異世界の地下闘技場で闘士をやっていました (トクサン)
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全能者

 ※この作品は布団の中で「こんな作品読みてぇ……」と作者が夢想し、何を思ったのか徹夜明けの頭で書き起こした作品です、クォリティは察して余りある為、海の様な寛大な心でご覧ください。
 


 藤堂京太郎に存在する最後の記憶は、自分の体が炎に焼かれて骨だけになるシーンである。

 あそこは恐らく、死体の焼却場だったのだろう。棺桶に入れられた自分は、丁寧に白装束を纏って足袋を履き、手甲を身に着け数珠を持ち、六文銭に幾つかの米と華を添えられて、大した感慨も抵抗も無く――逝った。

 

 享年、二十三歳――病死だった。

 

 何千度という熱に犯されたというのに、死ぬ間際は随分と安らいでいたと思う。走馬灯らしい走馬灯も見えず、面白みに欠ける最後だと自分でも思う。

 

 人生とは呆気ないものである。

 どれだけ屈強な男だろうが、頭の良い人物だろうが、金持ちだろうが、死ぬ時は死ぬ。抵抗なぞさせて貰えない――人生の最後にしては呆気なかったと落胆するべきだろうか、それとも自分は精一杯生きたと胸を張るべきなのだろうか。京太郎にはどうすべきかも分からなかった。

 

 そして京太郎は三途の川を渡った、六文銭のプリント紙が通行証として受理された時は、死後の世界もハイテクになったものだと少しだけ驚いた。尤も、死後の世界があった事自体が驚きだが。

 

 思考はクリアだった、自分が誰かも覚えている、どうにも魂と言う奴は存在していたらしい。京太郎は肉体を捨て、魂のみで死後の世界に存在していた。三途の川の見張り番も、周囲に存在する全ても、京太郎と同じ人間だった。あの世という奴は人間にのみ適応されるルールなのかもしれない、そう思った。

 

「藤堂京太郎、二十三歳、死因は病死――ふむ、何ともまぁ」

 

 審判者(振り分ける者)、という存在があの世には居る。

 その名の通り、死者のその後を決める存在だ。自分達の言う神と言う奴に近いかもしれない、ソイツは顔が無かった、体も無かった、まるで光そのものだった。

 正直直視するのも難しい、しかし声だけが聞こえて来るという。その声は威厳に満ちていて、全能を司る存在が居るとすれば、こういうものなのだろうと京太郎は漠然と理解した。この存在が「もう死ぬしかない」と言えば、京太郎は何の疑いも無く死を選ぶだろう。

 それだけの威圧感――カリスマという奴を感じた。

 光は唐突に京太郎の前に現れ、京太郎の人生を一通り読み終えた。

 

「徳と言う徳を積んだ訳でも無く、しかし悪道を成したと言う訳でもない、中道、凡庸、善悪相殺、否、それ以前の問題と言うべきか――裁くには値せず、しかし召し上げるにも少々物足りぬ、汝の道は隔世再生、もう一度チャンスを与えよう、汝は少々運が悪い、次世ではもっと頑丈な肉体を与えよう、これは前世補填である」

 

 つまりは中途半端。

 京太郎が神様とやらから告げられた総評は、何ともどっちつかずだった。

 それもそうだろうと自分でも思う、何かを成す前に死んだのだ、善とか悪とか、それ以前の問題である、何せ生まれてから二十三年、その半分以上を病院のベッドの上で過ごして来たのだ。そんな状態で何を成せよう? 京太郎は少しだけ笑ってしまった。

 

 兎にも角にも、隔世再生、という刑を与えられるらしい。

 隔世とは何を指すのか、京太郎には分からない。しかし、もう一度チャンスを与えると言う言葉から存外悪い扱いでは無いと分かった。聞けば丈夫な体も与えられると言う。

 

「三千世界、汝の世から最も遠い場所よ、慣れるまでは辛かろうて、そうさな――一つの魂を贔屓するのも憚られる、しかし機会も無く悪道、善道決めつけるには酷だろうて、汝の些細な願い事を一つ叶えよう、あくまで――些細な――であるが」

 

 神様は京太郎を前に、そんな事を宣った。些細な願い事を一つ叶えてみせようと、些細な事柄の基準が分からないが、それが次世における何らかのギフトの様なモノだとは分かった。

 

 願いを叶える、それは例えば金持ちの家に生まれるとかだろうか?

 京太郎が問えば、神様は首を横に振った。恵まれた環境に生れ落ちるのは、徳を積まずには成せぬ事らしい。あくまで京太郎の場合は温情処置、少々「些細な」という部分からは脱してしまうらしい。

 ならば何だろうか、京太郎は考えた。

 そして少し考えた後、取り敢えず損にならない事柄を選んだ。

 

「なら、イケメンに生んでください」

 

 神様は快く承諾してくれた。

 

 

 




 ヤンデレが書きたくて仕方なかったんだ。
 もうこれはヤンデレ美少女と結婚するしかないね。

 ヤンデレ美少女と結婚したい。
 する。
 した。


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来世で自分は

 そうして、こうして。

 

 京太郎はイケメンに生まれた。

 そして齢五歳にして両親を賊に殺され、顔が良いからと奴隷商に売り飛ばされた。

 挙句の果てに地下闘技場で闘士として戦うハメになった。

 

 なんで?

 

 京太郎の新たな人生を説明するならば、これだけの言葉で済む。

 何だこれはと、割り振られた部屋で京太郎は自身の新たな人生を嘆いた。それはそうだろう、貰ったギフトを生かせぬどころか、完全に裏目に出た結果である。

 頑丈になった体は地下闘技場でも不屈の戦士として絶賛され、その神様が奮発してくれた甘いマスクは女性客を虜にし、メディア露出が増えるばかりである、つまり試合が増える。

 

 どうしてこうなった。

 

 京太郎――この世での名は『(キョウ)』――京は己の不運を呪った。

 ここまで来ると最早、呪いか何かの類ではないかと訝しむ。

 生まれたばかりの頃は良かった、自身の前世はあやふやで、子ども特有の素直さも併せ持つ、何と言うか普通の赤子だったと思う。両親も至って平穏な性格、平凡な人物で、相応の愛情と厳しさを持って接してくれたと思っている。村も平和で、生活こそ最初は慣れなかったものの、ネットもテレビもゲームも、無くても何とかなると知ったばかりだった。

 

 五年の歳月、親愛の情があったと言えばその通りだ。

 そして住んでいた村の唐突な焼き討ちから賊の襲撃、瞬く間に村の人間は襲われ、女子供は略奪にあった。当時の京太郎の胸中を言い表すなら「えぇ、なにこれぇ」である。

 言い訳させて貰えるのならば、全てが京太郎のあずかり知らぬところで進んでいた事であり、目の前で両親を殺されただとか、酷い目に遭ったとか、そういう訳では無い。

 有体に言って、現実感が欠片も無かったのだ。

 

 略奪の対象の中には勿論、京も含まれていた。

 五歳になると比較的顔の造りが分かって来る、京の顔面は村の中では随分と上玉に映った。周囲が然程パッとしないという理由もあったが、神様直々のギフトという結果もあり、都内でも中々お目に掛かれないレベルという容貌だったのだ。

 結果、それに目を付けた賊が奴隷商に高値で京を売り払い、その容貌と神様特製の頑丈な肉体に目を付けた地下闘技場のオーナーが購入、生き残る為の術を叩き込まれて今に至る――という訳である。

 

 解せない。

 

「もうやだ、こんな人生」

「元気、出して」

 

 待機室、もとい闘士に割り振られた個別部屋。そのベッドの上で項垂れる京に、彼を励ます一人の少女。京は今年で十六歳になる、奴隷商の元に居た期間を除けば闘士として十年のキャリアを積んだと言う訳だ。

 

 十六歳になった京は前世の貧弱な肉体と打って変わって、鋼の様な筋肉に凄まじい身長を誇っていた。身長百九十七センチ、体重百キロ、未だに成長中のピチピチ現役十六歳である。恐らく前の友人に今の姿を見せれば、「世紀末を闊歩している伝承者か、悪魔を従えて時間止める黒幕から世界救いそう」と口にする事請け合いである。

 

 顔の件もそうだが、神様の授ける力と言うのはどうにも、人の感性とは少しズレている気がした。端的に言うのであれば「誰がここまでやれと言った」である、京とて素手で岩を砕くまで出来るとは思っていなかったのだ。

 

 今では闘技場内でも、「えぇ、お前マジかよ……?」みたいな目で見られ始めている。観客からは大ウケだが、最近対戦相手が目に見えて怯え始めていた。京としても泣きたい気分である。

 

 京の隣に寄り添う少女は、この場に居る事から闘士の一人である事が分かる。京に割り振られた特別待遇室――地下闘技場で特に高い戦績、或は集客率を誇る闘士に割り振られる部屋――に居座る彼女だが、それは単に此処は彼女の部屋でもあるから。

 

 少女は名を『リース』と言う。

 

 集客率、及び高い戦績が条件というだけで、リースの容姿もまた美しい。長い白髪に整った顔立ち、少しばかり幼さが前に押し出されるが、既に一人の女性らしい雰囲気は纏っている。

 しかし、彼女の魅力は容貌よりも、その武力に集まっていた。彼女は今年で二十一になる、だが未だに少女の様な外見だ。

 それは単に、彼女が人間という枠から外れているからなのだが――彼女は人間ではなく亜人と呼ばれる存在であった。本の中の存在の様に思われるが、実際彼女は実在しているし、何より馬鹿みたいに強い。

 

 四肢は細く、少女然とした体格を見れば大抵は闘士だなんて思わない、それはそうだろう。彼女が使うのは手足ではなく、もっとハイテクなモノ。

 所謂、『魔法』という奴だった。

 

 魔法、魔法である。

 手から炎を出したり、雷を落としたり、水を生み出したり、毒を振りまくアレである。ファンタジー万歳と叫ぶべきか、寧ろ嘆くべきか。

 

 残念なことに、魔法の才能を京は持ち合わせていない。単純に肉体的な話だった、人間に魔法は使えない、それは魔臓器と呼ばれる器官が人間に備わっていないからだ。

 単純な話、彼女の体には血液の代わりに魔力が循環している。体の造りからして異なるのだ、故に体格も違うしあらゆる部分が違う。だから外見で侮って、「おじさんと良い事しようねぇ~」なんて言った日には肉片一つ残らない事確実である。

 

 実際、京が一番戦いたくない相手は誰かと聞かれれば、迷わず彼女を挙げるだろう。素手で岩を砕くのも十分怪物の所業だが、流石に対戦相手を氷漬けにしたり、雷撃で黒焦げにする、炎で燃えカスにするなどと言った事は出来ない。

 

 尤も、出来てもするつもりはないが。

 

 因みに彼女が身請けされたにも拘わらず、清い体であるのは手を出したら殺されると分かっているからである。京も同じ理由で同室であると言うのに手を出せていない、単に度胸が無いともいう。入院中に恋愛沙汰など無かったのだ、悲しくなんてない。

 

「……どうしたの、京、なんか今日、元気ない、嫌な事あった? 大丈夫? 結婚する?」

「……結婚したいけど稼ぎが無いよ」

「――私一杯ある、安心して」

 

 それはヒモと呼ぶのではないのでしょうか。

 そんな聖母の様な微笑みを向けられたら衝動的に頷いてしまいそうだが、生前母が「男は甲斐性」と言っていたので、何とか鋼の理性を以てして首を横に振った。総人生初めての伴侶兼彼女に養われる夫とか情けなくて生きていけない。

 

「そこは頷こう、京、ね、頷こう? 良い子だから」

「やめて、無理矢理首を縦に振らせようとしな――アッ、ダメッ、マガラナイ、そこから先はマガラナイヨ!」

 

 因みにだが、魔法は肉体的な強化に使用する事も出来る。この万力の様な力を見よ! 首の骨を圧し折ってやるとばかりの勢いだ。

 

 元が人間の血に近い役割である事から想像できると思うが、寧ろ体の内側に作用する力の方が強い。下手をすると京の様に、素手で岩を割るなどと言った事も可能だろう。

 無論、それをやってしまえば先に体の方が壊れてしまうだろうが。

 

 魔法とて万能ではない、肉体のスペック以上の事をするとダメージが残る。壊れた傍から治す――などと言った使い方は出来るだろうが、痛みは消せないので普通に炎や氷をビュンビュン飛ばした方が楽だろう。

 

 リースの猛攻を筋肉の全力全開で防いでいると、室内にあるベルが鳴った。それを聞いた途端、リースの体が離れる。

 

 仕事の時間だ。

 

 プライベートはプライベート、仕事は仕事。

 この辺りはリースも良く理解している。

 どこか名残惜しそうなリースの視線をビシビシ感じながら、京はゆっくりとベッドから立ち上がった。部屋を見渡すと、自分の部屋だと言うのに随分と殺風景だ。必要最低限の生活必需品と、本が数冊にベッドとテーブル、それだけ。部屋の隅に飾られた金色のベルが、やけに眩しく見えた。

 

「……さっさと倒して来て」

「……善処するよ」

 

 何とも日本人らしい答えを残し、京は独り苦笑いを浮かべた。

 

 




 突貫作業=クォリティごみだけど許してね!
 許してくれるって信じてる!
 許して!


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闘技場

 

「我がグラモワール闘技場、不動の頂きに君臨する闘士ィ! 拳で砕けぬモノは無し、立ち塞がるなら殴り殺すッ! 万夫不当、一騎当千、その称号を与えるに相応しい男は唯の一人ィッ! 新世代の怪物――エンヴィ・キョウ=ライバット!」

 

 少しばかり大袈裟――いや、かなりと言うべきか。

 持ち上げた紹介文を背にフィールドへと足を進める京。エンヴィ・ライバットとは京がこの地下闘技場に押し込まれた時から与えられた名だ。

 

前世で言う苗字の様なものである、尚並びはどの順でも問題は無い。大体は適当に割り振られるが、入荷した時から主力製品として売り出すつもりであったオーナーは比較的マトモな名前を付けてくれた。

 それに感謝するかどうかは兎も角、まぁ適当な苗字を付けられるよりは良いだろう。

 

 十年経っても慣れないアナウンスに苦笑いを浮かべながら、京はゲートを潜る。

 フィールド・アリーナはすり鉢状になっていて、選手が戦う場所を見下ろすように観客席がズラリと並んでいた。古代ローマのコロッセオ、アンフィテアトルムに近い形状だ。

 

 地面は石床で、頭上には魔力点灯による光が降り注いでいる。拳を突き上げながら入場すれば、周囲から万雷の歓声が鳴り響いた。

 ドッ! と全身を襲う轟音、臓物が数センチ浮き上がり、鼓膜が破けるのではと思う程の声量。それが京目掛けて降り注ぎ、それを浴びながら平然と中央まで足を進めた。

 この世界に来て一番最初に慣れたのは、この万雷の歓声であった。

 

 どうやら対戦相手は既に入場した後の様で、京と対峙する様に拳を構える男が一人。身長は百七十センチ程だろうか。

 

 この世界では魔力と言う概念が存在するからか、人間は比較的体が小さく、細い。具体的に言うと、この世界で百七十と言えば、前世の日本で言う百八十後半相当の身長で、この世界の男性の平均身長は百六十前半、女性は百五十前後である。

 

 つまり二メートル近い京は最早怪物クラス。元の世界で言うと二メートル二十センチの巨躯、最早見上げる高さだ。更には筋肉の鎧を纏った分厚い大男であり、対峙する男性の手は僅かに震えていた。

 

 大きさは恐怖の象徴だ、さらには闘技場のトップという肩書も存在する。先入観で恐怖を抱くのは仕方ないとも言える、だがこの場に立った時点で棄権は許されない。

 

 男は確かに弱くは無いのだろう、この世界では体格に恵まれ、この場所に堕ちて来るまではそれなりの猛者として名を馳せたのかもしれない。筋肉の付きも良い、拳の扱いだってお手の物だろう――だが、それだけだ。

 

 京は少しだけ、目の前の男に同情した。彼は恐らくこの闘技場に来たばかりなのだ、ここでのルールは単純、相手が死ぬか、自分が死ぬかだ。

 

 頭を砕いても良いし、心臓をぶち抜いても良い、骨をバキバキと砕くも良し、相手を立ち上がれないように叩きのめすか、審判が試合終了を宣言した時が終わりだ。尤も、このフィールドに審判など存在しない、つまりは建前という奴で、ピンチになっても救いの手など差し伸べられない。

 

 例外は格上殺し、何かの間違いで新人が有望な選手を殺しかけた時――つまり、闘技場の利益が損なわれる時、スポンサーと言う名のお偉いさんのストップが入る。このルールはどこまでも利益の為に設けられたモノだった。

 

 この地下闘技場を前世の格闘技に例えるのならば、何が最も近いだろうか。

 京はプロレスだと思った、見世物として、客を大いに盛り上げる為の試合――この場合は試し合いではなく、殺し合いだが。

 

「それではこれより、【闘技】第一幕、キョウ 対 クルギ の死合いを開始します アァ~観客席の皆々様に於きましてはリング上への干渉、妨害行為を行いません様、宜しくお願い致します――ってな訳でさァ、試合開始と行きましょォオオ!」

 

 この瞬間ばかりは慣れない。

 アナウンスが勝負開始を告げる瞬間、張り詰めた空気が爆発する前兆。闘志が殺意に、観客の興奮が絶叫に変わる数秒前。全身の筋肉が硬直して、心臓が動いていると自分でも分かる程知覚が鋭くなる。

 まるで空気が棘の様だ、京は小さく息を吐いた。

 

Get ready?(準備は良いかい?) ――レッツゥ、ファイトォッ!」

 

 試合開始のゴングが鳴り響く。

 

 銃声にも似たソレを聞き、京の体が今日(こんにち)この時まで叩き込まれて来た闘争本能を呼び覚ます。十年此処で過ごした、死ぬ思いもした、実際死にかけた、それを繰り返すうちに京の体は環境に適応した。

 

「う、おォおオオォオッ!」

 

 対戦相手の男が叫び、自身を鼓舞する。まるで引き攣った笑いの様な、或は悲観した悲しみを浮かべ絶叫。前世でこんな顔をしたまま街を歩けば、狂人だと思われるだろう。ガタガタと震えながら拳を振りかぶる男は余りにも痛々しい。

 

 拳はソレなり以上の勢いで京の腹部に飛来する、顔面は余りにも高く狙い辛かったのだろう、京のボディはがら空きだ、そもそも防御の構えすら見せない。

 

 京は敢えて動かなかった――否、動けなかった。

 それが京の役割だから。

 

 この闘技場での殺し合いは、単なる人間の闘争では無い、一種のパフォーマンスである。

 つまり、観客を楽しませなければならない。戦場で行う効率的で打算的、陰湿なモノとは訳が違うのだ。

 出来るだけ派手に、圧倒的に、勝利を脚色しなければならない。そこには勿論、相手の攻撃を『受ける』という必要性もある。

 

 だらこそプロレスと、京はこの死合いを表現した。必要があれば攻撃を受けよう、無抵抗で殴られよう、ソレが必要ならば。

 

 ――尤も、それ(攻撃)が通用するかは別の話。

 

 ゴッ! と肉同士が弾ける音がした。

 男の拳は確かに京の体に突き刺さった、腰の入った良い一撃だ、過去の彼なら悶絶して転げ回っただろう。

 素晴らしい。

 称賛に価する一撃だ。

 確かに強い。

 

 

 だが無意味だ。

 

 

 拳を打ち込んだ筈の男が、冷汗を流しながら歯を鳴らす。拳から伝わる感触、それが余りにも硬い。腹筋と言うには余りにも密度が高く、人間としては度が過ぎていた。凝縮された筋繊維の塊、審判者の言う『丈夫な肉体』という奴が遺憾なく発揮されている。

 男が京を見上げる。

 京が男を見下ろす。

 

 その表情は実に対照的であった。

 

「あ、アァああぁあアアアッ!」

 

 殴る、殴る、殴る、ただ殴る。

 全力で体を稼働させ、あらゆる角度でただ殴り付ける。その度に男の拳が軋み、鈍い痛みが走る。京の体が衝撃で揺れるが、その皮膚が赤く変色する事も、筋肉が緩む事も無かった。

 

 京の肉体は見掛け倒しなどではない、一目見ただけで分かる肉体の【厚み】、それがそのまま京の体に詰まっている。何度も拳をぶつけた男は、しかし徐々にその回転数を落とした。殴っても殴っても、殴っても殴っても、微動だにしないその肉体。

 

 男の拳が徐々に力を失い、遂には数歩退いてしまう。

 彼の攻勢は終わった、徒労と言う結果に。

 

「――もう良いのか?」

 

 京は男に問いかける、観客の絶叫の中でもソレは良く聞こえた。男の拳は京の肉体に傷一つ付けられず、逆に拳の方が赤らむ程であった。強度が違う、骨格が違う、なにより肉体の質が違う。

 

 男は歯を鳴らしながら京を見上げる。

 京は見せつける様に拳を掲げると、男の頬を小さく叩いた。

 

「良いか、良く聞け、今からお前をぶん殴る――ただ、ぶん殴る」

 

 それだけ。

 京はそう告げると、いくぞ、と声を掛けた。男は頭を抱える様に腕を突き出し、防御の構えを見せる。

 京はその動作を確認した後、無造作に、全力で、男の防御(ガード)の上からぶん殴った。

 

 人が宙を舞う。

 

 ミシリ、という筋繊維の軋む音。それから爆音が鳴り響き、殴られた男の体が地面に叩きつけられ、そこから凄まじい高さまでバウンドした。

 人外怪力、最早人の技とは思えない。

 

 京の一撃を防いだ男の両手は無残にも折れ曲がり、顔面に至っては陥没している。そのまま叩きつけられるようにぶん殴られた男は地面に叩きつけられ、その時点で絶命していた。高く宙を舞い、光に照らされた男の亡骸はグシャリと、地面に落下する。

 

 そこから湧き上がる観客の絶叫、興奮、熱という熱が伝搬し京の元へと雪崩れ込む。人の死を見て熱狂する、歓喜する、京はこの場所が嫌いだった。まるで人間の感情が悪魔そのものだと見せつけられている様で。

 

「勝者ァアア我らが王者ッ、キョウゥォオオオッ!」

 

 求められるがままに、拳を突き上げる。

 物言わぬ屍となった男の前で、堂々と勝利を宣言した。歓声が一際大きくなり、誰もがその絶対的な力の前に興奮を露にする。魔法を使わず、人間を吹き飛ばす怪力。

 生まれる時代が違えば、誰もがそう口にした。

 そんな事は、本人にとってどうでも良い事ではあるが。

 

 

 

「………ぁ」

 

 そんな彼を見る観客の一人、貴族御用達の特別観戦室。映像水晶を削り取った――京の前世で言うテレビに限りなく近い装置、それを眺める女性。

 

 仕立ての良い煌びやかなドレスに、艶々の髪の金髪。傷一つない手は特権階級の証、現在(アリーナ)で拳を突き上げる男とは、縁も所縁も無い貴族様。そんな彼女が、彼の雄姿に頬を赤らめ、目を惚けさせていた。

 

 元々父に連れてこられた場所だった、嫌々足を運んでみれば何と野蛮なと嫌悪した。しかし、初めて見た試合に彼女は魅入られた。あの男が入場した瞬間、胸が高鳴った。凄まじい肉体、整った顔立ち、粗暴だがどこか物腰の柔らかさを感じる所作。

 

 まるで躾けられた獣――縛られた暴力。

 欲しいと思った、心から思った。

 

 しかし、もし彼を傍に置くとして、果たして自分と釣り合うだろうかと考える。それは彼女に残った最後の理性、貴族としての矜持だったのかもしれない。

 

 顔は――貴族の社交界の中でも目を惹く美麗さ、正に美男と言って相違ない。更に強く、名誉もあり、見栄も良い。その奴隷階級という出自にさえ目を瞑れば欠点など無かった。

 そこまで考えて女は最後の鎖を断ち切った。元より、一度欲しいと思ってしまえば終わりだ、事あるごとに欲求が首を擡げる。

 

 過去の経歴など、どうとでも弄り回せる。階級は金で買えるのだ、幸いな事に女の家柄は国でも上位に食い込む大きさだった。その気になれば役所だろうが買収し、偽の戸籍を発行させる事さえ出来る。

 

 ――欲しい、誰かに盗られてしまう前に。

 

 人はソレを、一目惚れと呼ぶ。

 しかし彼女はその感情が何であるか理解していなかった、単純に、今まで手に入らなかったものが無かったから。ただ欲しいと思った、彼女から言わせれば、ただそれだけだった。

 

「お父様――お願いがあります」

 

 





 感想返し、少々お待ちください。
 オールド・ワンの方の執筆と合わせて中々時間が厳しく……申し訳ない(´・ω・`)


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悪魔の契約

「今日も素敵だった」

「それはどうも」

 

 個室へと戻った京をリースが出迎える。その表情はニコニコと屈託なく、心なしかいつもより上機嫌に見えた。試合後のリースはいつもそうだ、自分の仕事ではピクリとも表情筋を動かさないと言うのに、京の試合を見た後だと満面の笑みを浮かべる。

 

 人の死を見るのが好き、という訳では無いのだろう。それはまるで、京の戦う姿を見るのが好きと言った風だった。

 

報奨金(ファイトマネー)も結構貰えたよ、今日はお客さんの入りが良かったらしい、貴族も何人か来ていたんだって」

「ふぅん……身請け金に回すの?」

「そうするよ、手元に残ったのはこれっぽっち」

 

 そう言って京は苦笑いを浮かべる。彼が摘まんで見せたのは、小さな麻袋一つだけ。中には銀貨が三十枚ほど入っている。この世界で言う銀貨一枚は前世の千円札に相当する。

 

 本来ならば金貨百枚――凡そ百万円程度の金が京の懐に入り込んでもおかしくは無いのだが、京はソレを自分の身請け金に回していた。とどのつまり、自分で自分を買おうとしていた。

 

 しかし悲しいかな、名を上げれば上げる程報奨金は跳ね上がるも、その度に身請け金額も跳ね上がった。単純に京自身にブランドが付いたのである、結果金貨百枚二百枚では足りず、今では想像を絶する金額になってしまっている。

 

 かれこれ十年、身請け金を積み立てて来たが未だに目標金額には届いていない。聞けば既に京の身請け金は何十億と釣り上がっているのだとか。地下闘技場の稼ぎ頭、その第一位を手に入れるというのは相当な金が掛かるらしい。

 

「言ってくれれば私が出すのに……」

「それじゃ意味がないでしょう」

 

 口を尖らせてそんな事を言うリースに、京は肩を竦める。リースに金を出して貰って、仮に身請けして貰ったとしても、それは単純に持ち主が地下闘技場のオーナーからリースに変わったというだけだ。

 京は自分自身の手で自由を掴み取りたかった。

 

 その点は前世と違う、この世界では頑張れば自由を手に入れられるのだ。あの、いつ死ぬかも分からない日々、どれだけ頑張ろうと死という事実を突き付けられる無力感。それを考えれば、今の状況など優しいと思った。

 しかし、それはあくまで前世を経験しているからこそ、言える事なのだろうが。

 

「じゃあ京が私を買って、銅貨一枚で良い」

「……もう少し自分を大切にしてくれ」

 

 リースがとんでもない事を言い出したので、京は頭を抱える。少しだけ「マジで?」と思ってしまった自分を殴りたい、銅貨一枚とはつまり百円である。出血大サービスどころの話ではない、それで良いのか、駄目だろうリース。

 

 因みにだが、リースは既に自分自身を身請けして自由を手にしている。闘士として活動こそしているものの、その身分は奴隷階級ではなく一般市民だ。無論稼ぎは全て自分の懐に入って来る、闘技場でも屈指の人気を誇る彼女の稼ぎは京に負けず劣らず。

 

 リースは身請けして既に三年ほど経過しているが、その間に溜めた金銭はちょっとした豪邸が建てられる量らしい。恐らく京とリースが金を出し合うか、若しくはリースがちょっと本気を出して稼ぎ始めた上で貯蓄を放出すれば、この世界から脱却する事も出来るのだろう。しかし京はその話をずっと前から断り続けていた。

 

「リース、君はもう生き方を選べる立場だろうに……こんな場所からはさっさと出てしまって、自由に生きたらどうだい?」

「嫌」

 

 京の彼女を案じた言葉は、たった一言でバッサリと切り捨てられてしまう。彼女との付き合いも大分長くなってきたが、京の事になると鋼の様に頑固となる女性だった。確かに闘技場の中で古参と呼べるのはリースと自分、そして幾人かの友人だけになってしまったが、こんなにも親しい仲になるとは京自身思っても居なかった。

 

「京と私が離れるときは、きっと死ぬ時、お墓は一緒の所にして貰う」

「……さいですか」

 

 万力の様な力で抱き着いて来るリースに、京は力なく言葉を零した。

 そうこうしていると、ジリリッ! と聞き慣れない金属音が部屋に鳴り響いた。それは試合用のベルでは無く、業務連絡用の通信装置だった。魔法水晶を利用した少しばかり高価な代物だ、「邪魔、ごみ」と表情を歪めるリースに戦々恐々としながら、京は部屋の壁に設置された通信装置まで歩き、その表面に触れた。

 

「京です、コレを使うなんて珍しい、何かあったので?」

『あぁ、京か、丁度良い、リースに出られたら面倒だった、少し話したい事がある、今から上に来られるか? 重要な話でな、お前にとっても悪くない話だ』

 

 装置の向こう側から聞こえて来た声は京の持ち主――つまり地下闘技場のオーナーであった。少しばかり小柄な男性で、厳つい表情をしているが面倒見の良い兄貴分の様な人間だ。年齢は既に六十を超え、根は善人で、闘士としての教育こそ厳しいモノの、それは少しでも長く生きて欲しいという彼なりの優しさだったりする。本来ならばこんな裏商売に顔を突っ込む様な人間ではない、恐らく他人に言えぬ秘密があるのだろう。

 無論、その事に首を突っ込む気は無い。

 

 その彼が、少しばかり弾んだ声色で話していた。何か良い知らせでもあったのだろうか、京は首を傾げながら今から行く旨を伝えた。

 

「京、誰?」

 

 通信装置から手を放すと、フッと光が消える。京の話し声は聞こえたようだが、相手の声は対象者にのみ聞こえる。特に隠すような事でもないので、京は「少しオーナーに呼ばれたんだ」と素直に答えた。

 

 すると彼女の機嫌がみるみる悪くなる、試合は三日に一度の頻度なので、今日、明日、明後日は誰にも邪魔されず部屋で二人きりだと喜んでいたリースは、甘い蜜月――あくまで彼女視点――を邪魔されて不機嫌になっていた。

 

「何だろう、身請け金の途中報告かもしれないし、まぁすぐ終わると思うよ」

「……分かった、待っている」

 

 だから早く帰って来てね、と。

 リースは不機嫌そうに呟いた。京としてもそれ程長い用事になるとは思っていないし、これ以上リースの機嫌が悪くなると物理的に消滅しそうなので、早く帰って来ようと決めた。

 

 体育座りでベッドの上に転がるリースに苦笑しつつ、適当に身だしなみを整えた京は上――地上へと向かった。

 その背をリースは寂しそうに見送る。

 リースとて高々数十分、長くても一時間程度で戻ってくると思っていた。あの男は長話が好きだが、暇では無い筈だと。

 

 

 しかし、その日――京が部屋に帰って来る事は無かった。

 

 

 

 ☆

 

 

 

「どうだろうか、悪い話では無い筈だ、寧ろ破格の待遇だろう」

 

 現在、京は地上の応接間にて二人の貴族と対面していた。お得意様用に揃えられた調度品はどれも一級品で、隣に座るオーナーに至ってはいつもと違う煌びやかな服まで来ている。

 

 そういう京も、この応接間に来る前に裏方さんに掴まって、あれやこれやと服装を整えられた訳だが。前世ならばスーツとでも言えば良いのだろうか、日本に馴染みがある京からすると軍服の様な恰好だと思った。

 黒を基調とした服装、金色のボタンに飾緒まで垂れている。

 

 しかし元々大柄な男性が着用する為の服であっても、京が着るとパツパツだ。特に大胸筋や腕周り、脹脛のふくらみは一目で分かるレベルで、これならまだ普段着の方が良かったのではないだろうかと思った。

 

「はぁ……」

 

 京は目の前の男性――貴族然とした男の言葉に、気の抜けた返事をする。男の話は単純で、何と自分を身請けしたいという話であった。身請け金は既に用意出来ており、本人の意思確認さえ終われば直ぐに支払えると言う。

 

 京からすると驚くべき内容だった、というか自分も身請け金の積み立てをしていたのですが……と。

 

「無論、人並みの生活は保障しよう、君を兵士にするつもりもない、ただ我が屋敷で武官として勤めてくれば結構だ、なぁに、そんな難しい仕事ではないさ」

「はぁ……」

 

 何度となく繰り返される返事、目の前の男性は次々と身請け先の事を語ってくれるが、正直京としては「そんなん、突然言われても」という状態であり、右から左へと流れている。

 

 そして男性の隣に座す女性――恐らく娘か何かなのだろう、彼女は京が応接室に入ってからずっと視線を向けており、何となくその視線がリースから向けられる視線に似ていて、落ち着かなかった。

 

「武官の仕事は毎朝娘の警護をしてくれるだけで良い、後は屋敷の見回りとかね、君は腕に自信があるようだし、なんたってルドワークの秘蔵っ子だ、私もその点に惹かれてこの話を持って来た、訓練場で他の武官の面倒を見てくれるならボーナスも出そう、教官の真似事だと思ってくれれば良い、どうだろう?」

 

 京は男の視線を追って娘と呼ばれた女性に視線を向ける、何となく避けて顔を逸らしていたが、話に出されては視線を向けずにはいられない。そうして交わった視線、一方的な熱視線を受けていた京は少しだけ居心地悪そうに彼女へ微笑んだ。

 

 ぽっ、と擬音が付きそうな程に赤くなる頬、彼女は慌てて顔を逸らし、何でも無い風を装った。

 

「いや、しかし、その、ですね……オーナー、自分の身請けの積み立ては」

 

 今いくらですか、場合によっては断りたいのですが――と口にしようとした京の肩に、ポンと手が置かれた。それは隣に座るオーナーの手であり、京を見る彼の表情は驚く程穏やかだった。彼の顔がずいっと近付き、京の肩を強く掴む。

 

「京、オメェ、この地下闘技場を出た後、アテはあるのか?」

「アテ……?」

「そうだ」

 

 穏やかだが、真剣な声色で話すオーナー。その眼は確りと京を見つめており、本気で自分の身を案じているのだという事が分かる。アテ、とオウム返しした京に、オーナーは淡々と口にした。

 

「ここの闘技場での稼ぎは莫大だ、このまま稼いでいけば数年で自分を買い戻す事も出来るだろうよ、オメェは優秀だ、きっと稼ぐ――だがよ、その()はどうする? お前を買った俺が言うのもナンだが、外では人間ぶん殴って稼ぐなんて事は出来ねぇんだ、衣食住――食うモンも、住む場所も、自分の着るモンも、全部自分で用意しなくちゃならねぇ、誰も助けちゃくれねぇ、そんな場所に無一文で飛び出して、そンで、オメェ、どうするんだ?」

 

 オーナーの言葉を聞いて、「どうするって……」と言葉に詰まる京。日本であれば、フリーターでも何でも、取り敢えず仕事を見つけるだろう。しかし、この世界ではどうだ、そもそもバイトみたいな事は可能なのか?

 

 幸い、京は健康な肉体がある、顔も良い、場合によっては適当な職を見つける事が出来るかもしれない。しかし確実ではない、京はこの世界の字も読めないのだ、話せるし聞けるが、書けはしない。

 知人も、知り合いも居ない、頼れる人が居ないのだ、この場所を除いて。

 

 そこまで考えて、京は少しだけ恐ろしくなった。

 この世界から抜け出す事ばかりを考えていて、その後の事を少しも考えていなかった。そこまで考えが及んでいなかったと言っても良い、環境を抜け出す事ばかりに目をやって、その後を考えていなかったのだ。

 

 その点、リースは違う、彼女はこの環境を抜け出す為に貯蓄を行っていた。彼女は知っていたのだ、自身が【殺す(闘士)】以外で稼ぐ事が出来ないと、だから留まっていたのだと京は思った。

 

「……お前が良いなら、身請けした後も闘技場で戦って貰っても良い、自分の自由の為じゃなく、単純に金の為に殺せるって言うなら問題はねぇよ、オメェが居れば闘技場は安泰だしな――けどよ、お天道様に顔向けて、胸張って、真っ当に生きていますと言える仕事に就くチャンスは少ねェ、特に俺やお前の様な人間にはな」

 

 その通りだと思った。

 前の世界でも同じだ、一度裏に堕ちた人間は表に戻って来る事が困難。それは十年この世界に身を置いて知っている、自分を身請けして、外に出られるのは少数だ。しかしその中には意気揚々と外に出て行き、再びこの世界に戻って来る者も居る。外の世界で生きられず、泣く泣くこの世界へと戻って来た人間だ。

 

 環境が違いすぎるのだ、一度馴染んでしまえば、暴力の(価値)を知ってしまえば――容易には戻れない。

 

「だからよ、悪い事は言わねぇ、このチャンスを無駄にしてくれるな――可愛い息子が、いつまでもこんな掃き溜め(クソな場所)に居座るのは良い気分じゃねぇんだ」

「オーナー……」

 

 京を見るオーナーの顔が、ふっと緩んだ。それは慈愛に満ちた表情だった、十年、彼の元で過ごした、それは京にとっては長い時間だったし、オーナーにとっても長い時間であった。所有者と、所有される側、京は売られる側で、オーナーは売る側だ。

 

 しかし、オーナーにも人の情がある、六歳の時から面倒を見ていたオーナーからすれば京は自身の息子と言っても違いなかった。

 京は不意に切なくなった、何か言い表せない感情が胸を燻った。

 

 オーナーは京の肩に置いていた手を引っ込めると、上着のポケットから何かを取り出す。それは一枚のカードで、表面にはエンヴィ・キョウ=ライバットと書かれてあった。唯一読むことが出来る、京の文字。

 この闘技場に来た時に、オーナーが教えてくれた文字だ。京はこれしか読めない、これしか書けない。

 

「オメェの積み立てていた、身請け金だ、全部中に入っている、現金で渡しても良かったが、それだと邪魔だろう? 折角の貴族様からの身請けだ、キッチリ受けて胸張って生きろ、そんで――嫌になったら、この金でノビノビ暮らせ、一生分の金をオメェは十年で稼いだ、誰にも文句は言わせねぇよ」

 

 前半は堂々と、そして後半は向こう側に聞こえないように小声でオーナーは告げる。京はカードを受け取った、殆ど見た事は無かったが、前世で言うクレジットカードと同じ様なものだとは何となく理解していた。この中には京が稼いだ十年分の報奨金、それが丸々入っている。

 

「――窮屈な思いはさせないと約束しよう、我が家に迎えさせてくれ」

 

 貴族の男が京を見つめる、決定権が自分にあるとは理解していた。しかし、これだけの事をして貰って首を横に振る事は出来ない。

 自由を自分で勝ち取る事は叶わなかった、けれど差し出された手と恩情を無下に出来る程、京は腐っていない。それだけはしてはいけないと、そう思った。

 京は暫くの間唇を噛み、これからの未来に想いを馳せ、静かに頷いた。

 

「――宜しくお願いします」

 

 深く、深く頭を下げる。

 貴族の男が安堵の息を吐き出し、オーナーが鼻を啜った。

 それが正しい選択だったのかは、誰も知らない。

 しかし、ただ一つ言える事があるとすれば。

 

「――ッ!」

 

 京の目の前で、喜びの余り叫びそうになる体を必死に抑えつける貴族令嬢。彼女にとっては最高の選択であったと、その事だけは間違いない。

 





 オールド・ワンが進まない(血涙)

 本当なら闘技場に来た時から描写しようと思ったのですが、正直めんどく……取捨選択って大事だと思ったので、切り捨てました(`・ω・´)キリッ



 来週の地下闘技場~は。

    「リース、激おこ」
    「貴族令嬢、ママになる」の二本です。(嘘)


 それでは皆さん、次の投稿でまたお会いしましょう。


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憤怒

「は……?」

 

 場所は変わって京とリースの部屋。

 京が身請けされ、後々必要なモノは送ると言われ地下闘技場を後にした翌日、京は今頃屋敷に到着している頃だろう。

 昨日から一睡もせずに京を待っていたリースは、今朝早く部屋にやって来た係員に、らしくもない呆然とした顔を晒していた。それは(ひとえ)に、予想外の情報を聞いたから。

 

「……ごめんなさい、昨日から一睡もしていなくて、きっと寝ぼけていた、もう一度言って欲しい」

 

 淡々と、何でも無いようにリースは繰り返す。その額を軽く小突き、幻聴だったのだろう先程の言葉を振り払った。しかし、目の前の係員は同じ言葉を繰り返す。

 

「だから、君の同室(ルームメイト)は身請けされたんだって、昨日の昼頃に、詳しくは聞いていないけれど、大分良いところの貴族様に引き取られたらしいよ、それで彼の私物を片付けに来たんだ」

 

 その言葉は無慈悲にリースを貫いた。聞き間違いだ、幻聴だ、そう思いたいのは山々だがリースの冷静な部分が、コレは現実だと囁く。

 身請けされた、誰が?――京が。

 それで、私物を片付ける。つまり彼はもう戻ってこないという事だ、何故?

 係員の言葉が信じられず、リースはグルグルと思考を回す。京が身請けされた、どこぞの貴族に、しかも私に何も告げずに。

 嘘だ、ハッタリだ、あり得ない、あり得る筈が無い。

 

「嘘、嘘……」

 

 両手で頭を抱えて蹲る。

 シーツに包まれば、未だに京の香りが残っている。昨日まで此処は二人の居場所だったのだ、彼の、そして自分の家だったのだ。リースは知らず知らずの内に涙を流した、胸が張り裂けそうだった、唯一無二の人が消えてしまう、その絶望感。

 

 リースは最初悲しんだ、どうしようもなく悲しくなった。

 次に怒りが込み上げて来た、それは京を身請けしたと言うどこぞの貴族に。

 京は誰かに身請けされる事を嫌がっていた、リースが身請けすると言っても頑なに拒んだ位だ、唯一無二の愛する人すら拒んだのだ――

 それが、どこの誰とも知らない貴族に身請けされるなんて【あり得ない】

 何かある、裏がある。

 絶対に。

 

 ならばと、リースはシーツを跳ねのけてベッドから飛び出す。こんな場所で悲しんでいる暇は無いと、部屋から出る為に扉へと飛び付いた。

 

「ちょちょ、待って! 何処に行くつもり!?」

 

 係員の若い男が飛び出したリースの前に立ち塞がる。リースは扉まであと数歩と言う所で止まり、男を睨みつけた。

 

「退いて」

「そ、それは無理だよ、オーナーから言われているんだ、今日は試合の日だろう!? あと一時間で入場だ、それまでは待機だって!」

 

 男はリースの眼力に怯みながらも、辛うじて職務を全うしようとしていた。念を押されて頼まれた事だ、恐らく京が去ったと聞けばリースは後を追うだろうと、オーナーの予想は当たっていた。

 

「そんなの知らない、あのクソ爺(オーナー)の所に行く、私はもう奴隷じゃない、此処の人間に指図される謂われはない――退いて」

 

 僅かな殺意を込めて放たれた言葉に、男は自身の危機を感じ取る。しかし、彼とて雇われてこの場に立っている。職務に忠実なのは裏社会では当然の事だ、ましてや尻尾を巻いて逃げるなど論外。

 

「契約違反だ! ここで闘士をやる以上、試合の参加義務がブぅあガッ!?」

 

 男が理詰めで彼女を部屋に留めようとした瞬間、その腹目掛けて氷の塊が突き刺さった。それは拳ほどの大きさで、凄まじい速度で飛来した。氷柱(ツララ)の様な尖ったモノではなく、球状の物体。

 鳩尾にそんなモノを受けた男は悶絶し、そのまま(うずくま)ってしまう。

 

「弱い癖に、邪魔しないで」

 

 蹲った男を蹴り飛ばし、男は言葉も無く横に転がる。闘士でも無い男は不意の一撃によって完全に心を折られ、そのままリースを引き留める事は叶わなかった。

 扉を開けたリースはそのまま勢い良く走り出そうとする。まずはオーナーに逢って問い詰めなければならない。

 しかし、部屋を飛び出した瞬間、リースの足元から眩い光が奔った。

 

「ッ!?」

 

 リースが一体何だと足元に視線を落とせば、白い線で複雑な模様が石床に描かれていた。リースはそれを知っている、良く知っている。

 転移魔法陣――あらかじめ決めた位置に模様を描き、魔力を込めることによって発動する魔法の一種。ただし使用できるのは魔力を持つ者だけで、彼女の足元に描かれた模様の指定条件は一つ。

 魔力を持つ人物の無差別転移。

 明らかな狙い撃ち、リースが無断で部屋を抜け出すと分かっていた仕打ち。

 

「こんのッ!」

 

 リースがこれを仕掛けたであろう人物に呪詛を吐く前に、彼女の姿は掻き消えた。

 そして僅かな視界のブレの後、開けた視界に見えたのは――馴染みのある光景。

 歓声、熱狂、絶叫、人々が拳を突き上げて自分を取り囲み、頭上からは眩い光を放つ魔法石。通いなれた場所、フィールド・アリーナ。

 リースが突然の事に困惑し、周囲を見渡していると、アリーナの入り口に見知った男の姿が見えた。無数の観客を招き、この場所を作り上げた張本人が。

 

「ッ――ルドワークぅッ!」

 

 憤怒の雄叫び。

 呪い殺してやると言わんばかりの声色に、ルドワーク――オーナーは煙草を吹かしながら肩を竦めた。

 

「まぁ、そうなるわな――可愛い息子の門出を祝う位、良いじゃねぇか別に、ちっと早すぎるぜリース、もう少しゆっくり部屋で(くつろ)げよ」

「黙って、京は何処に居るの、誰に身請けされたの、答えて!」

 

 フィールドの中央に居たリースは、ズンズンと足を進めながらオーナーを問い詰める。しかしオーナーは全く話を聞かないリースの姿に、どこか呆れた様な表情を晒し、呟いた。

 

「はぁ………黙れと言う癖に答えろともいう、ちったぁ落ち着けよ――龍種(ドラゴニア)

 

 その言葉を聞いた瞬間。

 ピタリと、リースの足が止まった。

 それは彼女にとっての禁句だった、逆鱗であった。

 その単語を聞いた瞬間、僅かに眉間に皴が寄っていただけのリースの表情が、般若の様に歪んだ。それに引きずられる様にして彼女の周囲に炎が吹き上がり、白い肌の上に鱗がプツプツと浮き上がる。

 その瞳孔は開かれ、額からは二本の角が生え揃う。それは京には見せなかった姿、もう一人のリース(彼女)

 リースは好んで京の戦いを観戦していた、けれど京がリースの戦いを観戦した事は無い。彼女が何度も念を押して、「私が戦う姿は、見ちゃ駄目」と言い続けたからだ。故に京は知らない、この姿の事も、力の事も。

 

「言ったな、人間(ヒューマン)、理解した上で――言ったな……?」

 

 リースは激怒する、神羅万象全てを焼き尽くす炎を纏いながらオーナーを睨んだ。その殺意に満ち溢れた視線は、例えどんな豪傑であろうと怯んでしまう程だった。しかし、オーナーは決して退かない。

 

「おぉ怖い怖い、そんだけ京の事が気に入っていたって事か――まぁ、そんだけ好いておいて、悪いんだけどよ、アイツの事は諦めてくれや、京には普通の幸せって奴を手に入れて欲しいんだわ……それに、オレも随分歳を食った、親父が死んだ歳より五年も長生きしちまった、もう良いだろう、潮時だ、ンだからよ」

 

 オーナーはそこまで口にして、パンパンと手を二度叩く。するとオーナーの後ろ、選手入場口――ゲートから何人もの闘士が現れた。その数は十、二十、三十と増えていく、どれも知らない顔ばかり、恐らくこの時の為に雇った闘士だ。

 

 ――自分が死ぬと、理解している闘士だ。

 

「さぁて、今日も御集りの皆さまッ! このグラモワール闘技場、最初で最後の大乱闘ッ! 主役は皆様もご存知、我が闘技場の(プリンセス)、リース・ヴァルヘイルッ! 対するは他所闘技場から買い集めた歴戦の闘士百名ッ、雑兵と侮るなかれ、出身はグルードの軍事国家育ちッ、並みの闘士とは訳が違うッ!」

 

 闘技場に鳴り響くアナウンス、それは他ならぬオーナーの声。スペシャルマッチだと、何かのイベントの一つだと、そう客に叫び伝える。成程、リースをこの場に留める為の戦いですら、この男はビジネスにするつもりなのだと。

 ぞろぞろとフィールドに足を踏み入れた闘士が、リースを囲う様に並ぶ。その手には一本の剣、素手格闘が主であるこの闘技場では異例の事態。リースは彼らが純粋な闘士では無い事に気付いた、余りにも剣を持つ手が自然である為に。

 その様子は拳で戦う人間ではないと、そう彼らは、戦場で戦う様な――兵士だ。

 

「どちらが勝つか、最強に挑む百名の勇者か、はたまた闘技場の(プリンセス)かッ!? さぁ、竜退治(ドラゴン・スレイヤー)の伝説に挑む歴史的な瞬間、人々(同胞)よ――ご照覧あれッ!」

 

 そう、大仰に手を広げて叫んだオーナーは、自らも一本の剣を掴んだ。そしてリースの前に立つ。

 堂々と、悠然と。

 

「――碌に剣を振った事も無い商売人(ゴミクズ)、死ぬと理解(わか)って挑む気?」

「なぁに、人間五十年、ちぃと長く生き過ぎた、死に刻位、自分で選ばせてくれや」

 

 対峙する両名、今にも射殺してやらんとばかりの視線を向けるリース。そしてリースの視線を一身に受けながらも不敵な笑みを絶やさないオーナー。

 リースが全身から一際強い炎を噴き出し、オーナーと闘士諸君が剣を構える。人類が龍種へと挑む、圧倒的強者に、種族的弱者が。闘士たちの額に一筋の汗が流れた。

 

「お前は容易く殺さない――京の場所を吐くまで、精々苦しめ」

「そりゃぁ良い、手加減してくれるなら大歓迎だ、精々お手柔らかに頼むよ」

「京の居場所――絶対吐かせる」

「――死んでも吐かねェよ、やってみろ童」

 

 大勢の人類が見守るフィールド・アリーナ。熱狂、歓声、それらが世界を包む中、二人の人生を左右する戦いが始まろうとしていた――

 

 

 

 

「どうして邪魔するのッ、人の恋路を邪魔する奴は馬に蹴られて死ねッ!」

「龍種の繁殖能力は知っているぞ畜生めッ! アァ、リース!? お前、京が寝ている間に何回襲ったよ!? アイツの食事に睡眠作用のあるカルフェ草を入れたのは知ってンだぞ!?」

「ん、なっ――お、襲ってなんて無い! あ、あれは唯、ちょっと京が疲れ気味だったから、私は京がゆっくり休める様にって……!」

「休めるどころか枯れて死ぬわッ! オメェ、加減ってモンを知らねぇンだよ! アイツの次の日の顔を見ただろうが、カッサカサのホッソホソだったぞ!? あの巨躯が見る影もねぇ! お前どんだけ搾り取ったんだよ!?」

「じゅ――十回しかしてないもんッ!」

「充分多いわ色ボケ龍種(ドラゴニア)がァッ!」

「あぁあッ!――また言った! また言った、龍種(ドラゴニア)って!」

「何回も言ってやるわバーカッ! バーカバーカッ! この色狂いのヘッポコドラゴン!」

「ッぅ――! 殺すッ、絶対殺すッ!」

「ハハハハッ、ノロマの龍種(ドラゴニア)! やってみろ龍種(ドラゴニア)! おぉ? ほら来いよ龍種(ドラゴニア)!」

「っ、待て……! 逃げるな商売人(ゴミクズ)ッ!」

「ダッシュッ、商人(ルドワーク)ダッシュッ……! 走れッ、風の如く――!」

 

 

 

 ……始まろうとしていた――!

 

 




 昨日と今日の二日、ランキング一位ありがとうございます。
 一時間でお気に入りが200とか増えた時は正直「うそん……」ってなりました。
 とても嬉しいです、ヤンデレに魅力を感じてくれる人が増えてくれるならば本望……!

 世界にヤンデレが満ち溢れればきっと世界平和間違いなし。
 愛は世界を救う(真顔)

 (ただし痴情の縺れは除く)


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守護者

「リースに何も言わずに来てしまった……」

 

 地下闘技場から三区離れた一等貴族地、アルデマ家の屋敷、武官として身請けされた京は割り振られた個室のベッドに転がっていた。部屋には値段を聞くのも憚られる様な素晴らしい調度品が並び、今自分が転がっているベッドなど天蓋すら付いている。

 

 極力触らないように努めてはいるものの、此処に案内してくれたセシリー――京を身請けした貴族の娘――は好きな様に使ってくれて良いと言っていた。今日から此処が京の家となるのだ、しかし京からすれば落ち着かないというのが本音である。壊したら法外な値段を請求されそうな光を放つ家具は指紋を付ける事すら躊躇われた。

 

 この世界の大都会を初めて見た京は、その規模に最初驚き、そして貴族地にある屋敷の大きさに再び驚いた。

 国内有数の貴族だけが許される土地というだけあって、土地の大きさも屋敷の規模も前世今世合わせて平々凡々な生活を送っていた京には見た事もない程であった。散歩したら一時間は敷地内を歩き回る羽目になるのではないだろうかと、そんな事を考えてみる。尤も、リースであれば魔法か何かで浮いて簡単に見て回ったり出来るのだろうが。

 

 そのリースに関しては、オーナーが「俺から事情を説明しておく、何なら手紙を送ってやれば良いさ、毎月届けてやるよ」と満面の笑みで告げられていたので、特に別れの挨拶もせずに出てきてしまっていた。

 京も本当ならば一言二言だけでも挨拶しておきたかったのだが、身請けした貴族側とオーナーが一日でも早い屋敷への移動を望んでいた為、私物を後から屋敷に送るとオーナーと約束を交わし、着の身着のままこの場に居る。

 

 リースは怒っていないだろうか、泣いてはいないだろうか。

 

 京とて彼女の事は好ましく思っていた。好意を向けられて嬉しくないと言い張る程、天邪鬼でもない、「結婚する?」と聞かれて「したい」と答える程度には好きだったのだ。少しだけ、我儘を言っても挨拶をしておくべきだったと後悔したものの、やはり身請けして貰った身でという気持ちも強かった。

 

 京はポケットの中から一枚のカードを取り出す、オーナーから手渡された京の全財産、十年の結晶。それを大事に握りしめ、これがあればリースと生きていく事も出来るのではないかと考えた。

 

 軽いノリで結婚と口にする彼女だ、好かれているとは自覚しているものの、それは一種の冗談(ジョーク)なのかもしれないと思う。けれど、病魔に犯され恋愛の「れ」の字も知らなかった前世、例え手酷くフラれる未来だとしても、経験は大切な糧となる。そう前向きに考えてみた。

 多分、実際にフラれてしまったら少し凹むだろうが――いや見栄を張った、物凄く凹むだろう、そもそも告白紛いの事を出来る自信が無い。「好き」などという言葉はたった二文字でしかないが、それを面と向かって口にするのは非常に難しいという事を京は知った。

 

「……取り敢えず、真っ当な職に就けたんだ、落ち着いたら手紙を送ってみよう」

 

 焦る事は無い、時間は自分の味方だと言い聞かせる。リースが闘技場で敗北する未来など見えないし、常勝無敗の彼女の事だ、適当に稼いだらフラっと闘技場を出るかもしれない。そうなったらオーナーに頼んで行き先を教えて貰おうと、或はオーナーから自分の居場所を聞いているかもしれない。そうしたら、逢いに来てくれたりするのだろうかと。京はそんな事を考えて、小さく息を吐き出した。

 

 京がぼうっと天井を眺めていると、コンコンと扉をノックする音が聞こえた。慌ててベッドから飛び起きて、「はい」と通る声を上げる。すると木製の扉が静かに開き、向こう側からセシリーが顔を覗かせた。その頬は僅かに赤い。

 

「セシリー様」

「……様は要らないと、言ったでしょう?」

 

 京が彼女の名前を呼ぶと、セシリーは少しだけ拗ねた様にそっぽを向いた。京は慌てて、「すみません、セシリーさん」と呼び直す。彼女は何故か様を付けて呼ばれる事を嫌がった、流石に拙いのではと思ったが、父親であるヴィルヴァ氏からも、「娘の良い様にしてやってくれ」と言われているので、さん付けを心掛けてはいる。

 彼女は京の部屋に一歩入った後、軽く周囲を見渡し、一つ頷いてから京に向けて言った。

 

「武官制服が出来上がったわ、私と一緒に来て、装備一式を支給するから」

「えっ、もう出来たのですか?」

「えぇ、昨日から申請していたもの――兎に角、グズグズしないで、さぁ、急ぎなさい」

 

 そう言うや否や、セシリーはスカートの裾を翻す。京は慌てて彼女の後に続き、部屋を出た。

 武官制服、装備一式。それは武官に支給される職務用の装備と制服で、京の場合は体格が体格なのでオーダーメイドの必要があると言われていた。なので京としてはそれなりに日数が必要だろうと思っていたのだが、どうやら仕事が早いらしい。

 京の部屋から数分程歩いた場所にある『武官室』とプレートの掲げられた部屋、道中特に会話も無く周囲の景色を眺めながら歩いていた京は、「ここよ」と声を掛けられて部屋に足を踏み入れた。

 

「お待ちしておりました、セ――シリー様」

「えぇ、ウドール、彼の制服は準備出来ていて?」

 

 武官室と呼ばれる部屋はかなり大きく、中には休憩室の様なスペースとロッカーがズラリと並んでいた。数が多く、恐らく武官が準備を行うための場所なのだろう。

 部屋の中に髭を蓄えた男と一人のメイドが並んでいた。髭の男は貴族と言われても不思議ではない恰好をしていて、メイドの方も屋敷のメイドとは異なる服装をしている。

 この屋敷に来てからメイドと言う存在を何度か目にしたが、何と言うか未だに慣れない。見ていると何となく落ち着かなくなるのだ。

 

 髭を蓄えた男――ウドールはセシリーに頭を下げて挨拶を口にし、その途中京を見て口を止めた。恐らく規格外の大きさに驚いたのだろう、京としては自分が首を傾げなくても通れる屋敷の扉の大きさに驚いたが。

 しかし彼とてやり手の商人、すぐさま自分の失態を恥じ、京を意識の外へと追いやった。

 

「はい、勿論です、ホルス服飾店に至急で製作させました、寸法も完璧にオーダー通りです――こちらを」

 

 そう言ってウドールが差し出したのは、皮張りのケース。セシリーが京を見上げ、「さぁ」と促す。京は自分が受け取るのかと驚き、戦々恐々としながらケースを受け取った。そのままセシリーに言われるがままケースを開け、中を覗く。

 

「……おぉ」

 

 そこには丁寧に畳まれた一枚の制服が入っていた、白を基調とした武官用の制服で飾緒に片方の肩が隠れるマント。京は闘技場で着ていた正装よりも大きい造りの制服に感動し、それからコレを自分が着るのかと考えて少し恥ずかしくなった。

 前世の自分からすればまるでコスプレだ。

 

「一度着てみなさい、ルドワークから貰った資料通りならピッタリだと思うけれど、もし大きすぎたり小さすぎたら、もう一度寸法を合わせるから」

「えっと、分かりました」

 

 セシリーに言われ、京はケースから制服を取り出した。そしてその場で素早く上着を脱ぎ捨て、ズボンに手を掛ける。するとセシリーが慌てて「ちょ、ちょっと!?」と叫んだ。見ればセシリーは頬を赤くして、指の隙間から此方を見ている。

 ウドールも驚愕に目を見開きながら呆然と京を眺め、隣のメイドは動揺を悟られない様に直立不動を保ちながらも、僅かに濡れた目で京を見ていた。

 京は数秒ほど硬直し、それから自分が公衆の面前で着替え始めたという事実を理解する。地下闘技場での生活が余りにも長く続いたため、そういった事に鈍感になっていたのだ。

 

 リースと共に生活をしていた時は互いに素っ裸になっても気にしなかったし――ただし時折リースから感じる強烈な視線は気になっていた、尚リースの裸に関しては鋼の精神を以て自制したと言っておく――着替えで一々肌を隠すという行為が頭の中から抜け落ちていた。

 

「その……何と言いますか、立派な体ですな、ライバット氏」

 

 視線を泳がせたウドールがそんな事を口にする。人前で肌を晒す非常識さや、流石闘技場育ちの野蛮人と皮肉を飛ばす予定だった口が、全く異なる言葉を紡いだ。それだけ、京の肉体は驚異的であった、少なくともウドールが過去見た事が無いほどには。

 

「あぁっと、すみません、突然……闘技場では肌を隠すと言う習慣が無かったもので――では、少しの間失礼して」

 

 ウドールに苦笑いを向け、それからさっさと済ませてしまおうとズボンをぐっと下げた所で、その腕にセシリーが飛び付いた。

 

「待っ! あっ、貴方ッ、何故まだ着替えを続行しますの!?」

「ファッ!? えっ、あの、だって着替えろとセシリーさんが……」

 

 突然飛び掛かって来たセシリーに京は驚き、困惑する。予想以上の怪力で掴みかかって来たセシリーは、絶対にズボンを降ろさせまいと京に密着し、それからキッとウドール――正確に言うと、その隣のメイドを睨めつけた。

 

「貴方の肌を他の(ばいた)に見られッ――ごほんッ! そ、そちらに着替え用のスペースがあるのよ! こんな場所で着替えないで頂ける!?」

 

 途中まで何かを叫んでいたセシリーは、一度咳払いした後にウドールの背後にあるカーテンで仕切られたスペースを指差した、彼用に急遽用意された特別スペースである。京はセシリーの言葉に、「あ、着替えのスペースあったんですね」と頷き、制服を掴んで着替えスペースへと足を進めた。

 

「……その、凄まじいですな、彼は」

 

 その後ろ姿に、ウドールは万感の思いを込めて言った。

 体格は大きく身長もある為、見栄が良い。それで顔が残念だったら闘技場上がりだからと蔑めるが、その顔立ちは凛々しく美しい。更には情報によると闘技場ではトップを張っていたとか、腕っぷしも折り紙付きだ。

 その非常識さも含めて、だが。

 

「え、えぇ……こちら側としては、心臓に悪いわ」

 

 セシリーが心なしか疲れた表情でそんな事を言う、ウドールは、「ははは、確かに、何をしでかすか分からない恐ろしさがありますな」と笑ったが、セシリーは首を横に振った。

 

「道を歩けば女が寄って集って、しつこく何度も話しかけられる、本当に害虫よ、喧しい事この上無い、それで万が一何も知らず付いて行ったりしたら……私が付いていないと駄目ね、買い主だもの、私が買ったのだから、だからこれは権利よ、私には彼を独占する権利がある、本当に心配で堪らないわ――あぁ、心臓に悪い」

「えっ?」

 

 聞こえて来た言葉に、ウドールは疑問符を浮かべた。しかし直後に、「何でもないわ」とセシリーが微笑む。ウドールは先程の言葉の真意を確かめようとして、しかし彼女の笑顔に何か底知れぬ威圧感を感じ、口を閉ざした。

 これは触れてはならない類のものだと、直感的に悟ったのである。商人の勘は時として命を救う事がある。先の言葉は忘れよう、ウドールという男は何も聞いていないと。

 

「あの、すみません」

 

 そんな事を思っていると、部屋に京の声が響いた。ウドールが()かさず「どうしました?」と声を掛けると、カーテンの向こう側から申し訳なさそうな声で京が言う。

 

「実は、ちょっと服の着方が分からなくて――コレ、どうやって着たら良いのでしょうか」

「あぁ、そういう事でしたら――ヘテラ」

「はい」

 

 ウドールが隣のメイド――ヘテラに声を掛ける。すると彼女は一つ頷き、カーテンの方へと足を進めた。メイドが主人や客人に服を着る補助を申し出る事は何ら不思議な事ではない、この場に於いてもごく自然な仕事の一つであった。何よりヘテラ自身も、美男子で筋肉質な男性に奉仕できる事に若干の喜びを感じていたりした。

 ヘテラがカーテンの目の前まで足を進め、「失礼します」といざカーテンの中に入ろうとした直前、その肩に手が置かれる。

 

「駄目よ」

 

 セシリーである。

 にっこりとした笑顔で、しかし有無を言わせぬ威圧感を伴ってヘテラの肩を握りしめていた。ミチミチと嫌な音を立てる肩に、ヘテラは表情を崩さぬまま冷汗を掻く。

 

「ウドール、貴方が手伝ってあげなさい」

「はっ? あ、いえ、しかし――」

「ウドール」

「アッ、はい」

 

 メイドを引き留められ、突然指名されたウドールは言われるがままにカーテンの向こう側へと消える。私の仕事ではないとか、何故男の着替えを手伝わなければならないのだとか、そういう不満はセシリーの笑みで吹き飛んでしまった。

 どうやらこの男はセシリー様にとっての特別らしいと、ウドールは戦々恐々としながら思った。

 

「――一応、これで大丈夫な筈です」

態々(わざわざ)すみません、ありがとうございます」

 

 一分、京が着替えに掛かった時間である。ウドールがカーテンを引いて京のお披露目をすると、セシリーが感嘆の息を吐いた。

 彼が着れば実に絵になるだろうと思ってはいたが、想像以上であった。

 白は貴族に好まれる色で、顔立ちが美しく体格も良い彼が着用すれば宛ら聖騎士の様な印象を見る者に与える。上下白の武官服、胸に輝く【守護者(シュヴァリエ)】の模様、肩に掛かったマントは専属武官の証。金の飾緒が良いアクセントとなり、彼の筋肉を程よく見せながらも、ゆったりとした着こなしは確実に周囲の女性の目を惹く。

 セシリーだけではなく、ヘテラですら見惚れる始末。

 

「男の私から見ても、実にお似合いです」

「そうですか? ありがとうございます、そう言って貰えると嬉しいです」

 

 ここまで来ると完敗だと、どこか吹っ切れた様な表情で言うウドール。実際彼から見て、その服装は良く似合っていた。単純に男性から似合っていると言われた事に嬉しさを感じた京は、嬉しそうに、しかし少しだけ恥ずかしそうな表情で笑う。

 セシリーはその屈託のない笑顔に惚れ直しながらも、小さく自分の手を抓って自分の意識を覚醒させた。痛みでも与えておかなければ、トリップしてしまいそうだったのだ。

 

「んんっ、京、少し此方(こちら)に」

「? はい、セシリーさん」

 

 頬を赤らめながらも何とか恰好を崩す事を回避したセシリーに呼ばれ、京は彼女の前に疑問も抱かずに立つ。「少し屈んで下さる?」と威圧的に命令され、京は慌ててその場に片膝を着いた。

 

「ふぅ、ごほんッ、では――(わたくし)、ヴァン・シヴィルハッサ・ジ・アルデマ=セシリーの名に於いて命じる、常に私の剣となり盾となり、厄災を振り払う光と成れ、その身は我が家と共に在り、守護者エンヴィ・キョウ・アルデマ=ライバット――

 

 その健やかなるときも、病めるときも、喜びのときも、悲しみのときも、富めるときも、貧しいときも、私を愛し、私を敬い、私を慰め、私を助け、その命ある限り、真心を尽くすことを誓いますか――いえ、誓いなさい」

「ん……はて? セシリー様、守護者就任の文言が違いま――」

「部外者は口を慎んで下さる?」

「アッハイ」

 

 京は突然告げられた事に驚き、そして後半何やら聞き覚えがあるなと思った。しかし、この世界の風習やら何やらに疎い自分が聞き覚えがあるなどと、そんな筈はない、気のせいだと頭を振った。

 しかし、何と答えれば良いのか。京は少しの間悩み、セシリーの前で情けなく眉を下げた。脇で石のように固まっているウドールを他所に、セシリーは京に向けて柔らかく微笑む。

 

「そんなに硬くならないで、真っ直ぐ私の目を見て――『誓います』と一言口にすれば良いの、何も難しい事は無いわ、簡単でしょう?」

「えっと……はい」

 

 優しい笑顔を向けられ、京は小さく息を吸う。これが儀式的なモノだとは理解しているが、こういった経験が皆無である京にとっては緊張の瞬間であった。故に「文言の内容は良く分からないが、きっと彼女の武官になる為に必要な事なのだろう」と、実際それ程気負わずに、それこそ「今日ヒマ?」「うん、暇」と言うレベルの気軽さで京は口にした。

 

「誓います」

 

「ッっぅ~~! ――素晴らしいわ」

 

 身悶え、歓喜のガッツポーズを隠し切れないセシリー。それを真摯な目で見つめる京、どこか羨ましそうに二人を見つめるヘテラ。

 (のち)にウドールは語る、「あれは半ば詐欺()みていた」と。

 

 

 




 感謝ッ、感謝の六千字ッ――!

 読者の皆さんに感謝を伝えたくて倍の量を書きました。
 まさか三日続けてランキング一位になれるとは思っておらず、評価して頂いた方も百名を超え……此処まで来ると若干のプレッシャーを感じて参りました今日この頃です。
 布団に入って「こんなの読みてぇ」なんて妄想していた物語がこれだけ多くの方に読まれているという事実に、何と言うか嬉しいやら恥ずかしいやら非常に居た堪れない気分です、はい。

 兎にも角にも、これだけ多くの方に応援して頂いているので、引き続き執筆の方、頑張っていきたいと思います。評価、感想、どしどし送ってくれると嬉しいです、バッチコイ。

 


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家族と妹様

 今回はヤンデレも無いほのぼの回です。


「屋敷内を案内するわ、この家は無駄に大きいし、迷ったら嫌でしょう?」

「いえ、しかし、セシリーさんに案内して頂くなんて、そんな」

「あら、私の案内では不満?」

 

 明らかに分かって聞いている、実際セシリーの表情は悪戯する子どものソレだ。京は苦笑を漏らしながら、「そんな訳ないじゃないですか」と肩を竦めた。

 ウドールから武官制服を貰った後、京とセシリーは午後を屋敷探検に費やす事にした。

 そして始まったセシリー主導の屋敷案内、彼女の言った通り屋敷は非常に広く、確かに地図でも無ければ迷ってしまいそうだった。()()に広いかどうかは、人の感性に依るだろうが。

 

「此処が食堂、こっちは中庭よ、真っ直ぐ行くと花園(フラワー・ガーデン)があるわ、フェルビっていう園芸師が手入れしているの」

 

 人が千人は入れそうな巨大食堂、ズラリと並んだ長テーブルに椅子。京は前世の病院食堂を思い出していた、システムとしては大して変わらない。中庭は食堂からも真っ直ぐ行ける様になっていて、花園と同様に屋敷の使用人にも開放しているのだとか。

 どうにも、この屋敷には貴族の次男坊や次女が多く在籍しており、そう言った施設の運営にはそれなりに力を入れているらしい。やはり高位の貴族ともなれば相応の屋敷が必要なのだろう、改めて凄まじいところに身請けされてしまったと実感する。

 

「後はそうね、遊技場(カジノ)とか乗馬場とか、水泳場(プール)なんて施設もあるわ」

「……貴族って、凄いんですね」

「凄いから貴族なのよ」

 

 いや、その通りです。

 一体どれほどの金を費やしているのか、恐らく京が一生かけても目にする事は無い大金だろう。いや、闘技場に一生籠って戦い続ければイケるだろうか、何て意味のない事を考えてみたりする。

 

「京も自由に使って貰って構わないわ、守護者(シュヴァリエ)には我が家と同じ権利が認められているから――何なら遊技場で一山当てる事も出来るわよ?」

「あぁ、いえ、賭け事(ギャンブル)は経験が無いので……」

 

 京は申し訳無さそうに眉を下げながら、やんわりと利用を断る。前世の人生、その殆どを病室で過ごした京は勿論ギャンブルなどの経験がない。よって京の頭の中ではギャンブル=ドラマやアニメの中の、ヤクザとかマフィアとかがゴロゴロ居る、何か良く分からないけれど怖そうな感じと言う、なんとも残念なイメージになっていた。

 

 あれでしょう? 何か運良く勝っても「テメェ、イカサマやりやがったなゴラァ!?」 「アァン!? 俺はタコサマじゃワレェッ!」って因縁つけられて喧嘩に発展するのでしょう? ヤダ、怖い、絶対行かない。

 

 京の肉体があればこの世界のヤクザ紛いの人物も一発ノックダウン可能なのだが、当の本人はヤクザやマフィアの様な存在に自分から近付きたくないと思っていた。闘技場の存在が前世でいうヤクザやマフィアのソレに近い、しかし京はその事に全く気付いていなかった。

 

 そもそもの話、セシリーが言った『一山当てる事も出来る』とは、本家に名を連ねる人間――アルデマ家の一員になった今なら、遊技場に足を運べば運営側が配慮して何をやっても勝たせてくれるという意味で言ったのだ。それこそ、その立場を利用して一財産を築く事も出来るだろうと。

 しかし、ソレを京はやんわりと断った。

 それがセシリーの目には金に目の眩まない、無欲で清廉な人間に見え、増々(ますます)好感を抱いた。尤も最初からカンスト(上限値)近い好意を抱いていたので、大した変わりは無かったが、兎に角京の言葉に好感を抱いたのである――好感を抱いたのである!

 

「ふふっ――(わたくし)、貴方のそういうところ、好きよ?」

「えっ、あっ、ありがとうございます――俺もセシリーさんの事好きですよ」

「―――――」

 

 絶句。

 

 その言葉に尽きる。

 それとなくジャブを当てるつもりで、京に好意をアピールしたところ、特大のカウンターを当てられた気分であった。

 無邪気な「好き」、下心や俗物とは全く反対にある純粋な好意、恐らく自分を身請けしてくれたからとか、こんな自分に良くしてくれたからとか、真っ当な職を用意してくれたからとか、そういう前置きが幾つか入るのだろう、しかしセシリーにとっては兎に角破壊力抜群であった、好きの言葉が頭をリフレインする。

 

 無論、京に自覚は無い。リースが気軽に京に対して「結婚する?」「もう子づくりしちゃう?」「(むし)ろする、した」と真顔で告げる様に、京も気軽(ジョーク)に好意を伝えただけに過ぎない。その表情が少しだけ照れた様な、恥ずかし気であるのはリースの様な親しい仲ではなく、知り合って間もない女性に口にするからであった。

 相手にどう映るかは別として。

 

「はァッ――!」

「せッ、セシリーさんッ!?」

 

 セシリーが突然胸を抑えてその場に蹲る。セシリーの心臓が早鐘を打ち、過剰供給された熱が頬を赤く染めた。その額にはじっとりと汗を掻き、セシリーは京に顔を見られない様にと俯く。

 

「だ、大丈夫ですか? 誰か人を呼んで――」

「大丈夫よっ! えぇ、大丈夫、私は大丈夫だから」

 

 京が慌てて人を呼ぼうとするが、セシリーは彼の裾を掴んで叫ぶ。二人きりで屋敷を歩ける機会を逃して堪るものかと。

 下手をすると頬が緩んで、へにゃっと無様に緩んだ顔を見せそうになる、しかしソレを何とか堪え絶妙に笑ったような、引き攣った様な表情で京を見上げた。

 

「ほ、本当に大丈夫ですか? 顔赤いですよ……体調が悪いなら、自室で寝ていた方が」

「本当に大丈夫よ、少し、そう、少し足を(もつ)れさせただけなの、だから問題無いわ」

「胸を抑えた様にも見えましたが……」

「気のせいよ」

 

 貴族には知られたくない事があるのだ、何も聞くな、斯く在れかし(そういうものである)

 京はセシリーを心配そうに見つめ、彼女は震える足で立ち上がり深呼吸を繰り返す。落ち着くのよセシリー、この程度で恥ずかしがっていては彼と結ばれるのなんて夢の又夢だと。そう言い聞かせ自分の精神の安寧を得る。

 そう、この程度――それこそ「好き」程度で赤面していたら、彼を抱き絞めたり、キスしたり、ましてやその先、「大好き」や「愛してる」なんて告げられた日には。

 

「はァッ――――!」

「セシリーさんッ!?」

 

 彼に真剣な表情で「愛してる」なんて言われた日には、恐らく悶えた上に心臓が破裂して死ぬ。そんな想像をしたセシリーは先程以上の衝撃に襲われ、再度崩れ落ちた。誰が見ても自爆である、しかし彼女とて十九歳の乙女、しかも碌に恋愛経験のない真っ(さら)な女性であったのだ。

 

「セシリーさん、やっぱり医務室に行きましょう! 何かの病気ですよ、放っておいたら悪化します!」

「い、嫌よっ、絶対嫌ッ! 医務室に運ばれる位なら舌を噛み切って死んでやるわッ!」

「そんなに医務室が嫌いなのですか!?」

 

 差し出された京の腕にしがみ付き、イヤイヤと首を横に振るセシリー。その赤く染まった表情も、僅かに濡れた瞳もそのままだ。セシリーは二人きりで屋敷を散策すると言うデートに近い行為を決して手放しはしないと抵抗する。今日は屋敷内の使用人が多く出払っており、伸び伸びと散策できる唯一のチャンスなのだ。

 京は京で、絶対これは風邪をひいていると確信し、無理して案内していたのだと見当違いな方向で自分を責めていた。

 互いに互いを誤解していた、しかし肝心の誤解を解く人物が居なかった。京は迷う、自分の意思としては今すぐにでも医務室に連れて行きたいが、しかし自分の主人であるセシリーの意向に反する、それは果たして許される事なのだろうかと。

 

「お、お姉様?」

 

 そんな京の迷いを審判者(神様)が聞き届けてくれたのか、或いは単なる幸運か。京が振り向くと食堂の入り口に何やら見慣れぬ女性が立っていた。

 髪色はセシリーと同じ金髪で、しかし彼女のように長い訳ではなく、肩の辺りでバッサリと切られている。その顔立ちは幼く、年齢は京と同じか更に下に見えた。セシリーがパッとした美人であるなら、彼女は可愛らしいと言える女性だ。服装は貴族らしい仕立ての良い、しかし落ち着いたドレスでセシリーとは対照的である。

 これは何というタイミングだろう、京は大いに喜ぶ。

 セシリーを「お姉様」と呼ぶ関係から、本家の人間だと推測できる。ならば彼女ならセシリーに意見出来る筈だと、京は呆然と立っている彼女に言葉を投げ掛けた。

 

「すみません、少し宜しいでしょうか!?」

「えっ、あっ、はい」

 

 こんな食堂で座り込んで一体何をしているのか、という視線を中断し、彼女は声のした方――京を見る。

 彼女は最初、京という男の大きさに驚き、それから彼の纏う守護者(シュヴァリエ)の制服に更に驚き、最後はこれでもかという甘いマスクに胸が不自然にときめいた。最初は姉の奇行に目が行くばかりで隣の男に意識が微塵も行っていなかったが、見てみれば中々どうして美しい男だ。

 彼女の心臓が早鐘を打ち、知らず知らずの内に喉が鳴る。

 視界に映った純白の武官制服を着こなす、体格の良い美男。はて、こんな男性が屋敷に居ただろうかと考えるが、それよりも先に熱い感情が胸の内に湧き上がった。セシリーの実妹という事は体内に流れる血が同じと言う訳で、つまり男性の好みもまた同じ。

 要するに彼女はセシリーと同じ感情を一時的とは言え、抱いてしまった。

 

「ぁ」

 

 ポッと頬に赤みが差す。しかし幸いな事に彼女――ユーリはセシリーと違って欲望に真っ直ぐ突っ込んで行く様な性格では無かった。比較的理性的で、寧ろ好意を抱いた対象に関しては、背後から延々と眺め続ける事で満足する様な人種であった。

 セシリーがデートをすっぽかされて、彼氏の家まで特攻していく様な女性であるならば、ユーリは彼氏が来るまで五時間でも六時間でも雨の中待ち続ける様な女性だ。

 また、彼女は見た目相応に幼く、それが恋心だとは気付いていなかった。ユーリ的には稀に見るレベルの容姿を目にして、「あっ、カッコイイ」程度の認識である。この場に於いてそれは非常に幸運な事だった。

 

「実はセシリーさん――あぁ、いえ、セシリー様が体調を崩してしまって……セシリー様の妹様ですか?」

「あ…えっと、そうです、ユーリって言います」

「良かった――ユーリ様、どうかセシリー様を説得して……」

「だ、大丈夫って言っているでしょう? 京、(わたくし)のいう事を聞きなさい、ユーリもよ! それと京、私の事は様と呼ばないでと何度も……!」

 

 京の裾を掴んだままセシリーは声を荒げ、ユーリは自身の姉の姿に困惑する。確かに言われてみれば顔も赤いし吐息も乱れている。熱があるのではないかとユーリは考え、セシリーに早足で近付くと額に手を当てた。

 熱い、驚く程熱い。

 ユーリは京を見上げると一つ頷き、セシリーの肩に手を置いた。その表情は酷く優し気で、病人を労わるソレである。

 

「お姉様、熱があります、一度医務室に向かいましょう」

「やっ、だからッ、私は――」

「お注射は痛くありませんから……ね?」

「ちッ、違いますの、私は別にお注射が嫌でこうしている訳では――!」

 

 そこまで口にして、ユーリは京の裾を握っていた手を無理矢理解き、「さぁ姉様、大人しく医務室に行きましょう」とズルズル彼女を引っ張っていく。必死に手を京に向けて伸ばしながら、セシリーは「嫌ですわっ、嫌ですわ!」と叫ぶ。その姿には貴族の威厳など欠片も見えず、京も思わず微妙な表情を浮かべた。彼女の普段の貴族然とした姿からは想像も出来ない滑稽さである、経緯を知らなければ二度見するレベルだった。

 

「それでは、京――さん、でしたか、お姉様の事は任せて下さい」

「すみません、宜しくお願いします」

 

 京はユーリに深く頭を下げ、ユーリは数秒ほど京を眺めた後医務室に向かって歩き始める。セシリーも途中で観念したのが、涙目で京を見つめ続けるだけに留まっていた。

 いや、しかし風邪をひいた主人を自分の都合に引っ張り回す訳にはいかないと、心を鬼にして見送る。やがて廊下の向こう側に二人が消えた事を確認し、京は独り安堵の息を吐いた。これで少し療養すれば、きっとセシリーさんも回復するだろうと。

 

 無論、彼女は風邪などではない。

 

 そして京は三分後に迷子になった。

 

 




 ポンコツお嬢様が良いと言うから……。


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娘と父

 前回までのあらすじ
 
リース「ぶっころ」
オーナー「しんじゃうらめぇぇぇえ」
京「屋敷広スギィ!」
セシリー「京クンカクンカ」
ユーリ「たまげたなぁ…」


 

「いやはや、突然呼び出して済まないね」

 

 セシリーが原因不明の不機嫌に襲われて数日。

 京はセシリーの父であり、この屋敷の主人であるヴィルヴァ氏から呼び出しを受けていた。彼はアルデマ家の当主であり、多忙の身である。しかしどうにも、この屋敷の生活に馴染めたかどうかが気になって呼び出したとの事。それの為に通常よりも早く仕事を切り上げ、多少無理もしたとか。

 京としてはそこまで気に掛けて貰っているという事実に頭が下がる思いで、二つ返事で彼の呼び出しを受けた。そして日が沈みかけた夕方、不機嫌なセシリーをどうにか宥め、彼の私室へと足を運んでいた。

 

 ヴィルヴァの私室は非常に本が多く、部屋の壁には本棚がズラリと並んでいる。京は文字読めないので何の本かは分からないが、恐らく文字が読めたとしても内容が理解出来ない難解なものなのだろうと思った。

 中央に向かい合ったソファーが二つと、間に長机が一つ。その上には紅茶が湯気を立てて置いてあり、ヴィルヴァは小瓶から砂糖を掬っていた。その表情は穏やかで、瞳は優し気に京を見ている。

 

「屋敷での生活はどうだね? 不足しているものは無いかい? 何かあれば遠慮なく言って欲しい」

「いえ、十分過ぎる程です、こんなにも良くして頂いて、これ以上を望んだら罰が当たります」

 

 相変わらず謙虚なものだとヴィルヴァは笑う。淹れたての紅茶を手に取り、静かに香りを楽しむ。「うむ、中々上手く出来た」と呟くと、京にも紅茶を勧めた。前世では良く飲んでいたものだが、紅茶なんてものを口にするのは本当に久しぶりだ。京は少しばかりの砂糖を溶かした紅茶をゆっくりと口に含み、その美味しさに顔が綻ぶ。

 

「――美味しいです」

「そうだろう、レティシンベルグから取り寄せた少々値の張る葉を使ったんだ、いやはや、この味が分かる若者が居て嬉しい限りだよ」

 

 本当に嬉しそうに笑うヴィルヴァを見て、京もまた嬉しそうに笑う。彼とは大した接点を持たない京ではあるが、ヴィルヴァという男に対して京はオーナーに近い雰囲気を感じ取っていた。

 面倒見の良い兄貴肌、兄貴と呼ぶにはオーナーもヴィルヴァも歳を取っているが、本質は何も変わらない。

 

「セシリーが君を守護者(シュヴァリエ)にすると言い出した時は驚いたが――まぁ、選ぶ決定権は本人に有る、何よりあの場所(闘技場)で君に惚れた私が口を出す訳にはいかない、両親としても、一人のファンとしてもね」

「何だか身に余る職を頂いたみたいで……少し不安です、職務を全う出来るかどうか」

「なに、君なら問題ないさ」

 

 長年君を見続けてきたのだ、私が保証しよう、と。ヴィルヴァは力強く頷く、彼は長く地下闘技場に通い詰めていた常連であり、オーナーとも個人的な繋がりを持っている男だ。試合は勿論見ていたが、何よりオーナーから色々と聞かされていたらしい。ヴィルヴァはカップを静かに置くと、長く息を吐きだした。

 

「……何も聞かないのだな、京君――貴族が地下闘技場で流血沙汰を鑑賞しているなんて、当人からすれば不快極まりないだろう?」

 

 ヴィルヴァは苦笑を浮かべ、ふとそんな事を口にした。それは責められても仕方ないといった風な表情で、しかし京は首を横に振る。確かに褒められた趣味ではないだろう、しかしそれで自分が救われたのは事実だった。

 

「……いえ、そんな事は」

「君は優しいのか、気弱なのか分らんな……まぁ、それも君の美点なのだろう」

 

 しかし、自分の意見は確りと主張しなければならないぞと、ヴィルヴァは京に告げる。今世と前世併せて随分と長い時間を生きた京ではあるが、精神的な面では全く成熟していないという自覚があった。

 ははは、と乾いた笑いを零しながら頬を掻く。

 元々大した人生経験がないという事もあったが、何よりも精神が肉体に引っ張られているというのが京の見立てだ。これはこの世界に生を受けた時から感じていた事だが、感情と理性が別々に働いている様に感じていた。

 

 五歳の頃、村の子どもと言い争いになった事があった。子供特有の微笑ましい争いだ、馬鹿とか、嫌い、とか、そういう喧嘩だ。本来ならば子どもの罵倒など笑顔で受け流して当然なのだが、当時の京はそれが出来なかった。ついつい感情のまま罵り合ってしまったのだ。

 前世の精神を引き継いでいるのならば、あり得ない失態だった。無論、前世の京が子どもに馬鹿にされてムキなる人間だった、という訳ではない。文字通り、精神が肉体に引っ張られているのだ。

 つまり、今の京は十六歳相応の精神しか持ち合わせていない。

 前世から持ち越した精神も存在しているのだが、『京太郎』という男の精神は既に死んでいると言っても良い。知識もある、自意識もある、朧げだが記憶も多少ある、性根は何一つ変わっていない、しかし一度リセットされた人間性は年相応の幼さを京に押し付けていた。

 

「地下闘技場が問題無く運営出来ていたのは、ヴィルヴァ様のようにお金を落としてくれる存在が居たからです、でなければ既に廃れて閉鎖されています、なら闘士の皆が生きていられるのもヴィルヴァ様のお陰――感謝する事はあっても、責める様な真似は出来ませんよ」

「君は……そうか、体だけではなく、心も大きな人間だな、君は」

 

 まさかと京は笑った。

 この幼さには苦労させられた、否、今現在もしていると言って良い。けれどコレがなければ京はとっくに壊れていただろう。闘技場での過酷な訓練と、そして日々続く命のやり取りに擦り切れて。

 子どもの適応力の高さは京を救った、恐らく審判者(神様)が精神を(いじ)ったのはこういう理由だろう。

 異世界は、日本人(マトモ)の精神でやり直すには、余りにも残酷が過ぎる。

 

 ヴィルヴァは深くソファーに背を預けると、胸元から何やら小さなケースを取り出した。ソレを開くと中にはズラリと煙草が並んでおり、一本口に咥えると発火器で火を灯す。発火器は棒状でダイヤルを回すと火が出る道具だ、前世のライターと同じ役割を持つ。

 ヴィルヴァは煙をゆっくりと吐き出しながら、何かを思い返すように遠くを見ていた。

 

「……最初は地下闘技場など閉鎖させるべきだと思っていたのだがね、君には少し酷な話だろうが――あの場所もまた国にとって必要な場所だったのだ」

 

 特に若い頃は、どうにかできないものかと躍起になっていた、と。

 ヴィルヴァは自分の恥ずかしい過去を暴露する様に笑った。

 

「何はともあれ、まずは知らなければならなかった、そこで何が行われているのか、どうして未だに存続しているのか――そして知った、行き場のない孤児や奴隷の受け皿、最後のセーフティネット、もし()の場所がなければ町に孤児や奴隷、浮浪者が街に蔓延っていたと、犯罪率も上昇したかもしれん、業腹だが地下闘技場に居れば十歳までは平穏に生きられる、少なくとも路上で腹を空かせ死ぬ事はない、無論試合で殺される確率もあるだろうが、延命装置の意味合いも強かった」

「はい、分かっています、自分も拾われたのがオーナーで幸いでした」

 

 人を殺す場所に押し込められて、幸いだ――なんて言う日が来るとは思わなかったが。しかし京は腹の底からそう思っている、少なくとも娼館になど買われた日には小さい頃から幼児愛好者の相手をさせられたに違いない。そうなったら自分の未来はどうなるか、余り考えたくはない。

 奴隷商の手に渡った時点で人生は二択になる、直ぐに死ぬ羽目になるか、ゆっくりと死ぬかだ。

 

 物好きな貴族に身請けされれば、或いは使用人や愛人として生きていく事も出来るだろう、しかしそんな事は滅多に起きない。そしてその中でも比較的『アタリ』と言えるのが地下闘技場だった。

 十歳までは試合には出されないし、毎日三食ご飯も出る。衣食住が保証され、他と比べれば平穏に日々が過ごせる。九歳からは試合を見越した訓練が始まるが、怪我をすれば治療だって受けられるのだ。路上で野垂れ死ぬよりは何倍もマシだろう、何より努力によって死に抗えるのだ、だからこそ京は死に物狂いで訓練した。

 

「本来ならば国政によって、そういった者を救う施設か何かを作るべきなのだろうが――王は国民に関心が無さ過ぎる、貴族と王族の権威を高める事ばかり、これではまるで……いや、何でもない、忘れてくれ京、この国の貴族として口に出すべき内容ではなかった」

「忘れろと言うなら忘れます、何か思うところがあるなら、吐き出して下さい」

「――そう甘やかしてくれるな、京」

 

 肩を竦め、困ったように笑うヴィルヴァ。京は少なからず彼の力になりたいと思っていた、自分に出来る恩返しなどそう多くはない。愚痴を聞く程度ならばお安い御用だ、誰にも言い触らすつもりはないし、その意味もない。

 半分程に短くなった煙草を灰皿に押し付け、ヴィルヴァはこの話は終わりにしようと告げた。残念だが、京としても無理矢理に吐き出させるつもりはない、彼がまた話したいと持った時にでも聞こうと一人決意し、頷く。

 

「そうだ、ユーリに逢ったそうだね、本人から聞いたよ――あの子はセシリーと違って大人しいだろう、頭は良いのだが何分(なにぶん)引っ込み思案でね、出来れば偶に話し相手にでもなってやって欲しい、ユーリも喜ぶだろう」

「自分で良ければ……セシリーさんをとても慕っているように見えました、姉妹の仲が良いのですね」

「あぁ、小さい頃からずっと仲が良かった、自慢の娘達だ」

 

 ユーリとセシリーに関して話すヴィルヴァは楽し気で、実に饒舌だ。目に入れても痛くない娘の事だからだろう、京は先日出会ったユーリの事を思い出す。芋づる式にセシリーの情けない姿が浮かんだが、それは思考の外に追いやった。

 

「セシリーは気が強くて、昔は良く衝突していたのだが……………」

 

 そこまで話してヴィルヴァは、何かに気付いた様に口を閉じた。その額に僅かな汗が滲み、京を見つめていた瞳が左右に揺れる。京が一体どうしたのだと首を傾げれば、何やら言いづらそうに口に手を当てた後、「あー、京、君は気の強い女性は嫌いかね?」と問うてきた。

 

「は?」

 

 突然の問い、京は思わず疑問の声を上げた。それは予想だにしていなかった言葉で、頭の中に浮かべていたユーリの姿が掻き消える。

 

「えっと、気の強い女性、ですか……何故その様な事を?」

「その、なんだ、ユーリは随分と落ち着いているだろう、君としてはそういう女性の方が好みなのかと心配になってだな」

「――?」

 

 一体何の事だ、何の話をしている、何故心配する。

 京は困惑を顔に張り付ける、するとヴィルヴァは悪い想像を浮かべたのか、彼の顔がサッと蒼褪め、「嫌いなのか……?」と暗い声色で問うてきた。

 

「えっ!? あっ、いや、別に嫌いという訳では……」

「――! そうか、それは良かった!」

 

 何が良いのだろうか、益々分からない。

 しかし上機嫌になったヴィルヴァは数秒後に再び微妙な表情となり、更に十秒後には頭を抱えていた。

 京は預かり知らぬ事だが、ヴィルヴァはセシリーが京に対して好意を抱いている事を知っており、他ならぬ彼がセシリーをどう思っているのか気になったり、しかし可愛い娘を嫁に出すには少しばかり早い気が――等々、様々な事を考えていたのである。

 更にここで彼の頭の中には妙に上機嫌なユーリの姿が浮かび上がった。屋敷内で妙に背の高いイケメンに出会っただの、服装が似合っていただの、今考えれば正に恋する乙女である。常に淡々と生きているユーリがあそこまで興奮した姿を見せたのは久しぶりだった、先ほどは話し相手になって欲しいと言ったが……もしや二股か、二股なのか!? とヴィルヴァは京に対して血走った眼を向ける。

 

「!?」

 

 ヴィルヴァが突然殺してやるとばかりの視線を向けて来た為、京は驚きに肩を震わせた。その視線はネットリと何か絡みつくようで、とてつもない執念を感じさせる。自分が何かしたのだろうかと狼狽えると、妙に真剣な表情をしたヴィルヴァが重々しい声を発した。

 

「京――正直に答えて欲しい、君は……セシリーとユーリ、どちらが好みだ?」

「はっ――えっ?」

 

 本格的に意図の分からない質問に、京は大いに慌てた。何故その様な事を聞くのかと問いかけようとして、しかしヴィルヴァの放つ空気が答え以外は受け付けないという威圧感を発しており、京は口を噤んだ。

 これは忠誠心でも確かめられているのだろうか、そんな事を考える。大体京はセシリーの事は兎も角、ユーリの事など少ししか知らない。そもそもセシリーとて知り合って数日の間柄なのだ、それで好みだ何だと聞かれても答えられないというのが正直なところ。

 

「……せ――セシリーさん?」

 

 苦肉の策だった。

 こういう場合は主を立てるべきだろうと、京は判断した。最後が疑問形なのは自分の判断に確信が持てなかったからだが、優柔不断な京としては比較的迅速な判断であったと言える。後は正解か否かの審判を待つだけだった、しかしソレはテーブルに落とされた拳によって遮られた。

 ガシャン! とカップが音を立て、中の紅茶が僅かに零れる。

 

「京ッ、君はユーリが可愛くないと言うのかね!? えぇ!?」

「ヘァッ!? えっ、あの、すみません! ――じゃ、じゃあユーリさん?」

 

 再び拳がテーブルに落とされた。

 今度は灰皿からタバコの吸い殻が飛び散った。

 

「京ッ、君はセシリーが可愛くないと言うのかッ!?」

 

 あっ、これ無理だ。

 あちらを立てれば、こちらが立たず。

 

 圧倒的な親馬鹿力を前に、京は一人、無限地獄を悟った。

 

 

 





 日間、週間、ルーキーでのランキング一位ありがとうございます。
 今回も少々長くなってしまい、5400字となってしまいましたが、分割せずに投稿しようと思います。 
 毎日投稿を心掛けてはいますが、もし投稿されない日があったら「ヤンデレを探して三千里しているんだろうなぁ」と海のような広い心で待って頂けると狂喜乱舞します、ストックなしで書き続けているので、ぶっちゃけそろそろ書き溜めが欲し(ry

 次回はリースの「京を探して三千里」です。


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最愛を求めて

 リースは現在、地下闘技場から抜け出し都市部を散策していた。その恰好は旅人の様な軽装で、上にローブを羽織っている。腰にポーチを引っ提げ、その眼は剣呑な光を放っていた。

 

 オーナーとその闘士を軒並みフルボッコにし――特にオーナーに至っては私怨も込めて念入りにボッコボコにした――それでも口を割らなかったオーナーを捨て置いて、彼の部屋を三日三晩漁った。本当なら殺してやろうと思っていたのだが、彼の部下と馴染みの闘士が涙と鼻水を滝の様に流して救命を願い出たので見逃してやった。無論、挑んできた百名の闘士は皆殺しにしたが。

 オーナーを見逃したのは同情とか憐みとか、ましてや(ほだ)されたと言う訳でもなく、単純に他の面々に鼻水を衣服につけられたく無かったからだ。京のならば喜んで受けるが。

 それと万が一身請けした貴族が見つからなかった場合、もう一度ボッコボコにして聞き出してやろうという魂胆もあった。

 

 京を身請けした貴族が望んだのか、或はオーナーがリース対策で行ったのかは分からないが、部屋に情報資料は殆ど残っていなかった。それでも諦めてなるものかと、京への愛情を燃料に不眠不休で漁り続けた結果、オーナーが隠していた取引名簿を見つける事が出来た。部屋を探索中に床の凹みに偶然気付き、カーペットを捲り上げたところ隠し倉庫が存在していたのだ。

 取引名簿、その最新の取引相手、詳細は書かれていなかったが国内である事は分かった。

 そして、京が消えた翌日に来た男の言葉――「大分良いところの貴族様に引き取られたらしいよ」

 

 国内の、それなりに大きな貴族。

 少なくとも京の身請け金をポンと出せる程度の財力はある貴族、更には地下闘技場にも顔を利かせられる家柄。地下闘技場は言うまでも無く合法ではない、しかし違法かと言われれば違う。

 言うなれば灰色(グレーゾーン)、誰もが存在を知っているものの、しかし決して糾弾しない世界の暗黙の了解(裏の法律)、そこには表の有権者が入り浸る事もある、いや、寧ろ表の権力者であるからこそ裏でも権力が生きるのだ。

 そこから察するに、国内でも有数の大貴族だろう。下手をすれば守護者(シュヴァリエ)持ちであるかもしれない。

 

 リースは表通りを歩きながら、小さく舌打ちを零した。大貴族という事は相応の権力と義務を持つ、表立って大きな動きは出来ないはずだが、逆に言えばその権力と有り余る財力を使って京という一人の人間を世界から隠す事など造作もない。

 これがどこぞの中小貴族ならば単身乗り込んで京を強奪するという事も可能なのだが、相手が国の中枢に食い込む存在だと面倒な事この上ない。京と二人で危険な愛の逃避行というのも中々どうして魅力的な案ではあるのだが、不用な苦労を京に与えるのはリースの本意ではなかった。

 

 その苛立ちが周囲に伝わっているのだろう、体格から少女と見られてもおかしくはない彼女だが、周囲の人々はリースを避けて通っている。すれ違う人々の表情は蒼白だ、その纏う雰囲気が余りにも恐ろし過ぎる為。本来ならば人の喧騒で賑わっている表通りも、彼女の周囲はまるでお通夜状態だった。

 

「情報屋を雇うか、或はルドワーク(ゴミクズ)の顧客を総当たり――いえ、何なら他の貴族から情報を集めるのも手……焦らなくても良い、京が国内に居る事は分かっている、時間は敵じゃない、(むし)ろ味方」

 

 ブツブツとリースは睡眠不足の頭で考える。その姿は傍から見れば非常に不気味なのだが、当の本人は気付いていない。

 京と言う人間を隠しても、その活動の痕跡を完全に消し去る事は出来ない。外に出れば誰かの目に触れるし、人の口に戸は建てられない。ましてや貴族は噂好きだ、京は体格が良いし顔も世界一カッコイイ、非常に腹立たしい事だが貴族令嬢の一人や二人虜になっていてもおかしくはない。

 なら、その令嬢が彼の情報を流すのも時間の問題。

 

 問題は、どうやって京を取り戻すかだった。

 

 仮に相手が大貴族だった場合、屋敷の警備はそれなり以上に厳重だろう。リースも自分の能力に絶対の自信を持ってはいるが、潜入(スニーキング)は全くの専門外だ。彼女が得意とするのは真正面から入り込んでの索敵必殺(サーチ&デストロイ)、しかしそんな事をすれば第一級犯罪者待ったなしだ。

 そうなれば国外逃亡する他ない、この国の周囲は全て同盟国で固められているので、高跳びして遠方の――出来ればこの国と同じ程度の国力を持ち、外交関係の悪い国に逃げるしかない。折角高跳びしても、国家間指名手配などされて強制送還されたら目も当てられない、そもそもリースは兎も角、京は相手に顔を知られてしまっているのだ、素性が割れている以上国に留まるのは危険すぎる。

 しかしそうなると大陸を渡る事になるのだが――追手のある中での密航、かなりリスクの高い選択肢だ、頼るのは自然と非公式の船団になるだろうし、足元だって見られる。出来れば穏便に済ませたい。

 

 最善はリースの顔が割れずに、騒ぎになる事無く京を連れ出す、コレに尽きる。最終的に京が消えて騒ぎにはなるだろうが、正面切っての殴り合いで京を連れ出した直後に騒がれるよりは良い、一日か半日か、数時間だけでも構わない。それだけの時間があれば京を連れて距離を稼ぎ、海に出る事も出来るだろう。

 

 ――時間は味方だと先程は言ったが、リースの感情からすると時間は敵だ。何故なら身請けされた京がどんな扱いを受けているか分からないから。

 通常、闘士を身請けした貴族は自分の武官(ボディガード)か、或は愛人として扱う。

 武官として扱われるのならば良い、京は元々地下闘技場でも最強と名高い男だった、そう簡単に死ぬ人間ではないし、リースはその点に於いては彼に全幅の信頼を置いている。しかし後者は駄目だ、貴族のでっぷり太った(ババア)に購入されて毎日の様に可愛がられているなど考えたくはない、考えたくはないが――あり得る話なのだ。

 

 京は世界一カッコイイ、格好良いからこそ、あり得ないと否定する事が出来ない。

 もし後者だったら京を奪還するだけでは済まさない、この世の地獄を見せてやる、()の最愛を奪った人間の末路、生きていた事を後悔させてやらなければ気が済まなかった。

 考えるだけで(はらわた)が煮えくり返る、リースはギチッと握りしめられた拳に気付き、ゆっくりと深呼吸を行った。こんな所で怒りを抱いたって仕方がない、喚き散らせば京が戻って来るならそうするが、実際は何も進展しないのだから。

 

「……あった」

 

 そんな事を考えながら歩いていると、リースは目的の場所に辿り着いた。表通りにひっそりと建っている、他の建物と比較すると少々小さい雑貨屋。相当年季が入っているようで、壁には汚れや傷が見える。窓から店内の様子を探れるが、客が入っている様子はない。閑古鳥の鳴いている不人気の店、第一印象はそれだった。

 

 看板には【フロッグ雑貨店】の文字、猫を象った随分ファンシーな看板だ。

 リースは暫しの間店の外見を眺め、それから扉に手を掛ける。チリーンと客の来店を知らせる鈴が鳴り、カウンターに肘を着いた女性が声を上げた。

 

「いらっしゃいませぇ~」

「……」

 

 やる気のない挨拶だ、リースでなくともきっと同じ様に思うだろう。

 リースが店内を眺めると、スプーンや皿、コップといった物から子どもが遊ぶような木製の玩具まで幅広い品物が棚に並べられていた。随分ラインナップが多い、けれども売れている様子は無い。中には埃を被っている品物まである、掃除くらいはして欲しいものだ。

 リースは中々の綺麗好きだった。

 

「ごゆっくりどうぞ~、あ、でも夜まで居座るとかは勘弁して下さいね~、私六時には寝たいんでぇ~」

 

 女性は恐らくこの店の店員だろう、くせっ毛の茶髪に眠たげな目元が特徴的だ。服装は私服の上にエプロンを身に着けている。愛嬌のある顔立ちなのだろうが、リースにとっては京以外の人間など、どうでも良い事であった。

 

「……別に、雑貨を買いに来た訳じゃない」

 

 どこか間延びした口調の女性を相手に、リースは淡々と告げる。女性は首を傾げ、リースは懐から一枚の金貨を取り出してカウンターに置いた。

 その瞳は仄かに危険な光を発し、声色は氷の様に冷たい。

 

オーダー(注文)――エンヴィ・キョウ・ライバット、身長百九十七センチの大柄な男、元地下闘技場選手、数日前に貴族に身請けされた、かなり高位の家柄、彼の居場所が知りたい」

 

 リースがそう告げると、女性は驚いたような表情を貼り付け、それから納得した様に頷いた。

 

「あ~……ソッチ(裏側)のお客さんでしたか、そりゃまた失礼しました」

 

 そう言って置かれた金貨を手早く回収し、「手数料、確かに頂きました~」と口にした。それからカウンターの裏から紐で綴じられた分厚い紙束を取り出し、パラパラと捲り始める。恐らく情報屋としての商売道具だろう、此処は表でこそ雑貨店を営んではいるが、裏では情報屋として名のある店であった。

 リースは店の奥から微かな殺気を感じ取る、用心棒か、或いは傭兵か。どちらにしても情報屋としての備えは万全らしい。

 

「えぇっと、男性で体格が良い、地下闘技場の選手で大貴族に身請け――年齢と、あと何日前の事か教えて頂けますかぁ~?」

「……歳は十六、身請けされたのは三日――いや、四日前」

「ふぅん~……」

 

 パラパラと何枚もの紙を捲って三十秒ほど、女性は難しい顔をしたまま紙面を見つめる。膨大な情報の中から合致するモノを見つけ出すのは一苦労だろう。しかし幸運な事に比較的早く情報は見つかった、彼女の手がとある一枚で捲る手を止めた。

 

「――三日前に『一等貴族地特別入居許可証』が発行されていますねぇ~、普通の貴族が申請するものではなく、市民以下階級を住まわせる為の」

「特別入居許可証の発行……それは確か?」

「国民管理官には此方(こちら)に情報を売ってくれる優しい方(バカ)が多くいらっしゃるのでぇ~、確かですよぉ~」

「そう……」

 

 京の入居許可証かもしれない、そうリースは考える。しかし決めつけるのは早計だ、もし他の貴族が何らかの理由で申請していた場合、無駄足になってしまう。裏付けが必要だ、少なくとも動くに足る情報が。

 

「他には?」

 

 リースは女性に問いかける。パラパラと再び紙束を捲る女性、しかしその表情は優れない。どうやらコレといった情報は無いらしい。

 

「ん~……貴族地に向かう馬車は幾つか確認されていますが、行先はバラバラですねぇ、何か目立った情報も無いですし、そんな大きい男性の目撃情報もなし――個人依頼(プライベート)なら確実に何か掴んで来ますけど、どうしますかぁ~?」

「料金は?」

「前払いで金貨百枚(百万円)からです~」

「――分かった」

 

 リースは一言で承諾し、懐からパンパンになった麻袋を取り出した。

 普通ならローブの中にも入らないようなモノだ、無論最初から持っていたモノではない。彼女の魔法を利用した物体転移である。女性は差し出された麻袋を手に取り、それから中身を確認した。中に入っていた金貨を一枚無造作に取り出すと、何やらジッと見つめだす。

 

「警戒は不要、全部本物」

「……どうやらその様で、いやぁ、すみません、余りにも簡単に支払うから驚いてしまってぇ~――ともあれ、毎度ありがとうございますぅ、情報は二日から三日後に届きますので、もう一度足を運んで頂くか、指定された場所に此方の者が出向きますのでぇ~……」

「なら、この区の宿屋『フリープの宿』に人を寄越して、部屋は203」

 

 わっかりましたぁ~と声を上げる女性。リースは既に用はないとばかりに踵を返し、雑貨店を後にする。チリーンと再び鈴が鳴り、人々の喧騒が響く表通りに戻って来た。その背後に「またのお越しを~」と間延びした声が掛かる。

 

「……待っていて、京」

 

 リースの手は、確実に迫っている。

 

 

 



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母の腕

「京はどうして外に出たいの?」

「うん……?」

 

 地下闘技場の中に用意されたリースと京の部屋、黙々と筋力トレーニングに励む京に、そんな彼をジッと見つめ続けるリース。そんな状態を続けて一時間、ふとリースがそんな事を問いかけて来た。

 

「此処に居れば、お金が沢山貰える、ご飯も出るし、二人きり、他の煩い女(害虫)も居ない、出て来る闘士はゴミクズばっかりだし、負ける心配なんて皆無、別に無理して出る必要もない」

 

 リースはベッドに寝そべりながら、一瞬も京から目線を逸らさずに淡々と言う。それはある意味では正しい選択なのだろう、リースの様な強者だからこそ許される言葉。害虫という言葉は良く分からなかったが――周りに敵は無く、三日の一度の怠い試合さえ消化すれば快適な空間と成る闘技場、人を殺すという点のみを度外視すれば成程、彼女にとっては楽園の様な場所なのだと思った。

 

「ん……どうして、か」

 

 京は腕立てを中断し、言い淀む。それは彼女の言葉に賛同した訳では無いし、ましてや説得された訳ではない。単純にどう言うべきか迷っていた、前世の事をリースに打ち明ける訳にはいかない、故に京は単純な感情だけを並べた。

 

「色々なモノを見てみたいから――かな」

「……?」

 

 京の言葉にリースは首を傾げる、彼女は言葉の意味が良く分からないといった表情をしていた。確かに少し大雑把だったと京は笑う、何と言えば良いだろうかと天井を見上げ、それから自分の思い描く景色を脳裏に浮かべて口を開いた。

 

「例えば、山の中でも良いし、森の中でも良い、木々の間から差し込む光に見とれたり、夕焼けに照らされた草原や山々に感動したり、川の(せせらぎ)に耳を澄ませたり、その透明な色に見とれたり、冷たさを感じて夏の暑さを凌いだり――土の足裏を押し返す感触を楽しんだり、秋の落ち葉を踏み締めて楽しんだり、その紅葉に見惚れたり、過ぎれば雪に埋もれてもみたい、雪だるまなんかも作ってみたい、ソリという奴も楽しそうだし、海なんかにも行ってみたい、湖でも良い、そこで泳ぐ魚に混じって遊びたい、ただ眺めるだけでも良いんだ………ただ、歩いて、色んな場所に行ってみたい、その先には何があるのか見てみたい、この道の先に、あの山の先に、この空の下に何があるのか、自分の目で確かめたい」

 

 そんな光景を夢想して、彼は唯想う、憧れる。

 病院の窓から見える箱庭の様な街並みや、木々では物足りない。その景色を五感全部で感じてみたい、テレビや本で眺めるだけではなく、他ならぬ自分自身で。

 旅がしたいという訳では無いのだ、ただ、そう――

 

「普通に生きてみたい」

 

 休日に友人と遊びに行く様な気軽さで、誰かと景色を共有したい。その感動を分かち合いたい、当たり前の様に生きて、当たり前の様に感動したい。ある意味当たり前という生を許されなかったからこそ、京はそんな普通に固執していた。

 

「……良く分からない」

「……そうか、ちょっと説明が下手だったかな」

 

 申し訳なさそうな表情をするリースに、京は笑いかける。きっと彼女にとっては当たり前すぎて、実感が湧かないのだろう。そういうものだと京は思う、そんな当たり前が京にとっては幾千万の価値を持つのだ。

 

「京、旅行に行きたい? なら、私が何とかする」

「あぁ、いや、そういう訳では――……そうだな、じゃあ身請けが終わったら一緒に行こう」

 

 断ろうとして、しかし京は思い直す。自分が自由になったら、何処に行くのも自分で決められる。ならリースとフラリ旅をするのも良いかもしれないと。京から承諾の言葉を引き出したリースは、喜色を顔に浮かべながら、「なら、私が身請けする」とベッドから飛び上がった。

 

「それは駄目だ、金は自分で稼ぐ」

「……いけず(意地悪)

「悪いな」

 

 自由になったら、二人で一緒に旅行する。

 そんな約束をリースと交わした。

 

 

 

 ☆

 

 

 

 目が覚めた。

 

 最初に目に入ったのは馴染みのない天井、シミ一つなく綺麗に磨かれている。そこから視界を縁取る様な四角形、それがベッドの天蓋であると気付いた時、京は此処が地下闘技場でないことを理解した。肌と擦れる布の感覚も、慣れたソレとは異なる。

 そうだ、自分は身請けされたのだ――

 乱れたシーツを退かして上体を起こす、少しばかりぼうっとしていれば視界が徐々に開け、頭にかかっていた靄も霧散する。季節はそろそろ春に差し掛かる頃だが、朝は少しだけ肌寒かった。窓から差し込んで来る朝日が未だ早朝である事を示しており、起床時間にはまだ早い。

 

「リースの夢……」

 

 ポツリと京は呟く、それは先程まで見ていた夢の内容。リースが居た、彼女と会話した、そして約束を交わした。アレはいつの出来事だったろうか、一年前か二年前か、恐らくそう遠くない一日。

 自由になったら旅行に行こう、そう言えばそんな約束を交わしていた。結局は自分で自分を身請けする事も叶わず、意図せずこの世界で言う普通とやらを手に入れた訳だが。だからと言って彼女との約束を一方的に放棄して良い理由にはならない。

 

「――手紙でも、書くか」

 

 京は窓の外を見ながらそう決める、まずはオーナーに宛てて一通、もしまだリースが闘技場に留まっているのなら彼女に手渡してくれるだろう。そう考えた京はベッドを抜け出し、洗面所に向かった。

 

 

 

 屋敷内に於いての京の仕事は比較的簡単であった。事前の説明ではセシリーの身辺警護、屋敷内の巡回と言った内容だったが、実際は一日中セシリーの傍に居れば良いだけであった。

 訓練場での教官紛いの仕事や、屋敷の巡回も行おうと京は考えていたのだが、「貴方は(わたくし)守護者(シュヴァリエ)ですのよ? 一時たりともそばを離れないで」という彼女の言葉に従い、殆どの時間を彼女の傍で過ごしている。

 

 当初の予定とは異なるものの、身辺警護も元々の職務に含まれていた事なので京は納得していた。守護者と言うのは未だに良く分からないが、専属武官と言っていたしSPみたいなモノだろうと。

 流石に寝る時やトイレ、入浴の時まで一緒に居ようとした時は驚いたが――その時は彼女の父親――ヴィルヴァ氏から号泣、懇願され渋々別々になる様になった。京としても年頃の女性と部屋を共にするのは色々と辛い。

 因みにセシリーは今年で十九になると言う。二十がこの国での成人年齢で、貴族の女性の結婚適齢期であるらしい。セシリーには結婚相手がいるのだろうか、ふとそんな疑問を抱き、それとなく問うてみた――それに対する返事は満面の笑みであり、背筋が寒くなったのは風邪だろうか。もしかしたらセシリーのモノが感染したのかもしれない。

 満面の笑みを悪い方に受け取った京は、心の底から「きっと良い人が見つかりますよ」と言った。

 

「あら本当、良い人が見つかったわ、これで結婚の件も安心ね――ふふっ」

 

 そう言いながら京の腕に抱き着いて来たのはきっと冗談(ジョーク)なのだろう。

 貴族冗談(ロイヤル・ジョーク)、高貴すぎて京には笑えないレベルだ。貴族って凄い。

 

 武官としての仕事は然したる困難も無く、淡々と過ぎて行く。というよりも、セシリーが何処かに出掛けるという事自体珍しい事で、殆どは屋敷内に留まっていた。屋敷内に居るという事は駐在している武官が周囲を固めているという事で、正直京が守る程の脅威も無い、居るだけ警備という奴だろうか。

 尤も、京としては血を流す必要もなく、平穏な時間を過ごせているので今の状況に不満は無い。今のところ京の役割はセシリーの話し相手か体の良い遊び相手、といった所だろうか。

 見目麗しい女性と穏やかな会話をし、時折ボードゲームに興じたり散歩をしたり。何と言うか、こんな事でお金を貰って良いのだろうかと思ってしまう程には何もない日々であった。

 しかし――武官に就任して四日目。

 セシリーの守護者に任命されてから、初めて問題が起きた。

 

「納得できません」

 

 京とセシリーは今日も今日とて、麗らかな太陽光を浴びながら日向ぼっこに興じていた。最近本格的にやる事が無くなって来たので、「何かない?」とセシリーに問われ、京が返した案は日向ぼっこであった。

 

 病室で動けなかった時期は日がな一日ずっと太陽光を浴び続けていた京である、既にその心は日向ぼっこの虜と言っても良い。心なしか日の光を浴びていると手の平からビームすら出せそうな気がしてくる、二本でも三本でも、多分、恐らく、きっと出せる。

 服が汚れないようにピクニック用のマットを敷いて、中庭に寝転がる。最初の内は屋敷内の様々な人に「セシリー様、はしたのうございます!」やら何やら言われていたが、今では誰も何も言わない。

 セシリーも日向ぼっこの良さが分かってきたのか、リラックスした表情で太陽光を浴びている。やはり太陽の力は偉大である――実際は京と一緒に寝転がっているという状況に興奮し、一周回って賢者に成っているだけである――今世にも太陽が存在していて本当に良かったと京は思った。

 

 そんな太陽万歳と体で示している二人の前に、三人組の武官らしき恰好をした男達がやって来て言った。「納得できません」、と。

 京からすれば、「突然何言ってんだコイツ」であり、セシリーも同じような視線で男達を見ていた。それでも男たちは怯まず、口調を荒げる。

 

「セシリー様、何故(なにゆえ)この様な者を守護者(シュヴァリエ)に――!? 聞けば出自も不明、貴族社会を欠片も理解せぬ下賤な者であると! どうか、お考え直し下さい、守護者とは有力貴族にのみ許される特権、それをこの様な者に使うなどと、そんなうらやま――いえ、そんなふしだらな事をする男に!」

 

 男は京を指さして叫ぶ、現在京の左腕はセシリーの枕代わりとなっており、セシリーもこれでもかと言うほど京に接近している。言っておくがコレはセシリーが言い出した事である、断じて京から行った訳ではない。

 

 男の主張を聞けば、何やら京が守護者の立ち位置に居るのが不満らしい。通常の武官と守護者の違いなど、専属か、そうでないかの違いだけだと思っていたが、そうではないのだろうか? 京は首を傾げる。

 見れば男たちの肩にはマントが無く、胸に刺繡もなかった。つまり彼らは守護者ではないという事。

 セシリーと言えば、男の主張に眉を顰めて不機嫌そうにしていた。

 

「下がりなさいシーエス、守護者の是非は貴方の決める事ではないわ」

「しかしセシリー様ッ!」

 

 横たわった状態からゆっくりと、名残惜しそうに立ち上がったセシリーは、面倒くさそうな表情を隠そうともしない。小さく溜息を吐き出すと、腕を組んで高圧的に告げた。

 

(わたくし)、同じ事を何度も言わせる愚者(ゴミ)は嫌いなの――早く消えなさい、何なら貴方を解任するわ、実家に帰りなさいな坊ちゃん」

「なっ」

 

 どこか馬鹿にしたような言い方に、シーエスと呼ばれた武官は驚愕する。それから拳を握りしめ、キッと京を睨めつけて来た。言っておくが、自分は何もしていないぞと無言を貫く、立ってすらいない、彼らが来てからずっと寝そべったままである。

 

「――ならば……ならば、彼と決闘をお許しくださいっ! 私が勝利すれば彼を守護者から解任して頂きたいッ! 元より、一武官の身、私程度に後れを取る様では守護者など勤まらないでしょう!」

「へぇ……」

 

 突然の展開に、京は「なんでェ!?」と叫ぶ。

 自分は全く関係ない、それどころか蚊帳の外であったというのに。しかしセシリーは面白いとばかりに口元を緩め、挑戦的な表情を覗かせている。その顔からは、良いじゃない、受けて立つわという雰囲気が漂っていた。解せない。

 

「自分が勝ったら守護者にでも名乗り出るつもり? 随分野心的なのね」

「いいえ、その様な大それた事は考えておりません、唯、守護者の称号を軽んじる下賤の者に――持つ者の義務(ノブレス・オブリージュ)を理解せぬ平凡な人間に、貴女様を守る権利など無いと、そう言いたいのです」

「面白いわ、その思い上がり、賞賛しましょう――対価は高くつくけれど」

 

 京、と名前を呼ばれて彼は慌てて立ち上がる。

 話の流れから察するに、どうやら自分はこの武官と闘わなければならないらしい。京が立ち上がると、ヌッと三人に影が差した。三人の身長は175cm程度で、身長二メートル近い京とは実に二十五センチの開きがあった。

 

「っ――デカイな」

 

 大見得を切っていた武官が唾を飲む。対峙した途端に感じる威圧感、何より武官制服の上からでも分かる筋肉の量。なるほど、確かに自分たちを差し置いて守護者に選ばれるだけの力量はありそうだと。

 京は一瞬だけ敬語を使うかどうか迷い、いやそもそも喧嘩を売って来た相手、それに同じ武官ならば敬う必要は無いと判断した。

 

「決闘――と言っていたが、それは試合の様なものだろうか?」

「あ、あぁ、そうだ、しかし普通の試合ではない、コレは真剣なものだ、場合によっては互いの命を懸けた、な――」

「……そうか」

 

 京は決闘について何も知らなかったので、まずそれを目の前の男に問いかけた。例えば剣を使用しなければならないだとか、直接ぶん殴ってはならないとか、そもそも武力ではない部分を競うのか、とか。

 しかし返ってきた言葉は京にとって都合が良いものだった――試合と同じ。

 それはつまり【地下闘技場と同じ様なモノ】であると。決闘という響きに覚えが無かった京ではあるが、今までやってきた事と何ら変わりがないものだと知って、安堵した。

 それならば拳でぶん殴ろうが、足で蹴飛ばそうが問題ない訳だ。剣を折られたら負けだとか、マイッタと言わせたら勝ちだとか、そういうまどろっこしい真似はしなくて良い。

 

 そして、どうやら、決闘に負けてしまうと守護者を解任されてしまうとの事。

 つまり失業である、無職である、ニートである。折角オーナーに背を押され、同僚にも黙って就いた真っ当な仕事、不当に取り上げられるなど我慢できんと少しだけ気合を入れた。

 

「場所は?」

「――一時間後、訓練場に来て欲しい……君に敬意を、決闘に臨むその勇気と自信、少なくとも蔑まれるものではない、先程は言い過ぎた、許してくれ」

 

 シーエスは突然決まった決闘にも動じず、正面から受けて立とうとする京に頭を下げる。先ほどは下賤な者と罵ったが、貴族に近い清廉な志を持っているようだと。京はソレを笑って受け取り、シーエス三人組は踵を返して中庭を去った。

 それを見送ったセシリーは、彼らの姿が見えなくなったところで不穏な笑みを零す。

 

「ふふッ、いずれは京のお披露目をしようと思っていたけれど、これは思ったより早くなりそうね――さぁ、京、もう一度お昼寝よ、早く腕を寄越しなさい、それが無いと眠れないの」

「えっ、あの、準備とかは――?」

「貴方が負けるなんて、要らぬ心配よ――ほら早くして、ノロマは嫌いと言ったでしょう?」

「……そうですか」

 

 京の横に寝転がったセシリーはバンバンと首元を叩き、京の腕枕を所望する。少しだけ、「この人は日向ぼっこではなく、自分の腕が目当てなのでは」なんて考えたが、そんな訳ないよなと笑った。

 

 

 

 ☆

 

 

 

「もうやだおうち帰りたい」

「シーエスッ! 大丈夫だって、お前ならやれるッ!」

「そうだよ! 頑張れシーエス! 超頑張れ!」

 

 武官三人組、シーエス、デルフォ、エンツェは武官室に足を運んでいた。三人の他に人影は無く、部屋の中央、長椅子に座って燃え尽きている影はシーエス。京に喧嘩を売った張本人、そしてセシリーに仕える事を夢見て武官になった中堅貴族の次男坊である。

 

 その彼は真っ白な灰にならんとばかりに燃え尽き、その背中はスカスカであった。この世の絶望と言わんばかりの表情で、泣いているのか笑っているのか良く分からない顔だった。人間、深く絶望すると感情が上手く表せなくなるらしい。

 

「もう、なに、アレ? どこの世界の住人だよ、アイツ人間じゃねぇよ、絶対……めっちゃデカイ、しかも筋肉ヤバイ、ヤバイ、ヤバさ、ヤバみ、もうね、おかしいよ、絶対おかしい、あんなん人じゃねぇよ、亜人や、怪物や、筋肉怪物(マッスルモンスター)や――帰れよ、もう自分の国に帰れよぉ、筋肉なんてお呼びじゃねぇんだよぉ……」

「しッ、シーエス、気を、気をしっかり持て! 語彙力が、語彙力が死滅しているぞッ!」

 

 ハハッ、ハハッ、と乾いた笑いを断続的に漏らすシーエスに、デルフォが叫ぶ。終いにはポロポロと涙を流す始末で、「自分、此処で死ぬんすかね……」とまで言い始めた。これにはデルフォ、エンツェ両名狼狽え始める。

 長年彼女の武官を務めた自分達を差し置いて、どこぞの闘技場崩れが守護者に選ばれたと聞き、少しばかり先輩の力を見せつけてやろうという魂胆だった。或は勝てずとも、自分達の力を認めさせセシリーを守るには値しないと守護者を辞退させるつもりだった。

 

 しかし、出て来たのは超大男で、挙句の果てに鋼鉄の様な筋肉を備えている。小さき者が大きい者を打倒する、そういう事は亜人ならば可能だろうか、人間に於いては違う。大きさは脅威であり、力そのものだ。

 闘技場崩れとは聞いていたが、どの程度の実力かは聞いていなかった。しかし、冒険者や犯罪者崩れが堕ちる最下層、それが地下闘技場だ。そんな所から引っ張って来た男が、大した腕を持っている筈が無いと。貴族特有の傲慢さを発揮した結果がコレであった。

 

 セシリーの前では恰好つけたものの、一度見えなくなってしまえばこの有様。なまじ実力があるからこそ、相手の力量が分かってしまった。

 

「マンマぁぁァアアアアアアアアッ!!」

「シーエス、お前今年で二十四だろうっ!? しっかり、しっかりしろォ!」

「お、俺っ、く、薬取ってくるゥッ!」

 

 

 武官三人組の明日はどっちだ!?

 

 

 

 

 





 七千字書いたので明日はお休みを頂きます。
 明後日は不明ですがストックに余裕があれば投稿します、多分投稿出来る……筈。
 学校始まる前に十万字は書いておきたい(願望)
 
 毎日投稿で一万字とか投稿出来る作者さんはどういう腕をしているのでしょうか、頭と腕が通常の倍の数だったりするのでしょうか、恐ろしい。
 その執筆速度の三割分けて欲しいです、今+3000字で大分余裕が出る、やったぜ(恍惚)


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シーエス、死す

「思ったよりも、人は居ませんね」

「それはそうよ、皆、自分の仕事があるもの」

 

 指定された一時間後、京とセシリーが訓練場に足を運べばチラホラと人影が見えた。全部で二十人程だろうか、ポツポツと訓練場を遠目に眺めている。セシリーから「決闘には見物人が付くわ」と言われていたので、もっと闘技場に近い大衆を想像していたが、現実は野次馬程度である。

 

「腐っても我が家に仕える武官よ、私利私欲のために決闘を触れ回っていたら首が飛ぶわ、その辺りは流石に弁えているでしょう――まぁ、それでも漏れる時は漏れるのでしょうけれど」

「あの……首が飛ぶって職的な意味で、ですよね?」

「さぁ京、さっさとあの身の程知らずを叩きのめして来なさい」

 

 京は無言で頷いた、何となく察したのである。

 訓練場は百メートル×百メートル程度の大きさで、それなりにスペースがある。四方を回廊に囲まれ、屋根のある施設内から見物人が中央に視線を向けていた。回廊には剣や盾、鎧などといった武具、防具が立て掛けてある。恐らく訓練時に使用するものなのだろう。

 

 京はセシリーの横を通って訓練場内に足を踏み入れる。

 既に決闘相手は待機していた、確かシーエスと言ったか。彼は一本の剣を腰にぶら下げ、不動のまま瞼を閉じている。京が訓練場の砂利を踏みしめると、ゆっくりと瞼を開いた。

 

「来たか守護者(シュヴァリエ)

「京って呼んでくれ、シーエス」

「……京、この決闘を受けてくれて感謝する」

 

 訓練場の中央、二本の白線が引かれた場所で二人は対峙する。直接並び立つと、その大きさが際立った。京とシーエスの身長差は如何ともしがたい、京の腕はシーエスの太腿並に太く、彼の首を容易にへし折ることが出来るだろう。対峙するシーエスは京の発する威圧感に冷や汗を流す、だがこの場所に立った以上逃げ出すことは許されない。それは自分の名だけではなく、家名すらも(けが)す行為だ。

 

 シーエスは(おもむろ)に剣を抜き放つと、両手で(しっか)りと柄を持ち、切っ先を天に向ける。その刃に額をくっ付け、静かに息を吐いた。

 

「――シーエス・ダルフォルン・グルジ・アスベルス、この名に於いて誓う、我が武官の誇りに懸けて、正道なる戦いを行うと」

 

 剣を虚空に払う、そしてシーエスは真っすぐ京を見た。その目が泣き腫らしたように赤らんでいて、京は少しだけ驚く。

 

「目が赤いぞ? ――泣いていたのか」

「あぁ、そうだ、私は先程まで泣き喚いていた」

 

 シーエスは涙を流すという行為を、恥じるばかりか胸を張って公言した。その立ち姿は堂々たるもので、微塵も後ろめたさを感じない。

 

「私は武官として此処に立っている、しかし命が惜しくないと言えば嘘だ、命は惜しい、死にたくない、だが命よりも重い誇り(プライド)がある、だから先に泣いておくのだ、自分の死を悲しみ、残された家族を想い泣き、母の腕に抱かれた幸せを思い出し、また泣く――でなければ私は、この場に立てるほど強くはない」

 

 自分の弱さを認める、そうした上でその弱さを克服し戦場に立つ。それが彼の流儀であり、涙が戦う覚悟の証明であると。

 京は素直に感心した、武官という人間の心の強さに敬意を抱いた、ただ心を押し殺すのではなく、向かい合った上で弱さと認める、そして克服する。それは自分が持ち合わせていなかった強さだと、シーエスという男の性根を垣間見た気がした。

 

 無論、シーエスの言葉は完全な嘘である。先ほどまで武官室で京に喧嘩を売った事を後悔し、「マンマァアアアアア!」と叫んでいただけである、南無。

 

「……ところで京、武器はどうした、まさか素手で戦うつもりではないだろう」

 

 シーエスは剣を持ったまま、怪訝な顔でそう問いかける。京は自分の姿を見下ろし、丸腰であることを確認した。そもそも、京は武器を扱えない、故に素手で戦う他無かった。他人から見れば侮っているように見られるだろうか、しかしそれ以外に戦う術を知らない。

 

 素手対剣という、何とも体裁の悪い決闘に申し訳なさを感じつつ、「実は素手でしか戦えないんだ」とシーエスに告げた。

 彼はその言葉を聞いた途端、驚きに目を見開き、それから少しの間考え込んだ。

 

「少し待ってくれ、すぐ戻る」

 

 そう言うや否やシーエスは踵を返し、回廊へと足を向ける。見物人が騒めきだすが、彼は気に留めない。そして何やら剣や斧などが立てかけてある場所から離れた一角、その棚の中から武具らしき物を持って再び訓練場へと戻ってきた。

 

「待たせたな、コレならどうだ、使えるだろう?」

 

 シーエスがそう言って差し出したのは、何やら手袋の様なモノだった。しかし手袋と言っても布ではなく、それは鋼鉄で出来ていた。受け取ってみればズシリと重く、それなり以上の密度で作られているのが分かる。

 

「これは?」と京が問いかければ、シーエスは「手甲(ガンドレット)だ」と答えた、何でも京の様な素手で戦う武官の為に作られた武器らしい。要するに拳に嵌めて殴れという事だろう、京は初めて目にする武装だった。

 

「これは――良いな、拳を痛めなくて済む」

「使う奴を今まで見た事が無かったのだが……どうせ誰も使わないのなら、貰ってやってくれ」

 

 シーエスに言われた通りに装着すれば、成程良く馴染む。元々大男用に作られていたのか、若干窮屈であるものの決して入らないという訳でもなく、何とか実用に足る大きさであった。手首の辺りに装着されたストッパーを嵌め込み、何度か拳を握る。

 

 京はその場で軽く腕を振るい、具合を確かめた。その余波で風が吹き、シーエスの前髪が数本虚空に消えたが、シーエスは何も見なかった事にした。

 ただ、絶対顔面には貰いたくないなとだけは思う、絶対に、何が何でも、土下座で許してくれないだろうか?

 

「ありがとうシーエス、助かるよ」

「なに、武器も持たない人間に剣を向けるのが恥であるだけだ、感謝など要らないさ――それじゃあ、京、そろそろ始めよう」

 

 そう言ってシーエスは数歩後ろに後退し、京に剣を突き付けた。京もまた彼の威圧感を感じ取り手甲(ガンドレット)を構え、二人の間に戦意が張り詰める。互いの瞳が闘志を灯し、見えない火花が散る。シーエスからすれば、もうどうにでもなれである、せめて一撃で終わらせて欲しい。

 

 シーエスは構え剣先が震えないようにするので精一杯だった、構えた瞬間に京が噴出した戦意――否、殺意が全身に叩きつけられ、恐怖を覚えたのだ。対峙すれば分かる、濃い血の匂い。それは実際に彼から香るという訳ではなく、彼から放たれる重圧から感じ取ったモノだった。

 

 シーエスは数瞬先の未来を視る――その鋼鉄の拳が自分の腹部をぶち抜いて臓物が零れる、顔面を陥没させ脳髄をばら撒く、顎先を砕き眼球が飛び出る。具体的な想像などつかなくても良い、ただ彼から発せられる見えない死という甘い香りが、自分を包み込んでいる様だった。

 

 殺してやる。

 

 それは京の見せた重圧の幻聴だったのだろう、脳に直接響いてくる様な声だった。心臓が早鐘を打って、キュッと歯茎が閉まる、口に広がる酸味は胃液だろうか。それでもシーエスは退かない。

 

 シーエスは無意識の内に何かを受け入れる。

 それは死という甘い概念か、もしくはこの勝負の行方だったのか。恐怖でおかしくなった訳ではない、諦めた訳でもない、ただ目の前に立つ男が圧倒的な強者であり、自分は全身全霊で挑まなければならないと確信した。

 

 そんな事は分かっている、戦う前から百も承知だ。

 後は神に祈るのみ、母の温もりは思い出した、友との絆も確かめ合った、女性の温もりを未だ知らぬ自分の半身には悪いが、シーエスは此処で果てる覚悟を決めた。

 

 

「―――」

 

 

 声の無い絶叫。

 開戦の合図は無い。

 凄まじく鋭い踏み込みからの、突き一閃。

 

 その狙いは喉元、首を突き破ってやると言わんばかりの勢い、実際シーエスは京を殺す気で放った。自分も死ぬ覚悟がある、ならば相手も同じこと。この場に於いて生死の心配は無用、立っていた方が勝者で、死んだら負けだ。

 それは京に馴染みのある世界だった。

 

 人の限界ギリギリの速度、飛び込む勢い、腕の力、腰の回転、足のバネすら利用して放たれた最速の一撃。京と言えど食らえば皮膚を突き破り、気道を切り裂かれ、骨を砕かれただろう一撃。

 

 しかし京はソレを逸らした。

 

 なんて事はない、突き出された剣に拳を添えただけだ。手甲(ガンドレッド)を装備した京は拳が切り裂かれる心配もなく、半分ほどの力で剣を押しやった。それだけで矛先は首を捉えられず、その数センチ横を通過する。

 

 触れた剣の刃とガンドレッドの表面が火花を散らし、一瞬の空白が生まれた。シーエスは最初の一撃に全てを懸けていた、開幕速攻の一撃必殺。

 しかしソレを逸らされ、思考が一瞬真っ白になり、体の動作が停止する。その一瞬で良かった、京にとっては一秒すら不要な明確な『隙』であった。

 

 京は逸らした剣に沿ってシーエスの懐に入り込む。伸びきった腕、がら空きの胴体、そこに拳を撃ち込んで下さいとばかりに。

 京は腕を折りたたんでシーエスの胸部に拳を密着させた、そこから腰を落とし小さく息を吸い込む。拳と相手の距離、僅か一センチ。呼吸を体内で練り上げ、全身の筋肉を脈動させる。

 

 

鎧通し(ヨロイドオシ)

 

 

 ズンッ! と空気が震えた。

 それは凄まじい衝撃が空気を伝い、地面を揺らした音。密着した拳から放たれた衝撃、それは全力で殴りつけ外側を破壊する攻撃とは異なり、内部へと浸透する()であった。シーエスの体が大きく揺れて、その手から剣が抜け落ちる。「ヘゴォッ!」という苦悶の声と共に衝撃が彼の体を突き抜けた。

 

 たった一センチの距離だったというのに、シーエスの体は大きく後方に吹き飛ぶ。地面が僅かに罅割れ、衝撃で砂塵が舞い上がった。

 シーエスは五メートル程地面と水平に吹き飛び、そのまま砂利の上を転がった。十メートル程離れた場所でシーエスは漸く停止し、そのまま起き上がることも無く(うずくま)る。

 

 最初は苦悶の表情を浮かべ、数秒してやけに気持ちよさそうな顔に変わり、そこから再び下痢を我慢する様な顔となり――果てに白目を剥いて脱力した。

 

「ふぅ―――っ」

 

 長く息を吐きだす。全身の筋肉を一瞬のみ稼働させ、拳を伝って相手に叩きつける、ただそれだけの技。

 コレは京が『相手を殺さない為に使う』一つの力であった。闘技場では顔馴染みの闘士、あるいは個人的な理由で殺したくない相手にのみ使っていた。

 

 手を抜いたとは思われない程度に威力を高め、しかし決して殺しはしない使いどころの難しい力だ。京はシーエスという男を殺す必要が無いと判断した、仕事の為に人を殺すのであれば京は躊躇しない、しかしソレはあくまで仕事上、どうしても殺さなければならない相手に限る。

 京はシーエスを善人だと思った、或いは尊敬できる武官だと思った。故に手は抜かず、決して殺しはしない暴力を以て勝利した。

 

 肋骨は何本か折れているだろうし、肺を圧迫した、胸壁動揺(フレイルチェスト)を起こしているかもしれない。殺さないと言っても無傷では不可能、それは相手にとって侮辱に当たる――恐らく無傷で試合を終えていたら、シーエスは泣いて京に感謝しただろう――京は構えを解くと、「誰か、彼を医務室に運ぶのを手伝っては頂けませんか?」と見物人に声をかけた。

 

 見物人の殆どは京の圧倒的な怪力を前に言葉を失っていた、それは然もすれば熱狂的な信者を生んでしまう程の力。彼の美麗な容姿と恵まれた体格も合わさって、既に何人かの女性及び男性は危なげな目で彼を見ている。

 しかし、彼からの呼びかけで見物人は自意識を取り戻し、我先にと倒れたシーエスに駆け寄った。

 

 守護者相手に喧嘩を売ったりするシーエスであるが、根は善人である。貴族的な思考を除けば比較的穏やかな人間で、平民は守るべき存在と豪語し、武官という仕事にも誇りを持っていた。

 故に、屋敷の人間からも評判は悪くない。そんな彼に差し伸べられる手は少なくなかった。

 

 白目を剥いて蹲っていたシーエスは、同僚や知人の手によって担架に乗せられる。そこに先程シーエスと行動を共にしていた二人組――エンツェとデルフォが駆け寄って必死に声を掛けていた。その様子はこれから死を受け入れる友人を、必死で繋ぎ止める様な姿だ。

 

 心配しなくても死にはしない、そもそも全力でぶん殴った訳でも無いのだ、少し大袈裟である。

 

「シーエスッ、お前頑張った、超頑張った!」

「漢だよ、お前漢だよォォッ!」

 

「ぁ……ぉ……おれ……頑張…った―――ヴッ」

 

「しッ、シィぃエェスぅゥゥウウ!」

 

 

 死なない――(ハズ)、多分。

 

 

 

 

 

 

 

 死んだらごめん。

 

 

 

 

 

 

 

 




 ちょっと勉強が切羽詰まって来たので更新が途切れ途切れになるかもしれません。
 申し訳ありません。
 ちょっと「この成績はマズいやろ」と自分でも危機感を覚えるレベルになってしまったので、真面目に勉強します……。

 ストックが溜まり次第投稿しますので、不定期更新になると思います。
 ただそこまで遅い投稿にはならないと思うので、一週間に二回、上手くいけば三回は投稿したいと思っています、出来なかったらゴメンナサイ<(_ _)>
 学校が始まったら更に更新し辛くなるので、此処で何とかストックを……!

 沢山の方に評価、お気に入りを頂いているので完結だけはさせたいです…。


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魔法使い

 

「圧勝――まぁ、当然の結果ね」

 

 何故か京よりも誇らしげに胸を張り、ふんすと威張るセシリー。その表情は満足そうに緩んでいて、同時に豊満な双丘が自己主張を始める。京は苦笑いを浮かべながら先程医務室へと運んだシーエスの事を思い出す、死なないだろうか、いや加減したから大丈夫、死なない筈、死なないと良いな――死んだら審判者(神様)が何とかしてくれるよ多分。

 

 しかし剣を持った相手と戦うのは初めてだったが、存外何とかなった。

 どれもコレも、審判者の用意してくれた肉体が高スペックであるが故。京は心の中で審判者に感謝の念を抱いた、お蔭で今日も生き延びられましたと。

 だからシーエスの事もよろしくお願いします。

 

 訓練場には既に人の姿は無く、セシリーと京だけが佇んでいる。何人かの見物人がシーエスを運び、後は各々解散という流れだ。途中何人かが京に話しかけるタイミングを伺っていたが、例外なくセシリーが訓練場より追い払っている。

 

「そう言えば京、貴方剣は扱えませんの?」

 

 訓練場の中央、その砂利の上に転がった剣を拾い上げたセシリーが言う。シーエスが使っていた剣、京が殴り付けた際に手から離れたもので、そのままになっていた。訓練場にあったモノらしく傷が多く見える。

 

「使えないって事は無いのですが、自信が無くて……」

 

 京はセシリーの言葉に眉を下げる、肉体的には高スペックな京であるが剣術の心得など皆無であった。前世の引き出しからナンチャッテ剣術を引っ張り出す事は出来るが、見様見真似の無様なモノに過ぎない。

 命をやり取りする場で、そんな力任せの剣を使いたくはないというのが本音だ。

 

「そう――まぁ、剣に拘る必要はありませんわ、強ければ十分ですもの、それとシーエスに渡されたその手甲(ガンドレッド)、少し貸して頂けるかしら?」

「えっと、はい、どうぞ」

 

 セシリーはふと京の手に目を向けると、そんな事を言う。京は両手の固定ベルトを外し、手甲をセシリーに手渡した。セシリーは剣を無造作に放ると、手甲を受け取った。受け取った彼女は予想以上に重かったのか、一瞬手がカクンと落ちるが辛うじて堪える。

 

「重っ――貴方、良くこんな重いモノを身に着けて動けますわね……」

「あはは……まぁ体だけは大きいですから」

 

 どこか感心した様な目を向けるセシリーに京は笑みを零す、地下闘技場でも定期的に筋力トレーニングは行っていたし、その賜物だろう、後は審判者の力だ。

 セシリーは両手の手甲をじっと眺めると、ポツリと何かを呟いた。

 

形状記憶(メモリー)

 

 ポッ、と緑色の光がセシリーの手に灯り、手甲を何本もの線が行き交う。それを見て京は純粋に驚いた、彼女が使ったのは紛う事なき魔法である。魔臓器を持たない人間には使用できない筈のソレを、彼女は京の目の前で使って見せた。

 

「……ん、何かしら、そんな目で見て」

 

 京がジッとセシリーを見ていると、視線に気付いた彼女が顔を上げる。その間にも手甲は光に包まれており、京は何と言うべきか逡巡した後、疑問を口にした。

 

「セシリー様は、その……亜人ではありませんよね?」

「あら、私が人間以外に見えるのかしら」

「いえ、しかし、その――それは、魔法ですよね?」

 

 京が恐る恐ると言った風に聞くと、セシリーは今気づいたとばかりに目を開く。そして京をじっと見つめた後、何度か納得した様に頷いた。

 

「……あぁ、言い忘れていたかしら――私、魔法使いの才を授かっていますの」

 

 魔法使い。

 京はその言葉を前世の知識として知っていた、それはつまり魔法を使う存在の総称。そしてこの世界でも意味合いは同じで、魔法を行使できる亜人以外、この場合は人類で魔法を扱える者を指す言葉だった。

 

 当たり前だが魔臓器――魔力を持たない人間は魔法を行使できない、しかし稀に魔力と高い親和性を持った人間が生まれる事がある。それは魔臓器こそ持たないものの、空気中に存在する非常に薄い魔力を操り小規模な魔法を行使する事が出来る才を持つ、いわば魔臓器を持たずに魔法を行使できる存在だった。

 

 勿論、純粋な亜人が使用する魔法と比較すると威力も規模も格段に落ちる。そもそも空気中に存在する魔力そのものが非常に薄く、どれだけ掻き集めたとしても魔臓器の生成する魔力には到底敵わない、また親和性があると言っても亜人の様に体の中に取り込む事が出来る訳ではない。だからこそ体内に作用する様な魔法は使えないし、あらゆる点で亜人に劣る。しかし人の身でありながら魔法を行使できると言う事は、それだけで凄まじい事だった。

 

「そんな才があったなんて……驚きました、流石(さすが)セシリーさんです」

 

 京は純粋に驚き、自分には到底扱えぬ神秘を使用するセシリーに尊敬の念を抱いた。そんな暖かい視線を受けたセシリーは、京の視線に尊敬の念が多分に含まれている事に気付き、頬を赤くしながら口を緩めて照れる。

 

「ま……まぁ、栄えあるアルデマ家の次期当主としては才の一つや二つ、当然の事よね、えぇ――もっと褒め称えてくれても良くてよ?」

「えっと……流石です、素晴らしいです、天才的、美人魔法使い、アルデマ家の次期当主は格が違った、美人、美女、最強、可愛い、凄く可愛い」

 

 ――古今東西、どこの女性も褒められて悪い気はしない。確か前世で読んだ創刊号四百八十円の『女性はこう口説く!~東の幼女も西の熟女も、これで貴方にメロメロ~』に書いてあった気がする。友達が恋愛事皆無な病院に、冗談半分で持ち込んだモノだったが、まさかこんな形で役立つとは。

 これも主との関係を良好にする為だと、京は思いつく限りの褒め言葉を連発した。

 最初は口をV字にして、ちょっとだけ照れた様に「ふふん」と胸を張っていたセシリーだが、度重なる褒め言葉に段々と頬を赤くして、肩がプルプルと震え始める。心なしか涙目になっているが、これは効いているのだろうかと内心首を傾げつつ、更なる攻勢に出ようとしたところでストップが掛かった。

 

「も、もう良いですわっ! わ、私の素晴らしさは十分に――えぇ、十分すぎる程に伝わりましたから……!」

「そうですか」

 

 セシリーは顔を真っ赤にして叫び、京は満足した。一見怒っている様にも見えるが、その実口元は笑っている。どうやら喜んでいるらしい、『女性はこう口説く!~東の幼女も西の熟女も、これで貴方にメロメロ~』は正しかった、流石『女性はこう口説く!~東の幼女も西の熟女も、これで貴方にメロメロ~』である、此方の世界でも売っていないだろうか。

 

「すー、はー……良し、私は大丈夫、私は強い、頑張りなさい、セシリー――さぁ、この手甲(ガンドレッド)はお返ししますわ、記憶はもう終わったので」

「わっと……はい」

 

 無造作に放られた手甲を上手い具合にキャッチし、京はソレをじっと見つめる。外見上は何も変わっていないが、記憶とは一体何だろうか。聞いてみたくもあるが、彼女のやる事成す事に一々疑問を挟んで良いものかと考える。主人に毎度疑問を投げかけるのは、武官として駄目な気がした。

 

「ふぅ……貴方の雄姿も見れた事ですし、もうシーエスが突っかかって来る事も無いでしょう、そろそろ戻りますわよ京、まだ今日の成分を貰っていませんの」

「成分……?」

「腕枕ですわ!」

 

 京はその言葉で日向ぼっこの事を言っているのだと理解した、意気揚々と訓練場を後にするセシリーに慌てて続く。手に持った手甲を訓練場に戻すべきか一瞬だけ逡巡し、シーエスの「貰ってくれ」と言う言葉を思い出して、京は有り難く頂戴する事にした。武官としての仕事を行う上で、また剣を持った相手が出てこないとは限らない。寧ろ何らかの武器を持っているのが当たり前だろう、それらを相手取る上で手甲は非常に心強かった。

 

 

 因みにシーエスはこの三日後に全回復した。流石大貴族の屋敷と言うか、怪我をした際の回復措置も万全であるらしい。取り敢えず棚にズラリと並んだ回復薬(ポーション)――怪我した部位を凄まじい速度で再生させる、使うと死ぬ程痛い――を見た京は戦慄した。

 尚彼は回復薬の痛みに耐え切れず、回復魔法を使用して貰ったらしい。何でも彼の実家の亜人医師を態々呼んで来たのだとか、そこから彼の両親に今回の件が露呈し再びシーエスは瀕死の重傷を負うハメになったのだが……それは又別の話。

 

 

 

 



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出会ってしまった二人

 

 休日――それは誰もが欲する週末、祝日の総称。有給休暇でも何休暇でも良いが、とにかく休日である。休む日、読んで字のごとく与えられた英気を養うべき日。

 

 京もまた、武官生活初の休日を与えられていた。

 因みにこの世界での暦、月日という考えは前世と変わらず、呼称が少々変わる程度である。京の休日は前世で言う水曜日と日曜日に該当する、完全週休二日制である。本来は雇い主――この場合はセシリー――の休日に合わせて決められるのだが、セシリーが確実に屋敷に居る日がその二日らしいのだ。まぁ、駐在の武官が守ってくれるので大丈夫という事なのだろう。

 それ以外は朝から晩まで護衛という名の話し相手だが中々にホワイトなのではないだろうか。

 

 京はいつもより少しだけ遅い時間に起床し、休日の有難さというものを噛み締めていた。地下闘技場に居た頃は戦う、休み、休み、戦う、休み、休み、戦う、といった三日に一度仕事がある様なサイクルだったので、武官の仕事スケジュールは京にとって新鮮だった。何より普通の職業という点が素晴らしい、これこそ京の求めていた日常、普通という奴である。

 

 さて、今日は休日、何をしても良いのである。

 日がな一日太陽光を浴びるも、街に繰り出すも、読書に勤しむも、何らかの施設で暇を潰すも、誰かと会話に興じるも、部屋で自堕落に過ごすのも自由。フリーダム、何と言う素晴らしい響きか、自由万歳、人類は休日を得る為に生まれて来た。

 

「日向ぼっこはセシリーさんと散々したし、そうだな――」

 

 京はベッドに座ったまま腕を組み、考える。

 先程食堂で少し遅めの朝食を済ませた所であり、後は自由に過ごせる時間だ。地下闘技場では何だかんだで常にリースが傍に居たので、本格的な独りの時間という奴を味わった事が余りない。リースと出会う前だって同室のルームメイトが五人程おり、彼らと雑談やゲームに勤しんだモノだ――その彼らは全て試合中に命を落としてしまったが。

 

 誰かと会話すると言っても京はこの屋敷内に友人は居ない、また外出しようにも京は街に詳しくなかったし、何より金が無かった。オーナーから貰ったカードは手元にあるが、アレはこの仕事をクビになったか、或は退職した時に使おうと決めていた。最初の買い物は自分の金、初任給で――これだけは譲れない。

 

 さて、そうなると本格的に手持ち無沙汰になる訳だが。

 

 そう考えていた京の耳に、コンコン、とノックの音が聞こえた。

 この部屋に訪れる人間は多くない、京はセシリーさんだろうかと首を傾げた。彼女はこの屋敷に来てから何度も自室に突撃を掛けて来ている。朝、彼女の部屋に向かおうとしていたら、あちらから来たと言う事が何度もある。言っておくが京が時間にルーズという訳ではない、彼女が異常に早いのだ、一秒でも早く京に逢いたいと日に日に早起きになっている、このままでは日も昇らぬ内に勤務する羽目になるのではと最近不安に思っていた。

 

「はい、今出ます」

 

 京は扉に向かって声を上げながら、掛けてあった守護者の上着を着込む。今日は休日なので私服でも問題ないのだが、地下闘技場から未だに京の私物が送られていない為、今部屋には守護者の制服と支給された部屋着しかない状態だった。

 オーナーは多忙だろうし、仕方ないと京は勝手に納得している。

 

何方様(どちらさま)でしょう――か」

 

 京は扉を開けながら途中で驚愕の表情を浮かべた、京の部屋の前に立っていたのは予想した人物とは異なり、寧ろ斜め上をぶち抜く人であった故に。

 

「……おはよう」

 

 シーエス。

 武官制服をキッチリと着込んでいた時とは異なり、カジュアルな私服で京の前に立っている男。その表情はどこか気まずそうで、若干目が泳いでいた。その短く切られた金髪、少しつり上がった目元、間違いなく彼だ、そっくりさんではない、京がぶっ飛ばした本人である。

 京は咄嗟に敬語が出そうになるが、何とか呑み込んで砕けた口調で話しかけた。

 

「シーエス、だよな、どうしたんだ、何か用か?」

「あ~……その、何だ、少し付き合ってくれないか」

 

 今日、時間あるか?

 そう問われて、京は困惑しながらも頷く。するとシーエスは少しだけ笑って、「私――いや、俺が奢るから、カフェに行こう」と言った。どうやら貴族地に良い店があるらしい、京も知人とコーヒータイムというのも悪くないと思った。そこで友人と言えないのが何とも歯痒いが、彼との間柄を考えれば知人でも十分。

 

 こうして京の初休日は幕を開けた。

 

 

 

 ☆

 

 

「さぁ京、今日も一緒に日向ぼっこをするわよ、何なら私の部屋のベッドの上で日向ぼっこでも良いわ、折角の休日ですもの、有意義に使わないと勿体ないわ、別に他意がある訳では無いのよ? 本当に、まぁ私の魅力に耐え切れなくなって一線を越えてしまっても何らおかしくは――」

 

 セシリーはいつもより遅い時間に京の部屋へ突撃を掛けた。何故いつもより遅くなったかと言うと、「折角の休日だし、朝は少し寝坊したいわよね」と言う彼女なりの心遣いである。尚、彼女の中に休日を共に過ごさないという選択肢は無い。

 私or私、どちらを選んでも私である、休日なんて存在しない。

 彼女にとっては休日でも、彼にとっては平日である。

 

 しかし、彼女が意気揚々と京の部屋に合鍵を使って突撃したものの、中は蛻の殻であった。いつもならば突撃して来た彼女に驚きながらも、しかし「仕方ない」といった風に苦笑する京であるが、その巨躯が見当たらない。

 それは初めての事であった。

 

「――あら?」

 

 

 

 

 ☆

 

 

 

 京とシーエスは貴族地の中にあるカフェ、屋敷から徒歩十分程の距離だろうか、外見から既に高級感あふれる店舗へと足を運んでいた。恐らく京一人ならば絶対に入店しない店である、煉瓦造りで頭上にはガラス細工の魔法灯が光っている。シャンデリアの様な灯りに綺麗に磨かれたテーブルと椅子、それらが整然と並んでいた。

 うわぁと、京は内心で悲鳴を上げた。

 如何にもメニューが高そうな店である、いや、実際高いのだろう。しかし店内にはドレスコートをした貴族風の男も居れば、シーエスの様にカジュアルな格好で来る貴族も居る。敷居はそれ程高く無いのだろうか、しかしソレはあくまで貴族基準である。

 

「どうした?」

 

 幾分か砕けた雰囲気のシーエスが、入り口で足を止めた京に問いかける。店内の高そうな調度品に目を奪われていた京は、何でも無いと口にして一歩踏み出した。幸いだったのは守護者の制服を着込んで来た事か、もし普段着などで来ていたら速攻追い出されていたに違いない、京はそう思った。

 

「これはこれは、シーエス様、ご来店ありがとうございます、お連れの方は……その制服、アルデマ家の守護――失礼致しました、奥の席をご用意しましょう」

「あぁ、有難う、本日のお勧めを二つと、レティアーノを二つ、頼んだ」

「畏まりました」

 

 手慣れた様子で注文を行ったシーエスは、そのまま燕尾服に似たデザインを着込んだ初老の男性に付いて行く。京も慌ててその背に続き、案内されたのは店内の奥、完全な個室であった。京とシーエスを案内した男性は一礼した後退出し、京とシーエスは面と向かって座る。

 その高級感あふれる椅子に座るのは非常に躊躇われたが、内心のソレを悟られない様に、京は至って何でもない様に腰かけた。

 

「随分と手慣れている、此処には何度も?」

「そうだな、週に一度は来ている、顔を覚えられちまったらしい」

「そうか――しかし、何と言うか意外だ」

 

 京は驚きを隠そうともせず、素直にそう口にした。「お前を誘った事か?」と首を傾げるシーエスに、京は否定を露にする。

 

「いや、それもあるけれど、一番はその口調だ――もっと丁寧な男かと思っていたんだ」

(武官)(本音)は使い分ける様にしているんだよ、気に障ったなら悪いな、セシリー様の前で見っともない真似(マンマァァアアアア!)は出来ねぇし」

「気に障る何てとんでもない、フランクで接しやすい、御堅いのはどうも、苦手だ」

 

 シーエスと京は視線を交差させ、どちらからという事も無く自然に笑った。どうにも波長が合うらしい、既に分かっていた事だが存外悪い男ではなさそうだ。テーブルに頬杖を着いたシーエスは、少しだけ眉を下げて言った。

 

「決闘の件では、悪かったな、あれは完全に私怨だった、完ッ璧にこっちが悪りぃ」

「いや、こっちも相当強く殴ったし、お互い様だ、あれから傷はどうだ?」

 

 京がそう言えば、シーエスはパンパンと腹を叩きながら「綺麗に治ったさ」と笑う。彼の担当医は腕が良いらしい、魔法を使う時点で腕が関係あるのかどうかは分からないが。ソレは良かったと、京は心から安堵した。

 

「しかし、お前の拳は効いたぜ、一発でやられちまった、闘技場の連中なんて取るに足らない存在だと思っていたが、これじゃあ丸っきり逆だ――地下闘技場の連中は京みたいな奴ばかりなのかよ?」

 

 だとしたら、武官は御終いだ。そう言って肩を竦めたシーエスに、「まさか」と京は首を振った。もし地下闘技場の闘士が京の様な審判者スペックの肉体を持っていたら、この場に京は立っていないだろう、別の戦う才覚を持つ闘士が立っていた筈だ。

 

「地下闘技場でも自分は王者だった、自画自賛みたいで嫌だけれど、それが事実だ」

「それを聞いて安心したぜ、少なくとも武官を辞めずに済む、お前みたいな奴がゴロゴロ居るなんて考えたくもねぇ、二度とあんな怪力で殴られるのは御免だ」

 

 自分とて理由もなく拳を振るう事は無い、安心して欲しいと京が言うと、「それは最初から分かってるよ」とシーエスは笑った。流石に誰彼構わずぶん殴る様な非道者ではないと、理解して頂いている様で何よりだ。

 シーエスは穏やかな目で京を捉えると、少しだけ恥ずかしそうにはにかんで言う。

 

「色々話してみたいと思ったんだ、お前と戦って勝手に私怨ぶつけといて何言ってんだって話だが、俺はお前と言う男を知りたい、まぁ邂逅こそ最悪だったが、その、なんだ……存外嫌いじゃないんだ、お前みたいな奴」

「それは――光栄だ、嬉しいよシーエス、君の事も是非教えて欲しい」

「おう……つっても、俺の話なんぞ何処にでも居る平々凡々な貴族次男坊の話だぜ?」

「それでも良い、いや、それが良い、自分は貴族の世界を良く知らない」

 

 シーエスにとっては平民――それも奴隷階級だった者の経歴など初めて聞く話だ、それは京とて同じで互いに互いの生い立ちが気になる。上か下か、そんな価値観を取っ払った先にあるのは対等と言う名の友人関係。

 シーエスと京の語り合いは確かな熱を持ち、仄かな友情の芽生えを感じさせた。

 

 

 

 

 ☆

 

 

 

「京は何処に行ったのかしら……」

 

 セシリーは現在単独で屋敷を抜け出し、京を探しに街へと繰り出していた。恰好は屋敷で来ていたドレス姿のまま、その上に外套を羽織っている。ドレスは兎も角、その外套も見る者が見れば貴族だと一発で分かる格好だった、本来ならば護衛として武官の一人や二人連れて行くのが当たり前なのだが、今の彼女に常識は当てはまらない。

 更には魔法使いという特異な才能から、そこらの武官よりも彼女の方が強いというのが問題だ。京の身請けに頷いたヴィルヴァの決定には、そんな背景があった。

 

 さて、貴族地を抜けて一般の国民が暮らす地区にやって来たセシリー。屋敷の使用人に声を掛け、門警備の武官が外に出掛けたのを見送ったと言うところまでは確認している。セシリーは京の性格をここ数日で把握していた、彼は貴族地でゆったりできる様な性格では無いと。

 そうなると自然、この一般区に居ると言う事になるのだが、流石に独りで区内全域を探し回る何て不可能だ。出て来たのは良いが、少々準備が足りなかったかもしれない。しかし、セシリーがその気になれば魔法で人探しをする事も可能、実際セシリーはそれで京を探すつもりであった。

 

 流石に国全土を対象には無理だが、区内の――更に言うと自分の守護者を見つける事ならば簡単だ、何故ならば彼女は京に対してマークを施していた。それは魔法陣に近いもので、対象を追跡する印の様なもの。

 

 何らかの事情で京が行方不明、自分の元から離れた際に必要になるだろうと、セシリーが半ば強引に京の体内に撃ち込んだものだった。コレはセシリーと同じ魔法使いの才を持つか、或は亜人でなければ気付けない。亜人本来の魔法よりも大分精度は落ちる為、対象の大凡の方角と距離しか分からないが、彼女にとってはそれだけで十分だった。

 さて、一般区まで来れば多少は反応を返してくれるだろうと、早速魔法を使おうとセシリーが意気込んだところで、ふとその光景が目に映った。

 

「ちょっと……貴女、大丈夫ですの?」

 

 それは今にも死にそうな青白い顔をした女性――否、少女と表現した方が良いか。それがフラフラと覚束ない足取りで表道を歩き、時折痛みを堪える様に顔を顰める光景。

 その肌は元々白いなのだろうが、今は白を通り越して青い、目元には濃い隈が出来ていて何日も碌に眠っていないのが分かる。美しい容貌の少女だ、美しいが故に青白く、疲労の見える彼女の姿はどこか不気味ですらあった。

 

 流石に京を探している途中とは言え、そんな明らかに体調不良な少女を放っておく事は出来ず、思わず声を掛けた。セシリーも中々どうして京にのめり込んではいるが、持つ者の義務(ノブレス・オブリージュ)を忘れた事など一度もない。

 それは彼女の矜持であり、同時に権利を持つ為の義務だと理解していた。

 

「……大丈夫、放っておいて」

「そんな明らかな不調で、放っておけなんて言われても無理ですわ」

 

 最初、少女はセシリーを不審な目で見つめ、それから顔を逸らしながら言葉を吐き捨てた。

 しかし何でもないと突っぱねる少女の手を、セシリーは無断で取る。相手は最初面倒そうな、或は邪魔臭そうな表情でセシリーを睨めつけるが、彼女に悪意が微塵も存在しない事に気付き舌打ちを零すだけに留める。

 セシリーと言えば彼女の手が異様に冷たい事に気付き、少しだけ驚いた。これは何か病にでも罹っているのかと。

 

「その辺で休めば問題無い、だから放して」

「――なら、私が何か御馳走するわ、そうね……こっちに来て」

 

 セシリーは少しばかり考え込み、それから何か体に良いモノを食べさせようと思った。目の前で困っている人がいれば助ける、貴族として生まれたからという理由もあるが、何よりセシリーはこれを人として当然の事だと思っていた。食べられないのならば休める場所を与えるまでだ。

 

 目の前の彼女は薬を突き出しても受け取らないだろう、ならばその場で消費出来るものが望ましい。しかし一般区の街にある店など知る筈もなく、ならば貴族地に戻れば良いと少女の手を引いて歩き出す。

 少女は最初こそ抵抗しようとその場から動かなかったが、自分を見る女性の瞳が余りにも力強く、この手の人間は適当に付き合った方が早く終わると考え小さく溜息を吐いて歩き出す。男なら問答無用で消し炭にしてやったと言うのに、なんて考えながら。

 

「貴女、名前は?」

「……それ、必要?」

「良いから、答えなさいな」

 

 セシリーが半ば強引に迫ると、少女は非常に鬱陶しそうに眉を顰めながら口を開いた。

 

 

 

「リース……リース=ライバット」

 

 

 

 

 





「お兄ちゃん、風邪ひいちゃったの!? 大変!」
「私が看病してあげるね! 全部、私に任せて!」
「ずっとずっと、私が面倒見てあげるから!」

 って状況を夢見て一週間くらい前から全裸で家を走り回っているのですが、一向に風邪をひく様子がありません、かなしい。
 こっちでは未だに雪が降ります、もう春だと言うのに、かなしい。
 あと私に妹は居ません、かなしい。


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一時の夢

 セシリーと少女――リースは貴族地に入り、とある老舗のレストラン(料亭)へと足を運んでいた。無駄にキラキラとした装飾がある訳では無く、趣のある木造建築にどことなく自然の暖かさを感じる造り、その店を見たならば京は「和風」と口にしたかもしれない、兎に角この世界では珍しい異色の空間であった。

 しかし、リースは特に動じる事も無くセシリーの後に続いた。最奥の畳が敷かれた部屋、十二畳程の大きさで仮にリースが横になっても十分なスペースがあった。彼女が休める様にとセシリーが配慮した結果だった。

 

 リースは最初こそ手っ取り早く去ろうと考えていたが、目の前の女性――セシリーがかなり高位の貴族だと悟り、情報を引き出す算段を立てていた。元々情報屋に個人依頼を出していたリースだが、だからと言って手を拱いて待っているだけなど性に合わない。

 向こうから情報を背負って来たならば、遠慮なくぶんどるまで。寧ろこれは好機であると、リースは目に剣呑な色を宿した。

 

「取り敢えず楽にしていて、一応体に良いものを注文しておいたけれど無理に食べなくても良いわ」

「……名前、教えて」

 

 テーブルに肘を着き、どこか睨めつける様な形で問いかけたリースに、セシリーは何でもない様に返した。

 

「セシリーよ、呼び捨てで構わないわ」

 

 貴族の証である家名を名乗らなかったのは、国内でも有数の貴族である自分を前にして萎縮してしまっては更に病状が悪化してしまうのではないかと言う彼女なりの配慮からであった。リースからすれば要らぬ世話であったが、兎に角貴族地に顔パスで入れるという事は貴族確定である、彼女は情報を得るべく言葉を重ねた。

 

「最近、貴族の間で流行っている噂とか、知らない?」

「噂?」

 

 リースの言葉にセシリーは首を傾げる。何故そんな事を聞いて来るのかという疑問も湧いたが、或はこの場を持たせる為の他愛もない会話なのかもしれないと、特に何も考えずに答えた。

 

「さぁ、最近は社交界にも出ていませんし、特にコレと言った噂は聞きませんわ……それに、屋敷に居ても聞こえて来る噂なんて誰かの悪口に違いありませんもの、そんなモノを聞いていても何の得にもなりません事よ?」

「そう……」

 

 望んでいた答えが得られなかったリースは、悔しそうに表情を歪める。それが体調不良によるものだと思ったセシリーは、慌てて彼女に「ほら、遠慮せずに横になりなさいな」と無理矢理リースを寝かせた。

 

 リースも最近ちゃんとした睡眠が取れていなかったので、横になると多少の眠気を感じる。しかし、こんな何処の誰とも分からない人間の前で眠りに入るなど、リースの危機管理能力が許さない。

 無理矢理横になった状態でも、リースは確かに意識を保ち続けた。

 

「じゃあ最近、誰かを身請けしたとかいう話は?」

「身請け……?」

 

 横になったまま、自分を見上げて言うリースの言葉にセシリーは眉を下げる。それは、明らかに何らかの意図があって聞いている言葉だった。この場を持たせる為では無く、彼女は何らかの情報を欲しがっていると。

 

「貴女……誰かを探していますの?」

「………」

 

 セシリーの言葉に帰って来たのは沈黙、イエスでもノーでも無い返答は、しかし消極的な肯定を現わしている。セシリーは少しばかりリースの境遇に興味を抱きながらも、しかし親切心から自身の周囲に身請けした貴族が居るかどうかを考えた。

 

 身請けという言葉に京の姿が思い浮かんだが、彼は地下闘技場から身請けした人間だ。こんな色白でか弱い少女が、地下闘技場の関係者などあり得ないと断定、そこから周囲の家が最近身請けをしたかどうかを考え、結局否定を口にした。

 

「私の知る限り、周囲の貴族で身請けしたという家は無いわ、あくまで私の知る周囲の家は、ですけれど」

「……そう」

「……貴方が誰を探しているかは聞きませんけれど、大事な方ですの?」

「大事、とても――私にとっては、何よりも」

 

 家族か、或は恋人か。

 リースから感じられる焦燥、悲壮感はセシリーの肌を刺激した。それ程までに強い感情だった、もし自分が力になれるのであれば多少の助力はしてあげよう。そう思う程度にはリースはか弱く見えた。

 

「差し支えなければ、貴女とその人の話、聞かせては頂けません事?」

「………」

 

 その言葉はセシリーなりの気遣いだった。もし彼女のこの状態が失った彼、或は彼女が原因であったならば、誰かに話す事でソレを軽減できるのではないかと。人に話す事で胸のつっかえが取れるのならば、それに越した事は無い。

 対するリースは、そんな言葉を掛けられた事に少しばかり驚き、しかしぎゅっと唇を噛み締める事を答えとした。

 

 

 

 ☆

 

 

 

「それで、その闘技場の彼女はどんな娘なんだよォ?」

「そりゃあもう、自分には勿体ない位良い女性さ」

 

 京とシーエス。

 男二人でカフェと言う名の居酒屋――酒があるならば、何処であろうと酒場になる、それが男という生き物――に居座って早三時間、そこには大量の酒瓶が並べられ、アルコールによって完全に舌の滑りが良くなった二人が居た。

 

 個室という閉鎖空間が他人からの視線を完全にシャットアウトし、その醜態を晒す相手は友人一人。折角友になったならば腹を割って話そうとシーエスが口にし、ならば酒だと注文を行った所から雲行きは怪しくなっていた。京も病院生活ではアルコールを摂取する機会も無く、初めてという訳ではないが久しく口にしていなかった酒の味に溺れていた。

 因みにこの世界の飲酒可能年齢は十五である。

 

「そうだな、少し嫉妬深くて、言葉が少なくて、けれど沢山の愛情を向けてくれる、小さくて可愛らしい女性だ」

「かぁあァ~~! お前ッ、おまえ、それはもう結婚するしかねェじゃねぇか! 式には呼べよ、沢山の花を持っていてやらぁ!」

「ふふっ、照れるな、そうだな、結婚したら報告しよう」

 

 シーエスの言葉に、満更でもなさそうな笑みを浮かべる京。出来上がっている、疑う余地は無い。

 酒の入った二人は最初こそ自身の身の上を打ち明けるに留まっていたが、そこからどういう方向に話が逸れたのか、今では互いの恋話になっていた。最初はシーエスの悲恋、もといセシリーに向けられた一方的な愛とも尊敬とも言える感情を語られていた京ではあるが、一方的に話し終えたシーエスの勧めもあり、京の恋人(仮)であるリースの話をするに至っている。

 

 因みにだが、何故リースが京の恋人(仮)になっているのかは分からない、京本人も分っていない。酒の力とは偉大であり、同時に恐ろしくもある。

 

「んでよ、んでよ、そのリースちゃんって子とよぉ、どうやって知り合ったんだァ?」

「ん? そうだなぁ、あれは地下闘技場に入れられて、五年位経った頃か……」

 

 京はリースとの出会いを思い出す。

 奴隷商人から地下闘技場のオーナーへ。

 十歳を超えた京は試合に出場できる年齢となり、一週間に一度の頻度でフィールド・アリーナへと駆り出されていた。本来はもっと出場回数は多いのだが、やはり子どもは子ども。そんなオーナーの方針により出場回数は通常の闘士より長いスパンが設けられていた。

 

 しかし、一度殺し合いとなればそこに子どもだから、という手加減は介在しない。ある時は子ども同士で殴り合いを強要され、時には複数人で自分達の倍近い身長を誇る大人と殺し合いを演じさせられた。

 毎日が死闘だった、生きる事で必死だった、その小さな体は弱さの象徴に他ならなかった。

 

「そんな時に彼女――リースと試合をする事になったんだ」

 

 京が彼女の戦う姿を見たのは、後にも先にもこれだけである。闘士十人と、亜人であるリースの試合。当時の彼女は今よりも更に無機質で、物静かであった。感情を知らない様な能面の顔に、圧倒的な魔法の力。

 あの十人の中に京が入っていたのは、子どもながらに急成長を遂げ子ども相手の一対一ならば完勝できる程の実力を身に着けたからだろう。実際、十一歳になった頃には大人と殴り合っても負けない程の地力を身に着けていた。

 

 当時のリースは地下闘技場最強の名を欲しいままにしていた、京が地下闘技場に入ってから五年、彼女は不動の王者として君臨していたのだ。当時の京は魔法という奴を実際に見た事が無かった、思えば待合室で他の闘士が絶望した様に俯いていたのは、あの圧倒的な力を目にした事があったからなのだろう。

 

 実際、その試合は彼らの考えた通りになった。

 開始直後に放たれた天を穿つ雷撃、地面を舐める炎、空気を凍らせる吹雪、それら自然の驚異が何の力も持たない人間に牙を剥くのだ。京は初めて見る魔法の力に愕然とした、恐怖した。

 こんなものと、どう戦えば良いのだと頭を抱えた。実際それは戦いと呼べるものではなく、ただ一方的な蹂躙であった。為す術なく倒れ伏す大人達、凍らされ、燃やされ、雷に打たれ、一人また一人と地面に転がった。

 

 人間が亜人と戦う事は死を意味する。

 京がその言葉を実感した日だ、確かにこれは、剣や弓を持ってこようと意味が無い。ましてや素手など論外だ、近付く前に殺されて終わる、それだけの力が魔法にはあった。

 

「実際、亜人と戦うなんて普通の人間には無理だと思った、魔法という奴はとことん不条理に出来ている、自分が思うに、亜人と言うのは完全な人間の上位互換、あの戦いをリースは実力と言っていたけれども、今でも自分は運だと思っているよ」

 

 結論を言ってしまえば、京はその試合を生き延びた。そうでなければ今、この場に居るのは誰だと言う話になる。しかし、その過程で京は文字通り死ぬ思いをした。恐らく嘗て経験した試合の中で、最も死を近く感じた戦いだった。

 

 一歩の間違いが死に直結する、少し判断が遅れれば、避け損ねれば、その攻撃は容赦なく自分の身を討ち滅ぼすだろう。それは京にとって慣れ親しんだ感覚、病院のベッドの上で刻々と己の体を蝕む病魔を自覚するように、リースの魔法は京の体を蝕んだ。

 天より穿たれる雷を不規則な回避によってやり過ごし、地面を舐める炎を跳んで躱し、飛来する氷の礫を拳で叩き落とした。

 

 自分でも恐らく、人外の動きをしていた事だろう。あれは正しく極限であった、脳内麻薬が全身を犯し、両手が砕けようとも防ぐことを止めなかった、痛みは快楽に、死の恐怖は愉悦に、命のやり取りは全ての大人が息絶えても続けられた。

 正直に言うと、京は死に抗っているという事実に興奮していた――率直に言うと、射精した。

 

 あの何の抵抗も許さずに、京をこの世界に送り込んだ【死】という理不尽に、自分が全力で抗っているという状況。それは一度死を体験した京に、これ以上ない興奮を与えた。

 どれだけ屈強な男だろうが、頭の良い人物だろうが、金持ちだろうが、死ぬ時は死ぬ。抵抗なぞさせて貰えない、そう称したのは他ならぬ京である。だが、その京が、他ならぬ自分自身が、必死に抵抗しているのだ、死を前にして。

 

 リースとの戦闘は時間にして五分程度だっただろう、それ程長い時間ではない。しかし魔法を回避し続けた京にとっては何十時間という長い時間に感じた。

 結局、京はリースの苛烈な攻めに屈し、炎を回避した瞬間、無防備な空中で氷の礫の直撃を食らって意識を失った訳だが、辛うじて命に別状は無かった京は再び闘士として復帰した。

 それからである、京という人間の記憶にリースと言う少女が刻まれたのは。

 

「その試合以降、何だかんだと言ってリースが部屋に来る様になったんだ、恥ずかしい話、その試合が結構盛り上がって、個室を貰えるようになったんだ、負けたと言うのに不思議な話だろう、それから一年、二年と経つ内に身長もグングン伸びてな、試合数も多くなった」

 

 リースとの試合が良くも悪くも京の枷を外し、「これ位ならば、死なない」と命の投げ売りに等しい試合でも、確実に勝利を捥ぎ取って行った。更に第二次成長期に入ってからは凄まじい勢いで背が伸び、筋肉が付きやすくなり勝率が上がる。

 京が初めて王者となったのは十三歳の頃である、試合に出場するようになってから三年、京はリースを除く並みいる強豪を打ち倒し見事王座を手にした。

 

 本来ならば現王者であるリースとの対戦が望まれたのだが、得難い強者――地下闘技場の人間からすれば金のなる木――同士をぶつけて一方を失うのならば、リースと京を対戦させずに金を巻き上げた方が良いという判断に至った。

 何より、京との対戦をリースが拒んだと言う理由もある。その真意を京は未だに知らない、しかし京としてもリースと再び戦う事は遠慮したいと言うのが本音だった。ましてや一対一のタイマンなど殺される未来しか見えない。

 

「それからリースの希望で部屋が一緒になって、まぁ前々から半分同棲みたいな状態だったけれども、かれこれ五年位の付き合いになる、自分にとっては親友でもあり、恋人でもあり……向こうも悪くは思っていない筈なのだけれど、あぁ、告白したらオーケー貰えるのかな……」

「イケるって、イケるって! 自信を持てよ京ッ! お前なら大丈夫だッ!」

 

 リースとの未来に想いを馳せ、しかし良い未来が浮かばなかったのか表情を曇らせる京。実際は告白オーケー云々どころか、告白した時点で押し倒される程の好感度を稼いでいるのだが、如何せん病院生活の長かった京は人の好意に疎い。

 その根底には「こんな自分を好きになる筈がない」というある種の劣等感があるのだが、何よりもリースが真っ直ぐすぎるのも原因だった。毎日好きだ好きだと言われていたら、そりゃあ一種の冗談なのではとも勘繰りたくなる。

 

 シーエスはそんな京を眺めながら酒を煽り、「かぁあ!」と声を上げた。その姿からは貴族なんて華やかな肩書は欠片も見えず、ただの飲んだくれにしか見えない。

 

「つぅか、羨ましいな、この色男ォ! あぁん? お前、セシリー様まで引っ掛けてよォ、セシリー様まで、セシリー様までお前に好意を……ん、セシリー様? お前、セシリー様とはどうするんだ?」

「うん……? 何故、そこでセシリーさんの名前が出て来るんだ」

「あん? そりゃあ、お前、セシリー様はお前の事が……お前の事が―――何だっけ」

「馬鹿、お前、今はリースの話だろう?」

「そうだったわァ、わりぃ、わりぃ、あーくそぅ、俺も彼女が欲しいィイ!」

 

 酔っ払いの二人は、そのまま泥沼の会話に突入する。

 そこに救いは無い。

 

 

 

 ☆

 

 

 

「そう……大変だったのね」

 

 座敷の中、テーブルを挟んで対峙する二人。

 リースとセシリーである。セシリーはピンと背筋を張って綺麗な正座で座し、対してリースはテーブルに頬杖を着きながらセシリーを暗い目で見ている。

 

 結局あの後、リースはセシリーに洗い浚い全てを吐いた、地下闘技場の事や自身が亜人である事を除き、大体の事情は説明したと言って良い。セシリーが非常にしつこかったという理由もあるが、睡眠不足に加えて京成分不足という状態がリースの口を軽くした。

 

 本来ならば出会って間もない他人に自信の境遇やら感情を吐露する事等あり得ないが、京が傍に存在しないという事実は予想以上にリースの精神に負荷を掛けていた。

 何もかもが思い通りにならない、ならば泣き落としでも何でも使ってやる、少しの情報でも良い、貴族が手を貸してくれるのならば万々歳だ。

 リースは自棄半分、下心半分という形で説明を終える。それを聞いたセシリーの反応は実に同情的であった。

 

「けれど、商会も随分と酷い事を……せめて自身を身請けする時間くらい都合してくれても良いじゃありませんの」

 

 腕を組み、納得いかないと義憤に駆られるセシリー。

 リースの考えたカバーストーリーはこんなものである。

 曰く、とある商会に二人の奴隷階級の男女が居り、二人は互いに好き合っていた。商会はそこそこの大きさで、二人は奴隷階級でありながらも人並みな生活を送れていた。女は十年ほどその商会に身を寄せており、男は今年で五年目であった。

 女は十年間で貯めた金貨を使って自身を身請けし、また男の身も身請けしようとした。しかし男はそれを断り、自分の身は自分で身請けすると言った。女はそれを信じ、男が自由になる時を待っていた。

 

 しかし、ある日商会に貴族がやって来て、男の事が気に入った貴族が彼を身請けしてしまう。それを聞いた時、女は運悪く遠方の仕事で不在にしており、女が商会に戻った時には既に男の姿は何処にも無かった――と。

 

 このストーリーの男は京で、女はリースだ。

 強ち嘘でも無い、大凡の部分では合っていると言える。

 

 セシリーに本当の事を打ち明けないのは、単に身請けした相手が大貴族だと分かっているからだ。貴族は上下関係に従順である、仮にこの場で彼女が自分に味方すると明言しても、相手が国有数の大貴族だと分かったら手の平を返すかもしれない。そうなった場合、セシリーを通して向こうに自分の初動が悟られる可能性がある、リースはそう考えた。

 

「もし、身請けされた男性――彼が見つかったら、教えて欲しい、彼は背が高い、それに容姿も優れている、一目見れば分かる、と思う」

「……彼の名前は教えて頂けませんの?」

「――私と同じ、ライバットの名を持っている」

 

 セシリーは頷き、その名を記憶に留めた。

 ライバット、何処となく聞き覚えのある名だ、セシリーは少しだけその場で頭を悩ませた。それから、仮に彼女が彼を身請けした貴族とやらを見つけた場合、どうするのかが気になって問いかける。

 

「貴女はその身請けした貴族を見つけて、どうするつもりですの?」

「……返して貰う、彼を――お金はある、彼の身請け金と同じ位」

「……そう」

 

 勿論、嘘である。

 リースは彼を身請けした貴族を見つけ次第、問答無用で彼を奪還すると決めていた。そもそも身請けした奴隷を売るか否か、その決定権は所有者にある。つまり向こうの貴族が京を「売らない」と言った時点で、リースは交渉どころか彼を手に入れる機会を永遠に失う事になるのだ。

 

 セシリーはその事に気付いていた、もしや彼女はその事を知らないのではないかと。そして貴族に彼の譲渡を拒否された場合、目の前の少女が何をしでかす事になるか。薄々であるが、セシリーは察していた。

 

 しかし、だからと言ってセシリーが首を突っ込んで良い問題かと言われれば、否である。そもそも身請けを受けたのは商会であり、金銭のやり取りが行われていたのならば正当な取引と言える。

 そこに何ら関係ない第三者が首を突っ込む――同列である貴族ならば兎も角、恐らくリースの彼を身請けしたのはアルデマ家よりも下位の貴族、そこにアルデマ家が首を突っ込めば、それは助力では無く『命令』になる。

 それは余りにも理不尽と言えた。

 

 だが、このまま何もせず傍観すると言うのも――

 

「……もう行く、何か分かったら、これで教えて」

 

 リースはテーブルに小さな紙切れ一枚を置き立ち上がった、セシリーは紙を見つめて、「これは?」と問いかける。

 

伝言紙(メッセージカード)、これに文字を書けば私に伝わる」

「そんな高価な物を――分かりましたわ、何か分かったらコレに書きます」

 

 お願い、そう言ってリースは逃げる様に早足で座敷を出て行った。その背にセシリーは何かを言いかけて、しかし姿が見えなくなる事で言葉を飲み込む。

 渡された紙切れ――伝言紙を摘まみながら、彼女は溜息を吐いた。

 

「……結局、食事は無駄になりましたわね」

 

 そう言って伝言紙を手の中に仕舞う。未だに用意さえされていない食事、しかしこのまま店を出るのも料理人に申し訳ない。せめて自分だけでも食事を済ませて行こうと決める。

 それから彼女の探している男性の事を考え――不意に、京のフルネームを思い出した。

 

 エンヴィ・キョウ=ライバット。

 

 今はアルデマ家の家名が入っているが、ライバットの名を彼も持っている。普段は京とばかり呼んでいたので、直ぐに気付けなかった。彼は商会から身請けした人間ではないが、背も高いし容貌も美しい、彼女の言う男性と妙に合致していた。

 

「……まさか――ね」

 

 嫌な予感を覚える。

 断言できるわけではない、そうであるとも、違うとも。

 しかし考えれば考える程、彼女の言う人物が京に近付いて行く。

 

 セシリーは無意識の内に、拳を握り締めていた。

 

 

 




 修羅場の相手同士が顔見知りだった時の衝撃感よ。
 「嘘だろ、オイ」みたいな絶望、好き。

 因みに感想で「全裸で走り回ると風邪をひくから靴下は履こうね?」と言われたので靴下履いて走り回っています、ありがとう! ありがとう! 足あったかい!
 でも上半身と下半身がさっみーの、わたし風になってる、ヒュウ。

 ヤンデレ妹は諦めました、やっぱり時代は血縁関係の無いヤンデレなのか。
 でも好き。

 ヤンデレの為ならば修羅道であっても歩める。
 今なら靴下と共に風の様に走り抜けられる気がする(走り抜けられるとは言ってない)

 ┌(┌^o^)┐シュラァ……

 


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開戦の狼煙

 

「京、少し良いかしら」

「セシリーさん?」

 

 夜、シーエスと京が屋敷へと帰宅し、時刻は皆が寝静まる頃。コンコン、という控えめなノックに京は声を上げた。ドアの向こう側から聞こえた声はセシリーのモノ、京は部屋の扉に足を進めると静かにドアノブを回した。

 開いた扉の向こう側から顔を覗かせたのは、ナイトドレスにガウンを羽織ったセシリー。その髪は僅かに濡れていて、風呂上りだと言うのが分かった。鼻腔を擽る甘い匂いに若干胸を高鳴らせながら京は口を開く。

 

「こんな夜更けに、何か御用でしょうか?」

「えぇ、少しだけ――中に入っても?」

「勿論です」

 

 京は少しだけ陰のあるセシリーの表情に内心首を傾げながら頷く。シーエスと記憶が吹き飛ぶ程度には酒を飲んだ京ではあるが、体にアルコールに対する耐性があったのか、或はこの世界の回復魔法が凄まじいのか、ある程度理性的な判断が出来るレベルまでは回復していた。

 セシリーは京の部屋に一歩踏み込むと、近くの椅子に腰かける。京は備え付けのカップに手を掛けると、「大したものはありませんが、紅茶でも如何でしょう?」と問いかけた。

 

「気にしないで、実は先程頂いたばかりなの」

 

 そう言って笑うセシリーに、京は「そうでしたか」とカップを元の位置に戻した。改めてベッドに腰を下ろすと、「それで、御用と言うのは?」とセシリーに問う。セシリーは少しだけ困った様な、或は迷う様な素振りを見せた後、恐る恐る京に聞いた。

 

「京、貴方――『リース』という名に聞き覚えはあるかしら?」

「リース?」

 

 京は名前を聞き驚愕を顔に張り付けた。

 その反応だけで答えは出ている様なものだが、セシリーは唇を噛んでぐっと我慢する。京は京で、何故セシリーからリースの名が出たのか不思議で堪らなかった。僅かな間驚きに胸中を支配され、しかし問われたからには答えなければならないと、京は慌てて頷いて見せる。

 

「はい、その……リースは地下闘技場で同室だった戦友で、面識があります、しかし何故セシリーさんがリースの名を?」

「そう……彼女とは、今日、少し知り合う機会があって、それでよ」

 

 京の答えを聞いたセシリーの表情は実に苦々しいものだった、知り合う機会があったとセシリーは言うが表情からして余り良い出会いでは無かったのだろう。「何か、リースとあったのですか?」と京が問いかければ、彼女は首を振った。

 

「大した事ではないの、ただ――」

 

 セシリーはそこまで言って口を噤む、京は疑問符を浮かべた。大した事では無いと言うが、彼女は明らかに苦悩している。

 彼女はリースが京を探していたと、そう本人に告げるべきか否かを迷っていた。恐らくその事を話せば、彼はリースに逢いに行く事だろう。リースは大変京を好いていた、それは一目で分かる程の好意だ、彼女に逢いに行けば京は自分の元に戻ってこないのでは? そんな疑念があった。

 

 リースは京を再び身請けすると言っていたが、無論セシリーが京を手放すなどあり得ない。その程度の執着で済むならば、闘技場で身請けなどしなかった筈だ。では仮にリースに対して京は身請けさせないと言った場合どうなる?

 余り良い展開は浮かばない、少なくとも法に依れば京はセシリーのモノであり、感情に任せた所でアルデマ家に危害を加えれば国内では生きていけない。どちらにせよリースは既に詰んでいた、少なくともセシリーの目から見れば。

 

「………」

 

 セシリーの胸内は複雑であった、リースという少女が嫌いかと言えばそうではない、京という個人を好き合う同士、その感性は限りなく近い所にあるのだろう。或は出会い方さえ異なれば友人として語り合う事も出来たかもしれない。

 しかし、セシリーは「もしも」の話が嫌いだった、現に幾ら今を嘆いたところで時が戻る事は無く、リースにどの様な言葉を掛けようとも結末は分かり切っている。

 

 そして何より、セシリーはリースに対して不快感を覚えていた。

 それは嫌いという感情ではなく、憎悪に近い感情だ。つまり嫉妬していたのだ、リースという少女に。自分よりも長い時を京と過ごした、そして現に京をセシリーから奪還せんと動いている少女に。

 

「………京、一つ答えて欲しいのだけれど」

「……? はい、何でしょう」

 

 セシリーは京に問いかける。

 その表情はとても穏やかで、先程の苦々しい表情が嘘の様であった。京はリースと何かあったのだろうかと戦々恐々としていたが、晴れたセシリーの表情に安堵する。恐らく、自分の思い過ごしであると。

 そして彼女は運命の分かれ道となる、問いかけを行った。

 

「貴方――リースの事は好き?」

 

 それは短く、簡潔な問いであった。

 京も理解出来た、答えるのは簡単だった。耳から聞こえた言葉を噛み砕き、自身の感情と照らし合わせて。何の考えも無く、ただ単純に自身の気持ちを口にする。

 

「はい、好きですよ」

 

 

 

 この日、セシリーの何かが終わった。

 

 

 

 ☆

 

 

 ふと、何か言い表せない不快感を覚えて目を開けた。

 

 時刻は深夜、満月の明かりが仄かに部屋を照らし、薄ぼんやりと部屋の様子が分かる程度。セシリーが無言で部屋を去ってから数時間後程だろうか。

 昨日シーエスと酒を浴びる様に飲み、未だに頭痛が抜けていない。二日酔いの不快感かと一瞬呆れるが、しかし京の勘が明らかな異常を訴える。夜は寒く、京はベッドから抜け出すと武官制服の上着だけを着込み、窓から外を覗き込んだ。

 眠気はあったが、それよりも危機感が勝った。未だに靄の抜けない思考と視界だが、動けぬ程ではない、それに眠気と不快感も靄も(じき)消えるだろう。

 

「……誰かいる」

 

 それは闘技場で鍛えられた第六感から発せられる警鐘、寝ていても敵意には敏感になる目覚まし機能。セシリーが戻って来た? いや、そういう類の視線ではない。明らかに悪意のある視線だった。

 

 十二歳の頃に受けた訓練に、睡眠時に強襲を仕掛けられるというものがある。寝ていれば当然無防備だ、腹部に全力の踏み潰し(ストンプ)を受けたのは十や二十ではない、文字通り血反吐を吐いたお蔭で京は先程からチクチクと感じる視線を捕らえられた。

 

 シーエスから受け取った手甲を素早く回収し、両手に装着して部屋の窓を開ける。視線は外から、京の部屋は本邸の中央――セシリーの部屋に近い場所にある、視線の主は恐らく屋敷の外周に居る。京は周囲を見渡すと、徐に窓枠を蹴飛ばして部屋を飛び出した。

 京の部屋は二階にあるので大した落下距離ではない、地面に生え揃った芝生の上を転がって衝撃を吸収し、再び襲撃に備える。視線は感じるが依然、何か動きがあるという訳ではない。

 

 周囲は薄暗く、月明かりだけが頼りだ。そこらに生え揃っているブッシュ、手入れされた木々、そこからは何も感じない。

 しかし京は、視線が複数ある事に気付いた。

 

「一人……いや二人」

 

 そう口にした途端、ヒュッ! と風切り音がした。それは余りにも小さく、然もすれば気にも留めない程の大きさ。しかし京は音の出所を瞬時に把握し、その場から飛び退いた。瞬間、屋敷の壁に突き刺さる一本の投擲ナイフ。

 やはり誰かいる、そう確信した京に影が堕ちた。

 

「ちょいと眠って貰いますねぇ~」

 

 影は上から。

 まるで覆い被さる様にして落下してきた人影は手に持っていたダガーを一閃、素早い、更にギリギリまで存在を感知出来なかった。京はその軌道から逃れる事を不可能と判断、咄嗟に人影を突き飛ばした。驚異的な筋力を以て突き飛ばされた人影は、そのまま「ぐぇっ」と声を上げて放物線を描く。

 刃は辛うじて前髪数本を掠る程度に留まり、人影は芝生の上を一回転した後軽やかに立ち上がった。

 

「うえぇ、失敗しましたよコレ、明らかにヤバいですよぉ」

「……無様だな」

「それ、アナタが言いますぅ?」

 

 京の目の前で腰を折る人影は、月明かりの下でも視認し辛い恰好をしていた。前世で言うならば忍者だろうか、或はローグと言っても良い、全身黒尽くめの顔隠し装備、どう見ても暗殺者か盗賊の類である。影は二つ、一つは比較的小柄で声が高い、女性だ。

 もう一つは京よりは小さいが恐らく体型から男だと推測できる。

 二人は互いに距離を離しつつ、京を中心に円を描く様に動く。

 

 見た目は怪しさ満点、更には確実に不法侵入、そして京の仕事は武官。そこから導き出される行動は一つ、屋敷及びセシリーの防衛である。京は両手の手甲をカチ合わせて金属音を鳴らすと、拳を構えた。

 

「うわぁ、やる気満々ですよぉ、この人――って言うか、あれですよ、この人ですよねぇ絶対」

「大柄、男性、元地下闘技場、素手格闘(ステゴロ)、貴族に身請け、十六歳………十六歳? ――恐らく、コイツだ、多分」

「じゃあ身を晒すだけの価値はあったんですかねぇ、しかし中々良い男ぉ……帰ったらもう少し依頼料貰おうっと」

 

 そう言って女性の影が先に飛び出し、男性の影が後から追従する。その速度は京を以てしても驚くべきスピードで、彼女の持つ刃が月明かりを反射し光った。

 

 身構えていた京はその速度に内心舌を巻きながらも、何とか防御に回る。振り下ろされた一撃を手甲で弾き、空中で姿勢を崩した状態からの蹴りを腹筋で受ける。更に後方から男性が繰り出した突き一閃を首を傾けて躱し、喉元目掛けて放たれた抜き手を手甲で払った。

 

「っ、嘘ぉ」

 

 一人二撃、計四撃を凌いだ京、しかし攻撃に繋げられるかと言われれば否である。両手を防御に回し尽くした京は体勢を崩した二人に体当たりを繰り出し、その巨躯からの一撃をモロに受けた二人は大きく吹き飛んだ。

 しかしあくまでタックルでしかないソレは、身軽な二人にとって致命傷にはなり得ない。仲良く吹き飛んだ二人であるが空中で体勢を立て直し、そのまま難なく受け身を取って起き上がる。

 

 女性の影は京の戦闘センスに驚きを露わにし、男性は警戒度を大きく上げた。京は先程振るわれたダガーの軌道から一つの確信を得る。

 

 この二人、まともに戦う気が無い。

 

 先程の攻防、下手をすれば京の命が危うかったかと言えば、そうではない。突きも振り下ろしも、全て【負傷するけど死にはしない】程度の浅さに抑えてある。皮膚を辛うじて斬れれば良い、筋肉に少しだけ刃先が届けば良い、そんな間合いだ。

 殺す気が無い――いや、この場合はソレで十分と言うべきか。

 

 あの刃には何か毒物が塗り込んである、恐らく麻痺して動けなくなるとか、幻覚作用があるとか、そういう類の。

 成程、どうやら相手には自分を殺す気が無いらしい。

 

「思った以上に強いんですけどぉ……どうする、逃げるぅ?」

「――悪手」

 

 態々(わざわざ)入り込んだ悪党、逃がす訳ないだろう。

 京は一息で地面を踏み砕くと、戦車の如く突貫した。速度は二人には及ばない、しかしその巨躯からは想像も出来ない破格の速度、二人も迫りくる巨大な質量を前に肝を冷やし、慌てて構える。

 

 踏み込みは深く、鋭く、男性が先程まで立っていた場所に渾身の右ストレートが振り抜かれる、ブォンッ! と風切り音が鳴り、ぶわっと男の体を風圧が押し出す。男は辛うじてダッキングを行い、顔面に飛来したソレを躱した。

 直撃は絶対にしたくない威力、京の一撃は見せ札としても十二分に発揮した。

 

「ッ、背を見せたら、マズい、俺が抑える、行け」

「うわぁ――了解、生きて戻って下さいよぉ~?」

「抜かせ」

 

 どうやら男が自分を足止めし、その間に女が逃げる算段らしい。

 逃がしてなるものかと京は皆に襲撃を知らせる為に声を上げようとし、その寸で男の刃が飛来した。どうも声を出す暇も与えて貰えないらしい。

 

 男は先程と異なり両手にダガーを持ち、それを鞭の様に(しな)らせて振るう。軌道は半円を描くが距離が長い、ナイフを深く、(しっか)りと持つのでは無く、まるで刃を引っ掛ける様に飛ばしてくる。

 更には一撃一撃を全力で振るわなくて良い分、戻しが早く手数が多い。京とて一撃のスピードは負けていないが、恐らく一撃を打ち込む間に相手の攻撃もまた、京を捉えるだろう。

 

 間合いが読めない、踏み込みたいが刃に仕掛けがあると理解している以上、深く踏み込む事に躊躇いが生じる。一撃でも受けてはいけないと言う制限が京の足を止めていた。

 京は男の刃を躱し、手甲で弾き、逸らし――何か奇妙な感情を覚えた。

 

 それは何と表現すれば良いのか分からない、ふつふつと湧き上がる怒りと言うか、不満と言うか。

 何て言うか、違うのだ、()()は。

 シーエスやリース、他の今まで戦って来た闘士と全く異なるモノを男からは感じる。不意に叫びたくなる衝動と言うか、顔を(しか)めたくなるモノと言うか。

 

 これは――そう、不快感だ。

 

 何かが気にいらない、彼から発せられる気配が京の胸を逆撫でする。それが何か、理解出来ない。しかし京は相手の表情を見て唐突に理解した。

 

 

 ――コイツ、自分が【死なない】と思ってやがる。

 

 

 死ぬ覚悟がない――否、彼からすれば死ぬ必要が無いと言ったところか。命を懸けるに値しない闘争、戦い、試合、それは男から熱と言う熱を奪い、その戦い方もまた投げやりで、無造作で、どこか腑抜けて見える。

 

 いや、彼からすれば本気なのだろう、しかし攻撃の合間合間に見える、【どうせ自分は死なない】、【相手も死なない】、【何事も無く終わる】という感情。それが京の感情を苛立たせ、モヤモヤとした何かを蓄積させた。

 

 京にとって闘争とは、少なくともこの十年で学んだ戦いとは、相手と己の命を代価に同じフィールドに立ち、生きるか死ぬかと言う極限に挑むものだ。京だって人間だ、その心臓に剣を突き立てられれば簡単に死ぬだろうし、ましてやリースの様な亜人と戦えば数秒で火達磨にされるか、氷漬けにされてもおかしくない。

 

 頑丈な肉体を審判者より授かってはいるものの、その基準はあくまで人間にしては、だ。故に京はいつも死ぬつもりで試合に臨んでいたし、実際この場所に立つまで何度も死ぬ思いをした。

 

 打ち据えられ、斬られ、殴られ、蹴られ、抉られ、その度に阿保みたいな回復力と異世界のトンデモ魔法に死の淵から無理矢理引引きずり出され、こうして此処に居る。

 いつだって格下相手だった訳ではない、寧ろ地下闘技場では格上ばかりと戦っていた、王者に辿り着くまでの何百という戦い、その全ては一方的に蹂躙されて当然のものだった。

 

 だと言うのに、コイツは。

 死ぬ覚悟も無く、自分と対峙しているのかと。

 

 不意に、京の動きが鈍った。それは刹那の時間だったが、相手の男にとっては好機に映る。伸ばした腕に加え一歩、踏み込む事によって刃が京を捉える。

 切っ先が京の頬を掠め、少量の血が弾けた。

 

 斬った。

 

 男は勝負の終わりを悟る、この刃に染み込ませた毒は即効性。一分かそこらでコイツは行動不能になると、ならば後は毒が回るまで凌ぐだけ――そう思っていた。

 

 その男の顔面に、拳が突き刺さるまでは。

 

 京は相手の踏み込んだ一歩に加え、斬られる前提で更に大きく踏み込んでいた。

 それは京の拳の間合い、超接近戦(インファイト)。踏み込んだ勢いに加え腰の回転を余すことなく利用した一撃は、男の顔面を見事に撃ち抜く。

 

 男は大きく脳を揺さぶられ、更に自身の頬骨から鈍い音を聞いた。それは骨を砕かれた破砕音、大きく吹き飛びながら平衡感覚を失った状態で受け身を取る。痛みに地面を転がり回りたい、しかしそれをぐっと我慢しながら男は脂汗を流した。

 そしてゆっくりと目の前の巨躯を見上げる。

 

 

本気でやれよ(死ね)

 

 

 やばい。

 男の第六感が全力で警鐘を鳴らした。

 大きく距離を取ろうと背後に跳んだ男の肩を、京は恐ろしい握力で掴む。

 

「う、おォ!?」

 

 京は背後に跳ぼうとした男の体を逆に引きつけ、地面に叩きつけた。如何に地面が芝生であろうと、凄まじい力で叩きつけられては意味がない。背を思い切り打ち付け、肺の空気が余さず抜け切る。

 そこから転がって京より離れようとするも、先に腹部を蹴り上げられた。

 

 ズンッ! という重い打撃音が腹を貫き、パキンッと嫌な音が鳴る。凄まじい勢いで蹴り上げられた男は半ば強制的に立ち上がる事になり、そのまま腹部を抑えて体を曲げる。胃から何かが逆流するも、それを吐き出す前に顔面に蹴りが直撃。

 血と、吐瀉物と、それらを撒き散らしながら男は大きく吹き飛んだ。そこから地面に落ち、何度も転がる。漸く停止し、暴風の如き猛攻を凌いだ男の体はボロボロだった。

 

 顔面全てが熱を持っている、熱い、体全体がそうだ、どこが痛いのか分からない、男は何か言葉を絞り出そうとして、しかし口が全く動かなかった。

 

「ぁ……が……ふ」

 

 漏れるのは吐息と、意味を成さない声。その男の足を掴んだ京は、まるで柔道の一本背負いの様な形で男を地面に叩きつけた。顔面から地面に叩きつけられた男は、ガクンと衝撃に頭を揺らしながらピクリとも動かない。

 そのまま足を手放し、無造作に放る。

 

 京が足で男を仰向けに転がすと、頬の高さと同じになった鼻と白目が見えた。頭部を覆っていたマスクは半分脱げており、辛うじて生きてはいるらしい。しかし、放っておけば勝手に死ぬだろう。

 

「………」

 

 京は男を見下ろしながら、何ともやるせない気持ちになった。この感情は何だろうか、独り相撲を終えた後の虚無感というか、自分を慰めた後の切なさと言うか。どうにも消耗し切れない、後味の悪さを覚えた。

 

 個人的な感情はどうあれ、兎も角取り押さえる事は出来た。後はアルデマ家の人間に突き出し、何をしでかそうとしたのか、或はしでかしたのか、吐き出させる必要がある。京は屋敷の人間を誰か呼ぼうとして、首筋にチクりと刺激が走った。

 それは寒気と言っても良い、京の直感。

 

 その感覚に導かれるまま振り向き様に拳を奮うと、何者かが京の後ろに立っていた。ソレは京の拳に反応し腕を振るう、だが力勝負で人間相手に京が負けるなどあり得ない。硬質な音と共に影の腕は弾かれ、そのまま影は数歩踏鞴を踏む。

 

 新手か。

 

 今の京に余裕は存在しない、今地面に沈んでいる男を倒す為に毒を受けたのだ、いつ自分の意識が堕ちるかも分からない。故に開幕速攻、手加減不要の一撃をお見舞いする。グンッと体を沈ませ、そのまま腹部目掛けて拳を放つ。

 

 確認したところ目の前の人物は刃物を持っていなかった。或は京に見えないだけかもしれないが、コイツ等に自分を殺す覚悟は無い。最悪で意識喪失、ならば何も恐れる事は無い、そう意気込んだ。京の拳が真っ直ぐ影の腹部に撃ち込まれ、ズンッ! と衝撃が走る。

 しかし、京はその手応えに眉を顰めた。

 

 硬い――鎧か?

 

 手甲越しに感じる強度、その密度の高さ。

 否、そういう類の硬さではない。内側まで硬質的な何かで覆われている、まさか魔法――亜人なのか、そう瞬時に京は判断した。ならば全力全開、一撃だけなど生温い事は言っていられない。

 カチリ、と何かが京の頭の中で鳴り、対人間から対亜人用の思考に切り替わる。

 

「すぅッ」

 

 魔法で強化されているのならば、二の打不要の拳でさえ有効な武器とはなり得ない。ならば同じ威力で、更に数を打ち込むのみ。小さく息を吸って肺に空気を溜める、そこから一気に全身の筋肉を稼働させた。

 

 顔面目掛けての超高速連打(ラッシュ)

 

 技も何もない、全力でぶん殴り、戻し、もう一度ぶん殴る。それを凄まじく速く、正確に行うだけ。亜人と言えど体の造りは大凡人間と似た様なモノである。脳があり、脊髄があり、弱点もまた同じ。無論種族によっては弱点が弱点なり得ない、それこそ鱗や硬い皮膚で覆われている連中もいるが、顔面はどこの亜人も一緒だ。

 脳を揺すれば意識が飛ぶ、それは全種族共通。

 

「――! ――!」

 

 空気の破裂する音、硬質な何かを殴る衝撃。

 京の怪力を十全に生かした連撃は全弾人影の顔面に炸裂した、拳に伝わる感触はやはり硬い。しかし、確かに効いている様子はある、三十発目で一際強力な拳を放った京は、そのまま人影を吹き飛ばした。先程まで京の拳を平然と受けていた人影が吹き飛んだ、魔法が切れたのか、或は。

 

 兎も角、今こそ好機と京は更に距離を詰める。起き上がる様子もない人影に跨り、その両手を大きく突き上げた。

 

 

暴れ太鼓(アバレダイコ)

 

 

 マウントを取った京は振り上げた拳を振り下ろし、人影に叩きつける。ズドンッ! と空気が破裂し、相手の体が大きく揺れる。一発では終わらない、二発、三発と徐々に回転数を上げていく。一発一発を全力で、全身全霊で叩きつける、その衝撃たるや凄まじいもので、人影を伝った衝撃が地面を震わせ、顔面部位の周囲だけ陥没する程。

 衝撃を逃さぬように相手の体を自分の体で抑えつけ、全弾無条件で直撃させるという京の対亜人用ポジション攻撃。

 

 京が地下闘技場で学んだ事は一つ、亜人は強い、阿保の様に強い。地下闘技場に収容されているリースを除いた亜人は比較的弱く、『百戦錬磨の人間がどうにか勝てるレベル』でしかないが、それでも京にとっては油断の出来る相手では無かった。

 故に、殺せる時に殺さなければ、此方が殺される。

 それ程までに亜人という存在は脅威だ。

 恐らく一般的な成人した亜人であれば、京の全力でも敵わないだろう。

 

 一発、一発、一発――一秒に振るわれる拳は凡そ三発、そこから十秒ほど京は手を止める事無く人影の頭部を打ち据え続けた。手甲が京の怪力に悲鳴を上げ、塗装が剥がれて拉げる程度には凄まじい威力。そんな攻撃の直撃を受け続けていた人影は、遂に耐久力の限界に達す。

 バキンッ! という音。

 それが周囲に鳴り響き、人影の頭部が――砕けた。

 

「ッ!?」

 

 京が振り下ろしていた腕を止め、地面にめり込んだ相手の頭部を凝視する。人間の頭が潰れた音ではない、もっと硬質的なモノが割れた様な音。相手は顔を布で覆っていた、先程の男よりも念入りに。

 

 しかし、そこから血が滲んでいる様子もない。京は相手の顔面を覆っていた黒い布を無造作に掴むと、思い切り引っ張った。線維が悲鳴を上げブチリと布が裂け、その全容が明らかになる。

 

「人形……」

 

 それは人間では無かった、のっぺらぼうの顔に鼻の突起だけを付けた様な形。その顔の上から半分が砕け、破片が周囲に飛び散っている。材質は木、しかし恐らく魔法で強化していたのだろう、表面のあちこちに魔法陣が描かれていた。

 まさかと思い、背後を振り返る。

 そこには先程まで転がっていた男の姿は無く、男を叩きつけた衝撃で潰れた芝生だけがあった。

 

 やられた、そう思った。

 

 この人形は囮だったのだ、人形は所詮人形であり情報を喋る事は無い。京は跨っていた人形の胴体を強く殴り付けると、自身の迂闊さを嘆いた。

 

 

 

 ☆

 

 

 

「いやぁ、死ぬ程強いですねぇ、あの人、地下闘技場で王者を張っていた事は知っていましたが、いやはや魔法人形を素手でぶち壊すとは――あの人、実は亜人でしたってオチじゃないですよねぇ……?」

「ぐっ――そうだったとしても、驚かん」

「私もですよぉ~」

 

 闇夜に紛れて疾走する人影が二つ、先程京と交戦した二人組。男は顔面に回復薬を被りながら、何度も痛みに身を震わせる。痛みを省みない回復、それでも万全の状態とは言い難い、そこまでして何とか騙し騙し体を動かしている状態だった。

 遂に男は痛みに耐えかね、口元のマスクを外して何か錠剤を口に放る。それを噛み砕き、素早く呑み込んだ。貴族用に整備された街道、その灯りを避けて疾走する二人は並走しながら話す。

 

「今回の件で治療費、回復薬三つ、鎮痛剤と魔法人形一体、呼び出しの指輪一個……うわぁ、凄い大出費ぃ~、これ先方に請求しちゃぁ駄目ですかねぇ?」

「……こちらの失態だ、依頼料以外は請求不可」

「ですよねぇ~」

 

 女と男は屋敷からある程度離れた場所で身を潜めた、そこは貴族地と通常の居住地の境目。周囲には高い壁が聳え立ち、幾つかある出入り口には警備の人間が立っている。深夜だと言うのにご苦労な事だ、二人は暗闇に紛れる為の服を脱ぎ捨てると、予め用意していたダストボックスに押し込む。後で他の人員が回収する手筈となっている。

 ついでに使用した回復薬の小瓶と武器も放り込み、そのまま一般市民の様な恰好で関所に向かった。灯りに照らされた二人はその存在をクッキリと視認され、警備の人間が「こんな時間に誰だ」と顔を顰める。

 しかし二人の顔が明らかになった途端、警備の人間は素早く顔を逸らした――まるでそこには誰も居なかったかのように。

 

「いやぁ、買っといて正解でしたねぇ~、警備員サン」

「……口を閉じろ」

 

 そうしてアルデマ家襲撃犯は悠々と関所を通過し、貴族地より姿を消した。

 

 

 





 頭にヘアピンを差し、その上にニット帽とシルクハット、トドメにネクタイを巻く。
 上にコートとエプロンを羽織り二重三重のネクタイとマフラーを首から垂らす、腰に履くのは葉っぱと褌。
 手にはステッキを持ち手袋も完備、足には下駄を履き、我最強無敵也。

 意気揚々と庭へと飛び出せば寒波が頬を撫でる、現在三月も終わりに近づき四月に突入間近だが、私の地元は吹雪が猛威を奮っていた。
 しかし裸に靴下で家の廊下を制覇した私に恐れるものは無く、勇猛果敢に吹雪に挑んだ。
 
 その心境はドラゴンを前にした勇者か、或は闘牛に挑む闘牛士のそれ。

 最近ではめっきり寒さに慣れ、気温三度でも「暖かいな今日」と豪語出来る皮膚を手に入れた、裸と靴下は実に偉大である、新しい健康法として売り出せば百万部行くと思う、たぶん。

 しかし、如何に読者から渡された暖かい感想(物理)を纏おうと、吹雪は容赦がない。主に防具が装備されていない「生足」と「乳首」の被害は甚大で、ふぶく度に思わず背を向けてしまった。

 寒い、まさか――この私が?

 驚愕であった、或は恐怖を感じた。
 あの凍える様な夜を制覇した、この私に寒さを感じさせるなど、この吹雪は一体どれだけの人間の体温を奪って来たのか。胸の内に湧き上がるのは敵(吹雪)に対する敬意と恐れ、それは私の闘争心を一層燃え上がらせた。


 庭を走り回り、早一時間。
 終わりの見えない戦い。
 最初こそ元気に「ヤンデレバンザーイ!」と走り回っていた私だが、その表情には徐々に陰りが見えて来た。

 走り、風が吹けば背を見せ、再び走り、風が吹けば背を向ける。
 それは宛ら風を防ぐステップの様で、時間が経つにつれて、私はある思いに支配されていた。


 ――何で、こんな事しているんだろう。


 それは今までの過去を崩し得る思考だった。
 首だけ異様に暖かく、頭を覆う防具は完全だ、しかし生足と乳首だけは隠し切れず、そこからじわじわと体温を奪われて行く。おまけに下駄は走りにくい。 

 そんな不敬な考えに至って更に十数分、もはや慣れた動きである風避けステップを繰り返した時、不意に私は気付いた。

 この、ヤンデレに看病される為に始めた祈り(露出)

 もしや、これが正式なヤンデレ神を呼び出すための儀式なのではないかと。

 目の覚める様な思いだった、思わず天を仰ぎ見た。
 今ではこの吹雪さえも「ヤンデレに看護されて、ええんやで?」というヤンデレ神の導きに見えた。
 風が吹き、ステップを刻む。

 その瞬間、私は「これだ!」と思った。

 この極限状態に至って気付く、華麗な舞い。
 寒さを凌ぐこのステップは、ヤンデレ神に捧げる儀式そのものだったのだ。
 私は感涙した、余りにも枚数を重ねすぎて若干重いネクタイで涙を拭った。

 私はその日、そのステップを「ヤンデレの舞い」と名付け、後の子ども達に伝承させる事を硬く誓った―――。

               
 
  <了>





 そろそろ本編も終盤に差し迫ってきました、これから急激に展開が動きますがご了承下さい。
 尚、ヤンデレの舞いは繰り返すと太腿と膝、股関節に甚大な被害を与える為、「ヤンデレが好きすぎてしょうがないんだ!」という方以外は推奨されません、またヤンデレの舞いの副作用として、咳、鼻水、頭痛、悪寒などがあります、平日は控えましょう。

 ヤンデレ妹が看病してくれないから、これは風邪じゃない、良いね?
 
 

 


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最後の平穏

 

「随分とまぁ、贅沢な装備を持った盗人さんね」

 

 セシリーが足元に転がった魔法人形を見下ろして呟く。不審者の襲撃から一夜明け、翌日。早朝からセシリーは父の執務室にて腕を組み、眉間に皴を寄せていた。

 

 現当主であるヴィルヴァ氏は二日前より国王の命により外交の任に赴いている為、代理として次期当主のセシリーが現時点でのアルデマ家トップを任されている。

 昨日屋敷内に侵入した盗人、その連中が置いて行った魔法人形。京が撃退した二人組であるが、その後の足取りは掴めていない。巡回の武官が音を聞きつけてやって来た時には既に毒が回って意識朦朧とした京と、砕かれた魔法人形だけが残っていた。

 

「最初からこうなる事が分かっていた……いいえ、万が一の保険、最初からコレを使い捨てて逃げるつもりだった、というところね」

 

 セシリーが調べた限り、この魔法人形は亜人の制作したものに人間が手を加えたものである。魔法人形とは魔力の浸透しやすいカルカトン樹を削り、人型にした後亜人の魔力を数時間掛けて全身に浸透させて出来上がる人間モドキ。簡単な指示には従えるし、ちょっとした戦闘にも耐え得るが、間違っても京と殴り合えるだけの性能は持っていない。

 

 京の拳を物ともせず、下手人が逃亡するだけの時間を稼げた理由は表面の魔法陣。これは人間が書き込んだモノで、内容は【魔法障壁】――簡単に言えば表面に魔力を薄く張り伸ばし、攻撃を防ぐバリアの様なモノだ。

 

 こう言った小細工は人間の魔法使い特有のものである、彼等亜人はその膨大な魔力にモノを言わせ、「技巧がナンボのもんじゃい」とばかりに巨大で派手な魔法を好む。それこそ人を探知する魔法や、形状を記憶する魔法など、何それ意味あるのと首を傾げるばかりだ。

 

 言うなれば人が最低限の労力で戦うために拳銃を作り上げたら、向こうは核爆弾で殴って来たというところか、亜人と人間ではそれだけ使用出来る魔力に違いがある。

 恐らく魔法人形に攻撃を防ぐ手段を与えるならば、亜人の場合その物質そのものを魔力で構成するだろう。つまり表面にチョロっとバリアを張るのではなく、体全体をバリアにしちまえと、そう言うやり方をするのが亜人だ。

 

「魔法人形一体だけでも金貨百、いえ二百は必要、更に魔法陣を扱える人材何て随分大きな組織……物品が狙いでは無かった様だし、一体何が目的だったのかしら」

 

 屋敷内に荒らされた様な痕跡は無かった、父の執務室にも立ち入った様子は無く、損失したモノも無い。態々屋敷内に潜入せず、外側からグルッと中を覗いて回った痕跡は残っていたが。

 

 まるで何かを探している様だった、或は情報の類か。屋敷内の見取り図を描いていた、もしくは物品――いや、外から見える場所に置いておく芸術品など大した値打ちは無い。そうなると人、誰かを探していたと言う可能性もある。

 生憎京は解毒中であり意識が無い、彼が復帰次第事情を聴くつもりではあるが、それまでは手掛かりも無く待機する他無かった。

 

「――まぁ、何にしても良い気分ではないわね」

 

 自分の守護者を傷つけられたのだ、セシリー個人としては万死に値する行為である。

 或はあの夜、もう少しだけ京の部屋に留まって居れば一緒に戦えたかもしれないと言うのに。当時のセシリーはリースの事ばかり考え、半ば飛び出す様な形で京の自室から退室してしまっていた。

 

 ふと、セシリーの脳裏に目の前の魔法人形とリースが重なる。もしやコレは、彼女が用意したモノなのではないかと、唐突にそんな事を考えた。無論、証拠も何もないただの勘である、聞く人が聞けば「まさか」と笑うだろう。

 

 リースの焦燥ぶりは良く知っている、魔法人形は確かに高価ではあるが京の身請け金を払うだけの財はあると言っていた。そして彼女は「商会」の人間だと口にしていたが、京が地下闘技場出身である事を考えれば当然嘘になる。

 そして――彼はリースを同室の戦友だと言っていた。

 つまり、彼女も闘士なのだ。

 

「京と肩を並べられる、戦友」

 

 当然、稼ぎも相当なものだろう。京の地下闘技場での稼ぎは知っている、あそこのオーナーから大雑把にだが聞いていた。だとすれば金貨の百枚や二百枚、当然の様に支払えるだろう。

 

 セシリーはリースを見た目通りの少女と判断していた訳だが、それが大きな誤りである事に気付いた。少なくとも京の居た地下闘技場でトップに近い位置に立ち、アルデマ家程では無いモノの平民が持つには余りにも巨額の富を持っている。

 

「仮に――仮に、彼女の立場に立ったとして」

 

 セシリーはリースの思考をトレースする。

 自分が知らない間に、パートナーが身請けされたとして。当然最初は売買人、この場合はオーナーに身請け先を聞くだろう。しかしリースは京の居場所を知らない様だった、どうやらオーナーは身請け先を明かさなかったらしい。

 セシリーは内心でオーナーに感謝の念を抱いた。仮に彼がリースに身請け先を話していたら、その日の内にアルデマ家にリースは乗り込んで来ていただろう。

 

 そして、身請け先が分からないのならば調べる必要がある。

 アルデマ家には独自の情報網があるが、地下闘技場で闘士を営む彼女に自前の情報網など無いだろう。ならばどうするか――自分の足で情報を集めるか、誰かを頼るか。

 

 地下闘技場のトップを身請けするには莫大な金額が必要だ、そこから貴族が身請けしたのだと予測したのかもしれない。思い返せばリースはセシリーが話しかけた時、非常に面倒くさそうな顔をしていた。しかしその後はセシリーに貴族界隈の噂を問うている、あの時から彼女は探りを入れていたのだ。

 彼女は自分の足で情報を集めていたのだろう、しかしソレだけでは限界がある。貴族の世界には情報屋が存在するが、一般街にもソレが存在している事をセシリーは知っていた。

 

「情報屋を雇った、それも多額の金で」

 

 アルデマ家に隠密を放つ意味があるかと聞かれれば、セシリーは否と答える。そもそも現在当主であるヴィルヴァは不在である為、暗殺の線は消えるし、単純な窃盗目的であれば何も盗られていないという点が納得出来ない。

 

 アルデマ家が仮に全滅したとしても、そもそもの話この家が無くなって得する奴など居ないのだ。十一家の一つが消えた所で国全体にはそれ程影響が無いし、多少貿易の数字が悪くなるだけだろう。他国からの刺客と言うのであれば分からないでもないが、それならばヴィルヴァの不在を狙った意味が分からない。

 

 強盗の下見? 地図の作成? だとすれば計画は失敗だと言えるだろう、強盗する前に危険分子の存在がバレてしまったのだ、警戒は引き上げられる。

 

 ならば目的が別にある筈なのだ、これまでアルデマ家に隠密が侵入した事など、少なくともセシリーが生まれてからは一度も無かった。つまり原因は内部にあるのではなく、外部にある。

 

 そして最近になって内部へと取り込んだ人物は一人だけ――他ならぬ京である。

 

「………」

 

 考え過ぎだろうか、セシリーは小さく溜息を吐き出す。しかし完全に的外れであるとも言えない、その可能性もある筈だ。この襲撃がリースの手によるものだと断定は出来ない、しかし同時に否定も出来なかった。

 

 彼女の執念は凄まじい、セシリーはリースの青白い顔の向こうにあった、狂っているとも言える偏愛を覚えていた。

 

「……渡して堪るものですか」

 

 その眼に業火の様な怒りを宿しながら、セシリーは自分の腕をぎゅっと握る。何年一緒に居ただとか、同じ環境で生き抜いてきたのだとか、セシリーにとっては関係ない。既に京はセシリーのものであり、守護者となったのだ。ソレを今更取り消す事は出来ない、その気も無い。

 

 仮にこの襲撃がリースの手によるものだろうと、無かろうと、セシリーは覚悟を決めていた。どちらにせよ、近い内に対峙する事になるだろう。

 そんな事を考えながら彼女は、己の愛しき守護者が目を覚ますのをじっと待っていた。

 

 

 ☆

 

 

「アルデマ家――」

 

 リースはとある宿屋の一室で届けられた一枚の紙を眺めていた。

 室内は殺風景で、最初に案内された時から何一つ物品は増えていない。簡素なベッドとクローゼット、姿見とテーブルが置いてあるだけだ。

 

 紙は数日前に彼女が雇った情報屋が持って来たモノ。どうやら情報入手にかなりの労力を要した様で、追加料金で金貨五十枚を払うハメになった。リースにとって京の情報が手に入るならば安い出費であると割り切っているが、金は有限である、大事に使わなければならない。

 紙に書かれた情報は端的で短い、小さく折り畳まれたソレに書かれた文章は一文のみ。

 

『該当人物、アルデマ家にて発見』

 

 アルデマ家――当初、リースが考えていた通り国内でも有数の権力を持つ大貴族の一つである。王族に近しい十一貴族、その内の一家、それがアルデマ家だ。元々は商の才能に恵まれた一族だと聞いていたが、それならば京の身請け金をポンと出せるのも納得できる。

 

 リースは無意識の内に舌打ちを零した。

 大貴族だとは思っていたが、まさか此処まで大きい家だとは思っていなかった。王族に近いという事は、それだけ国の中枢に食い込む家柄と言う事。権力も財力も武力も、リース一人だけでは太刀打ちできない。恐らくオーナーもそれが分かっていて身請けを承諾したのだろう、何と言う事をしてくれたのだとリースは次彼に会ったら顔面を全力で殴ると心に決めた。

 

「面倒……」

 

 兎角、これで正面から問答無用で殴り込みを行うという案は消えた。或はリースならば可能かもしれないが、それをすれば最後、国に弓引いたと同じ事になる。最終的な結果は変わらないだろうが、単独で乗り込むにはアルデマ家は余りにも強大過ぎた。

 となれば、取れる手段は限られてくる。

 

 リースは紙に魔力を通し、音もなくソレを燃やした。パラパラと灰になって散る破片を眺めながら、これからの行動を考える。最終目標は京を奪還する事だ、彼に接触し、そのまま屋敷を抜け出せればそれで良い。

 

 或は何らかの方法で彼を外に呼び出されば良いのだが、現状京がどの様な扱いを受けているか分からない以上、考えなしに動けば此方が足元を掬われる。リースは幾つかの策を考えた。

 

 ――情報屋は京と交戦した事を隠蔽していた、そもそも人探しであると言うのに当人と戦ったと言っては依頼人の怒りを買いかねない、彼の状態も情報として売買できる価値があったが、情報屋は最低限の情報を売るに留まっていた――

 

 リースの考えた策。

 一つは隠密を雇って秘密裏に京へと接触、リースが呼んでいると京に知らせる方法。しかしコレは隠密が捕まれば情報が露呈する諸刃の剣、隠密自体に戦闘能力は期待出来ない、更に言うと京が監禁されていた場合は意味が無い、故に少しばかりリスクが大きい。

 

 もう一つは窃盗団を雇って突撃粉砕、金は掛かるだろうが元より覚悟の上だ。集団で傭兵やら盗賊を揃えてアルデマ家に特攻させる。金品を好きに盗んで良い、更に報酬も出るとなれば受ける集団は必ず居る。

 

 元々国外で活動する連中は何処かの国に指名手配されているのが殆どだ、であるならば今更ソレに一つ名が増えた所で気にする者もいまい。そして上手く京と接触できれば彼にリースが会いたがっていると伝えて貰えば良い、無論名前は出さず、それとなく分かる方法で。そうすれば京はきっと来てくれる筈。

 

 いっその事、京宛てに手紙でも書いてやろうかと思ったが、あのオーナーが私の事を話さずに身請けさせるなどあり得ない。必ず自分を警戒している筈だと確信していた。龍種(ドラゴニア)の執着は並ではない、それこそ唯一無二の人ならば尚更。

 

「私の英雄(キョウ)、私だけの英雄(キョウ)

 

 リースは夢想する、その瞬間を、彼との再会を。

 己が龍種として生を受けて三百と八十九年、人間の年齢にして二十一歳の少女。龍種としては若輩で、人間としては余りにも長寿。

 

 龍種の殆どが己の本懐を遂げられずに死んで行く中、京という男に出会えたのは僥倖と言う他無い。他では駄目なのだ、彼でなければ駄目なのだ。三百と八十九年生きて来て、絶望の淵に沈んで漸く得られた光――京という名の英雄(救い)

 

 リースと言う名の(ドラゴン)、その物語の終焉を彩る英雄は彼でなければならない。

 

「その為なら、私は」

 

 リースは唯進む、その先に何があるかは――彼女のみが知れば良い。

 

 

 ☆

 

 

「不甲斐ない」

 

 京は自室で独り項垂れていた。

 ベッドの上で上体を起こし俯いている京、その巨躯はいつもの様な威圧感を感じさせない。例の襲撃から目を覚ました京であるが、その後にちょっとした事情聴取を果たした後自室にて療養の命令が下された。無論、命令を下したのはセシリーである。

 

 京が目を覚ましたのは襲撃から凡そ半日が経過した頃だった、随分意識を失ってしまったと自分でも思う。

 京としては体調も万全で――恐らく図体の大きさに対して受けた毒量が少なかったのだろう――今すぐにでも武官の仕事に復帰できる程度だったのだが、大事をとって休めと雇い主から命令されてしまっていた。

 雇い主には逆らえない、結果京は渋々自室で療養という名の暇を持て余す羽目になったのである。

 

「これでクビとかにならないと良いのだけれも……」

 

 京の仕事は武官、屋敷の警備とセシリーの身の安全確保である。今回の襲撃は辛うじて察知出来たが、もし仮に気付けなかったらと思うとゾッとする。幸い、今回は上手く撃退出来たし、京が戦った以外の賊は発見出来なかったと言う。屋敷内の品も特に損失したモノは無く、結果から言えば京は十全に仕事を果たした。

 

 欲を言えば犯人を捕えられれば満点だったのだが、その手掛かりとなる魔法人形は回収されている、アルデマ家の力を使えば今回襲撃を行った人物を見つけ出せるだろう。

 

 だがやはり、京としては不満が勝った。たかが賊二人組に後れを取り、魔法人形の正体を看破できず下手人を逃がしたのだ、京としては何らかの罰があってもおかしくない、そう思っていた。

 しかし、予想に反してアルデマ家の人々の対応は優し気だ。寧ろ流石だと言わんばかりの対応である、それが余計不気味に見えて、京は戦々恐々としていた。兎にも角にも、セシリーからも御咎め無しだったので今は安堵しているが。

 

「京、今良いかしら?」

「セシリーさん? 勿論です、どうぞ」

 

 コンコン、というノックの音。続いて扉の向こう側からくぐもった声が聞こえた、此処に来て聞き慣れた声、セシリーさんの声である。京が一も二もなく声を上げると、扉を開けた向こう側から笑みを浮かべたセシリーさんが現れた。

 

「調子はどうかしら? 痛みとか、気分とか」

「問題ありません、今からでも仕事に復帰できます」

「そう、なら良かった」

 

 暗に仕事させてくれと頼んでいるのだが、セシリーは笑って受け流す。言外に、仕事はまださせないと言っているのだ。

 

 ――最近、京はセシリーが変わった事に気付いた。それはちょっとした変化とも言えるが、しかし京としては「ちょっとした」で済ませるには少しばかり気になる変化であった。

 

 例えば今、京は武官としての仕事を免除され療養させて貰っている訳だが、京本人としては直ぐにでも動ける程回復している。亜人の医師からも毒物は完全に体内から除去されたと言われているのに、だ。

 

 これは他ならぬセシリーの命令だった、襲撃のあった日と翌日は絶対安静。魔法というトンデモ治療法が確立されていると言うのに、セシリーの命令は過保護とも言える。更に京はトイレと風呂以外での外出は禁じられており、食事は給仕が持ってくる始末、まるで重病人の扱いであった。

 

 しかし、直接「仕事に復帰させてくれ」と言えば、セシリーは暗い面持ちで、「貴方は怪我をして、更に毒を受けたばかりなのよ? ……余り、我儘を言わないで」と悲しそうに目を伏せる。

 

 これだ。

 

 悪意のある対応ならば京も相応の態度で臨めるが、セシリーのソレは純粋に京の身を案じての事だった。故に強い態度で出る事も出来ず、渋々彼女の言葉に従って床に伏せるしか出来ない。

 まるで軟禁されている気分だった、地下闘技場での生活を思い出す。京を外に出さないようにと、鎖で繋いでいるかの様な――

 

 京が苦笑いを浮かべると、彼女が手にバスケットを持っている事に気付いた。京の視線を受けた彼女は、バスケットを目線の高さまで持ち上げ、「お見舞いよ」と口にする。

 

「そんな、自分に見舞いの品など……」

「良いのよ、これは私が望んだ事なの、さ、一緒に観ましょう?」

「……観る?」

 

 トコトコと靴音を鳴らしながら入室した彼女は、京の部屋にあるテーブルへとバスケットを置く。上に被さっていた白い布を取り払うと、中から球状の何かが顔を覗かせた。パッと見は水晶玉に近い、しかし硝子の様に透明という訳でも無かった。

 

「一体これは……」

 

 京は首を傾げる、今までの生活では目にした事が無いモノだった。セシリーは何処か自慢げに胸を張ると、「暇だと思って持って来てあげたのよ」と笑った。

 暇だと思うなら仕事に復帰させてくれと、心の底から思ったが口には出さない。

 

「これは映像再生器と言うのよ、予め保存されている映像を魔力で再生するの、再生するのに魔力が必要だから使うたびに補充が必要だけれど、私が居るから問題ないわ」

「……成程」

 

 要するにテレビとプレイヤーが一体化した様な道具なのだろう、中に入っている映像は一本だけ、使用するには魔力と言う名の電力が必要と。京はマジマジとテーブルの上に置かれた映像再生器を見た。

 映像を映す道具がこの世界にも存在するとは、少々驚きである。

 

「かなり値の張る道具だから、見た事が無いのも仕方ないわ、父の私室から拝借して来たの、何個も並べられていたから適当なモノを一つ取って来たわ」

 

 それはかなりマズいのではないでしょうか。

 京はこの時点で何か嫌な予感を覚えていた、後から無断拝借が露呈して怒られるという未来を予見したともいう。魔力はセシリーが補充できると言うので、別段バレる要素があるという訳では無いのだけれども。このお嬢様なら何かボロを出して露呈しかねない、恐らくする、絶対する。

 

「えっと、襲撃者の追跡は――」

「京から話を聞いた後、アルデマ家の情報官を動かしているわ、貴族同士の情報網もあるし、今は待機中、要するに手持ち無沙汰なのよ」

 

 成程、粗方仕事は終えているらしい。つまり暇になったから此処に来たという事なのだろう、京は諦めてセシリーに付き合う覚悟を決めた。自分に決定権があったのかは兎も角。

 

「さぁ、京、一緒に鑑賞しましょう、何が再生されるかは分からないけれど、娯楽用の映像再生器だもの、オペラとか劇団の映像だと思うわ」

 

 セシリーが映像再生器をテーブルの端に置き、軽く手で触れる。するとポゥ、と音が鳴って表面に青白い光が奔った。それを確認して、セシリーは京のベッドに腰かける。本当なら椅子を勧めようと思っていたのだが、ここぞとばかりに京の腕を掴んだので諦めた。

 

 映像再生器の真上に光が集まり、それが徐々に映像を形作る。どうやら立体映像の様なモノらしい、下手をすると前世より技術が進んでいるのではないだろうか。尤も科学と魔法という根本から異なる分野ではあるが。

 

 そうして始まった映像、最初は何やら男女が抱き合うシーン。もしや恋愛(ロマンス)の劇か何かだろうかと思った次の瞬間、男が服を脱ぎだした。

 

「えっ」

「アッ」

 

 セシリーと京の声が重なる。そこから更に女性までも服を脱ぎ始め、何やらベッドの上で怪しげな雰囲気を醸し出す。無論、映像に修正等が加えられている筈もなく、その行為は京の下半身を刺激した。

 

 これは恋愛物ではない、その先と言うか下というか。

 女性と男性が真っ裸になり、互いに接吻を交わしながらベッドにダイブ。

 大変に気まずい、とても気まずい。

 京は恐る恐るセシリーを見た。

 

「………」

 

 ガン見である。

 顔を赤らめ涙目になりながら、しかし確りとした視線で映像を見据えていた。慌てて映像を消そうとしたり、顔を背ける様な素振りは無い。まさかの続行である、本気なのかセシリーさん、これを鑑賞するというのかセシリーさん、一人ならばまだしも二人で見ると言うのかセシリーさん。

 これは駄目な奴、お父さん秘蔵の奴、ヴィルヴァ様何故(なにゆえ)この様な映像を並べて置いたのですか、隠しておいてくださいよ、ベッドの下とかに。

 

 京は何も言えなかった、何を言えば良いのか分からなかったとも言う。こんな時、どんな声を掛ければ良いのか『女性はこう口説く!~東の幼女も西の熟女も、これで貴方にメロメロ~』には書いていなかった。

 

『アッ、イイッ!』

 

 映像の中での行為は更にエスカレートする、男のアレを女性が手でアレしていた。京は極力映像に目を向けない様にそっぽを向きながら、しかし下腹部に熱が蓄積するのを自覚した。

 流石のセシリーさんも、ここまで直接的ならば目を逸らすだろう。

 しかし予想に反してセシリーさんは映像をガン見、そして何やら震える手を突き出し――

 

「…こっ……こう?」

「セシリーさんッ!」

 

 これは学習教材ではありません、真似しないで下さい。京はそれらの気持ちを込めてセシリーに叫んだ、しかし一向に止まる様子は無い。

 顔を真っ赤にしながら涙目で、しかし懸命に行為を鑑賞する貴族様。何がそこまで彼女を駆り立てるのかは分からないし、恐らく京には一生理解出来ない。

 

 更に行為はエスカレートし、今度は胸で男性のアレをアレし始めた。それは余りにも生々しく、音声まで付くと赤面不可避だ。うわぁ、これヤバイって、ヤバイって、と内心焦りながらも流石にコレはとセシリーに視線を向ける。

 彼女は自分の胸を見下ろし、何かを挟む様に寄せて上げていた。

 

「こ……こうね……?」

「セシリーさんッ!?」

 

 恐るべしセシリーさん。

 一体彼女には何が見えているのか、まるで見えない何かを擦る様な動き。

 

 京は段々と自分が汚れた男に思えて来た。当たり前だが雇い主を押し倒すなど不敬にも程がある、クビになるどころか物理的に首が飛ぶ。しかし男の性が首を擡げているのも事実。何と言う生殺し、何と言う試練、おぉ審判者()よ、何故自分にこのような試練を与えたのか。

 目を瞑りながら頭を抱えて唸る、どうしてこうなった、どうしてこうなった――現実は常に無情である。

 

『もうダメェ、アナタの×××を私の×××に××××でぇ、一杯××××て、お願い、×に×××ぇ!』

「……も、もうだめぇ、あ、あなたの、ちっ、ちん――」

「セシリーさァんッ!?」

 

 

 

 ☆

 

 

 

「何だか、凄く不快」

「………?」

 

 国の郊外、貴族地から大分離れた位置にある一棟の建物。元は亜人の経営する病院だったらしいのだが、地区の過疎化に伴い移転したらしい。それ以来、この建物は誰の目にも触れず爪弾き者の住みかと成り果てていた。

 

 元は待合室だった場所、等間隔で並べられたソファー、窓口、僅かに汚れが目立つか住めない程では無いと言う程度。リースはそこで十人程の男達と対峙していた。男達は擦りきれた安物のローブを羽織り、全員が布で口元を覆っている。

 

 突然電波を受信したリースであったが、「何でもない」と言って首を振る。目の前の男は不思議そうにリースを見ていたが、気を取り直す為に咳払いを一つ行った。

 

「兎も角、依頼は承った――襲撃先はアルデマ家、報酬は前払いの金貨一億枚、追加報酬はアルデマ家の金品強奪、目的はエンヴィ・キョウ=ライバットにアンタの情報を渡す事、だな」

「そう、彼に指定の場所を教えるだけで良い、間違っても戦っては駄目」

「依頼人の対象人物を傷つける気は無ねぇよ」

 

 男は肩を竦めて笑う、その顔は戦ったら自分が勝つと信じ切っている表情だ。リースは戦闘に成った場合、確実に男が殺されると分かっていた為に警告したのだが、恐らく意図は伝わっていないだろう。

 まぁ、最悪一人二人殺されても、残りが京に接触するだろうとリースは無言を貫く。別段、彼女は男達の身を案じている訳では無いのだ、仕事さえ果たしてくれるのならば何人死のうが関係無い。

 

「前払いで料金も貰った、屋敷の地図もな、後は俺達が突っ込んで屋敷の金品を奪うだけだ――武官は全部で五十人足らずなのだろう?」

「駐在が三十、離れの宿舎に二十、交代は十時間ごと」

「楽勝、俺達の団員は百人を超える、貰えるだけ貰ってドンズラするさ」

 

 リースの前に立つ男達は大陸の向こう側から指名手配されている犯罪者集団、どんな事も金次第で請け負うならず者達。本来ならば一億程度で国の中枢に食い込む大貴族に強盗紛いなど請け負う人間は居ない筈だが、どうやら彼らは違うらしい。余程運営資金に難儀している様にも見える、それに貴族の屋敷ならば高価な装飾品の一つや二つ、強奪も容易だろう。

 リースにとっては実に都合の良い集団であった。

 

「実行は明日の深夜――後悔しねぇな、嬢ちゃん?」

「後悔……?」

 

 男の言葉に、リースは顔を顰める。

 後悔、後悔か。

 

 もし自分が後悔するとするならば――京がその命を落とした時くらいなモノだろう。

 それ以外は全て等しく塵であり、何ら悔やむ事等ではない。例え全て失おうが、国を敵に回そうが、京以外の全人類が死に絶えようが、亜人が消え去ろうが、どうでも良い。

 

「後悔なんて、あり得ない」

「……そうか」

 

 男はローブを着込み、フードで顔を隠した目の前の少女に言い表せぬ恐怖を抱く。それは男の直感と言うべきか、それに従って男はそれ以上何か言葉を重ねる事を辞めた。

 

 

 




  (☝ ՞ਊ ՞)☝ウィィィィイイィィィ↑



 無事完結まで執筆を終えたハイテンションで失礼します。

 遂に一話が一万字を越えてしまった。
 そろそろ物語も終わりに近づいて参りました、プロットも何も無く、布団の中の妄想が此処まで翼を広げるとは私も予想出来なかった、人の妄想ってスゴイ。

 さて、残りとしては後数話、遂に二人が修羅場を迎えます。
 此処が書きたくて投稿し続けていたのです、長かった……。

 あぁヤンデレが書けて満足、大満足、もうヤンデレの満ち溢れた綺麗な空気の中で深呼吸したい、そしたらもう体のあらゆる悪いところが治っちゃう、ブラボー。
 皆さんも一日一ヤンデレ、毎日欠かさず行っていると思いますが、更なるヤンデレ神からの加護がありますよう祈っております。

 ヤンデレと神は常に貴方を見守っています。
 有り難い事ですね。




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消える光

 大襲撃。

 

 後にそう呼ばれるアルデマ家最大の襲撃に遭遇した日、それは京が毒を受けた日から二日後。丁度セシリーの護衛へと復帰し、何事も無く過ぎ去った深夜に起きた。

 

 最初は巡回していた武官の叫び声だったと思う。京が声に反応しベッドから飛び起きた時には、既に賊は屋敷の中に侵入していた。武官制服を素早く着込み、僅かに凹みのある手甲を身に着けて部屋を飛び出す。

 廊下に出た京は騒然とする屋敷内を見渡した、周囲の部屋からも何だ何だと剣を携えた武官が飛び出し、各々の配置へと駆ける。京は自分の目の前を駆け抜けようとする武官を捕まえ、「何があった!?」と叫んだ。

 

「襲撃だ、賊が攻め込んで来たんだよッ!」

 

 まさか、という気持ちが強かった。

 前日の襲撃に続いて、またもや賊が来たとは。武官は京に手早く事情を説明すると、直ぐに駆け出した。京も、こうしてはいられないと自分の仕事を果たすべくセシリーの居る場所へと駆ける。賊に狙いがあるとすれば、まずはセシリーだと考えたのだ。ヴィルヴァ氏は未だ屋敷に帰還していない。

 

「セシリーさん、失礼しますッ!」

 

 京の部屋からセシリーの部屋までは三十秒と掛からない。手甲を身に着けた手で扉を開け放つと、整理整頓された煌びやかな内装が目に飛び込んだ。女性らしい甘い香りが部屋の中に充満しているが、ソレを気にしている余裕は無い。

 

「セシリーさん――?」

 

 京はセシリーが横になっているだろうベッドに歩み寄る、しかしそこに本来居る人物の姿は無く、シーツには乱れ一つ無かった。手甲を外して手を当ててみても、暖かさは感じない。つまり彼女は今夜、自室に戻っていないという事になる。

 

 一体何処へ――まさか、既に賊の手に?

 

 京は手甲を嵌め直すと、素早くセシリーの部屋を飛び出した。すると丁度、武官と賊が斬り合っている場面に遭遇する。

 

 賊が剣を奮い、対峙する武官が防ぐ。しかし賊は短剣を逆の手に隠し持っており、武官は二撃目に突き出された短剣を防ぐ事が出来ず、呆気なく絶命した。首に突き刺さった短剣をグルリと捻じ込み、そのまま抜き出す。赤い線が宙に描かれ、武官はその場に崩れ落ちた。

 崩れ落ちた武官を蹴飛ばし、賊は新しく姿を現した京に剣を向ける。顔を黒い布で覆った、どこまでも淡々とした男だった、京は手甲を打ち鳴らすと無言で構える。

 

 しかし賊が斬り掛かって来る様子は無く、何か探る様な視線で京を見ていた。その視線の意図が分からず、京は顔を顰める。出方を伺っていると言うより何かを確かめている様な視線だった。

 

「お前――エンヴィ・キョウ=ライバットか?」

「何?」

 

 突然、賊の口から自身の名前が飛び出る。京の反応が肯定であると受け取った賊は、剣を構えたまま静かに告げた。

 

依頼主(クライアント)からの伝言だ、『貴族地、噴水広場にて待つ』、亜人の少女、京の恋人より」

「!」

 

 京は男の言葉を聞き、耳を疑った。亜人の少女という部分に覚えがあったのだ、更に自分の恋人を自称するという事は十中八九――

 

「リース……?」

 

 言葉が口から零れる。

 しかし男は否定も肯定もしなかった、京は何故ここでリースの名が出て来るのか分からなかった。目の前の賊は今、依頼主と言った。つまりそれは、リースがこの賊を送り込んだという事なのか? ――だとしたら何故。

 

「――お前、セシリー様を攫ったか?」

「? セシリー……」

 

 京はリースの事を考えながらも、セシリーの行方を男に問うた。突然の事に京の頭は混乱したが、流石に自分の雇い主を放って置くことは出来ない。京の問いかけに男は眉間に皴を寄せ、それから「あぁ、此処の長女か」と納得がいったように頷いた。

 

「何故そんな事を聞いたのかは知らないが、長女をどうにかしたと言う報告は聞いていない、アンタがどう考えているかは知らないが、俺達は何もしてねぇよ」

「………」

 

 京は男の言葉を聞きながら自分の中で噛み砕く。信じるべきか否か、しかしこの連中を雇った人物がリースならば、その目的は彼女では無い筈だ。彼らの独断という可能性も考えられるが、その可能性は低いと京は考えていた。

 

 目の前の男から感じる、機械的な価値観。リスクと金を冷静に計る人間の目だ、京はそう言った人間を地下闘技場で何度か目にした事があった。目の前の男はその類の人間に良く似ている。

 

「――なら」

 

 京が再び口を開こうとした時、賊が不意に屈んだ。その頭上を斬撃が通過し、そのまま大きく距離を取る賊。京に背を向け、その正面に佇んでいたのは――シーエスであった。

 

「京、無事かっ!?」

「シーエス!」

 

 京は友の無事を純粋に喜び、安堵する。彼は武官制服に愛用の剣を持ち、油断なく賊の前に立っていた。

 

「セシリー様はどうした!? お前、守護者だろう、今すぐセシリー様の元に――」

「部屋に居なかったんだ、見当たらない!」

「何!?」

 

 シーエスは驚きの声を上げ、京を見る。その隙を突く様に賊が駆け、シーエスに肉薄した。直前でシーエスは賊の動きに反応し、振るわれた一撃を正面から捌く、二対の剣が火花を散らした。

 

「依頼主から対象との戦闘は禁止されているが……お前は別だ」

「――ッ、京、行けェ! セシリー様を探すんだ!」

「シーエス!」

 

 賊の剣は速く、鋭く、人を殺す為だけに特化された剣技だった。恐れを知らない踏み込み、相打ちを恐れない勇猛果敢な攻め、それが最も相手の嫌う剣だと理解している動き。シーエスは賊の猛攻を防ぎながら叫び、京は逡巡した。

 このままシーエスを盾に去るか否か。

 

「俺の剣を信用しろッ、お前が倒した、俺の剣をッ!」

 

 シーエスが叫び、京の背を押す。その間にもシーエスと賊の剣は幾度と無く交わり、薄暗い廊下が一瞬の昼を取り戻していた。

 猛攻を防ぐだけだったシーエスの瞳に、闘志が灯る。京との戦闘で学んだ一つ、それは己の死と向き合う覚悟。防ぐだけの剣筋が変わる、受けた傍から刃を跳ね上げ相手の剣をズラす、そのまま一瞬の空白を突き接近して一閃。

 相手の懐に自ら飛び込み、危険に身を晒す戦い方。賊はシーエスの一閃を短剣で防ぎ、眉間に皴を寄せた。

 

「行けェッ!」

「―――」

 

 シーエスの声に、京は背を向け駆け出す。此処で悩む時間が惜しかった、その決断を後押ししたシーエスは小さくなっていく友の背を見つめながら剣をもう一度握り直す。シーエスは目の前の男の力量を理解していた、命を懸けた戦闘に於いては一歩も二歩も遅れを取っている。

 相手は手練れだ、命を奪うという事に何の躊躇いも無い。

 

「死ぬと分かって挑むのか、武官(坊ちゃん)

「ハッ――生憎と、アンタより強い男を知っているんでね」

 

 シーエスはそう言いながら構えを解き、剣を降ろした。その動作に男は顔を顰め、「諦めたか?」と失望を露にする。それに対して薄笑いを浮かべ、シーエスは口を開いた。

 

「何か勘違いしている様だが、俺は何も一人で戦う何て言ってないぜ? 確かにアンタは強い、命のやり取りなんて経験の無い武官からすればな――だが、三人なら負ける気はしねぇッ!」

「何――」

 

 シーエスが叫んだ瞬間、彼の背後から二つの影が顔を覗かせた。それは嘗て京に喧嘩を売った三人組の二人、デルフォ、エンツェである。彼らは手に剣を持ちながら、飄々とした態度で賊の前に姿を晒す。

 

「探したぞシーエス、全く、何一人で戦おうとしているんだ?」

「向こうで五人は倒したぞ、凄いだろう、これはシーエスの立場が危ういのでは?」

「うるせぇ、俺も今丁度戦ってた所なんだよ!」

 

 軽口を叩きながら横一列に並ぶ武官を前に、賊は剣を構える。

 一人から三人に増えた、確かに人数的には劣勢であると言える。だが事前情報によれば武官の数は五十人足らず、総勢百名を超える集団で押し入った賊に対し数的有利は此方にあった、であれば一人に三人掛かりになっている時点で他の団員が金品の奪取を行っているだろう。

 

 ――なら、適当に相手をして、隙を見て逃走する。

 

 賊はそう判断を下した。

 それを知ってか知らずか、三人は順に剣を構えて小さく息を吐き出す。確かにシーエスという個人の武はそれ程ではない、武官の中で言えば上の下、所詮貴族の剣技に他ならない。しかし、だからこそシーエスは貴族の強みを磨き続けていた。

 

「デルフォ、エンツェ、奴にジェット・ストローム・アタックを仕掛けるぞ!」

「応ッ!」

「任せろ!」

 

 瞬間、シーエスを先頭にデルフォ、エンツェが背後に並び、それぞれ上段・中段・下段の構えを見せる。その光景を見た賊は思わず一歩後退り、シーエスは獰猛な笑みを隠さずに告げた。

 

「見せてやろう――アルデマ家の白い三連星をなッ……!」

 

 瞬間、急激に加速するシーエス一味。その加速力は凄まじく、気付いた時には既に賊へと肉薄していた。これはとある特殊な歩法――『すり足』と呼ばれる移動法であった、傍から見れば殆ど動いていない様に見えるが、その実凄まじい速度で足首を動かしている。地面を滑る様に接近したシーエスは、上段から一気に剣を振り下ろした。

 

 単純な振り下ろしであれば、カウンターで胴に一閃を叩き込める程度の隙がある、しかし賊は咄嗟にシーエスの一撃を剣で捌いた。なぜならば、続く第二撃――デルフォの横薙ぎが迫っていたからだ。

 

 三人が一列に並び、高速のすり足で地面を滑りながら相手に肉薄。その状態で上段・中段・下段の攻撃を繰り出す必殺の陣形。賊はシーエスの攻撃を剣で捌き、デルフォの薙ぎを短剣で受け止めた。

 最後にエンツェの剣が足を狙い、辛うじて跳んで躱す。しかし反応が遅れた結果、剣先が僅かに皮膚を裂き血が弾けた。

 

 擦れ違った三人と賊はそのまま距離を取り、再び対峙する。シーエスを先頭にデルフォとエンツェが一列に並ぶ、今度はシーエスを始めに中段・下段・上段の順。一度攻撃する度に攻撃する箇所が入れ替わるのだ、相手からすれば面倒な事この上ない。

 苦悶の表情を見せる賊に、シーエスはこれ以上ない程の笑顔を見せて言った。

 

見っとも無い姿(マンマァアァア!)を晒させてやるよ、坊ちゃん?」

 

 

 

 ☆

 

 

 

「………何故、此処に居るの?」

 

 リースは目の前の人物に問いかけた。

 京を待っていたリース、貴族地の中央にある噴水広場。その街灯に照らされながら噴水に腰かけていた彼女は目の前に現れた人物に困惑を露にする。

 

 深夜の広場、人影などある筈もなく、基本的に深夜の外出が推奨されていない貴族地は静かなモノだ。偶然なんてありえない、だとすれば彼女は自らの意思でこの場に――リースに逢いに来た事になる。

 京ならば理解出来た、しかし何故彼女が。

 

 

 

「セシリー」

 

 

 

 リースが名を呼ぶ、彼女――セシリーは暗い表情でリースを見つめると、ポケットから一枚の紙きれを取り出した。いつかリースが渡した伝言紙(メッセージカード)、セシリーはそれを握り締めると、「これで、魔力線を辿ったのよ」と口にした。

 

「……魔法使い?」

「えぇ、そうよ、その通り」

 

 セシリーはあっさりと頷いた、魔法使いは国内に十人といない稀有な才能だ。リースは純粋に驚き、しかし訝し気にセシリーを見る、何か腑に落ちないといった表情。セシリーは儚げに笑うと、リースの目の前で伝言紙を魔法で燃やした。

 炎に照らされ、黒く変色した伝言紙が虚空に散る。

 そして灰になったソレを握り締めると、ハッキリとした口調で告げた。

 

「先程、私の屋敷が賊の襲撃を受けましたの」

「!――………そう、そういう事」

 

 リースは突然の行動に驚きながらも、しかしセシリーの一言で彼女がこの場に来た意味を理解した。

 街中で偶然出会った貴族令嬢、京と待ち合わせた場所に突然現れた点、そして彼女の名前はセシリー、京を身請けした貴族の家名はアルデマ、その当主であるヴィルヴァとやらにばかり目を向けていたが――成程、どうして中々、運命という奴は悪戯好きな様だ。

 全ての点と点が繋がった、最初から探す意味など無かったのだ、つまりは。

 

「京を身請けしたアルデマ家の長女、その名前は……」

 

 

 

「ヴァン・シヴィルハッサ・ジ・アルデマ=セシリー」

 

 

 

 リースの言葉を遮る様に、セシリーは自身の名を告げた。

 その次の瞬間、リースの瞳孔が開く。その艶やかな頬に龍の鱗が僅かに生え、彼女の感情が激しく揺れ動いている事を現わしていた。

 罅割れた様に蠢く彼女の頬を目にしながら、セシリーは苦笑を零す。

 

「そう、貴女亜人でしたのね……地下闘技場の闘士ならば強い筈だと思っていましたが、その様な見た目でも亜人ならば納得ですわ」

「それで、此処に来たって事は、何、もしかして自殺しに来た?」

「まさか」

 

 セシリーはリースの言葉を鼻で笑い、その場で足を交差させると社交界仕込みの優雅な一礼を見せた。ドレスのスカートを摘まんで僅かに足元を見せる、その姿にリースは眉を顰めた。

 そして顔を上げた彼女は暗い瞳をリースに向ける、どこか見覚えのある瞳だった。

 

「――私、貴女に決闘を申し込みますわ」

 

 どこまでも自信に満ち溢れた口調。

 セシリーは薄っすらとした笑いを顔に張り付け、リースは不快そうに目を細める。

 

「……威張るしか能のない、貴族が、私に?」

「えぇ、その威張るしか能のない貴族が、貴女に」

 

 二人の視線が交差する。

 その視線の温度は冷たく、相手を敵としか認識していない。相手は自分の最愛を奪い得る恋敵、互いが互いに理解していた。二人だけで和解など不可能、彼女達は何処まで行っても平行線。それは己が最優先事項に置いている人物が重なっているが故に、それは絶対に譲れないものであった。

 

「高々魔法が少し使える程度で、私に勝てると思うの?」

「あら、人間の英知を随分と侮っていらっしゃる様で……少なくとも、貴女程度(愛の障害)、軽く倒して差し上げますわ」

「……言ってくれる――ッ!」

 

 ボッ! とリースの体から業火が吹き上がる、そして頬から体へと鱗が生え揃い、額に二本角が綺麗に並んだ。リースは激怒していた、自分の京を奪っておいてこの言い草、最早我慢ならないと。

 

 その姿を見て、セシリーは僅かに汗を流す。それは彼女から吹き上がった業火が予想以上の熱を持っていたから、まるで彼女の胸の内を現わしている様だ。

 その業火、鱗、生え揃った二本角、余りにも有名な亜人の種族。

 しかし、此処で退くという選択肢は無い、リースにも、セシリーにも。

 

「お生憎様、人間には人間の意地と言うものがありましてよ? 最愛(愛しい人)を守る為ならば、男女関係無く、全力で障害に立ち向かいましょう! そこには貴族も平民もありません、(わたくし)、ヴァン・シヴィルハッサ・セシリーという個人の戦いがあるだけッ! なら尚更、負ける訳にはいかないッ!」

 

 セシリーが目を見開き、叫ぶ。

 同時にセシリーはドレスの胸元を掴み、勢い良く引き裂いた。爆音と雷鳴が轟き、セシリーのドレスが散り散りに弾け飛ぶ。魔法による繊維崩壊、ドレスの下から現れたのは白い魔法礼装。

 体に張り付く様なデザインで、その表層は非常に厚い。アルデマ家が大金を叩いて開発した魔法使いの為の戦闘服、その効果は大気中に分散した魔力を効率的に収集できるというモノ。

 

「そんな玩具で――身の程を分からせてあげる」

 

 リースはセシリーの魔法礼装を一笑し、その両手に業火を纏わせる。手に分厚い鱗が生え、その上からどんどん重なっていく。そして膨大な熱量を両手に携えたリースは、そのまま両手を打ち鳴らし、爆音を鳴り響かせた。

 

「怪物は怪物同士、人間の恋愛に横やりを入れないで下さる、ねぇ? ――龍種(ドラゴニア)

「―――殺す」

 

 貴族地中央、噴水広場。

 そこで人間と亜人の、己の命より大切な物を賭けた戦いが始まった。

 

 

 



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彼は挑んだ、幻想に、そして――

 京は迷っていた、セシリーを探すべきか、或はリースの呼び出しに応じるか。セシリーの居場所は依然として分からず、無暗に探した所で見つかるとは到底思えない。ならばリースの呼び出しに応じるべきか、しかし京の感情としてはセシリーを見捨てる様な真似は出来ない。

 貴族地の噴水広場、アルデマ家に来る途中にある大きな広場だ。先日シーエスと外出した際にも通っていた為、京は場所を知っていた。噴水広場と言われているが、その実公園に近い、緑の植えられた広大な公園だ、昼間は人が多く喧騒に満ちているが夜は無人となる。

 

 京は走りながら出来の悪い頭を懸命に働かせ、リースの元に向かうと決めた。

 セシリーに仮に捕まっているとしても、リースは賊の雇い主である。ならば彼女と話せばセシリーを解放する事が出来るかもしれない。もし捕まっていないならば、それはそれで構わない、どちらにせよリースには聞きたい事が山ほどあった。

 

 アルデマ家から噴水広場までは走って十分程か、しかし京の脚力と持久力を以てすれば半分に短縮可能だった。石畳の地面を蹴りながら加速し、一直線に広場を目指す。深夜の貴族地は恐ろしく静かで、人影は一つも見えない。等間隔に並んだ街灯が淡く道を照らすばかりで障害一つ無かった。

 その中を京は疾走する、苦悩そのものを置き去りにする様に。

 

「っ!?」

 

 広場が見えて来た頃、京はやけに広場が明るい事に気付いた。そして時折、何かが破裂する様な音、割れる音、燃える音が聞こえて来る。リースの魔法だ、京は瞬時に悟った。彼女が魔法を使っているという事は、誰かと戦っているという事。

 京は更に速度を上げ、半ば弾丸の様に広場へと向かって駆けた。

 

「リースッ!」

 

 広場に辿り着いた京は即座に大声を上げ、彼女の姿を探す。

 果たしてそこで見た光景は――倒れ伏す『セシリー』と、その前に立つ『リース』であった。

 

「京……っ!」

 

 噴水広場の中央、そこに横たわる主人、そして京を見つけたリースは満面の笑みを向ける。京は嬉しさと悲しさの掻き混ざった様な複雑な気持ちを抱いた、これがもし日常の中の一コマであったならば、京とて笑顔で再会を喜べたのだろう。

 広場は無数の焦げ跡に破砕された石畳が散乱し、酷い有様だった。

 

「リース、その人は――」

「ん……あぁ、これ」

 

 リースは京に微笑んだまま、自分の足元に転がるセシリーを軽く爪先で蹴飛ばす。セシリーがそれで何らかの反応を返す事は無く、完全に気を失っている事が分かった。

 彼女が身に纏っているのは普段のドレスでは無く、何か白いウエットスーツの様なモノだ。尤も度重なる攻撃に表面は黒ずみ、所々痛んでしまっているが。

 

「京を身請けした貴族、セシリー、私に挑んで敗北した、それだけ」 

「それだけって……」

 

 京はリースを一瞥し、それからセシリーの元に駆け寄った。仰向けに転がし、口元に手を当てれば僅かに息が当たる。良かった、死んではいない。京は安堵に胸を撫で下ろしたが、その視界にリースの手が差し出された。

 

「京、早く行こう、他の連中が来る前に」

「………」

 

 京は差し出された手を見つめたまま、顔を顰めた。リースは何故京がそんな顔をするのか分からず、「どうしたの……?」と小さな声で問いかける。まさか手を取らない筈が無い、リースはそう思っていた、信じていた。しかし彼は一向にリースの手を取ろうとはしなかった。

 

「リース、屋敷に来た賊から聞いた――彼らは、君が雇ったのか?」

「? そう、京を助ける為に」

 

 自分を助ける為、リースはそう言った。しかし京には理解出来なかった、彼女が何故こんな真似をしたのか。そんな事をする必要は無かったはずだ、身請け先であるアルデマ家に賊を仕向ける理由は何だ? そんな理由、あるとは思えない。

 

「………っ」

 

 京はリースの手を振り払い、立ち上がった。

 リースは払い除けられた瞬間、「えっ」、と驚きの声を上げる、そして自身の差し出した手を呆然と見つめた。痺れた痛みを発する手、それを払い除けたのは京。リースは驚愕の表情を徐々に変化させ、悲しみに満ちた顔で京を見た。

 

「……一緒に、来てくれないの?」

「リース――君が何を考えて、こんな真似をしたのか理解出来ない、だから」

 

 一緒には行けない、まずは一から全部話してくれ。

 そう言おうとして、しかし京は口を噤んだ。リースの目は既に京を映しておらず、その背に庇うセシリーに向いていたから。注意が自分に向いていない、京は自分が透明な何かになった気分だった。

 

「そんなに」

 

 リースの目が暗い光を帯びる。その瞳は京の今まで見て来たリースのどんな瞳よりも暗く、そして薄気味悪い。

 

「そんなに、セシリーが大事なの?」

 

 違う、そうじゃない。

 京がその言葉を叫ぶより早く、リースがセシリーに手を向けた。そこから本能的に危険を察知した京が、素早くセシリーを抱き上げて後退する。次の瞬間には地面から炎の柱が出現し、セシリーの居た場所を焼き尽くした。

 

「ッ、リース!」

「――ねぇ、京、お願い、私と来て」

「訳も分からないまま、此処を去る訳にはいかない!」

「………」

 

 リースの顔が酷く歪んだ。それは自分の思い通りにならない事態に対する苛立ちか、或は京を唆したと思われるセシリーへの憤怒か。

 しかし、ここにきてリースは京が素直に自分の元へと帰って来てくれる気が無い事に気付いた。彼はセシリーとやらを気遣っている、それは無理矢理身請けされた奴隷の態度ではない。

 リースはそこで、そもそもの過ちに気付いた。

 

 

 ――京は、望んで身請けされたのか?

 

 

 それはリースが一度も考えなかった、一つの可能性であった。

 その可能性が今この場に立って、初めて脳裏を過る。あり得ないと断言出来る可能性の筈だった、だってそうだろう? 彼は自分で自分を身請けする事を最も大切にしていて、自分の身請け進言すら跳ね除けたのだ。

 それがどこぞの誰とも知らぬ貴族に頷くものか。

 

「京」

 

 リースは今にも泣き出しそうな顔で京の名を呼ぶ。

 京はセシリーを比較的安全な場所に移動させ、再びリースの前に立ち塞がった。懐かしい声で呼ばれた京は、彼女の表情を見て胸を傷める。

 何故、そんな顔をする。

 

 リースは京に問いたい事が沢山あった。

 京はリースに問いたい事が沢山あった。

 

 もしかして、京は望んで身請けを受けたの?

 何か言えない事情があるのか、リース?

 どうして私の身請けは断ったのに。

 どうしてアルデマ家に賊を仕向ける様な真似をした?

 もしかして、あのセシリーという女を好きになってしまったの?

 自分が身請けされた事は知っている筈だ。

 あの女の事を、愛してしまったの?

 これから普通の生活を手に入れて、君を迎えに行こうと思っていたのに。

 

 

 ねぇ、京……!

 なぁ、リース……!

 

 

 それは不幸な勘違い、或は相互不理解。

 お互いがお互いの過ちに気付くには余りにも遅く、対峙した二人に一度踏み出した足を戻す力は無かった。

 

「リース」

 

 京は彼女の名を呼ぶ、互いの立場が変わって尚、その響きは甘美なものとしてリースの体に染みわたった。

 仮に、仮に彼がセシリーを愛したとして。

 その彼女の為に身請けを受けたとして。

 

 

 果たして自分は――どうなるのだろう?

 

 

「ねぇ京、私、気付いたの――一番の願いは貴方が私の傍に居る事、そして私を討ち果たす英雄になってくれる事だって思った、ずっと、ずっとそう思っていた」

 

 彼女は何かを覚悟した。京はリースの纏う空気が一変した事に気付く。

 リースは着ていたローブを脱ぎ捨てる。そして彼女の瞳孔が一気に開き、周囲を炎が包み込んだ。周囲一帯、まるで京とリースを包み込む様に円を描く。閉じ込められた、京が最初に思ったのはソレだ。

 炎の監獄、その中心で二人は対峙する。高熱が周囲を支配し、京の額に汗が伝った。

 

(ドラゴン)を最後に討ち果たすのは人間の英雄、それは幻想から生まれた龍種(ドラゴニア)の根源的な欲求、けれど遠い昔に人々は戦う事を辞めた、誰もが平和を望み龍殺し何て危険な事はしなくなってしまった――」

 

 人は余りに弱い、亜人と比べて体も弱ければ魔法も使えない。そんな人間に残された道は一つ、技巧を磨き、技を極め、ただ一つの武を極める。その天に届き得る鍛錬の果てに人は龍を討つ、三百年前がそうであった様に。

 けれど人々は諦める事を覚えてしまった――それに慣れてしまった。

 

「けれどもう良い――そんな事はもう、果たさなくて良い」

 

 リースが京の前で顔を手で覆う、そこから彼女の体が変質する。龍の硬質的な鱗が皮膚に生え揃い、彼女の額に二本の角が生え出る。その姿は京が今まで見た事のない、リースのもう一つの顔……龍種(ドラゴニア)の彼女。

 

 京は息を呑んだ、彼女から暴力的なまでの威圧感を感じたから。そして同時に、その暴力を象った姿が美しいと思ったから。

 鱗に覆われ、角を生やし、その体の節々から炎を吹き上げながらリースは顔を上げる。

 彼女の瞳から一筋の涙が流れ出て、炎に揺られ虚空に消えた。

 

「京が居てくれれば、貴方さえ居てくれれば、龍の大望なんて知らない、傍にいてくれるだけで良い、場所なんて何処でも良い、それだけで良いから、それ以外は望まないから――貴方(キョウ)人生(いのち)を私に頂戴」

「リースッ――!」

 

 激烈な言葉、彼女の感情に呼応する様に、京は叫ぶ。

 

 告白と言うには余りにも苛烈で。

 想いが伝わった時は余りにも遅かった。

 

 想い人が手の届かない所に行こうとしている。

 なら、力尽くでも引き留めたい。

 けれどそれは、彼にとっての幸福ではない。

 だからこれは――()の我儘。

 

「さぁ、京、始めよう? これは私の我儘だから、京が好きで堪らない、龍の我儘、だから京が勝ったその時は――」

 

 リースはその言葉を最後まで口にする事は無かった、それよりも早く彼女は地面を蹴り砕き、京へと迫る。辛うじて反応した京は、手甲を突き出し防御の構えを取る。その上からリースは拳を振り下ろし、凄まじく硬い何かが京の腕を打ち据えた。

 

「ぐッ!?」

 

 ガチン! と京の手甲とリースの拳が火花を散らした。

 重く、強い。

 ガクン、と膝が落ちて数メートル程地面の上を滑って後退する。更にそこから、炎が頬を掠める。リースが地面を炎で包み、京目掛けて放つ。それらをステップで小刻みに回避し、大きくその場から跳躍。一発拳を防いだだけで、手甲は表面に凹みが出来ていた。

 

 強い、圧倒的なまでに――彼女は亜人である、分かり切っていた事だがこれ程とは。

 

 京は自分の血が冷えていくのを感じた。

 心臓は早鐘を打ち、体全体が燃え上がる様だと言うのに、血だけは氷の様に冷たくなっていく。それは何とも言えない緊張感と痛みを京に与え、口から僅かに空気が漏れた。

 

 ――彼女と戦う理由は何だ。

 

 京は理由も無く戦える程、戦闘狂ではない。死に抗う時こそ興奮を覚えるものの、京という人間が戦うには常に理由が必要だ。誰かの為、自分の為、環境の為。けれど今、リースと戦う理由が見当たらない。彼女は言った、自分の我儘だと、そして京の為に此処まで来たと。

 闘技場を後にし、京を探して走り回り、漸く此処まで来たのだろう。

 

 だが何故だ?

 

 オーナーはリースに事情を説明しなかったのか?

 

 普通に逢いに来る事は出来なかったのか?

 

 どうして彼女はセシリーを傷つける?

 

 屋敷に賊を仕向けた理由は?

 

 余りに無知、蚊帳の外、当人だと言うのに京は彼女達の事情を微塵も理解していない。それが腹立たしく、同時に悲しかった。恐らく何か思い違いがあるのだろう、すれ違うがあるのだろう、勘違いがあるのだろう。

 けれども、自分は此処に立ってしまった――立ってしまったのだ。

 

「リぃィスッ!」

 

 彼女の名を叫ぶ。それだけで彼女は、リースは少しだけ嬉しそうに笑う。

 彼女の願いは単純だ、自分と共に居る事なのだろう。今まで冗談(ジョーク)だと思っていたソレは彼女の確かな愛情表現だったのだ。

 

 リースが嫌いか?――否だ。

 京はリースが好きである、大好きである、長い時間を彼女と共に過ごした京は情も愛も彼女に対して持ち合わせている。ならば戦う理由は無い、しかし言葉で止まる程、彼女の覚悟が安いとも思わない。彼女はこの国の貴族に賊まで仕向けたのだ、そこまでした彼女の覚悟を軽くなど見れる訳が無い。

 

 なら、どうする。

 

 戦って――勝つ

 

 その後、事情を聞いて、一緒にセシリーに謝ろう、何度だって謝ろう。

 それで許されるかどうかは分からないが、頭の良くない自分ではそれ以外に思い浮かばない。あらゆるものを賠償する羽目になるかもしれない、誰かが命を落とせば取り返しがつかない、一生償う事になるかもしれない、しかしそれでも構わなかった。この戦いが終わったら幾らでも二人に詫びよう、頭を下げよう。

 だから。

 

 ――今だけで良い、この時だけで良い、どうか力を。

 

 リースが距離を詰めるべく、駆け出す。その速度は京ですら目で追えぬ程、両手に業火を携えて突進する彼女の姿は宛ら本物の龍。京が手甲を構え、彼女の一撃を受ける。業火が京の皮膚を舐め、手甲が一撃で拉げた。衝撃で京の体が揺れ、更にもう一撃。

 

「あぁアッ!」

 

 リースが叫ぶ。

 京はリースの二撃目を見切り、ダッキングによって攻撃を躱した。轟音が耳元で鳴り、風圧で髪が引っ張られる。凄まじい力だ、京でなければ体ごと押し出されてしまう怪力。だが易々とやられる気は無い、京は勝つつもりで戦いに挑んでいる。

 

【鎧通し】

 

 密着した状態からのゼロ距離砲撃、拳が唸りを上げてリースの腹部を打ち据える。衝撃が足元の石畳を砕き、リースの体がくの字に折れ曲がった。常人であれば骨を何本か砕け、悶絶する程の威力。衝撃が空気を揺らし、彼女を包む業火が僅かに揺れた。

 

「っ――ゥ!」

 

 だが無傷。

 

 リースは衝撃を完全に受け止めながら、京を見返した。その瞳に怯む様子は見られない、あの初めての戦闘から幾年、されどその差は未だに埋まらず。

 マズい、そう思って背後に跳ぼうとした京の足が止まる。ぐっ、と何かに抑え込まれる感覚。見下ろせばいつの間にか氷が京の足元を覆っていた。

 

「ごッ!?」

 

 咄嗟の判断、京は自分の胸部を守る様に手甲を重ねる。その直後、リースの渾身の一撃が京を襲った。魔力による身体強化、凄まじい速度で振るわれた彼女の細腕が京を突き飛ばす。氷を砕きながら後方に吹き飛んだ京は、そのまま石畳と水平に飛び、途中転がりながら減速した。

 

 受けた腕が痛みを発する、狂った平衡感覚をそのままに地面に着いた手甲を見れば、その半分がボロボロに砕けていた。強靭な鋼がいとも簡単に――手甲が砕けたお蔭で京の腕は無事に済んだ。しかし二度目は無い、彼女の攻撃を素手で受ければどうなるか、京は背筋を凍らせた。

 

 ――形状記憶 記憶物再現

 

 京が全弾回避の覚悟を決めると同時、手甲が青白い光を帯びる。そして破損した箇所を覆う様に光が展開し、みるみる内に再生を開始した。京は目を見開き、目の前で起こっている光景に見入る。

 この光には見覚えがあった、それはセシリーが訓練場で使った魔法の光と同じ。

 

「……有り難い」

 

 原理は分からないが、どうやら彼女はこの手甲に細工をしておいてくれたらしい。それは破損した手甲を再生させるもの、それが一度きりなのか永続的に使用されるものなのか、京には分からない。しかし、京はリースの攻撃を全て躱す方針に固める。

 鋼であっても彼女の前では十全の守りに成り得ない、ならば全て躱すまで。

 

「……あの女――セシリーの魔法」

 

 リースは顔を悲痛に歪ませ、唇を噛む。それは黒い嫉妬心、彼が纏う武具に魔力を通すと言う、たったそれだけの事に彼女は胸を焦がす。龍種だからとか、亜人だからとか、そんなものは関係ない――これはリースという一人の女性が持って生まれた(さが)だった。

 

「なら、何度だって壊すだけ」

 

 リースの目が細まり、京は大きく息を吸う。リースに不用意な攻撃は御法度、しかし攻撃を馬鹿正直に受ければ手甲が砕ける。ならばどうするか――一撃で戦闘不能にする、亜人をたった一撃で。

 

 一撃で倒す、そんな事が可能なのか?

 

「隙」

「――ッ!」

 

 その疑念、その一瞬が隙となった。恐ろしい加速を以てして接近したリース、その突き出した拳が京の胸に直撃する。ゴッ、という鈍い音、肉の弾ける音。辛うじて筋肉を隆起させ受けの姿勢に入っていたが、衝撃は殺しきれず骨が軋んだ。

 

 口から空気が漏れる、体が痛みで硬直する。その怯んだ隙にリースがもう一撃、その場で素早いターンを見せ側頭部に回し蹴り。ブォンッ! と風を切った足先は、吸い込まれる様に京の頬に抉り込んだ。

 

「がッ!」

 

 首を捻り、威力を殺す。しかし唯ですら高い殺傷力を持つ彼女の蹴りは、多少威力を殺したところでどうにもならない。京の体は衝撃に吹き飛び、そのまま横に転がった。

 

「沈んで」

 

 リースが両腕を広げて拳を握る、その瞬間頭上から雷鳴が轟き落雷が京を襲った。辛うじて動作から攻撃を予測した京は、そのまま転がる事によって落雷をやり過ごし、素早く立ち上がる。しかし次の瞬間には氷の礫が飛来し、揺らされた脳では全てを躱す事は叶わなかった。

 

 礫は京の顔面、腹部、足に被弾し大きく痣を残す。殺さない様にと加減はされているが、リースの魔法はそんな生温いモノではない。京は痛みに呻き、衝撃に吹き飛ばされながら地面に転がった。

 

「京、もう良いんだよ? 諦めて、楽になって」

「はぁッ、ぐっ……ここでぇ、ッ諦めたら、リースにも、セシリーにも、顔向けできない!」

 

 京は口と鼻から際限なく溢れ出る血を拭う。リースの性格を京は良く理解していた、彼女は自分に正直な女性だ、しかし同時に京という人間を何よりも大切にしている。京が本当に何かを望めば、彼女は喜んでそれを成してくれるだろう。

 だから彼女は言っていたのだ――これは私の【我儘】だと。

 

「ねぇ京、私、京に出会えて、凄く嬉しかった、凄く凄く嬉しかった――もう京が居なくちゃ生きていけないの、京だけ、京だけ居れば良いから、それ以外は何も要らないから、だからお願い」

 

 リースは再び涙を流す、その雫は頬を伝う前に――業火に焼かれて消える。

 京は思う、彼女は何処まで行ってもリースなのだ。それ以上でも以下でもない、共に地下闘技場を生き抜いた戦友で、友人で、恋人に最も近い存在で。

 

 

『これは私の我儘だから、京が好きで堪らない、龍の我儘、だから京が勝ったその時は――』

 

 

 あの時、彼女は何を言おうとしていたのだろうか。

 何を伝えようとしたのだろうか。

 京には分からない、京はリースではないから、彼女の想いを十全に汲み取る事は出来ない。けれど、考えることは出来る。この不出来な頭で、長い時を共に過ごした彼女の感情を考える事は出来る。

 

 彼女は、別れを切り出そうとしたのではないだろうか。

 或は自身に勝利し、勝者の権利を有する京がリースを跳ね退ける事を望んだのではないだろうか。

 京の為に、ただ自分を押し殺して、そう、だからコレは最後のチャンスなのだ。リースという女性にとって、最愛を手に入れる為の。

 

「ねぇ京――貴方は私にとって一番大切な人、特別な人」

 

 リースは涙を零す、けれどもソレは直ぐに消える、業火によって蒸発する。流れる傍から消えて、また流れ、消える。だから彼女はきっと泣いてなどいない、リースはそう言い張るだろう。強情な人だ、難儀な人だ、京は心の底からそう思う。

 

「京しかいない、私を終わらせてくれる人は――私を幸せにしてくれる人は」

 

 リースの背に炎が渦を巻き、それは巨大な翼を象る。今までに無い程の熱が周囲に伝搬し、空気が燃えていた。肺が熱に満たされ、全身から汗が噴き出る。まるで世界そのものを焼き尽くす様に、空も、大地も、何もかも、一切合財が業火に呑まれる。

 

「私は誰よりも貴方を愛している」

 

 業火はうねり、彼女の体を包み込んだ。龍種(ドラゴニア)の誇る最大火力、熱によって視界が歪む、もう真っ直ぐ彼女を見る事さえ許されない。常人が受ければ灰すら残らない地獄の炎熱。京に奮われるのはその一端、加減のされた一撃だろう。

 けれども、五体満足で済むとは到底思えない。或は体の何処かを炭と化すかもしれない。

 

「まだ終わらせたくないの、まだ離れたくないの、まだ貴方と一緒に笑っていたいの」

 

 リースの拳に炎が集う、その圧倒的な熱量は小さな太陽を思わせた。びっしりと手には鱗が生え揃い半ば人の形を崩している、それ程までに強力な熱量。

 

 彼女の瞳から大粒の涙が流れる。

 離れたくない、終わらせたくない、ならば何故、彼女は泣くのだろう。

 それは、自分の我儘を京に押し付けていると分かっているからでは無いだろうか。自分の想いを押し付け、それを申し訳ないと感じているからでは無いだろうか。

 

 京は拳を握る。

 恐らく生涯、最も力強い拳を。

 

「だからお願い、もう諦めて――ッ」

 

 リースが大きく前傾し、炎が収縮を始める。京は歪んだ視界で彼女を捉えた、業火が象った翼がはためき、大粒の涙を流しながら彼女は叫ぶ。

 

 

 

「良いから私に勝たせてよぉッ!!」

 

 

 

 石畳を砕き、全てを置き去りにして突進するリース。その速さは恐らく、京がこれまで見て来た何よりも素早かった。迫りくる小さな太陽に、これまで感じて危機感、死ぬという確信、それを最も強く感じる。

 或はここで全てを受け入れ、諦め、拳を解けば京は楽になれるのかもしれない。全てを委ね、好きと言える人の元で延々に、淡々と。

 

 けれど――京は願う、祈る、審判者でも良い、或は他の神様だって構わない。

 

 審判者から授かった第二の命、丈夫な体、前世の記憶。

 

 今この瞬間、この時、一瞬だけで良い、他は要らない、全部やる、二度も必要ない。

 たった一秒、この命と引き換えにでも欲する。

 

 戦える力を、この想いを貫く力を。

 

 どうか。

 

 

 ――どうかッ!

 

 

「リぃィィィイスッ!」

 

 リースの拳が京の胸に突き出される。狙いは真っ直ぐ、愚直なまでに。圧倒的な熱量を前に、直撃すれば命の危機だと第六感が叫ぶ。躱すは不可能、受ければ必死。

 しかし京は恐れなかった。

 

 最速で放たれたリースの拳を、左手で掴む。

 正面から受け止める様に、全力で。

 リースの鱗と京の手甲が火花を散らし、凄まじい力に腕が弾け飛んだと錯覚する。しかし京の手は確かに、リースの拳を掴んでいた。

 そして次の瞬間にはドロリと鋼が溶け堕ちた。京の皮膚を焼き、爛れさせ、尚もリースの拳は突き進む。このまま灰となり散って、京の腕は役目を終えるだろう。指先から黒く変色し、ボロボロと崩れ落ちる己の腕を目視する。

 悍ましい光景だ、恐ろしい光景だ。

 けれどそれで良い、構わない。

 

 この一瞬に、京という人間の全てを。

 

 振り上げた右腕、肘先まで灰と化した左腕。リースの拳が京の体を穿つ前に、京の拳がリースを穿つ、それを成す。

 歯を食いしばり、指先から頭の天辺まで、余す事なく力に変える。全ての体力を絞り出し、その一瞬だけは一切の雑念を排す。痛みも恐怖も何もかも、京はその一秒だけ忘れる。

 

 まだ終わる訳にはいかない、京はまだ前世より十歳も若いのだ、十全に生きていないのだ。

 恋という奴は覚えたが、誰かと愛し合った覚えもない。恋愛成就にほど遠く、まだ世界を見て回っても居ない。まだ食べたいものがある、見てみたいものがある、やってみたい事がある、感じてみたいものがある、世界は広く十六で見たものなど前世の十分の一にも満たない。

 

 それに何より、リースとの約束を果たしていない。

 

 こんなもので死ねるものか。

 審判者は何の為に、この肉体を京に与えた?

 生きる為だ、人生を謳歌する為だ。

 隔世再生という名の第二人生(セカンドライフ)、それを成し得ずに死ぬなど。

 

 生きたいのだ。

 死にたくないのだ。

 生きて――生きて、生きて、生きて、生きて、生きて。

 

 

 

 

 

 リースと世界を見て回るのだ。

 

 

 

 

 

 

 

「負けるッものかァぁあアぁアァアアアッ!」

 

 

 

 

 咆哮、噛み砕いた奥歯をそのままに、血を撒き散らしながら京は一歩を踏み出す。足裏が石畳を踏み砕き、拳が唸りを上げた。腰の回転、単純な腕力、肩の可動範囲を限界まで活かし渾身の一撃を放つ。

 

 魂を絞り出し、命を絞り出し、繰り出された一撃は正に必殺。

 

 恐らく京は生涯、これを超える一撃を放つ事は無いだろう。己の命の瀬戸際、これ以上ない覚悟を以て繰り出されたソレは、人間の限界を超えた一撃だった。

 

 京の拳がリースの顔面へと吸い込まれる、一瞬驚愕の表情を見せるリース、その頬に手甲が突き刺さった。

 凄まじい衝撃、爆音、リースの体がエビ反りになり、足元が陥没する。余りの衝撃にリースの頬に突き刺さった手甲が指先から砕け、バラバラになって宙に散った。それはもう二度と元に戻る事は無い。

 そのまま押し切らんと拳を叩きつけ、ギチリとリースの筋肉が悲鳴を上げる。露わになった皮膚にリースの炎が纏わりつく、右腕も炎に呑まれ灰となるのも時間の問題だろう。既に鋼は溶け落ち、砕け、塵と消えた。

 けれど、退かない、退けない。

 叫び、咆哮し、己は負けぬぞと鼓舞し更に一歩、踏み込んで拳を押し込む。

 

 リースの拳と京の拳が交わり、そして――リースが小さく笑った。

 

 

 業火が晴れる。

 

 

 灼熱の地獄と化した世界が静寂を取り戻し、リースと京を囲んでいた炎の壁が消え去った。

 交差した互いの腕、地面に伏したのは。

 

 

 

 リースだった。

 

 

 

 振り抜かれた京の右腕はリースを地面に叩きつけ、その石畳を砕き埋没させていた。少女然としたリースの頬は赤黒く変色し、その亜人の耐久値を以てしても耐え切れない一撃だったことが分かる。

 彼女の瞳からは一筋の涙が流れ、その瞼は閉じられていた。

 此処に龍種と人間の戦いは終わり、勝負は決した――リースの敗北と言う形で。

 

「はァ、はぁ、ハァッ――!」

 

 京は肩で息を繰り返し、口から白い息を何度も吐き出す。体全体が熱を持っていた、最早それは呼吸と言うより排熱に近い。殴った右腕を見てみれば、指が全て黒ずみ、手首の辺りまで表面が炭化していた。さらに左腕に至っては酷いモノで、肩の辺りまで全てボロボロと崩れてしまっている。

 幸いなのは焼かれた事だろうか、出血が無い、それが唯一の救いだった。

 

「は、はっ……ハッ、ハハ、勝った――これで、リースを……っ」

 

 京の巨躯がグラリと揺れる、その続きを口にする前に体力の限界が訪れたのだ。その場で膝を着き、そのまま前のめりに倒れ伏す。焦げ目の付いた石畳に覆い被さり、京は最後の光景を見た。起き上がる気力は無かった、無論体力も。

 伸びきった腕の先にはリース。

 

 京は喜び、安堵した、彼女に勝利出来た事に。

 これで京は自らリースの傍に留まる権利を勝ち得たのだ、誰の指図でも無い、他ならない自分の意思で。恐らくリースは力で京を捻じ伏せ、強引に傍に置き続けたとしても、本当の意味で救われはしないだろう。心の何処かで、彼は自分が力尽くで従わせたと言う事実が圧し掛かるのだ。

 例え京が心の底からリースを想っていても、彼女はきっと納得しない。生涯悔い続ける事だろう、これは確信に近かった。

 

 だからこそ京は、痛みに泣き叫びそうになる中でも笑顔を浮かべられた。彼女の心の案念を守れた事が、嬉しく、何よりも誇らしかったから。

 

 

 しかし、この場に居たのは京だけではない――もう一人、居るのだ。

 

 

「京――」

 

 声がした、リースの向こう側から。

 その人物は幽鬼の様に立っており、京へと覚束ない足取りで近付いていた。地面に横たわった京は緩慢な動きで視界を動かし、その人物を見上げる。足先から、顔まで、徐々に見上げた先にあった顔は、見知ったものだった。

 

「セシリー、さん」

 

 セシリー、リースによって気を失っていた彼女だ。京とリースの戦闘に巻き込まれない場所に居た筈だが、その所々は最初に見た時よりも黒ずんでいた。どうやら炎の余波を受けたらしい、その姿に若干の罪悪感を覚えながらも、京は彼女の名を呼んだ。

 

「あぁ、京……貴方、腕が」

 

 セシリーはフラフラと京の傍までやって来ると、京の崩れた腕を見て顔を蒼褪めさせる。その唇を戦慄かせて、残った肩口にそっと手を添えると、炭化した皮膚がボロリと崩れた。

 その事に驚き、セシリーは思わず手を引っ込める。

 

「酷い、こんな、京の、大切な体に――ッ!」

 

 蒼褪めていたセシリーの表情が、徐々に変貌する。その表に出る感情は『憤怒』、セシリーは立ち上がると倒れ伏しているリースに目を向けた。

 瞬間、京はゾッとする。何か言い知れぬ悪寒が体を巡り、思わず残った右手でセシリーの足首を掴んだ。本来の京の十分の一にも満たない握力だ、振り解くのは容易だろう。しかしセシリーは力任せに振り解く事も無く、京を見下ろして言った。

 

「京、この手を退けて、私にはやらなければならない事があるのッ――!」

「ぐッ――駄目です……駄目ですよっ、セシリーさんッ!」

「離してッ、離しなさいッ! 私は、この女をッ!」

 

 セシリーの右手に光が宿る、それは魔法によって造られた疑似的な雷。それを振りかぶりながら、セシリーは倒れ伏したリースの元に行こうとしていた。京はソレを必死に止める、彼女を行かせてしまえばリースは死んでしまう、そんな予感があった。

 決して離してなるモノかと、京は炭化した腕で必死に彼女を繋ぎ止める。痛みに叫びたくなる衝動を堪え、脂汗を滲ませながら何とか踏ん張る京を見て、セシリーは涙を零した。

 

「どうして――どうしてなの、京? そんなに、そんなにこの女が……っ?」

 

 セシリーは振り上げた腕を下ろし、呆然と京を見る。セシリーからすれば、こうまでしてリースを庇う京の姿は見たくないものだった。何故、どうして、セシリーは疑問を抱く。何故こんなにも必死になってリースを庇うのか、彼女は京の腕を燃やし散らしたのだ。そんな事は許せない、例え京が彼女を好いていたとしても――それは明確な反逆行為であった。

 

「この女では、貴方を幸せに出来ないわッ! 物を知らず、亜人で、人を簡単に殺せる力を持っている怪物、貴方の片腕を奪った、それなのにッ――他の女なら構わない、貴方が心から愛していて、本当に好きだと言うのなら、死ぬ程嫌だけれど、殺したくなる位妬ましいけれど、私は我慢出来るわッ! ……けれど、この女だけは認められないッ!」

 

 セシリーは心の底から京を好いている、愛している。

 彼の望みならば出来得る限り叶えたい、そう思うのは自然な事だろう。そしてセシリーが最終的に求めるのは京の幸せであった、そこに笑顔の自分が居れば何も言う事無しだが、京が他の女性を愛する可能性だってある。

 無論、セシリーは京の愛を勝ち取るべく無尽の努力を行うだろう。

 彼の為ならどれだけの手間暇も惜しまず、邁進する筈だ。

 しかし、万が一、億が一、彼が本当に心から愛した女性が自分でなければ――セシリーは身を引く覚悟もあった。無論、死ぬ程嫌だ、考えるだけで嫉妬に狂いそうになる、けれど決して可能性はゼロではない。

 セシリーは京の幸せを一番に考えていた、だからこそ――その片腕を捥ぎ取ったリースを、彼女は絶対に許せない。

 

「この女は、貴方を絶対不幸にする――それがどうして分からないのッ!?」

 

 咆哮の様な叫び、凄まじい剣幕。その憤怒に京は一瞬気圧され、思わず指先の力が緩んだ。その瞬間にセシリーは踵を返し、そのままリースの元へと向かってしまう。気付いた時には既に遅く、再び伸ばした腕が彼女を捉える事は無かった。

 

「此処で殺すッ――例え京が私を恨んだとしても、貴女は彼にとって害にしかならない!」

 

 女の勘か、或は最愛に向ける想いの強さが彼女の背を押す。セシリーは魔法を込めた拳をリースに向かって振り上げ、その魔力をナイフの様に尖らせた。魔法礼装によって増幅された魔力収集能力が十全に発揮され、極一部分のみの魔法使用であれば亜人に迫る出力を見せる。

 セシリーの狙いは心臓、このまま鋭利な魔力で以て胸を貫き、そのまま心臓に雷撃を撃ち込むつもりであった。如何に強靭な亜人の肉体とは言え、魔法的強化もされていない素の状態であれば限度がある。今のリースは少しばかり硬い亜人に過ぎないのだ。

 

「死んで――ッ!」

 

 振り上げた拳を打ち下ろす、真っ直ぐリースの胸に向かう拳を京は必死の思いで見ていた。体を動かそうとして、しかし全ての体力を絞り尽くした肉体は意識を繋ぐのもやっと。

 拳は何の抵抗も無くリースの胸に直撃し、雷鳴が鳴り響いた。

 

 死んだ――そう思った。

 

「――ッ!」

 

 しかし、拳を打ち込んだセシリー本人が息を呑む、浮かべる表情は驚愕。

 拳は確かにリースの胸を捉えたが、その拳が胸を貫く事は無かった。手に感じるのは硬い感触、まるで鋼でも殴った様。セシリーが目を凝らせば自分の拳の先に薄い魔法障壁が張られていた、それがセシリーの一撃を食い止めていたのだ。

 セシリーの背中にゾッと悪寒が奔る。

 魔法を使えると言う事は、つまり――

 

「汚い手で私に触れるな」

 

 リースが瞼を開き、自分を見ていた。

 

「――」

 

 その瞳の暗さに、ゾクリと肌が粟立つ。しかし、ここで諦めると言う選択肢は無い。

 セシリーが魔法障壁ごとリースを貫こうと魔力を収集、手の雷光が凄まじい発光を始める。しかし、それよりも早くリースがセシリーの腕を掴んだ。

 

「邪魔」

 

 その一言でセシリーの体が浮き上がる、視認も難しい程の速さで魔法を行使、セシリーの体を風で吹き飛ばした。吹き飛ばされたセシリーは宙を舞い、石畳に叩きつけられ痛みに呻く、元よりリースによって傷つけられた体、既に彼女も限界だった。

 

「ふふっ――京、あぁ、京、信じていた、本当に、信じていた、私を倒すって、予想を超えるって」

 

 リースは未だ覚束ない足取りで立ち上がる。その頬には大きな痣が残っていたが、鱗が生え揃い痣を隠した。それから何度か額を叩いて、リースは心の底から嬉しそうに京を見る。その瞳には歓喜の色、そして僅かな悲しみを感じさせる色。

 

「やっぱり京は強い、凄く強い、私はその強さを信じていた、心の底から――だから、私の勝ち

 

 京は呆然とした表情でリースを見上げる。既に立つ力も無く、拳さえ握れない。彼が再びリースに挑む事は不可能、それは火を見るよりも明らかだった。

 

 リースは分かっていた、信じていた、きっと京ならば自身の予想を上回ると、一時とはいえ龍種を越えて見せると。そう、分かっていた、信じていたのだ。

 分かっていたならば――対策も可能。

 

「衝撃緩和」

 

 リースが自身の頬に触れると、そこを中心に青白い光が奔る。それは予め彼女が仕込んでいた衝撃を軽減させる魔法。リースは京が頭部を狙うと分かっていた、今まで地下闘技場で戦って来た京の亜人戦術を知っているが故に。

 彼は頭部を揺らし、意識を飛ばす事を対亜人では重視する。だからこそ予測出来た、尤も想像以上の威力で数秒ほど意識が飛び、復帰に時間が掛かってしまったが。

 それはリースからすれば嬉しい誤算以外の何物でもない。

 

「リー……スゥッ!」

「ごめんね、京、ごめんなさい、我儘な龍種で、ごめんなさい――でもこれで、やっと一緒」

 

 リースが微笑み、京は自身の無力さに歯噛みする。既にリースと京の戦いは終わり、勝者は敗者へと転じた。

 リースは京の元に足を進めると、巨躯の彼を簡単に持ち上げる。対抗する力さえ残っていない京は、薄れつつある意識を懸命に繋ぎ止めていた。

 

「待ち……な、さい」

 

 リースは京を抱いたまま踵を返す。

 しかし、その背後でセシリーが震える足を叱咤し立ち上がろうとしていた。既に体は限界で、貴族として最低限の武芸しか学んでいない彼女からすれば、リースとの戦いは自殺行為以外の何物でもない。

 しかし、だからと言って退けるモノでは無かった。

 

「返しなさい、京を――貴女、だけ、にはッ!」

「本当に邪魔」

 

 リースがセシリーに手を向ける。その瞬間、彼女の手から火炎球が撃ち出されセシリーに着弾した。人間一人ならば簡単に火達磨に出来る熱量、しかしソレをセシリーは魔法障壁で辛うじて防ぐ。

 しかし、第二撃である落雷が前方に集中していたセシリーを穿ち、雷鳴と共に彼女の悲鳴が轟いた。そのまま膝を着き、小さく痙攣しながら倒れ込むセシリー。

 

 リースはその姿を脇目に、小さく息を吐いた。本当ならば殺してやりたい程に憎い相手だ、嫉妬心もある、しかし京の愛した人物であるならば殺す訳にはいかなかった。それをしてしまえば、京が悲しむ。

 雷撃は威力を最小限にまで抑えてあった、痙攣しながら倒れ込んだモノの、外傷は殆ど無い。精々体が動かし辛い程度だろう、その内目も覚ます筈だ。

 尤も目を覚ました先に京の姿は無いが。

 

「京を抜きにすれば嫌いじゃなかった、貴女の事は――負けると分かって挑む事は、本当に難しい事だから」

 

 リースはそう言って、倒れ伏したセシリーを横目に夜の闇に紛れる。

 後に残るのは破砕された石畳に、炎によって焼かれた広場、最早形も残らない噴水モドキ。先程まで鳴り響いていた轟音は既に無く、静かな夜風だけが流れていた。

 

 

 こうして貴族地の歴史に残る大襲撃は幕を閉じ、アルデマ家長女の負傷、武官十三人殉職、賊二十名が死亡し、残りは多少の金品を強奪して逃げ出した。内十名は国内脱出の前に捕らえられたが、残った面々は国外逃亡を成功させ行方を晦ませた。

 至急帰還したヴィルヴァ氏が行方不明となったエンヴィ・キョウ・アルデマ=ライバットの捜索に乗り出したが、主犯格とされるリース・ヴァルヘイルは既に行方が分からず、セシリーの証言から彼女に誘拐された京の居場所も分からず仕舞い、結局事件は進展を見せず。

 

 京とリースの二人は国内から姿を消した。

 

 




 次回、最終回です。


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リースと共に end

 

 さて、どこから語れば良いだろうか。

 藤堂京太郎として生き、その次に京として生きた記録。リースとセシリーの戦い、その後の話、その顛末。

 

 簡潔に言ってしまえば、エンヴィ・キョウ=ライバットという男は死んだ。

 

 それは肉体的な意味では無く、社会的な意味で――だが。

 京は確かにあの時、リースに敗れた瞬間、死を覚悟した。彼女が自分を殺すなどとは微塵も思っていなかったが、それ程に京の体は重傷を負っていた。しかし、マジカル亜人パワーとは良く言ったもので、リースの魔法によって瀕死の重傷を負っていた京も簡単に回復した。

 残念な事に失った左腕は元に戻らなかったが、それはリースの魔法で代替品を使用している。魔力で作り出した義手という奴である、青白い光に包まれた不思議な腕であるが長袖を着用していれば分からない。全く魔法サマサマだ。

 

 結局これまでの騒動は、全て不幸な勘違いであった。

 

 どうにも、リースは京が悪徳貴族に身請けされたと勘違いし、激怒して特攻を仕掛けてしまったらしい。そこに至る理由としては、まずオーナーが彼女に事情を説明せず、一方的に彼女が地下闘技場を出てしまったという背景があった。京はその後にリースに宛てて手紙を送っていたのだが、本人が地下闘技場に居ないならば意味は無く……。

 結局勘違いは解消される事無く、そのまま賊を雇って粉砕特攻という流れらしい。

 

 京としては「嘘やろ」と言いたい真実であった。

 

 何故リースがこんな真似をしたのか分からなかった京だが、その話を聞いて納得した。もし京が逆の立場で、リースが悪徳貴族に身請けされたと知ったら是が非でも助けに行く。貴族の事は問答無用で殴ると思うし、慈悲は無い。尤もその悪徳貴族というのが間違いだったのだが、しかし先入観だけで良くもこれだけ動けたものだと感心する。

 

 つまりリースはセシリーの事を、その「悪徳貴族」だと思い込んでおり、故にあれ程の敵意を向けていたのだ。リースからしてみれば、自分は洗脳された奴隷と言った所か。リース曰く、「セシリーに一目惚れでもしたのかと思った」との事だが別段セシリーに大して恋慕の感情は抱いていない。

 無論嫌いと言う訳ではない、寧ろ好きな部類だ。しかしそれが男女のソレであるかと聞かれれば京は首を横に振った。

 

 結局のところ、どうなったかと言えば――リースと京は国内を脱し、大陸の向こう側へと逃げ出した。

 

 勘違いだとしてもリースがアルデマ家に賊を仕向けたのは間違いなく、セシリーと対峙していたという点から既に彼女の顔は割れているだろう。今頃出頭したところで判決は死罪を免れない、この世界に無期懲役などという慈悲は存在せず、金か死か、それだけがある。尚、支払えない場合は被害者が加害者の処遇を決める、あのセシリーの言動からしてリースは十中八九死罪となるだろう、それだけは避けたかった。

 

 その結果、京とリースは社会的に死亡した。

 つまり名前を捨てたのである。

 

 リースと京という名前は呼び合う時こそそのままであるが、大陸を渡ってからは『ケイネ』と『リーン』と他人には名乗っていた。万が一追手が来ても、自分達を探せない様に。

 

 京は名前を捨てる際、アルデマ家とオーナーに対して多大な苦悩を抱いたが、彼らとリースを比較しては重みが違った。確かに世話になった、待遇も良かった、しかしその場に帰る条件がリースの命では考える余地もない。軽薄と罵られるだろうか? しかし、それでも京にとってリースと言う少女の命は大切だった。

 

 恐らく最初からオーナーが事情を話し、リースが正面から訪問し、セシリーと出会って居ればこのような事態にはならなかったのだろう。しかし、時を戻す事が出来ない以上全てを受け入れて生きていくしかない。

 京は諦め、リースと共に生きていく覚悟を決めた。

 恐らく再び死を迎えた時、自分は審判者の元で裁きを受けるだろう。徳という奴は積めなかったが、京は満足していた。次行く世界は地獄かな、なんて笑う。

 

 しかしまぁ、考えようによっては悪い事ばかりではない。

 元より、この世界を一緒に旅しようと約束していた仲だ、少しばかり早い履行ではあるが問題無いだろう。京はリースと共に新天地に降り立ち、今までに見た事も無い様な世界を眺めた。

 

 広大な野原も、白い山々も、黄金の稲穂も、果てしない海も、京はこの地で余すことなく目にする事が出来るだろう。それは素晴らしい世界の筈だ、京は胸躍らせた。

 

 

 リースとの確執については、今のところ致命的な程ではないと言っておく。

 京の腕を焼き消した事に多少なりとも思うところがあるのか、リースの態度は地下闘技場の頃と違って余所余所しい。しかし、京の猛烈なアタックを受ける事数十回、最初こそ目を白黒させていたが、今では昔と変わらない程度には接する事が出来るようになった。

 以前の様にリースのアピールを受け流す事無く、真摯に受け止める事に決めた綺麗な京になった結果である。

 

 

 

 そうして、新天地にて三ヵ月――

 

 

 

「存外、何とかなるモノだな」

 

 京は木製の椅子に腰かけ、テーブルに頬杖を着きながらそんな事をボヤいた。場所はとある僻地、人が誰も通らない様な森の奥。そこに建てられたログハウス、二階建ての小さな家。

 リースの魔法と京の怪力で何とか作った簡素な住宅。京に建築の知識など無かったので、リースの魔法で大部分を補ったが、まぁ一ヵ月経っても崩れていないから大丈夫だろうと高を括っている。

 

 現在リースは森で食物の収集に励んでいる。

 京には食べれる山草か否かという知識が無く、専ら食材調達はリースの役割になっていた。京は食事を作る担当だ、リースは下手をすると素材のままで食べかねない。せめて火は通してくれと面倒を見ている内に自然と役割分担が出来てしまった、普通は逆だろうなと思う、けれどまぁ亜人と人の役割分担としては妥当なのではないだろうか。

 

 京はテーブルに添えていた左腕を小さく撫でる、青白く硝子の様な腕。しかし感覚はあるし、割れる心配もない。これは世界で一番強いと言っても過言ではない少女が作った、この世に二つとない義手だ。

 

 本当ならば義手でも買おうかと思っていたのだが、オーナーから貰っていたカードは使用すると足が着くため断念、結局リースの魔法で貯め込んでいたお金が全財産となった。ならば無駄遣いする事は出来ない、京としてもヒモになる気は無いので、時折街に行っては狩りの依頼などを受けている。しかし、これではリースが何時か言っていた状況と同じだ、養われているのは自分である、全く以て情けない話だ。

 

 義手は存外便利で、今では素手よりリースの義手の方が強くて便利だと思っている。

 どんな動物の突進も片腕で受け止められる、中々自分も人間を辞めて来たのではないだろうか?

 

「さて、そろそろ調理の準備でもするか」

 

 京は窓から外を見て、落ち掛けの太陽を確認する。リースは午後から食材の調達に向かい、凡そ三時間程で大量の食べ物を抱えて来る。中にはナマモノもあるので保存できるようにしなければならない、まぁ正直言ってリースが居れば冷蔵庫の真似も出来るので問題は無いのだが。

 無尽蔵とも言えるリースの魔力には助けられてばかりだ、京はいつも自分の無力さを実感する。

 

 そんな事を考えていると、コンコン と誰かが家の扉を叩いた。

 京は首を傾げる、リースが帰って来たのだろうかと考えたが、彼女はノックなどしない。いつも扉を突き飛ばす様に開き、嬉しそうに「京、ただいま」と告げるのだ。

 

「……はい、今出ます」

 

 京は少しだけ出るか否か迷ったが、迷うだけ無駄と断じて扉を開けた。最悪、賊の類であっても負けない自信があったのだ。

 果たして、扉を開けた先に居たのは旅人らしいローブを纏い顔を隠した人物。背中には大きなバッグを背負い、体つきは分からず男か女かも不明だった。

 

「えっと……ウチに、何か御用でしょうか?」

「――一つ、お尋ねしたい事があって」

 

 目の前の人物が声を上げる、それは女性らしい高い声だ。京は目の前の人物が女性なのだと理解した、同時に何処かで聞いた様な声だと思う。しかし、知り合いの少ない自分がそんな事を思うなどと一笑し、思考を頭から叩き出す。

 女性はフードで顔を隠したまま京を見上げる。

 それから、何か嬉しそうに口元を緩ませて。

 

 

 

 

 

 

「此処に、エンヴィ・キョウ・アルデマ=ライバットって男性――いらっしゃいますわよね?」

 

 

 

 






 どうせ最終回なら全部投稿してしまおう、という訳で完結しました。
 後数日で学校が始まるので若干駆け足だった感がありますが、元が妄想なので許してつかわさい、きっと許してくれるって信じてる、許して。

 取り敢えず次の小説も学校の合間を縫って書きたいと思っています、更新速度は激落ちすると思いますが……成績、テスト、うっ、頭が。
 
 ともあれ、今後ともトクサンの小説を宜しくお願いします。


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