百物と語る英雄 (オールドファッション)
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番外編
己を語る


水着イベを完走するため投稿が遅れてすまない!

※この話は平行世界線の日本の話であり、オリ主は架空の人物です。実際の史実と異なっていても是非もないよね!


ある老人の話をしよう。

 

彼は第二次世界大戦末期の1945年8月6日の午前8時丁度に生まれた。この年号と日付に憶えがある者は数多くいるだろう。

我ら日本人が忘れるべくも無い悲劇の日。広島への原子爆弾投下の15分前のことである。

 

彼はその爆心地である広島市で無傷のまま生まれた子だった。彼がこの大災害地で無事に生まれられたのは、ただ偏に両親の愛情の強さとしか例えようがない。母親は爆風で飛ぶガラス片から赤子を庇い死に、父親は半死半生になりながらも、赤子を抱えながら燃え盛る大地を駆けた。父親が知人宅に着いた頃には父親は立ち往生していたという。

 

子供は五歳になるまで知人に大切に育てられた。知人夫婦は日々、彼の両親がどれだけ立派な最期だったかを説き、その子供である彼を奇跡の子だと言った。彼もそのことに疑問を持ったことはなかった。不思議なことだが、彼には生まれた日の記憶が鮮明に残っていたのである。自分があの地獄のような光景から生還できたことを思えば、それこそどんなに恵まれた子供であるか理解できるのだ。

 

知人夫婦との生活は裕福ではなかったが、困ったことはほとんどなかった。しかし、彼の生誕の経緯からか、親子関係と呼べるものはなく、宝とそれを守る番人のような家族構成をなしていた。むろん愛情はあったが、そこに親の愛情は一切感じられない。

そんな生活も長くは続かず、知人夫婦はピカ(原爆)の毒に侵され死んだ。夫婦は最期に東京に行くように告げる。

 

『死後に残される貴方様を思えば、死ぬに死に切れないが、私たちはもう長くはない。東京に行きなさい。貴方の祖父がきっと助けになってくれると、私たちは黄泉の国から真に願っております』

 

夫婦は最期まで親として在ろうとしなかった。

 

彼は県内を転々として歩き続けた。広島は未だに原爆の傷から癒えず、各地はまだ戦後の混乱期の只中にあった。大地は枯れ果て作物は実らず、貧困は心を荒らし暴力となって人々に蔓延した。彼も貧しさから物乞いの真似をして米兵から菓子を貰ったり、闇市で食べ物を盗み捕まって半殺しの目に遭ったこともある。

 

彼がこのような生き恥を晒しながらも東京を目指したのは、それは裕福欲しさからではない。それは孤独な彼が本当の家族の愛を求めたためではない。それはこの地獄からの逃避ではない。

両親の想いを受け継いだからである。彼は生まれて最初の記憶の中、母が命を賭して自分を守ったことを、父が死ぬほどの激痛に耐えて自分を抱えて走ったのを、原爆で死んでいく人々の悲鳴を、彼は知っている。

 

この子に生きて欲しい、幸福であって欲しい、絶対に守るのだと願って死んだ両親。

 

死にたくない、生きたい、助けてと叫んだ死者たち。

 

生まれてから今まで、家族のいない孤独のなかで、彼らの想いが自分の中にあった。例え肉体が滅び、魂が浄土へ召されたとしても、たしかに彼らが存在していた証が頭の中にある。想いが受け継がれているのだ。

 

”死ぬものか、死んでたまるか!”

 

ただ駆けた。荒れ果て乾いた大地をただ駆け続けた。それは見っともない姿で、多くの人が後ろ指を指して嘲笑う。目障りだと言わんばかりに罵声と礫を投げられた。それでも駆け続ける。

 

”俺は生きている、俺は生きるんだ!!”

 

子供が成長していく姿を見ずに死んだ母がいた。燃え盛る火炎の渦の中で怨嗟の声を一身に受けても走った父がいた。全身の皮膚が剥がれ落ちて焼け死んだ夫婦がいた。ガラス片が頭を貫通して死んだ子供がいた。血と糞尿を撒き散らして死んだ老人がいた。

自分は生きなければならないのだ。自分は幸福でなければならないのだ。そうでなければ、あの日に死んでいった彼らの愛情も想いも願いも全てが無駄になる。それではあまりにも自分と彼らが報われないではないか。だから駆けるのだ。だから生きるのだ。この胸の中に確かに息づく想いと、この地獄のような悲劇を忘れずに戦い続けるのだ。

やがて体すら枯れ果て、骨と皮だけの餓鬼に成り果ても、それでも想いの限り駆けた。

 

しかしある日、彼が川の水を飲もうと川縁に立った時、不運にも足を滑らせ川底まで落ちてしまう。もはや川の流れに抗う力などなく、水流に身を任せて流れていく中でついには意識を手放した。

気がつくと彼は河原に流れ着いていた。幸運なことに溺れ死ぬことは無かったが、それでも精魂尽き果てた彼に動く気力は残ってはない。あとはこの場で命が尽きるのを待つばかりかと、彼は生まれて初めて悔しさから涙を流した。

 

するとそこに何かが流れてくるではないか。霞む視界で見開いてみると、蜜柑がいくつも流れている。おそらく川上の方でなっていた蜜柑が落ちて運ばれたのだろう。自分に吸い寄せられるように流れてきた蜜柑を、彼は皮ごと噛り付いた。

 

”美味しい”

 

口に広がる皮の苦味と果実の酸味。だがそれ以上に蜜柑の甘みと旨みが飢えた体に染み渡った。それから来る日も桃、杏、梅、枇杷、葡萄、無花果と、多種多様な果物が流れ続け、彼はそれらを余すことなく食した。時折、獣たちが少年に近づくことはあれど、決して襲うような真似はしない。枯れた命に自然の恵みが息吹を起こし、彼は瀕死の状態から奇跡的に回復した。

 

こんな体験をすれば大多数の人は、自分の身に天運を招いたのだと信じるだろうが、彼は違った。自分がこうして今も生きているのは、自分の中に息づいた多くの想いの一念が作用したものと信じて疑わなかったのだ。そして同時に、別の大きな存在による力も感じた。彼は死の淵から生還したことで自分に特殊な目が宿っていたのに気づいた。自分や他のものから漂う力の流れを視認できたのだ。生命の流動、星の息吹、龍脈。言葉にするには余りあるそれを求め山奥を目指した。

 

暗闇の中でただ膨大な流れ日に導かれ、光の差す開けた場所に出る。その瞬間、言葉を失った。

自然だ。それは初めて彼が目にした日本本来の豊かな大自然の姿があった。広島の大地には無かったものがそこにはあったのだ。

 

青々と生い茂る緑、精強な獣たち、清涼な水の流れ、柔らかで暖かい苔生した土、澄み切った星空。果てなき美しさと雄大な力強さ。それらから発せられる膨大なエネルギの奔流を感じ、唐突に頭の中でその現象を構築する数式が生まれた。それはまるで厳しい修行を耐え抜いた先で僧侶たちが経験する悟りを開く心境に近い。

 

そして悟るのだ。

自分の命を救ったのは紛れもなく、この自然だったことを。

母なる大地はその慈愛を持って恵みを与え、父なる天空は星の光で道行を指し示す。人類はこの偉大な親の生命の元でしか生きてはいけない。子は親の愛情はなくては生きていけないのだ。

 

”有難う、有難うっ”

 

胸あるのは感謝だった。両親が亡き現在も、自然は親とし見守れていた。自分が今まで孤独ではなかった事実だけで、彼は本当の意味で人間になったのだ。再び人間として生まれ落ちた彼の誕生を祝福するように、エネルギーの奔流は激しい渦を巻き地球全土を駆け巡る。その年は、全世界で稀に見る豊作となった。

 

 

 

 

彼が県境に差し掛かった時、父のことを探していた下男と出会い、彼は東京の祖父の家までたどり着いた。祖父の家は明治時代に栄えていた華族屋敷であったが、跡取りであった一人息子が外人の娘と駆け落ちしてしまい、今まで行方知れずであったという。新聞やラジオ放送で人探しの広告を出していたが、ようやく息子から電報がやって来て広島にいたことが判った。しかし先の原爆の混乱で中々使者を出せずにいたらしい。

 

彼が両親の最期を祖父に告げると、祖父はその厳格な風貌を崩して涙を流した。

 

『本来なら生まれて間もなく落すはずの命、それが今まで戦火を駆け抜けて生きていたとは……斯様な巡り合わせは、お前の両親二人の念が招いたものであろう。子一人であの戦後の広島の地に残してしまったのは儂の責任だ。案ずることなく、たとえ儂の死後だろうと屋敷に身をおき続けるといい』

 

そう告げた祖父は翌日の朝、安堵したように亡くなった。祖父もまた息子の最期を知るが為と、老い衰えていく中その一念にて命を現世に繋ぎ止めていたのだろう。祖父の死後、莫大な遺産を受け継いだ彼は旧華族や政界の大物たちから魔の手を伸ばされたが、祖父に数十年来仕えてきた秘書執事たちと祖父と親交あった方々の助力もあり、無残に食物にされるようなことはなく確固たる地位を確立した。

 

彼はその財力で両親の駆け落ち後の足取りを辿り、両親が昭和日本を代表する自然学の権威であると知った。彼の広島での不思議な経験と両親の残した研究成果を見れば、彼がその後、この分野を志したのは当然の成り行きと言えるだろう。何分、両親から遺伝した学者気質と生まれ持った特異な記憶力があり、その道の専門家としては最高峰の逸材であった。やがては自然環境保護運動の先達者である南方熊楠に習い、戦後の混乱期の中で数少ない自然環境保護問題に着手した学者として、地球温暖化の影響が強まる後世では高く評価されている。

 

彼にまつわる多くの逸話として、陛下に今後の環境問題の進講を行ったことが、逸話の中で一目して一番に目に止まる内容である。

 

若くして学者となった彼の研究は幅広く、生物学、天文学、物理学、化学、農学、薬学、民俗学を独学していた。

彼が記した論文は地球の温暖化現象、それに伴い再生可能エネルギーとバイオ燃料の普及の必要性には、現在の学者たちも度肝を抜くほど正確なものであり、それは当時としては先進的内容だった。かれの名声は陛下の耳にも届き、生物学者として海洋生物や植物の研究にも力を注いだ陛下もその研究に偉く感心なさった。

 

進講の際は、陛下の身辺を警護する者たちの面持ちは悲痛なものがあった。彼が原爆の落とし子と思えば、それは仕方がないことである。何より間接的ではあれど彼の両親の死は陛下に責任がある。公然と石を投げつけられたとて、それは文句の言いようがない。

 

誰もが何事も起こらぬように祈る中で、当の二人は満面の笑みを浮かべて、深々とお辞儀をした。

 

”かの地で起きた悲劇の一切をお伝えするため、今日まで陛下にお会いする日をずっと待ち望んでおりました。この晴天の下で陛下とお会い出来たこと、広島の英霊たちの導きのものと存知ております”

 

彼が語った言葉の一つ一つが、絵の具となってその場の皆の頭の中に入り、広島の地獄の情景を鮮明に描き出した。特別、詩人のように語りが上手かった訳ではない。それでも、彼の言葉から思い、想い、憶い、念いが伝わった。

彼の言葉はラジオ、テレビという媒体となって日本全土に響き、日本人は勿論、在日していた外人までもが涙を流した。悲しかった訳でも、悔しかった訳でもない。人々はその思いに胸を打たれ、ただ感謝の念を感じたのだ。

 

『君を生んだ両親を僕は誇りに思う。亡き広島の人々の代わりに言わせて欲しい。――生まれてきてくれて有難うと』

 

その日、陛下の決して悲しみに崩れなかった表情に、流れた一筋の涙を彼は生涯忘れないだろう。

当時、ウォルターリード陸軍病院に入院していたマッカーサーにもこの時の放送は伝わり、彼は病床の中でこう語っている。

 

『嘗て、私は陛下を日本における最高の紳士であると記した。ならば彼は日本における最高の語り手だろう』

 

 





OF『主人公が登場するすると言ったが、間違ってはないよ?』(震え





・南方熊楠
昭和日本の生物学者。広範囲の分野に多くの研究を行っており、高度な専門家であったと評価されている。
熊楠は自然保護運動における先達としても知られ、神島の保護運動に力を注いだ。この島は天然記念物に指定され、後に昭和天皇が行幸する地となった。
イングランド王立外科医師会に保管されているバベッジの脳と同じく、その脳は大阪大学医学部にホルマリン漬けとして保存されているらしい。

・陛下
昭和のあの方。戦争責任で偏見を持つ人がいるが、当時の現人神というカリスマ性は平成の我々には計り知れないものがある。戦後、暗殺の危険があったのにも関わらず日本各地を行幸し、原爆から2年後の広島に訪れ人々を安心させた。
また生物学の権威であり、生物学研究については、その気になれば学位を取得できたほど優秀な方であった。「雑草という植物はない」と言ったとされることでも有名で、日本の自然を愛されていたことが窺える。

・マッカーサー
連合国軍最高司令官総司令部(GHQ)を務めたアメリカの軍人、陸軍元帥。
陛下との会見では自らの命と引き換えに、自国民を救おうとしたことに大いに感銘を受けたとされている。また戦争責任を調査するよう要請したがマッカーサーは、「戦争責任を追及できる証拠は一切ない」と回答した。マッカーサーと陛下は個人的な信頼関係を築き、マッカーサーは陛下は日本の占領統治の為に絶対に必要な存在であるという認識を深める結果になった。


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中国神話
英雄の始まり


「両親は動物を愛していた。自然を愛していた。地球を愛していた。星を愛していた」

「そんな両親に影響されたのか。いや、遺伝子によって既に定められていたのか。私という人間も、終生まで動物、自然、地球、星を愛した」

 

老人は傍に立つ彼らに語りかける。

老齢ながらもその声には芯のある強さと張りがあった。異人の母から受け継いだ蒼目には活力ある光がまだ残っているが、しかしその声調はひどく静かで落ち着いている。

 

それは死期を悟ったものだった。

 

今際の際、自分がこの世に残していくものを見遣る。

部屋には両親の研究を引き継ぎ育んだ研究成果を表した表彰の証がいたるところに飾られ、庭には保護した絶滅危惧種動物と青々とした木々が、その生命力に満ちた輝きを放っている。

そして自分の傍には自分を信じ、支えてくれた妻と子らが、志を共にした師と徒らが、夢を語り合った仲間と友人らが、この一人の老人の死に涙を流している。その光景が何とも心苦しくもあり、だが、どうしてか嬉しくもあった。

 

嗚呼、自分は幸せだ。

 

心置きなく彼らに研究を引き継がせることができることに安堵し、老人はゆっくりと瞳を閉じていく。

良い人生だった。胸を張れることができた。そんな言葉が浮かんでくる。

しかしだ。唯一心残りがあるとするならば、

 

(運命を止められなかったことか……)

 

老人はこれから先の運命を見通していた。人理継続保障機関「カルデア」の研究員しか知らない極秘情報を、魔術師でもない老人が知り得たのは偏に彼が優秀な自然学者であったためである。

老人は自然の流れを数式として考えている。超常的災害には決まってこの式に当てはまる法則があり、必ず予兆が存在する。老人はその予兆を見ることができた。その眼力はある種、未来予知や千里眼に近い。

そしてその未来予知の結果導き出されたのが自然に唯一存在する一貫した流れの崩壊。シバがそれを観測したのとほぼ同時期に老人は答えに至った。

 

『2017年の滅び』

 

しかし老人には何もできなかった。

財力も権力も人望もあった。それでも老人はただの人間だ。

結果を知っているだけで彼は過程を知らなかった。カルデアはおろか、魔術の存在すら彼は知らない。

 

無力だった。目の前の彼らに未来を残すことのできない自分を呪うしかなかった。

人生で初めて慣れない酒と煙草に溺れ、病で体を壊し、そして残ったのがこの老害という残骸だ。

それでも彼らは泣いてくれている。この老害のために涙する。

 

(あぁ、無念)

 

辞世の句というにはあまりにも短い言葉。

老人はその瞼を完全に閉じた。

 

 

 

 

 ◆  ◆  ◆

 

 

 

 

伯翳(ハクエイ)は帝尭の頃に生まれた子供であった。

女脩が燕の卵を呑んで授かった大業という母御がおり、父御である伯廉は病弱ながらも強く誠実な男であったが、伯翳の産後に病に伏して亡くなった。大業は伯廉の分まで伯翳に愛情を注ぎ、伯翳もまた愛情を受け真っ直ぐに育っていった。

 

毛が生え始め、顔の輪郭が現れ始めた時から、伯翳の外見からは美しさが溢れていた。

髪は墨を流したように黒く、未だ幼くも整った顔立ち。空の青を集めたような蒼目はこの国では見られない異質な光を放ち、貴石の如く輝いていた。

万人が見紛うことなく末々は眉目秀麗な男子になるだろう。その上で年相応の愛らしさが曖昧、何ともまあ、保護欲を掻き立てやすいと言うか、あざといと言うか……。さらに無自覚なのが余計にタチが悪い。

思えば、すでにこの頃から伯翳には女難の相が見られたのかもしれないが、そんなことは当人にはわかるはずもなく、密かに近所の奥様方の注目の的になっていったのだ。

 

 

 

伯翳の才覚が目に現れたのはすぐだった。

一年が経つと伯翳は言葉を発し、二年が経つと読み書きを覚え、三年が経つと計算ができるようになるほどの早熟振り。

そして何より知識の数が多かった。植物学、動物学、農学、薬学、天文学、数学に通じ、それから派生した多くの事柄を知っている。

なぜ、どこで、その知識を知り得たのかを訊ねたが、伯翳は依然として口を閉ざした。

 

それでも伯翳が才児であることには変わらない。女脩は伯翳を才児と持て囃し、大業も早熟な伯翳を大変喜んだ。しかし生来の物なのかその身は病弱であり、月に何度も体調を崩すほどであった。医者にも見せたが皆目見当もつかず、大人たちは哀憫の眼差しを向けたが、当の自身は気にも掛けずという体を周りに振舞っていたので周囲も無闇に触れようとはせずにいた。

それでも親というのは子には壮健であって欲しいと思うのも当然。他の子らが駆け回る姿を見るたびに、母として歯痒く思うしかない。

 

「私がお前をちゃんと産んであげられなかったばかりに……お前に不自由な思いをさせているのは総じて母の所為だ」

 

熱に浮かされた我が子の額に手を置きながら、何もしてやれぬ自分を口惜しく思い大業は呟く。

そんな母の心情を感じ取ったのか。伯翳は額に添えられた母の手を握った。

驚いて伯翳を見るが、意識はなく寝息を立てている。無意識下の母への想いだったのだろう。

 

「……ふふ」

 

年相応の寝顔を浮かべる我が子を見て、柔らかな笑顔が溢れた。不思議と心も軽い。

大業の胸中に烏合の女共から伯翳を守り抜く覚悟が生まれ、同時に以前よりも愛情深く接するようになった。また、伯翳の近くに自分以外の女が近寄ろうとするならば射殺すと言わんばかりの気合であったという。後の時代では大業の過度な過保護や愛情が子煩悩。つまりは親バカの語源になったのではないかと言われている。

 

 

 

 

ある日、窓縁に羽を休めに来た燕に伯翳は楽しげに語りかけていた。大業には分からなかったが伯翳には鳥獣の言葉が理解できたらしい。大業の出生のことを考えれば何らおかしい事ではなく、この時代こういった子供は大して珍しいことではなかった。

 

この神代を生きる人々の血には先の五帝の一人である中国神話の最高神黄帝の血が流れている。天帝である黄帝には天地を揺るがす神力があり、その力は子孫に色濃く見られた。

曰く、黄帝の娘の一人であるは魃は熱を操り、風神、雨神の力を打ち消すほどの旱魃を生み出すことができた。曰く、黄帝の孫である顓頊は天地を分け、洪水神共工と帝王の座を争い打ち負かした。曰く、黄帝の曾孫である高辛は黄帝に匹敵するほどの神力を持ち、妻たちに十個の太陽と十二個の月の化身たる霊獣を生ませた。

 

先人の子孫たちは皆、神々に匹敵するほどの力を受け継いでいる。かく言う女脩も顓頊の孫娘に当たる。つまり大業と伯翳にも少なからず黄帝と顓頊の神力高い血が受け継がれているのだ。大業には神力は受け継がれなかったが、伯翳にはそれが見られる。先の子孫たちの権能には劣るものの、それでも余りある才が伯翳には感じられた。

 

才覚、僅かな神力と共に優れた伯翳を誇らしく思う反面、大業の面持ちは暗い。

 

伯翳の語りは歳のわりに流暢であり、その言葉からは高い知性を感じられた。才知に特質した伯翳に並ぶ子は居らず、大人であっても伯翳と対等に会話できる者は少ないだろう。親である大業ですら時折その心中を図ることが出来ずにいる。

 

もしかしたらこの子には現世が狭く思っているのではないだろうか?

 

幼くして益にはどこか浮世離れしたところがある。伯翳が現世を見つめる蒼目はどこか遠く、大業には伯翳の目に自分が映っていないのではないかと錯覚することがあった。

 

子が親元を立ち、旅に出るならば大業としても引き止める気はない。しかし伯翳の目はこの世の物が映っていない。

大業にはいつか伯翳が別の世界に行ってしまうような言い知れぬ不安が胸中に生まれた。

 

そしていつしか。伯翳の目は何かを諦めたかのように静かに閉じ、あの温かな笑顔が消えた。

 

 

 

 

「母様。仙道とは、どうすれば学べるのだろうか?」

 

五歳になった伯翳は大業に仙道の学び方を問うた。大業はそれを聞き表情を蒼白に染める。

仙道を学ぶということはいずれは仙人になるということだ。清浄な存在への昇華は汚れた俗界から立たねばならない。

 

生まれて僅か五歳あまりだというのに、若くして伯翳は現世に行き先を見失ったのか!

 

ついに恐れていたことが早くも現実のものとなった。

大業は伯翳を留まらせるために縋り付く。顔は涙と赤色に染まり、年甲斐もなく童子の如く咽び泣く姿は、初めて子の前で見せた弱さだ。

 

伯翳は細く閉じた目を見開いて、その蒼目で大業を見つめた。

普段は現世を映さずに閉ざされた瞳は瑠璃色の輝きを放ち、その蒼目が心底を覗くようだった。

そしてゆっくりと瞼を閉じると、今度は口を開いた。

 

「……私は仙界になど行く気はない。いずれ来る運命に抗うための力を求めているのだ。しかし貴方がそれを拒むなら、私は仙道を諦めよう」

 

いずれ来る運命。伯翳は行く末を見失ったのではないのか?

……ああ、そうか。伯翳の目はその先を見据えていたのだ。この子の才能と神力を持ってしても敵わない運命を。その運命に抗おうとしている。

大業は伯翳を疑った自分を恥じ、彼の気高き精神に感涙を流す。

 

母の涙に戸惑い、伯翳は珍しく拙い言葉を重ねる。

 

「泣かないでくれ母様。私はどうすればいいか……分からない」

 

そういって伯翳は珍しく表情崩しながら、スッと、母の涙を掬った。久しく見たあの温かな笑顔だ。

 

この笑顔を失いたくない。この子を害するものから遠ざけ、どこか遠い場所で二人で暮らしたい。私がこの子を守らねば!そんな母親の信念じみた愛情が湧き出る。しかし自分に何ができるだろうか?先祖たちのように強い神力もなければ、伯翳のような優れた知性もない。

自分は無力だ。それを悔いるしかない。

 

大業の胸中を察したように伯翳が言葉を紡ぐ。

 

「私は貴方がどれだけ病弱な我が子に尽くしてきたか知っている。本来、私のような者は刹那の命であった筈を、貴方がここまで心血を込めて育ててきたか知っている」

 

伯翳は母の手を取り、自分の心臓の上に置く。脈拍は弱く、それでも力強く鼓動は鳴っている。

 

「私の鼓動が聞こえるか。私の血の温かさを感じるか。私の肉の柔らかさに触れられるか」

 

「えぇ、聞こえます。感じます。触れられます」

 

「これらは貴方の愛情で出来ている。私が今日まで、いや、これからの未来も生きて行けるのなら、それは貴方の心に生かされた証です」

 

まだ幼さのある声音。それに似合わない老健さは彼の背に老人の姿を幻視させる。

老人は子の頭を撫でるように荒っぽく、しかし温かさを感じさせる手で大業に触れた。

 

「貴方が無力を悔いることはない。人は人ゆえに不完全な存在だ。しかし貴方という存在が心の傍に寄り添ってくれるのなら無力でない。ならば貴方は私に必要な人だ」

 

「あぁ!伯翳伯翳!!」

 

大業は決心した。

いずれ来る運命が何であろうと、私はこの子に抗うための力を与えよう。

 

しかしこの一連の事件の発端となったのは当時、老人が晩年に嵌っていた某スタンド漫画が原因だとは、内心土下座状態の老人しか知らないだろう。

 

 

 

 

その日から大業は彼が望む知識を与えた。

勉学に関しては伯翳に及ぶほどの知識を与えることは叶わないが、戦う術に関してはいくらか協力できた。国中から名だたる武芸者を求め、伯翳に武術を教え込ませたのだ。しかし伯翳の虚弱体質は周囲の認識よりもより一層深刻なものだった。

簡単にいうと、矛を持ち上げるだけで伯翳は息も絶え絶えという状態。

 

伯翳がいうには基礎体力がまったく足りていないらしい。本人は体力をつけるために走り込みなどの努力を試すが、体質のこともあって成果は芳しくなかった。

 

あらゆる手を打たが、日に日に影を濃くする伯翳の様子にさすがの大業も困り果てていた頃。

都にある噂が流れた。

 

 

 

 

”太陽を射落とす英雄”が現れたと。

 

 




伯翳「ふえぇっ。空気中の魔力が濃すぎて目が開けられないよぉ」





・帝堯
三皇五帝の一柱。絵に描いたような模範的な有徳の王だったという。後世の中国に於いては、理想の君主の典型像とされることが多い。
治世中は非常に質素な屋敷に住まい、治世が平和であろうともそれに慢心することのない謙虚さを持ち合わせている。

・黄帝
三皇五帝の一柱。最初の五帝であり、人間の王。五帝は全て彼の子である。
音楽・暦学・文字・衣服・家・船・貨幣・弓矢などを発明し、文化英雄として中華民族の祖と仰がれている。後に天界に黄帝が龍とともに登り、中央の天帝となった。
龍を使役したり、鬼神や多くの兄弟の軍勢を率いる蚩尤と知略で一進一退を演じるといった中国神話でも壮大な逸話がある英雄。
ギルガメッシュと同様、神により人を治めるために選ばれた、東洋の『天の楔』。
地上における絶対的なまでの支配権を天帝により確約されている。まさに中華版ギルガメッシュ。
また、天帝が地上に降りた姿とも考えられ、元から天帝であったと考える説がある。鯖化したら神性A++くらいになりそう。

・魃
風神と雨神に対抗するため天から呼ばれた黄帝の娘。風神と雨神を旱魃神の力で打ち負かすが、殺生をしたため力を失い、天に帰れなくなってしまった。龍と同一視されている。

・顓頊
三皇五帝の一柱。黄帝の跡を継いで五帝となったとされる。
五帝の中で随一の思慮深さと高潔さを兼ね備えていたとされており、神と人との上下関係を明確とした功績や、四凶の共工との戦いでも有名。中国神話版の乖離剣である。

・帝嚳
三皇五帝の一柱。顓頊の跡を継いで五帝となったとされる。高辛、帝俊とも呼ばれる。
黄帝に匹敵するほどの力を持ち、妻たちに十個の太陽と十二個の月の化身たる霊獣を生ませた。

・三皇五帝
中国を治めた八人の偉大なる王であり、人類に文明をもたらした文化英雄が名を連ねる。
三皇の『伏羲』『女媧』『神農』。五帝の『黄帝』『顓頊』『嚳』『堯』『舜』。
三皇五帝には他の説もあるが、今作では上記八人とする。
また、三皇までが神であり、以降の五帝からは天子。つまり人が君主の時代である。


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二羽大薬

男は狩りを終えて山を降りると奇妙なものを見た。川のほとりで子供がひたすら繰り返し奇行を行っている。

羽織を脱いで、羽織を木の枝に掛け、羽織をまた着なおす。その繰り返しを延々としているのだ。

かと思えば、今度は何かの構えをし始めた。

一見して、何かの演武かと思ったが何か根本的な部分が違う。そして一連の動作には不思議と見応えがあった。

 

(なるほど、先ほどの奇行もこの流れの一環。女神や巫女が行う祈祷の舞と似ているが、これはとても”力強い”)

 

男がまだ天界にいた頃。舞は祝いの席で行うものであり、舞に込めるものは”願い”であった。なら目の前の少年はこの舞に何を込めている。何を思い、何を感じているのか。

一時の好奇心だったが、男はまだしばらく少年を観察することにした。しかし舞はすぐに終わってしまった。

 

理由は単純、少年の体力の限界であった。あれだけ力強い動きをするのに当人の体力のなさに呆れる。

少年は息を整えると今度は山深く分け入っていった。虚弱な少年がなぜこんな危険な場所を登るのか男は疑問に思い、男も気づかれぬように気配を押し殺してついていく。

 

「――これは?」

 

林を抜けて見えた光景に男は言葉を失った。

そこにあったものは庭園だ。美しく広がる花と緑、その隣には清涼な川の中で回転する歯車、水瓶の中には蓮のような植物が浮かぶ。

常人よりも遥かに長く生きてきた男でも、見たことのないものが庭園を象っていた。まるで幼小が初めて貴石を見つけたように男が目を輝かせていると。

 

「そこの御方」

 

不意に声を掛けられ、男は再び言葉を失う。

誰が思おうか。この中原においては知る人ぞ知る大英雄の押し殺した気配を、未だ齢十も満たない少年が察しようとは。化生の類かと背中の弓に手を伸ばしかけるが、少年の目を見て静止した。

その目はこの空の青色を全て閉じ込めたかのように蒼く、そして、何もよりも強く神秘を秘めていた。

 

「……”魔眼”か」

 

おそらくは気配探知、物体透視の類。それでも自身の気配を見抜くことは容易ではない。

男は少年への敬意の表れから男は彼の前に姿を現した。

 

「失礼した。何分、興味深い光景だったものでな」

 

「呵呵ッ。まあそうだろう。立ち話もなんだから椅子でも出そうか」

 

少年は歳の割に流暢な物言いだが、言葉に老健さがある。だが容姿はまだ幼くむしろ病弱。心体の矛盾に違和感を感じるものの、その老健さこそがこの少年らしさに思えた。

話してみれば少年は非常に稀なる叡智の持ち主であり、何より男と話が合った。少年と話していると同年代か年嵩な者と会話してる気分になるのだ。それが嬉しくもあり、また男にとっては希少な体験だった。

下界において男の名を聞いた者は誰であっても萎縮する。それ故に気心の知れた友人が少なかった。何気ない会話のやり取りが出来る相手ですら男にとっては貴重だったのだ。

男としては名を訊ねられることは好ましくないので、質問される前に自分から何度も不躾に問いかけた。それでも少年は嫌な顔せず懇切丁寧に答えてくれた。

 

「見事な庭園だ。手入れもしっかりと行き届いている。西王母(セイオウボ)さまの桃園であってもこれほどの手入れされたものはないだろう」

 

「いや、これは畑だ」

 

「畑?これらは野菜か?」

 

珍妙なものがいくつかあるが、なるほど、確かに畑だ。よく見れば一列に草花は並び、土は細長く直線状に盛り上がっている。だが並ぶ作物は野菜とは違う。実の実らない草や花を咲かせる物ばかり。

 

「大体は薬の材料となるものだ。こちらが葛根、麻黄、甘草、柴胡、生姜、芍薬、人参。こちらの木は桜、桃、月桂樹、桂皮、大棗、衛矛。他には動物性薬用に麝香鹿、蠍……いや、こちらでは全蠍か。あと鼈、蝦蟇も育てている」

 

「ではこの水瓶の花も?」

 

「これも薬の材料だが、本命は水耕栽培の実験だ。この山の水は栄養が豊富な分、肥料を用いらずともよく育つ。あぁ、水耕栽培というのは土を必要としない植物の栽培方法でな。種類にもよるが収穫も早いし、根に虫も付かぬから育てやすい」

 

土に埋めず作物を育てる水耕栽培は画期的な方法であった。男は旅をしながら各地を回ってきたので農業の重要性や手間がかかることを知っている。収穫が早く、虫による被害がないというのは現在でも驚くべきことだ。

 

しかしさらに驚くべきはこの薬の材料となる植物の数である。

漢方や生薬といえば中国が起源ではあるが、この当時はまだその方法が確立していなかった。三皇の一柱である『神農(シンノウ)』が薬草を判別し、殷の料理人であった伊尹がその料理の技術を工夫して湯液(煎じ薬)を作り、後漢時代には中国最古の本草書『神農本草経』が編纂され、後に梁の陶弘景によって本草経集注が書かれて以後の本草学の基本とされた。さらにそこから数千年の研鑽を重ねて形となるのだ。この時代で複数の薬を調合するという概念すらまだ希薄だった。

 

「これをどうするのだ?」

 

「調合する。葛根、麻黄、甘草、生姜、芍薬、桂皮、大棗を合わせれば『葛根湯』という薬が出来るのだ。初期の風邪、頭痛、中耳や乳の腫れに効く」

 

「な!?妙薬ではないか!」

 

葛根湯といえば現代では一般的な漢方薬である。安価で取引され日本のドラックストアでもよく見る薬だ。風邪も現代のように医療の確立した時代であれば大した病気ではない。しかし医療の確立しきっていないこの時代では黒死病に等しい不治の病である。それが治る上に複数の病気に効果がある薬を妙薬というのはこの”時代”では正しい。なぜなら葛根湯が歴史に登場するのは彼らの時代からおよそ二千年後。二千年の研鑽と文明の叡智がこの薬にはある。

 

「……待て。麝香鹿を飼っているといったな」

 

「あぁ、麝香鹿か。飼っていると言ってもこの山の中で放し飼いしているくらいだが」

 

「ということは、まさかこの山はお前の物か?」

 

「ふむ。私の山でもあるし、山麓の村の物でもある……と、言っても分からぬか。川の中で回転する歯車があるだろう。あれで村に水を送る代わりに私はこの山で薬の材料となる物を育てる権利を得ている。私の身は病弱ゆえに常に薬が必要なので薬材を育てるために広い土地が欲しかった。手入れの届かない場所はビオトープとして利用している」

 

「ビオトープ?」

 

「つまり、人の手の入らぬ自然環境だ」

 

この山の中には繁殖力の低い植物や外敵から身を守る術のない動物が生息する。将来的に絶滅するものばかりだ。中には薬材となるものあるが、殆どは食用にもならない野生種。それを保護するのは生前の性ゆえである。

しかし男にはそれが分からなかった。狩人である男は常に獣を殺すがそれゆえに命を尊び獲物への感謝の念を忘れない。確かに無益な殺生は罪である。だからと言って種を守る必要を感じたことはない。路傍の雑草を愛でようとは思わぬし、小さな羽虫を美しいとも思わない。不出来な種が淘汰され滅ぶのはこの世の理だ。少年の行いはその理に反している。

 

男は問うた。

 

「決まっている。人が栄え文明が発展するならば自然もまた繁栄し種を拡大することが常であろう。今はただの草や毒虫が後の世では万能薬になり、ただの害獣が交配によって人の食生活を支えることもある。種は多種多様に”進化”し、人はそれを利用するのだ」

 

「進化…」

 

驚愕。と、同時に心が震えた。

かつて三皇の一柱である女神『女媧』は泥をこねて人類を作った。その出来によって不出来な者と才ある者が分かれたという。不出来な者は何者よりも努力し、才ある者は才を活かす。しかし畜生や草の不出来は変わらない。それを少年は『進化』と言った。

 

「羽虫であれ、雑草であれ、どんな小さな存在であれ、我々らは気付かぬ所で共存しているのだよ。ならばこの世には不要な種など居らず、『不要』という言葉は、その存在の本質に気付けない愚者の定義だろうさ」

 

大胆不敵に少年は天を仰ぎ見て笑う。

それはまるで、種の質を判ずる神々を嘲笑うかのようだった。

 

「――っ!」

 

男は衝動的に叫んでいた。言葉などなくただ感激を含んでいる。

突然の咆哮に少年は目を開く。男は相手に倣い、深く頭を下げていた。

 

「先ずは非礼を詫びる。私はこの山に無断で分け入り、其方の獣を殺めてしまった」

 

男は背中に背負った袋から大きな鳥を出した。鳥の首には白羽の矢が突き刺さっている。

 

「獲物は二羽の大鳥。より大きい獲物は焼いて山の神の供物に捧げた」

 

狩人は殺めた動物の種族繁殖を願い、その土地の神へ感謝を表し獲物に狩猟儀礼を施す。男は誰よりも神霊に尽くしたため、捧げる獲物も大物をと張り切るのだ。しかし少年の話を聞いて自身の矮小さを恥じた。

 

「あれほど見事な鳥を二羽も殺してしまった。おそらく希少な鳥だったろうに!」

 

「ふむ。たしかに見事な野鶏。しかし見事に急所を射るその弓術もまた見事か」

 

少年は狩猟に関して否定的ではない。生きていくには肉は必要なものだ。ならば肉を手に入れる為の狩猟も必然。それに狩猟の腕に長けたものなら苦しめずに仕留められる。狩猟文化が正しく発展すれば、自然への被害も少ない。男の弓術もさることながら、誠実な態度を気に入った。

 

「許す。と、一言で貴方の心が晴れるとは思わん。ふむ、ならばこの葛根湯を広めてはくれないか」

 

「葛根湯を…?」

 

「今、中原に出回る民間療法は出鱈目なものばかりだ。私はそれが我慢ならん。正しく薬学の知識を広めればこれから先、何千何万の命が救われよう」

 

「そ、其方は二羽の代わりに多くの人を救えというのか!?」

 

人民救済という大業。男にとっておよそ”八つ目の大業”であった。

 

(これほどの偉業ならあるいは……否。帝嚳(テイコク)の怒りは根深い。何よりこれは私の功績ではないのだ)

 

ふと、頭を過る甘い考え。再び己の矮小を恥じた。

 

「なぜ其方自身が葛根湯を広めぬ?」

 

「童のいうことなどただの戯言と括られるのが見えている。貴方の身形からして旅人であるならこれからも多くの土地を回るだろう」

 

「しかし…」

 

男の頑なに首を縦に振らぬ姿に少年は一考した。男の決意は固い。ならば落とし所は何処だ。

少年は弓に目を向けた。

 

「では私のために弓を作ってくれないか」

 

「…”弓”、か?」

 

「体力作りついでに武術を学んだが、病弱ゆえに矛すらまともに振るえぬ。力のない者でも引ける弓があるならば作ってくれ」

 

少年の何の気なしの言葉だった。呵呵っと笑う少年と違い真剣な面持ちでいる。

少年は中国神話最大の弓の英雄に弓を作れと申したのだ。

 

「承った。必ずや最高の弓を作りましょう」

 

「呵呵っ。楽しみにしているぞ」

 

その後、英雄は弓の材料集めに三年の歳月を掛けたという。

 

 







伯翳「薬を広められる上に初心者用の弓まで作ってくれるとは……なんて親切な人だ!」





・西王母
すべての女仙を統括する神仙、または女神。
不老不死の仙桃を管理している。西王母が主催した『蟠桃会』で孫悟空が桃を食い散らかした話は有名。

・神農
三皇の一柱。人々に医療と農耕の術を教えた伝説の皇帝。
伝説によれば神農の体は頭部と四肢を除き透明で、内臓が外からはっきりと見えたという(◯リスタル・ボーイ)

・女媧
三皇の一柱。泥から人を創造した伝説の女帝。
姿は蛇身人首で伏羲とは兄妹または夫婦とされている。


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女神と大英雄(上)

全ての現象には予兆がある。

 

大地震直前の鳥たちのざわめき。津波の引き潮で干上がった海岸。嵐の前の静けさという言葉があるが、言い得て妙なものだ。それが時代の転換期であれば尚更、強大な予兆が現れる。しかし、その予兆を感じ取れる者など殆どいない。おそらく神であってもそれは同じだ。

 

「そんな事だから人にすら反逆されるのだ」

 

世界に多くある神話の反逆劇を見て皮肉的な微笑を彼女は浮かべる。何とも恐れ多い言葉だが、それを咎める者は居なかった。

 

 

 

古来より東海に蓬莱(ホウライ)、西峰に崑崙(コンロン)有りと言うように、この二つの仙境の名は誰もが知っている。

崑崙は貊国の西北にある。その広さは八百里四方あり、高さは一万仞(約1万5千メートル)。さらに一万一千里(4千4百万キロ)もそびえ立つ九重の楼閣。四方は城壁に囲まれ、四十の門とそれを守護する開明獣に守られている。

中国神話において崑崙は天界と地上を結ぶ天梯のひとつ。そして文明の生命の源である黄河の水源でもある。神々を持て成す仙果の桃園では鳳凰が醴泉の水を飲み、龍は天上へと駆け上り天界へと連なる浮遊する山々を塒を巻いて通り過ぎる。神代の神秘と自然の雄大さを詰め込んだ箱庭は正しく桃源郷。その全てが彼女の所有物である。

 

彼女は神の如き仙人。人はそれを神仙と呼称する。

時代の皇帝に不老長寿の仙果を授け、全ての女仙の統括者である西王母。後の神仙思想や道教思想の根幹となり、集める信仰は神に匹敵する女仙。

 

しかし当の本人は何をするでもなく、真昼間からただ涅槃仏のように寝そべっている。絶世の美人は何かするだけで絵になるのだから気楽なものだ。だが逆に言えば、彼女が動かずとも世界は正しく回っていると見える。それこそ、彼女の様な神話の大役が動く事など稀なのだろう。

 

だからこそ、この時が神話の変わり目だったのかもしれない。

 

 

 

 

 ◆  ◆  ◆

 

 

 

 

 

鳥の囀りに目を開き、西王母はふと気付いた。

何も変わらない日常の中に存在する漠然とした違和感。あまりにも朧げで、言葉にさえ出来ない小さな異質さ。

 

西王母の生活は楼閣の中から外を眺めるだけのものだった。庭には仙果の木が幾つかあったが、あんな物は手を掛けずとも勝手育つ。時折、客人が訪れる事もあるし、その逆もあった。時代の王や天帝に舞を見せたこともあった。それは何百年も前から天が定めた運命をただその通りになぞって進んでいるだけ。それは何の出来事も起こらない日常と変わらない。

 

退屈な日常、とは思わなかった。いや、思えなかった。仙人となった今ではそんな感性すら失ったのかもしれない。それとも、人間性とは羽化登仙の過程には不要の物だったのか。仙人を神のように崇め立てる者がいるが、神と仙人では精神構造が大きく異なっている。神という奴らは思いの外感情的で俗物染みたものだが、仙人には欲もなければ感情も希薄。煩悩を切り捨てたことで逆に満たされてしまったのか。万能感に溺れ心が麻痺しているのか。それとも目的を果たしたからか。今となっては当の自分たちすら判らない。

 

それでも、人間の頃の私ならこんな日常は退屈だと断言するのだろう。そう西王母は夢想する。

 

予兆を感じた取った瞬間、自分の中に残った人間としての感性が退屈な日常に変化があった様に幻視させたのだと決めつけた。

 

 

 

 

だから、その日訪れた予期せぬ来客に西王母は目をぱちくりさせたものだ。

 

東海の蓬莱から訪れた客人。百花仙子が女子の様に燥ぎ語ったのは俗世の人間の子の話だった。

 

ある日、彼女の管理する花精の一つが宿った桜が落雷で焼け焦げ、幹を引き裂かれた箇所から腐食が始まった。落雷で精神を削られた花精には桜から出る力もなく、宿木の桜が治るのならば花精の精神も回復するのだが、桜の腐食は進み共に衰えていくばかりだった。

いずれ共に朽ちるのをただ待つばかりだったところ、そこに美しい蒼目の子が通り掛った。蒼目の子は桜を一瞥すると、治るまで何度も山野に通い手厚く看病したという。

 

日本ならこの手の話は多いが、この頃の中国は度重なる天災で自然の数が減っていた。数が少ないからこそ自然を大事にすると思うだろうが、それは自然の豊かさを知っているからこその保護意識であり、自然からの恩恵を受けずに生きた人間は自然への愛情、関心という物がないのだ。

しかしその子の目は自然を慈しみ、自然を愛していると花精は言う。

 

百花仙子はそのこと心底嬉しそうに語った。花を助長させる彼女には蒼目の子に共感する心があり、その治療の技術の高さから蒼目の子を気に入っている様に西王母は感じ取った。仙人だから大きく感情が乱れることはないが、その表情は薄っすらと喜色を帯びている。

 

予期せぬ来客に驚いたものの、女仙たちを統率する西王母として百花仙子の様子を微笑ましく見つめる。それは母が子を見詰める目は母性の籠った視線だ。

 

 

(きっと、たまにはこういう事もあるのだろう)

 

 

それからは変化もなく世界は回る。時折、百花仙子からその子供の話を聞く事もあったが、それほど気に掛かる内容ではなかった。

この時はまだ、西王母はただ変わった人間の子供くらいにしか思っていなかった。

 

 

 

 

それから三年。またもや予期せぬ出来事が起きた。

 

洛中を始め、中原に広く発生する人間の人口増加。緩やかだが確かに増えている。自然の摂理ならば当然だ。しかし黄河の”異変”を見るに前回の洪水は天の意思が介入している。

恐らく天の事だ。管理可能な上限を超した人口の間引きをしたのだろう。その様なことで一々天変地異を起こす天の大雑把さにため息を吐く女仙。

ならばこの件に天が関わったはずも無く、寧ろ天の意思に逆らう無法者に苛立っている頃か。

 

余興のつもりで側仕えの女仙たちに調べさせた所、『葛根湯』なる薬が民間で広まっているらしい。その薬は万病に効き、その上薬材は民間でも手に入りやすい物が多いとなれば、これほど広く浸透したことも頷ける。さすがに仙人の薬ほどではないが、俗界の薬材にしてはかなりの薬効だった。

 

さぞかし名の知れた薬師が作ったものだろう。思いの外に早く下手人の顔が拝めそうだと落胆する女仙。しかしその予想は大きく外れている。作った本人はまだ幼い少年なのだから。

 

その後も蒼目の少年だと行き着くことはない。薬は少年から英雄へ、英雄から商人や農民へと流れて民間で広まったのだ。それも意図して少年の名は伏せてある故、さらに困難だった。

 

「ほう。中々、手間の掛かる相手らしい」

 

西王母が面倒だと溜息を吐き、うっすらと口角を上げた。

西王母に手間を掛けさせるほどの存在がいる。その上、自分の読みの上を行く相手であるのだ。

正史の異端者でありながら、それは彼女の日常(退屈)を壊す変革者。

 

「ふふっ……」

 

活きの良い玩具が現れたと笑わずにはいられない。

 

「西王母さま。天への報告は如何致しましょうか」

 

報告?馬鹿なことを言うな。こんな珍しい玩具を天界の頭の固い連中に横取りされてなるものか。

釘を刺すため語気を強め言霊を発する。

 

「良い。今のところはまだ天が介入する必要性はない」

 

「は、はいっ!申し訳ありません……!」

 

あまりの神気に当てられ、青褪めた顔の女仙を側目にも入れず、目に移すのは俗世を映す池の水面。

 

水面は先ほどの神気に当てられ波紋を作っている。庭先にある小さな小石を手に取り、西王母は池へと投げ込んだ。

目を細める。小さな波紋は大きな波紋を乱し、二つの波紋は消えて行く。

 

「――水面を伝わる波紋を壊すためならば、時には小石を投じる事もあるだろう。ならば小石が水底に落ちて行くまで、精々足掻くが良い」

 

さて、次なる手は如何なるや。必ずやお前の正体を明かしてやろう。

 

浮かべる暗黒的な微笑は正しく人ならざるモノの相貌。勇者の到来を待つ魔王の如き風格を漂わせる。

しかし少年の次の手を心待ちにしていた所で、次なる来客から盛大なネタバレをされる事も正史には存在することのないことである。

 

 

 

 

 ◆  ◆  ◆

 

 

 

 

 

「――あの、何かご無礼でもありましたか?」

 

「………何でもない。気にするな」

 

酒盛りの中、久しく見えた旧知の客人が語ったのは、ここ数日、西王母が調べていた少年の話。

つまりは壮大なネタバレ。この数日の成果と楽しみを徒労に化したわけだ。

 

「それで彼は言ったんですよ!」

 

「……ふんっ」

 

本来ならこのような無礼者は即座に首を刎ねたいほど苛立ったが、珍しく今回は西王母の方が折れた。

客人があまりにも少年の事を嬉しく語るので、苛立つことすら何だか馬鹿らしく思えたのだ。

 

「何やら、晴れた顔だな。――羿(ゲイ)よ」

 

日射の英雄。

嘗て堯帝がまだ天子の位に即位する以前、地上に10の太陽の化身たる霊鳥が一度に姿を現し、地上は多くの命が死に絶える灼熱地獄となった。

当時、まだ神霊であった羿は堯帝の勅命にて下賜された白羽の矢で、内、1つを残して9の太陽を射落とした。これにより地上は再び元の平穏を取り戻したとされる。

その後も羿は、各地で人々の生活をおびやかしていた数多くの悪獣を退治し、人々にその偉業を称えられた。

 

しかし、天帝である帝嚳は息子を殺した羿が疎ましくなり、羿とその妻の嫦娥の神籍を剥奪し俗界へと追いやった。これにより二人は不老不死ではなくなる。羿は西王母を訪ね、不老不死の薬を二人分もらって帰るが、疑心暗鬼に陥った嫦娥は自分の薬が偽物ではないかと疑い、薬を独り占めにして飲んでしまう。不老不死となった嫦娥は再び神籍を取り戻し、羿を置いて天へ帰ってしまった。

 

ただ一人残された羿は、贖罪のため、今も各地を放浪している。

 

羿に関しては西王母も責任を感じている。不用意に羿に薬を渡すべきではなかったのだ。羿に薬を渡した西王母の行為は天の意に背くものであり、厳しい約定によって羿に薬を与えることを禁じられてしまった。以来、どう顔を合わせたら良いものかと思い悩んで、羿が放浪してからは会うことすらままならなくなって。

 

だからこうして、むかしのように笑顔を見せてくれたことは、唯々、西王母にとって救いのような気がした。しかし、断りも入れずに勝手に崑崙山を登り、神すら圧倒する開明獣を倒して門を押し開いたことは看過できないほどの騒動だった。まあ、人間の身で、この山を登ることができる奴など、羿か、同じく優れた英雄の類だろう。

 

「して、羿よ。なにか願いがあって訪れたと見るが、遠慮せずに申してみよ。おまえの頼みとあらば何でも叶えてやるぞ。――――薬以外ならば」

 

ふふっと、冗談を交えて妖艶に笑う女仙。酒の酔いも回り始め、うっすら上気した頬がまた愛らしい。

しかし、相対する羿の顔からは真摯さがにじみ出ている。

 

さて、此奴は何を申すかと、耳を澄ます西王母。羿は杯を飲み干し、両手を組み土下座のようにひざを突き、頭を垂れる。

 

 

 

 

――――薬を授けて頂きたい。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

『痴れ者が』

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

羿の胴体から首が離れた。

 

 

 





伯翳「弓まだかなぁ……」





・天帝
天地・宇宙・万物を支配する神。中国神話では最高神に位置する。
地上の王朝の最高位に天子を置き、天啓を授け、人の世を導いている。

・天子
天帝を奉り、天命により天下を治める君主。
天帝の声を聞くための触覚を持ち、ただしき王の理想像となる人物が天帝に選ばれる。後の治世から天帝へ召し上げられることが確約されている。

・天
神・人・世界・宇宙・万物の総合的無意識。あるいは運命ともいう。
世界を正しくまわすプログラムであり、あらゆる存在の意識を操る。天帝も例外ではない。



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女神と大英雄(下)

側仕えの女仙たちから悲鳴があがる。それもその筈。かの大英雄の首を西王母が斬り払ったのだから。

誰もが宙に舞う首を見て、顔を青ざめていた。

 

 

「……」

 

「……ッ」

 

 

 

西王母と羿を除いては。

 

 

 

西王母はその場から動いてすらいない。仙人の術で攻撃したわけでもない。

ただ、彼女は殺気を滲ませただけだった。悍ましいほど鋭く、生物の根本的意識を呼び起こす恐怖。それ即ち、絶対的強者、あるいは死と対面した際に発生する生存本能といえる。空間を支配する濃密な死の気配から、人身の生命を守るために瞬時に引き起こされた生命保護の反射反応。それが羿の死を幻視させた。そうしなければ、女仙達はこの悍ましい気配に、自己を食い殺されていたからである。

 

西王母の持つ本来の権能は『死』。彼女は元々、天の勵、および五残を司る死神。傍らに佇むだけで天地は鳴き、罪ある者には惨たらしい不幸を呼ぶ祟り神。

それから後々、人間の非業の死を司る死神であった西王母が、「死を司る存在を崇め祭れば、非業の死を免れられる」という、恐れから発生する信仰によって、徐々に「不老不死の力を与える神仙」というイメージに変化していっただけに過ぎず、その本質は死である。

 

数々の悪獣と対峙してきた羿すら、その気配の不快さから眉を顰める。

 

西王母はしばらくは表情に色を消していたが、口角を上げ、扇子で口元を隠しながら、クハハッと笑った。しかし、その声音は芯から底冷えするような言霊を放っている。

 

”良い、良いぞ。おまえのような気真面目な男が、こんな洒落たことを言うとは思わなんだ。酒の酔いもあるのだろうさ。許すぞ、おまえの言葉を許そうぞ”

 

「……」

 

微塵も恐縮せず、無言のまま儀礼を示す羿に、西王母はさらに悍ましさを増し、言霊を強めた。 

 

”だが、それも一度だけだ。妾が好まぬものは貴様とて知っておろう。妾は約束を違える無法者が嫌いだ。法とは、約定とは、獣畜生どもが知性を扱うための手綱。絶対的でなければ、我らは嘗て傍若無人に隣人を裁いていた暗黒の時代へと戻る。故に、妾は法と約束を重んじている事を、お前は天界に籍を置くころから知っておるだろう?”

 

「……存じております」

 

神と人の関係に対し、彼女たち仙人の立場とは常に中立。人でなく、神でもない仙人は、天帝の世界統制に介入しないことを条件に、地上に於ける絶対的力の行使を行える。当然、そんなことを許せば諍いを引きおこすのは確実だが、西王母が絶対的秩序の如く法を敷いている限り、それはあり得ない。

 

この神仙は、時に他人の足掻く姿や苦悩に満ちた人生を嘲笑うが、自ら悪に手を染めたことはない。彼女の愉悦も、非道も、残酷も、秩序の側面に過ぎず、彼女への畏怖が秩序として確立しているのだ。

 

”あの日なら、あの時ならば妾は貴様に不死の薬を授けても良かった。天帝に尽くし、人に尽くした貴様が、尽くした者から裏切られ、嫦娥にさえ見放された日ならば、妾は己が法を破り捨てた”

”しかし貴様は言った。恨みなど微塵も感じられない、澄んだ目で『これで良かった』と言ったな。誠実で、領分を弁えて、どんな苦難があっても自分を曲げない、そんな英雄だったから妾はおまえの分の薬まで渡したのだ”

 

怒り、あるいは落胆。西王母はこの英雄の持つ気質が損なわれたことが我慢ならない。

もし、羿が耄碌したと言うならば、いっその事、大辟(打ち首の刑)を下してやる事が正しいのかも知れぬ。そして次は、この男をそこまで貶めた少年も殺してやる。

 

 

”――さあ、”

 

 

天帝が世界秩序であるならば、西王母とは浮世の秩序。相対する死は絶対的な秩序を振りかざし再び問う。

 

 

”――願いを言ってみよ”

 

 

西王母が持つ死の気配が全て羿に伸し掛かる。本来なら質量を持たないそれは膨大な重力を錯角させる。

離れている女仙たちでさえ膝を屈するほど存在感を放つ死を一身に受ける本人は、ついに顔を上げた。

 

「……」

 

顔色一つ変えず、震えもない、何かを決意した男の顔があった。

 

誰もが願いを改めよと願う。

羿はあの日から変わらない、どこまでも澄んだ目を開いて答えを出す。

 

 

「薬を授けて頂きたい」

 

 

 

 

それは女仙たちが返答に驚愕するより疾く、今度こそ実体ある一撃となって羿を殺さんと放たれる。鉄扇を横薙ぎに払うそれは、断刀の一閃となって羿の首へと走った。

 

甲高い金属音が鳴る。死神の鎌の如き一閃の衝撃は崑崙山を揺らし、中原を地鳴りとなって地を轟かす。大地の憤怒を体現したかの様な衝撃。その震源地である神物の楼閣は崩れる事なく、また、その中心に居る彼らも健在であった。

 

丹弓(タンキュウ)

かつて天帝より下賜された紅き弓。九つの太陽と六体の悪獣を討ち滅ぼした弓は、神々によって創造されし神代の神造兵装である。

 

細くしなやかな弓は、西王母の鉄扇を弓柄に受けても一切曲がらずにいる。それは羿が弓兵に関わらず、近接戦に於いても弓によって衝撃を逃せるほど卓越した武芸者であるからだ。

羿が神籍から外され、神格を失った今も尚、弓は主人を楼閣に漂う死気から守ろうと輝いていた。それは紛うことなく、弓が羿を主人として認めている事実をあらわす。

 

”――何故だ”

 

そして何より、今の一撃を防いだことで分かったことがあった。

羿の魂は堕ちるどころか、寧ろその逆だ。

 

”――何故、そんな目が出来る!!”

 

彼の御魂は輝いている。

武芸を志す者は魂の堕落は先ず身体に現れる。西王母自身、先ほどの一撃に手心を加えたつもりはない。羿の技は天界にいた頃よりも更に磨きが掛かっていた。

 

”おまえ自身が薬を必要としていないことは疾うに察しがついている!それが蒼目の男児の為だというのも分かっている!だが何故だ!何故ただの人間がおまえをそうさせた!何故ただの人間がおまえを此処まで変えた!”

 

西王母は理解できない。理解できる筈がない。

仙人とは誰もが人間でいることに耐えられなかった者どもの成れの果てである。人間性の抛棄の結果、あるいは末路の一端。

 

ある者は己の脆弱さに耐えられず。

 

ある者は己の無知に耐えられず。

 

ある者は己の無力に耐えられず。

 

彼らは人間の価値を、可能性を見出せないから仙人になった。それは西王母も同じである。

その人間が、この英雄の魂を救ってしまった。自分ではなく、人間が。

 

この怒りは羿への落胆から来るものではない。人間が羿を救済した事実を受け入れられない拒絶の怒り。その怒りを以って鉄扇を押すが、鉄扇は丹弓に拒まれ、それどころか、西王母が羿に押されていた。

 

「かつて私は、私たち神々は女媧が生み落とした人をただ大切に育ててきた。健やかに、真っ直ぐ、善良な子にしようと手塩にかけてきた。だが、私はようやく分かった。私たちは……違えてしまったのだ」

 

”間違いである筈がない!ただしき治世、ただしき統制こそが人間たちの平穏である筈だ。でなければ、奴らは原始の頃の蛮行に身を染めるだけだ!!”

 

言葉で押せど、力で押せど、理で押せど。論理は進まず、鉄扇は進まず、正義は進まず。

今ここでは羿こそが絶対であった。

 

怒りに我を忘れ、西王母が己の権能の象徴たる仙杖に手を掛けたところで、「あっ」と羿の気の抜けた、そしてどこか懐かしむような様子で言葉が出た。

 

 

 

「ああ、そうか。彼は――貴方によく似ている」

 

 

同時に、死気が止まった。

羿のその言葉に、西王母は茫然自失とする。

 

「……く、はは、くはははははははっ!!」

 

暫く停止した西王母が、今度は狂ったように笑った。口元を隠しもせずに大口を開けて笑った。

笑い苦しさに耐えられず床に尻を落として、ごろごろ転がる。それには死の面影はもう無い。

 

これには女仙たちと羿も目を丸くする。

 

やがて西王母は笑い疲れ、だらしなく寝そべる彼女は苦笑ぎみに言った。

 

「……敗けだ。妾の敗けだよ」

 

「それは承知したということで宜しいのですか」

 

「ああ、約束どおり薬はくれてやる。その小僧の病にも心当たりはあるしのぅ。だが、妾がそれを愚物と断じたならば殺すが……それでも良いのか?」

 

「構いません」

 

「即答か。おまえは良くても、小僧の方は青ざめて首を横に振るやも知れんぞ」

 

わりと核心に迫った冗談だが、羿はこれにも否と即答した。

 

「あれが愚物である筈がない。あれは――時代を動かしますぞ」

 

「おいおい……あまり妾を笑わすな」

 

言葉ではそう言うものの、西王母も内心では思うものがあった。本来ならあれはこの時代に於いても、それなりの要人となる人物である。しかし正史ではまだこの頃に葛根湯は生まれず、人の総数が増加することもなかった。

 

これは伯翳を起点とする転換期の予兆なのだ。

 

それがどう転ぶのか、西王母にも分からない。ただひとつ言えるのは、これから時代は大きな変化を迎える。たとえ天の介在により正史が修正されたとしても、一度立てた荒波は多くの爪痕を残すだろう。

 

「小さな波紋を起こすかと思ったが、思ったよりも大きくなりそうだ……」

 

仄かに感情的な言葉は天に届かず、消え入る。

 

 

 

 

 ◆  ◆  ◆

 

 

 

 

 

「なあ羿よ。本当におまえは薬はいらないのか」

 

羿の去り際、西王母は再び問うた。これに羿は首を横に振る。

 

じつは羿が再び神霊に戻る方法は三つある。

 

一つは帝嚳が羿の罪を許すこと。しかしこれは可能性は皆無といえる。

 

もう一つは人が生前に行った偉業により神格化されること。先の天帝や英雄たちは皆が人々に文明をもたらし優れた武勇を以って神霊へ祭り上げられた。羿は神格を失っているので人間も同然。この方法が適応される。

しかしこれは天帝の見定めた人間に限りであり、これにも帝嚳が介在する余地がある。

 

そして最後が不老不死になること。かつて嫦娥が神霊に戻った方法である。

 

「いやなに、今のおまえならな。不老不死の薬をやっても良いと思ったのさ」

 

この男の答えなど既に分かっている。それでも尚、思わず口からこぼれた言葉は、ただ、”惜しい”と思ったからだった。

羿は変わらない澄んだ目で、いつも以上に満足そうに笑っていう。

 

「人間もなって見れば中々よいものですよ。何より今は、老いることが楽しい」

 

「そうか……ならば何も言うまい」

 

本人はきっとこれっぽっちも皮肉だと思っていない言葉が、ただ羨ましく感じる。

珍しく憂いを帯びた顔の西王母は、また珍しく優しい笑みを浮かべた。

 

「では、達者でな」

 

「はい、お達者で」

 

開明門から出て行く後ろ姿を見て西王母は安堵して見送った。

だがこの日、女仙たちは、その優しい笑みがどこか悲しそうに映っていた。

 

 

 

 

 

――そして数日が経ち、崑崙山へ手紙を届ける青鳥が知らせを届けにきた。人よりも数倍大きな体を持つ鳥が咥えた手紙は二つ。

一つは再び黄河に大きな氾濫が起き、多くの死者が出た。その数は葛根湯により救われた人間と同じ分だけ。

 

もう一つの手紙は西王母も読まずに分かっていた事実。

 

「なるほど、未だ世界は正しくまわるか……」

 

皮肉気に笑う顔はあの日の別れの悲しみを含んだもの。くしゃくしゃに歪んだ文面は短く、重々しい現実。

 

 

 

 

羿去世了(羿、亡くなる)

 

 

かくして天に抗う無法者は裁かれ、正史は正しく、残酷に紡がれていく。

波紋はまだ水面に小さく漂う。

 

 







伯翳「――――逝ったか」





・不老不死の神格化
不老不死は神仙思想や道教における重要な要素。不老不死の神仙が実在するとし、人間が神仙になることを目的する思想は神格=不老不死として中国神話に現れている。
不老不死となり神や仙人なるのは中国神話のシステムである。

・西王母
中国神話に於いて絶世の美女とされるが、山海経の西山経の一説では『人のすがたで豹の尾、虎の歯で、よく唸る。蓬髪(乱れた髪)に玉勝(宝玉の頭飾)を戴く。彼女は天の勵(水害、干魃、地震、などの天災)および五残(5つの残酷な刑罰)を司る』と記述がある。

・仙杖
仙人が持つ力の具現化したもの。西王母の杖は山海経の海内北経の「西王母は几(机)によりかかり、勝を戴き、杖をつく」から抜粋。

・五残
5つの刑で墨、 鼻切り、足切り、宮(性器を処分)、太辟(死刑、打ち首)



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逢蒙殺羿

中学の頃に古文の先生から聞いた中国神話に影響されて、興味本位で書いたこの作品が日間ランキング二位に上がってたのを見た。ふと先生の顔を思い出したOF(オールドファッション)

ユウーさん、yu-さん、黒杜 響さん、夜渡さん、さーくるぷりんとさん
誤字報告ありがとうございます(`・ω・´)/


中国神話に於いて羿は不幸を象徴するような英雄だ。優れた弓の名手であり、築いた偉業は数知れず。しかし天帝である帝嚳の恨みを買い神籍を奪われ、妻の嫦娥にさえ裏切られ地上に一人残された。

 

不幸の連続である彼の人生の結末は、救いのない不幸で終わる。

 

 

 

羿の家僕(しもべ)に逢蒙(ホウモウ)という男がいた。放浪の道中、孤児であった逢蒙を助け、以来、家僕として付き従っている。羿に忠実に従え、物覚えもよく、何事もそつなくこなす働き者であったが、人知れず心の奥底に野心を秘めていた。気紛れで弓を教えたところ、羿も感嘆するほどの才覚を持っており、羿から学んだ弓の技を余すことなく取り込んだ。

 

いつしか逢蒙は羿と並ぶ弓の名手になろうと思った。いや、そうなるべきなのだと、確固たる意志を以っていた。それこそが拾われた恩義を返す唯一の方法だと直感し、日々の修行の難苦も、羿へ近づいていると実感できれば、それは至上の悦びだった。

 

”いつしか僕も、あなたのような英雄になりたい”

 

逢蒙はただ純粋に羿を慕っていたのだ。

主人としても、師としても。或いは『  』としても。

 

全てが狂い始めたのは、羿が蒼目の少年とであった時からだった。

その出会いから羿は口癖のように蒼目の少年の話をするようになった。逢蒙にはただ少し風変わりな子供のようにしか思えなかったが、羿が言うのならば、それはきっと良くできた人間なのだろう。

 

しかし看過できないこともあった。

話を聞く限り、羿はその蒼目の少年と特別な関係を望んでいるように感じた。言葉に出すのも癪だが、盟友としてその少年を迎えようとしているのではないかと。

 

ありえないことだ。いや、あってはならぬことだと憤った。

たかが人間が、それも子供がこの尊き英雄の盟友に迎えられるなどあってはならぬことだ。確かに学問に於いての才が突出していることは疑いようもない事実。しかし歳があまりにも掛け離れているではないか。何より武人である羿と肩を並べるには少年はあまりにも脆弱すぎだ。この英雄の盟友には相応しくない。

やがて逢蒙は悟る。羿に相応しい者とは、彼と同じく卓越した弓の名手である、と。だからとて、家僕である自分が主人に反論できるはずも無く、静かに心に宿った黒い情は増して行くばかりだった。

 

そして天運に導かれるかのように三年の年月が経て行く。

羿は少年と出会った日から各地を放浪し、何かを作るため素材を集めだした。何を、何のために作るか、逢蒙は知らず、また羿から問いただそうとも考えなかった。ただ愚直に修行することで己の中にある邪念を払うことに一心したためであるが、それが二人の間に溝を作ることとなったのだ。

 

鋼鉄よりも硬く石より軽い(ツゲ)。年老いた鳳凰が年月を経て成る(ラン)の血の(ニカワ)。決して生き物を傷付けぬ額肉に包まれた麒麟(キリン)の角。かつて堯の命にて討伐した修蛇(シュウダ)のヘビ皮。蓬莱山を背負う霊亀(レイキ)の綠毛。

 

素材が集まり、それが姿を成した。

 

弓だ。

ただ白く、しなやかで、か細い弓は羿が持つ丹弓によく似ている。羿はこの弓に白弓(ハクキュウ)と名をつけた。素材といい、その出来栄えは丹弓に引けを取らず、この弓は丹弓の姉妹弓に相応しい物だった。

 

逢蒙はこの弓を見た瞬間、魂が燃え上がるような激しい欲求を感じた。

この弓が欲しい。丹弓と並ぶこの弓が欲しい!

愚直に羿に付き従ってきた逢蒙が、初めて主人に抗ってもいいと思わせるほど、その弓には異様なまでの魅力があった。それは弓を扱う者にとって至高の物だと断言できるほどに。

 

だから、その言葉を聞いた時、黒い情はついに爆発した。

 

 

”漸く、貴方に相応しい弓が出来ました”

 

 

逢蒙はその言葉に呆然とし、やがて憤りが狂熱となり燃え上がる。

何故だ!?何故、あの少年にこの弓を与えるのか!?何故、少年なのだ!?何故、己でないのか!?

この神器の如き弓を、弓技が何たるかも知らぬ子供にやるなど、弓を志す者ならば許せるはずがない。この憤りは正当な感情だ。断じて醜い『 』ではない。

 

燃えるような狂熱が逢蒙を焦がした。

この弓を与えられる少年を憎み、与えんとする羿に不信を感じ始めると、爆発した黒き情は渦を巻く。行き場をなくした情は大きな渦となり逢蒙を苦しめた。

 

 

――その日の夜。平野のど真ん中で布を敷き、二人が死んだように眠りについた。ふと、何者かの足音を感じて目を開けると、逢蒙の夢枕に、黒い心を見透かした九人の女仙が立っていた。

 

 

凄まじき陽の光輝、神威を帯びてはいるが、激しい憎悪をその双眸に宿している。その神、或いは怨霊の圧倒的存在感に肌が粟立った。羿と共に各地を放浪し、数々の魔物や霊獣の類を見たが、初めて底冷えするような寒気を感じた。

 

やがて、仙女たちは甲高い笑い声と共に語り出す。

 

『可哀想ニ、アア、可哀想ニ』

 

『羿ハ愚カダ』

 

『何処ゾノ人間ノ餓鬼ニ、アノ弓ヲ与エヨウトハ』

 

『アノ弓ニ相応シキハ御前ダ』

 

『アノ弓ガ欲シイノデアロウ』

 

身を焦がすような熱気が言葉と共に立ち込める。しかしその言葉の一つ一つが心地よい甘美となって脳に響いた。それが耳に毒を注ぎ込まれているとも知らず、逢蒙はその言葉に少しずつ耳を貸して行く。

 

『御前ガ望ムノナラバ、アノ弓ヲ呉レテ遣ロウ』

 

「し、しかし、それは主人の意向に反します」

 

『ソレナラ良イ方法ガアルゾ』

 

「ま、誠でございますか!?」

 

『何、簡単ナコトヨ』

 

『アア、簡単ダ、実ニ簡単ナ事ダヨ』

 

仙女たちは不気味な笑みをさらに深めて言う。

 

 

『『『『『『『『『羿ヲ殺シテ奪エバイイ』』』』』』』』』

 

「なっ……!?」

 

女仙たちの言葉に逢蒙は呆然とし、その次に不理解に襲われた。

道理や論理を置いても、まず、この英雄の殺害方法など思いつくはずがなかった。

女仙たちの言葉に疑問符を浮かべる逢蒙を見て、一人の女仙が袖から桃の枝を取り出す。

 

『之ハカノ不老不死ノ仙桃ノ枝。我ラノ呪詛ニヨリ元来ノ性質トハ真逆、猛毒ノ呪イト成ッタ』

 

『之ノ枝ヲ羿ノ背ニ突キ刺セバ、然シモノ英雄モ生キテハオレマイ』

 

「だが、…それは不義たる行為だ!僕は主人を殺してまで弓を望んではいない!」

 

その言葉には嘘偽りがなかった。

家僕として未だ忠義を以って尽くしており、主人へ抱く不信も罪悪感となって彼を深く苛んでいた。

だが、それ以上に弓が蒼目の少年へ渡る事を、この女仙たちは見透かしていたのだ。

 

『別ニ御前ガ其レデ良イト言ウナラバ構ワナイ』

 

『シカシ其ノ場合、弓ダケガ人間ノ餓鬼ニ渡ルトハ限ランゾ』

 

「何……?」

 

予想外の言葉に耳を傾ける逢蒙の耳に、女仙たちは更に毒を注ぎ込む。

 

『アレハ謂ワバ羿ノ親愛ノ証。其レハ羿ガ御前ヨリモ、人間ノ餓鬼ニ信ヲ置クニ他ナラナイ』

 

「そんな筈ない!主人は僕に最も信を置いてくださる!」

 

『ナラ、何故ソコマデ恐ル?』

 

その瞬間、逢蒙は自身の体の震えに気がついた。震えを止めようと体を押さえつけるが、認識した瞬間から震えは激しさを増すばかりだった。

何時、何故震えが起きたのか。

 

神威を恐れたからか?

否である。

 

毒言から語られた忌むべき企てへの怒りか?

否である。

 

主人へ不信を抱く自身への罪悪感からか?

否である。

 

『御前ハ恐レテイル。信ヲ失ウコトヲ、再ビ捨テラレルコトヲ』

 

震えは更に激しさを伴った。自身の確立した意識も持たぬ過去に刻まれた傷が、その魂を蝕む。色々な事が、脳裏をよぎった。初めて羿に弓の腕を褒められた嬉しさ。強大な存在を圧倒する羿への憧れ。大切な思い出をそれが塗り潰していく。

忘れたと言うには恐ろしく、過去というにはあまりに鮮明。全て支配し、全てを奪われる。それが彼の最も恐れていた物の正体。

 

孤独だった。

 

周りの視線など構わず、嗚咽と悲痛な声が木霊する。

嘲笑うかのように口角を持ち上げた仙女たち。母のように逢蒙に寄り添い、毒婦のように絡み付いたそれは、更なる甘美な毒を流し込む。

 

『奪ワレルノガ怖イナラ、御前ガ奪エバイイ』

 

『羿ヲ殺シテシマエバ、御前ハ永遠ニ其ノ信ヲ得ル』

 

「永遠の信…」

 

唯々、それは甘美で蠱惑的な言葉だった。永遠であれば、それは普遍であり絶対の証明。それがたとえ義に反する行為だとして、この乞食のように震える逢蒙には、抗い難い甘言だった。

 

 

 

 

ふと目を覚ますと、平野のしっとりとした生暖かい風が頬を触れる。女の甲高い声の代わりに虫たちが騒がしく鳴いていた。先の出来事が全て夢幻のように思えて、安堵とともに、どこか惜しいと心に痼りを感じた。

 

カラン、と乾いた音が鳴る。

振り向いた先には、夢の中で見たあの桃の枝があった。再び体が震え始め、耳元では先の毒が残響して木霊していた。幸か不幸か、羿は逢蒙に背を向けたまま深く眠り込んでいた。

 

殺セ、殺セ、殺セ、殺セ、殺セ……!

 

注がれた毒がその呪いを反復して唱え、羿から培った論理を汚濁する。

 

「――そうだ。あなたに相応しいのは、僕だけなんだ」

 

意識が闇へと溶けて、逢蒙は枝を手に握っていた。

心中にあるのは、ただ永遠の信を得るが為という恐れのみ。

 

狩りの為に身につけた気配を殺す技で背に迫り、背に突き立てんと枝を振りかぶった。

パキッと、乾いた音がなる。

羿の背に突き刺さるはずだった枝は、羿の後頭部を微かに掠めた。殺気を感じ取った羿は瞬時に覚醒し、狩人の素早い立ち回りで枝の刺突を躱そうとしたのだ。枝先は羿の後頭部を擦り、細々と砕け散った。

 

しまったと、逢蒙が後ろへ下り本来の獲物である弓に手をかけるが、羿はすでに丹弓と白弓を抱え、夜の暗がりへ駆ける。心なしか、いつもより足取りが乱れているように見えた。呪いが効いているのかもしれないと、その万に一つの期待に全霊をかけて、羿を殺す為に逢蒙も駆ける。

 

百里を駆け、千里を駆け、万里を駆ける。

英雄との競走は中原全土を駆け巡り、それは夜が明けるまで続く。

 

やがて暁が昇り、空が白み始めたころ、崖の手前で息絶えた羿を見つけた。

枝先に触れた頭は赤黒く染まり、焼け爛れたように泥状に溶けている。さしもの羿も呪殺されたのかと、そう思った逢蒙は己を恥じた。

 

「嗚呼…嗚呼!!羿よ!やはりあなたは英雄だ!!」

 

羿は持っていた鏃で喉元を切り裂き、自害していた。家僕に寝込みを襲われ呪殺されるような恥は晒さず、自身の手にて命を絶つ。まさに英雄らしい最後だと、より一層、羿への尊敬の念を深めた。

 

彼はその崖の近くに羿の霊廟を築き上げ、羿の遺体を埋葬した。この英雄が後の世も長く称えられるようにと、過去の恩と尊敬を込めて祈るのだ。

驚いたことに遺体の側に白弓はなかった。暫く辺りを見渡しても弓は見えず、競走を終えた逢蒙も再び中原を駆ける余力があるわけも無く、結局、白弓のことは諦めた。

 

「もう、あんな弓など必要ない。僕は羿の魂そのものを手に入れたのだ!」

 

そう言うと、羿の英雄として象徴たる丹弓を愛おしく握り締めた。信の象徴よりも、羿の魂そのものこそが尊い物と考えたのだろう。

驚くことに丹弓は逢蒙を拒むこと無く、彼を次の持ち主に選んだ。これには天上の神々ですら目を見開いた事だ。

 

「弓は僕を選んだ!今日、この日より、僕がこの国の英雄に代わる!」

 

丹弓を掲げ、高らかに声を上げる。

中原一の弓の名手は我也と。中原全土に声を轟かす。

 

やがて多くの人が羿の死を嘆き、同時に新たな英雄の誕生を恐れ称えた。最初こそ英雄殺しと揶揄されたが、いつまでも天が罰を下さないと見ると、誰も逢蒙を非難しようとはしなくなった。

事態は一見すると、誰かの思惑通りに、何事も無く新たな英雄の誕生を受け入れて行くように見えるやもしれない。

 

だが、見落としはあった。

白弓の紛失もそうだが、これは逢蒙とその黒幕も最早眼中にはない。ただ、それが無くなったのではなく、誰かの手に渡ったとなれば別であった。

 

彼らは知らない。

 

羿の周りに漂う清涼な桃の芳香。そして、羿が死ぬ直前に使った矢が一つだけではないことを。

 

白弓は桃の仙人へと渡り。羿の最後の思いは――彼が確かに受け取っていたのだ。

 

 




次回『主人公、久しぶりに登場する!』





・逢蒙
羿の家僕。羿から弓の技を教わり、逢蒙は羿の弓の技を全て吸収した後、「羿を殺してしまえば私が天下一の名人だ」と思うようになり、ついに羿を撲殺してしまった。このことから、身内に裏切られることを「羿を殺すものは逢蒙」(逢蒙殺羿)と言うようになった。

・柘
将棋やチェスの白い駒の材料になる木。材質は軽く、木目が細かく詰まって丈夫な木。

・鸞
鳳凰が歳を経ると鸞になるとも、君主が折り目正しいときに現れるともいい、その血液は粘りがあるために膠として弓や琴の弦の接着に最適であるらしい。

・麒麟
普段の性質は非常に穏やかで優しく、足元の虫や植物を踏むことさえ恐れるほど殺生を嫌う。
『礼記』によれば、王が仁のある政治を行うときに現れる神聖な生き物「瑞獣」とされ、鳳凰、霊亀、応竜と共に「四霊」と総称されている。

・修蛇
巨大なヘビで、大きな波を発生させたり、湖水を行き交う船を破壊したりして人々を苦しめていたが、堯の命を受けた羿によって退治された。原典では黒い蛇とされるが、今作は白蛇になっている。

・霊亀
中国神話等では、背中の甲羅の上に「蓬莱山」と呼ばれる山を背負った巨大な亀の姿をしており、蓬莱山には不老不死となった仙人が住むと言われている。東洋の神話等においては、亀は千年以上生きると強大な霊力を発揮し、未来の吉凶を予知出来たのではないかと言われており、霊亀もまた千年以上を生きた亀が強大な霊力を得た事で変異・巨大化したのではないかと言われている。

・緑毛
蓑亀などに生えている尾のような藻。蓬莱山の根。

・中原
黄河を始めとする国。中国の起源となる国。


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逢蒙と語る(上)

「ただ分かり合える友が欲しかった」

 

山の中で風音を過ぎ去り伯翳の声だけが良く響く。まだ幼さが残る声音は、その芯に老健さを宿しているように思えた。

 

聞き手に立ち回るのは、元々この山に生息していた者や、傷ついていたところを保護された者、伯翳に興味を持って住み着いた者。聞き手の多くが山の動物達であった。その他に精霊種の類もいたが、それらは伯翳の与り知らぬところで縁を結んでしまった者たちで、この者たちの存在に関しては、じつは伯翳の認識の外にいた。

 

このような人外たちに彼が囲まれているのは、それは彼がこの世界に転生してから今現在まで、自然環境や野生動物の保護。民間の農業技術と医療技術の発展。これら多くの自然技術の向上に努めてきたからであり、何より彼自身の大らかな人柄が一層人外たちの好意を集めているからである。或いは彼の前世の功績が、こうして自然との奇縁を生んだのかもしれない。

 

彼らは純粋にこの寡黙然とした少年が、自らの事を話し始めたことに興味を持ち、そして”矢文”を読んでから影を一層落としたことを案じている。

 

「誰かの死なんて、長く生きていればそれほど珍しいことでもない。何度喪服を着たか思い出すのも億劫になるほど、それはあまりにも多く、私は……経験してきた。何度も経験してきたがなあ……やはり、知己が死ぬのは嫌だ。慣れんもんは慣れんな。辛いわ、悲しいわ、色々思うことはある」

「だが仇討ちなんてしようとは思わん。こんな非力な餓鬼が行ったとして、早々返り討ちになるだけだ。肥後もっこす熊本人なら死んでも行きそうなもんだが、戦後から考えも変わり、負ける戦や神風特攻なんか昔話の類いになってしまった」

 

人が人を殺すことが、人間社会では禁忌とされていることは聞き手も理解している。動物は自然界に於いて闘争と捕食は弱肉強食の大義名分の基に行われる生存競争の一端であるが、殊に人間は名誉の決闘や私怨で同族を殺そうとするのは、聞き手にとっては理解しがたい行為だった。

自然では個の生物より、それを含めた種族全体の繁栄に重きを置く。生命の捕食と死のマイナス、生命の誕生と繁栄のプラス。この引き足しに沿った生命のサイクルにより、彼らは種の保存に特化した合理性を持っている。それこそ神代の自然の触覚たる精霊種ならば、尚のこと合理性の塊のような存在だろう。

 

人間たちが何を思って戦うのか理解が出来ない。人間が個の命の損失に何を感じているのか理解が出来ない。

 

後半の内容はよくわからないが、仇討ちに関しては、それは聞き手も皆が頷く。彼はまだ幼く、そして何より虚弱なのだ。性格こそ老健、豪傑、豪胆という三拍子揃った質実剛健な人物ではあったが、風が吹けば倒れるような弱々しい若葉だ。人間、情や義理を重んじたとて、死ねば終わりだ。野生ですら合理性を尊び、百獣の王は無理な戦いはせずに逃亡を選ぶ。必死の戦いなど何の意味もないのだから。

 

 

ーーならば何故と、身支度を整えた伯翳に問う。

 

 

伯翳は身支度を終え、背を向けたまま語る。

 

「勝てるとも思えんし、割に合わんと思う」

 

勝算など無きに等しく、役者不足も甚だしい限りだ。合理性などなく、それこそ損失ばかりで得る物など何もないように見える。

 

「分からんだろうな。お前らは賢いが、それこそ人の心がない」

 

心?心とは何だ。それがあれば貴方を理解できるのだろうか。

 

「それが知りたいなら、お前らは互いを思い遣ることだ。仲間を思い、家族を想い、死者を憶い。そして”おもわれろ”」

 

伯翳が歩く度に山の緑が追うようにざわめく。風が追従しているのだ。傍に寄り添う燕が風に乗って彼の後ろ姿を見送くっている。

 

「私は、いや、わしゃな。あいつに想いを託されたんだじゃ。それが死者との盟約ともなれば、男が逃げるわけにはいかんじゃろう。それに、子を叱るのは爺の特権じゃ」

 

伯翳が赴くのは恐らく死地に他ならない。だが誰も止めるものはない。あるのは羨望の眼差し。何故その小さな背中が、こんなにも力強く、信任を預けたく思うのだろう。

 

それは魂の記憶。過去未来現在を超越した契約の照明。過去。いや、未来に彼が星と築いてきた”絆の証”である。

 

ちょうど木の陰から一匹の尾のない狐が顔を出す。視線の先には木洩れ陽に映る暖かな好々爺の顔が見えた。

 

 

 

 

伯翳は荷車に乗りながら昨晩の夢の内容を思い出していた。

 

神々の光輝を圧縮した存在は眼前にて悠然とそびえ立ち、その指先は遥か西方の地を指し示している。

平伏する伯翳にそれは告げた。

 

『汝、英雄に弓の術を乞うならば、それ即ち師弟である。ならば弟の罪を裁くのもまた弟なり。偉大なる師へ背いた弟子を、◾︎◾︎殺しの大罪人をうち果たせ』

 

神の名は帝嚳。帝堯の一つ前の代の王であり、羿を下界に落した当事者でもある。死後は五方の方角を治める天帝として金帝、即ち西方を管理する地位に迎えられたのである。因みに黄帝は中央を統括する土帝の地位にいる。

 

帝嚳の眼差しはとても冷徹で、伯翳の容姿を見て小馬鹿にするような意すら感じ取れた。我が子を射殺した男の弟子であるのだから、それを見て良い思いはしないのは仕方がない。しかしそれを隠さず、ましてや明らかに表情に出すというのは天帝としてまずあり得ないことだ。

伯翳とて前世は長寿を全うした人間。無限の生命を持った天帝ではないにしろ、それなりに培った年の功と言うものがある。幼き老人はこの事件に関してどこかきな臭ささを感じ取っていた。

 

(ここで真実を糾弾したとて意味はない。しかし……)

 

伯翳は平伏しながらも、心のうちでは沸々と沸き起こる感情を殺していた。

 

夢から覚めてからの行動は早かった。母への手紙を残した伯翳は側女たちに山の管理を頼むと家を出て、数歩で息切れをしているところに通りがかった荷車に乗り込んだ。

 

目指す場所は羽山(ウザン)。嘗て、堯の臣下である(コン)が治水に失敗したため処刑された地である。羽淵という深淵なる淵があり、亡者の魂を引き寄せるという。今も鯀の魂は淵の底を漂っているのだろう。

そしてもし、伯翳が死んだらその魂は冥界へ行くことなく永遠に羽淵に捕らわれる。

 

季節は巡り、秋から冬へと変わった。この頃の中国の冬はとても厳しく、吹雪の寒さで木々の幹が裂けるほどだったという。

伯翳は旅の途中、荷車を降りて移動手段のため街で白い馬を買っていた。馬は伯翳によく懐き、寒い夜や体調を崩した際などは伯翳の側に寄り添い彼を温めてくれた。

 

旅の中で伯翳は色々な策を考えていたが、何分、自身の身を守るものが何もなかったので胸の内で燻る不安を拭うことはできなかった。果たして弓の達人である逢蒙にどこまで通用するだろうか。

 

冬の酷寒も極まり、五臓六腑を締め付けられるような夜が続く。羽山へおよそ20里ほど差し掛かり、伯翳は洞穴の中で夜風をしのいでいると美しい女が現れた。女は伯翳を見つめると顰めたり唸ったりと複雑そうな思いを留めて白い弓矢を渡す。

伯翳はふと昔に羿に弓の製作を依頼していたことを思い出し、旧友と再開したような優しい表情へ変えた。

 

「約束の一つは果たした。もう一つの方はお前が無事に生き残ることができたら考えてやろう。だから後はどうなろうと妾の知ったことではない」

 

女は何やら含みのある言葉を言って去って行った。伯翳は女のあとを追ったが、洞穴を出ると女の姿はどこにもない。ただ、側にあった桃木が季節外れの花を美しく咲かせている。

 

 

 

 

 ◆  ◆  ◆

 

 

 

 

冬の羽山は雪深く降り積もり、ほっそりとした山の木々が雪化粧で大きく着飾る。不安定な足場で逢蒙は木を支えにして、雪の表面を眺めていた。

彼もまた帝嚳から命を受けて羽山へやって来たのだ。

 

(天帝は僕の命を狙うものが羽山に現れると言っていたが……)

 

天帝の言葉を信じた逢蒙は羽山へとやって来たが、雪の大地には人の足跡はなかった。弓を狙う賊や武人の腕試しの類かと思っていたが、何やらそれらとは毛色が異なる。山へ踏み入った瞬間から違和感のようなものを感じていた。

 

気を引き締めて周囲を眺めていると、

 

”ザッ”

 

逢蒙の耳にたしかに足音が聞こえた。音の方向へ向かうと大きな川が行く手を阻んだいる。跳んで向こう側へ行くのは難しく、冬に川の中へ入るというのも一層危険なことである。

 

困っているところに丁度雪が積もって白く染まった橋があった。足踏みをして強度を確かめ、大丈夫そうだと逢蒙は橋を渡る。しかし、真ん中まで差し掛かった途端に橋は崩れ始めた。

 

「っ!」

 

困惑など置き去りにして、逢蒙は腰布を解くと向こう側の木へ絡め命綱とした。肝を冷やしながらも布を手繰り寄せて向こう岸へたどり着くと、橋だったものへ目をやり驚愕する。

 

なんと橋だと思っていたのは縄を網目状に張り巡らした物の上に藁と雪を被せた物だったのだ。おそらく手前の雪だけは水をかけて押し固め、奥へ行くと重さで崩れるように作られている。

 

「くそ、やられた!」

 

違和感の正体とはこれだ。自然の中に潜ませた巧妙な罠。罠を超えて川越に踏みれた地なれば、それはすでに相手の術中の域である。

迂闊に動けば相手の思う壺だが、この寒さの中で動かずにはいられない。ならば策を打たれる前に、素早く策士を討つのみと考えた。

 

逢蒙は跳躍し一番背の高い木へと登る。弓の名手として鍛えられた眼力が山の果てさえも見渡し、視界にその姿を捉えんとした。視力を頼りに敵を探すのは判断として間違ってはいない。しかし生物は目だけで相手の存在を捉えるわけではない。

 

”ザッ、ザッ……”

 

再び、あの辿ってきた”複数”の足音が聞こえた。おそらく二人だ。

すぐさまその音の方角へ視線を向け、いつでも弓を射れるように構える。しかしそこで奇妙な現象に見舞われる。たしかに足音は聞こえるが、肝心の姿が見えないのだ。

 

(……どういうことだ?よもや姿を消す術の類?)

 

そこでさらに目を細めて音の姿を確かめると、それが人でないことに気がついた。白い馬がその体色を保護色のように雪山に溶け込んでいる。二人の足音だと思っていたのは馬の四足の音。

 

(野生の馬か?いや、ただの馬ならすぐに見つけられたはずだ!おそらく見つかり難くするため木陰を縫うように歩行していたんだ!)

 

これが手慣らされた飼い馬とわかると、自身が高所へ誘い出されたことを悟った。そして同時に背後から視線を感じ取る。

振り向くと後方には消えたはずの白弓を構えた子供が立っている。子供の容姿を見た瞬間、それが羿の言っていた伯翳だと確信した。

 

「伯翳ぃ!」

 

どす黒い憎しみを込めた怨嗟の声が山野へ響く。逢蒙の爆発した感情は決定的な隙だった。

 

伯翳の放った矢がまっすぐと向かっていく。羿と約束を信じて欠かさず弓術を学んできた努力がその矢には込められていた。矢は吸い込まれるように逢蒙を貫いた。

 

 

 

だが、矢は逢蒙を傷つけることはなかった。

 

 

 

「「!?」」

 

 

どういうわけか矢は逢蒙に突き刺さろうとした瞬間、透けるように体をすり抜けたのだ。これには両者とも驚愕する。しかし立ち上がりが早かったのは武人としての経験が勝る逢蒙。そしてこの名手が矢を外すことはない。

 

「ぐっ!」

 

逢蒙の矢が放たれた直後、伯翳の視界を半分奪った。

 

 







伯翳「イイッ↑タイ↓メガァァァ!!!」





・ヒント
麒麟は殺生を嫌う。



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