SAO~if《白の剣士》の物語 (大牟田蓮斗)
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アインクラッド編
#1 救命


 初投稿です。よろしくお願いします。それでは、どうぞ。


 二〇二二年十一月六日――悪夢が始まった。

 俺――大蓮(おおはす)(かける)――は、幸運なことに世界初のVRMMORPG《ソードアート・オンライン(Sword Art Online)》を手に入れた。

 昔から新しいものに目がない上に、全く違う自分になれることへの憧れもあった。だから学校を休んでまで――いわゆる優等生だったので周りには驚かれたが――《SAO》を手に入れたのだ。

 そこまでしたのだから当然、SAOの正式サービス開始時刻である十一月六日の午後一時ぴったりにSAOにログインしたのだった。

 それが、人生を変えることになるとも知らずに。

 

******

 

 SAOにログインした俺は初めてのVR世界に感激した。感動した。そしてこの時代に生まれたことに感謝した。それほどまでにVRとは素晴らしいものだった。現実(リアル)では中学二年生の俺は、少し高めの身長に、整ったスタイルに、アニメの主人公のような顔の造形に――裏通りに入り、誰にも見られていないのを確認してから――小躍りした。

 気を取り直して表通りに出ると、早速スタート地点《はじまりの街》を駆けていくプレイヤーを見かけた。世界初のVRよりもゲームに対しての関心が強いその様は、恐らくベータテスターであろう。既にVRには慣れているのだ。

 そこに、別の男性プレイヤーがそのプレイヤーを呼び止めて話しかけた。

 

「その迷いのない動きっぷり、あんたベータテスト経験者だろ。俺今日が初めてでさ、序盤のコツ、レクチャーしてくれよ」

 

 どうやら俺の予想は当たっていたようで、そのプレイヤーはコクリと頷いていた。その様子を横目に俺はその二人に背を向けた。

 赤い髪の男に便乗してベータテスターにレクチャーしてもらうこともできたのだが、今回ばかりはそれは避けたかった。

 なぜならこの世界での俺の目的、目標が、現実とは全く違う別の人間になることだからだ。仰々しい言葉にしたが、要するにロールプレイをするというだけである。

 ロールするのはすっっごい強くて若干ダークヒーローっぽさのあるソロプレイヤーだ。厨二病? 俺は中学二年生だ。その誹りは痛くも痒くもない。

 だから、せめて初日くらいは一人でやってやろう、どうせ失敗してもやり直せば良いのだからと俺――キャラ作りのためにこれからこの世界では僕にしよう――は決意したのだ。

 まあ元よりゲームは好きだが得意ではなかったから、冷静な自分はこの強がりがいつまで続くか見ものだと思ってもいた。

 しかしフィールドに出て分かった。

 

 

―――僕はこのゲームをやるために生まれてきた。

 

 

 そう臆面もなく思ってしまうほど、僕はこの世界に適合していたのだ。

 《フレンジーボア》――序盤の雑魚敵だ――の動きが手に取るように分かる。動きを思い浮かべるだけで、まるで自分の体じゃないように羽の如く体が舞う。

 SAO特有の《ソードスキル(必殺技)》だって完全にものにできている。これならあのロールプレイも夢じゃない! と喜んでいたとき、頭に大きな音が響いた。

 

リーンゴーン、リーンゴーン

 

―――鐘の音か?

 疑問に思うと同時に体の周りに青いエフェクトが漂い、僕の視界はホワイトアウトした。

 目を開いた。そこは《はじまりの街》の大広場だった。見渡す限り、人、人、人。そこには運良くSAOを手に入れられた一万人が勢揃いしているようだった。

 困惑して視線を彷徨わせ続けても、周りも似たような反応ばかり。なぜこのようなことになっているのかは誰も知らないらしい。運営がプレイヤーをここに転移させたのだろうということだけが、周囲の呟きから察せた。

―――どうして強制転移なのにアナウンスがなかったんだ。

 誰かが「上を見ろ!」と叫んだ。見上げると、上空の第一層の天蓋一面には赤い市松模様が広がっていた。

 それをバックに赤いローブが突如現れる。ローブと手袋だけ、中には何もない空洞が広がっていた。

―――これはヤバい!

 背筋を悪寒が走る。ローブから距離を取るために人混みを端の方へと移動し、広場を囲む高めの建物の中に入った。

 赤ローブはこのSAOを生み出した茅場晶彦と名乗った。そして、この世界がデスゲームとなったとプレイヤーを睥睨しながら告げた。

 それを、僕は何の感慨もなく聞いていた。恐らくデスゲームという現実を最も早く受け入れられた内の一人になれただろう。

 

「最後に、私から諸君にプレゼントがある。アイテムストレージを確認してくれたまえ」

 

 赤ローブがこちらに手を振り向ける。同時にプレセントが配布されたようで、プレイヤーは続々とストレージを確認し始めていた。しかしデスゲームの開催者が善意だけのプレゼントを贈るとは到底思えない。

―――様子見、かな。

 どうやら現実の姿にアバターを変えるアイテムだったようだ。広場には混乱が広がっていた。もし開けていたら現実での平凡な顔になってしまうところだった。自分の判断を自画自賛し、胸を撫で下ろす。建物の中にいたので、僕の姿が変わっていないことに気づいた人もいないようだ。

―――さて、これからどうしようか。

 MMOとは限られたシステムからのリソースを奪い合う形式のゲームであり、現状を受け入れられた者はフィールドに出るだろう。それ以外にできることはないのだから。

 僕は幸いこの世界での戦闘力に自信があり、冷静さも失っていない。ならば、最初は自分の能力を高めるついでに人助けでもするとしよう。心を決め、僕はフィールドに出た。

 

******

 

 二〇二二年、一人の天才が完全なVR空間を作り上げた。その天才こそが例の茅場晶彦である。

 彼は《ナーヴギア》というヘルメット型のハードウェアを世に送り出した。脳の信号や脳に受ける情報を電子情報に変換し、多重電波を発生させることで脳と機械での相互通信を可能にする機械だ。今回のデスゲームにおいては、電波を発する機能を悪用して電子レンジのように脳を破壊する手法が取られている――らしい――。

 その脳破壊シークエンスが起きる条件は四つ。

一、ナーブギアを取り外す。

二、通信や電力供給がしばらく途絶える。

三、ナーブギアの破壊、分解を試みる。

 ここまでは(げんじつ)の話。プレイヤーに最も関係するのは最後の一つだ。

 

四、ゲーム内でHPが零になる。

 

 このゲームでは体力や耐久値が尽きたものは全て結晶になって砕け散る。砕け散ったらジ・エンドだそうだ。

 このゲームをクリアすることでプレイヤーは解放されると茅場は言った。僕たちは実際の命を賭けてSAOをクリアしなければならなくなってしまったのだ。

 問題のSAOは全百層からなる《アインクラッド》を舞台とした冒険RPGだ。各層には強力なボスがおり、それを倒せば次の層が解放される。そして百層にいる最終ボスを倒すことでゲームクリアとなる。

 中世ヨーロッパのような世界観のSAOには、ファンタジーでは珍しく魔法は存在せず、武器を用いた戦闘が主となる。その代わりなのかソードスキルという、規定のモーションを起こすと発動する必殺技のようなものが存在した。使用すると武器が発光し、通常の攻撃とは比べ物にならないダメージを与えることができる。

 武器の種類は様々あり、一般的な剣からメイスまで選り取り見取りだ。僕が選択したのは片手剣である――格好良いのはあるが、何より取り回しが楽だからだ――。

 現実世界のような視界の端には、これがゲームであることを示すように様々なパラメータが表示されていた。そのプレイヤー名の欄には《レント(Rento)》と入っている。本名を少し捻っただけだが、気に入っていて頻繁に使うハンドルネームだ。

 そうして現状を確認しながらフィールドを駆けていると、明らかに難儀しているプレイヤー達を発見した。

 五人でパーティを組んでいるが、六体のフレンジーボアに囲まれ慌てているようだった。あれはソードスキル一発で倒せる雑魚なのだが、囲まれてしまい落ち着いて対処できていない。というわけで、要救助対象第一号だ。

 僕が飛び込みながら一体をソードスキルで屠れば、リーダー格の青年がすかさず指示を出したことで数の優位を使って逆に敵を囲んでタコ殴りにすることができた。戦闘は二分にも満たない短いものだった。

 

「助けてくれてありがとう!」

 

 戦闘が終わり、見事な指示を出したリーダー格の青年がこちらに頭を下げる。気持ちの良い笑顔だ。

 

「いえいえ。こんなことになってしまったので助け合いの精神ですよ」

 

 これからはキャラづけのために敬語にしようと今この瞬間決めた。敬語を使わない爽やかさを体現する青年は僕の目指すものではない。SAOがデスゲームになろうと、僕はまだロールプレイの野望を失っていないのだ。

 その後、リーダー格の青年とフレンド登録をした。その青年は《ディアベル》と言うらしい。リアルの容姿だというのに整った容姿をしており、喋り方も堂に入っている。将器というやつだろう。彼はこれからの攻略で重要な位置を占めることになるという確信を僕に抱かせた。

 ディアベル達とはそれで別れ、僕は一人で救援活動を続けた。意外にもフィールドに出ていた人数は多かったのだが、どうにも覚悟が出来ていないようで全体的に腰が引けていた。その隙で命を永遠に失ってしまっては元も子もない。とはいえ覚悟はこれから出来るであろうし、これならSAOの攻略は存外可能そうだと一人安心していた。

 

******

 

 人を助けてフレンド登録をし別れる。その繰り返しをかれこれ二週間ほど続けていたが、攻略に熱心なプレイヤー達はその間に第一層の攻略を慎重に進めていた。《鼠の攻略本》というものも一部のベータテスターによって作られており、フィールドでモンスターに負ける者は少なくなった……と思っていたのだが。

 ようやく覚悟が決まったのか、中々進まない攻略に痺れを切らしたのか、《はじまりの街》からの新規プレイヤーは断続的に出続けていた。覚悟が出来たとはいっても、現代日本人が命を懸けた戦闘にすぐに入り込めるかと言えばそうはいかない。元より自殺志願者もいたり、フィールドでニュービーを助けている実力者もほぼいない現状で死者は確実に増えていた。

 そんなある日、一人の少女に出会った。

 その少女は栗色の髪とヘイゼルの瞳をしており、誰もが振り返るような美少女だった。

―――こんなに可愛い子も閉じ込められているのか……。

 思わず胸の裡で零してしまった。

 少女は《ワーウルフ》という狼の獣人と戦っていた。様々な変化系の存在する狼獣人モンスターの基本種で、一体一体は大した強さではない。しかし群れでの行動を習性としていて、どうにも数が多い。

 しかし可憐な見た目に反してその少女の戦闘は存外危うげのないものだった。得物の《細剣(レイピア)》で違わず弱点の首を突きつつ、周囲を完全に囲われないように立ち回っている。少数で多数と戦うコツを理解していた。

 だが彼女の戦いは一気に彼女の不利へと傾いた。彼女の細剣が儚くポリゴンに散ったのだ。

―――!

 

「っ、助太刀します!」

 

 彼女も流石に剣が壊れるのは初めてだったのか、見逃せない隙を生んでしまう。少女の背後に飛び込みながら、彼女に後ろから爪を伸ばしたワーウルフを斬り飛ばす。いきなり現れた僕に驚きつつも、少女は慌ただしくアイテムウィンドウを開いた。

 一旦は僕が彼女を守りつつ一人で戦っていたが、新しい剣を装備し直した少女が参戦したこともあってワーウルフの一群は案外簡単に蹴散らせた。

 間近で戦いながら観察した少女の剣筋は美しいものだった。放ったソードスキルの《リニアー》の一閃も、システム外スキルのモーションアシストがかけられていて僕の目でも追えないほどの速さであった。

 大群を凌ぎきって一息吐いていると少女が話しかけてきた。

 

 

 

 

「なんで助けたのよ」

 

 

 

 

―――は?

 思わず思考が止まる。最近増えてきた自殺志願者にしては、少女の戦闘には負ける気は見えなかったような気がしたのだが。

 

「……助けてはいけませんでしたか?」

「そうは言わないけど、今のこの世界でただの親切心で動く人なんていないでしょ」

 

 少女はかなり冷めている人間のようだ。遠目からでは野の花のように見えた美貌も、凄まれてしまえば茨のようだ。

―――ただの親切心なんだけどなぁ。

 

「その、()()()()()()で動く人間ですよ。フィールドで人助けをしているんです」

 

 ムッとした勢いのままにやや強い語調で言えば、少女は申し訳なさそうな顔をした。

 

「え、そうだったの。それは……ごめんなさい」

「別に構いません。親切ついでに、一つアドバイスです」

「……聞かせてもらっても良いかしら」

 

 気まずそうな少女に、僕は指を立てる。

 

「戦闘中、武器の耐久度を気にするのは確かに難しいかもしれませんが必須の注意です。というよりも、一回の戦闘ごとに使用する武器の調子は確認し、耐久度が尽きないように立ち回るべきです。武器が勿体ない」

「……別に武器なんてどうでもいいのよ。どうせ店売りの乱造品だし、ストックもあるもの」

 

 少女の吐き捨てるような口調に、僕は踏み込めなかった。

 

「そう、ですか。そう思っているならこれ以上は言いませんが……。武器が壊れたときに隙ができないように鍛えるべきですね」

「それは……そうね。今回は助かりました、ありがとう」

 

 その少女――《アスナ(Asuna)》とはフレンド登録をして別れた。

 

******

 

 それからまたしばらくして、あるパーティがボス部屋を見つけたという噂が広まった。その攻略会議が《トールバーナ》という街で開かれるそうだ。いつか助けたディアベルがフレンド機能を使ってメールを送ってきたのだ。参加してほしい、と。これも何かの縁だと思い、僕は初めて本腰を入れて攻略に参加することにした。

 攻略会議が始まる。ディアベルたちが例のボス部屋発見パーティだったとは驚いたが、いつか思った通り、ディアベルが攻略の音頭をとれる人間だったことは素直に喜ばしい。

 順調に進んでいくと思われた攻略会議だったが、闖入者が現れた。

 

「ちょお待ってんか!」

 

 イガイガの頭をした関西弁の男が、ディアベルがいるステージに飛び込んでくる。

 

「えーと、君は誰かな?」

 

 冷静に対応するディアベルに感心しながら男の言葉に耳を傾けた。

 

「ワイは《キバオウ》ってゆうもんや。ワイが言いたいんはな、こん中に詫び入れなきゃあかん奴がおるっちゅうことや」

「それは……ベータテスターのことを言いたいのかな?」

「そうや」

 

―――いや、ディアベルよく分かったな。

 

「こんのクソゲームが始まった日に、奴らニュービーを置いて逃げ出したんや! ベータの情報つこうて取ったアイテムと金この場で出してもらなぁ背中は預けられんわ!」

 

 思わず眉を顰める。彼は自分が無茶苦茶なことを言っていると分からないのだろうか。

 

「それに、こんなに人が死んだんもテスターどもが情報なんかを独占してたからや! 今まで死んでった二千人に泣いて謝れぇや!!」

 

 そろそろ我慢の限界で立ち上がろうとしたが、僕の他にもそういう人がいたみたいだ。浅黒い肌をした外国人のようなスキンヘッドの大男が発言を求めた。

 

「発言いいか? ――俺の名前は《エギル》だ。キバオウさん、少なくとも情報はあったぞ」

 

 男、もといエギルは外見に似合わない流暢な日本語で話し出した。

 元テスターの《鼠》の攻略本の話に始まり、最初から最後まで正論尽くしだった。流石のキバオウもこれには何も言えず、ディアベルに諭されるまま静かに最前列の席に腰を落とした。

 

 

―――何か、引っかかるな。

 

 

 最初の登場から余りにもタイミングが合いすぎていた。あれよりも早ければインパクトに欠けるし、遅ければ入り込む隙がない。計算し尽くされているかのようだ。

 そういえばディアベルも余り驚かなかったし、すぐに元テスターのことだと察していた。論破されたキバオウも感情的にならずに席に着いた。彼ならそれでも暴論を展開させそうなものであるのに。

 

 つまりこれは、ニュービーの不満を暴発させないために仕組まれた茶番か。

 

 別に気づいたからといって何をする気もないのだが。むしろディアベルがそんな腹芸のできる、正義感だけの人間でなくて安心した。安定した長に据えるには清濁併せ呑む器が必要なのだ。

 それ以降は恙なく進行し、ボス攻略のチーム分けで僕はディアベル率いるパーティに入った。ボスへの直接的な攻撃をするチームだ。

 翌日の攻略戦に向けてプレイヤー達は気炎を上げた。

 

******

 

 翌日、ボス攻略当日。僕達はディアベルのやり過ぎとも思える言葉で士気を高めてからボス部屋に突入した。

 ボスの攻略は順調に進んだ。取り巻きの《ルイン・コボルド・センチネル》も的確に撃破されている。二人だけのH隊も、予想以上に手練れの二人のようであった。あれなら心配は無用だろう。

 そしてボスである《イルファング・ザ・コボルド・ロード》の四本あったHPバーも最後の一本となる。

 

「俺が出る! みんなは下がれ!」

 

 ディアベルが駆け出す。コボルド王は持っていた斧を投げ出し、ベータの情報通りにタルワール……、

―――違う! あれはタルワールじゃない!!

 コボルド王はタルワールではなく、刀のようなものを装備した!

 

「ディアベルさん! 武器が情報と違います!!」

 

 必死に叫んだが、コボルド王の咆哮に搔き消される! ディアベルはボスの影で武器を視認できていない! そして、

 

 

ボスのソードスキルを食らい、青髪の青年は宙を舞った

 

 

「な、そ、そんなディアベルさんが……」

「嘘だ……。情報と違うじゃないか!?」

「と、取りあえず、ひ、退けえええ!」

 

 信じがたい光景に多くのプレイヤーが茫然とし、背中を向けて逃げ出した!

―――このままじゃ犠牲者が増える!

 そのとき、二人のプレイヤーがボスに向かって駆け出した。例のH隊だ。勇敢にもたった二人でボスに立ち向かう。

 結果だけ言えば、ボスは突破された。たった二人の活躍によって――その内一人はあのアスナちゃんだった――。

 問題はその後だった。

 

「何でや! 何でディアベルはんを見殺しにしたんや!!」

 

 ()()キバオウだ。そしてベータテスターへの恨み言を言い始める。それは、意図しているかどうかは分からないが、仲間割れを促しているようだった。

 それに対してボスにラストアタックを決めた少年は……全てを、独りで背負ってしまった。

 こんなに情報を持っているのは自分だけだ、他の奴らは何も知らない。その言葉で周りの憎悪(ヘイト)を一身に集めていた。そして周りを拒絶するように黒いコートを纏って去っていった。

 

 その足取りは断頭台に向かうようで――、

 その眼は全てを諦めているようで――、

 その背中は触れられるのを拒んでいるようで――、

 

 その様は……成り損ないの英雄のようだった。

 

 そしてそれは、僕の望んだ姿だった。

 

******

 

 第二層からの攻略には参加しなかった。その結果、僕の実力は上の下から中の上くらいに落ち着いていた。

 主な時間はフィールドでの救援活動に力を注ぎ、空いた時間は趣味の生産スキルを磨いていた――今では職人並みだ――。

 そんな形でこの世界に満足し始めていた僕は彼――成り損ないの英雄のことをすっかり忘れていたのだ。

 《黒の剣士》の名を聞くまでは。




 第一層攻略戦でした。ディアベルさんは嫌いではないのですが、面倒臭いんですよね、出すのが。ここで惜しくも退場です。


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#2 合流

 さて、SAOお得意の時間飛ばしです。どうぞ。


 今は二〇二三年の六月下旬、攻略の最前線は第三十七層だ。

 僕は最前線より下層の全てを活動範囲として救援活動を続けていた。実力では攻略組に入れるとは自負しているが、人を救っている実感が心地良く、直接的な救命活動の方が良いなどと思っていたのだ。しかし、

 攻略は予想よりも進まず――僕の考えが甘かった――、

 フィールドに誰もいないときも多くなり――プレイヤーの活動範囲、活動時間帯が幅広くなりすぎた――、

 犠牲者も緩やかにだが確実に増加し、フレンド登録していたプレイヤーネームが何人も灰色――死亡を表す――になり、もう限界だった。僕一人ではもう満足に人を救うことはできないと自覚させられた。

 そんな折、アインクラッドの情報屋によって発行されている新聞によって《黒の剣士》のことを知った。犠牲者が最も多い最前線でソロで戦い続ける少年、あの()()()()()()()()のことだった。少年は攻略組の中核におり、その号外はボスの単独撃破を知らせるものだった。

 訂正しよう。

 今は二〇二三年の六月下旬、攻略の最前線は第三十八層だ。

 その新聞を見て僕は()()()()の日を思い出していた。自分はあの少年のようになりたかったのだ、と――RP的な意味ではあるが――。

 思い立ったが吉日と言う。僕は思いきって攻略組に参入することを決めた。

 良い機会だったのだ。下でちまちまと人助けをするよりも、攻略を少しでも早くできるように力を尽くすべきだとは気づいていた。自分のやってきたことを否定するようで認めづらかっただけだ。それにボス戦が最も犠牲者の多い場なのだから、直接誰かを助けるにしてもそこに参加するのは当然と言えば当然ではないか。

 そう独り言ち、僕は重い腰を上げた。

 

*******

 

~第三十五層~

 第三十五層の《ミーシェ》という主街区を僕は拠点としていた。元々少ない荷物をまとめて宿を出る。攻略組に参加するなら拠点は最前線に移した方が良いだろう。

 最前線でも通用するとは考えていたが、攻略は久し振りだ、しばらくは迷宮区に籠って体を慣らそうと思う。

 しかしその前に、まずは準備をしなくてはならない。僕は第一層に向かった。

 

******

 

~第一層~

 第一層での目的物は《石パン》だ。石パンはその硬さと味のなさから、当時非常に不人気だった食材だ。今ではもっと美味な食材が増えたことと、これすらも買えない貧しいプレイヤーが増えたことによって購入する人間はもうほぼいないだろう。しかし僕は今でも石パンを愛食している。

 石パンの長所はその安さと軽さだ。プレイヤーがアイテムストレージに入れておける量は体積ではなく質量で決まっており、軽いことと大量に持ち運べることはイコールだ。加えて石パンの価格は最初期の食材ゆえに非常に廉価で大量購入が容易で、つまりこれを用いることでダンジョン籠りで避けられない食料問題が大部分解決されるのだ。そもそもこれを使わねばならないほどの長期間、ダンジョンから出ずに過ごす人間自体が絶滅危惧種ではあるのだが。

 僕は二、三週間ほどソロでダンジョンに潜り続けられることを目安にスキルを育成している。職人レベルまで上げた《鍛冶》で心配される装備の耐久度問題に解決策を提示し、《調合》を用いてアイテムを合成して別のアイテムに変換すれば、ダンジョン内での獲得物で《鍛冶》に必要なアイテムを代用することが可能だ。この二つのスキルのお陰で僕はダンジョン内に長く引き籠ることができる。

 《調理》を育てるだけの余裕はなかったので食料は確保できないのだが、そこを石パンで補っているのである。

 また、これは予想外なのだが、スキル上げに熱中していた頃に寝る間も惜しんでいたら睡眠時間を減らすことにすっかり慣れてしまった。ダンジョン内で熟睡することは難しいから、長時間の休養を必要としないのはきっと攻略で重宝するだろう。

 

******

 

~上層~

 食料調達の次は装備を整えることにしよう。今まで使っていた防具類は最前線には性能が見劣りするので、これを機に新調する。

 《黒の剣士》はその名の通り漆黒を基調としたカラーリングで有名であるから、それに対抗して僕は純白を心がけることにしよう。

 僕の戦闘スタイルは回避重視であり、防具は以前から動き易さ重視の布装備だった。今回もチェストプレートすら排した白いコートを選ぶ。

 昔から白髪に憧れがあって髪色を白く変更済みであったため、防具を変えただけで白い髪、白い服、たまたま白い剣と白ずくめは完遂してしまった。この世界では汚れが発生しないのでここまで白くとも問題ない。

 これで全身余すことなく白だ、と鏡を眺めていたら黒い瞳が目についた。慎重な吟味の末、瞳色を薄いグレーへと変更する――真白にしたら不気味だった――。

 防具のついでに消耗品も補充する。と言っても、俗に言う紙装甲のせいで被弾すれば大ダメージ必至、回復する余裕があるかも怪しいため、回復アイテムは本当に最低限だ。

 その戦い方とは矛盾しているが、実は僕は余計な荷物を()()()()いる。僕の身長の半分ほどもある、カーペットを丸めた筒だ。これは露天商用のアイテムで、オブジェクト化して上に並べたアイテムの耐久度が減らないというのが主な仕様だ。露店では必須級の能力であるが、僕はもう一つの特徴を目当てに使用していた。

 このカーペットは中にアイテムを収納できるのだ。丸めて運搬するときだけだが、質量依存でなくオブジェクト化して置いたときに占める面積依存でアイテムを格納できる。その間も重さはカーペット分のみであり、商人達にも好評の非常に便利な能力だ。

 ただ他のアイテムを格納している間は、アイテムストレージに収納できず背負って移動するしかないため、攻略への持ち込みは不可能とされている。何かを背負っているだけで行動に大きな制限がかかるからだ。

―――これなしじゃダンジョン籠りはできないんだけどね。

 《鍛冶》においても《調合》においても、スキルの利用に必要な道具というものがある――《鍛冶》なら簡易炉などだ――。それがなければいくらスキルがあろうが宝の持ち腐れだ。このカーペットの中にはそれらの道具類が一式収められているのだ。

 その道具類の調達も終え、ようやく僕は最前線へと足を向けた。

 

******

 

~第三十八層~

 僕が主街区に到着したとき、既に日が落ち始めていた。アインクラッドでは構造上太陽――これも作り物だが――の光はほとんど届かない。代わりに層の天蓋、つまり次の層の地面の裏が発光している。この光は時間によって強さが変わり、夜になると星のように光るのみだ。

 何にせよ暗くなることは間違いないので、未経験の危険地帯にこの時間から行くほど僕は酔狂ではない。ひとまずは宿を取って一夜を明かすことにした。

 翌朝、起きてみて仰天した。攻略組は層が解放された翌日、つまり昨日に迷宮区までを攻略したのだとか。その間にはフィールドボスという中ボスがいたはずなのだが。《攻略の鬼》と呼ばれる女性プレイヤーが先導しているらしいが、ハイペース過ぎやしないかと心配になる。僕は攻略された三十七層ではなく、開放された三十八層の迷宮区に籠ることに決めた。

 

******

 

 一週間ほど経ち、僕が迷宮区に籠っている間にフロアボスは突破された。

 最前線の迷宮区のモンスターは、やはり強かった。しかし脅威度に反し、僕が生命の危機に陥ることはなかった。

 その最たる理由はアバターにある。

 この世界のNPC、モンスター、プレイヤーは全てが仮想――つまり電子情報――で出来ているにもかかわらず、動く際の()()までもが再現されているのだ。空想の存在であるモンスター達だが、彼らがもし実在したら必要であっただろう筋肉が作り込まれている。

 その必要はどこにもないのに圧倒的に余計な手間がかけられており、作成者である茅場晶彦の異常なこだわりが伝わってくる部分だ。

 そして僕は最近、その筋肉が動く様子を()()――推測するの方が正しいか――ことができるようになった。アバターが透けて骨格や筋が視えるのだ。そこから次の動きが手に取るように分かる。

 全ての動きが想像できれば、避けることは決して難しいことではない。結局この一週間で準備したポーションを使うことはなかった。次の層からは自信を持って攻略できそうだ。

 

******

 

~第三十九層~

 今日から三十九層の迷宮区に籠る。三十八層でマッピングの概略は掴めたので、今回は攻略組よりも早くボス部屋に到達することが目標だ。

 進む、モンスターとエンカウント、倒す、進む。単調なそれを繰り返しているとたまに安全地帯――安地を見つける。安地はモンスターがポップせず、ダンジョン内でフレンドメールを利用できる場所だ。

 そこで小休止。探索を一日ほど進めていれば、座り込んで武器の補修、ドロップアイテムの調合等をしてから剣を抱いて座ったまま寝る。変な寝方をしても体が痛くならないのは仮想世界の大きな利点だ。

 それを五日繰り返したところで、僕は遂にボス部屋を発見した。

―――このまま一回戦ってみようかな。

 ボス戦の経験は遥か昔の第一層が最後だ。力試しも兼ねて、僕はボス部屋の大きな門扉を一人で開けた。

 部屋の中央でこちらを待ち構えていたボスは比較的小型――ボスとしてはだ――で、全高四メートルほどの大狼だった。灰色の毛並みを持つその狼は身を屈めてからこちらに飛びかかってきた!

 しばらくは回避に徹して行動パターンを解析する。狼系モンスターは雑魚敵として頻繁に出現するため筋肉の動きは見慣れている。ボスであってもその派生形に過ぎず、解析は短時間で終わった。

 右前脚の爪をすり抜け、腹側から外に飛び出しながら斜め上に斬る。下に潜り込まれると勘違いした狼が腹這いになったことで目の前に落ちてきた背中の上を駆け、誘うように背中を向けて面前に落ちれば、狼はその大顎で噛みつきを繰り出す。しかしその行動は予期していたので、振り向きもせずに剣先を後ろに突き出す。それが弱点の鼻面に当たって狼が怯んだ隙にソードスキルで畳みかけ、スタンした狼に更にソードスキルを重ねる。

 向こうの攻撃が当たらずとも、一人で与えられるダメージも高が知れている。ボスのHPバーを最後の一本にする頃には戦闘を始めてから二時間半が経過していた。

―――このまま押しきる!

 ボス特有の形態変化で体を膨張させた狼はそれに反して動きも素早くなったが、行動パターンに大きな変化はなく、無事にボスのHPの最後の一ドットを消し飛ばした。そうしたとき、()()の扉が開いた。

 

「ん?」

「――へ?」

 

 後ろの扉から飛び込んできたプレイヤー達は、ポリゴン片――ボスの残滓――を浴びている僕を見て硬直した。その様を面白そうに眺めていれば、いつか見た栗色の髪の少女が集団の中から一歩を踏み出した。

 

******

 

~side:アスナ~

 私たちは第三十九層のボスを倒すために迷宮区に乗り込んだ。情報によればボスは大狼。行動パターンは比較的簡単で、HPバーも最少の3本。攻略レイドも二十人と楽勝の予定だった。三十七層のボスを一人で撃破してしまった《黒の剣士》に対しても、ボス部屋に一人で飛び込むことを禁止してある。やる気に漲った状態でボス部屋の扉を開けると、

 

 

ポリゴン片が降ってきた。

 

 

 部屋の中は明るく、降り注ぐポリゴン片の下にはプレイヤーカーソルのついた白い背中があった。

 

「ん?」

 

 振り向いたその人物の顔は、色合いは違くともかつて出会ったものに相違なかった。

 

「――へ?」

 

 我ながら間抜けな声が出た。しかしそれも仕方ない。見当たらないボスの姿。部屋中に降り注いでいたポリゴン片。開いた次の層への扉と明るい部屋。そして一人で佇む青年――その青年は風の噂でソロプレイヤーだと聞いていた――。

 これらから導き出せる答えは一つ。また、ボスがソロ討伐された。しかも()()()()()()()()に。

 痛み始めた頭を押さえて、こちらの様子を楽しそうに窺っている青年と会話するために列を抜けた。

 

******

 

~side:キリト~

 アスナの背越しにボス部屋を眺めて驚いた。それは俺以外にボスのソロ討伐をできる人間がいると思っていなかったのもあるが、その白いプレイヤーのHPがほとんど減っていなかったからだ。

 アスナがそのプレイヤーに話しかける。

 

「貴方は、レントさんですよね? ボスを一人で討伐されたんですか? なぜ、今更最前線に? どこかのギルドに所属されていますか? あと――」

 

 いや、問い詰めるといった感じか。段々とヒートアップしていくアスナを遮り、その白い青年は一つ一つ回答し始めた。

 

「まま、落ち着いてください。僕はレントです、久しぶりですね。ボス討伐は一人で行いました。死者はいません。今までは下層で救援活動をしていたのですが、少しでも早く攻略した方が全体の助けになるかと思い、この度攻略に参加することにしました。現在はどこのギルドにも所属していません」

 

 ギルドに入っていないという台詞が、この光景を静観していた一人の男を動かした。アスナの横に踏み出しながら片手を広げる。

 

「それは本当かね。レント君……と言ったか、どうだろう、私のギルドに入ってみるつもりはないかな? 君なら即戦力になりそうだ」

 

 奴は《ヒースクリフ》というプレイヤーだ。最強ギルドと目される《血盟騎士団》の団長だ。攻略等の実質的な指揮は副団長のアスナに任せきりだが、ユニークスキルと噂される《神聖剣》の使い手で、最強プレイヤーと呼ばれている。

 そんな奴の誘いを、しかしレントはにべもなく断った。

 

「お誘いは嬉しいですが、お気持ちだけいただいておきます」

「それは……理由を聞いてもいいかな?」

「僕にはとある目標がありまして。《血盟騎士団》に入ることはその目的に反するのです」

 

 憧れの団長直々の誘いを断った彼に、《血盟騎士団》の面々が不満げな顔をする。

―――少し、マズいことを言ったかな。

 《血盟騎士団》は攻略組の中で幅を利かせてきている。彼らに睨まれるのは喜ばしいことではない。

 レントはそんな団員達を眺め、何を思ってか軽く肩を竦めた。

 

 

「それに僕、貴方に余り良い印象を持っていないんですよね」

 

 

 ピキンと空気が凍る音がした。団長を嫌いだと公言した彼に、先程よりも明確な悪意が向けられる。《血盟騎士団》の一人が彼に食ってかかった。

 

「てめ、調子乗ってんじゃねぇぞ、おい! 団長馬鹿にしてんのか! ふざけんなよ、あぁ!?」

「ふざけてなどはいませんよ。本音を言っただけです」

 

 当の本人は涼しい顔をしている。しかし、その言葉は詰め寄っていた重装備の男の火に油を注いだようだった。

 

「てんめぇ! ぶち殺すぞ!!!」

 

 今にも攻撃を仕かけそうな剣幕だ。この世界での『殺す』という表現は、実現可能性が高い分()()()ものだ。ヘルムで顔は見えないが、感情表現が大袈裟なSAOだ、間違いなく青筋を立てているだろう。

 

「――そこまで。止めなさい、見苦しいですよ。レントさんもです」

 

 アスナが呆れた声で仲裁に入らなければ刃傷沙汰にでも発展しそうな勢いだった。本来止めるべき立場のヒースクリフはそれを面白そうに眺めているだけだ。俺もこいつが嫌いな点に関しては彼と同意見だった。

 

******

 

~side:レント~

 敵対意識を向けられるとついそれを跳ね返してしまうのは悪い癖だ。アスナは仲裁した流れで場を締める。

 

「戦力が増えるのは嬉しいことですので、レントさんも次の層からは他の攻略組と連絡を取り合ってください。そうでないと今回のようなことになってしまいますので」

「分かりました。これからは一人で飛び込むのは止めることにします」

「そうしてください。他の皆さんも、レントさんは新しい攻略組の一員です。歓迎しましょう」

 

 副団長の言葉に、燻ぶっていた《血盟騎士団》のメンバーも首を縦に振った。

―――これで受け入れられた、かな。

 そのまま攻略組と混じって開放された四十層へと足を向けた。

 第四十層は全体的に牢獄がテーマとなっているようだった。物資は未だ十分にあり主街区に行く必要がなかったため、僕は早々に攻略に取りかかることにして隊を離れた。団長と副団長を除いた《血盟騎士団》の団員から憎々し気な目線を背中に感じるが、アスナの言葉もあり、彼らとてオレンジになる気はないだろうから気にする必要はないだろう。

 SAOのシステムでは、盗みなどの犯罪を犯した者のプレイヤーカーソルはオレンジに染まり――システムの抜け道は多々あるが――、オレンジプレイヤーと呼称される。カーソルがグリーンのプレイヤーにダメージを与えてもカーソルはオレンジ色になるのだが、オレンジプレイヤーになると主街区への立ち入りが禁止されてしまうのだ。転移門は主街区内部にしかないため、《転移結晶》というレアアイテムを使うか、迷宮区を通る以外に階層を移動する手段がなくなってしまう。オレンジを解消するにはカルマ回復クエストという七面倒なものをクリアしなければならず、望んでオレンジになりたがる者は一部を除いていない。

 だから彼らのことは一旦頭の隅に追いやって、素直に目標を達成できたことを喜んでおこう。

 今日から僕の最前線での暮らしが始まる。

 ハーフポイントの第五十層は目前に迫っていた。




 実はこれ書き溜めしていた分で、特典小説から書き直したんですよね。まあ、数字を変えただけですけど。


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#3 協力

 前回のあとがきに引き続いて、SAOの映画面白かったですよね。迫力が凄かったです。どうすれば戦闘シーンって輝くんでしょうか。第三話です。どうぞ。


 攻略組とは、トッププレイヤーで構成された、SAO完全制覇に向けて攻略を続ける集団である。

 現在は七千人ほどのプレイヤーがアインクラッドに生存しているが、攻略組は約百五十人しかいない。その中でもボス戦における戦力と数えられているのはその半分程度だ。そもそも攻略に耐え得る実力者――初見の敵、ギミックへの対応力も問われる――というのはそう多くはおらず、加えて戦闘力が十分でも精神力が伴わなければ死亡率の高いボス戦には参加できないためだ。

 決して非攻略組を非難するわけではないが、もう少し人員がいれば攻略が早くなるのに、というのはどこかの《攻略の鬼》のセリフだ。今よりも攻略スピードが上がってしまえば、攻略組でさえ推奨レベルに追いつけなくなり逆に脱落者が増える恐れもあるが――現在でも大分ギリギリである――。

 攻略組は少ないながらも一枚岩ではなく、いくつかの集団に分裂している。最強ギルドであり五十人程度で構成される《血盟騎士団(Knights of the Blood)》、通称《KoB》。約七十人で《KoB》よりも構成員が多いがレアアイテム収集に力を注いでいる《聖龍連合》。残りは少人数ギルドとギルドにも満たないパーティだ。

 攻略組への合流を果たした僕は、攻略組に所属するプレイヤーの情報をできるだけ掻き集めていた。《鼠》と呼ばれる情報屋《アルゴ》に協力を仰ぎ、戦闘スタイルから最近の購買履歴まで様々な情報を揃えたのだ。

 さながらストーカーのようだが、目的はストーキングではない。僕の目的は()()だ。集めた情報から各人に必要なもの、必要になりそうなものを先んじて推測し、無償で配布するつもりだ。

 同時にSAOにおけるゲーム内通貨の《コル》も配布する。自分ではほとんど使わないため貯まる一方であり、配布用アイテムの調達に使ってなお余った分は直接配るしかない。

 攻略組プレイヤーは実力に比例してプライドも高く、同じ立場の僕からでは受け取ってもらえない可能性があるが、アルゴを通して各ギルド・パーティのリーダーに差出人を知らせずにまとめて渡す予定だ。

 配布用のアイテムを鼻歌混じりに用意していると、アルゴが心底不思議そうな顔で声を発した。

 

「レン坊はどうしてそんなことをするんダ?」

 

 レン坊とは僕のことだ。幼女で通りそうな小柄な外見に反し、アルゴは事あるごとに年上のように振舞う。僕のアバターは険のなさから幼く見えるとはいえ、明らかにアルゴよりは年長そうなアバターであるのに、だ。実年齢で言えば年齢制限の関係から僕より年下のプレイヤーはほぼいないためアルゴも年上なのだろうが、もしそれが分かっての発言だとすればかなりの見識眼である。

 

「そんなこと、とは?」

 

 彼女が言いたいことは分かっているが、ある種のお約束のように一度はぐらかす。

 

「ハァ~、分かっててそういう態度はオネーサン感心しないんだナ。――他の攻略組に、オレっちを通してまでする胡散臭い()()のことダヨ」

 

 特に隠し立てする理由も必要もない。正直な答えを口にした。

 

「僕のSAOでの目的は一人でも多くのプレイヤーを生きてクリアさせることであり、その対象には攻略組だって入ります。それに彼らの強化は一刻も早いクリアに繋がるんですから、自分に要らないものなら配って歩きたくもなります」

「……ふ~ン。気に入られるための朝貢だったらもう手伝わないところだったヨ。マ、気に入っタ。これからも色々と手伝ってあげちゃおうじゃないカ。さしあたっては、今回の輸送費半額だヨ」

「無料にはしてくれないんですね」

「ポリシーに反するからそれは無理だナ。にゃハハハハ」

 

 上機嫌にアルゴは笑った。攻略が第四十三層まで進んだ頃の話だ。

 

******

 

~第四十四層~

 アインクラッドの各層にはそれぞれ別のコンセプトが存在する。クエストの種類や登場するモンスターに、ボス。もちろんフィールドの造形にも共通する層の特色だ。

 第四十四層のそれは()()といったところだろうか。フィールドは枯れ木や枯草しかない赤茶けた荒野であり、登場モンスターは一貫して鎌を武器として扱うモンスターばかり。悪魔やスケルトンなど、形は違えど地獄に所属するようなモンスターばかりだ。

 NPCの情報によればボスは死神で、十一、二十二、三十三層と同じように特殊な武器を装備しているそうだ。ゾロ目の層のボスは特殊武器持ちなのが通例なのだとか。

 十一層では鉄鎖、二十二層ではモーニングスター、三十三層では三節棍だったそうで、四十四層は大鎌というのが大方の予想だ――大鎌は一応通常武器にも存在するが――。

 四十四という数字にかけて『死』をモチーフにするとは、茅場晶彦は中々ユーモアに溢れた人間だったようだ。

 層の最奥である迷宮区は各層ごとに様々な構造だが、基本的には十階建てだ。現在は最後の第十階に僕が到達したところである。

 僕の攻略スピードはソロにもかかわらず他のグループよりも頭一つ抜けている。二週間に一度ほど下層に降りてアイテム補給などはしているが、それ以外は基本的に寝る間も惜しんで攻略に励んでいるからだろう。拠点に帰ればその分往復の時間が余計にかかるから、ダンジョン籠りの習性も攻略に大きなアドバンテージを与えている。

 ちなみに下層に降りたときは最近騒がしくなってきたオレンジプレイヤー――好んで犯罪行為を繰り返しオレンジになった連中のことで、既にPK(殺人)被害も出ている――を掃討したりもしている。

 一人でも多く救うためにはそういった犯罪者の撲滅も求められると僕は考えている。犯罪者は徒党を組んで――犯罪者(オレンジ)ギルドと呼ばれている――被害を拡大させる。先日もそういった集団を一つ潰してきたのだが、彼らを根絶するには至っていない。彼らとの戦いの中で僕が《オレンジキラー》と呼ばれるのはもう少し後の話だ。

 迷宮区の雑魚敵を斬り払いながら角を抜けると、宝箱部屋を発見した。普通の攻略組なら攻略を最優先としているため、何が起こるか分からないトラップの可能性のある宝箱は無視する。レアアイテム大好きの《聖龍連合》でさえも、トラップ解除の可能なシーフ構成のプレイヤーがいない限り開けることはしない。

 だが僕――もちろんシーフ構成ではない――は迷いなく宝箱を開けた。途端にけたたましくアラーム音が鳴り、入ってきた背後の扉がガタンと音を立てて閉まった。トラップだ。

 この類のトラップは何種類かあり、モンスターのポップ数に上限があるか無限か、ドアが完全に閉じるか特定の操作をすれば開くか、といった点で区別される。中には結晶系アイテムが使えないような空間になるものもあるらしい。これは《転移結晶》による緊急脱出が使えないためとても危険性の高いトラップだ。ストレージ容量と使用タイミングの問題から僕はそもそも結晶自体持っていないため関係ないが。

 今回のトラップはドアの形状から見て中のプレイヤーかモンスターが全滅しない限り開かないタイプで、モンスターも無限湧きと思われる湧き具合だ。このピリピリした雰囲気は結晶無効化空間なのかもしれない――結晶を使用しない限り正確には分からないが――。三拍子揃った最悪のタイプのトラップだ。並みのパーティなら攻略組でも全滅まっしぐらである。

 しかし僕は慌てない。冷静に観察し、モンスターが幸いこの層のモンスター――悪い場合は三層上のモンスターの場合もある――で、湧き間隔にも猶予があることを見極める。

―――これならまだ余裕はあるね。

 無限湧きの場合は、一刻も早くトラップの起動キーである宝箱を壊すのが一般的な対処法だ。そうすることでモンスターのポップが止まる。

 しかし別の対処法があることは意外と知られていない。トラップの起動キーの宝箱であっても、ミミックでもない限りアイテム――大抵はレアアイテム――は入っている。それを取得することでも無限湧きは停止するのだ。

 既に三十体以上が出現したモンスター達を五秒に六体のペースで倒していく――適当なダメージを与えてから、ソードスキルで一掃するのだ――。六秒に五体が湧きスピードであるから、モンスターは徐々にその数を減らしていく。右へ左へ剣を振り抜き、跳ねしゃがみ、殴り蹴る。

 四方八方から迫りくるモンスターを捌き続けてしばらく、ようやくモンスターの一掃ができたところで多少のダメージは許容しつつ宝箱からアイテムを取り出す。無限湧きを止めて最後に残った数体も仕留めれば、トラップ部屋には僕一人が残った。

 一回のトラップでレアアイテム――《聖龍連合》援助用だ――と多量のコルと経験値を手に入れることができるので、生存さえできるならばトラップは効率の良い狩場である。この強引なレベル上げのお陰で、この層のモンスターはクリティカルヒットならば一撃で倒せるようになっている。それがまたトラップからの生存可能性を高めるという好循環だ。

 また、大量のモンスターを一人で相手することは、空間把握上達への近道である。トラップに突貫するようになってからの成長度は目を瞠るほどで、最近は背後の空間把握も熟せるようになってきた。トラップは良い練習場でもあるのだ。

 加えて、実はこの種類のトラップの小部屋は良い安全圏にもなる。小部屋のドアは手動で開けることになるのだが、小部屋内にはトラップ以外では敵がポップしない――これも余り知られていない――ため、トラップクリア後はモンスターから自分を隔離できる空間として利用できる。

―――今日はこのくらいで少し休もうかな。

 僕は小部屋の壁に背を預け、剣を抱えて眠りに就いた。

 

******

 

 流石にボス攻略会議には参加せねばならず、僕は主街区の街に赴いていた。層のコンセプトに合わせてか、主街区のNPCの顔も暗く見える。流石は茅場だ、手が込んでいる。

 会議では簡単な作戦とボスの情報を伝えられた。会議と命名されてはいるが、ボス戦の基本方針自体はギルド内で策定されていて、大きな反対意見がなければそれがそのまま実行される。ボス戦はどうしたって集団戦だ。まとまりのあるグループが音頭を取るのが一番都合が良い。ちなみにボスは骸骨ではなく悪魔型の死神らしい。名前は《ザ・デスリーダー》だそうだ。

―――死の責任者か。いかにもな名前だ。

 ボス戦での役割は《黒の剣士》と二人でパーティを組んでのダメージディーラーとのこと。遠慮なく削り殺すとしよう。

 流れるように辿り着いたボス部屋の前で、アスナが細剣を突き上げた。

 

「それでは、今より第四十四層ボス攻略を始めます! 情報が揃っていると言っても油断が許される敵ではありません! 全員で次に進みましょう!」

「「「おう!!」」」

 

 かけ声と共にボス部屋に飛び込む! すぐに部屋の中央で待ち構えている死神が見えてきた。

 

******

 

~side:キリト~

 今回のボス戦で俺はあの期待の白い新人君とパーティを組んでいる。他の攻略組は集団で固まっているため、扱いが面倒なソロは固めておこうということだろう。丁度装備も似通っているし。ソロでは回復アイテムの持ち込める量に限りがあるせいで回避型になりやすいが、ここまで被るものかと少し疑問に思う。実力はあるようだし文句はないのだが。

 アスナの声に応じてボス部屋に飛び込んだ俺達だが、ボスを目にしたレントが一瞬痙攣するように足を止めた。様子を確認するために顔を覗き込めば、嫌に真剣な顔で話しかけてきた。

 

「キリトさん。その……LA(ラストアタックボーナス)が欲しいんですが、手伝っていただけませんか?」

「え?」

 

 想定外の言葉に一瞬思考が止まった。

―――今言うことか?

 確かに俺達はダメージディーラーでLAを取りやすい立ち位置にはいるが、開戦直後からLAを狙う意欲は褒めるべきか、注意するべきか……。

 

「……別に、構わないが。しっかりやってくれよ」

「ええ、もちろん!」

 

 眩しく笑う顔に毒気が抜かれた。レイドの最前陣がボスと接触したのを見て、慌てて気を引き締め直す。レントもそれきりきちんとボスを見据え、タイミングを計り出した。

 ボスの攻撃をタンクが受けたタイミングでスイッチ。ボスの巨体にソードスキルを叩き込む! 隣のレントに目を遣れば、きちんと遅れずについて来ていた。飛んできた鎌には上手く剣を這わせて逸らす! それから突進系ソードスキル《ソニックリープ》で攻撃しつつ離脱!

 同じ流れを何度か繰り返し、連携に穴がないのを確認したら攻撃をより複雑に! レントはそれにも遅れることなく合わせてくるばかりか、敵の攻撃に対してのフォローまで入れてきた! 思わず口角が上がる。腕は確かに良い。そこから数回タンクとのスイッチを繰り返せば、手軽にHPバーもラスト一本になった。

 

「攻撃の手が多いだけはありますね。ソロとはダメージの入り方が段違いです」

「そりゃそうだろう、伊達に四十層も攻略していないさ。――さ、LA取りに行くんだろ?」

 

 他のプレイヤーが与えるダメージを見計りながら最後の一撃になるように調整する! LA泥棒と呼ばれたのはこういうことができるからなのだが――、

 

「今だ! やれ!!」

 

******

 

~side:レント~

 キリトの協力もあって、僕は無事に死神に最期の一撃を与えることに成功した。ボス部屋には大きく『Congratulations』と書かれたウィンドウが浮かんだ。

 四十層台のボスは比較的弱い部類に入るらしく、五十層への前菜とまで言われているだけあってか、レイドメンバーにも酷く疲れ果てている人はいないようだ。

 

「なあレント、LAなんだったんだ?」

 

 背伸びをしていれば、キリトに尋ねられた。今回の恩人に聞かれれば答えないわけにはいかない。

 

「――心くすぐられるものですよ」

 

 僕は片手剣を装備解除(オミット)し、LAを()()()て見せる。

 

 

 僕の手にはボスが手にしていた大鎌を小型化したものが収まっていた。

 

 

 

「おお! これ、ユニークウェポンじゃないか!? しかも大鎌か! あ、でも武器カテゴリ的に使うのは厳しいか」

「いえ、カテゴリの部分は?になっているんですが、説明文によると最も熟練度が高い武器スキルが適用されるそうです」

 

 正直に言って、かなり格好良い。木の枝をそのまま使ったような少し湾曲した木の柄は掴み易く、その先についている刃は黒地に白い波紋が美しい。身の丈ほどある全長も厨二心にぐっと来る。

 その大鎌を見た周りも感嘆の声を漏らしていた。実際に中学二年生の僕だけの話でなく、ゲーマーなんてのは大なり小なり厨二病を患っているものだ。この大鎌に惹かれないわけがない。まあ武器として扱いづらいのは事実なので、使用者はほぼいないが。

 プロパティを確認してみて一つ気がかりなのは、説明文とフレーバーテキストの後に意味の分からない文字列が続いている部分だ。暗号の類かもしれない。アルゴ辺りならこういうことにも詳しいだろうか。

 とりあえずはキリトに礼を言わねば。次の層に攻略組が向かい始める中、キリトに話しかけた。

 

「キリトさん、手伝っていただきありがとうございます。何かお返しをしたいのですが……」

「あー……、ま、俺がLA取りたいときに手伝ってくれればそれでいいよ」

「そのくらいならいつでも」

 

 キリトには例の援助も受け取ってもらえていない――同じ立場のソロプレイヤーからは何も貰わないさ、だとか。どうやらバレてしまっているようだ――ので、これに託けて何か贈りたかったのだが、無理に押しつけても仕方ないだろう。

 最初の邂逅ではギクシャクしかけたが、僕の攻略組としての活動は無事に続いていた。




 難しいぃ。戦闘シーンとか書けないよぉ。ウワァァァァン!!

――お見苦しいものをお見せしました。

主人公の二つ名
・オレンジキラー NEW


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#4 技術

 書き溜めがなくなるまでは毎日投稿です。どうぞ。


 迷宮区では音がよく響く。言葉で表現できないほどに微細な振動も同様に。空気が揺れるのだ。ゲームであるのに、体を動かしたときに環境に与える影響はすぐには消えず、距離に応じて次第に減衰していくようになっている。

 なぜ茅場はここまで精巧にSAOを作ったのだろうか。やはり初日に言っていたように「異世界を作りたかった」のか。ここまで物理法則が再現されていると、確かに異世界と言っても差支えがないのかもしれない。

 総じて何を言いたいかというと、実に不思議なことなのだがSAOでは人の気配が感じられる。

―――四人……かな。

 感覚を研ぎ澄ませれば人数まで把握できる。遅れて《索敵》スキルの範囲に入り、スキルが反応を示す。その数はきっちり四人。自分でもまさか《索敵》よりも高性能な感覚を得ることになるとは思わなかった。

 これができるのは自分の周囲が静かなときに限るのだが、ソロの僕なら戦闘中以外であればほぼいつでもこの条件を満たすことができる。装備品が全て布製なため、移動程度では自分から音は立たない。

 人の気配がしたとき、僕はすぐに身を隠すかその場を離れるようにしている。ソロというのは集団からあぶれた半端者であり、攻略組では殊更に珍妙なものだ。気性の荒い者に見つかって難癖をつけられてはたまらない――三十九層でのこともある――。もちろん、いつもいつも隠れるわけではなく例外はあるのだが。

 さて、今回はそんな例外だ。気配の数は一つ。《索敵》で捕捉されたのも一人。あちらも《索敵》は相応に高めているので既にこちらも捕捉されているだろう。そう思っていると、角を曲がってその人物が姿を現した。

 

「よ、レント。やっぱりいつも待ち構えてるよな」

「キリト君こそ。曲がってすぐに出てきたっていうのに眉一つ動かしてない」

 

 最前線の迷宮区に一人で潜るような阿呆は僕と彼だけだ。お互いに気づいたときにはいつも合流するようにしている。気兼ねしなくても構わない相手なら、一人より二人の方が安全だからだ――結局は方針の違いから一つの集団としてはうまくいかなそうだが――。もう敬語も使わないほどには打ち解けられており、素直に喜ばしいと感じる。

 いつものように二人で迷宮区攻略を再開する。ここは四十七層。順調に攻略は進んでいた。

 攻略の進行に遅れず、僕も着々とパワーアップを続けている。先述の通り気配を感じ取れるようになった。敵mobの筋肉の動きも初見で分かるようになってきた。骨格筋を見て取れる技術はプレイヤーに対しても応用でき、対オレンジプレイヤー戦ではかなり余裕を持てている。空間把握能力の成長に伴って集団戦でもレイド全員の動きを把握し、その上で最近はHPの減り具合も測っている。援助のための情報は、僕に各人の防御性能を教えてくれていた。

 やはり実力者と共闘をしていると、戦闘中に余計な思考をできる程度に楽をできる。キリトもソロであり互いの動きを理解しているという点も大きいだろうが、黙々と迷宮区を踏破していく作業がまるで苦ではない。

 ふっ、と視界が開ける。そこにはこちらを見下ろすように門扉が立っていた。

 

「これって――ボス部屋……だよね?」

「だろうな。はぁ、この情報をすぐ《閃光》様に伝えないとな」

 

 ハハハと自嘲するような乾いた笑い声が隣から聞こえた。

 キリトは数多のボス部屋を発見してきたために、「またお前か」という目を向けられるのだといつだか愚痴を零していた。それを笑ったのだろう。

 《閃光》というのはアスナの通り名だ。目で追えないほどの速さの剣筋が光のようだと名づけられたらしい。

―――昔から剣は速かったからなぁ。

 それにしても、ボス部屋の扉を見ると衝動に駆られそうになる。飛び込みたいという思考がどうしても止まらなかった。

 

******

 

~side:キリト~

 ボス部屋を見つけたときからレントの挙動が不審だ。かく言う俺もかなりキョドッている自覚がある。男は皆、好奇心に生きる生き物なのだ。

 

「な、なぁレント。偵察ぐらいはしてもいいんじゃないかと思うんだが、どうだ?」

「でもアスナちゃんには飛び込むなって言われてるからなぁ……」

「それは『一人で』だろ? 今ここには『二人』いるじゃないか」

 

 自分でも詭弁だと思うが、レントは少し迷う素振りをしてから頷いた。

 

「よし、行こう、キリト君!」

 

 予想以上に目がキラキラしているのは見なかったことにしよう。

 ボス部屋に飛び込んで相対したのは、両手に二本の曲剣を装備したラミアだった。HPバーは三本。固有名は《ザ・ラミアウォーリアー》。下半身は緑色の鱗を持った蛇のもので、頭髪と眼も濃緑色だ。上半身は人間の女性の体だ。胸にさらしを巻いているだけで他に衣服は身に着けていない。

 

ドガッ

 

 レントに小突かれた。べっ、別に胸を注視していたわけではない! いや、良い体とか思ってないから! 全然っ!

 

******

 

~side:レント~

 キリトは女性耐性がない――僕も人のことを言えるような経験値はないが――。ボスに鼻の下を伸ばしそうな雰囲気につい手が動いてしまい、もう少しでダメージが入って僕がオレンジ化するところだった。危ない。

 冷静になって観察を続けると、ボスの体はヌメヌメしていて打撃攻撃が余り効かなそうだと分かる。

 動かないこちらに痺れを切らしたのか、ボスが下半身をくねらせ突撃してきた!

―――速いッ!

 どうやら体の粘液を使って滑るように移動しているようだ。すれ違いざまに斬りつけてみたが、鱗に弾かれてしまった。

 

「キリト君、どうする? 下半身は攻撃が効かないっぽいよ」

「なら……上を斬るッ!!」

 

 キリトはボスが再度突っ込んできたタイミングで跳ぶ。そうして上半身まで剣を届かせる! HPが視認できるほどに減るが、それでもボスは止まらない! 僕が降ってきた曲剣を軽くサイドステップで躱すと、もう片方の剣が地面と平行に横薙ぎで襲ってくる。今度は軽くジャンプし飛び越え、一瞬のチャンスを逃さずに曲剣の腹を蹴って二段跳びで更に上から襲ってきていた剣を躱す。そこから連撃系ソードスキルの《ホリゾンタルスクエア》を放ちダメージを与える。技後硬直は落下中に解け、着地と同時に地を蹴って尾を避けながら距離を取る。

 

「相変わらずとんでもない戦闘センスだな。硬直時間があと一秒でもあったら吹き飛ばされてるぞ」

 

 キリトが賞賛の声を上げるが気にせず、次の攻撃を仕かけるラミアに意識を集中する。今度は両方の剣で叩き潰しつつ、尾で退路を防ぐ気のようだ。

 ならば、()()()()

 ギリギリの見切りと体捌きで剣を避ければ、後退しなかったため尾は見当違いの所を通る。ラミアがもう一撃放とうと剣を振りかぶろうとしたところに向かって跳び、上に引き上げられる曲剣の背に乗る! そのままラミアの頭上まで昇り、頭に飛び移った。

 

******

 

~side:キリト~

 相変わらずあいつの動きは異次元だ。未来が見えているのではないかと疑うほどの回避技術をレントは備えている。が、いくらなんでもあの集中攻撃に対して動かない選択肢を選ぶのは頭がおかしいだろう。未来が見えているならもっと安全に避けろと叫びたくなる。

 それに巨大化しているとはいえ剣の背に乗るとはお前は牛若丸か! その変態機動のせいなのか、ラミアのヘイトがこちらには一度も移らない。

―――俺も相当ダメージ入れてるんだけどな……。

 攻撃が中々向かってこないためむしろ俺の方が多く攻撃しているはずなのだが、ラミアは周辺をつかず離れず動き回るレントを叩き潰すことに執心していた。

 頭上まで移動したレントが四連撃の《バーチカルスクエア》を放つ! 滑らかな三撃を終え、最後の一閃がボスに深く切り込まれた! そこで、

 

 

 

剣が止まった。

 

 

 

 ラミアの髪が意志を持ったようにうねうねと動き出す! 剣が髪に絡まって抜けなくなったのだ! レントはすぐに飛び降りてきたが、その手に剣はない。声をかける暇もなく、ラミアが尾を発条のように使い上空に飛び上がった!

 落下点の予測――できない! 手を広げ体をくねらせながら落ちてくるラミアは、どこに落ちるか予想がまるでつかない。

 

「キリト君! 左右に散開!」

 

 レントの声に合わせ左右に散開する。ラミアは直前まで俺達がいた場所に地響きを立てて落ちた。そして間髪入れず体を仰け反らせて蛇の体を再び発条のように使い、仰向けのままこちらに飛んできた! 両手の曲剣で二人を同時に真っ二つにする気か!

 避けられる隙間はなく、俺は剣で地面と平行に迫りくる曲剣を受け止めることを強いられた。そしてその勢いで背後に飛ばされ距離を取る!

 

―――レントは剣を持ってない……!

 

 バッとレントを振り返れば、俺と同じように弾き飛ばされていた。その体は両断を避けたようで、さっきとは違う白い剣を構えている。あの剣を見たことはある。前に趣味で鍛えている剣だとレントが言っていた。ゆえにあの剣自体は問題ない。問題は、()()()()()()()()()()()()だ。

 SAOでは装備を変更するためにはシステムウィンドウを操作しなければならない。《装備交換(クイック・チェンジ)》という派生スキルもあるが、あれとてウィンドウは操作する。レントにウィンドウを操作する余裕はなかったはずだ。

―――どういうことだ?

 

******

 

~side:レント~

 変に聡いところのあるキリトの前では見せたくなかったが、命と引き換えにはできない、仕方なかった。

 今装備している剣は《ソウル・ソード》という自作のものだ――自作の剣は自分で名前を決めさせてほしい――。この剣は、使っていた剣が現役落ちする度にインゴット化して合金にし融合させてきた剣だ。ある意味で思い出を詰め込んだ剣とも言える。普段は壊さないように使わないが、実は――素材が詰め込まれているためか――魔剣クラス並みの強力な剣だ。

 再び突進してきたラミアをすれ違いざまに斬る。体勢を整えたキリトも攻撃を仕かけた。この剣まで使ったんだ、ラミアの一体や二体倒さなければ割に合わないというものである。

―――このまま決める!

 

******

 

~side:キリト~

 ラミアはもう瀕死だ。レントとアイコンタクトを交わす。ラミアの曲剣を俺が両方ともパリィする! 剣の重さに腰が落ちた俺の背中を、背後から駆けてきたレントが踏みきって跳ぶ! レントは《ソニックリープ》で前屈みのラミアを斬りながらその頭上まで駆け上った! そして()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()。その攻撃でラミアのHPは削りきられる。降り注ぐポリゴン片の中降りてきたレントは剣を()()()()携えていた。

 

 

―――は? はぁ!?

 色々とおかしいだろ!!

 まず! 装備してた剣はどこ行った!! どうして刺さったままの剣でソードスキルが発動できた!!!

 ハァ……ハァ、そもそもSAOでは両手に武器を持つことはイレギュラー装備状態でソードスキルは発動できないはずだし、手から離れて一定時間経過した武器は再装備にタブ操作が必要だがそんなことは当然していない。訳が分からないんだよ!!!」

 

 

 その内心の叫びはどうやら声に出てしまっていたらしく、レントが苦笑しながら口を開いた。

 

「あー、と。その答えは僕が持っている一つのスキルの効果なんだよね。――実は、僕は《武装交換》を完全習得(フルコンプ)してる」

 

―――……?

 言っている意味は分かるが理解したくなく、思考が止まる。

 俺とて片手剣スキルはフルコンプした。攻略組の中には二、三種類のスキルぐらいコンプしている奴がいてもおかしいことではない。しかし、あの《武装交換》はとても……その……地味なのだ。

 スキルの熟練度を上げるには基本的にはそのスキルを使いまくるしかない。《武装交換》ならタブをひたすら操作するということだ。退屈でつまらない作業の上に、そのスキルは大した成長もないために現在では育てている人間は皆無のはずだった。そんなもの(死にスキル)を地道に成長させていたとは……常々予想の斜め上――斜め下か?――を行く男だ。

 

「このスキル、フルコンプするまではまるで成長がないんだけど、コンプ特典で武器に関するタブ操作を思考操作できるようになるんだ。それの応用」

 

 そんなものチートに近いではないか。戦士職においてタブ操作は鬼門だ。しかし、コンプ特典とは茅場め分かっている、と臍を噛む。頑張ったご褒美というわけか。

 だが、それよりも、

 

「じゃあ、刺さったままの剣でソードスキルを発動させたのは? あれは流石にそのスキルじゃないだろ……?」

「あれは体の捻りでソードスキルを発動させたんだ。体勢がどれだけ崩れてても、上下逆であっても、規定されたポーズさえ取れば発動されるからね」

「いや、そりゃそうだが……。体の捻りだけでソードスキル起動とか、段々人間離れしてきたなお前……」

 

―――もう突っ込まないことにしよう。

 そう心に決め、俺達は四十八層のアクティベートをしに向かった。

 

 

 

 ちなみにこの後、二人でアスナに目茶苦茶(数時間)怒られた。

 

******

 

 たまに、レントは同じ人間なのか不思議になることがある――まさかAIではないだろうから、流石に人間なのであろうが――。

 迷宮区で会って行動を共にするときは世間話に互いの生活を話したりするのだが、あいつは迷宮区に住んでいるような生活を送っている。しかもそのために食料を()()石パンに限定し、一日二食。睡眠時間は一日三〇分から一時間というショートスリーパーな上に、睡眠を摂る体勢が壁に寄りかかって剣を抱えての体育座りというのを聞いたときは驚きが一周回って呆れ返ってしまった。三大欲求を馬鹿にし過ぎではなかろうか。

 探索中もトラップを躊躇なく踏み、危なげなくそれを解決してしまう。《鍛冶》や《調合》のスキルまで備えて自給自足を徹底し、それに必要な余計な荷物(カーペット)を背負っているとは思えない機動性能を戦闘では見せてくる――流石にボス戦には持ち込まず付近に置いてある――。敵の攻撃を完全に読んでいるかのような高い回避技術を持ち合わせるために可能になっているのだろうが、それは多くの攻略組が最初期に膝を屈した挑戦だ。レントが実現しているのを見て、再チャレンジを図っている者もいると聞く。

 他にもソロプレイヤーのくせに他の攻略組への援助をアルゴを通して行ってもいる――俺は受け取っていないが――。本人に聞いたときは、「ソロプレイヤー『なのに』じゃなくて、ソロプレイヤー『だから』余裕があるんだよ」などと返されたが、同じ立場の俺からすればイカれているとしか思えない。

 万能(チート)。レントにできないことがまるで思いつかず、かつては不正(チート)をしていると言われた俺がそう称したくなる。

 リアルでは何をしていたんだか。プレイヤー間のリアル事情の詮索は暗黙のルールで禁じられているが、見た目から推測するに大体十八くらいの若さだろうか。

 俺に分かるのはそれだけ。俺には探偵の素質が無なのだろう、彼が何者なのか、本当に見当がつかなかった。




 段々と人間離れしていく主人公でした。


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#5 信頼

 今日はハーフですよ。それでは、どうぞ。


~side:アスナ~

 遂に五十層ボス攻略がやって来た。SAOにはクォーターポイントというものが二十五層ずつにある――と思われる――。前回のクォーターポイントの二十五層のボス戦で起きた痛ましい悲劇を攻略組は忘れていない。同じ轍を踏まないためにも、今回の五十層ではボスの情報はできる限り掻き集めた。

 ボスの名前は《ザ・センジュカンノン》。千の腕を持つと言われる仏像型ボスだ。ボス部屋は正方形で、ボスはその真ん中に半ば埋まって存在している。その場から動かない代わり、ボス部屋の角のほんの少しのスペース以外は全てボスの攻撃の射程範囲に収まっている。

 ボスにも流石に千本の腕が生えているわけではなく、同時に使用する腕は八本だ。切り落とす度に新たに生えてくるのだ。その手に掴まれるとそのまま握りつぶされてしまうという情報をNPCから手に入れている。

 それらを考慮に入れた今回の作戦はこうだ。回避力と集中力に優れたプレイヤー七人と、絶対的な防御力を持つ《神聖剣(ユニークスキル)》使いのヒースクリフ団長に各腕を引きつけてもらい、その間に本体に攻撃を加える。参加人数は最大レイドの四十八人。囮隊と交代することも考え、攻撃隊も回避力に長けたプレイヤーを選んでいる。今回の作戦に抜かりはない!

 

******

 

~side:レント~

 ボス攻略戦当日、攻略組の中から選ばれた四十八人が第五十層のボス部屋の前に集まっていた。僕もその一人だ。SAO攻略の折り返しということで、《閃光》を筆頭に士気は高い。掴まれたら終わりの回避ゲーをやる囮隊は、それでも硬い顔を隠せなかった――僕とキリトも囮隊だ――。

 

「今日! このボスを突破すれば、アインクラッドも残り半分です! 絶対にリアルに帰りましょう!!」

「「「オォォ!!!」」」

 

 ボス部屋の中には情報通り腰から上の仏像が一体いた。ボス部屋は正方形と聞いたが、正確には立方体のようだ。壁、床、天井は全て曼荼羅模様で、上下の感覚がなくなりそうな無間空間が広がっていた。

 ボスは四組の腕を合掌して待ち構えている。

 

「かかれぇぇ!!!」

 

 どこぞの国の鬼軍曹さながらのアスナの号令に合わせ、僕は一本の腕のタゲを取る。この八本の腕はそれぞれにタゲがあり、本体とは別物と考えた方が良いらしい。

 腕は左右の肩に四本ずつついており、気持ち悪いことにその肩にある関節で三六〇度回転する。腕にも個別HPが設定されていてソードスキル二発程度で吹き飛ぶらしいが、今回は引きつけておくのが仕事であり、削りきると新たな腕が肩から生えてタゲが移る可能性もあるため極力攻撃は控えるように言われている。

 囮隊は一名を除き逃げ回りながら腕を引きつけている。その一名(ヒースクリフ)は足を動かさないままで襲いくる腕を全て盾で防いでいた。腕の動きは臨機応変なためこちらも相応の対応が求められ、他の七人は対処している腕を入れ替えたりもして生き延びているというのに、あの男は一人で仕事を完璧に熟しているのだ。

―――あの《神聖剣》ってチート過ぎない?

 盾と長剣をセットにした武器を使い熟している。その様は正に、最近よく聞く《聖騎士》だろう。

 向こうでキリトが腕を一本落としたのを確認した。パリィだけでもダメージが蓄積したのだろう。なぜだか面白いほど脆い腕だ。

 

******

 

~side:キリト~

 四本のHPバーの内の三本までを失ったとき、仏像に変化が起きた。八本あった腕の、肘から先が二つに割れていき、十六本の腕になる! そしてそのまま本体ごと回転し始めた!

 仏像の回転スピードは尋常の域を超えていた。十六本になった腕もランダムに振り回されるため、それに殴り飛ばされるプレイヤーも少なくない。一撃殴られただけで一人のプレイヤーのHPバーは注意域の黄色になった! 殴り飛ばされた先で更に別の腕に殴られたそのプレイヤーは結晶と化した。

 安全だった部屋の隅に逃げたプレイヤーが仏像の腕に掴まれる! 肘が少し伸びた影響で、この部屋の中で仏像の死角はもうない! 掴まれたプレイヤーは情報通り握り潰されその命を散らす――。

 

「い、一度部屋の外まで撤退!!」

 

 ボス部屋の中にプレイヤーが一人もいなくなるとボスのHPは回復していってしまうが、これ以上の犠牲が出るよりはマシだ!

 しかし一人のプレイヤーは頑として部屋から出なかった。

 

「私がここで耐える! その間に何か奴を突破できる策を!」

 

 ヒースクリフが部屋の入口付近で腕を一人で相手し始めたのだ。癪だが、奴の実力は本物だ。回転している円の縁で受け流し続けるだけならかなりの時間を稼げるはずだ。その間に突破口を見つけなければいけないのだが。

 

「何か、考えがある人はいますか?」

「「「…………」」」

 

 正直、あんな化け物をどうやって倒せば良いかなんてまるで思いつかない。十六本もの腕が高速回転しながら自由自在に攻撃を仕かけてくるのだ。その中では生き残ることさえ難しいのは、先の一瞬でよく分かった。

 

 

「一つだけ、考えがあります」

 

 

 手を挙げたのはレントだ。無事生き残っ三十六人は一言一句聞き漏らさないように耳を澄ませる。

 

「茅場晶彦がまさか五十層で攻略不能なボスは出さないでしょう。ならばこれはボスの何パターンかある攻撃の一つと考えるべきです。攻撃を仕かけるチャンスは奴が止まった瞬間です。まずは腕を落とします。あの腕は八本のときに二発のソードスキルで落ちました。量は二倍でも太さは半分です。一発のソードスキルで落ちるはず。そうして『腕切れ』を狙います」

 

 腕切れ? 何を言っているのだ? いや、弾切れのようなものだとは何となく分かるが、あるのか? 腕切れ。同じことを思った人がいたようで発言する。

 

「あの腕が無限に出てくるものだったらどうすんだよ、打つ手なしじゃねぇか」

「NPC達は口を揃えて『千本』の腕をもつ魔物だと言いました。無限に出てくるならば、そうは言わせないはずです、茅場は」

「それは希望的観測に過ぎねぇだろ」

「だとしても、同じタイミングで十六本叩き落したら丸裸の本体が残るだけです。新たに生えてくる前に攻撃を加えれば良いじゃないですか。腕を攻撃しても僅かですが本体にダメージは入りますし……」

 

 レントの案なら確かにいけそうではあるが、一撃で倒せなければどうする気なんだ? 今度はアスナが口を開く。

 

「確かにレントさんの案が妥当なところですね。これ以上団長に任せるのは危ないですし、作戦を伝えます。大体はレントさんの案の通り、私が声をかけたタイミングで腕を叩き落してください。ただ、落とせなかった場合も考えて一本に二人ずつついてもらいます。落とせなくても動きは止めてください。残りの四人で本体にヒット&アウェイを図りります。今からチーム分けを行います」

 

 それなら何とかなる。きっと、だ。

 チーム分けの結果、俺はレントと組むことになった。ヒースクリフに作戦を伝えてボス部屋に突入するタイミングを計っているとき、レントが再び口を開いた。

 

 

「今までにまだ腕は十四本しか落としていませんから、残数は九八六。ヒースクリフさんが斬ったのが十本ですから残りは九七六本です。六十一回総攻撃すれば全部落とせますよ」

 

 

 それを聞いた俺らの感想は二つだろう。

―――そんなにやんのかよ……。

―――数えてたのかよ………。

 なんて思っている内に、レントの言った通りボスの回転が止まった!

 

「突撃!」

 

 再度ボスの間に飛び込み、ボス戦第二ラウンドが始まった。

 

******

 

~side:アスナ~

 ボスの行動パターン変化によって十二人もの犠牲者が出てしまった。私が死に追い遣ったも同然だ。突破口を見つけてくれたのもレントさんだ。罪滅ぼしというわけではないが、私は自分を最も危険なボスへの直接攻撃隊に組み入れた。

 彼が落とした腕の数を数えていたのは驚きだけれど、意外にも腕の十六本同時落としは何度も成功していた。現在四十二回目の突撃。ボスのHPバーの残りは四割を切っていた。六十一回分攻撃が通るよりも先にHPを削りきれそうであるが、油断はできない。私の脳裏に第一層で死んでしまったディアベルさんの最期が甦る。

―――まだ、死んでなるものですか!

 四十三回目の号令を私は叫んだ。

 

******

 

~side:レント~

 我ながらここまで順調に進むとは思わなかった。次が六十一回目の攻撃、ボスのHPはもう風前の灯火だ。腕を斬り落としただけではHPは消えないだろうが、攻撃隊の攻撃で消し飛ばせる!

 

「攻撃!!」

 

 アスナの声が響いた瞬間に担当している腕を落とす!

 

 

 しかし、世界はそう上手くは回らない。

 

 

 一人が攻撃を失敗して腕が一本残ってしまった。パートナーの援護も間に合わず、その一本が攻撃隊に襲いかかる! 一人の攻撃隊が横から攻撃を受け吹き飛んだ。幸い死んではいないようだが、攻撃が一枚足りない! カバーリングしようにも、僕はソードスキルの硬直で動けない。攻撃をしていないキリトが駆け出すが、横脇から最後の腕が飛んでくる!

 

パァァァン!!

 

 ヒースクリフが盾でそれを防ぎ、剣で腕を斬り落とす!

 

「行け! キリト君!」

 

 三人が攻撃を仕かけたが数ドット残ったHPを削りにキリトが攻撃を仕かけ――。

 仏像が腰から上体を動かした。キリトの攻撃が外れる。

 隙を晒したキリトを仏像は口で咥えた。あれは、情報にあったがそんなケースがあるはずもないと笑われていた攻撃手段。仏像は獲物を口で咥えると()()()()()()()()

 仏像の口にオレンジ色の光が溜まる。衝撃の余り誰も動けない。

 その光が最も大きくなる。

 

 瞬間、僕は剣を投げていた。夢中だった。ただの剣では投げて当たってもHPはほとんど削れないとは分かっていたが、何かをしたかった。

 

 剣は唸りを上げて仏像の口に飛んでいき、その中に飛び込む! そして剣に刺激されたブレスが暴発した!

 

 

 

ドォォォォォン!!!

 

 

 

 仏像の口元で爆発が起き、その自爆でHPが消し飛んだ仏像がポリゴン片になった。

 

「「「――キリト君!」」」

 

 しばらく呆然とした後、皆が駆け寄り《黒の剣士》の無事を確認する。爆炎が晴れると、そこに激しく部位欠損したキリトが転がっていた。爆発によってHPが危険域のレッドに入っていたが、生きていた。それにほっと安心して膝の力が抜ける。

 

「――レント、ありがとな。助かったよ」

「はぁ……。――もう、心臓に悪いよキリト君」

「はは、ごめんごめんって」

 

 互いの無事を祝いあってから、僕はアイテムストレージから一振りの剣を取り出してキリトに渡した。

 剣の名は《エリュシデータ》――解明するもの。先程のLAの漆黒の剣だ。ハーフポイントのLAなだけあって何十層先でも使えそうなほど高性能な剣だ。

 

「これは……?」

「さっきのLAだよ。四十四層のお礼。遅くなってごめんね」

 

―――この漆黒の剣は《黒の剣士》にこそふさわしい。

 

「……そんなの貰えない。助けてもらったのは俺の方だし。それにすんごいハイスペックだろ、これ」

「今まで貰ってくれなかった分まで含んでるからね。これは気持ちさ」

 

 誰もが羨む武器を押しつけ合っている様子は周りの羨望を買う。何よりここはボス戦が終わった直後のボス部屋、力が欲しくてうずうずしている人間がうじゃうじゃいるところだ。

 

「要らないってんなら俺に寄越せよ」「なっ、それを言うなら私にくれたっていいじゃないですか!」「お、これ手挙げたらくれる感じ?」「レアアイテム!」「いくらで売ってくれるか?」

 

 アスナが呆れた様子で止めに入ってくれなければ、黒い剣のオークション会場に様変わりしていただろう。

 

「もう、キリト君もくれるっていうなら貰っちゃえばいいのに」

「で、でもあんなものそう簡単に貰うわけにはいかないだろっ」

 

―――チャンスっ!

 アスナにまで言われてキリトがたじろんだ隙に、そのアイテムストレージに黒い剣を投げ込んだ。装備状態でないオブジェクトだった剣はその動きで譲渡と認識され、キリトのストレージに吸い込まれた。

 

「あっ、ちょっお前本当に良いのか? 貰っちゃって」

「良いからあげるんじゃないか。何を言っているんだい?」

 

 肩を竦めれば、キリトは仕方ないと言うように息を吐いた。

 そうして僕達はアインクラッドの後半へと足を踏み入れた。

 

******

 

~side:キリト~

 レントが五十一層に入った途端にフィールドの方に行こうとして目を剥いた。他の皆が主街区に行き寝床を見つけようとしているところで、一人だけ攻略に行こうというのである。もう日が落ち始めるというのに無茶にもほどがある。

 それに今日は無事半分の地点に辿り着いたということで、各集団のトップが集まって宴会を開こうとしている。俺とレントもソロプレイヤーながらその宴会に呼ばれているというのに、あいつはそれを蹴る気なのか。

 

「おい、レント! ちょっと待て」

「ん? どうしたのキリト君?」

「どうしたもこうしたもあるか。今日は宴会に呼ばれてるだろ!」

「ああ、あれか。出席しないって言っといてよ」

「どうしてだ? 今日ぐらい攻略は休んでいいと思うぞ?」

「でも……攻略は速い方が良いだろう?」

「お前は休め! 働き過ぎだ!」

 

 俺はレントを引き摺って連絡のあったNPCレストランへ急いだ。

 今回の会場のNPCレストランには、既に俺とレント以外の参加者が集まっており――ボス戦からそのまま移動したのだから当たり前だ――、宴会は始まっていた。

 アルコールは再現されていないので宴会という名前でも食事会のようなものだ。ただ、雰囲気で十分酔えるほどには盛り上がる。

 層を攻略した後に不定期で開かれているこの宴会にはかなりの数のプレイヤーが参加する。気づけば四軒もの店を使っていたときさえあった。攻略組であれば誰もが参加したことがあるものだろう。

 最近攻略組に参加した《風林火山》のクラインが見えた。あいつとは少々縁があるので、また生きて会えたことは素直に嬉しいと思う。他にもエギルなんかの知り合いに声をかけながら、レントを中心に連れていく。すぐさまアスナが気づいて手を叩き視線を集めた。

 

「は~い、今日の主役のご登場で~す!」

 

 こいつ酔ってるだろ。頬には微かに赤みが差し、眼がトロンとしている。声もいつになく明るく軽い。こんなキャラじゃないだろお前!

 

「……え? 主役? アスナちゃん、ちょっとどういうことですか?」

「そのままの意味よ! あ、な、た、は、今回作戦を立案し~、LAを決めた~主役!」

「は、はぁ……」

 

 キリッという効果音がつきそうな勢いでアスナが言う。レントも押され気味だ。援護しようかと思ったが、クラインに呼ばれたので見捨てることにした。すまんレント。俺にはまだ遠かったよ。

 

******

 

 宴会も終わり、夜も更ける。参加者がふらふらとした足取りで帰っていく中、俺はレントが主街区を出ようとしているのを見つけた。すぐに駆けつけ、今度は言い分も何も聞かず、首根っこを掴んで宿屋に引き摺り込んだ。何やら騒いでいるが聞こえないフリをし、チェックインをして部屋に放り込んだ。

 

「キリト君! 何するんだよ!」

「何もこうもない! 一日ぐらい大人しく休んでろ!」

 

 柄にもなく大声を出してしまい、それに驚いたかのようにレントは眉を上げた。

 

「――はぁ、そこまで言われたら仕方ないし、明日も攻略には明るくなってから行くからさ、眉間に皺寄せないでくれる?」

 

 言われて顔に手を当てると、眉間に深い皺が出来ていた。感情表現が大袈裟なSAOといえどもここまでのものは初めてかもしれない。

 レントが宣言通り素直に毛布にくるまって眠り始めてから気づいた。

 この部屋は酒場の二階にある貸し部屋で、部屋数は二つしかない。そしてもう片方は既に借りられていた。これから部屋を探すのは面倒極まりない。特に今日は攻略と宴会の疲れからホームに戻らずこの層で宿を取った者も多いだろうし、そもそも部屋が見つかるかも分からない。

 仕方ない、レントが抜け出さないように見張る意味も兼ね、この部屋で寝るとしよう。

 俺はレントが寝ているベッドに寄りかかって意識を手放した。

 そして翌朝、目を覚ますとベッドの上にいた。寝ぼけ眼で周囲を確認して、ベッドに寄りかかりながらこちらを見つめるレントと目があった。

 

「あ、起きたね、キリト君。寝顔可愛かったよ」

 

 寝起きの視界にレントの笑顔が眩しく、羞恥心が顔を赤くした。

 慌てて毛布を引き上げ顔を隠す俺の様子を面白そうに眺めていたレントは、笑い声を上げながら手を振り部屋を出ていった。あいつは出かける準備を既に済ませていたということは、俺のこの様子を観察するためだけに待っていたというのか。

 

「――赦さない!」

 

 いつか絶対にあいつの寝顔をスクリーンショットに収めてやろうと俺は心に決めたのだった。




 なぜだろう。書いていたらこうなってしまった。悪気はないんです。つい、ついやっちゃっただけなんですぅ。
 キリト君を怒らせるのが上手な主人公はキリト君との添い寝スチルを獲得しました。


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#5.5 聖夜

 今回はタイトルでお察しの通り、あの話です。.5話なので半分くらいの長さですが、どうぞ。


 今日は十二月二四日――つまりクリスマスだ。SAOにもクリスマスは訪れるが、去年は未だ現実を受け止められていない人も多かった。今でもそういった人は一定数いるけれども、多くの人は前を向いて歩き出した。その結果が目の前の光景だ。

 あっちでもこっちでも仲良さげにカップルが歩いている。……カップルでない者は今日は非常に肩身が狭く、路地の暗がりでは暗い雰囲気を纏った人間が何人も拝めるだろう。どちらでもない人間は、聖夜にも関わらずクリスマスイベントをクリアしようとかいう頭のいかれた連中である。そして僕も、パートナーのいない頭のいかれた人間だ。

 顔は良い。自分でも思うし他人にも言われる。これは初日のトラップに引っかからなかった恩恵だから当たり前だ。アバターは誰しも自分の願望を映すものだろう――あの日は女装した男も多かった、うん――。

 性格も良い方……だろう。デスゲームでも慌てず、落ち着いた丁寧な物腰――作ったキャラではあるが段々身についてきた――を維持している。ついでに言えば強さもこの世界では上位に間違いなく入る。

 

 なぜモテない――。

 

 気を取り直してイベントを探しに行こう。

 そのイベントとは、ここ数日各層のNPCが繰り返すようになった話だ。聖夜の夜、アインクラッドのどこかにある樅の大木にサンタが現れる。そのサンタの背負う袋には数々の財宝と共に死者を蘇らせる秘宝が入っている、とのことだ。

 僕もその話には興味があったが、樅の大木探しはせずに攻略を続けていた。

 その心は、ここ第四十九層にある。今日の深夜にここで情報屋のアルゴとキリトが落ち合う。その情報を僕はアルゴ本人から買っていたのだ。

 キリトはこのクエストの情報が出回ると同時に最前線から姿を消した――彼にも会いたい人がいるのだろう――。つまり彼を尾行すれば彼が見つけ出した場所に辿り着けるというわけだ。彼には抜群のゲーム感も、絶対見つけ出すという執念もある。彼ならまず間違いなく、問題の樅の樹を見つけているはずだ。

 主街区《ミュージェン》の一つのベンチに彼を見つけた。アルゴと会話している。立ち上がった。転移門へと向かう。彼の声に耳をすませれば、「三十五層」という声が聞こえた。すぐに後を追って三十五層の《ミーシェ》に向かう。

 三十五層といえば《迷いの森》だ。あの最奥にはたしか何のイベントにも関連していない大木のオブジェクトがあった。()()の大木などと呼ばれていたが、実際は樅だったということだろう。

 三十五層はかつてのホームだったこともあり、完全に把握している。場所が分かったのだ、キリトにバレないように回り込もうではないか! そしてソロでフラグボスを倒そうなんていう考えを打ち砕いてやるのだ。笑みを浮かべながら僕は月夜の雪道を駆け抜けた。

 

******

 

~side:キリト~

 俺がクライン達に背中を任せて《迷いの森》の最奥部のエリアに踏み入ったところ、そこには先客がいた。

 

「っ――、レントか……」

「そう暗い顔をしないでキリト君。僕はボス討伐のコルと経験値が欲しいんだ。蘇生アイテムは君が好きにすると良い」

 

 樅の大木に背中を預けて雪の中一人佇んでいた白い親友はそう言った。あいつが大量のコルを稼いでいることは知っている。十中八九、口から出まかせだ。一人で獲得してこそと思う心も僅かにあったが、その好意に思わず頬が緩んだ。

 零時零分ぴったりに空から橇が降りてきた。乗っているのは赤い服に白い髭、サンタクロースを醜悪にモデルチェンジしたようなモンスターだった。暗い月夜と雪の中で巨木を背に立つ姿は見る者の不快感を掻き毟る。固有名《背教者ニコラス》と俺達、飛びかかるのはどちらが早かったか、はたまた同時だったか。死闘が始まった。

 必死に戦った。無我夢中で剣を振るった。高空を細い一本の紐に乗って渡るような戦闘だった。一瞬でHPを全快させる回復結晶を何個使っただろうか。回復させる度に色を変えていくHPバーを見つめる。それが自分の命なのだと思うと吐き気がする。

 最後の結晶が割れ、こちらの命の残量が数ドットになってようやく背教者は倒れた。同時にレントが倒れ込む。俺もふらつく体が倒れ込まないように黒い剣を杖のように使い、ボスが背負っていた頭陀袋まで進む。これがポリゴン片になっていないということは報酬なのだろう、などという余計な思考は一切働かず、本能のまま袋に手を伸ばした。

 袋は指先が触れた瞬間、光の欠片になって飛び散る。目の前に表示されたリザルト画面をスクロールし、それらしき名前を探る。あった。それをオブジェクト化し、それ――淡く輝きつつも透明感のある、掌ほどもある美しい宝石――の表面をつつく。指が震え、まともに触れない。数回目でようやくシステムに認識され、説明文が表示される。

 

《還魂の聖晶石》

《このアイテムを選択、もしくはオブジェクト化し手に持った状態で、使用したいプレイヤーのプレイヤーネームを専用のウィンドウに入力、もしくは「ターゲット、〇〇(プレイヤーネーム)」と発声することで使用できる。

 このアイテムは、対象のプレイヤーのHPが零になった後、結晶片が消えるまで(約十秒)の間に使用することで対象のプレイヤーを蘇生できる。蘇生されたプレイヤーは死亡直前の位置に蘇生され、死亡以前の動きを継続しない。蘇生されたプレイヤーのHPは最大値の半分まで回復される。》

 

 目が説明文の上を理解したくないように何度も泳ぎ、事実を認識する。使用可能時間は、結晶片が消えるまでの()()()。サチはどう足掻いても――――救えない。

 

******

 

~side:レント~

 キリトは蘇生アイテムと思われる宝石のポップアップメニューを開き説明文を読むと、その場に倒れ込んだ。そして叫び出した。

 

「――――ッ、あああああああ!!!! クソ! クソ! クソ! クソッ!」

 

 僕は這いずるようにキリトに近寄り、宝石から出たままの説明文の上に目を走らせる。数秒かけてそれを読み、僕はキリトに話しかけた。

 

「――キリト君……。っ帰ろう、か」

 

 キリトが誰を蘇らせたかったのかは分からない。だが、このアイテムではその人は救えないのだ。

―――蘇生という希望を持たせた上で、命は一つということを再認識させる、か。

 茅場は、まだ心のどこかでここがゲームだと感じている人間に思い知らせたいのだろう。

 

 

 ここが命が消える場所(リアル)であると。

 

 

 

 キリトはこちらの呼びかけには応じず、フラリと立ち上がった。

 

「……そのアイテム、はやるよ。――手伝ってくれて……ありがとな……」

 

 キリトを追いかけて、疲労困憊の体に鞭を打って動かす。巨木のエリアから出れば、前のエリアには《風林火山》が疲れきった体で座り込んでいた。

 

「おうキリトぉ、やったか?」

 

 キリトが暗い表情で俯いたままなので、僕がクラインに事情を話した。

 

「――クラインさん。蘇生アイテムは、……死後十秒が効果発動時間でした」

「なっ、そりゃぁ本当か!?」

「そうなん、ですよね……」

 

 その場にいた全員の表情が翳った。

 

「ああ、もう仕方ねぇなぁ! 俺だって分かってたさ! 死んだ奴ぁもう生き返んねぇんだ、そのくれぇ……俺だって分かってたさ! ――でも、でもよぉ、もう一回ぐらいあいつと話したいって思うのもいけねぇのかよぉ!! 茅場ぁぁぁ!!!」

 

 クラインの叫びは悲痛に満ちていた。皆が抱いてた一つの光明が消えたのを、全員が感じていた。

 そうして、聖なる夜に微かな希望を追い求めた夢追い人達はそれぞれの帰途に就いた。




 《還魂の星晶石》ゲットです。


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#6 決闘

 さてさて、誰と誰が決闘するのでしょうか。それでは、どうぞ。


 これは第五十八層の攻略中に起こった、僕が《白の剣士》と呼ばれる原因になった出来事だ。

 

******

 

 第五十層からの攻略は順調に進んでいた。あれ以来犠牲者は出ておらず、攻略ペースも落ちていない。僕も他の攻略組――トップだけだが――とは友好関係を結べていた。あの援助を好意的に思ってくれたようだ。

―――そんな気は全くなかったんだけどなぁ……。

 結果的にいつだかアルゴに言われた『朝貢』のようになってしまって心外だ。別に嫌われたいわけではないのだが、援助を理由に好かれるのは余り喜ばしくない。

 アルゴと二人で用意した支援物資は狙い通り攻略組に装備の不備をほぼなくし、攻略速度を維持するのに大きく貢献できているため今更止める気は更々ないが。

 他にも援助が起こした変化はある。ギルド組合《フリーダム》の結成だ。《フリーダム》は《KoB》と《聖龍連合》を除いた中小ギルド、パーティが手を取り合おうという目的で作られた互助組織だ。

 ギルド組合とはギルド間の同盟のようなもので、昔から存在自体はしていて中層以下ではそこそこ使われているが、最前線では作られていなかった。それは攻略組の仲が険悪なのではなく、別に作ったところで大したうま味のない代物であるからだ。

 組合に所属するギルドのプレイヤーには名前の横のギルドマークの隣に組合マークもつく、その程度の変化しか齎さないのが組合システムだ。ギルドとは違い上納金はなく、本当に所属を表す以外の意味はない。これに意味を与えることがプレイヤーに許された組合システムの運用法だ。組合にはギルドではなくても加盟できると聞いていたが、まさか()()()()()()()()()()が加盟するとは思わなかった。

 アルゴによれば、『アイツら、レン坊が援助するなら一つにまとまっていた方が楽だロ、だとサ。愛されてるナ、レン坊』だそうだ。

 《フリーダム》が掲げるのはただ一つ、その名の通りの《自由》だ。本当に縛りも何もなく、ただ一つの団体に所属しているというだけ。代表は一応とあるギルドのギルマスの《タロウ》――愛犬の名前だという噂だ――だ。名ばかりといえど代表ではあるので、攻略組の今後を決めるトップ会議――大袈裟に言えば、だ――に集まるのは以下のメンバーになる。

 《KoB》の団長《聖騎士》ヒースクリフと、つき添いの副団長《閃光》のアスナ――彼女がいないと何も始まらないのだが、団長がいる手前つき添いということになっている――。

 青い西洋鎧を着こんだ髭面の《聖龍連合》団長《海賊(バイキング)》エリヴァに、副団長でタレ目が特徴的なリンド。

 《フリーダム》代表のタロウ、それからなぜか副代表――副頭と呼ばれているらしい――に収まった《風林火山》のクライン。

 そしてソロプレイヤーの僕とキリトだ。

―――どこの団体にも属してないせいだけど、平がここにいるのは居心地が悪いな……。

 会議中はしきりにそんなことを考えていた。

 無事五十八層攻略の粗方を決め終わって会談をしていた建物から逃げるように外に出たとき、タロウに話しかけられた。

 

「そういえば、レントさんはどうしてどこにも所属しないんですか?」

 

 心が急いていた僕は、その声に深く考えず答えてしまった。

 

「憧れている人がいるんですよね。その人に追いつきたくて一人で頑張っているんです。あ、別に変な意味ではないですよ?」

 

―――あ、しまった。

 

 このタロウというプレイヤーは、その柔弱そうな顔つきとは裏腹に《狸》と呼ばれるような人物だ。今も驚いたように目を見張った後、悪戯っぽい笑みを浮かべて振り返った位置にいる人物の名を呼んだ。

 

「あ、キリトさん! ちょっとレントさんと決闘(デュエル)してくれませんか?」

「え? 別に構わないけど……」

 

―――だよねぇ……。

 完全に憧れの対象がキリトだとバレてしまっている。この《狸》はあの《鼠》と正面から会話して(やりあって)引き分けに持ち込んだと称えられる人物だ。アルゴも五分の雑談で百コル分のネタを抜くという逸話を持っているのだが、本人によれば『もう少しで情報を抜かれるところだったヨ。しかも全くネタを取れてないンダ。レン坊は絶対にマジに話すなヨ、後悔することになるからサ』だとか。ああ、後悔したよ。

―――でも、キリト君と戦えるのは楽しいかも?

 

「ならお願いしますね。レントさん! 頑張ってください!」

 

 僅かに心が揺らいだ間に話はすっかり決まってしまっていた。僕らがデュエルすると聞いてギャラリーも出来始めてしまったところであるし、避けることはできなそうだ。

 

「ルールはどうする?」

「《一撃決着》でいいだろ。アイテムの使用はなしで」

「うん、わかった」

 

 デュエルのルールには三つある。最初の一撃を入れるか、相手のHPを半減させた方が勝ちの《初撃決着》。相手のHPを半減させれば勝利する《半減決着》。デスゲームの今では使うことはないであろう、HPを全て削ったら勝ちの《完全決着》の三つだ。またどのルールであっても、降参を意味する単語を口にすればそれで負けたことになる。

―――どういうつもりだ? 僕の奥の手は昔見せたはず、タブ操作は禁じないのか?

 それで良いというなら良いのだろう。僕は決闘申請を送った。

 

******

 

~side:リンド~

 俺はリンド。あの《黒の剣士》と、最近やってきたレントって白髪野郎がデュエルをするらしい。さっきまで会談していた連中も含めてかなりのギャラリーが建物の前には集まっていた。まあここは最前線だし、あのビーターは有名人だからな。

 

「《黒の剣士》が決闘するんだってよ」

「相手は誰だ?」

「あのもう一人のソロだろ。これは面白い組み合わせだな!」

「片手剣対片手剣か。どうなることやら……」

 

 そうこうしている間にデュエルが始まった。

 黒が剣を振るい、それに合わせて白も打ち返す。互いに最初の一撃が防がれたから、これからは先に相手のHPを半減させた方が勝ちだ。そのまま何十合も打ち合うがまともに攻撃が入らない。攻めればいなされ、躱される。と、黒が単発重攻撃《ヴォーパルストライク》を放った。ジェットのように唸りを上げて迫る剣を、白は冷静に限界まで引き寄せてからしゃがんで躱す。白はお返しに沈み込んだ姿勢から二連撃の《スネークバイト》を放ったが、黒は読んでいたかのように飛び退って躱す。

 

―――くっそ、避けるなよ! 白!! もっとやれ!! ぶちのめしちまえ!!

 

 互いに距離を測るかのように円を描きながら睨み合っている二人。そう言えば《黒の剣士》は左手を前に出し、右手に持った剣を上げる特徴的な構えだが、白の方も面白い。右手の剣先は地面すれすれまで前に下がっており、左手は斜め後ろに上げている。まるで()()()()()()だな……。色も白だし、装備も似通っている。当たれば終わりの布装備オンリーで、剣は武骨で大した装飾がない。丁度黒と白で対照的だ。

 

―――面白れぇこともあるもんだな。

 

 今度は白が《ソニックリープ》で仕かける! それを黒はパリィ! がら空きの腹に反撃の《バーチカルスクエア》を叩き込む。初めて大きくHPに変動があった! だが硬直で黒の体が止まったところを狙い澄ました白が、体術スキルとの複合技《メテオブレイク》を放つ! 七連撃が見事に決まった! これでHP半分まであと少し!

 

「よし! 良いぞぉ!! その調子だ!」

 

 気づいたら声を出して応援していたが、周りも同じような状況なので構わないだろう。

 また二人は距離を取ってタイミングを見計らっている。黒の体力はソードスキル一発で半分を切るだろう。このままならいける! 黒が下段突進技の《レイジスパイク》で先に突っ込んだ! レントはタイミングを合わせて基本技だが汎用性の高い《スラント》で叩き斬ろうとしている。《レイジスパイク》は威力が余りないため、食らってでも攻撃を合わせればそのまま勝ちだ! しかし、なんと黒は白の手前で()()()()

 

「なッ……! 射程外だったのか?」

「いや、狙ってたんじゃねぇか? あそこで止まってソードスキルをパリィすりゃ大ダメージを与えられるからよ」

 

 いつの間にか横に来ていた《風林火山》のクラインが言った。

 

「アイツはそのくれぇ簡単に熟しちまうからなぁ」

 

 その言葉通り、威力が軽い分硬直が短いソードスキルの恩恵に与って黒は剣をパリィするべく剣を動かした……ッ!

 だが、白が振り下ろした剣は黒の剣を()()()()()

 

「おおッ!?」

 

 そして《スラント》で斬られた《黒の剣士》のHPが半分を割り込み、デュエルは白の勝ちで幕を下ろした。

 

「ッッシャオラアアア!」

「別にオメェが勝ったわけでもねぇんにうるせぇな」

 

 クラインに文句を言われたが知ったことか! ザマあみろ《黒の剣士》!

 

******

 

~side:レント~

―――何とか、勝てた……。

 最後のカラクリはこうだ。キリトの狙いに気づいた僕は微細な関節の動きで《スラント》をキャンセルし、通常の斬撃を繰り出した。基本技のため《スラント》の硬直は非常に短くて済むのが幸いした。それにソードスキルの終了後も僅かに光が残ることも騙すのに役立った。

 そしてキリトの剣に当たるタイミングで、僕は《脳内タブ操作》を使って剣を仕舞ったのだ。そのまま徒手を動かし、手がキリトの剣を越えた辺りで剣を再装備。今度こそ《スラント》を発動させてキリトを斬ったのだ。まるで無数の針穴に一本の糸を一発で通すような技術だが、キリトとのデュエルという心躍る体験の中で集中力は天井を知らなかった。

 体の僅かな傾きでソードスキルの起動モーションを起こせるようになってきたことも大きな成長だろう。精神的疲労で今も座り込んでしまっているし、安定運用にはほど遠いが。

―――これなら《スキルコネクト》を安定させることも……。

 技を実際に食らって膝を地面についているキリトも周りのギャラリーも、狐につままれたような顔をしている。

 そんな中、アスナが群衆の中から歩いてきた。

 

「レントさんってやっぱり強いですね……。デュエルしてもらえませんか」

「うん、いいよ」

 

―――あれ? 何で即答してるんだ?

 マズい。ヘロヘロで何も考えていなかった。脊髄で返答してしまったようなものだ。しかし、今のやり取りで周りのギャラリーの熱狂度が上がってしまう。

 

「すげぇぞ! 今度は《閃光》だとよ!」

「まさか……今度も勝っちまうのか?」

「そしたらもう最強じゃねぇかよ……」

「いや、まだ《聖騎士》がいる!」

 

 今更止めましたは通じない雰囲気だ。こうなったらやるしかないだろう。

 僕は立ち上がって土を払い、ポーションを飲んでHPを全快した。目の前にはアスナが出した決闘申請がある。それを承諾すれば六十秒のカウントが始まる。

 アスナのバトルスタイルは高速戦闘だ。その光のような剣筋と、AGI重視の足で追ってくる。ならば正面から叩き伏せるのが正解か。アスナの得物は細身の細剣だ。威力では勝っている。ヒースクリフと()るのは嫌だが、それを理由に負けたくはない!

 アスナに合わせで、剣を左胸の前で上向きに立てる騎士風の恰好で開戦を待つ。カウントが零になると同時に僕達は飛び出した。

 細剣の間合いに入った刹那で《リニアー》が襲ってくる。汎用的な基本技も、《閃光》の腕にかかれば立派な必殺技だ。クールタイムも短く断続的に撃ってくる。しかし《リニアー》も脅威だが、出場所や軌道が分かっているためギリギリでいなし続けられる。

 それよりも柔軟性のある通常の刺突の方が追尾性があり脅威だ。システムアシストがかかっているのか疑いたくなるスピードの刺突は、多少の被弾を諦めて軽傷に抑えることに意識を割くしかない。

―――今度はこっちの番だ……!

 こちらも正面にいるため刺突で攻める。僕の刺突も《閃光》ほどではないとはいえ、かなりのスピードを誇る。性に合わないので普段は使わないが、それが逆にブラフとなってアスナを驚かせる。

 相手の剣を弾き、打ち込み、相手の剣にいなされ、突き刺される。そんなことが十数合か続いた後、アスナの顔に焦りが見え始めた。互いのHPは大体同じ割合で減っており、多連撃ソードスキルを当てれば半分まで削れるだろう。相手の機先を制するように、互いにソードスキルを放つ! アスナは細剣の八連撃《スタースプラッシュ》を発動させる。その剣はモーションによるブーストを受け、被弾場所の推測すら行わせない! それでも何とか筋肉の動きから狙いを把握し、ギリギリで急所をずらしながらこちらも片手剣八連撃《ハウリングオクターブ》を撃つ! ブーストをかけた剣がアスナの体に突き刺さる!

 互いのソードスキルが終わり、動きが止まる。二人ともHPは半分を切っている。あとはどちらが()()()()か、だが――。

 僕の前には、『LOSER』の文字が浮いていた。

 

「ハァ、ハァ……、勝ちましたよ、レントさん……!」

「――フゥ……。ハァ、そう……みたいだね……」

 

「「「おおお!!!」」」

「すげぇぇ! 見えたか!? 最後のソードスキル!!」

「全然! やっぱヤベぇな! 《閃光》!」

「その《閃光》と渡り合ってたんだよな……あいつ」

「《奇術師(マジシャン)》かと思ったが、ガチで強えじゃん! あの白いの!」

「《黒の剣士》には勝ってたし、あいつは《白の剣士》だな!」

 

 疲労で酩酊しているような耳に、様々な声が響く。呆然と周りを見れば、何十人もの人に囲まれていた。

 

「良かったな、《白の剣士》サン、なんてな。これからもよろしくなレント」

「素晴らしかったよ、今のデュエルは。私も久し振りに心を躍らせた。ところでレント君、改めて私のギルドに入る気はないかね?」

 

 キリトとヒースクリフからも声をかけられたが、余りにも集中し過ぎて、もう……、視界が……揺れ……て?

 

 僕の意識は暗転した。

 

 後から聞いた話だと、この後僕はちゃんと歩いて帰っていたらしい。夢遊病だろうか。

 そしてこれ以降、僕の二つ名に《奇術師(マジシャン)》と《白の剣士》が加わることになるのだった。




主人公の二つ名
・オレンジキラー
・奇術師 NEW
・白の剣士 NEW


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#7 掃討

 今回はあの戦いの話です。どうぞ。


 今は二〇二四年八月上旬、現在の最前線は六十五層だ。近頃、SAOでは危険な動きがある。今年の元旦にとあるギルドが全滅したのだ。それ自体は――悲しいことだが――別に珍しいことではない。問題だったのは、それが別のプレイヤー達の手によるものだったということだ。

 犯人集団はその事件で全プレイヤーにギルド結成をアピールした。奴らの名前は《笑う棺桶(ラフィン・コフィン)》。自分達を殺人者集団(レッドギルド)などと呼ぶいかれたプレイヤー達だ。

 僕がオレンジギルドなんかの犯罪者を積極的に確保していたため、奴らに感化された人間は幸いなことにほとんどいなかったのだが、それでもセンセーショナルな奴らの登場に影響を受けてしまったプレイヤーは少なからずおり、《ラフコフ》は誕生より勢力を拡大していた。

 《ラフコフ》の恐ろしいところはその隠密性にある。アルゴに情報を集めてもらっているというのに、半年たった今でもすんでのところで逃げられてしまっているのだ。だが、今日はそのアルゴから連絡があった。

 

『奴らに関して話したいことがある。六十二層の転移門広場南にある三階建てのレンガ造りの建物に来てくれ』

 

******

 

 その建物にはいつもの会合のメンバーが集まっていた。全員がアルゴに呼び出されて集まっていた。そして最後に呼び出した本人のアルゴがやって来た。彼女はいつもとは違う張り詰めた真剣な表情で話し出した。

 

「ウン、役者は揃ってるみたいだナ。じゃ、オレっちが集めてきた情報を話すヨ」

 

 アルゴは指を一本ずつ立てながら説明を始める。

 

「まず、現在奴らが拠点にしているのは四十二層の《結晶の洞窟》ダ。mobがポップしないから寝床にできるんだナ。次に、奴らは拠点を決めた直後の二、三日はその場を離れない。これは今までの半年で裏が取れてるヨ。だから今なら一網打尽を狙える、襲うなら今だネ。それから、これがラフコフに参加していると思われるプレイヤーの一覧だヨ。総人数三十四人。幹部はポンチョを着たリーダーの《PoH》、刺剣(エストック)使いの《赤眼のザザ》、毒ナイフ使いの《ジョニー・ブラック》ダ。詳しくは資料を見てクレ」

 

 渡された紙束にはダンジョンのマップデータ、各プレイヤーの情報が事細かに載っていた。

 

「――凄いな、こんなにどうやって集めた「十万コル」……やっぱ聞かないことにしとくよ」

「でもどうしてこんなに? 商売でもないですよね?」

「オレっちにも飛び火しそうな雰囲気があってネ。まだ死にたくはないのサ」

「何にせよ、アイツらにゃそろそろ対策が必要だったからな。攻略組にももう被害は出ちまった。手を打たにゃマズいってもんだ」

「攻略組で対処するのは確定事項、と?」

「でしょうなぁ。このままでは攻略に影響が出かねませんから」

 

 順にリンド、アスナ、アルゴ、クライン、僕、タロウだ。

 発言せずともエリヴァとヒースクリフも《ラフコフ》の排除には賛同しており場の意見は一致したが、ヒースクリフは攻略に直接関わらないことに興味はないと帰ってしまった。戦力は貸してくれるそうなので、僕らも不満ながら見送った。

 アルゴの情報もあり、やるなら早い方が良いだろうと早速明後日に襲撃を行うことが決まった。各団体から十人ずつほど、万が一が起きないような人選をしてもらう。

 討伐戦には僕も参加するが、誰も死なさない、それを目的に戦闘しようと思っている。それは味方のみでなく、敵も。僕は味方にも《ラフコフ》のメンバーを殺させないようにしたいのだ。無論、相手方の戦力を考えれば下手に手加減しようとすれば返り討ちに遭ってしまうだろう。殺す気でかかり、殺さずに確保するのが最善だ。

 その最善を叶えるために、戦闘では味方と敵のHPを常に確認し続けようと思う。ボス戦では行えるようになった技術であるが、対人戦に適用するのは初めてだ。最近身につけた新しい高等技術も活用するつもりであるが、果たしてどれほど上手くやることができるか。願わくば、誰にも不幸が訪れませんように。

 

******

 

 襲撃当日、討伐隊は総勢五十人ほどになった。全員が攻略組でも上位の実力を持ったプレイヤーだ。いくら《ラフコフ》が攻略組に匹敵する強さを誇ろうが、倍近い人数で攻めれば犠牲者は出ないだろうというのが大方の見方だ。

 しかし僕の胸中には漠然とした不安があった。

 そしてその嫌な予感は当たってしまうことになった。討伐軍が士気を高め突入したとき、《ラフコフ》はどこにもいなかったのだ。僕らが戸惑っているところに《ラフコフ》の連中は結晶の岩陰から奇襲を仕かけてきた。たちまち乱戦になり、僕らは数の利を活かしきれなくなった。

―――集中しろ! HPを確認! 攻撃と捕縛は他の人に任せる! 保護に全神経を傾けろ!

 壁際で戦っていた討伐軍が押されている。後一撃でポリゴン片になるところに割り込んで守る。相手のHPは十分にあったので、剣のノックバックを上手く利用して手の空いている人間に回す。

 中央の討伐軍が《ラフコフ》を殺してしまいそうだ。《ラフコフ》のHPが尽きる前に《武器交換》で出したリーチの長い大鎌で討伐軍の攻撃を相殺する。意図を察した捕縛班が後ろから近づいて縄をかけた。

 床から突き落とされそうになっている討伐軍を大鎌で掬い上げて助ける。これが新しい高等技術。武器で()()()()()()()()プレイヤーを動かす。

 二対一で戦っていた《ラフコフ》が殺されそうになっている。必殺の一撃を代わりに受け、用意した麻痺毒の投擲ナイフで《ラフコフ》を麻痺状態にする。投擲ナイフは持った状態で使えば味方に当てる心配もない。そのナイフを三人と同時に戦って暴れていたラフコフに投げつけた。

 僕の間合いの際で戦っている討伐組が殺されそうになった。しかし麻痺ナイフを出している時間はない!

 口を強く結ぶ。大鎌で相手の喉を掻き斬った。動かすにはリーチに余裕がなければいかず、麻痺ナイフも使えなければ――殺すしかない。

 分かってはいたことだが、心が痛んだ。悲鳴を上げていた。それを無視して乱戦に目を向ける。またHPが尽きかけているプレイヤーがいた。それを助ける。次は討伐組を助けるのが難しい状態だった。だからラフコフを殺した。泣いていたかもしれない。無我夢中で動いた。そうしなければ立ち止まってしまうから。

 大鎌を回す。ついてもいない血が飛んだ気がした。

 奇襲を受けたとはいえ攻略組の方が質量共に上だ。討伐戦は僕らの勝ちで終わりを迎えた。僕が殺したのは七人。最後の一人が捕らえられたところだ「「死ねえええええええええ」」った。

 捕縛済みの《ラフコフ》の二人が縄を引きちぎって襲いかかってきた! 片方は細剣使い。一瞬驚きはしたが軽くいなして吹き飛ばす。飛んだ先で人海戦術により再び捕らえられる。

 もう一人は別のプレイヤーを襲った。短剣使いに飛びかかられ、その《聖龍連合》のプレイヤーは足が竦んでいる! 僕と殺されかかっている彼以外の討伐隊は捕縛されているプレイヤーを確認しているところだった。

 僕しか間に合わない! 《聖龍連合》の彼はHPを回復しておらず、《ラフコフ》のプレイヤーがソードスキルを放てば殺されてしまう。短剣使いが《ファッドエッジ》を発動した!

 

―――届けええええ!!!!

 

 僕は迷いなく大鎌を振った。僕の大鎌が《ラフコフ》を捉える!

 

 

 

 

 しかし、一瞬間に合わなかった。

 

 

 

 

 《聖龍連合》の彼がポリゴン片と化す。その顔は驚きに満ちていた。

 一瞬遅れてラフコフの体も消滅し始める。

 

「弟じゃ、なく……て良かった――」

 

 そう言い残し、彼は穏やかな顔つきで砕け散った。

 

 救えなかった。

 

 目の前で仲間を殺された。

 

 僕がラフコフを殺したことに意味はなかった。

 

 一対一なら確実に確保できた。殺す必要はなかった。なのに殺した。殺したのに救えなかった。それだけが頭の中をグルグル巡っていた。

 討伐隊は静まり返っていた。いや、僕が何も聞こえていなかっただけかもしれない。頭がグワングワンする。目が回って天地が逆転したようだ。血の匂いがする。五感が狂っている。自分の足元が崩れて――。

 

「――nト! ……ント!! おい! レント!!」

 

 肩を引かれ、ハッと我に返る。キリトが立っていた。慰めるように肩を叩かれ、集計係のプレイヤーに何人殺したかを尋ねられた。

 

「な、いや、八……人」

 

 そう弱々しく答えたのが最後の記憶だった。気づくとホームにいた。ホームと言っても倉庫のようになっているが、そこそこ気に入った立地だ。どうやってここまで帰ってきたのかは分からない。

 後に聞いたが、掃討戦の結果は二十五人拘束、八人殺害、PoHには逃げられたらしい。こちら側の犠牲者はただ一人だけだった。

 

******

 

~side:キリト~

 俺は何もできなかった。今までも俺はレントに何度も助けられた。五十層のときがその最たるものだろう。

 討伐戦の中だけでも俺は二度も三度も救われた。あいつは俺の代わりに人を殺したんだ。手を下す瞬間に後ろから鎌が飛んできて、俺の剣はポリゴンの中を空振っただけだった。

 あの戦いでのレントは鬼神のようだった。鬼気迫る様で、どこにいても、誰であろうと、殺される瞬間には助けていた。手を下さないように自分が代わっていた。

 いくつ目がついていたとしても俺には――いいや、あいつ以外には到底できないことだった。敵味方含めた全てのプレイヤーのHPや攻撃力を把握していたのだ。そして《ラフコフ》すらも助けていた。……どうしても助けられないときだけ、自分が代わりに《ラフコフ》のプレイヤーを殺していた。そのことを知り、レントが去った後の討伐隊――捕らえた《ラフコフ》の連中は黒鉄宮に送った――は重苦しい雰囲気に包まれていた。

 そして誰も何も言葉を発さないまま、黙々と各々のホームへと解散していった。

 自分で全ての業を背負い、最後の最後で失敗してしまった《白の剣士》のことを思いながら。

 

******

 

 六十五層の攻略戦が行われる。しかしこの場にレントはいない。あいつが攻略会議に来たときに《血盟騎士団》の一部のプレイヤーが叫んだからだ。

 

「人殺しめ! いなくなれ!」

「この殺人鬼が、顔見せんじゃねぇ!!」

「《大量殺人者(レッドキラー)》のくせに何攻略に参加しようとしてんだ! 牢屋にでも入ってろ!!」

 

 奴らは討伐戦には参加していないプレイヤーだった。あの戦いのことは誰も話そうとしないだろうから、記録上でしかあの戦いを知らないのだ。だからあんなことが言える。

 その罵詈雑言を聞いた事情を知っているプレイヤーは一瞬鼻白みつつも怒鳴りつけようとしたが、レントの動きの方が早かった。目を瞠り、隈の入り始めた暗い顔がすぐに自嘲の表情に変わった。

 

「――そう、ですよね。殺人者()とは一緒に戦いたくありませんよね。……失礼、しました」

 

 顔は微妙に引き攣り、眼は下の方を見つめて顔に更なる翳を落としていた。あの討伐戦から間も空いていなかった、無理をしていて当然だ。その表情(かお)はいつもとは余りに違うもので、あいつには不似合いだった。いつも薄い微笑を浮かべ、一歩引いたところから面白そうに眺めているあいつには。

 震える声を発したレントは止める間もなく去り、悪罵の声を発した連中もただちに退出させられた。

 そうしてこのボス戦に至ったのである。ボス戦の内容は覚えていないが、犠牲者が出る一歩手前まで行ってしまったのはこの暗い雰囲気にも原因があるだろう。

 次の六十六層には絶対にレントを連れてこようと、俺やアスナを始めとしたあいつと親交がある攻略組で約束して解散した。

 

******

 

~side:アスナ~

 六十六層の攻略戦に彼はやって来た。私やキリト君、エリヴァさん等で連日連絡を続けたのが功を奏したようだ。

 攻略会議のときに顔を合わせたが、すっかりいつもの調子だった。キリト君は何か引っかかる様子だったが、問題を起こしそうなプレイヤーは今回も外してある、大丈夫だろう。攻略会議中も彼への敵意は感じず、安心していた。

 六十六層のボスは顔の前面に馬の頭、後頭部に獅子の顔を持つ悪魔型ボスだ。ゾロ目の慣例に漏れず、今回は鎌の刃を持つ両刃剣を使う。武器攻撃が円状の当たり判定を持つので近寄りにくいのが特徴だ。

 攻撃パターンは基本的に三種類。武器による攻撃、前後の顔からのブレス攻撃、そしてエネルギー波だ。エネルギー波の力を貯めている最中に一定範囲に入ると、不可避の確定スタン衝撃波に変わる。ヘイト値もその攻撃を食らったプレイヤーに集中するため実に危険な攻撃だ。誰もその範囲に入らなければ回転しながら周囲にエネルギー波を放つのだが、このエネルギー波は細く避けやすいためチャンスタイムだ。今回のエネルギー攻撃系統には盾が機能しないためタンクは最小限に抑えている。

 ボス戦は非常に順調に進んだ。六十五層が嘘のように。要所要所でレントさんがフォローに入ってくれるのだ。手が足りないとき、誰かがピンチに陥ったとき、場が混乱したとき。本当に優秀の一言に尽きる人材だ。だから、私はボス戦の後半になるまで()()に気づくのが遅れてしまった。

 また不可避衝撃波だ。貯め中は近づかないようにと伝えてあるのに誰だろう。ふと疑問が芽生えた。

 そして次のタイミングで私は見てしまった。《血盟騎士団》のプレイヤーで構成されているパーティに、レントさんが()()()()()()()()()のだ。ボスの攻撃範囲内へと。気のせいかもしれない、目の錯覚であってくれと思って次も確認してみたが、やはりダメージは与えないように背中を押している。その次のタイミングで私の堪忍袋の緒は切れた。

 

「止めなさい!!」

 

 気づいたら叫んでいた。私の声に彼らは驚き、動きを止めた。その瞬間にレントさんが()()()()()。そしてそのまま蹴り飛ばされる! 何事かと思ったが、よく見てみると私がいた場所はエネルギー波が丁度通ったところだった。衝動に任せ行動し、命を落とすところだったのだ。

 取りあえずレントさんには礼を言って、ボス戦に戻る。ちゃんとした謝罪は終わった後にしよう。私は油断した心を締め直した。が、締められていない、危機に気づけていない者達がいた。例のグループだ。

 

「副団長に何すんだよ! てめぇ!!」

「後でぶっっっ殺す!!!」

「やっぱ殺人鬼はちげーな! 薄汚ぇ《レッドキラー》がっ!!」

 

―――このボス戦中に何を言っているのか!

 自らの所業を棚の上に置き去りにした発言に怒り心頭に発す。そもそもレントさんに何かしらの害意があれば、彼らなど一瞬で斬り伏せられていただろうに。しかし当の本人のレントさんは彼らの発言など気にもせず、ボスへと真っすぐ向かっていった。

 そこから先は特に何もなかった。恐ろしくなるほどに。誰一人として言葉を発さず、ただ淡々とボスを切り刻む作業だった。

 あのパーティを除けばある程度の事情を知っている人間が集まっていたため、レントさんにかける言葉が見当たらないのだ。慰めれば良いのか。笑わせれば良いのか。愚痴でも言えば良いのか。分からない。当たり前だ、今までこのような人に出会ったことなどないのだから。

 連携は崩れる寸前だった。後から思えば、あそこで崩壊しなかったのにもレントさんの力があったのかもしれない。

 ボスのHPを削りきってひとまず安心できるようになり、私は膝をついた。この空気のせいで精神に疲労が異常に溜まったのである。周りも力を抜いて体を休ませていた中、レントさんは一人立ったままだった。タブを操作していたかと思えば、彼は《転移結晶》を取り出す。

 呼び止めようかと思ったが、一体私が呼び止めたところで何があるのだろう。その思いがふと脳裏を過り動けなかった。しかしキリト君は違った。走り寄ったかと思うと、転移先を告げさせる間も与えずにレントさんの手から《転移結晶》を叩き落とす。

 

「レント! ……何も言わずにいなくなるのはなしだ」

「…………」

「ッ何か言えよ! お前はこのままで良いのか!? このままだとお前、いつ殺されるか分からないじゃないか……」

「――別に構わないよ。それに僕がいない方が攻略は捗るだろう? 今の僕は不和の種なんだから」

「な……ッ!!」

 

 自嘲するようなその口振りがキリト君の癇に障ったようだった。

 

「お前はッ! そんなこと言わなくても良いんだ! だってお前は何も悪くない――」

 

 キリト君の口にレントさんは人差し指を突きつける。

 

「キリト君。僕は《大量殺人者(レッドキラ-)》、だよ?」

 

 諦めるようにレントさんは笑った。

 拳が飛ぶ。レントさんの言葉に耐えられなかったらしい。キリト君の顔は悲しみと怒りの綯い交ぜになった感情に染まっていた。レントさんはさっきの私へのドロップキックでオレンジ化していて、ダメージを与えたであろうパンチでも、キリト君のカーソルの色は変わらなかった。それが、なぜかとても悲しく感じた。

 殴り飛ばされ倒れ伏していたレントさんはユラリと立ち上がると、《転移結晶》を懐からもう一つ取り出し、それで転移してしまった。キリト君は俯いて拳を握ったまま顔を上げない。ボス部屋にいた他のプレイヤーは急展開についていけていない者か、茫然と眺めているしかなかった私のような者の二種類だった。ボスを撃破したというのに誰の顔も晴れてはいない。代わりに沈黙と哀しみと困惑が満ちていた。




 死者が原作に比べてかなり少ないのがこの作品の特徴です。

主人公の二つ名
・オレンジキラー
・奇術師
・白の剣士
・レッドキラー NEW


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#8 拒絶

 心に傷を負った(負いに行った)主人公はどうなるのか。どうぞ。


~side:キリト~

 第六十六層攻略戦中に起きた事件は衝撃だった。レントが《KoB》の奴らに殺されかかっていたのだ。それなのにあいつは何もかも諦めたみたいに受け入れていた。あいつの自分を卑下するような、まるで全て自分が悪いのだとでも言うかのような言い方には特段腹が立ち、気がつけばレントを殴り飛ばしてしまっていた。

 レントが《転移結晶》を持っていたことには驚いた。過去の邂逅からあいつが荷物を――たとえ生死に関わる()()()()()()ものでも――できるだけ削っていることは知っていたから、ましてや二つも持っているなんて完全に予想外だった。……もしかしたら、あいつにはこの展開も読めていたのかもしれない。

 レントがいなくなったボス部屋で、最初に口を開いたのはクラインだった。

 

「レントはな、俺達を助けてくれてたんだぞ? 知ってるかオメェら、アイツがしてた支援活動のこと。アイツぁソロのくせによ、攻略で手に入れたものを俺達に分配してやがった。ギルドのストレージにオメェらが必要になったアイテムがあったら、そりゃ十中八九レントの配ったアイテムだ」

 

 続いてエギルが話し始めた。

 

「あの討伐戦のときだってそうだ。アンタらは記録でしか知らないんだろうが、《ラフコフ》は皆強敵だった。奇襲も失敗して乱戦状態になってもいた。そんな中、一人しか犠牲者が出なかったんだぞ? おかしいと思わないか?」

 

 一拍置いて、エギルは続ける。

 

「理由はレントだ。アイツが俺らを助けて、なおかつ俺らが手を汚すはずだった『殺し』は全部肩代わりしたんだ。そもそもアイツだって最低限しか殺しはしてない。もしレントがそうしてなければ犠牲者は二桁に近かっただろうし、《ラフコフ》側は間違いなく倍以上死んでた。それを、その事情を知ってもまだお前らはアイツを殺人鬼って呼べるのか。呼べるんだとしたら、そんな奴とレイドを組むなんてこっちからお断りだね」

 

 吐き捨てるようなエギルの言葉に《KoB》の奴らが目を逸らす。掃討戦のことを話すのを躊躇った俺達にも、今回の件の責任の一端は間違いなくあった。

 そこで、黙って聞いていたアスナが訝し気にクラインを見た。

 

「ちょっと待ってください、支援活動ってどういうことですか?」

「そのまんまさ。アイツは各層を開放するごとにその層での戦利品なんかやコル、果てはそれらと交換したアイテムを《鼠》を使ってギルマスに配ってたんだよ。それがこっちの欲しい物ばっか来るもんだからスパイでもいるのかと思ったくらいだ。匿名ではあったが、まあ誰がやってるかなんざ分かるわな。口止めされてたからアンタが知らなくても無理はない」

 

 援助のことを知らなかったらしいアスナの言葉にはエリヴァが反応した。その答えを聞いたプレイヤー達は皆、思い当たる節があるのか瞠目している。

 クラインが暗い雰囲気を振り払うように立ち上がった。

 

「さて、そろそろ下の奴らが心配してるかもしんねぇからアクティベート行くとすっか」

 

******

 

 俺やエギル、《風林火山》は六十七層攻略中はひたすらレントを探した。あの状態のレントを放っておくという選択肢は俺達にはなかった。それはアスナやエリヴァにしても同じだったらしく、彼らは代わりに部下を貸してくれていた。

 俺は昔アイツが「ホームを買ったんだ。空気の美味しいところでね、朝靄が朝日を跳ね返して凄く綺麗なんだ」と言うのを聞いている。朝日が見えるということはアインクラッドの構造上外縁部、当時の最前線は五十六層だったのでそこ以下なのも確実だ。ただ、ホームにいるとも限らないため主街区などはアスナ達に借りたプレイヤーに任せている。

 しかし、結局レントを見つける前にボス攻略がやって来てしまった。手っ取り早く済ませようという俺達の考えは見事に裏切られた。ボス撃破には成功したものの、八人もの犠牲者が出てしまったのだ。犠牲が出たのは五十層以来で動揺は大きかった。

 これ以降、アスナとエリヴァも本腰を入れて――攻略を中断してまで――レントを探し始めた。そのお蔭か、それからすぐにレントのホームは見つかった。三十九層ののどかな田園風景が広がる中の一軒家だ。

 俺とアスナ、エリヴァにエギルの四人はその家を訪れていた。あいつと親しかったと言える者は攻略組の中でもほんの一握りしかいない。幹部クラスを除き、レントは攻略組とは仲が良くなかった。それが今回の事件を引き起こしたのだが。

 その家は小ぢんまりとしていたが風景に良くマッチしていた。ドアをノックしてしばらくするとドアが開いた。中から顔を出したレントの様子は一見いつも通りだった。白皙の形容がふさわしい肌、僅かなカーブを描く穏やかそうな目。その雰囲気は相対する人に自ずと安心感を抱かせるものだ。

 

「皆さんお揃いでどうしたんですか? ……中に入りますか?」

 

 レントは昔と変わらぬ笑顔でそう言い、促されるまま俺達は家の中に入った。耳に入り易い柔らかい声と語調は、聞いているだけで焦っていた心が落ち着いてくる。その変わらぬ様子に胸を撫で下ろした。

 木の香りのする家の中は居心地が良かった。ただ観葉植物などは目に入るのだが、目立った家具が俺達が案内された机だけだったのに僅かな疑念が浮かぶ。

 

「ちょっと今何もなくてですね、お茶も出せないんですよ。すみません」

 

 お茶もないとはどういうことだ。プレイヤーハウスには基本的に水道はついているし、自慢ではないが俺の汚い部屋にも茶ぐらいある。違和感が段々と形を持ってきていた。

 アスナが代表して今日来た目的を伝え、レントに攻略に戻ってきてくれるように頼んだ。だが、その返答は俺に決定的な違和を伝えた。

 

「アスナ()()。ですが、僕がいない方が攻略は捗るでしょう? 今の攻略組に僕は必要ありませんよ。《KoB》の彼らだってそれを望んでいるはずです」

 

 レントの言葉に俺は激昂しかけたが、それよりも衝撃の方が大きかった。レントは基本的に誰にでも敬語を使う。攻略組で敬語を使われないのは俺とアスナだけだった。しかし今のレントはアスナに敬語を使い、しかも普段のアスナ()()()ではなくアスナ()()と呼んだ。

 

「キリトさんもそう思うでしょう? 僕がいなくても攻略に支障はありませんよね?」

 

 言葉遣いというものがここまでの衝撃を与えると、俺は初めて身をもって知った。敬語に敬称の変化、それだけで俺はレントに拒絶されたように、お前は友人でも何でもない、と言われたように感じたのだ。敬語を使われない、レントと対等な立場で話しているということにどこか特別感を感じていたのだろう。アスナも驚愕の表情を浮かべているが、きっと俺の顔も青くなっていることだろう。そんな俺達に代わりエギルが回答した。

 

――お前の力が必要なんだ。

――どうか俺達に協力してくれないか。

――ボス攻略で八人の犠牲者が出た。

――もう一人も犠牲者を出すわけにはいかないんだ。

 

 その数々の言葉の中で『犠牲者』という単語にレントは反応した。

 

「――っ犠牲者が? ……僕が、いなかったから?」

 

 フッと顔を俯かせる。その顔色は異常に白く、エギルが否定した言葉も聞こえていないようだった。

 次に持ち上げられたレントの顔は、しかしいつも通りの笑顔だった。

 

「分かりました。攻略に参加します」

 

 それだけ言って、壁にかけられていたカーペットを背負ってどこかに行こうとする。慌てて袖を掴もうとしたが、レントはこちらのことなど見えていないかのように駆け出してしまった。余りに突然のことに俺達は唖然とする。

 

「あいつどこ行ったんだ?」

「まさか攻略に?」

「その可能性が高い、でしょうね……」

「なんつー……」

 

 仕方がないから俺達も最前線に行こうと思ったところで、アスナが一同を引き留めた。

 

「その、こういうのは気が進まないんですが……」

「何だ?」

「家捜し……しませんか?」

「「「……ハァ?」」」

 

******

 

~side:エギル~

 どうやらアスナはこの家に違和感を覚えるらしい。押しきられて、俺はエリヴァさんと一緒に二階を探っていた。

 

「……なぁ、エギル。これはどういうことだ?」

 

 いや、探っているというのは正しい表現ではないだろう。なぜならそこには()()()()()()から。眺めていると言った方が正しいかもしれない。どの部屋にも備えつけの物以外は一切なく、販売されているときのような状態だったのだ。

 二階を探し回ってもレントの私物らしきものは何も見つけられず、見つけられたものはいくつかの中身の詰まった袋だけだった。中を確認してはいないが、触った感触や見た目から金貨袋と分かる。ずっしりとしたそれの中身の総額がいくらになるかは考えたくもない。それらを抱えて一階に降りれば、キリト達が困惑した様子で立っていた。

 

「何か収穫はあったか、《黒の剣士》?」

「何も。本当に何もなかった。そっちはどうだった、エリヴァ?」

「見ての通り金貨袋以外は何も」

 

 金貨袋はそれぞれに誰に渡すのか書いてあった。三つの大きな袋には《KoB》と《聖龍連合》、《フリーダム》。一つの小さな袋には《黒の剣士》と書いてあった。《黒の剣士》宛ての袋を開けて中を確かめると、大量の金貨と共に手紙が入っていた。それをキリトが読み上げる。

 

『本日はこのような場所にお越しくださりありがとうございました。この手紙を読んでいるということは皆さんで家捜しをされたということでしょう。その結果この金貨袋を見つけ、この場にいる《黒の剣士》の分を開けて中身を確かめた。それを予期していたのでこうしてこの金貨袋に手紙を入れておきました。皆さんのご想像の通り、この金貨は最後の援助です。余裕がなくアイテムの形にできなかったのは申し訳ありません。

 まず、僕の身勝手な行動を謝罪したく思います。それは攻略から身を引いたこともですが、皆さんを置いて飛び出してしまったこともです。飛び出しでもしなければこうして手紙を読まれることもないでしょうから。

 皆さんがわざわざ僕を訪ねるとすれば、その理由は限られます。僕の能力が攻略組にとって必要だからと攻略に再び参加するよう要請するためでしょう。それが単に攻略速度の話であれば僕も取り乱しはしないと思います。僕が自分を抑えられず、皆さんに説明もせずに攻略に向かったのであれば、恐らくは六十七層攻略戦で犠牲者が出てしまったのでしょう。六十五・六十六層攻略戦の様子からは、一部の攻略組が弛んでしまっていることは覆しがたい事実のように思えましたから。しかし僕なら彼らを死なさずに攻略することができた。皆さんはそう考えたからこそ僕を訪ねた。それを示され、平静を保っている自信が僕には一切ありません。そのため、こうして手紙を書いた次第です。

 さて、家捜しをして困惑されたことでしょう。なぜこんなにも何もないのだ、と。この家もつい最近までは物で溢れていました。援助用に集めていた素材や、攻略の戦利品などでです。家具もしっかりありましたし、家にだけは《料理》スキルがなくとも使える食材が大量に置いてありました。しかし、僕はもうこの家に戻るつもりはありません。これ以上の犠牲者を出さないためにも、僕は全身全霊を攻略に傾けます。このような辺境にホームを置く余裕など作っている場合ではありません。そのためこの家は売却し、攻略に出る最低限を除いたアイテム類も全て売却しました。家具等の品も含めて全てです。お茶も何も出せなかったのはそういう理由があったためです。お許しください。

 袋にはアイテム類などを売却した金額も含めた所持コルのほぼ全てを分配しました。ご自由にお使いください。特に《黒の剣士》は今までの分もありますし、必ずお受け取りください。

 僕の心配はされなくて結構です。これが今生の別れになるかもしれません。まともに挨拶をすることもできず申し訳ありませんでした。

 最後に、改めてこのような所まで来ていただききありがとうございました。

 

p.s家の退去予備時間は八月二十八日の正午ですのでお気を付けを』

 

 退去予備時間とは家を売却してから十日間設定されるものだ。この期間中は鍵はかけられないが生活はできるので、次の家を探す期間とも言える。これを過ぎると家にはバリアが張られて保護されてしまうため、誰かがその家を購入するまで閉じ込められてしまう。

 それはさておき、俺達は空恐ろしさを感じていた。レントは自分の行動ばかりか、俺達の思考や行動までも()()()()()というのか。それに退去予備時間の間に俺達が訪問するためには、攻略のスピード、ボス戦の状況に加えてレントのホームを見つける時間などの全てを考慮に入れなくてはならない。もし偶然でないのだとしたら、もはや恐怖を通り越して畏怖すら覚える正確さだ。

 レントの手紙の内容を消化しつつ俺達は金貨袋をアイテムストレージに入れ、家の外に出て歩きながら話し始めた。

 

「レントさんはどこまで分かっていたんでしょうか?」

「本当に、あいつは何者なんだか。分からんな」

「前に話を聞いたときは、その人間になりきることで相手の思考を読み取るって言ってたな」

「それは……人間業じゃねぇな。理論立ってすらないのか」

「掌の上で転がされたみたいだ」

「それに、どうしてあの人はあんなに人を救うことに敏感なんでしょうか? 第一層の頃からずっと変わらない方針ですし、手紙に基づけば犠牲者の話が飛び出した直接の理由なんでしょう? ……何か、理由があるんでしょうか」

「それは俺達が簡単に首を突っ込んで良い話じゃないだろう。な、《黒づくめ(ブラッキー)》?」

「まぁ、……確かに」

 

 俺を含めて全員が、このときはまだレントのことを理解し(わかり)きれていなかったのだろう。

 レントが攻略組に戻ってきてくれるのだと純粋に安心していたのだ。

 

******

 

~side:???~

 六十八層のボスは《白の剣士》が攻略に再び取り組み始めてからたったの四日後に撃破された。未だ迷宮区探索が半分も至っていない中のことで、攻略組がそれに気づいたのは六時間ほどが経った日没後だった。次の日に恐る恐る上層を確認しに行けば、解放された六十九層のフィールドボスは既に倒され、迷宮区が解放されていた。そして今度は三分の一ほどしか迷宮区を踏破していない状況で七十層が解放された。

 これらが全てあの《白の剣士》の功績だという噂は、既にアインクラッド中に広まっている――誰も否定しない、否定できないことが更に噂を助長した――。一人でフィールドやダンジョンを踏破し、ボスを単独で撃破する。その様は《狂戦士(バーサーカー)》とまで呼ばれている。《閃光》もかつて《狂戦士》と呼ばれていた時期があったが、流石にここまでではなかった。まるで死に急いでいるようにも見える攻略に、攻略組はついて行くだけで必死だ。振り落とされないために、最近の攻略組にはある種の緊張感すら感じる。

 そう言っている間にも七十一層が解放されたらしい。ここ最近は転移門の案内板を見ている人間が常に一人はいる。《白の剣士》は自分では門開き(アクティベート)しない。その場合は三時間が経過すると自動でアクティベートされるので、《白の剣士》は三時間前にボスを撃破したということだ。今回は攻略組も半分ほどマッピングできたようだ。

 五十五層の鉄の街を眼下に見下ろす尖塔の中、()は深く息を吐いた。

 

「本来、一人では攻略できない難易度のはずなのだが……。彼のログを見るのは実に面白いな。ふむ、もう何週間もほぼ寝ておらず、この世界で楽しめる娯楽としてかなり価値の高い食事も()()石パンのみ。更に言えば空腹感を消すために()()している、と。限界まで自分を追いつめているのか。――ふ、実に面白い。面白いが、さしもの彼であってもこのままでは七十五層にすら辿り着けるかは怪しいな。到達したとしても……、さて、彼はどこまで行けるかな?」

 

 少し長い独り言だったかもしれない。面白いことがあるとつい饒舌になってしまう。

―――さて、私もレベリングをしなくては。彼に置いていかれてしまう。

 私は()()を振り、ある少年の顔やステータス、ログが映っていたウィンドウをまとめて消して立ち上がった。機会があれば彼とは少し話してみたいものだ。私は避けられているようだから、応じてくれるかは分からないが。




主人公の二つ名
・オレンジキラー
・奇術師
・白の剣士
・レッドキラー
・狂戦士 NEW

 ???さんはまた出てくるでしょう。独り言役に。


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#9 悪夢

 今回はメンタルケア回です。どうぞ。


 僕はあの日からアインクラッドを一人で攻略している。そんなことができるのかと自分でも疑っていたが、やってみればもう三層も解放できていた。昔から迷宮区に住むような暮らしをしており、宝箱を探し続けていたからだろうか。勘が異常に優れている。勘で進み続けるだけで簡単にボス部屋に辿り着く。ボス戦も一人で行うから、犠牲者は出ても一人だ。

 今も勘に従って丁字路を左に曲がろうとした。

 

ゥヮァァァァァ

 

 そのとき、丁字路の右からほんの微かに悲鳴が聞こえた……気がした。実際には誰も悲鳴など上げていないかもしれないが、考える間もなく僕は踵を返し右の道へと駆け出していた。

 次第に金属と金属がぶつかる音が聞こえてくる。それに混じってガラスが砕けたような儚い音も。

―――モンスターの音でありますように!

 角を曲がると、一人のプレイヤーが三体のmobと四苦八苦戦っているのが目に入ってきた。そのプレイヤーに後ろから飛びかかろうとしていた《バーサーカーオーク》の攻撃を剣で弾き飛ばし、硬直の軽い《ホリゾンタル》の横一閃で一体の注意をこちらに引きつける。

 そして戦っていたプレイヤーと背中合わせになって互いの背中を守る。一対三で少しの間でも渡り合っていたのだから実力はあるのだろう。しかし、《黒》と《白》以外でソロで迷宮区を攻略する人間はいない。最低でも三人以上でパーティを組むだろう。残りの二人以上は死んでしまったのか。

 

「えっとぉ、《白の剣士》さんですよねぇ。助太刀感謝しますぅ。いやぁ、おいら《転移結晶》を忘れちゃいましてねぇ。後の二人はそれぞれ一体倒した後に転移しちゃったんですよねぇ。おいらが《転移結晶》持ってると思ってたんでしょうがぁ、ねぇ? 一対四で何とか一体は倒したんですけど、なんとも分が悪い。回復アイテムも切らしちゃいましてねぇ。助けてもらえなかったら死亡ルートですねぇ。ありがとうございますぅ」

 

 その語尾を伸ばす口調と『おいら』という一人称には聞き覚えがあった。頭の中で人名録を捲り、名前を弾き出す。

 

「《フリーダム》のシャンタロウさんですか。ご無事で何よりです」

 

 シャンタロウは一つの攻略組パーティに所属しているプレイヤーで、《いぶし銀》の異名を持つ巧者だ。二対三になれば連携も取れるので、そんな会話をしながらでも簡単に残りの敵は倒すことができた。《バーサーカーオーク》達が三塊のポリゴンに化した後、僕達は安全地帯まで共に移動した。《転移結晶》も回復アイテムも切らしているシャンタロウでは無事に帰れるか怪しいから、救援要請をするためである。

 このときの僕は精神を摩耗させていた。シャンタロウもいることだと思って少し力を抜いていた。久し振りに人と会えたことや、その人が険悪な仲でない人であったことも油断を助長させていた。そこには、自分が今の攻略組で一番進んでいるという自惚れもあったかもしれない。

 

 ふと隣から「ヒッ」という恐怖と驚きに満ちた声と、ポリゴンの破砕音が聞こえた。

 

 

「なっ――」

 

 空白になった隣を振り返り、黒いポンチョを羽織って両手剣を担いだ男と向き合う。

 

 奴が、シャンタロウを殺したのか

 

―――《ラフコフ》の残党!?

―――いや、PoH以外は確認されていた。

―――あいつは短剣使い。ならアレは誰だ?

 こちらが動揺している間に、そのまま謎の襲撃者は《転移結晶》で転移してしまった。誰何することなどとてもできなかった。

 ただ一人安全地帯に腰を落ち着け呼吸を整えていると、シャンタロウが殺されたという事実が頭に沁み込んできた。

 ぐるぐると言葉が脳内を巡る。

 シャンタロウのHPを僕のアイテムで回復させれば良かった。気を抜かずに警戒を続けていれば襲撃に気づけたかもしれない。いや、そもそもシャンタロウを《ラフコフ》が狙う理由はなく、奴の狙いは僕だったかもしれない。僕が彼の死の原因だ。きっとそうなんだ。mobから助けたなんて、ほんの一時の延命に過ぎない。あのままでもシャンタロウは一人で切り抜けていたかもしれない。他の助けが来たかもしれない。

 

 僕はまた、救えなかった。……目の前でシャンタロウが砕け――。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

******

 

~side:キリト~

 解放された七十一層の迷宮区を攻略していた。今日こそは何としてもレントを見つけ出すのだと、そう気を尖らせていたからだろうか。俺の耳は声にならない絶叫を感じ取っていた。

 走る。走る。走る! 迷宮区内では音が反響してしまうため、音がどこから聞こえてきたかは分からない。だから走りつつ《索敵》を続ける。

―――プレイヤー反応ッ!

 安全地帯に一人分の光点が見つかった。急いで駆けつけた俺は、そこで蹲って小さくなっている白い塊を発見した。

 レントだ。

 レントは膝と頭を抱え、壁に寄りかかっていた。近づいてみると、ひたすら何かを呟いているのが聞こえた。

 

 

 

「僕のせいだ。僕のせい僕のせい僕のせい僕のせい僕のせい僕のせい僕のせい僕のせい僕のせい僕のせい僕のせい僕のせい僕のせい僕のせい僕のせい僕のせい僕のせい僕のせい僕のせい僕のせいだ。僕が悪い。全部全部全部全部全部全部全部全部ッッッッッ!! あぁぁあぁ、うぅううぅぅう。ごめんなさいごめんなさいごめんなさいごめんなさいごめんなさいごめんなさいごめんなさいごめんなさいごめんなさいごめんなさいごめんなさいごめんなさい。生きててごめんなさいごめんなさいごめんなさいッ! うぅうぁゎうあぁぁっぅうぅうう………………」

 

 

 

 これは……何だ? 本当にレントなのか? 俺が近づいているのに気づいた様子もないし、眼も全く焦点が合っていない。まるで壊れたレコードのように懺悔だけを繰り返していた。

 俯いた顔色はSAOのシステムが壊れたのかと思うほど真っ青で、目の下の隈はそれと対比されてどこまでも沈んだ色をしている。体は細かく震えているし、声をかけようが体を揺さぶろうが何の反応も見せない。いつものレントからは到底予想できない姿は俺を困惑の渦に叩き込んだ。一体何があったというのか。

―――俺一人じゃどうしようもない、取りあえずあの三人を呼ぼう。

 アスナとエギル、エリヴァにはここの座標とレントがおかしいということだけを送信した。

 一時間ほどしてからアスナとエギルがやって来た。道中のmobは全て部下に任せて迷宮区を走り抜けたらしい。その間もレントはずっと譫言のようにぶつぶつと呟いていた。その様子を見てアスナとエギルも驚いたようだ。

 

「――キリト君っ。ずっと、この状況なの?」

「ああ、俺が来たときからもうずっと」

「……ううむ、こうなったら仕方ねえ。おいキリト手伝え、睡眠薬打つぞ」

「睡眠薬!?」

「ああ、一旦落ち着かせる。話はそれからだ」

 

 睡眠薬とは……そんなものまで置いていたのか、エギルの店は。エギルの言葉に反し、睡眠薬を打つのに俺の手伝いは必要なかった。レントは全く何の抵抗も見せず、大人しく注射を打たれたからだ。薬剤が注入されると同時にレントの声はピタリと止まった。

 

「へへ、何せこの薬は即効性がある上に、攻撃を与えなきゃエリアボスでも数時間は寝てるからな。効果は折り紙つきだ。その分高ぇが人間に打てば魘されもしn「うぅぅぅっぅう、う……ぅわぁっぁぁあぁ……っ!」な、何ッ!」

「魘されてる……みたいですね。何か他の手はありませんか?」

 

 謝罪を口にすることはなくなったが、レントは今度は悪夢でも見ているかのように呻き出した。そのタイミングでエリヴァがやって来る。

 

「……ハァッ、レントの野郎はッ! ……ハッ――どうした!! ッハァ…………大丈夫ッ、なのかっ!?」

「取りあえず落ち着かせようと思って睡眠薬を打ったんだが……。見ての通り今度は魘され始めちまった」

「――ちょっとどけ、《黒づくめ(ブラッキー)》」

 

 言われるままにレントの傍をエリヴァに譲る。エリヴァは呼吸を落ち着けると、《海賊》の異名に似合わぬ優しい声でレントに声をかけ始めた。

 

******

 

~side:レント~

 ずっと悪夢を見ていた。

 このゲームが始まった初日、僕は茅場のチュートリアルを聞いても何も感じていなかった。デスゲームを受け入れていたんだと思っていた、今までは。けど、違った。本当は何も受け入れられていなかった。そのことを、あの掃討戦で思い知らされた。

 僕はソロで活動してきた。だから、仲間が殺されることとは縁遠かった。PKをしたことも当然なかった。ボス戦で死者が出たとしても、大抵は話したこともない人だった。親しい人をこの世界でなくした経験がなかったのだ。

 それが掃討戦を境に変わった。この世界で人を初めて手にかけ、『死』を実感した。怖かった。()()()を思い出してしまいそうで。

 この世界での『死』を自覚してから僕は悪夢を見るようになった。寝入るのが怖かった。

 今も悪夢を見ていた。

 目は開いているのに、意識は覚醒しているのに、視覚として情報が入ってこない。代わりに悪夢の映像が流れ続けていた。

 突然、暗い場所に突き落とされた。周りから入る光量が変わっても、見えるものは変わらなかった。()()()()の人達の顔、両親の顔、殺してしまった八人の顔、守れなかった一人の顔、そしてシャンタロウの顔。次から次へと浮かんでは消えていく人々。

 

「お前さえいなければっ!」

「幸せに、生きてね」

「弟と会いたかったなぁ」

「お前のせいで……!」

「ごめんね――」

「流石の《殺人鬼(レッドキラー)》さんも奇襲には対応できなかったんですねぇ」

「何でテメェが生きてんだよッ!!」

「辛かっただろう、もう大丈夫だ。もう背負わなくていいんだ」

「俺の代わりにテメェが死ね!」

「フフ、アンタも俺らと同じとこまで堕ちたんだよ」

 

 そうして流れていく記憶。自分にかかる声は悪罵の声が増えてくる。段々と闇が深くなる。気づいたら体が底なしの泥沼に嵌まっていた。沈んでいく自分。そんな自分にかけられるのは苦しむ様を見て喜ぶ声、もう罵詈雑言しか聞こえない。口元まで沈んで空気を得ようと喘ぐ。そんな自分の頭を踏みつけるのは、シャンタロウを殺した男だ。その袖口からは白い色と共に、気味の悪い笑い顔の張りついた棺桶が見えた。

 

「ハァハッハッハッハーーハハハッハハァハッ!!!」

 

 暗闇の中で唯一見える口は醜く弧を描いていた。

 僕は首に縄をかけられ絞首台から吊り下げられていて、眼下に見える群衆からは石やら短剣やらが投げつけられていた。その中には、いやその全ては見知った顔だった。僕に物を投げない人はいなかった。さっきまで浮かんでいた顔の持ち主達も、下層で出会った人々も、攻略組も。無関心そうな顔をしている《聖騎士》も、怒りを顔に満ちさせている人情派の《侍》も。親しくしているあの大斧使いも、笑顔を絶やさない《狸》も、《鼠》も。挙句にはあの《閃光》に、《黒の剣士》も……。

―――あれ? 《海賊》、は?

 ふと、耳元でその《海賊》の声が聞こえた。

 

「レント、聞こえてるか?」

 

 その声はなぜだか自然と耳に入ってきた。

 その声は閉じた心に侵入してきた。

 その声は傷ついた心の隙間を埋めるようだった。

 気づけば耳を傾けていた。

 

「お前はみんなを助けられてる。お前に救われた奴は多い」

 

 顔を上げた。

 

「大丈夫だ、周りを信じて安心しろ。俺達はお前を嫌ったりしない。責めたりしない。もちろん敵意を向けるなんてことも」

 

 気づけば、群衆の中に《黒の剣士》と《閃光》が見えなくなっていた。

 

「お前が受け入れてほしいというなら何だって受け入れてやる。たとえお前が連続殺人鬼だろうが俺らは気にしない。お前が暴れるなら全力で止めるが、それは嫌いだからじゃない。心配だからだ」

 

 《侍》と《大斧》がサムズアップをして人混みから立ち去った。

 

「お前が苦しんでいるなら吐き出せ。ちゃんと受け取ってちゃんと返してやる。お前は自分が思っている以上に周りに好かれてる。それを理解しろ。嫌っているのだって《KoB》と《聖龍連合》の一部だけだ」

 

 《鼠》と《狸》も笑顔を見せて背を向けた。

 

「ちゃんと話をしよう。今だってお前が心配で俺らは集まったんだ。周りに目を向けてみろ。お前は言ったんだろ、人になりきるんだって。ならそうやって考えてみろ。お前がどれだけ心配されているか」

 

 既に《聖騎士》はいなかった。

 

「お前だけが悪いわけじゃない。少し人より能力が高いだけだ。常に自分で罪を背負おうとしているだけだ。もう一度言うぞ、お前が全ての責任を背負う必要なんてないんだ。お前の行いは罪を生んだだけじゃない。お前には何度も助けられたんだ。ありがとう」

 

 群衆が端から少しずつ消えていく。最後に残った()()()()も穏やかな笑みを浮かべて消えていった。

 

「もう少しみんなと接してみないか? 世界が広がるぞ」

 

 視界が開けた。

 

「お前が何をしようが許してやる。だから自信を持て。立ち上がれ」

 

 縄は解けていて、僕は地に降りていた。

 

「《白の剣士》の活躍で攻略は一気に進んだんだ。少しくらい休んだって構わないさ。明日は休みを取ろう。あの家も買い戻した方が良いんじゃないか? 良い家だったぞ」

 

 眼を開けば、そこには自分の膝が見えた。

 

******

 

~side:エギル~

 エリヴァさんは一体何をしているのだろうか。もう何十分もレントに話しかけていた。

 

「――んっ。エ……、エリヴァ……さん?」

 

 レントが目覚めた! 顔を上げたレントは俺達四人の顔を不思議そうな顔をして眺めた。

 

「……キリト君にアスナちゃんとエギルさんまで?」

 

 その言葉に、キリトとアスナは傍から見ても分かるほど大袈裟に安堵していた。呼び方が昔に戻ったのがそんなに嬉しいのだろうか。

 レントは酷い顔をしていた。整った顔立ちだったのに、それが見る影もない。眼の下にはとても深い隈があり、頬はこけ、肌つやも悪い。顔色も先程よりはマシだが青白く、全体的に不健康な印象を与える。

―――ん?

 

「ひっ」

 

 レントがひきつけたような声を挙げた。ど、どうした?

 

 

 

「ひっ、う、うぐっ、ひぐ」

 

 

 

―――お、おい、おい。

 レントはダラダラと涙を流し泣き出してしまった。慌てる俺達を尻目にレントは泣き続け、何分間も経った後にようやく泣き止んだ。

 

「いやぁ、泣くのなんて凄いっ、久し振りだっなぁ。皆さんっご迷惑をおかけっ、しました!」

 

 こちらも釣られて笑ってしまうような、晴れるような笑顔だった。不健康な顔はそのままなのに、エネルギーに満ち溢れた笑顔だった。そしてレントはそのまま横に傾いていき――

 

バタァァァァァン

 

 埃が舞い上がりしばらく何も見えなかったが、目の前が晴れるとレントは横になり眠っていた。

 

「え? ど、どういうこと?」

「見ただろ、あの隈。レントは普段から一日一時間寝てるか怪しいような生活をしてるくせに、だ。どれだけ寝てないか分からないぞ」

 

 キリトの言葉にエリヴァさんが続けた。

 

「今ぐらい寝かしておいてやった方が良いだろうな。我々がいる前で寝たということは、私達は信頼されているということだろう。見張りでもしておいてやろうか」

 

 エリヴァさんがドカリと座り込む。俺も腰を下ろした。

 

「そういやエリヴァさん、さっきは何してたんだ?」

「フン、ただ安心させただけだ。俺はこう見えてリアルじゃ精神科医の()()を持っていたからな。あのくらいはできて当然だ」

「え? その顔でか?」

「《黒づくめ(ブラッキー)》! だから()()と言っただろう。この顔じゃ精神科はできん!」

「キリト? お前はもう少しオブラートに包めないのか?」

「ははは、無茶言うなよ。俺の会話スキルは零に近いぞ」

「零って言いきらない分成長したのかしら」

 

 軽口を叩き合いながらレントの目が覚めるのを待っていたが、目覚める気配がないのでアスナとエリヴァさんはギルド運営のため帰っていった。

 俺はかなりの量のアイテムを持っていた――キリトの連絡が適当だから何が起きても良いように備えたのだ――から、キリトと二人でレントの目覚めを待って野営をすることにした。

 翌日、眠り始めてから約十四時間後、レントは目を覚ました。

 

「うーん、よく寝たけどあと半月分くらい寝たい」

 

 これが起きた一言目に言った言葉である。寝起きの不明瞭さを微塵も見せない言葉に驚いたが、それ以上に昨日とは別人のように健康な表情に驚いた。キリトもそう思ったようで、

 

「おお、おはようレント。一か月前と同じくらいの顔に戻ったじゃないか。この程度しか寝てないのに凄いな」

「ん? キリト、一か月前って言ったか?」

「ああ、エギルは気づかなかったのか。レント、お前六十六層のときも、前に会ったあの日も化粧か? 何にせよそういうのしてたろ?」

「え……。まぁ、顔色も隈も酷かったから、ね。けどキリト君が気づいているとはね」

「あれだけ不自然に白ければ気づくだろ」

「――その鋭さを女の子にも向ければ良いのに……」

「……レントもそう思うか? こいつの鈍さは最早病気だよな」

「何の話だ?」

「「……いや、何でもない」」

 

 そんなやり取りをしながら野営の片づけをし、帰途に就いた。キリトはレントがまた攻略に行かないように見張っていると言っていたが、まさかアイツもそんなことはしないだろ……? しない……よな?

 まあ《転移結晶》を使うのも勿体ないので歩いて帰ることにしよう。

 

「主街区か、楽しみだなぁ、どんな街なんだろ」

「「え!? レント主街区知らないのか!?」」




 主人公が寝ている間にキリト君は寝顔を写真に撮ったことでしょう。

キ「お前の寝顔も可愛かったぞヘヘン」
レ「へぇ、……だから?」

 スルーされたんでしょうね。可哀想に。


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#10 休日

 前回言ってた休みを取ります。どうぞ。


 今は九月中旬、最前線はあれから少し進んで七十二層だ。それももう少しで攻略できるだろう。七十一層のボス戦は僕も含めた攻略組で行った。

 エリヴァの勧め通り色々な人と言葉を交わしてみたが、僕を嫌っている人間は意外に少なかった。筋肉の動きが分かる僕が視るのだから、上辺だけ取り繕っても体のどこかが嫌がっていれば分かる。あの《KoB》のパーティも最初から僕に敵意を持っていることは分かっていた。リーダー格のプレイヤーは僕と話す度に右脚を振るわせていた。表面上は笑顔を示していただけにその恨みの深さが知れたというものだ。

 今日は僕の休日だ。あの日から二、三週間に一度は休息を取るように決めた――決めさせられたとも言う――。今日がその一回目だ。

 その休日に、僕は五十五層の《グランザム》に赴いていた。ヒースクリフに会うためだ。シャンタロウを殺した男は悪夢の中で白い服を袖の下から見せた。最前線の迷宮区に潜れるような人間は少なく、攻略組くらいであろう。その攻略組で白い服を着る人間は少ない。《KoB》の制服のカラーリングということで皆が遠慮しているため、《KoB》と僕だけだ。よってあの下手人は《KoB》に所属している可能性が高い――もちろん、偽装の可能性もあるが――。それを問い詰めたかったのだ。

 《グランザム》の転移門からすぐのところに血盟騎士団の本部はある。白をベースに紅い刺繍が入った制服を着た門番に取次ぎを頼む。アポイントメントは取ってあるので支障なく奥へと通された。

 ヒースクリフは本部の一番高い尖塔にいた。部屋に入ると彼が人払いし、僕とヒースクリフの二人きりになる。

 

「やあ、レント君。今日はどういった要件かな?」

「少し、あなたと話がしたくてですね」

「立ち話で終わるほど短い話ではないだろう。座ると良い」

 

 執務机の前にあるソファに座る。ヒースクリフは僕の前に座って言った。

 

 

「チェスは、できるかね?」

 

 

******

 

 ヒースクリフとチェスを打つ。水晶製のチェス盤の上で、象牙らしき材料で出来ている駒を操る。

カツ、カツ、カツ、トッ、カン

 駒と盤が触れ合う音だけが響く室内で、僕は口火を切った。

 

「この対局をお知りのようですね」

「もちろんだ。あの対局は実に見事な戦いだったからね。そう言う君も棋譜を完璧に覚えているとは驚いたよ」

 

 僕達は数年ほど前に行われたチェスの世界大会の棋譜をなぞっていた。最初の数手をなぞれば、ヒースクリフがそれに合わせてきたのだ。チェスはリアルでの趣味の一つだった。そんな世間話から僕達の会話はヒートアップしていく。

 

「それで、今日はどんな用事で来たのかな? ただ私とチェスをするためではないだろう」

「まあ色々ありまして。最初は《ラフィンコフィン》に関してです。PoHはまだ捕まらないのでしょうか?」

「ああ、彼は一体どこに潜伏しているのやら。尻尾も掴ませてはくれないのだが、それがどうかしたかね?」

「先日迷宮区で黒いポンチョを着た両手剣使いに襲われ、《フリーダム》のシャンタロウさんが犠牲になりました。そのときポンチョの下からチラリと《血盟騎士団》のユニフォームが見えた気がしまして。心当たりはないか、と」

「シャンタロウ君か、惜しい人を亡くしたものだな。心当たりの件に関しては全くないが、PoHは人心掌握のスペシャリスト。少し調査をしてみよう、情報提供ありがとう」

 

 話の区切りで一呼吸置いた。駒のひやりとした感触が心地良い。

 

「それでは二つ目の要件です。ヒースクリフさんは七十五層(クォーターポイント)の攻略、どう思われていますか?」

「慎重を期さなければならないとは思っているが、何か意見があるのかな?」

「ええ、今の攻略組は実力に幅が出来てしまっていますよね? 僕が言うのもあれなんですが、攻略のスピードに追随できていないプレイヤーもいます。七十五層のボス戦までを長く取り、その間に実力の底上げを図るというのはどうでしょうか」

「なるほど。それは確かに良い案ではあるな。私も実力の幅は問題だと思っていたからね」

 

 ヒースクリフは駒を動かして言った。

 

「それとレント君、このままだと君は負けてしまうが、どうするんだい?」

 

 この対局は結局先手の勝利という結果が出てしまっている。僕も負けたくはない。これから話すことも含めギアを入れようか。

 僕は棋譜にはない手を打つ。

 

「むむむ、そう来たか。ここからはフリーファイトと、そういうことだね」

「ええ。――それと攻略に関して、もう一つあります。貴方は七十五層のボスに関して何かしらの考察をされていますか?」

「ああ、かつてのクォーターポイントではその防御力と圧倒的な攻撃力に悩まされたものだ。今回もその類だとは思うが」

「二十五層のボスは異常に硬かったそうですね。五十層では攻撃が最大の防御でした。だから僕が思うに、七十五層は当たらないタイプではないでしょうか。速いか小さいのかは分かりませんが。小さいのに攻撃力だけ高いと不自然ですから、速いタイプですかね。速いとなると人型ではないでしょう。足が少なければ可動に無理が生じますから多足系統。もしかすると這う可能性もありますが、そうなると攻撃手段が乏しくなるので可能性は低いかと。多足ですから百足か蠍、蜘蛛辺りがモデルでしょうか。しかし節足動物に生理的嫌悪を感じる人は多いですからね、参加者が限定されてしまうかもしれません。それが懸念事項でしょう」

 

 いきなり捲し立てられてヒースクリフは目を白黒させている。余り見ない彼の動揺した表情で、意外と胸が空いた。

 

「……凄い考察だね。君の推測能力の高さはアスナ君から聞いているが、そう決めつけてしまうのは良くないのではないか?」

「決めつけているわけではありません。こういう可能性も考え得るというだけです。ただ、速いという条件が合っていれば多足の確率は高いと思いますよ。茅場晶彦はこの世界を作り込んでいますから、理屈に合わないモンスターは目立ちません」

「モンスターというのがそもそも理屈からは離れていないかね?」

「そう言われてしまうと何も言えないのですが。この世界ではリアルとほぼ同じように物理法則が作られていますし、このくらいは茅場もするでしょう」

 

 用意されていた茶で口を潤す。

 

「――さて、最後に話したいのはラスボスについてです」

「……少し気が早くないかね?」

「それはそうですが、ふと思ったらつらつらと考えてしまいまして。ヒースクリフさんにも聞いていただきたいな、と」

「ただ聞くだけなら君の話は面白いからつき合うが、意見を求められても困るよ?」

「ははは、大丈夫ですよ。では、始めます。まず僕は茅場晶彦の目線になってみました。彼は初日に『この状況で私の目的は達成されている』と言いました。これはどういうことか考えてみたんです。一つ目、パニックを起こしているのを眺めたかったという可能性。これはまずないでしょう。そんなことをするならリアルでやった方が反応は面白いですし、わざわざこのSAOを作る必要なんてありませんからね」

 

 ヒースクリフはこちらをじっと見つめている。

 

「二つ目、この世界を作りたかっただけ。これはプレイヤーを閉じ込める意味がありません。愉快犯という可能性もあり得ないでしょう。それで最後に、プレイヤーに()()()()()SAOをプレイしてもらいたかった。彼のインタビューにこんな言葉がありました。『これはゲームだが、遊びではない』。これが真理だとすれば、プレイヤーに本物の命で戦ってほしかったという動機が真実味を帯びます。それが目的だとすれば、アインクラッドが作り込まれていることにも納得がいきます。命があるのに他のものが陳腐ではいけませんからね」

 

 チェスはもう終盤だった。

 

「それで、ここからが問題です。ならば僕達が目指すラストはどんなものになるのか。茅場の嗜好を探ります。そこら中に散りばめられた王道展開のクエストから見ても、茅場は案外奇を衒わないストーリーが好きなのではないでしょうか。英雄譚において勇者が皆を救うために最後に倒すべき相手は《魔王》です。いかにもな展開でしょう? このアインクラッドは《城》ですから、その頂点には王がいるべきです。それは全ての支配者、この世界の神、茅場晶彦。彼が最後に《魔王》として立ち塞がるのが王道ではないでしょうか。勇者は自分達を閉じ込めた《魔王》を打ち倒し元の世界へと帰る。よく見る展開です。ですが、最も手を握り緊迫するシナリオです。これを茅場は望んでいるのではないでしょうか」

「――確かに君の話は面白いが、本当に何の根拠もない妄想になってはいないか?」

「そう……ですね。ただ、ここが《城》なのは事実です。最後に対面するのは《王》になるとは思います。それが七十五層ボスから小型という選択肢をなくした大きな理由でもあります。同じネタは詰まらないですから。……まあ、下らない戯言はここまでにして、決着をつけるとしましょうか」

 

 そこからの会話はほぼなく、また部屋には静寂が満ちた。

 そして決着がつく。結果は僕の負けだ。

 

「君が負けた理由は後手だったことだ。私でも君の立場になれば同じ手を打っていただろうからね」

「……それでは、この辺りでお暇させてもらいます。楽しい会話ができて良かったです」

 

 僕は《血盟騎士団》本部を悠々と後にした。

 

******

 

~side:???~

「いやはや、彼の推察能力には本当に目を瞠るものがある。その人間になりきり思考を再現する、チェスはその応用か。真実に限りなく近づいていた、いやもしや()()()()()()、のか? 彼が実際に口にしない限りは様子見になるか。――ふふ、本当に面白くなってきた。攻略が進むのが楽しみで仕方がないよ、()()()()

 

*******

 

~side:レント~

 《グランザム》から転移し、四十七層にやって来ていた。この層には、もうほとんど見なくなったオレンジプレイヤーの巣窟がある。《クレイジーパーティー》と名乗るその集団が最後のオレンジギルドだ。最近起こっているオレンジ案件は全て奴らの仕業。《笑う棺桶》も壊滅し、犯罪者(オレンジプレイヤー)もこいつらを残して《オレンジキラー》に牢獄送りにされたからだ。残ったオレンジプレイヤーで勢力を維持するために集まったのだろうが、(オレンジキラー)からすれば格好の獲物だ。このギルドはまだ殺人行為を行ったことがないので、中層プレイヤーにも協力してもらって一網打尽にする予定だ。

 全員を牢獄送りにするのに手間取ることはなかった。ここら辺を根城にしているだけあって実力は余り高くないのだ。実力の高い者は《笑う棺桶》に入団していたというのもあるが。

 結果、かかった時間は一時間にも満たず、僕は時間を持て余してしまった。

―――昼食がてら買い物でもするかな。

 

******

 

 まずは一つ上の四十八層に行くことに決めた。主街区の《リンダース》にある《リズベット武具店》が目的地だ。

 リズベット武具店の店主は、フリーの鍛冶師にしては珍しく腕が非常に良い。フリーが悪いというのではなく、腕が良い鍛冶師は大きいギルドに囲い込まれてしまうのだ。しかも店主が女性というのもあってかなりの人気がある。

 

「こんにちはー」

「いらっしゃいませ、リズベット武具店にようk……ってレントじゃない。今日は何の用?」

「オーダーメイドを頼みたいんだ。あといつも通り備品の補給」

 

 この店の店主のリズベットと僕はかれこれ一年ほどのつき合いになる。僕の《鍛冶》スキルは攻略中の修理とアイテムの試行錯誤のためにあると言っても過言ではないので、現在の基準で考えれば余り高くない。そのため剣を一から鍛えるのは彼女に任せているのだ。

 

「で? どんな材料で打てばいいの?」

「これこれ、《裁きの羽根》と《エンターインゴット》」

「また変なものを……、しかも名前も聞いたことないアイテムよ、これ」

「そうだろうね、なんたってフロアボスのLAだから」

「またぁ!? あんたは何でそんなに無謀なのよ……」

 

 本来剣を作成するためには基盤(プレート)金属(インゴット)が必要だが、一部のアイテムにはプレートの形をしていなくても基盤になるものがある。ただしインゴットが違うと基盤にならなかったりもするため試す人間はほぼいない。公開されたもので行う人間がいる程度だろう。ましてや一度しか手に入らないボスドロップで試してみようなどという不遜な考えを持つ者は僕以外に知らない。

 

「一応根拠はあるんだよ。羽根の方は販売価格が低い上に使い道がそのまま使うってだけだったからね。ボスのLAがそれってことはないでしょ? だから近い層のボスドロップのインゴットを持ってきたんだよ」

「……はぁ。ま、私のじゃないから構わないけど……。それと、いつも通りやるのよね?」

「うん。お願いするよ。剣はここに置いてくから。信頼できる鍛冶屋がいるのは良いことだよね。それじゃ今日中でお願いするよ」

「できたらメッセージ送っとくから受け取りに来なさいよ」

「りょーかい」

 

 休日は少し気が抜けるものだ。しかも今日のアインクラッドの天気は気持ちの良い秋晴れ、眠くもなる。

 眠気を追い払いながら僕は五十層に向かった。

 

*****

 

 《アルゲード》は今日も騒がしい。ゴミゴミした街並みに喧噪。そしていつも薄暗い。余り好きな場所ではないが、物資購入には都合が良いから仕方ない。昼食を食べた後、ある程度足りなくなってきた物を補給しながら知り合いを訪ねた。

 

「エギルさーん、いますかー?」

「お、レントか、よく来たな。今日は休日か? 声がだらしないぞ」

「声がだらしないって……。まあ、今日は物資の補給ですよ」

「おっ! 今日は良いのが入ってんだ。ゆっくりしてけ!」

「だから補給だって……」

 

******

 

 ……結局色々なものを買わされてしまった。もう荷物で一杯である。リズベットからの連絡を受け、《リンダース》にて剣を受け取る。

 

「はぁ、成功よ。こんな再現性のない方法で魔剣性能出ても嬉しくないんだけど……。剣は合成しておいたからね」

「おっ、ありがとうリズベットちゃん」

 

 完成した剣の銘は《ジャッジメント・エンター》、随分と仰々しい名前だ。白い刃の腹には所々黒点が浮き、切っ先は平らになっていて突き刺すのは難しそうだ。柄が白いのは白い布が巻かれているからで、その下は黒い蛇皮のようになっていた。白色をメインに黒が差し色で入っている外見は中々に好みのものだった。

 剣を叩きポップアップメニューを確認する。数値は軒並み高く、リズベットの言葉通りの魔剣クラスだ。剣を軽く振ってみる。よく手に馴染み、軽く、とても振り易い。僕は準備されていた白い専用の鞘に剣を収めリズベットを振り返った。

 

「うん、凄い良い剣だよ。やっぱりリズベットちゃんに頼むのが一番だね。ありがとう」

「ふふん、でしょう。ちゃんと整備……は自分でやるから良いのか」

「ごめんね、でもそう何度もここには来れないから。じゃ今日はありがとう、またね」

 

 僕は机の上に置いてあったもう一振りの剣もアイテムストレージに収める。この《ソウル・ソード》も何代目になるだろうか。現役を引退した剣をインゴットにし、同じくインゴット化したソウル・ソードと合金にして鍛える。これを繰り返した剣は攻略が進むのに合わせて順調にインフレを繰り返し、今では滅多に見せない伝家の宝刀となっている。

 僕はリズベットの店を去り、荷物を置くためにも家へと足を向け……、あ、

―――しまったっ!

―――家、売り払ったままじゃん……。

 道端で己の阿呆さ加減に崩れ落ちつつ、知り合いを頼りにフレンドメッセージを送った。

 

******

 

 ここは二十二層《コラル》の町。田園が広がる閑散とした田舎で、この層の攻略も難しくなかったことから攻略組の記憶にはほとんど残っていない町だ。迷宮区以外の場所ではmobがポップしない非常に珍しい層だ。

 僕が頼ったのはこのアインクラッド随一の情報通であるアルゴだ。彼女に『家を探している、希望は田舎で、前に住んでいた三十九層以外』と伝えたところ、すぐに「二十二層」と返ってきたのだ。珍しいことに代金は取らないらしい。何でも、「この程度は情報屋の仕事に入らないヨ」だそうだ。

 不動産屋のNPCを訪ねると二軒の家が売れ残っているそうだ。どちらも層の南西エリアの外縁に近い場所だ。間には森があるだけで立地にはほぼ違いはなく、片方の外縁により近い家からは外の空が見えるくらいだ。他の、住むことを楽しめるプレイヤーにそちらは譲ることにしてもう一方の家を購入した。

 家を思いつきのような勢いで購入しても、僕の残金は未だ十分にあった。所持品を売却して行った最後の援助は押し返されていまい、もう援助もしていない――させてもらえない――ので攻略三層分の収入もほぼ手つかずのままなのだ。今日の買い物でも――剣以外は――財布に影響を大して与えていなかったためかなりの富豪である。家具類も特に追加する理由はないので富豪のままだろう、しばらくは。

 購ったプレイヤーハウスに向かって歩きながら二十二層の風景を満喫していた。先程も言った通りこの層では迷宮区以外に危険な場所がないため、攻略組に入る前も余り来たことがないのだ。この針葉樹の森林も、数多見える湖沼も、その間を縫って架かる木道も、全て風情に満ちている。正しく望んでいた田舎である。湖では釣りをしているプレイヤーも見られ、外縁に近いため外の夕陽も見える。心が和やかになる風景だった。

 家は別荘地にあるようなログハウスで、内装もしっかり整っていた。それなりの値段――所持金の一番上の桁が減った――したから当然と言えば当然か。《料理》を持っていないため宝の持ち腐れだが、何かと揃っているキッチンがあり、団欒するのにピッタリなスペースもあった。テラスには最初から安楽椅子が置かれていて動かせるようになっている。

 

「よし! 荷物分けするか」

 

 アイテムを実体化させ整理を始める。エギルの店で大量に仕入れた物資に、新居購入に伴って購入した生活必需品が床に並ぶ。しばらくやればその作業も終わり、夜になり始めていた。

 

「さて、やろうと思っていたことは終わったし、一日に何食も食べるのは慣れてないし……。うん、寝よう!」

 

 明日からはまた迷宮に籠るのだ。少しでも長く柔らかいベッドで寝ていたいではないか。そう思い、僕の長い休日は終わったのだった。




 ……休息?
 主人公は攻略をしない日と捉えたようですね。


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#11 青眼

 はい、今日は遂に彼が本気を出します。どうぞ。


 現在は十月十八日、絶賛七十四層攻略中である。マッピングは――僕のデータでは――九割方終わっているので、ボス部屋も今日中には見つけられるだろう。

―――しっかし、本能が遠回りをしているのかね……。

 《狂戦士》時代はほぼ真っすぐボス部屋が見つかっていたのに、今では九割埋めても未だ発見できていないのだ。つい宝箱を優先してしまうからではあろうが。

 探索を続け、細道を出て別の道に合流する。今までは石の壁しかなかったところに、新しく石柱が天井と床を繋いでいた。明らかな人工物であるそれは、この先にボスがいることを表していた。

 

「ん? 誰か……いる?」

 

 人の気配があった。どうやら二人組のようだが、二人組で攻略するような人間を僕は知らない――パーティは三人以上がセオリーである――。果たして誰だったかと言えば、

 

「――ねえ、キリト君。覗いて……みる?」

「……ああ。《転移結晶》を持ったままなら――」

 

 アスナとキリトだ。この二人が組んでいるとは珍しい。キリトはたまに誰かとコンビを組んだりもする。しかしアスナは《KoB》の副団長なので普段は護衛といるはずなのだが。

 疑問は頭の隅に追い遣って、物音を立てないようにこっそり二人の後ろに近寄る。

 

「――――わっっ!!!」

「うわぁあぁぁぁっぁああ!!」

「きゃあああぁぁぁぁああ!!!」

 

 少し後ろから驚かせただけなのだが、驚かせたこちらが驚いてしまうほどの悲鳴が二人からは出た。こちらを認識した二人には怒られるかと思ったが、安堵の方が怒りよりも大きいらしい。

 

「はあぁぁ、良かった……レントさんで」

「ああ、レントで本当に良かった」

「……何をそんなに驚いているのか知らないけど、ボス部屋、覗くよ?」

「あっ、俺も「私も行きます!」行く……。アスナ? どうしたんだそんなに慌てて」

「じゃあ行くよ」

 

 この二人のやり取りは見ているとどこか面白い。相性が良いのだろう。僕はにやけそうになる口元を必死に堪え、ボス部屋を覗き込んだ。

 最初は暗く何も見えなかった。少し足を踏み入れると、脇から青い炎が走りボス部屋の中が露わになる。

 中央にいたのは悪魔だった。人型をしているがその頭は山羊のそれで、脚にも毛が生えており山羊のようだった。人間らしさを残した上半身含め全身が青く、その眼も青かった。名は《ザ・グリーム・アイズ》。その怪物は口を大きく開くと――。

 

グルアアアァァアアアアァァァァッァァ!!!!!!

 

 気づくと走り出していた。まるでこちらの精神を直接揺さぶるような咆哮に、そもそも逃げ腰だったのもあって耐えられなかったのだ。

 しばらくしてから落ち着いて周りを見渡す。かなり離れたところに来てしまったようで、キリトとアスナともはぐれたようだ。マップデータも更新されていない。ついでに残りも埋めながら街に帰ろう。ボス部屋が見つかったなら近いうちに攻略会議が行われるはずだから。そう考え、僕はゆっくりと歩き出した。

 

******

 

 マップデータを埋めていると、別の道を通って再びボス部屋の前に辿り着いた。そこにはまた先客――鎧姿の一団がいた。

―――……ん? あれは《軍》か?

 《軍》とは《アインクラッド解放軍》の略称だ。彼らは《はじまりの街》を拠点に活動しているギルドで、軍隊のような規律を特徴としている。元々はリアルのゲーム攻略サイトの管理人が起こした、皆で情報や物資を分け合おうという目的のギルドだったのだが、最近は色々と変わってきてしまっているらしい。二十五層の攻略で大損害を出してから攻略には関わらなくなったと聞いていたが、再び攻略に乗り出したのであろうか。

 彼らがボス部屋に入るのが見え、僕は駆け出した。最近攻略に来ていないプレイヤー達がそう簡単にボスの相手をできるわけがない。人のことを言えるのかという脳内の声は捻り潰す。余計なお世話だった場合は謝れば良いのだから。

 しかし、僕の予想は正しかった。彼らにボスの相手は厳しかったようで、僕が到達した段階で既にパーティメンバーのHPは軒並み減っていた。対してボスはほとんど傷ついていない。

 

「大丈夫ですかっ! 早く《転移結晶》で――」

「け、結晶が使えないんだ!!」

「なっ、結晶無効化エリアっ!? ――すぐに避難を!!」

 

 思わず臍を噛みながら、僕は両手用の大剣を振り上げた悪魔の注意を引きつける。慣れないパリィで作ったその隙に、奥にいた瀕死の三人はボス部屋の外に退避することができた。残りのプレイヤーはHPが十分にある。

―――これなら大丈夫か……。

 

グヲヲオオォォォオオオン!

 

 大剣を悪魔が振り回す! 退路は瘴気のブレスで塞がれた! 僕は何とか自分から飛ぶことでHPの減少を最低限に抑えたが、大剣に吹き飛ばされた《軍》の者は違った。ボス部屋の外にいる三人を除いた全員が扉の反対側に来てしまった! 三人が助けに来ようとするのを叫んで止め、悪魔と睨み合う。数秒、数十秒、はたまた数分か。ジリジリと《軍》の集中力が下がっていくのが分かる。

―――どうにかしても彼らは助けたいっ、けど……。

 人だ。人が足りないのだ。僕だけでは彼らを助けることはおろか、彼らに意識を向ければ僕だって死んでしまう。そんな中、救援は来た。

 

「レントッ! 大丈夫か!?」

「大丈夫……とは言いがたいかな。気をつけてキリト君。結晶無効化空間になってる」

「なッ……」

 

 《軍》の悲鳴が聞こえたのだろう、キリト達だ。《風林火山》もいる。その姿を確認して安心したのか、《軍》の一人が肩の力を抜いた。

 

 

 彼の体が空を舞った。

 

 

 悪魔は隙を窺っていたのだ。そして一瞬で彼を剣で斬り上げた。その体はキリト達の前まで飛び、そこで砕けた。

 

「っっっっっ!!!!」

 

 悪魔に突っ込みそうになる体を、何とか意志の力で押さえ込む!

 

「い、いやあぁぁぁ!!」

 

 しかしアスナは抑えられなかった。あの悪魔には対峙するプレイヤーを恐慌状態に陥れるパッシブスキルがあるのかもしれない。過ぎた恐慌は《風林火山》のように人の足を止めるだろうが、一度食らって耐性のついてしまったアスナの足は止まらなかった。そのまま済し崩しでキリト達もボス部屋に入ってくる。

 

「《風林火山》は《軍》の人達を外へ出してください!」

 

 僕は後ろを振り返り、アスナを殴り飛ばした悪魔に斬りかかりながら叫ぶ。《風林火山》がいればそうHPが減っているわけでもない《軍》の退避は可能だろう。僕とキリト、アスナでボスを釘づけにするのだ!

  しかしボスの持つ大剣はそもそもリーチが非常に長い。先程のように全体攻撃をされてしまっては戦線が崩壊する。キリトも同じことを考えたようで、僕達に声をかけてきた。

 

「レント! アスナ! 十秒もたせてくれ!」

「十秒と言わずに一分でも」

「一分は無理よ!」

 

 まだ軽口を叩く余裕があるから問題はない。ボスはクォーターポイントの直前だからだろう、かつての大狼同様に戦闘力は低かった。恐怖は掻き立てられるが、それを乗り越えてしまえば問題はない。他に武器を持っている様子がないので武器交換もなく、防御力などの一つ一つの能力は高くともAIが弱い。スイッチに簡単に惑わされる上に攻撃が単調だ。本当に一分ほどは――守る者がいなければ――相手をできるだろう。

 

「スイッチ!」

 

 キリトの合図で後ろを振り返らずに場所を変わる。そのまま僕は悪魔の後背へと走った。

―――キリトが剣を二本装備している……?

 秘策はあれのようだ。確かに強い。一撃一撃に通常の二倍ほどの威力がある。既に二本目の半分になっていたゲージ――注意を引く中で攻撃を入れていたのだ――の削れるスピードが急激に上がった。《風林火山》も一瞬呆っとしていたがすぐに持ち直し、この隙に《軍》を全員退避させることに成功する。

―――ついでに倒しちゃうか、ここまで削ったし。

 キリトの秘策の『()()()』も効果を発揮している。本来なら二本装備はイレギュラー装備状態なのだが、僕の()()とは違って同時にちゃんと装備をしていることであるし、新しいエクストラスキルか何かだろうか。

 我に返ったアスナも攻撃を再開した。キリトの剣――二本ともだ――にライトエフェクトが灯り、連撃が始まる。皆の目がキリトに向いている横で僕も()()()()()を繰り出す。

 最近安定させられてきた超高等技術。まずは右手でソードスキルを発動させる。打撃を与えた後、《脳内タブ操作》で右手の剣を収納し左手に武器を装備する。ソードスキルが終わると決まった姿勢で止まってしまうが、この姿勢に入って硬直する直前に、左手で別のソードスキルを発動させるのだ。

 これを繰り返すことでソードスキルを使い続けることができる。もちろん欠点はある。まずは前提条件に途轍もなく面倒な《脳内タブ操作》の習得があり、次に《脳内タブ操作》を戦闘中に行う度胸と精神力が必要とされる。加えてソードスキルを繋げられるタイミングはとてもシビアで、関節の僅かな動きで発動させるためタイミングと姿勢の両方で繊細な微調整がかかせない。また、これを失敗すると技後硬直が一気に襲ってくるのだ。硬直の時間は単純加算ではないが少しづつ増えていくため大きな隙を生むことになる。

 しかし、それだけの苦労に見合う威力がこの技術にはある。悪魔の前から怒涛の連撃で削るキリト、後ろから裏技の連撃で削る僕。止まったのは同時だった。そして悪魔のHPが尽きるのも。

 

パリィィィィィン

 

 ボスがいた場所には大きく『Congratulations』と表示されており、それを見た僕とキリトは同時に崩れ落ちた。

 

******

 

 意識が戻ってくると、そこには救援に来てくれた人はいたが《軍》はいなかった。

 

「――《軍》、は……?」

「っ。ハァ、気絶して目が覚めたらすぐに赤の他人の心配って。少しはおめぇのことも心配したらどうだ?」

「《軍》の人達は《転移結晶》で本部に帰ったわ。目が覚めて良かった、レントさん」

 

 クラインとアスナが答えてくれる。僕と同じように倒れたキリトはアスナのすぐ横で寝ていた。と思うと、「……ン」と彼も身じろぎをして目を開いた。

 

「キリト君っ……。良かったぁ、生きてて、くれて……」

「ア……スナ? ……皆は!?」

「お前も他人の心配かよ……」

 

 キリトはアスナを見るとガバッと起き上がり、クラインを呆れさせていた。アスナはキリトに抱きついてしまっているが、きっと突っ込んだら《閃光》の一撃を食らうことだろう。

 目を覚ましたキリトにクラインが尋ねる。

 

「そりゃそうと、おめぇらさっきのは何だよ」

「――言わなきゃ……駄目か?」

「ッたりめぇだ! 見たことねぇぞ、あんなの!」

「……エクストラスキルだよ、《二刀流》」

 

―――《二刀流》……!

 

「しゅ、出現条件は……?」

「……分かってりゃもう公開してる」

「情報屋のスキルリストにも載ってねぇ。てこたぁお前専用のユニークスキルじゃねぇか。たく水くせぇなキリト、そんなすげぇ裏技黙ってるなんてよぉ」

 

―――ユニークスキル。これで二人目、か。

 

「おい、レントの方はどうなんだ?」

「――え?」

「え? じゃねぇよ。ボスを後ろからずっと攻撃してたじゃねぇか。しかもソードスキルで」

 

 どうやら見られてしまっていたらしい。キリトに注目は集まっていると思っていたのだが、存外クラインは目敏かった。

 

「システム外スキルです。一応《スキルコネクト》って呼んでます。左右の剣で交互にタイミングを合わせてソードスキルを使って、硬直にソードスキルを重ねて踏み倒す技術です」

「なっ。……いや、そりゃすげーが、両手に剣もったらソードスキルは発動できねぇだろ。もしかしてお前も《二刀流》持ちってわけか?」

 

 唯一事情を知るキリトだけが呆れ顔であるが、他の面々は疑いの目を僕に向けていた。

 

「……初期に出てくる《クイックチェンジ》には更に派生スキルがあるのは知ってますよね。その派生スキルの《武装交換》には熟練度があるんです。それを完全習得すると更なる派生スキルの《脳内タブ操作》が手に入ります。これを使って武器を同時に持たないように入れ替えていたんです」

「マジ? そりゃ、熟練度があって不思議には思ったがそんなことになってるとはなぁ」

「まあ、連続であんなに成功させられたのは初めてなんですけどね」

 

 《軍》はいなくなっていたが、こういう噂はすぐに広まってしまうものだ。誤情報を流されないためにも自分から情報を流した方が良いかもしれない。取りあえずはこのボス戦の話をアルゴにメッセージで送るだけで十分だろう。アルゴならこちらの狙いも察するはずだ。ボス戦が終わり迷宮区内の安全地帯と同じ扱いになった部屋でアルゴへのメッセージを送った。

 アスナとキリトはまだ抱き合ったままで動かない。《風林火山》と僕は目線を交わした。

 

「キリト君、アクティベートは僕らがしておくから、後は二人でごゆっくり」

「そういうわけだ。気をつけて帰れよぉ」

 

 キリトは知らないが、アスナがキリトに何らかの――マイナスでない――感情を抱いているのは以前より透けて見えていた。これを機にその思いは実る……のではないだろうか。キリトといえど流石にそこまで鈍くはないだろう。

 僕はキリト達を祝福するように眼を向けてから背を向けた。クラインにはまだ言いたいことがありそうだったので、僕は先頭を切ってクォーターポイントの七十五層へと向かった。

 

******

 

―――……まさか、こんなことになるとはね。

 七十五層が解放されてから、攻略組の一部のプレイヤーは攻略を一旦休憩するようにと通告された。僕もその一人だ。残りのプレイヤーは迷宮区のマッピングよりも実力を養うことに重点をおいて活動するように、と。

 しかし、こんなことになるとはというのはそのことではなく、七十五層の《コリニア》にあるコロシアムが満員の現状を指している。

 予想通り《二刀流》の噂は数日でアインクラッドに蔓延していた。それに隠れて《スキルコネクト》は目立たなかったのは幸いだったが、問題は別の所にある。噂を聞いたプレイヤーが挙ってこう考えたのだ。

 

―――《神聖剣》と《二刀流》どちらが最強なのだ?

 

 そして()()ヒースクリフ本人がこれに乗ってしまった、その結果がこれだ。七十五層にある巨大なコロシアムは満員。垂れ下がっている大きな幕には、これまた大きな文字で『《二刀流》使いの《黒の剣士》VS《神聖剣》使いの《聖騎士》 今、最強が決まる!』と書いてある。どちらか勝つかの賭けも行われており、会場の四桁にも上る観客のボルテージは限りなく上がっていた。

 歓声を浴びながら《黒の剣士》と《聖騎士》が登場する。そして決闘(デュエル)が始まった。

 《黒の剣士》は黒と薄緑の二刀を使い圧倒的なラッシュをかける。

 《聖騎士》が巨大な十字盾と十字剣を使いその全てを防ぐ。

 《神聖剣》の特殊効果で攻撃判定をもつ盾が襲いかかる。

 意表を突かれるも再度突撃する《二刀流》、その動きがぶれ始めていた。

 今度は唐突な突きで、ヒースクリフが削られる。

 一瞬の睨み合いの後は、乱戦だ。二人のスピードが天井知らずに上がっていく。

 キリトが七十四層のボス戦で使ったソードスキルを発動させる。

 十字の盾と剣は防御に徹するも、双剣のスピードがそれを上回り始める。

 数えて十五撃目の攻撃で絶対的な防御が撃ち抜かれる。盾が後ろに流れた。

 十六撃目、七十四層のボスを倒した圧倒的な攻撃がこの矛盾に勝ったと思った。

 

 

 

 世界が……ブレた

 

 

 

 絶対に間に合うはずがなかった。それなのに、ヒースクリフの盾は引き戻されていた。筋肉の動きはまるで視えなかった。今までの戦闘では二人とも筋肉の動きが視えていたのだから、()()僕らの与り知れないことが起こったのだ。

 キリトの最後の攻撃は盾に流され、その横腹は貫かれた。決闘はヒースクリフの勝利だった。

 

******

 

 キリトとヒースクリフはこの勝負にあることを賭けていたらしい。何でも『キリトが勝てばアスナが《KoB》を退団する』、『ヒースクリフが勝てばアスナは退団せず、新たにキリトが入団する』だそうだ。つまりキリトは《KoB》の一員になるのだ。ユニークスキル持ちを二人とも独占するのだから《KoB》は更に強力な組織になるだろう。

―――これでソロはもう僕だけか……。

 

「レントさん、《フリーダム》にようこそ!」

 

 いつの間にか隣にいたタロウが、まだ入ってもいないのに歓迎の挨拶をかけてきた。僕がキリトに憧れてソロをしていたことを彼は知っているからだ。だが、僕に《フリーダム》に入る気はない。元々は彼に少しでも近づきたくて貫いていたソロだが、今ではソロの方が慣れてしまった――もちろんパーティでの連携戦闘も及第点程度には行えるが――。

 少し寂しい想いを抱えながら、僕は未だ熱狂の渦に巻き込まれているコロッセオに背を向けた。




 ……うん。原作のキャリバー編のキリトよりも続けてたよね、ソードスキル。片手ずつしか使えないのに。
 主人公はこういう子です。


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#12 湖畔

 さて、キリト君が《KoB》に入りましたね。どうぞ。


 十月二十三日、今日は《KoB》に入団したキリトの初訓練の日だ。攻略は七十五層に入り、攻略組の決定通り僕は休暇を取っている。その間にいくつかの調査を並行して行っているが、時間はあり余っていた。そんなときにキリトの訓練の話を聞いたのだ。見に行くしかないだろう。

―――黒ばっか着てたけど白い《KoB》の制服似合うのか?

 場所や時間に関しては情報屋達から聞いた話をまとめたり、《KoB》の団員から話を聞いたりで割り出した。それでも訓練開始時刻には間に合わなかったのだが。

 訓練は五十五層の迷宮区で行われる。正直キリトの実力は誰もが知っているので、今回の訓練は連携がメインのものなのだろう。キリトは少し不器用なところがある――人間関係では特に――ので連携に苦労しそうではある。

 キリト達が出発した一時間後にようやく僕は五十五層の主街区を出た。

 今回の訓練には四人で向かったそうだ。集団行動になれば移動速度は普段のキリトよりも遅いだろう。僕は全く焦らずにフィールドを駆けていた。

 やがて僕の熟練度の低い《追跡》でも薄っすら足跡が見えるようになってきた頃、僕の隣を風が抜けた。走り去る後姿から推測するに《閃光》のアスナだ。

 まるで周りが見えていないその様子に尋常ではない何かを感じて僕も慌てて後を追ったが、速い。実に速い。AGIの高いビルドだからだろうか。風のように走る。見る見る内に距離を離されてしまった。

―――《疾風》でも良いレベルだろ、あれ……。

 だが大丈夫。彼女の行き先は分かっている。彼女があんなに必死で追いけるのはキリトしかいないからだ。それが分かるからこそ、僕もスピードを上げた。

 

******

 

 曲がりくねった渓谷をひたすらに駆ける。段々と《追跡》で見える足跡が濃くなってきた。そして最後の角を曲がったところで見えたもの、それは、

 

 痙攣しながらも起き上がろうとしているキリト。

 

 《KoB》の制服を着て大きく大剣を振り上げるオレンジカーソルの男。

 

 そしてその前に武器を持たずに立ち竦むアスナ。

 

 僕が剣を抜いて飛びかかるのとキリトが動き出すのは同時だった。僕の剣は一歩遅れて大剣があった空間を斬る。振り下ろされてしまった大剣はアスナを庇ったキリトの左手を斬り落とした。

 キリトの右手がソードスキルの光に包まれていく。《エンブレイサー》という手刀技だ。それを目にし、僕は《スラント》を発動させた。

 ゆっくりと流れる視界の中で、光り輝く剣が男の肩口から袈裟に斬り裂いていく。キリトの右手も男の腹に侵入した。

 

 男のHPは僕とキリトの攻撃で消し飛んだ。

 

 僕の剣とキリトの手刀、どちらが男の命を奪ったかは分からない。確かなのは、彼のアバターがキリトに凭れかかった後に結晶片となり砕け散ったことと、この世界、そして現実からも彼が永久退場したことだ。

 その場が静寂に包まれる。きっとあの男がシャンタロウを殺した犯人なのだろう。《KoB》の、たしかクラディールであったか。《KoB》に彼以外にも人殺し(レッドプレイヤー)がいるとは思いたくない。他に一緒に訓練に出た二人も彼の手にかかったのだろうか。

 

「「――ごめん」」

 

 二つの声が重なる。相手に手を汚させることを避けられなかった。それが僕の失敗だ。クラディールを殺す以外の選択肢を作れなかった。それが、……きっとキリトの失敗だ。

 互いの謝罪は地に落ち、沈黙が場を支配した。僕はその空気に耐えきれず、逃げるようにその場を立ち去った。

 

******

 

 攻略を休んでいる日々に、僕はアインクラッドを駆け巡っていた。以前からアルゴと作成していたレッドプレイヤー一覧を完成させようと思っていたのだ。

 黒鉄宮の《命の礎》でPKされた人間を確認。その人間を調べ上げ、牢獄にいる犯罪者(オレンジ&レッド)にも確認して下手人を調べ上げていく。一応、自衛及び救命のための、要するに『仕方なく』の殺しとそうでない殺しは区別しているが。

 その作業ももう終わりを迎えていた。元々アルゴに頼んでいた分で七割方終わっていた――残りの分だけでも、改めて《鼠》の有能さを実感する作業であったが――のだ。だから今日もキリトの訓練を覗きになど行けたのである。四千人ほどの犠牲者の中で、PKで死んだのは二百五十人ほど。その中でも数人を殺した人間がいるため、リストになった名前は百人もいなかった。

 僕はその最後に二行をつけ加える。これを見たアルゴはどう思うだろうか。「またカ、レン坊」とでも言うだろうか。

 

『クラディール《ポーラン》《ゴドフリー》殺害』

『レント《クラディール》殺害』

 

******

 

『レント、家に来ないか?』

 

 その誘いが来たのは二十六日、差出人はキリトだ。プレイヤーメッセージで着信したのですぐに返信する。

 

『どこだい?』

『二十二層の南の森のログハウスだ』

 

ガタッ

 

 衝撃。その一言に尽きる。まさかキリトがあの家に入居するとは思わなかった。

 机にぶつけた膝を摩りつつ、返答する。

 

『すぐ行く』

 

 机の上で纏めていた資料を手早く片づけ、手土産を準備し、すぐ近くの家へと向かった。

 

トントントン

 

 三度のノックをして到着を伝えるとドアが開いた。

 

「……随分早かったな、レント」

「まあね、それじゃお邪魔します」

 

 寂しい話だが、リアルでもこのアインクラッドでも友人の家に誘われたことなどほとんどない。我ながら驚くほど心が弾んでいた。間取りは我が家と同じなので、迷うことなくリビングに向かう。

 

「あら、レントさん。いらっしゃい」

 

 リビングにはアスナがいた。一度だけ見たことがある普段着である。彼女は穏やかな笑みを浮かべながら椅子から立ち上がった。

 

「――結婚おめでとう」

「えっ、なんで知ってんだレント?」

「……いや、見れば分からない? アスナちゃんは男の家であそこまで無防備にはならないでしょ。それにあの顔。《攻略の鬼》とは別物だし、昔からそうだったけど君の顔を見た瞬間に嬉しそうな反応をした。最後に、アスナちゃんとキリト君の左手の薬指に同じ指輪が嵌まっている。むしろ違う理由が知りたいけど?」

「な、なんでそんなに怒ってんだよ」

「いや、リア充恨めしいなぁ、って」

「クラインだけじゃなくてお前もかぁ」

 

―――あれ?

 気づくと、僕は仕立ての良いソファに座り、出された美味しいハーブティーを飲んでいた。記憶が飛んでいたようだ。そのやり取りの後は、ご相伴させてもらった夕食が非常に美味だったことと、いつでも遊びに来いと言われたことしか覚えていない。何でだろう?

 首を捻りつつも、僕は頻繁に夫婦の愛が育まれているその家に足を向けてしまうのであった。

 

 

「そういやレントって今どこ住んでんだ?」

「あの森の向こうにある、もう一軒のログハウスだよ。建ってる場所以外が全く同じの」

「「ご近所さんっ!?」」

 

******

 

 これは十月三十日の話。

 その日、僕はいつも通りキリト達の家に向かっていた。その途上の木道を通っているとき、道脇の森の中で何か白いものが見えた……気がした。

 足を止め目を眇めて森を注視すると、ボヤンとした人型のようなものが見えた。何かのクエストフラグかと思い、森の中へと足を踏み入れる。近づけば、その白い何かは少女の姿をしていると分かった。簡素な白いワンピースを着た黒髪の小学生くらいの少女だ。頭上にクエストの有無を表すアイコンはなく、その代わりにプレイヤーカーソルが浮かんでいた。

 ふとこちらと目が合うと、少女はいきなり気を失ったように真横に倒れた。慌てて駆け出し、少女が地面に着く前に抱き上げる。少女の目は固く閉じられていた。

―――……これからどうしよう?

 

******

 

「……で、うちの方が近いから俺ん家に連れてきたと」

「うん。運べたし、プレイヤーカーソルが出てるからプレイヤーだとは思うんだけど……。周りに親らしい人影はなかったからね」

「今まで一人だったのかしら。――こんな小さな子まで巻き込まれてたなんて……」

「感傷に浸るのはここまでにしよう。取りあえず僕はアルゴにも頼って、上層からこのくらいの小さな子を目撃したことはないか聞いて回ってみるよ。二人はこの子を預かってて」

「ああ、分かった」

「うん、分かったわ」

「じゃ、頼んだよ」

 

******

 

 キリト達に言った通りに情報を集め始めた。アルゴには既に連絡済みだ。彼女も何か思うところがあるのか捜査には協力的だった。他の情報屋や迷子情報なんかのところにも顔を出したが、全てが空振りに終わった。

 仕方ないから、上から確かめていくしかないか。アインクラッドの人口は限られているから、端から当たればどこかしらで関係者が見つけられるはずだ。なぜ上層からかと言うと、単純に探す範囲が狭いからだ。第一層に時間をかけたら上の方にいたとかでは笑えない。

 ここも駄目。

 ここも見覚えはなし。

 ここも知らない。

 ここも空振りか。

 レッド探し並みに精神を使う作業で、あれを経験していなかったら心が折れていただろう。七十五層から始め、五十層も通り、二十層を切り始めた。

 主に聞き込みをする対象は街開きの頃から転移門の近くにいる住人だ。あんなに小さな子がいれば流石に目立ってしまうだろうから、彼らならきっと記憶しているに違いないと考えたのだ。そのため主街区の中心付近で聞き込みをしたらすぐに層を移っていたのだが、失敗だったかもしれない。彼らだって四六時中ゲートの傍にいるわけではないのだ。

 結局二層まで探し、心が折れた。時間も既に日暮れ。一層という広大な土地を探し回ることはもう無理だ。

 第一層の《はじまりの街》は面積が途轍もなく広い上に、他の層と違って転移門を遣わずにプレイヤーが広がったため聞き込みの対象を絞ることができない。加えて《軍》の領域なので目をつけられると厄介だ。これらが今日の探索を諦めた理由だ。子供であるあの少女は恐らく《はじまりの街》を出ていなかったのだろう。そう考えて空振りに終わった自分を慰めた。

 日が落ちてからキリト達の家を訪ねたがあの少女はまだ目覚めておらず、僕は明日はキリト達に協力してもらおうと思いつつ自宅に帰った。

 

******

 

 十月三十一日、もう少しでこの世界に来てから二年が経つ。僕は今、

 

「わああい! ニイ、もっと! もっと!!」

「ユイちゃんは高い高いがそんなに気に入ったの?」

「うん!」

 

 子守をしている。

 夜が明け、あの少女は目覚めた。記憶は《ユイ》という名前しかなく、幼児退行のようなものを起こしているらしい。眼を開いて最初に見たキリトとアスナのことをパパ、ママと呼んでいた。その流れで、朝食後に家に来た僕のことをニイ()と呼び始めたのだ。リアルでは一人っ子だったので、何気に嬉しかったりもする。

 疲れたのか寝てしまったユイの横で、僕らは話し合いを開始した。

 

「どうするの、キリト君?」

「……《はじまりの街》で家族とかを探す」

「まあ、僕もそれに賛成だな。二層より上は昨日粗方確認したけど、ユイちゃんを知っている人はいなかったよ。第一層にはもしかすれば知り合いがいるかもしれない。――ただ、悪いけど今日は同行できないんだ」

「……どうして?」

「ユイちゃんとは別件で調べ物があってさ。そっちも調べないといけなくて」

「ああ、分かった。《はじまりの街》へは二人で行ってくる」

「ごめんね、お願いするよ。それじゃ僕はお暇するね」

 

 僕が立ち上がりドアに向かおうとすると、裾を引っ張る、眠りから覚めた存在がいた。

 

「ニイ、行っちゃうの……?」

「――うん、ごめんねユイちゃん。次会うときはまた高い高いしてあげるからさ」

「……分かった! 行ってらっしゃい!」

 

 僕はユイと約束をしてキリト達の家を出た。

―――それにしても、子どもまでいて本当に家族みたいだったな。

 

******

 

 キリトの家を離れて自分の家に帰る。

 僕が行おうという調査は茅場晶彦に関してのものである。ふと思ったのだ。()()()()()()退()()()()()()()()、と。一つ疑問が湧き出ると、次から次へと考えが浮かんできた。

 茅場晶彦はこの世界を愛している。それはこの世界の作り込み方からもよく分かる。

 茅場晶彦はゲーム好きだ。これはインタビューで言っていたことがある。

 ならば、茅場はもしかしてこの世界とゲームを思う存分楽しめる()()()()()()()にいるのかもしれない。

 もしそうなら一体誰だろうか。彼が完全に一般プレイヤーと同じとは考えられない。HPが零になっても問題ないようになっているか、システム上HPが零にならないようになっているか。どちらかは確実だろう。そして流石にGM権限は持っているであろうし、現実の肉体保持のためにもログアウトできるようになっているに違いない。これらを怪しまれないためには一人の時間が多く必要になる。

 茅場はやるからにはトップを目指すタイプ――これもインタビューから――だ。だとすれば、トップクラスの職人の可能性もあるが、攻略組にいることはほぼ間違いない。攻略組の中でもトップクラスの実力者の誰かに違いない。今日はその()()を絞り込む調査の予定を立てていた。

 僕の仮説――最早妄想に近いが――から言えば、そのプレイヤーは最後には裏切る。たとえ今まで共闘してきた仲間であろうと、最終的には斬らなければならないのだ。その覚悟くらいはしておきたい。

 そのプレイヤーをどうやって絞り込むかと言うと、人間関係を洗い出すのだ。茅場が他人の顔を使って成り代わっているとは考えにくいので、リアルで知られている、初日のチュートリアルで容姿が変わるところが目撃されている人物は除外できる。

 これを攻略組のトップクラス、ボス戦にもよく見るようなプレイヤー百人から減らすと半分ほどになった。意外と減ったものである。女性はそもそも数少ないが除いてある。長時間の異性アバターでの生活は精神に影響を与える可能性があるとナーブギアの説明書に書いてあった。開発者がまさかそれを破らないだろう。

 また茅場には異性の恋人がいた。神代凛子という女性なのだが、彼女までもがSAOにログインしているとは考えにくい。よってこの世界で交際していない男性まで絞り込める。もちろん茅場が新しい恋を始めている可能性はある。しかし、彼はそんなことはしないという直感にも似た思いがあった。

 これを条件に加えて選別すれば、残ったのは二十人ほど。その中で有名なプレイヤーは《海賊》のエリヴァ、《聖龍連合》ディフェンダー隊リーダーのシュミット、《KoB》のフォワード隊リーダーのマリーン。そして《聖騎士》ヒースクリフだ。残りはある程度名前が知られているが、この四人には劣る。ひとまずはこの四人と直接話をしに行こうと思う。

 僕には人体の動きが視える。こちらの話に反応を僅かでもすれば僕には伝わってしまう。世間話に変化球を混ぜて反応を視てみようか。

 

******

 

 四人と会話をするのに丸一日もかかってしまった。特にヒースクリフはアポイントメントを取っていたというのに、前回と違って一対一で話すのは非常に困難だった。

 それでも一日をかけた分の成果は得られた。これで僕は斬れる。()を斬る覚悟をじっくりと調えるとしよう。

 二十二層の森の中、キリト達に顔を見せようと思い立った。ユイはちゃんと保護者が見つかったのだろうか。僕はドアを叩いた。

 

「――は~い。……レントさん?」

「うん、顔を見に来たよ」

 

 アスナに家の中に通される。そこには黒い私服を着たキリトがいた。いいや、()()()()()いなかった。

 

「ユイちゃんはどうだった?」

「レント――」

 

 それから《はじまりの街》で起きた出来事について話を聞いた。《軍》が横暴を働いていたこと。孤児院を開いているサーシャという女性がいたこと。《軍》の揉め事のこと。《地下迷宮》のこと、そのボスのこと。

 

 

 そしてユイがMHCP(メンタルヘルスカウンセリングプログラム)というAIだったこと。

 

 

 ユイがカーディナルに異物と認識されて消されかけたこと。それをキリトが自分のナーブギアにユイを保存することで防いだこと。

 全てを聞き、僕は呆然としていた。まさか、あんなに子供らしかったユイがAIだったとは、到底思えなかった。

 ユイはもういない。あの約束を果たすことはもうできないかもしれない。少しの間しか触れ合えなかったが、ユイの子供らしい仕草には僕も癒されていた。そんなユイがもういないなんて。俄かには信じられなかったが、キリト達の顔を見れば分かる。

 

―――事実……なんだ。

 

 顔を上げた僕は無理をしていたんだと思う。いつもの微笑みは意地でも崩さなかった。

 たとえAIだろうと親しかった人間をなくすのは辛い。僕はシャンタロウ以来だった。親しかった人をなくすのは。泣き叫びたくなる。

 しかしここで泣き叫ぶのは違う。僕よりもキリト達の方が余程哀しいはずだ。自分達と親子のように振舞っていた少女を目の前でなくしたのだから。だから、無理をしたまま僕はキリト達の家を去った。

 

******

 

 帰り道、ヒースクリフからメッセージが届いた。

 

『レント君、七十五層の偵察隊に入る気はないかね?』

 

 僕は荒んだ目で、返事を返した。

 

 

 

『喜んで』




 主人公は真相に気づいているんでしょうかねぇ。
 ちなみにタロウさんはベンチャー企業の社長さんで、リアルで就活中だった人が知っていました。


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#13 偵察

 お気に入り五十件突破ありがとうございます。まだSAO編も終わっていないので続きをお楽しみください。
 さて、七十五層の偵察隊です。ということは……? それでは、どうぞ。


 七十五層のボス部屋が見つかったのは、僕がヒースクリフに返事をした四日後だった。あの男は近々ボス部屋が見つかることを予期していたのだろう。

 攻略組の上位層が参加していないにしては攻略が早く進んだものだ。それだけ一層一層が狭くなっているということだろう。アインクラッドの階層は上に進むにつれて段々と小さくなっていくから、七十五層まで上がれば第一層の四分の一ほどの広さだ。

 通例、ボスの偵察隊には各ギルドから人員を派遣する。今回はクォーターポイントだから、特別に大規模な二十人の部隊だ。ボスの攻撃を防げるタンクもいることであるし、情報収集には何の問題もないであろう。

 偵察の日の朝、ユイが消えてから訪ねていなかったキリトの家に向かった。

 

「今回のボス偵察隊に選ばれたんだ」

「――そう……か。気をつけてな」

「もちろん死ぬ気はないけど、もしものことがあったときのために一つだけ伝えておくよ。――宝石を割ってほしい」

「何のことだ? ……まあ、お前が言うなら意味のあることなんだろうし、分かったよ」

「ありがとう。それじゃあ、またね」

 

 調査も全て終わっている。僕が未練を残すのは人だけだ。

 挨拶を終え、僕は第七十五層に向かった。

 

******

 

「えぇ、それでは、これからボス偵察を始める。え、各自事前の打ち合わせ通り、行くぞぉ!」

 

 今回の偵察隊リーダーの《聖龍連合》の(タンク)の男がそう言い、偵察隊の半分、十人がボス部屋へと踏み込んだ。

 ボス部屋はかなり広い構造で円形をしていた。ボス部屋のサイズはボスや取り巻きの数、サイズに左右されるため大型のボスが予想されたが、――端の方は霞んでいるとしても――全体を見通せるにもかかわらずボスの姿が見えなかった。

 リーダーの男が先頭を切り、盾を構えながらボス部屋の中央ほどまで行ったとき、ボスの声が聞こえた。

 

クァァァッァァァアア!!!!

 

 それと同時にボス部屋後方の僕達が入ってきた扉が閉まる! 今までに経験したことのない光景に誰もが足を止めた。そして、まるでその隙を狙っていたかのように声の主が()()()落ちてきた!

 

「――なっ!!!」

 

 ボスが上にいるとは思わなかったリーダーの男は完全に虚を突かれた。慌てて盾を翳して落ちながらボスが放つ攻撃を防ごうと試みるも、それは威力を軽減させるに留まる。

 

 そして、彼は宙を舞った。

 

 鎌に跳ね飛ばされて飛んでいく彼のHPバーがみるみる削れていく。注意域の黄色を通り過ぎ、危険域の赤でも止まる素振りを見せないそれは、そのまま黒く染まった。

 

「「「……へ?」」」

 

 誰が発した言葉だろうか。その光景は困惑と絶望を生んだ。彼は最前線の一線級タンクには劣るが、ボスの攻撃を何度も捌いてきた熟練のタンクだった。レベルも高く、防具も高ランクのものだった。更に盾で僅かながら攻撃力も削っていた。それなのに()()で死んだ。

 動揺する残りの九人の前に、彼を殺したボスモンスターが全貌を明らかにした。それは端的に言えば全身が骨で出来た巨大な百足だった。前後に細長いシルエットで後身には数え切れないほどの脚がついているのだが、前身部分には脚はなく人間の肋骨のような見た目になっていて、前後の接合部――腰、だろうか――から起き上がってこちらを見下ろしている。

 頭部は大きな髑髏。しかし人間のものと比べてその後頭部は異様に長い。眼窩は四つあり、そこには赤い炎が燃えている。頭の下からは大きな、とても大きな鎌が生えており、その威力は先程見た通りの馬鹿げた代物だ。五段のHPバーの上に表示された名前は《ザ・スカル・リーパー(骸骨の刈り手)》。

 奴が体を倒し突っ込んできた! 速い! 長い体を使い、予測しにくい軌道を描きながら近づいてくる。残りの偵察隊は散開して回避に徹する! あんな化け物の攻撃を食らっては洒落にならない。

 回避。回避。回避。右へ左へ。鎌から遠ざかるように。

 奴に近づいたプレイヤーは槍のような尾に刺され死亡した。重装備のプレイヤーだったので回避が限界に近かったのだろう。鎌の死角となる後身部分に隠れようとした狙いが果たされることはなかった。

 残りは比較的軽装備のプレイヤーのみ。更に回避のスピードが速まる。誰も一言も発しない。いや、発せない。極限まで集中しなければ避けることができない。一人に若干鎌が掠った。一気にHPが半分以下になる。足に蹴られたプレイヤーはHPを大きく減らし、怯んだところを尾に刺された。

 一人、また一人と砕けていく。反撃を仕かけたプレイヤーもいたが、骸骨の五段あるHPバーの一段目に見えるか見えないかの傷がついただけであった。動き続けている奴にはまともに攻撃を当てることさえ難しいというのに、防御力まで備えているらしい。そして攻撃を加えた彼は列車のように走り回るボスの脚に削られて命を散らす。

 一人のプレイヤーは狂ったように()()()()で逃げようとしているが、結晶無効化空間のようで効果が出ることはない。ボスのタゲが移ったことで彼はこの世界からログアウトする。

 まるで暴走列車のような相手に生き残っているのは僕を含め三人。否、二人になった。むしろこの敵にこれだけ生き残っていることが凄いのかもしれない。

 遂に最後の一人になってしまい、死亡がほぼ確実となってしまった。いくら僕でもこの敵を一人では倒せない。

―――ん?

 しかし最後の一人を殺すボスの動きを見ていて、そこを何とかできるかもしれない方策が見えた。瞬時に状況を判断。思いついたその策が可能かどうか、――できる。いや、やるしかない。

 最後の一人である僕に奴が向かってくる。その動きは本当に素早い。多足型で速いという僕の予想は当たってしまっていたようだ。こちらも相手に合わせて走り出す。奴が大きく鎌を振り被った。鎌の一撃自体は意識すれば外すことはできなくもない。連撃に持ち込まれる前に、生まれた一瞬の間隙に滑り込む!

 自分の体が切れないよう細心の注意を払いながら奴の体を足場にして駆け上がる。奴は体をくねらせてこちらを振り落とそうとするが、こちらも命が懸かっている。そう簡単に振り落とされはしない。

 無事に奴の首の裏まで辿り着く。見極めた通り、ここは奴の鎌からも尾からも間合い外になっている。一人が入れるか入れないか程度のスペースしかないが。手近にあった骨と自分の体を、持ってきていたロープで縛る。こんなこともあろうかとは思っていなかったが、ロープを持ってこようと思った今朝の自分に感謝である。

 

「良し、……でもないか。ま、取りあえずこれで何とかなるかな」

 

 僕はストレージからまた別のアイテムを取り出す。その名も《フライングメッセージ》。手紙型のアイテムで、内容を打ち込んだ後に折って紙飛行機サイズにすると、直線なら狙った位置まで投げ飛ばすことができるのだ。直線でしか飛ばせないためゴミアイテムと思われがちだが使い道はある。

 その手紙にボスの情報と、僕が死んだときのためにSAOについての僕の考察も遺しておく。スカルリーパーが振り落とそうとのたうち回っているが、その体の形状から推測した通りひっくり返ることはできないようだ。仰向けになられる以外なら僕が死ぬことはない。

 僕はポーションを口に含み、その効果が発揮される直前に手紙を扉に向かって放った。暴走列車のようなボスの背からでも、狙ったところに飛んでいくこのアイテムなら正確にボス部屋の扉に到達する。

 

「……後は頼んだよ、キリト君」

 

 遠くで扉が開くのが見えた。

 

******

 

~side:???~

 

「――偵察隊の半数がボス部屋に入った直後に扉が閉まり、再び開いたときにはボスも味方もどこにも発見できませんでした。ボス部屋に入った十人は黒鉄宮にて死亡が確認されています」

「ふむ……そうか。分かった、ご苦労だったな。下がってくれ」

「いえ、もう一つだけ」

「何かね?」

「扉を開いたところ、この手紙が落ちていたのですが……」

 

 差し出された手紙の包みは『攻略組のサミットにて封を解いてください』と書いてあった。

 

「うむ、分かった。それでは休むといい」

「はい、失礼しました」

 

 報告をしていた偵察隊の一人が部屋を出る。

 

「さて、君達も話は聞いていただろう。早急に攻略組のトップ会議を開く。アスナ君とキリト君も呼び寄せてくれ」

「「「分かりました」」」

 

 指示を聞いた幹部プレイヤー達が部屋を出ていく。

 

「さて、この《フライングメッセージ》はレント君からだろう。彼は私の正体に気づいていたような素振りも見せていたしな。ふむ――実に面白い」

 

 私は会議のための準備を始めた。

 

******

 

~side:キリト~

 

「キリト君……。団長から至急来てくれ、って――」

「行くしかないだろうな。七十五層だ。俺達が欠けたままじゃ辛いってことなんだろ」

 

 遂にこの日が来てしまった。七十五層は三回目のクォーターポイントだ。呼び出されることは分かっていた。それでも。

―――アスナは絶対に守るッ!

 俺達は簡単な支度を済ませて最前線の七十五層へと向かった。

 

******

 

 二十分後には、ヒースクリフ、アスナ、俺、エリヴァ、リンド、タロウ、クラインの七人が一堂に会していた。

 

「――レントは?」

「……彼の死亡は偵察隊にて確認された」

「なっ……! アイツが死んだぁ!?」

「そんな、レントさんが――」

「彼が膝を屈するボスとは。警戒しなくてはなりませんな」

「――彼が遺した手紙がある。これを」

 

 ヒースクリフが差し出した手紙を代表してタロウが開く。そして読み上げた。

 

『ボス部屋ではフレンドメッセージが使えないのでこんな前時代的な連絡手段になってしまいました。ボスの情報を以下に簡単にまとめます。

・固有名《ザ・スカル・リーパー》。

・全身が骨で構成されており、百足の頭部に人間の上半身を接合したような形状。

・メインウェポンの腕部の巨大な鎌は最上級のタンクでも防御不能。

・サブウェポンはランス状の尾だが、並みのボスのメインウェポンクラスの破壊力を誇る。

・無数の足も鋭利で、十分な殺傷力を持つ。

・HPは五段。

・非常に速く、硬い。

・ボス部屋の中央に上から落ちてくる形で戦闘が始まる。

 多少なりと戦った上で考える推奨攻略法です。

 まず動きを止めないとまともに攻撃を加えられません。的が大きいので当たりはするでしょうが、それでは大きなダメージは期待できません。何人かで鎌のタゲを取りつつ、動きを止めることに専念するべきです。

 片方だけでも鎌を一人で食い止められそうなのは《聖騎士》だけだと思われます。もしかすれば彼でも押しきられるかもしれません。もう片方の鎌は二人がかりでも止められるかは怪しいところですが、《黒の剣士》と《閃光》の連携に期待します。残りのプレイヤーは尾に注意しつつ側面から攻撃を仕かけてください。

 レイドにタンクは無用です。完璧に防御するか掠るだけに留めなければ高耐久でも一撃死は免れません。偵察隊のタンクは二人とも一撃死でした。高攻撃で固めて速攻を仕かけるのが良いかと。

 ボス部屋は一度入れば出られず、結晶無効化空間になっています。武運を祈ります』

「「「――――…………」」」

 

 その場の全員が、余りの絶望感に打ちのめされていた。これだけの情報を残してくれたレントには感謝しかない。もしもこれを知らずに飛び込んでいたらと思うと寒気が背筋を凍らせる。

 

「まだ、続きがあります」

 

 タロウが宣告すれば、全員が傾聴の姿勢を取る。

 

『これは僕の個人的なお願いになるのですが、ボスの首裏には攻撃が当たらないスペースがあるので、そこにある石を破壊してください。

 さて、ここからはこれからのアインクラッドに関しての僕の懸念を端的に書き残しておきます。想定を超え妄想のようなものになってしまっているので、聞き流す気持ちで構いません。今は七十五層攻略に集中し、意識の隅に置いておく程度にしてください。

 茅場晶彦は攻略組の上澄みに潜伏していると思われます。心の準備をしておきましょう。それから九十層と九十五層はゲームシステムの面で何か大きな変革があるかもしれません。警戒を忘れずに。最後に、アインクラッド百層ボスは茅場本人でしょう。頑張ってくださいね』

「「「「――――…………」」」」

 

 再び場は沈黙に支配された。今度は困惑だ。しかしレント自身の言う通り、今はそのことに注意している余裕はない。

 俺達は頭を切り替えて七十五層のボス戦の対策を立て始めた。百層よりも九十層よりも、そして茅場よりも、七十五層を突破することの方が圧倒的に先決だった。

 

******

 

~side:エリヴァ~

 

「それでは、諸君。ここから先は厳しい戦いが予想される。もう一度確認しておくが、ボスの間に入ったら上に警戒してくれ。また、ボスの鎌は一撃必殺の威力だ。躱すことを念頭に置いて行動してほしい。そしてボスの行動は変わる可能性もある。臨機応変に対応してくれ。それでは、突撃!!」

「「「オオオオオオオオ!!!」」」

 

 雄叫びと共にボス部屋に入っていく三十人強。ボスが降ってくることに注意しつつ、中央付近まで近づく。情報通り扉が閉まった。

 

ックルルァアァシャァアアア!!!!

 

―――落ちてきやがった。

 初撃が来る前に全員が散開に成功している。第一段階はクリアだ。

 突撃してくるボスを《聖騎士》《黒の剣士》《閃光》が迎え撃ち、作戦通りに必殺の鎌を防ぐ。《聖騎士》ですら苦しい表情を示すその鎌の重さは想像するに余りある。

 ボスの突撃のスピードは速いが、三人がタゲを取り続けてくれるなら安心だ。残りのレイドメンバーはボスの側面へと回り込んで攻撃を加え始めた。しかし一人が尾の槍玉に上がる! ……本当に一撃でHPが全損してしまった。皆がその光景に息を呑むが、事前に聞かされていたお蔭で動揺は少なく、動揺したところで撤退も不可能な背水の陣のため全員の目つきが変わった。

 

「「「ウオオォォォォォ!!」」」

 

 大人数からのソードスキルを浴びるボスのHPバーは、じれったい速度で減り始めた。尾は数人いる壁役が完璧に防いでいる。鎌もあの三人が防いでくれている。

 三人の努力が実り、ボスがノックバックした。その隙に攻撃隊が畳みかける。そんな中、俺はボスの体を駆け上った。鋭利な脚の骨によってHPが減っていってしまっているが、知ったことか。あの会議から『石を破壊してください』という言葉がずっと頭に残っていたのだ。非常に、非っ常に珍しいレントからのお願いだ。受けないわけにはいかないだろう。

 あいつの情報に間違いはなく、本当に首裏には攻撃が届かないようだった。不安定な足場を何とか進み、異質なロープとそれに引っかかった石へと手を伸ばす。それはダイヤモンドカットをされた掌大の白い宝石だった。それを得物の戦斧で叩き割る! 同時に体勢を崩してボスの背中から落ちるが、下で待ち構えていた《聖龍連合》の団員に引き摺られてボスから遠ざかる。叩き割った宝石は下に落ちて完全に破壊され、ポリゴンへと還元された。

―――ポリゴンが集まっている……!

 プリズムのような虹色を示す破片が凝集してそのまま形をなし、一度大きく発光した。その光に釣られて、ボスの鎌がその光の元へと振られる。いきなりのタゲ変更にヒースクリフは反応できずにそのまま光は斬られる。しかし、その一瞬前に高く飛び上がって鎌を避けた人影があった。

 

「「「レント……!?」」」

「後で説明はしますから、今は奴をッ!」

 

 一瞬駆け寄りそうになった俺達にそう声をかけると、レントは地面を蹴り飛ばしてボスへと向かっていった。唖然とするが、そうはしていられない。俺も戦線に戻り、骨を砕き、刻み始める。

 レントはゾッとする狂気的な笑みを浮かべながら骸骨百足を相手取っていた。ボスの脚や、尾、鎌などの攻撃がレントに降り注ぐ。なぜかいつまで経っても、何をしてもあいつのヘイトが一番高いのだ。

 しかしレントはその雨のように降り注ぐ攻撃を全て避け続けていた。低耐久のあいつでは掠っただけでも致命的な攻撃を、いっそ楽しそうに見切り反撃まで加えている。

 最も驚いたのはあいつが背中に駆け上ったときだ。不安定に振り落とそうと動く骸骨の背中で、体勢を全く崩さずに踊るようにその背骨を刻むものだから、ワイヤーで吊られでもしているのかと宙を見つめてしまった。

 素の状態で強いからか、最後までボスの攻撃パターンが変わることはなかった。だというのに何度もポリゴンの破砕音が聞こえた。それも終わる。ボスのHPは最後の一段も赤く染まっていた。

 

「総員ッ、攻撃ィィ!!!!」

 

 声の限り叫んだ。全員が持てるソードスキルの全てを使って攻撃する。止めを放ったのはレントだった。硬直から解放されてソードスキルを放ち続けるレントは、最後に見たときよりも一段と冴え渡っていた。

―――今回のMVPだよ、お前は間違いなく。

 レントが残心に入り、ボスがポリゴンとなって砕け散る。《聖騎士》を除いた全員が力が抜けたように座り込んだ。

 

「――何人、死んだ?」

「……10人だ」

「あと二十五層もあんだぞ……」

 

 誰かの問いに誰かが答え、誰かが絶望の声を上げる。

 

「で、レント。あれはどういうことだ」

「――《屍薬(しやく)》というアイテムです。四十四層のLAの鎌の説明文にあった暗号を解き、調合しました」

「……効果は?」

「仮死状態になることです。ポーション型で、飲んだ対象の姿を石に変えます。この状態になるとプレイヤーは死亡扱いになり、《命の礎》にも反映されます。石を砕くことが仮死状態を解除するキーになっています。デメリットは解除直後にモンスターのヘイトが溜まりやすいというものです。レアアイテムを大量に組み合わせる上に成功率も低いので大量生産もできません」

 

 呼吸を整えつつ、見ず知らずのアイテムの説明に皆が聞き入っていた。

 そんな中、やはりヒースクリフは泰然としていた。ボスを倒して喜ぶでもない。死者を悼むでもない。これからの未来に絶望もしていない。もちろん、屍薬のことを聞いても全く動じていない。

―――やっぱ凄ぇな、あいつ。

 ギリギリではあるが、あの激戦を経てHPもグリーンを保っている。同じ大ギルドの長といえど俺とは違う人種だ。

 ハァと俯いたとき、音が弾けた。

 

パアァアァァァァァン!!

 

 ――突然、キリトがヒースクリフに向かってソードスキルを放ったのだ!

―――どうした!?

 ……何だ、あの、ヒースクリフの周りに浮かんでいる紫のウィンドウは。

 

「不死属性? でも、なんで団長が……?」

「はぁ、やっぱ書かなきゃ良かったかなぁ」

「やっぱりお前だったんだな」

 

 

「「茅場晶彦!!」」

 

 

 レントとキリトが声を合わせて叫ぶ。それで皆の止まっていた思考が動き出す。

 

「お前が、茅場……?」

「そ、そんな――」

 

 ヒースクリフは未だ泰然としていた。

 

「確かに私は茅場晶彦だ。つけ加えるなら、この城の最上階で君達と戦う最終ボスでもある。本来なら九十層で明かすはずだったのだがな……」

「き、貴様ァ! ふざけるな!! 我々の忠誠を虚仮にして!!!」

 

 《KoB》の幹部クラスの斧槍(ハルバード)使いがヒースクリフ、否、茅場に攻撃を仕かける。しかし、茅場は()()を振り下ろして出現させたウィンドウを操作しただけでそれを防いだ。

 攻撃を仕かけた彼が地に落ちた。見ると、彼には麻痺がかかっている。それから次々に攻略組の皆が倒れていく。レントやアスナも。もちろん、俺も。唯一人キリトを除いて。

 俺は地面を掴んで起き上がろうとしたが、無駄な足搔きだった。力なく倒れ込む俺の目の前で、キリトにヒースクリフが声をかけていた――。




 実はゾロ目層の武器の暗号を解くと、それぞれ強力なアイテムの入手法が手に入ります。ただ武器を手に入れた中で解ける――解く気力のある――人が主人公しかいなかったんですけどね……。


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#14 終焉

 遂にラスボス戦です。どうぞ。


~side:エリヴァ~

 茅場晶彦という正体を暴かれながらも調子を崩さないヒースクリフが口を開いた。

 

「キリト君が私の正体に気づいたのは、レント君の手紙とあの決闘のときのことだろう。あれは私にとっても痛恨事だったからね。だがレント君、君はどうして私が茅場晶彦だと思ったのだろうか。参考までに聞かせてほしいのだが」

「……まず茅場晶彦の性格から、SAOをプレイしており、攻略組のトッププレイヤーというところまで推測できます。そこから女性を外し、初日に外見が変化したところを誰かに確認されている人物も外しました。リアルでの生活が判明している人、例えば著名な社長とかですね、これも除外です。残った中で知名度が高い人は貴方を含め四人。その全員と言葉を交わし、このことを匂わして何の反応も見せなかった。いや、むしろよく気づいたなという反応を返したのが貴方だったんですよ。それに貴方、他人のやっているゲームを横から見ているの嫌いなタイプでしょう?」

「ふむ、なるほど。データを統計、私の思考をトレースしたのか。確かに私は自分でゲームをするのが一番好きだとも。――さて、バレてしまっては仕方ない。私は一足先に百層で待っているよ、と言いたいところだが。キリト君、君に報酬を上げなければな。私の正体を見破った報酬を」

「何……? 見破ったのはレントじゃないのか?」

「いや、キリト君。僕は予測はしていたけど証拠を示せなかったからね。見破ったのは君で間違いないよ」

「そういうことだ。君は私に攻撃を仕かけることで正体を露見させた。これを見破ったと言わなくてなんとなる。そして見破った報酬だが、それは……私との決闘だ」

「決闘だと?」

「ああ。今ここで私に勝てばゲームクリアとしよう。もちろん不死属性は解除するよ」

 

 ヒースクリフの提案はキリトを悩ませた。

 

「ダメだ、キリト! そいつの話に乗るんじゃねぇ!」

「そうよ、キリト君。今はひいて!」

 

 キリトに親しい者が声をかけるが、ボス部屋の大勢はいかんともしがたい。キリトとさして親しくなければ奴の申し出はメリットにしか思えないからだ。それを察してか、キリトは俯いたままだった。

 場の雰囲気だけではない。キリトもこのSAOで誰かしらをなくした経験をしているはずだ。これは直接の復讐の機会とも言える。

 キリトが顔を上げた。

 

「良いだろう、茅場晶彦。その決闘、受けて立つ!」

「ふ、キリト君ならそう言うと思っていたよ」

 

 そういうとヒースクリフはシステムウィンドウを操作した。途端、ヒースクリフとキリトのHPが危険域の赤まで下がる。

 

「一発でも受けたら終わりか、良いだろう。だが、その前に二つ条件がある」

「何かね?」

「少し、みんなと話す時間をくれ。それから俺が死んだら……アスナを自殺できないようにしてほしい」

「ふむ、良いだろう。アスナ君はしばらくセルムブルグから出られないように取り計らおう」

 

 それを聞くとキリトは安心したように息を吐き、関係深い人に声をかけていった。エギル、クライン、レント、アスナと一人一人と話していく。……まるで遺言のように。

 そしてとうとうヒースクリフへと向き直った。

 

「ヒースクリフ、始めようか」

「ああ、あのときの決闘の続きを始めようかね」

 

 二人は剣と盾を構えた。誰もが息を呑み、しんと音が消える。

 

「「ハッ!」」

 

 二人が同時に地を蹴り、相手に向かって剣を繰り出す。それを躱し、防ぎ、流れるように次の攻撃へと繋いでいく。

 剣と剣、剣と盾がぶつかり合い激しい光と音を発する。高速で移動しながらの高度な戦闘。それが何十合も続く。両者ソードスキルを放たない。放てば硬直で仕留められるからだ。

 キリトの動きが次第に加速していくが、ヒースクリフも負けてはいない。彼は動きのスピードを上げるのではなく、動きから無駄を削っていく。奔るような連撃が端から防がれていく。

―――硬すぎるっ……!

 そのとき、キリトの双剣が光に包まれた。《聖騎士》の硬さに逸ったか。信じがたい連撃数のソードスキルだが、全ての動きが読まれてしまっている。そして突きを放った左手の剣が十字盾に当たり、剣の耐久値が限界を迎えて儚く砕けた。

 

「さらばだ、キリト君」

 

 ヒースクリフの十字剣に光が宿る。大技が終わったキリトにあれを避ける術はない。誰の目にも諦めの色が浮かんだ。

 

「キリト君……っ!!」

 

 瞬間、どうやって麻痺を解いたのか、アスナがキリトの前に腕を広げて現れた! 庇う構えだが、それではアスナの命が!

 

ドスッッッッ!!!

 

 重たい打撃音。

 

キィィィィィィィィン!!!!

 

 そして高い金属音が連鎖した。

 一つ目はアスナが蹴り飛ばされた音。二つ目はヒースクリフの剣がいなされた音。

 レントだ。

 レントもまたアスナと同じように麻痺から抜け出していた。

 衝撃を食らったアスナは倒れ込む。そのHPバーを見ると、再び麻痺状態になっていた。

 

「アスナちゃん、駄目じゃないか。人を助けるにはまず自分の命が最優先だよ?」

「レント……ッ!」

「それと、キリト君。これ使って」

 

 レントが白い剣をキリトに渡す。それはキリトが使っている剣をそのまま白くしたような見た目の剣だった。

 

「それは《オブスキュア》。さっきのLAだよ。性能は保証する」

「また、貰っちゃったな。クォーターポイントのLA」

「まぁ良いシナリオじゃないかな?」

 

 様子を見ていたヒースクリフも、その言葉にフッと笑みを零した。

 二対一になった状況で再び構え直す三人。

 

「ふむ、二人でかかれば勝てると思ったのかね?」

「何にせよゲームはクリアされるのが定めです。速いか遅いかの違いですよ?」

「はは。――面白い!」

 

 空気が再び張り詰める。そして、キリトとレントが同時に飛びかかった! 先程までとは違い、二方向から襲いかかる斬撃にヒースクリフは防戦一方になる。攻撃の密度は一本しか剣がないレントの方が薄いはずなのだが、その絶妙な攻めはつけ込む隙を作らせない!

 キリトとレントは場所を入れ替えたり、敢えて隙を作ったりしてヒースクリフを崩そうとするが、魔王は鉄壁の守りを見せる。

 もう何十合になるか分からない。そのタイミングでレントが大きく動いた。

 右手に握った白い剣で《スネークバイト》を発動させる! ヒースクリフはキリトを剣で牽制しながら十字盾で防ぐ構えを見せた。その剣と盾が触れ合う瞬間、レントの右手に握られていた剣が消える! そして今度は()()に握られた別の意匠を持つ白い剣が二連撃の《スネークバイト》を放った! 面食らったヒースクリフは慌てて盾を使いそれを防ぐが、左側に盾を流される。がら空きになった胴へと、両手の剣に朱色の光を纏わせたキリトが飛び込んだ。勝利が見えた!

 

 

 

 

「……ぬぅん!」

 

 

 

 

 しかし、それはヒースクリフの剣から放たれた桃色の光の前に儚くも散った。後ろに流されていた盾にも光が宿っているということは、後方に盾が流れるあの体勢もソードスキルの規定モーションの内だったのだろう。

 飛び込んだところにカウンター気味に入った剣はキリトの体をたやすく貫いた。通常の攻撃ならばキリトは躱して見せただろう。あの白黒の剣士達ですら、盾を崩せばソードスキルは撃てないと踏んでいたのだ。

 ヒースクリフの攻撃の前にHPを散らしたキリトは力なく宙を飛び地に着き、色を薄くし、砕けた。

 

「なっ……!」

「キリト君ッ!!」

 

 アスナの悲鳴が聞こえる。絶望の呻きがボス部屋を満たす。そんな中でも、レントの目はまだ生きていた。

 ヒースクリフと対峙しているレント――いつの間にか、白い布が巻かれている白い剣を右手に持っていた――はウィンドウを操作し、丸い卵型をした宝石を取り出した。

 

「ターゲット! 《Kirito》!!」

 

 叫ぶと同時に宝石は砕け、キリトだったポリゴン片が集まってきた。そして人の形を取り、強烈な発光をした。屍薬の解除と全く同じ光景だ。目を開くとそこにはキリトがいた。

 

「ふむ。しかしこれは避けれまい!」

 

 キリトが復活したことへの疑問を挟む時間もなく、ヒースクリフの声に意識を引っ張られる。

 アイテムを使用した結果、決定的な隙――アイテムは基本的に使用後に僅かな硬直時間が発生する――が出来たレントに容赦なく、ソードスキルの光に包まれた十字剣が襲いかかる! ギリギリで硬直が解けたレントは白い剣で防ぐが、狙い通りといった顔をヒースクリフが見せる。剣と剣がぶつかり合った結果、

 

 

 レントの白い剣が半ばから折れ宙を舞った。

 

 

 手に残った半分も時間を置かずにポリゴンと化す。奴の狙いは初めから《武器破壊(アームズブラスト)》だったのだ。

 唖然とした顔を見せたレントだが、連撃系だったのだろう、なおもソードスキルが自分に降りかかってくるのを見て顔を引き締めた。そして、必殺の剣を()()()()受けた。

 反撃に、いつ持ち替えていたのか、もう一振りの白い剣で《スラント》を放つ。

 

「そう来ると、思っていたよ!」

 

 しかしその道筋にはヒースクリフの盾がある。体が透け始める中放った最後の一撃は、完璧に防がれ――なかった。

 

「オオオオォ!!」

 

 レントの《スラント》が盾をすり抜け、ヒースクリフの体へと突き刺さる!

 

「何っ――」

 

 元より赤かったヒースクリフのHPバーがその色すらなくし、ヒースクリフの体もレントと同じく透けていく。そして二人は光に包まれたかと思うと、その体を同時にポリゴンへと変えた。

 

 

パリィィィィィィィィィン!!!!

 

 

 同時に、アナウンスが入った。

 

「アインクラッド標準時十一月七日十四時五十五分、ゲームはクリアされました。繰り返します、ゲームはクリアされました。現在をもちまして、全てのデータは固定されます。プレイヤーのログアウトを開始します」

 

 繰り返し、繰り返し、ゲームがクリアされたことを伝えるそのアナウンスは響き続けていた。体が浮くのを感じた。アナウンスの通り、ゲームからログアウトするのだろう。この剣の世界から現実へと帰還するのだ。

 一人の英雄の、命を賭した行動のお蔭で。

 

******

 

~side:レント~

 目を開いたそこは夕焼けだった。

 僕は自分に意識があるのを驚きながら、状況を確認した。まずは服装。これは最期の瞬間まで着ていた白のシャツとコートだ。つまりここはSAOの中なのだろう。しかし腰に剣はない。《ジャッジメント・エンター》は折れてしまったが《ソウル・ソード》は残っていたはずだ。しかし、ここにはない。

 次にメニューウィンドウを開いた。普段通りのメニューが一瞬だけ表示されるも、すぐに画面は切り替わって『最終フェーズ実行中 一%』と表示されてしまった。見えた瞬間の所持金が馬鹿げた金額になっていたのは気のせいだろう。

 最後に周囲。遠くに――告知でしか見たことのない――アインクラッドらしき鉄の城が浮かんでいる。僕が立っているのは水晶のように透明な浮遊する板だ。こんな光景、ゲームの中でしかありえない。

 なぜ、僕に意識があるのか。僕のHPは間違いなく尽きた。自分が砕けていく感覚を得ながらも、ヒースクリフも道連れにできた……はず。

―――ゲームはクリアされたのか?

 水晶の床から夕焼けを眺めていた僕の隣に、いつの間にか茅場晶彦が立っていた。ヒースクリフではない、白衣を着た現実の姿で。

 

「やあ、レント君」

「――茅場さんですか」

「余り驚かないんだね、私にもこの光景にも」

「大方、少し話がしたいとでも言うのでしょう?」

「ふ……その通りだよ。そのためにここに招待したのだからね」

「それなら、質問をしますよ?」

「ああ、全て答えてあげようじゃないか、ゲームクリア報酬だ」

「最初に、生き残った人はログアウトできましたか?」

「ああ、もちろん。私は自分の言葉に責任を持つからね」

「ならば僕はどうして意識があるのですか? すぐに僕も死ぬと?」

「君は他の人達と同じようにログアウトできるよ。これは私のミスだがね」

「ミスとは?」

「設定の齟齬だよ。君達プレイヤーが死亡するのはポリゴン片が消え去ったタイミングだ。対して、ゲームクリアは私のHPが零になった瞬間なんだよ。そしてゲームがクリアされたのと同時に、プレイヤーの殺害プログラムは停止する」

「……つまり、ポリゴン片が消える前に貴方が倒されたから僕は生きている、と?」

「簡単に言えばそうなるね」

「それなら良かったです。遺言も残せませんでしたから。それで次の質問です。僕の推測はどこまで当たっていましたか?」

「少なくとも私が聞いたものは全てだ。九十五層からは街という安全圏をなくす設定だったからね。それからボスの推測に関してもだ」

「そうですか、それは良かった。それで、茅場さんはこの後は……?」

「ふ、私もプレイヤーの一人だ。この世界が終われば私は脳死する」

「この世界が終われば、とは?」

「ああ。今現在、SAOを管理しているカーディナルは全てのデータを削除している真っ最中だ。それは最初から決めていたことだ。クリアされた世界は消え去る、ただそれだけだよ」

「そう……ですか」

 

 僕と茅場は尚も言葉を重ねる。

 

「今度は私から質問しよう。君はなぜキリト君が斬られる瞬間に動けたのかね?」

「貴方のことだ、一対一を守るために麻痺でもかけるに違いないと思ったので《対麻痺ポーション・特》を飲んだだけです」

「ふむ……。だが、あの麻痺はシステム権限だ。アイテムでは抗えないはずなのだが」

「…………さあ、なぜでしょうか?」

「君には他にも驚かされたよ。最後の攻撃だが、HPが零になってからのプレイヤーはゲームに干渉できないはずなのだ。しかし、君は剣を届かせた。一撃目の《スラント》はロスタイムだったが、二撃目はそれすらも過ぎていた」

「…………」

「武器を使って、ダメージ判定を起こさずに他のプレイヤーに干渉したり」

「…………」

「《脳内タブ操作》でマジックのような技を作ってみせた」

「…………何が言いたいんですか?」

「ふふ。君がVR世界に最も『適合』していたということだよ。《脳内タブ操作》というのはあそこまで万能なものではない。《スラント》を途中でわざと失敗(ファンブル)して収納と再装備をするなど人間業とは思えないよ。まさか私もあのような使われ方をするとは……ね」

「お蔭様であなたの鉄壁を崩せたわけですが」

「驚嘆すべき点は他にもある。確かにこの世界の全てのアバターには疑似的なものだが筋肉を再現してある。しかし、それが()()()というのは……いささか無茶苦茶が過ぎる。君に《二刀流》が渡らなくて本当に安心しているよ」

「……そういえばユニークスキルとは何なんですか?」

「あれは計十個ある特殊なスキルでね。他の八つは九十層から解放される予定だった。まあ、もう日の目を見ることはなくなってしまったが。《二刀流》は全プレイヤー中最も反応速度が高いプレイヤーに配布されるものだ」

「なるほど、九十層ではそれがあったんですね」

「ああ、そういうことさ」

 

 そこで会話は途切れた。二人で横に並び夕焼けを見つめていた。『最終フェーズ』も気づけば五十%を超えている。

 

「――そろそろお暇しますかね」

「ふむ、キリト君とアスナ君が来る頃合いだが、会わなくて良いのかい?」

「ええ、彼らが来るなら安心です。事情聴取に必要な情報も彼らが聞いてくれるでしょう」

「そうか、それならこれで君とはさよならだ。メニューにログアウトボタンがある。そこから現実へと帰ってくれ」

「分かりました。それでは最後に」

「……?」

「この世界ではたくさんの人が亡くなりましたし、心に傷を負った人もいるでしょう。それ自体は許されるべきことではありません。しかし、僕はこの世界が――

 

――心底楽しかった。とても美しい世界だと思えた。

 

 僕はこの世界で過去の自分を乗り越えられたんです。英雄に、なれたんです。ありがとうございました、この世界を作ってくれて。招待してくれて。欲を言えば、デスゲームじゃないSAOをプレイしたかったですけれど。この異世界は命があり、命が戦った世界でした。面白かったですよ、SAO」

「そう言ってもらえて制作者冥利に尽きるよ。それに私にとっても君は特別だった。研究対象として興味深いのはもちろんだが、君には私のことが本当によく分かるらしい。ここまで自分の行動を当てられたことは」

 

 僕らは口を合わせて言った。

 

「「神代君以外いないよ」」

 

 男二人でクスクスと笑う。

 

「僕は茅場さんのファンでしたから。では、またどこかで会える日を。それまでさようならです」

 

 僕は初めて見るログアウトボタンから現実へと帰還した。最後に見えたものは、突然現れた黒い背中だった。

 

******

 

 重い瞼を上げる。二年振りに初めて目にしたものは白い天井だった。起き上がることを拒否しているような重い体を何とか起こし、試しに右手を振り下ろしてみる。ホロウィンドウは現れない。やはりここは現実世界らしい。

 振り下ろした右手を見ると皮と骨ばかりになっていた。左手も同様。筋肉など存在しないというようなその両手を動かし、二年間被り続けていたヘルメット型のハード、《ナーヴギア》を外す。ファサンと伸びていた髪が背中へと垂れる。

 SAOプレイヤーが目覚めたという情報が回ってきたのだろう。勢いよく病室のドアが開き、ナースが入ってきた。そして既にベッドに体を起こしている僕に向かって口を開いた。

 

「――ぶでーか? ―――――けるさ―? ―こえ―すか?」

 

 二年間も使っていなかった体は反応が鈍くなっている。未だよく聞こえないことを示すように、僕はゆっくりと首を振った。

 

―――取りあえずは、筋肉をつけよう。

 

 僕のリハビリ生活が幕を開ける音がした。




 アスナちゃんとキリト君、主人公はそれぞれシステムを超えてます。人外ですね。
 次回からは、隔日での更新になります。


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フェアリィ・ダンス編
#15 訪問


 ALO編始動です! どうぞ。


 今の僕は絶賛リハビリ中だ。SAOから帰還した僕の体は、二年間も動かしていなかったせいで非常に弱っていたのだ。

 リハビリというものがここまで辛いとは思わなかった。動かない体に鞭を打ち、必死に動かす。三週間経ってようやく一人で動けるようになった。これでもかなり早い方らしく、担当の看護師が驚いていたが。

 感覚も弱くなっており、聴覚、視覚、味覚、嗅覚、触覚の五感は全て役立たずになっていた。最初に戻ったのは視覚だ。次が聴覚と嗅覚。刺激が多いものから復活していくのだろうか。まともに物が持てていなかったため、触覚が治ったのはその後だった。最後まで不調だったのが味覚。味のないものはこれほどにも不味いのかと、僅かに感じる刺激のようなものを感じながら病院食を摂取していた。しかし実はそもそもが不味い料理だったらしい、味が薄くて。二年振りの活動だ、胃袋に負荷をかけないためには仕方ないのだろうが、不味かった。そのため味覚に関しては、実はいつ回復したのか覚えていない。

 最近は医師の検診、リハビリ、二年間分の情報収集と勉強をして一日が終わる。SAOに囚われていた全期間分となると相当な量になり、しばらくは学ぶことは尽きないだろう。いずれは同世代に追いつきたいと思うと、軽い絶望感を覚える。

 情報収集の結果分かったのだが、VRゲームは滅んでいなかった。一万人もの生命を脅かす大事件があったのだ。てっきりもう闇に葬られたと思っていたのだが。

 《アルブヘイム・オンライン(ALO)》という新しいソフトと、絶対安心を謳う《アミュスフィア》という新ハードがSAOとナーヴギアの代わりに出回っているそうだ。経営しているのは、かつてのSAO経営会社の《アーガス》を吸収した《レクト》。CEOの結城彰三の名前は散々記事に取り上げられていて食傷気味だ。

 ALOではSAOで廃止されていた《魔法(スペル)》が使えるという。またフライトエンジンという物が開発され、妖精として自由に空を飛ぶことが可能らしい。SAOの椅子に収まったそれは大層人気で、様々な賞を受賞していた。

 リハビリルームでリハビリをしながら、改めて現状を思っていた。いつ退院できるのか。退院したところで、それ以後はどう生きていくべきか。後は体のことだ。

 元々貧弱な子供だった僕は、今のリハビリだけでかつての体力に戻りかけている。昔が低過ぎただけで何の自慢にもならないのだが。点滴生活で骨と皮ばかりだった身体にも健康的に肉がついてきた。壁際で休憩の水分補給をしつつ、リハビリと言うより筋トレに近いそれの成果を鏡に映して確認した。

 

「何でこうなったかなぁ……?」

 

 鏡に映る自分の姿にかつての面影はほとんどない。代わりに、SAOのアバターの要素が色濃く出ていた。

 一七〇㎝ほどの身長。

 痩せ型の体形。

 透けるように、抜けるように白い肌。

 鼻筋の通った、眉目秀麗という言葉が似合う顔。

 こんな感じだ。まあ、身長は二年間もあれば妥当に伸びる程度であるし、痩せ型なのは贅肉含めて身体の肉がごっそり落ちていたからだが。それに、肌の白さも病的だ。二年間も外に出なければこのくらいにはなるはずだ。あくまでも『はず』だが。

 しかし顔が変わっている件は説明がつかない。担当の医師にも、昔の自分が写っている写真を見せて訴えてみたりもしたのだが、

 

「う~ん、確かに変わってるっぽいけどね~。でも、昔にレントゲン取ったことないんでしょ~。骨格が変わったかどうかは分からないし。まあ、写真だと変わってそうっちゃそうだけど、面影もないことはないし。でも、まあ、うん。イケメンになって良かったじゃないか! ははははは」

 

 かなり変わった医者だろうと思う。世の医者がこのような軽い人ばかりでは目眩がする。

 その変人医者によれば、成長期に別の体で長時間生活したことが体の発育に影響を与えたのかもしれないらしい。同じ状況を再現することはできないため、永遠に変人医者の仮説で終わってしまうが。

 そのため、今の僕の顔は非常に――自分で言うのは烏滸がましいが――整っている。アバター造形なのだから当たり前だ。

 僕の目が覚めたことを知ってかつての友人が訪ねてきたりもしたが、全員が僕の顔を見て部屋が合っているか確認する様子は映像に残してやろうかとも思ったほどだ。

 しかしそれも仕方ない。SAO以前の僕はどこにでもいるような顔で、猫背でぽっちゃりとした中肉中背のお手本のような体型をしていたというのに、今では顔は整い、寝たきり生活で猫背は直って肉は落ちた。

 二年前と比べて僕は大きく変わっている。そしてそれは何も顔だけではない。

 昔は冴えない、暗い表情をしていた顔は微笑を湛え、自信に満ち溢れている。また、中学生らしく荒っぽかった口調は柔らかくなり、『俺』だった一人称も『僕』になった。親しい知人の前で見せていたハイテンションも鳴りを潜め、少しのことではまるで動じない。どれもロールプレイングで始めたものが染みついただけだが、それを知らない彼らには別人のように見えるだろう。

 昔、昔、と言葉を重ねたが、たったの二年前だ。良いことにせよ悪いことにせよ、SAOでの日々は密度が濃かった。あの二年が僕の中を占める大きさは、到底二年分程度ではない。

 今日は来客があるらしいのでリハビリを切り上げ、陽の当たる院内のカフェテリアに向かった。

 

******

 

「大蓮翔君。SAOでの名前は《レント》。攻略組の一人と見られており、他のプレイヤーからの話ではゲームクリアの立役者、と。幼い頃に事件に巻き込まれて両親を失い、現在は叔母と二人暮らし。亡くした両親の仕事の関係上多数の言語を解す、ねぇ」

 

 僕がカフェテリアで来客を探し、ようやく見つけて近づいたらそんな声が聞こえた。どうやら僕に会いに来たことは間違いないようだが、家族構成はまだしろ、僕の技能のことを知っているのは怪しくはないだろうか。

 

「……あの、菊岡誠二郎さんでしょうか? 僕は大蓮翔ですが……」

「――ああ! 驚いたよ。後ろにいるなんて。僕が総務省の、……長いから省略するけど通称《仮想課》の菊岡誠二郎だ。よろしくね、レント君」

「すみません、少し探していたものですから。それより、先程のは……?」

「ああ、この資料ね。君は僕達にとって情報を得るための大事なリソースだ。調べておくのが当然だろう? ……というのはこれを僕に渡してきた人間の言葉なんだけどね」

「そうですか。流石お役所様ですね。調べるのはお手の物のようです」

「ははは、そうなるね」

 

 冷たく言ってみたが、少しも応えていない。この菊岡という人物は優男のような外見だが、穏やかな微笑みからは不気味さを感じる。

―――《狸》といい勝負だな、こりゃ……。

 

「それで、今日はどのような用件で?」

「簡単に言えば、SAOでの話を聞きに来たってところかな。これからも何度か来る予定だから、色々と聞かせてほしい。日々の生活だったり、ボス戦の話だったり、君が気づいたという茅場晶彦に関してだったり」

「なるほど、分かりました。それなら構いません。……代償と言ってはあれですが、SAOでの知り合いの連絡先を教えていただけませんか?」

「ああ、その話は今までのどのプレイヤーからも要求されているよ。もちろん、可能な限り便宜は図ろう」

「ありがとうございます」

 

 僕は人の少ない閑散としたカフェテリアで、菊岡に話し始めた。ボイスレコーダーで録られていたのは気づいたが、止める気にはならなかった。

 SAOの初日から順を追って話していった。アルバムを捲るように、こんなこともあったな、あんな人がいたなと回想する。それを口に出していただけだ。

 その日はある程度のところで切り上げたのだが、菊岡はすぐにまた来ると言った。退院してからも会うのは面倒なので、入院している間に終わらせてほしいものだが。

 次の日取りの約束をしてから、最後に菊岡と僕は互いに頼んだ。

 

「そういえばレント君、ナーヴギアの方は今度来たときに預からせてもらうよ。あれは一応危険物に入るものだからね。準備をよろしく」

「菊岡さん。次にいらっしゃったときには色々と調べものをお願いしたいと思います。よろしくお願いしますね」

「はは、お手柔らかに」

 

 僕が頼みたいのは、手にかけてしまった九人の調査だ。同時にレッドプレイヤーリストを渡そうと思う。現行の法律で裁くことは不可能だろうが、どこかにデータとして残ってくれればそれで良いのだ。

 僕は笑顔で菊岡を見送った。

 

******

 

 菊岡と会う二週間ほど前の十一月十三日、実は僕は既に妖精の国に降り立っていた。

 リハビリも本格的に始まる前で、体が弱りきっていて何もできなかったときだった。フルダイブなら問題はないことに気がついたのだ。新ハードに、新ソフト、空を飛ぶ翅に魔法。やってみたくなるのは当然の話だった。

 僕にはVRへの嫌悪感はまるでなかった。あの世界で九人のプレイヤーを手にかけた。それが切っかけで悪夢に苛まれ、心をすり減らしたこともある。それでもVRは、紛れもなく今の僕の育まれた場所なのだ。嫌えるはずがなかった。

 SAOから生還してまだ数日しか経っていなかったときであり、保護者である叔母に反対されると思っていたのに何も言われなかった。それどころか、頼んだら《アミュスフィア》と《ALO》を買ってきてくれたのだ。

 思わず、どうしたのかと尋ねてしまった。叔母はそう簡単に物を買ってくれる人ではなかった。それが、今回は「アミュスフィアとALOが欲しい」「うん、わかった」というだけのやり取りで終わったのだ。

 僕の問いに対して叔母は「生還祝いよ」と返した。VRから生還した祝いにVRを渡すとは。望んだ自分が言うのもおかしな話だが、首を捻る考えである。そのお陰で僕が暇しなかったのは感謝することだが。

 妖精の国にログインするにあたって簡単な情報収集はした。しかし詳細に関しては薄い取扱説明書を流し読んだだけである。こういう類のゲームはやってみるに限る。フルダイブのお陰で操作方法が分からなくて動けないということはないのだから、体当たりで他の仕様を覚えていくのも乙である。

 そうして僕は二年前と変わらない、二年振りの起動コマンドを発したのだった。

 

「リンクスタート!」

 

******

 

 IDやパスワードを入力し、ログインする。SAOのときのものと同じにしたのは思い入れがあったからだ。最初に着いたのは不思議な空間だった。説明書にも書いてあったが、ALOではプレイヤーは妖精としてキャラを作る。その種族をここで決めるのだそうだ。

 

「《Rento》様、種族はどうなされますか?」

 

 まるで生身かと思うほど精巧に作られたアナウンスが選択を促す。プレイヤーが選べる妖精の種族は九種類ある。

 火属性の魔法が得意で、戦闘の適性が高い《火妖精(サラマンダー)》。

 水属性の魔法と回復魔法が得意で、魔法の適性が高い《水妖精(ウンディーネ)》。

 風属性の魔法が得意で、素早い《風妖精(シルフ)》。

 土属性の魔法が得意で、力のある《土妖精(ノーム)》。

 全種族中唯一《テイミング》が可能な《猫妖精(ケットシー)》――この種族だけ尻尾が付く――。

 全種族中唯一《古代武具級(エンシェントウェポン)》作成が可能な《工匠妖精(レプラコーン)》。

 全種族中唯一洞窟などで飛行が可能な《闇妖精(インプ)》。

 全種族中唯一音楽魔法が使用可能な《音楽妖精(プーカ)

 幻惑魔法が得意な《影妖精(スプリガン)》。

 

 ……運営はスプリガンに何か恨みでもあるのだろうか。説明書にあったこの説明を読んだときにそんな考えが浮かんでしまった。

 オーソドックスに長所がある四属性の妖精。モンスターのテイミングに長けた、つまりペットを作れるケットシー。鍛冶が重宝されるレプラコーン。日光や月光がないと飛べない他の種族と違ってどこでも飛べるインプ。音楽という特色を持つプーカ。それらに比べて、地味な幻惑魔法が得意というだけで他に秀でたところのないスプリガン。その悲惨さたるや、ネット記事でも散々叩かれていた。

 だから敢えて、僕はスプリガンを選ぶ。SAOのときと同じだ、ロマンを大事に僕はゲームをやりたい。目標はスプリガンで全種族を超えることだ。

 僕がスプリガンを選択すると、確認メッセージが流れた後にパァーっと視界が開けた。

 先程までの暗い空間からフィールドに飛ばされたようだ。しかも上空に。説明書にも書いてあったが、スタート直後の座標は種族の首都の上空に固定されている。この世界での飛行の感覚になれるためらしく、地面に近づくと落下が止まって柔らかく着地できる。

 僕がスプリガンの首都である古代遺跡――《デラニックス》という名前だ――に降り立った途端、一人のプレイヤーが駆け寄ってきた。

 

「なあ、君! 今ログインしたばっかのニュービーだな!? レクチャーしてやるよ!!」

 

 呆気にとられた僕に気づき、その男性プレイヤーは慌てて取り繕うように言葉を紡いだ。

 

「あっ、その、いきなり捲し立ててすまん。いや、スプリガンは人気がなくてな。一人でも戦力を確保しようと……」

「――そういうことですか。なら、レクチャーお願いします。説明書をざっと読んだだけなので」

「おう、そうこなくっちゃな。俺は《ディラン》だ。お前は?」

「僕は《レント》です。よろしくお願いします」

 

 案内してくれるというのならばそれを断る理由はない。SAOのときとは違って孤高は目指さないのだから、最強のプレイヤーを目指すのに先輩のアドバイスはありがたい。

 僕らは握手をした後、早速フィールドへと向かって訓練を始めた。




 むむむ、文字数の関係上変なところで切れちゃいました。それにしても、SAO帰還後すぐにALOログインとか……。


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【エイプリルフール番外編】

 はい、つい書いてしまって、エイプリルフールのお話です。SAO時代の話で、時系列が前後してしまってすみません。
 茅場さんが嘘をつくわけじゃないですけど、あるイベントを起こします。どうぞ。


 僕はその日、迷宮区を一人歩いていた――独りなのはいつもだが――。

 もちろんただ歩いていたわけではなく、攻略をしていた――戦わずに歩ける迷宮区は残念ながら存在しない――。

―――飽きた。

―――疲れた。

―――怠い。

―――面倒臭い。

―――つまらない。

―――ゲームしたい。

 ゲームの中にいながらゲームをしたいとは、余程のゲーム廃人っぷりだ。しかしそれも仕方のない話だ。

 余りにも精巧に作られたSAOでは、ゲームの一環――戦闘や買い物――ですら日常のように感じられてしまう。一年以上もやり続けているゲームだから、既にそれが日常と言ってしまっても差支えはないが。

 そんな中で完全に飽きが来ていた。SAOに。ゲーム開始から一年半だ。様々なイベントがあったが、結局は一つの大きなゲームに過ぎない。

 

「はあ、何か面白いことないかなぁ」

 

 敵をバッタバッタと薙ぎ倒しながら――何戦もしすぎて単純作業と化している――迷宮区の天井を見上げて呟いていた。

 現在時刻は二〇二四年三月三十一日、午後十一時五十五分である。

 

******

 

ピコン

 

 メッセージを受信したようだ。迷宮区の安全地帯にて、街に帰る準備――攻略に飽きたからだ――をしているときだった。

 思考が単調化していた僕は、視界の縁で光るメッセージアイコンを躊躇なく押した。

 

《冒険者の諸君、この世界の主、茅場晶彦だ。そろそろSAOが始まって一年半が経つ。そこで私から特別なプレゼントを差し上げよう。受け取るが良い。返品は受けつけていないので悪しからず。》

 

 ……茅場晶彦はこんな人間だったか?

 驚きと言うか、呆気に取られて怒りを忘れていた。たかがメールに怒ったところで何にもならないのは事実だが。

―――それにしても特別なプレゼントって何だ?

 そう思っていると、目の前にウィンドウが出現した。それを読もうと覗き込んだ瞬間、体が発光する!

 

「なっ、何!?」

 

 眩く光った白い光が落ち着くと、何か体の調子がおかしい。何かしらの不具合か。焦る心を抑えつつ、取りあえずは読もうとしていたウィンドウを改めて眺める。

 

《貴方のアバターはランダムに再生成されました。現在のアバターは元のアバターの影響を受けています。

※《倫理コード》は解除できません。

※《ハラスメント警告》は自身にも発生します。その数が一日で十五回を超えた場合、黒鉄宮に転送されます。

※装備を全解除することはできません。

※防具は現在のアバターに合わせてサイズ調整されます。

※ステータス等に変化はありません。》

 

―――これはどういうことだ?

 嫌な予感が脳裏を過る。

 僕はアイテムストレージから手鏡――チュートリアル時のあれではない――を取り出した。どうしてそんなものを持っていたかというと、この層のモンスターに鏡で反射できる光線を放つモンスターがいたのだ。

 意を決して鏡面を覗き込む。

 

「やっぱり――。日付からしてそういうことなんだろうな……。もういいよ、そういうのは…………」

 

 鏡越しに、呆れたような、哀しいような顔をした美しい()()がこちらを見つめていた。

 

******

 

 街は大混乱だった――わけではない。

 今は深夜零時、つまりは真夜中だ。そもそも活動している――外に出ている――人の方が少ないのだ。日が昇れば混乱が待っているだろうが。

 現在のSAOの男女比率は大体九対一だ。つまりもしプレイヤー全員にこの性転換が起こった場合、男女比率が一対九になる。

 更にシステムがランダムに作ったということは、醜い外見のアバターではない可能性が高い。

 例えば僕の外見だが、非常に綺麗な美人だ。身長は大して変わっておらず、スレンダーながらくびれもあり、出るところは出ている。小顔で、元のアバターの補正が効いているのか、目鼻立ちもくっきりとしている。男とは違うしなやかな肌、白いが肩甲骨の辺りまで伸びた髪、股下の長い美脚、九頭身ほどもあるのではないかというスタイル。俗に言うモデル体型ままだ。

 全員のアバター再生成が行われれば街の様子が大きく様変わりすることは間違いない。

 

「それはなんというか、現実感がないなぁ」

 

 ただそうでなかった場合、つまりみにk……男性が女装したような女性アバターばかりが生成された場合、多くのプレイヤーが悲鳴を上げることになるだろう。その悲惨な光景は避けたいので、このふざけたイベントの阻止に動こうと思う。

 取りあえずは顔を隠すための白いフーデッドケープでも買おうか。

 

******

 

トントントン

 

 ドアをノックする。反応がない。もう一度試し、今度は声もかける。普通なら完璧な防音が行われているドアだが、ノック後数十秒間は防音が切れ、中と外とで意思疎通ができるようになる。

 

「アルゴさん! 起きていますか? レントです」

「むにゃ、――レントっ!? ……コホン、どうかしたのカ、レン坊? こんな夜遅くに」

「実は相談したいことがありまして」

「ああ……、ちょっと待っててクレ。すぐ行ク」

「あ、メールボックスは確認しないようにしてください」

「……? 分かっタ」

 

 一瞬可愛らしい寝起きの声が聞こえたが、そこは紳士――今は女だが――、華麗にスルーして話を続ける。僕の声は元々中性的なところを今は僅かながら高くなって女性らしくなっているのだが、寝起きで気づかなかったようだ。

 一分程度でアルゴはドアを開いた。立ち話も何だからと、アルゴに促されて部屋に上がり込む。

 

「で、何があっタ? レン坊が夜遅くに訪ねるなんて珍しいし、部屋まで来るなんてナ」

「ええ。――アルゴさんは今日が何日か覚えていますか?」

「……日付が変わってるから四月一日カ?」

「はい。だからなのか知らないですけど、こんな風になっちゃって……」

 

 フーデッドケープを解除すれば、ハラリと長い髪が垂れる。

 

「なッ――」

「性転換、とでも言うのでしょうか。アバターの性別が逆転してしまっているようです」

「そうカ。……何が性転換のトリガーだったんダ? オレっちは変わってないゾ?」

「恐らくはメールボックスです。茅場からのメールが零時丁度に転送されてきました。それを開いたら初日みたいな光が出て、この姿ですよ」

「ムムム。――ヨシ、レン坊……レンちゃん、一儲けしないカ?」

「え?」

「レンb、ちゃんはおいらに騒動が起きる前に、こんな美味しいネタを知らせてくれた貴重な情報提供者ダ。悪くはしないヨ」

「……どうやって一儲けするんですか?」

「フフフ、それはだナ。《記録結晶》で性転換した写真を撮るんだヨ」

「なっ……」

「写真は本人に売っても、他人に売ってもある程度の額にはなる」

「その上、面白いものが見れる……?」

「アア」

「…………」

「どうダ? やる気になったカ?」

「……はい!」

「そうと決まれば、行くゾ、レンbちゃん!」

「……レン坊で良いですよ?」

「にゃハハハハ」

 

 さて、前言撤回だ。これが茅場のお茶目なら明日には勝手に戻っていることだろうし、今だけなのだ、飽きを吹き飛ばすこのイベントを存分に楽しもうではないか。

 

******

 

 《記録結晶》というのは文字通り、何かを記録できる結晶(クリスタル)アイテムだ。動画用だったり、写真用、録音用などがある。

 今回はその中の写真用――結晶一つあたり十五枚の写真を撮影できる――を使う。理由は一番廉価だからだ。

 僕とアルゴは五十層のとあるNPCショップに向かっていた。そのNPCショップは五十層主街区《アルゲード》の奥まったところにあり、辿り着くのは非常に難しい。そこで販売されているものこそ、ずばり結晶アイテムだ。

 流石に《回廊結晶》は売っていないが、《解毒結晶》《回復結晶》《転移結晶》等まで高価ではあるが販売されている。当然各種《記録結晶》も。

 僕とアルゴは余計な荷物を全て置いてきているので、非常に身軽だ。敏捷値極振りのアルゴと敏捷値優先の僕だから、今の状態なら《ラグーラビット》――素早く逃げるため仕留められないことで有名だ――にも追いつけるかもしれない。

 その空っぽのアイテムストレージに大量の写真用《記録結晶》を詰め込み――大量に購入した特典である程度値引きされ、想定以上に買えてしまった――、計画を練った。こういう場合、商品の尽きないNPCショップは便利である。

 

「サテ、どうするカ? レンちゃん」

「レンちゃんなんですね……。ええと、売れそうな人を狙う、と」

「アア、それが良いだろうナ。対象は攻略組中心、知名度があったり、外見が良かったり、悪かったりで選抜」

「一人につき一つ《記録結晶》を使って撮りまくる」

「明日以降、本人と交渉した後に《記録結晶》を売り捌く」

「そして、その全てを」

「「楽しむ!」」

 

 ガシとアルゴと手を結ぶ。

 何にせよSAOから帰還した後にデータは残らないのだ、精一杯笑ってやろうではないか。

 ターゲットは二手に分かれて捜索することにした。アルゴが下層から、僕が上層から面白そうな人を探す。

 果たして、キリトやアスナはどんな外見になっているのだろうか。

 

*****

 

~target:キリト~

 最初に狙うは《黒の剣士》だ。なぜかと言えば、親しい知人の中で彼が一番朝早いからだ。

 彼の居場所が最前線の街の宿であることは把握している。白み始めた空に悲鳴が響いている気がするが、気にせず目的の宿屋へと足を進める。道中の被害者たちは皆、良くも悪くも平凡な人ばかりだった。撮る価値もない。

 宿屋に着いたらキリトの部屋のドアを確認する。以前から思っていたが、日常における彼は存外抜けている。恐らくは目が覚めてから夢現で動き始め、ドアを開ける段階で身体の異変に気がつき動揺したのだろう。鍵がかかっていなかった。

 

「……おはようございます! キリト君! どうですか!」

「うわぁ!!!」

 

 ドアを開け放し声をかけながら中に入れば、大声に驚き数歩後退ったキリトと思われる女性(target)がいた。

 

「だ、誰だッ!?」

「ああ、この姿じゃ分からないか。レントだよ、キリト君。いや、キリトちゃんか」

「……お前か。はあ、びっくりさせるなよ。腰が抜けるかと思った」

「はは、鍵をかけていないキリトちゃんにも責任はあると思うけどなぁ」

「……お前は何か知っているのか? この体について」

「エイプリルフール企画なんじゃないかな、程度だよ」

「ああ、そうか。今日はエイプリルフールだったな……」

「と、いうわけで」

 

 言うと同時に、床にへたりと座り込んでいる美少女をカメラ()()()()に収める。使用方法は簡単。長方形の結晶を通して目が見た物を、脇についたボタンを押して撮影する。スクリーンショットよりも現実のカメラに近い使い方だ。

 キリ子(仮称)は普段のキリトよりも背が低く、サラサラの黒髪が腰の辺りまで伸びていた。顔は小さいのに目は大きく、美人顔の僕とは打って変わった美少女顔だ。声も当然のように高く、肌は触れてはいないがきめ細かいことが見ただけでわかる。飾りっ気のない黒装束なのにそれがむしろ白い肌の艶やかさを感じさせる、正に美少女だ。まな板だが。

 突然響き渡ったシャッター音にキリ子は少し戸惑い、事態を把握すると顔を赤く染めて《記録結晶》を奪いに来た。その赤く染まった可愛らしい顔もちゃんと写真に収めておく。

 元のアバターですら僕とキリトでは身長差がある。女性化しても大して低くなっていない僕と、低くなったキリトでは更に。僕が《記録結晶》を高く掲げてしまえば、キリ子では取ることはできない。ただ目で見るという仕様のせいでこの状態で写真は撮れないのだが。

 ふっ、と力を抜き、倒れるように後退する。キリ子との間に空白が出来る。倒れる僕の手が下がってきて、それを奪おうと手を伸ばすキリ子。その鳩尾を蹴り飛ばしてベッドが置いてある壁にぶつける。

 キリ子は背中から壁にぶつかった衝撃で息が詰まり動きが止まる。力なくベッドに落ちた彼女の上に即座に馬乗りになる。今は女性同士なため傍目にはじゃれ合っているようにしか見えないだろうが、今ここには紛うことなき戦闘が存在した。高度な読み合いの結果が現状のマウントポジションだ。

 その状態で、乱れたキリ子を連写する。顔を赤くして上気させる息も絶え絶えな美少女。うん、犯罪だ。

 十五枚を撮り終えたところでキリ子を解放する。アイテムストレージに入れてしまった《記録結晶》は僕以外に取り出すことはできない。

 怒りなのか羞恥なのかは分からないが、震えているキリ子から僕は思いきり逃げ出した。

 

******

 

~target:クライン~

 次は誰にしようか悩みながら最前線の街を歩いていると、知り合い――らしき人――が歩いてくるのが目に入った。

 フーデッドケープを目深に被っている僕の顔は見えないので――見えても分からないだろうが――そのまますれ違い、通り過ぎたところで僕から声をかけた。

 

「クラインさん……ですか?」

「ん? 確かに俺はクラインだ。どうかしたか?」

 

 振り向いたのはスケバンだった。赤い髪は長く波打ち、トレードマークの髭はなくなっているが、その分顔もくっきりとしている。ノリが良いのか、はたまたそういうアバターなのか、化粧もしている。刀を佩き赤い着物を着て大通りを闊歩する姿は、『姉御』と呼ぶにふさわしい風格を備えていた。

 フードの下の僕の顔を見て怪訝な顔をしているクラインに自己紹介をする。

 

「えっと、レントです」

「何!? お前、レントか! はぁ、美人なアバターだなぁ」

「ええ、クラインさんの方も。姉御って感じですね」

「はは、そうか! いやあ、ギルメンにもそう呼ばれてな」

 

パシャ

 

「へぇ、そうなんですか。今日は攻略には?」

「いや、慣れない体でなんかあっても嫌だからな。今日は行かねぇよ」

 

パシャシャ

 

「そうですよね。今日は僕も攻略は休憩です」

「おう! ……それより、さっきから何を撮ってるんだ?」

「え、クラインさんですよ?」

「…………」

 

パシャパシャシャシャシャ

 

 刹那の停滞の後、クラインは無言でこちらに手を伸ばしてくる。それを避けて逃走を図れば、猛烈な勢いで着物の裾を捌き追いかけてきた!

 鬼気迫る表情は本当に怖い。しかし逃亡する中でも振り返って更に数枚撮ることに成功する。

 キリトが同じ女性に絡まれて困っている脇を走り抜けて路地裏に入る。キリトは僕の狙い通り、通りがかったクラインに助けを求めた。それでクラインの速度が一瞬落ちる。その隙に建物の陰に隠れることに成功し、息を整える。

 

「はぁ、はぁ。何で、着物で、あんなに、走れる……。敏捷値僕の方、が、高い、のに」

 

 陰から様子を窺い、未だ僕を探しているクラインを盗撮する。

 発見されない内に次のターゲットのもとへ向かうとしよう。

 

******

 

~数日後~

 

「さあさあ、寄ってらっしゃい、見てらっしゃい! 四月一日の写真だよ!!」

「にゃハハハ、売れ行きはどうダ? レン坊」

「良い感じですよ、アルゴさん。もうあと数個です」

「いやあ、焼き増しして正解だったナ」

「ええ」

 

 あれからエギル――グラマラスな黒人女性だった――、エリヴァ――聖母や慈母の風格を持っていた――、タロウ――旅館の美人女将、簡単に言えばそうだ――、等々を撮影して回ったものだ。

 美人もいたし、これは酷いというアバターもあった。どちらにせよ極端なものは面白いものだ。そういったものを今日は最前線で販売している。アルゴによる宣伝効果もあって屋台は大盛況だった。ちなみに焼き増しというのは《記録結晶》の中身を丸ごとコピーする機能のことである。これで商品を増やしたのだ。

 一番人気はやはりキリト。二番はアルゴにいつの間にか撮られていた僕だ――自分の写真を売るのは少し気恥ずかしかった――。三番につけたのはアスナ。眉目秀麗、イケボ、高身長の三拍子揃っていた彼女はたったの一日で絶大な人気を獲得したのだ、恐るべし。アルゴは……結局、最後まで変化しなかったということにしておこう。

 撮影されたターゲット達とは一応交渉はしてある。しかし、甘い甘い。タロウには売り上げを渡すことになってしまったが、他の人はアルゴに上手く言い包められてしまった。しかも焼き増し機能のせいで、《記録結晶》を買い取ったのに販売されてしまうという半ば詐欺のような行為もチラホラ。まあ、笑って――怒って、かもしれない――許してくれたから構わないだろう。アルゴも幾分かは分け前を握らせたようであるし。

 茅場も良い気分転換をさせてくれたものである。この騒動で飽きは吹き飛び、攻略のやる気が戻ってきていた。

―――さ、ボコボコにしてやろうか!

 

******

 

~side:アルゴ~

 アイツ、結局気づく素振りも見せなかった。

 あの日の最初に注意してくれたとき、寝惚けた頭でついメールボックスを開けてしまい、そして男性化した。

 身長も変わらず。顔も大して。正直、変化したのか分からないようなものだったが、気づいてくれたって良いじゃないか。

 

「そろそろ敬語を外してくれても良いんじゃないかなー。どうして私には外してくれないんだろー」

 

 いつもの作った喋り方ではなく、素の声と一人称で私は呟いた。

 

「さて、じゃあいきますかー。あはははは。……レン坊、オネーサンに興味、ないのかナ」

 

 いつか、アインクラッドの外で再び出会うことを祈って。




 キリ子ちゃんは、この当時から存在していた!(驚愕) ……なんて。

 アルゴさん好きなんですけど、書けないんですよね。
 明日は本編が進みますので、お楽しみに。


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#16 説明

 タイトル通り、説明回です。どうぞ。


「…………いや、お前、筋が良いなんてもんじゃないぞ?」

 

 まずは簡単に地上戦を教えてくれることになった。初期に取れる武器スキルから《片手剣》を選んだ僕は、初期装備の《ロングソード》でモンスターを切り刻んでいた。

 SAOの経験がある僕からすればこの程度朝飯前だが、ディランが驚くのも仕方ないだろう。ただ武器のレベルが低く、ダメージには繋がらなかったが。

 

「その様子なら武器の扱いに関しても問題なさそうだな。よし、次は飛行に移るぞ」

「はい!」

 

 案外誰かに師事するというのは面白い。体力をつけるのも兼ねて、リアルでも何か武道のようなものを始めてみようか。

 ALOでの飛行には背中にある二対の翅を使う。この翅のカラーリングは各種族のベースカラーに従っていて、スプリガンはその髪や瞳、初期装備の色と同じく黒だ。本当は白が良かったのだが、白をベースカラーにする種族は存在しないのだから致し方ない。それでも、向こうが透けて見えるほど薄い黒い翅はとても綺麗だった。

 

「まずはコントローラーを使った飛行からだ。こう、左手を握ってみてくれ」

「こう……?」

 

 見様見真似で左手を握ると、操縦桿のようなグリップが出現した。

 

「そのコントローラーを手前に引くと上昇、押し倒すと下降、ボタンを押して加速、左右に倒して旋回だ。やってみな」

「こんな感じ……、か!」

 

 そのコントローラーを手前に引くと背中の四枚の翅が震え、体がゆっくりと浮き上がった。そのままボタンを押したり、傾けてみたりする。翅が目まぐるしく動き、体があちこちへと動く。

 

「うおっ、こうっ、こうして、こう!」

 

 しばらくやればコツが掴めてきた。僕が安定して飛べるようになると、ディランも浮き上がって同じ高さまで上がってくる。

 

「この翅の光がなくなったら飛べなくなるから気をつけろよ。光はしばらく休んで日光とか月光とかに当てておくと回復する。回復手段がないから洞窟とかだと基本的に翅は使わないな」

「あぁ、だからインプしか洞窟で飛べないんですか。……それより、ディランさんはこれ、スティック使ってないですよね」

「まあ、それ使いながらだとウィンドウも開けないし、戦闘中も邪魔だからな。こんな風にコントローラーを使わないで飛ぶことを《随意飛行》って言うんだ。これができると細かい動きもできるようになるし、上級のプレイヤーへの第一歩って奴だ」

「どうやるんですか?」

「……はあ、いきなりだな。まだログイン初日だろ? そんな時期に随意飛行なんて早過ぎねぇか?」

「取りあえず、やってみるだけでも」

 

 僕の言葉に少し悩んだ様子を見せたが、ディランはすぐに了承を示してきた。そして一旦着地してから講義を始めた。

 

「ま、コントローラーを使った飛行はできるみたいだし、教えてみるのも良いか。――レント、まずは背中に意識を集中させるんだ。ここに、リアルにはない仮想の筋肉があることをイメージしろ。それを動かすイメージで」

「仮想の筋肉……。こうかな?」

 

 幸いなことに、SAOで仮想の筋肉は嫌というほど視てきた。それを想像する。そしてそこを動かすように意識を集中する。そうすれば翅が細かく揺れ始めた。

 

「おっ、良い感じだぞ! もうちょっと強く羽ばたけ!」

 

 更に力を込める。すると、体が浮いてきた。それを続ければ、先程飛んでいた位置まで高度を上げられる。

 

「よし! じゃあ次は翅を動かして旋回するんだ!」

 

 翅を意識して自分の思う通りに動かす。鋭敏化した自分の意識が薄い翅の隅々に至るイメージだ。回路を走らせ、葉脈のような翅の筋を疑似骨格として認識する。これでほぼ完璧に翅を掌握できた。

 翅を傾ければ旋回や上昇もお手の物だ。もう少し翅の動かし方を工夫して動きを洗練せねばならないが、今はこれで十分だろう。

 

「――凄ぇな。本当に初日に随意飛行をものにしちまった」

「どうです?」

「完璧だよ! 俺も一ヶ月ぐらいかかったってのに。お前、実はかなりVRに慣れてんだろ」

「……まぁ」

 

 二年間もVR空間にいたのだ。それは慣れているなんてものではないだろう。SAOのことはまだ聞かれたくなかったので言葉尻を濁したが、その露骨な濁し方でディランも気づいたようだった。

 

「あぁ、その、言いたくないことなら別に言わなくていいぞ。じゃあ一回飛んで《デラニックス》まで帰るか。帰りながらシステムについて説明する」

「はい、お願いします」

 

 《デラニックス》というのは最初に訪れたスプリガンの首都の名前だ。古代のマヤ文明の遺跡のような外見をしていて中央には階段状のピラミッドがあり、その中に領主館が収まっているらしい。

 このALOは九つの種族に分かれた妖精が争い合っている。それはこの大陸の中心にある世界樹の上にいる《妖精王オベイロン》に最初に謁見するためである。謁見が叶うと、その種族は《光妖精(アルフ)》へと転生するそうだ。アルフになれば全ての種族に存在する飛行の制限時間がなくなるのだとか。飛ぶことに魅せられたALOのプレイヤーは、誰もがアルフへの転生を望んでいる。

 各種族は年に四回の領主選を行っている。投票はその種族ならば誰もが可能で、その種族ならば誰でも投票先にして良い。そこで選出された領主が種族の代表として動くことになる。

 システムは《完全スキル制》で、ニュービーも馴染みやすい仕様だそうだ。ただ隠しステータスがあるそうで、それがSTRやAGIになるんだとか。

 この世界の通貨の単位はユルドだ。全体的に北欧神話をモデルにしているようだし、世界樹なんて代物まであるなら《ユグドラシル》をもじっているのだろうか。

 スキルには各種武器スキル、魔法スキルがある。また《鍛冶》《暗視》などの役立つ補助スキルや、《料理》等のフレーバースキルまで数多ある。スキル枠はホームタウンの祭壇でユルドを払うことで増やすことが可能だそうだ。

 SAO同様スキルには熟練度が存在し、上限はやはり千だ。しかし未だリリースして一年程度なためか、武器スキルを完全習得したという話は聞かないそうだ。魔法スキルや補助スキル、フレーバースキルは比較的熟練度を伸ばしやすいが、武器スキルは中々成長しないらしい。SAOでも武器スキル完全習得は一年ほどだったことを考えると、常にログインし続けているわけではないので相当のヘビーユーザーでない限り、最古参でも後半年はかかるのではないだろうか。 

 僕はSAOにはなかった魔法スキルを中心にスキルを取っていこうと思う。聞いた話では、ログインして一週間の間は、一日一枠限定だがスキル枠取得に必要な額が百ユルドなのだそうだ。今の内にある程度揃えておいた方が良いだろう。武器スキルは片手剣だけで十分だ。伊達に二年間も戦っていない。

 一口に魔法スキルと言っても、それには何種類もある。

 攻撃力の高い魔法が多い《火属性魔法》。

 牽制に有効な補助的役割の強い《水属性魔法》。

 手数で押す、速さが特徴的な《風属性魔法》。

 地由来の大胆な魔法が多い《土属性魔法》。

 HPや魔力(マナ)の回復、呪いの解除などが可能な《回復魔法》。

 隠蔽や索敵などの補助魔法中心の《支援魔法》。

 自爆や呪いなどの嫌らしいものがラインナップされている《闇属性魔法》。

 幻を見せたり、感覚の阻害などの妨害に特化している《幻惑魔法》。

 プーカにだけ使える、音楽を媒介にして効果を発揮する《音楽魔法》。

 この九種類があるのだが、僕は《音楽魔法》を除いた八つ全てを使えるようになろうと考えている。本来は一つの魔法だけでも完璧に使えれば脅威に成り得るのだが、それならば全ての魔法を使えれば更に強力になる道理だ。

 

 

 

 目指すは究極のメイジ! いや、魔法剣士だ!

 

 

 

 そうこうしている内に、目的地付近へとやって来ていた。

 

「あっ、そういえば着陸できるか?」

「えっ、教えてもらってないですよ?」

「…………グッドラック」

 

 言うとディランは着陸を始める。戸惑う内に目の前にあのピラミッドが近づいてきた。かなりのスピードを出していたため、ディランの真似で翅を広げて減速をかけるが止まれない!

 

「うわあぁあぁぁぁぁぁ!!!!」

 

 止まれないならば加速する! 加速して勢いをつけながら、その勢いを利用し回旋する!

 

「曲がれェェェェ!!」

 

 フッとピラミッドの角が頬を掠めたが、何とか激突を避けることができた。あそこまで絶叫したのはいつ以来だろうか。肩で息をする。

 今度は慌てずに減速をかけていき、ゆっくりと着地した。着地のイメージはコントローラー飛行時に掴んでいたので、落ち着けば何とかなるものである。

 

「すまんすまん、すっかり忘れてた。いやー、それにしてもあのタイミングで避けるなんてな。てっきり派手にぶつかると思ってたんだが」

「…………」

 

 本当にこの人に師事していて大丈夫なのだろうか。

 

******

 

~side:ディラン~

 デラニックスで初ログインに居合わせた新人のレクチャーを申し出たのだが、その彼の筋が異様に良くて俺は驚いていた。

 地上戦では既に、同じ装備なら俺が負けそうなほど強い。補助スティックによる飛行ですら初めてではそこまで上手くは飛べないものだ。ましてや随意飛行を初日でマスターするとは図抜けた成長度だ。

 それから注目すべきは領主館を躱すときの判断力だ。あんな状況になったら普通は加速なんて選択肢取れるはずがない。そもそも選択肢として浮かばないだろうし、実行しようにも多少でも迷いや不手際があれば上手くいくはずがない。

―――これは、スプリガンに圧倒的な戦力の到来か?

 しかし、聞かせてもらったレントの目指すビルドはこちらの意表を突くものだった。八種類の魔法スキルを取得すると言うのだ。

 魔法スキルは目玉の一つなためか、それとも熟練度を上げなくては使い物にならないためか、熟練度が上がるのが非常に速い。ゆえに八つのスキルを同時に成長させても問題はないだろう。

 スキル枠も、最初の二つの片方を《片手剣》に使うが、残りの一つとこれからの一週間で取れる七つを合わせれば間に合う計算だ。

 しかしあれだけの剣の腕を持つのにメイジ職とは。俺は頻りに勿体ないと思うのだった。

 

******

 

~side:レント~

 ディランと会ってから、つまりALOを始めてから二週間ほどが経った。この間に僕のスキル熟練度、及びプレイヤースキルはメキメキと上がっていた。ディランの指導の成果もあるだろうが、何より熱の入れ方――入院中ゆえの時間の余裕――だろうか。

 午前中はリハビリ、体力づくり。午後は勉強、残りはALOだ。睡眠時間は三時間ほどなため――医師には良い顔をされないが、SAOのときに比べれば随分寝ている――ALOにかける時間はかなりのものだ。

 ALOの魔法は、《力の言葉》と呼ばれる単語を繋げて文章を作り詠唱することで発動する。この詠唱をシステムに認識させるためには、一定以上の声量、間隔を持って発音しなければならず、またAIが聞き取れる発音もしなければいけなかったりと色々と面倒だ。

 呪文――スペルの方はスキル画面で一覧を見ることができる。熟練度が上がるほどに使える()()が増えていき、それによって使えるスペルも増えていくのだ。クエスト報酬などで手に入る特殊な単語もあったりするため、同じスキルを育てていても人によって使える単語は違ってくる。

 またスペルには大きく分けて二つの種類がある。一つはこの一覧で確認することができる『公式スペル』。もう一つは、一覧には載らないがプレイヤーが開発できる『オリジナルスペル』だ。

 オリジナルスペルを編み出すのは非常に困難だ。《力の言葉》の各単語の意味を理解して文章にしなければいけないのだから。

 スペルは古ノルド語がモデルにはなっているが独自の文法になっており、きちんと文章を作るためには相応の学習をしなければならない。

 更に単語には文章上の意味と魔法の効果に関係する二つの意味があって、これはほとんど変わらないものの少しづつ意味が違うため文章が成り立たなくなってしまったりするのだ。文章としても、魔法の効果としても意味を通さなければならないのが頭を悩ますところだ。

 そしてオリジナルスペルを作る際の一番の難関は、これらスペルの創作法を運営が全く公開していないことだ。

―――オリジナルスペルなんて、運営も作られるのを考えていないんだろうな。

 恐らくここまで面倒な設定にしなければいけなかったのはカーディナルのせいだ。

 カーディナルというのはSAOのバランス調整や、クエスト、NPCの管理など全てを統括していたシステムのことだ。SAO同様の完成度を誇るALOは、SAOの基盤データをコピーして作られたのではないだろうか。そうだとするとカーディナルも存在していることになる。

 カーディナルには自動クエスト生成能力があったりと、システムとしては規格外だ。その規格外の能力が、スペルを追加したときに運営が登録していないスペルに反応してしまったのではないだろうか。規則なく魔法が発動するなら、プレイヤーのふとした言葉も魔法として認識する可能性がある。そのため運営は魔法が魔法であるという基準を用意しなくてはいけなかった。

 妄想に近い推測だが、これほど面倒な仕組みの裏側はそんなところだろう。

 僕は、その難解な文法を割り出すことに成功した。と言っても多くの人が検証や解析をしていたため、それをまとめれば簡単に文法書の形にすることができた。次は使える単語でのオリジナルスペルを模索する段階である。

 さて、どうするか。オリジナルスペルのことではない。菊岡にナーヴギアを回収すると言われてから、僕はずっと悩んでいた。キリトと違って中に大事なデータが入っているわけでもないから、ナーヴギアを渡すこと自体は構わない。構わないのだが、

―――もう一回ぐらい、最後に被りたいよな……。

 アミュスフィアはナーヴギアのダウングレード版――高圧電流を発生させる仕組みを排したため、出力不足なのだ――なだけであるから、互換性がある。要するにナーブギアでもALOをプレイできるのだ。

 逆にアミュスフィアはナーヴギアよりも低出力なため、ナーヴギアよりもあらゆる点で性能が劣っている。特にそれを感じるのは五感だ。ナーヴギアの感覚が残っている内にアミュスフィアに移行したため、僕はまるで寝起きのような感覚を抱いていた。リアルではもっと五感は使えていなかったわけだが。

 他にも全身の微細な運動の掌握などにもアミュスフィアは難がある。ナーヴギアの高性能さがどうも病みつきになっていた。これから継続的に遊ぶことはできなくとも、最後に一回思い出を作りたかった。

―――よし、大丈夫なはずだ、SAOはソフトの方に色々仕込まれていたわけだし。

―――すぐにログアウトすれば何とかなるって、多分。

 僕はナーブギアにALOのソフトを挿入し、叫んだ。

 

「リンクスタート!」




 はい、最初から最後まで説明回でした。すみません。


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#17 脱領

 ここから主人公が本格的にALOで活動していきます。七千字を超えましたが、どうぞ。


 ログインする。瞼越しに感じていた光が消え、一気に白い空間になる。静かな病室で聞こえていた耳鳴りが失われ、代わりに感覚が遮断されVRの感覚情報に切り替わっているという音声が聞こえる。鼻腔を僅かに刺激していた枕元の花の匂いがなくなる。ベッドに寝ていた体の触覚も遮断された。

 

「VR接続確認。ログインします」

 

 いつもいつもこのプロセスがあるのは面倒だ。最初は面食らった――二年前のナーヴギアでこれがあったかは覚えていない――ものだが、既に慣れきってただの待ち時間になっている。

 ALOにログインすれば、前回ログアウトしたデラニックスの宿屋にアバターが出現する。

 

 

バチッ!!

 

 

―――何だ!?

 アバターが現れた瞬間、周囲に亀裂と閃光が走った。目を開けると、何か違和感を感じる。

―――背が高くなった?

 ALOの僕のアバターは百六十センチぐらいの中肉中背、目にかかるストレートな黒髪がいかにもな根暗感を出す青年だった。

 目を開いた世界では僅かに視線の位置が高くなっているし、視界を覆う髪がなくなっている。心なしか体が軽い気さえする。

 状況を確認しようと左手――ALOでは左手だ――を振り下ろし、アイテムストレージから手鏡――SAO経験者は使うのを躊躇う名前である――を出して覗き込んだ。

 

 

 

 

 そこには、現実の自分がいた。

 

 

 

―――ッッッ!?

 全身の血が一瞬にして干上がり、思考が停止しかける。まだ止まっていなかった精神を梃子に使って無理矢理思考を転がす。

 ありえない。ありえないのだ。ナーヴギアというハードは確かに人命を奪い取る出力の電波を発することができる。だが、それだけだ。ナーヴギア自体には人を殺すプログラミングも、人の精神をVRに閉じ込めるシステムも備わってはいない。

 

「じゃあこれは何だ……? バグか?」

 

 呼吸を整えてよく手鏡を覗けば、完全に現実と同じ姿なわけではなかった。一番僕の目に留まったこと、それは『白』だった。

 スプリガンらしく浅黒かった肌が抜けるように白く、黒髪は真っ白になっている。瞳も薄く白っぽいグレーだ。瞳と髪は種族ごとに色がある程度決まっており、カラーリング変更はできない。スプリガンはその色が黒なのだ。そもそも以前も言ったが種族カラーにない以上、どの種族も白色に身を染めることはできない。

 色彩以外にも、耳が妖精に特徴的なエルフ耳であるなど異なる部分はある。しかし、現実世界の自分と今まで使っていたアバターを足したような姿に白というカラーリング。それはむしろSAOのアバターとほぼ変わらない姿を生み出す。

 戸惑いつつ手鏡を仕舞ったとき、僕は更に別のことに気がついた。

―――このアイテム欄は何だ……?

 手鏡を取り出したときは気づかなかったが、そこには大量の文字化けしたアイテムが入っていた――それこそ気づいていなかったことが先程の動揺の激しさを示すほど――。前回のログアウト時に持っていたアイテムは全て揃っているが、そこに未知のアイテムが大量に追加された状態だ。

 訳の分からない文字の群れに怖くなり、文字化けしたアイテムは全て捨てた。捨ててしまったらマズかったのかもしれないが、バグと見られてアカウントがロックされるのは嫌だった。この外見の時点で、もういかんともしがたい気はするが。

 絶望しつつ、他に変わったことがないか、メニュー画面から確認していく。まず目についたのは所持金。馬鹿げた金額になっている。乾いた笑い声しか出ない。

 もう一つ異常なポイントがあった。それはスキル。まだ百程度だった《片手剣》のスキル熟練度がMAXになっており、他にも取った記憶のない、《隠蔽》《索敵》《投剣》《調合》《鍛冶》《戦闘回復(バトルヒーリング)》《体術》が追加されていた。それも全て熟練度がかなり育った状態で。

―――……ん?

 少しの既視感が頭を通り過ぎる。この数値にスキルの並び、どこかで……

―――あっ!!

 これはSAOのときのスキル構成だ! 当時の熟練度もこのくらいだったはずだ。

 改めて思い出すと、現在の所持金はSAOの最後――アインクラド上空――に一瞬見かけた所持金と大体一致する。

―――もしかして、SAOのデータが上書きされている?

 

「なら!」

 

 最近、キャラが育ってきたということで僕は剣を新調した。鍛冶屋で鍛えてもらったプレイヤーメイドであり、名前はお守りの意味も込めて《ソウル・ソード》にしたのだ。SAOのアイテムが文字化けしたのだろうが、同名のアイテムはどうなったのだろうか。

 アイテムストレージを探る。まだ少ないアイテム欄からはすぐに目的の剣を見つけることができた。

 震える手でウィンドウを操作して装備する。そこに鍛えてもらった黒ずんだ銀色の剣はなく、純白の、SAOをクリアした相棒があった。

 剣を叩いてポップアップメニューを開く。見た目のみならず性能も当時と変わらないようだった。つまりは非常に強力ということだ。

 性能の良い片手剣となれば、当然要求STRも相応に高いはず。それを片手で楽に持てているということは、隠しステータスも当時のステータスが上書きされたということか。最初に体が軽く感じたのは、ステータスが急上昇したからだろう。

 

 

―――これ、マズくね?

 

 

 つい最近作られたアカウント。それに搭載されたステータスは二年間を丸々使って作ったデータ。所持する剣は恐らくだが《古代武具級》かそれ以上の代物。スキルでは未だ誰も成し遂げていない武器スキルの完全習得をしている。所持金は種族の財産にも等しい。容姿はALOではありえない色を備える。

 僕は取りあえず相談するためにディランに連絡した。『バグりました』と。

 

******

 

~side:ディラン~

 一体、どうしてこうなった。俺は目の前にいる、美形な色白青年を見て開口一番そう言っていた。

 レントに呼び出されてやって来た宿屋。あの慇懃で礼儀正しいレントがアポもなしにいきなり人を呼びつけるほどだ。何かマズいことが起こっているのは分かっていた。

 それでも、それでも、何だこれは。最初の一言以降言葉が出てこない俺に、レントは状況を説明し始めた。

 

******

 

~side:レント~

 

「ふむ、なるほど。つまり、お前のSAOのときのデータが一部上書きされた、と」

「……SAOサバイバーだと言われたのに反応薄いですね」

「まあ、気づいてたからな。ニュービーのくせにVRの戦闘に慣れてるなんて、別のところで経験を積んでいたってことだろ? ALO以外のまともなVRMMORPGはSAOしかないしな」

 

 ゲーマーからすればALO以外のVRMMORPGを遊んでみたいものの、レクトが技術の公開をしないため制御システムが作れないんだそうだ。茅場の功績を真似できる者はいなかったというわけだ。

 

「まあ……一つ言うことがあるとすれば、お前がログインしたのってSAOクリアからたったの数日後だったよな?」

「それは二年間も使ってたせいで中毒というか、ハマったというか」

「へえ、そういうもんかい」

 

 ディランの呆れたような顔に、頬を掻いた。

 

「っと、そんなことよりそのアカウントだが」

「…………」

「バグっちまったものは仕方がない。そのままやりゃいいんじゃねえか?」

「いや、そういうもんですかね? 垢BANは嫌なんですけど……」

「あー、運営に問い合わせりゃ修正されるんじゃねぇか? でもたしかALOのプレイヤーデータって双保存型だろ。上書きされちまったら元データ復元は難しいだろうし、結局垢BANと変わらねぇぞ」

 

 双保存型とは、個人のハードと運営サーバーの両方にデータが分割されて保存されるタイプのプレイヤーデータ管理法のことだ。鍵と錠前のように二つのデータを照合することでプレイヤーデータを呼び出すことができ、不正アクセスやらの防止策として重宝されALOのみならず大本のSAOでも使われていた。そもそも今回のバグも、SAOのデータをコピーしたALOサーバーにSAOのプレイヤーデータも保存されていたため、ナーヴギアの個人データに反応してしまったことが原因だろう。

  ディランの言葉もあるが、彼と会話して冷静になった僕は思い出した。SAOのデータがコピーされているのはこのバグからも間違いないだろうが、それならあのカーディナルが存在していることは確定的だ。あの万能システムなら、存外明日の朝にでも修正されているかもしれない。

 

「……そうですね。それなら開き直って、BANまで遊びますかね」

「よし! なら、早速装備を買いに行こうじゃないか!」

「え?」

「お前にその黒い服は想像以上に似合わん。それにスキルと剣だけ最高級ってのは見栄えが悪いだろ。金ならあるんだし」

 

 逡巡する暇もなく、僕はディランに腕を引かれた。

 宿を出ると、視線が痛い。黒い妖精たちの中で一人だけ白というのは目立つ。スイミーのような気分だった。

 スプリガンには劣等感――敗北感が近いかもしれない――を抱いている者が多い。それは地味な種族カラーの黒、特筆するところのない種族特性が根本原因だが、それによって人口が少なく、種族の力の弱体化、強プレイヤーの不在が引き起こされている。よく知らずにスプリガンを選んだ者や、スプリガンの現状を甘く見て始めた者はこれらに打ちのめされる。特に他種族から見下され易いのもそれを加速させているのだろう。

 そんな中『白』は特に目を引く。色に引かれた彼らの視線は見るからに強力と分かる剣に向かい、整ったルックスに向かう。剣はそれを扱える実力者という証左であるし、SAOと違ってランダムで見た目が決まるALOにおける美形は、運の面でも勝者であるということだ。目立つのも、羨望の視線を向けられるのも当然だった。

 僕とて自尊心の強いネトゲプレイヤーの一人。羨ましがられるのに悪い気はしない。しかしそれは普段の話だ。これはバグのせいであり、果てはそれが原因で悪感情をぶつけられるとあっては良い気にはなれない。

 装備を一通り揃えたが、やはり白というカラーリングのものは中々なく、大半を染色しなければいけなくなった。SAOで白に合わせたアバターは、白以外の装備ではどうもしっくりこないのである。

 

「おお、レント。すげぇ似合ってんぞ」

「はは、ありがとうございます。それよりあの視線どうにかなりませんか?」

「ま、しばらくすれば収まるだろうさ」

 

 ディランはこう言ったが、生憎とそうはならなかったのだった。

 

******

 

 僕はここ最近、いじめに遭っていた。理由は疑うべくもなくこのアバターだろう。

 カーディナルが修正してくれると思っていたのだが、SAOのデータを正式なものと判断してしまったようで修正が入らなかった。正直カーディナルが駄目なら運営も駄目であろうし、修正は諦めるしかないだろう。

 結果、僕は《バグリガン》と呼ばれるようになってしまった。バグったスプリガンだから、バグリガン。いつかの《ビーター》を思わせる通り名だ。

 道を歩けば因縁をつけられる。フィールドに出ればMPKを仕かけられる。騙し討ちも当たり前だ。全て返り討ちにした結果、今では恨めしい視線を向けられるだけになっているが。

 

「お、レントじゃないか。最近どんな調子だ?」

 

 他プレイヤーとの仲がどれだけ険悪になってもディランだけはいつも同じように接してくれる。かつてのエリヴァのような、頼れる兄貴分だ。今ではすっかり呼び捨てになっている。

 

「いつも通りですよ。そろそろ嫌になってきましたね」

 

 あれから知ったのだが、ディランはスプリガンの中でも――数少ない――実力者らしい。僕が袋叩きに遭わないのは実はディランの影響力もあるのかもしれない。

 それでも元よりソロ気質の僕は特に支障なくALOをプレイしていたのだが、事件は起こった。

 いつもの日課になりつつある狩りを終え、デラニックスに入ろうとしたときだった。その門のところで、僕は二桁に上るプレイヤーに道を塞がれたのだ。

 

「このバグリガンめ! テメェうぜぇんだよ!! 死にやがれ!」

 

 ……まさか、ここまで敵意を抱かれているとは思わなかった。明らかに怒っているのは先頭の一人だけだが、後方に控える者も僕を害すことに抵抗がないからこの場にいるのだろう。

 そのまま、一人の巨漢が突っ込んできた。僕が歩いていたため地上戦だ。両手剣を大上段に振り上げたその男の姿が誰かに重なった。

 

 クラディールだ。あの男もあのとき、こんな風に剣を振り上げていた。

 

 そう思うと、体が動いていた。襲いかかってきた男の首をすれ違いざまに斬ることで、一撃で彼をリメインライト――死後一分間意識の残る状態だ――に変える。

 この世界のダメージは武器の威力、当たる速さ、相手の防御力、当たった位置、スキル熟練度等によって算出される。僕の場合、武器の威力は高く、STRが高いのだから剣速は当然速い。当たった位置は急所ポイントに設定されている首で、その男の鎧が覆えていないところだった。スキル熟練度は千、つまりMAXだ。これでダメージ量が低いはずがない。

 僕は、倒した男のリメインライトを見ていた。

―――この世界では、人は死なない。

―――いくらPKをしようが、相手は死なない。

―――SAOと違って、これ(ALO)はゲームであり、遊びだ。

 

 

 

 

―――なら、構わないだろう?

 

 

 

 

 何かが吹っ切れたんだと思う。そもそもこのゲームはPK推奨ゲームだが、一ヶ月ほどプレイする中では気が乗らずPKをしたことはなかった。これがこの世界で初めてのPKだったのだ。

 そこからは瞬きの内だった。僕を狙って集まっていたプレイヤー達を全員《死に戻り》させた。死に際に上がるエンドフレイムという爆炎を何個発生させたことか。リメインライトから蘇生した者も悉く殺した。

 全員を斬り殺した後、ディランが息を切らしてやって来た。

 

「はあ、はあ。大丈夫そうだな、レント」

「ええ、吹っ切れましたから」

「……そうか、それはそれで怖いものがあるな」

「大丈夫ですよ。ディランは狙いませんから」

「――そう、か」

 

 それだけで、彼は僕がスプリガンから抜けることを察したようだ。ディラン()狙わない。すなわち他のスプリガンは狙う。

 邪魔者のいなくなった門を通り、僕はその足で領主館へと向かった。

 今のスプリガンの領主は《ミルネル》という太った男で、僕は彼が好きではない。何度か悪質なプレイ妨害行為として襲ってくる連中を訴えたりもしたのだが、彼は自分が一番大事なため領主選の近いこの時期は全ての問題をなかったことにする。奴らもスプリガン、つまりは選挙権を持っているからだ。

 領主館のピラミッドに僕は入った。スプリガンでは領主への面会は基本的に自由だ。人数が少ないなりに関係を密にしたいのだろう。

 

「ミルネルさん、いらっしゃいますか? レントです」

「――……ああ、レント君か。良いぞ、入ってくれ」

 

 ノックをしてから僕は領主の執務室に入った。

 執務室はピラミッド内部でも高めの位置にあり、石壁なのを除けば社長室のようだ。その中心の柔らかそうな椅子に、ミルネルはどっかりと座っていた。これまた高価そうな木製の机の上には書類が山になっている。

 人材不足かたまたまか、執務室にはミルネルしかいなかった。

 

「早速ですが、脱領したいです」

「――えっ」

 

 普段は悠然とした態度を取っているが、驚かせるとこのように一般市民的な反応を見せる。

 脱領とは字の通り領地を抜けることだ。脱領者(レネゲイド)には何種類かおり、システム上は脱領していないが領地から離れてプレイしている者。領主から『追放』されて領地を抜けなくてはならなくなった者。そして自分から脱領申請をして領主に認められた者だ。僕は三番目になろうとしていた。

 領主に対して脱領したいと発言したため、ミルネルの前には『脱領申請を承諾しますか?』というウィンドウが浮かんでいる。

 

「ほ、本当にいいのか?」

「ええ、そろそろ自由になろうかと。それに翅もカラーチェンジのタイミングですよ」

 

 実はこの三番目の脱領者にだけ起こることがる。それは()()()()()()()()()()()()()()()()()ことだ。普通はそれでも瞳の色から元の種族が分かるが、僕の場合はバグのせいで瞳も白いため縁は完全に切れるだろう。

 

「うむ、ならば良いだろう。君の幸運を祈っている」

「ありがとうございます。それでは失礼します」

 

 僕が自分に投票しないということを分かっているから、彼はこうも即決したのだろう。良くも悪くも小物である。

 彼が『YES』を押した瞬間、僕の翅から黒い色が落ちていった。墨汚れを落とすようだ。色の落ちた翅は透明にはならず、乳白色になった。

 翅を含めた全身が真っ白に染まった僕が領主館から出てきたのを見て、《死に戻り》していた先程の襲撃してきたプレイヤーが襲いかかってきた。

 『追放』されると元の自分の領地には近づけなくなるが、自分から望んで脱領した場合にそういったペナルティはない。どこの種族にも所属していないという設定のため、種族による制限の影響も受けなくなる。ただこれには欠点があり、逆にどの種族を対象にした恩恵も受けられなくなる。

 例えば、各種族の街ではその種族はダメージを受けない。しかし脱領すれば当然その種族ではないためダメージを受ける。

 つまり今の僕は、抵抗手段を持たないまま嬲り殺される可能性があるのだ。リスポーン地点もこの街なため、殺され、復活、また殺されて復活、と無限ループに陥る可能性すらある。

―――それは、嫌だなぁ。

 まずは先程の両手剣の男。彼らは同じことしかできないのだろうか。こちらからはダメージを与えられないため回避に徹していると奴らは調子に乗ってきた。

 

「へへへ、見ろよアイツ! さっきから避けることしかできてねぇぞ!」

「何人もでかかって、僕に全ての攻撃を避けられている貴方方はド下手糞ですかねぇ」

 

 敢えて挑発すればすぐに乗ってくる。

 

「おうおう、言うじゃねぇか! ぶっ殺してやる!!」

 

 攻めが苛烈になる。表面上だけを見れば。実際は怒りに身を委ねた攻撃なため、先程よりも精度が落ちていた。

 微笑を崩さない僕を見て更に燃え上がったようで、待機していた全員が一斉に攻撃に移ってくる。

 両手剣の男の突進切り、片手剣使いの二人による回転切り、メイスによる叩き潰し、両手斧による切り上げ、等々多種多様な攻撃が僕に降りかかる。

 

「もう少し連携という物を勉強した方が良いですよ」

 

 避けるのは簡単だった。全ての攻撃が地上にいる僕に向かっているのだ、ギリギリまで引きつけてから飛び上がれば簡単に避けられた。攻撃先を失った攻撃は次々に同士討ち(フレンドリーファイア)を引き起こしている。

 全員が攻撃に参加した今、空中にいる僕を止められる人間はいない。

 僕は悠々とデラニックスを出た。




 事なかれ主義が主人公は嫌いなようです。
 余りにスプリガンを悪く書き過ぎたのでどうにかしてあげたいですね。まあ、まともな人間はこんなバグリガンにわざわざ絡まないというだけですが。


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#18 悪魔

 今回は無双エピソードです。どうぞ。


 脱領してから、まずは拠点になる中立都市を探した。レネゲイドでもPKから保護されているのは中立都市だけだからだ。

 腰を落ち着けた僕は、次にこれからの方針を決めた。

 一つ目、これからはPKを主軸にプレイする。そもそもALOはPK推奨ゲームであるし、SAOではご法度だったPKを満喫しようと思う。

 二つ目、重荷スプリガンを狙う。恨みというほどではないが、やられっぱなしは性に合わない。訴えを取り合ってくれなかった領主(ミルネル)に報復するまでは続ける気だ。

 三つ目、央都アルンを目指す。アルンとは世界樹の麓の街のことだ。中立都市で、何かと使い勝手が良いらしい。本格的な拠点には最も相応しいだろう。

 四つ目、全種族に名前を知らしめる。スプリガンとしてではなくなってしまったが、全種族のトップになる目標を捨ててはいない。全種族に『会ったらヤバい』と思わせるようなプレイヤーに成ってみせようではないか。

 さあ、スプリガン狩りの始まりだ。

 

******

 

 アバターが上書きされてから数日後、菊岡は再びやって来た。

 SAOでの話を前回の続きから話した。今回で五十層まで話は進んだから、彼と会うのも残り一、二回だろう。

 面会の最後に、レッドリストを渡して殺してしまった九人の情報を要求した。

 

「これは?」

「レッドリスト、殺人を犯したプレイヤーの一覧です。誰が誰を殺したのかも書いてあります。ただ、一部は犯人が分からなかったため実際はもう少しいるでしょう。僕の記憶に不備があるといけないので、《アルゴ》というサバイバーにも話を聞いてみてください。彼女と一緒に調べたデータですので」

「――分かったよ。このデータは大切に保管させてもらうことにしよう。罪には問えないだろうけど、そこは諦めてくれ」

「それは分かっていますので安心してください。あの世界での罪をなかったことにしたくないというただの私情ですから」

「……頼まれた九人のデータは可能な限り調べてくるよ。それと君の知り合いの連絡先もね」

「本当に良いんですか? どう考えても違法行為ですよね?」

「ふふ、僕もこれから君とお近づきになりたいからね」

「そう、ですか」

 

 つまり僕は彼に借りを作ったというわけだ。まあ、国家権力との繋がりなら困ったときに役立つから良いだろう。

 そして名残惜しかったが、ナーブギアを引き渡した。

 

「……あの」

「何だい?」

「実は、その、ついナーブギアでALOにログインしてみたんです。そしたら、SAOのデータが上書きされたというか、何というか……」

「ああ、……ああ!? ――うーん。仮説とすれば、ナーブギアに残ってたSAOのデータを読み込んでしまったってところかな。SAOとほぼ同じ構造をしているからね、ALOは。ま、誤作動だね。どうする? 修正はできないこともないだろうけど」

「……完全修正はご遠慮したいですね。なんだかんだ言って思い入れのあるデータですから、できればダウングレードというかナーフできないかなぁ、と。はは、都合が良いですかね」

「うーん……。それは結城さんにかけ合うしかないかなぁ」

 

 結城さんとはレクトCEOの彰三のことだろう。

―――《仮想課》、ねぇ。

 流石に現行唯一のVRMMORPGを運営する企業との繋がりはあるのだろう。しかし図らずもまた一つ頼み事をしたようになってしまった。少し注意しなければ。

―――それにしても菊岡誠二郎、言動に違和感のある人だ。仮面をつけているような……。

 

******

 

 スプリガンを中心にPKを始めてから一週間ほどが経った。スプリガン狩りには今日で一区切りをつけるつもりだ。

 今日は領主を筆頭に、スプリガンの有力プレイヤーが揃って狩りに行く。ここらで有名な未探索ダンジョンに行くのだ。年末にある選挙に向けて実力を示したいのだろう。行動指針の変わらない分かり易い人物だ。

 僕はそれを狙う。一レイド――四十九人には及ばないが、四十人近い攻略隊を潰そうと思う。一人で。

 多くの人が無理だと思うだろう。しかしこの程度もできないようでは、最強のプレイヤーなどなれるはずもない。このために爪を研いできたのだ。それに秘策も準備してある。勝つ気しかなかった。

 

******

 

~side:ディラン~

 俺は未探索ダンジョンの攻略に引きずり出されていた。領主や執行部等の種族のトップが勢揃いしたレイドの一人として。馬鹿なことだとは思うが、彼らとの関係を切る気もないため嫌々ながら参加している。向こうからしても、恐らくスプリガンの中でトップの実力の持ち主――レントが脱領したからなのだが――の俺を手放そうとは考えていないのだろう。

 そのレントが襲撃に来るかもしれないとは領主に提言した。しかし、ミルネルはまともに取り合わなかった。まあ、無理もない。執行部なんかは実力も兼ね揃えた猛者たちだし、このレイドには四十人近くが参加しているのだ。俺でもこの集団を襲撃するのは無理だ。

 しかしレントには何かある。恐らく魔法だ。俺は結局あいつが魔法を使って戦っているところを見なかったのだが、あいつは全種類の魔法を極めると言っていた。剣の実力もそうだが、真に注意すべきはそちらだ。

―――レント、今の俺は領主の護衛だ。敵として立ち向かってやる!

 俺の意気込みは、しかし空回る。予想外にダンジョン攻略は上手くいった。未踏破部は残るものの、十分な成果と戦利品を抱えてデラニックスへ飛び立つ。拍子抜けしつつ今回は見逃したのかと思った瞬間、

 

 

 

 仲間が消えた。

 

 

 

 一瞬の内に周りにいた四十人のプレイヤーが消えたのだ。エンドフレイムすら見えなかった。それは生きていることに証左になりうるか。

 

「――ご機嫌よう、皆さん。ご存知とは思いますがレントです。以後お見知りおきを」

「――さて、仲間が消え果てて慌てていることとお察ししますが、種明かしをしましょう」

「――僕は()()()()透過魔法をかけました。そのためにお互いが見えなくなっているのです」

 

 案の定いつの間にか現れていたレントの言葉に耳を傾ける。つまり、誰かが看破魔法を使えば良いのだ。

 

「――おっと、看破されては困りますね」

 

 言うと同時、レントが飛び出す! 止める間もなく、計九つのエンドフレイムが見えた。

 九人というのは今回の攻略隊にいた高位のメイジだ。恐らく下調べされていたのだ。レントの魔法は高位のメイジでもなければ解除は難しいだろうから、これでこちらにレントの魔法を破る術はなくなった。

―――いや、一つだけある!

 俺は思いついた策を実行に移す! 得物である刀を抜き、レントに斬りかかる。

 

「――おやディラン、お久し振りですね。僕は一人ですから僕を動かせば自分の存在を他の人にアピールできる、と。やはりそう来ましたね」

 

 レントが俺の考えを当てるが、それは俺がいることを示しているに過ぎない。何が目的だ。刀は簡単に避けられてしまったが、もう一度距離を詰めようとした。そのときだ、レントの周囲で四つのエンドフレイムが発生した。

 

「――アイデアは良いんですけどね。他にも同じ発想をした人のことを考えないと、こんな風に同士討ちが起こってしまいますよ?」

 

 誰がやられたのかは分からないが既に四分の一がやられている。最初に九人がほぼ同時にやられたということは、レントは一撃でこちらを沈められるということ。それをしないのは弄んでいるからなのか。

 緊急離脱しようにも、ここはスプリガン領ではなく、即時ログアウトはできない設定になっている。

―――領主だけでもっ……!

 俺はミルネルがいたと思われる場所に向かった。そこらを手で探れば、ミルネルに当たってその姿が現れた。透過魔法は接触でも解除されるからだ。

 

「デ、ディランか。皆、私を守れ!」

「――残念でした、ディラン。ちょっと人手が足らないようですよ?」

 

 俺が必死にミルネルを探している間に、あいつは更に数人を炎へと変えていた。一対一の状況であいつに勝てるかは俺でも確証はない。

 互いにぶつかったことで露わになった俺達は、ミルネルを含めて十五人まで減っていた。

 

「……レント、お前強すぎじゃないか?」

「――それほどでも。これでも今まで無為に過ごしたわけではないのです」

「見逃してくれたりはしないか?」

「――さあ、そろそろデラニックスに帰るお時間ですよ? 歩くのも面倒ですから、すぐに送って差し上げましょう」

 

 そう言って浮かべた笑みは獰猛で、恐怖心を掻き毟るものだった。恐怖に震えたプレイヤーが爆散する。

 

「……へ?」

 

 ……これがレントの厄介なところ。噂に聞くシルフの《スピードホリック》よりも速いと思われるスピードだ。それをホバリング中から突発的に出すのだ。止まっている状態から、見たこともない高速で間合いに入られる。それは目視して反応できるようなものではない。

 慌てて、レントが通り抜けていった後ろを振り返る集団。

―――あいつが真っすぐ飛んでいるわけがないっ!

 やはり側面から襲ってきた必殺の剣を、俺は何とか勘で弾く。

 

「――おや、ディラン。これを防ぎますか」

 

 あいつが止まった。要注意だ。この状態は抜刀術なら刀が鞘に入っている状態。つまり、臨戦態勢だ。

 

キィィィィィン!!!

 

 ……何とか、防いだ!

 

バァァァン!!

 

 刀で剣を受け流したばかりに、後ろで別のプレイヤーが爆炎へと変わる。

―――しまった!

 今の俺は後ろに守らねばならない人を抱えているのだ。一人で生き残ることより余程不可能に思える難題に顔を顰める。

 自分とミルネルを除いて残り十一人。

 

「固まれ! 円陣を組むんだ!」

 

 俺の指示でミルネルを中心に円を組む。どこからでも反応できるように。

 

「下に降りるぞ。空中じゃ分が悪い」

 

 これも事実だ。地表近くでは流石にあのスピードは出せない……はずだ。

 そうしている内にレントは自分に透過魔法をかけたようで、どこにも見えなくなっていた。

 地面へと降り、円を組んで警戒したままスプリガン領に向かって歩くこと数分。一人が息を吐いた。

 

「――ほら、油断しちゃ駄目ですよ?」

 

 ……一人欠けてしまった人数で円陣を組み直す。いつ、どこから来るか分からない必殺の剣。それは人の精神をじりじりと削る。

 

「ま、まだスプリガン領には着かんのかね」

「……飛んで、十数分かかりますからね。全然ですよ」

「くそぉぉ。まだか、まだなのか」

 

 戦闘要員よりも先にミルネルの精神が削れそうだ。

 領主が倒された場合、倒したプレイヤーに領主館に貯えられている資金の三割を問答無用で奪われる。更にそれから十日間、領内の街に好きに税金をかけられるため馬鹿にならない被害が出る。そのプレッシャーに震えているのだろう。

 

「――まだかまだかと催促され、嬉しいのか嬉しくないのか複雑ですね」

 

 今度は二人やられた。レントは姿を俺達に晒したままだ。

 

「――これ以上お待たせするのは悪いかと思いまして、どうぞかかって来てください」

 

 ……ミルネルめ、余計なことを言いやがって。思わず胸中で吐き捨てる。ミルネルは倒させるわけにはいかない。残りの九人で一斉に襲いかかるのが正解か。

 

「――残念、時間切れです。こちらから行かせてもらいます」

 

 言うと同時、突っ込んできたレントに応戦する。姿――敵のも味方のも――が見えており連携が取れるためまともな戦いが成立している。しかしそれは見かけ上の話であり、ダメージレースは一方的だった。

 SAO上がりのレントの地上戦に対する慣れは言うまでもない。こちらの攻撃は掠りもしないのに、あいつからの攻撃は届く。今は掠っているだけだが、それでも蓄積ダメージで人数は減っていくだろう。

―――どうする、どうする!?

 

「――抜けました」

 

 レントの剣の一振りで三人が散る。あいつの剣は一撃必殺、隙を見せた瞬間に()られる。しかも隙とも思えないところを隙と認識してくるから防ぎようがない。

 三人が目の前で屠られ、怯んだプレイヤーは三人の後を追った。

 レントが聞いたこともないスペルを唱え始めた。警戒する。

 まだ終わらない。

 二十単語を超えた。詠唱の長い魔法はその分超強力な魔法だ。他の四人が明らかな動揺を見せ、一人がスペル詠唱中のレントに斬りかかる!

―――確かにそれが正しい!

 スペルの詠唱は細心の注意が必要だ。ならばその集中を乱せば良いのだ!

 しかし、そう簡単にレントが弱点を見せるはずがなかった。ALO全体で見ても何人ができるかも分からない、戦いながらの詠唱という神業をあいつは見せた。流石にこちらを撃破するほどの冴えはなかったが、五人からの攻撃を冷静に捌き詠唱を続けるなど人間業とは思えない。

 あいつの詠唱が終わる! 結局詠唱失敗(ファンブル)させることは叶わなかったが、全精力をもって警戒する。

 レントの周囲に緑色の真空弾が現れた。それが飛来する! 一人は回避に失敗。リメインライトになった。

―――一撃でHPを削りきる攻撃力っ!

 他は回避に成功したが、一人、その隙を突かれレントに殺される。残り三人!

 真空弾は折り返してもう一度襲いかかる! 一人がそれに当たる!

―――追尾機能!

 最後の一人は俺に向かって放たれた弾も食らい、消滅した。

 

「後は頼みました、ディランさn……」

 

 そしてガタガタ震えているミルネルと俺だけが、レントと向き合うことになった。

 

「――こんなときにも領主を庇いますか。正に護衛の鑑ですね」

「レント、お前こそオリジナルスペルなんてもんが使えるとはな。目指してた魔法剣士って奴そのものじゃねぇか」

「――ええ、さっきのは《風》と《炎》、《闇》を組み合わせてみました。使えるでしょう?」

「はは、怖いほどにな」

 

 乾いた笑いしか出てこない。俺はレントと向き合い、タイミングを計っていた。それはレントも同じなようで、そのまま一分ほど経ったのか、リメインライトは次々と消えていった。

 その一つが消えたタイミングで俺とレントは同時に地を蹴った!

 

カン、キィン、キキキキ、カキィィィン!

 

 レントの白い剣と俺の黒い刀がぶつかり、弾き合い、鬩ぎ合う。一度大きくバックステップを踏み、距離を取る。リメインライトは一つもなくなっていた。

 

「――ミルネルさんは貰いました」

「なっ……!!!」

 

 気づけば、場所が入れ替わっていた。そうなれば当然そちらにはミルネルが……、

 

「ヒィッ!」

「――さようなら」

 

 そしてミルネルはリメインライトになった。

 

「うおおおぉぉぉぉぉぉぉ!!!」

 

 俺は翅も使い、最高の勢いでレントにぶつかる! レントを森の中へと弾き飛ばし、混戦になる。

 これまた一分ほど経ってだろうか、鎬を削って戦っていたレントがその動きを止めた。

 

「はあ、ディランがいるなんて予想外でしたよ」

「…………」

「ああ、安心して下さい。言ったでしょう、ディラン()狙わないって。リメインライトが消えるまで待ったんですから」

「……ったく、領主が殺されてこっちはもう最悪だってのに」

「ああ、これどうぞ」

 

 そう言って渡されたのは金貨袋だった。ズシリと重い。

 

「さっきの領主館からの資金分です。別にそれが目的じゃなかったんでお返しします」

「は、はぁ!? ――まあ、ありがたく受け取っとくけどよ……」

「じゃあ、それでは。またどこかで会いましょう」

 

 こちらに疑問を挟ませる時間も与えず、レントは翅を震わせ飛び去った。

 金目的でないなら何が目的だったのかやら、あの奇妙な間を持たせた喋り方やら、聞きたいことはたくさんあったのに、結局俺が得たのは大量のユルドだけだった。

―――こんな大金、抱えて帰れってのかよ……。

 

******

 

 デラニックスに帰れば、そこは大変なことになっていた。

 領主が殺されたのだ。しかも最後まで残っていたミルネルが言うには、《ディラン》がその襲撃者と互角の戦いを繰り広げていたのだとか。

 噂が蔓延するそこに無事に帰ってきた俺は、多くの人に質問攻めにされた。

 

「何度言ったら分かる! レントは! 金が目的じゃないからって言って、俺にこの金貨を押しつけてきやがったんだよ!」

「なら! 何で私を襲ったんだ!」

 

 大方の予想はつくが、知らないことは答えようがなくミルネルとも言い合いになる。他の攻略隊メンバーもレントの情報を欲して俺を取り囲んでいた。

 一番辟易したのは、俺を次期領主へという言葉だった。最後まで襲撃者(レント)と渡り合う実力、領主を守ることを貫き通そうとした忠誠心なんかが評価の理由なんだとか。

 昔からある程度の知名度はあったため、実際に他薦で領主になってしまいそうである。皆、ミルネルの保身主義的なところが嫌になってきていたのだ。そこに現れた俺に飛びついたというわけである。

 ミルネルは隅の方でハンカチを噛んで悔しそうにしていた。

 

******

 

 この襲撃以来、レントはレイドをも崩壊させる戦力として恐れられることになる。

 全ての種族を対象にPKをし、その見た目と散々弄んだ末に止めを刺すことから、こう呼ばれることになる。

 

 《白い悪魔》と。




主人公の二つ名
SAO
・オレンジキラー
・白の剣士
・奇術師
・レッドキラー
・狂戦士
ALO
・バグリガン NEW(前話)
・白い悪魔 NEW

 ALOではこれ以上増えないでしょう。PKの時に弄んでいるのはただの趣味です。(主人公のです。筆者のではありません……多分)
 筆者の活動報告の方でちょっとしたアンケートのようなものを行います。よろしければご覧ください。


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#19 襲撃

 さて、誰が誰を襲撃するのでしょうか――これ一回やった気がする――。どうぞ。


「うん、僕はその可能性もあるかなって思ってる」

 

「……そう、なら気が向いたときに考えてみて」

 

 

 

「ん、じゃあまたね和人君」

 

 発売から二年以上経って旧型となってしまったスマートフォンを耳元から外した。

 SAOから帰還して二ヶ月程経ち、年が明けた。最近の変わったことと言えば、SAOに巻き込まれた学生向けの学校が今年の新学期から始まるということだろう。

 『帰還者学校』と呼ばれるそれは、この二年間で遅れてしまった勉学を追いつかせるための国の施策だ。SAOは十三歳以上という年齢制限があったため、十五歳から二十歳前後までが対象になっている。ただ年齢制限を無視していた年少プレイヤーもいたので、年齢の幅は更に広まるだろう。しかし、六千五百人ほどのSAOサバイバーの内、学生は千三百人ほど。学年は多くとも総生徒数は通常の大きめの学校と大して変わらない。

 卑劣なテロリズムに巻き込まれた学生の救済のため。そう謳われての事業であるが、その実はSAOで暮らした青少年に精神的な問題がないか調べるためだろう。サバイバーはゲームの世界で異常な日々を過ごしてきたのだ。現実世界で何かの問題を引き起こすかもしれないという偏見は常につき纏う。その学校にはカウンセリング等も充実しているらしいから、やはりそれが主な目的なのだろう。

―――高卒資格が貰えるのは嬉しいけどね。

 二年の差は――特に学生の間は――社会復帰に大きなハンデを負うことになる。それが多少なりと解消されると思えば、受け入れる他ない。

 僕はあれから菊岡と何度か会い、知り合いの連絡先を手に入れることに成功した。と言っても、エギル、エリヴァ、リズベット、キリト、アスナ、アルゴ、タロウなどの極々少ない人数だったが。彼らに端から連絡を取っていた。

 実は、SAOクリアから二ヶ月経った今でも、現実に帰らない人達がいるのだ。その数は三百。脳死したわけでもないのに、目を覚まさない。菊岡の所属する仮想課はその件でここ最近てんてこ舞いらしい。

 そして、連絡を取ろうとして分かったことだが、アスナもその三百人の内の一人だ。

 キリトとアスナは僕がログアウトした後に、あの水晶の床で茅場に会ったそうだ。その後も最後のログアウトまでアスナとは一緒にいたとキリトは語る。しかしキリトが目を覚ましたのに、アスナは目覚めていない。

 そのアスナ達三百人は一体どこにいるのか。僕は、それはALOではないかと疑っている。それも世界樹ではないか、と。

 茅場がプレイヤー全員をログアウトさせたことは確実だ。それが彼の美学なのだから。だとすれば、三百人の未帰還者を生んだ原因はいくつか考えられる。

 一つ、未だにSAOにいると思い込んでいて目を覚まさない。

 これはアスナには当て嵌まらない。彼女はSAOがクリアされた場面を見て、現実での再会をキリトと約束しているのだから。

 一つ、データの奔流に流された。プレイヤーの意識はサーバーに集中していたから、それぞれのナーヴギアに戻るまでの間に空隙がある。そこで何らかのトラブルが起きた可能性だ。

 茅場がそんなやわな接続の仕方をしているとは思えないから、仮にそうだったとしてもそれは外部からの干渉によるものだろう。

 一つ、別の所に拉致されている。

 僕にはこれが一番納得できた。データの混線から意識がネットの海で迷子になっているというよりは、別の場所に意識を引き摺り込むための干渉が外部から行われたという方がもっともらしい。事故か事件かという話だが。

 ナーヴギアは接続状態――プレイヤーからもネットからも接続がある状態――らしいから、プレイヤーの意識の拉致先はVRワールドでなくてはならないだろう。その候補として最も可能性が高いのはALOだ。

 広大なマップを誇るVRMMOは、技術秘匿によってALOしか存在していない。ALOを経営しているレクトには倒産したアーガスからSAOのサーバーが託されていたのだから、外部から干渉して稼働中のALOサーバーにプレイヤーを流すことも可能だろう。

 これほどの企みは、レクトの中でも高い地位を持つ人間でないと不可能だ。しかしアスナはレクトの社長令嬢なのだと言う。その彼女にレクトの人間が手を出すのだろうか。

 これは一つの可能性として菊岡にも話してみたが、確かな証拠があるわけでもなく、この情報を基に捜索することは不可能だろう。特に仮想課はレクトと対立したくないことであろうし。

 キリト――本名、桐ヶ谷和人との通話を終え、僕はALOに向かうべくアミュスフィアを被った。退院してから更にログイン時間が増えてしまったのはご愛敬だ。あの世界へと通じるコマンドを発声する。

 

「リンク・スタート」

 

******

 

―――そろそろここを通るはずだ。

 僕は森に潜みながら、空を眺めていた。

 ここはシルフ領の端の森だ。少し飛べばすぐに中立域に入る。

 ALOにおける強力なモンスターやダンジョンは、中立域の方によく出現する。各種族は自領地内では自由にログアウトできるため、領地内に狩り場を設けては難易度が低くなり過ぎる。それに関係してか、領地の中でも中立域に近いとそれなりに高レベルのモンスターが現れる。

 本日のターゲットはそれを狩りに来るシルフ領主だ。領主はPKされると大きな被害が出るため、日々のプレイでは領外に中々出ない。それが最も中立域に近づくのが狩りのタイミングだ。そこを狙う。

 こういった領主をターゲットにしたPK未遂――領主を殺すとそれはそれで面倒なため直前で手を引いている――を、僕は全種族に仕かけている。そして、残りはシルフとサラマンダーだけになっていた。

 そして、現シルフ領主の《サクヤ》が今晩この森付近で狩りをするという情報を、僕はとあるシルフの執政部の人間から聞き出した。そのため待ち伏せをしている。

 全種族に名を轟かせる計画は進行中だ。領主襲撃計画はその一端だ。既にある程度《白い悪魔》の名前は知られているが、もう少し何かが欲しい。ビッグネーム――サラマンダーの《ユージーン》辺り――を潰したいところだ。

 

「ゎぁ……」

 

 どこからか声が聞こえた。すぐにSAO由来の《索敵》を発動。感知したプレイヤーは七人、一パーティ分だ。

―――さあ、『狩り』の時間だ。

 

******

 

~side:サクヤ~

―――しまった。マズい。どうする!?

 脳内をその三単語が駆け抜ける。

 襲撃は唐突だった。私はここ最近の日課になりつつある、中立域付近での狩りをしようと思っていた。即時ログアウトができるシルフ領だからと、私も護衛も、共に来た友人のリーファですらも油断していた。そして無様にその油断を突かれた。

 狩り場に到着しスピードを落としたところで襲われた。襲われた場合は、襲撃者に勝てそうでも大事を取ってすぐにログアウトするように取り決めていた。

 私がログアウト操作をする間は五人の護衛が襲撃者を抑え、リーファが私の傍で警戒していた。

 ログアウト操作には五秒もかからない。左手を振り下ろし、メニューウィンドウを表示。スクロールして下から二番目を選ぶ。そして出てくる承認ボタンを押せば完了。

 しかし襲撃者は、その五秒間すらこちらに与えはしなかった。

 目の前から針が飛んで来たと、私は当たるまで気づかなかった。元々ALOにはそのような得物を使う者はいない上に、その針が非常に速かったからだ。

 その針には麻痺効果があったようで、私は麻痺状態に陥った。麻痺状態になると飛行するための翅も麻痺するので、私は落ちていった。隣にいたリーファも針を捕捉できておらず、反応が一テンポ遅れた。その隙が完全にログアウトを封じた。

 十メートル以上離れていた襲撃者は、止まった状態から途轍もない勢いでこちらに飛んで来た。そして、麻痺状態になり落下中の私を思いきり蹴り飛ばした。

 長い距離を飛んでいる間に高い《状態異常耐性》のお陰で麻痺から回復した私は、襲撃者が来ない内にログアウトしようとした。

 

『中立域での即時ログアウトはできません。アバターが残ってしまいますがよろしいですか?』

 

 まさか、あの襲撃者は私を中立域に飛ばすために蹴り飛ばしたのか。

―――何て手練れだッ……!

 目の前を向けば、苛烈な襲撃者の攻めに他の六人も中立域へと押し出されてしまった。

 

「サクヤ様っ! 我々が時間を稼ぎます! その間に領内にっ!」

「――貴方じゃ時間も稼げませんよ?」

 

 一人がこちらに叫ぶ。しかし彼はすぐにエンドフレイムに変わった。この世界でも一撃で相手のHPを削りきるプレイヤーは何人かいる。しかし殺された彼はシルフの中でも十指に入る実力者だ。改めて、たった一人の襲撃者の腕の良さに舌を巻いた。

 

「ぐはっ!」

「――魔法がファンブルしてしまいましたよ?」

 

 連携しながら立ち向かう四人のシルフの手練れを捌きながら、襲撃者はあの針で一人の魔法をファンブルさせた。針を口の中に投げ入れたのだ。感嘆を通り越して呆れる技量だ。

 

「――四人でこれですか。少し、飽きましたね」

 

 間に特徴のある独特な喋り方をした全身が白い襲撃者は、そう言うと一気に二人を爆炎へと変えた。

 

「なっ!!」

「――はい、もう二人」

 

 今の隙を突いて離脱しようとした私に針を放り牽制しながら、更にメイジ役ともう一人を斬り殺した。

 その場にはリーファと私だけが残される。

 襲撃者と睨み合うこと一分が経ち、リメインライトも消え去った。

 睨み合っている間に私は襲撃者を観察していた。

 襲撃者の第一印象は『白』だった。

 簡素な白い服の上に白いコートを羽織っている。特に華美な印象は与えないが、いかにも熟練といった雰囲気だ。相応に装備のランクは高い。

 武器は片手剣だ。威力は両手剣ほど出ないが片手で扱えるため取り回しが楽で、愛好者はとても多い。剣もこれまた白いカラーリングをしていた。こちらも派手ではないが、しっかりとした造りで鈍さを全く感じさせない刀身は間違いなく《古代武器級》だ。

 この『白』というカラーリングが似合うプレイヤーはALOには中々いない。しかしこの襲撃者にはとても似つかわしかった。それもそのはず、大半のプレイヤーに白が似合わない理由はその髪や瞳といった身体的な部分の色に原色が多いためだが、襲撃者の肌は抜けるように白く、髪の色も純白、瞳はよく見れば薄いグレーだがパッと見ただけでは白に見える色合いで、要するに装備など関係なくそのプレイヤーは『白』なのだ。

 戦っていたときに見えた翅は、自主的に脱領したことを意味する乳白色であった。しかしレネゲイドだろうが髪や瞳の種族カラーは変わらない。つまり種族の色に白がない現状、身体的特徴が白いプレイヤーなど本来は存在しないのだ。

 それを覆す存在が現れたというのは風の噂で聞いたことがある。そしてそれ以上に、ここ最近シルフのプレイヤーを悩ませているPK(プレイヤーキラー)の特徴が『白』だった。他の種族でも、同一と思われるプレイヤーによって多大な被害が出ているらしい。たしかそいつが名乗った名前は――

 

「――さて、ここらで挨拶をしておきましょうかね」

 

 襲撃者は一分間ほど続いた沈黙を破って口を開き、一度剣を下ろした。

 

「――初めまして、サクヤさん、リーファさん。僕は《白い悪魔》レントです。以後お見知りおきを」

 

 そして私の考えが正しかったことを知らせる。

 

「……ふむ、近頃シルフプレイヤーに被害をもたらしている《白い悪魔》とはそなたのことか」

「――シルフ以外も狙っていますがね」

「ふ、見たところ脱領者のようだが、どこかに雇われているのかな?」

「――いえ。これはただの趣味です。ご案じなく」

「領主の襲撃が趣味とは穏やかではないな。しかし他の領主が打倒されたなどという話は聞かない。本当に趣味なのかい?」

「――どの種族だろうと、みすみす領主を危険に晒したなどと吹聴したくはないでしょう。それに、スプリガンの領主以外には止めを刺していませんから。シルフの領主であるサクヤさん、貴方で領主を襲うのは八人目です。安心してください、ちゃんとした趣味ですよ?」

 

 にこやかに笑いながら恐ろしいことを言うものだ。

 それにしても気味の悪い喋り方をする男だ。リアルではまともに話せないコミュ障で、仮想世界に来て天賦の才を発揮でもしたのか。纏わりつくような、背中に回り込まれているような粘着感を持っている。

―――いかん、いかん。今はこの場を乗りきることを考えなくては。

 

「それなら私は見逃してくれるということかな?」

「――ええ。ただ、こちらの《スピードホリック》さんはお借りしますよ」

「えっ!?」

 

 いきなり話を振られたリーファが驚き、首を竦めている。

 

「――余りに気にかかってしまったので、リーファさんに稽古をつけようかと」

「……な?」

 

 今度は面食らうのは私も同じだった。

 

******

 

~side:リーファ~

 な、何で私がこんな目に。

 今日はサクヤが狩りに行くっていうからついて行こうと思っただけなのに……。

―――しっかりするのよ! リーファ!

 やるとなったらやってやろうじゃないか。この、剣道で全中に出たあたしに稽古をつけるというならやってみろ!

 頬を叩き振り向いて、襲撃者――レントに視線を向ける。

 レントは木――翅の持ち時間が足りなくなって降りて来た――に凭れかかっているサクヤを斬りつけていた。

 

「ちょ、ちょちょちょちょっと待てぇぇい!!」

 

 私はレントに剣先を向ける。

 

「何よ、あんた! あたしが稽古を受ければサクヤには手を出さないって!!」

「――とどめめを刺さないとは言いましたが、手を出さないとは言っていませんよ」

「く……、リーファ、私は大丈夫だ。麻痺はしているが、やはりこいつの腕は確かだ。私のHPは残っている」

「――当たり前です。一ドットだけ残して差し上げましょうか? ちなみにサクヤさんにかけた麻痺はHPが少なければ少ないほど強力になる麻痺毒です。今の状態では熟練度の高い《状態異常耐性》があっても十分は動けないでしょう。分かっているとは思いますが、これは逃がさないための枷ですからね?」

 

 ……サクヤは取りあえずは無事のようだ。しかし十分間も動けないなら、あたしがそれより早く《死に戻り》でシルフ領に戻ってしまえば……。

 野良モンスターに身動きできないサクヤが殺される光景を想像してしまい、頭を振るって嫌な光景を振り落とす。

 

「フゥ、さあ、稽古とやらを始めましょうか」

「――ええ、まずはその剣道に引き摺られる癖を直しましょう」

「え?」

「――剣道は確かにALOではかなりのアドバンテージですが、ここに剣道のルールはありません。下手に引き摺られると無駄死にしますよ?」

 

 確かに、あいつが針を投げたときあたしは全く反応できなかった。それは頭のどこかで、敵の得物は剣だけだと決めつけてしまっていたからだろう。

 あたしはシルフの猛者たちを軽く蹴散らした人間の言葉に耳を傾け始めていた。

 稽古が始まり、あたしは様々な搦め手や、剣道にはないアクロバティックな動き等を実演して見せられた。サクヤが動けるようになるまでの十分間ずっと。

 その全てにあたしは翻弄され、何度もリメインライトになった。その度に高位の蘇生魔法でレントに蘇生させられ、稽古を続けた。

 結果的に死亡罰則(デスペナ)でスキル熟練度は下がってしまったが、実戦の経験という重要なものがあたしの手には入った。

 レントにはあたしの天狗の鼻を徹底的に折られた。《スピードホリック》と呼ばれシルフでも随一の飛行能力を持っていたあたしだが、上には上がいる。レントはホバリングの状態からあたしの全力以上のスピードを突発的に出す。一体どこをどうすればあのスピードが出るのか、あたしには全く想像もつかなかった。

 あたしに勝てるような相手とはリアル含めても中々出会えないのだが、先程の稽古では結局掠らせることすら叶わなかった。斬り下ろしを紙一重のバックステップで避けられたときに柄から手を放してリーチを瞬間的に伸ばしてみたが、それすらも微笑を崩さずに避けられた。あのとき、あたしは改めて敗北を叩き込まれた。その強さにはリアルでの剣道の師範にも通じるものがあった。

 稽古が終わり、麻痺から解放されたサクヤとあたしは無事にシルフ領に入った。それを後ろから確認されていたが、最早それすらも気にならなかった。師匠とすら呼びたい気分であった――サクヤがいたため遠慮したが――。

―――また、会えないかなぁ。

 会った瞬間にPKされている気もするが、再び相見えてみたいと純粋に思った。




 趣味で領主襲撃はちょっと……。引きますわぁ、流石に。
 ちなみにサクヤの情報を得た脅しの方法は、

主人公)おら、領主の予定吐けやぁ!
執政部)言うわけないでしょう!
主)なら、殺して、復活させて、殺してを繰り返してデスペナ漬けにしてやんぞぉ!
執)やってみればいいじゃないですか!

~無限ループ中~

執)言いますからぁ、これ以上は止めて下さいぃ。初期値になるぅ。
主)けっ、根性ねぇなぁ。たったの十五回でギブアップか。

 ……悪役ですね。


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#20 挑戦

 さて、原作にそろそろ合流します。どうぞ。


 シルフの領主を襲撃してから二週間ほどが経った今日、僕は世界樹の下にいた。

 世界樹の上に辿り着き妖精王オベイロンに謁見することが、グランドクエストというゲームの最も大きな目標だ。そして世界樹までは、ある程度キャラが育っていれば比較的簡単にやって来れる。その証拠に世界樹の麓、《アルン》の街には様々な種族のプレイヤーが大勢暮らしている。それなのにサービス開始から一年が経ってもグランドクエストがクリアされないのにはわけがある。

 それは単純に世界樹の攻略難易度が異様に高いためだ。かつて様々な種族が大群を率いて攻め込んだが、世界樹を攻略することは遂に叶わなかった。それゆえ今ではグランドクエストの攻略――それに伴う飛行制限解除の方だろうが――は望まれてはいるが、達成できないものと興味が薄れている。世界樹を頂点に円錐状に広がるアルンの街並みでは中心、つまり世界樹に近づくほど人口が少なくなることからもそれが見て取れる。

 本日の標的はその最高難易度クエストだ。空中戦闘含め、この世界で自分がどこまで成長したのかの試金石にするのだ。

 世界樹には自然物らしからぬ大きな門があり、その両脇には大きな石像が門を守るように控えている。妖精の姿が彫り込まれた豪奢なつくりの白亜の門に近づくと、両脇の巨像が九〇度回転し、手にしていた剣を交差させ道を塞いだ。それと同時に威厳を感じさせる声が降りかかる。

 

『未だ天の高みを知らぬ者よ。王の城へも至らんと欲するか』

 

 手元にウィンドウが表示される。

 

『グランドクエスト《世界樹の守護者》に挑戦しますか?』

 

 迷わずに『〇』を押せば、剣がどかされ再び声が聞こえた。

 

『されば、そなたが背の双翼が天翔けるに足ることを示すがよい』

 

 門が開く。

 僕は腰の鞘から剣を抜き、世界樹の中へと踏み込んだ。

 

******

 

 世界樹の中は伽藍洞だった。門があることすらそうだったが、この世界樹は植物よりも建築物に近い。

 僕が中に入ると、その空間は白い光に満たされて明るくなった。

 遥か上方の天蓋は十字の切れ目が入っている。あれが入り口だろうか。

 背中の翅を震わせて少し地上から浮き、遥か上を目指し、飛び出す!

 世界樹の壁を埋め尽くしているステンドグラスのような造りが発光し、敵が出現する。

 このグランドクエストの情報はできる限り集めた。それによるとこの白い鎧を着ているようなmobは《ガーディアン》と言うらしい。グランドクエストの題にもなっている守護者だ。一体一体の強さはトッププレイヤーに至らない上級プレイヤー並なのだが、出てくる数が尋常ではない。四分の三ほども進むと天を埋め尽くす数になるそうだ。

 最初の一体はすれ違いざまに斬り飛ばす。それだけでそいつは爆炎に散った。

―――筋肉が、視える……?

 ALOのモンスターは基本的に筋肉が視えない。SAOでも見たような、つまりSAOからコピーしたモンスターには筋肉が視えるので、単純にそこまで創り込んでいないだけだろう―――茅場の頭がおかしかったのだ――。ちなみにプレイヤーはSAOとほぼ同じ造りなので、ALOオリジナルの翅と耳以外の部位は筋肉が視える。

 そんなALOで、ガーディアンは()()()筋肉が視えた。つまりこのモンスターはSAOからコピーしてから全く手を入れていないのだ。

 

 

 

 それなら楽だ。

 

 

 

 筋肉の視えない敵と視える敵なら、やはり視える敵の方が動きを予測し易い。

 意外と楽かもしれないなどと思っていると、しかしその考えを打ち砕くように壁が発光した。出てきたのは百に届くかもしれない数のガーディアン。

 

「――その程度で《白い悪魔》を止められると?」

 

 自分を鼓舞して不敵に笑い、僕はその軍勢へと飛び込んだ。

 足、いや翅を止める必要はない。ひたすらに上へ。僕の全速で飛べば、接近してもそう容易くは捉えられない。そのままガーディアンを避け、躱し、突き進む。

 全てと戦う必要はない。避けきれないものだけ斬れば良い。ガーディアンはスピードに乗ったソウルソードを急所に受けて立っていられるか。答えは、否。SAOでも魔剣クラス、ALOでは古代武具級を超える性能の剣だ。いくらモンスターといえど人型で耐えうるほど柔い攻撃ではない。

 右へ左へ飛ぶ。目の前に降ってきたガーディアンは剣で抑え、その隙に飛び去る。上左右前後の五方向からの攻撃は、一旦スピードを緩めた後にギアを上げて間を通り抜ける。僕の動きにガーディアンは翻弄されていた。

 天蓋の出口――入口か――へ四分の三ほど進んだとき、壁が一斉に発光した。

 新しく生まれたガーディアンが道を塞ぐ。既に上方の出口は見えず、ガーディアンしか目に入らない。

―――これが天を埋め尽くす軍勢!

 置き去りにしてきた、数百もいるのではないかと思える数の下方のガーディアンが弓を構えていた。

 

「マズっ!」

 

 翅を止めた瞬間に挟み撃ちだ。今から抜けようと思ってもあの数を一気には抜けない。

 

「ハァァァァァァァァァ」

 

 思いきり深呼吸する。

 

「スウウウゥゥゥゥゥゥゥゥゥゥ」

 

 そして、

 

 

 

 

 墜ちた。

 

 

 

 

 狙いを修正するガーディアン達。ギリギリまで引きつけてから、翅を動かして急上昇!

 既に放たれていた矢を躱す。真下から放矢は大きく膨らむことで避けた。それ以外の矢は放物線を描いて、僕に届かず落ちていく。あちこちで同士討ち(フレンドリーファイア)が巻き起こる。

―――いや、上に撃ったからね。落ちてくるよ、そりゃ。

 第二射を射られる前に上を突破しようと、僕は上を見上げた。

 

「……へ?」

 

 上からは、数えきれないほどの剣が落ちてきた。ただの落下ではなく投擲されたのだと理解する頃には、剣の散弾は目と鼻の先だ。

 

「く、そぉぉぉぉぉぉ!!!!」

 

 目を限界まで見開く。そして、突っ込む!

 

 

 避ける避ける避ける避ける。躱す躱す躱す躱す躱す躱す! 掠る、気にしない! 避ける躱す身を捻る。一瞬止まり急加速! 足が持っていかれた? 気にするな! 今は回避回避回避回避!!!!

 

 

 精神が擦り切れるかと思った十秒と少し。剣の雨を抜けると、上にいたガーディアン達は徒手空拳だった。剣を投げつけたのだから当然だ。設計者もまさかここで撃破できないとは思わなかったのだろう。

 武器を持たない鎧の妖精達を斬り捨てる。素手のガーディアンは恐れるに足らず。ガーディアンが何層にもなった壁を突き破るのは苦労しなかった。

 もう、目指した扉には手が触れていた。

 しかし開かない。

 どこを触れても開く素振りはない。

 どこにもスイッチらしきものは見当たらない。

 十字に入っている溝は何だろうか。指を引っかけて強く引くが反応はない。観察する。パッと見ただけでは何もないように見えるが、よく見るとポリゴンが見えていた。

 

―――これは……何かキーアイテムが必要……なのか?

 

 ハッと我に返る。開いた扉の先に逃げられないのであれば、ここは行き止まりだ。そして背後には……。

 振り返ると、予想した通り犇めき合うガーディアン。揃って弓を引いている。

―――まだ死にたくはないなぁ。

 

「 ――というわけで最後の悪足掻きです」

 

 急いでスペル詠唱を行う。僕の周りを円環状に単語が漂う。円環は何重にも重なり、エフェクトが騒がしい。かなり多い単語数だが、何とか矢を射られる前に発動させることができた。

 発動するのは超強力な隠蔽魔法。かつてのミルネル襲撃時に使ったスペルの基礎となる、激しく動いても解けない隠蔽だ。攻撃を行うときとスペル詠唱中は隠蔽が解けるというデメリットを用意することで、カーディナルも比較的簡単に発動させてくれる――余りにもバランスが崩壊しそうな、例えば即死魔法などは認可されなかったりする――。

 急いでガーディアンにぶつからないようにその間を抜ける。接触があったり、ダメージを受けたりすれば魔法は解除されてしまう。

 空洞の半分より下まで降りてくる。未だに周囲はガーディアンの海だ。

―――どんだけいるんだよっ!

 緊張の中、何とかガーディアンの層の最下部まで降りられた。

 

「……フゥ」

 

 肩が、ガーディアンに触れた。

 

 

『ウィエオイオンアオイオワォヲヲウィ!!!!!!!』

 

 

 ガーディアンの叫び声は何十にも重なって、既に元の声がどのようなものかはまるで分らなくなっている。

 

「ヤッッバ!!!!!!」

 

 叫びつつ、全速で世界樹の門を目指す。門を抜ければ中のガーディアンは追ってこられない。

 矢や剣が雨のように降り注ぐ。AIはそれほど賢くないのか僕がいる場所を狙うため、止まらなければ当たることはないはずだが、互いに干渉し合ってその軌道は容易く変わって半ば面制圧になっている。

 何本か矢が刺さった。痛みの代わりに不快感を与えてくるシステムに膝を折りそうになるが、止まった瞬間に蜂の巣になるのは分かりきっている。

 あと少し。もう手が届く。頭が抜けた。

 僕は何とか、クリア不可能な世界樹から抜け出すことができた。

 

******

 

 世界樹への挑戦を終えた僕は本日――日を跨ぐから今回のログインと言った方が正しいか――のもう一つの目標へと向かう。

 一月二十二日の早くに、《蝶の谷》でシルフとケットシーが同盟の会談を行う。サラマンダーはそこを襲撃する計画を立てており、以前より狙っていたユージーンが指揮官として参加するそうだ。その話をサラマンダーのプレイヤーから聞き出した。

 一月二十一日の深夜、つまり今からアルンを出れば、サラマンダー領から出発する襲撃隊よりも若干早く到着できるだろう。

―――さあユージーン将軍、勝負の時間です。

 

******

 

~side:サクヤ~

 ケットシーとの会談は上手く進んでいた。私とケットシー領主の《アリシャ・ルー》が親しい間柄なのも役に立った。

―――ふ、役に立った……か。

 リアルでは流石にこのような性格ではないのだが、ALOにいると自然とロールプレイングしてしまっている。リアルではできない体験がVRゲームの醍醐味なので構わないのだが。

 同盟の骨組みは前から出来ていたが、そこに肉をつけ終わり、サインをすれば終わりのところまで来ていた。

 アリシャから誓約書を受け取ってアリシャの名前が入っていることと内容を確かめた後に、自分の名前を記す。

 

「さて、これで完成だな。アリシャ、これから一杯d「サクヤちゃん!」……どうした、アリシャ?」

 

 言葉を遮られ、少し不審に思った。普段のアリシャならこれほど怯えた、いや警戒した声を出さない。基本的に余裕綽々としているのが彼女だ。

 そのアリシャが青褪めた顔で、しきりに蝶の谷の方を指差している。

 世界樹を中心としたアルン高原と各種族の領土の間には大きな円環山脈がある。その円環山脈の上空には高度制限があって飛んで越えることはできない。

 その円環山脈を抜けるコースの内の一つが蝶の谷だ。私達は蝶の谷をアルン側に入ったところの岩棚で会談を行っていたのだが、アリシャが指しているのは山脈側だ。

 何事かとそちらを見て、私の顔もすぐに青褪めた。傍から見たらスーッという擬音も聞こえそうなほどだったろう。

 そこにいたのは、新年早々私を窮地へと追いやったあの悪魔だった。

 

「――お久し振りですね、サクヤさん、アリシャさん」

「きっ、君が何でこんなところにいるんだヨ!」

「――おや? 僕は一般プレイヤーですが、ケットシーの領主はプレイヤーの行動を制限したいのですか? ALOにいる以上どこにいようが僕の自由だと思いますが」

「っ……、だから私彼苦手なんだよ~。サクヤ、パス」

「なっ、そ、そんないきなり振られてもだな……。あー、その、《白い悪魔》殿はなぜこんなところに?」

「――内容は変わっていないんですが、まあ、良いでしょう。僕の目的は貴女方ではなく、世界樹方面から飛んでくるサラマンダーですよ」

「なっ!」

 

 言われて慌てて高原の方を見やる。遠くの空から、小さな点の群れが段々と大きくなりながらこちらへと向かってきているのが分かった。

 同じように気づいたアリシャと、シルフ、ケットシーの領主以外のメンバー――外交官だったり護衛だったりだ。ちなみに全員ある程度装備を揃えている――が警戒態勢を取る。

 視力の良いシルフとケットシーといえど、肉眼で見える範囲ならば距離はかなり近い。ここから無事に離脱することはできないだろう。

 その集団が近づくにつれ、その姿ははっきりする。赤い重装備のサラマンダーの一軍だ。数十人を率いて先頭にいるのは、ALO最強とも謳われるサラマンダーのユージーン将軍だ。

 リアルでも兄弟だという武のユージーンと智のモーティマー――こちらが領主だ――によって、サラマンダーは統率されている。先代のシルフ領主を仕留めてからサラマンダーは急速発展し、最大種族に至った。その再演をしようと言うのか。

 

「シルフ領主サクヤ! ケットシー領主アリシャ・ルー! 両名の首頂きに参った!」

 

―――そう簡単に渡すわけにはいかないのだがな。

 私達がいる岩棚の上までユージーンが降りてきて宣言したとき、先程から不気味なほど静観していた悪魔がユージーンの前に立った。

 

「――ユージーン将軍」

「む? 何だ、貴様。……レネゲイド如きがなぜこの場に?」

「――初めまして、《白い悪魔》レントです。以後お見知りおきを。用件はただ一つ。シルフとケットシーの襲撃には手を出しません。その代わり、その後に一戦お願いできないでしょうか?」

「ふん、貴様が噂のプレイヤーキラーか。良いだろう、この場を片づけたら貴様をエンドフレイムに変えてやる」

「――ありがとうございます」

 

―――助けてくれると思っていたわけではないが、ここまで見事に見捨てられると悲しくはあるな。

 取りあえずは臨戦態勢にあるサラマンダーから逃げなければならないのだが。それは少し、難しそうだ。

 打開策を思案していたとき、ピリピリした雰囲気を壊しながら飛び込んできた者がいた。

 

「双方、剣を引けぇえ!!!!」

 

******

 

~side:リーファ~

 ……驚いた。

 サクヤ達の危機を知り、キリト君と一緒にこの蝶の谷まで飛んできたわけだけれども、そこにはしs……レントさんがいた。傍観する構えだが、なぜこんな場にいるのだろうと思っていると、キリト君がサラマンダーの前に飛び込んでいってしまった。

 剰えスプリガン=ウンディーネ同盟の大使などと大法螺を吹き、サラマンダーのユージーン将軍と一騎打ちを始めてしまった。

 キリト君は、剣道の世界でもその難易度の高さから使い手がほぼいない《二刀流》を見事に使って見せた。それでユージーン将軍が持つ《魔剣グラム》の《エセリアルシフト》という能力を打ち破ってしまった。

 キリト君がユージーン将軍を倒し、サラマンダーのプレイヤーの口添えもあってサラマンダーが無事に退いていく、そのときレントさんがその存在を主張した。

 

「――ユージーン将軍、まだ僕と戦っていただいていないのですが」

「……ふ、そうだったな。貴様は手助けはしなかったが邪魔もしなかった。ここで背を向ければ約束を反故にすることになるか。――だが、一度負けたとはいえ俺の強さは変わらぬ。たかがプレイヤーキラーが勝てると思ったか」

「――ありがとうございます。お礼に二度目の敗北の味を教えて差し上げましょう」

 

 あたし達が来る前に何か約束をしていたのか、レントさんが声をかけるとすぐに両者とも戦闘態勢に入った。折角何事もなく帰ってもらえると思ったのに。

 再び静まり返る観客達。岩棚に立つシルフとケットシー。その横に滞空時間が心配なのかサラマンダーも降りたった。空中にはレントさんとユージーン将軍だけがいる。

 さっきまで睨み合っていた人々が固唾を呑んで見守る、その一戦はどちらが勝利することになるのか。

―――レントさん、頑張れっ!

 レントさんは普段から使っているのとは別の白い剣を左手に装備した。

 

「――《エセリアルシフト》が二刀で防げるのは確認済みですからね」

「ふん、やれるものならやってみるがいい。打ち砕いてくれる!」

 

 二人の打ち合いが始まった。

 レントさんの両手に装備した片手剣が閃く。それに呼応するが如く魔剣グラムも踊る。

 ユージーン将軍が打ち込むも、それをレントさんは双剣を使い軽く捌いた。

―――やっぱり強いっ!

 キリト君が使ったときも驚いたが、二刀流を軽く扱って見せるレントさんには感服するばかりだ。

 キリト君の剣は苛烈だった。攻めを体現化したような攻撃だった。レントさんの剣にキリト君ほどの苛烈さはない。しかし、それを補って余りある正確さがあった。

 レントさんの薙ぎ払いを食らい、ユージーン将軍が飛ばされる。

 HPバーを確認すれば、レントさんの方はほとんど減っておらず、ユージーン将軍の方は半分ほど減っていた。圧倒的だ。

 

「――ううん、やっぱりちゃんと二刀流をするのは疲れますね。というわけで、ここからは本気で行きますよ?」

「……ふん! かかってこい!」

 

 あれで本気ではなかったというのか。レントさんは以前も使っていた一振りの剣のみを装備した。

 そしてまた猛烈な斬り合いが始まる。ユージーン将軍の動きも先程より激しくなっている。右へ左へ、回転しながら斬り払い、斬り上げる。

 しかしその全てをレントさんは柳のように躱す。横から首を狙って飛んできた斬撃を剣で受け止める。

 

「一刀ならば……!」

「――残念でした」

 

 《エセリアルシフト》の効果でグラムが剣をすり抜けるも、グラムの腹をレントさんは拳で叩いて刃を上に逸らした。

 

「何っ……!」

「――そろそろ僕の番ですよ?」

 

 言うと同時にレントさんが攻勢に出る。二刀流時よりも手数は減っているはずなのだが、その巧妙としか言えない攻撃はユージーン将軍の行動を制限していく。

 ユージーン将軍が攻撃をしているときはレントさんが反撃をしていたりもしたのだが、レントさんが攻勢になった瞬間から戦闘はワンサイドゲームになった。

 ユージーン将軍のHPバーが見る見る内に減っていく。その僅かに残ったHPを消し飛ばすであろう一撃をレントさんが振り上げる。

 

「ぬぅぉおおおおおお!!!!」

 

 必殺の振り下ろしをユージーン将軍はグラムで受け止めた!

 

「――甘いですよ」

 

 レントさんの剣はグラムにぶつかる瞬間に()()()。再び出現したときにはグラムは後方に流れている。

 そして振り下ろしはユージーン将軍の躰を真っ二つにした。

 

『オオオオオオオオオオオオ!!!!』

 

 ALO最強を破った二人目に、惜しみない賛辞の拍手が送られた。




 若干長くなってしまいました。
 主人公の強さは異常ですね。ステータス含め。
 チーター二人にボコボコにされたユージーン君カワイソス。


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#21 再会

 お気に入り百件突破、本当にありがとうございます!
 ユージーン戦直後からです。互いの正体に気づいた白と黒の話から始まります。どうぞ。


 無事にユージーン将軍を倒し、サラマンダーが飛び去ったことを確認するとその場の雰囲気は幾分か和んだ。

 

「はぁ~、あんたってホント無茶苦茶だわ」

「ん?」

「何で、二刀流なんてものをあんなに簡単に扱えるのよ……。それにレントさんだって!」

「――はは、無茶苦茶とはよく言われます。でも、僕は()()()()で使うのは初めてでしたからね。余り上手くはなかったでしょう?」

「……それ、本気で言ってます?」

 

 すると、置いてけぼりにされていた領主達が事情の説明を求めてきた。

 

「すまんが、状況を説明してくれると助かる。こちらは《白い悪魔》殿がやって来てから振り回され続けていてな」

「……その《白い悪魔》ってのは何だ?」

「僕の異名だよ? キ・リ・ト・君?」

「…………」

「ちょっと話をしよっか?」

「…………うん」

 

 例のキリトと思われるスプリガンに鎌をかけたらやはりそうだったようだ。僕はキリトを、話の聞こえないところまで引き摺っていった。

 

******

 

「へぇ、なるほどね。それで君がこの世界にいるのか」

「……ああ、お前の言う通りだったよ。この世界に、アスナはいる」

「はぁ……。昔からこういう予想だけは当たるんだからなぁ」

「はは、それにしても驚いたよ。お前が《白い悪魔》なんて呼ばれてるなんて」

「……SAOではPKはご法度だったからね。死なないゲームってことで羽目を外してるんだ」

「――大丈夫……なのか?」

「ふふ、そう心配してくれなくても大丈夫だよ。これは僕なりのリハビリみたいなものだし。それにこの世界じゃポリゴンになって人が砕けることはないしね」

「そう……か」

「さて、キリト君。君も()()()()かい?」

「ああ、お前のその格好を見るとそっちもみたいだな」

「うん、ナーブギアでログインしたらこうなった。一回しかログインしてないけどデータの加筆が行われちゃったみたいで。この世界で『白』なのは僕だけなんだ。ある意味面白いからいいけど」

「……俺は外見は影響されなかったみたいで良かったよ」

「だね。リアルと同じ顔でこんな活動してるなんて、いつ晒されるか分からなくて怖いよ」

「ははは、それでも止めないんだろ?」

「もちろん。やっと名前が売れ始めたところなんだから。止めてたまるか」

「ははは」

 

 あの不敵な姿を見て、もしかしてと思った。ユージーンと戦い始めた姿を見て、まさかと思った。二刀流を使い始めて、やっぱりと思った。剣技(ソードスキル)を使って、確信に変わった。

 キリトもALOに来ていたのだ。アスナ(最愛の人)を探すために。

 その確認ができてサクヤ達の元へ戻ると、あちらもどうやら話がついたようだった。

 

「サクヤ……」

「――礼を言うよ、リーファ。君が救援に来てくれたのはとても嬉しい」

「あたしは何もしていないもの。お礼ならキリト君にどうぞ」

「ああ、そうだ。そういえば、君は一体……?」

「ネェ、君、スプリガンとウンディーネの大使って、……本当なの?」

 

 問い質されたキリトは、腰に手を当てて胸を張って言った。

 

「もちろん、大嘘だ。ブラフ、はったり、ネゴシエーション」

「「なッ」」

「――無茶な男だな。あの状況であんな大法螺を吹くとは……」

「手札がショボいときは取りあえずかけ金をレイズする主義なんだ」

 

 よくも言ったものだ。看破されれば――されたようなものだが――、済し崩しに一体多数に持ち込んで蹴散らすつもりだっただろうに。それにどう考えてもキリトはショボい手札ではない。

 などと思っている内に、キリトは二人の領主からのアプローチ――サクヤの豊満な胸部とアリシャの褐色の肌を押しつけられている――を受けていた。それを止めようとしたリーファもキリトに何か特別な思いがあるようだった。

―――ったく、この天然タラシがっ!

 このゲームを始めたのも恋人のためだというのに、行く先々で人を惚れさせる何かがキリトにはある。大きく溜め息を吐けば、それが聞こえたキリトは飛び上がるようにして領主から距離を取った。

 そろそろ出立の時間だ。改めて、二人の領主と別れの挨拶を交わす。

 

「リーファ、キリト君。今日は助けてくれて本当に助かったよ。何かお礼がしたいのだが……」

「いや、そんな」

 

 相変わらずお礼をさせない人間だ、キリトは。それを見かねてリーファが口を挟む。

 

「ねえ、サクヤ、アリシャさん。この同盟って世界樹攻略のためなんでしょ?」

「ああ、まあ、究極的にはな」

「その攻略に私達も同行させて欲しいの。それも可能な限り早く」

 

 そう来たか。確かに世界樹の突破は大軍でないと難しいと考えるだろう――普通は。

 

「――同行は構わない。というかこちらから頼みたいところだよ。しかし、なぜそんなに急いでいる」

「……」

 

 リーファは無言でキリトを見やる。

 

「俺が、この世界に来たのは世界樹の上に行きたいからなんだ。そこにいるかもしれないある人に会うために」

「妖精王オベイロンのことか?」

「いや、違う……と思う。……リアルで連絡が取れないんだけど、どうしても、会わなきゃいけないんだ」

「でも攻略メンバー全員の装備を整えるのに、しばらくかかると思うんだヨ~。とても、一日や二日じゃぁ」

 

 キリトの顔が翳る。

 

「そうか、そうだよな……。俺も取りあえず樹の根元まで行くのが今の目的だから。後は、何とかするよ」

 

 表情は笑ってはいたが哀しそうで、何より悔しそうだった。

 

「あ、それとこれ」

 

 言いながら、キリトは袋を取り出してアリシャに渡す。

 

「資金の足しにしてくれよ」

 

 受け取ったアリシャが落としそうになり、慌てて中を覗き、更に慌てた。

 

「さ、サクヤちゃん! 見て!」

「なっ、十万ユルドミスリル貨がこんなに!? ――いいのか? 一等地にちょっとした城が建つぞ」

「構わない。俺にはもう必要ないからな」

「これだけあれば、かなり目標金額に近づけると思うヨ~」

「大至急装備を揃えて、準備ができたら連絡させてもらう」

「よろしく頼む」

 

 どこか良い感じの雰囲気になっている。それまで静観していただけだった僕も、行動を起こした。

 アイテムストレージから全財産の三分の一ほどを袋に詰め、同じようにサクヤに渡した。

 

「これも使ってください。領主を殺しかけた謝罪と思っていただければ」

「ああ、ありがとう。ってこんな大金! ……どうやって集めたかは聞かないでおこう」

「ははは、それでもまだ半分以上残っていますから、安心して使いきってください」

 

 その言葉を聞いてアリシャとサクヤは戦慄したようだが、すぐに気を取り直した。

 

「これだけあれば目標金額などすぐだ。かなり早く連絡ができそうだよ」

「ええ、僕もキリト君達とは同じ目的ですから。よろしくお願いしますね」

「ああ。……それにしても、喋り方が普通になったな」

「ああ、あれはロールプレイでしたからね。これからはサクヤさんもレントって呼んでください。PKは続けますが」

「はは、そうさせてもらうよ、レント君。シルフを狙うのを控えてくれればな」

 

 サクヤが片目を瞑る。明言を避けて笑い返せば、ククと喉奥を震わせていた。

 そうしてサクヤ達は蝶の谷を去っていった。

 

******

 

「まったくもう、浮気はダメって言ったです! パパ!」

「うわっ……いきなり」

「領主さん達にくっつかれたときドキドキしてました」

「そ、そりゃ男ならしょうがないんだよ」

 

 リーファがキリトに寄り添って僕を無視した良い雰囲気を作り始めたとき、キリトの胸ポケットから小さな妖精が飛び出した。

 

「ユッ、ユイちゃん!!」

「? ……ニイ?」

 

 かつて知り合い、少しの間だったが兄妹のような関係を築いた少女がそこにはいた。

 肩に乗るほどの大きさが、パアーっと光に包まれたかと思うと、最後に見たときと変わらぬ姿に変わっていた。

 

「また会ったね、ユイちゃん」

「はい! ニイ!」

「高い高いしようか?」

「はい!」

 

 あのときに交わした約束を果たせるときが来たことをこれほど嬉しく思うとは。

 笑いながら二人でじゃれていたら、リーファが怪訝な目をしていることに気がついた。

 

「…………」

「ああ、えっと、ほら、久し振りに会ったからね、ちょっとはしゃいじゃってさ」

「……ぷっ、レントさんってそんな顔もするんですね」

「ああ、レントがそんな顔をするとは思ってもいなかったよ」

 

 キリトまでもが呆れた表情を見せている。

 

「へぇ、いいんだ。キリト君が領主さんに鼻の下伸ばしてたってアスナちゃんに言っちゃっても」

「そ、そんなことより、ほら早くアルンに行かないと! 日が暮れるぞ!」

 

 キリトが下手な誤魔化しで飛び立つが、その言葉も事実ではあるので、リーファと僕は顔を見合わせてから空へと追いかけた。

 

*****

 

「だから僕は言ったんだよ。あんなところに村はないよって」

「し、仕方ないだろ! まさか、モンスターだなんて思わないさ!」

「にしても、ここって最近実装された《ヨツンヘイム》だよね? 最高難度の」

「はい、ここはヨツンヘイムですね。ただ、四箇所ある出口はどこも遠いようです……」

 

 僕らは空を飛んでアルンまで急いでいたのだが、夕方という太陽の力も月の力も弱い、要するに飛ぶのに不適切な時間だったため、たまたま眼下に見えた村で翅休めをすることにしたのだ。

 こんな村地図にもさっき通ったときにもなかったと僕は主張したのだが、若干眠そうな顔つきをしたリーファの方を指で示されると何も言えなかった。

 結論から言えばその村は超巨大モンスターの罠のようなもので、その村にNPCが誰もいないことを不審に思い始めたときに僕らの足場は突如なくなった。地面がのたうち、巨大な蚯蚓のようなモンスターの口の中へと吸い込まれてしまった。

 そして、どこから排出されたのかは考えたくないが、脱出した僕らは広大な地下空間にいた。

 ここが新年にアップデートされたヨツンヘイムだというのはすぐに分かった。邪神級モンスターといわれるモンスターに追いかけられたからだ。

 今は何とか洞窟の中に隠れた状態だ。

 

「それにしてもあんなにデカいモンスターがいるんだな……」

「そりゃあね。それにまだましな方だと思うよ、僕は。即死の可能性もあったわけだし」

「即死!? そんなことがあるのか」

「うん、でも流石に罠ですぅってすっごい主張している奴しかないけどね……」

「今回の村はそれでしょ。マップを見れば明らかなんだから」

「だから、ごめんって」

 

 まあ、過ぎてしまったことは仕方がない。僕はそこでキリトへの嫌味を止め、先のことを堅実に考え始めた。

 

「選択肢はそう多くはないよね。時間が惜しいキリト君達からしたら死に戻りは論外だよね?」

「ああ、ここで死んだらスイルベーンまで戻ることになるからな」

「だとすれば手を拱いているのも駄目か……。早めに解決しないと」

「まあ取りあえずはここらで切り上げて明日、いや今日にでも考えるか」

「それが駄目なんだって」

「どうして?」

「今日の四時には定期メンテナンスがある。そこで最後のセーブ地点に戻っちゃうんだよ。僕の場合はアルンだけど、君らはスイルベーンだろ? だからこそあれが本当の村だったら良かったんだけど……」

「なら、どうする?」

「……方法はない、かな」

「どうしてだ?」

「ヨツンヘイムには東西南北の四箇所から入ってくることができるんだけど、ユイちゃん、ここからその四箇所まで最短で何時までに着ける?」

「……全速で、かつモンスターにも遭遇しないと仮定すれば二時間ですかね」

「なら駄目だ。そこから四時までじゃアルンには間に合わない」

「くそっ、どうしようもないのか!」

「……キリト君。またスイルベーンからやり直そう?」

「――ああ」

 

 そうなのだ。結局はシルフ領に戻る選択になってしまう。サクヤが準備してくれる軍勢と一緒に世界樹まで来ればいいのである。

 

「そもそもヨツンヘイムにたった三人じゃすぐに殺されちゃうって」

「うん。僕もね、一体なら何とかなるけど、二人を守りながらだと無理だなぁ」

「……え? 邪神級モンスターってあのユージーン将軍ですら一対一だと瞬殺されるんですよ?」

「彼と僕じゃ戦闘スタイルが違うからね。意外と避けやすいんだよ、あの攻撃」

「――――貴方b、本当に人間ですか?」

「もちろん」

 

******

 

~side:リーファ~

 何を言っているんだ、こいつ、みたいな目で見られたがそれはおかしい。馬鹿げているのはあちらだ。一体に三パーティ以上は必須と言われているモンスターなのだ、邪神級モンスターは。その三パーティだって歴戦の猛者達である。

―――そう言えばこの人って一人でレイド一つ壊滅させたことあるんだっけ……。

 いつか聞いた《白い悪魔》の噂話を思い出して戦慄する。当時は何を馬鹿なと思っていたが、恐らくあれは事実だったのだろう。

 感嘆というよりもはや呆れに近い声を出そうとしたとき、いきなり地面が揺れた。

 

「何っ!?」

「ユイ!」

「洞窟の外で邪神級モンスター同士が戦っているようです!」

「取りあえず、外へ! 潰されたら堪らない!」

 

 レントさんの声に従ってあたし達は洞窟を出たが、その場の光景に揃って目を剥いた。特撮かと思うほどの迫力で二体のモンスターが戦っていたのだ。

 モンスターとモンスターが戦うなど、テイムされているか、プレイヤーに操られているかのどちらかしか本来はありえないが、二体のモンスターにそんな様子は見られない。

 戦っているのは三つの顔と四本の腕を持つ巨人と、象のような鼻と耳を持ち、胴体が饅頭のように平らで二十本以上のかぎ爪のついた触手の脚を生やしたクラゲのような邪神だった。

 戦況は四腕巨人が押しているようだった。四腕巨人のかぎ爪に引っかかれて象クラゲのHPはどんどん減るが、象クラゲが触手をぶつけても巨人に大したダメージは入らない。象クラゲはHPの減り具合以上に弱っているようだった。

 その光景を見て、あたしは自分の衝動を言葉にした。

 

「――キリト君、あたし助けたい!」

「……どっちを?」

「象クラゲの方! 弱い者いじめなんて許せないよ! あんなに可愛いのに!」

「……リーファちゃんのセンスは疑っておくとして、どうやって助ける?」

 

 以外にも実利主義そうなレントさんが乗ってきた。あたしのセンスは間違っていない……と思う。あのフォルムはどう見ても可愛いだろう。

 

「えぇ、あれを助けるのか?」

「「もちろん!」」

「……何でレントまで乗り気なんだよ」

「だって女の子の頼みだよ? 断るなんて選択肢あるのかい?」

「はぁ、分かったよ」

 

 諦めたように溜息を吐いたキリト君の顔つきが変わる。必死にこの状況を打破するための案を出そうとしている姿は、無茶な提案をして申し訳なくなってくる。

 ふとキリト君が何かに気づいたような表情を見せ、ユイちゃんに問いかけた。

 

「ユイ、この周囲に何かあるか?」

「……はい! 北に約二百メートルの位置に氷結した湖があります!」

「レント!」

「――ああ、そういうこと。じゃあ囮は任せるよ。僕はもしもの場合に割るから」

「ああ、頼んだ」

 

 キリト君とレントさんはツーカーの仲とでも言うのだろうか。あたしが理解できていないのを尻目に役割分担のようなものをしてしまった。

 

「じゃあリーファちゃんは、僕と一緒に」

「あ、は、はい!」

 

 レントさんが駆け出す。慌てて後を追うが、キリト君はついて来ない。

―――はあ、もう分かんないからいいや!

 あたしは理解することを放棄した。




 また変なところで切ってしまってすみません。続きは明後日に。
 はい、主人公に設定追加です。

・大金持ち。
・邪神と一対一で勝てる。

 ……わぁー設定過多だなー。誰だろうこんな設定にしたのー(棒)。
 すみません。私です。
 ちなみに、スプリガン領主襲撃が一レイド潰しですね。以降も何度かしていますが……。


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#22 邪神

前回のあらすじ
 ユージーンを倒したレント達一行はヨツンヘイムへと迷い込む。そこで戦っていた二体の邪神の片方を助けようとリーファは訴える。果たして一体どうやって助ければ良いのか――

 ……やってみたかっただけです。では若干短いですが、どうぞ。


 僕はリーファを連れて凍った湖を目指し走っている。

 キリトと僕は考えた。象クラゲはクラゲなのだから、実は水中の方が強いのではないか。水中に引き摺り込めば四腕巨人に勝てるのではないか――と。

 キリトが囮となり二体の邪神を湖に誘き寄せ、僕はもしも氷が邪神の重さで割れなかった場合に氷を割る。広範囲に強力な攻撃を放てるのが僕だけだからだ。リーファは……特に何もない。

 別にハブにしているわけではない。そもそもこの作戦は僕すらも必要ない可能性が高いのだ。

 湖へと辿り着く。凍りついていて簡単には割れそうにないが、割れるという確信はあった。

 邪神同士が戦っているなんて状況が特殊なイベントでなくて何だ。それに加えて近距離に解決の手段があるのだから、イベントであると確信しても良いだろう。だから、割れる。

 

「き、来ました! レントさん!」

「うん、分かった」

 

 キリトは囮の役目をきちんと熟しているようだ。一時休戦なのか、二体の邪神が共に追いかけてくる。

 

「こっち! 急いで! 巻き込まれるよ!」

 

 キリトがその異常な敏捷値を使って駆け抜ける。僕がいる湖の縁を越えたから、これで大丈夫だろう。

 数秒遅れて四腕巨人が氷に踏み込む。すると、

 

 

 

バキィィィィィィン!!!!!!

 

 

 

 ……ちゃんと落ちてくれた。やはり僕も要らなかったようだ。遅れて追いかけてきた象クラゲは水の中にいる巨人に飛びかかり、絡みつき、電撃を流して殺してしまった。こちらも予想通り水の中の方が強いようである。

 

「さて、リーファちゃん。邪神救援作戦は成k、うわぁ!」

 

 振り返ってリーファに確認を取ろうとしたら、触手に巻かれた。先程の巨人の末路が目に浮かぶ。キリトやリーファも捕まっているようだ。

 ああ、恩知らずな野郎なのか。と諦め半ばに思っていると、僕ら三人は背中に乗せられた。その様子は鼻で物を掴む象のようだった。

 

「あぁ、焦ったぁ。まさか背中に乗せてくれるとはな」

「ね! 助けて成功だったでしょ! キリト君!」

「いや、リーファちゃん。残念ながら状況は一切好転してないよ」

「そうですよね……」

 

 意気消沈するリーファ。別に気落ちさせたいわけではないのだが、事実だから仕方ない。

 象クラゲの背中はふかふかだった。絨毯のように柔らかい白い毛に覆われているのだ。加えて平らで座り易いのだが、元々は騎乗用だったのだろうか。

 象クラゲは間もなく動き出した。のそり、のそりとゆったりとした動きだが、何せサイズが違う、ある程度のスピードが確保されていた。しかし、進行方向は中心を向いている気がする。徒歩よりも早く四方の出口に辿り着けるかと一瞬期待したのだが、象クラゲを制御する方法がない以上はどうしようもない。

 僕は寝心地の良い背中に仰向けになって寝転がった。そして寝落ちしない程度に意識を曇らせる。SAOでもダンジョン内でよく使ったテクニックだ。眠りには及ばないが、多少疲労を回復させられる。

 薄い意識の中、キリトとリーファがこの象クラゲに《トンキー》と名前をつけたような気がした。縁起悪くないか、それ。

 

******

 

 夢現だった僕は邪神――トンキーが止まった衝撃で目を覚ました。

 

「ん? どうかしたの、トンキー?」

 

 リーファの問いにトンキーは答えず――鳴き声を上げなかった――、触手を折り畳んでいく。

 トンキーの胴体部分が地面に触れたタイミングで僕らは背中から降りた。

 二十本近くあった触手を胴体の下に仕舞い込んだトンキーは、外からはまるで饅頭のようにしか見えない。

 

「トンキー、トンキー? どうしたの?」

 

 リーファが再度問いかけるが、リアクションはない。そして心配そうにトンキーに触れた瞬間、リーファは驚いた様子を見せた。

 

「ちょ、キリト君、レントさん! トンキーが硬くなってる!」

「え? どういうことだ?」

 

 言いつつ、僕らもトンキーに触れる。

 絨毯のようだった柔らかい毛の面影はどこにもなく、真反対の金属のような硬質な皮膚がそこにはあった。

 

「……何が起こっているんだ?」

「分からないけど、トンキー自身からは鼓動も感じるし、生きてるみたいだね。睡眠、かな? この皮膚は睡眠中の防護用ってところかもしれない」

「んぅ、もう。折角良い感じだったのにー。トンキー、起きてー!」

「良い感じ、って、何か進展があったのかい?」

「ああ、お前は聞いてなかったか。ユイが周囲をリサーチしたら、丁度この真上辺りに地表に通じる出口があるらしい」

「へぇ、真上ねぇ。あのヨツンヘイム中央の謎の逆ピラミッドのことかな」

「逆ピラミッド?」

「うん、あれだよ。あの氷で出来てる天井から生えてる奴。ダンジョンっぽいんだけど、あそこまで行けないからオブジェクトじゃないかって言われてる」

「そ、それじゃあ、あそこには行けないってことですか!?」

「だって、飛べないしねぇ。あそこに行く手段がない」

「ん? 洞窟でも飛べるんだろ? 後のことを考えなければ……」

「それがね、このヨツンヘイムは飛行禁止区域だからさ」

「ああ、山脈の上みたいな?」

「そういうこと」

 

 キリト達と会話をしながら周囲の状況を探る。

 トンキーが眠りに落ちた場所は大きな穴の淵だった。黒々とした大穴に近づくと、底がないとユイに忠告されてしまった。底の設定がされていないとは、茅場が作っていないとはいえ流石に手抜きではなかろうか。一般プレイヤーが口を出すことではないのかもしれないが。

 ヨツンヘイムは平坦なためかなり遠くまで見渡せる。その範囲に邪神――象クラゲも四腕巨人も――は確認できなかったので、リーファとキリトは力を抜いた。

 

「……気になるなぁ」

 

 何か、見られている気がした。

 ただの感覚でしかないのだが、気になるものは気になるので《看破魔法》を使用する。看破魔法はかなり初歩的な魔法だが、《サーチャー》という使い魔を放って隠蔽魔法を強制解除させる使い勝手の良い魔法だ。使い魔は各種族ごとに異なり、レネゲイドの僕が放つのは白蛇だ。

 数匹の蛇が僕を中心に放射状に進んでいき、その内の一匹が一人のプレイヤーを探り出した。

 

「うおっ! ――ああ、別にPKをする気じゃなかったんだ。だから剣を下ろしてくれないか」

「――では、どうして僕らにハイド状態で近づいたのでしょうか」

「アンタらがその邪神を狩る気があるのかないのか、聞きに来たんだ。狩らないんなら俺らに譲ってもらえないかな?」

「狩っ!!」

 

 いきなり飛びかかりそうなリーファの口を抑え込む。正直、彼の言い分の方が通っている。邪神は狩るもの、助けようなんて発想がおかしいのだから。声をかけてくれた分だけありがたい。

 

「――狩らないし、譲りたくもないと言ったらどうしますか?」

「そしたらこちらも力尽くで行かせてもらう。メンテ前にもう一体倒しておきたいところなんでな。たかが三人だ、動かない邪神を狩れるならPKだってするさ」

 

 ALOはそもそもPK推奨だ。それはヨツンヘイムでも変わらない。邪神の方がおいしいからわざわざ狙わないだけだ。声をかけてきた青年はウンディーネだし、問答無用でPKされても文句は言えないのである。

 

「――僕達はこの邪神で生態調査、とでも言うんですかね。そういったことをしているので狩られるのは非常に困るのですが」

「はあ? 生態調査ぁ? 何言ってんだ?」

「――この象クラゲ型の邪神が非アクティブだって知ってますか?」

「なっ! おちょくってんじゃねぇぞ! そいつがアクティブ型なのは散々知ってるわ!」

「――武器類を装備せず、防具からも金属を外した状態だと非アクティブになるんです。その状態を維持して、テイムじゃないですけど友好関係を結んだのがこの邪神です。そうでなければここまで近くで寝てくれませんよ」

「むむむ、ちょっと待ってろ。相談してくる」

 

 一旦は誤魔化すことができたようだ。その間にこちらも作戦会議と洒落込もうではないか。

 

「さて、キリト君。この状況どうやって改善する?」

「んんん、駄目だ。俺にこういう交渉事が向いてないのは知ってるだろ。任せた」

「私も、こういうことには全く自信ありません……」

「はぁ、そんなだと将来苦労するよ? ――ま、一レイドだろうし、戦闘になっても何とかはなるんだけどね。トンキーを守るためにもそれは避けたいからなぁ」

「あっ、そういえばさっき言ってたことって本当なんですか? 生態調査は嘘にしろ、非アクティブの方は……」

「もちろん、大嘘。ブラフ、はったり、ネゴシエーション」

「ですよねー……。キリト君と言い、もう……」

「でも、アクティブにはなってないからね、現状」

「まあそうですけど……」

「あと戦闘になったら二人ともトンキーを優先で守って。僕があいつらを潰すから」

「はい! ――って、やっぱりレイド潰せるんですか……」

 

 そこで、青年が仲間を連れて戻ってきた。

 

「皆と相談したが、近くに別の邪神もいない、メンテの時間が近いってことで悪いが狩らせてもらうぞ」

「――そうは、させかねますね」

「なら剣を取れ。邪神ごと潰してやる」

 

 この展開は予想できた。相手のレイドがウンディーネだけなのは厄介だが。結束的な意味で。

 

「――戦闘もしたくはないので、こちらをお渡しすることでお引き取り願えませんか?」

「む、これは……」

「――邪神一体分の報酬金です。熟練度等は補填できませんので上乗せしていますが」

「……良いだろう。我々はここから退かせてもらう」

「――それでは、お元気で」

「ふんっ」

 

 鼻を鳴らした青年が仲間に号令をかけている。どうやら解散するようだ。向こうに僕を知っている人間がいなかったのが幸いだった。いれば、確実に争いになっている。

 

「わぁ、凄い! キリト君見た? レントさん簡単に退かせちゃったよ!」

「ああ、相手も邪神と戦わないで済むならそれが良いからだろうけど、よくやるよ」

「お褒めにあずかり恐悦至極にございます……なんてね。ところで、キリト君とリーファちゃん。トンキーがおかしいんだけど、気づいているかな?」

 

 こちらを見てしきりに感心する二人を振り返り、その意識を邪神に向ける。

 

「ん?」

「わっ、トンキー光ってる!?」

 

 そう、光っているのだ。眩しい光の中で目を凝らせば、硬い皮膚に亀裂が走っているのが分かる。そこからパリッ、パリッと割れ目が広がり、

 

 

ブムヲォォォォォォォォォォォン!!!!!

 

 

 大きな鳴き声と共にトンキーは脱皮した。その体躯は二回りほど大きくなり、四対八枚の翅が新しく生えている。

 

「おお、トンキー! お前飛べるようになったのか!!」

「凄いね! トンキー!!」

 

 きっとクエストフラグだったのだろう。この邪神を助けることで、邪神が蛹になった後羽化する。羽化した邪神に乗ってあの氷塊に向かうという段取りなのかもしれない。

 予想通り、トンキーは僕らを再び触手で持ち上げ背中に乗せると、飛行を開始した。

 どんどんと上昇していく。氷塊の横脇を通るタイミングで、リーファが叫んだ。

 

「何かあるっ!」

「「え?」」

「あの氷塊の先、何か光った!」

「―――――!」

 

 シルフは素の視力が優れている。だから見えたのだろう。

 迷わず遠視の魔法を使ったリーファによると、氷の中には巨大な迷宮があったそうだ。そしてその先端部分に、伝説級武器(レジェンダリーウェポン)らしき黄金の剣があったと言う。

 やがてトンキーが空に張り出した岩場に止まる。そこには二つの道があった。地上に向かう道と、氷のダンジョンに向かう道。

 

「…………」

「……キリト君。またいつか取りに来ようよ。私も協力するから」

「キリト君、時間考えてる? メンテナンスが近いからダンジョンとかやってる暇ないからね? それに死んだらスイルベーン行きでしょ? 目的は世界樹じゃないの?」

「――ああ、そうだな。ちょっとでも迷ったりしてごめんな」

「ううん、全然。仕方ないよ、MMOやってたら誰でも惹かれるって」

「さて、決心したところでこの長い階段を上りますか」

「……長い?」

「はい。ニイの言う通りです。この先にある地上に通じる階段は迷宮区並みの高さがあります」

「うへぇ、そんなにかよ……」

「迷宮区?」

「ああ、こっちの話だよ、気にしないで」

 

 線を引くようなことを言ってしまったが、SAOサバイバーと知られるのは余り良いことではない――個人情報的な意味で――。リーファには悪いが仕方ない。

 長い階段の一段目に足をかけた。

 

******

 

 階段の先はアルンだった。階段を上りきり扉を開くとアルンの街中に出たのだ。振り返れば、出てきた扉は上手く建物の壁に擬態して見えなくなっていた。

 

「へぇ、ここがアルンか。たくさんの種族がいるもんだな」

「じゃあ僕はここで別れるよ。また明日……じゃなくて今日の午後になるかな。世界樹の根元で」

「ああ、頼むよ」

「それと、キリト君。絶対に、絶対に世界樹に挑んじゃ駄目だよ。分かった? 攻略法も判明してないんだからね? 絶対だよ?」

「ああ。でも、そんなに言われると……」

 

 キリトが世界樹に挑もうが死に戻り先がアルン(ここ)なら問題はないのだが、一応警告はしておくべきだろう。ガーディアンに勝てても突破はできないのだから。

 流石に眠かったのでそこでキリト達とは別れ、借り部屋に向かってログアウトした。

 

******

 

「ふあぁぁぁぁ」

 

 ALOからログアウトした僕は、大きく欠伸をする。もう午前四時だ。目に薄く水が張っている。

 睡眠欲求がひたすらに起き上がることを拒否している中、僕は何とかベッドから起き上がった。

 シャワーを浴び、着替えてから再び木製のベッドに横たわる。そうすれば意識はALOではなく夢の世界へとすぐに旅立たった。

 

******

 

「はい、やはり僕の推測は当たっていたようです。――――分かりました、では今日中に送っていただけますか? ――――――――はあ。まあ、良いでしょう。その分を除いた情報は削除したいのですが。――――――――――なるほど、そうですか。では会社の方はよろしくお願いします。中からは僕が行いますので。何かあればまたお電話します。――――――はい。では、今日突破してしまう可能性も僅かながら存在しますので至急お願いしますね」

 

 

 

 

 

 

「ありがとうございます、菊岡さん」




 桐ヶ谷兄妹の問題には踏み込めないので、アニメ二十二話はカットされます。残念。
 筆者はキリトって冷静にやれば世界樹突破できたんじゃねって思ってます。だから主人公は突破したのですが。
 現在、ネタ枯渇中。ALOってあんまり自由にできないんですよね。アスナを助けるのが目的なので。一回くらい主人公にはキリトと敵対してもらいたいところです。そして潰したい(笑)。
 さて、では明後日に兄妹喧嘩です。カットしますが。


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#23 突破

 気がつけばアニメと同じ話数である。SAO編もそうでしたね。さてさて、二十三話です。どうぞ。


「キリト君達はもう来てるかなぁ」

 

 僕は今朝の約束通り、世界樹の根元に来ていた。しかし二人の姿はどこにもない。

 

「……キリト君、一時間くらい前に来てるって言ってたのにな。反対側か?」

 

 世界樹の根元と大雑把に言っても、そもそもが途轍もないサイズの大樹だ。正面の門にいないだけで他のところにいるのかもしれない。

 世界樹の周りを四分の一ほど進んだところで、二人を見つけた。

 

 

 

 

 空中で抱き合った二人を。

 

 

 

 

―――…………。

 思考が一瞬どころでなく停止したが、キリトのアスナに対する想いはそう簡単には覆らないだろうから、リーファが……まあ、キリトの被害者の一人ということなのだろう。

 近くに落ちていた黒い大剣と日本刀のような直剣を拾って、抱き合ったまま降りてきた二人のもとに向かった。

 

「ええっとお……、ど、どうなってるの?」

 

 緑色のおかっぱ頭の少年が、降りてくる二人を待っていた。その少年は展開について行けず、戸惑った表情をしている。

 

「世界樹を攻略するのよ。あたしと、この人と、アンタと、レントさんの四人で」

「こんにちは、リーファちゃん。二人と彼は知り合いみたいだけど、誰なんだい、彼?」

 

 リーファ達は声をかけるまで僕に気づいていなかったようで驚いた表情を見せたが、キリトがすぐに反応を返してきた。

 

「お、レントか。彼はレコン、リーファがシルフ領にいたときに仲の良かった友達だ」

「へぇ、よろしくね、レコン君。お久し振り」

「は、はい。って、お久し振り? どこかで会いましたっけ?」

「ん? 『以後お見知りおきを』って言ったのに覚えてないのかい? それとも、」

「――この喋り方でないと思い出せませんか? 随意飛行はできるようになりましたか?」

「あ、あぁ、あああ!! 《白い悪魔》!!!」

「うん、プレイヤーネームはレント。これからよろしくね」

「は、はいぃ」

「何、アンタ、レントさんと知り合いだったの?」

「いや、リーファ。今のやり取り見たら分かるだろ……」

「え?」

「レコンはレントにPKされたことがあるんじゃないか?」

「うん、昔レコン君を()ったことがあるんだ。あのときはスティック飛行で楽だったんだけど」

「えと、その、まだ随意飛行はできません……」

「ああ、うん、まあ分かってたよ」

「ええ!? 分かってたって……、そんなのありますかぁ?」

 

 顔を見ただけでPKした相手を思い出せることは少ないのだが、レコンはなぜだか記憶に残っていた。

 かつての敵――脅威と言った方が正しいか――と仲間ということを受け入れたレコンは、ようやくもう一つの問題点に気がついた。

 

「って! 世界樹攻略ぅ!?」

「うん、僕達二人の目標だからね、手伝ってもらうよ」

 

 レコンがあわあわと動揺しているのが見えていないのか、無視しているのか、彼を気にせずにキリトはユイを呼ぶ。

 

「ユイ、さっきのガーディアンとの戦闘で何か分かったことはあるか?」

「ステータス的にはそれほどの強さではありませんが、出現数が多すぎます。あれでは攻略不可能な難易度に設定されているとしか……」

「総体では絶対無敵の巨大ボスと同じ、ってことか」

「でもパパとニイのスキル熟練度があれば、瞬間的な突破は可能かもしれません」

「ああ」

 

 ……キリトはやはり突っ込んでしまったようだ。そして無残に散ったらしい。

 攻略に後一歩まで辿り着いた僕には、二人に言わなければならないことがある。

 

「キリト君、よく聞いてほしい」

「どうした、レント?」

「僕はあのガーディアンをこの間突破した」

「「ええ!?」」

「うん、正確には昨日なんだけどね。……確かに、僕らのスキル熟練度を前提に冷静に戦えば、突破は可能だと思う。だけど、」

「だけど……?」

「キーアイテムが足りないんだ」

「え?」

「あそこのガーディアンを抜けた先には十字に切れ目が入っている扉があるんだけど、昨日時点ではそこは開く素振りを見せなかった。アイテムなのかクエストフラグなのかは分からないけど、それによって封じられていることは間違いない。アスナちゃん達を攫っているなら、最悪システムで封じられている可能性すらある」

「くそっ! ……それでも、俺は行く」

「…………まあ、キリト君がそう言うなら、僕も最大限手伝わせてもらうよ」

「ああ、俺はアスナのためにやれることは全部やりたいんだ。たとえそれが無駄な足掻きだろうとっ……!」

 

 キリトの決意は固い。無駄足であっても愛する人のために全力を尽くそうとする姿は、とても彼らしかった。

 そこで、黙って話を聞いていたユイが声を上げた。

 

「パパっ! システムで封じられていても、さっきのカードなら」

「カード……? あれか!」

「はい。コードを転写すれば私でも使えるかもしれません」

「ああ、頼んだぞ、ユイ!」

「はい! ママのためですからね!」

 

 事情を知らない僕が説明を求める。それによると、世界樹の上からアスナのプレイヤーIDを感知したのだとか。ユイが警告モードで叫ぶと、それに応えるようにカードのようなものが空から落ちてきたらしい。

 そのアイテムは確かにGM側のアイテム――世界観と全くマッチしていない近未来的なアイテム――だった。

 

「なるほど……。――ごめん、ちょっと待ってて。一回落ちる」

「え? どうかしたか?」

「うん、ちょっとした野暮用を思い出して。十分もかからないから待っててね」

 

 僕は皆にそう告げ、止めさせる間を作らずにログアウトした。

 

******

 

「はい、菊岡さん。今日で突破できる可能性が出ましたので、お伝えしておきます。そちら側は頼みましたよ。それからデータの方も」

『もちろん、君には迷惑をかけるからね。そのくらいは当然やらせてもらうさ』

「それでは」

 

 通話を切り、アミュスフィアに大型の記録媒体を取りつけた。

 アミュスフィアは記録媒体を接続することで内部のデータを外部に保管することができる。この機能のお陰でゲームのスクリーンショット等をリアルに持ってこれるのだ。思えば、そのような外部出力が不可能な時点でナーヴギアはゲームハードとして異常だったのかもしれない。

 しかし僕が今接続したこれは通常の記録媒体ではない。本来であれば規定範囲のデータしか取り込めないところを、内部データの全てを自由に写し取れるようになるウイルスのような機能を持った特注品だ。

 これは菊岡の指示によるものだ。レクトと正面から矛を交えたくない菊岡は、ALOにSAO未帰還者がいるという推測を持ち込んだ僕自身に調査を依頼してきたのだ。要するにスパイである。

 内部で行われていることのデータさえ確保できれば、確証を持ってレクトと相対することができる。そう説明されたが、僕の中には確かな不信感があった。

 そもそもALOに未帰還者が拉致されているとして、そこで何が起きているかは誰も知らないはずなのだ。それなのに菊岡はデータがあるという前提で僕に依頼した。

 確かに、SAOからプレイヤーを拐かした動機を考えたとき、身代金も要求されておらず、目覚めぬ三百人に共通点がほとんどないことから、非合法な人体実験の実験体にされている可能性は高い。茅場晶彦のように閉じ込めることが目的や愉快犯の可能性もあるが、それにしては三百人というのは帯に短し襷に長しの中途半端な人数だ。それならデータは存在するに違いない。

 菊岡の態度からは、まるでその非合法な実験の結果を手に入れるために敢えて泳がせていたような気配を感じる。しかし仮にそうであったとしても、一切の社会的権力を持たない僕らではレクトに未帰還者を解放させることは困難であり、菊岡及び仮想課の力を借りる他ない。実験データも、いくら胡散臭いとはいえ下手な者よりは国に渡る方が余程マシだろう。

 菊岡への連絡、記憶媒体の接続を終えてもう一度ALOにログインする。想定より時間を食ってしまったが、記録は八分四十九秒。無事に十分以内に戻れたようだ。

 

「三人とも待たせてごめんね。戻ってきたよ」

「ああ、今は作戦を立ててたところだ。基本的に俺とレントが突撃、二人には回復とかの援護をしてもらおうと思っているんだが、何か意見はあるか?」

「特には。あ、そうだキリト君。世界樹突破のコツを教えてあげよう」

「何だ?」

「まず、戦闘は極力しない。時間の無駄だからね。避ける躱すを第一に。それから引きつけて同士討ちを誘発させるのが第二。戦闘をしなきゃいけなくなっても、剣はできるだけ使わない。振る時間が無駄だから。拳とか脚で攻撃と、反動による加速を同時に行っていく。足、じゃなくて翅を止めたら群がられるから禁物。剣の投擲は、よく見て躱す。ここでも翅を止めないこと。移動先を予測して投げてくるほどAIは賢くないから、弓矢は引きつけて急加速で無駄撃ちさせる。分かった?」

「あ、ああ……」

 

 畳みかけた僕にキリトは目を白黒させる。あのガーディアンは無限供給だろうからまともに戦うのは損にしかならない。

 

「うーん、それだとあたし達は援護が難しいかもね」

 

 リーファが頬を掻きながら呟いた。

 

「どうしたんだい、リーファちゃん?」

「あたしとレコンで援護をするわけだけど、そんな超高速で動かれたら回復魔法すら当たるか……」

「――んー。じゃあ、言い方は悪いけど生餌にならない?」

「えっ」

「少しでもガーディアンのヘイトを稼いでくれればそれでいいよ。君らを囮にすればこっちに来る数は減るからね」

 

 瞬間、キリトの雰囲気が変わった。僕の発言を咀嚼して吟味してうろついていた目はまっすぐこちらを見つめる。

 

「駄目だ。それなら援護が間に合うくらいのギリギリのスピードで動けば良いだろう」

 

 反射的に反論しようとした喉が震え、声が出るのが数瞬遅れた。

 

「…………、はぁ、分かったよ。でもキリト君、その分突破は難しくなるよ?」

「それなら、無理矢理にでも突破するだけだ」

「ははは、流石キリト君。変わらないね」

「ああ、もちろん」

 

 当初の予定からは外れてしまうが仕方ないだろう。キリトにもトラウマのようなものがあるのだろう――クリスマスのこととか――。それを無理強いするのは僕の望むところではないし、きっとどんな方法を使っても今のキリトを納得させることはできない。

 

「行くぞ!」

 

 キリトの声と共に、僕ら四人は世界樹に飛び込んだ。

 

******

 

 キリトと共に飛び立ち、世界樹の中をトップスピードで昇っていく。キリトはガーディアンを倒しながら飛ぶ予定だったそうだが、まだポップ数が少ない内にできるだけ高く昇っておきたい。そのためには戦うのは非合理でしかない。

 ステンドグラス風の壁から、次から次へとガーディアンが湧き出てくる。

―――敵の数が、前よりも多い……?

 昨日突撃したときよりも敵の壁が分厚い。攻撃にも連携が感じられるようになっている。

 より昇ると、上方の敵の壁から落ちるように特攻を仕かけてくるガーディアンが現れた。昨日見たどのガーディアンの最高スピードよりも速い速度で。

 

「キリト君、難易度が上がってる!」

「だとしても、行くしかないッ!!」

 

 その通り、ここまで来てしまった以上もう戻る道はない。既にリーファ達との間にはガーディアンが入り込み分断されてしまっている。何よりこの特攻が厄介だ。直線の動きだから落ち着いていれば問題はないのだが、周囲のガーディアンにも気を配らなければいけないのは負担だ。背中を見せれば特攻兵に串刺しにされるだろう。

 

「くそッ!!!」

 

 キリトと背中合わせで戦っているため、気にしなければならないのは向いている方向の敵のみ。しかしリーファ達の援護が届くように速度を落としているため、攻撃を捌かなければならなくなっている。本末転倒だ。

 スーッと体を光が包み込み、目減りしていたHPバーがマックスになる。恐らくキリトのHPが僕よりも減っていたから回復魔法をかけたのだろう。キリトはそもそも圧倒的な攻撃力で押して、やられる前にやれを実践するタイプだ。パリィも使うが、回避は僕ほど得意ではない。僕よりも優れた反応速度を持つから大丈夫かと思ったが、やはり二ヶ月のブランクは大きいようだ。

 そう言っている僕もかなりダメージを受けてしまっている。ALOにはSAOと同じ管理システム、カーディナルが搭載されているはずだ。SAOでは最初に施されたバランス調整で絶妙な調整がされていた。予想の話になるが、もしかすると昨日僕が一人で突破してしまったことで、管理システムがこのクエストの難易度を調整してしまったのかもしれない。数人では突破不可能に近い難易度へ。

 突撃を仕かけては押し返されながら、僅かずつ進んでいく。

 そんな中、一つの光が現れた。

 光は膨らんでいく。

―――まさか……自爆魔法!?

 

チュドォォォォォォォォォォォン!!!!!!!!!!

 

 膨大なデスペナルティを課せられるその技は、デメリットに見合う威力を発揮した。敵の壁を、あれだけ厚く重なっていた敵の壁をぶち抜いたのだ。

 

「「うおおぉぉぉぉぉぉぉ!!!」」

 

 自爆魔法は闇属性の魔法だ。恐らく使用したのはリーファではなく、レコンだ。彼は特別キリトを手伝いたいと思っていたわけでもなく、ただ成り行きで巻き込まれただけだ。そんな彼が決死の覚悟で突破口を開いてくれた。僕らが全力でそれに応じないわけにはいかない!

 しかし、ガーディアンも負けてはいない。壁になっていなかったガーディアンは全てこちらを防ぐ盾となる。あの白い鎧が擦れる音を立てながら、盾は塊となり、壁となった。

 壁に押し返され体勢が崩れる。その隙に数多のガーディアンに串刺しにされる。

 痛みの代わりに不快感を与えてくるシステムを罵りながら距離を取って空を見上げると、少年が開いた突破口は既に無限リポップに塞がれていた。

 

「くそがッ!!!」

 

 騒いだところで意味はない。叫んでも道は開かれない。切り開くなら剣で、翅で、この身を以て。

 全身に力を込めたとき、

 

 

 

 

ウオオオオオオオオオオオオオ!!!!!!!!!

 

 

 

 

 雄叫びが聞こえた。竜の声が聞こえた。膨大な魔法の詠唱が聞こえた。

 

「シルフと、ケットシー!?」

「すまない、遅くなった!」

「ごめんネ~! 装備を整えるのに時間がかかっちゃってサ~」

 

 二人の領主がこちらを見て微笑む。

 

騎竜(ドラグーン)隊、ファイアブレスっ()ぇぇぇぇ!!!!」

「シルフ隊、フェンリルストームっ放て!!!」

 

 ガーディアン達が爆炎に呑まれる。

 

「総員、突撃!!!」

「あの二人に続けぇぇ!!」

 

 シルフと、騎竜に乗ったケットシーが戦線に加わる。

 二種族が合わせて決めた大技により、再び壁に穴が開く。

 

「お兄ちゃんッ!!!!」

 

 リーファが持っていた長剣をキリトに投げ渡す。

 

「おおおおぉぉぉぉぉ!!!」

 

 キリトは自分の大剣とその長剣を合わせ、ひたすらに前へ、上へと突き進む。

 

「っおおおらあぁぁぁぁぁ!!!!」

 

 僕もそれに続く。腹から空気を絞り出しながら、火事場の馬鹿力を引き出す。キリトに降りかかる敵を払うように、キリトが進めるようにと後方から援護する。

 

 抜けたっ!!

 

 敵の壁をキリトは突破した。僕もそれに続いて突破する。足元で穴が塞がるのが見えた。

 

「ユイッ!!」

「はい、パパ!」

 

 絶対不可侵の扉へと到達したキリトは、信頼する妖精の名を呼ぶ。

 ユイはしばらくペタペタと扉を触った後、顔を上げて言った。

 

「やはりこの扉はシステム管理者権限でロックされています! パパ、あのカードを!」

「ああ!」

 

 ユイがカードに込められていたコードを転写する。その作業の間、僕は未だにポップを続けるガーディアンを抑え込んでいた。

 

ゴゴゴゴゴゴゴ

 

 重厚な音を立てながら扉が四つに分かれ開いていく。

 

「転送されます! パパ、ニイ、手をっ!」

 

 ユイの手を掴むと、SAOで何度も味わった転移する前の浮遊感を感じた。

 僕らは襲いかかってくるガーディアンを間近に見ながら、転送された。




 ここまで来たらアニメと同じにしてやる!
 ……後二話で終わるかなぁ。
 菊岡さんはまた暗躍していますね。それではまた明後日!


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#24 救出

 今回はちょっと長めです。どうぞ。


 僕らが転送された先は一面が真白い通路だった。

 

「ここは?」

「分かりません。マップ情報がないようです」

「……アスナの、アスナの居場所は分かるか?」

「――近い、近いです。こっちです!」

 

 共に転送されていた親子は早速駆け出そうとする。普段のキリトならまずは考察から入るだろうに、アスナのこととなると見境がないというか猪突猛進型になるというか。

 半ば諦めの気持ちで溜め息を吐きつつ、二人を制止した。

 

「ちょっと待って」

「何だ、レント?」

「さっきのカード貸してくれない? こっちはユイちゃんがいないからね」

「こっち、って一緒に来ないのか?」

「親子三人水入らずの場にお邪魔するのは忍びないからね。……他のSAOプレイヤーの居場所を探ってくる」

「っ――ああ。分かった。それじゃあそっちは頼んだぞ」

「二人も、どこに管理者がいるか分からないから気をつけて」

 

 キリトは丸っきり他の未帰還者のことを忘れていたようで、少し気不味そうにしながら扉を開けるのに使ったカードを取り出した。

 気を取り直して駆け出したキリトの背中を見送り、二人が向かった方とは逆に僕も歩き出した――走らないのは周囲に十分な注意を払うためである――。

 しばらく進むと、壁に案内板らしきものがかかっていた。それを眺める。探すのは何かが行われている、もしくは何かが保管されている場所だ。

 案内板の右下辺りに目的としているであろう名前が見つかった。《実験体保管室》。実に安直な名前である。向こうからすれば、中に潜り込まれていること自体予想外なのだろうが。

 脳内に地図を叩き込み、僕はそこへ足を向けた。

 ヒタヒタと足音が立ちそうな床を、周囲に気を配りながら無音で歩く。僅かな衣擦れもさせずに隠密行動をするなどという現実では不可能な動きができるのはVR空間だからだろうか。それとも茅場が言っていた、『この世界に適応している』ことがその原因なのだろうか。

 茅場の発言は恐らくVR適性を指したものだ。例の帰還者学校では入学後にVR適性検査が行われるそうだから、それを受ければはっきりすることだろう。

 やがて目的としていた扉の前へと辿り着く。まるで変化のない通路に、目を凝らさなければ分からないような扉。その全てが真っ白だ。目に悪い。代わり映えのない景色は人間の感覚を狂わせる。僕はそこに扉があることにすぐには気づかなかった。

 ここまでは気を張っていたことが徒労であったかのように人の気配がなかった。この企ては少人数で秘密裡に行っているのだろうから、そもそも施設にいる可能性のある人間が少ない可能性が高い。

 部屋の中には人がいる危険を考慮に入れつつ、扉に軽く触れる。

 

シュウオォォン

 

 すると作動音を立てて滑らかに扉が開いた。この施設は隔離されているから、内部にセキュリティなど存在しないのかもしれない。好都合である。

 中に敵影がないことを確認してから、扉の内側へと踏み込む。

 学校の体育館ほどの広さのその空間には、僕の腰ほどの台座が均等に並んでいた。台座の上には人間の脳のようなものが浮かんでいる。それらは常に胎動するように動き続け、外に信号を送っているようだ。

 台座に嵌め込まれているディスプレイを見ればその詳細を確認できるのだろうが、僕はそこから目を背けた。そもそも見たところで理解できるとも思わないが、これがSAO未帰還者の人々の脳なのだと思うと背筋が凍る。そんなことは絶対にないのだが、脳がこちらに直接話しかけてくるように感じた。

 

「なんでお前は自由に過ごしている」「俺らの代わりに捕まってくれよ」「家に帰りてぇよ」

 

 幻聴を振り払うように頭を振った。

―――集中しろ、今は潜入中なんだ。

 『実験体保管室』というよりも『実験室』が適しているようなここなら、実験データも保管されているはずだ。

 一つ息を吐いて身を翻し、奥へと駆ける。台座ばかりの空間でそれは酷く目立っていた。この部屋の奥まったところで、一つの頂点を下にしながらプカプカと浮かぶ立方体だ。

 駆け寄ると、立方体の表面に複雑な文様のようなものが刻まれているのが見て取れた。そしてそこには現実世界のレジについていた――今では使われなくなってしまった――カード読み取り機のような溝が入っている。

 僕はそこにカードを差し込み、一気に下まで下ろした。

 多重ウィンドウが一気に広がる。それに慌てた僕は、近づいてくる足音に気がつけなかった。

 

グググゥゥゥゥ

 

 どこかから聞こえた重低音に警戒するも、足元に波紋が現れると同時に体に負荷がかかり膝をつく。

 

「……ぐ、ぅ。何、だ。これは」

 

 まるで重力が何倍にもなったかのような感覚に、臓腑の空気が抜ける。

 

「あれぇ~、この間といい客人が多すぎやしないかい?」

「そうだねぇ~、今度セキュリティー強化の申請書上げてみるか」

 

 二つの声があり、力に抵抗しながらそちらを向けば、そこにはモンスターがいた。

 高さだけでも人間ほどのサイズはある、紫色の巨大なナメクジだ。ぶよぶよとした何本もの触手を持っており、軟体生物のように気味悪く動いている。

 

「あなた、たちは、誰、ですか?」

 

 何とか声を発する。

 

「誰って聞きたいのはこっちなんだけどねぇ~」

「おいおい、こいつプレイヤーじゃないのか?」

「いやいやまさかそんなはずが、……多分そうだね」

「どうする? あの人に聞いてみる?」

「いや、今はあの小鳥ちゃんのところに行ってるはずだろ。機嫌を損ねたくはない、後にしよう」

「ああ、そうだそうだ。君の質問に答えていなかったね。僕らは管理者、要するにGM側だよ」

 

 二人で会話をしながら冷静に答えを出す二人。二人、というよりは二体か。彼らみたいなのはやりにくい。二重でチェックしているために間違えが少ないからだ。

 片方がその触手で僕を持ち上げる。触られた感触は非常に粘液質だった。

 

「これはねぇ、今度のアップデートで追加する予定の《重力魔法》なんだけど、ちょっと強すぎるかな」

「そうだねぇ、こいつもかなりのステータスを持っているのに抵抗できてないもんねぇ。要調整かな」

 

 持ち上げられている身体が、重力に引かれるのとモンスターに引かれるのとで上下に引き裂かれそうだ。ダメージを受けているわけではないからダメージフィードバックは存在せず、また痛みもないため奇妙な感覚のみが体に満ちる。

 

「それにしても君どうやってここに来たんだい? ここにプレイヤーは侵入できないと思うんだけど」

「いや、コンソールを見てくれよ。多分こいつあの紛失したカードを使ってここまで来たんだよ」

「うぅん、そうなのか、まあ関係ないけどね」

「僕、が、ここでの、ことを、通報、したらどう、するつもり、ですか?」

「いやあ、ここまで見られちゃってるからねぇ。そもそも返す気はないよ」

「な、に?」

「この世界に閉じ込めるんだから」

「そんなこと、できるはずがっ」

「できるんだなぁ、それが」

「アミュスフィアについてる緊急ログアウトシステムは簡単に解除できるからねぇ」

「内部からの自主ログアウトをできなくするのも簡単だからねぇ」

「外からっ、外してもらえば――」

「例えば、郵便でこんな文書を送ったとする。君の知り合いは外せるかな?」

「『彼のアミュスフィアを外すと、意識が永遠に電脳の世界を彷徨うことになる』ってね」

「もちろんアミュスフィアじゃそんなことはできないけど、SAO事件からまだ二ヵ月しか経ってないし、下手に触れないでしょ?」

「それにナーブギアのダウングレードだとしても、時間をかければ脳の操作はできるからねぇ」

 

 やはり奴らは脳の操作という実験をしていたようだ。片方のナメクジが嫌らしい視線を台座達の方へと向けた。

 なぜか突如として一段と強くなった重力に顔を顰める。

 

「おや? あの人も重力魔法使ってるのかな?」

「そうみたいだねぇ。さてさて、あの人が戻ってくるまで遊ぼっか」

「何をして?」

「脳を弄って」

「な、に、をするっ」

「ああ、君のじゃないから安心して。さてさて、誰のをやろっかなぁ」

「この《Haruka》も良いよねぇ。《Yakisoba》に《Kamui》、うぅん《Tak》でも良いかなぁ。いや、やっぱり《Yuna》にしよう」

「そうだねぇ、じゃあその子には今までやったことのないことをしてみよっか」

「いいねぇ、じゃあ恐怖のラインナップで行こっか」

「や、め……やめ、ろ……やめろ、やめろ!」

「ん? 君は黙って見てれば、良いんだ、よ!!」

 

 目の前で誰かの脳を弄ばれることに恐怖を感じ、声を上げる。猛烈な重力の中、必死に上げた声も、モンスターに届いた瞬間その声に掻き消される。

 僕を捕まえていた一体が触手ごと僕を床に叩きつけた。

 

「ぐっ、がぁぁ!!」

「う~ん、良い声で啼くねぇ」

 

 そしてそいつは、僕の腰に佩いていたソウル・ソードを抜き取って僕に突き刺した。

 

「ぎ、ごっがぁ」

 

 元々が性能の良い剣だ。ただ上から突き刺しただけでもかなりのダメージが入る。それが全て不快感へと変換され、声が口から洩れる。

 

―――!

 

「ぐぅあぁぁぁぁ!!!!」

 

 痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い!!!!!!

 痛みだ。不快感ではない痛みが急激に襲ってきた! そのあまりの衝撃に悲鳴が出る。

 

「おぅわっ! 何だよ、ペインアブソーバは働いてるんだから……ってレベル八じゃん!」

「まったくあの人も何をしてるんだか。まあ、こいつの泣き顔が見れるんならそれも良しか」

「そうだねぇ」

「それじゃぁ、《Yuna》の方もやっちゃおっか」

「うん。この子はさぁ、何か歌うのが好きみたいだねぇ。てことで、上げてから落とそっか」

「じゃあ、まずは自分のライブ映像を」

「おお、反応してる、反応してる。これは……A19かな? それからH8も。凄いねぇ。絶望が楽しみだねぇ」

 

 痛みも感じるのだが、それよりも悔しさを感じる。こんな蛮行を目の前にしながら指一本動かせない自分に。《Yuna》はSAOでの知り合いだった。そんな彼女の危機をただ眺めていることしかできない自分が、どうしようもなく惨めだった。

 

「くそっ、くそ、がぁぁぁ!! その子に、触るなぁ!!」

 

 過ごした時間は少ない。しかし、少ないながらも作った思い出が脳裏を過る。その感情をそのままに舌に乗せるも、化け物には届かない。

 

「ん? なぁんだ。君の知り合い、この子? なら、早くやっちゃおっか」

「そうだねぇ、この子が絶望に落ちる様を眺めて、お前も絶望すればいいよ」

 

 そうして手を止めることもなく、下卑た笑みを浮かべながら怪物の触手は動き続ける。

―――これは『罰』、なのか?

―――VR(この世界)では何でもできると思い込んでいた、その報いなのか?

―――かつて何人も手から取り零したのに、今度こそは誰かを救えると思い込んだせいなのか?

―――僕には、誰も救えないのに……。

 気づけば、涙が零れていた、気がする。もう何が頭の中の出来事なのかが全く分からない。痛みと絶望で視界が波紋のように歪む。

 

『逃げ出すのか?』―――違う、僕には誰も救えない。それが事実だ。

『屈服するのか? かつて否定したシステムの力に』―――仕方ないことなんだ。僕はプレイヤーで、奴らはGM側なんだから。

『それはあの戦いを汚す言葉だ』

 

 脳内に響く声、聞き覚えがあった。幻聴でないようなそれに困惑する。

 

『私にシステムを超える人間の意志の力を知らしめ、未来の可能性を悟らせた、我々の戦いを』

 

 顔を上げれば、そこには憧れた人がいた。

 

「貴方はっ……」

『立ちたまえ、キリト君、レント君』

 

 逃げ込んだ白い空想の世界が崩れる。

 

「ぐっ、ぐうぁぁぁぁ!!!!」

 

 剣に刺し貫かれた体を、必死に起こす。

 視界が重なって見えた。

 

「こんな魂のない攻撃にっ!!」

 

 ここにはいないキリトの声が聞こえた気がした。

 

「あの世界の刃は、もっと、重かった!!」

 

 違う、これは、繋がっている? 聞こえてくる声に、自分の声を乗せる!

 

「「もっと、痛かった!!!」」

 

 起き上がると身体から二本の剣が抜けた。キリトの感覚も混じっているのか。

 

「ん?」

「どうして、起きてるんだ、よ!!」

 

 触手が襲いかかってくるが、それを片手で受け止める。

 

「システムログイン、ID《Heathcliff》」

 

 キリトが茅場に授けられた言葉を口にする。すると、僕の周りに何個ものウィンドウが出現した。ぼんやりと見えるキリトの視界にも同じウィンドウが浮かんでいる。

 

「システムコマンド、管理者権限の変更。ID《Oberon》をレベル一に」

 

 キリトが、対峙している相手の管理者権限を剝奪した。

 僕も二体を見やる。二人の上には先程まで見えなかったIDがしっかり確認できた。

 

「システムコマンド、管理者権限の変更。ID《Cloud》、《Rain》をレベル一に」

「なっ、僕らよりも高位のID!?」

「それは、創造主、この世界の神であるあの人しか持っていないはずだぞ!?」

 

 キリトの方でも、緑の長衣を着た男が同じことを言っていた。

 思わず失笑が漏れる。この世界(VR)を創ったのが茅場晶彦であること。それは子どもですら知っている自明の理だ。

 その想いを舌に乗せる。キリトも、全く同じ言葉を口にしていた。

 

「「違うだろ。お前らは盗んだんだ。世界を、そこの住人を! お前らは盗み出した玉座の上で踊っていただけの簒奪者に過ぎない!」」

「何を言う! この侵入者が!」

「お前らみたいなのは大人しく従っておけばいいんだよ!!」

「この、このガキがぁ! 僕に、この僕に向かってぇ!!」

 

 キリトの感覚も共有しているため三人分の罵倒の声が響く。罵倒は様々であったが、面白いことにその後の反応は同じだった。

 

「システムコマンドぉ! オブジェクトID《エクスキャリバー》をジェネレート!!!」

「システムコマンド! オブジェクトID《クラウ・ソラス》をジェネレート!」

「システムコマンド!! オブジェクトID《シェキナー》をジェネレートぉ!!」

 

 三重に聞こえる声が空しく響く。どの声にもシステムは反応しなかった。その事実に悪態を吐く三人。

 

「オブジェクトID《エクスキャリバー》をジェネレート!!」

「オブジェクトID《クラウ・ソラス》、《シェキナー》をジェネレート」

 

 既にその醜態に怒りの熱は静かになっていたが、確実に燃えている。僕とキリトは召喚した武器を三人に投げ渡した。渡された武器をおっかなびっくり持ち上げる三人。

 

「ペインアブソーバをレベル零に!!」

 

―――おいおい。

 それは流石にやり過ぎではなかろうか。共有された視覚にはあられもない姿のアスナがいるから、大方それに怒っているのだろうが。

 

「さて、決着をつけましょうか。簒奪者の子分と、勇者になれなかった男の!」

 

 一旦キリトの方からの情報を意識の外に出し、目の前のモンスター達に集中する。

 彼らは僕の言葉を聞き逆上して突撃を敢行した。しかし構えも何もあったものではない。嘆息する。

 輝いている剣を手にした怪物をすれ違いざまに斬りつけ、矢を放ってきた怪物との距離を縮めて引っ掻く。それだけで大騒ぎだ。悲鳴を上げる化け物。ただ、どんな姿を見せられようとも止める気はない。人の脳を散々弄りまわしたのだ。この程度では、温い。

 拙い攻撃を躱し――躱す必要もないかもしれない――、二年間連れ添った相棒で触手を落とす。

 

「「痛い、痛い、痛いィィィィィィ!!!!!」」

 

 全ての腕を斬り落としたときには、既に狂乱していた。無駄に斬る部分の多いアバターにしたのが悪い。解剖は続く。

 身を削ぎ、皮を剝ぐ。喉まで貫き、身体を両断する。人の胸ほどのサイズのブロックにして、放り投げる。落ちてきたところを、剣で一気に突き刺す。

 それで二体の化け物は呆気なく塵になった。

 

「そこにいるんだろ? ヒースクリフ」

 

 その声を境に、キリトの感覚がなくなった。仕方がないのでこちらでも呼んでみる。

 

「茅場さん。悪いですが僕にも説明していただけませんか?」

「ああ、久しいな。レント君」

 

 何もない中空にポリゴンが集まり、SAOの締め括りに水晶の床で見た茅場晶彦のアバターが降りてくる。

 

「生きていたんですか?」

「そうであるとも言えるし、そうでないとも言える。私は、茅場晶彦という意識のエコー、残像だ」

「……相変わらずですね。助けてくださり、ありがとうございます。このお礼はただの気持ちですから、受け取ってください。それに、どうせ僕らを助けた代償はキリト君の方に渡しているんでしょう? 貴方はキリト君を気に入っているようですから」

「君こそ相変わらずだね。私のことをよく分かっている。――キリト君に渡したのは世界の種子、《ザ・シード》だ。芽吹けばどういうものか分かる。その後の判断は君達に任せよう。消去し、忘れ去るも良し。しかし、もし君らがあの世界に憎しみ以外の感情を残しているのなら……」

「ええ、分かりました。茅場さん」

「ふ、君ならそう言うと思っていたよ。それに君達が見せてくれた感覚の共有も実に興味深かった。まあ、それはさておき私はこれで行くよ。いつかまた会おう、レント君」

 

 それだけ言うと、再び浮かび上がって茅場は虚空へと消えてしまった。

 

「茅場さんの残滓、か。ここにいたってことは脳の高出力スキャンは成功していたのかな? ……まあ、関係ないし作業を始めますか」

 

 あの二体の研究員に邪魔された作業を継続しなければならない。頭をクールダウンする時間を取って、立方体を振り返った。

 立方体にカードは刺さったままだ。上まで上がっていたカードを再び下まで下げる。

 出現するたくさんの窓。その内の一つの内部検索窓を使用する。対象範囲はALO内と、運営のレクトプログレスだ。ここのコンソールでは実験関連のことしか出ないだろうが。

 検索窓に『実験 研究』と打ち込み検索をかける。ずらっと検索結果のデータが並ぶが、そのデータをフィルタにかける。アミュスフィアは脳と直接繋がっているため、イメージでフィルタリングを行うことができるのだ。VRワールドではなくこの機能を目的にアミュスフィアを利用する人も多い。

 人体実験の内容だけをウィンドウに残す。そしてそれをメニューウィンドウの一番下に追加されている《外部端末》に写し込んだ。

 流石は最新技術の塊。あれだけの膨大なデータを二分とかけずコピーし終えてしまった。写し終えたデータは全選択して削除する。削除完了まで見届け、僕はほっと息を吐いた。

 

「ようやく終わった、のかな。プレイヤーの解放は菊岡さんがしてくれるだろうし、感覚遮断を切ってあれだけしたんだからあの二人もしばらくは悶えてるだろうし」

 

 そう、全て終わったのだ。

 僕はメニューウィンドウを開き、慣れた手つきでログアウトした。




 はい、躊躇なくデータを削除する主人公でした。次話でラスト、だと思います。収まるかなぁ……。


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#25 帰還

 フェアリィ・ダンス編完結です。どうぞ。


 ALOからログアウトすると、時刻は午後九時を少し回ったところだった。

 この後は菊岡にデータを渡せば良いだけだ。受け渡し場所はこちらで指示するようになっている。だが、

 

「何か、嫌な予感がする」

 

 妙に胸がざわついた。いつもの、仮定に仮定を塗り重ねた推論ですらない。人には説明ができないものだ。強いて原因を上げるとするのならば、キリトが対峙していた緑のローブの男だろう。あれはアバターなのでリアルの顔は分からないが。

 ひとまず胸騒ぎの原因をキリトと仮定し、取りあえずキリトが行きそうな場所、つまりはアスナが入院している病院に向かうこととする。

 

「もしもし、菊岡さん。データの確保に成功しました。受け渡し場所は結城明日奈が入院している病院でお願いします」

『……ああ、分かった。ありがとうね、レント君』

 

 菊岡に連絡をしながら玄関の外に出て、雪の中愛用の自転車に跨った。指定場所が予想外だったのだろう、菊岡が戸惑った雰囲気を電話越しに感じた。僕の知り合いの未帰還者は明日奈だけであるから、それで納得したのだろうが。

 

「さて、と」

 

******

 

 アスナが入院している病院は所沢市にある。今の家からだと十五kmと少しのところだ。四十分ほどで目的の病院に辿り着く。

 以前来たときに作ったカードで守衛に通してもらい中に入る。簡単に入れたのはキリトが直前に通ったからだろう。門の脇に停まっていた黒い自転車――恐らくはキリトのものだ――の横に自分の自転車を止め、走り出す。

 この病院には結局一度しか来なかったが、雪道に刻まれている足跡を追っていけば迷うことはなかった。

 街路樹を過ぎ去り、病院の玄関前の駐車場に出る。

 僕はそこで、予感が現実となったことを知った。

 まず僕の目に映ったのは手を大きく振り上げるコートを着た男だ。続いて、その人物に腹部を蹴られているだろう黒い服を着た倒れた人が目に入る。距離が近くなるにつれ、男の手にナイフが光るのが見える。倒れているのは状況から見てキリトだ。

 思考を挟む暇もなく僕は飛び出していた。男がナイフを振り下ろすタイミングで、僕の飛び蹴りが男の横腹にめり込んだ。

 

「ぐぅはぁっっ!!」

 

 雪の上に落ちるも、すぐに体勢を立て直す。男もよろけたもののナイフを落とさなかった。

 

「レント……?」

「キリト君、大丈夫? こいつは……須郷伸之か」

「お前、知ってるのか?」

「ALOのGMで、今回の主犯と思われる人物。合ってるよね?」

「ああ」

「キリト君は早く、アスナちゃんのとこに!」

「あ、ああ! すまない、レント!」

 

 キリトはその体を起こし、右腕を抑えながら病院の方へと駆けていった。

 

「あ、ぁあキリト君。君に復讐するのは、この邪魔者を消してからになりそうだ」

「妖精王オベイロン、偽りの王者か。その顔はキリト君に斬られた影響かな?」

「ああ、そうだよ。彼も酷いことするよね。お陰で狙いが上手くつかないよ――。く、屑が! お前らがぁ!!! お前らなんか!! 本当の力は何も持っちゃいないんだよ!!!!」

 

 実に情緒不安定だ。眼鏡をかけ直したかと思えば、逆上して斬りかかってくる。正面から来る上に単純な動きなので避けるのは難しくない。しかし、現実なのだという意識が次第に僕に掣肘を加えていく。

 当たれば、痛い。皮膚が切れる。血管が切れる。あんなちっぽけなナイフでも、人は死ぬ。こちらは徒手空拳で、あちらは小振りといえど刃物を持っている。

 その考えが体に纏わりつき、動きに精彩が欠ける。その緊張感が足を滑らせた。何度も上を動く間に雪が踏み固められ、夜中ということもあって凍り始めていたのだ。足を取られ無様に転倒してしまう。

 

「死ね! 屑ゥゥゥゥゥ!!!」

 

 須郷がナイフを振り翳し、転んだ僕へと振り下ろす! 眼を見開き、打開策はないか模索する。

 

 

 

 

 世界が停滞した。

 

 

 

 

 雪が止まったように降ってくる。街路樹が雪の重みで僅かに撓る。遠くからはエンジンの音が聞こえる。風が吹く気配がした。

 須郷に目を移す。ゆっくりとその腕は下がってくる。体全体を見てその動きを観察する。僕にはVRのように筋肉が視えていた。

 顔を左に捻る。須郷のナイフは右頬を掠る。僕は右足を曲げ、膝で前屈みになった須郷の腹を突き上げる。

 

「かはっ」

 

 須郷の腰が更に曲がって上半身が下りてくる。そこに額を合わせて頭突き。今度は反対に上半身が浮き上がる。強くぶつけすぎたのか耳鳴りがするが気にせず、浮き上がるのと同時に上がっていこうとする須郷の右手首を叩く。反動で奴は遂にナイフを取り落とした。それを掴み、左足に力を籠めて跳ね飛び距離を取る。軽く立ち上がると、すーっと一陣の風が吹いた。

 時間の流れが元に戻る。そこには尻餅をついた須郷と、ナイフを構えた僕という先程までとは逆の構図が出来ていた。

 

「……これで形勢逆転。こんな刃物であっても、貴方が言う通り人の命を奪うには十分過ぎる」

「ひっ、ひぃぃぃい」

 

 須郷は這って逃げようとする。その襟首を捕まえ、マウントポジションを取る。その首にナイフを押しつけ、食い込ませ、数秒待機。

 

「ヒィッ――」

 

 軽い引きつけのような声を出した後、須郷は気絶した。

 上に乗っていたので見えていなかったが、気絶した須郷を引っ繰り返すと、その顔は涙と鼻水でグショグショになっていた。

 そのタイミングで駐車場に高級車が入ってくる。

 

「やあレント君。って、それは?」

「菊岡さん、こんばんは。それって人に対しては酷くないですか? ……これは須郷伸之、今回の主犯です」

「君だって言っているじゃないか。犯人の逮捕お疲れ様……って君! 怪我してるじゃないか」

「掠っただけですから。それにここは病院ですし」

「ああ、そういえばそうだね」

 

 高級車から降りたのは、やはり菊岡だった。

 

「……して、データは?」

「これです。良かったですね、バレないようにデータを収集して削除する手間が省けて。キリト君を人払いしたことにも感謝していただきたいです」

「――ああ、本当に君には感謝しているんだ」

 

 菊岡に渡されていた記録媒体を返す。受け取ったときとの違いはその中にデータが入っていることだ。

 

「まさかデータの削除までしてくれるとは思っていなかったよ」

「管理が下手そうな日本政府に渡すよりはマシですからね。あれはSAOのプレイヤー達を犠牲にされて出来た、血の結晶です。使い道は間違わないでください」

「ああ、もちろんだとも。さて、では僕は須郷を連れてお暇するよ。君たちの再会に僕は不要だろうからね。彼女への事情聴取はまた今度というわけだ」

「ええ、そうしていただけるとありがたいですね」

 

 それだけの意思疎通をすると、僕らは違う方へと歩み出す。菊岡は高級車の中にいた屈強な男達に指示を出し、須郷を車の中に押し込んだ。そしてこちらに手を挙げてから、車は発進した。

 

「鎌かけたってのに反応一つ見せやしない。本当に厄介な」

 

******

 

 病院の中は空調が効いていた。ずっと寒空の下にいたせいで感覚が狂っていたようだ。

 ナースが駆け寄ってきて頬の傷の手当てに案内しようとするが、それを遮り結城明日奈の病室の場所を尋ねる。

 そのナースは先程キリトが通ったことも知っているので、快く通してくれた。守衛と言い、このナースと言い、人が良すぎやしないか心配になるが、そのお陰で中に簡単に入れるのだから良しとしよう。

 アスナの病室のある階層まで上がり、病室の扉の前に立つ。少し悩んでから、僕はいつかのログハウスのときと同じ、トントントンと三回ノックした。すると中からキリトの声がした。

 

「レントか? 入ってきていいぞ」

 

 お邪魔しますと呟きながらドアを開ける。簡単な仕切りになっていたカーテンは開いており、その先にはベッドが一つあった。

 その上ではナーブギアを外したアスナが起き上がっており、ベッドの上に座ったキリトと手を繋いでいた。

 

「初めまして、明日奈ちゃん。時間はおかしいけど、おはよう」

「初めまして、レントさん。えっと、おはよう?」

「耳、聞こえる?」

「うん、少しは」

「ちゃんと喋れてるみたいで良かったよ。僕のときは音は聞こえないし、声は出ないしだったからね」

「そうだったのか、レント」

「うん」

 

 リアルで会うのは初めてだが、あの平和だった二十二層の頃を思い出す会話だった。

 

「そういえば、レントとリアルで会うのは初めてだな」

「うん、そうだね。まあ、今更言うのもあれだけどこれからもよろしくね、和人君」

「ああ、よろしく、って何で俺の名前知ってんだ?」

「え、菊岡さんから聞いたんだよ? 和人君は聞かなかったの?」

「あんの、クソメガネ。……ああ、でレントは何て名前なんだ?」

「僕は大蓮翔。大きい蓮に、羊偏に羽でかける。よろしくね」

「ああ」

「……! なるほど、蓮と名前の読み方を変えてレントね!」

「うん、一応名前を捻ってあるんだよ。明日奈ちゃん」

「……一応聞くけど、私の名前は知ってるの?」

「もちろん。結城明日奈、レクトのCEOの結城彰三さんの愛娘」

「そこまでかぁ、じゃあ実名で登録しちゃってたのは知ってるのね?」

「まぁでも明日奈ちゃんはアスナちゃんのままでいいんじゃないかな」

「そう? ありがとう」

 

 僕と会話している間も、二人はずっと手を繋いでいた。入る前にノックしたのは一応人に見られても良いようにしろということだったのだが、二人にとっては今の状態で十分な譲歩なのだろう。これ以上この部屋にいては中てられそうだ。

 

「じゃあ、僕はここら辺でお暇するよ。二人ともそろそろ看護師さんが来ると思うから気をつけてね」

「ああ」

「うん、じゃあまたね、レn……翔さん」

「あーと、その。僕は和人君と同い年だからね。それじゃ」

 

 実名にさんとつけられて呼ばれることに慣れず、逃げるようにその場を抜け出した。ちなみに和人の年齢は本人からの情報だ。菊岡由来ではない。

 

「えっ、年下……」

 

 僕は何も聞いていない。

 外に出ると、雪の中に黒い背中と白い背中が手を繋いで歩いていくのが見えた気がした。

 

******

 

 その後、須郷は菊岡によって警察へと連行された。

 当初は全てに黙秘を貫いていたが、部下も逮捕されていると知ると呆気なく全てを自白したそうだ。

 未帰還者の三百人は、幸いにも実験中の記憶もなく、脳や精神に異常を来した人はおらず全員が社会復帰可能だとされている。ある一人を除いて。

 しかし、今回の事件でVR業界は多大なダメージを受けた。初代のSAOに続き、ALOでも大事件が起きたのだ。当然だろう。

 最終的に運営のレクトプログレスは解散、レクト本社もCEOの結城氏が辞任することとなった。もちろんALOも運営中止。他に展開していたいくつかのVRゲームもその風呂敷を畳んでいくことだろう。

 

 そう、思われていたのだ。あるプログラムがネット上に公開されるまでは。

 

 そのプログラムの名前は《ザ・シード》。茅場が最後にキリトに渡したプログラムだ。

 信頼できる相手としてエギルと共に解析を行った結果、あのプログラムは茅場の作ったVR環境を動かすプログラムパッケージだと分かった。要するに、そのプログラムがあれば誰でもVR世界を創れるということだ。

 僕らはそのプログラムを全世界の大規模ネットワークに、無料でダウンロードできるようにアップロードした。

 その種は見事に芽吹き、死に絶えるはずだったVRMMOは復活を果たした。

 ALOも、別の新興ベンチャー企業に全データがほぼ無償のような値段で譲渡され、その下で運営されることとなったのだった。

 

******

 

~五月十六日~

 四月から、僕は西東京市にあるSAO帰還者学校に通い始めた。帰還者学校は都立高の統廃合で空いた校舎を使用した物だ。教師陣は全員が志願者で、次世代モデルの学校の試験運用も兼ねているそうだ。

 生徒全員に定期的なカウンセリングが義務づけられており、SAOで精神に何か異常が起こっていないか確認される。悪く言えば、社会に適合できないかもしれない危険分子を監視する施設というわけだ。

 そこで僕らは二年間の遅れを取り戻そうとしている。

 当初は心配されていた三百人のALOの虜囚達も、リハビリが間に合い、SAOに囚われた学生のほぼ全員が通学している。とはいえ流石に他地方から通うことは大変なため、同様の学校が全国に数箇所設置されているそうだ。その関係で東京校の生徒数は数百人程度だ。

 この学校ではゲームの頃の事情を持ち込まないためにキャラネームで呼び合うことが禁止されている。僕もそれに従うつもりだったのだが、SAOのときにかなり多くの人に顔を見られていたので僕の素性は一方的に割れてしまっているようだった。学生はその多くが中層以下にいたため、当初は中層付近で活動していたのが仇となった。

 しかし最前線の攻略組であっても、アスナは実名が同じで、更に美少女として顔が広まっていたためバレてしまっている。その隣にいつもつき添っているキリトも半ば知られてしまっているようだ。

 今日の放課後にはSAOクリアの打ち上げのようなものがあった。今夜、その二次会がある。VRMMO、ALOの中で。

 それに参加するため、僕は二つのリングが重なったようなヘッドギアを装着した。

 

「リンク・スタート」

 

******

 

 《イグシティ》上空、そこには大量のプレイヤーが集まってきていた。

 運営が変わったALOでは、大きな変化がいくつかあった。一つ目はこのイグシティの出現だ。世界樹の上に、伝説と同じ立派な都市が出来たのだ。二つ目は飛行制限時間の消滅。長時間は飛び続けられないという今までのルールをなくしたのだ。高度限界は未だ存在するが、片方の制限がないだけでも自由度は格段にアップする。他には運営中止になった前ALOのプレイヤーデータだけでなく、SAOでのプレイヤーデータを使用できる――能力はある程度調整が入るが――ことだったり、染髪等が可能になったりだ。

 そして最後の超大型アップデートが、今夜行われる。

 

ゴォォォォォォォォォン、ゴォォォォォォォォォォォォン

 

 時を告げる鐘の音が鳴り響く。空を、月を見上げる。

 ゆったりと降りてくる一つの巨大な(オブジェクト)

 世界樹と並んでも遜色なく見える、驚異の作り込み(データ量)

 それは、一人の男の夢と執念の結晶(根源)

 かつて電子の海に溶けた伝説(悪夢)

 

 そう、それは

 

 

 

 

 

 浮遊城(アインクラッド)

 

 

 

 

 

「茅場さん、貴方の夢は引き継がれています。より多くの人にその姿を現します。話し継がれていきます。実際にあった、本物の英雄伝として」

 

 僕らは()ってきた。始まりのVRMMORPGへ。

 ある者はそこで何かを断ち切ろうと。

 ある者はそこで何かを掴もうと。

 ある者は思い出に浸るために。

 ある者は追いつき、横に立つために。

 ある者は伝説を見に、感じに。

 ある者は伝説を創りに、成りに。

 僕らは今度こそ百層を目指す。茅場の夢であり、阻むべきものであった攻略を成し遂げる。

―――そこで自分の城が攻略されるのを指を咥えて待っていてくださいね。

 その場にいた全ての妖精が闇夜に煌々と光る鉄の城を目指し、得物を抜き、飛び立つ。

 その様は、まるで妖精達の空中舞踊のようであった。

 僕も舞踏会へと混ざりに向かう。

 

「さあ、今度もこの城のLAは僕が取ってみせましょう!」




 第二部、完。
 ここまでお読みくださり、ありがとうございました。次は何かを挟んでからファントム・バレット編です。よろしくお願いします。

 ラストシーンで「筆者って中二病?」って思った人、大正解です。筆者はああいうのが好きな中二病です。え? 知ってる?
 ……一話でも似たようなことしましたもんね! うん、……そうだよね?

 これからも頑張っていきます!


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#25.5 打上

 はい、前回バサッとカットした一次会を載せたいと思います。.5話なので半分ほどです。
題名は、まあ、他に思いつかなかっただけです。では、どうぞ。


 五月十六日、SAOクリアのオフ会が開かれた。エギル――本名アンドリュー・ギルバート・ミルズが経営する御徒町の喫茶店、《ダイシー・カフェ》で。

 御徒町でも寂れた雰囲気のある路地にその店はあった。二つの賽子が重なっている看板には、『本日貸切!』と書かれた札がかけられている。

 店の前で丁度、制服姿の三人に出会った。帰還者学校の制服を着ている和人と明日奈、それから恐らく彼女の通っている高校の制服を着ているリーファ――和人の義妹の直葉だ。

 

「あれ? 翔君、制服じゃないの?」

「うん、着替えてきたからね」

 

 春から僕は一人暮らしを始めた。その部屋がある場所は御茶ノ水なので、御徒町に来る前に寄ってきたのだ。

 

「私服でも白なんだな」

「いやぁ、SAOから白にハマっちゃってね。気づいたら私服の大半が白くってさ」

「で、でも似合ってると思いますよ」

「そう? ありがとうね、直葉ちゃん」

 

 他愛ない世間話を交わしながら、和人が木製のドアを開けた。

 

「……おいおい、俺達遅刻はしてないぞ」

 

 ドアから最初に中の光景を見た和人が呟く。後ろから覗き込むと、店の中には僕達を除いた今日の参加者が全員揃っていた。

 

「へへ~ん! 主役は最後に登場するものですからね! あんた達にはちょっと遅い時間を伝えておいたのよ!」

 

 元気そうな声で僕らを出迎えたのはリズベット――篠崎里香だ。

 里香はそのまま僕と和人の腕を掴み、木箱の上に立たせる。

 

「えぇ、それでは皆さん、ご唱和ください。……せーの!」

「「「「「キリトとレント、SAOクリアおめでとう!!!」」」」」

 

 叫ぶと同時に各人がクラッカーの紐を引き、手書きで『Congratulations』と書かれた白い幕が頭上から降りてきた。

 僕は慌てて避けたが、呆気に取られた和人はクラッカーの残骸まみれになった。その姿を見て、笑い声が響く。

 

「かんぱ~い!!!」

 

 ワチャワチャガヤガヤと喧騒が広がる。主役などと宣ったくせに、BGMが流れ出すと僕らを取り残してたちまち歓談が始まった。僕と和人は溜息を吐いてカウンターに座った。

 この場にいるのは、僕と和人を中心に親しかった人々だ。アルゴは都合がつかず来れなかったが。しかしそもそもの交友関係が狭かった僕には大した友人がいないので、集まったのは和人の友人と言っても良いだろう。エリヴァやタロウも和人の友人に入るだろうし。

 

「なんだ……烏龍茶か」

 

 隣で馬鹿なやり取りが行われていたが、気にせずに今も話に出たタロウを探す。

 

「紘一さん」

「ん? ああ、レントさんですか。お久し振りです」

「お久し振りですね。それと、僕は翔です。電話で伝えたでしょう?」

「ああ、そうでしたね。これは失礼しました。つい、癖で」

「分かります。未だにタロウさんですから」

「あ、そう言えばですね! 聞いてくださいよ! 翔さん!」

「は、はい。何ですか……?」

「うちのタロウに子供が出来るんです!」

「おお、それはめでたいですね。…………犬ですよね?」

「もちろんそうですが?」

 

 愛犬の名前という噂はどうやら本当だったらしい。このタロウ、いや本石紘一はとあるベンチャー企業の社長だ。IT関連の新興企業で、これからというときにSAOに囚われてしまったらしい。二年間も社長不在で何とか切り盛りしていたらしいのだから、優秀な人材が豊富なのだろう。しかも社長の席は空けていてくれたそうだ。帰ったら無職なのかな、などと呟いていたこともあったが、全くそんなことはなかった。

 そしてそのベンチャー企業とは、新生ALOの運営をしているブックス・トーンだ。

 世間話を交わした後、エリヴァのもとに向かう。

 エリヴァはあの世界でとても世話になった恩人である。この世界でもお礼ぐらいは言っておきたい。

 エリヴァ――南部敦はSAOよりも幾分か細くなっていた。帰還後すぐにまた働き出さなければいけなったので余り肉をつける時間がなかったのだという。

 それにしても、僕ももう少し交友関係を築くべきだったかなと、周囲と仲良く会話する和人を見て思った。

 今日この場に来ているのは、《風林火山》のメンバー、今の二人、里香と、和人と明日奈、中層で話題になっていた《竜使い》シリカこと綾野珪子。それから《軍》のトップだったシンカーにその妻ユリエール。場所の提供者であるアンドリュー。そして店の隅でグラスを両手で持って椅子に一人で座っている直葉だ。

 

「直葉ちゃん、ごめんね。つまらないでしょ、知らない人ばっかで」

「あっ、……いえ、ついて来たのはあたしですし……」

「それでもね。みんな久し振りに会うから羽目を外しちゃってるみたいで。SAOにいなかった直葉ちゃんじゃちょっと混ざりにくいよね」

「いいんです、あたしは見てるだけで。お兄ちゃんが楽しそうにしてるの見るの結構好きなんですよ?」

「そう? まあ実は僕も余り顔は広い方じゃないからね。知らない人と飲み会みたいにするのはまだハードルが高くってさ」

「そうなんですか? レn……翔さん顔広そうなのに」

「そう、なだけだよ。SAOの時は本当に攻略しかしていなかったからね」

「考えられないですよ、今のれ、翔さんからしたら」

「自分でも当時の生活を思い出すと無味乾燥でびっくりだよ。それと、呼びづらいならどうやって呼んでも構わないよ?」

「ありがとうございます、やっぱり翔さんって呼ぶのは慣れないんですよね。……あの、師匠って呼んでいいですか!?」

「え?」

「いや、昔稽古つけてくれたときがあるじゃないですか! それから、つい、レントさんを見ると、師匠っ! って呼びたくなっちゃうんです」

「そ、そう。まあ別に構わないけど……。ただ、時と場所を選んでね?」

「良し!」

 

 よく分からないが、喜んでくれたならそれは嬉しいことだ。これだけ元気ならば問題ないだろう。店の隅でしょげているように見えたから話しかけたのだが。

 僕はまた別の人に声をかけに向かった。

 

******

 

~side:直葉~

 

「ふ~ん、それでリーファちゃんは二回も同じ人に振られちゃったわけね」

 

 したり顔でリズさんが頷く。

 師匠がいなくなった後にリズさんとシリカちゃんが話を聞きに来たのだ。キリト君とのALOでの旅の話を。

 

「へぇ、流石キリトさん。カッコいいですねぇ」

「ねー、義妹まで手を出しちゃうなんてね」

「手ッ、って! そ、そんな言い方しないでくださいよ!」

「あはは、そうあんまり怒らないで」

 

 てっ、手を出すなんて、そんな、一線を越えたみたいな言い方は誤解を受けるから止めてほしいものだ。

 打って変わって、リズさんは真剣な表情になった。

 

「う~ん、それで失恋の悲しみを紛らわせるものねー、何かある、シリカ?」

「うぅん。やっぱりこういうのって、何か気分転換をした方が良いと思うんですよ」

「気分転換、ねぇ」

「――そうだ! 新しい恋を探しに行けば良いんですよ!」

「あ、新しい恋ぃ!?」

「あっ、シリカ! それ良いわね! その案で行きましょ!」

 

 勝手に話を進められても困るのだが。

 

「っと、その前に……」

 

 やっとこっちの意見を聞いてくれるのか。

 

「リーファちゃんの好みのタイプは?」

「ブッ!!」

「ああ! 汚いなぁ、もう!」

 

 既にあたしは了承したことになっているようだ。恐らくここは素直に答えておいた方が身のためだろう。

 

「えと、やっぱりあたしより強い人が良いですよね」

「「強い?」」

「あー、色んな意味でですよ? VRでもリアルでも」

「ふーん、他には?」

「後は、優しい人、とかですかね。気を遣ってくれたりするのは凄い嬉しいですね」

「確かに、キリトさんそういうところだけは気配り上手かったですよね」

「そういうところだけは、ね」

 

 昔からその人の気持ちを中途半端に感じ取る能力は長所にも短所にもなっていたことを思い出し、変わっていないのだと少し笑みを零す。

 

「あ! それならレントなんてどうよ」

「レントさん……?」

「あっ、そっか。シリカは会ったことないんだっけ。ほら、あのキリトと一緒に立たせたイケメンよ!」

「ああ、あの人ですか! 確かにカッコいいですよねぇ」

「お、シリカもあっち行っちゃう? たしかフリーのはずよ?」

「もう! リズさんったら! そうやってライバルを減らそうっていう魂胆でしょ!」

「えへへ、バレちゃったかぁ」

 

 二人の声はもうあたしの耳には届いていなかった。

 

「師匠、かぁ」

 

 二人のお陰で少し前を向けたかもしれない。




 フラグ、建ったのかなぁ。
 フラグが成長するかは分からないがな!

リズ「実はレントってかなりの良物件よね。てか、私達はキリトに先に惚れたからあれだけど、レントが先だったら……」
リズ「この女たらしどもめぇ!!!」
黒&白「え?」

 次回からはGGOです。お楽しみに。


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ファントム・バレット編
#26 銃撃


 GGO編開幕です。若干短いですが、どうぞ。


 僕には最近ハマっていることがある。それはコンバートだ。

 コンバートは《ザ・シード連結体(ネクサス)》に繋がっているVRワールドの全てに存在するシステムだ。

 それは簡単に言えば、一つのゲームで使っていたデータを他のゲームで使えるようにするシステムのこと。

 例えば、ALOでパワー型の中の上の戦士だったとする。コンバート機能を使って別のVRゲームに移住すれば、そこでもパワー型の中の上の戦士職になるという具合だ。所持していたアイテムや通貨は消滅してしまうため帰ってくる気があるならどこかに保管しなければならないが、一々キャラを育てる手間がかからず非常に便利だ。

 僕はそのシステムを使ってVRゲームの移住を続けているのだ。昔から新しい物好きだったが、その影響だろうか。次々と様々な種類のVRゲームを試しては移住を繰り返している。

 一般的にコンバートは完璧に移住すると決めたときしか使わないらしいが、一応僕は全てのVRワールドに戻ろうと思えば戻れるようにしている。しかし新しい物好きなのと同じくらい飽きっぽいので、長く続いているゲームはALO位しかないのだが。

 

「ん? BoB(バレットオブバレッツ)?」

 

 今は新しい移住先を大手MMO攻略サイトの《MMOトゥデイ》で探しているところだ。

 MMOトゥデイ――通称Mトゥデのトップのニュース欄には、『第一回BoB開催!!』という見出しがあった。

 BoBが行われているのはGGO(ガンゲイルオンライン)というゲームで、BoBはそれの大会なのだそうだ。

 サイトからGGOのページを開く。それによるとGGOは銃の世界だそうだ。剣や魔法は存在せず、荒廃した地球を舞台に銃で戦う。FPSとMMORPGを合わせたようなゲームらしい。

 

「よし、ここにしてみるか」

 

 思い立ってすぐにコンバートができるわけではない。元のゲームのアイテム整理などをしなければならないからだ。明日までにはその作業を終わらせてやると決意し、僕はVR世界へとダイブしていった。

 

******

 

「さて、ここがGGOか」

 

 翌々日、僕はGGOへとコンバートしていた。BoBが終わったのは一昨日なので、その熱も既に収まっている。

 プレイヤーが最初に配置される若干広いスペースに立つ。服装は完全なる初期装備だ。

 脇には人影が綺麗に映り込むガラスがあった。自分のアバターを確認するために置いているのだろうか。

 それを覗き込む。すると、そこにはよく見る顔が映り込んでいた。

 

「――………………」

「いや、あの、この展開はもう見たんですが」

「おかしいだろ。何でVRワールドの癖に自分の顔なの? アホなの? 馬鹿なの?」

 

 何度か口調を変えて喋るが、顔はきちんと同じ動作――鏡映しだが――をする。やはりこれは間違いなく僕の顔で、ついでに言うとリアルと同じ顔だった。

 いや、よく見れば細部は違う。現実よりも年齢が重ねられているようで、少し荒んでいる。この世紀末なGGOの雰囲気に合わせてか。

 なぜ僕は自分の顔でゲームをプレイしなくてはならないのだ。盛大に溜息を吐くが、決まってしまったことは仕方がない。決定したアバターを変えるためにはアカウントを作り直すしかないのだが、僕はコンバートでプレイしたい――アカウントを維持したい――のだ。つまり、この外見はもう変えられない。

 がくりと肩を落としていると、一人の筋肉質な男が話しかけてきた。

 

「よお兄ちゃん、いきなりで悪いけどそのアバター売ってくんない?」

「え? ……どうしてですか?」

「いや、このGGOだとアバターはランダムだろ? しかも世界観に合わせてか知らねぇが美形が少ねぇんだよ。つまり、美形アバターは高値で売れるわけだ」

「なるほど……。すみませんが、このキャラはコンバートなので売れないんです」

「そうなのかぁ。ま、気が変わったらいつでも連絡してくれ」

 

 それだけ言うと、その男性プレイヤーは名刺のようなものだろうか、ホロウィンドウを出して去っていった。

 僕も初期位置に用があるわけではない。アバターがランダムなら、たとえ同じ顔であってもまさかそうであると大概の人は思わない。起こってしまったことは諦めて、すぐに動こうか。

 ALOでは事前リサーチは常識程度に留めておいたが、この世界は僕の中でFPSという区分なのでかなりの情報を調べてある。

 GGOには現実の通貨とゲーム通貨の換金システムがある。変換比は日本円だと現実が一、GGOが百だそうだ。現実世界で金を払ってゲーム内通貨を手に入れられるのだ。要するに課金である。

 僕は課金に関しては多少躊躇するタイプだ。ただ、この世界の通貨は逆にリアルに還元することも可能なので、それで取り戻せば良い話だ。ならば問題はあるまい。

 僕はゲーム内から課金操作を行うために、《総督府》という建物の隣に建っている《貨幣局》という建物に向かった。

 

******

 

 《SBCグロッケン》という名前の初期スポーン地点の都市は宇宙戦艦がモデルになっているらしく、最後部の甲板に初期位置が設定されている。先端にある総督府に向かうにはこの街を縦断しなければならない。

 グニャグニャとした道を何度も曲がる。既に調べてあったので迷わずに曲がるが、リサーチしていなければしばらく彷徨うことになっていただろう。

 

「ここだね……」

 

 僕は目の前に聳える黒いビルのような建物を見上げ、その入口へと向かった。

 入口は自動扉で、それが作動音を立てて開閉したのを見て不思議な気持ちになる。中もよくある近未来的な銀行でリアルにいるような気分になったのだ。

 気を取り直して入店した僕はATMのようなタッチパネルの窓口に向かう。

 画面にタッチし、表示された項目を一つ一つ埋めていく。銀行口座から直接引き落とされるようで、口座番号だったりを記入。そして引き下ろしたい、変換したい金額を打ち込む。二回出てくる確認ボタンを押すと、カシャンと音がした。

 システム窓を開く。すぐに目につく所持金額の欄は、桁が何個も跳ね上がっていた。

 この世界には二種類の銃がある。実弾銃と光学銃だ。実弾銃は対プレイヤー向け、光学銃は対mob向けだ。

 僕はこの世界でALO以来すっかり癖になった、PKer(プレイヤーキラー)を目指そうと思う。そのために必要な銃は実弾銃だ。しかし実弾銃は軒並み店売りの金額が高い。それをmob狩りでちまちま集めるのは面倒だったので、課金(こんな手段)と相成った。

 大量の金を手にした僕は、大きなショッピングモールのようなところへと向かった。

 中に入り――こちらも自動扉だった――、銃が売っているコーナーへと向かう。

 目指すはライフル。最初の物ということもあり、耐久力が高く性能もかなりあるAK-47を選ぶ。近づいてきた自動機械の掌紋認証のようなシステムを通す。それで支払われたようで、準備した金額がガクンと減った。

 

「うわ、こんなにするのか」

 

 データでは分かっていたことだが、実際に体感するとまた少し違った印象を受ける。AK-47はリアルではそこまで高価な銃ではないらしいのだが、ゲームでは性能とのバランス調整があるから高価なのだろう。

 サブウェポンとして自動拳銃を購入する。FNファイブセブンだ。こちらは金額と性能を天秤にかけた結果である。

 二つの銃の弾丸や、諸々の装備を調える。光学銃の威力を低下させる《対光弾防護フィールド》――これのせいで光学銃の対プレイヤー性能が低い――も購入して服装も初期装備から一新。世界観に合わせた暗い色だ。

 一通り準備は完了した。後は実践あるのみである。僕はショップの地下にある射撃場に向かった。

 

******

 

 射撃場では試し撃ちができる。しかも弾薬は減らない。そのため新たに購入した銃を試すのには絶好の場所なのだ。

 まずはAK-47だ。射撃の体勢を取る。我ながらとても様になっているのではなかろうか。そして狙いを定めてトリガーに指をかけると、目の前に収縮を繰り返す緑色の円が現れた。

 これは《着弾予測円》と言い、この円の中のどこかに弾が飛んでいくというわけだ。この円の収縮は使用者の心拍、視線、身体の動き、体勢などに左右される。落ち着いていればいるほど収縮が収まる――狙ったところに弾が飛ぶということだ。

 ちはみにこの円が使用者に表示されている間は、狙われているプレイヤーにも《弾道予測線》というものが見えている。これは『線』だけあって、着弾予測円の『ここのどこかに飛んでいく』とは異なり、『この弾道で飛んでくる』とかなり特定されたものだ。

 視線を目標の人の形をしたパネル――正式名称は何なのだろう――に固定。特に脳髄を狙い、呼吸の制御をする。ゆっくり、ゆっくりと息を吸ったり吐いたりする。体勢も安定させ動きを止める。

 これだけでも既に着弾予測円は頭の部分に収まっているが、更に高等技術。心拍をできうる限り落とした。システム外スキルの一つだ。気配を殺す際にプラス判定が出る――気がする――。それで急激に円は小さくなり、点となる。それでも更に目を凝らして、最も点が小さくなったときにトリガーを引く。それを数度繰り返した。

 対象のパネルを表示する。どこに当たったのかを確かめるためだ。結果は、全弾が脳髄部分に直撃していた。空いている穴が一つしかなかったのは全く同じ所を撃ち抜いたからだろうか。自分でも怖くなるぐらいの集弾性能である。茅場にも言われたが、VR適性が異常に高いことが関わっているのだろうか――最近、改めて検査を受け直した――。初心者詐欺の命中精度の上、一発目は時間をかけたが、その後はほとんど時間をかけていないのだ。驚きである。

 気を取り直してFNファイブセブンへと持ち変えた。

 

******

 

―――おかしくないですか?

 流石の僕でもシステムの不備を疑ってしまった。

 この射撃場はターゲットまでの距離を自分で選ぶことができ、先程まではAK-47の限界射程辺りで撃っていたのだ。そして銃を切り替えた後も距離を変えるのを忘れていた。

 一通り撃った後にそれに気づき、やらかしたと思いながらターゲットを表示したのだ。すると、先程と同じ結果なのである。全弾同じ着弾地点、脳髄だ。自動拳銃で、並のライフル以上の距離を命中させたのだ。慌ててログを確認するも、本当に全弾同じ位置に着弾している。我ながら気味が悪い。

 

「ま、まあ、命中精度が良くて悪いことはありませんからね!」

 

 明るく言ってみたが、嫌な予感しかしないのである。

 

******

 

 少し対人戦をやろうと思った。もう少し練習した方が良いのはそうだが、気分転換がしたかったのだ。というわけで現在荒野にいる。そういうフィールドだ。

 荒野を彷徨って誰かいないかを探る。実は、既に何度か遭遇戦をしていた。相手は数人の集団――スコードロンと言うらしい――で、荒野には遮るものがなくかなり遠くから見えたのだが、そのタイミングでAK-47を撃った。一人が死亡した。もう一発、また一人が死んだ。そこまで来てようやくこちらに気づいたらしい。しかし遮蔽物の少ない荒野だ、こちらに着くまでに全員撃ち殺した。

 これが何度か起こっているのだ。やはり僕の射撃精度は異常としか言いようがない。スナイパーライフルで狙っているわけでもないのに、点のように見える人影を撃ち殺してしまえるのだから。

 この世界は一応体力(HP)制ということになっているのだが、急所ダメージが用意されており、脳髄はこれに当たる。そこに当たれば大ダメージを出せ、威力がそれほどなくても一撃死を狙えるというのは差し詰め現実世界だ。

 しかし、それにしても、いや、だからこそ、数百メートル先の敵を自動拳銃で倒せるってのはおかしくないですかザスカーさん――GGOの運営だ――。流石に一撃では無理だが、二、三発で殺せてしまう。これは現実ではありえないどころの話ではない。拳銃の有効射程距離は五十メートル程度で、その距離でも当たる確率なんてとんでもなく低いのに。GGOがゲームであるばかりに、着弾予測円を外れることがない。

 僕の強みは精度以外にもある。有効射程を越えてしまうと僕のように弱点に当てる以外では有効なダメージを与えられないが――現実ではそもそも弱点云々の前にそこまで飛ばない――、逆に弾道予測線はなくなるのだ。つまり有効射程外では僕の攻撃を弾道予測線で発見することができなくなる。

―――射程外でターゲットに当てられる僕がおかしいんですけどね。

 さて、気分転換で逆に自棄になりそうになってきたところだし、そろそろ帰ろうか。

 僕はバク転した。

 

 

 

 

 

バシュッ!!!!!

 

 

 

 

 僕の頭があったところを通って、弾丸が地面に突き刺さる。

 

「うわっ、殺気を感じるってこんなとこでもあるんだ」

 

 そう、ゾワッと背筋を悪寒が走ったので、避けてみたのだ。弾道予測線が見えなかったことと弾丸のサイズから考えると、撃ってきたのはスナイパーだ。方向的には遠くに見える岩山から撃ってきたのだろうか。

 スナイパーというのはスキルのようなもので、自分が捕捉されていないときに限って初弾の弾道予測線をなくせるのだ。

 頭を狂いなく狙ってきたのだ、かなりの腕の持ち主だろう。そんな人間が一人を撃ち損じるとは思わないだろうし、スナイパーまで動員したスコードロンの獲物が一人では割に合わない。よって近くに近接担当部隊が潜んでいることもないだろう。それなら、五分経って捕捉した情報がリセットされ再び予測線なしで撃たれる前に逃げるのが得策か。

 最後に岩山の方向にAK-47を撃ってから、僕はSBCグロッケンに帰還した。

 

******

 

 GGO、かなり面白い。ハマった。ALOと同じくらい。というわけで、しばらくはここを中心にVRをプレイしようと思う。狙うは第三回BoBだ。第二回、つまり次回は有力選手の偵察に徹しようと思う。一度空気感を感じてみてからでも参戦は遅くない。

 ちなみに僕の命中精度はまだ上昇を続けている。この間は目測百メートル先のプレイヤーをFNファイブセブンで一撃死させてしまった。あのゲームルールは僕に有利すぎる。心拍を限りなく落とせる――一度アミュスフィアに死亡したと判断されかけた――僕からすれば、狙ったところを撃つなんて楽勝である。リアルとは違ってシステム補正がかかるのだから脳髄に簡単に当たる。

 最近分かったことだが、弱点部位にも特に大ダメージ――確定一発で死亡判定――の部分があるようで、そこに当たればたとえ威力減衰が激しく地に落ちるような弾でも死ぬ。殺せてしまう。

 その姿を見せずに、見せてもスナイパーライフルの射程距離のようなところから一撃で撃ち殺す僕に、とうとう二つ名がついてしまった。《幻影の射撃手(イマジン・シューター)》だそうだ。都市伝説化されているようなところもある。ALOの《白い悪魔》も都市伝説のようなところがあったから今更ではあるのだが。

 僕はそうして今日もログインする。運営のザスカーがあのとんでも仕様を修正するまでではあるが、思いきり遊び尽くしてやろう。




 最近忙しくなってきてペースが守れないときがあるかもしれません。先に謝っておきます。
 それにしても銃のことが分からない。Wikipedia片手に書いてます。本文でもありえない描写がありましたが、間違いがあってもゲームとしてのGGOの仕様と思ってください。ザスカーさんェ。
 それにしても最後の狙撃手誰なんでしょうかねぇ(棒)。気になるところです。


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#27 硝煙

 きな臭い臭いがしますね、硝煙だけに。
 ……これが言いたかっただけです。若干短め(六千字弱)ですが、どうぞ。


 硝煙の香りがする。曠野に僕は立つ。砂塵渦巻くその果てには一体何があるのだろう。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

―――何を馬鹿なことを考えているんだか。

 GGOの荒野フィールドに立っていると碌なことを思いつかない。GGOを始めてからそこそこ経ち、僕の実力は上位プレイヤーの仲間入りを果たしている。例の巫山戯た仕様は修正される素振りもなく、一部ではチートではないかと疑われている始末だ。

 そんな僕がなぜこんなところで突っ立っているかと言えば、既に日課のようになった、ある対決のためである。三日おきに起こる、遭遇戦のような全くの別物。時間は大体がこの頃。翌日のことを考えると落ち(ログアウトし)なければいけない時間帯。そのタイミングで僕は荒野にポツンと立ち、あるものを待ち受ける。

 

 

 

ゾワッ!!!

 

 

 

 猛烈な殺気を当てられ背筋に悪寒が走る。これだ。これを待っていたのだ。しかし、まだ足は動かさない。彼――彼女かもしれない――も学習をし、今ではあの殺気を陽動に使ってくるのだ。

 

スサッ

 

ブゥゥゥゥン!!!

 

 砂を踏みにじる音を立てながら大きくサイドステップを踏み、八時の方向から飛んできた弾丸を避ける。弾丸はとんでもない風切り音を立てて耳元を通り過ぎていった。

 これで例の、初日に出会った――顔は合わせていないが――スナイパーとの正面対決が終わる。僕は今日も勝てたことに安堵して笑みを零し、街へと帰った。

 SBCグロッケンはここ最近お祭り騒ぎだが、それも仕方がない。何せ第2回のBoBが開催されるのだから。僕は参加せず偵察に留める気なのでそこまで熱を入れていないが。

 ここ最近非常に混み合っている総督府前を通り、裏路地に入る。初日からずっと変えていなかった装備を、今日やっと更新するのだ。

 ずっと変えていなかったと言っても、少しづつ準備してはいた。今日その全てが揃うというだけである。

 知り合いの鍛冶屋――GGOではガンスミスと呼ぶ――に頼んであった最終調整が終わったそうで、一通り装備を確認してみようというのが今日の目的である。

 寂れた裏通りの、古ぼけた扉を開く。備えつけられている鈴が鳴るが、中から人が出てくる気配はない。仕方がないので――いつものことだが――勝手知ったる人の家、ずんずん入っていく。

 

「レントです。例の物受け取りに来ました」

「――ん? ああ、レントか! よし、こっちに来い!」

 

 カウンターの奥のスタッフスペースに行って声を上げると、すぐに階段の下の方から声があった。この大きさの声で聞こえるならドアの鈴も聞こえていると思うのだが。

 

「頼まれてたのはこれだ! 我ながら良い出来だぞ!」

 

 無駄に声が大きいこの男、腕はかなり信頼できる。頼んでいた物を受け取り、地下二階のスペースを使わせてくれと頼む。快く了承されたので地下二階へと進む。正直に言えば、ああいうタイプの人間は嫌いではないが苦手だ。

 空いたスペース――射撃場のようになっている――に入ると、僕は装備を全解除して新しく準備した戦闘服に着替える。その戦闘服は、簡単に言えば軍服だ。戦闘服には向いていないデザインなのだが、そこは憧れというもの。それにこれはゲーム、実は大して動き易さに違いはない。詰襟の細身の軍服はアメリカ海兵隊のドレスブルーが一番近いだろうか、ボタンが二列だったり、ポケットや装飾が多少省かれていたりする程度の違いだ。いや、一番の違いはカラーリングだろう。僕の戦闘服は真白だった。そう、『白』だ。またしても『白』だ。

―――何だかんだ気に入っちゃったんだよねぇ。

 白状しよう。僕は『白』が好きだ。好きになった。

 しかしGGOでは白は我慢していた。それもそのはず、明るい色には隠密ボーナスに常にマイナスがつくのだ。回避と潜伏が主な防御手段の現状でそれは避けたかった。

 しかしある素材を手に入れて遂に欲望が溢れ出した。その素材は布防具で非常に高い性能を誇るのだが、デメリットで隠密ボーナスが低下する。しかしそのデメリットは色による低下とは重複しないのだ。悟った。『白』にするしかない、と。

 なんて言ってみるが、結局は着てみたかっただけである。着心地を確認したら次の装備の確認に移ろう。

 次は自動拳銃だ。今までは店売りのFNファイブセブンを使用していたが、レア銃に切り替えることにした。それは《SIG SAUER P229》が二丁だ。そう、二丁拳銃。軍服に続いてロマンである。ベルトにホルスターをつけ、左右の腰にP229を仕舞う。この二丁は何度か使ってその癖に慣れ、それから預かってもらっていただけだから試し撃ちも要らない。レアもののこの拳銃を二丁手に入れられたのは本当に幸運だった――PKによる略奪で一丁、もう片方はトレード品だ――。

 その次の装備は調整してもらっていた光剣だ。固有名は《ヨウインK5》。光剣とは、正式名称をフォトンソードと言って光学銃に一応分類される代物だ。ただ有名なSF映画のあれにしか見えないため、フォトンソードと呼ばれることはほとんどない。光学銃ながら、零距離ではほぼ機能しない《対光弾防護フィールド》には仕様上上から殴れる。しかし銃弾を掻い潜って零距離まで近づける人間がいないため使われないのだが。やってもらった調整というのは、本来ボタンを押すだけで一気に光の刃が出てくるところをスライド式のスイッチに変え、スライドしている分だけ刃が出てくるようにしてもらったことだ。これは未だに実戦で使ったことがないが、意外と使えるだろう。ベルトの背中側に横向きに差して収納した。

 それから肩章で白いマントを挟み込む。マントでベルトに差した光剣はすっかり隠れた。裏地が黒いそれは、鏡で見てみたがかなり似合っていた。実はこれにはある機能があるのだがそれはまだ秘密だ。

 白い軍帽を被れば、所々アクセントが入っているが全身が真っ白になる。髪と瞳は既に白くしてあり、オーダーで光剣の柄と二丁のハンドガンも白く塗装してある。

 忘れていたがライフルも装備しなければ。新調したライフル――これもレア銃だ――は《SIG SG550》だ。これも白く塗装してある。軽く構えて、壁際の試し撃ち用の的を狙い撃つ。トリガーを軽くする調整をしてもらったのだが、やはり良い腕をしている、完璧な仕上がりだ。

 仕上げに二丁のハンドガンそれぞれの後ろにコンバットナイフを一本ずつ仕込む。GGOの生産スキル《金属加工》で作成できる刃物はこのサイズが限界だった――大きさよりも重量の点で――。

 軍靴にも鉄板を仕込んであるので――使うことはないだろうが、これもロマンだ――全身が武器のようになっている。

 鏡でフル装備を眺めた僕は装備を逆順に外していった。そして普段着になる。街中をあの格好で歩くのはかなり奇異だ。

 ジーンズに白地の半袖Tシャツ、上から薄い灰色のパーカーを羽織る。特徴的な髪と瞳がフードで隠れて一気に影が薄くなった。都会によくいる人間だ。GGOでは若干目立つ気もするが。

 靴は軍靴のままでベルトにもナイフが差さっているから、街中でも一応武装はしている。安全圏なので意味はないが。

 

「ありがとう、調整は完璧だったよ、今度は整備を頼むと思うからよろしく」

「おう! 気に入ったみたいで何よりだ! いつでも来な!」

 

 そのままカランと鈴の音をさせて店を出る。

―――鉄板入りの軍靴は少し慣れが必要かな。

 足音を立てないで歩くのが意外と難しかったことを頭に入れて、ログアウトした。

 

******

 

「ふぅ、GGOでも装備は完成したって感じかな」

 

 頭からアミュスフィアを取り外しつつ、呟いた。

 時計を見る。スナイパーとの戦いもかなり遅い時間だったが、そこから装備の確認もしたため非常に遅い――むしろ早いか――時間だった。午前四時。家を七時頃に出る予定だから二時間だけ眠ろう。僕はそう思い瞼を下ろした。

 そして午前六時ピッタリに目を開ける。迷宮区に籠らなくなって一年近く経つのに、相変わらずの体内時計だ。少し肌寒い部屋の空気に触れて一気に意識を覚醒させる。

 簡単な朝食を摂って身支度を済ませる。それから家を出た。

 僕はこの春から一人暮らしを始めた。古惚けたアパートの一室を借りている。場所は秋葉原と御茶ノ水の中間位だ。通っている帰還者学校は西東京市にあるので登校には一時間ほどかかってしまうが、他のことには便利な場所なので満足している。

 僕が一人暮らしを始めた理由の一つは帰還者学校だ。西東京市にあるそこに行くには、さいたま市の外れにあって駅からもそこそこ距離がある叔母の家では少し面倒だったのだ。乗り換えを何度かしなければならないとはいえ、駅の近くである今のアパートの方が楽だ。

 理由はもう一つあって、こちらの方が大きいかもしれない。それは養母である叔母の家族構成にある。叔母には夫と、既に社会人になって久しい、エリート街道を真っすぐ走る息子がいる。夫は海外に単身赴任、息子は東北の方に転勤していたため居候の僕と二人暮らしだったのだが、この春に二人とも帰ってきたのだ。一気に四人暮らしである。簡単に言えば、その空気感に耐えられなかったのだ。

 SAOから帰って養子縁組をしたと言っても、所詮は甥っ子と従弟である。居候は居心地が悪かった。家族の時間に水を差したくなかったと言えば聞こえが良いだろうか。何にせよ、僕は社会になれるためにも一人暮らしを始めた。

 御茶ノ水駅から飯田橋まで行き、地下鉄で高田馬場に向かう。西武新宿線に乗り換えて、本来の最寄り駅の二つほど前で降りた。そこからは徒歩で学校に向かう。朝のウォーキングは思考をまとめるのにかなり有効的だ。

 そして学校に近づくに連れ増えていく同じ制服を着た一団に混ざり、校門を抜ける。

 下駄箱で下足を脱ぎ、階段を上って教室へと向かう。同じ年齢の生徒は基本的に一つのクラスだ。生徒数が少なく、また生徒の学年の幅があることもあって、クラスは多くてもクラスメイトは少なかったりする。

 鞄を机の横に引っかけ、珍しいものになってしまった紙の書籍のページを繰る。しばらくすると教室にも活気が出てくる。

 

「よっ翔、おはよ」

「おはよう、和人君。いつもより遅くない?」

「あー、電車一本変えてみたんだよなぁ」

「なるほど」

 

 同い年だから和人とも同じクラスだ。出席番号順の席なため、実は席も前後だったりする。

 授業はいつも通り。黒板に画面を投影して授業を進めたり専用の端末で課題が出されたりと、近未来的と言われていた光景がそこにはある。

 この学校には部活が存在しないので、放課後に学校に残る生徒はほぼいない。皆がバラバラに家へと帰っていく。

 僕も朝と同じ道を辿ってアパートへと帰る。

 アパートに着き鞄を下ろしてから、冷蔵庫に卵がなかったことを思い出した。時計を確認すれば十八時前だ。今日は十八時まで近所のスーパーで卵が安かったはず。制服も着替えずに僕は再び家を出た。

 養父母から高校生の一人暮らしにしては十分すぎる額の仕送りをもらっているが、節約できるところは節約したい。GGOからの通貨還元システムでそこそこの額を稼いでいたりもするから、本当に金に困ってはいないのだが。

 何とか十八時前に卵を確保することに成功した。他にも色々と食材を補充する。

 今度は鞄ではなく、ビニール袋を提げて家へと向かう。辺りは既に暗くなり始めていた。

 フッと人気のない路地裏に制服のようなものが入っていくのが見えた。好奇心と不審感でそこを覗くと、どこかの高校の制服を着た四人組がいた。いや、三人と一人、だろうか。

 

「おら、早く二万寄越せよ」

「そ、そんなに持ってない……」

「あ? ()()()()の頼みが聞こえないの?」

「ないんだったら銀行で下ろしてきなよ、ほらぁ」

「そ、そんなこと……」

「あ? い~の~詩乃ちゃん、これ見える~?」

 

 明らかに虐めだろう。ケバケバした三人組の女子高生が、大人しそうな女子高生を囲んで金をせびっている。それを大人しそうな子が拒否しようとしたら、三人組のリーダー格の女子が右手でジェスチャーをした。握り拳から親指と人差し指を伸ばした、いわゆる指鉄砲の形だ。それを見て大人しそうな少女の顔から血の気が引いていく。慌てて割って入った。

 

「あの、大丈夫ですか?」

「あぁん? 誰だテメ」

「通りすがりの人間ですよ?」

「じゃ、かんけー無いだろ。こっちは()()()()とお話ししているだけなんだからよ」

「そのお友達が苦しそうにしていたので声をかけたんですが」

「けっ、偽善者ぶってんじゃねぇよ。テメェにはこいつなんかどうでもいいことだろ」

「ええ、ですから警察に通報しました。警告に来ただけですよ?」

「なっ、サ、サツ!?」

「う、嘘ついてんじゃねぇよ、つ、通報なんかしてねぇ癖に」

 

 

ウゥゥゥゥゥゥゥゥン、ウウゥゥゥゥゥン

 

 

 タイミングよくパトカーのサイレンが聞こえた。当然通報なんてしていないからたまたまだ。

 

「なっ、本当かよ!? 行くぞ!」

 

 上手いこと勘違いして、三人組は走り去っていった。それを見送っていると、大人しそうな少女が声をかけてきた。一瞬既視感を得るが、少女はいつかの女剣士とは違った。

 

「あ、あの、助けていただき、ありがとうございました」

「ああ、そんなに硬くならなくていいよ。大丈夫? 歩ける?」

「は、はい」

 

 そうは言っているが足元はふらついている。

 

「じゃあ、あそこの店でちょっと休もうか」

 

 その女子高生を連れて近くにあった落ち着いた喫茶店に入った。

―――これってナンパに入るのかな……。

 別にそんな気はまるでなかったのだが、人が見ればナンパにしか見えないだろう。しかしここまで来てしまったのだ。乗りかかった舟、最後まで突き進んでやる。

 

「僕は大蓮翔って言うんだ。気軽に翔って呼んでくれていいよ」

「翔、さん……。私は朝田詩乃って言います」

「詩乃ちゃん、ね。あいつらとはどんな関係なの?」

「その、友達、だったんですけど……。今ではあんな関係です」

「そう……。初対面の僕がどうこう口出しできる関係じゃないのはよく分かったよ。でも今回はたまたま僕がいたから良かったけど、これからも続くようなら警察に相談してみたら?」

「そうですよね……」

「後、最後のは何だったか聞いても?」

「あっ、その、私銃が苦手で……」

「……ごめん、言いにくいことだったら言わなくていいから」

 

 あの反応、恐らくトラウマの類だろう。人のトラウマを脅しの材料にするとは、いよいよ救いようがない。……そんなことを聞き出してしまった僕も、かなりデリカシーが欠けているのだろうが。

 そこから少し言葉を交わして、僕らは店を出た。その頃には詩乃の顔色も随分と回復したようだった。

 

「気をつけてね」

「……今日はお世話になりました」

「それじゃ、また会うことがあれば」

「はい」

 

 詩乃と別れしばらく歩けば、借りている部屋に着く。旧式の電子錠を開け、買ってきたものを手早く仕舞う。温まるとマズいものを買っていなくて助かった。

 簡単な食事と水分を摂る。ゆったりとした服装に着替え、適温を維持するため空調を入れる。そこまで整えてからアミュスフィアを被り、ベッドに横になる。

 

「リンク・スタート」

 

 さあ、偵察の時間だ。




 白い軍服っていいですよね!?
 現実でも仮想でもヒロイン(仮)と接触する主人公マジ主人公。
 GGO編の題名は銃関連で行こうかなと。途中で放棄するかもですが。


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#28 遊底

 今話には余りストーリー性がありません。ご了承ください。どうぞ。


 第二回BoBが終わった翌日、いつものように僕は荒野に立っていた。BoBは実に面白かった。色々なプレイヤーの戦術、タイプなどをよく観察し、最後のAGI型の《闇風》とSTR-VIT型の《ゼクシード》の一騎打ちに至っては他の観衆に混ざっていよいよ熱中してしまった。

 だが二人は気の毒だ。今どれだけ盛り上がったとしても、次の大会では僕に倒されてしまうのだから。PS(プレイヤースキル)もかなり高かったが、能力構成(ビルド)の強みが彼らの実力を底上げしている。それならば僕は酷いものだ。そもそもプレイ時間の桁が違う。SAOのステータスを引き継ぐ際には多少の下降調整を受けねばならないのだが――バグで入手した僕のデータも後から同様の調整を入れてもらった――、それでも二年の積み重ねは偉大だ。現実に帰還してからもかなりのアクティブプレイヤーである僕のステータスは、彼らを優に上回っているはずだ。

 その二人とは別に気になったプレイヤーが一人いた。GGOでは珍しい女性で、こちらも珍しいことに狙撃銃をメインウェポンにしていた。名前は《シノン》。BoBのルールにおいて狙撃銃はかなり不利な武器なのだが、それを物ともせずに本戦に出場しその存在感を存分に示していた。優勝・準優勝プレイヤーに次ぐ、旬のプレイヤーだ。

 

 

 

ゾクリ

 

 

 

 殺気だ。あちらもスタンバイしたようだ。僕は思考の海に沈んでいた意識を引き戻し、殺意に集中させる。ここまで純度の高い殺気は《ラフコフ》にも中々いなかった。幹部クラスに匹敵するほどだ。呑気なゲーム世界とはかけ離れている。

 意識から周囲の自然音を可能な限り排除する。風の音も、砂の音も。そうして異物を感じ取る。

 この場所を狙撃できる位置は大体三ヶ所の岩山しかなく、この狙撃手が僕の正面から撃ってきたことはない。よって僕が向いている方向にある岩山は排除していい。残りは二ヵ所。殺気の方向を感じ取るが、その二つの山は近過ぎて区別できない。

 バッと体を一八〇度反対に向ける。ここまでターゲットが動いても、意識――殺気――にブレがないのは純粋に凄い。

―――!

 急いで前転し、砂地に体を伏せる。すると先程まで身体があった場所を、後方――すなわち最初の前方――から轟音を立てて弾丸が通過していった。

―――アンチマテリアルライフル!

 サーバーに数丁しかないと言われている飛び抜けたレア銃。対戦車用の化け物だ。

―――そろそろ、本当の決着をつけるか。

 僕でもここからでは撃てない――目視できない――ので、走る。砂を蹴り風を切って、弾丸が飛んできた岩山を目指す。向こうも驚いているだろう。いつもとは違う流れに。その隙を突く。

 真っすぐ走る僕。こちらの狙いはよく分かるはずだ。そしてあちらは恐らく負けず嫌い。ならばこの勝負、間違いなく乗ってくる。

 直線で走る僕の向かう方向は一目瞭然だ。それなら、そこを狙撃できる場所に移動する。僕が向かっている元々狙撃手がいた岩山の隣の山、そこがベストポイントだ。

 ……と、思うだろう。狙撃手はそこまでは読む。これは何度も戦って得た結論だ。並大抵の敵ではない。今日も、今まで正面からは狙っていなかったのを、敢えてこちらの予測を外し正面を陣取ったのだ。この程度のことは読む。断言できた。

 こちらの武装は確認しているはず。SG550でそのベストポイントを狙えるのは東側にある丘で、そこを狙うスナイパーが移動するべき位置はその四つ南にある岩。そこで伏射姿勢を取るのがベストだ。あちらが移動を始めて僕から視線を外したと思われるタイミングで軌道を変え、その岩の上部に張り出した崖の上に待機する。

 しばらく待てば読み通りスナイパーがやって来た。VRにかなり慣れた身のこなしだ。かなりの重量があるアンチマテリアルライフルを抱えながら、ある程度のスピードを保っている。岩まで走ってきて伏射姿勢を取った。これでチェックメイトだ。

 僕は崖から飛び降りる。スナイパーは音に気づいて慌ててサブウェポンを取り出すが、それを僕は蹴り飛ばす。SG550を額に突きつけると、スナイパーは両手を挙げた。

 

「降参、参ったわ」

 

 女性の声だった。僕は驚く。このGGOでは女性プレイヤーが本当に少ないからだ。狙撃銃をあそこまで綺麗に扱う、かなりの腕前の持ち主、しかも女性。

 

「……もしかして、《シノン》?」

「そうよ、あなたは?」

 

 空色の髪をした少女――リアルでは分からないが――がこちらを見上げ、そして目を瞠る。

 

「って、か、翔さん!?」

「えっ? ……リアルでの知り合い? 学校の人?」

「いや、その、覚えてますか? この間助けてもらった……」

「あっ、詩乃ちゃんか」

「しっ、っはい、そうです」

「ああ、詩乃だから《シノン》ね」

 

 驚いたのはこちらもだ。あの子がGGOにいたとは、しかも上位プレイヤー。リアルと似たような顔というのは、ある意味便利なのかもしれない。

 ふと、先日の出会いの記憶を辿って思い出した。

 

「でもこの間は銃は苦手だ、って……」

「……GGOだと問題ないんです。だから、リハビリ、みたいな感じで」

「なるほどね」

「それより、翔さんこそ、その、SAOサバイバーですよね……?」

「どうして、ってあの時は制服着てたからか。その通り僕はSAOサバイバーだよ」

「その、VRって嫌じゃないんですか……?」

「うーん、僕の周りにそういう人が多いだけかもしれないけど、気にしてる人は少ないかな。若年層は特に。VRへの恐怖よりもVRへの期待の方が大きいし、何より面白いから」

「そう、ですか」

 

 寸前まで勝負に白熱していたのに、気づけば二人で岩に寄りかかり座り込んで喋っていた。

 

「じゃあ、これも一つの縁だ。フレンド登録くらいしておこっか」

「はい」

 

 フレンド登録をする。《Sinon》という名前がフレンドリストに追加された。

 

「《Rento》……これが翔さんの名前なんですね」

「うん、よろしくね、シノンちゃん」

「はい、レントさん」

 

 その日はそれきり、喋りながら街に戻った。

 

******

 

 あの日から対決は起きていない。それも当然だ。対決としては僕の完勝のような部分があったし、フレンド登録されていると現在位置が分かってしまって狙撃が難しいからだ。

 その代わりと言ってはあれだが、二人で行動することが増えた。僕としては彼女のような凄腕の後衛はいるだけでありがたいし、彼女からしても僕ほど有能な前衛も少ないだろう。二人で組めば二十人程度の集団は圧倒できる。ALOとは違って、僕もこの世界だと十人が捌ききれないからとてもありがたい。

 ある日、シノンに聞かれた。

 

「それにしても、何であんなに命中率が良いのよ、レントさんは」

 

 僕は近接戦においてほぼ銃撃を外さない。それは昔からだ。流石に近接戦闘中は心拍は上がってしまうが、SAO上がりを舐めるなというものだ。嘘を言っても仕方ないので、システム的なことではなくコツを教える。

 

「んー、それはあれだね。予測だね」

「予測?」

「そう、相手が動く場所を予測してそこに弾丸を撃っておく。すると、勝手に突っ込んできてくれる」

 

 これは本当だ。相手の目線から次の行動を予測する。SAOの頃からそのくらいはしていた。それに人間のアバターはどのVRワールドでも基本的に茅場が開発したもので、表面のグラフィックを変えているだけなので筋肉が視える。予測など朝飯前だ。

 

「予測、ねぇ」

 

 それはシノン(普通の人間)には難しい技術だろう。だから僕はシノンには別のことを教えることにした。

 

「そう言えばシノンちゃんは初弾を外すと諦める傾向があるでしょ? 僕はそれ、ちょっと早いと思うな」

「そうかしら。でも場所が割れたスナイパーじゃ大して当たらないし、弾代が勿体ないじゃない」

 

 これも事実だが、確実に当てれば良いのである。

 

「予測線を使うんだよ。シノンちゃんの狙撃は脅威だよね。だから次弾からは警戒される。そこで、予測線で攻撃する」

「予測線で攻撃?」

「うん、予測線が飛んできたら避けるよね? そうやって動きを制限してくれるだけでも前衛は助かるんだよ。後、そうだな。予測線が表示されるのって、指をトリガーにかけているときだけだよね?」

「ええ、そりゃそうよ」

「だから、散々予測線で虐めた後に、指を()()。予測線は消えるよね。それから予測線を出さないくらい一気にトリガーを引く。マズルフラッシュが見えた相手はさっきまでの予測線から逃げようとするから、その移動先を狙っておけば当たる」

 

 相手の動きを誘導することはとても重要な技術だ。ゲームに限らず、現実でも。

 

「なるほどね……。確かに予測線が見えてからでもできることはあるのね」

「後はそうだねぇ、突撃とか?」

「突撃? スナイパーなのに?」

「その思い込みがいけないんだよ。シノンちゃんが使っている《ウルティマラティオ・ヘカートⅡ》は強力なんだから、それが突っ込んできたら? 本当に脅威だよ」

 

 あの、体のどこかに当たっただけでもHPを吹き飛ばす威力を近距離で撃たれたとすると、僕としても悪夢だ。

 

「でもあれは反動が強すぎて立ちながらじゃ撃てないわ」

「そこが腕の見せ所だよ。それに、反動で後ろに飛んでいくなら撤退の必要がないじゃないか。狙撃にこだわるのも大事だけど、同じくらいこだわりすぎないのも大事だよ」

「それでも狙撃じゃなきゃ強みが活かせないし、私に近接戦のセンスはないんだから、狙撃以外じゃすぐに蜂の巣よ」

「君に弾が向かわないように護るのが(前衛)の役目でしょ? それに近距離からじゃへカートの弾を避ける余裕は相手にはないよ。あのスピードの弾を避けるのは僕でも難しい。だからそれも強みと言えば強みだ」

 

 まあ()()()のは難しい。避けるのは。

 

「確かにためになる意見だったわ。だけど、あなたと組んでいるときには今言った技術どれも必要ないじゃない。あなたがいれば私が行かなくても前衛は余裕だし、あなたに注意が向けられているから私の次弾以降も当たるし」

「ははは、そうだね、確かに」

 

 僕らはmob狩りではなくPKを主軸にGGOをプレイしている。シノンがヘカートで陣を崩し、動揺したところに僕が切り込む。近接戦で散々に敵を蹴散らしながら、狙撃でも数を減らす。僕らのコンビは敵なしだった。

 特徴的な白い姿の僕のことを《白い殺人鬼(ホワイトキラー)》と呼ぶ者もいた。殺人鬼という呼称は流石に不服でシノンに相談したが、僕の戦いをいつも見ている彼女にはそれも当然だと笑われた。相手の銃弾を全て見切り、真正面から一方的に敵を殺す。その際に僕は笑みを見せているらしい――自覚はなかった――。好んでPKをするのも狂気を感じると言われてしまった。僕のも、言ってしまえばリハビリのようなものなのだが。

 遂に三十人近い集団を撃破したとき、ふと、こんな会話をした。

 

「それにしても私達敵なしね」

「そうだね、他の大陸に行けば別かもしれないけど」

「そう? 別の大陸でも力試しとかしてみる?」

「僕は力試しはBoBで良いかな」

「!? で、出るの? 次のBoB」

 

 シノンは僕がBoBに出場することにとても驚いていた。第二回の開催よりも以前から僕と戦っていたシノンからすれば、前回は出なかったのにという気持ちなのだろう。

 

「うん、そのつもりだよ。出るからには優勝を狙いたいね」

「そ、そう。あなたが一番の優勝までの障害になりそうね。未だに殺せる気がしないわ。後ろから援護してるときでも避けられそうだもの」

「そう簡単に殺されちゃ困るよ。このアバター、コンバートを繰り返しているけどまだノーデスなんだから」

 

 これも事実だ。死ぬというゲームオーバー表現のゲームでは失敗していない。他の、例えばレースゲームなんかではゲームオーバーになったりしているが。

 

「ふん、じゃあ一回目の死亡を私がプレゼントしてあげるわ」

「お手柔らかに」

 

 互いに手の内を秘密にしたいからBoBの二ヶ月ほど前にコンビは解消することとなったのだが、問題はこの後の会話だった。

 

「それにしてもあなたって本当に……強いわよね。どうしたらそんなに強くなれるの?」

「それは、戦闘の面でかな?」

 

 僕が聞き返したのは彼女の目に暗いところを感じたからだ。

 

「それもあるけど、その、SAO(あんな体験)を過ごしたのにVRを続けてたり……」

 

 それを聞いた僕は、シノンの表情と声から何を言いたいのか察した。恐らく、彼女が抱えるトラウマのことだ。SAO(あんなこと)を体験してVRに恐怖を持たなかったのか、どうやってそれを乗り越えたのか。そういう精神的な『強さ』を彼女は求めているのだろう。トラウマの乗り越え方を。

 僕の瞳にも闇が映ったのだろうか。対面していた彼女の眼が揺れる。暗い部分を振り払うように僕は笑顔で返した。

 

「僕は強くなんかないよ。それを言えば、君の方が強いかもね」

「そんなことない! あなたは、私とは違うっ!」

 

 このままでは水かけ論になることを感じたのだろう。その話題はそこで打ち切られ、後には上っ面だけの会話が続いた。

 気まずかったのかもしれない。コンビが解消されたのは、それから一週間もしない内だった。

 

******

 

「へぇ、流石翔。プログラミングまでできるのか」

「こっちに帰ってきてから勉強したからね」

「って、まだ一年も経ってないぞ……」

「一年って結構長いんだよ? この程度ならできるさ」

 

 帰還者学校の、いわゆるコンピューターオタクが集まるような同好会――この学校に部活はないのだ――に僕は顔を出していた。普段は真っすぐ帰宅する僕だが、ここ最近は活動場所のコンピュータ室に入り浸っている。

 その理由は、彼らが取り組んでいるある技術だ。それは視聴覚双方向通信プローブという物で、VRから接続することで現実の風景や音をVR世界にいる人に伝え、その人の声を現実世界に届けるものである。和人はこの同好会の一員で、ユイのためにこの技術を開発している。僕はその手伝いというわけだ。

 僕がプログラミングを勉強し始めたのは、SAOより帰還してからだ。第一層の地下迷宮でのことを聞いて必要な技術だと感じたのだ。もし僕が同じ状況に立ったとき、誰かを助けることができるように。

 

「んー、でもやっぱここら辺のパーツは代用できないかぁ」

「でもそれめっちゃ高いじゃん、俺らじゃ買えねぇよ」

「だよなぁ……」

「じゃあこっちのパーツで代用してみるってのはどうだ?」

「ああ! 確かにそれならいけるかもな」

 

 今は高価な必要パーツを他の物で代用できないか試しているところだ。しかし、これから試そうとする物も失敗に終わる予感が僕にはあった。

―――この間の収入溶かせば半分ぐらいは出せるかな……。

 僕が出せないこともないのだが、金額が金額な分躊躇している。ちなみにこの間の収入と言うのはGGOのオークションのことである。たまたま手に入れたアイテムを自分の分だけ取り除いて、その他の部分をオークションに出したのだ。それはメタマテリアル光歪曲迷彩(オプチカル・カモ)というボス専用と思われていた効果がついた布素材である。非常に高値で売れ、臨時収入になった。

―――第三回BoBが終わってまだ駄目だったら資金提供しよう。

 そう心に決め、僕も試行錯誤に乗り出した。

 

******

 

~side:???~

 『彼』は壁に貼られた八枚の写真を眺めた。そこにはVRMMORPG、GGOの中で盗撮されたと思しき八人の写真があった。内の二枚には写真の人物の顔の上から大きくバツ印が書き込まれている。

 

「あと、六人、ククク、《白の剣士》、お前は、最後、だ」

 

 その六人の中には、空色の髪の狙撃銃を抱えた少女と、全身が白い青年がいた。




 ちなみに題名は色々と弾のセットが終わったという意味でつけました。遊底(スライド)は自動拳銃の上の動く部分です。次はいよいよ原作突入です!

主人公の二つ名
SAO
・白の剣士・奇術師・オレンジキラー・レッドキラー・狂戦士
ALO
・白い悪魔・バグリガン
GGO
・白い殺人鬼 NEW・幻影の射撃手 NEW(前話)

 白って格好良いってのが本作のコンセプトです(後づけ)!


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#29 撃鉄

 今回から原作突入です。撃鉄は回転式拳銃の後ろのあの動く部分です。回るところじゃなくて。どうぞ。


 十二月七日、日曜日に僕は菊岡に呼び出され新宿に来ていた。待ち合わせ場所に指定された洋菓子店に入る。見るからに物価が高そうな店だった。

 落ち着いた雰囲気の店は、見るからに上流階級の婦人達で溢れていた。そんな中、一人だけスーツを着て周りから浮いている眼鏡の男を見つけた。

―――若干堅めの服装で良かった。

 僕は制服ほどではないが、完全な私服ほどカジュアルではない服装だった。これなら身のこなし次第ではスマートカジュアルに映る。学生としては十分だろう。

 菊岡の前に座る。僕らの机には一つ空席があった。

 

「ここは僕が持つから好きなように頼んでくれ」

「ありがとうございます」

 

 言われるままにメニューを開く。ズラッと並んだ片仮名の名前の横に、三桁の数字はなかった。

―――流石、全部高いな。

 僕は簡単に紅茶だけを頼んだ。そもそも菓子は余り好きではないのだ。菊岡が出す――経費になるのかもそれないが――のなら、彼に大きく借りは作りたくない。

 

「それで、どうして僕を呼んだんでしょうか」

「事情の説明はキリト君が来てからにしよう。それまでは少し待っていてくれ」

 

 どうやら僕の隣の空席は和人の物らしかった。

 扉の開く音がして、黒い服装に身を包んだ和人が入ってきた。

―――あちゃぁ、あの格好じゃこの店の雰囲気は無理だなぁ。

 和人に心の中で手を合わせる。和人の姿に気づくと、事前に待ち合わせ場所の詳細を教えない男が不意に立ち上がり手を振った。

 

「キリトくーん! こっちこっち!」

 

 この人はマナーという物を知らないのだろうか。余りにもな出来事に止めることが間に合わなかった。その行動は、周囲の奥様方から顰蹙の籠った目線を受けるというもので報われた。

 ひそひそと先程のマナーを逸した行為や、キリトという名前、ついでに服装なんかを噂されている中、和人はこちらにやって来て僕の隣へ腰を落ち着けた。この席は窓際だったので、店の中を突っ切らなければならなかった和人の心労やいかに。

 それもあってか、和人はとてもぎこちなかった。菊岡の言葉に乗ってメニューを開いたその眼が彷徨う。ウェイターに震える声で注文する様は見ていて面白いものがある。

 

「ご足労願って悪かったね、キリト君、レント君」

「そう思うなら銀座なんぞに呼び出すなよ。それと人前でその呼び方は止めてくれ」

 

 リアルではありえないプレイヤーネームだとこんな所で失敗するのか。良いことを学んだ。

 気を取り直して、和人と僕が尋ねる。

 

「で、何の用なんだ?」

「SAOのときの話はもう十分ですよね?」

「今回はそれとは違う話だよ」

 

 そこから僕と和人は、ある事件のことを説明された。要約すると、アミュスフィアでGGOをプレイ中のプレイヤーが二人、急性心不全で亡くなったということらしい。二人とも有名なプレイヤーで、一人はMMOトゥデイ生放送に出演中にアパートの一室で亡くなったそうだ。もう一人はスコードロンの集会中だったらしい。

 二つの件で共通しているのは、GGOのトッププレイヤーだったこと、大勢の人に見られている中で亡くなったこと、アパートの一室で亡くなったこと。そして、ゲーム内の酒場と集会に乱入という違いはあるものの、銃撃されていることだ。ログを見る限り、銃撃されたのと亡くなったのはほぼ同時だったそうだ。銃撃した人物は《死銃(デス・ガン)》と名乗り殺害を宣言したらしいが、被害者の脳に異常は見つからず、アミュスフィアは設計上それを使って人を殺すことはできない。この場で簡単な考察を行っても、僕らから出た結論は殺人は不可能であるというものだった。

 

「結論! ゲーム内の銃撃で人を殺すことはできない!」

 

 席を立つ和人を菊岡は引き留める。

 

「ちょっと待ってくれ。僕も同じ結論に達した。だからそれを踏まえて頼みごとがあるんだ」

 

 和人が再び椅子に収まる。菊岡はその頼み事を口にした。

 

「GGOにログインして死銃に接触してくれないか」

「はっきり言ったらどうなんだ! 撃たれてこいってことだろ!? 嫌だよ! 何が起こるか分からないじゃないか!」

「待ってくれ! 撃たれても死ぬことはないと結論に達したじゃないか! ――それに、死銃には被害者のこだわりがあるんだ!」

 

 帰ろうとするラフな格好をした学生。それを椅子から落ちながらも服の裾を掴んで引き留めるスーツを着た青年。奇怪極まりないそれを横目に眺めながら、僕は焦っていた。

 

「こだわり?」

 

 和人がまた席に戻る。その問いには僕が答えた。

 

「うん、被害者の《ゼクシード》も《うす塩たらこ》もGGOではかなり名の通ったプレイヤーだ。多分、強い人を狙って犯行は行われている」

「そうなんだ。だから、かの茅場大先生に最強と認められた君なら……」

「無理だよ! GGOはそんな甘いゲームじゃない! それと翔! 犯行って決めつけるな!」

 

 確かにどうして誰かの仕業、殺人だと考えていたのだろうか。和人が菊岡にプロの説明をする横で、薄ら寒い予感を抱えていた。

 GGOのプロとは、通貨還元システムで月に二、三十万をコンスタンスに稼ぐ人間のことだ。被害者二人はプロであった。ちなみに僕は金儲けを目的にしていないため、一月当たり十万程度を稼ぐに留まっている。

 

「いいだろう、やってくれるなら調査の報酬としてこれだけ出そう」

 

 菊岡が指を三本出して見せる。それを見て和人の心は揺らいだ。

 

「そんなの運営に直接確認すれば済む話だろ。どうして俺にわざわざ頼むんだ」

「駄目なんだよ、和人君。GGOの運営のザスカーは住所はおろか、電話番号やメールアドレスも秘匿されてて問い合わせできないんだ」

「へぇ、ってどうした翔、顔が青いぞ」

 

 こちらの様子に気がついたらしい。この理由を喋ると菊岡の後押しをすることになってしまうが、仕方ないだろう。僕の安全のためにも菊岡のところで事件を解決する方が良いと判断した。

 

「菊岡さん。その話、僕にもかかってますよね?」

「ああ、そうじゃなきゃ君を呼ばないさ。君も茅場さんに認められた人の一人だからね」

「じゃあ受けます」

「おい、翔! 分かってるのか?」

「もちろん、と言うか、解決しないとマズいんだ」

「「……?」」

「僕は、GGOプレイヤーだ。しかも二つ名までついてる。プロほどじゃないけどコンスタンスに稼いでいる上に、二人と同じくアパートに一人暮らしだ」

「なっ」

「――君がGGOプレイヤーだったとはね……」

 

 話す度に二人の驚きは広がっていった。僕の焦り、その原因が分かったのだろう。菊岡の依頼に関係なく、そもそも僕が狙われる可能性がそこにはあった。

 

「それと、もう一つ」

「何だい、レント君?」

「ここ最近でこの二人が恨まれるかもしれないことがありました」

「何っ!」

 

 ガタッと二人が椅子から立ち上がる。周りから何度目か分からない目線を浴びながら、二人はおずおずと座り直した。

 

「このゼクシードが喧伝していたんです。『能力構成はAGI振りが一番だぞ』って。しかし本人は全く違うビルドを構成して、相性でAGI振りのプレイヤーを圧倒したんです。うす塩たらこはAGI振りの波に乗らなかった人間です。リアルの金に関わる話でのこういうのは恨まれる原因として十分ではないですか?」

「なるほど……。確かにそれは恨みを買うかもしれないね」

「翔、お前のビルドはどうなんだ」

「僕はAGI寄りだけどオールマイティに育ててるし、SAO上がりでそもそも能力値が高いからSTR振りと思われても仕方ないかもしれない」

「確かにそうなると危険だね」

「……はぁ。翔を一人で危ない目に合わせるのは嫌だからな。いいだろう、その依頼受けたよ」

「ありがとう、キリト君、レント君! 安全を確保できるダイブ場所を準備するから、それまではログインを避けてくれ」

「ああ」

「はい、分かりました」

 

 こうして僕らはこの事件に深く関わることになった。

 

******

 

~side:詩乃~

 私はファミレスで新川君と話していた。また遠藤達に金を巻き上げられそうになったところを助けてもらったのだ。私はいつもそう。翔さんや新川君に助けられてばかり。だから、『弱い』。

 

「それにしても聞いたよ朝田さん! あのベヒモスを倒したんだってね!」

「スコードロンとしては大敗よ。結局私しか生き残らなかったわけだし」

「それでも朝田さんなら次のBoBで優勝できるかもよ!」

「……それには、やっぱり翔さんが最大の障害よね」

「翔さん?」

「ああ、言ってなかったっけ。ちょっと前に知り合った人なんだけどね。ずっと戦ってたのに一回も勝てなかった。組んでたときもあったんだけど、まだ倒せるイメージが湧かない」

「翔……。それって《白い殺人鬼》のこと?」

「え、そう、だけど。知ってるの?」

「うん、PKを好んでするプレイヤーで、拳銃とライフルを使って無双するって話。少し前は凄腕スナイパーと組んでたらしいけど……」

「そう、その人。実はご近所さんなのよね。リアルでもよく会ったりするけど、あの人は『強い』」

「都市伝説みたいになってるもんね。――都市伝説といえば、朝田さん。『死銃』って知ってる?」

「死銃?」

「そう、そいつに撃たれるとリアルでも死ぬんだって」

「そんなの迷信に決まってるじゃない。そもそもSAOでもないのにどうやって殺すのよ」

「ははは、それもそうだね」

 

 それきり時間も遅くなってきたので新川君とは別れた。

 

「じゃあ、頑張ってね。『シノン』」

 

 去り際の彼の顔が、どうしてか頭に染みついて離れなかった。

 

******

 

~side:レント~

 あれから一週間経った土曜。僕はある病院に呼び出されていた。そこで僕と和人は健康状態を確認されながらダイブするのだ。

 住んでいるアパートから徒歩圏内、と言うよりも最寄り駅の傍と言った方が正しいか。聳える巨大な病院は、僕の家から実に近かった。

 そこのフロントで僕と和人は合流し、用意された部屋に案内された。部屋にいたのは安岐ナツキというナースだ。彼女が僕らの担当だそうだ。彼女は和人のリハビリも担当していたのだとか。

 

「それじゃ、電極貼るから脱いで」

「脱っ!」

「はい」

 

 和人は動揺していたが、僕が躊躇なく上半身裸になり始めるとそれに続いた。どうしてだろうか。和人が躊躇したら僕が率先してそれを行わなければいけない気がする。逆に僕が躊躇するようなときは和人が動くことが多いのだが。

 

「あら、良い体してるじゃない」

 

 僕に電極を貼る間に、恐らく余計なボディタッチを何度もされた。他人に体を観察さられながらペタペタ触られるのは、余り面白いことではない。鍛えているから確かに魅力的なところもあるかもしれないが、それでもあそこまで露骨に触られると、少し……。

 

「じゃあ初期位置で待っててね、和人君」

「ああ、案内してもらった方が早いからな」

「あの街、《アルゲード》並だと思った方がいいよ」

「うげ、そんなにかよ」

 

 僕は隣のベッドに横たわる和人と共にアミュスフィアを被った。

 

「「リンク・スタート!」」

 

 しばらくログインしていなかったため間が空いてしまっていたが、確かに前回ログアウトした総督府前に降り立った。

 

「さて、キリト君を探しに行きますか」

 

~十数分後~

 

「…………やっぱりいない。はぁ、本当にじっとしていられないんだから」

 

 僕はキリトのアバターを知らないので、初期位置で合流できなければ本当に手探りの捜索になる。まず初期装備の人を探すか、もしくは次の予定だった例のデパートに向かうか。……探しながら向かおう。

 SBCグロッケンの薄暗い通りを駆け抜ける。少し裏に回ってみる。そこを探してもどこにも見つからず、仕方ないので、初心者を見なかったかと通りすがりの人に聞こうと思う。しかし間が悪い。周りに人影がない。

 ふと、なぜ思いついたのか分からないが、シノンに聞いてみようと思った。これこそ動物的直感という奴だろう。フレンド情報から意外と近くにいることを知り、早速そちらに向かう。そこで僕はいつぞやの黒歴史(エイプリルフール)と出会った。

 

******

 

~side:シノン~

 道を歩いていたら、GGOで絶滅危惧種の女性プレイヤーに出会った。見るからに初心者で――初期装備だ――、同性ということでか私にショップへの道を聞いてきたのだ。この初々しい新人を逃がさないよう親切にしていたところで、ここ最近ログインしていなかったレントさんに出会った。

 

「あ、レントさん。久し振りね」

「うん、久し振りシノンちゃん。それと、そこの人はどなたかな?」

「ああ、今会ったんだけど、ショップと総督府に行きたいんだって」

「へえ……。キ・リ・ト・君?」

「レ、レント、か?」

「ちょっとこっち来て」

 

 驚いたことにレントさんとそのニュービーは知り合いだったようで、私に聞こえないところで何か話していた。

 

「さて、シノンちゃん。ごめんね、キリト君が迷惑かけたみたいで」

「そんな迷惑なんて、……って『君』?」

「そう、この外見だからって性別を詐称したみたい。本当ごめんね」

「いや、いいわよ。実害があったわけじゃないから」

 

 そう、実害が出ていたら別だった。ある意味、キリトと呼ばれた男は幸運だったのかもしれない。

 案内はそもそも彼がするはずだったのに、周りの視線から逃げてキリトは迷ってしまったそうだ。阿呆か。

 

トゥトゥトゥ、トゥトゥトゥ

 

 着信音が鳴った。誰かと思うと、レントさんのようだった。

 

「あっ、ごめん、シノンちゃん。代わりに案内頼める?」

「え?」

「この電話は内容聞かないとマズいと思うからさ。キリト君もBoBにエントリーするから時間が惜しいし、僕の代わりにレクチャーしてくれないかな。今頼れるのはシノンちゃんだけなんだ。頼むよ」

「っええ、そのくらいなら……」

「ごめん、助かる! じゃあ、また総督府で」

 

 それだけ言うと、彼はすぐに落ちてしまった。後には若干気まずい雰囲気の二人。その雰囲気を破るようにキリトは咳払いし、今度はちゃんと男言葉で話しかけてきた。

 

「えと、その、ごめん! 騙すようなことして。俺はキリトだ。よろしく、シノン」

「はぁ、まあ性別を見た目で決めつけた私も悪かったわ。よろしくね、キリト」

 

 どうしてだろう。レントに頼れると言われたとき、氷の狙撃手(シノン)の心臓が跳ねた気がした。気のせいだと頭を振ってその考えを振り落としてから、キリトをショップへと案内した。

 

******

 

~side:翔~

 GGOからログアウトすると、安岐ナースが待っていた。電話が鳴っていたから戻ってくることは分かっていたようで、机の上に置いてあった携帯端末を持って待ち構えていた。僕にそれを渡したら話が聞こえないように部屋の外に出てくれたのは、一定の気遣いのできる人物という証左だろう。そう思いつつ、僕は通話ボタンを押して携帯を耳に当てた。

 

「どうかした? 叔母さん」

『もう、叔母さんじゃなくてお義母さんでしょ。翔』

「そうだった、ごめん、義母さん」

『それでね、わざわざ電話したのは年末年始のことよ』

「ん? 学校は休みだけどどうかしたの?」

『それがね、一仁(かずひと)さんの実家に行かなきゃいけなくなってね』

 

 一仁というのは義父のことだ。その実家といえば、……知らない。義父の実家のことについて僕は何も知らなかった。

 

「義父さんの実家ってどこなの?」

『それが京都にある立派なお家なのよ。私もできれば行きたくなかったんだけどね。こればっかしは』

「それで、どうして僕が行く話に? 義兄さんじゃないの? 招待されたのは」

『あら、よく分かったわね。そうなんだけど、あの子間の悪いことに出張が入っちゃってね。年末なのによ。それで代わりに翔に来てもらおうと』

「僕ならどこに出しても問題ないから」

『その通り。というわけで、年末空けといてね』

「分かった。詳しいことを聞きに今度そっちに帰るよ」

『帰る、って帰るって! ねぇねぇあなたぃまかk』

 

 段々と声が遠ざかっていくのが聞こえたので、躊躇なく電話を切った。僕があの家に『帰る』と言ったのがそんなに嬉しかったのだろうか。

 ……あそこは僕にとって実家ではない。だから確かに、『帰る』と表現したことはほとんどなかったかもしれない。嬉しがられても仕方がないか。これからはちゃんと帰ると表現することにしよう。




 第二十九話でした。最後の電話の意味が明らかになるのはまだまだ先になるでしょう。次は多分BoBになるはずです。


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#30 銃身

 弾丸が段々と加速していくイメージです。依頼を受けた白黒ですが、一体どうなるのでしょうか。どうぞ。


 来ない。義母との電話を切ってGGOに再びログインした僕は、二人より一足先に総督府に来ていた。エントリーは開始日に済ませていたため、本当に待つ以外にすることがない。それなのに、あの二人はエントリー締め切り十分前になっても姿を見せなかった。既に中に入ってしまったのか。しかし何度確認しても、やはりどこにもいなかった。つまり彼らは未だに総督府に着いていない、BoBにエントリーできていないのである。

 

「間に合わないと計画がパーだよ。キリト君」

 

 今回の作戦、と言うほどでもないが計画はこうだ。死銃がトッププレイヤーを狙うのならば、BoBという公式戦は絶好の場だ。獲物がゴロゴロいる上、観衆の面前である。だから死銃はそこを狙うだろう。

 そこで、BoBに参加して死銃との接触を図る。僕は元より参加予定だったが、キリトもその補助で参加するのだ。もし参加できなければ、結局BoB――犯行が行われると思われる場所――には僕一人で向かうことになってしまう。キリトが参画した意味とは。

 締め切り五分前、二人が駆けこんできた。ここで声をかけるようなことで時間を取りはしない。総督府の外に出て、恐らくキリト達が乗ってきたであろうバギーの返却手続きをした。

 中に戻ってエントリー手続き用の端末に向かうと、二人は軽く脱力していた。

 

「遅かったね、二人とも。バギーは返しておいたから心配しないでね」

「そんな心配なんかしてる暇なかったよ……」

「ええ……、間に合わないかと思ったわ。絶対に参加しなくちゃいけないのに……」

「シノンちゃんも登録してなかったんだ。それは驚きだね」

「私としたことがすっかり忘れてたわ。それで、二人は予選はどこのブロック?」

「僕はGだよ」

「F」

「私もF。キリト、番号は?」

「37番」

「私は12番、良かったわね」

「良かったって?」

「キリト君……。遊びじゃないんだから下調べ位しよう、って何回言ったら分かるんだい? ――BoBの予選ブロックは決勝まで進めば勝敗に関係なく本戦に出場できるんだ。要するに上位二位通過ってことだね。12番と37番は決勝まで当たらないから、二人で潰し合わなくていいってこと」

「なるほど」

「でも、どうせ出られるからって手を抜いたら許さないから」

「もちろん、お手柔らかに頼むよ」

 

 キリトが不敵な笑みを浮かべる。シノンとの間には早くも火花が散っているように見えた。

 そんな二人と共に待機場所に向かう。地下に続くエレベーターを降りると、既に大勢の人が集まっていた。中には銃を撃って騒いでいる者もいる。

 

「じゃあ、準備しましょうか」

「うん、そうだね。あと三十分だし」

「準備?」

「キリト君だって戦闘服(コンバットスーツ)に装備替えしないと」

「あ、ああ」

 

 シノンについて行きそうになったキリトの襟首を掴み、女性用とは反対の位置にある男性用更衣室に入る。周りに人がいなくなると、キリトは早速あの件について話してきた。

 

「なあ、レント。あの中に死銃がいると思うか?」

「あの中って、待機場所にいた人達? だとしたらいないと思うよ」

「どうしてだ?」

「まずこんな早くからメインアームズを見せびらかしているなんて、対策してくれって言ってるようなものだし。それから身体の使い方って言うのかな、上位プレイヤーはいなかったよ」

「身体の使い方?」

「うん。VRに慣れていない……と言うかVRでの身体の使い方を知らないって感じかな。あれじゃ強くはないね。シノンちゃんはその点はかなり上手いから、見比べればキリト君も分かると思うよ」

「いや、あそこにいた連中が弱いってのはよく分かった。だけど、それだけじゃ死銃がいないとは言いきれないだろ?」

「そんなこともないよ。だって、BoBに参加して上位プレイヤーをターゲットにするつもりなら、本戦に出る実力は最低限必要だからね。対戦相手を全員殺すのは非効率の極みだし、それで何かバレて明日の本戦に出れなければ本末転倒だし」

「そういうもんか」

 

 キリトは納得したようだった。

 

「あっ」

「ん? どうかしたか、レント」

 

 いきなり声を上げた僕に、全身真っ黒に着替えたキリトが不思議がる。

 

「今気づいたんだけどさ。これって、周りから見たら僕が女の子を更衣室に連れ込んだってことだよね」

 

 あらぬ誤解をされないだろうか。

 

「なら、バラバラに出ればいいだろ」

 

 そんなに簡単な話なのかは分からないが、着替え終わったキリトは外に出ていった。僕もすぐにそちらに向かう。幸いなことに僕を変な目で見てくる人はほとんどいなかった――数人は僕とキリトを見比べていた――。丁度更衣室から出てきたシノンと共にボックス席に座る。シノンは座るや否や話しかけてきた。

 

「レントさん、何で着替えてないの?」

 

 そう、僕はあの普段着(パーカー)のままだった。

 

「いや、あの軍服は目立つからさ。最初の試合まではこれで行くよ」

「へぇ、その服のまま出ないようにね」

 

 ……それはそれで面白いかもしれない。

 

「軍服?」

 

 キリトが目を爛々と光らせてこちらを見てきた。

 

「ええ、キリト。レントさんは真っ白の軍服とかいうふざけた服装が戦闘服なのよ」

 

「あれは性能とデザインの兼ね合いの結果だって。むしろ戦闘が硬直しなくて便利なくらいだよ」

 

 シノンが訝し気な表情で見てくるので、僕は話題を変えた。

 

「さて、キリト君にBoBの説明をしなきゃいけないんだよね。シノンちゃんも手伝ってよ」

「いいわよ。……でも、コンバートした直後に大会に参加するのに何も調べてこないって、ちょっと舐め過ぎじゃない?」

「キリト君はそういう人なんだって。いつも下調べをしない、その場その場で行動するから」

「それで何とかなっちゃってるのがいけないのよ。今日だって私と会わなかったらどうなってたか分からないわよ」

「僕が初期位置に迎えに行くからそれまで動かないでね、とは言ったんだけどね」

「その案内人の言うことすら聞けないなんて、自分で調べたわけでもないのに」

「挙句の果てには迷ってあんな通りまで行っちゃうしね」

「「酷い人だ」」

 

 シノンと声を合わせれば、日常ではメンタルの弱いキリトはKOされていた。

 

「す、すみませんでしたぁぁぁぁぁ」

「分かればよろしい」

「ふふ、僕らもちょっと、少し、ほんの僅かだけど、言い過ぎちゃったからね。次からは、もう次はないと思うけど、もう断ろうかなって思ってるけど、よろしくね」

「レントさん、貴方が何気に一番酷いわよ」

 

 そんなことはない。僕は本心をちょっとだけ舌に乗せただけだ。話題を戻す。

 

「えと、それでBoBなんだけど。あのカウントダウンが零になったら、今この場にいるエントリー者は全員バトルフィールドに転送されるんだ」

 

 僕は部屋のあちらこちらにある画面を指す。

 

「対戦相手と二人だけで飛ばされるフィールドは一㎞四方の正方形(スクエア)。地形のタイプや天候、時間はランダムに設定されるわ」

 

 僕の後を継いだシノン。交互に必要事項を畳みかける。

 

「対戦者は最低五百m離れた距離に転送される。決着がつけば勝者はこの待機エリアにまた戻ってくるけど、敗者は一階のロビーに転送される」

「負けても武装のランダムドロップはなし。Fブロックは六十四人トーナメントだから、五回勝てば決勝進出。そして明日の本戦出場も決まる。そこまでは上がってきなさいよ」

 

 最後にちょっとした挑発のエッセンスを。

 

「そうだよ、ここまで教えたんだ。最後にもう一つ教えてあげたいじゃないか」

「何を?」

 

 キリトは素直に尋ねる。シノンと軽くアイコンタクトをして、言葉を重ねた。

 

「「敗北を告げる弾丸の音を」」

 

 二人でキリトに指鉄砲を向ければ、キリトは面白そうに口角を上げた。

 

「なるほど、大体分かった。ありがとう」

 

 挑発を終え、雰囲気を和らげる。

 

「と言っても、基本的なことだからね。現実世界で少し調べればすぐ分かったはずなんだけどな」

「ごめんって。二人とも手厳しいな。……だけど、シノンの方は大丈夫なのか?」

「大丈夫、って?」

「決勝まで来れるのかってこと」

 

 仕返しのつもりでかキリトが放った軽口は、しかし軽口では終わらなかった。

 

「っ、予選落ちなんかしたら引退する。今度こそ、」

 

 普通に話していたのに、シノンの雰囲気がガラッと変わる。

 

 

 

「今度こそ、強い奴らを全員殺してやる」

 

 

 

 その口は残忍な猛獣のように歪んでいた。対決をしていた日々の殺気が漏れ出している。あのラフコフに並ぶ殺意だ。

 僕とキリトが思わず臆して話が切れたところで、タイミングよく銀髪の青年が近づいてきた。

 

「やあ。遅かったね、シノン。遅刻するんじゃないかと思って心配したよ」

 

 彼を見て、シノンはそれまでの雰囲気を霧散させた。

 

「こんにちは、シュピーゲル。ちょっと予想外の用事でうっかりしちゃって」

 

 彼は滑らかにボックス席に座った。僕とシノンは少し体をずらして四人で座れるようにする。

 

「あら、でもシュピーゲル。そう言えば貴方は出場しないんじゃなかった?」

「迷惑かもと思ったんだけど、シノンを応援しに来たんだ。ここなら試合も大画面で中継されるしさ」

「そう」

 

 そこでシュピーゲルはこちらに目を向けた。彼のことはシノンから聞いたことがあるので、素直に会釈を交わす。現実世界での友達らしく、そろそろ会えるのではないかと思っている。視線に嫌なものを感じたが、それと知らずにPKしたことでもあったのだろうか。

 向こうも僕のことは聞いていたのだろうが、シュピーゲルはキリトのことを何も知らない。話がそちらに向くのは当然だった。

 

「そこの人は?」

「ああ、そこの人が今回の用事の原因。ここまで案内したのよ」

「どうも、『そこの人』です」

 

 いつもよりしおらしく振る舞うキリトの魂胆は僕とシノンには筒抜けだ。

 

「え、えと、どうも。シノンの、お友達さん、ですか?」

「騙されないで、そいつそんな見た目だけど男だから」

「ははあ、キリトと言います。男です」

「え、お、男ぉ!? じゃ、じゃあ、」

 

 そう言いつつ、シュピーゲルはシノンとキリトの間で目線を行ったり来たりさせている。

 

「いやぁ、シノンにはお世話になりました。色々と」

「ちょっと! 変な言い方しないで! それに今気づいたけど、貴方にシノンって呼んでいいなんて一言も言ってないから!」

「もう、つれないなぁ。武装選びにもつき合ってくれたのに」

「あれはっ、レントさんに頼まれたからで!」

 

 そろそろ可哀想になってきた。さっき散々虐めた仕返しなのだろう。シノンに助け船を出そうかと思ったとき、周囲が光に包まれた。

 何色ものレーザーや、スポットライトが派手に空間を染め上げている。アナウンスが入った。

 

『大変お待たせしました。ただ今より、第三回BoB予選トーナメントを開始いたします。エントリーされた方はカウントダウン終了時に、第一回戦のバトルフィールドに自動転送されます。幸運をお祈りいたします』

 

 お祭り騒ぎのように銃声がそこかしこで発生する。実際お祭りのようなものだが。

 シノンは立ち上がると、キリト、僕の順番に指差して、宣戦布告した。

 

「決勝まで上がってくるのよ! そこでその頭ぶち飛ばしてやるんだから!」

「レントさんも、いつまでもノーデスでいられるとは思わないことね。今度こそ、ぶち抜いてやる」

 

 僕らも立ち上がってそれに返す。

 

「お招きとあらば参上しないわけにはいかないね。そう思うだろ? キリト君」

「ああ、そうだな。迎えに行って差し上げます、お嬢様?」

「ははは、僕も新しい技を見せるときかな。驚き過ぎて僕以外の人にやられないようにね」

「こっ、こんのぉ!」

 

 適度に煽っておいて、僕らはシノンと別れた。シュピーゲルが凄い目で見てきたので、少し反省している。

 体を、SAOで何度も味わった浮遊感が襲う。光に包み込まれた瞬間、どこかに転送された。

 

******

 

 僕ら選手はまず、暗い空間に転送される。そこに表示されているホロウィンドウには、対戦相手と対戦フィールドのことが書いてある。とは言っても、知らない名前だったから気にすることはないだろう。

 僕は六十秒の待機時間で装備を調えた。いつもの軍服に着替え、ベルトの腰には動かないように固定されている光剣。両サイドには二丁の拳銃。その少し後ろ側に二本のナイフ。手にはライフルがある。手を抜く気はない。一切、全く。

 そして僕はまた、BoBとは直接関係ないことを考えていた。シノンのことである。僕らに見せたあの表情。強い奴らは殺すという台詞。あの凄まじいまでの殺気。……彼女が死銃の可能性も、ある。

―――いやいやいや、それはない。

 シノンについて、朝田詩乃について思考を巡らす中で、その最悪の可能性は即座に否定された。

 それは感情論でも何でもない、簡単なことだった。彼女にはアリバイがあったのだ。記憶を遡ると、うす塩たらこが殺されたとき、僕は詩乃と現実世界で話していた。

 なぜそんなことを覚えているのかと聞かれたらこう答えるしかない。毎週恒例の卵の特売日だったから、と。馬鹿みたいな話だが、それでシノンが無実だと証明できるなら良かった。

―――ん? 良かった?

 僕はなぜそう思ったのだろう。知り合いだから? それとも……。

 そこまで思考が辿り着いたときに、僕はフィールドに飛ばされた。

 頭を切り替え、目の前のフィールドに集中する。

 予選第一試合のフィールドは実に面白いものだった。地形に何の起伏もないのだ。一㎞四方が真っ平らなフラットタイプ。

 しかし他のパラメータが酷かった。時間帯は深夜、天候は嵐。強く打ちつける風と雨粒で視界は遮られ、音も聞こえない。足元はコンクリートで固められているからまだ良かったが、体がびしょ濡れになり集中力は下がる。銃火器は雨の中では性能が大幅に落ちるため、悪天候では光学銃がベストと言われている。だが、僕が光学銃など持っているはずもない。

 相手は五百mは離れた位置にいる。平らといえども、この嵐では十m先もまともに見えない。この天候では地形に変化があると戦闘自体が起きない可能性もあるため平らなのだろう。

 しばらく、歩き続ける。ライフルは仕舞った。十m程度まで来ないと敵に気づけないなら、マントの下で雨に濡らさないでいられる拳銃の方が良いだろう。

 三十分と少しが経った。相手も同じように僕を探して歩き回っているのだろう。余りにも見つからず、僕に焦りが生まれる。

―――落ち着け、こういう時が一番接敵しているんだよ。展開的に!

 そう気を引き締めても、王道の漫画のようなことは起きなかった。更に三十分が過ぎる。そろそろ運営が痺れを切らしたのか、天候が若干回復する。

 

「いた」

 

 気配を感じた。VRで存在しないはずのもの第一位に堂々ランクインする気配だ。おおよそで狙いをつける。マントの下から、《SAUER P229》を発砲した。

 

 

ザッ!!!!!

 

 

 常にざあざあと音を立てていた雨音が途切れる。そういうギミックだったのか、雨と風は止み、空を覆っていた雲も流れて天気は快晴になった。

 相手はいきなりの環境変化に追いつけず、僕が適当に放った銃弾を腹に受けた。

 

「こんのぉ!!!!」

 

 相手も意地だろう。抱えていたショットガンを僕に向ける。しかし、僕は既に二丁の拳銃を両手に揃えていた。

 二発ずつ、計四発の弾丸がアバターの急所ポイントにめり込み、あの世界とは違う赤いエフェクトとなってアバターは消滅した。

 

「四発も要らなかったな。僕も焦ってたみたいだ」

 

 勝利したことを表すホロウィンドウが僕の目の前に表示され、僕の体は光に包まれた。飛ばされた先は待機エリアではなく、例の暗い空間。

 

「流石に時間かけ過ぎたかな。もう皆終わり始めてるでしょ」

 

 追いかけなければ。

 二回戦のフィールドは密林。相手の得物は軽機関銃だったが、木々の上から弾丸を降らせることで完封した。

 三回戦は空中遺跡。見晴らしが良かったため、SG550で相手の武器を確認する前に狙い撃ちした。

 二戦合わせて十五分も時間を使っていないが、相手が先に終わっていたようで四回戦に進む。

 四回戦の相手はライフル使いで、遮蔽物の全くない真っすぐな道で戦った。たかが五百m、僕はSG550で一撃死を狙える。フィールドが余りにも有利過ぎた。当然、肉眼では豆粒のように見える距離で相手を撃ち殺した。

 次は準決勝。まだ待機エリアには戻れなかった。相手もそこそこ勝ち抜いてきた強者のはずだが、余裕で撃ち殺す。二回戦以降ではSG550しか使っていない。使用した弾薬も合計してマガジン一つ分にも満たなかった。

 そこでようやく待機エリアに戻ることができた。軍服のままだったので周囲は一瞬ざわめいたが、すぐに意識は液晶画面へと戻っていった。その画面ではキリトとシノンが決勝で戦っているところだった。




 最後の予選部分はバッサリカットでした。文字数のせいですが、別に思いつかなかったとかそういうわけじゃありません。ただ主人公のPSがチート過ぎて勝負にならないんです。書いてても読んでても詰まらないと思います。だって、遠くから撃てば終わりなんだもん! 何を書けって言うのさ!
 さて、次はシノンとキリトです。待機エリアに戻ってこなかったためキリトの状況を知らない主人公はどう思うのか。こうご期待。


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#31 銃床

 シノンとキリトの決勝からです。そこは基本原作通りなので描写はほとんどないですが、どうぞ。


 既に何個かの予選ブロックでは決勝が終わり、準決勝を行っているのは僕の対戦相手のみ。つまり、行われている試合数が少ないのである。当然、試合全てを中継している画面では、一つの試合が占める面積が増える。その一つ、そこがFブロックの試合を中継している画面だった。

 僕が見たのは、丁度シノンが初弾を外すところだった。普段のシノンなら外すはずもなかった。真っすぐの道を、遮蔽物に隠れるでもなくゆったりと歩いてくるキリトなど。

―――やる気が、ない?

 キリトは下を向いて歩いていた。恐らくシノンとまともに戦う気がないのだ。シノンはそれに激昂したように、キリトの周りに六発の銃弾をばら撒いた。ヘカートには基本的に七発しか弾を準備しないシノンだ。狙撃もできず、これではまともにやったら勝てないだろう。まともにやる気があれば、だが。

 シノンは隠れていた場所から出てくると、キリトに詰め寄った。二人の対戦者がこれほどまで近づいたからだろう。システムの中で注目度が上がり、音声まで入ってくるようになる。

 

『――……何でよ』

『……俺の目的は、明日の本戦に出ることだけだ。もうこれ以上戦う理由はない』

『なら、開始直後にその銃で自分を撃てば良かったじゃない。弾代が惜しかったの? それとも、わざと撃たれてキルカウントを一つ献上すれば、それで私が満足するとでも思ったの!? たかがVRゲームのワンマッチ、あんたがそう思うのは勝手よ! でも、その価値観に私まで巻き込まないでよ……』

 

 シノンは怒っていた。いや、泣いていたのかもしれない。その機微は画面越しでは伝わらない。しかし、キリトはなぜ、試合を捨てたのだろうか。

 ……あの姿は、いつかの僕に重なる。罪を覚え、正常な判断ができなくなっているのか。だとすればそれは一体何の罪か。

 

『――……俺も、俺も昔、そうやって誰かを責めた気がする』

『…………』

『……すまない。俺が間違っていた。たかがゲーム、たかが一勝負、でも、だからこそ全力を尽くさなければならない。……そうでなければ、この世界に生きる意味も資格もない。俺は、それを知っていたはずなのにな……。シノン、俺に償う機会をくれないか。今から俺と勝負してくれ』

『今から、って言っても……』

 

 そう、シノンの言う通り。BoBは基本的に相手との遭遇戦だ。一度顔を突き合わせた二人が開始時の状況に戻ることはできない。

 そこでキリトが提案したのは、決闘だった。十m離れた位置から薬莢を投げ、それが落ちたタイミングで決闘を始めるというのだ。十m、ヘカートではシステム上必中距離だ。キリトといえども避けられるはずがない。

 二人のやり取りを見ながら、僕はキリトの今までの試合を確認していた。驚くべきことに、キリトがメインウェポンとして運用しているのは光剣だ。光剣で相手の弾丸を斬り落としている。それで一気に近づいて斬り伏せるのだ。

 しかし流石のキリトでも、この距離でのヘカートの弾を捕捉できるとは思えない。予測して光剣を振るしかない。そのヤマが当たるかどうかの勝負というわけだ。

 試合の終わった二人に話を聞きたかった。しかし最後の準決勝が終わってしまい、僕も転送される。最後に見えたのは、反動で後ろに飛ぶシノンと、キリトの後方に飛んでいく二つに斬れたヘカートの弾丸だった。

―――キリトの勝ち、か。

 

******

 

~side:シノン~

「どうして……、そんなに『強い』の……?」

 

 キリトとの決闘、軍配はキリトに上がった。キリトはたったの十mの距離からヘカートの弾を斬った。私の視線から弾道を予測したというのだ。

 そんなの、VRゲームの枠を超えている。そう思った。強い、と。その思いがふと、口を突いて出た。それに黒髪の剣士は瞳を揺らした。

 

「こんなのは『強さ』じゃない。ただの、技術だ」

「嘘、嘘よ! テクニックだけで、ヘカートの弾を斬れるわけがない! あなたは、どうやって……、その強さを手に入れたの……? それを、それを知るために私はっ……」

「なら聞こう!」

 

 突然のキリトの低い声に驚く。

 

「もしその弾丸が現実世界のプレイヤーを本当に殺すとしたら……。そして、殺さなければ自分が、あるいは誰か大切な人が殺されるとしたら。それでも君は引き金を引けるか?」

「…………!?」

 

 彼は()()()()()()()、私の乗り越えたい過去を。そう思った。でも、その考えが違うことは彼の目を見ればすぐに分かった。

―――貴方も、私と同じなの……?

 

「俺には、……俺には、それができなかった。だから俺は、強くなんかない。俺は……俺が被せてきた罪を、それを被せるという罪を、何もかもを忘れようとしてたんだ。ただ何も感じないで、忘れようとしていただけ……」

 

 彼の暗い感情が零れた。でもこの人は、私とは違う。私とは根本的に違うのだ。自分の手を汚した私と、人に手を汚させてしまったこの人では。

 不意にキリトの顔に不敵な笑みが戻った。

 

「ところで、そろそろ降参してくれないかな。女の子を斬るのはあんまり好きじゃないんだ」

 

 確かに、こいつに勝てるほど私の近接戦闘技術は高くない。私は取り出していたサブウェポンを地面に落として、リザイン! と叫んだ。

 

******

 

~side:レント~

 厄介なことになった。僕の予選最後の相手、それは《闇風》だった。前回大会準優勝者の彼は極AGI型だ。《ランガンの鬼》と呼ばれている。走って(ラン)撃つ(ガン)から《ランガン》。そのスピードで相手を翻弄するのだ。

 フィールドは遮蔽物のほとんどない砂漠地帯。名前は《無の砂丘》。砂丘なので一応高低差はあるが、全体的に見てスピードの高い闇風有利の地形だった。僕の狙撃もこの地形では上手く活かせない。取り回しの良さを考えて、SG550を肩にかけP229を二丁とも構えた。肩に物をかけながら戦うのは慣れている。

 ジリジリとしながら砂丘の頂点で待つ。遠くから砂埃が見えた。どうやらあちらも隠密で殺す気はないらしい。VRに適した無駄のない走りで僕へと向かってくる。

 左右にランダムに動く彼を狙い撃つのは流石に無理だ。僕はそもそも、相手の認識していないところから撃つのが得意なだけで、シノンほどの狙撃の腕を持っているわけではない。彼女の有利な条件下で勝負したら僕が負けると思うほどにはシノンは強いのだ。

 闇風もそのシノンと同じように、強い。短機関銃の《キャリコM900A》を操って近づいてくる姿は、脅威だ。

―――待つのは、余り好きじゃないんだよね。

 僕も闇風へと走る。彼もこの行動には驚いたようで、一度止まって僕に機関銃を乱射する。

 

 

 

意識が、純化される。

 

 

 

 これはいわゆるゾーンと言うやつだろうか。VR空間で極度に集中したときに起こる現象だ。周りが遅く見える。いや、意識だけが加速される感覚。相手の行動など見なくても手に取るように分かる。ある種の全能感が僕を満たす。

 僕に向かって飛んでくる大量の銃弾。しかしその全てが、()()()。キャリコが小気味良い音を立てて銃弾を吐き出すが、僕は足元が不安定な砂丘の上でダンスを踊るようにしてそれを全て避ける。危なげなどどこにもない。

 大きく脇に飛ぶわけでもなくその場にいながら軽機関銃の銃撃を避ける僕を見て、闇風は動揺した。その動揺で、一瞬だが大きく銃弾が外れた。心拍が大きくなり着弾予測円が広がったのだろう。その隙に懐へと飛び込む。しかし闇風もそのAGIを活かして飛びすさり、捕捉には至らない。

 

「今度は、僕の番だ」

 

 僕は闇風に飛びかかる。両手に持ったP229が銃弾を吐き出すが、闇風もそれは避ける。そこで僕は更に踏み込んで砂を蹴り上げる。視界を潰された闇風は安全策を取り一旦後ろに下がった。

 僕も闇風も、互いにこの世界において異端児と言われる超近距離戦闘タイプだ。そしてこの二回の銃弾の応酬で分かった。PSは僕の勝ちだ。

 それを理解してか、闇風は後ろに駆け出した。僕はその後を追おうとするが、闇風の置き土産(手榴弾)に足を止められる。爆炎を越えたときにはAGI極振りの姿はなくなっていた。

 

「流石に速いなぁ」

 

 僕は背中に引っかけていたSG550を持つと、銃身を持って思い切り後ろに振り抜いた。

 

ゴンッ!!!!

 

「ぐあぁ!」

 

 SG550の銃床は闇風の蟀谷に直撃し、その体を吹き飛ばす。僕は腰に下げてあった手榴弾の一つを手に取って闇風へと放った。

 

 

ダァァァァァァァン!!!!

 

 

 爆発の音と、遅れてアバターの消失音が聞こえる。ホロウィンドウの通りならば僕は闇風を倒したようだ。お返しの手榴弾を受け取ってもらえたようで何よりだ。

 

******

 

「どうして分かったんだ? 俺が後ろに回り込んでるって」

 

 試合が終わりロビーに転送されると、闇風が僕に話しかけてきた。

 

「まずは足跡ですね」

「足跡はしっかり消したぞ?」

「それですよ。消しながら撤退したというのではいくら貴方でも速過ぎです。なので撤退はしていないと踏みました。でしたら、背後に回り込んでいるのは当然でしょう?」

「なるほど。少し手が込み過ぎた、と。だが、もう一つ。どうしてあそこまで完璧なタイミングで打撃を与えられたんだ?」

「それは、耳ですね」

「何?」

「音を聞くんですよ。風の音と、それに舞う砂の音とがあのフィールドでは聞こえました。そこに混じっている靴で砂を踏む音を探したんです。後はその音が突っ込んでくるタイミングで振り抜いただけです」

「音、か。考えたこともなかった。ふ、本戦では君とは当たりたくないものだな。俺と戦う前にリタイアしていることを望んでおくよ」

 

 音を聞くこのシステム外スキル、《聴音》はSAOでもかなり有力な技術だった。攻略組は使えたと思うが、僕はその中でも使うのが上手い方だ――VR適性のお陰だ――。それに闇風と戦ったときは感覚が加速されていた。それでは負ける方が難しい。

 闇風と別れ、ロビーから現実世界へとログアウトする。目を閉じてログアウトすれば、次に見えたのはアミュスフィアのバイザー越しの病院の天井だった。安岐が僕に気づき声をかけてくる。そこで僕は、この部屋にいるのが二人だけだと気づいた。

 

「おっ、おかえり。大蓮くん」

「はい、今戻りました。……和人君は?」

「それがね、さっき戻ってきたんだけどすぐに出てっちゃったのよ」

「置いていかれてしまいましたか」

「そうだね。言い方は悪いけど、桐ヶ谷君には大蓮君が目に入ってなかったって感じかな」

「そう、ですか。それでは、僕も失礼します」

「ん、じゃあね」

「はい、また明日もよろしくお願いします」

 

 僕は脱いでいた上着を着ると、病院を後にした。

 家まで帰る途中も家に着いてからも、僕はずっと死銃の殺害方法を考えていた。トリックも何もなく、本当にオカルトな力でVR空間から人を殺しているというのは信じがたい。死銃事件の裏にあるのは、どういったトリックだろうか。キリトには殺人と決めつけるなと言われたが、殺人の場合にはそれを止めなければならないのだから、検討は必要だろう。殺人でなければ検討する必要すらないのだから、脳の容量は殺人の可能性に割くべきだ。

 

「まずは状況を整理しよう。殺害されたと思われるのは《ゼクシード》と《うす塩たらこ》の二人。犯行時刻には二人とも人目につく場所にいた。ゼクシードはMMOトゥデイの生放送中、うす塩たらこは自分が主催するスコードロンの集会中。互いに《死銃》を名乗るプレイヤーに銃弾を撃ち込まれた直後、現実世界で心不全によって死亡している。ゼクシードの場合はGGOの中のとある酒場で画面越しに撃たれた。死銃はハンドガンを使って犯行に及び、射撃の前に名乗りと台詞を入れている。目撃者によれば、死銃と名乗るプレイヤーはボロボロのマントを着ていた、と」

 

 ここまで整理してから、動機について考える。

 

「動機は? 狙われた二人にはAGI特化じゃないっていう共通点があった。そこから怨恨を考えたわけだけど、名乗りを聞かせたってことは自己顕示欲の表れとか、愉快犯っていう線もあるのか。ただゼクシードと一緒に闇風もMトゥデには出演してた。そちらが撃たれていないのはどういうことだろうか。AGI特化ビルドだから怨恨の対象外? それとも次は自分ではないかという恐怖を与える目的? でもさっきの様子を見る限りだと死の恐怖に怯えてはなさそう。ということは闇風には後ろ暗い、恨まれるようなことがない? それとも本人が気にしていないだけ? 自己顕示欲の表れなら同時に殺すよりもバラバラに殺した方がインパクトはある、か。愉快犯でも同様と」

 

 全く分からない。動機から考えて分からないなら、殺害方法から考えてみるのもいいかもしれない。

 

「動機がないから殺さなかったじゃなくて、トリック的に殺せなかったというのはどうだろうか。例えばアミュスフィアに何かを繋いでいるから殺せない、とか。……いや、それを死銃が知っているのはおかしいか」

 

 そもそも、殺害方法は何だ。和人達と検証して不可能という結論には至ったが、それで終わらせるならこの考察の意味がない。

 

「……二人ともアパート暮らしってのが気になるんだよなぁ。アパート暮らしだと何がある? 一人暮らし? 一人暮らしなら何がある? まずは遺体の発見が遅れるかな。二人ともプロのゲーマーだから仕事場の人に不審がられることもない。実際遺体はかなり腐敗が進んだ状況で見つかったんだしね。それが犯人の目的? あの状況なら普通はVRゲーム中の変死と見るだろう。だとすれば解剖も行われないはず。……解剖されたらマズかった? でも心不全、何を見つけられたらマズかったんだ? 普通に考えれば死亡の原因。ちょっと穿った考えだと事前に仕込まれていた何かしら。こっちは検討することができないから、死亡原因の方で考えようか」

 

 声に出すと考えがまとまっていくように感じる。段々と思考が発展する。

 

「死亡原因で解剖されてマズいもの。……薬品? 毒殺だった? いや、それじゃ銃撃の意味が……。――あっちは関係、ない? 死亡した原因に銃撃は関係ないとすればどうだ。VR関係だと思わせれば銃撃と死亡を関連づけたくなる。実際にそうだった。そうすれば結果的に現実世界で毒殺された可能性は検討されなくなる、ってことか。でもそれだと死亡時間と銃撃時間のログが一致するわけが分からない。遅効性の毒を使えば投薬してから銃撃も可能だけど、多少のタイムラグが発生する。そうしたら大失敗だ。じゃあやっぱり無理なのか……?」

 

 折角のVRに目を向けさせるための銃撃なのに、死んでから撃ったのでは意味がない。確実にタイミングを計らなければいけないが、それではリアルとVRを行ったり来たりしなければならず、一人では面倒臭いことこの上ない。

―――ん? ……一…………人?

 

「!! そうか! 死銃は二人以上! 一人がGGOの中で銃撃を行い、二人目が現実世界で毒殺する。ゼクシードもうす塩たらこも事前から時間が決定している、確実にそこにいることが分かるイベントの途中だった! 現実世界の実行犯と時間を決めておけば同時に作業を行うのは難しいことじゃない。死亡して断線するタイミングまで一人目がGGOの中で目撃されていれば、より強くVRの中から殺されたと感じさせられる! つまり、闇風は殺さなかった可能性もあるけど、やっぱり()()()()()()んだ。アパートに一人暮らしというプレイヤーが狙われたのもそれが原因。フルダイブ中のプレイヤーを毒殺するにはその体に直接毒を摂取させなきゃけないから、家に侵入しなくちゃならない。それには都合が良いんだ、アパートに一人暮らしってのは! ――決まった、かもしれない……」

 

 影も形も見えなかった《死銃》の、ボロボロのマントの裾がようやく見えてきたようだった。




 死銃のトリックに気がついた主人公でした。相変わらず鋭いですね。ただこれが事実かどうかは分かりませんし――事実ですが――、犯人の情報もないのでまだまだ続きます。
 キリトは主人公とラフコフについて言葉を交わしませんでした。それがどんなことを呼び込むのか。大したことは起きないと思いますが、楽しみにしていてください。


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#32 装填

 日付は変わって運命の日です。どうぞ。


「どうですか? 僕の推測はありえなくはないでしょう?」

『ありえないどころか、今出ている中ではかなり有力な説だよ。死銃が複数犯の可能性、か。考えてもみなかった。これでまた一歩死銃に近づけたね』

「それで遺体の方は……」

『もうかなり経ってしまったからね。既に火葬されてしまっているよ』

「やはりそうですか……。また何か分かればお伝えします」

『君も調査ってだけじゃなく、BoBを楽しんでくればいいさ』

「はい」

 

 僕は昨夜思いついた犯行方法を菊岡に伝えた。流石に夜も遅かったので連絡をするのを翌日に回したのだ。今夜はBoBの本戦がある。午前中には別の予定が入っているので、僕はそちらに向かった。

 

******

 

 予定の一つだった病院から帰ってくると、直葉から電話がかかってきた。

 

『もしもし、師匠!』

「どうかしたかい?」

『――……ハッ! えと、……お兄ちゃんと一緒にBoBに出てるん……ですか?』

「うん。隠したがってたみたいだけどね。MMOトゥデイにBoBの記事が載ってたからそこで見たのかい?」

『はい。それからアスナさんにも確認を取ったんです。それで経緯とか聞けないかなぁ、って』

「ごめんね。BoBが終わったらいくらでも話してあげるから、それまで待っててほしい」

『はい。その代わり、GGOの話とか、今までにコンバートしたゲームの話とか聞かせてください!』

「うん、その位ならいつでも。女の子の頼みは余り断るものじゃないからね。それにBoBが終わったらALOに戻るつもりだったから丁度良いな」

『楽しみにしてますから! BoB頑張ってください!』

 

 殺人犯と思われる人物と接触しに向かうなんて心配させるからと、和人は明日奈にも目的は言っていない。バレるとは思っていたが、僕に連絡を寄越すとは驚いた。信頼されているようで何よりというところだ。

 最寄駅から歩きながら電話していたら、ある公園の前を通ったとき僕は思いがけない人物と出会った。

 

******

 

~side:詩乃~

 

「どうすれば、殺せるかしら……」

 

 私は、私と友人しかいない児童公園のブランコの近くで、石ころを蹴飛ばしながらそんなことを呟いた。物騒な呟きだが、もちろん現実世界のことではない。GGO(ゲーム)の話だ。今、最も殺したくて脳裏に浮かび上がってくる顔はレントさんのものだ。

 キリトもむかつく気障野郎だったが、レントさんの忠告のお陰で実害――セクハラとか痴漢とか――を受けなかったから大目に見ている。あの頭をぶち抜きたいことに変わりはないが。それでもレントさんの方が殺したい。彼は本当に『強い』。その彼を殺せば、きっと私も『強く』なれるだろう。

 そんなことを考えながらBoBの作戦――対レントさん用だ――をぶつぶつ唱えていると、友人――新川恭二が微妙な顔をしてこちらを見ていた。

 

「……新川君、どうかした?」

「……いや、朝田さんがそんなに一人の人について話しているの聞いたことなかったから」

「そう……」

 

 確かに、言われてみればそうだ。あの遠藤達――虐めてくる奴らだ――さえも、思考のスペースを割くのが勿体ないとできるだけ考えないようにしていた。そもそも私はいつも自分に精一杯で、人のことを考える余裕なんてなかった。それがレントさんだけはいつも意識の片隅にいるのだ。

 しかしそれも当然と言えば当然だ。彼には何度も自分の弾丸を避けられているのだから。微笑を絶やさずに。色々なことを教えてもくれたが、何よりも乗り越えるべき壁という認識が大きい。

 

「そんなに殺したいんだったら手段は一杯あるよ。フィールドで待ち伏せて狩ったりとか、狙撃なら僕が囮をやるし。正面戦闘が良ければ腕の良いマシンガンナーの二、三人はすぐに集められるから。ビームスタナーを使ってMPKとかでも良いけど」

「ううん……。ありがたいけど、そうじゃないの。やっぱり自分の手でこう、あの人を打ちのめしたいのよ」

 

 私は度なしメガネのブリッジを押し上げて、右手の人差し指で時計に向けて狙いをつけた。

 

「BoBまであと三時間半! 絶対に私の手で倒してやる!」

 

 そう叫んだところで、考えていた人の声が近くから聞こえた。

 

「詩乃ちゃん、元気で良いことだね。本戦ではこの手で倒してあげるから安心してほしいな」

 

 気づけば、レントさんがブランコのすぐ傍に立っていた。恭二も気づいていなかったようで、傍から見ても驚いた様子だ。

 

「れ、レントさん……。コホン、絶対に倒してやるんだから!」

 

 今度は狙いをレントさんに向けて宣言した。

 

「朝田さん、その、大丈夫、なの?」

「えっ?」

「右手……」

 

 恭二に恐る恐る言われ、右手を確認してみる。その手は握り拳から親指と人差し指が飛び出した、いわゆる指鉄砲の形を取っていた。慌てて手を開いて閉じて、深呼吸を繰り返す。確かに、普段なら『銃』を意識させる行動を取るだけでも駄目なのに、どうして今は大丈夫だったのだろう。

 

「大丈夫なら良かった。本戦は体調を整えて、かかっておいで」

 

 過呼吸になったりもしていない私を見てレントさんは安心したように息を吐き、そう言い残して去っていった。

 

「言われなくても!」

 

 彼が家とは反対の方向に向かっているのが気になったが、私はその背中に声を投げるだけで終えた。

 

******

 

~side:レント~

 病院に着いたら昨日と同じ部屋へと向かう。ノックをして入ると、本――紙媒体だ――を読んでいる安岐がベッドの横に座っていた。二つあるベッドの片方は既に埋まっている。

 

「こんにちは。和人君は早いですね、いつ来たんですか?」

「おっす。桐ヶ谷君はそうねぇ……大体半時間前くらいかしら」

「ニアミスですか。今日は早くからご迷惑をおかけします。見ているだけなんて退屈でしょう?」

「ええ。でも大丈夫よ? 夜勤明けで暇だったし、疲れたらベッドに入れさせてもらうから」

 

 そう言うと安岐は胸を強調するように身じろぎしたが、僕は無視した。

 

「それなら和人君の方にお願いします」

「えぇ、どうして? やっぱり恥ずかしい?」

「いえ、接触してログインが解除されたら大変ですから」

「……」

 

 和人は恐らくたじろいだのだろう。動じない僕を見て詰まらなさそうに安岐は口を尖らせた。

 安岐がフッと微笑むと、彼女の纏う雰囲気が変わったように感じた。それに、アミュスフィアの準備をしていた手を止める。

 

「少年、君はこの美人ナースに何か相談したいことがあるかい? 今なら無料カウンセリング中だ」

「いえ、特には。いきなりどうかしたんですか?」

「……いや、構わないなら良いんだ。別に大したことじゃないから」

 

 若干心配気な表情を覗かせた安岐だが、すぐにいつもの笑顔に戻った。

 安岐がカウンセリングの話を持ち出したのはなぜだろうか。……予想は、つく。和人だ。昨日の時点であの顔色だったのだ、心配したんだろう。それにしても何の罪を彼は抱えているのだろうか。僕が支えられるものなら手伝ってあげたいのだが。

 

「それじゃ、和人君のこと、帰ってきたら聞かせてもらいます。行ってきます」

「――はいな、行ってらっしゃい。気張ってね」

 

 最後に少し眉を上げさせることに成功した。そのまま僕は意識をVRへと落としていった。

 目を開くと《SBCグロッケン》の総督府前だった。前回のログアウト時と寸分違わぬ位置。例のパーカーで総督府に向けて歩くと、ザッと総督府の前の人垣が二つに割れた。

―――新しい服買わないとなぁ。

 PKer(プレイヤーキラー)というプレイスタイルの関係もありできるだけ目立たないように顔を隠す服装を選んでいたのだが、既に特定されてしまっていては意味がない。少し憂鬱に思いながら僕は人の間を歩いた。

 総督府の中に入ると、入口のところで睨み合っている二人に出会った。いや、位置的に出会わないことの方が不可能だったのだが。

 

「あら、レントさん。随分早いのね」

「……レント、今日は頑張ろうな」

「うん、二人とも。でも二人ともさっきリアルで会ったからね。なんて挨拶するのが正しいんだろ」

「ふふ、確かに」

 

 シノンとキリトの二人は、まあ大方互いに宣戦布告でもしていたのだろう。

 今回は余裕を持って本戦のエントリーを三人とも終え、僕らは地下一階の酒場スペースに向かった。そこのボックス席を一つ占領すると、それぞれが飲みたいものを注文する。テーブルから飲み物が音を立てて生えてくる光景は、どこか微笑ましいところがある。

 

「そういえばさ、本戦って三十人の参加者がランダムで一つのマップに転送されてそこでバトルロイヤルを行うってこと、だよな?」

「ええ、大体合ってるけど、本戦のルールなんて運営からメールが来たでしょ? それに書いてあるわよ」

「まさかキリト君読んでないの……?」

 

 流石のキリトといえどもそのくらいは読んでいると思ったのだが。

 

「いや。よ、読んださ。ただ、俺の認識が合ってるのか確かめたくて……」

「いや、もういいよ。今日も解説するから」

「良い……のか?」

「ええ、仕方ないわよ。ルールを知らなくて敗退でもされたら情けないから」

 

 キリトが眼を輝かせるが、僕らが教えるのを断ったらどうする気だったのか。

 

「はぁ……。基本的にはキリト君が言った通り。同一マップでの三十人での遭遇戦。開始位置はランダムだけど。どのプレイヤーとも最低一km離れているところに出現する」

「いっ、一kmって。じゃあ、マップは相当広いのか」

「あなた本当にメール読んだ? そんなこと一段落目に書いてあるじゃない。ったく、本戦のマップは直径十kmの円形で、山あり森あり砂漠ありの複合ステージ。時間帯も午後から始まるようになってるから、装備による有利不利はなし」

 

 キリトに説明していく中、恐らく僕もシノンも機嫌は悪くなるだろう。仕方ないからそれは誰かに銃弾をぶち込むことで解消することにしよう。

 

「それ、本当に遭遇できるのか?」

「銃で撃ち合うんだからその位の広さは必要なの。スナイパーライフルなら射程は一km超えるし、ここにいるレントさん(化け物)はアサルトライフルで一km先に当てるからね」

「化け物って酷くないかい? 後、キリト君。それでも遭遇できないのは困るから、参加者全員に《サテライト・スキャン端末》ってのが自動で配られるんだ」

「サテライト、衛星か何かか?」

「そう、十五分に一回監視衛星が上空を通過するっていう設定。そのとき、参加者の端末に全プレイヤーの位置情報が送信されるのよ」

「つまり一ヶ所に留まっていられるのは十五分が上限、ってことか……」

「そういうことになるね。ただ、移動すると見せかけて……ってのもあるから」

「なるほど。でもこのルールじゃスナイパーって不利じゃないか? じっと待つのが仕事みたいなもんだろ?」

「一発撃って、一人殺して、一km動く。これには十五分もあれば十分過ぎるわよ」

「まあ、シノンちゃん以外はそれができないからBoBに出られないんだけどね」

「ええ。……それで、説明は大体これで終わりだけど?」

 

 キリトには大体のルールを説明した。正直、これでへぇとか言っている奴には負けたくない。ここでキリトが顔つきを変えた。

 

「それで、シノン。もう一ついいか?」

「何?」

「この中で、知らない名前ってあるか?」

 

 そう言ってシノンに見せたのは、BoBの本戦出場者一覧だった。僕は既に目を通してあり、キリトが何をしたいのかも分かるので口を出す。

 

「ああそれなら、僕が聞いたことのない名前は《銃士(じゅうし)X》かな、と《Sterben(ステルベン)》に《Pale Rider(ペイルライダー)》の三人。シノンちゃんは?」

「私も同じ。ってこれってステルベンって読むのね」

「そう、か……」

 

 キリトが考えていることは分かる。《死銃》の目的が名前を高めること――名乗っていることから恐らくそうだろう――だとすれば、既に有名な人が暴露するよりも、無名なプレイヤーが大物を食った方が映えるというものである。だから、無名の知らない名前を探したのだ。

―――それにしても、こういう名前好きなのかな、みんな。

 疑おうと思えば、全員が疑わしい名前をしている。銃士Xは、銃と士を入れ替えれば、しじゅうという発音になるし、Xは犯人のようなものを想像させる。ステルベンはドイツ語で《死》という意味だし、ペイルライダーは死を連れた騎士の名前だ。

 

「ねえ、貴方は何をしてるの? さっきから様子がおかしいし、昨日だって……」

 

 シノンが声をかけるのは、僕ではなくキリトだ。キリトの顔は非常に厳しいものになっている。それに気づいて、僕は少し驚いた。

 シノンの質問に答えられずにキリトは言葉を詰まらせる。

 

「――――」

「いい加減怒るわよ。さっきから説明もなしに。何なの、イラつかせて本戦でミスをさせようって気なの?」

「いや、その、そうじゃないんだ」

「じゃあ何なのよ」

 

 語尾を濁すキリトにシノンの語調が強くなる。キリトは僕のことを気にしているようだった。

 

「僕に聞かれたくないんだったら、先に行っているよ」

 

 飲み物の最後の一滴を飲み干して、僕は席を立った。キリトが止める素振りを見せるが僕は構わない。

―――僕に聴かれたくない話……か。

 何だかんだ言って少しショックに思っている自分がいる。キリトに頼ってもらえなかった、と。安岐のカウンセリングの内容もそれについてなんだろうか。

 ロビーで行われているトトカルチョの倍率を見に行ったりだとか、そんなことをして時間を潰して、残り時間が三十分になるまで待った。それからエレベーターを使って昨日と同じ待機ドームへと移動した。

 待機ドームは、昨日とは違いガラガラだった。それもそのはず、今日出場するのはたったの三十人なのだから。準備室で軍服に着替えて、そこからは座って待機していた。

 意識を集中させる。それには膝を抱えるのが一番だ。こうして膝を抱えていると、いつかの迷宮区を思い出す。あのときの声を。それを思い出すことで、僕の精神は落ち着いていく。

―――今度エリヴァさんにお礼を言っておこう。

 あの声は僕を引きずり上げてくれただけではなく、今も支えてくれている。新たな支えが見つかるまでは寄りかからせてもらおう。

 そう思っていると、大きくMMOトゥデイを流している液晶から元気な声が聞こえた。

 

『それじゃあ、カウントダウン行っくよー!!』

 

10(テン)

 

 外の歓声が響いてきた気がした。

 

9(ナイン)

 

 過去に思いを馳せるのは終わりだ。

 

8(エイト)

 

 今考えるべきは優勝(未来)のこと。

 

7(セブン)

 

 それから、《死銃》のこと。

 

6(シックス)

 

 結局、キリトは気分を持ち直しただろうか。

 

5(ファイブ)

 

 気になるが、彼のことだ。大丈夫だろう。

 

4(フォー)

 

 愛銃を撫でる。

 

3(スリー)

 

 安全装置(セーフティ)を外す。

 

2(ツー)

 

 初弾を籠める。

 

1(ワン)

 

 瞳を開く。

 

『BoB、開幕ッゥゥゥゥゥゥゥ!!!!』

 

「さあ、始めようか」




 登場時から名前を呼んでもらえてsterben良かったね! 多言語を解するって設定が初めて活きた気がする。
 次回から本戦開幕です! お楽しみに。


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#33 凶弾

 BoBで一人目の被害者が出ます。初の三人称視点挑戦です。作者の自己満足兼挑戦なので、要望が多ければアスナ視点に書き換えようと思います。どうぞ。


 僕が降り立ったのは北側の砂漠エリアだった。これはありがたい。僕が最も苦手とするのは岩山だからだ。高低差があり遮蔽物も多く、狙い撃ちができない。しかも白い軍服が特に目立つ。森だったりすれば隠れることも可能なのだが、遮蔽物が小さな岩しかない岩山ではそれも難しい。

 既に本戦開始三十分が経つところだ。そろそろ二回目のスキャンが行われる。僕はマントを羽織って、その能力を発動させた。

 このマントはそのままでもかなりの衝撃減衰機能があるが、表裏逆に着用して初めてその真価を発揮する。裏地の黒い素材に秘められた能力、それは《メタマテリアル光歪曲迷彩(オプチカル・カモ)》。いつかオークションに出品した素材である。

 《メタマテリアル光歪曲迷彩》は通常ボスモンスターしか使用できない能力で、相手の視界から自分の姿を隠し、同時に全てのサーチ機能を欺く超高性能なハイド能力だ。先程から、その能力を使って後ろから近づき三人を沈めた。これでサテライトスキャンからも逃げおおせられることも確認してある。

 時間になり、全員の位置情報が表示される。僕は素早く手を動かして全ての光点に名前を表示させた。その中に僕を表す光はない。出場者の数は三十人。既に死亡しているプレイヤーは暗く表示される。つまり、暗い点も含めれば光点は二十九あるはず。しかし二つ足りない。確認してみると、足りないのは、《Sterben》と《Kirito》だ。

 他の注意すべき人物の名前も探す。《銃士X》《Sinon》《Pale Rider》……。まず確認するのはその三人。次にターゲットになる可能性のある人物。AGI特化型ではなく、近日中に時間の決まっているイベントに参加する予定がないプレイヤーだ。BoB本戦に出場するレベルのプレイヤーだと、この二つに引っかかるプレイヤーはそう多くない。僕とキリト、シノンを含めても八人だ。残りのプレイヤーも大体の位置を頭に叩き込む。上空の監視衛星が去って、光点は全て見えなくなった。

 銃士Xが廃墟に近い位置にいる以外は、注意人物全員が南側のエリアに固まっていた。

 

「仕方ない。取りあえず八人以外は皆殺しにしながら南に向かうか」

 

 僕のいる北側にいるプレイヤーの虐殺を決定する。このBoBでは死亡しても死体がフィールドに残る。死銃が殺す際の縛りとしているのは、()()()()()()()()()()()()()。それでは死体を撃っても殺害しかねない。狙われているかもしれない人物は、動けない状態(死体)にすることは避けようと思う。しかし他の人物は、邪魔になっても困るため積極的に狩っていこうと思う。マックスキル賞も欲しいところだし。

―――あの二人は何で見つからなかったんだろう。

 Sterbenは既に死銃に殺されてしまったのかもしれない。殺されれば当然アミュスフィアは異常を感知して断線する。そうすればこのマップから消失することも可能だ。

 しかしキリトは違う。僕の考えた殺人方法ではキリトは殺せない。病院にいるからだ。安岐が見ている中で毒殺することはできないだろうし、安岐も殺したらそれこそ大事件になる。

 恐らくキリトは電波が届かない場所にいるのだろう。旧式の電話のような表現だが、洞窟の中なんかだとスキャンで表示されなかったりする。その分、人の位置情報も確認できないのだが。

 そんなことを考えながら、一人のプレイヤーの背後に姿を現してHPを零にする。非常に驚いた様子を見せていたが、音もなく現れた敵に一瞬で倒されたのだからそれも納得だ。僕は再び姿を隠した。

 

「少し卑怯な気がするけど、気にしない、気にしない」

 

 相手の驚く表情が少し面白かった。気分が乗ってきた。菊岡の言う通り僕もこのBoBを楽しむとしよう。

 次のサテライトスキャンまで、周囲のプレイヤーを手当り次第に倒していた。

 

******

 

~in:ALO~

 

「お兄ちゃん、中々映らないですね」

「戦闘は全て中継されるんですよね? キリトさんのことだからてっきり最初から飛ばしまくると思ってたのに」

 

 ここはALOのアスナとキリトが共同で借りている部屋。共同で借りているため負担は少ないが、そこそこの家賃がかかるイグシティの部屋である。その広い一室には、この部屋の主、その娘のような小妖精、四人と一匹の友人達が集まっていた。

 彼らは揃って大きなスクリーンを眺めている。そのスクリーンにはGGOで現在行われているBoBの本戦が中継されていた。BoBはかなり有名な大会で、GGO内や動画サイトはもちろん、他の大手VRゲームでもその中継は見ることができるようになっている。ここに集まっているのは出場しているキリトとレントを見るためだった。

 

「それに比べてレント君は凄い飛ばしてるよね」

「ね! でもあれ卑怯じゃない? 何もない空間からいきなり現れて撃ってすぐいなくなるって」

「いやぁ、レアアイテムをいかに集めてるかってのも大会の見所だからなぁ。別にレントの野郎は卑怯じゃねぇよ」

「そうですよ! ニイは卑怯じゃないです!」

「そ、そうとも言うわね」

 

 クラインの言葉に反論しようとしたリズベットだったが、ユイの純粋な信頼を打ち砕くのもどうかと思い、口を噤む。その横ではリーファも少し苦笑していた。後ろから現れて一発で相手を倒してすぐに消え去る姿は、確かに卑怯としか言いようがないように思われたからだ。

 

「それにしてもドンドン参加者が減ってくわね」

「そうですね。あっ、また一人減りましたよ」

「今度もレントじゃねぇか」

「はは、本当に飛ばしてますね」

「たしか、マックスキル賞ってのがあるんだっけ?」

「はい! BoBの本戦では最も敵を倒した人には賞金が出るはずです!」

 

 アスナの言葉にユイが答える。こういったところは流石AIだ。会話をしながらでもネットの海から知りたい情報を引き出すことができる。

 

「でも、ニイはやっぱり凄いです!」

「どうして?」

「前回と前々回のデータを見ても、こんなにハイペースな大会は初めてです! 既にマックスキル並みに倒しています!」

「おいおい、もう北半分で生き残ってるのレントだけじゃねぇか」

「ちょっとやり過ぎじゃないですか?」

「ははは、流石は《白い悪魔》……」

「! ニイにはGGOでも通り名がついてるみたいです!」

「え、どんなの?」

「確かに知りたいです!」

「まず、一km先からアサルトライフルで狙撃してくる超絶技術の《幻影の射撃手》。それから超近接戦闘で一弾も受けずに圧倒する《白い殺人鬼》だそうです」

「うげ、何そのおかしな話」

「遠くからと近くで、って相変わらず化け物染みてるなあの野郎」

「ALOでも、一レイドを一人で潰す本職メイジ以上の魔法剣士。しかも剣でもユージーン将軍に勝つような人ですからね。何でもできるんですよ、師匠は」

 

 全員がその通り名に引いたところで、シリカが声を上げた。

 

「あっ、あの人凄い強いです!」

「ん? この青い服を着た人?」

 

 そう言いつつ、アスナはシリカが注目した画面を拡大表示する。そこの画面の下には、《ダイン》VS《ペイルライダー》と両者の名前が表示されていた。ペイルライダーが三次元機動でダインに接近し、ショットガンでそのHPを零にした。

 リズベットが口笛を吹く。

 

「おー、凄いわね。って、何あれ?」

 

 リズベットが感嘆の言葉を口にした瞬間、ペイルライダーの右肩に針の様なものが刺さる。倒れたペイルライダーの身体には、電撃のようなものが走っていた。

 

「当たった対象を一定時間麻痺にするものかもしれません」

 

 ユイが冷静に推測する。誰が撃ったのか分かるように、アスナは画面を別角度の映像に切り替えた。

 

「あっ!」

 

 誰が声を上げたのか。それは分からないが、先程まで誰もいなかったペイルライダーの横に、ボロボロのマントを着たプレイヤーが立っていた。

 解れが見えるダークグレーのギリーマントに、マントが作り出す闇の中で燃えるように光る赤い目。まるで幽霊のように見えるが、ちゃんと二本の足で立っていた。

 そのプレイヤーはギリーマントの中から黒い銃を取り出した。遠隔攻撃で相手の動きを止め、近寄って仕留める。ALOでもよく見られる戦型だ。

 

「なんか…………ショボくねぇか?」

 

 懐から出てきた銃は黒光りするハンドガンで、誰の目にも肩に提げているライフルの方が強そうに見えた。

 

「い、いやでもレントさんも拳銃使ってましたから! 意外と強いのかもしれません……」

 

 シリカの言葉も尻すぼみになっている。そんな観客の気持ちを知ってか知らずか、ぼろマントはゆったりとした動きで銃を構えた。いつ撃つのか、ゴクリと唾を飲む音が聞こえるほど集中が集まる。ぼろマントは依然緩慢な動きで左手を動かした。人差し指と中指を揃えて、額から胸、左肩から右肩へと素早く動かしたのだ。これは十字架を斬る動作である。別に何ら珍しいものではないが、チリッとアスナの脳を刺激した。

 

「あっ……」

 

 ぼろマントがいきなり体を後ろに仰け反らせた。一同から驚きの声が上がるが、その理由はすぐに発覚した。先程までぼろマントの心臓があった位置を銃弾が通過したのだ。銃弾は斜め後ろから飛んできていた。それを避けたぼろマントをアスナは心の中で称賛する。

 突然の銃弾を華麗に避けたぼろマントは、今度は何の溜めも見せずにペイルライダーを撃った。その体が衝撃で跳ねるが、HPは大して減っているように見えない。

 

「あのぉ、レントさんと拳銃って部分は同じじゃないですか。何で威力がこんなに違うんですか?」

「それはですね! どうやらGGOのアバターには一撃死が確定のウィークポイントが存在するようで、ニイはそこを寸分違わずに撃ち抜いているんです!」

「相変わらずのトンデモ技術でぇの」

 

 シリカの質問にユイが淀みなく答える。画面の中ではペイルライダーが跳ね起き、その手のショットガンをぼろマントに向けた。

 

「うわ、大逆転」

「…………」

 

 ぼろマントはそれでも動揺を見せない。いや、アスナには少し笑っているようにも見えた。またちりりと脳が揺さぶられる。

 ガシャンとペイルライダーの手から銃が滑り落ちた。そしてその体も再び横倒しになる。がくがくと動く体は何かの感情を表しているようだ。アスナには、それは驚きだと感じられた。その動きは一時停止されたように唐突に止まり、ペイルライダーの身体にはノイズが走って消滅した。

 

「な、何……?」

 

 ノイズは集まって、回線切断(ディスコネクション)という文字を表示する。

 対戦相手が突如消失したぼろマントが、その右手の銃をこちらに向ける。中継カメラの場所がわかるのだろう。GGOとALOという境界線を越えて、自分が直接狙われているような感覚になったアスナの背筋に寒いものが走る。赤い目は不気味に光り、機械的なぶつ切りの音声が流れ出した。

 

「……俺と、この銃の、名は、《死銃(デス・ガン)》」

 

 一語一語区切って喋る喋り方はどこかで聞いたことがあって。

 

「俺は、いつか、貴様らの前に、現れる。そして、この銃で、死をもたらす。俺には、その、力がある」

 

 会ったことがあるなら、あそこ(アインクラッド)しかなくて。アスナは身震いする。

 

「忘れるな、まだ、()()()()()()()()()。何も、終わって、いない。――イッツ・ショウ・タイム」

 

 

 

 

ガシャン!

 

 

 

 

 最後のたどたどしい英語が流れた瞬間、クラインの手にあったグラスが床に落ちて破砕音を鳴らす。

 

「何よ、クライン。びっくりはしたけど、あんた男でしょ。しっかりしなさいよ」

「嘘だろ、あいつ、まさか……」

「知ってるの? ……あいつが、誰だったか」

 

 リズベットの声が聞こえていないように、クラインはフラフラとスクリーンに近づき呆然と言葉を漏らした。アスナが立ち上がって尋ねる。

 

「……すまねぇ、昔の名前までは思い出せねぇ。けど、これだけは分かる。野郎、《ラフコフ》のメンバーだ」

「! 《笑う棺桶(ラフィンコフィン)》……」

 

 ラフコフの名前が出た瞬間に、リーファを除いた全員の空気が硬くなる。

 

「まさか、あのリーダーの包丁使いなの?」

「いんや、PoHの野郎じゃねぇよ。野郎の喋りと態度とは全然違う。けど、さっきの『イッツ・ショウ・タイム』ってのは、PoHの決め台詞だった。多分、野郎にちけぇ幹部プレイヤー、だ」

「キリト君ッ……」

 

 段々と深刻化していく空気に、リーファが疑問を挟む。

 

「あの……、《ラフコフ》って何ですか?」

「ああ、リーファちゃんは知らない、か」

 

 SAOを体験していないリーファは、あの凶悪ギルドを知らない。その説明をするために、アスナは重々しく口を開いた。

 

「ラフコフ……《笑う棺桶(ラフィンコフィン)》ってのは、SAOに存在したPKギルドのことよ」

「PK……。でも、SAOじゃHP零って……」

「その通りよ。でも奴らは現実世界で人が死ぬことを知って、なおもPKを繰り返した。殺人の愉悦に酔ってた。それがレッドギルドって呼ばれた最悪のギルド」

「ああ。でも八月、だったかな。野郎どもを無視できなくなった攻略組がアジトを急襲して壊滅させた」

 

 アスナの説明の後をクラインが引き継いだ。リーファの顔は強張っていた。

 

「アスナさん。お兄ちゃん、多分GGOにさっきの人がいるって知ってたんだと思います」

「えっ……!?」

「夕べ帰ってきてから様子がおかしかったんです。その、昔の因縁に決着をつけるためにBoBに……」

 

 震えるアスナの手をリズベットは握りしめ、その桃色の髪を揺らした。

 

「でもキリトってバイトでGGOにいるのよね? だとしたらおかしくない?」

 

 既にキリトとレントのバイトの話は伝わっている。GGOについてのレポート提出というそのバイト内容と、BoBに出場している元ラフコフのプレイヤーの存在は関係ないのだろうか。そんな疑問がアスナに浮かぶ。キリト達の依頼主は総務省の菊岡だ。その菊岡の目を引く何かがGGOにはあったのではないか。その何かはあのプレイヤーだったのではないか。

 そう思うといても立ってもいられなくなった。リズベットの手を握り返し、アスナは心を決めた。

 

「私、一回落ちてキリト君達の依頼主と連絡取ってみる」

「えっ!? アスナ、知ってるの?」

「うん、実はみんなも知ってる人なんだ。ここに呼び出してみる。その間に、ユイちゃん、GGOの情報をリサーチしてあのぼろマントのプレイヤーについて調べてくれる?」

「了解です、ママ!」

「じゃあ、ちょっと行ってくるね!」

 

 そう言って、アスナは左手を振り下ろしログアウトボタンを押した。体が虹色の光に包まれ、仮想世界の樹上から現実世界のダイシーカフェの二階――キリトのところにすぐ駆けつけるためにエギルに貸してもらっていたのだ――へと帰還する。

 

「無事でいてねっ! キリト君……!」

 

 携帯端末で目的の人物に電話をかけながら、アスナは心の中で無事を願っていた。想い人の無事を。《英雄》の帰還を。




 以前の感想でも指摘されていたように、メタマテ(ryの布装備はレントが入手しました。自分の分を加工した後に、残りをオークションに出品。死銃が購入、ぼろマントに加工ということです。原作で値段は三十万円ちょっとって描写がありましたね。それを溶かしても半分しかいかない部品って、キリト達は何をしているんでしょうか(笑)。でもバイトの報酬も三十万でしたね、これで満額だ! おめでとう、キリト君!


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#34 銃口

 昨日の更新ができず、すみませんでした。本当に申し訳ありません。段々と日常から時間がなくなっていく今日この頃。こんなことがこれからもあるかもしれませんが、ご容赦ください。
 そろそろ白黒合流です。どうぞ。


 左手首に着けたタイマーが鳴った。時間を確認する。八時四十五分になるところだった、つまり三回目のサテライトスキャンの時間だ。

 端末を取り出し、電波を待つ。四十五分ピッタリにマップに沢山の点が表示された。その全ての名前を確認しながら数を数える。その総数は二十七。今度は表示されていないのは僕とステルベンとペイルライダーだ。キリトの名前は南側の橋の付近に見つけた。シノンもその場にいた。北半分の点は全てが暗くなっている。要するに、生き残りは僕を除いて全員が南側にいるのだ。取りあえずは中央にある廃都市を目指そうと思う。

―――やっちゃったな……。

 時間を忘れて楽しみ過ぎた。ペイルライダーとステルベンも犠牲者になってしまったのかもしれない。隠れているだけだったり、僕みたいにアイテムを使っているのかもしれないが。

―――殺しなんて、ま、ありえないでしょ。

 自分で考察し、キリトにも忠告を促し、菊岡にも可能性の話をしたが、僕自身は本音では殺しなんてありえないと思っている。住所を普通は知ることができないし、家を知ったとしても普通は施錠していて侵入は難しいのだから、僕の考えたトリックにも穴はある。

 それにそもそも、連続殺人をするような人間はほとんどいない。たかがゲームのステ振りの話では、殺したとしても元凶のゼクシードだけだろう。うす塩たらこはAGI振りを推奨していたわけでもないのに、STRに多少余裕があるビルドだから殺された? そんな簡単に人を殺して良いはずがない。そこまで現代日本人の罪の意識は軽くなっていないだろう。

 そんな事を考えながら、僕は都市廃墟へと走る。これも長いVR経験で手に入れた身のこなしだ。普通の人が走るよりは、同じステータスでもスピードがかなり変わる。穴を飛び越え、時には回り込み、自分のアバターを完全に掌握する。

 約十分で都市廃墟へと着いた。取りあえずは数分後のスキャンを見てから次の目標を定めようと思う。

 

「それにしても、さっきまでペイルライダーはダインを追っていたはず。そのダインは追われていた場所の付近で死んでいたからペイルライダーにやられたと見るべき。もし死銃がペイルライダーを殺したならば、近くで動けないダインを狙わないのはおかしい。だったら目的外だったとみていいだろう。……まだ生きてて対象かもしれないのは、銃士Xとギャレット、それからシノンと僕だけか。さっきのスキャンじゃ二人は都市廃墟(ここ)にいた。まだいれば、僕と合わせて死銃を誘き寄せる餌としては最高かな」

 

 スキャンの時間だ。状況確認の独り言を止め、集中する。九時のスキャンだ。光点の数は二十七。ペイルライダーとステルベンは依然その姿を現さない。僕の脳裏に、殺されたのではないかという思いが浮かぶが、すぐにそれを払い落とす。明るく光る光点の数は十二だ。その中で都市廃墟にいるのは七人。南半分のエリアに五人がいた。キリトとシノンも都市へと来ていた。彼らの端末には僕の点は表示されていないので、いきなり遭遇して驚かせてみるのも面白いかもしれない。

 取りあえず、近くにいる一人を殲滅しに行こう。

 

******

 

~side:シノン~

 

「大丈夫か? シノン」

 

 ふと、女顔の剣士に顔を覗き込まれていた。

 先程の不可解な場面を見た後、キリトから死銃の話を聞いた。そして半信半疑――ペイルライダーの場面を目の前で見たが、そう簡単に信じられる話ではない――ながらも、危険な存在なら先手必勝、先に排除しておいた方が良いと思ってキリトと共闘関係を結んだ。

 サテライトスキャンに映らなかった死銃は、キリトと同じように河に潜っていると思われたので、河を辿って私達は都市廃墟までやって来た。しかし死銃と遭遇することはなく都市廃墟に入る。今は、あと数分で来るサテライトスキャンを待っていた。

―――一々距離が近いのよ!

 顔を覗き込む動作もそうだが、会話するときも無駄に近い。同性みたいなアバターのせいで警戒心が薄くなってしまっている。こんな距離、レントさんにも入られたことないのに。

 時計の針が九時を指した。端末を起動させる。ウィィンという起動音の後に、ホロ画面がバッと広がる。

 

「キリト、あなたは北からチェックして!」

 

 都市廃墟に表示される点を一つ一つタッチしていく。探しているのは新顔三人。ペイルライダーは殺されて――キリトによると――しまったので、ステルベンと銃士Xを探している。両方ともいたときは銃士Xを優先するとも決めてある。

 

「「いた!」」

 

 北と南からチェックしていた私達の指は同時に止まった。都市の中心にあるスタジアム、そこに銃士Xはいた。念のためにクロスチェックをするが、ステルベンの姿は見つからなかった。

 

「恐らく、狙っているのはこいつだ」

 

 キリトが動き続ける光点に触る。《リココ》という名前が表示された。確かに、位置取りを見ればリココを狙っているのだろう。

 

「リココが死銃の射程に入る前に止めないと」

「ああ、援護を頼む」

 

 スタジアムの近くまで行き、視力強化スキル――スナイパー必須スキルと言われている――で解像度を上げる。

 

「いた、まだリココを狙ってるみたいね」

 

 チラリと銃口が映った。それを伝えると、軽くうなずいてからキリトは言った。

 

「うん、それじゃあ俺が突入するから、シノンはそこのビルから狙撃体勢に入ってくれ」

「え、私も一緒に……」

「これはシノンの能力を最大限活かすためだ。俺がピンチの時はシノンが援護してくれるだろ? そう信じられるから俺は迷いなく突っ込めるんだ。コンビってそういうもんだろ?」

「…………」

 

 その言葉に頷くと、キリトは軽く微笑んだ。

 

「じゃあ、俺は君と別れてから三十秒で戦闘を始める。足りるかい?」

「うん、十分」

「頼んだよ、相棒」

 

 私の肩を軽く叩くと、キリトは音をほとんど立てずに走っていった。

 その背中が小さくなるにつれ、私にある感情が生まれた。これは緊張? いや、多分心細いんだ。人を殺せるような能力を持った人がこのGGO(優しい世界)にいて、自分一人だけがここに取り残されている現状が。

 頭を振って《氷の狙撃手》には似つかわしくない考えを振り落とし、目標のビルへと向かった。しかし心の大半がいつもとは違う思考に占められていたからだろう。私は自分が倒れるまで、撃たれたことに気がつかなかった。倒れてからもしばらくは自分が撃たれたことが理解できなかった。それを理解できたのは、僅かに動く首を動かして左腕に刺さった銀色の針のようなものを見たときだった。

―――電磁スタン弾ッ!?

 その針の周囲にはプラズマのようなものが走っており、それはペイルライダーに打ち込まれたのと同様の動きを封じる弾だった。

―――でも、どうして!?

 私はスタン弾が南側から、キリトが向かっていったスタジアムの反対側から撃たれたことを認めたくなかった。他のプレイヤーはこの短時間で南側には回り込めないはずだ。それは先程確認した。

 その疑問はすぐに解決されることとなる。弾が飛来した方向に目を向けると、そこの風景が揺らいだ。そしてその世界の隙間から一つの人影が現れた。

―――メタマテリアル光歪曲迷彩!?

 そんな馬鹿な。あれは高レベルネームド(ボスモンスター)にしか搭載されていない、光を体表面で流すという究極の迷彩なのに……。今回からmobが追加されたなんてアナウンスはなかった!

 ばさり、と翻るダークグレーのぼろマントが私の思考を遮った。私はそこにいるはずのない、いてはならない《ぼろマント》――《死銃》を見てやっと気づいた。

―――《銃士X》は《死銃》じゃなかった……?

―――キリトッ!!

 反射的にスタジアムの方を見ようとするが、麻痺で首が上手く動かなかった。

 するりと滑るように死銃は近づいてくる。そして私のすぐ前で立ち止まると、シューシューとした囁きが流れ出した。

 

「……キリト。お前が、本物か、偽物か、これではっきりする。あのとき、猛り狂ったお前の姿を、憶えているぞ。この女を、仲間を殺されて、同じように狂えば、本物だ。さあ、見せてみろ。お前の怒りを、狂気の剣を、もう一度」

 

 その言葉に私の脳が震えた。

―――殺す……? ゲームシステム外の力なんかを使う奴が私を?

 かーっと怒りが私の胸の中に溢れた。その怒りに突き動かされるまま、私は右腕を腰のサブウェポンへと動かした。電磁スタン弾が当たったのが左腕だからだろうか。全力で動かそうとすれば、右腕は僅かに動く。

 近接戦を苦手とする私でも、この距離では外しようがない。短機関銃MP7のマガジンを一本打ち尽くせば、この幽霊みたいな敵でも倒せることだろう。

 じりじりとじれったいほどゆっくりと動く右腕に集中しながら、私は死銃を観察した。

 死銃の後方には水色の中継カメラが浮かんでいた。そこには無様に倒れる私が映っているのだろう。そこに見せつけるが如く、死銃は左腕でペイルライダーのときと同じように十字を切った。そのゆったりとした動きはこちらを見下しているようにも見える。しかしMP7にはもう手が届いた。反撃はあと少しだ。

 そう粋がっていた私の思考は、死銃が懐から取り出した拳銃を見て固まった。何の変哲もないただの黒い銃、そう言い聞かせて必死に右腕を動かそうとするが、その動きも拳銃のグリップを見た時に止まった。手から最後の望みだった短機関銃が滑り落ちる。その音も私の耳には届いていなかった。

―――何で……どうして、ここにあの銃が。

 その銃のグリップにはある刻印がされていた。円の中に星、黒星(ヘイシン)、それが示すのは()()()

 死銃は一度コッキングし、左手で半身のウェーバー・スタンスを取った。その眼は不規則に赤く揺らいでいる。その中にあの男が見えた。あのとき、五年前に銀行強盗として押し入り、私に撃ち殺されたあの男が。

―――いたんだ、ずっと、この世界に……。

 私に復讐するために。

 死銃の指がトリガーにかかる。ここで動かなければ。たとえあの銃から飛び出した弾丸に現実の命も奪われるとしても、ここで恐怖を乗り越えなければ――。しかし、あの恐怖には打ち勝つことなどできないという巨大な諦念が、私の身体を動かすことを拒絶する。

 死銃の指が握り込まれる瞬間、私は目を閉じた。

 

 

 

 

ザシュッ!!

 

 

 

 

 しかし聞こえてきたのは銃声ではなかった。私の意識もまだある。そっと瞼を上げる。死銃の肩には小振りのナイフが刺さっていた。死銃の身体が揺れる。誰かが死銃を攻撃したのだ。この隙を突いて逃げなければ、しかし麻痺はまだ解けない。

 タンッ、と。私の低い視界の前に白い軍靴が現れた。視線を上げる。そこにあったのは、私の知る限りで最も『強い』と思う人。その顔を見た瞬間、私の体にあった緊張は解け、安堵の気持ちが沸き上がる。

 白い軍服に包まれた人――レントさんは死銃へ暢気にも話しかけた。

 

「その髑髏マスク、赤い目。……知り合いを思い出しますね」

「《白の剣士》、お前は、憶えて、いるんだな」

「――……そのぶつ切りの喋り方、やはり貴方でしたか」

 

 私は彼がまるで警戒していないのを見て、事情を知らないのだと悟る。このままではレントさんが撃たれてしまうかもしれない。

―――それは、嫌。

 

「レントさんっ! そいつは、《死銃》っ!」

 

 先程まで動く気配もなかった唇が動いた。その言葉を聞いたレントさんは驚愕、いや恐怖の表情を浮かべた。

 

「……それは、最悪ですね」

「くくく、キリトから、聞いて、いなかったのか」

 

 

 

カラン

 

 

 

 私の前に立つレントさんと死銃の間にグレネードが転がった。

―――何っ!?

 死銃はすぐさま近くのビルへと逃げ込む。グレネードとはそれほどの威力があるのだ。私も覚悟を決めた。しかし予想に反して、グレネードは爆炎ではなく白い煙を吐き出した。よく使用されるプラズマグレネードではなく、スモークグレネードだったのだ。

―――逃げなきゃ。

 そう思うのだが体が動かない。しかしレントさんに左腕を掴まれ優しく引き上げられた。彼はヘカートも拾い、私を抱えて走り出した。その横顔は非常に真剣で、かけようとした声が喉で詰まってしまった。

 

「レントッ!!!」

「遅い!! キリト君はあいつの弾を防いで!」

 

 美少女とも思える男が脇に走り寄ってきた。恐らく先程のグレネードはこいつが投げたのだろう。キリトにレントさんは防御を頼む。その必要はあるのだろうかと思ったとき、ビュンと私の顔の横を大型弾が通り過ぎていった。煙の向こうからにしては狙いが良すぎる。追ってきているのだ。

―――もう、いいよ。

 キリトとレントさんは二人とも高ステータスだろうが、STR的にも私を抱えているレントさんの速度は高くない。それに合わせているキリトも。死銃のビルドは分からないが、いずれは追いつかれるだろう。

 カン、また弾が飛んできたが、今度はキリトの光剣に斬られる。だがその顔に余裕はない。この距離で狙いの確かな狙撃銃に撃たれているのだ。それもそうだろう。

 このままではただのジリ貧だ。どうするつもりなのだ。

 その答えは角を曲がった先にあった。半ば壊れたネオン。そこには《Rent-a-Buggy&Horse》。SBCグロッケンにもあった貸しバギーだ。ズラッと並んだ二人乗り用バギーの大半は壊れていたが、二台だけ動きそうなものがあった。乗り物はそれだけではなく、看板の通り機械馬もズラッと並んでいた。こちらも二頭動きそうである。レントさんがどちらにするか悩んだことが分かったので、私は知っている情報を囁いた。

 

「馬は、駄目よ……。扱いが、難し過ぎる」

 

 馬はバギーよりも難しいらしい。リアルでの乗馬経験者でも乗れなかったのだとか。リリースからそう長く経っていないGGOで馬に乗る練習をしているような人はいないだろうから、完全なオブジェクトである。

 

「キリト、は……」

 

 一緒に走ってきたキリトならばバギーを動かせる。だから彼と一緒に行ってと言おうとしたが、舌が動かなかった。そもそもバギーは二人乗りだ。私が乗ったらもう一人が乗れなくなってしまう。どうするのかと問おうとしたが、レントさんとキリトは速かった。

 レントさんが私を後部座席に乗せてバギーを勢いよくターンさせた。キリトは機械馬の方に一人で跨った。

 

「あなた……運転、できるの?」

「それより、シノンちゃん! あの残った馬、破壊して!」

 

 私は痺れの取れた腕でスタン弾を抜きながら、瞬きした。それから、レントさんの言っている意味を理解した。彼は残った馬で、あのぼろマントが追ってくると思っているのだ。いくらなんでもそれはないだろうと思いながら頷く。

 

「わ……分かった、やってみる」

 

 震えの残る両手で、脇に置かれていたヘカートを構える。距離はほんの二十m。キリトとは違って弾を防がれることもない。撃てば当たるだろう。ヘカートの弾ならたとえ金属馬といえどもひとたまりもない――元々、そういった用途の銃だ――。

 トリガーに指をかけると薄緑の着弾予測円が表示され、馬の横腹に収まる。そのまま指に力を――

 

 

 

がちっ

 

 

 

 

「な、何で……。どう、して……」

 

 安全装置がかかっているわけではない。何度やっても、何度指に力を入れても、指が進まないのだ。トリガーと私の指の間には埋めがたい隙間があった。

 

「う、撃てない……」

 

 そのとき、赤い弾道予測線が飛んできた。ほぼ同時にマズルフラッシュが通りの向こうに見える。

 

「くそっ!!」

 

 私に向かって飛んできた弾丸を、レントは自分のライフルで叩き落した。

―――銃身に傷、ついてないかな……。

 何を呑気な。我ながらそう思ってしまう思考が真っ先に浮かんだ。意識が現実から離れていくようだった。

 それを引き戻すかのように、けたたましいエンジン音がした。同時に体が後方に引っ張られる感覚。バギーは猛スピードで走り出した。横をキリトが操る金属馬が走る。

―――逃げきれる、かも。

 私は少しだけ、本当に少しだけ心に余裕が戻ってきた気がした。




 さて、先に言っておきましょう。SG550は戦線離脱です。銃身が傷ついちゃったしね、ドンマイ。できれば装備を全部登場させたいですよね。使い潰したいです。後は、
・二丁拳銃
・ナイフが一本
・鉄板入り軍靴
・光剣
ですね。
 それでは、また明後日に投稿できていますように。


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#35 鉛弾

 駄目ですね。不定期なんだって思ったらサボり癖が出ました。
 前回の続き、死銃から逃げているところです。どうぞ。


~side:シノン~

 レントさんの運転するバギーは、私を乗せて死銃から逃げる。大きくウィリーをしてから走り出したバギーは北の砂漠地帯へと向かっていた。キリトも金属馬に乗ってついて来ている。

 強張った指でヘカートを肩に戻そうとすると、レントさんが叫んだ。

 

「まだ気を抜かないで! 来るよ!」

 

 普段の彼からは想像もできないほどに動揺していた。その焦りように驚き反射的に後ろを振り向くと、影が飛び出してくるのが見えた。小さくなったモータープールから、壊し損ねた機械馬に乗って奴が追いかけてきたのだ。

 

「何……で……」

 

 その熟練の騎手のような機械場の操りに唖然とするも、それよりも恐怖が先に走る。

 蹄の音を立てながら追いすがる金属馬。バギーと金属馬、両方とも二人乗りの乗り物だ。そしてバギーにのみ二人乗っている。加えて障害物の多い道で小回りの利く馬の方が早いのは当たり前であり、段々とその距離は縮まっていく。

 

「逃げて、もっと……もっと、速く!!」

 

 しかし私の願いも空しく、死銃の騎馬は近づいてくる。

 彼我の距離が百mを切った辺りで、死銃は片手をぼろマントの中に突っ込んだ。

 ピトッと私の右頬に赤い弾道予測線が当たる。その先の死銃の手にはあの銃があった。

 

「いや、嫌ぁぁぁぁぁ!!!!!」

 

 反射的に頭を下げる。パァンという発砲音が鳴るも、その直後に光剣が動いたような音が聞こえた。

 

「シノンちゃん、弾丸はキリト君が防いでくれてる。だけどこのままじゃ追いつかれる。クッ――、ヘカートで、狙撃して!」

 

 ガタンとバギーが大きく跳ねる。その僅かなタイムロスでも、視界に映る死銃の姿が大きくなる。

 

「無理、……無理、だよ」

 

 肩にある愛銃に触れるも、先程のモータープールでのことを思い出す。また引き金を引けないのではないか。再びヘカートを拒絶してしまったら、今度こそ(シノン)が私じゃなくなる。その恐怖は何度頭を振るっても落ちなかった。

 

「当たらなくても構わない! 牽制になれば!」

「駄目……。だって、あいつは……っ」

 

 嫌々と子どものように頭を振るっていた。私の意思なのか、無意識なのか。まるで精神が二つに割れてしまったように感じた。まるで感情を置き忘れてしまったかのように冷静なシノンと、弱くて泣き叫ぶことしかできない詩乃に。

 

「なら僕が撃つ! ヘカートを貸して!」

「ヘカー、ト……」

 

 私の相棒、半身とも呼べる存在。それを私以外の人が撃つ? その言葉でシノンの意識が戻ってきた。

 肩にかけていたヘカートを下ろし、銃口を奴に向ける。

―――動け……動け……、動いて!

 しかし私の指は意志に反して全く動こうとはしない。

 

「駄目、撃てない――。撃てない、私、戦えないよ……」

 

 口からは弱気な言葉が漏れ出していた。

 

「いや、違う! 戦えない人間なんていない! 戦うか、戦わないかの選択をするだけなんだ!」

 

―――選……択。

 私はどうだったんだろう、今まで。あの事件のとき、考えていたかは分からないが私は戦うことを選んだ。虐められたとき、私は戦わずに逃げ、怯えて隠れることを選んだ。さっきは恐怖に負け、戦う手段を自ら放棄した。なら今は?

 指がピクリと動いた気がする。それでもまだ足りない。引き金に指がかからない。

 私の手に温かい炎が重なった。

 どうやってアクセルをふかし続けているのかは分からない。それでも、私の指ぬきグローブの上に白い手袋に包まれた手が重なったのは分かった。

 

「シノンが一人で撃てないなら俺も撃つ!」

 

―――……キャラが崩れてるじゃない。

 その声には焦りが見えた。だけど、なぜかその声に私は安心した。

 その手に押されて、私の指は軋むようにして引き金にかかる。バッと視界に薄緑の着弾予測円が広がる。しかしそれはぼろマントを大きく外れていた。心拍が上がっているせいもあるが、バギーの揺れが酷すぎるのだ。これでは撃ったところで当たらない。

 

「駄目! 揺れが酷すぎる!」

「大丈夫、揺れは収まるから。――三、二、一、行くよ!」

 

 ガッ!

 

 バギーは宙に浮いた。障害物になっていた車に乗り上げて上に飛んだようだ。

―――流石ね、(後衛)の援護が上手いことこの上ないわ。

 レントと一緒に引き金を引く。軽めに調節されたトリガースプリングを全身全霊を懸けて引ききる。

 放たれた弾丸は真っすぐに死銃へと向かっていく。

―――当たった!

 着弾したのは僅かに下方にずれて機械馬の方だったが、あの近距離なら相応のダメージを与え、運が良ければ撃破もできているだろう。しかしその確認はできなかった。金属馬も燃料で動いていたようで、ボディにめり込んだ弾丸で引火して爆発したからだ。

 無事に着地したバギー――バウンドと衝撃が酷かったが――はそのまま都市廃墟を走り抜けていった。

 

******

 

~side:レント~

 廃都市を脱出した僕らは砂漠地帯へと突入していた。機械馬に乗っていたキリトが零す。

 

「いやぁ、それにしてもレントは流石だな。バギーを飛ばせるなんてな」

「キリト君もありがとうね。それより、少し話そっか」

「――ああ。……と言っても、こんなに見晴らしが良いと隠れられないな」

「……あそこ。多分洞窟がある」

 

 僕らが周囲を見渡したタイミングで、シノンが大きな岩を指差した。僕らはバギーと馬をそちらへと向かわせる。シノンが言った通り、そこには小さめの洞窟があった。小さめと言っても、外から見えない位置にバギーと馬を入れて、なおその奥に多少のスペースができるほどだが。そのスペースに僕ら三人は座った。

 

「さて、取りあえずはここで次のスキャンを回避するか」

「…………」

 

 シノンの顔は優れない。殺されかけたのだからそれもそうだろう。

 

「シノン、さっきアイツはいきなり君の前に現れたよな。もしかしてあのマントには姿を見えなくする能力があるのか?」

「……うん、メタマテリアル光歪曲迷彩っていう能力。ボスだけが持つ能力のはずなんだけど」

「! そうだ。完全に忘れてたよ」

「どうかしたのか?」

「このマントも実はメタマテリアル光歪曲迷彩を持ってるんだ」

「えっ?」

 

 シノンの解説を聞くまで思い出しもしなかったが、僕のマントにも奴と同じ能力がある。いや、もしかしたら死銃のマントに使われているのは僕がオークションに出品したものかもしれない。

 

「それを使えばこちらは映らずにスキャンを使えるんだよ。それでスキャンを見てくる」

「ああ、情報が得られるに越したことはないしな」

 

 僕はマントをひっくり返して身体に巻きつけ、そして迷彩を発動させる。この迷彩の能力は、死銃のように全身を覆わなくても装備状態というだけで発動させられる。ここはあくまでもゲームだ。

 洞窟の外に出て端末を構える。左手の時計を眺め、時間を待つ。午後九時十五分になるとスキャンされた情報が端末へと送られる。

 明るく光る光点は六、沈んだ色の光点は十九。合計は二十五だ。僕と死銃、キリトにシノン、それからペイルライダーがいない。キリトから話は聞いて、ペイルライダーは殺されたのだと流石に認めた。

 六人の内、四人は都市廃墟、二人は南のエリアにいる。どこからも北側の砂漠へは十五分ほどかかる。次のスキャンまでは安全と思って良いだろう、現在地の分からない死銃を除いては。

 奴は迷彩を働かせているが、砂漠なら足跡が出る。現に僕の足元にはしっかりと存在を示す跡がついているし、砂を踏む音も聞こえる。警戒していれば大丈夫だろう。死銃は誰かを殺すためにあの拳銃で撃たなければならない。それがルールであり、それを大きく逸脱すれば今までの仕込みも全て水疱に帰す。ゆえにグレネードで洞窟ごと爆破されることもないだろう。

 一分が経ち、送られてきていた電波が止まる。僕は自分を落ち着かせるように一度深呼吸をした。

―――あの髑髏のマスクに、《赤眼》。

―――ぶつ切りの喋り方に、独特な雰囲気。

―――あいつは《赤眼のザザ》。

 SAOでかつて多くのプレイヤーに恐怖を抱かせた存在、《笑う棺桶(ラフィンコフィン)》。PoHに次ぐ位置にいた二大幹部。その片割れがザザだ。

 僕はその正体を知るまで死銃はデマだと信じていた。しかしその考えは一八〇度転換した。僕がデマだと考えた――信じたかった――理由は簡単、人の良心だ。現代の日本人に備わっている道徳の心、罪悪感、そういったものが殺人の最後の安全装置(セーフティ)だと思っていたのだ。

 しかし奴らは、ラフコフはそのセーフティが完全に外れている。PoHの洗脳染みた話術によって心の奥深くにあった衝動を解放させられた彼らには、最後の枷など端から存在していない。

 僕は菊岡に無理を言ってラフコフの一人と面会したことがある。彼はSAO帰還後に、精神に問題があるとして精神病院に入院していた。

 そこで警備員の監視下で彼と言葉を交わした。ややしどろもどろながら、彼はしっかりした口調で言った。

 

「ヘッドについて行けばいいと思ってた、今もその気持ちは変わっていない」

「オレはヘッドのようには成れないと知ってた、だけど真似をしたかった」

「ヘッドがいなくてもオレは人を殺す、帰ってきてそれを自覚した」

「オレにはまだ良心が残っていた。他の奴らも大抵はそうだと聞いてる。だけど、あの二人は違う。あの人達はオレらじゃ見えないところまで行っちまった」

「ああ、人の顔を見てるとまた殺したくなっちまう。もう、オレは終わりなんだと心から思うよ」

 

 彼は自分の心を、衝動を持て余していた。理性は殺しを求めず、衝動は殺しを求める。感情は自分を抑えようとするが、欲望がその蓋をぐらつかせる。

 菊岡によれば他のラフコフメンバーや、レッドプレイヤー達も同じなんだそうだ。数人を除いて。

 その数人の何が恐ろしいかと言えば、既に社会に復帰していることである。彼らの精神に異常はなかったそうだ。それが何を意味するかと言えば、既に()()()()()()()()()()()()()()()()ということである。菊岡では外見上は真っ当な彼らの意思を無視して引き留めるわけにもいかず、彼らは社会復帰を果たした。

 ザザもそんな一人だと聞いた。彼なら、人を殺すことを躊躇わないだろう。殺人は犯されてしまう――犯されてしまったのである。

 洞窟に戻ると、立ち上がって洞窟から出ようとするシノンと、それを引き留めるように手首を掴むキリトの図があった。

 

「それが私の運命だったのよ……。私は、一人で戦って、一人で死ぬ……。だから、離して」

 

 その言葉に、僕は状況の分からないまま思わず否定する。

 

「それは違うよ、シノンちゃん。君は間違っている」

「レント、さん」

「人が一人で死ぬなんてありえない。真に孤独に生きる人がいないように、真に孤独に死ぬ人もいないんだよ。君はもう僕らと関わっている、関わり合った僕らの一部なんだ。君が死ぬとき、僕らの一部も一緒に、死ぬ」

「そんなの、そんなこと、頼んでない! 勝手に私を預かったりしないで!」

 

 シノンの言葉に反応しつつ、僕は前へと進む。

 

「預かってるんじゃない、一部なんだ。もう返せない。僕らの関係は今更なかったことになんてできないし、させない」

「……なら、なら! 貴方が一生私を守ってよ!!!」

 

 シノンがキリトの手を振り払い、僕の方へ詰め寄ってくる。その燃え上がるような瞳からは涙が零れていた。

 シノンは両手の拳を固く握ると僕の体に叩きつける。視界の隅では僅かながらに減っていくHPが見えた。

 

「何も知らないくせにっ! 何もできないくせにっ、勝手なこと言わないでよ!! これは……、これは! 私の、私だけの戦いなの! たとえ負けて死んだとしても……っ、誰にも私を責める権利なんてない! それとも、貴方が、貴方が背負ってくれるの!? このっ――」

 

 シノンは震える右手を僕の前へと持ち上げた。

 

「この……、ひ、人殺しの手を、貴方が握ってくれるの!?」

 

 シノンは最後に強く僕の胸を叩くと、そのまま凭れかかってきた。

 

「うっ…………、ぅっ……」

 

 小さく押し殺すような泣き声が聞こえた。シノンの震える背中を見て、咄嗟に右手で背中を撫でようとするも、肩に触れた瞬間に右手はシノンに弾かれた。

 

「っ触らないで! あんたなんか、あんたなんか……!」

 

 叫ぶ間もシノンの涙は止まることを知らなかった。

 静かな洞窟の中には一人の泣き声だけが響いていた。

 

******

 

 僕らは再び地面に座っていた。シノンは体の力を抜いて、僕の肩口に額を寄せていた。

 

「少し、寄りかからせて」

 

 シノンは投げ出された僕の脚に体を預けた。顔を見られるのが恥ずかしいのか、僕に背中を向けている。

 シノンはぽろぽろと言葉を紡ぎ出した。

 

「私ね……、人を、殺したことがあるの。ゲームの中じゃないよ。……現実世界で、本当に、この手で人を殺したんだ。五年前、東北の小さな街で起きた、郵便局の強盗事件。犯人は拳銃の暴発で死んだって報道されたけど、実際はそうじゃないの。私が、強盗の銃を奪って、そのまま撃ち殺した」

「五年、前」

 

 今まで黙って様子を見ていたキリトが、囁くように問いかける。

 

「うん、私は十一歳だった。……もしかしたら子供だからできたのかもね。私、それからずっと、銃のこと考えたりすると吐いたり倒れたりしちゃってた。銃を見ると、目の前に殺したときのあの男の顔が浮かんできて、怖い。凄く、怖い」

「…………」

「だけど、この世界なら銃を見ても大丈夫だった。だから思ったの、この世界で一番強くなれたら、現実の私も強くなれるって。あの記憶を忘れることができるって。なのに、さっき死銃に襲われたとき凄く怖くて、いつの間にかシノンじゃなくなって、現実の私に戻ってた。……死ぬのはそりゃ怖いよ、だけど、だけどね、それと同じくらい、怯えたまま生きるのも辛いんだ。死銃から、あの記憶から戦わずに逃げたら、今よりももっと弱くなっちゃう。だから、だからっ……」

 

 シノンが抱えていた辛い記憶。それが彼女が度々見せる表情の理由。それを聞いて、僕の口は勝手に音を出し始めた。

 

「僕も、……僕も人を殺したことがある」

「え――」

「レントっ」

「大丈夫だよ、キリト君。僕は前とは違う。エリヴァさんのお陰さ。……シノンちゃん、君は僕が生還者(サバイバー)だって知ってるよね」

「うん」

「……レントと同じで俺もあのゲーム、SAOに囚われていた。そしてアイツ、死銃も」

 

 キリトも話す。シノンにあの世界で起きた『ラフコフ掃討戦(悪夢)』のことを。

 

「あの男はラフィンコフィンという殺人ギルドのメンバーで、レッドプレイヤーだ。……あるとき、奴らを牢獄に送るため討伐パーティが組まれたんだ。俺とレントもそこに参加した」

「ここからは僕が話すよ。――あのときは情報が洩れててね。こっちが奇襲されてしまったんだ。その混戦の中、僕は人を守るために八人……この手で殺した」

「じゃあ死銃はあなた達が戦ったラフィンコフィンの……」

「ああ、討伐戦で生き残って牢獄に送られたメンバーのはず、……だけど、アイツの名前が思い出せないんだ。確かに会ったはずなのに、言葉も交わしたはずなのにッ」

XaXa(ザザ)。《赤眼のザザ》、それが彼の名前だよ。ラフィンコフィンの幹部の刺剣(エストック)使いだ」

「――……レントは、凄いな。俺は昨日アイツと会うまで、あのときのことは記憶の底に閉じ込めていたってのに。一番辛かったお前は何も忘れてない」

 

 あの記憶まで忘れてしまったら、僕は、今の僕はいなくなってしまう。あのとき殺した八人のことは忘れない。他のことも。

 

「……レント、教えて。貴方は、貴方はその記憶を、『罪』をどうやって乗り越えたの? どうやって過去に打ち勝ったの? どうして今、そんなに『強く』いられるの?」

 

 シノンが僕に問いを発す。彼女のその必死さと真剣さが、僕にその場限りの、ただの綺麗な言葉を言うことを拒ませる。

 

「僕は、『強く』なんかないよ。……前も言ったけど、その点で言えば君の方が『強い』」

「じゃあ! じゃあ、どうやってあなたは今、そんなに笑っていられるの!?」

 

 シノンは僕の返答に苛立ったようだった。僕は自嘲する。確かに、これでははぐらかしているのと変わらない。

 心を、決めた。

 

「キリト君、少し外を見てきてくれないかな。シノンちゃんと二人で話がしたい」

「……ああ」

「…………」

「シノンちゃん。少し、僕の『昔話』をしようか」

 

 僕は今まで秘してきた僕の原点、いや元凶を紐解く。かつての僕と同じように苦しむ彼女に、一つの道を示すために。




 考えてみたらGGO編に戦闘描写がほとんどなかった……。なんかすみません。もうラストバトルぐらいしか残ってないんですけどね。
 次回、明かされる主人公の過去。お楽しみに。


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#36 昔話

 十八時から少し遅れました、すみません。
 主人公の過去話です。え? 題名が銃関係ない? ……すみません、許してください。
 週一更新になりつつある現状が恐いですが、どうぞ。


「君に、僕の『昔話』をしようか――」

 

 僕は深い記憶を辿りながら、シノンに静かに話し始めた。

 

******

 

 実は、僕はSAOよりも前に人を殺したことがあるんだ。あれはもう十年くらい前になるかな。とある事件が起こったんだ。

 僕の両親は二人とも国際連合――国連の職員だったんだ。二人とも純日本人で、日本で働いているときに出会ったって言ってた。父さんは正義感の強い人だったらしくてね、それで外国に飛ばされたって言われてた。母さんはそんな父さんを抑えるセーフティみたいな人だったらしい。ただ僕が話を聞いた人によると、母さんも父さんに負けず劣らずの性格だったらしいけどね。

 父さん達は僕が産まれたとき、いや、産まれる前から色々なところに盥回しにされていたらしい。能力は高くてかなり上の地位にいたらしいし、周囲の人からの人望も厚くて地域の問題を解決に導いた実績もあったんだけど、正義感が強くてうるさいから上司とか国家権力からは好かれてなかったみたい。そのせいで海外を転々としていたんだ。

 その事件が起きたとき、両親はトルコの支部にいた。六、七歳の僕もそれについて行ってた。普段はベビーシッターとかがついてたんだけど、よく職場に遊びに行ってたんだ。そこの人達とも仲良くなってね。日本語の他にも国連公用語は話せるようになったな。

 支部には色んな人がいたよ。黒人から白人まで、あらゆる国籍の人がいた。それぞれに宗教とか、生まれ育った環境とかで違う思想があった。一緒に遊んでくれてるときもそれぞれに考えが違ってね。それが面白かったりもしたんだ。

 たまに両親の職場に遊びに行って、職員と笑って遊ぶ。そんな平和な日にあの事件は起こった。

 午後三時くらいでさ、遊びに来てた僕は帰ろうとしてたんだ。突然、銃声がした。母さんは僕を抱えて机の下に潜ったんだったかな。父さんは立って警戒してた。オフィスに来たのは、白いアラブの民族衣装を着て銃を構えた二人組の男だった。片方は受付の職員の頭に拳銃を押しつけてた。もう片方は軽機関銃でいつでも発砲できるようにしてたみたいだった。

 その軽機関銃を構えている方が指示を出した。「こいつの命が惜しければ、この支部にいる全職員を十分以内にオフィスに集めろ。それからこの支部が保管している銃火器の類も全部だ」ってね。支部には有事に備えて銃火器が保管されてたんだ。そのときこそ使いどころだったんだけど、誰もそれに気づけなかった。

 それから十分間、大人達は駆けずり回ってた。男達はもう一人人質を増やした。縄で縛られて転がされたその人達は簡単には抜け出せなさそうだった。変な動きをしたらすぐに軽機関銃で蜂の巣だからね。

 集められた職員は互いに縄をかけさせられたんだ。そこで襲撃グループは僕のことに気がついた。人質にするなら逃げられない方が良いからね。僕も奴らの人質になった。そこからは父さんの眼とかが良く見えた。その眼は常に隙を窺ってるみたいだった。

 その瞬間に、とんでもない数の銃声が聞こえたんだ。まるで銃撃戦のど真ん中にいるみたいなね。実際、そんな状況だった。ただ違うのは、銃撃戦とは違って撃ち込まれるだけ、殲滅戦だった。

 支部の壁に穴が広がってくんだ。小さな穴が段々大きくなっていく光景は悪夢だよ。それでもオフィスはある程度中にあったから、実際にはそこまで弾丸は飛んでこなかった。

 その銃撃は国連の職員にとってはまたとないチャンスだったんだ。片方の人質に銃を向けていた一人は運悪いことに、いや僕らからすれば運が良かったのか、その最初の斉射で弾丸が命中して倒れた。初弾で倒れたのはその人だけだった。多分立ってたから当たったんだろうね。

 そしてもう一人の方も銃撃に意識が逸れたんだ。その隙を突いて父さんは犯人に飛びかかった。他の職員は机の陰とかに避難して縄を解いてたりしてたのかな。まあそれで、父さんに飛びかかられた方は揉み合いになった中で人質の方に弾丸をばら撒いたんだ。犯人も必死の行動さ、多分狙ってたわけじゃなくて、引き金に指が当たっただけだと思うけどね。

 床に転がってた僕は、これで終わりだって思ったんだ。変に大人びてるところがあったから、早々に諦めてた。そんな僕を母さんが庇った。

 僕の目の前で母さんの体に穴が開いていくんだ。母さんは最期の瞬間まで僕を抱き締めてた。そこからは、多分まともに頭が働いてなかったんだろうね。『まずはどかさなきゃ』、それが最初に思ったことで実行したことなんだから。

 そのとき父さんはさ、襲撃者と揉み合ってたのにこっちに視線を向けたんだ。その隙を突かれて父さんは短機関銃の銃身で殴られた。倒れた父さんは襲撃者に銃口を突きつけられながらも必死に抵抗してた。

 それを見た僕は、近くに落ちてたもう片割れの短機関銃を掴み取って揉み合う二人に向けたんだ。あのときはもう頭が真っ白になって撃つことに何の躊躇いもなかったんだけど、後ろから手が伸びてきて僕の両手に重なったときにはびっくりしたな。いつの間にか人質の一人だった現地の男性職員が後ろにいたんだ。その手は真っ赤だった。胸からも大量に血が出ててね。「坊や、それじゃ抑えが足りない。俺が一緒に抑えててやる。その代わり、俺の指の代わりに引き金を引いてくれ」って言われた。僕は指を思い切り握り込んだんだ。

 今にも父さんを殺すところだった襲撃者の身体は衝撃で吹き飛んだ。父さんはそれから呆然とした顔でこっちに来たんだ。今思えば、あれは子どもに殺させてしまった罪悪感だったのかな。

 父さんは泣きながら僕を抱き締めたんだ。そして僕から離れた瞬間に体が浮き上がった。『え?』って思ったよ。そのとき父さんは前から撃たれたんだ。誰に、って? そのとき僕の後ろから撃てたのは一人しかいない。僕に手を重ねたあの男の人だった。

 驚愕やら絶望やらが織り交ざった表情を父さんは見せた。でもそれも続かなかったんだ。外からの二度目の斉射だよ。今度はさっきよりもたくさん銃弾が飛んできてね。当たったのは一人立った姿勢の父さんだけだった。その体に母さんと同じ、小さな穴が次々に開いてってね、父さんは後ろに倒れた。

 実はその後はよく覚えてないんだ。銃撃の音の向きが変わったのは覚えてる。量が増えたことも。後から聞いた話によれば、そのとき銃撃してたのは宗教過激派組織で、現地警察が来て追い払われたらしい。襲撃犯二人はその組織から武器を横領して逃げてたんだって。男性職員は彼らの仲間だったそうだよ。と言っても、警察が突入してきたときには出血多量で意識をなくしてたから、真実は誰も知らないんだけどね。

 これが、僕が巻き込まれた事件。その事実さ。

 

******

 

~side:シノン~

 私は声が出なかった。終始穏やかな声で話し終えたレントさんの顔は、声とは裏腹にとても切なく哀しそうだった。

 

「君は『もし自分がいなければ』って考えたことある? ……もし僕がいなければ、母さんが死ぬことはなかった。それに気を取られないから父さんはもっと簡単に相手を制圧してた。僕に近づいてこないから最後の弾丸も察知できた。もし僕がいなければ、二人は死ぬことはなかった」

 

 私は違う。母は私が()()()()()死んでしまったかもしれないが、自分のせいで死んでしまった人間はいない。今まで私は、自分こそが世界で一番不幸だとでも思っていなかっただろうか。それがどうだろう。彼の方が悲惨ではないか。両親を目の前で、自分のせいと思えるような状況で失ったのだ。時折彼が見せた陰は、SAOだけが原因ではなかった。

 過去を思い返し彼と自分とを考えていたとき、私は気がついてしまった。私が抱いていた感情に。

 

「――レントさん。私、最低な人間だ……。どうしよう、自分が、信じられない。私ね、貴方と一緒にいると気分が良かった。気が楽だった。心の底から笑えた、楽しめた。だけどね、それは私が優越感を感じてたから。私は貴方の闇に薄々気がついてたのよ。変に意識はしなかったけど、けど! 私は、じ、自分より下がいるって、そう思ってただけ! 私、私っ、これじゃあいつらと何も変わらない……」

 

 溢れ出る感情。私を虐めていた人、それを眺めているだけだった人達。彼らと私は何も変わらなかった。酷く、醜い、この汚い感情に気づきたくなかった。知らないままでいたかった。

 そんな私に、レントさんはまだ優しい声で語りかけてくれた。

 

「……人間、誰だってそんなものじゃないかな。シノンちゃんは少し潔癖すぎるんだよ。みんなそのくらいの暗い部分抱えながら生きているさ」

 

 そこで彼は一瞬迷うような表情を見せた。

 

「……シノンちゃんはどうしてそんなに『強い』のか、って聞いたよね」

「ええ。あなたは自分の方が弱いって返したわ」

「その答えは今も変わってない。けどどうして僕がそう思ったのか教えてあげるよ」

 

 彼の手が私の髪に優しく乗せられた。どこか心地良いそれを跳ね除ける気にはならなかった。

 

「僕はあの事件があってから、心が壊れかけた。幼い子どもには厳しい現実だった。だから、そのときから僕は目を背け続けてきたんだ、現実から」

「…………」

「SAOに囚われてからもそうだった。僕が最前線で戦えたのは死の恐怖に打ち勝ったからじゃない。現実から、真実から目を逸らしていただけなんだ。HPが零になれば実際に死ぬって事実はもちろん理解していたよ。けど、本当の意味で真実として受け止めてなかったんだ。真正面から見すらしなかった。僕に比べれば、たとえ死の恐怖に負けてしまったとしても、戦わないことを選んだプレイヤーの方が立派さ。だって、負けたってことは一度死の恐怖と向き合ったってことなんだから。その勇気すらなくて目を背け、耳を塞ぎ続けていた僕とは違ってね」

 

 彼は私に何を言いたいのだろうか。その言葉を、呼吸音すら聞き取ろうと耳を澄ませる。

 

「シノンちゃんも、ずっと恐怖と戦い続けている。それは凄いことだよ。だから、少しくらい休んだっていいんじゃないかな」

「え……」

「君はずっと戦ってたんだ。僕とは違ってね。それは誇って良いと思う。誰が認めなくても、僕だけはそのことを讃え続けるよ。よく頑張ったね」

 

 ツーと涙が流れた。『頑張ったね』。たったそれだけの言葉で私は救われた気がした。そんな気になってはいけないのに、涙だけは勝手に流れていった。

 

「僕みたいに目を背けちゃいけない。SAOで僕はそれを知った。どんなに辛い現実だろうが、真実だろうが、受け止めて歩き続けなきゃいけない。それが人間の定めなんだから。たとえ曲がっていても、後ろ向きでも、進まなくちゃいけない」

「受け止め、歩き続ける……」

「だけど、もう一つ知ってほしい。君は『罪』と向き合い過ぎたんだよ。確かに『罪』も真実だ。けど、もっと世界は広い。受け止めるべき真実にも様々な側面がある。目を向けてみてごらん。『罪』だけじゃないと思うよ、君が受け止めるべきはね」

 

 『罪』以外。そんなこと考えもしなかった。今この瞬間まで。あの記憶の全てを受け止める、そんなこと私にはできないかもしれない。だけどレントさんの話は私に光を見せてくれた。

 

「やっぱり、あなたは『強い』じゃない」

「ん? そうかな?」

「ん……。……ありがとう、あんな話を聞いた後に言うことじゃないかもしれないけど、少しだけ気が楽になったわ。それだけは言っておく」

「僕がしたのはただの『昔話』さ。そこから何かを得るか、ただのお話として聞き流すかは君次第。何はともあれ、まずはこのBoBを無事にクリアしないと僕らの歩みはここで止まっちゃうんだけどね」

 

 レントさんは普段とは違い、片頬を吊り上げて笑った。

 

******

 

~in:ALO~

 一度、キリト達の依頼主に電話をしにアスナがログアウトしてから三分ほどが経った。連絡をつけた直後に戻ってきたアスナは深刻な顔をしている。

 ガチャリと扉の開く音が聞こえ、部屋にいた全員の意識がそちらに集中した。

 

「クリスハイト! 遅い~!」

「これでもセーブポイントから超特急でやって来たんだよ。ALOに速度制限がなくて助かったくらいさ」

 

 入ってきたのは水色の長髪の水妖精(ウンディーネ)の青年だった。菊岡である。

 つかつかとアスナが歩み寄り、棘のある口調で詰問する。

 

「何が起きてるの」

「……何から何まで説明すると、ちょっと時間がかかるかもしれないなぁ」

 

 クリスハイトはスッと目を逸らす。

 

「それに、そもそもどこから始めていいのか――」

「誤魔化す気!?」

 

 アスナは既に噴火間際だった。そこに小さな妖精がテーブルから飛び上がった。

 

「なら、私が説明します」

 

 ユイはそこから淀みなく説明を始める。その説明は菊岡が依頼のときに二人に話したのとほとんど遜色ない情報だった。

 

「これは凄いな。この短時間に一般に公開されている情報だけでそこまで導き出したのか。……うちでアルバイトする気はないかな?」

 

 クリスハイトのその言葉にアスナが眉を上げる。クリスハイトは慌てて弁明をする。

 

「怒らないでくれ、この期に及んで誤魔化す気はないよ。――おちびさんの言ったこと、それは全て事実だ」

 

 それを聞いてクラインがカウンターから降りる。

 

「おい、クリスの旦那よぉ。あんたが二人の依頼主なんだってな。だったら、そのことを知ってて殺人現場にコンバートさせたのかよ!?」

 

 クリスハイトは右手を振りその動きを遮った。そしてキリトと辿り着いた、アミュスフィアでは殺人ができないという結論を伝える。

 今度はリーファが問いかけた。

 

「だったら、何でお兄ちゃんたちをGGOに行かせたんですか? あなたも感じてたんでしょ? いや、感じているんでしょう? あの死銃には何かある、って」

 

 クリスハイトはその口を閉じる。そこにアスナが新しい情報を投げ入れた。

 

「クリスハイト、死銃は、私達と同じSAOサバイバーよ。しかも最悪と言われたレッドギルド《ラフィンコフィン》のメンバーだわ」

「……本当かい、それは」

 

 流石のクリスハイトも驚きの声を上げる。

 

「ああ、名前までは思い出せねぇけどな……。俺もアスナもラフコフ討伐戦に参加したからな」

「クリスハイト、あなたなら調べられるんじゃない? ラフコフに所属していたプレイヤーをリストアップして、今自宅からGGOに接続しているか契約プロパイダに照会してもらって……」

「いや、それは不可能だよ。GGOの運営は海外にあるからそう簡単に照会はできないんだ」

 

 アスナは言葉に詰まってしまった。クリスハイトは考える。

 

(レッドプレイヤーリストはレント君から貰っているから、前者はできないこともないんだが……)

 

 ただ、菊岡の一存でそれを行うのは残念ながら不可能だ。周りから見えないようにクリスハイトは臍を噛んだ。彼とて何もできずに見ているだけなのは悔しいのだ。

 

(後はレント君の策に嵌まってくれることを祈ることしか……)

「クリスハイト、あなたは知っているんでしょう? キリト君達が今、どこからダイブしているのか」

「え、まあ……」

「教えて。すぐに!」

 

 アスナの剣幕に押され、しどろもどろになりながら答える。

 

「ち、千代田区御茶ノ水の病院なんだけど……。あ、安心してくれ! 警備はしっかりしてるし、バイタルチェックも行われている。ナースもつきっきりで見ていてくれるから」

「千代田区……。それって、キリト君が入院していた病院ですか?」

「ああ、まあ、そうだよ」

「私、行ってきます!」

 

 キッと上がったアスナの顔からは迷いはなくなっていた。




 今回の話は書いているときに小説七巻のあとがきを思い出しましたね。残念ながら私はノリと見切り発車で書くタイプなので、そう深く物語を創れないのが欠点です。
 はあ、外に立っているキリト君、どうしましょうか……。


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#37 薬室

 いや、本当に間が開いてすみませんでした。ただ、多分これからもこのくらいの頻度になっちゃうんじゃないかなと思っています。すみません。
 今回は大体一話ずっと洞窟の中の話です。どうぞ。


~side:キリト~

 レントに追い出されてからかなりの時間が経った。一体、どんな話をしているのだろうか。俺に聞かれたくない話、というよりはシノンにしか話したくない話だろうか。

 ようやく洞窟の中から声がかかり、中に戻る。シノンは流石にもう膝枕ではなくなっていた。それでもレントの横に座って凭れかかっている。俺はその前に座り込んだ。

 

「さて、それじゃあ改めて現状確認をしようか。キリト君、説明をしてくれるかい?」

「ああ、まず俺が最初に奴を見たのは昨日だ――」

 

 既にバレてしまっているのだ、覚悟しよう。俺は昨日の死銃との邂逅からレントと合流するまでのことを掻い摘んで説明した。

 

「なるほどね、だから昨日から少し様子がおかしかったんだ。僕に気を遣う必要はなかったのに。――僕の方は簡単さ。最初に北側に転送されたからそこから都市廃墟まで殲滅しながら進んだだけ、死銃と会ったのもあのときが初めてだよ」

 

 レントは少し、いやかなり考え込んでいるようだった。俺とシノンは不思議そうに顔を見合わせた。こいつがここまで深刻な顔で思案しているのは初めてかもしれない。

 レントは一つ頷くと嫌そうに口を開いた。

 

「キリト君、シノンちゃん。僕の仮説を一つ聞いてほしい」

「え、……うん」

「ずっと考えていた死銃の手口の話だ。驚かないで聞いてほしいんだけど、僕は死銃は()()()いると思っている」

「複数人……?」

 

 レントは口を開くと、死銃の犯行手口について話し出した。しかし複数人とはどういうことだろうか。

―――GGOとは別にいるってことか?

―――GGOじゃなければ、現実世界ってことだよな……。

 

「うん、それとGGOにいる死銃は実行犯じゃないと思っている」

「つまり、ここじゃないどこか、……リアルに実行犯がいるってこと?」

「そう。あの黒い拳銃、《黒星(ヘイシン)》での銃撃はフェイク。本当はあの銃弾には何の力もなくて、ただ現実世界で殺されただけっていうこと」

「そんな……!? でも、どうやってあんなにタイミングよく……」

 

 シノンの言葉に俺は死銃と遭遇した二度を思い出し、気づく。

 

「いや、シノン。君を撃つときも、ペイルライダーを撃ったときも、奴は十字を切っていただろう?」

「ええ、でもそれが?」

「例えば、あれが現実世界の共犯者への合図だったとしたら? 二回とも奴は中継カメラの前で犯行、いや銃撃を行っただろう? その中継を見ればタイミングを合わせることも可能だ」

 

 一応合図はできる。奴がカメラの前で犯行に及んだのはそれを行うためか。

 

「でも、どうやって現実世界で殺したっていうのよ?」

 

 俺は二人の被害者の情報を思い出す。

 

「……ゼクシードもうす塩たらこもアパートに一人暮らしだった。侵入さえすれば殺すのは難しいことじゃない」

「そう。それに、二人とも住んでいるアパートの部屋の鍵は旧式の電子錠。多少侵入に手間取っても住人はダイブ中だから問題はない。そうして無抵抗で横たわっている被害者に何らかの薬品を注射して殺害する」

「……。住所は、どこに住んでいるかはどうやって突き止めたの……?」

 

 シノンはその恐ろしい仮説を否定するための理由を探す。しかしレントが、あのレントがその程度の疑問を解決させていないはずがない。

 

「それも解決する。それがなければ、僕もこの仮説には問題があると認めたさ。――死銃はあのマントを持っていただろ? あれの能力は街でも発動させられるんだ」

「…………」

「それを使って総督府のBoBエントリー端末を覗き込む。景品のために住所を入力するからね。僕自身登録した」

「私も、したわ。それに前回大会のときたらことは話したことがあったんだけど、景品はモデルガンを選んだ、って……」

「ゼクシードはガチガチの効率主義。多分、アバターの外見を派手にするようなゲームアイテムよりはモデルガンを選ぶ」

「つまり被害者は全員住所を登録していた、ってわけか」

 

 流石はレントだ。俺と同じ情報を聞いただけのはずなのに、既にここまでの結論を導き出していた。

 シノンが体を震わせて問う。

 

「そこまで、そこまでして人を殺したいの……?」

「……彼らはSAOから戻ってきても《レッドプレイヤー》だったんだよ。そして、《レッドプレイヤー》であり続けようとした。だからこんなことを起こしたんだろうね」

 

 確かに俺にも未だに自分は《剣士》だという意識がある。恐らくはレントにも。

 そこで俺はあることに気づいた。

 

「シノン」

「……何?」

「もしかして、――君は一人暮らしか?」

「え、ええ」

「鍵は、旧式の電子錠か?」

「シリンダー錠も一応ついてるけど、鍵自体は旧式の電子錠よ」

「ドアチェーンは、したか……?」

「してない、かも……しれない」

 

 俺の質問に一つずつ答えていくシノン。家の中の状況を思い出すように彷徨っていた瞳が、揺れ始める。

 

「落ち着いて聞いてほしい。――シノン、君の家には既に死銃が侵入しているかもしれない」

 

 都市廃墟からの逃走劇のとき、死銃は拳銃でシノンのことを撃った。それはつまり、殺害する準備が整っているということだ。

 シノンの顔から音が聞こえるほどの勢いで血の気が引いていった。VRの大雑把な感情表現といえども、これはマズい。

 

「いや、嫌よ。い、いや、いやぁぁ!!」

 

 俺は慌てた。これ以上ないほどに慌てた。そもそも普段から接している女性のこのような姿、見たことない。女性に対する対応に不得手な俺があたふたしている内に、シノンの瞳孔は激しく痙攣を始めた。

 その視線をレントが手で覆う。

 

「落ち着いて、シノンちゃん。大丈夫、大丈夫だから。黒星で撃たれない限り、君に危害は加えられない。それが奴らが決めたルールだから。だけど自動切断して犯人の顔を見たら危ない。落ち着くんだ」

「でも、でも……ッッ!!」

「ほら、呼吸を意識して。狙撃のときと同じさ。落ち着くんだ。息を深く吐く。そして止める。ゆっくり息を吸う。ほら、段々落ち着いてきた? それを繰り返すんだ。ほら、ゆっくり、ゆっくり。大丈夫だから」

 

 脇のレントが素早くシノンの気を収め始めた。頭を撫でて、語りかける。シノンはレントの服の裾を強く掴んでいたが、段々とその呼吸は落ち着いていった。

―――レントも隅に置けないなぁ。

 人に散々女たらしだの言っておいて、自分だってそうじゃないか。あのツンツンしていたシノンがここまで信頼を寄せているとは。

 俺は出そうとした掌を引っ込めて肩を竦めた。レントが不思議そうな目線を向けてくるが気にしないことにした。

 数十秒ほどその時間が過ぎてから、シノンは起き上がった――レントの腹に抱きつくような姿勢だった――。

 

「……ごめんなさいね。二度も見苦しいところ見せちゃって。――それで、これからどうするべきなのかしら?」

「――……どうする? レント」

「思いっきり投げたね……」

 

 俺はいつもレントに投げてしまっているような気がするが、気のせいだろう。レントが俺なんか必要ないぐらいしっかりしているのがいけないんだ。

 

「――取りあえずは打って出るしかない、かな。死銃を倒せば現実世界の共犯者もいなくなるはずだから」

「そう、か。だったら俺とレントで二人がかりだな。俺らは自宅からダイブしているわけじゃないし、監視もついてる。死銃も手を出せないはずだ」

「うん、だからその間シノンちゃんには待機してもらうことになるけど……」

 

 レントはシノンについて言葉を濁した。普通に考えてシノンは置いていくべきだ。俺とレントとは違い、いつ殺されるか分からないのだから。

 

「ええ。……でも私は戦うわ。そもそもこの砂漠の洞窟だっていつまでも安全なわけじゃない。私達がここに潜伏していることくらい既にバレてるわ。それにあなた達とはここまで戦ったんだもの。最後までやるわよ」

「でもシノン。君はもし撃たれたら死んでしまうんだぞ」

「何、所詮あんなの旧式のシングルアクションだわ」

 

 シノンの意志は固そうだった。それにレントも一度眉を動かした後に頷いた。

 

「それに、そもそも貴方が前衛なら弾丸は全部弾き落としてくれるし、レントが前衛のときはそもそも撃たれた経験すらないし、守ってくれるのよね?」

「もちろん、それが前衛と後衛(僕と君)の関係だろ? ――ただ、やっぱり君が前に出てくることには反対だな」

「ッ」

「まあ、落ち着いて。シノンちゃんが一緒に戦ってくれることは本当に嬉しいよ。だけどシノンちゃんは狙撃が本分でしょ?」

 

 レントが言いたいことが分かった気がする。シノンが口を挟む前に後を継ぐ。

 

「だから次のスキャンで俺とレントだけが外に出る。死銃は恐らくそこを狙ってくるはずだから、最初の射撃で場所を割り出して撃ってくれ」

「……命をベットして観測手(スポッター)をやろうってこと?」

「…………」

 

 レントは無言で肯定を示す。

 

「はぁ……、分かったわ。ただ最初の一発で一撃死とかはやめてよね。あいつに私一人で勝つのは厳しいんだから」

「で、でもあいつのライフル、音もしないし最初は予測線も見えないし……」

「シノンちゃんは僕を誰だと思ってるんだい? 君の狙撃を避け続けた僕だよ、あんな奴の弾に当たるわけがない」

 

 その言葉に、人知れず俺は目を剥いた。相変わらずレントはおかしい。狙撃は予測線が見えないのだから避けるのはほぼ不可能に近いのに。しかも避け()()()って……。深く溜息を吐いた。

 顔を下げた俺の目に入ってきたのは赤い丸だった。

―――?

 

「なあ、それはそれとしてこの赤い丸って何だ?」

「――はあ、しまった……。油断したわ」

「……キリト君、それは中継カメラだよ」

「えっ、ってことはさっきの会話も!?」

「大丈夫、叫びでもしない限り音声は拾わないから。本来は戦闘中しか映さないはずなんだけど、人数が減ったからこんなところまで来たのね……」

 

 はあ、と改めてシノンが息を吐いた。

 

「そういえば、シノンはこんな場面見られて大丈夫だったのか?」

「え……? ――ッッ!!」

 

 今のシノンはレントに抱きついていた姿勢から上体を起こしただけ、要するにかなりの至近距離だ。

 

「も、もう、いいわよ。カメラに気づいてジタバタする方がみっともないわ。それとも、レントにはこんなところを見られて困る相手がいるのかしら?」

「いないよ? ……ただ、こんな美少女()()と洞窟にいるとか、色んな人に呪われそうだけどね」

 

 二人って、俺も美少女判定かよ。……まあこのアバターだから否定しづらいが。

 

「さて、じゃあもう時間だから僕らはスキャンに行ってくるよ」

 

 レントが起き上がった。俺も立ち上がる。

 

「気をつけてね」

 

 俺達は片手を挙げた。

 

******

 

~side:レント~

 九時四十五分のサテライトスキャンを受ける。

 僕は与えられた情報を一気に見る。明るい光点は五個。暗くなっている光点は二十一個。映っていない死銃とシノン、殺害された《ペイルライダー》を含めても一つ足りない。名前を確認する。いないのは《ギャレット》だ。死銃の被害者候補としてマークしていた人物である。

―――殺された可能性が高いか……。

 

「あっ」

 

 隣でキリトが声を上げた。都市廃墟で隣接していた二つの光点が同時に光を失ったのだ。恐らくは壁越しにでもいて、互いの居場所に今気づいたのだろう。キリトは目を伏せていたが、よくあることだ。

 これで僕ら三人と死銃を除いて生き残っているのは《闇風》ただ一人。

―――……。

 情報を写さなくなった端末を手に、僕らは取りあえず中へと戻った。

 

「状況は? どうだった?」

 

 落ち着いているように見えるシノンが問いかけてきた。キリトが見てきたものを答える。

 

「生存者は多分、俺と君、レント、死銃、それから《闇風》だ」

「闇、風……。また厄介なのが残ったわね。いや、それも当然か」

「強いのか? 闇風ってのは」

「もちろん。前回大会の準優勝者だよ。AGI特化型ビルドでとんでもなく速い。予選で僕は何とか勝てたけど、多分対策されてるから今回はそう簡単じゃないだろうね」

 

 シノンは少し考えているようで、その口から飛び出たのはある提案だった。

 

「ねえ、《死銃》の現実世界の共犯者は私の家にいるんでしょ? だとしたら闇風が死ぬ可能性はないんだから、この際囮になってもらえば? 貴方達が自分を危険に晒さなくてもいいじゃない」

 

 キリトが足りなかった光点のことを言う様子を見せないので、僕からシノンに否定したい事実を突きつける。

 

「シノンちゃん、そのことなんだけどさ。実はさっきのスキャンで《ギャレット》を確認できなかったんだ」

「え、どういうこと?」

「僕は最初に言ったよね、()()()だと思うって。……現実世界に共犯が二人以上いる可能性は高い」

「なっ。こんな犯罪に三人以上関わっているっていうの!?」

「うん、社会復帰を果たしてるラフコフは十人はいたはずだしね。それに、君が都市廃墟で死銃に狙われたのはペイルライダーが撃たれてからそう時間が経っていない内だったらしいね。現実世界で二人の家がその程度の距離にある、っていうのはいくら何でも都合が良過ぎないかな」

「そこまで、そこまでしてPKer(プレイヤーキラー)であり続けなきゃいけないの!?」

「…………」

 

 シノンが息を吸ったところで僕は口を開いた。今は時間が惜しい。作戦を手早く伝える。

 

「さて、それで作戦なんだけど、闇風はキリト君が抑えてくれるかな」

「えっ、俺がか……?」

「うん。闇風は僕を警戒しているからね。それに、接近戦スタイルの闇風ならキリト君はかなり戦えると思うしね」

「ああ、分かった」

「闇風をキリト君に抑えてもらっている間に、僕が囮になって死銃の場所を明かす。シノンちゃんにはそこを狙撃してほしい。死銃はサイレント・アサシンがメインウェポンだ。取りあえずはそれを潰してもらいたい。僕は、死銃と直接戦う。たかがハンドガンの遠距離射撃は彼には効かないだろうから、接近戦になると思う。援護もよろしく」

「了解」

 

 さて、と僕は伸びをする。釣られたのかシノンとキリトも体を伸ばしていた。

 三人で洞窟から既に闇に落ちた砂漠へと出る。

 三方向にバラバラになる直前に、僕はふと思いついた。

 

「あ、それと二人に一つずつ上げたい物があるんだ」

「え?」

「何を?」

「キリト君にはこれ、シノンちゃんにはこっち」

 

 僕はキリトには結局自分で使わなかった光剣を渡した。これで二刀流が見られることだろう。そしてシノンには僕のマントを貸した。

 

「本当に良いのか? 死銃とやるなら武器は多い方が良いだろ」

「大丈夫、それよりも闇風を舐めないこと。強いよ、彼は」

「レント……、いいえ、何でもないわ。確かにこの場面なら私が持っている方が役に立つわね」

「うん、だからよろしくね」

 

 二人は言葉の代わりに手を挙げることでそれに答えた。

 僕は頬を上げ笑う。

―――さあ、ザザ、最後の勝負だ。勝たせてもらうよ。




 次がラストバトルです!
 光剣は使えましたね。残りは、
・二丁拳銃
・小型ナイフ
・鉄板入り軍靴

 ……本当に死銃に勝てるんでしょうか。書いてて心配になりました。まあ、最後は殴殺がありますから何とかなりますよね!


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#38 弾道

 遅くなりました。まさかの二週に一度。
 今回はラストバトル、少し長めです。どうぞ。


 三方向へと散った後、僕は見晴らしの良い砂丘に立っていた。これも事前の打ち合わせ通りである。シノンにはここの南にある岩山から狙撃してもらう手筈になっている。

 僕の北側にはバギーを停めて掩体にしている。南側にはシノンが潜む岩山がある。西からは闇風が接近中。ザザが狙撃してくるとすれば、東だ。僕は東へと意識を集中させる。

―――久し振りだな……。

 ここまで集中して狙撃に備えるのは本当に久し振りだ。シノン以上の狙撃手など――同等のレベルを含めても――ほとんどいない。そのシノンが味方についていたのだ、狙撃など気にしなくなっていた。

 今の内に武装を確認する。光剣とマントは二人に貸しており、SG550は銃身に傷がついてしまって使用不可、既にアイテムボックスの中だ。ナイフは片方をザザに投げたので手元にあるのは一本のみ。ナイフを再利用される可能性も頭に入れておこう。後は二丁拳銃と、強いて言えば鉄板を仕込んである軍靴だろうか。

―――!

 感じた、強い殺意を。シノンと初めて遭遇したときも途轍もない殺意と――それこそラフコフ幹部に迫るほどだと――思ったが、それを簡単に超えてきた。僕の感覚が鋭敏すぎるせいか、濃厚な殺気が辺りに充満していて逆に本物が掴みにくい。

―――いっそ一人で戦うだけなら楽なんだけどなぁ。

 シノンへの観測手(スポッター)という役目がある以上、一度は撃たれなくてはならない。

―――本気でいきますか。

 僕は目を閉じて銃撃に備えた。

 

 

 意識を純化させる。

 足元に広がる世界に集中する。

 今度は少し広い範囲を意識する。

 そうして周辺のデータに融けていく。

 VRと一体化する。

 人体の動き? いや、VRワールドはそれ以上の奥の奥まで作り込まれている。

 この世界の深くにはそれこそ現実と見間違えるほどのものが眠っている。それを意識する。

 

 

 僕は目を開いた。途端に訪れるのは『全能感』。僕の異常とも言えるVR適性をフルに活用して世界と一体化する。この世界で起こる全てを掌握したような気分になる。本当に集中しないと使えない技術――少しでも身動きをすれば調律が崩れてしまう――だが、その有効性は言語に絶する。

 

 ザッ

 

 僕は勢いよく砂を蹴り上げて斜め前方へと身を投げ出した。スーッと頬を弾丸が掠める。僕はその勢いのまま後ろを振り返らずに駆け出す。低い姿勢で狙いをつけづらくするが、流石はザザ。赤い弾道予測線(バレット・ライン)は少し彷徨った後にピタリと僕の額を捉えた。しかしその銃弾が飛んでくることはない。

―――ナイス、シノン!

 フッと僕を狙う赤い線が轟音と共に消滅した。シノンが狙撃を成功させたのだろう。

―――残りの武器は何だ……?

 メインウェポンがあのサイレント・アサシンだ。殺害のパフォーマンス用の《黒星(ヘイシン)》を実戦で使うことはないだろう。そうなればサブウェポンはエストックだろうか。ザザはSAOでも有数の刺剣(エストック)使いだった。そしてGGOでは、重さの関係で他の金属剣が作成できなくてもエストックは作成できる。

 果たして、砂に足を埋めてブレーキをかけた僕の前のザザの手には針のような剣があった。

 

「……流石に刺剣は確保していますか。あなたの刺剣は非常に厄介なんですがね」

「《白の剣士》、絶対、殺す」

「まあまあ、《赤眼のザザ》。掃討戦では相対しませんでしたからね。初勝負です」

「くくく、勝負に、なるかな」

「安心してください。僕は現在自宅ではないところからダイブしていますから」

「…………」

「あなた()では僕を殺せませんよ?」

「……流石、だな。お前は、忘れてない、そして、鋭い。だが、俺が、殺す!」

 

 ザザはその手の鋭い切っ先をこちらに向けて構えた。

 

******

 

~side:シノン~

 狙撃自体は上手くいった。レントさんのあの超回避は全く危なげがなかったし、あれで死銃の位置は分かった。初撃の恩恵をフルに受け気づかれずに撃ったのだが、マズルフラッシュに気づかれてしまったのか、それとも奴も超回避技術の持ち主なのか、弾丸は死銃には当たらずサイレント・アサシンに直撃し、粉々へと砕いた。

―――ちっ!

 本音を言うと、ここで私が死銃を狙撃で撃ち殺せればそれで終わりになりとても楽だったのだが。ここからはレントさんを信じることしかできずに私は臍を噛む。

 暗視スコープの向こうでは、レントさんと死銃が向き合ったところだった。

―――奴はもう武器を持っていないはず……。

 死銃の手にあるのは細い棒、か? 暗い上に距離もあるため正確に判別することは難しいが、あれならレントさんの楽勝だろうと思った。

 しかし、その予想は外れることになる。死銃の手にあった細い棒――稀に煌めくことから恐らく金属なのだろう――の攻撃でレントさんの身体から赤い光が零れる。ダメージエフェクトだ。その表情は芳しくない。思うように攻撃ができないからか、HPが着々と減り続けるからか。

 ふと私の脳裏に、あの黒い拳銃でレントさんが撃たれる場面が過る。私はきつく掌を握った。

 

「何か、何かっ――」

 

 状況を打開する手を探す私は彼の声を思い出した。

 

『シノンちゃんは初弾を外すとすぐに諦めるでしょ?』

 

 かつて交わした会話の記憶だ。

 

『予測線で攻撃するんだよ。動きが制限されるだけで前衛は助かるからさ』

 

 私はスコープを覗き込んだ。レンズの向こうでは何度も見たレントさんの超近距離戦が繰り広げられていた。彼と拮抗、更に優位に立つ存在など見たことはなかったが。

 しばらく見ている内に段々と分かってきた。次にどこに動くのか、そこまでの高精度での予測はできないがある程度の予想がつく。

―――ここ!

 その予測される移動先を一つに絞る位置に弾道を寄せる。撃鉄に指をかければ、私の視界には着弾予測円が表示された。これで向こうにも弾道予測線が現れたはずだ。それを証明するかのように、死銃は弾道にかかった瞬間にフッと予測された一ヶ所の移動先へと動く。しかしそれが読めないレントさんではない。回り込んで二、三発その胴体に弾丸を撃ち込む。

―――もう一度!

 私は再び銃口を向ける。同じ光景が繰り返されると思っていた。しかし死銃は早くも対応してきた。

 弾道予測線は見えているはずなのだが全く反応を見せない。こちらがレントさんを気遣って撃てないとでも思っているのか。そう思ったとき、私の指は力強くトリガーを引き締めていた。

 その弾丸は当たるはずだった。死銃の行動を予測して撃ったのだから。そして死銃も油断していたはずなのだから。しかし、弾丸は外れた。ペイルライダーのときと同じ。スウェーバックだけで簡単に避けられてしまった。妨害にすらならず、レントさんが苦しいのも続いている。

―――距離が遠すぎる……?

 

『突撃してみるのもありだと思うな』

 

 あの日の会話をまた思い出す。私は覚悟を決めた。

 レントさんが貸してくれたマントを羽織り、姿を隠す。そして岩山から移動を始めた。彼の戦場へと。

 

******

 

~side:キリト~

―――あっちでも始まったみたいだな……。

 俺は岩の陰に隠れながらそう思った。

―――強いな、流石に……。

 今、俺は闇風に追い詰められていた。

 遭遇したとき、闇風はいきなり撃ってはこなかった。銃士Xのときは名乗りも聞かずに申し訳なかったと思っていた手前、闇風が撃ってこないから俺も攻撃を仕かけなかった。あのときやっていれば、後悔先に立たずとは正にこのことだ。

 闇風とは一言二言言葉を交わしてから戦闘が始まった。

 そして驚いた。彼はデータを引き継いでいるレントより速いのだ。データをリセットしている俺では速度で及ぶわけがなかった。それにしても速過ぎるとは思ったが。しかし何より脅威だったのは手に持った銃だ。たしか短機関銃と言ったか。

―――PSがとんでもなく高いっ!

 高速で動き回っているにもかかわらず、弾丸は俺を狙い続ける。銃撃のために足を止めることすらない。機関銃のくせに、今まで戦った連中と比べて集弾性能が高過ぎる。

 初っ端から反射的にレントに借りた二本目の光剣を抜き放っていた。二本の光剣で弾丸を端から弾き飛ばすが、被弾は抑えられない。守るだけになって攻撃のチャンスが訪れない。そんな中着々と減っていくHP。

―――ここを突破されると!

 ここより先ではレントと死銃が死闘を繰り広げている――繰り広げる――はずだ。その邪魔をしたくはないし、闇風が犠牲者になる可能性もある。俺は時間稼ぎに出ることにした。

 腰からたまたま落ちた――ように見せて落とした――スモークグレネード。闇風は通常のグレネードかと思って距離を一瞬で開かせる。しかしそれは銃士Xから拝借したただの煙幕弾だ。辺りが煙幕で包まれた瞬間、俺は脱兎の如く岩に隠れた。

 煙幕が晴れて岩の陰から闇風の様子を窺うが、闇風はどこから俺が出てきても良いように構えているようにしか見えない。

 そのとき、銃声が聞こえた。この距離でも聞こえるのだから、シノンの狙撃音だろう。

 

「なるほど……。キリト、だったかな。君は援軍待ちというわけか。さっきのスキャンでは何個も反応が足りなかった。その中の一つがあの《氷の狙撃手(シノン)》か。レントも全てを終えればこちらに来る、と。俺は少し劣勢だな。――お前を倒しても、シノンとレントが待ち伏せ。ここで時間をかけると三対一。厳しいか」

 

 自分で言っていた通り、レントは警戒されているようだ。

 

「ふ、そこか」

 

 ダッと闇風がこちらに向かって駆け出す!

―――バレたかっ!?

 俺も逃げるのは性に合わない。岩の陰から二本の光剣を構えて飛び出した!

 

「うおおおぉぉぉぉ!!!!」

 

******

 

~side:レント~

 はっきり言って、戦況は最悪だった。

 ザザは腐ってもラフコフの幹部だ。彼らは攻略組に並ぶ実力を持っていた。近距離戦では刺剣という近接専用の武器を使っているあちらの方が有利だ。そもそも銃は近接戦に使うような代物ではないのだ。

 距離を取って撃とうにも拳銃程度では避けられてしまう。しかし刺剣の間合いを越えるのも並大抵のことではない。前方から点を越えて面で襲いかかってくる刺突。迂闊には近づけない。何とか間合いを詰めて踏み込んだとしても、ザザも近接戦の達人、すかさず距離を取られてこちらに有利な間合いに踏み込めない。

 銃撃を牽制に用いて蹴り技で対応しているが、それも限界に近かった。

 そのとき、赤い弾道予測線がザザの移動先に現れた。このタイミングで射撃ができるのはシノンのみだ。あの狙撃銃を警戒してザザは急旋回して避ける。一瞬、ザザの体勢が崩れる。その隙に両手の二丁拳銃に火を噴かせる。

 だがたったの一瞬、ほんの一呼吸。狙いをつける暇もなく、二発の弾丸は急所に当たらず腹に当たる。至近距離からの着弾にザザのHPが眼に見えて減る。しかし、それだけ。決めきれなかった。

―――くそ!

 今のはシノンの経験を注ぎ込んだ幻の弾丸(ファントム・バレット)。それで決められなかったのは僕の力不足だ。この手にあるのが拳銃ではなく実体剣、もしくは光剣だったなら……。後悔はしても仕方がない。次のチャンスを窺うだけだ。

―――来た!

 再びのシノンの予測線による攻撃。しかしザザは動じない。牽制だけだとでも思っているのだろうか。

―――撃て、シノン!

 放たれた弾丸は一直線にザザを目指す。ザザはそれを軽くスウェーバックで避けた。隙も動揺も見えない。刺剣の先が全くぶれない。僕は一度距離を取った。

 

「ク、ク、ク。《白の剣士》、随分と、鈍った、みたいだな」

「ザザ、あなたは流石ですね。卑怯なPKにしてはかなりの腕です」

 

 明らかな挑発。しかしザザは乗ってくる。それもそうだろう。ここまでしてPKでいたかった人間なのだから。

 

「卑怯、だと?」

「そうです。ゼクシードにうす塩たらこ、ペイルライダーにギャレットまで。現実世界で殺したんですから」

「…………」

「あなたの力でも、ましてやその黒星の力でもありません。ダイブしている人間の部屋に忍び込み、無抵抗な人間に薬物を投与した、ただそれだけの卑劣な犯罪ですよ」

「ク、ク。流石は、《白の剣士》。既に、気づいていたか」

「総務省にはあなたの個人情報があります。BoBが終わればもう逮捕は免れえませんよ」

「なら、お前と、あの女が、最後の獲物だ」

「ゲーム内で銃撃ができなければ殺しはしない。それがあなた達のルール。なら、ここで止めます」

「……果たして、そうなるかな。あいつは、あの女に、執着してるからな」

 

 その言葉の意味を聞き出そうとしたとき、ザザは仕かけてきた。

―――あの動きは……。

 スラスト系八連撃ソードスキル《スター・スプラッシュ》! 《閃光》に及ぶかもしれない超高速の突きだ! 僕も体を一気に後ろへ動かし避けるも、間に合わない。左手のP229に敢えて刺突を受けることでその反動で更に後方に飛んで退避する。

―――これで一丁おじゃんか。

 ザザから視線を外さずに軽く動作チェック。トリガーが引けなかった。腰のホルダーに仕舞う。使えない武器などあっても邪魔なだけである。

 ザザに距離を詰めようとする動きが視えた。僕はスライディングで滑り込む。流石のザザもこれには驚いたようで、動きが止まる。左手でザザの脚を掴んで、右手で発砲。首を傾げて避けられてしまった。

 しかしそれは想定済み。左手を軸に体を上に持ち上げ、右脚で真上に蹴り上げる。踵は見事にザザの顎を穿ち、鉄板と髑髏のマスクがぶつかるカァンという音が響く。そのまま一回転しザザに相対するが、あちらも刺剣の突きで発砲する隙を与えない。

―――?

 何かを感じ、僕は左に飛ぶ。

 

 

ダァンッ!

 

 

 何もない空間から弾丸が飛び出し、ザザに向かって飛ぶ。それはザザに直撃するものと思われたが、その手にいつの間にか持っていたナイフ――僕が投げた物だ――に当たるに終わる。ナイフは威力に耐え切れず半ばから折れ、弾丸と共に彼方へと吹き飛んだ。

―――シノンか!

 ザザも明らかに動揺する。シノンにマントを貸しておいて本当に正解だった。まさかこんな風にヘカートを使うとは。さっきの予測線による攻撃も、いつかの僕のアドバイスを覚えていてくれたのだろうか。

―――これで決まるか?

 僕の考えとは裏腹に、そこからは決め手に欠ける戦いが続いた。

 僕はP229が一丁しかなく戦闘能力がかなり落ちている。ザザは刺剣を失っていないが、シノンの巧妙な射撃に行動を制限され続けている。僕ら三人の現在の戦闘は膠着していた。

 僕とザザの残りHPはほぼ同じで、掠った攻撃で二人とも少しづつ減っている。このままいけば先に倒れた方の負けだ。惜しむらくはシノンに近接戦の心得がなかったことだ。行動を読むことは何とか少しできているが、僕達には遠く及ばない。そのシノンでは決定打を撃つことはできず、牽制で終わっている。

―――どうにかシノンだけはっ。

 いざとなれば僕ごと撃ってもらおう。シノンの命と自分の優勝、比べるまでもない。だが、今はまだ最後の切り札が残っている。それを切らせてもらうまでは勝ちを諦めたくない。

―――それにしても、楽しいな。

 こんな状況でそう思ってしまうなんて、自分はどうやら戦闘狂(バトルジャンキー)という奴なのかもしれない。背後からいつ撃たれるか分からない状況、意思疎通もできないのに姿の見えないシノンの射撃に合わせ続ける。互いが互いを信頼しているからこそできる《信頼の弾丸》。実に心地が良かった。

―――そろそろ、かな。

―――最後の、最後の一回だけ囮にすることを許して。

 ザザが、黒星を抜いた。シノンの足が止まる。既に僕ら二人にはシノンの位置がある程度捕捉できていた。ここは砂漠、足跡が残るのだ。足音も立つし気配だってする。僕が何とか気を引き続けていたが、もう限界だった。

 ザザが十字架を切らずに射撃体勢を取る。僕が突撃しようが、軽く避けてシノンを撃てばいいのだ。ザザほどの強者なら軽く熟す。

 だからこそ、それが分かるからこそシノンは決死の弾丸を放つ。僕の背後から。僕の左側を弾丸は通るだろう。しかし、焦っているからこそ弾道は単純になる。それは僕にも当然ザザにも分かっていること。ザザも黒星を構えたまま避けるように右側に体を倒した。それを見て僕は微笑む。

 

「僕らの勝ちです、ザザ」

 

 僕は体の左側を弾丸が通る瞬間、左手を伸ばす。手にあるのは、もう一本のナイフ。その片面に弾丸を滑らせる。本来は直線でしか飛ばない弾道に手を加え、ザザの方に強引に曲げる。

 

「――っ!!」

 

 その弾丸はザザの右半身を吹き飛ばす。僕は崩壊しかけの左手のナイフをその顔に向かって投げ、右手のハンドガンでとどめを放った。ナイフは首に刺さり、P229の銃弾はようやく一撃死のポイントに当たった。

 ザザの怪しく光っていた目から、赤い光は失われていた。




 VSザザ戦、勝利。
 主人公が主人公してましたね。ラスボス倒しましたし。……いや、今までも実は倒してましたか。
SAO編→世間的には《黒の剣士》の手柄。実際は主人公が倒す。
ALO編→オベイロンは《黒の剣士》が。須郷さんを現実世界で倒したのは主人公。
GGO編→主人公が死銃を倒す。
 主人公が頑張ってたんやない! キリトさんが働かなかっただけや!

 次回GGO編ラスト、と思われます。お楽しみに。


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#39 排夾

 今回でファントムバレット編完結です! どうぞ。


「終わった、のね」

「うん、取りあえずはね」

 

 半身しか残っていないザザのアバターに【DEAD】のタグが表示されるのを確認してから、僕達はようやく一息吐いた。

 

「さて、キリト君の方を見に行かなくちゃね」

「あっ、忘れてた」

「酷いよ……、走るからついて来てね」

 

 先程までの戦場を背に駆ける。

 それほど遠くもない場所でキリトと闇風を見つけた。共に死体で。

 

「相討ち、かしらね」

「そうみたいだね」

 

 死体の状況を見る限り、岩陰に隠れていたキリトに闇風が接近し互いに武器を振るった、というところだろう。闇風は上半身に十字の大きな傷を負った上で上下に体が分離していた。《ダブルサーキュラー》でも放ったのだろうか。対するキリト。そのアバターはもういっそ見事なほどに蜂の巣だった。至近距離で短機関銃の連射を受けたのだ、相討ちでも十分な戦果と言えるだろう。

 

「これで生き残りは私達だけね」

「うん。――ログアウトしても気をつけてね。奴らの目的はGGO内で死銃に撃たれると死亡するって伝説を作ることだったからもう頓挫したけど、一応一一〇番をしておいた方が良いと思うよ」

「そうね。でもVRゲームの敵から命を狙われている、って説明が面倒よね。信じてくれるとも限らないし」

「そう、だね。僕が行ってもいいんだけど住所をここで聞くのはマズいし……」

「いいわよ、そのくらい。けど貴方、今病院でログインしているんじゃなかったっけ?」

「その病院って駅のところのあの大きな病院だから」

「えっ!? 確かに、それなら来てもらった方が早いわね……。えっと、私が住んでるのはあのスーパーからコンビニの方に……」

 

 ここはご近所同士。住所よりも分かり易い形で教えてくれる。

 

「でもわざわざ来てくれなくても大丈夫よ? 新川君だっているし。それにあの人ああ見えて医者の息子だから何かあれば頼れるしね」

「医者の、息子……?」

 

 僕の中で何かが引っかかった。

 それに気づき、僕は呆然とする。

 

「ん? どうかした?」

 

 一瞬伝えようか逡巡するも、当事者なのだ。名誉棄損程度、後でいくらでも謝ろう。

 

「いやその、関係なかったら後で土下座でもして謝るからさ。聞いてくれるかな」

「何よ、いきなり。今度は何を話してくれるの?」

「その新川君なんだけど。……《死銃》の可能性がある」

「――は? え、どういう、こと?」

「伝えてなかったけど、Sterbenってのはドイツ語で《死》を意味する。そして日本でもよく使われる単語だ。それは、医療用語。患者が死亡した際に使われる言葉なんだ」

「…………」

「それから、僕がトリックでまだ解明できていないのは物の調達のところなんだ。即効性があるとなると難しいかもしれないけど、人を死に至らしめる薬品は何とかなるとしても――睡眠薬とかでも過ぎれば毒だからね。問題なのは注射器の方なんだよ。針の跡があればいくらVR中の変死だとしてもバレないはずがない。高圧の無針注射器は病院なんかだとよく使われてるけど、そう簡単に一般人の手に入るものじゃないしね。後は、いくら旧式といえども電子錠の解除の方法かな。これも実は病院には旧式の電子錠のマスターキーが存在してるって話を聞いたことがある」

「医者の息子……。その立場だと全部が解決できるわけね。でも、それは貴方の妄想でしょ」

「そう。ただ、ザザが共犯はシノンちゃんに特別に執着しているって言ったんだ。言い方は悪いけど、君にそこまでの執着を見せる人間はそう多くはいないと思う。少しでも可能性がある人間は部屋に上げない方が良い」

「……そうね。取りあえずは気をつけておくわ」

 

 シノンはまだ困惑している様子だった。それも仕方ない。突然、友達が自分を殺そうとしているかもしれないと言われたのだから。だが伝えずに最悪の最後を迎えるなんてことは許せなかった。

 

「それじゃあみんなも待っているだろうから、そろそろBoBも終わりにしないとね」

「あ、そうだレントさん。マント返すわね」

 

 シノンが肩にかけていた白いマントを僕に渡す。

―――何をしたんだ?

 アバターの動きに無駄があった、彼女らしくもなく。マントの下で手を動かした素振りだ。僕はマントを受け取ってすぐにマントを捲った。

 

 

ガバッ

 

 

―――!?

 シノンがいきなり抱きついてきた。

 

「なっ!?」

 

 動きを封じられた僕、視線の先にあるのはグレネード。

―――お土産、グレネード……。

 

「初デスがこうなっちゃうか」

「ふふ、良いじゃない。面白いわよ?」

 

 僕らは第三回BoBを同時優勝した。

 

******

 

~side:詩乃~

 ログアウトまでの待機スペース。そこに表示されているのは今回の成績。一番上に私とレントさんの名前がある。準優勝者はおらず、三位はSterben(死銃)、同率四位にキリトと闇風の名前があった。

 ログアウトまでの時間をカウントしていた数字が遂に一桁になる。私の意識は現実世界へと帰還した。

 

―――目を開けば枕元に死銃が立っているかもしれない。

―――起き上がってくる私を今か今かと待ち構えているかもしれない。

 私は恐怖と抗いながら瞼を開ける。そこには誰もいなかった。

 部屋を見渡す。いつもと――三時間前に最後に見た部屋と――何も変わらなかった。

 クローゼット、ベッドの下、箪笥の陰を確認する。誰か人が隠れているわけがなかった。

 安全圏を部屋の外に広げる。廊下は大丈夫、洗面所も大丈夫だった。

 風呂場のドアを恐る恐る開く。誰もいなかった。

 

「っはぁぁぁ」

 

 大きく息を吐いた。あそこまで警戒していたのが馬鹿みたいだ。私は水道から水を汲み飲み干した。

 二杯目を注ごうとしたとき、玄関のチャイムが鳴った。

 

「朝田さん、いる? 僕だよ」

 

 その声はどこからどう聞いても新川恭二(警戒対象)のものだった。

―――どうするっ!?

 幸い電気は一度も点けていない。居留守を使えばいけるか。水道の音も外までは聞こえないはず。

―――もし本当に死銃で、ドアの鍵を開けてきたら?

 隠れるしかないだろう。私はドアの脇の靴箱を開けた。

 

「あれ? 出かけてるのかな?」

 

 再度インターホンから声が聞こえた。私は大して量もない靴を全て玄関に揃えて――不審に思われないためだ――広げる。靴が一足もない靴箱。中で棚になっている板は取り外し可能、全て外して分かりづらい場所に置く。

 

「どうかした?」

 

 三度目、今度はチャイムつきだ。私は空洞になった靴箱に入り、内側から閉める。この靴箱、部屋を借りた当初は無駄に大きいと不満を口にしたが、今ばかりは助かった。私がギリギリ入るサイズ。窮屈だが我慢するしかない。

 

 

 

ピッ、ガチャッ

 

 

 

―――ひっ……。

 これで半ば確定したようなものだ。新川君は部屋の鍵を開けて侵入する。靴箱の扉の隙間から見ると、入ってくるのはどこからどう見ても新川君だった。その背中はいつもよりも更に猫背で、一瞬見えた顔はとても暗かった気がする。

 

「朝田さん。寝ちゃったのかな」

 

 そう呟きながらベッドに近づく彼からは狂気を感じた。

 

「あれ、いないや。どこにいるんだろう。早く一つになりたいのにな」

 

 毛布を捲る彼の顔は狂気に染まっていた。眼は虚ろでどこか恍惚としている。

 

「それにしても朝田さん本当に強かったなぁ。BoBで優勝しちゃうなんて。それに誰も持ってない本物の強さを持っているんだものなぁ。日本には朝田さんしかいないだろうね、本物の拳銃で人を殺した女子高生なんて。あぁ、好きだよ、朝田さん。早く僕と次の世界に進もう――」

 

 ベッドに腰かけて坦々と語り続ける新川恭二。私を待ち伏せしているのだろうか。

―――嘘、そんな。

 冷静に考える私と、驚愕と絶望に染まる私。彼の言動に恐怖を高めるほどに思考はクリーンになっていく。

―――なんて、乖離してるのかしら……。

 私は今まで、新川君のことを現実世界で唯一心を許せる友達だと思っていた。私を見ていてくれる、殺人者としてではなく朝田詩乃として見てくれる唯一の人間だと。その点では彼のことを信頼していたのだ。しかしそれは違った。新川君は私じゃなくて(殺人者)を見て近づいてきて、友達になったのだ。

 そのことは私を深く絶望させた。靴箱の中で私は体の力を抜く。そもそも、ベッドの上に居座られている限り私が脱出することはほぼ不可能なのだ。それに新川君とていつかは私に気づくだろう。そしたら殺されてしまう。

 扉の隙間から見た新川君は、手にクリーム色のプラスチック製の何かを持っていた。グリップがついており、それを愛おしそうに撫でる顔は卑しく歪んでいた。

―――あれは、注射器……。

 私がかつて通っていた病院で目にしたことのあるそれと同じものだった。中には何か(毒薬)が入っているのだろう。

 新川君の顔がふと怒りに染まる。

 

「チッ、それにしても何なんだよ、あいつ。朝田さんにあんなことしやがって……! ああ、兄さんが勝ってれば僕が殺してやれたのに……!」

 

 それが誰のことを指しているのか、分かった。それは今こちらに向かっている人。あの病院からだとそれほど時間はかからない――もうすぐ着くであろう人。

 

 

 

―――レントさん!

 

 

 

―――いいの!? 詩乃? レントさんがここに入ってきたらどうなるかくらい分かるでしょ!?

 頭の中で冷静な思考(シノン)が叫ぶ。

―――でも、今更どうにも……。

―――それとこれとは別! ……私達はずっと自分のために戦ってきた。最後くらいは人のためでも良いんじゃない?

 目の前に微笑むレントさんの顔が見えた。その顔が苦痛に歪む姿を想像する。

―――駄目、それは。絶対、駄目。

 私はシノンと共に考える。どうすればこの窮地を逃れられるか。

 レントさんは間違いなくこちらに向かっているだろう。この部屋に入ってきたならば新川君はレントさんを殺そうとする。それは避けなければならない。

―――彼が部屋に入ってこなければいい……?

 私が部屋の外に出て彼と合流すれば良いのではないか。外なら新川君といえども下手なことはできないはずだ。

 ならばどうやって外に出る? ベッドに腰掛ける新川君から玄関は――私が潜む靴箱も――丸見えだ。

―――こちらから意識を逸らさせれば……。

 その隙にここから飛び出て玄関から外に逃げる。

 私がどうやって意識を逸らさせるか必死に考えているとき、唐突にチャンスは訪れる。窓の外でサイレンの音が鳴ったのだ。新川君は自分が追われる立場であることは理解しているようで、その音に体を震わせる。そして立ち上がってこちらに背を向けて窓のブラインドを開けた。

―――今しかない!

 私はバッと靴箱を飛び出る。その音に気づいて彼がこちらに振り向く。私がドアに飛びつくと同時に、彼はこちらにスタートを切った。ドアに鍵はかかっておらず抵抗もなく開く。私はそこから体を逃がす!

 

 

ガシッ

 

 

―――間に合わなかった…………。

 足首を掴まれた。体のバランスが崩れる。前のめりに倒れて強かに体を打つ。そのまますかさず新川君に馬乗りになられ、私のささやかな脱出計画は失敗する。身じろぎもできず私は最期の瞬間を覚悟する。

 

 

 

 

 

ドカッ!!

 

 

 

 

 

 しかし新川君の声が聞こえることも、注射器が体に触れることもなかった。代わりに見えたのは、飛び蹴りで新川君を部屋に吹き飛ばす待ち望んだ人(翔さん)だった。

 そのまま翔さんは鼻を抑えて蹲る新川君に飛びかかる。しかし新川君のその様子はブラフだ。彼が蹴られたのは鼻ではなく肩だった。

 やはり蹲っていたのは見せかけで、翔さんを迎え撃つように立ち上がる。右手を出す新川君。その手にあるのは例の注射器。

―――レントさんっ!

 しかし、誰よりも先を読む白い優勝者は更に上手だった。右手を軽く避けると、その手首を左手で固定。右手で肘を曲げ、そのままコンパクトに回す。新川君の身体は横に一回転し、仰向けに床に落ちた。その口から空気が漏れる。更に翔さんは掴んだままの新川君の右手から、鮮やかに注射器を取り上げた。ここまで十秒も経っていない。

―――流石……。

 

「……僕の悪い予感が当たっていたみたいだけど。詩乃ちゃん、無事?」

 

 新川君をひっくり返し、その上に乗って動きを止めてから翔さんは初めて口を開いた。

 

「え、ええ。幸い擦り剥いてもないわ」

「それは良かった」

 

 結局、警察が来て新川君を引き渡すまで会話はそれだけしか交わさなかった。しかし、私の心はとても温かかった。

 

******

 

 その後、日曜の夜は警察で事情聴取したり、病院に泊まったりでかなりバタバタした。月曜日も何とか乗り越え、あれから二日後の火曜日。私が事件の顛末を知りたいと言ったため、今日の放課後、銀座でレントさん達の《依頼人》と会うことになった。

 遠藤達と一悶着あり――翔さんが新川君から注射器を取るところを見ておいて良かった――、それから校門に行くと人だかりが出来ていた。嫌な予感がする。私は近くにいた比較的話せる女子生徒に声をかける。

 

「何かあったの?」

「あ、朝田さん。それがね、校門の前にうちの制服じゃないイケメンがバイクを停めてるんだけどさ。ヘルメット二つ持ってるのよ。多分誰かを待っているんだろうけど、その誰かが誰なのかみんな気になってるのよ」

 

 それからその子は隙があれば奪いたいしねとウィンクしていたが、それに構えないくらい私の動揺は激しかった。

―――いや、指定した時間だけど……。

 銀座まで行くのが面倒ということで送迎を頼んではいたのだが。バイクでとは言ったが。恐らく、翔さんだろう。

―――恥ずかしいっ。

 顔が赤く染まっていたかもしれないが、私は人混みを掻き分けながら校門へ向かう。そこにいたのはやはり翔さんだった。

 

「あ、詩乃ちゃん、こんにちは」

「こんにちは、翔さん。それにしても、校門前に停めるのは非常識じゃない?」

「詩乃ちゃんを見逃したら大変でしょ? ――それとも恥ずかしかった?」

 

 ヘルメットを渡しながら笑みを浮かべて言う姿にムカついて、ヘルメットで殴る。同じくヘルメットで防がれた。

 鞄を肩にかけ、受け取ったヘルメットを被る。明日、学校で問い詰められるだろうことを考えて頭を抱えながら、私達は出発した。

 

「それにしてもバイク運転できたのね」

「一応ね。普段遣いじゃないからこれも借り物なんだけどさ。バギーを運転できたから良かったよ」

 

******

 

~side:翔~

 銀座の例の喫茶店に入った。既に菊岡と和人は来ていて、相変わらず窓際の席に座っていた。そこで菊岡から事件の後のこと、新川兄弟のその後のことなどを聞いた。

 大体は僕の推測通りだった。驚いたのは、あのメタマテリアル光歪曲迷彩が本当に僕がRMTに出品した物だったことくらいだろうか。

 死銃は合計三人だったそうだ。最後の一人は、SAO時代にザザとコンビを組んでいた《ジョニー・ブラック》こと金本敦だ。その金本は未だに捕まっておらず、使われていない薬品のカートリッジを所持しているらしい。これからも詩乃や僕は警戒をしていた方が良いと忠告を受けた。

 他にもいくつか話したが、互いに用事が詰まっているということで僕らはその喫茶店を後にした。

 

「詩乃ちゃん、この後空いてる?」

「えっ、別に用事はないけど……」

 

 その返事を聞き、同じくバイクで来ていた和人と共に御徒町に向かう。

 ダイシーカフェの扉には【CLOSED】のプレートがかかっていたが、それを無視して中に入る。ジャズ調の音楽がかかった店内には三人の人物がいた。まずは店主のアンドリュー。それから僕らの頼みを聞いてくれた明日奈と里香だ。

 軽く自己紹介を終えた後に、本題に入る。本題の一つは『友達作り』だ。VRMMOの女性人口は、少なくはないが多いとは言えない。あの中継を見た二人から紹介してほしいと言われたのだ。和やかに話す三人。雰囲気――第一印象は悪くないようだ。ここで、明日奈が一歩踏み込む。

 

「朝田さん。友達にならない?」

「え、友達……?」

 

 案の定フリーズする詩乃。ここで更に攻める明日奈。

 

「今日、ここに来てもらったのには理由があるの」

「……?」

 

 ここからは二つ目の本題だ。あの洞窟で話したこと、それを現実にする第一歩というところか。お節介にならなければ良いのだが。僕は一口飲み物を口に含んでから口を開く。

 

「詩乃ちゃん。この二人には、君が以前住んでいた町に行ってもらったんだ」

 

 一気に絶望に染まる詩乃の顔。そして困惑と動揺。彼女の頭の中では今、なぜという文字が飛び交っているところだろう。この言葉の意味が分かるから。詩乃の故郷に行ったということは、その過去を知った――知っている――ということに他ならない。その上で明日奈が友達になろうと言ったことも、全て分かるはずだ。

 椅子から立ち上がり去ろうとする詩乃の手首を掴んで引き留める。

 

「あのとき話したでしょ? 君は『罪』以外と向き合うべきだって」

 

 そのとき、カウンターの方から親子が歩いてきた。指示を出してからのはずだったが、流石は里香、タイミングをよく分かっている。

 詩乃とその親子――三十歳くらいの女性と小学校に入る前くらいの少女――を残し、僕らは入れ替わりに【PRIVATE】という札がかかった部屋に入った。

 あの親子は例の事件のときの郵便局員とその娘だ。言わば詩乃が救った人間である。明日奈達に探してもらったのはこの親子だった。

 かなり長い時間を過ごし、その親子は去っていった。

 それから少し待って僕らが入っていくと、詩乃はとても晴れやかな笑顔で――目は真っ赤だったが――右手を差し出してこう言った。

 

「明日奈さん、里香さん。本当にありがとうございました。――その、こんな私ですけど、友達になってください!」




 最後の方は原作通りなのでかなり飛ばしてしまいました。
 次回は番外編的なものを予定しています。その後はキャリバー編をやってからマザーズ・ロザリオ編です。……キャリバーどうしよう。ヌルゲーになるくらいしか変更点が思いつかない……。
 それではまた次回!


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#39.5 割愛/女子

 少し間が開いてしまいました。その上今回は.5で短いです、申し訳ない。
 前半はGGO編で割愛になった部分です。入れるかどうか迷った末に放置した部分ですね。後半は打って変わってBoB後の女子会の話です。どうぞ。


~#1:明日奈~

 

「はぁ」

 

 私はそっと安堵の息を吐いた。ここは和人君と翔君がダイブしている病室。菊岡さんにここの場所を聞いた後、できる限り急いでこの病室に来たのだ。和人君が心配で、心配で。彼は今回の死銃の件で責任を感じているかもしれないし、優しい彼のことだ、死銃に自分から突っ込むのが容易に想像できた。

 しかし予想とは違い、死銃に突撃したのはレント君だった。心配していたキリト君は《闇風》というプレイヤーの足止めに向かった。

 闇風にキリト君は押されていた。それでも岩陰から飛び出てからの攻撃で何とか相討ちに持ち込んだ。そこからは私はレント君を必死に応援した。

 レント君は無事に勝ったが、その後戻ってきた翔君は私達に目もくれずに外へと駆け出してしまった。何かあったのだろうか。

 

******

 

~#2:菊岡~

 僕は電話越しに部下からの報告を聞く。作戦の失敗の報告を。

 作戦とは、死銃の実行犯確保作戦のことだ。レント君から死銃の殺人方法についての推測を聞いた段階で、僕らは実行犯確保の計画を立てた。死銃の実行犯は被害者の家に現れるはずなので、そこで捜査員が待ち伏せするという実に簡単な計画だ。しかし、誰が死銃に狙われるかはある程度の推測はできても、確定はできない。そのため候補者全員の住所を調べ上げるのは時間的な問題でも、法律的な意味でも不可能だった。だからこそ、家主の許可が取れたレント君の自宅を待ち伏せ場所にしたのだが。

 取り調べで新川昌一が言うには、《ペイルライダー》、《ギャレット》の二人は金本が。《シノン》、《レント》の二人は恭二が殺害を行う予定だったそうだ。それぞれに予備含めて三本ずつの毒薬が渡されていたらしい。

 後に恭二からも話を聞いた。彼が言うには、《シノン》と《レント》が生き残ってしまったため《レント》の殺害は金本に連絡して頼んだそうだ。その彼はレント君の自宅には現れなかった。捜査員を見破ったのか、実際に撃たれるまでは侵入を行う気がなかったのか。

 それにしても、今回はレント君に随分助けてもらった結果になった。今回の事件をBoBで解決できなければ、VRへの忌避感が世間で更に広がってしまうところだった。そうなってしまえば日本は諸外国に技術面で遅れることとなってしまう。彼の身を守るためでもあったのだが、金銭でしかお礼ができないのが悲しいところだ。

 彼からのBoBの直後の電話も驚きだった。あの彼が息を切らしていたのも驚いたが――恐らく走りながら電話していたのだろう――、それ以上にその内容に目を剥いた。今から住所を伝えるから逮捕権を持つ人間を急いで寄越してくれ、電話口でそう捲し立てられてとても困惑したのを覚えている。

 結果から言えば、実行犯の一人であり、危険人物になっていた恭二を確保できたのはこの連絡があったからで、もう頭が下がる思いである。

 レント君はVRでの実地調査もでき、仮想世界の中で問題解決のために十分すぎる活躍ができる。少ない情報から真実を推測することに長けていて、対策を考えるのも上手い。

―――仮想課にスカウトしたいなぁ。

 そんなことを考えながら時間は流れていった。

 

******

 

~in:ALO~

 ALOのアスナの家、そこには五人の女子が集まっていた。

 その五人とは、ALOにニューデータを作ったシノン――ちなみにケットシーだ――、家主のアスナ、それからリズベットとシリカとリーファだ。シノンの歓迎会――ただの女子会――をしているところである。

 初対面のシノンとシリカとリーファが軽い自己紹介をしてから、ガールズトークに花が咲き始める。敵を銃で撃ち殺す話だったり、剣で斬り払う話がガールズトークに入ればだが。

 最初はALOの話だったり、GGOの話だったり、現実世界の話だったりと二転三転したが、結局は分かり易い共通の話題に収束していった。要するに、黒白コンビとBoBの話である。一応シノンの歓迎会だから、シノンが主役で喋るのは間違っていないのかもしれないが。

 BoB初日のキリトとの遭遇から、シノンは話し出した。ゆっくりと未だに自覚が薄いBoBの出来事を自分でなぞりながら。

 

******

 

~side:シノン~

 

「大体こんな感じよ。二人がいなかったら私の命もなかったでしょうね。凄い感謝してるわ」

 

 私はそう話を締め括った。これで満足してくれるかという淡い期待を込めて四人の顔を覗くも、案の定だった。

 

「しーののん、今、言わなかった部分あるよね?」

「シノン? 隠し事は良くないわよ?」

「シノンさん! 私達、ばっちり中継で見ちゃってますから!」

「そうですよシノンさん! し、師匠とどんな関係なんですか!?」

 

 彼女達は口々に疑問をぶつけてくる。ここからはいかに躱しきるかの戦闘だ。

 

「師匠ってレントさんのこと?」

「え、えと、色々と教えてくれたので、師匠って呼んでます」

「私もそれと同じようなものよ。レントさんには色々教わったわ」

「へぇ? 具体的に何を教わったのかしら?」

 

 取りあえずはリーファを撃ち落とす。リズベットが揚げ足を取るが、それには事実を答えれば良い。

 

「本当に色々よ。GGOのシステムに関してだとか、対人戦のコツだとか。……あの洞窟では精神的外傷(トラウマ)の乗り越え方を教えてもらったわ」

 

 全て厳然たる事実だ。最後に少し顔を曇らせることで、リズベットに追撃を躊躇させる。

 

「へえ、そうだったんですか。でもレントさんにトラウマとかなさそうですけどね」

 

 ここでシリカから思いがけず援護射撃をもらう。ここで上手く話題を変えられれば私の勝ちだ。

 

「それがそうでもないわよ。彼も結構傷ついてる人だから」

「「…………」」

「そう、だね。レント君はSAOのときのこととかもあるし……」

「へぇ、例えばどんなのがあったのよ、明日奈」

 

―――よし!

 話題を変えることに成功した。一瞬リズベットとリーファが変な顔をしたが、矛先が明日奈に向かったので私は休息を取る。

 

「それは私からはちょっと……」

「そこを、なんとか!」

「そんなに聞きたいなら本人に聞けばいいじゃない。それにこれは、彼に許可を取らないといくらリズでも話せません!」

「ちぇっ」

「でも私も気になります、()()レントさんが抱えてる過去とか」

 

 私にも火の粉が飛んできそうだったが、無事にそのポイントを抜けて女子会は続いていった。

 

******

 

 私とシリカは他の三人よりも先に席を立った。だからここからは私も後から聞かされた話なのだが、本人がいなくなった後に恋バナは活発化したらしい。

 

******

 

「ところで、二人はどう思う? シノンとレント」

「しののんはまず確定だろうね」

「あのトラウマの話のときなんて凄い顔でしたよ」

「何か、本気で想ってる、って顔だった」

「そういえばリーファちゃんもレント君だったよね?」

「いやぁ、あれを見ちゃうと……。それに私はまだお兄ちゃん諦めてませんから」

「へぇ、でもレントの方はまだ一人よ? 勝てるかもしれないじゃない」

「私にとって師匠は二人目のお兄ちゃんみたいな存在なんです! 恋愛対象じゃないですよ」

「「いやいやいや、お前が言うな」」

「それにしても、しののんは応援してあげたいよね」

「レントの奴はシノンのことどう思ってるのかしら」

「膝貸してましたし、完全に脈がないわけじゃないと思いますよ」

「ここで明日奈! あんたはキリトをどうやって落としたのよ。シノンの参考までに」

「えー、その話は……」

「何よあんた。体で誘惑したの?」

「…………」

「えっ、明日奈さん。まさかそうなんですか?」

「あっ、あれはその、向こうから……だし……」

「うーん、じゃああんまり参考にはならなそうね。ここはやっぱり王道展開かしら」

「そうですよ! ちゃんと少しずつ好感度を上げてって、タイミングを見て告白するのが一番ですよ」

「今度しののんとも作戦会議しなくちゃね」

 

******

 

 大体はこんな感じだったそうだ。私はこの日から頻繁にアドバイス――大抵は不明確過ぎて役に立たない――を受けることになるのだが、それはまた別の話。




 女子と書いて好きと読む。まあそういうことです。なんか詰め合わせで統一感のない一話になりましたね。
【朗報】
 しののん、恋に落ちた模様。


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キャリバー編
#40 請願


 今回からキャリバー編に入ります。それでは、どうぞ。


「私は《湖の女王》ウルズ」

 

 僕の目の前には巨大な女性が浮かんでいた。三メートル以上あるその姿は当然現実のものではない。ここはVR世界、ALOだ。更に詳しく言えば、その地下に広がっているヨツンヘイムである。

 BoB終了後、僕はALOに復帰していた。今日はたまたま邪神狩りに来ていただけである。ちなみに僕は飛行禁止のヨツンヘイム唯一の飛行手段であるトンキーの背中に乗っている。

 

「我らが眷属と絆を結びし妖精よ」

 

 ローブのような服を着て長い金髪を足元まで伸ばした美しい――僕の倍以上のサイズだが――女性は、どうやら僕に話しかけているようだった。

 最初の名乗りから彼女がウルズという名前なのは分かっている。北欧神話でウルズと言えばノルンの三姉妹の長女だろう。彼女はウルズの泉に住むとも言われるから《湖の女王》なのだろうか。

 さて眷属とはなんだろうか。いや、絆を結んだという表現をされるようなmobはトンキーしかいないから、恐らくはそういうことなのだろう。よく見ればウルズの髪も足元の方で触手のようになっている。

 

「そなたに私と二人の妹から一つの請願があります。どうかこの国を《霜の巨人族》の攻撃から救ってほしい」

 

 霜の巨人とは例の邪神のことだろうか。トンキー達――象クラゲ型邪神――が彼女の眷属ということは、それと戦っていたあの人型邪神が《霜の巨人族》なのだろう。

 

「この《ヨツンヘイム》はかつてはそなたたちの《アルブヘイム》と同じように世界樹イグドラシルの恩寵を受け、美しい水と緑に覆われていました。我々《丘の巨人族》とその眷属たる獣達が穏やかに暮らしていたのです」

 

 そう言いつつウルズは手を振る。すると眼下の景色に幻影が重なった。凍った大地は鮮やかな緑に覆われ、氷結した湖には象クラゲが泳いでいる。例のヨツンヘイムの大穴は巨大な湖になっていた――恐らくウルズの泉だ――。天蓋からは世界樹の根が降りており、確かに恩寵を受けていたことを窺わせる。その緑と水の楽園は現在の《央都アルン》に勝るとも劣らない世界だった。

 

「――ヨツンヘイムの更に下層には氷の国《ニブルヘイム》が存在します。かの地を支配する霜の巨人族の王《スリュム》はあるとき狼に姿を変えてこの国に忍び込み、鍛冶の神ヴェルンドが鍛えた《全ての鉄と木を断つ剣》エクスキャリバーを世界の中心たる《ウルズの泉》に投げ入れました。剣は世界樹の最も大切な根を断ち切り、その瞬間、ヨツンヘイムからイグドラシルの恩寵は失われました」

 

 幻視の世界で湖から巨大な根が天へと昇っていく。

―――これがエクスキャリバー獲得イベントか……。

 ここまで来てようやく僕は今回の報酬に気がついた。天蓋の大氷塊にあるエクスキャリバーを獲得しようと奮闘したのは既に懐かしい記憶である。

 ウルズの話はまだ終わる気配を見せない。

 

「スリュム配下の《霜の巨人族》はニブルヘイムからヨツンヘイムへと大挙して攻め込み、多くの砦や城を築いては我々《丘の巨人族》を捕らえ幽閉しました。王はかつて《ウルズの泉》だった大氷塊に居城《スリュムヘイム》を築いてこの地を支配したのです。私と二人の妹は凍りついたとある泉の底に逃げ延びましたが、最早かつての力はありません。しかし霜の巨人達はそれに飽き足らず、この地に今も生き延びる我らが眷属の獣達をも皆殺しにしようとしています。そうなれば私の力は完全に消滅し、スリュムヘイムは上層のアルブヘイムにまで浮き上がってしまいます」

 

 いきなりの急展開である。しかしあの大氷塊――スリュムヘイムと言ったか――の真上にはアルンがある。あのスリュムヘイムが浮き上がってきたら央都は崩壊の一途を辿ることになる。

 ウルズは悲しそうに目を伏せると、首を振った。

 

「王スリュムの目的はそなたらのアルブヘイムもまた氷雪に閉ざし、世界樹イグドラシルの梢にまで攻め上ることなのです。そこに実るという《黄金の林檎》を手に入れるために」

 

 《黄金の林檎》と来たか。北欧神話で林檎と言えばスィアチだろう。鷲に化けてイズンを手に入れようとした巨人だ。そして彼の家の名前が正に《スリュムヘイム》だったはずだ。

 

「ウルズさん、それはもしやスィアチの策では?」

 

 僕から声がかかるとは思っていなかったのか、ウルズの顔が驚愕に染まる。

 

「――ええ、あの《スィアチ大公》が裏で手を引いています。しかしスリュムはそれとは別にアルブヘイムを支配しようとしているのでしょう」

 

 今度は驚くのは僕の番だった。まさかまともな返答が返ってくるとは思っていなかったのだ――ロールプレイの一環で話しかけたに過ぎない――。ウルズはクエストNPCではなくAIなのかもしれない。

 

「何にせよ、我が眷属達を中々滅ぼせないことに苛立ったスリュムと霜巨人の将軍達は、遂にそなた達妖精の力をも利用し始めました。エクスキャリバーを報酬に与えると誘いかけ、我が眷属を狩り尽くさせようとしているのです。しかしスリュムがかの剣を余人に与えることなどありえません。スリュムヘイムからエクスキャリバーが失われるとき、再びイグドラシルの恩寵はこの地に戻りあの城は溶け落ちてしまうのですから。恐らくは鍛冶の神ヴェルンドがかの剣を鍛えたときに鎚を一回打ち損じたために投げ捨てた、見た目はエクスキャリバーとそっくりな《偽剣カリバーン》を与えるつもりでしょう。十分に強力ですが真の力は持たない剣を」

 

 ここからが今回の話の本題だろう。そもそも僕はある情報を聞いてヨツンヘイムに来たのだ。かつてはただの狩りフィールドであったヨツンヘイムでクエストが発生したという情報だ。それも人型邪神から発注されるクエストで、報酬は《聖剣エクスキャリバー》。クエストの内容は《象クラゲ型邪神を殺し尽くせ》だったらしい。まず間違いなくこの話だ。

 

「しかし彼は我が眷属を滅ぼすのを焦るあまり、一つの過ちを犯しました。巧言によって集めた妖精の戦士達に協力させるために、配下の巨人のほとんどをスリュムヘイムから地上に降ろしたのです。今のあの城の護りはかつてないほど薄くなっています」

 

 僕はもう半年以上前にスリュムヘイムに乗り込んだときのことを思い出す。あのときは城内にびっしりと人型邪神がおり、突破どころか生存すら困難な糞ダンジョンだったのだ。早々に尻尾を巻いて逃げ出すしかなかったが、あの人型邪神達がいなくなっていると言うならば確かに突破も可能かもしれない。

 ウルズはその艶めかしい手を大氷塊へと向ける。そして今回のクエストの内容を告げた。

 

「妖精よ、頼みます。スリュムヘイムに侵入し、エクスキャリバーを《要の台座》より引き抜いてください」

 

*******

 

 ウルズから象クラゲ型邪神の残数を表しているというメダリオン――光点が全てなくなるとアウトだそうだ――を貰い、僕はスリュムヘイムへと辿り着く。彼女の言葉通り、うじゃうじゃといた邪神mobの姿は見えない。ダンジョンの入口にある、最後の準備のための安全地帯で僕はログアウトした。

―――流石にダンジョンを一人で攻略は時間が足りないよね……。

 現在の時刻は日曜日の午前八時三十分。仲間を急いで集めなくてはならないのだが、果たして何人起きていることか……。

 電話帳の端から連絡する。キリト、アスナ、リーファ、シリカ、リズベット、シノンのメンバーは当たり前として、仕事があるかもしれないクライン、エギル、クリスハイト――菊岡だ――にも遠慮なくメールを入れる。失敗は即央都アルン滅亡へと繋がるのだ、別に強制でもないし声をかけるぐらい許してくれるだろう。ちなみに他にもレコンや領主達の連絡先も持ってはいるのだが、領地にいる彼らでは間に合わないだろうから連絡はしなかった。

 まず返答があったのは菊岡だ。今日は外せない用事が入っているらしい。高級官僚には休日などないのだろう。次に返答があったのはエギル――仕込みをしていたらしい――。エクスキャリバーを残念がってはいたが、ハニーが出かけているそうで店を空けられないのだとか。それから連絡があったのはシノンとアスナ。短くYESとだけ返してきたシノンと、詳しく待ち合わせの場所を決めてきた――リズの工房だそうだ――アスナで性格の違いが出ている。

 しかしそこからは中々連絡がなかった。九時頃にキリトとリーファから同時に返答が返ってきたが、かなり慌てていたようで誤字に目も当てられなかった。リズベットとシリカはそれからかなりしてからの返答であり、結局クライン――キリトに叩き起こされたらしい――含めて全員が集合したのは十一時頃だったそうだ。

 そうだ、というのは僕がその場にいなかったからである。再び地上に上がるのも面倒であるし、来てもらった方が早いからだ。

 僕は彼らを待っている間――約二時間――、ヨツンヘイムの地上を駆け回っていた。朝になって情報が回ったのか例の虐殺(スローター)クエストを受ける者は爆発的に増えており、このままではすぐに象クラゲが絶滅してしまいそうだったのだ。

 そこで、トンキーに空からの援護を頼みつつ、僕は久し振りに《白い悪魔》として活動していた。本来ならダンジョン攻略前の消耗は避けるべきだが、そうも言ってはいられないだろう。魔法で姿を消して剣の一撃で相手を殺す。何が起こったのか相手には分からなかっただろう。そもそも意識は空を飛ぶ移動砲台であるトンキーに釘づけだったから、仲間が消えたことに気づかない者すらいたかもしれない。

 久し振りにオリジナルの大魔法をお披露目する。まずは土属性と水属性を組み合わせてレイドパーティの周りをぐるっと土壁で囲む。ここからの料理法は三種類ある。一つ目は大きな岩塊を作成してそれを中に落とす方法。二つ目は周りの土壁を動かして押し潰す方法。どちらにせよ圧殺である。三つ目は放置という最も酷いもの。飛行禁止のヨツンヘイムでは自殺して死に戻りするくらいしか復帰方法がないのだ。ただ人型邪神が助けに来るかもしれないので今回は皆殺しだが。

 空が飛べるようになった象クラゲ型邪神は人型邪神に圧勝できるようだ。トンキーは空から電撃を放って邪神を仕留めてしまう。恐らく元々は同じ程度の強さなのだろう、フィールドの関係で勝敗が決まるのだ。

―――これは酷い。

 ついやり過ぎてしまったようだ。PKをし過ぎたわけではない――レイドを何個も潰したがそれは昔からだ――。象クラゲを()()()()()。覚えているだろうか、トンキーが《羽化》したときのことを。どうやら羽化はプレイヤーが象クラゲを助けた際に起こるらしい。つまりどういうことかと言うと、現在ヨツンヘイムの一角では十体以上の象クラゲが空を舞っていた。

―――あ、そろそろ十一時だ。

 僕は現実を放棄した。

 

******

 

 遠くからでもトンキーの姿は目立つ。僕は例の安全地帯からヨツンヘイムの空を眺めていた。

 トンキーにはアルンから降りてきた七人の迎えに行ってもらっていたのだ。

 スリュムヘイムへと着地した七人と軽く挨拶を交わしてから、僕はトンキーへと向き直る。

 

「さて、トンキー。僕らがスリュムヘイムを攻略するまで君には生き残っていてほしいんだ」

 

キュオオオオオオオン

 

 僕の声にトンキーは勇ましく声を上げる。しかし気持ちだけではどうにもならないことだってある。大量に空を飛ぶ邪神がいるなら、それを落とす手段を見つけるのがプレイヤーだ。トンキーも落とされてしまう可能性が高いが、それでは困る。愛着がある、それもあるがそれ以上に移動手段の確保的な面でだ。

 ウルズの話ではエクスキャリバーを抜くとスリュムヘイムが崩壊するらしい。そしてプレイヤーも崩壊に容赦なく巻き込まれるだろう。そのときにトンキーなら助けに来てくれるだろうという確信があった。

 さて、どうやってトンキーを守るかだが、そこは僕の腕の見せ所だ。

 

「――――――――――――――――――――――――――――――――――」

 

 僕が呪文を唱え出したのを七人は不思議そうに見ていたが、段々とそのワード数の多さに目を見開いていく。流石に詠唱の邪魔になると思ったのか声を出しはしなかったが、詠唱が終わったタイミングで突っ込まれた。

 

「何単語よ! 今の!?」

「よく息続きますねぇ……」

「お前ダンジョンの前にMP減らすなよ……」

「そうですよ、師匠! 唯一の攻撃魔法の使い手なんですから!」

 

 僕はそれを無視して、更に詠唱を続ける。

 

「――――――――――――――――」

 

 最早手慣れたものである。二つの魔法を受けたトンキーの姿はゆらりと揺らいで見えなくなった。そこでようやく皆も僕の狙いに気づいたようで、感心したように声を上げる。

 僕がトンキーにかけたのは二つのオリジナルスペルだ。二つ目にかけたものは毎度お馴染み透明化――ただし認識阻害効果よりも有効時間を優先している――である。一つ目にかけたあの長い詠唱はバフだ。簡単なHP増量からオートヒーリング、各ステータスの向上に、感覚機能UPまでついたバフセットである。こちらも有効時間はかなり長く取っている。これでトンキーがそう簡単には落ちなくなって一安心といったところだ。

 僕に続いて今度はアスナがバフ魔法をメンバーにかけようとするが、僕はそれを手で制した。今回の『スリュムヘイム攻略作戦』の参加者は、僕、キリトとアスナ、リーファとシノンにシリカ、リズベットとクラインで八人だ。ALOでの一パーティは七人が上限のため二パーティ扱いとなる。そしてバフというのは基本的にパーティ、レイド単位で対象プレイヤーを選択するのである――更にその中から近くにいる者など厳選されたりもするが――。要するに今の状態だと二パーティに魔法をかけることとなり、MPを無駄使いしてしまう。

 

「――――――――――――」

 

 僕は再びオリジナルスペルを披露する。今度のスペルには、恐らくユニークと思われるスペルワードが織り込まれている。効果は()()()()()()()()()()()。こうして八人が一パーティというありえない図が実現した。

 

「俺は突っ込まない。俺は突っ込まない。俺は突っ込まない。俺は突っ込まない。俺は突っ込まない」

「…………」

「――運営はまずこいつをどうにかするべきじゃない?」

「あははは……」

 

 アスナは頭を抑えながら詠唱を始めたが、かなり役に立つ――立っている――のだから大目に見てもらいたい。

 ちなみに今の三つのスペルで僕のMPは完全に尽きた。

―――やり過ぎたかなぁ……。

 キリトが一つ咳払いをしてから皆に声をかけた。

 

「コホン、気を取り直して。――さ、エクスキャリバー取りに行くぞ!」

「「「オオー!」」」

「んで、明日のMトモの一面を飾っちまおうぜ!!」

「「「…………」」」

「みんな酷くね……?」

 

 クラインを皆でスルーして僕らは最初の門を開いた。氷でできた重そうな門が動いていく。そこに敵影はなく、僕らは走り出した。聖剣を目指して。




 あと二話で終わるか……?
 主人公のお陰で象クラゲが全滅する気がしませんね!(笑)

NEW‼ 北欧神話に造詣の深い主人公!

 そりゃあそういうゲームやってますもんね、当たり前です。


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#41 巨人

 スリュムヘイム攻略です! 原作よりも進行が速いだけで大した変化はありませんが、どうぞ。


 スリュムヘイムの内部で僕らは敵にほとんど遭遇しなかった。中ボスも半分ほどが不在。大した戦闘もせずに一階層のボスへと辿り着いた。

 前回スリュムヘイムに侵入したときはこいつに散々にやられたものだ。そこにいたのは単眼巨人(サイクロプス)。馬鹿高い攻撃力が売りのフロアボスだ。

 既に作戦は決めてある。前回の侵攻時に二発でリーファがやられてしまったことから推定の攻撃値を出してみた。それを伝える。今回集まった八人は皆軽装プレイヤーだ――そもそもいつものメンバーで壁をできるのがエギルしかいないのだが――。恐らくまともに当たれば数発と耐えられない。そこで考えた作戦はこうだ。

 一、僕がボスに張りついてひたすらヘイトを稼ぐ。

 二、皆で殴り殺す。

 単純なようだが、その分ストレートだ。僕がどこまで攻撃を捌ききれるかに懸かっている。シノンが援護してくれ、何かあればキリトと交代する予定だが、僕の負担が計り知れない。今回の招集も僕が行ったことなのでその分は働くつもりだから良いが。

 何はともあれ戦闘開始。ここからは気を抜けない。

 まずサイクロプスは右手のハンマーを両手で叩きつけてくる。これは恐らくダメージ狙いというよりは威嚇。その証拠に床にぶつかったハンマーからの衝撃波がモンスターの咆哮(ハウリング)――こちらをスタンさせるものだ――の役割を果たしている。前回もやられたことなので全員が対策をしていたのでこれは問題ない。

 あれほどの重攻撃をしたとは思えない軽やかさでサイクロプスは先頭の僕に横からハンマーを振るう。ハンマーを視界にすら収めず予測し、スライディングで避ける。その間に七人はそれぞれが得意な距離で位置取りを終えた。風圧などでどうしても起こってしまう削りダメはアスナが回復してくれることになっているが、そもそもこの敵ではヒットすら許されない。一撃一撃のスタン値が高く、ラッシュをかけられればそれで終わりだ。

 スライディングで懐に入った僕は胸を軽く剣で薙ぐ。ギョロっと単眼が僕を睨む。サイクロプスは両腕を素早く内側に巻き込んでこちらを押し潰そうとするが、所詮は人型、()()()範囲である。そんな相手に後れを取るはずもなく、スルっと腕の中を離脱する。ALOでもSAOでも攻撃を避けられ続けるとヘイトが集まるようで、周りで攻撃する七人に一つ目が向くことはない。単眼な上に近視眼のようだ。

 少し距離を取れば奴は真っすぐこちらへ突進してきた。しかしそれは無防備に攻撃組へ背中を向ける行動であり、余りお奨めはできない。なぜならこのサイクロプスのようになるから。

 この間のアップデートで追加されたばかりのソードスキルだが、モーションが大きくなるほどに当然威力は上がる。しかし大振りで時間のかかるモーションを成功させるのは難しく、とどめの一撃として扱われているのが現状だ。

 このサイクロプスは直線で動いていて行動予測がし易い。更に言えば、遠ざかる――本来はノックバックした――相手を追って放つ突進系のソードスキルは総じて威力が高い。つまりは蜂の巣である。

 後ろから大技を何発も入れられたサイクロプスは大袈裟に転んだ。そこに前からラッシュをかける。前のめりに倒れたため、丁度僕の前には大きな単眼が。

―――…………狙えってことかな?

 

******

 

 以前は手も足も出なかったボスを軽く捻り潰し、僕らは第二階層へと向かった。第二階層も敵と遭遇することはほぼなく、迷宮の突破が主な仕事となった。

 そんな道の途中で、気が緩んだのかリーファがふと話しかけてきた。

 

「そういえばさっきもでしたけど、師匠の回避技術ってどうなってるんですか?」

「そういえばそうね。GGOのときも結局は教えてくれなかったし……。どうやって避けてるの?」

 

 サラっと話に乗ってくるシノン。よく見ればリズベットとアスナ――彼女は知っているだろうに――も聞きたそうな顔をしており、気にしていないように見えるシリカも耳がピンとこちらを向いている。

 ハアと溜息を吐いてから僕は口を開いた。

 

「そう難しい話じゃないよ。ただVR適性に物を言わせて避けてるだけだから」

「へえ、VR適性、ねぇ。この間学校で全校が測られたけどそんなに重要なものなのかしら」

「でもこれからは就職にも関係してくるらしいですよ?」

 

 僕の単純な答えにシノンが疑いの目を向けてきたがスルーする。

 

「え、じゃあ師匠のVR適性ってどのくらいなんですか?」

 

―――あっ……。

 VR適性は今ではそこら中で測定を行っているようなものだ。いつかは聞かれてしまうと思っていたが、まさか自分から墓穴を掘るとは。()()()()のキリトとアスナが呆れたような顔をする。

 

「そういうリーファちゃんはどうだったの? 学校で測ったんでしょう?」

 

 動揺した様子を微塵も見せないようにしつつ、僕はリーファに質問を跳ね返す。

 

「それがA+だったんですよ! でもあんなに避けられるようなこともないし……」

 

―――マズっ。

 現在はVRが出来たばかりの頃とは適性の測り方が変わっていて、九段階の判定となっている。それの最高判定がA+なのだ。その上など存在しない……ことになっている。

 

「えっ、私A-だったんですけど……」

 

 こういうときのシリカは天使である。こちらが応えづらいときに話を逸らしてくれる。

 

「私はAだったわよ」

「俺も会社で受けさせられたがAだったなぁ」

 

 リズベットとクラインもそこそこのVR適性値を誇っていた。まあ随意飛行ができるならばA-以上の判定が妥当ではあるが。

 ここでシノンが訝し気な顔で話を引き戻してくる。

 

「私もA+だったけど、だんまりしてる三人は何判定だったのかしらね? 私とリーファよりは上なんでしょ?」

 

 こちらの思考を読むかのように痛いところを突いてくる。思考を読むように教えたのは僕だが。

 キリトが白状するように両手を上げる。

 

「はあ、そこまで言われたんじゃ仕方ないな」

「ちょっと、キリト君!」

「アスナちゃん、僕がしくったよ、ごめんね? ――そう、考えてる通り、僕ら三人のVR適性はS判定だよ」

「えぇっ」

「都市伝説じゃなかったんですね……」

「そんなのありかよ……」

「はぁ、あんた達って本当に規格外よね」

 

 VR適性はFからA+までの九段階が基本だが、十段階目の判定Sが都市伝説のように噂されている。VR発祥の地である日本国内でも未だ数人しか確認されておらず、国民全員を調べ上げたわけではないにしても、あの超大国であるアメリカですら確認できていないと聞く。要するに国家機密である――それほど明確な箝口令は敷かれていないが――。

 S判定にもなると《意志の力》でVRのシステムに干渉できると言われている。心当たりしかないのが辛いところだ。

 黙っていたことへの言い訳を重ねようとしたところで、先頭を歩いていたキリトの雰囲気が変わった。

 

「みんな、警戒。二層のフロアボスだ」

 

******

 

 二層のフロアボスは二頭の巨大な斧を持った牛頭巨人(ミノタウロス)だった。物理耐性が異常に高い金色のミノタウロスと、魔法耐性が異常に高い黒いミノタウロスがコンビを組んでいた。

 攻撃力も高いのだが、何よりうざったいのはそのコンビネーションだ。物理耐性が低い黒ミノのHPが下がったり、集中攻撃を浴びたりすると金ミノが庇いに来るのだ。そして金ミノに物理攻撃はほとんど通らない。メイジが居ない脳筋パの弱点を突かれた形だ。

 僕の魔力は未だ回復しない。アスナは支援に特化したメイジなため攻撃魔法はほとんど使えない。使えたとしても威力が低い。

―――魔法さえ撃てれば終わるのにっ!

 道中の迷宮やトラップ、仕かけは全てAIのユイ――今回はマップデータにアクセスするという禁じ手も使っている――のお陰で最速でクリアできたが、こんなところで時間を使うわけにはいかない。トンキーたちがいつ全滅するのかは誰にも分からないのである。

 僕は黒ミノが何度目かの瞑想――HPの回復行動だ――に入ったとき、高リスク高リターンな作戦を皆に伝えた。

 

「みんな! 僕の合図で金ミノにありったけのソードスキルを叩き込んで!」

「はい!」

「おうよ!」

「分かった」

「シリカちゃん! 合図をしたらピナのバブルを!」

「任せてください!」

 

 詳しい説明を聞かずに承諾してくれる。本当に信頼できる仲間達だ。

 僕は金ミノの斧をタイミングを合わせてパリィする。その巨体がほんの僅かに上に跳ねた。

 

「今っ!」

「ピナ! 《バブルブレス》!」

 

 魔法耐性が低い金ミノは小竜の放つ泡沫により幻惑効果に囚われる。時間にして一秒程度だが、SAO上がりの近接プレイヤー達にはそれだけあれば十分だ。

 全員の武器に光が灯る。ALOでソードスキルにはそれぞれ属性攻撃力がつくようになった。近接プレイヤーにはありがたい魔法攻撃枠である。それを全てぶつける。

 金ミノの斧による迎撃は間に合っていない。シノンの弓のソードスキルの効果でミノタウロスは体を仰け反らせる。五人がソードスキルの硬直に入っても僕とキリトの動きは止まらない。

―――キリト君もできるようになったんだ。

 僕は素直に感嘆の声を上げる――もちろん攻撃の手は止めないが――。今行っているのは《スキル・コネクト》。超高等技術である。それを両手に装備した剣で再現している。かなり四苦八苦しているようだが、僕以外にできる人間が現れたのは初めてである。

 キリトが四発目のソードスキル《ヴォーパル・ストライク》を終えて硬直(ディレイ)する。先程から一気に減り続けている金ミノのHPバー。僕は六発目のソードスキルで、金ミノに引導を渡した。

 

「ははは、流石はレント……。よくそんなに繋げられるぜ」

「発明者を舐めないでもらいたいね。僕がこの技にどれだけの時間を注ぎ込んだと思っているんだい?」

 

 倒れ込むキリトに手を貸す。そこでようやく部屋の片隅から黒ミノが雄叫びを上げながら立ち上がった。彼は辺りを見渡して相方がいないことに気づくと怯えた――ような気がした。

 

「――おし、黒いの。ちょっとそこで正座」

 

 クラインが刀の背で肩を叩きながら獰猛に笑う。

 物理に弱いモンスターは脳筋パに磨り潰される運命である。南無三。

 

******

 

「ヤバいよ。もう後三割ぐらいしか残ってない……」

 

 二層の七割程度しかない三層――情報源はユイだ――の攻略にかかった時点で、リーファが首から下げているメダリオンは七割以上が黒く染まっていた。

 リーファの報告から、残り時間はあって九十分程度だと僕は考える。ヨツンヘイムの中央付近は僕が羽化させた空飛ぶ移動砲台ばかりだと言っても、二時間はもたないだろう。下手すれば一時間以内に全滅する可能性も十分にある。ボスである《霜の巨人の王スリュム》との戦闘に少なくとも三十分はかかるだろうから、三層には三十分程度しか時間を割けないことになる。

 

「こっちです!」

「そこのレバーを引いて下さい!」

「左に曲がった後、道が狭まります!」

 

 傍から見たら酷い不正だろう。トラップの場所も、ギミックの攻略も、迷宮の踏破も全てマップデータから情報を得ているのだから。

 ユイには後で何か個別でお礼をしようと僕が心に決めた頃、三層のフロアボスへと僕らは辿り着いた。三層での道中での戦闘は驚きの零回。ユイは敵も避けてくれたのだろう。

 

「何ですか、あれ……」

「キモッ」

「うわぁ……」

「うーん、足が多いのは同じなんだけどなぁ……」

「さっさと倒しちゃいましょ」

 

 女性陣の反応は様々だったが、皆一様に嫌悪感を示している。まあ、それもそうだろう。ボスの巨人はサイクロプスやミノタウロスの二倍ほどの体躯を誇り、そして――実に気持ち悪いことに――下半身に百足のように何本も太い足がついていた。

 取りあえずはいつもの布陣で様子を見る。何度か斬り合った感触だと物理耐性は余り高くなさそうだ。攻撃力は馬鹿高いが。

 僕とキリトでヘイトを稼ぐ作戦に出た。物理耐性が高くない敵であればこの戦法が最も安定するのだ。僕とキリトの負担はかなり大きいが。

 

******

 

 約十分の戦闘がそろそろ終わる。いつぞやの五十層のときのように足を全て斬り落とされた巨人は攻撃に成す術もないが、全く可哀想に感じないのは外見のせいだろう。

 ソードスキル(決め技)のラッシュでボスを沈め、四層へと踏み込む。

 四層にはボス部屋くらいしかないというユイの情報通り一本道で下っていったのだが、そこで非常に判断の困る光景に出くわした。

 端的に言えば檻だ。ちょっとした洞が氷柱で封じられている。そして中に閉じ込められているのは美しい女性だった。髪と瞳は美しい金茶で、粉雪のような肌。西洋風の整った顔立ちをしている彼女は、間違いなく美人だった。

 

「――助けて…………くだ、さい……」

 

 氷の枷で手足を繋がれた彼女は弱々しい声で語りかけてきた。クラインがふらりと牢獄に近寄るのを、キリトがバンダナを掴んで引き留める。

 

「罠だ」

 

 キリトの警戒は当然だ。ALOではこんな場合はほとんどのケースで罠だからだ。いかに運営の性根がひん曲がっているかが分かるだろう。

 ユイも、このNPCのHPバーが有効化されているという、更なる不安要素を上げる。HPバーが搭載されているということはお助けキャラ――こんな美女がか?――か護衛対象――サブクエストまで受けている余裕はない――か、敵である。要するに手を触れないのが安牌だ。

 僕とクライン以外の六人が罠という決断を下すも、僕は牢に近づいてその女性に話しかけた。

 

「申し訳ありませんが、貴女のお名前を伺ってもよろしいでしょうか?」

「おい、レント!」

「――私の名前はフレイヤです」

 

 ユイによればこの女性――フレイヤ――もウルズと同じく言語エンジンが搭載されているとのことだったので、僕は質問を投げかける。キリトが止めに来るが目配せしたクラインが間に入る。

 

「なぜ、このような場所に?」

「……私はスリュムに盗まれた我が一族の家宝を取り返しにこの城へ忍び込んだのですが、三番目の門番に捕まってしまい…………」

 

 僕は脳内にある北欧神話と彼女を一致させていく。これでもしも人違い――この場合は神違いか?――だったり、改変が行われていたりしたら、僕は運営に殴り込む。そう決意してから僕は仲間の説得に取りかかった。

 

「僕はこの人は助けた方が良いと思うよ」

「貴方もそこの侍の肩を持つの?」

「レント、いや、気持ちは分かるが、明らかに罠だろ」

「そういう話はちゃんとモデルになった北欧神話を読んでから、ね? 絶対に彼女は僕らの力になる。保証するよ」

「ほら、レントだってこう言ってるしさ! いいだろ?」

 

―――揺れた。

 キリトの意識が逸れた瞬間に、僕は牢獄の氷柱を切断する。あ、と皆が驚きの表情を見せる中、僕はフレイヤに手を差し出した。

 

「――ありがとうございます。妖精の剣士様」

「その代わり、力になっていただけますか?」

「もちろんです」

 

 目の前にパーティへの参加の可否を問うウィンドウが表示される。迷うことなく〇を押すと、九つ目のHPバーが視界の左隅に現れた。

 

「――……仕方ない、ここまで来たら乗りかかった舟か」

「レント、後で説教ね」

 

 あの二人を黙らせるにはフレイヤの正体を見てもらえばいいだろう。非難の目を軽く躱して僕は先に歩き出した。

 

「ダンジョンの構造から考えると、もうボス部屋だと思う。序盤は今までと同じく僕とキリト君がヘイトを引きつけるけど、防御主体で警戒を怠らずに。反撃のタイミングは指示するから。HPの減りからの行動変化に気をつけて」

 

 僕が口早にありふれた指示を伝える。流石に全員の顔が引き締まった。僕から引き継いだキリトが皆に声をかける。

 

「――さあ、ラストバトルだ! 全開でぶっ飛ばすぞ!」

 

 僕ら七人にユイ、ピナ、更にはフレイヤまでもが声を揃えた。

 

 

「「「「「「「「「おー!」」」」」」」」」「キュー!」




 良いところで終わってしまいましたが、続きはしばらくお待ちください。色々とやることが立て込んでいまして八月中の更新は難しいです。次話をお届けするのは九月になってしまうと思います。申し訳ありません。


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#42 聖剣

 本作を読んでくださっている皆さん、お待たせしました。本当は九月一日に投稿しようと思っていたのですが、なんやかんやと一週間経ってしまいました。申し訳ありません。
 これからはゆったりと投稿を再開したいと思います。
 さて、かなり長い期間が開いてしまいましたが、キャリバー編も遂に完結です! どうぞ。


 踏み込んでいった先には、恐らくボス部屋であろう巨大で荘厳な扉が待ち構えていた。狼の氷像なんかもある。その先に乗り込む前に、アスナが全員分のバフを張り直していた。僕も手伝うと言ったのだが、攻撃に回してくれと言われてしまった。先程の金ミノのことを思い出したのだろう。その代わりなのかフレイヤもバフを張ってくれた。()()()()()()支援系メイジなのだろう。

 

「何これ!?」

 

 リズベットが驚きの声を発したのはかけられたバフの内の一つに対してだ。HPの総量増加である。僕もできないことはないが、それをすれば魔力は間違いなく尽きるだろう。それに使用しなければならない単語数もかなり多くなる。それをほんの数単語で行ったのだ。

―――教えてもらいたい……。

 まあ、流石に我慢した。

 

******

 

 氷の扉を抜けボス部屋へと侵入する。するとそこには……、

 

「うっひょー!! 宝の山だぜ!!」

「これ、総額何ユルド……?」

 

 金銀財宝、指輪から金の玉座まで、ありとあらゆる財宝が部屋の両脇に堆く積み上げられていた。

 チラッとフレイヤを確認するも、未だ何かを言う素振りはない。ボス戦がある程度進行したら話しかけてくるのだろうか。

 皆が財宝に目をやっていると、ズシンと重い足音が近づいてきた。

 

「――小虫が飛んでおる」

 

 重低音の声が聞こえる。

 

「ぶんぶん煩わしい羽音が聞こえるぞ。どれ、悪さをする前に、一つ潰してくれようか」

 

 部屋の奥から霜の巨人が現れた。しかし並の巨人ではない。三層のフロアボスも十分に大きかったが、それを遥かに超す巨大さだ。恐らく翅が使えない現状――ヨツンヘイムだからだ――では膝までしか剣を届かせられないだろう。

 首が痛くなるほど見上げる巨体から、その体躯に見合った大きな声が響く。

 そこからの全年齢対象にしては少しばかり過激な話の内容を要約すれば、『裏切れば財宝をやるぞ』だった。折角なのだから、財宝ではなく征服するヨツンヘイムの半分とでも言ってくれればよかったのに。まあ、何があろうとアルンを崩壊させるわけにはいかないので戦闘ルートまっしぐらなのだが。後はフレイヤの花嫁の話だとかもされた。クラインが非常に憤慨している。真実を知ったときの彼の顔が少し楽しみである。

 さて、そんなこんなでボス戦前の会話を終えて戦闘開始だ。

 序盤はスリュムの行動パターンや攻撃範囲を把握することに徹する。全員が慎重にスリュムの動きに集中する。

 

「次! 右足による踏みつけ攻撃、来ます!」

 

 ユイの指示が飛ぶ。相手の攻撃の先読みができるのは非常に有利だ。常に行ってきた僕が言うのだから間違いない。とはいえ序盤は敵の攻撃パターンが分かってもどんな攻撃なのかこちらが慣れる必要があるのだが。

 しばらくはそうして情報収集に徹し、現在の攻撃パターンをある程度把握したところで僕は後衛に移動する。攻撃を避けながら斬りつけたときに確信したが、スリュムに物理ダメージは効きづらい。革のレギンスの物理耐性が非常に高いのだ。それを突破するために魔法攻撃にチェンジしようというわけだ。

 現在は前衛にキリト、リズ、クラインが。中衛にリーファとシリカ、後衛に僕とシノンとアスナ、それからフレイヤである。前衛と中衛でヘイトを固めつつ、アスナが回復。残りの後衛3人でダメージの通りそうなところに遠隔攻撃だ。いわゆる盤石の構えである。

 スリュムの足踏み(ストンプ)攻撃、しかしユイにカウントまでされて避けられない人間はこの場にいない。両拳による殴打も同じ。むしろ避ける際に軽いソードスキルをぶち当てている。氷属性の直線ブレスは僕が発動準備段階で顔に雷撃を当てて撃たせない。スリュムが十二体の取り巻きを召喚するも、シノンの的確な射撃が一瞬で全てを沈める。可哀想になるくらいの封殺である。

 しかし封殺ができていても、少しでも綻びが生まれたら危ないのも事実だ。一パーティでボス攻略をしているのだ、見た目楽勝に見えてもキリキリと神経をすり減らしている。

 十分程度の戦闘でスリュムの一本目のHPゲージが消えた。僕とフレイヤの攻撃魔法が上手く刺さってくれて助かった形だ。

 

「みんな、気をつけろ! パターン変わるぞ!」

 

 キリトが叫ぶ。スリュムは「ぬぅぅぅう」と唸り声を上げ屈むと、大きく息を吸い込んだ。

 後衛の僕達までは届かなかったが、前衛・中衛のキリト達は皆スリュムの方へと引き寄せられている。

 スリュムは今までに見せていなかった広範囲に広がる氷ブレスを放つ。アスナのバフを貫通して五人が凍りついた!

 

「アスナちゃん! 回復準備!」

「分かった!」

 

 大ダメージを予想してアスナは回復魔法をいつでも放てるように準備する。僕は剣を構えた。

 スリュムはこれまた広範囲に衝撃波を伝えるストンプをした。弾き飛ばされた五人のHPバーが一気に真っ赤に染まる。入れ替わりに僕はスリュムへと飛び出す!

 

「シノンちゃん!」

「オーケー」

 

 僕は飛び込みつつスリュムに斬りつけ、その意識を引きつける。俯いたスリュムの顔にすかさずシノンの矢が刺さった。

 

「二人共、三十秒頼む!」

「三十秒と言わず、一分でも」

「無駄口叩かない!」

 

 キリトの声に冗談で返す。いつかやったようなやり取りである。

 シノンに注意されたからではないが、僕の顔も引き締まる。先程まで五人で行っていた部分を一人で受け持つのだ。しかも僕の魔法援護なしで。

―――本当に一分が限界かな……。

 スリュムの両拳の打ちつけ。僅かに生まれる拳の隙間に体を滑り込ませ回避する。新たな行動パターンの蹴りつけは軽いサイドステップで後方に流す。雑魚召喚が行われて僕の周りを取り囲むも、そちらには目も向けない。スリュムの殴りつけ――恐らく雑魚に意識を逸らして当てるつもりだったのだろう――を避けるときには、雑魚は早々にシノンに消されていた。

 久々に生まれた全能感。スリュムの思惑――AIだが――、次の攻撃、後方にいるシノンの行動まで全てが把握できる。

 と、そこで叫び声により意識を無理矢理現実――仮想世界だが――に引き戻された。

 

「「オッサンじゃん!!!!!」」

 

 声の質からしてキリトとクラインだろう。言葉の内容からして、あのイベントが起こったに違いない。

 パーティ表示に目をやると、《Freyja》の名前があった場所は《Thor》に変わっていた。同時に、ボス部屋には金髪の巨大なオッサンが現れていた。

―――良かったぁ。

 何が起こったのか分からなければ『スリュム』でググれば良い、二人の悲鳴が理解できるだろう。

 騙されていたことに気づいて憤怒の形相のスリュムは氷の戦斧を生み出し、巨大なハンマーを持ったトールと打ち合い始めた。

 ポカンとしている皆に声をかける。

 

「さて、みんな! 今の内にラッシュかけるよ!」

「「「「「「「お、おう!!!!」」」」」」」

 

 ここからは作業ゲーだった。スリュムのヘイトは一度もこちらに向かないので、巨大な二人の戦いの余波に気をつけさえすれば大きな的を殴り続けているようなものだ。

 そうして、

 

「これで終いじゃああ!!!!」

 

 トールのハンマーがスリュムの脳天を撃ち落とし、スリュムは轟音と共に倒れた。

 

「……ふ、ふふ。今は勝ち誇るが良い、小虫共よ。だが、アース神族を信ずることは勧めぬぞ……。彼奴らこそ、真の――」

 

 スリュムの捨て台詞の途中でトールがスリュムの身体を踏み抜き、スリュムは粉々に砕け散った。

 

「さて、お主らの手助けがあって余は宝を取り返し、恥辱を雪ぐことができた。どれ、褒美をくれてやろう」

 

 トールからのサブクエスト報酬のようだ。トールはハンマーの柄に指をやると、小さな光を僕に投げて寄越した。

 

「《雷槌ミョルニル》じゃ。それでは、アルブヘイムの住人達よ、さらばだ!」

 

 そう言うとトールは雷になって消えてしまった。

 

「ふへぇ、疲れたぁ。にしてもレントよぉ、お前ぇ知ってたのか? フレイヤさんのこと」

「一応ね。それよりみんな、まだクエストは終わってないよ?」

 

 ボス戦が終わって床に座り込んでいた全員の頭に疑問符が浮かぶ。僕は溜息を吐いて全員の顔を見渡した。

 

「ウルズさんからの依頼は『エクスカリバーを引き抜いてくれ』でしょうが」

「「「あっ」」」

 

 聖剣という名前でキリトが跳ね起きる。他の皆もようやく気づいたようだ。

 

「ユイちゃん、マップに何か変化は?」

「はい、玉座の後ろに階段が出現しています!」

 

 その言葉を聞き、全員で玉座――スリュム用のため馬鹿でかい――の裏へと走る。そこには下りの螺旋階段が出現していた。キリトを先頭に駆け降りる。三段飛ばしで落ちるように降りるキリトは風のようだ。

 螺旋階段が終わると、そこは少し広い玄室のようになっていた。

 中央には氷でできた立方体があり、そこには――

 

「これが、《聖剣エクスカリバー》……」

 

 ホウと息を吐く声が聞こえる。黄金の輝きを持ち、精緻な飾りが施された長剣は美術品のようだった。

―――まさに、《伝説級》……。

 

「ほら、早く抜きなよ」

 

 いつまでも剣に手を出さないキリトを急かす。「お、おう」と漏らしてから、キリトは聖剣に手をかけた。

―――何してんの?

 キリトはそのまま動かない。いや、よく見ると力むように唸り声を上げている。

―――まさか聖剣が抜けない、とか?

 皆もその様子に気づいたようで、口々に応援する。

 

「頑張れ、キリト君!」

「ほら、根性見せなさいよ!」

「が、頑張ってください!」

「おら、いけぇ!」

 

 そして、

 

「うわっ!?」

 

 聖剣が抜けるのは一瞬だった。反発がなくなったキリトはその勢いのままこちらへと飛んでくる。それを全員で受け止め、顔を見合わせて笑う。今度こそ、本当にクエストクリアだ。

 

 

 

 ゴゴゴゴゴゴゴ

 

 

 

 これだけで終われたらどれだけ良かっただろうか。

 覚えているだろうか、ウルズの言葉を。彼女は『聖剣によって世界樹の根が絶たれた』と言った。つまり聖剣が抜ければ世界樹の根は再び伸びるのだ。

―――まさか、こんな早いとは思わないよっ!

 流石は世界樹と言ったところか。氷の立方体に見えないほどに封印されていた根は、既に僕の脚ほどの太さになっている。

 当然このスリュムヘイムは世界樹の根に接続されるように浮かんでいた。そしてその根が伸び始めた。何が起こるだろうか。まあ、簡単なことだ。

 

 

 スリュムヘイムは崩壊を始めた。

 

 

 クラインがジャンプで上がろうとでもしたのか力を籠めて飛び上がり、凄い音を立てて着地した。その振動によってかは分からないが崩壊が一気に進み、僕らが乗っていた部分が完全に崩れ落ちる。

 

 

 

「えっ……!?」

 

******

 

~side:シノン~

 私はクラインを責める皆を横目で見ながら、レントを見ていた。レントは顎に右手を当てて何か考え込んでいるようだった。

―――やっぱ、ああいう姿が様になるわよね。

 なんてことを思っていると、私を呼ぶ声が聞こえた。

 

「しののんっ!」

「シノンっ、早くこっちに飛べっ!!!」

 

 驚いてそちらを見ると、キリトとアスナがこっちに手を伸ばしていた。と、彼らが浮き上がる。

―――いや、違う!

 彼らが上がっているのではない、私が()()()()()のだ。

 立っていた場所がどうやら亀裂の上だったようで、何個かに分かれた氷の床のどれも私の足元にはない。そして落ちていくのは先の見えない真っ黒い闇。

 それを見て、体がピクリとも動かなくなる。恐怖に足を掴まれてしまった。

 全てがゆっくりに見える。キリト達の乗っていた氷塊も落下中だが、あちらは空気抵抗が大きいようで私よりも幾分かゆったりと墜ちている。

―――誰か、助けて……。

 願いが通じたのか、皆が乗っている氷塊から影が飛び出した。

 

「シノンっ!!!」

 

―――レントッ!!!

 レントは体を垂直にして私にかなりのスピードで向かってくる。彼に手を伸ばせば、その手をレントは左手で掴み、ふわっと私の体を自分の体に引きつける。こんな危機的状況にもかかわらず、この距離に彼がいることが恥ずかしくて仕方がない。

 私を抱き寄せたレントは右手で剣を抜くと、何らかのソードスキルを放った。それにより上方向へのシステムアシストが入り、落下のスピードが僅かに緩む。

 

「くっ――」

 

 レントは苦悶の表情を見せながら片手でソードスキルを連発する。足場のない空中で、しかも片手でのスキルコネクト。まさに神業だ。

 しかしそれも長くは続かない。一瞬の硬直が起こる。随分と落下のスピードは落ちたが、未だにキリト達の氷塊には手が届かない。

 硬直から解放されたレントは今度は右手も使って私を抱きかかえる――お姫様抱っこである――と、足元に来た氷塊を蹴り、斜め上へと飛ぶ。

―――嘘っ!?

 落下速度が落ちた私達の下にはいくつかの氷塊がある。それを足場にレントは氷から氷へと飛び移り始めたのだ。そうして少しずつ皆がいた氷塊へと、上へと昇っていく。

 すっと白い物に巻かれて私達は何かに乗せられた。

 

「トンキー!」

 

 あの空飛ぶ白い象クラゲが迎えに来てくれたのだった。

 

******

 

~side:レント~

―――ふぅ、危なかった……。

 あのまま跳躍を続けても限界が来るのは目に見えていたから、トンキーが迎えに来てくれて本当に助かった。まあ、クエストを受ける条件が像クラゲと絆を結ぶ――羽化させる――だから移動用なのだろうという予測は立てていたのだが、実際に来てくれるまではヒヤヒヤしたものだ。

 氷塊に乗っている他の皆の方へと向かう。スリュムヘイムからの落氷は続いているのであまり近くまでは行けなかったが、皆が次々と飛び乗ってくる。

 最後に残ったキリトが聖剣を見つめている。重量的に跳躍距離が足りなくなりそうなのだろうか。

―――あっ。

 キリトは潔く聖剣を手放し、トンキーへと飛び移ってきた。しかし目は未だに墜ちていく聖剣を追っている。

 

「――二百メートルくらい、か」

 

 そんなキリトを見かねてか、伝説級(レジェンダリィ)が失われることが歯痒かったのか、シノンは弓に矢を番えた。そしてスペルを紡ぐと目を細めて矢を放った。

 放たれた矢は放物線を描いて飛んでいき、聖剣へと見事に命中する。そして具現化した光の紐――さっきの魔法だ――を伝って回収する。

 その場はシノンへの賛美で溢れた。

 シノンは一瞬こちらに目を向けたが、僕はキリトへと顎をしゃくる。そちらを見たシノンは苦笑した。

 

「っはぁ、そんな顔しないでも上げるわよ」

「ほ、本当か!?」

「嘘吐いてもしょうがないでしょ。――代わりにこの冒険を忘れないでね。その剣があるのはここにいる全員のお陰なんだから」

「もちろん!」

 

 場がほんわかした空気になる。

 トンキーが声を上げると、僕らの意識は前方へと移る。

―――おお……。

 あの巨大な氷塊、スリュムヘイムが遂に完全に落下を始めていた。ヨツンヘイムの大穴へと落ちていった氷塊は水に飲まれる。

―――水?

 なんと、ヨツンヘイムの大穴はいつの間にか澄んだ水に満たされた大きな湖になっていた。これが《ウルズの泉》だろうか。

 神秘はそれだけでは終わらなかった。

 根を断っていた原因が取り除かれた世界樹は、どんどんと下に伸びていく。《ウルズの泉》に根の先が浸かる。

 

 

「わぁ――」

 

 

 呆けた声が出るのも無理はない。ウルズの泉を中心に緑の波動が広がったように見えた。そして風が吹くと、氷と雪に覆われていたヨツンヘイムに緑が溢れた。

 草が生え、木が伸びる。若葉が育ち、新芽が萌える。荒廃した大地はすっかりその面影を失くし、豊穣の大地になっていた。

 地上及び空中、そして水上には象クラゲ型邪神、いや、《丘の巨人の眷属》が嬉しそうに飛び回っていた。我が物顔で歩いていた《霜の巨人の眷属》の姿はどこにもない。

 感動してトンキーに話しかけているリーファを尻目に、僕はウルズを探す。ここまで土地が回復すれば彼女の力も回復しているはずである。

 

 

「よくやってくれました、妖精達よ」

 

 

 その声は突然現れた。クエスト依頼時も唐突だったので今更驚きはしないが。

 ウルズ()とのやり取りを要約すると、まずウルズから感謝の言葉。それとスリュムも言っていたアース神族への忠告。それからウルズの妹達からもお礼をしたいとのことで、二人――二柱の方が正しいのか?――のこれまた《運命の女神》の名前をした女性が現れた。彼女達からは感謝の言葉と、大量のユルドにアイテムを送られた。その後ウルズから改めてエクスカリバーを受け取り、クラインが妹の方から連絡先を貰ってクエスト終了のウィンドウが現れた。

 

「さて、クエストも終わったことだし、リアルで忘年会兼打ち上げでもやる?」

「「「「おー」」」」

 

 こうして、僕の今年最後のALOでの冒険はお昼過ぎに無事終了した。




 最後は駆け足になってしまいましたが、原作との変更点がほぼ皆無なので良いかなと。
このままマザーズ・ロザリオに行くか、一本短編(打ち上げ回)を入れるか悩んでいますが、恐らくマザーズ・ロザリオになると思います。
 それではまた次回。


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#42.5 忘年/年末

 結局.5話を投稿することになってしまいました。
 今回は前回の続き、忘年会からです。どうぞ。


 ALOからログアウトした僕は、少し身支度を整えると家を出た。ヨツンヘイムから出てからもしばらくプレイしていたので、聖剣獲得からは大体一時間ほど経っている。

 忘年会をALOでやるか現実でやるかで相談があった結果、現実――例の如くダイシーカフェだ――で行うことになったからだ。

 ダイシーカフェに着くと趣のある扉には【CLOSED】の札がかかっていたが、気にせず入ってカウンター席に腰を下ろす。

 店内には誰もいなかった――閉まっているのだから当たり前か――が、すぐに奥からアンドリュー――忘れられているかもしれないがエギルの本名だ――が出てきた。

 

「おっ、レント。クエスト行けなくてすまねぇな。昼までは店閉められなくてな」

「別に気にしてないですよ。学生の予定に合わせてもらうのは社会人には申し訳ないですから」

 

 そのタイミングで扉が開き、詩乃が入ってきた。

 

「あら、ある程度集まっていると思ったけど翔さんだけ?」

「そうだね、まあみんなもそろそろ来るはずだから座って待ってなよ」

 

 そう言いつつ僕は隣の椅子を引く。アンドリューは既に忘年会の料理の仕込みに行ってしまった。

 詩乃が椅子に座るのを横目で見ながら、僕は持ってきていた大きめのバッグを開ける。

 訝し気な表情を見せる詩乃の隣で中身を出していく。と言っても、レンズ可動式のウェブカメラが四台とノートパソコンだけなのだが。

 

「それ、何?」

「ユイちゃんの端末。ちょっと手伝ってくれる?」

 

 ユイはALOでならば確実に参加できたのだが、明日から予定が入っていて確実に会えなくなる僕と明日奈のことを考えてリアルになったのだ。ユイが忘年会に参加できないのは可哀想ということでこんな器具を持ってきたわけである。

 ダイシーカフェの店内に四つのウェブカメラを死角が出来ないように設置する。ノートパソコンでそれらがきちんと接続されているかの確認を行う。

 ここで和人と直葉がやって来たので、続きは和人に任せる。僕はあくまでも場を調えるだけの役割だ。

 動作チェック中に続々と皆が集まってきたので、それぞれにこの《視聴覚双方向通信プローブ》の説明をする。これは簡単に言えば仮想の3D空間を作り上げるものだ。そこをユイは自由に移動することができ、それに応じて現実世界のカメラなんかも動いてユイに情報を伝えるという技術。ここ最近帰還者学校にて制作していたものだ。

 そちらの調整も終わり、全員が揃ったので和人が音頭を取る。

 

「それでは、ええ、今年の終わりと二つの伝説級武器の獲得を祝して、――乾杯!」

「「「乾杯!」」」

 

 あとは皆思いのままにわいわいやるだけだ。アンドリューの料理を頬張り、ドリンクを流し込む。里香と珪子はアンドリューに今日のクエストのことを身振り手振りをつけ加えて教えている。和人とユイと明日奈はこれから――たしか一週間――会えなくなるため、その分なのか甘い雰囲気を醸し出している。

 その雰囲気に弾き出された僕と詩乃、直葉、遼太郎は動画サイトに上がっていたALOのプレイ動画を眺めていた。

 

「うわぉ」

「――トンキーが無事でほんと良かった……」

「これは、地獄絵図ね……」

 

 それは今日のスロータークエストの様子で、丘巨人の眷属で地上におらず飛行していた個体の狩り動画だ。

 ヨツンヘイムでは飛行できないため手を出せないと思っていたのだが、やはり人間――妖精か――は恐ろしいものである。地上にいたものはすぐに狩り尽くされてしまったようで、僕らが三階層のボスに挑む頃には空に挑み始めたようだ。

 たくさんの妖精が組体操のピラミッドのように階段を作り――その高さは異常だ。最も高いところでは四桁に届きそうな高さがある――、そこを上ったユージーン将軍などの凄腕プレイヤーが眷属の背中に飛び乗り体力や機動力を削る。メイジや霜巨人の眷属などの力によって地上に落とし、数の暴力で一瞬で屠る。

 ヨツンヘイムの広大な大地に巨大な人による塔が出来、そこから人が飛び、魔法が飛び、落ちた怪物が一瞬で消滅する。これが地獄絵図でなくて何になるというのだろうか。本当に間に合って良かったと心の底から思った瞬間だった。

 

******

 

「それじゃ、僕はこの辺で」

 

 しばらく忘年会を楽しんで僕は一足早くダイシーカフェを後にした。

 自宅のアパートに帰ると、荷造りの仕上げをする。

 そう、明日から一週間ほど出かけるのは明日奈だけではないのだ。僕も、大切な用事の入ってしまった従兄の代わりに、養父母と共に親戚参りに京都に行かなくてはならなくなってしまった。養父母とは明日東京駅で合流する予定だ。

―――憂鬱だなぁ。

 ハァと息を吐く。

 なぜ、今まで何の関わりもなかった親戚に挨拶に行かねばならないのだろうか。そもそも養父は実母の妹の旦那なわけだから、養父の親戚とは本当に何の血縁関係もないのだ。特に、何よりも、一週間ほどの間フルダイブできないというのが本当に辛い。

 どうやら養父の実家は途轍もないエリート集団な名家らしく、そこにゲームを持っていくというのは不用意にやるべきではないと諭されてしまった。ゲームという娯楽を下に見ているため、ネチネチと嫌味を言われる可能性があるのだとか。

 結局はどんな文句を言おうとも、お世話になっているのだから行くべきなのだけれど。

―――はぁ、憂鬱だなぁ。

 僕はもう一度大きく溜め息を吐いた。

 

******

 

 そして新幹線の中である。

 車窓から外を眺めていると、養母が申し訳なさそうに言った。

 

「本当にごめんなさいね。私達だって本当は行きたくないのよ」

「……どうして?」

 

 少しつっけんどんになってしまっている。気をつけねば。

 

「ははは、翔。実はな私達は駆け落ちしたんだよ。あの家の重苦しい雰囲気が嫌いで、その上文子(ふみこ)との結婚にも反対されてね」

 

 僕の質問に養父――一仁(かずひと)が照れ笑いながら答える。文子とは養母の名前だ。

 一仁の言葉に文子が反応する。

 

「いいえ。あれは反対なんてもんじゃなかったわよ。私なんて人格から否定されたようなものよ!」

「……ああ、確かに君は当時はただの駆け出し作家だったからなぁ。――それが今や日本一の児童文学作家だ! よっ! 日本一!」

「どんなもんよ!」

 

 嫌な記憶を思い出したのか、若干不機嫌になった文子を一仁がおだてる。実際に文子は今年の上半期も下半期も児童文学作家の中でトップの売り上げを誇っているのだが。

 僕は少し引っかかったことを聞く。

 

「じゃあなんで今年は呼ばれたの?」

 

 一瞬の沈黙。

 

「さ、さぁ、ほら、そろそろ生前の最後の別れがしたくなったんじゃないかなー」

「そ、そうよ。……多分」

「いやいやいや、二人とも隠すの下手過ぎでしょ!」

 

 怪しんでくださいと言わんばかりの反応だ。僕は目線で真実を言うように促す。

 視線で行われた言葉の押しつけ合いに負けた一仁が口を開く。

 

「実はな、これは、その…………私の弟の娘の婚約相手を選ぶのが目的なんだ」

「――なるほど、義兄さんはそれが嫌で逃げたのか」

「まあ、そうなるな。あいつは立場もあるからな」

「その立場のせいで狙われてるんじゃない」

 

 義兄は東関東で最も利用されているという大手銀行のエリート社員だ。その伝手を狙われているということだろうか。

 

「へぇ、それで、その義父さんの実家ってどんなところなの?」

 

 僕は余りにも養父の実家に対しての知識がなさ過ぎる。大きな名家でエリート思考、息苦しい雰囲気で京都にある。そのくらいしか知らないのだ。流石に知らな過ぎだ。

 

「ん? まだ言ってなかったか?」

 

―――はい?

 どうやら説明を忘れていたようだ。ここで聞いていなければ教えてもらえなかったかもしれない、良かった。

 

「えーとね。一仁さんの実家は、関西圏の大手銀行会社の経営者一族なのよ。その関係で親戚筋には社長だとか、高級官僚だとかがゴロゴロ」

 

 今度の説明は文子が行うようだ。

 

「現在の当主は一仁さんのお父さんで、長男の一仁さんが出奔したから、次の当主は次男だって話よ」

「ああ、私は三人兄弟でね。一番下の弟はお前もよく知っているだろう、《レクト》の元CEOの結城彰三だよ」

「えっ…………」

 

 ここで衝撃の事実が発覚。衝撃の度合いが大き過ぎて一周回って冷静になった。

 

「婚約相手を探しているお嬢さんってのはその娘さんのことだよ」

 

―――明日奈ちゃん………………マジ?

 こうして僕は結城家の問題に踏み込んでいくことになってしまったのだった。




 キャリバーで回収し忘れていた小ネタを回収してマザロザへの導入でした。
 関西一円に力を持った地方銀行の一家からしたら関東圏の大手銀行のエリートなんて取り込みたくて仕方ないですよね、確かに。
 次回からは本格的に結城家と関わっていきます。お楽しみに。


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マザーズ・ロザリオ編
#43 結城


 かなり遅れてしまいました、すみません。どうぞ。


 驚愕の事実から回復した僕は更に続きを促す。

 

「ああ、そのお嬢さんなんだが、SAOの二次帰還者らしくてな。婚約者もいたんだが風の噂程度に聞く限り何か問題があって破談にしたようだ」

 

 二次帰還者というのはALO事件の被害者のことだ。

―――破談の原因は僕なんだけどね……。

 僕は意を決して口を開く。

 

「義父さん、義母さん。実は――」

 

 今までSAOの話では個人名を暈し続けていた。ALOとGGOの話はしたことがない。普段からよく遊ぶ友人がいるくらいしか二人は知らない。つまりは僕と明日奈の関係を知らない。観念してその説明をすることにしたのだ。

 SAOで出会ったこと。そこで親交を深めたこと。明日奈を助けるために手を貸したこと。その婚約者を捕らえたのが僕だということ。

 そして明日奈には和人という()()()()()こと。

 

「――知らなかったわよ、貴方がALO事件に関わってたなんて」

「言わなかったからね」

「お前が彰三と顔見知りだなんて知らなかったぞ」

「言わなかったからね」

「……それで、どうするのよ?」

「うーん、明日奈ちゃんには和人君がいるからね。最後に会ったときも離れたくない雰囲気だったし、ここで婚約しても可哀想なだけなんだよね」

「それじゃあ、今回の見合い潰すか? どうやって?」

「むむむ…………」

 

 はっきり言ってそう簡単に潰せるものではないだろう。明日奈の家族は明日奈のことを思って――それが明日奈が喜ぶかは別として――婚約者を作ろうと思っているのだから。特に僕らは結城家では――元結城だとしても――外の人間だ。人の家族関係に口を出すことはより難しい。

 すると文子が何かを思いついたように手を叩いた。

 

「そうよ! 翔、貴方が婚約者になれば良いのよ!」

「はぁ!?」

 

******

 

 文子の作戦はこうだ。

・もともと義兄さんが婚約者候補として呼ばれた。

・僕は義兄さんの代わりである。

・そこを使って結城家――これは本家ではなく明日奈の両親である――に取り入る。

・僕は婚約者になるかならないかを維持する。

・その間に明日奈の両親を説得して、和人を認めさせる。

・僕に婚約者になる気はないので、後腐れなく結城家をおさらばする。

 

「そんな上手く行くかなぁ……」

「行くに決まってるじゃない! 翔は十分魅力的なんだから!」

「そうだな……。これからの将来性をアピールできれば勝てるかもしれない」

「僕の将来性?」

「ああ。ああいう人間は名前で判断するから、SAOに巻き込まれたけど高校卒業後は海外の――オックスフォード辺りで良いか――大学に進学予定だとでも言っておけば良い」

「でも学歴だけじゃないでしょ。既に働いている、例えば義兄さんみたいな方が将来は確定してるから婚約者としてはいいんじゃない?」

「チッチッチ。甘いな、翔。そこを上手く懐柔するのがお前の役割だ!」

 

―――僕任せかよ!

 二人共既にすっかりその気だ。明日奈のために力を貸してくれるのはありがたいが。

―――明日奈ちゃんに会ったら、婚約の妨害をした方が良いか聞いておこう。

 本当に明日奈が婚約を望んでいないのか――まず間違いなく望んでいないだろうが――を確認したら計画を開始するとしよう。

 この案は存外良案だ。乗せられた形になったのが癪だが。全力を尽くすとしよう。

 

******

 

~side:明日奈~

 私は結城の本家に行くことが憂鬱でならなかった。

 幼い頃は、京都のあの大きなお屋敷に向かうのは旅行のようなもので楽しかった。特にあの頃は大人達の会話や思惑などまるで分からないほど純粋だったから。

 それが少し成長すると、周りの大人たちが本当に汚く見えた。そんな人達の集まりにいるのは息苦しくて仕様がなかった。両親も――主に母親だが――行きたくない様子で、京都に向かう度に二人の顔が曇るのを見ることも当時の私にとっては嫌だった。

 今年は特に嫌だ。あの家ではSAO事件に巻き込まれた私はまるで人生の落伍者のように扱われるだろう。憐みの目か、それとも蔑みか。何にせよ以前よりも息苦しいには違いない。両親の表情も朝から全く芳しくない。

 それに最近何を考えているのか分からなくなってしまった母親の京子が、どうやら私の婚約者を見繕おうとしているのだ。母の書斎の前を通ったときにたまたま「はい。明日奈の将来に――」という声が聞こえてしまったのだ。ALO事件で須郷が捕まってから、母は度々私に見合いをさせようとしていた。あの電話も婚約者の話に違いない。

 

「はぁ」

 

 自然と溜め息が漏れる。キッと母に睨まれ、半開きになった口を慌てて閉じる。父が心配そうな顔でこちらを見やるが、須郷を婚約者にした父は現在少し肩身が狭く母には逆らえない。

 私は次の溜め息を噛み殺した。

 

******

 

 京都の結城邸に着く。街の中心からは少し外れているが、その分敷地が非常に広く、大きな母屋を中心に離れ――一般的な家ほどある――が数個建ち並ぶ。日本庭園の非常に広い庭――一部は枯山水になっていたりする――には所々池があり、茶室が独立して建っている。有り体に言えば純和風の豪邸である。

 そこをいつも通り――三年振りだが――進んでいく。母屋の部屋で重たい振袖に着替え、私の苦行が始まる。

 父は三男で、この家の主はその兄の次男だ。しかし彼の子供には男しかおらず私の代の女は私だけなのだ。年末年始、銀行経営者一族のこの家には来客が絶えない。まだ朝の早い時間だからいないが、来客が集まり出したら私は接待に回らなければならない。

 明日奈ちゃんは可愛いから。そんなこと言われても何の喜びにもならない。話しかけないでくれ、笑顔が崩れるだろ。そう心の中で毒づき――普段はしないのだがこの時期には心が擦れるのだ――、お酌をする。

 会社の社長、会長、代表取締役。中央省庁の高級官僚、関西圏の議員まで。

 そこにしれっと紛れ込んでいる親戚は親族用の宴会場――分けないと阿呆みたいに広い和室ですら一杯になってしまうのだ――へと案内する。対応を間違えればアウト、この屋敷では隙を見せたら何をされるか分からない。

 部屋に新しく案内された――門から母屋までは紳士的な警備員が、玄関から部屋までは仲居のようなお手伝いがそれぞれ案内する――一家に正座で挨拶をする。顔を上げると写真でしか見たことのなかった伯父の顔があった。

 

「本日は御越しいただき、ありがとうございます。お初に御目にかかります、一仁伯父様。彰三の娘の結城明日奈です」

「ああ、そんなに固くならなくて良いよ。私はこの家を飛び出した家出者だからね」

 

 親族にしては珍しく優しそうな声色だ。まだ黒い面を見ていないからそう感じるだけかもしれないが。

 すると、ひょっこりとよく見る顔が大蓮伯父の背後から現れた。

 

 レント――翔である。

 

「へ?」

 

 余りにも想定外な人物の登場に間抜けな声が溢れる。

―――どうしてここに!?

―――それはまた後で。

 私達は一瞬の視線の交差で会話を済ます。

 そう言えば今思い出したが翔の名字は大蓮であった。いや、まさか親戚だとは。しかも従兄弟だ――養子であると聞いたから義理だが――。

 タイミングよく伯母――親戚が多すぎるからほとんどの人を伯父、伯母と呼んでいる――が、接客を交替するから親族席で休んできなさいと声をかけに来た。接待の相手が親戚になるだけで全く休めない――むしろより気を遣う――が、翔と話をしたかったので大蓮一家と共に大部屋を出る。

 

「さて、明日奈ちゃん。そう時間があるわけじゃないから手短に言うよ」

「うん」

 

 大蓮伯父夫妻が後ろで話している声をBGMに翔が説明を始めた。

 

「まず知っているか分からないけど、この年末年始で明日奈ちゃんはお見合いをさせられる」

「……予想はしてたわ」

「そこでだけど、明日奈ちゃんはお見合いをしたいかい? 新しく婚約者を作りたい?」

「そんなわけないでしょ! 私には和人君がいるのよ!」

 

 つい語調が強くなってしまったが致し方ないだろう。現在憂鬱に思っていることをピンポイントで突かれたのだ。

 私の返答を受け、翔は大蓮夫妻に視線を送った後に頷いて言った。

 

「なら、僕が婚約者に選ばれるように全力を尽くすから」

「……? ……どういうこと?」

「そもそも僕は義兄さんの代理で来ているんだ。で、義兄さんは明日奈ちゃんの婚約者候補として呼ばれていたんだ」

「だから翔さんが代わりに婚約者候補になる……ってこと?」

「うん。そうして僕が時間を稼いでいる間に明日奈ちゃんが家族を説得して和人君を正式に認めてもらう、OK?」

「……認めてくれるかな」

「それはわからないけど、取りあえずはそういうわけで。――あっ、そうだ。僕とは初対面の振りをしておいてね」

 

 笑い声が聞こえてきたからだろうか、翔は最後にそう早口で捲し立てた。そしてそれきり大蓮夫妻の方へと行ってしまう。

 光の漏れる襖を開けて、私は二つ目の大部屋に三つ指を突いてから入った。

―――さて、頑張りますか。

 

******

 

 想像以上だ。

 何がと言うと翔だ。

 この、出席者が腹黒過ぎて思いの外空気まで黒く見える空間に完璧に馴染んでいる。

―――あのお爺様と笑顔で歓談している……だと!?

 実の孫である私ですらあの視線の前では身動きが取れないというのに、豊かな髭を持った和服の老人と翔は楽しそうに話していた。祖父との歓談のチャンスを逃すまいと他の親戚もその話の輪に参加している。

―――あっ、お父さん。

 その輪に父親が入っていくのが見えた。同時に翔の眼がキラッと光ったように感じる。祖父との会話の中心からちょっとずつ身を引き、父の方へと滑るように近づいていくと話し始めた。

 

 笑顔である。

 

 自分の実家であるのにこの本家で父親の顔は常に晴れなかった。その顔が今は満面の笑みを湛えている。

 何を話しているのか気になったので自然を装って、スススと擦り寄る。

 

「――ふむふむ。では翔君、君は今の総理はどう思う?」

「現在の政権ですが、長く見積もっても――」

 

―――な、なんと。

 何か面白いことでも話しているのかと思ったら政治の話である。所々経済用語まで入っていて、まるで専門家の解析のようだった。父もその話に感心しており、周りの親戚も密かに舌を巻いた様子だ。

 

「たしか今は高校生だったかい? どこの高校なんだね?」

 

 あれは嫌味たらしい大叔父だ。相変わらずのねっとりとした声で話す。

 

「不幸にもあのSAO事件に巻き込まれてしまったので、現在は帰還者学校に通っています」

「ほぅ、SAO事件、ねぇ」

 

 私の方をチラリと横目で見てくる。やはりその視線には憐みが満ちていた。

 この結城の本家に集まるような親戚達はエリート志向が相当に強い――そうでない親戚は落伍者扱いで家に上がることが許されない――。その環境では二年以上もSAO事件で時を奪われることは死んだにも等しい。さて、こんな状況で翔は私の婚約者になれるのだろうか。

 

「ええ、あそこを卒業したら海外のオックスフォード辺りにでも行こうと思っています」

「オッ――」

 

 オックスフォード大学と言えば、言わずと知れた超名門校だ。はっきり言って日本人が高卒で入ることは不可能に近い。日本の一流大学を卒業した人間が入ろうとするものである。

 それを聞いて、多国籍企業の大手商社に勤める三十代くらいの男性が馬鹿にしたような口調で翔に話しかけた。

 

本当にそんなことができると思っているのかい?

ええ、もちろん。できるから口に出しているんです

 

 いきなりの英語である。彼はそもそもの活動範囲がイギリスだとかで、その英語は流暢を通り越して並の日本人には聞き取れないものだった。私も英語には自信があったが、彼の言葉は早口も相まって半分ほどしか聞き取れなかった。お手本のようなクイーンズイングリッシュを用いた翔の返答でようやく推察ができたほどである。

 ここまで完璧に返答されるとは思わなかったのか、男性は驚愕に目を瞠る。

 

「へぇ、英語はできるみたいだね」

「ははは、(うち)の子の心配をしてくれるのはありがたいが、何も問題はないのでね。取り越し苦労だよ」

 

 大蓮伯父がヌッと顔を出してくる。保護者がいる前では流石にこれ以上難癖をつけるのは遠慮されたのか、周りの人の注意が散った。

―――取りあえず掴みは大丈夫そうね。

 この家で翔が舐められることはひとまず避けられたようだ。私は一人そっと胸を撫で下ろした。

 

******

 

 その日の夜、自分に割り当てられた寝室で私は隣室の両親の声を聴いていた。

 

「一仁兄さんのところのは良い子だったと思わないか」

「確かに素直そうな子でしたけどね。あの学校の生徒なんでしょう?」

「そんなことを言ったら明日奈だってそう――」

「だからこそ――」

 

 段々と意識が遠退いていくのを感じた。意識の隅で捉えた会話からすれば、初日の翔の掴みは上々のようだった。

 

******

 

~side:翔~

 正に、地獄のような日々だった。

 初日は多少の会話と英語に関しての挑発だけだったので何も問題はなかったが――僕の会話術は《狸》と《鼠》に監修されている――、二日目からはこちらの知識、教養、思慮深さを確かめるようなことばかりされた。それはこちらの隙を窺っているようで、少しでも弱みを見せたら一瞬で僕の立場がなくなることが簡単に予想できた――他人の足を引っ張ることにこれだけ熱中して、彼らは暇なのだろうか――。

―――こんなところによく明日奈ちゃんは毎年来てたな……。

 何より苦しかったのは、こちらを試してくる男性陣ではなくこちらをそもそも下に見ている女性陣であった。相手の気持ちを正確に読み取って完璧なお世辞を口にする。一挙手一投足に注意を払い、完璧な所作を心がける。笑顔を絶やさず気配りも忘れない。そこまでしてようやくスタートラインなのだ。

 それだけ必死に取り入ったのだ、多少の成果はあった。結城の中でも頭脳は認められた――必死に詰め込んだのだ――上に、ある程度の敬意を払われている――同格だと認知されたようだ――。子の世代でここまでされているのはパッと確認しただけでは僕だけかもしれない。女性陣からも好印象で、一昨日は茶会――和服を着て行う本格的なもの――にも誘われた。

 それで本題の明日奈の両親だが、彰三には初日のやり取りで気に入られたようだった。京子の方もかなり厳しい目線で僕を見定めていたようだが、次第にその態度は軟化していき――女性陣からの評判のお陰だろう――、昨日には明日奈とお見合いのようなものまでさせられた。

 純和風の部屋に親戚が揃って二人きりにしようとするのだ。誰の監視からも逃れているそこでは二人で笑いあったものである。ちなみに僕らが知り合いであることは最後まで隠し通すことができた。

 明日奈がお見合いをさせられた相手はどうやらもう一人いたようだが、京子の態度を見る限り脈は僕の方にあるようだ。

 

「Good job! 翔、よくやったわね!」

「ああ、お前ならできると思っていたよ」

 

 そしてここは帰りの新幹線である。そこで養父母と計画の成功を祝っていた。

 

「本家を出るタイミングで連絡先を聞かれちゃったから、貴方のアパートのを教えちゃったわよ」

 

 誰にというのは言わずもがな京子だろう。

 

「もう一人の候補は既に地方銀行でのポストまで決まってたらしいが、よく勝てたもんだよ」

「もちろんよ! だってどう考えたって翔の方が良い男だし、性格も良いじゃない!」

 

 自分の計画が上手くいって文子は興奮気味である。少々騒がしいが、僕の心の中は別の問題で一杯だった。

 一つはこれからも京子に会わなければいけないのか――連絡先を聞いたのはそういうことだろう――ということ。そして何より、

―――和人君になんて説明しよう……。

 明日奈にぞっこんのあの和人に、お見合いをしたなんて言いたくもない。

 僕の未来は一週間前と変わらず暗いままであった。




 一ヶ月に一話は確実に投稿しようと思うので見捨てないでください。お願いします。


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#44 再会

 ギリギリ……。各月一話は確実に更新したいのに、時間が取れないっ!


「絶剣……?」

 

 京都から帰ってきた僕はALOの外部掲示板を覗いていた。

 たったの一週間程度離れていただけだが、流石は日本最大のVRMMORPGである。情報の更新度が半端ではない。そのギャップを埋めるために掲示板を遡っているわけだが、そこである書き込みを見つけたのだ。

 それは一種の挑戦状だった。昨年追加されたOSS(オリジナルソードスキル)で作成した自らの技を賭けてのデュエル募集。そのOSS、なんと十一連撃。

 SAOにはなかったこのOSSというシステムは、多くのALOプレイヤーに夢を抱かせた。自分で好きなソードスキルを作成して登録ができる、その言葉はまるで甘露だった。だが蓋を開けてみればこの登録作業が鬼畜だったのだ。

 登録条件はいくつかある。まず人の可動領域だとかに配慮された技の構成であること。これはむしろ外れる方が難しい条件だ。

 次に、未だに登録されていない動きであること。これも簡単なものだ。これによって作成できるものが連撃系にほとんど確定してしまうが――単発の動きはほぼ全パターンが既に登録されている――、その程度だ。

 そして最後にして最も鬼畜な条件が、ソードスキルとして十分な速度及び精度を備えていること。これだ。なんだその程度かと思った人は考えてほしい。そもそもが通常の動きではできないようなスピードと威力を叩き出すのがソードスキルだ。その登録のためにシステムアシストなしで同じ動きができなくてはならない。これはある種の矛盾ではないだろうか。

 登録されたOSSには属性や威力ブーストがかかるが、それを含めてもメリットが多いとは口が裂けても言えない。メリットを挙げるとするならば、万全の状態での動きをいつでも再現できる、自分の技に名前をつけられる、威力ブースト、属性ダメージ、その程度しかないのだ。それに比して、登録のためには身体が動きを記憶するほどの反復練習が必須。これは釣り合ってるとは言えないだろう。

 そんなわけでOSSは、凄腕のプレイヤー達が己の必殺技として一つ作成する自らの誇りと技術の結晶、そういう位置づけになったわけだ。

 当然、僕もキリトもアスナもOSSを作成した。しかしその連撃数は五連撃程度だ。知られている中での連撃数はユージーンの八連撃が最高だったのだ。

 そんな中で十一連撃というものがいかに凄いかは分かったと思う。OSSは一代、一人に限りコピーして贈呈することができる。十一連撃を継承できれば大きな力になることだろう。そう考えた輩が連日そのデュエルに挑んでいるそうだ。

 しかし未だ勝者はいない。いや、勝者どころか惜しいところまで行ったプレイヤーもいないという。かの《黒の剣士》ですら敗れたという情報まである。

 いつしか、誰も勝てない()対無敵の()士ということで《絶剣》と呼ばれるようになったらしい。

 

「面白いじゃん、明日辺り遊びに行こうかな」

 

******

 

 そんなわけでやって来ましたアインクラッド二十四層。ここの北部にある小島でその辻デュエル――辻斬りにかけてこう呼ばれているが、通行人を狙ってはいないのでこの呼称はおかしいと思う――は行われているそうだ。

 島に着くと丁度デュエルが始まるところだった。と、どこか見覚えのある集団が近づいてきた。

 

「あっ! レントじゃない! あんたも《絶剣》と()りに来たの?」

 

 特徴的なピンクの髪だ。その後ろからちょこちょこと小竜を連れた少女が寄ってきた。リズとシリカである。彼女達が来た方に目をやれば、黒ずくめの男とその横でこちらに手を振る自称弟子がいた。

 

()って、誰かやったの?」

「アスナよ! ほら、もう始まるわよ!」

 

 僕としたことが誰がデュエルをしている――始める――のかすら見ていなかった。確かに小島の中心に円形に広がってる土の部分の中心で、二人の少女が向かい合っていた。当然、片方はアスナだ。

―――あれが、《絶剣》……。

 

「へぇ、随分と可愛らしい子だね」

「――あんた、その台詞シノンの前で言ったら死ぬわよ?」

 

 勝手に殺されるところだったが、僕が言ったことは事実だ。

 アスナはSAOでもトップと言われるほどの美人――当時なら美少女か――だったが、絶剣もそれに勝るとも劣らない闊達な印象を与える美少女だ。仮想世界のアバターなので実際は分からないが、あれだけの美形アバターが出るならばVR歴は非常に長いのだろう。

 黒と紫で固められた闇妖精(インプ)の少女。長いストレートヘアに額の赤いバンダナがよく映えている。その手に持つのは細身の軽量型片手剣だ。

 二人の間でくるくると回っていた数字が零になった。

 駆け出すアスナ。その突進の勢いを乗せたまま連続で刺突を放つ。その一閃一閃が正確さとスピードを持って絶剣に襲いかかる。それらを全て見切り躱した絶剣は、アスナの細剣を弾くと一気にアスナの懐に潜り込み剣を振るう。勢いに圧倒されたアスナは大きく後方へ距離を取る。

―――強い。

 その一言に尽きる。隣ではシリカ達が息を呑んでいるが、この一合の打ち合いだけでも絶剣の方が上手だと感じさせた。間の取り方、戦闘中の読み、そういったものが並の剣士のそれではない。更に彼女はVR適性の異常な高さも僕に感じさせていた。僕とキリトとアスナはS判定という都市伝説のような結果を出しているが、彼女のそれはその僕らよりも高いのではないだろうか。

 一口にVR適性Sと言っても、僕らはそれぞれに秀でているところが違う。キリトはVRからの信号を脳で受け取り、脳からの信号をVRに送るという作業のスピードが高い。いわゆる()()()()である。対してアスナはVRのアバターを動かすのに最適な信号を送ることができる。いくら再現度の高いVR世界といえども、現実世界との誤差はある。それゆえ現実世界と同じようにアバターを動かすと動きに無駄が生じるのだ――ほぼ感知できないようなものだが――。それを減らすことで結果的にアバターの動きが洗練され速くなる。いわゆる()()()()、それにアスナは長けている。僕の場合は、プレイヤーに本来与えられていないVR世界の裏側までも読み取る、()()()()。簡単に言えば感覚が鋭くなり、本来見えない構造が見え、第六感が働く。

 あの絶剣はと言うと、今の一合から少なくともキリトと同等以上の反応速度を持っていると推測でき、――構造が見える僕だから分かることだが――その動きはアスナよりも洗練されていた。

 剣士としてもその技量の高さは計り知れず、VR適性も他の追随を許さない。だからこその、()()

 そんなことを考えていると、アスナの雰囲気が変わった。同時に二人の少女が互いの距離を一気に縮める。

―――速い!

 アスナと絶剣、二人の剣が何度も交差する。鋼と鋼がかち合い不協和音を鳴らすも、それすらも二人の剣舞の伴奏となる。

 互いにHPを少しずつ減らした後の鍔迫り合いで、アスナが仕かけた。

 絶剣のボディにめり込むアスナの拳。スキルの効果か、絶剣が怯む。その隙を見逃さずにアスナの細剣からソードスキルの光が漏れた。

 煌めく四連撃。発生する土埃。しかし僕には見えていた。直撃する寸前に絶剣が間に剣を滑り込ませ、ほぼノーダメージで済ませたことを。

 

「凄い……」

「えっ?」

「アスナちゃんの《カドラプル・ペイン》を捌いたよ」

 

 独り言を聞いたリーファには適当に解説を入れつつ、視線は離さない。ソードスキルの硬直を絶剣が狙わないはずがないからだ。ここに来るべきは、大技。

―――見せろ、十一連撃を!

 土埃が晴れると、絶剣はその剣に紫色の光を湛えていた。僕の知らない構え。

―――来たか!

 瞬く間にアスナの左肩から右腰にかけて現れる五つの傷。アスナのHPゲージがイエローまで急激に落ちる。しかしソードスキルは終わらない。対抗するようにアスナも構えを取る。

 今度は右肩から左腰にかけて、先程のと合わせてX字になるように増える傷跡。それを意に介さず、アスナの五連撃が閃く。

―――いや、まだだ!

 最後の一撃が硬直で動けないアスナに降り注ぐ。その剣先はX字の中央を正確に穿つだろう。

 しかし、その一撃がアスナに入ることはなかった。絶剣が剣を止めたのだ。まあ、勝負はついていたのだから構わないのだろう。

 そこで僕にメッセージが入った。フレンドメールではなく誰にでも送ることができるダイレクトメッセージでだ。

 僕がその文面を眺めていると、どうやらアスナ達に動きがあったようだ。

 

「ちょっと、師匠! どうしましょう!? アスナさんが連れてかれちゃいました!」

「別に悪い()じゃなさそうだったし構わないんじゃない?」

「あんたねぇ、随分と雑じゃない」

「アスナちゃんに何かあれば僕じゃなくてキリト君が動くでしょ。それに僕は用事が出来ちゃったからね。これで失礼するよ」

「用事、ですか?」

「うん、他のゲームで会った人がレクチャーしてほしいってさ」

 

******

 

~side:アスナ~

 絶剣――ユウキと言ったか――に連れられ上層の酒場までやって来てしまった。

 そのまま手を引かれて酒場の隅のテーブル席に案内される。そこには既に五人――女性が二人、男性が三人――が席に着いており、ユウキと目線で笑い合ったようだった。

 彼らは《スリーピング・ナイツ》というギルドらしく、一人ずつ紹介された。この時点で私は少し混乱していたが、そんな私にある人物が追い打ちをかけた。

 

「――皆さんが、《スリーピング・ナイツ》ですか、って、アスナちゃん? それにそっちは《絶剣》?」

 

 特徴的な白ずくめ。色の規制が緩和した今でも彼以外には存在しない白い目と白い髪を持つ青年。そう、レント君だ。

 

「えっと、どちら様?」

 

 ユウキが尋ねる。それにしても、なぜレント君は彼らのことを知っているのかと私は疑問を抱く。

 

「あっ! もしかしてレントさんっすか!」

 

 赤い髪の――たしか――ジュンが椅子から立ち上がりレントに声をかけた。

 

「あ、合ってたか。……ってことは《絶剣》てユウキ?」

「そうだけど……、レントってあのレント!?」

 

 どうやらレント君と《スリーピング・ナイツ》は面識があるらしい。

 

「あっ、レントさん。アバター変わってるんで紹介しますね。えっと、こい――」

「いいよ、分かるから。火妖精がジュン君、水妖精がシウネーさん。土妖精がテッチさんで、鍛冶妖精がタルケンさん、影妖精がノリさんでしょ?」

「えっ、何で分かるんすか!?」

「雰囲気と言葉遣い、個々の性格から考える種族選択、立ち居振る舞いとかからだね」

 

 それ以上はレント君は口にせず、目線でジュンに詳しい説明を求めたようだった。それに応えてジュンが口を開く。

 

「実は、俺達であることをしようとしたんすけど、中々上手くいかなくて。それで慣れてる人にレクチャーしてもらおうと」

「ユウキがデュエルで頼れる人を探すと言っていたのですが、念のためというか痺れを切らしたというか、レントさんにレクチャーしてもらおうと思って、連絡させてもらいました」

 

 シウネーが継いで理由を述べる。私とレント君が呼ばれた理由は分かった。レント君は数々のVRゲームを渡り歩いたそうだから、そこのどこかで彼らと出会ったのだろう。

 私は先程敢えて曖昧に表現された部分を尋ねる。

 

「そこまでは分かったわ。それで、その『あること』ってどんなことなの?」

「よくぞ聞いてくれました!」

 

 ユウキがウズウズといった様子で口を開く。

 

「ボク達はね、ここにいるメンバーだけでこの層のボスを攻略したいんだ!」

「「――はぁ!?」」

 

 私とレント君の声がぴったり重なった。

 

******

 

~side:レント~

 本来ボス攻略というのはレイド――SAOなら六人パーティ八組の四十八人、ALOなら七人パーティ七組の四十九人――で行うものであり、間違ってもたったの一パーティで行うものではない。お前が言うなという声が轟いてきそうだが、それが歴とした事実だ。だが、

―――だからこそ、面白い。

 ALO(この世界)には安全マージンも、確実な攻略も必要ない。ゲームであり、遊びなのだ。

 僕の頬がゆっくりと緩んでいく。

 

「えっとその、流石に六人ってのは、無理じゃないかな……?」

 

 アスナが言いづらそうに口を開く。

 

「うん、全然ダメだった。二十五層と二十六層のボスもボク達的には良いとこまで行けてたと思うんだけど、でっかいギルドに先を越されちゃってさ」

「なんでそんな無茶を?」

 

 ユウキの答えに目を開き、アスナはなおも問いかける。

 

「実は、私達はとあるネットコミュニティで知り合って色々なゲームを旅してきたのですが、それもこの春で終わりなんです。それぞれが忙しくなってしまいますからね」

「そこでボクらは決めたんだ! 解散の前に、絶対に思い出に残ることをするってね!」

「それでボス攻略を?」

「はい、ただの自己満足なんですけど、ボス攻略して黒鉄宮の石碑に私達全員の名前を刻みたいんです!」

 

 今度はシウネーが答える。ALOの黒鉄宮の石碑には各層を攻略したプレイヤーの名前が刻まれるようになっており、ALOプレイヤーの多くは名が刻まれることに憧れている。あそこに名前を刻めれば、記憶に残るだけでなく記録に残るのだ。思い出としては最高である。ただ、それには一つの問題がある。石碑に刻まれるのは一層あたり七人までなのだ。一パーティ攻略なら七人全員の名が刻まれるが、二パーティ以上で攻略するとパーティリーダーの名前しか刻まれない。

 丁度シウネーがその問題に触れた。

 そして僕だから気づいた。ユウキの肩が少し震えたことに。

 思わず口を開いていた。

 

「それじゃあ、スリーピング・ナイツの六人とアスナちゃんで七人ピッタリだね。僕はサポートに回るとするよ」

「えっ、でも、レント君はみんなと親しいんでしょう? 私で良いの?」

「うん、ここに来るのはタッチの差でアスナちゃんが早かったからね。一パーティクリアの栄光におつき合いできるのはアスナちゃんということで」

 

 アスナ自体はボス攻略に乗り気でなかったはずだが、上手くペースに乗せられたようで参加する方向になっていた。

 シウネーがチラリとこちらを見て、ぺこりと目線で会釈した。

―――何でだろうなぁ。

 僕はユウキに嫌われたような真似をした覚えがない。何がユウキにあの反応をさせたのだろうか。

 そんな思索に追われていると気づけばかなり時間が経っていた。ふと、あることを思い出す。

 

「あ、アスナちゃん、もうそろそろ十八時半だよ? 大丈夫?」

「えっ、……あっ!」

 

 ごめん、もう行かなきゃ、とアスナはスリーピング・ナイツと明日の約束をしてすぐにログアウトしていった。彼女の家はディナーの時間が明確に決まっている。破れば次はマズいかもとアスナがこの間零していたのだ。

―――はぁ、面倒だなぁ。

 彼女の家のことを思い出して、食事に誘われていることを思い出してしまった。少し気分が下がる。

 余計な考えを頭から弾き出し、アスナを見送った笑顔のままスリーピング・ナイツの方を向く。

 

「さて、言い訳を聞こっか」

「その、ユウキが伝えたくないと……」

 

 流石シウネー、ヒーラーなだけあってタイミングが分かっている。何の言い訳なのかも聞かずに答えてきた。次にテッチ。

 

「いやぁ、レントさんには言おうって言ったんですがね……」

「えと、ごめん! 結果的に呼んだから許して!」

 

 ジュンも混ざる。タルケンとノリもすかさず謝罪を述べる。

 

「すみませんでした。私も伝えようとは思ったのですが……」

「あー、ほら、ユウキが伝えたくないって言うからさ!」

「うん、大体分かったよ。さて……ユウキ? 怒るから言ってごらん?」

「嘘吐くより惨いよ!」

 

 全員分の言い訳を聞いて僕はユウキへと水を向ける。まあ、我ながら子供っぽいとは思うが、すぐに呼んでくれなかったのが意外とショックだっただけである。

 

「うぅ、ただ、c――」

「あ! ごめん。明日そっちに行くからそのときで!」

 

 リアルで電話が鳴ってしまったので、ユウキの言い訳を聞くのは明日になってしまった。いつかもこんなことがあった気がするが、まったく間の悪い。

 

******

 

 ちなみに電話は今度の結城邸での食事のことだった。僕の表情が死んだのは言うまでもない。




 十一月中に一本投稿したい。いや、投稿する。頑張れ、自分。


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#45 記録

 十一月の前半に投稿することができました。祝日様々です。どうぞ。


 明くる日、僕はとある病院に来ていた。昨日は結局電話が長引いてしまいもう一度ダイブする時間がなかったのだ。それを恨みつつ、面会時間が始まるのとほとんど同時に病院の自動ドアを潜った。

 

「あ、大蓮君、おはよう。そろそろ来るんじゃないかって丁度今話してたのよ」

 

 受付カウンターに近づくと、こちらに気づいた看護婦が顔を上げ僕に声をかける。もう何度も通ったのでここの職員とはすっかり顔馴染みだ。

 

「今日もあの子の面会よね。はい、パスよ」

 

 何度目かの訪問からか、案内なしでカードキーを渡されるようになってしまった。信頼が厚いのはありがたい――毎度毎度案内役を頼むのも気が引けていた――から良かったのだが、セキュリティは大丈夫なのだろうか。

 通い慣れた道を真っすぐ進み、一つの扉の前で止まる。カードキーで開錠して中に入ると、そこでは一人の眼鏡をかけた白衣の男性がベンチ――病院の待合室に置いてある物と同種だ――に座りながらコーヒーカップを傾けていた。

 

「やあ、翔君。おはよう」

「おはようございます、倉橋さん」

 

 そう声をかけ、僕は彼の横に腰かけた。

 目の前のガラスの向こう側、無菌室にはベッドと一体化した大きな機械に接続している少女がいた。

 

木綿季(ゆうき)、おはよう」

『お、おはよう』

 

 ここは横浜港北総合病院、ユウキが終末期医療(ターミナル・ケア)を受けている病院である。

 

******

 

 木綿季の主治医である倉橋医師は、僕が来てすぐに席を立った。毎朝の軽い体調チェックだったそうだ。

 

「倉橋さん、隣借りますね?」

「もちろん、それじゃ僕は向かいの部屋にいるから何かあったら呼んでくれ」

 

 僕は隣室に入るとそこにあった軽くリクライニングする椅子に腰かけ、備えつけのアミュスフィアを被った。

 

「リンク・スタート」

 

 接続した先は普段とは違う空間だった。

 六畳ほどだがよく整った白い壁の部屋。床は落ち着いた雰囲気のフローリング。中央には低い丸テーブルがあり、そこにはピンクのカーペットが敷いてある。左手の壁際には勉強机のような机と椅子のセット。僕の正面には少女趣味のベッド、背後には埋め込み型の本棚、右側はクローゼットになっている。

 

「あ、わ、わ、わ、わああぁぁぁぁぁぁぁ!!!!!」

 

 声の主は想像がつくだろう。ユウキだ。

 

「何、いきなり耳元で? それと、ここはどこ?」

 

 振り返るとすぐそこにパジャマ姿のユウキがいた。ALOとは違って入院する前の身体のデータから作られているアバターは黒髪だ。しかしその顔立ちはALOと大きくは変わらない――健康に育てばALOのアバターのようになったのだろうか――。その顔が今は真っ赤になっていた。

 

「こっ、ここはボクの部屋! 準備するから一旦待ってて!!」

 

 背中を押されて部屋から追い出されてしまった。同時に白い天井が目に入る。ダイブしていた部屋だ。どうやらあの部屋から出るとログアウトしたことになるらしい。

―――それにしても自分の部屋、か……。

 木綿季は現在、無菌室で生活している。と言っても、ベッドと接続していたあの機械――メディキュボイドと言う――が大きなフルダイブ機になっているので、普段はVR空間で生活している。そんな身にとって、あのような自分の部屋を持つことは一つの夢だと以前彼女は言っていた。

 しばらくすると木綿季の声――スピーカー越しだが――が聞こえた。

 

「れ、レント! もう良いよ!」

 

 僕は再びダイブする。先程はここのアミュスフィア――倉橋医師と木綿季のコミュニケーション用だ――からそのままネットワークにダイブしたため僕の姿は事前登録されている倉橋医師の姿だった。今度は時間があったので、IDを使ってALOからアバターデータを引き出し僕の姿とする。

 ダイブした先では、今度はしっかり着替えたユウキがカーペットに正座していた。僕も丸テーブルの反対側に座る。

 

「おはよう、ユウキ」

「うん、おはよう。さっきはごめんね、急でびっくりしちゃった」

「この部屋は?」

「この間医師(せんせい)にちょっとお願いしたら叶っちゃってさ」

「へぇ」

 

 正直に言ってこの部屋の完成度は高い。家具のセンスとかそういうことではなく、システム的な話としてだ。恐らくだが、全てにおいてホロ画面が出てくるALOのプレイヤーハウスとは異なり、クローゼットも引き出しも、全てが現実のように動くのだろう。準備に時間がかかったのも一つ一つ手作業でやらなければならなかったからだと想像がつく。

―――倉橋さん、頑張ったなあ。

 これだけ容量を食う物を作成するのに当たって、方々に頭を下げたであろうことは容易に想像できた。患者のQoL(クオリティオブライフ)に関するとかで無理矢理許可を取ったのだろう。

 

「さて、ユウキ。まずは話を聞こうか。僕に言わなかった理由と、…………ユウキのこれからについて」

 

 すぅと息を吸って意を決したようにユウキは話し出した。

 

「――まず、レントに言わなかった理由は、ボクのことを知って欲しくなかったから。ボクは長くても、あと三ヶ月くらいらしい」

「……!」

 

 思わず上がってしまった膝がテーブルに当たり、ガタッと一瞬持ち上がる。感情が加熱されていく中、冷めていく思考はこの世界の完成度に再び驚いていた。

 

「それはっ、本当……なんだよね」

「うん。スリーピング・ナイツにもう一人、後三ヶ月の人がいるけど、流石にそれは内緒だよ?」

 

 悪戯っ娘のように笑うユウキ。その笑みは少し翳っていた。

 ユウキはある病気にかかっている。それはAIDS。そして余命が出てしまったということは、あの無菌室で何かの病気にかかってしまったのだろう。だからこそこの部屋も許されたのかもしれないが。

 

「うん、分かった。そろそろアスナちゃん達との約束の時間でしょ? だから、これが最後の質問」

「…………」

「どうして、僕に知られたくなかったんだい? それと、僕と戦いたくない理由は?」

「……最後って言いながら二つ聞いてるじゃん」

 

 これは悪いことをした。だが僕は視線での追及を止めない。

 

「それはね、レントにボクの弱いところを見せたくなかったんだ。レントはボクの余命を知ったら、必死に思い出を作ってくれるでしょ? そんなことされたらさ、折角覚悟を決めたのに、生きたくなっちゃう、じゃん」

 

 震える声で言うユウキの瞳に涙が光る。

 僕はそれを指で拭った。

 

「許さない」

「――え?」

「ユウキが何も言わずにいなくなったら、僕は絶対に許さない。天の上まででも追いかけて、満足するまで思い出を作ってからじゃないと絶対に手放さない」

「何っ、それっ……」

「流石にそれは冗談だとしても、――ユウキを記録にも記憶にも、しっかり残してからじゃないと別れることは許さないから」

 

 そこまで言って、僕はユウキの頭を撫でた。ユウキはいつの間にか泣き止んでいた。

 

「ありがとう! それじゃ、ボクはボス戦に行ってくるね!」

「良い報せを待ってるよ。それと僕の助けが欲しくなったら名前を呼ぶといい。助けに行ってあげるよ」

 

 ふふふと最後に笑い合って、僕はログアウトした。

 

******

 

 ユウキを訪ねてから数時間後、僕はアインクラッドのボス部屋前にいた。

―――さて、どうしたものかね。

 そこにはプレイヤーの集団が。スリーピング・ナイツではない、巨大な攻略ギルド。真昼だというのに暇な連中だ。

 何があったといえば、今回もユウキ達が失敗しそう、それだけである。

 この攻略ギルドは先に挑戦したスリーピング・ナイツのボス戦を観察していて、そのデータを使って攻略しようとしているだけだ。恐らくは以前の階層でも同じようなことをされてスリーピング・ナイツは先を越されたのだろう。

 アスナは気づいたようだから彼女達はすぐに引き返してくるだろう。巨大ギルドの人数が揃うよりも早く。ただ、彼らが先にボス戦をやらせてくれるかは怪しいところだ。

―――先に排除すべきかな?

 露払いとして巨大ギルドを駆逐しておくのも良いかもしれないと透明化している僕が動きだそうとしたとき、ユウキ達が帰ってきた。

 アスナが交渉しているが、「通行止め」だそうだ。更に言えば通す気もないらしい。流石にカチンと来た。それはユウキも同じなのか、未だ交渉を続けようとするアスナの肩に手を置くとすっと前に出て、笑った。

―――あぁあ、僕も準備しておこう。

 あの笑みを以前見たことがある。僕はALOではない他のVRゲームでスリーピング・ナイツと出会ったわけだが、何度かまた違うゲームでも遭遇している。そこの一つで同じようなことがあったのだ。そのときにも同じ笑みをしていた。怒りモードだ。

 

「戦おっか!」

 

 ギルドとアスナが動揺を示すが、スリーピング・ナイツは武器を構えた。

 

「ぶつからなきゃ伝わらないことだってあるよ。例えば、どれだけ真剣なのか、とかね」

 

 ユウキの眼が煌めく。先程の僕との会話で迷いが吹っ切れたのだろうか。

 

「さあ、剣を取って」

 

 ユウキの気迫に気圧され後退していたプレイヤーが武器を抜く。それと同時にユウキの一撃が入った。降ってきた攻撃を剣で弾くと返す刀のソードスキル。ユウキに斬られたプレイヤーは、HPバーを赤く染めると喚いた。

 

「不意打ちしやがって! 卑怯者めッ」

 

―――どこが不意打ちなんだか。

 ユウキは先に剣を抜いていたが、それも確認した上でそのプレイヤーは武器を抜いたはずだ。それにユウキも鞘から武器が完全に抜けた後にしか動いていない。最初の一撃は一万歩譲って不意を突いていたとしても、ソードスキルに関しては完全に決まっていたのだが。

 そこで気圧されていたギルドプレイヤーの方に余裕が生まれる。ボス部屋の前で何だかんだとしている内に、ギルドの増援が来てしまったようだ。仕方ない、前のプレイヤーを倒してスリーピング・ナイツをボス部屋に押し込むか、そんな考えをしていたとき、

 

「悪いな、ここは通行止めだ」

 

 声が響いた。

 はっと後ろを振り返ると、黒い背中がいた。

―――相変わらず美味しいところだけ取っていくね、君は。

 色々とあったようだが――魔法斬り(スペルブラスト)とか見ていないことにしたい――、クラインもいることだし後方は大丈夫だろう。

 

「レント!」

「やっぱ気づいてたんだ、ユウキ」

 

 何もない空間から湧いて出た僕に、僅かな驚きを見せるプレイヤー達。しかしその意識はすぐに戦闘へと戻る。

 

「僕がここは相手するから、消耗しないようすぐにボス部屋に入って」

「分かった! ついでにヒーラーも突破しておく」

「流石、気が利く」

 

 軽く言葉を交わすと、僕は一人で二十人ほどのグループの前に立った。

 

「あぁん? テメェ、舐めてんのか!?」

「――柄が悪いですね。すみませんが、三分以内にアバターとお別れを告げてください」

 

 久し振りの白い悪魔(PKerモード)。僕の声に聞き覚えのある人がいたようで、彼らの警戒レベルが上がったのが分かる。

 

フッ

 

 僕は片手を振っただけ。それだけで陣形が総崩れになった。

 疑問を抱かずに、スリーピング・ナイツはその間を駆け抜けた。詠唱を始めた敵のメイジを全滅させて。

 

「――さて、それではさようなら」

 

 二十人がディメインライトになるまで後二分。

 

******

 

「流石は、レントだ、なっ!」

「レアアイテムのお陰、さ!」

 

 二十人を仕留めた僕はキリトとクラインの手助けに走った。元々人数が多かったのがこっちで、陣形を崩す方法がないから苦労しているところだ。

 先程のあれは、魔法を一つ待機状態で中に保存できる水晶玉――中身は例の味方が見えなくなる魔法だ――を使っただけである。

 斬り合いながら背中を預けて会話する。キリトとこんな風に戦うのは久し振りな気がした。ちなみにクラインは奥で十人ほどを引き寄せてくれている。

 手こずったは手こずったが、こちらの三十人余りもディメインライトにすることに成功した。一人死亡――勝利へのありがたい犠牲だ――したクラインを復活させ、僕らは剣士の碑を見に行った。その二十七層のところには、しっかりと七人の名前が刻んであった。

 僕らは笑顔でハイタッチを交わした。

 本当はユウキ達を直接祝いたかったのだが、今頃はアスナの家で宴会を開いているだろう――フレンドの位置表示からの推測だ――からまた後にしようと決め、僕はログアウトした。

 

******

 

 しかしそれから数時間もしない内に、明日奈から電話が入った。

 

「レント! ユウキについて教えて!」

 

 開口一番それだ。僕は面食らってしまった。

 

「――取りあえず、何があったの? そんなに泣きそうな声して」

 

 僕が驚いた理由は唐突な電話だけではなく、その明日奈の声が震えていて、今にも泣きそうだったからだ。

 ユウキ達が写った写真――ALOで撮ったものだ――を整理していた手を止めて、真剣に話を聞く体勢になる。

 

「実は、無事にボス攻略した後二十二層の家で打ち上げしたの。そこで私がスリーピング・ナイツに入りたいって言ったときからユウキの様子がおかしくて……。その後剣士の碑を見に行って、そこでユウキが私のことを『姉ちゃん』って呼んで……。ボス部屋でもそう言ってて、理由を聞いたらユウキが泣き出しちゃって…………。そのまま……」

「ログアウトしてしまった、ってこと?」

「う、うん」

 

 それで冒頭の「ユウキについて教えて」に繋がるのだろう。

 僕はユウキへと、あのいつも元気に振舞う少女へと思いを馳せる。

 ユウキが泣き出した理由は分かる。木綿季のあの病気、実は彼女だけのものではない。木綿季を産んだ直後の輸血でウィルスが混ざってしまったことが原因のAIDSは、木綿季の家族全員を蝕んだのだ。両親も、双子の姉である藍子も。

 藍子も優れたVRMMOプレイヤーだったそうで、あのスリーピング・ナイツの創設者だ。しかし昨年亡くなってしまい、木綿季は天涯孤独――両親はそれより以前に亡くなったそうだ――となった。

 僕がスリーピング・ナイツと知り合ったのは藍子、プレイヤーネーム《ラン》が亡くなった直後のことで、彼女と直接会ったことはない。しかし木綿季に写真を見せてもらったことはある。その顔はどこか明日奈と似通ったところがあった。具体的に何が似ているとは言えないのだが、面影があるのだ。恐らくユウキは無意識にアスナに姉を重ねていたのだろう。それに気づき、アスナから身を離した。理由は……午前中に言っていた、「生きたくなる」だろうか。

 

 ここまでを、明日奈に言うことはできる。だが本当にそれで良いのだろうか。

 

 僕が教えてしまったらそれで終わりなのではないだろうか。明日奈に限って放り出すなんてことはないだろうが、木綿季はどうだろう。

 

 僕は木綿季に「生きて」ほしい。

 

 死を覚悟するのも大切かもしれない。ただ、余命が限られているから、もう別れが近いから、生きる覚悟を捨てる。そんなことを木綿季にはしてほしくない。

 そのことを伝えるには僕は木綿季に近過ぎる。僕が教えて影響を与えてしまえば、明日奈でも駄目になる。

―――これは最後のチャンスかもしれない。

 

「ごめんね、明日奈ちゃん。木綿季に関して僕が教えてあげられることはない」

「な……。っどうして!?」

「それじゃ、フェアじゃないから。明日奈ちゃんにはちゃんとその眼で見て、その心で感じて、その声で木綿季と話してほしい」

「…………」

「もう一度言うけど、僕から教えることはできない。でも、――和人君を頼るといいかもよ」

「え?」

「それじゃあ、またね」

 

 僕は電話を切る。明日奈には悪いことをしてしまったかもしれないが、これが巡り巡って皆のためになることを僕は祈っている。

 それに恐らく和人は木綿季の境遇、メディキュボイドについて朧気ながら感づいているだろう。

 

「どうか良い方向に転がってください」

 

 これが木綿季に与えられた試練ならば、確実に彼女は乗り越えられるはず。僕はそう、いるかも分からない神に祈った。




 時系列的に考えると、藍子が亡くなった去年って明日奈まだ帰還してないんですよね。
―――ん? ちょっと待てよ?
 シードが解放される前もVRMMOってあったのか? 技術独占でALO以外大規模なのはなかったのでは? 考えられるのは、一、ALO以外の発展途上のVRMMOで遊んでいた。二、藍子が実はVRじゃないMMOプレイヤーだった。三、去年と言っても多少はズレて、シード系列で遊んでいた。
 三の可能性が一番高いですかね。去年と言っても一月から十二月まであるわけですからね。

 今月、もう一本投稿できますかね?
 私はできない方に賭けます。


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#46 姉妹

 今年最後の投稿、約二ヶ月かかってしまいました。来年もお願いします。どうぞ。


 翌日、僕は二日連続で横浜港北病院にいた。

 

「あら、大蓮君、今日も来たの? 珍しいわね」

「はい、ちょっと説教に」

「――貴方達ってまるで……いや、何でもないわ」

「?」

 

 昨日と同じ受付の女性によく分からないことを言われた――言われかけた――が、気を取り直してメディキュボイドの部屋へと向かう。

 すると今日は扉の前で、中から出て来た倉橋医師に出会った。

 

「翔君――。君は木綿季君が何で塞ぎ込んでいるか知っているんだろう?」

「はい。……教えてもらえてないんですか?」

「はは、まだね。でも君が来たなら心配ないかな。病は気からとも言うしね。木綿季君のこと、頼むよ?」

「はい。――それと、数日中に『結城明日奈』さんという人が木綿季に面会に来ると思います。彼女が木綿季と面会できるように取り計らってもらえますか?」

「ああ、そのくらいなら。いつもお世話になっているしね」

 

 それだけ言うと倉橋医師は歩き去っていった。

 僕はしばらくその後ろ姿を見送ってから、扉のロックを解除して中に入った。

 

「おはよう、木綿季」

『……おはよう、レント』

 

 スピーカーからはどこか覚悟を決めたような声が聞こえてきた。

 

「顔を見て話したいからダイブするね」

『う、うん。今日は準備出来てるから……』

 

 すぐに隣室に入り、アミュスフィアを着け仮想空間へと移る。

 

「いらっしゃい、レント」

「うん、木綿季」

 

 昨日と同じように座卓に着いて僕らは向かい合う。僕は胡坐を組んでいるが、木綿季は正座だ。心なしか顔色も悪そうだ。

 

「さて、何が言いたいか分かるね?」

 

 僕は木綿季の眼を覗き込みながら口火を切る。

 

「うん。……昨日の、アスナのこと、だよね」

「分かってるなら言い訳をどうぞ」

 

 木綿季は少し逡巡した後に、渋々といった様子で口を開いた。

 

「昨日、レントはああ言ってくれたけど……、他の人もみんなそうとは限らないよね。もちろんアスナがそういう人じゃない、むしろレントみたいに知らせてくれなかったことを怒って、信頼されてなかったんだって自分を責めちゃうような人だってのはボクだって分かる……! 分かるけど……、怖いんだ」

「怖い?」

「うん。もし、もしだよ? ボクの事情を知って、アスナがそれを重く感じたり、関わらなければ良かったって思ったりしたら、そう思うと……。アスナに限ってそんなことないだろうけど! けどっ!」

 

 木綿季は入院するまでは普通に学校に通っていたと聞く。そこでHIVキャリアとして虐めにあっていたとも。全て倉橋医師の話だが、そんな木綿季が他人の感情に敏感になってしまうのは仕方ないことなのかもしれない。

 

「だから、いっそ何のマイナス感情も相手に抱かせる前に、抱いても気づく前に相手の前から姿を消そう、そういうことかい?」

「……うん。プラスに動くこともないけど、マイナスになることもないから……」

 

 そう言う木綿季の顔はひたすらに憂いを貯め込んでいた。

 

「はぁ。『時にはぶつからなくちゃ伝わらないときだってある』。誰の言葉だったんだか」

「……」

「いいかい、木綿季? 確かにぶつかり続けてたら、向き合い続けてたら心が疲れてしまう。辛い思いだってするだろう。だけどね、ずっと逃げ続けることよりは余程マシだと思うよ。たまには逃げても構わないかもしれない。だけどね、ずっとそれじゃ絶対に後悔する。――木綿季は本当に今のままでいいの? 明日奈ちゃんにお別れも言えず、中途半端なままで本当に後悔しないのかい?」

「――ううん。…………でもっ」

 

 木綿季の言葉を遮るように僕は木綿季の両頬を両手で挟み込んだ。俯きかけていたその瞳をしっかりと見据える。

 

「明日奈ちゃんは数日中にここに来ると思う。それまでは休んでいいよ。だけど、明日奈ちゃんが来たらしっかりと向き合って、本当の気持ちをぶつけ合うこと。分かった?」

「…………」

「返事は?」

「は、はい!」

 

 その言葉を聞き、僕は微笑みながら手を離す。

―――こっちは大丈夫かな。

 この部屋に入って感じたこと、それは木綿季の気持ちが齎す雰囲気の暗さだった。それが霧散した。それだけで今日はもう十分だろう。後は明日奈がどれだけ木綿季の気持ちを引き出してくれるかに懸かっている。

 僕はユウキとアスナが並んで剣を振るう姿を脳裏に浮かべた。

 

******

 

~side:アスナ~

 横浜港北病院。翔君のアドバイスを聞いて、和人君に相談してみた。そしたらここの名前を教えられたのだ。

 カウンターまで行き、用件を告げる。

 

「すみません」

「ああ、面会ですね。お名前は?」

「結城明日奈です」

 

 ガタッと音がした。見えないが、恐らく受付の女性が膝を机にぶつけたのだろう。

 

「あの、大丈夫ですか……?」

「は、はい。面会のお相手は?」

「ユウキ――多分ユウキという名前で、十五歳くらいの女の子なんですけど……」

 

 我ながら随分と不確定な情報である。しかし女性はそれを聞くと、即座にどこかに内線をかけた。

 

「椅子に座ってお待ちください」

 

******

 

 しばらく待っていると、優しそうな表情の白衣を着た眼鏡の男性がやって来た。その男性は倉橋と名乗った。

 

 

 紺野木綿季(ユウキ)の主治医だそうだ。

 

 

 ユウキはこの病院でAIDSの終末期医療を受けている。メディキュボイドという医療用VR機器を用いており、そこからALOにもダイブしていたらしい。

 倉橋医師からは様々なことを聞いた。ユウキの病気について。彼女の家族を襲った悲劇について。

 それから、私はユウキに会うために病室の隣の小部屋でALOへとダイブした。

 

 そこにはあの日と変わらないようで、すっかり変わってしまったような背中がぽつんとあった。

 

 

 

「ユウキ!」

 

 

 

******

 

~side:翔~

 木綿季に会いに行ってから数日後、僕がALOにログインすると、いきなり胸に紫色の妖精(ユウキ)が飛び込んできた。

 

「なっ――……って、ユウキ、どうしたんだい?」

「んん、あのね、アスナと仲直りできたんだ!」

 

 アスナもどうやら上手くやってくれたようだ。少し不安だった部分もあるが、今のユウキの笑顔を見れば全て良かったと思えてくる。

 適当にユウキの頭を撫でていると、「むふふ」という笑い声をユウキが上げ始めた。

 

「え、……どうしたの? ユウキ、大丈夫? 壊れた?」

「ううん! ただ嬉しいだけ!」

 

 そう言うとユウキは僕から体を離し、くるりと回った。

 

「レント! 明日、絶対驚くことになるから!」

「――危険なことはしないでね」

「もちろん!」

 

 それで気が済んだのか、ユウキは上機嫌に鼻唄を歌いながら飛び去っていった。

―――嵐のようだったな……。

 明日は一体何があるのだろうか。

 大体の予想はついているが、少し楽しみが増えた。そう思って僕は微笑んだ。

 

******

 

 そして翌日、学校にて。

 

『レント!!』

「こ、こんにちは。翔君」

「こんにちは、明日奈ちゃん、木綿季」

 

 肩に白い拳ほどの機械を乗せた明日奈――機械越しに恐らく木綿季――に廊下で声をかけられた僕は、何も驚くことなく冷静に挨拶を返した。

―――予想はついてたからね。

 機械――以前のオフ会でユイ用に準備した双方向通信視聴覚プローブだ――の向こう側で落胆した様子の木綿季に心の中で言い訳をしておく。

 

「それにしてもよく許可が取れたね」

「うん、これも普段の行いかな」

 

 明日奈はかなり上機嫌のようだ。

 

「翔君、迷惑かけてごめんね。それと、ありがとう。木綿季のこと黙っててくれて」

『え? 何かあったの?』

「いや、ただ明日奈ちゃんから話を聞いたときに木綿季について聞かれてね。明日奈ちゃんには自分で知ってほしかったから黙ってたけど」

『へぇ~』

 

 本当に今日の木綿季は機嫌が良いようだ。声が常に跳ねている。

 

「それにしても木綿季が勉強得意なのはびっくりしたな」

『アスナ! その言い方はちょっと失礼じゃないかな! ボクだってレントに教えてもらって頑張ってたんだから!』

 

 これには僕も驚いた。

 双方向通信プローブを使ってくることは予想していたが、まさか授業まで受けていたとは。

 

「へぇ、それなら僕も頑張った甲斐があるね」

 

 僕が木綿季に勉強を教え始めたのは、出会ってしばらくしてからだった。

 僕らが出会ったのはとあるVRワールド、僕がコンバートを繰り返していた頃だった。スリーピング・ナイツもコンバートを繰り返していて、互いに――気に入ったワールドで定住し、飽きたら新データに移行する者が多い現在のVRMMO業界では――珍しい存在だった。まあ、知り合ったのはそんなことが理由ではなく、本当に偶然出会って互いの力量に感心したからなのだが。その後、ユウキやスリーピング・ナイツの秘密に半ば気づき、明日奈と同じようにして横浜港北病院に辿り着いて木綿季達の現実を知ったのだ。

 当時の木綿季は()()()()。姉を喪った哀しみが、今まで耐えていた物を耐えられなくし、悪化する病状と共に精神も腐り出していた。

 自分で言うのは恥ずかしいが、僕という存在が彼女に良い刺激になったのは間違いないだろう。スリーピング・ナイツのメンバーは皆現実に新しいニュースを持たない人だ。僕だけが彼女に広い外を伝えられる人間だったのかもしれない――倉橋達は木綿季にとって()()()と言うには身近過ぎたのだろう――。その一環が勉強を教えるという行為だった。

 

『――ト! レント!』

「……ん? ああ、ごめん。ぼうっとしてた」

「珍しいね、翔君っていつもピシッとしてるのに」

「いや、木綿季が学校で勉強したって聞いて、軽く感動して回想に耽ってた」

『ボクってそんなに心配されてたの!?』

 

―――倉橋さんなんてそろそろ髪が白くなりそうだよ。

 そう心の中で零して、視線で明日奈に本題を求める。流石に挨拶するためだけに声をかけたのではないだろう、ない……よね? ないと信じよう。

 

「あ、そうだったね、えっと、今日いっ」

『一緒に帰ろう!』

 

 本題はあったようだ。木綿季が一緒に帰りたい、と。そう()()()()()()プローブ越しの木綿季が。

―――いやいやいやいや!! 無理でしょ!?」

『無理って酷くない!?』

 

どうやら途中から声に出てしまっていたようだ。

 

「いや、だって明日奈ちゃんとも帰るってことでしょ!?」

『う、うん。一緒に帰りたかったんだけど、ダメ?」

 

 思わず「いいよ」と言いかけた口を閉ざしてしばし黙考する。

―――いや、明日奈ちゃんと帰るとか、和人君が怖い。

―――見合いの話もまだ――怖くて――できてないのに……。

―――でも木綿季の頼みだよ!?

―――しかし、あの独占欲の塊(和人君)が……。

 

「翔君? もしかしてキリト君のこと気にしているの?」

「え、まあ、そうだね。結局まだ正月のことも話せてないし……」

「なんだ、それなら大丈夫だよ。もうキリト君にはユウキと翔君と帰るって言ってあるから」

 

 流石は明日奈、僕が逡巡している理由などお見通しのようだ。そしてその条件なら僕にこの誘いを断る理由はない。

 こうして僕らは肩を並べて学校を出た。

 

******

 

 帰るとは言ったが、真っすぐにとは言っていない。

 

 駅で笑い声と共に伝えられたその言葉は僕の苦笑を誘った。

 ユウキには訪れたい場所があるそうで、そこへ向かう。

 乗ったことのない路線を乗り継ぎ、閑静な住宅街の坂を上る。

 

「そういえば明日奈ちゃん、帰る時間かなり遅くなっちゃうけど大丈夫なの?」

 

 ふと疑問に思い会話の切れ間に挟み込む。それに明日奈はやや罰の悪そうな顔をしながら答える。

 

「あー、うん。一応メッセージは入れといたけど……。帰ったら怒られるかも……」

『えっ。そうだったの……ゴメンね、アスナ。ボクの我が儘につき合わせちゃって』

「……そんなとこだと思ったよ。でも僕が家まで送るし、そこで多少話せば大丈夫だと思うよ」

「ありがとう」

 

 街灯の下、僕らは言葉を交わさずに歩いた。息苦しい詰まった沈黙ではなく、心地の良い静寂。

 空に浮かぶ明星を見つめていると、木綿季が静寂を破って声を上げた。

 

『ここ』

 

 そこで足を止める。左側には周囲からやや浮いた空き家があった。庭は荒れており、セメントの隙間からは雑草がその生命力を思いのままに爆発させている。それでも元は手入れのされた小綺麗な住宅だったのだろう。そんな印象を与える家だった。

 僕はその家の前の公園の入り口にあるポールに腰かけた。

 

『ここが、ボクの家。って言っても、実際にこの家に住んでたのは一年くらいなんだけどね』

「ここが……」

『うん、もう一回だけ見たいって思ってたんだ。つき合ってくれてありがとね』

「――もう少し遅くなっても大丈夫だから少し話そっか」

 

 三人で話をした。

 木綿季が家を見つめ、ぽつりぽつりと想い出を溢す。僕と明日奈は静かにそれを聞いていた。

 庭で姉と遊んだこと、父親と日曜大工で棚を作ったこと、家族でバーベキューをしたこと。

 木綿季の語る思い出は温かく愛情に満ちていて、とても儚かった。

 

『……でも、この家ももうなくなっちゃうんだ』

「えっ?」

 

 明日奈が困惑した声を出す。しかし僕はある程度それを悟っていた。

 木綿季の一家の家。家族で生きているのは木綿季だけ。そしてその木綿季も病室から出られない入院生活。誰も住んでおらず、管理する者もいない。だからこその荒れた様子。そんな家を、土地を放置しておくほど木綿季の親戚は、世間は甘くないだろう。

 

「……だったら、ユウキは来年十六才でしょ? 大事な人を見つけて結婚しちゃえばいいんだよ。そしたらその人がこの家をずっと守ってくれるよ」

 

 明日奈らしい、夢のある話だ。

 木綿季も驚いたように息を呑んだが、すぐに笑いだした。

 

『はははは、そうだね。でも相手がいないかな~』

「え~、ジュンとか良い雰囲気じゃない」

 

―――それじゃ、駄目じゃないかなぁ。

 スリーピング・ナイツの面々ではずっと守るのは無理なのではないか。

 まあ、ただのもしもの話。そんな細かいところにけちをつける気はない。

 

『あんな子供じゃ駄目だって』

「ふ~ん、そっかぁ。……じゃあ、翔君は?」

「……ぇっ」

『――ぇぇえええ!? ない、ない、それはないって!』

 

 何もそこまで拒否することはないじゃないかと一瞬憤然としたが、落ち着いて考えてみる。

 木綿季と結婚する。どうしてだろうか、別に木綿季のことを嫌っているわけではないのに、僕らがその位置にいることに途轍もない違和感を覚えた。

 

『レントは、その、何というか、――そう! 兄! いたことないけど兄ちゃんみたいな存在で、結婚とかありえないから!』

 

 兄、その言葉がストンと胸に落ちてきた。

―――ああ、そういうことか。

 僕は今まで木綿季を妹のように思っていたのか。友でも、仲間でもなく、ましてや恋愛対象になど成りえない。抱いていたのは親愛。存在しなかった兄弟姉妹、そこに木綿季を当て嵌めていたんだ。

 不思議とそこに罪悪感はなかった。それよりも、今まで謎だった自分の感情に名前をつけられて僕は満足だった。

 プローブのレンズ越しに、僕ははにかむユウキを視た。




 明日奈にとっても主人公にとっても妹のような存在。
 ……ユイは明日奈の娘的な存在で、主人公の妹的存在。複雑な家族関係ですね。


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#47 母娘

 二月になってしまった……。骨折の方は無事に治りました。二十八日までにもう一話上げたいですが、どうなるでしょう。取りあえずは四十七話、木綿季の自宅前からです。どうぞ。


『二人とも、本当にありがとう。この家をもう一度見られただけで、ボクは凄く満足してるんだ』

 

 木綿季の声が静かな空気を揺らす。

 

『この家に住んでた頃、ママはお祈りの後にボクと姉ちゃんにこう言ってくれたんだ。『神様は、私達に耐えることのできない苦しみはお与えにならない』って。――でもボクはちょっとだけ不満だった。聖書じゃなくて、ママ自身の言葉で話してほしいってずっと思ってた。でもね、今この家を見て分かったんだ。ママは言葉じゃなくて、心で包んでくれていたんだ、ボクがちゃんと前を向いて進んでいけるように祈ってくれてたんだ、って。……ようやくそれが分かったよ』

 

 熱心なキリスト教徒らしい、深い愛の籠められた言葉。それはただの聖書の言葉ではない。木綿季の母親から木綿季に送られた愛の証。

 

「私も……もうずっと母さんの声が聞こえないの」

 

 明日奈がその口を開いた。今まで隠してきた心の声を漏らす。

 

「向かい合って話しても、心が聞こえない。私の言葉も伝わらない。――木綿季、前に言ったよね。ぶつからなければ伝わらないこともあるって。どうしたら木綿季みたいに強くなれるの」

 

 あの時のユウキの言葉。あれからずっと明日奈は悩んでいたのかもしれない。『ぶつからなければ伝わらないこともある』。それが心に響いたとしても、長い時間は家族とすら、いや、家族だからこそ、ぶつかり方を分からなくしてしまったのかもしれない。

 

『ボク、そんな、強くなんてないよ、全然……』

「そんなことない、翔君だってそう。私みたいに人の顔色を窺ってビクビク怯えたり、尻込みしたり、全然しないじゃない。凄く自然に見えるよ」

 

 ……そんなこと考えもしなかった。

 プローブから木綿季の悩むような声がして、ゆっくりと確かめるように語り出した。

 

『ボクもさ、この家にいたときはずっと自分じゃない誰かを演じてた気がする。家族に元気一杯な様子を見せなきゃいけない気がして。……でも、思うんだ。演技でもいいんじゃないか、って。それで少しでも笑顔でいられる時間が増えるなら。――ほら、もうボクにはあんまり時間がないでしょ? 物怖じしてる時間が勿体ないって、どうしてもそう思っちゃうんだ。最初からドッカーンと行っちゃってさ。……嫌われても構わないんだ。何にせよ、その人の心のすぐ側まで行けたことに変わりはないから』

 

 木綿季らしい物言いに少し口元が緩む。

 

「そうだね。僕らが木綿季と会えてここまで親しくなれたのもそのお陰だからね」

『ううん、それは違うよ』

 

 初めて会ったときのユウキを思い出しつつ発した言葉は、しかし本人に否定された。

 

「え?」

『レントもアスナも、逃げるボクを必死に追いかけて捕まえてくれたでしょ? そのお陰だよ』

 

―――明日奈ちゃんも追いかけたんだ。

 いや、そもそも探すこと自体が追いかけたに含まれるのか? などと下らないことを考えていたら、木綿季が意を決したように明日奈に語りかけた。

 

『っアスナ! ……だからさ、お母さんともあのときみたいに話してみたらどうかな、気持ちって、伝えようとすればちゃんと伝わるものだと思うよ!』

「っ……」

 

 体を震わせた明日奈に、木綿季は更に言葉を重ねる。

 

『大丈夫、アスナはボクよりずっと強いよ。アスナがドーンってぶつかって来てくれたから、アスナにならボクの全部を打ち明けられるって、そう思えたんだ』

「ありがとう……。ありがとう、ユウキ」

 

 静かに瞳に涙を浮かべる明日奈。その手は愛おしげに肩の機械を撫でる。僕にはこの役目はできなかった。当座の問題解決はできても、根本的な家庭の問題は解決できなかった。明日奈にその勇気を与えた木綿季は、僕が思っていたよりも随分と成長していたらしい。

 

******

 

「それで、具体的にはどうやってぶつかろうか」

 

 木綿季の家から明日奈の家に向かう道中、僕らは絶賛作戦会議中だ。

 

『うーん、ボクはアスナのお母さんがどんな人か知らないからなぁ』

「京子さんはねぇ……。多分普通に話しても駄目だろうね。心を完全に閉じちゃってるから」

「……」

 

 中々に難関である。これならアインクラッドのボス攻略の方が意見が出るのではないか。

 

『――これじゃアインクラッド攻略の方が楽だよー』

 

 考えることは同じである。

 

「そうだ! 一つ思いついたわ!」

『え!? どうするの!?』

「母さんにALOに来てもらうのよ!」

「……それは難しいんじゃない? それにもしALOにダイブしたとしても、そこで説得できる何かがあるの?」

「うん。ALOの私とキリト君の家があるでしょ? あそこの裏にある杉林が、宮城の母さんの実家にあった杉林に似てるのよ」

 

 衝撃の事実、宮城出身だったのかあの人。

 

「そこで少しでも心を動かせたら、説得できるかもしれない」

「でもあの京子さんにアミュスフィアを着けてもらうのは難しいんじゃない?」

「それは……何とか頑張ってみる」

 

 たしかアスナはもう一つアカウントを持っていたはずだから、状況を調えるのは可能だろう。

 そうして作戦がまとまったところで、明日奈の家に着いた。

 門を抜けて玄関まで送る。するとそこには京子が待ち構えていた。彼女は明日奈を叱ろうとしたのだろうが、僕がいるのを見て動揺した。

 

「――翔さん? どうしてこちらに?」

「いえ、明日奈さんを送りに来ただけですので。お気遣いなく」

 

 そういえば完全に僕がいることを伝え忘れていた。

 明日奈が僕を振り返る。

 

「それじゃ、ありがとね翔君。また明日」

 

 明日奈が階段を上っていくのを見た。僕も帰るとしよう。

 

「それでは、京子さん。また明日お伺いします。――それと、明日奈さんの言葉をきちんと聞いてあげてください」

「え、ええ。翔さんもお気をつけて」

 

 最後のはちょっとした潤滑油だ。今の二人は顔を合わせただけで喧嘩しかねない。

―――明日来たときには解決してるといいな。

 明日は夕食に呼ばれていることを思い出し、明日奈の成功を祈った。

 

******

 

~side:明日奈~

 

「母さん」

 

 翔君が帰った後、冷蔵庫の中の物を適当に食べてから、私は母親の書斎の扉をノックした。少し逡巡したが、先程の木綿季の言葉と翔君の言葉を思い出して勇気をもって右手を振るった。

 

「どうぞ」

 

 少し不機嫌そうな声が返ってくる。帰りが遅くなったことがその原因だろう。

 ゆっくりと扉を開き、その隙間に体を潜り込ませる。部屋の主は、忙しなく動かして絶え間なく音を立てていた指でキーボードのエンターキーを力強く押すと、こちらに体を向けた。

 

「どうかしたの。この間話した編入申請書の期限は明日までですからね、朝までに書き上げておくのよ。それと、翔さんとの仲は良いみたいね。彼との婚約は明日正式に決定を出しますから、きちんとしておきなさい」

 

 この『きちんとしておきなさい』とは、和人君のことだろう。私はこの言葉で翔君に帰り道で言われたことを思い出した。

 

『京子さんは明日奈ちゃんのことを思ってるんだと思うよ。素直じゃない性格と自分が苦労した経験から意固地になってるところはあるけど、明日奈ちゃんが強い意志を持って言うことなら必ず伝わるから』

 

 あの言葉を信じて口を開く。

 

「そのことなんだけど、話があるの」

 

 母は液晶画面に向けかけていた体をこちらに戻す。

 

「言ってみなさい」

 

 本当に私の意思を気にしないなら話を聴こうともしないはず、そう自分を勇気づけて頼みを口にする。

 

「ここじゃ話しづらいことなの」

「じゃあどこならいいのよ」

 

 やや不機嫌になる母。唾を飲みこんで、私は両手を前に突き出した。

 

「VRワールド」

 

******

 

~side:京子~

 ここ一年ほど娘の様子がおかしい。

 原因は考える必要すらない。あの忌々しいSAO事件だ。あれのせいで明日奈は、その約束されていた輝かしい未来を失った。

 特に酷かったのはその後のALO事件だ。

 SAOに巻き込まれ、浩一郎の椅子に座ってナーブギアを着けた明日奈を確認したときは、思わず泣き叫ぶところだった。

 それからも毎日眠る度――初期の頃は眠ることすら難しかった――に生き残ってくれるように祈り続けた。

 ゲームのことは夫の会社のこともあって少しは学んだが、当時は何も知らなかった。しかし外部で確認できた情報からトッププレイヤーだと分かったときには、腰が抜けるかと思ったものだ。無知ながらにSAOの難易度は想像がついていたのだ。

 本音を言えば止めてほしかった。わざわざ自分から危険な方へと進んでいく必要はないではないか。明日奈がやらずとも誰か――特にゲーマーなどと呼ばれる輩――がクリアしてくれるだろうから。……少しも誇らしくないというわけではなかったが。自分の娘が、死の恐怖があるにもかかわらず他人のために、この家に帰ってくるために頑張っていると聞いて嬉しくないはずがない。

 事件が起こって二年後の十一月。突如SAOがクリアされたとの報道が入った。内密にと国の役人がゲームの進行状況を教えてくれたことがある。それによれば攻略度は未だ七五%ほどだったはずなのだが。

 何だろうと構わない。私は午後の予定など全て放り出して病院へと走った。途中ですれ違う人、すれ違う人、皆に珍獣でも見るような目で見られていたが何も気にならなかった。今まで築き上げてきたイメージ、それが崩れる程度どうでも良かった。ただ明日奈に会いたい、再び娘と笑いたい。その思いだけで進み続けた。

 病院に着き、私は絶望した。明日奈は、目覚めていなかった。前日の時点では間違いなく生きていた。他の被害者は目覚めている。なのに、なんでなんでなんでなんでなんでなんでなんでなんでなんでなんでなんでなんでなんでなんでなんでなんでなんでなんでなんでなんでなんでっ…………

 

 

 

 娘は目覚めないのだ。

 

 

 

 気づけば辺りは暗くなっていた。場所は娘の病室。ベッドでは愛しい娘が、あの忌々しい機械を着けたまま寝ていた。既に日が沈んでいる。私の心も沈んでいた。

 翌日、菊岡という総務省の職員がやって来た。彼の話によれば、全国に百人、未だに目覚めない犠牲者がいるそうだ。

 なぜだ。なぜ私の娘なのだ。なぜ明日奈ばかりが辛い目に合うのだ。

 この件にも私ができることは何もなかった。ただ娘の無事を祈るのみ。そうする内に、去年の一月、残りの百人が解放された。私は今度こそ娘に再会することができた。生来のこの性格のせいで素直に喜ぶ様子を見せることはできなかったが、その頃の私の心の中はしばらくお祭り騒ぎだった。

 帰ってきてからの明日奈は少し変わったように思えた。二年と少し、その期間は短いようで、私達が歩み寄りづらくなるのには十分過ぎる時間だった。それでも娘は前よりもよく笑うようになった。

 SAO事件の被害者を集めた学校という名の監視施設に通わせなければならないのは正直認めがたいが、今どこかの高校に編入するのは難しいものがあるから仕方ないというのも事実だ。それに明日奈であれば、どんな学校にいようとも立派な人間になることは間違いない。だから、それで良かった。

 しかし夫の親族はそうは思っていなかった。彼らにとっては、同年代に二年以上もの先行を許した明日奈は人生を失敗したようなものなのだ。あの世界(SAO)でどれだけ恐怖と戦い、人のために、帰るためにどれだけ死力を尽くしていようが、そんなもの関係ないのだ。むしろ()()()()()()に必死になって挑むような人間だから人生の落伍者になる、そう本気で思っているようだった。

 

 許せなかった。

 

 認めさせたかった。

 

 娘の努力を、生まれ持ったいくつもの才能を。たとえゲームという範囲だろうと、才能を持っていることは誇るべきことだ。たとえ何か社会に役立つものでなかったとしても、努力し成長し続けることは素晴らしいことだ。

 それを彼らは鼻で笑い飛ばした。

 私は考えた。どうすれば彼らに娘のことを知らしめられるか。簡単な話だ。彼らの立つステージで結果を残せば良いのだ。私はそれに向けて動き続けた。それが娘のためだと思って。

 

******

 

 自分は間違っていたのかもしれない。いや、間違っていたのだろう。

 最初は娘が生きているだけで満足だった。それが欲が出た。娘を周りに認めてほしかった。そこに娘の希望はなかった。

 好きなこと(ゲーム)も理解してやっているつもりだった。けれど、それも間違っていた。娘が囚われたVRというもの、娘が好き好んでいるVRというもの、それを私は全く理解していなかった。

―――涙が、堪えられない。

 娘に見せられた杉林。実家を思い出す。思えば私はあのときも間違っていた。結城に馬鹿にされる実家が悔しかった。その分私が頑張って、たとえ宮城の田舎者でも侮れないということを見せつけてやるつもりだった。

 そんなことしなくて良かったのだ。彼らに認められなくとも、私が誇りに思っていればそれで十分だったのだ。

 気を遣ったのか、娘は気づけばいなくなっていた。かつてVRを試してみたときのことを思い出して、左手を振り下ろす。シャランという音に僅かに体が震えるが、すぐにスクロールしてログアウトというボタンを見つける。それを押せば、一瞬のブラックアウトの後、バイザー越しの書斎の天井が目に映った。

 頬に残った涙の跡を拭って、私は残った仕事を始めた。

 

******

 

~side:翔~

 昨日、明日奈は上手くやれただろうか。一抹の不安を抱きつつ、僕は結城家のインターホンに手を伸ばす。

 

「大蓮です」

『……いらっしゃい、翔さん。今開けますね』

 

 明日奈に案内され、ダイニングに向かう。

 かなりの長さがある食卓には京子が既に着いていた。一通りの社交辞令を終え、食事を始める。

 食事中は世間話に終始した。にこやかな雰囲気で、思いの外明日奈と京子の顔は明るかった。

―――これは上手くいったかな?

 食事を終えると京子の表情が硬くなる。そして心を決めたように口を開いた。

 

「翔さん。今日は大切なお話があります」

「――婚約のことですか?」

「っ、ええ」

 

 まさか僕から切り出すとは思わなかったのだろう。眼を瞬かせる。気を取り直したように再び口を開く。

 

「貴方は娘と婚約するつもりだったかもしれませんが、私は違います。正式にお断りしたいというお話です」

 

 その言葉を告げる視線は強く、曲がる気のない意志が込められていた。どうやら説得は上手くいったようだ。壁は高いほど乗り越えたときに心強い盾になるとは言うが、正しくその通りだと感じさせられた。

 

「僕の方もお断りするつもりでしたので、何もお気になさらないでください」

「……明日奈の言った通りだったのね」

「明日奈ちゃんが何を言ったかは分かりませんが、僕達は最初から手を組んでいました。そもそもSAOで知り合い、同じ最前線で命を張っていたときから僕は和人君と明日奈ちゃんを応援していましたから」

「最初から茶番だった、というわけね」

 

 京子が片頬を吊り上げる。

 

「はい。……僕から見て、和人君ほど明日奈ちゃんの隣が相応しい人はいないと思いますよ?」

「そう。私に挨拶に来たときにでも審査させてもらうとしましょう。これでも審美眼には自信がありますしね」

 

 これは、遠回しだが色々と認めてくれたとみて間違いないだろう。後ろで明日奈もVサインを出している。

 

「――ところで、貴方はSAOでの明日奈を知っているのよね。……どんな風だったか教えてくれないかしら?」

 

 そう言う京子の目は、今まで見たことのない、子供の成長を嬉しく思う母親の目をしていた。




 その後、主人公はSAO時代のアスナさんのあんなことからこんなことまで楽しく語りましたとさ。

 果たして和人は、主人公を見て、彼に認められているならと京子さんの中で膨らむ期待に応えることができるのか!?

 ……京子さんから宮城弁とか飛び出したらギャップ凄いですよね、と下らない妄想を垂れ流しておいて、今回はここまで。


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#48 記憶

 まさか誰もこんなに早く更新が来るとは思うまい。くっくっくっ。
 箸休め回ですね。どうぞ。

2/14修正
 音楽妖精の領主を完全に忘れていました。全プーカに土下座します。


「――というわけで、諸々の問題は全て解決しました!」

 

 ここはALO。アスナとキリトが所有しているアインクラッド二十二層の森の家だ。そこで僕とアスナは集まった人々に、ここ最近あった出来事を細かいことは省いて説明していた。集めたのはキリト、クライン、リズベット、シリカ、リーファ、シノン、エギルのいつものメンバーに、スリーピング・ナイツの面々だ。

 

「なるほど、そんなことがあったのか」

 

 エギルが顎を撫でながら呟く。スリーピング・ナイツのメンバーに許可を貰って、彼らの病のことも伝えた。このメンバーなら信用できると思ってのことだ。

 

「なあ、レント」

 

 キリトから低い声が聞こえた。

 

「――アスナちゃん?」

 

 その様子から感じるものがあり、アスナに声を投げる。

 

「あっ。ごめん、お見合いのことは伝えてなかった……」

 

―――うわぁ……。

 少し、死を覚悟した。

 

「アスナ、その話本当なの?」

 

 あちらではアスナにシノンが声をかけていた。

 

「――レント君?」

「僕はそもそも今まで誰にも伝えてないよ」

 

 直前に僕が放ったのと同じ趣旨の呼びかけをされ、事実を答える。

 

「レント、アスナとお見合い楽しかったか?」

 

 静かなその声が一番怖いです。止めて下さいキリトさん。お願いします。

 

「アスナ、レントなんかとそんなことになって大変だったわね」

「しののん、言葉の内容とそれ以外が全く一致してないから、ほら、落ち着いて」

 

 アスナの方も、久し振りに見る氷の狙撃手モードの雰囲気のシノンの対応が大変そうだ。

 若干現実逃避していた僕の肩に手が置かれる。顔を上げると真顔のキリトと眼があった。

 

「レント」

 

 慌てて姿勢を正す。するとキリトはその顔を崩して笑顔に変わった。

 

「ありがとな。今回は俺じゃアスナを守れなかった、だから別に怒ってない。この程度で俺が怒ると本気で思ってたのか?」

 

 思ってました、はい。

 あちらでもシノンは既に笑顔だし、一応これで無事に終わりだろう。

 

「それで、みんなに集まってもらったのにはもう一つ理由があってさ」

 

 僕はそう切り出した。アスナと二人で計画したことであるが、それには皆の協力が不可欠だった。

 

「顔合わせ会って名目で、バーベキューしない?」

「「「バーベキュー?」」」

 

 予想外のことに、皆の眼が丸くなった。

 

******

 

~side:エギル~

 休日に集められた俺達は、レントとアスナに色々と話をされた。今年になってから二人の様子がおかしかった原因が解消されたとのことで、それと同時に《絶剣》のギルドが抱えている事情のことも伝えられた。

 俺達の誰にも相談しなかったことは少しばかり残念に思ったが、正直これに関しては相談されてもどうしようもなかったから仕方がないことだと納得した。

 それにしてもアスナがあの結城家の令嬢であることは知っていたが、レントまでその一族に関係があったとは驚きだ。本人も知らなかったようだが。

 その真面目な話が終わって次に切り出されたのは、歓迎会がてらバーベキューをしようという誘いだった。それを聞いて、スリーピング・ナイツの水妖精――シウネーだったか――が驚きの声を上げた。

 

「そんな、申し訳ないです。そもそも私達が巻き込んでしまった側なわけですし、歓迎会だなんてとんでもない」

 

 さっき聞いた話では、彼らは余り他人を自分達に関わらせることを望んでいなかった。ただその理由は人と触れ合いたくないといったものではなく、余命の短い自分達と接していざ死んだときに悲しませるのが申し訳ないといったものだ。

―――まったく……。

 

「そんなこと言わないで祝わせてくれよ。仲間が増えたんだ、(うち)の経営が傾かないくらいだったらいくらでも出してやるさ」

 

 口に出す言葉は少しお道化たように。さり気なく仲間という単語を混ぜて身内感を出しておく。そうすれば少しは遠慮もなくなるはずだ。

 

「そうですよ! 折角こうやって知り合えたんですし、こう盛大に、パーッと!」

 

―――ナイス援護だ、シリカ。

 シリカは幼さゆえの無邪気さがある。そろそろ年齢も上がってきているが、いつもの集まりではその体型……アバターのせいで年下感がいつまでも抜けない。その善意は日常では大抵の場面でプラスに働く。今もそうだ。シウネーが押されている。

 

「そうだよね! シウネー、ボクはバーベキューしたいな」

 

 ギルドリーダーの賛同の声にシウネーも大人しく首を振る。

 

「――分かりました。……誰かに祝ってもらうなんて随分と久し振りですね」

 

 よく見れば、土妖精のテッチとシウネーを除いてスリーピング・ナイツは皆初めからやる気だった。そのテッチも皆の様子を見て「しょうがないなぁ」と言い笑っている。全体的に慎重さが足りていないギルドで、テッチがどっしりと構えシウネーが慎重派の意見も出すことでバランスを取っているのだろう。それでもギルドの雰囲気的に前に突き進み続けているようだが。

 それからの数日はかなりの忙しさだった。……というのは嘘だ。

 俺がしたことは材料と機材の調達だけだった。しかも何がどれくらい必要なのかも事細かに伝えられたため、商人としての伝手を使った手配だけが俺には求められた。

 あのときシウネーが頷かなかったとしても済し崩しで承諾させられるレベルで準備は出来ていたのだ。

 そして、当日。集まったメンバーはこちらの想像を大きく超えていた。

 まずはこの間キリトの家に集まった面々。それから普段はあまり予定の合うことのないクリスハイト。リーファの同級生らしいレコン。ここまではまだ普通だ。問題はここから。

 未だ圧倒的な人気で領主の座に座り続けている風妖精のサクヤと猫妖精のアリシャ。そして火妖精の軍事担当、ユージーン将軍。この三人はキリトの伝手だろう。しかし真に恐るべきは、ユージーンの背後に立っている赤いローブの男だ。殺されるのを防ぐために滅多に領土を出ない火妖精の領主《モーティマー》である。クラインは所属する種族であるから姿は知っていたようだが、その仰天した顔からあいつが呼んだのではないことは明白だ。ユージーン将軍が連れてきたのかもしれないが、それよりも怪しいのは現在モーティマーと楽し気に会話しているレント(無駄に顔の広い悪魔)だ。

 そしてレントが呼んだらしいのはモーティマーだけではない。あいつの所属していた影妖精の現領主の《ディラン》。水妖精の領主で現在のALO最高の治癒師(ヒーラー)である《レイチェル》。土妖精の領主で新生アインクラッドの攻略でもよく見かける《マサキチ》。工匠妖精の領主《ミズキ》に闇妖精領主の《みほるん》。音楽妖精の領主《アイム》までいる。つまりは全領主大集合だ。

 レントは全員とにこやかに談笑しているし、領主同士の仲も良好なようで会話に花を咲かせているが、他の全員の顔はかなり堅かった。

―――いや、誰もここまでは想像しちゃいねえよ。

 来たとしてもサクヤとアリシャ、ユージーン将軍までだろうと踏んでいたんだが。

 全員に小さな樽のようなジョッキが行き渡ったのを確認して、アスナはコホンと咳払いした。

 

「皆さんとの初めての顔合わせを祝して、乾杯!」

『乾杯!』

 

 そうして豪華なバーベキューが始まった。

 

******

 

~side:レント~

 まさか本当に全員来てくれるとは思わなかったと、工匠妖精のミズキ――優しい顔の男性アバターだ――と話しながら思う。

 

「それにしても豪華な面子ですよね」

「そうだね~。僕もまさか全員集まるとは思わなかったよ~」

「まさか兄貴まで連れ出すとはな。お前も相変わらずの無茶苦茶具合で」

 

 ユージーンが鼻を鳴らす。あははと苦笑いを返す僕も、招待するにはしたのだが来るとは思っていなかったのである。

 

「ユージーンが行く度にアスナさんの料理が美味いと溢すのでね。一度私も来てみたかったのですよ」

 

 噂のモーティマーだが、何というか《狸》とか結城の爺と同じような雰囲気がする。

―――接触は要注意だね……。

 最初は面子の豪華さと初対面の多さで少し硬かった空気も、今ではすっかり解れていた。

 会場にはアイムの生演奏が流れており、ユージーンがユウキを自陣営に勧誘するのをサクヤとみほるんが防いでいたり、ミズキがリズベットやタルケンに鍛冶に関して話しかけていたり、シウネーとレイチェルがにこやかに話しながら水面下でのバトルをしていたり、テッチとマサキチとエギルの大柄な三人が力比べをしていたり、リーファとシリカが二人がかりでモーティマーと歓談を楽しもうとしていたり、ディランはキリトとノリにかなり本格的な勧誘をかけていたりしている。それらを眺めるアスナの顔もここ数日で一番晴れやかで、提案したこちらも嬉しいばかりである。

 最初は木綿季の思い出話を踏まえてバーベキューをしようと思い至ったわけだが、僕の想像を超えて皆が喜んでいて準備をした甲斐があるというものだ。

 そんなことを思っていたら、ジョッキを持っていない方の左手にするりとユウキが絡んできた。

 

「レント! 今日は本当にありがとう!」

「はいはい」

 

 ぐりぐりと力をかけてくるユウキの頭を――体勢を崩さないように踏ん張りながら――撫でていると、近くにいたアリシャが目を瞠りながらこちらを見てきた。

 

「お! 二人はそんな関係だったのか~。いやー、知らなかったな~!」

 

 口角を歪め目尻を下げた――有り体に言えばニヤニヤとした――アリシャの声が届くと、ユウキは顔を赤くさせて両手を振った。

 

「ち、違うから! 全然、そういう関係じゃ、ないから!!」

「へぇ、じゃあどういう関係なのかしら?」

 

 いつの間にか近づいていたシノンが僕の右側から声をかける。気づけば、アリシャだけでなく他の面々までもにやけながらこちらを見ていた。それに気づかないユウキは言葉を返す。

 

「れ、レントは兄ちゃんみたいな存在、っていうか……」

「僕にとってもユウキは妹みたいなものだからね」

 

 遠くでリーファが「ユウキさん私と同類な匂いがする! どうしましょう、アスナさん!」とか言っているのを聞こえないフリして、僕もユウキに続く。

 

「そう。だから貴方はユウキにだけ呼び捨てなのね。私のことは『シノンちゃん』って呼ぶ癖に」

 

 のどかに暖かい陽光の中でバーベキューをしていたはずなのに、体感温度だけがどんどん下がっている。辺りを見渡せば、先程までにやけていた人々も距離を取って固唾を呑んで見守っていた。

 

「へぇ、シノンはボクのことが羨ましいんだぁ」

 

 頼むから煽るようなこと言わないでもらえますか!? ユウキさん!?

 

「なっ、そういうことじゃ……」

 

 勢いなくなってますよ! シノンさん!

 と、キャラが崩れるところだった。火花でも飛ばしそうな二人の間に僕は立つ。

 

「ほら、折角のバーベキューなんだから、そういうことは置いといて楽しもうよ、ユウキ、『シノン』」

 

 その言葉に大人しく二人は従い、体温に温かさが戻ってきた。シノンの頬が赤くなっていたのは見えないフリだ。

 

「そ、それにしても、凄いメンバーが集まってるよな!」

 

 キリト、それ今言うことか。

 

「そ、そうですよね! まるでアインクラッドのボス戦みたいな」

 

 シリカ、空気を変えようとしているのは分かるが、少し無理があるぞ。

 

「じゃあさ、このまま次の階層のボスも倒しに行っちまおうぜ!」

「おう、良いこと言うじゃねーか!」

「「いぇーい」」

 

 ジュンとクラインは酔っぱらっているのか、いやアルコールは存在しないから雰囲気に酔っているのか。

 何にせよ、少し空気も温まったし、感謝しなければいけないかもしれない。

 

******

 

―――倒しちゃったよ……。

 あの後、本当にアインクラッドボスを倒しに行くことになってしまい、無事倒せてしまった。皆から歓喜の声が上がる。領主勢はマサキチを除いて危険は負えないと帰ってしまった――むしろ帰らないマサキチがおかしい――が、そもそも一パーティクリアを成し遂げた猛者達がいるのだ。ボスを倒すことなど造作もなかった。

 それからもスリーピング・ナイツは何層も攻略した。一パーティでクリアしたり、僕らと協力したり、一度は敵対したあのギルドとも共闘した。見る見る内に彼らは実力派プレイヤー集団として有名になった。

 ユウキは単独でも《絶剣》として名を馳せた。

 辻デュエルこそしなくなったが、統一デュエルトーナメントや飛行の速さを競うレース大会でも結果を残し、すっかり最強プレイヤーの一員になった。

 現実世界でも例の双方向通信プローブを使って授業を受けたり、学生生活を体験していた。僕の肩にいたときは感じたことのない重さに四苦八苦してしまった。

 明日奈が企画した京都旅行――参加者は明日奈と直葉と珪子と里香――にもプローブ越しに参加して本当に楽しそうだった。四人が食べていた京都料理をとても羨んで、帰ってきたアスナにALOで味の再現をねだっていた――僕も食べたがかなり本格的だった――。プローブ越しに録画していたらしく時間があれば映像を見直して感動していたので、僕も無理をしてスリーピング・ナイツに特別な経験をプレゼントしたりもした。

 スリーピング・ナイツがGGOをやったことがないというので皆でコンバートして遊んだりもした。シノンと僕、キリトが一応経験者なのでレクチャーしたのだが、ユウキが光剣にハマったりタルケンが予想外の才能を見せたり、ジュンが射撃下手だったりとハプニングが満載だった。アスナが教えられてすぐに狙撃銃で戦えるようになってシノンは驚愕していた。ユウキがキリトと光剣で戦い始めたときの方が頭を抱えていたが。「銃の世界なのに……」だそうだ。

 どの瞬間でも、ユウキは輝いていた。以前までの遠慮など一切見せず、こちらが提供するものに躊躇なく飛び込んでいった。失敗も時折あったが、そんなときでもスリーピング・ナイツ(彼ら)は楽しそうだった。昔遊んだVRMMOを教えてもらったり、かつての仲間が手がけたクエストがある世界を紹介されたこともある。思い出話に花を咲かせる彼らはとても綺麗だった。姿形ではなく、その心が綺麗だと感じた。

 そうして僕らは思い出を積み重ねていった。楽しかった光景、皆の姿、一瞬で消えてしまう言葉、その全てを記憶に刻み込んだ。

 三月になった。

 手当たり次第に心当たりに送っているメール。そのどれからも返信はない。

 今日は月初め、毎月の見舞いの日。倉橋に手招きされ、話をされた。

 

「最近の木綿季君の体調はとても良いです。心境の変化が影響しているのかもしれません。しかし無理をしているのも事実。いくら快方へと向かっているとしても、毎日過酷な戦いに挑み続けていることに変わりはありません。覚悟だけはしておいてください」

 

 そう、言われた。

 いつも通りに木綿季との面会を終える。彼女はとても元気そうだった。しかしそれは、灯が消える前の一瞬の輝きかもしれなかった。

 僕にできることはほとんどなかった。

 ユウキの無事を祈り、特訓を続け、メールを送り続けた。それが僕にできることの全てだった。




 次回でマザーズ・ロザリオ編完結となります。
 それにしてもアニメで三分もない場面で一話書くことになるとは……。
 今回登場した領主勢はサクヤ、アリシャ、ユージーン、モーティマーを除いて皆オリキャラです。領主に関しての情報が見当たらなかったのでオリジナル祭りとなってしまいました。もしどこかに領主勢の情報があれば教えていただけるとありがたいです。


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#49 別離

 二月に三回目の投稿とは……。現実逃避ですね。どうぞ。


 三月二十七日十二時頃。

 

―――ドクン。

 

 口に含んでいた飲み物を吐き出すところだった。突然、胸に衝撃のようなものを感じた。

 嫌な予感、虫の知らせ。そういった類の代物。一度激しく自己を主張した心臓は今も鳴り止まない。耳の奥で太鼓のように力強い音が聞こえる。

 半ば以上終わっていた昼食をかき込み、流し台に食器を放置する。身支度を急いで調え、駅へと走った。

 生命の危機が常に迫っている木綿季の元へ。頭の奥で木綿季の病室がチラチラと瞬く。

 横浜港北総合病院。いくら通い慣れようとも所要時間が短くなるわけもなく、到着までに一時間以上かかってしまった。

 エントランスに駆け込み、受付に向かう。いつものように簡略化された手続きが今ばかりはありがたい。

 廊下を走らない程度の速度で歩く。

 曲がり角を曲がり、廊下を見た僕は絶望した。

 

 

 木綿季の病室のドアが解放されていた。

 

 

 いつも面会のために入る方ではない。メディキュボイドが設置されている方の無菌室だ。木綿季が何かに感染しないための、無菌室。それが開いているということは、もう、無菌にする必要がないということ。

 それは木綿季の『死』を嫌でも想起させた。

 足音を気にする余裕もなく、僕は病室へと飛び込んだ。メディキュボイドが接続されたベッドの脇には倉橋医師と三人の看護師が立っていた。こちらを見て倉橋は驚く。

 

「っ翔君!? どうしてここに!?」

「……嫌な、予感がして。――木綿季はっ……?」

 

 一瞬、目をギュッと瞑ってから、倉橋は僕の目を真っすぐ見た。

 

「先程急に容態を崩して、今はなんとか持ち直したけれど、もう次はない」

「ッ……。……ありがとう、ございます」

「……こちらこそ、僕じゃできない心のケアを全面的に任せてしまったからね。今までありがとう、翔君」

 

 気づけば三人の看護師はいなくなっており、病室には僕と倉橋と木綿季だけが残っていた。

 僕と倉橋は黙って木綿季の顔を見つめた。日の光に長いこと当たっていない肌は不健康に白い。全身から肉は落ちて骨ばっている。明らかに憔悴しきった身体。枕元の心拍数モニターで、心拍がかなり緩やかになっていることがやけに強調される。

 木綿季の瞼が震えた。

 

「木綿季っ!?」

「木綿季君!!」

 

 

「――……ぇ‐……――――ぅ……ぉ――……」

 

 

 その声は最早、声と言うべきでないほど弱々しかった。かなりの間言葉を発していない木綿季の咽喉では、これだけの音しか奏でることができなかった。

 それでも僕と倉橋は駆ける。僕は隣室へ、倉橋はメディキュボイドの操作パネルへ。

 

「翔君……? 木綿季君は君を待っている。早く行ってあげなさい」

 

 扉の前で立ち止まった僕に倉橋は不思議そうに声をかける。僕は後ろを振り向かずに、できるだけ震わせないようにして声を紡いだ。

 

「……明日奈ちゃんには連絡を入れておきました。彼女も隣室へ通してあげてくげさい」

「もちろんだ。相変わらず、君は仕事が早いね」

「それと、――倉橋医師(せんせい)、僕が行けば、ここには貴方だけが残ります。……大人だろうと、辛いときは、泣いてもいいんですよ」

「…………」

 

 何かを飲み込むような音が聞こえた。

 

「――ありがとう。……僕は、父親代わりになれたつもりだったけど、駄目だったみたいだ。行ってくれ、翔君。…………木綿季を頼んだよ」

「はい」

 

 その声は僕と同じく、震わせないように全力を尽くされていた。

 

******

 

 ALOにログインする。最後にログアウトした場所から目指す場所までの最短距離を即座に辿り始める。一度アインクラッドの外縁から外に出てしまい、階層を翅で直接移動する。

 二十四層、以前ユウキが絶剣として辻デュエルを行っていた巨木のある小島。そこで、紫色の妖精は静かに佇んでいた。

 

「やあ、ユウキ」

「レント、えと、こんにちは。かな」

 

 片手を上げる。ユウキも笑いながらそれに応える。その顔はいつにも増して白いように思えたが、夕日とのコントラストが美しい。今にも砕けそうな陶磁器のような美しさだった。

 

「ありがとう、レント。今まで、本当に幸せだったよ」

「それは良かった。僕もユウキといられて凄く楽しかったよ」

 

 手が届くところまで近づく。隠し切れない震えがユウキの身体に見られた。

 

「実は、ユウキに最後のサプライズプレゼントがあるんだ」

「えっ。そんなの聞いてないよ!?」

「サプライズなんだから言ってるはずがないでしょ。必死に練習したんだから」

 

 少し下がるようにユウキに手で指示する。ユウキは大人しく後ろに下がり、巨木の根に腰かけた。それを目の隅で確認し、僕は大きく深呼吸する。システムウィンドウを開いて操作する。

―――ここで失敗したらとんだ笑い者だね。

 風が吹き抜ける。巨木から葉が舞う。

 

 

 

 

 

 

 落ちていく葉の一枚一枚を認識する。ユウキが浅く息を吸った。波が小島の岸に届き、静かに返っていく。

 その全てを把握し、僕は自分の動きを限界まで制御する。

 

 一撃目。やや正中線よりに構えた右手の剣を、自分から見て右上に思い切り振るう。

―――ユウキと初めて出会ったのは、たしか格ゲー系のVRMMOだったっけ。

 

 二撃目。剣に逆向きの力を加え、左下に斬り下ろす。

―――他のVRMMOでも再会する度に一緒に行動したよね。

 

 三撃目。ほぼ地面と平行に左に斬り払う。

―――AIDSのことを知ったときは本当に驚いたよ。

 

 四撃目。地面に着くギリギリまで一気に振り下ろす。

―――必死に遠ざけようとしたところを僕は踏み込んで行ったんだよね。

 

 五撃目。手首のスナップを利用して左上に素早く剣を動かす。

―――和解してからは距離がかなり縮まったのを感じたな。

 

 六撃目。弧を描くように剣先を左上に持っていく。

―――ALOに来ているとは夢にも思わなかった。

 

 七撃目。今度は右下に向かって剣を進める。

―――余命のことを知ったときはとても悲しかったよ。

 

 八撃目。丁度三撃目を逆になぞるように右に薙ぎ払う。

―――それでも、知らなかったら僕はどれだけ後悔しただろうか。

 

 九撃目。右下に向かって突きながら斬る。

―――明日奈ちゃんも必死に追いかけたよね。

 

 十撃目。最後に向けて思いきり斬り上げる。

―――一緒に沢山の想い出を作れて嬉しかったよ。

 

 十一撃目。真上から中心に唐竹割り。

 

 

 

 

―――今まで、ありがとう。ユウキ、木綿季。

 

 剣は大地にめり込んで止まった。同時に、限界まで感覚を働かせ、急制動をかけ続けて生み出した斬撃の跡が浮き上がる。十の剣筋が大きな斜め十字を描き、その中央を一本の縦線が通っている。その背後に巨大な羊皮紙が表示され、斬撃が写し取られた。それは縮みながらくるくると丸まり、封蝋のように紋章が現れて片手サイズの巻物となった。そしてその前にホロウィンドウが浮かぶ。

 

「い、今のって……。ボクのOSS……?」

「うん。斬撃にリメイクした、ユウキの十一連撃だよ」

「……凄い。こんなに綺麗だったんだね――」

「それで、ユウキにはこの技の名前を決めてほしいんだ」

 

 これをユウキに見せるためだけに、ここ最近は必死に練習していた。

 

「ユウキに名づけてもらったソードスキルがあることで、ユウキのことを手放さないでいられるかな、って」

 

 それも、ただそのためだけ。何か、証を残したかった。ユウキと僕が関わっていた証を。

 

「っ……。じゃあ、――《シスターズ・メモリー》」

「《シスターズ・メモリー(妹の想い出)》……。――名づけてくれてありがとう、ユウキ」

「っ、ありがとうはっ、こっちの台詞だよっ……」

 

 ユウキがしゃくりながら、言葉を紡ぐ。

 

「ボクッ、ボク……ちゃんと、レントの記憶に残れたっ……?」

「うん、もちろん。ユウキは記録にも残っているし、当然僕の記憶にもしっかり刻まれているよ。これで天国まで追いかけなくて済んだよ」

「ふっ、まだそんなこと考えてたの?」

 

 ユウキが微かに笑う。その頬には僅かに赤みが差してきたような気がする。

 

「さて、と。そろそろアスナちゃんが来ると思う」

「――行っちゃうの……?」

「少しだけね。ここのアミュスフィアはアスナちゃんが使うだろうから、僕は持ってきた自分のを使って入り直すよ」

 

 寂しそうな顔をしたユウキの心配を笑い飛ばす。

 

「だからその泣き顔をどうにかしておきなね? アスナちゃんが来たときに驚くよ」

「……うん! 分かった」

 

 僕は左手を振り下ろし、一旦ログアウトする。

 目を開ける。アミュスフィアを外し、サイドテーブルに置く。メディキュボイドの部屋に戻ると、丁度明日奈が入ってきたところだった。何かを呟いた明日奈は、――以前使って勝手が分かっているのだろう――僕がいた部屋に入っていった。

 僕も木綿季の様子を確認し声をかけ、すぐに隣の部屋に入る。機器を確認していた倉橋を含めて三人の間に会話はない。それでも、何も問題はなかった。

 持参していたアミュスフィアを準備する。先程は時間が一秒でも惜しかったため置いてあった物を使っただけだ。アミュスフィアが起動してネット回線に繋がるまでの時間ですら勿体なく感じる。

 僅かな時間を経て、再びALOへと意識を飛ばす。

 瞼を開くと、夕陽の橙色の光の中、ユウキが糸が切れたように倒れるのが見えた。

 

「「ユウキッ!?」」

 

 遅れてアスナもいることを確認する。倒れたユウキの両サイドに僕らは寄り添う。

 

「変だな……。痛くも苦しくもないのに、なんか力が入んないよ……」

 

 ユウキは精一杯言葉を舌に乗せる。一音一音、しっかりと確認するように。

 

「アスナ……。これ、受け取って」

 

 そう言ってユウキが持ち上げたのは、丸まった紙。

 

「ボクのOSS。名前は、《マザーズ・ロザリオ》。さ、ウィンドウを」

 

 アスナが言われるままにトレード窓を展開する。

 

「本当に、私が受け取っていいの……?」

 

 その言葉には僕への配慮も含まれていただろう。

 

「うん、アスナに受け取ってほしいんだ。それに、レントにはもう渡せたから……」

 

 そう言いながらユウキはトレード窓にOSSを入れた。

 

「きっと……、アスナを助けてくれる」

「――ありがとう、ユウキ。約束するよ。いつか私がこの世界を立ち去るときが来ても、その前にこの技は必ず誰かに伝える。あなたの剣は、永遠に絶えることがない」

「うん……、ありがとう」

 

 誰かの翅の音がした。そちらを見れば、スリーピング・ナイツの面々が駆け寄ってきていた。

 

「みんな……。見送りはしないって、約束したじゃん……」

「見送りじゃねーよ。喝、入れに来たんだっ……」

 

 キリト達も小島に来る。それぞれがユウキに声をかけた頃、空をプレイヤーの集団が埋めた。

 

「凄い……。たくさんの妖精達……」

 

 ユウキは今まで沢山の人とぶつかって、笑い合った。その繋がりがこの光景を生み出した。

 

「ボク……、生きてる理由を探し続けていたんだ……ずっと。でもね、ようやくその答えが見つかった気がするよ。――意味なんてなくても生きていていいんだ、って。だって、最期の瞬間がこんなに満たされているんだから……」

 

 ユウキの言葉が薄くなっていく。

 

「私、私っ。いつか、必ずもう一度ユウキと会うから。どこか、違う場所、違う世界であなたと巡り合うからっ……」

 

 アスナの頬を堪えきれない滴が流れていく。その後を僕が継ぐ。

 

「だからさ、ユウキ。そのときには教えて、ユウキが何を見つけたかを……」

 

 きちんと発音できたかは分からない。現実なら堪えきれるはずの涙が、零れる。

 

 

 

 ユウキが、何か呟いたように見えた。

 

 

 

******

 

~side:ユウキ~

 意識が消えていく。最期に姉ちゃんが笑っていたような気がする。大好きな人達に囲まれて新しい旅に出れるのは、なんて幸せだろう。

 瞼はもう開かない。

 

 

 

 

 そう、思っていた。

 

 

 

 

 ふと、体が軽く、動くような気がした。

 瞼を開くと、先生に部屋を貰うまでのような暗闇があった。

 驚愕と恐怖が同時に襲ってくる。

―――ううん。ボクは頑張らなきゃ!

 首を振って、恐怖を振り払う。

 

「やあ、君がユウキ君かな?」

「だ、誰っ!?」

 

 さっきまでボクは確実に一人だったはず。振り返ると、白衣の男が佇んでいた。

 

「その答えは後で教えてあげよう。それよりも、私は知人、いや友人の頼みを聞きに来たのだが」

「え……?」

「君に一つ、聞きたいことがある。――君は、身体を捨てたいか? ここで生きたいか?」

「それってどういう……?」

「もちろんリスクはあるが。現実の体は当然死亡する。死亡した存在ということになるから、軽々しく行動するわけにはいかなくなるな」

 

 こっちの話を聞いているのかいないのか、話を勝手に進める男。

 

「どういうこと? ボクは死んだんじゃないの……?」

「それはどこを死の判断基準とするかによるが、もう時間がないことは確かだ」

「あなたが言ってたのはどういうこと?」

「簡単に言えば、メディキュボイドを通じて君の意識を電子空間に写し取るということだ」

「みんなとは……?」

「先程も言ったが、人との接触は可能な限り避けるべきだ。――信頼できる者だけなら構わないだろうが」

「…………」

「さあ、どうする? 悩んでいられる時間はそうないぞ?」

 

 視界の隅、真っ黒で無限に続いているように思っていた空間が狭くなっている。何もない空間でも、そこにあったということが分かってくる。

 

「――お願い、します」

「それは、私の手を取るということかね?」

 

 そう言って男は手を差し出してきた。

 ボクは、その手を握った。

 

「契約成立だ、ユウキ君。さて自己紹介といこうか。私の名前は、茅場晶彦。これからよろしく頼む」

 

 世紀の大犯罪者はそう言ってボクの手を握り返した。

 

「え、ええぇぇええぇえええぇぇええ!?!!??」

 

******

 

~side:翔~

 今日は木綿季の告別式があった。

 木綿季の家族が住んでいた家。その近くの教会にてそれは行われた。木綿季の死が近づいてから土地の利権を求めてやって来たという親戚だが、一応は故人のことを考えたのかもしれない。

 その葬儀には、恐らく喪主側の予想を遥かに超える人数が参列した。木綿季は現実での繋がりをほとんど持っていなかったが、旅したVRゲームで出会った人々、最期に辿り着いた妖精の国で築いた絆、僕と明日奈を通じて得られた学友、その多くが木綿季の告別式に参列した。そのせいでオフ会のような態を為してしまったが、木綿季なら笑って許してくれるだろう。

 家に帰ってきた僕は、制服を脱いだ。

 そのままいつものようにアミュスフィアを手に取ろうとして、止めた。流石に今日は気分が乗らない。

 代わりというわけではないが、パソコンを立ち上げた。

 

ピピピッピピピピピピピ

 

 それと同時にメールの着信音が大量に鳴り響いた。

 

「ふぅ。…………やっとか」

 

 木綿季が逝った日、あの後ログアウトした僕と明日奈を待っていたのはドタバタだった。木綿季の命が絶えるそのときその瞬間に病院のブレーカーが落ちたのだ――アミュスフィアにはバッテリーが内蔵されている――。すぐに予備電源に切り替わったそうだから何も問題はなかったらしいが、電源が落ちた原因は瞬間的にメディキュボイドに高圧電流が流れたことらしく、それの調査を始めなければならず倉橋はとても忙しそうだった――悲しみで潰れないようにという上層部の好意なのかもしれないが――。

 僕はその停電の原因を知っていたし、原因を作ったのも僕だが、頼んだことが実現されたかの確証が持てていなかったのだ。

 メールは以前僕が心当たりに送ったアドレスの全てから同じ文面で帰ってきていた。それはとても短かったが、依頼は果たされたことが分かった。

 

 

 

 

『借りは返した。 ヒースクリフ』

 

 

 

 

 彼はそういう男だった。




 これにてマザーズ・ロザリオ編は完結となります。.5話はスペースが余ったので最後にぶち込んでしまいました。
 気づけばお気に入りが四百件超えていました。ありがとうございます。
 次話はオリジナルで、最終話ということになると思います。


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エピローグ
#50 英雄


 投稿を始めてからぴったり一年になりました。話数だけ見るとまるで週一更新のよう、あら不思議。
 唐突ですが本編最終回となります。だからと言うとあれですが、普段の二倍の量があります。どうぞ。
※キャラ崩壊注意。
※完全にオリジナルになります。


~side:和人~

 今は六月。先月も事件があったがそれも無事に解決し、最近はバイトに励みながら平和な日々を送っている。のだが……、

―――翔の様子がおかしい。

 おかしくなり始めたのは先週くらいからだ。いや、おかしいというのは言い過ぎかもしれないが、間違いなく普段とは様子が違った。

 

「どうかした? 和人君?」

 

 前の席からこちらを振り返る翔。その笑顔がいつもよりも深い。明らかに上機嫌と分かる。普段から接しているからこそ分かる違いなのだが、いつもの大体三割増しで優しい。理由が分からない分、不気味だ。

 

「大蓮君、ちょっといいかな」

「なんだい?」

 

 最近よく翔は呼び出される。今日は金曜日だが、これで今週で四度目、ほぼ毎日だ。

 

「その、……好きです! つき合ってください!」

 

 今週で四度目の告白。どこかに呼び出された今までとは異なって教室でとは。大胆と言うか、断りづらい環境を構築した策士と言うか。

 

「ごめんね。気持ちは嬉しいけど応えることはできない」

「そんなっ……」

 

 今週で四度目の玉砕。翔に想いを寄せる生徒が多いことは何となく察していたが、ここ数日はあいつの機嫌が良いからか告白する生徒がとても多い。

―――なのになぁ……。

 上機嫌だからといって、あいつが応えるかというとまた別だ。しかも告白されて少しは逡巡すれば良いものを、即断だ。余りの呆気なさに今まで振られた生徒は呆然としていた。

 教室の衆人環視の中といえどもそれは変わらない。取りつく島のなさに、観衆のクラスメイト達も相手に同情の色を示す。

 

「何でですか! 好きな人でもいるんですか!?」

 

―――おっ。

 四人目にして初めて理由を聞いた。それにしても翔に好きな人なんているのか。

 そんなとき、教室のドアが大きな音を立てて開いた。

 

「翔ーー!!!! しののんとデートするって本当!!?!??」

 

 リズだ。

―――って、それより!

 

「おい、翔! シノンとデートって本当か!?」

 

 教室の空気が変わったようだ。男からも女からも疑惑の目線だ。翔には浮いた噂など今まで一度もなかった。それが一気にデートだ、はっきり言って驚いている。

 

「何のことかな?」

「白を切っても無駄よ! こっちにはこんなものがあるんだから」

 

 勝ち誇った顔のリズはそう言って、よく見るタイプの録音機器を左手で取り出した。

 

『えっ? 今週の土曜日? ――悪いけど、翔と出かけるから私はパス』

 

 録音機器から流れるクールな声は明らかにシノンのものだ。

 どっと教室がざわめく。

 

「今のって、やっぱり……」「ヒュー、遂にあいつに、か」「クールっぽい声だなぁ、多分可愛いぜ」

「そんなぁ……」「翔君まで……」「先を越されたかっ」

 

「里香さん。そのことを誰が知っていますか?」

「え? 私と明日奈だけよ? それより――」

 

 リズの言葉の続きは生まれなかった。

 空気が明らかに変わった。教室のではなく、翔の。それは、あの世界で感じたような殺気。かつて須郷に食らった重力魔法の如き重圧が身体を圧迫する。

 

 

「里香さん。それからみんなも。

 

 変な噂を、立てないでくださいね?」

 

 今日一番の笑顔だ。だがそれは優しさから来るものではない。教室の空気が変わった。……絶対零度に体が震える。豹変した翔に、先程まで顔を――色んな意味で――赤らめていた女生徒が小さく悲鳴を溢した。

 そのまま翔は教室を出ていった。

 

******

 

~side:詩乃~

―――どうしよう……。

 早く起き過ぎてしまった。まだ日も昇っていない。いくら楽しみだったといえども、これは流石に早すぎだ。

 

「~~~~~~~~~~~ッッ!!!!」

 

 ……ふぅ。翔とその、で、デート、をするということを考えただけでも頭が沸騰しそうになる。自分でもよく誘えたものだ。

 

『ねぇ、翔』

『なんだい?』

『来週の土曜日って空いてる?』

『空いてるけど?』

『――い、一緒に遊園地行かない?』

 

 ……うん。私、頑張った。某有名テーマパークに行くのだ。下調べは終わっているし、用意は全て事前にしてある――今から準備しても間に合う時間だが――。

 

「いけるわ。大丈夫。落ち着きなさい、私」

 

 必死に自己暗示をかける。……今日、私は翔に告白しようと思う。この誘いを受けてくれたのだから完全なる脈なしではないだろうが、私からすれば翔が私のことをどう思っているかなんてまるで分からない。しかし色々と明け透けだった私の気持ちなんてとうに気づいているだろう。

―――あの朴念仁とは違うものね……。

 知り合いの黒い男の鈍感さの影響を彼が受けていないことを願う。真剣に。

 

「どうしよう……」

 

 回想に耽ったところで、既に数回繰り返しているのだから大した時間は稼げない。

―――ま、いっか。

 私は時間を潰すためにアミュスフィアを被り、懐かしい世界(GGO)に飛び立った。

―――硝煙の匂いがするわけではないし、構わないわよね。

 

 

―――やって、しまった。

 いや別に、GGOに夢中になって時間を忘れただとか、そういうことはない。ただ、別の物を忘れてしまったのだ。

―――眼鏡が、ない。

 今更気づいたところで意味はない。今から取りに帰ったのでは確実に翔を待たせてしまう。私としたことが、――アミュスフィアを着けるときには眼鏡を外す上に――視力が悪いわけではないただの伊達眼鏡なため気がつかなかった。

 仕方ないと溜め息を吐いたところで、待ち人がやって来た。

 

「おはよう、詩乃。待たせてごめんね。それと眼鏡外したの?」

「おはよう、翔。大した時間じゃないから気にしないで。……眼鏡は、元々伊達だったから」

 

 「待たせちゃった?」「ううん、全然」なんていうやり取りは存在しない。自分より早く来ている時点で待たせたことは確実なのだ。あとはそれがどの程度かという話だ。そして、流石は翔――まあ見れば分かることなのだが、あの黒い方じゃどうせ何も言わない――。いつもとの違いをさらっと聞いてくる。

 

「そうなんだ。――眼鏡がないと詩乃の顔がよく見えていいね」

 

―――~~~~~~~~ッッッッ!!!!!!!

 早速、(一キル)されるところだった。笑顔でそんなことを言われたら、恥ずかしくて死んでしまう。

―――それより……。

 翔は例のバーベキューのときから私のことを呼び捨てするようになった。私も合わせてリアルでも敬称を外したのだが、まるで呼び捨てに慣れそうにない自分が悔しい。まだ名前を囁かれると脳が沸騰して死を覚悟する。彼の掌の上で転がされている気がする。

―――まあ、それも悪くないけれど。

 好きな人の隣は、凄く安心できる。今までの私にない感覚はくすぐったくて幸せだ。喜びを噛み締めながら、私は翔の腕を引っ張って目的地に向かった。

 

******

 

~in:テーマパーク~

 

「どう思う?」

「どうって、……別に普段通りじゃないか?」

 

 某有名テーマパーク、レストランのテラス席に座って楽しそうに談笑するカップル。

 

「もう、ちゃんと見てたの?」

「見てたけどさ、どこか変わったところあるか?」

「……まず、服装はどう思う?」

 

 女性の方が頭を抑えながら男性に尋ねる。

 

「えぇと、……いつもよりも明るめ?」

「う~ん。おまけで正解。普段から意外と脚は見せてる方だけど、今日はいつもと違ってスカートじゃないわ。それに落ち着いた雰囲気でまとめてることが多いのが、今日はかなぁり活動的なコーデね」

 

 女性はそう言うが、彼女はロングスカートに上半身はゆったりとしたカーディガンを羽織っておりとても言葉のようには思えない。

 

「……あっ、眼鏡!」

「――今、気づいたの……?」

 

 女性が驚愕を示す。男性は黒髪を掻きながら目線を外す。

 

「いや、前から見てなかったから気づかなかっただけで……」

「……はぁ。本当に無頓着だよね、和人君って」

 

 男性――桐ヶ谷和人は、女性――結城明日奈に抗議の目を向ける。

 

「そもそも俺はこんなことするつもりはなかった」

「仕方ないでしょ、リズに頼まれちゃったんだから」

「本当、『私は用事があるから、二人の監視お願い!』だなんて勝手過ぎるよな……」

 

 この場にいない里香の言葉を思い出し、和人は深く息を吐く。

 

「まぁ、私もあの二人のことは気になるし……」

 

 そう言いながら明日奈は店の前の広場の方――正確に言えば、そこにあるベンチ――に目を向ける。そこには仲の良さそうなカップルが並んで軽食を頬張っていた。翔と詩乃である。二人は彼らを見守って――正確に言えば覗き見て――いたのだ。

 

「それにしても、しののん凄い楽しそうだよね」

「そうか? いつもと大して表情変わってないように思えるけど……」

 

 明日奈が再びジト目になる。

 

「か~ず~と~く~ん? それ本気で言ってる?」

「……イッテナイデス、アスナサン」

 

 溜息を吐き、納得していなそうな鈍感な恋人に説明を始める明日奈。

 

「頑張ってポーカーフェイスでいつも通りを装ってるけど、楽しさが隠しきれてない顔してるし、さっきから歩き方軽やかだし……」

 

 次々と理由が並べ立てられていく。そのどれも、言われてみれば和人にも理解できるものだった。

 

「なるほど。確かに言われてみれば……」

「翔君だから気づいてるだろうけど……。和人君だったらしののんの気持ちは伝わってないんだろうなぁ」

 

 理解できて顔を輝かせている和人と、鈍感な恋人に肩を落とす明日奈。明日奈はテーブルに伏せて顔だけを和人に向ける――絶妙な上目遣いになっているが、本人は気づいていない――。

 

「和人君はしののんが上手くいくと思う?」

「いくんじゃないか? 翔だって別にシノンのこと嫌っているわけじゃないし」

「――好きってわけでは……?」

「俺に分かると思うのか」

「……思わない」

 

 胸を張る和人。明日奈は組んだ腕に顔を埋めて唸った。

 

「うぅぅぅぅぅ」

「明日奈? 大丈夫か?」

「……うん。そうだね。よし、そうしよう!」

「ん?」

「これ以上二人を見てたってしょうがないから、私達も楽しもっか」

 

 里香への義理は果たしたと言わんばかりの明日奈。その気合の入りように、むしろそっちの方がきついのではと思い始めた和人だった。

 

******

 

~side:詩乃~

 そろそろ日が沈む。一通り乗りたかったアトラクションだとかは試し終わり、翔との初デートは楽しいままでここまで来た。

 

「夕陽が綺麗だね」

「ええ。本当に綺麗ね」

 

 こんなに近くで話しかけられても動じないまでになった。後は想いを告げるだけなのだが、それはデートが終わるまで取っておく。

 

「じゃあ、行こっか」

 

 私の手を取ってそろそろ始まるイベントに向かう翔。その足が、止まった。ここは入り口すぐの広場で、足を止めるようなものは何もないはずなのだが。

 すると、いきなり抱き締められた。

 

「え!? ちょ、え!?」

 

 

 

ダァァァン

 

 

 

 一瞬かなりの興奮状態にあった精神が一気に醒める。仮想の世界で散々聞いた音。現実の世界で聞くのは二度目。それは、銃声だった。

 冷静になった私と反対に、一瞬の空白の後に広場は恐慌へと陥る。悲鳴が響き、銃声が聞こえた方から離れようと四方八方へと人が走り出す。

 翔に守られたお陰で人の波に流されなかった私は、銃声を放った人間を目にする。そいつは大体三十前後に見える男。無精髭が生えてはいるが、頬がこけていたり髪が乱れていたりなどの不潔さはない。シャツにジーパンという簡単な服装。脇に落ちている肩かけの鞄から手にしている拳銃を取り出したのだろうか。

 そしてその男は一人の女性を捕らえていた。その頭に拳銃の銃口を突きつけている。女性は恐怖の余り涙を目に溜めながら固まっていた。

 翔は恐らく男が拳銃を手にした段階で気づき、咄嗟に私を庇ってくれたのだろう。

 

「詩乃、あの銃知ってる?」

「いいえ、見たことないわね。似たような物は見たことあるけれど」

「じゃあオリジナルかな。銃程度なら作れる人はいるからね」

 

 冷静にそう言う翔の手には見慣れた液晶画面があった。

 広場では男が何事か叫んでいる。

 すっ、と翔が一歩前に出た。動かない私達がいたからか、大勢の客は男を取り囲むように大きな円を描いている。その先頭が私達だったから、当然一歩前に出た翔は注目を浴びた。それは犯人からも同じだった。

 

「警察に通報しやがれ!!!!! おら!!! さっさとしろ!!!!! ――ぁ?」

「警察にこの電話は繋がっています。何か要求はありますか?」

 

 広場は男の声以外聞こえていなかったが、その男が黙ったので翔の声だけが響く。

―――通報してたの?

 私を守りながら翔は通報していたのか。銃の詳細を確認したのは警察に伝えるためか。

 

「っ!! じゃあ、高浦署の溝浦って奴をここに寄越せ!!!」

 

 そう叫びつつ男はもう一度空に向けて発砲した。

 携帯で今の発言を警察へと伝える翔。あの発砲音は聞こえているだろうから警察も信用するだろう。電話口からは慌てたような声が聞こえる。

 携帯をすぐ後ろにいた私に放ると、翔は男へと近づいていく。投げられた携帯を慌てて受け止めた私は翔を止められなかった。

 

「その女性を離していただけませんか?」

「あぁ!?」

 

―――はぁ!?

 男が人質を離すことなどありえないだろう。男の目的が何なのかは分からないが、人質がいない危険人物などすぐに制圧に踏みきられてしまう。それで男の目的が果たされるとは思えない。

 私は、翔の次の言葉を聞きたくなかった。

 

「僕が人質になれば、それで十分でしょう?」

 

 そう、牽制のための人質なら誰だって構わない。犯人が一般人に銃を突きつけているだけで警察は犯人を刺激できなくなるから、人質の役目は極論赤子でも構わないのだ。しいて言えば、女性の方が抵抗される可能性も、抵抗が成功する可能性も低いから女性の方が好ましいが。

―――お願い……。

 私は犯人がそう判断することを望んでいた。

 

「…………ちっ。いいだろう。その代わり、抵抗すんじゃねぇぞ」

 

 犯人は女性を翔の方へと押しやった。翔は女性に声をかけて連れの方へと送り出すと、犯人の足元で胡坐を組んだ。

 

******

 

~side:翔~

 彼と出会えたのは一つ幸運だったか。……詩乃にとっては間違いなく不幸だろう。僕も、できれば今じゃなければ良かった。

 そんなことを胡坐で考えていた。

 

「…………」

 

 頭を銃口が狙っているのが分かる。体の底から恐怖が湧いてくる。それでも、僕はここをどけない。

 

「――なぜ、こんなことをしたんですか?」

「ああ? ……何でテメエにんなこと教えなきゃいけねぇんだ」

 

 視線を向けずに彼に尋ねる。

 

「……あなたは、梶野康介(かじのこうすけ)さんの弟さんですか?」

 

 ガチャ

 

 銃が構え直された。

 

「テメエ、どうして兄貴の名前を知っている」

「……あの人とはSAOで出会いました」

「…………」

「そのときに、弟さんがいると」

「……兄貴に会ったのか」

「はい。それで、あなたはどうしてこんなことを?」

「ふん。――兄貴の仇を討つためだ」

 

―――ッ。

 

「仇、とは」

「兄貴は殺されたんだよ。あの屑どもに」

「…………」

「自慢じゃねぇが、兄貴には相当な資産があった。あの屑どもは親の権限でそれを奪おうとしてやがった」

「……親、ですか」

「……ああ。兄貴は家庭を持ってなかった。だから、あいつらは兄貴の財産を奪えると思っていやがったんだよ」

「思っていやがった……?」

「兄貴はあいつらには秘密で前から遺書を遺してた。それに基づいて、あいつらにはほとんど遺産はいかなかった。あいつらは全く無駄なことをしたんだよ」

「…………」

「オレが兄貴から目を離した隙にあいつらは兄貴を殺したんだ。SAOで死んだように見せれば、罪は全部茅場晶彦が被ってくれるからな」

 

 彼は静かに怒りを込めて語った。

 

「そうじゃなければ、兄貴が死ぬはずがねぇ。あの兄貴がたかがコンピューターなんぞに殺されるわけがねぇんだよ。サツもナーブギアから指紋が出ても、あいつらが兄貴が死んだときに病室に居ようと、家族だからって押しきられやがって……」

「それでは、その再捜査を……?」

「もう捜査できることなんざねぇよ。だが、あのおっさんなら兄貴とあいつらの縁が切れてることも知ってた。オレがここまですればきっと動いてくれるッ……」

 

 それで彼の話は終わったようだ。今度は、僕が語る番だ。

 

「……康介さんとは、SAOで出会いました。彼はかなりの実力者でした」

「そりゃあな。兄貴が弱いはずがねぇ」

「彼とは攻略組の関係で出会いました」

「へぇ、流石は兄貴だ。トッププレイヤーだったってわけか」

「……彼の最期のときも僕は近くにいました」

「――ど、どんな最期だったんだ……?」

「……詳しくは言えませんが、最期までとても勇敢に戦って、敵に被害を与えました」

「最期、まで?」

「はい。……ラグが起きたようなこともなく、最期まで、戦い抜きました」

「は……?」

「彼の最期の言葉は、『弟じゃなくて良かった』でした。それだけは伝えようと――

 

 

 

ダァァン!!!!!!!

 

 

 

 

 耳元で聞く銃声とはこれほど響くものだったのか。反響した銃声が脳を揺さぶる。僕の身体から一mほど離れたところに弾痕が生まれていた。

 

「っそれ以上は止めてください。今なら手が滑っただけですから、罪は軽くなります。お願いします。お兄さんも貴方にこんなことはしてほしくないでしょう」

「黙、れ。うるさい、お前に、何が分かる……。じゃあ、じゃあ、何だよ、あいつらは関係ないってのか? は……?」

「はい、恐らくは」

 

 彼には受け入れがたいことかもしれないが、事実は事実だ。彼の両親は本当にたまたま居合わせただけなのだろう。

 

「嘘だ。嘘だ嘘だ嘘だ。兄貴が簡単に死ぬはずがねぇ……。――お前か」

 

 低い声で、まるで呪いを籠めるかのように、彼は僕を見た。

 

「お前がいたからか。そうだよな。兄貴が簡単に死ぬはずがねぇんだ。さっき、テメエ死んだ状況は話せねぇって言ってたな。お前が原因か。兄貴が死んだのはお前が原因だったってわけだな」

「…………」

「最期の言葉を聴けるほど近くにいたんだな。なら、テメエが兄貴が死んだ原因に違いねぇ。そうだろ、そうだろ!?」

 

 彼の目が僕を映しているのかも、もう分からなかった。疑問の形を取っているようで、彼は僕の答えを全く期待していなかった。

 彼が脚を振るう。胡坐で座る僕に避けられるべくもなく、脇腹を抉られる。

 体から空気が逃げる。

 脚が振り抜かれたため僕は蹴り飛ばされた形になる。その反動を利用して立ち上がる。動きを阻害するような物を着けられていなくて幸いだった。

 そう僕が思ったのはほんの一瞬だった。

 男は立ち上がった僕に向かって銃を構えていた。

 周囲をすぐに確認する。広場だから当然遮蔽物なんてものはない。男と僕の身長差はほぼ零。銃口はやや下を向いており、恐らくは心臓を狙っているのだろう。

 男は撃つかどうか逡巡しているようだった。やはり先程のは衝動的な行動で、落ち着けば大丈夫かと思ったそのとき、僕の耳に彼の声が届いた。

 

 

 

 

 

「兄貴の、仇……だ」

 

 

 

 

 思わず体が固まった。

 彼の指が震えるようにして引き金に近づく。

 震える銃口で着弾点が予想できない。手足ならば、最悪構わない。そもそも運が良ければ弾丸が外れる可能性もある。それに恐らく射撃と同時に屈めば素人の腕では当てられない。そうして弾を避けれ……ば――

 

「――詩乃……」

 

 僕の後ろには、人がいた。傷つけられない人。護りたい人。

 僕は、避けられない。彼に、撃たせてはいけない。

 ハッとしたときには、男の指が引き金にかかっていた。頭が空っぽになった。

 気づけば駆け出していた。僅かに驚く男も、すぐに指に力を込めようとする。

 引き金を引き切る直前に肩から男に飛び込む。体重をかけて男の身体を地面に張り倒す。一連の動作の衝撃で弾丸が発射されるが、それは僕の顔の右側を飛んで空に向かっていった。すうっと右頬が風圧で僅かに裂ける。だが、僕はそんなこと気にならなかった。いや、気にできなかった。

 彼を起こさないように、再び射程に彼女を入れないように、僕は彼を取り押さえることに必死だった。焦っていたからだろう。慌てていたからだろう。僕は彼を押さえつけることで精一杯だった。そして気づかなかった。

 

 彼の右手の拳銃が僕の頭を狙っていることに。

 

******

 

~side:詩乃~

 彼が蹴り飛ばされたときに私は駆け寄りそうになった。だけど、できなかった。あの人の背中が来るなと言っているようで。

 私の前で立ち上がった彼はまるで私を護ってくれているようだった。自惚れかもしれないが、そう思いたかった。

 彼越しに銃口が見えた。

 

 

 恐怖に捕まった。

 

 

 冷や汗が止まらない。背中どころか体の隅々まで冷えきって、誰かに縋りつきたくなった。あの日の光景がフラッシュバックする。銃口の暗闇からあの男が顔を出す。手が震え、立っていられずに座り込みそうになる。

 そのとき、あの人がこちらを一度見た。

 それだけで恐怖は遠退いた。根源的な死への恐怖は残るが、記憶への怯えは遠ざかる。自分でも単純だと思うが、それでも今だけは助かった。

 あの人は銃口への恐れなんて見せずに、犯人へと飛びかかった。思わず心の中で歓声を上げ、応援する。

 だが、それも長くは続かなかった。

 犯人はあの人の圧力で身体の大部分と左手を全く動かせない。しかし右手をしぶとくも動かそうとしていた。そしてその手には、拳銃があった。

 今度は駆け出していた。周りが突然の行動に目を瞠るが、私はあの人の許へ走った。

 走る内に犯人は右手を完全に自由にしていた。そして、その銃口をあの人の頭へと向けていた。

 私の脚に更に力が籠る。今更止まるはずもない。

 至近距離まで接近した私に、トリガーに指をかけた犯人がようやく気づいてその表情を驚愕に染める。しかし一瞬の後にすぐに引き金を引こうとする。

 私は無我夢中で、脚を振り抜いた。そしてそれは綺麗に犯人の手に直撃し、私の足に確かな感触を与えた。

 犯人の手から拳銃が飛ぶ。私はすぐにそれに飛びつくと、構えて犯人へと向けた。

 

「すぐに抵抗を止めなさい!」

 

 犯人は観念したかのように、大人しく翔に取り押さえられた。

 

******

 

 私と翔の大立ち回り――自分で言うのはとても恥ずかしいが――の直後に警察が到着した。

 犯人の男は呼び出した、恐らく知り合いであろう刑事と少し言葉を交わすと、大人しく連行されていった。翔の頬の怪我はほんの掠り傷だった、というか古傷が開いただけだそうなので、緊急事態に備えて呼ばれた救急隊員に簡単に手当てをされていた。

 犯人が連行された後に私達はとても怒られた。私の方は状況を確認して――あんな場面にもかかわらず撮影している野次馬がいたそうだ――咄嗟の判断だったから軽い注意で済んだが、翔は傍から見て可哀想になるほどだった。

 まず通報したのは良かったが、その後の犯人へ声をかけるという行為が挑発と取られるかもしれない、と。次に人質の女性を助けようとしたことは立派だが、それは一般人がやることではなく、更に言えば自分が人質になるのは自らの身を最優先にするべき一般人からしたらありえない、と。そして最後の立ち回りは蹴られてからは成り行きで仕方ない――それでも拳銃への警戒が足りないと言われていた――が、蹴られるまではどこか穏便だった犯人の態度が一変したのは何か挑発をしたからではないか、そういうことは危ないから止めろ、と。

 それも警察らしいこちらの言い分を完全に無視した頭ごなしな人格まで否定するような怒りの発露ではなく、危険性を十分に説明し、ゆったりとした口調で教え諭すように説教するものだから反発しづらい。あの警官は教師が天職なのではなかろうか。

 事情聴取も終わり、ようやく解放されたときにはすっかり夜も更けていた。心残りはあるが、時間も時間なので私達は大人しく自宅へと帰ることにした。

 移動中はどちらも何も喋らなかった。

 最寄り駅で電車を降り、そのまま私を家に送ろうとする翔を手で遮った。

 

「ねぇ、あなたの家に行ってもいい?」

「え……?」

「少し、話したいことがあるの」

 

 方向は変わったが、私達は二人で並んで歩いた。

 そして、翔の家。部屋の大きさは私の部屋とほとんど変わらないが、間取りは違う。それに自然と笑みが零れていた。

 部屋の座卓で私と翔は差し向いに座った。翔が出してくれた烏龍茶に口をつける。

 

「今日はごめんね。折角楽しい一日だったのに僕が首を突っ込んじゃったから」

「ううん、それはいいの。それより、貴方、あの犯人とどういう関係なの?」

 

 私がいたところでは遠過ぎて会話していることは分かったが、内容は全く分からなかった。それを今、問い質す。

 

「……あの人のお兄さんとSAOで出会ったんだ」

「どうして分かったの? 本人じゃなくて弟でしょ?」

「……色々と調べたからね。あの人には伝えたいことがあったから」

「伝えたいこと?」

 

 翔は唾を飲むと、一呼吸入れて私の質問に答えた。

 

「彼のお兄さんの最期の言葉」

「ッ――。お亡くなりになったのね」

「うん。僕が殺した」

 

 

 呼吸が止まった。

 

 

「彼のお兄さんはラフコフ討伐戦での最後の犠牲者だ。ラフコフ側だったんだけど、僕の判断ミスで殺してしまった」

「そんな……」

 

 私は今日の翔の動きを思い浮かべた。

 

「もしかして、それで手加減してたの?」

「……どういうこと?」

「貴方のことだから、リアルでもあのくらいなら鎮圧できたんじゃないの?」

 

 我ながら信頼感が天井を知らないが、思ったことをそのまま口にする。

 

「できなかった、とは言わないよ。でもあれは周りの安全も兼ねてたし」

「嘘。人質になっていたときはかなり相手も油断してた。あの間に制圧した方が安全で確実だった」

「…………」

「それに、貴方は撃たれたときにほとんど何も抵抗してなかった。どうして?」

「……撃たれても、いいかなって少し思ってた。あの人さ、ずっとお兄さんの仇を取ろうとしてたんだよ。だから、僕が正当な仇なわけだから」

「ッそんなわけないでしょ! それにラフコフ討伐戦で戦ったんだったら、その兄ってのは犯罪者じゃない!」

「犯罪者だから殺していいわけじゃない!!」

 

 ハッとこちらを窺う翔。今の言葉に私の頭も急激に醒める。少し二人とも熱くなり過ぎたようだ。

 

「ごめん、詩乃」

「別に構わないわ。確かに翔の言う通りね。犯罪者だからって、殺してもいいわけじゃない」

「うん。それに、ラフコフの下っ端ってのはPoHに唆されただけの人が多いんだ。あの人は最期に弟を気遣ってた。単純な凶悪殺人鬼には、思えなくて」

「……そうね。でも、それとこれとはまた別よ。今の日本では敵討ちなんて認められてないわ。貴方に殺される理由なんて、全く存在しない」

 

 口ではそう言っても、私には翔の気持ちがよく分かった。私も、もしあの男の関係者だと名乗る者が来たら、殺されても良いとまでは思わないが、まともに抵抗できる気はしない。

 互いに言葉を探して沈黙が空間を満たす。

 

「……そう言えば、どうして最後に犯人に飛びかかったの?」

 

 ふと、口から疑問が零れた。

 

「えっ……。――それは、……詩乃が、いたから」

 

 最後は――翔にしては珍しく――消えそうな小さな声だったが、生憎と部屋は静かでよく聞こえた。

 

「え」

 

 だから、ちゃんと――という言い方はおかしいか――思考が停止した。

 

「僕が避ければ詩乃まで一直線だし、避けなくてもあんなに手が震えてたら詩乃に当たる可能性があったから」

 

 それは、これは、勘違いしても許されるだろうか。気持ちが舞い上がった。

 

「詩乃は?」

「え?」

「詩乃はどうして最後、走ってきてくれたんだい? ……拳銃は、怖いだろう?」

「それは、翔が危なかったから」

 

 だから、言葉は素直に出てきた。普段からは考えられないくらいするすると言葉が出てくる。

 

「翔がいてくれたから、私は今ここにいる。死銃に殺されてたとかじゃなくて、私が、今の私になれたのは貴方のお陰。貴方がいなければ、私はずっと震えているだけの少女だった。それがああしてもう一度立ち向かえたのは、貴方がいたから。私に光を見せてくれたから。拳銃は、……まだ怖いけど、貴方のためなら私も走り出せる」

 

 翔が私の顔を見つめる。私は座卓を乗り越えて翔の手を掴んだ。

 

「詩乃……」

「だから、殺されてもいいなんてもう二度と言わないで。思わないでとは言わない、でも、私の前からいなくならないでッ――」

 

 気丈に振る舞おうとしたができなかった。翔が私の手の届かないところに行ってしまう、そう考えただけで声が震えた。口の端が歪んだ。

 翔はこちらをじっと見つめた。その口がゆっくりと開いていくのを、私は身構える。

 空気が、揺れた。

 

 

 

 

 

「好きだ、詩乃」

 

 

 

 

 

 

 

「へ?」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「へ?」

 

 いけない。頭が真っ白になっていた。

 

「え、…………ちょ、え、え」

 

 言葉を口にした翔が目に見えて分かるほどに慌てふためく。こんなに慌てた翔を初めて見た。白い顔が耳まで真っ赤に染まっている。

 

「あ、あ、ああああああ」

 

 ここまで慌てられると逆にこちらが落ち着いてくる。ちなみにさっきの一回目の「あ」で動きが止まり、一回目の「あ」で少し顔から赤みが引いて、「ああああああ」で座卓に額がつくほど崩れ落ちた。

 深呼吸して、再びこちらを見た翔はすっかり落ち着いたようで……いや、かなり落ち込んでいた。

 

「はぁ……。もっと、ちゃんと、告白するはずだったのに…………」

「…………大丈夫?」

「うん……。詩乃、もう一回言うね。僕は君が好きだ」

 

 翔が落ち着くのと反比例するかのように私の心拍数は上がっていく。フルダイブ中なら強制ログアウトさせられるほどにドキドキしている。

 

「……私も、貴方のことが好き。他の何よりも」

 

 言ってしまった。もう戻れない。

 

「僕の……隣に、いてくれるかい?」

 

 いつもの微笑みに見えて、自信がなさそうな固い笑み。自信を持てば良いのに。私の答えは決まっているのだから。

 

「ええ、もちろん。私の方こそ隣にいさせてほしい。……私の、英雄(ヒーロー)

「英雄?」

「さっきも言ったけど、私を救ってくれたのは貴方なの。だから、私の英雄は貴方」

「――それは、嬉しいな」

 

 さっきとは違う、いつもとも違う深い笑み。

 私と翔はどちらともなく顔を近づけた。




 一年間本当にありがとうございました。皆を救う英雄に憧れた少年が、一人の少女の英雄になっていたというありふれた物語でした。
 このシリーズの本編はこれにて完結となりますが、このシリーズ自体は蛇足編(ほのぼの話)を完全オリジナルで細々と続けたいと思います。これからも見守っていただけると幸いです。


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オーディナル・スケール編
#51 勧誘


 お ひ さ し ぶ り で す
 気づけば本編完結から四ヶ月も経ってしまいました。まあリアルで色々環境が変わったんで放置してしまっていたんですが。
 他にも新作を書き始めたので忙しくなるというのに、某作品が更新された嬉しさで投稿してしまいました。投稿したからには続きを書かないと。
 こうして夏の自分を追い込んでいくスタイルです。
 それでは、オーディナル・スケール編です、どうぞ。


 四月五日月曜日。木綿季の告別式から一日置いて、僕は都内の病院へと来ていた。

 木綿季の入院していた病院よりもしっかりとしたセキュリティで、顔馴染みの受付といえど真っ当な手続きを踏む。今から訪れる人は木綿季と違って普通の扱い――病状が普通かは置いておいて――を受けているため、ただの面会者カードを貰ってカウンターを離れた。

 エレベーターの前で何階が目的地か迷っている人に道案内をしてから階段で病室へと向かう。しばらく上り続けると、一つ一つの病室が個室で広い、要するに入院費の嵩む階へと辿り着いた。

 軽く息を吐き、階段から右方向、進行方向左側の五つ目の扉を叩く。誰もいないと思っていた部屋の中から聞こえた「どうぞ」という男性の声に、病室の表札の名前が変わっていないことを思わず確認してしまった。

 中にいたのは、入院している彼女の父親。最近頻繁にテレビや新聞などの報道で目にする教授だった。

 

「やあ、大蓮君。いつも悠那の見舞いに来てくれて感謝するよ」

 

 部屋の主の名は『重村悠那』。未だに目を覚まさない唯一のSAOサバイバーだ。

 

******

 

 悠那はSAOではある程度有名なプレイヤーだった。主に中層を中心に活動しており、特定のパーティに所属せずに色々なパーティを渡り歩いていた。

 SAOには様々なプレイヤーがいたが、彼女はその中でもかなり珍しいプレイヤーだった。スキル《吟唱》。それが彼女が好んで使っていたスキルだ。歌うことで歌を聞いた者にバフをかけるというスキルなのだが、デメリットとして敵からのヘイト値を相当高めてしまう。そもそも人前で歌いたくない人も多く、使い手は彼女以外に知られていなかった。そのため彼女には《歌チャン》やら《歌姫》といった通り名までつけられていたものだ。

 彼女もSAOゲームクリアまで生き延びていた。だがそのままALO事件に巻き込まれてしまった。そのALO事件も解決した。それなのに、悠那だけは未だに目を覚まさない。

 

 簡単に悠那の顔を確認する。ナーブギアはかつては外したときに何があるか分からなかったために装着したままだったが、彼女の父親である重村教授の解析によって危険性がないことが判明して現在は外されている。そのため顔が良く見られるようになっているが、顔色はお世辞にも良いとは言えなかった。身体の肉はごっそりと落ちている。懸命な介護により一命は取り留めているが、彼女から生の活力を感じることは難しい。枕元の心電図モニターを見る限り、まだ大丈夫そうだが……。

 

「――大蓮君」

「何でしょうか、重村教授」

「君に、一つ頼みごとがあるんだ」

「…………」

 

「私の、悠那を目覚めさせる計画に協力してくれないか」

 

 僕は重村教授の顔を振り返った。その瞳は悠那を悲しそうに見つめていた。

 僕の逡巡は一瞬だった。

 

「僕にできることなら、悠那さんのために全力を尽くします」

「……それなら、今から私の研究室に来てくれ」

 

 病院から重村教授の研究所がある東都工業大学までは数分の距離だ。そこを徒歩で行く僕と重村教授の間に会話はない。

―――そもそも、重村教授はどうやって悠那さんを目覚めさせるつもりだ?

 悠那が目覚めない理由、それは主治医によれば精神的なものだという。現代医学はそういったことに未だに弱く、謎が多いために詳しいことは分からない、という一般的な結論に落ち着いている。

 推測、憶測、何でも良いが、そういったものでは、何かしらが彼女の心に巨大な負荷をかけたために彼女の精神は自己防衛として内に引き籠ったのではないか、という仮説が立てられていた。

 しかし、それならばどうやって目覚めさせるというのだろうか。精神論だろうか。今も毎日呼びかけるといったことは続いている。目覚めるか否かはもう悠那の気持ち次第なのではないだろうか。

 そんな風に思考を重ねている内に大学へと着いてしまった。

 重村教授が一切迷わずに歩みを進める――寧ろ教授としては迷っているのはまずいだろうが――のに対し、僕は東都工業大学という名前に少し二の足を踏んだが、すぐに腹を決め重村教授の後を追った。

 重村教授の研究室へと通される。そこには一人、僕も知る人物がいた。

 

「鋭二さん……」

「――重村教授。彼にも協力を?」

「ああ。彼なら力になってくれるだろうからね」

「そうですか。……これからよろしく頼みます、レントさん」

 

 彼は後沢鋭二。SAO時代は《ノーチラス》という名前で活動していた悠那の幼馴染だ。彼女とはSAOの中でもいつも一緒だった。

 彼は一時期《血盟騎士団》の団員だったのだが、フルダイブ不適合(FNC)であることが発覚したため最前線に立つことはなかった。僕はエイジが血盟騎士団に入るよりも前に中層で彼らと知り合ったのだ。

 現実に帰還してからの彼はずっと悠那を待ち続けている。帰還者学校には通わずに独力で高卒資格を取り、現在は東都工業大学に在籍して重村研究室に通っていると聞いていた。

 そんな彼とは悠那の病室で会うこともあったが、ここ半年ほどは顔を見ていなかった。半年前はいつも哀し気で頻りに遠くを見る様子だったが、今は締まった顔をしており目にも確かな強さがあった。

 

 乱雑に置かれた物にすらどこか規則性を感じるような大きなテーブル。それの鋭二の隣に座る。

 僕が座ったことを確認した重村教授は、脇からホワイトボードを引っ張ってきて僕に対して説明を始めた。

 

「さて、大蓮君。君には悠那を目覚めさせるために協力してほしいと言ったね。その計画というものを今から説明する。まず現状確認だ。悠那の精神は頑なに閉ざされ、専門家を回ってもみたが、外からの刺激はほぼ感じていないそうだ。ゆえに悠那が目覚める確率は限りなく低い。余りにも深くに潜っているため自力で目覚めることも期待できそうにない」

 

 重村教授はホワイトボードに一つ一つ口にしたことを書き連ねていく。

 

「そこで私達は悠那の再現AIを作ろうと考えた」

「再現、ですか」

「ああ。悠那を知る人の記憶をかき集めて悠那を再現する。再現したAIは限りなく悠那に近い同位体となるだろう。それから同位体を橋渡しに悠那にアプローチをかけていく。まずは同位体と感覚を繋いで現在よりも密に語りかける方法。次に同位体との接続をより深くして精神に直接アクセスする方法。そして最終的には悠那の身体にその同位体をインストールし強制的に目覚めさせる方法。軽く考えてもこの三つの手法が存在する」

「……同位体をインストールした場合、目覚めた悠那さんは同位体なのではありませんか?」

「その心配はある。当然目覚めた後には同位体であるプログラムはサルベージするが、危険な賭けになってしまうだろう。しかし、悠那を再現する手段を準備したところ、全く別の方法が出現した」

 

 ホワイトボードに『オーグマー』という名前が書かれる。

 《オーグマー》とは拡張現実(AR)を実現する端末のことだ。先日の四月一日に発売された端末で、重村教授がその開発者だ。多機能で様々な展開をしており、中でもARゲームの《オーディナルスケール》はかなりの話題を呼んでいる。

 

「当然オーグマーは知っているだろう? 私はあれを使って悠那の記憶を集めている」

「――オーグマーに何か仕掛けが?」

「ああ。あれを作った私だけが使えるシステムだが、装着者の記憶をスキャンする機構を組み込んである。強く感情が揺さぶられたときという条件はついているがな。強い感情を観測したときにオーグマーはその感情を増幅させ、そして増幅された感情と関連づけられた記憶をスキャニングする。それで記憶を集めるというわけだ」

「強い感情、それは『死の恐怖』のようなものでしょうか」

「ああ、その通りだ。むしろ死の恐怖ほどでない限り、そもそもの最初の観測で引っかかりはしないだろう」

「……オーディナルスケールのモンスターはSAOのものに酷似しています。SAOからサルベージしたモンスターもいるのでしょう。それらに襲われ、HPバーが減る。そうすればSAOサバイバーは特に死の恐怖を感じる、いや思い出す」

「ふ、全く察しが良いな。そもそも実体験の伴わない感情などいくら原初の本能とはいえそう強くはならない。SAOのように命を懸けないただのゲーム、そこでのHP減少で強く恐怖を抱く者などSAOサバイバーだけだ。そしてSAOサバイバーならば、あのような現実にはいないモンスターに襲われ恐怖を抱いたときに思い出すのはSAOのことに他ならない。そこからSAOでの記憶を全てスキャニングする。例え視界に一瞬映っただけだとしてもそれは悠那の記憶に違いないのだから、それらを集めればSAO時点での悠那ならば理論上問題なく再現できる」

「……二年間、住人は一万人に満たない。そして悠那さんは路上ライブなどもしていた有名人。殆どの人が目にしているはずです。――教授は全SAOサバイバーをスキャニングするおつもりで?」

「ああ。しかし、この手法を編み出したときに思いもしない副作用が現れてしまった。いや、現れてくれた、が正しいか」

 

 そう言いつつ、教授は『記憶の喪失』と書き出した。

 

「脳に特殊な電波を当て記憶を読み取る。その副作用で脳は読み取られた記憶を上手く引き出せなくなってしまうことが発覚した。しかしこれこそが行幸だったのだ。この技術を用いて悠那から記憶を抜き取れば、悠那を苦しめている、苛んでいる思いから解放できる。そうすれば悠那は目覚めるはずだ……」

「具体的にどういった手法で悠那さんから記憶を抜き取ろうと?」

 

 脳内で今の話を咀嚼しながら教授に問いかける。

 

「そのための同位体だ。既にオーグマーを使って記憶を集め、それによって再現AIを作り出し始めている。そしてARアイドルとして作ったAIと合成し、その同位体と悠那を接続するのだよ。接続に関しては既に準備は終わっている。最後の仕上げは今月末のライブで行う予定だ」

 

 ARアイドル、とはAR端末オーグマーを宣伝する広告塔だ。《ユナ》という悠那をモデルにしたもので、余りにも自然な言動から中の人がいるという疑惑まで出ているAIだ。音楽活動も行っており、今月末には新国立競技場でライブを開催する予定だ。

 

「ユナのライブ中にSAOのモンスターを大量に出現させて場内の恐怖感を煽り最終スキャンを行う。そのスキャンによって再現AIは完成し、完成したAIと悠那を同期させれば悠那の脳に直接競技場の映像を送ることができる。そしてそれは悠那があの研究者どもに見せられた光景と重なるはずだ。そこで悠那にスキャンをかけその記憶を封じる。心を閉ざす原因の記憶がなくなれば、すぐには無理でもいつかは目覚めてくれるに違いない」

 

 教授の策は把握した。仮説に仮説を重ねている部分もあるが、成功の目はある。AIと悠那の同期はかなりの自信を持ってできると言っていたし、何とかなるのではなかろうか。

 

「教授のおっしゃることは大体分かりました。是非とも協力したいのですが、少し条件があります」

「……条件、か。何を要求する」

 

 少し教授が身を固くするが、そう警戒する必要はない。僕は敵ではないのだから。

 

「まず、封じられた記憶を回復させることはできるのでしょうか」

「記憶の回復……だと? なぜそんなことを」

「……確かに、SAO事件のようなものの記憶を残しておきたいというのは奇異に映るかもしれませんが、それでも、僕にはあの世界で確かに得たものがあります。それは僕の知る仲間も同じです。その記憶をなくしてしまうことは容認できません」

「――。……記憶の回復は、できる。実験中に幸いにも封印を解く波長の電波も発見した。良いだろう、希望者には記憶の回復処置を行おう」

「次に、先程のものと関係しますが、今回のことを対象者にも教えていただきたい」

「何だと?」

「スキャニングをしたサバイバーには人員を派遣して、一部のユーザーのオーディナルスケールが不具合を起こしたため特定の記憶が封じられてしまうと告げて慰謝料を渡し、希望者には記憶回復処置を受けさせていただきたい。そうすれば正式発売されたオーグマーの不具合を隠したいだけだと思わせられるでしょうし、変に探られることもないはずです。更にそうやって示談を成立させておけば後々楽になるかと」

「…………。なるほどな。確かに、その方が安全と言えば安全だろう。オーグマー、並びにオーディナルスケールの使用者は増え続ける。その中の一部が声を上げても、いや、慰謝料を渡す際に口外しないことを頼めば広まることもないか。その提案は受け入れよう」

「ありがとうございます。……確認ですが、この計画で死者は出ませんよね」

「ああ。スキャンによって意識を失う可能性は高いが、オーディナルスケールのプレイ中であれば多少の打ち身に擦り傷程度で済むだろう。更に言えばこちらでもすぐに救急車を呼んでいる」

 

 その言葉を聞いて少し安心したが、ふと問題点を思いついた。

 

「……スキャンによって気絶してしまうのなら、ライブ会場は酷いことになりませんか?」

「それも一つ目的と言える。悠那が見せられたのはそういう光景だそうだ」

「であるならばそのアフターケアも必要では?」

「む……」

「いっそ悠那さんのスキャニングが無事終わったときに世間に公表するというのはどうでしょう。オーディナルスケールのゲリライベントを企画したところ不具合が発覚し、それによって意識を失ってしまう人が続出したために緊急メンテナンスを行い不具合を修正した、と。ただ責任を教授が取らなければならなくなるでしょうが」

「それは構わん。悠那が目覚めるならばオーグマーがどうなろうと知ったことではない。アメリカに権利を取られようとも悔しくも何ともない。……それに今の意見は確かに有用だな。取り入れるとしよう」

 

 これらのアフターケアを行えば、ただただ新技術が少し失敗しただけだと世間は受け取るだろう。教授は色々と立場を失ってしまうかもしれないが本人は構わないと言っている。それなら何も問題はない。

 

「さて、大蓮君。条件とはそれだけかね?」

「はい。……ただ最後に条件、ではなく忠告として。鋭二さんにも」

「ん、何だ?」

「《黒の剣士》キリト、及びその周辺人物に手を伸ばすのはライブの直前にした方が良いですよ」

「……なぜだ」

「彼は中々鋭いですから。僅かな情報からこちらを邪魔してくるかもしれません。特に和人君は総務省の役人とコネクションがあります。警戒を」

「忠告、か。胸に留めておこう。《白の剣士》」

 

 鋭二は少し厳しい目でこちらを見てきたが、それには気づかないフリをする。

 

「それでは僕も計画に参加させてもらいます。取りあえずは僕の記憶をスキャンしますか」

「ふむ、では記憶回復用の電波も用意しよう。あちらの部屋に行ってくれ」

 

 教授が指差した小部屋へと入る。

 扉を開けながら心の中で覚悟を決めた。

 仲間の記憶を、一時とはいえ奪う覚悟を。




 むむむ、遂に敵フラグです。
 ちなみに、犠牲者を減らすことが目的だったのに、この悠那が唯一の原作死亡キャラ(名有り)の生存者です。
 何でこうなったんだろ……。まあ、名無しの人がSAOでいっぱい生き残ってるし別に良いよね!


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#52 計画

 OS編第二話になります。さて、大体今までアニメの話数と同じ話数でやってきていましたが、アニメは一話三十分ですから、映画が百二十分とすると四話分ということになります。
 ……四話じゃほぼ確実に終わりません。
 では取りあえず中間、になるかもしれない二話目を。どうぞ。


 気づけば四月も終わり頃、今日は四月二十四日だ。世の中は近々に差し迫った春の大型連休、いわゆるゴールデンウィークに向けて動き出している。今年のGWは昭和の日が週の中央にあり中々にこちらの集中力を削ぐが、その後に期待の五連休が待ち受けている。

 ここSAO帰還者学校では、その昭和の日にあるARアイドルユナの国立競技場ライブで盛り上がりを見せている。VRの一番の被害者で心に傷を負った者も多い学生へのサポートとして、学校からAR端末オーグマーが配布された。更には若者を中心に大人気でチケットを取ることが非常に困難なユナのライブへの招待状まで配られた。これで盛り上がるなという方が難しいだろう。

―――……それも、全て計画の内なんだけどね。

 事情を知る身からすると少し、いや、かなり申し訳なく感じる。まあライブ自体は行われるわけだし、オーグマーも無料配布だからそれで帳尻を合わせたことにして欲しい。

 当然だが帰還者学校はSAOサバイバーが多く集まっている、というよりサバイバーしかいない。ならば確実にターゲットにするためにオーグマー、そしてユナのライブへの招待状を配るのも堅実な策だと思う。更に言えば、一般のライブチケットの方もSAOサバイバーが優先して当たるようなプログラムになっているそうだ。運が悪いとそれでも当たらないのだが。

 

「翔さん!」

 

 聞き慣れた声がして後ろを振り返ると珪子――シリカだ――が駆け寄ってきた。

 

「これからみんなで遊びに行くんですけど、一緒に行きませんか?」

 

 みんなというのは恐らく和人、明日奈、里香だろう。

 

「ごめんね。今日は用事があってさ。またの機会に」

「むう、そうですか。分かりました。それでは!」

 

 ビシッと敬礼をされたので適当に敬礼を返しておく。そうするとまた小走りでどこかに去っていった。五月病とは無縁な元気さである。

 珪子と別れて僕は東都工業大学へと向かう。希望進路先でもないのにここ最近はかなり通い詰めている状態だ。

 

「こんにちは、鋭二さん。予定に狂いはありますか?」

 

 研究室にいた鋭二に声をかける。端末に向かって何か作業をしていた鋭二はこちらに顔を向けた。

 

「特には。地方に関してはかなり良いペースだと報告が上がっています。都心、並びに地方中枢都市ではSAOからサルベージしたゲリラボスでかなりの数を稼いでいます。このままいけばユナの作成に不備は生まれません」

「それは良かった。……それと、鋭二さん。僕の方が年下です、敬語は止めていただけませんか?」

「それを言うなら貴方こそ。貴方がいなければ僕も悠那も生きていることはありませんでした。そんな恩人に敬語を使われるというのは、中々居心地が悪くなります」

 

 睨み合う僕ら。SAOでは互いにリアルを知らせ合わなかった上、対等なプレイヤーの関係を築く目的で敬語とは無縁だった。それが現実世界で会って敬語を使われたら収まりが悪いことこの上ない。

 しかしだからといって僕から敬語を外すことはない。これは一種の区切りだ。ここは現実世界なのだから、同じ人間だとしてもゲーム内とは区別するべきだ。中身は同じ、自意識も同じかもしれないが、(現実)では身分が違う、年齢が違う、立場が違う。内心は同じだとしても行動は変えるべきだろう。特にゲームでの関係など知らない人がいる場所では。

 埒が明かないため僕らは視線を外して切り替える。流石にこの攻防も二桁を数えれば慣れる。それよりも、と僕は机上に置かれたファイルを手に取った。

 ファイルに挟まれているのはただのA4のコピー用紙だが、その全てが黒い印字で埋められている。SAOサバイバーの本名、プレイヤーネーム、そしてそこから割り出した現在のオーディナルスケールでのプレイヤーネームの羅列だ。

 六千人分以上――実数では一万八千以上――にも上るその大量の名前と名前の上に引かれた横線に黒鉄宮を思い出すが、あれとは違ってただのインクと紙だ。重々しい石碑ではない。

 

「それにしても重村教授の計画の協力者はかなり多いですよね」

「……教授はSAO事件の際にかなり弱みを見せてしまったそうですが、それが逆に信頼に繋がったようですね。地方までは手が回らないのでありがたいことです」

 

 SAOの一万本は基本的には都内や関東圏でだけ発売されたが、ベータ版では関東以外にも当選者はいたようであるし、SAO購入のためだけに上京した者やクリア後に地方へと動いた者もいてサバイバーは各地に点在している。関東圏が最も多く、次いで名古屋や大阪が多いのだが、当然それ以外の場所にもいる。その人らの記憶は重村教授のかつての門下生などが集めているのだ。

 オーディナルスケール、並びにオーグマーを使用している者のデータは全て重村教授の管轄にある。そしてSAOサバイバーの情報も、先日販売された《SAO事件全記録》だったり教授のコネから集積されていた。

 それらをまとめた資料には住所まで載っていた。流石に情報量が多すぎるので紙媒体にするときには都道府県までに絞ったが。

 記憶の収集率は既に七〇%に届きそうだった。地方に限れば九〇%まで到達している。先日の四月十五日からSAOボスをゲリラボスとして出現させる試みを開始したが、それからは都市部での収集率も急速に上がっている。ユナのライブの当選者は記憶回収の予定が入っているため数に含むとすると、八割を超えるサバイバーの記憶を集められている。

 はっきり言ってここまで順調に行くとは思っていなかった。四千人ほどがスキャンされているにも関わらず世間に話題は一切出ていない。僕の策が上手くいったということだろうか。

 そんなことを考えながらデータに目を通す。

 

「鋭二さん。それでは今日は埼玉の方に行ってきます。確かSAOボスは秋葉原でしたか? お気をつけて」

「気をつけるも何も、ユナを護れば良いだけですから」

 

 鋭二に軽く声をかけてから研究室を出る。学生で早くから自由な時間に入れる僕らは、関東圏を移動して個々にサバイバーを襲撃している。オーディナルスケールはPvP要素も取り入れているため、そのシステムを使えば怪しまれずに相手のHPを減らすことが可能だ。

 目の前で気絶されるのは良い気分ではないが仕方のないことだ。溜息を吐いて、僕は大学内の駐車場へとバイクを取りに向かった。

 

******

 

「――大丈夫ですか? 目が覚めましたか?」

 

 人工の灯りに照らされたベッド。ここは埼玉の病院の一室。僕はそこにあるベッドの脇に座っていた。

 ベッドの主は見ず知らずの人。僕にOSのデュエルを申し込んだ人。どうやらSAOサバイバーだったようで、デュエルに応じたところスキャンに遭い気を失ってしまった。

 既に何人かがOSプレイ中に気を失う、もしくは一瞬意識が揺らぐところを目撃している。そもそもスキャンといっても大したことではないので意識をなくす人は少なく、ほとんどはふらついたり膝をついたりするくらい。それに気を失っても倒れ込んだ衝撃で目が覚めることが大半だ。

 ところがこの人は倒れた後しばらく声をかけても目を醒まさなかった。周りに人もいなかったので流石に焦って救急車を呼んだのだ。診査の結果では脳に影響はなく、単に寝不足が祟っただけだったそうだが。それを聞いたときは驚きが一周回って感嘆してしまった。デュエル中は一切そんな素振りを見せていなかったからだ。

 また経過観察も要らないとのことなので、病院のベッドを一つ借りてそこで起きるのを待っていたのである。

 

「は、はいぃ! ……って、何があったんですか?」

 

 起きた人は自分がどんな状況に置かれているか理解が追いつかない様子だった。まあ無理もない。デュエルをしていたのに意識が遠退き、気づけばベッドの上。しかも枕元にはデュエルの相手がいるのだから。

 

「……駄目だ、思い出せない。すみません、何があったんでしょうか?」

「貴女からデュエルを申し込まれ、実際に戦っていたところまでは覚えていますか?」

「はい。でも、そこまでですけど……」

「その、デュエルの途中でいきなり気を失われたようで。一応声はかけたのですが、反応が見られなかったので救急車を呼びました。どうやら睡眠状態だったようなので睡眠不足が原因ではないか、と。睡眠は取らなくては駄目ですよ?」

「そ、それはお手数をおかけしました……」

「いえ。…………それより貴女は、SAOサバイバーなのですか?」

「っ……。どうして、それを……?」

 

 ここで計画を口にすることはできないため嘘をでっち上げる。丁度僕がここにいて怪しまれずに話ができるのだ、また別の部隊に事後処理を頼むのは面倒が過ぎる。

 

「貴女が目覚める前にOS関係の事故対応の方がいらっしゃいまして。どうやらSAOプレイヤーの皆さんのみに稀に起こる不具合が確認されているようで、その影響が見られないか伝えてくれと言われまして」

「なるほど……。はい、私はSAOサバイバーです。レントさん気づいていないんですか?」

「……気づいていない、とは? もしかしてどこかで会ったことがありましたか?」

「あー、現実ではない、ですけど。えと、《アイム》です。音楽妖精(プーカ)の」

「ア、アイムさん? 貴女、女性だったんですか。初めて知りました」

「ははは、ALOのアバターは凄い中性的ですからね……」

 

 見知らぬ女性だっただけにどういう対応をされるか分からず身構えていた体を少し解す。アイムは音楽妖精の領主で、スリーピング・ナイツとバーベキューをしたときにも参加している。

 

「それで、具体的にその不具合ってのはどういう影響があるんですか?」

「ああ、それなんですけど。どうやら記憶が失われていく? んだそうで。専門用語を並べられたので良く分かりませんでしたが。どうやら様々な場所で発生しているようで対応に追われていました、その職員の方」

「記憶が、ですか」

「はい。特にSAOの記憶が」

 

 そう口にした途端に、アイムの顔が引き締まる。そして探るような顔つきとなる。恐らく記憶を探って思い出せない場所を探しているのだろう。

 

「――……………………」

 

 俯くアイム。余りにも沈黙が長いため心配になって声をかけようとした。

 

「どうかしましたか? アイm「少し、黙っていて、ください」

 

 その声は震えていた。強がっているような気配、それに気圧され思わず口を閉じる。

 唾を飲み込んでから、もう一度声をかける。

 

「……アイム、さん?」

「……ない、んです。記憶が。思い出せない、真っ黒なんです。全部、全部! 思い出したいことが、何も、思い出せない……ッ」

 

 アイムの肩が震える。手を出そうとして、出せなかった。

 

「……職員の方によれば、特殊な電波による治療を行えば記憶は元に戻るそうです」

 

 こちらをはっと見るアイム。僕と目が合う。そのまま逸らさずにいると、アイムは顔を赤らめてまた俯いた。

 

「電波、ですか」

「はい。……アイムさん以外の方もこの治療を受けて無事のようですから、危険なものではないかと」

「……ありがとうございます」

 

 硬く強張った声。

 これ以上の滞在は、望ましくない。

 僕は懐から一枚の名刺を取り出した。

 

「これがその方の連絡先です。施術は連絡していただければ希望のタイミングで行う、と。それでは、僕はこれで」

 

 そのまま席を立つ。僕の方へと伸ばされかけた手には気づかないフリをした。

 

******

 

―――僕は、どうすれば良かったのだろう。

 初めて、だった。自分の手で記憶を奪った相手に事情を説明するのは。

 記憶スキャニングの前段階である恐怖の呼び起こし自体は基本的にOSプレイ中に勝手に起きる現象だ。mob相手では余裕過ぎて恐怖を抱かない一部のプレイヤーは僕や鋭二のようなプレイヤーがデュエルをしてHPを削る。しかしそれも彼たっての希望でほとんどを鋭二が担当していた。

 それに記憶をなくしたサバイバーへの説明を普段僕は行わない。それは当然だ。企業からの謝罪も含んだ説明に社員でもない、ましてや高校生を送るわけにはいかないからだ。

 だから、アイムが初めてだったのだ。デュエルでスキャニングまで追い込み、記憶喪失の自覚の瞬間に立ち会い、表向きの説明をしたのは。

 僕と鋭二は共にスキャニングの被験者になった。記憶の回復の手法があると知っていたし、そもそも最初から自らスキャニングをした。僕がスキャニング直後の人に会ったのは覚悟をしていた鋭二だけだった。

 はっきり言おう。僕はこの計画に心から賛同できなくなっている。いや、参加を決めたときも心の奥底から賛同していたわけではなかったのだろう。

 

 僕の、悪い部分だ。

 

 いつもそうだ。物事を事実として認識するだけに留めてしまう。

 記憶を一時封印することになる。SAOでの記憶を引き出せなくなる。普段親しくしている面子を思い出せばすぐに分かることだろう。そんなことになったとき、どれだけその人が悲しむのか。どれだけその人が嘆くのか。

 目の前に事実としてはあった。後は少しだけ想像すれば終わりだった。その想像を怠った。事実の奥を考えろと主張する自分を押さえつけた。

 それでこのザマだ。

 しかしここで止まるわけにはいかない。この計画を止めたら悠那が目覚めるか分からなくなる、それもまた事実だ。そうなったら僕は今まで何のためにアイムや多くのサバイバーから記憶を一時とはいえ奪ったのか。もはや後戻りはできない。

―――やるしか、ない。

 悠那の姿を思い浮かべる。溌溂としていた彼女を。鋭二と共に楽しそうに笑っていた彼女を。あのデスゲームでも決して悲嘆に暮れず、周囲を元気づけていた彼女を。

 

 

 そんな彼女が目覚めないのは僕のせいなのだから。

 

 

 ALO事件、その解決の際、僕を苦しめるためにあのナメクジ研究員二人はALO事件被害者に悪夢を見せた。その被害者が彼女、《yuna》だった。彼女の心を傷つけた光景はあの研究員が見せたものであり、()()()()()()()()、すなわち僕が原因で見せられたものだ。

 僕が彼女を気にかけている最も大きな理由はそれだ。

 僕は重村教授や鋭二には事情を話し、その上で自らが原因だと告白した。しかし彼らは僕を恨まないでいてくれている。少なくとも表面上は僕を責めることはない。

 僕は彼らの優しさに報いなければいけない。結局は何もできずとも、無力な僕ができる償いは行わなければならない。

 ふ、と自嘲の声が漏れる。罪の償いのために罪を重ねる。なんて馬鹿げているのだろうか。

 

「やるしか、ない。やるしか、ないんだ……」

 

 自らに暗示をかけるが如く発声する。しかし、意味はない。効果が出ることはない。気づかなければ良かった。そうすれば――

 

「違う! 決めたんだ、僕は、もう罪から目を逸らさない。真実から目を背けない―――」

 

 二つの相反する感情、想いが渦巻く。贖罪のために計画を進めたい。でもこれ以上他人を傷つけたくはない。

 

 僕は、一体どうすれば良いんだろうか。




 中間なのに、初日の出来事までしか終わっていないという……。
 ちなみに本編最終話はOSの後のことと筆者は考えていますので、主人公は未だに詩乃と深い関係(意味深)にはなっていませんし、割と拗らせています。本編最終話を過ぎれば『終わり良ければ総て良し』くらいには言うかもしれませんが。


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#53 発覚

 遅くなりました! すみません!
 まさか夏休み期間で丸々一本オリジナル短編小説を書かなければならなくなるとは……。あれ、夏休みって十月いっぱいまであるっけ(お目目グルグル)。
 それでは、ひとまず五十三話です、どうぞ。


 風林火山の一人を襲撃した、そう鋭二から連絡が入ったのが土曜日の朝。今までと同じように土曜日を過ごし、風林火山の残りを襲撃した、そう連絡が入ったのが土曜日の夜。僕は皆と連絡を絶った。

 

******

 

~side:和人~

 それは完全な気紛れだった、というわけではない。

 クライン、そして翔と連絡がつかなくなった。その時点で心の中で不安な気持ちが鎌首をもたげた。クラインだけならいつものだらしなさの発露と笑い飛ばせただろう。そもそも彼だって社会人でありいつでも連絡が取れるほど暇ではない。

 しかし翔もそうかと言われれば違う。無論、俺達に関係のない用事だってたくさんあるだろう。すぐに連絡が取れないことだってあるだろう。だが、翔が最近妙に余所余所しかったことも事実だ。何かある、もしくはあったと勘繰ってしまっても致し方ないことだ。

 そんな中での興味がないOSのイベントボス戦、参戦する気はないがついつい見に来てしまった。

 明日奈とリズ、シリカが参加しているが、三人とも楽しそうである。何事もなく、嫌な予感もただの取り越し苦労だったと帰ろうとしたときにそれは起こった。

 シリカのテイムモンスターであるピナがなぜか現れ、そしてシリカが近づいたときに突如巨大なモンスターへと変化したのだ。

 慌てて駆け出した。シリカもまだ襲われていなかったが、あまりのことに驚きで行動が止まっている。何とか数歩後ずさり、誰かにぶつかった。

 そいつは午前中にも明日奈との会話に出てきた元KoBメンバー、《ノーチラス》。奴は悪意の籠もった表情でシリカを突き飛ばした。それは事故などではない。明確に、害意を持って、シリカを突き転ばせた。

 モンスターが迫る。尻餅をついた状態のシリカに避ける術はない。シリカが思わず目を閉じ身体を固くする。それを、――明日奈が護った。

 明日奈にも不意の出来事だった。しかし俺よりもシリカに近かった。だから間に合った。

 モンスターの爪に引き裂かれて仰け反る明日奈。そのHPがみるみる減っていく。俺はノーチラスに詰め寄り胸ぐらを掴んだ。先程のは明らかなるマナー違反。いくらただのゲーム、命の危険がないとはいえ流石に一言言わねば気が済まなかった。

 不敵な笑みを崩さぬノーチラスにカッと頭に血が上る。

 殴りかかる直前、俺の動きを止めたのはリズの声だった。

 

「レ、レント? どうして、ここに……? いいえ、もう何でも良いわ! 明日奈が! 明日奈が!」

 

 明日奈に何かあったのか、そう聞こうと振り返った視界に映ったのは、リズとシリカに剣を振り上げるレントだった。

 

「えっ!?」

「レn」

 

 驚き硬直した二人を、レントは容易く斬った。二人のHPバーも明日奈と同じように減っていく。

 

「オオオオオォォォォォ!!!!!!」

 

 半身から体を完全に反転させ、剣を振り上げ、レントに思い切り斬りかかる!

 俺の衝動的な剣にレントが剣を合わせに来る。鍔迫り合いの衝撃に備える。が、二つの刀身はぬるりと一瞬不自然に揺らめいて姿を崩し、かち合うことはなかった。

 それも当然だ。これはAR、実体があるわけでも、VRのように強烈な実感を与えるものでもない。力の行き場を失った俺は体勢を崩した。

 レントはそんなことなく軽やかに俺の脇に回り込み、再び剣の形を取ったものを振り上げ、下ろす。

 無理矢理体を回して剣でパリィしようとして、できないことを思い出す。

 あわやそのまま斬られるかと思ったが、俺の脚がその前に限界を迎えて無様に背中から地面に落ちた。怪我の功名、レントの剣は仰向けの俺の鼻先を通り過ぎる。

 服が汚れることも気にせず、横に転がってひとまずレントの間合いから抜け出す。

 

「おい! レント! どういうつもりだ!」

 

 激しい口調で詰問しても、先程のノーチラスのように涼しい顔をする。なおも言葉を続けようとした俺にレントは左手で俺の後ろを示す。

 

「キリト君。後ろの三人は大丈夫かい?」

 

 ハッと俺は後ろを振り返る。そこには重なり合うようにして倒れる三人の姿があった。

―――なぜ!? ダメージを受けただけじゃないのか!?

 慌てて駆け寄れば、三人共瞼を震わせ目覚めようとしていた。それを確認して振り返るも、そこには既にレントの姿もノーチラスの姿もなくなっていた。

 

******

 

~side:詩乃~

「それ、冗談だったら許さないわよ」

 

 突然キリトから招集がかかった。ALOで話をしたい、と。それに応じて集まったのは私を始めとしたいつものメンバーだ。エギルまでも一旦店を奥方に預けて話を聴きに来ている。…………翔はいない。

 そこでキリトとアスナ、リズ、シリカから話されたのは昨夜あったという出来事だ。

 OSのボス戦中にシリカがノーチラスというSAOサバイバーに突き飛ばされ、新たなボスモンスターも現れ動揺が激しくなったところで翔がやって来てリズとシリカにダメージを負わせたと。更にはキリトとも交戦し攻撃を加えてきたという。

 これがキリトだけだったならまだしも、その場にいて実際に被害を受けたリズとシリカも同じ証言をしている。恐らくは事実なのだろう。だが、だとすればなぜ。翔は本来後ろから騙し討ちのように斬りかかる人間……ではあるかもしれないが、流石に友人に対してそんなことはしない。

 しかし、ただOSのプレイ中にダメージを受けたというだけで軽く気を失っていたというのが気になる。恐らくOSでも一撃死を狙えるであろう翔――彼のランクは相当高かったはずだ――が攻撃を加えてHPが残っていたのだから、そんな機能は寡聞にして知らないがそちらが目的なのかもしれない。

 しばらく考え込んだ私に皆の視線が集中していた。

 

「大丈夫か?」

「シノン……」

「シノンさん……」

「しののん……」

 

 私は慌てて何でもないと手を振る。

 

「大丈夫よ、別に心配要らないわ。ただなんでそんなことになったのか気になってね。ほら、OSにもオーグマーにも意識を奪うような機能なんてないじゃない?」

 

 私の言葉を聞いてキリトと、女子三人、クラインが顔を見合わせる。そしてクラインが口を開いた。

 

「実は、なんだが。そのぉ、なんだ。こう言っちゃ、アレだが……」

「何よ、さっさと言いなさいって」

 

 煮え切らない口調にやや苛立ちが募る。

 

「実は、……俺達、記憶がなくなってるんだ」

 

 

 

 ……は?

 

 

「それはどういう意味で? 記憶喪失ってこと? でも今までの会話、というか状況説明から記憶に不備はなさそうだけれど」

 

 バトンタッチするかのように今度はキリトが話し始める。

 

「―――アスナ達四人はS()A()O()()()()をなくしているんだ」

 

 SAOの記憶――。意識を失い病院に行く羽目になった四人が四人ともそうなら、このOSにおける事故の共通の被害はそれと見てまず間違いないだろう。

 だとしたら翔の目的もそれということに――

 

「ん? アスナ達『は』?」

「ああ。俺の記憶はなくなってない」

 

 キリトと他の四人の違いは……ダメージの有無か。

 

「そういうわけで、何があるか分からないからOSはプレイしないでくれ」

 

 そうキリトが締める。それにてその場は解散と相成った。

 他の皆が解散していくのをじっと見ていた私に、キリトが近寄ってくる。

 

「シノン」

「何?」

「SAOの記憶があるサバイバーじゃないから、そんな理由でOSをやるなよ」

「……」

「レントならそんなことしないと思うが、クラインはノーチラスにやられて入院している。記憶をなくすだけじゃなく、単純に危険だ」

「あ、そ」

 

 わざわざそんなことを言いに来たということは、そういうことをしそうだと思われているのか。

 

「シノン!」

「分かってるわよ。だけど、翔の目的を探ることはする。OSはやらないつもりだから安心して」

 

 それだけ言い残して、私は早々にログアウトした。

 

******

 

トゥルルルル、トゥルルルル、トゥルルルル

 

 電話の待機音が聞こえ続ける。呼び出している相手は菊岡だ。だが彼も忙しい。出てくれない可能性があるのは仕方がないが、仕方がないとしても納得できるかは別だ。出てくれ、それだけを思う。

 

ガチャッ

 

―――よし。

 

「ねえ、菊岡さ『ただいま電話に出ることができません。ピーという音の後にご用件をおにゃがいします』」

「…………」

 

 電話口、そこから流れたのは無機質な機械音声、ではなく菊岡の声。しかし抑揚まで完璧だったのに最後の最後で噛んだ。

 これがキリトだったらいたたまれない空気が両者の間で流れることだろう。だが今通話しているのは私だ。ひたすらに流れる苛立ちの雰囲気を感じ取ったのか、菊岡は気を取り直して会話を始めた。

 

『やあ、シノン君。さっきのはただリラックスしてもらおうと思ってやったことなんだ。さて、今日はどうしたんだい?』

「そんなことで誤魔化さないでほしいけれど、今日は緊急だから見逃してあげる。それで用件は……オーグマーにおけるトラブルよ」

『――それはどういった?』

「あまり、電話で話したい内容ではないのだけど」

『今日は長時間抜けられそうにないんだ、すまないね。周りに人はいないし、この通話は安全だから安心してほしい』

「分かったわ」

 

 はぁ、と一息ついて呼吸を整える。

 

「OSが今流行っているじゃない」

『ああ、ARだけどまだそれ用の部署がないから僕のところに押しつけられた分野だね』

「そこでダメージを受けたSAOサバイバーに異変が起こっているわ」

『……君らの誰かがそれに巻き込まれたのかい?』

「ええ。巻き込まれた、なら翔とエギル以外の五人。異変が起こったのはキリトを除いた四人」

『……いくら君達といっても今までノーダメージだったわけではないだろう? ダメージ以外の条件はあるのかい?』

「いえ、それは分かってないわ。そもそもダメージが原因ってのも、ダメージを受けたときに異変が起こったからってのと、一緒にいた中でダメージを受けてないキリトにだけ異変が起きてない、その二点からの推測だもの。まだ何も確証はないってのが実情ね」

『……異変とは?』

「表面的には強い眩暈から軽い気絶。実際は記憶の喪失、正確には強い電磁波を浴びせられたことによって記憶を上手く引き出せなくなっているらしいわ。その影響は今のところSAOの記憶に限っているそうよ」

『…………』

 

 長く黙考する菊岡。

 そして絞り出すように言った。

 

『――確証が持てるまではこっちから動くのは難しい。集団で一気にその現象が起これば動けるだろうけれど、それまで待つのは愚かだろうね。元からその気かもしれないけれど、シノン君、調査を頼めるかい?』

「え、……ええ、良いわよ。それにしてもそんなに簡単に一般人を使っていいのかしら?」

『死銃事件のときはキリト君とレント君に頼んだんだ。今更だよ』

「……」

『……レント君に何かあったのかい?』

「――どうして」

『キリト君はアスナ君につきっきりなのかもしれないけれど、こんなことがあればまず間違いなくレント君は連絡を入れてきているはず。なのにそうじゃなかった。だとしたら彼に何かあったと考えるのが妥当だろう?』

 

 菊岡はもっともらしい理由を並べ立てるが、どうせ私の反応から何かを察したのだろう。私としたことが流石に心を乱され過ぎた。

 

「ええ、そうね。……今回、自然にHPが減るだけでなく、わざわざマナー違反までしてこちらのHPを減らしにきた人がいたわ。SAOサバイバーで当時のプレイヤー名《ノーチラス》、OSプレイヤー名《エイジ》と翔よ。翔はどうやらあちら側のようね」

『なるほど。彼が敵か、それは厄介だ。手の内は知られているからね』

 

 翔が味方ではないということに大した動揺を示さない菊岡。それに逆に私が動揺する。

 私が口を開こうとしたときに菊岡の声の調子が変わった。

 

『おっと、時間だ。すまない、シノン君。後は頼んだよ。あ、それと信用できる人の連絡先を送っておいたから。彼女によろしくね』

 

 それだけ駆け足で言うと電話を切ってしまった。

 簡易メッセージで確かにメールアドレスが一つ送られてきていた。それを見る。

 

「えーと、『《鼠》の一度だけ使える緊急連絡先』? 何よ、その、胡散臭い名前」

 

 そうは言いつつも、私は直感に従いメールを認めていた。

 

******

 

「ヨッ! アンタがシノンちゃんだね?」

 

 GGO内の酒場――若干酔ったようなデバフを与えるドリンクを提供している。ちなみに雰囲気だけなので年齢制限はない――のボックス席で大柄な女性に声をかけられた。後ろに立たれただけなのに影が手元にかかる。低い女声は全く淀んでおらず、気分が良い。

 私の向かいに女性が腰を下ろす。その格好は迷彩服。フードを目深に被り、三日月形の口元だけが見えている。そして僅かに見える両頬には三対の髭がペイントされていた。

 

「アタシが《鼠》だ。さて、早速だが依頼は何だい?」

「それは伝えたはずよ? 噂に名高いSAOの情報屋はボケてしまわれたのかしら?」

「―――おっと、それはすまないね。アタシにとって客はアンタだけじゃないのさ。こう見えて中々の高給取りなんだぜ? 一々客の細かい依頼なんざ覚えてないよ。こうして対面に座って直接依頼を告げられるだけ嬢ちゃんは幸福なんだよ?」

 

―――よく言う。あの連絡に五分と経たずに返事をして、日が沈む前に私に会っている癖に。

 女性の三日月型の唇は形を崩さない。そのまま軽く身じろぎをする。埃が立った。

 

「にしても、この椅子少し狭くないかい? いや、アタシのケツがデカいのか。ハッハッハ!」

 

 私は目の前の女性の話を流し、新たに注文したドリンクを、持ってきたウェイター――相場より高い飲食店ではこういったサービスもしていたりする――の顔にぶちまけた。

 

「流石に馬鹿にし過ぎじゃない? 何、嫉妬?」

「……にゃハハハハ。流石はレン坊とBoBを同時優勝した狙撃手(スナイパー)だネ。良く見えてル」

 

 GGOには特殊スキルがいくつもある。存在はあまり知られていないが。

 その中には面白いものが溢れている。例えば人や物に何かを描いたり色を塗ったりできる《ペイント》。声を変える《変声》。一時的にアバターのグラフィックを変更する《変装》。声だけを遠くに飛ばす《発声》。

 このウェイターに扮した本物の《鼠》がしたことは簡単だ。そこら辺にいた一般人を連れてきて私の前に座らせ、《変声》で声を変えながら《発声》で一般人が話しているように装った。一般人が口の形をほとんど崩さなかったのは、冷静を装っていたのではなく単純に口パクすらできなかったためだ。そうして自分は《変装》でウェイターの振りをしてホールを動きつつ私と会話していたのだ。

 私がそれに気づいた理由は複数ある。一つ目の理由は推測されるステータスだ。この女性が《鼠》だとしたとき、その頬のペイントは恐らく自分で描いているだろう。情報屋は敵が多いゆえに狙われる可能性も高く、大抵のことは自分で済ますはずだからだ。そして《ペイント》を習得するにはDEXというステータスを上げなければならない。DEXが高まれば副次効果で行動による周囲への影響が少なくなる。《ペイント》を取れるほどのDEXならば、大して埃っぽくもない店内で身じろぎしただけで埃が立つなどありえない。

 次に最初のコンタクト。大柄で《鼠》が似合わないからだろうか、自己の主張が激しかった。余計なことまでペラペラと。まるで端から嘘であるかのようにポロポロと情報を落とす。しかし女性に嘘を言っているような素振りは本当に一切なかった。決められた台詞だったとしてもある程度の仕草はあるだろうに。

 そして決め手になったのはウェイターとしての本人だ。この店のウェイターは全てNPCでその動きやAIは全て同一品だ。しかし本物の動きはNPCに比べて余りにも()()()()()。そして本物はほとんど分からない動作だが常にこちらを気にしていた。更に言えば飲み物を持ってきたときの腕の動きにやや違和感があった。《変装》で変更できるのはグラフィックのみで当たり判定などは元のままなのでその影響だろう。本来の姿はかなり小柄であるようだから。

 それらは全て些細なことだ。しかし全ての違和感は、『この女性が偽物である』とすると説明がつくのだ。

 

 大柄な女性に幾許かの金を渡して、《鼠》は私の前に座った。

 

「さて、ごめんネ、シノンちゃん。シノンちゃんのことは知ってたけど、少し試したくってネ。――それじゃあ、仕事の話をしようカ」




 ……こんな調子でOS編何話かかるのでしょうか。構想と内容は浮かんでいるのに文章にならない、不思議。


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#54 会談

 さて、さしたる進展もない五十四話です。
 ふっふっふっ、驚いたか、まさかの連日投稿だ! ……内容が進まないことを更新で許してほしいです。
 あー、話は進まないんだなぁ、と思いながら、どうぞ。


~side:詩乃~

 

「OSでSAOサバイバーに不自然な現象が起きている、とシノンちゃんは言うわけカ」

 

 私は目の前の小柄な女性に事件のあらましを説明した。周囲に人はおらず、特定の人間にしか声が聞こえなくなるようなアイテムも使用した上で、だ。

 

「で、どうなの。この件に関して何か情報はある?」

「ある分にはあるんだけどナ――」

「何よ、勿体振らずに教えなさい」

「まあまあ、落ち着きナ。こっちだって情報()なんダ。シノンちゃん、いくら払えル?」

「……言い値は?」

「ウーン、取りあえずは五十万」

「……理由は?」

「実は口止め料を貰っているんだナ。それを上回る金額は出してもらうヨ」

 

 さて、この言葉を信じるかどうか。まずはそこからだ。

 取りあえずとわざわざ言っているのだ。たとえ実際に口止め料を貰っていたとしても五十万ということはなく、確実にそれよりは安い。そしてそれをこちらに悟らせているということは、値引き交渉に応じる心があるということに他ならない。

 またこうも簡単に()()()()()()()()、要するに接触があったという情報を明かした。これはブラフである可能性も十二分にある。それならそれを理由に値段を吊り上げようとしているだけだ。いくらでも値引きの余地はある。

 しかしそう悠長に構えていられるほど私には余裕がない。さっさと値段交渉は切り上げたい。

 

「そうね……。この件、レントが関わっている、と言ったら?」

「…………」

「彼はどうやらその不自然な現象を利用する立場にいる。その行為の是非を知りたい。そしてそれが彼のためにならないのであれば止めたいと思っているわ。そのために貴女の手を借りたい。彼のためになるなら五十万でも払うわ」

「…………」

 

 掛け値なしの本音。視線を合わせ、相手の心に語りかける。聞いたところによれば《鼠》とレントはSAOでも親しい関係だったそうだ。……恐らく恋愛関係ではないはずだが、多少の情はあるに違いない。ならばこの本音に僅かでも響いてくれるだろう。推論に推論を重ね期待で塗装した願望だが、それは実現する。

 

「――交渉成立ダ。参ったヨ、シノンちゃん」

「――!」

「今回だけの特別価格。シノンちゃんとレン坊の話を事件が解決したら後払いとして教えてクレ。もちろん、その話は売らないサ。それで交渉成立といこう」

「ありがとう、《鼠》のアルゴ」

「うン。猫の手も借りたいシノちゃんに《鼠》の手を貸してあげようじゃないカ」

 

 さらっと――本名と変わらない――愛称で呼びながら手を差し出してくる。私はその手を引き戻す暇も与えずに掴み取った。

 

******

 

「それで詳しい事件の概要を知りたイ」

「そう、それなんだけど「タダ、ココで話し合いはしたくないカナ」

 

 アルゴのその一言から都内某所、つまりリアルで会うこととなった。

 正直なところ不安しかない。出会って間もなく、私は彼女のことを噂でしか知らない。しかしそれもまた致し方なし、そう瞑目していると横から肘を突かれた。

 

「こちら、《鼠》のアルゴです」

「……詩乃よ」

 

 そこにいたのはGGOのアバターと同じほどの身長の小柄な女性。特に異常はない。しかしその格好は白衣に眼鏡というやや異質なものだった。

 

「その格好は……?」

「ああ、ごめんねー。さっきまで缶詰めだったからまともな服なくてさー」

「口調は……?」

「いや、リアルではこっちだよー。ゆるふわ系目指しててねー。て、そんなことより、ささ、こちらへ」

 

 GGOでのやり手情報屋の雰囲気は綺麗に消失し、そこにいるのはゆるふわ系女子大生。眼鏡の奥の眼差しに険はない。むしろやや薄く開かれた瞼から温もりを感じる。

 誘われるままに私は道を歩き、裏路地に連れ込まれ、案内されたのは隠れたカフェ。

 CLOSEDという看板をスルーしてアルゴはドアを開ける――鍵はかかっていなかったのだろうか――。当然、店内に人影はない。

 

「好きな席に座ってねー」

「……ここは?」

「知り合いの経営するカフェ。営業時間以外は私も自由に使える」

 

 そう言って掲げたのは鍵。いつ開けていたのか。どうやらここは施錠されていなかったのではなく、アルゴが今解錠したということだろう。

―――というかもう夜よ? なのに営業時間じゃないって、この店こんな奥まったところにある癖にアルコールは置いてないのね……。

 そんなことを考えつつ、勧められたままに店の中央付近にある円いカフェテーブルの席に座る。カウンターの奥で何やらゴソゴソと動いていたアルゴがグラスを持って戻ってきた。中に入っているのは色合いからしてお茶であろう。

 

「はい、マテ茶。美味しいところのだからねー。味は保証するよー」

 

 飲んでみると程良く冷えていて飲みやすい。いくら月が昇り出したとはいえ五月に近い日、外で待っていてやや火照った体に心地良い。

 

「さて、それじゃあ依頼の件、詳しく教えてね」

 

 私の反対側に腰かけるアルゴ。口調はやや硬くなったが未だに緩く目線も一向に厳しくなっていないが、醸し出す雰囲気がガラッと変わった。グッと大人びて見える。人とはここまで印象を変えられるものなのかと私は目を瞬かした。

 もう一度マテ茶で喉を潤し、情報を開示していく。

 

「まず、この現象がいつから起こり出したのかだとか、詳しくは何が原因だとか、そういうことは一切分かっていないわ」

「それは当然ね。だからこそ私に声がかかったわけだし」

「うん。……それで、私達がこの現象を知ったのは今日の昼間。昨日の夜にアスナとリズとシリカがその現象に遭ったわ。そこから私達も知ることとなった」

「思い立ったら即日、だね。あの連絡先はVR課の菊岡さんに渡していたわけだから、彼にも既に伝えてあるんでしょ?」

「ええ。ただ、ここまで何も掴めていない状況では動くことはできない、そう言われてしまってね。個人的に貴女の連絡先を教えることまでが限度だったみたい。今は今度のユナのライブの関係で働いているみたいだしね」

「へぇ……、アーちゃん達が、ね。キー坊が黙ってないでしょ?」

 

 彼女がアーちゃん、キー坊と口にする。恐らくはアスナとキリトのことだろう。それにしても先程までの雰囲気で言われたならば不釣り合いだったが、今の雰囲気ではその体格に関わらず姉のような印象を強く受ける呼び方だ。

 

「それは、ね。彼も無茶をする人間だから。彼まで倒れられると面倒だから、二十一時には抜けるわ。だからそれまでにある程度の話はしましょう」

「……SAOボス、か。あんなのもう出てこなくていいのにね」

「そうは思っていない人間が大半のようね。あの茅場晶彦は世紀の犯罪者だけどゲームクリエイターとしても天才的だったんでしょう。ただの置き土産であれだけの人数が熱狂してるんだから」

「……うん。私だってOSにあんな機能がなければ、ゲーム自体に非はないから賛成だったよ」

「あんな機能……?」

 

 私の問いかけに、アルゴは一口マテ茶を含んでから話し出した。

 

「うん。口止め料を貰ってる、って言ったでしょ? あれの話。でもその様子だと、アーちゃん達のところには来ていないみたいだね」

「ええ……、そんな話は聞いていないわね」

「それなら私の番だね。――実を言うと、私もその現象には遭っているんだ」

「え……!?」

「あれは別に何てことないOSのプレイ中だった。SAOボスとの戦闘でもない、ただの一般戦闘。そこで交通規制に気づいていなかった自転車とぶつかりかけたの。あのときは慌ててね。必死に避けた。当然そっちに気を取られてたから、OSのmobの攻撃を受けてダメージを受けた。そのときだね、視界が真っ暗になったのは。気づいたら歩道の端に寝かされててさ、自転車の運転手がずっとつき添っててくれてた」

 

 アルゴの口から語られるのはアスナ達と同じような出来事。無論あちらは故意でこちらは事故なのだから別物だが、結果的にmobから攻撃を食らってしまったことに変わりはなかった。

 

「目が覚めても特に異常が無かったから私は家に帰ったんだけど、帰ってから気づいたのよ。記憶が引き出せないことに」

「……やっぱり」

「うん。アーちゃん達もそうなんでしょ? 私もそうだった」

()()()?」

「そう、そこ。私は今では何の問題もなく記憶を引き出せる。記憶に欠落は感じていない。それは何でだと思う?」

 

 普通に考えればしばらくすれば治るといった理由だろう。しかしここまで勿体ぶったのだ、恐らくそうではない。

 

「分からないわ。……それは口止め料と関係があるの?」

「うん、大あり。その事故から数日、いや翌日だったかもしれないけど、記憶の欠落っていう出来事を自覚してちょっと錯乱してて。そんなときにOSの運営職員が訪ねてきたんだ」

「スタッフが? ……家に?」

「そう。何でもオーグマーから位置情報を取り出したらしくてね。当然普段はいかに管理会社といえども個人情報保護の観点からそんなことできないんだけど特例だ、ってね」

「特例、ね。それがその記憶喪失のことだったってわけね」

「その職員は、『オーグマーにおいてSAOサバイバーの皆さんのみに発生するバグが巻き起こっていて、それで人体にも影響が出てしまっている。これから発展していくARの未来を止めないためにも、どうかこのことは秘密にしておいてほしい。記憶封印に関しては原因が不明なため根本的な解決法は未だに見つかっていないが、なんとか解除だけはできるようになった。それには専門の機材を使うため社まで来てもらう必要があるが、その際は最大限の便宜を図る。どうか、心ばかりですがこれをお受け取り下さい』ってね。それで慰謝料を貰ったわけ、私は。それからその治療を受けて記憶を引き出せるようになったの」

 

 それは私達にはなかったアクションだ。いや、そもそも迷いなく即座に――時間にして夜を挟んで十二時間ほど――病院に行ったキリト達が早過ぎた、ということかもしれないが。

 

「それで私は追及の手を止めたの。そのときは時間が惜しかったし、その職員の説明で納得もしたからね。SAOボスが追加されるかされないかって頃で、SAOのデータをサルベージしているって噂は耳に入っていたから、それの影響だと思ったのよ。それに口止めを頼みながら渡してきたお金を受け取ったから、流石にこれで臆面もなく情報を探るのは情報屋としてフェアじゃないな、と」

「なら今の状況はどうなのよ?」

「ふふふ。SAOで私は金さえ積まれれば顧客情報まで売る情報屋だったんだよ? より高い条件の方につくのは当たり前じゃない」

 

 ほぼ無償で引き受けておいてよくも言ったものだ。

 ともかく、これでかなりの情報が手に入った。そこで私は、恐らくアルゴが誤解しているであろう部分を口にする。

 

「……アルゴ。実はね、アスナ達はSAOボス戦でその記憶封印に遭ったわけだけど、それはそんな事故だとかボス戦中の被弾だとかではないわ」

「……となると、PK。話の流れからするとレン坊かな?」

「ええ。それからもう一人、《エイジ》っていうランキング二位のプレイヤーもよ」

「ふむぅ。だとすると、レン坊達と運営が繋がっているか否かが問題ね。運営もグル、要するに記憶封印はバグなんかではなく用意されていたものなのか、それともただレン坊達がバグを利用しているのか」

「バグを運営が利用していてレント達は雇われている、というのは?」

「一応それも考えておきましょうか。ただ、あの重村教授がたかがバグをこれだけ長い間処理できないとは思えないんだよね」

「……知り合いなの?」

 

 親し気な物言いにやや疑念が湧く。運営もグルだとすれば、そのトップであり開発者で技術者である重村博士が関わっていないはずもないのだから。

 

「実はMトゥデのライターやっててね。取材で重村教授とは数回会ったことがあるんだ。多分向こうは覚えていないけれど」

「へぇ……って、Mトゥデのライター!?」

 

 流せなかった。超大手MMO情報サイト――情報誌部門もある――関係者という予想外の立場に驚く。その白衣は何だ、女子大生ではなかったのか。人は見かけで測れないとは言うが、ここまでとは。

 

「まあねー。SAOで出来たコネ使って入り込んだ就職先だからね。将来設計もバッチリだよー」

 

 自慢げに胸を張るアルゴ。素直に称賛の拍手を送る。

 

「さて、それじゃあ今日はそろそろ。取り敢えず明日も会お……シノちゃん、学校は?」

「うちの学校は少しばかり頭がおかしくてね。五月中旬の体育祭の振り替え休日を今日明日に持ってきたのよ。だから明日は大丈夫よ」

「面白いことするね。なら明日から調査を始めよっか」

「ええ、お願いするわね」

「……シノちゃんも一緒だよ?」

 

 ……結局、明日の集合場所を決めることになった。あの話術に勝てる気がしない。彼女に取材される人間が可哀想になる結果だった。

 そんなこんなで私がカフェを出たのは二十一時の十五分前。こんなところまでアルゴの計算の下かもしれないと思い始めてきた。いや、実際にそうなのかもしれない。

 はあ、そう息を零して私は都内のどこへでも行けるようにしつつ、ボス情報を確認する。

―――出た!

 間違いなくいるであろうキリトを陰から援護するためにもこっそり向かった方が良いだろう。

 私は裏路地を駆け出した。

 

******

 

~side:アルゴ~

 シノちゃんと別れて、私は近くの大学の研究室へと戻る。

 恐らくはレントに惚れているであろうシノちゃんのことを考えながら。

 

「最初に嫉妬って言われるとはねー。そりゃ、嫉妬くらいするよ。私がいたかったところにいたんだから」

 

 あれは女の勘という奴だったのか。それとも単純なる口からでまかせなのか。まあ、私にはそんなこと関係ないのだけれども。

 この小さい研究室は現在長期取材――交渉――中の心理学教授の研究室だ。VRなどの根本技術は私の担当ではなかったのだが、色々な事情――主にOS人気の皺寄せ――があってこの教授の取材は私にお鉢が回ってきた。教授に気に入られている私がどれだけ我が物顔でうろつこうとも、ここの住人は何を言うことはできない。

 

「教授ー。まだ研究ですかー? そろそろ休まれた方が効率上がると思いますよ?」

 

 そう軽く声をかけると――ロリコンの――教授がこちらを見た。そして大きく伸びをする。

 

「ああ、もうこんな時間かね。ありがとうね」

「いえいえー。―――あ、そう言えば教授、この間昔の縁でオーグマーに技術提供したって仰られていましたよねー。あれって結局どこに提供していたんですか? 使っててもよく分からなくてー」

 

 ややメリハリをなくした怠そうな様子を装う。普段からこれに近い部分もあるが、ここまで力を抜かなければならないのは逆に疲れるものだ。油断させて懐に入るための演技とはいえ気色が悪いことに変わりない。

 

「……い、いいい、いや、別に、た、大したことじゃないさ。そ、そう。使用者にはみ、見せられない工夫、というややつだよ」

 

 ……動揺が激し過ぎるだろう。これでは何かがあることが確定ではないか。伊達にも心理学の教授なのだからもう少し自らを律して欲しいものだ。記者からするとありがたいが。

 

「へぇー。スゴいですねー。そういう見えない工夫って大事ですし、そういうところに技術を貸せる教授はやっぱりスゴい人なんですねー」

「あ、ああ! そうだとも! ……内容は言えないが」

 

 その後も適当に会話を繋ぐ。この教授は私と話しているだけで上機嫌になるのだから実に容易い。

―――さて、あとはどこを当たろっかな。

 私は知り合いをまとめた途轍もなく長いリストを思い浮かべつつ考える。

 なぜなら、人脈は使えるときに使うべきものなのだから。




 はい、予定していた四話目ですが、未だにキリト君は重村教授に会ってすらいません。……終わるまでには後四話くらい要るのではないでしょうか。
 それでは、いつになるか分からない次話で。


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#55 調査

 はい、すみません! 今話も話は進みません!
 話が滞っている以上、更に分割するわけにはいかないのでいつもの五割増しくらいの文字数――しかも会話文主体――になっています。それではシノンとアルゴの会話回です、どうぞ。


 私は翌日の火曜日に再びアルゴと対面していた。場所は変わらず例のカフェ。平日のこの時間にも営業していないとはこの店がダミーの可能性すら出てきた。

―――ま、そんなこと関係ないんだけれど。

 私はアルゴより提供された紅茶を口に含む。今日は予め湯が沸かされていた。

 

「さて、昨日確認を取ってみたんだけど、どうやら教授は黒っぽいねー」

「ぶっ!!」

 

 何とかアルゴに吹きかけることは避けたとだけは伝えておこう。

 気を取り直して、中年から老年にかけての男の写真を示すアルゴに確認を取る。

 

「それはOSのバグに関して? それともレントに関して?」

「多分、バグ。私が今たまたま取材してるこの心理学の教授が、後ろ暗い感じで重村教授に技術提供をしているみたい。きっとバグに関して。これでOSのバグに運営――少なくとも重村教授が気づいていない可能性は消えたね」

「なるほど。ってことは今度は重村教授とレントが組んでいるかどうか、ね」

「それは、だな」

 

 アルゴが唐突にウィンクした。

 

「――何よ、まさかもう掴んだって言うの?」

「そのまさか。余り情報屋を舐めるなよー?」

「――――教えなさい」

「むぅ。言われなくても教えるのに。――さて、私が掴んだ情報は、まだレントに直接繋がるものじゃない」

「……エイジの方ってこと?」

 

 アルゴが指を鳴らしこちらを指差す。

 

「さっすがー、読めてるじゃん。エイジだけど、恐らくは重村教授のラボに出入りする『後沢鋭二』に間違いない。ラボにまでいるんだ、無関係じゃないだろうね」

「……どうやって掴んだの?」

 

 純粋に気になった。あの時間からでは昨日の間にできることなどたかが知れているだろうに。

 

「まず検索機能を使った。OSランキング二位の《エイジ》というプレイヤーを調べて画像を引き出した。どの世界でも目立つ人間は写真の一枚二枚ネットに転がっているからね。次に私のリアルの人脈、その中でもあの時間に連絡が取れる連中に総当たりでエイジって名前に覚えがないか尋ねた。その画像もつけてね。それで一人ヒット。しかも多重に。で、そのフルネームでまた検索で画像を照会。それで終わり」

 

 確かに普通に一般人でもできることだけだ。検索などその最たるものであろうし、人に尋ねるというのも庶民的だ。

 しかし普通の人間では確実にヒットさせられるところまで人脈を持たない。今回は重村教授――VR技術の最先端――の関係者ということでアルゴ――Mトゥデの記者――と近かったからかもしれないが、彼女なら北海道の小学生くらいまでなら自前の人脈で特定できそうではある。

 

「よくそんなに順調に行ったわね……。誰かが情報を渋ったりしないの?」

「ふふふ、安心と信頼の情報屋さんだからね。それとシノちゃん、良いこと教えてあげる。動きたがらない人を動かすには、『動きたくなるような報酬』か『動かざるを得なくなる弱み』があれば簡単なんだよ?」

 

 流石にSAOで荒稼ぎした情報屋は違うか。情報提供者の弱みは基本的に準備していそうな性格をしている。

 

「そしてここでもう一つ情報がある。私はこの『後沢鋭二』をSAOで知っている」

「たしか《ノーチラス》だったっけ? アスナのギルドに一時期入ってたらしいけど」

「うん。中層時代の彼は《レント》と親交を持っていた。多分、そこが繋がり」

 

 またしてもSAOの縁か。アルゴは自分の紅茶を飲み切ると立ち上がった。

 

「さて、シノちゃん。今からその裏を取りに行こうか」

 

******

 

 アルゴに連れてこられたのは東都工業大学から程近い病院だ。道中で目的を聞こうとしたが延々と勿体ぶられてしまった。

 自動ドアを通ると、アルゴは大きく回って病院カウンターに向かった。受付の死角を狙っているのか? アルゴは私を途中で止めると一人でフラフラと周りを見渡しながらカウンターへ向かった。

 平日朝で既に時間は九時を回っているので一般的な見舞客はおらず、見舞い用カウンターは暇をしていた。

 

「……あ、あの!」

「ん? どうしたの?」

 

 自信なさげに足元を見る視線、落とされ気味の肩、ここからでは見えないが恐らく表情も。その全てをアルゴは操り演技していた。知らされていなかった私はとても驚く。あのアルゴが今では中学生ほどに見える――服装は変わっていないのに――。

 

「その、『大蓮翔』さん、て来て、ますか? ここに行く、って聞いてたんですけど……」

「ああ、大蓮君ね。いつもお見舞いに来ているんだけど、貴女も?」

「は、はい……。じゃ、じゃない。ただ、お見舞いのつき添いで」

 

 ビクビクした仔兎のようなアルゴ。受付の女性の態度がどんどんと軟化していく。アルゴが中学生でも何でもないと知ったら彼女はどんな顔をするだろうか。

―――て、アルゴも翔の本名知ってたのね。

 

「そうね。()()さんは目を覚まさないから、本人には悪いけど、お見舞いしても退屈だものね。それで大蓮君だけど、今日はまだ来ていないわね。一緒に探してあげましょうか?」

「い、いえ! ありがとうございました!」

 

 それだけ言うと腰を九十度に曲げてお辞儀をし、アルゴはパタパタと病院から出ていった。それを受付の女性は微笑まし気に見ている。

 私も慌てて外に出た。

 

「さーて、シノちゃん。会話聞こえてたでしょ? どう思った?」

「……取りあえず、貴女がとても演技上手なのは分かったけど。――そうね、()()さんを()()()見舞っているのよね。かなり、というかほぼほぼ黒じゃない。そもそも貴女はどうやってこの病院を特定したのよ」

「いやー、人脈は偉大だよー? 重村教授が毎日のようにこの病院に通っていること、重村教授の一人娘がSAOに巻き込まれていたこと、そういう情報は回るのが早いんだ。そこに一つの都市伝説、『未だにSAOから還ってこない唯一のプレイヤー』。火のないところに煙は立たぬ、要するに怪し過ぎたってこと」

「そうね。それにあの受付の人が()()()()()なんて言ってたものね。これは決定的かしら」

「加えて実はSAOでのノーチラスには大事な連れがいてね。その子の名前は《ユナ》。当然レントとも面識はある。ちなみに重村教授の一人娘の名前は『重村悠那』。どう?」

 

 小首を傾げてこちらを眺めるアルゴ。この情報屋がいるだけで情報が自然と集まってくる、そんな錯覚を抱きそうな働きっぷりだ。人脈の偉大さをひしひしと感じる。

 

「それじゃあ、次は歩きながら決めようか」

 

 そう言ってアルゴは颯爽と歩き出したが、歩きながらもオーグマーを使い続けている。その操作速度は常人の数倍だ。先程の演技とのギャップに戸惑ってしまう。

 アルゴは作業を続けつつ話し出した。

 

「ここまでで分かったことは、この事件は恐らく偶然ではなく狙われていたということ。重村教授が主犯格かな。それに後沢鋭二と大蓮翔、その他大勢が協力しているみたい」

「その他大勢?」

「うん。昨日連絡を取った中で、OSっていう単語だけで警戒を示したのが何人か。みんな重村教授と関係を持っている人だった。ほぼ間違いなく共犯だね」

「なるほどね。……で、翔と後沢鋭二と重村教授を繋ぐのが《ユナ》。彼女は都市伝説のSAO未帰還者の少女と思われる、と」

「これでまずは第一段階。事件性の有無が確認できたねー。さて、それで事件の広がりだけど」

 

 アルゴが動かし続けていた手を止めた。

 

「日本全国のSAOサバイバーの知り合いの半数以上がこの記憶封印の被害に遭っているみたい。ほとんどは特殊な治療措置で記憶を取り戻してるけどね」

「日本全国、事件の規模は広いわね……。それだけの範囲なら協力者の存在も納得するわ。――そう言えば、治療措置って具体的に何をするのかしら?」

「それはただ特殊な電磁波を発生させるだけだったよ。そこに頭突っ込んで終了。時間も大してかからずに終わったね」

 

 アルゴの指示で目に入った喫茶店に入り席に着く。それぞれの注文品が届いた頃、私達は疑問点を浚い出していた。

 

「取りあえずは動機と目的ね。それが分からないことには翔の行動の判断がつかないわ」

「後は単純に目的への手段が気になるね。目的と動機が崇高なものでも、手法によっては言語道断の外道に堕ちるからねー」

 

 緩い笑顔でとんでもないことを言う。……否定はできないが。

 

「で、手段だけど、記憶封印がそれなんだろうねー。ただ向こうから解除を申し出ているし、本来の手段は一度でも記憶封印をかけることか、全くの別で記憶封印は副作用ってことだろうね」

「……たしか、強い特殊な電磁波を浴びせられることにより記憶の引き出しが上手くできなくなっている、だったかしら。アスナ達の症状は」

「そこに別の特殊な電磁波を浴びせることで治すんだね。記憶は箪笥に仕舞うって表現で表されることがあるけど、それに当てはめれば最初の電磁波で建つけを悪くして、次の電磁波で建つけを元に戻しているってことかな」

「建つけを悪くすることが目的……? それよりは副作用説を唱えるわね、私は」

 

 一杯目を飲み切り、二杯目の飲み物を頼む。喉を潤しつつも会話は終わらない。

 

「だとするなら電磁波で何かをして、その結果建つけが悪くなっちゃった、ってことだねー。単純に考えるとすれば無理矢理開けようとした、とかかな?」

「記憶の盗み見ってこと? ……それに何の意味があるのかしら」

「私達被害に遭った人間は記憶以外に影響を受けていない。電磁波で軽く気を失うけどそれだけ。だとしたらー記憶に細工をされたと思うのが自然だよねー。改竄はされてないはずだから盗み見の可能性が高いかなー」

「記憶――それもSAOの記憶だけを覗いたってことでしょ? 本当にそんなことできるの?」

「――あ」

「どうしたの?」

 

 アルゴがガサゴソと慌ててタブレットを取り出した。そしてやはり常人の数倍のスピードで操作し始める。

 一分もしない内にアルゴは液晶を私に突きつけてきた。

 

「これが、私が取材してる教授が最近出した論文」

「ふうん、『感情の揺らぎと関連記憶への接続』ね。……関連記憶への接続?」

「うん。多分これが技術提供。これは特定の感情を強く起こすことでその感情を強く抱いたときの記憶を鮮明に思い出すっていう研究。これがあれば特定の記憶を選別することが可能、かもしれないね」

「でも、それには強い感情が必要なんでしょ? それを引き出すのって難しくないかしら」

「それも多分提供された技術。最初の切っかけは小さな感情で良いんだけど、人体に害を与えない緩い低周波ウェーブとか、可聴音域外の音波とかを使ってその感情を強めることが可能になる。それもあの教授の専門分野。その機能がオーグマーには搭載されているんだと思う」

「それで記憶を覗き込んでいた。で、外部からの無理矢理な接続のせいで記憶の引き出し機能に齟齬が生じる」

 

 手段は段々と推測ができてくる。問題は、ここから。そんなことをして最終的に何をするつもりなのか。

 

「記憶を覗き見て、多分データとして収集して。何を目的としているのか、よね」

「それなんだけど、情報屋としての勘が告げてくるんだよねー。ARアイドル《ユナ》が気になる、って」

「ユナが?」

「そう。――恐らくあのAIのモデルは重村悠那。SAOでのアバターとよく似ているんだ、きっとそう。そして、AI、特にユナみたいなトップダウン型AIは、どれだけのデータを持っているかが完成度に直結している。重村教授は大量のサバイバーの記憶というデータを所持している。ユナは高い完成度を誇っている。ほらね、繋がってそうでしょ?」

「……ユナは重村悠那の再現って言いたいの?」

 

 流石に飛躍し過ぎか。アルゴが驚いた顔をしている。間違えたか。しかし情報屋に任せきりにはしたくない。私も大胆に、柔軟に頭を働かせなければ。

 

「なるほど! それだ! 思ってたんだ、大量の記憶データを全て注ぎ込めば完成度は高くなるかもしれないけれど、むしろ一貫性がなくなってしまうんじゃないか、って。それにデータ量も重くなるしね。けど、そうか。()()()()()()()()()()()()()()()()()()()んだ!! データ量も抑えられるし、他人から見た彼女のデータってことで一貫性も保たれる。サバイバーの数を考えればそれでも十分過ぎる記憶データが集まるはずだからね」

 

 キラキラと目を光らせながら早口で捲し立てる。その熱気に私は目を白黒させた。《鼠》はロールプレイの一環なのだろうが、情報屋として動いているときはあっちのキャラの方が数倍それらしいだろう。この姿を見せたら確実に顧客は減ると思う。

 

「これで手段が消費されたわね。……でも、《ユナ》の作成が本当に彼らの目的なのかしら」

 

 四杯目を飲みきったところで、ふと私の携帯端末から通知音がした。開いて中身を確認する。そしてそれをアルゴに聞かせるために読み始めた。

 

「『午前中に直接重村教授の研究室まで乗り込んだ。奴はどうやらOSによる記憶への影響を知っているみたいだ。それから重村ラボの写真にエイジが写っていた。本名を後沢鋭二というらしい』。どうやら貴女の情報の裏づけが取れたみたいね」

「キー坊……。情報が遅いよ、全く。情報屋舐めるなって」

「『それとエイジと重村教授の二人ともが怪し気なことを言っていた。明日のユナのライブで何かあるのかもしれない』だって。……ユナのライブね、今の状況だと嫌な予感しかしないわ」

「――シノちゃん、キー坊に重村ラボの詳しい話を送ってもらえるかな。キー坊は何だかんだ言って勘が冴えてるからね。面白い、興味深い、そう思ったことがあったら、って」

 

 言われた通り送る。数分で長文のメッセージが返ってきた。思わず「うげ」と声が出る。いくら自分が面白いと思っている分野だからといっても、水を得た魚過ぎるだろう。

 

「えーと、『オーグマーを用いた看護、寝たきりの人に安心安全ARを楽しんでもらう。オーグマーとアミュスフィアの機能合体、VRとARを一つのハードで。ややオーグマーを離れるが、半VR、VRのアバターの代わりに現実世界の機械なんかの操作をする。ARで行えればより良い』だって」

「……それだけ?」

「ええ」

「……珍しくキー坊が興味を外したなー、いや、むしろ興味ばっかだったのかなー」

 

 雑な要約文に対するアルゴの反応は芳しくなかった。

 期待していた糸口は潰えたので別の疑問点に言及する。

 

「それにしても《ユナ》のライブに何があるのかしら」

「むー。……人が集まる、それが目的かなー。それとも特定の人を誘い込む罠とか?」

「……その両方。SAOサバイバーを集める罠なんじゃない?」

「――あ、そういえば帰還者学校の生徒はライブに招待されているんだっけ。オーグマーが配布されたっていう話もあったし、確かに集めているのかもしれないねー」

「ええ、たしかエギルも応募に当たったって言ってたわね。サバイバーが当たり易いように確率操作されているんじゃないかしら」

 

 脳裏に外れたサバイバー――クラインの顔が浮かぶが、彼は特別運がなかったのだと思おう。

 

「サバイバーを集めて、何が目的だろうね。普通に考えれば《ユナ》のデータ集めの大詰めだろうけど……、情報屋の勘がそれを否定するんだよ」

「さっきから勘、勘って。確証はないの?」

「そんなこと言うなってー」

 

 小突いてくるアルゴ。生憎そこまで心に余裕はない。何せ《ユナ》のライブは明日なのだ。一つ回り道をしただけでも間に合わない可能性が高くなる。

 

「そもそも確証のある情報からいかに推測するかが情報屋の腕の見せ所。推測して叩いて埃を見つけて。そうやって確証を得ていくの。調査が一日二日人脈を駆使しただけで終わるようなら、《鼠》は要らなかった。情報集めと推測を一緒にやってもらう代わりに、手に入れた情報から結論を導き出すのを手伝ってあげるんだからあんまり固いこと言わないでさー」

 

 それはそうなのかもしれない。たしかに現状では《ユナ》作成という目的すら推定に過ぎない。しかし時間が足らないのであれば無理を承知でも賭けて押し通すしかないのだろう。明後日の方向に向かっていないことを願うだけか。

 

「――――」

「――――」

 

 しばし沈黙が貫かれる。分かっていること、推測したこと、それを浚って新たな疑問点を見つけ出し、それを潰そうとする。一度流したことでも振り返ってみると不思議に思う、そんなことはよくある。今回もまたそれを見つけた。

 

「……そういえば、感情を増幅させるって言ったけど、どの感情がSAOの記憶に繋がっているなんて分かるのかしら」

「――たしかに、そうだね。どんな感情を抱くかは人それぞれ。さっき言った増幅法は特定の感情を増幅させるもの。感情の種類ごとに微調整が要るはず。それができないってことは一律の基準で感情を拾ってるってことだね」

「……アルゴ。貴女が記憶を覗かれたとき、どんな感情だった?」

 

 真剣に考えるアルゴ。アルゴは事実を大事にする性格だ。いくら記憶力に優れているとはいえ、さして重要に思っていなかったことを思い出すのは辛いだろう。

 

「よくは覚えてないけど……、怖かった、かな。でもあれは自転車があったからだし……。OS自体には感じてたかなー?」

「怖かった、ね。……何人か話を聞いたけれど、状況からすると、どうやら記憶への干渉はダメージを受けたときに起動されるみたいね」

「多分。それから感情を検出して、もし該当の感情が検出されたら増幅。増幅された感情に関連した記憶を覗き見てる」

「見られて引き出せなくなった記憶はSAOのものだけ。――つまり多くのサバイバーがその感情をSAOに関連づけている、と。アルゴ曰く『怖い』を」

「……それなら『生命の危機に対する恐怖』とかはどうかなー? 私はダメージで思い起こされたわけじゃないけれど自転車で感じたからね。OS中は普通は周りに車両は存在しないし、物体もフィールドに反映されるから突っ込むこともほとんどない。それなら事故によるサバイバー以外の誤作動も防げるかな」

「……でも、生命の危機をSAOサバイバーは感じるの?」

「――」

 

 私の何気ない質問はアルゴの顔を翳らせる。そして落ち着いた声で語り出した。

 

「……シノちゃんの周りの人は違うのかもしれないけどね。私の知り合いによれば、精神科にかかるサバイバーは割と多くいるんだ。ふとしたことで恐怖を感じる、特にHPバーが急速に減っていってmobが迫ってくると、ってね。《()》のところには色々噂が集まってくる。VR世界でHPが減ったときにふと本当に怖くなったっていう話はやっぱり数多あるんだ」

 

 それは私では想像のつかない現実。二年間も戦いの日々に身を置いたSAOサバイバー。その心は予想外に傷ついているのかもしれない。私の周りの彼らも。

 

「私だってたまに怖くなるんだ。『こうして何気なく遊んでいるけれど、もしもこれがSAOの続きでHPバーと命が直結していたら』ってね。それは止められない、自然と浮かんでくる悪い考えだよ」

 

 SAOの低層プレイヤー、中層プレイヤー、最前線プレイヤー。誰でもあの世界ではダメージが怖かった。二年間の恐怖は既に脳に刻まれているということか。

 

「――重村教授はそれを利用している。ということは、明日のライブでも」

「……ライブ中か、ライブ前か、ライブ後か、何にせよ多分大量のOSのmobを投入するんだろうね。それで一斉収穫。収穫されたらバタバタ気絶する、正に阿鼻叫喚だね」

 

 その光景を想像する。あの新国立競技場を埋める観衆が次々と電磁波を浴びせられ倒れていくのだ。

 

「……? ねえ、唐突だけど電磁波ってどうやって浴びせるの?」

「え? それは当然オーグマーから――。……出力が足りない?」

 

 そう、そこだ。オーグマーは脳に干渉する機能を大幅に減らしたことが特徴なのだ。それにも関わらず記憶にアクセスするほどの干渉が行えるのだろうか。

 

「うーん。オーグマーにはリミッターが設定されていて普段よりも出力が上げられる、とかかなー」

「でもそれだとリミッターを外す方法が問題になるわよ。個人のオーグマーの設定を弄れるわけがないんだから」

「いや、あのドローンとは接続されているからそこから特殊コマンドでも送るんじゃない? それに電磁波の制御はたしかあっちでやってたはずだし、記憶干渉もドローンからのコマンドの可能性が高いねー」

 

 あのドローンとは、オーグマー普及のために日本全国に飛んでいるドローンのことだ。それ一つでかなりの範囲のオーグマーの通信を管理できるらしい。あれが全て落ちれば、独自で電波を発している一部の施設付近を除いてオーグマーはオンラインで使えなくなる。

 

「……あのドローンって一台でオーグマー何個を受け持てるのかしら」

「そりゃかなりの数はいくでしょー。千、は言い過ぎでもその半分くらいはいけると思うよ、街中のドローンの数的に」

「……一台千人としたら、明日のライブに三十台は動かされるってことよね」

 

 私の言葉にアルゴが眼を細める。

 

「なるほど。一網打尽にこっちの記憶に干渉する気ならかなりのドローンが要るねー。それに感情のモニタリングだけど、記憶を引き出すためにはある程度の感情の揺らぎがないといけないんだよね。そして感情の揺らぎは移ろい易いもの。モニタリングは常に行わなきゃいけなくなる。普段の通信は本当に全てのオーグマーを常に繋ぎ続けているわけじゃないからね。ドローンの仕事量は数倍から数十倍になるはずだよ」

 

 アルゴは身軽に席を立つ。伝票を持って会計に向かいつつこちらに告げた。

 

「さて、私はその方向で調べるよ。こっから先は情報屋さんの企業秘密。シノちゃんはここでお別れ。結果が出次第連絡するよー。それじゃ」

 

 店を出たアルゴは跳ねるように駆けていった。小柄な体とその動きは《鼠》というより《兎》だった。

 残された私は瞬きを繰り返す。はっきり言って今の私にできることはないに等しい。翔の家は知っているが、訪ねたところで会ってくれるかは別だし、会ってくれてものらりくらりと躱されるだけだろう。

 

 私はシリカから誘われたカラオケに行くことにした。




 まさかのほとんどをカフェでの会話で終わらせるという。
 でもこれがないとシノン達の情報量が読者に追いつかないんです……。
 ここで追いつかないとOS編は重村教授大勝利のバッドエンドで終了ですね。
 さて、次話でようやくユナのライブですね。ライブ描写は恐らくないでしょうが。


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#56 開戦

 なんとOS編初の戦闘描写……! しかし戦闘がメインではありません。
 ギリギリ六千字台です、どうぞ。


 今日は四月二十九日、一般的には昭和の日だ。そしてユナのライブ当日でもある。

 アルゴからの連絡はまだない。

 OSの公式サイトを見ると、どんな無茶をしたのかキリトがランク九になっていた。

 ベッドから抜け出して朝の支度をする。服を着替え朝食を摂る。

 昨日誘われて向かったカラオケだが、皆も一応普段通りのようで良かった。シリカやリズも気持ちを切り替えてライブを心待ちにしていたし、アスナも傷心のようだが周りも同じ状況なことに加えてライブもあって多少は気持ちが上向きになっていそうだった。

 彼女達に私は何も言えなかった。ライブで何か事件が起こるであろうこと、記憶の復活の目途が立っていること、そのどちらも言えなかった。

 誰かに漏らしたときその情報の真価は失われ始める。アルゴの言で、私も納得した。納得はしても良心は話せと訴えてくる。彼女達に話したところでその外には広まらないであろう、そういう信頼はしている。

 正直に言ってしまえば、自分の口から誰かに話してそれが真実と認められることが怖かったのだ。

 私を友達にしてくれた彼女達よりも翔を取った、それだけだ。

 

「今日が終わったら全部話して謝りましょう。許してくれる、はず」

 

 きっと私よりも翔の方が余程謝ることになるだろうけれど。

 アルゴからの連絡は、まだない。

 

******

 

 ふぅ、すぅ、はぁ。

 しばらくそうすること既に五分。そろそろ周りからの視線が送られてくるかもしれない。

―――それより、気づいていないのかしら。

 私がいるのは翔の部屋の前。以前教えてもらった住所の記憶を頼りにここに来たのだが、扉の前で動きを止めること既に――六分。

 人がこれほど外で待っていたら何のアクションを取っておらずとも翔なら気づきそう――流石に過大評価か――だが、扉の向こうに人の動く気配はない。

 意を決してインターホンに手を伸ばす。

チリーン

 一般的な「ピーンポーン」という音とは一線を画した音色にやや驚く。

 反応はない。

チリーチリーン

 二連打。動きはない。

チリチリチリチリチリーン

 五連打。翔はいないのかもしれない。

 そろそろ周りからの視線が痛い。

 

 結局、翔には会えなかった。

 それが居留守だったのか不在だったのかは分からない。それでも説明のチャンスを一つ逃したことは確かだった。

 諦めて適当に昼食を購入したとき、携帯端末から通知音が鳴った。

 バッと勢いよく画面を見れば、それは個人用にと渡されたアルゴの連絡先からの着信。

 

「っはい。アルゴ、何か掴めたの?」

『うん……。取りあえず、あのカフェに来れる?』

「ええ。すぐに行く」

 

 とても手短な会話。それでもアルゴの言葉の調子が沈んでいたことは分かる。カフェへの最短経路を走り出しつつ私はそのことについて考える。

―――何かが、良くなかった。

 調査自体は終わったのだろう。少しとはいえユナのライブまではまだ時間がある。調査が終わっていないのであればギリギリまで調査を続けているはずだ。

 調査結果が芳しくなかったのか。それは誰にとって。……私とアルゴにとってか、翔にとってに決まっている。

 

 途中で地下鉄も用いつつ、電話があった二十分後にはカフェに着いていた。

 

「アルゴ!」

「――座って」

 

 急に開いたドアにアルゴは驚いたようだが、間髪入れずに椅子を勧めてくる。今日はペットボトルの緑茶だった。

 

「……シノちゃんの勘は大当たりだったよ」

 

 スッと差し出された液晶端末。それに指を躍らせて内容を確認する。

 一枚目にあったのは今日のライブに駆り出されるドローンの数。その数は六十台。脇に()()()()によるコメントが入っていた。

『通常の新しい携帯端末としての使用目的ならば1台当たり1000人をカバーすることが可能ですが、様々なコンテンツがありますから許容人数は800人/台と設定しています。更にオーディナル・スケール(以下OS)のような激しい動きを伴う場合は600人/台を基準値と定めています。これは600人が同時にOSで苛烈な戦闘を繰り広げても十二分に余裕があるということです。そこを今回のユナのライブでは万が一にもラグやブレなどが生まれないように500人/台で配備します。つまり入場者が全員でOSをプレイしたとしても何の問題もないということです』

 恐らくはドローンの配備に関する関係者同士の相談だろう。どうやってこれを抜いてきたのかは聞かずにアルゴの説明を待つ。

 

「六十台のドローンが配備される、それは三万に対して十分だ。通常で考えれば、ね。次のページを見て」

 

 次のページには様々な数式、データが乱雑に敷き詰められていた。私は目を白黒させる。

 

「シノちゃんは分からないかもしれないけれど、それはSAOサバイバーで被害に遭った人間のオーグマーの履歴。知り合いの分を必死に掻き集めてきたものだよ。そこからの概算で電波の出力を調べようと思ったんだけど、できなかった」

「え?」

「余りにもデータがバラバラでね。どうしてか分からなかったから、もっとデータを集めた。何とか忍び込んでドローンの方のデータもね。そうしたら一つの仮説が立てられた」

 

 穏やかに言うアルゴだが、やっていることは無茶苦茶極まりない。人脈を頼りにデータを集めるところまでは理解できるがドローンに手を出すのは明らかに法に抵触する。

―――今は、その行動力に感謝しましょう。

 

「それはね、()()()()()()()によって出力が変わるってこと」

 

 端末の次のページにあったのは統計データ。単位は千に届くかというところだった。

―――なんて、量……!?

 これを一人で捌いたというのか。ふとアルゴの顔に目をやれば、化粧で多少は隠れているものの――昨日までは微塵もなかった――酷い隈があった。ただの寝不足ではなく精力を使い切る勢いで活動したのだろう。思えば、意図して口調が穏やかなのではなく力が入らないのかもしれない。

 

「その理由はオーグマーの履歴、ドローンの履歴を浚えば分かった。……ドローンが電波出力のコマンドを発していたことは予想通り。そのコマンドでない限り脳に干渉できるほどの出力をオーグマーが発さないことも想定の範囲内。想定の範囲外だったのは、オーグマー同士が接続されていたこと」

「オーグマー同士が……?」

「うん。一つのドローンが担当している範囲のSAOサバイバーのオーグマーは接続されている。もちろんOSのプレイ中だけだけどね。それに多分同じ戦闘に参加しているっていう条件も入る」

 

 四枚目のページはその裏づけデータ。どう見てもドローンから以上のデータが詰め込まれている気がするがスルーだ。

 

「そしてコマンドは接続されたプレイヤー全員に発せられる。というよりは接続されたオーグマー間を伝っていく、ってとこかな」

「……それで、どうして出力が変わるのよ」

「――」

 

 アルゴは一瞬瞑目する。

 

「どうやらドローンから発せられたコマンドは、そのコマンド自体と同じ出力の電波を起こさせるみたいなんだ」

「……! 多くのオーグマーを十分に起動させるには、その分出力を上げるってこと?」

「そう」

 

 アルゴが手を伸ばして私の手元の端末のページを捲る。そこには再び計算式の山が。

 

「今日のライブ参加者三万人の中の約二千人がSAOサバイバー、ってのが概算だね」

「それは……。サバイバーは六千から七千人いるって話だけど多いのかしら」

「三万中の二千とするとそうでもないかもしれないけど、六千中の二千とするとかなり多いね。概算だから増えるかもしれないし減るかもしれないけど今は二千人で話を進めるね。この場合最も均等にドローンに担当されて33.3人/台になる」

 

 その数字だけでは何とも言いがたい。私は黙って先を促した。

 

「それで、今まで確認された中でのサバイバー同士の最高接続者数は十人」

「……それだけ? もっとあるんじゃないの?」

「基本的にOSで何かしらのイベント戦が行われるときは追加でドローンは動く。だからそれが最高数。そのくらいを限度に今までは動いてたみたい」

「一気にその三倍、ね」

「それで、その際の出力計算が次のページ」

 

 私は次のページを見る。想像通りに理解できない数式で埋め尽くされたページ。それでも最後につけ加えられた文章だけは簡潔だった。

『以上が予想される出力。そしてこれは人間の脳が耐えられる出力を上回っている』

 

「なっ……」

「そう、その結果は他にも知り合いに検算してもらったから確か。――シノちゃん、翔君はどこ?」

 

 初めて聞いた翔君という呼び名。だが今は気にしている暇はない。

 

「……今朝家を訪ねたけれど返答はなかったわ。居留守か不在かは分からなかったけれどね。だから今は私にも……」

 

 これを翔が知っているとしたら絶対に止めなくてはならない。そう覚悟した私の目の前でアルゴの頭が机に落ちた。

 

「あっ、アルゴ!?」

「――うう……。ごめん、限界。少し、休ませて……。お願い、シノちゃん――」

 

 そう言うだけで遂に寝息を立て始めてしまった。

―――そう、よね……。

 これだけのものをたった半日で仕上げてきたのだ。あの手この手を使ってまで。

―――期待には応えないと……!

 

 目についたブランケットをアルゴに掛け、端末を机から取り上げて私はカフェを出た。

 

******

 

 あれから走り回った。当てなどあるはずもない。ただひたすらに聞き込みを続ける。アルゴとは比べるべくもなく、一般的な人よりも薄い人脈を頼る。自らの脚も使う。翔を探して。

 だが翔が見つかることはなかった。

 

 私は新国立競技場へと向かっている。一縷の望みに賭けて。

 そしてその望みは叶えられる。

 

「詩乃」

 

 私の脚はその速度を下げていき、やがて完全に止まった。

 新国立競技場の裏口。ユナのライブ直前で表からはかなりの歓声が漏れ聞こえる。

 そんな中でも翔の声は透き通って私の耳に届いた。

 

「翔」

「詩乃、どうしたんだい? こっちは裏口だよ? 確かライブのチケットが当たったって言ってたよね。なら表側に行かなくちゃ」

「ふ、随分と白々しいことを言うのね」

「…………」

 

 珍しく翔の口が止まる。その視線の揺れからはかなりの逡巡が感じられた。やはり彼も後悔しているのだろうか。

 翔は頭を振ってこちらを眺める。

 

「詩乃のことだからここ数日調べ回ったんだろうね。それで、その結論はいかに?」

「迷うまでもないわ。――貴方を止める」

「――だとしたら、僕らは敵対するしかないね。僕もこの計画の目的には賛同しているのだから」

 

 翔は今までの自然体からやや腰を落とし、両手を広げて緩く体の前で構える。

 スチャ、と私はここ数日放置していたオーグマーを装着した。

 翔は『目的には賛同している』と言った。あの翔がライブに参加したSAOサバイバーを皆殺しにする目的に協力するとは考えられない。つまり重村教授達の目的は別のところにあるのだ。ならば電波の被害想定を告げれば出力を取り止めてくれる可能性が高い。

 それならなおのこと翔は止めなければならない。いや、こちらの話を聞かせなけばならない。それには少なくとも落ち着いて話をできるようにしなければ。今の翔にそれが可能とは思えない。

―――彼も大分調子を狂わせているわね。

 普段の翔ならば話をして終わりだっただろう。しかし今の翔の眼はいけない。新川恭二ほどではないが確実に濁っている。自分の行動への迷い、それが原因だろうか。

 ふぅ、と息を吐く。翔はこちらの動きに対応するつもりのようで動かない。

 リアルの戦闘で翔に勝てる気はしない。男女の体格差・体力差以上に武道などの技術もあちらは持っているのだ。私には仮想(ARかVR)でしか彼に対しての勝ち目がない。つまりこれに乗ってこなければ私の負けが確定する。

 覚悟を決めて私はコードを口にした。

 

「オーディナル・スケール、起動」

「オーディナル・スケール、起動」

 

 ほぼ同時に翔もそのコードを口にする。

 その意味を考える前に私は突撃してくる翔に対応しなければならなかった。AR世界が構築されるかされないか、そのタイミングでの攻撃に意表を突かれる。確かにデュエルなどの条件を調えなくともOSで対人戦は可能だ。ARならではだが、準備中から攻撃を仕かけるのも有効だろう。……想定できるかは別問題だが!

 

「クッ!!」

 

 踵で石畳を蹴り横に飛ぶ。彼我の距離が約十mあったのが幸いだった。手元にARでの私の愛銃が現れる。体を捻って翔に照準を合わせようとするも、彼は狙いを定めさせないように左右に体を振る。

 後ろを確認しつつ移動する。一瞬も狙いをつけさせない翔の動きは驚嘆に値する。いくら近距離で振れが大きくなるとはいえ予測すらさせないとは。

 後ろに動く私と前進する翔。最初の距離と左右への無駄な動き、翔の剣のリーチで決着はしていないが、それも時間の問題だ。

 翔の意識が私へと集中して瞳の濁りが和らいでいる。動きを止めずに彼へと語りかけた。

 

「ッ、翔ッ! 貴方達がしようとしていることは分かっているわ! 今日、このライブに来たサバイバーの記憶の一斉読み取り! それ、が貴方達の目的でしょう!」

「……正確に言えば、目的とはややズレているかな」

 

 翔が追撃を中断し足を止める。円弧を描き距離を測りながら戦闘は停滞した。

 

「……はぁっ、はッ、貴方達の目的はAI《ユナ》の作成、かしら。重村教授の一人娘のコピーAIの、ねッ!」

 

 翔が姿勢を低くし、先程とは違う直線的に接近する。振るわれた剣を間一髪脇にそれて避ける。私が振り回した狙撃銃から逃れるように翔は腰を引き、その隙に私は距離を取る。

 

「……それもまだ道中、だよ!」

 

―――未だに道中……、その先があるの?

 こんな状態(戦闘中)で推測を立てられるわけもなく、揺さぶりを別方向に向かわせる。

 緩急混ぜた突撃を弾丸で行動域を狭めることで何とか読み続ける。

 

「貴方達は、ドローンからの特殊コマンドでサバイバーの恐怖心を煽って、関連づけされたSAOの記憶を読み取っていた! オーグマーからの電波を用いてッ!」

 

 翔が更に身を沈める。地面と平行になるまで体を倒し、私の右下から切り上げを放つ!

 それを左に倒れることで避けるが、バランスを崩し左手が地面に着く。左肘を曲げてバネのように使って体を左側に飛ばす。しかし起き上がることはできなかった。

 私の目の前で止まる剣先。そして目を上げれば、そこには()()()()が。

 

「そこまで来たなら、()()()()()()()()()()()()()()への恐怖がキーだってことにも気づいているよね? ――それが当てはまるのは、サバイバーだけじゃないってことも」

 

―――これが狙い……!?

 わざわざOSでの勝負につき合ったのは記憶封印に伴う気絶を期待してのことか。

 銃口が思い起こす脳裏に焼きついたあの光景。――そして同時に浮かぶ、暗闇から救ってくれた白い人。

 

「――ハッ。撃てば良いじゃない。やってみれば分かることでしょ?」

 

 強がりを吐けるのも胃液を吐かなくなったのも、全部目の前の人のお陰だった。

 

「でもね、貴方は気づいているかしら? 今日の企みを成功させたら被害者のほとんどが死ぬって」

 

 翔の綺麗な目が動揺で激しく揺らぐ。その隙に畳みかける。

 

「これを見なさい」

 

 渡したのはアルゴの液晶端末。翔はOSを解除して端末をその指で繰った。激しく上下する視線。あの数式が理解できるのか分からないが、納得したように翔は頷いた。

 端末を私に返すときには翔の顔はやや厳しいもののいつもの表情に戻っていた。

 

「詩乃。許されるかは分からないけれど、どうか許してほしい。それと、もうライブが始まる。詩乃は中には入らないで菊岡さんに連絡してもらいたい。このデータを添付……するのはマズいか。取りあえず確証があるって言えば動いてくれるとは思う」

「えっ、あ、貴方は?」

 

 唐突な対応の変化に混乱する私を翔は外に置いていこうとする。

 

「……僕は中に行く。ライブが始まって一定時間経過すると内外の行き来ができなくなる。その前に中に入らないと」

「――――あ! か、翔!」

 

 そのまま裏口に向かおうとする翔の袖を掴む。慌てながらも真摯にこちらを見る翔に、私は今まで失念していた大変な事実を伝える。

 

「アスナ達に言ってない!」

「……ライブでの電波のこと?」

「そう!」

 

 翔は腕時計を確認して眉間に皺を寄せる。

 

「……ライブ中はスマホの通知には気づかないだろうしオーグマーの通知は切っているだろうね。これから明日奈ちゃん達のところに向かって、どれだけ早く動き出しても時間には間に合わない、かな。僕のIDだと入ることは可能でも出ることはできないから」

「……どうするの」

「――詩乃。僕はこの後、和人君達を連れていく。頼む、明日奈ちゃん達のところに行ってほしい。それでもしスキャンが始まりそうになったらオーグマーを外して。それだけで対策にはなる。それと、もう一つ。多分スキャンの対象は三万人全員だ。今日は三万のオーグマーを接続する。何とか止められるようにはするけどッ……!!」

「翔、大丈夫よ。きっとどうにかなるわ。そう考えなさい。下を向いていても始まらないわよ」

 

 翔の背中を叩いた。

 私を見つめる翔は驚いたようでもあったし、覚悟を決めたようでもあった。

 私達は裏口まで駆け出した。




 恐らくこれ以後に出せるとは思えないので捏造設定開示をば。

スキャンの構造
一、戦闘に参加しているサバイバーをドローンが認識する。
二、ドローンよりの指示でサバイバーのオーグマーが同期&感情の増幅が始まる。
三、戦闘中に感情が一つ目規定値を越えたときに増幅される。
四、二つ目の基準ラインを越えたとき、モニタリングしていたドローンからのコマンドが同期されたオーグマー間を伝って伝達される。
五、感情規定値を越えたオーグマーだけがその命令に反応してスキャンを行う。
 って感じです。
 ユナのライブの際は、二で同期されるのが三万人全員になり、四の感情基準ラインが三万人での総計になって、五では総計になった結果全員のオーグマーが反応する、って感じの変更が入ります。

重村教授から翔に与えられていた情報
・ドローンからのコマンドでスキャンは実行される。
・ライブの日は機体ごとのラグを出さないために三万台のオーグマーを同期させる。
・同期させてしまうから、一斉スキャンへの感情の規定値は一般人も含める。
 このくらいですね。スキャンの際に同期している数で出力が上がるとかは知りません。

 ちなみに詩乃に銃を突きつけて言った台詞ですが、詩乃のオーグマーは現在競技場外のドローン管轄ですのでスキャンはされません(SAOプレイヤーでないから同期されない、一般人も同期されるのはライブ内だけ)。完全なブラフです。

 そして最後に翔の目的を。
 ぶっちゃけ悠那の覚醒が目的なら仲間に納得はしてもらえそうです。ただ翔はこの計画にやや嫌な予感を覚えています。その予感の内容を知りたかった、言い方は悪いですがそのために仲間を利用した形です。
 先に話をしなかったのは、何も知らない状態から探って欲しかった、つまり計画の総浚いをさせたかったってことです。
 計画に組み込まれている翔では探りにくい上に、下手に知っている分先入観から見落としがちですからね。

 長くなりましたがそれでは次回。


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#57 死闘

 一と半話分(文字数九千台)です。去年よりも確実に文章が長くなっているような気がします。良いことなのか悪いことなのか。内容が濃く簡潔な文章が書きたいものです。どうぞ。


~side:詩乃~

 翔のIDを使って競技場内に裏口から入った。入ってすぐの分かれ道、先導する翔が叫ぶ。

 

「この道を左に! まだ時間前だから入れるはず! 僕は和人君を探してくる!」

「了解!」

 

 それだけを聞き、直進した翔から目を離して左へと曲がる。小さな階段を何回か上るとやや広いスペースに出る。そして左側には競技場の観客席へと続く扉が。

 

「ッ!」

 

 肩から突撃するようにして中へと入る。扉は何の抵抗もなく内側へと開いて私は中へと誘われた。

 競技場内は既に熱気に満ちていた。オーグマーを起動し中央をよく見れば既にユナが現れていた。

 

「それじゃ、皆いっくよーーーーー!!!!!!」

「「「「「「「オオオオオオオオオオーーーーーーー!!!!!!!!」」」」」」」

 

 熱気が会場を渦巻く。指向性のない爆風染みたオーラの波に私は怯む。だがそれも一瞬。すぐにアスナ達を探そうとした。席自体は私の分も取っておいてくれた――自由席だ――そうで場所も連絡を受けている。後はそこに行くだけだった。そう、そこに行く()()

―――や、やるしか、ない、のよね……。

 無事に辿り着けることを願って、私は群衆に身を投じた。

 

******

 

~side:翔~

 詩乃と分かれてから既に競技場を半周ほどしている。この競技場には裏口のような場所が非常に多い。物資の搬入口であったり、自動車の入口であったり、単純に裏口であったりと。

 僕と鋭二は和人は正規以外の入口で来ると睨んでいた。そして僕が張っていたのは丁度正規入口の反対。あそこにある裏口は鍵がかかっていない――酷いことに監視カメラが死角がないように大量に設置されているからただの罠だ――。だからこそあそこに僕は立っていた。

 鋭二はそこ以外の入口を確認していた。彼は駐車場から来ると読んでいた。ただ彼は他の入口を確認できる端末を持っている。駐車場以外に和人が来た場合は僕に連絡して現場に向かう取り決めとなっていたのだが、その連絡はなかった。駐車場にいるのであろう。

 その駐車場へと足を向ける。正確に言えば半周には満たないのだが、それでもこの会場は大きく、更に言えばこのスタッフ通路は狭く曲がりくねり入り組み目的地に真っすぐ向かうことができない。僕が駐車場に着く頃にはユナのライブが始まって数分が経ってしまっていた。

 

 駐車場に駆け込む。薄暗い駐車場、そのどこに鋭二と和人がいるのかは分からない。オーグマーを装着しOSを起動する。途端に剣戟音が聞こえてきた。

―――距離、……それほどでもない。障害物も大してない、かな。

 走る。駐車場だから当然車が多くある。その間を縫うようにして音源に向かう。

 ようやく視界が開けば丁度互いに飛びかかろうとする二人がいた。

 

「チッ!!」

 

 今から間に合うかは賭けだ。脚のバネを限界まで使って跳躍するように走る。激突する寸前の二人のそれぞれ右腕と左腕を掴み、前へと進む僕の慣性を利用して二人の力の向きを変えて流して回転させ、二人をアスファルトの上に仰向けに転がした。

 

「カハッ」

「グッ」

 

 二人が衝撃に呻き、一瞬の間を置いて揃って互いに襲いかかろうとする。その二人の間に僕は立つ。

 

「ストップ!」

 

 手を向け動きを制す。そこまでしてやっと僕に気づいたようで、二人して驚きの視線と敵意を向けてきた。

 

「取りあえず一旦矛を収めて僕の話を聴いて」

「邪魔をしないでくださいッ!」

「明日奈の記憶を返せッ!」

「鋭二さんは、取りあえずこれを見て」

 

 僕は鋭二に例の液晶端末を渡す。僕では俄か知識過ぎて数式の半分以上が理解できなかったが、鋭二ならば分かるであろう。

 

「和人君、記憶どころじゃない。今は明日奈ちゃんを含めた多くの人の命が脅かされている」

「何、て」

 

 後ろで端末を操作する音が聞こえる中で軽く和人に説明する。

 僕らの本来の目的では死者など出るはずもなかったこと。それが恐らく一人の暴走の結果、三万人が死を目前にしているということ。そして明日奈達も三万人に含まれていること。

 

「翔、さん……。これは、本当なんですか……? いや、まさか、そんな、重村教授が? ……そんな、馬鹿な」

「翔。本当のことなんだな。……分かった、俺は翔を信じる。それでどうすればいい?」

 

 まるで対照的な二人の反応。潜った修羅場の数だろうか。ひとまずは僕に対する和人の信頼に深く感謝しておこう。

 

「和人君、ここにいてもどうにもならない。取りあえず会場に向かう。――鋭二さん。その端末、よく見てください」

 

 僕はそう言って鋭二が持つ端末の右下辺りを指差す。そこにはあるサインが入っていた。《Argo》というサインが。

 鋭二はSAOサバイバーでありその名前をよく知っている。そしてそのサインもよく知っていた。それを見つめた鋭二は膝をつく。

 

「はは、なるほど、そうですか……」

 

 失意を隠せない鋭二。そんな鋭二を何とも言えない顔で見つめる和人。問い詰めるべき、倒すべき相手すら騙されていたという事実に困惑しているのだろうか。

 しかしそんな失意に埋もれていてもらっても困る。彼は《ランク二》なのだ。戦力としては落とせない。

 そこで僕は些か卑怯な手に出た。

 

「鋭二さん。――もしそんな事態になって、悠那さんに『おはよう』って言えますか?」

「――分かりました、翔さんは随分と僕に働いてもらいたいらしい」

「はい。《ランク三》の僕を超えるステータスを持つ貴方には是非」

「…………行きましょうか、翔さん。――行くぞ《黒の剣士》」

 

 脅し文句でこちらに従ってくれるそうだ。人を動かすならば、動きたくなるような報酬を準備するか動かざるを得なくなる弱みにつけ込むかのどちらかだ。鋭二の弱みは悠那に決まっている。動かすだけならばさして難しくはない。

 やや釈然としない和人に僕は一つつけ加えた。

 

「あ、和人君。SAOサバイバーの記憶だけれど治療法は準備されているから心配しなくても戻せるよ」

「何だって!?」

「今までのは鋭二さんのただの挑発。気にしなくていいよ」

 

 表情が一瞬明るくなり、現状を思い出して暗くなる。コロコロと変わる表情が面白くもある。

 そんなことが考えられたのも一瞬だけだった。

 

『……どうしたんだい、鋭二君。それに大蓮君も。一緒にいる彼は《黒の剣士》ではないのかな?』

 

 僕と鋭二のオーグマーから流れ出した声の主はこの場に居ない重村教授だ。

 

「きっ、教授! すぐに計画を中止してください! このままでは――」

『なんだ、気がついたのか。ならば仕方ないな』

 

 それだけ。たったのそれだけで通信は切れた。それは見事なまでに対立を、無理解を表していた。

 そして僕ら三人の前に巨大なmobが現れる。

 

「《ドルゼル・ザ・カオスドレイク》……」

 

 その名を発したのは誰だったか。状況から見て僕らの足止め、もしくは恐怖集めのために重村教授が送ったものであることは明らかだった。

 僕はカオスドレイクが動き出す前にIDカードを取り出し和人に握らせる。

 

「ここは僕と鋭二さんで抑える。これがあれば会場には入れるから、頼んだよ」

「ッ…………!」

「――それと、このオーグマーはVR機器のダウンスペック版。見せたくないものはVR空間にある。だかr――」

 

 最後まで告げることはできなかった。カオスドレイクの初動の突進を避けるために和人を競技場内部の方に押しやり、自分は反対に飛ぶ。足止めをするにはもう和人と話せる時間は残っていなかった。

 

「行って!」

 

 それを聞き迷いを見せずに和人は背中を向けて走り出す。そこの切り替えの早さは伊達にデスゲームを二年もプレイしていない。

 体勢を整えた僕の横に鋭二が並び立つ。僕はその首裏にあるはずのものがないことに気がついた。

 

「あ、スーツ壊されてますね」

「ええ。致し方ありません」

「これ、使ってください」

 

 鋭二が身に着けている身体能力向上スーツ。それのコアたる部品が半分ほど欠けていた。僕は同じパーツを取り出す。細かい調整があるのかもしれないが概ね同じものだ、多少の互換性はあるだろう。取り外して鋭二の首裏に手早く取りつける。カオスドレイクに動きはない。OSのmobにはプレイヤーのランクに応じてやや警戒心を示すという設定がある。明確に敵対になっていないのは僕らのランクのお陰だろう。

 

「……スーツ使っていなかったんですか」

「はい、必要ありませんから。……それでは、行きますか」

 

 僕らとカオスドレイク、戦闘に移るのは同時だった。

 

******

 

~in:???~

 重村教授はライブの映像を眺めている。ユナのライブが安定し監視カメラを確認したところで鋭二達の不穏な動きに気がついた。それに手を打ち、打ったことで満足しユナのライブ観賞に戻る。こんな形だったとしても娘のような存在の晴れ舞台だ。それを楽しみにしている――のではなかった。

―――はは、SAOサバイバーがこれほどに! 皆殺しだ!

 彼は既にサバイバーへの八つ当たりのことしか考えていない。彼は、この場にいない明日奈の母と同じような心境であった。

 SAOに巻き込まれた際、自らがナーブギアを与えたことに心の底から後悔した。こんなことになるのならば、ゼミなど開かず茅場など育てなければ良かった。

 SAOがクリアされた。二年もすれば茅場への恨みも熱を失う。SAOは悠那の命を奪いはしなかった。そうなれば愛弟子とも言える茅場への怒りも燻るだけだ。

 悠那は目覚めなかった。ユナをSAOに誘ったあの鋭二だが、SAOで悠那を護り護られ戦っていたらしい。三百人の二次被害者の一人に悠那がなり摩耗する心、そこの一つの癒しとなったのは鋭二のする悠那の話だった。自分の知らない二年間を知りたかった。

 ALO事件が解決した。またもかつての教え子が首謀者であり、強く失望すると共にこれからの日本の電子生理学の未来を不安視した。――悠那は目醒めなかった。二九九人――三百人――は目覚めたと報道があった。

 重村教授は、壊れかけた。

 二次被害は他に二九九人もいたから耐えられた。だがこれは何だ。自らの娘だけが帰ってこない。なぜだ。

 理由は判明する。ALO事件解決後すぐに訪ねてきた大蓮翔により。彼の誠心誠意を籠めた謝罪。彼に重村教授は何も言えなかった。事情を全て聞けばALO事件の被害者全てを助けるために行動したことが分かる。根が善良である重村教授はそれを非難できなかった。

 ALO事件の首謀者、並びに悠那の精神に干渉した者達、彼らは国により正当な罰が与えられる。私刑にすることはできない。わざわざ身元を調べてまで謝罪に来た大蓮翔を責めることなどできるはずもない。

 重村教授の裡にSAO事件から三年半に渡り燻った感情、それが今自分達とは対照的に救われた呑気なSAOサバイバー達に向かう。理不尽でありただの八つ当たりであることは理解している。それでも()()()()()()()()()

 

「これで勝ったおつもりですか? 重村教授」

「――ああ、無論そうだとも。綻びのない計画だ。このライブで誰がオーグマーを外す。誰が気づいて行動に移れる。事情を知った者はもう辿り着かないだろう。そして既にスキャン開始まで感情値残り二五〇〇だ。これを勝利と言わず何と言う」

「ふふ。余り、彼らを舐めないことですね」

「何?」

彼ら(SAOサバイバー)は私を上回った者達です。私に新たな知識を与えてくれた者達です。そして、――明確に私達(理論の範疇にいる者)を越える者達です」

 

 重村教授の見るライブ映像、それは既にCG映画の様態を為していた。掲示板に大きく示された感情値。既に計画の九割方は終了している。

 そこで重村教授の眼と耳に信じがたいものが届く。

 

『――は《白の剣士》だ!!! 揃いも揃ってたかが旧アインクラッドのボスに何を手こずっている!!! 怯えるな! 怖がるな!! これはただの()()()()()だ!!! 狩り尽くせェ!!!!』

 

 それは普段の彼からは想像できない野卑な檄。それでもそれは彼だった。

 

「なぜだ!? まさか、たったの二人で、これだけの時間でカオスドレイクを打ち倒したのか!?」

「はっはっは。流石は私が認めた《白の剣士(英雄)》だ。――勝利に絶対はないのです、先生」

 

 その空間には驚愕する重村教授だけが立っていた。

 

******

 

~side:???~

 競技場内は酷い混沌の様を呈していた。

 先程までは別の意味で混沌――サイリウムが眩しかった――としていた場内だが、現在はそこら中で剣戟やら銃撃やらの音が聞こえる異空間となっていた。

 それは全て大量のSAOボスが出現したためだ。

 ゲーマーの性だろう。美味しいボスモンスターが大量に出現してそれを逃す者はいない。ユナのライブに付随する、告知なしのゲリライベントと思ったプレイヤー達は挙ってボスに攻めかかった。

 しかしいかんせん相手が悪かったとしか言いようがない。

 本来OSでは接近戦が一般的だ。遠距離射撃の方が難易度が高い。そもそも一種のエクストリームスポーツであるOSをやるならば接近戦を楽しみたいのが人の心だ。

 更にボスモンスターなどは総じて遠距離攻撃耐性が高い。それを抜ける技術やらスキルやら武器やらを手に入れられれば良いのだが、そこまでに脱落するプレイヤーも多い。

 この競技場は三万の人が十分に動き回るには狭過ぎた。ボスモンスターは存在自体が巨大な場合がほとんどで、現在の人口密度と合わせると大胆に動ける空間は少なかった。一足早く広いスペースが取ってあるフィールドまで降りられた者だけが抵抗を可能とした。

 戦闘が始まってある程度経った今では、積極的に戦いたくない者が壁際に寄ったために戦えるようにはなってきている。だが今回のイベントボス戦には実に厭らしい調整がされていた。

 しばらく戦闘行為を行っていなかったりすると、普段の戦闘においては自動的にゲームオーバー扱いになるルールがある。しかし現在はその対象外になっていた。戦闘圏内にさえ入っていれば戦闘状態が持続される。そしてボス討伐時には戦闘状態だったプレイヤーに戦利品が与えられる。

 つまり壁際だろうが戦闘圏内に入る現在の状態では、戦わないで傍観していても戦利品が手に入るのだ。これはオーグマーを外させないようにするための策だろう。

 非戦闘中のプレイヤーは上手く手の中で転がされているのだ。

 

 そんな喧噪の中、静かに座り続ける一団がいた。キリト達だ。そしてその目前でボスモンスターの攻撃を一人で受け続ける白いフードの少女。彼女は巨大な盾を操り、死神のような姿のボスモンスターの鎌の連撃を防いでいた。

 その顔には苦悶の表情が浮かぶ。このボスモンスターはとても強力で、そのヘイトを一人で受け切っているのだからそれも当然だろう。彼女は後ろの面々を護るためにそうしているのだろうか。

 しかし少女の奮闘には終止符が打たれようとしていた。

 ボスモンスターが一体増えたのだ。その一体は巨大な狼の姿を取っている。見た目から判別できる特異な点はないが、その狼は一瞬身を屈めた後に目にも止まらぬ速さで少女に突撃した。

 辛くも少女は盾で防ぐ。いや、防いだというよりは防いでしまっただろうか。狼はその速さもさることながら体格も良い。その突進を受けてしまった衝撃はとても大きなものだった。

 盾が浮かぶ。そして浮いたところを狙って死神の下からの斬り上げ。少女は全身を使って盾を下ろし真正面から受ける。鎌が硬質な音を立てて弾かれた。

 その間に狼は反時計回りで少女を回り込み、少女の左後ろから大顎を開き鋭い牙を剥き出しにしながら迫る。

 少女は遠心力も使って盾を狼にぶつける。巨大な盾と巨大な狼。質量のある物同士がぶつかり合い両者は逆方向に飛んでいく。狼は何度も地面を転がり、見事なまでにパリィされた結果軽いスタンに陥る。少女は飛んでいく盾を抑えられず無手で尻餅をつく。

 尻餅をついた少女の前で大きく鎌を振りかぶる死神。鎌は扇形で広い面積を攻撃する武器だ。あの長大なリーチから抜け出すことは今からでは難しい。そしてボスモンスターの溜め攻撃を生身で受ければ耐えられるはずもなかった。

 それでも必死に打開策を探る目をする少女だったが、死神の鎌が少女に当たる瞬間、強気な少女も目を閉じた。

 そして鳴り響く、――金属がぶつかる音。

 おずおずと目を開いた少女が眼にしたのは紫衣の剣士だった。

 

「大丈夫かい? ユナ」

 

 頭上に三という数字を浮かべた紫衣の剣士が少女に手を差し出す。

 

「――、エー、君……?」

 

 一という数字を同じように浮かべる、ユナと呼ばれた少女は震える声で紫衣の剣士に問いかけた。

 

「ッ……。――悠、那……?」

 

 一瞬辛そうな顔をした剣士は、はたと何かに気づいたように声を絞り出した。

 

「エー君!」

「悠那!」

 

 今にも抱き合いそうな二人の雰囲気に水を差す者がいた。

 動きを止めた二人に襲い掛かる死神と狼。そしてその二体を受け止め、柔軟に受け流したレントだ。

 

「――悠那さん、お久し振りです」

「――レントさん?」

「はい。憶えていてもらえて嬉しいですが、現在戦闘中であることも忘れないでほしいですね」

「あっ、ご、ごめんなさい!」

 

 にこやかに会話を交わす二人。レントは涼しい顔でボス二体のヘイトを稼いでいる。

 

「スイッチ!」

 

 紫衣の剣士……元《ランク二》のエイジがレントに声をかけて前に出た。流石に任せきりにはできなかったのだろう。そしてその間に悠那は大盾を拾ってきていた。

 

「悠那さん! 死神の方、頼みます!」

 

 エイジと入れ替わったレントは悠那に叫び、一人で狼に立ち向かう。

 レントは狼の動きを全て読んでいるかのように立ち回る。狼が大顎を広げたときには既に後ろ脚に回り込み、後ろ蹴りを行った瞬間には鼻面を斬りつける。

 いくら狼がボスとしては小型で、また近場でヘイトが一点に集中していて得意の高速突進が行えていないとはいえ、一人でボスを手玉に取る様子は圧巻だった。

 周囲の目線はレントに集中する。レントは、低く唸り頭を下げ屈み込む狼と正面で向き合っている。構えた剣で狼の突撃にカウンターを合わせるつもりなのだろう。傍からでも高音が鳴っていそうな集中が見て取れる。

 突然だが、この競技場内でのボスモンスター達の行動指針を分析して分かったことがある。ここのボスモンスター達は戦闘圏内で戦闘中のプレイヤーの中でも特に積極的戦闘を行っている者をターゲットとする。今のレントのようにタゲを誰かが引きつけていないときは、より人の多い方へ、より多くの人にダメージを与えるためへと動く。そしてそれとは別に、現在競技場内で()()()()()()()()()()()を優先して攻撃する傾向がある。人々の前で強者が敗北する、それもまた恐怖を与えるからだろう。

―――いけない!

 そう脳を電気信号が走り、()は駆け出していた。今はまだレントにヘイトは向いていないが、これだけ視線を集めればすぐに別のボスが来るはずだ。

 戦闘が得意でない私は脇に避けていた。距離もあって先程悠那が体勢を崩したときには咄嗟に助けに出られなかった。だが今度は前もって飛び出していた。

 レントに狼が飛びかかると同時に、後ろから巨大なラミアが曲刀を振り下ろした。それに気づいていたレントはカウンターを挟まずに脇に避け、通過する狼の脇腹に剣で傷を残す。レントのいた場所目がけて振り下ろされた曲刀は飛びかかった狼の背骨に直撃する。そして口から苦悶の鳴き声が聞こえると同時に狼は消滅した。

 脇に避けたレントに、向かって左から悠那達が相手にしている骸骨の死神とは別の、悪魔のような見た目をした大鎌持ちが襲いかかる。それを剣で受け止め、鎌と剣は一瞬拮抗する。

 そのレントの後方、遠方からの……狙撃。骨でできた無骨な矢。レントは気づけていない。風を切る矢は今からでは避けきれない。私は何とか骨矢とレントの間に体を滑り込ませた。

 真後ろに来た私に気づいた()は目を瞠る。そして目を強く瞑んでからすぐに正面の敵に向き直った。

―――そういうところだよ、私が好きなのは。

 感情と理性を鬩ぎ合わせ、理性を勝たせられる性格。理性が勝てども感情を軽視しているわけではなく、理性の勝利にはこちらへの信頼が大きく関わっていることがよく分かる。

 私はその全てに喜びを感じる。

 身体に矢が突き刺さる。が、貫通はすれども身体から抜けはせず翔を守ることはできた。

 HPが急速に減っていくのが分かった。このままなくなってしまうだろうことも。

 

ドクン

 

 心臓が大きく脈打つ。怖い、怖い怖い。死ぬのが怖い。何もできず死にたくない。怖い、嫌だ。嫌、嫌嫌嫌嫌嫌嫌嫌嫌嫌嫌嫌嫌―――

 

「すぅ」

 

 脳内を埋め尽くしかけた思考を呼吸で無理矢理散らす。心に残る恐怖を噛み殺して叫んだ。

 

「レント! 無事カ!? ()()()()ゲームだからって調子に乗るなヨ!」

 

 強がり、片頬を吊り上げて笑う。敢えて声を出した。周りで見ていた者にも聞こえるように。

 電光掲示板に表示される上昇を続けていた数字――七千をやや超えている――の上昇速度が落ちた。レントがやられかけた瞬間に跳ね上がったのだがもう大丈夫だろう。

 HPが零になってもOSがゲームオーバーにならない。視界の端に出ている表示によると『ユナのライブ記念! 今回だけ特別、ゲームオーバー後もアバター維持! 更に戦利品獲得!』だそうだ。とことんオーグマーを外させないつもりのようだ。

 レントは大鎌持ちの悪魔を上手く左に受け流し、突進するラミアの盾とする。その周囲を私の手を引いて骨矢が飛んできた逆方向に回る。そうすればモンスター同士が互いの行動を阻害し合って一瞬の間隙が生じる。

 翔が私に話しかけてきた。

 

「――アルゴさん?」

「久しぶりだネ、レン坊」

「……詩乃にデータを渡したり、暗躍していたみたいですがね」

「そちらこソ。ところでスキャンの閾値はどのくらいだイ?」

「あの電光掲示板の数字で一万だったはずです。ただ、僕が知っているよりも二体多くボスが出現していますからそちらも誑かされていたかもしれません」

 

 言葉を交わせたのはそれだけ。モンスターとていつまでもぶつかり合っているわけではない。むしろ協働しているのだからスムーズに動く。既にゲームオーバーの私と違ってまだレント(ランク2)が脱落するわけにはいかなかった。

 そして私と離れてすぐに、レントは自らの存在を示すように声を張り上げた。

 

「SAOサバイバーにOSプレイヤー!!! 俺は《白の剣士》だ!!! 揃いも揃ってたかが旧アインクラッドのボスに何を手こずっている!!! 怯えるな! 怖がるな!! これはただの()()()()()だ!!! 狩り尽くせェ!!!!」

 

 その声はとてもよく響いた。普段と違う口調は叫び易いように調整されていた。そしてレントの声はマイクに拾われて更に響く。

 一拍置いて、競技場が震えた。

 

『『『『『――――――――!!!!!!!?!!???!!!』』』』』

 

 様々な声が聞こえる。レントの声に反応した雄叫び。怒りの声でもあり、困惑の声でもあり、鬨の声だった。

 何にせよプレイヤー達の意識が一旦恐怖から離れたことは間違いなかった。

 そしてレントに続いてもう一人声を上げる者がいた。

 

「《白の剣士》の言う通りだ!! 戦術もなしに無謀な突撃なんぞなんと愚かな!!!!! 連携を取れ!!! そして確実に各個撃破だ!!!!」

 

 聞き覚えのある野太い声。発信源を見れば、やはり海賊のような顔つきをした男が立っていた。

 エリヴァは全体に向かって檄を飛ばした後に周囲の者に細かく指示を飛ばしていく。人は流れがあり、相手の声が大きい――物理的にも比喩表現的にも――とつい従ってしまうものだ。そうして簡単にボス一体と拮抗する戦力を統率してしまう。

―――流石は《聖龍連合》元団長。人の動かし方が分かってる。

 エリヴァは態勢が整ったと見るや、余剰戦力を近場の別のボスに誘導する。当然そちらのボスにも群がっているプレイヤー達はいるが、集団戦力を率いているように見えるエリヴァにやや腰が引けている。そういった者をエリヴァは簡単に戦力に組み込んで動かしてしまった。

 その様子は私だけではなくレントも見ていたようで、こちらを見て肩を竦めた。




 やや中途半端なところで終わらせてしまいました。
 今回出てきたSAOボスですが、骨矢を放ってきた奴以外は既に登場済みです。
 ……一体くらい飛び道具を使うボスも書いておくべきだったかっ。


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#58 激闘

 前話と似たような題名ですが、ついこの間『再会』が二話あることに気づいたような阿呆なので許してください……。今更タイトルを変える気にもなりませんので、変更は多分ないです。
 それではオール戦闘パートです、どうぞ。


 本当にエリヴァには頭が下がる。

 エリヴァの指揮によりある程度の秩序を持った競技場のプレイヤーはボスと均衡する。しかしこちらの戦力は死の恐怖の増幅によってじわじわと削られていく。アルゴの精神力は素晴らしく、また元々その機能を知っていたために抵抗できたが、普通の人はあれだけの恐怖に襲われたらスキャンされずとも戦うことなど到底できない。

 今も電光掲示板の表示は八千から八千五百の間を彷徨っていた。

―――!?

 嫌な気配がして飛びすさると、僕が立っていた場所にあの忌々しい骨矢が刺さっていた。目線を上げればそれを放った下手人と目が合う。――目があれば、だが。

 僕の正面に立つスケルトン。ボスサイズなため大腿骨が僕の下半身ほどもある。大きく湾曲した象牙のような弓を装備しているが矢筒は持っておらず、防具も身に着けていないため見た目は完全に雑魚である。しかしその雑魚さが上手く働いていた。このスケルトン、動作音がほとんど存在しないのだ。そして身軽なため素早く、骨だけの身体は存在感が薄い。実に狙撃手向きと言える。

 スケルトンは肋骨を自ら折ると、それを弓に番え放つ。正面からの攻撃を避けられないようなことはないが、その光景に思わず口の端が引き攣る。スケルトンの肋骨は既に再生していた。

 

「くっ――」

 

 慌てて横に飛ぶと、先程から執拗にこちらを狙ってくるラミアの曲刀が地面に刺さる。とても見覚えのあるボスだ。確か四十七層のボスの《ザ・ラミアウォーリアー》だったか。キリトと二人で倒した敵だった。

 ふとラミアとスケルトン、更には近くにいた大鎌持ちの死神のような悪魔――四十四層ボス――と鎌の刃がついた両刃剣使いで馬と獅子の二つの顔を持つ悪魔――六十六層ボス――の動きが止まった。その隙にスケルトンに攻撃を仕かけてHPを削るが反応はない。

 そして動きを止めたときと同様に突如としてボス達が鬼気を纏って構える。――僕に対して。

―――これは、重村教授か。

 このボス達にはたしかコマンド入力などができるシステムが搭載されていたはずだ。それを使ってタゲを僕に固定したのだろう。

 四体のボスが僕へと迫る。厄介なスケルトンを正面に置き、背後から掬い上げるような曲線を描いて迫るラミアの双曲刀をしゃがんで躱す。右から来る猛烈な縦回転をする両刃の鎌は一歩前に出ることで、左からの断ち切る鎌の振り下ろしは後ろ重心になることで、それぞれの斬撃の間に身を置く。体を半身にして骨矢をスルーする。

 それでようやく攻撃に転じようとするが、挟み込みに来る双曲刀を再び避けねばならなくなり、右から馬の顔が放った直線ブレスを回避し、同士討ちにならないようブレスを回避しつつ放たれた悪魔の鎌の引き戻し動作を身を捩って顔面から数㎜の位置で通過させる。新たに番え放たれた骨矢を地面に転がって避け、そこから立ち上がる動作で一瞬の隙を突いてラミアと二つの顔の間を通り抜ける。

 ボスの包囲網を辛くも脱し、肩で息をする。

―――厄介な!

 タゲ集中よりも重村教授の操作でボスが連携を取るようになったことが煩わしい。

 僕の正面で並び立つ四体のボス。僕一人で四体のボスを引きつけ続けられたら良いのだが、それで僕自体が落ちるようなことになってはこの後の戦況に影響が出る。競技場の中央に鎮座する()を眺めながらそう思う。

 後衛にスケルトンが構え、中距離にはブレス攻撃を主体にするであろう二つの顔、そして近接に間合いの測りづらいラミアと悪魔が迫る。

 その尾を使って飛び上がったラミアが落ちてくる。悪魔は僕の足元を円弧を描いて刈りつつ斜め上方向に鎌を振るう。ラミアは空中とはいえその長い蛇体で姿勢制御が可能だ。悪魔の鎌はかなりの広範囲をリーチに収めている。共に避けにくいことこの上ない。

 ラミアの予想落下地点からステップで離れ、悪魔の鎌対策に体を前に倒しつて膝ほどの高さに姿勢を維持する。鎌は僕を狙うから無論その高さで振るわれるが、タイミングを計ってそれを飛び越えて躱す。向きを変えて上に振り上げられた鎌は、空中で体勢を調整し僕に向かって落下してきていたラミアにカウンター気味に決まる。

 骨矢とブレスは今の交錯中にも飛び交ったが、あの二体は同士討ちを避けているためコースを読み易い。更にどちらの攻撃も直線的で当たり判定から外れることも難しいことではない。

 痺れを切らしたのか、二つの顔はブレスではなく武器である両刃鎌を回転させつつこちらに投擲する。激しく横回転し歪曲した軌道でブーメランのように襲いかかる鎌をしゃがんで避けようとしたとき、悪魔の大鎌が音もなく振るわれた。ラミアは未だにダウンしているが、悪魔は既にこちらを向いていた。

 どちらかには確実に当たる。悪魔もとうとう周囲の攻撃に合わせることを学んだのか、攻撃のタイミングが同時だ。そしてどちらも広い当たり判定を持っている。斜め気味に振るわれた鎌は膝から下を狙い、両刃鎌は胸の辺りを目がけて擲たれている。両方を避けるには、腿を引き上げ足を膝より上で抱え、なおかつ可動域的に思い切り背面に反るしかないだろう。前面に屈んだのではまだ高い。だがそんな体勢をリアルで取れば転倒は必至だ。スケルトンが骨矢で狙っている現状、その事態を招くわけにはいかなかった。

 覚悟を決めたそのとき、僕と鎌の間に二人のプレイヤーが割り込んだ。

 

「ふん!」

「はあっ!!」

 

 二つの鎌を防ぐその二つの影は、どちらも僕には見覚えのある人だった。

 片方は元《聖龍連合》ディフェンダー隊隊長のシュミット。もう片方は《血盟騎士団》に所属していた斧槍使いだった。どちらも攻略組のトッププレイヤーだった者だ。

 

「はっはっはっ! 確かに死なないゲームならばこいつらの相手は楽しいですな!!」

「……貴方はタンクでもないのに、どうしてそんなに楽そうなんですかッ!」

 

 シュミットはぼやくが、それは対応した攻撃の違いだろう。斧槍使いの彼は両刃鎌を斧槍で受け流した――十分高等技術だが――だけだが、シュミットは現在もその盾で死神の操る鎌と拮抗している。

 やや唖然としていると肩を力強い手で叩かれた。

 

「久し振りだな、レント。随分とボスに気に入られたみたいでご愁傷様だが、取りあえずあの四体はこっちで受け持ってやる」

「――戦況は?」

 

 あの四体にかかりきりになっている間に戦況は動いたのだろうか。エリヴァがここにいるということはある程度のまとまりはできたと思いたい。

 

「……正直、微妙なところだ。一応それぞれのボスに十分な人数はつけてきた。あのボスらとは一回戦っているからな、その知識で有効な対処方法を行わせているが……。統制が取れ始めた分、参戦できるプレイヤー数は増えた。それで余力のあるところから単独で活動できる戦力を抜いてこっちに来た」

 

 見るとスケルトンの方は三人で、ラミアは五人で囲んで各個撃破に移っている。他のボスに数十人でかかっている――ローテーションを組んでいるため同時に戦っているわけではないが――ことと比べると、いかに個人の力量に頼っているのかが分かる。だがそれでも抑えるので手一杯だ。

 そしてあろうことか、悪魔と二つの顔の二体の悪魔系ボスに対してシュミットと斧槍使い、エリヴァの三人で挑み出してしまった。受け流し、受け止め、避け、同士討ちを狙い、片手間に一撃が重たいそれぞれの武器――ランス、斧槍、片手斧だ――で一撃離脱をする。流石はSAO上がり。この二体とも三人は戦ったことがあって危うさはない。だが僕から見ればそれは一つ間違えただけで命取りな綱渡りに見えた。

 

「レント! お前は中央の()をなんとかしろ! もっとプレイヤーが入れるスペースを確保しなきゃなんねえ!!」

 

 それは僕とて理解している。中央の……《ザ・センジュカンノン》を何とかしなければならないのは。

 奴は、いつかのボス戦のときと同じく地面に埋まっている。だがそれでも依然としてリーチは長い。更に言えばあのときのような大量人員は動かせない。そうすると一人当たりの腕の集中度――奴は既に腕が肘から別れた第二形態だ――が上がる。一撃必殺の攻撃を長く何発も耐えることは決して簡単ではない。

 

「任せました!」

 

 それだけ言って僕はすり鉢状の底へと向かった。

 

******

 

 千手観音と僕は向かい合う。ボスの腕が届かない範囲で。ボスは八対の手を合掌状態で構えていた。

 こうしている間にも戦況は動いており、幸い全体的にプレイヤー側が押せている。どうやら二体ほどボスが倒されたようで、その分のスペースに非戦闘プレイヤーが積極的に入って、空いた人員はエリヴァ達のところへと回る。

 だが重村教授の目的はボスによって全プレイヤーを戦闘不能にすることではない。電光掲示板の数字は八千台の後半から九千に乗るか乗らないかだ。例え戦況でいくら押していようが、SAOサバイバーがダメージを負う度にこちらは不利になっていく。しかし悩ましいことに、サバイバーに戦闘を控えさせてしまうと――できるかどうかは別として――戦力が足りない。

 このままだと磨り潰されてしまうかもしれない。

 

 ふぅ、と息を吐いて余計な考えをリセットする。はっきり言ってそれは今僕が考えたところで詮なきことだ。流れに任せる他ない。

 僕はただ目の前の敵を倒すのみ。

 

「さて、戦()ろうか」

 

 それだけ呟いてボスへと接敵した。

 

******

 

「はっ」

 

 千手観音の腕の再生能力はかつてのままだった。たったの一人では腕切れまでは起こせない。

 

「ふっ」

 

 だからこそ腕には触れず本体だけを狙う。

 

「っと」

 

 背後から、前方から、上から、下から、左右から、全方位から。様々な方向から必死の手が迫る。それら全てを把握し、回避する。剣を腕の対処などに回してはダメージが足りない。したがって回避は体捌きだけになる。

 だがそれも今ならば容易だ。ラフコフ掃討戦では八十人以上の戦闘状況、HP、攻撃力を把握し続けたのだ。HPと攻撃力を把握しなくても良いこの状況で、たった十六本の腕だ。そしてその全てが僕を狙って動く。これを捕捉できないほど鈍ってはいない。

 留意するべきは咥え込み攻撃とその他の接近した敵の排除方法。五十層でのキリトの二の舞だけは避けねばならない。

 

 その調子で数分攻撃を繰り返し続けると、ボスに変化が出てきた。今までは独立して動いていた腕が遂に連携を始める。隙間を生み出さないようにされた飽和攻撃――に見せかけたもの。

 いかにAIといえど、そんな始めてすぐに完璧になるような簡単なものではないのだ、連携というものは。

 僕の前に不完全な連携を見せたこと、それがこの仏像の敗因となるだろう。

 一撃一撃が確実にソードスキルよりも強力であろう腕で自滅を狙う。こちらの動きに誘導され翻弄された腕は僕を目がけて攻撃し、直前で回避され本体にダメージを与える。半分まで減らしていたHP――ランク二の攻撃力をフル活用した――が急速に減っていく。

 自滅を恐れ腕を遠ざければ、無防備になった本体への僕の攻めが過熱になり、たまらず腕を用い自滅する。

 既に仏像は詰んでいた。

 《ザ・センジュカンノン》に止めを叩き込む。OSにはソードスキルも強大な装備もスキルも存在しない。そのためSAOボスはかなり弱体化してあるのだが、それにしてもクォーターポイントボスがこれとは。先程の四体の連携の方が手こずった。

 場内を見渡す。僕が仏像と戦い始めてから撃破できたのは一体だけのようで、全体として拮抗していた。その原因は安全重視な戦法だろう。サバイバーが恐怖に悶える――実際は自失に近い恐怖なため外見には余り現れないが――姿は理由が分からずとも不審感を人に与える。更にはサバイバーという近接戦のプロフェッショナル達が抜けたのが穴となっていた。

 底にいた仏像が倒されたことを知り、一部のボス戦チームはボスを下へと誘導する。広いところで戦うためだろう。そして一足先に底に下りてきた青年がいた。高低差にメンバーが慣れる間ボスのタゲを引き受けるつもりだ。

 そんなとき、僕と彼の間の空間が歪み、新たにマスコットのような白い存在が現れた。それはユナにつき従っているマスコットだ。

 マスコットは青年の方へと近づき、青年もマスコットに気づいて表情を綻ばせる。見た目だけは可愛いからだろう。が、その正体は――

 手を差し出しマスコットを撫でる青年。マスコットは嬉しそうに一声キューと鳴き、その口を広げた。

 口にはぎっしりと鋭い牙が並んでおり青年の動きが止まる。マスコットの顎が外れ、表皮が際限なく伸びて口のサイズが直径十㎝ほどから一mほどになる。そしてマスコット――いや、()()()()()は青年を丸ごと飲み込むように口の中に包んだ。

 口を閉じて咀嚼するようにもしゃもしゃと動かす。段々と口は元のサイズに近づいていくが、その工程はグニグニ、ムニョムニョと想像もしたくない擬音に満ちていた。

 青年は無論ARであるから先程の場所にいるが、恐怖から腰を抜かしている。そして、叫んだ。

 

「うわあああああぁああぁっぁっぁぁぁぁぁぁぁ!!!!!!!!」

 

 喰われる、それは非常に恐ろしい体験だ。そして戦況に余裕ができてきていた分、多くのプレイヤーがそれを見てしまった。電光掲示板の数値が跳ね上がる。

 百層ボスは元のマスコットサイズに戻った後、体の内側から外側に突起が伸びては元に戻るといったまるで()()()()()()()()()()()()()()()()()()()動きを見せる。その動きも段々と落ち着いていく、消化されていくように。

 そして全ての動きが静止した数瞬後、マスコットは炸裂するように形を変えた。

 現れたのは白を基調とした体色を持った、神々しくも恐ろしいボスだった。下半身は深紅や暗赤色で彩られた裾の広がった布に覆われている。僅かに見える胴と腕は細身だが硬質な頑丈さを感じさせ、肩には大きく膨らんだ、下半身と同様の材質の飾りがついている。白い身体の所々に刺青のように赤い線が走り、赤い装備は要所を金輪で留めている。真っ白い陶器のような人面を有しているが、それは石のような無表情だ。白目も黒目もなく真紅に染まった眼からは何を読み取ることもできない。

 そのボスの何よりも特徴的なのは頭部だろう。頭頂から後頭部にかけて髪のように白い造形物が生えている。それは頭から巨大な大脳のような輪郭を描きつつ背中側に落ちていき、腰辺りでまとまる。造形物からは六本の鋭い剣状の突起が伸びており、その根元にはボスの顔ほどもある巨大な紅玉が嵌まっていた。同様の紅玉は造形物の所々に見られ、顔の脇にはそれよりも小振りな紅玉が嵌まっている。

 顔の上半分は同じく髪のように伸びたものが囲んでいるが、それは三対の翼のような形をしており、顔と同化しているたて仮面をつけているようにも見える。また、頭部から伸びた造形物が肩の前面で飾りを形成している。

 それらによって描かれるシルエットは、確実に人型ではあるのに人型とは言いきれないものになっていた。言うなれば女神型だろうか。固定された無表情からは到底人間味を感じられない。

 ボスは右手にいわゆる処刑人の剣のような赤い片手剣を握り、左手には穂先に翼の意匠が入った黒い槍を構えている。

 人型、そしてサイズも人――本来は十mほどだったはずだ――であるにも関わらず、その放つ圧は圧倒的だった。

―――このままじゃいけない!

 何も考えずに、ただ持っていた剣を振るい抜く。その顔に横に剣創が入った。

 

「こいつはこの《白の剣士》に任せろ! 皆の手は煩わさない!!」

 

 本来複数人で挑むべき敵だ。だがこう言ってプレイヤーの皆がこのボスから距離を感じてくれたらひとまずの目的は果たしたと言える。誰しも火事は対岸に移れば怖くないのだ。その証拠に電光掲示板上で跳ね上がっていた数値は九千八百前後でようやく止まった。

―――間一髪……。

 ノソリ、とボスがこちらを振り向く。HPバーが見える前の攻撃でダメージは入らなかったはずだが、しっかりヘイト値は稼いでいたようだ。

 ボスの頭に一本のHPバーが浮かぶ。そして同時に《アン・インカーネーション・オブ・ザ・ラディウス》の文字も。SAOの最後のボスが僕の前に姿を見せた。




 ……悪意マシマシ構成。たとえVR世界で倒しても、ARでHPバー一本にせよ復活するという。討伐後のうんたらかんたらの間に閾値超えるはずでした。主人公ファインプレー。

 それと、原作映画でもVRからの援軍があったように、今回のライブの確率操作はサバイバーが当たりやすい以外にも、OSハイランカー、各種VRゲームの凄腕プレイヤーは当たらないようになっていました。計画に抵抗されたら困るので。ですから! サバイバー無双も! 仕方ないのです!(エリヴァを出したかっただけ)


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#59 決着

 それではOS編決着です。七千文字いってしまいました。どうぞ。


 第百層ボス《アン・インカーネーション・オブ・ラディウス》――マスコット状態の名前より、仮にアインとする――は斬りつけた僕へと襲いかかる。

 その動きは鋭敏であり、力強かった。独特の圧迫感を感じるその突撃を僕は剣で押し留める。

 一旦アインの動きを和らげ、その隙に脇へと避けて受け流す。ダメージを与えることも忘れずに。

 再びの突撃。今度は防御せずにこちらからも前進し後の先を取る。それをアインは飛びのくように躱し、三度突撃。まるでそれしか攻撃を知らないかのような猪突猛進ぶりだ。

 案の定僕の間合いに入る寸前で急停止し、急発進。タイミングを露骨にずらしてくる。それにしっかりと対応して剣を振るうも、アインも僕の剣を左手の槍で防ぐ。槍の中ほどを持ってその柄――途轍もなく硬い感触がする――を間に挟み込まれた。それで僕の剣、正確に言えばオーグマーと手持ちの専用スティックは動きを止める。

 OSにおいて剣戟というものは通常発生しえない。実体のない武器で戦うからだ。だがそれでは味気なさすぎるため、スティックにはバイブレーションのような実感を得られる機能が多数搭載されている。そしてその最たるものがオーグマーによる感覚の誤認だ。実際は当たっていないのに、武器が何かに遮られたという感覚を直接脳に送りつける。それを受けて脳は勝手にその感覚を再現、想像して体の動きを調節する。特にアインは百層ボスなだけあって与えられたリソースが大きく、そういったモンスターと対峙するとより強くオーグマーによる干渉を受ける。

 アインと僕は足を止めての剣戟に移る。僕が剣を袈裟に振るえば、アインは槍を僅かに傾け穂先の方で刃を止めて返す刀で右手の剣を斬り払う。それを僕はスウェーバックで避けつつ引き戻した剣で手元から急激に伸びる刺突を放つ。アインは槍を回し柄で下から打ち上げることで僕の突きの軌道を更に上へと持ち上げる。それに合わせて胴狙いから頭狙いに変えた突きも首を傾げて見切る。そのまま攻撃に移った奴の右手の剣の逆袈裟の斬り上げを、僕は前へと飛び込みその後方に回ることで回避する。

―――今の動き……。

 左手に持った得物で上方向に強くパリィ、そこから右手の剣で空いた腹を斬り上げる動き。それは槍と楯という武器の違いはあるものの、かつて目にした《神聖剣》のソードスキルと同じ動きだった。

 のそり、と緩慢な動きでこちらを振り向くアイン。その眼が赤紫に輝く。僕の脳裏にかつて確認したアインの行動パターンが浮かんだ。

 

「総員! 範囲攻撃!!」

 

 僕の声が響くのと、アインが眼から強力熱線を放ちターンするのはほぼ同時だった。僕の声に反応した僅かな人は助かる。そもそもスタジアムの底で戦っていたため被害は軽微だ。それでも数人がやられてしまった。そして被害よりも何より、範囲攻撃に会場がざわめく。それはそうだ、今まで競技場の底から観客席まで攻撃を届かせられるモンスターはいなかったのだから。だからこそ他のプレイヤーはアインを他人事のように思えていたのだから。

 僕は失策を嘆きつつアインを見やる。こちらの動揺のうちにアインは構えを変えていた。今までの槍を垂直に立てて剣を後方に引いたカウンターを中心とした構えではなく、右手の剣は水平に、左手の槍は短く持ってその穂先が地面につくほど前傾した攻撃的な構えだ。

―――キリト君の《二刀流》。

 《神聖剣》の次は《二刀流》か。流石はAI、神聖剣では僕に勝てないと早々に学習したのだろう。アインの神聖剣は確かに刻一刻と成長して合理的になっていくものだったが、それでも積み上げられた茅場の剣技には及ばない。であるならば、アインが僕に勝てる道理はなかった。

 二刀流とて同じ。そうかもしれないがそうでないかもしれない。神聖剣のときは楯がない状況だった。この二刀流もどきは一応武器を二本持っている。更に言えば本来の二刀流と異なる槍という武器はこちらのリーチの感覚を欺くだろう。

 そして何より、このアインは一度VR世界で敗れたものだ。それは誰に? 無論、キリト達だ。本物の二刀流を学習したアインの実力がどれほどかはまるで見当がつかない。

 最初の焼き直しのように突撃するアインだが、その突撃は迂闊にカウンターを挟めないものとなっていた。その成長度にこちらの反応が一瞬遅れる。その隙に体を回転させつつアインは両手の刃で僕を切り刻まんとする。

 まず襲い来るのは右手の剣。それを体勢を低くしてすかす。回転の勢いを利用し左の槍で突いてくるが、それは自分の剣を間に挟みこみ受け流す。アインは受け流されたまま勢いを利用して二回転目。今度は僕も対応できる。剣での攻撃にカウンターを入れようとこちらも剣を挟み込み、無理矢理回転運動を止めたアインとの剣戟が始まる。

 アインの基本的な戦い方は左で突いてバランスを崩させ、右手の剣を上から振り下ろすものだ。だが槍はただ突くだけが真価ではない。そこからの薙ぎ払いをアインが続ける。それと同時に剣での袈裟斬りも行って挟み撃ちにする。

 

「くっ」

 

 バックステップで躱すも、瞬時に手を滑らせ槍の間合いを長くされて被弾する。浅く斬られただけでも相手はボスだ、かなりのダメージになる。

 地面に足が着くと同時に踏み切り、攻撃後の一瞬の隙を狙う。両方向からの斬撃によって前でクロスするような形になっていた両腕をアインが元の位置に戻したタイミングだ。再び体の前に持ってくるには時間が足りない。

 僕は水平に斬り抜くが、アインは後方宙返りで間合いの外に抜ける。後ろに流れる寸前のアインの眼が赤紫に輝いた気がした。

 

「攻撃、注意!」

 

 僕の言葉に今度は多くの人が反応する。

 アインは地面に着地すると同時に再び後方宙返りをする。熱線を放ちながら。

 アインの回転に合わせて縦回転で大きく放たれた熱線。先程とは違い攻撃範囲は狭い。更に多くのプレイヤーはアインに注意を払っていたため、その正中線の延長から飛びのいていた。視界の端ではユナとエイジが二人で対抗していた骸骨の死神が熱線に直撃し同士討ちになったようだ。二人は死神の陰にいて無傷だ。

 今回の範囲攻撃で敵戦力を一切削れていないことに、着地したアインは不機嫌そうに辺りを見回す。

 しかし戦力が削れていないとしても掲示板の数字はやや上がる。その理由はもちろんダメージもあるだろうが、それ以上にこのアインが問題だった。

 人は基本的に身の危険や理解の埒外のものに恐怖を抱く。アインは理解の埒外の存在だ。無論モンスターである時点で異常だが、今時その程度では――特にゲーマーには――恐怖を抱かせられない。アインの一番重要なポイントは人型であるのに人間の動きをしないところにある。

 基本的に人型モンスターはその動きも人に倣うものだ。だがアインは違う。何も知らない人でもその動きを見れば漠然とした違和を感じるだろう。そして筋肉や骨格を視られる僕からすればその動きはより異常に視える。

 オーグマーの視覚に対する干渉はほとんどVRと同レベルだ。だからこそ僕のVR適性が働く。そしてアインはSAOボス、つまりは茅場が設計している。その骨格は実によく作り込まれている。にもかかわらず、アインには筋肉が()()()()()()()。どうやら筋肉ではない何かを駆動に使用している設定なのだろう。

 加えて作り込まれている骨格すらもアインにとっては玩具に過ぎない。アインは動く度に全身の関節のどこかを()()()()()。それのせいで人型の骨格にもかかわらず、その動きは人から逸脱しているのだ。既知のはずなのに、人型のはずなのに異常な動きを見せる。それがアインが一般プレイヤーに恐怖を与えている理由だ――いわゆる不気味の谷現象とも言える――。

 掲示板の数字はもういつ一万になってもおかしくはなかった。アインをそれまでに倒せるかは分からない。最終的には倒せるだろうが……。

 

 

 

 

 

『―――~~』

 

 

 

 

 

 そのとき、競技場に一つの声が響き渡った。

 その声を聴き間違える者はここ(ライブ会場)にはいない。

 それは――ユナの歌声だった。

 ライブでは歌われなかった――いや、今まで聞いたことのない曲だった。恐らくは即興なのだろう。だが、アカペラのその声は自信に満ち溢れていた。

 歌詞のない曲。下手に言葉で繕わず、ただそのメロディラインだけでこちらに語りかけてくるような歌声に心が奮い立つ。戦士を癒し、勇気づけ、立ち直らせる歌だった。

 掲示板の数字の変動が収まる。更には急激に減少し始めた。戦っているプレイヤーの顔には笑顔が浮かんでいる。蹲っていたSAOサバイバーも立ち上がろうとしている。ユナの歌は競技場内の全ての人間に力を与えていた。

 アインは力を溜め、怒りを籠めて叫ぶ。だがその叫びは中断された。それは――マイクが提供されたのか――ユナの声が大きくなったからではない。単純にアインの動きが止まったのだ。

 その光景を僕は一度見ている。あの四体のボスのようにアインは止まっていた。

 油断せずに構える僕の前でアインが再起動した。その瞳に光が灯る、がそこにはそれまでとは違う確かな理性が感じられた。

 アインは敢えて隙を見せるかのように直立し、左手の槍を放った。そして左手を天に伸ばす。その左手に――真紅の大楯が現れた。

 それを左手に、真紅の剣を右手に構えるアイン。ふわっとしてそれでいて重厚感を感じる構え。それは何度も見た、あの氷の理性の《聖騎士》の構えだった。

 

「――お久し振りです、茅……いえ、《ヒースクリフ》」

「…………」

 

 アインからまともな声は出ないが、肩を竦めつつ頭を揺らした。意味は『残念だが、このボスの言語機能を私は使えないんだ』だろうか。

 その理由を知っている僕は苦笑し、いつものように右手を大きく下げ左手を高く上げて構えた。

 僕とヒースクリフの間に無音の瞬間が流れていく。

 足元を蹴り飛ばしたのは同時だった。仮想のアバターを操るヒースクリフの方が速度は上で、慣れ親しんだ身体を使っている分僕の方が正確性は上だった。

 ヒースクリフの速度の乗った片手剣が頬を切る。僕の繰った一撃がヒースクリフの肩を浅く裂く。ヒースクリフはかつての質実剛健とした戦法をかなぐり捨てスペックをフル活用した高速の連撃を繰り出す。盾すら連撃に組み込み、範囲の広いシールドアタックが絶妙に隙をカバーしている。

 振るわれた盾に合わせてバックステップ。先程まで散々見せた急制動の突撃ではなく、旋回。ヒースクリフの左に回り込む。盾に隠れて彼が僕の姿を視認することはできない。

 ヒースクリフは盾を回し僕の接近を妨げ、その反動を用いてその場で回転して僕を追う。だがその動きはそもそもが無理をしているのだから長くはもたない。動きが止まった瞬間、ヒースクリフは今までとは逆方向に回転して水平斬りを繰り出す。

―――そこまでは、読み通り!

 行動限界で飛び込まず一拍間を置き、がら空きの聖騎士に接近し僕の間合いに収める。ヒースクリフは被弾を容認しつつボスのHPを頼りに押し潰すつもりであろう。そしてそれを僕が理解しており、何か打ち破る策を持っていると期待しているのだ。一度理解してしまえば彼の性格はむしろ分かり易い部類に入る。

 さて、その期待に応えて差し上げようか。

 僕はいつもよりもやや正中線よりに構えた剣を、勢いを殺さずに右上に振るった。そしてそれはヒースクリフが振り下ろしてきていた盾の動きを留める。無論、これだけでは終わらない。

 それは体に染みついた、いや、()()()()()()動き。左肩から右腰にかけてヒースクリフの身体に斜めに五つの剣創が並ぶ。

 ヒースクリフの剣と盾が届く前に! と歯を食い縛り、関節が悲鳴を上げるのを黙殺して無理矢理右手の剣を彼の右肩に打ち込む! そこから水の流れを意識して左腰に至るように鏡写しの五本の斬撃を斬り入れる!

 

「ぐぅうあああああ!!!!」

 

 口からは声とはおよそ呼べないような呻き声が漏れる。それを気にせずに連撃の最後の一撃、中央への全力の斬り下ろしを放つ! 刻まれた十一の軌跡に――ありえるはずもないのに――仄かに光が漂ったような気がした。

 そして最後の一撃は見事にヒースクリフの――盾に直撃した。

 流石は聖騎士。あの瞬間に盾を間に挟み込んできた。盾は衝撃で大きく後ろに流れるが、この体勢はSAOでのラストバトルと同じだ!

 ヒースクリフの顔が勝ち誇ったかのように感じる。あの動き(ソードスキル)は僕にとっての《シスターズ・メモリー》と同じようにヒースクリフに染みついていることだろう。ならばソードスキルのない、システムアシストのないOSでもあの動きは可能だ。

 だが、僕がそれを許さない。

 左手でヒースクリフの右手の剣を思い切り()()()

 オーグマーは電気信号を与えることで脳に感覚を誤認させる。ならばその逆もできるはずだ。脳からの電気信号でシステムに行為を認めさせ、接触できないはずの仮想体に干渉する。

 何よりオーグマーによるAR技術はVR技術の流用だ。その証拠にVR適性が働いている。ならば、この僕(VR適性S)はシステムに干渉できる!

 思い切り掴んだ剣身を引き、ヒースクリフの体勢を崩して手前に引き寄せる。そして僕に引き寄せられたヒースクリフの胴体に思いきり右手の剣を突き刺す!

 

ズブゥッ

 

 重い音と共にヒースクリフの体を剣が貫通した。ヒースクリフのHPバーは尽き、赤い瞳は光を失う。

 最後に感じた雰囲気は驚愕から困惑、そして納得し感嘆を示していたように感じた。それは恐らく間違いないことだろう。今頃茅場晶彦はどこかで手を叩いているに違いなかった。

 そう、少し感傷に浸ろうとしたとき、競技場内が花火のような色鮮やかなライトエフェクトで埋め尽くされた。

 その根源を探れば、見覚えしかない黒い剣士が、実物は見たことのない巨大な剣を振り抜いていた。たしか最強武器だったか。設定資料を確認した僕からするととんだチートだが、あれも恐らくは茅場の仕業だという確信が僕にはあった。

 光の波が収まると競技場内のボスモンスターは一切が駆逐されていて、一瞬の静寂の後に大歓声が巻き起こった。

 リザルト画面が全員に表示される。それによると莫大な量の報酬を得たらしい。僕ほどではないにせよ他のプレイヤー達もそうだったのだろう。

 喜びに浸るプレイヤー達の耳朶を優しい声が揺らした。

 

『みんな、お疲れ! このゲリラボスラッシュをもって今日のライブは終わり! 楽しんでもらえたかな? それじゃあ、今日はありがとう!』

 

 いつものユナよりも幾分か跳ねている悠那の声にプレイヤーは首を一瞬傾げるも、無事に全て終わったからだろうと見当をつけて納得していた。

 興奮冷めやらぬ様子のプレイヤーの間をエイジ達がいた方へと歩く。エリヴァらに片手を挙げて挨拶をしつつ辿り着くと、そこにはキリト達も揃っていた。

 

「……久し振り。みんな」

「翔!」「翔さん!」

「取りあえず、無事で良かったよ」

 

 彼らの意識が僕に集中していることが分かる。だが少しだけ待っていてもらおう。

 

「悠那さん」

「――レント君。ありがとう。最終的にはこうなっちゃったけど、私は目覚めた。本当にありがとう」

「……いえ。――と、《アン・インカーネーション・オブ・ラディウス》は倒れました。《ユナ》は?」

「《ユナ》は、……私に塗りつぶされてしまったみたい。お陰で彼女が持っていたデータを私は閲覧できたんだけどね。それでこの体ももう少しでなくなる。あ、安心してね。もう塞ぎ込んだりはしないから」

 

 悠那は笑って言った。その言葉の通り、ユナのアバターは既に透け始めていた。ユナは百層ボスの一部を利用して構成されていたからだ。本体が消えればそこからの枝葉が朽ち落ちるのも必然だった。

 

「それでは、鋭二さん、病院の方に行ってください」

「っしかし」

「少なくとも、今はまだ大丈夫です。再会するくらいは大目に見てもらえますよ」

「……そう、ですか。分かりました。それでは」

 

 その場から走り去る鋭二。彼を止めようとした和人を僕は牽制する。

 

「さて、――ごめん」

「…………」

「詳しい説明はここではしないけれど、みんなには謝ることしかできない。何も知らせず、相談もせず、危害を加えるような真似をした。それはどれを取っても非難されてしかるべきことだと思う」

「……そう言う割には随分な表情だな」

 

 僕は朗らか、とは言えないがさっぱりとした笑顔を浮かべていた。これは今の僕の偽らざる本心からの表情だ。それを示すことが一つの彼らへの決意表明だと信じて。

 怒られて当然、非難されて当然。こちらの非も認める、罰を望むならば甘んじてそれを受けよう。反省もしている。だが、――後悔だけはしていない。

 

「僕の望みは果たされた。そしてこの事件で永久的な障害を負った人は存在しない。僕は、僕は今度こそ誰かを救えたんだ。その結果に後悔はないよ」

「――はあ。皆はどう思う?」

 

 和人が深く息を吐いた。

 

「私は、記憶が戻るなら構わないけど! 何も相談してくれなくて怒ってるけどね! ――でも、」

 

 語尾に怒りを滲ませた里香。

 

「わ、私だってそうです! 仲間なんだから相談はするべきだと思いますっ! ――ですけど……」

 

 その童顔でふんすと怒りを表現する珪子。

 

「ああ、そうだな。これは後でしっかり説明してもらわないとな。だが、その前に」

 

 重く告げるアンドリュー。

 

「……記憶は、戻るんだよね? ――それでも後でちゃんと話は聴きます。けどまずは」

 

 不安気ながら気丈に振舞う明日奈。

 

「「「「おかえり!」」」」

 

 皆の顔には呆れたような、それでも確かな笑顔が浮かんでいた。

 それを見て僕の笑顔の質も柔らかいものになる。そして満面の笑みで返した。

 

「うん。――ただいま!」




 ARなのにVR適性で圧しきる主人公ェ。
 明日、次話投稿します。それでは。


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#60 後日

 OSの後日談です。本来ならばいつも通り.5話にするはずだったんですが、六千文字に達したので昇格しました。かれこれでOS編は十話になりましたね、本来四話だったのに。では、どうぞ。


 ユナのライブから一日開けて、五月一日から二日にかけての夜半。翌日が休日ということもあり、僕らは揃ってALOのキリト達の家に集まっていた。

 メンバーはキリト、アスナ、リズベット、シリカ、エギル、クライン、リーファ、シノン。そしてアルゴに、エイジとユナだ。

 悠那はあの後無事に目を覚ましたそうで、フルダイブならば可能だからと集まっていた。フルダイブにはそこまで忌避感を抱いていないという。むしろ前向きな彼女は大事な経験になったと語った。

 

「――というわけで、あのライブで悠那さんの記憶を封印して目覚めてもらう計画だった、ってこと。実際にはスキャンをかけるまでもなく、《ユナ》と緩く接続した段階で悠那さんは目覚めたみたいだけどね」

「なるほど……」

 

 僕は事件の全貌をキリト達に語っていた。時折エイジやユナ――《ユナ》の記録から計画については全て知っているらしい――が補足説明を挟み、語り終えたときには僕は少しの疲労感を覚えていた。

 

「それにしてもいいように使われた気がするわ」

 

 シノンが脚を組みながら呟く。それには本当に申し開きもできない。シノンなら調査を行って、そして完遂してくれると信じた上で放置していたのだから。

 

「そうだネ。でも、最悪の事態にはならなくて良かったヨ。頑張った甲斐があるってもんサ」

 

 アルゴがにゃははと笑いながら言う。最後に会ってからもう一年以上になるがその様子は変わらない。

 

「でもそれで許して良いものでもない」

 

 やや暗い顔でユナは言った。自分が全ての発端と考え責任を感じているのだろう。隣のエイジが心配気にユナを見つめていた。

 

「そうかな? 結局被害は残っていないんだから、そう気にしなくても構わないんじゃない?」

 

 穏やかに言葉を発するのは明日奈だ。

 

「私達以外の人には――たとえ嘘だとしても、謝罪をしに向かって、慰謝料も払って、治療もして、納得してもらってるんじゃなかった?」

「嘘は言っていない、はずです、副団長。謝罪に向かったスタッフは基本的にマニュアル通りですし、そのマニュアルでは原因のところを巧妙に暈していますから。――あ、無論、オーグマーが原因のことであることは伝えていますし、スタッフもオーグマーが原因だからこそ、マニュアルがあるといえども誠心誠意謝罪しています」

 

 そう。それも一つの事実だ。被害者側は――たしか全員が――慰謝料を受け取り、各種便宜をこれから図らせてもらう旨と陳謝を受け入れている。そしてそのほとんどが記憶の回復治療を受けた――一部は自ら希望して治療を受けず、封じられる記憶をSAOのものに限定する対症療法を行った――。

 作為的であったことと動機は伝えていないが――事故だとも伝えていない――、基本的に被害者との合意はなっている。

 当然それは知っているのだが、ユナの顔は晴れない。

 

「でも、それはその人達を騙していることにならない? それにスキャンのときに怪我をした人とかもいるし。――クラインさんは大丈夫なんですか? エー君が……」

「おう、それはな。風林火山の他のメンバーももう大丈夫、ってか俺だけがまだ入院中なだけで、それももう来週には退院できるしな」

 

 クラインは楽し気にそう言う。スキャンに際し医療機関を受診しなければならないほどの怪我を負ったのは、風林火山のメンバーだけであった。彼らはその件に関してはもう何も追及しないそうだ。

 

「ったく、もう、デレデレしちゃって。そんなに悠那さんの歌が嬉しいのかぁ、このー」

 

 リズベットがクラインを小突く。そう。彼ら風林火山は、お詫びとして悠那からオリジナル楽曲の自作CDを受け取っていた。ライブに来られなくしてしまったからだそうだ。

 

「それもあるけどよぉ、……《ノーチラス》には悪いことしちまったからな」

「ん? 何をしたんですか?」

 

 クラインの台詞に、シリカが疑うような声音で聞く。それにはエイジが回答した。

 

「僕がNFCを患っているから、それを理由に攻略組への参加に反対したんだ。その意見が通ったから僕はその後は中層で活動していた。――だが、落ち着いてみればそれも当然だと思う。むしろ命を救ってもらえたとも言える貴方達を逆恨みして、OSではなく直接手を出したことは本当に恥ずべきことだと思う。改めて、すまなかった」

 

 その謝罪をクラインは手をひらひらと振り跳ね返した。曰く、もう散々受け取っている、だそうだ。

 

「それにしても、結局はVR(こっち)に戻っちゃいましたねー」

 

 リーファが話題を変える。

 

「仕方ないわよ。これでそこの人(キリト)の運動不足が解消されるかとも思ったけど、今じゃ完全にチーターでしょ? 残念ね、アスナ。別のフィットネスを見つけなくちゃ」

「おいおい、なんでそこで明日奈に言う。俺に言えって」

 

 キリトが苦笑する。だが運動不足に関しての反論がなかったことが自覚していることの証左だろう。

 

「こっちでも活動しようかなぁ」

 

 そんな話を聴きつつ、ユナがぼやいた。ARアイドル《ユナ》は現在活動休止中ということになっている。悠那は健康になったときにアイドル、または歌手として活動を始めたいらしい。

 それを耳聡く聞きつけたシリカが食いつく。

 

「本当ですか! いいですね! ARアイドルに続いて、VRアイドル! あ! 中の人ということでリアルアイドルもいいかもです!」

「はあ、悠那を過労死させるつもりか」

 

 ユナのファンであるシリカの剣幕にユナは苦笑するだけだが、エイジは表情豊かに非難の色を示す。それを見たシリカは目をぱちくりとさせた。

 

「それにしても、さっきから思っていたんですが……。エイジさんって本当にNFCなんですか?」

 

 NFC――フルダイブ不適合と一言で言ってもいくつかのタイプがある。

 一つはそのまま、現行のフルダイブ機器と脳が適合していない人。そういった人は脳から信号を出力できないか、脳で信号を受信できないかのどちらかだ。

 二つ目は脳がフルダイブ世界と親和しないタイプ。こういった人は信号出力、受信、どちらも可能ではあるのだが激しいタイムラグが起こったり、信号の誤伝達があったりする。軽度のものであれば長時間のダイブで脳がVRに慣れ症状が緩和することもあるタイプだ。

 そして三種類目であるエイジのNFCの症状は、

 

「エイジさんは『VR過剰接続』なんだよ」

「過剰接続?」

 

 僕の答えにシリカはまだ不思議そうな顔をする。一般に広く知られている用語ではないからだろう。

 

「簡単に言えば、脳からの信号をVR機器が受け取り過ぎる、ってこと。また逆に脳が信号を受け取り過ぎることも意味するね。要するに、心の底で思っているだけで行動に移そうとしていないことでもVR機器が勝手に信号として受け取って行動してしまう、ってこと」

「ええ!? そんなことあるんですか!?」

 

 あからさまに驚くシリカ。リズベットら他の数名も感心した表情をしている。

 

「……SAOだと、恐怖の感情が表に出るせいで動けなくなることがあった」

 

 嫌そうな顔でエイジが短く補足する。流石にそれ以上はシリカも詮索しなかった。

 暗くなりかけた雰囲気にアルゴが新しい話題を提供する。

 

「にしても、これだけのことを計画した教授は今どうなっているんダ?」

「あー、パパは、ね……」

 

 アルゴらしくもない。ここで更に暗くなる話題を提供してどうなるのだ。

 

「今は新しい研究に夢中みたいで……」

「え?」

 

 なんと、重村教授はお咎めなしだそうだ。ライブのあれはゲリライベントということで問題にもならなかった。ただオーグマーによるSAOサバイバーへの()()()()()()影響が原因で、経営陣からは退陣している。最後にオーグマーの修正パッチ――教授だけが知っていた高圧電流の仕組みの破壊パッチである――を提供して、何かがあったときのためだけの特別技術顧問になっているらしい。ちなみにその役職に給金は出ない。

 また今回の件での不名誉の責任を取る形で東工大の教授職も退いている――名誉教授ではあり、ラボも残っているが――。

 そういった引責の説明と共に、教授は全被害者へ慰謝料を支払ったことを大々的に公表した。()()()()()()現象だったため刑事責任も問われず、世論を味方につけたことで民事訴訟も起こる気配がない。

 そんな重村教授が、現在はとある機関の下で研究に従事しているそうだ。大分熱を入れているようで、悠那が目覚める前よりも目覚めてからの方が見舞いは少ないらしい。

 随分と有意義に時を過ごしている様子の重村教授に、苦笑の雰囲気が漂う。

 

「そう、それは良かったね、ユナさん」

 

 アスナは穏やかに言った。記憶が回復してから、彼女はどこか噛み締めるようにして日々を過ごしているようにも感じる。

 

「ええ。それと、みんなもだけど、私のことはユナ、エー君のことはエイジでいいからね」

「ええ、よろしく、ユナ」

「にゃははは、これで実名仲間が増えるナ、アーちゃん」

「もう、アルゴさんっ!」

 

 アルゴの茶々で場が和み、そのまま解散となる。

 別れ際に僕はエイジに話しかけた。

 

「エイジさん」

「……何ですか?」

「NFCのことなんですが。――多分、もう大丈夫ですよ」

「……?」

 

 疑問符を頭上に浮かばせるエイジに、僕はもう少し説明を加える。

 

「エイジさんの過剰接続ですが、症状としてはかなり緩い部類です。恐怖という強い感情をもってしても動きを止めるだけなんですから」

 

 爆発しかけたエイジを押し留めて、なおも言葉を続ける。

 

「滅多に発症しなかった、ってことはそれほど酷くなかったということですよ。であるならば。エイジさんがFNCに悩んでいたのは()()()()()でです。それのダウングレード版、つまりナーブギアよりも()()()()()()()()アミュスフィアでならば、恐らく症状が出るほど接続はしないはずです。むしろ体の隅々にまで細かく調整を利かせられるくらいの感度になっているのではないですか?」

「…………」

 

 沈黙が答えだった。エイジはもうFNCではない。ただの高VR適性者だ。

 今はまだ、VRにトラウマに似たものがあるだろう。だがそれでも、彼とVRで戦えたらとても楽しいだろうと思った。

 

******

 

~in:プーカ領~

 プーカの領土は草原地帯を中心としており、その草原には遊牧民族風の建物――残念ながら移動式ではない――が多く存在している。

 その中心街からは離れた、フィールドに出てしばらくしたところにある湖畔に僕はいた。丁度ゲーム内時間が夕方のため、夕陽が眩しいほどで湖が赤く輝いて映える。

 

「……アイムさん」

「――そんな、ことがあったんですね」

 

 プーカの領主、中性的な外見を持つアイムは湖畔の柵に凭れかかっている。やや哀愁を帯びた表情は、彼女のファンからすれば垂涎ものだろう。

 

「はい。本当にご迷惑をおかけしました」

「ううん。貴方の気持ちは分かります。それに、記憶は戻りましたから」

 

 こちらを見て笑うアイムはとても綺麗な顔をしていた。

 結局、僕が直接手を下してスキャンまで追い込んだのはアイムだけだった。そしてアイムのあの様子を見てしまったから、漏らすべきではないと思いながらも事情を伝えてしまった。

 

「それにしても、わざわざこうして謝りに来てくれるなんて、やっぱりレントさんは優しいですよね」

「っ僕は……」

 

 謝りに来た? そんなこと当然だろう。むしろ明確に意図を持ってやったことで、人に一時的とはいえ危害を与えているのだ。こんなことで赦されることだろうか。社会的には赦されたとしても、僕にはそうは思えなかった。

 あのエイジも、自ら手を出した相手には謝罪に赴いている。そしてそれは各地の協力者達もだ。だが、僕らの心は同じだ。自らが手を出していない人だとしても頭を下げて回りたい、きっと皆そう思っている。

 

「ふ、そういうところですよ。――体験者だからこそ言えるんです。本当にありがとうございます」

「え……?」

「あの一件の前は、SAOは私にとって忌まわしい記憶でした。ですがなくなって初めて、大切なものもあるって気づけたんです。それに、このアフターサービスもきっとレントさんの口添えなんでしょう? 貴方はそういう人ですから」

「ですがっ」

 

 アイムは僕の口に人差し指を当てる。

 

「私は何も聞いていません。ただ、デュエルの当事者としてレントさんが謝りに来ただけ。それ以上でも以下でもありません。――それで良いんですよ。貴方は抱え込み過ぎです。確かに、貴方が謝りたいというのも分かりますが、被害者はみんな納得しています。それを今更蒸し返す方が野暮ですよ。貴方はそんなに自分を責めなくても良いんです。貴方は最後のSAO犠牲者を見事救い出した英雄さんなんですから」

 

 微笑みながらそう告げるアイム。その声が自然と胸に沁み込んでいくように感じた。

 

「…………ありがとうございます」

「ふふっ」

 

 僕の謝意に少し笑みを零すと、アイムはこちらに向き直って、間を取って言った。

 

 

「好きです、レントさん」

 

 

 そのときの僕の顔は見ものだっただろう。呆気に取られた僕に、アイムは言葉を続けた。

 

「初めて会ったのはSAOでした。あのとき、私を助けてくれたのが貴方です。短い出会いでしたので貴方は覚えていないでしょうけれど、思えばあれが私の初恋でした。そのままもう会うことはないだろうと思っていたんですが、この通り。……SAOの記憶がなくなったときは、胸にぽっかりと穴が開いたように感じました。でもその穴も、貴方と会えば塞がりました。そのとき、まだ初恋は終わっていない、そう思えたんです。

 レントさん、私は貴方のことが好きです」

 

 あのときの、記憶の喪失に気づいたときの様子はそれでだったのか、と意識の一部で独り言ちる。だが、意識の大部分は猛烈に思考していた。

―――いや、誤魔化すのは良くない。

 気持ちは決まっている。ならば、こうも直接言われたのだから、真剣にストレートで返さなければ。

 

「――すみません。その気持ちに応えることはできません」

「想い人、ですか?」

「……はい。といっても、ただ想っているだけなんですが」

「そう、ですか。……ううん、頑張ってください。私も、想いを受け取ってもらえなくても、ただただ想っていますから」

 

 笑ったような、泣いたような、いつもと違う、だがいつものように捉えどころのない声色だった。

 その表情は夕陽に染まり確認できなかった。

 ただ、ちらりと見えた口元は綻んでいた気がした。

 

******

 

~in:六本木~

 白衣を身に纏った重村教授と呼ばれていた男は、和服姿の眼鏡の男――菊岡と言葉を交わしていた。

 

「教授が全面協力してくださるとは、これで研究が進みます」

「ああ。私もこれから暇になるからな。この研究に余生を注ぎ込んでも構わないだろう。――ただ、悠那からは離れない。よって『海亀』にも向かわん。それだけは認めてもらわなくてはな」

 

 その言葉に菊岡は表情は変えずに――元々微笑を浮かべているが――告げた。

 

「ええ。それは構いません。元々、我々が教授に頼もうと思っている研究は『海亀』でなくともできますので。代わりにこの六本木支部に通い詰めることにはなりますが」

「構わん」

 

 重村教授の短い雑な返答にも菊岡は態度を変えなかった。

 

「トップダウン型の傑作AIを創り出した貴方に期待していますよ」

「ふん。それがどこまでボトムアップ型に通用するかは判らんがね」

「ええ。ですが、貴方にできなければ貴方ができない代物ということが判りますから」

 

 そこまで言うと、菊岡は初めて表情を変え告げた。笑みを深くして。

 

「それでは、重村教授。Welcome to RATH(ようこそ、ラースへ)




 最後のシーンは入れたかっただけです。アリシゼーション編を書くかは定かではありません。
 そしてアイムを落としていた主人公。アルゴさんもでしたし、実は主人公はSAOでの方がモテた可能性が微レ存。
 …….5話でバッドエンド書くかな。次こそはほのぼの話を書きたいと思いつつも、恐らくバッドエンドです。
 それでは。


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#60.5 悲劇

 アルゴさんの調査が間に合わず、情報のないままだった場合のif。#56 開戦の詩乃の強がり(撃てばいいじゃない)からの分岐です。あそこで情報を提供できなかった形になります。どうぞ。
※バッドエンド注意


 ……そうか。結局、詩乃でも何も分からなかったか。

 詩乃の行動予測で言えば、恐らく菊岡を頼ったことだろう。そしてその菊岡にはアルゴの連絡先を教えてある。ならば詩乃はアルゴに辿り着いたとみて間違いない。アルゴが調べて何も出なかった。それは即ち、この計画に裏はないということだ。

 僕は詩乃に向けていた拳銃の引き鉄を引いた。

 

「ッ――、……?」

 

 詩乃が反射的に目を瞑る。そして、オーグマーによって与えられるはずの衝撃がいつまで経っても与えられないこと、瞼を閉じていても視界の端に映る自らのHPバーが一寸たりとも変動していないことに疑問を抱く。

 その隙に僕は詩乃の手首に抵抗されないように手錠をかけた。命の危機を感じるようなことをされてしまうと、SAOサバイバーである僕は危ないのだ。

 硬質な感触に詩乃がハッと目を開く。そして驚愕と疑念で目をぱちくりとさせた。

 

「詩乃、僕が君の意に反して君を傷つけるはずがないでしょ?」

「え……?」

 

 困惑する詩乃に、今までのことを全て包み隠さず伝えた。

 全てを聴いた詩乃が呆れたように息を吐いて首を振った。

 

「全部貴方の掌の上だった、ってことね。何だか自分が馬鹿らしくなってきたわ」

「はは。もうライブが始まってしばらく経つから、もうボスバトルは始まっているはずだよ。さて、僕はこれから「いた!」……ん?」

 

 突然聞こえた声。そちらを見れば、小柄な女性が走り寄ってきていた。近づいてくれば誰かは判る。

 

「アルゴ?」

「二人とも! 大変だ!」

 

 息を切らせながら駆け寄ってきたアルゴが、こちらに口を開かせる間も与えずにタブレットを押しつけてきた。

 アルゴの鬼気迫る様子に圧されて、僕はタブレットの中身を確認する。そこには一つのレポートが存在した。

 それの題名を確認して、僕は一瞬で事態を認識した。その題名は『記憶スキャンの危険性』。

 数枚のページに一分もかけずに目を通して、僕は駆け出した。

 レポートの中身が真実ならば、いや、アルゴの調査結果なのだ、真実なのだろう。だとしたら、僕は取り返しのつかないことをしてしまった。

 裏口に駆け出す僕に、アルゴと詩乃の二人も追随する。詩乃は状況がよく分かっていなそうだったが、僕との間に手錠がかかっている――鎖は長いものを使っているから引き摺られることはない――ため取りあえず走り出していた。

 その二人に僕は告げる。

 

「オーグマーは外して! 競技場内のオーグマーは全て同期される設定になっている!」

「嘘!? サバイバー以外も!? そんな!!」

 

 アルゴが叫ぶ。その叫びに反応する暇もなく、鍵のかかっていない裏口を勢いのままに押し入る。

 鋭二のことが気になったがそんな暇もない。躊躇いなく僕はライブ会場の方へ向かった。

 道中で走りながら器用なアルゴに手錠を外してもらう。そして、会場へと続くドアに辿り着いた。

 

「くそっ!! 反応しない!」

 

 与えられていたIDカード。だがその効力は働かない。ロックされた内部へのドアは開く素振りを見せなかった。

 

「どいて!」

 

 アルゴがタブレットを開き、手元から特殊なコードを取り出した。僕はそれを見て何をするのかを察する。

 アルゴは警備システムにハッキングを仕かけていた。知識の足りない僕や詩乃では何をしているのか一切想像もつかないほどの高等テクニック。タイプする指は残像を伴うようだった。

 だが、それでも時間がかかってしまった。

 ロック解除の音、そしてそれを告げるアルゴの声の前に僕らは別の音を耳にした。それは危険だからと手錠の鎖で纏めていた三台のオーグマーが高電圧に耐え切れず発火する音だった。

 実に不快な機械が臨終する音に遅れること三十秒。僕らは内部へと入れるようになった。

 唾を飲み、覚悟を決めて扉を開いた僕ら三人が目にしたものは。耳にしたものは。

 泡を吹き、血を吹き、頭髪を燃やし、白目を剥き、身体を不自然に曲げ、地面を埋め尽くす死体の数々。

 勝ち誇ったモンスター達の姿と勝利の雄叫び。

 そして悲痛な、壊れる精神の断末魔のような、ある種の綺麗さを持った高音の透き通った絶叫だった。

 

******

 

~side:重村教授~

 計画は成った。全て私の思う通りに。茅場君の不安を煽る物言いは、ただ不安を煽るだけであった。

 エリヴァだとかいうプレイヤーネームの男が厄介だった。プレイヤー達を統率してボスに対抗してきたのだ。しかしその反撃としてボスを数体誘導したらそのままボスの圧力に負けてリタイアだ。

 頭がいなくなりプレイヤー共に動揺が広がった。

 そのときは丁度私も動揺していた。なぜなら侵入できないはずの紅玉宮に配置していた百層ボスが撃破されたからだ。あのときばかりは私も焦った。ユナが消滅してしまえばこの計画は破綻する。これが茅場君の言ったプレイヤーの底力かと焦燥感に悶えた。

 だが、それも一瞬。大蓮君の戦闘をじかに見て解析した私はサバイバーを警戒し、様々な強化を仕かけていた。何とかリソースを遣り繰りしてボスを二体増やした。そして百層ボスは撃破されてももう一度復活するように仕組んだのだ。

 競技場に現れる最凶のボスモンスター。あれは調整をして恐怖を最大限煽るようにした。その甲斐もあってたちまち平均恐怖値は上がっていく。ボスによって戦線も崩壊した。

 縦横無尽に競技場内を駆け巡り、人型の小回りを活かしてボスは強襲を繰り返す。範囲攻撃を繰り出す。接近戦を繰り広げる。どの攻撃手段においても奴に抵抗できる者はいなかった。

 ハッキングを仕かけられていることに気がついた。監視カメラを見れば大蓮君であった。彼には感謝せねばなるまい。その礼としてそちらには何もしなかった。

 

「む、やってしまった」

 

 ここで一つ失敗、いや、ほんの小さな手違いに気づいた。地下駐車場で侵入者に敗北した鋭二君にオーグマーを外すように伝え忘れてしまった。一応は悠那をSAOで守ってくれていた、娘の幼馴染でお気に入り。この計画にもかなり貢献してくれたから生かしてやる予定だったのだが。まあ大した違いではないだろう。

 ここで手元の端末に悠那のオーグマーが作動した旨の通知が入った。それと同時に、ダミーに何か――恐らくは公僕だろう――が引っかかった通知も入った。

 娘を助けられなかった国家の犬に対して圧倒的な敗北を突きつけられた。娘を一時とはいえ幽閉した茅場君が人々の記憶から薄れるほどの被害者を出した。娘が帰ってこないにもかかわらず、自分たちだけのうのうと生を楽しむサバイバーに八つ当たりができた。娘が帰らない直接の原因を作った須郷君、彼が欲していた海外のポストには私が今回の計画で得たデータを手土産に座る。この場に来なかったサバイバー、そして……大蓮君には後悔という最大限の苦しみを残りの人生で味わわせられる。

 そして何よりも、娘が目覚めた。

 気づけば娘の病室の前に立っていた。自分の息が切れていることに気づく。首からは面会カードがぶら下がっている。意識のないままにここまでやってきた自らに呆れつつも、扉を徐に開いた。

 

 

 

 

 

 

 ベッドから起き上がった悠那が、SAOに向かう前のように純粋な瞳で、不思議そうにこちらを見ていた。

 

「悠那!」

 

 思わず抱き締めてしまった。苦しそうな娘の呼吸に、慌てて力を緩める。大蓮君によれば未だ聴覚が弱っている頃合いだろうから、私はタブレットに文字を打ち込んで悠那に見せた。

 悠那は目を瞬かせながらそれを眺める。視覚も目覚めきっていないのだろうが、それでもYES/NOで応えられるその文に首の動きで意思を示してきた。

 私はそれがどうにも嬉しく、そのまま楽しく悠那と会話を続けた。

 次の日、私は悠那を眠らせて密かに日本を出た。

 

******

 

~side:翔~

 僕は正に幽鬼のようだったのだろう。声をかけてくる詩乃とアルゴに何も返せずに、僕はフラフラと外へ歩き出した。

 頭の中をグルグルと言葉が巡る。それはこれからの身の振り方、過去の失敗、今までの後悔についてなのだろう。自分の意識が及ばないところで脳が勝手に演算している。その内容はとんと理解できない。

 気づけば、近くの公園の前だった。

 前から誰かの声が聞こえる。唐突に意識が統一されはっきりとした。

 

「大丈夫ですか? ところで、すみません、駅ってどっちですか?」

「え? 駅、ですか。たしか――」

 

 そこで僕はなぜ意識がはっきりしたのかを理解した。

 理性も本能も、経験も予測も、知識も記憶も、その全てが揃って警鐘を鳴らしたためだった。

 

「!? 金本、敦……!?」

「っ正ィ解!!」

 

 その言葉と共に金本――元《ラフィン・コフィン》のジョニー・ブラックにして、最後の死銃(デス・ガン)は体勢を低くして突っ込んできた。

 金本はサクシニルコリンを保有したまま逃走を続けていた。元々毒武器使いの金本は、無針注射器という間合いの取りづらい得物でも操ってみせることだろう。

 僕は避けようと反射的にサイドステップを行おうとして、歩道の縁石に躓いた。

 

「あるよ! 縁石あるよぉ!!」

 

 恐らく精神が安定していなかったことと、無意識で動いていたため周囲を確認していなかったことが原因だろう。だが、金本の前に決定的な隙を見せたことは確かだった。

 忌々しい注射器がこちらに迫る。それを躱そうとし、足が縺れ、完全に背中から縁石の真上に落ちる。

 背骨を強打した痛みに呻く。衝撃で跳ね上がった体に上から注射器を押しつけられる衝撃が加わった。再び地面に落ちる体。そして押し込まれていく注射器のピストン。

 体内に薬物が侵入したことが分かった。

 

「っ、あ、はぁぁぁ」

 

 どこか恍惚としたような金本の声を耳元で聞きながら僕の意識は掻き消えた。




 くっ、「ないよ、剣ないよぉ!!」使いたかったが主人公は背中に背負わないから剣を抜く動作がほぼないんだ! しかも性格的にサクシニルコリンを忘れないんだよなぁ。というわけで躓いてもらいました。
 意識が消えたあとは、
・車道に倒れて轢死。
・毒で死ぬ。
・近所の住人or詩乃達が通報して一命を取り留め、アンダーワールドにダイブ。
のどれかですが、ぶっちゃけ上二つのどっちかですね。詩乃達はそっとしておくためか呆然としているかでついて来てはいないでしょうし、近所の住人であればサクシニルコリンを知らないため応急処置の遅れが生じますしで助からないでしょうね。それに菊岡さん達はライブでの惨劇関連で身動きが取れないでしょうし、というかSTLと『海亀』が完成しているのかという問題もありますしね。

 何にせよこのルートは海外に重村教授の頭脳とデータが流出していますから、日本は大負け確定です。
 更に言えばVR適性S(キリト、アスナ、主人公、血盟騎士団のハルバードの人)が全員死亡するので、心意はさらば、茅場さんの興味も海外の人々に向かいます。
 更に更に、今回の脳チンのせいでいよいよ日本人が危機感を持ってしまい、AR並びにVRを倦厭します。
 菊岡さんが全ての負債を背負っていくスタイル……。ご冥福を。

 主人公が死んで、目の前で超大規模電脳テロによって大量の人が死んで、詩乃さんは多分これから転落人生です。え? アルゴ? 心に闇を抱えて、多分トラウマから情報屋も辞めて、どっかで平穏に電脳世界から縁を切って生きていきますよ、多分。

 次回こそ、次回こそほのぼの、ほのぼの、ほのぼのぉ……。

追記10/21
 すみません、前話とか原作映画とかから鑑みて、アンダーワールド――並びにSTL、海亀――は既に存在していますね。筆者自ら設定を失念するという失態……。申し訳ありません。


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リダンダンシー編
#61 大会-緒戦


 はい! ほのぼの編です! 全編戦闘ですが!
 ユウキが生存中の#48 記憶の間の出来事ですね。はい、つまりはデュエルトーナメントです! どうぞ。


『勝者ァ、キリト選手!!』

『勝ったのは《絶剣》のユウキだぁぁ!!』

「「「アスナさーん!!!!」」」

『やはり《白い悪魔》は勝ち上がりますね……!!!』

 

わあああぁぁぁぁぁぁぁぁ

 

 ALO内の競技場。いつかの決闘場のようなコロッセオだ。そこの中は様々な声で溢れている。マイク越しに伝わる実況と解説の声、観客の歓声、声援、その他諸々が聞こえてくる。

 今この場で行われている催し物の名は『東西統一デュエルトーナメント』。わざわざ東西統一などと標榜しているが、実際はプレイヤーに東西の縛りは無いため単純に古今東西的な意味を含ませているのだろう。

 このデュエルトーナメント、簡単に言えば最強を決める大会だ。そのネームバリューは大したものでかなりの数のプレイヤーが参加する。が、最初は僕に出場する気はなかった。

 理由はいくつかある。まず単純に興味が薄かった。最強を決めるといってもそれは所詮正面戦闘だ。実際には戦闘を行う前の諜報戦や戦闘中の策も重要だと僕は考える。アルゴを知っているから特にだ。

 ま、そんなことを並べ立てたからとて、本当の理由が変わるわけではない。

 実際デュエルトーナメントなのだから、直接戦闘においての最強を決める趣旨に文句をつけるのは筋違いだろう。僕とて男だ。デュエル最強、その称号に憧れがないわけではない。

 しかし、しかしだ。最近は収まってきたが、一時期はチートだと騒がれた者が優勝を獲って良いのだろうか。最近は自重しているが、ただでさえ恨みを買い易いプレイスタイルなのに目立つこと――レイド潰しは大目に見てほしい――は避けなければならない。

 そう、要するに勝手に我慢して勝手に拗ねていただけである。

 我ながら情けないことだとは思うが、リアルによく似たアバターである弊害だと諦めてもいた。

 それがなぜ出てきたのか。簡単な話だ。そんな諦めを許してくれるほど、ユウキは物分かりが良くなかった。

 彼女にせがまれ、いつもの皆も困ったような、それでいて期待するように微笑むのだ。あれから逃れられるはずもない。

 そういうわけで結局トーナメントに出て、結果勝ち進んでしまっているのだ。

 予選から始まり、二日に渡ったトーナメントももう終盤だ。予選とは比べ物にならない数の人が観客席を埋めている。

 出揃ったベスト八。コロッセオに似つかわしくない電光掲示板には八つの名前が入ったトーナメント表が表示されている。

 八つのプレイヤーネームは左から、《キリト》《アスナ》、《クライン》《ユウキ》、《ディラン》《リーファ》、《レント》《ユージーン》だ。……見事に知り合いばかりである。だがそれもまた必然か。キリトやアスナ、ユウキ、ディラン、ユージーンは充分な実力を備えている。それにこのデュエルトーナメントは正面戦闘、それも地上戦――翅を使うことは可能だが高く飛び上がれないような高度限界が存在する――なため、SAO上がりで正々堂々のタイマン戦に強いクラインにはかなり有利な環境だ。そしてそれはリアルで剣道の強豪であるリーファにも同じこと。リーファは相手も良かった。

 同様に参加していた他の皆は、リズとシリカはベスト六十四、エギルは三十二、シノンは十六まで進んでいた。リズ、シリカは正面戦闘が本領ではないし、エギルもタンク職で大振り専門なところがある。シノンはとても惜しかった。本来後衛である彼女だが、驚異的な見切りと皮一枚で避ける回避力、近接戦闘で相手の動きを読み切る力を身につけていた。弓でベスト十六まで勝ち抜いた彼女は多くの注目を集めていたが、ユージーンに惜敗したのだ。それでもかなり削ったのだから大したものだ。

 昼休憩が終わった今、準々決勝の一試合目、キリトVSアスナが始まろうとしていた。

 ……キリトはSAO以来、滅多なことでは二本目の剣を抜かない――と言うわりにはダンジョン戦ではよく見る気がするが――。その自己ルールに従って彼は一本の黒い剣を構えている。対するアスナはALOでの後衛スタイルを捨て、SAOのように細剣を騎士の如く構えている。

 デュエル開始の合図。同時に二人は駆け出し、一合目を交わす。キリトの斬り上げとアスナの突きがかち合い、金属の音が高く鳴った。

 その音が発されるか否か、二人は既に数合を交わしている。アスナの高速の突きに本来であればキリトは速度で劣るが、先読みと片手剣の厚みを活かして防御して剣身に突きが直撃する。

 たとえ戦闘中に武器が壊れたとしても試合は継続される。試合後になれば試合前の状態にデータが復元されるため武器は戻ってくるが、武器破壊があればその試合は負けたも同然だ。試合中にウィンドウは開けないのだから、次の剣を既に装備していない限り素手で戦うこととなる。それを考えると剣で受けるしかない現状はキリトにとって好ましくなかった。

 そこでキリトは敢えて一歩下がる。アスナもその程度で体勢を崩すような剣士ではないが、細剣使いの彼女は片手剣のソードスキルを完全に把握しているわけではない。キリトの足の形、体勢がソードスキルの起動モーションになっていることに気づくのが一呼吸分遅れた。キリトのソードスキルの間合いから抜けられないと察したアスナは前転してキリトの脇を抜けようとする。そこにキリトが突き出してきた片手剣にブーツを合わせて反動で跳びすさった!

 ソードスキルを警戒しつつもそれをブラフとして用いるキリトの策を見破り、逆用して間合いから離れる。ここまでならアスナの読み勝ちと言えただろう。だがそれで終わるキリトではない。

 作用反作用の法則で後ろに流れた剣がそのまま光を纏う。ソードスキルを使いこなすキリトならではの二段構えの発動準備だった。そして発動するソードスキルは突撃系。後方に跳ぶスピードと突撃系ソードスキルのどちらが速いかなど問う価値もない。

 キリトのソードスキルの斬り上げ。それをアスナは敢えて体勢を崩すことで鼻先で躱すが、その先でキリトのスキルコネクトによる足払いを食らう。キリトは《体術》のソードスキルもスキルコネクトに組み込めるようになっている。それはアスナにとっても予想外であったようで、強かに体を地面に打ちつけたアスナは驚愕の表情を浮かべる。

 キリトはそこでスキルコネクトを止め、その一瞬のディレイでアスナは立ち上がって距離を取った。最初の攻防はキリトの取りだ。

 取って取られて、攻守を目まぐるしく変えて二人の戦闘は続く。両者共に笑顔だ。だがいつまでも続くと思えた剣戟にも終わりはやって来る。

 アスナの方がHPの減りが大きく、赤色へと落ちた。対するキリトは黄色のままである。アスナは荒れた呼吸を一息で整えるとキッと顔つきを変えた。それを見てキリトも真剣な表情になる。

 アスナに主導権を握らせまいとキリトが先に斬りかかる。そのキリトにアスナが選んだ対抗策は《リニアー》だった。

 初級の簡単なソードスキルにキリトは面食らいつつそれを躱すが、次の瞬間にはその脅威に気がついた。

 基本技のリニアーだが、アスナが放てば正に《閃光》とも言える一撃となる。狙いの正確さは言わずもがな。更に言えば基本技である分ディレイも短く、クールタイムなど存在しないに等しい――これらはスキル熟練度も関わってくるが――。

 回避に時間を使えば次の一撃に襲われ、回避しなければクリティカルでHPを持っていかれる可能性もある。キリトは敵わないと一歩退き、それがアスナの狙いであったことに気がついた。そう、リニアーの間合いの一歩外、そこはアスナのOSS――《スターリィ・ティア》の間合いだ。

 すかさず放たれた星型の五連撃。背面に重心が寄っているキリトに有効な手立てはない。ソードスキルのほとんどは技の構えから始まるため、押し込まれたような体勢から放てるものは少ないのだ――《神聖剣》のアレはやや卑怯な部類だ――。それでも何とか身を捻り、左肩、左肘、左腰の三ヶ所の被弾に抑える。

 しかしアスナの見せ場はそこからであった。《スターリィ・ティア》の終了モーションから一転、光を纏ったハイキックでキリトを狙う!

―――スキル・コネクト!

 体術スキルを組み込めることは先程キリトが見せている。それはアスナが練り上げたものと同じだったのだろう。だからこそあそこまで驚いたのだ。

 そのハイキックにキリトは思いきり顎を撃ち抜かれ、HPバーを数ドットまで減らす。

 アスナが放ったソードスキルはハイキックからその場で回転して踵落としまで持っていく技だ。体勢の崩れたキリトにとどめのライトエフェクトが襲いかかる!

 だがキリトもこれでは終わらない。右手首のスナップだけで剣を投擲し踵にそれを撃ち抜かせ、その隙に転がって離脱する。それを追うアスナはそのまま細剣のソードスキルに繋げようとし、しかしその動きを止めた。

 その原因はキリトの投げた剣。あれがアスナの足の下にはあった。ただのソードスキルならまだしも、スキル・コネクトの繊細さはあの程度のものでも崩れかねない。剣一振で崩れるかどうかは怪しいところだったが、キリトは見事賭けに勝ったと言えよう。

 技後硬直に襲われるアスナのHPをキリトは体術のソードスキルで散らした。

 今大会のデュエルでは敗北してもエンドフレイムになったりしてアバターが欠損することはない。あくまでも借り物のHPバーで本人のHPには傷一つつかないのだ――という設定だ――。キリトはそうでなければアスナには手を出さないだろうから、明確に二人の力量差を知れる今回のような機会は貴重なのかもしれない。

 さて、場の熱狂に一区切りついたところで二試合目が始まる……はずだった。

 

「俺には無理だ! こんな可愛い子斬れねぇ!!!」

『…………』

「…………」

 

 競技場に出てきたクラインが戦意を一切見せなかったのだ。その予想外すぎる言葉に場が白ける。瞬間、空気が弾けた。

 

「それでこそクラインだ!」

「はははははは!!!!! 笑わせてくれるぜ、本当に!!」

「ひっひっ、そ、そうだよなっ。はは、あいつに女の子が斬れるわけねぇや!!! ははは!!」

 

 ……それで良いのか、プレイヤー諸君。

 クラインのキャラクター性に、顔の広い彼の肩を持つ人も多かった。そして相手は絶世……かどうかは置いておいて女の子だ。《絶剣》とはいえそれは大きい。それにクラインでは《絶剣》に勝てない、それもまた自明であった。それらの理由が全て揃ったがためのこのムードだろう。

 結局笑いのままにクラインの不戦敗が決定した。ユウキは微妙な顔をしているが、勝ち進めたので一応納得はしていた。

 そんなこんなで一戦目からほとんど時間をかけずに三戦目に突入した。カードはディランVSリーファ。刀使い――リーファは刀のような片手剣だが――同士の戦いだ。

 今回の大会では伝説級武具(レジェンダリーウェポン)が禁止されていない。BoBと同じくレア武器を手に入れるのも実力の内ということだ。と言ってもいくら伝説級武器の数が増えた現在でも獲得した者は限られる。そしてベスト八に残った者の中で伝説級武器を使っている――持っているだとキリトとアスナもだ――のはディランとユージーンだけだ。

 ディランが使う伝説級武器、それは《翳刀(えいとう)カゲバミ》。陽光の射さない冥闇を思わせる色合いの拵。鐔は存在しないが、その代わりなのか羽根――色合いは黒だ――が三枚、三ツ葉葵の如く生えている。かつて見せてもらったときにはその羽根の根本に黒い宝玉が一つずつ填まっていた。

 質素な見た目ながらその内に秘めた力を感じさせる。競技場で対面したリーファはそれを見て唾を呑んだ。

 

「さて、風妖精(シルフ)の《速度狂い(スピードホリック)》。噂じゃ剣道の有段者らしいが、ALOはそれだけじゃ勝てねぇぞ?」

 

 鞘に入れたままの刀で肩を叩くディラン。片目だけを開き、やや偽悪的に話しかける。

 素の彼とはやや違う態度に以前から面識のあるリーファは一瞬戸惑いを見せるが、すぐにその演技に乗った。

 

「そう言う貴方こそ。かつては鳴らした影妖精(スプリガン)の最強剣士。《黒の剣士》に《白の剣士》、彼らが現れ影妖精一という看板はとうに下ろしたそうですが、領主業で随分と鈍ったのでは?」

 

 挑発的な片頬を上げた笑み。先に仕かけたディランよりも余程辛辣な内容で演技も凝っている。

―――いつの間にあんなにぐれたのやら。

 モニターを見ながら肩を竦めた僕を、同じく選手控室にいたキリトが叩いた。言いたいことは分かるのでじとっと睨んでから競技場の映像に視線を戻した。

 

「はっはっは。この俺も若い嬢ちゃんに舐められるとは落ちたもんだ! ――良いだろう。このカゲバミの錆にしてやる」

「できるものならご勝手に。私をそんな蠅叩きで叩ける虫と一緒にしないでほしいですが」

 

 ……本当に辛辣だな。言うに事を欠いて伝説級武器を蠅叩きとは。あれは完全に役に入り込んでいる。

 二人の舌戦――主にただの挑発――にたじろいでいた審判が、二人に構えるように伝える。二人は腰を落とし、リーファは片手剣を抜いて正眼に構える。ディランは鞘に入れたまま腰に置いて居合の構えを見せる。

 

「試合、始めッ!」

 

 審判の合図がどこか剣道の試合染みていたのは気のせいではないだろう。

 

「貴様の影を断つ」

「貴方に風を通す」

 

 二人がまるで決め台詞かのように言葉を交わす。その次の瞬間には剣が交わされていた。アスナの剣を目視できた者も少なかっただろうが、この二人の斬り合いを全て確認できる者は更に減るだろう。

 速度狂いと呼ばれるリーファは僕に負けてからというもの、更に速度を鍛え上げている。小回りを利かせながらホバリング状態で高速で動き回る技はその途中で会得したものだ。あの動きにおいては彼女は僕の上を行く。

 影妖精唯一の実力者、ディランはかつてそう揶揄された――無論影妖精とて実力者はいた。それが全種族に名前を知られない程度だったという話だ――。彼はいずれ僕と戦うことに備え、対高速機動とも言うべき鍛錬を積んできた。

 それは予測。ただひたすらの予測、推測、推理。していることは僕とさして変わらない。変わるのは持っている情報の量。彼は限られた情報の中で、ありうる可能性全てを推察する。そして高速で動くその残像から可能性を絞り込み、対処する。

 そう、彼はリーファが見えているわけではない。剣道有段者である分攻撃にどこか規則性のある彼女の攻撃、それを全て推測して対処しているのだ。彼の脳内では一体どれだけの情報処理が行われているのだろうか。

 更に特筆すべきことがある。それはディランの対処法だ。リーファの攻撃の全てを彼はその場で受け流している。流石に体重移動や僅かな足捌きは見せているが、大きな動きは存在しない。彼は左手に掴んだ鞘を用いて致命的な攻撃は流している。リーファは技で負けるがゆえにスピードを落とせず、無理に攻め込んで足――翅か――を止めてしまうことも許されない。

 最初に斬り合いと言ったが、それは間違いであった。

 それは風が柳を揺らす光景のようでもあり、実体の無い光の作用を追いかける影踏みのようでもあった。

 息を呑む攻撃と防御に表れる高い技巧。観客席からは声が出ない。それは、一般的なプレイヤーにはこの戦闘はディランの周りを旋風が渦巻いているだけのように見えるからであり、視認できるプレイヤーは皆が皆見入っているからである。

 この試合で初めてとなるHPの変動は唐突に起こった。

 フッと現れるリーファの姿。初めて大きく動いたディランの手には、抜刀されたカゲバミ。電光掲示板には確かに減ったリーファのHPと、無傷なディランのHP。

 ディランの居合がこの試合の初手となった。




 これからのほのぼの編、というか皆でゲーム編は副題があります。それは~伝説級武器の誘い~です(適当)。目指せ! キリト組全員レジェンダリー!(リズ涙目)
 まだ
・キリト―聖剣・アスナ―世界樹の杖・リズ―雷鎚
だけですからねー。

 それはそれとして最近戦力インフレしてきていて自分で怖い……。
 一般プレイヤー<<(越えられない壁)<<実力者
 今回の描写だとリーファですらレイド潰しうるんだよね……ガクブル。


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#62 大会-初戦

 今回書く範囲での主人公の初戦となります。どうぞ。


 リーファは焦っていたのだろう。

 油断や侮りではなく、事実としてリーファのあの動きについて来られる者はいない。ユウキも身のこなしの素早さでは勝るだろうが、翅を用いて同じ動きができるかと言えば無理であろう―少なくとも特訓が要る――。

 純粋にリーファは自らの速さに自信を持っており、それは過信ではない至極当然のものだった。

 それゆえに彼女は自らが一太刀も浴びせられていないことに()()()。心が、思考が、攻め続けるべきか、一旦様子を見るべきか、どちらにするべきか揺れたのだ。

 ディランは冷静に、極小で上手く決められるか分からない揺らぎを見送った。それでリーファは二度目の揺らぎを生み出す。一度目が平気だったのだ、もう少し揺らいでいても攻められない。もしくはなぜ隙を見逃したのだろうか、やはり様子を見るべきだろうか。どちらにせよ――あるいは両方共であろうが――彼女が揺らぎを見せたことに変わりはない。

 ディランはそこで初めて型を崩した。大きく踏み出した一歩。それはディランは動かないという一種の視野狭窄の死角を突いた。

 揺らぎに加えて動揺も見せるリーファ。自ら生み出したその隙を、ただ速いだけで思考が止まった動きを、斬り裂けないディランではない。

 つまりはそういうことだ。

 ディランが技量においても駆け引きにおいてもリーファを完全に上回っただけのことだ。

 更にディランのあくどいところはもう一つある。

 リーファの左脇を抜けながら放った居合。それはリーファの腰の辺りに線を描き、その延長線にはリーファの翅があった。

 本来であれば翅はリーファの最高速度で飛んだときの空気抵抗であろうが小ゆるぎもしない。しかしそれは面で受け止める圧力に対しての耐性であり、刀のような鋭い斬撃に対する耐性ではない。

 部位欠損ほどではないが、リーファの薄荷色の翅は僅かに欠けていた。あれでは彼女の誇るトップスピードは出せない。

 

風妖精(シルフ)は地に落ちた」

 

 カゲバミを再び鞘に納刀しながらディランが呟く。全ての動きが止まっていた競技場に、その声と刀が鞘に収まる独特の音はよく響いた。

 一瞬遅れて歓声が沸き上がる。人は、自らの認識を超えたもの――旋風と化したリーファ――が自らの認識の内にいるもの――姿を捉えられていたディラン――に泥を塗られ、膝を屈するところを好む。ただでさえ自らの速度が破れたことに焦心したリーファに、その競技場の雰囲気が更に圧をかける。

 翅のバランスの崩壊を恐れ足を地に着けたリーファだが、むしろ浮足立っていた。

 ディランはゆったりと振り返る。先に一本取った彼は超然とした雰囲気を纏いながら、再び腰を落とし構えた。

 リーファは大きく深呼吸してから構え――慌てて横っ飛びした。ディランが速攻を仕かけたのだ!

 リーファは先程の流れを思い、ディランが後の先を取る巧者だと考えた。ここでも駆け引きはディランの勝利だ。やはり人生経験の差だろうか。居合をかなぐり捨てリーファに猛烈に斬りかかるディランを見て僕は感心した。能ある鷹は爪を隠す。ディランは後の先使いではない。彼は先の先を最もよく使う――戦う相手が速過ぎて物理的に取れないことが多いだけだ――。

 烈火の如く攻め立てるディラン。リーファは持ち前の剣速を活かしてその全てを打ち払うが、そもそも後ろ体重になり後退しつつの防御。リーファの劣勢は覆しがたい。

 リーファの防御を抜けてディランの一刀が決まる。なんとかクリーンヒットは防いだリーファだが、右肩を裂かれ狼狽える。ディランはその隙に高く飛び上がった。

 リーファの顔に陰がかかる。釣られてディランを視線で追ってしまったリーファは、ディランの黒光りする刀に反射した日光に目を細めた。顔を逸らしたり目を瞑らなかったことは評価したい。しかしだからといってディランの攻撃をリーファが防いだことにはならない。そのHPは三度目の減少を迎えた。

 ディランは翅を使ってリーファを飛び越えた。彼我の距離を大きく開け、居合の構えに移る。

 肩で息をするリーファ。そのHPは既に半分ほどである――先程の攻撃がクリティカルヒットだったようだ――。振り返りつつ、居合の構えのディランを今度はしっかりと警戒して中段の構えを取る。その眼には一矢報いんという熱い感情が迸っていた。

―――リーファちゃんの負け、かな。

 既に気持ちが勝利を向いていない。いや、ここまでやられっ放しならば仕方ないのかもしれないが、彼女は勝つことを考えから外した。勝つと意識し過ぎても負ける。しかし勝つことを一切求めていない者にもまた、勝利の女神は微笑まない。

 それに対してディランの眼は一切の油断を映さない。窮鼠だったとしても、油断しない猫を噛むことはできない。

 リーファが突撃する。剣道特有のその歩法は速やかに相手へと接近する。それでもディランの不意を突けるわけではない。

 呼吸を乱さないディランはグッと力を込め、居合を放った。リーファは羽ばたいてそれを軽やかに飛び越え躱しつつ、ディランの首目がけて剣を振るう。先程とは立場が入れ替わった、光を背に受けたリーファの斬撃。それはしかしディランに余裕を持って避けられる。立場が逆であればリーファでも避けられた。二度目の奇襲は通じない。

 二人の位置は再び入れ替わる。

 

ゾクッ

 

 背筋に寒気が走った。()()()()()()()()()()()()()。切り札とも言うべきものを。

 それをリーファも感じたのか、先程よりも苛烈に攻めかかるが、それをディランはバックステップで皮一枚躱し続ける。

 不気味だ。あれだけ用いた居合を仕かける素振りがない。あれは見破られるも見せ過ぎたも存在しない純粋な技だ。今更封じる意味が分からない。

 そこで僕は一つの可能性を思い出した。そして、それと同時にデュエルにも決着がついていた。

 まるで躓いたかのように後方に倒れるディラン。その頭上をリーファの剣が通過する。次の瞬間、前傾して伸び切ったリーファの身体を()()()()ディランがソードスキルで切り刻んだ。

 背中という弱点。ソードスキルのダメージ。そして恐らくはクリティカルまで含めたフルヒット。リーファのHPバーが赤を通り越して尽きるには十分だった。

 掲示板に堂々と表示される勝者、ディランの名前。蓋を開けてみれば片方が無傷のワンサイドゲームであった。

 

「……キリト君、リーファちゃんを慰めておいてね」

「ああ。ま、リーファも負けることは初めてじゃないし大丈夫だろ」

 

 キリトに声をかけてから、僕は自らの出番に向けて控室を出た。

 ディランの最後の技。それは《翳刀カゲバミ》の能力だ。

 伝説級武器(レジェンダリーウェポン)は基本的にそれぞれが一つずつ固有の特殊スキルを持っている。むしろ伝説級武器の醍醐味はそのスキルにあると言って良い。

 鍛冶の水準が上がった今では、武器としての性能だけを見れば伝説級は決して高い部類にはいない。古代級武具(エンシェントウェポン)が伝説級に追いついたと言うべきか。現在では伝説級はそのスペックの高さではなく、固有のエクストラスキルで語られる――聖剣のように基本スペックからして高いものもあるが――。しかしそのエクストラスキルも当たり外れが激しい上に、大量に伝説級が追加された今では稀少性が薄れたこともあって、余り熱心に伝説級は求められていない。

 そんな伝説級武器をわざわざディランが使っていることに疑念を抱くべきだった。それはつまり、有用なエクストラスキルがあるということに他ならない。

 ディランはあのとき一瞬でリーファの背後に現れた。正確に言えば、太陽に向かって動いたリーファの長く伸びた影、その上に現れたのだ。カゲバミという名前と合わせると、相手の影に移動する能力がエクストラスキルなのだろう。

 はっきり言ってとても有用なパターンである。

 だが有用な伝説級武器を扱うのはディランだけではない。それは次の僕の対戦相手も同じことだ。

 

『はい! それでは四強決定戦、最後の一試合! 全身を白く染めた脱領者(レゲネイド)! 《白い悪魔》レントとぉ! 武勇唸る火妖精(サラマンダー)の将軍! ALOにおいて伝説級武器を初めて使用した先駆者! ユージーン将軍の一戦です!』

 

 ワァァ、と群衆の声が聞こえる。観客席の音はかなり減衰されているのにこれだけ聞こえるとは、一体あちらはどれだけ熱狂の渦に呑まれているのだろうか。

 

「ふ。久しいな、《白い悪魔》。いや《白の剣士》か。かつての雪辱、果たさせてもらおう!」

「ええ。良いでしょう。その決意ごと捩じ伏せます」

 

 冷静に。冷静に。あちらも僕のことは把握している。彼の得物は変わらずに《魔剣グラム》だ。《エセリアルシフト》に注意を。先程の観戦中、いくら傍観者だと言ってもエクストラスキルの存在を忘れていたのは痛い。油断とは得てして自らでは気づけないものだ。それに気づけただけ――リーファには悪いが――運が良かったと思おう。

 競技場中心で向かい合う僕とユージーン。以前破ったため《エセリアルシフト》をあちらは使い辛いだろう。しかし僕の方も今大会ではタブ操作が禁じられているので、二刀は使えない上にペテンも行えない。

 静かに呼吸を整える。ひとまずは様子見から入るだろうから、その間にユージーンの実力がどれだけ伸びたのかを測ろう。それが分からなくては策の立てようがない。

 レフェリーの合図と同時にユージーンが距離を詰めてくる。と同時に一文字に振り抜かれる魔剣。丁度首を断ち切られる軌道。躱すためにスウェーバック……いや、後ろ重心から一歩足元を蹴って跳ぶ。

 振り抜く瞬間に握りが緩められ、間合いが伸びた魔剣。それは僕の首を皮一枚逃す。しかしそこからユージーンは大胆に踏み込んだ。柄の上で掌を滑らせて握り直し、両手剣を片手で逆一文字に振り抜く。僕は膝の力を抜いて沈み込みその下に潜り込んで回避。

 地面を左手で押し込み、反動で上方向に飛び蹴り。ユージーンの顎を狙うが顔を逸らさる。そこから左手で踏み切り――踏んではいないが――もう一段の跳躍。空中で体勢を立て直してユージーンの顔面に右足裏を蹴り込む。

 ユージーンは顔を流さないように力を込め、空中で動きの止まった僕に左拳を振り抜いた。それにはライトエフェクトが纏わりついている。

―――《体術》!

 最近の近接戦闘プレイヤーの間では《体術》を取ることが一つの流行だ。それもスキル枠に余裕が出来てきたからなのだが、やはりユージーンも備えていたか。

 そのソードスキルはユージーンの顔を踏み躙って跳躍、身を捻って躱す。地面に左手をつき一瞬片手倒立のようになった後、左肘を屈伸させてその反動で後方宙返り、ユージーンから距離を取る。仮想世界の醍醐味はやはり、こういった現実では難しい動きを行うことだろう。

 僕は腕のストレッチをしつつ首を傾ける。ユージーンは苦い顔をしている。あれだけやって僕に一撃も入れられなかった上に、逆に《体術》スキル込みの蹴りを――流石にGGOとは違って鉄板入りではないので武装はされていないが――顔面に入れられたからだろう。

―――情報戦、いや、ただの速攻かな?

 ユージーンとしては今ので願わくば決める、そうでなくとも有利な立場に立つ腹積もりだったのだろう。まさか初撃から柄を離すような奇策を使ってくるとは。更に言えば片手での両手剣の扱い、《体術》スキルまでも見せたのだ。割に合わないどころの話ではないだろう。

 様子見という予想の裏を掻かれたが、逆にある程度の実力は測れたので良しとしよう。

―――さて、いくか。

 警戒した様子のユージーンに微笑みを見せてから、翅を使って突撃した。ユージーンはその場にどっしりと構える。そう、それが正解だ。互いに飛び回ればその分戦闘の選択肢が広がる。それは僕相手には好ましくないだろうから、自分だけでも動かないのは正しいのだ。

 翅を震わせ、一瞬でユージーンの後ろへと回り込む。地を踏みしめ体を固定していたユージーンは反応が一瞬遅れる。ユージーンは悩んだことだろう、どう対処するべきか。その判断は素早く的確であった。流石は火妖精の将軍だ。

 背中を向けている現状、前方に進んでも後ろから突進系ソードスキルを放たれれば終わりだ。どう考えてもそちらの推進力の方が上である。飛び上がったとしてもソードスキルというのは――巨大モンスター相手も考えて――上方向への軌道修正が容易なため捕捉される。かといって横や下では僕の剣の間合いからは抜けられない。つまりユージーンが取った対応策は、振り返ってこちらの攻撃を相殺するというものだった。

 こちらを振り返ったユージーンは僕の天地が逆転していることに気づく。それは確実に動揺させたはずだ。それでも剣が纏った光の色と僕の体勢から素早くこちらのソードスキルを推測し、剣を合わせに来る。しかし剣が交差することはなく、ユージーンの身体には三本の剣創が刻まれた。

 なぜか。それは簡単だ。ユージーンはつい普段と同じ方向からソードスキルが襲ってくると判断した。それはいつもと同じ方向に剣があったからだ。ここで思い出してほしいのは僕が()()()()していたということ。要するに僕は普段と逆の左手でソードスキルを放ったのだ。当然軌道は変わる。むしろあの短い時間で、僕が右手でソードスキルを放っていれば完璧に防いだであろう位置に剣を置いたことが立派だ。

 正面からソードスキルを――三連撃の簡単なものといえども――フルで食らったユージーンのHPは大きく減少する。

 ALOでは防御力や攻撃力はどんどんと成長していく。しかしそれとは対照的にHPの変動は少ない。初期データの攻撃で古参のHPに傷がついたように見えないのは、HPが多く掠り傷に過ぎないのではなく、高めた防御力で掠り傷まで抑え込んでいるからだ。

 既にユージーンのHPは半分を下回った。それほどにクリーンヒット、特にソードスキルは痛い。

 だがユージーンはダメージを気にする素振りも見せず、距離を詰め、グラムを突き出す。突きというのはそこからの派生が恐ろしい。硬直に囚われた僕では振りの間合いからは抜けられない――《エセリアルシフト》があるからパリィもできない――。あちらも《体術》での対応に引っかかりはしないだろう。万事休すだ。というか調子に乗ってソードスキルで近寄り過ぎた。油断油断。大敵大敵。

 突き出されたグラムを脇腹で受ける。アバターの芯――大ダメージ部位――は外してHPの減少を最低限に収める。驚愕の表情のユージーン。そう、その、僕ならばどうにかして避けるだろうという推測を破りたかった。

 右手でグラムを抑え込み、左手に握った剣でユージーンの喉元を貫く。両手で握ったグラムが動かせないのだ、首をどこかへ動かすことはできない。突き刺した位置から脇に喉を掻き斬る。これが両手剣と片手剣の差だ。

 右手を離せば、ユージーンがグラムを抜いて慌てて後退しようとする。僕は距離を離さないように同タイミングで前進。左手の剣を回して逆手持ちにし、ユージーンに突き出した。意地の表情で体を翻し、ユージーンはそれを避け地を転がる。そこから跳ね上がると雄叫びを上げて斬りかかってきた!

 

「うおおおおおお!!!!!」

 

 グラムに宿るのは紅蓮の光。あれは見たことのない光だ。OSS、八連撃の《ヴォルカニック・ブレイザー》か!

―――ですがユージーン将軍、貴方の負けです。

 ユージーンが駆け出すその足元。そこが光り、小規模の火属性魔法が発動した。

ボフンッ

 気の抜けた音の地雷。しかしそれは十分な威力だ。何せ体勢を崩させることでOSSをキャンセルするだけでなく、絶対的な隙を晒させたのだから。

 きちんと右手に持ち直した片手剣がユージーンの身体を貫き、そのHPバーを黒く染めきった。




 ベスト四は《キリト》《ユウキ》《ディラン》《レント》です。
 ユージーン将軍惜しかったですね。彼の敗因は突きをソードスキルにしなかったことでしょうか。あそこでOSSを放っていれば、主人公は超至近距離で初見の八連撃を見切るとかいう神業を行わなければならなくなっていました。残念です。まあ、主人公と敵対してしまった話の展開を恨むべきでしょう。
 それでは。


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#63 大会-中盤

 おかしいな……。大会は三話の予定だったのに……(前話の時点で気づいて慌ててタイトルを変えました)。
 にもかかわらず尺の関係でキリトVSユウキは割愛です。内容は原作で確認してください。では、どうぞ。


 ベスト四が決まった。僕とキリト、ユウキ、そしてディランだ。一旦の途中休憩が入ったため控室に揃った四人。これからの戦いを想像して危険な視線の交差が……行われていなかった。

 

「それにしてもディラン、格好つけ過ぎじゃないですか?」

「はは、確かにな。ちょっとやり過ぎた感じはある。キリト、リーファちゃんに謝っといてくれ」

「別にあれはリーファの方が言い過ぎだったから気にしてないだろ」

「でも確かに格好良かったよね! 『風妖精は地に墜ちた』とか!」

 

 和気藹々とした雰囲気である。というか、先程の八強の時点でも既にそうであった。あのときはまだユージーンがいたため締まっていたかもしれないが、今では彼もいない。

 

「次はキリトとユウキちゃんか」

「ああ。一回負けてるからどうなるかは分からないな」

「え~? 一回勝ってるからボクが勝つと思うな~?」

「こらこら。あんまり挑発しない。リーファちゃんの二の舞だよ? それにどうせならそういうのは観客の前でやりなよ」

「それは少しサービスが過ぎるだろ。別にそこまで観客は気にしなくても」

 

 ディランの言葉に僕は首をしっかりと横に振る。

 

「いいえ。僕はこういうところで好感度を稼がないと、垢BANまで通報される可能性がありますから」

「いやそれはお前だけだろ……。ってか、そのプレイスタイルが問題なだけで俺らには関係ないじゃないか」

「はは、バレました?」

 

 軽口を叩き合う。SAOでは余りできなかったこと。当時そんなことができたのはキリト、エギル、エリヴァくらいなものだ。クラインは顔が広い、というかフレンドリー過ぎるからやや避けていたし、アスナには軽々しく声をかけるとKoBが怖かったし、タロウはこちらから話しかければ――向こうからでもだが――痛い目に遭ったし。

 思い返せば、僕はかなり交友関係の狭い哀しいソロプレイヤーだった。それに比べて今はどれだけ良いことか。

 

「と、そろそろ時間だな。行くぞ、ユウキ」

「うん! よろしくね、キリト!」

 

 二人は連れ立って出ていく。仲の良い近所のお兄さんみたいな光景である。

 そうして、二人のデュエルが始まった。

 

******

 

******

 

「――ふぅ」

 

 思わず息を吐く。緊迫した試合内容であった。結果はユウキの二度目の勝利に終わったが、キリトの攻撃があと一瞬早ければ結果は覆っていただろう。

 このトーナメントにおいて時間切れで決着した試合は数えるほどだ。それも大半は決がつかないような、言い方は悪いが実力が足りていない試合であった。それが彼らでは違う。純粋な実力の拮抗、互いの策に対する適切な対処が重なった結果だ。非常にレベルの高いデュエルだった。

 僕とディランは運営に呼ばれるまま互いに言葉を交わさずに控室を出る。それはキリト達の試合の余韻に浸っていた上に、ディランがさっきの冗談を真に受けてくれた、つまり僕を心配してくれたということでもある。

 少し頬が緩んだが、次に向かい合えば敵同士。僕も真剣にならねばならない。

 デュエル初期位置に立ち、相手を視界の中央に収める。正面から見れば分かる。ディランの立ち姿、いかにつけ込むことが難しいか。彼の周囲のどこから仕かけても、彼が反応できる速度である限り対応されるであろう。彼の認識を超えた速度で攻撃を終えねば完璧な奇襲は成り立たない。

 ディランが語りかけてくる。審判はもう諦めの表情だ。

 

「さて、久しいな、レント。思えば俺らがお前の最初の獲物だったか。あれを機にお前は名を売った。なら、今度はお前を踏み台に俺が名を売ろうか」

 

 リーファのときよりも大分優しい挑発だ。ただただこちらを倒すという宣言に過ぎないのだから。

 

「僕は大人しく踏まれるような人間、いえ、悪魔ではありませんから。今回も貴方の頭の上を通って差し上げましょう」

 

 僕も大人しめな挑発に留める。ディランはそれきり口を開かず、居合を行う構えになる。

 僕もいつもの構えに移る。呼吸を整え、こちらの様子を窺っている審判に目をやる。目が合った審判は一度頷くと、手を挙げた。そして、それを振り下ろす。

 

「はじめっ!」

 

 僕のファーストアクション。それは手が下ろされるのとほぼ同時のしゃがみ込み。頭の上を一切容赦のない横薙ぎが走る。そのまま黒い刀は刃を下に向け襲いかかってきた!

 慌ててそれを横に避けつつ転がり、距離を取る。

 ディランの姿は開始の合図から一切見えなくなった。彼は僕の認識以上の速さで動けないので、僕の影がある背後に飛んだと類推したが合っていたようだ。

 距離を取ったはずが、目の前にディランがいた。

―――影か!

 食らってみればいかに面倒な能力か分かる。太陽の方を向けば背後に回り込まれ、太陽を背にすればいつ胸元に踏み込まれるか分からない。

 僕は十字斬りを後方宙返りからの側転で躱す。しかし躱してもディランは一瞬で距離を詰める。体勢を整える暇もなく、剣を出す隙もない。そもそも斬られる寸前で何とか躱す様だ。

 

「くっ!」

「はは! その程度か! レント!」

 

 その言葉に応えるとしようじゃないか!

 僕は自分の剣から手を離し、振り下ろされるカゲバミを両手で挟む――俗に言う真剣白刃取りだ――。足元に落とした自らの剣は足で蹴り上げ、左手でカゲバミの刃を握り――ややHPが減った――右手で剣を再び取る。

 剣を掴まれた状態ではどうやら転移はできないようだ。この至近距離で一方的に攻撃できるチャンス。まあ、ディランがそんなものを許してくれるはずがないのだが。

 

「ふんっ!」

 

 ディランは一度カゲバミから手を離し、僕の剣を躱した。その後カゲバミにしがみついて無理矢理僕の手の中で刀身を一回転させた。左手が裂ける。独特のダメージフィードバック、だが離さない。ディランは少し刀を押し込むと、一気に引き抜いた!

 僅かに生まれた隙間を狂いなく斬り裂きに来る。そこまでダメージを負うわけにはいかないため、僕はカゲバミを手放さざるをえない。だが距離を開けることまでは許さない!

 後退するディランを追う僕。先程とは攻防が逆転した光景。一つ違うのは、僕が翅を使えることだろうか。

 ディランは翅を使うわけにはいかなかった。なぜなら僕の方が速いから。彼は僕に追い縋るため、追い詰めるためにカゲバミを使うことを余儀なくされていた。つまり移動方法においては僕の方が自由度があるということだ。

 僕の影がある方向からしか攻撃できなかったディランと違い、僕は押し込みながら上下左右全ての方向から斬撃を送る。左に回り込む様子を見せてから踏み切って逆から襲いかかる。そのようなフェイントを駆使してもディランは崩れない。

 翅を使った。無論小回りを利かせられる、制御できる速さだ。だがこの程度の速さでは、リーファのあの攻撃を捌ききったディランには通用しない。精々二ヒットだ。先程の左手のダメージとトントン。

 ここは競技場の底の遮蔽物のない決闘場だが、壁がある。そこまで追い詰める気で攻め立てた。しかし壁が近づいた瞬間、ディランは壁まで転移してしまった。よく見るとその足元には僅かばかりの壁の影がある。

―――オブジェクトの影にも移動可能か。

 中々に面倒だ。包囲して嵌め殺しのように追い込んでも影があるだけで抜けられてしまうのだから。

 ディランは肩で息をしながらこちらを眺めている。僕は翅を使って大きく距離を取った。

 わざわざこの距離まで転移しなかったのは、恐らくあの転移能力には距離限界が存在する――存在しなければバランス崩壊だ――からだろう。しかしこの距離で転移したのはなぜか。ようやく射程に影が入ったからか。ディランのことだ、そう思って射程を見誤っているときに奇襲を仕かける気かもしれない。だから僕は大きく距離を取る。

 彼我の距離は大きく変化したが、HPの変動は少なく、僕らは再び睨み合う。この距離では転移はできないであろう。ならばどちらかが前進し、転移範囲に入ったタイミングでディランが転移することで次の剣戟は始まる。

 ……いや、ディランが次も転移するとは限らないな。ディランが転移するとなると、いかに体勢を工夫しようとも僕の方が先に動ける。そうなれば先程の焼き直しか、僕が大ダメージを与える結果になる。

 それに先の二度の攻防で推測するに、カゲバミの転移能力には一定範囲内の何かの影、それも両足で立てるサイズがなければならないことが分かる。長く続いたデュエルトーナメント、既に日――ゲーム内のものでリアルの時間とは無関係なのだが――は傾いていて、転移できるような影は僕の前方の僅かなスペースだけだ。つまり転移は読み易い。

 僕とディランの視線がぶつかる。互いに押され続ければ負けるということは理解した。そしてカゲバミの能力を使えば、攻防の形勢が一瞬で決まることも。上手く決まれば僕の不利、僕に読まれればディランの不利だ。

 互いにほぼ同時に乾いた地面を蹴って飛び出す。両方向から距離を詰めるのだ、すぐに接敵する。明らかにカゲバミの効果範囲内に入った。……動きは、ない。

 油断せずに影を間合いに入れつつ、ディランの間合いに踏み込む。

 風を斬りつつ迫る剣先。テンポをずらして通過させる。ディランも慣性に逆らわず、しかし素早く手元に刀を返す。僕は距離を更に詰めて剣で薙ぐ。刀と剣、いくら片手剣といえども短剣や細剣、刺剣でない限り剣の方が重い。ディランは正面から打ち合わせることを避け、刀身を剣に斜めに当てて流す。だが、読めている。

 流された勢いのまま回転斬り。一歩退かれて当たらず。急制動をかけ刺突。狭い攻撃範囲にディランが留まっているはずもない。フェイントをかけられるが、惑わされず左へと剣を振るう。ディランはそれを屈んで躱すと下からの斬り上げを僕に送った。

 刀の間合いは測りにくい。反りがあるせいで思わぬところで身体を掠る。そしてそういった場合、切先は遠心力によって加速しており切れ味の良い刀だとパックリいく。

 だがクラインと散々共に戦ってきた僕が、曲刀使いのmobが大量にいたSAO上がりの僕が、目測を誤るはずがなかった。……だが事実、僕の頬は裂けた。確実にスウェーバックで避けたのに。なぜ、どうして。想定外の事態に僕は思考を乱される。そしてそれは決定的な隙だった。

 土手っ腹に十字斬りを刻まれる。赤いダメージエフェクトが零れる。HPバーが一気に減る。見れば、カゲバミにはライトエフェクトが残っていた。

―――くっ!!

 なおも接近しようとするディランをマタドールのように躱し、立ち位置を替える。コンパクトに回転した僕は、勢いのままにやや進んだディランよりも先に体勢を立て直す。振り返った直後のディランに斬りかかるふりをして、

 

 

 僕は後ろへ剣を突き出した。

 

 

「かっ……!」

「焦りましたが、逸りましたね、ディラン」

 

 剣戟の際目測を誤った。否、ディランはカゲバミを用いて前へ転移したのだ。僕にも分からないほど僅かに。だから当たった。そして混乱のまま太陽との位置関係を入れ替える。その状態で斬りかかられたところを後ろに回り奇襲する。距離を詰めての激しい戦闘の隙間に転移を混ぜる、実に高度なテクニックだ。しかし多用し過ぎだ。

 ソードスキルを決められるほどの隙を見せた、だがそれだけの時間があれば僕とてトリックは見破れる。トリックは見破れたのだが、動揺していて敢えて見せられた隙だと気づかずディランの攻撃を受け流した。このときに僕は罠だと気づいたのだ。ディランが振り返るのが余りにも遅かった。あのディランが止まれないほどの勢いで斬りかかるだろうか、ソードスキルでもなく、この接近戦の最中に。

 疑念を抱けば、影の向きを思い出すことは容易かった。そうすれば次の手は読める。先程考えていたことだ。カゲバミの能力が上手く決まれば僕の不利、それが読めればディランの不利。一発目は決められたが、二発目は読めた。

 深く斬り込んだディランの腹部には僕の白い剣が刺さっている。剣を押し込みつつ僕は振り返る。ディランは押されるがままにその慣性で剣を抜く気か。確かに下手に左右に揺さぶり体内から斬られるよりも、既に貫通している剣を押し込まれて傷口が僅かに広がる方がましだ。

―――それを許す僕だと思うか?

 腰の入らないまま振るわれるカゲバミの乱雑な斬撃を最小の動きで躱す。身体を僕の剣で貫かれて後ろ体重になっているディランは刀をまともに振るえない。

 翅を使っての急加速。慣性で抜ける? 止まらなければ良い。後ろに飛ばれる? それ以上のスピードで前に進めば良い。

 僕の翅を使った高速機動。未だに直線の移動スピードではリーファよりも僕の方が上だ。静止状態から一気に加速。このトップスピードでは競技場の何と狭いことか。剣先が競技場の壁にぶつかり、不快な甲高い金属音を立てる。

 

「くはっ!」

 

 一瞬で競技場の中央から壁まで飛んできたその空気抵抗は全てディランにかかる。更に言えば翅を出した僕と違ってディランは宙に体が浮いている。そして壁にぶつかった衝撃、諸々で響く腹の剣。様々な感覚フィードバックは軽減していようがディランを苛む。

 剣を抜き、ディランを壁際に追い詰めたままラッシュをかける。刀は基本的に円の動きだ。ここにカゲバミの刃渡りで円を描ける隙間はない。カゲバミの能力には影が必須だが僕が背中に太陽を背負った現在、ディランが立っている僕の影しか周囲に影は存在しない。

 

「ぐ、ぐおおああああ!!!!」

 

 しかし流石はディランだ。被弾を諦め身体を回転させることで無理矢理刀の有効斬撃を放つ。それを避けてこの場所を動けば、この絶好の嵌めポイントは失われる。それはできない。

 右腕から左腕まで刀が通り過ぎる。このALOにおいてダメージを負った箇所は赤く染まる。しかし部位欠損――武器破損と同じようなもので、関節でも狙わなければ滅多に起きない――でもなければアバターの稼働に影響は出ない。独特の不快感――GGOに比べればましだ――があるが、目を瞑れる。

 ダメージを確認、あと二発は同じものを受けられる。現在のディランの足の位置ではソードスキルは放てない。あれは体捌きも重要だからだ。

 スペル詠唱を始める。と同時に片手剣でもソードスキルを発動させる。スペル詠唱はソードスキルの最中でも行えるのだ。

 放つのは僕のOSS《ジャッジメント・エンター》。SAO時代の武器の名前を借りたものだ。

 三発の突きが左右に放たれる。これはディランには当たらない。所詮は牽制の三発、正面から外すように登録してある。続いて三本の斬撃。左上から斜め下、右下から横、左下から斜め上の三本。ディランは身を捩るが防ぐ術はない。ディランのHPが黄色、いや赤寸前まで落ちる。最後の一撃、剣の柄頭でディランの左側頭部を叩く。

 ディランの身体が左へと流れた。

―――軽い!?

 手応えが軽い! 図られた! ディランの背には翅が生えており、それで浮くことで衝撃を利用したのだ。

 硬直で動けない僕にディランがソードスキルを放つ。僅かでも動ければディランほどの実力者は身体の微調整で剣技を扱ってくる!

 

「くそっ!」

 

 開いて叫びが漏れたのはディランの口。僕の口は、詠唱を終え閉じたところだった。

 ディランの身体を緑色の真空魔法弾が貫く。スピードを第一に据え、コントロールも威力も、追尾などの特殊効果も捨てた魔法。それはディランのソードスキルが僕に届く前に、柄頭が奪い損ねた最後のHPを消し飛ばした。

 瞬きほどの間もなく、僕の身体にカゲバミが触れる。しかしそれは僕にダメージを与えられずに勝敗を告げるウィンドウに弾かれた。




 二戦連続魔法で勝負を決める主人公。決闘(デュエル)なのにそれで良いのでしょうか。
 そしてさらりと出た七連撃のOSS。ジャッジメント・エンターとか本当に厨二チックな名前ですね(まったく、誰がつけたんやら)。
 それではまた次回。ユウキVS主人公、お楽しみに。


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#64 大会-終局

 何とか決着です。八千台になっちまったぜ……。どうぞ。


 とうとうここまで来た。

 古今東西デュエルトーナメント、決勝戦。カードは僕VSユウキ。

 準決勝が終わってから十分の休憩を挟んでの戦いだ。

 控室。先程までは八人が詰めていたそこは半分の四人になり、そして二人だけが残った。その空間に音はない。僕もユウキも静かに集中を高めるだけだ。この相手に油断も余裕もない。

 己の愛剣を抜き、それを眺める。ALOにおいてリアルであれば必要な手入れというシステムは存在しないが、あの作業は剣との対話でもある気がするので行いたいところではある。

 《ソウル・ソード》の白い剣身に僕の顔が映る。そして初めて自分の顔が喜びに歪んでいることが分かった。改めて眺めれば、ユウキも同じ表情を浮かべている。

―――ああ、楽しみだ。

 楽しみで、楽しみで仕方がない。僕はユウキと以前別のMMO世界において戦ったことはある。しかしあのときは剣ではなかった。格闘ゲームだったのだ。

 このALOで巡り合えたこと、それは運命だろう。僕もユウキも剣を操る能力が最も長けている。拳を振るうよりも、剣を振るう方が。ハンドルを握るよりも、柄を握る方が。そしてパターンを推測するよりも、思考の読み合いの方が。僕らの性根には合っている。

 試合が始まる旨の連絡があった。僕とユウキの間には依然として会話はかい。それでも同時に立ち上がり、自然と並んで競技場へと出た。

 初期位置へと立つ僕ら。会場にアナウンスが響く。

 

『それでは長く続いた本大会も遂にラストバトルです! 決勝戦のカードはぁぁぁぁ! 突如として現れ、剣の天才として名を轟かせた絶対無敵の剣士! 彼の《黒の剣士》を破りこの場に立つ、《絶剣》のユウキ! 対するは、SAO上がりとして驚異的な強さを誇る! 数々のプレイヤーを屠ってきた最強の悪魔! 《白の剣士》レント! 前代未聞の好カードだぁあ!! 今、ここで! 絶対無敵、最強、どちらかの伝説が崩れ去る! 勝敗の行方は誰にも分からない!!』

 

 煽る煽る。盛大に盛った選手紹介だ。だがそれこそがこの場には相応しい。会場の熱気は際限なく上がっていく。防音を通過してきた音が耳に痛い。観客席ではもう隣と会話もできないだろう。

 審判がこちらを眺めてしばらく時間を取る。僕は一瞬不思議に思うが、審判は選手同士の会話を待っているのかと理解した。

 

「「最早言葉は不要。ただ剣で語るのみ」」

 

 おや。

 審判を促すための発言がユウキと被ってしまった。ユウキが目をぱちくりとさせる。が、僕と目が合った瞬間好戦的な表情へと変わる。

 僕も二度呼吸し、ギアを入れる。

 僕らの空気が変わったことを感じた審判がその手を挙げる。

 そして、振り下ろした。

 

カキィィィィィィン

 

 ユウキの細身の片手剣と、僕の中量級片手剣がぶつかる。

 僕もユウキも背中の翅は存在しない。既に隠した。飛ぶ気など元よりない。

 僕とユウキの斬り合い。それはベスト八戦から準決勝までを含めて、最も地味な戦いだった。

 互いに足を地に下ろし、そしてその場を譲らない。完全に足を止めた剣技。

 ソードスキルや、伝説級のエクストラスキルなどのシステムアシストが一切入らない剣技。

 言ってしまえば、それは誰にでもできるような斬り合いでしかなかった。

 アスナとキリトのようにSAOから親しんできたからこそできる、ソードスキルを高度に戦闘に組み込みスキルコネクトという超高等技術さえも含めた剣舞ではない。

 リーファのような翅を使った超機動もなく、ディランのような超絶技巧も存在しない。

 ユージーンやディランのように伝説級武器の能力を利用したバトルメイキングはありえない。

 キリトとユウキのような激しく動きながらの攻防入り乱れた戦いも、僕とディランのような一気呵成に攻め立てる勢いも、そこには影も形もなかった。

 足を止め、翅を捨て、華やかな剣技は使わず、鮮やかな戦法は封じる。ただ互いを正面に据えて斬り合うのみ。

 決勝戦における戦いとは思えないのだろう、会場の音は一切消失した。

 でも、構わない。

 僕とユウキの戦い。他者に理解されなかろうが、何一つとして構うものか。

 ユウキに、僕を超えるVR適性を持つ彼女に、僕はある技術を教えた。それは筋肉を、骨格を視る技術。僕にできることが僕以上の彼女にできないはずがない。彼女はすぐにそれをものにした。

 だが僕もユウキも普段はその技術を用いない。用いれば読み合いが陳腐なものへと変わってしまうから。

 ああ。それで戦う普段がいかに悔しいか。使ってしまえば圧倒できる。圧倒()()()()()()。その苦しみを僕らは分け合っていた。

 たとえディランがどれだけ僕の動きを想定しようとも、その想定した僕に対処するディランの動きは丸見えなのだ。彼には悪いが、それでは読み合いで彼が勝つことは難しい。無論分かっていても避けられない攻撃であれば構わないのだろうが、実際にそのような攻撃を放てることなど非常に珍しく、それまでに戦いは終わる。

 視れば、視てしまえば、ユージーンに体を貫かせることはなかっただろう。ディランに最後の一撃を加えさせる余裕を与えなかっただろう。しかしそれは読み合いという戦闘の楽しみを奪うことに他ならない。

 自分が全力で戦えば、戦闘は楽しくなくなってしまうのだ。

 だがユウキだけは違う。ユウキだけは、僕の動きに完璧に対応できる。同じことができるのだから。同じように読み合う。条件が等しければ、読み合いの妙が生まれる。

 僕とユウキは同じ気持ちだった。ただただ、全力をもって斬り合いたかった。その気持ちが翅を使って体勢を崩し選択肢を削ることを、動きの決まり切ったソードスキルを放つことを許さなかった。

 足を止めたのだ。人間が、僅かな体捌きと足の位置の変更だけで避けられる攻撃など高が知れている。僕とユウキの戦いであるならば尚更。ゆえに僕らのHPはじわじわと、確実に、遅くないスピードで減っていく。

 派手な戦いを期待していた観客には悪いが、互いのHPを散らすことを考えなくても良い、確実に無事が保証されている今を楽しんでいたかった。

 

******

 

~side:シノン~

 その戦いは、はっきり言って異常だった。

 最初の激突のときに感じた違和は翅の有無。レントが翅をしまっていたのだ。地上戦で決着をつけるつもりなのだと思った。

 でもすぐにそれは違う、いや正しいのだがそれだけではないと分かった。

 レントもユウキも移動を捨てていたのだ。

 足を止めて、ただ通常攻撃を繰り返す二人。その異常な光景に、あれだけ騒がしかった会場は静まり返った。

 だが、それが詰まらないものでないことは明白であった。

 多少近接戦が分かる者は、多少近接戦に自信を持っていた者は、特にこのトーナメントで勝ち上がるような者は、皆あの戦いから目を離せなかった。人間の本能である瞬きすら抑えて、その攻防を一切見逃さまいとしている。

 一部の馬鹿は騒いでいるが、大部分は決勝戦が異常なまでの読み合いであることが分かっていた。

―――なんで! なんで!?

―――なんで! 私は! こんなにも悔しいの!?

 私はそれを見て、まるで心に風穴が開いたような空しさを感じた。悔しさを感じた。哀しさを感じた。

 どうして。

 どうして。

 キリトとアスナの戦い。見事なまでのソードスキルの応酬、スキルコネクトを織り交ぜた近接戦だった。でもあれは遠距離戦主体の私に必要な技術ではなかった。

 リーファとディランの戦い。圧倒的な速さと巧さだった。だが私にあの速さは求められていない。あの巧さは求められていなかった。

 ユージーンとレントの戦い。ブラフを入れた肉弾戦。しかし私はそれを避けるべき立場だった。

 キリトとユウキの戦い。接近戦では決して敵わないと、頂点には絶対になれないと悟った。けれどそれは戦闘のたったの一部分の話だと割り切れた。

 ディランとレントの戦い。相手を追撃するあの勢いは恐ろしいと思った。どちらの移動にも対応できないと感じた。だったとしても、それが私に降りかかることはない。なぜならレント(最強の前衛)が私にはいるのだから。

 そう、思っていた。そう、強がっていた。

 GGOから、あの無力を感じたときから、ずっとレントとの圧倒的な差を埋めるために努力を続けていた。その結果私でもベスト十六にまで入った。そう、自惚れていたのだ。自分には近接戦の才能もあるのだ、と。近接戦の読み合いとて熟せる、と。

 その心は、想いは、粉々に、完膚なきまでに破壊された。あの二人にそんな気はないのだろう。だけれども私はそれだけの衝撃を受けたのだ。

 

「レン、ト。レン……ト――」

 

 観客席の私は、決してレントから目を離さないようにしながら、涙を流した。

 

******

 

~side:キリト~

 圧巻だった。

 異次元、そう形容したかった。

 二人の読み合い……ああ、読み合いが行われていることは分かる。一定以上の実力を持つ者ならば、誰もがそれは分かる。それほど明白だった。明確に二人は読み合っていた。

 だが、だが……。

 

「全く、分からない――」

 

 何をもってそう判断したのか、何を読んだのか、そしてどう予想したのか、それらが一切分からなかった。

 ディランのリーファに対する読みは分かった。リーファは自らの速さを利用しきれていないところがある。たとえ画面越しでもディランの読みは理解ができた。 

 しかしこの読み合いは分からない。まるで二人には自分に見えない何か別の条件が見えているのではないか、そうとでも考えないと説明がつかなかった。

 これでも接近戦に、剣の戦いに自信はある。それでも二人の戦いは稀に意味を解せるだけだった。

 一瞬だけ彼らの動きが何を読んだ行動だったのかが分かる。だがその次の動作は分からない。そんなことが何回も続いた。

 俺が行動の意味を理解したときには、既に二個も三個も次の攻防が終わっている。

 二人の剣戟に速さはない。もちろん緩急ないまぜで、最高速は翅で飛ぶスピードに迫るほどだ。だがそれはやはり翅での動きに比べれば遅い。ソードスキルのシステムアシストもない。だから二人の剣戟に目に止まらない速さはない。全てが視認できる。

 しかしその全ての行動が読み合いの結果だとするならば、余りにも二人は(はや)かった。果てしなく高度な読み合いを、最高峰の通常攻撃全てにおいて行っているのだ。その思考の疾さは常軌を逸していた。

 互いの剣を弾き、いなし、躱す。その途上で皮膚が何箇所も裂ける。超接近戦で互いに一切距離を取らないので攻撃は自然とコンパクトなものになる。しかしそのコンパクトさの中にも大胆さが垣間見える。

 二人の攻防は段々とその深度を深くしていった。

 

******

 

~side:レント~

 頭が、痛い。極度の集中で脳が悲鳴を上げ始めている。

 視界は常にゆったりと流れる。ユウキを視て、ユウキの動きを想定、自らの動きを完全に把握、ユウキがどう読むかを読む。裏の裏の裏の……どこまで読めばこの読み合いは終わるのだろうか。

 一秒、いやコンマ一秒時が進めば、視えるお陰で動きが分かる。それで大量にあった選択肢が減少する。しかしその先の選択肢は、やはり無限に思えるほど広がっている。

 やっていることはディランと同じだ。考えられるパターンを全て想定し、相手の動きに合わせてそのパターンを削除していく。だがディランよりも細かい動きを視られるため、より細かくパターンが分かれるだけだ。

 既に自分の動きを把握することなど意識にも上らない。無意識で行わなければ読み合いに間に合わない。

 ああ! だが! この喜びを噛み締める脳の動きだけは制限ができない! このリソースもユウキの動きの解析に回さなければならないというのに、止まらない。喜びが、歓びが、悦びが脳の中で跳ね回っている!

 喜悦を感じ続ける。一合ごとに、一瞬ごとに、刹那の度に歓喜が沸き起こってくる。

 脳が焼き切れそうなほどに演算を繰り返す。筋肉の僅かな動きから数百を超えるパターンが想定されるも、次の動きでその内の八割は否定される。だがまた新たに数千の予測が生まれる。一切止まることなく、脳が動き続ける。

 その終わりは、突然であった。

 喜びに歪んでいたユウキの口が痛みを堪えるものへと豹変する。そして動きが停まり、軽く蹲る。

 限界だ。脳はスパコンではない。あれだけの演算を行えば遠からず限界を迎えることは分かっていた。ユウキの方がそれが早かっただけなのだ。

 この好機を逃さない。僕は飛びかかり、視えたもので自らの失策を悟る。

 縮こまらせた身体をバネのように使ったユウキが僕の喉元に迫る! 輝くユウキの片手剣。

―――ああ、そういうこと、か!

 ユウキの放とうとしているソードスキルを受けるわけにはいかないが、この体勢から間合いの外に逃れることはできない。つまりユウキのソードスキルの出に剣を合わせてファンブルさせなければならない。そしてそのためには生半可な攻撃でなく、同じくソードスキルが必要だ。

 この状況から放つことができ、ユウキに対処できるソードスキルは《ジャッジメント・エンター》のみだ。つまりユウキはそれを誘っているのだ。

 このOSSの最初の三発の突き。あれは牽制用だ。そのためダメージよりも衝撃を与える設計になっている――相手に当たる瞬間に引き戻す動作が入るのだ――。準決勝のときのディランのように動きを止めていれば別だが、今のユウキのように動く対象には三発全てが決まる。しかし宙に浮くような形で迫るユウキにそれだけの衝撃を与えれば、まず間違いなくノックバックが発生する。そうすれば後の四連撃は空を切る、つまり絶対的な隙を晒すことになる。

 この一瞬の攻防は確実にユウキに持っていかれた。だが巻き返す方法はある。

 僕がOSSを発動させると、ユウキはそれを見て口角を吊り上げた。

 ジャッジメント・エンターの最初の突き。しかしシステムアシストが続いて命ずる引き戻す動きを僕は全霊をもって弾き、そのまま突き刺す! ユウキは驚愕の表情を見せる。彼女は先程のときにこのOSSを完全に見切っていたのだ。つまりこれは想定外だ。

 ソードスキルから外れた動きのためシステムアシストは終わり硬直に入る。その間に体を貫かれているユウキの振るう剣が何度か身を切ったが、そのような体勢での攻撃にダメージが乗るはずがない。

 僕の硬直が終わり互いに身を捻って距離を取れば、OSSの一撃と数発の通常攻撃で同程度HPは削れていた。

 互いに息を整える。既に視る技術は止めた。これ以上の演算は頭痛では済まされないかもしれない。そんな危険は犯せず、また読み合いの決着はついたからだ。

 

「……僕の勝ち、かな?」

「……ボクの負け、だね」

 

 これは単なる経験の差だ。いずれこの差も埋まる。そうすれば結果は変わるだろうか。だが今回の勝負の結果は出た。

 

「でも、試合には勝つ!」

「なら、試合にも勝つ!」

 

 再び僕らは激突する。勝負に勝って試合に負けるなど情けないにも程がある。

 互いの背には既に翅が生えていた。地に足がつくことが少なくなる。フィールドを動き回り、空を飛び、壁走りもする。限られたスペースを全て使い、少しでも相手への優位を取ろうとする。

 ソードスキルも頻繁に使う。上手く組み込まねば隙を晒すだけの技。だが上手く使えば間違いのない技。スキルコネクトも最早常識であるかのように用いる。

 剣を拳で弾き、肘と膝で刃を受け止める。しゃがんで足を薙ぎ、バク宙で退避する。

 ユウキの突き出した剣を掻い潜り、懐で反転し、オーバーヘッドキックの要領で顔面に蹴りを放つ。意表を突かれたユウキだが、僕の脚を左手で受け止め、力をそのまま受け流す。僕は立ち上がりつつ、反動で剣を振るう。

 遠心力も乗ったその剣をユウキは何とか弾く。だが剣を塞いだ。その隙に僕は自ら剣を離して自由を確保してユウキの胴体を殴る。

 《体術》を取ると肉弾戦にスタン効果が追加される。何度か蓄積させたそれが一瞬だけ働く。僕は放った剣を空中で掴み直し《ジャッジメント・エンター》を放つ!

 三発の突きが全て当たり、ユウキの身体がやや後ろに仰け反る。そこに三発の斬撃を叩き込もうとした。しかし、スタンから立ち直ったユウキもまたOSSを放った!

 ほぼ同時に放たれた僕の三撃とユウキの十撃。その差でいかにユウキのOSSが優秀か分かる。僕の三撃はユウキに阻まれ正常な一撃分程しかダメージを与えられず、ユウキの攻撃は三撃ほどクリーンにもらってしまった。

 そして互いの最後の一撃。僕の柄による殴打、ユウキの全力の突き。その二つは、しかし同時にシステムウィンドウによって弾かれて硬質な音を立てた。

 

「えっ――」

「何――」

 

 弾かれた衝撃で尻餅をつく。

 集中が解けると一気に音が流れ込んできた。

 

『――と! ここで決着ぅぅぅぅ!!!! 一体、どっちになったんだぁぁ!!? これは、ビデオ判定が行われるそうですッッッ!!!!』

 

 余りの騒音にキーンと耳が鳴る。唖然とする僕とユウキの下へ皆が集まってきた。

 いつものメンバー、スリーピング・ナイツ、領主達、名も知れぬプレイヤー達。その全員にもみくちゃにされる。状況が掴めていない僕とユウキは並んで立たされた。

 

『ええーー。それでは、ビデオ判定の結果をお伝えします』

 

 アナウンスが入り皆が下がる。僕とユウキだけが前に残された。

 

『判定の結果……引き分け!』

 

―――は?

「――へ?」

「「「「「「「「「はぁ?」」」」」」」」」

 

 会場が静まり返る。そこへ僕にとってとても馴染み深い人がやって来た。

 

「え~。皆さんがご不満に思うことはよくよく分かりますとも。しかしながらこれは厳然たる判定です。ビデオではお二人の剣は速過ぎて捉えられず、ログを確認しました……確認しましたが、コンマ以下六桁まで同じ秒数でHPが尽きておりました。それ以下となりますと、誤差とも取れます。この世界の管理システムも今のデュエルは引き分けと判断致しました。そのための判定です。お二人に拍手をお願いします」

 

 胡散臭いその声に渋々ながら拍手が巻き起こる。さしもの《狸》もこの結果には苦笑を零すのみだ。

 僕らの前へと《狸》が歩いてくる。

 

「いや~。とても良いデュエルでした。ですが、決着がつかなかったこと、本当に申し訳なく思います。そしてもう一つ申し訳ないことに、優勝賞品は一人分しかないのです」

 

 あの《狸》が非常にすまなそうな顔をしている。これは本当に珍しいことだ。だが運営としては、確かにこの結果は誇れるものではないだろう。

 しかしユウキは笑って言った。

 

「う~ん。でも、ボクはレントと()れただけで満足だからなぁ。というか、そもそも景品覚えてないし」

 

 それに僕も笑い返す。

 

「確かに。タロウさん、景品って何でしたっけ?」

「景品ですが、二つですね。一つは伝説級武器、《光剣クラウ・ソラス》。もう一つは運営への直接要望権です」

 

 おや、懐かしい名前を聞いたものだ。《光剣クラウ・ソラス》。かつて一瞬だけ握った――放り渡すためにだが――剣だ。

 タロウが差し出した光剣を見て、ユウキは唸った。

 

「うう。ねえ、レント。光剣はあげるから要望権くれない?」

 

 確かに光剣はユウキに合った形ではない。僕が使う《ソウル・ソード》とほぼほぼ変わらない大きさのそれは、ユウキの普段の剣よりも一回り大きい。取り回しに苦労するだろう。

 僕は了承の意味を込めて頷く。ちなみに要望権とはそのまま、運営に要望を直接伝える権利のことだ。しかしこのとき注意してほしいのは要望を()()()権利であること。確かに面と向かって頼まれた方が通り易いことはあるが、実際に希望が通るかは限らない。そういうものなのだ。

 

「それでは光剣はレントさんが。要望権はユウキさんが獲得、ということでよろしいですか?」

「はい」

「うん」

 

 タロウの確認に二人で首肯する。そしてタロウはユウキへと要望を尋ねた。

 

「ボクの要望は……、SAOに存在したユニークスキル。それを誰でも獲得できるスキルとして実装してほしいな!」

 

 この要望が通ったかどうかは、また別の話――。




※タロウさんは新生ALO運営の代表取締役です。

 決着を濁したとか言わないで……。ぶっちゃけ当人達は主人公の勝ちだと思っています。
 主人公が《光剣クラウ・ソラス》獲得です。
 ユニークスキル追加は……いつか回収するかもしれませんし、書かないかもしれません。このリダンダンシー編はモチベが続いている間だけの息抜きですし。
 それでは次回。


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#65 観光

 不定期に現れる後日談です。これも#48 記憶のときの話ですね。小ネタです、どうぞ。


「へぇ。そんなに良かったんだ」

「うん! 京都って凄いんだね! ボク感動しちゃった~」

 

 目の前でニコニコと笑うのは木綿季だ。

 ここは倉橋医師が木綿季のために用意したVR空間だ。すっかり僕もこの空間には慣れた。

 今は丁度、先日の明日奈達の京都旅行の感想を聞いているところだ。木綿季も――他のスリーピング・ナイツも――双方向通信プローブを通してその旅行を体験していたのだ。

 部屋着の木綿季が座卓から手を伸ばし、一本のDVDを取り上げた。

 

「見て! 旅行の映像、全部録画したんだ!」

「……倉橋さんには?」

「もちろん伝えたよ?」

 

 可愛らしく小首を傾げる。

―――ああ……。

 倉橋医師の苦労を想像した。そもそもこのVR空間すらかなり無理を言って容量を確保しているはずなのに、それに加えて京都旅行の全ての録画分の容量も新たに確保したのだ。本当に木綿季には甘い人である。

 

「それでもね、あの料理は食べられなかったからなぁ」

「ん? 料理?」

「そう! ――ええと、大体この辺かなぁ」

 

 DVD型のファイルは木綿季が触ると起動し、ホログラムのウィンドウを表示した。木綿季はそれを操作して見せたいところまで一発で飛ばす。

 これだけの長さの動画、それの見たいところが一瞬で分かるというのだ。木綿季はこのビデオを一体どれだけ観返したのだろうか。

 

「ほら、これ!」

 

 木綿季が指差したのは、いわゆる御膳だろうか。京都の食材をふんだんに使った小鉢がたくさん並んでいる。それを明日奈達が美味しそうにつまんでいた。

―――うわ。

 僕が目にしたのは珪子が使っている割り箸……の袋。そこに書いてある名前は、僕でも知っている有名な料亭のものだった。たしかあそこはかつて外国の使節団をもてなしたりもしていたはずだ。かなりの格の店である。それは美味しいのだろう。

 

「でね。この間アスナに頼んだら作ってくれるって!」

 

 本当に花のように笑う。

 僕はふと、木綿季にサプライズをしたくなった。この胸の感情は嫉妬、だろうか。

 明日奈は京都旅行をプレゼントした。ならばそれに対抗して――

 

******

 

 おかしいだろう。いくらVRだからといってあの店の味が出せるのは。旅行に行った他の三人が口を揃えて同じ味だと言ったのだ。

 無論思い込みというものはあるだろう。しかしそれにも限度があると思うのだ。作成者の明日奈もあそこの店の味を食べ慣れているわけではないだろうに。

 これは僕も手を抜けなくなってしまった。

 

「はい。無理なお願いであることは重々承知の上ですが。そこをなんとかなりませんか?」

『……うーん。そうだね。そこでのデータを貰えるのなら、取引成立としようか』

「ありがとうございます! ……データは僕と木綿季の分だけでしょうか? 接続人数は増えてしまいますが、和人君と明日奈さんの分も取りましょうか?」

『それはありがたい。日本の誇る高VR適性者四人の試験データはとても貴重なんだよ』

 

 さて、これで準備は完了である。

 僕はALOのキリトの家に皆を集めた。

 

「さて、実は今日集まってもらったのは、ある特別なチケットが手に入ったからなんだ」

「チケット、ですか?」

「うん。何のチケットかは言えないんだけど、面白いものであることだけは保証するよ」

「で、それをくれるから集めたのか?」

 

 金曜の夜。クラインは今週末に時間が取れないそう――会社勤めで今もログインできないのはそういうことだろう――なのでここにはいない。エギルも同様だ。飲食店経営で休日の日中に抜けるわけにはいかない。

 そのためここにいるのはスリーピング・ナイツの面々と高校生組だ。

 

「ただ、このチケット、枚数制限があってね」

 

 ウィンクをしながらチケットを揺らす。実際にオブジェクト化してみた。そこには英数字の羅列が印字されている――所有権のないプレイヤーにはボヤけて読めなくなっている――。

 

「……だと思った。勿体つけないで。何枚?」

 

 シノンがゆらゆらと尻尾を揺らしながら言った。

 

「まず、別口で取ったからスリーピング・ナイツの分はあるんだ」

 

 そう言いながら()()にチケットを渡す。

 

「――え?」

「アスナちゃんは外せないからね。これは一応この縁を祝して、ってことだから。その貢献者には渡さないと」

 

 里香と珪子に直葉、そして詩乃も頷いている。

 

「で、僕も案内人だから貰って」

 

 見せていたチケットから一枚抜けば、残り枚数は一目瞭然。残りの面子の顔がピクリと引き攣った。

 残るは二枚。そしてそれを狙うのは和人、珪子、里香、直葉、詩乃の五人。お留守番が三人で過半数になる計算だ。

 

「「「「「さいしょはグーッ!」」」」」

 

 壮絶なジャンケンの結果、勝ち抜いたのは和人と詩乃だった。

 正直菊岡にはああ言ったが、和人を招待する口実が思いつかなかったので実力で勝ち取ってもらった。流石の勝負強さである。

 負けた三人は燃え尽きている。どこに連れていくとも言っていないのに中々に白熱したものだ。

 僕はチケットを手にした者に告げた。

 

「じゃ、明日の朝の七時半から入場可能になるから」

「七時半!?」

「うん。そのチケットに書かれているアドレスのVRワールドにコンバートしてね。僕は七時半に待ってるから」

「「「「「「「「「了解!」」」」」」」」」

 

******

 

 というわけで、翌日土曜日の七時半。僕の目前には感嘆の息を漏らす九人がいた。

 

「これは――」

「東京……!?」

 

 僕らは渋谷のスクランブル交差点のど真ん中に立っていた。

 

「おい、レント。これは何だ?」

 

 和人に聞かれ、僕はこのワールドの説明をする。

 

「これは日本政府が作成したVRワールド、『大日本領域輿地全儀(だいにほんりょういきよちぜんぎ)』。日本が領有する全ての領土、領海、領空、多分排他的経済水域も再現されているものだよ」

 

 伊能忠敬の『大日本沿海輿地全図』にかけたネーミングなのだろう。そのスケールは圧巻の一言だ。途轍もないデータ量である。

 

「全国の公務員によって集められたデータで毎日このVRワールドは作り変えられているらしいよ」

「何でそんなものが……」

「ここはそのコピーワールド。元のデータは身元の確かな人間じゃないと弄れないんだったかな。それも複数人の監視下でね。だから基本的に使用する場合はコピーして使うんだ」

 

 僕の説明は不十分だったようだ。和人はまだ不満気な顔をしている。

 

「だから、何でそんなものをお前が持っているんだ」

「別に僕が所有しているわけじゃないよ。ここは菊岡さんに頼んで用立ててもらったサーバーだから。残念ながらデータ量とかの関係で、実装されているのは東京二十三区までだけどね」

 

 木綿季がとてもきらきらした目でこちらを見ている。尻尾があったら千切れんばかりに振っているだろう。

 

「ここの使用方法を説明するからちょっと待ちなさい」

 

 木綿季に掣肘を加えて、皆の意識が集中したことを確認してから説明を始めた。

 

「ここは本来色々な検証を目的として作られたワールドなんだ。だからここでは物理法則が現実のままに生きている。だけど皆はALOからコンバートしているから現在のアバターはALOのもので、能力値もアバター準拠だ。つまりテッチさんとかならちょっと本気で殴ればビル一棟くらい壊せるってこと。オブジェクト保護は一切ないから。ちなみに今のプレイヤーIDを使っていたデータだったらどれでも引き出せるよ」

 

 一応注意はしておく。オブジェクトの強度が確保されており、また破壊不能オブジェクトの括りが存在するALOとは訳が違うのだ。

 

「それとは別にここなら自由にアバター作成が可能で、そうした場合は体格に対応した平均的なステータスに調整されるから、好きな身体で動いてほしい」

 

 ここまでがアバターの話。ここからは可能なことについて。

 

「で、さっきも言ったけどここには東京二十三区がある。そしてこの二十三区だけは、首都直下型大地震のシミュレーションのために店舗の()()まで作成されているんだ」

「本当ですか!?」

 

―――おおう。

 以外にもシウネーが食いついてきた。いや、彼女も立派な女性だ。お洒落をしたい、ウィンドウショップを楽しみたいという思いもあるのだろう。

 

「う、うん。システムウィンドウはALOのものに統一してもらったから、そっちの使い方は分かると思うよ。所持金は全員一律無限になっているから、そこは好きなようにしてもらって構わない」

 

 脳内で説明を反芻する。他に言うことは、特にないか。

 

「このデータは結局コピーでしかないし明日には全部消去されるから、各々好きなように過ごしてね。別に破壊行動に勤しんでくれても――「も、もう行っていい!?」……確かにちょっと長くなっちゃったね。じゃあ、どう、ぞ……」

 

 許可を出した瞬間に、目の前からスリーピング・ナイツの七人の姿が消えた。明日奈は木綿季に連れていかれたようだ。ちなみに目の前のアスファルトには大きな穴が開いている。力の加減にしばらくは苦労しそうである。

 

「……じゃ、俺も行ってくる」

 

 和人もそそくさと明日奈が引き摺られていった――アスファルトに跡が残っている――方向へと駆けていった。流石は和人だ。現実世界とほとんど変わらない動きをする。

 というわけで、その場には僕と詩乃が取り残された。

 

「――じゃあ僕達も行こうか」

「……どこか当てはあるの?」

 

 黙り込んでいた詩乃が聞いてきた。

 

「特にないけど、そもそも僕ら地元民と言えば地元民だからねぇ」

「二十三区の一部に住んでるだけでしょ。とても二十三区全部が地元とは言えないわよ。それに東京よ? 同じ面積だったとしても田舎の十倍は密度があるわ。どれだけ少なく見積もってもね。それを全部把握しているはずがないじゃない」

 

 中々に饒舌だ。これはつまり何か僕に案内してほしいということだろうか。僕だって決してこの辺りに詳しいわけではないのだが。あ、確かに地元民と誇れるほどこの地に根づいていなかった。

 

「うーん。それなら、普段は人が多くて余り楽しめないところに行こうか」

「確かにこの東京に私達だけしかいないんだものね。ゴーストタウン・トウキョー。ゾンビもののタイトルみたいね」

 

 どうやら詩乃はやや不機嫌なようだ。それは僕としても余り好ましいことではない。

 僕が知っているスポットを頭の中でリストアップ。今日は詩乃を連れ回すことに費やすことになりそうだった。

 僕はやや苦笑して、詩乃にある方向を指し示した。

 

「取りあえず、ここに法はないわけだし、移動手段を確保しよっか」

 

 指差した方向には、停車した状態で再現された自動車が鎮座していた。

 

******

 

 東京の中央部は基本的に小さな店の集合であり、一つの通りを歩きつつ楽しむのが正しい楽しみ方だろう。

 そんなわけで乗ってきた車は乗り捨て、適当なところ――この適当は二つの意味だ――で降りる。

 そこから浅草寺に向かって歩き出した。何でも、浅草寺に詩乃は行ったことがないらしい。近いとむしろ行かないものである。それに詩乃は人混みが余り好きではない。わざわざあそこに行く理由もないのだろう。

 

「それにしてもこの距離にある観光名所に行ったことがないなんてね」

「そんなものでしょ。地方の学校なら修学旅行で来るとかあるかもしれないけど、この距離じゃありえないわ」

「はは、確かに。修学旅行が浅草寺って言われたら暴動が起きるね」

 

 談笑しつつ通りを下る。詩乃の態度はまだやや冷たいが、その機嫌は上向きになっている。

 僕らの歩みは決して速くない。時折足を止めて通り沿いの店を冷やかす――店員はいないのだが――。たまに報道番組で見るような飲食店に入ってみる。そこで食事も楽しんだ。まさか明日奈ではあるまいし本来の味が再現されているわけではないのだが、ある程度のものは食べられるのだ。普段は決して近寄らないから雰囲気だけでも楽しんでおこう。……メニューを再現する必要性は皆無だと思うのだが。

 こうなると疲労を感じないVRは便利である。それに僕らはVRでの食事に適応しきっている。慣れていない人や慣らしていない人は、VR空間で食事をすると食欲がなくなってしまったりするのだが、僕らはそこの調節ができる。空腹は紛らわせる上に、別に満腹感で食事ができなくなるようなこともない。VRだからこそこれだけ多くの店で飲食をできるのだろう。

 途中で人気ファッションブランドの日本支店にも寄った。そこで詩乃は服に合わせてアバターを変えた。ケットシーの特徴である耳と尻尾を消して、髪色を黒に変えたのだ。要するに現実に近づけたのである。その後の詩乃はとても上機嫌だった――詩乃が選んだ服は合計すると一人暮らしの高校生には手を出しがたい値段になる――。

 ちなみに僕も近隣の店で服装とアバターを変えた。僕のアバターはそもそも現実に近いので目と髪の色を変えただけだが。

 そんなこんなで、二人で楽しみながら歩いている――普段ならこの通りはこんなに自由が利くほど空いていない――と、かの有名な雷門へと到着した。

 そこで僕らはしばらくぶりに人の声を聞いた。

 

「ん? この声はジュンかな」

「あら。こっちはアスナじゃない?」

 

 その通り、仲見世商店街には僕ら以外のこの世界の来訪者が全員揃っていた。

 

「あっ! レントさん」

「え! レント!?」

 

 最初に気づいたのはタルケンで、駆け寄ってきたのは木綿季だった。

 スリーピング・ナイツの面々はそれぞれ服装が変わっており、アバターのカラーリングも変わっていた。だが逆に言えばそのくらいしか変えていなかった。彼らは僕と同じコンバート族で様々なアバターを持っているはずなのだが。……流石に芋虫はご免だと思うが。

 結局、全員が合流したまま浅草寺へと向かう。ただでさえ遅かった進みは更に遅くなった。

 そうしてようやく浅草寺に到着。仮想で再現されたものにどれだけの御利益があるかは不明だが、一応本堂に一礼しておく。

 無礼だが、実際問題仲見世を除いた浅草寺の本堂に然程時間をかけるところはない。すぐにそこを離れた。そして僕らは額を突き合わせて相談した。

 

「この後どうしますか?」

「うーん。ショッピングはもういいかなぁ」

 

 木綿季は腕を組みながら唸り声を上げる。

 

「でももう時間があるわけじゃないからなぁ」

 

 木綿季の言う通り、現実時間とリンクした太陽は既に中天を越えている。

 

「みんなはしたいこととかない?」

 

「私は久しぶりに渋谷が楽しめたので」

「俺は特にやりたいことはないですね」

「こっちも~」

 

 皆が同じような状況。むむむ、と悩んでしまう。

 最近はVRワールドの多様化も進み、現実世界でできる多くのことをVRでできてしまう――バーベキューなどその最たるものかもしれない――。そしてここは精巧に作られた現実世界のようなもの。ついついそこでしかできないことを望んでしまい、逆に身動きが取れなくなってしまっていた。

 しかしこういったときの流れを崩す人間は決まっている。

 

「じゃ、ボク、お台場に行ってみたいな!」

 

******

 

「ふぅ」

 

 その日の深夜、というか日付を跨いだから翌日か、僕はアミュスフィアを外して大きく伸びをした。

 あの後は一日東京観光をした。他に人がいないのを良いことに、余り大きな声では言えない交通手段で東京中を巡ったのだ。

 VRワールドで何ができないのか、確かに考えれば簡単な話だった。観光はできないのだ。東京が再現されているなら、再現された東京で何を楽しむのかではなく、再現された東京自体を楽しむべきだったのだ。

―――本当、敵わないなぁ。

 木綿季といると新しい視点を与えられているような気分になる。だからこそ、その恩を返そうと努力するわけだが。

 

「おっ」

 

 PCには招待した面々からの感謝のメールが次々に届いていた。僕の頬が思わず緩む。

 プレゼントは喜んでもらえたようだった。




 こういった形でシミュレーションした上での、アンダーワールドの広大な土地になるんだと思います。というか、実際ザ・シードみたいなのがあったら作るべきだと思うんですよね。CGとか物理エンジンなんかよりももっと正確なシミュレーションができますし。
 では、また。


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#66 霊刀-攻城

 お久しぶりです。今日でこの小説三度目の三月十五日です。いわゆる二周年、明日から三年目ですね。どうぞ。


「うーむ、分からん!」

「クラインさん、諦めるのが早いですよ」

「そうだぞ、クライン。まさか運営だって完全ランダムに設定してはいないだろうし、どこかにロジックがあるはずなんだ……」

「あはは。私達はゆったりやりましょうか」

「アスナちゃぁん」

 

 アスナの方に寄りかかりかけたクラインにキリトからペンが飛んだのはご愛嬌。

 さて、僕達が現在何をしているのかと言えば、伝説級武器(レジェンダリーウェポン)獲得の準備だ。

 今回狙っている伝説級は《霊刀カグツチ》。クラインが以前より欲しがっていたものだが、今回本格的に獲得に向けて動くことにしたのだ。

 《霊刀カグツチ》の存在が確認されたのは去年のことだ。その発見は相当量追加された伝説級の中でも早かった。しかし現在に至るまで霊刀は個人所有となっていない――正確に言えばその姿を目視した者はいない――。

 その理由はダンジョンの攻略難度の高さだ。霊刀はクエストの達成報酬ではなくダンジョンの攻略報酬なのだが、そのダンジョンの名前は《霊城カグツチ》。その所在地は……誰も知らない。

 霊城カグツチは毎度毎度異なる場所に期間限定で出現するのだ。毎週日曜日の午前零時から午後十二時までの丸一日の間、和風の城の天守閣がダンジョンとして現れる。そのダンジョンの入口にある立て札に、攻略報酬《霊刀カグツチ》の情報が載っていたのだ。それがカグツチの発見である。

 この霊城は出現場所が変わるだけでなく毎週ごとにその中身も変わる。流石にダンジョンとしての大枠――階層ごとのコンセプトや出現する敵――は変わらないのだが、マップ情報がすっかり変わってしまうのだ。そのため攻略はたったの一日で行わなければならない。加えて出現場所が分からないので丸一日を攻略に使えるわけではない――ダンジョン自体の捜索時間が要るのだ――。

 その結果、全五階層らしいのだがいまだに第三階層に至った者すらいないのだ――ただ、誰かに先取りされないために情報が秘匿されている可能性もあるので何とも言いがたいのだが――。

 というわけで、そんな霊城の攻略のために、僕等は必須とも言える出現場所の割り出しを行っていた。

 現在この場(ALOのキリト達の家)にいるのは霊刀を望んでいるクラインと、僕、キリト、アスナだ。主に働いているのは僕とキリトとも言える。

 今までに確認された出現場所と日時の一覧を眺めてうんうんと唸り、手元にオブジェクト化した筆記具で考えを進める。

 

「……でも、やっぱりこれを人力でやるのは厳しいんじゃないかな?」

「ああ……。だが、本来人が解く問題なんだから解けるはずなんだよなぁ」

 

 髪をクシャクシャと掻き回すキリト。その胸ポケットから小妖精が飛び出してきた。

 

「駄目です。日付、前回の場所、その日の天候、世界の主要言語による日付、どのパターンからでも法則性を見つけられませんでした」

 

 申し訳なさそうに首を振るユイ。しかしユイでも分からない問題ではどうやって解けば良いのか。

 

「ユイちゃんも駄目かぁ。なあキリの字、本当にこれ法則性なんかあんのか? その日の気分とか、乱数で決めてたらどうしようもねぇよ」

「…………」

 

 ユイも駄目ということで場の空気は諦めに向かっていた。明確に口には出さないものの、アスナの目もそう言っている。だがそういうときにこそ、この黒の剣士はやってくれるのだ。

 

「――分かった、かもしれない」

「……本当に?」

「かもしれない、だ」

 

 そう言うと、キリトは一覧の横に文字を書き加えていく。それは少し見れば何をしているのか分かる光景だ。――日付の数字を平仮名に置き換えていた。「1」は「ひ」、「2」は「ふ」、「3」は「み」、つまり語呂合わせだ。

 

「語呂合わせですね、パパ!」

「ああ。ユイは試したか?」

「いえ。そういう文化があるとは知っていたのですが、失念していました」

 

 ユイは人格があるために自分で要不要の判断だったり創意工夫だったりができる。しかしその分虱潰しの作業を避ける傾向がある。無駄を省くためなのだろうが、たまにはその無駄が必要になったりするのだ。

 その点キリトはトライ&エラーを旨とする性格だ。無駄なこともするかもしれないが、したことは無駄にしない。それを経験にして歩む。それが、一体どれだけパターンがあるか分からない語呂合わせに取り組ませた。

 僕とアスナ、クラインも顔を見合わせ、それぞれ別の語呂合わせで日付の変換を始めた。

 ユイが変換後の平仮名と出現場所の関連性を探り、僕達で平仮名に変換する。そうしてしばらくが経過したとき、ユイが皆にその取り組みの成功を告げた。

 

******

 

「という苦労があって、今日、ここに集まってもらいました」

 

 日曜日の午前零時、特定された場所に攻略メンバーは集合した。

 攻略メンバーは、クライン、僕、キリト、アスナ、ユウキ、リズベット、シノンだ。毎度のごとくの一パーティ。僕達も決して望んでそうしているわけではないのだが、そもそも仲が良く一緒に攻略できる――領主勢は残念ながら除外される――メンバーとなると、集めても三パーティ。各々が参加できない事情があり、どうせなら切りの良いパーティ単位で、となれば一パーティ(七人)での攻略も致し方なしだ。

 

「……にしても、本当に一パーティでいけるの?」

 

 リズベットが疑問の声を発する。その視線の先に聳えるのは、全五階層、石垣から始まり幾重もの屋根を備えた和風の天守。集合した場所は城の周囲に巡らされた堀に架かった橋の手前にある立て札の前だ。

―――確かになぁ。

 これを見て不安になるのも分かる。だが、

 

「大丈夫さ。俺達はスリュムヘイムだって一パーティで攻略しただろ?」

 

 キリトの言う通りだ。既に経験のあることに何を怯えるのか。今回は緊急事態ではないのでユイのサポートは封印だが、その分余裕がある。出現ロジックは見つけられたから別に攻略は来週以降でも構わないのだ。

 全員がカグツチ城を見上げていた視線を下ろしたところで、キリトが腕を突き上げた。

 

「それじゃあ、攻略するぞ!」

「「「「「「オー!」」」」」」

 

 僕らはキリトに続いて腕を突き上げ、気炎を上げる。そしてキリトを先頭に、立て札の前を通り過ぎて鉄の門扉へと向かった。

 カグツチ城の第一層は石垣だ。中はそれに対応してかひんやりとしている。情報ではこの第一層のコンセプトは迷路。どうやら外身から計算できる体積よりも中身の方が大きくなっているらしい。そこで迷わされるというわけだ。

 だが侵入した僕らにそれを冷静に感じる余裕はなかった。

 七人が侵入したからか、七体の骸骨武者が現れたのだ。奴らは和風の鎧を身に着けているが、四肢の部分は己の骨が露出している。その細い骨の腕ではそれぞれが刀を構えていた。

 僕らはアイコンタクトを交わすと、それぞれが一体ずつ正面に相手取った。

 いきなり出てきたのには驚いたが所詮は雑魚だ。これに手間取っているようではいけない。倒せるのは当たり前、タイムアタックだ。

 僕は自分が相対した敵にまず一合振るう。その剣閃はこちらに振られた刀の一撃を防ぐのと同時に、骨の上腕を斬りつけた。そして僕はHPの減り方からこの雑魚モンスターが高耐久であることを知る。同じような行動に出て、他の六人もややうんざりした。

 一人で倒せるのは当たり前と言ったが、これは一人で倒せる難度でも時間がかかるかもしれない。面倒なことだ。

 諦めて僕は今回の目的の一つを実行し始める。それは《光剣クラウ・ソラス》の実戦チェックだ。

 先のデュエルトーナメントで勝ち取った賞品だが、いまだに実戦で扱ったことはなかった。性能等の確認は済ませてあるものの、使って初めて分かることもある。

 取りあえずは振り心地を数回の斬撃で確認する。少し調()()した。

 一発、ノックバック重視のソードスキルを発動させる。ソウル・ソードよりもソードスキルの()()が悪い気がする。武器に対する愛着の違いだろうか。

 こちらの硬直の間に骸骨武者がノックバックした分の距離を詰めてきた。襲いかかってきたところ悪いのだが、丁度硬直が切れたところであるから、的にしかなりえない。

 骸骨武者の振り下ろす太刀をパリィ。がら空きの胴体目がけて思いきり剣を握った右手を振るう。

 振り始めるタイミングで、右手の光剣は()()()()()()()。そして骸骨武者に当たる瞬間に、()()()()()()()()()()()()()()()()()

 巨大化した剣が骸骨武者の鎧と兜の間で守られていない首の部分に真っすぐ入り、その勢いが移ったような勢いで骸骨武者の頭部が跳ね飛んだ。間もなく首を境に分離した上下が共にポリゴン片へと変わる。

 

「…………」

 

 予想していたよりも威力が出て、行った自分でびっくりしてしまった。事象の説明を後で皆に求められる気がしたが、それはさておき隣で戦っていたリズの手助けに……行こうとした。

 リズが握るメイスは《雷鎚ミョルニル》だ。《聖剣エクスキャリバー》の獲得時におまけのような形で手に入れた伝説級武器で、そのエクストラスキルは《ライトニングチャージ》。たしか武器に電撃を纏わせて単純に攻撃力を上げ、確率で麻痺を付与するという強いと言えば強い能力だったはずだ。

 想定していたクラウ・ソラスの火力が実際の方が上だったように、ミョルニルの破壊力も僕は過小評価していたのだろうか。雷を纏ったミョルニルの一撃が入った骸骨の身体に連鎖的に雷撃が発生、そのまま骸骨武者は爆散した。

 追及しようかとも思ったが、リズがふるふると首を振るので一旦は頭から疑問を追い出す。

 さて次に骸骨武者を突破したのはユウキだ。隙を見て即座にOSSを叩き込んだ。ユウキのOSSを全てクリティカルで受けてなお立っていたら、いくら耐久が高いとはいえmobの枠を超えている。

―――いや、十分凄いんだけどね。

 そもそもアンデッド系の中でもスケルトンに刺突技をフルヒットさせるにはかなりの力量が必要になる。僕らのパーティにはそれが可能な人間がもう一人いるが。

 ユウキの隣でアスナが、デュエルトーナメントで見せたOSSから格闘技に繋げるスキル・コネクトを撃ち込む。どうしてもOSSはユウキのものよりも火力が落ちる――オールクリティカルヒットは当然だが――ため、そこをスケルトンに有効な打撃技である《体術》のソードスキルで補ったのだ。やはりスケルトンに刺突や斬撃で挑むのが間違っているのだろう。ミョルニルの火力も相手がスケルトンだからこそか。

 四人が骸骨武者を屠った。残るはキリトとクラインとシノンだ。そして武器種と単独戦闘力から考えて、僕がサポートするべきはシノンだ。

 しかし今度も僕の予測は外れる。

 シノンは細剣以上にダメージを出しづらい弓を主武装とする。だが彼女は弓を矢を放つ武装として用いなかった。弓の本体で武者の刀を一度柔らかく受け止めてから大きく回して刀を足で押さえる。素早く弓を引き抜くとそれを武者の頭へ振り抜いた。武者の頭は後ろへ弾かれ兜も吹き飛ぶ。しかし武装としてカウントされていない弓での攻撃では、見た目は派手でもダメージは伸びない。

 そこでシノンは貫き手にライトエフェクトを纏わせ、ちょうど露わになった武者の咽喉に突き刺した。弱点部位への容赦のないクリティカル。シノンは一瞬の硬直を終え、ノックバックから回復して同様に行動可能になった骸骨武者の顔面に右手で裏拳を入れ再度動きを制限、左手は鎖骨の辺りの隙間から体内に差し込んで捻った。

 バキボキと鎧に隠れた内側から不協和音がする。悶える顔面に対しては右手での殴打で応える。今度は左手を無理矢理引き摺り出し、よろよろと武者が後ずさって出来た空間を使ってソードスキルを発動させた。

 珍しい突進系の《体術》ソードスキル。七連撃のそれが後退するエネミーに突き刺さる。ややオーバーキル気味のそれの最後の一撃を振り下ろした場所にはポリゴン片が舞うだけだった。

 

「「「「…………」」」」

 

 それを眺めていた僕ら四人は呆然としていた。まさかシノンがここまで、その、暴力的な手段で敵を倒すとは思っていなかった。GGOにおいても、ALOにおいても、シノンは遠距離戦が主体のプレイスタイルであり、彼女が近接戦闘を熟す姿を見たことは少ない――デュエルトーナメントはその稀少例の一つだ――。

 そしてそれが驚きだったのは僕達だけではない。

 時を置かずしてそれぞれがソードスキルで相手を粉砕したキリトとクラインも、自分達よりも先に上がったシノンを見つめる。六人の視線を集めたシノンは視線を明後日の方向へと向けて呟いた。

 

「私も、近接戦やってみようかなって、思っただけだから」

 

―――……それなら、短剣とかから始めてはいかがでしょうか?

 その心意気は素晴らしいと思うが、なぜ素手なのだろうか。大いに問い質したい。だが一旦それは置いておくしかあるまい。僕らには時間が限られている上に再び骸骨武者に襲われても面倒なので、その場を急いで離れることにした。

 迷路と言えば『左手法』が有名な攻略法だろう。このカグツチ城の広さも流石に無限ではないだろうから、いつかは確実にゴールに辿り着く。

 しかしこの手法にはある問題がある。それは時間だ。内部が拡大されているため、この迷路はどれだけの広さがあるかも分からない。つまり同様にどれだけの時間がかかるかも分からないのだ。今までの挑戦者の多くはこの迷路に時間を奪われたと言う。

 そこで今回僕達は迷路をパズルとしてでなく、ゲームとして攻略しようと思う。

 《聖剣エクスキャリバー》を装備状態にしたキリトに、僕はあるアイテムを渡す。そのアイテムの名前は実に単純明快の《行先案内機》。確率で立っている場所から目的の場所への道のりを示してくれるアイテムだ。便利なように思えるが、その確率は低いと思えば低い、高いと思えば高いという程度だ。はっきり言ってダンジョン攻略に使えるほどの実用性はない。通常ならば。

 《伝説級武器》には必ず特殊スキルが付随してくるのは周知の通りだが、《聖剣エクスキャリバー》のエクストラスキルは《キングキャリバー》という名前のスキルで、効果は現状システムに認められている範囲のバフを全てかけるというものだ。

 なんだその程度か。

 そう思うのも仕方はないだろう。しかしその簡素な説明に反して実際は中々に実用的なスキルなのだ。STRやAGIといったALOにおいては隠しステータスとなっている部分へのバフが常時発動し、スペルによって実現できるスキル熟練度上昇率アップやソードスキルの威力上昇、クールタイム並びに硬直時間の減少、その他様々なバフを発動させられる。そしてその中の一つに存在するのがLUK値上昇だ。

 ALOの隠しステータスの中でも特にLUKの値にはプレイヤー間の差はほぼないとされている。実際にこの間サイコロを二つ同時に何度か放るという方法でその差を確認しようとしたが、僕らの結果に大きな差は生まれず確認は成らなかった。

 しかし聖剣を装備したキリトは違かった。十二回の試行で僕らは必ずどの目も一回は現れた。そこをキリトは十二回の試行で五と六の目しか出さなかったのだ。ゲーム内でのこういった運要素は全てLUK値が関わってくる。普段なら上げにくいそれは、上げられる者とそうでない者との間に大きな差を生む。

 そのため僕らが使えば――曲がり角の度に使用しなければならないため――途方もなく低い確率でしかゴールを見つけられないアイテムでも、聖剣を装備したキリトなら十分に見つけられる可能性があるのだ。

 走り出して最初の丁字路。キリトは《行先案内機》を使った。

 

「右だ!」




 思えば一年目は本編を完結させましたが二年目はOS編と少ししか更新しませんでした。そして三年目、投稿数はもっと減る可能性が高いですが今後ともよろしくお願いします。

 また注意点として、これ以降は伝説級武器のインフレが起こります(既に微妙に手遅れ感)。


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#67 霊刀-壊門

 毎日投稿! ……頑張ります。どうぞ。


 《行先案内機》を用いた僕らの攻略は順調に進んでいた。

 分岐点の度にキリトが《行先案内機》を使う。稀に次の分岐点で戻るように指示されることがあるが、その近辺で何度か確認すれば正しい方向を把握することができる。そして僕達――VR空間から表層以上の情報を抜き取れる者――は段々と空気が重くなっていることを感じていた。確実にゴールは近づいている。

 何度目かのmobとの遭遇。この階層は迷路に重点を置いているためかそもそもの遭遇自体がかなり少なくなっていた。そして出現したとしても一度に七体以上が襲ってくることはなく、やはり僕らの敵ではなかった。

 危うげもなく敵を倒しきる。皆がやや飽き始めている気がしたとき、僕は先程問おうと思っていたことを思い出した。

 

「あ、そういえばリズさん。さっきの《雷鎚ミョルニル》の攻撃力凄い高かったですよね。何でですか?」

 

 すっかり尋ね忘れていた。今はかなり楽勝な迷路だから良いが、この先は悠長に話している時間などないかもしれない。聞ける内に聞かねば。

 

「うーん。それが私にも分かんないのよねぇ。最初にスキル使って殴ってもあんなに減らなかったのに……。大体五発かなって思ってたらなんか三発目が爆発して」

 

 リズベットは肩を竦めて首を振る。正しく何が起こっているのか分からないという顔だ。あれは本人としても予想外の事態だったようだ。更に言えば火力が出たのは相手がスケルトンだからではなく、三発目が急激に威力上昇した、と。

 

「……ラグナロクをモデルにしているのか? あれはミョルニルに耐えるヨルムンガンドの強大さを表すもの。でも、むしろ世界蛇を三撃で倒したと見れば――」

「あの~、レント? ちょっと、説明してくれない?」

 

 ぶつぶつとした独り言の解説をリズが頼んでくる。

 

「ミョルニルは北欧神話に登場する雷神トールの武器ですが、トールは基本的にミョルニルの一撃必殺で敵を殺します。そのミョルニルでも三発の攻撃が必要だったのがヨルムンガンドです。ですが、逆に言えば三発ミョルニルを当てて生き残れたものはいないんです。そこをモデルにして、流石に即死効果ではないでしょうが、三撃目にボーナスが乗るのではないか、と」

 

 ヨルムンガンドは有名な怪物だ。リズベットもこの説明で一応の納得はしたようだ。

 

「ま、由来は関係ないわね。結局は三発殴れば強い! それさえ分かってりゃ良いでしょ」

 

 使い易くなったとリズベットは笑う。少しずっこけかけたが、確かに使うだけなら何も問題はない。それに三発で強攻撃というのは一つのリズムとなって分かり易いだろう。ただのエンハンスと麻痺付与だけでない強みとなる。

 

「じゃあさ、レントのは何なの?」

 

 ユウキが今度は僕に尋ねてくる。

 口で言うだけでは伝わりづらそうなので、僕は実演しながら《光剣クラウ・ソラス》の性能の解説を始める。

 僕の手の中でスルスルと光剣は小さくなっていく。そして短剣ほどの長さで、厚みも幅もない刺剣のような刃を持った、ボールペンほどの太さで拳に収まる長さの柄に鍔のない剣となった。

 

「エクストラスキル《フォトンクォンタム》。見ての通り、剣の形状データを変更可能というだけのスキルだよ」

 

 次に巨大化させる。刃はALO開始当初のキリトの剣のような長さに太さ、いわゆる一咫ほどの厚みを持った物になる。柄は両手で持たねばならないほどの太さと某狩りゲームの大剣並みの長さだ。鍔はそれらに合わせたサイズの物ができる。刃の造りは変わらなくとも、その印象は大きく変わりもうランスと言った方が近いかもしれない。

 

「この範囲内でなら刃の長さ、太さ、厚さ、柄の長さ、太さ、鍔の有無とそのサイズ、それから剣の重さをそれぞれ別パラメータで調節できる。一番軽くすれば短剣くらいで、一番重いと僕でも片手で持つのに苦労するくらいだね」

 

 この能力の異常な点は、やはりそれぞれを別パラメータで扱えるところだろう。つまり最大サイズにしながらも最軽量状態というのが可能なのだ。

 そしてどのパラメータも、上限下限は片手剣の範囲を逸脱している。僕が持つのに苦労する重さ、それは大斧並みかそれ以上になる。

―――密度的に一体どんな金属を用いているんだか……。

 

「へ、へぇ。でも、それがどうしたらあんなダメージになるのよ」

 

 なんか微妙な顔をしているリズベット。たしかに今の説明だけでは解りづらかったかもしれない。だから僕は実演してみせることにした。新たに出現した敵を的にして。

 

「まずは遠心力を利用するためにある程度の長さは確保しつつ振り易さを考慮した形にして、重さは最軽量に」

 

 言葉の通りに光剣を調整し、スケルトンとの距離を測る。

 

「まあ分かるでしょうけど、残る手順は思いっきり振って当たる瞬間に重くするだけ」

 

 助走も含めて全力で剣を振る。遠心力で剣が抜けそうになるが、それを耐え抜いてスケルトンに剣が当たる瞬間に重さを最重に。

 ALOでの威力計算は剣の性能、プレイヤーのステータス、()()()()()()()()()()が基本となる。軽い状態のマックススピードのまま重い物をぶつけるという最も簡単な破壊力の出し方、それを実践しただけなのだ。

 思った通り光剣が当たったスケルトンは木端微塵となる。何度か試して最適な配分を学んだのだ、威力は最初よりも上がっている。

 更に光剣の形の調節も入れている。刀の幅と厚みの数値を入れ替える。すると柄の先が九十度回転したようになる――手元の柄も回せば通常の剣と同様に使える――。こうすることで普通に斬りつけると剣の腹で叩いたこと――打撃攻撃――になり、剣としての使い易さを保ったままで打撃武器へと変わる。

 それらの性質を説明するとシノンがぼそりと呟いた。

 

「……何よ、それ。チートじゃない」

 

 ……それはかなり心外な一言だった。思わず言い返す。

 

「いや、そもそもこれは僕の《脳内タブ操作》があるからできる技だよ。本来は剣のシステムウィンドウからのパラメータ調整用だから、戦闘中に変更できるとは想定していなかったんじゃないかな?」

「そう、でも結局チート級であることは変わらないじゃない。貴方と組み合わさることでって条件がつくだけで」

 

―――っ。

 今日はいつもよりも更に氷に似た冷たさがある。声が凛としていると言えば聞こえは良いが、端的に言えば当たりが強いだけだ。

 反論を加えようとしたが、僕の言葉はキリトの先制攻撃の前に姿を見せないままに散った。

 

「良し! あったぞ、ゴール! 痴話喧嘩もそこまでだ」

 

 敢えて後半には触れない。必死になったら負けだ。こういった冷やかしはスルーするに限る。

 キリトは自分の発言が流されたことなど気にしない様子で先導していた面々に自分の先を示す。

 そこにあったのは重そうな鉄扉。そしてその手前にいる二体の鎧武者。鎧武者は雑魚のスケルトンとは違って全身甲冑で面頬までつけているため、中に何が入っているかの判別はつかない。それぞれ反対の手に鉾を構え、腰には刀を佩いている。

 

『そこで止まれ、不作法者共』

 

 二人の鎧武者は鉄扉の左右に控えており、揃って獲物の鉾を下段に構えた。

 

「しゃ、喋った……!」

 

 クラインが動揺を示すが、この霊城はその仕組みから言ってかなり長く使い続けるつもりで作られているので、この程度のギミックは備えられていて当然だろう。

 社交性に富んでいる――現実の環境ではどうしても発揮できないが――ユウキが一歩前に出て鎧武者に話しかける。剣は鞘へと仕舞い一見すると無抵抗なようだが、実際はいつでも剣を抜ける体勢でいるあたりユウキも手慣れてきている。

 

「それは勝手にこのお城に入ったこと? だったらごめんなさい。まさか貴方達みたいな人がいるとは思わなくて」

『ああ、嘆かわしい』

『ああ、情けない』

 

 鉾の構えを崩さずに鎧武者は代わる代わる語り出した。

 

『望まぬ間に城に攻め入る、それを行うのは強者であろう』

『知らぬ間に城に潜み込む、それを行うのは間者であろう』

「えーと、つまり、ボク達が忍び込んだから怒ってるの?」

 

 相手が望まないときに攻めるのは戦の基本。そう鎧武者は考えているのだろう。だからこそ気に入らないのはそこではないのか。しかし、鎧武者は否定する。

 

『それは誤りだ、乙女。我らは哀しんでいるのだ』

『それは間違いだ、小娘。我らは嘆いているのだ』

『城が万全であれば貴様達は大軍で攻め寄せたであろう。ならば気づけた』

『兵が精強であれば貴様達は少数で破り難かったであろう。ならば察せた』

『精鋭たる貴様達を無礼者と為させたのは』

『勇猛たる貴様達を卑怯者と為させたのは』

 

『他ならぬ我らが不徳の為すところなれば!』

『不肖我らがこの身をもって汚名を雪ごうぞ!』

 

 そう言うと二人の鎧武者は鉾を揚げ鉄扉の前で交差させる。金属の刃が擦れて高い音が鳴った。

 

「……」

 

 ユウキはどうすれば良いか分からず、やや怯んでいる。鎧武者は最初こそユウキに反応してみせたが――プリセットされた言葉でないため驚くことに言語エンジンも搭載されているのだろう――、それ以後はほとんど自己完結――二人だが――していた。そこに他者の意見を必要とはしていない。鎧武者は対話しているようで、逆に一切の会話を拒否していた。

 クラインがユウキの肩に手を置いて前へ出た。

 

「――俺の名はクライン。まずお前ぇらのことを考えてなかった、そのことは謝らせてくれ。その上で()()()()()、お前達の覚悟、受け止めてやるよ!!」

 

 スッと刀を抜き、正眼で構える。その目は真剣そのもの、正に武士のようであった。

 

「俺はキリト」

「アスナ」

「レント」

「シノン」

「リズベット」

「ユウキ」

 

 各々が名乗り武器を構える。七対二は卑怯かもしれない、しかし全力でさからないことの方がこの場では許されざることだった。

 僕らの声に応えて鎧武者も音を発する。

 

『我らが名を失くし、どれほどの時が経ったか』

『我らが自らを忘れ、どれほどの時が流れたか』

『故に、我らは武技で語る! 我が存在を!』

『故に、我らは武具で描く! 我が覚悟を!』

 

 鎧武者が交差させていた鉾を地に叩きつけ、土の床と金属の刃が火花を上げる。それが開戦の合図だった。

 鎧武者は左右に別れる。大きな鉄扉の前の空間は前後左右十分な広さがあって剣戟も余裕で行える。それこそ二組でも三組でも。

 僕らもそれに倣って二手――いや、三手に別れる。キリト、アスナ、リズベットの三人と、僕、ユウキ、クラインの三人に。そしてシノンは両集団から一定の距離を保って援護の態勢を取る。

 僕らの組は右手へと飛ぶ。左側のことは一旦頭から追い出して、対峙する敵のことだけを考える。何かあれば両方を視界に入れるシノンがこちらに伝えてくるだろう。

 大見得を切ったクラインが先陣を切る。その左を僕が、右をユウキが固めて鎧武者へと走る。

 鎧武者は左手のみで鉾を大きく回す。それを躱してクラインが左斜め下へと踏み込む。低い体勢からの斬り上げは、しかし鎧武者が右手で抜いた刀によって防がれる。

 動きを止められたクラインの更に左から、僕が鎧武者の側面へと斬り掛かる。鎧武者はそれをサイドステップで躱し、同時に左手の鉾で薙ぐことでユウキの接近を防ぐ。

 鎧武者が動いたことでスペースを確保できたクラインは、前転して鎧武者の足元へと滑り込む。鎧武者は鉾を足元へ返そうとするが、ユウキの踏み込む動作に牽制を受け、右手の刀も僕の斬りかかりに対応して鍔迫り合いとなる。両手が塞がった鎧武者は辛うじて蹴りによってクラインを遠ざけようとするも、クラインは刀を動かさずに自由を確保し鎧武者に足払いをかける!

 蹴りで片足重心となったタイミングでの足払い。それにタイミングを合わせて、僕とユウキもそれぞれの剣を刀と鉾に打ちつける。この三点攻撃を受け鎧武者は後ろへと倒れる。

 しかしこの鎧武者も只者ではない。倒れると判断した瞬間に自ら身を倒して速度を確保、そのまま受け身を取って後転して立ち上がる。その隙を突こうにも、左手の鉾による一見乱雑に見える払いが巧妙にこちらを近づかせない。

 鎧武者が再び距離を詰めてくる。その前にユウキが立ち塞がり、刀と鉾による時間差攻撃を掻い潜って胴を斬る。それでも怯まない鎧武者に、僕の膝を使って跳び上がったクラインが斬り下ろしを見舞う。手元でユウキが身を回転させて斬りつけるのを無視して鎧武者は刀をクラインの刀に合わせる。鉾で宙を薙ぎクラインを狙うが、クラインは逆に鉾の広い刃に足をつけて二段跳びをする。そして鎧武者の背後に飛び降り、振り向きざまに勢いを乗せて水平に斬る。鎧武者は視線も向けずに、背後に回した鉾の柄でそれを受け止めた。

―――火力が足りないッ!

 クラインの攻撃は片手で止められ、ユウキの通常攻撃は軽さの余り見逃されてすらいる――距離が詰まり過ぎてOSSの発動モーションも行えない――。

 僕もスペルによる攻撃を行うが、魔法属性に対する耐性は高そうだ。つまりはソードスキルによる爆発的火力も抑えられてしまう。

 光剣によって斬りかかる、と同時にユウキが後方へと飛びスイッチする。間断ないクラインの攻めも鉾で全て防がれてしまい、手詰まりなのか一旦クラインも距離を取る。

 鎧武者の意識が全て僕に集中する。鎧武者は僕だけを見据えて、鉾と刀による同時攻撃で僕に襲いかかる。しかしそれが僕に到達する前に鎧武者の頭が後ろへ流れ腕が止まる。その兜にはシノンの矢が突き刺さっていた。

 無論、その隙を逃すはずがない。鎧武者の膝に足を置き、鉾の上を走るようにして跳び上がる。空中で体勢を整えて、OSSを、放つ!

 僕の跳躍に遅れて追ってきた刀と鉾、それらを三発の突きで弾き、弱点部位である頭部に残りの斬撃を叩き込む!

 そして僕のOSSとほぼ同時にクラインのソードスキルとユウキのOSSが放たれる。前、後、上、三方からの閃光の連続に鎧武者はその膝をついた。

 両手から得物を取り落とし、首を差し出すような形で鎧武者は動きを止めた。

 

「はっ、はぁ」

「これで終わりかぁ?」

「だと、良いですが」

 

 数瞬遅れて、左手からも一息つく声が聞こえた。そちらを見やれば同様に鎧武者が跪いていた。

 動かなくなった二つの甲冑から同じ言葉が響いてくる。

 

『『我らが命果てようと、主君までは行かせまい』』

 

『『我らが命を糧にして、さあ、今こそ霊城よ目を覚ませ!』』

 

 そして二つの甲冑は塵となって消滅した。

 鎧武者達の台詞を警戒し、僕らは円陣を組んで周囲を見張る。すると迷路の方に大きく動きがあった。

 僕らがいる鉄扉の前の空間を除いて迷路の床が落ち、壁から巨大な針が大量に飛び出てきて壁を埋め尽くす。それは見ればすぐに分かる。迷路の中で彷徨う者を問答無用で足元の奈落へと叩き込む仕掛けであった。

 

「これは……、あの二人が倒されると発動するギミック、ってこと?」

「ああ、多分そうだろうな。迷路は何グループも同時に攻略できるが、こっから先は一チームだけってことだ」

 

 アスナとキリトが呟く。キリトの胸ポケットからユイが出てきて解説を加えた。

 

「はい、その通りです、パパ。さっきの鎧武者は一つの言語エンジンを分け合って使っていたのですが、撃破された後、その言語エンジンはこの霊城内の別のNPCに引き継がれました。そして鎧武者が倒れると同時に霊城も外から侵入不可、正確に言うとアルブヘイム内でない場所に転移しました!」

「そりゃ随分と大掛かりだな……」

 

 誰かが鎧武者を倒した瞬間――恐らく霊城を攻略するか、撤退するまで――、他者は攻略が不可能になる。霊城に侵入していたとしても、壁に取りつけなくした上で床を抜くというコンボで奈落へ落とし――恐らく落下ダメージで確殺なのだろう――排除する。

 

「そうね。まぁでも誰が迷路にいたかなんて分からないんだから先に進みましょ」

 

 リズベットがきっぱりと言う。鉄扉に最初に向かったのはユウキだ。この二人はムードメーカーなところがある。

 

「じゃあ、開けるね」

 

 鉄扉をユウキが開く。システムで規定されているので、どれだけ重く見えても――開くものなら――開ける意思を見せれば勝手に開いてくれる。

 鉄扉の向こうには上へと伸びる石段が続いていた。




 二話で一階層……。長くなるなぁ(棒)。無駄に壮大なダンジョンに設定したのは間違いだったかッ……!


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#68 霊刀-絡繰

 さあ、三日目だ! 休日という名の執筆時間。よって明日からは……。どうぞ。


 石段を上った先は、一階と同じように通路が伸びる階層だった。

 

「ここが第二階層ね。……床が抜けてなくて良かったわね」

 

 全くだ。ここで床が抜けていれば手詰まりだった。一階層の天井が残っていたので大丈夫だとは思っていたが。

 石段を上ってようやくきちんと中に入れたのだろう、足元が土でも石でもなく木になっている。前に長く伸びる通路を含めて視界に敵影はない。

 

「……なんで敵がいないんだろうね。さっきの二人の台詞的に一杯待ち受けているんだと思った」

「いや、目を覚ませって言ったのは『霊城』に対してだよ。……最初は霊城に染みついているアンデッドっていう設定のスケルトンが大量出現だと思ってたけど、違うみたいだね」

 

 皆、一歩も踏み出さずに会話する。

 クラインが言った。

 

「――なぁ、ちょっとシノン弓()ってくれね?」

「……了解」

 

 シノンが矢を放つ。矢は床に刺さる。

 もう一射、今度は少し遠くに。矢が刺さった一帯の床が開いた。一階層が見え、一階層の床もないため奈落が見える。しばらくすると床は元のように一見普通な状態に戻った。

 

「……うーん、これは……」

 

「「「「「「忍者屋敷」」」」」」

 

 満場一致だった。

 

「また面倒な……」

 

 鉄板と言える罠は全てあると思って良い気がする。しかし床が抜けるのが最も嫌な罠だ。一階層の床もないため確殺トラップになっている。

 僕は一歩を踏み出した。シノンが止めようかどうか悩んでいるのが目に映る。

 

 フッと息を吐く。

 

 僕は――駆け出した。後ろで皆が驚いているのが伝わってくるが、それは気にしていられない!

 右足を踏み出す。左足を踏み出す。床の反発が違う。体重をすぐに右に移動し右足を踏み出す。左足を離した瞬間にその辺りの地面が消える。

 視界の隅で壁が煌めいた。スライディングのように滑る。頭上を三本の矢が通過した。滑った先の床が抜ける。観音開きに開いていくため床自体は垂直に残る。それを足場に跳び、落ちかけた体を復帰させる。

 そこで僕は止まった。皆がいるところから大体三十mほどだろうか。周囲の床に罠が仕込まれていないことを確認する。僕は置いてきた皆に声をかけた。

 

「どうぞー!」

 

 三十mを隔てて罵声が飛んでくる。勝手に行くな、何考えているんだ、そんな内容だろうか。三十mの壁で聞こえないことにしよう。

 僕が通った箇所を同じように六人が追ってくる。全員が一流のVRゲーマーだ、一度見て抜け方を確認した罠にかかるほど間抜けではない。しかも後続になるにつれて抜け方もスマートになっていった。

 追いついた面々が責めるような目線をこちらに向けてくる。僕は笑顔を向けた。

 

「床は感圧式だろうけど、反応までタイムラグがある。壁に仕込んであるのは動体感知かな。これは、まあ、所詮は定点からの機械弓だから避けられる。銃弾が飛んでくることはゲーム的にないから安心しても平気。残りの鉄板は壁が迫ってくる、石が転がってくるとかかな。そっちはきっと逃げ場が準備されているから大丈夫」

「ねぇ、私達が言いたいことがそうじゃないってこと分かってやってるでしょ? 殴るわよ?」

 

 シノンが怖い。ボキと拳を鳴らす。本当にいつから武闘派になったんだか。

 

「……こういうところを抜けるには割と確実な方法だと思っえる。VR適性から言って、罠の初動に最も敏感なのはきっと僕だから。安全策を取っただけだよ。それに僕なら落ちても最悪復帰手段があるから」

 

 氷の城の崩落のときのように、そう言葉にはせずとも伝える。あのときのようにロープを繋いだ矢を放ってもらえば、復帰もより楽になる。

 その僕の言い分に、シノンは一応納得した姿勢を見せる。だがやはり若干納得していないようだ。

 

「じゃあこうしないか? みんなで少しずつその役目を交代しながら進む。それで負担は分け合えるだろう?」

 

 キリトの提案に皆が一斉に頷く。

―――本当に、この人達は。

 この行動で最もリスクを減らせるのは僕だ。それは皆間違いなく分かっている。しかしその上で誰かに負担が集中することを厭う。戦闘中の策ならまだしも、通常の探索では特に。

 今度はキリトが先導して先へと進む。突き当りまでやって来ると道がU字型に曲がった。顔を見合わせて、アスナが駆け出す。次はシノンに。再びの突き当り、からのU字カーブ。

 

「……まさか端から端まで走らせるつもり?」

 

 ユウキの呟き。七人分の溜め息が重なった。

 ユウキ、クライン、リズベット。そこまで走ったときに風景が変わった。

 今までは漆喰や木の壁で細かく区切られていて遠くは見通せなかったのが、突然とても見晴らしが良くなったのだ。その理由は簡単。目の前に大きく――それこそ今までの道幅十本分ほどだ――正方形のように()が開いていた。

 穴からは当然下が見下ろせる。そこから一階層を覗けば、入口と鉄扉が左右の逆の位置に見えた。それぞれへの距離は同じくらいだ。つまりここは大体中央に位置しているということになる。

 全員が同様に見下ろし、奈落に視線が吸い込まれて身震いして穴から離れる。僕は一人、上に視線を送った。そこには第三階層の木製の床が見える。

 穴の周囲を見ると、第一階層と第二階層の間の床はそれほど厚くない。ここから第三階層の床を突き破ってショートカットはできないものか。思案する僕をシノンが小突いた。

 

「ほら、次は貴方の番でしょ」

 

―――ま、流石に許可されないか。

 ダンジョンを破壊して進むのはご法度だ。きちんと攻略するならばやるべきではない。

 そこからは穴のこちら側だけで同様の道が続いた。片道に要する人数が一人になり、前進はスピードを増す。

 途中に跳ね上がる床があった。その天井からは落下物。素早く身を屈めて跳び退く。

 床が反転して棘床となった。強く踏み切って跳び越える。

 左右の壁が飛び出してきた。道の中央を通っていたのでさしたる妨害ではなかった。

 前方から巨石が転がってきた。クラインが一刀の下に切断し事なきを得た。

 他にも吊り天井、刃物の雨、起き上がる刃などなど……。

 それらの全てを潜り抜けてようやく次の階へと続く扉まで辿り着いた。既に全員肩で息をするような状況だ。VRでは呼吸は必要ないのだが、精神的に疲労したのだ。

 クラインが息切れしつつも扉を開けようと近づき、扉を押した。しかし開かない。

 うん? とクラインが首を傾げ、今度は肩から押す。しかし開かない。

 そこでクラインは扉の脇に何やら『押』と書いてあるスイッチがあることに気づく。それに手を伸ばそうとした。

 声をかけようとするが間に合わない。

―――このタイミングでのそれは罠でしょう、クラインさん!

 しかしクラインが手を伸ばす前に、その前を凄い勢いの矢が飛んだ。

 

「はぁっ、はぁっ、ほんと、クライン、落ち着いてって」

 

 それを放ったシノンは本当に辛そうだ。それもそうか。罠は後半になるにつれて密度も難易度も上がっていた。特に最後の先導者はシノンだった。その疲労は抜け切っていないのだ。

 それでもシノンはクラインを止めた。今回のMVPに入るかもしれない。

 クラインを制止した矢はそのままスイッチに刺さり、扉が開くと同時にスイッチの前の床も抜けた。つまりクラインがあれを押していたら、霊城の攻略はやり直しに近かったということだ――霊刀を望んでいるのはクラインなのだから――。

 

「お、おう、悪ぃな」

 

 クラインも今ので肝を冷やしたか、幾分か冷静になって謝意を告げる。

 数分待機し全員の息が整うのを待ってから、クラインを先頭に忍者屋敷の第二階層に別れを告げた。

 木製の階段を上った僕らの目の前に現れた光景は、第一階層とも第二階層とも大きく違うものだった。

 第一階層は迷路、第二階層は忍者屋敷。どちらにせよ空間は細かく通路に区切られていた。それがこの第三階層、いや()()()()()()()()()では大きく変わっていた。

 第四階層の中央は大きく正方形にくり抜かれて吹き抜け構造となっており、その周囲を第四階層の残骸とも言える回廊が巡っている。第三階層の壁際は至る所に木製の梯子が備えつけられていて、自由に第四階層に上がれるようだ。

 そして吹き抜けの中央には、第四階層まで貫通しなければならない理由の持ち主が存在していた。

 現在は胡坐を掻いているために頭頂部も第四階層に達していないが、立ち上がればその体は第五階層の床に触れかねない大きさである。そして何よりの特徴は()()()()であること。

 

「阿修羅……!」

 

 そう呟いたのは誰だったか。声からすれば、きっとアスナだろう。

 そんなことを考えている内に阿修羅が閉じていた瞼を開いた。

 

 

グオオオオォォォォォオオ!!!!

 

 

 会話をする気がなかったとしても理性的であった鎧武者達とは違う、ただただ獣のような咆哮であった。

 その咆哮には猛烈なスタン蓄積があり、七人全員の動きが止まる。その間に阿修羅は素早く胡坐を解いて立ち上がった。

 僕らが体の制御を取り戻したそのときには、阿修羅は既に六本の腕にそれぞれ炎が形になったような刀を携えていた。その内の一本をこちらに向けて振るった。

 

「散開!」

 

 キリトの言葉に従って僕らは七方に跳ぶ。僕らがいた場所に、青白い凝縮されたエネルギーが着弾し炸裂する。

―――これは、気刃って言うのかな?

 気刃は恐らく阿修羅にとっては通常攻撃と変わらない。モーションに気負いとでも言うべきものが一切存在しなかった。

 

「今の攻撃、恐らく全部の斬撃に付与できます!」

 

 そう叫びつつその場を跳び退く。気刃が僕の後ろを通り過ぎていった。阿修羅の足元に駆け、その足首を薙ぐ。地団駄を踏む阿修羅を避けつつ、HPバーを確認する。阿修羅の持つ三本のHPバーに傷は視認できなかった。

 阿修羅の顔の一つに閃光を纏った矢が当たる。それは当たった場所から大きく氷柱を発生させて爆ぜる。その攻撃でようやく阿修羅のHPバーにドットほどの傷がついた。

 

「今のが私の最大威力よ! 硬過ぎでしょ!」

 

 シノンの叫びは回廊から聞こえる。早くも梯子を上ったらしい。そして声があった場所に気刃が二つ迫った。それが着弾する前に水色の髪は避難する。

 広い空間を活かして、翅で跳びながらクラインが阿修羅の肩にソードスキルを当てる。キリトは膝に、ユウキは腰に。アスナは三人に刀が向かないよう阿修羅の腕三本に拘束魔法を放っている。数秒の隙にソードスキルは当たり尽くした。

 一本の腕は跳び乗ったリズベットを振り落とすことに夢中のようだが、リズベットは順調に二発雷撃を食らわせ、三発目に加えてソードスキルを合わせて目にも鮮やかなエフェクトを散らせる。

 僕は短時間で放てる最大威力の魔法を、大きな的である腕の二本に放つ。無事にクリティカルが発生して腕の動きを封じた隙にキリト達は離脱する。

 六人が互いを庇い合ってそれぞれの最大攻撃を叩き込んだ。どれも阿修羅はノーガードに近い。しかしフル攻勢が終わっても、阿修羅のHPは一本目の五%も減っていなかった。

 そのことを嘆く暇もなく阿修羅の攻撃が始まる。

 六本の腕は素早く振るわれ、阿修羅の付近の空間には近づくことすらできない。副次的に発生する気刃が第三・第四階層を乱舞して僕らの動きを封じる。回避に徹しなければ避けきれない。気刃自体の速度や大きさもさることながら、炸裂による範囲攻撃が厳しい。素早い腕の動きによって気刃は絶え間なく生成される。六本腕が忌々しい。

 阿修羅の三面は回廊上に死角を作らず、それは床上に対しても変わらない。死角となるのは気刃の雨で近づけない阿修羅の足元か、斬撃の嵐の影であろう。つまりこちらは常に捕捉されていると言っても過言ではない。

 その気刃の嵐の中、攻撃を仕かけられるのは僕とシノンとアスナの三人のみ。

 アスナが放てる水属性の攻撃魔法、シノンの射撃に僕の攻撃魔法。そのどれも有効打にはならない。硬過ぎるのだ。阿修羅に大ダメージを与える手段を僕らは一切持っていなかった。

 阿修羅の斬撃は止まらない。止まる素振りすら見せない。この絶望感は《ザ・センジュカンノン》と対峙したときに似ている。

 そんなとき、僕は一つのことに気がついた。

 真上に第四階層の床が存在しない部分、つまりは吹き抜け部分の床の色が違うのだ。光の加減だと思っていたのだが、どうやら実際に違う。その部分だけ茶色よりも黄土色に近い色合いだった。

―――なるほど。

 思い出すのは第二階層、僕が第三階層の床を抜こうと考えたときのこと。階層の中央に位置する大きな正方形だ。そう、この色が変わっている吹き抜け部分の真下はあの大穴なのだ。第二階層の穴は途中で確実に目にする位置にある。これは狙われた配置なのだろう。

 要するにこの阿修羅は正攻法で倒すのではなく、床を抜くことで排除することが正しい攻略法なのだ。

 それ(攻略法)さえ分かればこちらのものだ。

 僕は一瞬の隙を突いて、阿修羅の足元の床に攻撃魔法を放った。それと同時にキリトも足元の床にソードスキルを撃ち込む。

 僕らの異常な行動に皆の意識がこちらに向いた。僕とキリトは気刃の爆裂音に負けないよう叫んだ。

 

「床を狙え!」

「阿修羅を落とします!」

 

 僕らの声が果たして届いたか、それは分からないが皆は言葉の通りに行動を始めた。アスナと僕、シノンの遠距離攻撃が可能な組は回廊から攻撃することで気刃が第三階層に集中するのを防ぐ。近接組は気刃の合間を縫って一撃離脱を行う。

 結局、どれだけ攻撃を重ねたことか。それでも阿修羅のHPを削りきるよりは簡単だった――もしかしたらHPバー一本分程度だったかもしれない――。最後の引き金を引いたのは阿修羅自身。阿修羅の気刃が炸裂すると同時に、ミシという音が確かに響いた。

 僕らはそれが聞こえるや否や吹き抜けからできる限り距離を取る。ミシという不快な音は段々と大きさと頻度、長さを増していく。

 そして阿修羅が再び大きく咆哮すると、その咆哮の振動で完全に床が落ちた。

 色が変わるところから中央部が少しずつ陥没していき、あるところでその継ぎ目に隙間が生まれる。その隙間は正方形の周囲を圧倒的なスピードで走り、一周する。木製の床は重力に従って第二階層へと落ちていく。

 阿修羅は落ち始めると周囲に逃げようとした。しかし、回廊に阻まれて前進することはできない。これがただの人型であれば回廊に掴まれたかもしれないが、阿修羅という構造は前に張り出ている分しがみつくことは不得手で、重心が後ろ寄りなせいでバランスを崩して落ちていった。

 第二階層の大穴を通り抜ける。第一階層は床だけが抜けたため壁は残っていたが、その壁も一緒くたに阿修羅の体重は持っていく。大きく崩壊する音が聞こえ、少し速度が落ちただけで変わらずに阿修羅は奈落へと落ちた。

 しばらくして僕らの前にホロウィンドウが出現した。リザルト画面が表示されるということは無事に撃破できたのだろう。

 散り散りになっていた七人で合流し、顔を見合わせて大きく安堵の息を吐いた。

 

「このダンジョン、ムズ過ぎね?」

 

 クラインの発言は何の返答も得られなかったが、それは結局ただの無言の肯定であった。




 これで一気に第二~四階層までクリア!
 第二階層は本来チキンレースからの助け合い(ファイト一発的な)で何とかクリアするものでした。阿修羅もレイドボスと言うべき実力だっただけなので、一パーティでなければ正攻法も可能でした。まあ、阿修羅は落とすのが間違いなく手っ取り早いし正しい攻略法なんですが。


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#69 霊刀-落城

 微妙に間に合わなかったぁ。
 前話・前々話のタイトルにミスがありました、申し訳ありません。そーっと修正しました。では今話です、どうぞ。


 第四階層の回廊の一角に第五階層へと続く道はあった。細いがしっかりとした木の階。それを七人で順番に上る。

 最上層となる第五階層はそれまでの階層と比べるべくもなく狭かった。建造物としてはとても自然だが、霊城は上に行けば行くほど狭くなる。第一階層の迷路は空間を操作されていたが、それ以後はそのような様子は一切見受けられなかった。第一階層も後から見返せば外見通りの大きさに戻っていた。

 第五階層の、学校の教室ほどの広さの板の間の中央では、一人の甲冑姿の武士が胡坐を組んで瞑想していた。

 こちらの七人が揃って横一列に並ぶとその武士――いや、武将は目を開いてこちらを見た。

 

『来たか、兵ども。余がこの城の主……《カグツチ》である』

 

 今度はクラインも話したことに動揺はしない。鎧武者達から移動したとされる言語エンジン。それが阿修羅に用いられていた様子はなかった。必然的に、この霊城の主が言語エンジンを備えていることになる。

―――これは実験なのかな?

 鎧武者たちは同時併用的に言語エンジンを使用していた。更には一つの言語エンジンを全く別のNPCに移譲してみせた。このどちらも他では見ない取り組みであり、この霊城のNPCはその被検体なのだろう。

 しかしそんなことはこのNPCの持つ雰囲気とは何の関係もない些事だ。

 正に歴戦の強者と言うべき風格。瞑想をしているときは何も感じていなかった。それがただ瞼を開くという動作だけで、阿修羅の気刃に匹敵する圧力をこちらに与えてきた。いや、違うのか。それだけの剣気とでも言うべきものを、自らの内に閉じ込める行為が瞑想だったのか。

 

『ここまで侵入を許すなど余も初めてのこと故な、何か粗相があったとしても流せ。して、お主らの目的はこの霊刀であるか? それともこの城か? もしくは……この首か?』

 

 カグツチは脇に置いていた刀を手に取って尋ねた。唾を飲み下してクラインが答える。

 

「その、霊刀だ」

『はっはっは。で、あろうな。既にこの城が朽ちて幾程経ったろうか。然様な城を望むべくもない。お主らを見れば判る。余のことなど露ほども知らなかったのであろう。ならば余の首を望む武芸者でもない。霊刀(これ)が望みであることは明白であったか』

 

 随分と饒舌だ。少し毒気を抜かれる。

 

『無駄話が長くなるのは老人の必然だ、許せ。人と言葉を交わすなど真に久方振りでな。だが安心せい。余もこの刀をそう易々と渡すわけにもいかぬでな、尋常に刃を交えようぞ』

 

 のそりという擬音が似合いそうな動きでカグツチは立ち上がる。だがその動作に音は存在しない。金属だらけの甲冑姿で物音を立てない、まるで無声映画のような違和感を覚える。

 カグツチは刀を鞘から抜く。現れた刀身は()()()()()。鞘を投げ捨て、刀を中段に構える。露わになっている双眸がまるで炎が宿ったかのように光った。

 

『構えよ』

 

 その言葉で僕らはようやく戦闘を思い出した。それぞれが得物を構える。始まりの合図は、やはりカグツチからだった。

 

『参るぞ』

 

 言葉と同時にタッという軽い音がする。一拍遅れて、クラインが踏み込んできたカグツチと鍔迫り合った。

 カグツチの動きが止まった瞬間に残りの六人は散開する。シノンはカグツチから可能な限り遠くへ、ユウキとキリトは右回り、僕とリズベットは左回りでカグツチの背後に回る。アスナは世界樹の杖を構えつつ、常に細剣が抜けるように警戒を怠らない。

 

『良い動きだ。信頼関係が見て取れるな』

 

 カグツチは一瞬力を抜いて軽々とクラインと距離を取る。そして構えた刀を血振りでもするかのように振るった。

 刀を燃やしていた炎が刀から解き放たれる。紅く燃える炎は、刀から少し離れたところで鳥の形へと変わった。

 

キィェェェェ!

 

 鳥が鳴く。火の鳥、霊刀に宿っていたから霊鳥と呼ぶが、霊鳥は炎が燃え盛る音に混じって鷹のように鳴いた。そして距離を取っていたシノンに向かって飛ぶ!

 慌てずに迎撃したシノンの矢は、しかし炎で構成される霊鳥の身体をすり抜ける。

 最初の突撃をシノンは前転で躱す。すぐさま切り返した霊鳥の追撃。それは僕が斬り払うことで防いだ。霊鳥は矢は避けないが剣は避ける。

 

「……これは、近接攻撃限定かな?」

 

 アスナによる水属性魔法の攻撃は霊鳥の前で蒸発して消え失せた。どうやら近接のみが有効打撃のようだ。

 

「シノン、頼んだよ」

「了解」

 

 カグツチとの戦闘は四対一で継続している。だが苦闘していることは間違いない。アスナの回復魔法が既に何回か発動している。シノンによる援護は必要だろう。

 ゆえにこの厄介な鳥は僕が一人で抑える。きっと刀に戻れば今度は刀が何かしら特殊な効果――阿修羅の気刃のような――を発揮するに違いない。今のカグツチの相手でさえ精一杯なのにそれの対処が増えてはいよいよ勝ちが薄くなる。

―――大丈夫、六人なら勝ってくれる。

 ただそう信じることだけが僕にできることだ。

 霊鳥、そう呼称したが、実際そうとしか考えがつかない存在だった。

 カグツチは確かに刀を霊刀と称した。霊刀と言うからには何かしら霊的なものが秘められている。それは今のところ最初に燃え盛っていた炎とこの鳥でしか表れていない。そして刀に宿っていた炎とこの霊鳥はイコール関係だ。

 この霊刀は、霊鳥という霊を宿すから霊刀なのだろう。ならば果たして霊を単体で撃破できるのだろうか。

 ましてや霊刀はクリア報酬なのだ。ここで霊を撃破――霊を刀から葬る――ことができてしまったら、それは霊刀の喪失と同義ではないか。それはありえない。

 よって霊鳥の単独での撃破は不可能。霊鳥にダメージを与えても――近接攻撃は避けるためダメージ計算はされているのだろう――、カグツチのダメージとして共通で扱われている可能性が高い。またこういった場合は本体の方がダメージ効率が良い――分体相手だけでは倒しきれない――可能性が高い。

 要するに僕の力でこの霊鳥を排除することは、システム的に不可能な可能性が非常に高いのだ。そしてそれは、六人がカグツチを倒してくれるまで、この霊鳥を相手に持久戦を行わねばならないことを意味している。

 ありがたいことに霊鳥はカグツチ本人から最も離れた位置にいるプレイヤーを第一の攻撃対象とするようで――だからシノンが狙われたのだ――、離れて戦えば囮としての役目は十分に果たせる。

 しかしこの霊鳥が難敵だった。

 その攻撃手段は大きく分けて二つ。突撃を中心とした近距離の直接攻撃と、炎を飛ばす遠距離攻撃だ。

 直接攻撃は恐れるほどのものでもない。突撃の速さは目を瞠るものがあるが、それでも最高速のリーファよりは遅い――空間が狭いことも関係するだろうから飛行能力の比較はできないが――。予備動作も翼を大きく引き寄せるという分かり易いもので軌道も直線的だ。広い場所なら大きく円を描くように飛ぶことで曲線的動きもできるのだろうが、猛禽類の常として狭い環境での小回りは利かない。

 その嘴や爪での斬撃や刺突に近い攻撃も、翼による打撃攻撃も、至近距離でなければ当たらず、剣の間合いの方が広いためそもそも有効射程に僕が近づかせない。

 それに比べて圧倒的に警戒すべきなのが遠距離攻撃だ。

 鋭い目から視線上に放たれる熱線、羽根状の炎を羽ばたきに乗せて撒き散らす放射攻撃、口から火炎を吐き出す火炎放射――これには大小の二パターンある――、突撃の際に自らの身体を燃やして生み出す炎属性の追撃、自らを中心に火球を爆発させる範囲攻撃、とその多彩さは本当に驚嘆に値する。

 そして何より恐ろしいのは、それらの攻撃の予備動作がほとんど同じだということだ。

 その場でホバリングして体に力を込めると、見てからの反応が難しい直線的な熱線、口を中心に扇状に広がる火炎放射――それも広範囲か狭い範囲かのどちらかは分からないもの――、前方の広範囲に回避不能な密度で放たれる羽根の三種類のどれかが放たれる。そう、どれか、なのだ。

 VR適性に物を言わせて視たが、本当に同じ動作で、攻撃の判別がつくのが攻撃開始の刹那。それでは羽根放射であった場合、回避が間に合わず大打撃を受ける可能性が捨てられない。羽根は見かけの密度はさほど高くないのだが、実際には羽根と羽根の間に人が通れる隙間が存在していなかった。

 もう一つの予備動作は旋回しながら宙に上り炎を纏うというもの。そこから火球か追撃をばら撒く突撃が放たれる。恐らくそもそもとして、炎を纏った後にそれを爆発させるか維持して突進するか、という一連の動作なのだろう。ならば纏うところまでは同一だ。

 突撃ならば纏わないときと同様に簡単に見切れるのだが、突撃だと油断して近づいてしまえば爆炎に呑まれる。

 したがって遠距離攻撃の予備動作が行われたとき、僕はすかさず距離を取らなければならないのだ。だが余り距離を取り過ぎると、今度はカグツチに近づきすぎて囮の役目が果たせなくなって――他の六人にタゲが移って――しまう。

 この霊鳥、広い場所でこそ輝くと最初は思っていたが、実際にはこの狭さが霊鳥を有利にしていた。

 何とか攻撃を凌ぎつつ、数度目の突撃を敢えて剣で受け止める。

 質量のある鋭い炎の爪が剣と高い音を立てて衝突した。

―――熱い!

 炎の塊と言うべき霊鳥は、近づくだけで厳しい環境を押しつけてくる。鍔迫り合いの現状、僕の顔が受ける熱量は軽くサウナを超えていた。

 霊鳥はその爪で光剣を掴むと、大きく頭を引いてこちらに嘴を突き出してきた。それを首を傾げて避ける。

 そしてこのタイミングで霊鳥が予備動作に入り、体に力を込めた。それは熱線、火炎放射、羽根放射のどれかへと繋がる。至近距離ではどれも致命的だ。

 しかし僕はそれを狙っていた。光剣のサイズを一気に増大させ、伸びた刃によって霊鳥は不意討ちを食らう。剣自体が太くなったため霊鳥は爪で剣を掴むことができなくなり、飛び立った。

 予備動作の阻止に成功したのだ。

 具体的には不意討ちを加えた辺りで体から力が抜けた。それが予備動作の終わりと見るべきだろう。その後に素早く飛び去ったのだ。

 ここから予備動作は、ダメージを与える、もしくは別の体勢を取らせることで阻止できると分かる。

 

「さてここからは攻勢、かな?」

 

 この霊鳥相手に様子見は良くない。慎重に戦ってもじわじわと炙られてしまう。

 だからこその攻勢。予備動作を取らせる隙も与えずに攻め続ける。

 思い切り斬りかかれば――光剣は元に戻した――、霊鳥はそれを爪で受け止める。先程とは逆の構図。だが今回は鍔迫り合いには持ち込まない。そのまま爪に刃を滑らせて下に潜り込む。下からの回転斬り上げ。それは高く飛ばれることで避けられる。

 そこから炎を纏う予備動作。一旦僕は攻撃魔法を放つ。それは炎の前に蒸発するが、蒸気を目晦ましとして僕はその場から転がる。

 光剣を伸ばして棒高跳びの要領で宙に浮き、霊鳥と同じ目線を得る。そして空中で《ホリゾンタル》を放つ。一撃のみのソードスキルだが、これも《リニアー》と同じで使い易い。

 それを脇腹に受けた霊鳥は体勢を崩し炎は飛散する。

 体勢を崩した霊鳥を僕は見逃さない。単発の突撃系ソードスキルで距離を詰める。刃で横殴りにして予備動作すら起こさせない。

 僕との距離が開いた霊鳥は、今度は無事に炎を纏ってこちらへ突撃してくる。

 僕は光剣の長さを伸ばす。そして《バーチカル》。炎の熱さすら感じない距離で光剣と霊鳥は激突する。

 炎を纏った霊鳥と光を纏った光剣。その激突は両者共に大きく弾かれ纏ったものを失くす結果となった。だが僕はそれを望んで放ったのだ、万々歳である。

 単発ソードスキルの硬直は皆無に等しく、僕は弾かれたばかりの霊鳥に詰め寄る。霊鳥の威嚇のような鳴き声。阿修羅のものとは比べるべくもなく、当然だが怯むはずがない。

 しかしここでも霊鳥は強かさを見せた。威嚇というのは自分が劣勢になったときに発されるものと思い込んでいた。霊鳥はそこを突いて、僅かに油断したこちらの心の隙間にその嘴を差し込んでくる。

 霊鳥の急加速に対応できず、霊鳥の嘴が左脇に突き刺さる。右手に構えた光剣を左肩の霊鳥に突き出すも、既に離脱されていた。

 霊鳥は距離を取って楽し気に鳴いた。

 

「……やり返してやった、と」

 

 チリと頭の奥で音が鳴った気がした。

 ダンッ、そう音がするほどに強く床を踏み切る。今度は光剣も使わないただの跳躍力で霊鳥に到達し、そのやや上を取る。

 霊鳥が少し驚いたような気がした。

 宙で起動したOSSを叩き込む。牽制の三発は、人間より横幅が広い原因の翼に当たる。上からの打撃で霊鳥は床に向かって落ちる。それを自由落下に加えてソードスキルのブーストで追いかけ、追い抜き様に残りの斬撃を撃ち込んだ。

 床には僕の方が先に着陸する。霊鳥はダメージとノックバックで、宙に留まることができずに無様に床に落ちる。

 

ドンッ!

 

 その炎の体からは想像もできない重い音がした。バウンドするように霊鳥は宙に戻るが、その頃には既に僕の技後硬直も終わっていて、未だにやや目を回しているような霊鳥に肉薄する。

 ソードスキルを乗せずに素の状態で斬撃を三本刻む。翼と尾羽を斬り落とすような線は、間違いなく鳥型mobの弱点部位だ。

 今度こそ間違いなく、霊鳥は苦悶の声を上げた。

 

『戻れ!』

 

 そして更なる追撃をかけようとしたとき、板の間にカグツチの声が響いた。

 その声と共に霊鳥はただの炎へと溶け、炎は大きく渦を巻きながらカグツチの手元の刀に吸い込まれた。

 カグツチへと目を遣る。霊鳥との格闘に夢中になっていたがために確認できていなかった戦況は。

―――ナイス!

 そのHPバーは残りの一本の半分を切っていた。近接組の五人だけでなく後方支援のシノンやヒーラーのアスナまでもが肩で息をしているが、欠けた者もHPが危険域の者もいない。

 

『……ふはは、ふふ、ああ実に楽しい。余はこの城でもう朽ちるだけだと思っていた。だが、お主らのおかげで最期にこれほど楽しい死合ができた。感謝するぞ』

 

 既に満身創痍なのだろう。少し回らない呂律でカグツチは零した。

 それに対し、クラインは言葉も出せずにいた。だがその瞳は強い闘志を示す。

 カグツチは少し頭を振ると、再び炎を纏った霊刀に手を翳した。霊鳥が弱っていたからか、その炎は最初に比べるととても小さくなっていが、カグツチが霊刀を撫でると炎は再び激しく燃え盛り始める。

 そしてもう一つ変化があった。それはカグツチのHPバーが目に見えて分かるほどに目減りし始めたこと。

 

『これは、余の奥義だ。必殺などとはとても名づけられたものではない。これを出さざるを得なくなったとき、それは最早負けているに等しいのだからな。つまりな、これはただの足掻きだ。醜い、醜い、な』

 

 自嘲するようなその口振り。クラインは皆に下がっているように手で示してから、口を開いた。

 

「醜くなんかねぇよ。むしろ綺麗過ぎて眩しいくらいだぜ、その炎」

『はっはっは、そう言ってくれるか、名の知れぬ武士(もののふ)よ』

 

 その言葉で、刀を構えたクラインがハッと目を開く。また目を細めた。

 

「こりゃ失礼。――俺はクライン、ただの侍さ」

『余はカグツチ。畏れ多くも火の神の名前を戴いた者だ』

 

 二人は同時に踏み込んだ。互いの右足が板の間を滑る。炎を纏った霊刀と、クラインの持つ刀が交わる。

 一合、二合、三合。

 交わる度にクラインに剣創が増える。HPが削れていく。しかし同様にカグツチのHPもまた、自然に減るよりもペースを上げて減っていく。

 最後の一撃。

 クラインの左下からの逆袈裟。カグツチの右上からの袈裟斬り。それは噛み合うことなく互いの身を削り、……カグツチのHPバーだけが黒く染まった。

 

『……お主とは、もっと長く戦っていたかったものだ。はは、持っていくが良い、この霊刀を――』

 

 そう言うと、刀を遺してカグツチの体は塵へと変わっていった。




 ここでの言語エンジンの実験がOSの100層ボスとユナに活かされてます!(裏設定)
 今回の投稿はここまで! 霊刀獲得編でした!


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#70 光弓-思案

 お久し振りです。アニメ四期ということで帰ってきました! と言ってもまだまだほのぼのゲーム話なんですけどね。霊刀編の少し後です、どうぞ。


~side:シノン~

「クソッ、この、チッ」

 

 今の私の顔、決して人には見せられるものではない。口汚く罵りながら顔を歪める。不機嫌そうに。それでも心の中から湧き出てくるどうしようもない空しさ、悲しみは消えなかった。

 突然だが、このALOにおいて弓という武器はとても冷遇されている。『種族の影妖精(スプリガン)、武器の弓』というのがALOにおける二大不遇巨頭だ。

 だが影妖精は前回のデュエルトーナメントにおいて好成績を残した。ベスト八に二人――『元』を含めれば三人――も食い込んだのだ。翻って弓は、結局私がベスト十六に残っただけ。更に言うと本戦に出場したのも私だけだ。

 あのトーナメントの後、『弓なのに強い』と多くの人に称えられた。私のことを特別に記憶した人間も多いことだろう。

 だがそれでは駄目なのだ。『弓()()()強い』ではなく『弓()()()強い』にしなければ。この感覚、きっと最初にBoBを見たときと同じだ。忘れかけているが、最初の動機には『強くなりたい』だけでなく『スナイパーライフルを認めさせたい』というものもあった。

 GGOにおいてスナイパーライフルは一般的に支援用、もっと言ってしまえば()()()()用という認識がされていた。一人では何もできない、と。それを否定はしない。スナイパーライフルの本領は遠距離からの支援攻撃であるし、スポッターがいないスナイパーは戦力が大きく落ちる。よって単独戦のBoBでは、一対一の実力を競うBoBでは、その姿を見ないのも当然だった。

 それが私は不満だった。勝手な思い込みで私の愛銃を見下すな、私とこの銃の限界を他人が決めつけるな、と。だからBoBに出てその固定観念を壊したかった。

 結局スナイパーライフル使いのBoB出場者がほとんどいない現状は変わっていない――本戦に出たのは忌々しい《sterben》くらいではなかろうか――が、それでも『スナイパーライフルだって使い手によれば強い』という認識に変わってきている。『()()()()スナイパーライフルなのに強い』という認識ではない。この違いは非常に大きいものだ。

 ALOにおける弓の扱いは、GGOでのスナイパーライフルのそれよりも圧倒的に酷い。

 有効射程距離は近接武器以上魔法攻撃以下。これはある程度納得できる調整だ。私の腕なら遥か遠くでも当てられるがダメージは出ない。元からHP制のALOにはGGOの一撃死――数多のGGOプレイヤーでも可能なのはレントくらいだろうが――のような裏技は存在しない。

 弾速は魔法攻撃に遠く及ばない。SAO上がりでないプレイヤーですら、遠くからなら余裕を持って避けられるだろう。加えて、空気抵抗や重力の影響で弾速はどんどん落ちていく。魔法に対しては物理法則が働かないのだから、この一点だけでかなりの欠点だ。

 命中率もまた魔法攻撃に劣る。それは魔法攻撃に搭載されているホーミングが存在しないからだ。ほぼ全ての遠距離魔法にはある程度の方向補正が発射後に働く――レントは敢えてそれを失くすことで速度を上げているが――。ところが放った矢が曲がるはずがないということでその機能が弓にはつけられていない。理由自体には納得できるのだが、弾速が遅いこともあってそれでは狙いをつけることすら難しい。

 自分の手で弓を引いて放つALOの弓はそもそも命中させるのが難しい。GGOからの輸入で射た後の矢の軌跡が弦を引いている間は射手の視界に表示される――GGO同様有効射程まで――のだが、当然目標が遠くになればなるほどそんなラインは見えなくなるし、人の手によるのだから放つ瞬間のブレが激しい。GGOの銃は引き鉄を引くだけだからそれほどブレないのだが、弓の軽さがこの点では大きな短所となる。

 遠い目標の動きを想定、矢の速度と物理法則や環境条件を計算に入れてか細いラインをお供に狙いをつけ、しかしそこまでしても発射の際の手ブレでラインとズレて狙った場所に飛ばない、つまりは当たらない。手元が一度ズレれば最終着弾点は一体どれだけズレることか。考えるのも嫌になる。

 遠くに飛ばせば飛ばすほど速度は落ちて避け易く、威力は落ちてダメージは伸びず、命中率は落ちてそもそも当たらない。

 だから安定して運用するなら近接戦に持ち込むのが良い。

 

「ふっざけんじゃないわよ!」

 

 何のための遠距離物理攻撃だ!? 近接戦をするならば近接武器の方が簡単で、もちろんダメージも稼げる。弓を使う理由がいよいよなくなった。

 遠距離攻撃は基本的に魔法にのみ許された攻撃だった。よって魔法防御が高い相手に対しては遠距離攻撃ができなかったのだ。そこに現れた弓は待望の物理属性の遠距離攻撃。そこが弓の強みなのだ。それを捨ててどうする。

 更に、実は上に挙げた理由の他にも魔法攻撃に劣る部分が弓には存在する。それは『矢』の存在だ。

 GGOでも弾薬費というのは常にプレイヤーの頭を悩ませる問題だ。私のヘカートのような代物は特に。そしてそれはALOでも変わらない。かなり廉価であることは事実なのだが、自然回復するMPを用いる魔法に比べれば弓は圧倒的にコスパが悪い。

 また別の問題として矢がストレージを圧迫することが挙げられる。弓を安定して運用するには大量の矢が必要だが、ダンジョン攻略に行くのにストレージを満杯にして向かう阿呆がどこにいるのだ。私のALOでの主な悩みは矢の費用ではなくこちらだ――いつものメンバーでの高効率な狩りで蓄えはあるのだ――。

 弱みが多過ぎるのだ、弓という武器には。ところが強みは唯一の遠距離物理攻撃武器であることだけ。遠距離魔法の強みにはMPという土台が同じであるため支援魔法も熟せるという点が挙げられるのに。

―――そりゃ不遇よね。

 運営は調整が下手糞か。

 そんな現状では弓を使う者はほぼいない。いたとしても周囲からの勧め、という名の圧力で転向する。

 そして弓使用者がほとんどいない状況で弓必須な重要クエストやダンジョンやボスを実装すれば炎上は免れず、そういったものが実装されなければ必要性の薄さから弓使用者は増えない。ある種の負のスパイラルである。

 私はこのALOの『弓不遇』という環境を変えたい。最早『不遇』というよりは『ネタ』に近い扱いすらされるのだ。許せるだろうか、いや、少なくとも私は絶対に無理だ。

 樹々を飛び回っていた足を一旦止め、大樹の太い枝に腰を下ろす。

 大きく溜め息を吐いた。

 

「…………はぁ」

 

 帰宅後すぐにALOにログインして水妖精の領地の森林で虐殺(スローター)に勤しみながら考えるが、良い案は一切思いつかない。

 私がいくら強くなろうとも、私ではなく弓が強いと認識されなければならない。スナイパーライフルのときは私が使って結果を残すことで認識を変えた。だから同じようにしようと考えたのだが、デュエルトーナメントでその夢は崩れた。

 近接戦に手を出してもみたが、それは直接弓とは関係のない戦闘技術であって弓の強みとは言えない気がする。

 かと言ってアウトレンジからの支援に徹してみたところで、火力が出ないのはどうしようもない。それはカグツチ戦で痛感した。あの戦闘で私の支援が役に立っていたとははっきりと口にできない。

 弓での支援――というよりは遠距離攻撃一般――はやはりヘイトを散らすことや、敵の予備動作を潰すことに重点が置かれる。短期間の爆発的火力ではなく、敵の行動を封じてじわじわと仕留めるのだ。

 だがカグツチ戦ではそれを上手く熟せなかった。ダンジョン攻略の連戦で矢の残数に不安が生まれ、圧力をかけきれなかった。カグツチのような高性能なボスの初期動作を潰すにはそれ相応の威力が必要で、それを行うのに矢は多く必要とされる。私たちのパーティは高火力近接パーティだからヘイトを遠距離戦で稼ぐのは至難の業で、矢の本数が足りなければそれは不可能となる。

 どうしても溜め息が漏れる。弓という武器に火力が足りないから矢を浪費してしまい、矢を浪費してしまった後ではなおさら威力が落ちて役割を果たせない。手詰まりだった。

 私は、自惚れるわけではないがALO最高の射手だと思っている。そしてカグツチ城は特別長大なダンジョンではなかった。その条件ですらあのざまだ。弓の普及は遠過ぎる目標なのだと思い知らされた気分だ。

 弓。VR適性S組(レント、アスナ、キリト)が手をつけていない武器種。その独特過ぎる特性を私はいたく気に入った。ただ扱いづらいだけのような仕様も私の実力を試されているようで心が躍ったのだ。事実、会心の一射を放てたときは常に嬉しさで悶えている。

―――どうしてこの良さが分からないのかしらね。

 単純な武器としての強さだけではない奥深さが面白いのに。今は冷遇されていたとしても、使用者人口が増えれば待遇も改善するだろうに。

―――なんて、弓仲間を増やせていない人間が言ってもしょうがないか。

 一旦心が落ち着いたので、もう一度ストレス発散兼特訓であるモンスターの虐殺を始めようか。

 

******

 

 今日はこのくらいにするか、そう思い始めた頃に私は一本の不思議な大樹を見つけた。

 この森林の樹は全体として大きい。リアルに生えていたとすれば車道を一つ塞いでしまうような太さだ。高さもそれに見合ったもので、所々から張り出した枝でさえも車一台ほどの大きさはある。

 だがその樹のおかしなところは大きさではなかった。その大樹には洞があったのだ。他の樹には存在しない洞が。

 思わず近づいた。枝を飛び移りながら、洞の前にある枝に着地――地ではないが――する。すると突然洞から声が聞こえてきた。

 

『そこな、妖精よ。こちらに、来い』

 

 思わず体が跳ねる。洞の中から聞こえてきたその声は、しゃがれていて弱々しかった。

 恐る恐る洞へと足を進める。そして洞の中へと足を踏み入れた。外との明るさの違いに一瞬視界が奪われる。それに過敏に反応してしまい、反射的に腰を落として弓を構えた。

 

『はは、そう、構えるな』

 

 目が慣れれば洞の中も見渡せる。そこは居心地の良さそうな調度品で固められた居間であった。その中心に、安楽椅子に座り膝掛けをした老人がいた。

 

『この体では、外に出られぬでな。わざわざ中に呼び、すまなんだ』

 

 椅子の中にあってもその老人が非常に衰えていることは分かった。背中は曲がり、指は節くれだっている。背中の歪曲のせいもあって首で頭を支えるからか、肩周りは固まっているようで、それらを合わせて動きづらそうにしていた。

 

「いいえ。それで、私を呼んだのはどうしてかしら」

『まあ、そう急くな。まずは、自己紹介からだな。儂の名は、《ケルビエル》。かつて、主の御許で力を振るった者。今は、ここでただ朽ちるのを待つだけの老骨よ』

 

 老人はケルビエルと名乗った。それに目を開く。私はその名に聞き覚えがあった。

 《ケルビエル》。聖書に登場する天使の一人だ。そしてその天使は《光弓シェキナー》の所有者でもある。私はかつて《光弓シェキナー》――伝説級武器の方だ――の由来を調べてその名を知ったのだ。

 《光弓シェキナー》は《霊刀カグツチ》同様、早くから存在を知られていた伝説級だ。それも運営からこういった伝説級武器があるという例で挙げられたのが初出である。しかしその知名度は決して高くない。……何もかも弓が不遇なためなのだが、必死に探す者もおらず、情報は今まで一切なかった。

 私も事前情報に欠けているため、冗談で口にしたりもしたが、のんびりと探すだけに留めていた。だからここで身体に力が入ってしまったのも仕方がないだろう。

 

『何だ? もしや、儂を知っているのか?』

「……僅かに、真偽の定かでない情報ですが」

 

 このALOにおいて全てが聖書の設定通りとは思えない。様々な付け足しやら改変が行われているはずだ。だがそれでも高い地位――聖書においては第二階位の智天使の長だ――にいることは変わらないはず。私の口調は自然と敬語になっていた。

 

『なるほどな。だが、敬う必要はない。儂は既に、一線を退いて久しい。何の権威も、力もない老いぼれなのだからな』

「――なら、私に何の用があるのか教えてもらえるかしら」

 

 ケルビエルにはクエスト受注可能であるというアイコンが出ている。私の発言が受注意思と取られたようで、ケルビエルは話し出した。

 

『儂はかつて、主よりある《力》を賜った。儂はそれを大切にしておる。だがな、主はその《力》を、皆のために用いよと仰られた。今の儂ではその命は到底果たせぬ。だが、気づいたのだ。そも、儂一人の人生でできることなど、高が知れているとな。であれば、この《力》を皆のために用いるならば、分配するべきだとな』

「……それで私に目をつけたの?」

『うむ、多少言い方は悪いがな。この《力》は限られている。儂の矜持でもある故、一人に一部を譲るのみだが、どうにも譲る相手が、見繕えずにおってな』

 

 老人は話し過ぎたのだろうか、少し苦しそうに咳き込んだ。思わず駆け寄りそうになるが、ケルビエルは片手をふるふると振って拒絶を示した。

 

『儂は、何にせよもう長くはない。それで、お主さえ良ければ、お主に譲りたいのだが』

 

 私の前に浮かぶウィンドウ。『YES』『NO』の二択。文面をさして見ずに迷わず「ええ」と口にした――ウィンドウのボタンを押すか発声することで回答したことになる――。だが少なくともクエスト受注画面ではなかった。

 

『そう、か。お主は良しとするか。だがな、儂には条件があってな。この《力》は強力だ。扱いを間違えれば、一部と雖も災いとなるだろう。故に、お主を試そうと思う』

 

 今度こそ、クエスト受注ウィンドウが浮かんだ。『クエスト《智天使の試練》を受けますか?』。

 

「構わないわ。望むところよ」

 

 ウィンドウはなくなり、ケルビエルのアイコンはクエスト受注可能からクエスト受注中へと変わる。

 

『ならば、良い。では、ついて来い』

 

 ケルビエルは膝掛けを取り払って立ち上がった。よろよろと洞から出ていく。私はその後を追った。

 私が着陸した枝の中央辺りにケルビエルは立つと、こちらに手を向けて留めた。

 

『そこで、少し見ておれ』

 

 そう言うとケルビエルは体に力を込める。何をするのかと見ていたが、ケルビエルの身体が段々と光り輝いていき、直視できなくなる。

 腕で目を庇い、その隙間からケルビエルを見る。

 ケルビエルの曲がった背中が盛り上がっていく。服を突き破って、四本の骨のようなものが腰の少し上から飛び出す。それは鮮やかな黄金色をしていた。

 骨と思っていた細長い物体は、ほろほろと解けていく。広がってみればその正体が判る。それは黄金の翅であった。

 そして翅が大きく広がると同時に、一層ケルビエルから放たれる光が強くなる。視界がホワイトアウトし、再び取り戻した視界に老人は立っていなかった。

 代わりにそこに立っていたのは、高身長で薄い金色の長髪を備えた壮年の美丈夫だった。

 

『はっはっは、決して謀ったわけではないのだ。そのような目で見るな』

 

 声にも張りがあり、楽し気に笑う姿からは先程の老人の面影は感じられなかった。だが先程の様子を見る限りこの男性がケルビエルで間違いないのだろう。

 

『我とてあの姿でいたいわけではない。だがあれが今の我の真実の姿であるからには仕方がないのよ。この姿であるだけで我は命を消耗する。はっはっは、というわけで早々に向かうぞ』

 

 ケルビエルは黄金の翅を大きく広げ、枝から飛び立った。私も慌ててその後を追う。

 ケルビエルは悠然と飛ぶ。恐らく最高速で飛べば私は追いつけないだろう。こちらを急かしつつも気遣いを忘れないのは、その見た目も相まって非常に紳士的である。

 黙々とどこかへと飛ぶケルビエル、しかしその横顔はとても満足気であった。

 

『やはりこうして風を切るというのは気持ちの良いものだ。洞の中ではどうも腐ってしまって堪らん』

 

 それに何か返そうとしたとき、ケルビエルは一気に急降下した。口を開くタイミングを逃したままケルビエルに続いて――今度はきちんと地面に――着陸した。

 ケルビエルは降り立った場所の側の樹に近づき、樹の皮を何度か撫でた。すると樹の足元の落ち葉がごそっとなくなる。

 私はぎょっとしてそこを覗いた。足元の地面はただの黒い穴となっていた。先日即死する穴を見たばかりなので恐る恐るそこから離れようとした瞬間、私は穴に突き落とされた。

 犯人は誰か、そんなもの考えるまでもなくケルビエルだろう。罠だったかと考えたのも束の間、今度はケルビエルまでも私に続いて落ちてきた。つまりこれは罠ではなくただの移動手段である可能性が高い。

 念のために翅をいつでも広げられるようにしつつ待つこと数秒、穴の角度が緩やかに曲がっていき、遂には水平となる。慣性で残りの部分を滑ってどこか開けた場所に私の体は投げ出された。

 身を回して受け身を取りつつ、次に出てくるであろうケルビエルの方へ弓を向ける。

 

『くっふふふふふ。すまない、人と会うのは久し振りでなっ。少々驚かしてやりたくなったのよ。くはっ』

 

 猛烈に殺意が湧いたが、同時にその純粋な仕草に害意を削がれる。結局は無事で済んだことであるし、私は大きく息を吐きながら弓を下ろした。

 

「で、ここは何なの?」

 

 私の疑問に、にんまりとしながらケルビエルは答えた。

 

『ここは、私だけが知る訓練場だ』




 アリシゼーション編ですが、少しずつ書き始めていきたいと思っています。ただその際は別作品として投稿したいと思っています。投稿を始めたときは、どうかよろしくお願いします。


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#71 光弓-試練

 先週のSAO見損ねたぁ……。見逃し見よう……。ではいつでも読める小説を、どうぞ。


 洞窟、と言って良いかは定かではないが、穴を通じて辿り着いた場所はとても暗かった。その中で発光しているケルビエルの翅だけが明るい。

 自らの翅で虚ろに照らされたケルビエルは、洞窟を大きく腕で示しながら言った。

 

『ここは、私だけが知る訓練場だ。ここで試練を受けてもらう』

 

 そう言うと、ケルビエルは虚空に手を翳した。掌の先にポッと光が浮かぶ。ケルビエルがそれを握る素振りを見せると、光は縦に伸びて弓のような形に変化した。

 光が固まらないために不定形なその弓を、ケルビエルは構える。新しく光が矢の形に生まれてそれを番え、光る弦を引き、瞬きの間に三本の矢を放った。

 光り輝く矢は壁に当たり、それぞれが壁に開いた別々の凹みに刺さって火を灯した――油でも引いてあるのだろう――。それは特殊な火のようで、通常のものよりも遙かに明るい。それによって洞窟の中がはっきりと見えるようになる。

 幅は約五メートルといったところ、高さは三メートルほど。奥行きは、目測で五十メートルくらいか。

―――狭いわね。

 弓を射るには狭い空間だ。リアルの弓道でも、確か遠的だと六十メートルほどは飛ばすはずだ。ALOにおいてはそれに加えて曲射も行う。距離はもっと必要だし、高さも必要だ。訓練場とするならば。

 

『くく、不満そうな顔よな。なに、老後の手慰みにそれほどのものは要らぬ故この程度なのだが、お主が望むならば少し作り変えようか』

「いえ、別に構わないわ。それより、そうよね。既にあるものに文句なんかつけるべきじゃないわ」

 

 頭を振って気持ちを切り替える。別にこれからここで戦闘を行うわけではないのだ。スペースの問題はしなくても良い。

 

「それで試練って何をすればいいのかしら?」

 

 ケルビエルを振り返って尋ねる。パッと見たところではただの伽藍洞で試練とやらの想像がつかない。

 私の視線を受けたケルビエルは一度指を鳴らした。すると伽藍洞の奥に五枚の人型を模したパネルが横一列に現れる。それぞれのパネルは頭部の上に更にもう一つ円を乗せている。

 

『まずはあれの頭の上にある円を射てみよ。ただし、私が射た順でな』

 

 言うが早いかケルビエルは先程の光る矢を五本射る。同時に五射したように見えたが、当たった順で言うならば右から二番目、中央、一番右、一番左、左から二番目の順だ。順番を指定するのは乱射で当てられることを防ぐためだろう。

―――ウィリアム・テルの逸話がモデルかしら?

 人型とその上の的。人の頭上の林檎を射抜いた彼の逸話から取ったのだろうか。だがそれだけでは簡単――あの逸話は勇気を示すものでもある――過ぎるからこうなったのだろう。

 

『それでは始めるとしよう。お主らの時間で、あー、一分だったか。それ以内に終えよ』

 

 今度は壁に円状に丸めて嵌まっている縄をケルビエルは射て火を点ける。それはちりちりと短くなっていく。あれがタイマー代わりということだ。

 今更この程度の難易度の試練で怯むことはない。ケルビエルもまずと言ったのだからこれ以上の難易度もあるのだろう。

 私は自分の矢筒から五本の矢を取り出し、全て番える。そしてそれらを一斉に放った。

 私が放った矢は、先程のケルビエルと同様に時間差を持って五ヶ所の的に的中する。

 ややドヤ顔でケルビエルを見るも、ケルビエルは一切動じずに『ふむ』とだけ言った。

 

『では次に行くとしようか』

 

 ケルビエルが再び指を鳴らすと五枚のパネルが倒れ、それと同時に奥の岩壁が二つに割れて左右にどき洞窟が伸びた。

 表情には出さないが、正直なところ非常に驚いている。これで十メートルほど洞窟の奥行きが増した。なるほど、隠してあったのか。

 そして二枚目の岩壁には、アーチェリーで見かけるような的が立ててあった。

 

『あの的を射よ』

 

 言われたままに矢を放つ。矢は真っ直ぐ飛んで的の中央に刺さった。

 

『次の試練だ。自らが放った矢を狙って射よ。制限時間は三分だ。始めよ』

 

 今度は先程の縄より少し長い縄に火が点けられる。

 ふんと私は鼻を鳴らした。まだまだ温い。現実では相当難しいのだろうが、いくら使いづらくとも流石に補正がかかっているALOでは易い試練だ。

 たしかこれはアーチェリーではロビンフッドと言うんだったか、そんなことを思いながら私は迷わずに射る。弓道における継ぎ矢の状態になって矢はその動きを停めた。

 今度もケルビエルは『ふむ』と言うだけで指を鳴らした。

 的が岩壁ごと左右に引っ込む。その先にあった光景に、今度は私も表情を変えてしまった。

 奥行きは今度は一気に四十メートルほど伸び、合計で百メートルほどか。その奥の三十メートル分には()が存在しなかった。代わりにあったのは()。深さがあるかは分からないが、一面に水が張ってあり激しく揺れ動いていた。狭い幅の内での波であり、壁に当たっては反射して後続の波を乱しながら崩れる。その繰り返しで波の動きは一定でなく、予測ができない。

 その波部分の上空は激しい風が吹き荒れている。これも吹き出ているのは一定方向なのだが、壁に動きを封じられたがために風が右往左往している。その余波で風がこちらまで届いてくる。

 そして何よりも目立つものは、その波の中で揺れ、風に揺らされる小舟だろう。船体と帆だけの簡単な造りの舟だが、そこには一本の棒が立っており、その上には扇が的のように乗っていた。

 

『三番目にして最後の試練だ。あの扇を射抜け。ただし、一度放った矢が完全に停止してから二の矢を射ろ。制限時間は五分だ、始め』

 

 溌溂と笑っていた姿はどこに行ったのか、ケルビエルはこの試練が始まってから感情の起伏を見せない。その冷たい口調で、予想通りの試練内容を告げた。

―――今度は那須与一!

 スイス、イギリス、日本の弓の名手にちなんだ試練の内容。最後だけ難易度の上がり具合が異常だ。

 激しく動く小舟、その上にある小さな扇。これには余裕をこいてもいられない。波だけですらその予測不能と思える動きで舟を揺らすのに、暴風はこちらの矢の軌道も大きく歪めるだろう。

 目を閉じた。

 はっきり言おう。攻略法は分かっている。

 これは逸話をモデルにした試練だ。そして那須与一はこれを達成している。そのときの鍵は『神への祈り』。そしてこのケルビエルは光弓シェキナーに関して事あるごとに『主』を引き合いに出している。天使としては当然のことなのだが、ただのゲームのNPCにしては多い。だからそこがクリアの鍵なのだろう。

 『主』に祈ればこの風は止み、波は途絶えるのだ。

―――悔しい!

 しかしそれでは私の弓の腕が負けたようではないか。それは悔しさ以外の何も生まない。光弓なんかよりも私の誇りの方が大事に決まっている。

 ギリと歯を食いしばる。

 瞼を上げて舟を見据える。既にタイマーの縄は五分の一ほどが灰になった。

 風を見、波を見る。舟の上下動、左右動を観察する。予測ができない? 甘えるな! このVR空間内のことなら全て、現実世界よりも簡易的な摂理に従っているのだ。それを見抜けずしてスナイパーを名乗るべきではない!

 見る。見続ける。私のVR適性はSではない。だが、だからと言って同じことができないというわけではない。私でも同等のことを熟せると、そう示すのだ!

―――でなきゃ、あの感情を乗り越えられない!

 目を見開く。余計な思考が削ぎ落されていくのが分かった。あれほどにも輝いていたケルビエルも一切視界に入らない。手を伸ばせば百メートル先の扇を掴めるような気すらした。

 風が、私の髪を揺らした。

―――五センチ左に揺れて、右に返って三センチ。

 髪が視界をその通りに横切った。

 矢を番えている気はしなかったが、今だと思ったときには既に手元から矢が放たれていた。

 私が放った矢は、大きく左に曲がり明後日の方向へと飛ぶ。それが漏れてきた風に乗って大きく浮き上がる。浮き上がった分、勢いを上げて斜め下へと落ちる。それは強烈な風に揉まれて地に落ちる前に再び巻き上げられる。氾濫する風に踊らされて今度は右サイドを飛ぶ矢は、左に右に、上に下に、少し後ろに戻ったことすらありながら舟へと近づいていく。

 果たして舟の方は。波に浮かび沈み、木の葉のように回転する。風に煽られて転覆間際までいったかと思えば、その反動で逆方向に倒れかける。だが確実にその上の扇は矢へと近づいていた。

―――三、二、一。

 心の中のカウントダウン。その数が零になった瞬間、矢と扇は磁石が引き合うように衝突した。矢は扇を貫き、扇は棒から飛び二つに割けた。

 それと同時に風と波が止む。水は波を生み出さずに凪ぐ。

 私の耳は突然拍手の音を受け取った。それと同時に視界に眩く光り輝くケルビエルが出現する。

 

『素晴らしい! まさかこれほどとは思わなかったぞ、妖精よ。この世界にもお主のような弓の名手が存在するのだな。……実に、感心である』

 

 試練の途中の素振りは露と消えて、楽し気に両手を打つケルビエル。その目は、しかし楽し気な様子とは裏腹に厳しかった。

 

『お主、この試練の真実に気づいていたのであろう?』

「……ええ。きっと、ってのはね。それとも何? それを満たしていないから私に光弓は与えられないと?」

 

 彼の譲りたい理由から考えれば、それも妥当な判断だろう。主の栄光を世に伝えるためなのに、主に一切の感情を持たない者に譲ってどうなる。これはある意味裏技で攻略したようなものなので、正規ルートではないためクリアと認められないと言われたらそれまでだ。

 

『いや、そんなことはないとも。確かに少々憎らしくはあるが、言ったことは違えぬ。それに我は天使であると同時に武人だからな。お主のような武芸者に褒美の一つもやらなければ気が済まないわ』

 

 そう言ってケルビエルは、はっはっはと快活に笑った。その様子に私も表情を緩める。この天使は想像以上に好ましい人格の持ち主のようだ。

 

『では、約束の主の御力だ』

 

 ケルビエルは、自らの非実体の弓に手を翳した。そこから光が段々と漏れ出し、ケルビエルの手へと集まっていく。そして十分に集まった光をケルビエルは握り潰した。光は掌から左右へと飛び出し、そして弓の形に固まった。

 

『ほれ』

 

 私に弓が渡される。その弓は粗雑な製造工程とは裏腹に、繊細な造りだった。

 大きく湾曲した弓は、輝く光がそのままに固体化したような形、つまりは所々が尖った構造となっている。その尖りも主張は強くなく、決して華美な印象も、過度な格好つけのような印象も与えない。鋭いがそれを感じさせない柔らかさがそこにはあった。全体の色は白から薄いクリーム色なのだが、光の当たり方によっては緑や青のような色にも見える。

 私はその弓に心を奪われていた。だが、すぐに我に返る。

 

「ありがとう、ケルビエル。この弓、大事にさせてもらうわ」

『何、我が遺したいと願っただけなのでな。……ところで、お主は《矢》が欲しくはないか?』

「――また、試練?」

 

 思わず口から言葉が飛び出した。光弓獲得の試練の次は矢獲得の試練なのか。

 

『いや。お主の実力は散々見させてもらった、これ以上を望むのは無粋というものよ。だが一つ頼みがあってな』

「何よ、頼みってのは」

 

 勿体ぶられるのは好きではないのだ。やや厳しめな声音の私にケルビエルは鷹揚に答えた。

 

『弓を作っただけで終わるかと思ったのだが、残りの力からまだ《矢》が何本か作れそうなのでな。この《矢》は何本も持っていて意味があるものではない。故に、他の者にも《矢》のことを伝えてもらいたい。我は人里に行くことを好まぬ。それを受けてくれるのであればこの《矢》を授けよう』

 

 そう言いながら、光弓と同じ手順で矢――色は薄いクリーム色だがこちらは一般的な形だ――を作った。

 

「良いの? たとえ受けたとしても実行するとは限らないわよ? それで渡して構わないのかしら」

『構わんよ。本来は実力を示したのだからこの《矢》は授けるべきなのだ。そこに少し頼み事を添えるだけだ。達されずとも致し方あるまい』

「……受けるわ、その話」

『はっはっは、良くぞ申した。そも、そのようなことをわざわざ聞く者が言葉を違えるとは思えん。気にせず持っていくが良い』

 

 ケルビエルは雑にその矢を放った。私の手の中へと真っ直ぐ飛んできたそれを、しっかりと掴む。ケルビエルはそれを見ると、黙って入ってきた穴の方を示した。

 

「じゃ、ありがたく使わせてもらうわね。……さよなら」

『うむ、さらばだ』

 

 翅を広げて、その穴から地上に向けて飛び立った。

 巨木の根元から飛び出ししばらく飛ぶと、周囲が見覚えのある景色に変わる。あのクエストを受けている間はインスタントマップに移行するのだろう。そうでなければ偶然あの地下空間に迷い込む人が出てきてしまうかもしれない。

 街に向かって飛びながら、私は新しい二つの武装のステータスを確認していた。《光弓シェキナー》と《光矢イグジスタンス》――シェキナーは伝説級だがイグジスタンスはただのアイテム扱いだ――。

 《光弓シェキナー》という伝説級武器の存在が公式から発表されていることを知った私は、《光弓シェキナー》というものを調べた。伝説級と謳うだけあって神話だったりの伝承が元ネタであることが多いからだ。カゲバミやカグツチのようにオリジナルなものも多いが、グラムやエクスキャリバー、クラウ・ソラスが元ネタがあるものの代表格だ。

 《光弓シェキナー》の元ネタは、聖書の世界観において智天使の長である《ケルビエル》が肩に具えるという弓――こういった伝承には異説が多過ぎるが――だと推察していたのだが、やはりケルビエルがクエスト発注主であったのでこれは確定と見て良い。そして件の伝承の弓は『神の栄光』を示すのだとか。

―――それで《ゴッズ・グローリー》ね。

 また『シェキナー』というのはヘブライ語だかで『(神の)存在』を意味する言葉が由来らしい。《光矢イグジスタンス》。イグジスタンスはexistenceで『存在』なのだろうか。

 存外単純な運営の命名方法に苦笑する頃には、私は街に到着していた。

 ふわりと中立都市に舞い降りる。

 それにしても光矢の情報をどうやって広げるべきだろうか。新クエスト発見と称して掲示板にでも投げてみるか。だがこの弓冷遇時代にたかが矢の情報が拡散されるとは思えない。私は真剣に悩んでいた。

―――この《光矢》の能力は捨てられない。

 これさえあれば現状を変えられる。だが、そもそもこれを手に取らせるまでが難しい。

 一旦はクエスト情報が集まるゲーム内掲示板にでも載せるかと判断して、ひとまずこの街の中心部に向けて歩き出した。しかし私の耳に一つの喧噪が入ってきて、その足はすぐ止まることになる。

 

「はぁ!? 弓だと!? なんであんな産廃にすんだよ!? 遠距離がいいなら魔法でいいじゃねぇか!」

 

 思わず口角が上がる。この叫び声からすれば、自らの武器に弓を望む新人と、新人の知り合いであるプレイヤーの言い争いだ。本人が弓を望んでいるのだから、その背中を押すような情報を携えた今の私なら弓の使用者を増やせるかもしれない。

 声が聞こえてきた方に向かって私は走り出した。

 

******

 

「だから! シノンさんは特殊なんだっての! あんな人、滅多に居ねぇっつーかお前じゃ無理だろ!?」

「やってみなくちゃ分からないじゃないか! 僕はGGOでもスナイパーライフルを使ってある程度は稼いでただろ! 忘れたか!」

「それが誰と組んでたお陰か覚えてねぇのはテメェだろ! ここじゃ組むのは俺だけじゃねぇんだよ! 俺だけならまだいいけど、他の奴らが納得しねぇっつうの」

 

 二人の男性プレイヤー。共にウンディーネだが、新人でない方は種族としては珍しく大柄だった。スキンヘッドの彼の見かけは恐ろしいが、よくよく発言を聞いてみればむしろ優しさすら感じられる。新人の方は一般的に言っても小柄で、スキンヘッドの彼と比べるとより小柄に見えるが、その優しさを知っているのか怯えた様子はない。その関係性はありがたかった。

 顔を突き合わせそうな二人の間に駆け込めば、二人の視線が私に向かう。私は新人の後ろに回り込んでその両肩に手を乗せた。

 

「なら、私に任せてくれない?」

「誰だテメェ……って、シノンさん!?」

「え、シノンさん!? 本当に!?」

「ええ。それで、しばらくこのニュービー君を私に預けてくれないかしら? その、()()()()ってのが納得するくらいまで育ててあげるわ」

 

 スキンヘッドの彼は逡巡しているようだった。新人と視線を交わした後に、ようやく口を開いた。私から新人の顔は見えないが、きっと視線で何かしらのやり取りがあったのだろう。

 

「……三日、丸三日だ。それ以上はやれん」

 

 三日。新しい武器種を習得する時間としては少な過ぎる。向こうもそう考えていたのだろう。

 

「構わないわ。それから、もし満足いかない結果に終わったなら新しいスキル枠分のユルドくらいは払うわ」

 

 だからこの返事は予想外だったのだろう。だがこの男は良い性格をしている。

 

「――四日後に俺らと集団デュエルをしてその戦いぶり次第で決める、ってことにしておく。他の奴らの説得はやるから、シノンさんよ、そいつは任せたぜ」

 

 仕方なさそうに笑いながらそう返してきた。




 しののん、前回から引き続きヤケクソです。誰か、ALOに弓の強化を……! いや、まあ、するなら私なんですけれど。それにヤケクソの理由は弓不遇だけじゃありませんしね。


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#72 光弓-指南

 はい、遅刻です。一週間と二日の遅れですね。この好きなことですら怠ける癖は何とかならないものでしょうか。どうぞ。


 巨漢の水妖精と別れて、私はその小柄な水妖精はと近くの喫茶店へと入った。

 

「さて、改めてだけど、私は《シノン》。よろしくね」

「はッ、はいッ! 僕は《モゼ》です! GGOの頃からずっとシノンさんのファンでした!」

「そ、そう。ありがと」

 

 漏れ聞こえていた会話からある程度察してはいたが、直接言われると何だか気恥ずかしい。

 それを隠すように飲み物を口に含みながら私は先を進めた。

 

「それで貴方、GGOでスナイパーやってたんだって?」

「はい。それで、シノンさんがこっちでやってるって聞いたんで、知り合いに誘われたのもあって、こっちに」

「じゃ、そのアバターはコンバートってこと?」

「はいッ」

「……ならSTR型なの?」

「はい」

「よし、それなら今日は取りあえず装備を調えるだけにしましょうか。明日から……って、貴方これから三日間どれくらい時間使えるの?」

「へへ。もう春休みですから、いくらでも使えます!」

「そう」

 

 春休み、その単語から彼が学生と呼ばれる身分であると分かり、指導する相手の年齢がさほど変わらないことに安堵する。流石に母親と同じような年齢の人間に上から教えを垂れるのは遠慮したい。

 喫茶店を出て馴染みの装備屋に向かう。リズベット武具店ではないが、武具以外も豊富に揃えている良店だ。良店というのは利益だけでなく適度に遊びがあって心地が良いという意味である。要するに、使用者人口的にまともに利潤が生まれるはずもない弓関連のものを置いているのだ。

―――まあ、私に気を遣っているんでしょうけれど。

 それか店長も弓が好きか。店長もGGO出身者で、私とはその時代からの縁なので十分にその可能性はある。今度尋ねてみようか。

 目的の店に向かうまで無言、というのは少し気不味く、私は口を開いた。

 

「今日は装備を確保、明日は基本的な弓の訓練をしましょう。それで明後日には応用訓練をして、最終日には実戦訓練ね」

「み、三日間つきっきりで見てくれるんですか!?」

「ええ。あんなことを言ったのは私だもの。そのくらいはするわ」

 

 春休みに入ったのは私も同様だ。そして彼らの会話に割り込んでまで無茶苦茶な要求をしたのだから私は尽力せねばならないだろう。

 そんなことを話していると目的としていた商店へと着いていた。『シューティング』という店名が掲げられた扉を開いて入店する。鈴の音がした。

 

「おっ、よく来たな。……また連れてきたのか」

 

 店主が少し呆れ顔をした。

 

「今回は前までとは違うから。彼本人が弓をやりたいって言ったの。私はその手伝いをするだけよ」

「へいへい。ま、上手くいくと良いな」

 

 店主が諦めたような声で笑った。

 今までも私は声をかけた人間をここに連れてきては弓を勧めて撃沈することが間々あった。それを思い起こしているのだろう。

 

「それじゃあ弓のルーキーセットよろしく」

「ん? おうよ」

 

 ここは弓使いを支援することを目的の一つとする店だ。きちんと弓を学ぶのに適した弓やら矢やらも取り揃えられている。更にそれらは値段も抑えられているので、弓を始めるのならばここに来るのが最善だと私は勝手に思っている。

 

「ここは一旦私が立て替えておくから、いつか返してくれれば良いわ」

「そ、そんな悪いですよ、シノンさん!」

「良いのよ、これは私にも利益があることだし。貴方は大人しく先輩の言うことを聞いておきなさい」

 

 そう言って装備の一式をモゼに渡す。

―――ま、取り敢えず装備はこれで良しとして……。

 問題は練習場だ。中々弓の練習をできる場所というのは限られている。そんなに都合の良い場所があるとは思えないが……。

―――あ、あったわね、一つ。

 自分の言を一瞬の内に反証して練習場所のあたりをつける。

 さあ、ここまで来たら後は練習あるのみだ。私はモゼを連れて《シューティング》を足早に飛び出した。

 

******

 

「ケルビエル、いるかしら?」

 

 私はモゼを連れて例の樹の洞へと来ていた。一応外から声をかけると中から返事が聞こえてきたので、私はシステム的に中の見えない暗い洞へと入る。モゼも不思議そうにしながら私の後ろに続いた。

 

『ああ、いるぞ。だが、どうしたのだ、妖精の射手よ。……後ろにおるのは、もしや儂の希望の者か』

「その可能性のある者、ってことにしておくわ。それで頼みがあるのだけれど」

『……推測するが、それは、訓練場か?』

「ええ、その通り。彼がきちんと育てば貴方の希望も叶えられると思うけど?」

『はは、そのようなこと言わずとも、儂が認めたお主ならばいつでも使わせてやるわ』

 

 背を丸めたままケルビエルは呵々と笑う。そして私に何かを放ってきた。それを取ってみれば、黄金の十字架であった。

 

『それが鍵じゃ。それを持っておれば、訓練場へは辿り着ける』

 

 コホと咳を零すケルビエルにそれ以上を話す気はないようだ。私は一言礼を告げて洞を出た。

 

「ちょ、ちょっと、シノンさん! あれはNPCですか?」

「ええ。でも、どうやら特殊なエンジンが搭載されているようね。それじゃ少し飛ぶからついて来て」

 

 ケルビエルはエクスキャリバーのときのウルズ達や、先日のカグツチ達のように言語エンジンが搭載されていると見て間違いない。これは伝説級武器に関する重要NPCの共通点なのだろうか。

 私はモゼが後ろにいるいことを確認しつつ、ケルビエルの洞がある枝から飛び立ちって例の地下訓練場へと向かった。

 大樹の根元、周囲よりやや落ち葉の層が薄くなっているところを見つけて、その上の樹皮を十字架を持った手でなぞる。そうすれば、早くも積もり始めていた落ち葉は再び消失し、底の見えない穴が表出する。

 

「こ、これは……?」

「この穴の先にケルビエル――さっきの老人が管理する地下訓練場があるわ。さ、行くわよ」

 

 私はモゼの手を引っ張ってその穴へと落ちる。先程のことを思えば、二人同時でも特に問題はないだろう。

 落ちながら、少し私は悩む。私が試練を受けたあの訓練場、試練のためならまだしもただの特訓のためにはいささか使いにくい構造だったと思う。正直なことを言えば、ただ的があるだけのだだっ広い空間が良いのだが。

 私がそんなことを考えていると、突然、真っ暗なチューブ状の縦穴の中で強い引力を感じる。グンと体が吸い寄せられるように流れて方向を変えた。

―――えっ!?

 そのまま足元――流れていく方――がやや明るいことに気づくと、私は着地する体勢を取った。

 チューブが水平の向きになり、慣性に任せて身体が空間へと投げ出される。軽く受け身を取ってすぐに周りを見渡すと、そこには空間があった。

 ()()()()()()()()ただ広いだけの空間だった。

 唖然とする私の横で、受け身を取れずに床に叩きつけられていたモゼがのそりと起き上る。

 

「ちょっと、シノンさんー! 放り投げられるなら、先にそう言って、って……。――あの爺さん、とんでもないものを隠してるんですね……」

 

 私はその言葉に全力で同意した。

 

******

 

 その後はもう時間も時間――日付を回ってしばらくしていた――だったので翌日の約束――日付は回っているから当日だが――をしてログアウトした。

 そして約十二時間後、私とモゼは特訓を開始した。

 最初に行ったのは初歩の初歩、何でもないただの立射だ。しかしそれに関してはほとんど言うことはなかった。というのも、

 

「僕、実は高校時代弓道部だったんですよね!」

「……それを早く言いなさいよ」

 

 失敗した。ALOでの弓は洋弓でもあり和弓でもあると言えるハイブリッド品だが、弓道部出身だと言うのならいっそのことより和弓に寄った弓を買うべきだった。

 

「なら基本的な射法はできるでしょう。矢は大体リアルの通りで射れるわ。照準に関してはGGOの弾道予測線を輸入しているから何となくで分かるわね。ただターゲット側に予測線は出ないからその点は有利よ。取りあえず一回撃ってみましょう」

 

 的は壁にある操作パネル――石板だった――で出現させられた。弓矢ではなくこちらが試練のメイン報酬なのではないかと疑うほどに便利な訓練場である。

 モゼの動きにはV()R()()()()()弓を使う戸惑いはあったが、V()R()()撃つことに対してや()()()弓を使うような戸惑いは見受けられなかった。つまり彼の言うGGOでのスナイパー経験やリアルでの弓道経験は嘘ではないということだ。

 放った矢も、放つまでに少し時間はかかっていたが問題なく的に中った。更に言えば、これはリアルでの経験が大きく物を言っているのだろうが、的までの距離を伸ばしても――ゲーマーによく見られる――重力を考えから外すような失敗もなく射っていた。

 

「――やっぱり経験者ってのは強みね。教えようと思ったことの序盤は丸っきり飛ばせそうよ」

「そうですか! 弓道やってて良かったっす!」

「……それより、その敬語別に外しても構わないわよ? ここはゲームなんだし気を張らなくても良いじゃない?」

 

 正直なことを言えば、『高校時代』という単語から完全に私よりモゼの方が年上なことが分かって気が引けてしまったのだ。いや、そもそも初めから私より年下の可能性の方が圧倒的に低かったのだけれども。

 

「いえ、僕の心の師匠は常にシノンさんなので! このまま! 敬語で!」

 

―――お、おう。

 気弱そうな見た目に反して、モゼは意外とグイグイ来る。しかしよくよく考えてみると、あの大柄なスキンヘッドと言い争っていたのだ、度胸はあるのだろう。

 それ以降したことと言えば、大して面白味のないことばかりだ。

 弓道ではおおよそすることがないであろう、膝を突いたままの射撃や、弓を地面と垂直にしない射撃。現実では無理のある動作であってもゲームとして作られたALOでならば十分可能だ――SAOで弓が実装されていたらそうはならなかっただろうが――。

 そしてALO自体も初心者であるモゼのために飛行訓練を織り交ぜつつ、リアルでは無理どころか絶対にありえない飛行射撃や動く的への射撃もやらせた。

 モゼの筋は悪くなかった。素直に言えば非常に弓に向いていると言えた。

 まずは狙いが正確。GGOでの経験からか、高校での経験からかは分からないが、事実として止まった状態であれば射程内は百発百中と言っても良いだろう。

 そして、これは良いことなのか悪いことなのかは分からないが、彼のVR適性は高過ぎなかった。それの何が良いのかと言えば、弓の手ブレが減るのだ。

 これに関しては正確な研究などがされていないので何とも言いがたいが、個人的な持論として言わせてもらえば、VR適性が高く現実と同じように振る舞える人間ほど弓の反動には悩まされる。逆に低くても今度は弓の照準の細かい調整が利かないのだが。

 その点モゼの適性は素晴らしかった。低過ぎず、高過ぎない。照準は正確につけられるが、反動を再現してしまうほどこの世界に馴染んでいない。

 初日はモゼの元来の実力を確かめて終わった。

 そして二日目。私が訓練場に着いたときには既に彼は特訓を始めていた。それを少し、物陰から眺める。

 モゼは動かない固定の的を五つ立てた。そして十分離れた距離から、五本の矢を連続で番えて放った。本来の弓道の競技では見ることのない速射。それをモゼは鮮やかに決めて見せた。

 次に同じように的を立て同じように矢を持ったモゼは、訓練場の端から走りながら飛んで屈んで滑り込んで、転がりながら矢を放った。それらも全て吸い込まれるようにして的へと命中する。

 今度は五つの動く的を用意した。人型や獣型など形も様々で、また動く速度もまちまちだ。それらを訓練場に放つと己は翅を生やして飛び立つ。低空飛行をしながら、しっかりと一射一射狙いをつけて彼は狩り擬きを成功させた。

 

パチパチパチ

 

 私が拍手をしてみれば、モゼはそこでようやく私が来ていたことに気づいたようだった。顔を赤面させてこちらへ飛んでくる。

 

「……見てましたか?」

「ええ、もちろん。それにしても随分上達したわね。私が見ていない内に」

「それは、その、練習したので」

 

 昨日見せた押しの強さはどこへ行ったのか。てっきり「ですよね! 頑張ったんです、僕も!」とでも言ってくるかと思ったのだが。

 

「でもちゃんと休まなくちゃ駄目よ? そもそも三日間で弓に精通するなんて無茶振りにもほどがあるんだから。これはある種貴方の本気を見せつけるためなんだし、貴方が三日経たずに潰れたら元も子もないもの」

「でも! でも、僕が情けない様を見せたら、シノンさんの顔に泥を塗ることになります!」

 

 毅然とした顔でモゼはそう言いきった。その瞬間、これは何と言うのだろうか、小動物を見たときのような感情が沸々と湧いてきた。

 明らかに私より年上の男性に向かって、私は猛烈に「可愛いな!」と叫びたくなった。

 ……無論、胸の中で堪えたが。

 気を取り直して二日目の訓練に入る。モゼの弓道経験や予想外の頑張りにより特訓の日程は著しい短縮を見ている。応用訓練よりも、それを行いつつの実戦に入った方が良いだろう。

 取りあえず動く的には問題なく当てられるようなので、今度は私を狙って撃つように指示した。

 

「な!? そんなことできないですよ!」

「いいえ、やるのよ。私は反撃しないけど、あの的よりは遥かに速く動くわよ? というか遠距離戦闘型の私にも当てられないようじゃ弓は諦めるしかないけど?」

「……。……わかりました、やりましょう!」

 

 苦虫を嚙み潰したような顔でモゼは言葉を吐き出した。

 それからは楽しい楽しい回避術の始まりだ。

 私は翅も使わずに逃げながらモゼへとアドバイスを飛ばす。

 

「ほら! 視線が迷ってる!」

「矢を放す前に躊躇するな!」

「足が止まっている! 狙って欲しいのか!?」

「ターゲットの移動先を予測することくらい基礎だろう! スナイパーとして当然の心得だと思え!」

「背後に回り込まれるなど隊の後ろを支える気があるのか!?」

 

 ……思えば我ながら酷い罵倒をしていたかもしれない。

 それでも段々とモゼの顔も凛々しくなっていき、遂には私の太腿に一射掠らせることに成功した。私がそれに動揺した次の瞬間には、私の肩に矢が刺さっていた。

 私は足を止めて、私よりも息を切らしている彼に労いの声をかけに行った。

 それからは私からも素手や短剣を使った反撃をしたり、外に出てモンスターと戦わせたり、私と訓練場で弓対決をしたりと更に難易度を上げていった。特に弓対決では――当然私が勝ったが――並のプレイヤーならば弓で何とか対処できる程度には育てられたと思う。

 そして迎えた三日目。私はモゼのために特別講師を呼んでいた。

 

「――やあ、君が噂の《モゼ》君かな?」

「ひぃ! ほ、《白い殺人鬼》!?」

「――どちらかと言えば《白い悪魔》だね、初めまして」

「ちょっとレント、あんまりモゼを怖がらせないの。期待の弓のニュービーなんだから」

 

 そう、レントだ。私が思いつく中で最も『強い』人。それは色々な意味を包含しているが、特に対多数戦、それもパーティ以上の戦力相手に少数で戦端を開くことに関してはベテラン中のベテランだろう。何せあのSAOの二大ソロプレイヤーの片割れで、単独でレイドを壊滅させたALOの悪魔なのだから。

 そのレントは少し不機嫌そうな瞳でこちらを見てから、口調を普段のものへと戻した。

 

「すみません、モゼさん。シノンから話は聞いています。微力ですが、ALOでの戦闘に関してレクチャーしましょう」

「え、ちょ、え、は、はい! よろしくお願いします!」

 

 にっこり。レントの笑顔はそう表現するべきものだった。何か薄気味悪いものを感じつつ、レントが一切手を抜く気がないことを察して私はモゼに手を合わせたのだった。




 最後の最後に、光弓編でようやくの主人公登場ですね。そして三日間シノンがつきっきりで面倒を見るというのに少し膨れ面な主人公です。

Q.今回の被害者は?

A.圧倒的にモゼ。


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#73 光弓-試験

 気づいたらお気に入り登録者数が四桁に乗っかっていました! ありがとうございます! 少し筆が乗って長くなりましたが、どうぞ。


 そうしてこうして、私とモゼに与えられた短い三日間は短いままに終わりを告げた。私としてはモゼの成長は著しく、三日間で到達できると考えていた水準よりも遥かに上まで達したと思える。だがそれでも不安は残る。

 

「……大丈夫かしら」

「きっと大丈夫だよ。彼は僕に一撃当てて見せたんだから」

 

 あの大柄なスキンヘッドの水妖精が先頭に立っているレイドへ単身で向かっていくモゼを心配を込めて見つめていたら、隣にいつの間にかレントが立っていた。

 そう、昨日、モゼはあのレントに一矢当てたのだ。実際レントは手加減をしていた。剣を抜かず、決してパリィせずに全ての矢を回避していた。対象の排除ができない長時間の回避というレントにとって非常に不利な状態だった。それでも()()レントに一矢報いた実力は決して馬鹿にできない。

 それに今のモゼには現環境を変える希望のケルビエルの光矢がある。

 

「それでも心配なものは心配よ。……彼には対多の経験が足りな過ぎるわ」

 

 レントの訓示を受けたとはいえ、対多での実戦経験がモゼにはない。それどころか、たった三日ではまともな実戦を積む時間はなかった。

 私は一応この場に、スキル枠を増やす分に加えていくらかの気持ち分を渡せるほどのユルドを準備してきている。支払わずに済むことを願うだけだが。

 

「さて、そろそろ始まるかな」

 

 レントの声に目をレイドの方に向ける。スキンヘッドの彼がモゼとレイドの間に立って話を進めているようだった。

 そしてどこか苦笑した様子のスキンヘッドの彼とモゼがこちらに飛んできた。

 

「どうかしたかしら」

「シノンさん、お願いしたいことがありましてね」

「シノンさんも共に戦って良いと!」

「――なるほど、さては一瞬で終わられると実力も測れないとでも言われましたか」

 

 スキンヘッドの彼は一瞬レントに胡乱気な視線を送るが、すぐに正体に気づいたようでやや口の端が引き攣る。それにしても初対面の相手に《白い悪魔》として振る舞うその癖はどうにかならないものか。本人が一種の切り替えのように使っているのは知っているが、まるで私の知っているレントではないような気がして少し居心地が悪い。

 

「は、はい。それで、こちら側は俺とモゼとシノンさん、それからシノンさんと一緒に暇そうにしている白服のプレイヤーでパーティを組んでうちのレイドと戦うことになったんですが……。まさか、《白の剣士》さんだったとは、どうしましょうかねぇ、明らかに戦力過多でしょうし……」

「構いませんよ、僕は今回剣を抜かないという条件で参加しましょう。モゼさんの所属が懸かっていますからね、補助に回りますよ」

 

 《白の剣士》と呼ばれたからだろうか、口調を普段のものに戻したレントはスキンヘッドの彼、ラムズ――流石に教えてもらった――の話を快諾した。まさかの徒手空拳宣言だが、確かにモゼの実力を示すためなら前衛は敵を落とすことは程々に、後衛を守ることを主とした方が良いのだろう。

―――まったく、どうなっても知らないわよ?

 あのレイドは敵に回してはいけない人間に喧嘩を売ったように思える。レントが本格的に敵対行動を取るならば、たとえレイドといえども壊滅を避けることは難しいだろうに。

―――ま、関係ないか。

 私としてもいまだにケルビエルから手に入れた弓矢の試運転すらできていないのだ、あのレイドを試金石とさせてもらおう。

 諸々の鬱憤を晴らせる見込みが立った私は、口角が上がるのを抑えることができなかった。

 

******

 

 四人で少し作戦会議をした後、私達は空中で今回の相手となるレイドと睨み合っていた。

 レイドと表現したが、実際には大体一と半レイド分くらいの人数がそこには集合していた。中々の規模のギルドであることが窺える――全員がここに集合しているわけではないだろうから――。当然効率や高度なプレイを追い求めるギルドであろうし、だからこそ弓は嫌厭されたのだろう。

 その大集団の先頭に立つ音楽妖精の青年――恐らくギルド長だろう――が声を張り上げた。

 

「それではこれから特例のギルド入団試験を始める! そちらの四人とこちらの十パーティで戦って、その中で水妖精のラムズ、及び同じく水妖精のモゼの実力を見て入団を認めるか否かを決める! それでは、散開!」

 

 その言葉でそこにいたプレイヤーは同時に逆側へと距離を取る。今回はボス戦のように正面からの戦闘となる。こちらの戦力は後衛で弓使いの私とモゼ、前衛として大剣を操るラムズと限定的に素手で戦うレントだ。これは敵にも確認されている。対して敵は……一.五レイドもいれば弓以外の全ての武器種が揃っていて陣も整っていると見て良いだろう。プレイヤーの数だけで戦力分析は十分だ。

 レントはどこに隠し持っていたのか、GGOの普段着のような薄灰色のフードのついた布装備に黒手袋、それから焦げ茶のブーツを身に着け、タートルネックの黒いインナーを口元まで上げて顔を隠している。明らかに普段とは違う装備で、これは相手に《白の剣士》と気づかせる気はなさそうだ。

―――貴方、白くない装備持ってたのね……。

 リアルの普段着からして白の系統色が多いレントが、まさかこんな装備を持ち歩いているとは思っていなかった。……いや、持っていたとしても持ち歩いているのはおかしいか。ということは彼はこの展開を予測していた、もしくは期待していたのか。戦闘狂のようになってしまうから予測していた方であってほしいが。

 さて、他の三人が持ち場についたことを確認して私は徐に光弓を取り出した。実はこれが他者への初公開となる。私が普段使っている弓を知っているレントやモゼは驚愕を示し、ラムズも光弓の仰々しい見た目に目を瞠っている。

 左手に光弓を構え、右手で光矢を番える。私の少し右下では同じようにモゼが弓に光矢を番えていた。

 モゼに光矢を持たせるかどうかは最後まで悩んだ。正直に言えば光矢ではなく弓として認められたかったのだが、ここで出し惜しみをして認められなければ本末転倒だ。私は昨日の最後にケルビエルの試練――光弓獲得のためのものより簡略化されていた――をモゼに受けさせ、モゼはそこで特訓の成果を見せつけてクリアしたのだ。

 開戦の合図は相手側が出すことになっていた。それをただ待つ。私とモゼよりも前方で構えるラムズが緊張しているのが後ろから見てもよく分かった。レント? 彼がレイド相手であっても緊張なんてするはずがない。その悠然とした立ち方は安心感を与えると共に、余裕に満ちた立ち姿――飛んでいるが――は自分が緊張していると無性に苛立つ。

―――少し意地悪してやろうかしら。

 そんなことを考えていたとき、法螺貝のような音が戦場に響き、敵の前衛が雄叫びを上げながら突撃を開始した!

 こちらの前衛も前に飛び出したことを確認して、私はこの戦闘の嚆矢を放つ。

 放たれた光矢は()()()()()()()()()()()()飛び、敵先頭の大斧使いの額に突き刺さった。

 

「は……?」

 

 それは誰の口から漏れた声だったか。何にせよ、私の第一射は狙い通りの効力を発揮した。

 以前述べたように、《弓》の弱点として挙げられるものの一つに距離減衰の激しさがある。放った矢は重力に引かれ落ちていき、また速度も同様に遅くなっていく。ところがこの《光矢イグジスタンス》はその名の通り光のような矢なのだ。真っすぐ限界射程まで速度を落とさずに飛んでいく。まるで魔法のような挙動をする矢というわけだ。

 またこの光矢、どうやら光矢自体ではなくそれが纏っている光を矢の形状にして放つという設定らしく、光矢が光り輝いている間ならばどれだけでも矢を放て、更に光を失ったとしてもMPを消費すれば回復することができる。つまりは大量に矢を持ち運ばなければならないという欠点もこの光矢は克服しているのだ。

 弓使いとしては喉から手が出るほど手に入れたいアイテムだ。そしてそれはいまだここにいる二人の弓使いしか所持していないアイテムでもある。

 先程の第一射は牽制が目的であり威力は出ない。それでも吃驚して足――翅か――を止めた前衛は、ラムズの大剣によるソードスキルでエンドフレイムと化した。

 これがまず最初の作戦。先手必勝で流れを掴むというヤツだ。

 ここから第二の策に移る。

 ソードスキルの硬直で隙を見せたラムズに三人の前衛が飛びかかるが、その三人はすかさず放たれたモゼの連射によりスタンが入り逆にラムズの一振りで薙ぎ払われる。レントの方でも同様に複数人がかりによる攻勢が行われるが、こちらには私の射撃による援護が行われる。レントも徒手空拳で受け流しを中心に、翅を止めずに退路を断たれないように動いている。

 第二の策は簡単なものだ。前衛一人に後衛一人、ツーマンセルで集団に対抗するというだけ。これが上手く働くのは偏に圧倒的な人数差があるからだ。

 これだけの人数差があると一斉攻撃にも無理が生じる。そもそもターゲットがただの人型一つとなれば群がれる人数にも限界があるし、後方からの斉射などは前衛へのフレンドリーファイアの可能性が高過ぎて行えない。前衛同士ですらレントは同士討ちをさせている。乱戦になればこちらが圧倒的に有利なのだ。そもそも数の有利を最大限に活かせるのは、的が大きい場合か持久戦のときかだ。

 また敵から手に取るように伝わってくるのは侮り、嘲りだ。これ程の戦力差は基本的に油断を誘う。十パーティというのは、つまりは七十人だ。対するのが四人ともなればそこに緊張感がなくなるのも頷ける。それがこちらの狙いでもあるのだが。

 敵の七十人は後衛が二十人ほど、前衛が三十人で予備戦力として中陣で浮いているのが二十人だ。三十人の前衛は半々に分かれてレントとラムズに当たっている。しかし十五人で一人を囲いながら攻撃することは難しいため、一撃離脱で前後を入れ替わりながら攻撃している。要するに一度にレント達が対処するのは七、八人というわけだ。

 モゼが装備している弓はSTRの要求が高い、いわゆる強弓という部類のものだ。それゆえ放った矢の威力は高く重い衝撃を与え、加えてスタン蓄積率が高く足止めに特化している。光矢は一々番える必要がないため連射性能に長けており、現在モゼは威力の高い矢を高頻度で放てている。

 ラムズの前衛としての資質は中々に高いようで、モゼの援護によって八人の包囲にズレが生じた隙を決して逃さない。大剣の振り回しと巧みな体捌きによりまともな被弾は今のところ確認できない。

 レントに至っては元々のプレイスタイルと合っているのだろう、八人を両手で捌きながら同士討ちを誘い敵を完全に弄んでいる。その上口元に微笑を浮かべているところから察するにまだまだ余裕を残している。

 ツーマンセルと言ったが、レントに援護は必要なさそうなので私は狙いを乱戦中の前線から更に奥、敵の後衛に合わせた。

 心を落ち着かせてソードスキルを発動させる。放たれたのは五連射。五本の光の矢は真っすぐ飛び、魔法の詠唱を始めていたメイジの注意を引きつける。いくら減速がないとはいえ距離があり過ぎて矢は避けられてしまったが、相手の注意がこちらに向いたのを感じる。

―――さて、と。

 ここからが私の腕の見せ所だ。後衛対後衛の戦いは基本的に私に任せるようにモゼには言ってある。そもそもダンジョン攻略、並びにボス討伐が主目的のレイドへの入団試験なのだ。後衛への対処などというダンジョン攻略では起こりえないことは私が行っても構わないはずである。

 取りあえずは弾幕として矢をばら撒く。残り本数を気にせずに撃てるだけ撃てるのは本当に素晴らしい。光の矢にも限度はあるが、どれだけ撃とうがたったの一戦で使いきることはないだろう。

 弓矢と魔法、連射性能はそもそもとして数少ない弓が上を取れる点だ。それが光矢のお陰で向上しており、二十倍の人数がいようが一人で同じかそれ以上の数の弾幕を張れている。重力の影響は微々たるもの――それこそ光に与える影響と同程度――であるため狙いがつけ易いことこの上ない。

 私が放った矢の半分は敵の魔法を越えて敵陣深くへと飛ぶ。後方の安全圏からの攻撃に慣れ切ったメイジはこの距離があっても這う這うの体で避けざるをえない。そんな状況では詠唱も中断され飛び交う魔法は減る。更に残りの半分の矢はこちらへ飛んでくる魔法に合わせる。

 魔法と矢の形をした光。接触した端から花火のように弾けるものもあれば、音もなく消え失せるものもある。

 スペルブラスト。以前キリトが攻略ギルドに対して披露した、技術の極致のようなシステム外スキルだ。それは俗称の当たり判定斬りの通り、魔法の当たり判定を的確に攻撃して相殺するというものだ。そして()()には当然だが同じ質のものが必要になるので、物理攻撃である武器で魔法を相殺するには魔法属性が乗るソードスキルを使う他ない。しかし非常に小さな当たり判定に直前の微調整が利かない――システムアシストのせいだ――ソードスキルを当てることは困難を極める。そこで出てくるのが()の矢を放つ光矢だ。非実体の矢ということでこのアイテムには魔法属性が付与されており、通常攻撃で相殺が可能なのだ。

 しかしまだまだ実用的ではなく、どれだけ狙い澄ましても一パーセントも成功すれば良い方である。ただ弓に限って言えば、自分の付近ではない場所で魔法に攻撃を当てさえすれば誤爆させることが可能なのでさしたる意味のない技術ではあるが。

 おっと、そんな無駄なことを考えている内にどうやら敵も痺れを切らしたらしい。いつまでも粘り続ける前衛の二人に、嫌らしいタイミングでのモゼの援護、一人で後衛と競り合う私、確かにたったの四人ということもあってフラストレーションも溜まることだろう。

 敵の中陣が動き出す。前衛の二人にかかる圧力が増して邪魔が入るのを防ぐと、二十人の中陣は二手に分かれたりせずにモゼへと飛んでいった。

―――なるほどね。

 モゼを落としてしまえば援護のなくなったラムズも容易く落とせるだろうし、ラムズの援護を私がしようとすれば今度は私が敵の後衛の圧、もしくは動き出した中陣によって捻り潰されるだろう。私達にたった一人で七十人と対峙するほどの力はないのだ。

 そしてそうなってしまえば今回の挑戦は失敗だ。これはモゼとラムズが最大限戦ってこそなのだから。

 前方でレントの周囲に大量の文字でできた円環が浮かぶ。魔法による援護を行う気なのだろう。相手の前衛は慌てて妨害しようと攻撃を重ねるがレントの詠唱は小ゆるぎもしない安定性を見せ、むしろ慌てて隙が生まれた相手のコンビネーションを割くかのように格闘でHPを削っている。

 殺到する集団に対してもモゼは激しい動揺を見せなかった。これも教育の賜物である。私は霊城の最終戦において後衛を狙った攻撃というものに遭遇している。それへの対処を仕込まないわけがないだろう。

 モゼの弓に鮮やかな緑青色の光が宿る。その光は番えた()()()()に移り、そして限界まで引き絞ってから放たれた。

 直線的な攻撃しか光矢ではできないと分かっていたプレイヤー達は、当然のように直線の軌道を描いてモゼへと向かっていた。後衛のメイジとは違って彼らならば確かに光矢を見てから避けることも可能だろう。

 だがしかしソードスキルならばどうだ? 光矢は見た目は派手だが所詮は通常攻撃、速度が落ちなくともそもそもの初速度は一般的だ。だがソードスキルは違う。システムアシストによって通常の何倍もの速さで飛ぶ矢に彼らは対応しきれなかった。

 緑青色を放つ矢は手元から五つの光線になり五方向へと進む。そしてやや散開していた二十人の内の五人にクリーンヒットした。そこから炸裂し、周囲の人間を巻き込んで吹き荒れる旋風でクリティカルを受けた七人が脱落した。

 この試験開始初の弓による脱落者に集団は動揺を見せ、その瞬間に発動したレントの砲撃魔法によって後方から狙撃された彼らはその人数を五人まで減らす。さしものレントもノールックでの砲撃ではやや狙いを外したようだ。

 残りの五人は爆炎の最中肉薄したモゼによる二度目のソードスキルで一射の内に沈んだ。敵の隙を見逃さずに一呼吸の間に己の持つ最大火力を叩き込む。レントの援護で硬直時間を消化できたとはいえ見事な攻撃だった。

 唖然とする敵陣を崩すため、私も仕かけを発動させる。

 レントとラムズにアイコンタクトをして前衛を抑えてもらい、今度は逆に私が敵陣へと突入する。

 メイジの慌てたスペル詠唱はレントに比べれば欠伸が出そうなほど遅い。魔法が放たれる前に十分に距離を詰め、私のOSSを発動させた。

 

「《シャッス・ヘカート》!」

 

 弓を斜め上から斜め下へと振り下ろす。その途上で四度矢を番えて放つ連射技。空中で身を捻りながら発射したために四本の矢は地面と水平方向で拡散する。

 二本の矢は敵陣に入り込み二人をそのままエンドフレイムへと変え、そしてそのエンドフレイムごと()()()。漆黒の炎に呑まれたエンドフレイムは姿を消し、周囲のプレイヤーがエンドフレイムへと変わる。

 これは闇属性魔法の自爆を敵に行わせるという表現が最も適した技だ。重いデスペナを無理矢理課すことはないが、エンドフレイムの消去による復活不能という絶妙に嫌らしい副次効果がある。

 これで排除できたのは二桁に届かない数。残りの二本の矢が逸れた方向へと飛ぶのに油断したメイジ達に思わず口元が歪む。

 

―――エクストラスキル《ゴッズ・グローリー》発動。

 

 メイジ達から離れていくはずだった二本の矢は軌道を急角度で変え、逆に集団へと突き刺さる。メイジ達はパニックのまま先程の焼き直しのように数を減らす。これで残るメイジは三人。

―――更に、発動……!

 意識が足元の光の残滓へと向かう。

 私はこの戦いで矢を大量に連射した。使い放題の光矢があるとはいえ普段の狙撃とは打って変わった乱射スタイル。それによってこの戦場一帯には私が放って外れた矢が大量に山積していた――光矢で放った矢は有効射程を越えると地に落ち、段々と光に解けていくのだ――。

 解けてかけていた光が再び指向性を持って凝固し、三人のメイジ目がけて来襲する。大量の光の矢が眼下より昇ってくる様はメイジ達を混乱の坩堝へと叩き落した。そしてその混乱冷めやらぬまま、全身を大量の光に貫かれ急速にそのHPを減らしていく。

 私はとどめとして三本の重い実体矢を放ち後衛を全滅させた。

 振り向けば、ラムズも数人を真正面から撃破して敵の槍に貫かれたところだった。私やモゼとは違い奇策を用いれなかった彼が、多対一で戦果を挙げられているということに対して私は失礼ながら少し驚く。

 まあ、その驚きもその隣で遂に徒手空拳で十五人を撃破したレントを見れば呆れに変わってしまうが。

 結局、レントの魔法で復活したラムズを含めた四人で残った数人の近接プレイヤーを包囲すれば、彼らは両手を挙げて降参の意を示した。

 

「参った! いやはや、入団試験のはずがまさかこちらが壊滅することになるとは! 見事だ、ラムズ、モゼ、君達の入団を心から歓迎しよう! そして、そちらの二人は我がギルドに入る気はないかな?」

 

 残った数人にはギルド長の音楽妖精もおり、彼は清々しい笑顔を見せた。ひとまずラムズとモゼの入団は保証されたようで私の肩の荷も下りる。

 

「そうね。私達二人の全力に耐えられるか試験してから考えましょうか」

「――はは、確かにそれもありかもしれませんね。ですが、彼の血盟騎士団も御せなかった悪魔を迎え入れる器があれば、ですが」

「……。これは、驚いた。なるほど、うちの連中が勝てないわけだ。それならすっぱりと諦めようじゃないか、我がギルドには《聖騎士》も《閃光》もいないのでね」

 

 肩を竦めたギルド長は今度は私に向かってだけ話しかけてきた。

 

「ところで、今回のことを通してギルドで試験的に弓部隊を作ってみないか提案しようと思うんだが、弓部隊創設の暁には特別顧問としてシノンさんに協力を依頼したいんだが、この要請は受け入れてくれるかい?」

 

 それに対する私の返答など、ここまでの流れを踏まえれば考えるまでもないだろう。

 

「またとない申し出ね。むしろ私の方から頼みたいくらいよ」

「つまり?」

「――喜んで。ビシバシ鍛えてあげるわ」




 やっぱり質はともかく量の多い戦闘を書くと文字数が増えてしまいますね、今後の課題です。最終負荷実験をフルで書いたらどこまで長くなってしまうのか……。
 ちなみにシノンさんが二十人くらいを撃破したのは通常運転です。ラムズが戦果を挙げられたようにそれほど練度の高くないギルドなので、このくらいなら可能です。が、モゼが大量撃破したのは相手の油断と動揺につけ込んだだけの要するに奇襲です。産廃の《弓》だろうが使い様、ということですね。
 シノンさんのOSSはフランス語で《ヘカテーの狩猟》って意味……ではありません。そんな感じの単語を並べただけの言葉です。
 ところでヘカテーってめっちゃ良いですよね。冥界の女神、しかし豊穣の女神であり、遠くへ力を及ぼす者という射撃に通じる名前を持ち、更にはワイルドハントの首領という側面も持つ。つまりシノンさんにヘカートⅡを持たせた川原先生は神。


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【3周年番外編】※お知らせあり

 皆さん、お久し振りです。今日でこのシリーズが遂に三周年を迎えました。まさかここまで長く続くとは私も思っていませんでした。……それは私が遅筆であることも要因の一つではあるとは思いますが。

 さて、今回のお知らせになるのですが、本日、この話と同じ3/15の18:00に、新シリーズを投稿させていただきました! その名も『SAOUW~if《白夜の騎士》の物語』https://syosetu.org/novel/215775/です。とうとう本作の主人公がアンダーワールドに乗り込みます。ここ二年……いや一年目からそうでしたが、不安定な執筆頻度に加えて遅筆という私がどこまでやれるかは現在不明ですが、何とか走り抜きたいと思っています。どうか、興味があればそちらの方もよろしくお願いします。

 というわけで、お知らせはここまで。小話、というか《伝説級武器》に関する設定をまとめてみました。では、どうぞ。


 それはシリカの一言がきっかけだった。

 

「そういえば、皆さんの伝説級武器(レジェンダリーウェポン)って結局どういう能力なんですか?」

 

 そのときは次の冒険に向けて皆で相談をしているときで、いつものメンバーは大体全員が揃ってキリトとアスナの家にいた。

 その場での伝説級武器の所有者、つまり僕とキリト、アスナにリズベット、シノン、それからクラインは顔を見合わせる。アイコンタクトは一瞬、全員が()()()になった証だった。

 

******

 

~聖剣~

 

「それじゃあ、まずは一番簡単な俺からいく」

 

 キリトはすくりと立ち上がり、皆を仕草で外に誘った。

 外に出るとキリトは僕を連れて皆と少し離れて向かい合う。まあ、口で説明するのに加えて実際に見せればより分かりやすいか。

 

「俺の聖剣のエクストラスキル、《キングキャリバー》は簡単に言えばバフだ。それも大量の。現在ALOにおいて実装されているバフが全部この剣を装備するだけでかかる。言ってしまえばこれだけだが、こんなにでもある、ってところだな」

 

 キリトは聖剣を収め、リズベットが作った普段使いの黒い剣を構えた。僕も大人しく剣を抜き正眼で構える。

 キリトが緩やかに走り出し、トップスピードに乗った瞬間に僕に剣を振り下ろす。僕は慌てずにそれに剣を合わせ、カンと剣の腹で斬撃を払った。

 

「これが通常。じゃ、次は聖剣でやるからな」

 

 言葉通り今度は聖剣を構え、同じように走り出した。

 明らかに初速からして違う。更には加速度も増していて、圧倒的に早く斬撃が振り下ろされる。とは言ってもこの程度で抜かれるほど腑抜けてはいないので、先程と同様に剣を挟んだ。

 

ガギーーーン!!!

 

 盛大に衝撃音が鳴り、僕の足が少し後ろにずり下がる。STRのバフに加え、攻撃威力増大バフ、更には速度が増している分の衝撃、それらが加われば威力の増大率はかなり大きい。

 おおとシリカ達も息を呑んでいる。これだけ威力に差があれば明確に戦闘にも影響が出てくるというものだ。

 

「大体エクスキャリバーの能力っていうとこのくらいだな。逆に余りに広範に渡るせいで紹介しづらい、ってのは欠点に数えられるか?」

 

 聖剣を鞘に仕舞いながらキリトは口角を吊り上げた。

 

******

 

~雷鎚~

 

「じゃあ、次は私の番ね」

 

 キリトと僕が皆の方に戻れば、入れ替わりにリズベットがエギルの腕を引いて歩き出した。エギルと目を合わせると肩を竦めてきた。まあ、確かにこのメンバーの中で最も耐久力があるのはエギルだろうから、雷鎚の試し打ちの相手は彼が最適だろう。……正直言えば耐え切れるかは微妙なところだが。

 

「ミョルニルのエクストラスキルは《ライトニングチャージ》で、このスキルには二つの効果があるわ。一つは攻撃時に追加効果があること。こんな風に、ね」

 

 リズベットは大きくミョルニルを振り被る。するとミョルニルの先端部からバチバチと雷電が弾け出す。その雷光は段々と大きく、明るくなり、一際大きく光ったときにリズはハア! という掛け声と共にミョルニルを振り下ろした。

 対するエギルはリズベット武具店の紋章入りの大盾を構えていた。いつかは忘れたが、攻略の上でいくら僕らでも高い防御力が必要だったときにエギルが使っていたものだ。

―――なるほどね。

 あれなら確かにリズベットの()()に耐えきれるだろう。

 ミョルニルは激しい雷光と共に大盾のど真ん中に命中した。見れば、電撃のエフェクトは盾を貫通してエギルの身体を走っている。エギル自身は口を引き絞り歯を噛み締めてその感覚に耐えていた。

 

「これは雷撃での追加ダメージと、確率だけど麻痺状態を付与できるわ。溜め具合でダメージ量と麻痺確率は決まるみたいだけど、フルチャージすれば大体七割で麻痺ね」

 

 大ダメージに加えて七割で麻痺というのは中々の強みだが、フルチャージしなければならないのは痛いところだ。一対一でフルチャージする余裕があるかは怪しい。だからこそパーティでの援護が要るわけだが、そうすると今度は麻痺確率がもう少し欲しいと思うわけで。ままならないものだ。

 

「そんで、もう一発!」

 

 リズベットは同じようにミョルニルを振り上げてエギルに叩きつける。麻痺状態での一撃でエギルの盾は大きく跳ね上がった。

 

「こっからの三発目がミョルニルの本領ね。《ライトンイングチャージ》の二つ目の効果、同じ相手に与える三撃目には更に追加ダメージが発生する」

 

 リズベットは凛とした目つきで、ポーションで自分に回復を施したエギルが盾を構え直したのを見つめる。

 スゥッと息を吸って雷鎚をフルチャージ、そして三度目のフルスイングも見事に盾の中心を捉えた。

 バチンと大きく弾ける雷光は一度目のフルチャージと同じ。しかし違うのはそこからだ。叩きつけた雷鎚から新たに電撃が漏れ出し、次の瞬間炸裂した。その威力は正面からエギルに向かい、その盾を弾き飛ばすに収まらずエギルの巨体を後ろに張り倒した。

 背中から地面に投げ出されたエギルのHPを確認するが、全快状態だったのが半分以上を失い危険域にまで落ちていた。大盾をしっかり構えたタンクのハイレベルプレイヤーをここまで追い込むとは。更に言えば麻痺状態でガードブレイクされた直後のエギルにとどめを刺すのは容易いだろう。

 

「つまり三撃目をフルチャージで当てられればほぼほぼ勝ちみたいなものね」

 

 勝ち誇ったようにリズベットは言い、倒れ込んだエギルに手を差し伸ばした。

―――まあ、それを簡単にはできないから面白いんだけどね。

 リズベットが前回のデュエルトーナメントでベスト六十四で終わったのを考えればそういう結論になるのだった。

 

******

 

~世界樹の杖~

 リズベットと入れ替わりで前に出たのはアスナだ。アスナは所有する《伝説級武器》の《世界樹の杖》を取り出した。

 

「私の《伝説級武器》の紹介をするね。この杖の名前は《世界樹の杖》。世界樹の枝を手折ったものだから、大分そのまんまな名前なんだけどね」

 

 アスナの苦笑いは関係者への問い合わせの結果だろう。

 彼女は当初は特に不思議に思っていなかったようだが、他の《伝説級武器》が明らかになる度に疑念を深めていっていた。そう、名前だ。他の伝説級は基本的にその武器が持つ特殊性を表す一字とその武器を示す一字がつけられている。聖剣、魔剣、光剣、雷鎚、翳刀、霊刀、光弓、そのどれもがそのルールに従っている。対して《世界樹の杖》は一切そういうことがない。明らかに名づけのルールが違うのだ。

 疑問を抱いたアスナは僕らが取れる最も確実な手段を用いた。タロウへの質問だ。個人的に繋がりがある運営に聞き出そうというわけだ。

 その結果は中々のもので、結論から言えばこの伝説級武器は運営の実装したものではなかった。世界樹から手折った枝、その特殊性からカーディナルが勝手に《伝説級武器》に設定、しかしカーディナルは《伝説級武器》の名づけ方法を学習していなかったためにこんな名前になったのだという。

 運営も想定外の高レアリティの武器。そのエクストラスキルはこれまた運営の予想外のものだった。

 

「エクストラスキル《イグヴィーストン》。これの効果は二つ。一つは比較的使い易いもので、スペルを待機状態で三つ保持できる」

 

 アスナがさらりと詠唱を終える。しかしスペルは発動せず、アスナの周りを水色の靄のようなエフェクトが彷徨っていた。それはアスナが手を振ることでパッと打ち消え、代わりに僕たちにバフがかけられた。

 スペルを先に詠唱しておけるというのは大きなアドバンテージだ。発動までの時間も大幅に削減できる上に、奇襲対策やら自然回復するMPが溢れるのを防止するやらで様々な使用方法が想定できる。

 しかし僕はそれ以上にあの杖のもう一つの効果に期待している。

 

「もう一つの効果は分かりづらくてね。オリジナルスペルを三つまでカーディナルに登録できるのよ」

 

 そう、それこそが注目すべき能力だ。

 多彩で強力で、加えて相手に読まれにくいオリジナルスペルの弱点。それはスペル発動までのタイムラグだ。カーディナルによる発動審査に時間がかかるため、即効性にやや難があったのが今までのオリジナルスペルだ。しかしアスナはエクストラスキルを使うことで、三つだけとはいえその軛を外せるのだ。

 頻繁に使うものだけに絞る――それこそアスナなら回復魔法だとか――必要はあるが、そのコンマ一秒の違いが勝負を分けることだってあるのだ。

 ただ一つ欠点があるとすれば、()()()()()()()()()()なため他者にも同じ恩恵が与えられてしまうというところか。

―――まあ、全く同じオリジナルスペルを使う人間なんて極一握りだろうけどね。

 《世界樹の杖》を教鞭のように振ってシリカやクラインにオリジナルスペルについて解説するアスナを眺めながら、僕はそう独り言ちた。

 

******

 

~光剣~

 アスナの解説が終わったので、今度は僕が単独で出る。

 

「さて今度は僕のクラウ・ソラスのエクストラスキルだけど、名前は《フォトンクォンタム》で、効果は剣の大きさを変える、ただそれだけ」

 

 シノンがジト目で見ているのはスルーだ、スルー。実際、能力としてはそれだけなのだから仕方ないだろう。

 

「可変範囲だけど、長さから見ていこうか」

 

 僕は《脳内タブ操作》を使って思考だけでパラメータを弄っていく。

 一般的な片手剣程だった光剣はぐんぐんと縮んでいき、やがてシリカが持つ短剣と同程度の長さになった。

 今度は逆に長さを伸ばし、元々の長さを超えて、最終的にいわゆる大剣と呼ばれる部類の剣に届く長さまで伸ばす。

 

「次に剣の幅がこのくらい。剣の厚さはこのくらいの範囲で変えられる」

 

 大剣の長さを保ったまま、剣の刃の幅が狭まり短剣の中でも小型の――苦無のような――ものと同じくらいの幅になる。長さが長さなだけにアンバランスで折れてしまいそうだ。逆に幅を広げれば、長さに見合った幅になる。これで見た目はすっかり大剣だ。

 そこから厚さを変えていく。元々片手剣でそれ相応の厚みだった刃は手裏剣のように薄くなり、長さと幅が最大値で非常に刃が広いため鉄板のようになってしまった。逆に厚くすれば刃の幅と等しくなるほど厚くなり見た目だけなら金棒に近い。

 

「柄に関してだけは決められなくて自動で丁度良いくらいに定められるんだけど、剣の重さはこっちで決めることができる」

 

 最も軽い状態にしてシリカに手渡す。本人は恐る恐る光剣を持つが、見た目とは真反対の短剣が如き軽さに目を瞠る。興味深げに振り回しかけたので慌てて止めた――長さ最大値の状況だと少し振り回すだけで周囲に当たってしまう――。

 シリカから光剣を受け取る瞬間に最重の状態にしてみると、シリカのSTRでは支えきれず光剣は重々しい音を立てて地面に深く突き刺さった。

 

「もう! レントさん!」

「ごめんごめん、つい悪戯したくなっちゃって」

 

 光剣を片手で引き抜く。ズシリと重い。それこそ重量級の両手剣にも迫る重さを実現しながら《片手剣》カテゴリに収まっているのだから、呆れを通り越して笑えてくる。

 最長、最広、最太、最重、つまりはこの《光剣クラウ・ソラス》の限界の状態を振り上げる。意図を察してかエギルが先程の大盾を引き摺って僕の前に現れた。

 全力を込めて剣を振り下ろす。果敢にも盾で受け止めたエギルの身体は後ろに大きく弾き飛ばされる。

 

「通常攻撃でこれかよ……」

 

 エギルが痺れたのか――VRではそんなわけないが――手をブラブラと振りながら苦笑する。

 僕は光剣をいつものサイズに戻しながらぬっと出てきたクラインとハイタッチをして一団に戻った。

 

******

 

~妖刀~

 

「おう、次は俺とカグツチの番だな!」

 

 クラインは身軽に前に出て、スッと刀を抜いた。その刀はあの霊城でカグツチが携えていた刀と瓜二つ、いや、あのときの彼の発言を考えればあの刀と同じ刀なのだろう。

 クラインが刀を体の前に立てる。何をするのかと見ていれば、刃の上をチラチラと踊っていた炎が少しずつ刀から離れていき人型を取った。

 

『久方振りだな、其の方ら。余は既に此岸に亡き身なれど、斯様に後進を見守る術があるならば、と思ってな。はっはっは』

 

 その台詞に僕らは目を剥く。特にキリトと僕は驚いていた。何に? それはもちろん、カグツチが言語エンジンを維持していたことにだ。

 しかしすぐにユイのことを思い起こし、意外とALOにおいての言語エンジンは軽いものなのかもしれないと思い直す。それとも最初からそう設定されていたのだろうか。

 

「へへ、この霊刀のエクストラスキルは《ミタマヤドリ》って言ってな、カグツチ、ヤタガラスに代わってくれ」

『ああ』

 

 その言葉でカグツチは炎に解け、一度刀に戻った。間を置かずに同じような炎の塊が刀から飛び出して鳥の形を取る。

 

キェェエエエエ!

 

 鳥、いや、()()は飛び立ち、真っすぐに僕の方に向かってくる。皆は慌てるが、霊鳥に敵意を感じなかった僕はそのまま直立していた。

 霊鳥は少し僕の周りを飛び回った後、ふわりと僕の頭に着地した。

 

「ヤタガラスは偵察用の使い魔と同じ扱いみたいだぜ」

 

 これで俺も偵察に参加できる、とクラインはサムズアップをした。確かにそれもあるが、このヤタガラスのAIなら戦闘補助やらもできるだろうし、不死で収容可能なペットを手に入れたと思えばかなり大きなものなのではないだろうか。

 

「それでさっきのカグツチは戦闘時にバフをかけてくれるんだが、もう一人いてな……」

 

 聖剣を考えればバフの有用性は大きい。そしてバフとペットに加えてまだ能力が隠されているというのか。

 クラインはニヤニヤとしながらキリトを呼んだ。

 

「それがこいつだぁ! 来い、アシュラ!」

 

 ヤタガラスが刀に突っ込み炎に変わると共に霊刀が激しく燃え上がり、一瞬例の三面六腕の巨人が模られる。

 

「行くぜぇ、キリト!」

 

 クラインは刀を鞘に収め居合の構えを取る。キリトも察したようで、やや口の端を引き攣らせながら剣を抜き攻撃に備えた。

 クラインが狙いを定めて剣を抜き放つ! 明らかに刀の間合い外だが、刀からは炎が刃の形となって飛び出す。キリトはそれを斬り裂くが、()は外したようで剣を避けた炎刃をその身に受けた。それに軽くノックバックするキリトだが、HPは存外減っていない。

 と、間髪入れずにクラインが空中で刀を振り第二波を送り出す。ノックバックした直後のキリトは今度も相殺できずに炎を受けた。しかし今度はノックバックしない。不思議に思えば、逆にHPが一撃目の二倍は減っていた。

 

「どんなもんよ! アシュラの遠隔攻撃ができるようになったんだが、衝撃重視と威力重視の二パターンの攻撃ができるんだなぁ、これが」

 

 自慢げにクラインは笑うが、確かにこれはそれだけの態度に足る強力な武器だ。特に魔法には手を出さないと決めたクラインには、偵察に遠隔攻撃、そして自バフの三点セットはこれ以上ないほどに優秀なエクストラスキルだ。

―――《ミタマヤドリ》、ねぇ。《御霊》なんだか《三霊》なんだか。

 恐らくはダブルミーニングなんだろうが、名前負けだけはしないだろう性能の刀だった。

 

******

 

~光弓~

 

「じゃあ、最後が私ね」

 

 シノンは穏やかに微笑みながら手招きで僕を呼んだ。

―――……嫌な予感がするなぁ。

 嫌な予感どころかもう確定事項のようなものだろう。

 

「私の《伝説級武器》は《光弓シェキナー》。エクストラスキルは《ゴッズグローリー》。効果は簡単なもので、一度放った矢をもう一度対象に向かって撃ち直せるの」

 

 こんな風にとでも言うかのようにシノンは一本矢を放った。矢が地面に刺さってからシノンが手を振ると、刺さっていた矢が向きを変えてこちらに真っすぐ飛んできた。

 軽く剣を振って矢を叩き落とす。

 

「狙った()()を最高速で通るように飛んでいくんだけど、飛ばす瞬間は私の好きにできるわ」

 

 ちょっとそこに立ってと指示される。ここで逆らうのも情けないので僕は指示された場所に立ち、剣を抜いた。

 

「じゃあ、ちょっと本気でやってみるわね」

 

 にっこりと笑うシノン。……これも、信頼の表れの一つなのだろうか。

 口角を水平に戻したシノンは猛烈な勢いで矢を乱射し始める。放つ矢は無論光矢だ。当然のごとく光矢の数々は僕を狙っていない。むしろ僕を外して撃っている。シノン自身の真上に放ったものや、僕の足元に刺さったものまである。たまに僕に向かって放たれることもあって、きっと避けるよりも後で良いだろうからそういったものは斬り払ったが、光矢は小さいため相殺することができないものも大量に出てしまった。

 そして十数秒が経ち、シノンが乱射した光矢が動き始めた。シノン自身も乱射を続けたまま、《ゴッズグローリー》を発動する。

―――ここ、まで……!!

 まったく、戦闘狂を自覚してしまう。自分の口角が吊り上がっているのを感じるし、四方八方からタイミングをずらして飛んでくる大量の矢を全身で知覚し把握したときに全身が高揚した。

 前後左右のみならず上下、はたまたターンや翅を使った空中機動、剣による打ち払いと相殺も含めて光矢に対応する。

 

 左に重心を移動して光矢を避けた。――はずだった。

 

スパッ

 

 当たりはしていない。掠っただけだ。それでも、僕とシノンの間でアイコンタクトが取られた。

 

「―――」

 

 避ける作業に加えてスペルの詠唱を始める。対するシノンはソードスキルを放った。六連射がソードスキルのスピードに乗ったまま、タイミングを合わせて逃げ道を減らすように僕に殺到する。

 しかしその矢の集団が辿り着く前に、僕の詠唱は完成した。今回のオリジナルスペルは水属性と土属性の複合。周囲に壁を張る形でエネルギーの奔流が溢れ出す。それにより光矢の包囲網に空隙が生まれた。

 シノンの方向から飛んでくる矢はシノンが直接放つ矢がほとんどだ。そしてシノンはソードスキルの硬直に入り矢の弾幕は生まれない。翅の急加速でシノンに迫り、その首に剣を突きつけた。

 

「はい、終了」

「――一発……当てたとは言えないか」

 

 シノンは肩を竦めて弓を下ろした。




 シノンさんが遂に主人公に攻撃を当てました……! そう言うと少し語弊があるような気もしますが、避けるのに専念した(油断していない)主人公に攻撃を当てるのは至難の業です。前話でモゼが当ててたのは主人公が手加減していたからですね。あの状態ならシノンさんなら蜂の巣にしています。ただシノンさんという強敵、ある種のライバル(避けると当てるのホコタテ的な)を前にして主人公が油断するかというとまた別の話ですが。

 あ、お知らせに入れるのを忘れてしまいましたが、新シリーズを書くのに手一杯でこちらを更新することは中々できないと思います。一応連載中にはしておきますが、更新頻度は落ちるどころではないので申し訳ありません。できれば、新シリーズでまたお会いしましょう。


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【ハロウィン番外編】

 大変お久し振りです。《白夜の騎士》の方が三月に完結しましたので、こちらに戻って参りました。本日は《Sword Art Online》の発売日ということで、死銃事件の直前のハロウィンを題材に一本書いてみました。どうぞ。


 その夜、《SBCグロッケン》はオレンジや紫の独特な色味に支配されていた。今日は十月三十一日、そう、ハロウィンの当日だ。この煙と火薬に支配された乾燥したGGOでも、このイベントにかこつけた装飾がなされていた。

 

「……レントさん? もしかして、GGOのハロウィン舐めてる?」

 

 ここ最近パートナーとしてプレイしているシノンとの集合地点に向かえば、彼女はいつものカーキ色のジャケットではなく、黒いマントとつばの広い魔女帽子を身に着けていた。

 

「――そう、だね。どうやら情報不足が目立つみたいだ」

 

 シノンが手を腰に当てたことで、そのマントの内側が露わになる。彼女はスリットが深々と入った黒いワンピースドレスで身を包んでいた。

 

「凄い似合っていて可愛いね。でもシノンちゃんまで仮装してるってことは、きっと何かあるんだよね?」

「え、ええ、ありがとう……。コホン、そうね、まずはその説明からしましょうか」

 

 シノンはピンと指を立て、説明を始めた。

 

「今日は仮装をすることで色々な特殊効果が得られるのよ。まあバフとしてはありきたりなものが殆どだけど、その中に注意すべきものが幾つか」

 

 数え上げるようにして彼女は指を折っていく。

 

「通常mobのポップ率()()、対人戦におけるバレットサークルの()()、弾丸によるダメージの一括()()……」

「ちょ、ちょっと待って。それってつまり、今日は戦うなってこと?」

 

 挙げられた特殊効果は総じて戦闘行為をそもそも起こさせないことを意図しているようだ。弾丸ダメージ減衰はメリットであるが、皆が皆そのバフを持っていれば、火力でも同量のバフを準備しなければいけなくなるだけだ。

 

「ええ、概ねそうね。今日は()()の戦いはしないのがオススメよ」

「普通?」

「今日戦うのは、ハロウィン限定mobなのよ」

「それは幽霊とか、ジャック・オー・ランタンとか?」

「魔女とかヴァンパイア、狼男もね。今晩から日曜まで、限定の特殊素材を落とす特殊mobが出現するわ。そしてそのmobをポップさせるには――」

 

 シノンは裾を抓んでくるりと一回転した。

 

「仮装による特殊効果が必要、ってわけ」

「なるほど……。大体理解したけど、僕の戦闘服は軍服だよ? 仮装にならないかな?」

「ならないわね、残念ながら。仮装って認められるためには、専用の道具による加工が必須なの。しかもその加工をすると防具性能とかは一定になっちゃうから、普段使いの防具に加工はできない」

 

 つまり本当にそれ用の衣装が必要になるというわけだ。げんなりとした僕を見て、シノンはにんまり笑った。

 

「情報収集を怠った誰かさんに、当日のこの時間に駆け込んでも衣装を準備してくれそうな、オススメのショップを紹介してあげないこともないかなぁ?」

「……頼むよ、シノンちゃん。この通り」

 

 頭を下げて手を合わせれば、彼女は満足そうに鼻を鳴らした。

 

******

 

 複雑な街の中をシノンに続いて歩いていく。確かに、このむさ苦しいGGOだというのに、道を歩くプレイヤーは誰も彼も仮装をしていた。ヴァンパイア、狼男、フランケンシュタインの怪物、ゾンビ、キョンシー、etc、etc……。出遅れたことに内心臍を噛む。

 

「ここよ」

 

 シノンが呼び鈴の付いたドアを開ける。彼女に続いてその中に入れば、温かみのある電飾に彩られた小ぢんまりした店内が広がっていた。GGOにしては――どこもかしこも鉄板、コンクリ、ガラスばかりなのだ――随分とハイセンスな店だ。

 

「いらっしゃい」

 

 鈴の音に呼ばれて奥から店員が出てくる。声の高さからして、恐らくは女性だろう。ハロウィンの仮装なのか髑髏の仮面をした、背が高く手足のひょろ長い人物が姿を見せる。

 

「シノンじゃない。仮装に何か問題でもあった?」

「いいえ、そうじゃなくて。仮装の準備をし忘れたお間抜けさんに仮装を見繕ってほしくて。仮装はこの通り完璧な仕上がりよ」

「それは良かった。で、そのお間抜けさんがそちらの――」

 

 二人揃って酷い言い草だが、これだけ大規模に行われるイベントを把握していなかったのでは、その評価も致し方ない。店員――いや、店主か――はシノンから僕に視線を動かし、間の抜けた声を出した。

 

「……レント?」

「ええ、僕はレントですが、どこかでお会いしたことがありましたか?」

「え、あ、ああ、そりゃこれじゃ分からないよね。私の名前は《ミト(Mito)》だよ」

「み、ト……、ああ、ミト!」

 

 通じ合う僕らにシノンが怪訝そうに眉を顰めた。

 

「……知り合い?」

「うん、SAOの頃からの」

 

 僕の端的な返答には、つまらなそうな声が返ってきた。

 

「へー、そうなのね。ミトは腕利き……とは少し違うかもしれないけど、尖ったメカニックよ。彼女ならレントさんも満足できるんじゃないかしら」

「ミトはここでも尖っているんだ」

 

 SAO時代の彼女の姿を思い出し、思わず喉が鳴る。

 

「ここでも?」

「ミトの当時の武器聞いたら驚くよ? 彼女が使ってたのは、変形鎖大鎌」

「変形鎖大鎌?」

「そう。普段は普通の鎌くらいなんだけど、変形させることで大鎌になるんだ。その鎌の長柄部分は鎖に幾つかのパーツが繋がっている状態に分離することができて、鎖大鎌としても使えるっていう俗に言う変態武器」

「あのねぇ、本人の目の前で尖っているだの変態だの言い過ぎじゃない?」

 

 ミトが不服を示すように肩を張るが、あんなおかしな武器を使う人間はSAO広しと言えどほぼいなかった。その意味で彼女はプレイヤーの中でも有名で、俺も大鎌の扱いに関してはアドバイスを貰ったこともあるくらいだ。

 

「ま、いいわ。レントに似合う仮装ねぇ……。よし、これにしましょう」

 

 ミトは店内を軽く物色すると、一つの袋を渡してきた。そして店の奥に続く通路を指差す。

 

「奥に試着室があるから、着てみて」

「了解」

 

 何を渡されたのか、少し戦々恐々としながら僕は奥へと向かった。

 

******

 

~side:ミト~

 レントを見送った後、私はシノンの肩を小突いた。

 

「で、レントとはどういう関係なの?」

「どっ、どういうもこういうもないわよッ」

 

 私は髑髏の仮面を押し上げる。長身には余り似つかわしくない顔のアバターであるから普段から仮面を着けているのだが、シノンには既に見せたことがある。

 

「嘘ついちゃって」

 

 じっとりと見つめれば、シノンはその視線から逃げるように天井を見上げた。

 

「ライバル……、今はコンビを組んでるけど、ただのライバルよ」

「へぇ、『コンビ』ねぇ……」

 

 『コンビ』。私にはそれが少し特殊な音に聞こえる。タッグでもパーティでも仲間でもなく、『コンビ』。その独特の距離感が懐かしく思えた。

 

「ミト!!」

 

 試着室から悲鳴のような声が聞こえるが、知らぬフリをする。

 

「似合うと思うんだけど、一回着てみなよ~! それでも駄目なら、また別のを渡すから!」

「……チッ!」

 

 私が譲らない様子を見せれば、レントは珍しく音高く舌打ちをした。それに内心目を瞠る。私は飄々とした彼しか知らない。それが繕った態度であったとしても、それを崩したところを見たことがなかった。

 それはSAOを生きて脱出したからなのか、それとも――。

 

「シーノン、そんな顔で見ないでよ」

 

 疑わし気に私を睨む、この女の子の力なのか。

 

「そんな顔って、どんな顔よ」

「今にも『この、泥棒猫!』って言い出しそうな顔、かな」

「なっ……。そんなこと言わないわよ!」

 

 本人はこうも強がって見せるが、彼女の様子はちょうど三年前くらいの、キリトと一緒にいるときのアスナによく似ていた。

―――あの()()()()()()と同じタイプなのね。

 いや、思い返せばSAOの頃からそうだったか。あの二人、アタッカーとして有能なのと同じくらい有能な女たらしであった。そのくせ二人してその気がまるでないものだから、泣いた女は数知れず、男女比の偏るSAOでそんなことをしたから泣いた男も数知れずだ。

 キリトがアスナ一筋なのは私や周囲の人間からしたら一目瞭然だったが、レントはそんなこともなく、強いて言うならキリト一筋だった。

 

「ミト……、恨むよ?」

 

 色々と葛藤したのだろう、レントがようやく試着室から姿を現した。

 

「レント、その恰好――」

「……」

 

「メイド服じゃない!」

 

 

 シノンの上げた声は歓声と悲鳴が入り混じったようなものだった。レントも居心地が悪そうにそっぽを向いている。満足しているのは私だけのようだった。

 この世界のレントのアバターは現実世界の姿によく似ているが、GGOらしく少し厳めしくなっている。当然、メイド服を着せたら高身長もあって似合う筈がないのだ。筈がなかったのだが……。

 

「……なんか、少し似合っているのが腹立たしいわね。百二十点が出る筈だったのに百点が出てきた感じで何とも言えないわ」

 

 レントは酷く嫌そうな顔をして私に告げた。

 

「他のものは!」

「はいはい、次はちゃんとしたのを持ってきますよー」

 

 メイド服のレントを眺めればいいのか、眺めない方がいいのか、挙動不審に陥っているシノンを後目に私は準備していた次の衣装を渡した。

 今度は試着室に行く前に中身をチェックしたレントは、軽く頷いてからまた試着室に戻った。

 彼の姿が消えたと同時に、シノンに掴みかかられる。

 

「ちょ、あれ、どういうことよ!?」

「ごめんごめん、ちょっと遊びたくなっちゃって。でも面白かったでしょ?」

「……まぁ、良かったけど」

 

―――『良かった』って、ねぇ。

 これで隠しているつもりなのか。もしかしたら自覚もしていないのかもしれない。まだきちんと名前を付けられるほど育っていない感情の萌芽が感じられた。

 

「ねぇ、ミト。SAOの頃も、レントさんって『強い』人だったの?」

「そうね。一緒に戦ったことは殆どないんだけど、強かったよ。――あーあ、シノンはいいなぁ」

「え?」

 

 私は行儀悪く、レジカウンターに座った。目を瞑り、彼と出会ったSAOの日々を思い出す。

 

「私はさ、『強く』なかったんだ。SAOでも、……現実でも。だから、()()()の隣にも、後ろにさえも立てなかった」

 

 シノンが不思議そうに首を傾げるが、きっと彼女にもいつか理解できる日が来るだろう。

 

「だからシノンが羨ましい。『コンビ』なんでしょう? あいつの背中を任されるシノンが、少しだけ羨ましい」

 

 試着室のカーテンが開く音がした。

 

「私が『強い』人だったら。きっと、立場は変わってたんだろうね」

「何を――」

「話はここまで! レント、どう?」

 

 通路から丁度レントが現れる。私の言葉がシノンに届く必要なんてない。私はもう当事者ではないんだから。こんなハロウィンの亡霊みたいに立ち上がった想いなんて、いつかこのやり取りを思い返したシノンが後から気付くくらいが相応しい。

 目を開き、仮装をしたレントに目を遣る。彼は黒々とした燕尾服を元にした、ヴァンパイアの仮装を完成させていた。高い身長と存外造りの安定した細身の体は燕尾服がよく映え、白い髪をオールバックにしたことで晒される白い顔面は鼻が高く、その背格好に見合った品の良さを醸し出していた。

 

「メイド服に比べずとも、良い仮装だね。最初からこっちを出してくれれば良かったのに」

「それじゃつまらないじゃない。じゃあ、それで決定ね。会計、済ませちゃいましょう」

 

 着たままの衣装を軽くタップすれば、売買契約ウィンドウがポップアップする。レントは額を確認してからそこに掌を置き、支払いを済ませた。

 

「ありがとう、ミト」

「ま、シノンの頼みだしね」

 

 SAOのときより大人びたアバターの癖に、あの頃と変わらない笑みを見せる。我慢できずに口が動いた。

 

「そういえば、レントはシノンのことどう思ってるの?」

「どう、って。腕の良いパートナーだよ」

「『パートナー』、ね。ありがと。……シノンのこと、泣かせたら許さないからね」

「う、うん?」

 

 私の言葉の意味が理解できないまま、レントは肯ずる。その後ろでシノンも同じような顔をしているのを見て、自然と頬が綻んだ。

 

「じゃ、狩りに行ってきなさいな。あ、うちは武器の方も見ているから、レントも何かあればまたどうぞご贔屓に」

 

―――まだまだ無自覚な二人の未来に祝福を!

 二人はまた鈴を鳴らして街へと、その先のフィールドへと歩き出していた。

 

******

 

~side:シノン~

 シャリン、と音を鳴らしながら店内に入る。鈴の音ですぐに奥から店主が現れる。

 

「いらっしゃい」

 

 彼女は私を見て、すぐ髑髏の仮面を外した。彼女自身はGGOでは数少ない女性プレイヤー同士仲良くするためと言っているが、死銃事件が終わってからそうし出したから、きっと気遣ってくれているのだろう。

 

「今日はどうしたの?」

「……一つ、報告したいことがあって」

 

 私の様子に、ミトは何かを察したみたいだった。彼女はいつも察しが良い。それとなく聞いてみたら、『SAOで色々経験したから』と返されたものだ。ああ、それならきっと、親友のアスナに同じように話しかけられたことがあるから、今も居住まいを正したのだろう。

 

「その、レントと、こ、恋人になったわ」

「おめでとう」

 

 ミトは静かに笑いながらパチパチと手を叩く。

 

「それで、去年のハロウィンを思い出したの」

「ああ、レントを連れてきたときの」

 

 ミトは表情を崩さない。

 

「そう。それで、あのときの言葉の意味が漸く分かった。……ミト、貴女もレントが――」

「うん、好きだった」

 

 表情を崩さないまま、ミトは言葉を紡いだ。

 

「何回も助けられて、何回も助けられなかった背中を見て、それでも変わらない彼を信じた。『強い』人だと思わせてくれた。恋をしてしまった」

 

 私を見て彼女は笑う。

 

「そんな顔で見ないでよ。安心して、もう、この恋は捨てたから。私は『弱い』。彼の隣に立つことも、後ろに立つことすらできなかった――ってのは前に言ったか」

 

 ミトはやっと表情を変えた。それは、酷く寂しそうな顔だった。

 

「私には、彼は自分を崩してはくれなかった。彼の城に私は踏み込ませてもらえなかった。女装を見せたくないなんていう分かりやすい反応、あのハロウィンで初めて見たのよ。私は彼の作り上げた、いつも態度を崩さない落ち着いた『レント』以外を見せてもらえたことがなかった」

 

 言葉を重ねるその様子は、まるで丁寧に自分の心を殺しているように見えた。

 

「だから、きっと私じゃなかったの。彼に認められる『強い』人じゃなければいけなかった。それが貴女だった」

「……」

「きっとね、貴女はレントの『弱い』部分を知っているんでしょう? 『強い』レントってのが幻想だってこと、薄っすら気付いてた。でも私も『強く』なかったから。だから諦めた」

 

 ミトは自嘲するように、いや、私を祝福するように笑った。

 

「あのハロウィンのとき、安心したの。二人はまるで気付いていなかったけど、お互いがお互いを向いていた。この二人なら、互いの『強い』部分も、『弱い』部分も支え合っていけるだろうって思えた」

「そう、だったの。あのときはまだ、全然そんな感じじゃなかったのに」

「ふふ、あんまり好きな言葉じゃないけど、きっとこういうのが女の勘って言うのね。シノンは私の友達。貴女にも幸せになってほしかったから、レントが貴女に『レント』を少し崩しているのが悔しいようで、同時に嬉しかった」

 

 ミトはまた拍手を繰り返した。

 

「改めておめでとう、私の友達、シノン。幸せを掴みなさいね」

「……ありがとう、ミト」

「あと言っておくけど」

 

 ミトはおどけたように指を立てた。

 

「レントの女たらしぶりに泣いてる人数は多いからね。いちいち気にしてる余裕はないわよ? 気を強く持ちなさい」

「――ええ、そうするわ。アスナにもアドバイス聞かなきゃ」

 

 私とミトは顔を見合わせて笑った。




 ミトの登場、です! SAOPの映画がこれからどう進んでいくかは分かりませんが、たとえ何があっても彼女は救済します()。その決意表明も兼ねて登場してもらいました。レントさんに惚れてたのはご愛敬です。まさかキリトに恋してアスナさんと三角関係するわけにはいかなかったので……。

 SAOPの映画でキリアスの『コンビ』『パートナー』発言が凄い頭に残っていました。あの映画、二時間ひたすらキリアスのイチャイチャを見せつけられたようなもので脳が焼けました。結果、こんな話になりました。どうしてSAOPのキリアスあんなに甘いのに付き合ってないの……? あそこからどうして離れ離れになったの……?


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#74 星錬-工房

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 いつもと違う13時。いつもと変わらなかった13時。SAOにおいて記念すべき時間がやって来ました。内容はいつもと変わらないゲーム話ですが、どうぞ。


 カチャン。エギルがカップをソーサラーに置く音がログハウスに響いた。

 

「さて、今日は俺の招集に応えてくれてありがとう」

 

 畏まったその始め方に、キリトが肩を竦める。

 

「おいおい、これからボス攻略でも始まるのか?」

「ふふっ、確かに。《トールバーナ》にでもいるみたいだ」

 

 あの日の攻略会議に参加した僕とキリト、エギルはそれを思い出して笑う。僕の隣に座るシノンが口を開いた。

 

「SAOの話?」

「うん。第一層で、初めて行われた攻略会議が開かれたのが《トールバーナ》だったんだ。それを開催したディアベルの第一声が、正しく今のみたいだったんだよね」

「へぇ」

 

 当時の攻略に参加していなかったクラインとシリカが納得顔で頷く。

 

 

「で、本題は何? どうして私が呼ばれたのよ」

 

 

 ソファに我が物顔で座る()()が冷たく話を促した。彼女もあの攻略会議には参加していたはずだが、どうにも乗ってもらえない。

 

「ああ、悪かった。今日皆に集まってもらったのは、伝説級武器を獲得する手がかりを得たからだ」

 

―――伝説級武器、ね。

 その言葉にやや前のめりになる。アップデートで大量に追加されたとはいえ、その価値はまだまだ高い。むしろ一定量が確保されたせいで多くの者が獲得を真剣に目指すようになり、その市場価値は高まりつつある。当然、それに繋がる情報も貴重だった。

 

「うちの店で入った情報だ。――その名も《洞穴工房》」

 

 ゴクリ。唾を呑み込み、エギルの次の言葉を待つ。

 

「そこに控えるボスを倒すと、伝説級武器を一つ()()()()ことができるらしい」

「武器を、造らせる?」

 

 武器なのだから新しく造ることは当然可能であろうが、そこは腐っても伝説級だ。そう簡単に造れるようなものではない。

 

「ああ。ボスはドワーフらしいんだが、実際にそいつに造らせたっていう伝説級武器を俺も実際に見させてもらった。確かにその武器詳細には『《洞穴工房》にてドヴァリンが造る』って由来が書かれていた。お前達のはどうだ?」

 

 促され、僕とキリト、クラインは自身の伝説級武器のポップアップウィンドウを開いた。

 

「……いや、特に製造者の情報はないな」

「同じく。東西統一デュエルトーナメントの賞品、とはあるけどね」

「俺もだ。カグツチが霊魂を込めたとは書かれてるけんど、本体の刀自体がどこの何某に鍛えられたってのはねぇな」

 

 なるほど、その武器の信憑性が上がったことは事実だ。だがそれだけではまだ探索には出られない。

 

「その《洞穴工房》の場所は分かってるんですか?」

「詳しい場所まではどうにもな。だが、大まかな当たりは付けられている」

 

 エギルはホロウィンドウでALO全体のマップを表示した。そして大陸の中央にぐるりと円を描く環状山脈の上に九等分する線を表示する。その中の一区画を浅黒い指で示した。

 

「この範囲の山脈内のどこか。それが《洞穴工房》の在り処だ」

 

 クラインが頬をひくつかせる。

 

「おいおい、そりゃカグツチのときより大事じゃねぇか。具体的な座標も分かんねぇんじゃ……」

「いいや、そうでもない。洞窟の入り口自体は既に発見されているんだ」

 

 全員の疑問の視線がエギルに集中する。入り口が分かっているなら、なぜこのような回りくどい示し方をしたのか。そんな視線を受け、エギルは大きく溜め息を吐いた。

 

「そこが《洞穴工房》の面倒なところなんだ。ボスの連中は穴を掘って山脈の中を移動している。一度撃破されたら次の区画に移るが、撃破されなかった場合は新しい穴を掘って山脈内の別の位置にボス部屋が移動するんだ。だから一回ボスに挑戦したらエリアマップは使い物にならなくなる。何せ洞穴が崩壊するような無茶苦茶な掘り方をしやがるからな」

「つまり、入り口は固定だけどそこから続く洞窟ダンジョンを攻略しなきゃいけないってことですか?」

 

 シリカの確認に、エギルは大きく頷いた。

 

「ああ。だが情報ではmobは出現しない半安全圏のようになっていて、最奥のボス部屋を見つけるだけの迷路だそうだ」

 

 迷路、その言葉に僕とシノンとクラインの目線はキリトに集中した。

 

「……確かに、《聖剣エクスキャリバー》と《行先案内機》の組み合わせは強力だ。だけど、強力過ぎる」

 

 キリトは僕らの無言の問いかけに首を横に振った。

 

「今回はカグツチのときと違って時間制限も無いんだろ? 大人しくマッピングを楽しもうぜ」

「それもそうだなぁ。あれは何つーか、ダンジョン攻略してる感じじゃなかったもんな」

「甘いこと言うのね。ユイのチートじゃないゲーム内で認められたコンボなんだから使えば良いのに」

 

 僕が霊城カグツチ攻略で大活躍だった《行先案内機》の説明をシリカとミトにする裏で、キリト達の結論は出たようだった。

 それを見ながらエギルは少し気不味そうに頭をかいた。

 

「あー、そう言ってくれるのはありがたいんだが……」

「どうしたんだ?」

「マッピング、ほぼほぼ終わってるんだよな」

 

 たっぷり数秒の沈黙の後、僕は耳を手で押さえた。

 

「「何でだよ!!!」」

 

 ダンジョン攻略にやる気を見せていたキリトとクラインの渾身のツッコミが入る。僕を見て察したシノンとシリカは大丈夫だったが、出遅れたミトは眉間に皺を寄せた。

 ツッコミを受けたエギルですら耳に当てていた手を外して返す。

 

「何でと言われても……。そのデータを買ったんだから、そりゃそうだろ」

「はぁ?」

 

 シノンが脚を組み替える。彼女は《光弓シェキナー》を手に入れるまでは、《弓》の伝説級武器が転がっていないか頻繁に情報交換掲示板やらを覗いていた。今の伝説級武器とその情報の相場を十分に理解している。その彼女から見て、ここまでの情報に加えてダンジョンのマップデータという王手をかける情報の価値は思わず疑問が口から出るほどに高いものだった。

 

「エギル、貴方いくら、いえ、何を払ったの? そんな情報、相当な額を積まないと割に合わないわ」

 

 エギルはあくどい顔で笑った。

 

「代金は後払いでな。その代金の支払いをお前達に手伝ってほしいわけだ」

「えー。俺ぁ人の借金肩代わりするのは嫌だぞ」

 

 クラインの言葉にエギルは指をこれ見よがしに振った。

 

「俺がいつ代金が現金だなんて言った?」

「勿体ぶらないで。さっさと言いなさいよ」

「……俺が代金に求められたのは、ボスを撃破して伝説級武器を獲得することだ」

「え! 伝説級武器あげちゃうんですか!?」

「いいや。伝説級武器は俺が貰うことになっている。より正確に言えば、()()()()()()()が今回の代金なんだ」

 

 全員が首を傾げた。

 

「《洞穴工房》のボスは過去に八度倒されている。そして九度倒すと、《洞穴工房》がプレイヤーに使用可能な工房として開放されるんだ。今回の取り引き相手は、その開放された工房を手に入れたがっている」

「……なるほど。つまり自力ではボスが倒せないし、他の者にボスを倒されては工房を独り占めされる可能性が残る。だから信頼できるものにボスの打倒を依頼し、武器は渡す代わりに工房を譲らせる手に出た、と。納得がいきました」

 

 僕の言葉にエギルは太い指を鳴らした。

 

「その通り。というわけで、皆に力を貸してほしい」

 

 頭を下げるエギルに、一人を覗いて軽く頷きを返した。そして残った一人――ミトが口を開く。

 

「で。まだ私を呼んだ理由を聞いていないんだけど」

「ああ、それは今回の攻略をミトに手伝ってもらいたくてだな」

「なんで? 他はともかく、レントとキリトがいたら大体のボスは倒せるでしょ。アスナもいないし……数合わせ?」

 

 ミトはただただ不機嫌そうだった。彼女の主戦場はGGOだが、日本のVRプレイヤーとしてALOもプレイしてはいた。しかし今までの僕らとの関わりは少ない。シリカなんてミトと会ったのは今日で三回目くらいではないだろうか。そんな面子に囲まれてしまえば、数合わせのように思われても致し方ない。

 エギルの回答を遮って僕がミトに答えた。

 

「数合わせと言われるのも仕方ないかもしれない。実際、一パーティ分の人数が集まらなかったんだから。その空いた枠にミトを推薦したのは僕だよ。だけど、ただの数合わせじゃない。折角ALOのデータもあるんだから、こっちでも仲良くやりたくてさ」

「……ふぅん、そう。まあ、そこまで言うなら」

 

 少しは機嫌を直してもらえたみたいだ。未だ釈然としないような顔はしているが、それでも腰をまたソファに落ち着けてくれた。

 僕も姿勢を戻せば、隣に座るキリトがそっと耳打ちしてきた。

 

「お前、刺されないか?」

「君には言われたくないなぁ」

 

 シノンの視線は、僕よりも茶化したキリトの方に冷たく向けられていた。

 

「んん、気を取り直して、だ」

 

 エギルは咳払いをしつつ、この場に集まった全員に同じデータを送信した。

 

「これがボスの情報だ、確認してくれ」

 

 それを見た全員が、きっと同じ表情をしていた。

―――うわ、ダんルっ。

 

******

 

 そんなこんなで日程を合わせた僕らは、工匠妖精の領地から程近い位置の洞窟の入り口に集合した。入り口の前で六人がエギルと、その隣にいたやや小太りのプレイヤーを見つめた。

 

「こちら、今回俺と取り引きをしてくれた《シーロック》さんだ」

「皆さん、どうもご協力ありがとうございます。本当なら多数での攻略が望ましいのですが、ボス部屋の規定で一パーティが限界なのです。九度目、最も困難な最後のボス戦も皆さんならきっと成し遂げてくださると信じています」

 

 いやに下手から、こちらを驕らせるような口ぶりでシーロックは話す。手を揉むその瞳はまるで金に眩んでいるようだった。

 

「よし、じゃあみんな、行くぞ!」

 

 珍しいエギルの掛け声に合わせて気炎を上げ、順にダンジョンへと足を踏み入れた。

 安全圏からダンジョンに入ると、すぐに入り口の外とは空間が隔離される。安全圏に入り口のあるダンジョンならではの特殊な状況だ。

 

「ねぇ、エギル」

 

 シノンがふと口を開く。前情報通り暗い洞窟内に僕ら以外の気配はなかった。

 

「分かってる」

「分かってるならどうして取り引きなんかしたのよ」

 

 ミトも続いてエギルを責めるような声を上げた。この二人には少し似ている部分があるのかもしれない。

 クラインですら何か言いたげな顔を隠さない中、キリトとシリカは不思議そうにしていた。彼らにも分かるよう、僕も後を追った。

 

「あのシーロック、間違いなく裏がありますよ。面倒なことに巻き込まれること間違いなし……。エギルさんがそんな見え見えの地雷を踏みに行く質とは思えませんが?」

 

 エギルは禿頭を掻いた。そして渋い顔で事情を話し始めた。

 

「巻き込んで悪かった。だが、これには事情があってだな。俺だってあんなのと取り引きはしたくなかったが、うちの常連があいつに取り引きを持ちかけられてたんだよ」

 

 その言葉で大よそが察された。シーロックが見るからに怪しかろうと、それだけで取り引きを横から止めさせることはできない。常連を危険な目から助けるためにはエギルが先んじて取り引きをしてしまうのが最善策だったのだろう。

 

「それ、先に言うべきじゃない?」

「……奴は怪しいが、ここの伝説級武器の話自体は本当の可能性が高い。俺の思い過ごしで過ぎれば良いと思ったんだが、お前達の見立てでも駄目か」

 

 エギルは悄然と肩を落とす。そこにクラインが肩を組んだ。

 

「ま、気にすんなって。どんな悪意だろうと、正面から打ち破ってやりゃいいのよ。な、黒白!」

「はは、まあその通りだな」

「そうですね。ただ黒白ってまとめて呼ぶの止めてください」

「ケチぃ」

 

 肩を小突いてくるクラインを雑に振り払えば場の空気が和んだ。マップデータに従って歩くだけの時間が長い今回、場の空気を維持することは地味に重要なことである。

 ダンジョンとなっている洞窟はずっと均一な広さの空洞が続いており、上下左右に捩じ曲がって起伏も多いものの人工物である感を禁じ得なかった。等間隔に松明のように光る石が壁に埋まっており、あたかも迷宮区上層のような雰囲気を醸し出していた。

 マップデータは一か所を除いて埋められており、その埋まっていない一か所がボス部屋に続く場所であると考えられた。このダンジョンは迷路が主であるという情報は事実のようで、洞窟内には様々なところに脇道が生えていたが、提供されたマップに従って進めばほぼ一直線で僕らは進んでいた。

 下らない日常話をしていれば、約十五分の移動時間を経てマップデータの端へと僕らは辿り着いた。

 

「さて、早速聞いていない事態が出たわね」

 

 マップの端は道が続いているのではなく、洞窟を埋める扉が鎮座していた。

 

「えっと、行き止まり、ってことですか? ――きゃっ」

 

 シリカは首を傾げながらその石扉に触れる。途端、彼女の手の先からワインレッドの光が扉全体に走り、まるで生物のように扉全体が脈動した。

 

「な、なんですか、これ……」

 

 思わず扉から飛びのいたシリカが扉を見上げて告げる。ワインレッドの光は扉に入った溝を浮かび上がらせ、文字の形を取っていた。

 

「『九の星の力を降ろし、鍛え練り究極の一を求めよ』だぁ?」

 

 クラインがそれを読み上げる。それきりシンと沈黙が広がった。

 

「……どうするのよ、これ」

「何か手がかりを探すしかないんじゃない?」

「「……はぁ」」

 

 元々余り気乗りでなかった二人は露骨に肩を落とした。マップデータによって迷路をショートカットできるはずだったのが、ダンジョン内のどこにあるかも分からない手がかり探しに変更になったらそういう態度にもなるだろう。

 僕は横で顎に手を当てて考え込むキリトに声をかけた。

 

「キリト君、どう、何か思いつくことある?」

「……九の星、ってのは、多分惑星のことだろ?」

「水金地火木土天海……あと冥を合わせて確かに九だね」

「ま、だからといって何があるってわけじゃないんだが」

 

 キリトもこれだけではお手上げのようで、手を降参するように広げると無遠慮に扉を調べに向かった。

―――流石に、この場に何かはあるはず。

 迷路というダンジョンの仕組みからして、本来は全ての道を攻略するようなものではない。敵もいないわけであるし、僕らのようにマップデータを持っていなくとも運で一発でここに辿り着く者もいるはずだ。そこに、迷路に身を投じなければならなくなる仕掛けを準備するとは考えづらい。きっとこの扉はこの場だけで解決できるはずだ。

 

「あ、レントさん! こっち、ちょっと来てください」

 

 ぴょんぴょんと跳ねるように、洞窟の横壁を見ていたシリカが僕を呼んだ。

 

「これなんですけど、取り外せるようになっています!」

 

 彼女が指差したのは光源として用いられている光る石だった。確かに、ここまでの道中の壁に埋め込まれていたものとは異なり、態々指をかける場所まで準備されているこの石は取り外すことを前提とされているようだった。

 ひとまずシリカに示されたそれを取り外すと――僕の方がシリカより身長があるから取りやすいのだ――、光で視認性は最悪だがその石に♂のようなマークが刻まれていることが分かった。これは雄を意味する記号で有名だが、同時に占星術においては()()を意味する記号だ。

―――『九の星の力を降ろし』ね。

 

「「みんな!」」

 

 僕とシノンの声が重なる。僕は視線で、反対側の壁際のシノンに説明を譲った。

 

「この壁に嵌まっている石だけど、取り外せるものが中にはあるみたい。それがその文章の『九つの星を降ろし』に対応しているんだと思う。扉にはちょうどこの石を嵌められそうな窪みもあるし、そこにこの石をセットすることがキーなんじゃないかしら」

 

 彼女が見つけた石は水星のマークが刻まれたものだった。シノンの言葉を僕も取り外した石を示して補足すれば、他の五人も取り外せる石へと手を伸ばした。

 扉に近い壁から合計九つの石が取り外される。そして扉にはお誂え向きの九か所の窪み。窪みの底には見えにくいが石にあった惑星記号が刻まれている。僕らはそこに対応する石を嵌め込んだ。

 すると赤い光が氾濫し、扉に走る光がまるで亀裂のように見えた瞬間、扉は弾け飛んだ。思わずガードした両腕を下ろせば、目の前には奥へと続く、今度は明らかに整備された石造りの通路が現れていた。

 

「――よし、じゃあ進むぞ!」

 

 ボス部屋が近いことを察し、エギルに続いて全員が武器を掲げた。




 今回は山も谷も作れず、ブランクの長さを感じております。情けない。
 ミトは擦っていく強い意志。SAOPの映画との整合性を取るため、第一話のアスナとのシーンを修正しました。
 VR、実現しませんでしたねぇ……。


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#75 星錬-四体

 楽しくゲーム話をしていきましょう。どうぞ。


 石造りの通路を進む。先頭に立つのはエギルだ。それは彼が発起人だからであり、また彼が僕らの中で唯一のタンクであるからだ。

 通路は思いの外短かった。三十メートルほどで通路は終わり、僕らは広々とした空間に出る。そこは五階建てのビルが十棟ほども入りそうな洞窟で、その端はシステムによって僅かに霞んで表現されている。

 この洞窟こそが《洞穴工房》であることは一目瞭然であった。これだけの広さでありながら、さながらゴミ山のようにあらゆる装備が地面に積まれていたのだ。巨大な壁はその全面が炉であったり、素材の採掘所であったり、道具置きだったりに変えられていて、工房として十分以上の能力を備えていることが分かる。このパーティにリズベットがいないことが惜しまれる。彼女に聞けば、この工房の凄絶さを解説してもらえただろうに。

 工房の広さに呆然とする僕らに、《洞穴工房》にいた()()が声をかけてきた。

 

「お、お、お。お客さんじゃないか!」

 

 それは僕らのかなり上からの言葉だった。ドワーフと聞くと一般的には小人を想像するだろうが、彼の恰幅の良い体は小さなビルのようなサイズだった。だが彼の数メートルもある巨体も、この洞穴の中で見れば逆に自然に見える。それが彼()が工房の主であると証明していた。

 

「懲りないわっぱは嫌いじゃ。いい加減客だ客だと受け入れるのを止めい」

 

 一人目に続き、奥から()()()の巨人が現れる。

 

「ぬぅん? まぁた来よったのか」

「やはり、あの戸のセキュリティ意識には問題があるんです。部外者がこれほど入ってくる」

 

 続いて現れた()()()()()()。四人目の言葉に三人目が反応する。

 

「おぉん? お前ぇ、俺の発想にケチつけようってのか?」

「つけようじゃなくてつけているんです。事実として足りていないでしょう――頭が」

「何おう!」

 

 口論からもつれ込み、そのまま三人目と四人目は殴り合いながら奥に転がっていった。一人目が苦笑いしながら、僕らと目線を合わせるようにしてしゃがみ込んだ。

 

「ご、ご、ご。ごめんね、びっくりしたよね。あ、あ、あ。あいつらはいつもああなんだ。き、き、き。気にしないでくれ、君らを悪く扱いたいわけじゃない」

「ふん、そんな甘いことを言うでない。小妖精どもが業突く張りでなかったことなどないではないか。今にこ奴らも我らにその剣先を向けてくるのよ」

 

 二人目はチラチラとこちらを見ながら、そう吐き捨てた。僕らは顔を見合し、構えていた武器を収める。代表してエギルが前に出た。

 

「あー、悪い。いきなり斬りかかったりするつもりはなかったんだ、警戒してただけで」

「だ、だ、だ。だよね、良かった良かった」

「では何が目的じゃ。何もなくこんな洞穴の奥に入り込んだりはせんじゃろう」

「この《洞穴工房》の噂を聞いて確かめに来たんだ。本当にそんな立派な工房があるのかってな」

 

 立派と褒められ、二人は満更でもなさげに息を吐いた。二人目にあった敵意はもう感じなくなっていた。

 

「ほほう、どんな噂じゃ。我らは表には出ぬのに、どんな話が伝わったというのか」

「――この工房で、伝説級武器を作ってもらえるって噂さ」

 

 ピンッ。そんな音が聞こえそうなほど、エギルが伝説級武器と言った一瞬で工房内の空気が固まった。いつの間にかお互いを殴りながら近づいてきていた三人目と四人目も殴り合いを止めてこちらを見ている。

 

「なんだ、君らもそうなんじゃないか。失望した。消えろ、ゴミ」

「ッ退避!」

 

 パーティメンバーは流石の反射神経を持って、僕の退避勧告に従う。四方に散開すれば、次の瞬間には僕らがいたところに棍棒が突き刺さっていた。

 態勢を整えて改めて四人の巨人を見る。彼らにはそれぞれ二本ずつ、先程までは見えなかったHPバーが出現していた。

―――伝説級武器がトリガーか。

 中立NPCが一気に敵になるなんてよくある展開だ。よくある展開ではあるのだが――

 

「一気に四体相手なんて聞いてないわよ!」

 

 ミトの絶叫のような言葉は、僕ら全員の内心と一致していた。

 

「エギル、どうする!」

 

 キリトが今回のリーダーであるエギルに言葉を飛ばす。彼は返答に窮した。当然だ、いくらSAOでも――SAOだからかもしれないが――四体同時討伐は中々ない経験だ。それに加えてこちらは七人の一パーティ。一体に二人でかかることすらできない人数差だ。

 ドワーフ達はどうやらまだ様子見をしているようだ。その間に僕は観察で得た情報を並べ立てる。

 

「ドワーフ達の名称は、出てきた順にアールヴリッグ、ドヴァリン、ベルリング、グレール! それぞれ武装は違います。順に棍棒、短剣、盾、槍!」

 

 最初の攻撃をしたのはアールヴリッグだったのだろう。見た目に反する素早い一撃だったが、雰囲気が変わると同時に吃音も消えたから、爪を隠していたのだろう。

 

「……レント、一体頼めるか!?」

「無論!」

「よし、レントが一体を引きつけ、その間に残りに対処する! 俺とキリトが前衛を張るから、クラインとミトがダメージを稼いでくれ。シリカとシノンは全体支援!」

「「「了解!」」」

 

 こちらが戦意をもって動き出せば、それに呼応するように四体の巨人ものそりと身を動かす。

 

「アールヴリッグ!」

「ゴミが騒がしいんだよ!」

 

 人が変わったようなアールヴリッグは、僕が声をかけただけで簡単にこちらにヘイトを向けて地面を蹴った。

―――やっぱ、速い!

 アールヴリッグは一瞬で僕の目の前に移動し、得物の棍棒を振り上げる。至近で観察すれば、その棍棒は細い棒に二匹の蛇が絡みついた意匠で、棍棒というよりも杖の見た目をしていた。巨体に合わせたサイズ感とアールヴリッグの使い方から棍棒にしか見えないのだが。

 

「っと!」

 

 突き出された棒の先をひょいと避ける。洞穴の地面に突き刺さるそれは、しかし速いだけで重くはなさそうであった。そんな観察をする間にアールヴリッグは僕の背後に移動している。

 

「ふんッ!」

 

 横薙ぎに払われる杖をしゃがんで避け、一気にアールヴリッグの間合いに踏み込む。僕が剣を振ろうとするときには、既にアールヴリッグは僕の間合いを離れていた。

―――面倒な。

 相手のスピードのせいで、完全に間合いを取られている。これでは攻撃の当てようがない。

 苦い顔をした僕を見て調子に乗ったのか、アールヴリッグは野卑な笑い声を上げながら再び僕の背後に高速移動した。

 

「まあ、その分動きは単純ですが」

 

 背後に跳びながら剣を突き出す。杖を払おうとしていたアールヴリッグはいきなり動きを変えることができず、その腹に僕の剣先は突き刺さった。

―――《フォトンクォンタム》!

 突き刺した状態で光剣のエクストラスキルを発動する。サイズを最大値に上げれば、傷口を無理矢理広げられたアールヴリッグは苦悶の声を上げた。

 

「ぬああああ!」

 

 その隙に斬り払い、サイズを元に戻した剣でソードスキルを発動する。轟音を立てる剣閃は過たず巨人の右手を直撃し、痛みと衝撃でアールヴリッグは杖を手放した。

 

「しまッ……」

 

―――やっぱりそうか。

 巨体に見合わないスピード、二匹の蛇が巻きついた杖、そして伝説級武器を作るドワーフに、入り口の『九つの星の力』という言葉。それらを総合的に判断すれば、アールヴリッグの杖は()()を司るメルクリウス――ギリシャ神話のヘルメスが持つ杖を模した伝説級武器であると推定できる。そして伝令神であり、公転周期の短い水星を司るヘルメスをモチーフにしたそのエクストラスキルは、移動速度の上昇。高すぎるスピードの理由はそれだ。

 つまり杖を手放せば、奴のスピードは落ちる可能性がある。キリトの《聖剣エクスキャリバー》は装備状態というだけでバフが乗ったため分の悪い賭けだったが、どうやらそれに勝ったようだ。

 杖に手を伸ばさせないように杖の前に立ちはだかり、徒手となったアールヴリッグと相対する。

 

「さて、時間稼ぎくらいはさせてもらいますよ」

 

******

 

~side:ミト~

 相変わらずだな、と思った。

 私達に事前に与えられていたボス情報はほんの僅かだった。《鼠》の情報とはまるで量に劣るそれは、質の面でも圧倒的に劣っていた。

 ボスとして事前に知らされていたのは敵がドワーフであること、そのサイズ、そして倒す度にHPバーが増え、武装が変わるということだけだった。

 けれど対面して殴り合えば、その誤り――いや隠蔽は明らかだった。増えるのはHPバーだけでなく、対峙するドワーフ自体も増え、また彼らの武装は伝説級武器だった。

 

「カウント行くぞ! 三、二、一、スイッチ!」

 

 エギルとキリトがドヴァリンとグレールの短剣と槍をパリィし隙を作る。盾持ちのベルリングにはシノンの集中砲火とシリカのペット――ピナだったっけ――の目晦ましを浴びせて釘づけにする。

 

「行くぜぇ、カグツチ!」

『応!』

 

 私とクラインが武器を振る。これで一撃――になるはずだった。

 

「ふん!」

 

 ベルリングが()()()()()()()()()、その円盾を力強く構える。するとその縁から岩壁のようなものが広がり、私とクラインの刃を遮る!

―――この、また!

 これがあの円盾のエクストラスキルに違いない。目の前でボロボロと崩れ落ちていく岩を見ながら臍を噛む。一時的な当たり判定の超拡大は、タンクが構える盾としてはこれ以上なく厄介だった。

 

「そぅれっ」

「はッ!」

 

 岩壁の崩れる隙間から、ドヴァリンとグレールの攻撃がこちらに迫る。ドヴァリンの持つ金褐色の短剣は一度揺らめきを見せると、同様の短剣がその剣先に次々と現れて鞭のような形となって襲いかかってくる!

 

「こな、くそっ」

 

 縮尺の違いで短剣といえども大きすぎる刃が私の周囲を取り囲み、そのまま包囲網を縮める。私は大鎌の柄を即座に分離させ、その一端をエギルに投げつけた。意図を察した彼がそれを引っ張ることで私は刃の包囲陣を抜け出る。

 クラインを狙ったグレールの槍は穂先を炎に浸していた。空中で身動きの取れない彼の前にはキリトが跳び上がり、力業でパリィし床に突き刺す。その穂先は爆ぜ、半径一メートルほどの地面を深紅に染める。

 これがそれぞれの武器のエクストラスキルだろう。短剣の方は鞭への形状変化。槍は炎属性攻撃と、フィールドの塗り替え。あの深紅の円に入れば継続ダメージを食らうに違いない。

―――厄介極まりない!

 ただでさえ三体のボスに六人で対峙する状況なのに、その三体が連携を取りつつ特殊能力で攻めてくるのには辟易する。

 チラリと後ろを見る。一人でボスの一体を引きつけていたレントは、丁度相手の杖を叩き落していた。伝説級武器への対処法の一つを早速実践する様に喜びのような呆れのような感情が浮かぶ。

 相変わらずだな、と思った。

 トン、と肩を叩かれる。振り返ればシノンがいた。

 

「大丈夫。あの人はあの程度の相手に負けない。ね?」

「――うん、ありがとう」

 

 フーと息を吐く。一旦目を閉じ、力を抜く。再度目を開けば、不思議とレントのことはもう気にならなくなっていた。

 

「流石だね、シノンは」

「え?」

「こっちの話」

 

 大鎌を手元で回す。同時に頭脳も回転させた。こういうときアスナがいれば楽なのだが、家庭の事情で今日は来れないのだ。面倒な相手には多少頭を使った対処をしなければ。

 

「シノン、盾を先に倒すよ」

「どうやって?」

「今度はシノンは短剣を止めてほしい。さっき間近で見てわかったけど、あの鞭部分は魔法と同じ半実体だから物量で押せば隙を作れる」

「了解」

 

 再び私は前に出る。キリトが再び槍をパリィしていた。声を張る。

 

「次のブレイクで盾を落とすよ! シリカは槍の再攻撃タイミングで盾にジャミング、短剣はシノンが止めるから残りで総攻撃!」

「おう!」

 

 クラインが私に従う。エギルも頷きながら、短剣を弾いた。

 

「スイッチ!」

「はぁ!」

 

 まっすぐベルリング(盾持ち)に跳ぶ。クラインは反対に這うように姿勢を低くして駆け出していた。

 

「アシュラ!」

 

 クラインは走りながら気刃を三連射する。ベルリングはそちらに盾を合わせ、三撃目で姿勢を崩した。あれも伝説級武器、ボスネームドに対しても高い効果を発揮する。

 それでもベルリングは完全にガードブレイクはされず、クラインの本命のソードスキルに盾を合わせることに成功する。鈍い音が響き、クラインの一撃は完全にガードされた。

 そこに私が到着する。ソードスキルを纏わせた鎌は、しかし盾のエクストラスキルによって防がれる。

 

「せいッ!」

 

 そこでキリトのパリィから回復したグレールが槍を突き出してくる。私のオーダーに応えてシリカがピナに指示を出した。

 

「バブル!」

 

 目の前で崩壊していく岩の壁。目前の見えないベルリング。突き出された高威力の槍。ここまで状況を整えれば、彼ならやってくれる。

 光が煌く。キリトは片手剣の突撃系ソードスキルを横脇からグレールの槍にぶつけた。それによって槍の軌跡は変わり、防御手段もなく状況の分かっていないベルリングの体へとその槍は突き刺さる。

 

「ぐぬわぁ!?」

「しまった!」

 

 バゴンという音と共に穂先が爆ぜ、ベルリングは引っ繰り返る。そのHPバーはごっそりと削れていた。

 

「やりおったな、羽虫どもめ!」

「限界!」

 

 シノンの声と同時に、全身に光の矢が刺さってハリネズミのようになったドヴァリンが鞭を振るった。

 

「ピナ、お願い!」

 

 その一閃はたまたま近くにいたシリカに直線的に向かっていたが、彼女は小竜に捕まって僅かに移動することでその致命的な一撃を避ける。

 

「それ!」

 

 エギルの斧の一撃は、先程のキリトの一撃と同じように鞭の軌跡を変える。その狙いに気づいたドヴァリンは慌てて手元を強く引いて鞭を手元に戻そうとするが、むしろそれによって鞭は弧を描いて()()()()()を取り囲む。

 

「小癪な!」

 

 ドヴァリンは鞭から手を離してベルリングに攻撃を加えることを避けるが、その一瞬がどれだけの隙になることか、私とクラインの連続攻撃がドヴァリンの体を縦横無尽に切り裂いた。

 

「退避、デカいの行くわよ!」

 

 シノンの声で前衛が一旦下がれば、態勢を整えた三体が揃ってこちらに一歩踏み出そうとし、その全身を四方八方から飛来する光の矢に貫かれる。

 そこに再度前進したキリトとエギルの重量級の連撃により、ベルリングのHPバーが漸く一本割れる。通常のボスネームドよりもHPバー一本の密度は薄いようだが、ここまでで私達は肩で息をしていた。

 

「ぐぬぅ……、やりおる……」

 

 頭をふらふら振りながらベルリングは立ち上がると、円盾を放り捨てて巨大な両刃の戦斧を取り出した。象牙色のそれを振ると、ベルリングを中心とした半径十メートルほどの空色の球が出現した。

 距離を取って様子を見る私達の後ろからシノンが光矢を放つが、それはその球に触れた端から消滅していく。シノンは一瞬呆けてから、続けて実体矢を放った。それは問題なく球をすり抜け、ベルリングの斧に防がれる。

 

「……魔法属性の無効?」

 

 ぽつりと呟くと、すうっと球は消えた。時間制限つきのようだが、魔法属性に対する圧倒的な防御だ。盾を捨てたというのに、ソードスキルが使えない分寧ろ実質的硬さは上がっていた。

 

「我らを無視するでないぞぉ!」

「ええ、その通りです!」

 

 呆ける私達に短剣の連なった鞭と燃え盛る槍が向かってくる。鞭は撓り、槍は爆ぜる。どちらも瞬間的な処理に窮する武器であり、パリィ役のキリトとエギルが固まった。

 

 

「Stay Cool、じゃないのかい、キリト君?」

 

 

―――相変わらずだな。

 そこに突っ込んできたのはアールヴリッグと名のついたドワーフだった。杖を再び手に取った奴は目にも留まらぬ速さでレントを追いかけ、無策に攻撃の前に躍り出ていた。

 

「アールヴリッグ!」

「避けよ!」

「え?」

 

 ズパンという音とドガンという音が連続する。プスプスと効果音を立てるように、HPバーを一本失ったアールヴリッグは地面に倒れた。




 今回の短編ストーリーでは贅沢に何種類も伝説級武器が登場します。本編中に全て解説することはないかもしれないので、ちょっとだけ解説です。

水杖マーキュリー
 武器種は《戦槌》。細い直線的な枝に二匹の蛇が絡みつき、ついでに描写されませんでしたが翼の生えた杖です。まあただのカドゥケウスですね。本編で棍棒と称されたのは、ドワーフの巨体に合わせたサイズ感になっていたための誤認です。ドワーフ的にはちゃんと杖のサイズです。
 エクストラスキルは《シフトアップ》。効果は自身の移動速度の向上……だけです。速くなれば威力の上がる棍棒とは相性が良いと言えば良いですが、普通に外れです。

地盾テラ
 武器種は《盾》。デフォルメされた世界地図のような青地に緑の装飾の入った円盾。通常時のサイズはモ〇ハンの片手剣の盾くらいです。モ〇ハンの片手剣みたいな運用ができます。
 エクストラスキルは《マザーアース》。効果は一時的な当たり判定の超拡大。約三秒ほど持続する岩壁を盾の延長線上に出現させます。三秒経過するか大ダメージを食らうと壁は耐久力をなくして徐々に崩壊していきます。崩壊中の壁は単なるオブジェクトで防御手段には成り得ませんが、崩壊が完全に終わるまで再発動できないのがデメリットです。


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#76 星錬-陥穽

 やることが多過ぎて折角買ったポケ〇ンが進まず、投稿もできませんでした。悔しいです。どうぞ。


 アールヴリッグは頭が足りない。だから、狙い通りフレンドリーファイアを引き起こすことができた。

―――完成度の高いAIだ。

 ブックス・トーンがAI開発に力を入れていると聞いたことはないが、あの《狸》のことだ、そういった策謀を練っていても不思議ではない。性格付けされたAIの開発は一大利益を生む可能性を秘めている。

 そんな思索はさておき、僕らの目の前でアールヴリッグはのそのそと立ち上がった。

 

「許さない……!」

 

 そして蛇の絡まった杖を捨て、また別の杖を取り出す。その杖は先程までの木製の杖とは打って変わった材質で、象牙か石で出来ているのだろう、褐色のマーブルな表面に光が反射していた。頂点には翼を広げた猛禽類の像がついている。新しい伝説級武器の登場だった。

 

「はぁ……!」

 

 アールヴリッグがそれを掲げると、その猛禽像から雷撃が走る。上手く制御できていないようで直接僕らに迫りはしなかったが、工房の中で弾けた複数本の雷撃は辺りのオブジェクトを弾け飛ばした。

―――高威力攻撃!

 分かり易く単純だが、同時に強力なエクストラスキルだ。ここまでの戦いを見たところ、このドワーフ達は多くの伝説級武器を使うが、その扱いに長けているわけではない。あくまで製造者であるということだろう。単純な強攻撃はその欠点を補うものだ。

 新しい二振りの伝説級武器の能力を把握し、エギルが声を張り上げた。

 

「作戦変更! 連携には連携だ。俺、シリカ、レントの組と残りの三人の組でローテーションを組む! シノンは変わらず援護を。雷撃の奴を中心に!」

「「「「「「了解!」」」」」」

 

 ドワーフ達も連携を取るようで、雷撃を放つアールヴリッグは後方に構え、斧を構えるベルリングが前方に出るダイヤモンドフォーメーションを組んだ。

 まず走り出た僕らはベルリングと激突する。戦斧の一撃はエギルが相殺、その隙に身軽さを活かしてシリカがその腕を駆け上がってベルリングの肩口を切り裂く。それを狙うグレールの槍を僕がパリィし、シリカが離脱すると同時に復帰したエギルがドヴァリンの短剣を弾く。

 

「スイッチ!」

 

 ベルリングの再度の振り下ろしを弾きながらキリトが走り込む。態勢を崩していたドヴァリンにクラインとミトが集中攻撃し、グレールには後方からシノンの援護射撃を見舞わせる。

 

「みんなから離れろ!」

 

 そこでアールヴリッグが杖を掲げる。放たれた数本の雷撃は、しかし至近距離では的の大きなドワーフに引き寄せられ、三体のHPが大きく削れた。

 

「アールヴリッグ、何をしよる!?」

「この脳足りんめ!」

「冷静に使いなさい!」

 

 その隙に三人が離脱し、代わって僕らが前に出る。ベルリングが動けない隙に今度はグレールに集中攻撃をしかければ、ベルリングがその斧を振り上げる。

 

「させないわ!」

 

 そこにシノンがOSSの五射を撃ち込む。妨害性能に優れたその矢はとうとうベルリングのスタン耐性を突破し、彼に膝を突かせる。

 

「目障りじゃのう!」

 

 後方に控えるシノンに、ドヴァリンの伸びる短剣が鞭として迫る。高度なAIは連携のカバーをするシノンを正確に捉えていた。

 

「させると思うか?」

 

 だから、当然対策はしている。スペルを唱え終わり、火属性に風属性を加えることで火力を上げた最大魔法、通称《魔砲》を解放する。

 ドガアアアア! そんな轟音を立てながら火柱は真っ直ぐドヴァリンに向かう。

 

「ぬぅうん、させるかぁ!」

 

 直撃すれば間違いなくドヴァリンのHPバー一本目を吹き飛ばすそれを見て、ベルリングは無理矢理腕を動かす。スタン回復はしていないため腰は浮かせられないが、それでも戦斧を振った。

 瞬間、空色の球体が広がる。それに呑まれた火柱は消滅する。魔法属性の消滅、だがそれは同時に別の物も消滅させていた。一つは、同じように援護のために放たれていたアールヴリッグの一撃、もう一つはドヴァリンの伸ばした鞭だ。

―――魔法なら何でも消すのか!

 結果としてシノンに向かう一撃はなくなる。そして今この瞬間はあらゆる魔法――そしてエクストラスキルが消失した。

 

「おらぁ!」

「どりゃあ!」

「それ!」

 

 そして我らはSAO上がりの近接戦闘屋だ。特殊攻撃を想定しなくて済むとなれば、戦い慣れていないドワーフ相手には一方的にラッシュをかけられる。

 パリン、パリンと連続してドヴァリンとグレールの一本目が割れる。二人も新たな武器を取り出した。ドヴァリンが取り出したのは大鎌、グレールは三叉の戟だ。

 空色の球が消える。僅か七人の妖精にしてやられ、四体のドワーフは怒髪天を衝く様だった。

 

「ゆるさない、許さない……!」

「塵芥の分際で!」

「粉々にしてやらぁ!」

「消し飛ばします」

 

 ドヴァリンの大鎌とベルリングの戦斧が同時に振るわれる。ただでさえ攻撃範囲の広いそれらに死角はほぼない。キリトとエギルがその二つをパリィする。

 

「こうです!」

 

 グレールが戟を地面に突き刺すと、そこから波紋のように揺れが広がっていく。それに触れた端から僕らのスタン蓄積値は急上昇し、その後に波紋をなぞるように戟から波が迫ってくる。クラインがスタンに入る直前に気刃で波を裂くことで僕らは難を逃れるが、とうとう全員がスタンする。

 そこに空中からアールヴリッグの雷撃が落ちてくる。漸く使い方を学んだのか、その狙いは僕らに定まっていた。僕がスタンしたことで不完全なまま解放された詠唱中の火柱がそれと直撃し四方に散らした。

 スタンから逃れた僕達は一度ドワーフから距離を取る。全員の顔に焦りが浮かんでいた。

 

「ありゃ不味いぜ」

「どう攻略する?」

 

 沈黙が満ちる。高威力遠距離魔法攻撃、広範囲物理攻撃、魔法消失空間の展開、高性能スタンと広範囲魔法攻撃、四体の構える武器は圧倒的な強さを誇る。

 ミトと何やら話し合っていたシリカが二人して口を開いた。

 

「外が駄目なら」

「中に入るしかないと思います」

 

―――それはそうなんだけど。

 全員の無言の反論を受け、シリカが一歩踏み出した。

 

「まず、頑張って避けます。斧と鎌はスルーして、スタンはシノンさんに止めてもらいます。近づけば雷は多分撃てないと思うので、きっといけるはずです!」

「…………よし、それで行こう」

 

 長い黙考の後、エギルは重たく頷いた。

 

「シノン、行けそう?」

「やるしかないでしょう? そういうの得意よ」

「頼もしいね」

 

 六人は改めて前に出る。怒りに満ちていた四体は、圧倒的な有利さに揃ってほくそ笑んでいた。

 

「性格悪っ」

「失礼ぞ、小娘!」

 

 ミトの言葉に反応したドヴァリンの横薙ぎの一撃で、再度の攻防が始まった。

 今度はドヴァリンが先走ったために戦斧との同時攻撃ではない。ドヴァリンの鎌にミトは自分の鎌を合わせ、その穂先を地面に逸らしながら鎌の刃を飛び越えた。そのまま鎖状に変えた柄をドヴァリンの首に投げつけて一気に距離を詰める。

 ミトによって足元に逸れた鎌を残りのメンバーで揃って飛び越えれば、ベルリングの斧が今度は真上から圧し潰すように迫っていた。

 

「ヤタガラス!」

 

 クラインの霊刀から霊鳥が飛び出る。ヤタガラスは僕らの上で大きく翼を広げ、その身に斧の一撃を受けて消滅した。それでもそれによって生まれた数瞬の間に全員が斧の下を潜り抜け、背後で地面に斧の刃が埋まる。そこから三度空色の球が出現した。しかしこの距離に寄ってしまえば寧ろ関係がない。地面に刃をめり込ませて体勢を崩したベルリングにエギルとクラインが貼りつく。この二人は特に魔法やソードスキルを用いずに大ダメージを与えられる組み合わせだ。その大振りな一撃もベルリングの元ではスマートに見える。

 至近にいるミトに鎌を当てようと藻掻くドヴァリンの足元に滑り込んだシリカは、的確な一撃でドヴァリンの膝裏を切り裂く。ピナのブレスも合わせてドヴァリンは片膝を折った。

 

「はぁッ!」

 

 手の届かない距離でグレールが戟を地面に突き刺そうとする。しかしその前に二本の重たい実体矢がグレールの両目を穿った。その実体矢には爆弾アイテムが括りつけられていたようで、それが炸裂してグレールは堪らず両目を覆う。その隙にキリトが一気に距離を詰め、戟をパリィして更にグレールを後退らせた。

 最後に僕がアールヴリッグの足元に滑り込む。彼の雷撃は巨大であるがゆえに小回りが利かない。この付近の僕に対しては拳や杖による打撃しか有効打が存在しない。やはりあの攻撃は杖に付随したものであり、彼自身に魔法の能力は備わっていないのだ。

 アールヴリッグが杖先を僕に向けて続けざまに突き出してくる。しかしそれらは大雑把なものであり、一瞬剣を添わせることでその突きの隙間に身を投じる。一気に接近し、ソードスキルでその体を切り裂く。

 

「レント!」

 

 声がかかる。片目で確認すれば、ドヴァリンを前後から挟み撃ちにするシリカとミトがこちらを見ていた。ミトは最初と同じように鎌の刃を絡め取る。

 

「スイッチ!」

 

 大胆な提案だ。僕はアールヴリッグの突きをあえて躱さずに受け止める。そもそも魔法の媒体となる杖であり、直接攻撃力は高くない。受け止めたそれに一瞬抵抗すれば、アールヴリッグは調子づいて更に力を籠める。そのタイミングを計り体を傾ければ、バランスを崩した巨人は勝手に体勢を崩して前方へとつんのめっていく。

 そこに直撃するのはシリカが体勢を崩し、ミトが誘導したドヴァリンの大鎌だ。アールヴリッグが大きく怯んだその隙に僕はドヴァリンへと飛び、アールヴリッグにとどめを刺しに向かうシリカとミトを襲うドヴァリンの鎌を弾いた。

 相対する敵の交換、それはほぼ同時にキリト達の方でも行われており、それに抵抗しようとした魔法属性消失の球が膨らむ。アールヴリッグが発動しようとした雷撃はその球に触れて消失し、ミトとシリカの連撃がそのまま決まる。

 僕に向かって振り下ろされる鎌を、僕はちらりとも確認せずに避ける。大鎌なんていう武器、取り扱うのがどれほど困難なことか。やはりドヴァリンの鎌遣いはおぼつかない。

 大振りを空振りして隙を晒したドヴァリンに《ジャッジメント・エンター》を叩き込む。そのついでにいくらかの魔法を放ち、離脱せずに再び転回してドヴァリンの足元を掬う。シリカとミト、それからピナが継続して斬り続けたドヴァリンの膝はそれによって部位限界に達し、がくりと膝を突く。目の前に下りてきた顔面に加えてソードスキルを放てば、ドヴァリンのHPバーは最後まで黒く染まった。

 

「ぐ、ぬぁ……」

 

 バタンと砂埃を巻き上げながらドヴァリンは力なく倒れ伏し動かなくなる。ほぼ同時にアールヴリッグとベルリングも地に伏せた。

 最後に残ったグレールにエギル、クライン、それからシノンの一撃が余さず集中してとうとう彼も地に倒れた。

 

「これで終わり、ですかね」

 

 シリカの不安げな声は、何も根拠のないものではない。

 

「……まだ、ある」

 

 キリトは半ば確信的に言いきった。メンバーの誰しもがそれに頷き、再び武器を構えた。

 事前に与えられたボス情報は、敵がドワーフであること、一度倒すごとにHPバーが一本増加すること、今はHPバーが八本であること、HPバーの減少とともに使う武器が変わることであった。その時点でも相当面倒な敵であったが、蓋を開けたら敵は四体に分かれていた。その情報を落とすことなどあり得ない。これは故意で行われた()だ。

 第一、一度倒すごとにHPバーが一本増えるならば、八回倒した後の今回は()()のはずだろう。つまり、まだ最後の一本に僕らは出会えていない。そしてこれ見よがしに倒れたままの四体のドワーフ。彼らはHPバーが黒く染まったにも関わらず、通常のエネミーと同じように消えず、体が残っていた。

 

「……ころ、殺してやる」

 

 その声がひっそりと聞こえてくる。音の発生源はアールヴリッグだった。彼はHPバーを黒く染めたまま立ち上がると、最後の武器、二又の槍を取り出した。その槍で他の三体を突き刺せば、ドヴァリン、グレール、ベルリングの体は粒子に溶けてアールヴリッグへと流れ込んだ。

 

「妖精どもめ……、捻り潰してくれてやりましょう」」」」

 

 次第に彼の声が何重にも重なって聞こえてくる。その口調も、まるで四体が複合したような不安定なものに変わる。体躯が膨れ上がって一回りほど強靭になると、咆哮した。

 

「うおおおおお!!!!」

 

 アールヴリッグは目を赤く充血させ、錯乱状態で僕らへと驀進した。

 

「決めるぞ、お前達!」

「「「おう!」」」

 

 エギルの声とハンドサインに従い、僕らはすぐさま態勢を整える。エギルとキリトが二人がかりで強力になったアールヴリッグの攻撃を弾き、すっかり息のあったシリカとミトが即座に細かなダメージを与える。ピナのブレスで攪乱しながら彼女達が離脱し、攻撃から立ち戻ったアールヴリッグの前に再びキリト達が現れる。

 その後方からシノンが矢を、クラインが気刃を、僕が魔法を連射する。四体の敵を捌ききった僕らの連携の前に、いくら強大化しようと手数の減った鈍重なアールヴリッグは完璧に対処されていた。

 もう魔法無効化の斧もなければ、強制スタンの戟もない。範囲攻撃の大鎌もなく、範囲防御の盾もない。遠距離物理攻撃の短剣も、遠距離魔法攻撃の杖も、フィールド汚染の槍も、高機動の杖もない。それでは、僕らのパーティを崩す一手を打つことはできない。

 ほんの五分、それがアールヴリッグの最後の生存時間だった。エギルの斧の一撃でHPバーは再び黒く染まり、今度こそ彼の体は砕け散った。僕らの前に撃破報酬のウィンドウが広がる。

 

「お、あったぞ、伝説級武器」

 

 ラストアタックを決めたエギルがそう声を上げ、彼の持つ斧が最後に見た二又の槍に変わった。

 

「名前は《冥叉プルート》。エクストラスキルは《スルーゲート》、効果は……お、こりゃ凄い、リメインライトの即時消去、もしくは回数制限の無条件蘇生だ」

 

 戦闘に直接役立つ能力ではないが、特殊アイテムか莫大なMPと引き換えの蘇生魔法が必要な蘇生を行えたり、一分間は敵の再来を気にかけなければいけないリメインライトを消したりと、ゲームシステムに大きく干渉する能力は、ここまでの苦労に見合ったものと言えるだろう。

 

「あ、私も面白いものがあった」

 

 ミトがウィンドウを操作して、掌の上に豪奢な装飾品を出現させた。

 

「《ブリーシンガメン》、だって。まだ素材アイテムみたい」

 

 アールヴリッグ、ドヴァリン、グレール、ベルリングの四人のドワーフによって作られたと北欧神話に語られる首飾り、それがブリーシンガメンだ。伝説級武器ではないが、その名に違わぬアイテムなのだろう。差し詰め《伝説級装具(レジェンダリーアクセサリー)》だろうか。

 

「《洞穴工房の鍵》、これだな、目的の物は」

 

 最後に声を上げたのはキリトだ。流石のリアルラックである。彼は前腕ほどの大きな――工房のサイズに比べたら小さいが――鉄製の鍵を掲げていた。

―――さて。

 

「それじゃあ、もう一戦やるとしましょうか」

 

 僕の言葉にクラインが不敵に笑った。

 

「やっちまっていいのか?」

 

 エギルがニヤリと笑う。

 

「ああ、良いだろう。ここまで騙されたんだ、今更味方を取り繕おうたってそうはさせねぇよ」

 

 シノンが無言で天井に向かって矢を放とうとしたとき、僕らが油断しているとでも思ったのか、()()が姿を現した。

 

「相手は七人、お前達、やっちまえ!」

 

 雄叫びとともに隠蔽魔法を破って現れる一レイドほどの集団。その陣頭で指揮を執っているのは、やはりというか、僕らをここに導いたシーロックだった。




 今ストーリーはまだしばらく続きます。
 前回に引き続き、伝説級武器の紹介です。

火槍マーズ
 武器種は《槍》。穂先の尖った、非常に無骨な朱槍です。穂の少し下に布が結ばれており、その両端に小さな宝玉が付いていることくらいが唯一と言っていい外見的な特殊性です。
 エクストラスキルは《ウォークライム》。効果は穂先の接触点より直径五メートルほどの範囲の床や壁を、接触すると継続ダメージの入る空間へと一時的に変更します。これ以降はドワーフが四体になるので難易度が上がり、エクストラスキルも強力になります。

木笏ジュピター
 武器種は《杖》。褐色のマーブル模様の象牙質の杖。頂点には翼を広げた猛禽類の像がついています。古代ローマの王笏がモデルです。
 エクストラスキルは《ライトニング》。効果は単純で、MP消費なしで強力な雷撃を扱うことができます。太陽神ソルスの広範囲殲滅攻撃のように、一定時間ごとに残弾が回復する仕組みです。


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#77 星錬-騙討

 お久し振りです。たまに帰ってきてガッと投稿してまたいなくなる、このサイクルをそろそろ止めたいです。今日で六周年です、どうぞ。


 ピュッとシノンが光矢を放つ。その矢がこの戦いの文字通り嚆矢となった。スペルによって複数の矢に分裂したそれらは、《ゴッズグローリー》によるシノンの繊細な操作でシーロックたちへ狙いすまして飛ぶ。

 しかしレイドの中の一人が見覚えのある斧を掲げると、空色の球体が広がる。その球に触れた途端にシノンの光矢は消滅した。

 

「確認できたわね。敵はあのドワーフの伝説級武器を揃えてる」

「いや、それは違うな、シノン。()()()ある」

 

 キリトが指摘する。にやにやと笑いながらこちらを見るレイドメンバー達が持つ武器には、様々な輝きが覗いていた。その独特の存在感は伝説級武器と見て間違いないだろう。

 

「伝説級武器が目当てのPK集団、ってところかな」

「悪質……というわけでもないか。このくらいなら」

 

 ミトが肩を竦める。事実、ALOはそもそもPKに対して比較的寛容なVRMMORPGだ。GGOほど露骨にPvPを打ち出しているわけではないが、種族間競争はアルフが解放された今も形を変えて続いているし、PK専門のギルドが大手を振って歩くこともできる。大体、そういった空気感でもなければ僕の《白い悪魔》としての所業は許されないだろう。

 しかし今回のシーロックらの行動は、悪質に片足を踏み込んだものだ。ダンジョン攻略を他人に依頼し、それを騙し討ちにするのだから。ただこればかりは個々のプレイヤーのモラルの問題になる。実際、GGOに主軸を置くミトの反応はシリカのそれよりも幾分も冷静だ。

 

「ま、とはいえ振り払う火の粉は払うだけだ。行くぞ、お前ら!」

「「「おう!」」」

 

 エギルの檄を受け、僕らは地を蹴る。シノンがタイミングを合わせて光矢を放った。それを消滅させるために斧のエクストラスキルが使用され、僕らは敵からスペルが飛んでこないと分かる空間を突き抜ける。

 

「おらぁ!」

 

 美麗な刀が振り下ろされる。それをサイドステップで回避するが、その柄から空気の弾丸のようなものが飛び、一瞬僕の体が強制的に停止する。背後から近づく別の男が振り抜いた棍棒が後頭部にぶつかり、僕のアバターは数メートルを飛翔する。落下地点に待ち受けていたプレイヤーが振る斧を蹴り飛ばして跳び上がり、仰天する斧持ちの背後に着地しながらその体を切り裂く。

 横脇から突き出された槍を屈んで回避するが、同時に地面に植物が芽吹いたことを発見して慌てて横跳びする。僕がいた場所には一瞬で巨大な植物が突き上がっていた。

 

「思ったより厄介だぞ!」

 

 僕が横跳びした先にいたのはキリトだ。辺りを確認すれば、エギルとクライン、シリカとミトも同じように背中合わせになっている。シノンは自分に向かってくるプレイヤーと対決するため遠くに後退していた。

 伝説級武器の持つエクストラスキルは当たり外れが大きい。しかしそれはあくまで伝説級武器内で見たときの話だ。たとえ外れのスキルであろうと、ただの武器に追加で何らかの能力が付随しているのだから、それが弱いはずがない。敵と対峙したときに、まずその武器が伝説級であるかどうか、伝説級であるならどのようなスキルを使ってくるか、それらを勘定に入れなければならないのは純粋な負荷だ。

 

「透明化は!?」

「ストックを持ってない! あとMP切れ!」

 

 対多人数戦での僕の十八番である広範囲隠蔽のスペルであるが、本来はそう軽々に出せるものではない。MPの消費がそう軽いものではないからだ。今回はドワーフ達との戦闘で想定以上にMPを消費してしまった。それに加えてスペルを保管していられる水晶玉も持ってきていなかった。何せ、このような騙し討ちに遭うとは思っていなかったのだから。

 そう毒づきながらも、僕らは敵を切り伏せる。単体としての戦力で見れば、明らかに僕らが勝っている。そもそも敵は斧のエクストラスキルを盾にしているので、魔法使いが少ない編成だったのだ。正面からの近接戦闘におけるSAO上がりの価値は未だ下がっていない。

 その一方で、リメインライトにした敵に対しての蘇生は欠かさず行われていた。レイドとパーティの衝突となれば、レイド側には人数の余裕が生まれる。その余裕を使って人員の補充を行っているのだ。

―――少し引っかかるな。

 蘇生とは決して軽いものではない。デスペナが存在するからだ。それほど重いものではないが、ゾンビアタックをするには無視できないレベルのもの。蘇生を繰り返す戦法は考えられはしても実現されることは少ない、いわば禁じ手に近い戦法だ。なぜならメリットとデメリットが見合っていないのだから。

 

「ああ、もう、キリがない!」

 

 不意にミトが叫んだ。彼女は大鎌をくるくると回すと、敵の男の体にその端を引っかけて大きく跳躍した。抜群の身体感覚で空中を泳ぐと、周囲の敵を薙ぎ倒しながら僕の目の前に着地した。

 

「これ、使いなさい!」

 

 彼女が押しつけてきたのは大きな宝石に彩られた装飾品――首飾りだ。受け取ってポップウィンドウを開けば、《ブリーシンガメンの首飾り》と名称が出る。

 

「嘘言って悪かったわね。装具屋としてドロップ品の装飾品は認めたくないのよ。後で返してもらうから壊したら怒るから!」

 

 そう言い捨てると、ミトは先程と同じように空を蹴ってエギルのもとに向かっていた。そして彼に突っかかっているようだ。

 

「くくっ」

「何がおかしいんだ?」

「いや、だって、あの顔……」

「……その話、後でいいか?」

 

 キリトは振り向きざまに僕の目の前の敵を貫いた。お返しに、僕もキリトの後背の敵を唐竹割りにする。喉で笑いを噛み殺しながら、僕は首飾りを装備する。

 装飾品と一口に言うが、その齎す効果は多岐に渡る。本当にただの綺麗な装飾品でしかない物もあれば、LUK値上昇のような希少バフも存在する。そして今回の首飾りは魔法面にサポートの偏った装飾品であった。具体的に言えば、MP回復速度上昇と外付けMP保管だ。元から内部にあったMPを使えば、範囲隠蔽スペルも撃つことが可能そうだ。伝説級武器のものに類似したエクストラスキルのようなものも存在するようだが、そこまで詳しく仕様を確認できない今は触れられないのが残念だ。

 

「―――――」

 

 僕が詠唱を始めれば、敵レイドは一様にザワリとどよめいた。

 僕の範囲隠蔽スペルは元々は伝家の宝刀のように扱っていたのだが、年末の邪神防衛戦では一人で圧倒的多数を相手するために多用せざるを得ず、最近ではプレイヤーの実力が底上げされてただのレイド相手でも切る場面が増えていた。結果として、都市伝説レベルだったこのスペルの存在はすっかりプレイヤー間の知名度を得てしまったというわけだ。ただ範囲隠蔽にはユニーク《力の言葉》――スペルに用いるワードのことだ――を組み込んでいるため、まだ第二の使用者は現れていない。

 

「詠唱を妨害しろ!」

 

 指令が飛び、僕に対しての敵意が一気に何重にも膨れ上がる。それは正しい判断と言えよう。しかし、その事態を許すような僕のパーティメンバーではなかった。

 

「ピナ!」

「アシュラ!」

 

 小竜の幻惑ブレスは密集した敵レイドの内部でフレンドリーファイアを引き起こし、ノックバックに重きを置いた気刃によって有象無象のプレイヤーが吹き飛ぶ。

 

「おらぁ!」

「はっ!」

 

 エギルの大斧の振り回しは敵を近づけず、回転するミトの大鎌は近づく敵を微塵切りにする。そこにキリトによる切り払いと、いつの間にか敵を打ち倒していたシノンの援護射撃が加われば、そもそも僕のもとに攻撃を届かせられる敵は存在しない。敵意が集中するとは、他への敵意が薄れるということ。僕の仲間たちは、意識を疎かにしてどうにかできるような未熟者ではないというだけの話だ。

 

「―――!」

「ここぉ!」

 

 僕がスペルを詠唱し終わるとほぼ同時に、レイドの中心近くにいたプレイヤーが斧を掲げた。空色の球が広がって、敵レイドのほとんどがその内部に収められる。それを、球の外から僕達はただ眺めていた。

―――うん、上手い上手い。

 素直に敵を認める。範囲隠蔽スペルであろうと魔法であるから、あの球の範囲内に入れば無効化されてしまうだろう。正しい選択と言えるだろう。

 

「……は?」

 

―――範囲隠蔽、ならね。

 瞬間、球の中にいる彼らの目前で()()()()の姿は掻き消えた。

 ゆっくりと空色の球は有効時間を終えて消滅していく。

 

「み、密集隊形!」

 

 リーダーであるシーロックが声を上げる。それに従ってレイドメンバーは密集し、その先頭で一人のプレイヤーが丸い盾を掲げた。それは円の延長上に土の壁を作るが、わざわざ真正面から飛び込む必要もない。僕らは左右と上に分かれてレイドに襲いかかる。

 僕がかけたスペルは範囲隠蔽ではなく、通常のパーティに対しての隠蔽魔法である。激しく動いても隠蔽が解けにくいようなワードも組み込んではいるが、触れれば解けるし索敵魔法にも負けてしまう。だが見えない一瞬が貰えるだけで彼らには十分であるし、敵には索敵魔法を撃てるような魔法使いもいない。

 一瞬で七つを大きく上回る数のエンドフレイムが上がった。

 

「蘇生だ!」

 

 索敵魔法も攻撃魔法も使えないのに蘇生魔法だけ使えるという歪なレイドプレイヤー達がエンドフレイムの場所へ走るが、彼らが辿り着いた頃には既にリメインライトは消滅している。リメインライトは本来なら二分間はその場に残存するものであるが――

 

「初めて使う伝説級がこれかぁ」

 

 こちらには《冥叉プルート》がある。これのリメインライト即時消去能力を、こちらで最も機動力の高い――曲芸のようであるが――ミトが振るっているのだ。のそのそと地上を歩く敵が対処できるわけもない。

 

「――!」

 

 敵中に五つの黒炎が上がる。シノンの《シャッス・ヘカート》だ。彼女はOSSでリメインライトの消去をやってのける。少しの悔しさを感じながら、僕もOSSを発動させる。背中に翅も生やして本気を出す。

 隠蔽自体はほんの二十秒程度で全員が解けてしまったが、それでもこの奇襲によって大きく戦況は傾き、そのまま敵レイドは数名を残すのみとなった。

 

「おら!」

「たぁ!」

 

 エギルとミトが同時に敵側の大斧使いと大鎌使いを倒したことで、戦場には腰を抜かしたシーロックのみが残った。

 

「さて、シーロックさんよ。どう弁解するつもりだ?」

 

 依頼を受けたエギルが彼を見下ろす。僕らはそれを取り囲みながら、二人のやり取りを見守った。

 

「ち、チートだろ、こんなん」

「チートじゃないことは明々白々だと思うんだがな。誰も彼も説明できることしかしてねぇぞ」

 

 シーロックは最初の慇懃な様子がすっかり外れた様子で吐き捨てた。

 

「……お前らにはわかんねぇよ」

「おいおい、どうした。そんな()()()みたいな反応して。別にこのくらいで通報はしねぇよ。ただ、事実確認がしたかっただけなんだが」

 

―――……。

 シーロックはふと手を動かした。僕が剣を構えて距離を取ると同時に、シーロックの体の下で爆発が起きる。その爆炎は黒い色をしており、爆発が晴れたそこにはリメインライトも何も残ってはいなかった。

 

「……自爆だぁ?」

 

 クラインが呆れた様子で呟く。皆で顔を見合わせるが、全員が同じ感情を共有していた。

―――訳が分からない。

 僕らがそれほど凶悪な集団に見えたのだろうか。自爆はデスペナも重いため積極的に切るような手段ではない。この場に残ることがそれほどまで強烈なマイナスになるというのか。

 今回のリーダーであるエギルが禿頭を掻きながら大きく溜め息を吐いた。

 

「はぁ。もういい、考えるだけ無駄だ。っし、じゃあ改めてドロップ品の確認するか」

 

 その明るい声に、全員が同意を示す。伝説級武器を大量に所持していたレイドを潰したが、残念なことにドロップした伝説級武器はたったの三つだけだった。とはいえ、その三つはドヴァリンが使っていたあの短剣と大鎌、ベルリングの大斧であるから、ちょうど良いとも言えるが。

 

「ありがたく使わせてもらいます!」

「じゃあ斧は俺が貰っちまっていいんだな?」

 

 シリカとエギルがそれぞれ得物の握りを確かめる。

 

「それは構わないけど、こっちの鎌は私が貰っていいの?」

 

 ミトが大鎌を持ちながら尋ねた。彼女の他に大鎌なんていう武器を使う知り合いを持たない僕らは、それにただ頷きを返すのみだ。

 

「あ、あとこれ」

 

 僕も《ブリーシンガメン》を彼女に返す。これは彼女への信頼だ。きっと、また首飾りじゃない姿にして見せてくれることだろう。

 協議の結果、《冥叉》はリズに処分を委託することに決定した。強力なエクストラスキルを持ってはいるが、普段使いするには些かならずその独特な形状が問題になったからだ。使えない武器を死蔵しておく趣味はないのである。それなら、敵としてまた現れた方が面白味があって良いのだ。

 僕らの《洞穴工房》攻略はこうして終わったのだった。

 

******

 

 その日の夜、僕はとある人物に通話をかけていた。

 

「もしもし、本石さん」

『はは、タロウでいいっていつも言ってるでしょう、レントさん』

 

 通話の相手は本石紘一。新生ALOの運営母体であるブックス・トーンの社長で、お忍び姿のタロウとして今でもたまにゲームをする相手である。

 

『それで、今日はどうしたんです? 貴方がゲーム外でわざわざ連絡してくるなんて珍しい』

「その言い方は少し棘を感じますね」

『おっと、これは失礼』

「とはいえ、今回は珍しくて良い話題ですが。――RMT(リアルマネートレード)について少しお伺いしたく」

 

 RMTとはゲームアカウントやゲーム内通貨、アイテム等を現実で売買する行為だ。GGOにおいては公式でゲーム内通貨と現実通貨の取引を行っており、課金要素もRMTの一種と言えるだろう。しかし多くのゲームでは公式がプレイヤー間のRMTを禁止事項として取り締まっており、ALOもそういったゲームの一つだ。

 

『あー。あれ、中々撲滅はできませんからね』

 

 紘一の言葉にもやや呆れのような、疲れのようなものが垣間見える。ゲーム内の環境――二重の意味で――を健全に保つためにRMTを禁じてはいるが、ゲームの公式からすれば派手な動きでなければ無視したいのが本音だろう。しかし規約にある以上、発見してしまえば対応しなければならなくなる。また紘一のようなゲーマーからすれば、現金でデータを買う行為自体にも呆れを抱いていそうだ。

 

「それで、最近ALOで伝説級武器に対してのRMTの動きはありませんか?」

『ふぅむ……。ああ、いえ、ないことはないのですが、伝説級武器はユニークかつ強力に設定されています。RMTの対象として殊更に挙げる必要があるのか勘ぐってしまっただけです』

 

―――これは、警戒されたかな。

 それでもそれをこちらに悟らせた。紘一は元から疑り深いタイプであり、その謝罪と信頼の表現と見ても良いだろう。

 

「実は今日、少々のトラブルに巻き込まれましてね。簡潔に言えば、伝説級武器を目的としたPK集団と遭遇したのですよ。しかし彼らの行動にいまいち納得できない部分があり、何か裏があるのではないかと」

『そういうことでしたか。そうですね、理由は重々理解できました。しかし、レントさんはどうしても部外者ですので、こちらの情報をそう流すわけにはいかないんです』

「これは、失礼しました。まだ疑いにすら至らないような段階では無茶振りが過ぎましたね」

 

 全くもって彼の言う通りだ。僕としたことが、久し振りの面白い戦いで熱が上がっていたのかもしれない。

 

「では、また余裕ができたら連絡してください」

『ええ。次はアインクラッドで新しく見つけた飯屋に行きたくてですね』

「……新しく?」

『私も社員もゲーマーですからね。複数チェック体制にすることで、重要でない実装データには把握していないものもあるんですよ』

 

 稀に見る《狸》の素直な楽しそうな様子に、思わず口角が上がった。

 紘一との通話を終え、僕はすぐに次の相手へと通話をかけた。

 

「あ、もしもし、アルゴさん?」




 まだちょっと続きます。
 さて、伝説級武器の紹介です。

海戟ネプチューン
 武器種は《槍》。簡単に言えばトライデントです。海のような深い青を基調としており、持ち手の部分は馬皮になっています。
 エクストラスキルは《クウェイクウェーブ》。効果は周囲へのスタンです。穂先を突き立てた点からまず波紋のように微細な振動が走り、一定範囲内の敵は一気にスタン蓄積します。その後にその振動を追いかけるようにして波が広がり、この波に当たるとスタン継続時間が延長されます。直接的なダメージを与えることはできませんが、とても強力な部類に入るエクストラスキルです。

冥叉プルート
 武器種は《槍》。穂先が音叉のように二又になっている黒い槍です。バイデントですね。
 エクストラスキルは《スルーゲート》。効果は穂先で触れたリメインライトの即時消去と、一定回数の即蘇生になります。デスペナは免除できませんが、集団戦ではかなり強力な能力ですね。


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#78 星錬-始末

 ちょっと間が空きましたが、星錬編ラストになります。どうぞ。


 《洞穴工房》の攻略戦から週が明け、僕らはまた次の冒険に向けて情報を集めていた。とはいえ、伝説級の情報はそう易々と転がってはいない。少しの欠乏感を感じていた。

 だから、そう、授業中についぼうっとしてしまうのも仕方ないのである。

 

「大蓮、珍しいな。体調でも悪いか?」

「いえ、すみません。普通に注意散漫でした」

 

 今は体育の授業中だ。帰還者学校は当然ながらゲーマーの集まりに近い。一般的な高校よりもインドア派に生徒層が偏ったここでは、体育の授業はかなり緩く体力作りとして行われている。その中では僕の運動能力はかなり高い方で、VRで培われた身体制御能力の高さも相まって体育の担当教員には目をかけてもらっていた。

 その先生に心配げに声をかけられてしまえば、自分が注意散漫であったことを大人しく認めざるを得ない。促されるまま、僕は前に出る。最近は武道が体育の種目となっていた。

 

「大丈夫か? そんな状態で」

 

 防具に身を包んだ和人が僕に声をかける。これは心配か、挑発か。

―――煽りだね、迷うまでもない。

 インドア派の集まりといえど、全員が全員何もかもに素人というわけではない。バスケやサッカー、野球などであれば経験者は一定数いるし、剣道と選択制で行われている柔道の方には経験者がいるらしい。しかしたまたまこのクラスでは剣道経験者は和人だけであり、次いで秀でているのが僕という状態だった。

 今回の授業は試合の体験が行われており、その授業の最後の試合が僕と彼のものだった。

 試合場の中心線を挟んで向かい合い、礼をする。少し前に出て、蹲踞し剣先を向ける。

 

「はじめ!」

 

 体育教師の合図で互いに立ち上がる。いつもの得物よりも相当軽い竹刀をいつもと違う両手で構え、いつもよりも重たい防具を着けて睨み合う。正直なところ、剣道はVRでの戦闘と余りに差があって得意とは言えなかった。

―――でも、負けたくないな。

 この授業で和人と剣を交えるのは初めてだ。流石に経験者だけあって、片手剣ではなくともその姿勢は様になっている。重たい防具にも動きを制限されるストレスを見せていない。

 だが、現実世界では僕は身体能力で和人に圧倒的に勝っているという自負がある。オーディナル・スケールでは彼に一敗も喫していないのだから。剣道とはいえ、現実で負けるのはどうにも癪に障る。

 仕掛けたのは和人からだった。竹刀が撓って僕の面へと飛んでくる。

―――集中。

 VRでの研鑽を経て、最近は現実でもゾーンに入ることが狙ってできるようになってきた。和人の剣先を見据え、足を大きく広げるように間合いを詰めながらそれを避ける。そのまま逆撃をしかけるが、そこには和人の刀が間に合って鍔迫り合いになる。

 鍔迫り合いの技術は和人が上だ。剣道経験だけでなくVR経験でもパリィ型の彼と回避型の僕では差がある。そこは認めよう。だから鍔迫り合いを嫌って僕は早々に離れる。

 そのまま二度三度と打ち合うが、どちらも有効打が入らない。気楽に観戦している他の生徒からも野次が飛ぶ。つい脚が浮きかけ、慌てて踵を下ろす。熱中すればするほど竹刀から片手を離し、防具を脱ぎ捨てたくなるから困ったものだ。

 そうして状況が膠着していると、定番のチャイムが武道場に響いた。授業が終わる合図だ。

 

「お、もう終わりか。大蓮、桐ヶ谷、適当に切り上げてくれ」

 

―――なんと適当な。

 この教師は良くも悪くもフランクだ。今のは悪いフランクさと言えた。適当に切り上げろとは最後に一合組み合って終わりにしろということなのだろうが、SAO上がりしかいない生徒は剣での勝負に興奮する者しかいない。授業が終わったことでより乱雑になった野次が、僕と和人を挑発する。

 最後の一合に向けて距離を詰める僕の目に、和人が竹刀から左手を浮かせたのが見えた。

 

「はぁ」

 

 そして一番良くないのは、僕とてSAO上がりの男子高校生ということだ。いけないと分かりつつも、僕もそれに呼応して左手を離す。大きく右足を踏み込んで前傾姿勢になり、竹刀を振った。打突がまるで有効にならない姿勢ではあるが、致し方ないだろう。和人も同じような姿勢だから文句は言わせない。

 剣先が触れ合い、細かなフェイントと共に抜き差しされ、一瞬の隙が生まれる。

 

「やぁ!」

「とぉ!」

 

 交錯が終わる。西部劇のようにお互いがたっぷりと残心を持って振り返る。元の位置に戻って試合終了の礼をした。

 

「……負けた」

「っし! 一本取ったり!」

 

 肩を落とす僕と勝ち誇るように喜ぶ和人は、ちょいちょいと体育教師に手招きされた。

 

「大蓮、桐ヶ谷。今回は大目に見るけど、二度目はないからな?」

「「……はーい」」

 

 和人の肩も落ちたから引き分けということにしておこう。

―――そもそもお互い有効打突じゃないし!

 

******

 

 体育の後は昼休みだったため、体育着から制服に着替えてのんびりと教室に戻ってくると、少し苛立った様子の女子生徒が僕を待っていた。

 

「遅い」

「……兎沢さん、どうしたんですか」

 

 豊かなロングヘアを靡かせている彼女は兎沢深澄――現実世界のミトである。SAO上がりの彼女も当然のように帰還者学校に通っており、学業優秀ゆえに外部に出ることもできただろうに、明日奈から離れたくないからか上の学年の首席をいつも明日奈と争っている。

 しかし彼女は学校では滅多に僕らと関わろうとはしない。明日奈とは仲睦まじく、里香とも明日奈を通じて親しくしているはずだが、僕や和人、珪子には無関心を貫いていた。何でも目立ちたくないのだとか。明日奈だけは許す、とは尋ねたときに頂いたお言葉である。

 そのため『兎沢さん』といういかにも他人行儀な呼び方も彼女のオーダーである。だが、それを聞いて深澄は眉間の皺を深めた。

 

「とりあえず来てほしい」

 

 そのまま何も言わずに僕の手首を掴んですたすたと歩いていく。後ろで目を白黒させている和人に手を振りながら、僕も彼と同じような顔で彼女に従う他なかった。

―――これ、大分目立ってますよ。

 口では言えないことを心中で思いながら、ジロジロと露骨な廊下の目線に溜め息を吐いた。

 深澄に連れていかれた先は、中庭のカフェテリアからも見えないベンチだった。木陰のそこには先客がおり、どうやら彼女はその男子生徒を僕に会わせたかったようだ。

 

「ほら、名乗りなさい」

「あ、えと、い、石見(いわみ)(じん)です」

「えっと、大蓮翔です。よろしくお願いします……?」

 

 どうやら深澄の同級生、すなわち僕の上級生のようなのだが、僕を見るなり目を泳がせて体を縮こまらせてしまった。

 その様子を見て深澄は大きく溜め息を吐いた。

 

「足りない。石見?」

 

 彼女は言葉少なに圧をかける。石見はそれを恨めしそうに睨みながら、吐き捨てるように言った。

 

「チッ……。俺は《シーロック》だ」

「シー、ロック。ああ、シー(see)ロック(rock)で石見」

 

 その態度の悪さは彼の最後の姿とリンクする。最初の自己紹介の気弱さは悪足掻きのようなものだったのか。

 

「そ。なぁんか気になって鎌をかけたらゲロったの」

「鎌かけたら!? 脅しだろ、あんなん!」

「何にせよ事実なんでしょ?」

 

 石見は気まずそうに目を逸らす。どうやら作られた自白というわけではないようだ。

 

「それで、どうして僕に?」

「気にしてたでしょ? なんでこんなことするんだ、って」

「それは、まあ、そうだけど」

「で、貴方の仮説は?」

 

 深澄が小首を傾げる。その確信めいた態度には苦笑するしかない。

 

「僕の仮説はRMTだよ。伝説級武器の売買。《鼠》も使って情報を集めたところ、この間の僕らみたいに罠にかけられて伝説級武器を奪われたプレイヤーは結構数いるみたいだ。その奪われた伝説級はこの間のレイドが使っていた武器と特徴が一致してね。それだけなら伝説級コレクション趣味のPK集団かもしれなかったけど、《鼠》が尻尾を捉えたって連絡が来た。明後日の夜に大規模RMT闇トレードが行われるらしい」

「どうなの?」

「……全部当たりだよ。《洞穴工房》の鍵も出すつもりだったが、星錬シリーズだけで手を打つって話になった」

 

 星錬シリーズとやらは、恐らくあの惑星をモチーフにした武器群のことだろう。僕らの手元にあるのは金刃、土鎌、天斧、冥叉の四本のみであり、石見達は残りの五本を押さえているのだろう。

 

「で、どうするの?」

 

 深澄が何の色も乗せずに尋ねてきた。彼女はこの件に関してほとんど関心がないのだろう。僕の判断に従うというポーズを取っていた。

 

「今のところ、闇トレードの現場を押さえて纏めてBANできるように運営と動いてるよ。まあ違法行為でもないし、取れる手はそのくらいかな」

「甘いのね」

「実害はなかったわけだし、当事者じゃないからね。ゲーム内でPKをして伝説級を奪うのもモラルはないけれどルール違反じゃない。後は大規模RMTに対して運営がどういう判断をするか、だね。損害賠償くらいまでなら行くかも」

「そっ、損害賠償!?」

 

 石見は僕の言葉に泡を食ったように顔を歪める。僕と深澄は揃って溜め息を吐いた。彼と話していると、どんどんと幸せが逃げていってしまう。

 

「当たり前でしょ。そもそも規約違反だし、伝説級武器の占有とそれのRMTによる売買はALOの一つの売りを台無しにするようなもの。あんた達のPKによる伝説級奪取が許されるのは、この間の私達みたいにあんた達をPKして伝説級を奪い返せるから。それをRMTでやられたんじゃゲーム性の崩壊」

 

 深澄は端的に告げていく。実際にはALOほどの話題力のあるゲームとなれば、訴訟一つとっても様々な利害関係が絡むため運営がどんな判断を下すかは分からないが、脅しだけはいくらでもかけられる。

 

「ど、どうすればいい!? 損害賠償なんてできないっ!」

 

 ベンチから滑り落ちるように石見は僕らに問いかけた。頭が痛くなってくる。

 

「……石見さん、損害賠償を避けたいなら簡単な話ですよ。RMTをしなければいいんです」

「え?」

「まとめて闇トレードをするから価格の有利な設定ができる。そのために伝説級をわざわざ集めたんでしょう? なら、まだRMTを実行してはいない。現状はちょっと悪質なプレイヤー集団といったところです」

 

 目の前の男の顔が救われたように明るくなるにつれ、僕らの顔はどんよりと曇っていった。深澄は頭を押さえてベンチに腰を下ろした。

 

「で、どうするんですか?」

「止めるに決まってんだろ! そもそも俺は後から入った組だし、縁も簡単に切れる!」

「そうですか……。これに懲りたら、楽な金儲けに流れないことですね」

「助かったわ!」

 

 石見はそう言ってにこやかに中庭から走っていった。良くも悪くもと言うか、圧倒的に頭の軽い男だ。この間の憎々し気な様子から何か事情があったのかと思っていたのに、あの様子ではGGOの方で僕が稼いでいるのが気に食わなかった程度の難癖だったのだろう。

 倦怠感に身を包まれたまま空を見上げると、深澄がベンチに沈みながら声を上げた。

 

「えーと、ありがとね。正直、見つけたはいいけど手に余ってて。……あんなに馬鹿だとは思わなかった」

「僕もです。帰還者学校の名誉が守れたと思えば、兎沢さんには感謝です。……あんなに馬鹿だとは思いませんでしたけど」

 

 最初に出会ったときの商人然とした態度や、今日の自己紹介のときの気弱な態度を思えば、きっと彼の天職は俳優だろう。小物系の。

 

「教えてもらえたお礼に何かしますよ」

 

 そう言えば、深澄はんーと唸り、それから背もたれに預けていた体を起こした。

 

「じゃあ、何かクエスト付き合ってもらいましょう。今夜空いてる?」

 

 

******

 

 その日の夜、僕とミトは新生アインクラッドのダンジョンに潜っていた。

 

「はい、スイッチ!」

 

 僕がかち上げた敵の懐にミトが飛び込み、身を捩じるようにして大鎌で敵を斬り払う。

 

「さて、ボス戦だ」

 

 このダンジョンはそれほど大きなものではなく、地味で人知れない場所だ。それ相応に敵の層は薄く、二人でも特段の支障なくボスの間の目前までやって来れた。

 

「あ、そうだ」

 

 ミトは今まで使っていた鎌をオミットすると、代わりに見覚えのある大鎌を取り出した。その鎌の柄は濃紫を貴重とした暗い色で、その大きな刃に至る少し手前に大きな宝玉が埋まっていた。そしてその宝玉を囲うように、土星の環のようなラインの入ったキラキラと輝く大鎌の刃が湾曲している。

 

「それはこの間の……」

「そ。《土鎌サターン》がこの子の名前。折角だから使おうかと思って」

「エクストラスキルは?」

「《グロウコントロール》。効果は、斬った相手のバフとデバフの延長、もしくは短縮」

「強いね」

 

 僕の返答は端的だ。バフとデバフの効果時間は常に頭を使う情報であり、それを操作できることの強みは字面の何倍もの強力さを秘めている。

 ボス部屋に突撃する前に、僕が二人にバフをかける。効果時間は短めに設定し、MPの消費を節約する。

 

「じゃあ行くよ」

 

 ミトが自分を巻き込むように二人ともを大鎌の刃で撫で斬りにする。発行する刃はダメージを与えず、どこかくすぐったいような違和感を覚える。しかしそれ以上に、斬られた瞬間から視界の端に映る効果パーティクルからバフの継続時間が伸びたことが分かった。

 その勢いのまま、ボス部屋に走り込む。雑魚敵を展開するタイプのボスであり、鈍重な本体が動き出す前にその体から二桁に上る敵が出現する。

 

「頼んだ」

 

 いつもの鎌に持ち替えたミトはさながら忍者のように鎖を使って空を飛び、雑魚敵を飛び越えながら本体へと向かう。彼女に向かいかけた雑魚のヘイトを引くべく、僕は即座に魔法を展開する。これもバフにMPを割かずに済んだからこそできる戦いだ。

 両手に持った剣で敵を斬り払えば、ミトは一人でボスの本体をすっかり追い込んでいた。どうやらデバフを撒くタイプのボスのようだが、デバフを受ける度にミトは鎌を持ち換えて自身を斬って回復してしまう。相性有利を取って嵌め殺しを仕掛けていた。

 下手に僕がデバフを食らえば、嵌め殺しを終わらせてしまう。僕は魔法使いに専念し、後方から援護射撃を加える。

 そうしていれば、一人でも圧倒できていたボスは簡単に倒れていき、ダンジョンを一つ攻略したとも思えない軽傷の僕らの前に、小さくポップアップウィンドウが表示された。これで本当に終わりらしい。

 

「よし」

「狙いの物は手に入った?」

「うん」

 

 ミトはウィンドウを上機嫌に閉じた。

 

「あの《ブリーシンガメン》の作り替えに必要なパーツが足んなくてさ。あーあ、結構使い心地良かったから、リズにサターンの作り替え頼もうかなぁ」

「伝説級の作り替えなんてできるのかい?」

「やってみなきゃ分からないでしょ」

 

 僕の背中に彼女は張り手をする。その勢いに思わず笑ってしまった。このくらいのダンジョンの方が、ストレス発散には丁度良いのかもしれない。

 

「あ、そうだ。今度から兎沢さんって呼ばないでね」

「……目立ちたくないんじゃなかったんですか?」

「その敬語も禁止。今まで話してなかったから気づかなかったけど、レントに敬語使われると、こう、鳥肌が立つ」

 

 おどけたように彼女は身を震わせた。

 

******

 

 完全に余談であるが、闇トレード会は予定通りに行われ、大量のBANアカウントが発生した。石見は難を逃れたようだが、残りは一網打尽であった。

 今回はRMTが行われる前に押さえられたために実害がなかったことを鑑みて、運営のブックス・トーンは民事に訴えることもしないそうだ。

 彼らが押さえていた伝説級武器は、運営主催の正規のオークションにかけられ、ゲーム内通貨で交換される運びとなった。

 これを聞いて嘘を吐いたと僕らのもとに石見がやって来て頭を抱えることになるのは、また別の話だろう。




 また暫く更新の予定はなくなってしまいますが、のんびり行きましょう。
 では、伝説級武器の紹介です。

金刃ヴィーナス
 武器種は《短剣》。名前通りの金色の刃が、雲のような鍔の先に伸びています。ギリギリ可憐の範囲に収まった派手さです。
 エクストラスキルは《ミラージュウィップ》。効果は一時的な刃の延長です。MPを材料に短剣の刃と同じ形の刃を大量に刃先に繋げて鞭のようになります。MP量によって長さの調節ができ、また延長された部分には魔法属性が付随しています。扱いづらいエクストラスキルです。

天斧ウラヌス
 武器種は《両手斧》。薄い水色から灰色ほどの大理石のような材質で出来た、のっぺりとした大斧です。
 エクストラスキルは《スカイルーラー》。効果は本編でもたくさん使われた魔法属性無効化空間の発生です。空色の球が発生し、その内部では魔法属性や魔法が消滅します。非常に強力なエクストラスキルになっており、これからSAO上がりの近接屋どもの選択肢にこれが入ることを思うと、敵が可哀想になってきます。


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