ソードアート・オンライン -The Revenger-  (こもれび)
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変わりゆく世界【挿絵有】

 

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 ”死者が消え去るのは、どこの世界でも一緒さ”

 

 真理とも呼べるその言葉を、『彼』は確かに聞いた。

 

 この世界を作り出した男の言葉。

 

 そしてこの世界と共に消え、新たな世界と共に誕生した存在。

 

 世界は作り変えられた。

 

 現実と認識していたその世界も、仮想と呼んでいたその世界もそのいずれでさえも人々に受け入れ始めることとなった。あの忌まわしい事件は、この暴虐とも呼べる新たな『ルール』をこの世界へと与えてしまった。

 全ての存在に開かれた新たな世界。

 もはやそれは仮想現実(ヴァーチャル・リアリティ)と呼ぶことさえも躊躇させるほどの説得力をもってこの世に顕現する。

 人々は新たな住処を確かに得たのだ。

 

 そう……

 

 現実から切り離されたもう一つの現実を。

 

 もはやそれを偽物と断じる存在は少なくなってきている。

 

 『彼』は思う。

 

 ただ巻き込まれ、戦い抜き、そしてあの事件を生き残ったことの意味を、果たして『人』は理解できるのだろうかと。

 日々生まれ出で続ける数多の世界の数々に、『人』は未来を見い出せるのだろうか……と。

 

 薄暗いその部屋の中で、モニターに映る一人の少年の姿を見つめながら『彼』は思いを馳せた。

 

 やっとだ……

 

 やっと時が満ちた……

 

 あの日から続く、この身に刻み込んだ忌まわしい『呪い』をついに解放するときが来たのだ。

 全ての感情を捨て去り、全ての想いをただこの一点、曇りなき『呪い』で染め続けてきた日々。

 だが、それもようやく終わる。

 『彼』には達したことへの充足感も、満足感も、微塵もありはしない。

 あるのは真っ黒に染め上げられた自身を焦がすある一つの感情のみ。

 

 それが今確かに大きな焔となって自身を駆け巡っていることを感じつつ、ただジッとモニターに映る少年を見つめ続ける。

 そして『彼』は、呟くのだった。

 

 

「お前の全てを奪ってやる……、『キリト』」

 

 

 『彼』の双眸に真っ黒な焔が、ただただ揺らめいていた。

 

 

 

   ×   ×   ×

 

「もう信じられない」

 

 まさかこんなに時間がかかってしまうなんて夢にも思わず、私は慌てて暗くなった廊下をパタパタとパジャマのままで走って自室へ向かっていた。

 もうこの家で『起きている』のは私だけ。

 

 お手伝いの方は今日は早めにお帰りになられたけど、明日の食事などの準備も含めて大分片づけてくれているから何も心配はないのだけれど、今日は私が就寝前の家事はこなさないとならなかった。

 全ての部屋の戸締りを確認して、玄関わきのセキュリティーシステムも就寝用の設定で起動。

 チラリと、庭や表通りを映し出している防犯カメラの画像をモニターで見るも、当然そこに人影はない。だってもう夜も遅いしね。そして全ての照明も落としたのを確認してからさあ部屋へ……と思っていたら、お風呂掃除がされていなかったから流石に今日は頭にきた。もう……、最後に入ったの母さんでしょ! と、沸き上がる怒りを頑張って抑える。今日は我慢我慢。

 急いで片づけてから部屋に向かったというわけ。 

 

 ベッドに横になった私は、急いで『アミュスフィア』を装着して電源を入れた。

 このヘッドセットはあの『ナーヴギア』よりも簡易な作りだけど、デザインもシンプルで気に入っている。原理はいまひとつ良く分かっていないのだけれど、仮想世界との強制解除の仕組みなんかもきっちりされているって彼も言っていたから怖いと感じたことは一度もない。そもそもあの『事件』後に装置の問題での事故は起きていないから。安全面に関して保証されているからこそ、みんなでこうやって楽しむことが出来るわけだしね。

 私は今日起こるであろう出来事を想像して思わず笑ってしまった。なにしろ、つい今しがた自分自身が度肝を抜かれてしまったのだ。あれをみんなが見たらと思うと、それだけでウキウキしてしまう。

 ああ、楽しみだなあ。

 わくわくしながら、ローディング終了を確認した私は思わずつぶやいた。

 

「リンク・スタート!」

 

 別にこんなセリフを呟く必要なんかまったくないけど、期待に胸が高鳴っていたから思わずやってしまった。彼だってそう呟いてるの知ってるんだから、ふふふ。

 ヘッドセットからの耳朶を打つ心地良い機械音(パルス)に身を任せつつ、私は目を閉じる。

 あの世界で彼と出会えることに胸を弾ませながら。

 

 

 

  ×   ×   ×

 

 

「やあ、アスナ」

 

「おかえりなさい、ママ」

 

「もうアスナおっそーい」

 

「ご、ごめ~~~ん、ちょっと色々やることあって」

 

 転移直後に、目の前に立っていたのは、ニコニコ微笑んでいるキリト君とその肩に乗るピクシー姿のユイちゃん……と、半眼で私を睨む、リズベッド。

 慌てて頭を下げると彼女は、にひーっとニヤケタ顔して私を見て、

 

「ひょっとして『倫理コード』の解除にでも時間かかっちゃってたのかなぁ~。クエストの後は今日はデートだったもんね、ねー」

 

「ちょ、ちょっと、何言ってるのよ、そ、そんなこと……」

 

 にやけたリズに反論したいけど、実はまったくできない。

 『倫理コード』とは、このゲーム……ALO(アルヴヘイム・オンライン)内で禁止されている様々なハラスメント対策コードのことなんだけど、実は私もキリト君もとっくの昔に『済ませ』ちゃってるし……えーと、いろいろと……ね。

 チラリとキリト君を見れば、そのスプリガンのアバターの鼻をコシコシ擦って惚けた顔してるし。

 もう、ちょっとはフォローしてよぉ。

 そんな私たちに、リズベッドが顔を近づけてきた。

 

「まあ、あんまりいじめても可哀そうだし~、この辺で許してあげよっかなー、にひひ」

「そうですよ、リズさん、もめ事はだめですよ、ね、ピナもそう思うでしょ」

「ピャー」

「おいおいリズベッド、キリの字まで虐めてやんなよ~、そんなに寂しいんなら俺が慰めてやるぞ」

「だ、誰があんたなんか……も、もう」

「お! これはまんざらでもない? ん?」

「う、うっさい、もうあんたの刀直してやんないからね」

「そ、そんな殺生な~、ごめん、許して、ホントに、な、な」

 

 その後ろを見れば、ピナを肩に乗せたシリカちゃんとクラインさん、それにシノンさんとリーファちゃんが立ってこちらを見ていた。

 あれ? あの隣にいる青い服のスプリガンの人は……

 よく見てみれば、リーファちゃんのすぐ隣に、青いローブ状の衣を纏った黒色長髪の背の高い男性アバターが。

 今いるのは『町』のフィールドだから他のプレイヤーがいてもまったくおかしくはないけど、みんなと並んで立ってるってことは、知り合い? なのかな?

 

 そんなことを思っていると、キリト君が私の肩をポンと叩いた。

 

「えと、アスナ、紹介するよ」

 

 言って、私の手を引いてその青ローブの人の前に行った。

 

「この人は、俺が今お世話になってるセキュリティー会社の部長さんで、『田口』さん」

 

 そう紹介されて、田口さんは優しい微笑みを浮かべて私に会釈をする。

 

「えーと、田口です。いや、ここではプレイヤーネームの方が良いのでしたね、『たぐたぐ』と申します。ご主人にはいつも本当にお世話になっております。奥さん」

 

「へ!?」

 

 お、おおおおお奥さんって言われちゃった、普通に。え、えー、ど、どうしよう。

 た、確かにSAOの時に一度はキリト君と結婚してるし、あの時も『奥さん』て呼ばれたこともあったし、それにこの前のうちの家でのこともあるから全然問題はないんだけど、心の準備が~~~!

 キリト君を見ればやっぱり鼻を掻いてとぼけ顔。

 もぅ、んもう。

 

「こ、こちらこそ、い、いつも主人がお世話になってます」

 

 恥ずかしいのを必死に堪えてそう言って頭を下げる。うう、恥ずかしいよぅ。

 そんな私の肩に飛んできたユイちゃんが立って、

 

「改めまして、私は娘のユイです。パパがいつもお世話になっています」

 

 えっへんと胸を反らしたあとに、私と同じようにお辞儀をする。それがとっても愛らしくて、可愛くて。そんなユイちゃんの行為に羞恥心まみれの私の心は救われる。

 たぐたぐさんはそんな私たちを見ながら、あははははと大きく笑った。

 

「いやいや、桐ケ谷くん……いや、ご主人のキリトさんからは、可愛いお嫁さんだとは聞いていましたが、まさかこんなに可愛らしい方だったとは。うん、ご家族仲が良さそうで本当に良いですな。うんうん」

 

 大仰に頷いて見せるたぐたぐさんは、その二十歳くらいのアバターからはわからないけど、実際はもっと年上の方なのかな?

 そう思ってキリト君に聞いてみると。

 

「ああ、たぐたぐさんの実年齢は50歳だよ」

 

 という答え。

 話し方とか落ち着いてるし、これは納得。

 色々と聞いてみると、彼はキリト君が開発協力している、『フルダイブセキュリティーシステム』の開発責任者なのだそうだ。

 この防犯装置の開発は、キリト君の関わったあの『死銃(デスガン)事件』を契機に全世界で開発競争が盛り上がり始めた新事業。

 あの事件は、ゲーム中でアバターの命を奪うとそのプレイヤー自身も死んでしまうという、まるで魔法のような殺人事件だったのだけれど、種を明かしてしまえば、申し合わせた複数の犯人がゲーム中の殺害のタイミングに合わせてプレイヤー本人の命を奪っていたという、完全な押し込み殺人だった。

 その被害に危うく遭いそうになってしまったシノンさんも、今でこそ楽しそうに見えるけど、やっぱり独り暮らしは怖いといつか漏らしていたのを私も覚えている。

 

 フルダイブ中は全ての感覚がアバターに繋がってしまうため、当然本体を動かすことは本人にはできない。

 そんな無防備な状態で悪意を持った人間がすぐそばに来てしまうことを考えると、やっぱり私も怖くなる。

 現に、このALO内に私が囚われていた時だって、動けない私が悪意に晒されていたことを、私ももう全て理解しているし。

 

 だからこそ、より安全にこの世界を満喫するためにも、セキュリティーシステムは重要なんだと、キリト君も努力しているし、私もそんな彼を応援してきていたのだから。

 

「たぐたぐさんは、まだフルダイブを経験したことなかったから俺が誘ったんだ。やっぱり開発するには現場も大事だしな。今日のクエストは短いし、それにみんなにも紹介したかったからさ」

 

「や、今日は、足手まといになると思いますが、ひとつよろしくお願いしますよ。皆さん」

 

 ペコリと頭を下げるたぐたぐさんに私もみんなも急いでお辞儀。

 

「いえいえ、こちらこそ。安全にプレイできるってのが何よりですからね、よろしくお願いしますよ、たぐたぐさん」

 

 代表するようにクラインさんがそう返事をする。

 それを聞いたたぐたぐさんが、右手でコンソールを呼び出して、私たちを手招きした。

 

「そうしたら皆さん、ちょっと寄って来て貰えます? このモニターを見てくださいな」

 

「ん~~? どれどれ~~? えっ? これひょっとしてたぐたぐさん?」

 

 クラインさんのその声に、ビックりしながらモニターを見てみれば、そこにはアミュスフィアを被ってベッドに横になる背の高い男性の姿。

 皺が刻まれた精悍な顔だけど、どことなくこのたぐたぐさんのアバターに似ている気がする。

 

「いやあ、お恥ずかしい、私ですよ。今回は運営に頼んでテストさせて貰っているのですが、とりあえず、これがあればプレイ中に自分自身を確認することができます。天井にカメラつきの機器をとりつけてありましてね、こうやってある程度の視野も確保できますし、この機器から外線も飛ばせます。それと、室内に向けて音声もかけられますからね、これでプレイ中も外とコミュニケーションがとれるってわけですよ、はい」

 

「おお、すげー」

「これはなかなかいいんじゃない? 外と連絡とりたいなって、私もよく思ってたし」

「そうですよね、いちいちログアウトも手間なときありますもんね。とくにレイドボス戦の時とかって、自分勝手に抜けられませんしね」

「ぴゅいーー」

 

 クラインさんもシノンさんもピリカもみんな興奮してる。

 そんなわきで、なぜかリーファちゃんが青い顔してぷるぷる震えてる。

 

「どうしたの? リーファちゃん? なにかあった?」

 

「いえ、アスナさん……えっと、その……」

 

 そんな私の後ろで今度はキリト君。

 

「ま、たぐたぐさんだけだとあんまテストにならないからな、今回は俺『達』も参加してるんだよ、ほら」

 

 言って、虚空に展開した二つのモニター。そこに映っていたのは……

 

「ぴゃあああああああああ!! お、おおおおおにいいちゃん!」

 

 絶叫するリーファちゃん以外、そこにいる全員がそのモニターを見てしまった。

 

「こ、これは」

「きゃ」

「うわぁ」

「やっちゃったねー」

「あーあ」

「スグ……お前……」

 

 そこに映っているのは、布団の上でシャツにしましまショーツ一枚で横になっている直葉ちゃん。

 慌ててそれを消したキリト君だけど、もう流石に遅いよね。

 真っ赤になって泣き出しそうなリーファちゃんがキリト君をにらんでる。

 

「お前な、今日はテストだって、言っただろ? こんな映像分析にまわせないだろ?」

 

「だ、だって、私いつも通りでいいって聞いたから、だから、いつも通りで……」

 

「いつも通り!?」

 

 なぜか急に食いついてきたクラインさん。いったい、なんで?

 

「リーファちゃん! 良いもの、本当にサンキュウな!」

 

 キリリっと笑ってから親指を立てるクラインさんに、ぷるぷる震えたリーファちゃんとリズベッドの二人がおもむろに剣を装備して、おもいっきりフルスイングした。

 

「「お前はしねええええええ」」

 

「ぐっは、なんでお前までええ」

 

「うっさい、しねええええ」

 

 逃げ回るクラインさんと追いかけ回すリーファちゃんとリズベッド。

 そんな様子を田口さんは頭を掻きながらにこにこ見ていた。

 

「妹が本当にすいません」 

 

「いや、これは失敗しましたな。でも貴重な資料ですよ。いえ、映像は破棄しますが、とくに女性にむけてのハラスメント対策には有効な経験です。まあ、次の試作品には期待してください」

 

 優しそうに微笑むたぐたぐさん。

 そんな彼が、自分のモニターを閉じようとしたその時、背後から声をかけられた。

 

「あら、それひょっとしてプレイヤーのあなた自身を見ているの? へえ、これは便利そうね」

「そうだな、やっぱり、自分の体が今どうなっているかは不安もあるからな」

 

 そんなことを言いながら近づいてきたのは、二人組の男女のシルフなんだけど……うん、知ってる人だった。

 

「えーと、どちらさまですか?」

 

 恐る恐るといった感じでそう聞くのはキリト君。そういえば、まだこの『姿』を紹介してなかったな。

 そんな私の思いをを察したのかどうか、その二人組の女性の方が先に声をかけた。

 

「あら……、あなた、ひょっとして桐ケ谷君ね? えと、そう、キリト君。そうそう」

「ほう、桐ケ谷くんだったか、やっぱりゲーム内だとわからないものだな」

 

「えと……、その……、だから、誰?」

 

 そんなキリト君に私は近づいた。

 

「キリト君、私も今日ね、キリト君に紹介したい人がいたの。えと、といってももう知ってる人なんだけどね、あははは……」

 

 言ってからキリト君を見れば、どんどん青ざめていってしまってるし。

 

「ま、ま、まさか……ゆ、結城さんと、アスナのお母様ですか?」

 

「「「「「「ええええ!?」」」」」」

 

 みんな揃って大絶叫。

 それをシルフ姿の母さんが微笑みながら答える。

 

「ふふふ……、いやぁね、キリト君。そんなに怯えなくても大丈夫よ。私たちは貴方にもう明日奈のことをまかせたのですもの。私たちに『娘さんをください』とまで言ったでしょ? もうお義母さんでいいわよ」

 

 

「「「「「ええええええええええええ!?」」」」」

 

 みんな再び大絶叫。

 クラインさんたちがキリト君の首をつかんで揺すり始めた。

 

「おい、キリの字。お前、なに俺が彼女作る前にプロポーズとかしちゃってんだよ」

「そうですよ、いつの間にそんな事件起こしてるんですか、初耳です」「ぴゃーー」

「おにいちゃん、なんで言わなかったの?」

「ま、別にいいんだけどさ、無性にキリトの頭にコルトパイソンぶちこみたい気分なんだけど」

「きりとぉー。私の待ってた時間返してよぉ、わあああああーーん」

 

「お、お前らな……く、苦しいから……、」

 

 じたばたもがくキリト君を見ながら、お父さんと母さんが微笑んでいた。

 しばらくして落ち着いてから、きちんとみんなに自己紹介。

 実は先日母さんをこのALOに招待してから、たびたび私のアバターでログインするようになって、どうもすっかり気に入ってしまったみたい。

 それはそれで凄く嬉しかったんだけど、ここしばらくアミュスフィアを貸してと言わなくなったから、あれ? もう飽きちゃったかな? と、寂しく思いながら、何気なく放置していたら、なんと、自分の専用のヘッドセットを用意して、しかもお父さんまで巻き込んでしまっていたというわけ。

 あとはご覧の通りなんだけど、その絢爛豪華な装備の数々にみんな目が点になってるし。

 

「こ、これって、鎧も盾も全部レジェンダリアイテムだよな……」

「うそ……この手甲……ひょっとしてオリハルコン製じゃないの? わたし、実装してからまだ原石だって見たことないんだけど」

「ほええ~」

「うわ~」

 

 みんなが口々にそういいながら、お父さん達の装備を眺めている。

 キリト君はといえば、ちょっと冷や汗垂らしながら母さんに質問していた。

 

「えーと、ちなみに、お、お義母さんたちのスキルって、見せてもらっても大丈夫ですか?」

 

「ええ、いいわよ。えーと、こうだったかしら」

 

 言って、コマンドを表示してそこに書かれていたもの、それは。

 

「うわああああああ、弓術スキル、オールカンストしちゃってる! しかも、なんか見たことないスキルが一杯なんだけど」

 

「お、親父さんのほうは、大剣スキルカンストかよぉ。もうペアで……、いやソロでも、新生アインクラッド100階層攻略できちゃうんじゃねえの?」

 

 そんな声に、はっはっはとお父さんが笑った。

 

「いやあ、私たちはこのゲームの初心者だからね、とりあえず部下に聞いてこのアバターは作ったのはいいけど、どうやってプレイしていいのか、良くわかっていないんだよ」

「大丈夫よ、あなた。飛びかたは私が教えてあげるから」

 

 言いながら抱きつく母さん。うーん、こういう光景はなんかむずむずする。

 

「えっとね、実はお父さんはALO今日がはじめてなの。私が遅れたのは、さっきお父さんたちの立ち上げをしてあげてたからなんだけど……、正直、装備とスキル見て、みんなと同じ感想だったよ」

 

 キリト君がポソリと呟いた。

 

「まあ、たしかにレジェンダリアイテムはリアルマネーでも売買されてるし、極レアのスキルアップアイテムだって、無くはないけど……」

 

「無くはないけど?」

 

 真っ青な顔のキリト君がみんなをふりかえって言った。

 

「この前エギルが、ハンマースキルの『アーマーブレイク』だけ上げるのに、スキルアップポーションをMAXまでの必要分現金で買ったんだって……そうしたら」

 

 ごくりと唾を飲んだクラインさんがキリト君に聞いた。

 

「い、いくらだったって……?」

 

「50万」

 

「ご、ごじゅ⁉ じゃ、じゃあ、親父さんたちの全身って」

 

「なあ、クライン、この話はもうやめよう。こつこつ稼ぐの辛くなるから」

 

「で、でもようキリの字、気になるじゃねえか……」

 

「ちなみにエギルな……、あのあと奥さんにバレて、奥さん1週間帰ってこなかったって」

 

「よし、やめよう。すぐやめよう。モテなくなるのだけはたえられない」

 

「いや、お前別に今までもモテたことないだろ」

 

「あははは……」

 

 いつも通りの会話、いつも通りのやり取り。

 いいな、楽しいな。

 私にはキリト君がいてくれる。それにユイちゃんも、みんなも、それが、なにより嬉しい。

 こんな日々がいつまでも続けばいいな。

 そう、これは願いだよ。

 あの世界に閉じ込められて、絶望して、でも、私たちは帰ってきた。

 失ったものはたくさんあった。でも、得たものもたくさんあった。それが今の私たちの形。

 守りたい、壊したくない。

 だから願う。私はいつまでだって、この関係を守っていきたいと。

 

 この時、笑い合う私たちを見つめるその黒く淀んだ瞳の存在に、私たちは誰一人気がつくことはなかった。

 

 

   ×   ×   ×

 

 

 あのあと、お父さんたちは東方向に向かって飛び立っていった。飛行スキルもすごいことになってたから、もはやロケットみたいなスピードだったけどね。

 その方角には新しく発行された高ランククエストの舞台の浮遊大陸があるはずだけど、どうやら、それをネットで見たらしくて、今日はその浮遊大陸で観光兼デートをするみたい。

 確か中層アインクラッドのレイドボスクラスのモンスターが、標準ポップするって聞いた気がするけど……

 まあ、遠泳の大会に、モーターボートで参加するみたいなもんだもんね、心配ないか。

 

 私たちはと言えば、新しく開かれたアインクラッド50~60階層の攻略兼、期間限定イベント、食材調達料理対決に参加。

 狙うのは当然あの『ラグーラビット』。実は今回のイベントで、このS級食材の出現率が向上しているって噂があってなにがなんでもこれを手に入れたいって、みんなは相当気合入っているし。

 私だって、あの美味しい料理をもう一度味わいたいって思いは強くて、かなり頑張って探したけど、今日の森の散策では流石に見つけられなかった。

 このイベントはそこまでやりこまなくても、必要な材料さえ手に入れば、私の料理スキルでなんとかなるので、もともと、寝るまでの短い時間でプレイしようって約束だったから、今夜はこれでお開き。

 とりあえず、キノコや果実類を少しゲットして、それを持って50階層の転移門へ。

 

「じゃあ、今日はここまでだな。明日こそは絶対ラグーラビットを捕まえてやろうぜ」

 

「だな。あ、たぐたぐさんはいかがでした? 森の中ばっかりで申し訳なかったのですが」

 

「いやいや、素晴らしい経験でしたよ。ALOの中がこんなに美しいところだったなんて、やはり来てみなければ分からないものですな。それに飛んだり跳ねたりしても体がよく動きますし、長年患っていた腰痛から解放されただけでも本当に嬉しい一時でしたよ」

 

「そうですね、基本的に五感すべてを使ってプレイしているわけですから、万全どころか強化された肉体を楽しめますからね」

 

 そのキリト君の言葉を聞いてうんうん頷くたぐたぐさん。

 

「これは皆さんがはまるわけだ」

 

 その言葉には激しく同意できる。

 私だって、この世界での経験程素晴らしいものはないって、思うようになってきていたし。

 そう考えたそのとき、胸がすこしだけチクリと痛んだ。

 あれ、どうして私今もやもやしたんだろう。

 自分でも良く分からないその感情に少しだけ不安を覚える。

 そして、いつだったか、だれかが言った言葉がふと脳裏をよぎった。でも……、それは次のキリト君の言葉で掻き消えてしまった。

 

「また明日ご一緒しませんか?」

 

 そうたぐたぐさんを誘うキリト君。それに、一瞬だけ眉を下げたたぐたぐさんが答えた。あれ、今なにか悲しそうな表情に見えたんだけど……

 

「是非……、是非そうしたいですな、でも。残念ながら、私もいろいろ忙しくてですね、明日は必ず来れるとはお約束できないのですよ。せっかく誘って頂いたのに、すいません」

 

「いえいえ、お忙しいのにすいませんでした。でしたら、来れそうだったらってことで、お待ちしてますね」

 

「わかりました。皆さん、今日は本当にありがとうございました」

 

 頭を下げるたぐたぐさんに、みんなも頭を下げる。

 そしてめいめいの挨拶が終わると同時に、たぐたぐさんはログアウトしていった。

 

「腰の低いいい人だったなー」

「だね、それに、あのセキュリティーの機能いいよね。私も欲しいな」

「ん? リズベッド……お前自分が襲われちゃう心配とかしてるのか? だーいじょうぶなんじゃねえか? お前なら」

「クライン、どうもあんた私に喧嘩売りたくて仕方ないみたいねー、やっぱり一度死んでおこうか‼」

「い、いや、ほらもう夜も遅いし、また明日な、な、な。じゃあ、キリの字よぉ、お前らあんま夜更かししてイチャコラしてんじゃねーぞ、じゃな、あばよ」

「「なっ‼」」

「こら、クライン、待て」

 

 慌ててログアウトしようとしているクラインにリズベッドのハンマーが振り下ろされる。

 そんな光景を見ながら、みんなも一人ずつ帰っていった。

 私はキリト君を振り返る。

 

「ねえ、私たちもいこっか」

 

「ああ、うん」

 

「じゃあ、今日は私はパパのナーヴギアに退散しますね。楽しんでね、パパ、ママ」

 

「もう、ユイちゃんたら」

 

 ウインクをして消えて行くユイちゃん。もう本当におませさんなんだから。

 

 私はキリト君と手を繋いで転移結晶を持った。

 これから私たちが向かうのはこの世界の我が家でもある、あの22階層の森の家。

 ここ最近、私たちは毎晩この部屋で過ごして、そして、ここで眠りながらログアウトするようにしている。

 だって、私たちは現実世界でも結婚はしていないまでも、『婚約』をしたのだから。そしてその家で、私たちは幸せな時間を過ごしていた。

 いずれは現実の世界でも一緒に暮らせるんだろうな……ふふ。

 一人でそんなことを妄想して思わず笑みがこぼれてしまう。

 

 そんな私はふと、あの日のことを思い出していた。

 

 

   ×   ×   ×

 

 

 先ほど、母さんが話していたとおり、キリト君はお父さんと母さんに私との結婚についてのお願いの挨拶に来てくれた。

 私たちはまだ学生だし、それに年だってようやくキリト君が18歳になったばかりで、普通ならそんな約束は結んでもらえるわけはないと思っていた。

 でも、母さんや京都の実家から再三お見合いを勧められた私は、もうそれが嫌で嫌で泣いてお父さんたちに訴えた。

 私が愛しているのはキリト君だけだと。キリト君なしではもう生きていけないと。

 そんな私の言葉に、母さんは初め呆れた顔をしていたのだけど、そんな母さんを説得してくれたのはお父さんだった。

 お父さんはキリト君のことを買ってくれていたのだと思う。

 キリト君があのデスゲームで生き残って、心に傷を負いながらも、私を救い出してくれたことも理解してくれた。だからこそ、あの日、キリト君が私のために、お父さんたちに対面したあの時、ああやってあえて厳しい事を言ってくれたのだと思う。

 

『君はまだ何も現実の世界での力を持ってはいない。そして、この世界が如何に過酷なのかも理解してはいない。そんな子供に、娘を預けられると思っているのかね』

 

 その言葉は私も一番言われたくないことだった。

 私たちは大人のまねごとをしているだけのただの子供。

 そんなことわかっているし、今すぐにそのお父さんの言葉に反論できるだけの物なんて用意はできない。

 でも、そんな思いのなか、彼は言ってくれた。

 まっすぐに、真剣に、お父さんを見つめながら。

 

『明日奈さんを心から愛しています。俺……、僕の一生をかけて必ず幸せにしてみせます。今言えるのはこれだけです。どうか、どうか、明日奈さんを僕にください。お願いします』

 

 その言葉に涙があふれる。

 もうこれ以上ないくらいの幸福感に胸がいっぱいだった。

 キリト君を見れば、頭を下げながら全身を震えさせていた。

 最悪の恐怖心の中で、きっと彼は私の為に言ってくれたんだ。

 だから、もう私に迷いはなかった。

 このあとどんな言葉をお父さんたちから言われようとも、もう決して迷わない。

 キリト君を必ず守ると、どんなことがあっても私だけはキリト君のそばに居ると。そう、私は心に決めた。

 

 二人で頭を下げ、お父さんたちの言葉を待つ。

 でも、なかなか言葉が返ってこない。

 暫くしてふと視線を上げてみれば、あのいつも厳格なお父さんが表情を綻ばせていた。そしてそんなお父さんに寄り添う母さんは、声を堪えたまま目元をハンカチで拭っていた。

 そして、母さんが答えてくれた。

 

「明日奈……、彼の為に努力しなさい。頑張って幸せにおなりなさい」

 

 信じられなかった。

 いつも厳しいあの母さんが、まさかこんなにあっさりと……、ううん、こんなに優しい言葉をくれるなんて。

 そしてお父さん。

 お父さんは、先ほどとはまるで違う、優しい声音で話してくれた。

 

「桐ケ谷君……。何もないことを恥じる必要はない。大事なのは何を為すか、何を残すかだ。私は君ならきっと素晴らしい未来を作ってくれると確信しているよ。どうか、娘を宜しく頼む」

 

 こうして私とキリト君の婚約はすんなりとまとまった。

 正直に言えば、ここまですんなりと決まったことは怖い事でもあった。

 だって、これでもう後戻りはできないのだから。

 ううん、キリト君との関係に不安があるとか、そういうことではないの。

 そうではなくて、これからは、私たちの為すこと全てに重い責任が生まれるということ。それは経験したことのない未知に対しての恐怖心でもあった。

 彼と幸せな未来を築く。ただその為だけに私は全力を尽くす。それは失敗のできない本当の闘いの様に思えた。

 

 でも、きっと大丈夫。

 彼とならどんな苦難も乗り越えられる。きっと……

 先の見えない暗闇を思い浮かべながらも、私はキリト君と二人で居られることを心から祈った。

 

 

   ×   ×   ×

 

 

 想いに耽っていた私だけど、彼の手のぬくもりを感じて、心がときめいていた。

 一緒に居られることを心から感謝していた。

 

 そんな思いのなか、彼がポツリと言った。

 

「家に行く前に寄りたいところがあるんだ」

 

「え? どこ?」

 

 彼を見れば、沈鬱な表情で正面を見据えている。

 一体なにを思っているのか……

 不安に駆られた私が声をかけようとしたそのとき、急に私を振り向いたキリト君が真剣な眼差しのまま私に言った。

 

「アスナ……、君を愛してる」

 

「ふえ? ど、どうしたの? 急に」

 

 突然の告白に戸惑ってしまう。でも、その影のあるキリト君の顔に、その後の言葉が続かなかった。

 そして彼はつぶやく。

 

「俺は、今とても幸せなんだ。君と居れて、君と居させてもらえて、そして、君との未来まで貰うことができた、アスナ……。でも、俺には幸せになる資格はないんだ」

 

「え、なんで……、あ」

 

 唐突に思い出す。

 今のキリト君の表情は何度も見たものだったから。

 彼が悩み苦しむのはいつだって、彼が切り捨ててきてしまった人たちのこと。そう、彼は死んでいったあの世界の人たちのことを、いつだって思い、そして、いつだって苦しみ続けていたのだから。

 それは私では癒せないことだった。

 彼の深く傷ついた心に手を差し伸べることは出来ても、私にはそれ以上どうしようもなかったから。

 だから、私は彼に言う。

 彼を助けるために。

 

「キリト君、私も一緒に行く。あの人たちに会いに……『第27階層』へ」

 

 一瞬キョトンとしてしまったキリト君だけど、すぐにコクリと頷いて応えてくれた。

 そして二人で手を握り合い、転移結晶を掲げて唱える。

 

「「転移!」」

 

 まばゆい光に包まれた私たちはあの場所へと送られた。

 そう、キリト君の凍ってしまった心の置いてあるあの場所へ。

 

 

   ×   ×   ×

 

 

 その淡く青く輝いた通路の奥、その迷宮の一角にその隠し扉はあった。

 その扉の前に彼と並んで立ち、そしてそっとキリト君を見つめる。

 彼は震えていた。

 その隠し扉のキーへと手を伸ばそうとして、そして触れることが出来ないでいる。

 それほどまでの恐怖心を彼は心に宿したままだったということに、私は初めて気が付いた。

 話では聞いていた。

 

 SAOで彼が失ってしまった仲間たちの話。

 

 ソロであった彼が初めて心を休めることのできた帰ることのできる場所、そしてそれは、彼が初めて失ってしまったものでもあった。

 

 あの日、彼はここで助けることができたはずの仲間達を、全員失ってしまった。

 そしてその自責の念に囚われ続け、SAOをクリアした今であっても、その想いは取り払われることはなかった。

 

 その場所がここ。

 キリト君は震える手を必死に伸ばそうとしながら、小声でつぶやいた。

 

「この場所のことを俺はずっと見ないようにしていた。だって、ここは、俺が殺してしまったみんなの魂のある場所だから。はは……、俺、今心から怖いと思ってるよ」

 

「キリト君……」

 

 私は彼を抱きしめた。きつくきつく抱きしめた。そうしないと彼が今にも消えてしまいそうで。

 

「キリト君だけじゃない。みんな、あのSAOの世界に生きた私たちは、みんな何かを失ってしまったんだよ。後悔して、泣いて、苦しんで、それは仕方ないけど、それでも前に進まなきゃならなかったんだよ。だから、お願い。自分だけを悪く思わないで」

 

 彼はそっと私の頬をなでてくれる。そして、少し穏やかになった表情で私を見た。

 

「ああ、ありがとう。分かってはいるんだ。でも、それでも自分のことは許せない。だから……」

 

 すうっと大きく息を吸い込んだ彼が落ち着いた声で言った。

 

「だから、みんなと会ってくる。会ってもう一度、いや、何度でも謝ってくる。俺だけ幸せになってごめんって。だから、一緒にきてくれるか? アスナ」

 

「うん」

 

 嬉しかった。彼がそう言ってくれたことが何よりも。

 私は彼に寄り添おう。寄り添い続けて少しでも彼の支えになろう。

 私は彼の手を取った。

 そして、そのまま二人で壁のスイッチを起動した。

 

 ゴガン

 

 大きな音がなり、そこに色の違う赤茶けた扉が出現した。

 それを私は押し開く。

 そして中を見た。

 

 部屋の中央にはトレジャーボックスが一つ置いてあるだけ。

 

 彼はその部屋の入り口で、ふうっと息を吐いた。

 

「この部屋は転移結晶が使用できないはずだ。そして、あの箱を開けることでトラップが起動して、大量のモンスターが現れることになる。なあ、アスナ。やっぱりお前は外で……」

 

「私も一緒にいるよ、だって、私はキリト君の奥さんだから」

 

 その言葉にキリト君がぷっと吹き出した。

 私も思わず笑ってしまう。

 

「みんなに謝るんでしょ? だったら、笑顔でごめんて言おうよ。じゃなきゃ、謝ったことにならないよ」

 

「なんだそれ? そんな風に謝られたら普通怒るだろ」

 

「怒らないよ。だって、どうせなら幸せになって欲しいはずだモン。みんなの分まで幸せにならなきゃいけないんだから、みんなが笑顔になっちゃうくらいに元気に謝ろうよ」

 

「アスナ……お前それ絶体間違ってる。でも……サンキューな」

 

「どういたしまして」

 

 ふっと肩の力を抜いたキリト君が、つかつかとトレジャーボックスに近づいて、おもむろにそれを開いた。

 すると、けたたましい警報が突然に鳴り響く。

 私も彼も、覚悟はとっくに出来ている。

 

 ガゴンガゴンと、壁が開く音が鳴り響く。それと同時にたくさんのモンスターの声も聞こえてきた。

 

「いくぞアスナ」

「うん、キリト君」

 

 私は彼を背中に剣を正面に構えた。

 そして、目を赤く光らせたその集団に向かって一気に迫った。

  

「はああああああああああああっ」

 

 振るう剣は怒りでも憎しみでもない。ただ、救いたいその想いに私は駆けた。

 願うのはただ一つ。

 キリト君を支えること。それだけを心に、私は戦った。

 

 

   ×   ×   ×

 

 

 バトルはあっという間に決した。

 スキルレベルからしても、すでにこの階層のモンスターと私たちとでは差がありすぎるわけだし。

 でも、キリト君にとっては何よりも恐ろしい戦いであったはずだ。

 青白い顔でげっそりとしてしまった彼を抱いて、私はその部屋の最奥に座らせた。

 呼吸は荒く、かなりつらそうに見える。

 そんな彼に私はアイテムボックスから飲料水を取り出して手渡した。

 

「ありがとう、アスナ」

 

「ううん」

 

 彼は力を失した様子でその場で動けなくなる。

 そしてしばらくして、ぽつりと零した。

 

「『彼らの意識は帰ってこない。死者が消え去るのは、どこの世界でも一緒さ』だったかな……今こそあのスマした顔に一発お見舞いしたい気分だよ。でも、ぜんぜんすっきりはしないし、後悔も消えてないけど、なんでかな……、少しだけ、今生きて居られて良かったと思えた」

 

 どうして? とは聞いてはいけない気がした。

 彼の苦しみはそんな簡単に割り切れるものではないことをわかっているし、彼自身もそうなることを望んでいないのだから。

 でも、彼はつづけた。

 

「多分なんだけど……、もし俺が今ここに居られなかったら、こうやって彼らを想うことすらできなかったなって、そう思えたことが理由のようなきはする。それに、アスナのそばに居られることが何よりうれしいんだよ」

 

 その言葉に、私の胸も熱くなる。

 それはもっとも聞きたかった愛するひとからの言葉。

 そして、私も贈りたかった言葉。

 

「うん、私もだよ。キリト君!」

 

 そうお互い微笑むことができたことが何よりうれしかった。

 

 キリト君はゆっくりと立ち上がって、周囲をゆっくり見回し始めた。

 その行為がいったい何を意味するのかは私には分からない。

 でも、真剣に見つめるその瞳に、私は静かに待った。

 しばらくして、キリト君が誰ともなくに向かって声を掛けた。

 

「みんなごめん。俺は生き残っちゃったよ。だから悪いけど、頑張って生きることにした。みんなにはまた会いに来る。約束する」

 

 そう言ってから目を瞑り、ぎゅっと拳を握りしめて胸に当てた。

 それは死者へと送る冥福の祈りでもあり、自らの覚悟の形のようにも見えた。

 私はそんな彼を待ち続ける。

 きっと様々な後悔がいまだに彼を蝕み続けているのだろう、それを思いながら、ただ待った。

 

「じゃあ、行こうか」

 

 そう私に声を掛けてくれたとき、彼は幾分か柔らかな顔になっていた。

 それを感じ、私もそれにこたえるべく笑顔で頷いた。

 

「うん」

 

 これで何かがかわるというわけではないと思う。

 でも、彼も、私も、向き合わなければならないことなのだと理解している。これからさき、一生をかけて、私たちは彼らの分まで重荷を背負って生きていくのだ。

 私はキリト君とすぐに手を繋いだ。

 彼はもううつむいてはいなかった。

 前を向いて、そして、二人で歩んだ。

 

 と、そうして二人で扉から通路に戻ったその時、少し離れたところに5人の人影が見えた。

 遠目に見て、男性が4人、女性が一人の様だけど、様子がすこしおかしい。

 そもそもすでに攻略されたこの階層に、あの人数のパーティで挑む必要はないし、こんな何もない通路でただ何もせずに立っているのは不自然だ。

 

「キリト君……、あの人達……なにか変だよ……、キリト君?」

 

 繋いでいたキリト君の手が、先ほど以上に激しく震えていた。

 いったいなにが?

 と思った次の瞬間、目の前で長い槍を持ったショートカットのその女性がこちらを振り返った。

 その瞳はまるで氷のように冷え切った様子で、私たちを見つめ、そして、ぽそぽそと、口を動かして何かを呟いていた。

 私には、まったく聞こえないそれ……でも、その最後の言葉だけは、彼女の口の動きだけではっきりとわかってしまった。

 

「サチ……」

 

「え?」

 

 突然そう呟いたキリト君が、私の手をふりほどいて彼らにむかって駆けだした。

 

「キリト君、待って」

 

「サチ……、みんな、俺だ、キリトだ。お前たちを助けられなくて本当に悪かった。許してくれ」

 

 駆けながらそう叫ぶキリトくん。

 私は追いかけようと思うものの、そのとき、きらりと光ったそれを見て私は走るのをやめた。

 

”転移結晶?”

 

 一瞬だけど確かに見えた。もしあれがそうであるなら、あそこにいるのは間違いなくプレイヤーだ。でも、いったいなぜこんなことを。

 

「待って、キリト君。それはサチさん達ではないわ。落ち着いて、戻って」

 

 それでも、キリト君は走り続ける。

 そして、ついに彼らに迫ろうとしたその刹那。彼らの姿は一瞬で掻き消えてしまった。

 転移したのだ。

 

「キリト君‼」

 

 慌てて駆け寄った私が見たのは、涙を流し、ガクガク震えている怯えたキリト君の姿。

 私はすぐに彼をきつく抱きしめる。

 そうしなければ彼が今すぐにでも壊れてしまいそうに思えたから。

 彼は荒い呼吸をしているけど、すこしではあるけど私を見てくれた。

 

「わ、悪い、アスナ。俺、ちょっと今、辛い……」

 

「うん、うん、だいじょうぶだよ、キリト君。すぐに私が助けてあげるから」

 

 私は転移結晶を二つ取り出して、そしてそれをキリト君にも持たせた。

 そしてすぐに帰還した。私たちの森の家へ。

 

 

   ×   ×   ×

 

 

「今日はもう無理そうだね」

 

「なんだ、エッチしたかったのか、アスナ」

 

「キリト君の……バカ」

 

 二人で布団に入ってお互い裸で抱き合っている。

 さっきまでは大分苦しそうにしていたキリト君だったけど、今はもう平気みたい。

 こんな格好ではあるけど、正直今はふたりともそんな気分にはなれなかった。

 

「キリト君。さっきあの通路で会ったプレイヤーの人たち、ひょっとして、キリト君が言ってたあの部屋で死なせてしまった仲間の人に似ていたの?」

 

 その問いにキリト君は表情を変えずに答えた。

 

「ああ、似ていた。とくにサチは……。俺にはサチ本人にしか見えなかった」

 

「もし本人なら、幽霊ってことになるけど、でも転移結晶つかったからね。あの人はプレイヤーだよ、まちがいなく」

 

 そう、それだけは間違いない。

 私とキリト君はかつで幽霊を見たことがある。

 それは二人で同時に見てしまった幻であったのかもしれないけど、あの時、私たちは確かに意思をもったかのようなその存在を目撃した。

 でも、それは幻に限りなく近いもの。

 先ほどみた彼女達どう見てもそうではなく、完全なプレイヤーであった。

 だとすれば、なぜあのような真似をしたのかが重要になる。

 

「サチさんたちのことを知っている人はどれくらいいるの?」

 

「そうだな……クラインと、あと何人かには話したけど、でも実際に顔を見たことのあるやつはいないはずだ」

 

「そうなると、サチさんを知っている誰かが、わざわざあんなことをキリト君の前でしたってことになるけど、誰かに恨まれたりしてるのかな」

 

 その私の問いに、キリト君は即答。

 

「俺は嫌われてたからな。恨まれるだけなら相当数いるよ」

 

「そうだったね、うーん」

 

 悩んでる私の額に、こつんとキリト君も額を当ててきた。

 

「ありがとうなアスナ。俺一人だったらきっとあの場でおかしくなってたよ」

 

「そうだよ、感謝してね。ふふ、でもいいの。キリト君のことを助けられたから、私本当に嬉しいんだよ」

 

「なんか、最近、どんどん恥ずかしいこと言うようになってきたな、お前」

 

「もう、そんなこと言ってたらもう助けてあげないんだからね」

 

「ああ、すまない。俺はアスナに返せないくらいの貸しを作っちまったみたいだ」

 

「だから、いいんだってば。一生かけて私を幸せにしてくれるんでしょ?だからいいの」

 

「うん、そのつもりだよ。わりい、今日はいろいろありすぎて、もう疲れちまった。そろそろオチる……」

 

「いいよ、眠るまで、抱きしめてあげるから。大好きだよ、キリト君」

 

「ああ……、俺も……好きだ……、アスナ…………」

 

 私の胸の中で、寝息をたて始めるキリト君。そんな彼をぎゅうっと抱きしめる。

 私ね、もう十分幸せをもらってるんだよ。だから、君が苦しむのが本当に辛いの。私が君を必ず守るから。

 

 私の中で大きくなっていく彼の存在に、私は、決意を新たにした。

 

 

 

   ×   ×   ×

 

 

「う……ん……」

 

 ベッドの上で覚醒した私は、アミュスフィアを外して大きく伸びをした。

 結局彼はあのまま寝落ちしてしまったから。

 時計を見れば、深夜の3時。

 もうすぐに朝になってしまう。

 

「ふあああああぁ」

 

 流石に眠い。

 ダイブ中は身体は寝ている状態だとはいえ、脳は起きているわけだから、疲れないわけがない。

 早く寝ないと……、そう思いながらも先ほど起きた奇怪な事態がやっぱり気になっていた。

 

「キリト君の昔のパーティを知っている、恨みを持った人物……かぁ」

 

 どう考えても悪質だった。 

 あの部屋で全滅したことも知っていたからこそ、あんな変装をしてまでキリト君の前に現れたってことだし。

 でも……と、思う。

 キリト君に恨みがあるのなら、どうしてあの場で襲ってこなかったんだろう?

 こちらは2人、むこうは5人。

 簡単に負ける気はないけど、実力差が近ければ、こちらは確実に敗れていたと思う。そもそもキリト君を狙うのならば、キリト君の今の実力も把握できているはずで、十分高い実力のプレイヤーで固まっていたはずだし。

 そう考えると、ますます相手の目的がわからなくなる。

 

 恨みがあるって言っても、ゲーム内じゃ死んでもリスタートするだけだし。

 ひょっとして悪質なただのいたずら? にしては手が込んでるし……

 

「うーん」

 

 悩んでも悩んでもやっぱり答えが出ない。

 仕方ない、今は休もう。

 でも、その前に、ちょっとお水でも飲んでこようかな。

 

 私はカーディガンを羽織って、スリッパをはいて部屋から出た……、と、その時。

 

 

 

 

 トン

 

 

 

 

「え?」

 

 

 目の前の真っ暗な廊下に誰かいる。

 そして、私のお腹に唐突に訪れたその現象。

 それはまず違和感だった。

  

 

 何かがお腹に入っている。

 

 

 それがなんなのか理解するまえに、目の前の存在がそのくぐもった声で私に囁いた。

 

 

『マズハヒトリメ‥‥……‥クックック……』

 

  

 その地の底から湧き上がるようなおぞましい声に、私の全身は泡立つ。と、同時に、先ほど感じた違和感が、激痛へと変わりはじめていた。

 

 刺された!

 

 全身がその事実を初めて理解し、絶え間なく脳へと送り込まれてくる痛みの信号に、私の意識は遠のいていく。

 いやだ、こんなところで死にたくなんかない。

 脇腹に深々と刺さっているのは、包丁のような形状の刃。

 私はそれには触らないようにし、静かに床にしゃがんだ。

 ぴしゃあっと、着いた膝は、何かの液体を周囲にまき散らす。

 これが自分の血液であることに私は絶望した。

 助けて、助けてキリト君。

 

 声はまったくでなかった。

 

 ただただ薄れゆく意識の中で、愛しい彼の名前を呼び続けた。

 そんなとき、彼女はふと、あのときの女性プレイヤーの声なき声を思い出す。

 あのサチさんにそっくりだという、彼女のそのことば、それは……

 

『必ず復讐する……キリト』

 

 

 

 

 

「お嬢様‼」

 

 遠くで誰かが私を呼んだ気がした。

 




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アスナという半身

 ピッ……、ピッ……、ピッ……

 

 静かなその白い部屋に、小さな機械音だけが定期的なリズムを刻んでいる。それが、彼女の生命の証だということを、彼、桐ケ谷和人ははっきりと理解していた。

 

 今この部屋には、彼と彼女の二人だけしか居ない。

 彼は、憔悴しきった表情のままで彼女の手を握り続けた。

 彼の虚ろな瞳に映るのは、まるで死人のように真っ白になってしまった彼女のやつれた顔。

 つい昨日まで、いや、つい十数時間前まであの世界で共に居て、共に触れ合っていた彼女は今、ようやく死の縁から脱したところであった。

 腹部を刺された彼女は緊急手術を受けたのだが、多量の出血のために一刻を争う予断を許さない状態が続いていた。長時間に及ぶ手術の末、なんとか死線を乗り越えた彼女は幸いにも内蔵の損傷もないことがわかった。

 しかし、依然として意識は戻ってはいない。そして今後、どんな後遺症の症状が彼女の身に現れるか、そして、どんな苦しみを彼女が背負うことになるのか、様々な憶測が不安となり、彼を苛んでいた。

 そんな彼に、彼女の両親は言った。

 

『君の責任ではない』と、『君を苦しめてすまない』と。

 

 その言葉は、彼の胸を締め付けた。

 彼には分かっていた。

 同じ家に居ながら最愛の娘を守ることができなかった二人には、想像もつかないほどの後悔や自責の念が駆け巡っているということを。

 ただ、彼には二人を慰められるだけの言葉は持ち合わせていなかった。 

 だから、ただ頷いた。

 そして、彼女の側に居続けることを選んだ。

 

 その後、彼に後を託し、彼女の両親は警察へと出掛けていった。今ごろは色々な取り調べを行っていることだろう。

 彼は、少なくとも彼女の意識が戻るまでは、ここを離れるつもりはなかった。

 彼は彼女の顔を見つめながらポツリとこぼした。

 

「また、眠るお前を見ることになっちまったな……、アスナ」

 

 当然彼女はなにも答えない。

 ただ、彼の脳裏には彼女の優しい微笑みがはっきりと思い出されていた。

 

『キリトくんのことは私が守るから』

 

「アスナ……」

 

 彼の胸に沸き上がるのは、ひたすらに彼女を愛しいと思う切ない想い。

 苦しんでいた彼をいつも支えようとしてくれた彼女の優しい微笑みばかりが彼の脳裏によみがえっていた。

 

 なぜ、こんなことになってしまったのか。

 

 その答えは幾条もの槍の穂先となって、彼の心に突き刺さり続けた。

 自分のせいで、彼女は傷ついてしまったのではないかという思いが恐怖となって彼のうちを駆け巡る。

 その恐怖に押し潰されそうになるギリギリのところで、彼は必死に耐えているのだった。

 

 そのような時だった。

 

 病室の戸を叩く音が響いて、その戸がすうっと開いたのは。

 

「やあ、失礼するよ、キリトくん」

 

 開いた戸の方を振り向いた彼が目にしたのは、すでに顔見知りでもあり、SAOクリア後の彼とも協力関係にある総務省の官僚、菊岡誠二郎その人だった。

 

「誰も入っていいとは言っていませんよ。帰ってください」

 

「連れないなあ、君は。おっと、そうだったそうだった、アスナ君が眠っているのだったな。これは失礼した。なあ、なら廊下で少し話せないかな」

 

 その飄々とした菊岡の言葉に、彼は眉をしかめる。

 今は彼女の側を離れたくはなかったこともあったが、なにより、こんな状態の彼女に対しての菊岡の物言いに憤りが込み上げてきてしまっていたから。

 そんな菊岡を彼は黙ってにらむ。

 

 菊岡はその視線をどこ吹く風といった様子で、普段通りに彼へと言葉を投げ掛けるのだった。

 

「『犯人の手がかりがある』、こう言ったら乗ってくれるかな?」

 

「は?」

 

 彼は一瞬何を言われたかわからなかった。

 その菊岡の言葉の真意は明解そのものだが、事件発生からまだ半日も経っていない。そして、その容疑者の存在も得てして不明のままなのだ。

 

 彼女が襲われたその時、早出してきた家政婦が腹に刃物を刺されたまま、床に倒れ込もうとしている彼女を見つけ、急いで救急車を呼び、そして、寝室で休んでいた彼女の両親と共に彼女を介抱したことで一命をとりとめたのだと彼は聞いていた。

 だが、その現場からは犯人は完全に消えてしまっていたのだそうだ。

 

 そうだというのに、目の前の菊岡はその犯人の情報を持っているという。

 理解できなくても仕方がない。

 

「菊岡さん、まだ警察だってなにも足取りを掴めていないはずなのに、なんであんたがそんなことを言えるんだよ。それとも、警察ももう犯人を特定してるってことなのか?」

 

「いや、違う。僕はただのしがない役人さ。警察のように地道な取り調べも出来ないし、あそこまでの公権力だって持っちゃいない」

 

 どうだかな……

 と、そう彼は思う。

 

 菊岡はただの役人ではない。

 あの茅場晶彦が引き起こしたSAO事件対策の責任者だ。

 そんな彼に力がないなんて言われたところで、それを信じられようはずがない。むしろ彼には警察を上回る圧倒的な公権力があることも彼は知っていた。となれば、そんな菊岡が確信を持って語ったその言葉にははっきりと裏付けのとれた確信があるはずだ。

 そう思い至った彼は、そっと眠る彼女を見た。

 

 そして、その頬をそっと撫でてから立ち上がり、菊岡を振り返った。

 

「なら、この部屋の外で聞くよ。それでいいな」

 

「了解、仰せのままに」

 

 にこりと微笑んだ菊岡を連れたって彼はその部屋を出た。

 彼女は静かに寝息を立て続けていた。




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幽霊の名前は

 病院の廊下へと出れば、すぐ斜め正面がナースステーションであり、その廊下の壁に沿って長椅子が置かれている。

 彼と菊岡はその長椅子の一つに腰を下ろした。

 菊岡は、何も話さないまま、手元の鞄から一枚のタブレットを取り出して、その電源を入れた。

 

「おっと、院内で端末の使用はまずかったかな? まあ、オフラインだし、問題ないか」

 

 どうせそんなことは微塵も思ってはいないだろうにと、彼は思いつつ、その後の菊岡の言葉を待った。

 菊岡の操るタブレットは、起動後すぐに新聞記事のようなファイルが何枚も表示され、そして、たくさんの数字の書かれたグラフが端の方に表示される。

 彼はそれを横目にチラリチラリと覗き見ながら、それがいったいなんなのかを考えていた。だが、推測にたどり着く前に、表示作業を終えた菊岡が説明を始めた。

 

「まずこの新聞の記事なんだがねキリト君。君はここ最近、ALO内でとある重大犯罪が多発していたことに気が付いていたかね」

 

「ちょっと待ってくれ。あんたはアスナを刺した犯人のことを教えてくれるんじゃなかったのか?」

 

「そのつもりだが」

 

「なら、さっさとその犯人を教えろよ。それに、その犯罪がなんなのか見当もつかないし」

 

 ふふんと菊岡は鼻を鳴らす。

 そして、眼鏡をくいっと指で押し上げ一呼吸置いてから、怒りをあらわにする彼にむかって穏やかに話しかけた。

 

「アスナ君が襲われて気が立っているのはわかるが、まあ、落ち着き給え。物事には順序というものがあってね、先ほど言った通り、僕は警察ではないから、当然犯人にたどり着いているわけではないよ。ただ、この一部の新聞に載っている事件が、今回のアスナ君の事件と類似点があるということから話したいだけなんだよ」

 

「類似点……」

 

 菊岡の言葉に、彼は力を抜いて身を引いた。

 その様子に満足した菊岡はタブレット内の記事を拡大しつつ、彼に説明を始める。

 

「実は、ここ最近……、といっても、最初の犯罪がいつ発生したのかは定かではないのだが、ここの小さな新聞記事のような犯罪の発生を少なくとも7件、我々は把握できている。だが、実際はそれをはるかに超える数の事件があったろうことは容易に想像できるのだがね」

 

 菊岡のそのはっきりしない物言いに、彼は疑念をぶつける。

 

「なんのことだ、菊岡さん。何を言いたいのか、さっぱりだ。そもそもその新聞記事の事件ってのはなんなんだよ」

 

 その彼の言葉に菊岡はふむと顎に手を当てて呟いた。

 

「やっぱりそこからだよね。ただ、あまり大きな声では言いたくない事件なんだよ」

 

「だから、それはなに……」

 

「『昏睡強姦事件』さ」

 

「な!?」

 

 表情を変えずに話す菊岡の言葉に思わず彼は息を飲んだ。

 もとより、犯罪というのだから、そういった類の事件が含まれることも容易に想像はできるのだが、今回はアスナが刺されたことに起因させて話を聞いていた。だから彼は、殺傷事件や、殺害事件を一番に想像していたのだが、それを完全に裏切られてしまった形になってしまった。

 

 菊岡の話によれば、これらの事件はALOをプレイ中の無防備な女性が、ホームセキュリティー完備の自宅にいながらも襲われてしまうというおぞましいモノだった。

 VRマシンは特殊な電磁パルスを脳および脊椎に流すことで、本人の五感を身体から切り離して仮想空間のアバターに対応させ、まるでその空間に肉体を持ち込んだかのような感覚の中でゲームを体感する装置である。

 これは従来のゲーム機に比べて格段に臨場感を高めるものではあったのだが、反面、そのプレイ中の肉体に関しては呼吸や代謝など、生存に必要な機能を残すのみで、昏睡と言っても過言ではない状態に陥ることになる。

 そのため、確かに犯罪の発生は常に懸念されていたのも事実であった。

 

 しかし、そうは聞いても理解はできない。

 アスナの場合は殺人未遂事件となる。

 しかも、セキュリティも厳重な上それを破られた痕跡もなく、両親まで一緒にいる状況で……

 

 そこまで思い至ったところで、彼はハッと顔をあげた。

 それを見た菊岡はにこりと微笑む。

 

「分かって貰えて嬉しいよ。そう、僕の話したこれらの事件はアスナ君の事件と同様に、防犯セキュリティをなんらかの方法で無効化、もしくはすり抜けて犯行に及んでいるんだ。実際に事件が起きているにも拘らず、肝心のその防犯装置が機能していなくてね、なんの証拠も残されていないってのが実情なんだ。しかも被害者はみんな良家のお嬢様ばかりでね。マスコミに訴えようとする一部の被害者以外は、身内の恥をさらすのを嫌ってかだんまりを決め込んでいるものも相当数に上ると見られている。警察の捜査もなかなか進展しないのはそういうことさ」

 

「ばかな……」

 

 彼は思わずそう声を荒げる。自身の経験則からも知識からしても、それはありえないことだと理解していたから。

 

「ホームセキュリティっていうのは、ただのプログラムの書き換え程度でどうなるものでもないんですよ。ソフトの部分はもちろん、警備会社との直通回線や、センサー関係のハードウェアの部分とで両軸となって運用されているんです。それが、そんななにも証拠を残さないまま進入するなんて、そんなのまるで……」

 

「まるで『幽霊(ゴースト)』の仕業みたいだろ? だが、事実だ。そういえば君は今、セキュリティー関連の会社でも仕事をしているのだったね。それならなおさらこれが異常だということが分かるというものか」

 

 『幽霊(ゴースト)』と聞いて、彼は思わずびくりと反応してしまう。

 彼はつい昨日、まさにその幽霊と呼ぶべき存在と相対したばかりであったからだ。あのとき、かつての仲間の姿を見た彼は心神喪失に陥ってしまいかけていた。

 しかし、それはアスナの助けにより事なきを得たのだが。

 菊岡は話を続ける。

 

「そして、もう一つの類似点についてなんだが……、悪いね、キリト君。実は君たちの昨日のALO内での全行動についてアーカイブを調べさせてもらった。それを謝罪したうえで、言わせてもらうとだね、実はこの一連の被害者は、その被害に遭う直前、ゲーム内である集団と遭遇しているんだ。そして、それは君たちも同様だった。もっとも、その遭遇時の彼らの対応はまったく違っていたのだが……」

 

 その菊岡の言葉に、彼は背筋が凍りつく。

 これから彼が聞くことになるであろうその名前に、思い当たってしまったからだ。そして、それは決して聞きたいものではなかった。

 彼自身の大切な思い出であると共に、彼が生涯をかけて償い続けようと思い至ったかつての仲間達。

 アスナと共にようやく一歩を踏み出すことが出来たその大切な仲間達の名前がこの場で出てくることを予期しながら、そうならないことを切に願い続けた。

 

 だが……

 

「被害者が遭遇した者たちのギルド名……、それは……。ああ、キリト君……、君は知っているよね……」 

 

 菊岡の放った言葉は非情なもの。その柔和な男がゆっくりと口にしたのは彼がもっとも怖れていたもので間違いなかった。

 

 

 

「『月夜の黒猫団』という名前なんだが」




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月夜の黒猫団

「われらが月夜の黒猫団へようこそ、キリトさん」

「いやあ、本当にキリトさんのお陰で助かったよ」

「だよね、私もう怖くて」

「サチはもうちょっと度胸つけて欲しいけどな」

「だな、あはははは」

「もう、それは言わないでよ」

 

 そのギルドはみんな仲が良くて、そして楽しそうに見えた。

 このデスゲームを生き残るために、ひたすらにソロで戦いに明け暮れていた俺にとって、そんな彼らは本当に眩しかったんだ。だから、そのときの俺は彼らと共にいることを選んだ。

 ひとつだけ嘘をついて……

 

 俺は自分のレベルを偽った。

 

 すでに最前線で階層攻略を生業にしていた俺は彼らよりも遥かに高いレベルに到達していた。でも、俺はそれを彼らに自ら伝えることを躊躇ってしまった。

 理由は簡単だ。 

 強すぎる俺のレベルのせいで、彼らは俺を特別視するのではないか、俺という存在を彼らの『仲間』として見なしてはくれないのではなかろうか。

 そんな傲慢な思いを俺は抱いていたんだと、今の俺ははっきり理解していた。

 ただ……、その時の俺にとっては、この安らげる仲間たちとの場所に居続けることの方が大事だったんだ。

 それがいかに愚かで、最悪な選択であったかを全く理解しないままに。

 

「キリトォ……!」

 

「サチッ‼」

 

 あの日……

 あのトラップルームで俺は大切なものをすべて失った。

 俺を癒し続けてくれた仲間たちを、俺は間接的に全員殺してしまった。

 

『ビーターのお前が、僕たちに関わる資格なんてなかったんだ』

 

 心の拠り所であった仲間を全員失い、絶望の表情のままに憎しみを俺へとぶつけたリーダーのケイタの最後の言葉。

 彼が俺の目の前で浮遊城から飛び降りることすら、俺は止めることができなかった。

 俺は自分の愚かさに、自分の醜さに憎悪した。

 

 もし俺が、自分の本当のレベルをみんなに告げていれば。

 もし俺が、ダンジョン探索の危険性をもっとみんなに伝えられていれば。

 そして、もし俺が、みんなと一緒にいることを選びさえしなければ。

 

 きっと、彼らは今だって、笑顔で生きていられたのではないか……

 

 死んだ人間は帰らない。

 その事実を理解していてなお、足掻き続けた。

 そしてずっと苦しみ続けた。

 

 半年後のクリスマスの夜。俺は、サチから贈られたメッセージを聞いた。

 彼女は俺の隠しているほとんどのことを知っていた。知っていてなお、彼女は俺を許してくれた。

 自分が死ぬのは自分の弱さが原因なのだと、俺には責任はないのだと。

 それでも俺は自分が許せなかった。

 

 俺のことをこんなにも考えてくれた仲間たちを、俺は殺した。

 

 俺にとってそれは自身を焦がすほどの確かな呪いへとその姿を変えていったのだ。

 

 もう二度と……、もう二度と仲間を死なせはしない。もう二度と、誰も見捨てたりはしない。俺は必ず救って見せる……、必ず生き残らせてみせる……と。

 

「……ありがとう……さようなら……」

 

 笑顔の彼女の……、最期の言葉が俺の心に刻まれ、そしてそれが俺の戦う意味へと変わっていった。

 

 

   ×   ×   ×

 

 

「冗談ではないんだな」

 

「その通りだよ、キリト君」

 

 表情を強ばらせた彼は、まっすぐに菊岡をにらむ。

 菊岡はそれを予期していたのだろう、まったく様子を変えずに言葉を続けた。

 

「被害者からの個別に集まった聞き取りの記録には、いずれもこのギルド名が記載されている。そして、そのいずれの場合も、クエスト攻略パーティの欠員補充の為に一人加わって欲しいと申し込まれるとあるね。これは普通のことなのかな?」

 

 その菊岡の問いに、彼は小さく頷く。

 

「ええ、別におかしなことではないですよ。SAOのデスゲームと違って、ALOはあくまで個人が楽しむためのゲーム。当然ソロプレイヤーも多いんです。でも所詮は一人分の戦力しかないから、レイドボス戦や期間限定クエストなんかでは、すでにパーティを組まれたところに入れてもらって攻略するってことになります」

 

 なるほどと、今度は菊岡がうなずく。

 

「ということは、パーティに誘われても別段おかしいというわけではないのかい?」

 

「そうなりますね」

 

「ふむ……やれやれ、せっかく仲間になったところで、ゲーム内で襲われ、しかも現実の生身も犯されるとか酷いにもほどがあるね……、おっと軽々しく言うことではなかったね。実はね、被害者が遭遇した犯人はそのギルド名を名乗るのだけど、基本男性3、4人で誘ってくるけど、そのギルド名以外は見た目も装備もまったく異なっているんだよ、つまり……」

 

「つまり、犯人は『捨てアカ』で入り直しているか、もしくは大人数の複数犯で、その名乗りあげだけを共通にしているとか、そんなとこかな」

 

「ご明察」

 

 微笑んでパンと手を叩いた菊岡は人差し指を立てながら彼を見る。

 

「そのどちらにしてもだよ、実際問題何者かが意図して指示を出しているのはまちがいないと思うんだ。そしてその誰かが、今回に関してはアスナ君を狙わせた(・・・・)

 

 試すように彼を見つめる菊岡。それに視線だけを上げた彼が返答をする。

 

「その心当たりを聞きたいと思っているのでしょうけどムダですよ。知りたいのは俺の方なんですから」

 

「知って君はどうするのかね? 復讐でもするつもりなのかな」

 

「え?」

 

 彼は一瞬何も話せなくなった。

 そこまでのことを考えていたわけではなかったから。しかし、実際に相手を正面にすれば、きっと彼は沸き上がる憎悪のままに行動することだろう。それを感じつつ沈黙を貫いた。

 

「ふむ」

 

 菊岡は顎をふたたび撫でながら、タブレットの画面を撫でていく。そして、ある写真入りのファイルを呼び出して、それを彼へと見せた。

 

「さて、君には少し辛いかもしれないが、この写真を見てもらえるかな?」

 

 言われて彼が覗きこんでみれば、そこに写っていたのは……

 

「て、テツオ……!? ササマル……、ダッカー……」

 

 そこにあったのは、あのギルドのメンバーの顔。しかし、それはゲーム内での見ていた姿とは違っていた。どことなくあのときよりも幼く見える彼らは、ハイキング中の写真であったり、卒業式の写真であったりと、それは現実世界のものだった。そして、その写真のプロフィールの欄には本名などとそして、『死亡』の文字。全身の血の気が引いていくのを感じながら、彼は次のファイルを開こうとして、そしてそこに置いた指が止まってしまった。かすかに開きかかったその次のページには、私服姿で微笑みを浮かべるショートカットの彼女の写真が。

 だが、彼はそのページを開いた。

 そして、すべてを見た。

 

ーーーーーーーーーーーーーーーー

 

本名:雪谷美幸(ユキガヤミユキ)

プレイヤーネーム:サチ

所属ギルド:月夜の黒猫団

スキル:………………

………………………

……………

………

現住所など:死亡の為未記載

 

ーーーーーーーーーーーーーーーー

 

 『死亡の為』

 

 その文字が胸に刺さった。

 それは紛れもなく彼女であった。

 あの世界で彼に救いの言葉を残して消えていった少女。その彼女の真実を彼は目の当たりにしてしまった。

 

「サチ……、うぅ、おぷ」

 

 次々と頭に現れてくる彼らの顔に。唐突に吐き気に襲われた彼は、それでもすんでのところで吐くのをこらえた。

 彼自身を襲ったもの。それは紛れもない恐怖。見ないようにしていたその現実に彼自身の心が苛まれていく。しかし彼は耐えた。

 今この瞬間、真実から目を反らしてはならないと決めていたから。

 

「俺は大丈夫だ。続けてくれ」

 

 そんな耐える彼に、菊岡は追い討ちをかけるように続けた。

 

「彼らは全員、2023年6月12日に、ナーヴギアの電磁パルスの放射によって脳を焼かれて死亡している。残念ながらね」

 

 その言葉に、彼は拳をぎゅっと握りしめた。

 

 彼はあのとき、必死になって蘇生アイテムを求めた。それは死なせてしまった彼らへの懺悔の気持ちであり、そして、自ら救われたいと欲した自己弁護のそれであった。

 果たしてその半年後、彼は念願だった蘇生アイテムを手に入れることになったのだが、しかし、それによってかつての仲間たちを蘇生することは叶わなかった。

 無駄な努力であったとは思わない。しかし、誰も救われなかった事実は変わりはしなかった。

 

 そこまで想い、彼は大きく深呼吸をする。そして、見なければならない最後の一人のページをめくろうとした。

 

 しかし、

 

 画面にいくら指を滑らせても、次のページが現れてこない。そんな彼に菊岡は言った。

 

「その資料は、死亡した『月夜の黒猫団』のメンバーのものだけだ。そうでないものはそこにはない」

 

「え? じゃ、じゃあ」

 

 呆気にとられている彼に、菊岡は静かに言った。

 

「そのギルドのリーダー、ケイタ……五十嵐圭太は、そのとき生き残ったんだよ」

 

 彼の胸中に言い様のない感情が渦巻いていた。




作中の『サチ』と『ケイタ』の設定はオリジナルとなりますことをここに記載させて頂きます。
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開幕の悪夢

今回若干グロテスクな表現が出てきます。


「ケイタが生きている……」

 

 振り絞るようにそう声を出した彼に、菊岡は視線を向けながら答えた。

 

「正確には『生還できた』なんだがね。実は彼は現在行方不明になっているんだ」

 

「え?」

 

 菊岡のその言葉に彼は目を見開いた。

 無理もない。

 つい今の今まで、彼の中でケイタは過去に死んだ存在であったのだ。そして、それが為に彼は苦しみ続けていた。そうだというのに、この今の菊岡の言葉は暗闇を照らす一筋の光明のようでもあり、彼を地獄へと誘う呪文のようでもあった。

 そんな彼に菊岡は続ける。

 

「五十嵐圭太、生還当時17才。彼は、先程君に見せた同じギルドの仲間たちと同日の2023年6月12日に、突然のナーヴギアの放電によって、意識不明の重体となるも、死には至らなかった。これはナーヴギアの製造不具合によるものらしく、他にも数例確認されている。二日後の6月14日に無事に覚醒、その後約2周間で退院までの運びとなった。特に後遺症などの症状もなく、身体は回復するも、極度の心神喪失状態でその後も通院……と、記録にはある。僕は直接関わってはいないが、彼からは当時SAO内部事情についての聞き取りも若干行われているね、しかし……」

 

 菊岡はそこで一旦話を区切り、ふたたび視線を彼へと向ける。

 そこには真っ青になって震える彼の顔。

 彼はカチカチと歯を鳴らしながらも、口を開いた。

 

「い、いいから続けてくれ」

 

「そうさせてもらうよ。彼はその後半年ほどで行方知れずとなった。家族からは捜索願いも警察に出されている……と、いうところまでが今までの彼のすべてだった。今回の一連の事件が起きるまではね」

 

「まさか」

 

 バッと菊岡の前に立った彼が吠える。

 

「まさかあんた、ケイタがこの事件の犯人だなんて言うつもりじゃないだろうな。そんなこと……」

 

「そんなこと、ありえないと言い切れるかな? 少なくとも関係はないとは言えない。被害者の証言のギルド名は、彼の所属していたものだ。そして、彼はそのギルドリーダーにして、SAO生還者(サヴァイバー)であり、かつ、現在行方知れずだ。そんな彼が疑われるのは至極当然だ。それに……」

 

 菊岡は眼鏡を直しながらそっと彼を見やった。

 

「彼は君に対して相当な憎悪を抱いている可能性が高い。つまり、本当の標的は君……『キリト』君ではないかと……」

 

「ふざけるな‼」

 

 彼は憤りに身を任せたまま菊岡の襟首に掴みかかる。そして、そのままその猛りを暴力に変換しそうになったところで、動きを止めた。

 飄々とした体を崩さないその菊岡の眼鏡の奥、その鋭い眼光に彼は射すくめられたからだ。

 

「くっ……」

 

 菊岡はそんな彼の腕をぽんぽんと軽く叩いて、そして諭すように語った。

 

「と、そんな風に僕も言ってはみたものの、僕もただのサラリーマンさ。さっき言った通り警察ではないから事件の捜査を進めているわけでもないし、当然犯人を断定しているわけでもない。あくまで、一連の状況からの可能性の話をしているに過ぎないわけさ」

 

 相も変わらず滑らかに喋り続ける菊岡に、血の気が引いて今にも倒れそうな幽鬼のようになってしまった彼が、ぽそりぽそりと言葉を発した。

 

「菊岡さん……、なんで俺にそんなことを話したんだ。あんたが今話したことはどれをとっても一級の機密情報じゃないか、こんなただの一般人に話すことじゃないだろう」

 

 菊岡は手にしていたタブレット端末の電源を切り、それを鞄にしまいながら話した。

 

「繰り返しになるが、僕は警察官ではない。ただSAO事件という枠の中でだけ、それに関わった全ての存在を知っているというだけに過ぎない。だから、これ以上君たちに対して何も援助も支援もできはしないんだ。すまないがね」

 

 立ち上がった菊岡は、今度は上から見下ろすように彼を見つめた。その瞳には苦しそうな何かを耐えているかのような気配があるように彼には感じられた。

 

「僕はね、キリトくん。あの残酷なゲームはまだ終わっていないと思っているんだ。君たちが戦いそしてクリアーしたのはその表面でしかなかった。あれはそんな生易しいモノなんかじゃ決してない。『あの人』が僕たちに押し付けてきたのはもっと違う何かだった。それはとても残酷で凄惨で、美しいものだったんじゃないか……、そう、僕には感じるんだ。だからこそ、これ以上の犠牲者は必要ない(・・・・・・・・・・・・・・)

 

「菊岡さん、あんた」

 

 菊岡のその静謐な眼差しに、彼は言葉が続かなかった。

 あのデスゲームで失ったもの……、そして得たモノ。

 彼にとってあの世界は許すことのできない地獄そのものであり、そして、かけがえの無いものを得ることのできた楽園でもあった。そのどちらの姿も、彼にとってはなくてはならないもの。それを理解していたからこそ、今の菊岡の言葉はすんなりと胸に落ちた。

 だが、それは許容していい内容の話ではない。

 もし、自分以外の一般人が今の話を聞けば、その発言のあまりの(おぞ)ましさに、目の前のこの優男を糾弾しているだろうということも理解できていた。

 それでもなお、あえてこう言った菊岡の思惑の奥底にあるものを感じ、彼は静かに目を閉じた。

 

「サンキューな。せっかくの情報だ。すぐに行動に移るよ」

 

「その方が良いと思うよ。おっと、僕も今日は独り言(・・・)が過ぎてしまったようだ。いかんいかん、疲れているなこれは。あ、そうだ、口が軽いついでにもう一つ言わなければならないことがあったな。ええとね……」

 

 そう、口を開こうとしたその時、彼らは少し離れたところからその女性に声をかけられた。

 

「あの……桐ケ谷さん? こちらの方はどちら様ですか?」

 

 二人のそばに近づいてきたその女性が、そっと彼に話しかけてきた。

 ベージュの地味な上下のスーツを身に着けたその中年の女性は、彼も何度か彼女の家で会ったことのある人物。

 そう、彼女はアスナの家で家政婦として働き、そして、今朝の凶事にいち早く気が付き彼女を救ったその人であった。

 

「え? あ、山形さん……でしたっけ? もう警察の方は大丈夫なんですか?」

 

 山形と呼ばれたその女性は、だいぶ疲れた様子を見せつつも、小さく微笑んで彼に答える。

 

「はい、私はもう終わりました。入れ違いで旦那様と奥様がお見えになられましたので、私はお嬢様のお世話をと思いまして……」

 

「そうですか、それは助かります」

 

 見れば、彼女の抱えた大きな肩掛けの鞄に、衣類などがたくさん入っている。

 彼は、彼女が来てくれたことで安堵していた。菊岡の話でやらなければならないことが出来たから。

 そんな彼に彼女は言う。

 

「いえ、これもお仕事の内ですので、お気になさらずに。それで……、そちらの方はどなた様でしょうか? 警察のお方ですか?」

 

 恐る恐るといった具合でそう聞く彼女に、菊岡は頭を掻きながら答える。

 

「まあ、そのようなモノですよ。さて、お話は大体聞けましたかね、僕はそろそろ行きますよ、桐ケ谷君」

 

 言って、少し会釈をする菊岡はそっと彼にだけ聞こえるようにぽそりと耳打ちを一つした。

 

「今回の件、『デリンジャー』が関わっていると見て、まず間違いないだろう。気をつけたまえ、キリト君」

 

「え?」

 

「じゃあ、僕はこれで。明日奈さんの一日も早い回復を祈っていますよ」

 

 そして振り返り去っていく菊岡を見つつ、その言葉に凍り付いたように動かなくなる。だが、暫くして急に彼は慌てて待ちぼうけしている山形さんに向き直った。

 

「あの……、俺、これから少し電話してきます。アスナ……さんのことよろしく頼みます」

 

「は、はい。お任せください。お嬢様のお世話はしっかりとさせて頂きます」

 

 その山形の言葉を聞いた彼は、病室ではなくロビーへと向かった。病室での通話はやはりまずいだろうとの判断からだったが、今思えば別に大した問題では無さそうな気もしてきていた。

 彼はすぐにスマホを取り出して、今朝、アスナの件を知らせた時と同じようにLINEを開く。そして、そこに全員が襲われる危険性がある、ALOにログインしないようにとメッセージを書き送信した。

 そしてすぐに妹の直葉に電話をする。

 数回の呼び出し音の後、直葉は電話に出た。

 

『LINE読んだよ、なにがあったの? お兄ちゃん。アスナさんの様子は?』

 

「ああ、アスナの手術は成功した。それも後で詳しく話すが、今は時間がないんだ。いいか? 絶対ALOにはログインするな。それと、絶対に一人にはなるな。お前も襲われるかもしれないんだ」

 

『う、うん、分かった。でも、今、家で私一人だし。どうすればいい? お兄ちゃん』

 

 確かにこの時間は家には誰もいないはずだったことを思いだし、彼は微かに舌打ちした。

 

「わかった。俺がすぐに迎えにいく。取り敢えずこれからのことを皆と打ち合わせしたいから、お前も出掛ける準備だけして待っててくれ。できたら皆にも連絡を。いいな。誰が来ても絶対に鍵は開けるなよ」

 

 うん……、と不安そうに返事した直葉の声を聞きながら、彼は急いで駐輪場の自分のバイクへと走った。

 アスナのことも心配だったが、あそこには山形さんがいてくれている。今は、直葉の身に危険が及ばないか、それの方が心配だった。

 

 バイクに跨がり、一気に噴かす。そして、通りへと出て走りながら、つい今しがた伝えられた内容を思い起こして不安に駆られ続けた。

 先程、菊岡が去り際に言ったそれ。そのギルド名に、彼は思い当たるものがあったから。そして、それがもし彼の想像通りのものであり、かつ彼が狙われているとするならば、彼の仲間たちにはかなり高い確率で危険が及ぶ可能性があると考えざるを得なかったからだ。

 

 

   ×   ×   ×

 

 

『デリンジャー』

 

 それはかつてSAO内に存在していたギルドの名前。そして、それはあの忌むべき殺人集団『嗤う棺桶(ラフィン・コフィン)』と並ぶ、極悪なレッドプレイヤー集団を指す言葉。

 しかし、その存在を知るものは少なかった。

 プレイヤーの死亡と同時にその本人もが死ぬことになるあのデスゲームにおいて、嬉々としてPK(プレイヤーキル)を行い続けたレッドプレイヤー集団、ラフィン・コフィンは様々な圏内殺人に手を染め、100人以上の人命を奪った。

 この殺人ギルドに関しては最終的には彼、キリトを含めた討伐隊が組まれ、多数の犠牲を払いながらもほぼ壊滅というところまで追い込むことに成功している。だが、その生き残りとも言える存在が現実世界でも犯罪に手を染めたことは記憶に新しく、そして未だに首魁が生き残っている事実は、SAO生還者にとっては悪夢でしかないわけなのだが。

 そのような表立った殺人集団に比肩して恐れられるようになったもう1つのギルドが、この『デリンジャー』であった。

 このギルドは、実はあのSAOサバイバル中には殆どその名前が表に出ることはなかった。ラフコフのように『人殺し』を標榜することもなく、また、窃盗などの表だった犯罪行為にも身を染めてもいなかったから。

 しかしその実態は、キリト達攻略組が70階層を突破したあたりで突然表に出て明らかになる。

 

 ある日、第1層迷宮区内で一人の若い女性プレイヤーが虫の息で倒れているのが発見された。それだけならば、モンスターに襲われでもしたのかと誰もが考えることではあるが、その女性は異様だった。

 なぜなら、彼女は腕や足の一部を欠損し全身に細身の剣を何本も突き刺さった状態の上、一糸纏わぬ裸であったのだ。

 たまたまそこを通りかかり彼女を見つけた血盟騎士団の団員が、彼女に回復薬(ポーション)を飲ませるも彼女は全身をひどく痙攣させたまま、錯乱した様子で苦しみ喚き続け、まったく受け答えが出来なかった。

 団員はその何もないただの通路のようになっているその周囲を確認してまわる。するとその一角で、壁についた手が吸い込まれた。そう、そのただの壁にしか見えない透明なそれの先は隠し通路になっていた。彼は慎重にその通路に侵入、そして登り階段になっているその先の広間で繰り広げられていた、惨たらしい地獄の光景に絶句した。

 

 その空間には複数の女性とそれに覆い被さる数人の男性の姿が。でもそれは愛し合う男女のそれではなかった。

 異様なのはその女性の状態。

 彼女たちは『(はりつけ)』られていたのだ、壁や床に。

 彼女たちの全身には何本もの細身の剣やナイフが突き立てられていた。足や手ばかりでなく、腹や胸にまで、刃物が刺し貫かれている。

 刺されてもなお死んではいない女性達は、口に無理矢理何かの液体を流しこまれている。

 

 そして、生気を失いただ呻くだけのその女性たちに欲望をぶつけ続ける男達。

 

 あまりの光景に絶句したその団員はしかし、最前線の攻略組を張るほどの力量であり、その男達をたちまちのうちに捕縛。そして、女性たちを開放するために身体中の剣を引き抜くも、抜くそばから何もなかったかのように傷が消えていった。

 女性たちはと云えば、ひきつった表情のまま錯乱し続けて話すこともできない。彼女たちはすでに自我が崩壊してしまっていた。

 一人の囚われていた女性がどのような理由で、脱出したのかは不明だったが、そのことに気づけなかった数人の男が捕まることになり、ここで初めて、この非道な行為を続けてきたギルド名が(あきら)かになった。

 彼らは殺人を目的とはしていなかった。

 しかし、それ以上の悪行に及んでいた。

 ここは迷宮区に存在する数少ないモンスターの出現しない空間、『安全エリア』。彼らはここで女性達にポーションを浴びせつつ、暴行を繰り返していたのだ。

 使っていた剣やナイフは初期装備品に限りなく近い、ダメージ係数の低い拷問器具であった。それを被害者に振るい切り裂き、抉り、死ぬギリギリのところで回復を繰り返し、凌辱し続けていたのだ。

 彼らは多くの女性を拉致監禁し、長い者は一年以上にわたって死よりも苦しい暴行を与えられ続けられていた。

 救出された彼女たちは、恋人や仲間の元に帰るもすでにどうしようも出来ないほどに心が壊れ、以前のような生活は過ごせなくなっていた。

 そのような被害者の中には高レベルのプレイヤーも含まれていたことから、このギルド『デリンジャー』の不気味さに恐怖するものは増え続けていた。

 この極悪なギルドを憎む者もは多く、まだ行方のつかめていなかったギルドの中心メンバー達の討伐を望む声は高まっていたが、その前にSAOはクリアされ、結局この最悪のギルドのメンバーは現実世界という野に放たれてしまったのだった。

 

 

   ×   ×   ×

 

 

 バイクを飛ばし急いで自分の家へ。

 人気を感じない、その自宅の様子に不安が脳裏をよぎる。

 

「スグ、スグハ、居るか? いたら返事しろ」

 

 言いながら玄関を開き、中へ入る。しかし返事がない。

 

 募る不安を胸に抱いたまま一気に階段を駆け上がり、そして、彼女の部屋の扉を一気に開いた。

 

「スグ……」

 

 開いたそこに立っていたのは、ちょうどシャツを脱いで胸があらわになってしまっている妹の姿。

 

 それを見た彼は、ホッと息を吐いてその場にへたり込んだ。

 

「良かった……、無事で……」

 

「お、お、お、おにいちゃん!? いやああああああああ、で、出てってよ」

 

 慌てて胸を隠す直葉は、そう言うやいなや彼に向けて枕や衣類を投げつけた。

 ようやく状況を理解した彼はそそくさと部屋を出る。

 そして、待つこと数分。かちゃりとドアが開き出てきたのは、外出用の私服に着替えた妹だった。

 

「悪かったな、覗いちゃって」

 

「むう……おにいちゃんが出掛けるからっていうから、着替えてたんじゃない。ぶつぶつ……」

 

 頬を染めて視線を逸らす直葉のいつも通りの顔に、彼は安堵に少し微笑んだ。

 そんな兄を睨みつつ、直葉は言う。

 

「それにしても、何があったの? アスナさんのそばにずっと居ると思ってたのに」

 

「ああ、それなんだけど、とにかく今はみんなに連絡を……、そうだ、連絡はとってくれたのか?」

 

 彼のその問いに、直葉はコクリと頷く。

 

「うん。シリカさんはエギルさんの店に今いるみたいで、シノンさんも学校終わったらエギルさんの店に合流するって。でも、クラインさんとリズさんとは連絡が取れないんだよ。二人ともLINEも見てないみたいでさ」

 

 その言葉に、嫌な予感を覚えた彼は、慌てて彼らに向けて朝に書いたアスナが襲われた件のLINEのメッセージを確認する。

 しかし……

 二人とも『既読』の文字は表示されていない。

 

 彼は、おどろおどろしい真っ黒な恐ろしい存在のなにかに、その身を蝕まれていくかのような恐怖を感じていた。




2017/3/6:圏内攻撃エフェクト、ノックバックなどの原作設定との齟齬の為、デリンジャー犯罪の舞台を変更いたしました。
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デスゲーム再び

2017/3/6:前話『開幕の悪夢』にて、圏内攻撃エフェクト、ノックバックなどの原作設定との齟齬の為、デリンジャー犯罪の舞台を変更いたしました。



「キリト、大丈夫だったか?」

 

「エギルのほうこそ、なんともないか」

 

「キリト」「キリトさん」

 

 彼と直葉の二人が店内に入ると、そこにはカウンターの椅子に座る大柄な男性……エギルと、制服姿のままで彼らに走り寄ってくるシリカとシノンの二人。

 不安そうな表情ではあったが特に問題が無さそうなことを見てとって、彼はホッと安堵した。

 そんな彼にエギルが近づきながら声をかけた。

 

「アスナのことは大変だったな。で、彼女の様子は」

 

「取り敢えず手術は無事に終わった。先生が言うには見つかってからの処置が良かったとかで、命に別状はなかったよ。ただ、まだ意識が戻ってないんだ」

 

 その言葉にシリカ達が目を伏せる中、一人エギルだけがその筋肉質の拳をカウンターへと降り下ろし叩きつけていた。

 

「くそっ‼ いったい誰がこんなことを……」

 

 苦々しく唇を噛んだエギルを見ながら、彼はその場の全員に聞く。

 

「今はみんなに言わないといけない大事なことがあるんだ。なあ、クラインとリズの二人はどうした? どこにいるか、誰か聞いてないのか?」

 

 誰もが黙っているなかで、一人シリカだけがおずおずと手を上げる。そして、

 

「あのぅ、じ、実は私、昨日ログアウトする前にリズさんと話したんですけど、この前手に入れたレジェンダリアイテムの『ヒヒイロノカネ』で作った刀を、クラインさんに明日渡すとかなんとかって言ってました。でもそれっきりで全然連絡とれなくて、さっき自宅にも電話したんですけど家にも居ないって言われてしまって……」

 

「場所とか時間とかは聞かなかったのかっ!?」

 

「ひっ……」

 

 声を荒げて迫る彼にシリカは目を見開く。そして今にも泣きそうな顔になったシリカを、隣に座るシノンがそっと肩を抱いて彼を見た。

 

「ちょっと、キリト。そんな言い方しなくてもいいでしょ」

 

 そう言われ彼は後ずさり頭を掻いて、近くのテーブルに手をついた。

 

「す、すまない。ただ、少しやばいことになってきてるんだ」

 

「やばい? キリト……なにがあった?」

 

 そうエギルに声を掛けられ、彼は差し出された水を一気に飲んでから近くの椅子に腰を下ろした。直葉やシリカ、シノンもそれに続いて席に着くと、彼はすぐに話を切り出した。

 

「聞いてくれ、多分俺達全員の命が狙われている」

 

 

   ×   ×   ×

 

 

 彼はアスナの事件と、その後の菊岡の話の全てを伝える。

 ここ最近発生したALO絡みの暴行事件と、さらに被害者に伝えられていたかつてキリトが全滅させてしまった仲間たちのギルド名。そしてそんな亡霊とも呼べる存在に昨日アスナと二人で遭遇した話。そのギルドのリーダー、ケイタが存命であることと、あのSAOにおいて最悪の猟奇集団とまで呼ばれたギルド『デリンジャー』が暗躍しているらしいこと。

 

 みんなは黙ってその話を聞いていた。

 全て話し終えた彼がコップの水を飲み干すと、水を打ったように静まり返っているその場で代表するようにエギルが口を開く。

 

「つまり、その『月夜の黒猫団』の絡みで今回アスナが狙われたってことか」

 

 その問いに彼は首を振る。

 

「それはまだ確定じゃない。警察の捜査は始まったばかりで、まだSAOとの関連での捜査は進んだ様子はない。そこに菊岡さんがさっきの話を持ってきたんだ。当然裏付けのとれた確証のある話ではないけど、推論を交えてあるにしても俺たちが狙われる動機としてはかなり的を射た話ではあると思う」

 

「全滅したギルドの生き残りと、押し込み暴行事件……キリトを恨んだその『ケイタ』って元SAOプレイヤーが、『デリンジャー』と手を組んだ……。それなら確かにアスナが襲われたこととなにか関係があるかもしれないな」

 

 エギルのその呟きに女性陣はぶるりと身体を震わせる。

 そして、怯えた様子で直葉が切り出した。

 

「じゃ、じゃあ、リズさんとクラインさんはもう……」

 

 泣きそうにそう言った彼女にエギルが冷静に諭した。

 

「まあ落ち着け。そもそもこの話はキリトの言う通りただの推論の可能性も高い」

 

 シュンと項垂れた直葉の隣で、今度はシノンが不思議に思っていたのだろうことを口にする。

 

「でもさ、それってちょっと勝手すぎないかな? だって、そのケイタって人とアスナさんは全然面識もないんでしょ? いくらSAOでキリトに恨みがあるからって、それで他人を傷つけるなんて……お互い様じゃないのかな……」

 

 そのシノンの発言に、キリト、エギル、シリカは目を伏せた。

 そんな3人の様子にシノンは慌てて口をつぐむ。それを見て、彼がそっと話した。

 

「悪いなシノン、あの世界のことはそう簡単には割り切れるものじゃないんだ。大勢のやつが簡単に目の前で死んでいく。自分もいつ死ぬかわからない。そんなギリギリの中に俺たちはいたんだ。だから、そのことで誰かを恨むことを責めることはできないよ」

 

「ご、ごめん、わたし……」

 

 それっきり口を開くことが出来なくなった彼女はその場で項垂れる。

 こうなることは仕方がない。あの世界でのことは経験した者にしか分からないことでもあったから。

 

 『これはゲームであっても、遊びではない』

 

 あのSAOが地獄のデスゲームへとその姿を変えた時の茅場の言葉。

 それは文字通りであった。

 彼ら1万人のプレイヤーは、その死を賭したゲームに突然巻き込まれた。そして、開始からたった一ヶ月で2,000人もの人命が失われることになった。

 茅場が提示したものはただひとつ。

 浮遊城アインクラッド100階層を攻略し、このゲームをクリアすること。

 だが、それはひたすらの殺戮を彼らに強いる脅迫でもあった。

 各層を攻略するためにはその階層のボスモンスターを倒さなくてはならず、その為には自らのレベル、スキル、装備を強化していかなくてはならない。そして、その強化には必ず戦うことが要求された。

 目の前で次々に死んでいく仲間達。それをどうしようもない気持ちで見送るしかなかった生還者(サヴァイバー)達。

 

 いずれにしても地獄でしかなかったのだ。

 

 沈黙が支配したその場で口を開いたのはやはり彼だった。

 

「とにかくだ。警察の捜査も追い付いてない状況だし、可能性の話であるにしても用心に越したことはない。しばらくはみんなで一緒にいる方がいいと思う。俺はその辺のことを菊岡さんと相談してみるよ。それと、クラインの家をこれから訪ねてみようと思ってる」

 

「あ、じゃ、じゃあ私がリズさんの家に行ってきます」

 

 と、急いで手をあげたシリカをキリトが手で制した。

 

「いや、一人は危険すぎるよ。エギル、シノン、一緒に行ってくれないか?」

 

「ま、そういうことなら仕方ないな。その話の通りなら、十中八九俺も標的に加えられていそうだしな。こいつらとは俺が一緒に居てやるよ。ま、店の方は嫁に頼んでおこう」

 

「助かる。よし、じゃあ、直葉、一緒に行こう……」

 

 ピーピーピー、ピーピーピー……

 

 行動を起こそうと立ち上がった彼であったが、すぐに胸ポケットに入れていたスマホが鳴り響き、慌ててそれを手に持った。

 このコールの主のことがすぐにわかった彼は、すぐに専用ブラウザを開いてそのままスピーカーに切り替えて話しかけた。

 

「どうした、ユイ?」

 

 彼のことを父親として慕う、『AI』の『ユイ』にはすでに昨日からの一連の出来事は伝えてある。

 彼女は自身が母と慕うアスナの安否を気遣いながらも、今回の事件に関してALOのメインフレーム内の様々なアーカイブの調査を行っているはずであった。

 犯人の行方に繋がる情報を求めて。

 そんな彼女は、通話越しで慌てた声で叫んでいた。

 

『パパ、パパ‼ 助けて……助け……』

 

「ユイ!? どうした……ユイッ‼」

 

 一同に緊張が走る。

 スマホの彼女の音声は突然途切れ、そしてその後はザーザーと、雑音のような音がひたすらに流れ続けている。

 異常としか思えないその状況に全員声も出ず、ただそのスマホを見つめ続けていた。そして、その『声』は突然に現れた。

 

『…………………ククク………“閃光”の容体ハドウカナ? “黒の剣士”…………ククク……』

 

「なっ……」

 

 いきなり発せられたそのおどろおどろしい低音の音声に、その場の全員が凍り付く。

 彼も全く声が出なくなっていた。

 だが、その『声』が語るそれは、まさしく彼女を指す言葉。

 かつてあのSAOにおいて最前線で戦い続け、次々に階層攻略を成し遂げた『血盟騎士団』の副団長、『閃光のアスナ』こそ彼の最愛の彼女のこと。

 そして、もう一つの言葉。

 全身を黒の装備で固め、漆黒のレアドロップアイテム『エリュシデータ』を武器に戦い続けたソロプレイヤー、『黒の剣士』とは彼を指す二つ名であった。

 

 そのSAO時代の名前で呼ぶその不気味な声に向かって、彼は叫んだ。

 

「お前がアスナを襲ったのか!? 答えろ! お前は誰だ!」

 

 端末からはふたたびザーザーと乱れた音が流れる。そして、その『声』が語った。

 

『ナカマヲ集めたノハケンメイダッタナ、ククク……オカゲデ、コチラは二人シカ確保デキナカッタ』

 

「二人? じゃあ、クラインとリズベッドは……」

 

 その『声』の内容に全員が息を飲む。

 怯えるシリカをシノンがそっと抱きしめていた。

 

『安心シロ、“黒の剣士”……マダナニモ手出しはシテイナイ、ダイジナヒトジチダカラナ。サテ“黒の剣士”、“ゲーム”ヲシヨウカ……』

 

「げ、ゲームだと!?」

 

『ソウダ……、コレカラ一時間後ノ午後18ジチョウドニワタシハALOヲ完全ニノットル。ソレイコウハログインモログアウトモデキナクナル。ワタシハアインクラッド75層ニテキサマヲマツ。期限ハ24ジカンダ。ソレ以内二ワタシヲコロシテミセロ。ククク……、貴様ガカテバ二人ヲカイホウシヨウ。ダガ、ワタシガ勝ったトキは……』

 

 『声』は低く低く、闇の底から吐き出されてくるかのような(おぞ)ましさを伴って宣言した。

 

『二人ヲコロス』

 

 突然の死を賭けたゲームの宣言に全員が戦慄する。そして誰もが息を飲む中、『声』に向かってエギルが叫んだ。

 

「待てよ! 新生アインクラッドはまだ59層までしか攻略されてないんだぞ。たったの1日で75層なんて不可能だ。それにそんなことして運営が放っておくわけないだろうが」

 

『ククク……』

 

 エギルのその言葉に『声』はただ嘲笑を続ける。一人彼だけは、この『声』の言わんとしていることを理解していた。

 

「そうか、『ザ・シード』か……」

 

「え?」

 

 エギルは突然のキリトの声に顔を上げる。

 

「多分だが、ALOのメインシステムをすでにほかにコピーしてあるんだ。今は『ザ・シード』を使えば、簡単にVRワールドを形成できるからな。それがどこのサーバーなのかそれともクラウド上なのか不明だが、乗っ取った直後に全てのアカウントドメインをそちらへ切り替えることが出来てしまえば、運営の使用しているサーバーは関係なくなる」

 

 そこまで言った時、『声』が応えた。

 

『貴様ガワタシノ元にタドリツケルコトヲタノシミニシテイルヨ“黒の剣士”。オット、ナルベクイソイダ方ガイイ。コチラニハオンナ二飢えた野獣ガタクサンイルノデネ……ククク……』

 

「貴様っ!?」

 

「やめろエギル、落ち着け」

 

 喚くエギルを押さえるキリト。彼はそうしながらも、ずっと(わだかま)っていたそれのことを『声』に向かって尋ねた。それは彼がずっと苦しんできた重荷の正体であり、彼の慚愧(ざんき)の念そのものだったから。

 

「お前は……『ケイタ』……なのか? もしそうならもうやめてくれ。お前が恨んでいるのは俺だけのはずだ。殺すなら俺を殺してくれ」

 

『…………』

 

 『声』はそれには何も答えなかった。

 ただ、雑音のみが辺りに流れ続ける。

 暫くそれが続いた後で、『声』は淡々と言葉を繰り返した。

 

『期限ハ24時間ダ。マニアワナケレバ二人ヲコロスダケダ』

 

「待て、お前は誰だ? お前の名前は……」

 

 そう尋ねた彼に、『声』は言う。

 

「ワタシハ…………『リヴェンジャー』……貴様ノスベテヲ奪うモノ……ククク……」

 

 それが、再び始まるデスゲームの戦線布告であった。




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浮遊城アインクラッドへ

 スマホから流れる音声はそこで途切れた。

 先ほどの雑音も収まり、辺りには静寂が訪れている。

 彼の思考は先ほどの『声』の内容により刹那の時間、混乱を極めていた。だが……

 

「え、エギル! すぐにパソコンを貸してくれ!」

 

「あ、おお」

 

 店のカウンター横のパソコンの前まで移動した彼は端末にログイン画面を表示させ、そして次々に現れるプログラムデータを確認、必要なコマンドを入力し、そして『彼女』を起動した。

 

「ユイ! ユイ! 聞こえるか? 俺だ、キリトだ。どうだ? 分かるか?」

 

 画面にはLoadingの文字が、そして待つこと数秒。

 

『パパ……? パパ、パパっ』

 

 おお、と一同に歓声が上がる。

 先ほどあの『声』により消されていた彼女が再び現れたからだ。彼はすぐに彼女に問いかけた。

 

「どうした、何があった?」

 

 モニター内には彼女の音声波形のみが示され、その波は激しく振れる。

 

『はい……私にも良く分からないです。メインフレーム内の過去のデータを色々探していたら急に動けなくなって、システムに浸食されました。それで、嫌だったのにパパのアドレスに直結させられて……』

 

「乗っ取られたのか?」

 

『うん……そうみたいです』

 

 ユイのそのはっきりしない物言いに彼は背筋に嫌な汗が流れるのを感じていた。

 SAOの旧カーディナルシステムの管理を離れたユイは、膨大な演算処理能力を有する一個の人工知能として独立した存在となっている。通常であれば、何かしらの妨害を受けた際には、即座の判断の上痕跡を消しつつ退避が可能であるはず。にも拘らず、今回は外部からの短時間での干渉でそれをハッキング、無効化されたうえ、コントロールまでされている。

 それを可能としうるのは、彼女の演算処理能力を上回る力量を持ったハッカーか、あるいは旧カーディナルシステムそのものか……。

 そのような思考に陥っていた彼の肩にエギルがポンと手を置いた。

 

「ま、なんにしても、その子が無事でなによりだ。それよりもキリト。これからどうするんだ? 奴の話を信じるなら、今すぐにでもALOにログインしないと間に合わないぞ」

 

 言われて彼は少し思案してからみんなに告げた。

 

「俺はアインクラッドへ行く」

 

「そんな……」

「お兄ちゃん……」

 

 そうこぼすのはシリカと直葉。エギルとシノンは神妙な面持ちで彼を見守った。

 

「もうわかってると思うが、この相手は本気だ。アスナのことも間違いないと思う」

 

「だったら、警察にそのことを言えば」

 

 そう言った直葉にエギルが首を横に振る。

 

「それは厳しいな……。今の会話はうちの防犯システムで録音もされているからすぐに警察には通報するつもりだが、いかんせん時間がない。警察が動くにはまだしばらく時間がかかるだろう。そうなれば、奴の言う『ゲーム』には参加できなくなる」

 

「で、でも、だったら、運営に言って、相手のアカウントとかを探し出してもらって先に手を打ったら……」

 

「いや、それも難しいよ直葉。あいつはユイを無効化するほどのスキルを持ってる。そんな相手が普通の対応で炙り出せるとは思えないな」

 

 そのキリトの言葉に、その場の全員が声を失した。

 そんな中、一人シノンが声を上げた。

 

「いいよ、キリト。私も行く。手伝う」

 

「シノン?」

 

 彼は真っすぐに瞳を向けるその少女に視線を返した。

 

「このままリズとクラインさんを見殺しになんて出来ないよ。それに、どうせ止めたって一人で行っちゃうでしょ」

 

 それを聞いたシリカと直葉の二人も顔を見合わせた。そして続いて言う。

 

「わ、私も行きます。リズさん達を助けたいです」

「私もだよ、お兄ちゃん。できるだけ頑張るから」

 

「お前ら……」

 

 真剣に見つめてくる彼女達に、彼は小さく頷いた。そしてエギルを見る。

 

「エギル、俺達でアインクラッドを攻略する。お前には現実(こっち)の対応を頼みたい」

 

 それを見て、エギルは自分の禿げあがった頭をぺチリと叩いて嘆息した。

 

「ああ、わかった、警察とか運営とかとの連絡は俺に任せてくれ。だが、まだ問題があるだろう……お前ら4人分のアミュスフィアはここにはないぞ。これから家に戻るっていっても、一時間じゃ間に合わないだろうし、それに、ただでなくても命を狙われてるんだ。ダイブ中の身体の安全を確保する必要があるぞ」

 

 言われて一気に青ざめる彼女たち。だがそんな中、彼だけははっきりと目に光を宿して語った。

 

「俺に考えがある」

 

 

   ×   ×   ×

 

 

 キリト達四人はすぐさま御徒町のエギルの店を飛び出し、駅へと走った。

 そして、飛び乗った山手線で向かったのは浜松町。

 そこから、すぐさま海岸沿いに(そび)え立つ真新しい大きなビルに向かって再び駆けた。

 そのビルの入り口まで来た時、ぜぇぜぇと息を切らせながら、直葉が上の方を見上げながら呟いた。

 

「はぁ、はぁ、ここがそうなの? お兄ちゃん」

 

「ああ、そうだよ。ここが俺が今手伝いに来ている日本最大のセキュリティー会社、『TOSCo(トス・コーポレーション)』の本社ビルだよ」

 

「ほえぇ~」「す、すごいとこだね……」

 

 見上げる彼女達3人はそのあまりの巨大さに目を奪われている。

 

「なんか、世界樹を見上げてるみたいです」

「ううん、こっちの方がずっとすごいよ。これ、本当に人が作ったものなんだよね?」

「近未来のVRワールドに入っちゃったみたい」

 

 口々にそう感想を述べるも、それは仕方がないのかもしれない。

 

「……確かに、ここなら安全そうだね」

 

 そうこぼしたシノンに、他の二人も頷いた。

 

 50000㎡の敷地面積は東京ドームにも匹敵し、そこに聳える方錐型のビルは全高で250mにも達する。

 ホームセキュリティーのみならず、警察、自衛隊など官公庁との取引も多いこの会社は、自他ともに認める国内最大手のセキュリティー会社であった。

 そんな巨大企業を前にして、彼女達3人は息を飲んでいても仕方がないことだった。

 

「……ああ、わかった。ありがとうな。じゃあ、俺達はこれから入る」

 

 スマホで誰かと話をしていた彼が彼女達を振り返り、声を掛けた。

 

「エギルも出来る範囲で声を掛けてまわってくれているようだが、やっぱり警察はまだ動き出せてないみたいだ。とにかく俺達だ。急ぐぞ」

 

 彼が先頭に立ってビルの中へと入っていった。

 彼女達もそれに続く。

 

 大きなロビーで受付嬢のいるカウンターで入館処理を済ませ、一路上層階へとエレベーターで向かう。

 彼らが向かうのは、『パーソナルセキュリティーシステム開発部』。要は、先日ALOで紹介されたVRワールド内と現実との双方でのセキュリティーシステムの開発がメインで行われているこの部署であった。

 

「失礼します」

 

「あれ? 桐ケ谷君……今日来る日だったっけ?」

 

 扉を開けて入った途端に、近くでモニターを眺めていた眼鏡をかけた男性が立ち上がりながら声をかけてきた。

 

「すいません、今井さん。詳しくは後で話しますが、モニタールームのVRマシンを今すぐに4機貸していただけませんか?」

 

 彼はすぐさま用件を伝え、他の3人も中へと入れた。

 

「あ、ああ……、ちょ、ちょっと待ってね」

 

 それを見た今井は、慌てた様子で奥へと走る。

 周りにいる他の社員たちも仕事の手を止めて、彼らに視線を送ってきていた。

 そんななか、奥の部屋から現れたのは……

 

「やあ、桐ケ谷君。急にどうした? ん? みなさんもおそろいでしたか」

 

「あ、たぐたぐさん」

 

 そこに立っていたのは、青い作業衣を纏った壮年の長身の男性。あのときモニターで見た田口に間違いなかった。

 

「今日はなにかご予定があるんじゃなかったんですか?」

 

 昨日ALO内で別れ際に今夜の予定を尋ねて断られたことを思い出し、彼はそのことを聞いた。それにたいして、田口は頭をかきながら答える。

 

「いや、じつはプライベートで人と会う約束があったんだが、どうも行っても会えないようでね。だから今夜も君たちのところにお邪魔しようかと思ってたところだったのだよ」

 

 田口は彼らに微笑みかけながら話を続けた。

 

「それでマシンを使いたいということだけど、まさかみんなで遊びたいだけなんてことはないよね?」

 

「いや、違います。ただ、信じてもらえるかは微妙なところなんですが……」

 

「ふむ……なら、奥で話を聞かせてもらおうか」

 

「はい」

 

 

   ×   ×   ×

 

 

 一連の事件についてをかいつまんで話し、さらに、(さら)われたらしいリズベッドとクラインの二人を救うべく、『リヴェンジャー』と名乗る謎の存在の持ちかけてきた『ゲーム』に参加する旨を伝えた彼に、田口は腕を組んでうーんと唸った。

 

「話は分かった。時間がないことも理解した。でもね、その上で言わせてもらうと、この誘いに乗るのは危険ではないかね? ALOを完全に乗っ取るとなるとあのSAO事件の再来とも呼べるほどの大事件になるわけだし、完全に相手の土俵で戦うことになる。こちらの手札がどれだけあろうと、相手がGM(ゲームマスター)であるならば、いいようにあしらわれて敗北するだけではないかね?」

 

 そう言われ、彼は即答した。

 

「もとよりそれは覚悟の上です。でも奴が俺に恨みを持っている以上、何もしなかった場合、人質の二人にどんな制裁を加えられるかわかりません。それに、なんとなくですが奴には茅場晶彦と同じような感じを受けるんです。ゲームのプレイヤーとしてこちらを招待した以上、アンフェアな行動には出ない……そう思えるんですよ」

 

 それを聞いた田口はもう一度頭を掻いてから、ふうっと大きくため息をついてから立ち上がった。

 

「どうやら、もう覚悟はとっくにできているようだね。来たまえ、君たちにマシンを貸そう」

 

 言われて全員でその隣の部屋へと移動した。

 そこには様々な機器が取り付けられた椅子が全部で10基ほど据え付けられており、それと向き合うようにガラスで仕切られた先の部屋に大きなモニターや計測機器が並んでいた。田口はそちら側の部屋へと入り、キリト達4人は、今井や他のスタッフと共にその椅子へと座った。

 リクライニングになっているその椅子の上部にはアミュスフィアが取り付けられているが、彼はそれを外し、あのヘッドギアをとりつけさせた。

 

「え? き、キリト、ナーヴギアでダイブするの?」

 

 驚いた声でそう声をかけるのはシノン。

 あの事件で高出力パルスによって人を死に至らしめ続けたこの装置は、『悪魔の機械』とまで呼ばれていたのだ。だが、そんな彼女に彼は答える。

 

「ああ、アミュスフィアの出力じゃ俺の全力を反映できないんだ。今回は時間がないし、俺だけでも吶喊できるようにする必要がある」

 

「でも、それじゃ、もしもの時キリトは……」

 

『それは大丈夫ですよ、シノンさん』

 

 答えたのはガラス窓越しにマイクに話しかける田口。

 彼は説明を始める。

 

『このテスト用ナーヴギアのパルス管理はうちのシステムで行ってますから、SAO事件のようなことにはなりませんよ。それと、これを……』

 

 全員が手元のコンソールにログイン情報を入力しているその脇で、スタッフたちが次々に例の機械のセットアップを行っていく。

 

『みなさんのアバターに昨日お見せした開発中のセキュリティーシステムをインストールしておきます。今回実際に使用できるかは疑問ですが、一応外部と連絡をとれるようにしておきましょう』

 

「助かります、田口さん」

 

『いえいえ、私にはこれくらいしかできませんからね…………よし、じゃあ始めようか……システムを起動してくれ』

 

 田口はそう言いながら、周囲のスタッフに指示を出しつつ、システムを立ち上げていく。

 ヘッドセットを装着した彼らの耳には、いつものパルスの振動音と共に、周囲の機器類の稼働音が響き始める。

 暫くして、準備が完了した段になって田口の音声がスピーカーから流れた。

 

『それでは始めます。ご武運を』

 

 その言葉が合図となって、彼らの視覚が一気に切り替わった。

 

 さあ……リンクスタートだ。




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第59層主街区ダナク

 瞳を開くと、そこにはのどかな田園風景が広がっていた。

 なだらかな丘陵は一面の麦畑で、そこで農作業をしている人々がいる。

 近くには小川が流れているのかサラサラと川のせせらぎが聞こえてきて、そこで遊んでいるのだろう子供たちの陽気な声が響いていた。

 

「ここは……」

 

 俺のすぐ脇でそう口にしたのは直葉……いや、シルフのリーファだった。

 

「ここは59層のダナクだよ。リーファは初めてだったか?」

 

「あ、うん。なんかすごいね。景色が綺麗すぎてここがVRワールドだって忘れちゃいそうだよ」

 

 視線を遠くで働くNPCたちに向けながらそう呟くリーファを見ながら、俺は答えた。

 

「そうだな。ディテールは少し変わってるけど、ここはSAOの時から本当にのんびりしていてずっと居たいって思えるところだったんだよ」

 

 そう言いながら俺は、あの日にアスナと二人で木陰で昼寝した日のことを思い出していた。あの時はまだ、彼女のことをなんとも思ってはいなかったんだ。ただ、口答えするムカつくやつだって……。

 それでもここで彼女と居られたことは大切な思い出だ。そう思っていた俺に、パッと目の前に現れたその小さな俺達の娘が話しかけてきた。

 

「おかえりなさい、パパ」

 

「ああ、ユイ。大丈夫か? なんともないか?」

 

 ついさっき強制的にハッキングされあわや消滅かという状況にいたユイは、いつもとなんら変わらない様子で宙に浮かんでいた。

 それにホッと息を吐く。

 

「はいパパ、大丈夫です。全然動けなかったけど、急に開放されて……ウィルスとかで攻撃された形跡もないし、いったいなんだったんでしょうね」

 

 顎に指を当てるユイに、シノンやシリカが声を掛けた。

 

「なんにしても良かったよ。ひょっとしてもうユイちゃんに会えないかもって心配だったし」

「そうですよ。ユイちゃんに何かあったらって本当に不安だったんですよ」

 

「みなさん、心配してくれてありがとうございます。私……とっても嬉しいです」

 

 にこりと微笑むユイ。

 柔らかく流れるその穏やかな雰囲気の中、俺は奴の底の知れない恐ろしさを改めて実感していた。

 ユイのデータをまったく損傷させずにコントロールすることのあり得なさは、今のユイのプログラムの調整を行っている俺にとっては驚愕の一言だ。

 並のエンジニアにこんな芸当が出来るとは思えない。

 一瞬、あのケイタの顔が脳裏を(よぎ)るが、果たしてこれをしているのは彼なのかどうか……。

 いや、今は悩むのは止めよう。

 時間がない、急がなくては。

 

 俺は全員に声をかけ、転移門の前へと移動した。

 

 そこにはすでにたくさんのプレイヤーの姿が……

 と、きょろきょろ見回したところでふいに声をかけられた。

 

「おっそーい、キリトくん」

「待ちくたびれたわえ、本当に」

「キリトさん、我々も手伝わせて頂こう」

 

 そう言われ顔を向ければ、そこにはケットシーとシルフの二人連れの女性と、頑強そうな鎧に身を包んだ、大柄なサラマンダーの男性プレイヤーの姿が。

 

「アリシャさん、サクヤさん、ユージーン将軍も、来てくれたんですか」

 

「ああ、エギルさんに呼び掛けられてな。我々だけではなく、たくさんのプレイヤーが来ているぞ」 

 

 見上げてみれば多くの妖精が集まってくるところだった。中にはボス攻略で共闘した面々も大勢いる。呆気にとられている中、またもや声を掛けられる。

 

「キリトさん、私たちも戦います」

 

「え?」

 

 振り返ってみれば、マントを羽織った一組の男女のウンディーネ。

 

「ユリエールさん、それにシンカーさんも」

 

「大した助力はできないだろうが、楯役くらいはできるだろう。あの時君に救ってもらった恩、今こそ返させてもらうよ」

 

「どうか、私たちを使い潰してください」

 

「そんな……いえ、本当にありがとうございます」

 

 俺は色々とこみあげてくるものを感じながら、頭を下げた。

 こんな嘘か誠か分からないような事態に、すぐに駆けつけてくれたこの同朋(どうほう)たちに感謝以上に嬉しさが湧き上がってきていた。

 かつて、¥ソロプレイヤーであったこの俺には、心から許せる仲間はほとんどいなかった。それがいつの間にかこんなにもたくさんの仲間と呼べる存在が出来ていたことに、俺自身が信じられないくらいだったのだ。

 だが、やはり、足りない。

 ここには俺の分身たる、もう一人がいないのだから……。

 

 と、そう思っていた。そう、少なくともその声を聴くまでは。

 

「キリトくん」

 

「!?」

 

 それはもっとも聞きたかった彼女の声。

 最愛にして、俺の命にも代えられない、俺の全てを捧げた存在……。

 驚いて素早く顔を上げた先にいたのは、やはり、にこりと柔らかく微笑む彼女の姿だった。

 

「アスナ……お前」

 

「えへへ……エギルさんに聞いて、私も来ちゃった」

 

 少しふざけた感じでそう話す彼女は、いつもと変わらないウンディーネの姿で佇んでいた。

 

「ママっ」

「アスナさん!?」

「アスナ」「アスナさん」

 

「ユイちゃん、みんな、ごめんね心配かけて」

 

 一斉にアスナを囲むメンバーたち。彼女たちにアスナはいろいろと声を掛けていたが、俺はすぐに大事な話を切り出した。

 

「アスナ、傷は……痛みは大丈夫なのか?」

 

 アスナの意識が戻ったことでここにログインしてきたことは簡単に想像がついた。でも、刃物で刺されたのだ。いくら覚醒したと言っても、身体に残る痛みは彼女を蝕んでいるはずなのだ。

 VRマシンとは言っても、身体と意識を完全に切り離せるわけではない。あのナーヴギアでさえせいぜい5割程度しかカバーできない。当然完全に身体の痛みを消すこともかなわないわけだ。しかもダウングレードされたアミュスフィアでは尚のことである。そう思って問いかけたそれに、彼女は薄く微笑んで返した。

 

「うん、本当に大丈夫だよ。だってユウキの身体を借りたんだもの」

 

「ユウキ? じゃあ、今アスナは『メディキュボイド』に?」

 

 その俺の言葉に彼女はコクリと頷いた。

 

『メディキュボイド』

 それはVR技術を医療用に転用した世界初の医療用フルダイブ機器であり、身体の自由が効かない患者に対してVRワールド内でのカウンセリングや体感療法などに用いられている。この機器の最大の特徴は、そのアバターとのシンクロ率の高さにある。通常のVRマシンが脳に作用させるのに対し、この機器は脳および脊椎までを完全にカバーし、全身の神経系を網羅したうえでVRワールドに五感を反映させる。そのため、寝た切りの状態であっても健全な身体での体感を得ることが出来るのだ。

 アスナがこれを使用しているというのなら、痛みに苦しまずにここに居られることも納得がいく。

 

「入院していた病院にこの機械が導入されていたの。それで、今のキリト君たちの状況を聞いて居てもたってもいられなくなって、お父さんと先生たちに頼み込んでこれを使わせて貰ってるの。ちょっとセットアップに時間が掛かっちゃったけどね」

 

「そうだったのか」

 

 彼女に近づきそっと抱きしめる。

 

「良かった、意識が戻って」

 

「うん、私も会えてうれしい、キリト君」

 

 肌に感じる彼女の温かさに、改めて彼女が生きているということを実感する。これが仮想のモノであると理解しつつも、素直に無事を喜んだ。

 暫くそうしてから、今度は犯人の心当たりについてを彼女に問いかける。しかし静かに首を横に振った彼女の答えは簡単なもの。相手の顔も身体もまったく見ることが出来なかったということだけだった。

 でも、彼女の聞いた『一人目』という言葉。それから察するに、『二人目、三人目』としてリズとクラインを攫ったと考えることが妥当だと推測出来た。つまり犯人は同一犯か、もしくは状況を理解できる立場の第三者。いずれにしても『リヴェンジャー』と名乗った奴が絡んでいるのは間違いなさそうだ。

 

 そんなことを考えていた脇で、アスナがみんなに振り返った。

 

「ええとね、お母さん達からみんなに渡してくれって頼まれたものがあるの。昨日『浮遊大陸』のイベントで手に入れたモノだって。だから遠慮しないでもらってね」

 

 言いながら手元にコンソールを呼び出して、アイテムを選択していく。そして、シノンとシリカとリーファにそれぞれアイテムを譲渡していった。

 それを見て、まずシノンが驚いた顔で声を上げた。

 

「ね、ねえ、これってひょっとして『銃』じゃないの?」

 

「うん、そうみたいだよ」

 

 そんな会話が聞こえて慌ててシノンのアイテム欄を覗く。するとそこに書いてあったのは、

 

---------------------------

『シュトルム』

銃自身が意思を持った特殊な銃。銃が持ち手を選ぶ。

 

付加アビリティー

『The state of the anger』

『Return blade』

『Double return』

---------------------------

 

「な、なんだこれ?」

 

 完全に『銃』だ。いや、まいった。いつの間にこんなの実装されたんだよ。慌ててアスナにそのことを聞いてみると、一応この武器はカテゴリーとしては『弓』系統に加えられているらしく、浮遊大陸での戦争イベントでのレアドロップアイテムなのだそうだ。弾に関してはMP消費で自動装填されるらしいのだが……。

 

「でも、これ『銃が持ち手を選ぶ』って書いてあるぞ。確かにシノンはGGO(ガンゲイルオンライン)狙撃手(スナイパー)だったけど、そんなんで選ばれるのか……」

 

「あ、装備できた。やった!」

 

 うん、装備できちゃったね。

 

「えーとね、『弓』と『錬金』のスキルが高いと装備できるみたいだよ。シノンさん、錬金も上げてたもんね」

 

 そういや自分で矢を製錬するとかって錬金スキル上げてたな、確か。

 

「見た目は古風だけど、やっぱり銃は萌えるね。キリト達のこと守ってあげるからね」

 

 そう言って構えて照準を合わせるシノンはやっぱりさまになっている。これは相当喜んでるな。

 

 次に見に行ったのはシリカ。

 彼女は自分のアイテム欄を眺めながら肩に乗った使い魔ドラゴンのピナと一緒に首を捻っている。

 

 どれどれ?

 

---------------------------

『神竜石』

装備者を本来の姿に変える。

 

ソードスキル(3フェイズ有効)

---------------------------

 

 これまた良く分からないアイテムだ。

 アスナに聞いてみれば、これも浮遊大陸の別のイベントでお義父さんたちが手に入れたものだそうだ。なんでもアカネイ……なんとかって城の攻防戦で出現したドラゴンが落としたものらしい。これも装備者が限定されているらしいのだが。

 

「あ、私も装備できました」

 

 そう……シリカも装備できたのね……。

 でも、これは何のアイテムなんだ? 石でどうやってソードスキルを使うんだか……。

 まあ、後でわかるかな。

 

 と、最後にリーファのところへ。

 いったい何を貰ったのかと見てみれば、

 

---------------------------

『Ultima book』

白魔術最終奥義の書かれた本

 

魔法(白系魔法の熟練度に威力比例)

---------------------------

 

 リーファのは魔法か……白魔術ってのはどんなカテゴリなんだろう。これも浮遊大陸のイベントでNPCのミン……なんとかってキャラが命と引き換えに授けてくれたものらしいのだけど……そもそもお義父さんたちはいったいいくつイベントをこなしてきたんだ、昨日一晩で。

 いや、考えるのはやめよう。ゲームから起きてみればそこにアスナが倒れてたわけだしな。ショックも大きいだろうし、やっぱり。

 リーファも無事に装備できたようだ。

 

 大勢の知り合いが来てくれたことと、新しいアイテムに心を奪われたこと、なによりアスナがここに来てくれたことで俺の緊張は一気にほぐれていた。

 

 これからデスゲームが始まるというのにも拘らず……。

 

 だがやはり、そんなのんびりとした余裕は一瞬で消えることになった。

 

 

 

 ゴーーーーーーン……ゴーーーーーーン……ゴーーーーーーン……

 

 

 

 突然に鳴り響いたのは大きな鐘の音。それを不思議そうに見上げて聞くものと、一気に表情を曇らせるものとに、この場のプレイヤーは分かれることになった。

 この鐘の音は、まさにあのSAOで地獄のゲームの開始を知らせる合図であった。

 俺はこの音を聴きながらそっと自分のコンソールを呼び出して、そしてログアウトボタンを探した。

 だが、案の定パネルからそれは消滅していた。

 顔を上げれば、アスナも厳しい表情に変わっている。

 俺は彼女と並んで立ち、ジッとその時を待った。

 

 暫くして鐘が鳴り止むと同時に、この空間に大きな揺らぎが走った。

 

 それは彼方の空から順にこちらへ向かって迫り、周囲の景色を飲み込みながらそして、それ自体を描き換えていく。その新たに上書きされた周囲の景色に俺達は息を飲んだ。なぜならそれは……

 

「お、おい、まさかここは……」

「くっそ、また俺達はここに来ちまったってのか……」

 

 周囲で息を飲んでそう語る声があがっている。

 

 そう、まさに彼らの言葉は俺達の想いそのものであった。

 周囲に見えるのは第59層主街区ダナクの景色。ただし、それはALOとして再構築されたそれではなく、まさしくSAO時代のそれであったのだ。

 

「お、おい。見ろ」

「え?」

「あれ?」

 

 周囲で上がる驚きの声に、俺達も慌てて周りを確認する。

 するとそこかしこでプレイヤーの身体からエフェクトが立ち上り、次々にその姿が変わっていった。

 さっき会ったシンカーさんとユリエールさんも、シリカもだ。そして、アスナも、俺も。

 

「キリト君、その恰好……」

 

「アスナ……君もだ……」

 

 俺が見たその光景。目の前に立ち尽くしているのはウンディーネの少女ではなかった。

 赤と白の特徴的なその軽鎧に身を包んだその姿は、かつて共に最前線で戦い、そしてあのヒースクリフとの最後の戦いで散っていった、血盟騎士団副団長……『閃光のアスナ』のそれであった。

 そして、俺も……

 黒の全身スーツ姿の俺の右手に握るのはかつての漆黒の愛剣『エリュシデータ』。そして、左手に握られていたのは……

 

「お兄ちゃん……その恰好って、まさかSAOの……」

「シリカもアスナも……これはどういう……」

 

 疑問符交じりに話すリーファとシノンの言葉が終わるその前に、この空間にその『声』が響き渡った。

 地の底から湧き上がるような悍ましいその声を忘れるわけがない。

 この『声』こそがこのゲームの主なのだから。

 

『ヨウコソ、諸君。ソードアート・オンラインのセカイへ……ククク……』




今回懐かしのゲームの小ネタがいくつかはさまれてます。元ネタがなにかお分かりになりましたか?
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輝くランベントライト

 唐突に辺りに流れた奴の声に、全員がきょろきょろと見回し始める。

 

「なんだ?」

「なにがどうなってんだ?」

 

 事情を知っている俺たち以外にもここにはかなりたくさんのプレイヤーの姿がある。どうやら先程の鐘の音の直後にこの場に強制転移させられていたようだ。

 やはりというか、これはあの茅場晶彦の引き起こしたSAO事件をなぞろうとしているらしい。違う点といえば、ここが第1層の『始まりの街』ではないことと、茅場の時のような巨大な姿での奴の登場がないことか……。

 

「おい、ログアウトボタンがないぞ」

「ほ、本当だ。どうすりゃいいんだ」

「これじゃ、まんまSAO事件じゃねえか」

「いやだ、し、死にたくない」

 

 何人かがこの異変が尋常ではないことに気がついて、慌て始める。その動揺が一気に飛び火していき、多くの人が恐慌状態に陥ってしまった。

 

「みんな落ち着け、静まるんだ」

「アリシャ、手分けして説明をしてまわるんだ」

「分かったにゃ、サクヤちゃん。おーい、みんな聞いてー……」

 

 族長達が動き始める中、再び『声』が、空間に響いた。

 

『ククク……プレイヤー諸君、慌テルヒツヨウハナイ。これからハジマルノハただの『ゲーム』だ。キミタチノ命(・・・・・・)を賭けるヒツヨウハナイ。ククク……』

 

「くそっ」

 

 声を聞いて一瞬で静まるその場の多くが一様に安堵を浮かべた。だが、その発言の真相を知っている者達は苦々しい表情にその顔を歪めることになった。

 そしてそれは次の奴の言葉で、この場の全員にも伝染することになった。

 

『賭ケル命ハコノフタリダケダ。サア、見るガイイ』

 

 急に上空にスパークが走った。

 見上げればそこには大きなスクリーンが浮かんでいる。そして初めは真っ黒だったその画面にノイズが一度走った直後、それが映し出された。

 

「きゃっ……」

「なんだ!?」

「なに……?」

 

 辺りから驚きの声が聞こえてくる。

 無理もない。 

 

 そこに映し出されているのはシルバーの調理台のような金属のテーブルに寝かされたパジャマ姿の少女と、シャツの腕をまくりあげ、ネクタイを弛めて着崩した様子の一人の男性の姿。二人ともが頭部にアミュスフィアを装着し、そしてその体を皮のベルトのような物でテーブルへと縛り付けられ固定されていたのだ。

 

 クライン、リズベット‼

 

 声に出さずにそう心の内で叫んだ。

 頭部はアミュスフィアで隠れているうえ、画面の端なので細部を確認はできないが、間違いなく二人であった。

 これで確定した。

 

 二人は誘拐されたのだ。

 

 唇を噛んで隣に視線を向ければ、アスナが口に手を当ててワナワナと震えている。

 俺はそんな彼女の肩をそっと抱いてから、もう一度上空を見上げると再び奴の『声』が響いた。

 

『コノ二人はとあるプレイヤーの関係者ダ。ククク……それがダレカハアエテイワナイデオコウ。サテ、『ルール』を説明シヨウ』

 

 ゴクリと唾を飲んでから奴の言葉を待った。

 辺りは静まり返っている。これから奴が話す内容を決して聞き逃すまいとしているかのように……。

 

『ゲームの内容は簡単ダ。イマカラ24時間イナイニ75層のボス部屋にイルコノワタシをコロセバイイ。ソウスレバ君たチモこのフタリモ開放サレル。ダガ、モシマニアワナケレバ……』

 

 一瞬の間をおいてから、奴の声が槍となって襲いかかってきた。

 

『この二人を惨殺する』

 

 急に明瞭にはっきりとした言葉でそう告げられた直後、空中のスクリーンの端から、ピエロのマスクを被った二人の男が現れた。二人の手にはどこの家でも見かけることが出来るような包丁が握られている。それをカメラに対してだろう、見せつけるように何度も近づけてくる。

 

「くそ……外道が」

 

「キリトくん……」

 

 そう毒づいた俺の手をアスナがぎゅっと握ってきた。

 悔しい。今この瞬間に、あの二人を助けられないことが本当に悔しい。

 その後も奴は、こまごまとルール説明を続けた。

 

 そんな中、耳慣れない着信音が頭に響いた。これはメッセージ受信の音じゃない。ということは……。

 コンソールを開いてそれを確認すると、そこには、

 

『聞こえるかい? 桐ケ谷くん』

「田口さん」

 

 それは、ここにダイブする直前に田口にインストールされたセキュリティーシステムだった。どうやらこの機能は問題なく使えるようだ。外との連絡が可能なのはそれだけでかなりの安心感がある。

 通話ごしの田口は早口に言った。

 

『とりあえず現状だけ説明しておくよ。現在君たちのダイブしたALO(アルブヘイム・オンライン)にはログインなどのアクセスが全く出来なくなっている。それと今君たちが見ている被り物の犯人と二人の人質についてだが、地上波だけでなく、WEBなども含めてかなりの規模で生中継されているよ。犯人の音声も含めてね』

 

「え? なんだって?」

 

 そのあまりの発言におもわず聞き返してしまった。

 まさか、犯人がここまで思い切った行動に出るとは思いもしなかったからだ。

 

『いずれにしてもだ、桐ケ谷君。これは冗談や悪ふざけの類ではないよ。完全なテロだ。我々もすぐに警察と連絡を取って事後の対応にあたることにする。だが、どこまで犯人に迫れるか……』

 

 田口さんの声は暗い。

 多分、まさか実際にこんな事件に発展するとは思っていなかったということなんだろう。

 

「ありがとうございました。とにかく俺達はここでやれることをやります」

 

『そうか……くれぐれも無理はするなよ、桐ケ谷君』

 

 それを最後に通話を切った。

 そして再び上空を見れば、まだ奴の声が聞こえていた。奴の語った基本的な『ルール』は全部で五つ。

 

1・ゲーム内で死亡した場合は強制的にログアウトされる。

2・外部から強制的にVRマシンを取り外された場合もログアウトされる。

3・ALOで獲得したソードスキル、魔法、武器・防具・アイテム類は全て使用可能。

4・元SAO生還者はアバターが当時のものになるが、ALOで獲得したスキル類は全て加算され使用可能であること。ただし飛翔は不可能。

5・制限時間内に全プレイヤーが消滅、もしくは間に合わなかった場合は人質二人は死ぬ。

 

 正直、それほど厳しい内容ではなかったというのが素直な感想。いや、むしろ甘すぎる。

 ソードスキルは、得てして成長させるのが難しいものである。

 SAOの時はたった一度の敗北で死を迎える関係上、安全マージンをしっかりとりつつ、ひたすらにスキルを鍛えることで成長させるしかなかった。それは非常に過酷で緊張を強いられる戦いであったのだ。

 しかし、ALOではそうではない。

 そもそもソードスキルが実装されてからというもの、これを鍛え伸ばすためにデスペナ解消アイテムを使用しながら廃プレイに没頭したプレイヤーは数多くおり、さらに希少なスキルアップポーションも出回っていたためお義母さんたちのようにアイテムで強化する者も多かった。そんな強力になったスキルも全て使用可能というのは、SAO経験者からすれば舐められているとしか思えないくらいの厚遇だった。

 それともう一つ、完全なプレイヤーの『命』の保証だ。

 確かにこのゲームには二人の『命』が掛かっているが、多くのプレイヤーにとっては完全な他人だ。

 言ってしまえば、テレビで観る犯罪に巻き込まれた人のことを気遣う程度の感覚でしかないわけだから、自分の死を賭けて戦ったあのSAOとはまったく違う状況だと言える。

 

 あのSAOの時と同じように集められ、だが自分の命の掛かっていないプレイヤー達。

 そして、その光景を現実の世界に対して公開しているらしいという今の状況。

 時間制限でのゲームクリアと、クリア後助けることが出来るクラインとリズベットの命。

 

「つまりこの戦いに本気で挑めるのは、俺達だけ……ということか」

 

「うん」

 

 俺のそのつぶやきに、アスナが静かに答える。彼女も俺と同じ結論に達したようだ。

 

「もしもし、もしもーし。あ、れ? 切れちゃった、おかしいです」

 

「どうした? シリカ」

 

 俺の後ろで誰かと話していたらしいシリカを振り返り、何があったか聞いてみると、

 

「あの、この外部との通話の回線、使えるかなって思ってエギルさんに繋いでみたんですけど、今急に切れちゃったんです」

 

 そう言いながら、画面を何度もタッチしているシリカに俺は尋ねた。

 

「それで……とりあえず話はできたのか?」

 

「あ、はい。今外は大変なことになってるみたいですよ。ここで私たちが聞いてる内容は全部テレビとかで放送されているみたいで……」

 

 やはり田口さんが話していた通り、外は大混乱になっているのか……。

 急に切れたってことは、奴が感づいたってことなんだろうか?

 と、そんなことを思っていたところで、突然奴は宣言した。

 

『ソレデハ、ゲームを始メルトシヨウ。デハ早速クエストだ。クフフ……マズハ此処でイキノコッテミセロッ‼』

 

「あ……」

 

 なんの気持ちの準備もないままに、突然世界が暗転した。

 

 

   ×   ×   ×

 

 

「なにがあったんだ……」

 

「分からないよ……でも、何をすればいいのかだけは分かる」

 

 俺は顔を彼女には向けずに、左手に持っていたソレを差し出した。彼女は一度俺の手にそっと触れてから、その得物を静かに受け取る。俺は彼女に言った。

 

「これがないと始まらないだろ」

 

「うん……そうだね。私もこれで漸く覚悟がついたよ」

 

「覚悟? 何の?」

 

「『閃光』……に戻る覚悟を……だよ。行こう! キリト君」

 

「ああ、アスナ!」

 

 

『ブルウゥワァアァアァアァアァアァアァッ‼』

 

 

「うわぁ」

「な、なんだこいつは!?」

「た、助けて」

「ぎゃああああ」

 

 奇怪な雄叫びを上げつつ、その一見なんの害もなさそうな剽軽(ひょうきん)な容姿のソイツは、落書きのような顔に付いている目玉をグギギと動かして俺達を一望する。そして、その普通なら手袋でも嵌められているはずだろうその長い腕の先にまるで死神を思い起こさせる鋭く大きな二本の鎌を生やして、それを大きく振り上げつつ俺達目がけて横薙ぎに薙ぎ続けた。

 たちまちにエフェクトを立ち上らせて消滅していくプレイヤー達。

 

タンク(盾持ち)は前へ‼ その間に飛べる人はいったん離脱して‼ 気をつけて、『あれ』の鎌は4本に増えるよ」

 

 前へと駆けながら指示を出していくアスナ。

 大混乱の中で必死に逃げようとしている人々にその声はなかなか届かなかった。

 

【フィールドボス:デッドリーマーダースケアクロウ】

 

 第59層の迷宮区入口付近に現れるこのデカい案山子の化け物は、あのSAO攻略時にも散々手を焼かされたモンスターだ。

 圧倒的なリーチを生かした一撃必殺の鎌の一閃の所為で、何人ものプレイヤーがその命を散らせた。

 その鎌をなんとかしようにも、動きが素早くすぐに距離を取られる。しかもレッドゲージ突入後はさらに背中から2本、長い鎌付きの腕が生えて猛ラッシュしてくる仕様だ。

 こいつを仕留めるために、あの時の俺達は大型シールドで完全防御陣形を組みつつ接近し、ソードスキルの有効圏内に到達後10人同時攻撃を敢行して息の根を止めることに成功した。

 

 だが、それはあくまでSAOの時の話だ……。

 

魔術師(メイジ)部隊、火炎魔法準備だ」

弓兵(アーチャー)部隊も火矢だ。急いで」

「剣士はキリトさん達に続け‼」

 

 背後で次々にそんな指示出しの声が上がる。

 その中には俺達の仲間のモノもあった。

 

「キリト! 早速この銃をぶっ放すからね、見ててね」

「キリトさん、アスナさん、私も行きます」

「アスナさん、この魔法使ってみるからね」

 

「ああ」「うん」

 

 アスナと二人でそう答えた直後、『ドゴンッ』という、鈍く大きな炸裂音が二つ辺りに響いた。

 と、同時にデッドリーマーダースケアクロウの頭部に二つの大穴が開き、その動きが一瞬鈍る。

 そこへたくさんの火矢が撃ち込まれ、さらに火炎魔法も炸裂、その巨体は炎に包まれた。

 

『オォオォオォオォオォオォオォオォ……』

 

 うめき声をあげつつ仰け反る奴は、全身に青白い光を纏いながらその火を鎮火させていく。これは奴のスキル、『自動回復』の効果によるものだろう……このせいでSAO当時は短期決戦の強硬手段に出ざるを得なかったわけだが……。

 回復し、さらに二本の鎌を追加させている奴が再び蹂躙を開始しようとしているその目の前へ、その大きな白い影が姿を現した。奴はその大きな白いそれに向かって、鎌のラッシュを開始する……しかし、

 

 キンッ、キンキンキンッ‼

 

 まるで金属に跳ね返されているかのような甲高い音を上げて、その鎌はどれも弾かれる。

 そして硬直したそれを前にして、その『真っ白いドラゴン』が大きな声で叫んだ。

 

『はわわ……り、リーファさん、今です。魔法を撃って』

 

 その声の主が誰かはもう考えるまでもないな。

 そう言われたリーファの周りにとてつもなく巨大な魔法陣のエフェクトが浮かび上がり、そこの中央で剣を構えたリーファがまっすぐに奴を見て、魔法を放った。

 

 魔法陣から放たれた無数の光の矢が奴を包む。そして、球状に奴を取り囲むとその中を真っ白な光の嵐が駆け巡り、大音響と共にそれが爆発。

 

『オォォォォォォォォォォォォ』

 

 再び苦悶の叫びをあげるデッドリーマーダースケアクロウ。

 

 全身からプスプスと煙を立ち上らせつつ鎌を下ろして硬直しているその姿に、俺は空いていた左手に金色に輝く聖剣を呼び出しつつ叫んだ。

 

「今だ! アスナ」

「ハイ! はあああああああああああっ!」

 

 神速の一撃!

 かつて『閃光』とまで呼ばれたアスナのその加速した身体が一気に奴へと迫る。そしてその手に握られているのは、ようやく返すことができた、あのヒースクリフを倒すことができた彼女との絆の証とも呼べる剣……『ランベントライト』。

 その光り輝く切っ先が奴の胴体を刺し貫いた。

 

「今よ、キリト君! 『スイッチッ‼』」

「らああああああああああああああああっ」

 

 彼女の背後から飛び出して、俺は両手を大きく開く。使うスキルは当然あのユニークスキル。使えるかどうかじゃない。ただ、目の前の敵を屠るために、出来ることは何でもやってやる。

 今はもう何も躊躇はしない。

 彼女達と共に、何が何でもこのゲームをクリアしてやる。

 そして、必ずたどり着いてみせる。

 

 待っていてくれ、クライン、リズベット……

 

 二本の剣から迸るエフェクトが、この一戦の決着を俺に教えてくれた。




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牢獄

「放せっ、放しやがれっ、こんちくしょう」

 

 ガチャガチャと金属の鎖を震わせながら、彼はわめき続けていた。

 その何も無い無機質な金属の壁、床に覆われた空間には3人の人影があった。

 

 一人は彼。赤の和風の装束にその身を包んだ彼は、後ろ手に拘束された上、天井から逆さに鎖でつるされている。そしてその全身を激しくゆすりながら、目の前に立つ男に向かって吠え続けていた。

 そんな彼の隣には、逆さにではないが天井から伸びた鎖で両手を上げた状態で吊るされている、やはり赤系統の服を纏った桃色の髪の少女の姿。彼女は喚き続ける彼に小さく呟いた。

 

「やめなさいよ、クライン。じたばたしたって今は無駄よ」

 

「へぇ、あんたは随分肝が据わってるなぁ。これはたっぷり楽しめそうだぁ、ひひひ」

 

「ぃ……」

 

 下卑た笑いを浮かべながらそう彼女に声を掛けたのは、紫のインナーに黒の薄い胸当てを付けた一目でプレイヤーと分かる男だった。彼はそのまだ幼い顔にどす黒い欲望の感情を貼りつかせて少女を見る。

 

「てんめぇ‼ リズベットに話しかけて俺を無視すんじゃんねーよ、この雑魚が‼ いいか今に見てろ、この俺がぎったんぎったんのばらっばらにしてんやんからな‼」

 

 そう吠えるのは逆さづりのクライン。

 邪悪な笑みを浮かべたその男は、クラインを見ながら手に持ったメイスで自分の肩をぺちぺちと叩きながら言った。

 

「野郎に用はねえんだよ。てめえはそこでこの女が犯されるのを黙って見てればいいんだよ、ひひひ。さぁて、お嬢さん。気持ちいい事しようじゃねえか、いひひ……」

 

 言いながら、片手でリズベットの服の胸を掴もうとする男。

 クラインはゆっくり動いているその男に向かって、ニヤリと口角を上げて笑った。

 

「おい、この粗チン野郎。おめえにその女を満足させられるわけねーだろうが、ばーか。いいか、そいつは筋金入りのヤリマンだぞ。お前程度のクソ不細工なやつじゃ、恥かくだけだ。やめとけやめとけ。そいつを満足させようと思ったら、少なくとも俺くらいタフにならねえとな。よし、なら俺がレクチャーしてやるぜ。その女の感じるところはなぁ……」

 

「だまれよ」

 

 急に男がその向きを変えてクラインに向かってその手に持った大きなメイスを叩きつける。

 

 ドゴンと大きな音が鳴り響き、クラインの横腹に真っ赤なダメージエフェクトが走る。その明らかに殺す勢いで放った攻撃に対し、クラインは言葉を続ける。

 

「なんだ? 図星だったのか? この粗チン。逆上して武器使うとか、ホント小物だなお前。おら、どうした。もっと殴ってこいよ。おら、おらおら……」

 

 ドゴ、ドゴ、ドゴ、と何度もその身体、頭にメイスの打撃を受けるクライン。彼は逆さづりのまま、ずっとニヤニヤと笑い続けている。

 男は顔を真っ赤にしてひたすらにクラインを殴っていたが、そこへ横から別の男の声が掛かった。

 

「もうやめろ『テツオ』。これ以上やったら大事な人質が消えちまう」

 

「す、すいません。『ササマル』さん。こいつ本当にむかつく野郎で」

 

 ササマルと呼ばれたその少し小柄な少年のような男がクラインに近づき、そしてその様子を観察してからポツリとこぼした。

 

「どうせゲーム内のダメージじゃ『痛み』なんてほとんどないんだ。いくらやったって無駄だよ。なあ、おいあんた。あんたあの攻略組の一翼だった『風林火山』のリーダーだったんだよなぁ。なら、さぞかし強いんだろうなあ」

 

 ササマルもニヤリと笑みを浮かべて返した。そして

 

「おい、テツオ。『ダッカー』のやつに、こいつの指の爪を全部剥がさせろ」

 

「やめてっ」

「よせ、リズベット!」

 

 そのササマルの言葉に真っ先に理解し反応したのは彼女。だが、クラインはそんな彼女の言葉を遮った。

 テツオとササマルの二人はそんな二人の様子をニヤニヤしながら見つめた。

 

「ゲーム内は痛みは薄いが、さすがに生身の身体にそれをやられたら、どうなるだろうなぁ」

 

 楽しそうに微笑みを浮かべる二人に、クラインは言う。

 

「ずいぶん楽しいこと考えんじゃねーかよ、てめえら。てことはなにか? 俺らはやっぱりお前らに捕まってるってことなんだな。かっ、自分で白状してりゃ、世話ねーよな」

 

「ほう、容赦はしていないのに顔色一つ変えないか……流石は攻略組だな」

 

「え……?」

 

 そのササマルの言葉にリズベットは真っ青になって息を飲む。そして、隣のクラインの顔を静かに見下ろした。

 そこには、さきほどと変わらずに挑戦的な瞳のままに笑みを浮かべたクラインの顔。

 彼女は察してしまった。

 今、この瞬間も、彼の『身体』は傷つけられているのだと。

 身体が強張り、震えが湧き上がるのを必死に堪える。

 クラインは彼らに対しての罵声をやめなかった。

 あくまで、冷静に、あくまで辛らつに、彼らのことを、彼らの行為をなじり続けた。

 そして、どれくらい経ったのか……。

 彼ら二人がぽそぽそと何かを囁き合っているそこへクラインが怒鳴ったとき、代表するようにササマルが笑いながら返事をした。

 

「いやあ、さすがだねクラインくん。今回は君のその忍耐力に免じてここで退散するとしよう。『あの人』ももうこれ以上傷つけるなと言っているようだしな」

 

「てんめえ、ざっけんなこらっ! 待てっこら! まだ終わっちゃいねえだろうが」

 

 その怒声に牢を出ようとしているササマルが振り返りながら言った。

 

「まあ、勘弁してくれ。()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()。ふふふ……」

 

 カチャリと閉まった牢は自動的に施錠され、そして鉄格子状の空間から外の景色が消える。そして、中は完全な静寂に包まれた。

 

「けっ、なんだあの連中は。ほんとにムカつくやつらだ。よお、大丈夫か? リズベット。その、悪かったなさっきはヤリマンだなんだ、ひどいこと言っちまって」

 

「ごめん……ごめんねクライン。私の為に……」

 

 ぽろぽろと大粒の涙を流すリズベットに、クラインは逆さまのまま答える。

 

「おいおい、泣くんじゃねえよ。こういうとき、男はかっこつけるもんだろうが。ま、ちっと無茶した感じではあるけどな。どうせならゲーム中は身体の痛みも完全カットしてくれればよかったのにな。あ、メディキュボイドとかじゃねえとだめか」

 

「うう……うえぇ……ごめん、ごめんね」

 

 嗚咽が収まらないリズベットに、クラインが陽気な声をあげる。

 

「なんだ、そんなに悪いと思ってんのか? そしたらな、今度飯でもおごってくれや。あ、ラーメンとかじゃねえぞ、ちゃんとしたやつ頼むからな」

 

「うん……うん……わかった。でも、クライン、それじゃ何おごればいいか、わかんないし」

 

「お、やっとちょっと笑ったな。お前は笑ってる方が似合うぜ。笑ってりゃいいんだよ、大丈夫だって。こういうときはいつだって絶対にお前の大好きなキリトくんが助けに来てくれるんだからよ」

 

「……ばか」

 

「ははは……は…………」

 

 その笑い声を最後に、彼は静かになる。

 リズベットは気を失ってしまったクラインを涙で滲んだ瞳で静かに見つめ続けた。

 そして、そっと目を瞑り祈るように念じる。

 心に描くのはあの漆黒の剣士。そして、次々に浮かぶ仲間たちの笑顔。

 

 

 お願い……お願い、キリト……

 

 

 私たちを助けて……




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戦士達の休息

 上位ポーションを飲み続けているというのに、両手が重い。

 ひたすら走り、ひたすら戦い、そしてひたすら進み続けている俺たちは、早くも疲労の限界に達していた。

 そんな動けなくなった俺たちがやっとたどり着いた階層……。

 ここは……。

 

『第66層シェヘラザード・主街区』

 

 今はアインクラッドも真夜中の設定になるのだろう。しかし、この階層はまばゆいきらめきが溢れていた。

 乾いた空気が運んでくるのは様々な香辛料の香り。そして夜だというのに煌々とテントや建物を照らすのは、たくさんのランプの輝き。

 そんな明かりの中を大勢のNPC達が忙しなく行き交っている。頭にターバンを巻いた商人や、ぎりぎりまで服を短く薄くした、露出の多い妖艶な踊り子たち。そう、ここはまるでアラビアンナイトの世界だ。

 

 夜中でも活気のあるこの階層(フロア)は、SAO攻略当時は夜の街として相当に人気があった。

 かくいう俺も、物見遊山で1度来たことがあるが……正直、ソロの俺が一人で来ても楽しくはなかったけどな。

 そんな街を眺めながら、隣に座る深紅の鎧のユージーン将軍がポツリと呟いた。

 

「随分と賑やかな街のようだな。このような時でなければ、酒宴でも開きたいところだが……」

 

「よい考えであるなぁ。それを機会に、サラマンダーとシルフの友宜を深めたいものだ」

 

「ちょっとちょっとサクヤちゃーん。ケットシーも仲間に入れてよぅ」

 

 軽くそう言い合っているのは、各族長たち。ここまで俺と同様に……いや、俺以上に疲弊しているはずだろうにも拘らず、こうやって明るく振る舞えるのは流石だと思う。

 

「それにしてもキリト君はつっよいねー。さっきのボスだって、あの二刀流のすっごいソードスキルで瞬殺だったし」

 

 そう笑顔で話すアリシャさんに、ユージーンも頷いて返した。

 

「そうだな。あの剣戟は凄まじかった。噂では聞いていたが、まさかあれほどのものだったとは……私の8連戟など、霞んでしまうよ」

 

「いえ、あれはそんなんじゃないです。もともと旧SAOのシステムに組み込まれていた技ですし、ユージーン将軍のように自分で編み出したわけではありませんから。それよりも、ここまでのボスの連戦と大量の補給を提供してくださったこと、本当にありがとうございました」

 

 俺はとにかく頭を下げた。

 俺の胸に沸き上がる感謝の念をなんとか形にしたかったから。

 今俺が手にしているこのポーションも湯水の様に使い続けている転移結晶も、そのほとんどはシルフ、ケットシー、サラマンダーの各部族から提供されたものだ。

 彼らがいなければ、俺はここにいない。

 強くそれを感じていた。

 

 

   ×   ×   ×

 

 

 

 今回の攻略……。

 これは当初から実現不可能だと多くの者が思っていた。

 かくいう俺も気持ちの面ではなんとかしたかったが、現実的には非常に困難だということを理解してしまっていた。

 理由は簡単だ。

 

 “時間が足りない”

 

 そう、圧倒的に攻略の時間が足りないのだ。

 通常階層の攻略は、主街区を含めた各街の存在するフィールドを突破し、迷宮区へ侵入後はマッピングをしながら最上部のボス部屋へ到達、それを撃破し翌層へと至るわけだが、普通はどんなに早くとも迷宮入り口までモンスターを倒しつつ進むのに1日から2日の時間を要する。そして迷宮内に関しては、ルートを探しつつトラップをかわし、最上部へ到達するのにやはり2日はかかるのだ。これが強力なフィールドボスの出現や複雑な仕掛けがあったりするとさらに数日の時間がかかり、そしてボスに関しては複数回相手の行動パターンを読むために時間を使い、そして満を持してレイド戦で撃破する……これが基本のパターンであった。

 当然だが、今回の24時間というリミットは短すぎ、こんな悠長な攻略をしてはいられなかった。

 仮にボス部屋までのすべてのルートが確保された上で、到達最優先で走って向かったとしても、各層ごとに約2時間はかかってしまう。

 59層を出発して75層のボスエリアまでの16層を突破し、15体の階層ボスを倒す必要のある今回、この最短時間でたどり着いたとしても厳しいのだ。

 

 ではどうするか。

 俺たちは何をしたのか。

 

 その答えは、やはりこの3人の族長たちがくれた。

 

 まず、今回このSAOアインクラッドの攻略をするにあたり重要な要素が見つかった。

 それは『レベル』。

 魔法あり、熟練度ありのALOと違って、SAOは魔法なし、ソードスキルあり、レベル制というかなり偏った設定のゲーム。ソードスキルに関してはALOにも導入された関係上、SAOと同等のダメージ補正が掛かるためモンスターにも有効ではあったのだが、問題は『耐久値』だった。

 今回の緒戦で明らかになったのは、この今いるアインクラッドのボスモンスターの攻撃をALOプレイヤーには一撃も耐えることが出来ないということ。

 なぜなら、彼らのレベルは全員『1』になってしまっていたのだ。

 現在、俺のレベルが『105』。アスナのレベルが『99』。これは、SAOクリア当時のレベルとほぼ同じ値。

 ALOのプレイヤーも熟練度という枠で各数値の上昇はあるのだが、それは彼らSAOプレイヤーのそれには全く追いついていなかった。言うなれば、SAOプレイヤーの身体レベルは超人の域であったのだ。

 この事実が判明したあとの族長達の行動は早かった。

 

 まず『後方支援部隊』として集められたプレイヤーに転移結晶や希少な回廊結晶を大量に購入させ、それを前線の俺たちに送り続ける。そしてボス撃破後、次階層に至ったところですぐさま妖精のみで構成された『先発部隊』に飛翔の上で迷宮区入り口へと向かわせる。

 このアインクラッドがどうやらあの茅場晶彦のつくったSAOのそれと近似であることから、対空戦闘、及び空戦能力を持ったモンスターが存在しないのではないかとの予測からだったが、これが的中した。

 60層からここまで、まだこの先発隊の戦闘は確認されていない。そして、入り口にたどり着いたその部隊はすぐに回廊結晶を用いてそこに座標を固定し本部のある主街区へ帰還。その後結晶を用いて、今度はSAOプレイヤーを含めた『迷宮突破部隊』に最短ルートでの迷宮踏破を行わせ、そしてボス部屋前で再び回廊結晶。そこに俺たち『ボス攻略部隊』が突入し、翌層へと進む。

 

 そう、こうやって俺たちは最短時間をさらに短縮して進んでいるのだ。

 この66層到達に所要した時間はわずか5時間。各層を1時間を切る猛烈な勢いで突破し続けていた。

 

 

   ×   ×   ×

 

 

「よしてくれ、キリト君。君たちのために何かしたいと思ったのは我々の方だ。こんなイレギュラーにあって、我々に出来ることなど高が知れているがな」

 

 そう話すサクヤさんに俺は顔をあげた。申し訳ない思いと、嬉しい思いがない交ぜになって胸を打つ。思わず、目頭が熱くなるのを感じて再び下を向いた。

 そこへサクヤさんが再び声をかけてきた。

 

「それに、このSAOの攻略は君たちの力あってのものだ。現にボス戦は君が一番奮闘しているし、迷宮探査にはユージーン将軍が連れてきた『彼女』の力が不可欠だしな」

 

 そう言われて将軍は腕を組んだまま答える。

 

「ああ、まさかあいつがSAOで『情報屋』なんてのをやってたとはな、俺も知らなかった。ここに付いてきてくれたことには本当に感謝してるよ」

 

「感謝する必要はナイ。オレっちは久々にキー坊に逢いたかっただけだシ。ユージーン、お前にはきっちりお金もらうシ」

 

 急に背後に近づいてきたのは、フードを深く被った小柄な少女。顔にはネズミの髭のような模様が描かれている。こいつとももう随分長い付き合いなんだなと思うと、感慨深いものもあるけど……。その隣には、オレの方を向いてにこりと微笑むアスナが立っていた。

 ユージーン将軍はそう言われ、慌てた様子で立ち上がって叫ぶ。

 

「お、おい、アルゴ、お前幼馴染から金とるのかよ。今キリトに逢いたかっただけって言ってたろ?」

 

「それはソレ。これはコレ。ニシシ。じゃあ、きっちり払って貰うよ、『100万』ダゾ」

 

「んなっ! ひゃ、100万だと! ったくしかたねえな、足元見やがって。おら、100万ユルド、先に払っとくぞ」

 

 と、コンソールからALSの通貨を100万選択したユージーン将軍がアルゴにそう言うと、

 

「何言ってンダ。ユルドじゃなくて、『円』に決まってるダロ。オレっちがいなかったらこんだけ詳細な敵モンスターとか、迷宮のルートとかの情報は手にならなかったんダゾ」

 

「「「円っ!?」」」

 

 コレにはさすがにその場の面々が驚愕した。

 いや、さすがに円はないだろ……と、俺も冷や汗をたらしていたら、なぜか族長たちがみんなで俺をジト目で見つめてくるし。

 いや、ないない、そんな大金持ってないから!

 目に力を入れて無言で必死にソレを訴えていたら、はあっとため息をついたサクヤさんが、

 

「仕方ないのぅ。人の命もかかっているし、今回は私が全額払っておこう」

 

「「「「「「「「マジでっ!?」」」」」」」」」

 

 さすがにこの発言には周りにいる全員が絶叫した。

 いや、えと、ほんと、マジですか?

 聞いてみたら、どうやらサクヤさん、会社をいくつも経営している実業家さんだって。

 ゲームで族長やりながら、リアルで社長業やってるとかすごい人って、本当にすごいんだな。これを会社の経費で落としちゃおうとか、発想の基準がすでに違いすぎる。

 アルゴの奴もホクホクした顔してるけど、最終的にはサクヤさんにリアルもバーチャルも良いように操られる未来しか俺には見えないのだけど……。あと、誰もつっこんでないけど、アルゴとユージーン将軍幼馴染ってどういうこと? 親子じゃないの?

 そんな風に思っていたら、肩をぽんぽんと優しく叩かれ、ハッと我に返ることが出来た。

 立っていたのは当然、笑顔の彼女。

 

「キリト君、売ってたよ」

 

「ありがとうアスナ。さすがにこの連戦だと剣も酷い状況だからな、助かるよ」

 

 隣に座ったアスナが俺にアイテムを譲渡してくれる。渡してくれたのは『応急修理キット』。

 これは武器の耐久値を若干回復してくれる。

 武器は通常『鍛冶スキル』を持ったプレイヤーやNPCに修理を頼むのだが、今はそんな時間はない。

 そこでこのキットを使うことにした。

 すでにフィールドボス2体と、階層ボス6体を倒している俺の剣はもうぼろぼろだ。

 このまま耐久値切れで破壊されるのだけはなんとか防がなくては。リズの有り難みを感じつつ、彼女の救助の決意を改めて固めた。

 

「絶対リズ達を助けようね」

 

「ああ、もとよりそのつもりだよ」

 

 二人で並んで剣の整備をしながらそう話す。そこにアリシャさんが割り込んできた。

 

「でも、この分なら余裕そうだよね。あの気持ち悪い声のやつ、今ごろ焦ってんじゃないのかな。まさか私たちがこんなに早く階層を突破してくるなんて思ってなかったんだろうし。さっさとクリアーして、あいつの顔を拝んでやっろーう! にははは!」

 

 明るくそう言ってくれたアリシャさんに、俺も笑って返した。苦笑いだったけど。

 

 俺には不安だったんだ。

 あいつが……『リヴェンジャー』が……俺達に、ただゲームをクリアさせることを目的としているとは到底思えなかった。

 あいつにとっては、この今の俺達の状況も規定路線だったのではないか……。この今の俺達の状況こそ、あいつが最も望んでいることなのではないだろうか……。もしそうだとするのなら、あいつの『本当の目的』とはいったいなんだ……。

 

「……リト君? キリト君?」

 

「ん? あ、ああ。アスナ?」

 

 不意に呼ばれて顔を上げれば、心配そうなアスナの顔。俺は彼女に笑いかけながら、剣の手入れを再開した。

 

「どうしたの? また怖い顔してたよ」

 

 そう言われて、思わず聞き返してしまった。

 

「アスナは奴のことをどう思う? あ……わ、悪い。聞かなかったことにしてくれ」

 

 慌てて取り繕ったがもう遅い。

 言ってしまった言葉はもう戻らない。

 アスナはあいつに殺されかけたんだ。それもほんの少し前に。

 今は高性能のVRマシンのおかげでこの世界に来れているが、実際の肉体は重傷なのだ。

 そして、そんな犯人のことを聞いてしまった自分の浅はかさに自己嫌悪に陥ってしまった。

 しかし彼女は少し悩んだ顔をしてから、普通に答える。

 

「いいよ、大丈夫だから。あ、えっと、実際は怪我をしてるから大丈夫じゃないんだけど、そうじゃなくて、なんて言えばいいのかな……」

 

 特に怯えた様子もなく俺を向きながらそう話す彼女の言葉に俺は驚愕した。

 

「もしあの人が、このゲームを始めたさっきの『声』の人と同じだとしたら……私を刺したあの時、私を殺す気はなかったんじゃないのかな……って」

 

「え?」

 

 その答えはあまりに予想外すぎた。

 突然にナイフで腹部を刺されたのだ。恐怖して当然のはず。しかし、彼女は続けた。

 

「キリト君も知ってるでしょ? 殺人者が人を殺すときの顔」

 

 言われて思い返されるのは、あのレッドプレイヤー集団『ラフィン・コフィン』の面々。あの殺人者たちを討伐したあの時、奴らは最後まで人を殺すことに執着し、そのためだけに刃物を振るっていた。そんな彼らに対して俺も剣を振るった。奴らを殺すために……二度と人殺しが出来ないように、息の根を止めるために。

 もう克服したと思っていたその時の恐怖が再びゾワリと湧き上がるのを感じながら、でもアスナの方を向いてコクリと一つ頷く。

 それを見て、アスナは言った。

 

「あの時……殺気を感じなかった……」

 

 真剣な瞳を俺に向けるアスナ。

 俺はそのアスナの感覚を無視できない。俺も彼女も何度も死線を潜り抜けた。そしてたどり着いた生と死の狭間の境地。その感覚はそこに居たモノにしかわからないものだ。だから、俺にもわかる。

 

「なら……あいつはいったい何のために……」

 

「それは……」

 

 アスナと見つめ合ってその答えを模索し始めたその時、転移門が輝き、そこから迷宮踏破を終えたシノンやリーファたちがその姿を現した。フラフラになって。

 

「キリト、ボス部屋目の前だよ。後は頼んだよ」

 

 はあっと息をついて崩れるようにしゃがみこんだシノンにそう言われ、俺とアスナは頷き合って立ち上がった。

 そして色々なポーションをシノンたちに渡してから、言った。

 

「ああ、まかせてくれ。みんな、次のボスは『ブラスト・ザ・ドラゴングレイブ』だ。奴の弱点は……」

 

 言いながら、ユージーン将軍や、サクヤさん、アリシャさん、同行している元青龍連合や血盟騎士団の数人、それと、クライン達を助けるべく来てくれた風林火山の5人を見渡す。

 みんな疲労はあるが、目に力を宿して俺のことを見てくれていた。

 今は、戦おう。考える前に。

 仲間と呼べるみんなと共に。

 きっと、その先に答えがある。

 

 ボスの説明を即座に終えた俺は一度アスナを見た。彼女も強く頷いてくれる。そして、俺は言った。

 

「行こう! そして勝つぞ!」

 

 おうっ……と、一斉に声が上がり俺達は手にした転移結晶を作動させた。 

 光が全員を包んでいく。

 次の戦いに神経を研ぎ澄ましつつ、俺はふっとよぎったアスナの言葉を口の中でつぶやいた。

 

「……殺気を感じなかった……か……」

 

 その意味するところを、俺達はまだ誰も気が付いていない。




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二つの黒い影

 薄暗いその巨大な空間には壁面に点在する篝火のような光源の他には何もなく、この部屋がいったいなんの為に存在しているのか、それを判別するための材料は皆無に等しかった。

 だがかつてSAO最前線で戦った者達ならば、あるいはすぐに分かったのかもしれない。 

 この場所がかつてないほどの強力なボスモンスターの巣であったことを……そしてこの空間での戦いで、あの地獄のデスゲームが終了したのだということを。

 

 今、この場には一人の人物が佇んでいた。

 その全身は真っ黒なローブに包まれ、深く被られたフードの為にどのような容姿なのか全く外観からは想像がつかない。 

 そんな『彼』は、ひとりそのフードに隠された深淵の暗闇の内から、頭上に展開された巨大なスクリーンに映し出される光景を見つめ続けていた。

 そこに映されているのは巨大な鎧を纏ったかのような第72層のボス、黒い巨人『ヘリオス・ジ・エクスキューショナー』。そしてそれと戦うたくさんのプレイヤー達の姿。その中には当然、『彼』が追う、黒の剣士の姿もあった。

 その手には漆黒に染まったレアドロップの片手剣『エリュシデータ』と、金色に光り輝く宝剣『エクスキャリバー』が握られている。

 彼はタンク(盾持ち)が攻撃を受けた間隙をついて、一気にヘリオス・ジ・エクスキューショナーの懐へ飛び込む。そして両手の剣を凄まじい速さで振るい、七色に輝くエフェクトを辺り一面に撒き散らせながら、ヘリオスの身体を切り刻んでいく。そして一気にレッドゾーン近くまで相手のHPを削り混んだ彼は、ソードスキル使用後の硬直に陥る寸前に両方の剣をクロスに構え、その姿勢のまま敵の一撃を受け流し、少し離れた地点に着地。そして代わりに飛び出していく白の装束の少女の後を追い、何もなかったかのように再び跳躍し、敵の死角から再び斬撃の嵐を叩き込んだ。

 『彼』はただ黙って黒の剣士の勇姿を見つめ続ける。

 時を止めたようにそこに立ち続ける『彼』は、まるで恋い焦がれる想い人のことを追うように彼の姿を追い求め続けていた。

 

 そのような静寂の中に、違和が混ざる。

 彼しかいなかったこの広い空間に、コツコツと足音が響いていた。

 それの音は次第と大きくなるも、『彼』はそちらへは視線を向けない。

 やがて、足音は『彼』のすぐ近くまできて急に途絶える。代わりに、男性の声が響いた。

 

「素晴らしい活躍だな。さすがはキリト君。SAOをクリアに導いた伝説の『黒の剣士』。彼なくして、やはりソードアート・オンラインを語ることはできないよな。なあ、あんたもそう思うだろ?」

 

 その男はフーデッドローブ姿の『彼』に向かって、そう語りかける。しかし、『彼』は視線をそちらへむけることはなかった。ただ、黙して頭上のスクリーンを見つめている。

 

 男はそんな様子を見ながら、肩をすくめてやれやれと首を振った

 男の容姿は非常に若かった。

 軽装の胸当てとガントレットを装備したその見た目は、ひょろりと背が高くてとても穏和そうな顔をしている。だがそんな見た目に反して、その瞳には残忍な光が宿っていた。

 男は『彼』に向かって言う。

 

「まあ、なんにしてもだ。ここまで『計画通り』に進んでいるのはすべてあんたのお陰だ。本当に感謝してるぜ、へへ。まさか本当にたった一日で、これだけのことを完成させちまうんだからな。あんたは天才だよ」

 

 にやけながらそう話す男に、やはり『彼』はなにも言わない。男もその様子を気にした風ではなく、そのまま続けた。

 

「俺たちはマジで感謝してるんだぜ。あの家で女を犯したとき、あんたが俺たちの侵入データを完全に消してくれたお陰で俺たちも警察から逃れることができたからな。いやあ、さすがにあのときはビビったぜ。なにしろあの女、俺たちに犯されながら自分の首をナイフで掻き切って自殺しちまいやがったしな。あれじゃ、あやうく殺人犯みたいになっちまうとこだったぜ、ははは」

 

 陽気に笑いながらそう話すその若い男。

 そんな彼に向かって、『彼』は初めてその視線を向けた。

 そして、言う。

 

『人質ニハニドトテヲ出すナ。アレハ奴をシトメルタメノダイジナエサダ。モシソレヲ守れナケレバ、キサマタチゼンインヲ、イマスグニコロス』

 

 漆黒のそのローブのうちから、全てを黒く塗りつぶすかのように吐き出されたその声に、男は一瞬たじろいだ。

 だがすぐに立ち直り、やはりさきほどと同じような軽薄な物言いで『彼』に話しかける。

 

「わ、わかってるって、もう何もするなって、『ササマル』達にも言ってある。男の方は死なねえように治療もしたし、女には指一本触れちゃいねえよ。ま、あの女はそこそこ良い身体してんだが、『商品』としては今ひとつだしな。別に『調教』したりなんかしやしねえよ。それよか、あんたの方だぜ。なんでよりによってあの『閃光のアスナ』を刺しちまうんだよ、もったいねえ。あの女こそ最高の『商品』だったってのによ。まずは俺が意識が飛ぶまで犯してやろうって楽しみにしてたってのに……」

 

 調子がのってきたのか、ペラペラと喋り続ける男に、『彼』は何も返事をせずに再び視線をスクリーンへと戻した。

 そこには『黒の剣士』と並んで凄まじい速さで剣を乱れ突く『白き閃光』の姿が。二人のその戦う姿からは煌めくエフェクトが立ち上ぼり、まるで芸術品の様に美しく見る者全てを魅了していくかのよう。そしてそんな二人のラッシュはたちまちのうちにバーサーク化したボスモンスターのHPゲージを削っていった。

 それを見つめながら、『彼』は言う。

 

『コレデ計画ノダイブブンハシュウリョウシタ。アトは『生け贄』ト『英雄』ヲウミダスダケダ。ワカッテイルダロウナ? 『ケイタ』……』

 

 その声に『ケイタ』と呼ばれた男はその顔に残忍な笑みを浮かべて答えた。

 

「ああ、あんたのおかげで、これから良い『商売』ができるんだ。いくらだって手伝ってやるぜ。それにしても『この顔』……くっくっ……まさか『あのガキ』に全ての責任をなすりつけようなんてな。あんたも相当な『悪』だよなあ、くひひ」

 

 卑しく笑いながら、ケイタは自分の顔を撫でる。

そしてくっくっと笑いながら、一度手をあげてから再び歩みさっていく。そして最後に一言、『彼』に宣言した。

 

「予定通り、74層で、やつらを皆殺しにしてやるよ。あんたはそこでよぅく見ておくんだな、俺たち『デリンジャー』の虐殺の仕方をな……ひひひ……。じゃあな」

 

 それを最後に、ケイタはエフェクトを残してその姿を消した。

 そして再び辺りに静寂が訪れる。

 

 『彼』の視線はスクリーンを向いたままで決して動かない。

 そして、その胸中に沸き上がってきていたのだろう、その言葉をポツリと口にした。

 それは誰にも聞こえないような微かな声で……

 

『…………………………後、少しの辛抱だ……』

 

 果たしてそれは誰に向けられた言葉なのか……。

 深い闇のフードの内の相貌は、ただただ巨人を討ち倒し、天上を見上げて肩で息を吐く『黒の剣士』を見つめていた。




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 『第74層カームデット主街区』

 

 ボスを討伐し、階層のアクティベートを完了した俺たちは足取りも重いまま、ずるずるとその身体を引きずるようにして、転移門前へと移動した。

 不眠の上、極度の緊張を強いられる戦いの連続に、すでに心身ともにぼろぼろになってしまっている俺たちは、もはや声を出す気力すらほとんど残っていなかった。

 俺は、フラフラと倒れそうになっているアスナを抱き支えながら転移門前広場の一角に腰を下ろす。そして、アイテムウインドウから上位ポーションを二つ選択し、そのうちの一つをアスナへと手渡した。

 

「ありがとう、キリトくん」

 

「どういたしまして」

 

 そう言って柔らかい笑顔を向けてくれる彼女に、俺も微笑んで応じた。自分だって等に限界を越えているだろうに、こうやって気遣ってくれる彼女の優しさが素直に嬉しい。

 ポーションの口を開け、ぐいっと飲んで喉を潤しつつHPの回復を計る。視覚の一部に映るHPゲージは、すでにfullを示しているものの、気力はまったく回復されることはない。しかし、これが気休めだと分かってはいても、今はこうやって休息をとる他はなかった。

 

「よし、みんな疲労は激しいと思うが、もうひと頑張りだ。この層を突破すれば、いよいよ、最終ボスの登場だ。あと少しだ。頑張ろう。では、攻略開始!先発隊、出立‼」

 

 そう声を張り上げているのはサクヤさん。

 彼女は背筋をピンと伸ばし、自分の配下のシルフ達を中核とした約20名の先発隊に合図を送る。

 疲労をまったく面に出してはいないが、彼女はここまでの全てのボス戦に参加の上、毎回MP限界まで超長文詠唱による極大魔法を行使し続け、何度も魔力ダウンで動けなくなっている。疲れていないわけがない。

 彼女の指示を受けた妖精達はサクヤさんに鼓舞されつつ、勢いよく飛び立っていく。

 この階層も地上には高レベルの戦士系統のモンスターが多数登場するのだが、弓や飛翔能力をもったモンスターはいなかったはず。彼ら先発隊にも特に危険はないだろう。

 順当にいって、15分くらいかな?

 俺は、彼らが迷宮入り口から帰還してくるまでの時間の目算をたて、その間に定時連絡を取ることにした。

 

 相手は当然この人、田口さん。

 

 このパーソナルセキュリティシステムは未だ田口さんとの一回線のみは生きており、俺は階層攻略ごとに連絡を行っていた。

 コンソールから呼び出しをかけると、すぐに彼が画面に現れた。

 

『やあ桐ケ谷くん、無事かい?』

 

「ええ、なんとか生きてますよ。今第74階層に到達しました」

 

『随分早いな……、開始から……19時間か……、そうか、でも流石だ』

 

 そう話す田口さんの声も暗い。

 約一時間ごとにこのように連絡をいれている関係上、彼も昨晩からずっと起きて対応に当たってくれているのだ、疲れていてもまったくおかしくはない。

 

「それで……、外の様子はどうですか?」

 

『あ……あ、ああ……、相変わらず情報封鎖されていてね、我々にもほとんど情報は入ってきていない。警察もまだ首謀者の所在に行き当たってはいないようだ』

 

「そう……ですか……」

 

 田口さんの言葉に俺はショックを隠せなかった。

 TOSCoという超巨大セキュリティ企業であれば、他のどんな組織よりも情報の収集ができるのではないかとの、甘い目算があったからだ。

 ひょっとしたら、すでに犯人の所在も掴めていて、さらにクラインとリズベットも解放されているのでは……、そんな淡い期待が確かにあった。

 だが、現実は甘くなかったというわけか……。

 

「引き続き、警察や総務省との連絡をお願いします。では……」

『待ちたまえ桐ケ谷くん』

 

 急に田口さんに呼び止められ、切ろうとしていた通信をそのままに、再び視線を画面へと戻した。そこには、少し驚いたような田口さんの顔。彼は素早く言った。

 

『あ、いや、すまない。君の部屋にある初期型の二つ(・・)のナーヴギアの内の一つを私に譲ってもらうという話、あれはやっぱり遠慮させてもらうよ……。いや、今話すことではなかったな、健闘を期待しているよ、では』

 

 言うだけ言って、田口さんは素早く通信を切ってしまう。

 呆気にとられながら消えてしまったその画面のあった空間に視線を固定したままになっていた俺に、アスナと、その肩に留まっていたユイの二人が覗き込むように顔を近づけてきた。

 

「どうしたの?今の田口さん?」

 

「なにかありましたか?パパ」

 

 言われて、今の内容がまだ咀嚼しきれていないままの頭で二人に答えた。

 

「えと、田口さんが外はまだ情報封鎖されていて、警察の捜査も進んでいないって……、いや、でも、なにか最後に変なことを言ってたんだよ。俺の部屋にナーヴギアが二つあったはずだとか、それはやっぱりいらないとかなんとかって……。田口さんには、俺はナーヴギアは一つしか持っていないことは伝えてあったはずなんだけどな……」

 

「どういうこと?」

 

 俺の返答にアスナも怪訝な顔に変わる。

 正直、俺もいったいなんのことかわからない。だが、あの田口さんが、なんの意味もなく俺に対して『嘘』の内容の発言をするとは思えない。しかも言わなくても良いようなあんな内容の話をわざわざ持ち出してまで。もしあの虚言を俺に吐かなければならなかったとしたなら……、そうだとしたら、さっきの発言にもきっと理由があるはず。

 もう一度通信してみるか?

 いや、急に切ったことも気になる。なぜ言うだけ言って通信を終了してしまったのか……

 くっそ、疲れすぎてて考えがうまくまとまらない……

 俺は頭を掻いてから、両手で頬を思いっきり叩いた。

 その音にビックリしたのか、ユイが急に俺から離れてアスナの背中に飛んで隠れた。

 

「急にやめてください、パパ。私が叩かれちゃうのかと思いました」

 

「ああ、ごめんごめんユイ。今はユイのこともちゃんと見えてるから、絶対叩いたりなんかしな……」

 

「もう……、本当に気を付けてよねキリトくん。レベル110の怪力で叩かれたら、ユイちゃんだってつぶれちゃうかもしれないんだから……って、あれ、どうしたのキリト君?」

 

「見える……」

 

「え?」

 

 俺は突然にあることを思い出した。田口さんがわざわざあのタイミングで俺にあんなことを言った理由……、それは、俺だからこそ分かる内容に違いなかった。

 

「そうか、見えるんだよ、きっと……、だが……そうだとしたなら……」

 

「え?え?なんのこと?」

 

 不思議そうに俺を見るアスナに俺は説明をしなかった。

 ただ、俺が閃いた予想が的中していた場合のことを思い、全身に悪寒が走る。

 今まで感じたことがないほどの恐怖に包まれながら、しかし、確認しなくては始まらないことを理解して、俺はユイへと顔を向けた。

 

「ユイ、外部とのネットワークの接続は試したんだよな」

 

「あ、はい、パパ。でも、全てのネットワークはシステムが干渉してログイン中のプレイヤーアカウント以外は通信を拒絶されてしまっています。今生きてる回線はパパ達のパーソナルセキュリティシステムくらいです」

 

「そうか……、なら、もう一度だけ試してみてくれ。繋ぐのは俺の部屋に取り付けたパーソナルセキュリティシステムだ。それと直接ではなく、システム経由で、旧SAO 当時の俺のナーヴギアのログインアカウントでたのむ」

 

「はい……」

 

 ユイはいつものように目を瞑り、システムへのアクセスを開始する。

 不思議そうに俺を見るアスナに、事情を説明しようとしたその時、ユイが大きな声を出した。

 

「あっ!見つけました!パパのパーソナルセキュリティシステムの回線生きてます。ここだけシステムからも切り離されていて、旧カーディナルシステムの管理者権限の領域に指定されてました。でも、いったいどうして……?」

 

 やっぱりか……

 驚いた顔のユイに俺はすぐさま続いて指示を出した。

 

「よし、そうしたら、すぐにその端末に俺のこのプレイヤーIDでつないでくれ。ユイがやった方が速い、頼む」

 

「分かりました、パパ」

 

 そのユイの言葉の直後、俺のコンソールに表示されているパーソナルセキュリティシステムのログイン先の名称が、『開発室』から『Kirito』に変更される。そして、次々にログイン用画面が表示されていく中で、俺は隣のアスナの手をぎゅうっと力強く握りしめた。

 

「モニター出ます。パパ」

 

 そのユイの言葉の直後、表示された画面には天井から映し出された誰もいない昨日ここを出たときとまったく変わった様子のない俺の部屋。当然だが、棚の上のナーヴギアはひとつだけだ。

 だが、今はそんなことはどうでもいい。

 

「ユイ、すぐにここにリーファ達やサクヤさん達を集めてくれ」

 

「はい、パパ」

 

 勢いよく飛び行くユイを見送りながら、俺は表示された画面を操作し、エギルへの回線を呼び出す。その作業をしている最中に、すぐとなりにいるアスナが大きな声をあげた。

 

「な、なにこれ……キリト君……、どうなってるの……」

 

「ああ……、これは予想していた以上の酷さだ……、くそっ」

 

 アスナが目で追っていたのは、外線用コンソールのすぐ隣。

 そこにはとある有名なWEB検索エンジンのショートカットキーがあり、そのキーにはとある『ピックアップニュース』の見出しが表示されていた。それを俺も当然見た。

 

 アスナが驚いている以上に、ある程度のことまでを予想していた俺はそれを遥かに越える状況の悪さのせいで、沸き上がるおぞましさに怖じけがこみあげてきてしまった。

 

 そこに書かれていたもの、それは……

 

 

 

ALO(アルヴヘイムオンライン)乗っ取りは嘘!?クリア目前国民熱狂‼生放送視聴率40%越え‼】

 

 

 

「そ、そんな……、これって、まさか私たちのこと……」

 

 手を口に当ててわなわなと震えだしたアスナのもう片方の手をしっかり握って、俺は沸々と沸き上がってくる怒りを感じつつも、それ以上に、とある予期していた想像が現実味を帯びてきてしまったせいで全身の血が一気に抜かれるような絶望に支配された。

 

「お兄ちゃん、どうしたの?」

「キリト、何かあった?」「キリトさん……」

 

 近づいてきたリーファ、シノン、シリカに視線を送りながら、俺は強烈な恐怖に晒され何も話せなくなる。

 周囲にはサクヤさんやアリシャさん達もいた。

 今にも気を失いそうになっていたそこへ、俺の表示していたモニターから、聞きなれた大男の声が伝わってきた。

そして、その声が俺たちに残酷な現実を突きつけることになった。

 

『おい、キリト、キリトなんだろ?はやく返事しろ』

 

「ああ、エギル……、俺だよ」

 

『そうか、良かった。まだ生きてたんだな。よし、またいつ切られるかわからねえし、観ていた(・・・・)感じお前らは何にも知らないようだから、全部教えておいてやる。いいか、今のお前らの攻略は全部LIVE中継されてる。最初こそテロ報道もあったが、途中から『特別イベント』ってことで報道されるようになった。運営はだんまりだがな。それで、ここからがヤバイ話なんだが、このLIVE中継の報道を一挙に手掛けているスポンサー企業がお前らが今居るはず(・・)の『TOSCo(トスコーポレーション)』だ。それからまだある。その『TOSCo』だが、最近CEOが代わったんだ。つい最近先代の創業社長が急死した。病死とされているがその筋の奴等に聞いてみたらどうも怪しいらしい。それで、その後釜に収まった息子なんだが、情報操作されまくりで確証は得られなかったが、どうやら俺達と同じ『SAO帰還者(サヴァイバー)』らしい上に、かなり素行が悪いって話しだ。それで、社長就任後すぐに設立させたのが『パーソナルセキュリティー開発部』で、そこのスタッフの殆どもSAO帰還者って話だ。だから心配になってお前の言ってた総務省の菊岡ってやつと一緒にTOSCo本社まで行ったんだが、中にはどうしても入れなかった。お前らは本当にそこにいるんだよな?どうした?返事くらいしろ?もしもーし‼」

 

 返事をしようにも声を出す気力がなかった。

 でも、一言だけ、俺はエギルに返した。

 

 

 

「ああ、全部聞いた」

 

 

 

 ポツリと呟いたその俺の背後で、そこにいる全員が恐怖に顔を歪ませていた。




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MMO STREAM 特別放送回

『はい!今日の【MMO-STREAM】は、先ほどに続いて、今、たった今大注目の超超超ちょーうゲリライベント、【SAO(ソードアート・オンライン)アインクラッド攻略特集】を進めていきたいと思いまーす。あの閉じられた世界でいったい何が起こっていたのか‼まさかそれを今こうしてLIVEで観ることができるなんて、くぅ~~~~‼もうっ、本当に堪りませんよね‼』

 

『ハイッ‼告知なしで急に始まってホントにビックリしちゃいましたけど、もう、胸がドッキドキです、胸がね‼エヘ』

 

『あ、もう、そうやって自分のアバターの可愛さアピールしないでくださいよぅ』

 

『えへへー、ごめんなさーい』

 

『ではではではー、お話を進めていきたいと思いますねー。命がけだったあの世紀の大事件、SAO事件をなーんとたったの24時間で、オリジナルのアインクラッドを攻略するという今回のイベント。しかもメインで攻略するのは当時の『攻略組』の面々の皆さんの上……、そしてそしてそしてぇえ、なんと噂に名高い『黒の剣士』キリトさんに『閃光』のアスナさんの超公式SAO公認カップルのお二人も参加されちゃってまーす。お二人はあのデスゲーム中に御結婚までされちゃったんですって!きゃーーー。キリトくんファンのみんな、アスナちゃんファンのみんな、間違いを犯さないようにね――‼全世界大注目のこのイベント。もう、観ない手はありませんよ』

 

『本当は第100層がゴールのアインクラッドでしたが、実際75層で攻略されたSAO事件を再現すべく、今回もゴールは75層に設定されているようです。そして、残す階層は今彼らの居る74層と、75層の2層のみ。もうゴールは目の前です。参加プレイヤーの皆さん、本当に疲れてらっしゃると思いますが、感動のフィナーレへ向けて、あとちょっと、頑張ってください!みんなで応援してますよ』

 

『いっえーーーーーーい』

 

『いえーーーーーーーい』

 

『はい、それでは、今日はこの緊急イベントにも関わらず、急きょ来て頂けたゲストの方をご紹介させていただきまーす』

 

『『SAOを語るならワイに語らせろヤ』で有名な、SAO帰還者(サヴァイバー)にして、MMO業界のご意見番、とんがり頭がチャームポイントのもやっとボール、『ナンデヤーキバオウ』さんでーーーす』

 

『パチパチパチ……、あ、すいません、たった今すっごい重要なコメントが入りましたので、先にそちらをご紹介しますね』

 

『なんでや‼』

 

『なんと、たった今、あの攻略真っ最中の黒の剣士『キリト』さんから、メッセージがこの【MMO STREAM】に届きましたーー!』

 

『きゃーーーーー、キリトくーーーん!』

 

『はい、ではご紹介しますね!『僕たちのことを応援してくださって本当にありがとうございます。急な開催で本当にびっくりしましたが、主催者の方にSAO事件を風化させたくないとのお話をいただき、僕たちも全力で攻略に望むことにしました。不眠不休でもうフラフラですが、最後まで頑張りますので、どうか応援よろしくお願いします』だってー!当然みんなで応援するするする!!』

 

『まさか、ご本人からメッセージもらえるなんて本当に感激‼これは応援に力がはいりますねぃ!むんっ』

 

『あ、っと、時間が押しちゃってるようですね、ですので次は現在のプレイヤーの人気投票順位の発表に移りたいと思いまーす。ということで、キバオウさんはその後でお話をお願いしますね』

 

『なんでや‼』

 

『では順位の表をごらんくださーい!現時点での人気は1位キリトくん、2位アスナさんで断トツですね。3位以下は表のとおりとなりまーす……』

 

 

   ×   ×   ×




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真実と現実

「そ、そんな……」

 

 口を押えて呻くようにへたり込むアスナ。

 エギルに見せられたその番組の内容に、アスナだけじゃない、俺達は完全に動けなくなった。

 そこに映っていたのは、いつもとなんら変わらない日常にある番組の姿。慌てる様子も、怯える様子もなく、ただ自然と放送されるその番組には、楽し気な司会の様子や、視聴者からの期待の込められたたくさんのコメントがあふれていた。

 ただ違うのは……

 その『出演者』が俺達であるということ……

 

 番組内で差し込まれる様々なプレイバックシーンは、どれも俺達の記憶に新しいものばかり。

 様々なボスモンスターとの薄氷を踏むようなギリギリのバトルのそれが、そこにあった。

 クラインとリズベットを救うべく戦っている俺達の姿は、当たり前のように一般の視聴者に……、いや、普通の誰もが見ることができていたのだ。

 でもそれは、地獄のデスゲームを戦う俺達のそれではなく、あくまで『娯楽』……、本気でゲームを楽しんでいるだけの姿として公開されているのだろう……、それを思い、俺は唇を激しく噛んだ。

 

『どのテレビ局も、新聞やWEB記事も似たようなもんだ。ゲーム内で死んでも生還できる今回のこのアインクラッド攻略はただのイベントとして扱われているんだ』

 

 そのエギルの言葉は、まさに的を得ているのだろうと思う。

 このゲームは……

 

 『遊び』にされてしまった。

 

「なんということだ……、なぜこんなことをわざわざ……」

 

「それは……、俺達を本気で戦わせるため……そのためだけに俺達を閉じ込めたんだ」

 

 悔しそうに顔を歪めたユージーン将軍のこぼした言葉に俺は即答で返した。

 これは否定しようのない事実だ。

 先ほどの放送の中で、書いたことも言ったこともない俺のコメントが堂々と流されていた。

 アレを聞いた全ての視聴者、いや、今こうして一緒に戦っているプレイヤーであっても、あれを真実と信じることだろう。俺がこのゲームの首謀者とかかわりがある……、いや、俺自身がこのゲームのシナリオを考えたと思われる可能性だって高い。現に、俺やリーファ達以外の連中の目には明らかに不審感が宿っているのが見て取れる。

 

「ここで負けを認めてゲームを終わらせたらどうなるのかなぁ?さすがにこんだけ注目されていいようにピエロにされているのは気分悪いんだけどぉ」

 

「いや、それはまずい。そうなれば、人質の二人になんらかの危害が加えられることは確かだと思う。実際にアスナさんは重傷を負ったのだ」

 

 アリシャさんの言葉にそうサクヤさんが返すも、当のサクヤさん自身もそれほど強くは言い返してはいない。

 やはりというか、この事態にあって、悩んでいるのだと思う。

 そんな募り始める不信感の中ではあったが、俺達にはもっと重要な危急を要する事案があった。

 それは先ほどから声もなくただ項垂れている、リーファ、シノン、シリカの3人を見れば明らかだ。

 

「みんな……、もう一つまずい事態が起こっているんだ、聞いてくれ」

 

「なんだ?とにかく言ってみてくれ」

 

 そのユージーン将軍の言葉を受けて、俺はその場にいる全員を見ながら話した。

 

「さっきのエギルの話が本当だとしたなら、いま、俺達の肉体は『敵』の手の内にある」

 

「ど、どういうことだ?」

 

 俺の言葉にビクリと反応した3人、そして、そんな俺達を見ながら聞いてくるのはサクヤさん。

 

「俺は……、アスナのように命を狙われていた俺達はこのデスゲームに挑戦するにあたって、ダイブするための一番安全な場所を選んだつもりだった。そして選んだのが、俺が今仕事をさせてもらっている、浜松町のTOSCo本社ビルの、パーソナルセキュリティー開発部だったんだ。だから、当然今の俺達全員の生身の身体は……、そこにある」

 

「え?」

 

 小さく声を漏らしたサクヤさんの顔には焦りの表情が見てとれる。

 リーファやシリカに関してはもはや震えが止まらなくなっていた。

 

「まだ確定されたわけではないけど、今回の事件にはあのレッドプレイヤー集団『デリンジャー』が関わっているらしい話は前にした通りだ。そして、もしエギルの話すところの、SAO帰還者(サヴァイバー)であるTOSCoの社長や開発部のスタッフたちの正体がデリンジャーだったとしたら……、今の俺達の命は奴らの手の内にあるってことになる」

 

 そこまで話した時、少しはなれたところに立っていた一人の元青龍連合のアタッカーが、大きな声を張り上げた。

 

「もうたくさんだ。お前の言うことを信じてここまで我慢してきたが、結局お前がこのゲームでポイントを稼ぎたかっただけなんじゃねえか?そのために俺たちを利用しようとしてそんな嘘八百を並べてるんだろう」

 

「ぽ、ポイント……?、お、おい、何を言ってるんだ……、そんなもの」

 

 その声が呼び水だった。

 きっとここまで耐えに耐え続けた憤懣がきっと誰の心にもあったのだ。一気にそれが飛び火して、あちこちから激しい声が湧き上がる。

 

「そうだ、お前のことだ。また俺達に言わないままに俺達を出し抜こうって魂胆なんだろ」

「ラストアタックボーナスと一緒だ。どんなせこい手を使ってんだか分からなかったが、お前はいつも自分で全部を持っていきやがる」

「最初っから、そのTOSCoとかって会社の奴らとツーカーだったんだろ?そうだよな、俺達を出しにして、こんだけの会社の宣伝してんだ。きっといい裏取引でもしたんだろ?」

「なんだ、就活だったのか?ふざけんな、そんなことに俺達を巻き込みやがって」

「くそ、やっぱりてめえは『ビーター』のままだったんじゃねえか、舐めんのもいい加減にしろ」

「どうせ、人質の話も全部でっちあげなんだろ?アスナが刺されたってのも嘘だろ?ぴんぴんしてんじゃねえか」

 

「そ、そんな……酷い」

「やめろ、ええい、やめんかお前達、見苦しい」

 

 一斉に噴出した不満の嵐に、やり玉の一つに挙げられたアスナが、口を手で覆って後ずさった。

 そして、そんな一堂に向かってやはりサクヤさんが声を張り上げる。

 

 が、彼女は、そっと俺の方を向いて冷静に言った。

 

「キリト……、みんなの意見にも一理ある。今のままではお前達を全て手放しに信じることはできない。それに、たとえ信じられたとしてもこの状態(コンディション)ではな……、」

 

 そう言いながら、サクヤさんもそっと目を閉じた。

 周りを見渡せば、そこにいるほとんどは武器を下ろして力なく項垂れている。

 ただでなくとも疲労の限界だったのだ。そこに至って、この現実を突きつけられ、正直俺だってもはや全てを放棄したい自暴自棄の思いに頭の中を支配され始めていた。

 

「キリト君」

「パパ……」

『キリト……』

 

 俺の背中にそっと手を置いてくれるアスナやユイ、それにモニターに映るエギルも声を失してしまっていた。

 でも……

 俺は、俺のことを不安げに見上げてくる、シノン、リーファ、シリカの顔を見た。

 みんな一様にその眼に力はない。当然だ。

 今、この瞬間も自分たちの身体は危険にさらされてしまっているのだ。羞恥や死の恐怖が全身を支配しているのは間違いなかった。 

 この今この身に感じているこの恐怖……

 当然俺も味わったことがあった。

 そう、あの帰ることのできないあのデスゲームの時に。

 

 俺は3人へと近づいた。そして言わなければならないことをまず言った。

 

「みんな……、俺の所為で本当にすまなかった。お前らを危険にさらしたのは全部俺の責任だ。ごめん」

「キリト……」「おにいちゃん」「キリトさん……」

 

 俺がもっと早くあの会社の内情に気が付いていれば……、いや、少なくともあの場所でのダイブさえ考えなければここまで最悪の状況になってはいなかったのではないか……、そんな後悔が確かに俺の中にあった。

 でも、だからといって、諦めていいわけがない。何が何でも絶対にみんなを守って見せる。それが……、それこそが、俺が『彼ら』に……、『彼女』に誓ったことなのだから。

 

 たとえ、この俺の身に変えてでも……

 

「みんな、絶対に俺がお前らを守る。守って見せる。だから、安心していてくれ」

 

 そう言い切った俺を3人が見る。

 しばらくぼーっと俺を見つめていた3人が、ふっと、同時に微笑んだ。

 

「な、なんだよ、なんで笑ってんだよ」

 

 訳が分からない俺に、みんなが言う

 

「相変わらず臭いセリフをいうんだね、キリトは」「もう、いつまでもそんな中二くさいセリフ吐かないでくれるかな」「でもキリトさんらしいですよね、恥ずかしいセリフって」

 

 そんな失礼なことを次々に言われ、なんというか、だんだん自信がなくなってきた。

 

「なあ、アスナ……、俺そんなに恥ずかしいセリフ言ってるか?」

「ま、まあ、結構……、多いかな。私は……、そんなに嫌いじゃないけど」

 

 と、ちょっとそっぽを向いて赤い顔して答えてるし。

 どうやら、俺の発言は普段から相当恥ずかしいらしい。うーむ。

 そんなやり取りのあと、俺はいったんアスナと会話して、彼女の承諾を得てから、サクヤさんや、他の仲間たちのそばへと近寄った。

 そして、二人で決断したことを話す。

 

「ここからは俺達だけで行くよ。色々あって今はこんなになっちゃったけど、ここまで一緒に戦ってくれて本当に……、本当にありがとう」

 

 言って二人で頭を下げた。誰一人としてこの行為に対しての言葉はない。だが、それでいい。

 ここまで戦ってくれたのは何も俺達が強制したからではない。みんな自分からここまでの戦いに参加してくれていたのだ。もはや、精神的なお返しだけで済むような話ではない。たとえ今仲違いしてしまっているとしても、この恩は一生をかけて返していくと俺たちは心に誓っていた。

 顔を上げると、アリシャさんとユージーン将軍、それとサクヤさん、それに、ユリエールさんたちや、風林火山の人たちとか、一部の人たちだけが集まってきてくれていた。

 彼らだって思うところはあるだろう。それでもその想いに俺の胸も熱くなっていた。

 

 そんな俺にモニターの中のエギルの声が響く。

 

『いいかキリト……、今お前と話せたのは僥倖だった。奴らはどうもこのゲームをきちんとしたドラマの様に仕立てたい思いがあるようだが、裏ではクラインとリズベットの二人の命を握ったままでいる。普通に考えれば、このままお前たちが順当にクリアしてしまうと、その後に種明かしがされた時に話しに齟齬が起きることになる。これだけの規模のプロモーションを成功させたのに、実は裏で人を誘拐してましたなんて話を表に出すわけがないからな。このままじゃ絶対に終わらねえぞ、キリト。重要なのは奴らがどの時点でこの攻略の方針転換を入れてくるかだ。気をつけろよ』

 

「ああ、わかってる、エギル」

 

 俺はそう答えた後に、TOSCo本社にいるはずの俺達の現実の身体の救出の件を改めて頼んだ。きっとエギルや菊岡さんがなんとかしてくれると、今は信じるほかはない。

 

「キリト君……、私、なんか怖いよ」

 

 そうこぼしたアスナの頭をポンポンと叩いた。

 

「ああ、俺もとっても怖いよ。でも、今は進もう」

 

 振り返れば、銃を構えたシノンと、リーファとシリカの3人も立って俺達に並んでいた。今は進む。それだけだ。たとえ俺達がどんな見世物になってたとしても、きっとこの戦いの勝利への道が何処かにあるはずだ。諦めたら終わり……、だけど、諦めなければ必ず、道は開くはず。

 

 そして、進みだそうとした俺にふっと、サクヤさんの声が聞こえてきた。

 

「そう言えば、先ほど出た先発隊の帰還が遅いのう……、かれこれ20分は経っておるが……」

 

「え?」

 

 その言葉に背中に嫌な汗が流れる。

 まさか……と思う。

 ひょっとしたら、奴らの動き出すタイミングが来てしまったのではないかと……。

 そんな思いを抱いてしまった俺達は、同時にダンジョンの方角へと顔を向けた。

 彼らに何かあったのではないかと、気になったからというだけのことであったが、そっちへ顔を向けて、一様に絶句することになった。

 

 

「……あ……、う……、うぁ……」

「……、た、……、た、たすけ……て……」

「……ぁぁ……ぁぁぁ……」

「…………や……やめ……て……」

 

 

「あ、あれは……」

 

 俺達が見た方向……、そこには4つの人影があった。

 当然NPCではない。なぜなら、あれほど異様な様子のNPCを俺は見たことが無かったからだ。

 その4つの人影は、手に手にあるものを持って、横一列に並んでこちらへと歩み寄ってきていた。

 そして、そんな彼らが手に持っているもの……、それは長尺の『槍』。

 だが、それはただの槍ではなかった。

 彼らが片手で持ち、穂先を直上へと掲げたその先には、何か大きな物が刺し貫かれた状態になっていたのだ。その大きなものは、声を出していた。そう、うめき声を。

 

 そこに刺さっていたのは、まぎれもなく先ほど飛び立った先発隊のプレイヤー達だった。

 身体中に傷を負い、一部を欠損し、槍に刺し貫かれてはいるが、まだ死んではいない。しかし、おかしい。ここは街の中、『圏内』のはず。

 そんな俺の疑問はお構いなしに、彼らを軽々と持ち上げたままのその4人は、俺達のすぐそばまでくるとその槍をぶうんっと振って、刺さっていたプレイヤーを地面へと叩きつけた。

 

「がっ……うあっ……」

「だ、大丈夫か……、あ……」

 

 慌てて駆け寄って治療しようとした俺のすぐ眼前で、光の粒子を煌めかせながらそのプレイヤーは消滅してしまう。

 地面に叩きつけられた衝撃でライフがゼロになってしまったということか。俺は唇を噛んで顔をあげる。

 そんな中、奴らの中の一人がその口角を引き上げて愉快そうに笑いながら話した。

 

「ハハハ……、お前らなんで迎えに来てやらねえんだよ、かわいそうじゃねえか。おかげで退屈しのぎに思わず全員拷問しちまったじゃねえか、へへへ」

 

 4人ともが卑しそうな顔をして俺達を見ていた。

 俺は込み上げてくる激情を必死に抑えながら奴らを睨んだ。 

 許せない。こいつ等だけは絶対に。

 

 俺達の前に立っていたそのプレイヤー達。

 

 彼らは全員『月夜の黒猫団』のメンバーの姿だった。




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デリンジャー

 俺達の正面には4人の男が立っている。

 そして、その姿……、

 端に立っている背の高い細めの男は『テツオ』、その隣の特徴的な天頂の尖った帽子を被っているのは『ササマル』、そして、反対の端で無表情にこちらを見つめているのはニット帽を被った『ダッカー』、それから、全員の中央に立つ、紫のウェアに薄い金属製の胸当てを装備した男は……

 

 間違いなく、『ケイタ』だった。

 

 連中はニヤニヤと笑いながらこちらを見ている。俺の周囲の連中も突然現れて仲間を惨殺したこの4人を声もなく見つめていた。俺は食いしばった口を無理矢理開いて言った。

 

「お前ら……、なんのつもりなんだよ……」

 

 その俺の問いに、目の前の『ケイタ』が不思議そうな視線を向けてきて、そしてポンと手を一度叩くとその口を開いた。

 

「おお、お前が黒の剣士のキリト君かぁ。あはは、やっぱりただのガキだったな。なんだよ、俺に文句でもあんのかよ、ああ?あははは」

 

 俺の正面に立つその男は、その顔を歪ませて俺を見下すように笑う。俺は奥歯が砕けるほど噛み締め、奴をにらんだ。俺にはこいつが心のそこから許せない。

 

「『ケイタ』の口で語ってんじゃねえよ」

 

「え?キリト君、じゃ、じゃあこの人達って……」

 

 そう呟くアスナに、やつらのうちの一人……、『テツオ』の姿をした奴が、急に近づいてその手を掴んだ。

 

「ヒッ……」

 

「うへへ……、あ、あ、あ、アスナさんだぁ。お、俺ずっとあんたのファンだったんだぁ……、柔らかい手、柔らかい手だぁ……ひひひひひひひ……」

 

「やめろっ」

 

 慌てて奴を引き剥がそうと手を伸ばした俺の腕を、やはり急に脇から現れた『ササマル』がぎゅうっと掴んでネジあげている。

 

「おっと、動くんじゃねえよ『黒の剣士』。てめえの『出番』はまだなんだよ。そこで大人しく待ってろ。それと、『テツオ』、お前もだ。アスナは『ケイタ』さんが最初だって言っただろ?」

 

「そんなぁ……、たまには俺だって最初がいいぜぇ、なあ、『ササマル』さん。なら、あの辺の女どもならいいか?なあ、なあ?」

 

 そう言いながら『テツオ』は、リーファやシノンたちを見る。『ササマル』はやれやれと首を振ってから、

 

「好きにしろ、だが、その前に『生け贄』だろ」

 

「そうだった、そうだった、生け贄生け贄、ひひひひひひ……、さっさとヤって、さっさとヤろうぜ、ひひひっひひひひひ」

 

「お、お前ら、いったい何をする気なんだ?」

 

「ふんっ、お前に言う必要はないな。だまって見てろ」

 

 『ササマル』はそれだけ言うと、俺の腕をぐいっとひっぱる。

 そのあまりの膂力にまったく抵抗できず、一瞬で俺は後ろ手に締め上げられ、そのまま拘束錠で固定されてしまった。

 

「くそっ……、何しやがった」

 

「お前はこれを全部見届ける『観客(ギャラリー)』だと決まっている。まあ、そこで楽しんでいるんだな」

 

「なんだと!?」

 

 『ササマル』はそれだけ言うとさっさと俺に背中を見せて歩み去る。

 あまりの手際の良さに、リーファやシノンだけでなく、サクヤさんやユージーン将軍たちでさえ、一歩も動くことが出来なかった。いや、それだけではない。

 さきほど俺に文句を言った多くの連中の誰一人さえも、蛇に睨まれたカエルの様に全く動けなかった。

 俺は咄嗟にさけんだ。

 

「み、みんな!逃げろ、逃げるんだ」

 

 俺はとにかく叫んだ。

 どうしようもない現実に今はそれしか言えない。

 こいつらは普通じゃない。

 俺のレベルは今110だ。少なくともこの中の誰よりも身体レベルは高い。にも関わらず、こいつらの挙動にまったく反応出来なかったばかりか、簡単に素手で取り押さえられてしまった。

 そして、これから始めるであろう、奴らの行為を思い、恐怖した。

 だから、叫んだ。

 

 しかし……

 

「くっくくくくく……」「へへへ……」「いひひ………」

 

 奴らはその顔をひくつかせながら卑しい笑いを浮かべている。

 そして、暫くしてから、コホンと自分で咳ばらいをしてから、中央に立ってた『ケイタ』が話始めた。

 

「えー、プレイヤーの皆さん?お疲れ様です。私は、言ってしまえばこのゲームの『主催者』です。どうぞお見知りおきを」

 

 ゆっくりと頭を下げてお辞儀をする『ケイタ』。その姿にやはり誰も言葉が出なかった。

 『ケイタ』は続ける。

 

「えー、実はですね。ここまで頑張ってプレイしていただいたみなさんには大変申し訳ないのですが、このゲーム、ここからが非常に重要な場面ということになりましてね、ひとつ演出がどうしても必要なんですよ、はい。ということで、皆さんにはここで『全滅』していただきます。いえ、でもご心配なさらずに、このゲームはSAOではありませんのでね、皆さんは死んでも目が覚めるだけ。ですので、一つ、これから死んでください、はい」

 

 にこやかにそう話した『ケイタ』。

 貼りつけたようなその笑顔を見ながら、サクヤさんが声を出した。

 

「『全滅』というからには、ただ『自殺』しただけではだめということか?」

 

 その問いに、ケイタはパチパチと拍手をして応える。

 

「ブラヴォォ!流石はサクヤ様、そうです!自殺ではだめなんです。皆さんには、なるべく壮絶に、そしてなるべく残酷に死んでいただきたいのです、そう、全部この『作品』の演出の為にね‼」

 

 両手を広げてそう奴が叫んだ瞬間、湧き上がる様にその場の面々が吠えた。

 

「何が演出だ、ふざけんなてめえ」

「なんでそんなことに協力しねえといけねえんだ」

「そんなもんどうでもいいから、いい加減俺達を帰せ」

「人質も演出ってんなら、ここにすぐにクラインの奴を出しやがれ、オラ」

「さっさとしねえとてめえをぶち殺すぞ」

 

 物騒な声が上がり続ける中、ついにその声が出てしまった。

 

「てめえがTOSCoのCEOだってことはもうわかってんだよ」

 

 やばい……、と思った時にはもう遅かった。

 にこやかに笑っていた『ケイタ』の顔からは一瞬にして笑顔が消え、代わりに暗く陰鬱なそれが浮かび上がっていた。

 俺は慌てて飛び出そうとするも両手を拘束されていてうまく走れない。

 一瞬『テツオ』に掴まれたままのアスナの絶望に染まった瞳と目が合い、そして近寄ろうと身体の向きを変えた瞬間、冷たい凍るような『ケイタ』の声があたりに響いた。

 

 

「あー、めっちゃ面倒くさくなった。もういいや。全員殺す」

 

 

 その言葉を吐いた瞬間、再び辺りが静まり返った。

 そして、『ケイタ』のそばに『ササマル』が走り寄って言う。

 

「いやそれはまずいですよ『ケイタ』さん。流石に問題がデカくなりすぎますって」

 

「いや、だってお前、こいつらもう全部知ってるみたいだぞ。おっと、ああそうか、『あいつ』か……。あの野郎一昨日からなにかこそこそやってやがったからな。くそ、裏切りやがったってことかよ。おい、『ダッカー』。いますぐ行って、あいつをぶっ殺してこい。いいな、ぁくしろよ」

 

 こくりと頷いた『ダッカー』がそのまま姿を消す。

 そして、その様子を見ていた『ケイタ』がおもむろに自分の正面になにかの画面を広げてそれを操作し始めた。

 そんな中、俺の耳元に声が。

 

「……パパ、パパ。大丈夫ですか?今、この錠を外しますね」

 

「ユイ……」

 

 ユイは俺の背後に周って、さっき嵌められた拘束具の解除を始める。しかし……

 

「だ、ダメですパパ。このロック私では外せません」

 

「なんだぁ?このちんまいのはぁ?」

 

「ああ……」

 

 アスナの手を掴んだままの『テツオ』が俺に近づき、背中のユイをつまみ上げる。そして、

 

「へえ、プライベートピクシーってやつか、どれ、こんど可愛がってやるぜ、いひひ」

 

 言って、何かの石をユイの頭へと近づける。

 

「や、やめてください……、たすけて!ああ……」

「やめろぉ」「お願い、やめて」

 

「煩いなお前ら。黙って見てろ」

 

 俺とアスナが叫ぶのに文句を言いつつ、光となったユイが奴のその石に吸い込まれるように消えていってしまった。

 

「ユイ……」「ユイちゃん……うう……」

 

「こいつは俺のペットにしてやるぜ、なんだ?文句あんのか?」

 

「てめえええ……、殺す、絶対にぶっ殺す」

 

「おお、こええ、こええ。殺されちゃうー。にゃはは、てめえには後でもっといいもんを見せてやるぜ、いひひ」

 

「ひ……」

 

「この野郎‼」

 

 言いながら、『テツオ』はアスナの手の甲をべろりと舐めた。そして、俺を煽る様に見つめてくる。

 手錠はまったく外れない。ガチャガチャとそれを繰り返しているところで、いきなり『ケイタ』の大きな声が聞こえた。

 

「よーし、でーきた。くはは、お前らにいい事教えてやるぜ。たった今、俺がお前らの設定を弄って、ここで死んだら、現実世界でも死ぬか廃人になるようにしておいたからな」

 

「なに?」

 

 一同にざわめきが走る。

 一様に不安そうな顔をしながら、でも『ケイタ』の言葉を必死に否定し始めた。

 

「いや、そんなわけない。アミュスフィアは安全なはずだ」

「まだ、一度だって事故は起きてないし」

「まさか、そんなこと……」

 

 ザワザワと囁き合うような声が広がる中、完全に態度を変えた『ケイタ』が声を張り上げた。

 

「お前ら、さっきまでは『客』だと思ってたから優しくしてやってたってのに、俺達の秘密まで知ってるってんなら話は別だ。当然全員殺すに決まってんだろ。そうだ、この際だから、全部種明かししてやるよ」

 

 そう大声を張り上げる『ケイタ』は一歩一歩プレイヤー達に近づいていった。そして語りだす。

 それを見て、『ササマル』が額に手を当ててやれやれと首を振っていた。

 

「俺の本業はTOSCoのCEOに間違いはないぜ。なにせこの前、煩い俺の親父をこの手でぶっ殺したからな。おかげで社長の座が空いたからその場に収まったってわけだ。へへ。さて、そうは言ってもな、俺も社長だから実績をつくらなきゃならねえ。つまり金を稼ぐってことだ。この世の中で、一番手っ取り早く金を稼ぐ方法が何か知ってるか?ん?それはな、『女』だ。『女』を売れば、喜んで金を出す奴らはいくらでもいる。俺はあのSAOの中でもそうやって稼いできたんだからな。くはは……。だからな、俺はその商品である女をより効率よく販売するために、新しい装置を作らせた。VRワールドに居ながら、現実の世界とも通信が出来る機器。それを使うことで、安全にVRの中でも女を犯しながら、現実の昏睡状態のその女も犯せるって、同時に二度おいしいという機能なわけだ。女も、まさに身も心も同時に犯されるから相当乱れるしなぁ。当然セキュリティーは有料会員向けに解除可能の上、証拠はまっったく残さない安全設計だ。だけどな、その装置を普及させるにはもう一仕掛け必要だった。『より安全にVRを楽しもう』、くくく……って見出しで売り出すことにしたのはいいが、今はそこまでVRが流行ってはいなかったわけだ。だから、SAOなんだよ」

 

 一気にそこまで話した『ケイタ』が一際大きな声で叫んだ。

 

「SAOは最高の舞台だ。4000人もの人間が死んだってのに、その内情は秘匿されて、帰還者の俺達だってなかなか全貌はつかめない。だから、この舞台を用意してもらった(・・・・・・・・)ってわけだ。この世界の攻略を間近で見れるとなれば、誰もが興奮して、熱狂して、またこの世界を体感したいと思うだろう。そこへ、この装置ってわけだ。セキュリティーがしっかりしてるってことになれば、頭の弱い利用者の数はウナギ上りだからな。これを売るだけでも相当に儲かる。そうそう、これだけ聞けば、いずれは事件が発覚して俺達が捕まるって思うやつもいるだろうが、それもクリアしてるんだ。それが、このアミュスフィアの出力変換操作だ。もともと出力の弱いアミュスフィアでも、一点集中放射さえすれば虫眼鏡で集めた太陽光のように素晴らしい威力を発揮できる。今、お前らには、延髄に危機的な電磁パルスを当てる設定にしてるから、良くて植物人間、悪くて呼吸困難からの死亡ってことになるんだが、これを大脳新皮質辺りに当ててやれば、一時的な記憶障害を起こせるんだよ。つまり、自分が犯されたってことも良く思い出せなくなるわけだ。さあ、どうだ?まさに完璧だろう、俺の商売は。だから、まあ、さっさとお前らを皆殺しにして、そのあとはアスナとかキリトの仲間の女たちとかを犯して楽しむことにしてんだよ。さあて、じゃあ、そういうことだから、とりあえず全員死んでもらおうか」

 

 そう笑う『ケイタ』の両隣りに、『ササマル』と『テツオ』の二人が立つ。

 そして、その二人の身体が激しく輝いた。

 

 見れば、みるみるその身体が膨れ上がり、そこに炎を全身に纏った赤の巨人と氷で全身を覆われた青の巨人の二体が立っていた。

 そして『ケイタ』が言う。

 

「お前らは突如現れたこの『ファイアジャイアント』と『フロストジャイアント』の2体になすすべもなく蹂躙されて全員死亡するって、設定の『演技』をしてもらう。おっと、本当に死ぬから演技は必要ないか。あ、それと、ここは今『圏内』の設定解除してあるからな。普通に死んじゃうから。あはははは」

 

「狂ってる……」

 

 ポツリとそうこぼしたのはサクヤさん。

 表情を引きつらせながら、そう呟き、奴を睨みつけた。

 

 そんなサクヤさんに向かって、『ケイタ』がツカツカと歩みよる。そして近づきながら言った。

 

「そんな言い方は嫌だなあ、サクヤさん。俺はこれでもあなたのこと結構好きなんですよ。全部会社の為にやってるだけなのに、傷つくなあ。あ、そうか、俺がこんなしょぼい奴の顔してるから、そんなこと言ったんですね?くく……、だーいじょうぶ、俺もずっとこの顔じゃないですからね。次はこんな顔にしますし」

 

 そう言った直後、奴の姿は一瞬で変化した。

 それを見て、その場の全員が凍り付く。それは俺も同様だった。なぜなら……

 

「どうです?サクヤさん。そっくりでしょう?『キリト君』に」

 

 そう、奴は完全に俺と同じ姿になっていた。

 黒のボディスーツに、背中に装備しているのは、『エリュシデータ』と『エクスキャリバー』の2本の剣。

 そんな奴は、動けないでいるサクヤさんの胸にそっと手を伸ばして、言った。

 

「それと、もうひとつ教えてあげますよ。俺の『異名』の理由をね……、それはね」

 

 

 

 パンッ‼

 

 

 

 突然乾いた音が辺りに響いた。

 何が起きたのか全く分からなかった。

 急変するあまりの事態にどこに目を向けていいのか分からない。ただ、そんな俺達の目の前で、ゆっくりと後ろに背中から倒れていくサクヤさんの姿が目に入り、そして、そんな彼女の胸から激しいダメージエフェクトの輝きが迸るのが見えた。

 腕を伸ばしたままの『俺』の姿をしている奴が、サクヤさんにむかって語り掛けるように話した。

 

「知ってます?リンカーン大統領?彼が殺された時に使われた『銃』って、小さいものだったんだって。で、その時の銃の名前が『デリンジャー』。ふふふ、あのSAOで弱っちかったこの俺が女を犯しまくって、女を売って商売できたのも、ぜーんぶこの『ユニークスキル』のおかげだったんだよね。この『銃』のスキルのね」

 

 そう言った奴の手には小さな拳銃が握られていて、その銃口から煙のようなエフェクトが立ち上り続けていた。

 

 それをふうっと息で吹き消しながら、奴は倒れて瞳に涙を湛えて震えているサクヤさんに向かって言った。

 

「ばいばいサクヤさん。いい夢を」

 

 頭が真っ白になって、何かを叫びつつ彼女の身体に走り寄ろうとしていたこの俺の目の前で……

 

 

 

 彼女は光となって、消滅した。




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アスナの覚悟

「キリト君っ‼」

 

 消えて行くサクヤさんを前に、崩れるように前のめりに倒れ込んでいくキリト君に、自由になっていた私は駆け寄った。

 震える彼の顔、怯えた瞳、そして、彼の懇願するような絶叫に、私の胸は張り裂ける。

 彼が目にした光景……、それは、決して仲間を見捨てたくないと誓った彼の心を、ズタズタに引き裂くものだと分かったから。

 抱きかかえた彼の全身は震え、顔面蒼白になってしまっている。

 今すぐにも助けてあげたい、でも……。

 私は彼を抱きながら、顔を上げた。

 

 目の前には、手に小型の拳銃を構えたキリト君の姿をした男……、『デリンジャー』が顔を醜悪に歪めて笑っている。

 そして、その向こうには、身長10mくらいはありそうな赤と青の2体の巨人……、これは、確か『デリンジャー』の仲間の『ササマル』と『テツオ』と言う名前だったはずだけど、彼らが姿を変えたもの。

 プレイヤーがあんなボスモンスターの様に変身してしまうなんて、そんなの聞いたことない。

 それに、さっき言っていたアミュスフィアのパルスの件……、あれもとても嘘だとは思えない。確信があるからこそ、あんなにはっきりと宣言したはずだし。

 そうだとしたら、今この場にいるほとんどすべての人は、LIFEゼロ、イコール『死』という、SAOと同じ状況になってしまっているということに……。なら、サクヤさんは……

 

「くっ……」

 

 自分の内から湧き上がるとある感情に全身が支配されていくのを感じる。

 それは『怒り』。

 さっきあの『テツオ』という人に腕を掴まれたときに感じたのは激しい嫌悪感と、どうしようもない絶望感の二つだけだった。この人達には勝てない。圧倒的な怪力で押さえつけられ、直観でそれを感じてしまっていたのだ。

 

 けれど……。

 

「ユイちゃん……、キリト君……」

 

 目の前で大切な人たちが傷つけられていく。私のことをどう言われたって、どんな風に見られたってそんなのは構わない、どうでもいい。でも……

 大切な人たちの尊厳が(けが)されていくのだけは、絶対に耐えられない。

 一度キリト君を縛り付けている拘束具に目を向けるも、腕の部分を完全に後ろ手で固定されてしまっていて手を抜こうにもそれは難しそうに見えた。そして、接触したその時に出たアラート、それは、【immortal Object(破壊不能オブジェクト)】の表示。これはSAO当時に犯罪者収監用に使われていたアイテムと同じものだと思う。となれば、これは通常設置者にしか外すことは、出来ない。もしくは『GM(ゲームマスター)』か……。

 今すぐに、彼を救い出すことはできないことは分かった。

 そして、このまま彼らの好きにさせれば、少なくとも私たちはこの絶望感を抱いたままで、苦しんで死んでいくことになってしまう。

 

 切り替えて……

 切り替えるんだ……、私……

 ここは、あの世界だ。

 あの恐ろしい、死の恐怖にひたすら怯え続け、そして、生き残るためにもがき続けた場所なんだ。

 

 このままじゃ、終われない……

 

 終わっていいはずがない‼

 

 私は……

 

 『閃光のアスナ』だ!

 

 沸き上がる怒りに自身を奮い立たせ、私は震えるキリト君を担ぎ上げ、そのまま一気にユージーン将軍の元に走った。ここに来てからの連戦でさらにレベルアップした私の身体は、かつてないほどに素早く動くことが出来る。

 一瞬で移動した私を追う卑しい彼らの視線を確かに背後に感じたけど、今はそんなことには構っていられない。なんとしても、この状況で、みんなで『生き残らなければ』‼

 

「ユージーン、お願い、聞いて。このままじゃ、みんな殺されてしまう。一旦下がってすぐに態勢を整えて。良い?やることはレイドボスと同じ。敵は3体。一体ずつ戦力を集中させてタンク(盾持ち)アタッカー()のスイッチと、魔法の両面攻撃からの各個撃破」

 

「し、しかし……、さ、サクヤが……」

 

 目の前で起きてしまった事態にやはり彼も同様してしまっている。でも、そんな悠長なことは言っていられない。

 私は彼の頬を平手で叩いた。そして言う。

 

「サクヤさんのことは忘れて!あなたの力が必要なの!みんなを纏めて!私は……時間を稼ぐ!」

 

 ユージーン将軍に預けたキリト君と目が合った。そして、大きく目を見開いた彼が私に言う。

 

「やめろ……、やめるんだ、アスナ。行っちゃだめだ」

 

 私は腰の愛剣『ランベントライト』を引き抜いて、『敵』を見据えた。

 そして、私を気遣ってくれる彼に答える。

 

「ごめんキリト君。みんなを助けるためには今は行かなくちゃ。それにどうやら私は『商品』みたいだから、すぐに殺されることはないと思うし、だからお願い、キリト君」

 

 お腹に力を入れる。そして、気持ちを剣に込める。そうしながら、彼へと言った。

 

「みんなを守って」

 

「アスナっ!」

 

 今まで感じたことが無いほどの全能感に全身が満たされていく。自分の四肢が現実の身体をはるかに超えた領域までその神経を伸ばしているような感覚。今、この瞬間ならどんなことでも出来る、そんな思いが身体を駆ける。

 きっと生身の身体は今も重症のままで身動き一つできないんだろう。それでも、今こうして与えてもらうことが出来たこの力に私は感謝した。

 

 へへ……、アスナねーちゃん

 

 ふと思い出すのは、眩しいあの娘の笑顔。

 今の私と同じようにあの機械の中で身動き出来ずに、ただ自由に憧れ、自由を求めた無垢な存在。

 あの娘もきっとこの世界を……、このなんでもできる身体をなによりも愛していたんだと思う。

 

 お願い……、私を導いて……、ユウキ……

 

「はあああああああああああっ」

 

 ランベントライトのソードスキルの輝きをそのままに、私は一気に駆けだした。




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衝突

 ヒュッヒュッヒュッヒュッヒュッ……!!

 

 辺りに壮絶な風切り音が響き続ける。

 恐ろしい速度で跳ねながら目で追うこともできない速度で剣を振るい続けるのは白の戦闘服をはためかせた一人の少女。その煌めく光の残滓を纏う姿は、まるで……、そう『閃光』……。

 

 彼女はその小さな身体のどこにそんな力があるというのか、自らの透き通った片手剣をその青い巨躯へと突き立て切り裂きつつ駆け上がる。

 

 青い巨人はその身体の分厚い氷をバリバリと音を立てて剥がしながら身を捩り、その高速の光の存在を払おうとするも、速度が違いすぎまったく掠りもしない。

 業を煮やした巨人は、切られるままにしながら上空へ向けて大音声で吠えた。

 

『ウガアアアアアアッ、ちょこまかと鬱陶しいぜ。このあと可愛がってやろうとおもってたから、手加減していれば、もう勘弁ならねえ。ぶっ殺す』

 

 そう言いながら、右の拳に真っ白な塵のようなエフェクトを纏わせ、奴は先程まで彼女が居たであろう地面に向かってその拳を降り下ろし叩きつけた。

 大音響とともに地面が割れ、凄まじい振動が辺りを襲う。しかし、当然だが彼女はすでにそこにはいない。まるで稲妻のような速さで大地を走り、そして再び青い巨人へその剣を叩きこもうとしていた、だが……

 

「え?な、なに?」

 

 彼女が跳躍しようとしたその瞬間、自分の足に得体の知れない違和感が走る。見れば、周囲の地面が真っ白に凍りついてしまっている。そして、その冷気は彼女の足にまで……。

 

 それでも、違和感に耐えつつ一気に踏み切った彼女は空中へと逃れたことで、自らの足が完全に凍りつかずに済んだ。先程まで駆けた地表は、バリバリと音を立ててさらに周囲を凍りつかせ始めている。

 その光景に肝を冷やしながらも、彼女は屈んでいる巨人の頭部へこれでもかと斬撃を叩き込んだ。

 そして、その巨大な左の耳を切り落とした。

 

『ギャアアア、み、耳がああ、こんのくそアマぁああ。殺す。てめえは、犯しながら、ぶっ殺してやる』

 

 そう叫ぶ青い巨人に向かって、腕を組んで様子を見ていた赤い炎の巨人が声をかける。

 

『おいテツオ……、なに遊んでやがる。さっさとアスナを捕まえろ』

 

『そ、そんなこと言ってもよ、ササマルさん。こいつちょこまかとウザくて……』

 

『もし捕まえられなかったら、お前今回は女はなしだからな』

 

『げ……、そ、そんなぁ。よ、よぉーし、なら、絶対捕まえねえとな』

 

 そんなことを言いつつ青い巨人は冷静さを取り戻してしまった。

 彼女が大地へ再び着地し、走り去ろうとしている方向を確認すると、その長大な腕の全てを使って、彼女の進行方向を薙いだ。

 当然跳躍して逃げるアスナ。しかし……

 

「くぅっ……」

 

 彼女の身体も限界が近かった。

 僅かに反応が遅れ、右足の先にほんの少し……、巨人の腕がかする。

 そのささいな一撃は彼女にとっての深刻なダメージとなってその身体にあらわれることになった。

 足全体に広がるダメージエフェクトは、その機能のほとんどが失われたことを表していた。

 彼女の強化された身体のおかげで辛うじて耐えはしたものの、表示されているHPゲージは、一気にレッドゾーンまで削られてしまう。

 その大振りの腕の一撃の後、その場に着地した彼女が、身動きもできずに顔を上げると、そこにはゆっくりと振り向く青い巨人の歪な笑顔。

 

「ここまで……、なの?」

 

 そう、ぽつりと呟いた彼女は、迫り来る青い巨人の腕を見てから、剣の柄を再び握りしめ直し、そして襲い来る敵を睨み付けた。

 まだ終われなかった。

 例えその身がここで潰えようとも、最後のその一瞬まで愛する人を守るためにその命を使おうと、燃やし尽くそうと誓っていたから。

 

 彼女の視覚が完全にその大質量の巨大な腕の影に遮られたそのとき……

 

『ぎゃあああああああっ』

 

 突然空間を揺るがすほどの大絶叫が轟いた。

 急な展開に何が起こったのが分からなかった彼女は頭をふり、後方を見た。そこには……

 

「恐れるな!アタッカーは突撃!魔法部隊は再び火炎魔法だ!」

 

「ゆ、ユージーン……将軍」

 

 見れば、そこには魔剣を振り上げ全軍に指示を出すユージーン将軍の姿。

 そして、大型の盾を構え、整列したタンク部隊の合間から、一気に飛翔して巨人へと迫るプレイヤー達の姿が。

 巨人は慌ててワラワラと接近するプレイヤー達の方へ顔を向けた。だが、その瞬間。

 

 ドドンッ‼

 

『ぐああっ』

 

 大きな音がすぐそばで響き、見上げてみれば、そこには青い巨人を体当たりで弾き飛ばした白い竜の姿が。竜はその長い首をもたげて彼女を見た。

 

『アスナさん、私に掴まってください。いったん退きます』

 

「え?シリカちゃん……?」

 

『はいッ‼』

 

 それはマジックアイテムで竜に変身した彼女の仲間、シリカであった。その巨大な白竜の肩には小さな青い竜がいつもと変わらずに乗っている。

 彼女は竜の足にしがみつくと、そのまま飛翔して攻略部隊の中核であるユージーン達のいる広場へと着地した。そしてすぐさま治癒魔法陣(ヒーリングサークル)の中へと運ばれ、治療を受ける。みるみる回復していく自身のLIFEゲージを見つつ彼女は、そこで二人の少女に声をかけられた。

 

「まったくもう、アスナもキリトも自分勝手すぎるよ。なんでもかんでも自分達だけでどうにかしようとかって思うの、そろそろやめてくんないかな」

 

「し、シノン」

 

「そうですよ、お兄ちゃんはともかく、最近じゃアスナさんまで似てきちゃって、もう面倒見切れませんよ」

 

「リーファちゃん……」

 

 二人に笑顔でそう言われた彼女はその場でうつむく。

 沸き上がるのはひたすらの感謝の念。なんと返せばいいのか分からないまま、ただ黙っていると、シノンが呟いた。

 

「ま、それがアンタたちのいいとこなんだけどね。でもこうなったらもうアンタ達だけの問題じゃないよ。私らもやることやんなきゃ……ねっと」

 

 ドゴンッ!ドゴンッ!

 

 と、まるで大砲のような激しい音が二つ辺りに鳴り響く。

 この音の元は当然、シノンが構えた長尺の鉄砲の発射音。この銃は限定イベントドロップアイテムの中でももっともレアリティの高い「精霊が宿る」とされた銃であり、そこに込められた強力なアビリティは、急所さえ撃ち抜けば、ボスモンスターですら一撃で屠りさる凄まじい威力を秘めていた。

 そんな高威力の火器を扱うのは、あのGGO(ガンゲイルオンライン)で最高の腕を持った狙撃手(スナイパー)であるシノン。この一斉射が相手を脅かすのは当然であった。

 

『ぎゃっ』

 

 短くそう悲鳴をあげた巨人の眉間には、彼女の放った強力な銃の弾丸が命中していた。そこから夥しい量のダメージエフェクトが漏れ広がるも、たいしたダメージでないのかまだ普通に動き回っている。人なら致命傷足り得るそれを押して動く姿は威容の一言だった。

 

「全魔力で行きます!あたってっ!『Ultima(アル○マ)』!」

 

 今度はリーファがそう叫ぶと同時に、今までとは比べ物にならないほどの超巨大な魔法陣がその場の全員を包みこんだ。

 使うのはやはりアスナが彼女に渡したあの魔法。

 この魔法は、後に『バランスブレイカー』とも呼ばれることになる究極魔法であり、供給する魔力とタイミングを見極めるとシステム内での計算上の最大ダメージを対象の耐久、魔法レジスト、スキル、アビリティに関係なく与えてしまうという壊れた性能を有していた。

 巨大な魔法陣から噴出するように飛び出していく白い光の槍。無数のそれが、青い巨人を取り囲んだ。

 リーファはその後の展開を見ることなくその場で意識を失い倒れ伏す。

 

『ぐうおおおおおおお』

 

 辺りに再び絶叫がこだました。

 白い光の槍に全身を刺し貫かれた青い巨人はその場で立ったまま動かなくなった。

 そんな巨体に対して突撃を敢行するプレイヤー達。

 みるみる巨人のLIFEゲージが下がっていき、赤色が点灯。

 それを見て、畳み掛けるように指示を出したユージーンも魔剣を構えて自身最強の8連撃ソードスキル、【ヴォルカニック・ ブレイザー】を巨人へと叩き込んだ。

 

 いける!

 

 その時、その場の誰もがそう確信した。この敵は倒すことが出来る……、と。

 数十人からの繰り返しのソードスキルの乱舞に、周囲に様々なエフェクトが煌めき、巨人のLIFEゲージがあと少しで0になるかと思えたその時……、その場の全員が凍り付くこととなった。

 

 

完全回復(フル・ヒーリング)

 

 

 ずっと静観していたデリンジャーが右手を正面に突き出し、その魔法を放った。

 体中を刻まれ、ダメージ硬直で身動きを取れなくなっていた青の巨人の周囲に円形の魔法陣が出現し、みるみるそのLIFEを回復させていった。

 そしてそれは一瞬で、グリーンに変わり、Maxまで戻ってしまう。

 

 それを見た全てのプレイヤーは動けなくなってしまった。

 

「おい、『テツオ』情けねえな、何死にそうになってやがんだよ。ま、死んでも生き返らせてやるが、お前は今日は女はなしだ」

 

『え?え?そ、そりゃ、ねっすよ、『ケイタ』さん。俺、めっちゃ楽しみにしてたんすよ』

 

「ばぁーか、てめえがわりいんだろうが。いいから、さっさとその辺の奴らを全部殺せ」

 

『そ、そんなぁ……、くそっ……、くそくそくそくそがぁっ‼てめえら全員死ねえ』

 

 突然吠えて暴れ出した青の巨人。

 奴はその腕の一薙ぎで、その場の冒険者を纏めて殴った。

 咄嗟の判断。

 その場にいた冒険者の内で、数名のタンクが盾を構えて前へと出ていた。それが良かったのかもしれない。

 防御手段を持たないアタッカーをかばうように、その身に打撃を受けたタンクがその威力を相殺しつつ、その場の全てのプレイヤーが吹き飛ばされてしまった。

 まるで、風に飛ばされる木の葉のように舞う彼らは、それぞれ壁や床に叩きつけられるも、その勢いで死亡する者はいなかった。しかし……

 

「うう……」「うあ……」

 

 死屍累々と言っても良いのかもしれない。

 その場には死んではいないが、もはや虫の息となってしまった人々の身体がたくさん動けないまま転がってしまっている。その中には、ユージーン将軍の姿もあった。

 

「みんな……、ああ……」

 

 口に手を当てて震えてしまっている自分に気づき、アスナはぎゅっと唇を噛んでその震えを抑えた。

 そして声を再び張り上げる。

 

「う、動ける人は、盾を装備して!と、とにかく、攻撃をしのいで!」

 

 それを聞いても、動き出す者はほとんどいない。

 あと一歩……

 あと少しというところでの、あまりの過酷な現実に、ほとんどすべての者の戦意は完全に失われてしまったのだった。

 彼女は歯噛みした。

 諦めることはできない。最後の一瞬まで。しかし、この場の全員を助けることがほぼ不可能になってしまったこの今の状況に、心が折れないわけがなかった。

  

 だが、そんな彼女の心を救ったのは、やはり彼だった。

 

「アスナ、みんなを助ける方法が一つだけあるんだ」

 

「え?」

 

 彼女は顔を上げる。そこには、未だ拘束されたままの状態で、でも目にしっかりと光を宿しまっすぐに正面を見据える彼の姿。

 その瞳がまだあきらめてはいないことを彼女はすぐに理解した。

 彼女は問う。

 

「でも、今は転移結晶も使えないし、敵だってただのモンスターじゃないんだよ。逃げようとしたって、逃がしちゃくれないよ」

 

「だからさ……」

 

 彼は彼女の耳に口を寄せて計画を話す。

 それを聞いた彼女の瞳は大きく見開かれた。

 それしかないと理解しつつも、そのあまりの無謀さに彼を止めたい欲求に彼女は駆られた。しかし……

 優しく微笑んでくれた彼に彼女はもうそれ以上何も言えなかった。

 

 静かに頷いた彼女はその彼の意見を承諾する。彼はそっと彼女に口付けをしてから、再び視線を正面の敵へと戻した。

 

 そして……

 

「うう……、ううがああああ……、ぐがああああああああああああ……、あああああっ‼」

 

 彼は全身を激しく震わせながら噛み殺していた声を漏らし始める。そして、その声が次第と大きくなるにつれて、声ではない、なにか、ぶちりぶちりと千切れるような不快な音が同時に辺りに聞こえ始めていた。

 彼の全身がよりいっそう激しく震え、苦悶に歪んだその顔から酷い脂汗が滲みだしたその時、ついに、それは完全に『引きちぎれた』。

 そう、彼は拘束されていた自分の右腕をレベル110の渾身の怪力でねじ切り、その片腕を代償に拘束を逃れたのだ。

 そして、左手一本になってしまったその腕で、背中に背負う『エリュシデータ』を引き抜くと、それを正段に構え、デリンジャーを睨みつける。

 

「へえ……、お前面白い事するな、黒の剣士。ダメージ蓄積でゲームオーバーしてもいいのかよ」

 

 彼……、キリトの顔になっているデリンジャーはそう愉しそうに笑うと、自分も背中に背負っているエリュシデータとエクスキャリバーの二振りの剣を抜き放ち、そしてそれを手にしながら、彼へと近づいた。

 

「いいだろう、俺が相手してやるよ、黒の剣士……、いや、キリト君。お前には最後まで全部を見させろって言われてたんだが、まあ、そんなの俺には関係ねえからな。せっかくだから、お前のお得意の『二刀流』で殺してやるよ。へへ」

 

 言われた彼は、真っ赤に染まった右腕をだらんと垂らしたままでデリンジャーへ静かに言った。

 

「お前は絶対許さない」

 

 動けないプレイヤーたちの視線の中、彼は自身の黒剣にソードスキルのエフェクトを纏わせた。




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オレヌモノ

 『カームデット』

 まるで西部劇の荒野に築かれたような街並みの中では、今、一種異様な光景が広げられていた。

 茶色い低い建物の並びの中に(そび)えるのは、赤と青の二体の巨人の姿。そして、その巨人が見下ろす砂塵舞う広場の中央には、全身黒ずくめで全く同じ容姿をしたふたりの少年。そして、そんな二人を遠巻きに見つめる、力なく地に伏した沢山の妖精や剣士達の姿。

 そのような状況の中で、その二人は激しく剣を打ち合っていた。

 いや、正確にはそうではない。

 目で追うことも敵わないほどの激しい斬撃を叩き込むのは片方の少年。彼はその肘から先を失った右腕を振り回しつつ、左手一本で握りしめた黒の直剣をただひたすらに、もう一人の自分……、その相手に向けて振るい続けている。

 見るものを魅了して止まないその乱舞に、しかし、相手の少年は笑みを絶やすことはない。

 なぜなら、彼は一度としてその身に未だ一撃も攻撃を受けてはいないのだから。

 目に見えない疾風怒濤の剣の散華の中、紙一重でかわし続ける少年は、避けながら相手へと言った。

 

「おいおい、いい加減に気がつけよキリトくん。俺が『システムアシスト』を使用して避けているのがまだ分からないのかよ。ソードスキルもほとんど使わないでいつまで続けるつもりなのか、面白いから黙って見てたけど、そろそろ飽きてきたぞ……っと」

 

 ザシュッ、ザシュッ‼

 

 片腕の少年が一度剣を引いたそこへ、その少年を上回る凄まじい速度で両手の剣を薙いだ彼の正面で、少年……、キリトはその胴体にクロスの大きな傷を受ける。

 まるで大量に出血しているかのように、その刻まれたダメージ箇所から粒子のような真っ赤なエフェクトが吹き出していた。

 

「ぐはっ……」

 

 そのたった一撃で、キリトのLIFEはほぼ9割を持っていかれてしまう。

 そんな彼を見下ろしつつ、切り裂いたもう一人のキリト……、デリンジャーは額を押さえて、高らかに笑った。

 

「情けないなぁ、黒の剣士君。たった一度のヒットでもう瀕死じゃないかぁ。あーあ、せっかくレベル110まで上げたのになあ。これじゃあ、頑張るだけ全部無駄だったなあぁ。あーっはっはっははは」

 

 そんなデリンジャーの前で、彼はフラフラのまま、再び立ち上がり、そして、左手一本で彼をにらみつけた。そして何も口にしないまま、再び、素早く踏み込んで剣を相手の喉元目掛けてつきこむ。

 当然のように回避するデリンジャー、だが、彼の攻撃はそこでやむことは無かった。避けた先へ一気にモーションの小さな3連撃のソードスキルを繰り出し、そのまま自身もその勢いのまま相手の側面へと回る。

 システムアシストを使用したデリンジャーにはそんな攻撃は当然当たりはしないが、その勢いのままに再び剣を縦横無人に振るったキリトに対して、防戦一方の様相を(てい)していた。

 

「ちい、うざい。いい加減にしろよ、お前」

 

 そう呟いたデリンジャーが接近していたキリトの腹に、蹴りを叩きこみ、その勢いで弾き飛ばされたキリトが広場の反対の家屋の壁に凄まじい轟音を響かせて衝突する。

 そして砂煙が巻き上がるなか、キリトは再び剣を握り締めてゆっくりと立ち上がり、再びデリンジャーを睨みつけた。

 

 デリンジャーは奥歯をギリリッと噛み締めた。

 彼には分からなかった。

 もはや戦いとも呼べないこの対決のなかで、自分が絶対にダメージを負わないということも教え、しかもたったの一撃で瀕死に持っていけるほどの攻撃力があることも示したにも拘らず、なぜ向かってくるのか。なぜ、目が死んでいないのか。

 

 デリンジャーにとって、『力』とは相手の戦意を完全に消し去るためのもの。もはや二度と歯向かわず逆らわなくするための絶対的なもの。だからこそ、『それ』を手に入れた彼は人々の上に君臨し、そして人々から搾取を続けてきたのだ。その思いは変わることは決してない。

 今このときもそうなのだ。

 SAOにおいて付与ダメージのみならば全てのソードスキルを凌駕する『拳銃』を手に入れた彼にとっては、歯向かわれる等とは微塵も思っていなかった。しかも、今はそのソードスキルだけではない。自分は今、この舞台の『管理者』なのだ。

 その権能はゲーム内において、全ての能力を上回る。それが例えこの舞台の『想像主(クリエイター)』に対してでさえも。

 

 だというのに、それほどの力を持った自分に対してこうまで抗い、こうまで向かってくるこの目の前の存在を、彼は理解できなかった。

 相手はこの舞台を彩るためだけに選ばれた『主人公役』の存在でしかない。

 彼の攻撃は一切自分には届かず、こちらの攻撃のひとつで死に追いやることは可能であり、そのことも伝えてある。

 それのみならず、その辺りに倒れ伏している彼の仲間を含めてその生身の身体もこちらの手の内。ある人物の裏切りのみが懸念されてはいたが、それもすぐに解消できる些細な問題でしかなく、自分の命令ひとつで彼を含めたその全ての仲間の命はどうにでもできるのだ。

 それをわかって尚、歯向かうのは……

 

 ああ、そうか……、なぁーんだ。

 

「くくく……、くははは……」

 

 彼は再び笑った。

 自分がいったい今まで何にイライラしていたのか……、こんなどうでも良いことに頭を悩ませていたというそのことに、自嘲して笑い出してしまった。

 キリトはすでに諦めてしまっているのだ。

 そう思い至り、彼は腹の底から沸き上がる愉悦に頬を弛ませたのだった。

 ひとしきり笑ってから、彼はキリトに向き直って微笑みを向けた。

 そして、今まで悩んでいたことを恥じつつ、自分の力を示して相手の心を完全にへし折ってやろうと、今まで数多の商品()達にしてきたようにしよう……、そう心に決めたのだ。

 ニヤリと口角を一度引き上げたデリンジャーがキリトに言った。

 

「まったくキリト君ともあろう者が、自暴自棄になって歯向かうんじゃねえよ。もうとっくに分かってんだろ? お前も、そこに転がってるお前の仲間たちも、この先にどうなるかってことはよ。くく……、まあ、分からないふりして死ぬまで戦おうって思いはわかるんだけどよぅ。それじゃあ、俺が面白くねえんだよ」

 

 つかつかとまったく無警戒なままのデリンジャーが、ゆっくりとキリトへ向かって歩み寄る。キリトは……

 

 その場でまったく動かなかった。

 ただ、剣を変わらずに正面に構え、じっと彼を睨み続ける。

 そんな瞳に苦笑しながら、デリンジャーはにやけた顔で話を続けた。

 

「教えてやるよ、この後どうなるか……。まず、この74層の戦いはな、今はちょっとばかし中継をお休み中だ。もうすぐ夕方だからな。とりあえずお前を殺したら再開するんだが、このフロアで決死の戦闘を繰り広げたお前らは、あえなく赤と青の巨人に負けちまう……、ってシナリオだ。仕事が終わった帰宅ラッシュの連中がみんな注目するだろうな。そんで、この俺だ。くっくっく……、やっぱりこれは最高のプロモーションムービーに仕上げなきゃいけねえからな、主役はやっぱり『キリト』君なんだよ。全滅した仲間の仇を討つべく、キリト君、というか、俺が一人でモンスターを全滅させる。そして、次のステージへ一人で向かい、そしてラスボスのモンスターを倒して見事に人質を救出、ゲームクリアとなるわけだ。あははは」

 

 そう笑うデリンジャーにキリトは目を伏せた。そして沈黙したまま動かない。

 デリンジャーは話を止めない。

 

「次に、こんな素晴らしい『撮影』にはたまらないオプションがたくさんついているんだが、気になるかな、ん? キリト君? よーし、特別に教えてあげよう。たくさんのお仲間たちはみんなアミュスフィアの故障で死んじゃうかもだけど、君らだけは最後まで殺さないでやるよ。それで、今きみたちの身体だが、都内の『ある』場所にすでに移動済みだ。くく……、そして、そこにはもうたくさんの『賓客』が到着していてね。『宴』が始まるのを今か今かと待ち構えているんだよぅ。こう見えて俺は大実業家だからね、いろいろなコネも必要だし、やっぱり仕事は人間関係が一番大事だからね。今回は君達の『身体』を有効に使わせてもらうよ。なんといっても、あのSAOの救世主のキリト君の仲間たちだからね。相当にご執心なゲストもいらっしゃるんだよ。まあ、アスナくんが手に入らなかったのは本当に残念だったんだが。あ、そうそう、君達のアバターはこれからも有効に使わせてもらうからね。なんといっても今や君たちは国民的アイドルだからね、君たちが『死んで』も、ずっとみんなに愛され続けるから安心してくれよ。くく……、くはは、ははははははははは」

 

 そう笑うデリンジャーの正面で、キリトは唐突にポツリとつぶやいた。

 

「間に合ったな……」

 

「ん…………?」

 

 突然の意味不明な言葉にデリンジャーの思考は停止する。

 この今の今までの話の流れとかけ離れたそのつぶやきに、彼は先ほどまで感じていた違和感を思い出し、不安が脳裏をよぎっていた。

 片腕だけのキリトは剣を構えたままそっと顔をあげる。その顔には笑みが浮かんでいた。

 

「お前が何をしたというんだ? もう死ぬしかないお前が」

 

 そのデリンジャーの言葉に、キリトは答える。

 

「その通りだ……。もう俺は死ぬしかない。だけどな、死ぬのは俺だけで十分なんだよ」

 

「だから、それがどうし……」

 

 デリンジャーの言葉が終わる前に、キリトはその残された腕で掴んだ剣を真上に振り上げた。と、その途端に、周囲の景色がぐにゃりと歪む。

 

 その光景にハッと息を飲んだデリンジャーや巨人たちの目の前で、その光景が一気に変化した。

 その目の前に現れたもの、それは……

 

 『無人の街』

 

 いや、正確にはNPCは未だに存在してはいる。しかし、つい今の今までそこかしこに倒れ伏していたであろうたくさんのプレイヤー達の姿がどこにもない。

 

「バカなッ‼ ここでは転移結晶は使用不可にしていたはずだ。お前はいったい何をした? 奴らをどこへやった? 言え? キリト‼」

 

 慌ててそう問い詰めてくるデリンジャーに、キリトは静かに言った。

 

「焦らなくても教えてやるよ。お前はこの世界で最高の権力を確かに持っているんだろう。でも、それはあくまで『持っている』だけだ。俺は今までお前やその仲間達と戦ってきて、どうやら、お前がこの世界をSAOだと思って行動しているように思えたんだ。無理もない。お前も俺達と同じSAO帰還者(サヴァイバー)だから、このまるで同じ景色の世界に居ればそうとしか思えないだろう。でもな……、ここはあの『SAOのアインクラッド』じゃないんだ」

 

「そんなことは……、はっ」

 

 あっという間に顔色の変わったデリンジャーへ、キリトが言う。

 

「言われて気が付くレベルで良かったよ。俺にはもうこれしか隠し玉が無かったからな。俺のアバターは今はお前らにSAO当時の姿に戻されてはいるけど、実際はALOの『スプリガン』だ。そしてその『スプリガン』が最も得意な魔法、それは……」

 

幻影魔法(イリュージョンマジック)か……」

 

「正解」

 

 唇を嚙みしめて吐き出すように漏らしたデリンジャーの言葉に、キリトはすぐに頷いた。

 

「俺が唯一鍛えていたのが、この魔法だ。正直今日役に立つとは思っていなかったけどこればっかりはリーファに感謝だな」

 

 剣にしか興味のなかったキリトにとって、魔法は時間の無駄でしかなかった。しかし、一緒にパーティを組む機会の多い妹のリーファには、常日頃から特殊な効果の多いスプリガンの魔法を一つでも多く習得するようにと再三にわたって命令され、そのためデュエルなどの対人戦で有効活用できるこの『幻影魔法』はかなりレベルも向上しており、使い方も熟知していた。

 その効果が十二分に発揮された形となったわけだ。

 

「アスナと話した直後、俺はお前たちに対して垂直方向に魔法を展開して、かなりの広範囲でその場の映像を固定させた。ただ、固定と言っても俺もだいぶ使い慣れているからな、倒れてる連中が身動きしたり、陰影をつけたりくらいは可能だったからそんなに違和感はなかったろう?」

 

「だ、だが……、一時的に姿を眩ませたとしても、あの連中をどこへやった? このフロアからは出られないはず」

 

「確かに俺達がSAOと全く同じならそうだったろうな。下の階層へのダンジョンは閉じられてるし、転移もできないし。でも、他にもあるんだよ『出口』は。そしてそれに気づかせてくれたのは、他の誰でもない、『お前』だよ」

 

「な……に?」

 

 キリトはそっと自分の後方に剣の先を向けた。その方向にあるもの……、いや、正確にはそこには何もなかった。あるのは、雄大に広がる一面の青い空。そう、それこそが答えであった。

 

「皆をアインクラッドの外周から下層へ逃がしたんだ」

 

「…………」

 

 まるで予想していなかったのか、デリンジャーはその答えに絶句する。

 そんな様子を気にすることもなく、キリトは続けた。

 

「知っての通りここはこの階層のスタート地点で浮遊城外周に隣接している。そしてこのアインクラッドは、外周から飛び降りることが可能だ。そう、つい先ほどまでお前がその姿をしていた『ケイタ』がそうしたように」

 

 キリトはそこで一度ぐっと剣の柄を握る力を込めた。あの時救えなかった、飛び降りてしまった『ケイタ』のことが脳裏をよぎったせいである。

 彼は大きく息を吐いて呼吸を整えた。

 

「もう分かっていると思うけど、今の俺達は飛べるからな。飛べなくなった奴は複数で抱えて全員脱出させたってわけだ。みんなを逃がす為に俺は発動硬直の長いソードスキルは使わずにずっと攻撃を続けたわけだけど、なんとかここまで時間が稼げて良かったよ。ま、お前のやりたかった演出は全部潰しちまったからな、本当に悪かったとは思っているよ」

 

 言いながら彼は自分のアイテム倉庫(インベントリ)を開いて、そこから上位ポーションを選択、そして手早くそれを飲み干した。

 みるみる回復していくLIFEゲージ。欠損していた右腕も即座に復元される。

 さらに複数の色の違う様々なポーションを飲んだ彼は、『筋力強化』、『耐久強化』などでアビリティーを底上げし、その大量のポーション類の表示がそのままのインベントリを開いた状態で、自分の背中のエクスキャリバーに手を伸ばし、二刀流の構えで静かに正面を向いた。

 その目にはまったく畏れや恐怖の色はない。

 あるのは決して揺らぐことのない、執念にも似た力の籠った瞳。

 それを見たデリンジャーは……。

 

 ただただ、その表情から全ての感情の色を消し去っていくだけだった。




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脱出

「すぐに治療にあたれ。回復した奴から順に集まってくれ、転移結晶を配る」

「インベントリにポーションがない人はこっちです‼ お分けしますので、急いでください」

 

 『第55層グランザム』

 

 かつてSAO時代に最大派閥ギルド『血盟騎士団』の本部があった、鉄の都とも呼ばれた城塞都市。

 74層の惨劇から命からがら逃れることが出来たプレイヤーたちは、浮遊城の外壁を伝って、ひとまずここへ逃げ込んで来ていた。

 皆、一様にその表情は暗く、声を出す者も殆どない。

 彼らは心身共に疲れ切ってしまっていた。

 当然のことである。

 ゲームとして体感していたはずのこのALOの舞台が、突然完全なデスゲームへと変じたのだ。

 仮に、あの『デリンジャー』を名乗った男の言が嘘だったにしても、ひょっとしたら、もしかしたら、本当に死んでしまうかもしれないという、その可能性が忍び寄る恐怖となって彼ら全員を襲い続けていた。

 そんな中、声を張り上げている者のほとんどは、デリンジャーらに翼を消されてしまっているSAO帰還者(サヴァイバー)達であった。

 やはりそこは経験者と言えば良いのか、2年以上に渡って死と隣り合わせであったあの世界に囚われていた彼らには幾分かの耐性があったのだろう。今すぐに行動しなくてはならないこの状況において、彼らの今の振る舞いは、その場の人々にとってまさに天の助けであった。

 

「ふう……やっぱり『アルン』への転移は出来ないね……シリカの方はどう?」

 

「ダメですね、ALOに新しく設置されたはずの他の転移門(ゲート)はどこも反応してくれません」

 

「はあ、やっぱりアインクラッドからは出られないか……」

 

「ぴゅいー」

 

 長大な鉄砲を担いだシノンと青竜ピナを肩に乗せたシリカの二人が手に転移結晶を持ってそう話し合っていた。

 その隣では、自分のコンソールを呼び出して、ひたすらに外部端末との接続を試みているリーファの姿。

 先程兄キリトが外部との連絡をとれたことから自分にもそれが可能ではないかと試してはいるのだが、上手く行っていない。そもそも、旧カーディナルシステムのIDを持ち合わせていない以上そこ経由でのログインは不可能なのだが、それでも執念深く接続を繰り返し試み続けていた。

 

 そんな彼女に声がかかる。

 

「外部との交信は出来たのかな?」

 

 その声の主は大柄なサラマンダーのリーダー、ユージーン将軍。リーファは一度見上げてからそっと首を横に振った。

 

「そうか……しかし、ここでモタモタしているわけにはいかない。キリトのお陰で全員なんとか生き残れたのだ。むざむざ死ぬわけにはいかぬ。我らは散り散りになって各層に潜伏する」

 

「そ、そんな……」

 

 ユージーン将軍の言葉にリーファは声を張り上げる。

 

「だ、だって、そうしたらお兄ちゃんは……ここで態勢を整えて、お兄ちゃんを助けに行くって、さっき言ってくれたじゃないですか」

 

 詰め寄るリーファに、ユージーンは声を詰まらせる。本当は言わなくてはならない事がたくさんあるにも拘らず、彼はグッと顔をしかめて、ただ一言だけ呟いた。

 

「すまない……」

 

「!?」

 

 顔を背けたユージーンにリーファは慌てて詰め寄る。しかし、それ以上なにも言わないユージーンに、焦った彼女は背後のシリカとシノンに視線を送った。

 だが、二人もそっとその視線を外す。

 それを見て、リーファは初めて自分が彼らに謀られたことに気がつき絶望した。

 

「どうして……お、お兄ちゃん」 

 

 リーファは焦っていた。

 今の今まで、兄キリトを救おうと必死に考えていたのだ。

 あの時、兄をあそこに置いて逃げることも最後まで反対したのは彼女であった。しかし……

 それを説得したのは他ならない、この仲間達。

 そして、最も信頼を置いている頼れる姉、アスナその人であった。

 

 

   ×   ×   ×

 

 

「いい? みんな、聞いて……」

 

 あの時、キリトがデリンジャーの前に立った直後、前線から走り戻ってきたアスナがリーファやシノン達に口早にこう伝えた。

 

「今この瞬間に、キリト君が魔法で私たちを隠してくれたの。だから、今のうちに全員をこのフロアの外縁部から飛んで、すぐに脱出させて‼」

 

 そう静かに、僅かな笑みを(たた)えた彼女にそう言われ、絶望に沈んでいたその場のメンバーに微かな希望が湧く。そして、すぐさま行動に移ろうとしていた。

 でも、一人だけは違っていた。

 優しく微笑むアスナに向かって、掠れるような声で問いかけたのはリーファ。

 

「お兄ちゃんは?」

 

 その言葉に、その場の全員の動きが止まる。

 そして、そんな彼らの目の前で、今まさに片腕のみとなったキリトが、デリンジャーに向かって切りかかるところであった。

 チラリとそちらを確認したアスナはそれでも口調を変えなかった。

 

「大丈夫。キリト君は絶対に負けないから。それにね、今私たちがここにいると、キリト君の邪魔にしかならないの。それは分かるでしょ? 直葉ちゃん」

 

 そう言われ、リーファ……直葉は何も言えなくなる。

 自分だけではなく、多くのプレイヤーの攻撃はあの相手には通らないことをつい先ほどの戦闘で痛感してしまっていたから。

 なにより自分が今、兄を助けられるほどの力を有していないことを誰よりも自分自身が分かっていたのだから。

 しかし、それでもここに居続けようと思っていた彼女に、アスナは言う。

 

「今は逃げて、そして戦力を整えて。そして、可能なら、私たち(・・・)を助けにきて。お願いね、直葉ちゃん」

 

 にこりと微笑む彼女に、直葉は頷くことしかできなかった。

 

 そしてそれは、シノンとシリカも同様であった。

 今やらなければならないことがなんなのか、彼女達はとっくの昔に理解していた。時間が切迫しているということも。

 こうして、彼女たちはすぐさま倒れ伏しているプレイヤーに声を掛けつつ治療も何もかもを後回しにして、このフロアからの脱出行に移った。

 それがこうもスムーズに出来たのは、このフロアまでの連戦で培われてきた連携の賜物であったのだろう。

 浮遊城外縁部から次々に下層に向かい飛翔していくプレイヤー達。

 SAOアバターのプレイヤーは複数人で抱きかかえながら降下していく。

 最後の一人がその場から飛び立つまで、その様子をずっと見つめ続けていたのはリーファであった。

 全ての人が脱出したのを確認した彼女が縁に手をかけ一度兄たちを振り返ったその時、対峙する兄とデリンジャーが目に入る。そしてそのずっと手前でまるで逃げる自分達を守る様に立つ後ろ姿、スッと振り返って微笑みを浮かべてくれたそのアスナと目が合った。

 アスナは直後、正面に視線を戻して剣を鞘から静かに引き抜いた。そしてもうこちらを振り返りはしなかった。

 そんな彼女の姿を祈る様に見つめたリーファはそっと外縁から飛び降りた。

 

 願うのは二人の生存。再び会えることだけを切に願う。

 

「お願い……死なないで……アスナさん……お兄ちゃん……」

 

 心からの願い……

 今このとき、何もできない自分自身を恥じつつ、彼女は祈りながら逃げるようにその場から離れていった。

 

 死を賭した最悪のデスゲーム。

 生身の肉体も、精神さえも完全に掌握されてしまった今の状況。

 絶望に晒されながら逃げる道しか選べなかった彼らに残された、キリトとアスナという、たった二つの微かな希望。

 

 戦いはいよいよ最終局面を迎えようとしていた……




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サチ

 それは壮絶な光景であった。

 向かい合う同じ顔をした二人の少年は、もはや無数の剣の残像のみを残し高速で移動しながら斬り合っている。

 その踏み込みは轟音を響かせて大地を揺るがし、その剣圧は周囲につむじ風を巻き上げる。

 余人に近寄ることを許さないこの高速の戦闘の中、だが、二人の表情は対照的であった。

 必死の形相でコンマ単位でのソードスキルのアタック&キャンセルを繰り返し、無限とも呼べる連続攻撃を繰り出し続けるキリトは、その額に汗をしながら無数の斬撃を放ち続けている。

 対して、対峙するもう一人のキリト……デリンジャーは、圧倒的な速さのキリトの剣の乱舞を紙一重で躱しつつ間隙を縫ってソードスキルを発動、常にキリトを刻み続けるそのワンサイドな展開を進んではいるが、しかし、その表情に先程までの嘲りや侮りの色はなく、ただひたすらに憎悪を募らせた表情のままに剣を振るっていた。

 

「くっ……」

 

 何度目のヒットか……キリトは自身のLIFEゲージがレッドゾーンに突入したのを知覚して、剣を振るいつつ、開いたままにしているコンソールのインベントリからポーションを呼び出し、直ぐ様それを服用。一気にLIFEが満タンまで回復したのを確認すると、再び当たることのない攻撃を相手に向かって竜巻の如く斬撃を放ち襲いかかった。

 いったい何百回剣を振るったのか。

 いったい何度死にかけ、何度ポーションで回復をしたのか。

 それは無限とも言える繰り返しの行為。相手に一太刀も浴びせることが叶わないことを理解した上での、一瞬の油断で命を刈り取られるこの状況で挑み続けるこの行為は、まさに地獄そのものであった。

 

 通常の神経の持ち主ならば、とっくの昔に心が折れ命の灯火を手放してしまっているこの現状にあって、だが、彼は決して諦める選択をしない。なぜなら彼は、戦い続けることでほんの一分、ほんの一秒でも彼の仲間達を生き長らえさせることが出来ることを知っていたから。

 彼は今、絶望の淵にあって尚、仲間の命の為に自分を削る道を選んだのである。

 

 

   ×   ×   ×

 

 

 あの時……

 何もできない俺の目の前でサクヤさんが撃たれ消滅したあの時……

 俺の中に言いようのない苦しさがこみあげるのと同時に、今まで何十、何百と俺の中で繰り返され続けてきた、目の前で死んでしまった『サチ』の死の姿がはっきりと蘇っていた。

 大量のモンスターに阻まれ、近寄ることも叶わなかったあの時、背後から致命の一撃を受けてしまった『彼女』は笑顔で俺に微笑みながら消えて逝った。

 そして今度もまた、光の粒と変わるサクヤさんを、俺は助けられなかった。

 俺は叫んでいた。

 心が悲鳴を上げていた。

 口をついたその言葉は、『やめてくれ』。

 そう、俺は見たくなかった。

 助けられたはずの仲間を、目の前でもう二度と失いたくなかった。ただ、それだけだった。

 俺の力ではもうどうしようもないこの状況。

 俺は、あの時、完全に全てを諦めていた。

 

 でも……

 

「みんなを助けるためには今は行かなくちゃ」

 

 そう俺に微笑みかけてアスナは一人立ち向かって行った。

 それを俺は止めたかったんだ。

 俺には何も出来なかった。

 止めることも叶わないこの状況で、必ず死ぬと分かっているあの場所へ、彼女を一人で向かわせることを止めさせたかった。 

 死んで欲しくなかった。

 もう傷つきたくなかった。

 この世界で何よりも大事な彼女を決して失いたくなかった。

 

 あの時の俺は、誰かを助けることよりも自分が彼女を失うことを何より怖れていたんだ。

 

 ああ、このまま全て無かったことになって欲しい。サクヤさんも無事で、クラインやリズベットも無事で、アスナも無事で……全てが元のまま。そう、これは全て夢で目を覚ませばそこに普段と変わらない日常があるだけ。

 直葉と一緒に食事をとって、学校へ行って、そして仲間達とアスナと会う。そんな日常。

 俺の心は底なしの沼の底に沈んだような、暗く淀んだ真っ暗な世界に囚われてしまっていた。

 

 しかし……

 

 彼女の言葉によって、俺は再び現実に浮かびあがる……

 

「キリト君……、みんなを守って」

 

 笑顔の彼女のその言葉が胸に突き刺さった。

 全てを諦めてしまっていた俺に、そんなことを言って貰える資格はない。

 月夜の黒猫団のみんなの命を奪い、リーファやシリカたちを危険に晒し、今度はアスナまで……。

 誰かを守ろうなんて烏滸(おこ)がましいことを俺はいつだって考え、いつだって宣言してきた。そのために必死になってやってきたはずだった。もし今俺が何もしなければ、彼女はきっとこんな俺の為に全てを(なげう)ってしまうのだろう。

 そんなことは……させられない……

 

 でも、どうしたら……

 

 その時……

 

 不思議なことが起きた。

 

 俺のすぐ側に誰かが居るような気配を感じる。

 全ての景色が消えた暗闇の底で、なんの光明を見い出すことも出来なかった俺の前に、確かに誰かがいる。

 

 誰……だ? 誰なんだ?

 

 光も音も何もない世界……アスナも、デリンジャー達も見えない、分からない暗闇の中……

 俺の正面にはぼんやりとした輪郭で佇みながらこちらに視線を送る存在があった。

 それは虚ろで儚くはあったけど、嫌な感じではない。むしろその存在がそこにあるだけで、俺の心は温められているような癒されているかのようなそんな優しい感覚……

 

 誰……?

 

 もう一度、そう心の内で呟いたその時、唐突にその白い靄は光り輝いた。

 その光は強く強く俺の網膜に直接その姿を映し出してでもいるのか……深淵の暗闇の中に浮かぶその姿だけを俺は認識していた。 

 それは一人の少女……忘れもしない……いや、何度も何度も激しい慚愧(ざんき)の念と共に繰り返し思い出し続けていたあの娘の姿に間違いなかった。

 

 そこに居たのは『サチ』だった。

 

「サチ……? サチなのか……?」

 

 俺のその問いかけに、彼女はにこりと優しく微笑んだ。

 それはいつか見せたあの日の優しい眼差し。

 立ち向かうことが出来ない自分の弱さを知り死の恐怖に怯え続けて尚、俺に向けてくれた優しい微笑み……忘れたことなんかない。

 彼女は音もなく俺へとゆっくりと近づいてくる。そして、優しく語り掛けてきた。 

 

”らしくないね、キリト”

 

「え?」

 

 脳に直接響くような彼女のその言葉に正直俺は動揺する。

 自分は夢や幻を見ている、そんな感覚が確かにあったにも拘らず、目の前の存在はそのような妄想などの類には見えなかった。

 

「君は……生きて……?」

 

 俺のその問いに彼女は寂し気にその首を横に振った。そして言った。

  

”『君は死なない……、俺が守るから……』ってあの時言ってくれたよね、キリト”

 

「ああ……言ったよ。でもごめん、俺には君を守れなかった」

 

 心臓を鷲掴みにされたかのような痛みが走る。俺が彼女に伝えたその言葉。それは彼女をただ安心させたいが為に口を衝いた気休めの言葉。いや、違う。あれは、俺自身が楽になりたいがために使った言葉だ。不安に囚われていた彼女の気持ちを楽にしたかったのは、あの場所を居心地良くしたかった俺自身の傲慢な思いからだったんだ。

 それが招いた最悪の結末……彼女は死んでしまった。

 再び現れた後悔の念で彼女を直視することも出来ない俺の頭を、目の前のサチはそっと抱いてくれた。凍えた俺の心が温められていくのを感じる。彼女は優しく微笑んでいた。 

 

”大丈夫、今度は守れるよ。だって……”

 

 俺の正面に周った彼女がまっすぐに俺を見ながら話した。

 

”キリトはもう、『一人』じゃないから……さあアスナさんを助けに行こう。君ならきっと救える。君にはその力がある。自分を信じて……”

 

 言って、再び立ち上がった彼女の姿が霞み始める。ゆっくりと淡く周囲に溶けていくかのように、微笑みを湛えたままで次第と輝きを弱めていった。

 

「さ、サチ? それって……ま、待ってくれ、サチ‼ 置いて行かないでくれ」

 

 俺は叫んだ。

 彼女に言わなければならないことは山ほどあった。

 もっと謝りたかった。

 もっと言い訳したかった。

 もっといろいろなことを伝えたかった。

 でも、今がその時ではないことも知っていた。

 消えゆくサチが最後にそっと呟く。 

 

”私はいつでもそばにいるよ……私達の心はいつまでも『この世界』と共にあるから……”

 

 輝きはやがて仄かな月明かりの様になり、そして夜空を舞う蛍の淡い光となり、消えていく……

 

 しかし……

 

 確かに俺の中に何かが残った。

 それは決意であり、そして希望。

 過去に囚われ、今を放棄することだけはしてはならないと、そう思えた。

 

「ありがとう……サチ」

 

 目を開いた時……、激しい戦闘の音の中で奮闘するアスナと周囲で怯えるプレイヤー達が目に入った。

 今できること……

 今しなくてはならないこと……

 俺がやれること‼

 

 そう思った時。俺は自分の全ての能力を冷静に理解することが出来た。

 

 ならばすることはただ一つ。

 

 みんなを絶対に死なせない‼

 

 俺はアスナへと駆け寄りながら改めて弱い俺を暗闇から救い出してくれた彼女に感謝した。

 今この時、確かに守られているのを感じながら……




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絶望の果て

「そろそろ死ねよ、キリト。ちっ、めんどくせー……おい『テツオ』‼」

 

 キリトの嵐の様な激しい斬撃のラッシュを半自動で回避し続けるデリンジャー。彼は大きく舌打ちを一度鳴らすと、背後に控えていた青い巨人に向かって声をかけた。

 その内容とは……

 

「おい、お前。今から『ダッカー』の奴にキリトの生身の身体をぶっ殺すように言ってこい。早くしろ‼」

 

 そう言われ、一瞬動きが鈍るキリト。デリンジャーはその隙を逃さなかった。

 間隙を突いて振るった剣はキリトの胴体を縦に切り裂いて真っ赤なダメージエフェクトを発生させる。キリトは反動で吹き飛びつつ、冷静にポーションを選択、それを使用し再び正面からソードスキルを放った。

 

「ちっ、マジでむかつくなこの野郎。おら、どうした? 『テツオ』、早くしろって言ってんだろ? ああ!?」

 

 振り返りながら凄むデリンジャーに、青の巨人は口籠りながら返事をする。

 

『い、いや、だって『ケイタ』さん。『ダッカー』の野郎はあいつを殺しに船を降りちまって今はいねえ……』

 

『余計なこと言うな‼ この間抜け‼』

 

 青の巨人が話しているそこへ、深紅の巨人が横槍を入れる。肩を掴まれながら言われた青い巨人はたちまちに憮然(ぶぜん)な顔へと変わった。

 

『別にいいだろ、『ササマル』さん。どうせこの野郎はすぐに死ぬんだしよ』

 

『それを決めるのはてめえじゃねえんだよ。すいません『ケイタ』さん。どうしますか? 俺がキリトの身体を殺ってきましょうか?』

 

 戦闘中のデリンジャーは赤い巨人にそう言われ攻撃を避けつつ、うーむと思案する。

 そして、2体の巨人に向けて命令した。

 

「いや、それも面倒だからもういいや。そうしたら、こいつを3人で殺しちまおう。俺もいい加減飽きてきたからな。こいつ速さだけはあるから、なかなか攻撃当たらねえし。よし、じゃあ、お前ら、ほら……」

 

 (おもむろ)に目の前にコンソールパネルを呼び出したデリンジャー。この間もキリトの猛攻は続いている。続いてはいるが、システムによる尋常ならざる回避により一撃も当たらない。それでも、身体を前後左右に揺さぶられる感覚にデリンジャーはその怒りを露にした。

 

「本当にうぜえな。おら、でーきた……っと。へへへ、これから先は3対1だ。お前を八つ裂きにして殺してやるよ、キリト君」

 

『おおっ!』『これはすげー‼ くはは』

 

 ニヤリと笑ったデリンジャーのすぐ後ろには、全身から光のエフェクトを立ち上らせる2体の巨人。

 キリトは剣を振るう手を止めないまま、その2体を注視して大きく目を見開くことになった。

 キリトが見ていたのは敵のLIFEゲージ、そこには、グリーンに染まったゲージとユーザーネーム、そしてそのキャラの『LV(レベル)』が表示されている。その数字が……

 

 とてつもない速度で上昇していく。

 

 初期値がいくつだったのかは覚えてはいなかったが、凄まじい速度で変わっていくその3桁の数字はあっという間に900の大台に乗った。そして……

 

『へへへ、これが『LV(レベル)999』かよ。とんでもねーな』

 

『遊んでんじゃねーよ『テツオ』。さっさとやっちまうぞ』

 

 キリトの目の前に存在しているフロストジャイアントとファイアジャイアントの2体と……そして、たった今打ち込み続けているデリンジャーの全員のレベルは999と表示されていた。

 青い巨人は自分の腕を振り回しつつ、周りの建造物を殴り破壊してその力の強さを体感していた。その脇で赤い巨人は真っすぐにキリトを見定め、その右腕に大きな焔を纏わせながら振りかぶろうとしていた。

 

「くくっ……これまでだよ、キリト君。いくらお前が強かろうと、もはやこのレベル差は覆せまい? よく頑張ったと褒めてやるよ。さーて、フィナーレと行こうか。少し手順は狂ったが、お前を殺してゲームは再開だ。おっと、逃げた奴らは全員きっちりぶち殺してあの世へ送ってやるから、寂しくはならないから安心しな」

 

 そう言いながら突如ソードスキルを発動するデリンジャー。その構えはキリトが持つ最強の技と同じ。

 

「どれ、二刀流にも慣れてきたからな、やってみるか……『スターバーストストリーム』だっけか? バカ臭え名前だな……っと」

 

 言いながら煌めき始める剣の乱舞はまさしくキリト必殺のそれであった。

 眩いエフェクトに包まれながら、キリトがその時取った行動、それは……

 

「『スターバーストストリーム』‼」

 

「て、てめえ……」

 

 繰り出したデリンジャーのその技に、ドンピシャのタイミングで自身もまったく同じソードスキルを発動させた。

 お互いに全く同じタイミング……いや、キリトが完全に対称で剣を繰り出し続けることで、全てを弾き相殺してしまう。

 ソードスキルの無効化は本来特殊なアビリティなどが無ければ不可能なのだが、それとは別にもう一つだけ方法があった。それは全く同じ挙動で一分の狂いもなく攻撃を激突させること。その時に限りソードスキルの完全相殺が可能……と、そう理論上では言われていた。しかし、そのためにはコンマ1㎜秒以下での正確な追従が必要であり、しかも20連撃を超えるこのソードスキルに対して寸分違わぬ剣を繰り出す行為は正に『神業』。奇跡と呼んでも差しさわりがない。それをキリトはぶっつけ本番でこなしてしまっていた。

 焦りの色を隠せないデリンジャー。

 しかし、もはや何も怖れる必要はなかった。

 

『とりあえず死ね』

 

「ぐあああああっ」

 

 なんということはない。デリンジャーのソードスキルを完全にしのいだ彼であったが、そのソードスキルの発動後硬直に見舞われ、動けなくなったそこにファイアジャイアントの剛腕が振るわれた。

 炎を纏ったその巨大な拳は、剣を突き出したままのキリトの右腕を肩ごと抉る様に上から叩きつけ、ボキボキと不快な音を立てつつそのまま床にめり込ませた。

 巨人が腕を持ち上げてみれば、完全に右腕のへし折れたキリトがその右半身を地面に埋もらせたまま、必死に起き上がろうとしていた。 

 だが、赤い巨人はそれを許さない。

 

『さんざん手古摺(てこず)らせてくれたな。だが、もう終わりだ』

 

 そう言いながら、今度は彼の背中にむかって思いっきり足を踏み下ろした。

 ゴキャゴキャと何かが砕ける音を響かせつつ、巨人の踏みしめたそこを中心に蜘蛛の巣のような(ひび)が地面に走り、そのまま大きく陥没した。

 もはや彼の悲鳴すら聞こえない。

 

『ひひひ……『ササマル』の兄貴は容赦ねえなぁ、あーあ、これでキリト君の抵抗もおしまいか』

 

 そう笑う青い巨人が、踏みつぶされたキリトの様子をかがみこんで窺うと、そこには倒れたままでポーションを服用しているキリトの姿。

 

『こ、こいつ……』

『邪魔だ、どけ『テツオ』‼』

 

 大声で叫びながら、しゃがむ青い巨人を押し退けて再び殴りかかるファイアジャイアント。大気を揺るがす凄まじいその拳圧が周囲のNPCや建物を吹き飛ばしつつキリトに迫る。

 

 ……と、その時……赤い巨人の拳のすぐ鼻先を真っ白な光が駆け抜けた。

 轟音を響かせて大地を抉ったその一撃は衝撃波を発生させて周囲の全てを破壊していく。だが、その波をかわすかのようにジグザグに駆けるその白い存在は、飛来する全ての障害物を避け少し離れた地点にフワリと着地した。

 はためく白と赤の戦闘衣(バトルクロス)を纏い、少し茶色かかった長い髪をふぁさりと垂らした彼女は、その肩に黒の剣士……キリトを抱えていた。

 キリトはそっと地面に立つと、たった今彼を助けた存在へと苦々しい視線を向ける。

 その眼差しを受けた彼女は、フッと少し微笑んでから剣を構えた。

 二人の間にもはや会話はない。

 お互いにお互いを想い、お互いを守ろうとして尚、今こうして死に直面したこの場所に立った。相手を諫める言葉も、相手を(おもんぱか)る言葉も何も出てこない。

 ここに至って二人はもはや同じ想いだったから。

 キリトも再び剣を構えた。

 

 そうした二人に視線を向ける、2体の巨人とデリンジャー。唐突にデリンジャーが哄笑した。

 

「はーっはっはっはっは……あはははははは……おい、見ろよ『ササマル』、『テツオ』! 商品の方から来てくれたみたいだぜ。よーし、そうしたら計画をさらに変更だ」

 

 舌嘗めずりしたデリンジャーが卑しい笑みを浮かべたまま2体の巨人へと言った。

 

「キリトの目の前でアスナを犯せ」

 

『……了解』『えへへ、そうこなくっちゃ』

 

 巨人たちは返事をすると一気に二人へと駆け寄ってくる。それを静かに見つめていた二人は一度そっとその手を繋いだ。

 お互いの存在を、命を確かめ合う。

 この温もりをこの先二度と感じることが叶わないことを予感しつつ、二人はその手を放し、ソードスキルのエフェクトをその身に纏った。そして……

 

「「はあああああああああああっ」」

 

 向かってくる巨人達へ自分の命のすべてを掛けた突撃を敢行したのだった。

 

 

 

   ×   ×   ×

 

 

 静かだ……

 

 すごく静か……

 

 目が回るほどの激しい戦闘のさなかだというのに、音が何も聞こえない。

 でも不思議……

 身体はちゃんとに動いてる。きっちりソードスキルで攻撃して、ダメージを負えばすぐにポーションを呼び出してそれを使ってる……

 まるで別の人のことを見ているみたい……

 そしてずっと走っている……

 ああ、私ってこんなに速く走れていたんだ。景色がぐるぐる回って、自分がどっちを向いているのかよく分からないや……

 ええと……キリト君はどこかな……?

 

 あ……今チラリと見えた。真っ赤な巨人の拳と二刀流で撃ち合ってた。でも、もうボロボロだね……

 それは私も一緒か……

 さっきからこの青い巨人の攻撃を掻い潜っているけど、もう限界みたい。身体中もう傷だらけだし。それはそうだよね。だって私は一度この相手に殺されかけてたんだもの。それに、この相手のレベルは999になってしまったみたいだし……ちゃんとそう表示もされてるな。はは……こんなの敵うわけないよね。でも……

 

 もう決めたんだ、私は。

 

 ううん、きっと私だけじゃない、キリト君もそうだと思う。

 みんなを助ける為に最後まで戦うって……そう決めたんだ。

 

 レベルも圧倒的な上、完全回復や復活までも操るこの相手に勝つのは当然不可能。GM(ゲームマスター)らしいし。団長の時の様に、なぜ麻痺を使わないのかは不思議だけど、それすら必要ないってことなんだろうな。

 こんな相手に挑むなんて最初から馬鹿げていることだし、逃げるのが賢明なのは一目瞭然。でも、それは選択出来ない。

 私たちが逃げ出せば、他のみんなやクラインさんやリズベットは、(たちま)ちに蹂躙されて殺されてしまうことだろう。そして、この人達は再び色々な犯罪に手を染めて行く……きっとそう。

 

 だからこそ私は……私たちは逃げ出すことは出来ない。

 

 倒すことは無理。

 しかし、希望もわずかにだがあった。

 

 さっきエギルさんとも話が出来、この敵の正体も判明した。確かにこの『デリンジャー』という人は現実の世界で大きな権力を持っていて、そのせいで警察の動きが緩慢になっているのだということは予想出来た。

 でも、これだけの人の命が危険に晒されているのだ。当然ずっとは黙認出来ないはず……。

 特にこの『ゲーム』はタイムリミットが設定されている。期限は24時間。まだもう少し時間はあるけど、それを過ぎていつまでも警察が放置し続けるとも思えない。

 逆に言えば、リミットまで耐えることが出来れば、彼らも手を引くのではないか……。

 きっとエギルさん達も救助に全力を尽くしてくれているはず。それに、私たちに情報をくれた『たぐたぐ』さんだって、ひょっとしたらあの人たちを止める為に動いてくれているかもしない。

 そう……私は信じた。

 信じるしかなかった。

 

 これが私たちに残された最後の希望だったから。

  

 でも……

 

 状況はそんなに甘くなんかないよね。うん知ってた、分かってた。

 何度起き上がっても、何度相手に切り込んでも全く動じないその相手の姿に、それに意味を見い出すことは無理だった。

 強すぎるもの……

 圧倒的すぎるもの……

 理不尽すぎるもの……

 

 跳び跳ねつつ固い巨人の背中に刃を滑らせたその時、愛剣の耐久がついに尽きた。眩く輝きながら私の手の内から霧散して消えていく。

 

 ああ……ついに剣も折れちゃったか……

 

 さようなら……ランベントライト……私の分身……

 

 でも……

 

 まだ終わらないよ……

 

 そう思った時、私はインベントリから別の剣を呼び出していた。それを振るいながら戦闘を続けていた。

 焼け石に水ってこのことだよね。でも、最後のその瞬間まで私は絶対に諦めたくない。彼を守り続けたい。今はそれだけ……

 

 そう想い、無限とも思える時間を駆けていた私の目の前でその時が唐突に訪れた。

 

 青い巨人の攻撃を避けたその刹那……チラリと向けた視線の先でキリト君の右半身が赤い巨人の手にした巨大な金棒によって消し飛ばされてしまっていた。

 それでもまだその瞳に力を宿した彼は剣を振り上げようとしていた。

 私は……その瞬間に青い巨人の巨大な手に掴れてしまった。

 

 

   ×   ×   ×

 

 

『やった、やったぜ‼ 『ササマル』の兄貴‼ アスナを捕まえた。うへへ……さーて、楽しませてもらうとするかぁ』

 

 そう呟いた『テツオ』の言葉を聞きながら、『ササマル』は半身を失い、再びポーションを選択しようとしているキリトに向かって、今度は巨大な青竜刀を呼び出して斬りつけた。

 その一太刀は、一瞬でキリトの残された左腕を切断。その勢いのまま今度は剣を横凪ぎに払って、キリトの踏みしめていた両足を膝から下の位置で切断した。

 そして、『ササマル』は、巨人から人の姿に戻りつつ、自分達の持つ特殊なポーションを手にしながらキリトへと近づく。そして、そのポーションをだらだらとキリトへと振りかけた。

 

「このポーションは特別製でな。毒が混ぜてあるからほとんど体力は回復しないし、欠損した部位も復元しない。ふふ……まさかこれを男に使うことになるとは思いもしなかったが」

 

 そう話す『ササマル』の背後からデリンジャーが近づいてきた。

 

「よくやったなお前ら。くく、どうだキリト君。手も足も出ないってなまさにこの事だな。これから俺がお前の姿のままでアスナを犯してやるよ。きっとよろこんじゃうんじゃねえかぁ? はは……ま、そこでじっくり見物してるんだな。さーて、パーティーと行こうじゃねえか。へへへ」

 

 再びその顔を卑しく歪めたデリンジャー。だが、見下ろされたキリトはその瞳をまっすぐに開き睨んだまま身じろぎ一つしない。そのなんの動揺も見せない様子にゴクリと唾を飲んだデリンジャーは一度転がるキリトを蹴り飛ばした。

 背後の石柱に叩きつけられるキリト。だが、その表情が揺れることは決してなかった。

 

「ケッ……」

 

 吐き捨てるように声を漏らしたデリンジャーは振り返り、まっすぐにアスナを捕まえている『テツオ』の元へと向かった。

 デリンジャーにはこの様な力強い表情をするキリトの心境が理解できなかった。

 未だかつて、死の縁にあって絶望に沈まない人間を見たことがなかったから。大抵の人間は命乞いをし、媚びへつらい、無様に醜態を晒していった。

 命を繋げるなら、助かるなら、どんなことでもしてしまうのが人間だと彼は知っていた。

 その恥態を散々に楽しんだ上で、殺すか凌辱するかを選べば良い。そうして壊していった数多くの女はそして、金へと変じていったのだから。

 このキリトの態度はなんなのか……。

 自分の大切な女が今目の前で汚されていくことを知って尚、なぜあんな顔をするのか。

 

 まあいい……。

 と、そうデリンジャーは納得し、考えるのをやめた。

 

 どの道、今ここでアスナを犯せば全てがわかるのだ。

 

「おい、『テツオ』。アスナの腕と足をへし折ってからこっちに寄越せ」

 

 膝を突く青い巨人の前でデリンジャーはそう声を掛けた。

 しかし……

 青い巨人……『テツオ』は返事をしない。

 それどころか、先程から、微動だにしていなかった。

 

「おい、ぁくしろよてめえ。俺の言うことが聞けねえのかよ、オラッ‼」

 

 そう吠えたその時……

 

『け、ケイタ……さ……ん……す、すいませ……ん……』

 

「はぁっ?」

 

 唐突に謝る『テツオ』に呆気にとられたデリンジャーだったが、その顔に怒りの色を浮かべてもう一度怒鳴りつけようとしていた。だが、そうはならなかった。

 

 なぜなら……

 

 ズル…………

 

 ドチャリ…………

 

 デリンジャーは信じられない光景を目の当たりにすることになる。

 そこにいた巨大な青い巨人は、突然その頭部が180度回転し、頭頂部を下にしてずるりと頭だけが落下……不快な音を立てて床に落ちた。

 

「な……な……」

 

 驚くデリンジャーは、更なる驚愕を味わうことになった。

 それは、崩れるように横倒しになった青い巨人……『テツオ』の身体が弾けるように消滅したその場所で……

 

 彼らが獲物と定めた可憐な少女が、十字架を象った長大な剣と、やはり十字の紋様の入った真っ白な大盾を構え、ジッと彼らを睨みつけていたからだった。




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神聖剣

 ここは……

 

 漆黒の闇が支配するその世界に私は居た。

 なぜ自分がここに居るのか、どうやってここに来たのか判然としない。

 手や足や色々な感覚もないままに、ただ虚ろな状態で水面に漂うかのように私はそこにいた。

 

 でも……

 

 確かなものが一つだけあった。それは胸の奥底をぎゅうぎゅうと締め上げているかのような強烈な痛み。そのあまりの苦しさに涙が溢れそうになる。

 苦しくて、切なくて、悲しい。

 そして、少しずつ頭のなかの(もや)が晴れるかのように、断片的な記憶が私の中に蘇りはじめ、そしてあの光景を鮮明に思い出した。

 

「キリト君‼」

 

 それはこの世界で私がもっとも愛する人のあまりにも凄惨な姿。身体の半分を巨大な鈍器で叩き潰され間違いなく瀕死となった状態。そんな姿を見た瞬間世界が暗転した。

 

 私……

 まさか私……死……

 

”いや、死んではいない、まだね”

 

「え?」

 

 唐突に脳に注ぎ込まれてくるかのようなその声……私はその声の主を求めて周囲の暗がりを探した。

 すると、暗闇に佇む一人の男性の姿が……。

 ユージーン将軍のような真っ赤な全身鎧で片手に十字の紋様の入った大きな盾を持ったその人のことを、私は忘れたことはなかった。

 

「ヒースクリフ……団長……いえ、茅場……晶彦……」

 

”…………”

 

 彼は微かに笑いそして目を閉じた。

 

 私は拳をぎゅうっと握りしめ、怒りを込めて彼を睨んだ。そして、込み上げる衝動を必死に抑える。

 私には彼の存在を認めることは到底できない。

 この世界の全てを産み出した『親』であり、多くの人の命を奪った『死神』。信頼していた私たち仲間全員を裏切った最悪の『詐欺師』であり、この世界を破壊した『悪魔』でもあった。

 崩壊していく浮遊城アインクラッドを死の縁に居ながらキリト君と二人で見つめていたあの時、彼は自分の世界の完成に満足し、そして自分の命と引き換えにこのネットワーク世界の一部となった。私はそのことを知っている。

 でも、そのために犠牲になった多くの命……。

 閉じ込められ、絶望し、人の尊厳を踏みにじられながら死んでいった多くの人たち……。

 彼らを死に追いやったのは間違いなく彼だ。

 自分の理想の為に多くの人を殺した彼は、許されてはならない『罪人』に他ならなかった。

 

「なぜここにいるんですか? また私たちが死ぬ姿を見に来たんですか?」

 

 怒りを込めてそう言い放った私を、彼は静かに見つめ返してきた。

 その瞳に私は一瞬たじろいでしまう。

 それは、かつて私たちが共に手を取り合って階層攻略を進めていたときに良く見ていたそれであったから。

 

 あの頃……ただがむしゃらにクリアーを目指して戦っていた私たちにとって、彼……ヒースクリフ団長はまさに心の支えだった。

 『血盟騎士団』結成以前、トップラインを走っていた私達は即席パーティを組んでボス攻略に挑んでいた。けれど、ボスの攻略は一筋縄ではいかず、低層であっても毎回多数の死者が出てしまっていた。

 それは私達の心を折るには十分な材料。

 アバターであるこの身体の死=現実の死という過酷な条件に、全てのプレイヤーの気持ちは弱っていた。

 そんな時だった、彼が現れたのは。

 彼は銀の長髪を後ろで束ね、ドロップしたばかりだという大きな白い盾とそれと対になっているかのような長剣を携えて私達の前に立った。

 あの時……私達は魅了されてしまったのだ……

 誰もが怯え、誰もが逃げたいと思ってしまった強大なモンスターの前に、一人立ち向かった彼の姿に。

 圧倒的なモンスターの暴力を盾で防ぎつつ、何度も剣を振るったその姿に……

 あの時、私達は彼と共にボスモンスターを攻略した。一人の犠牲者も出さないままに。そして彼が私達一人一人に声をかけたのだ。

 一緒に戦おうと。力を合わせようと。

 そして私は……私達は……その手を取った。

 

 今思えば、遅々として攻略の進まなかった私達の姿に業を煮やした彼が介入してきた……ただそれだけのことであると容易に認識できている。

 でも、少なくともあの時は、私達の希望だった。死の絶望しかなかった私達にとって、ひょっとしたら、もしかしたら生きて帰れるかもしれないという本当に小さな希望へと繋がることになった。

 

 だからこそ、許せない。茅場晶彦を決して許さない。

 

 何人も死んだ。目の前で散っていった。

 生き残るために、生きて帰る為だけに文字通り命がけで必死に戦ったみんなを、彼は近くで見ていたのだ。見て、決して救わなかった。

 

「人の命を……あなたはなんだと思っているんですか‼」

 

 怒りに任せて吐き出たそんな言葉。

 自分自身が震えているのを感じながら、なぜもっと強く彼を罵倒出来ないのかと、その苦しさに胸を押さえる。

 そんな私を見ながら彼は口を開いた。

 

”生きるか死ぬかは大した問題ではない。大事なのはその人物が生きるに値していたかどうかだ。そういう意味では、君やキリト君は死ぬことが相応しくはないと思っている”

 

「ふざけないでっ‼」

 

 かぁーっと身体の芯が熱くなる。怒りで心が壊れてしまいそうな感覚。私はこの目の前の存在を今すぐに殺してしまいたい衝動に駆られていた。

 許せない。

 私達を追い込んだ張本人。そんな人が言っていい言葉ではない。

 

「自分のしたことに何の呵責もないんですか? あなたは死んでいった人たちに何も思わないんですか?」

 

 あのデスゲームに巻き込まれさえしなければ、私達は誰も死なずにすんだ。彼が暴挙に出さえしなければ、みんなは今でも生きていた。そう、彼らだって……。

 ふっと脳裏を過ったのは戦いの中で散っていったかつての仲間達の姿……そして、今キリト君を苦しめてしまっている月夜の黒猫団の面々の顔。

 ヒースクリフは一度目を伏せた後で言葉を紡いだ。

 

”君は……思い違いをしている。私が用意したのはただの舞台。それは今この時も拡がり続ける新たな人類の住み処の一つでしかなかった。そこで生きる意味を私は提示したにすぎないよ”

 

「それは詭弁です。あなたがナーヴギアを開発しさえしなければ、誰も死なずに済みました!」

 

 それは間違いない。

 彼がVRワールドを作り上げただけならば全く問題なかったのだから。そしてナーヴギアに人を殺傷する仕掛けを施しさえしなければ。

 

「あなたがどんなに言葉を重ねようと、人の命を奪ったことに変わりはありません。例えどんな崇高な理想や理念があったとしてもです。私は……決してあなたを許さない」

 

 睨んだその先には、少し淋しそうな表情をした団長の姿が。彼は私から視線を外しつつ呟く。

 

”やはり、君達と想いを共有することは出来ないようだな……君達ならば或いはと……いや、もう話すまい。それよりもだ……”

 

 彼はそっと私を覗き込むように見つめてきた。

 

”今君は『力』を欲しているのではないか? この窮地を脱するための”

 

「『力』……?」

 

 彼の言葉に私の心は揺れる。

 今直面しているこのデスゲームに()いて、確かに私たちは死に直面している。そして助かるための万策は尽きたと言っても良かった。私も彼も既に覚悟を決めて挑んでいるのだから……。

 それでも、素直に諦めることは出来なかった。

 叶うなら、全員を助けたい。彼と生きて帰りたい。そう切に願っているのだから。

 でも、それは限りなく不可能に近いということを私は理解してしまっていた。

 

「もし……もしあなたが、私の生み出した幻影などではなく本物の存在で、その『力』を本当に授けてくれるというのなら、お願いします。どうか私に『力』を与えてください。彼を救うための『力』をください。お願いします」

 

 私は懇願した。

 身体が自由に動くのなら土下座でもなんでもしたい思いだった。

 どんなことでもいい……彼を救うことが出来るのなら、私は自分の全てを(なげう)っても構わなかったから。

 たった今の今まで目の前の存在を否定し続けた私は、恥も外聞もなくその存在に頼った。

 それは非常に醜い行為であったと思う。

 

 しかし……

 

”いいだろう……君に私の持つ『力』を与えよう”

 

「え?」

 

 彼は即答した。

 見れば、その瞳をまっすぐにこちらへ向け微かに微笑んでいる。そんな彼が言葉を続けた。

 

”だが、勘違いしないで欲しい。私は君たちを哀れんだり、情けをかけたいが為にこうする訳ではない。君は『資格』を得たのだ。この全ての不義を断罪する刃・『法の剣』と、全ての理を守る楯・『秩序の盾』を持つ資格を……そして、この『神聖剣』のスキルを……”

 

「神聖……剣? そ、それって、団長の……」

 

 『神聖剣』それは彼……ヒースクリフのみが使うことの出来た『ユニークスキル』の名称。十字の長剣と十字の大盾を振るうことで決して相手に反撃を許さなかった攻防一体の強力なスキル。その戦う様は美しいとしか形容出来なかった。

 流れるように敵の攻撃を()なしつつ繰り出される強烈な剣の一撃は、必ずと言ってもいいほど相手の急所を抉っていた。そんな圧倒的とも言える戦い方はどんな乱戦であってもほとんどの攻撃をしのぎ、彼のLIFEゲージがオレンジに変わることは一度としてなかった。

 あの75層のキリト君とのデュエルの際も、システムアシストなしでキリト君の高速の二刀流の猛攻を防ぎ続けていたし……。

 そもそも創造主(クリエイター)である彼の為に用意されたユニークスキル……それがどれほどの強さを秘めているのか想像に難くない。

 彼は私に説明を始める。

 

”『神聖剣』は私が『ソードアート・オンライン』の世界を守る為に用意したユニークスキルだ。確かに攻守に優れた多くの技が組み込まれてはいるが、大事なのはそこではない”

 

 ヒースクリフは自分の盾に収納されたその長剣を引き抜くと、天高くそれを掲げた。

 

”このスキルの最大の効果は、『状態変更無効化』にある。蓄積された経験値以上の成長分……すなわち不正に上昇させたステータス数値を『無視』して攻撃・防御することが可能にしてある。私は秩序を乱す者を決して許すつもりはなかった。言わばこれは私なりの『安全装置』だったのだ”

 

「どうして……それを私に……? 私は資格なんて持った覚えはありません」

 

 最大の疑問を彼へと投げた。

 このスキルを私が今使えると言うのなら、これ以上心強いことはない。でも、私は団長とは違う。彼の志を引き継いだわけでも、彼の理想を叶えようとしているわけでもない。それなのになぜ私に……。

 そんな私に彼は言った。

 

”この世界は『紛い物(まがいもの)』だ。しかし、限りなく『本物』でもあるのだ。そして君たちはこの世界を『愛おしい』と思っている。違うかね?”

 

「ち……違……」

 

 『それは違う』と即答は出来なかった。

 私にとって『ソードアート・オンライン』の世界はただ憎いだけの存在では無くなっているのだから。ここで出会い、ここで育んだ多くの出会い、幸せ、夢、そして愛……それらはすでに私の中の大事な何かになっていた。もはやこの世界を切り捨てていいとは思えなくなっている。

 

”そうであるからこそ、『神聖剣』は君を選んだ。この世界を守るために。さあ、受け取るがいい。君の新しい『力』を。そしてどうか救って欲しい、この世界と……それと闇に呑まれてしまった、『彼女』のことを……”

 

「え……それって、いったい……」

 

 団長は私を見つめてそこまで言うと、私に向かって『剣』と『盾』を差し出してきた。でも今の私にそれを受け取ることはできない。

 どうなるのか見つめていると、その剣と盾が光輝きながら私の眼前で消滅した。

 消えてしまった……と思うのもつかの間、そっと目を閉じるとインベントリに確かに『剣』と『盾』が収納されたことを感じる。そして、あのユニークスキルも……。

 再び目を開くと、薄く微笑んだ彼がその姿を消失させようとしているところだった。

 

「団長‼ 教えてください‼ 『彼女』とはいったい誰の事なんですか? 私は一体どうすればいいんですか?”

 

 消え入る彼は何も答えなかった。ただ向こうを向いて歩み去っていく。

 私は大きく深呼吸を一つしてから決意した。

 今は他の事は後回しだ。

 なんとしてもキリト君を救ってみせる。そのためならば、鬼にでも修羅にでも何にでもなる。

 だからお願い……

 

 死なないで、キリト君‼

 

 そして私は……

 

 ソードアート・オンラインという『現実の世界』に舞い戻る。

 

 この世界を守護する最強のユニークスキルと共に……




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反攻

「な、なんだ? お前は……ど、どうやって『テツオ』を……」

 

 一瞬でフロストジャイアント……『テツオ』の頭部を切断し倒してしまったアスナ。

 その様子を見つめ、唖然となったデリンジャーがそうこぼすのを、彼女は鋭い眼光で一瞥(いちべつ)した。そして地面へと転がってしまった小さな青い石へとそっと手を伸ばし、それを大切そうに拾い上げてから胸へとそっとおし抱いた。

 この石には、『テツオ』に捕まってしまっていた彼女の大切な娘、ユイが閉じ込められている。彼女はもう二度と離さないとぎゅっとその石を抱いた。

 その一連の動きを呆然と見つめていたデリンジャーは、ハッと我に返り慌ててシステムログイン画面を表示、そして『テツオ』を復活させる為のコマンドを入力しようと慌てて動き出していたが、目の前の彼女はそれを許さなかった。

 ユイの石を落とさないようにインベントリへと収納した彼女は、キッと眼前の相手を再び睨んでから一気に加速して切迫する。

 

「くっ……」

 

 光が差し込んだかのような錯覚を覚える煌めく刃……強烈な長剣の突きを繰り出すアスナの一撃を、システムアシストを使用しているデリンジャーは強引に避けるも、あまりの速度に身体が激しく揺さぶられた。

 そんなデリンジャーがとっさにとった行動は、自分が絶対の信頼を置いているユニークスキルの発現。

 伸ばした右腕のその手の平に小型の拳銃を即座に具現化し、銃口を通りすぎスキル発動後硬直で動けないはずのアスナの頭目掛けて躊躇いなくその引き金を引いた。

 

 パァアアアアン……

 

 甲高い発射音と同時にその銃口からは煙が立ち上る。彼女の後頭部目掛けて発射したことを確信したデリンジャーはその口角を上げ、卑しい笑みを浮かべた。確実に殺すことが出来る急所を狙ったのだから。

 

 だが……

 

「なっ……」

 

 拳銃の先……撃たれ絶命しているはずのアスナに視線を向けて彼は絶句する。

 そこには、大型の白い十字の盾を後ろ手で構え、完全に拳銃の一撃を防いだ彼女の姿があったのだから。彼女は硬直を見越して盾を背後に廻しその上半身を覆うように構えていた。盾の上部に弾丸の接触した箇所があり、そこからキラキラとエフェクトが立ち上っている。

 

「ちぃっ……」

 

 デリンジャーは再び銃口を彼女へと向け、今度は盾で隠れていない腰部に狙いを定め即座に発射。

 しかし、硬直が溶けた彼女が直ぐ様跳躍したことで簡単にかわされてしまう。

 慌てて銃を消した彼は再び剣に手をかけた。

 彼の小銃の弾の装填数は2発のみ。急所への直接攻撃により100%致死させる絶大な威力がある反面、発射後は次弾装填までに時間を要するというデメリットがこの武器(スキル)にはあった。

 今まではこの武器(スキル)を秘匿していたこともあり、かつ使用するのは最後の仕上げ……散々嬲った上での止めの一撃として使用していた為、例え2発しか弾が無かろうがそれが短所にはなり得なかった。気がついた時には相手はもう死亡しているか、自我が崩壊しているかのどちらかであったのだから。

 

 だが、今は違った。

 アスナには手の内を知られている。

 

「遅いっ!」

 

「くぅっ……」

 

 空中で長剣を大きく振りかぶったアスナの高速の一撃……凪ぎ払う様に振るわれたその一閃は、完全にデリンジャーを捉えていた。

 システムアシストを使用している彼は当然のように回避……となるのだが、アスナはそれを読んでの一撃だった。

 大振りのその長剣の刃を避けるべく超高速で強制移動させられたデリンジャーの身体は、アスナの一閃よりも速い挙動で後方へと、まるで何かに弾かれたかのように猛烈な速度で吹っ飛んだ。そのまま背後の石柱へと叩きつけられる。

 

『このアマぁ。調子に乗るんじゃない』

 

 そう声を張り上げるのは、デリンジャーの背後に控えて、再びファイアジャイアントへとその姿を変えた……『ササマル』。彼はその腕に先ほどキリトを叩きつぶした金棒を呼び出し、何かの魔法を詠唱……金棒を含めた全身に炎を纏って、大上段から彼女目掛けて振り下ろした。

 巨大なその得物の一撃は、大地を抉り、その衝撃波だけでも周囲を破壊し尽くせる威力があることはすでに明白。例え俊敏に彼女が避けようにも、更に広範囲を焼き尽くす勢いの炎からは逃れる術はない。

 『ササマル』はこの一撃で確実に彼女を殺すつもりであった。

 

 だが、やはりここでも彼らの想像していなかった事態が発生する。

 

 ッガアァァァァァンッ‼

 

 鳴り響いたのは地面を抉るはずの衝撃音でも爆発音でもないものだった。

 甲高いその音は、金属と金属がかち合う音……

 

 その光景はまさに異様そのものだった。

 

『ばッ……ばかなっ……』

 

 唖然とするのは炎の巨人。その一撃は地面に届かず、その手前で盾を構えた少女によって完全に防がれてしまっていた。

 自分の身体の数倍はするその巨大な塊を、片手だけで受け切ったアスナ。しかも、グッと一度足に力を溜めた彼女は、勢いをつけてその金棒を弾き返した。

 

『く……くそっ‼』

 

 赤い巨人は再び金棒を振り上げると、今度は連続で彼女に叩きつけ始める。太鼓やドラムを乱打するかのような凄まじい連打は、周囲に突風を巻き起こし、家やNPCや様々な物を吹き飛ばした。しかし、彼女は揺らがない。

 その場でただ盾を構え、全ての打撃を完全に受けきりそして、間隙をついてその右手の長剣をまるで自身が慣れ親しんだ細剣(レイピア)の如く凄まじい速さで繰り出した。ソードスキルの輝きを放ったその一撃は、金棒を握る巨人の右腕部に到達後一瞬でそれを切断。振り下ろす勢いのままに切り離された腕が彼方へと飛んでいく。

 

『まだだぁっ‼』

 

 叫びながら、残された左腕で彼女の側面を殴りつけるファイアジャイアント。

 彼女は、攻撃後その一連の挙動のままにくるりと一回転し、自分の身体と巨人の拳の間の地面に盾を突き刺したところで硬直した。

 

 渾身の力で殴りつけたファイアジャイアント……盾もろとも彼女を殺す勢いで放ったその剛拳。だが、破壊されたのは拳の方であった。

 盾に接触すると同時に真っ赤なエフェクトをまき散らせながら巨人の左腕が爆散する。

 

『ぎゃあああああああああ、お、俺の……俺の腕がああああ、貴様ぁあああああああああ‼』

 

 腕を見ながら絶叫するファイアジャイアント。そんな彼を、硬直から解放された彼女は静かに見上げ、そして、再びソードスキルのエフェクトを身体に纏わせた。

 振るうのは彼女必殺のソードスキル、『フラッシング・ペネトレイター』。腰を落とし踏み込んだ彼女が巨人に飛び掛かりながら無数の剣を放つ。

 まるで光の乱舞。その輝きが納まった時、巨人は肉塊となってその場に崩れ落ちていた。

 

「ふう……」

 

 彼女は光となって消えていく巨人を見ずに、その場で大きく息を吐いた。そして剣を握った自分の腕に視線を落とす。その腕はがくがくと震えていた。

 モンスターのような姿になっていたとはいえ、あの巨人達はプレイヤーであった。

 その相手を彼女は殺意を持って殺したのだ。

 それが出来てしまったことが何より彼女には恐ろしかった。みんなの為……愛する人の為ならば殺人も行えてしまう。それが人間本来の根源的な欲求から来るものであることを彼女はまだ理解はしていないが為に、ただただ自分に恐怖した。

 慰めであったのは、この相手は多分死んではいないということ。

 GM(ゲームマスター)である彼らは、自分たちの都合の良いようにアバターを弄っているはず。彼らがアミュスフィアのパルスを操作しているとしても自分達には適応させないはず。そう判断出来るからこそ、とにかく今は急がなくてならなかった。

 

 彼らがこのゲームを始めた理由を彼女はある程度理解していた。

 一つは、パーソナルセキュリティーシステム販売促進のためのVRMMOのプロモーションの為。これはデリンジャー達自身が表明したことでもあり、そして現実世界ではまるでお祭り騒ぎになっていることを彼女も確認している。

 もう一つは、それに伴う犯罪行為。彼らはクライン、リズベットだけでなく、キリトやリーファ達の身体も確保している可能性が高く、現実世界でどのような凶行に及ぶか、それを最も懸念していた。

 

 『神聖剣』のソードスキルの獲得によって、この世界での彼らの圧倒的なアドバンテージが消滅した今、彼女には全員を助けられるかもしれないという微かな可能性が見えていた。

 そのためには、まだ死んではいないはずの相手……デリンジャーと交渉する必要がある。

 彼らに彼女たち全員の命を保証させる交渉……。

 その為に何が必要なのか、少ない時間の中で必死に考えた。

 彼女は心を落ち着かせて呼吸を整えてからそっと顔を上げる。

 

 進む先はあのデリンジャーの元。

 普通の会話が成立する相手だとは到底思えない。しかし、それでもそれをしなくては、彼女は仲間達を救うことが出来ない。

 そのように、覚悟を固めた時であった。

 

「もう大丈夫ですよ、アスナさん。ここまで本当にありがとう」

 

「え?」

 

 急に声がして彼女は振り返る。

 そこには、黒の長髪に青いローブを纏った背の高いスプリガンの男性が立っていた。




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復讐者

「くそがぁ……」

 

 身体を石柱へと激しく叩きつけられたデリンジャーは、悪態を吐きながらも今目の前で起こった信じられない事態に思考を巡らせていた。

 つい先ほどまで自分たちの独壇場であったこのフィールドは、今やアスナにされるがままとなってしまっている。現時点においてキリトに次ぐ高レベルのプレイヤーであるとはいえ、そのLV(レベル)は100を超える程度。対して、デリンジャー達は全員LV999に変更されており、各種パラメーターは激増しているわけでそんな状態の彼らにたかだかLV100程度のプレイヤーがダメージを負わせることが出来る道理はなかった。

 しかし、現実に目の前で蹂躙されているのは高LVであるはずの彼らの方。

 一瞬で『テツオ』が切り殺され、自分もまたシステムアシスト越しに弾き飛ばされた。そして今まさに目の前で『ササマル』がその暴力を振るい殺しにかかっているというのに、彼女には攻撃が届く様子が全くなかった。

 事前の調査では、アスナにここまでの耐久性や攻撃力は備わっていなかったはずだ。

 突然に成長したのか、あるいは自分たちの様になにかドーピングを施したのか……。

 管理者権限を持ち合わせているデリンジャー達よりも強く設定する術など普通ならあるわけがない。ならば何が起こったのか……。

 そうこう考えているうちに、今度は『ササマル』が細切れにされて消滅した。

 

「なんなんだ、あいつは……」

 

 砂塵舞うその広場で、しばし佇んでいる彼女を見ながらデリンジャーは現状把握どころか全てを理解できず困惑のままポツリと呟いた。

 だが、答えは当然見つからない。

 変わった点と言えば、今彼女が使用している盾と剣くらいな物。いったいあの装備はなんなのか……。

 アスナの装備は細身剣(レイピア)のみだったはず。あのような騎士盾(カイトシールド)長剣(ロングソード)の装備の話を彼は聞いたことはなかった。

 だが、だからと言ってこのことが彼女の圧倒的な強さに繋がるとは考えなかった。

 

 彼は悶々としながらも、答えの出ない現状把握を諦めることにした。

 

 例えアスナがどんなに強くなろうとも、決してダメージを負うことのない自分には大した問題とはならない。

 死んだ『テツオ』と『ササマル』についても、簡単な操作で再び復活させることが出来るはずだ。そのように出来ると『彼』から聞いているのだから。

 なにも問題はない。

 予定とは違ってしまったが、プレイヤーは全員殺す。

 そしてこのゲームを自身でクリアーすることで今回のプロモーションも完了だ。

 後は政官財の顔役達に金と女をあてがい、今回のイレギュラー部分を全て揉み消してしまえばいい。そうすれば健全なキャンペーンのみが残って最高のプロモーションが完成する。

 そして邪魔なアスナだが……それこそ一番簡単だ。

 奴を黙らせるちょうどおあつらえ向きな『モノ』がそこに転がっているからな……くくく……。

 

 そう思いながらほくそ笑む彼の前に、二つの人影が立ちふさがった。

 

 一人はアスナ。

 厳しい表情の彼女が見つめるのはデリンジャーの足元……そこに手足をもがれ仰向けで転がったままになっている彼を、苦しそうに表情を歪めて見つめていた。

 そしてその隣で彼を睨み付ける存在、それは……

 

「てめえ……」

 

「年貢の納め時ですよ……『社長』」

 

 そう話すのは、青いローブを纏ったスプリガンの男。そのアバターの正体を彼は当然知っていた。

 

「てめえ、『田口』。よくも裏切りやがったな」

 

 その言葉に青いローブの男……『田口』は苦々しい表情で返事をした。

 

「裏切るもなにも、私は始めからあなたの側に立ったことなど一度もありませんよ。ただ、社長……あなたのお父上からあなたを監視するように申しつかりはしましたがね……」

 

「なんだとっ! てめえは親父のスパイだったのかよ」

 

 いきり立ってそう詰め寄るデリンジャーに田口は厳しい表情のまま口調穏やかに続けた。

 

「……それだけではありませんが、私は確かにあなたのことをずっと見続けてきました。今日この時、こうしてあなたと話す為に……」

 

 身体を震えさせたデリンジャーが額に血管を浮かび上がらせながら田口へと迫る。

 

「俺に歯向かって、どうなるか分かってんだろうな? ああっ!? てめえには……確か娘が一人いたよなあ。可愛い可愛い一人娘……たしか今年高校に入学するとかって話だったか……あーあ、こんなくそ親父のせいでもう二度と普通の生活送れなくなっちまったなあ。あーあ、可哀想になぁ」

 

「えっ!?」

 

 ニヤけたデリンジャーが言ったその言葉を聞いたアスナは慌てて田口の顔を見た。

 家族を襲うと明言したその言葉。普通であれば恐怖して取り乱して当然である。

 しかし、彼女が見つめた田口はまったく動じてはいない。影を落とした静謐なままの表情でデリンジャーへと視線を注いでいる。

 そんな彼はポツリとこぼす……。

 

「そんなことはもうどうでもいいのです」

 

「あっ?」

 

 動揺を見せない田口に対し、デリンジャーは激高した。

 

「マジでぶっ殺すぞ、てめえも、てめえのクソ不細工な娘も! このくそがぁっ! この俺に楯突くとどうなるか本当にやられねえと分かんねえみてえだな、ああっ‼」

 

 吠えるデリンジャーに田口は……

 

「構いませんよ。私の命など……もうどうでも……それに愛しい娘の命を奪うことも、もはやあなたには不可能ですから」

 

「た、たぐたぐさん……それって、どういう……まさか……」

 

 田口の言葉を拾ったアスナが、彼の穏やかな顔を見ながらハッと気が付き、みるみるその顔を青ざめさせていく。そんな彼女に視線を向け、田口は優しく微笑んで言った。

 

「娘は今年高校に入学する……はずでした。生きていればですけどね。そうです。私の娘は死にました。この目の前の(けだもの)達に嬲られ、彼らの目の前でその命を自ら絶ったのです」

 

 静かに……しかし、湧き上がるような怒り、憎悪、苦しみの籠ったその重たい声……田口のその言葉にデリンジャーはびくりとその身体を震わせる。そして、慌てて言葉を紡いだ。

 

「う、嘘だな……俺達は『田口』なんて奴を襲ったことはねえぞ。そうだ……あの目の前で自殺した女……あいつはそんな苗字じゃなかった……間違いねえぞ、へへ……てめえ、適当なことぬかしてんじゃねえぞ!」

 

 へらへらと笑いながらそう返すデリンジャー。

 そんな彼に向かって、田口は言葉を続けた。

 

「……簡単な話ですよ。私は妻と離婚しました。ですから娘は妻の旧姓になっていたというだけのことです。娘の死を知った時……私は必ず犯人に復讐すると誓いました。そして必死になって犯人を探しました。警察の捜査は遅々として進んではいませんでしたけどね、その理由は言うまでもないでしょうが……私は独自に調査してあなた方へと辿りつくことが出来ました。あなた方が犯人だと確信した時の私の心境をお分かりになりますか? その時私はすでにこの開発部の部長で、実行犯のほとんどは私の部下。そして、上司にはあなたがいた。歯を食い縛る思いとは正にこのことでしたよ。私は、あなた方を仕留める(・・・・)機会をただただずっと待ち続けていたのですよ」

 

「てめえ……」

 

 デリンジャーは手元にコンソールを呼び出して何かの操作を進める。だが、上手くいかないのか、何度も何度も指を滑らせていた。それを見ていた田口は憐れんだ眼差しを彼へと向けた。

 

「彼らを復活させようと思ってももう無駄ですよ。彼らはすでに死んでいます」

 

「な、に?」「え……」

 

 驚愕して目を見開くデリンジャー。そして、田口の隣に立つアスナもまた驚きにその身体をワナワナと震わせていた。

 田口はアスナに向かって穏やかに話す。

 

「大丈夫ですよアスナさん。彼らはアミュスフィアの電磁パルスで死に至った訳ではありません。ですからあなたが気に病む必要はまったくありません」

 

 アスナは彼の言葉を噛み締め、そして戦慄した。

 目の前に佇むこの穏やかな男性は、間違いなく人を手にかけたのだ。

 その事実を彼女は、言葉からだけではなく、彼が纏う『死の影』からも感じ、そして理解した。

 彼はすでに命を狩ってきたのだと……。

 

「お前……マジで殺しやがったのか……」

 

 デリンジャーのその言葉を聞くと、田口は世間話でもするかのように話を続けた。

 おぞましい言葉を用いて。

 

「ええ、そうです。彼らを『殺す』前に娘の話をしましたら、皆一様に謝罪してきましたよ。もっとも、どんなに謝ろうと決して許す気はありませんでしたがね」

 

 そのあまりに静かな雰囲気にアスナは思わず口を押さえた。恐怖に身の毛が弥立(よだ)つのを感じてしまったからだ。

 田口は淡々と話しながらも、デリンジャーに対しては鋭い視線を向けたまま、決して目を逸らそうとはしなかった。

 

「あなた方は狡猾でした。常に仲間全員でネットワークを共有し、例え一人きりになったとしてもすぐに連絡が回る態勢をとっていました。それが分かったからこそ、私はあなたの言いなりとなり、陰日向関係なく従ってきたのです。そんな苦渋を飲む日々も今日までのこと。あなたが『彼』の進言に乗り、このイベントを開催することが決まり、私はようやく解放されたのです。娘の仇に従い続ける日々からね」

 

 田口は一旦ほうっと大きく息を吐いてから続ける。 

 

「この日を待ったのには二つの理由があります。一つはあなた方が一堂に会しこの世界に来るだろうと予想できたこと。イベントならばあなた達全員ほぼ同じ行動を取ることは分かっていました。案の定こうしてあなた方は集まった。お陰で安心して全員始末できるというわけです」

 

 彼の言葉は理路整然としたもの。

 とても今、『殺人』を犯してきたなどとは一般の人には見えないことだろう。

 

「そしてもう一つは、あなた方から犯行の言質をとるため。残念ながら私にはあなた方が犯罪に関わったという確実な物的証拠を手にいれることは出来ませんでした。かなり周到に隠滅されていましたからね。別にそれを手に入れたと言って何も裁判をしようなどとは思っていませんでしたよ。あなた方の犯罪を如何に立証しようとも所詮数年から十数年の懲役刑しか日本の法律では科すことが出来ませんから。言質は被害に遭った全ての人に対してのささやかなお見舞いのようなものです。あなた方はこのSAO世界の報道を自分達が管理していたと思っているようですが、それは違います。私もきっちり見ていましたし、そしてしっかり記録もさせていただきました。まあ、これを放送しようなどとは思ってはいませんけどね。でも、これのお陰で私も遠慮なく彼らに刃を突き立てられましたよ」

 

 刃と言われ、隣のアスナはびくりと身体を跳ねた。

 まさに自分も現実の身体はナイフで刺されたのだ。

 もしかしたら、自分を刺したのはこの田口なのではないか……えもいわれぬ恐怖が彼女の頭を満たしていった。

 田口の言葉は終わらない。

 

「あなた方は私の予想していた以上に様々なことを暴露してくれました。これも全てアスナさんやキリト君のお陰……いや君たちには本当に辛い思いをさせてしまったと思っている。この償いは必ずしよう。約束する。君たちの奮戦のおかげで彼らが私に油断してくれて助かりました。簡単に殺すことが出来ましたからね。そして、その仇討ちもあと一人……」

 

 そこまで言ったその時、唐突に田口を包む雰囲気が一変した。

 

「『貴様』を殺して全てを終える」

 

 田口の目の色が変わった。もはやその殺意を隠そうともしなくなった。

 ギラリと光るその眼光に見据えられたデリンジャーもたじろぐ。

 

「ま、待て田口……まさかお前……『あいつ』と接触してやがるのか? まさか『あいつ』は最初からこの俺を嵌める為に……お、お前は最初ッから全部知ってたってことか? おい、答えろ」

 

 そう問い詰めるデリンジャーに田口はやはり静かに返す。

 

「『彼』の目的は『貴様』ではない。だが、『彼』は私と志を同じくする者だ。それがどういうことか……貴様には分かるだろう? 私は今まで何度も貴様を殺す機会を窺っていた。だが、お前は油断を決して見せなかった。今回もそうだ。貴様は仲間達のそばにはいない。大方海外かどこかに潜んでいるんだろう。だが、それは分かっていたことだ、わざわざ探そうなどとは思わない。貴様のことは現実世界ではなく、この仮想世界で『殺す』ことにしたのだからな」

 

「く、くそっ」

 

 慌てたデリンジャーは右手を伸ばすと直ちにその手の中に弾丸の装填の終わった拳銃を顕現させた。

 それを田口へと向けて構える。

 そんなデリンジャーへ田口が言い放った。

 

「無駄だ。私はすでに貴様よりも上位の管理者権限によりここにログインしている。そして、全プレイヤーのアミュスフィアの電磁パルスコントロールを掌握している。今貴様が誰を殺そうとも、もはや実際に死ぬことはない。貴様以外はな……」

 

 そこまで田口が言った時、デリンジャーは急にその顔から表情を失した。

 そして暗い瞳を、足元に転がる手足をもがれまるで芋虫のようになってしまった少年へと落とすと、その途端に銃を2発彼に向けて発射した。

 

 乾いた発射音が辺りにこだまする。

 一瞬呆けてしまったアスナと田口の二人……だが、次の瞬間、アスナが絶叫した。

 

「キリト君っ‼」

 

 彼女は即座に駆け寄り、胸に二つの銃創を空け、そこから鮮血のようなダメージエフェクトを噴き上げる彼を抱いた。

 彼の少ないLIFEゲージは毒ポーションが効いているためその減少速度は緩いが、確実にゼロに向かって減っていく。

 

「いや、いやだよ、キリトくん」

「アスナさん、彼は大丈夫だ。死にはしない……」

「はははははははははは、あーははっははははははははは」

「なっ……貴様……なぜ笑う!?」

 

 アスナにそっと声をかける田口は、突然けたたましく笑いだしたデリンジャーにその顔を向けた。

 彼は確かに全員の電磁パルスコントロールを掌握したのだ。何も異常が起こりようはずがない。しかし、突然の凶行に走ったデリンジャーに不安が募る。

 もはや自分の命が風前の灯火だと知って自棄となっての行為なのか、それとも他に何か理由があるのか……僅かな時間のなかで、田口はその答えにたどり着くことは出来なかった。

 しかし、デリンジャーはことも無げにその答えを言った。

 

「ばーーーーか。アミュスフィア? 電磁パルス? そんなもん関係あるか。キリトが被ってるのは『ナーヴギア』だぞ? それも純製品、初期型、既製品、無改造」

 

 くっくっくと笑うデリンジャー。それを見ながら田口は冷や汗を掻く。

 

「ばかなっ……開発室のナーヴギアは全てテスト用に調整されたものだったはずだ」

 

「だからお前はバカだって言ってんだよ。いいか? キリト達がオフィスまで来たのはあくまでイレギュラーだったが、全く可能性はゼロってわけでもなかった。もともとこのイベントが始まれば一番邪魔なのはキリトで、俺は最初(はな)っから殺すつもりだったからなぁ。だからさ、言っておいたんだよ、『ササマル』……じゃなかった『今井』の奴によ。キリトがもし来ることがあったらこのナーヴギアを被せろってな、くくく……確かにアミュスフィアのコントロールは俺やてめえが操作しているが、あのナーヴギアはデスゲーム開始直後からSAO状態になっちまってるのは確認済みだ。解除したけりゃ、このゲームを始めた『あいつ』か、SAOを作った『茅場晶彦』にでも頼むんだな。くく、どうせ助けたりなんかする気はねえだろうがなあ。いやあ、手は色々打っておくもんだぜ。これでお前らの大事な大事なキリト君はお陀仏だよ」

 

「な、なんてことを……許せないっ!」

 

 瞳に涙を(たた)えたアスナは、立ち上がると同時に盾に収まっていた長剣……『法の剣』をスラリと抜き放った。そして、ソードスキルのエフェクトを纏わせる。

 それを見ながら、デリンジャーは、再びくくっと卑屈な笑みを浮かべた。

 

「あーあ、アスナちゃん。大事なキリト君をちゃんと見てなきゃだめじゃないかぁ」

 

「うるさいっ! もうあなたの好きにはさせません。ここであなたを倒して、必ずキリト君を助けてみせます」

 

「おーおー、言うねー、熱いねー……流石にかなり強くなって勢いづいちゃったかな? でも、そういうのすっごいムカつくんだよ……ねっ……と」

 

「きゃっ」「うあっ」

 

 キリトを撃ち、再び余裕の表情に戻っていたデリンジャー。そんな相手に誘われる形で、アスナと田口は突然浴びせかけられたその液体を全身に被ってしまった。

 

「こ、これは……」

「か、身体が……う、動かな……い」

 

「あははははははははははは、あはははははははははははははははっは、ばーかばーかばーか。お前ら本当に学習しねえなあ。これは『麻痺毒』だよ。しかも俺たちが拷問用に改良した劇薬だ。ほんの少し被っただけでも動けなくなる代物だよ。確か、SAOの最後に茅場の野郎も麻痺を使ったらしいけど、『あいつ』は俺にはプレイヤーを強制的に麻痺させる能力はくれなかったからな。仕方ねえからこの麻痺毒をとっておきに仕込んでおいたんだが……くく……お前らがアホで本当に助かったよ」

 

 言いながら、膝を突いたアスナと田口に近寄っていくデリンジャー。彼は背中のエクスキャリバーを引き抜くとそれをだらんとぶら下げた。

 

「おい、田口。さんざん人をコケにしてくれたな、ああっ!? てめえは今すぐにもぶっ殺してやりてえが、残念俺の身体は今ロサンゼルスだ。仕方ねえからてめえは半殺しでもうしばらく生かしておいてやるよ。それからアスナ……ひひ……」

 

 デリンジャーは真っすぐにアスナへと迫る。

 そして、(おもむろ)に引きずる様に手に持っていたエクスキャリバーを振り上げると、それを彼女の右手の平に突きこんだ。

 

「きゃあああああっ‼」

 

「ひひひ……いい声で鳴くじゃねえかよ。よし、今から大サービスだ。この俺が直接お前を犯してやるよ。さあ、もうすぐお前の大事なキリト君も死んじまうからな。その前に、たっぷりお前の感じてる姿を見せてやろうぜ。きひひひひ……」

 

「や、やめて……」

 

 デリンジャーはアスナの上に覆いかぶさる。そして、何かのポーションを振りかけると同時に嬉々とした表情で彼女の衣服にナイフを突き立て始める。

 弾けるように消失していく彼女の装備。だが、刺されているはずの素肌には傷が何一つ残らない。

 その様子を楽しむように、デリンジャーは何度も何度も彼女の体にナイフを滑らせた。

 

「……やめろ」

 

「ひひ……ああ?」

 

 唐突に背後から声が聞こえ、デリンジャーは愉悦にその頬を緩ませる。

 その声の主が何者であるかは視線を向けるまでもなかった。

 彼はその身動きひとつ出来ず、ただ死を待つばかりの少年に、目の前の少女の恥態をなるべくたくさん見せつけてやろうと、作業の効率を上げていく。

 隣では、動けない田口がその唇を悔しそうに噛み締めている。

 恐怖し恥じらう少女の表情が彼の情欲を益々掻き立てていた。

 

 と、その時……

 

 全く動けないはずの瀕死の彼が……

 

 そこに立っていた。




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黄昏の刻

表題を片仮名からアルファベットに変更いたしました。


 ――キリト……キリト……良かった。まだ生きてるんだね。

 

 いや、どうかな……身体は切り刻まれてボロボロだし、たった今胸の急所を撃ち抜かれたからね。もう死んでいるのかもしれない。

 

 ――そっか。でも、諦めてはいないんだね。

 

 ……そうだな……まだ……諦めたくはないな……死ぬまでは……いや、死んでも諦めたくないよ。俺はアスナを守りたいんだ。

 

 ――そうだね……キリトはそう……自分のことよりも人のことを優先しちゃうもんね……でも、そっか……好きなんだね、アスナさんのこと……

 

 ああ、愛しているんだ。この世界の誰よりも……

 

 ――ふふふ……そんなにはっきりと聞いちゃうともうわたしも何も言えないな。いいな、キリトは……好きな人が出来て……あーあ、わたしも恋のひとつもしてみたかったなー

 

 ……ごめん……気を使えなかった。悪い。

 

 ――別にいいですよーだ。わたしだっていつか生まれ変わってすっごい素敵な男性(ひと)と恋に落ちてみせるんだから。もうキリトやアスナさんが羨ましがっちゃうような大恋愛をしちゃうんだからね。

 

 …………

 

 ――ちょ、ちょっと黙らないでよぉ。なんかわたしがイタイ娘みたいになっちゃうでしょ。

 

 悪い。俺、まさか君とこんな風に話せるなんて思ってもみなかったから本当に嬉しくて。

 

 ――そう……だね。うん、そう。わたしも嬉しかった。また君に会えたのが本当に嬉しかった。でもね、キリト、ここは君の来ていい世界じゃないの。君は帰るの、自分の世界に。アスナさんと一緒にね。だから頑張って。まだ終わってない。君はこんなところで終わったらだめなの。だから君のことを……『みんな』で助けるの。

 

 それって、どういう……

 

 ――君はわたしたちの『生きた証』だから……だから生きてほしいの。

 

 ……

 

 ――そうだぜキリト、あんたにはもっと俺たちの分まで幸せになってもらわないとならないんだからな。

 

 さ、ササマル……か? それって……

 

 ――へへ……悪い、キリト。俺たちみんなでキリトのあの恥ずかしい台詞聞いちゃったんだよ。

 

 ダッカーなのか? あの時、あの部屋にいたのか?

 

 ――ああ、そうだよみんなで居た。それで……すごく嬉しかったんだ。あんな風に言ってもらえて、本当に。俺は……俺たちはあなたにもっと生きててもらいたい。

 

 ……テツオ……みんな……

 

 ――もう、キリトがぐずぐずしてるからみんな来ちゃったじゃない。もうちょっとだけ二人きりで居たかったのに……ぶつぶつ……ま、まあ、そういうこと。

 

 みんな……お、俺……俺は……俺はみんなに謝りたかった。嘘をついて……騙してて……ごめんって。俺……俺がみんなを殺したって……

 

 ――キリトのせいじゃないよ。キリトは頑張ってくれた、私たちのために戦ってくれた、守るために何度も何度も。でもね、私たちも甘えてたんだよ、強いキリトに。だからね、私たちが死んだのは私たちの責任。こんなこと言っても気持ちは楽にならないだろうけど、でも、キリトには謝ってほしくないの。

 

 なら、俺はどうすればいい? どうすればみんなに報いることが出来る? どうすれば俺は許されるんだ?

 

 ――誰も……キリトを責めてはいないよ。君は許される必要なんかない。だから言って欲しいのは謝罪なんかじゃなくて、あの言葉だよ。

 

 あの言葉?

 

 ――そう、あの言葉。私もキリトにきちんと伝えたかった言葉だよ。あのとき私の声はほとんど出なかったから……

 

 ……ああ……そうだよな……君がくれた言葉だ……俺……俺はみんなと一緒に居られて、居させてもらえて本当に嬉しかった。本当に……本当に……『ありがとう』。

 

 ――こちらこそ、『ありがとう』。ふふ、ようやく直接言えた。嬉しい。でも、今は『さようなら』は言わないからね。 

 

 なあ、また会えるのか? 俺達はこうやって……

 

 ――うん、会えるよ、きっと。君が私たちを忘れない限り、君がこの世界を大切に思ってくれる限り……だって私たちは、『ここに居る』から。

 

 俺は……忘れない。みんなのことを決して忘れない。また会いにくる。必ず……

 

 ――うん、待ってる。

 ――俺もだよ。

 ――また会おうぜ。

 ――アスナさんのこととか聞きたいこと山ほどあるしな。

 

 みんな……ありがとう……本当に……

 

 ――ほら、もういいかな? 白馬の王子様。お姫様を助けにいく時間ですよ。

 

 ああ……そう、だな。もうこんな『ゲーム』なんかで死んでなんかやるもんか。

 

 ――そうそう、その意気だよキリト。さあ、行こう! アスナさんを助けに。わたしたちはその為に来たんだから。

 

 ああ……でも、どうして俺を助けてくれるんだ?

 

 ――そんなこと今聞かないでよ、もう。

 

 

 

 

 ――君の事が……『大事』だからに決まってるでしょ。これ以上のことはアスナさんに悪いから言ってあげませんよーだ。ふふ……

 

 ありがとう……本当にありがとう……

 

 『サチ』。

 

 ーーー行こうキリト。『ゲーム』なんかに負けないで! 勝って!

 

 ああ……

 

 勝つよ……

 

 俺は……

 

 絶対に‼




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システムを超えるモノ

 『第75層迷宮区ボスモンスターエリア』

 

 宙空に浮かぶスクリーンを見つめていた黒のフーデッドローブ姿の『彼』が、端末を呼び出して慌ただしい様子でシステムチェックを繰り返し行っていた。

 

 何が起きているのか……

 どうなってしまったというのか……

 突然起きた事態にここに来て初めて『彼』は困惑していた。

 

 つい先程まで、静観すると固く誓っていた『彼』は漆黒のローブの内からただただその光景を見守っていた。

 しかし激しい戦闘の中、突然アスナに発現した『神聖剣』のユニークスキルを知覚してからというもの、『彼』は急転していく事態をつぶさに調べ始めていた。

 

 許されざる悪意の塊……その象徴とも呼べる『デリンジャー』。

 利己的で保守的で非人道的。全ての倫理観が崩壊し殺人の忌避感すら消失した存在……しかし、卓抜したその頭脳は彼をただの『獣』ではなく『悪』へと昇華させた。

 『人』としての(たが)が外れ、ひたすらの営利と享楽の為に人を貶め続けるデリンジャーを産み出したのは紛れもなくこの『世界』であった。

 だからこそ、『彼』は利用することにした。

 

 あの死の世界を再現するために。

 

 多くのプレイヤーがデリンジャー達に蹂躙されることは既定路線。彼らの暴挙を暴くことも今回の依頼主(クライアント)との『約束』の内であったのだから……。

 だが、その暴力には際限がなかった。多くのプレイヤーの身と心はすでにズタズタに傷つけられていた。このままではデリンジャー達の圧倒的な勝利で終わる。そう思えたし、実際そのように推移していた。だが『彼』にとってはそれもどうでも良いことだった。

 

 『彼』にとって重要であったのはこの世界をただ『見る』こと。

 死と隣り合ったその極限の世界で人がどう振る舞うのかを……。

 彼は見続けた。ひたすらに凝視した。

 この作られた『世界』を知るために……。

 この『世界』に生き、この『世界』で死んでいくことの『意味』を感じるために……。

 そして……『真実』を得るために……。

 

 しかし、ここで全く予想していなかった事態が起こる。

 それが、ユニークスキル『神聖剣』。

 確かにこのスキルが『SAO(ソードアート・オンライン)』の基幹プログラムの中枢に残っていたことを『彼』は知っていた。だがそのプログラムは旧カーディナルシステムの管理下のディレクトリに封印されるように格納されており、それを呼び出すことは『彼』であってもほぼ不可能であったのだ。

 そしてスキルの取得条件……『神聖剣』のみならず、内包されていた既存の他の『ユニークスキル』については全て、その取得条件についての項目を『彼』が確かに削除した。それは、万が一にもデリンジャーとキリトの対決に水を差されないようにするため……そうであったにも拘らず、スキルは発現し、そして彼女……アスナはそれを行使してしまった。

 

 まだある。デリンジャーの管理者権限の逸脱だ。

 『彼』がデリンジャーへと与えたのは、一部のキャラクターパラメータの操作とフィールドの改造変更等についての権限のみ。これにより、キャラの強化や復活、フィールドの破壊・非破壊設定の切り替えなど、特定したもののみ操作が可能となっていた。

 しかしデリンジャーは、本来『彼』にしか操作出来ないはずのアミュスフィアの電磁パルスコントロールまで可能にしている。初めはただの(ブラフ)かと気にも止めなかったが、調べてみると実際に各プレイヤーのアカウントドメインをデリンジャーの端末が掌握しており、さらにそれは強固な多重ロックを施され隔絶されてしまっていた。

 『彼』はその解除を試みるも、まるで編み込まれたかのような複雑な螺旋状のロックのせいで(ようや)くコントロールは掌握したものの、短時間でのこれの解除は不可能であると『彼』は判断した。

 ここに至り、明らかな『第三者』の介入を『彼』は確信した。

 

 そして、これだ。

 今まさに目の前で起きていることに、『彼』は瞠目して思わずごくりとその喉を鳴らしていた。そして呟いた……

 

『あ、ありえない……』

 

 そう、まさに今『彼』の眼前では普通ではありえない、起こり得ない『怪異』が発生していた。

 

 そこには彼……『黒の剣士』キリトが立っている。

 そう、立っていた。

 全ての手足を失い、アバターの急所である胸部に致命の攻撃を受け、且つ、つい今しがたそのLIFEは完全に0になった……そんな彼が、デリンジャーに襲われ、その身体を今まさに暴行されているアスナを見下ろすように立っていた。

 そう、今の彼は『死』んでいる。

 『システム上の死』、それが今の彼の状態。

 にも拘らず、失っているはずの手足ももとのままの様子で、キリトはそこに立つ。

 

「バグ……?」

 

 ポツリとそうこぼした『彼』は急いでプレイヤーの状態確認の画面を開くも、やはりそこには『DEAD(死亡)』の文字。

 そしてプログラムの確認を行うも、そのフィールドに『キリト』というプレイヤーは存在していないことになっていた。

 理解が出来ず、情報整理が追い付かず、困惑の境地であったその時だった……画面のキリトが動いたのは……。

 固唾を飲んで見守る『彼』の前で、キリトが唐突に言葉を放った。

 

『アスナを放せ……』

 

 それは彼の声ではなかった。

 複数の人の声が重なるかのような不思議な声。男性のような女性のような高い響きのそれも含まれている。

 デリンジャーは驚いた顔をキリトへと向けている。

 相対しているキリトは背中の二本の剣を引き抜いてそれを構えた。

 

 と、その時……。

 虚空のスクリーンを見上げていた『彼』は、急によろめくようにして地面に膝をつき、そして突然嗚咽をあげ始めた。

 

『あ……あぁ……おおぉ……おおおお……ぉぉ』

 

 他に誰もいないこの大空洞。深い闇のフードの奥……天上のスクリーンを見上げながら止まらぬ嗚咽に『彼』は身体を震えさせ続ける。

 それは紛れもなく慟哭であり、もし今ここに誰か他の人物がいたとしたのなら、きっとそのあまりの悲しい声に、その醸し出す雰囲気とのギャップに驚いたに違いない。だが、幸いか不幸か、ここには誰も存在してはいなかった。

 

『…………』

 

 今『彼』の内で何が起こっているというのか……声が収まり暫く沈黙していた彼は再び立ち上がる。そして見上げた先のキリトに視線を送りつつ、胸に湧く全ての感情を握りつぶすかのような声を漏らした。

 

『全てをここで終わらせる』

 

 と……

 

 その声は悲哀に満ちていた。

 

 

 

   ×   ×   ×

 

 

 ここは……『カームデッド』か?

 

 俺は……どうして……

 

 夢……だったのか……

 

 いや……違う……

 

 アスナ!?

 

 アスナっ‼

 

 やめろ! アスナを放せ! 放すんだ‼

 

 身体は……

 

 まだ動く……な……

 

 俺は……まだ死ねない……

 

 みんなを……アスナを助けるまでは……

 

 ……絶対に……

 

「て、てめえ……こ、この死に損ないがぁっ」

 

 その時俺はすでに抜剣していた。

 左手にエリュシデータを握っている。でも、感覚がおかしい……

 剣は確かにそこにあって、そこに見えているのに、たまにノイズが走ったかのように掠れている。それは俺の手足も一緒だった。まるででき損ないの3D映像のように掠れ、下手をすれば向こう側が透けてしまっている。

 視界を確認しても、もともとそこにあったはずのLIFEゲージなどのパラメーターはどこにも存在してはいない。

 不思議な感覚……だけど、俺はこれを知っている……

 

 ああ、そうだ。あの時、ヒースクリフと戦った時と同じだ……そうか……俺は死んだんだな……はは……

 

 死んだという現実はやはり受け入れ難いな。当然か。でも目の前で暴力を振るわれているアスナを助けたいという思いの方がずっと強い。そのためならば、こんな身体いくらでも捨ててやる。

 

 アスナ……待っていてくれ……今助ける。

 

「てめえっ、さ、さっさと死ねえ」

 

「い、いやぁっ」

 

 眼前のデリンジャーがその手のエクスキャリバーをまっすぐに俺の身体へと突き入れる。その一撃が鈍い音をともなって俺の胸へと差し込まれた。俺の耳には、確かにアスナの悲鳴が聞こえていた。

 

「へ、へへ……じっとしてればこんな思いしなくて済んだのにな……てめえはそこでアスナの裸でもじっくり眺めてれば良かったんだよ、くはは……なっ! なんだ……? てめえ、なにしやがる」

 

 俺は突き刺さっている奴の剣の刃を、右手でぎゅうっと握りしめた。掴めるな……なら、ここからだ。

 死んでいるからだろうかダメージエフェクトや硬直は入らず、身体もぎこちなくだが動く。このまま、お前の好きにはさせない。

 デリンジャーは引き抜こう、引き裂こうともがいていたが、途中でフッとその力を抜いた。

 と、次の瞬間、奴はその身を翻した。

 

「なら、てめえの首を斬り落としてやる」

 

 言ってデリンジャーはもう一本の剣を素早く引き抜いて、それを横凪ぎに切りつけてきた。

 首狙いか……なら……

 俺は胸に刺さった剣を握ったままで、左手のエリュシデータを剣の軌道に合わせて振り上げた。

 

 ガッキンッ!

 

「な……」

 

 俺の振るったその一閃は、奴の剣を粉砕。跡形もなく消し飛ばした。

 思った以上に身体も動くな……

 

「なんだ……? なんなんだてめえは……? なぜ生きてる? なぜ死なない?」

 

 驚愕の表情に変わってしまったデリンジャー。その身から発される恐怖の感情が確かに俺の身にも振りかかった。

 だが、油断は決してしない。この相手が如何に悪辣非道であるかそのことは十分に身に染みている。

 

 こいつだけは絶対にここで終わらせる。

 

 そう、沸き上がる使命感が俺を包んでいた。

 胸に刺さったままの奴の剣を引き抜いた俺はそれを投げ捨て、自分の二本目の剣……エクスキャリバーを引き抜いた。

 今の俺が後どれくらい持つのか分からない……だからすぐにでもこいつを始末しなくては……

 

 頼む……俺の剣が届いてくれ……

 

 念じながら、ふわふわとした自分の足を一歩一歩踏みしめ、前へと歩く。

 そんな時、ふと、頭に彼女の声が響いた。

 

 ──大丈夫……まだ大丈夫だよ。君は死なない……

 

 いや、もう死んでるだろ。気を使わなくていいよ。

 

 ──ううん、違うの……本当に大丈夫だから。ほら、アスナさん達ももう治ったから……

 

 え?

 

 そんな声が頭に響いた直後、今度は俺が驚愕した。眼前のデリンジャーの背後……すでに装備が破壊されほとんど裸になってしまってはいるが、そこに確かにアスナが立っている。

 そして、その隣で田口さんも頭を振りながら起き上がろうとしていた。

 

 サチ……君が……君がやったのか?

 

「てめえ……今度こそ、本当にぶっ殺してやる」

 

 その答えをもらう前に正面のデリンジャーがいきり立って吠えた。

 奴は再び二本の剣を顕現させるとそれを掴んで猛ラッシュを叩き込んでくる。

 

「キリト君!」

 

「死ねえっ!」

 

 その時再びアスナの声が聞こえた。

 斬撃の嵐が俺の身体をむちゃくちゃに切り刻む。周囲に迸るのは七色のエフェクト。どうやら、デリンジャーはスターバーストストリームを放ったらしい。

 自分の肉体に刃が何度も食い込んできている。

 これは分かる。確実な終わりだ。

 この必殺のソードスキルが如何に強力かはこの俺が一番理解していることでもあったから。

 

 だからこそ、『今』だ。

 

 俺の身体はすでに失われている。

 どうして今こうしていられるのか、そんなことは俺には分からない。

 でも、今この時をおいて、このデリンジャーを仕留める機会はないと思えていた。

 システムアシストはあくまで『回避』のアシスト。全回避行動に対してそれは機能している。だからどんなに素早く攻撃しようと、包囲殲滅の剣の嵐を叩き込もうと全て回避されてしまった。しかし、どんなことにも例外が必ずある。俺が知っている『回避』出来ない唯一の状態……こちらの攻撃が100%当たることが約束され、かつ相手は回避不可の上絶大なダメージを受けることになるその『行動(アクション)』。それが俺の切り札であった。それは……

 

 切り刻まれながら俺は自分の全身に力を込めた。両方の剣の切っ先から徐々に光があふれ始める。ソードスキルが発動を始めた証だ。

 それを見ながらも、これが多分自分の最後の攻撃になると、そんな予感が脳裏を過ぎっていた。

 覚悟はとうに固まっている。この先の自分の運命もすでに俺は受け入れていた。

 奴の攻撃が体中にヒットしながらも俺はそこで必死に耐え、立ち続けた。

 アスナ……君が生きていてくれさえすれば……俺は……

 

 視界が霞む……アスナの姿も既に見えなくなっていた……

 

 そして……

 

 奴の乱舞が終盤に差し掛かったその時、俺は渾身のソードスキルを奴目がけて放った。

 

「らあああああああっ!」

 

 デリンジャーの攻撃は俺を細切れに変えるほどの凄まじいラッシュ。しかし、俺のこの今の身体はまだ動くことが出来ていた。そんな俺が狙ったそれ。それは『反撃攻撃(カウンターアタック)』。

 奴がソードスキル使用後硬直をキャンセル出来ることはすでに先の戦いで知っていた。そして、例え硬直状態であっても、システムアシストは奴を強制回避させてもいた。

 だとすれば、奴に攻撃を浴びせることができる可能性のある攻撃は、ただ一つ。

 奴の攻撃を完全に受けきり、その攻撃挙動から硬直挙動へと移行するわずかな瞬間、まだ、攻撃状態と判定されているであろうそのタイミングの時のみ繰り出すことが出来る、二倍以上のダメージ係数を叩き出す強力なカウンターの一撃。これであればきっと奴に届くはず。

 そして、使用するのは奴の急所を狙った一撃必殺のソードスキル。これが奴へと通れば、きっと……

 

 交差する奴との視線……まさかこのタイミングで俺が動くとは微塵も思っていなかったのだろう、奴の目は驚愕に見開かれている。

 奴はソードスキルの挙動のままにその両腕を俺に向かって突き出している。俺はその止めの一撃を紙一重で身体を反らし躱しながら、身を翻して渾身のソードスキルを奴の胸目がけて一気に放った。

 

 この一撃は奴へと届く……

 

 そう確信した時だった。

 

「甘いんだよ」

 

 再び奴の声……

 奴は俺のこの攻撃を読んでいたというのか、最後の一撃のモーションを小さいものにしていた。身体は思ったよりも遠い。このままでは届かない……

 攻撃挙動(モーション)はすでに始まっている。これが奴の身体へと届いて初めてカウンターとしての一撃となる。

 頼む、届け、届いてくれ……

 俺は必死に自分の身体を前へ進めた。

 

 あた……れ……‼

 

 その時、周囲に光があふれた。

 俺の剣の切っ先が奴の胸へと確かに触れている。そしてその反撃攻撃(カウンターアタック)が成った証とも言える金色のエフェクトが発現したのだ。

 しかし……

 

 くっ……浅い……

 

 剣は奴の胸を貫くことは出来なかった。その皮膚一枚を辛うじて切った程度……

 近づいた奴の口が囁いていた。

 

「ここまでだな、キリト君」

 

 奴のニヤけた顔がそこにあった。勝利を確信した卑しい顔。人の絶望を願い、愉悦に打ち震えているその顔が。

 やはり敵わない、俺一人では無理だった。

 この残忍な『悪』を滅ぼすことはやはり……

 

 しかし……

 俺は知っていた。

 

 わかっていた。

 

 俺がもう一人ではないということを。

 俺と思いを同じくしてくれる者がいるということを……

 

 俺の攻撃が輝いているその最中……俺は静かに呟いた。

 そこに必ず居てくれると、確信を抱いて。

 

『スイッチ』

 

 光り輝くその剣を……俺はその時確かに見た。




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絶剣

 その時私は、『彼女』を見た。

 

 立ち上がったキリト君の胸に剣を突き刺したデリンジャー。

 その喜悦に表情を歪めた奴の高笑いを聴いた私は絶望のどん底に落とされた。

 彼がどうやって回復したのかは分からなかったけど、立ち上がったそこを再び剣で襲われてしまった。私の思考はすでに悲しみで埋め尽くされてしまっていた。

 けど、そんな時、『声』が聞こえた。

 

 ──彼は大丈夫。あなたもだよ。

 

 え?

 

 心に直接語り掛けてくるような微かなささやき……でもそれははっきりと私の内に響いていた。

 その声はとても優しくて温かで……

 

 ──アスナさん。彼を……キリトをお願い。

 

 あなたは……

 

 そう問いかけたとき、『彼女』はその姿を私に見せてくれた。

 白い……真っ白いその空間。そこに優しく微笑んで彼女が立っていた。

 その姿は、いつか彼と二人で迷宮内で遭遇した彼女と同じもの。でも、あの時のとげとげしさは微塵もない。彼女はにこりと優しく笑いかけてくれた。そして私に近づいて、そっと手を触れる……温かくて……とても優しい……

 眩い光がその手から発せられたように感じ、その途端に身体を縛っていた重い気配が一気に晴れた。

 彼女はそのまま静かに消えていく。

 

「待って、お願い、もう少しだけ待って」

 

 慌ててそう声を掛けるも、彼女はやがて輪郭だけとなり、そして次第と薄れていった。

 

 ──また……会おうね……

 

 そう彼女の声が聞こえたような気がした。

 

 

   ×   ×   ×

 

 

 

「い、今のは……」

 

 意識がしっかりとしてきた私は、その不思議な体験の中ハッと我に返る。

 いつの間に立ち上がったのか、私はほぼ全裸の格好でそこに立っていた。でも、今はそんなことを気にしている間はなかった。目の前ではキリト君がデリンジャーの猛攻を受けていたのだから。

 

「キリト君!」

 

 思わず叫んだ私の正面で、彼は仁王立ちのままデリンジャーの必殺のソードスキルをその身に受け続けていた。

 このままじゃ……キリト君が死んでしまう……

 私は慌てて武器を拾い、『神聖剣』のソードスキルの体勢をとった。

 でも……

 デリンジャーは全ての攻撃を回避してしまう。

 この『神聖剣』がどれほどの威力があろうとも、当たらなければどうしようもない。

 そして、キリト君の命の灯火はどう見ても残りわずかでしかなかった。

 今しかない。

 今、ここでデリンジャーを葬らなければ、全てが失われる。

 奇跡は何度も起きはしない。

 勝利は自分の手で掴まなくては……

 

 そう、念じたその時、私は彼の強い決意の瞳を見た。

 

 彼は諦めてなんかいない。今この瞬間も、決して……

 

 なら、私のすることはただ一つ……

 

 一瞬の煌めきの中、時間にすればほんの瞬き程度の間しかなかっただろう、その時……

 私は走り出していた。彼を支えるために。

 

 それは刹那の攻防だった。

 

 デリンジャーの放つ高速の剣の連撃の最後、その止めの一撃を彼はかいくぐる。そして、手にしていた黄金の剣を突き出していた。しかし……

 やはり身体を捻り、挙動を小さくしていたデリンジャーの身体は遠い……。

 その胸目がけて放たれた必殺の突きは完全に逸れるかと思われたその時、その金色の輝きが漏れた。

 そう、それは紛れもなく一太刀を浴びせたという証。

 今まで、数百の斬撃を躱し続けてきたその身についに届いたたった一つの僅かな一撃。でも、たとえそれが相手を掠るだけのものであったとしても、それは私たちにとって確実な勝利への確かな道筋の始まりの一手。

 その時、背後の私を全く見ていないはずの彼が、小さな声で囁いた。

 

『スイッチ』

 

 うん、後は任せて、キリト君‼

 

 私はその瞬間に踏み込んで眩く輝く長剣を振りかざして彼の前へと飛び出した。

 

「なんだ……と」

 

 そこには目を見開いたデリンジャーの顔。

 彼はダメージを受けた状態のまま僅かな硬直状態にあった。

 そう、まだ攻撃は終わっていない。

 

 全てのソードスキルはその激しいモーションと威力の為に『使用後硬直』が設定されている。

 だから、SAOではソロプレイヤーはほとんど存在しなかった。ひとりでは硬直状態に陥ると為す術がなかったから。必殺の一撃を躱され、逆に必殺されるという事態がかつて多々発生したことは笑えない事実だった。

 でも、これが二人以上であればどうか……。

 ソードスキルには硬直という危機的なリスクと共に、それを補って余りある大きなメリットが存在していた。

 それこそが、『スイッチ』からの『連撃』。

 基本ソードスキルは一連の挙動の後に硬直に入ってしまうため、そこで連続攻撃は終了してしまう。

 しかし、パーティーメンバーがすかさずそこに次のソードスキルを発動させると、その一連の攻撃は『継続』と見なされ、一人目の攻撃数+二人目の攻撃数は加算され、その攻撃は『継続した一つの攻撃』となる。

 

 つまり……

 

 キリト君が当てたあの一撃は、始まりの一撃目。次に私が放つ攻撃は……

 

 『必中する』。

 

 私は止まってしまったかのようなその時間の中で、切に願った。

 

 どうか彼を助けて欲しいと。

 どうかこの凶悪な敵をここで倒させて欲しいと。

 そして私の中には、『あの娘』への謝罪の言葉があふれた。

 ごめん……ごめんね。あなたの大事なこの技を、血にまみれさせてしまうことをどうか許して……私に力を貸して。本当にごめんなさい。

 高慢な考えであると思った。

 でも、今はそれしかなかった。そう、これこそが今私の出来る最高の選択なのだから。

 

 元気な彼女が優しい笑顔で振り向いてくれたような気がした。

 

 ごめんね……『ユウキ』……

 

 そしてお願い……『神聖剣』……私たちを勝たせて……

 

 右手の長剣と左手の大盾が激しく白く輝き出す。私は、その迸る光をそのままにその大切な技の名前を叫んだ。

 

「マザーズ・ロザリオッ‼」

 

 一際激しく煌めく法の剣。全ての軛から今開放され、その必殺の『絶剣』がここに現れる。

 繰り出される刺突の嵐は相手の身体を十字に抉って行く。

 

「ぐぅおおおおおおおおおお」

 

 凄まじい衝撃に吹き飛ばされながら呻くデリンジャー。一瞬にしかならないその刻の中、一撃一撃ごとに確かに私はユウキとの懐かしく切ない記憶を思い出し辿っていた。

 死のその瞬間まで私たちと生きることを何より願った彼女。

 誰よりも必死に、誰よりも真剣にこの世界を駆けた彼女。

 そんな彼女が愛したこの世界を、これ以上汚させはしない。

 もうあなたの好きにはさせない!

 

「はああああああああああああああっ‼」

 

 11連撃目の最後の一撃……煌めく十字架を象る長剣を、その胸の中心目掛けて突きこんだ。

 そこに拡がるのは十字に刻まれた刺突痕。それはまるで罪人(つみびと)に与えられた罰を表してでもいるかの様……

 まるで吸い込まれる様に刺さり行く長剣は、デリンジャーの身体を音もなく容易に貫いた。

 

 苦渋の顔で声にならない悲鳴を上げつつデリンジャーは、ついにそのLIFEの全てを失った。




アスナの今の身体について触れておきます。デリンジャーに破壊されたのはスカート以外の上半身のほぼ全て。なお、手袋、タイツ、靴などはそのままの模様。以上。

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滅ぶべき者

 それはほんの一瞬の出来事だった。

 デリンジャーの剣の嵐をその身に受けたキリトが反撃し、そしてそれに次いでアスナがソードスキルを叩き込んだ。ただそれだけのことでしかなかった。

 

 しかし、その一瞬で全てが決した。

 

 全てのLIFEを失ったデリンジャーは倒れ込むようにその膝を突く。そして、攻撃を繰り出した側のキリトも同様にその場に崩れ落ちた。

 

「キリト君っ!」

 

 倒れるキリトに駆け寄ったアスナ。彼女はキリトを抱くとそっとその頬に触れる。今にも消え入りそうな彼に、どうしていいのか分からないアスナが必死に抱き締めているそのとき、その正面で光の粒子を放ち始めたデリンジャーが大声で笑いだした。

 

「俺を殺したところで何も変わりはしないぜ。俺が死んだって目が覚めるだけだ‼ 命がけで俺を狙ったみてえだが無駄な努力だったな。てめえらはどんな手を使っても地獄に叩き落としてやる。首を洗って待ってろ」

 

 その言葉に絶句するアスナ。

 しかし、それは予期していたことでもあった。

 今重要であったのはこの世界からデリンジャーを閉め出すこと。

 先程の田口の話が正しければ、上位の管理者権限を持ち合わせている田口が居る以上、少なくともすぐにはデリンジャーはログインできないはず。

 そうすれば、今この世界に閉じ込められたみんなの命は少なくとも救うことができる。

 命を狙われるのなら自分だけでいい。他のみんなやキリト君は助けたい。

 アスナはそう決意していた。

 

 しかし、次の田口の言葉でその覚悟は消滅することになった。

 

「貴様はここで死ぬ」

 

「ああ?」

 

 消え入るデリンジャーの背後に田口が立つ。そしてその手に青く光る結晶を取り出して、それをデリンジャーに対して使用した。

 

「『復活《リザレクション》』‼」

 

「え?」

 

 呆気にとられているアスナの正面で、田口が使用したのはまさかの蘇生アイテム。

 彼は粒子化の収まったデリンジャーの身体に触れると、即座に何かのコンソールを呼び出してそれを操作した。そして大きく息を吐きつつ、感慨の籠った声をもらした。

 

「やっとだ……」

 

「な、なにをした? 田口! てめえ、どうなるかわかって……げぶぁあああっ」

 

 睨み付け、詰問しようとするデリンジャーに対し、田口は唐突にその顔面を蹴った。蹴られ、吹き飛ばされるデリンジャーに対し、彼は全ての表情を失したまま話しかけた。

 

「もはや貴様と会話する気などない。だが、これから始まることだけは教えてやる。取り合えずお前の管理者権限は剥奪させてもらった」

 

「な、何を……」

 

 顔の半分が真っ赤になってぐずぐずに崩れてしまったデリンジャーが呻くように見上げたそこで、田口は再びコンソールを操作。そして、そこに大きなスクリーンを浮かび上がらせた。

 

「なっ……!? こ、これは……」

 

 そこに見下ろす様に映るのは豪奢な造りの広い洋室。まるで神殿のようにも見えるその広い部屋には明らかに貴賓が使用するであろう高価な調度品が多数並べられている。

 そんな部屋の中央……ゆったりとした大きなリクライニングのソファーには、ナイトガウンを羽織り頭部にアミュスフィアを装着した一人の若い男性の姿が。

 この人物がいったい誰であるのか、見上げていたアスナも考えるまでもなく理解した。

 

「な、なぜ『俺の部屋』にこの装置が……この部屋のことは誰にも言ってはいなかったはずだ」

 

 焦った表情に変わったデリンジャーはそう呟きながらも、自分のコンソールを呼び出してなにか操作を試みている。しかしみるみる顔色が悪くなっていくところを見ると、それが上手くいっていないのは一目瞭然であった。

 田口はそんなデリンジャーを見下ろしながら話を続ける。

 

「用心深い貴様が誰にも行き先を告げずに日本から離れるだろうことは分かっていた。そして、ダイブ中の貴様は誰であろうとその部屋に入れないであろうこともな。例えそれが『信頼できる』ボディーガードであっても」

 

「てめえ、いったい何を言ってやがる……」

 

 急に慌て出したデリンジャーへ田口が冷酷な一言を発した。

 

「貴様のボディーガードを買収した」

 

「なにっ!?」

 

 田口はそう事も無げに言い切った。

 

「別に貴様を殺すように依頼したわけではない。俺が頼んだのはただひとつだけ。この『パーソナルセキュリティーシステム』を貴様の部屋に取り付けてくれ……それだけだ。そして、こう言ってやった。『犯罪に手を染めたお前の主人は近いうちに破滅する。協力するなら全てを不問にするし謝礼も出す』とな。彼女は思った以上に快く応じてくれたよ。ずいぶんと嫌われたものだな。こちらとしては助かったが」

 

「そ……それだけか? お前がやったのは……」

 

 デリンジャーは冷や汗をかきながら田口の様子を観察している。それはこの窮地を脱するための方法を必死に探している体であり、それは誰の目にも明らかだった。だが田口は冷たい視線を向けるのみ。

 

「それだけだが……そうだ、一つ思い違いをしているようだから教えておいてやろう。アミュスフィアの電磁パルス操作だけで人を死に追いやることは不可能だ」

 

「なんだと?」「え? そ、それじゃあ、サクヤさんは?」

 

 叫ぶデリンジャーを尻目に、隣で驚いているアスナに向かい、田口は優しく語った。

 

「ええ、彼女は無事です、安心してください。きっと覚醒して元気でいらっしゃるでしょう」

 

「ば、ばかなっ! そんなわけない! だってあの時、『あのガキ』は確かに死んだんだぞ」

 

 喚くデリンジャーに田口はキッと視線を向ける。

 

「ええ、確かにあの時、『彼』の心臓は完全に停止していた。でもあれはただの『芝居』だ。貴様達から『彼』を逃すために『我々』がとった苦肉の策。薬品によって一時的に仮死状態としたにすぎないのだよ。それを貴様達が面白いようにそう解釈を始めたからこちらはそれに合わせていただけのこと。アミュスフィア単体には人を殺傷する性能はない」

 

 そう断言した田口の言葉にアスナは完全に脱力した。

 死んだと思った。死んでしまったかと思った。ずっと不安だった。でも、それが違うとなった今、彼女の中にあるのはひとしきりの安堵の思い。

 田口は言葉を続ける。

 

「だが……この『パーソナルセキュリティーシステム』の補助があれば、そうではなくなる」

 

「なに……?」

 

 デリンジャーはその田口の言葉に一気に蒼白になる。

 

「貴様は知らないだろうがな、私が中心となってこのシステムを開発した当初の使用目的は別にあった。もともとはナーヴギアの運用の一つとして、屋外携行時のその出力の低下を補うための遠隔補助電源として開発を始めたのだ。ナーヴギアはバッテリーのみでは長時間の安定したダイブは厳しいとの前評判が当初あったからな。実際は内蔵バッテリーのみでも相当な稼働時間が稼げるように改良されたわけだが……つまりこのシステムには高出力の電力を近距離であれば無線で本体に供給する機能が備わっているわけだ。そしてこの機器はその機能の性質上ナーヴギアを遥かに上回るジェネレイターを搭載している。さて、ではナーヴギアよりもダウングレードされているとはいえ、そのアミュスフィアにこの電力供給を行ったらどうなるか……そうそう、アミュスフィアのセーフティー機能である『強制解除』や『異常検知機能』そして肝心の『出力コントロール』、これらはこのシステムからの制御できるようにしてある。さあ、これで今自分の置かれている状況を全部把握できただろう?」

 

「ま、待て……待ってくれ、田口。話を聞けよ。俺は知らなかったんだ。い、今井達にそそのかされて仕方なく……お、俺は悪くない」

 

 苦し紛れの言い分。嘘か誠かを判断するまでもないその言葉に、田口はデリンジャーを見据えたまま返した。

 

「それがお前が最後に言いたいことなのか? まあ、いいだろう」

 

 田口はデリンジャーへと手を伸ばすと再びコンソールを操作、すると途端にデリンジャーは身体を麻痺させて動かなくなった。

 

「く、くそっ!」

 

「立場が完全に逆転したな。貴様は後回しだ、そこでじっとしていろ」

 

 デリンジャーを一瞥した田口はつかつかと床に()しているキリトとアスナの元に向かった。

 そして屈み込むとキリトの身体にその手を触れ、何かの画面を表示させた。

 しばらくの間それを確認していた田口は、信じられないといった体で口をあんぐりと開けてしまう。

 

「ど、どういうことだ? 桐ケ谷君はすでに『死亡』となっている。そうだというのに……」 

 

 田口は一瞬いい淀んだ後、ポツリとこぼした。

 

「ら、LIFEが回復し始めている」

 

「!?」

 

 それを聞いたアスナも、慌てて田口の見ていた画面にその視線を向ける。そこにはキリトのキャラクターパラメータが表示され、表示が『死亡』となっているにも拘らずそのLIFEゲージのみがぐんぐん上昇し、現在ではグリーンに変化してしまっている。

 

「これは……バグ?」

 

 田口の口をついたのはそんな言葉。

 目の前のキリトの姿形は少し揺らいでいるかのように時々ノイズが走っていることもあり、田口には普通ではないことは察していたが、これがどのような状況なのかまでは理解できないでいた。

 

「一応、これを使ってみましょうか」

 

 そう言って取り出したのは先程デリンジャーにも使用した『蘇生アイテム』。

 その石を使用すると途端にキリトの身体が輝き出し、そしてその掠れているかのようなノイズが消え、パラメーターも通常のものへと変化した。

 驚いた顔で見つめるアスナと田口。そんな二人が見守る中、キリトはその目をそっと開いた。

 

「キリト君っ!」

 

「桐ケ谷君」

 

「う……あ、アスナ? お、俺……どうなって」

 

「良かった……キリト君、生きてる……良かった、生きてるよぉ……ふええぇ……うぇえええん……」

 

「アスナ……」

 

 キリトをぎゅうっと抱き締め泣き出してしまうアスナ。彼はその背中にそっと手を回すと優しく彼女を抱き締めた。

 

「アスナも……生きてる……ああ……生きてる……俺たち……」

 

 抱き合う二人を見つつ田口は腕を組んで呆然となって見下ろす。

 

「信じられない……どうしてこんなことが……奇跡……? いや、これも必然ですか……私ではとても理解できません」

 

 そう呟いた田口は膝を突くと、二人に向かって話し始めた。

 

「桐ケ谷君、アスナさん、君たちを私の『復讐』に巻き込んでしまって本当に済まなかった。これが許されることではないことは分かっている。本当に申し訳なかった」

 

 そう頭を下げる田口を、キリトとアスナの二人は身体を起こして静かに見つめる。と、アスナはキリトの指示で新たな装備を装着した。それはウンディーネである彼女の基本装備のそれ。そして田口は二人に向き直る。

 

「時間もないので、今全てを話しましょう」

 

 彼は真剣な表情で語り出した。

 

「すでに理解していると思いますが私には娘が一人いました。優しくて明るい娘でね、別れた妻の実家で暮らしていましたが、奴らの毒牙に掛かり自死してしまいました。私はなんとしてでも犯人に報復したかった。ですから必死になって犯人を捜し、そしてやつらに辿りついたのです。奴らは私の上司であり部下。私は社長……奴の父親から奴のしでかした犯罪の全ての後始末をするように命じられていた関係もあり、必死に怒りを抑え込んで服従の体で復讐の機会を待ち続けていました。そして今回、『彼』がこの舞台が用意したことを知って私は便乗して全員を殺す計画を建てたのです。まずは全員をこの舞台に引きずり出さなければならない。一人でも生き残らせれば後に禍根を残しますからね。奴には先ほど言った通り、アミュスフィアの電磁パルスでの殺害を当初から予定していました。直接刃が届く場所にいないことは最初から分かっていたことですから。そして、他の3人。彼らは全員私の部下です。しかしその実は全くの逆、私は彼らのただの道具でした。彼らは日々私に女の調達やその後の始末など様々なことを要求してきました。私はそれに加担したのです。といっても実際に犯罪を犯したわけではありません。女性はそれを生業(なりわい)としている方を多額の報酬を支払って毎回用意していました。いくら演技とはいえ、けがをする場合もありましたもので。そうやって少しずつ連中の内に入った私は、油断している彼らを順に殺していきました。ダイブ中は彼らはロックされた隔離された部屋にいましたから。ですから……」

 

「だから俺の部屋にパーソナルセキュリティーシステムを付けさせたのですね? そしてわざと俺が分かるような情報を流した」

 

 そのキリトの言葉に田口はコクリと頷く。

 

「そうです、私は君を利用しました。あの状況で奴らを殺すにはダイブから帰還させて私の元に来させるしかなかったのでね。連中は私をただの腰抜けと侮ってくれていましたので簡単でしたよ」

 

「田口さん……」

 

 淡々と微笑みながら話す田口にキリトは何も言えなかった。

 田口が心に灯していたのは燃え盛る復讐の炎。それは相手を殺害したからといって晴れるようなものでは決してないのだろうと彼も理解していた。

 愛する者を奪われる苦しみ、悲しみ、嘆き……どんなに相手に怨嗟をぶつけようとも決して失った者は帰ってこないのだから。隣で寄り添ってくれているアスナの事を思い、彼は唇を噛みしめた。

 

「さあ、これで私の話は終わりです。私はこれから最後の仕上げに入ります。しかし『彼』はまだ待ち続けている。急ぎなさい。君たちの仲間の命を救うためにも一刻も早く『彼』のもとへ」

 

「待ってくれ、デリンジャーが黒幕じゃないんですか? 教えてください? 『彼』とは誰のことなんですか?」

 

 そう詰め寄るキリトの脳裏にはあの『ケイタ』の顔が過ぎっていた。

 しかし田口はそれには答えず、ただその眼を伏せた。

 

「『彼』と奴らはなんの関係もない。『彼』はただ……君たちを……『答え』を待っている」

 

「『答え』……? ですか?」

 

 田口は首を静かに振った後、一言付け足した。

 

「『彼』の憎しみは私よりもずっと深いものだ……」

 

「え?」

 

 田口はそのままデリンジャーへと向き直り、そしてゆっくりと歩き出す。そんな田口にキリトは叫んだ。

 

「田口さん。お願いします。どうか死なないでください!」

 

 その言葉に田口の足は一瞬止まる。止まって、しかし振り返らずに答えた。

 

「ええ、私は絶対に死にませんよ。娘の事を想い続けてやらねばなりませんから」

 

 それを聞いてキリトとアスナはお互い見つめ合って頷いた。

 そして二人は全力で走り出す。

 目指すのは迷宮(ダンジョン)

 彼らの目的……クラインとリズベットの救出は未だ成されてはいない。そして今から人を集めたのでは間に合わない。そのことが分かったからこそ、すぐに実行に移ったのだった。

 残り時間がわずかであることを理解しつつ、二人だけの強行軍が今始まったのである。

 

 去りゆく二人をその姿が完全に見えなくなるまで寂しげな視線を向け見送る田口。

 ひとしきり経ってから彼は地面に転がるデリンジャーへと再び近づいた。

 そしてその身体に触れると、すぐにその麻痺を解除した。

 

「お、俺を……どうする気だ……?」

 

 そして彼は再び無表情のままコンソールを操作しながらぞんざいに言った。

 

「お前に一つだけチャンスをやる。今お前のレベルを1に戻した。それと、このフィールドを隔離して移動を制限させてもらった。もしこの状態で生き残ることが出来たなら俺はもう手出しはしない」

 

「え? え?」

 

 驚愕するデリンジャーの前に、田口は2体のモンスターを顕現(ジェネレート)させた。

 それはこの74層迷宮区に出現する剣士型のモンスター『リザードマンロード』。2体は剣を携えたまましっかりとデリンジャーを見据えている。

 

「さあ、(あらが)って見せろよ」

 

 田口がそう言った直後、2体のリザードマンロードがその手の刀を振りかざしてデリンジャーへと襲いかかる。と、その瞬間デリンジャーはその右腕を突き出して、直近に迫ったその両方のモンスターの胸に『拳銃』の弾丸を発射、それがどちらへも命中した。モンスターはたちまちのうちに光となって消滅する。

 デリンジャーは直後、背中を向けている田口に視線を向けたまま、笑い出した。

 

「ははは……あはははは……あはははははははははははは、あはははははははははは、うひーひっひっひ、いーひっひっひ、わはははははは……やった、やったぞ! 田口‼ なめんじゃねえよ、何がレベル1だ。この俺の『拳銃』のスキルはレベルなんか関係ねえんだよ。当たれば即死だバーーーカ! いひひひひひ……おら、約束しただろ? さっさと俺を開放しやがれ……」

 

「誰も2体だけなんて言ってないだろ?」

 

「え?」

 

 その田口の言葉がデリンジャーを恐怖のどん底に叩き落とす。奴のその背後……その方角から溢れ始めるたくさんのモンスターの気配にデリンジャーはその身を硬直させた。もはや奴の最強の『拳銃(スキル)』の残弾はゼロ。戦おうにも元々格闘能力は非常に低い上に、現在の身体レベルはたったの1。

 小刻みに震え始めてしまったデリンジャーは田口へとすがりついた。

 

「ま、待ってくれ、助けてくれ。お、俺はまだ死にたくない」

 

 田口はデリンジャーを蹴り飛ばす。そして表示させていたコンソールを操作した。

 

「『痛覚耐性(ペインアブソーバー)』をゼロにしておきましたよ。これで貴方はここで現実の身体と同様の痛みを感じられるようになりました。これは私からのせめてもの温情ですよ、社長。せめて最後は『人』として、その痛みを感じながら死になさい。全身を喰われ蹂躙される恐怖と痛みを感じながらね」

 

「ま、待って……」

 

 短くそう声を漏らした直後、彼は絶叫した。

 そこには数百を超えるモンスターの群れ。第1層からここまでのありとあらゆるモンスターがこの場に溢れていた。

 聞こえてくるのはまるで豚の鳴き声のようなデリンジャーの潰れた悲鳴と、バキバキボキボキと何かが嚙み砕かれていく不快な音……その音の正体を田口はもはや見る気も起きなかった。

 彼の心中には複雑な思いが渦巻いていた。そこには復讐を達したことへの充足感など微塵もなく、ただただ悲しみがあふれ続けていたのだから……。

 正義を気取る気は微塵も無かった。しかし、これでようやく奴の犯罪を止めることが出来る。今はそれを心の支えとしていた。

 

「『貴女』はこんな思いをする必要はない……」

 

 ポツリとそう一言こぼした彼は静かに目を(つむ)り、今はただ愛しい娘のことを思い返していた。




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真実の少し前

『ギュォオオオオオオオオオオオオオオオオ……』

 

 その空間に断末魔の大絶叫が轟いた。

 空気を震撼させるその声は、その場にいた二人の全身を包む。暫くそのままで屹立していたその巨大なモンスターは、ついにはその全身が光となって弾け飛んだ。

 ここは第74層ボスエリア、対峙していたのは階層ボスである羊の頭をしている二足歩行の悪魔型モンスター『ザ・グリーム・アイズ』。このモンスターはSAO攻略当時もキリトとアスナの二人がいる状態での攻略をしたこともあり、行動パターンを読んだ上で当時よりもレベルの上がっている身体からの強烈なソードスキルの連撃により、たったの二人ではあったが辛くも撃破することが出来た。しかし、そこはやはり少人数パーティー、前衛に立ち続けていたキリトは全ての攻撃は避けきれず、何度かダメージを受けてしまっていた。

 

 

「はあはあ、大丈夫か? アスナ」

 

「うん、私は平気。キリト君は?」

 

「ああ、さっきちょっと切られたけどこれくらいなら問題ない」

 

「ちょっと待って、すぐに回復魔法かけるから」

 

「ああ、悪い」

 

 そう言った彼女はその手に世界樹の杖を取り出して装備、そして呪文の詠唱に入った。

 アスナの周囲に風が舞うようにその衣服がはためく。暫くしてその治癒魔法が完成、光に包まれたキリトはみるみる身体が復元され、そしてLIFEもfullに。

 詠唱を終えキリトを向いてにこりと微笑んだ彼女に、キリトは不思議そうな顔を向けていた。

 

「どうしたの?」

 

「あ、いや、ありがとう……なんか顔とか髪の色とかアスナのままなのにウンディーネの格好してるのが、その……新鮮で」

 

「に、似合わないかな……」

 

 言われてシュンと項垂れるアスナにキリトは慌てて手と首を横に振る。

 

「ち、違う違う……そんなんじゃなくて、どっちかといえば似合ってる……というか、可愛い……というか……」

 

 しどろもどろになってしまったキリトにアスナはその顔を赤らめながら頬を掻く。

 

「えっと……そう? あ、ありがと」

 

「うん……」

 

 二人して赤面して少し照れ臭い雰囲気になってからお互いに顔を見合わせてどちらからともなくクスリと微笑んでしまった。

 当然だがクラインとリズベットの二人は依然救出できておらず、ゲームも終了してはいない。

 だというのに、今こうして二人で居られることで彼らは安息を得ていた。

 これが不謹慎なことであることも二人は十分理解していたが、このデスゲームが始まってからというもの、ここに至るまで彼らには息をつく暇さえなかったのだ。ここまでの精神を削るような連戦と、命がけのデリンジャーとの一戦で疲弊しきっていた彼らは、どのような形であれ強敵が消失したことにより安堵していた。しかも、死んだと思っていたサクヤの生存を知らされたことでその気分はかなり上向いていた。

 

 しかし、そんなほんの僅かな安息はあっという間に立ち消える。

 

ゴーン……ゴーン……ゴーン……

 

 二人の耳に再びあの鐘の音が聞こえていた。

 どちらからともなしに手元へコンソールを表示させると、そこに表示されている時間は『17:00』。制限時間である午後6時まで残りあと1時間。

 再び張り詰めた表情に戻った二人は頷きあって立ち上がった。そしてすぐさま75層へと進み階層のアクティベートを行う。

 これによりこのフィールドが完全に開放された。

 遠目に見る古代ローマ風の町並みには次々にNPC達が現れる。そしてその街のさらに向こう……高く(そび)える巨大な建造物を見て、二人はあの戦いを思い出していた。

 そこにあったのは『闘技場(コロシアム)』。ここでキリトはあのヒースクリフ……茅場晶彦と最初の対決に及んだのだ。

 あの戦いは彼がキリトを自陣に引き入れるためのいわば出来レース。当時二刀流を発現させたキリトはヒースクリフへの猛攻に移るも、彼はデリンジャーも使用した『システムアシスト』を使用して高速のキリトの剣を回避、そして一太刀を浴びせられキリトは敗北し彼の思惑のままに血盟騎士団に入ることになった。

 それはキリトにとっては苦い記憶であると共に、この世界から脱出するための最後の戦いの始まりでもあったのだと、それを見上げながら彼は感じていた。

 これも心の余裕のせいだな……と、周囲を見ることが出来るようになったことを彼は半ば自嘲気味に笑い、そしてそれと同時にあることに思い至ってはたとその足を止めた。

 それを訝し気に振り返ったアスナが見つめている。

 

「どうしたのキリト君、急がないと……もうあと1時間くらいしかないよ?」

 

「あ……ああ」

 

 返事をしながら走り出したキリトはその周囲をつぶさに観察する。

 そこにはたくさんのNPC達が日常生活を送っている。

 

 そう……あの当時と全く同じままの様子、同じ配置、同じ動きで彼らはそこにいた。

 それを見ながら彼は隣を走るアスナへと声をかける。

 

「なあアスナ……アスナはこのアインクラッドのこと、どう思う?」

 

「え?」

 

 そう問われて彼女も周囲を見渡す。

 そして彼へと視線を戻した。

 

「そうだね……私たちが閉じ込められた時のアインクラッドと本当に『そっくり』だよね。それがどうしたの?」

 

 そのそっくりと言った答えを一度口の中で呟いた彼がアスナを見て話した。

 

「そっくり……なんだよ……本当にそっくりだ。それは細部まで……NPC達の会話や動きまで……いや『同じ』なんだ……ここはあのSAOのアインクラッドそのものだと言ってもいいくらいに」

 

「え? ……あ!?」

 

 そこまで言われてアスナはキリトが何を言わんとしているかということを理解する。

 そして改めて驚愕した。なぜならそれはあり得ないことなのだから。

 キリトは確認するように彼女に言う。

 

「アインクラッドはあの時、俺とアスナと茅場の目の前で確かに崩壊した。そしてそのデータのほとんどすべてはあの時失われたはずなんだ」

 

 それは紛れもない事実であった。

 ソードアート・オンラインの設計者茅場晶彦は、そのゲームの最終目的として『世界崩壊(ワールドブレイク)プログラム』を基幹システムである『カーディナル・システム』に組み込んでいた。

 そのため、当時ゲームを運営していた『アーガス』の本社地下に設置された複数のサーバーに収められていたアインクラッドに関するデータは消失。一部の点検用、作業用などのコピーデータを除いて、オリジナルのSAOのデータは現存していないはずなのだ。

 事件発生後アーガスからSAO運営を引き継いだアスナの父の会社・レクトも、手にいれることができたプログラムソースも試作段階のコピーのみであり、それをベースに作り上げられたのがALO(アルヴへイムオンライン)であったわけだが、後に導入され通称『新生アインクラッド』と呼ばれ、キリトやアスナ達が攻略を進めていたフィールドに関しても、その少ないコピーデータを元に新規に作成されたものであり、旧アインクラッドとは似てはいても、実のところは全くの別物であった。

 

「確かに……おかしいよね」

 

 アスナも全速で駆けながらそう返す。

 途中現れ続けているモンスターは進路を塞ぐものに限り切り伏せ進んでいた。それらのモンスターもまた彼らの見知った物であった。

 

「ずっとこの世界がSAOと似ているとは思っていたんだ。でも、ここまで再現することは例え生還者(サヴァイバー)であっても不可能だよ。とてもじゃないけど世界の細部までの情報を思い出しながら復元することなんて人間には出来ない」

 

「じゃあ、今いるこの世界を作ったのはいったい……まさか! だ、団長?」

 

 そう思い付いたアスナに対し、キリトは首を横に振る。

 

「いや、それはないと思う。この世界を作った本人である茅場なら確かにもう一度再現することは可能だとは思う。でも、奴にとっては一度完成した世界なんだ。わざわざ今回このためだけにこの舞台を作りあげるとはとても思えないよ。そもそも今回は魔法も新スキルもなんでもありだ。理解は出来ないけど変な美学を持ってる茅場がやるようなこととは思えない」

 

 アスナはその『変な美学』というところで思わず吹き出してしまった。もし今茅場がこの会話を聞いているのなら、それこそ変な顔になってしまっているだろうとアスナは想像してしまったのだ。

 しかし、確かにキリトの話す通りで、例えその能力があろうとも茅場がすることとは彼女にも思えなかった。

 それからキリトはアスナが手にする長剣と盾に目を向けてから問いかける。

 

「アスナは茅場に会ったんだな」

 

「あ、うん」

 

 言われて自分の装備に目を向けるアスナ。ここまで特に聞かれなかった為に敢えて口にはしていなかったが、彼と対面して授けられたこの装備と神聖剣のソードスキルに関しては彼に隠す気は毛頭なかった。

 

「キリト君を助けに入ったあのとき、意識がとんで気がついたら目の前に団長が居たの……それでこの装備を譲ってくれたんだけど……なにかあのとき、変なことを言ってたよ? この世界を救ってほしいとか? 『彼女』を助けて欲しい? とか?」

 

「彼女?」

 

「うん……確かにそう言ってた。誰のことを言っているのかわからなかったけど、ひょっとしたらあの『リヴェンジャー』って名乗った人と関係があるのかも」

 

 その言葉にキリトは飛びかかってきたモンスターを切り捨てながら少し考え、そしてアスナに向きなおった。

 

「『リベンジャー』か……確かに奴は自分でそう名乗ったけど、実際のところは何者なんだろう? 田口さんの口ぶりからするとやっぱり知っているみたいだったよな」

 

 田口と聞いてアスナは一瞬表情を曇らせた。それをちらりと横目に見たキリトもまた胸に走る痛みを感じていた。

 

 いつも穏和で優しい紳士……それがキリトが彼へと抱いていた印象だった。

 しかし、その表の顔からは信じられないような苦悩を抱え、苦しみ続けてきたという事実を彼はつい先程知ってしまった。

 何が起きてしまったのか……それが彼にどんな衝撃を与えたのか……それを他人である自分が詮索することも、彼を戒めようとすることも(はばか)られた。自分はただの傍観者。彼の行いの是非を判断していいとは思っていない。しかし、自分を捨て命を賭けて復讐に臨んだ彼をなんとか助けたい……ただそれだけだった。

 血にまみれ復讐を遂げたであろう田口がこぼした言葉。

 

『『彼』の憎しみは私よりも深い』

 

 というあの言葉をキリトは何度も心のうちで唱え噛み締めていた。

 そしてその言葉が指し示すその先……キリトにはどうしても自分を憎み、絶望し、死して現実世界に生還したという『彼』の顔が浮かぶのだった。

 もし仮にその予想している人物が正体であるのだとしたら、クライン達を助けるために果たしてその時剣を振るうことができるのだろうか……。

 脳裏を過ったそんな不安が彼の口を動かしていた。

 

「なあアスナ……俺はひょっとしたら『リヴェンジャー』とは戦えないかもしれない……」

 

「キリト君……」

 

 ポツリとそうこぼしたキリトの顔を見つめつつ、彼女は正面に視線を戻す。

 

「だいじょうぶ……私がキリト君を守るから……そう……『サチ』さんとも約束をしたから……」

 

 その言葉にキリトは慌ててアスナを振り返った。

 

「アスナもサチと会ったのか?」

 

「『も』ってことはキリト君も……」

 

「ああ……どうしようもなくなった時……サチや黒猫団のみんなが助けに来てくれた……多分、夢の中で」

 

「わ、私ももうだめだって思った時、サチさんっぽい女の子が助けてくれたの……ねえ、これって……」

 

 二人で視線を交わし、その事象に思いを馳せる。でも考えられる様々なことは夢や幻の領域を出ないことばかり……ただ、確かにそこに彼女の存在を感じたことだけはお互い偽りのない実感であった。

 

 この今居る世界がいったいなんなのか……

 二人の前に現れた彼女はどんな存在であったのか……

 

 理解し難く、はっきりしたことも分からず、答えのないまま二人は走り続けた。

 

 そしてついにその最後の迷宮入り口へと辿り着く。

 その大きく開かれた口を見上げつつ、この先に待つであろう存在に思いを巡らせる。

 捕まってしまった二人を解放するためにこの迷宮は必ず突破する。そしてそこに何が待ち受けていたとしても絶対に逃げない。対峙してみせる。

 二人はそう決意し、拡がる深い闇の中へとその身を進めた。

 

 

   ×   ×   ×

 

 

「おい……リズベット……生きてっか?」

 

「う、うん……私は大丈夫よ……クライン……痛みは?」

 

「へへへ……こんなの屁でもねえよ。もう完治しちまってんじゃねえのか?」

 

「ばか……」

 

 震えるような小声でそう返す鎖で天井から吊るされたままのリズベットは、隣で逆さに吊り下げられようやく意識の戻ったクラインに恐る恐る視線を向ける。

 そこにはいつもと変わらないおちゃらけたクラインの顔があった。

 しかしその現実の身体が痛め付けられてしまっていることを知ってしまっているがために、彼女はいつものようにふざけて返すことが出来なかった。

 それを知ってか知らずかクラインも敢えてそれを追求しようとはしない。

 そんな中、クラインが不思議そうにポツリとこぼした。

 

「それにしてもよぉ? あいつらはいったいどこに行きやがったんだ? さっきまであれほど俺たちにチョッカイ出してきてたってのによ」

 

「それなんだけどね、見張りもいなくなってからもう随分経ってるのよ。監視はされてるんだろうけど、なんかおかしいよね」

 

「ならキリト達がもう近くまで来てるってことなんじゃねえか? あいつならそう簡単に負けるわけはねえだろうし、意外ともう敵を全部倒しちまってるんじゃねえか? ははは」

 

「それならいいんだけどね……」

 

 軽口を叩くクラインに対し、ずっと恐怖に震え起きていたリズベットは、自分の身体になんの異状も起きていないことを知っていた。

 だからこそ、ひょっとしたら助けが近くまで来ているのかも……という、希望を人一倍持っていたが、そうではない可能性を捨てきれないことで、恐怖が波のように引いては押し寄せ、押し寄せては引くのを繰り返しかなり神経が衰弱してきていた。

 いったいこの状況がいつまで続くというのか……。

 自分ではなにも出来ない今、彼女は苦しみながらも、自分の身体と引き換えにリズベットを助けてくれたクラインにだけは弱音を見せまいと固く心に誓っていた。

 

 その時……

 

 急にこの牢獄の鉄格子の向こうに景色が入る。そこは周囲に篝火が焚かれた巨大な空洞であり、そしてその空洞の中央付近に彼らは現れたようであった。

 

「こ、ここは……まさか……」

 

「クライン……あんたここがどこか知ってんの?」

 

 焦った表情で周囲に視線を送るクライン。SAO攻略同時、最前線に立っていた彼はここが75層のボスエリアであることがすぐに分かってしまった。そんな彼に質問した彼女はその答えを得る前に、その正面に佇む人物を認めて声を失ってしまう。

 そこには頭まで全身を真っ黒なローブですっぽり包んだ正体不明の怪しい人影。

 深く被られたフードのせいでその顔は漆黒の闇に包まれ、容姿を認めることがまるで出来ない。

 

「お、お前は……な、なんだよ?」

 

 クラインがそう言った直後、その人物は右手を横に振った。

 途端に彼らが囚われていた牢獄も、縛り付けられていた手錠も鎖もその全てが消滅し、彼らは床へと落下することになった。

 

「リズベット……大丈夫か? やいてめえ! ちったぁ優しくできねえのかよ!」

 

 そう吠えるクラインの元に、フードの人物はゆっくりと近づいてくる。

 リズベットの前に立ち、彼女を庇うクライン。

 しかし、そんなことはお構いなしにフードの人物はクラインの首を右手で握ると、そのまま何の苦もないままにゆっくりと上方へと持ち上げた。

 

「や、やめてよ!」

 

「ぐぅううう……」

 

 ギリギリと締め上げられるその手を剥がそうと必死にもがくクライン。しかし、びくともしないその相手が腕を直上へと伸ばしたがために、クラインはついにその足が地から離れた。

 

「て、てめぇ……」

 

 確実にダメージを受け続けているクラインは、その手を剥がすことを諦め、相手の顔めがけてその右手を一気に伸ばした。ろくに下を視認出来ない彼はもがくように相手の頭を探す。そして届いたその手は相手の深く被られたフードを掴み捲りあげた。

 

「え?」「あ」

 

 その時二人は小さな声を漏らす。

 なぜならそこには予想もしていなかった存在があったのだから。

 彼らの見つめるその先にいるのは、黒のショートカットのまだあどけなさの残る幼い少女の顔。しかしその瞳からは人を射殺すかのような鋭い輝きが放たれていた。

 

 彼女はクラインの首を掴む力を一瞬増すと今度はその体勢から床に向かって投げつける。そこには倒れたままのリズベットがおり、慌てて投げ飛ばされてきたクラインを抱き止めた。

 

 穏やかそうなその容貌に反し、冷徹なその視線とその行為に言葉もなく見上げていた二人に、その人物は話しかけてきた。

 それは地獄の底から沸き上がるかのような低くおぞましい声。

 

『刻ハミチタ……貴様タチニハゼンイン『消滅』シテモラウ……『キリト』トトモニナ……ククク……』

 

 静かな、そして震えているかのようなその笑い声が、その大空洞でただただ木霊した。




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リヴェンジャー

 キリトとアスナは迷宮を疾走する。現れるモンスターの(ことごと)くを一刀のもとに切り捨て、目指すのは最奥ボスエリア。

 リヴェンジャーと名乗ったあの人物が指定したこのゲームの最終フィールドにして、最後の戦場。そこにはラスボスとして奴自身が君臨しているはずであった。

 そして指定されたゲームの制限時間も残りわずか。

 二人は事前に情報屋のアルゴより教えられていた最短のルートを思い出しつつ、一気に駆け抜けた。

 レベルアップにより強化された二人の身体は生身ではあり得ない高速走行を可能とした。息切れ一つなく走り切った彼らは、その目的の場所で立ち止まる。二人は不安を宿した表情のまま、既に開かれた状態の空間にその視線を向けた。

 

 ここは目的地でもあるこの75層のボスエリアの入り口。

 しかし、予想とは違っていた。

 ここまでの全てのボスエリアとは違い、入り口である大扉が既に開かれていたのだ。

 その暗闇に包まれた部屋の中は薄暗く、外からでは何があるのかはっきりとは見えない。しかし、その(よど)んだ闇の奥に、なんとなくではあるが三つの人影がある事をキリトは知覚した。

 

「行こう、アスナ」

 

「うん」

 

 二人は一度見つめあいそして手を繋ぐ。そしてゆっくりとその暗がりへと足を進める。

 その空洞には光源ともなる篝火がいくつか焚かれたままになっていた。次第と視界が慣れてきた二人には、そこにクラインとリズベット……そしてもう一人、フードを深く被り漆黒のローブで全身を覆う正体不明の人物の姿を認めた。

 

「クライン!」「リズ!」

 

 二人でそう呼びかけるも、立ち尽くしている二人からはなんの反応もない。

 ただそこで目を開いたまま直立不動で立つのみ。そんな彼らから視線をフードの人物へと移したキリトは即座に怒鳴り付けた。

 

「二人に何をした!」

 

 フードの人物はゆっくりと顔を上げ、その闇の内から瞳を覗かせて彼へと言う。

 

「カレラニハ静カニナッテモラッタダケダ、マダ殺シテハイナイ。サテ貴様ニハコノシツモンニ答エテモラオウカ、キリト」

 

 その低く怖じ気が込み上げてくるかのような声を聞いてアスナはその身体をぶるりと震わせた。隣のキリトもまた同様に身体を強張らせていることを彼女は見てとるも、キリトは構わず口を開いた。

 

「ふざけるなっ! リヴェンジャー……クラインとリズベットを解放しろ。まずはそれからだ」

 

「ソレヲドウスルカ決メルノハコノワタシダ。貴様デハナイ」

 

「お前……」「ちょっとキリト君……ダメだよ」

 

 なおも食い下がろうとするキリトをアスナが止めた。今捕まっている二人がどのような状況なのか全くわかってはいない上に、この相手の正体すら不明のままなのだ。

 しかしアスナは、捕らわれた二人を前にしてキリトが焦る気持ちもわかっていた。アスナはキリトを押さえたままでフードの相手へと声をかける。

 

「お話……お伺いします。そして必ずお答えします。でも、それに答えたら二人を解放してください。お願いします」

 

 そう頭を下げながら言ったアスナへ視線を向けたその人物はしばらく動きを止めた後、声を出した。

 

「イイダロウ。フタリヲ解放スルトヤクソクシヨウ」

 

「あ、ありがとうございます」

 

 もう一度勢いよく頭を下げるアスナ。その様子を見ながらキリトは無言のままで剣を握り込む力を強めていた。

 キリトには分かっていた。この状況を打破するためにはこの相手を倒す必要があることを。

 このゲームの最終ボスは紛れもなく正面のこの人物だ。そしてそのボスを倒さない限りゲームクリアーとならないということを、他の誰でもない、この人物が自分の口でゲーム開始の際に宣言しているのだ。

 だからこそ、いったいどんな罠や陽動を仕掛けてくるか分かったものではなく、それによってどんな痛手を負わされ戦闘不能に陥るような事態をまねくか……キリトは油断するわけにはいかなかった。

 しかし、まさかここまでリヴェンジャーがアスナの要求を飲むとも思っていなかったのである。

 フードの人物はもう一度キリトの方を向き直ると、じっと見つめながら静かに話しかけた。

 

「キリト、貴様ニトイタイコトハヒトツダケダ。『貴様ハ今ナゼイキテイラレル?』サアコタエテミセロ」

 

「え?」

 

 その唐突な問いにキリトもアスナも唖然となってしまう。その問いがあまりにも抽象的であり、回答に(きゅう)するものであったから。一言でそう問われても、それを実体験に照らすことがすぐにはできなかった。

 何度か口の中で唱え、何度か咀嚼した後でキリトはようやくその答えらしきものに辿り着く。

 それは言葉にするには時間がかかったとしても、自分のうちではすでに完成された答えであったから。

 

 でも、それを今言う気には到底なれなかった。

 

「俺には生きなければならない理由がある。でもそれはあくまで俺自身のことで、あんたには関係ないはずだ」

 

 そう言ったキリトにリヴェンジャーは身動きひとつしないままに続けた。

 

「言ワネバコノフタリヲイマスグニ殺スダケダ。アノSAO(ソードアート・オンライン)デイキノコリ、イマコウシテフエツヅケテイル『VR(ヴァーチャルリアリティ)ワールド』ヲ肯定シ、『世界の種子(ザ・シード)』ヲコノセカイ二貴様ハモタラシタ。ナゼダ? ナゼ貴様ハソンナコトヲシテイキテイラレル? 貴様ハナゼコノ『世界』ヲ否定シナイ? ナゼダ?」

 

 語気が次第と荒くなるリヴェンジャー。その言葉の一つ一つが槍となって彼の心を貫いていく。

 彼も感じていたことだ。

 あのSAOの世界は彼から日常を奪い去った。何もしなければ待つのは死しかないあの世界で、彼は生き残る為に戦う術、殺傷する技を覚え、殺人すらも行った。

 たくさんの命が目の前でその掌から零れていった。そんな世界から生還したい。みんなを助けたい。アスナを救いたい。

 それがいつでも彼の原動力であり、戦う動機だった。

 そしてもう一つ、今生きなければならないと思う理由にも気が付いていた。それは……

 キリトはまっすぐにリヴェンジャーを見て話した。

 

「生還した俺は死んでいった連中の分まで生きなくてはならないんだ。生きて、生きることでみんなが生きた証を俺が伝えなくてはならない。それが俺の出来る一番の行為だと信じている。それと、俺はVRワールドそのものは恨んではいない。この世界にも現実と同じように夢や希望がたくさん溢れていることを知っている。この世界のおかげで幸せになれたやつだっている。俺も大切な存在と出会うことが出来た。俺にはこの世界も大事なんだ」

 

 アスナを見つめながらそう話すキリト。アスナは少しうつむいたままキリトの腕をぎゅっと掴んでいる。彼の言葉にはアスナにとって大切な思い出の数々も含まれていた。彼らにとってこの世界はもはや、『もう一つの現実』であるのだから。

 

 リヴェンジャーはじっと見つめ続けていた。

 思うところを全て包み隠さず全てを話した彼を凝視したまま、『彼』はポツリと言った。

 

「ナラバ貴様ハヤハリ『敵』トイウコトダ」

 

「それはどういう……」

 

 キリトが言い終わるその前に、リヴェンジャーは動き出していた。

 いや、どう動いたのかは彼には分からなかった。その瞬間リヴェンジャーの姿が消失したのだから。だが、それでも身体は反応していた。

 

「くッ……」

 

 危ないと警戒信号が脳に走ったその時、彼の身体は高速で回避行動に移っていた。瞬時に身体を反らしたそこへ皮膚一枚分外したそれが超高速で突き入れられていた。

 それはまるで元々そこにあったとでもいうかのように存在する一本の槍。

 見下ろしたそこにはその槍を構え、突き入れているリヴェンジャーの姿があった。

 キリトは回避行動をとりつつも瞬間背中の2本の剣を抜き放つ。

 刹那、腰を低く落としたリヴェンジャーが向かってくるキリトに向けて超高速の連続突きを打ち込んできた。

 あまりの速度に全てを躱せないと判断したキリト……彼は相手が突き入れてくるその槍の穂先の軌道を、最大限に高めた視覚と連動させた状態の二刀流ソードスキルで迎え撃つ。

 彼の反応速度は他の追随を許さない領域にある。神速と呼んでも過言ではないそのソードスキルのスピードも相まって、無差別乱打に打ち込まれているかのようなその槍の突きの(ことごと)くを、彼は剣で迎撃した。

 

「ホウ……サスガハデリンジャーヲ(たお)シタダケノコトハアルナ」

 

「お、お前が奴を(けしか)けたのか?」

 

「ソレハドウデモイイ話ダ」

 

 リヴェンジャーは最後の突きを放つと見せかけ、そのままキリトへと切迫、そして槍ではなくその足で彼の腹を蹴り上げた。

 

「ぐはっ……」「キリト君!」

 

 悲鳴を上げ近寄ろうとするアスナ。しかし、その前にリヴェンジャーが立ち塞がる。

 

「ジャマダ」

 

 リヴェンジャーはその両手に持った長槍を高速で回転させた後、接近するアスナに向けそれで殴りつけた。瞬間、『秩序の盾』を掲げガードするアスナ。彼女はその一撃を盾で完全に受け切ることが出来ず、そのまま後方へと弾かれた。

 と、その時、頭上から二振りの刃を煌めかせて飛び掛かってくる一つの影が。

 アスナへと強烈な一撃を放ったリヴェンジャーの大きなモーションのその隙に、キリトが襲い掛かったのだ。

 煌めくソードスキルのエフェクトに包まれ必殺の一撃をリヴェンジャーへと放つキリト。しかし、その一撃は相手に痛手を負わせるまでには至らなかった。

 咄嗟に頭を後方へ引いたリヴェンジャー、その丁度側頭部付近にキリトの刃がヒットする。

 追撃の好機!

 しかし、その瞬間キリトは動かず、その身体は凍り付いたように固まってしまった。

 

「な、なんで……」

 

 キリトが振り下ろしたその刃は、リヴェンジャーの被っていたフードも同時に切り裂いた。

 そしてその内から現れたのは、額から流血のエフェクトを発生させている、厳しい瞳で此方を睨みつける黒髪ショートヘア―の少女の顔。そしてそれは彼が見間違えるはずのない人物のものだった。

 

「さ……サチ……」

「キリト君、危ない!」

 

 瞬間呆けて硬直してしまったキリトの身体に向けて、リヴェンジャーは凄まじい速さで槍の突きを繰り出す。当然反応出来なかったキリトは回避が遅れているが、その間に盾を構えたアスナがその身を滑り込ませた。

 

 ズンッ

 

「きゃあああっ」

 

 鈍い音と共にアスナの悲鳴が上がる。

 

 リヴェンジャーの速すぎる攻撃にアスナも防御が完全には間に合わなかった。結果、盾で軌道を反らされたその槍の穂先は間に入ったアスナのその腹部を刺し貫いてしまった。

 

「アスナっ!」

 

「オ、オジョ…………」

 

 彼女を抱きとめたキリトは急いでそのダメージ箇所を確認する。その腹部からは(おびただ)しい量のエフェクトの輝きが漏れ出ていた。確認した彼女のLIFEゲージは一気に減っていく。キリトは慌ててインベントリを開いてポーションを探すも、すでに全てのポーションを使い切ってしまっていた。

 そんな様子をリヴェンジャーは何か言いかけたまま、絶句して見下ろしていた。

 

「アスナ……アスナ……!」

 

 呼びかけるキリトが見たそれ……急激な勢いで減っていた彼女のライフゲージが後少しで完全に無くなってしまうかと思えたその時、その減少が止まった。

 アスナは自分のその負傷した腹部を押えながら、身体を起しキリトへ笑顔を向ける。

 

「も、もう……キリト君は心配性だなぁ。たぐたぐさんが教えてくれたでしょ? ここでLIFEが尽きても私は別に死んだりしないんだよ。ああ、でも、これじゃあ現実の身体と一緒で動けないや。同じお腹を怪我しちゃったし」

 

「アスナはここで待っててくれ」

 

 大きく一度息を吐いたキリトは、そう言って立ち上がると二本の剣を手に構えた。

 そして向かい合った先、そこにいるサチの顔をしたリヴェンジャーを睨みつけ吠えた。

 

「どういうつもりだ? なぜサチの顔をしている? なぜ俺を狙う? 俺にどんな恨みがあるというんだ。答えろよ!」

 

 彼は剣に再びソードスキルの輝きを纏わせて腰を落とした。今すぐにでも飛び掛かれるような体勢をとる、そんなキリトを見ながらリヴェンジャーは静かに口を開いた。

 

「貴様を私は絶対に許さない。私がそうなった様に、今度は貴様の全てを奪ってやる。誰一人残さず貴様の愛する者達全員を『消滅』させてやる」 

 

 リヴェンジャーの口調が変わる。

 それは激しく苛烈な言葉……怨念を隠しもせずにただ一人、キリトに向けて放ったその言葉。怒りに染まるサチの顔から滔々(とうとう)と流れ出るその言葉にキリトの心は激しく揺さぶられた。

 リヴェンジャーの構える長槍にも光が溢れ出す。

 両者相対した状態でいつでも飛び掛かれるその時、先に動いたのはリヴェンジャーの方だった。

 

「はあああああああっ!」

 

 掛け声と同時にまっすぐにキリトへと突き入れられたその高速の槍。それは間違いなくキリトの心臓目がけて放たれたものであった。 

 だが……

 近距離とはいえ正面。当然キリトの反応速度はそれ以上であり、大振りのその軌道ならば確実に反撃を繰り出しリヴェンジャーに襲い掛かることは可能であった。

 まっすぐ進み来るその強烈な突きの一撃に対しキリトは即座に反応……

 

 『しなかった』のだ。

 

 ズドッ

 

「ガハァッ」「キ、キリト君!」

 

 その鋭い槍の一撃はキリトの左胸を突き通す。倒れたまま絶叫するアスナ。そしてキリトの正面では完全に動きの止まってしまった、サチの姿となったリヴェンジャーはキリトに突き刺した槍を握ったまま震え出した。

 

「ナ、ナゼダ……ナゼ避けなかった? 貴様は避けられたはずだ……そしてワタシを斬ることが出来たハズだ! ……ナゼ、なんだ」

 

「お、おい、突き刺した本人が言う台詞じゃないだろ……そんな涙を流した悲壮な顔で攻撃されたら、流石に鈍感な俺でも事情はなんとなくわかるよ……」

 

「な、なに?」

 

 リヴェンジャーはその手を槍から放し、そっと自分の頬に触れる。そこにはサチの顔の両方の瞳からこんこんと溢れ出る涙の筋が。

 キリトは槍に貫かれたままの格好で背後のアスナを振り返った。

 

「大丈夫だアスナ……アスナの言う通りもう死ぬことはない筈だ。だから心配しないでくれ」

 

 キリトの身体から迸るダメージの輝き……そしてそのLIFEゲージがいよいよゼロになろうかというその時、その声がこの空間に木霊した。

 それは今のこの世界でもっとも異質でもっとも相応しい人物の声。

 

『そう何度も死んでもらっては困るな。ここまで戦い抜いた君たちには最後まで見届けてもらいたい』

 

 その声の主は頭上から現れた。白衣をたなびかせ、ズボンのポケットに手を入れた彼はゆっくりと空洞の中央付近へ降下してくる。

 それを見上げるキリトとアスナの視界の端では、LIFEゲージが一気に回復し、そしてキリトの胸を貫いた槍は跡形もなく消滅した。

 

『それに、貴女が本当に殺したい相手はそのキリト君ではないはずです』

 

 白衣の人物が見つめたその先……そこで全身を震えさせながら睨み返したリヴェンジャーが、その口を開く。

 

「茅場……晶彦……‼」

 

『お久しぶりです。『山形』先輩……いえ、今は『雪谷(ユキガヤ)』さんとお呼びするべきでしょうか』

 

「え……」

 

 静かに床へと降り立つ茅場晶彦と、彼が『山形』と呼んだリヴェンジャーが相対するのを、キリトとアスナは息を飲んで見つめていた。

 そして二人を注視していたアスナが口に手を当て震えながらポソリとこぼした。

 

「山形……さん? まさか!?」

 

 二人の前で突然リヴェンジャーがその姿を変える。

 

 そこには……

 

 長い黒髪を肩に垂らし、本来柔和であるはずのその顔を怒りに歪めた彼女の良く知る人物。あの夜、闇の中で刺されたアスナを助け出したはずの『家政婦』の姿がそこにあった。




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母娘【彼女の過去①】

──こんにちは、美幸(みゆき)ちゃん。私は山形良子って言います。貴女のお父さんとお付き合いさせて頂いてるの。仲良くしてくれたら嬉しいな。これから宜しくね。

 

──……

 

──ほら美幸、お前の新しいお母さんになる人だ。きちんと挨拶しなさい。

 

──わ、私は大丈夫ですから。美幸ちゃんも急で驚いちゃったよね。私、美幸ちゃんのま、ママになれるように頑張るからね。

 

──……じゃない。

 

──え?

 

──あなたなんかママじゃない‼

 

 

 人はいつだって幸せを求めるもの。それはなんの代償もなしに手に入るような物では決してない。そのことを私は誰よりも知っていたはずだった。

 

 小さな会社を経営していた父と、専業主婦だった母……どこにでもあるような3人家族……小さい頃、そんな家で私は二人に誉められるのが嬉しくて、頑張っていつも良い子にしていた。それは幼い私にとってとても意味のあることで、優しい二人と一緒にいることがなによりの幸せだった。

 でも、そんな安らぎの時はずっとは続かなかった。

 私が小学生の頃、父の会社が経営破綻し父は多額の借金にまみれ、お酒に溺れて私たちに暴力を振るうようになった。

 母も苦しい生活の中でいつもイライラするようになってしまい、ある時ふっと知らない男の人と一緒に私達を残して蒸発してしまった。そしてそれからしばらくして、全てに悲観した父が首を吊って自殺してしまった。

 

 一人残され身寄もなかった私は、悲嘆する間も無いままに孤児として施設に入れられた。その頃私はずっと泣いていたことを今でも覚えている。悲しくて寂しくて……

 もうこの世界に生きている意味なんてない……

 ずっとそう思っていた。

 

──泣かないで。僕が君を守ってあげるから。

 

 彼がまだ幼かった私にくれた優しい言葉。同じ施設で育ち、みんなのお世話をしながら大学に通っていた優しいお兄さん。

 彼の存在が、優しさが私にささやかな幸せを運んでくれた。

 初恋だった。

 まだその意味もろくに分かっていなかったけれど、彼の隣にいたい、彼と共に生きたいと切に願う日々が私にとってかけがえのないものになっていた。

 施設のみんなも優しかったし、お姉さん達の手伝いをしたり、小さい子達に勉強を教えてあげたりすればみんな喜んでくれた。

 そんな細やかな幸せを毎日ちょっとずつ集められたから、あの時だって泣かないで笑うことができたんだ。

 

──良子ちゃん……俺、『××お姉ちゃん』と結婚することになったから……

 

 大好きだったお兄ちゃんは、同じ施設で育った優しいお姉ちゃんと結婚した。

 私は笑って祝福した。喜んで二人を見送った。

 それが私にとってどんなに切なくて悲しい思いだったとしても、二人に幸せになって欲しいと心から願っていたから。

 それからの私はひたすらに勉強に励んだ。お金のない私が高校大学と進学する為には高い成績を求められたから。失恋の傷心をまぎらわせたかっただけだったのかもしれない。でも、私はそんな努力のおかげで進学し、そして研究と言う名の仕事を得ることまで出来た。

 

 私には夢があった。

 人を幸せにできる仕事に就きたい。身体が不自由でも、家庭に問題があっても、みんなが同じように幸せを得られるその手伝いをしたい。そのための何かを作りたい。

 そんな私が東都工業大学電気電子工学科の重村先生に師事できたことはなによりの幸運だったと思っている。

 

 そしてそのことが私の人生の大きな分岐点となったことは間違いなかった。

 

──山形先輩、『脳神経接続機(ニューロリンカー)試作一号機』の完成おめでとうございます。

 

──ふふふ、ありがとう、茅場君。でもこれが出来たのも君の『微弱電磁波操作理論』があったおかげなのだけどね。さすが、将来有望の天才ね。

 

──いえ、やめてください。僕のはただの既存の技術の寄せ集めでしかありません。山形先輩の開発こそ人類を新しいステージへと進める偉大な一歩です。

 

──もう……おだてたって何も出ないわよ。でも、そうね……この装置があれば人は自分の身体に縛られることがなくなるかもしれないわね。身体が不自由でも、ううん、治る見込みのない重い病に掛かったとしても、脳さえあれば健康な身体を得ることが出来るようになるかもしれない。

 

──そればかりではありませんよ。人の脳にはまだまだブラックボックスとも呼べる未開領域が多々あるんです。この研究が進めば、人は魔法や超能力を使えるようになる可能性だってあります。

 

──本当に君はロマンチストね。でも、そうね。そうなるかもしれないわね。魔法……それが出来たなら本当に素敵ね。

 

──ええ。僕はいつか実現したい。人はもっとその可能性の領域に足を踏み出すべきなのです。

 

──応援してるわね、茅場君。君がそれを実現出来るまで私も頑張るわ。

 

──はい山形先輩……一緒に実現しましょう。

 

 夢や希望はいつだって私達を導いてくれる。そして、生きていること、今を駆けている実感を与えてくれる。それがその時の私にはあった。

 そして運命は、そんな充実した日々の中で、私に何よりも愛しく何にも代えがたい最愛の存在と再び巡り逢わせた。

 

──良子ちゃん……

 

──雪谷さん、今日もありがとう。とても楽しかったわ。ん? どうしたの? 雪谷さん? お兄ちゃん?

 

──り、良子ちゃん……いや、山形……さん。ぼ、僕はしがないただの公務員……だし、もう良い歳の中年だ。それに大きい娘だっている。君のような才色兼備の素敵な女性と釣り合えるなんて烏滸(おこ)がましいことは思ってはいない。でも、俺は君が好きだ。君と一緒にいたい。どうか俺と結婚して欲しい。頼む。

 

──き、急にそんなこと言われても……だってお兄ちゃん今まで全然そんなそぶり見せなかったじゃない。

 

──ご、ごめん。だって俺には美幸がいるし、死んだあいつのことだってあったし……だから……

 

──も、もう! 美幸ちゃんとお姉ちゃんのせいにするなんて本当に最低! プロポーズするんならちゃんとしてよ! 私ずっと待ってたんだからね!

 

──だからごめん……って、え? あれ? 待ってたって、え?

 

──もう知らない!

 

 愛する人、愛したい人を私は得た。私が望むのはほんの小さな幸せ。私の周りの人と一緒に感じていたい。ただそれだけ。

 でも、それは本当に得難いもの。

 

──ご結婚……おめでとうございます。

 

──ありがとう茅場君。君から祝福されるなんてなんだか照れ臭いな。

 

──大学をお辞めになられると聞きました。先輩ならすぐにでも教授になられてもおかしくないはずです。残られても良いのではありませんか?

 

──ふふふ。そうね、ありがとう茅場君。でも私は幸せな家庭を作りたいの。今の仕事のままでは二足のわらじはちょっと大変すぎるから……私ね、ようやく自分が本当に欲しかったものを見つけた気がするの。だから。これからは主婦を頑張ります。茅場君……後のこと……頼んだわね。

 

──……わかりました。きっと……先輩と描いた夢を実現してみせますよ。

 

 簡単に割り切ったわけではなかった。でも自分が手掛けた夢の形は後を継いでくれる人がいる。だから、私は自分でしか手にすることが出来ないものの為に生きる道を選んだ。

 でも漸く手にしたそれはとても重くて、そして深い苦しみを伴った。

 

──美幸ちゃん! お願い、私の話を聞いて!

 

──もう、放っておいて! 私はあなたの娘じゃない! 私のママは一人だけなの‼

 

──美幸ちゃん!

 

──良子……すまん。

 

──ごめんなさいあなた……美幸ちゃんは悪くないの、私が家族になりたいって余計なこと言ってしまっただけだから。

 

 どうしようも出来なかった。いくら考えても答えの出ない複雑な式。

 すぐそこにあって、でも届かないくらい遠くて、どうしていいのか分からなくて……

 いつかきっと通じ会える、触れ合える。そう信じていた。そう願っていた。

 彼の温もりを支えに、いつの日か本当の家族にきっとなれる。そう信じて私は日々を過ごしていた。

 

 でも……

 

 神様は思っていたよりもずっと残酷だった。

 

──お父さんっ!

 

──あ、あなたぁ……

 

──聞いたか? 役所に車で帰る途中で、ただ信号待ちしてただけのところにトラックが突っ込んできて即死だったって。

 

──気さくで優しい良い人だったのにねぇ。死別した前の奥さんのことでずっと塞いでたのが、少しずつ元気になってきたとこだったってのにねぇ。

 

──もらったばっかりの奥さんと可愛い盛りの娘を残して逝くなんて、本当に世の中間違ってるよ。

 

 愛する人の死で私はからっぽになってしまいそうだった。呆然として立っているのか座っているのかも分からなかったあの時、私の心をこの世に繋ぎ止めたのは、目の前で号泣する私の大事な娘……

 

──やめて! 放して! もう全部嫌なの!

 

──ダメ、絶対に放さない! 貴女のことは私が絶対に守るの。もう絶対に貴女を一人にはしない。約束する。私は、美幸の……ママだから! 美幸がどんなに私を憎んでも、どんなに私を嫌いになっても、どんなことを美幸にされたってママは絶対に美幸を幸せにする。美幸と一緒にいるのぉ‼

 

──……ま、ママ……

 

──み、美幸!?

 

──ママ……ママ……うわあああ……

 

 あの時、私にすがり付いて泣きわめいた美幸のことを私は一生忘れはしない。なぜなら二人で泣き叫んだあの時から、私たちは本当の『母娘(おやこ)』になったのだから。

 

 月日は流れた。母親初心者の私と娘初心者の美幸。なかなか馴れない中で私たちは母娘の時間を重ねた。

 大学へ戻らないかと誘われたこともあったけれど、たった一人の大事な娘との時間を私は優先するために日中だけでも働ける家政婦の仕事を選んだ。

 家事をしながら美幸と暮らす日々、歳がそんなに離れていない私と美幸は姉妹と間違われることもたくさんあった。なんてことはない会話……なんてことはない小さな体験のひとつひとつが本当に大事な二人の思い出になっていった。

 美幸が高校に進学してしばらく経ったある日、かつての私の後輩、茅場君がフルダイブVRマシンの開発に成功したことを知った。彼がかつて理想として掲げた人類の革新への第一歩。そのときの私は素直にそれを喜んだ。

 

 そして『SAO(ソードアート・オンライン)』がいよいよ販売されることが決まったあの時、私は美幸のお願いを叶えてしまった。

 

──ママ……学校の同じ部活のみんなと『ソードアート・オンライン』をやりたいんだけど、みんな手に入らないんだって。ママの方でも探して貰えないかな?

 

──あのゲームが欲しいの? そうなんだぁ、ふふふ、美幸も勉強頑張ってるしなー、どうしよっかなー? 買ってあげよっかなー?

 

──え? そんなこと言ってもどこも予約いっぱいなんだよ? 

 

──そう? でも多分大丈夫。なんといってもあのゲームを作った人はママの知り合いだからねー。お願いしてあげてもいいんだよ?

 

──ほんと!? あ、でも、その言い方……私になにかやらせる気でしょ……

 

──そうねぇ……じゃあ、好きな人の名前とか教えてもらおうかな?

 

──ちょっ……い、いないってば、そんな人……

 

──ほんとぉ? この前一緒に歩いてた男の子、美幸のこと『サチ』って呼んで仲良さそうにしてたじゃない?

 

──あれはちが……た、ただの部活仲間! 友達だよ!

 

──ムキになるとこがあやしいなぁ。

 

──もう……ママの意地悪!

 

──ふふふ……

 

 私が茅場君に頼んで用意してもらった5人分のゲームアカウント……

 満面の笑顔で私に感謝の言葉をくれた美幸……

 

 後悔してももう戻れない。もうどうしようもない。

 

 そんな思いになるなんて微塵も予想していなかったあの運命の日、洗濯物を一緒に畳んだすぐ後、美幸は楽しそうに微笑んでナーヴギアを被り私に小さく手を振った。それが私達『母娘』の幸せの終焉の時だった。




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理由

「や、山形さん……な、なんで……」

 

 口を押さえたアスナがそう呟く中、その肩を抱くキリトと二人のその目の前で、漆黒のローブに身を包んだリヴェンジャー……山形と、白衣姿の茅場晶彦が対峙する。その佇まいは全く対照的なもの。山形は憤怒にその整った顔を歪め、茅場はまるで見下してでもいるかのように涼しい顔で怜悧(れいり)な視線を彼女へ送っていた。

 言葉を失してただ見つめ続けている二人の前で、最初に口を開いたのは山形の方だった。

 

「茅場……やはり生きていたのね。よくも……よくも……」

 

 震えながら睨む山形へ茅場が声を発した。

 

『山形先輩、それは正しくはありません。私の身体は既に滅んでいます。今ここに存在しているのは『記憶と意識の残滓』でしかありませんよ』

 

「よく言う……ブレインスキャニングの技術を9割方完成させていたことは分かっている、茅場……お前は試したな? ナーヴギアによるスキャニングの際の出力の加減を……巻き込まれた『プレイヤー』達の身体を使って……」

 

「な、に?」「そ、そんな……」

 

 山形のその言葉にキリトとアスナは絶句する。

 もしそれが真実であるとしたのなら、茅場はあの時、囚われた一万人の人間を使用した『人体実験』を行っていたということになる。それがどれ程の悪行かは考えるまでもないことであった。

 

『そのことは特に否定しませんよ。事実私は約4000人分のその検証結果を手にいれている。科学の進歩とは常に犠牲がつきまとうもの……先輩もそれはご承知のことでしょう?』

 

「ふざけないでっ! 貴様が使用したのは実験動物じゃない! 人間よ! 貴様は……殺した……ただ殺したんだ。人の命を……かけがえのない命を……私の宝物を……自分の命よりも大事な娘を……奪った……奪い、殺した……貴様が望んで殺したんだ! 返せ……娘を返せ……美幸を……美幸を返して……」

 

 茅場を睨みつけ、怒りの声を張り上げる山形はその双眸(そうぼう)から止めどなく涙を溢れさせている。そしてその手には再び顕現させた長槍が力一杯握りしめられていた。その声は紛れもない慟哭。込み上げてきているのだろうその押さえられない感情の内で、彼女は目の前の仇に向かって吼え続けた。

 キリトは彼女のその声に、溢れ出るその悲しみに全身を貫かれる。彼は今この瞬間彼女の苦しみを理解した。サチの母の苦しみを……。

 同時に今まで感じたことのない強烈な感情に全身を支配され、彼は沸々と内からわき上がってくるそれをそのままに立ち上がり、剣を構えて茅場を睨み付けた。

 それは心からの怒り……そして自身を焼き尽くすほどの憎しみ……。

 

「今の話は本当なのか……茅場。……お前は死んだみんなのデータを使って、その身体になったってのか……」

 

 視線だけをキリトへ寄越した茅場は事も無げに回答する。

 

『その通りだよキリト君。君たちのデータを有効に使わせてもらった。感謝している……』

 

 彼が言い終わるその前に、キリトは一瞬で肉薄、そのまま目で追えない速さで茅場を切り裂きまくった。その場はまるで竜巻にでも見舞われたかのように巻き上がった風で空間が揺らいでいる。普通なら確実に死んでいるだろうその攻撃……

 しかし……

 

 キリトの背後に再び白衣姿の男が何もなかったかのように現れた。

 

『無駄だよキリト君。私の身体はすでに存在していない。今の私は電脳の海に浮かぶ言わば『影』だ。影のひとつを切り裂いたところで消えるわけではないよ。私の意識はこの世界の隅々にまで行き渡っているのだから』

 

「完全に化け物になっちまったんだな。でもな、頭で理解したってこの怒りは納まりはしないんだ。俺はお前を決して許せない!」

 

 言って再びキリトは背後の茅場を一気に切り捨てた。消滅していくその身体……しかし、茅場は再び彼の傍に出現する。

 

「くっ……」

 

『やれやれ……君といいアスナ君といい、随分と嫌われたものだな。私はただ死のうとしている山形先輩を助けに来ただけだというのに』

 

「ど、どういうことだ?」

 

「もういいのです、キリト……君のその言葉、君のその行動だけでもう十分だ……ありがとう」

 

「え?」

 

 自分の攻撃が全く通らない相手に瞠目(どうもく)していたキリトに、その優しげな声が届いた。キリトは振り返り驚愕する。そこには涙を流したまま薄く微笑む山形の姿……。

 彼女は手にしていた槍を放り捨てた。

 カラァンとそれが転がる乾いた音が響いた後で、彼女はキリトとそこにたった今駆け寄ってきたアスナの二人にゆっくりと近づいて話しかける。

 

「キリト……いえ、桐ヶ谷さん、それにお嬢様……茅場の言っている通りです。私は死ぬ為にこの世界に来ました。貴方の手で殺してもらう為に」

 

「山形さん……あんた……」

 

 驚愕する二人を尻目に、山形は一度茅場に視線を送り何もしてこないのを見留めてから話を続けた。

 

「こんなことを言って申し訳ありません。でもこれこそが今の今までの私の『一つ目の目的』でした。桐ヶ谷さん、もうお分かりだと思いますが、美幸は……サチは私の娘です。私は知りたかった。あの子が最後何を見たのか……何を見て何を感じて死んでいったのか。そしてあの子がそうであったように、あの子の最期に立ち会った貴方の手で私は死を迎えたかった」

 

「山形さん……あんた今ナーヴギアを……」

 

 そのキリトの問いに山形はコクリとただ頷く。

 

「そんな……そんなこと、酷いです。キリト君になんでそんな辛いことを強いるんですか‼ どうして……」

 

 そう叫ぶアスナに山形は寂しそうな瞳を向ける。そして言った。

 

「それは……彼が美幸を殺したと信じていたから」

 

「!?」

 

 その言葉にアスナは息を飲む。それはずっとキリトが悩み苦しんできた理由そのもの。直接的にしろ間接的にしろ、彼がサチの死に関わったことに間違いはない。

 キリトは黙って彼女を見つめていた。

 

「桐ヶ谷君……貴方がどんな後悔を重ねていたのか……そんなことは私にはどうでも良かったの。私にとって重要だったのは、『全てを終わらせる』ことだけだったから。それに……」

 

 二人に対してそう滔々(とうとう)と語りながら、彼女は一度チラリとアスナを覗き見る。

 

「桐ヶ谷君には私を憎むきちんとした『理由』がいくつもありますから。なんのことかもう予想されているのでしょう? お嬢様……あの夜……お部屋からお出になられた貴女を刺したのは……この私です」

 

「え……」

 

 その顔から一気に血の気が失せていくアスナはその口を押さえた。

 

「そんな……だって助けてくれたのは山形さんのはずじゃ……」

 

「ええ、そうです。確かにお嬢様をお救いしました。でも、刺したという事実は変わりはしませんよ」

 

 たんたんと語る山形にアスナは声を失った。自分を襲った人物が、逆に救助したという事実に混乱してしまったのだ。

 しかし、隣にいたキリトはある程度その答えを想定していたのかまだ冷静に相手を見ていた。

 

「まだあります。人質のこの2名……クラインさんとリズベットさんを拉致したのもこの私です。私はお二人に偽りのメッセージを送り、それぞれログインしたタイミングでその身柄を確保しました。クラインさんはお仕事の休憩中に。そしてリズベットさんはご自宅にいらっしゃるところを拐いました」

 

 彼女のような女性一人で果たしてそんなことが可能なのか……。

 デリンジャー達を使ったのか……そう思案したキリトはその時、もう一人彼女に協力をしそうな人物に思い当たる。そしてそれが多分間違いではないことを彼は確信したが、彼女がそのことを口にしない以上彼に迷惑が及ばないようにと(おもんばか)っているのだろうと予想した。

 

「そして私はあなた方をデリンジャー達を釣る為の『餌』としました。そしてデリンジャー達を殺す手伝いをさせました。さあ、どうです? ここには貴方が私を『殺したい』動機がいくつも転がっていますよ」

 

 両手を拡げてそう話す山形にキリトは頭を掻きながら答えた。

 

「そうだとしてもそんな風に白状されたら恨むことだってできやしないですよ。そもそもアスナは怪我はしたけど死んではいないし、そうした理由は多分デリンジャー達から逃がす為。クラインやリズだって無事の筈だ。あの凶悪だったデリンジャー達でさえ、一度として人質のことをちらつかせなかった。つまり貴女が守ってくれていたんだ。それにデリンジャー達については根っからの悪党です。当時討伐できなかったことが悔やまれるくらいの存在で、それを果たせたのですからむしろ感謝したいくらいですよ」

 

 そのキリトの言葉に困ったように微笑む山形。彼女は涙をそっと拭った後、キリトの肩をポンと叩いた。

 

「人殺しをしたいなんて全く思っていないくせに……君は本当に優しいのね……あの子はきっとそんなあなたの優しさに惹かれたのかもしれないわね……」

 

 その柔らかな眼差しは子を見る母親のそれのようだと、キリトとアスナには感じられた。

 山形はしばらく二人を見つめた後、茅場を振り返る。そして先程とはまるで違う……穏やかな表情となって彼へと声をかけた。

 

「茅場……君。賢い君のことだから、私がこれから何をしようとしているか……もう察しているとは思うのだけれど、その前にもう少しだけ、この子達と話す時間を貰えないかしら?」

 

 それは先程の剣幕を知っている者なら誰もが驚嘆するほどの変化。戸惑うキリトとアスナを置きざりにしたままで、そう声を掛けられた茅場は口を開いた。

 

『当然構いませんよ。しかし山形先輩……先に申し上げておきます。貴女が為さろうとしていることは全くの無駄です。先輩が命に代えてまで実行することに何の意味もありません』

 

「ふふふ……そんな身体になっても変わらず現実主義者のままなのね。意味なんて……どうでもいいのよ。でも、時間をくれたこと、感謝するわ。ありがとう、茅場君」

 

『……』

 

 山形にそう言われ、渋い顔をして言葉を失う茅場。それをキリト達は不思議な物をみるような目で見つめていた。

 そして山形は再びキリト達に向き直る。

 

「さて桐ヶ谷君、お嬢様。これから全てをお話します。4年前……あなた方がデスゲームに巻き込まれた後何があったのか……そしてこの世界がどうやって生まれたのか……それをどうか聞いてください。私と……『彼』の名誉の為に……」




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幻とともに【彼女の過去②】

 美幸が事件に巻き込まれたことを知ったのはあの後すぐのことだった。

 夕飯の支度をしている時、ふとTVで報じられていたニュースに目を向け愕然となる。そこにあったのは『ソードアート・オンラインプレイヤーの同時多発死亡事故』のニュース。プレイヤーからヘッドギアを強制的に脱がさないで下さいとのアナウンスが語気を強め繰り返されていた。

 

──み、美幸

 

 慌てて美幸を確認するも、自室のベッドで横になった彼女は安らかな様子で目を閉じていた。しかし、その被られたナーヴギアは信号送受信のランプが灯り、その身体は呼吸と反射が著しく低下。明らかな昏睡からの機能低下状態にあった。

 異常を察し、直ぐ様昔の知り合いからナーヴギアの設計図面を調達しその内部構造を確認した私は絶句した。なぜなら、大型の内臓バッテリーから伸びる電磁波発生機には工業用の高出力変換器が取り付けられていたのだから。しかも前頭葉から延髄に至る各電極の間には生体センサーも取り付けられていた。つまるところ少しでも脱がそうとすればセンサーが異常を検知し……考えうる最悪の結末としては、高出力電磁波の脳への直接照射。この出力の電磁波に人体が耐えられる訳がない。

 いったいなぜこんな構造にしたのか。各種センサーはゲームなどの体感向上に有効のようにも思えたけれど、これほどの出力は脳神経接続(ニューロリンク)には必要はない。

 明らかに人を害する目的が垣間見える構造。

 

 すぐにメーカーや開発に関わった研究機関と連絡をとるも、どこもかしこも蜂の巣をつついたような大騒ぎであり要領を得ない。少なくとも把握出来たことは、ナーヴギアの開発には茅場君が全工程において関わっていたこと。製品化の際の最終検査にも彼が立ち会い何の問題もなく量産体制に移ったということであった。

 ここに至って、私は茅場君の犯行を確信した。 

 

 マスコミ各社や警察はまだ事故の線を追っていたようだけど、ここまで徹底した殺傷機構の開発とこのタイミングでの集団死は、明らかな彼による人為的な大規模テロで間違い無かった。

 

 私はすぐに茅場君の行方を探すも居所は掴めない。

 後に分かったことだけど、彼の身柄は後輩のとある女性の元にあり、そこで彼自身もSAOに接続(リンク)していたとの話。その身柄は警察が預かることになるわけだけど。

 ならばと、古巣の東都工業大学の重村先生に連絡をとってみれば、先生のご息女も美幸と同じ状況であるとのこと。そこで私は先生に今回の事件に茅場君が関わっている可能性が高い旨を伝え、さらにナーヴギアの構造解析と運営会社であるアーガスが管理しているソードアート・オンラインの開発段階からのプログラムの徹底的な調査を早急に行う必要があると提案をした。

 先生はそれをすぐに受諾。この後、半日を待たずに警察と内閣にそれぞれ大規模テロ対策本部が立ち上がることになるのだけど、これはデジタル産業分野の権威でもある先生の影響が大きかったことは間違いなかった。

 私はこの時、正直それほど心配をしていなかった。不幸にも多くの人がすでに亡くなられてしまったが、ナーヴギアにしろソードアート・オンラインにしろ、所詮は人の作り出したもの。機械は直せばいいし、プログラムは書き換えてしまえば良い……。

 私は眠るように横たわる美幸を見つめつつ、必ずママが助けてあげるからねと、心の内で呟きそっとその頬を撫でた。

 でも……

 この時、私は大事なことに気が付いていなかった。

 

 彼……茅場晶彦はすでに人を辞めていたということに。

 

 

   ×   ×   ×

 

 

 事件発生から約5ヶ月。事態は未だ終息していないどころか被害者は一気に増加。2000人を越える人命がすでに失われた。

 

「ふぅ……」

 

 私は自宅を研究所(ラボ)に改造し、様々な機器を運びこみ日々事態の打開に向けて様々な角度からの検証を行い続けていた。

 当然美幸も自宅にいて、介護サポートも受けてはいたけれど、できる限り自分の手で世話を続けた。

 覚醒することのない美幸は、点滴による栄養補給のみで日に日に痩せ細っていく。その姿に焦りを覚えつつも私は、普段と変わらずに美幸に話しかけ続けていた。いつか返事をしてくれると信じて。

 

 事件発生後すぐに国内外の脳神経医療、機械工学、インターネット関連など各分野の世界的権威が集められ即座に事態の終息に向けた対応に入った。

 確かにこの事件は電脳世界との接続(リンク)という特異性と圧倒的な人質の多さから慎重を期す必要がありはしたが、首謀者でもある茅場君本人がダイブしている関係上、すでに外部からの妨害はないと判断出来ていたことで関係者は当初から楽観視する者が多かった。

 でも、そんな甘い考えは長くは続かなかった。

 

『ソードアート・オンライン』

 

 茅場が用意したこのVRMMOは予め認証登録したプレイヤーアカウント以外の全ての信号を拒絶。外部からの一切の干渉を絶ってしまった。

 これは通常ではあり得ない状態だった。

 外部から干渉できないということは、何らかのバグやイレギュラーが発生した際の復旧も行えないということ。

 当初この世界に対してメンテナンス用の管理者アカウントを使用しての侵入を考えた者達の目論見は完全に外れてしまった形だった。

 これは、このゲームが、他と決定的に違うシステムを導入していた事が原因であった。

 

『カーディナルシステム』

 

 このシステムはただのゲームプログラムでは無かったのだ。『自己診断』、『自己修復』、『自己生成』の機能を併せ持つこの基幹システムはまさにこのSAO世界の管理者その物。

 ゲーム内で発生する様々なイレギュラーに対し、このシステムは適切に状況を把握、そして様々な対策を立案提起し、そして独自で実行することができる代物だった。さらに、各種条件を勘案し、新たなステージやNPCなどを創造する機能までをも併せ持っていた。

 まさに一個の人工知能……いや、この世界においてならば『神』と呼んでも差し支えがない存在だった。

 

 そして、大きな障害が他にもまだあった。

 

『ナーヴギア』

 

 このヘッドギアタイプのフルダイブ用VRマシンについては私を含めた多くの技術者が完全にお手上げの状態になってしまっていた。

 なぜか……? このマシンを改めて検証し直した結果、SAO起動時に限りこのヘッドギアの全周にある種の『磁場』が発生することが判明し、その磁場が侵食された瞬間高出力の電磁波が照射される仕掛けになっていたのである。例えばナーヴギアの外郭を取り外そうとボルトを数本取り外した段階でもこの電磁波は発生し、さらに、磁場自体を消失させようと供給する電力を下げると、今度は内臓バッテリーが過剰放電してしまい、それにともなってやはり装着者が焼かれることになってしまった。

 この『磁場』の発生については、本来のフルダイブマシンとしての設計のどこにも存在しない機構であり、事実製造メーカー及び開発スタッフのいずれであってもこのような『疑似センサー』が形成されるなどとは夢にも思わなかった事態であった。

 これは紛れもなく茅場君が仕掛けたことで間違いはない。

 彼はナーヴギアの基礎設計の中に敢えて他に知られないようにこの磁場センサーの条件を満たす部品を紛れ込ませたのだ。

 それとは知らず量産させてしまった結果、SAO起動後のある種の信号を鍵としてこの磁場が形成され、それにより誰の侵入も許すことのない鉄壁の冑となってしまったのである。

 

 私たちはまさに茅場君が描き出した『シナリオ』に踊らされている最中であった。

 彼の施した様々な仕掛けを解除するどころか分析すらままならないでいるこの状況は、彼にどんな風に映っているのであろうか……

 無能な私たちを嘲笑ってでもいるのか、あるいはそのことすらお見通しで『仕方ないことですよ』と何時ものようにさも当然な顔でいるのか……。

 

 そうは言っても諦めることなどできはしない。

 この何重にも施された侵入者を拒む様々なトラップを必ず解除しなくてはならない。そうしなければ囚われまだ生存している8000人の人命と……そして美幸の命が掛かっているのだから……

 

 ここに来て私は起死回生のある一つの計画(プラン)を立てた。それはフルダイブ中のプレイヤーが装着しているナーヴギアを『騙す』というもの。

 ナーヴギアはネットワーク端末というその性質上ある一定の時間であれば通信の途絶を許容していた。そこで私が立案したのは、信号拒絶のタイミングにてプレイヤーのアカウントをそっくりそのまま『もうひとつの世界』へ移してしまおうというもの。これを対策本部に提案した際はその場の全員に正気を疑われてしまった。

 言葉で表現するのは容易でも、これが如何に実現不可能であるかの見解を誰もが持っていたから。

 一つ目として、都度更新され続けるプレイヤーIDとパスの変更。各プレイヤーのナーヴギアとカーディナルシステムとの間で不定期にログイン状況の変更が為されていることはすでに判明していた。今の状況でこれを掻い潜ることが如何に困難かは容易に想像出来ることであった。

 もう一つはその全体の規模のことについてである。

 現在SAOに囚われている人の数は8000人。仮にナーヴギアを一時的に騙すことが出来たとして一人や二人ならまだしも、全員を移行するにはその膨大な情報量からしても時間的な見地からしても到底不可能。自己判断の機能を持つカーディナルシステムはそれを傍観することは決してないはずである。必ず何らかの対策と措置が講じられると推測できていた。

 

 このような判断が多数を占める中、重村先生は私に賛同してくれた。それは先生が私と境遇を同じくしていたことが一番の要因だったけれど、やはり私がフルダイブシステムの前身たる装置を開発していたことと、茅場君との付き合いの長さから彼の思考をある程度私なら把握出来ているだろうと理解を示してくれたのだ。

 

 結局私の案は危険な上実現不可能とされ却下されてしまう。

 

 しかし、ここで引き下がるつもりも毛頭なかった。世界的な権威の集合であるとはいえ、各人にそれぞれ持論があり誇りも高いのだから、特に奇抜な他人の意見に追従することは難しいことは分かりきっていたことであったから。

 私は重村先生の協力のもと、アーガスが保有していた開発段階のソードアート・オンラインの複製データを入手していた。これにはまだゲーム舞台である『浮遊城アインクラッド』はまだ設定されておらず、各種プログラムもまだ試作段階の物が積み込まれているだけで到底完成版には遠く及ばない代物ではあったのだけど、ほぼ完成された状態の『カーディナルシステム』がそこに存在していたことが重要だった。

 私は直ぐにそのシステムの解析に走る。そしてこのシステムがどのような思考を有しているのか、どんな事象にどんなリアクションを起こすのか、それらをつぶさに検証、実験を繰り返した。

 私が作ろうとしているものは、『もう一つのSAO』。

 各ナーヴギアとSAOカーディナルシステムとの間での膨大な量のデータのやりとりについては既にかなり解析が進んではいた。後はその通信接続先を切り替えた瞬間、ナーヴギアが異常と検知できない『もう一つの世界』に全員を移してしまえばいいのだ。私はそれが可能であると信じ、そしてその瞬間、中にいるであろう茅場君の目の前から全てのプレイヤーが消失する、その光景に絶句するだろう彼の姿に思いを馳せていた。

 ふと、こう行動している私自身の考えも、彼に読まれてしまっているのではないか……そんな不安が過るもこれについては結果として成功させれば良いだけの話だと頭を振って考えないようにすることにした。

 とにかくこの退避先の世界を完成させることが重要だ。このプランを絵に描いた餅ではなく、実物として提起出来れば、頭の固い教授陣や政府だってきっと話に乗ってくれるはず。

 それだけを信じた。

 

 その日は雨だった。

 ずっとモニターに向かっていたのだけれど、ふと窓の外に目を向けると、少し空の上の方が明るいのに気がつく。

 

「あ、狐の嫁入り……」

 

 雨が結構降っているのに一部黒雲の合間から陽が差し込んできていた。

 私は知らず知らずのうちに誘われるように美幸の部屋へと移り、今は見ることは叶わないと分かりつつも空を指差して話しかけた。

 

「ほら美幸……雨の中だけど陽が射してるよ。雨粒がキラキラしててとっても綺麗だよ」

 

 窓辺には昨日買ってきた紫陽花の鉢植えが置いてある。ここに蝸牛でもいれば完璧なのにな……そんなことを思いながら美幸の手を握り、梅雨の時期に入ったことを実感しながらそれに見いっていた。

 

 その時だった……

 

「き、キリト……」

 

「え」

 

 握っていた美幸の手に微かに力が入っている。美幸に何が起きているのか……すぐには理解できず、慌ててその装置を見て愕然となった。

 

 『ナーヴギアの通信状態が解除されていない』

 

 この事が示している事実はたった一つ。私は即座にそれを理解してしまった。

 

「美幸! 美幸っ! だ、だめ! まだダメなの! お願い! 助けて! 誰か! だれか助けて! 助けて……」 

 私は叫んだ。そして願った。どうかこの子を助けてくださいと。神様を信じたことなんて今まで一度だってなかった。でもこの時はもうそれにすがるしかなかったから。

 荒い息遣いに変わっていく美幸……それに合わせるかのように大きくなっていくナーヴギアの駆動音に私の心は焦り、動揺し、そして壊れていった。

 微かに動いた美幸の口。その震える唇は本当に小さな声で言葉を紡いだ。

 

「……ありがとう…………さようなら……」

 

 その時私が何を叫んでいたのかもう分からないし覚えてもいない。

 一条の涙の筋をその頬に走らせた美幸から無理矢理ナーヴギア引き剥がし投げ捨て、そして力いっぱい抱き締めた。ひょっとしたらもしかしたらまた元気になってくれるかもしれないと、そう願い祈り、私は既に事切れた美幸を抱き締め続けた。

 雨の中を照らしていた輝いた世界はまるで幻のように消え去り、空は暗く淀んだ陰鬱な闇に染まる。

 

 この日、2023年6月12日、最愛の娘の命と共に、私の心は……

 

 死んだ。




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ケイタ【彼女の過去③】

 あの日……私は死んだ……

 

 最愛の存在を失ったあの時に……

 

 もう、生きている意味は無かった。

 

 ただ、私の腕の中で冷たくなっていく美幸のことだけが愛しく哀しく、そのまま美幸と一緒に消えてしまいたかった。

 

 気がつけば私は病院で寝かされていた。

 点滴をつけられベッドの上にいた私。今が夢か現実(うつつ)かも分からないまま呆然となって周囲を見渡したそこは殺風景な白壁の病室。

 これが夢であればと願わずにはいられなかったけど、そんな奇跡は絶対に起きないということを、過去に私が愛し、そして私を残して去って行ったたくさんの人達から教わっていた。

 

 美幸は死んだのだ。

 

 唐突にそれを認識し、そして自分も死ぬことを決めた。

 死ぬのは簡単だ。

 身体の血液の3割を放出するだけでもいいし、ここが二階以上の高さがあるのならこの部屋の窓から飛び降りるだけでもいい。それこそナーヴギアの電極を弄って直接自分で脳を焼いたっていい。

 

 美幸がそうなったように……

 

 美幸……美幸はどこ?

 死ぬ前に御葬式はしてあげなくちゃ。

 きちんとお友達ともお別れをさせてあげて、ちゃんとお墓に入れてあげなくちゃ……

 お姉ちゃんとあの人の……美幸の本当のお母さんとお父さんのお墓に。

 私が死ぬのは……その後でいいや。

 

 こんなに悲しいのに不思議と涙はまったく出なかった。

 誰に着替えさせてもらったのか、私の格好は薄青色の病院着になっている。私はそこに置いてあったスリッパを履いてそのままの姿で廊下へと出た。

 

「サチの……雪谷さんのお母さん」

 

「……え」

 

 廊下に出るとすぐそこで急に声を掛けられた。そこには車イスに座り、私と同じ薄青の病院服を着た一人の男の子の姿。目は虚ろでかなり憔悴している様子。大分痩せているけど、年の頃は美幸と同じくらいか……

 そう思った時、以前美幸と並んで歩いていたのがこの目の前の男の子であることに気がついた。

 

「あ、あなたは……」

 

 そう思わず声に出すと、彼は滔々と涙を溢れさせ始めてしまった。

 

「お、俺……五十嵐圭太です。雪谷さんのクラスメイトです。す、すいません! 俺だけ生きていて、本当にすいません‼」

 

「え? え? あ……」

 

 ガタガタっと大きな音を立てて彼が車イスから転がり落ちる。そして震える身体で床におでこを押し付けたまま泣いて何度も私に謝りだした。

 

「ごめんなさい、ごめんなさい、ごめんなさい……」

 

 必死に訴えてくるかのように頭を下げる彼の姿を、私はどこか遠くから眺めてでもいるかのようにじっと見つめていた。この子はなぜこんなに謝ってくれるのだろう? あ、そうか……

 その答えに行き当たり、私は彼に訊ねる。

 

「君は……『SAO(ソードアート・オンライン)』から生還できたんだね?」

 

 その問いの直後、彼はびくりと身体を震わせた。そして恐る恐るといった感じでその顔を上げる。その顔を涙と鼻水でグシャグシャになってしまっていた。

 こんなに怯えて……

 可哀想に……

 

「泣かないで? 君が生きていてくれて嬉しいよ」

 

 そう笑顔を作りながら言ってあげると彼はぎゅっと目を瞑ってまた号泣しそうになる。

 私はやれやれと思いながら彼を抱き起こして車イスへと座らせた。正直言えば彼のことをこの時はなんとも思っていなかった。鬱陶しいとすら感じていた。 

 あの世界からの帰還。それが如何に奇跡的なことかは半年ずっとその手段を求めていた私にはよく理解できていた。

 でも、もう私には関係はない。どんなに努力しようとももう美幸は還っては来ないのだから。これから死ぬ私には必要ない。

 そこまで考えた時、あの世界での美幸のことが急に気になった。あの世界の内情は断片的に拾えるデータからだけでは詳細がわからない。少し落ち着いた様子の彼にそれを聞くと少しずつ話始めた。

 彼は美幸や他の学校の友達と共にずっとこれまで支え合って生きてきたのだという。その話し一つでも私の気持ちは軽くなった。

 

 そうか……美幸は一人じゃなかったんだね…… 

 

 外部からでは全く窺い知ることの出来ないあの世界で美幸が少なくとも一人きりで孤独では無かったということは、少なくとも私にとっては救いだった。

 

「ありがとう圭太くん。それを聞けて安心できたよ」

 

 その私の言葉に彼は再び嗚咽を上げ始めてしまった。仕方ないか……母と友人という立場は違っても、私と彼は同じものを失ってしまったのだから。ううん、彼は美幸だけではなく他の友人も失ってしまった。

 そう考えた時、急に彼が不憫に思えた。

 ゲーム内の出来事とはいえ、彼を含めた全員がその命を散らせたのだ。結果として彼は現実の身体が死ななかったというだけのこと。きっと想像を絶する喪失感を体感したことだろう。

 私はその時、悲しみにくれる彼の気を逸らそうと、本当に何気なくあの話題を振った。

 

「ねえ圭太君、『キリト』って何のことか知ってる?」

 

 それはあの時死に際の美幸が漏らした言葉。ナーヴギアの電磁パルスの影響での身体へのフィードバックによる美幸本人の声だったのか、或いはただの無意味な言葉の羅列だったのか……

 その正体、意味を理解出来ないままに聞いたその瞬間、目の前の彼の顔が一変する。今までの絶望にまみれた表情が、何かの意思をはっきりと宿した瞳へと変わり、その身体は強張り震えだした。明らかな怒りの感情が迸っているのが見てとれた。

 

「キリト……」

 

 そう一言漏らした彼が、私をキッと見つめ返してきて、言った。

 

「キリトが……みんなを……殺しました」

 

 怒りを滲ませる瞳の圭太君の答えが、私に新たな『生きる意味』を与えたのはきっと……

 

 必然だったのだ。

 

 

   ×   ×   ×

 

 

「……桐ケ谷和人……15歳……住所は……埼玉県川越市……」

 

 美幸の葬儀も終わり、一時的にSAO事件対策本部から離れていた私は、重村先生の研究室で全プレイヤーデータの検索を行った。そしてそこでこの少年『kirito』を発見する。

 彼についてのデータは、部分的に収集されていたSAO内部情報にも度々出てきていた。

 プレイヤーネーム『キリト』。第一層を初めとして、多くの階層でボスモンスターに止めを刺していることが知られている。数少ない収集出来たログの内には、彼のことを『ビーター』または、『黒の剣士』と呼んでいた形跡も見つかっていた。

 この『ビーター』というのは圭太君曰く『他のプレイヤーを利用しボスを攻略する卑怯者のキリトを指す言葉』とのこと。二つ名がついている辺りかなり上級のプレイヤーだろうことが予想出来た。

 

 私はすぐに車を走らせ彼が入院している病院へと向かう。

 話しができるわけがないことは承知の上。しかし、会わずにはいられなかった。

 事前確認で病室はすぐに分かった。受け付けでSAO対策本部の者であることを告げ真っ直ぐに病室へ向かうと……

 

「じゃあ、お兄ちゃん、またね」

 

 その病室の扉が急に開き、中から黒髪ショートヘアのジャージ姿の女の子が飛び出してきて、危うくぶつかりそうになる。

 その子は慌てた様子で私に何度も頭を下げた。

 

「ご、ごめんなさい。部活があって急いでて……」

 

「だいじょうぶよ。気をつけてね」

 

「は、はい!」

 

 その子はもう一度微笑みながら頭を下げた後、タタタっと小走りでエレベーターへと向かった。

 『お兄ちゃん』と言っていた。あの子がきっとキリトの妹なんだろう。

 チクリと何かが刺さるような胸の痛みを覚えつつ、私は病室へと入る。そしてそこで彼に対面した。

 

 ベッドに横たわるのはまだあどけない一人の少年。その頭部にナーヴギアを被り、腕には点滴のチューブが繋がっている。

 美幸とまったく同じ状況。

 それを見た時、私は自分の足から力が抜けていくのを感じてしまった。

 

 私の鞄にはナイフが隠してあった。

 

 最初からその覚悟があったのか? と、問われれば、よく分からないとしか答えようはなかったけれど、私は美幸を『殺した』相手に復讐するつもりがあった。

 その相手を目の前にした時、私の心がもし『殺せ』と叫べば、直ぐ様殺すつもりだったのは確かだ。

 

 でも……

 

 私はそれどころか、ナイフに触れることすら出来なかった。

 目の前の少年がどんなに悪辣なことをゲーム内でやっていたとしても、ここにいるのはまだまだ子供。美幸よりももっと年若いこの子をこのまま殺してしまおうなどとはとても思えなかった。

 この子にもあの妹さんがいて、母親がいる。みんなが彼の生還を心待にしている。私が美幸を待っていたように。

 そう思えた途端に涙が溢れた。

 殺せない。

 この子が美幸を殺したのだとしても、私にはこの子を殺すことができない。

 強烈な後悔に蹂躙されながらも、私は確かに安堵もしていた。それが美幸に対しての裏切りだと自覚して尚、殺さなくて済んだことに安心してしまったのだ。

 二分する二つの感情の狭間でふらふらと彼から遠ざかりながら私は急に知りたくなった。

 

 あの世界でいったい何が起こったのか?

 

 彼と美幸の間でいったい何が起きたのか?

 

 どうして美幸は死んでしまったのか?

 

 私は美幸が最後に見た光景、美幸が感じたものを見つけると決意する。

 一度彼の顔を見て、そしてなにもせずに病室を後にした。

 

 

   ×   ×   ×

 

 

「キリトのことで知っていることは全部話しましたよ。もう、いいですか?」

 

「待って、圭太君。君は『キリトがみんなを罠に嵌めて27層の隠し部屋でモンスターに殺させた』、私にそう言ったわ。でも、君はその時いなかった。なのになぜそんな風に分かるの?」

 

「聞いたからです」

 

「誰に?」

 

「き、キリト本人に……です」

 

「そう……」

 

 言い辛そうにそう返す圭太くんを私はまっすぐ見つめていた。

 彼だって分かっているのだと思う。

 自分の犯罪をそんな言い方で被害者側の人間に伝える者はいないということを。

 でも彼は受け入れられなかったのだ。自分の大切な仲間が死んでしまった事実と、助けることができたはずのキリトだけが生き残ったという事実を。

 そして絶望した彼は『自殺』した。

 

 浮遊上アインクラッドから飛び降りて……

 

 しかし、実際は目が覚めて現実の世界へと回帰してしまった。

 他の仲間が全員死んでしまったのに、一人だけ生還したことに彼はこれ以上ないくらいの罪悪感や寂寥感につつまれてしまったのだと思う。それは想像を絶する苦しみ。

 一人では……到底抱えきれない……

 

 そう思った時、私は彼に話していた。

 

「私は本当のことが知りたい。美幸が最後に何を見たのか、何を思ったのか……それは君が思っていることとは違うことなのかもしれない。でも、私はそれを『君』と一緒に見たいの。お願い、手伝ってくれないかしら?」

 

 彼は私を直視しない。ただ俯いていた。

 だから私は促すように言った。

 

「あの世界のことを知っているあなたにしか頼めないことなの。お願いできないかしら?」

 

 彼は静かに顔を上げた。そしてゆっくりと頷く。

 それは決意した顔というわけではなく、諦めにも似たものであったと思う。

 こうして私は再び歩みだした。彼と共に、あの世界の真実を知るために。

 

 

   ×   ×   ×

 

 

 圭太君は貴重なSAO帰還者として、対策本部において毎日のように聞き取り調査をされた。

 茅場晶彦が事件を引き起こしたその時から、今に至るまでの内部での出来事をプレイヤーとしての視点から発生した事件やその内容、そして、プレイヤー達の生活の仕方まで様々な角度で聞かれた。

 しかし、そこで得られた情報は、あくまでゲームとしてのSAO世界の話であり、SAO事件解決糸口を探す彼らの期待した内容ではなかった。

 これは仕方がないことだと思う。

 巻き込まれたプレイヤーは基本ただの一般人。システムやプログラムに精通しているわけもなく、そんな彼に内部でのシステムの動向を聞き出そうとすること自体がナンセンス。

 それでも彼は辛抱強くその要望に応じわかる範囲で回答を続けていたが、それもすぐに終わりを迎えた。

 

 誰かが彼の事をマスコミ等にリークしたのだ。

 

 『奇跡の帰還者』としてテレビ等で取り上げられたことをきっかけに、彼は一躍時の人となってしまう。他にもナーヴギアの製造不具合による帰還者が複数現れるまでの期間ではあったが、この事が彼と彼のご家族に深刻なダメージを与えてしまった。

 報道されたあとで、あの世界でのことを公開してはいけないとの命令が内閣からあり、彼はマスコミに質問されてもノーコメントを通すしかなくなってしまう。そのせいか、世間では何もしゃべらない彼を次第に悪く言う風潮にとなった。自分だけが助かり、他は見捨てたなどと陰口を叩く者も出る始末。そして、それは現実にまだ未帰還である者達の家族からの直接的な攻撃へと変わっていった。

 日がな一日中電話が鳴り響き、どこで調べたのか本人家族関わらずにメールが送りつけられ続ける。

 はっきり言えば、何もわかっていない見当違い甚だしい内容ばかりではあったけど、四六時中この状態にさらされた彼らは精神的に参ってしまった。

 暫くして圭太君のことをマスコミへリークした人物も特定され、報道各社も事態の終息に向け謝罪などをしたわけだけど、結局家族は逃げるようにして住んでいた町を去ることになってしまったが、これにより一先ず事態は沈静化した。

 当の圭太君はといえば、嫌がらせなどに負けた様子もなく、対策本部から解放された後は、律儀にも私の家へと通って来てくれていた。そして同居のままでは家族に迷惑がかかるからとの理由から、私の家の近所の貸部屋を借り、独り暮らしを始めた。

 

 彼から得られる情報は確かにありきたりのものであり、ゲーム制作者達からもたらされる情報の方が現実的には精度の高いものであったことは間違いなかったが、私が求めているのは『カーディナルシステム』の思考そのものであり、ゲームの内容などではない。

 そんな私にとっては彼からもたらされる情報は(まさ)に宝の山だった。

 階層到達のタイミングや、季節の変わり目、プレイヤーの誕生日など、都度都度事前にイベントや追加シナリオに関する情報が入り、それに合わせてプレイヤーたちはイベント限定アイテムを求めて戦ったり、レベルやスキル上げを行っていたらしい。

 これは当初組み込まれているイベントは違うもので、後からカーディナルシステムが独自に追加し続けていると考えられた。そのタイミングや内容に関しての具体的な条件を見つけるには至らなかったが、おおよそ、プレイヤーの到達人数や、そこに存在するプレイヤーのレベル等のバランスを鑑みて新シナリオを作成していることが推測できた。

 

 私の今の目標は変わってはいない。

 SAOを再現し、ナーヴギアの影響を受けつけないそこへ全プレイヤーを転送させる。

 美幸を失い、生きる意味を失い、絶望の縁にあった私だけど、この圭太君という言わば同類とも呼べる男の子の存在によって、最後まで仕事を全うすることに決めたのだ。

 私たちは日々、完成を目指してこの世界を築き続けた。

 

 

   ×   ×   ×

 

 

 美幸が死んでから約半年経ったある日、私たちはついにその世界を完成させる。

 基本となる世界をSAOのアインクラッドのデータをベースに作成し、ナーヴギアを完全な制御下におくことが可能な新たなカーディナルシステムも出来上がった。

 私たちはこのシステムのことを『救世主(セイヴィア)システム』と名付け、この世界は通称として『ツヴァイクラッド』と呼んでいた。

 

「雪谷先生、おめでとうございます」

 

「ええ、ありがとう、圭太君。後少しね……後もう少しで囚われた全員を助け出せるわ。君には本当に苦労をかけたわね……でも、ここまでやってくれて本当に助かったわ」

 

「いえ……俺はただ指示していただいたことをこなしただけです」

 

 そう言う彼は確かにやつれてはいたけど、微笑むその表情にはどこか穏やかな様子がうかがえた。

 この半年間、彼は必死に努力した。

 マシンの操作の知識などほとんどない彼に、私はほぼ丸投げの状態で様々なデータの打ち込み、プログラムの組み立て、最終的にはAIの人格構築までもこなせるようになってもらった。半年前までほぼ素人だったとは思えないほどの成長。彼の努力がここまで彼自身を成長させた。この世界が完成できたのは彼のお陰であったと間違いなく私は言えた。

 ツヴァイクラッドとセイヴィアシステムによる、全プレイヤーの一斉救助の案を却下されてからこれまで、重村先生の援助の他にはなにも受けることが出来ず、さりとて、他の方から何か有効な対策が打ち出されたかといえば、それも全くなかった。

 それだけ茅場君が作り出した世界が異常であり、そして全ての天才の叡知をも上回る頭脳を彼が有していた……ただ、それだけのことだった。

 

「雪谷先生、後はこのシステムをSAOのメインサーバーに繋いで、全プレイヤーのアカウントをかっさらうだけですね」

 

 その圭太君の言葉に思わず頬が緩む。

 

「良い表現とは言いがたいけど、まさにそれね。でも、まだやらなければならないことがあるの。セイヴィアシステムはカーディナルシステムの言わば上位互換機ではあるのだけど、あの世界には茅場君本人も存在している上、カーディナルシステムも独自の進化を遂げていてもおかしくはないの。今しなければならないのは、カーディナルシステムが持つ現時点の事態対応速度の把握ね。事前のデータは当てにならないから調査をまず行って、それから対策を練らないと……全プレイヤーの通信を限界である『10秒間』途絶させ、その間に全IDをセイヴィアシステムで乗っ取る。すごく簡単で……非常に難しいことよ」

 

 圭太君は複雑そうな顔で私を見る。

 この先に彼に出来ることは何もない。

 これからは……

 

 私と茅場君との一騎討ち。

 

 私に残された大事なモノを奪い去った彼を決して許しはしない。

 いつか夢を共に叶えようと言ってくれたあの優しい後輩は既にいない。

 私は、彼に必ず勝利してみせる。

 そう、胸の内で静かに決意した。

 

「お兄さん?」

 

 可愛らしい声が聞こえてきたのはそんな時だった。

 

「こら、勝手に来たらだめだろ? ここは雪谷先生の家なんだぞ」

 

「ご、ごめんなさい。そろそろお夕食の時間だからお兄さんを迎えに行ってくれって、お父さんに頼まれたから」

 

 そう言って項垂れるのは、セーラー服姿の三つ編みの女の子。彼女は圭太君と私を交互に見て小さくなっている。

 

「別にいいのよ。ここは家と言っても作業場のようなものだし……そうね、そう言えばもういい時間ね。圭太君、そろそろ上がってくれて構わないのだけど、その前にその娘のこと紹介してくれないかしら? 彼女?」

 

「なっ! ち、違いますっ!」

 

 急に真っ赤になって慌て出す圭太君を見て、その女の子がぷうっと頬を膨らませたのは本当に可愛らしかった。

 

「え、えと、今俺が下宿させてもらってる先のうちのお嬢さんですよ、名前は『田口』……」

 

「もうお兄さん! お父さんとお母さん離婚したから私はもう『田口』じゃないってば」

 

「そ、そうだった……でも、それ先生に言う必要あるのか?」

 

 急に夫婦漫才のように始まってしまった二人は、仲の良い兄妹か恋人の様。その様子に私は、私が失ってしまったものを思い、少し切なくなった。

 美幸も生きていたらきっと好きな人とこんな風に……

 そんな事を夢想していた私は自分に苦笑した。

 

「さあ、今日は終わりにします。せっかくだから二人ですぐに帰りなさい」

 

 はーい、とどこか気の抜けたような声でその娘は返事をして圭太君を従えて帰っていく。

 私はそんな二人の姿が見られたことが無性に嬉しかった。

 

 順調だった。

 当初よりもかなり早いペースでのツヴァイクラッドの完成により、漸くあの世界に穴を穿てる。これでやっと一歩前進出来る。

 そう安堵を覚えた私はやはり最悪のお人好しだったのだ。

 すでに美幸を失った私は気付いていなかった。

 

 あの世界に愛する者を囚われている者の精神がとうに限界を超えていたという事に。

 

 その日の夜、事件が起きた。




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世界崩壊

後書きに執筆状況載せました。


「『クリスマスの惨劇』の話を知っていますか?」

 

 話続けていた山形にそう聞かれ、キリトとアスナは一度顔を見合わせた後、コクりと頷いた。そして言う。

 

「確か……俺たちがSAOに囚われて1年目のクリスマスの日に、300人を超えるプレイヤーが急に死んでしまった時のことをそう呼んでいたはずです」

 

 この話は攻略組であったキリト達には被害者が出なかったことと、キリト本人はクリスマス限定の蘇生アイテムを求めた戦いをしていたため、当時はあまり詳しく知らなかったが、確かに突然に消滅したプレイヤーが続出したという話を聞いてもいたし、帰還後には学校でもその話は教わっていた。

 実際にこれだけの人数が死亡したのはSAO開始直後以来であり、一日の死亡人数だけでいえば、攻略期間中最多であったことは間違いなかった。

 山形はまっすぐにキリトを見つめて口を開く。

 

「そうです。その惨劇を発生させた原因こそ、私たちが開発した『セイヴィアシステム』そのものであり、それを起動させたのが『ケイタ』君本人でした」

 

「そんな……」

 

 これまでの話を聞いてきたキリトとアスナには正直耐えられないくらい厳しい内容。二人はぎゅっと手をつなぎ、山形の言葉を待った。

 

「あの日、あの『セイヴィアシステム』が完成した日……私はその報告と今後の方針についての打ち合わせのために重村先生の所へ赴いていました。それについては圭太君にも伝えてありましたが、私は圭太君が隠していたある事実に全く気がついていませんでした。彼が隠れて行っていたこと、それは『SAO被害者の会』への情報の横流しでした」

 

 山形は一度自分の胸を強く押さえた。その表情には暗い哀愁の影が走っている。

 

「当時は解決の糸口さえほとんどなく、我々技術者も手探り状態でしたから、救出計画に関わっていない一般の被害者の家族などは更に何も分からない状況でした。そんな中、圭太くんは対策本部の行動のあらましや、自分も関わっていたこのセイヴィアシステムなどの救出のための施策についてを被害者家族へと逐次内緒で知らせていたのです。彼はみんなの力になりたいと、いつも悩んでいましたから、こうすることで御家族の気持ちを和らげたいと彼なりに考えてのことだったのでしょう。しかし……」

 

 そこまで聞いたアスナはその後の展開を予測し思わず目を瞑る。キリトはそんなアスナの肩をしっかりと抱いた。

 

「システムが完成したあの日、彼からその話を聞いた会の人たちは彼へと詰め寄ったのです。今すぐに助けて欲しいと、今すぐに解放してくれと。私に止められていた彼はそれでももう少し待って欲しいと頼んだ様ですが、結局は押しきられ、彼はついに独断でシステムを起動してしまったのです」

 

 山形は呼吸を落ち着かせるように一度俯いた。

 

「起動後、セイヴィアシステムはカーディナルシステムの通信を阻害しつつ、各ナーヴギアへ偽のアカウント接続情報を流し始めましたが、この時、最悪の事態が起きてしまった様です。カーディナルシステムがセイヴィアシステムへ干渉侵食し、システムを乗っ取りました。そして、その時すでに通信接続中だったおよそ300人のプレイヤーに対して、一斉に電磁パルスが照射されました。これで、間違いないわよね? 茅場君」

 

 そう言いつつ、茅場を見る山形。茅場は顔色一つ変えずに答えた。

 

『あれはカーディナルシステムの『自己防衛プログラム』が引き起こした不幸な事故だった……私の口からはそうとしか言えませんよ』

 

「結構よ。この先はどのような展開があったか、あなたたちにももう分かるでしょう? システムの異常に気がついた私が外部から強制的に止めた際にはすでに全国で300人の人命が失われた後だった。そして、それを為してしまったセイヴィアシステムは凍結、私も罪には問われなかったけれど対策本部を追われました。そして、引き金を引いてしまった圭太君は身心喪失となり、そのまま一時行方をくらませてしまったの。実際は彼の身の安全を確保するために、『田口』氏が匿っていたようなのだけれどね」

 

 田口の名前を上げたとき、山形は当然のようにキリトを見た。全て知っているということかと、キリトは理解する。

 悲しげな表情になってしまった山形の後をついで、キリトが口を開いた。

 

「あとはなんとなくわかりますよ。あなたたちは俺たちがSAOをクリアーするまで何も手を打つことが出来なくなったんだ。そしてやっとあの地獄が終わっても、人殺しをしてしまったあなたとケイタの心は救われることはなかった。それどころか、田口さんやケイタの前に今度はSAOから帰還した『デリンジャー』達が現れてしまった。それで……それで、またケイタは大事なモノをきっと失ってしまったんだと思う。これがあなたたちの復讐の『動機』なんじゃないですか?」

 

 山形は頷くでもなく首を振るでもなくただ微笑んでいた。

 それは自分の考えを予測したキリトに対して感謝してでもいるかのようなそんな柔和な顔で。

 

「正解……と言ってあげたいけれど、それでは50点なのよ、桐ケ谷さん。美幸の最後の話……あなたが語った内容を書いたレポートも読ませてもらったわ。美幸は自分が死んでしまうことを予期していた。そして支えてくれた貴方に深く感謝していた。それは間違いではないと私も確信してる。だから、そのことで貴方を糾弾しようなんてこれっぽっちも思ってはいないの。ケイタ君のこともそう。彼も自分の過ちを悔いているの、悔いてそして立ち直ろうとして……『デリンジャー』に全てを壊された」

 

 山形の目にはうっすらと涙が溜まっていた。嗚咽混じりのその声は震えながら想いを吐き出していく。

 

「これはね……この『復讐』は……私たち全員が自分に対して、復讐しているの。何も出来なくて、助けられなくて、どうしようも出来なくて、気がつくことすら出来なくて……ただ酷い後悔と苦しみの中で生きている自分を殺すための復讐なの。ふふ……可笑しな話でしょう? でも、そう決めたの、『私達』は」

 

 山形が誰のことを指してそう言っているのかは一目瞭然。キリトもアスナもあまりのその悲しみに胸がいっぱいになってしまっていた。

 助けることができない……今、こうして目の前に立ち、全てを為してここまで進んで来てしまっているこの人を……いや、それだけではなく、すでにその手を血で染め復讐を遂げてしまったあの人物のこともまた助けることが出来ないのだと、キリトは理解してしまった。

 

 この人は死ぬつもりなのだと。

 

 でも、それでも彼は死なせたくなかった。

 

「もう……ここまでにしましょう、山形さん。俺はあなたにも、田口さんにも死んで欲しくはない」

「そうです! 生きましょう! 生きて一緒に生きていきましょう! 私たちじゃ美幸さんの代わりにはなれないけど、思いあっていけるはずです!」

 

 キリトに続いてアスナも泣きながら叫ぶ。その言葉は拙いものではあったが、確かに山形の心を揺さぶっていた。

 

「ありがとう……桐ケ谷さん、お嬢様……その言葉だけでも私はここまで生きてきた意味があったと、本当に思えます。でも、もう決めたことなのです。この『復讐』を最後に私は全てを終えると……だから、今回は最後まで……最後まで私が戦います! これで御仕舞いにしましょう。待たせたわね、茅場君!」

 

 茅場へと向き直った彼女の瞳は、再び怜悧に研ぎ澄まされたものになっていた。

 

「時間をくれて本当にありがとう。私が何をしようとしているか……貴方にはもう説明はいらないわね」

 

『そうですね先輩。でも、先ほども申しましたが、それをすることになんの意味もありませんよ。むしろ貴女はただ無駄死になるだけだ。できれば私は先輩を失いたくはない』

 

「それはひょっとして私を口説いてくれているのかしら?」

 

『どうとでも』

 

「ふふ……でもおあいにく様、私の両手はもう愛する人でいっぱいなの。もうこれ以上気を割けないのよ、ごめんなさい。だから……貴方にはやはり『死』んでもらいます」

 

 その直後、山形の全身から黄金色の輝きが漏れ出す。あまりの眩しさに目を覆うキリトとアスナ。キリトは茅場へ向かって叫んだ。

 

「どうなっているんだ、茅場! 山形さんはいったい何をしようとしている」

 

 言われて振り向いた茅場は悲しげな眼差しを向けてきた。

 

『彼女は、この『セイヴィアシステム』に自分の脳を接続している。そして、このシステムの持つ『大破滅(カタストロフィ)プログラム』を使用して、この『電脳世界』全てと共に、そこに存在しているこの私を殺そうとしているんだ』

 

「なっ? で、電脳世界全てって、それはどういう……」

 

『そのままさ。彼女は全世界の全てのサーバー、全ての端末の全データを『破壊』しようとしているのさ』

 

「全世界って、そんなばかな……! 世界にいったいどれだけコンピュータがあると思ってるんだ。セキュリティひとつとっても強固な上に、ウィルス対策は当然されているはず……それに当然オフラインで守られているマシンやスタンドアロンの物だってあるわけで……」

 

『だからこその『セイヴィアシステム』なのだよ。ふむ、まずは見た方が早いか……ならば君達に『この世界』の『真の姿』を見せよう。足元を見ていたまえ』

 

「わ」「きゃ」

 

 キリトとアスナの足元が急に消える。いや、それだけではなく、周囲全てのこのフィールドが消滅した。

 そこに広がるのは一面の雲海。

 周囲360度その全てが空の景色であって、彼方の雲に今にも沈み込もうとしている夕日が輝いているこの景色は、まるであのSAOをクリアーした日に見た物と似ていて二人は声を失った。

 

『周りを見るために、この浮遊城『ツヴァイクラッド』の外観を全て透過させた。見たまえ、これがこの世界の『真実の姿』だ』

 

「真実の姿って……ただ、雲海が広がってるだけじゃないか……」

 

 二人はキョロキョロとその広大な景色を見やるもただ雲があるばかり……後は天上に瞬き始めた星の輝きがあるばかりか……

 そんな二人へ諭すかのように茅場は口を開いた。

 

『目に映るもの……知覚できるものがこの世の全てではないということだよ、キリト君、アスナ君。よく見るんだ、この世界を……先輩が作り上げたのは私の『SAO(ソードアート・オンライン)』程度の物ではないのだよ』

 

「え……」

 

 言われて二人が見た先……遥か彼方の雲海の先は海と宇宙の境目、そこは二人には湾曲して見えた。そうそれは紛れもなく『水平線』。

 と、それに気がついたその時、二人に電流が走った。

 

「ま、まさか……」

 

『そのまさかさ……』

 

 キリト達は改めて周囲に視線を送る。見渡す限りのそれは雲と海と……そして、遠目に見えた陸地には光が灯っているようにも見える。それは紛れもない彼の知る『世界』の姿だった。

 

「まさか、あれは『背景(テクスチャ)』じゃないのか? ぜ、全部が『本物』……山形さんは『地球』を作ったとでも言うのか?」

 

 そのキリトの言に茅場は一つ頷いてみせた。 

 

『正確には『世界中の端末情報を可視化』させただがね。今この瞬間、この世界は、『軍事』、『政府』、『企業』、『個人』など……地球上のあらゆる端末と接続されている状態だ。その世界のその上にこのツヴァイクラッドはポツンと浮かんでいる。そして先輩の開発したカタストロフィプログラムはすでに起動している。言うなれば先輩は世界をその手にしているわけだ』

 

「それは……そんなことが可能なのか?」

 

『そうだな……可能だということだろう。だがそんな生易しい話しではない。このシステムは『救世(セイヴィア)』とは名ばかりの、完全な『破壊(デストロイ)』システムだ。彼女が産み出したのは『侵食型』の『自律破壊増殖プログラム(バグ)』。あらゆる防壁を食い破りシステムそのものを乗っ取った上で破壊していく。場合によってはコンピュータ本体の電圧をも操作させ端末自体を焼き壊すこともしてのける。このバグに有効な対策プログラム《ワクチン》は今現在存在していないし、彼女の作り出したそれを抑えるだけのレベルの物を用意することは至難の技だ。それを準備し終える前に電脳世界は一度、終焉を迎えることになるだろう、私の存在もろともにね』

 

「そんなことをすれば世界中大混乱になるじゃないか! 山形さんだってただじゃすまない。なぜ止めない! 茅場! お前なら止められるんだろ?」

 

『君は何か重大な勘違いをしているようだ、キリト君。彼女……山形先輩は今まで不可能と言われていた脳神経接続(ニューロリンク)によるVRダイブを実現しただけに留まらず、小宇宙とも呼ばれている脳の使用領域拡張をも可能とした本当の天才だ。現に彼女は自身の脳を使用して複数のスーパーコンピューターをダイレクトに操作し続け、この世界を操作している。彼女こそ『本物の魔法使い』さ……私程度ではどうにも出来ないよ』

 

「なっ……」

 

 その茅場の言葉にキリトは絶句する。

 SAOを創世した茅場にして天才と言わしめる存在。まさかそれほどの人物だとは思いもよらなかったことではあったが、重要なのはそこではなかった。

 

「か、茅場……このまま続けたら、山形さんはどうなる?」

 

 その問いに茅場は視線すら動かさずに簡潔に答えた。

 

『最初に言った通りだ。システムの補助があるとはいえ、これだけの情報を人の脳で処理し続けることはいくら何でも無茶だ。遠からず彼女の脳は焼き切れて死亡することになる』

 

「そんな」「く、くそっ」

 

 焦るキリトとアスナの前で、山形はそっと静かに瞳を開いて薄く微笑んだ。そして口を開く。

 

「桐ケ谷君……君が理想としたもう一つの世界……肉体から解放された楽園を私はまだ許容できないの……だから一度リセットします。君が愛したこのVR世界(ヴァーチャルリアリティワールド)とここにある全ての存在を私は壊します。あなたの大切なモノを全てね」

 

「そ、そんなことをしても人はきっとまたこの世界を作ります。茅場の言う通り無駄になってしまいます。お願いですからもうやめてください」

 

 キリトの声は悲痛な叫びとなっていた。

 目の前のこの存在をどうしても救いたかったから。

 

「最後にあなたに酷いことをたくさん言ってしまったことを謝ります。どうかお嬢様とともに……幸せになって……」

 

「山形さん!」

 

 叫ぶキリトの前で、その全身を光の内へと消した山形。その眩い輝きはやがて眼下の世界中全てに移り、足元の世界全体が輝き始めた。それはとても美しく、そして絶望を予感させる残酷な輝き。

 

『バグが動き始めてしまった。これで彼女は……』

 

 目を瞑りながらそうこぼした茅場のつぶやきが、虚しくその空間に響いた。




6/3最終話の投稿にはもう一週間程度かかりそうです。
身内の不幸のために執筆時間がとれてません。もう少しお待ちいただけたら幸いです。
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最終話 新たな世界【挿絵有】

 光が広がっていく。一面の金の輝きがその世界全体を覆っていく。それは駆け抜けていくかのような激しい勢いで、眼下のその大地を海を飲み込んでいった。

 世界が飲まれて行く……ただ破壊され行くために……

 

 その光景を俺はただ呆然と見つめていることしか出来なかった。

 たくさんのものを失って絶望の縁に立って、そしてこの結末を望んでしまった彼女のことをいったい誰が責めることができようか……

 しかし、命をかけて世界を滅ぼすその行為それ自体が本当に悲しく本当に切なかった。

 なぜ彼女がこうなってしまったのか?

 なぜ自分を殺さなくてはいけないのか?

 

 絶え間ない問答は答えにたどり着くことができず、ただただ悲しかった。

 それでも……

 

 俺は助けたかった。

 

 だから、俺は口を開いた。

 

「頼む教えてくれ、茅場。どうしたら、彼女を救えるんだ? なにか方法はあるんだろ? そうじゃなきゃお前が俺たちの前に姿を現すわけがないんだ」

 

 それを聞いて茅場は言った。

 

『方法なら……ある』

 

「本当か?」

 

 しかし茅場はそれだけ言うとまるで次の言葉を躊躇うかのように口を閉ざした。

 

「どうした? 頼む、方法を教えてくれ」

「お願いします団長。山形さんを救う方法を教えてください」

 

 俺に続いてアスナもすぐに頭を下げる。

 奴は俺たちを見下ろして、そして大きくため息を吐いた。

 

『確かに方法はあるよ……しかしね、その為には代償を支払う必要がある、それもとても大きな……ね』

 

「茅場! 今はそんな風にもったいぶって話す時じゃないだろう。良いから言えよ」

 

 こいつのこういう物言いは本当にイライラしてしまう。この期に及んでまだ俺達を試そうとしているのか……

 茅場は、俺に視線を向け、言った。

 

『このツヴァイクラッドはSAOのアインクラッドをベースになっているということは君たちも承知していることだと思う。さて、現在の危機とは、山形先輩本人が世界中の端末の破壊を行うことで、世界が破綻することと、先輩本人が死んでしまうことの双方にあるわけだが、これを解決する方法はいたって簡単だ』

 

 茅場はさも当然という感じで言い放った。

 

『このツヴァイクラッドを破壊してしまえばいい』

 

「お、お前……何を言って……」

 

『それほど複雑な話をしたわけではないよ。先ほど言った通りさ、先輩はツヴァイクラッドを起点にして世界中の端末へアクセスを仕掛けている。つまり、この浮遊城さえなくなれば先輩は何もできなくなるわけだ。そしてそのツヴァイクラッドには当然だがあのアインクラッドにも組み込んでいたプログラムも搭載されたままだ。それが何か……君たちになら分かるだろ?』

 

 茅場のその言葉に、俺達は二人で声をそろえて答えを言った。

 

世界崩壊(ワールドブレイク)プログラム……」

 

『正解だ。このプログラムを起動させることでこの浮遊城は消滅する。そしてそれを起動させるために必要なことは……』

 

「ああ、もうわかったよ。ラスボスを倒せばいいんだな」

 

 茅場は頷いた。その通りだとその顔は語っていた。

 

「でも待ってキリト君。このゲームのラスボスって……」

 

『そう、山形先輩本人さ。君たちは先輩を倒すことで現実の身体が死んでしまうと考えているかもしれないが、そこは心配はない。この強固なツヴァイクラッドの防壁さえ無くなれば、この私が彼女を必ず助けて見せるからね』

 

 そう決意を込めた顔の茅場の言葉に嘘はないのだろう。

 

「だったら何も問題はないじゃないか。いますぐにでも行動しよう」

 

『いや、ことはそう簡単にはいかないんだ。先に言ったろう? 『代償』が必要だと……ツヴァイクラッドを消すということはここに存在している『彼ら』も消えてしまうということだ』

 

「『彼ら』って……いったいなんのことだ、茅場!」

 

 嫌な予感に全身の神経が粟立つ。奴は澄ました顔で俺を見て、そして再び口を開いた。

 

『もう分かっているんじゃないか? 君は『彼ら』に出会ったはずだ。この世界で君達の意識に彼らは何らかの干渉をしてきたはずだ。そして君はそれに助けられた。違うか?』

 

 その言葉に全身が震えた。

 やつが言っているのは間違いなく『サチ』達、月夜の黒猫団のみんなのことだ。

 くじけそうになったあのとき、俺達の前に現れたのはやはり幻ではなかったのか……

 

「お、お前……それを分かっていたのかよ……」

 

『分かっていたわけではない。ただ、可能性として死んだ彼らの『かけら』が存在しているだろうことは予測できていた』

 

 よ、予測できていただって……!

 

「茅場ぁっ‼……お前が殺したみんなのことをよくもそんなふうに……」

「待ってキリトくん。今はダメだよ」

「放してくれアスナ。俺はこいつが許せない」

「私だって許せないよ。でも、今はそんなこと言ってる時間ないよ。やれることをやらなくちゃ」

「くっ……」

「団長……お願いします。知ってることを教えてください」

 

 茅場は俺たちを見ながら大きく溜め息を吐いてから話始めた。

 

『では最初から話そうか。私が開発したナーヴギアには、ブレインスキャニングマシンの試作機と同等の性能を備えさせてあった。脳神経の全組成、全反応をデータとして読み取る機能と言えばいいか……私は先に全員のデータを取っていたと言ったが、つまるところは全員の脳をスキャニングしたということだ』

 

「え? じゃ、じゃあみんなは団長と同じように電脳世界に……」

 

 アスナのその言葉に茅場は首をふる。

 

『残念ながらそうではない。ナーヴギアの機能はあくまで試作段階のもの。人格のデジタル化の成功率は限りなくゼロに近いものだった。私がSAOで死亡した全員のデータのお陰でこの身体を得たことは間違いない事実ではあるが、カーディナルシステムが崩壊するとき、取得した全員のデータはそのままの状態で霧散するはずだった……』

 

 茅場は滔々と事実を述べる。その姿に怒りを覚えるも俺はグッとこらえた。

 

『ところがだ。君たちも同時に見た、あのアインクラッド崩壊の時……全てのデータが消失していくあの時に、この世界のデータはある規格外のシステムプログラムによって全て吸収されたのだ』

 

「団長……それって」

 

『隠すこともないことだから全て話そう。それを為したのは先輩の開発した『セイヴィアシステム』。アインクラッドの崩壊に呼応するかのように自動的に動き始め全てのデータを自身に取り込んだのさ。つまり今いるこの先輩の作りあげたツヴァイクラッドこそ、紛れもなくあのSAOの舞台『アインクラッド』そのものであり、ここにはブレインスキャニングで死んでいった者達のパーソナルデータも残っている……これがどういうことか、君たちならわかるだろう』

 

 こ、ここがあの『アインクラッド』だって?

 い、いや、それなら辻褄が全て合う。

 59層からこの75層に至るまで、俺はボス戦も全てこなしてきた。ここに至るまでのすべてのフィールド、モンスター、行動パターンなどはかつて自分が体感して見知ったものだった。

 つまりこの世界は『似ている』じゃなくて『そのもの』だった……

 そういうことなのか……?

 

『電脳世界には私だけでなく、君たちにとっても大事な存在があるはずだ』

 

 頭に思い浮かぶのはユイの姿。そしてこの世界でのたくさんの思い出。永遠を思いに刻んだ、確かな俺たちの生きた証しの全てを思い出す。

 

『この世界と彼女を救うには、彼女自身を倒しこの『ゲーム』をクリアーしなければならない。しかし、それをすれば、このツヴァイクラッドもろともここに存在した全てのSAOプレイヤーたちの存在は消滅する』 

 

 まるで他人事のように話す元凶、茅場に俺は怒りを必死に押さえながら聞いた。

 

「なら茅場、お前何がしたいんだ?」

 

 茅場は俺を見据えていた。

 

『今さら私が殺した全てのプレイヤーを救いたいなどと言う気はないよ。先輩の命と共に私が消滅するのもやぶさかじゃない。だがね、本当にもったいない。この世界にまだ『彼ら』が存在している以上、その扱いを先輩に委ねたい……私では出来なかったが、先輩なら彼らを復活させることができるのではないかと思ってはいたが……いずれにしてもだ、私が救いたいのは先輩だけだ』

 

「言いたいことはそれだけか……お前に何が分かる。奪われ、絶望に落とされ、生きる希望すら失った人間の思いがどんなものか……茅場、お前に……」

 

「キリト君……」

 

「茅場……お前の思い通りになんてなってやるものか……俺は諦めない。山形さんも、そしてサチ達も救う。そして、この世界も壊させやしない」

 

 その俺の言葉に茅場は面食らった顔になる。それをみながら俺は背中の剣を引き抜いた。

 

「お前にはわからないだろうけどな、俺たちはいつだって絶望の縁にいたんだ。でも、諦めなかった。どんなに追い詰められてもどんなに絶望しても、俺たちは最後まで諦めたくなかった。だから……」

 

『…………』

 

「俺は諦めない」

 

 そう宣言した。

 俺には茅場のようなやつの考えはまるで分からない。でも、絶望のままに死んでいこうとしている人を見捨てる選択肢なんてない! 

 山形さんがまだ生きているのなら、サチがまだ存在しているのなら、たくさんの人をまだ救えるのであれば、俺は最後まで足掻いて、戦って見せる。

 

 チャリ……

 

 金属音がして隣を見れば、アスナも剣を引き抜いていた。目を見れば、薄く微笑んで俺を見返して来てくれる。

 アスナ……

 俺の戦友であり、パートナーであり、そして俺の命。

 ありがとう……

 心で感謝し、そして光に飲まれた山形さんへと向き直った。

 

『君達はどうする気なんだ』

 

 茅場にそう聞かれ、俺は即答する。

 

「決まっている。山形さんと戦って、その目を覚まさせる」

 

 山形さんがラスボスとして自身を設定しているのは明白。このゲーム開始時に、クリアーの為の標的は自分自身だと明言したのは他の誰でもない、彼女自身だ。

 そして、ゲームはまだ終わってはいない。

 残り時間は少ないが、まだ24時間を経過してはいないのだ。

 

『彼女を殺せばそれで全ておしまいだ』

 

「ああ、わかっているさ」

 

 不意に茅場にそう言われても俺の決意はもう揺るがない。ただ戦う。そして『助ける』だけだ。

 

『そうか……ならば』

 

 俺たちのそばに近寄っていた茅場が突然その姿を変える。そこに立っているのは銀の長髪を垂らした深紅の全身鎧を纏ったキャラクターだった。やつはその片腕をアスナへと差し出している。

 

「ヒースクリフ」「団長……」

 

「先輩を救う方法はもう一つだけある。それは先輩自身がこの『行為を止める』ことだ。今の固い決意の彼女の想いを変えさせることができれば或いは……」

 

「想いを……変えさせる……」

 

「私の導くことができた答えは破滅しかなかった。しかし、君たちが言うのであればきっと『希望』はあるのだろう。さあ、『神聖剣』を」

 

「ヒースクリフ……なにを」「待ってキリト君。はい、団長……お返しします」

 

 ヒースクリフへとその剣と盾を渡したアスナ。

 奴はそれを受け取った直後、その剣を大きく振りかぶった。

 そして、光に包まれた山形さんに向かってその一閃を放つ。

 空間に大きな振動が走った。

 一瞬で外の全景を写していたそれは消え去り、ふたたび75層のボスエリアへとそのステージが戻る。

 そして、そこに現れたのは、中空に浮かぶひび一つなく輝く光の玉の中に立つ山形さんの姿と、巨大な3匹のボスモンスターの姿だった。

 

「ザ・スカル・リーパー!?」「そ、それも3体も……」

 

 こいつのことは忘れもしない。

 もっとも手強く、もっとも凶悪だったボスモンスターの存在がそこにあった。

 巨大な鎌状の腕を振り上げ、球の中の山形さんを守るように囲み俺たちを威嚇してた。

 

「やはりただでは済まさないということですか……先輩」

 

 盾を構えスカル・リーパー達と対峙するヒースクリフ。

 俺も前へと出ようとしたその時、ヒースクリフが声を出した。

 

「勘違いしないでくれよ、君たち。私はただ山形先輩を救いたいだけだ。ただ、残念ながら私ひとりではこのモンスターを全て相手にするのが大変でね。君たちを助けようと思ってのことでは決してないからな」

 

「ツンデレかよ」

 

「気持ち悪いです、団長」

 

「ぐっ……ま、まあいい。それよりもアスナくん、これを」

 

 言ってヒースクリフがジェネレートさせたのはアスナ専用の武器『ランベントライト』。中空で輝きながら現れたそれがアスナの手の中へと収まる。

 

「君にはやはりその剣《レイピア》が良く似合う」

 

 茅場の声を聞いた俺たちはお互い視線を交わして微笑みあった。

 そして敵を見上げる。

 

「行くぞ、アスナ、ヒースクリフ」

「うん」「ああ」

 

 こんなパーティーを組むことになるとはな……

 妙な感慨に囚われながら、俺は二刀流のソードスキルを発動させた。

 

 

   ×   ×   ×

 

 

『ギュオオオオオオオオオオ』

 

 3体のスカル・リーパーはその長大な体躯をくねらせながら俺たちを囲むように接近してはその強烈な鎌の一撃を放って来る。

 それを『秩序の盾』で受け流しながら胴体へと攻撃を入れていくヒースクリフと、完全に高速移動でかわしつつその足を切断していくアスナの二人。

 俺は背中に二人を見ながら正面の敵の頭部にソードスキルを叩き込んだ。

 

「っらああああああああああああああああっ」

 

 20連撃に迫るその怒濤のラッシュがモンスターの巨大な頭部にダメージを与え続けるも、それはまったく怯まない。俺は防御体制を取ったまま着地をしたそこへスカル・リーパーの両腕が降り下ろされる。

 

「くっ」

 

 当たるかと思ったその瞬間、横から盾が滑り込んできて、目の前の鎌は弾かれた。と、同時にその盾を持った奴はふたたび自分の正面の1体へとその視線を戻し、そして自身も強烈な3連撃を叩き込む。その1体は片腕の鎌が大きく仰け反るも、再び回り込んで俺たちへと迫ってきた。

 

 息をつく暇さえない。

 もともとが強力な上頑丈。高レベルパーティでレイドを組んだあのときでさえ、何人もの死者が出た相手なのだ。しかもそれが3体。

 はっきりいって勝ち目はない。

 

「おい、茅場……お前なんでこんな頑丈なボス作ったんだよ。いい加減にしてくれ」

 

「いや、キリトくん。そもそもこの敵はパーティの枠を越えた連携の上で倒せるように設定した巨大モンスターだ。それを3人で倒すなんてもともと想定してはいないよ。しかも3体だしてくる辺り、堅実な山形先輩らしいな」

 

「関心していないで急所とか弱点とか教えてくださいよ。いくらなんでも3対3じゃじり貧ですよ」

 

「こいつには弱点はない。そのかわり全身でダメージ蓄積可能なタイプだ。とにかく切るしかない」

 

「ほんっとに使えないじゃないか。俺は今までで一番お前にむかついてるよ」

 

「それは、申し訳ないな」

 

 ちっ……

 話している間もまったく休む間がない。ひたすら切ってひたすら避けるしかない。

 このゲームを作った茅場なら、簡単に倒せるかと思ったけど、今のゲームマスターは山形さんだった。ということは、今の茅場はただの高レベルプレイヤー。本当につかえねえ。

 くそっ……いったいどんな無理ゲーだよ。ボスモンスターと3on3《スリーオンスリー》とか本当に洒落にならないぞ。

 でも、いつまでもこんなところでぐずぐずはしていられない。茅場の話の通りだとすれば、今世界中のコンピューターは山形さんの開発したウイルスで順次破壊され始めているはずだ。もう時間がない。

 そんな時、アスナの声が聞こえた。

 

「キリトくん……私が囮になるから、その隙に山形さんをなんとかして! たぶん……キリト君じゃなきゃどうしようもないと思うから」

 

「キリト君……私からも頼む。ここを抑えているうちに、先輩と話を……」

 

「アスナ……ヒースクリフ……ああ、分かった。なんとかしてみる」

 

 その瞬間アスナの全身が光に包まれた。そして、2体のスカル・リーパーの周囲を高速で駆け回り始める。

 

「はあああああああああああああっ」

 

 超加速!

 目で追えないほどの凄まじい速度にスカルリーパーたちの鎌が宙を舞い、そして……

 その長大な胴体が絡まった。

 

『ギュギャギャギャ……』『ギャガガガガ……』

 

 そしてそのうちの1体の頭部から背中にかけて走りながら連続突きを放ち続ける。

 ヒースクリフはといえば、今度は盾でその強力な鎌を完全に受けきり、そしてスカル・リーパーの胸部辺りに身を屈めて踏み込んだ直後、その盾と剣の両方をその腹に突き立て、そしてそのまま一気に持ち上げた。

 

「うおおおおあああああああっ」

 

 持ち上がったその上半身。ヒースクリフは一度膝を深く屈めたあと勢い良くそれを放り投げた。

 宙を飛ぶスカル・リーパー。

 壁面へと叩きつけられたそれは一度ふらつくも直ぐに起き上がり、再びヒースクリフへと突進してきていた。

 

「今だキリト君。頼んだ! 先輩を説き伏せてくれ!」

 

 俺はそのやつの声を合図に、山形さんの存在しているその球へと飛び上がった。

 

 

   ×   ×   ×

 

 

 ごぽ……

 

 ごぽぽ……

 

 世界が見える……全ての世界が私と繋がっている……膨大なデータが電気信号となって私の脳を駆け巡る。これだけの負荷がかかれば普通では耐えられない。

 だから私は人を辞めた。

 脳に直接電極を刺し、全ての神経とダイレクトに信号を交換する。そして自分の意識を切り離し情報処理の全てを外部端末へと割り振り、脳は生体コンピューターとして超高速の演算処理のみをその用途とさせた。

 これにより私の意識は完全に切り離され、まるで水の中を漂っているかのような安らぎすら感じることが出来るようになっていた。

 でも不思議だ……触覚も感覚も何もないはずなのに、血の味がしている気がする。それはその通りなのだけどね……私の今の身体はまるで燃える太陽と同じ。自分の全てが燃え尽きるその時まで、熱く熱く燃えたぎって世界を壊すというその一点の為だけに血をながし続けるのだから。

 壊すのは簡単だ。

 作るよりもずっと……

 だからこそ私はその簡単なことを、茅場君のゲームの世界で行うことにした、私と田口さんの復讐という題目はあったけど、結局はただのきまぐれだったのだ。

 

 私がラスボスか……

 

 ふふ……やっぱり面白かった。私の命を賭けた最後のゲーム。

 全くの予定通りではなかったけれど、みんなとってもいい子達で……本当に良かった。

 あの子達ならがきっと素晴らしい新しい世界を作ってくれる。そう確信出来る。 

 

 茅場君……

 あなたがかつて求めた人の可能性……

 その何かをきっとあの子たちが持っているということなのかもしれないわね。

 

 これでようやく……

 

 美幸に会える……

 

 

 

”…………さん!……形さん”

 

 ごぼ……

 

 ごぽぽぽ……

 

 

 誰?

 

 私を呼ぶのはだれ?

 

”山形さん!”

 

 この声は……桐ケ谷……さん?そう……やっぱり貴方は助けにきてしまうのね……ふふ……そうね、仕方ないわよね……だってあなたは美幸のヒーローなんだもの……

 

”山形さん‼ もうやめてください‼ お願いします”

 

 必死な声……

 

 でもねキリト君。もう私は決めたのよ。この世界はあまりに汚れすぎてしまった。人の欲望が渦巻き人が人を貶めすぎてしまった。人は一度世界をリセットすべきなのよ……

 

”山形さん! 聞こえていると信じて言います! 聞いてください”

 

 きちんと聞こえているわ。でも、私は揺るぎはしない……

 

”この世界には『サチ』が『生きて』います”

 

 …………

 

”聞こえているんですよね? この世界にはサチが……美幸さんがまだいるんです。俺も……アスナも会いました。会って助けられました。山形さん……お願いします。早まらないでください。美幸さんに会ってあげてください”

 

 …………

 

”お願いします。お願いしますから……”

 

「聞こえているわ、桐ケ谷さん……」

 

「山形さん……」

 

 覚醒したわけではない。ただ、私の分身体とも言えるこのアバターに接続しただけ。

 球状の透明な外殻となった私の身体の一部に、桐ケ谷さんはが触れている。

 

「山形さん! もうやめにしましょう。ネットワーク世界を破壊してなんになるんですか? 壊しても何も生まれやしない。ここにはサチもいるんです。だから……」

 

「知っていたわ……」

 

「え……?」

 

 きょとんとしてしまった彼を見つめて、私は言った。

 

「ずっと前から知っていた。いいえ、感じていたわ。この世界のいたるとこで、美幸の気配を私はいつも感じていた。そして」

 

 彼が何かを言おうとして固まっていたけど、私は構わず続けた。

 

「貴方がデリンジャーと戦っていたあのとき、死んだはずの貴方の身体から聞こえたあの『声』の中に、まぎれもなく美幸の声もあった」

 

 そう、この私が聞き間違えるわけがない。あの子は確かにあそこにいた。

 そしてあの子は、彼を……桐ケ谷君を助けた。

 それが分かったとき、私は本当に『嬉しかった』。あの子がここに『生きて』いたんだとはっきりわかったから……でも……

 

「でもね、私はこのままこの世界とともに……美幸と一緒に死にます。そう決めたんです」

 

「なぜですか? 美幸さんはまだ存在している。あなたなら、美幸さんを蘇らせることがきっとできるんじゃないですか? 現に茅場は存在できている。このままではそんなみんなも消えることになる」

 

「美幸の肉体はもう死にました。それに……私は……美幸をそんな『永遠の地獄』に閉じ込めたくなんかない」

 

「あ……」

 

 わかっていた。

 美幸を蘇らせる方法だってずっと考えていた。

 そしてその手段もなんとなく掴んでいた……

 でも……

 それは私のエゴだ。

 人の死は覆すことはできない。死んだ人間は還らない。それが自然であって、当たり前のこと。

 肉体を持たないあの子に人間として生活する術は……ない。

 

「だから……もう終わりにするんです。これでもう私たちは……」

 

 一緒に消えよう……美幸。あなたとはずっと一緒に居てあげるから……

 その時、彼が思いっきり強く私の外殻を叩いた。

 

「それでも……それでも俺はあなた達に生きていてもらいたいんだ! 肉体が死んだ? 永遠の地獄? そんなのただ生きる為の器が変わっただけじゃないか。俺達にはそんなのは関係ない。誰もがサチを避けるなら、避けないでいい世界に俺達が変える。現実の世界に出たいなら俺達が身体を作ってみせる。だから、だから、たかがそんな理由だけで、サチを……山形さん自身を殺さないでくれ」

 

 それは切ないくらい純粋な思いの丈。不器用で青臭いけどとてもまっすぐな叫びだった。だからなのか、私は思わず言ってしまった。無垢な彼のその想いを打ち砕いてしまおうと思ったから。

 

「ふふ……そうね、わかったわ。なら私を倒してこのゲームをクリアーしてみせなさい。3体のボスモンスターを倒せば、この外殻が消滅します。そしてこの私を葬ることができたなら……私はこの世界の破壊をやめましょう」

 

 ただの戯言……

 不可能の上に、不可能を重ねて宣言しただけのこと。

 あの強力なボスモンスターを助けもないこの状況で、たった数名の彼らだけで倒せるわけがないことは当たり前のことだったから。

 あのモンスターは茅場君が作り上げた中でももっとも強固なもののひとつだった。私はそれをさらに強化させ、そして3体を用意した。

 ここに辿りつくことが出来たとしても私を倒すことはできない。

 デリンジャーを始末し人質を解放した上で、ゲームクリア―を諦めさせるためにあえて用意したこの強力なモンスター。私はそして世界を滅ぼす光景を全員に見せるつもりだったから。

 でも……

 

「言質とりましたよ。絶対に約束を守ってくださいね」

 

「え?」

 

 急に明るい声に変わった彼を見やれば、凄く明るく微笑んでいた。その顔に微塵の恐れも後悔の念も表れてはいない。

 そんな彼がパッと手を放し飛び降り様私に言った。

 

「もう一つ約束してください。必ずサチを復活させると。俺はまだ、サチに話したいことがたくさんあるんですから」

 

 訳が分からないと、満面の笑みで落ちていく彼を見つめていた私は、そこに広がる光景に思わず声を上げてしまった。

 

「は……ははは……あははははは……」

 

 なに……? なにこれ……?

 

 も、もう……あなたたちってば……

 

 湧き上がる笑いに、心が同時に満たされていくのを感じていた。そして知らず知らずのうちに頬を涙が伝っていた。

 そこに広がっていたのは『不可能』を『覆す』光景だったから。

 

「正面の敵に火力を集中させろ! MPをけちるなよ! これが最後だ気合をいれろ!」

「今回は俺達風林火山がタンク(盾持ち)だ! ここで決めろ! 絶対にリーダーを救い出すぞ!」

「あいつらは胴体も弱点だ。少しでもいいからソードスキルで削れ」

「シリカ、あいつすばしっこすぎるから、ドラゴンで抑え込んで。これじゃあシュトルムで狙えない」

「い、いやですよぉ、あんな気持ち悪いムカデにさわるなんて」

「ぴゃぁぁー」

「背面は攻撃手段がないぞ! 機動力のあるやつは背面から攻撃しろ!」

「こいつかってぇ……全然効いてないぞ」

「大丈夫だ! ダメージは蓄積されている。防御力の低いプレイヤーは私の神聖剣の後ろにまわれ」

「ガドランブル・ペイン‼」

「アスナさんに続け~‼」

「回復させます!」

「集中攻撃! ハンマーで相手の防御力を削れ!」

「一気に葬れ!」

 

「お兄ちゃん!」

「リーファ!」

 

 頷き合ったその二人が剣を構えて、ソードスキルと魔法の詠唱に入っていた。次第に溢れてくる巨大な魔法の輝きの中で凄まじい剣の乱舞を繰り出した黒の剣士……

 こんなに多くの人が戦ってくれて……

 ここまでたどり着くことさえ不可能であったはずなのに……

 もう心が折れて絶望していたはずだというのに……

 私の前で……

 不可能と思っていたそれがついに、為された。

 

 3つの巨体が光へと変じるその最中……私と共に復讐にその心を焼いたあの二人がそっと私を見上げていた。

 

 

   ×   ×   ×

 

 

「ケイタ……? ……なのか? それに田口さんまで……」

 

「ああ……そうだよ、キリト。久しぶり……」

 

 俺の目の前には二人の人物があった。

 一人は言わずもがな田口さん。そしてその隣で立っていたのは、ついさっきまでデリンジャーがその姿をしていた『彼』の姿だった。

 

「ケイタ……お、俺……俺はあの時……」

 

「いや、待ってくれキリト。俺も君に言いたいことがたくさんある。でも、今は『彼女』だ」

 

「ああ、そうだな」

 

「さあ、行こうか、二人とも」

 

 俺とケイタの背中を押すのは田口さんだ。

 他の面々は心配そうに俺達を見ている。

 

「お兄ちゃん……」

 

 たたたっと駆け寄ってきたリーファが俺へと声を掛けて来てくれた。

 

「遅くなって本当にごめん」

 

「いいや、助かったよスグハ……お前のおかげだ。ありがとう」

 

 頭をぽんぽんと叩いてやると、直葉は恥ずかしそうにはにかんだ。

 そしてアスナとヒースクリフを見れば二人はジッと俺を見つめていた。俺は一度頷いてから山形さんへ向かって歩む。

 山形さんは地上へと降りてきていた。そして彼女の宣言通り、侵入不可能であったあの外殻は消滅しそしてそこに輝く彼女が目を瞑って立っていた。

 俺とケイタと田口さんの3人で向きあって声をかけた。

 

「約束通り来ましたよ。ボスを倒しました。そして後はあなたと決着をつけるだけだ」

 

「ふふ……そのようね……約束は……約束だものね……でもひとつだけ聞きたいことがあるの。どうして皆さんはここにたどり着けたのかしら……? 私は彼らに情報の開示はしていなかったはずだけれど」

 

「それは私ですよ、雪谷さん。私があなたに貰った管理者権限を使用して全てのプレイヤーにオンラインで状況を知らせていました。ここまでの貴女の発言も貴女の行動も全部ね」

 

「そう……田口さんの仕業だったのね……それならしかたないわね……」

 

「山形先生……」

 

「圭太君……」

 

 見つめ合う二人……

 ケイタの目からは涙が溢れていた。

 

「もう……もうやめましょうこんなこと……俺はもう誰も失いたく……ないです」

 

「圭太君……うん、ごめんね」

 

「せ、先生?」

 

「うん……彼と……『キリト』君と約束したから……ね。だからこれで終わりにする」

 

「じゃ、じゃあ、先生は生きて……」

 

「ええ……生きることにするわ……生きて罪をつぐなわないと……ね」

 

 そう言って山形さんは田口さんを見る。そして頷きあっていた。

 

「キリト君……お願いがあるの。あなたの手でこのゲームを終わらせて頂戴。これは私のわがままよ。でも君にお願いしたいの……この世界を滅ぼそうとした私を討つべき人はやはりあなた以外には考えられないわ」

 

「そ、そう言われても、もしそれで本当に死んでしまったら……」

 

 山形さんはおかしそうに笑った。

 

「このゲームをクリアするとあなたは私に約束したはずよ。そしてこの私が最後の相手……あなたは約束を(たが)えるのかしら?」

 

「わかりました」

 

 俺はエリュシデータを引き抜く。

 そして、直立する彼女の胸の中心にその切っ先を当てた。

 彼女は目を瞑っている。

 と、唐突に彼女は声をだした。

 

「茅場君、まだそこにいるわね?」

 

「ええ、居ますよ」

 

 ヒースクリフの姿のまま茅場が山形さんへと視線を向けていた。

 

「私はあなたを許さない。あなたの存在そのものをいつか必ず別の方法で消します。覚えておきなさい」

 

 威圧するようなその言葉、でも決してその口調は怒りには染まってはいなかった。

 茅場はそれに答える。

 

「ええ、その時はいつでもお相手させていただきます。貴女が生きている限りは……ね」

 

 山形さんは薄く微笑んでいた。

 でも何も答えない。代わりに俺へと一言発した。

 

「さあキリト君……止めを……」

 

「ああ……」

 

 俺はそのまま一気に彼女の胸へと剣を突き入れた。

 

 ダメージの輝きがまるで風に舞う花弁のように辺りへと舞い散っている。その身体を抱いている中、彼女のLIFEゲージは完全にゼロになった。

 掠れ始めるその身体。最後に彼女はその頬に一筋の涙を走らせたのだった。

 

「……美幸」

 

 煌めくエフェクトは彼女の残滓。

 辺りに飛び散りながら彼女は消滅していった。

 言葉なく立ち続ける面々の中で、一人茅場がその声を発した。

 

「ツヴァイクラッドの崩壊が始まらない……浸食していたバグの動きも完全に止まっている。世界は救われた」

 

 その一言が呼び水だった。

 上がる歓声。

 みんなが抱き合って、この戦いの本当の終了を体感していた。 

 駆け寄ってきたアスナと抱き合いながら、彼女が胸にしまっていた宝石からユイが飛び出してくる。リーファもシノンもシリカもみんな抱き合って笑顔だった。

 

「おい、クラインだ!」

「リズベット‼」

 

 声が上がり見て見れば、さきほどまでまるで蝋人形の様だった二人のアバターがふらふらと床に座り込んだ。

 

「クライン! 無事だったか」

「お、おいやめろよキリト、抱き着くなって。いろいろ怪我してていてえんだからよ」

「わ、悪い」

「な? リズベット言った通りだったろ? 絶対キリトが助けに来てくれるって」

「バカ……クラインのバカっ! うわああああああああん」

「なんでリズがクラインさんに抱きついてるの? 捕まってる間に何があったの」

「い、いや何もねえよ? ほ、本当に何もねえから」

「クラインのばかあああ」

「なにはともあれこれで全部終わったかな?」

「そうですよシノンさん。お疲れさまでした」

「ぴゃ」

 

 アスナと二人でコンソールを確認してみれば、そこにはログアウトボタンが復活していた。

 二人でそれを見て安堵したのだ。

 そんな中、周りを見渡してみれば、ヒースクリフも田口さんも、そしてケイタの姿も……

 

 もうどこにも無かった。

 

 

   ×   ×   ×

 

 

「やあキリト君。待ったかい?」

 

「いえ、そんなにでもないです」

 

「そうかい? なら良かった」

 

 ここは都内のとある喫茶店。奥まったボックス席で対面に座ったのは総務省の菊岡誠二郎だった。

 彼は相変わらずニコニコしていて、その実何を考えているのか全く読むことができない。ただ、信頼できる相手だということだけは知っていた。

 

「それで……アスナ君の容体はどうかな?」

 

「それなんですが、腹部のけがはもう大丈夫そうです。ただ、まだ歩くには痛みもあるようなので松葉杖を使ってリハビリなんかもしてますよ」

 

「そうか、大変だな。でも命に別条がなくて本当に良かったよ」

 

「それで、どうでしたか?」

 

「ふむ……」

 

 俺の質問に菊岡さんは腕を組んで俺を見つめてきた。この反応が別段悪いものではないということを俺はもう知っている。つまり……

 

「田口氏の判決には執行猶予が付きそうだよ。4人も殺して……1人は遠隔の上まだ殺人と立証されてもいないわけだが、確実に3人を殺害したとしては異例の判決になると思うよ。これは彼女から提供されたデリンジャー一派の犯行映像の数々が効いていると思うよ」

 

「そうですか……山形さんは?」

 

「ふむ山形……雪谷良子氏についてはサイバーテロの容疑についてはまったくといっていいほど捜査が追い付いていなくてね。各国、各メーカーでは一時的な不具合によるプログラムの損傷としてすでにリカバリーなどを行って話を終えてしまってたりもするらしい。どれほどの規模を破壊したのかは不明だが彼女の犯罪を立証するのは逆に難しいかもしれない。もはややっていることの次元が違いすぎるのでね。ただ、この被害によると思われる死亡事故などの報告は上がってはいないよ」

 

 そうかもしれない。

 山形さんの行った『電脳世界破壊』は通常ならあり得ない現象だ。ただ、今回は完全破壊を免れたかこそ、簡易的なリカバリーでの復旧が容易だったということか。あるいは、そこまでの破壊行為そのものを躊躇っていたか。

 彼女は人の死を恐れていたから、医療や生産関係のプログラムには触らないようにしていたのかもしれないな。

 

「それとアスナ君の傷害に関しては先方と示談がすでに成立しているからなんのお咎めもなしになるね。いやはや、とんでもない事件に巻き込まれたものだね、キリト君たちは」

 

「デリンジャー達については?」

 

 日本を代表するセキュリティー企業の代表が犯罪者であったことについては実は公にはされていない。今回の事件で田口さんが手を下してしまった関係で容疑者はほぼ全員死亡していることと、政財界に多くの関係者が存在してしまったことで表立った捜査は行われていないらしいことだけは知っていた。

 

「ふむ……まあ、君だから話すが、お察しの通り通常裁判などでの追及はなくなった。彼らに感しては雪谷氏と田口氏からの映像を含めた詳細な犯罪の証拠があったからね。犯罪の内容が内容だからと裁判なしに政府とTOSco本社の両面で水面下で被害者に対しての賠償を行うことに決定したよ。ま、色々言いたいことはあるかもしれないが体制を維持するための大人の都合と捉えてくれたまえ」

 

「そういうことなんでしょうね」

 

 コーヒーを啜ると、その苦みが脳を引き締めてくれた感じがした。

 俺は菊岡さんに向き直って頭を下げた。

 

「俺達を助けてくれて本当にありがとうございました」

 

「へ? あ、いやあ、そう君に率直に言われると照れるもんだねぇ。惚れたかい?」

 

「惚れるかよ」

 

「あははは、まあそうだ。君たちを助けたと言ってもあれは全部君の功績じゃないか。君がパーソナルセキュリティーシステムをずっとオンにしていてくれたおかげで、君たちの乗っている船の場所や、君たちのゲーム内での動向が分かったんだからね。まあ、気にしないでいいよ」

 

 確かにそうなんだけどね。

 田口さんが現れて管理者権限をデリンジャーから剥奪した事を知った後、俺はこのシステムの外線で菊岡さんとエギルにオンライン状態にしたまま固定した。つまり、その後の俺達の動向は全て菊岡さんに通達されていたことになる。

 直後、菊岡さんは竹芝桟橋に停泊していたデリンジャーのクルーザーを突き止め、そこですでに死亡していた3人と、船室でフルダイブしていた俺達全員と田口さんを発見。他の関係者を拘束しつつ、ゲーム内のことを監視し続けてくれていた。

 おかげで俺達は安全にゲームクリアすることが出来たというわけだ。

 

「それで……『彼』の様子はどうなのかね?」

 

 菊岡にそう聞かれ、俺は再び顔をあげた。

 

「特になにも……いや、色々と話はしましたよ。俺は『彼』に返すことができないくらいの負い目があります。それは今でも変わりはしませんから。でも……」

 

 彼は……ケイタはあまりに多くのものを失いすぎてしまった。それは俺も同様ではあるのだけど、アイツの場合はもう戻ることは出来ないだろう。それだけケイタの心の傷は深いのだから。

 これからはあの世界で死んでいった人と向き合って生活していくことになるのだろう。

 

「ケイタは田口さんの家で同居しながら山形さんの元で働くようですよ」

 

「そうか……まあ、そうなるだろうね。くれぐれも了承の得られなかった故人(・・)のデータには触れないようにと伝えておいてくれよ」

 

「それは問題ないでしょう。山形さんがすでに各個人単位でのデータの仕分けを終わらせてますから」

 

「そうか……なら結構だ。いや、今はやれ個人情報だプライバシーだ公権力濫用だとうるさいものでね。いずれ来る日まではそっと眠らせておいてあげてくれ」

 

「言われるまでもありませんが、わかりました。そう伝えます。これからケイタにも会いにいくところでしたし」

 

「そうか、なら宜しく伝えておいてくれ。それと……犯人扱いして済まなかったとも伝言を頼めるかな」

 

「そういうのは自分でしてくださいよ。まあ、言っては起きますが」

 

「宜しく頼む。さて、君に伝えるべきことは全部伝えたし、これで今回の事件はお仕舞いになるね」

 

 そう言って立ち上がった菊岡。俺はもう一言だけ尋ねた。

 

「山形さんが……リヴェンジャーが起こしたあの事件……24時間あの戦いを見ていた全ての人はいったいなにを思ったのでしょうね」

 

 気になっていたことだ。

 俺達はただ遊んでいたわけじゃない。結果として俺達に死んだ人間は出なかったがあれは紛れもないデスゲームだった。

 嬉々として見ていたかもしれないそんな人々は、何を思い、どう行動していくのか……

 菊岡は俺をじっと見ていた。

 

「さあ、それこそ私ごときでは分からないよ。でもね、確実に人々はあの世界を認識したことは間違いなかった。あの美しい幻想の世界……もうひとつの現実が人々の心に刻まれたことは確かだと思うよ」

 

「そう……ですよね」

 

「や、今日は悪かったね。ゆっくり休んでくれたまえ」

 

 菊岡はそれだけ言うとテーブルにおいた伝票を手に、それをひらひらと振りながら出口へと向かっていった。

 

「ふう……」

 

 残っていた冷めたコーヒーに口をつける。苦味がやはり口内に広がって今度は終わったことへの安堵に力が抜けた。

 店を出て海岸に向かって歩いていく。

 その道すがら俺は考えていた。

 

 あの仮想現実をインターネット世界まるごと一緒に破壊しようとした山形さん。彼女はその姿を知らしめるために敢えてその世界の壊れ行く様を人々に見せようとした。

 しかし、結果として報じられたのは目映(まばゆ)く美しいあの幻想の世界、そしてそこを駆ける戦士達の勇姿。

 憧れ、焦がれ、あの世界を欲する人々が増えたことは間違いなかった。

 皮肉な話だよな……

 絶望の末に破壊をめざして、そしてその世界をより完成に導いてしまった。

 いや……

 もしかしたら、初めから彼女はこうなることを期待していたのかもしれない…… 

 

 蘇ったサチが生きていける場所を作るために……

 

 もしそうだとしたなら……

 はは……

 茅場も俺もみんな踊らされていただけだったのかもな……

 そう思い浮かんだ考えが自分でも可笑しくてつい笑えてしまった。

 

「なにニヤニヤしてんだよ、キリト」

 

 急に横から声がして振り向けばそこには白の大きなミニバン。その後部座席から指に包帯を巻いたクラインが身を乗り出して俺に手を振っていた。

 

「やっほーキリト!」

 

「もうキリト君全然気づかないんだもん」

 

「お兄ちゃん、通りすぎちゃいそうだったよ」

 

 そう声がして車内を見れば、椅子に座ったリズベットとアスナと直葉。椅子に深く座るようにしているアスナをリズと直葉が抱くようにして支えている。

 

「悪い悪い、ちょっと考え事してて……シリカとシノンは?」

 

「ああ、今こっちに向かってるってさ。もう聞いてよキリトぉ。クラインの奴にお礼でご飯御馳走することになってたからどこに行きたいかって聞いたら、『ラーメン次郎』だって言うのよ。ほーんとコイツどうしようもないわよね」

 

「いーじゃねーか、次郎。なあ? キリトなら分かってくれるよな。それに、彼女の財布の負担を減らしてやろうってデートで気遣ってやったんだから文句言われる筋合いはねーな」

 

「か、かの……で、で、ででででデートなわけないでしょ! バカなの! 調子に乗るな!」

 

「いてて、勘弁してくれよぉ」

 

「あはは……」

 

 もう笑うしかない。

 あの世界でリズを助けるためにクラインが身体を張ってデリンジャーたちからリズを守った話は聴いた。

 そのせいでクラインは両手両足に大ケガを負ってしまってけど、それ以上の被害は二人にはなかった。

 本当に無事でよかった。

 

「スグもありがとうな。アスナのこと看てくれて」

 

「いーんだよぉお兄ちゃん。これも妹の仕事のうちですからね!」

 

「なま言って」

 

「へへへ」

 

「アスナも平気か?」

 

「うん、もう結構平気だよ。ずっと寝たままだったから身体が重いけど、SAOから帰ってきたときよりはずっといいよ」

 

「そうか、無理するな」

 

「うん」

 

「ようよう、キリト。みんなと話すのもいいが、今回何気に一番活躍した俺のことを無視するなよな」

 

「あ、ああ。いたんだなエギル」

 

「ひっでえな、誰が運転してきたと思ってんだか。それと、今日はお前のお友だちもいるんだからな」

 

 そう言って助手席から顔を出してきたのはケイタだった。

 

「キリト。今日は一緒させてもらってるよ」

 

「ああ、気にするなよケイタ。これから仲良くやっていこう」

 

「ありがとう」

 

 そう言ってケイタは微笑んでいた。

 

 あの世界で戦っていたあの時、ダイブしなかったエギルはひたすらに警察や総務省の菊岡さんたちに連絡を繋ぎ、俺達の救助のために尽力してくれた。

 そして、それのみならず田口さんの内情がわかった時点で俺達が気がつくよりも早く、エギルは山形さんの身体とケイタの居場所に迫ってくれていた。

 おかげでケイタの説得も出来、山形さんが帰還後はすぐに病院への移送の手配もできたというわけだ。

 正直エギルがいなかったらどうなっていたことか…… 

 

 ケイタとは色々あったがもう過去に縛られることはなくなったように思う。目指す先は同じであったのだから。

 

「やっぱりこの海岸にも人は多くなるもんなんだな」

 

「そりゃそうでしょ、なんと言っても夏の風物詩だものね」

 

 大分暗くなってきたその周囲を見渡しながらクラインとリズベットがそんな話をしていた。

 

「アスナ……」

 

「うん、ありがとうキリト君」

 

 手を取って彼女を車から降ろし、そして近くの芝生へと誘導した。

 

「怪我してなかったら、アスナさんの浴衣姿見れたのにね、お兄ちゃん」

 

「本当だな」

 

「わっ、お、お兄ちゃんが惚気てる!」

 

 いや、煽ったのはおまえだろ?

 アスナも赤くなってたから、俺は頭をぽんぽんと撫でた。

 それから俺は用意していた端末を2基鞄から取り出した。

 

「さて、じゃあ始めるか! ケイタも手伝ってくれるか?」

 

「OK! まかせてくれ」

 

 芝生の上に球状のマシンを固定する。そして電源を入れて、各二つずつ搭載した広角レンズを調整する。

 そして、画像がそれぞれ立体視出来るような位置で固定してから、ケイタに頼んで通信機器と接続してもらった。

 

「おーい、ユイー! 聞こえるかー?」

 

 端末に向かってそう声をかけるといつもの可愛らしいユイの声が。

 

『はいパパ。よく聞こえますよ。それに、わわわっ! すごいです! 景色がすごくはっきり見えます』

 

「そうか? よかった。広角レンズ2つを使ってその解像度を飛躍的に向上させたデュアルカメラ仕様だ。今までのモノアイと比べたら約5倍は視野が広がってるはずだぞ」

 

『本当にすごいです! うわー、うわー!』

 

 ユイがそう言いながらカメラをぐるんぐるん回転させ始めた。

 それを見ながら俺とケイタはサムズアップを交わした。

 

 ケイタは山形さんの元でAIのプログラムの構成作業を進めている。ユイも有している『感情プログラム』についてのメンテナンスもケイタが受け持ってくれた。正直人の脳の動きに近づける作業がいったいどのようなものなのか想像もできないけど、確かにユイの喜怒哀楽の表現はより深いものになった。

 当の山形さんはと言えば、あの事件後覚醒してすぐに病院へ搬送。頭蓋へと打ち込まれたたくさんの電極の摘出手術が行われた。どうやら機器の脳への接続は自分で行ったものだったらしく一時期は生命の危険もあったようだけど一命はとりとめた。

 その後彼女はセイヴィアシステムのアーカイブ内に分散していた膨大な量のプレイヤーのパーソナルデータを回収、個人別に管理し、人格形成に必要なデータの補完方法についての研究を進めているとの話は聞いていた。そしてその成果はすでに表れてきていることを俺も知っていた。

 茅場のその後は全く分からない。あの戦いの後消えてから音沙汰はないから。

 ただ、俺には分かっている。今回の事件でこの結果となってもっとも喜んでいるのがあの男なのだと。奴が天才と認めた存在、山形さんは、ひょっとしたら茅場のことを理解できるこの世界で唯一の存在であるのかもしれない。いずれにしても茅場はいつか必ずその姿を現すのだろう。その時奴がいったい何を為そうとするのか……

 でもそれはその時の話だ。

 

「そろそろ花火が打ちあがる時間だよ。ねえ、キリト君。『彼女』はまだなの?」

 

 海の方を眺めていたアスナにそう聞かれ、俺は作業のペースを速めた。

 

「ああ、もうちょっとなんだ。ユイと違ってデータが重すぎてこの端末に上手く接続できないんだよ」

 

「ちょっとそれ女の子に言うセリフじゃないよ。もう少し気を使ってよね」

 

「うう……ごめん」

 

「キリト……俺の方の端末を仲介させて呼び出すよ。こっちの方がCPUの性能が良いから」

 

「サンキューケイタ……よし……接続できた……っと」

 

 顔を上げればそこにはアスナやケイタや直葉……みんなの微笑んでいる顔があった。

 シノンとシリカも丁度来たところ。

 みんな生きている。生きて一緒に今を楽しむことが出来る。

 俺はどんな形であれ、この今を大事にしていきたいと思っているんだ。そうすることで俺達は失ってしまったたくさんの物をきっと取り戻していくことが出来る……と。俺はそう信じていた。

 

「いいかユイ。お前の方が先輩なんだから色々教えてやるのはいいけど、向こうの方がお姉さんだからな。生意気言ったらだめだぞ」

 

『はいパパ。りょーかいです!』

 

 ユイがそう返事したのを確認して、俺は隣に据え付けたもう一台のデュアルカメラのついたマシンに声を掛けた。

 

「もうそろそろ花火が上がるよ。どうかな? こっちに来れてるかな?」

 

 そうかけた声に返事が来た。

 それは俺を励まし、俺の心を救ってくれた優しいあの声……

 もう2度と会うことが叶わなかったはずのあの少女の……

 

『うん、いるよキリト。ただいま』

 

 暗がりで見上げてきているそこには確かに彼女がいた。

 

「ああ、おかえり、サチ」

 

 きっと俺達はこの新しい世界でたくさんの想い出を作っていける。

 俺はそう……

 

 信じることにした。

 



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