとそれなりに力を出す必要があるので加減出来ずにぶっ殺しちゃっても仕方ないでしょう?」

 

 散々同胞を殺してきた実績を持つために、グラナの言葉は実に空虚だ。微塵も感じ入る部分はない。はっきり言って嘘くさい。ただの詭弁であることが丸分かりだ。

 実の妹を殺されたカテレアは勿論として、この会議室に集う面々は誰一人としてグラナの言葉を信じていない。そのことをグラナも理解しているらしく、彼が笑みを崩すことはなかった。

 自身の言葉が信じられるかどうかなど、グラナにとってはどうでも良いのだろう。この会談の場を襲撃しただけでも、カテレアを殺す理由としては十分に過ぎるのだから。

 

「大義名分は俺にあり。つうわけでカテレア、場所移すぜ。ここじゃあ、ちっと狭すぎる」

 

 願ってもない提案だった。カテレアは上級悪魔らしく、魔力を用いた中・遠距離戦を得意とする。手狭な屋内より、敵との距離を取りやすく、自由に動き回ることのできる屋外のほうが実力を発揮できるのだ。

 グラナは二人の魔王の護衛であるからには、この場で戦うわけにはいかない。とはいえ、自ら虎穴に飛び込む愚かさを嘲笑いつつ、カテレアは承諾の意を返した。

 

「ええ、構いませんよ。では上空で戦うこととしましょう。せめて華々しく散らせてあげます」

 

「くははは。自信満々で結構。っつうわけで俺は今からこの女をぶっ殺してくるから、護衛は任せたぜ」

 

 その言葉に答えるように、屹立するもう一つの氷塊の表面に、カッカッカッと硬質な音を立てていくつもの線が走る。その線は剣閃、硬質音は氷を斬り裂く際のものだ。

 ズルリ、と崩れていく氷の中から、両腕を大剣へと変化させた女吸血鬼が現れる。グラナを殺すために行った情報収集のおかげで、カテレアは彼女の存在を知っていた。金色の髪に血を思わせる赤い瞳が目立つ、ビスクドールのような整った顔立ちと均整の取れた肢体の持ち主にしてグラナの腹心。名をエレイン・ツェペシュ。

 

「ああ、任されたよ。君は後ろを気にすることなく存分に戦うと良い」

 

 エレインは両腕を元に戻しながら魔方陣を展開し、この会談という場に合わせたのであろう正装から、深紅のロングドレスへと装いを改めた。鎧ならまだしも、ドレスへ服装を変える事にそれほど大きな戦術的な価値があるとも思えないが、要は気分の問題なのだろう。モチベーションが上がる、もしくは普段通りの恰好をすることで落ち着くといったところか。

 

 誰々の服装など些細な問題だと、視線を打ち切り屋外へと出ようとその場で反転したカテレアの顔には、本人も気付かない内に凄惨な笑みが浮かんでいる。

 漸くこの時が来たのだと、己の想いが成就するのだと、歪んだ悦楽に支配されている。自分の意志で決定し歩んできたと思っているが、その実、感情に振り回され続けていることに気付かない。どこかの誰かに感情を読み取られ利用されているとは露ほどにも思わない。

 

 もし、カテレアが自分の感情を僅かにでも制御することが出来ていたのなら、彼女の後に付いてくるグラナが愉悦混じりに嘲り嗤っていることを察せたのだが、それは詮無い事である。

 

 カテレアの脳裏にあるのはグラナに勝利した後の栄光。そしてグラナにこれまで与えられた屈辱の過去。

 今日、この場でグラナを殺すことに深い感慨を抱いたせいかもしれない。カテレアの思考は過去へと飛んでいく。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 ―――カテレア・レヴィアタンは真なる嫉妬の蛇(レヴィアタン)である。

 

 偉大なる初代レヴィアタンの容姿は、金髪金眼と褐色肌が特徴の美女だったと言う。彼女の長所は何も容姿だけではなく、実力も頭抜けていた。性別を理由に侮る男を片っ端から薙ぎ倒し、いつしか実力主義の悪魔社会の頂点たる魔王の座を得るに至った女傑。四大魔王の中で唯一の女性だったということもあり、没してから相当の月日が経過した現在でも、多くの女性悪魔の憧れの対象となっている。

 

 カテレアは偉大な先祖への尊敬の念を忘れたことはない。先祖の名と血を継いでいるという事実を心から誇りに思っている。

 だからこそ、カテレアは己に多大な自信を持っていた。

 肌は褐色、髪色は金。残念なことに瞳は碧眼だが、それさえ除けば初代の容姿の特徴の全てを受け継いでいると言って良い。また、魔力が上級悪魔の平均を大きく上回る事実もある。流石は魔王の末裔だと賞賛されることも珍しくない。

 

 彼女が初代から受け継ぐことのできなかったものは、『金色の瞳』と『悪魔祓いの効かない特異体質』、『不死身と称される防御力』に『水の特性を有する魔力』の四つだ。数にしてみるとかなり多いように思われるが、カテレアが魔王の末裔を名乗ることに不満を漏らす者は誰ひとりとしていなかった。

 その理由はいくつかある。まず瞳が何色であろうと実益に直結することはないから気にする必要はない。次に特異体質と防御力だが、確かにカテレアはそれらを受け継ぐことこそ出来なかったものの嫉妬の蛇(レヴィアタン)の血が影響したのか身体能力が初めからかなり高かった。魔力とて特性こそ発現しなかったが、量は随一なのだ。侮られることはあり得なかった。

 至らない点があることは事実。けれど、『魔王の末裔』であることを否定する材料になるほどのことではなかったのである。三大勢力の戦争とその後の内戦により、真なるレヴィアタンの血族の数が大幅に減少したことも合わせて、カテレアが当代の当主となったのは、ある種当然のことと言えた。

 

 そんなカテレアの、最大の転機はいつだったか。

 大戦で偉大なる初代様が亡くなった時? 違う。

 内戦にて敗北し、旧魔王派として辺境に追いやられた時? 違う。

 レヴィアタン家の当主となった時? 違う。

 

 では、グラナ・レヴィアタンが誕生した時か? ああ、そうだ。そうに違いないと断言しよう。あの時から、カテレア()の生涯は狂わされたのだ。

 

 グラナの誕生は祝福されていた。出生率の低い悪魔という種の中での、数少ない純潔悪魔の誕生である。しかも魔王の末裔。これで喜ばれない道理など無い。産まれるより以前から、それこそ母親の妊娠が発覚した当初から、今か今かと誕生する瞬間を待ち望まれていたのだ。

 真なる魔王の末裔であるシャルバ・ベルゼブブやクルゼレイ・アスモデウスは、新たな生命をその身に宿したレヴィアタンの女の元に足繫く通い、母子の健康に良好な食品や器具を贈った。

 派閥の下っ端から幹部までもが、新たなレヴィアタンについて毎日飽きることなく噂した。男児か、あるいは女児か。いや、どちらでも良いだろう、新たな王の誕生をただ祝福すればよいのだと。

 カテレアも祝福していた。なにせ、カテレアはレヴィアタンであり、祝福される子もレヴィアタンである。新たな血族が誕生することを忌避するはずもない。赤子の誕生を待ち望む気持ちの強さは、派閥の中でも上位にランクインするだろう。

 

 それはある種の流行と言えるほどのものだった。たった一人の子どもの存在が、万を超える悪魔の意識を独占してしまう事態は異常と言う他ないが、そこにも理由がある。

 真なる魔王を自称し、配下たちも真なる魔王に仕えているという自負があるにも関わらず、『旧魔王派』として辺境に追いやられる屈辱。太古から実力主義を標榜する悪魔社会で、内戦において確かに敗北したのだという事実。そして、それから数百年経過した現在でも復権することが叶わない現実。

 辛いニュースばかりの彼らにとって、新たな魔王の末裔、新たなレヴィアタンの誕生は派閥が総出で祝う程に嬉しいことだったのである。

 

 その胎児の妊娠が発覚し、公表されてから一月二月と経過していく。新たなレヴィアタンを取り巻く熱は冷めることを知らず、むしろ日に日に期待が高まっていった。

 そして訪れる、出産予定日。その日は朝から誰もが、そわそわと落ち着きがなく仕事も手に付かない。カテレアが、シャルバが、クルゼレイが、その他の多くの悪魔たちが報を待ち続ける中、遂に無事出産に成功したと言う吉報が届けられた。

 

 誰も彼もが狂喜乱舞した。それは、病院で待機していたカテレアたち派閥のトップ三名とて例外ではない。あるいは、この三名こそが子の親を除いて最も喜んでいたのかもしれない。遠回しに病院の医師から静かにして欲しいと苦言を呈されるほどに大声を出して喜んでいたのだから。

 普段は真なる魔王の末裔として、派閥のトップとして厳格であることを心掛けている三名だが、この時ばかりは小躍りした。新たなレヴィアタンの顔を少しでも早く見ようと、競争するかのように病院の廊下を疾走する姿は、到底普段の彼らの姿からは想像できまい。

 

「入っても構わないか?」

 

 ほぼ同時に母子が待つ部屋の前に到着する、カテレア、クルゼレイ、シャルバの三名。代表としてシャルバが声をかけ、了承の返事を受け取ってから戸を開けて入室する。

 部屋の内装は簡素なものだ。清潔感を象徴するかのように、天井・壁・床は白く、ベッドがいくつか置かれているくらい。

 

 部屋の奥のベッド。そこには一人の褐色肌の女性が、赤子を愛おしげに見つめながら胸に抱いていた。ベッドの脇に立つ男性は母子を抱きたいと思いつつも、母子の時間を邪魔するべきではないと葛藤しているらしく両手を宙にふらふらさせながら一人相撲している真っ最中だ。

 部屋の前であわあわと慌てふためき、満足に声を発することさえ出来なかったカテレアが、シャルバとクルゼレイの二人を押しのけて前に出る。父親の葛藤だとか、同じ派閥のトップの考えだとかはすっかりと頭から抜け落ちている。眼鏡の奥に輝く碧眼は、期待に彩られ、希望に満ち満ちていた。

 

「その子が、その子が私の新たな家族なんですね!?」

 

「ええ、そうよ」

 

 女性の答える声は、愛情に溢れんばかりだった。それを受けたカテレアの頬も自然に緩み、女性が抱く赤子へと視線を落とす。

 レヴィアタンらしい子だ、カテレアはそう思った。赤子の肌は褐色、産まれたばかりで薄い髪は輝かんばかりの見事な金髪。スヤスヤと可愛らしく寝ているが、すでに成熟した上級悪魔を超える魔力が溢れさせている。未来が楽しみな、周囲には栄光ある将来を幻視させるような赤子だった。

 

「ねえ、三人とも聞いていくれる? この子ったら、産まれたときに思いっきり泣いたんだけど、その時の声が凄すぎて分娩室の器具を盛大に壊しちゃったの。しかも、医師や看護師も一瞬で気絶させちゃったのよ?」

 

 私も一瞬意識が飛びかけたわ。そう言う女性。

 病院側からすれば迷惑以外の何物でもない、赤子の所業を聞いて、しかしシャルバは呵々大笑する。

 

「くく、ははっははははっ! いいではないか。産まれたばかりでそれだけの武威を見せつけることなど、そう出来ることでもあるまい。まあ、暫しその子を預かる病院は苦労も絶えなかろうが………その子が偉大なレヴィアタンとなった時には良い苦労話となっているだろう」

 

「僕としてはかなり育児に不安があるんですけどね……」

 

 気弱そうに呟いたのは、ベッド脇に立つ赤子の父親だ。ヒョロリとした長身痩躯と眼鏡という外見の通りに気弱な青年だが、魔王の末裔の伴侶として認められるだけあって能力は高い。逆に言えば、それだけの能力を持ちながらも自信を持つことのできない生粋の気弱な人物でもあるのだが。

 

「もう、あなたったら。ちゃんとしなさいよ。一児の父親になったのに、いつまでも情けない姿を晒していると子供に呆れられちゃうわよ?」

 

「え、ええ!? それは流石に困るなぁ。」

 

 非常に情けない声を上げる父親。しかし、彼にも夫としての意地がある。愛する妻に激励されれば奮い立つよりほかにない。それに、出来れば子供に恰好のいい姿を見せてやりたいという気持ちがあったことも事実。まだ弱いながら、父親としての自覚が生まれ始めていた。

 

 その後もシャルバとレヴィアタン夫妻は和気藹々とした様子で話を続けていく。赤子につける家庭教師の厳選は任せてほしいとか、魔力の扱いに関しては私が教えたいとか、であれば私は悪魔の矜持を身に付けさせようとか。

 赤子は未だ目も開かぬ状態だというのに未来に思いを馳せる三人を眺めていると、カテレアとクルゼレイの胸の内にも温かな気持ちがこみあげてくる。

 

「カテレア、出来ればその……」

 

「子供が欲しい、でしょう?」

 

「ああ、そうなんだが……。でも負担になるかもしれないと思うとな」

 

 カテレアたち真なる魔王派は今も復権を目指して水面下で行動中だ。しかも、カテレアとクルゼレイは派閥のトップであるために多忙を極める。それこそ子供を作り、育てる余裕さえないほどに。

 子供を持ちたいと言う願望を抱きつつも、安定しない現状により言葉を引っ込めようとするクルゼレイをカテレアは優しく押し止めた。

 

「いえ、気にしないでください。私も欲しいと思っていましたから。あんな幸せそうな光景を見せられたら我慢もできませんよ。育児の負担もどうにかなるでしょう。私が子を産むころには目の前の夫婦は養育者の先達としてそれなりの経験を積んでいるはずですから手伝いや助言をお願いすればいい」

 

 視線を交わらせ、そして二人は唇を重ねる。実際には数秒hどお、しかし二人にとっては数時間にも感じられる幸福な時間を終え、ほうっと一息ついた時に気付いた。シャルバたち三人が自分たちを見ながらニヤニヤとした笑いを浮かべていることに。

 僅か一瞬の内に、褐色の頬に朱が差した。頭から湯気が出そうな程の恥ずかしさを誤魔化すために、カテレアは質問を咄嗟に考えて口に出す。

 

「そ、そう言えば、この子の名前を聞いていませんでしたね。すでに決まっているんですか?」

 

 赤子の名前を知りたい。それは嘘ではないが全てではない。あからさますぎる質問は、カテレアの隠したい思いをまるで隠せていなかった。

 女性はくつくつとした笑いを溢し、ウィンクを混ぜて答える。

 

「ええ。女の子なら『星のように美しく綺麗な子に育ってほしい』って願いを込めてアルタイル、男の子なら偉大(grand)から取ってグラナにしようと決めていたの。この子の名前はグラナ・レヴィアタン。姉さんもこれからよろしくね?」

 

 

 

 初めはカテレアも祝福していたのだ。そのことに間違いはない。彼女は確かに心の底からグラナの誕生を喜び、成長した甥と肩を並べて立つ日を夢想した。

 では、その想いは一体いつからズレたのか。ズレた想いに気付いたのはいつだったか。いや、そもそも想いがズレた原因は何だったか。

 

 

 

 グラナと名付けられた赤子が生まれてから一週間ほど経過した頃、レヴィアタン本家で書類仕事を行っているカテレアの元に最愛の妹から連絡が入った。妹の声は嬉しそうに浮足立っており、用件を聞く前から、何か良いことがあったのだと容易に確信させた。

 

『グラナの目が開いたんだけどね、瞳の色がなんと金だったの!! 初代様の外見的特徴を完全に引き継いでるのよ!!』

 

 妹の自慢するような―――事実、自慢する声を聞いたカテレアの胸に去来したものは、痛みだ。喜悦ではなく、悦楽でもなく、愉悦でもなく、感激でも至福でも満足でもなかった。チクリ、と小さいながらも確かな痛みがカテレアの心中を襲ったのだ。

 そのことに気付かれないように、カテレアは努めて笑顔を作り、明るい声を発する。

 

「そう、それは良かったですね。将来の栄光を暗示させるようで、素敵だと思います」

 

 手に力が籠もり、握っていたペンに僅かな罅が入る。

 

『でしょう!? はぁ~、今からあの子の将来が本当に楽しみだわ。

 ただ、うちの旦那は、グラナは私似だって言うんだけど、実際レヴィアタンの特徴を引き継いでいるんだからそうなんだけど…………女顔とか男らしくない感じに育っちゃったらどうしよう。姉さんはどう思う?』

 

 金色の瞳と髪、褐色の肌。初代レヴィアタンの特徴の全てを引き継いでおきながら、何をまだ容姿について心配するのか理解できなかった。

 苛立ちが募り、無言でいるカテレアに構わず、妹は尚も息子自慢を続けていた。邪気を欠片も宿さない、その言葉の一つ一つがカテレアの心に小さな傷を作っていく。

 

『でねでね、あの子ったら力が強すぎて――――』

 

『産声があれだったから想像は出来てたけど、泣いたときが凄くて――――』

 

『うん、じゃあ今日はこれくらいにしておくわね。話を聞いてくれてありがと、姉さん。また近いうちに連絡入れると思うから、続きはそのときに』

 

「……ええ、そうしましょうか」

 

 数十分が経ち、漸く話が終わって通信が切れたときには、カテレアの握るペンは中程から力任せに折られていた。

 ゴミと化した、ペンのなれの果てを苛立ちのままに壁へと投げつける。血が滲むほどに強く握られた拳を机へと叩きつけるカテレアの顔は苦悶に歪んでいた。

 

「瞳の色なんて実用性が無いから気にする必要はない? そんなわけッ、気にしないでいられるわけないでしょう!?」

 

 カテレアは初代レヴィアタンのことを敬愛している。尊敬しているし、畏敬しているし、憧れている。幼心のままに、初代様のようになりたいと思った日のことを忘れたことなど一度としてない。

 であればこそ、瞳の色でさえ気にしてしまう。誰にも言ったことはないが、金色ではない碧眼の瞳は幼い時分からのコンプレックスだった。一層のこと、髪が金色でなく肌も褐色でなければ諦めもついたことだろう。しかし、幸か不幸か、カテレアは瞳の色以外は初代と同じ特徴を持って生まれてしまった。なまじ惜しいからこそ、あと少しで届くからこそ、諦めが付かない。

 妹の無邪気な言葉の数々は、数百年もの間、カテレアが必死になって堪えてきたコンプレックスを強く刺激するものだった。赤子に罪はない、赤子を責める謂れはない。けれど、どうしてと思ってしまう。これだけ焦がれ、求めているものを、どうして赤の他人が労せずに手に入れてしまうのか。

 

 小さな傷から、少しずつ黒い感情が溢れ始めていた。

 

 

 

 それから数週間後。件のレヴィアタン夫妻とカテレア、それにシャルバとクルゼレイの五名は一堂に会し、新たに産まれた『魔王の末裔』について―――すなわち、グラナについての話をしていた。

 カテレアがこの場に居るのは悪感情を克服したからではなく、なけなしのプライド故だ。意地と言い換えても良い。そんな女が、悪感情の原因たる赤子について、他の面々と心を共にして楽しく会話することなど出来はしない。

 

「本当にスゴイのよ、あの子ったら。この前、検査したんだけど、なんと魔力の特性は『水』だったの!」

 

 本当に嬉しそうに話す妹。その気持ちは理解できなくもない。

 一族の全ての者が尊敬するほどの大悪魔、それが初代レヴィアタンだ。自身の息子が初代と同じ魔力を持って産まれてきたのなら、それは喜ばしいことだろう。自慢したくもなるだろう。

 理解はできる。が、カテレアの内心は穏やかではなかった。自身が持たない、そして求め続けていた物を、グラナが有しているという事実は、彼女の心を抉る。

 

「ほう! それは喜ばしいことだな」

 

「まあ、そうなんですけどね……。あの子は泣くたびに爆音を撒き散らして部屋の壁や天井に罅を入れるくらいですからね。おまけに成熟した上級悪魔並の魔力を所かまわず放つものだから、病院側としてもかなり苦労してるみたいです。今じゃ頑強な結界に囲われた個室で過ごしているくらいですよ」

 

「う~む、流石にいくとこれから先のことも良く考えていく必要がありそうだな。いつまでも病院に預けているわけにもいかないのだから。何の考えもなしに、屋敷の中で育てようとすれば大惨事だぞ」

 

 明らかに喜びを表現している者はシャルバと妹のみ。残りの義弟とクルゼレイは、前途への不安を強く感じているようだった。とは言え、その口元には微笑みが浮かんでいることから、負の感情ばかりを抱いているわけでもないと察せる。

 妹夫婦とシャルバとクルゼレイが和気藹々と話す光景がどこか遠くの物のように、カテレアには思えた。不自然にはならない程度に会話には参加しているし、終始笑顔を保っているが、内心は最悪に近い。

 カテレアの演技が上手いのか、それとも他の面々が会話に夢中になっているせいか、カテレアの抱く黒い感情は気づかれることなく会話は紡がれ続ける。

 

「ちょーっと待ちなさいよ! まだ、良いニュースがあるんだから! 検査の結果で分かったことは魔力の特性だけじゃないのよ」

 

「ほう、それは一体?」

 

「なんと、あの子は初代様の他の特性まで完全に受け継いでるの! 不死身の防御力と悪魔祓いが効かない特異体質まで確認されたのよ!」

 

 四人が揃って、グラナグラナグラナグラナと赤子の名前を繰り返し呼ぶ。その声には親しみと期待が込められていた。あるいは、彼らはグラナという子に夢を見出しているのだ。敗北者として辺境に追いやられてから数百年もの長きにわたる屈辱の日々に変化を与えてくれるかもしれない、光明となってくれるかもしれないと。

 カテレアには、赤子に希望を託し、夢を見る大人たちの姿を情けないとは思えない。

 真なる魔王の末裔というだけでも、大きな意味を持つ。その上、グラナは初代レヴィアタンの能力を、特性を完全に継承しているのだ。それ程の子に、希望を抱くなと言う方が無理な話だ。

 

 だからこそ、カテレアは自身がこの場にいることは場違いだと感じてしまう。自分だけがグラナに対して良くない感情を持っているのだと嫌でも突き付けられる。これまで共に戦ってきた仲間が求めているのは、偽物(カテレア)ではなく本物(グラナ)なのだと思わされる。

 

 ―――私を見てくれ。

 

 ―――私を求めてくれ。

 

 ―――私が必要ではないのか?

 

 嗚呼、そうやって願うことが出来たら、問うことが出来たら、赤子へと抱く黒い感情も解消されるのかもしれない。見ていると。求めていると。いつだって必要としていると。そういう答えが貰えれば、それはどんなに幸せなことか。それはつまり、本物には決して届き得ない身の価値が認められたということなのだから、長年の悩みやコンプレックスさえ消え去る可能性がある。

 

 けれど、もし返答が肯定ではなく否定だったらどうすればいいのだ。

 悪魔は血統を重んじ、一族間の結束が強い。その理由には、種族の矜持と血筋によって力が受け継がれていく事実がある。逆説的に、混血や力を受け継ぐことが出来なかった者は弾き出されるということでもある。仮に、上級悪魔の家系に生まれた純血でも魔力を一切持っていなければ一族として認められることはないだろう。

 カテレアは魔王の末裔として認められる程度には実力がある。少なくとも一族から追放されると言うことは無い。けれど保証されているのはそこまでだ。悪魔の価値観では、半端物のカテレアより初代レヴィアタンの力の全てを受け継いだグラナが重要視されることは考えるまでもない。

 二位より一位が称賛を受ける。人目を集めるのは、劣等生ではなく優等生だ。

 

 ―――お前などいらない。

 

 ―――出来損ないになど頼るものか。

 

 ―――偽りの魔王(・・・・・)め! 

 

 シャルバもクルゼレイも妹夫妻も、盟友だと信じている。そんなことは言わないと思いたい。けれど、もし言われてしまったらと考えると、心臓が止まりそうな程の恐怖に襲われた。

 

 

 

 その日から更に事態は悪い方向へと向かって行った。

 元々、グラナの誕生を待ち望んでいた者は、派閥の上位者たちだけでなく、下っ端の構成員にまで及ぶ。グラナが産まれて以降も、流石に地位の低い者はグラナに会うことは許されていなかったが、だからこそ彼らの中での期待は膨らんでいた。そこに来て、シャルバやクルゼレイといったトップたちが楽し気に件の赤子について会話しているのだから、構成員たちの期待と希望は天井知らずに高まる。

 

「姉さん、今日のあの子はね―――」

 

 妹がグラナの近況を楽し気に話していた。

 

「クルゼレイ、魔力の扱いというのは何歳頃から教えればいいのだ?」

 

「とりあえず会話が出来るようになる時期を一つの目安とするか……? 会話できなければ教えようがないのだからな」

 

 共に派閥のトップを務める、二人の盟友がグラナの教育に関して議論を交わしていた。

 

「カテレア様、グラナ様の成長のご様子をお聞きしてもよろしいでしょうか?」

 

 最も忠実だと信じていた配下が、グラナについて質問してくる。

 

「聞いたか、お前? グラナ様がまた盛大にやらかしたらしいぜ」

 

「この前はぐずったときの泣き声でメイドを気絶させたらしいけど、今度は何やったんだ?」

 

「魔力を暴走させて城の一角を水没させたらしい。改修工事をやってるところを見たから、間違いないだろうな」

 

 気分転換をしようと街に出ても、グラナの話題が飛び込んでくる。

 誰も彼もがグラナについての話ばかりを、毎日飽きることなく楽しんでいた。誰もカテレアを見ていなかった。過去(カテレア)ではなく、未来(グラナ)へと希望を見出していた。

 

 『旧魔王派』として辺境に追いやられた時の状況と似ているようで、まるで違う。あの時は、カテレアの隣には盟友と家族が、後ろには付いてくる配下がいた。けれど、今のカテレアの周囲には誰もいない。たった一人、取り残されている過去の遺物がカテレアなのだ。

 

「なぜだ!」

 

 それは、カテレアが必死に抑えてきた内心の発露だった。怒号が大気を震わせ、噴き上がる魔力が空間を満たしていく。

 

「なぜおまえは私から奪う!?」

 

 カテレアが持っていなかった物を、全て生まれながらに宿すグラナ。それだけならまだいい、まだ我慢出来た。才能の違いだと、自分に言い聞かせて押さえつけることも出来ただろう。

 だが、グラナはカテレアが築いてきたものまで奪っていく。盟友や家族や部下、そういった者たちから向けられる期待や信頼を一切合切まとめて横取りしていく。お前は必要ないのだと、過去の遺物なのだと突き付けてくる。己の存在価値を全て否定される。これで、どうして恨まないでいられようか。

 

「…………ああ、そうか。そうですね。あなたが初代様の力を受け継いでいるから、真なるレヴィアタンだと見なされているから、私から奪っていくのですね。

 だったら!! 私こそが真なるレヴィアタンだと証明して全てを取り返す!!!」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 そして、現在に至る。

 夜風の吹き荒ぶ上空へと移動したカテレアは、グラナへと憎悪の籠った視線を向けていた。

 

「あなたを殺すことで証明してあげましょう! 私が真なる嫉妬の蛇(レヴィアタン)であると!」

 

 常人ならば委縮するほどの、荒々しく躍動する魔力を前にしても尚グラナは笑ってみせる。

 

「くく、はははは。相変わらず威勢だけは良い女だな。お袋と同じ様にぶっ殺してやるよ」

 

 戦端を開き、先手を取ったのはグラナだ。叫びと同時に空を飛翔する。この場に移動するまでの時間に亜空間から引き出し、腰に差していた愛刀を引き抜きながらの突貫だ。その速度は並の上級悪魔であれば反応することさえ難しいほど。しかし、ここに居るのは並ではない、魔王の末裔たるカテレア・レヴィアタンである。

 

「そんな攻撃が通用しますか!!」

 

 確かに速い。目を見張るほどの速度だ。けれど正面からの突撃は愚直と言う他なく、その速度に目が付いていきさえすれば防御は容易かった。溢れる魔力が障壁と化して一刀を受け止め、硬質な音が夜空の元に奏でられる。

 結界を破らんとするグラナと、斬撃を防ごうと更に魔力を注ぎ込むカテレア。奇しくも至近距離から互いの顔を見つめ合う構図となり、カテレアは生理的な嫌悪を覚えた。グラナの持つ黄金色の瞳にコンプレックスを刺激されたからではない。彼の顔にはまるで戦意が宿っていなかったのだ。まるで虫を観察するかのような双眸に、魂の奥底まで見透かされたような感覚を味わわされる。

 しかし退くことも反撃することも出来ない。僅かにでも意識を逸らしてしまえば、その瞬間に障壁を破られると確信できるからだ。

 忸怩たる思いを抱えるカテレアとは対照的に、グラナは常と変わらぬ声を発した。

 

「そういや、会議室でオーフィスの力を借りるとか何とか言ってたよな。口ぶりからすると、オーフィスに戦ってもらうってわけじゃなさそうだ。もしそうだとしたら、この場にオーフィスが来てないのはおかしいしな。

 となると、強化アイテムでも貰ってるってところか?」

 

「それが、どうしたというのですか……ッ!!」

 

 カテレアは渾身の魔力を障壁へと込め続けている。だが、グラナの馬鹿力とカテレアの魔力の均衡は徐々に崩れ始めていた。結界の破壊と再構築が絶えず繰り返して行われているものの、僅かに刻まれる罅が大きくなっているのだ。

 

「いやぁ―――早めに使わねえと、使う暇もなくぶっ殺されちまうぜってことを教えてやりたくてな」

 

 すでに罅が入っていた障壁をグラナは蹴りつけて砕く。続けて一歩大きく踏み込んでカテレアの顔面に拳骨を叩き込んで殴り飛ばす。

 血を撒きながら数十メートルは吹っ飛びながらも、しかしカテレアは空中で踏みとどまった。レンズの割れた眼鏡を放り捨て、代わりとばかりに魔方陣から小瓶を取り出す。

 

「ほー、それが?」

 

「ええ、オーフィスの作り出した『蛇』です」

 

 名称の通りに、小瓶の中身は蛇のようなものが入っている。その正体は、無限の龍神オーフィスが己の力を分割して作り上げた強化アイテム。オーフィスにとっては僅か一滴程度の微々たる力しか込めていないものだろうが、他の者にとっては大海にも等しい。

 『蛇』を呑み込んだ瞬間、カテレアは己の魔力が爆発的に上昇したことを感じ取る。その上昇率の凄まじさたるや、軽い万能感を覚えるほどだ。

 

「おーおー、すげえ強化率だな。軽く魔王クラスくらいにまで強化されてんじゃねえか?」

 

「ええ、そうですとも! この『魔王』としての力を使ってあなたを殺―――」

 

「でも、まあそれだけだ」

 

 冷めた口調で告げるグラナは、『魔王』の名に相応しいほどに強化されたカテレアに怯えることなく踏み込んで見せる。その速度は先程までとは比較にならない。カテレアが『蛇』を温存していたように、グラナもまるで全力を出していなかったのだ。

 そして放たれる六連続の突き。狙いは頭部、頸部、鳩尾、腹部、下腹部、左胸部、いずれも人体の急所を一撃で穿つほどの威力を秘めており、速度まで尋常なものではない。ほとんど同時に放たれたようにしか見えなかった刺突の群れをカテレアが防御できたのは偶然だ。一直線にグラナが高速で突っ込んで来ることに反射的に張った障壁が幸いにもその身を守ってくれた。

 

「そらそら、どうしたおい? 防戦一方じゃねえか。俺を殺すんじゃなかったのか? 攻撃しねえと殺せないことくらい分かってるだろ? ほら、ほら、反撃の一つくらいしてみせろやァ!!」

 

 袈裟、逆袈裟、刺突、唐竹、薙ぎ、切り上げ、逆風。いくつもの斬撃が途切れることなく繰り出される様はさながら小型の嵐だ。一撃一撃が回避を許さぬほどに速く重いために、全力での防御を行う必要がある。しかも馬鹿力と悪魔に備わる翼を駆使することで、攻撃と攻撃の間を強引に繋ぎ、隙を生むことのない連撃と化しているせいで反撃もままならない。

 何とかして距離を取ろうと、障壁を展開しながらも後退するが、その分だけグラナは踏み込み、彼我の距離は決して離れることは無い。カテレアが中・遠距離戦を得意とするのであれば、一度も距離を離されることなく勝負を決めればいい。そんな考えが伝わってくるような迷いの無さだ。

 

「ところで………カテレア、自分の矛盾に気付いてるか?」

 

 斬撃の乱舞を止めることなく、グラナは唐突にそう訊いた。

 その問いに答える必然性は皆無だ。感情のままに無視しても良い。だが、カテレアは会話に応じた。こうして話す内に僅かな隙が生まれる可能性があり、そこを突いて距離を取るという算段からだ。

 

「矛盾? 私が? いったいいつ、どのようにしたと言うのでしょうか?」

 

 問い返しながらも、返答を期待してなどいないことが分かる声音だった。意味の分からないことを宣う愚かな男に、自分は矛盾などしていないと嘲りと自信を持って告げる。

 

「私は真なる魔王レヴィアタン。故に偽物を排除するためにこうして戦っている。それのどこに矛盾があるのですか」

 

 くつくつとした笑みがグラナの顔に浮かぶ。無機質だった双眸に、この時を以って極大の悪意が宿る。口元に浮かんだ弧は獲物を前に舌なめずりする獣を思わせた。

 これより先の言葉を聞いてはならない。そう直感しながらも、グラナの口を止める術をカテレアは持っていなかった。

 

「お前が真なる魔王レヴィアタンだって言うなら――――俺を殺して証明する必要なんてないだろう?」

 

「―――――」

 

 刹那、呆然としたことで防御の甘くなったカテレアの障壁を突き破った刃が、彼女の右腕を大きく斬り裂いた。咄嗟に半歩下がることでいくらかダメージを軽減することも出来たが、腱や筋肉を断たれたらしく、いくら意志を込めても右腕はぶらりと下がったままだ。

 唐突な激痛を堪えるカテレアの額には脂汗が浮かび上がる。大量の血を流しながらも撤退を選らないのは矜持故。全身から魔力を津波の如く放射し、グラナの体を押し流して測り直した距離で問答を続けた。

 

「どういう、意味ですか……ッ?」

 

「どうもこうもない。例えば、火が火であることを証明しようとお前は思ったことがあるのか? 水が水であることに疑問を覚えたことは? ないだろう?

 目の前に答えが提示されている物に、式を求めたりしない。証明ってのは、正しいか間違っているか分からねえからするんだろ。

 ――――つまり、お前自身が、自分が真なるレヴィアタンであることを疑問視してんのさ」

 

「そんなことはない! 私が真なるレヴィアタンなのです! 私以外に一体誰がその責に座ると言うのですか!?」

 

「知らんよ、そんなことは。少なくとも俺は御免だがね。どこぞの誰かが決めた『魔王』の枠に嵌った、クソみてえな生き方しか出来ねえようなかび臭い椅子なんぞ焼いて捨てた方がマシだ。まあ、お前らはそういう生き方が好きなんだろうけどな」

 

 悪魔の貴族性社会や純血主義などは、生まれた瞬間からその者の価値がある程度定められるものだ。

 上級の純潔悪魔ならば将来の職に困ることは無いし、眷属を持つことは確定している。魔力の量は中級、下級悪魔より生まれた時から多いし、強力な特性をも備えている。生まれながらの強者、勝ち組だ。

 対して下級悪魔は必死に努力しても、階級の壁を乗り越えることは極めて難しい。近年の現悪魔政府の試みによって、確かに昇級する者がいることは事実。けれど、昨日まで差別していた者と差別されていた者が階級が同じになった瞬間から仲良く手を取り合えるはずもない。例え上級悪魔にまで昇級しても、下級の出自というだけで見縊られ続けるのだ。

 

 それを悪習と呼ぶ者もいるが、一万年前から貴族制だった悪魔の伝統でもある。統計的に見れば、中級、下級悪魔の中にも実力者が産まれることはあるが、それは極々一部の希少な例だ。平均して見れば、上級悪魔はそれを遥かに上回るだけの強者を産んでいる。一万年も続いた制度なのだから、それなり以上の合理性が取れているのは当然だった。

 

 そうした生まれた瞬間に価値が定められてしまう制度だからこそ、上級悪魔の多くは、長い時の中で常に強者であり続けた父祖に敬意を、力に矜持を持つ。そして、己もまた父祖に恥じぬ『悪魔』たらんとするのである。

 伝統は過去から連綿と受け継がれる。生き方を先祖から託される。それは見方を変えれば、グラナの言うように枠に縛られているのだろう。しかし、それこそが悪魔の本懐なのだ。

 

「あなたは先祖に報いようと思ったことはないのですか!? 巨大な力を先祖から受け継いだ事実に感じ入るものは何もないのですか!」

 

「あるわけねえだろ。どこぞの顔を合わせたこともねえジジババに生き方を縛られて堪るか。巨大な力ってお前は言うがな、こんなもんただの道具だろ。莫大な魔力、悪魔祓いの効かない頑強な肉体……まあ、ありゃ便利なことは確かだが、別になくても困らない。その程度のものだ」

 

 数百年もの間求め続け、しかし決して手に入れることの叶わないものを道具だと言われた際の苛立ちは、本人以外には理解できまい。カテレアもそれを他者に共感させようとは思わない。ただ激昂のままに魔力を噴き上がらせるのみ。

 魔力を圧縮して作り出した砲弾をいくつも続けて放つ。魔王クラスにまで強化された現在のカテレアの攻撃は、それこそコカビエルの攻撃を凌いで見せたグラナの防御さえ貫くだろう。

 

 ――しかし、それは当たればの話である。

 

 どんな攻撃も当たらなければ傷一つ付ける事さえ叶わない。攻勢時とは打って変わり、守勢へと転じたグラナの動きは舞いを思わせた。一つ一つの動作に無駄がなく、戦場でなければ見入っていたであろう優美な体捌きを以って、全ての公家気を寸でのところで回避していく。そこに必要とされる者は高い身体能力と、体のすぐ隣を通っていく攻撃に怯えない胆力、そして攻撃を分析・把握する観察眼だ。

 

 強化されてからの僅かな時間で、すでに力を見破られている事実に歯噛みする。端正な顔を歪めるカテレアの耳に、悪意に満ち満ちた声が届いた。

 

「カテレア、良い子ぶるのはやめろよ。お前が俺に敵意を向ける理由は、先祖への敬意だとか悪魔の矜持だとか、そんな高尚なことじゃねえだろう?」

 

 声の調子は変わらぬままに核心を突く。

 

「お前、俺に『嫉妬』していたんだろ?」

 

「違うッッ!!!」

 

 考えることさえ無い、反射的な否定がカテレアの口からは飛び出していた。それだけはあり得ない、あってはならないのだと強い語気で言い切るカテレアの言葉を、グラナは更に否定する。

 

「いいや、違わないね。お前は俺に嫉妬していたんだ。自分が持っていない物を全て持つ俺にな。

 当時は意味分からんかったが今なら分かる。俺が産まれた瞬間から、お前は自分たちの定義する偽物に零落した。そのことに耐えられなかったんだろ? 自分の立ち位置を、存在意義を奪ったクソガキが憎い。その憎しみの大きさは、即ち『本物』へと向ける羨望の大きさでもある。

 お前は羨ましかったんだ。けれど、自分が手に入れることは決して出来ない。その事実に打ちのめされた」

 

「…………い」

 

「俺が産まれた時から、ずっとずっと比較されているように感じていたんじゃないか? 自分は『偽物』だと馬鹿にされていると思っていたんだろう? 実際に周りの連中がそう思っていたかはともかく、少なくともお前の中ではそうなっていたはずだ」

 

 カテレアの中には強い自尊心がある。自分は魔王の末裔だという矜持がある。故にこそ、「お前は真なる魔王の末裔ではないのだ」と突き付けられた際の痛みは大きくなる。

 盟友や家族や部下がそう思っていた確証はどこにもない。カテレアの被害妄想かもしれない。けれど、グラナが初代レヴィアタンの力を全て受け継ぎ、カテレアは半端にしか継げなかった事実は確かにある。故にただの疑念でさえも、心を切り裂く鋭利な刃と化したのだ。

 

「なあ、おいカテレア。無理はするなよ。お前の考えは正しい。周囲がどう思っていたかは知らんが、お前はどうしようもない偽物だ。

 矜持だとか誇りだとかを口にしちゃあいるが、結局は嫉妬の感情一つに振り回されて、俺が物心つく頃には狂気に堕ちる程度の小さな器しか持ってねえ」

 

 グラナが家を出てから約十年。時間の経過に従って、徐々に癒されてきた心の傷に、言の葉が言の刃となって容赦なく突き立てられる。無慈悲に傷口を開き、無造作に抉る。更にはそこに毒まで流し込む勢いで、グラナは言弾を放ち続けた。

 

「『魔王』の看板の重みに耐えられる実力はなく、『魔王』を貫き通す精神力もない。どこにでもいる、有象無象の一人だよお前は。」

 

「うるさいうるさいうるさいうるさい!! そんなことがあるものか!! だったら、そうだと言うのならばッ!! 家から逃げ出す前の、あなたを取り巻いていた環境は何だというのですか!? 私一人の感情であんな環境が維持できるとでも!? 笑止! あれには私以外の思惑も絡んでいた! それこそがお前が偽物であることの証左に他ならない! お前に私が嫉妬などするはずがないッ!!」

 

「環境ってのはあれか。お前が『鍛錬』と称して一日中、俺をボコボコにしてくれやがったことか。メシを貧相なのにしたりとか」

 

 ああ、そうだとカテレアは首肯する。当時、仮にグラナを『本物』だと考える者がいれば、カテレアの凶行を止めたはずだ。しかし、カテレアと同じく派閥のトップに立つシャルバやクルゼレイ、更にはグラナの両親でさえ幼子を庇わなかった。それは、グラナが庇う必要のない『偽物』だったからだと凶笑を浮かべながら高らかに宣言する。

 

 しかし、グラナは態度を崩さない。先ほどから声音が変わらないのは、ゴールが決まっていることをすでに理解しているためだ。淡々とした口調のままに(おぞ)ましい真実を語っていく。

 

「シャルバとクルゼレイが黙認していた理由は、まあ計算だろうな」

 

 将来性はあるが絶対に大成するとは限らない幼子と、それまで共に戦ってきた信頼の置ける盟友。この二人を天秤に賭けて後者に傾いたというだけのこと。

 下手にカテレアの行いを否定、非難することで仲違いすることを彼らは嫌ったのである。カテレアが離反することとなれば、旧魔王派が空中分解することさえあり得た。派閥のトップを担う者としてそれは許せないだろう。それに、盟友・戦友としての情、クルゼレイに関しては恋人に捧げる愛もあった。

 彼らは友の子よりも、友を取ったのである。

 

「実際に訊いたわけじゃねえがそんなとこだろ。旧体制を維持しようとする保守的な連中らしい考え方だ。博打を嫌って、リスクの小せえ道ばかりを取りやがる。ここまで来ると、リスク・マネジメントを通り越してただの負け犬根性だ」

 

「なら、ならば! あなたの両親はどうして行動は起こさなかったというのですか!? ずっとずっと待ち望んでいた息子が暴行される様子を黙認していたことには合理的な理由があるはずです!!」

 

 それこそグラナが『偽物』であるとか。暗にそう示すカテレアを、グラナは憐れみさえ宿った目で見つめていた。

 

「親父とお袋が、息子が暴行されるのを黙って見ていたのは保身のためだ」

 

 両親とて始めは我が子を愛していた。我が子の将来の姿を夢想し、毎晩夫婦で明るく話すことも珍しくなかった。きっと、それはどこの家庭にでも見られるありふれた幸福の形なのだろう。つまり、彼らは普通だったのだ。他者()のために己の命を懸ける程の強さを持たない、どこにでもいる普通の夫婦だった。

 

「あの頃のお前は明らかに精神の均衡を崩していた。真面な考えが出来る状態じゃなかった。そんなやつを説得できると考える程、親父とお袋は楽天家じゃなかったんだ。要は逆ギレされることにビビって逃げたのさ。お前が考えるような大層な理由なんざどこにもありゃしねえ」

 

 それが、グラナが両親を殺す際に命乞いの一環として聞いた真実。上級悪魔だとか魔王の末裔だとか、大層な肩書を持っていても、彼らの性根は凡俗のそれ。巨大な力と才能が周囲へ与える影響に対応する器量を持たない彼らの元に、グラナという最上級の才覚を有する男児が産まれてしまったことがそもそもの不幸だったのだろう。

 

「さてカテレア、過去の自分が腫物扱いされていたことを知ったが、代わりに疑問は解消されたんだし満足だろ?」

 

 昔語りはこれで終いだと、守勢から攻勢へと転じることでグラナは示す。激情のままに放たれる無数の魔力弾を前にしても焦ることはない。ふらりふらりと最小の動作のみで大半を掻い潜り数の多さゆえに躱しきれないものを一刀の下に斬り伏せる。

 

「お前はどこまでいこうとお前でしかない。『魔王』の器なんぞ持たない有象無象の一人だ。いくらオーフィスの力を借りて強化されても、それは自分の弱さから目を背けているだけだぜ」

 

 魔力は確かに魔王クラスと称しても良い程に増加している。しかし、それを操るのは依然としてカテレアの意志と創造力だ。平凡な女が魔王の力を満足をに振るえるはずもない。

 

「魔力弾に魔力の偏りがある。薄い部分を突いてやりゃあ、この通り自壊、霧散していく。同じことが防御にも言える」

 

 何でもないように語っているが、その技の実現には途方もない技量が必要とされることは言うまでもないだろう。第一に超高速で飛来する魔力の構成を瞬時に把握しなければならず、さらにその弱所を的確に突く剣技。最早、一種の奥義とも言える。

 

 魔力の散弾雨を瞬く間に通り抜けたグラナとカテレアの間に分厚い障壁が現れる。カテレア渾身の魔力を込めた代物であり、現時点で行える最大最高の防御術だった。

 

 しかし、それでさえもグラナの目には穴の開いた城壁として映る。魔力の薄い個所を一瞬の内に見破り刺突を放って障壁に罅を入れる。そこから披露されるのは剣の乱舞だ。罅を修復しようと魔力が込められれば、そことは別の個所に新たな弱所が生じる。そこを突くのだ。

 

 超絶の身体能力と技術から放たれる剣技は、稚拙な魔力操作を容易に追い越す。あったという間に障壁全体に罅が入り、唐竹割によって木っ端微塵となった。

 

「―――チェックメイト」

 

 攻撃は通用せず防御は剥がれた。成程、カテレアは確かに窮地に立たされている。しかし、忘れてはいないだろうか。彼女もまた、三大勢力の大戦と悪魔の内戦を生き残った紛れもない強者である事実を。崖っぷちに立たされても尚、古き女悪魔は戦意を失わなかった。

 

「私の攻撃と障壁を破っているのはその刀!! ならばそれさえ奪ってしまえばどうとでもなるッ!!!」

 

 傷により動かなくなっていた右腕が蠢く。神経、骨、腱、、筋肉、その他諸々が再構築され、一本の腕が無数の触手と化した。これまでにない動きを前に即座に後退するグラナの反応は見事、しかしその程度で防げる攻撃ではないのだ。

 攻撃の正体は、グラナの持つ刀を標的にした強力な呪詛。標的を捉えるまでどこまでも追いかけ、何度でも再生する。代償には己の寿命を要する禁忌の技だ。

 

「チッ、またうぜえ代物使いやがって」

 

 前後左右、更には上下からも間断なく迫る触手を刀一本を振るって迎撃するグラナ。その剣速は更に上昇し、いくつもの残像を残して、さながら剣が増えたようにすら見える。一度刀が通るたびに触手が何本も千切れ、地上に向かって落ちていく。

 すでに何十本もの触手が斬り落とされているが、その勢いが衰える様子は一向に見えない。それこそがこの呪詛の真骨頂。いくら身体能力が高くとも、磨き上げた技術を持っていようとも、生物であるからにはいずれ疲弊する。弱った獲物を確実に仕留め、目的を達成するのがこの呪詛の真価である。

 

「――――貰った!!」

 

 喜色に富んだ声を上げたのはカテレアだ。言葉の通り、呪詛はその役目を貫徹しグラナの刀を奪い取ったのだ。触手を引き戻す勢いを利用し後方に刀を放り捨てる。これで勝者は己だ、そう確信してカテレアは笑う。

 

 しかし、その考えは甘かった。

 

 カテレアの碧眼と交錯する黄金の双眸が更なる輝きを発する。

 

「武具など不要。真の強者は眼で殺すッ!」

 

 愛用する武具を失えば戦力は低下するだろう。そうした考えは間違いではない。剣士は剣が無ければ剣士にはなれず、砲兵は砲が無ければ砲兵足り得ない。戦場の常識だ。しかしカテレアの目の前に立つ男は、常識の通じる相手ではなかった。

 グラナを『偽物』だと断じ、決して認めようとしなかった代償は重い。勝利を確信した僅かな隙を、この男が見逃すはずもなかった。

 

梵天よ、地を覆え(ブラフマーストラ)!!」

 

 強すぎる余り灼熱と化した、黄金の眼光がカテレアの総身を灼き尽くす。

 

 

 

 




グラナ の せいしんこうげき!

こうか は ばつぐんだ!

グラナ の ブラフマーストラ!

きゅうしょ に あたった!

カテレア は たおれた



 
 本編で語られているようにカテレアはグラナに嫉妬していたのです。まあ、本人は器が小さいので頑として認めようとしなかったわけですけど。嫉妬こそが、敵意や憎悪の源泉でした。
 「子供に嫉妬してんじゃねーよ」って言われたらそれまでですけど、それまでの人生で培ってきた自信や存在意義の全てを奪われた彼女の苦痛も筆舌に尽くし難いことでしょう。
 彼女にもいろいろとワケがあったのです。





さてさて、最後のブラフマーストラ。……カルナさん、好きなんです……!!!



名称:梵天よ、地を覆え(ブラフマーストラ)
出典:FATE
原典使用者:カルナ
本作使用者:グラナ・レヴィアタン


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7話 あなたの隣に立たせてください

「強すぎんだろ」

 

 グラナとカテレアの戦いを間近で見ていた、堕天使総督の感想だった。

 カテレアは確かに魔力を扱いきれていなかった。当人は魔王クラスだの何だのとほざいていたが、その前魔王と戦場にて本気の殺し合いを何度もしたことのあるアザゼルからすれば、魔王クラスの魔力を手に入れただけ(・・)のカテレアは、劣化魔王、魔王(笑)と鼻で笑えてしまいそうなお粗末なものだ。

 戦いに絶対はないが、それでも絶対に勝てると豪語できる。しかし、無傷で勝てるかと問われれば首を傾げるだろう。扱いきれていなくとも、その魔力は紛れもなく魔王クラスなのだから、当たれば危険だ。テクニックの欠落したパワー馬鹿でも、それなりには脅威となり得るのだ。

 しかし、グラナ・レヴィアタンはそれを見傷で制して見せた。彼が使ったものは武技と身体能力、そして弁舌のみ。魔術や魔法といった手札がまだ残されていることを考えると、全力が一体どれほどのものなのか想像することも難しい。

 

 

 カテレアとグラナの戦いの脇で行われていた、魔法使いたちの掃討は既に完了しており、校庭は実に広々としている。一人一人の戦力は大したことがなくても、次から次へと現れて視界を埋め尽くす連中には不快なものを感じていたことは事実。故に、こうして魔法使いたちが消え去った光景はいっそ清々しいほどだ。

 カテレアを焼却処分したこグラナは、地上へと降りて歩き回っていた。視線をあちらこちらへと向けていることから、何かを探していることが察せられる。

 

「っと、あったあった」

 

 喜悦を滲ませながら拾い上げたものは彼の振るっていた刀だ。グラナは刀を月明かりに照らして傷や汚れが付いていないことを確認してから、腰の鞘へと納める。

 

「やっぱ、これがある方が落ち着くな」

 

 そこにあることを確認するように刀の柄に手を置くグラナの近くに、一つの影が落ちる。

 

「なあ、グラナ。俺とも遊んでくれないか?」

 

 影と声の主は白龍皇の鎧を纏ったヴァーリだ。すでに全身からオーラを発し、剣呑な雰囲気から穏やかな考えを持っていないと理解できる。あるいは、理解させるためにわざとオーラを発しているのか。

 

「そりゃあ、どういう意味だ?」

 

「こういうことさ」

 

 パチリと指が鳴らされた瞬間、グラナの足元に巨大な魔方陣が展開され強く輝き出し、巨大な火柱を生んだ。防御と回避を許さぬほどに、魔方陣の展開から魔法の発動までにかかる時間が非常に短い。グラナの総身を呑み込む火柱は直径十メートル、高さは学園の校舎を超すほどで、その巨大さに見合った熱量を周囲にまで撒き散らしていた。

 そこで攻撃の手を緩めないのが、ヴァーリが白龍皇たる所以だろう。彼は、グラナの魔力を感知することで火柱に遮られていても尚、目標の位置を把握し、そこに目掛けて次々と雷撃を撃ち込んでいった。

 

「ヴァーリ! お前、どういうつもりだ!」

 

 アザゼルは怒声を上げて問い質す。つい先ほど無罪が証明された、若手の将来有望かつ純血のグラナに過剰とも言える攻撃を加えるなど冗談にしては性質(たち)が悪すぎる。神の子を見張るもの(グリゴリ)の長として見過ごせる案件ではない。

 

「アザゼルにしてはつまらない質問だな。本当は分かっているんだろう?」

 

 アザゼルはかつての魔王や聖書に記されし神とも争った歴戦の男であり、優秀な研究者でもある。その優れた頭脳は確かにすでに答えを出していた。問い質したのは、否定の言葉を求める淡い希望によるものだ。

 

「ッ裏切ったのか」

 

「ああ、そうだよ。禍の団(こちら)に居るほうが何かと面白そうでね。アース神族と戦ってみないか、なんて言われたら乗らないわけにはいかないだろう」

 

「俺は強くなれとは言ったが、世界を滅ぼす要因は作るなとも言ったはずだ」

 

「それについては悪いと思っている。しかし戦い(これ)がドラゴンの性なんだよ」

 

 意志は固い。説得、懐柔の類は不可能だとアザゼルは短い時間で悟る。しかし、ヴァーリが組織から抜けることの損失は非常に大きく、そして惜しい。グラナへと攻撃を加えたことの謝罪に関しても加害者のヴァーリが居た方が話を進めやすい。

 説得を諦めきれないアザゼルの思考を、不機嫌そうな声が断ち切った。

 

「ヒト様を焼いて感電させた野郎が何を呑気にくっちゃべってやがる」

 

 数十メートルにもなる火柱が震え、その中から一人の男が出てくる。服には焦げ目や穴がいくつも出来ているが、当の本人の負傷は軽い火傷のみ。あれほどの炎獄と雷撃の中にあっても、軽傷で治めることのできる防御力の持ち主などそうそういるものではない。

 それだけで実力を察するには充分過ぎた。強敵の力の一端を感じ取ったヴァーリは、闘争への誘いの言葉を向けた。

 

「グラナ、それで先ほどの質問の答えはどうかな?」

 

 殴られれば殴り返す。それがグラナ・レヴィアタンという男だ。であるならば、奇襲を仕掛けた男からの誘いを蹴るはずがない。

 その予想を裏切り、首を横に振るグラナは、ヴァーリの背後を指さす。

 

俺の女(エレイン)()る気になってるぜ」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 ――時を遡ること約十年。

 

 ルーマニアの人里離れた辺境の地には、一年中晴れることのない霧がかかっている。日中でさえ、満足に陽光を通すことのないない濃い霧は、一度迷い込めば二度と出てこられないことから、古より人々から畏怖されてきた。

 曰く、あの世へと繋がっている。

 曰く、脱出不可能の迷宮が隠されている。

 曰く、人間を食らう化物の巣が存在する。

 

 それらの噂話は確証があるわけでも実証されたわけでもないが、真実の一端を掠めている。

 

 濃霧の中には吸血鬼の国があったのだ。

 普通の人間が入れば死ぬような場所であり、あの世に繋がっていると言えなくもない。年中晴れることのない霧の中に入れば、まあ、脱出は困難に決まっている。その国に住まう者は当然の如く吸血鬼であり、その名の通り人の血を吸うのだから、人間を食らう化物という表現で正解だろう。

 

 その吸血鬼の国には二つの派閥があった。一つは女尊主義を掲げるカーミラ派、もう一方は男尊主義を掲げるツェペシュ派である。男女どちらの真祖を尊ぶのかという点を除けば、どちらの派閥もほぼ同一と言って良い。人間を家畜や食料と看做したり、混血の吸血鬼を蔑むなどといった共通点は非常に多いのだ。

 

 

 

 今から語られるのは、一人の混血の吸血鬼の少女の物語。

 

 

 

 ツェペシュ派の治める都市には、混血の吸血鬼を纏めて暮らさせる城があった。混血にも気を遣っているのではなく、純潔の貴族たちが混血の吸血鬼との接触を避けるために作られたものだ。

 そこには何人もの混血の吸血鬼が暮らしていた。差別・迫害を受けることによって暗い瞳をしている者が大半を占める中でも、一際目立つ少女がいた。

 名をエレイン・ツェペシュ。ツェペシュ派の現国王とどこかから攫われてきた人間の女の間に生まれた、混血の吸血鬼である。年齢は今年で十三、容姿に優れる吸血鬼の中でも断トツと言って良いほどの美貌を持っていた。髪は輝かんばかりの金色で、瞳は血のように深い赤。口元から覗く綺麗な歯に、ビスクドールのような肢体。どれを取っても超一級の美であり、まだまだ幼さを残しながらも、将来は絶世の美女となるだろうと断言出来る。

 

 ただし、少女がこの城の中で目立っているのはその美しさ故ではない。むしろその逆に近い。彼女の纏う衣装はボロ布のようなもので、更に頭から泥を被っていることも珍しくなく、土や血の汚れが付いていない日など一日としてない。

 

 彼女がそのような身なりをしているのは、純血の吸血鬼からの迫害、嫌がらせが原因だった。

 この混血の吸血鬼が寄せ集められた城に近づく純血の吸血鬼などそうそういない。当たり前だ、この城は純血の吸血鬼が混血と遭遇しないために建てられたものなのだから。故に、この城に住まう他の吸血鬼たちはそれなりに整った身なりをしているし、純血の吸血鬼たちから直接的な攻撃を受けることも少ない。

 では何故エレインのみが、酷い格好なのか? そこには当然理由があった。実に下らなく、そして加害者にとっては見過ごせない理由があったのだ。

 

 一言で言ってしまえば、エレイン・ツェペシュは天才過ぎたのである。

 吸血鬼は多彩な異能を持つ強力な種族として有名だが、純血の吸血鬼の中でもその全ての能力を十全に操ることの出来る者はほとんどいない。誰にだって適正や得意・不得意といったものがあり、それは吸血鬼の貴族たちも変わらない。

 しかし、エレインは違った。彼女は数多の異能全てに史上最高レベルの才能を有していたのだ。無数の眷属を創り出し、影を支配し、霧と化す。魔眼を以って他者を魅了し、怪力で叩き潰す。その実力は十代前半にありながら、すでに成熟した吸血鬼のそれを軽々と上回る。

 また、吸血鬼は弱点の多い種族としても知られているが、エレインにその常識は当て嵌まらない。混血であるがゆえに、種族由来の弱点の大半が消滅・軽減されているからだ。

 更に言うならば、その美貌や知力までもが突出し、凡そ備えていないものがないとさえ言える麒麟児。それがエレイン・ツェペシュだ。

 

 それだけの才覚を有していれば、疎まれ、恐れられ、嫉妬されるのは当然のことだった。彼女の場合、王族の血を引いているとはいえ、男尊主義を掲げるツェペシュ派の中で女であり、しかも人間とのハーフである。その出自がが彼女へ向けられる悪感情を増大させる。

 特にエレインと同じツェペシュ王家の者は、混血に劣る自分が許せず、しかし劣るということを認められないがゆえに、その鬱憤は強い暴力衝動へと繋がった。

 毎日毎日、使いの者が城にやってきては呼び出され、血を分けた兄弟姉妹から暴行されるエレインだが、その状況下にあっても尚、精神が屈することはない。才覚に見合うだけの精神的な強さまで生まれ持っていたのである。それが余計に純血の吸血鬼を刺激する要因の一つでもあるのだが。

 

 

 そんな稀代の吸血鬼となり得る才能を有した少女ではあっても、年相応らしい部分もある。例えば、ヒトの温もりを求め、他者との交流を願うなど、ありふれた幸福を求めていた。

 

「……ヴァレリー」

 

 最早、日課のようになっている親族からの暴行から帰ったエレインは、城の中で一人の少女を見つけ、声を掛ける。名をヴァレリー・ツェペシュ。ツェペシュの王家に生まれた混血の女吸血鬼という、エレインとも共通項の多い少女だ。腹違いの妹でもある。

 エレインのように頻繁に暴行を受けるなどの直接的な危害を純血の吸血鬼から加えられているわけでもないが、混血と女という出自故に肩身の狭い思いをしている。差別や迫害に苦しむという意味では境遇を同じくすると言える妹ならばあるいは、そんなか細い希望は容易く打ち砕かれた。

 

「ひっ……ね、姉さま。ごめんなさい! 私、これから用事があるので失礼します!」

 

 妹の顔に浮かんだものは紛れもない恐怖だった。鼻歌を歌いながらゆらりと廊下を歩いていた彼女に用事があるとは思えないし、脱兎のごとく逃げ出すことからもその言葉がただの言い訳であることは明白だ。

 

 伸ばされた手が何かを掴むことは無い。人形のように形の整った、白い腕が力なく下ろされた。爪が食い込むほどに握られた拳から何滴もの血が滴り落ちる。孤独な吸血鬼の少女は、虚空を見上げて自嘲した。

 

「ふ、はは……。分かっていたことじゃないか。私は何を期待しているのやら」

 

 混血の吸血鬼たちは純血の吸血鬼を恐れている。差別や迫害をしてくるのだから好意的に思えるはずもない。暴力で訴えようにも加害者側のほうが強いし権力まで持っているため、結局は泣き寝入りする他ないという厳しい現実もある。

 そしてエレインは、純血の吸血鬼をも超える才能を有している。混血たちが恐れる純血さえ越える才能を宿している。自分たちと同じ境遇にありながら、それほどの力を有する少女を恐れないはずが無かった。混血の吸血鬼たちからすれば、エレインは『境遇を同じくする同胞』ではなく『得体の知れない化物』なのだ。

 

 妹に拒絶されたことで、過去にエレインを拒絶した一人の女の姿が脳裏に蘇る。

 

『あ、ああ、あああああああああ!』

 

 女の住居は混血の吸血鬼が住む城、つまりエレインと同じだった。女の種族は人間だが、正気を失い扱いに困ったためにこの城の地下牢へと放り込まれたという経緯があった。

 

『お前お前お前が、お前はどうして産まれたぁああ!?』

 

 女の容姿は醜く、そして哀れだった。まだ三十代前半だというのに、髪は全て白く染まり、頬は痩せこけている。骨と皮しかないようなやせ細った体躯は不吉で不気味だ。

 普段は牢屋の奥で蹲っているだけの女だが、エレインが姿を見せると、凄まじい速度で鉄格子に這い寄る。無論、その原動力は友情や愛情によるものではない。

 

『その赤い目が、金色の髪が、鋭い歯が忌々しいぃぃいいいいいいいいい!! あの男を思い出させる! 死ね死ね死ね死ね! 死んでしまえ、お前たち吸血鬼は皆死んでしまえぇええええええええええ!!』

 

 落ち窪んだ両目をぎょろぎょろと動かし、髪を振り乱しながら呪詛を吐き続ける。何の異能も持たない女の叫びに宿る力は皆無。しかし、叫ばずにはいられないのだと、天にまで届けとばかりに女は狂気を滲ませて呪い続ける。

 

『どうして私から産まれた!? どうして私に産ませた!?』

 

 女はエレインの母だった。

 ある日突然日常が終わりを告げ、何処とも知れぬ国に攫われ、そして攫った張本人に孕まされた望まぬ子を出産する。そのストレスは、吸血鬼に見初められる美貌が現在では見る影もないことから容易に理解できる。囚われの女を白馬の王子様が助けに来るようなご都合主義が起きることもなく、最期の時まで暗く冷たい地下牢で独り苦しみ狂い続けた。

 

 女の遺骸は娘のエレインさえ知らぬ間に、どこかへ捨てられたらしい。火葬したわけでも土葬したわけでもなく、野晒しにされたのならば鳥獣の餌と化したことだろう。

 罵詈雑言を吐き掛けられようとも、エレインが彼女の元へ通い続けていたのは『家族』が欲しかったからだ。女は娘を産み、娘は女の腹から産まれてきた。血も繋がっている。ならばきっと分かり合えるはず。そんな幼い少女の夢は終ぞ結実することは無く幻想のままに終わってしまった。

 

 亡き母と塵と消えたかつての夢を思い出したエレインは自身を嗤う。

 血の繋がった母に拒絶された娘は、血の繋がった妹にも拒絶される姉だったというわけだ。血の繋がりだとか、苦境を共にしているとか、同性だとか、そんなことで分かり合えたら苦労しないと分かっていたはずなのに、妹と絆を育めると僅かにでも希望を抱いてしまったのだ。最早、愚かな自分を嗤うしかない。

 

「くく、はははは! あぁ、うん、ここまで来ると吹っ切れるな。いい加減、夢から覚めなければいけないか」

 

 止めどなく涙が流れていく。明るい口調は無理に出したもので、実際には少女は泣いていた。不条理を嘆いていた。現実に悲しんでいた。世界に絶望していた。

 大切な何かが涙とともに流失していく。そして空いた容量を埋めるかのように紅蓮の業火が胸中を満たしていった。

 

 この僅か数日後、ツェペシュ王家に生まれた純血の女吸血鬼が惨殺され、一人の少女が吸血の国から姿を消した。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 エレインは己の祈りを歌う。渇望を叫ぶ。

 この想いだけは否定させてなるものかと、力の入った声が夜空の下に響いていく。

 

「かつて何処かで そしてこれほど幸福だったことがあるだろうか」

 

 その出生は誰にも望まれていなかった。祝福などされていなかった。

 父は混血であることを理由に差別と迫害を行い、母からは恨み言をぶつけられるばかり。純血の吸血鬼からは酷く蔑まれ、同じ境遇にあるはずの混血の吸血鬼からさえも排斥される。

 幸福、愛情、希望、そういった綺麗なものから縁遠く、陽の光に迎え入れられることはない。まさに日陰者だ。けれど、その日陰者を愛してくれる男がいた。彼と出会ってからは真の意味で『友人』や『家族』、『仲間』と呼べる者が出来、その大切さと愛しさを知った。

 

「あなたは素晴らしい。掛け値なしに素晴らしい。しかしそれは誰も知らず、また誰も気づかない」

 

 日陰者には日陰者なりの矜持がある。意地がある。

 彼から与えられた幸福に、恩に報いたい。

 陽の光がこの身を拒むというのであれば、夜に生きてみせよう。夜の支配者として君臨してみせよう。この身は矮小だけれど、隣で支えさせてほしい。

 

「幼い私は、まだあなたを知らなかった。いったい私は誰なのだろう。いったいどうして、私はあなたの許に来たのだろう」

 

 どん底の生まれの身が、天を目指すことの無謀など理解している。星と並び立つ資格を持っていないことも悟っている。抱いた渇望が、かつての夢よりも遥かに荒唐無稽な無理難題だと分かっている。

 しかし、だからと言って、この気持ちを捨てる事など出来ない。諦めることなど出来るはずが無いだろう?

 

「もし私が騎士にあるまじき者ならば、このまま死んでしまいたい。何よりも幸福なこの瞬間――私は死しても、決して忘れはしないだろうから」

 

 貴方に恋をした。貴方を愛してしまった。その気持ちに嘘はつけない。

 

「故に恋人よ、枯れ落ちろ」

 

 貴方に守られ続ける自分を許せない。貴方を守りたいと願っている。

 

「死骸を晒せ」

 

 貴方の重荷を共に背負わせてほしい。その道程をともに歩んでいきたいと願っている。

 貴方の夢の果てを見たい。貴方の夢の実現の一助となりたい。

 

「何かが訪れ、何かが起こった。私はあなたに問いを投げたい。本当にこれでよいのか、私は何か過ちを犯していないか。恋人よ、私はあなただけを見、あなただけを感じよう。私の愛で朽ちるあなたを私だけが知っているから」

 

 貴方を支えることが出来たなら、それはどんなに幸福なことだろうか。そのためならば何でも出来る。

 

「ゆえに恋人よ 枯れ落ちろ」

 

 ――どうかお願いします。

 

 しかし貴方の隣に立つには持っていないものが多すぎる。これでは相応しくない。

 ならば奪えばいい。

 共に戦う力を、天に至る翼を、資格を手に入れる(奪う)

 殺し、喰らい、奪って新生し続ける、夜空を飛翔する不死鳥となりたい。

 

死森の薔薇騎士(ローゼン・カヴァリエ・シュバルツヴァルド)

 

 ――エレイン・ツェペシュ()グラナ・レヴィアタン(あなた)の隣に立たせてください。

 

 

 

 




名前:エレイン・ツェペシュ
性別:女
年齢:23
属性:極悪
駒:僧侶
性癖:ナニからナニまでオーケーなハイスペックバイ
称号:夜の支配者、究極の吸血鬼、変態淑女、貴腐人(BL好き)、闇の不死鳥

 金色の髪と宝石のように赤い目が特徴の吸血鬼。グラナに忠誠を誓っているわけではなく、信頼と愛情によって尽くしている。
 純血を上回る才能を持ちながらも混血であるがゆえに種族由来の弱点のほぼすべてが消滅・軽減されている。その特異性から家族に愛されることは無く、常に白い眼で見られる生活を送っていた。家族からの嫌がらせは毎日のように受けていたが、あることを切っ掛けに実の姉を殺害、そのまま吸血鬼の国を脱走する。
 以降は教会の吸血鬼狩りと戦ったりしているうちに、同じく各地を放浪するグラナと出会い、初めて自身と同等以上の才覚を持つ相手だったこともあり、グラナと旅をともにすることにした。数々の冒険をともに潜り抜けるうちに興味以上の感情をグラナに寄せるようになり、そのまま眷属入りを果たす。
 ちなみに過去には主義・主張の違いからグラナと全力での戦いを行ったこともあり、『単騎でグラナを追い込むことに成功した』数少ない英傑の一人でもある。
 使用された駒は『僧侶』を二駒。


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8話 加減を強いられた戦い

エレキシュガルようやく来ましたねー。
そうそう、FGOと言えば、アマカッスや獣殿があの世界にいたら人類悪になるんじゃないでしょうかね。ちょっと見てみたい気がする!


 三つ編みを解いた金色の長髪が、夜風に煽られマントの如く揺らめく。すでに臨戦態勢となりオーラを漲らせ、絶対の自信を感じさせる面構え。月明かりの元に、不敵に笑みながら朗々と歌い上げる姿はまさに『魔王』のそれだ。

 予定とは違い、グラナではなくエレインと戦うこととなったが、最強の白龍皇の胸に落胆の念が湧くことは無い。過去に何度も交戦し、眼前の吸血鬼もまた己に匹敵する強者であると知るがゆえに。

 

「かつて何処かで そしてこれほど幸福だったことがあるだろうか」

 

 エレインを中心として世界がずれていく。世界を覆い、侵食していく。

 

「あなたは素晴らしい。掛け値なしに素晴らしい。しかしそれは誰も知らず、また誰も気づかない。幼い私は、まだあなたを知らなかった。いったい私は誰なのだろう。いったいどうして、私はあなたの許に来たのだろう」

 

 初めに訪れた変化は匂いだ。無数の魔法使いが死に絶えた戦場には今も血の臭いが満ち満ちている。その匂いが上書きされていく。

 新たな臭いも血だ。先ほどまでの血の臭いは真新しいものだったが、それを上書きする血の臭いは鼻の奥にまで突き刺さるような熟成されたものだ。まるで何千何万もの死骸から絞り出した血を一つにまとめて腐敗させたような異様な香りは死の気配を痛烈に感じさせる。

 

「もし私が騎士にあるまじき者ならば、このまま死んでしまいたい。何よりも幸福なこの瞬間――私は死しても、決して忘れはしないだろうから」

 

 アメーバのように揺らめく闇。夜が更なる夜に包まれていく。

 

「故に恋人よ、枯れ落ちろ」

 

 校庭に生える草が萎れ、枯渇し、夜風に煽られてどこかへと飛ばされて行った。

 生ある全ての者から、その命を奪っていく。

 

「死骸を晒せ」

 

 校舎の壁には次々に罅が入っていく。

 命を持たないはずの大地や大気、建築物さえも略奪の対象だ。

 

「何かが訪れ、何かが起こった。私はあなたに問いを投げたい。本当にこれでよいのか、私は何か過ちを犯していないか。恋人よ、私はあなただけを見、あなただけを感じよう。私の愛で朽ちるあなたを私だけが知っているから」

 

 瞬間、爆発する闇。

 

「ゆえに恋人よ 枯れ落ちろ」

 

 そして呪言が完成する。

 

死森の薔薇騎士(ローゼン・カヴァリエ・シュバルツヴァルド)

 

 その時、夜が産まれる。

 深夜であり、最も夜が深いと言っても過言ではなかったこの時間に、さらに深く、更に厚く。

 

 ―――森羅万象全てが私の糧となれ。

 

 全てを喰らい尽くさんとする死森のヴェールは底無しの昏さとなり、一方で天には赤い満月が煌々と輝き出す。明るさと暗さが同居し、共に増す空間。それは逃げ道の無い処刑場であり、傲慢なる姫の腹の内だ。

 

 この世界においては全ての存在が支配者にエネルギーを略奪され続け、支配者はそのエネルギーによって延々と強化されていく。ただそこに居るだけで効果を発揮することとなる薔薇の夜において、支配者の優位が揺らぐことはあり得ない。

 

 過去の交戦経験からヴァーリはこの力を知っていても尚、呪文の妨害をしなかった理由は単純明快。戦いを楽しむためだ。これ程の強敵との戦い、相手の手札を封じるのではなく、相手の手札をとことん堪能したい。

 それは常人には理解しがたい戦闘狂の発想だ。しかし、それ故に、この状況においてもヴァーリは更に戦意を高ぶらせ、その潜在能力を遺憾なく発揮することが可能となる。

 

「行くぞ、アルビオン」

 

『ああ。あの女を超える吸血鬼は未来永劫現れまい、相手に取って不足はない』

 

 白龍皇の『半減』と『吸収』は強力な能力である反面、敵に触れなければならない制約がある。応用すれば空間ごと圧殺することも可能となるが、それが通じるのは格下だけだ。眼前の吸血鬼の姫には、直接触れて、白龍皇の能力を使う必要がある。

 そこまで瞬時に判断し、距離を詰めようと飛翔するヴァーリ。死地とも言える死森の内にあっても、その速度に陰りはなく高揚のままに空間を駆け抜けていく。

 

「迷いのない突貫か。私を相手にその戦術は悪くはない。距離を取って少しずつ攻撃しても、私を斃す前に吸い殺されるだけなのだから」

 

 猛烈な速度で飛翔するヴァーリを前に、エレインは己の敗北を考えない不敵な笑みを浮かべる。

 

「しかし、それだけで勝てるほど甘い女だと思われたのなら心外だ」

 

 この死森の世界は彼女の腹の内のため、この世界の内側全てが彼女の攻撃範囲だ。エレインが指を鳴らした瞬間、ヴァーリを薔薇の杭が包囲する。上下左右前後、ありとあらゆる方角から、ありとあらゆる角度を以って杭が夜空を疾走する。

 

 回避は出来ない。では防御か? ヴァーリは静かに自問し、即座に否と答えを出す。これほどの物量を防御するのなら、一度動きを止めてそれに集中する必要があるが、そんなことをしてしまえば防御が剥がれるまで延々と杭を撃ち込まれ続けるだけとなる。ジリ貧の末に待ち受ける結末は、薔薇の杭による串刺しと吸精によるミイラ化だ。

 故に選択肢はただ一つ、強引に包囲網を突破する他ない。

 

『Half Dimensyon!』

 

 神器の力を発動させる。効果範囲を極僅かに絞ることで威力を高めた空間圧縮が、前方から迫る数十本の杭を容易く破壊し、脱出路を即興で作り上げる。他の方向から迫る杭には目もくれず、ヒト一人がギリギリで潜り抜けるに足りる穴を目指して全力で飛翔した。

 

「ッギリギリで間に合ったか」

 

 薔薇の檻から飛び出した直後、背後より杭同士がぶつかり合う音が届く。あと数瞬でも遅れていれば、ヴァーリとてタダでは済まなかった。そのことに安堵するよりも早く、周囲に目を配りエレインの姿を探すが、結果から言えばその必要はまるでなかった。

 

「あれで仕留めることが出来るとは思っていなかったが、中々どうしてやるじゃないか。死地にあっても揺らぐことのない鋼の戦意と錬磨された実力、称賛に値するよ」

 

 パチパチパチパチ、と柏手の音が空に響く。エレインは赤い月を背後に構えて、その身を隠すことなく悠然と最強の白龍皇を見下ろしていた。そのオーラは先刻よりも充溢しているように思える。一手の攻防という僅かな時間の内にさえ薔薇の夜による強化が進んだらしい。

 

「相手の力を吸収することが俺の専売特許ではないと理解はしていたが……これ程のものを見せつけられると自信が揺らぐな」

 

 エレインの姿を見上げながら、ヴァーリは苦笑してそう呟いた。

 

「その割には戦意が増しているように思えるが?」

 

「これでもドラゴンなんでね。強さを目の当たりにして増さない戦意など持ち合わせていない」

 

 オーラを滾らせて見せ、再開の合図とした。

 再び包囲されるような愚を犯さぬと、禁手状態で出せる最高速度でエレインへと殴りかかる。その拳には、防具の類を身に纏うことのないエレインではたった一撃で致命傷となりかねないほどの威力が込められている。

 

 しかしその拳を阻むものがあった。杭である。エレインの皮膚を下から突き破った現れた長大な杭が、ヴァーリの拳と真正面からぶつかっていた。ガキン! と音を立てて火花が散るが、拮抗は僅か一瞬。拳が振り抜かれ、杭は粉々に砕け散る。

 しかし、楽に距離が詰まることはあり得ない。杭が壊された端から、エレインの全身より新たな杭が生まれ射出されているのだ。機関銃の如く連射される、巨大な杭の群れがヴァーリに襲い掛かる。

 

「ッぬ、ぉぉおおおおおお!!」 

 

 意気を上げてヴァーリも応じた。相手が手数に物を言わせるのなら、その上からねじ伏せるまで。自身に向けて射出される杭を、次々に殴り壊して少しずつ杭の雨の中を進んでいく。

 拳を振る。杭を砕く。拳を振る。杭を砕く。拳を振る。杭を砕く。拳を振る。杭を砕く。拳を振る。杭を砕く。拳を振る。杭を砕く。拳を振る。杭を砕く。拳を振る。杭を砕く。拳を振る。杭を砕く。拳を振る。杭を砕く。拳を振る。杭を砕く。拳を振る。杭を砕く。拳を振る。杭を砕く。拳を振る。杭を砕く。拳を振る。杭を砕く。拳を振る。杭を砕く。

 

「ふふ、はははははは! どうした、私はここにいるぞ。そんなところでいくら拳を振ろうとも私には届かないぞ!!」

 

 ヴァーリに劣らぬ戦意に満ちた哄笑と共に更に激化する杭の嵐。それを粉砕しながらもヴァーリは己の不利を悟っていた。

 絨毯爆撃の様相を呈するエレインの攻撃の中を、武技だけで踏破していく技量は確かなものだが、それだけでは足りない。死森の薔薇騎士(ローゼン・カヴァリエ・シュバルツヴァルド)―――エレインが作り出したこの異界においては、彼女以外の全てが略奪され搾り取られる餌に過ぎない。こうして拳を振っている今も、ヴァーリの精気は着実に奪われているのだ。

 

「くっ、ぬぅ!」

 

近づけば近づくほどに濃くなっていく弾幕を前に、弾かれるようにして後退する。追撃として放たれる杭を変則軌道を描いて回避し、今度は別の角度から攻め込んでいく。しかし左右を勿論として、背後からの突貫でさえ杭の嵐を突破することは敵わない。全身から杭を早し発射するということは即ち、どの方向から攻め込まれても対応可能ということなのだ。

 

「………賭けに出るしかなさそうだな」

 

 あの黄金の双眸と褐色肌を持つ男ならば賭けに出ることもなく、状況を打破する手札を持っているのだろう。あの男はあらゆる状況を想定して対策を練る、そういう狂気染みた用心さを持つ。

 対してヴァーリは修練を怠けることはないが、戦闘狂であるが故に、そうした用心深さとは無縁である。エレインの手札を事前に知っていて杭の嵐と実際に直面した現在に至っても、効果的な手段など思いつかないし持ち合わせていもいない。

 だからと言って、臆病風に吹かれるのは白龍皇として情けない限りであり、一瞬でも腰が引いてしまえば、その次の瞬間には嵐に呑み込まれてしまうだろう。ならば覚悟を決めて、これまでの己の鍛錬の成果を信じて勝負に打って出る他あるまい。

 

「ッ」

 

 杭の嵐が持つ脅威の大半はその数にある。無防備に受ければただでは済まないが、一本一本の耐久力を含めた性能はそれほど高くないことは、拳一つで砕けることから証明済みだ。

 慎重に進んでジリ貧ならば、強引にでも活路を開き短期決戦に持ち込むことが良策だと判断し、鋭い呼気を合図に、ヴァーリは最大速度で飛翔する。己に向けられる何百もの杭を回避して辿り着いた先は、エレインの直上である。

 頭上はヒトの最大の死角。また、戦いにおいては上方を取ることは大きな有利となる。そこからの重力の助けを受けた垂直降下、それこそがヴァーリの狙いだった。

 

「ほう――――で?」

 

 ―――だからどうした。

 

 ヴァーリの狙いを瞬時に看破した上で、エレインの余裕は崩れない。成程、最大の死角を最速で突くという戦法が理に適っていることは認めよう。しかし正答であるがゆえに、こうも簡単に見破られてしまう。戦法が露見すれば、対策を取られることは自明の理。

 稀代のドラゴンが大勝負を仕掛けてくることを理解し、冷徹なまでの判断を下す。

 

「騎兵には槍衾と相場は決まっている」

 

 空中で横たわるように姿勢を変えたエレインが容赦なく、ヴァーリを迎え撃った。射出される杭の量はこれまでの比ではない。弾幕だとか嵐だとか、そんな陳腐な表現では足りないほどの量と密度だ。

 それはさながら柱だろう。隙間なく超高速で飛翔する無数の杭は、天をも貫かんとする柱となってヴァーリへと迫った。

 

「おおおおおッ——―!!」

 

 対するヴァーリは紛れもない窮地にあって兜の中で笑みを浮かべた。愚直な突貫に対して、敢えて絡め手ではなく正攻法で迎え撃つエレインの感性が好ましく、であるからこそ己も不甲斐ない姿を見せるわけにはいかないと奮起した。

 ドンッ! 大気の壁を突破した音とともに衝撃波を撒き散らしながら、一条の閃光と化して最速の降下を始めた。淡い白光の軌跡を残しながら、自身の周囲には複数の魔方陣を展開し、最早、壁にしか見えない薔薇の杭へと対抗する。

 炎の剣が、雷の槍が、氷の矢が、風の刃が、次々に紅の杭と衝突し夜空の下に散っていく。エレインが杭で柱を作り上げたと言うのであれば、ヴァーリは超高速で飛行しながら機関銃を活用する戦闘機の様相を呈している。

 

 死地に自ら飛び込む作戦は一見無謀に思える。しかし、その勇気を持つ者こそが勝利の女神を微笑ませることが出来るのだ。

 ヴァーリという男は、本能でそのことを理解していた。

 

「辿り着いたぞ、エレイン・ツェペシュ……ッ!!」

 

 そして、両者は至近距離で対面した。魔法と杭の残滓が月光を反射して作り出す、幻想的な光景が女神の祝福にさえ思える。

 

「まずは及第点と言ったところかな?」

 

 一目で察せられる禍々しさ、さながら死者の怨念を固めたような剣を二本。エレインは笑いながら手にしていた。

 

 ――遠距離で仕留めることが出来ないのならば、白兵戦で仕留めればいいじゃない。

 

 エレインの考えは単純だったが、それを為し得るだけの実力を有していることの証左でもある。吸血鬼の身体能力は元来怪力と称されるものであるが、究極の吸血鬼たるエレインのそれは他の吸血鬼とは一線を画するものがある。その怪力を十全に生かす技術と頭を吹き飛ばされても即時に再生する不死性を含めれば、あのグラナと真正面から殴り合えるほどだ。

 

無手(このまま)では分が悪いな」

 

 剣道三倍段という言葉があるように、獲物のリーチの違いが与える影響は非常に大きい。白龍皇の能力は触れなければ発動できないが、素手で今のエレインに挑むことは全くの無謀である。

 二本の剣を魔法で作り出して構えるヴァーリ。そして踏み出そうとしたその刹那のことだった。

 

「体が……動かな…!?」

 

 ―――魅了の魔眼か!

 

 輝くエレインの双眸より、即座に行使された能力を看破する。このテの能力は便利な反面、実力者には効果を発揮し難いという欠点も持っている。

 ヴァーリならば僅か一瞬の内に解除することが出来る。しかし、同格同士の戦いではその一瞬の遅れが致命的な隙となる。

 

「吸い殺すぞ」

 

 エレインはその場から動かない。動く必要が無いからだ。その場で悠然と構えたまま、腹部から幾つもの杭を乱射する。

 死地にあって加速するヴァーリの意識が、飛翔する杭の群れをスローモーションのように捉える。動け動け動けと体に命じる間にも、少しずつ確実に迫る杭。

 

 あと一メートル。 

 

 あと五十センチ。

 

 あと三十センチ

 

 あと―――十センチ。

 

「お、おおおおおおおおッ!」

 

 寸でのところで自由を取り戻したヴァーリは、雄々しく叫びながらも冷静に状況を判断していた。回避も防御も間に合わない。

 

 ―――ならばせめて、少しでもダメージを減らすのみ!

 

 体を捻り、丸めることで的を小さくし被弾数を減少、及び急所を守る。末端を掠める杭の衝撃に抗い、耐えきったとの姿は一言で表せばボロボロだった。

 鎧の各所に罅が入り、崩れている。そこから覗く肉体も、杭を媒介に生気を奪われたことで土気色に変色し、水分が抜け切ったように乾涸びていた。

 

「ふふ、はははははははは!」

 

 この戦いの主導権を握っているのは己ではなく敵だ。そのことを理解するが故に、ヴァーリは笑う。

 この身に受けた傷は、即ち相手の強さの証明だ。これほどの強者との戦いを楽しまずして白龍皇は名乗れまい。

 

「やれやれ……君は被虐体質なのか?」

 

 エレインの言葉には呆れの感情が多分に含まれていた。ヴァーリは戦闘狂ではあるが、一般知識を最低限は備えている。ボロボロになりながらも呵々大笑する者が世間一般ではどう見られるかなど、容易に想像がつく。

 それでも、笑ってしまうのだ。喜んでしまうのだ。楽しくて堪らない。

 これは最早、性分ではなく習性だろう。ドラゴンの神器を持って生まれた者の宿命だ。

 

「そんなことはない。ただ、楽しいのさ。そして、ここからはもっと楽しんでいこう」

 

「……生憎と私は痛みに喜びを覚える性質(タチ)ではなくてね、故に一方的に攻撃させてもらうこととしよう」

 

 ギアを一層上げるヴァーリに対して、エレインはやはり冷静だった。

 両手に握った長剣を投擲し、自身は地面に向かって急降下。ヴァーリに背を向けることさえ許す、最大最速の戦略的撤退である。

 その迷いの無さからは、予めそうするつもりであったことが察せられた。長剣をこれ見よがしに構えていたのは、白兵戦に応じるつもりであると思い込ませるためのフェイク。万が一にもヴァーリに主導権を渡すまいと、距離を取ることがエレインの本当の目的だった。

 

「この程度で足止めになると思ったか!」

 

 投擲された長剣を裏拳の一振りで粉砕し、ヴァーリも急速降下してエレインを追いかける。じりじりと距離が詰まっていき、射程範囲に捉えたと思ったその瞬間に、ヴァーリは己が罠に誘い込まれたことを悟った。

 

 地面には、赤い月の輝きによっていくつもの影があった。校舎の影、吸血鬼の影、ドラゴンの影、その他様々な影が一斉に蠢き、形を武器へと変えてヴァーリへと襲い掛かる。

 エレインを追うために急速降下していたヴァーリは、高速で突き上げられる影の武器群に自ら突っ込むこととなった。

 

「二度も同じ手が通じるものか」

 

 薔薇の夜が展開された直後、ヴァーリは紅の杭に包囲されるという窮地に唐突に放り込まれた。一度は突破したものの、二度も三度も同じことが出来ると思う程傲慢ではない。

 故に、周囲を攻撃に囲まれても対応できるように、予め用意を進めていた。

 

 発動直前の状態で待機されていた魔方陣から紫電が駆け抜け夜空を彩る。夜空の下の紫電は中々に映える光景だが、加減抜きで放たれた魔法は強力無比。影の武器群を瞬く間に焼き尽くした。

 しかし、濃淡、形、大きさを自在に変化させるだけの自由度を持つのが影である。焼けた端から新たに槍や剣の形へと作り直され、再びヴァーリの身へと襲い掛かる。

 ただ、それらは先程と違ってヴァーリの不意を突けたわけではないし、その身に刃を到達させるまでには幾何かのの猶予がある。

 

 で、あるならば、四方八方から迫る武器群をヴァーリが恐れる道理はない。

 

 右に左にと体を傾け、無数の影の凶器の隙間に体を滑り込ませる。地面に近づくに連れ、攻撃の勢いはより一層激しくなり、更にはそれまでに躱した武器までもが背後から襲い掛かってくる。

 その全てを最早、目で見ることさえさずに気配を感じるがままに回避していく。

 

 そして、その双眸は、垂直降下から地面との並行飛行に切り替えたエレインの後姿を捉えた。

 

 空中で反転、次の瞬間にはドンッ! と衝撃波さえ撒き散らしながら盛大に着地を決める。その際に巨大なクレーターが出来上がり大量の砂塵が舞うも、ヴァーリは気にも止めない。

 クレーターを更に広げながらその場から猛烈な勢いで飛び出し、地面に平行する形で飛行する吸血鬼の後姿を追尾していく。

 

「しつこい男は嫌われるぞ」

 

 距離は離れているし、かなりの速度で飛翔しているため風切り音もある。その中であっても不思議とエレインの声がヴァーリへと風に乗って届けられた。

 攻撃の勢いは更に強まっていくが、だからどうしたというのか。そもそも、影の攻撃は数こそ凄まじいものがあるが、速度は微妙の一言だ。数の多さは半端な速度を補うためのものだろう。

 しかし、ヴァーリはドラゴンである。ドラゴンと言えば、力の強大さに目が行きがちだが、その飛行能力の高さも世界有数だといことを忘れてはならない。数を頼みにしただけの鈍間な攻撃なぞ、彼の歩みの前には壁足り得ない。

 

 しかし、忘れてはならないことはもう一つある。今、ヴァーリと戦っている女が常識の枠には収まらないということだ。

 

 ―――速度で捉えきれないのならば、数で押すまで。

 

 十で捉えることが出来ないのなら、百で押せばいい。百で捉えることが出来ないのであれば、千で押せばいい。

 空一面を薔薇の杭が覆い、大地には影の剣山が連なる。駄目押しとばかりに念動力による不可視の衝撃波が奔った。

 しかも、エレインはグラナの眷属として悪魔に転生したことで魔力を得ている。業火の髑髏が、雷の蛇が、氷の獅子がヴァーリへと襲い掛かる。

 

 才能と実力に物を言わせたエレインの猛攻は、最早一個人に向けるには過剰な戦略の域に入っていた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 会議に出席していた者たちは、会議室から校庭へと居場所を移していた。すでに魔法使いの全てが狩り尽くされ、テロリストの最後一人たるヴァーリの相手を務める者が居る今、屋内に留まっている必要もない。むしろ吸血鬼の姫と龍の皇帝の戦いに関心を寄せ、観戦に熱が入るほどだ。

その面子の中には旧魔王派のトップを斃したグラナの姿もあった。

 終末の怪物、あるいは最強の生物とも称される嫉妬の蛇(レヴィアタン)はその生命力と治癒能力もずば抜けていた。白龍皇から受けた傷は全身に広がっていたはずだが、僅か数分の内に癒えてしまうのだから周囲の面々は呆れと驚愕以外の念を抱けない。

 

 しかしグラナにとっては、この生命力や治癒能力は生まれついてのものであり、そこにあるのが当然のものだ。また、驚愕されることも呆れられることも今までに割とあったことなので、首脳陣や若手悪魔らの反応はある意味慣れ親しんだ代物とも言える。

 話しかけられでもしない限りは視線を無視しても失礼には当たらないだろうと、軽く開き直ってエレインとヴァーリの戦いを呑気に観戦する始末だった。

 

「………二人とも遊んでるな」

 

「遊んでる? あれでか?」 

 

 アザゼルは上空を指さして、暗にグラナの言葉を否定する。そこには、信じられないという率直な思いが込めれられていた。アザゼルの器や物事を測る尺度が小さいのではなく、それほどにヴァーリとエレインの戦いは常軌を逸したものなのだ。

 

「ヴァーリとエレインはどちらもまるで全力を出しちゃいない」

 

 一進一退の攻防は、吸血鬼の姫君と白い龍の皇帝の名に相応しいハイレベルなものだった。しかし、グラナはそれよりも上がまだあるのだと言う。

 

「なぜならヴァーリは覇龍(ジャガーノート・ドライブ)を使ってないじゃないですか。エレインもあれやこれやと能力を使っちゃいるが、出力はどれもかなり抑えられてる。」

 

「確かに言われてみりゃあそうだが………、ならどうして二人は全力を出さないんだ」

 

 アザゼルの問いは当然と言えば当然のものであるがゆえに、この場に集った面々のほとんどが聞き耳を立てた。

 

「出さないんじゃなくて出せないんですよ。今は互いに加減しているから拮抗しつつもそれなりに安全な戦いだが、仮にヴァーリが覇龍を使ったらそれこそ本当に命を懸けた戦いになる。そうなれば、当然俺がエレインに加勢して二対一でヴァーリを嬲り殺しにする。それが分かっているからヴァーリのやつは覇龍を使うことが出来ない」

 

 エレイン・ツェペシュがヴァーリと同等の実力者であることは誰の目にも明白だ。あの一対一の戦いに、彼らと同格以上の存在が一方に加勢する形で参戦するのなら勝敗はその時点で確定するだろう。

 では何故、すでにグラナが加勢していないのか。その当然の疑問を誰かが口にするよりも早く当人が答えた。

 

「俺が今、加勢しないのはヴァーリを追い込まないためです。二対一の不利な状況になったからって降参するようなタマじゃないでしょう、あいつは。つうか、そんな物わかりの良い頭をしていたら戦いのためにテロリストになるなんて真似しませんよ。

 ヴァーリは追い込まれれば余計戦意を沸かせるタイプだ。まさにドラゴンの典型ですね。きっと覇龍を使って最期まで暴れますよ」

 

 神と戦ってみないかという馬鹿げた誘い文句に乗るような戦闘狂ならば、自身と同格の物を二人同時に相手取ることさえも本望だろう。そして限界以上の力を振り絞って戦い続ける。背水の陣と呼ぶには、実に傍迷惑な在り様である。

 その迷いの無さこそがドラゴンであることの証明なのだと本人は宣うのだろう。そして、実際に強さに繋がっているのだから、ただの無謀と切って捨てることも出来ない。

 

「数の有利だけで楽に勝てるようなら二天龍の強さは伝説になっちゃいませんし、ヴァーリが全開になったのなら、俺とエレインだってほぼ全力になる必要がある。

 で、俺たち三人が加減を忘れて戦おうものなら、学園の周囲に囲まれた結界なんぞ吹っ飛ばしてこの町が灰になりますよ。その後は日本神話との戦争ですかね? それでもいいならますぐにでもヴァーリを仕留めますが?」

 

 種の存続のために三大勢力の和平が決まった途端に他の神話体系との戦争が勃発するのなら、それは本末転倒でしかない。国や組織の存続を第一とする首脳陣は、暗い未来を幻視し、首を横に振った。

 その様子を「でしょうね」の一言で済ませたグラナは、説明を続ける。

 

「エレインが全力を出さない理由は、味方をぶっ殺さないためです。この場を異界に変えた技は、内部の存在からエネルギーを無差別に略奪する超強力な代物なんですけど、敵味方を選んで効果を発揮することが出来ないっつう厄介なデメリットがあるんです」

 

 ほら、とグラナが指を向けた先には二人の眷属悪魔がいる。

 一人目は兵藤一誠。主のリアスと共に、旧校舎で囚われていたギャスパーと小猫を無事救出し、仲間の集う校庭に来た彼だったが、現在は冷や汗を流しながら息を荒くしてその場に膝を付いていた。

 二人目はアーシア・アルジェント。元々、教会の聖女として蝶よ花よと育てられた彼女に体力面を期待することはお門違いだ。そのことに頓着するはずもなく死森によって、少ない体力を吸い上げられた彼女の顔色は一誠以上に悪く、今にも気を失ってしまいそうだった。

 

 尚この二人以外にも、若く未熟なグレモリー眷属とシトリー眷属は結構な被害を受けている。流石に倒れる、膝を付くといったことまでには至らないものの、眷属全員が顔色を悪くし、健常とは言えない状態であることは明白だった。

 

 平気な顔をして立っている者は、首脳陣とその護衛だけである。

 

「エレインが異界の出力を少しでも上げたら確実に死んじまいすよ、その二人。いや、グレモリー眷属とシトリー眷属の全員が死にますか……、そんなことは魔王のお二人も嫌でしょう?」

 

 問われた二人の魔王が答えるよりも早く、強く叫ぶ者がいた。リアス・グレモリーである。

 

「少しでも力を上げたら死ぬ? ええ、そうでしょうね、二人は今でもこんなに苦しんでるんですもの! 早くこの力を解かせなさい! 私の下僕をこれ以上苦しませるようなら許さないわよ!!」

 

 細められた目には憤怒と憎悪が宿っており、ふざけた返答をしようものなら今すぐに攻撃してやる。そう言わんばかりの剣幕だったが、グラナは動じることなく唯々呆れだけを返す。

 

「これが最低ラインなんだよ、エレインがヴァーリと戦うためのな。これ以上手を抜けば、勝ちの目が一気に消える」

 

 今のところ、手を変え、品を変え、千変万化する攻撃と戦術の数々を用いてエレインが押していることは事実。攻撃を仕掛けているのはエレインのみでヴァーリは防戦一方。圧倒的にエレインが優勢に思えるが、その考えをグラナは否定する。

 

「例えば、今も展開されている死森の薔薇騎士(ローゼン・カヴァリエ・シュバルツバルド)。この出力が下がれば、ヴァーリの弱体化が遅延し、エレインの強化は滞る。それの不味さはわざわざ説明するまでもねえだろ?」

 

 薔薇の夜以外の能力にしても、エレインの全力というものはどうにも効果範囲が広すぎるので、グレモリーとシトリー両眷属が巻き添えを食らって死にかねない。魔王の妹とその眷属を流れ弾で皆殺しにするわけにはいかず、また結界をぶち抜いて町に被害を出すわけにもいかないので、必然的に全力を出すことを禁じられているのだ。

 

 そして上空の戦いの形勢は、これ以上手を抜けば容易に覆る程度のものでしかない。

 

 無論、実力で劣る者が格上を相手に勝利するという話は度々美談として聞くし、そういった可能性があることは事実。しかしそれは本当に稀有な事例である。稀有であるからこそ、ジャイアントキリングは称賛されるのだ。

 徒に配下が命の危険にさらされることを黙って見ているグラナではない。どれだけ文句を言われようとも、これ以上エレインの能力を低下させることを黙認するなどあり得なかった。

 

「ふざけないで! 戦いに勝つためなら何をしても構わないとでも言うの!? 私の下僕を犠牲になんてさせな――」

 

 愚かな妹の言葉を兄たる魔王が遮って問う。

 

「グラナ君、あの二人の命に危険はないのかな?」

 

「ないと思いますよ。元聖女は生い立ちからして仕方ないとしても、赤龍帝の脆弱さは予想以上でしたがね。どれだけ酷くても数日間寝込む程度で済むでしょう」

 

 殺さないためにエレインは手加減を強いられているのだから、これもまた当たり前の話だった。そのことに安堵のため息を吐いた魔王は妹へ言い含めるように告げる。

 

「リアス、落ち着くんだ。イッセー君とアーシアさんが苦しんでいることは確かでも、それはまだ取り返しの付く範囲でしかない。矢面に立って戦ってくれているグラナ君の配下をこれ以上危険に晒すわけにもいかないだろう?」

 

「でも、お兄様!」

 

 だからと言って納得できることではない。死なないのだとしても、数日間寝込むというのはかなり重い症状だろう。愛する眷属が何日も苦しむ姿を見るのは耐えられない。リアスはそう訴えた。

 しかし、堕天使の総督がそこにとある事実をもって否を唱える。

 

「まあ、実際、グラナ・レヴィアタンやサーゼクスの言う通りだぜ。ヴァーリは滅茶苦茶強え。なにせあいつは旧ルシファーの血を引いてやがるからな」

 

「それは本当なのか、アザゼル!?」

 

 瞠目、驚愕しているのは声の主たるサーゼクスだけではない。この場に集った者の大半が、魔王の末裔であり白龍皇という規格外の存在を知り、アザゼルの言葉と自身の正気さえ疑う。

 

「ああ、マジだ。あいつの母親は人間らしくてな、ヴァーリ本人はハーフなんだよ。そのおかげだろうな、神器を宿せたのは。まあ、宿った神器がたった十三しかない神滅具だってのはどんな運命の悪戯だと、俺もあいつと出会った当初は突っ込んだもんさ」

 

 しかし、とアザゼルは一人のグラナへと視線を向ける。そしてこの場でヴァーリの正体を知ってもまるで動じていない唯一の男へと問う。

 

「どうしてお前さんはヴァーリが旧魔王の血を引いてるって聞いても驚かねえ? もしかして本人からすでに聞いていたのか?」

 

「いや、そんなことはありませんよ。ただ、配下の剣士には劣るとはいえ、それなりに気配の察知には自信がありましてね、ヴァーリが悪魔の血を引いていることには気づいてました。で、その血筋について語らず、姓を名乗らないことから、訳ありか相当に位の高い悪魔の末裔だろうと予想はしていましたがね」

 

 グラナがそのように考えていたことにはもちろん根拠がある。

 第一に中級・下級悪魔の血を引いているのなら、わざわざ隠す必要もない。傲慢な阿呆ならば恥と思って隠すかもしれないが、少なくともヴァーリはそういうタイプではないとグラナは知っていた。

 第二に、ヴァーリの強さだ。当人の努力や指導者の存在もあるのだろうが、馬鹿に出来ないほどの才能を有していることも明白である。『下級悪魔の血を引くハーフが神滅具を持ち、しかも特急の才能を宿している』より、『やんごとなき悪魔の血を引くハーフが神滅具を持っている』と言われた方がいくらか説得力もあるだろう。

 

「と、まあ、アザゼル総督の善意から有益な情報提供が為されたわけだが………、リアス・グレモリーよ、さっきから嫌だ嫌だの繰り返しをするだけの馬鹿よ。俺の、俺たちのやり方が気に入らないってんなら、てめえが何か代案出せや。お前がヴァーリを止めてみせろ

 過去・現在・未来において最強と称されることになるだろう白龍皇を何とかする方法を考え実行してみせろ。あーだこーだと文句を言うだけなら、そこらのクソガキにだって出来る。が、それが世間で通用しねえことくらい分かるだろう? 自分の無知・無力・無能から目を逸らして、上から目線で指図すんじゃねえよ。鬱陶しんだよ」

 

 リアス・グレモリーは才媛と呼ばれてはいるが、その実力は若手有望株のフェニックスに負ける程度のものでしかなく、堕天使総督の秘蔵っ子には到底及ぶものではない。この場でいくら奮い立とうとも、リアスがヴァーリに勝利することなど敵わない。そんなことは誰の目にも明らかだ。

 

「何も出来ない、何もしない自分を棚上げして他人のやることに文句つけるなんて良いご身分だなぁ、おい。てめえ、もう黙ってろ。それ以上口を開いても、悪魔と公爵家の恥を晒すだけだ」

 

 七面倒な外野が漸く黙ったことで、観戦に集中できると思ったのも束の間。馬鹿との口論が終わったことを機と見た男が声を掛けてきたのだ。

 

「質問を一つしても構いませんか?」

 

 その男を形容する言葉はいくつもある。

 蛍光灯のような輪を頭上に浮かべて恥ずかしげもなくキラキラとオーラを四六時中垂れ流し、夜の風情を台無しにする阿呆。

 金色の髪と碧眼に垂れ目といった容姿の、いかにも女受けのしそうな外見をしているくせに経験のない万年童貞。

 ついでに、空気と他者の心を読むことの出来ないKY野郎。

 その男の名はミカエルといった。

 

 ―――天使長(お前)からの問いかけを拒否できるわけねーだろ、馬鹿野郎。

 

 心の内でメンチを切り野次を飛ばしながらも、グラナの鍛えられた表情筋は自然な笑みを作る。

 

「無論です」

 

「では……、あなたと配下の彼女は、デュリオの拘束から容易く逃れましたが、あれは事前に予想できていたことなのですか?」

 

「会場に入った瞬間から、俺はずっとその場の面々を観察して実力を推し量っていた。そこから、禁手(バランス・ブレイカー)無しのデュリオの拘束から抜け出せる確率は半々だろうと予想を立てていました。」

 

「ずっと観察していた? それは何のために?」

 

「………あなた方と戦う可能性があったからですが?」

 

 問われたグラナは、逆に問い返すように、心底不思議そうに答える。

 それを聞いたミカエルだけでなく、アザゼルやサーゼクスまで絶句していた。凍り付いた空気、とはこのような状況のことを言うのだろう。

 その空気を作り出した本人だけが態度も口調も崩さない。

 

「いやいや、だって考えてみてもくださいよ。バラキエルの件を含めて俺は色々やってるんですよ。高名なエクソシストをぶっ殺したり、どこぞの研究施設を爆破したり……。和平を結ぶ条件として、グリゴリや天界が俺の処刑を求めるってことは予想できたことだ。その場合魔王陛下は確実にその条件を飲むでしょう」

 

 他種族を強引に眷属に加える、純血か否かを理由にかつての戦友の末裔さえ排斥する、保身のために仕えた主の子孫を殺そうとする―――それが現在の悪魔だ。そして、国の存続を理由にそれを許してしまっているのが魔王だ。

 

 そんな種族、そんな国、そんな王たちならば、子供一人を生贄に捧げることに否応もあるまい。

 

「まあ、俺はどこぞの国だとか顔も知らん誰かのために死ぬなんざ御免だし、死ぬわけにもいかない身の上だ。処刑の要求が出た時点で、離反する心算でしたよ。

 そのための前準備の一環として、あなた方の戦力を観察し続けていたわけです。無論、ここに来る前に、仮にあなた方と敵対する羽目になっても確実に逃走できるように保険はかけておきましたがね。戦力分析の観察は駄目押しに近い」

 

 思考を止めれば死ぬ。ならば、必勝の更に先まで考えればいい。

 準備を怠れば死ぬ。ならば、金と手段を選ばずに備えればいい。

 修羅道を地で行き生き残る中で鍛えられたものは、何も戦闘能力だけではないのだ。むしろ、用心深さ、計算高さこそがグラナの真骨頂と言っても過言ではない。

 

「デュリオの拘束……あれがただの拘束で終わると思っていませんでしたよ。なにせ生粋の嫌われ者ですからね、俺は。下手に無罪証明が遅れれば解凍は先送りにされ、俺を嫌う豚貴族どもの手でどこぞ牢獄にぶち込まれて二度と日の目を見ることもない……ってことだってあり得た。

 ………ああ、ミカエル様。言わんでも言いたいことは分かりますよ。そんな短絡的なことを本当にする者がいるとは思えないんでしょう? ところがいるんですよ、悪魔社会にはいくらでもね」

 

 息子が魔力を持たずに生まれてきたために己の妻を責めて息子共々追放する、父として夫として男として最低の大王。貴族社会の存続に執心し視野を狭め、とうの昔に誇りある上級悪魔など消えたことにすら気付かない老害。己の無知無力無能に気付かず、威張り散らすだけの馬鹿姫。家名を背景に暴力を好き放題に振りかざす、礼節の欠片も知らない糞餓鬼。血統と姓しか自慢するものを持たない塵貴族。

 一万年の歳月は、特権階級を腐らせるには充分に過ぎたのである。

 

「ならば尚のこと、凍結を受け入れるわけにはいかないのでは? 半々の確率で失敗を引き当ててしまえば、その後は抵抗することも出来ずに、その悪しき未来を辿ることになるのですから」

 

「だから先にエレインが凍ったんですよ。俺とエレインの実力はほぼ同等、防御力に関しては完全に俺が上だ。エレインが封印を抵抗(レジスト)出来るのなら俺も出来ると証明される。逆にエレインが抵抗(レジスト)に失敗するようであれば、即時に保険を発動してトンズラかませばいい」

 

「? 凍った状態では、意識を保てていてもそれを伝える手段がないのでは? 声を出せないのは当然として、身振り手振りもできませんよね?」

 

「共に何年過ごしていると、共にいくつの戦場を越えてきたと、何度あいつを抱いたと思ってるんですか。身動き一つ取れなくても意思の疎通くらいできますよ。それが愛ってもんでしょう?」

 

 




一万五千文字て……。前話に続いて文字数多い……。

なんか疲れた……。次はもうパパッと戦闘は飛ばそうかな。
ぶっちゃけ次章で戦闘がかなり多い予定だし……、三章ではここらでお暇しちまうのもあり……?
考えてみますね。




名称:死森の薔薇騎士(ローゼン・カヴァリエ・シュバルツヴァルド)
出典:Dies irae
原典使用者:ヴィルヘルム・エーレンブルグ=カズィクル・ベイ
本作使用者:エレイン・ツェペシュ
効果:本編を参照、もしくはDies iraeをプレイしてください



名称:彷徨う死神(ブラッドストーカー)
出典:ブラッドラッド
原典使用者:ブラッド・D・スタズ
本作使用者:エレイン・ツェペシュ
効果:血を自在に操る。





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9話 終結と後日談

キング・クリムゾン!! って便利だなぁ。

はい今回で第三章は終わりです。
第四章ではグラナさんの更なるチートぶりが発揮されることでしょう。



 エレイン・ツェペシュとヴァーリ・ルシファーの、吸血鬼の姫と悪魔の王子の、究極の吸血鬼と最強の白龍皇の戦いの結果は引き分けだった。

 同等の実力者が戦えば、短期決着になるか非常に長引くかの両極端な結果となると相場は決まっている。今回の場合は、互いに互いの息の根を止めるほどの火力を出せなかったことによる時間切れである。

 

「相変わらず、いや以前よりも再生能力が増しているな。」

 

 ドレスに付いた汚れや穴は、威風を纏う夜の支配者の戦化粧。腕や足を何度も消し飛ばされても即座に再生を果たし戦い続けるエレインの姿は堂々たるものだった。

 

「君こそ頑丈すぎるだろう。あれだけ攻撃を食らっておいて致命打に至らないなんて異常だぞ」

 

 鎧の各所が破損し、血が零している。しかし事ここに至っても衰えを知らない戦意は、ここからが本番なのだと告げているかのようである。余人には理解不能な戦闘狂という気質も、ここまで貫くことが出来れば一種の信念だろう。己の信念にどこまでも正直に戦うヴァーリは若くして一端のドラゴンのそれだった。

 

 

「これ以上続けるのかい?」

 

 戦いにひと段落つき、大地に降り立った二人。

 エレインは継戦の意思を問うも、答えは聞く前から分かっていた。ヴァーリという男は馬鹿ではないので、確実に援軍か闘争手段を用意していると予想が付いていたし、当の本人の戦意が消失しつつあるからだ。

 衰えるのではなく、消失する戦意。名残惜しむような気配は、これ以上の戦いはないことを言外に告げていた。

 

「いや、時間だ。今日はここで退かせてもらおう」

 

 ヴァーリが天を見上げながらそう呟いた瞬間、学園を囲む結界が力任せに破壊された。

 キラキラと結界の破片が月光を反射しながら降り注ぐ中に混じり、結界を破壊したのだろう男がヴァーリの隣へと降り立つ。

 外見は中華の軽鎧に身を包んだ精悍な顔立ちの青年だ。特徴的なものと言えば、その手に握る一本の棍棒。俗に如意棒という名で知られるそれは、持ち主も大英雄として有名だ。

 しかし、このような若者が彼の英雄そのヒトであるはずもない。だとすると、結界を破壊するだけの実力を持ち、如意棒の所持を許されていることから、恐らくはその子孫であろう。

 

「俺っちの名は美侯。まー、ヴァーリのお仲間ってことでよろしく頼むぜぃ」

 

 挨拶もそこそこに美侯が如意棒で地面を突くと、そこを中心として黒い泥のようなものが広がっていく。

 徐々に沈み込んでいくヴァーリと美侯の二人の顔に焦りの色はない。状況からして、美侯とその術がヴァーリの用意していた逃走手段というわけだ。

 

「仙術……いや、正確には仙術と妖術の組み合わせかな? 即興でそんなものを編み上げるとは器用な真似をする」

 

 美侯の作り上げた術式は、単純な転移だけでなく追跡防止の効果まで付与されている。そのことを瞬く間に看破したエレインの声には紛れもない賞賛の念が籠もっていた。

 

「はははははっ! あんた程の使い手に褒めてもらえるとは、俺っちもまだまだ捨てたもんじゃなさそうだ!」

 

 からからと快活に笑いながら手を振って消えていく姿は、控えめに言ってもテロリストには見えない。精々が気の良いお兄さんと言ったところか。しかし、そのような性分でありながら、テロ組織に身を置くあたり相当な変わり者だとも見える。

 

 若き龍皇と猿の末裔が姿を消し、五秒、十秒、十五秒ほど経過してから漸く警戒を解く。瞬間、エレインの体は熱に浮かされたようにフラついた。

 当たり前の話になるが、同格との戦いには相当な緊張を強いられる。また、エレインの体は見た目は無傷だが、何度も傷つき、再生を繰り返せば、再生能力は低下する。頭や四肢が吹き飛ぼうとも即座に新たに映えてくる姿は『不死身』に見えるが、痛覚が遮断されているわけではないので、割と洒落にならないレベルの精神的疲労が蓄積される。しかも、巻き添えを出さないために常に加減を強いられていたことも拍車をかけていた。

 

 頭の中に靄がかかったような感覚に陥り、霞む視界が揺れる。

 

 ――ああ、倒れそうになっているのか。

 

 意識を強引に手繰り寄せ、体に力を入れようとするエレイン。しかし、それを実行するよりも早く、自身の体を抱きとめてくれた。

 

「おっと、ご苦労だったな。……一人で立つのはきついか?」

 

 グラナは肩に手を回して支えながら、覗き込むようにして問いかける。

 

「いや、少し厳しいかな。君の手を貸してくれるとありがたい」

 

 エレインの再生能力は確かに低下しているし、現在の体調は芳しくない。しかし、それは僅か数分もすれば治る程度のものだ。

 

 故にこの言葉はただの甘え。愛しい相手と触れ合う時間を求める女の欲望だ。

 

 心の内はグラナにバレているだろう。何せこの男は、一目で他者の本質を見抜き、言葉だけで他者の心を巧みに操る傑物なのだから、隠し事が通用するはずもない。

 でありながらも、グラナは肩に回した右腕はそのままに、左腕をエレインの膝裏に回して抱き上げた。所謂、御姫様抱っこである。エレインの乙女心を看破した上で見事に満たしてくれる男の気遣いに、更に乙女心が刺激されたのは余談か。

 彼の腕の内に収まり、その肉体の逞しさを全身で感じ取る。鍛えられた筋肉は鋼よりも硬く、抑え込んでいる状態でも尚膨大な魔力の存在が伝わってくる。

 しかしその強さの証とは裏腹に、グラナの手付きは優しく、エレインに気を遣っていることがよく分かる。

 

「サーゼクス様、エレインがかなり弱ってるぽいんで先に帰らせてもらって構いませんか?」

 

「いや、しかしね……」

 

 言い淀む魔王の視線はあちらへこちらへと彷徨った。

 

 講堂――全壊。

 

 旧校舎近くの林――全焼。

 

 新校舎――半壊。

 

 校庭――砂漠化。

 

 全力を出すことを禁じられていたとしても、先ほどまで行われていた戦闘は、究極の吸血鬼と最強の白龍皇によるものだ。その余波は甚大である。

 理事長としてこの学園を運営する者と忸怩たる思いがあるのか、ほとんど原型を留めていない学園を見る魔王の眼には哀愁の念が強く宿っていた。裏の存在を隠蔽するために翌朝までに修復する苦労も含めると、胃へのダメージは深刻なものであるに違いない。

 

 当然、グラナは知ったことではないと切り捨てる。

 

「学園の修復は、結界の外で時間停止を食らっていた警備にでも手伝わせりゃあいいでしょう。碌に本分を全うしてなかったんだから、せめてそれくらいはやってもらわねえと」

 

 それはつまり、『俺とエレインは本分を全うしたんだからこれ以上は仕事の範囲外』ということだ。元々グラナとエレインの仕事は『護衛』であり、戦場の修復は仕事に含まれていない。ちなみに外で警備に当たっていた人員の仕事も『護衛』ではあるが、彼らはその職務をこなすことが出来なかったのだから、戦場の修復に尽力するという形で補填するのが筋だろう。

 

 本来であれば、戦場の修復は管理者のシトリー眷属かグレモリー眷属の役目だ。彼女らは薔薇の夜のとばっちりを受けており非常に弱っているが、そのことに配慮するかどうかは個人の裁量。ならばグラナが協力を拒否したところで責められる謂れもあるまい。

 

「グラナ君、待っ―――」

 

「では今後とも御贔屓に」

 

 グラナは魔王の制止の声をうっかり聞き逃してしてしまったらしく、答えを返すことはなかった。偶然の事故なので仕方のないことだ。

 別れの挨拶を最後にエレインを抱き上げたまま転移魔法を発動し、駒王学園から姿を消した。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 三大勢力の会談より数日後、グラナは本拠地たる不滅の城にて書類仕事を行っていた。

 駒王町にいる間も少しずつ仕事を空き時間の内に片付けてはいたが、グレモリー眷属が盛大に暴走してくれたおかげで貯まり気味だった書類は積み重ねれば十五センチを優に超す。

 普通ならばやる気を削がれ、暗澹たる心根になるだろう紙の束と向き合うグラナは、しかい実に機嫌良さげである。

 

「くく、はははははっ。いやぁ、ここまで上手くいくと笑えてくるな」

 

「言葉と態度だけで容易く魔王を翻弄する手腕、お見事でございました」

 

 彼の声に答えたのは、すぐ傍に侍るメイド服の女だ。彼女を表すとすれば『銀』。髪も瞳も睫毛も眉毛も美しい銀色の輝きを放ち、透き通るような白さを持つ肌と相まって、儚げかつ怜悧な印象を持たせる。最小限の薄い化粧しかしていないにも関わらず、どこか怪しい魅力を讃えていた。

 身に纏ったメイド服は、長袖とロングスカートに前掛けの揃ったオーソドックスなタイプ。頭部のホワイトブリムまで含めても特筆すべきものは無いはずだ。しかし、着用する女の美貌が美貌なだけに、ただのメイド服が一級のドレスのようにさえ思わせる。

 服に着せられる、という表現があるが、彼女の場合はその正反対。その美貌に衣装がついて来れていない。

 それほどの美貌を持つ彼女の名はアマエル。

 役職はメイド長であり、現在は長期任務により留守にしている執事長の代理まで務める器用さを持つグラナの腹心の一人であり、その実力は熾天使と同等以上の女傑だ。加えて、グラナが留守の間は城の防衛指揮権を完全に握っている事実を見れば、彼女がどれほど主から信頼されているかなど考えるまでもない。

 

「まあ、あいつらが単純すぎるような気もするがな。……まあ、予定通り上手く依頼を切らせることが出来て良かった」

 

 グラナとその配下は今回の依頼に辟易としていた。主な理由はグレモリー眷属の暴走。義理の姉や親兄弟の言葉さえまともに聞き入れることのない我儘姫には本当に困らされたものである。

 碌に関係を持たないグラナが何かを言ったところで改善するどころか悪化するだけだと容易に想像もつくので処置無し、打つ手なしと言った有様だ。グラナをしてここまで困らせるとは、ある意味グレモリー眷属は凄いだろう。無論、それを評価するものはいないのだが。

 

「いくら俺たちがグレモリー眷属を鬱陶しく思っていようとも、こっちから依頼を切るとなると相当上手くやらん限り違約金の支払いや、信用問題にも繋がりかねん。

 だから向こうから依頼を取り下げさせる必要があった。

 そのために三大勢力の会談の場でグレモリー眷属を酷評してやった」

 

 会談の場でぶちまけたことは全て本音だが、しかし今後のことを考えれば公爵家のご令嬢との関係が悪化するリスクがある。冥界に住まう上級悪魔の多くは、そのリスクを恐れ、公爵家次期当主の覚えを良くするためにテキトウな褒め言葉を贈ることだろう。

 

 では何故、リスクを許容し将来のメリットを崩したのか。それはリスクがグラナの目的であり、将来のメリットはメリット足り得ないからだ。

 

 前提としてリアスの気性は生粋の自信家であり、他人の意見にはほとんど耳を貸すことがない。関係の希薄なグラナの言葉なぞ馬耳東風も良い所だろう。更に、会談の日までにグラナは依頼の中でグレモリー眷属と度々衝突していた。これにより、グラナに対する好感度は嫌悪(マイナス)へと入る。

 ここまで来れば、グラナの言葉をリアスが聞くことはないと断言出来よう。どれだけ理屈の通った正論を聞かされようとも、感情が拒絶を示すのだ。

 

 そして、そのことを依頼人(魔王)が目撃する。大切な大事な愛する妹が有する巨大な嫌悪と、グラナとの間にある乖離。それを見れば、よほどの馬鹿ではない限り両者を引き離し、それ以上の悪化を防ごうとすることは容易に想像がつく。

 

 駄目押しとして、あの会談で三大勢力の和平が成立することは確定的と言って良かった。和平が成立すれば、その場所となった駒王町にはそれぞれの陣営から使者が送り込まれることとなるだろう。重要な土地であるため、使者のレベルは非常に高いものとなる―――つまりは実力者だ。

 そうなれば、グレモリー眷属との関係が良好ではないグラナの一派を町に留めておく必要はない。妹愛だけでなく大義名分まで揃っているのだから、サーゼクスが依頼を解除し、セラフォルーもそれに伴うことだろう。

 

 そして、将来のメリットだが、あのような傲慢と自己愛の塊のような女に近づいたところで碌なことにはならないだろう。グラナの眼をしてさえ、メリットではなく破滅の巻き添えを食らう未来しか見えないのだから相当なものである。

 そもそも、将来のメリットと言っても、それを得るには『リアス・グレモリーが大成している』と『悪魔社会が繁栄している』という前提が必要になる。

 

 前者は言うまでもなくあり得ない未来。仮にあり得たとしても、それは周囲の者が不出来に過ぎた結果、相対的にあの愚物が良く見えるというだけだろう。

 控えめに言って、そんな国にし未来はない。従って公爵家の令嬢と仲良くする理由もない。

 

 後者は、グラナが大半の上級悪魔と敵対関係にある現状から更に争いが激化すると予測できる。

 現在は水面下で留まっているいざこざも貴族たちが力を付け、グラナを打倒できると確信した瞬間には表立った『討伐』へと変わることだろう。権力に物を言わせて大義名分をでっち上げた彼らは、私兵を率い、徒党を組んで、喜び勇んでグラナの首を取りに行く。

 そこまで事態が進んでしまえば、グラナとて最早容赦しない。それこそ現四大魔王と上級悪魔の当主を皆殺しにする勢いで戦禍を広げる腹積もりだ。冥界の権力者たちのことなどまるで信頼していないが故に、いつでも戦争を起こすことの出来る用意は済ませている。

 勝利の女神がどちらの陣営に微笑むのかはともかくとして、それだけ大きな戦が起こってしまえば、周囲の悪魔からの心象と悪魔社会の状況が悪くなることは確定的。どうやっても甘い汁を啜ることは出来なくなってしまう。

 

 つまり、将来のメリットを得るために必要な前提が成立してしまうと、グラナが将来のメリットを得ることは出来なくなるのである。

 

 将来のメリットの無価値と断じ、現在のリスクをメリットに転用する。グラナ・レヴィアタンは片手間の内にそれだけのことを計算し、解へと至るルートを見出していたのだ。

 

 そしてその計算は何一つ滞ることなく彼の目指す地点へと到達した。一から十まで計画していたことではなく、アドリブも多分に混じっていたが、それでも狙いを完遂させる辺りグラナの優秀さが伺える。

 

「俺たちの代わりと言っていいのかは知らんが、あの町に入る使者は悪魔側からは管理者のグレモリーとシトリー、天界は未定、そして堕天使陣営からは総督のアザゼルとはな……豪華すぎるだろ」

 

 組織のトップが使者となる事などそうあることではない。本人が神器研究の第一人者で、グレモリー眷属とシトリー眷属を育てる過程で研究の一助とすることを目的としているらしいが、異例であることは間違いない。

 とは言え、アザゼルほどの男が妹の傍にいることとなるから魔王は依頼を取り下げたのだろう。であれば感謝こそすれ、形式云々についてとやかく言うのは野暮だ。

 

「まあ、んなことはいいか。どうせ、俺はもうあの町に関わらんのだし。

 アマエル、この三つの手紙を三大勢力の首脳陣まで送りつけておけ。」

 

 と言って、グラナはたった今書き上げた四枚の手紙をメイド長に渡す。手紙の宛先は、サーゼクス・ルシファー、セラフォルー・レヴィアタン、ミカエル、アザゼルの四名である。

 手紙の正体は請求書だ。冤罪の疑惑を掛けられたことに関する慰謝料を要求する旨が記されており、その内容は以下の通りだ。

 

『あー、辛い。マジ哀しいわー。いくら嫌がらせを受けようと真面目に働いてきたのに、疑いをかけられるなんて

酷すぎる!! どうしてこの世は正直者が馬鹿を見るんだろう。あー、悲しい。どこかの誰かがちゃんと国や組織を纏めてくれてたらなー、きっと俺が、俺たちが嫌がらせを受けることもないんだろーなー。働きに見合った報酬も貰えるんだろーなー。

 あぁ、いや別に文句を言いたいわけではないのですよ? ただ世の不条理を嘆いているだけでして。どこぞのトップを批判しているわけではないので悪しからず。

 しかし、他者に信用されないと言うのは辛いですわー。慈悲と優しさと愛情が服を着ているような俺でありますがゆえに? その反対の疑念を向けられるのは本当に辛い。身が張り裂けそうな想いとはまさにこの事! 心には無数の傷が刻み込まれ、涙が絶えませんッ!!』

 

 無論、馬鹿正直にこの通りに書いてあるわけではなく、文面自体は一見すると真面なものである。ただ、少し深読みすると別の意味が見えてくるようになっているだけだ。

 表面的には礼儀を失さない程度の真面な文章が書き連ねられているので、文句を言われることもないだろう。

 

「さて、と」

 

 ペンを置き、書類仕事にひと段落を付けたグラナは軽く伸び(・・)をする。ポキとかゴキとか、骨が小気味良く鳴った。

 そのまま立ち上がる主の意を汲んだアマエルは、部屋の隅から黒のロングコートを持ってきて主へと手渡す。

 

「グレモリー邸への商談(・・)でございますね?」

 

 腹心の確認に、グラナは鷹揚に頷いて笑う。

 

「ああ、金をふんだくってくる」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 グレモリーとは、別名でゴモリー、ガモリー、ゲモリーとも呼ばれ、七十二柱の一角にして公爵の位を持つ上級悪魔だ。いくつもの肩書きは数多くの上級悪魔の家系の中でも有数の名家である証だろう。

 所有する土地面積は、人間界における日本の本州ほどもあり、現当主の長男は魔王として活躍し、その妻は旧ルシファーに仕える名家の女傑。魔王夫妻の間にはすでに息子も産まれており、幼くしてその才覚を見せており、次世代の魔王になるのではないかと噂されるほど。

 財政に余裕があるわけではないが、時が経つほどに潤っていくだろうと確信出来るだけの材料が揃う将来有望な貴族と言える。

 

 グレモリー家が抱えるいくつもの邸宅。その中でも最も豪華な居城―――つまりグレモリーの本邸にグラナは訪れていた。

 すでにメイドの案内を受けて客間へと通され、ソファに座るグラナ。マナーに則り優雅に紅茶を飲む姿からは、黄金の双眸が一体何を見据えているのか察せない。自然体に見えながらも、しかし内心を一切気取らせることのない油断の無さは流石の一言に尽きよう。

 彼の右斜め後方には、不動の態勢を維持する従者の姿があった。銀色の髪を一つにまとめ、不動の態勢を維持する『戦車(ルーク)』。口を横一文字に引き締め、両の眼には私的な感情が宿ることは無い。その様子から、己の役割に殉じることにのみ集中していることが良く理解できる。レイラ・ガードナーは矜持に従い、主の盾たらんと本日も心掛けていた。

 

 客間にはグラナとレイラの他にもう一人の悪魔が居た。グラナの対面の席に座る紅髪の上級悪魔、グレモリー家現当主にして魔王サーゼクス・ルシファーの父でもある。その名をジオティクス・グレモリーといった。

 平時は娘や孫を溺愛し頬を緩めてばかりいる彼も、今はそんな余裕を持っていなかった。

 巧妙に隠してはいるが、その眼光はグラナのほんの一動作さえ見逃すまいとする輝きを放ち、客人を歓迎する笑顔の裏では聡明な頭脳を全力で稼働させている。

 ジオティクスは父でも夫でも祖父でもなく、一人の上級悪魔としてこの場に居るのだ。

 

「本日は娘とその眷属の件でお話があるということだが……」

 

 口火を切ったのはジオティクスだ。グラナとグレモリー家の関係は非常に希薄で、目の前の男に関する情報が不足している感は否めない。しかも、魔王や有望な若手悪魔を輩出していることでグレモリー家の情報は広く流布してしまっており、事前の情報戦においては確実にグレモリー家が完全に敗北している。

 しかし、だからと言って手を拱いていても状況が好転するわけでもあるまい。後手に回っていては主導権を握られるだけだ。

 ならば、攻めるしかない。

 虎穴に入らずんば虎子を得ず。

 リスク無くしてリターンを得ることは出来ないのだと、覚悟を決めていた。

 

「ええ、その通りです。グレモリー卿も御存知だと思いますが、先日三大勢力は和平を結びました。その会談の場で少々、問題事が起こりましてね……。本日はその相談に参った次第です」

 

 グレモリー家現当主は必死に頭を回転させている。今日この時までにも、いくつものパターンを想定してきているのだろう。こうして話している今も、何気ない素振りでカモフラージュしつつ少しでも多くの情報を得ようと画策している。

 

 ――――そして、その全てをグラナは看破していた。

 

 客間に通されてより数分、グレモリー卿の発した言葉は僅か一言のみ。たったそれだけの時間、情報があれば、その心の奥底まで見通すには充分だったのだ。

 無論、グラナはそのことを気づかせる様なヘマはしない。事前の情報収集も済ませていることも合わせると、グラナに敗北の目は全くないと言っても過言ではないにも関わらず、その心には一部の隙も生まれることがない。

 

 必勝を確信したその場所から、さらにもう一歩踏み込む。

 

 それが修羅道を歩み続ける中で、グラナが得た教訓だ。

 必死に作戦を練り、万端の準備を整えて、勝利を確信し、実行に移す。それはきっとこの世の多くの戦士が行うプロセス。つまり自分が様々な用意をするように、相手もまた用意してくるのだ。故にプラスαのもう一歩を求めたい。

 必勝の手札を用意出来たのなら、それとはまた別に保険を用意しておく。それが勝利を掴み続けるコツだ。

 

「事情はグレモリー卿も知っていらっしゃることでしょう。あの日あの場でテロリストによる襲撃が行われた。卑劣な奴らは、ご息女の眷属『僧侶(ビショップ)』ギャスパー・ヴラディを利用した攻撃を仕掛けてきたのです」

 

 テロリスト集団『禍の団』。彼らのトップのネームバリューや行動の大胆さから、上級悪魔の当主は皆がその存在と会談に襲撃した事実を認知していた。

 そして襲撃の要として利用されたのが、リアス・グレモリーの眷属たるギャスパー・ブラディである。三大勢力のトップが集まる場でのテロに利用されるというグレモリー家にとっての醜態は、ジオティクスにとっても悩みの種だろう。

 出来れば、その話題には触れてほしくない。それが本音のはずだ。その話題に触れそうになったら、話術を駆使して方向転換を考えていたはずだ。

 

 グラナはその考えを始めの一言で粉砕した。

 

 知っていて当然、知っていることを前提とする口ぶりは、とぼけることを許さず、それを否定することも許さない。否定してしまえば、重大事件の詳細を上級悪魔グレモリー家のトップとも言える男が知らないと取られかねないのだから無知蒙昧な愚図であると自ら白状するようなものだ。そんなことは家の当主として出来るはずもなかった。

 

「……ああ、無論知っているとも。彼がテロに利用されたことは遺憾に思うし、彼の主の父親として責任も多分に感じている。故に魔王陛下にも進言したよ。禍の団と戦う際にはグレモリー家は力を惜しまないとね」

 

「成程成程。つまり、こういうわけですか………『ギャスパー・ヴラディがテロに利用された責任はこれから果たす』と」

 

「然り。すでに魔王陛下も了承してくださった」

 

 実際にそうであるかは意見の分かれるところだが、少なくとも表向きは、悪魔のトップは魔王だ。最高権力者の許しを得ている以上、ギャスパーがテロリストに利用された件についてグラナが蒸し返すことは出来ない。

 仮にグラナが追及した際に責任を取ることになるのは、本人たるギャスパーと主のリアスという線が濃厚だ。ジオティクスは『魔王の許し』という盾を持ち、ギャスパーとリアスを守るつもりなのだ。

 

 グラナは嗤う。

 その程度の甘い考えで、稚拙な策で、凡庸な知恵で出し抜けるつもりでいるのかと、遥か高みより見下した。

 

「魔王陛下のご意志がそうであるのなら俺から言うことはありません。いや、そもそも俺はそのことを言うつもりもありませんでしたしね」

 

 では一体何が狙いなのか、何が目的なのか。そう訝しむ視線を受けたグラナは笑みを返した。

 

「あなたが仰る責任とは謂わば公的な責任でしょう。会談のテロに娘の眷属が利用されたというね。しかし、俺が言いたいのは私的な責任だ」

 

 グレモリー家現当主ジオティクス・グレモリーは優秀なかつ良心的な支配者だ。愛に溢れ、職務には忠実。私生活ではふざけることもあるが公務においては真面目を貫く彼だからこそ、グラナの語る公的な責任にばかり目が行ってしまい、私的な責任については寝耳に水だった。

 ジオティクスが言葉の意味を咀嚼する時間を取る意図も含め、グラナは一拍の猶予を取ってから話を続ける。

 

「さて、あの会談の場で俺と眷属の僧侶は、ギャスパー・ヴラディ少年から神器による攻撃を受けた。あぁ、テロリストに利用されていたことは分かっていますがね、それとこれとは別の問題だ。彼から攻撃を受けたという事実は変わらない」

 

 どこぞの下級悪魔が、上級悪魔とその眷属に攻撃を仕掛けた。それは言うまでもなく大罪だ。そしてその大罪をギャスパーは背負っているのだと、グラナは言った。

 本人の意図によるところではなく、第三者による強制的な事案だったとしても、現在の悪魔社会であれば情状酌量などする余地もない。

 

「更に言うのであれば、その攻撃のタイミングが絶妙過ぎたせいで俺たちにはテロリストの容疑がかかったんですよ。危うく牢獄にぶち込まれ、そのついでにぶっ殺されるところだった。

 ―――――で、この二つの責任をどうやって果たして貰いましょうかねぇ?」

 

 グラナは決して屁理屈を持ち出しているわけではない。聞けば納得も理解も出来るが故に、ジオティクス・グレモリーという男には極めて痛烈に刺さる。

 凡百の上級悪魔であるのなら喚き散らしてうやむやにしようとするだろう。馬鹿を晒すような愚行ではあるが、グラナの目論見を潰すことは出来るそれを、しかしジオティクスは選択できない。そもそも考えすらしない。

 ジオティクスは真面目な男であるが故に、グラナの言葉を受け止めてしまうのだ。

 

「ふふふふっ。筋を通すのであれば、ギャスパー・ヴラディとリアス・グレモリーの首を寄越せ。俺はそう言うべきなのでしょうねぇ」

 

 グレモリーの特徴は『情愛』。そのことを誇るジオティクスは公の場であっても愛を隠すことをしない。妻を、娘を、息子を、その眷属を大切にしていると公言している。自分の大切なものを、弱点を披露してしまっているのだ。

 グラナを前にして、それは愚行極まる。この男には、他者の弱点を嗤いながら突っつく悪辣さを持っているのだから。

 

 ツッー、と冷や汗を垂らすジオティクスを眺めるグラナの心境は愉悦に満ちていた。決してジオティクス・グレモリーという悪魔を侮っているわけではない。その上で、ゴールの光景もそこに至る過程までも視えているにも関わらず、網にかかった獲物がどう足掻くのか、苦悶する姿を余興として愉しんでいるのだ。

 

 ドSを通り越し、外道と言われてもおかしくない魔性の感性。しかし、その感性を知る彼の配下であっても、詰ることはしない。

 なぜなら、ヒトは蟻や蠅が罠にかかっているところを見て楽しむ者を外道と詰ったりしないのだから。精々が趣味が悪い、その程度に留まる。

 グラナにとってみれば、そこらの上級悪魔なぞ羽虫と変わらないのだ。踏めば潰れる、撫でれば爆ぜる、睨めば灼ける、その程度の雑魚に気遣うことなどあり得ない。

 自身の歩く先に虫が一匹いたからと言って、進路を変更することはなく踏み潰したところで誰も責めまい。ヒトが自身のエゴに従って動物を愛玩用に手元に置くことを誰が糾弾する。矮小・脆弱な命を弄ぶことも、絶対強者の権利なのだ。

 

「この場にはその交渉に来たのですよ」

 

 交渉にはいくつかのコツがある。そのうちの一つが、主導権を握ることだ。

 先の発言はそのためのもの。

 ジオティクスという男が大切にするものを引き合いに出し精神を揺さぶる。この際には敢えて真っ当な理屈を持ち出すことで、生真面目なジオティクスが逃れる道を塞ぐ。

 

 更にグラナは口三味線と呼ばれる手法を用いていた。

 元来の口三味線は口先で相手を巧みに騙す技だが、グラナが用いる口三味線は次元が違う。

 

 声だけでなく、手ぶりや視線といった微細な仕草に加えて身に纏う雰囲気まで自在に操って行われる魔技は、催眠術でも用いたかのように聞き手の意思を操ることを可能とする。ただの言葉で心を自在に操るそれは、正しく『悪魔の業』だ。

 

 幻覚や幻聴さえ起こす語り口に既にジオティクスは囚われている。不自然なほどに焦燥に苛まれても、そのことを疑問に思うことさえ出来ないのだ。

 表面を取り繕う余裕すら無くし、滝のような汗を流すジオティクスにグラナは救いの声を掛ける。

 

「まあ、俺はリアス・グレモリーとギャスパー・ヴラディの首なぞどうでもいいのです。あれらの首を貰ったところで何に使えるわけでもなし。どうせ詫びを貰うと言うのなら、もっと建設的なものを戴きたい」

 

 その言葉は救いの糸だ。逃げ道を塞がれ這いずり回る男の目の前に垂らされた、か細い蜘蛛の糸。

 それを見たジオティクスの目の色が変わる。絶対に逃してはならない、逃すわけにはいかないと血走った目が語っている。

 その心境はさながら、砂漠の放浪の末にオアシスを見つけた旅人。あるいは餓死寸前の半死人が食料を見つけた瞬間と言ったところか。

 駆け引きをしようという考えが脳裏に過ぎることさえ無く、飛びつくことしか出来ない。それが今のジオティクス・グレモリーだ。

 

「なっ、何が欲しい!? 私に用意出来るものなら何でも」

 

「ではシンプルに―――金だ。大金を寄越せ」

 

 

 

 




言葉一つで他者を巧みに操る。実に悪魔らしい戦い方ですね!
DDの悪魔にはこういった『悪魔らしい悪魔』がほとんど居ないので、グラナさんにはそういった感じの技も使えるようになってもらいました。

強さとは決して戦闘に限ったものではないのですよ。俺tueeeeeeはあらゆる場面で発揮されるタグなのだ!!


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第四章 難攻不落魔城 イモータル ~追憶の堕天使~
1話 魔性の女と平凡堕天使


 魔王でさえ踏み入ることを躊躇する魔境に聳え立つ白亜の巨城。
 難攻不落の魔城を落とさんと侵入したとき、その実態が明らかとなり、黄金の修羅が真価を見せる。
 在りし日の幸福を思い出した堕天使の時計が動き出し、かつての少年と再会(・・)する。
 彼らが抱くのは感動か、悔恨か、あるいは愛情か――――

 ハイスクールD×D 嫉妬の蛇 第四章難攻不落魔城 イモータル ~追憶の堕天使~



 

「はぁ~、疲れた………。マジで何なんだよ、あの命令。意味分からんっつーか、もっと現場のことも考えてくれって言いたいぜ」

 

 頭を掻きながらため息交じりにぼやく男の名はギルバート・アルケンシュタイン。旧魔王派に属する上級悪魔の一人で、現場指揮官のような役割を任されている。

 現場の指揮の仕事は本来、中級悪魔の仕事である。上級悪魔は、その現場の指揮官に指示を与える存在だ。つまるところ、上級悪魔でありながら、中級悪魔の仕事を押し付けられているギルバートの株は非常に低く、周囲から軽んじられていることの証左だった。

 

「何か良いことないとやってられねえ……」

 

 しかし、彼は決して落ちこぼれという訳ではない。むしろその反対。かなり優秀な部類に入る。

 天才、と呼ぶには足りないものの、頭の回転はかなり早く、更には先入観を持たずに物事に当たることも出来る。上級の生まれでありながら中級・下級の悪魔を見下すこともなく、気配り出来るために部下からの信頼も篤い。駄目押しとばかりに戦闘能力も非常に高く、ピンキリとは言え最上級悪魔の下位ほどの実力まで持っている。

 一つの分野で突出した天才ではないが、いくつもの方面で高い能力を発揮する得難い秀才。それがギルバート・アルケンシュタインという男だ。

 

 そんな彼が周囲から―――より正確には彼と同等以上の位を持つ悪魔から―――軽んじられている理由は様々だ。

 第一に、身分を振りかざすことのないギルバートを、上級悪魔は「誇りが無い」と侮蔑する。ギルバートからすれば、しっかりとした信頼関係と上下関係を築くことが肝要であり、無駄に威張っても組織に軋轢を生むばかりだと思うのだが、そのことに理解を示す者は少ない。

 第二に、頭の回転がいくら早くとも、その意見を同格以上の悪魔が聞き入れてくれないために成果を上げることが出来ないでいる。彼らからすれば、ギルバートのような変わり者の意見など聞く価値もないということだ。実際にそう一笑に付された経験がある。

 第三に、ギルバートの考え、思想が異端ということがある。派閥内の大半の悪魔は、『真』魔王派を自称し現魔王政権に批判的だが、ギルバートはその真逆。自分たちは敗者だと達観し、派閥の考えも旧時代的――――故に『旧』魔王派と呼ばれることに、呼ぶことに違和感を抱いたことさえない。

 第四に、これはギルバートの自業自得とも言えるものだが、自身の実力を隠している。普段から魔力を抑え込み、争いを徹底して避けることで本来の実力より遥か下だと思わせているのだ。周囲に腰抜けだと鼻で笑われても、テキトウにやり過ごし続けて来た彼には、それを続けるだけの大きな理由がある。

 

 その理由がなければ、とっくに本来の実力を解放し、今よりも上の地位に着いていたはず。地位や名声を諦めてまで貫くほどの重みを、彼はその理由に感じていた。

 

 ずばり、恋である。

 

 彼が指揮する部隊の一員の女悪魔に、ギルバートは惚れていたのだ。十年前に出会った時から、一切薄れることがなく日に日に増していくばかりの純情である。

 彼は、惚れた女と密接に関わり続けるために出世の可能性を放り捨て、直属の上司と部下の関係に拘ったのだ。

 

 

「――――おっ、あれは」

 

 つい数秒前まで眉間に深い谷間を作っていた男の声とは思えない、喜色に富んだ声が漏れる。視線の先に居るのは、絶賛片思い中の美女だ。

 この場所は旧魔王派が人間界に保有する拠点の一つ、プライドの高い上級の悪魔が暮らせるようにと僻地にあるにも関わらずかなり豪勢な造りとなっている。中庭は噴水や花壇の並ぶ庭園となっており、そこに設置されたベンチで読書をする女の姿は芸術的でさえあった。

 雲の切れ間より差し込む日の光はさながらスポットライトのように女を照らし、生き生きと花弁を開く花々が女の魅力を更に高める。噴水の水がきらきらと陽光を反射して煌めき、花々の間を飛ぶ蝶々が女の下へと向かって行く姿にはどうしようもなく目を引かれる。

 

 すぐさま駆け寄りたい衝動に襲われるが、それは傍目から見て非常に格好が悪い。恋愛初心者の子どもと同レベルの真似など出来るはずもない。そんなことはギルバート自身のプライドが許さないし、成人女性に好かれると到底思えないからだ。

 浮足立つ精神を必死に制御し、『余裕のある男』を演出しゆっくりと近寄る。相手が異性ということに気を配り、面と向かって話すには少し遠い程度の距離で足を止めてから声を掛けた。

 

「レベッカ、一体何の本を読んでいるんだ?」

 

 レベッカ・アプライトムーン。それが中級悪魔の出身でありながらも、秀才の心を捕えて離さない女の名前だ。

 レベッカは本に向けていた顔を上げて、ギルバートへと目を寄越す。視線を交えただけでもドキリ、と胸の鼓動が高鳴るのだから男とは単純なもので、恋の病とは本当に厄介だ。 

 レベッカの容姿は、『包容力のある女性』とでも言えばいいのだろうか。

 長い桃色の髪をシニョンにして纏め、露となった(うなじ)から大人の色香が放出されている。眼鏡の奥に覗く、垂れ目がちな双眸と泣き黒子が母性にも似たものを感じさせ、更にはスタイルも大胆の一言。露出度の少ないゆったりとした服の上からでも分かる胸の大きな膨らみ、折れそうな程に細く括れた腰、そして旨と同じく大胆にも肉の付いた臀部。

 蠱惑的な肢体に、男であれば誰であっても情欲を覚えてしまうことは間違いなく、そして母性的な雰囲気が背徳的な喜悦を齎す。

 一度魅了されてしまったら抜け出すことの出来ない魔性の美だ。

 現にギルバートが知る限りでも、レベッカに魅了された男悪魔の数はかなりのもの。恋に落ちたギルバートもその一人であり、彼女への想いは増すばかり。

 性質(タチ)の悪い麻薬に引っかかった中毒者のような有様だが、本人たちは自覚した後もレベッカという女から離れることが出来ないのだから尚更性質(タチ)が悪い。

 

「前から読んでるシリーズ物の小説。今月に新刊が出たことを機に読み直してるの」

 

 余程その小説が気に入っているのだろう、楽し気に愛おし気にレベッカは小説へと視線を落とす。その僅かな動作にも色気が漂い見惚れてしまうギルバートを余所に、レベッカは小説をパタンと閉じた。

 ヒトと話すときに本を開いていては失礼。僅かな気遣いであっても、それが惚れた女からのものだとすれば嬉しいことこの上ない。

 ギルバートは内心では小躍りしつつ、しかし表情に出すことは無く会話を続けていく。

 

「その本にも興味がないわけじゃないが……、ちっと伝えたいことがあってな」

 

 ん? と首を傾げて疑問を露にするレベッカ。その一動作に鼻血を吹き出しそうになるギルバート。

 

「グラナ・レヴィアタンの拠点への襲撃日が決まった。突入部隊はいくつかあるが、そのうちの一つ俺たちの部隊だ。………どうせならもっと早い段階で教えてくれりゃあ準備も色々と出来たってのに、って文句は無しだぜ? 俺ら以外の部隊の連中も多かれ少なかれ思っていても、黙って上に従ってんだからな」

 

「そう。まあ、文句は言わないわよ。これまでの活動で上層部がそういうものだってことくらい理解しているんだから。

 上の目的はグラナ・レヴィアタンの抹殺。本拠地への襲撃にいくつもの部隊を動かすってことは今回ばかりは本気の本気ってわけね」

 

 旧魔王派がグラナ・レヴィアタンへと向ける敵意はかなり大きい。しかし、そのことにギルバートは疑問を抱いている。

 元々、グラナの出生は旧魔王派全体が祝福していたもので、成長具合にも一喜一憂していたというのが初めの頃の話だ。だが、いつの頃からかグラナの情報が市井に流されることは無くなり、数年後に久々に流されたかと思えば旧魔王派を裏切り脱走したという。

 不自然で、違和感があり、怪しい経緯だ。

 それに、派閥のトップたちが連日グラナのことを「我らを裏切った愚か者」として糾弾し続けていた点も不可解だ。連日、そのテの言葉を発し続ける姿には奇妙な必死さ(・・・)があった。まるで、そうでなければらならない、そう思い込ませたい、そういった狙いがあるかのように。

 

 実際のところ、トップたちの言葉に疑念を覚えた者はギルバートだけではないだろう。しかし、上司に問い質した者はいない。当然と言えば当然の話で、隠された真相があるのなら『真相を隠したい理由』もあるはずで、それが上層部にとって都合の悪いものだと推測出来たからだ。

 わざわざ藪をつついて蛇を出したくもないし、猫のように好奇心に殺されたいと願う者もいない。

 小狡い、小賢しいと言われようともそれが処世術というものだ。

 

 対して、トップたちの言葉に疑念を覚えなかった者たちは、単純にグラナに興味がなかったのだと思われる。誕生した当初はそれこそ毎日祝福していたものでも、数年間に渡り情報が遮断されていたのだ。過ぎ去る年月の中で興味が摩耗するのも無理はなく、それ故にトップたちの言葉をすんなりと受け入れてしまったのだろう。

 

「ああ、奴さんのところにいるスパイに内部への道を用意させて急襲するそうだ。戦闘員三百名以上を動員した大規模作戦だよ」

 

「へえ、三百名も動かすなんて随分と剛毅なことね」

 

 たった一人の悪魔の首を取るためだけに、百を超える人員を動かすなど異例なことだ。グラナは何人もの配下を従えているとは言っても、年若い二十前後の悪魔に付き従う配下の数など高が知れる。にも関わらず、これだけの人員を動かす理由などただ一つ。

 

「まあ、上の連中もビビってんだろうさ。いくら罵倒しようと、内心では相手の力を認めてる」

 

 グラナ・レヴィアタンは最も嫉妬の蛇(レヴィアタン)()を濃く継いだ男だ。そしてその力を、何度も旧魔王派の刺客を退けると言う形で証明もしている。

 旧魔王を信奉する派閥であるからこそ、旧魔王の力を振るう男の脅威を認めざるを得ない。

 

「そう、ね。先日の会談襲撃を率いたカテレア様も、グラナ・レヴィアタンに殺されてしまったらしいし……。はぁ、憂鬱ね。そんな強い相手に私たちみたいな下っ端が勝てるのかしら」

 

「やるしかないだろ、それが上からのお達しなんだからな。俺たち下っ端はそれに従うのみだ」

 

 ただ勝算はかなり低いとギルバートは見ている。スパイから情報を得ているだとか、奇襲を掛けるのだとか、人数はこちらが上だとかで盛り上がっている連中もいるようだが、余裕を通り越して油断に至っている者が多すぎるのだ。戦う前からこれでは、勝てるものも勝てない。

 

 ――――いざとなれば全力を出すか。

 

 最上級悪魔クラスの実力を秘めていると判明してしまえば面倒事は避けられないが、背に腹は代えられない。死んでしまっては元も子もないのである。

 それに今回の作戦では、その死地に想い人のレベッカまで向かうこととなる。彼女を生き残らせるためならば、いかなる代償を払う覚悟もとうの昔に済ませていた。

 その決意が気配や表情にも出ていたのだろう、レベッカは小首を傾げて尋ねてくる。

 

「どうかしたの? いつもと雰囲気が違うみたいだけど」

 

「……いんや、何でもない。ただちょいとばかし大事なものを再確認しただけだ。気にするな」

 

「ふぅん、あなたがそう言うのならそれで良いけれど」

 

 その顔には若干の疑問の念が残っていたが、レベッカは信用の下に取り下げた。

 そのことに有難いと感じる。

 好きなヒトには余計な心配を掛けたくないのだ。常に笑顔で居て欲しいと願ってしまう。

 馬鹿な男の馬鹿な意地だと余人は笑うだろうけれど、しかしそれを譲ることが出来ないのが男という馬鹿な生き物だ。

 馬鹿な考え、馬鹿な生き方だと自覚している。だが、そのことに躊躇はないし、後悔を抱くこともないだろう。

 

 ―――――――なぜならば、この想いに偽りなど欠片もないのだから。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 レイナーレ。元神の子を見張るもの(グリゴリ)の構成員、現在では悪魔に転生し、グラナ・レヴィアタンの眷属となった女だ。

 とある事件の折、あわやグレモリー眷属に抹殺される寸前で助けられ、眷属入りしたはいいものの、それからの日々は中々に辛いものがあった。眷属仲間との模擬戦では一方的に敗北し、影の国の女王に師事してからは死亡一歩手前の鬼畜な修行に身を投じる羽目になったのだ。それらの経験が身になったことは事実だが、辛く厳しかったという事実に変わりはない。

 

 そして今日、遂にレイナーレは影の国の女王から解放された。

 レイナーレが成長し、免許皆伝を認められたというわけではない。というか、戦女神からそう簡単に認められるほどに才能に溢れているのであれば、これまでの生涯で苦労することもなく、中級堕天使という半端な地位に燻ぶってもいなかっただろう。

 修行終了を認められた理由は、期限が終了したからだ。冥界の八月には若手悪魔が眷属を連れて集結するイベントがあり、元々それまでの期間がレイナーレに設けられた修行の期間だったのだ。

 

『ちっ、こんな半端なところで終わることになるとはな。………お前のような半人前に我が弟子を名乗られては不愉快だ。時間があるときにまたここへ来い、特別に稽古を付けてやろう』

 

 これが眉間に皺を寄せながら、影の国の女王が告げた別れ文句だ。初見であれば、うっかり殺意でも抱かれているのではと思う程に不機嫌そうなオーラを垂れ流しながら、槍をクルクルと手の中で弄ぶ戦女神の姿はちょっとしたホラーである。

 とは言え、よくよく話の内容―――特に後半部分―――を咀嚼してみると、そう悪いものでもないと理解できる。ただし、もう少し言い方というものがあるだろうとはレイナーレは内心で突っ込んだ。口に出さないのは、女王には暴君気質があり「口答えをするな」と投槍を食らいかねなかったためだ。ツンデレ乙とか言った日には、凄惨かつ悲惨かつ無残な死体が一つ生まれるに違いない。

 

 就寝中にどこかから槍が降ってくるとか、食事に毒が盛られているとか、女神の魔術により夢野中でさえも戦闘訓練をすることになったりとか、色々とあったもののレイナーレ自身、それらが己の糧となったことを自覚している。

 当時は散々恨み言を吐いたし、現在でもアレはないだろうとは本気で思っているが、凡才の己をここまで伸ばしてくれたことには感謝してもしきれない。

 結構な恐怖と畏怖の念を向けてはいても、修行を付けてくれた恩を忘れることはなく、女王に礼を言ってから影の国を脱したレイナーレは、魔城イモータルへと帰参した、というのがつい数時間前の出来事である。

 

「はぁ~、これからどうしよう………」

 

 レイナーレが悪魔になった経緯は成り行きだ。それ以外に生き残ることの出来る道が無かったから選択したに過ぎず、『悪魔として何を為したいか』が全く定まっていない。悪魔の悠久とも言える長い生を目的もなく惰性のままに過ごすというのはただの拷問だ。

 生きる屍になるのは御免、ならば夢なり目標なりを見つけたいところ。レイナーレがそう考えるには然程の時間もいらなかった。

 

「でも、その夢や目標を決めるための材料がないし」

 

 悪魔の子どもは、レーティング・ゲームの選手になることや上級悪魔へと昇進することを志す者も多いらしい。しかし、レイナーレはそれらの職業と階級についてほとんど知らない。精々が、レーティング・ゲームのトップランカーはかなりの実力者で、上級悪魔は貴族階級だと認識している程度である。それらについての苦労や魅力についても把握できない、こんなあやふやな知識で将来を決めるなぞ愚の骨頂としか言い様がない。

 

 しかし、この将来の目標が無いことについてはそれほど問題ではないのだ。

 なぜなら悪魔の生は長いのだから。悪魔の生が長いから夢も目標もなしに生きるのは辛いという考えと矛盾するようだが、よくよく考えてみると矛盾などしない。

 『将来の夢や目標を見つけること』。それを直近の目標として掲げてしまえばいいだけだ。

 十年でも二十年でも、主や仲間とともに過ごす中で探していけばいい。夢を見つけるためだけに数十年の歳月を捧げることが出来るのも、悠久の時を生きる種族であるが故だ。 であるならば、将来の夢や目標が無い程度で恐れを抱くはずもない。

 

 レイナーレが本当に悩んでいることは全くの別物。将来のことに関して思案していたのは、本当の悩みから目を逸らすための大義名分―――時間稼ぎのようなものだった。

 

「……………あのこと、どうやって訊けばいいの……?」

 

 ――――グラナはどうしてただの中級堕天使でしかないレイナーレに気を遣ってくれるのか。

 

 その疑問は前々から抱いていた。声や視線に籠もった温かな愛情と慈しみの念、それらの根源はどこにあるのかを知りたい。

 影の国では修行の他にやることもなかったために、空き時間には色々と思索に耽り、その疑問もグラナ本人に問い質してやろうと一応の結論を出すまでに至った。

 

 しかし、いざ影の国より帰参し、いつでもグラナへと疑問を投げかけることの出来る状況になってみると、新たな問題が生まれたのである。いや、正確には気づいたと言うべきか。

 

 ―――――訊き方が分かんない。

 

 前述しておくが、レイナーレは決してコミュニケーションを苦手としているわけではない。仮にも少数とは言え部下を率いる立場にあった経験から、平均以上の意思疎通能力を有している。

 訊き方が分からないというのは、質問の形式に迷っているという意味だ。これまでに思いついたものをいくつか例として挙げてみる。

 

 ――――どうしてあなたは私にあんな熱い視線を送ってるの?

 

「どこの自意識過剰女よ。とりあえず死ね」

 

 ――――どうしてあなたはそんなに私に構ってくれるの?

 

「だから自意識過剰はいらないって!」

 

 ――――ねえ、もしかして私たちって以前にも会ったことある?

 

「どこのナンパ野郎よ!?」

 

 と、このようにどの質問形式にも問題があり、実行に移すには気恥ずかしい。(弱い)百を数えてもその心は純情乙女、人並の羞恥心程度は持ち合わせているのだ。

 結果、レイナーレは城に戻ってから数時間経った現在に至るまで、自室のベッドの上で悩み、悶え苦しんでいた。むむむむ、と唸り続けるレイナーレだが、部屋の扉をノックする音を聞いて思考を一時中断する。

 

「んん、誰? 今、ちょっと考え事で忙しいんだけど」

 

「私だ、エレインだよ」

 

 扉を開いて入室した者は、吸血鬼の御令嬢。その美貌に陰りはなく、以前と変わらぬ絶世の美女ぶりだ。

 以前との違いと言えば、髪型くらいなものか。影の国にレイナーレが向かう以前のエレインは金色の長髪を三つ編みにして肩から垂らしていたが、現在の彼女の髪は結ぶことのないストレート。

 髪型を変えた理由を訊いてみると、結ぶのが面倒になったのだとか。ちなみに、髪型を『変えた』のではなく、『戻した』というのが正確なところであり、元々エレインの髪型はストレートだったらしい。三つ編みは一時のお洒落だったようだ。

 

「何か用?」

 

「いや、君が城に戻ってきたときに伝えただろう。今日は若手悪魔の集まりがあり、そこには眷属も連れられて行くと。

 まさかその話の後に聞いた、私の髪型云々の話のせいで忘れていたわけではあるまい?」

 

「それこそまさかよ。ちゃんと覚えてるから心配しなくていいって」

 

「出立の時間まであと十分もないが?」

 

「…………ぅえ?」

 

 ドタバタとベッドの上で焦り、時計の下にまで向かおうとするもシーツが滑り、敢え無くベッドより転落。硬質な床と熱烈なキスを交わす独身堕天使。

 割と本気の涙目になりながらもすぐさま立ち上がり、小型の時計を手に取り時刻を確認するとエレインの言葉が嘘ではないことが分かった。

 

 どうやら悩みことに集中していたせいで時間の経過に気付かなかったようだ。

 

 表情の消え失せたレイナーレの脳裏にはいくつもの絶望が渦を巻いている。

 公的な場に着ていくに相応しいだけの服が用意されていたか怪しい。ずっとベッドで蹲っていたせいかボサボサになってしまった髪に櫛を通したいが、その時間が無い。影の国を出る直前まで修行を行っていたので、若干以上に汗臭い。考え事があるからとシャワーを後回しにしたのは完全な失策だったと言う他ない。

 

 ――――え? 時間ないってことはもうこのままで行くしかないってこと……?

 

 汗臭い体を女子力の低そうな服で覆い、女の拘りとも言える髪はボサボサで艶もない。そんな状態で重要な場に出席する? 傍目から見て、完全に『女』として死んでいるではないか。

 

 その日、とある堕天使の悲鳴が城に響き渡ったのだという。

 

 




 ちょくちょく旧魔王派にはオリキャラが登場するなぁ……グラナとの争いのための伏線として仕方ないのだけれど、あまり数が増えすぎるとアレだし……。
 名前を出さないでいると会話パートで苦労しそうだけど、あまり名前を出し過ぎても覚えるのが面倒かつややこしいという二律背反。………悩むなぁ。

 まあ、それはさておき……本日登場のオリキャラ、ギルバート・アルケンシュタインは普通に優秀な男です。派閥全てが愚者と馬鹿というのはちっとあり得ないので、旧魔王派の中にもこういう優秀なのがいるよーって感じですね。
 戦闘力は……初登場時の黒歌くらいですかね、たぶん。知性はソーナと同レベルだけど経験の補正込みでソーナを上回るくらい。外見は普通にイケメン、と。………ぱねえな、こいつ。完全に勝ち組じゃねえか。

 レベッカ・アプライトムーン。超エロい女性ですね。男子中学生が考えた様な、全てのエロを結集したような美人だと思って下さって結構。
 尚外見は超絶エロだけど、内面までそうかは知らん。ってか、外面と内面がエロの塊ってどこの魔性菩薩?

 レイナーレ。皆さん大好きレイナーレ。
 章のタイトルからお気づきでしょうが、レイナーレさんはこの章における重要なポジションですね。ヒロインの輝きを見せつけろ!
 彼女がどんな活躍をするのか、乞うご期待!


 そして本作の主人公ことグラナ・レヴィアタン。
 この章では、彼の強さの一端が明かされる…………はず! 俺tueeeeeeeeeeタグの本領発揮ですな。最強ぶりが上手く伝わるように、描写を頑張りたい!







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2話 若手悪魔集結

 ちょっとした乙女の危機を迎えたレイナーレだったが、だからと言って現実逃避していても仕方がない。

 羞恥心に盛大に火を灯しながらも事情を話すと、しかし思いのほか簡単に事態は解決へと導かれた。

 まず服装は体型の似たレイラからスーツを借りることで事なきを得た。汗臭さと汚れは、グラナが提唱する『四大エロ必需魔法』に数えられる『洗浄』と『消臭』の魔法で解消。ボサボサの髪も、同じく魔法で数秒の内に艶のあるロングストレートの黒髪へと仕立て上げられたのだ。

 

 僅か数分の内に、人間を誘惑し堕落させる種族としての美しさを取り戻したレイナーレ。あっと言う間に自身の姿が変わっていくので、硝子の靴を履く少女の童話を思い出したほどだ。()の少女だと言うには、些か王子が破天荒に過ぎる気はするが。

 冗談抜きで本物の元王族だと言うのに、グラナは煌びやかな王子らしさをまるで持ち合わせていない。ただ、平凡な出自の堕天使としてはそのほうが付き合い易いので文句は無かったりする。

 

 そのような経緯を辿りちょっとしたトラブルを軽く解決したグラナに連れられ、レイナーレは同僚の眷属と共に件の会場へと入った。

 会合が始まるまでには、まだ少しばかりの時間があるので、空いている席と机を確保しての暇潰し。それがグラナ・レヴィアタン眷属の現況だ。

 

「くくっ、しっかし、考え事して時間忘れるって……子供みてえな失敗だな」

 

 暇潰しとして行われているのは、トランプを用いたゲームの中ではかなりの知名度を誇る七並べ。子供から老人まで楽しめるゲームだが、今回ばかりは参加者の面子のおかげで事情が違う。未来予知に匹敵する直感を有する剣士、数十先まで容易に読む吸血鬼、防衛に関しては前者二人を上回るヒト型要塞に、それらを統べる暴君だ。

 これだけの面子が集まれば、ただのトランプゲームでさえ超高度な心理戦へと変貌するのが当然の流れ。表情、視線の変化さえもがブラフや布石となりかねない。先ほどのグラナのからかう様な発言も戦術の一種という可能性が濃厚だ。

 

「それだけ大事なことだったのよ、少なくとも私にとってはね」

 

 と、返しながらレイナーレも心理戦に参加する。正直、レイナーレの実力はこの場の面々の中では最弱と断言出来てしまうが、最弱には最弱なりの意地がある。

 グラナたちの心を読むことは不可能。ならばせめて自身の心を読まれぬようにする。

 そのためにレイナーレは、己の意識の内側に『もう一人の自分』を作り上げた。『もう一人の自分』の目を通すことで、客観的に物事を見ることが可能となる。それにより、動揺など内心の動きが表情に出難くなるのだ。

 

「それより、アレ、あのままで良いの?」

 

 視線を向けた先に居るの一人の男悪魔。いかにもとしか言い様がない、前時代的な不良のような外見をしているが、一応は上級悪魔の家系に生まれた貴族だ。

 ゼファードル・グラシャラボラス。

 その素行の悪さから『グラシャラボラスの凶児』と呼ばれる若手の悪魔であり、本日の会合に呼ばれた者の一人でもある。

 

 その凶児であるが、一心不乱にグラナへ向けて魔力を飛ばしていた。加減などとうに忘れ、顔を真っ赤にしながら放つ攻撃は紛れもない全力。

 しかし、それが実を結ぶことは一切ない。

 グラナの一派を囲うようにして張られた結界が、ゼファードルの攻撃の悉くを無効化しているのである。結界の使い手は、グラナをも上回る防御の名手たるレイラ。出自に胡坐をかいてばかりの不良少年が太刀打ち出来る相手ではなかった。

 

 魔力弾が次々に衝突するも、しかしドンだのバンだのといた衝突音やその口から奏でられる罵詈雑言の嵐はまるで聞こえない。結界には対物理だけでなく遮音の効果まで付与されているらしい。そのため、すぐ近くで上級悪魔が怒りのままに暴力を振るっていても、レイナーレたちは実に快適に七並べを続けている。

 その余裕に溢れた姿が、ゼファードルの怒りを更に燃え上がらせているのだが、その程度の些事に構う者は誰一人として居なかった。

 

 レイナーレがゼファードルの件について言及したのも、ただ彼が哀れに思えたからに過ぎない。必死になってもまるで相手にされないというのは、面識のなかったレイナーレが同情してしまうほどに精神的に堪えるもののはずだ。

 

「あのままでいいだろ。この後には俺のことを嫌うジジババどもと会うんだぜ? カスをぶちのめせば、これ幸いとばかりに喜んでつついてく来やがるだろうさ。

 下らん、アホ臭えったらねえよ。そうならんようにテキトウに結界張ってやり過ごすのがベターだろ」

 

 呆れの念が強く滲むグラナの言葉を、捕捉するようにエレインが引き継ぐ。

 

「そういうことさ。それに、あのテの癇癪持ちは放っておけば勝手に諦めるものだし、気にするほどのことでもないよ」

 

 成程、とレイナーレは内心で頷く。

 ゼファードルは典型的なチンピラである。弱者には強く出るが、強者には尻尾を振る習性を持つだろうことが見ているだけで察せられる。

 このようなタイプの者は基本的に闘志に欠ける。同格以上の者を前にすれば媚びる以外の選択をすることの出来ない腰抜けだ。自身の全力攻撃を以ってしてもまるで傷つけることの出来ない結界を前に、いつまでも挑戦し続けるだけの気概などあるまい。

 自分のなけなしのちんけなプライドを守るための捨て台詞を残して行くのが関の山だ。

 

「……情けないっていうかカッコ悪いわね。自分から女がどうとか言って絡んできて、まるで歯が立たずにすごすごと逃げ帰るなんて………、一万年も続く貴族社会の中で生まれた上級悪魔なのに、まるで誇りとか強さが感じられない。よく聞く上級悪魔の誇りってやつはどこに行っちゃったのかしら?」

 

 並外れた強さを持ち、配下へと真実の愛を向けるグラナ・レヴィアタン。レイナーレの知る限り、最も『最強』の称号に相応しい男を身近で見ているために、ゼファードルが殊更矮小な男に見せて仕方がない。

 どこぞの町の裏路地にでも居そうなチンピラが貴族を名乗っていても、敬意を表する要素は皆無だ。この程度の馬鹿が上級悪魔であることには、落胆の念が生まれるばかりである。

 

「上級悪魔の誇り、ねぇ? そんなもんありゃしねえよ。幻想だ。レンガや木、藁で家を建てる豚兄弟が居る可能性の方が高いくらいだぜ。

 誇りある上級悪魔? ふん、いねえよ。どこの地方に生息する幻ポケモンだよ、見たことねえわ。それともあれか? 絶滅危惧種だから、どこぞの施設で保護されてんのか。動物園にでも行けば檻の中にいるのか? 

 偉大なる初代の上級悪魔? どこが偉大なんだ。大半が悠久の生に飽いて死んだように生きるだけのジジババどもだろうが。隠居と称して安全地帯に引っ込み、子孫を戦場に送り出して自分より先に死なせる連中の何が偉大なんだよ。生きている初代どもの呼び名なんざ『死に時を見失ったアホ』で充分だ」

 

 グラナの口から零れたのは、上級悪魔に対する徹底的なまでの批判。怒りも憎しみも通り越して、只々、落胆と失望しか込められていない。

 その感情の源泉は、実力の違いだけによるものではあるまい。この黄金の男からすれば、並みの上級悪魔なぞ蟻と大した違いはないが、決して戦闘力だけで他者の価値を決めることなどしない。レイナーレという並みの上級悪魔にさえ劣る堕天使を眷属に加えていることからも、それは明白だ。

 

 故にグラナが上級悪魔に否定的なのは、戦闘力とは関係のない内面によるものだ。

 

 普段、貴族として威張っているのなら、有事の際にはいの一番に行動しなければならない。でなければ、ただの腰抜けだろう。

 他者を批判するのなら、相応の実績と実力を持つ必要がある。でなければ、子供の口喧嘩と変わらない。

 誰かを殺したいと思ったのなら、殺されるリスクを負うべきだ。それを認めずに、安楽椅子にふんぞり返って報告を待つだけというのは許されない。

 

 要は、地位や立場に見合った矜持や信念、覚悟といったものを持てという話だ。それがヒトとしての最低条件であり、マナーであろう。

 名前と顔を明かすことさえしない電報越しの言葉には何の力も宿らない。面と向かって他者を否定すれば、反論されるかもしれないし、殴られる可能性だってある。しかしその覚悟を持つことができないのであれば、そもそも他者と関わるべきではないのだ。

 その程度のことさえ理解していない上級悪魔は、貴族どころかヒトでさえない。グラナは彼らを踏み潰すことに一切の躊躇いを覚えることがないだろう。

 

そして、ルル、レイラ、エレインが否定しないところを見るに、グラナの批判は決して彼個人の偏見というわけでもないようだ。

 

「ボクも上級悪魔には嫌な思い出ばかりだからなー。権力を盾にして抱かせろって脅してきたりとか、共同任務のときには後ろから襲ってきたりとか………。

 まあ、一部にはそりゃあまともなヒトたちもいるけどさぁ、それもかなりの少数派(マイノリティー)だし」

 

「上級悪魔の誇りとやらは私も見たことはありませんね。ルルの言う極一部のまともな上級悪魔でさえ、家や家族を守るために保身を選択する始末。………一族の長としてはそれで正しいのでしょうが、敗色濃厚の戦いに参陣する勇者(馬鹿)が一人も居ないというのはどうにも嘆かわしい」

 

「上級悪魔の行動原理は一に保身、二に欲望、三・四飛ばして五に足引きさ。関わらないのが無難だね」

 

 グラナとどことなく似ているエレインは兎も角として、善人の気質を持つルルとレイラまでもが上級悪魔に否定的だということにげんなりとする。上級悪魔への昇進―――悪魔社会における立身出世にまるで夢を感じることが出来ない。

 

「ふーん、じゃあグラナってかなりの希少種ってこと?」

 

 と、レイナーレが問うも返答は否だった。

 

「いんや、俺も上級悪魔の(・・・・・)誇りは持ち合わせていない。冥界がどうなろうが、『悪魔』っつう種族が滅ぼうがどうでもいいからな。

 配下に手を出されりゃあ、神も魔王もぶっ殺すと決めちゃあいるが……それって上級悪魔云々関係ねえだろ。完全に俺の私情だ」

 

「私情でもそれだけ出来るのなら、『誇り』って呼んでも良いんじゃないかしら……」

 

 凡夫では、魔王や神を殺す以前に歯向かうという考えすら持てない。愚者なら、自分にならばできると思い上がり自滅する。

 そして他者のために己の命を懸ける覚悟を持ち、実際に神さえ屠り得る実力を有するのなら、英傑と呼んでも過言ではないだろう。

 ちなみにグラナは英傑さえ越える怪物だ。そこに疑いの余地はない。

 

「へえ、嬉しいこと言ってくれる。随分と俺のこと買ってるんだな」

 

「これだけぶっ飛んだ配下を従えてたり、戦女神相手に啖呵切るやつを見縊るはずないでしょ。あんたほど頭がおかしくて、色々な意味で突き抜けたやつは初めて見たくらいよ」

 

 個人として最強でありながら、その本質は『覇王』。他者を率いてこそ真価を発揮する。

 他者の才能を見出し、開花させ、英雄へと育てる深淵の大賢者であり、配下と共に鉄風雷火の舞う戦場を駆け抜ける常勝の戦略家であり、国を栄華へと導く名君であり、神をも打倒する万夫不当の大英雄。

 属性を盛りすぎて、いったいどこのチートキャラだと突っ込みたくなる程に強い。強いから強い。最早理屈なぞ不要の絶対強者だ。

 正直な話、レイナーレにはグラナが敗北する光景が微塵も想像出来なかった。仮に明日から三大勢力との戦争を始めたとして、事も無げに勝利してしまいそうな予感がある。

 

「あなたと同じ世代の若手たちが可哀想よ。どれだけ才能に溢れていても、どれだけ努力しても、結局は腕の一振り程度でぶっ飛ばされるんですもの。

 大王? 大公? 公爵? 肩書は立派だけど、最強(あなた)から見れば下級悪魔と大した違いなんて無いんでしょ?」

 

「あ~、そうだな。死力を尽くしても俺に掠り傷一つ付けることの出来ない雑魚に与えられる称号が最上級悪魔だからなぁ」

 

 改めて聞くと、やはり意味の分からない強さである。

 

「……ちなみにどれくらいの強さがあれば、あなたに傷を付けることが出来るの?」

 

「最低ラインが魔王クラスだな。実際、最上級悪魔と同格だろうコカビエルの攻撃を小細工抜きで耐えれたし」

 

 本人がまさしく最強で、しかも魔人の軍勢を従えている。

 一騎当千の英傑たちが、稀代の覇王の指揮に従って戦場を駆け抜ける。その疾走を阻める者が一体どこにいるのか。

 

「……ホント、呆れるくらいの強さね」

 

「これくらいじゃねえと死ぬような生き方をしてきたってだけだ。―――――それと、上がりだ」

 

 ニヒルに笑みながらグラナは残り一枚となった手札を出し、一番に抜ける。出されたカードはレイナーレの手札の助けとなるものではなかった。

 レイナーレが手を(こまね)いている間にも、上がる者が続いていく。

 

「私もこれで上がりだ」

 

「私は三番、ですか」

 

「あー、危なかった! ギリギリでビリじゃない!」

 

 レイナーレは最後まで残った己の手札を呆然と見つめるばかり。これで五連続最下位である。

 うがーっ、とレイナーレは唸りを上げる。

 

「もう一回、もう一回よ! 次こそは勝つんだから!」

 

「これ以上続けても連敗記録を更新するだけだろう………それに時間的にもそろそろ終わりだ」

 

 そう言うエレインが指し示す先に居たのは一人の偉丈夫。レイラの結界を破ることが出来ずに、結局はアガレスの次期当主に絡みに行ったゼファードルを、拳一発で吹き飛ばした男である。

 周囲の悪魔が付き従う様子を見せていることから、その男もまた上級の位にいることが分かる。

 

「サイラオーグ・バアル。家の特色を受け継げないどころか魔力さえ有さない生まれだが、大王家次期当主の座を実力で捥ぎ取った努力家だ。

 どこかの評論家気取りの阿呆はグラナと若手悪魔の双璧を担う男と呼ぶが、実際にはどうなんだろうね。私にはとてもそうは見えない」

 

「サイラオーグ・バアル、ね」

 

 レイナーレは舌の上で転がすようにその名を紡ぎ、エレインの説明を咀嚼する。

 階級や血筋にうるさい悪魔社会、その中でも大王ともなれば色々と(しがらみ)も多い事だろう。悪魔なら誰もが扱えると言っても過言ではない魔力を、大王家の直系でありながら持たない彼は苦しい時期もあったはずだ。

 レイナーレも特別な力を持つことなく生まれた。影の国の女王の元で、なけなしの才覚を伸ばすことも出来た。サイラオーグとは少しばかり似た境遇であるからこそ、大王家次期当主の立場を勝ち取るという実績をすでに上げた男を軽視することは出来ない。

 そして、レイナーレの視線は大王家次期当主から、すぐ近くのソファに座る自らの主―――グラナへと移る。若手悪魔の双璧と呼ばれるほどに、両者の実力が拮抗しているかと黙考し、一秒と経たないうちに結論を下す。

 

 ―――うん、あり得ないわね。うんうん、あり得ない。

 

 サイラオーグの実力は垣間見た。ゼファードルを殴り飛ばしたパワーと回避を許さない速度の根源たる身体能力は冥界でも屈指のものだろう。しかも僅か一撃で勝負が決してしまったのだから、先の攻防で見せたのは実力の一端に過ぎないはずだ。

 

 それらを理解した上でレイナーレは断言しよう。サイラオーグ・バアルはグラナ・レヴィアタンには遠く及ばない。

 

 サイラオーグは英雄の器なのかもしれないが、グラナはそれを超える怪物だ。両者の間に聳える壁は山脈の峰よりも高い。

 

 例を挙げてみよう。グラナは影の国で女神から試練を与えられて、冗談抜きで死にかけていた。神の試練で死にかける、英雄譚ではよく聞くものだ。ペルセウスしかり、ヘラクレスしかり、そう珍しい話でもない。一見、そう思ってしまいそうになるが、その前に一度考えてみてほしい。

 

 その時のグラナは、力を封じ込めた刀を取り上げられて著しく実力を制限された状態であった。四六時中、魔獣たちが襲いかかってくるせいで碌に休息や食事も取れずに疲労は溜まり一方で、極めつけには魔力・体力・魔法力が尽きかけ、左腕はヤンデレ女神によって殺され(・・・・)て治癒不能。

 まさしく瀕死。半死半生を超えて八割死んでいるような状態で、貧弱な武装を片手に彼は、伝説の魔獣や幻獣を打倒したのだ。ヒュドラやフェニックス、神話に名を残すような英雄が万全の状態と万端の準備を整えて漸く倒せるかどうかといった怪物を、グラナは最悪の状態と最低の準備で倒した。それは偉業を超えて、異常の域に入っている。

 更に補足すれば、グラナが相対した魔獣たちは、伝説の女神によって鍛えられていた。冥界では食用とされるミノタウロスでさえ最上級悪魔を超える強さを持ち、ヒュドラはヘラクレスが打倒したものより遥かに強壮で、フェニックスは同名の悪魔を容易く焼き尽くす業火を放つのだ。

 

 しかも、試練はそれで終わりではなく、七つの城門を越えた先には、一切の光を通さぬ森をはじめとしていくつもの死地が待ち構えている。

 

 突破させる気がないような試練を平然と課すスカアハは頭の螺子が飛んでおり、それを打破するグラナの強さは次元違いと言う他ない。

 悪魔の大王如きが、女神から怪物のお墨付きを貰ったグラナに勝てる道理などあるはずもなかった。

 

「サイラオーグにゼファードル、ゼファードルに絡まれていたアガレスの姫君。影の薄いアスタロトは結構前から居たし、グレモリーとシトリーの姫君も到着したようだ。上層部と話す前に、まずは若手同士の紹介がある。君もグラナの配下として毅然とした態度でいてくれよ?」

 

 字面だけ見れば警告や注意。しかし、吊り上がった口元から、込められた意志は挑発だと判断できる。

 

 ―――この程度の場面で緊張するようでは、グラナの配下として失格だよ。

 

 言外にそう告げる吸血鬼に、レイナーレも不敵に笑んで宣言した。

 

「あなたたちと接している私が、今更緊張なんて可愛げのある姿を見せるはずないでしょう?」

 

 

 

 

 

 

 

 

 一つの卓を囲むように座る若手の上級悪魔たち。彼らの中でも実力に差があることは事実だが、一人一人が将来有望とされる原石たちだ。その実力は若輩の身であれど、かなり高いと思われる。一見して判断するに、レイナーレが勝てそうな手合いは七人中二人か三人程度。

 若き貴族たちの後ろには控えるように眷属悪魔が立ち並んでいる。主と同じく、眷属の方も実力にはバラつきがある。レイナーレでも勝てそうな者も居れば、即殺されそうな者もいる。具体的には同眷属内に何人も居る。

 今の冥界では、眷属が上級悪魔のステータスの一種であると言う。この場の主役は卓を囲んで座る主たち。眷属は脇役どころか、その付属品に過ぎない。眷属を道具程度にしか見ていないが故の考え方だが、郷に入っては郷に従えという言葉の通り、悪魔の一員となったからにはレイナーレもそれに従うつもりだ。 

 

 口元を引き結ぶ同僚たちの姿を参考にして、レイナーレは真面目な雰囲気を取り繕った。

 

 因縁があるようなないようなグレモリー眷属から険のある視線を向けられていることには当然気付くが、真っ向から無視する。この場で眷属同士が事を荒立てるような真似をすれば主の面目を潰すことに繋がるからだ。それに正直なところ、わざわざ相手をするのも面倒ということもある。

 ただ、ずっと立っているだけというのもどうかと思った。落ち着きがなくキョロキョロしている、そう思われない程度に、この場に集まったグラナと並ぶ若手たちの観察を続ける。

 

「大公アガレス家次期当主、シーグヴァイラ・アガレスと申します。面識がある方も無い方もよろしくお願い致します」

 

 まず初めに口火を切ったのは、眼鏡をかけた怜悧な女悪魔。感じられる魔力の量はこの場の面子の中で突出しているわけではないが、綺麗に制御されている。玲瓏とした声には知性も感じられ、パワーではなく技巧、筋肉ではなく頭脳で戦うタイプだと判断できた。

 眷属を率い、指示を下すことが上級悪魔の役目だ。そういう意味では戦闘力が半端であろうとも、彼女のような者こそが上級悪魔の位に相応しいのかもしれない。

 家柄も上級悪魔の中でもかなりの良家たる大公だ。将来有望な若手、そう呼ばれるのも納得出来る。

 

「リアス・グレモリーよ。数年前から人間界に留学しているから、久しぶりに会う者もいるわね。改めてよろしく」

 

 二番手は紅髪の御令嬢だ。魔力の量だけで言えば、かなりのもの。規格外(グラナ)を抜けば、若手たちの中でもトップだろう。ただし、魔力の制御技術は拙いようで、因縁のあるグラナとその眷属が視界の内に入っているだけで魔力が揺らいでいる。

 理論家ではなく激情家。感情に流される、精神的な未熟さを見せながらも、しかし有望とされるだけの要素を兼ね備えているのがリアス・グレモリーという女だ。

 傍目にでも分かる、全身から溢れる自信。人間を誘惑する悪魔という種族の中でも際立つ美貌。更にはド派手な『滅び』の魔力まで備わっているのだから民衆に親しまれるのも道理だろう。

 ただしそれらは支配階級としてどれだけ役に立つものなのかは分からない。眷属を率いる上級悪魔の地位に相応しいかどうかは若干の疑問が残る。

 

「シトリー家次期当主、ソーナ・シトリーです。これから共に冥界を背負う者として、こうして語らう機会を持てたことは僥倖だと感じています」

 

 眼鏡と知性に溢れる風貌。外見だけでも、大公家次期当主と同じタイプだと分かる。魔力の制御技術がかなり高いらしく、内包した魔力は小波一つ立たない水面を思わせる。

 大公の姫とレーティング・ゲームを行ったら壮絶な頭脳戦を展開してくれそうだ。似たタイプであるが故に、その戦いは白熱したものとなるだろう。どちらが上か、非常に気になる。

 

「ディオドラ・アスタロトです。以後よろしく」

 

 これまでの中で最も短い挨拶の優男。アイドルのような風貌だが、どこか胡散臭さが漂っている。若手上級悪魔の中で最も小物臭いのは、サイラオーグにワンパンKOされたあと医務室に搬送されたゼファードルだが、ディオドラはそれに次ぐ小悪党の予感がある。

 

 ―――う~ん、何て言うか、黒幕振った挙句、主人公にぶっ飛ばされる三下って感じね。

 

 大半の眷属たちが緊張しながらも主に恥をかかせまいとしているのに対し、アスタロト眷属だけはそうした主への献身の心が見えないというのも疑惑に拍車を掛けていた。

 とりあえず警戒しておくのが無難だろう。第一印象として生理的に無理だし、グラナからの命令がなければ近づくまいと決心する。

 

「サイラオーグ・バアルだ。魔力を持たない身ではあるが、大王家次期当主として恥じない行動を心掛けたい」

 

 堂々とした姿と強い語気からは自信が感じられた。リアスも自信に満ちていたが、この男の自信は質が違う。実力で大王家次期当主の座を勝ち取ったという実績に裏打ちされているのだ。長い時間を掛けて錬磨した強い輝きに満ち満ちていた。

 この輝きは、成程、民衆をさぞや魅了するに違いない。自分を磨き上げ、苦境に抗い立ち向かうその背中は、子供が想像するヒーローに近いだろう。

 大衆受けが良く、優秀な配下も集まりそうだし、これはこれでヒトの上に立つだけの器の持ち主と言える。

 

「グラナ・レヴィアタン。レヴィアタン家の当主でなく、次期当主という訳でもねえ。ただの末裔だ」

 

 そして最後の若手、グラナ・レヴィアタンだ。サイラオーグ達との差が大きく開いていないように見えるのは、表面上のことに過ぎない。拠点の外でのグラナが己に何十、下手をすれば何百もの枷を課しているのだという事実をレイナーレは知っている。

 しかもその状態であっても、この場に集う将来有望とされる若き上級悪魔たちを、蟻を潰すかのように蹂躙出来るのだから桁が違う。

 

 『人の皮を被った悪魔』ではなく、『悪魔の皮を被った怪物』。それがレイナーレの奉じる主なのだ。

 

 とは言え、グラナの正体を知る者は世界広しといえども極小数。冥界においては彼の配下以外に知る者はいないのではないか。それ程に、情報の隠蔽が徹底されているし、本人が被る仮面は固く厚い。

 

 そのため、近況についての世間話を展開していくサイラオーグたちにも気負う様子は見られない。

 

「マグダラン―――俺の弟がつい先日も、冥界の植物について新たな発見をしてな……その方面に関してはつくづく及ばないものだと思わされた。当主の座は俺が取ったが、マグダランも領地の繁栄には欠かせない存在だ」

 

「植物の発見が新たな医薬品や発明品の開発に一役を買うという話はいくつも例がありますしね。資金や人材に機材を投資してみるのも一つの手でしょう」

 

「僕はその手のことについては門外漢なので何とも……」

 

「私もディオドラと同じだけれど……興味はあるわね。機会があれば、マグダラン・バアルとも話してみたいわ」

 

 マグダラン・バアルの新発見や、これまでの功績について始まり、マグダラン本人がどういう男なのか、更にはそれぞれの兄弟姉妹についてまで話の輪が広がっていく。

 グラナもその話には普通に参加していた。軽い相槌を打ち、短い返答を返す。ぶっきらぼうな対応ではなく、聞き上手なのだ。話題を提供したのはサイラオーグだというのに、会話を上手く回しているのは―――会話の主導権を握っているのは言葉の少ないグラナという異様な光景がそこにはある。

 

 しかし、その異様さに気付く者はグラナの眷属以外に居ない。先頭に立って率いるのではなく、舞台裏から糸を引いているようなものだ。舞台に立つ役者はその裏に潜む者の顔を見ることが出来ないのである。

 

 その後も、話の種が変わり、会話は円滑に進んでいく。笑いあり、溜息あり、悩みあり、しかしそれでも続く会話の光景は、『若手悪魔の交流』と称して差し支えない。

 

 ――――ただ一人、レイナーレの主を除いての話だが。

 

 グラナはマグダラン・バアルの新発見の話から、幾度話題が変わろうとも会話の主導権を密かに握り続けている。そのことに気付けば、この会話は全て彼によって誘導されたものだと理解出来てしまう。

 話の流れがしばしば、グラナによって自然に変えられる場面があった。レイナーレもあまりに自然過ぎて本当に故意でやったことなのか疑問に感じもするが、しかし"あのグラナならば"と考えればそう不思議でもなかった。

 そしてグラナが無駄なことをするはずもない。

 客観的に見てもただの世間話にしか見えない交流だが、数百手数千手先まで見通す千里眼の持ち主にとってはこれも戦略の一つなのだろう。何気ない情報(ピース)の一つ一つを合わせて、足りない部分は想像で補い、自前の情報網で得られた情報(ピース)も加えれば、超高精度の予測をすることも可能となる。

 

 会話の主導権を握り、人知れずその流れを操ることで自軍の情報が洩れる可能性の一切を排除しつつも、他の陣営の情報を掻っ攫う。

 狂気的なまでの用心深さと強かさ。そしてそれを実現するに足る手腕。

 影の国の女王をして、稀代の戦略家と言わしめるだけのことはある。

 

 必要な情報の収集が終わったらしく、これまた自然にグラナが会話を終わりへと導く。丁度、時間的にも上役の悪魔たちとの対面が差し迫っていた。もしかすると、いや、もしかしなくとも、グラナは初めからこの終わりまでの流れを全て計算していたのだろう。

 そう考えなければ、一連の流れが自然過ぎる。

 何も知らなければその自然を享受してしまうのだろうが、グラナの正体を知っている者は自然過ぎる流れに不自然さを覚えることだろう。レイナーレもその一人だった。

 

 グラナは規格外だ。故に大概のことの原因はグラナだと考えて良い。

 グラナが何かをするのではなく、何かの原因がグラナなのだ。

 

 旧レヴィアタン眷属の共通認識という名の諦観に染まったレイナーレは、誰が何と言おうとも彼の配下であることに疑いの余地はない。

 席を立つ主に連れられ、上役の悪魔との対面を果たすべく、同僚と共に移動を開始した。

 

 移動すること数分。辿り着いた場所は大きなホールだった。一階はかなり広く、それでいて物がまるで置かれていない。吹き抜け構造となっているらしく二階にはいくつもの席が置かれている。

 無論、と言うべきなのか、有望と称されていても若輩者に過ぎないグラナたちは一階に並ばされ、一際目立つ場所に魔王がそれ以外の上役たち二階の豪奢な席に陣取って見下ろす形だ。

 

 ―――………嫌な雰囲気ね。

 

 踏み出し進み、一列に並ぶグラナと若い上級悪魔たち。レイナーレのような眷属はさらにその後方で待機するのみ。

 それでも感じ取れてしまうのだ。上役たちが、レイナーレのような眷属悪魔のことを本当に何とも思っていないということが。

 魔王は別だとしても、上役の上級悪魔たちは転生悪魔のことを悪魔だと思っていないし、同族だと認めてもいない。過大に評価しても、使い捨てても替えの利く小道具程度の認識だろう。

 

 レイナーレのような弱者が上役の眷属になってしまえば、きっと碌でもない末路を遂げることとなってしまう。道具のように使い捨てられても、戦闘力も権力もない眷属は泣き寝入りするしかないのだ。

 その実例が、被害者がグラナの配下には結構いる。彼女らから話を聞いて、一応は知識として知ってはいたが、こうして上役と対面してその傲慢さに触れると予想以上に根の深い問題だったのだと理解する。

 しかも相応の地位を獲得している者でさえあのような考えを抱き雰囲気として滲み出させていることに、魔王は苦言を呈さないのだ。

 それだけで、悪魔社会の現状は底の無い泥に嵌ったようなものだと判断するには余りある。

 

 レイナーレは、グラナの眷属となって以来かなりの苦労を経験する一方で、遣り甲斐や幸福も感じていた。同僚は頭の捻子が飛んでいる者が大半だし、ブラックホールのような闇に満ちた瞳をしている者もいるが、それでも以外と仲間想いだし信頼も出来る。

 グラナは常識を焼却炉に放り込んだような規格外だが、自身と同じことを他者に要求することはなく、個々人の適性や能力を正確に見極めたうえで仕事を与えたり訓練の内容を考える。その破天荒具合とは裏腹に、意外とデキル上司なのだ、あの男は。

 

 どう考えても、仕えるのなら上役悪魔たちではなく、グラナの方が良い。自身の置かれる環境が思っていたよりも恵まれていることを再認しながら、レイナーレは悪魔たちのやり取りへと耳を傾けた。

 

「まずはこうしてこの場に集ってくれたことに感謝しよう。これは、この場に居る次世代を担うであろう若き悪魔たちである貴殿らを見定めるための場でもある」

 

 と、まずは始まりの挨拶とばかりに上役の一人が言うが、文字通りの上から目線の状態な上に態度もアレなので、まるで感謝しているように思えない。

 しかも彼らの視線が向かう先は若手の上級悪魔のところだけで、眷属にはまるで興味を見せない。やはり眷属・転生悪魔のことを『悪魔』と看做していないことがありありと察せられる。

 

 挨拶が済むと、上役の一人一人が悪魔の歴史やら伝統について語っていく。要約すれば『悪魔ってこんな感じだから超スゴイ!』ということだ。語り口を変えただけで上役の全てが同じようなことを言うので、レイナーレも途中より右から左へと聞き流すことにした。

 

 都合ニ十分以上は続いた意味があるのかないのかよく分からない話も漸く終わり、この場で一番の権力者たる魔王サーゼクス・ルシファーが声を発する。

 

「さて、君たち七人は家柄・実力が共に揃った、次世代を担う悪魔だ。だからこそデビュー前に競い合い、その実力をより高めてほしい」

 

 そう言って紅髪の魔王は、ゆるりと若手の七人―――いつの間にかゼファードルも復活して普通に並んでいた――へと視線を巡らす。

 その視線を真っ向から受け止めた若手の一人――――サイラオーグが一つの問いを発する。

 

「我々もいずれは『禍の団』との戦いに投入されるのでしょうか?」

 

 サイラオーグやグラナといった若手たちが投入されるとすれば、その眷属に関しても言わずもがな。魔王の返答如何で己の命運で分かれかねないと、レイナーレは緊張の色を濃くする。

 

「それはまだ何とも言えない。君たちは若手だ。次世代を担うだろう、冥界の未来とも言える君たちを戦場には送り出すことは我々としても望ましくない」

 

 言葉を濁す、グレーの回答。サーゼクスの顔を見れば本人はその件について否定的だということが分かるが、それでもグレーと答えたのだから、他の上役たちの考えも予想が付く。

 曖昧な答えを出すときには、二種類ある。一つ目は本当に堪えに迷っている場合で、もう一つは望まぬ答えが優勢だからと逃避する場合だ。グラナたちから伝え聞いた上級悪魔の現状なども鑑みると、この件は高確率で後者だろう。

 

 そのことに気付いているのかいないのか、サイラオーグは魔王に対して反駁する。

 

「お言葉ですが、我らとて若いとはいえ悪魔の一翼を担っています。この年になるまで先達からのご厚意を受けておきながら何も出来ないというのは………」

 

 ―――グラナが聞いたら鼻で笑いそうね。

 

 ついっ、と視線を向けて見やった黒コートの背中は今も不動の状態を保っているが、その内心は外面とは全くの別物だろう。

 グラナは悪魔に対する同族意識や冥界に対する帰属意識なんてものを欠片も持っていないし、先達からのご厚意として受け取ったものは暗殺者と嫌がらせだけだ。

 サイラオーグの決意は本物でその言葉は正しいのだろうが、しかし立場の違う者にとってはまるで響かない。少なくともグラナとその配下は一笑に付してそれで終わりである。かく言うレイナーレもグラナのために槍を振るうのは良いが、あんな見下す態度を隠す気もない上役たちのために命を張る気にはなれない。

 

「サイラオーグ、その気持ちは嬉しい。勇気も認めよう。しかし、それは無謀というものだ。次世代を担うキミたちは君たち自身が思っている以上に、私たちにとっては掛け替えの無い宝なのだから万が一にも失う訳にはいかない。

 焦らず、ゆっくり成長して欲しいのだよ」

 

 厳しくも優しい言葉には、成程と納得させられる部分も多々あった。子供に頼られる大人として、国を治める為政者として正しい意見なのだと素人考えでも理解できる。

 だからこそ、こう突っ込みたい。

 

 ―――じゃあ、グラナのことはどうなの?

 

 彼が魔境に居を構えたのは自発的なものだが、しかしその状況にまで追いやったのは冥界の悪魔たちである。グラナは断崖まで追い込まれ刃を向けられたから、仕方なしに飛び降りて凶刃から逃れただけだ。その事実は揺るぎないし、紛れもない。

 

 ―――若手が大切だと言うのなら、グラナをまず助けなさいよ。

 

 魔境に今も居を構えているのは、つまり今も悪魔の中にはグラナの敵がいることを意味する。敵がいるから油断することなく天然の要塞の中に身を隠しているのだ。 

 若手が大切ならば、まずはその敵を打倒し、若手(グラナ)を助けるべきだろう。

 

 しかも、グラナは現在、万事屋のようなことを商売としてやっている。その代表的な顧客が魔王なのだ。三大勢力の会談における護衛任務を代表的なものとして、グラナを散々戦場に送り出しておきながら、何を今更なことを言っているのだろうか。

 

 サーゼクスの言葉は正しいし納得も出来る。しかし、行動がまるで伴っていないではないか。

 大言を吐くだけなら子供にも出来るし、吠えるだけなら負け犬にも出来よう。

 しかし行動が伴わなければ、言葉に価値と重みは生まれない。

 レイナーレは主よりそう教わった。

 

「長い話に付き合わせてしまって申し訳なかった。これで最後だ。冥界の宝である君たちに、それぞれの夢や目標を語ってもらおう」

 

 レイナーレの中での魔王の株が急速に暴落するも、話は恙なく進んでいく。

 

「俺の夢は魔王になる事。それだけです」

 

 最初に答えたのはサイラオーグ。迷いなく現魔王を見据えながら堂々と言い切る姿は、実に良い画になる。しかし、レイナーレの中では魔王への不信感が高まっているので内心は疑問一色に染まり上がる。

 

 ―――……魔王ってそんなに憧れるものなの………?

 

 割と本気で首を傾げそうになる堕天使をさておき、上役の悪魔たちは感心するように息を吐いていた。

 

「ほお、大王家から魔王が出るとしたら前代未聞だな」

 

 大王と言えば、言わずと知れた七十二柱の筆頭だ。権力、戦闘力、財力、どの方面においても圧倒的な『力』を誇る名家中の名家から、悪魔を率いる魔王が輩出されるのであれば確かに凄い事なのだろう。

 しかしよくよく考えてみると、魔王の制度が世襲制から現在の襲名制に変わってからまだ数百年の歳月しか経っておらず、新制度の第一期魔王がサーゼクスたちなのだ。

 大戦と内乱により数を減らしたとはいえ数十もある上級悪魔の家から魔王が輩出される家はたったの四つ。確率論的に、そこに大王家が含まれないというのも不思議な話ではないだろう。大王家から第二期魔王が輩出されることを前代未聞というのであれば、シトリー、グレモリー、グラシャラボラス、アスタロト以外の家から魔王が輩出された場合も前代未聞となってしまう。

 

 ―――お、おぅ。凄い………? のかしらね。

 

 だから、そんな半端な感想を持つしかない。ぶっちゃけ凄いのか凄くないのか良く分からん。それがレイナーレの正直な心境だった。

 

「私はグレモリーの次期当主として、レーティング・ゲームの各大会で優勝することが近い将来の目標です」

 

 サイラオーグの次に答えたのは、彼の隣に立つリアス・グレモリー。どうやら並んでいる順番に従って宣言してくようだ。

 彼女の夢については、まあ頑張れとしか言いようがない。強いて言うとすれば、公爵家の当主であることとスポーツの大会でタイトルを獲得することは全く関係がないように思う。

 

 それから眼鏡美女のシーグヴヴァイラ、生理的にアウトなディオドラ、目元の痣がパンダマークのようになっており笑いを誘うゼファードルの順に、それぞれの夢や目標を上役たちの前で宣言する。

 

 彼ら三人という中盤を過ぎ、終盤に差し掛かる。次に夢を語る順番が回ってきたのは、シトリー家次期当主のソーナだった。

 

「私の夢は………冥界の子供たちに夢を見せることです」

 

「夢……ですかな?」

 

 これまでの五人の語ったものと比べると、かなり曖昧かつ抽象的な言葉に上役の一人が思わずといったふうに疑問を呈する。

 ソーナもそのことを事前に予測していたのだろう。言い淀むことなく捕捉していった。

 

「今の悪魔の子供の中には家柄や生来の才能を理由に夢を諦めてしまうことも多い。それは非常に悲しく、そして勿体ないことだと私は思うのです。努力する自由は誰もが有していて、挑戦する機会は誰もが持つべき……私はそう考えます。

 その実現のために、まずは転生悪魔を中心とした私の眷属とともにレーティング・ゲームの大会で記録を残し、子供たちの希望となりたい。

 転生悪魔でも、下級悪魔でもこんなに活躍できる。だからあなたたちも夢を諦めないでほしい。夢を諦める必要なんてない。そう伝えることが、私の直近の目標です」

 

 夢を見た転生悪魔や下級悪魔が昇進やらなにやらの夢を抱き努力を重ねれば国の発展の礎となることだろう。昇進を夢見る子供が、学者を目指す子供が、あるいは医師に憧れる子供が、それぞれの夢や希望に向かって邁進し実現する―――――そんな冥界の未来があり得るのであれば、その未来は確かに明るいのだろう。

 国力の増強だとか国の発展だとか、そういう小難しいことはレイナーレには形だけの表面的な部分しか分からない。子供が夢を諦めることなく、努力出来る環境が用意され、そして実現されるのなら、それはきっと素晴らしいことなのだと思う。

 

 しかし、それで実際に上級悪魔に昇進する者や活躍する者が何人も出れば、貴族主義の根底にある血統の優秀さの否定にも繋がりかねない。貴族の見栄を守るためなら下らないと一言で切り捨てることも出来るが、事態はそう単純なものではない。

 十分な準備が無いままに非難することとなれば、政治的に不安定となってしまう可能性を否定しきれないのだ。その可能性がどれだけのものかは知らないが、支配者ならば決して無視することは出来ないだろう。仮に万が一だとしてもそれが実際に起きてしまえば、ただでさえ大戦と内戦により弱体化している悪魔にとっては致命的だ。

 

 上役の悪魔たちも賛否両論と言った風に小声でソーナの目標について議論している。中には、自分の貴族としての既得権益を守ることだけを考えている者もいるのだろうが、その手の者だけが全てではないと信じたい。

 

 時間にして凡そ数分。上役たちの議論が一先ずの着地点を何とか見つけ出し不時着する。

 元の流れに従い、ソーナの次に夢を語る者へとこの場の面々の視線が集まる。ソーナは六番目、その次の者は当然七番目となり大トリだ。最後を飾るということもあり、これまで以上の思念が場を満たす。

 

 それを一身に受けるのは、レイナーレの主、グラナ・レヴィアタンである。

 位置関係上、レイナーレからはグラナの顔を見ることは出来ないが、その背中から微塵の緊張もしていないことくらいは察せられる。

 魔王や上役、更には同世代の貴族やその眷属たちから、これほどに注目されても尚緊張することのない胆力は流石と言うべきなのだろう。けれど、レイナーレの心中には何故か言い様の無い嫌な予感が溢れ、物の見事にグラナはそれに答えてくれやがった。

 

 

「俺の直近の夢や目標? そんなものがあるとでも? あるわけねーだろ」

 

 魔王の微笑が凍り付き、上役の悪魔たちは口を大きく開いて呆然とする。真面目な表情を張り付けている同僚たちからも笑いの気配が流れてくる。

 

「魔王になる? あー、はいはい。凄い夢ですねー。俺は微塵もなりたいと思わんけどな。配下の貴族には背中を狙われ、三食毒入りの生活を楽しめってか? あっはっはっは、無理無理。俺はそんなん楽しめませんよ」

 

 魔境に引き籠もり、政治的に距離を取っている現状でさえ頻繁に暗殺者を送り込まれているのだ。魔王なぞになろうものなら、心休まる日々からは更に遠ざかることは彼の現状を知っていれば誰にでも想像できる。

 

「レーティング・ゲームの各タイトルを勝ち取る? で? 取って意味あるもんなのか、それ?」

 

 悪魔社会は実力主義を標榜しているが、その実態は実力主義には程遠い。グラナこそがその象徴と言って良いだろう。

 グラナの実力は飛び抜けているが、今現在も恵まれた環境にあるとは言い難く、多くの貴族達からは敵意と悪意を向けられるばかりだ。地位や名誉と縁遠いのは認められていないことの現れである。

 

「嫌われ者が活躍したところで更にヘイトが集まるだけでしょーが。必死こいて試合に勝って上った表彰台で吊り上げられるだけなんて馬鹿みてえな話だ。

 努力すれば報われる? 勝ち取れば称賛される? あー、はいはい少年漫画の話だな。俺も好きだぜ、週刊少年ジャンプとか。現実にはない、あの清々しさには憧れすら覚えるよ」

 

 悪魔社会とは、一部の貴族が、権力者が優遇されるばかりのものだ。

 主に反逆した眷属は、はぐれの烙印を押されて討伐されるのみ。そこに如何なる事情があるのか調査することもない。

 転生悪魔や下級悪魔を見下す貴族は相当数いる。そういった連中を見返すために上級にまで昇進したとして、本当に認められるのかと言えば、否だろう。少し考えれば分かることだが、つい昨日まで見下していた者と見下されていた者が同じ階級になったとしても、対等に触れ合えるはずがない。生まれながらの上級悪魔からすればなぜ下級や転生悪魔が同じくらいに立つのかと苛立ちを覚えるし、昇進した元下級悪魔などからすれば、それまでさんざん見下してきた傲慢な者たちとの遺恨をきれいさっぱり水に流せるはずもないのだ。

 

 出自や才能に関係なく、努力を積み重ねて実績を打ち立てれば誰でも認められる。そんなものは現在の悪魔社会ではただの幻想である。

 

「ガキ共に夢を与える? で、夢を持ったガキがそれを叶えるために実績を求めて、俺の首を取りに来る、と。なぁんでわざわざ、自分を殺しに来る小僧どもを育ててやらにゃあならん。意味が分からん」

 

 グラナは滅茶苦茶強い。五年前に冥界に居を構えて以来、幾度となく暗殺者に命を狙われても、その悉くを撃滅し生き永らえて来た事実が彼の実力の高さの証明だ。

 しかし、貴族主義、純血主義に真っ向から唾を吐くような男を大半の上級悪魔が好ましく思うはずもなく、今も虎視眈々とグラナを殺そうと考えている。終末の怪物、嫉妬の蛇、魔王の系譜、そうそうたる肩書を持つグラナを殺すのは容易ではなく、だからこそ彼を殺した者には莫大な褒賞が約束されることだろう。

 

「あと、耳触りが良さそうなのは家の再興や一族の復興ってところか………どちらも興味ねーわ。クソガキが一人で脱走するほどの扱いを家で受けたってのに、わざわざその家を復活させようなんて思うはずねーだろ。一族の復興もなぁ、自分以外の一族で知っている相手がクソとカスだけだし、手間と時間と金をかけてまで復興させるだけの価値があるとも思えん。

 つーか、仮に俺がそれを目指したとして、誰か手伝う気のあるやついんのか? 俺がお袋と親父やその他諸々をぶっ殺し、つい先日もカテレアをぶっ殺したわけだが、その結果持ち主の消えた旧レヴィアタンの本家が所有していた資産のほとんどを皆様方が掻っ攫っていったでしょう? 今更返せなんて言うつもりはねーし、そもそも本家の資産になんぞ興味ねえが、しかし俺が家を再興させるなんて言って困るのが誰なのか、それが分からんあなた方ではないでしょう?」

 

 グラナならば兎も角、レイナーレでは旧レヴィアタン本家が所有していた総資産がどれほどのものなのか想像もつかない。漠然と「スゴイお金持ちなんだろうなー」というイメージを持つ程度だ。

 グラナは家から追放された身であっても、旧レヴィアタンの直系であり、本来ならばその遺産を相続する者だ。しかし現実にはグラナが相続することはなく、一部の権力者があーだこーだと理屈をつけて横から掠め取った。その辺りの詳しい事情についてはレイナーレも知らないが、そこまでして莫大な資産をくすねた(・・・・)盗人もどきの思考位は予想できる。

 

 ―――返還を求められても絶対に返さないわね。

 

 何なら、グラナを暗殺して事を有耶無耶にしようと画策するまである。

 暗殺者を今更は百人や二百人送り込まれてもグラナとその配下ならば蟻を潰すかのように蹂躙できるだろう。しかし、本人の言葉を借りるのなら、価値と意味のない家の再興を推し進めるためにその程度の手間をかけることさえも厭わしい。

 

 ―――ならばいっそのこと、資産()はくれてやるから黙ってろ。

 

 つまりはそういうこと。

 引き攣ったままの表情で固まり冷や汗を流す者が少々居る中、グラナはこれでもかとばかりに慇懃無礼なお辞儀を以って締め括る。

 

「夢、目標、理想………あぁ、成程成程、実にいい響きだ。輝いている、美しい、煌びやかだ。宝石のようなそれを聞きたい、見たいという気持ちはよく理解できる。

 しかし、なぁ? 実現できないのでは理想は幻想に、夢は戯言、目標は泡沫となってしまう。若手のそれを聞くよりも、まずは実現できる環境を作られては如何か?

 あぁ、俺も背中を狙うカス共が消えてくれれば、上級悪魔としての夢や理想を持つ程度の余裕が出来るかもしれませんな。砂粒ほどの期待をしておくとしましょうか、お互いに(・・・・)

 

 静寂。僅か数瞬の間、痛いほどの無音の時間が過ぎ、そして怒号が溢れかえる。

 

「旧魔王の血族だからと調子に乗ったことを言いおって!」

 

「まるで我らが盗人かの如き言い分、許せるものではない!! 我らのように地位を獲得したものが資金を得てこそ冥界の未来に貢献できるということさえ分からぬか!?」

 

「没落した家と今なお栄華の真っ只中の家との力の差を教えてやろうか!?」

 

 上役たちは髪を振り乱し、唾を飛ばしながら激昂する。膨れ上がった殺意と敵意が場を満たし、あわやこの場で殺し合いが始まるかと思われたその刹那―――。

 

「この場は若手を見定めるためのもの。それは我々が定めたもののはずだ。それ以上をしては自身の言葉を反故にしてしまう」

 

 決して大きいとは言えない、されど清涼なる声が場を鎮静化させた。小火に水をかけたかのように、一瞬で場を治めてみせた魔王サーゼクスは、一度ぐるりと視線を巡らせて確認を取るようにしてから改めて声を出す。

 

「彼の言葉が正しいか否か、賛成するか批判するかは個人の考えに任せることとしよう。しかし、何もしないのでは胸の内に蟠りを抱える者も出てしまう。

 そこで、どうかな? 若手同士でレーティング・ゲームの試合を行い、夢を競い合うというのは。どだい我ら悪魔は実力主義。勝利して初めて語れるものもあるだろう」

 

 戦意を滾らせ高揚する者も多い中、グラナはしかし真っ向から否を突き付ける。

 

「お断りします。メリットがない」

 

「ふむ……、どういうことか問わせてもらっても?」

 

 問うた者はサーゼクスだが、この場に集った悪魔の大半が彼と同じ疑問を持つ。若手も古参も、上級悪魔も眷属悪魔も関係ない。

 地位や名声、金銭に発言力。勝利することで得られるものは多いはずだ。

 そんなことは子供でも分かる。しかしグラナは、そこにメリットなど存在しないと言う。疑問を持つなというのが無理な話だ。

 

「そのままですよ、比喩でも何でもなくメリットなど欠片も存在しない。競い合うことで実力を高められる、勝利の先に栄光を獲得する………その考えには賛同するが、しかし実力に差がありすぎる。蟻を踏み潰しても称賛は得られない。蟻を潰す経験が今後何の役に立つ」

 

「舐めんじゃねえええええええええええ!! 負け犬の末裔風情がよォオオオオオオッ!!」

 

 グラナの言葉に最も早く反応したのは、グラシャラボラスの狂児ことゼファードルだ。自分が最強だと信じて疑わない程度には傲慢な彼は、それ以外とまとめて同じ風に見られることを嫌う。しかも、今回グラナが彼を入れた枠は『蟻』。持ち前の短気を発揮して、その精神を憤怒一色に染め上げることに時間なぞ碌に必要としなかった。

 

 叫ぶと同時に跳躍、悪魔の翼を展開して制空権を先んじて奪ったゼファードル。戦いにおいて上方を取ることは非常に有利となる。何の妨害もなく、制空権を取れたのは己の実力の高さゆえだと信じていた。

 

 ―――その化けの皮を剥いでやる!

 

 元々、ゼファードルはグラナが気に食わなかった。魔王のお抱えだとか、若手悪魔最強だとか、その名を冥界に轟かす男は自分一人で充分だというのに、それを邪魔するかのような存在を好ましく思えるわけもない。機会があれば命を奪ってやろうとさえ考えていた。

 そして今、その機会を偶然とはいえ掴んだのだ。ゼファードルが躊躇う理由などない。

 

「吹き飛べやぁぁああああああああああああ!」

 

 巨大な魔力塊を作り出し、憤怒だけでなく嗜虐的な笑みまで浮かべるゼファードル。速度で自身が上回っているから何の妨害もなく制空権を奪い取れたのだ。やはり噂など当てにならないではないか。これなら例の『不死身』の防御力とやらも大したことがないに違いない。

 

「なあ、おい」

 

 ゼファードルの表情から心の奥底まで見通したグラナは溜息を溢す。今まさに殺意と凶器(魔力)向けられている真っ最中であるにも関わらず、焦燥は微塵もない。

 内心を満たすのは呆れだけだった。

 

「お前ら雑魚はどうしてわざわざそうして死にたがるんだ? 視界に入らなければ、腐臭を垂れ流さなければ、耳障りでなければ、道に出てこなければ、俺だって踏み潰したりしねえのに……。

 奪いに行くほど意味や価値のある命じゃねえが、それを自分から捨てる意味だってないだろう?」

 

 そして、目の前にいる(・・・・・・)ゼファードルの顔面を殴り抜く。

 

 何も不思議なことをしたわけではない。魔術も魔力も、仙術も妖術も、伝説の武器だとかそういったものも何一つとして使っていない。

 跳躍して、距離を詰めて、拳で殴りつけた。ただそれだけのことである。

 しかし、それも超高速で行えば回避を許さぬ『必中』の攻撃となるし、馬鹿力と武術を高次元で融合させた一撃ならば『必殺』の威力を持つ。

 

 猛烈な勢いで床に叩き付けられ、それでも止まることなく何度もバウンドするゼファードル。止まったときにようやく露となった顔は、鼻骨と前歯がへし折れ、中央付近は拳大に陥没までしている。顔の至る部分から液体を垂れ流す哀れなものだった。彼が気絶していることは一目で判断できる。

 

 醜態をさらすゼファードルとは対照的に、グラナは音もなく静かに床に降りた。汗の一つも流しておらず疲労の色はまるで見えない。

 グラシャラボラスの狂児を容易く陥落させた一撃。凄まじい威力を秘めた拳を凄まじい速度で放っておきながらまだまだ余裕を残している。グラナの実力はこの程度のものではないと、会場内の悪魔が判断するにはそれだけで十分だった。

 

「と、まあこのように彼らのうちの一人が雑魚であることが証明されたわけだ。………さっきは蟻と表現し、勘違いした者もいるかもしれないが、俺は決して彼らを侮辱しているわけじゃあない。ただ、それだけ大きな実力差があると先に忠告しておきたかっただけだ」

 

「忠告とは、どういった意味で?」

 

 紅髪の魔王に、褐色の悪魔は肩を竦めて答える。

 

「でかすぎる壁を前に、将来有望な若手とやらが潰れてしまうかもしれないでしょう? それは悪魔っつう種族に取って大きな損失となるだろうし、俺だって若芽を摘んだからと後で責められても困る。

 そういった揉め事を避けるために、穏便に済ませようってことで俺は若手同士の交流試合は辞退させてほしいんです」

 

 

 

 

 

 

 




なーんか、また随分と長い話だなぁ。詰め込みまくった感はある………。


今回は主にレイナーレ視点からですかね。一般人(レイナーレ)から見た、グラナとそれ以外の若手って感じです。


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3話 水銀? いいえ黄金です

モンスターハンターをやってて思ったんですけど……、ミラバルカンの隕石攻撃。あれってどうやってるんでしょうね? 重力とか引力でも操ってんのかな?


「でかすぎる壁を前に、将来有望な若手とやらが潰れてしまうかもしれないでしょう? それは悪魔っつう種族に取って大きな損失となるだろうし、俺だって若芽を摘んだからと後で責められても困る。

 そういった揉め事を避けるために、穏便に済ませようってことで俺は若手同士の交流試合は辞退させてほしいんです」

 

 ゼファードルをたった一撃で倒してみせるという証拠付きの進言だ。言葉の内容は不遜だが、全くの荒唐無稽というわけでもない。十分に受け入れられる可能性はある提案は、紅髪の魔王そのヒトの手によって否定される。

 

「悪魔は実力主義だと言ったろう? 強敵と戦わずにいれば確かに心が折れることはないだろうが、それでは真の強者は生まれない。君が彼らを折ってしまうほどに強いのであれば、尚のこと、若手同士の試合に参加してほしい」

 

 強い戦士を生むためには、安全地帯での訓練だけでは足りない。実際に戦場に出て、鉄風雷火をその肌で感じ、命が次々と散っていく非日常を現実のものと認識することは勿論必要となる。

 快適な温室育ちならば、数をそろえることは可能だが、それで生まれるのは戦士とは名ばかりのひよっこ(・・・・)だろう。そんな有様では、実際に戦場で格上と出会えば腰が抜けて碌に戦えない。何も出来ずに無駄死にするだけだ。

 

 故に、サーゼクスの言う『強者との戦いの経験を積む』という言葉も間違いではないし理解できる。ただ、魔王の狙いはそれだけではないはずだ。

 強者と戦う機会が必要ならば、ルシファー眷属の『騎士』こと沖田総司がグレモリー眷属の『騎士』を指導するように、魔王が己の配下にでも相手をさせればいい。そもそも冥界には、多くの実力者が居る。元龍王のタンニーン、五人目の魔王とまで称される『皇帝』ディハウザー・ベリアル等々。

 若手たちに格上と戦う経験を積ませたいのなら、わざわざグラナにでなくとも適任者はいくらでもいる。

 

 そこまで思い至れば、散々渋るグラナを若手の相手にわざわざ指名する何某かの理由があるのだと予測は立つ。

 

 ―――大方、若手悪魔同士の結びつきを強くしたいってところか……。

 

 ヒトは得てして、触れ合った相手に対して情を持つ生き物だ。誰彼構わず悪感情を向ける、狂犬のような者はただの人格破綻者。真っ当な思考回路と人格を持っていれば、他者に愛着を抱いたり気を遣ってしまうものだ。

 まして、グラナとサイラオーグたちは同じ若手悪魔の枠に入れられる、所謂同期であり同族であり同胞。交流を重ねる中で友情や仲間意識が芽生えてもおかしくはない―――――と、普通なら考える。

 

 ――――ま、俺がそんなことになるわけないが。

 

 胡散臭いディオドラや、外面だけ取り繕うリアス、家名しか誇るもののないチンピラ同然のゼファードルと仲良くする? あり得ない。ふざけろ。そんな妄言を垂れ流す口など捨ててしまえ。

 ソーナやサイラオーグのことを気に入っていることは事実。されど、それは仲間意識には程遠い。有象無象の雑種を石ころとするなら、彼らはガラス玉。他より多少輝くものがあり、眺めて楽しむことも吝かではないが、しかし邪魔になれば粉砕することに躊躇しない。 

 シーグヴァイラについては知らない。情報がが少ないし、交流もないため評価を下せない。とりあえず、リアスやディオドラのように視界に入れるだけで不快になるわけではないので、好きにしていれば良いのではないだろうか。要は無関心。

 

「テロリストが元気によろしくやっている現状、手の内を晒すような真似は危険ではないですか?」

 

 一派閥の長を務めるカテレアは、グラナからすればただの雑魚だった。カテレアを一つの目安として禍の団の実力を推測すると、烏合の衆と言う他ない。例え手の内を全て晒していたとしても、頭目のオーフィス以外に負けることはないだろう。

 また実力差があるのは禍の団だけではない、この場に集う若手の悪魔たちも同様だ。バレたら不味いような切り札や奥の手を使わざるを得ない状況にまで追い込まれるとは到底思えない。

 

 グラナの言葉は全くと言って良い程に実感が籠っていないただの詭弁。しかしながら、表面的には筋が通っていることも事実。

 これならば無視できまいとばかりに、グラナが踵を返そうとした刹那―――

 

「ほぉ、あれほど威勢良く啖呵を切っておきながら下賤なテロリスト風情に恐れを為すと?」

 

 悪意が零れ落ちた。たった一つの(悪意)が大きな波となって伝播していく。

 

 修羅が嗤う。

 

「いやはや全くその通り! 口先だけでなら何とでも言えますからな。巷でのグラナ殿の噂も当てにならぬということか」

 

 彼らの口から零れているのは、何とも下らない戯言。しかし、数というのはそれだけで大きな暴力と化す。事実、結託した上役たちを非難すれば貴族達との関係性が大きく悪化する恐れがあり、魔王をして手出し出来ない程だ。 

 

 修羅が嗤う。

 

「しかし、それはそれで凄い事でしょう! なにせ言葉だけで己の強さを遥か上だと国全体に誤認させているのですから!」

 

 嘲笑と侮蔑。この空間があっという間に悪意に満ち溢れる。まるでヘドロの海に落ちて溺れるような息苦しさと生理的な嫌悪をこの場の大半の悪魔が感じていた。直接的に悪意を向けられたわけでもない観客ですら強い嫌悪を覚える程の醜悪な世界。

 しかし、その中心にあるグラナの心は、この場の誰よりも静かだった。彼の配下のように怒るわけでもなく、彼を嘲笑する上役のように興奮を覚えるわけでもなく、魔王のように無力を痛感するでもなく、若手のように嫌悪を感じることもない。

 

 なぜなら、この流れこそがグラナの狙いなのだ。

 

 誰かの掌で踊っていることに気づきもせずに、嘲り嗤う上役たちは愚鈍で愚劣で救いようがない。手の施しようがない程に末期であるが故に、末期であるからこそ容易く利用されてしまう。

 

「そうですね。では、そこまで仰られるなら前言を撤回し、若手同士の試合にも参加しましょう」

 

「………それは、どういう心境の変化かな?」

 

 上役たちの暴言を止められなかったことを気に病んでいるらしく、そう言って問いかけるサーゼクスの声は消沈気味だ。

 無論、グラナに言わせれば彼の傷心なぞただの自慰行為。国の安定を理由に、貴族の横暴を止めることは出来ないし止める気もない。けれど、その結果生まれた悲劇については一端に悲しんでみせる。何ともお優しい(・・・・)魔王サマは本日も平常運転だ。

 

「舐められっぱなしってのも問題があるでしょう? ここらで一丁、俺と配下の実力如何を見せつけるべきだと思っただけですよ」

 

 交流試合に参加するか否か。どちらの道にもメリットとデメリットがあり、そしてグラナが選択したのは前者だった(・・・・・)

 試合に参加すれば時間的拘束を受けるが、それを対価として支払ってもいいだけの利益がある。しかし、試合に参加するにあたっての障害があった。この場に(・・・・)居る悪魔への挑発(・・・・・・・・)、あれは今後を見据えた上での布石の一つなのだが、よく考えるまでもなくあんな挑発をした後に試合への参加を表明するなど不自然かつ不用心に過ぎる。言動が合致しないと言い換えても良いそれは、他者の警戒を煽ることに繋がり、地味に厄介な代物だ。

 

「俺には他の若手と違って『家』っつう後ろ盾がない。守りたいものは自分の腕で守るしかないんだから、戦うべき時には戦います」

 

 そこで登場するのがヘイト値を上げることに余念がない上役たちである。

 彼らとグラナは、虐げる者と虐げられる者、加害者と被害者という歪な関係を何年も続けている故に、グラナが彼らの性根を分析し、行動を予見することなど朝飯前。必ずや散々に嘲笑し、侮蔑を向けてくるだろうと確信していた。

 

「先ほどは雑魚呼ばわりした相手と試合するのは面倒って気持ちは変わらん。けど、可愛い配下を守るためならその程度必要経費として切り捨てる程度の度量はあるつもりです」

 

 そして、その予想通りに上役たちは行動した。あとは簡単だ。持ち前の鋼鉄の仮面と演技力をフル活用し、少年漫画の主人公よろしく上役たちに対抗するかのように決意を顕わにすれば良い。グラナの誇る屈指の技巧だけでなく、そもそもこの話の流れを引き込んだのは上役たちだという事実が、厚いヴェールと化して真実を覆い隠す。

 これぞ黄金流『相手に主導権を握らせつつもちゃっかり舞台裏で糸を引いてぷぎゃーする術』である。

 

 ただし、ここまでやってもまだ、計略を完全に見破る男がこの場に一人いる。

 

 ――あ~、やっぱりそう来るのか……。

 

 無論、その程度のことは計略の仕掛け主も事前に予想していた。

 

 ――お前なら読めるよな。けど、だからどうした? お前には何も出来ねえだろう?

 

 若手悪魔、上役、超越者、この場には様々な肩書を持つ悪魔がひしめくがそれらは全てエキストラ。此度の計略は上役たちを利用したものだが、それは一方的に搾取するだけのものであって、グラナと上役たちとの頭脳戦とは決して言えない。

 火花が散るのは、計略を見事に看破する一人の男とグラナの間だけだ。

 水面下では数百手先まで読む頭脳戦が繰り広げつつも、グラナは何も知らない愚かな紅髪との会話を続けていく。

 

「ただし、条件をいくつか付けたい。第一に、殺さぬようにこちらも加減はするが、もし相手側の精神が壊れるなど――――折れてしまった場合については関知しない」

 

「認めよう」

 

 上役の一部が騒ぎそうになっていたが、サーゼクスは頓着しない。魔王自身が若手には強者との戦いの経験を積んでもらいたいと既に明言している以上、この要求を飲む他ないのだ。

 グラナは二本目の指を立てて交渉を続ける。

 

「第二に、試合の結果がどうなろうと後々文句を言わない、及び言わせないための努力をスタッフたちに義務付ける」

 

 要約すれば公正公平な試合を行い、語るものは結果が全て、ということ。これも試合を行うにあたって当然のこと。答えは聞く前から分かっていた。

 

「それも認める」

 

 そしてこれで最後。三本目の指を立て、最後の要求を突きつける。

 

「第三に、何度も試合をするのなら、総合成績で頂点に立った者に相応の賞金を出していただきたい」

 

「成績優秀者に褒美を出す、か。レーティング・ゲームに限らずにそういった話はよくあるものだ。その要求を呑むことに否はないが、この要求を出した理由を教えてくれるかい?」

 

「試合を行うためには相応の時間が犠牲になるでしょう。試合に出ればいつかも話したように魔術の研究や他の仕事が滞る。第三の条件はその分の補填ですよ」

 

 優勝者のみに賞金が与えられるという制限も、グラナにとっては制限になり得ない。まるで自身が優勝することが既に決まっているかのような物言いは、他の若手からすれば挑発そのもの、そしてそれもまた布石の一つだ。

 

「それも認めよう。君だけでなく、若手皆の健闘を期待している」

 

 

 

 

 と、そんな具合に話がまとまり、ついでとばかりに対戦カードまでその場で決定された。内訳は、グラナとリアス、サイラオーグとゼファードル、ソーナとシーヴヴァイラとなり、若手悪魔が偶数なので余り者となったディオドラは一試合少なくなるが、彼にはそれぞれの試合を見た後で自身の相手を決める特権が与えられたことで公平を期す。

 

 ちなみにその後―――

 そこらかしこで火花を飛ばして若手たちが啖呵を切り合っている光景とか。

 例に漏れず、グラナも対戦相手のリアスから宣戦布告染みた代物をぶつけられたが、興味がなかったので完全に無視したこととか。

 グラナがまたもやナチュラルに若手を挑発したこととか。

 様々な出来事があったのだが、それらについては割愛する。どこかの褐色男が地味に策謀を巡らせていることも含めて、特筆する必要のない通常運転だからだ。

 

 

 そして現在。眷属を引き連れて居城へと舞い戻ったグラナは、レイナーレと向かい合っていた。互いの手に握られているのは、愛刀と光の槍。場所は修練場とも闘技場とも呼ばれる、グラナの一派が鍛えるために城の内部に設置された施設だ。場所と二人の立ち位置、そして武器を構えていることからも分かるように、模擬戦の真っ最中であった。

 

「ほら、いつでもいいぜ。好きなときに打ち込んで来い」

 

「じゃあ、遠慮なくッ!」

 

 レイナーレの踏み込みに迷いはない。態勢を低くすることで的を小さく出来るが、バランスが悪くなるという欠点も存在する。しかし、影の国で数年間に渡り鍛えられたレイナーレの体幹はまるでブレない。

 的を小さくすることと高い機動力の維持の両立。初手の技巧だけでも、彼女が多くの研鑽を積んだことが理解できた。

 

 無論、グラナはそれに容易く対応する。

 構えた刀を振り下ろす。すでにレイナーレはグラナの懐深くにまで入り込んでいる。刀剣の―――正確には刃で迎撃できる間合いではない。ならばとばかりに、グラナは槍を柄頭(・・)で強かに叩き落し、追撃の斬撃を放った。

 

「知ってたけど! 知ってたけど! 槍を柄で弾くとかどんな反応速度と馬鹿力よ!?」

 

 全速で踏み込み、全体重を乗せた、全力の一槍。それを軽々と防がれたレイナーレは呻く。しかし、悪態を吐きながらも反撃の刃を回避してみせるあたり、彼女の成長は確かなものだ。

 グラナはからからと笑いながら、斬撃とともに己の知識を渡していく。

 

「なんだ、どれだけあのヤンデレ女神のところで成長したのか確かめるつもりだったが予想以上じゃねえか。………ただ戦うだけじゃちっと暇だし、そうだな……レーテイング・ゲームに備えて色々と話すか。

 まずはレッスン1だ。ひたすら考え続けろ 一度戦場に立ったら呼吸の一つに至るまでもが戦いだ。思考を止めたやつから死んでいく」

 

「ッでしょうね。あの女神も似たようなこと言ってたわ!」

 

 レイナーレの両目は真剣さを帯び、僅かな変化さえ見逃すまいと細まる。集中し感度が高まったのは視覚だけではあるまい、今の彼女は聴覚や嗅覚、触覚までも最大限に活用し戦況の推移を見定めているはずだ。

 会話が成立するのは余裕があるからではない。会話から得られるものがあるかもしれないと、貪欲に求め続けているが故だ。

 

「えぇ、マジか。もう言われてたのかよ。レッスンとか言ってたさっきの俺がちょっと恥ずいんだけど……まあ、いいか。レッスンとかやめだ、やめ。もっと普通に話す感じでいこう。

 イメージするのは常に最強の自分だ。イメージトレーニングってのがあるように、自分の勝利やそこに至るまでの道のりを明確に脳裏に描けるか否か………それが結構重要なんだ。道標もなしに目的地にまで辿り着くことは出来ないだろう? どうやってそこに辿りつくのか、何を使えばいい、何が邪魔だ、何が必要となる。それらを想定し、一つ一つクリアしていけば、気づいた時にゃ目の前に勝利(ゴール)が見えてるもんさ」

 

 長々と語りながらもグラナの動きは淀みなかった。レイナーレの足元に隙を見つければ足払いを仕掛けて、足元にもっと注意を配るように言外に伝える。構えが崩れればそこから攻めて、構えを修正させる。文字通り、教えを叩き込んでいく。

 

「で、今語ったのはどの種族にも共通することだ。けどな、イメージの大切さは、悪魔に限ってはもう一つの意味がある。

 悪魔だけが有する魔力。こいつは使用者の意思に応じて形や性質を自在に変えるっつう特性を持っているわけだが、それがちっとばかし厄介なんだわ」

 

「どうして? 意思一つで火にも雷にも水にも風にもなるなんて便利な力じゃない。バアルの『滅び』なんてチートかってくらいに攻撃力が高いし――――はぁッ!」

 

 疑問とともに放たれる三連撃。それぞれが急所に向けられたものであり、しかも全力。模擬戦で使うには過分な攻撃だが、それを放つのは、この程度で死ぬはずが無いというグラナへの信頼故。

 当然の如く、その信頼にグラナは応えて三度の槍撃を打ち落とす。正確性は勿論として、レイナーレの槍に傷一つ付けない絶妙な力加減までプライスレスで付けられている。

 

「その柔軟性の高さが問題なんだよなぁ。ぶっちゃけた話、魔力は使用者の無意識まで汲み取っちまうんだよ。例えば、自分のスレンダーボディにコンプレックスを抱く女が居たとして、その女がグラマーな体型に憧れを抱いたとする。本人が知らぬ間に魔力はその意思を汲み取って、実際に女の胸や尻を大きくしたって事例がある」

 

「……? それの何が問題なの? 女なら美容や体型に気を遣うのは当たり前だろうし、それを魔力が手伝ってくれるんなら御の字じゃない」

 

「この特性は何もプラス方面にばかり働くわけじゃねえのさ。例えば、『自分は弱い』、『自分は駄目だ』、『自分には何も出来ない』、そうした負のイメージを魔力が吸い上げ、実際に当人の実力に枷を嵌めちまう。これは戦闘能力に限った話じゃあない。

 意識が眠りにつき、そのまま目を覚ますことなく緩やかに死に向かうっつうクソ面倒な病が悪魔にあるんだが、不治の病として市井に知られるこれも、魔力がマイナス方面へと作用した結果だ。ちなみにこういったものを俺は便宜上、魔力の暴走と呼んでいる」

 

 外見年齢や体型などを自在に操ることを可能とするということは筋肉や骨、神経、皮膚に至るまで魔力は大きな影響を及ぼすということ。どうしてヒトの意識を司る脳髄にだけは影響を及ぼさないと言えるのか。分類するのなら、精神疾患の一種になるのかもしれない。現実で重度のトラウマ等を抱えた悪魔が、現実への強い忌避感を覚えた結果、魔力が肉体を眠りにつかせてしまうのだ。

 ちなみに、魔力の暴走とも言える病を引き起こした根本的な原因は現実における辛い体験なので、患者の周辺環境を含めるトラウマの原因を排除しなければ、一度奇跡的に目を覚ましても再度眠りについてしまうことだろう。しかも二度目の眠りは、傷口に更に傷を刻まれたことでより深いものとなる。二度目の奇跡はあり得ないと断言出来る。

 

「それ聞くと、単に『便利な力』とは思えなくなってくるわね。そんなものが自分の体に宿っているって考えるだけで少し背筋が寒くなる」

 

「悪魔の中には理性を失った獣に堕ちるやつがたまにいるが、それも魔力の暴走が原因だ。過剰に力を求めたり、憎悪や憤怒と言った感情に振り回されたりと、発端は様々だけどな。

 もちろん、そういったことは極端な例だ。そうそうそんなことにはならん。危機意識を持つのは良いが、ビビりすぎるのは良くないぜ? そういったネガティブな感情が魔力の暴走の原因なんだからな。

 まあ、あんまビビらすのも何だし……、魔力の有用さについても話しとくか」

 

 鍔迫り合いの状態で会話しながら視線を交えること数秒。同時に獲物を振り払い、互いの体を押し飛ばし、自身は後方へと跳ぶ。一旦距離を取ったことで呼吸を整え、再度、同時に突貫。両者がぶつかり合ったのは、開いた距離の丁度中間地点だった。

 槍が弾かれ、刀が躱される。決して止まることなく繰り出され続ける武器は残像を残し、幾重にも分身したようにも見え、しかしどちらの体にも刃が届くことは無い。それ故に攻守が入れ替わり、立ち位置も一秒ごとに変化するような激しい接近戦であっても、さながら演武の如き美しさがある。

 

「魔力には大きく分けて二つの能力っつうか特性みたいなものがある。

 一つ目が性質変化。これはさっきお前自身が言ってたような、火や水に魔力が変化する力のこと。バアルの『滅び』然り、レヴィアタンの『水』然り、上級悪魔の家に伝わる特色の多くがこれに関係する。

 二つ目が形態変化だ。天使や堕天使の使う光も同じ特性があるな。これを極めれば、刃や盾を始め様々なものへと魔力の形を変えて再現することが出来る。俺の場合、水を高圧水流にぶっ飛ばしたりとかだな」

 

「ッ前から気になってたんだけど、魔力がイメージ通りに変化するって言うなら、転生悪魔()でも上級悪魔の特色を再現出来たりするの?」

 

「可能か不可能化で言えば、可能だ。ただやる意味が薄いな。上級悪魔の場合、生まれつきその特性と付き合いがあるだろう? 仮に転生悪魔が特性を再現できたとしても、付き合ってきた年月に差がある以上、どうしたって習熟度じゃあ及ばねえ。貴族を名乗るだけあって上級悪魔の魔力量は恵まれたものだし、同じ土俵での勝ち目なんざ無いも同然だ」

 

 必死になって転生悪魔が上級悪魔と同様の力を手に入れたとしても、そこに出来上がるのはただの劣化版というわけだ。何が違うかと言われれば、生まれただ一つ。そういう意味では、確かに上級悪魔は選ばれた者なのだろう。

 伊達に一万年もの間、貴族制度が続いているわけではない。貴族には貴族の強みがあるから、中級・下級、あるいは転生悪魔を見下すことが出来るのだ。無論、そうした悪徳の温床になっていることを踏まえれば、上級悪魔のの誇る特色も素晴らしいばかりのものではないと言える。

 

「じゃあ、転生悪魔じゃ上級悪魔に勝てないの? ………ってわけないわね。エレインとかルルなら普通に圧勝するでしょうし」

 

「まあな。ルルの場合は剣術、エレインは吸血鬼としての能力や魔術。魔力に依らない強さを身に付ければ、貴族たちの誇る魔力においての優位性なんぞまるで関係ない。もちろん、勝負事に絶対は存在しねえ。転生悪魔でもやろうと思えば魔力で、生まれついての貴族サマに勝てる」

 

「う、うぅん? 魔力の量は上級悪魔のほうが優位で特性もあるのに?」

 

「量に関しては、相手が並の上級悪魔である限りはほぼ気にする必要はない。それこそ天と地ほどもの差じゃない限り、工夫次第で簡単に覆せるからな。

 魔力の使い方は色々あるが、その代表的なものとして身体能力の強化が挙げられることが多い。使い勝手が良いし、難易度も低く普及しているメジャーな技だからってのがその理由だ。同様にこっから先の話の例にも、それを使う。

 身体能力の強化。これのやり方は使うだけなら簡単だ、何せ強化したい部位に魔力を流し込むだけ、早い話が力を込めりゃあ発動するくらいだ。誰にでも出来る簡単な技術、それこそそこらのクソガキにだって出来る。だから、真面目に研鑽しようって考えが多くの悪魔にはねえんだよなぁ」

 

「力を込めるだけで発動するような力を研鑽って……まあ、確かにやるやつは余程の変わり者くらいでしょうね」

 

 例えるならそれは、1+1をどれだけ早く正確に解けるのかと努力を積むようなものだ。研鑽の対象が初歩過ぎるが故に、そもそも誰一人として研鑽しようとは思わないし思えない。

 また、レーティング・ゲームの影響も悪い意味で存在する。ド派手な攻撃が飛び交う光景は大衆を魅了するエンターテインメントとしては優秀だが、それ故に大衆の心へ与える影響は馬鹿にならない。身体能力の強化はあくまで補助、魔力は大火力で放つことで真価が発揮される、そうした先入観を払拭することは非常に難しい。

 グラナは先入観も何も一切合切を捨てて、一から見直すべきだと言う。

 

「魔力はイメージで操るんだぜ? 当然、基礎の身体強化だってイメージが重要だ。ただ漠然と『腕力を強くしたい』とイメージするんじゃその技の入り口に立っただけなんだよ。

 筋繊維の一本一本がより柔軟かつ強靭に、全ての骨は決して砕けないほどに硬く、指の先まで神経はより鋭敏に、そうやって細かくイメージするだけでも大分強化率は変わってくる。ま、実際に効果の違いが分かるほどになるには、反復練習をかなり積んでイメージを強固なものにする必要があるけどな」

 

「あなたの言う考えに従って鍛錬を積んで実際に効果が目に見える形で現れたら腑に落ちると思うけど、今は正直、納得出来るような出来ないようなって感じね。

 ……あぁ、身体強化の可能性みたいなことについては分かったけど、それだけで貴族サマに勝つにはちょっとキツイんじゃないかしら。……他にも何かあるの?」

 

「もちろん。イメージで強化率が変わると言ったが、他にも肉体を鍛えているかどうかでも違いが出てくる。下地となるものの質が高けりゃ、そりゃ結果も良い。当たり前の話だわな。

 ついでに言うと、武術を嗜んでいれば尚良し。速さが足りないのか、力が足りないのか、耐久が足りないのか、その辺りを判断するにはもちろんとして、強化された自分をイメージすることにも武術の経験と知識は一役を担ってくれるんだ」

 

「はぁ……溜息って感心しても出るのね。基礎技術だけでも、色々と工夫っていうか、そういうのがあるのね」

 

「そういうわけだ。身体強化でそれだけ工夫のしどころがあるように、他の技だっていくらでも工夫、研鑽の道はある。

 魔力を固めてぶっ放す魔力砲、多くの悪魔が力任せにやるだけだが、これだって改良出来る点はいくらでもある。魔力の流れをより綺麗に、魔力をより収束させるだけで威力や効率はかなり変わるってのにな……ガキと同レベルのことを良い歳した大人がドヤ顔してやってると思うと、貴族サマたちが途端に馬鹿にしか見えなくなってくるぜ」

 

 上級悪魔の内には、生まれ持った才能だけで戦うことが美しい、努力など泥臭いといった考えがある。力と資金と環境を持っていながら碌に研究しないという宝の持ち腐れである。

 中級、下級悪魔は生まれの差を覆そうと、立身出世を夢見て努力する者が多いが、そもそも彼らの大半は最初から力を持っているわけではないし、資金や環境も恵まれているとは言い難い。そんな状態で出来る研鑽には限りがある。

 結果、悪魔は、魔力という最も身近かつ強力な能力についての理解が進まない。一万年の歴史を持つ国よりも、二十年前後しか生きてないグラナのほうが深い知識を有していること一つを取っても、悪魔社会の歪さがどれほどのものか察せるだろう。

 

「そして、上級悪魔ご自慢の特色ってやつ。馬と縁があるだの怪力だのといった極一部を除いて大半が魔力の性質変化由来のものってのはさっきも言ったな。そもそも、この特色が何なのかって話になるんだが、要は魔力の性質変化における親和性の高さだ」

 

「え……っと、相性が良いってこと?」

 

「そう。例えばレヴィアタンなら『水』の方面に特化してるってことだ。一分野にのみ秀でているが故に他の属性に関してはからっきし、魔力を炎や風に変化させることはまるで出来ねえ。まあ、あれだ、ゲームで言うと一部のステータスに極振りしてるってわけだな」

 

「また分かり難いような分かりやすいような、微妙な例えを出して………一応分かったから良いんだけど。じゃあ特色がない悪魔の場合はどうなるの?」

 

「いわば万能型。魔力を想像力次第で、炎にも水にも風にも変化させるとが可能だ。ま、個人個人の得手不得手はもちろんあるけどな。ゲームのステ振りでも、自分の好みで一部の能力値に偏らせたりするだろう? それと似たようなもんだ」

 

「じゃあ、特色があるか無いかの違いって……」

 

「方向性の違い、それだけだよ。たったそれだけのことで、上級悪魔の大半がふんぞり返ってるんだからアホ臭い。連中は自分の得意分野じゃ負けないことを理由に威張り散らしているが、特化型と万能型が前者の土俵でぶつかれば結果は見えてるよな。マジで馬鹿としか思えんわ、あいつら」

 

 この模擬戦が成立しているのは―――ひいてはレイナーレがグラナとそれなりに良い勝負をしているように見えるのは、グラナが手加減に手加減を重ねることで漸く成立している。グラナは全力を出してしまえば、レイナーレなぞ文字通りの秒殺が確定することを理解しているし、それでは模擬戦も糞もないので、相手に合わせて力を落としているのだ。

 そして、彼は徐々に力を解放している。その変化は相対するレイナーレにさえ分からないものだが、速度や威力は上昇しているし、使う技もより高度なものとなっていく。

 

 しかし、レイナーレは最初から全力だ。力を封じていたグラナとは違い、彼女は速度も筋力も変わらない。けれど、強者との戦いに慣れているが故に実力差を前にしてもめげることなく、強くなりたいと願うが故に足掻くことを忘れない。

 そんな彼女に出来ることは考えることのみ。

 視線を奔らせて情報を収集し、呼吸を整えて脳をリラックスさせ、戦局の推移を分析し、これより先の未来を予測する。

 

『一度戦場に立ったら呼吸の一つに至るまでもが戦いだ。思考を止めたやつから死んでいく』

 

 即ちそれは、グラナがこの場で最初に説いた教えの発露だ。レイナーレを追い込むことで教えを理解させ、そして実践することを強制する。実に荒っぽい手法だが、徐々にスペックを解放していく彼にレイナーレが食らいつけていることから、その効果が確かなものだと察せられる。

 

「仮に下のやつらが貴族サマに勝とうと思うのなら、その万能型としての強みを伸ばせばいい。どの属性も扱える可能性を持っているんだから簡単にメタを張れる。それだけでもかなりの優位に立てるはずさ。応用力もあるわけだし、時間を掛けて技巧のほうも磨いていけば、貴族のボンボンをぶちのめすのなんざ朝飯前だ」

 

 




今話では、原作を独自解釈した設定が結構出てきました。まあ、きっとこんな感じだと思いますよってね。


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4話 鬼の姉妹

ああああああああああああああああ!!
大学の講義ってあるじゃないですか? 科目によっては単位数が多かったりしますよね? 作者は馬鹿なので、よりにもよって単位数の多い科目を落としたんですよ……。しかも、期末テストを受け忘れるって大ポカで……やっちまったぜ☆



「諸君、私が本作戦の総指揮を執るアルフォンス・フールだ」

 

 そこには数百にも上る悪魔たちがいた。男も女も、老人も若者も、その全てが旧魔王派に属する悪魔であり、ただ一つの目的に向かって突き進む同士である。

 ある者は機転が利き、ある者は白兵戦に優れ、ある者は探索に特化した能力を有する。玉石混合、されど数の暴力というものは馬鹿には出来ないし、数が集まったが故に多様な能力を網羅した隙のない布陣となっている。

 

「我らの目的はグラナ・レヴィアタンの首だ。カテレア様の仇を討ち、そしてシャルバ様とクルゼレイ様に我らが勝利を捧げようぞ!」

 

 本作戦に限っては己が配下となる軍勢を、一段高い位置より見下ろす、男の心境たるや如何に。そう問われるまでもない。

 アルフォンスの顔を染めるのは自信一色。自信を持つ者の背中は、それだけで輝かしくある種の力を持つ。張り上げる声には力が漲り、集った悪魔たち一人一人の心の奥底にまで浸透していった。あちらこちらから上がる賛同の声に彼は酔いしれ、舌はより滑らかとなって言葉を紡いでいった。

 

「皆も知っていよう。奴は偉大なるレヴィアタンの末裔として誕生しておきながらも、臣下より向けられる期待を背負うことさえ出来ずに逃げ出した! ならばせめてこれ以上魔王の名を汚さぬようにと息の根を止めに行った同胞は惨殺された!!」

 

 呼応して返される声には、確かな熱量が籠っていた。情熱というには禍々しく、希望と呼ぶにはあまりに黒い。その感情の名は、憎悪、そして憤怒。友を殺された者が、家族を殺された者が、恋人を殺された者が、怨嗟の念を隠すことなく、声高に主張する。

 元よりグラナの暗殺作戦に参加する者は、彼に恨みを持つ者がほとんどだ。ずっとずっと胸の奥で燻ぶり続けていた火種が、本作戦の実行を前に喜ぶかのように噴き上がっていたところに、自分たちにこそ大義がある言わんばかりのアルフォンスの口上が油となって火勢を強くした。

 

「グラナ・レヴィアタンに死の報いを!」

 

「妻が受けた痛みを数千倍にして返してやる!」

 

「楽には殺さん! 殺してくれと懇願するまで拷問しようッ!」

 

 鬨の声と呼ぶにはあまりにも野蛮で、殺意と敵意に滲み切った怒号の数々。

 友を殺された? 恋人を殺された? 家族を殺された? 成程、大切な者の死を悼み、涙することは彼らの権利だ。数々の命を容赦なく奪った男を『悪』と断ずるには充分だ。

 彼らはグラナという悪に鉄槌を下す権利を有している。されど、いくら大義を掲げようとも、私怨に突き動かされるだけの者たちに正義はなく、己が感情に焦がされそうになりながらも怨敵へと迫る彼らは復讐鬼と呼ぶより他にあるまい。

 

「あぁ、諸君らの悲憤、この身に染み渡る思いだよ。そしてその想いを晴らす方法がただ一つであることは皆も承知のはずだ」

 

 恐怖するか、排斥するか。何にせよ好意的に取ることは難しい狂気をアルフォンスは拒絶しない。しかし勘違いしてはならない。その言動の源は優しさでも慈悲でもなく、ただ真面に取り合っていないだけだ。

 

 アルフォンスが見ているものは勝利のみ。グラナの首を取り、栄誉を賜り、幾人の女を道具の如く使い捨てる輝かしい未来の情景だ。

 恋人の恋敵? 復讐の相手? そんなことはどうでもいい。配下の叫ぶ下らない事情など路傍の石ころにすら劣る。自身の愉悦のみを求め、それのみに溺れる白痴にとって、自己の利益に繋がらぬ怨嗟の声など何らの価値もないのだ。

 

 そんな彼の言葉はどこまで行っても表面だけのもの。上滑りするばかりでまるで心に響くことはない。しかし、この場に集まった悪魔の多くがアルフォンスの言葉を否定しない。それはきっと、アルフォンスが彼らの言葉を真に受けないように、彼らもまたアルフォンスの言葉なぞ大して気にも留めていないが故のことなのだろう。

 この場に集まった悪魔には、集まるだけの理由があり目的もある。それさえ果たすことが出来れば他に気にすることはなく、なればこそ一人の上級悪魔の垂れ上がす戯言には、己が大義に添えられるスパイス以上の意味は無い。

 

「グラナ・レヴィアタンの首を取る。これ以外にあるまい。同胞の無念を晴らし、あるいは復讐を果たすことで過去を清算するのだ。そうすることで我らはようやく栄えある未来に向かって歩いていける」

 

 勝利を妄信し、瞳には自己の利益しか映らない。その手の悪魔はアルフォンス以外にもこの場には何名も居た。その数は復讐鬼の群れにも勝るとも劣らないほどのもので、両者をして本作戦における二大派閥と称しても良いだろう。

 彼ら白痴の愚者は、夢に酔いしれ他者の悲劇や感情に興味がないから復讐鬼の怨嗟に囚われない。他者の幸福より己の幸福を優先し、自己の悦楽のためならばいかなる非道にも笑って手を染める外道。彼らは紛れのもない屑であるが、屑であるが故に他者に影響されない個の強さを有している。

 

 対して復讐鬼の軍勢は、怨嗟や憎悪に狂しているが故に視野が狭まり、白痴どもの思惑など視界にさえ入らない。けれど、それがどうしたと言うのか。彼らはそも怨敵を討つためだけにこの場に参じたのである。隣で妄想を垂れ流す白痴のことなど心底どうでもいいに違いないし、その思惑を知ったところで、グラナが苦しむならばと喜んで凶行を手伝うことだろう。 

 

 どこまでいこうと己の心の赴くままで行動し、他者に影響されることはない。行動原理が全くの別物であっても、その意味では両者は似た者同士と言えた。

 

「やつの居城に潜り込んでいるスパイからも、グラナとその配下は若手悪魔と上役たちとの間の会合の日から変わらず居城に留まっているとのことだ。若手悪魔の交流戦に向けての今を除き、各地を転々とし続ける奴を確実に仕留める機会は無い、故に討つ! ここで確実に殺せぇええええッ!」」

 

 アルフォンスが右腕を掲げると同時に、集まった悪魔たちも腕を掲げて雄叫びを上げる。憎悪と怨恨、妄信と愉悦が渦巻き、ぐつぐつと煮込まれたような様相は熱狂と呼ぶに相応しい。彼らの心は熱く燃え滾り、狂気に踊っているのだ。

 

 そのことに当人たちは気づけないし気づかない。そして他者から指摘されたところで、彼らは己の衝動に従うのみの獣であるが故に認めることもないのだろう。

 右腕を掲げ鬨の声を上げながらも、冷めた目で場を観察するギルバートはそう分析した。

 

「はぁ~、嫌になるぜまったく……。強い感情が力を引き出すことはあるが、それは感情を制御できてこそのもんじゃねーか。制御するどころか振り回されてどうすんだよ。……停止した思考に狭まった視野じゃ勝てるもんも勝てねえっての」

 

「文句はそれまでに。彼らに聞かれたら面倒なことになるでしょう?」

 

 ギルバートと、彼のぼやき(・・・)を諫めるレベッカ。この二人とその他の極少数――全体の一割にも満たない者たちだけが冷静な判断力を残していた。

 彼らは白痴の語る勝算には懐疑的だし、復讐鬼の抱く怨恨に同情することはあっても戦いに私情を持ち込むのは愚行であると考える。この場でするべき理想的な行動は、声を張り上げ場を熱くするのではなく、共に戦場に臨む同胞たちを諫めることだ。しかし正論を説いたとしても、白痴や復讐鬼が耳を貸してくれるはずもないし、感情に呑み込まれた彼らの行動は予想できるものではない。最悪、この場で吊し上げられることすら考えられる。

 場を諫めようとした結果、吊るし上げられ、逆に殺される羽目になるなど誰だって御免被りたい。未来を説いた相手に殺されるなど冗談にしては性質が悪すぎた。

 

「私たちに出来ることは周りに合わせて溶け込むことだけよ。それとも、あなたはこの場で話し合いをした結果、彼らが冷静な判断力を取り戻せるとでも思っているのかしら」

 

「まさか。そんなことはあり得ねー。一つや二つ言葉を交わした程度で治るもんなら、そもそもこんなことになってねーだろ。不確かな勝算を抱いて、狭まった視野のまま敵地に突っ込むのは自殺行為だが、それで勝利を得られる可能性の方が高い」

 

「死地に活路を見出す、って次元の話じゃないわね。希望的観測を通り越して、ただの妄想よ」

 

「ああ、そうだな。俺もそう思う。けど、それしか道がねえんだから、それに賭けるしかねえだろう」

 

 思想の全く異なる三者が一堂に会し、一つの目的に向かってひた進む。字面だけ見れば美談のそれだが、しかし、三者の内訳は白痴と復讐鬼と諦観に染まった半死人である。単なる狂人だけの集団ではなく、真面な者まで混ざっていることが殊更場を混沌に導いていた。

 

「………混沌の坩堝(カオス・ブリゲード)。名は体を表すってのはよく言ったもんだよ」

 

 ギルバートの漏らした呟きは、誰の耳に届くこともなく虚空に溶けていく。今更何を言っても詮無いこと、全ては手遅れなのだ。事ここに至っては、最早行き着くところまで行くしかあるまい。

 

「さあ、皆の者! 我ら、真なる魔王に仕える悪魔の誇りを天下に知らしめようぞ!!」

 

「「「うおおおおおおおおおッ!!」」」

 

 ごく一部の面子が後ろ向きな決意を固めている間にも多数派の話は進んでいたらしく、場の熱狂は最高潮と言った頃合いである。まるで世界そのものが熱を発しているかのような、あるいはブレーキの利かない暴走列車か、止まることを知らぬ者たちは断崖を前にしても歩みを止めることが出来ないのだろう。

 

 カッ、と場を包み込む光。その発生源は彼らの足元にある転移魔方陣だ。

 光が収まった後に見える景色は旧魔王派の拠点のものではなく、見知らぬ城の一角。門の内側の、所謂中庭と呼ばれる場所の景色が広がっていた。

 石畳を敷き詰めることによって整えられた道と、荘厳にして流麗な彫刻や噴水などといった人工物が置かれている。細部にまで行き届く手入れは管理する者の責任感、そして主への忠誠心を窺わせる見事な仕事。野外だというのにその一つ一つに傷一つ汚れ一つなく、見る者の目を奪わせる美しさを放っていた。

 彫刻にせよ噴水にせよ、中庭に置かれているもののどれもが芸術品として極めて高いレベルにある。しかも、近くに備えられている花壇や木々の邪魔となることなく、見事に自然との調和を果たしている。

 

 幻想的。そうとしか言えない、この世のものとは思えない美しさだ。万の言葉を以ってしても解き明かすことは出来ないし、それは冗長に過ぎるだろう。この美しさを語ることは出来ず、語ってはならず、語りたくない。唯々感じ入るままに、この景色に興じたい。

 

 自分たちが現在立っている場所が敵地であることを忘れる者が半分、そしてそれが魔境と呼ばれる危険地帯にあるものだと信じられない者がもう半分。狂乱のままに飛び込んだ者たちは、ただ芸術的な美しさに打ちのめされた。

 数秒か、十数秒か、あるいは数分が経過した頃かもしれない。突発的に目に入った、想像の埒外にある美に魅入られていた悪魔たちの意識を、彼らを率いるアルフォンスの声が引き戻す。

 

「―――我らの目的は、仇敵たるグラナ・レヴィアタンの命だ! 余計なことに意識を向けるな!!」

 

 口上が僅かながらに速かったのは、彼もまたこの景色に魅入られていたから。そして、そのことを恥じ隠したいと思ったからに他ならない。

 守ることに大きな意味のない、ちっぽけな意地を必死に守ろうとするアルフォンスの行いは、誇りある上級悪魔の行いというより分別の付かない稚児のそれに思える。多くの悪魔がそのことに気付くも、声に出して指摘したり、ましてや笑うことなどあるはずもなかった。

 

 この美しすぎる絶景を前に魅入られていたことをどうして馬鹿に出来る? この景色に何も感じないのは盲目の者か、あるいは感性が著しく破損した異常さの類のみ。声を失う程に、我を失う程に、この景色に魅入られてしまう気持ちは痛い程に理解できるが故に、この場の悪魔は誰一人としてアルフォンスのことを笑うこともせずに、彼の声に耳を傾けた。

 

「この城は中央と北に東西の四棟から成る。城の住人を殺すなり何らかの損害を出せば、やつらも襲撃されていることに気付くだろう。この人数で一カ所を攻めれば、確実にその場所を落とすことは出来ようが、他の場に居る住人共に対策を取る時間を与えることとなってしまう」

 

 奇襲の最大の利点は、敵軍の隙を突くことにより主導権を握ることにある。背後から忍び寄って急所を突けば屈強な戦士をも一撃で殺せるように、相手に対応する時間を与えないことはそれだけで勝利へと直結するのだ。

 回避の暇を与えなければ攻撃は必中となり、防御の隙を与えなければ急所を穿つことが可能となる。であればこそ、奇襲することによって得られた主導権を奪われてはならない。

 

「故に作戦通りメンバーを、中央棟、北棟、西棟、東棟に攻め込む四つに分ける。分散によって人チームごとの戦力は下がるが、先手を取った現状であればいくらでも挽回できる範囲だ。

 それぞれに割り当てられた棟に侵入を果たしたら、見つけた端から住人たちを殺せ。もしくは城を破壊していも良い。兎に角一カ所に留まることなく、常に動き回って攻め続けるのだ」

 

 一棟ごとに攻めていては、他の棟にいる者たちに時間を与えることとなるのなら、同時に四つの棟を攻めればいい。同時に複数個所で騒乱を起こせば敵陣営の指揮系統にも混乱が生じ、対応への時間は手間取られ、更に被害は増していくという寸法だ。

 人員を四等分することによって戦力が分散されることとなっても、事前にスパイから得られた情報によれば、城に常駐するグラナの配下の数は百名以下。対するこちらの総数は三百を超え、その圧倒的な数の差があるが故に戦力の分散は愚策となり得ない。

 戦術そのものは単純極まりないが、その根本を支えているのは数の優位ただ一点。それを崩されてしまえば途端に作戦は瓦解してしまうが、魔王の末裔とは言っても一貴族に過ぎないグラナが、旧魔王派という大勢力に数で勝てるはずが無い。単純な策は単純な手法で攻略されるのが戦の常だが、相手がその手法を取るための条件を備えていなければ、単純な策は絶対的な効果を発揮する。

 

「さあ、今この時より開戦だ! 目指す先は勝利ただ一つ! 我が身を返り血で染め上げろ! 栄光に満ちた凱旋の時を真紅の総身で迎えようぞ!!」

 

 雄々しい宣誓に雄叫びを各々が返すことを合図に、一同は四つの群れに分かれていく。アルフォンスに率いられ中央棟を攻める者らが先陣を切り、残った者たちもそれぞれの隊長の後に従って一つの生き物かのように乱れの無い動きで進軍した。

 その中で、北でも西でもなく、東棟を攻める部隊は四つの部隊の中でも最も人員が少ない。本作戦には敵対勢力の数を遥かに上回る兵士を用意しているのだから人員不足ということはあり得ず、部隊の長のギルバートが『誇りある上級悪魔らしくない』と派閥の上層部の不評を買っていることに起因する。

 要は嫌がらせである。気に食わないギルバートが手柄を立てることを許容できないから、その手元に置く部下の数を減らす。敵との殺し合いの戦場にまで身内同士の足の引っ張り合いを持ち込むべきではないのだが、気に食わないものは気に食わないのだから仕方ないのかもしれない。

 ましてや、これまでは碌に得られなかったグラナの居城の情報をスパイから仕入れることが出来ただけでなく、城への侵入経路も用意出来、しかも数的優位を取った上での奇襲である。作戦を結構に移す前から勝利を確信し、油断してしまっても責めることは出来ないし、であるからこそ身内同士の足の引っ張り合いが出来るほどの余裕も生まれるのだ。

 

 ——まあ、せっかく出来た余裕も、足の引っ張り合いで潰されるんじゃ意味ねえんだけどな……。

 

 今の自分は部下の命を預かる立場にあるのだと自覚するギルバートは、その心の内を表情に出すような真似をしない。普段の怠け具合はどこへやら、目線は鋭く口元を引き結ぶ横顔はまさに戦士のソレ。

 初めは内心を押し隠すための仮面でしかなかったそれに引っ張られるかのように、意識も戦場に相応しいものへと徐々に変わっていった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「ねえ、レム。お客様があんなにたくさん来ているわ」

 

「そうですね、姉さま。黄金の君に仕える者として、ちゃんと歓迎しなくちゃいけませんね」

 

「ふふっ。手柄を盛大に立てて、褒めてもらうんだって何日も前から張り切っていたものね」

 

「姉さま!? それは言わない約束だったはずではないですか!?」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「………風、か?」

 

 魔城の東棟に突入した面々が、最初に感じたのは頬を撫でる緩やかな感覚。すでに入り口は見えない程の深部にまで至っているが故に、僅かな変化を異常として捉え緊張が一気に高まる。

 屋内という限定的な空間で密集していては互いの動きの邪魔になり、だからと言って離れすぎてはいざというのフォローが難しくなってしまう。

 故にこそギルバートたちは、個々人が自由に動ける程度に隙間を設け、各々の動きが目に入る位置に陣取る。しかもその陣形は、前後左右どの方向から攻撃されようとも対応できるように、メンバーのそれぞれに役割が振り分けられている。

 

 僅か一瞬の内に陣形の変化を可能としたのは、ギルバートの指揮能力の高さと部下の優秀さにある。上層部から疎まれるギルバートには多くの部下は与えられなかったが、その一方で、ギルバートと同じ様に上層部から睨まれた者らを押し付けられることが多々あった。上層部としては面倒な連中を一纏めにしておこう、その程度の認識だったのだろうが、この扱いはギルバートたちの追い風と化した。

 何せ、上層部から疎まれる者というのは、その多くが旧魔王派の古臭い考えややり方に懐疑的だ。排斥される者もそれを押し付けられる者も、根本的な考えは似通た部分にあるのだから意気投合することに時間など掛かるはずもなく、あっという間に連帯感を得るに至ったのだ。

 

 しかも、彼らが上層部より嫌われた理由は心情などによるものであり、実力如何は全く考慮されていない。全ての者が才気に溢れている訳ではないものの、気の置けない仲間との切磋琢磨との日々は確実に彼らを強者の位にまで押し上げ、その中で絆はより深まっていた。

 

 強者たちが高次元の連携能力を獲得する。それは正に鬼に金棒という言葉の通りであり、敵対者にとっての悪夢がここに顕現した。

 

「………は?」

 

 しかし、彼らは一つだけ勘違いをしていた。

 

 ギルバートは強い。しかも優秀だ。そこに疑いの余地はないし、彼に率いられる隊員たちも歴戦の強者揃いであり、連携の質は四つの棟を強襲する部隊の中でも頂点に位置するだろう。

 

 だが、敵陣営の首領は修羅道を地で行く黄金の男。黄金が常勝無敗にして一騎当千の修羅ならば、その配下もまたしかり。輝ける覇王の下で育った者たちが常識で測れる道理は無い。

 

 最上級悪魔相当の強さ、派閥内でもトップクラスの連携能力と絆の濃さ、それが通用すると思ってしまったことが、彼らの唯一にして最大の、致命的な間違いだった。

 

 ドピュッ。

 

 赤い噴水が唐突に上がった。赤い液体の正体は血液、ギルバートの隣で警戒態勢を取っていた男の首の断面よりピュウピュウと勢いよく噴き出していた。

 油断はなかった。一人一人が警戒する方向を分担することによって死角は存在せず、どこから急襲されようとも必ず対応できるとの自信があった。

 過信はなく、慢心もない完璧な対応。であるからこそ、それを容易に打ち破られたという事実を前に、意識が真っ白に染まる。驚愕するでもなく、憤怒を顕わにするでもなく、只々なぜ、どうしてと疑問のみに支配されたギルバートたちは瞬き一つすら出来ない。

 

「―――キャアアアアアアアアアアアア!!」

 

 男の頭部が宙をクルクルと冗談のように舞い、床に落ちた頃。男の首の断面から噴き出した血を全身に浴びたレベッカが悲鳴を上げた。

 戦場で、しかも戦士が上げる者として相応しくない、絹を引き裂いたかのような声だ。それによって強制的に隊の皆の意識が元に戻され、限界以上に高まった緊張を表すかのように冷や汗が流れる。

 

「総員、魔力障壁を張り防御態勢を取れ! 向こうに先手を取られてるんだから無理に反撃するより体勢を整えることを優先しろ!」

 

 奇襲の優位性。旧魔王派の悪魔たちが勝算の一つとして考えていた代物を、見事に相手に返された。相手の不意を突くことが、先手を取ることが、己の立ち位置を優位にするかを理解するが故にギルバートの心には焦燥の念が広がっていく。

 そして、それを一秒にも満たない時間で押しつぶす。

 己は部隊を率いる上官なのだ。予想外の事態の一つや二つと直面した程度で思考を止めるわけにはいかない。しかも背後には惚れた女もいるのだから、上官としてだけでなく、男としても情けない姿を晒すわけにはいかないのだ。

 

 ギルバートは意地と克己心によって半ば強引に冷静さを取り戻し、指示を発しながら前方に障壁を張る。そして部下たちが背後や左右、上方へ障壁を張った。一人一人が一カ所の防御に集中することにより障壁の質を高められる。単純な役割分担、されど多くの上級悪魔は個人主義であり下級や中級の悪魔と団結して事に当たることを嫌うため、この連携はギルバートたちの絆の象徴だろう。

 

「チィッ」

 

 強固なる結界を展開した直後、ギルバートたちを不可視の攻撃が襲った。ズドドドン! と次々に生じる衝突音と衝撃から、放たれている攻撃はただ一発ではなく連撃であることが察せられる。間断がないにも関わらず、その一撃一撃が生半な威力ではないことも障壁を通じて嫌というほどに伝わった。

 

 そして、分かったことはもう一つ。

 

 何度も何度も攻撃され、そして防ぎ続けたおかげで何度も観察する機会にも恵まれ、その性質が見えてきた。

 すなわち、真の意味で不可視であるということ。ギルバートたちの目で捉えられない程の速度を宿しているわけではなく、意識の僅かな隙間を突かれたわけでもなく、手品のような手法で上手く騙されたわけでもない。

 現在、ギルバートたちを襲う攻撃は真実、不可視なのだ。つまり透明な攻撃。

 

「この正体は風だ! 風の刃をぶっ放してきてやがる!」

 

 風は空気の流れだ。煙でも立っていない限り、その動きは不可視となる。

 この世で生きているのなら、生まれ落ちた瞬間から寄り添ってきた風を脅威に思わない者もいるだろうが、そこに秘められた力は甚大だ。

 水は高圧にして放つことで凄まじい切れ味を持つ刃物と化す。同じ流体の風ならば、同種のことが出来ても何らおかしくは無い。

 

 仮に高圧水流と同等の切れ味を持つのであれば、一瞬にして強者の首を落とした威力にも納得出来る。前述したように風は不可視であり、しかもこうして高い威力を持つ刃へと変じさせるほどの制御技術を術者が有しているのならば、攻撃の際に発せられる音もほとんど零に抑えることも可能なはずだ。

 

 ——こんなの初見じゃ対応できるわけねえな。隠密性能に長けた一撃必殺なんて、タチが悪すぎるぜ……。

 

「ふふっ。あら、タネが割れてしまったようだわ」

 

 廊下の奥から姿を現す一人の少女。桃色の髪をショートカットにし、左目を隠すように前髪を伸ばしている。華奢な身を包むのは、少々露出度が高いとは言え、一目でメイド服と分かるもの。

 十代前半程度にしか見えない少女。殺す相手として見るには戸惑いそうな、戦場にいること自体が何かの間違いであるかのような愛らしい外見だが、それに騙されるようなギルバートたちではない。

 

 つい先ほど、仲間が成す術もなく殺されたことが、目の前の少女が単なる少女ではないことの何よりの証左だ。

 

 しかし、敵手が姿を現したことによって戦意が高まるが、同時に困惑の念も湧く。なぜなら、攻撃の正体を見破ることは出来ても、ギルバートたちはその術者の位置までは看破できていなかったのだから、わざわざ姿を見せる必要はない。むしろ、攻撃のタネが割れたからこそ、姿を隠して距離を保つことが良手のはずだ。

 

 にも関わらず、メイド姿の少女はこうしてギルバートたちの眼前に現れた。しかも、その顔には余裕が満ちている。ホームとは言え、数的不利は圧倒的で、攻撃の正体まで看破されていても尚、全く焦りの色を見せない。

 そのことに疑念を抱き、同時に嫌な予感が脳裏を過ぎる。そしてそれを肯定するかのように、二人目の少女が現れ、一人目の少女の隣に並んでみせた。

 

「姉さま、もう少し粘ることは出来たんじゃないですか? こちらの居場所まではバレていなかったんですから遠距離から一方的な攻撃も出来たはずですし、少なくともあと一人か二人は()れたはずです」

 

 二人目の少女の髪色は淡い水色。右目を隠すように前髪を伸ばし、一人目の少女と同じ意匠のメイド服に身を包んでおり、まるで一人目の少女と合わせ鏡のような印象を受ける。

 とは言え、それは容姿に限った話。

 無手である桃色髪の少女に対して、二人目の少女は手に武骨な兵器を携えていた。短い持ち手は鎖と繋がり、その先にはいくつもの棘状の突起が生えた鉄球と結びついているそれは、俗にモーニングスターと呼ばれるものだ。武器の重量と遠心力によって標的を叩き潰すために、業物の刀剣が持つような美しさとは無縁の代物だが、"破壊"を象徴するかのような武器と言える。

 そんなものを隠すでもなく、堂々と持ちながらも、淡い水色髪の少女は優雅に一礼し名乗る。

 

「黄金の君、グラナ・レヴィアタン様にお仕えするレムと申します。以後お見知りおきを」

 

 続けて最初に現れた少女も、自身の名を告げる。

 

「同じくグラナ・レヴィアタン様に仕えるメイドで、ついでにレムの姉のラムよ。お客様を歓迎するわ」

 

「ここはグラナ様の居城」

 

「この世以上の地獄はないと絶望したヒトが、この世のどこを探しても楽園は無いのだと悟り、ならば己の手で作ればいいと考えての第一歩、それがこの城よ」

 

「だからこそレムたちは絶対にこの城を守り通します」

 

 ジャラリ、と鎖が擦れる音を鳴らす。柄から伝わる力によって鎖は蛇のように宙を這い、その先端の鉄球は轟と大気の壁を易々と打ち破り、障壁にぶつかった。

 たった一撃。小細工抜きの、真正面からの、力任せの一撃だけで、ギルバートの張る障壁に罅が入る。

 

「だからこそラムたちは絶対に侵入者を殺すのよ」

 

 室内だというのに、びゅうびゅうと吹き荒ぶ風。駆ける場所を選ばぬ暴風が縦横無尽に廊下を舐め上げ、全方位からギルバートたちを襲う。

 逃げ出そうにも障壁を解除した瞬間には、風の刃に斬られてお陀仏という状況。なればこそ障壁を破られるわけにはいかないと懸命に力を込めても、それをあざ笑うかのように障壁の罅は広がっていく。

 

「だから死んでください」

 

「だから死になさい」

 

 本当の意味で戦いの火蓋が切って落とされた。

 

 




リゼロより、メイド姉妹参戦!!
レムもラムも可愛い。異論は認めん。

素晴らしい。その一言に尽きる。いや、それすら足らんな。弁には自負があったのだが、言葉に出来ぬ。出来て良い物ではない。したくない。指揮者の仮面を被り、あの葛藤を形にするのは神聖さに泥を塗る行為だ。久々に思ったよ、終わってほしくないとさえ。嗚呼、君たちは本当にどこまで私の瞳を焦がすのか。by某ニート


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5話 水底の吸血鬼

車の仮免許取れたぜ! あー、試験めっちゃ緊張したぜよ……。合格発表の後も緊張しっぱなしで、その後の講義の教室を間違えちまったくらいですからね!!


 西棟に突入した部隊が最初に狙った場所は大図書館だった。正確に言えば、大図書館にいる女が標的だ。

 名をエレイン・ツェペシュ。グラナ・レヴィアタンの配下の中でもかなりの古参の女傑、戦闘力は勿論として知略にも優れることからグラナの右腕と看做されることもしばしばある。吸血の多様な能力によって万能とも言えるエレインは、グラナを討伐する上で避けては通れない障害だ。なればこそ、最初の段階で、戦力が潤沢な段階で仕留めようと画策することは戦略的に理に適っている。

 

 そんな思惑の下に魔城を掛ける数十名の悪魔。途上で遭遇するメイドや執事との戦闘のためにいくらかの人員を割きながらも、部隊の大部分は当初の目的通りに突き進む。

 

「見えたぞ、あれがエレイン・ツェペシュの領域――図書館の入り口だ!」

 

 角を曲がり、廊下の突き当りに見える巨大な木製の扉を発見した男が喜悦を滲ませながら叫ぶ。目的がすぐ近くにまで迫ったこともあり彼に続く悪魔たちの歩みは速くなる。

 そして、勢いのままに扉を開け放ち、雪崩れ込んだ彼らの視界を埋め尽くしたのは本、本、本、本。まさにほんの森と呼ぶに相応しい、膨大な書物の数々。右を見ても、左を見ても、前を見ても本棚のみ。上部へと視線を向けると吹き抜け構造となっていることもあり、この図書館が何階層にも及んで構築されていることが見て取れた。上階までもが本で満たされていると仮定するのならば、この図書館に収められている蔵書は優に万を超し、あるいは億に届くことさえあるかもしれない。

 

「やあ、お客人方。歓迎しよう。諸君らも(・・・・)知っていると(・・・・・・)思うが(・・・)、ここの管理を任されているエレイン・ツェペシュだ」

 

 静謐さを讃える本の森に、鈴の音のような美しい声が響く。声の主は、標的たる吸血鬼。その身に纏う、鮮烈なまでの真紅のドレスは、その配色は勿論として造形も見事なことから着る者を非常に選ぶ。それを当然のように気為すというだけでもエレインの美貌と肢体がずば抜けたものだと評する他ない。

 

「――――」

 

 この場には戦いに来た。エレインを殺しに来た。そんなことは重々承知しているにも関わらず、男女の区別なしに襲撃者たちは吸血姫の美しさに見惚れる。

 無論、いつまでも呆けているわけにもいかない。コツ、とエレインの歩みに伴って発せられる、ヒールが床を叩く音によって意識を引き戻された襲撃者たちは、それを皮切りにして戦闘態勢を取る。

 

「総員構えッ! この場で確実に打ち取るぞ!」

 

 応ッ、と返されるいくつもの雄々しい声。立ち昇る気炎。この場に集った者の中で、強敵を前にしたからと言って臆病風に吹かれる者など誰一人として居ない。

 それは、エレインにも同様のことが言えた。

 真正面から熱波の如き戦意を浴びせられても、口元に浮かんだ微笑は微動だにせず、自然体のままの態度は緊張を微塵も感じさせない。

 

「やれやれ、ここは図書館だよ? こういう場では静かにするのがマナーだと知らないのか?」

 

 肩を竦め、どこか揶揄するような言葉に、襲撃者の一人が即座に返す。

 

「逆であろうが。ここは既に戦場。戦士たちが雄々しく叫び、武を奮うことこそが常道であり作法だ」

 

 両者の言葉の違いは、すなわち認識の違い。この場を日常とするか非日常とするか、図書館と看做すか戦場と看做すか。

 襲撃者側はすでに戦端が開かれたものと考えているのに対し、エレインはそんな考えなど露ほども抱いていない。

 

「その愚鈍な思考が命とりとなるぞエレイン・ツェペシュ」

 

「はっ」

 

 麗しの吸血鬼の表情が変わる。口元の歪みはそのままに笑みの形を保っていても、確実に今までの『微笑』とは違っていた。

 塵の分際で何を囀るのか。身の程を知らぬ無知蒙昧、それこそが罪である。遥か高みより見下ろしながら、エレインは『嘲笑』していた。

 

「君たちが私に勝つと? ふふっ、面白い冗談だな。戦士としては駄目だが、道化の才はある」

 

 戦いとはある程度実力が拮抗している者同士の争いのことだ。蟻を踏み潰すことを戦いと呼ぶことは無いし、銃を片手に熊や鹿を仕留めることは戦いではなく狩りと言う。

 故にエレインは戦意を持たない。数十倍の数の悪魔を前にしようとも、それは蟻の群れと変わらなず、それらから戦意や殺意をぶつけられようとも、同じような意思を返そうとは思わない。

 戦力差が大きすぎるから、そもそも戦いが成立しない。これより始まるのは、益荒男たちによる雄々しい戦ではない。居城に踏み入った羽虫どもを一人の女が駆除する、ただの作業だ。

 

「勝てると思ったか? 戦いになると思ったか? 一矢報いることが出来ると思ったか? ——下らない、寝言は寝て言いたまえよ。君らごときが私たちに勝てるはずはないし、まして彼に挑む権利など持ってすらいない」

 

 エレイン・ツェペシュは強い。それこそ、この女一人を足すために旧魔王派は、こうして何十人も動員しているのだ。夜の支配者に個では勝てないから、群れを形成する。納得は出来ない者が多くとも、格の違いなど当の昔に理解していた。

 だが、それでも言われっぱなしでは居られない。この場に来た悪魔たちにも夢や理想があるのだから。遥か高みから見下ろされ、胸に抱いた想いや希望の全てを無価値だと断じられて唯々諾々と従うことなどどうして出来る?

 

「ッ! ふざけ――」

 

 激情と共に返そうとした啖呵は唐突に止まる。身体を支配したのは、吸血鬼の物言いに対する怒りではなく、生命の本能に由来する寒気。背筋に氷柱が刺さったような感覚に全身から噴き出す冷や汗が止まらない。

 少しでも距離を取ることが出来ればどんなに幸福か。けれど、まるで足が動かない。

 目を塞いで、耳を閉じて、呼吸を止めて、外界から己を切り離したい。しかし、その願いはまるで体に反映されなかった。

 彼らに出来ることは歯をガチガチと鳴らすことのみ。蛇に睨まれた蛙のように、悪魔たちは僅かな身動ぎをすることさえ許されない。

 

「ものみさ眠るさ夜中に」

 

 エレインだけが自然体を保ち続ける。その姿はやはり絶世と呼ぶに相応しいものであり、戦場には似つかわしくないほどに美しい。形の整った唇より奏でられる歌は壮麗にして優美。その姿は万人を見惚れさせ、その美声は万人を魅了するだろう。

 

 けれど、それは時と場所が普通だったらの話だ。

 

 現在、彼女が立っている場所は戦場のど真ん中で、周囲の共演者は顔を真っ青にして震えるばかり。BGMとして奏でられているのは、恐怖による歯のぶつかる音だけ。

 そういった背景を加味すれば、齎される印象は正反対となるに違いない。

 

「水底を離るることぞうれしけれ」

 

 失禁する者さえ現れる空間の中で、ただ一人変わらぬ美しさを保つ吸血鬼。その姿は一輪の花の様。他者の生命を喰らって咲き誇る、おぞましくも美しい食人花だ。

 エレインの影がまるで生き物のように蠢き、そこから幾つもの呻き声が聞こえてくる。それはきっと、これまでに彼女に食べられた犠牲者たちの悲鳴。数にして優に数百を超えるだろう、狂奏曲まで加わり、場の悍ましさは加速する。

 

「水のおもてを頭もて、波立て遊ぶぞたのしけれ」

 

 水中に放り込まれたかのように、身動きが難しくなる空間。大気はどろりとした粘性を帯び、背筋を凍らす空寒さまで生じる。

 

「澄める大気をふるわせて、互に高く呼びかわし」

 

 歌が進むたびに、影から発せられる悲鳴は強くなっていく。その根底にあるのは、助けて、助けて、助けて、生きたいという何よりも純朴な願いだ。しかし、聴衆が拒絶しようとも、一方的に語られ続ける無数の呻き声は精神をガリガリと削る不協和音と言う他なく、本来の願いを欠片として見出すことが出来ない。

 

 そもエレインは犠牲者のことをヒトと思っていないのだ。だから、家畜を占める際に豚や牛の上げる悲鳴に取り合う者がいないように、犠牲者の願いを踏み躙りながら、艶やかに軽やかに歌を紡いでいくことが出来る。

 

「緑なす濡れ髪うちふるい」

 

 ボコボコボコボコボコッ! 影の動きが激しくなり、いくつもの気泡が上がる。それに伴い、影から聞こえる悲鳴の"色"も変わっていく。助けて、助けて、助けてと自身が生きたいという被害者の祈りが歪んでいく。

 

 ―—何故私が、僕が、こんな目に遭わなければいけないのか。

 

 理不尽に遭えば、誰もが抱くであろう当たり前の文句。けれど、殺され食われ、同じように貪られた者たちと何年も逃れることの出来ぬ牢獄に繋がれ続けた結果、文句とは間違っても言えない呪詛と化す。

 

 ——私が、僕がこんな目に遭っているのに、どうしてお前たちは生きている? なぜ自分の足で立っている、口で呼吸している!? 私たちは己の体さえ失って、今やただの奴隷となっているのに!?

 

 羨ましく、恨めしく、疎ましい。故に憎むのだ。エレイン・ツェペシュという名の釜の中で、ぐつぐつと掻き混ぜられ醸造された犠牲者たちの魂。

 肉体を失い、ただの怨念と化した彼らの現状は、恨みという形に純化されたとも言える。足は無く、腕もなく、目も鼻もない。彼らに残されたものは怨念のみ。

 

「乾かし遊ぶぞたのしけれ!」

 

 麗しの吸血鬼の影が幾つもの柱となって屹立し、更にその形を無数の魔獣へと変えて顕現する。その数、勢いは波濤と称するに相応しく、あっという間に周囲を埋め尽くしてしまった。

 左右対称の肉体を持つものは一体としておらず、瞳は歪んだ光を宿し、手足の長さや形さえも不揃いだ。白痴か何かのように開けっ放しとなった口腔からは常に涎が零れている。これほどに悍ましく、醜い生命は存在しないと稚児でも断言出来る、汚泥の魔獣。その名は―――

 

拷問城の食人形(チェイテ・ハンガリア・ナハツェーラー)!」

 

 生命を冒涜するかのようなその姿を目視しただけで、幾人もの戦士たちが発狂した。

 ある者はケタケタと笑い出しながら股を濡らす。誇り高い戦士だったかつての姿が嘘だったかのように、その場に膝を付いて糞便を垂れ流した。

 ある者は、自身の頭を何度も何度も床に叩き付ける。額が割れようとも、周囲の制止を振り切って、頭蓋が完全に砕けるまで床への頭突きを繰り返した。

 ある者は、喉が裂けて血を吐いても尚叫び続けた。血反吐をぶち撒け、それでも尚足りぬとばかりに一層増す声量。更には、爪が剥がれることを厭わずに己の胸を掻き毟る。十指の爪が剥がれる痛みにも頓着しない。爪が剥がれるほどの力で引っ掻き続けるのだから、当然のように胸にもいくつもの傷が出来、血が滲んで服を朱に染める。

 ある者は自身の眼球を抉り出し、眼孔に指を突っ込んでがりがりと骨を削り、終いには己の脳髄まで引っかき回して顔面の二つの穴から撒き散らす。

 

「誰一人として生きて帰すものか。滅尽滅相、この場で死に絶えるがいい」

 

 発狂出来た者は、それが救いだったのかもしれない。精神の均衡を保ってしまえば、汚泥の魔獣に吐き気を催すような殺意を向けられながら、貪り食われる末路を真っ当に認識してしまうのだから。

 悪魔たちの下へと汚泥の魔獣が津波の如く押し寄せる。最初に犠牲になったのは正気を失ってしまった気狂いたち。逃走という考えそのものを捨て去った彼らは、笑いながら獣の抱擁を受け入れ呑まれていった。

 

 それを正気のまま眺めることとなった者たちにとっては、まさしく吐き気を催す光景と言う他あるまい。平衡感覚が曖昧となり、現実と夢の境さえ分からなくなる。戦意など欠片も残らずに消え去った。

 かろうじて精神の均衡を保つことが出来ていた者の大半がその場で何度も嘔吐を繰り返すことで、漸くこれ(・・)が現実なのだと理解する。

 そして理解の次にやってくるのは恐怖だ。僅か一歩踏み出すだけで狂人になってしまう、何をせずとも魔獣に貪り食われる未来が待っている。そのことを認識してしてしまえば、如何に超常の存在たる悪魔であっても怯えずにはいられない。

 

「きゃあああああああああああ!」

 

 生きたまま、手足を貪られる。裂けた腹部から零れた内臓が汚い脚で踏み潰される。いくら悲鳴を上げようとも、魔獣が手心を加えることは決してない。

 過去の犠牲者たちが仲間を欲して、今を生きる者らを自分たちの下に招くために足を引く。エレイン・ツェペシュの体の中で、その力の源として消費されるだけの存在へと引き摺り落とす。

 それは生命の冒涜であり凌辱だ。

 想像し得る"最悪"。汚泥の魔獣に蹂躙されることはその遥か上を行った。 

 

「嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だァッ! こんな終わり方絶対に認めない!」

 

 戦場に出ると言うことは、誰かを殺すということであり、同時に誰かに殺され得るということ。互いの命をベットし、武勲や褒賞を望むのが戦だ。

 戦闘員たる彼らは、現場の者であるが故に、戦場と戦いの性質についても良く理解していた。けれど、最低最悪の死に方をした挙句、肉体さえ失いただの燃料とされるような末路を一体誰が予想出来るのか。

 

「こんな死に方、あんまり(・・・・)だろう!?」

 

 恐怖によって縛られていた体が自由を取り戻す。恐怖を克服したのではなく、むしろその逆、キャパシティオーバーしただけなのだが、限界以上に追い込まれたが故に、今の彼らは限界以上の力を発揮することが出来ると言う意味では僥倖だ。

 

 しかし、芽生えた幸運が実を結ぶことを敵が許すはずもない。

 

 エレインはその場から動かず、魔獣を操り続ける。恐慌状態に陥った襲撃者たちに、その何十倍もの数の魔獣をけしかけ、片っ端から喰らっていく。更には万に一つの逃走を許さぬようにと、本棚を盾にして襲撃者たちの視覚から逃れた別動隊を図書館の出入り口へと向かわせて逃走経路を潰す。最後に、億に一つの逆転の目を潰すために己と襲撃者との間に魔獣を大量に配置し、即席の壁とした。

 

 結果、大図書館ヴィンダー・カンマーを舞台に、蹂躙劇の幕が上がる。狂人の笑い声、女の悲鳴、男の命乞いが幾重にも反響して重なり合う。骨肉が撒き散らされ、血飛沫が舞い、足元の感触は床を叩く硬質なものからあっという間に変質してしまった。

 断末魔が聴覚を、最後の姿が視覚を、残り香が嗅覚を、屍が触覚を、大気に混じった死が味覚を、刺激し、満たす。どこを向こうと、どこに行こうと、決して狂気の舞台から降りることは出来ない。そのことを理解した者から、自らの正気を手放し堕ちていく。

 

「――私はね、君たちのことが気に入らないんだ」

 

 唐突に、この惨劇を築き上げる吸血鬼が呟いた。躊躇なくこれだけの虐殺を行うような女が、返答を期待していないのは言わずがな。事実として、エレインの瞳は悪魔たちの一人さえ見ることなく、虚空に向けられ、その思いはここではないどこかにある。

 

「襲ってくることは煩わしい。けれど、主張の違いがあれば争いが生まれるし、歩む道と目的の違う君たちと衝突することは仕方ないのだと諦めることは出来る。

 だから、この想いは完全な私情だ。派閥同士の争いから生じる敵意ではなく、私一個人が納得いかないということ。―――なぜ、君たちのような屑が私の上に立つ?」

 

 自身の生まれは最低なものだと理解している。それはつまり、自分以外の誰もが、自分よりは上にいるということに他ならない。上位者が、その立場に相応しい人格や実力を有しているのならば、格が違うのだと納得できるし、目標として精進の糧にもなる。

 

 しかし、世の全ての者が、己の立場に相応しいかと問われれば違うはずだ。

 

 親から継いだ地位や権力に溺れるばかりの無能。生まれ持った才能に頼るだけで、努力の一切をしない怠け者。家名や血筋を誇るだけで、個人として自慢できる点を持たぬ七光り。

 そんな屑が一定数いることは、いつの時代でも変わらない事実だろう。そして、そんな者たちでさえ、自身より上の椅子に座っている。

 

「到底許容できるものではない。認められるものか。ああ、ふざけるなよ。

 私は、天上の星に到りたいと願う身の程知らずの愚か者だ。しかし塵屑に劣るほど価値がないと言われて受け入れる軟弱者ではない」

 

 かつて(グラナ)と並ぶために、夜を支配する略奪者となることを決意した。けれど、他者から全てを吸い取り再誕し続ける不死鳥になった程度で、星に追いつけるとは思っていない。星の輝きはそれほどに尊く、見果てぬほどに遠いのだ。

 だからこそ、恋い焦がれる。近づいてしまえば、作り物の翼など溶かされ焼き尽くされてしまうかもしれない。それでも近づきたいから何度でも蘇る、夜の不死鳥となったのだ。

 

 しかし、不死鳥となっただけでは届かないということには変わらないし、届きたいと願う想いが色褪せることもない。

 だから踏み台を作る。階段を用意する。そうすれば、より高く飛べるし、高く跳べる。幼子でも理解できる、至極単純な理屈だ。

 

「私は私よりも上にいる者らの足を引き、その椅子から引きずり落とす。そして、踏み台とする。

 光栄だろう? 塵屑の分際で、天に到るための(きざはし)の一つとなれるのだから。泣いて礼を言い給えよ」

 

 返答の声は一つとして無い。襲撃者として、勝利を信じてこの場にやって来た者の中で、そんな余裕を未だに保っている者など皆無だ。

 彼らは一様に食われることを待つばかりの獲物。口から洩れるのは現実逃避のための文句か、命を燃やし尽くすかのような断末魔のみ。汚泥の魔獣に迫られ、その影を踏んでしまった瞬間から逃れることさえ許されなかった。

 

「逃げることは出来ないだろう? 食人形(ナハツェーラー)の影を踏んだ者はその動きを縛られるからねぇ。存分に己が身を食われる感覚を味わうといいさ」

 

 上位に居る屑を引き摺り落とし、踏み台とする。踏み台には意思はいらないし、ましてや動くことなどあってはならない。道具は道具としての機能だけを備えていれば良い。

 下位であることを理解しながらも、徹底的なまでに上位者を見下し、その尊厳の全てにつばを吐き捨て冒涜し、奪い去ることに躊躇いはない。己が水底に沈む身であることを自覚するが故に、水底の吸血鬼は苛烈に過ぎる叛逆精神を宿していた。

 

 

 




名称:拷問城の食人形(チェイテ・ハンガリア・ナハツェーラー)
出典:Dies irae
原典使用者:ルサルカ・シュヴェーゲリン=マレウス・マレフィカルム
本作使用者:エレイン・ツェペシュ
効果:大量の魔獣を生み出す。この魔獣の影を踏んだ者の動きは拘束され、魔力や魔術の行使まで危うくなる。

足引きババアの聖遺物はカーミラ婦人の物で、DD時空においてはかの婦人は吸血鬼だったようですから、この能力を吸血鬼のものと解釈してもオッケーですよね?
たぶん、この足引きの拘束能力って霊的なものにも作用すると思うのです。大本のエイヴィヒカイトが魔術ですし、霊的な部分まで拘束できなければザミエルのような遠距離タイプ相手には無力すぎる……流石にそれは足引きババアが不憫すぎますからね。


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6話 魔城のお客様歓待術

花粉症ッ! なんだあの滅茶苦茶パネエ敵は!? 鼻水止まらんし、目が痒い!!
……季節的に仕方ないってのは分かってるし、時期が過ぎれば収まるのでしょうけど、この時期は毎年大変でごわす。
  


 魔城に突入した四つの部隊はそれぞれが相当な戦力を抱えており、一つとして囮の部隊は存在しない。各部隊を率いる隊長は旧魔王派の実働構成員の中でも屈指の実力者が抜擢されていることは勿論として、その部下たちもこれまでに実績を多く上げた選りすぐりの猛者揃いだ。

 

 しかし、それでも本命を挙げるとしたら、中央棟に攻め込んだ部隊が選ばれる。その理由は城の構造に由来し、東棟は生活拠点、北棟は倉庫、西棟は図書館などの施設類がまとめられているのに対し、中央棟は主の執務室や客間など"城"としての機能が集約されており、単純にグラナが居る可能性が最も高いのがこの中央棟なのだ。

 旧魔王派が決行した本作戦の目的は、グラナ・レヴィアタンの首である。中には彼の配下の女を求めたり、彼の保有する資産を掠め取ろうと考えている者もいるのだが、本来の目的を忘れた者は一人としていない。

 ならばこそ、中央棟に攻め込む部隊が四つの部隊の中でも最も大きなものであり、しかも率いる者が本作戦の指揮官も務めるアルフォンスであることは何ら不自然ではなかった。部隊の誰もがそのことを当然だと受け止めると同時に、自分たちが本命であるという自負が歩みを遅くすることを許さない。

 

 敵地だからと怯えることはない。警戒を顕わに慎重に進むこともない。顔は自信の色に染まり、口元には知らず知らずのうちに笑みが浮かでいた。

 彼らは戦意を撒き散らし、隠れることもせずに堂々と突き進む。

 事前にスパイから城の構造についてお情報を受け取っていたこともあるが、精神的要素にも影響されて軽くなっていた足の運び。

 

 しかし、それが遂に止まった。部隊の前方に一人の女が現れたためだ。

 いい気分だったところに水を差され憤る者。敵の出現に警戒する者と、武勲を上げる好機だと喜ぶ者。これだけの大部隊を前に、たった一人で歩み出る女を愚かだと嗤う者。

 襲撃者たちの様々な反応——様々な敵意や戦意、悪意が場を満たしたが、女は顔色一つ変えることなくその場で頭を下げ、日常の一場面のように平然と挨拶の言葉を投げた。

 

「今宵、皆さまの歓待を任されたヒルデガルダと申します。お気軽にヒルダ、とお呼びください」

 

 ヒルダと名乗った女の髪色は輝くような金。後ろ髪を夜会巻きにして纏め、前髪は右目を隠すように一方だけが伸ばされている。左目は髪に負けず劣らずの美しさを持つ碧眼。所謂ゴスロリ調のものということもあり、人形染みた美しさだ。

 その美しさは外見のみに留まるものではなく、耳朶を打つ声や、頭を下げて礼をする動作にまで現れている。何を取っても非の打ち所の無いメイドを前に、襲撃者の中にも思わず感嘆のため息を漏らす者が多数いたほどだ。

 

「私も誠心誠意尽くし、皆さまを喜ばせることを誓いますが、一つ頼みたいことがあります」

 

 見惚れたのは事実、しかし襲撃者たちはいつまでも呆けているばかりの馬鹿の群れではない。また、本命の部隊と言うこともあり、この中央棟を攻めるために集められた者の中には相当数の良家の出の者がいる。美しい女、完璧な作法、そして貴族としての腹の探り合いを経験してきた彼らは、つまりそういったものに慣れているということだ。

 ヒルダが現れてから時間がそれなりに経過したこともあり、平常心を大半の者が取り戻し、質問を返すだけの余裕もすでに持ち始めていた。

 

「ほう、使用人の身でありながら頼みとな」

 

「なに、難しいことではありません。ただ、我が主へ花を贈っていただきたいのです」

 

 瞬間、口調はそのままに楚々としたメイドとしての態度が崩れ去る。主の後ろを付いていく使用人のような、男に守られるばかりの女子供のような雰囲気はどこへやら。

 そこに立つのは、もはや戦う力を持たない哀れな犠牲者ではなく、百戦錬磨の大戦士。全身から溢れる魔力量は最上級悪魔にも匹敵し、構える姿には僅かな隙すら見当たらない。

 握られている武器は、ゴスロリ調のメイド服に良く似合う可愛らしい傘。普通の女がそんな物を戦場で構えても、何らの迫力も有さないだろうが、ヒルダの場合はまるで違った。

 まるで一振りの名刀。鋭く、冷たく、殺意に溢れ、しかしヒトの目を引いてやまない魔性の美に溢れている。ただ一振りするだけで、上級悪魔を圧倒することが出来てしまうのではないか? 家や血筋、ひいては生まれ持った力を重要視する、旧魔王派の構成員たちでさえ自ずとそんな考えが浮かんでしまう。

 

「――貴様らの鮮血で華を作るということだ。最後の一滴まで絞り出してやるから、後顧の憂いなく、存分に死に狂えよ雑兵ども?」

 

 構えられた傘の先端に馬鹿らしくなるほどの、膨大な魔力が収束していく。感じられる魔力の量に反して、その速度はかなりのもの。魔力の動きを感知してから、あっという間に溜め(・・)が完了してしまう。

 

「逃げ―――ッ」

 

 部隊を率いるアルフォンスに出来ることは、防御のための障壁を張る事でもなく、ただ退避のための声を張り上げることのみ。しかし、それでさえ間に合うことはなく、ヒルダの魔力砲の轟音に、彼の口上は容易く掻き消された。

 

 金髪のメイドが傘を向けた先は、指揮官のアルフォンスとは全く違う方向だ。襲撃者たちの邂逅したばかりのメイドが、指揮官は誰なのかとか個々人の能力如何について知っているはずもないのだから、とりあえず(・・・・・)敵が密集している場所を狙ったというだけのこと。

 そんな軽い気持ちで構えられた傘の直線状には、何も残らない。偶々狙われた悪魔たちは、痛みを感じる暇さえなく蒸発し消え去ったのだ。

 一瞬の攻防で数十人の悪魔を殺したヒルダの心は、その惨状を眺める冷めた瞳の通り、何も感じてはいないのだろう。魔力の奔流を放ったままの傘を、無造作に横に振るい更に被害を倍増させていく。

 

「……そ」

 

 アルフォンスが、ヒルダの攻撃から逃れることが出来たのは、そして命を繋ぐことが出来たのはただの偶然によるもの。

 彼が偶々、ヒルダに狙われた地点との間に居なかったということが一つ。

 第二に、彼の立っていた場所が、丁度脇道のすぐ近くであり、そこに飛び込むことで砲撃の斜線から逃れることが出来た。

 そして最後に、彼は指揮官として先陣を切っていたため、後方に続く部下が居ても左右と前方のスペースが空いており、比較的自由に動くことが出来た。

 ただの偶然でも、ここまで重なれば奇跡と呼んでもいいのかもしれない。だが、奇跡を呼び込む己の豪運を喜ぶだけの余裕は残されていなかった。

 

「く、……が」

 

 この部隊が本隊であり、それを構成する多くの中・下級の悪魔たちが実力者揃いだとしても、をアルフォンスは下に見ていた。実力は認めていても、生まれの差は確固としてある。だから、所詮は平民であると、貴族たる己とは別の下賤な輩であると、そう互いの間に線を引いていた。

 更に言えば、この部隊にはアルフォンス以外にも何名かの上級悪魔が配属されているのだが、彼らのことも舐めていた。貴族としての位は同等であっても、上司と部下として立場が分かれたことが格の違いを証明していると驕り、顔を合わせるたびに嫌味と皮肉を飛ばしていたほどだ。

 

 有象無象。誰も彼もそう断じ、アルフォンスは部下の名前一つ記憶していない。部下に窮地を救われるようなことがあったとしても、"助けられて当然"と何の感慨も抱かないか、"助けられるほど人望のある私は素晴らしい"と自己愛に溺れるだけだ。

 アルフォンスは己しか見ていない。部下など、役に立つのなら道具として使いつぶすし、役に立たないのなら捨てるだけ。

 

 しかし奇跡が起きなければ、運に頼らなければ、そんな有象無象に混じって殺されていた。十把一絡げに、何を思うことなく、あのメイドは高貴なる己を殺そうとしていた。

 その事実が、何よりも彼の心を掻き乱す。

 

「クソが糞がくそが糞クソクソがぁぁあああああああああああああアアアアアアアアアアアアアッ! 

 私は強い、私は優れている! 貴族なんだぞ、上級悪魔なんだぞ! 真なる魔王からの信頼も篤い忠臣にして、真魔王派屈指の英雄なんだぞ! 何を使用人如きが、私を下に見ている!?」

 

 感情の昂ぶりに応じて吹き出した魔力が暴風の如く荒れる。己と同じく、運の良さに助けられ命を拾った部下たちに配慮して魔力を抑え込むことなど到底敵わない。たった今死にかけたという特大の恐怖を味わう同胞に見向きさえすることなく、悪態を吐いて吐いて吐いて吐いて吐いて吐き続ける。

 

「ふざけるなふざけるなふざけるなふざけるなふざけるなふざけるなふざけるなふざけるなふざけるなふざけるなよ屑がァアアア!

 私が負けることなどあり得ない。あってはならない。そんなことは間違っていると何故分からない!? 歯向かうことなど言語道断、私の前に立つのであれば潔く勝利を譲るのが道理であろうがッ!」

 

 アルフォンスの思考は傲慢そのものだが、彼の実力は非常に高い。幼いころから負け知らずで、これまで常に成功を積み上げ続けた才人だからこそ、魔王の系譜に連なる者らにも目を掛けられた。

 

 しかし、それはアルフォンスの居た環境が井戸だったが故のことでしかない。彼は確かにその場では強者で、龍だったのだろう。

 けれど、井の中の龍は大海の蛙にも劣る。

 修羅の爪牙のたった一つにさえ及ばない、矮小にして脆弱なる愚者。それが、この場におけるアルフォンス・フールの正体だった。

 

「阿呆が。勝利を捧げるべき相手は至高の黄金以外にいるはずがないだろう。そんなことさえ分からんから貴様は愚図なのだ」

 

 旧魔王派の実力者を怯えさせる魔力の暴流をものともせず、コツコツコツとヒールを鳴らせながら、再度アルフォンスたちの前にまでやってくるヒルダ。彼女の身から溢れる魔力は、アルフォンスをして膨大と言わしめる程——最上級悪魔にも及ぶ。

 

 冥界広しと言えど、数えるほどしかいない最上級悪魔。彼らの実力はその名が示す通りのもので、悪魔の頂点たる魔王に次ぐほどだ。英雄を自称するアルフォンスでさえ格上と認めざるを得ないほどの強者、それが最上級悪魔である。

 

 膨大な魔力に任せるだけのパワー馬鹿であれば、単独で勝つことは難しくても、これだけの部下と連携し攻め立てれば崩すことも可能だろう。

 しかし、ヒルダの最大の脅威は魔力の量ではなく操作技術である。

 

 力というものは大きければ大きいほど制御が難しくなり、小さければ小さいほど御しやすい。車で猛スピードを出せばカーブを曲がり切れなかったり、ブレーキが利いて止まるまでにも相当な時間がかかるが、低スピードならばそんなことにはならないようにだ。

 

 ヒルダの場合、魔力の量は膨大でありながら、その動きは流麗の一言に尽きる。速く、滑らかで、そして無駄がない。故に効率的で合理的な攻撃は、常に相手から先手を奪い、千の魔力を消費するだけで、二千も三千もの破壊力を叩き出す。

 使う物が同じならば、あとは技巧次第で劣化も改善もする。当然の理屈だが、ヒルダの次元でそれを実現するには、F1マシンをアクセルベタ踏み状態のまま複雑なコースを走破するような、常識離れした器用さが必須となる。生まれ持った才能を重視し、魔力量に物を言わせる力押しを常道としてきたアルフォンスたちでは、この土壇場で真似して対抗することなど出来るはずもない。

 

 力で劣り、技でも劣る。唯一勝るのは数。それが意味するのはアルフォンス・フールという一悪魔はただのメイドにさえ及ばないということ。

 

「こ、の雌犬がぁ……!」

 

 ギリギリと軋むほどに歯を噛み締め、握り込んだ拳からは血が何滴も滴り落ちた。悔しさと、プライドの高さゆえに己が悔しがっていると認められない葛藤が滲み出たアルフォンスの形相は鬼のそれ。

 泣く子が見れば、更に泣き喚くだろう鬼相から放たれる怒りの啖呵を向けられても、ヒルダはまるで怯まない。むしろ、鼻で笑いながら冷ややかに返す。

 

「私が雌犬ならば、貴様は負け犬だ。敗北し、頭を垂れ、吠えることしか出来ない。ああ、実に無様なものだな。上級悪魔が聞いて呆れる」

 

「―――」

 

 戦慄、悔恨、葛藤、全ての感情が塗りつぶされ、アルフォンスの意識は赫怒の一色に染まる。最早、彼の頭からは彼我の力量さや勝率の低さといったことは消し飛び、激昂のままに魔力を撒き散らし襲い掛からんとした瞬間のことだった。

 

 斬ッ! 背後から、刃物で何か太い物を斬り落とすような音が届き、驚愕によって彼の動きは制動される。僅かに遅れて聞こえてきたのは、液体が噴き出し続けるような音と、ドチャリと重く湿ったものが落下したかのような音。

 大気には鉄臭さが混じり、ぴちゃりと音を立てた足元に目を向けてみれば、そこにあったのは背後から流れ込み徐々に広がっていく赤い液体。

 

「は?」

 

 恐る恐る振り返り、思わずと言った風に声が漏れる。

 音、臭い、足元の血などから自らの後方で死人が出ていることは予想出来ていた。予想出来ていたからこそ、そしてそれをどこか信じたくない気持ちがあったから振り向く際に時間を費やした。

 

 葛藤に苛まれるアルフォンスの目に入ったのは、その予想を嗤うような光景だ。

 

 彼の部下は誰一人として立っていなかった。半数以上が、自らの血で作った血溜まりに沈んでいるのだ。どの死体も心臓や頭蓋に穴を開けられるか、首を切断されるなどして明らかに即死だった。

 アルフォンスが振り向くのに時間を要した時間は、激しい葛藤の中だったとは言え僅か数秒。たったそれだけの間に、旧魔王派の精鋭がなす術もなく蹂躙されていた。抵抗の跡がほとんどないことから、勝負は本当に一方的なものであったのだと否応なく理解させられる。

 一応、生存者はが何人かいる。ただし、一様に恐怖し驚愕し、その場で腰を抜かしてしまっていた。抵抗に成功したわけではなく、偶然標的に選ばれなかったおかげで命を拾っただけなのだろう。

 

 アルフォンスとその部下に全く気付かれることなく、それだけのことを為した者は、一人の女使用人。着用しているメイド服は質の良い物だと分かるが、丸眼鏡を掛け、長い黒髪を二束の三つ編みにしており、どこか野暮ったい印象を受ける。しかし、刃物より遥かに鋭く氷より尚冷たい眼光と、全身から発せられる濃密な殺気が、最初の印象を上書きして余りある。

 

「サンタマリアの名に誓い、すべての不義に鉄槌を」

 

 己に向けられる視線など歯牙にもかけず、黒髪のメイドは祈るように口遊(くちずさ)んだ。足元まで隠す、ロングスカートの中から取り出したククリ刀を手に持ち、気負うことなく歩を進める。行き先は、腰を抜かして今もへたり込んだままの哀れな悪魔。

 

「やめ、やめろっ! 来るなぁっ! こっちに来るなよぉぉおおオオッ!!」

 

 髪を振り乱し、目を充血させて、口からは唾を飛ばして叫ぶ。その様子には、城に突入する以前の覇気や自信は微塵も感じられず、嵐の夜に怯える幼子より哀れだ。

 立ち上がることも出来ずに、両手を使って後退しながら必死に命乞いする悪魔。このまま放置すれば、「何でもするから助けてくれ」と言い出すだろう。

 しかし、黒髪のメイドはまるで歩く速度を緩めない。ブツブツブツブツと呟く彼女には、そもそも命乞いの声が届いてすらいなかったのかもしれない。一瞬ごとに膨れていき、冷たく研ぎ澄まされていく殺気は、それだけでヒトを殺し得る狂気にして凶器だ。

 

「ヒィッ!」

 

 悪魔がメイドに向かって魔力を放つが、カウンターを狙ったわけではないのだろう。迫りくる恐怖に、反射的に対応したと言うだけ。傍目に見ても稚拙な攻撃だが、当人の意思が介在しないものであるために、それを予測することは困難を極め、実際にメイドの腹部を魔力が直撃した。

 

「———ッ」

 

 メイドは数歩後退し、内臓を負傷したのか口から血を溢す。だが、それだけだった。

 完璧なクリーンヒットだったにも関わらず、メイドは依然、その両足で確かに立っていた。殺気は濃くなる一方、負傷したことなど考慮の端にすら入っていない。

 彼女が止まる時は、標的を殺した時のみ。手足が捥げようとも、腹が裂けようとも、一切表情を変えることなく敵の喉元に喰らいついていく殺戮マシーンなのだ。

 

 直感のままに正答へと辿り着き、異常な在り方と極まった狂気に戦慄するアルフォンス。彼を嗤うかのように、彼の背後からは正答へと至ったことを肯定する、笑い声が向けられた。

 

「彼女の名はロベルタ。かつてはフローレンシアの猟犬の異名で恐れられた兵士だ。人間を見下すお前たちが知らなかったのも無理は無いが、相当に強いぞ?」

 

 空を舞う翼のない劣等種族。想像を現実に投影する、魔力を有さない弱小種族。

 それが人間。少なくとも、アルフォンスはそういう風に認識して生きて来た。ロベルタの在り様は、彼の常識からはあまりにも乖離したもので、ヒルダの告げた言葉が何らかの聞き間違いだったのではないかと呑気に疑問まで浮かべてしまう。

 

 ——あれが、人間……? 何かの間違いだろう?

 

 人間とは何ぞや。ある種哲学的な問答を始めてしまいそうなアルフォンスを余所に、目の前の状況は推移していく。

 

「? っひひ。やった。やったんだ!」

 

 ロベルタに一撃を入れることに成功した男悪魔は、一瞬呆然とし、そして笑みを浮かべた。口の端が引き攣り不格好ではあっても、自身が狩られるだけの存在ではないと思いなおし、むしろ狩る側の存在なのだと叫ぶかのように攻勢に入る。

 彼の姿を間近で目撃した生存者たちも一人、また一人と奮起し、ロベルタに向かって戦意を飛ばす。こうして向き合っている以上奇襲は初めのように成立せず、数で勝る悪魔らの方が圧倒的に有利。ならばあとは圧殺するのみだろう。狭い廊下に逃げ道はなく、数と魔力に物を言わせれば戦いですらないワンサイドゲームとなる。負ける未来など想像のしようがない。

 

「死ねぇッ!」

 

 雨霰の如く放たれる無数の魔力。一つ一つが人体を貫くほどの威力を秘め、しかも数が多く潜り抜けるような隙間が存在しない。

 メイドの腕が飛び、足が千切れ、腹部に穴が開く。とうに息を引き取っているにも拘らず、弾丸殺到しその身を蹂躙するために亡骸を取れることさえ許されず、その場で死の舞踏を続ける。

 そのような未来を幻視した。この場の状況を見れば万人がそう予測するし、中には顔を手で覆いながら惨劇を前に悲鳴を上げる女が出てもおかしくはない。

 

 しかし現実はまるで違うものとなる。なぜなら、ロベルタは黄金の麾下なのだ。数多いる使用人の中でも防衛の一翼を担う戦闘員、その身は人間なれど、彼に輝きを見出された魔人である。旧魔王派の精鋭改め、黄金風に言うのならば、ただの雑魂どもに首を取られるはずがないのだ。

 

「―――」

 

 自身を死に追いやることも可能な弾幕を前にしても、ロベルタの精神は微塵も揺るがない。丸眼鏡に奥に覗く、細く眇められた瞳は、無数の魔力弾を冷静に観察し、その軌道を正確に予測する。

 

 ―—弾幕に隙間が無いということは前に行けば死ぬということ。後方に下がっても同じことでしょう。

 

 ——ならば左右は……壁の間際まで走れば逃れることも可能でしょう。しかし、追撃が来ればそこで詰みますね。

 

 ——とするのであれば、左右に逃れた後、追撃を避けることを念頭に置くべきですか……。

 

 コンマ一秒未満の間に、己の取りうる行動とその結果を予測する。その思考速度はまさに魔人と呼ぶに相応しい代物であろうが、真に驚嘆するべきはそれだけの思考と試行を脳内で繰り返す胆力だ。ギロチンの刃が己の首に向かって下ろされている最中に、呑気に考え事をするような胆力はやはり尋常なものではない。

 

 ロベルタはその場から跳躍した。魔術、魔力、仙術、妖術、その他諸々の異能の術が使っていない。純粋な身体能力と身体技能を使っただけの跳躍をした、彼女の姿が悪魔たちの視界から消える。

 その種は『無拍子』。武術には剣術や槍術、棒術といった風にいくつもの種類があり、その中でも更に無数の流派に分かれている。全世界の流派を合計したときの数は百や二百では利かないだろう。名称こそ違えど、それら武術・流派の垣根を超えて共通する技術というものはいくつもある。そのうちの一つが無拍子である。予備動作を無くすことで動作全体の速度を上げることを旨とする技巧だが、予備動作を無くすということはその動きを敵は予測し辛いということでもある。

 

 ヒトの目は、その構造的に急な動きに対応し辛い。人間とはいえ、ロベルタほどの極まった身体能力の持ち主が、予備動作を完全になくし、対応の難しい斜めの軌道を描いて跳躍すれば、敵手の意識を置き去りにすることなぞ造作もない。

 

「ど、どこへ消えた!?」

 

 ロベルタの姿を見失い、取り乱す侵入者たちを、当のロベルタは冷たく見下ろす。

 彼女の居場所は壁面だ。跳躍した後、両脚の爪先と、両手の指をめり込ませることで壁に着地し、その場に体を留めているのだ。直前まで右手に携えていたククリ刀を口に咥え、四足を()に着ける姿は、獲物を前にした猟犬を髣髴とさせ、事実として、猟犬よろしく獲物に向かって飛びかかる。

 

「ガァッ!」

 

 壁面を蹴りつけ、敵に向かって飛び降りる最中。口に咥えていたククリ刀を右手に構え直し、着地と同時に落下の勢いまで加えて振り抜いた。

 頭頂から股下までに奔る銀線。悪魔の体はまるで斬られたことに気付かなかったかのように、数瞬遅れてから左右二つに分かれて倒れ込む。断面からは、脳漿が、骨が、内臓が、血潮と肉が溢れて廊下を穢した。

 僅か一撃で、人間が悪魔の体を真っ二つに両断する。寸前まで沸き立つような熱気に心を支配されていた悪魔たちも、その光景を見てしまえば冷静にならざるを得ない。瞠目せざるを得ない。

 

「死んでくださいまし」

 

 フローレンシアの猟犬はその意識の空隙を逃すほど甘くない。ククリ刀を振り被り、投擲する。ダラリと垂れ下げた状態から攻撃までに要した時間は一秒未満。それほどの速度を追求しながらも技には一切の陰りはなく、投擲した武器は空中でブーメランのように弧を描きながら次々に悪魔たちの首を飛ばしていく。

 右手で刀を投擲すると同時に、左手も動いていた。肘を曲げた状態から伸ばす一動作で、袖口から取り出した四本のナイフ。それらをそれぞれ指の間に挟み、投擲。武器の重量、刃渡りからククリ刀ほどの殺傷能力はないが、牽制するには充分な代物だ。戦場のど真ん中で驚愕に身を固める愚か者どもの眼球や肩口に次々に短刃が突き刺さり、血潮を上げさせた。

 

「が、ぁあッ! 人間が調子に乗ってんじゃねええええええええ!」

 

 右目にナイフが、脇腹にククリ刀が突き刺さり、口から血を溢す女悪魔。言葉の汚さは、彼女の焦りが表に出たためのものだろう。

 腹部からの出血は激しく、恐らく刃は内臓にまで達している重傷。右目の損壊は生命の危機に直結するわけではないが、戦いの最中に視界の半分が失われることが危険であることは明らかだ。それほどの傷を人間に負わされたという屈辱が、命の危機に瀕する焦りに怒りのスパイスとなって降りかかる。

 

 しかし泣く子も黙るような表情の悪魔に睨まれようとも、ロベルタは一切取り合うことは無い。裾を掴み持ち上げたスカートの中から、ゴトリゴトリと次々に手榴弾が零れ落ちる(・・・・・・・・・)。その場でくるりと一回転し、踵を用いて計十個を超える手榴弾を悪魔たちに向かって蹴り飛ばした。

 

 ズドドドドォオン!! 

 

 咲き乱れたのは紅蓮の花々。激昂し攻撃的な思考に傾いていた悪魔たちが、咄嗟の防御や回避を出来るはずもない。瞬く間に爆炎と爆煙に呑み込まれた彼らだったが、一瞬の後には骨肉へと変身を遂げて姿を現した。

 

「あなた方の死を旦那様もお喜びになられることでしょう」

 

 ロベルタは最後にそう言って再度、礼をする。幾人もの悪魔と真っ向から戦って彼女が受けた攻撃は僅か一つ、しかもそれは完全な偶然によるものだ。旧魔王派の精鋭が実力によってロベルタを負傷させることは終ぞ出来なかったと言って良い。

 殺すことにのみ特化した彼女の戦い方は、機械的で、原始的で、効率的で、そして圧倒的だった。種族の違い、身体能力の差など軽く飛び越えている。

 

「馬鹿……な」

 

 アルフォンスはロベルタの戦いぶりを間近で見ていたが、それでも尚現実を信じることは難しかった。人間とは悪魔に搾取されるだけの存在で、悪魔に一矢報いることなど不可能な劣等種族。彼にとっての常識から乖離したロベルタの存在と戦いぶりは、まるで現実味が無い。

 認めないのではない。信じないのでもない。アルフォンスは純粋に混乱していた。目の前で起きた戦いは現実のものは思えず、タチの悪い夢のように感じられる。

 

 グルグルと無限の円環を回るかのような思考から漏れ出た先ほどの一言。その言葉を発した彼の視界は、ぐるぐると巡り続ける思考と同様に回り続けている。

 現実味のない光景を見たことで精神的なダメージを受けてのものでは断じてない。彼の視界は、現実として、物理的に回転しているのだ。その事実に、彼は回転が止まってから漸く気付く。

 

 彼の視界は安定したが、常よりかなり視点が低い。これはどうしたことだと思いながらも、視線をまっすぐ向けた先には、自身の体があった。

 

「――は?」

 

 首から上がなく、断面から血飛沫を上げる誰かの体があった。見慣れた体格に、今朝の自分が着たはずの服を纏っている。

 

 ——私の、体か……?

 

 脳裏に浮かんだ考えをあり得ないと一蹴しても現実は変わらない。被りを振ろうとしても首を振ることさえ出来ないし、何かを叫びたくてもヒューヒューと千切れそうな呼吸音が口から洩れるのみ。

 首から上を失った体は膝から崩れ落ち、床に倒れる。首から流れ出る血に浸されて全体が赤く染まった。

 そしてアルフォンスの体の少し先——彼の体の背後にはヒルダが立っている。彼女の体の側面に掲げられるようにされた傘は、きっと振り切られた後だからそんな位置にあるわけで、つまりあの傘こそがアルフォンスの首と体を分けた武器なのだ。それを裏付けるかのように、傘の先端にはいくつもの骨肉の破片が付着し、半ば辺りまでが朱に染まっている。

 アルフォンスが現実を認めたくないと思っても、現然たる現実が突き付けられていた。

 

「私が一体何時貴様に手を出さないと言った? 何を呑気に観戦しているのだ馬鹿者が」

 

 呆れと侮蔑を孕んだ、メイドの声。それを最後に、アルフォンスの意識には幕が引かれた。

 

 

 

 

 

 魔城の一室。そこには二人の男女がいた。その一方たる男はダークシルバーの髪を持ち、老いを感じさせる外見をしているが、彼の口から発せられる言葉には力が漲り、一種の"格"を知らしめている。ソファに座る彼は、机の上に展開された、いくつものモニターを通して城全体の戦いを観察していた。自身の組する陣営が勝利すると確信しているが故に、自らが手を出すまでもないと理解しているが故に、彼はおとなしく見物に徹している。

 その名をリゼヴィム・リヴァン・ルシファー。聖書においては『リリン』の名で記される古き悪魔にして、『明けの明星』と呼ばれた初代ルシファーの実子である。

 

「――鬼門遁甲。分岐点に差し掛かった者の意識を特定の方角に向けさせる、あるいは向けさせない事を旨とする魔法か……」

 

 魔法の効果はそう難しいものではないし、規模や強制力も半端と言って良い。それこそ、事前にこの魔法の正体を知っているだけで完全な対策が取れてしまう。

 けれど、そんな単純な解決手段が実現されることはあり得ない。単純な手法で解決することが出来るのであれば、その逆もまた然り。鬼門遁甲は黄金のオリジナル魔法なのだから、そして、術式が仕掛けられている場所はこの城だけなのだから、敵手はこの魔法についての情報を手に入れることが出来ない。

 結果、哀れな侵入者どもは目的地には決して辿りつけないし、防衛側が罠なり何なり、好きな場所に誘き寄せることが可能という訳だ。

 

「防衛側の意図した場所で両陣営は激突し、防衛側が優勢を保ったまま圧勝。侵入者側の生き残りは処刑場(ダンスホール)へとご案内。そしてまとめて殺処分か、相変わらず敵には容赦のない御方だ」

 

 机の上に展開された幾つものモニターには、城の各所で繰り広げられる戦いの光景が映し出されていた。鬼の姉妹、吸血鬼の姫、猟犬にトップレディ、彼女ら以外にも何人もの使用人が防衛に動き、精強な戦いぶりを見せる。 ある者は力で圧倒し、ある者は技量で黙らせ、ある者は連係を以ってして完封する。戦闘の主導権を握っているのは常に防衛側であり、侵入者側は撃破されるばかり。

 

 侵入者側で生き残る者がいないわけではないが、彼らの命は長くない。彼らが飛び込んだのは最強の男の居城にして最高傑作の城なのだ。眼前に現れた使用人から逃亡することに成功した程度で生きて帰れるはずがない。

 

 黄金の配下として分かりきっていたことを確認するリゼヴィムの口調は揶揄するような軽いもので、表情もまた然り。言葉の上では戦慄を表していても、本心は全く別のところにあるのだろう。

 

「何を言っているのですか。あなたも麾下の一員でしょう」

 

 彼の言葉に反応を示したのは、当然、この部屋にいるもう一人の女だ。髪色はリゼヴィムと同じ銀、ただし明けの明星の嫡子たる彼とは違い、この女の髪は輝かんばかりのピュアシルバー。睫毛、眉毛、瞳に至るまで美しい輝きを持つ彼女の名はアマエル。黄金の腹心の一人にして、魔城を取り仕切るメイド長兼執事長代理という女傑だ。

 普段は使用人として働く彼女であるが、その実力は非常に高い。他者を威圧するつもりなどなくても凡百の悪魔を震え上がらせる程の強者の気配が滲み出てしまう。

 しかし、今ここで彼女と話している男はリゼヴィム・リヴァン・ルシファーである。悪魔の平均値でkれを見定めることは不可能であり、事実として屈強なる天敵(・・)の気配を間近に浴びても、緊張一つ見せることはない。差し出された紅茶に優雅に口を付ける様には、無茶をしている素振りもない。

 

「だとしても、あるいはだからこそ、だよ。あの方の配下である私は、あの方の強さを知っている。並ぶ者の居ない最強だと、真なる魔王であると理解している。

 しかしね、魔王が居れば勇者も居るものだろう? 物語の定番というわけではなく、世の理としての話だ。光と闇、聖と魔、陰と陽、相反する二つの概念は、しかし互いの存在こそが己の存在証明となる。ならば――」

 

「黄金と対となる存在がこの世のどこかにいるはずだと? 馬鹿馬鹿しい、あなた自身が言ったではないですか、あの方に並ぶ者などいないと」

 

「ああ、そうだな。実際、勇者君が存在したとしても黄金には決して勝てないだろう。彼こそが最強であると信じるが故にそう断言する。

 けれど、なあ気になるだろう。万が一だとしても、あの黄金と張り合えるかもしれない者が存在する可能性……想像するだけで興奮が止まらない」

 

 黄金の対存在。それも並び立つのではなく、光と闇のように食らい合う同格の者が存在する可能性を、アマエルは許さないし認めない。黄金は無謬の光。そう固く信じるが故に、白銀のメイド長の忠義が揺るぐことは無い。

 一方、黄金を討滅し得る者が現れることを望むようなリゼヴィムの言葉は、黄金の死を望んでいるようにすら聞こえる。たとえそれが冗談であっても、臣下の一人として到底聞き流せるものではなく、黄金の本拠地たる魔城の防衛を司る者として、アマエルが険のある視線を向けるのは無理もないことだろう。

 

「やれやれ、そう怖い顔をしないで貰いたい。我らの王が同士討ちを望まないことくらい君も良く知っているだろう」

 

 リゼヴィムは笑って調子を崩さない。悪童の仮面を数千年に渡り被り続けた道化師にとって、この程度のいざこざは些事ですらないのだ。

 扇動の天才と称されたリゼヴィムは、当然の如くヒトの心に精通している。どこを刺激すれば怒るのか、何を言えばどんな行動を起こすのか、それを熟知する彼にとってみれば目の前の齢数百程度の小娘の心を読むことなど造作もなく、アマエルがこの場で手を上げることはあり得ないと確信しているし、そしてその確信は見事に的中している。彼女がリゼヴィムのことを嫌おうが疎もうが、リゼヴィムは主に認められた配下である。扇動の天才と呼ばれた悪魔を、主の許可なく殺すことは主の意思を無視する行為であるために、彼女の絶対の忠誠心が許さないのだ。

 

「——相手の心を読み、己の安全を確保した上で神経を逆撫でするような言動を積極的に行う……あなたのそういう部分が私は嫌いです」

 

 リゼヴィムがアマエルの忠義を利用し、己の安全を確保していることを、アマエルも気付いている。利用されていることを察しながらも忠義を曲げないからこその忠臣であるし、だからこそリゼヴィムの姑息な手法は気にいらないのだが。

 沸き上がる殺意を瞬き一つ、それだけの動きで、黄金の腹心たる女は抑え込んだ。

 

「しかし、あなたのそういうところも含めてあの御方は認められた。その事実を以って、私は口出しを致しません。――ただし、程度を弁えなさい」

 

「ふむ。私が度を越える行いをした時には、君が処刑人になると解釈すれば良いのかな?」

 

「否。我らが黄金の君は、あなたのことを高く評価している。実力はもちろんとして、自身より遥かに長い年月を生きる中で積んだ経験と集めた知識は非常に貴重なものです。同胞であるうちには非常に役に立つ。

 ――つまり、敵に回れば非常に厄介だということ。そこまで理解しているあの御方は、あなたを侮ることなど決してない。処刑人を遣わすときは一人ではなく、武器、人員、場所、日時、その他諸々の要素を考慮した上で万全の用意を期したものとなるはずです」

 

 黄金と敵対すれば、如何に明けの明星の嫡子と言えど、勝ち目はないし逃げ場もない。ただ死ぬのみである。

 相応の理由や目的があり離反するのだとしても、黄金を出し抜くことなど不可能。思惑の一パーセントも成し遂げることが出来ずに、蹂躙されることが目に見えている。

 敵対する可能性を持つリゼヴィムに対して、敵対した場合の対処について語ったのは、黄金の配下が持つ常識を再確認させるためだ。自惚れるなと釘を刺し、離反の意思を叩き潰すためだ。

 

「ふふっ、優しいな。余計なことを考えるな、余計な真似をするなという忠告か。その言に従っていれば、これからも黄金の庇護に与れるのだと。

 ご忠告痛みいる、礼として一つ告白しよう――我が願いとあの方の願いが衝突でもしない限り、裏切るつもりはないから安心するといい」

 

「別にあなたのためを思っての忠告ではないのですから礼はいりませんよ。例え離反されたのだとしても、あの方は元配下を殺すことに心を痛めてしまう。私はそれを防ぎたいだけです」

 

 変わることのないメイド長の想いを聞き、リゼヴィムは天晴見事と笑う。

 

「臣下として主に鋼の忠誠を捧げ、女として男に深い愛を注ぐ。公私ともに君は変わることが無いな」

 

「コロコロと主を変えるのは不忠者、毎晩違う男に愛を囁くのはただの売女でしょう。忠義も愛も、容易く変わるようでは程度が知れます」

 

 アマエルが語るのは、従者として、そして女としての在り方。基本とも言える道理だが、それを貫くことが出来る者は果たしてどれだけいるのだろうか。

 

 例えば、こんな女悪魔が居る。魔王に仕える家の出でありながらも、政府に対抗する革命軍の英雄と恋に落ち、家と主と部下と、それまでの生涯の中で築いた物の全てを裏切った。更には恥を知らないらしく、新たに樹立された政権では新たな王に仕える配下の対場を持ち、プライベートではかつての英雄であり現在の王を務める男の妻となり、子を産み育てている。

 

 そんな頭がおかしいとしか思えない女が持て囃されるような世界が今の冥界である。異常な世の中では妥協や諦観をしなければ生き辛くなるだけということは誰にでも理解できる。それでも、己の忠義と愛を決して曲げないし諦めない。

 その生き方は酷く無器用で頑固だ。愚かとさえ言えるのかもしれない。

 しかし、それは安全地帯から眺めているだけの無責任な第三者の感想だろう。傍で白銀のメイドの姿を見てしまえば、そんな下らない侮辱の言葉を吐くことなど誰にも出来ない。

 誰にも汚されることのない崇高なる誇りと無謬の美しさを兼ね備えた極上の女。それが魔城の守護を任せられた魔人の本質だ。

 

「……主の桁が違うのなら、その下もまた然りというわけか」

 

 紅茶を一口ばかり飲み込み、リゼヴィムは溜息ともにぽつりと賞賛を溢す。

 

「いきなりどうしたのですか? 少し気味が悪いのですが……年を取りすぎて痴呆にでもなりましたか?」

 

 普段のアマエルらしからぬ毒舌は、先ほど揶揄われたことを根に持っていることの現れだろう。

 唐突な毒舌にがくりと脱力させられるリゼヴィムだったが、メイド長が能面のような無表情の下に苛立ちを隠していることを察し、素直に謝意を示す。それから、改めてとばかりに話題を口に出した。

 

「今回の作戦もそうだが、我らの王は策謀に本当に長けている。彼が女好きだという世間の評価、それさえも彼が上手い事利用してくれているおかげで我々がどれだけ裏で動き易いか……」

 

 彼の言葉に込められているのは崇敬の念。アマエルに向けた称賛は、あくまで同等程度の立場の者に向けるものであったが、今のリゼヴィムが感情は明らかに目上に対するもの。それはつまり、口先だけではなく、彼もまた黄金に対して忠義を捧げているということに他ならない。

 

「眷属を女で固め、眷属以外であっても連れ歩く配下は女のみ。レヴィアタンの姓を持つ者がそんなことを堂々とやっていれば瞬く間に話が広がり、女好きという評価を付けられるのにも大して時間が掛からない」

 

 彼の男は女好き。その話は冥界ではかなりメジャーだ。彼が魔王の末裔であったり、実力者として名を上げていたり、連れ歩いているのが美女揃い等々、いくつもの要因が重なり合うことで、噂が広まる速度に拍車を掛ける。

 当の本人もその噂を否定しないし、むしろ利用している。

 

『そんなクソッタレな状況の中でも希望ってやつはあるらしく、俺は仲間と出会った。今は主従関係を結び配下となっている女たちです。この場にいるエレイン・ツェペシュもその一人。

 ところで、類は友を呼ぶって諺をご存知ですか? まあ、知らなくてもそのままの意味なので構わないんですけど……。

 先ほど、俺は自分の生まれをクソ、育ちを畜生だと表現しましたが、行く先々で出会う女たちも似たようなのが多かった。ある女は実の姉を喰らい国を脱走した。ある女は人間には過ぎた才能を持っていたがために排斥された。ある女は持って生まれた力を、同性を守るために使おうとしていたのに、その力を目当てとした者たちに追い回された。ある女は同族とは違う姿を持って生まれたせいで、疎まれ迫害され追い出された。

もちろん、真っ当な生まれと育ちをしたやつと出会うこともあったが、碌でもない境遇にある女との出会いのほうが圧倒的に多かったのは事実です』

 

 三大勢力の会談が行われる直前に、彼が話したことに偽りは一切ない。けれど、真実の全てを話したわけではない。真実の一部を故意に隠していた。

 

『では、例えば、何かの偶然と奇跡が重なって俺が大王派か魔王派に属したとしましょう。しかも、派閥が俺を本当の意味で保護してくれて殺される心配が消えたとしよう。

 では、その代価は? 飴を貰うことによって発生する代金は何になる? まあ、隷属でしょうね。家から脱走した後はずっと戦い漬けの日々だった俺は金銭だとかを持っていない。あるものと言えば、そもそもの原因の『旧魔王の末裔』という称号だけだ。派閥のために、自分の利益のために、俺を利用する。まあ、それが妥当なところでしょう。

 あるいは、俺ではなく、俺の連れている女たちに目を付ける可能性もあるか。多種族を見下しまくるのが、悪魔の中に今も蔓延る多数派の意見ですからね。転生悪魔や中級・下級悪魔といった同胞でさえ見下す彼らが、多種族の女を道具扱いすることに躊躇いを覚える可能性なんざ皆無。使い捨てられて、誰にも看取られることなく死ぬのが落ちでしょう』

 

 十年の時を超えた先でも鮮明に思い出せるほどに、魂の奥底にまで刻み込む語り口。彼は女好きであるという噂話と、それを裏付けるかのように美女を連れ回している事実。

 それらが合わさり、誰もが『あの男の配下は女だけだ』と錯覚する。彼がそんなことを一度たりとも断言していないにも関わらずに。

 

『けど、エレインたちは別でしょう? 俺のところには悪魔でさえない女も多数いる。何で彼女らが悪魔の理屈に振り回されなければならない。地獄の底でようやく出会えた花をどうして枯らせる。何も待たずに生まれた俺がようやく手に入れたものを、何を理由に奪う。

 許せるものかよ。認められるものかよ。彼女らを傷つける可能性のある貴族を同胞と看做すことなどあり得ない。彼女らに差別と迫害を押し付ける国を愛せるかよ。その現状を許す魔王サマたちに忠誠だの信頼を向けられるわけないだろう』

 

 黄金は決して嘘を言ったわけではない。ただ、ほんの少しの事実を、『黄金の配下には男もいる』ということを話さなかっただけ。たったそれだけのことで、男の配下が居る可能性を頭から排除させ、難なく三大勢力のトップたちを騙してみせたのだ。

 彼は似たようなことをこれまでにも何度も行っている。彼が女好きであるという評価をいつまでも鵜呑みにし、彼の配下は女だけだと考えている悪魔社会は、とっくに黄金の掌の上だ。

 

「黄金の配下は女のみ。度を越えた姓差別主義者でも無ければ、そんなことあり得んと言うのに誰も彼もが疑いを持たない。扇動の天才などと称された私だが、彼の手並みを見ると自身の異名が恥ずかしくなってくるよ」

 

 黄金に男の配下は居ない。その錯覚が蔓延した世界では、男というだけで黄金との主従関係が疑われることがない。数多の貴族から睨まれる黄金の配下であると知れれば、様々な面で圧力や嫌がらせが襲ってくることはすでにエレイン達が証明済みだが、男というだけでその危険性はほぼ零となる。

 事実、リゼヴィムのような男たちは、裏の情報収集も表の商売も、エレイン達ほど苦労することなく易々と熟すことが出来ている。

 

「当たり前でしょう。あの御方は至高にして不滅。最強にして無謬の黄金なのですから。比べることさえ烏滸がましい」

 

「そうかもしれないな。実際、あの方に及ぶ自分など想像も出来んし、格の違いを自覚したほうが精神衛生的にも良さそうだ」

 

 リゼヴィムはうんうんと何度も頷き、ティーカップに再び手を伸ばす。再度口に含んだ紅茶が随分と温くなっており、メイド長との会話がかなり長いものだったと今更ながらに気付いた。

 

「アマエル、確か君にも仕事があるのではなかったか。時間はいいのかね?」

 

 問われ、メイド長は懐から銀色の懐中時計を取り出して時刻を確認する。

 

「そうですね……そろそろ移動するとしましょうか。私の代わりにワルキュリアが来ますので、何か足りないものや用があれば彼女に言ってください」

 

 白銀の女が去り、ドアが閉じられた部屋に残るのはリゼヴィム一人。会話の余韻を楽しむかのように、温くなった紅茶を口に含んだ彼の意識が向かう先は、卓上に展開されたモニターのうちの一つ。そこに映し出されているのは、ギルバートという男と彼の愛した女の二人組だ。

 彼らは同部隊の悪魔らの姿はなく、這う這うの体で逃げ回っていた。生存以外を考える余裕はなく、とっくに道に迷っていることが見て取れる。しかし不思議なことに(・・・・・・・)、出鱈目に走っているはずの彼らは、目指す場所が決まっているかのようにある場所へと至る進路から外れることがない。

 

「あの方の御眼鏡に適うかどうか、同胞が増えるかどうか……楽しませてもらうこととしよう」

 




ベルゼバブよりヒルダ参戦!
黒いサンゴ礁より未来から来た殺人マシーン参戦!

名称:鬼門遁甲
出典:魔法科高校の劣等生
原典使用者:周公瑾
本作使用者:グラナ・レヴィアタン(城に設置されており、敵が侵入してきたときに作動する)

リゼヴィムおじいちゃんが、実は配下でした!


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7話 混沌天使と黄金の修羅

 イモータル城と名付けられた魔窟の内部を疾走する二つの影。

 一人目はギルバート・アルケンシュタイン。悪魔らしい整った顔立ちを持つ美青年で、周囲に隠してはいるものの、その実力は最上級悪魔に勝るとも劣らない。旧魔王派という小さな枠ではなく、冥界の中でトップクラスの強さを持つ男だ。

 二人目は彼が密かに想いを寄せる、レベッカ・アプライトムーン。噎せ返るような色気を放つ女であるが、戦闘は苦手としているのか、本人曰く過去の負傷(・・・・・)により(・・・)翼を失った(・・・・・)ことで(・・・)飛ぶことが出来ない(・・・・・・・・・)。日常生活に然程の支障は無いが、やはり戦闘のような場面では不利に働き、実際に今も二人が足を使って移動しているのはレベッカに飛行能力がないためだ。

 

「はぁ、はぁ、大丈夫かレベッカ? 体力に問題は?」

 

「くっ、結、っ構きつい、です……ぜぇ、はぁ」

 

 ギルバートとレベッカの二人組は、鬼の姉妹から逃走することに成功するまでは良かったものの、城から脱出するよりも先に、更なる襲撃に遭い再び逃走するということを繰り返すうちに完全に迷ってしまっていた。ギルバートはまだ幾分の余裕があり、あと数時間は走っていられる。

 しかし、レベッカはそうもいかないことが見て取れる。全身から大量の汗を流し、足下が覚束ない様子は見ているだけで冷や冷やさせられるものがあった。だが贔屓目に見ても実力不足のレベッカを、ギルバートは見捨てない。

 

 彼女のことが好きだから、その気持ちに嘘はつけないから。

 

 そして、ここまで繋げてくれた者たちの思いを裏切るわけにはいかないから。

 

『隊長、ここは俺が食い止めますんでみんなを連れて行ってください。なーに、死にやしませんよ。俺を誰だと思ってんですか、見縊らないでください。――後で必ず合流しましょう』

 

 そう言って鬼の姉妹を単身で足止めする部下がいた。彼と出会ったのはここ数年のことで、すでに数百年の年月を生きるギルバートの生涯の長さから言えば、その付き合いはかなり短いと言える。けれど、彼との付き合いは濃く、深く、忘れがたいものだった。

 彼の言葉を無視して、その場に留まることも出来たが、それは彼の決意を無に帰する行為だ。彼の覚悟を侮辱しているに等しい。そんなこと出来るはずが無い。一人の男として、友として、彼の思いを汲み取る以外の選択肢は存在しなかった。

 

 だから、彼を殿としてその場に残した。生き残って欲しいという己の本心を押し殺し、断腸の思いで彼を死地に追いやった。

 

『ギルさん、あんたはやり残したことがあるんでしょーが。そういうヒトは死んじゃあいけないんすよ?』

 

 百歳にも満たない、若輩者。いつもヘラヘラと笑ってばかりいた彼は、悪感情を周囲から買うことも多かったが、その軽さがギルバートには心地よかった。何の気なしに話しかけてから、何だかんだと関係が続き、今では気の置けない仲だ。

 人生何が起こるか分からない。まさにその通りだ。一人息子だったギルバートには想像する他ないが、弟がいればこんなものなのかもしれないと、あの軽薄な若者と話すたびに思ったものだ。

 

 けれど、あの弟のような男と会うことは二度とないのだろう。

 

 鬼の姉妹から逃走に成功するも、だからと言って易々と城からの脱出を許されることはなかった。行く先々で、あの恐ろしい鬼の姉妹にも勝るとも劣らない、精強な兵士と次々と出くわし、その度に仲間の誰かが囮となって後に繋いだ。ギルバートにとって弟のような存在だった彼も、そのうちの一人だ。

 その場にいた仲間と共に全員で戦えば、あるいは勝機も見えたかもしれない。だが、ここが相手の本陣であるからには戦いに時間を掛けてしまえば更なる魔人が襲い掛かってくることは自明の理。即殺できるのならその可能性も皆無となるのだが、そこまで自陣営が優勢ならばそもそも鬼の姉妹から逃げ出したりなどしていない。

 故に、魔人と会うたびに部隊を削り、戦友を一人また一人と殿にする必要があった。大を救うために小を切り捨てる。部隊の長としての判断を続けて続けて、涙を堪えながら辿り着いた結果が、生き残った者は己とレベッカのただ二人という現実だ。

 

 生き残った者はたった二人。対して犠牲になった者は、その十倍以上。これでは天秤の針があべこべだ。

 自殺したくなるような無力感に襲われても、この現実を作り出したのはギルバート自身なのだから自分を責めることは許されない。

 彼らの死を無駄にしないためにも、ギルバートは生き残らなければならないし、必ずレベッカを守り通す。死んだ戦友たちに詫びを入れるのは、レベッカと二人で生還した後だ。

 

 己の為すべきことを再認し、覚悟を固め直す。それで速力が上がったり、城からの脱出経路が分かったりするわけではないが、苦境においてはただの精神的な儀式が戦意を維持するために役立つこともあるのだ。

 レベッカを見捨てて己一人で逃走する妥協を許さない。背後にいる女を守るために、足に力を込めて立つ。

 ギルバートは速度を維持しながらも意識の警戒網をより広げていたから、廊下の突き当りに大部屋があることにいち早く気付いた。

 まるで客人を招き入れるかのように開け放たれた、十メートルを超える巨大な扉。

 数瞬、罠かと疑うも、だからといって何が出来るわけでもない。脱出ルートは相変わらずさっぱり分からないし、来た道を引き返せば、自分たちを追う魔人どもと遭遇する確率が跳ね上がるだけだ。

 

「レベッカ! 一か八かだ、あの部屋に突入するぞ!!」

 

「はぁ、はぁ……、了、解!」

 

 こうして全力疾走しているために、二人の足音が盛大に響いている。仮にあの大部屋に敵が待ち伏せているのなら、ギルバートたちの接近にも気付いているはずであり、慎重に進むことは無意味。現在進行形で城の守り手たちに追い回されていることを含めると、悪手でさえある。

 

 罠が仕掛けられているかもしれない。待ち伏せされているかもしれない。あそこが自分たちの死地になるのかもしれない。

 

 いくつもの不安が過ぎり、全てを捻じ伏せ、ギルバートは片思いの相手と共に部屋に転がり込むと同時に周囲へと目を遣って状況を確認していく。

 部屋はかなり広く、天井までの高さもある。床や壁、そして天井に至るまで傷一つ汚れ一つ見当たらず、それら背景に施される装飾は超一級と称されるものでありながら、決して主役になれるほどの華美さを持ち合わせない。あくまでも背景は背景、装飾は装飾、他を引き立てるものであるとの本懐を、この部屋の主は理解しているのだろう。

 ギルバートとレベッカらが転がり込んだ出入り口から部屋の奥にまで真っ赤な絨毯が伸びていた。踏みつけた靴裏から返される感触は、彼らの窮状に反してフワフワとした柔らかさがある。

 絨毯が伸びていく部屋の奥には階段があった。柱や壁のような装飾がされているわけではなく、部屋の他の部分と材質が異なっているわけでもない。それでありながら、決して近づいてはならない、神聖なる不可侵領域であると直感させるだけの威容を放っている。

 

「……あれは、玉座か?」

 

 階段の頂に置かれているのは、一切の装飾が為されていないシンプルな椅子。見る者によっては質素だと言うだろうし、ともすれば貧相だと思うこともあるだろう。

 

 それら当然の感想を、ギルバートは見る者の目が腐っていると一瞬で切り捨てる。あの椅子はあれで完成しているのだ。

 極限まで削り落とした一、あるいは満たされた一。

 絶対にして究極の一。未だ見ぬ椅子の主の、王としての自負を象徴するかのようだ。

 

「ええ、その通りです」 

 

 ギルバートの呟きに返された声は、ただ一人の同行者のものではない。玉座に到る階段の手前から発せられていた。

 誓って言えるが、ギルバートは僅かたりとも油断していない。この広い玉座の間に蠅が一匹でも紛れ込んでいれば、それに一瞬で発見することが出来たはずだ。

 それほどの意識の網を張り巡らせていても尚、返答されるまで三人目の存在を看破し得なかった。それは三人目が己を従者だと定めていた故。ただの臣下、主の道具だと自認するが故に、自己主張というものを全くしない。この場が玉座の間であることを差し引いても、その意思の固さは異常と言って良い。

 

「――誰だ、お前は?」

 

 ギルバートの口から発せられた声は途切れ途切れに擦れていた。三人目が、あまりに美しかったからだ。その美貌に見惚れ、心が痺れ、呼吸さえ危うくなったからだ。

 かろうじて発生することが出来たのは、単にすでに想い人がいたからに他ならない。ギルバート自身も情けないことだと思うが、レベッカと会う前の自分だったら声を出すことすら出来なかったと断言できる。

 

 玉座の間で、ギルバートとレベッカの二人組と相対する三人目。それは飛び切り美しい女だった。

 

 彼女を表すなら、銀。あるいは白銀。

 髪も睫毛も眉毛も瞳も、全てが輝かんばかりの銀色に彩られた絶世の美貌の持ち主だった。

 豊かな胸に反して縊れた腰、そして胸同様に女らしさを示す臀部。整った鼻梁といい、艶やかな唇といい、一切の隙が存在しない、精巧なビスクドールのようだ。

 服の袖やスカートの裾から覗く肌には、一つの傷や曇りもなく、新雪のような白さを讃えている。儚く、犯し難く、神聖な妖精。

 

 ギルバートはレベッカのことを世界一の美女だと信じてきたが、この白銀の女を見てしまっては、それまでの意見を変えざるを得ない。色気を前面に押し出したようなレベッカとは方向性こそ違えど、眼前の女は彼女に匹敵するだけの美貌を備えている。

 

「メイド長兼執事長代理を務めさせて頂いているアマエルと申します」

 

 まず己の役職を名乗ったのは、礼儀や形式的な理由ではないのだろう。初対面のギルバートでさえ分かるほどに、アマエルと名乗った女の声には職務に対する誇りが強く滲んでいる。

 メイド服という装いと名乗った役職からして、彼女の身分は使用人。その立場に抱く誇りは転じて主への崇敬の念とも言えるだろう。ただひと声を聞いただけで、アマエルが主君を決して裏切ることのない忠義者だと断じることに迷いはなく、問いを重ねるギルバートの声に険の色が混じるのは当然の成り行きだった。

 

「そのメイドだか執事だかのあんたがどうしてここにいる? 普通、玉座の間(こういう場所)にはトップがいるもんだと思うがね……、なんか仕事でも申し渡されてんのかい?」

 

「ええ、一つ裁定を任されております」

 

「裁定?」

 

 返された答えにギルバートは首を捻る。声の調子に変化のないことや返答までにかかった時間が零であることなどから、恐らくアマエルは嘘を言っていないと思う。

 しかし、その内容が問題だった。

 戦闘ではなく、暗殺でもなく、抹殺でもなく、捕虜とするための拘束でもない。白銀のメイド長に任された仕事は裁定、つまり何らかの審判だと言う。戦場とは程遠い概念であり、雑な言い方をしてしまえば意味不明である。それとも何らかの暗喩なのだろうか、と更に頭を捻るギルバートを見かねたのか、捕捉するように言葉が継ぎ足された。

 

「ギルバート・アルケンシュタイン。あなたを見極めるということです」

 

「……やっぱり意味が分からん」

 

「分からなくて結構。黄金の決定は絶対なのですから。あなたの意見など元から聞いてません。

 ―—では、そろそろ始めることと致しましょう」

 

 瞬間、アマエルの体から清浄なるオーラが放出され、玉座の間を一瞬にして聖域へと変貌させた。その力の名は光力。悪魔の怨敵たる天使や堕天使の用いる力である。

 これ以上ない程に分かりやすく明かされたメイド長の種族。その証拠を己の目で見て、それが意味するところを一瞬のうちに理解出来たのは、ギルバートの優秀さあってこそのもの。優秀であるからこそ、否定の言葉を吐き出した。

 

「馬鹿な! あり得ねえだろ!? 天使でも堕天使でも、悪魔に下るなんてことがあるものか!」

 

 悪魔、天使、堕天使の三大勢力の争いは、近年では小競り合いが度々起こる程度であったし、つい先日には協定が結ばれ戦いは終結を迎えた。

 だが、過去に大戦があった事実は変わらない。協定が結ばれたとは言え、同胞を殺した者らへの憎しみが消えたわけではなく、心情的に主従関係を結ぶことは厳しい。また単純に、簡単に勢力を移動するような真似は出来ないという常識もある。

 天使に限って言えば、魔に属する者に下ることなど種族の性質として不可能。そんなことをすれば、堕天は免れないはずだ。

 

「天使でも堕天使でも、ですか。そうなのかもしれませんね。………けれど、私はそのどちらでもない」

 

 肯定の言葉と共にアマエルの背には、堕天使や天使の長と伍する十二枚の翼が展開された。それだけを取っても彼女の実力が並大抵のものではないと察するには充分だが、驚愕はそれだけに留まらない。天使や堕天使は、悪魔と違って鳥のような翼を持つが、天使は白、堕天使は黒と種族ごとに色が決まっている。アマエルはそのどちらでもあり、どちらでもなかった。

 左側の六翼は夜空のような漆黒に満ち、反対の右側の六翼は穢れをまるで知らないかのような純白。アマエルの翼は存在しないはずの、二色の翼だったのだ。

 

「なん、だよ、そりゃあ……!?」

 

 ギルバートの驚愕を余所に、アマエルの動きは淀みない。宙に円を描くように、クルクルと回した右手の人差し指を起点にいくつもの光輪が生じ、それらを投擲する。

 ヒョイ、とそんな擬音語が付きそうなほどに軽い動作だったが、放たれた光輪の速度はギルバートをしてやっと目で追えるかと言ったところ。大気の壁を引き裂きながら猛進する光輪の標的として選ばれた者は、ギルバートではなくレベッカだった。

 

「きゃあ!」

 

 咄嗟に急所を庇う反応を見せるが、それが限界だった。元よりレベッカの実力はギルバートの遥か下なのだから、ギルバートでさえ視認することが難しい攻撃を回避するなど不可能である。

 しかし光輪はレベッカの体に直撃しても、ブーメランやチャクラムのように傷を付けることはなかった。代わりに、枷のように両手と両脚に光輪が嵌り動きを拘束し、バランスを崩したレベッカはその場に倒れ込んだ。仕上げとばかりに、余っていた最後の光輪が口枷となって声を出すことも禁じる。

 元からあの光輪に攻撃の意思が込められていなかったことをギルバートは悟った。脅威となるほどの戦力でないのであれば、積極的に殺しにいく理由が存在しない。むしろ確保した方が人質などの利用法が生まれて、その後の状況を有利に運ぶことが出来る。絶体絶命の窮地にあり焦燥に駆られるギルバートからすれば、嫌味なほど合理的な戦術だ

 

「これで、あなたは逃げませんね?」

 

 多数を相手にするときは、まず弱いほうから排除する。そんな単純な理屈に則った戦法を予測できず、初手から数の優位を潰された己の鈍間具合を責めたくなる。戦友らに想いを託されたことや今やレベッカを守れる者が自分一人であったことがプレッシャーとなっていたなどと言い訳するつもりはない。託された想いを背負ってこその隊長だし、好きな女の一人程度を守れないようでは男を名乗る資格すらないのだから。

 

「……やるしかねえか。――レベッカ、少しだけ待ってろ! すぐに終わらせる!!」

 

 敵の手によりレベッカを拘束されてしまった以上、心情を含めた諸々の事情により逃走の選択肢は脳裏から消え去る。更に背後からは巨大な扉が閉まる音が届き、物理的にも退路が断たれたことを悟れば、最早戦意を高めるのみ。

 全身から溢れる魔力は最上級悪魔相当の量であり、上級悪魔らしくないギルバートはそれらを扱う術を努力によって磨き続けて来た。生来の才能と、惚れた女を守らんとする決意が重なった彼の実力は、翼の数からして堕天使の総督や天使の長にも匹敵するだろうアマエルを相手にして尚、勝機を見出し得る。

 

 そして捕らえられたレベッカに危害が加えられる様子が無いのは、裁定とやらの対象がギルバートだけのためだろう。レベッカに求められる役割は最低の最中にギルバートが逃げ出さぬよう、この場に留めるための楔となること。愛する女が道具扱いされていることや己が格下のように見られていることに苛立ちを覚えるが、裁定の間はレベッカの身の安全が保障されていると考えれば僥倖とも取れる。

 

 そこまで考え到れば、ギルバートの取りうる選択肢はただ一つ。戦って打ち勝つのみである。

 アマエルという障害を捻じ伏せ、レベッカを取り戻す。そして二人で城から脱出する。それは玉座の間に突入する前から決めていた覚悟だ。

 

 今更臆する道理などない。

 

 裂帛の気合を吐きながら、全速の疾走を仕掛けようとしたその刹那のことだった。

 

「ッ!?」

 

 誰かに見られている。この場には居ない誰かが、どこか遠くから己を観察していると直感した。

 その視線が、戦場の只中であることを忘れてしまう程に気持ち悪くて仕方ない。まるで魂の奥底までを看破するような視線から何かを隠すことなど不可能だと否応なく理解させられる。

 ただ視られているだけにも関わらず、胃が丸ごと引っ繰り返ったような心地だ。平衡感覚すら狂い始め、正常に立つことが出来ているのかどうかさえ判然としない。

 

「どうしました? 来ないのであればこちらから行きますよ」

 

 異常な視線はギルバートのみに向けられたものなのか、アマエルの様子に変化はない。両足を前後に開いて腰を落とし、開いた両の手には光の双剣が収まる。

 ギルバートが異常な視線に射竦められて動きを止めた刹那の間に、白銀のメイド長は間合いを零にまで詰め、煌めく二つの光刃がギルバートの首を狙った。

 

「クソッタレが!」

 

 悪態と舌打ちを一つずつ溢しながら、ギルバートは後方に飛び退って命を繋ぐ。気味の悪い視線は今も感じているが、やらなければやられるだけだ。空元気の笑みを浮かべて怖気を押し殺し、魔力で向上させた身体能力を用いて反撃に打って出る。

 危機的状況に陥ったことにより冴え渡る勘と五感。まるで時の流れが遅くなったかのように錯覚するが、床を踏み砕くほどの脚力による疾走は紛れもなく過去最速である。固く握りしめた拳と振り被った腕からはプチプチと筋繊維の千切れる音が生まれ、肉体が耐えきれないほどの力を発揮していることを物語る。

 

 最速と最高と最強が組み合わさった一撃は、ギルバート・アルケンシュタインが現時点で出せる究極のもの。敗北すれば己も女も死ぬという逆境さえ踏み台とし、より高い場所へと飛翔してみせたのである。

 

「ヅッぉぉオオオ!!」

 

 だが、それでも届かない。

 

 ギルバートが英雄ならば、アマエルは魔人だ。しかも数多いる黄金の配下の中でも指揮官位にあるのだ。弱いわけがない。

 強さを見せつけるかのように大きく広げた十二枚の翼から何枚もの羽が飛び散る中、交差させた双剣の腹で英雄の一撃を軽々と受け止める。

 天使長にも引けを取らないアマエルの光の強さは半端なものではなく、それから作り上げられた双剣の硬度は非常に高い上に魔の者にとっての毒性までもが凄まじい。英雄の拳を受け止める双剣には罅の一つさえ入ることはなく、むしろギルバートの拳のほうが砕け、焼け爛れ、血を流した。

 

「成程、これは……」

 

 土壇場にありながら、生涯最高の一撃を繰り出すことの出来たギルバートは掛け値なしに素晴らしい戦士だろう。

 だがアマエルはそれを軽々と防いだ。英雄の最高値は、魔人の最高値には遠く及ばなかった。

 ギルバートとて、それを理解している。けれど退かない。ここで倒れれば守りたい女まで死ぬことになると理解しているから、戦友らに想いを託されているから、眼前の女が埒が居の強さを備えている程度のことで諦めるわけにはいかないのだ。

 焼け爛れた拳から煙を噴き上げ、血を流しながらも、更に力を込める。アマエルの声に混じる称賛の念に気付くほどの余裕は、全身全霊を賭して抗うギルバートには知る由もない。刃と接触するたびに奔る激痛を押し殺し、より苛烈に攻め立てていく。

 

「問いましょうか、あなたは何故戦うのですか?」

 

 都合数十を超える程に互いの武威をぶつけ合った頃、奇しくも初手と同じ状況に二人は陥っていた。英雄が生涯最高の一撃を放ち、白銀の魔人が双剣で受け止める。更に押し込もうとする拳と止めようとする剣が鬩ぎ合い、二人の視線が交わり、白銀の魔人の口からは問いが放たれた。

 

「あぁ? そんなの今訊くようなことじゃねーだろ」

 

 問われたギルバートの心は疑問一色。正直なところアマエルの問いの意味が分からなかった。戦闘中に問うようなことではないし、であるからこそそんな問いを発した意図が見当もつかない。

 

「答えなさい」

 

 相手の事情など知ったことではないとばかりに、アマエルの美声は涼やかを通り越し零下に到る。剣呑な光を瞳に宿した魔人の有無を言わさぬ蹴りが、ギルバートを部屋の隅まで吹き飛ばした。

 ギルバートは受け身を取ることさえ出来ずに背中からぶつかり、肺の中の空気を吐き出す。そこには血の雫も混ざっており、強烈な衝撃は内臓にまでダメージを及ばしていることは明らかだ。

 

「ぐ、がァ―――」

 

「金銭、名誉、暴力衝動……戦う理由はヒトの数ほどある。あなたは何のために戦うのですか? 地位や金を求めるばかりのハイエナか、他者を傷つけることに悦楽を見出す下種か、あなたは何者ですか?」

 

 再度、問いながらもアマエルには返答までの時間を待つつもりはないらしい。壁を背に倒れ込み、口内の血を吐き出すギルバートとの距離を瞬く間に詰めて直蹴りが放たれる。

 当たれば即死。白兵戦を得意とするギルバートを容易く吹き飛ばすような蹴りと、猛烈な勢いで吹き飛んだ彼を受け止めた硬質な壁に挟まれれば、今度こそ彼の命は残らないだろう。

 脳漿が飛び散り、血が染みとなって床や壁を汚す。

 脳裏に浮かんだ絶死の光景は、あと数秒と経たないうちに現実と化すだろう。けれど、蹴りのダメージは今もギルバートの精神を苛んでいるし、体勢も大きく崩れている。そんな状態で、遥か格上の攻撃を迎え撃とうなど、どだい無茶な話だ。

 故に逃げる。逃走一択だ。どれだけ無様であろうとも、とにかく距離を取ることを最優先する以外に命を繋ぐ方法はないのだと、頭ではなく生存本能で直感した。

 

「はぁ、はぁ……俺が何者かって? 俺は俺だよ、それ以上でも以下でもねえ! ナルシストじゃあるめえし、あーだこーだと装飾するかよ。 

 戦う理由? 戦わなきゃ俺もあいつも殺されんだろうが! つうかよ、武器握って殺意向けながらするような問いじゃねえだろ!」

 

 九死に一生を得たギルバート。背後を確認する手間さえ惜しんで開いた距離を挟んで向き合ったアマエルに向かって回答と共に文句を叩き付けるが、当の彼女にはまるで堪えた様子が無い。

 馬耳東風、即ち話を聞いていないわけではない。アマエルから問いを投げたのだから、その答えを聞かないということはあり得ない。

 最上級悪魔相当の覇気を受け止め、多分な怒りを聞き届けた上で揺るがないのだ。実力に伴った精神力を垣間見せながらも、アマエルはギルバートの言葉を咀嚼するように吟味する。

 

「自分は自分……他者の意見に左右されない確固とした自己を持つ。そして生きるために抗う。どちらも単純ですが、だからこそ現実においては希少ですね」

 

 人間に限らず、社会性を持つ知的生命体は他者と関わらずにはいられない。理由は色々とあるだろうが、よほどの奇特者でない限りは周囲との摩擦を避けようとするし、そのためには周囲の意見に合わせようとすることも珍しくはない。 

 所謂、同調圧力だ。暴力や金銭のように目に見える力ではないものの、抗い難い魅力と魔性を備えた代物に、自己を左右されずに保ち続けるというのは極めて難しい。それが出来るのは、自己中心的な阿呆か、硬い芯を心の中に持つ益荒男くらいなものだ。

 

 生きるために、"ヒトに向かって"力を行使して"戦う"というのも、また珍しい。飾らずに言えば、暴力とは快楽であり金の種だ。例えばローマのコロッセウムで行われる剣闘は大衆の娯楽として機能しており、そこで動く金の量はかなりのものだったし、それはつまり多くの市民が観客として熱狂していたとも言える。

 近年では武力を遠ざけるような動きが国家単位でみられるようになってきているものの、ボクシングなどの格闘技が未だに根強い人気を博していることからも、力や強さに対して人々が魅力を感じていることは変わらない。

 それは別に悪い事ではない。生物としてみれば、力がなければ淘汰されるだけだし、強さを求めることは間違ってはいないはずだ。それに金、女、名声、力を振るう理由を何とするかは個々人で異なるのだろうが、ヒトは知性と理性を備えたせいか、その理由に成否を求めたがる傾向にある。だから、始原にあったはずの強さの意義、すなわち生存競争に勝つためという認識を忘れてしまうのだ。

 

「ギルバート・アルケンシュタイン。上級悪魔の中では並程度の家の出身であっても、頭脳、武力、カリスマに秀でている英傑。死地にあっても絶望に屈さず、むしろ逆境を撥ね退けることさえ可能とするのは、才能や努力、胆力だけでは説明が尽きません。……悪魔に向ける言葉ではないのですが、天運に恵まれているのですね。勝利の女神の微笑みを向けられている」

 

「今度はいきなり褒め出すなんてどういうつもりだ?」

 

「どういうつもりも何も、私の心は一貫して変わっていませんよ。裁定をするのだと始めに申し上げたはずです。

 ……二つ目の質問をしましょうか、最上級悪魔(・・・・・)クラスの実力を持つ(・・・・・・・・)ギルバート。私は、今ここで戦う中であなたの実力を測ったわけではありません。旧魔王派に潜入していたスパイから伝えられた情報の中にあなたの実力のことも入っていたのです」

 

「で、それがどうした。諜報戦なんぞある程度相争う陣営の規模が大きくなれば当然のことだろうが」

 

 ギルバートは冥界で屈指の実力者だが、それでも上には上がいる。現在の冥界で有名な者だけでも、四大魔王とその眷属やレーティング・ゲームのトッププレイヤーたちが最たる例だ。それに実力を隠している無冠の英傑だって探せば出てくることだろう。ギルバート自身が正にそれであるから、その可能性については初めから熟知している。

 冥界だけでも、より正確に言うならば、冥界の半分程度の領地しか持たない悪魔陣営の中でさえも、これだけの実力者がいるのだ。三大勢力以外の神話体系まで含めれば、ギルバートを超える強者の数は優に千を超えるに違いない。遥か以前から実力を隠し続けてきたが、その手の訓練を専門的に受けたわけではないので、騙せるのは同格以下だと弁えている。格上の目をいつまでも誤魔化せるなど毛頭考えていない。

 

「禍の団は国際的なテロ組織なんだから、きっと北欧や須弥山、ギリシャあたりだってスパイを送り込んでるんだろうさ。で、お前さんらの陣営も同じことをしていたってことなんだろ? そして、そのスパイに俺の秘密は暴かれたと。……驚くことでもないし、焦ることでもない」

 

 ギルバートはグラナ・レヴィアタンの陣営を舐めていたわけではなく、想像し得る限りの最高位の脅威として見積もっていた。しかし、それでさえ甘かったと言わざるを得ず、城に入って以降、認識を改めることとなった。

 だから、スパイを送り込まれていたと聞いても驚きはない。むしろ、「まあ、それくらいはやってるだろうな」と得心するだけである。

 

「――では、そのスパイは誰だと思いますか? カテレア・レヴィアタンはすでに御方の手によって殺されていますがそれは口封じとも取れるでしょう。それに実の叔母と甥という近い血縁関係にある、裏で手を結んでいたとしてもおかしくはないはずです。

 それともルシファーに対して強いコンプレックスを抱くシャルバ・ベルゼブブが共闘を持ち掛けたのかもしれないですね。オーフィスなどという悪魔とは全く関係ない存在の力を借りるくらいです、同じ悪魔の、同じように旧魔王の血族として追いやられた者の力を頼みにすることも十分にあり得るでしょう。

 この城への突入を指揮する、アルフォンス・フールが裏切り者という可能性も捨て難い。彼の正体は処刑人で、御方に歯向かった罪人どもを断頭台へと連れて来た……、証拠が無ければ確たる肯定も否定も出来ませんね?

 あるいは、あなたの部下。あなた達二人がこの場に来れたのは彼ら身を挺して足止めを買って出てくれたおかげだ、だから彼らが内通者のはずがない――本当に? 殿は死ぬと相場は決まっていますが、実際に彼らが死ぬところをみたわけではないでしょう? 彼らはあなたの知らないところで、本来の陣営へと帰り、本来の仲間とハイタッチでもしているかもしれない」

 

 朗々と次々に挙げられる、スパイの疑惑。言われてみれば、確かにどれもこれも怪しいものだ。部下についてだけはあり得ないと否定するが、それだって確たる証拠があるわけではない。ともに駆けた日々を美しく思い、彼らのことを信じているだけ。どだいスパイとはそういったものを裏切る存在なのだから、部下を信じる心は感情論の域を出ない。

 ギルバートは反論することも出来ずに唇を噛み締める。その様子を観察していたアマエルは、彼にとって最悪の可能性を冷酷に提示する。

 

「――そして、そこに転がっているレベッカ・アプライトムーン。同じ部隊の中でも彼女との距離は特に近かった。こうしてこの場に共に生きて辿り着くことが出来たのはその顕れか? いや、飛ぶことが出来ず、戦闘に秀でているわけでもない彼女が生き残っているのは怪しいでしょう。あなたとの距離が近いのも、彼女がスパイであるから意図して近づいたのかもしれない」

 

 レベッカともに追手から逃げることが出来たのは、ギルバートは考えないようにしていたが、部下が殿を務めてくれたからと言うには些か以上に無理がある。逃げる過程で何度も追手と遭遇し、そのたびに誰かを囮とすることで他のメンバーを逃したわけだが、毎回同じ手が通用するのはどう考えても不合理だろう。

 この城は敵のホームであるという前提から、逃げても逃げても防衛側の戦士と出会うのは理解出来る。地の理は防衛側にあるし、機械にせよ術にせよ内部を監視する機能があれば、ギルバートたちがどれだけ走り回ろうとも追手たちを振り切ることは不可能であり、何度も襲撃に遭うというのも自明の理。

 だからこそ、無視することの出来ない決定的な違和感があった。

 なぜ、追い回されるだけだった? なぜ挟み撃ちにされることが無かった? なぜ袋小路に追い詰められることが無かった? そこからは、防衛側に仕留める意図がなかったことが推察できる。では何故仕留める気がなかったのかと更に思考を深めると、レベッカが防衛側のスパイだったからということで説明がつく。

 

「そんなこと、あるわけッ——」

 

 レベッカがスパイだったとしたら、これまでに殿を務めてギルバートらを逃がしてくれた戦友らはただの間抜けになってしまう。それでは亡き配下たちが浮かばれないし、レベッカを守るためという戦いの動機は根本から成立しない。

 逆境下において自己を支える柱に罅が入る音をギルバートは聞いた。反射的に発した声は弱弱しく、アマエルには聞く価値すらないとばかりに却下される。

 

「ほら、否定の言葉が出る。先に挙げられたいくつもの可能性を否定しなかったのにどうして今度は否定したのですか? 否定できないから、それを信じたくないから、咄嗟に言葉が出て来たのではないのですか? まるで自分に言い聞かせるかのように。………その考えは、レベッカ・アプライトムーンが裏切り者であると心のどこかで考えているから生まれるものですよ」

 

 目を逸らさずに現実を見ろ。都合の悪い可能性を意識から排斥するな。言外にそう伝えるアマエルは、一切の逃避を許さない。

 彼女の瞳は、言葉は、ギルバートの身体と精神を捉え、捕らえて離さない。

 

「あなたはそれでも戦えますか? 自らに想いを託して逝ったのだと思っていた部下が、こうして今も背後に庇う女が、あなたを崖に追いやるスパイだったとしても、立ち上がることが出来ますか?」

 

 悪辣な問いだ。正確の悪さが滲み出ている。だが、筋は通っているし、間違ったことを言っているわけでもない。

 いっそのこと、アマエルの口から溢される言葉が全くの見当違いの戯言だったのならば、聞く価値すらないと一蹴することも出来た。

 けれど、実際には無視できないほどに理があるのだ。だからこそ心に刻みつけられる。それは戦う理由を根本から破壊しかねない言霊だ。如何な英傑と言えども、心が折れれば戦えない。ある種の必勝法とも言える言霊を前に、しかしギルバートは力強く即応する。

 

「ああ、そうだよ。戦えるさ、立ち上がれるぜ!」

 

 論も理もなく疑惑を感情論で否定して取り乱すわけでもなく、心が折れて屈するわけでもない。殿として残った配下や想い人がスパイであるという可能性を直視し受け入れた上で、二本の脚で̪立っていた。

 

「俺の部下が、そしてレベッカがスパイあることを否定する証拠なんぞ持っちゃいねえ。だがな、逆にそれを証明する材料だってねえんだ。絶望するにゃあ早すぎる! つまらん疑惑で惑わされて全滅し、けれど本当は部下やレベッカがスパイでも何でもなかった暁にゃあどう詫びるんだよ!?

 そして! もし俺の部下全員とレベッカが裏切り者だったとしても俺は死を受け入れない!! 部下に裏切られたから? 女に騙されたから? たったそれっぽっちのことで全てを諦めるような腑抜けに産まれた覚えはねえのよッ!!」 

 

「あなたは仲間たちのために戦うのではなかったのですか?」

 

「仲間のために"も"戦えるってことだよ。戦う理由が幾つもあっちゃ駄目なんて誰が決めた?」

 

 他者のために戦うことも出来るが、決してそれだけではない。他人のために力を振るうことを、振るえる者を世間は評価したがるが、ギルバートはそうは思わない。

 戦う理由の全てを他者に求めるということは、信頼や愛情の現れではなく、歪な依存の一形態に過ぎない。戦いで損害が発生した暁には、責任の全てを他者に押し付けてしまうことだって有り得る。

 実に醜悪な話だが、そういうズルをしてしまうのがヒトの弱さだ。だから、そもそもそれらを行う可能性を持たないようにするべきだとギルバートは常々考えている。

 

「そりゃあ、戦友やレベッカが俺を騙していたのなら辛いし悲しいさ。だが、それだけで死んでやれるほど俺の命は軽くねえのよ」

 

 ボロボロとなった拳を構える。指先から肘まで皮膚は裂け、露出した筋繊維にさえいくつもの傷が目立つ。そんな状態で拳を握ったことで凄まじい痛みがギルバートを襲うが、彼は笑った。

 

「それにな……仮にレベッカがスパイだったとして、それで戦いをやめるなんざ部下への侮辱だろう。あいつらがスパイじゃかったとしたら、女に騙されただけの俺が歩みを止めていいはずがない」

 

 ボロボロの状態でも戦う意思を見せても勝算はかなり低いし、万に一つの勝利を拾えたとしてもこの後には他の魔人との戦闘もあるだろう。一難去ってまた一難と言えるほど甘いものではなく、この城から生還することは絶望的だ。真っ当な頭の持ち主ならば、諦めることを勧めるに違いないし、ギルバートの立場に置かれればその選択を取る者も多いだろう。

 だからここで拳を構えたのは意地の類。理屈ではなく感情によるものだ。そこに効率も合理もない。

 

 だからこそ、アマエルの返答は完全なる予想外だった。

 

「――素晴らしい」

 

 突然の賛辞を受けて当惑するギルバートを余所に、十二翼を持つ女傑の語り口は止まることを知らない。

 

「神の子を救済する、神器という危険な力を宿した者を保護する、眷属を家族同然に愛する………などと言う雑種は三大勢力の中にいくらでもいますが、その全ては口先だけです。天使は人間を愛してなどいないし、堕天使は人間をモルモット程度にしか見ていない。『情愛』を司る悪魔とてそれは変わらず、眷属を愛していると嘯きながらも、実際には『眷属を愛する自分』を愛でているだけだ。

 気づいていますか、ギルバート・アルケンシュタイン。自身が希少種であることに。

 他者を心底、想いながらも全てを委ねるわけでもない。個我を持ち、我と彼に区別を付ける。浮遊していない、地に脚が着いている。まさにヒトの生き方ではありませんか」

 

 声に熱が籠もっていく。当人ですら制御できない感情の波が四方八方へと広がっていく。あるいは昂っていることにすらアマエルは気付いていないのかもしれない。

 それほどの興奮。それほどの感動。魂が震えるほどの感嘆を受けて、狂乱し狂喜する様はヒトであるからこそのものだ。常に鉄面皮を保つことで周囲に与えていた人形のような印象が音を立てて崩れ去る。

 

「それでいてこの場で勝利を諦めていない。死地も窮地も何するものぞと逆転の機会を伺い続けている!

 私に? 我々に? 愛と勇気を信じて踏破してみせるのだとそう仰るのか!? 実に恰好が良い。実に実に実に素晴らしい!

 ああ、良く分かりましたよ理解しました。それがあなたで相違ないと。ではではならば、彼の言葉をお聞きになられましたか、我が主?」

 

 諸手を広げながら発せられた問い。この場にはアマエルの他にギルバートしかいないが、彼は彼女の問いが己に向けられたものではないと無論のこと確信していた。

 アマエルとの戦いの最中も、そして問答を続ける中でも消えるどころか、むしろ強くなる一方だった異常な視線。空間越しに伝わってくる圧倒的な覇気が直接相対するまでもなく、視線の主を最強だと確信させる。

 

 そして、ギルバートは聞いた。圧倒的な自負に支えられた覇王の言葉によって全身を蹂躙される。

 

『悪くない』

 

 声の主が現れた瞬間、世界が海に沈んだ。覇気が一瞬にして部屋を満たし、世界の色さえ変わっていく。ギシリ、ギシリ、とどこからともなく聞こえてくる軋むような音は世界の悲鳴だろう。

 

 現れた者は一人の若い悪魔。金色の髪と同色の瞳、そして褐色の肌が特徴的な青年だ。ところどころに金の装飾と刺繍が為されたロングコートも両手の指に嵌めた指輪も、その全てが超の付く一級品だと直感する。ともすればその内の、たった一つの指輪だけでも凡人が身に付ければどちらが主か分からなくなりそうなほどの逸品の数々を、玉座に座る男は見事に従えている。

 

 こうしてギルバートと目と鼻の先との距離に現れながらも、武装は玉座に立てかけられ一本の刀のみ。半端な武装を頼みに敵手の前に姿を晒すというのは、言うまでもなく王としては悪手だ。

 しかし、この男に限ってはそんな当たり前の常識は通用しない。ただ存在するだけで世界を歪ませる極大の力の持ち主であるが故に。

 

「俺がグラナ。お前たちが首を狙ったグラナ・レヴィアタンだ」

 

 たなびく黄金の髪。森羅万象の理を見通す黄金の双眸。善も悪も、白も黒も、光も闇を、この世の全てを呑み込み、従える、黄金の覇気を有する史上最強の修羅である。

 玉座にゆるりと自然体で腰かけているだけにも拘らず、その覇気だけでギルバートを圧倒していた。

 

「がっ、——」

 

 呼吸が出来ない。身体が重い。心臓が活動を停止していないのが不思議なくらいで、僅かにでも気を緩めれば、極大の覇気から逃れるために死を選んでしまいかねない。

 心臓が早鐘を打ち、全身から汗が止まらない。自分が呼吸できているのかどうかすら分からず、平衡感覚までもが狂い始め、ギルバートが気づいた時にはその場に膝を付いていた。

 

 知らず知らずのうちに俯いていたのは、きっと黄金の覇気から少しでも逃げるため。ヒトとしての理性ではなく、生物としての本能ですでに屈服しているから、敵前にも関わらず、膝を付いて許しを乞うかのように頭を垂れているのだ。

 

「――ふざ、けるなッ!!」

 

 ギルバートは己の本能を否定する。戦っても死ぬだけだと、理性と本能が鳴らす特大の警鐘を完全に無視して、顔を上げ、黄金の修羅と視線を交える。

 グラナは眼を眇め、ギルバートが足掻く様子を楽しむように眺めていた。格付けはすでに済んでいることは誰の目にも明らかだ。だからこそ、ギルバートは黄金の修羅ではなく、己へと苛立ちを募らせる。

 

 ——あんなにもデカい口を叩いておいて、何を簡単に無様を晒してやがる!?

 

 ギルバートに勝ち目は皆無だ。生存を目指すのであれば、頭を垂れて命乞いでもするべきだろう。けれど、それはヒトの在り方ではない。強者が現れた途端に尻尾を振る程度のこと、負け犬にも出来る。

 そこには誇りが無い。信念がない。覚悟が無い。レベッカを守ると誓い、部下らの想いを背負うと決め、必ずや生還するのだと渇望した。ここでグラナに抗うことが出来なければ、その全てがただの嘘っぱちになってしまう。

 体に力が入らない。汗が止まらない。そんな状態であっても啖呵を切ってみせなければならないのだ。

 

「俺はギルバート。ギルバート・アルケンシュタインだ。てめえをぶっ殺しに来た男だよ……!」

 

「くく、ははは。いいな、お前。そうだよなぁ、男なら背負った期待や看板に応えなくちゃならねえ。

 気付いているか? 今のお前、見てくれだけ整ったアホどもとは比べ物にならんカッコよさだ。王でありながら全く国を統治できてないどこぞの紅髪に見せてやりたいぜ。

 別の場所で別の出会い方をしていれば、その場で配下に勧誘していただろうが……、お前は襲撃者としてこの城を訪れた。勧誘云々の前に、まずはその罪を清算する必要があるわな。

 ――一撃だ。俺の一撃を耐えることが出来たのであれば、襲撃の罪を不問とし、配下として勧誘しよう」

 

 絶死の予感から一転し、唐突に勧誘の可能性の出現するという状況の変化は、無論のことギルバートの予想の遥か外だった。

 だが、こうしている今も死がすぐ傍にあるためか、かつてないほどの集中力が発揮されており、修羅の言葉を一言一句逃さずに聞き取り瞬時に理解する。状況の変化についていけずに呆けるなどという無様を晒すこともなく、彼は一つの疑問を口に出した。

 

「一応訊いておくが……、その試験に合格したとして、勧誘を蹴った場合はどうなるんだ?」

 

「――殺す。強引な勧誘は趣味じゃねえが、お前は色々と知りすぎたからな。野放しにするわけにもいかん」

 

 つまりは拒否権は存在しないということ。勧誘ではなく確保とでも言うべき処置である。

 二色の翼を持つメイド長を始めとする魔人の軍勢に、グラナの本来の力と姿。情報漏れを防ぐために、それらの情報を得た者の放逐を許さないのは当然の采配と言える。

 だが、自身の命運を勝手に握られ、未来を相手の手中に握られることを良しとするかは全くの別問題だと、ギルバートは反駁する。

 

「すげえ上から目線だな。調子に乗るなよ」

 

「そう邪険にするなよ。納得しろとまでは言わんから、理や論もあるのだと理解しろ。それにまあ、実際のとこ、自分で言うのも何だがかなり甘い。城に突入した雑魂どものすでに過半が死亡し、それ以外は死にかけの状態で牢にぶち込まれてると言やぁ、自分がどれだけ優遇されているのか分かるんじゃねえか?」

 

 相手を殺しに来ておきながら、その罪を不問とされる可能性がある。しかも配下となる事で職に困らず、旧魔王派を裏切る事になってもその後の生活は安泰だ。城に襲撃に参加した同胞らの悲惨な末路と比較するまでもない。

 

「確かに優遇はされてんだろうな。でも、その理由がさっぱり分からんぜ。正直、喜ぶよりも先に不気味だと感じてるくらいだ」

 

「何だ、そんなことか。簡単だよ、理由はいつだってシンプルだ。お前がヒトだからだ。お前は希少種だと、アマエルにも言われたろう? 

 魔王も天使長も堕天使総督も、下らん下らん下らん! ご立派な高説を垂れておきながら何一つ行動を起こさねえ、何一つ結果を残すことの出来ねえ人畜が三大勢力には多すぎる。

 だが、お前は違った。あの塵どもとは違い、魂がある!

 感動した。感嘆した。この世界にもまだ希望はあるのかもしれないと思わせてくれた。お前を殺したくない、手元に置きたいと思う理由なんてそれで充分だ。

 ギルバート・アルケンシュタイン。お前のことは気にいったよ。だからこそ、手は抜かねえ。この一撃、手向けとして受け取るがいい」

 

 黄金の修羅から立ち昇るオーラの量は、ギルバートをしてまるで測れない。魔王クラスを遥かに上回るほどの力の奔流の動きは流麗にして優美。速く、丁寧で、力強い。

 恐らく魔術神にさえ届き得る技量で作られた巨大な魔方陣からは、その大きさに相応しいだけの暴力的な波動が発せられている。バチバチ、と音を立てて魔方陣が駆動し、その余波だけで空間に穴が開く。

 

雷光滅剣(バララーク・インケラード・サイカ)

 

 

 

 




………あ、あれ~? この小説の主人公ってギルバート・アルケンシュタインだっけ?











名前:アマエル
性別:女
役職:メイド長
年齢:数百歳
属性:善
称号:パーフェクトメイド、混沌天使(カオス・エンジェル)、裁定者、異界の軍師

 背に白黒の十二枚の翼を持つ異端の天使。聖書に記されし神が没してから数百年が経過した頃、停止していたはずの天使創造のシステムが突如稼働して生まれ落ちた。
 天使の証たる白翼と堕天使の証たる黒翼を持つ彼女は、天使であって堕天使でもある。即ち、堕天することがない異端の存在。その特異性に産まれた経緯と相まって、『システム』を脅かし得る存在と危惧した熾天使らによって天界から追放され、数百年ほど人間界を放浪。その後、種族の垣根なく絆を結ぶグラナたちの姿を見て、自身もその輪に入りたいと願い、黄金の傘下に下った。
 並行世界を観測、及び世界間の移動を可能とする力を持っており、必要に応じて並行世界における部下や兵器をこの世界に召喚することが出来る。この異端とも言える力の由来が、純粋に才能によるものか、特異な出自によるものかは未だ判然としない。
 ちなみにグラナと出会うことの無かった並行世界においては、一度も救いがない生涯を歩んだことで全てに絶望し、八つ当たりと理解していながらもその復讐として全神話体系を滅ぼしている。故に、彼女に救いを齎したグラナは実は世界を救っていたりする。





名前:グラナ・レヴィアタン
性別:男
年齢:20(戸籍等が存在せず、真面な育ちでもないので大雑把に推測しただけ)
属性:混沌
生命力:ゴキブリを馬鹿にする程度
称号:黄金の修羅、嫉妬の蛇(レヴィアタン)、終末の怪物、真なる魔王、災厄の化身、ハーレム王、女好き

 本作の主人公にしてラスボスの、金髪金眼と褐色肌が特徴の美丈夫。あらゆる分野において頂点に立ち得る万能の才覚を持ち、更に全ての能力値が飛び抜けているのでほとんど隙がない。
 敵にはまったく容赦しないが、身内に対してはかなり優しい。と言うよりは、身内のへの愛情の裏返しが、敵へ向けられる殺意なのかもしれない。愛情深いが故に、己の大切な者を傷つける存在を決して許すことが出来ないのだろう。
 その出自には両親や当人でさえ気づいていない秘密があるのだが、それは余談であろう。
 ちなみに感情の振れ幅が尋常ではなく能力も飛び抜けた怪物と呼ぶに相応しい男だが、その性格と感性は割と俗っぽかったりする。好きな漫画雑誌は週刊少年ジャンプ、お気に入りのレーベルは電撃文庫である。


グラナ・レヴィアタンの装備品を一部紹介

魔王の外套(|コート・オブ・レヴィアタン)

 初代レヴィアタンの愛用していたローブは非常に強力な魔道具兼防具だったのだが、如何せん初代は女性である。当然、ローブのデザインは女性用なので、それを受け継いだグラナが着ることは出来ない。しかし、前述したように破格の装備なのでそう簡単に諦めることも出来ず、男性用のコートに仕立て直すことで、現在はグラナの愛用品と化している。
 初代が使っていた頃とは大々的にデザインが異なっているので、その由来が他陣営に知られることは無いが、もし初代の遺品を大々的に改造していることが大王派や旧魔王派にバレればぶち切れられること間違いなしの逸品である。


斬魄刀

 グラナが自身の本来の力を封じ込めた刀。材料に嫉妬の蛇(レヴィアタン)を使っているとも言えるだけあって、その耐久性や切れ味はかなり優れている。





名称:雷光滅剣(バララーク・インケラード・サイカ)
出典:マギ
原典使用者:シンドバット
本作使用者:グラナ・レヴィアタン
所感:『雷光』がどこかの堕天使親子の特権だといつから錯覚していた? 魔術による模倣や改造も可能だと信じてる!!







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8話 死者を抱く女と揺蕩う水銀の影

洗濯機が故障した……だと!? しかもこの時期は新学期の教科書代も掛かるというのに……やばい、財布の中身がマジで零になる……。
一人暮らしだとこういうトラブルもあるんですね~。日頃からお金を貯めておくことの重要性が身に染みます。


 魔女狩り。

 

 宗教が生んだ悲劇の中でも最高度の知名度を誇るそれ。『魔女』という名称から誤解されやすいが、多くの男性も犠牲となり、更に犠牲者の大半は魔術をまるで使えない一般人だったという悪夢のような話だ。

 魔女狩りにおいて、魔女か否かを判断する方法は酷く杜撰だったと言う。実際、一般人の多くが魔女の誹りを受けて非業の死を遂げたことからもそれは明らかだ。

 

 ならば、その逆の可能性はないだろうか?

 

 己が修めた魔術と知識を駆使して、魔女狩りを逃れた者の存在。魔術をまるで使えないのに魔女だと罵られながら死んだ者が数万人も出るような地獄においては、昨日の隣人が今日になれば自身を裏切るかもしれず誰一人として信用することが出来ない。拷問さえ行われることのあった尋問は、つまり捕まった時点で処刑台への旅路がほぼ整えられていることと同義である。

 故に、魔術を修めた者が生き残ろうと志すのならば、一国の王と同等以上の権力を持つこともあった教会の長や数多の民衆から逃げきらねばならない。個人の身でありながら、巨大な国を目を掻い潜り、その手から飛び出すことが出来た者がいるのであれば、それはまさしく『魔女』の名に相応しい怪物なのだろう。

 

 

 

 

 

 

 

 

 グラナの展開した魔方陣は直径にして十メートルを優に超える。まず目を奪われるのはその大きさであるが、驚愕すべきはそれに刻まれた紋様の種類と数だ。

 ルーン、陰陽術、黒魔術、白魔術……等々。古今東西の魔術様式を片っ端からぶち込まれた術式は、魔方陣というよりは幾何学的な紋様か暗号にしか見えないほどである。眩暈を起こしそうな程に混沌としていながらも、しかし術式としての形態を崩すことのない完成度は、むしろ芸術的とさえ言える。

 稀代の術者が一生を掛けて辿り着く集大成のような方陣は、その威容に相応しいだけの力を発揮する。

 

 それは――剣。魔方陣の大きさに比例するかのような長大な剣がズルリ、と姿を現した。バチバチ、と剣身には極大の雷光を纏い、その余波だけで玉座の間の壁面や床が砕け、融解していった。

 魔法陣から完全に出て、柄まで顕わとなった長剣の全長は実に十五メートル。余波だけで災害を思わせる代物ななのだから、その威力たるや筆舌に尽くし難い。そして、同様のことが速度に関しても言え、黄金の修羅が手を下ろしたことを合図に、雷光の剣は瞬く間に大気の壁を突き破ってギルバートへと迫る。

 

「ォォォオオオオオオオオオオオオッ!!」

 

 僅か数十メートルの間合いで放たれた、刹那のうちに数里を飛翔するだろう魔法を相手に、ギルバートが拳を合わせることが出来たのは奇跡に近い。

 剣と拳。双方の一撃がぶつかり合った瞬間に絶大な衝撃波が広がって、当事者らの髪と服を揺らめかす。巻き上がる風が暴乱の如く荒れ狂った。

 雷光の大剣と英傑の剛拳はともに絶大な威力を秘め、真正面からぶつかり合う。高まる戦意と緊張感が時間感覚を遅らせるが、実際に拮抗していた時間は僅か一瞬のこと。

 

「――――ッ!?」

 

 大気を焦がし空間を食い千切る極大の魔術は、容易にギルバートの体を呑み込み、そのまま突き進む。数々の魔術で保護された魔城の床も壁も吹き飛ばし、玉座の間の扉を吹き飛ばしても尚、その勢いは衰えることをまるで知らない。何度も続いた破砕音が止み、煙が晴れた時には、一切の障害物が消え、玉座の間から外の景色を覗くことが出来るようになっていた。

 

 旧魔王派の英傑は、修羅の覇気を浴びても命を失わず、戦意の火を灯し続けるに留まらず、修羅の一撃を真っ向から迎え撃った。さらには一瞬とは言え拮抗することが出来た。

 紛れもない偉業である。しかし、それが限界だ。

 外部から入り込む風によって煙が晴れ、再び姿を現したギルバートは変わり果て、右半身を完全に失っていた。残っていた左半身には裂傷と火傷が回り、元の造形を想像することさえ難しい有様だ。

 

「……残念ね」

 

 かつてはギルバート・アルケンシュタインの名で呼ばれたソレが、ソレになるまでの過程を見ていた"彼女"は溜息を溢す。

 ギルバートのことは異性として好きだったわけではないが、その人柄には好感が持てたし頼りになった。彼は誰かと絆を結ぶことを得意とし、彼の周りにはいつだって笑顔が満ち溢れ、"彼女"もその空間に居心地の良さを感じていた。

 

 だから、ギルバートが試練を突破することを望んでいた。本心から願っていた。

 

 けれど、ギルバートでは試練を突破することは出来ないと悟ってもいた。理性と本能から理解していた。

 

 二つの相反する思いの狭間で揺れ動き、葛藤し続けていた"彼女"はやはり己の業は変わらないと自嘲する。

 故郷のアイルランドでの魔女狩りから逃れて以来、数々の戦渦を振り撒き続け、国の力を削ぐことで魔女狩りから意識を逸らさせ逃げ延びた。

 百年戦争、ユグノー戦争、イタリア戦争、薔薇戦争……等々。"彼女"が裏で手段を問わずに暗躍し引き起こした悲劇は数知れず。犠牲者の数は軽く数百万を超えるだろう。

 "彼女"はただ生きたかっただけ。些細な願いを破壊せんとする敵が強大で巨大だったから、"彼女"も苛烈な手段を取る他なかったのだが、その事実を第三者が考慮することなどない。個人の事情や心情などといった小さく曖昧なものではなく、結果という明瞭な指標を持って判断したがるのが世間というものだ。

 

 表の世界で"彼女"の所業を知る者は皆無だが、裏の世界では全くの別。彼らはこぞって"彼女"を非難し、罵倒し、嫌悪する。

 曰く、死者を抱く女。

 "彼女"と関わった者は誰一人として生きてはいられない。使用人も兵士も国の王も教会の重役も、皆が皆死に絶える。彼女が通った後には轍が広がり、骸が散乱するばかり。屍山血河の果ての生者は"彼女"一人、故に"彼女"が話す相手は、遊ぶ相手は、抱きしめる相手は死者のみだ。

 生きるために他者を犠牲にし続ける業を、仕方ないと割り切ることが出来ればどれほど幸福だったろうか。幾百万の命を犠牲にしても生に縋りつく彼女は、その生きることへの執念故に誰よりも命の大切さを理解していた。尊い命を貪る己を醜いと蔑みながらも、決して死を受け入れることが出来ずに今日も業を重ね続けた結果が、原型を留めないほどに破壊されたギルバートの姿である。

 

(出会い方が違えば、ちゃんとした友人になれたのかもね)

 

 ギルバートに死への片道切符を渡した張本人であるにも関わらず、と己の思考を嫌悪し、即座に(かぶり)を振って断ち切った。"彼女"が腕に力を入れると、腕に嵌っていた光の枷がゴムのように伸び、そのまま外れる。足枷も掴んで引っ張るだけで同様に伸び、苦労もなく取り外すことが出来た。最後に口枷を取ってしまえば完全に自由の身だ。

 腕枷、足枷、口枷。三つの拘束具を用いても、これほど容易に抜けることが出来るのでは拘束の意味がない。その事実は、枷を嵌めた者には拘束する意図が無かったことを意味している。

 枷をの取り外しに続いて、眼鏡も取る。そも"彼女"は視力に問題があるわけではなく、掛けていた眼鏡も伊達である。夜会巻きにしていた髪を下ろし、肩の力を抜けば(・・・・・・・)、それだけで雰囲気は様変わりし、まるで別人のようだ。

 

「――御身の前に帰還致しました」

 

 衣類の乱れを整え、玉座の正面で膝を付ける。臣下の礼と敵意をの一切が宿らない態度から、かつて『レベッカ・アプライトムーン』と呼ばれた女の、本当の姿が見えてくる。

 国を騙し、教会を騙し、民衆を騙し続け、己が生きるために災禍を振り撒き続けた傍迷惑な女。かつての魔術を嗜んでいるだけだった頃とは違い、まさしく『魔女』だ。

 

「ああ、寿ごう。良く無事に戻ってくれた。今この時を以って、アマエルの執事長代理の任を解き、お前を執事長に復帰させようと思う……と、言いたいところだが」

 

 言葉を切ったグラナの視線が向かう先は"彼女"ではなかった。"彼女"さえも一瞬、己に何か不手際があり、黄金がそれを咎めようとしているのかと思ったのだが、彼の目は"彼女"を見ていない。

 グラナの視線は"彼女"の体から僅かに逸れて、その背後を見据えていた。

 

「どうした。言いたいことがあるのなら口を開いてもいいんだぜ――――ギルバート?」

 

 左半身を吹き飛ばされて生きていられるはずがない。人間は言わずもがなとして、人間より遥かに生命力の強い悪魔の中でも強壮な益荒男であろうとも、所詮は一人のヒトでしかなく、複数の臓器に大量の血液を失えば即死は確実だ。万か兆か京に一つの確率で即死を免れても、数秒と保たずに死ぬこととなる。

 事実として、"彼女"の見る限りにおいてギルバートは完全に死人だった。魔力の波動は感じられず、動く気配も微塵もない。幾多の戦場を渡り歩き、幾千の悲劇を撒き散らし、その総てを見て来た"彼女"の目は、ヒトの生死を見極めることについては一家言持ちである。

 たとえ、敬愛し、忠誠を捧げる、最強の男の言葉であっても容易に信じることは出来ないままに振り返ってみると、その思いを否定するかのように強い眼光に射抜かれた。

 

「あなた、……生きてたの?」

 

 "彼女"の問いに対する返答はなく、代わりにギルバートの視線は玉座に座る黄金へと向けられていた。もしや瀕死の状態で未だ戦うつもりなのか、と驚愕と警戒する"彼女"を余所に、視線の主とそれを向けられる二人の空気は戦いとは遠い穏やかなものだ。

 

「グラナさんよ、先にこいつと話させてもらうが構わねえな?」

 

 発された言葉の何と弱い事か。声帯が酷く傷ついているのか、かつての若々しかった声は鳴りを潜め、今では死ぬ間際の老人の如き声だ。弱弱しく、擦れていて、酷く聞き取りづらい。しかし、耳の奥にすっと入り込んで理解させるのは、声の主の意思が確固として残っているためだろう。

 

「もちろん。言いたいことがあるなら言え、そう言っただろう?」

 

 答える黄金の声には、戦意も殺意もなかった。覇気は変わらぬままに、その声音は心を安らげる涼風のようなものへと変調している。

 そこにあるものは敬意。原型を留めぬほどに傷つき、顔の判別すら困難となっても、ギルバートへの称賛の念を変わることなく抱いていた。

 故に、口出し手出しは無用だし無粋である。そう割り切って身を引く修羅の思考を、英傑もまた共有する。ギルバートの顔が歪み、グラナに対して謝意を表しているのだと"彼女"は察した。そして、英雄の意識の向けられる先が、黄金から"彼女"へと移る。

 

「なあ、レベッカよぉ。お前がスパイだったってことで、いいんだよな?」

 

 発さられる声も向けられる視線も、その総てがお前を許さない、と言われているようで"彼女"の心には暗雲が立ち込めた。ギルバートが非難するだけの理由を自身が持っていることを、誰に言われるまでもなく"彼女"は理解している。

 だから、罵倒を浴びせられても仕方ないと達観する。スパイとしての"彼女"の活動は黄金に貢献していたし、それは翻って旧魔王派に損害を与えていたとも言える。ギルバートを今のような瀕死の状態に追いやり、彼の戦友を亡き者とした要因の一端を担っていることに疑問の余地はなく、ギルバートには"彼女"を詰る権利がある。

 

「ええ、そうよ」

 

 "彼女"は目を閉じ、どんな言葉も受け入れる覚悟を決めた。しかし、その耳に届いたのは予想から些か外れたものだった。

 

「そう、か。なら、仕方ねえな」

 

 その言葉があまりにも理解の範疇から外れていたから、思考が凍結する。意味を噛み砕き、自身が聞き間違えたのではないのかと反芻し、"彼女"が問い直すまでには数秒も要した。

 

「仕方ないって、……それだけなの? 他に言うことがあるんじゃないの?」

 

 よくも騙してくれたな、とか。仲間の仇を取ってやる、とか。パッと考えただけでも、この場でギルバートが言うに相応しいセリフは他にいくつもある。

 けれど、当の英雄はそんなものに意味はないと否定する。

 

「ああ、そうさ。だって考えてもみろよ。旧魔王派は相手の策略を一切見破ることが出来ずに、その掌の上で踊り狂っていただけなんだぜ。仮にお前がスパイやってなかったとしても、どうせ他の手段で俺たちはコテンパンにやられていただろうさ」

 

 要は、旧魔王派の命運はグラナ・レヴィアタンと敵対した瞬間に決まっていたのだ。一人の女がスパイをしたことで、旧魔王派の終焉の時は近づいたのかもしれないが、所詮は速いか遅いか程度の違いしか生まれない。

 それは、俯瞰すれば些細なことと言って良い。だからと言って、全ての当事者が納得できるわけでも許容できるわけでもないだろう。しかし、そこはそれ。ギルバート・アルケンシュタインは旧魔王派の中でも変わり者の少数派であり、今もその立場を変えていなかった。

 

「なんか勘違いされてるみてーだが、俺は別にお優しい善人じゃない。義理だの何だので古巣に残ることを選択したが、散々こき下ろされるわ仕事押し付けられるわで旧魔王派のことを好けるわけねーだろ?

 ぶっちゃけた話、アルフォンスの野郎みたいな、たいして仲が良いわけでもねえ奴らが死んだって別に何とも思わねえ」

 

 一応訊いておきたいが、間に挟んでギルバートは続ける。

 

「殿を買って出た俺の部下たちは、……スパイじゃないよな?」

 

「ええ。だから既に死んでいるでしょうね」

 

 この城は魔王の目も届かぬ魔境にあることもあり、完全なる治外法権地帯だ。捕虜の取り扱いに関しては、人道も倫理も規則もまるで適用されず、目的のためには一切手段が選ばれることはない。爪剥ぎのような拷問ならばまだ可愛いもので、苛烈な時には捕虜の脳味噌がグズグズに蕩けるまで薬物を投与して情報を吐かせることもある。

 捕虜になれば地獄を見ることとなる。故に、この城で侵入者が享受できる唯一の救いとは『死』だ。仲間のために己が命を張って殿を務めるような益荒男には、敬意を表して唯一の救いを与えられていることだろう。それが黄金の修羅グラナ・レヴィアタンと彼の配下らのスタンスだ。

 

「きっと彼らは私を許さな――」

 

「許すだろうな」

 

 自己を卑下し嫌悪するかのような言葉を断ち切り、ギルバートは続きを紡ぐ。

 

「さっきも言ったろう? お前がスパイだろうがそうじゃなかろうが、どうせ俺たちはぶっ飛ばされてたって。真相を聞かされたら、あいつらきっと『してやられた』って笑うぜ。そして俺に、『女に騙されてご愁傷様です』とかってムカつく調子で言ってきやがるのさ」

 

 酒を飲みながら、下品なほどに大きな笑い声を上げて騒ぐ姿が目に浮かぶ。ギルバートはそう語り、"彼女"の心にするりと滲み込んでいく。

 殿となって散っていった者らと親交を持っていたのは"彼女"も同じ。故に、ギルバートが語る光景を思い描けてしまう。

 彼らは『気の良い馬鹿』たちだった。下らない冗談を交わしたり、上司のはずのギルバートの自宅に性悪な悪戯を仕掛けておくことさえ朝飯前。頭を突き合わせて喧嘩を始めたかと思えば、一時間後には爆笑しながら酒を酌み交わして仲直りしているような者たちだ。

 彼らと付き合いを持つことに不満などなかった。彼らと付き合うことに幸福を覚える自分がいたことを悟っている。

 だからこそ、彼らを陥れた自分に嫌悪を覚えて仕方がない。先に喧嘩を売ってきたのは旧魔王派だし、"彼女"がスパイをしていたのは主に命じられたからだが、そんなものは言い訳にはならない。してはいけない。

 どんな事情があったにせよ、彼らを陥れ死に追いやった事実は変わらないのだから。彼らの素晴らしさを知るが故に、"彼女"は己を責め苛む。

 

「気に病むな、なんて簡単に言えるわけねえが……あまり囚われるなよ。そんなことは誰も望んでねえ。俺もあいつらも、そしてお前の主サマもな。生きていくことが、生き残ったやつの果たすべき最大の義務なんだよ」

 

 "彼女"の葛藤を読み取った上でギルバートは言う。甘えるな、と。悲嘆も悔恨も呑み込んで歩を進めろと激励していた。

 

「なあ、レベッカよ。俺はお前と過ごせて良かったと今でも思う。楽しかったし幸せだった。お前やあのバカな部下共と過ごしたあの日常だけでも、生まれて生きた意味があるのだと誇ることが出来る。………お前はどうだ?」

 

 問われ、自分にそれを答える資格のあるのかと逡巡し、しかし答えない事はただの欺瞞であるのだと悟るまでに数秒を要し、"彼女"は己の本心を告げる。

 

「私も、私も楽しかった。あの場所はとても居心地が良くて、まるで夢のような日々だった。私が主と出会うよりも早く、あなた達と出会えていれば立ち位置が変わっていたはずだって何度も思う程に」

 

 もしギルバートと先に出会っていれば、悪魔でないから旧魔王派に属することはなくても、魔術師と悪魔の契約関係など何らかの繋がりを持っていたはずだ。その結果として、たとえグラナと敵対することとなり、殺されたとしてもきっと悔いを残すことは無い。そう確信出来てしまう程に、スパイとして旧魔王派に潜入し、ギルバートらと過ごした日々は輝かしいものだった。

 

 しかし現実には、"彼女"が先に出会ったのは黄金の修羅である。故に、ギルバートらと敵対することとなり、今もこうして彼を死の淵に立たせる手助けをしているのだ。

 "彼女"が先に出会ったのはグラナであり、だから"彼女"の居場所はグラナの下にある。グラナと敵対するということは即ち"彼女"の居場所を侵すということとほぼ同義であり、ならば主たる黄金からの命令がなくとも"彼女"は旧魔王派を潰すことに尽力していたに違いない。

 そのことを理解できない程にギルバートは愚鈍ではない。とっくの昔に敵対する運命を決定づけられていたのだと知っても、若き英傑は己の惚れた女の未来に幸あれと祈る。

 

「辛いことも悲しいこともある。けど、それと同じくらい嬉しいことも楽しいこともあるんだ。現在は過去の上にあるものだから、決して過去を切り離すことは出来ないが、囚われる必要はない。縛られるなよ。

 だって生きるってことは、前に進むってこと、なんだから。いつまでも……後ろに置いてきたものを、気にするな」

 

 限界だ。誰の目から見てもギルバートは限界だった。そも即死しないほうがおかしいほどの傷を負って、今まで話すことが出来ていたことが異常なのだ。

 だからこれは当然の結末。

 存在そのものが薄れていくように思わせるほどに、彼の全身から生命の息吹が抜け出ていく。

 

「あぁ、そうだ。最期に、名前、教えてくれるか? レベッカ・アプライトムーンは、偽名なんだろう?」

 

「アリス。アリス・キテラ。それが私の本当の名前。……冥途の土産くらいにはなったかしら?」

 

 "彼女"は、死者を抱く女と称される魔女は名乗った。真名を明ける、ひいては正体を明かす危険性について知っていても、今この場で名乗らない選択肢は存在しなかった。

 裏の世界では、『魔女』として有名な名を聞き、ギルバートは頷く。嫌悪も侮蔑も憤怒もなく、ただ単に、本当の名を知れて良かったと喜んでいた。

 

「ああ、最高の土産だ。悪魔は死んだら……魂が無になっちまうってのが残念だ。あいつらに、自慢してやりたいくらいだっ……て、のに」

 

 グラリ、とよろめく彼の体をアリスは受け止めた。全身に血がべっとりと付着し、抱きしめた感触はゴムのようにブヨブヨとしており、とてもではないが成熟した男の体とは思えない。

 しかし、アリスが今抱き締めている体は、間違いなくギルバート・アルケンシュタインのものなのだ。半身が吹き飛び、残った部位の全てが重度の火傷に侵されるような有様になってまで、己を死地に追いやったはずのアリスを激励していた。

 そのことに気付いてしまえば、最早我慢な出来るはずもない。必死になって押し殺そうとしても口からは嗚咽が漏れ出て、双眸からは涙が溢れ出す。

 

「執事長の位に復帰する前に弔ってやるといい。殿として残ったやつらの遺体も綺麗な状態で残してある。一緒に葬ってやれ」

 

「感謝、致します……っ」

 

 アリスは玉座から掛けられた声に、不敬であると理解していながらも、嗚咽混じりの聞き取りづらい声を返すことしか出来なかった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 アリスも友誼を結んだ者たちとに別れの言葉を告げたいだろうし、ギルバートらのことを良く知りもしない己がいたところで無粋なだけだ。むしろ主たるグラナが居れば確実にアリスは気を遣ってしまい、満足のいく別れとすることは出来ないだろう。

 必要なものがあればアマエルに頼むようにと、それだけをアリスに告げて玉座の間から去り、現在は執務室で肩の荷が一つ下りたことを実感していた。

 

「これで一段落ってところか」

 

 グラナの周囲に人影はない。平時ならば使用人の一人や二人程度が付き従い補佐するのだが、今この時に限っては彼が部屋の中に入らないようにと厳命していた。

 しかし、それは部屋の中にいる者がグラナ一人ということを意味するわけではない。虚空へ語り掛けると、空間から滲み出る様にして老齢の悪魔が姿を現す。

 

「それなりに力を入れて姿を消していたつもりなのだが……一体何時から気付いておられた?」

 

 男の名はリゼヴィム・リヴァン・ルシファー。

 曰く道化。曰く影法師。正体を判然とさせない雰囲気と語り口から、同僚たちからも蛇蝎の如く忌み嫌われている。

 リゼヴィムを嫌う者らの気持ちは分かる。理解できるし納得もする。しかしどういうわけか、グラナはこの影法師を嫌いにはなれなかった。その理由は自身ですら分からず、考えても分からないのなら考える意味はない、と開き直ること幾年。何だかんだあって、そこそこに良好な関係を築いたというのが現在の状況である。

 

「お前が母親の子宮の中にいた頃からだ」

 

 隠れ潜んでいたことへの意趣返しとして、グラナは妙な言い回しを用いる。しかし、そのテのことに関しての年季の違いからか、リゼヴィムは一切動揺することがない。

 

「成程、成程。実に面白い答えですが、前座にあまり時間を取るわけにもいきますまい。端的に問いますが、此度の作戦、一体幾つの目的があったのか?」

 

 リゼヴィムは薄ら笑いを浮かべており、その真意がどこにあるのか、グラナの目を以ってしても見通せない。不気味さと同等かそれ以上に余裕を感じさせる態度からは、とっくに作戦の目的如何についても察しがついているように思えるが、ならばどうしてこのような問いをするのだという疑問が残る。

 言葉遣いも態度も、この男の全てが曖昧で輪郭を捉えることが出来ない。影のように、あるいは水面に浮かぶ木の葉のように、ゆらゆらゆらゆらと揺蕩うばかりで決してその正体を掴ませることがないのだ。

 とは言え、グラナとてリゼヴィムと知り合ってからすでに数年も経過しているので、その程度のことは些事と切り捨て無視することに何らの違和感を持たないほどに達観していた。

 

「一つ目の目的は、当然のことだがアリスを帰還させることだ」

 

 死者を抱く女アリス・キテラ。その名は『魔女』として最も有名と言っても良いほどの知名度を誇り、彼女はそれに見合う実力を有している。しかし、その知名度を得るに至った経緯が、裏で暗躍し幾つもの災禍を振り撒いたというものなので、悪い意味で有名ということだ。分かりやすい例を挙げるなら、裏の世界では多額の懸賞金を掛けられている。

 十年程前にアリスと出会い、行動を共にするようになっても表に出さなかった理由はそこにある。当時はグラナは子供だったし他の面子も似たようなもので、歴戦の魔女のアリスこそが一派の中での最大戦力を担っていた。しかし、彼女を実際に戦場に出せば、懸賞金やら武勲を目当てに敵の数が増えることは確実だ。家を脱走して以来、四面楚歌の状態が続いていたグラナにとって、そこから更に敵戦力が倍プッシュになるなんて冗談にもならなかった。

 しかし、数百年を生きる魔女を手元に置いたまま遊ばせておくのは戦略的に愚策。そこでグラナの打ち出した、アリスの起用方法が旧魔王派への潜入である。

 暗躍は戦闘に勝るアリスの特技であり、ある意味でそれこそが彼女に最適の仕事だ。現に、翼が無いのは過去の負傷によるものだとか、魔術を魔力に偽装して悪魔らの前で披露するなど、幾つもの小技で己の種族を悪魔だと信じ込ませて見せた。更に、伊達眼鏡というちょっとした小道具や、髪型の変化、そして雰囲気を意識的に変えることで『アリス・キテラ』と全くの別人だとも思いこませたのだ。

 一つ一つの技術は小手先と言って良いものだが、それで十年もの間、数多の悪魔の目を欺き続けたと言うのだから恐れ入る。

 

「旧魔王派の情報をパクるために潜入させたはいいものの、ぶっちゃけ帰還方法については潜入させた当初まるで考えてなかったんだ。つーか、考える余裕がなかった。

 で、最近になってあーだこーだと頭を捻って導き出した答えが、襲撃にかこつけるって手法だ」

 

 例えばの話、ある日突然、派閥の構成員が行方不明になれば騒ぎが起きる。上層部の者らは気にしないだろうが、身近な者らは行方を捜そうとするだろう。その過程で、『レベッカ・アプライトムーン』が『アリス・キテラ』であると判明してしまうかもしれない。

 アリスはもちろんのこと書類を始めとして偽装工作しているわけだが、自身が去った後、つまり一切己の手が届かなくなった状態で秘密を守り切れると断言するのは厳しいはずだ。アリス・キテラは幾つもの暗躍をこなしていうが、その大半は人間界におけるもの、つまり人間を対象としたものだ。魔術だの魔力だのを操る悪魔を相手に十年もスパイを行うのは、死者を抱く女にとっても初めての経験。そして、初めての挑戦で、一切の付け入る隙を与えることなく、任務を達成できると己惚れるほど、アリスと彼女の主は甘くなかった。

 

「大人数で敵地に攻め込み、その全員が帰還しなかった。そして、後日殺す対象だった男が公の場に姿を現せば、誰だってこう思う。暗殺は失敗し、返り討ちにされたんだってな」

 

「それに疑問を持つ者などいない。自陣営に潜り込んでいたスパイが本拠に帰還した可能性など脳裏に浮かぶことすらない。まして、自信家揃いの悪魔ならば、自身が敵の掌の上で踊らされていたとは思うまい。

 くくっ。実に、実に良い。相手の心理まで読み切り利用する手腕は芸術的ですらある。あぁ、どうか喝采させて頂きたい」

 

 言葉の上では称賛しながらも、しかし面白がっているようにしか聞こえない。内外の乖離が激しいというか、やはり掴み難い男である。その辺りが、この男の嫌われる所以なのだろうが、それを指摘されたところで微塵も改心する気がないだろうと確信出来てしまうくらいなのだから、リゼヴィムの偏屈ぶりは筋金入りだ。

 

「で、二つ目がツヴァイに関する情報を抹消すること。内側からアリスが情報を抜き出し、外からツヴァイが餌を放ってやることで旧魔王派の動きをコントロールしてきたが……ほら、旧魔王派の構成員が捕まった際に『ツヴァイ・ペイルドークは俺たちのスパイだ』とか言い出したら面倒だろう? そんな事態が起きる可能性を無くすために、ツヴァイと接触していたアルフォンス・フールと、やつがツヴァイのことを話した恐れのある、周囲の雑魚をぶっ殺す必要があったわけだ」

 

 無論、旧魔王派の内部には『ツヴァイ・ペイルドークはスパイである』と記した書類があるだろう。本当はツヴァイはグラナの側に付いたままであり二重スパイをしていたから、その書類は間違いなのだが、そうした書類の存在そのものが問題だ。

 それが明るみになれば現政府からも追及されるだろう。かと言ってツヴァイが二重スパイだったことを告白すれば、『なぜ旧魔王派の情報を入手できる立場にあったのに、その情報を政府に知らせなかったのか』と叱責された挙句、牢にぶち込まれる可能性すらある。

 

 そこで登場するのが、暗殺と扇動と諜報と、その他諸々の暗躍を得意とするアリスだ。スパイとして十年も潜入している彼女ならば重要書類の保管場所にあたり(・・・)をつけることも、そして書類を改竄することも可能だった。

 旧魔王派の計画した『グラナの首を取る作戦』にアリスが参加したのは、それらの裏工作を施した後だ。

 

「つまりは口封じ。念には念を入れた裏工作に、『情報を持っているかもしれない』というだけで殺害対象に含める情け容赦のない仕打ち。徹底していますな」

 

「徹底するのは当たり前だろ。何かをやろうと思ったら、目指すべき場所は百点満点なんだから。俺でなくても、あれこれとやったはずさ。ほら、よくあるだろう? マフィアとかが口封じのために殺人をするなんてことが。それと同じ程度の話だ。

 で、三つ目が間引きだ。ぶっちゃけ旧魔王派は増えすぎた」

 

 『赤信号、みんなで渡れば怖くない』。その言葉は、集団行動を尊ぶヒトの本質を良く突いている。一人では踏ん切りがつかなくても、徒党を組んだ途端に大胆な行動を取れるようになるという者は非常に多い。ヒトは集団を形成することで、良く言えば勇敢、悪く言えば単純・短慮になるということだ。その傾向は集団の規模が大きくなるにつれて、より顕著なものとなるのが通例だ。

 これまでは上手く旧魔王派の行動を誘導することが出来ていたが、彼らが禍の団に入ったことで、その一派閥に過ぎない者たちをコントロールする旨味が減ったし難易度が高くなった。しかも、当の旧魔王派は龍神の力に与れるということで馬鹿に拍車がかかり、行動の予測が難しくなる始末。

 馬鹿に出来ることなど高が知れているし、万が一にも計画の生涯にはなり得ないと確信している。が、鬱陶しいこともまた事実。バタフライエフェクトという考えに則れば、旧魔王派が障害となることはなくても、その愚行が巡り巡って障害となる可能性は否定しきれない。

 故に、旧魔王派の腕利き数百名を殺すことを決断したのだ。グラナはこれまでの悪評と戦績から、己を殺そうとすればそれなりの数と質を投入してくるだろうことを確信していた。あとはそれを返り討ちにすればいい。戦力的に大きな損失を受ければ如何に馬鹿であっても頭が冷えるだろうし、大きく戦力が低下すれば出来ることの範囲も狭まるという寸法だ。

 

「増えすぎたから殺す、か。至極単純かつ明快な理屈だが、その思考はあの者らを見下したものだと理解しておられるのか。我もヒト、彼もヒト、故対等。それがあなたの信条ではなかったか?」

 

「その考えは今でも変わらねえよ。けど、下種だの人畜だのを、愛すべき配下と同列に扱うのは配下への侮辱に等しいだろう? 俺もあんな糞どもと同類扱いされたくないしな」

 

 ごく一部の例外を除いて、旧魔王派にはまるで見所がなかった。旧魔王の血を引いていると、たったそれだけの理由で天に向かって鼻を伸ばす天狗ども。一人で勝手に酔って自賛するのならまだしも、彼らは性質(タチ)が悪いことに周囲を巻き込むのだ。

 配下に己を崇めさせる。己は素晴らしいのだからと弱者を踏み躙り、搾取し、争乱を巻き起こす。己の勝利を疑わないが故にどんな戦場にも飛び込む。そして最後の瞬間まで、殺せ、犯せ、誇れと謳い続けるのだ。

 吐き気を催す邪悪とは正にこのこと。見ているだけで目が腐り、声を聞くだけで耳が膿む。理解など出来ないし、したくもない。腐臭を垂れ流し続ける、白痴の下種に生きる価値などあるまい。

 

「四つ目が捕虜の確保だ。アリスのことを信用してないわけじゃあないが、ほら、一人だとやれることにも限度ってもんがあるだろう? 計画の進行に伴なって動きが大きくなる前に、旧魔王派の構成員を確保してアリスが取得できなかった分の情報を補完しておきたかったのさ」

 

 言葉の通りにグラナはアリスを信用しているし信頼している。その源には、彼女がこれまでに幾つもの情報を流してきた実績があり、そこから考えると、アリスが重大な情報を見逃している可能性は非常に低い。そのため、四つ目の目的はついで(・・・)のようなものだ。

 三つ目までと比べると驚く要素が皆無の、ありふれた目的だったためか、リゼヴィムも何か言う気配がない。軽く首肯し先を促すだけだった。

 

「で、五つ目の目的が訓練だ。戦闘員なら迎撃、非戦闘員は避難って具合で、現状のマニュアルが通用するか否か、通用しなかった場合の改善点はどこか。そういったことを確かめるための工程だな」

 

 配下はグラナ当人が見初めた者らだが、その全てが戦闘力に長けているわけではない。世紀末に住む蛮族ではあるまいに、腕力だけで他者を評価するなど馬鹿げている。

 配下の中には最上級悪魔を超える強さを持つ者もいれば、回復などの支援に特化した者、あるいは何らの特殊な力を有さない者だっている。抱えた事情や力の方向性・有無に関わらず、彼女らは皆、己の配下なのだ。ならば守らなければならない。戦闘員には戦う術と武具を与え、非戦闘員には安全な避難場所を用意する、それが主たる者の務めだろう。

 

「有事の対応には日頃の訓練が物を言う。千里の道も一歩より。万が一の事態を防ぐ手段は、地道に努力を積み上げるほかねえ」

 

「旧魔王派の襲撃を有事ではないと断言しますか。くく、ははは! 彼らが聞けばさぞや悔しがるに違いない」

 

 

 

 

 

 

 





名前:アリス・キテラ
性別:女
年齢:数百歳
役職:執事長
属性:善
称号:死者を抱く女、傾国の悪女、疫病神

 史実においては、1324年に魔女として訴えられ火刑に処されかけるも、間一髪のところで故郷から脱し、イングランドに逃亡した女とされている。
 元々は魔術を嗜むだけの女であり、ヒトを陥れるような悪性を宿しておらず、だからこそ『魔女』の烙印を押され、悪人として処刑されることに納得できなかった。当時の風潮から敵は強大であったため、彼女も手段を選ぶ余裕がなく、諜報、密告、暗殺、扇動など暗躍のオンパレードで対抗し、幾たびの戦乱を始めとして世界を混乱のどん底に叩き落すことで『魔女』から人々の意識を逸らし魔女狩りの力を弱めることに成功する。
 結果として、己の命を繋ぐことは出来たものの、犠牲となった者は数知れず、彼女が通った後の轍には屍しか残らなかった。それを指して、死者を抱く女。かつての『魔術を嗜んでいただけの女』はどこかへと消え、そこに居るのは人々を騙す真性の邪悪たる『魔女』だった。
 『魔女』を狩ろうとして、真の『魔女』を生み出すこととなったのだから実に皮肉が利いている。
 尚、それしか手段が無いから幾多の悲劇を起こしているが、その度に胸を痛めている。自分が起こしておいて都合が良いと余人は言うのだろうが、善悪の狭間で揺れ動く姿は実に人間らしい。精神的なムラこそあるものの、ここぞという時の爆発力の凄まじさは、こうして彼女が生存している事実が証明している。




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9話 パーティーFirst

遅くなってごめんなさい!!!!!


 冥界、その悪魔領にある某有名ホテル。そこは敷居と値段が非常に高く、それに応じたサービスを提供することで知られている。まさに選ばれた者しか入れない施設と言えよう。だからこそ貴族はステータスとして利用したがるし、平民は強い憧れを持つ。

 これほど記念の場に即した会場もない。若手悪魔の交流試合が開催されることへの祝い、及び若手悪魔の紹介の場として、パーティーを開くにはうってつけだ。

 

 ——という口実のもとに、超高層超高級ホテルを貸し切り状態にして、魔王主催のパーティーが執り行われることと相成った。

 若手云々については建前と断言して構わない。そも悪魔は悠久の時を生きる種族であり、人間のように老いによる衰えは存在しない。単純な話、時間という大きなアドバンテージを持つ古い悪魔が力を持ちやすく、現政府の重役の多くが現魔王よりも年上という事実がその証明だ。

 つまり、どれだけ将来有望だとか、冥界の未来を担う人材だとか、そんな風に持て囃されようとも、所詮『若手』は『若造』に過ぎない。それが悪魔の権力者たちの思考の基準であり、このパーティーの本当の目的は各家当主同士の交流にある、ということも毎度恒例の話だったりする。

 

「貴族は貴族、か。吸血鬼も悪魔もこういうところは変わらないな」

 

 『種族』に『血筋』に『家名』。貴族たちは、それらを誇らしげに掲げているが、それらは彼らが己の力で手に入れたものではない。ただ生まれた瞬間から、その手にあっただけ(・・・・・)だ。

 

「外面を取り繕うことに関してだけは精力的で、だからこそ見た目は完璧か」

 

 金髪赤目の麗人は、会場内をぐるりと見まわし、吐き捨てる。

 吸血鬼の姫、エレイン・ツェペシュ。ハーフの吸血鬼として生まれながらも、その才能と実力は隔絶しており、堕天使総督曰く『歴代最強の白龍皇』と渡り合う程。女神にさえ勝るとも劣らぬ美貌だが、鋭い棘を持つ女はさながら血染花。半端な者が触れようものならば、その皮膚を突き破り、根を張り、全ての血を吸い上げて乾涸びさせるに違いない。

 

「おいしそうな料理の匂いがするなぁ……! パーティーの楽しみと言えばやっぱりこれだよね!」

 

 剣聖の家系に連なる者、ルル・アレイス。魔力の量では下級悪魔の平均にさえ及ばないという、悪魔としては落第とも言える少女だが、彼女の武器は魔力ではなく剣。天真爛漫かつ可憐な風貌とは裏腹に、その刃は何物よりも鋭く硬い。一部の悪魔は魔力の量の少なさを嘲っているが、そういう者に限ってルルの足下にも及ばないような雑魚である。

 彼女が白兵戦における最終決戦兵器として、主に捧げた勝利の栄光は数えきれないほどにある。またグラナが彼女を眷属とするために『騎士』の『変異の駒』を使用したという事実を重く見る者もいる。

 

「ルル、もう少し落ち着いてください」

 

 所謂、騎士の名家に生まれた才女、レイラ・ガードナー。障壁術・結界術に関しては類稀な能力を見せ、またその身に宿す神器も防御に特化したものということもあり、防御面に関しては一切の隙を見せないヒト型要塞だ。

 

「へぇ、貴族のパーティーってこんな感じなのね。想像通りのような、違うような……」

 

 元中級堕天使のレイナーレ。特異な力を有するわけではなく、特別な血筋の生まれでもない。元々が人間を堕落させる種族と言うこともあり容姿に優れるが、それとて同じく美男美女がデフォルトの悪魔社会では埋もれてしまう程度のものだ。

 加えて主たるグラナは『女好き』という話が浸透していることもあり、口さがない者からは「体を売って誑し込んだに違いない」と言われている。

 現に今この時も、各家の当主の中には、レイナーレを娼婦のように見る者もいるし、婦人たちは馬鹿にするかのように嗤っている。

 しかし、当のレイナーレ本人はそんな悪意の嵐のど真ん中で平然とした態度を崩さない。自分が悪意を向けられる理由が分からないほど馬鹿ではないということもあるが、それ以上に、視線でヒトは(・・・・・・)殺せない(・・・・)。眼光が強すぎるあまりに、『目からビーム』を実際に行える男も世の中にはいるが、あれは例外だ。

 名高き影の国の女王の下でのスパルタ修行。常識を放り捨てた主と仲間たちとの日々。この二つを経験すれば、大抵の事柄には動じない程度には肝が太くもなる。

 それに、貴族たちがいくら睨もうともグラナの『目からビーム』とは比べるべくもないし、いくら罵詈雑言を浴びせようともグラナの詠唱する『魔法』の破壊力のインパクトには劣るし、いくら悪意や敵意を纏おうともグラナの内から溢れ出す覇気の前には塵屑も同然だし、どれだけ威張り散らした貴族も所詮はグラナのデコピン一発で虫けらのように殺される雑魚である。

 今のレイナーレからすれば、雑多な悪意や敵意などそよ風と然して変わらなかった。

 

「ねえ、エレイン。ちょっといいかしら」

 

 レイナーレは態々悪意を向けてくる相手に近づくような酔狂な性格はしていない。加えて、個人的なコネクションを持っているわけではないので、特に親しい相手がいるわけでもない。

 パーティーの初っ端から食事に溺れるほど空腹ではないし、話せる相手は同じ王に仕える女たちのみ。しかし、その同僚の内、稀代の剣士は早速食事に溺れまくっており、もう一人の鉄壁女は前者の付き添いとして面倒を見ている。

 故に、とりあえずとばかりに話しかける相手は、麗しの吸血鬼しか居なかった。

 

「私もちょうど暇していたところだから、別に構わないよ。談笑でもダンスでも相手になろう」

 

 ワイングラスを傾け、コクリ、コクリとグラスの中身を少しずつ嚥下する。そのたびに脈動する喉や揺れる髪が艶めかしい。

 更にはレイナーレに声を掛けられると、グラスから口を離し、流し目を送りながら妖艶に微笑んで見せる。返答のために形の良い唇から紡がれる声は甘く、麻薬のように脳に染み渡り心の隙間に滑り込んでいくのだ。

 自然体でありながらも、とんでもないほどに色気に溢れている。しかしながら、同時に、同等以上の気品も宿ることで、決して下品には思わせることもない。

 

 下手をしなくても男女の区別なく万人を魅了するだろう麗人を見て、レイナーレはつくづく思う。

 ―—自分とは釣り合っていない。本来ならば話すどころか、顔を合わせることもないような別世界の住人であると。

 しかしだからと言って、臆することもない。

 前述したように、今のレイナーレは以前の彼女に比べて、かなり精神的に成長ないしは麻痺している部分がある。気品だとか色気だとか女としての実力だとか、様々な分野で圧倒的敗北を喫したとしても、それで気後れする可愛さなど毛頭ない。また、私情かつ感情論で言うのであれば、模擬戦とはいえ平然と己の腹を杭でぶち抜いてくるような相手に遠慮する必要はないだろう。というか、したくない。

 

「なら、ちょっとした話相手になってね」

 

「ふふ。何か話したいことが、あるいは訊きたいことでもあるのかな? これでも話し上手、聞き上手と言われるくらいには口と耳には自信がある。君が満足するまで相手しよう」

 

 自己申告を信じるのであれば、エレイン・ツェペシュの生まれと育ちは非常に悪い。

 そんな彼女が話し上手・聞き上手になった手法や、そしてその技能をこれまでどのような用途で用いて来たのかは、その過去から碌でもないものだと類推出来るのだが、それはエレインに限った話ではなく、グラナの配下であれば割とよくある話なのでレイナーレも気にしない。

 

「そういうことなら遠慮なく質問させてもらうわね。訊きたいことは色々とあるんだケド……とりあえず、こういう場での時間の潰し方を教えてもらえない? お偉い貴族たちの催しって初めての経験だから、正直、何をしていればいいのか分からないのよ」

 

「基本的にこういった場は、パーティーそのものを楽しむのではなく、パーティーという場を利用して家同士・当主同士の交流や顔繫ぎがメインだ。まぁ、私たちの主は………特別というか特殊なのでね、他家との交流は希薄だが」

 

 権力や地位を持つ貴族と、彼らに睨まれているグラナの二者では、どだい仲良くお話など出来はしない。

 表面上はにこやかに話していても、腹の底では罵詈雑言を吐き、脳裏ではマウントを取って相手の顔面を殴り続ける妄想に耽る。両者の関係など、そんなものだ。

 

「めっちゃ言い淀んでたわね……」

 

「言い辛いことの一つや二つくらいあるさ。壁に耳あり障子に目あり、と言うだろう? 誰が聞いているかも見ているかも分からない場所で、アレコレと本音をストレートに口に出すわけにはいかないよ」

 

 権謀術数が張り巡らされ、魑魅魍魎が跋扈する貴族社会——と言えば恐ろし気に聞こえるが、より陳腐に言い換えれば、他人の失敗が好物の連中による揚げ足取り合戦だ。

 幼稚で、愚劣で、馬鹿馬鹿しい。

 だからこそ、真っ当な理屈や道理が通じない、如何なる賢者でも予測し難い怖さがある。何が原因で、どんな失敗に繋がるかも分からない以上は、慎重に行動するのが吉というわけだ。

 

 実際問題として、グラナが悪魔の貴族の大半をよく思っていないのだとしても、短慮に『うちの御主人様はお前らみんな纏めてファックしろって思ってる~』などとは言えるはずが無い。

 それは貴族たちも同様であり、『グラナ・レヴィアタン死ね!』と心の中では渇望していても表面上はニコニコと「御加減のほどは如何かな?」などと当たり障りのない会話をする。

 両者ともに相手の言葉が単なる建前で、本音が正反対だと理解した上で、表面を取り繕う。平民気質のレイナーレからすれば、迂遠で、遠回りで、面倒くさくて、ややこしい。だが、そういったことの積み重ねが貴族社会で生きていくということなのだ。

 

「あぁ、だからさっきも外面がどうたら~ってオブラートに包んだ言い方してたのね。

 それはそれとして、ちょっと意外ね」

 

「ん? 意外って何がだい?」

 

「あなたの態度が普通なことよ。着飾った女の子がより取り見取りなのに、欲望を全然表に出さないじゃない」

 

 言うと、得心したようにエレインは一つ頷く。恐らく、レイナーレと初めて会った際に欲望交じりの視線を向けたことを想起しているのだろう。

 

「私が欲望に忠実なことは自覚しているがね……畜生連中のように年中発情しているわけじゃあないんだ。そもそも、あれはコミュニケーションの一環だしね。下ネタとでも言うべきか、最初に『自分はこういう女ですよ』とか『ここまではセーフなラインです』と遠回しに教えているだけさ。人と距離を詰めるには、まず自分から胸襟を開くべきだろう?」

 

 言っていることは分からなくもない。ないのだが、迂遠かつ分かりにくいし、わざわざそんな手段を使うあたり、エレインの性格や悪戯心が多分に盛り込まれているのだろう。違和感を抱かせることのない演技力は見事だが、諸手を挙げて称賛する気にはなれない。

 

「……随分と変化球な手法ね」

 

「誉め言葉として受け取ろう。ストレート一種では会話の相手としてつまらないからね」

 

「手札が多ければ円滑な会話ができるというわけでもないと思うけど」

 

「そうかな? 例えば――どうして未だグラナがこの場に現れていないのか、なんてネタはいい具合に賑わわせてくれるだろうけど?」

 

 貴族として、王の主催するパーティーに配下を送るだけで当人は姿を見せない、ということはあり得ない。グラナが常識破りと言うか破天荒な面があるとはレイナーレも常々思っているし、ツッコミを入れる毎日を送っているが、それでもこのパーティーに彼が出席することは間違いない。

 しかし、どういうわけか居城を発つ前には正装した姿を見せていた主が、一向にこの場に姿を見せない。会場入りしてからずっと持ち続けていた疑問を平然と見透かされたレイナーレは、完敗だとばかりに両手を上げる。

 

「確かに気になるわね。差し支えない範囲で良ければ話してくれないかしら?」

 

「ああ、勿論――と言いたいところだが、その必要はもう無いようだよ」

 

 ほら、とエレインが横目を向ける会場の出入り口。レイナーレも同じように見遣ると丁度会場に足を踏み入れようとするグラナの姿を確認することが出来、頼もしすぎる男の登場に安堵したのも束の間。胸を撫で下ろした次の瞬間には一層の混乱に囚われた。

 

「は?」

 

 グラナの服装が変なのではない。悪く言えば粗野な、良く言えば男身溢れる風貌に見合った衣装は、年齢を数割増しに思わせ、『男』と『大人』の二つの魅力を放っている。靴やアクセサリーに至るまで拘り、完璧に調和のとれた全体像はファッション誌に掲載されるモデルのようだ。

 問題は彼の隣。グラナの連れ添う悪魔にあった。

 

「は?」

 

 立てば芍薬座れば牡丹歩く姿は百合の花。グラナにエスコートされる女は当然のように美しい。もし外見を数値化して比較することが叶うのなら、エレインと同等程度だろうが、身に纏う色香の桁が違った。

 濃厚で、豊潤で、脳髄まで痺れさせる天然の麻薬。離れて見ているだけでもその威力は凄まじく、声を聴き、匂いを吸い込んでしまえば、異形の者と言えどあっという間に堕落させられてしまいそうだ。

 

「は?」

 

 艶やかな着物を着崩し、長い黒髪を纏め上げた女悪魔。グラナを見つめる、髪と同色の瞳に乙女のような恋心を宿らせた彼女の容貌はあまりにも有名だ。

 最古の悪魔にして悪魔の起源。原初の人間の伴侶として創造されるも、堕落した女。

 

 その名をリリス。初代ルシファーの妻であり、『悪魔の母』と称される女だ。

 

「は?」

 

 何百年も昔から行方が知れず、とうに死んでいたと思われた女傑の登場だ。パーティーに参加する貴族たちが貴族らしからぬ、困惑の声を上げるのも無理はない。

 




名前:リリス
デジモンシリーズより参戦!


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