隣人だから (ヤンデレ大好き系あさり)
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イチャイチャ編
第一話
水が冷たい。
目覚ましに洗顔をすれば、思考は一気に覚醒する。その代わりに滅茶苦茶寒くなるが、まぁソレは仕方がない。問題なのは今日からまた学校が始まるなどと、何となしに気づいてしまう事だ。
とはいったものの、学校という場所はとても不思議なところだ。家にいる間は積極的に行きたいとは思えないのに、いざそこに到着するとなるとそこそこ楽しめる。勿論、それなりに仲の良い友人が居ればという注釈は入るが。仮に友人がいなかったとしても、現代の高校生は時間の潰し方をこれ以上ない程心得ている。例えばスマホとか。
「おっと、スマホといえば」
タオルで顔を拭きつつ自分の携帯電話を確認してみると、そこには新着のメッセージが一つ。『目玉焼き』とあった。どうやら今日の朝食も期待できそうだ。
秋の朝は肌寒い。急いで寝間着から制服に着替えて、まだ時間に余裕があるのを確認すると今日の時間割もそろえる。お節介焼の隣人の手によって部屋はよく片付いていて、おまけに教科書とノートは見やすく配置されている。お陰で大した時間を消費することもなく、通学の準備は早く終わった。
「そう言えば、お米があったな」
一人暮らしを始めて早二年。それで家事能力がどのくらい身に着いたかと言えば、まぁ掃除洗濯くらいは楽勝と言える程度には出来る様になったと思う。ただし料理には未だに慣れてない。だから米袋を仕送られても、ちょっとだけ持て余す。
そもそもな話、隣人が毎回おいしいモノを作ってくれるから料理スキルは実はあまり必要ではなかったりする。情けない話だが、俺の食生活はそのお隣さんによって形成されているのだ。
だからまぁ、この仕送りは有効活用できる人に渡した方が良いわけでして。俺を案じてこの米袋を送ってくれた両親には悪いが、いいお米ならなおさら隣人さんに提供して一緒においしく頂いた方が良い。その方がお米も幸せというものだろう。
善は急げと言う。冷蔵庫の近くに置いてあった大きな米袋を二つ、両肩に抱える様にして持ち運びながら部屋を出る。そしてすぐ隣の部屋のインターフォンを鳴らして、しばらく待機していた。
「開いてるわ」
そんな必要最低限の言葉が扉越しに返ってくる。もう聞き慣れた。
家主の許可が下りたのでさっさと部屋に入ろうとして、両腕が使えない状況にあるのを思い出す。仕方がないので、ヘッドバットでドアを開ける。ちょっと頭が痛い。二重の意味で。
「おじゃまするよ」
「邪魔するなら帰ってくれないかしら」
「お米やるから許して」
無表情で「帰れ」とか言われると恐いよね。でもこれが毎朝恒例のやり取りなのだからしょうがない。
「お米?」
「親からの仕送り。どうせいつも飯作ってもらってるわけだし、朝田に提供した方が良いかなって」
隣人の名は朝田詩乃という。もみあげを肩に掛かるか掛からない程度に伸ばした以外は、普通にショートカットな髪型の女の子。年齢は俺より一つ年下、つまり高校一年生だ。
立場的には俺が先輩にあたる訳だが、こうして食事を提供しているためか彼女はタメ口である。文句が言えないのが悔しいところだ。
「……これからも作らせる気満々なのね」
「だって朝田の飯美味いし」
そう、彼女の料理はメチャクチャ美味しいのだ。高級料理店みたく何かが跳び抜けているという訳ではない。しかしどうしてか、何度も食べたいと思ってしまうほどの中毒性が朝田の料理にはある。
「……はぁ。本当に先輩は私が居ないとダメね」
ため息交じりに朝田は言う。口調は柔らかいので、不機嫌になった訳ではないのだと分かる。きっと褒められ慣れてないだけなのだろう。
「でも、自炊くらいは出来る様にならないと」
「いやーそれは分かってるんですけどねぇ」
一人暮らしを始めるにあたって、料理ができるか否かは重要なファクターである。彼女に食事を頼りきりな俺でも、一応はある程度、抽象的に言うとカップラーメンは料理ではないと断言できる程度には調理ができる。
ところが半年前。俺はひょんなことから朝田の手料理を頂いてしてしまった。その時悟ったね、「やっぱ自炊するのって馬鹿馬鹿しいわ」って。だからと言うべきか、俺はトチ狂って言ってしまったのだ。
『毎朝俺の味噌汁を作ってくれないか?』
今思えば本当に阿保だったと思う。まず言葉のチョイスからしておかしい。そして何よりそんな言葉が自然と出てしまった自分の自制心のなさに軽く絶望した。
だがしかし、誤算だったのが朝田は俺のお願いを了承したという事だ。何故かは知らない。ただその時は嬉しいという感情よりも、安堵の方が大きかったのを覚えてる。
「今度一緒に作りましょう」
「え? 何を?」
「話の流れから察しなさい。ご飯よ、ご飯」
二人分のサラダと目玉焼きを乗せた皿を持ってきながら、朝田は相も変わらないキリッとした表情で告げる。サラダは綺麗に盛り付けられていて、目玉焼きは美味しそうな色つきをしてる。
「んー今日も美味しそうだ」
「その米袋、ありがたく貰っておくわ。台所の余ったスペースどこでもいいから、置いてきてもらってもいいかしら」
「そりゃ喜んで」
朝田に指示された通り、スペースに余裕のありそうなところに米袋を置いておく。割と重かったので、荷物をおろせて気が楽になった。
やる事を終えたので、もう見慣れた食卓に向かう。本来は一人で使用する事を想定とされているであろう小さな机に、朝田と俺の分の目玉焼きがあった。俺は朝田と反対側の座布団に座り、手を合わせる。
「いただきます。で、さっきの話の続きだけど、俺よりも上手く作れる人が目の前にいるからなぁ」
「めしあがれ。だったら同じくらい料理上手になればいいじゃない。私も手伝うから」
事も無げに朝田は言うが、それってかなり難しいように思う。ぶっちゃけ自分の不器用な手先では彼女の料理に並ぶどころか、その足元にすら及ばない気がする。やらない内から決めつけるのは好きではないが、そう考えてしまうくらい朝田の料理は完成度が高い。
俺がそんな感じの事を言うと、朝田はむっと頬を膨らませてこう言い放った。容姿が優れているという事もあって、正直可愛い。
「いい? 料理に完成なんてない。スポーツや数学と同じよ、終わりなんてないの。だからやる前から諦めてはだめよ。私の料理を褒めてくれたのは素直に受け取るけれど、私も貴方の手作りの料理を食べてみたいの」
珍しく饒舌になった彼女は最後に結構気になることを言った。
「え、なに、お前俺の料理食べたいの?」
「……勿論。いつも私だけが作るなんて不公平だもの。たまには楽させなさい」
料理作るの手伝うんだったら楽なんて出来そうにない気がするのだが、これは黙っておいた方が無難だろう。今の朝田はとても楽しそうだ。彼女の口数が多くなることも珍しいし、何より彼女から何かお願いをするのも稀だ。
最初に出会った時に比べたら、朝田は随分と明るくなった。それは良い事だと思う。部屋が隣というだけの間柄ではあるが、それでも少しでも前向きになってくれたのなら一人の隣人として喜ばしいことだ。とはいえ、俺自身何か特別な事をしたわけではないのだが。
「仕方ないな。それじゃあ、明日は何か簡単な物でも作ろうかね」
「その時は先輩の部屋で集合ね」
どこか嬉しそうにする朝田。傍から見ても浮かれているのが分かるくらい頬を緩めている。
いや待て、どうしてそこで嬉しそうにする。そんなに朝田は俺の部屋に入りたいのか。最近部屋を掃除してもらった時にもそうだが、俺の部屋に何か思い入れでもあるのだろうか。
「あ、そう言えば朝田。お前最近アイツらに何かされてないか?」
目玉焼きに醤油を掛けながら、今唐突に思い出した事を呟いてみる。すると朝田はピクリと肩を震わせて、少し目を伏せがちにしてこう答えた。
「ええ、おかげさまで。今は何ともないわ」
「そいつは良かった。でも高一で夜遊びを覚えてる様な奴らだからな、何かあったらすぐに言うんだぞ」
「……うん、ありがとう」
はにかむ様に微笑みを浮かべる朝田。昔だったら「別にいらないわ」と俺の言葉を冷たくあしらっただろうに、驚くほどの進歩だ。もちろんいい意味で。
半年前、朝田はガラの悪い女子生徒達に絡まれた事がある。最初は友達を装って近寄ったそうだが、どうやらその女子生徒らは朝田を遊び場所の提供人程度にしか考えてなかったらしく、部屋で他校の男子生徒と飲み明かしていた。
当然、高校生の飲み会は凄まじく騒がしい。隣の部屋でテスト勉強していた俺からしたらいい迷惑でしかない。あまりにも煩かったんで、柄にもなく喧嘩腰で朝田の部屋に殴り込んだぐらいだ。そして愉快なことに、奴らは群れてるくせして腰抜けしかいなかった。俺が乗り込んだらサラリーマン顔負けの謝罪芸を見せた後、疾く去っていった。
「おう、困ったことがあったらお互い様だ」
ああそれと、そのガラの悪い女子生徒らなのだがどうやら朝田が俺に助けを求めたと勘違いしたらしく、奴らは朝田を標的にするようになった。所謂いじめという奴だ。
最終的には、それを偶然目撃した俺がそいつらに教育指導して事なきを得た。それからは朝田にちょっかいをかけることもなくなったそうだが、何分ああいった部類の人間はほとぼりが冷めた頃にまた悪さをする。油断するとすぐにまたつけあがるのだ。
「……なら、また何かあったら、私を助けてくれる?」
ふと、か細い声で、それこそ消えてしまいそうな程小さな声で彼女は告げる。
彼女らしくない、とは言わないし思わない。朝田詩乃という人は元来寂しがり屋なのだ。その事を理解している人間は、非常に残念な事にあまり多くない。俺一人で朝田の孤独感をどうにかしてやれるなどと自惚れはない。しかし、それでも出来ることはしてあげたいと考えてしまうのが人情というもの。
だから何でもないように、俺はこう言ってやるのだ。
「勿論だ。俺はお前の隣人だからな」
映画見てないけどなんか触発されて書いちゃった。
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第二話
俺と朝田が初めて対面したのは、彼女が隣の部屋に引っ越してきた時のことだった。
菓子折りと共に挨拶をしにきた彼女は、初めはそこまで友好的ではなかった。というよりもあまり人付き合いが好きではない、或いは得意ではなかったのだろう。朝田は必要最低限の言葉を交わした後、すぐに帰ってしまったのである。
まぁ部屋が隣だからと言って、何か特別なことがある訳でもなし。顔を合わせれば挨拶くらいならすることはあるだろうが、所詮は赤の他人という薄い関係に過ぎないのだ。
そのことを頭の中では分かっていても、それでも何か変化を求めてしまうのが男子高校生の性というもの。よく考えてみてほしい、ある日突然お隣に結構可愛い女の子が引っ越してきたのだ。甘いラブコメ展開を期待するのは、健全な男子高校生なら変ではあっても不自然ではないと
とはいえ十七年も生きてみれば妄想と現実の区別くらいはある程度つけられるようになるのも事実。認めたくないが、この世界は自分が思っている以上に甘くないのだ。
甘くない、そう思っていたのが半年前。
「おかえりなさい」
現在の時刻は九時半。部活から帰宅してみれば教科書や参考書などを机の上に広げて、姿勢よく座布団に座っている朝田がいた。そのことにもはや疑問すら感じてないのは、やはり感覚が麻痺しているのだろうか。何にせよ、あまりいい傾向ではないのかもしれない。
それは兎も角として、部屋から様々な香辛料を混ぜた香りがする。この独特で甘い感じの匂いは――――――
「今日はカレー?」
「ええ、嫌だったかしら」
「カレーが嫌いな男ってそういないと思うぞ」
朝田詩乃は俺の隣人である。その事実に間違いはない。ただ、普通のお隣さんとだけ形容するにはあまりに俺達の関係は近すぎる様に思える。少なくとも夕食を共にし、互いの部屋の合鍵を持つような関係を
「そう、それは良かった」
はにかむ様に微笑む朝田。出会った当初なら考えられないその仕草に、不覚にも胸を打たれる。顔は赤くなってないだろうか、そんなことを心配してしまう。
「先にシャワー浴びる?」
「いや、カレーを食べちゃおう。流石に異性二人が深夜に同じ部屋にいるのも不味いからな」
「……そう」
朝田は俺の飯三食を作ってくれてる上に、こうして俺が帰るまで夜遅くまで待ってくれている。正直お世話になり過ぎて、先輩としての威厳が保ててないのが実情だ。そのくらい俺の日常生活は朝田詩乃という女の子に依存してしまった。だからこそ、どの口がと言われようとも、せめて最終ラインだけは守りたいのだ。
「そういえば、今日は遅かったわね」
夕食の準備を始めながら朝田はほんの少し棘のある言い方をする。流石に10時近くに食事というのは女の子としては避けたい出来事なのかもしれない。だから朝田はちょこっとだけ不機嫌なのだと考えて、俺はこう答えた。
「悪い、部活が長引いたんだ。多分これからもこういう日が多くなると思う。作って貰っておいて厚かましい話だけど、朝田がもっと早くに夕食を済ませたいなら俺なんか待たずに先に食べててもいいんだぞ」
晩飯を作ってくれるだけでも望外だというのに、食事まで待たせてしまうのは申し訳なさ過ぎる。実際、朝田は俺が帰って来るまでの間はずっと勉強して時間を潰していたようだし、彼女の生活に影響を及ぼしているのは明らかだ。
だから、これは善意で言ったつもりだった。なのに何故、俺は朝田に物凄く睨まれているのだろうか。
「あ、あの朝田さん?」
「……はぁ、別に先輩がそういう人だって分かってたからいいけど」
いきなり睨まれたと思ったら、今度はいきなりため息をつかれたのだが。なんか釈然としない。
「あの俺なんかした?」
「いえ何も。……
最後に何か呟かれた気がするが、うまく聞き取れなかったことにする。
まぁソレは兎も角として、朝田が不機嫌になってしまった。一度彼女を不機嫌にすると宥めるのに時間が掛かる。その間はずっと「ツーン」としてて、見ようによっては可愛かったりする。そう考えると何と言うか、朝田はまるで猫みたいな気性だなぁと思った。
「何か失礼な事考えてるでしょう」
「いや別にそんな事はないよ。それよりも早く朝田の作ってくれたカレー食べようぜ。良い匂いに焦らされたせいでもう腹ペコだ」
「……ふん」
いかにも私は「機嫌が悪いです」オーラを纏いながら、朝田はカレーライスを乗せた器を二つ持ってくる。どんなに不機嫌であろうとも、しっかり料理を持ってきてくれる所に彼女らしい優しさを感じる。こういうのをおかん体質、或いは姉御肌と言うのだろうか。
「一応俺の方が年上なのにどうして姉御なんだろ」
「何の話よ」
「いやね、朝田は立派だなぁって話」
「……ご機嫌取りには乗らないわよ」
とりとめのない会話をしながらお互い席に着く。カレーの器が目の前にあるせいか、おいしそうな香りが食欲を刺激した。ヤバい、これは空きっ腹に効く。
これは備考だが、俺たちは朝食は朝田の部屋で、夕食は俺の家で取るようになってる。理由なんかないと思う。ただいつの間にかそうなっていただけである。まぁよくよく考えてみるとおかしな話ではあるが。
ともあれ―――
「いただきますっ!」
「元気ね、召し上がれ」
いつも通り、食事は行われた。因みに朝田のカレーは美味しかったです。とても。
☆
俺と朝田は隣人である。
そのことに間違いなんてない。ただ俺は、その距離感を図りかねている。この関係は果たして本当に部屋が隣なだけで形成された代物なのだろうか、と。いや、答えなんて分かり切っているのだが。
少なくとも一日の始まりと終わりは朝田と過ごしていると言っても過言ではない。朝起きて、俺は朝田の顔を見て食事をする。夜中はその逆で、食事をとってから朝田と別れる。また部活も学校もない休日になれば、俺と彼女は一日中ずっと一緒にいる事が多い。
この関係が高校生として健全かどうかは兎も角、少なからず俺は朝田詩乃に依存している。そして、俺の思い違いでなければ朝田も俺に依存している。ちょっと違うのが、その依存の仕方が生活面なのか精神面なのかというだけの話。
「ねぇ、先輩。私、実は人を殺したことがあるの」
いつの日か朝田はそう俺に告白した。
その時、酷く自分が狼狽した事を覚えている。話には聞いていた。クラスのグループのLINEで「殺人者が我が校に入学した」と騒いでいたのだから、嫌でも知ってしまったのだ。しかしその殺人者というのが朝田だとは夢にも思ってなかった。
「ごめんなさい。先輩がどんな顔するのかなって、そう思って言ってみたの」
驚く自分を見て、朝田は目に涙すら溜めて笑っていたのを覚えている。
それはどうしようもない孤独感。きっと彼女は今まで誰にも理解されてこなかったのだ。実情を全く知らない他人に無暗に噂を広められて、架空の罪を押し付けられた犯罪者となって、孤独になって、傷ついて。
本当に酷い話だ。この世の
「……どうかな。先輩から見ても私ってやっぱりおかしい?」
だから無性に腹が立った。
どうして、どうして誰も手を差し伸べることをしなかったのか。家族でもいい、友達でも学校の先生でも誰でもいい。本当に誰でもいいのに、どうして彼女の孤独感を癒してくれる様な存在が、何年経っても彼女の前に現れなかったのか。
事情を知ってるのなら何故、言葉の暴力を振るう。何故誰も助けない、手を差し伸べない。どうすれば弱った人間をそんなにいたぶれるというのか。どうして、
無言で、しかしこれ以上分かりやすく助けを求める彼女の声に、なんで誰も応じなかったのか。
「絶対におかしくなんかない。朝田は今まで頑張ってきたじゃないか。それをおかしいだなんて、口が裂けても言えない」
世の中なんて甘くない。本当に甘くなかった。しかし彼女に比べたら、俺の人生なんてどれだけ甘かったことか。それを思い知った。
だから、言ってしまったのだ。
同情とか哀れみだとか、そんな感情が全くなかったと言えば嘘になってしまう。でも、それを上回るように「ここで言わなければ」という強迫観念があった。ここで俺が言葉にしなければ、朝田があまりに不憫だと、そう思い込んでしまった。
―――もしこんな俺で良ければ、頼ってくれないか?
考えなしに俺はそう言いきってしまった。心に傷つく個所すらなくなった人間に、そんな言葉を投げかけたらどうなるかなんて、分かり切ったことだというのに。
独占欲:6
つまりシノンはヤンデレ?
という訳でタグに微ヤンデレ追加しておきますねー
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第三話
窓から外を眺めていると、休日という事もあってか子連れの家族が多いと分かる。彼らはいかにも「私たち幸福です」って顔をしていて、なんというか見ているこちらも心が温かくなるような、懐かしい様な気分になる。
「……家族かぁ」
そう言えばもう二年近く顔を出してない。毎週連絡を取り合っているから家族が恋しくなるようなことはまずないが、久しぶりに実家に帰ってみるのもいいかもしれない。確か来週に三日ぐらい連休が続いてたからそれを使うとしよう。
とすると両親に予め連絡をするのは勿論のこと、朝田にもしっかり説明しとかないといけない。
「……ここであいつの名前がすぐ出てくるんだもんなぁ」
朝田とは自分のよき隣人のことである。
彼女には家事を半分、もしかしたらそれ以上手伝ってもらっている。だから朝田の事を考えるのは当たり前と言えば当たり前なのだが、やはりそうなると自分のダメ人間加減が目立ってしまう。そもそもな話、お隣さんに家事を手伝ってもらうという事自体あまりない話だ。本当に今更な話だが。
でもあれだな。流石に他人に私生活を任せきりだ。これじゃあ本当にドラッグよろしく依存症になって、朝田から離れることが出来なくなってしまう。そうなると向こうも迷惑だろう。彼女だっていつかは俺から卒業する日も来るだろうし。
「あいつって誰のこと」
噂をすればなんとやら。お手洗いから帰ってきた朝田はドカッと乱暴に椅子に座る。なんで不機嫌なんだろう。
「ん、何でもないぞ」
「貴方に隠し事されるのは気分が悪い」
何でもないように気楽に言ったつもりなのだが、思いのほか食い下がってきた。分かり難いが朝田は頬を小さく膨らませ、ジト目になりながら真正面から何かを訴える様にこちらを見てくる。
こうなった朝田をはぐらかすのは非常に難しい。正確にははぐらかそうとしても、何故かそれが嘘だとすぐに見抜かれる。更に恐ろしいのが、奇跡的にその場を凌げたとしても後から嘘だとバレると滅茶苦茶
「いやね、俺、久しぶりに実家に帰ろうかなって考えてさ。朝田にそのこと伝えなきゃって思ったんだけど、よくよく考えたら俺ってば朝田に頼りきりなことに気づいたわけよ。だからこの際、実家から戻ってきたら自分で飯くらいは作るようにしようかなって」
「別にいいじゃない、このままで。二人分の料理を作るくらい苦じゃないわ」
「え、マジ?」
予想外の反応である。以前「楽させろ」とかそんな感じのことを言っていたからすんなり了承されると思った。
朝田が構わないなら無理に生活習慣を変える必要もないか。いまちょっとそんな風に納得しかけたのだが、それでは俺の将来がダメ男で確定してしまう。これからくるであろう輝かしい自分の未来のためにもう少し説得してみよう。
「今はそれでいいかもしれない。でも朝田、お前だってずっと俺のお隣さんって訳じゃあないだろう? そろそろ一人立ちできるようにならないと、主に俺が」
俺と彼女が出会ってかれこれ半年以上経つ。頼ってもいいとは言ったが、その見返りに俺が朝田に依存するのは話が違う。今まで彼女には本当に助けられたし楽しい生活を送らせてもらったが、そろそろ卒業しなければならない。
当然のことながら、それは朝田との交友を断つという意味ではない。ただ自力で生活する力を身に着けたいという、いわば俺の我が儘である。少なくとも俺はそのつもりで発言した。
「……私は、先輩から離れるつもりはない」
ポツリと呟かれた、底冷えするくらい無機質な言葉。とても人の口から出たものとは思えない程その声音は冷たくて、いっそ病的に幽鬼的ですらあった。それでもそれが明確な意思表示を示しているのは、その言葉が彼女にとって揺るぎない本心だからなのか。
こんな朝田の声は初めて聴いた。確かに彼女の雰囲気はいつももの静かで、他人から見たらややドライすぎるきらいがあるのは認める。しかしそんな彼女にも確かな人間性があって、微笑む時には人間特有の温もりすら感じられた筈だ。
「お、おい、朝田。お前今なんて……?」
だから、今のが彼女の口から出た代物だとは到底思えなかった。
「いえ、何でもないわ。それでえっと、確か貴方がご飯を一人で作るつもりだって話だったかしら? 一人で何かをしようとするのはいい事だと思う。けれどサポートくらいならいいわよね」
本当にいつの間にか、彼女は
「あ、ああ」
口から漏れ出た音は、少ない空気が抜けるように弱々しい。
白昼夢を見てた気分だ。今のは幻聴だったのではないか、そう疑いたくなるくらい先程の彼女は現実離れしていて、正直に言えば軽く恐怖すら覚えた。それほど朝田の豹変ぶりは
「で、私もついてっていいの?」
「へ?」
「私も先輩の実家に行ってもいいのかって話」
目を反らさずいつもの調子で告げる。本当に元通りになったらしい。だからこそ違和感を感じた。
普段通りに戻ってくれたのは確かに助かる。けれどさっきの恐怖を経験したばかりのせいか、逆にこっちの調子が狂ってしまうし怖くも感じる。ついでに突拍子のない事も言うし。
「なんでさ」
「だって挨拶したいじゃない。これでも貴方には感謝してるんだから」
「そんな大袈裟な。俺そこまで大したことしてないぞ」
「ダメならいいのよ。私も一緒に行ければいいかなって程度にしか考えてなかったから……」
言いながら僅かに目を伏せて、朝田はちょこんと子猫みたく大人しくなる。発言の割には結構悲しそうにしている件について。なんかもうさっきのが見る影もない。
「……まぁ、いいんじゃないかな。両親にも連絡しておこうか?」
しかしまぁ、そんなしおらしくされるとこちらの方が申し訳なるというもの。仕方がないので自分は肩を竦めながらそう言った。ところで朝田のことになると極端に弱くなってないか、俺。
「本当? それじゃあ頼んだわ」
と思ったらすぐに持ち直していた。これが想像通りなのが悲しいところ。
「意外と現金だよなお前」
「知ってる? 女ってみんなズルいのよ」
それはまた説得力のあることで。流石は声が某有名怪盗アニメのお色気枠に似ているだけの事はあるわ。
「さて、話もまとまったことだし注文しちゃいましょうか。メニューは決まったかしら」
まとまったというか、強引に決め付けられたというか。まぁ細かい事は気にしないようにしよう。変に指摘して痛い目には遭いたくない。
―――そう言えばファミレスだったな、ここ。
今更になってこの場所にいる目的を思い出す。
現在地は最近俺達の住むアパートの近くで開業されたファミレス。量の割には値段が安いというのが気になって、二人で入店してみたという次第だ。因みに誘ったのは俺の方である。
「朝田がトイレしてる間に決めてある。俺はこの爆裂ハンバーグのランチセットにする。お前は?」
手元にあるメニューを朝田に手渡す。美味しそうなのが多くて選ぶの時間が掛かった。だから、そういうときはその店の定番を頼むべきだろう。
「私はそうね。先輩と同じのにするわ」
「そうか。ソースも自分で選べるみたいだ、俺はニンニクソースにするけど」
「じゃあ私は和風で」
スムーズにメニューが決まったので呼び出しベルを押す。するとすぐにオーダーを取りにきた、元気のいい女性店員さんに注文した。その時印象的に思ったのが、その店員さんの制服がやたらシェフっぽくてカッコよかったということだ。
「……ああいう人が好みなの?」
「んー? いや別に?」
「その割には随分釘づけだったじゃない」
女性店員さんが他のテーブルに回ってから暫くしてから、朝田はまた不機嫌にそうにする。感情表現が豊かなようで何より。こちらとしてはまるで意味不明だが。
「ウェイトレスさんに憧れてた時期があるんだよ」
「どうだか」
「勘弁してくれ。恋愛なんてのはそう頻繁にするもんじゃないんだ」
「頻繁ねぇ。……まさか先輩、好きな人いたりする?」
今日の朝田はやけに突っかかってくる。彼女自身の着眼点が鋭いのも相まって非常にやり辛い。視力が良い人間って勘も優れているのだろうか。いや、今のは俺がただ墓穴を掘っただけか。
「その反応はまさか図星? へぇ、先輩でも恋愛するんだ。お相手は誰なのかしら」
今度は一転して、ものすごく生き生きしながら問い詰めてくる朝田。なんなら笑顔を浮かべてるまである。口元を喜色に歪めて、目を細める姿はどこか艶っぽいようにすら見えた。
「……ちゃ、茶化すなよ。俺だって恋愛くらいする」
「ふーん。で、誰なの?」
なんて率直。本来の俺なら狼狽えるであろうこの状況。でもそれを予期しないほど間抜けじゃあない。甘い、甘いぞ朝田よ。
「これは例えばの話だが、俺がお前だと答えたらどうするよ?」
「その時は付き合ってあげる」
「え、マジっすか?」
本日二度目の仰天。しかも即答。見れば朝田は不敵に微笑みながらこちらを見つめている。まいった、どうも甘かったのは俺の方らしい。
「
「悪かった。俺が悪かったからこの話はお仕舞にしよう、うん」
「構わないわよ。先輩がヘタレでおバカさんだって事を再認識できただけでも収穫だから」
降参してるのに追い打ちのストンプを掛ける系後輩、朝田詩乃。切り替えしも洗練されていて、丁寧に反撃してくる。もはや形だけ先輩と呼ばれてる感が半端なくて泣けてくる。大体再認識ってなんだよ。俺って前から朝田にヘタレ野郎と思われてたのだろうか。だとしたら本当に泣きそう。
と、そんな感じで落ち込んでいると目の前に大きなハンバーグを乗せた鉄板が置かれた。
「好きな人をいじめるのはいいけど、やり過ぎちゃうと彼氏くんに愛想尽かれるよん」
話に夢中だったせいか、それがウェイトレスさんの声だとは気づかなかった。というか近づいてきたことにさえ気づかなかった。彼女は俺達にしか聞こえない程度の小声で呟く。大人の余裕とでも言うべきか、ウェイトレスさんの表情は近所のお姉さんが微笑ましいモノを見るときのそれに等しい。
「な、か、先輩は、っか、彼氏なんかじゃないわよっ」
赤面しながら必死に否定する朝田を見てようやく事態を飲み込めた。突如として現れた援軍者に俺はサムズアップを送る。するとウェイトレスさんも俺の反応に気づいたのか、同じ動作で返してくれた。
「良い子ね、彼女」
「俺の自慢の後輩ですよ。可愛いでしょ?」
「ちょ、先輩までっ!」
そうだった。こういう時は褒め殺せばよいのだった。境遇のせいと言うのもあるだろうが、褒められる事にとことん弱い。これが朝田の数少ない弱点である。
「ふふ、遠目から見ても可愛かったわよ」
「ええよくわかります。これで掃除や洗濯、料理もこなせるんだから完璧ですよ」
「な、ななっ」
朝田は更に赤化(誤字にあらず)を加速していく。続けて俺とウェイトレスさんは朝田を褒め千切りまくると、ついに「ぼふん」という擬音が聞こえそうなくらい真っ赤になって朝田は俯いた。おお、耳まで朱い。
それを見て満足したのか、ウェイトレスさんも「それじゃあね」と軽く手を振って仕事に戻っていった。嵐の様な人だった。とはいえ物凄く助かったから感謝してる。
「ほれ、朝田、冷めないうちに食べるぞー」
「……」
勿論反応は期待してない。でも義理は果たした。という訳で俺は熱くなってフリーズした朝田を無視して、遠慮なくハンバーグに食らいつく。
「うーん二重の意味で美味し」
それから朝田が復活するまでの数分の間。俺はそんな彼女を観察しながら気分よく食事をしたのだった。
因みにこれは余談だが、この後平静を取り戻した朝田にメチャクチャにやり返された。当然のように仕返しされる先輩ってどうよ。
ヤンデレは大好き。でもいざそれを表現しようとすると陳腐になる。今回、書いててそれを深く実感させられました。
それにラブコメ自体あまり書いたことなくて、無理やり感が凄い。特に最後の方。ですので、ご指摘ご意見ご感想を心の底からお待ちしております。
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第四話
失敗したかなと、部室の窓際から外を眺めながら思う。
空は灰色の絵の具をかき混ぜたような曇天で、今にも雨が降ってきそうだ。というかあと数分もしない内に大粒の雨が降って来るだろう。それくらい不穏な空だった。
「傘、持ってくれば良かった」
後悔先に立たずとは正にこのことを言う。予報で今日中なら雨は降らないという情報を信じすぎてしまった。朝田に忠告されたというのにも関わらず、である。やっぱり彼女の言う事には素直に従った方が良いのだと再認識した。
ともあれ、今はどうするべきかを考えるのが先決だろう。
雨に打たれるのは確定だから、汗でびしょ濡れのTシャツは仕方ないのでそのまま着る。傘の代わりになる物がないか鞄の中を探してみるが、あるのは教科書類と筆記用具のみ。正直これでは傘どころか、鞄の中身が濡れないようむしろ俺が傘になるしかない。
(仕方ない。濡れて帰るか)
どうせ家に帰ったらすぐシャワーを浴びるのだ。帰宅するのも徒歩で二十分くらいだし、そこまで苦労する訳でもないのだ。走って帰れば何とかなるだろう。
一応、部活後に体を拭くために残しておいたタオルを頭に巻く。これで濡れる度合いが多少はマシになる。我ながら程度の低い考えだなぁとは思うが、それでも何もしないとお隣さんに怒られるかもしれない。彼女は基本的に大人しい性格だが、身内には過保護な側面が見受けられる。帰ってから怒られるのも嫌なので、出来る限りの事はしておく。
準備が整ったので勢いよく部室のドアを開ける。自分の所属する部活の部室は本校から少し離れている。そのため部室を出ればすぐに外界と繋がる訳で、空を見上げれば変わらず深い曇天だった。
「こりゃ大雨確定だなおい」
居残りで練習なんかしなければ良かった。もしくは、雨が降るかもしれないと直感した時点で練習を切り上げればまだ間に合ったかもしれない。
愚図ってもしょうがない、小走りで校門まで向かう。
その時ポツリと、頬に水滴が落ちる。それが雨による水滴なのだとすぐに分かった。
―――ヤバいな。
そう心中で呟いた直後、ぶちまけるような勢いで大量の雨が降ってくる。案の定あっと言う間にずぶ濡れになり、服が多量の水分を含んで重くなった。シャツがべったりと肌に張り付いて、少しだけ気持ち悪い。
それでも構わず走り続けていると校門の少し前の辺りで少し暗い雰囲気の、恐らくは自分より年下だろうフードを被った少年が前から歩いてくるのが見えた。傘を差したその男子生徒はどうやら俺を見ているようで、擦れ違う直前に視線が一瞬だけ交差する。何となくだが睨まれてるように感じた。それもかなり悪意が籠ってるような。
「なんだ?」
わざわざ足を止めてまで声を掛ける。流石に大雨であっても、これだけ近ければ俺の声は届くだろう。
「……いえ、何も」
素っ気ない返事。加えてこちらを振り返ることなく、少年はそのまま本校舎の中へと入って行った。雨に打たれながらその後ろ姿を何となく見届けた訳だが、感想が一つだけある。
「あいつ何処かで見たことがあるような」
声に出してみたが、今の自分には心底どうでもいい話だった。他人を気にかけるほど余裕がある訳でもないし、こうしてる今も雨に濡れてるのだ。早く帰らないと風邪をひいて、ともすれば朝田にも迷惑を掛けることになる。
少年のことは頭の隅に追いやり、土砂降りの中を水しぶきをあげながら駆ける。視界は最悪。足場は意識しないと足を取られて転んでしまいそうだ。また肌を打ち付ける水のつぶては当然の事ながら冷たく、俺の体温を徐々に奪っていく。
「やっば、これは風邪引ける」
思いついた言葉は雨によってかき消された。
朝のお天気お姉さんの事を恨めしく思いながら、忙しなく動く足をさらに働かせた。水たまりだらけとなったアスファルトの道を進むたびに靴に雨がしみ込んで一歩一歩が重くなっていく。自宅まであと半分の所に来た辺りで、部活の疲労も相まりだんだん億劫に思うようになってくる。
控えめに言ってもびしょ濡れになった訳だし、もう歩いて帰ろうかなと諦め始めた時。まるで狙ったかのようなタイミングでその人は現れた。
「悪いな、こんな大雨の中迎えに来てもらって」
「……少し遅かったみたいだけれどね」
進行方向の先に、水色の傘を差す眼鏡を掛けた少女がいた。それは自分と隣の部屋に住む隣人、朝田詩乃である。彼女はどこか申し訳なさそうな顔でこちらを窺っていた。どうも迎えにくるのが遅くなったことに責任を感じているみたいだ。
「何言ってんだ、こういうのは自業自得っていうんだぜ。それよりも早く帰ろう」
朝田は何も悪い事はしてない。俺が朝田の言う事を聞かなかったからこうして雨に濡れてるだけである。ましてや予報では今日の内は雨が降らないとされていたのである。だから彼女が気を重くする理由がない。寧ろこうして迎えに来てくれたことに感謝感激である。
その様に告げると、朝田はほんの少しだけ口元を緩める。この細かい仕草を見分けられるようになったのは、それだけ長い間彼女と過ごしてきたからだろうか。
「……そう。でも貴方、そのままで帰るつもりなの?」
「そりゃそうだろ」
これだけ雨に降られたら、今更傘なんか差しても意味がないしね。それだったら早く家に帰ってシャワーを浴びたい。
「ダメよ、せっかく傘を持ってきたのだもの。中に入って」
「一つしかないの?」
「ええ、これだけよ。焦ってたから、うっかりね」
「そしたら猶更入れないじゃん、俺」
一つの傘に二人の人間が入ろうとすれば、それは必然的に身を寄せ合う事になる。そして濡れ鼠な俺と密着すれば朝田がどうなるかなんて分かり切ったことである。そうならないように俺から距離を置こうとすれば、今度は彼女の身体が傘から出て雨に濡れてしまう。それでは本末転倒だ。
「……私なら、少しくらい濡れても平気だから」
「いやしかしだな」
「いいから早く入って。風邪を引いたらどうするつもりなの?」
「……むぅ。でもなぁ」
いいから入れと、朝田は有無を言わせない迫力でこちらを見つめてくる。それでも躊躇している俺にイラついたのか、腕をがしっと掴んでは強引にも傘の中へ引き込んだ。ちょっと信じられないくらい朝田の力は強くて、為されるがままに引っ張られる。
そして逃がさないと言わんばかりに、朝田は俺の腕にツタの如く絡みついた。
「……服、濡れてきてるぞ」
「いいわよ別に」
朝田の服に水が浸透していく。言わずもがな、びしょ濡れな俺に引っ付いたからだ。
当の本人がそのことを気にしてないらしいので自分も強くは言わない。でも忘れないで欲しいのは、俺は男で朝田は女の子だという事実だ。変な話、朝田の控えめなれど柔らかい感触は形容しがたいモノがある。だからそのことを極力意識せずに言う。
「なんか歩きづらいな」
朝田は俺の腕に寄りかかるようにして歩いているため、それを支えている俺は当然ながら負担がかかる。無論たったそれだけの事で音を上げるほど軟な鍛え方はしてないが、女の子といえど腕一本で人を支える続けるのは流石に疲れる。
「そう? 私は楽よ」
それはそうだろう。朝田が楽してる分だけ俺が苦労してるのだから。
「……全く」
嘆息するが、態度ほど気分は悪くない。だって女の子に腕を組まれるだなんて状況、もしかしたら一生を通しても有り得ないかもしれないのだ。ぶっちゃけた話、鼻の下が伸びてないか、そしてそのことがバレてないか不安になるくらいには浮かれてる。
そんな俺の心配を知ってか知らずか、朝田はきゅっとより強く腕を抱きしめる。その仕草が可愛い過ぎて脳が焼き切れそうになる。いや焼き切れた。
「さ、行きましょ」
グイッと腕を引いて催促する朝田。その少女は僅かに頬を緩めているだけで、俺みたく興奮してるようではなかった。なんだか俺だけ意識してるみたいで恥ずかしくなってくる。
「どうしたの? 顔赤いわよ」
喜色を滲ませながら流し目にこちらを見る。雨が降ってるからかな、それが少し艶めかしく見えた。
―――寧ろこの展開で赤面しない男を男とは言えないだろ。
美少女に抱き着かれる。これほど男冥利に尽きる事もないだろう。それだけその女の子に信頼されている証拠なのだし、俺自身単純に嬉しく思う。朝田の場合だと、事情が事情なだけに少々特殊な事例なのだろうが、それでも信頼されている事には違いはない。
しかし、園児や小学生なら兎も角。普段バカ騒ぎする男子高校生という生き物は、こと女子が話に絡んでくると途端にどうしようもなく
それなのに腕に抱き着いてくるだと? そんなの顔は真っ赤になるし頭も沸騰するに決まってるじゃないか。そのことを言葉にすると朝田にからかわれる未来が、火を見るよりも明らかだから絶対に口にしないが。
「少し疲れたからな。今日、結構追い込んだし」
「……そう。じゃあそういう事にしてあげる」
どこか含みのある言い方だ。俺の言い分をただの言い訳だと気づいているのかもしれない。
でもまぁ、満足そうに俺の腕にくっつく朝田を見れば反論を申す気にもならない。やっぱり朝田に対してはどうにも甘くなってしまう俺が居た。
それからはお互い無言になって、雨が降りしきる街道にて歩を進めていた。
詩乃は己の先輩の逞しい腕に抱き着いて。そんな少女の体重を支える隣人は、ふつふつと湧き上がる己の煩悩を押さえ付けて。二人の男女は傘という小さな世界で身を寄せ合う。
二人の住むアパートまであと数分といった辺りで。少女の方が先に沈黙を破った。
「雨、やまないわね」
小さい声だったが、密着していたため大雨の中でも隣人の耳には届いた。
「そうだな。明日の朝までには晴れてほしいもんだ」
うんざりしたような声音で返事をする。雨に降られたのが今になって響いてきたようで、彼は寒さでぶるりと体を震わせた。
「……ねぇ。雨の中だから、誰も外にいないね」
それは当たり前だろうと、隣人は思った。部活終わりで時刻は十九時を越えている。この中途半端な時間帯で、その上大雨が降っていれば誰も外に出なんかしない。
しかし、どうにも詩乃はそういう事を言いたいわけではないようだった。彼女は意を決するように、大きく息を吸って深呼吸する。
「こんな雨だから、きっと何をしても誰にもばれないと思うの」
妙に熱っぽい声で呟く。彼女の言う通り、雨のカーテンによって音も視界も遮断されて、確かに
「朝田?」
詩乃の様子がおかしくなったことに気づいて、隣人は彼女の顔を見た。黒髪の少女がその隣人を見つめている。何かを訴えかける様に、何かを我慢するかのように。さながら決壊する前のダムの様に、隣人の目には感情を抑えているように映った。
「どうした?」
「抱き着いたら、収まらなくなっちゃって」
意味不明なことを宣う。言葉の真意を掴めなくて、隣人は何て答えてやればいいか分からずにいた。
すると少女は戸惑う隣人の腕から離れ、彼の真正面に立った。そして手を隣人の肩に置き、鼻が当たるギリギリまで顔を接近させて甘ったるくこう囁く。
「ねぇ先輩。キス、しませんか?」
投稿が遅れて本当に申し訳ありませんっ!
前回から総合評価が伸びまくって日和ってましたっ!(言い訳
本当にありがとうございますううぅぅっ!
でもやっぱり皆さんヤンデレとシノンが好きなんだなって。(今の所ヤンデレ要素は少ないですが)
最近ヤンデレ系の話がランキングに沢山乗ってますし、これはヤンデレの時代が来たかな!?
ところで、『ヤンデレ=暴力』じゃないと考える作者はヤンデレ好きとしては異端者なのでしょうか?
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第五話
「どうでもいい話なんだけどさ。俺、さっきの
我が家の食卓にて。朝田お手製の親子丼をスプーンですくいながら、大体一時間程度前から言いたかった事を口にしてみる。すると朝田はぴくりと体を震わせた後、何でもなかったように食事を続けてこう言った。
「女々しいわね。私もよ」
これでお相子ね、とでも言いたげにふんと鼻を鳴らす朝田。うん、そう言う問題じゃあないと思うんだ。
「そうっすか。ところでさ。俺、今どんな顔してお前を見ればいいか分かんないだけど」
「奇遇ね。私もよ」
「……」
いやいやいや。それはないでしょう、朝田さんや! ついさっき『ねぇ先輩。キス、しませんか?』とか甘ったるい声で
いやね、途中まで心臓がはち切れそうになるくらい純粋なラブロマンスぽかったのにね、最後の最後であそこまで激しいと風雅も糞もないんですよ。別にファーストキスに変な幻想を抱いている訳ではないが、あそこまで獣染みた蹂躙を経験してしまうと苦言の一つや二つくらいは言いたくなるのである。
考えてみてほしい。大雨の中、一つの傘の中で二人の男女が身を寄せ合っている。そんな最中に後輩の「キスをしたい」という懇願。返答に困った先輩の口をその後輩が無理やり奪う。「結構よくね?」とか、そんな感じの感想を抱いたのならそれは認識が甘い。マジで甘い。
いつもなら大抵の事は笑って済ますが、流石に反省の色が見られないようであれば俺にも考えはある。暫く無言になって、朝田をじっと凝視した。
「……な、何? 急に静かにならないでよ」
視線というのは非常に強力な物で、いつもは強気な朝田でも無言の圧力の前では委縮していた。自分でいうのもアレだが、これでもリングに立つとシンプルに「恐い」とか「ジャパニーズサムラーイ」と恐れられる俺である。これくらいは朝飯前である。
こちらの視線に耐えきれなくなったのか、何か悟ったような真剣な顔つきで朝田はこう宣った。
「勢いって大事だと思うの」
「おい何口走ってるんだ落ち着け」
朝田は若干、いやかなり混乱している。こんな状態の彼女を一目見れば、反省するしない以前にそもそも冷静ではないという事が分かる。因みに俺も結構テンパってる。
というか、である。そもそも立場が逆ではないだろうか。俺の読んだラブコメディな漫画では普通、何かやらかした後にこうした場面で気まずくなるのは男の方だった筈だ。それがどうして女の子ほうが
とはいえ。かれこれ半年近く同居に近い生活を送ってたわけだから、まぁ、朝田の好意には割と前から気づいていた。勿論、心の何処かでは恋愛経験ゼロのマセガキによる気のせいか願望ではないのかという思いもあったが、今回の件でそれが勘違いではないという事も証明された。(流石にディープキスまでされたら認めざるを得ないだろう、うん)
そして、実のところ俺も朝田の事はかなり好ましく想っていた。ストレートに言うと好き、否、大好きである。大体半年も同じ屋根の下、彼女の分かり辛い優しさを認識すればすぐ落ちる。だから朝田と同じ感情を抱いていたことは素直に嬉しいし、なんなら俺の方からキスしたかった。
しかし、そうもいかない理由もしっかりあった。
「……お前、風邪引いたらどうするつもりだよ」
よく考えてみれば分かることだ。朝田の身長が大体150センチ後半と考えても、俺の身長は大体175センチ程度なので、そこそこ頑張らないと彼女の唇は俺の顔まで届かない。つまりだ、その時彼女が取らざる得なかった行動は背伸びと
そして傘を持っていたのは朝田だ。当然傘を持ちながら手を回せる訳がないので、傘は落とされた。とすると朝田は雨に濡れる。しかもかなり長い間行為に及んでいたので、その時間に比例して俺達はびしょ濡れになる。いや、俺は元々濡れていたから別に良いとして、朝田まで濡れてしまったら彼女が傘を持ってきた意味がまるでない。
だから、少しだけ怒ってる。
「え、いや、その。そっちなの?」
朝田はまるで鳩が豆鉄砲を食ったような顔をする。別におかしなことは言ってないと思うのだが。そっちも何も、ソレしかないじゃないか。
「当たり前だろうが。折角お互い好き合ってる事に気づいたのに、その翌日に朝田が風邪ひいたら俺は凄く悲しい」
言ってくれたら、超恥ずかしかったかもしれないが、それでも風呂上がりにキスくらい頑張ってやってみせた。あの雨の中というシチュエーションは確かに最高だったかもしれないが、やるんだったら俺からするべきだったのだ。これで朝田が風邪を引いたら俺は本当に自分のことを許せなくなる。
そんな事を言うと朝田は「な、な、なっ」とわなわな震えて、次の瞬間にはグイッと顔を寄せてくる。シャンプーのいい香りが鼻に届くが、そんな感想を抱く前に朝田はぷくっと頬を膨らませて捲し立てる。
「それを言ったら貴方だってぐちょ濡れだったじゃないっ!」
「俺は鍛えてるから大丈夫。それよりも俺は朝田の方が心配だ」
「そ、そんな筋肉理論で自分の体調をどうにか出来る訳ないでしょう!?」
「そう思うんだったらせめて風呂上がりに、最悪アパートに戻るまでは我慢するべきだったな」
「ぐむ、むぅ、それは、そう、かも、しれないけど……」
歯切れの悪くなる朝田。思った通りその後の事は何も考えてなかったらしい。
「俺は朝田が病気になるのは絶対嫌だ。朝田のご飯が食べられなくなるのも一緒に登校できないのも嫌だし、苦しむ朝田の姿を見るのはもっと嫌なんだ」
「……よくそんな事、恥ずかしがらずに言えるわね」
「恥ずかしくないもんか。それに、有無を言わさず俺のファーストキスを奪った朝田には負けるよ」
俺が言いきると、朝田は「……言わないでよ」と顔を赤くして俯いてしまう。今まで何度も感じてきた事だが、今はより一層そんな彼女の仕草が愛おしく思えてくる。やっぱり、以前までは一歩引いて朝田と接していたからなのかもしれない。
あのキスによって、俺が必死に超えないようにしていた一線を朝田の方から踏み越えてきた。あれだけ抑えていた感情が決壊したダムから飛び出す水のように激しく心を打ち付けるのを感じる。
しかし、うすうす気づいていたが、とんだヘタレな上に面倒な男だ俺は。これだけ切ない思いをしておきながら、まだどこかこの事実を認め切れてない節がある。
再度確認しよう。
俺は間違いなく朝田の事が好きだ。そのことに間違いなんてない。好きな部分を挙げろと言われたらそれこそ星の数だって超えて見せる自信がある。それくらい、自分でも驚くくらい、陳腐な表現だとしても、俺は本当に彼女の事が好きなのだ。
恋愛弱者の俺でもこれが恋であることくらい分かってしまえる。逆に将来これ以上の愛情を、家族以外の人間に向けることなんて俺には到底考えられない。その家族だって、恐らく、朝田に対する愛情の方が大きくなるだろうという確信がある。
―――でも、朝田はどうなのか。
愛に見返りなんて必要ないという言葉はあるが、一度その人を愛してしまった以上は自分も愛されたいと思うのが人間として当然の欲求のはずだ。少なくとも俺は愛されたい。どれだけ醜く、意地汚いと思われようと、俺は朝田を愛すのと同様に朝田にも愛されたいのだ。
だがその実、俺はまだ一度として彼女の口から好きだと告げられてない。
だから、俺は確かめねばならない。幸いなことに、
息を大きく吸って、いろんな感情と共に吐き出す。
「朝田、俺と付き合ってくれ」
……思った通りだ。これは羞恥心で死ねる。どんなボクサーのパンチだって捌ききって見せる自信はあるが、これはちょっと心が折れそう。
何がいけないって、返事が来るまでの時間がメチャクチャ遅く感じてしまう事だ。時間が本当に遅くなってしまったような感覚。リング上でもここまで集中したことは無いかもしれない。
「……こちらこそ喜んで。不束者ですが、よろしくお願いします。先輩」
求めて止まなかった告白の返事は、この場で言うにはちょっと早すぎるようなセリフだった気がする。だが、そんな事なんて気に留めない程に、その時の朝田の笑顔は文字通り輝いていた。
生まれて初めて泣き笑いと言うのを見たし、経験した。
あ、因みにその後お互い恥ずかしくなって顔真っ赤にしながら親子丼を平らげました。
自分の技量ではこれが限界。
更新が遅れた理由も試行錯誤しまくったからです。
恋愛小説書いてる人って本当に凄いんだなって再認識しました。
やりきった感はあるんですけど、こうした方が良いっていう指摘が凄く欲しいです。
場合によっては修正も辞さない覚悟、特に最後らへん。
あ、あとヤンデレについて語りたいがためにTwitter始めました。ユーザー名は同じです。フォローしてくれると嬉しいですw
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第六話
かちゃりと、少女はゆっくり扉を開く。
それは大して大きな音でもなかった。にも関わらず、どうしてか少女は蝶番の軋む音がこの静かな夜に響き渡ったように思えて心がざわついた。元より
―――誰かがこの音を聞きつけて、ここに来るかもしれない。
それは少女にとって非常に不都合な事態だ。急いで、しかし音は立てずに少女は部屋の中に入る。その際鍵をしっかりかけることは忘れない。たったそれだけの行為なのに、それらを終えた少女の額からは冷えた汗が流れた。
「……ん」
汗をぬぐい去り、部屋に入るだけでもう疲労を感じる。まるで忍び込むことに慣れてない空き巣のような体たらくだが、あながちその表現は外れてない。もっともただの空き巣と違うのは、この部屋には家主が
少女の手に握られているのは何の変哲もない鍵。しかしながらそれは彼女のモノではない。この部屋の主から借り受けた合鍵である。家主の少年曰く「まぁなんだ。これから何度も出入りするんなら、合鍵渡しておいた方が便利だろ」との事である。その時の彼は恐らく、彼女に貸した鍵がこんな不法侵入に使われることになるとは思いもしなかっただろう。
「……ごめんなさい」
額に鍵を押し当てながら、弱々しくそんな謝罪の言葉をこぼす。
少女もまた、朝田詩乃も全く同じ心境であった。まさか自分がこんな事に、この大切な鍵を使うなんて。考える前にあり得ない。本来であればそんな事出来る筈がないのだ。
そもそもこの合鍵は彼からの信頼の証といっても過言ではない。他人に自身の鍵を渡すという行為は特別な意味を持つ。そしてそれを許される人物もまた、その持ち主にとって特別な人間でなければならない。なんせ自身の領域に踏み入れることを他人に許すのだ。親しい間柄でなければ、おいそれと合鍵なんて渡すことが出来る訳がないのである。
だからこそ、心が苦しい。この行為は詩乃を信頼してくれる彼への背徳だ。そのことを正しく、朝田詩乃と言う少女は理解している。
今より十年以上も前の話である。詩乃が物心がつく前、彼女の父親は交通事故により他界した。
父親、母親、そして詩乃の三人で構成された家族は年末年始に母方の実家で過ごしていた。そしてその帰り道、山道にて大型トラックが猛スピードで走っていたため急カーブを曲がり切れず、偶然そこに居合わせた詩乃たちの乗る自動車を吹き飛ばした。
運転していた彼女の父は意識不明の重体ではあったが即死には至らず、母親は片足の骨折で済み、詩乃に至ってはシートベルトをしっかり締めていたためほとんど無傷であったという。問題だったのが、事故の起きた現場は深夜という事もあってほとんど車は通らず、そして詩乃たちの車は道路から吹き飛び、木に引っかかっていたという事だ。
当然のことながら、車が通らなければ事故に気づく者もいない。また携帯電話も事故の影響によってか見事に破損し、彼女たちに打つ手はなかった。というよりも、下手に動くと車体が揺れてこの絶妙なバランスが崩れる可能性があった。
六時間後、現場を通ったサラリーマンの通報により詩乃の乗る自動車は救出される。しかし、大量出血により父親は死亡。母親は目の前で衰弱する夫を目の当たりにして、元々脆かったということもあって精神が少し壊れてしまった。
不幸は続く。
七年前、幼児退行してしまったものの少しずつ立ち直り始めた母親と詩乃が、用事で郵便局にいた時の出来事だ。いきなり後ろから現れた中年男性が書類を提出していた母親を突き飛ばし、銃を取り出して「金をだせ!!」と怒鳴り散らしていた。そしてその時、人質に取られそうになったのが詩乃の母親だった。
元より、詩乃は母親を守るために自身を犠牲に出来る少女だった。母親が家を出るときは常に一緒で、訪問販売は警察を呼ぶと言って追い返し、学校では友達をほとんど作らずにすぐに家に帰った。
そんな詩乃だからこそ、彼女は母親の命の危機と咄嗟に判断して、いや判断するよりも先に、その小さな身一つで錯乱する男にかみついた。
その後は泥沼だった。詩乃の立ち回りが良かったのか、それとも男が冷静な判断が出来なかったのか。何にせよ、詩乃は格闘ともいえない抵抗の末に銃を奪う。ことの重大さに気づいたのだろう。男は先ほどよりも必死に叫びながら詩乃に掴みかかってくるが、それがいけなかった。
恐怖を煽る男の行動は、詩乃の引き金を軽くさせた。
放った弾丸は計三発。その内の一つが男の額に吸い寄せられ、そして即死した。
この事件が公開されることはなかったが、火のない所に煙は立たぬという。いらない努力をした何者かが事件を見つけ出し世間に晒した。その結果、必然的に詩乃は批判の対象となった。
詩乃からすれば、ただ母親を守りたかった。それだけなのに、詩乃の日常は周囲から常に暴言を吐かれて暴言を吐かれるものに変わった。意味が分からないとは言わない。しかし釈明の余地があるのは明白である。
それが許されないのは何故か。どうして詩乃は強盗を殺してしまったのか。そもそもどうして人質になりそうだったのが詩乃の母親だったのか。更に言うなら、どうして交通事故に遭い、詩乃の父親が死んでしまったのか。言うまでもない。
偏に、詩乃に運がなかっただけの話である。
それを知った詩乃は、瞳を濁らせ、ただ現実を受け入れることをした。
それ以来、詩乃は他人とは極力接しないようにした。彼女にとって他人とは、自身に危害を加える何者かの事を指し、元々の性格が淡泊で素っ気ないという事も相まって更に孤立を加速させた。皆無に等しかった友達もいなくなり、彼女の理解者は母親と祖父母のみとなった。その母親だって詩乃にとっては『守るべき者』でしかなく、泣き言を吐露する事はなかった。
そんな彼女の摩耗具合は凄まじいに違いない。当時の事件の記憶はトラウマとなり、今も銃を見れば嘔吐したい衝動に駆られる。それでも自己を保ち続け、詩乃は今日まで真っ当に生き抜いてきた。
そんな彼女が唯一弱みを見せた人間がいる。
菊川哲郎、それが彼の名だ。詩乃と同じ高校に通い、一つ年上の先輩でもあるので詩乃は「先輩」と親しみを込めて呼んでいる。最初は部屋が隣り合わせというだけの関係であったが、とある出来事を切っ掛けにご飯を一緒に食べる間柄となった。
彼は基本的に人畜無害な人間だ。ボクシングや格闘技の事になると少し頭のネジが飛んでしまう事もあるが、おおよその人に彼の人となりを聞けば殆ど全員が彼の事を「優しい」というだろう。
―――もしこんな俺で良ければ、頼ってくれないか?
全てを知った上で彼はそう言った。詩乃の突然の告白にも、多少は驚いたもののそれから彼の態度が何か変化するような事はなかった。
自然体でいてくれる彼に、今まで彼女のメンタルケアを行ってきたカウンセラーらののっぺりとした言葉の数々よりも、よほど安らぎを感じられた。ちょっとした世間話で驚いたり得意げになる彼を見て、日常を肌で感じられるようになった。いてほしいと思った時に必ず現れては、何でもないように笑ってくれる彼を見れば、胸が締め付けられたかのように痛くなる。
―――ええそうだとも。私は先輩のことをきっと―――
それ以上先は思考することも憚られた。もし彼に対しての
―――いえ、もうとっくのとうに理性なんかはち切れているのでしょうね。
ベットで寝息を立てて
「……んぅ」
変な息が漏れでてくる。まるで腹を空かした獣の目の前に大量の肉でも置かれているのかのような、そんな心境。要するに詩乃は無防備な彼の姿を見て興奮しているのだ。
やはり自分は異常なんだなと、詩乃は他人事のように分析する。ただの興奮であるなら、まぁまだ百歩譲って何とか許してもらえるだろう。問題なのは詩乃が本当に彼に
これは考えるまでもなくおかしい。哲郎の事が好きであるという自覚を持ち始めてから、何か詩乃の中でおかしくなり始めているという感覚はあった。例えば、ただ彼と他の女の子が会話をしているだけなのに悲しさと、それを上回る暗い感情になったことがある。それからは彼を見ていると割と少なくない頻度で、手足を縛って拘束してしまいたいという気持ちが生まれたり、今みたいに噛みつきたい衝動に駆られることもある。性質が悪いのは、その異常な衝動が日に日に強くなっていくという事だ。
しかしそこは流石の朝田詩乃と言うべきか。過去と向き合い、トラウマを克服せんと努力を怠らない彼女にとって、それら全ての衝動を殺すことは容易だった。無論そこには彼に嫌われたくないという思いも働いていたのだが。
だがしかし、詩乃の
「……本当に、ぐっすりね。こんなに近くにいるのに、起きる素振りすら見せないなんて」
夕食に
「でも、貴方も悪いのよ」
それは哲郎にというよりも、自分に言い聞かせてるようだった。
「これだけ貴方の事を意識させながら、他の女の子と楽しそうに買い物するだなんて。それってあんまりじゃない?」
もし彼が起きていれば口にしなかったであろう言葉。それだけ彼女は追い詰められていた。
彼の意思は尊重したい。彼が幸せなら、それは本当に喜ばしい事だ。その隣に自分が居ればもういう事はない。そんな風に詩乃は考えている。だがソレとは別に詩乃はもう一つの思いがあった。
―――果たして自分は、先輩が選んだ女を素直に祝福できるのか。
無理だなと、すぐに答えは出た。あまりに自然に出てきた回答であったから、ようやくそこで、詩乃は自身の本質に気が付いた。今、自分の胸の中で燻る感情の正体は『嫉妬』に他ならない。そして詩乃は詩乃が思う以上に嫉妬深く、また独占欲が強かった。ただそれだけのこと。
一度自覚したら後は速かった。
夕食に睡眠薬を盛って、彼が完全に寝たことを把握するために小型カメラを用意し、そして彼から借りている鍵を使って部屋に侵入し今に至る。
「ええ。貴方が悪いのよ。だから、ね」
詩乃はベットの上に乗り、哲郎に馬乗りになってゆっくりと顔を彼の首筋へと近づける。
「ゆるしてね」
丁度抱き着くような態勢になって、そう囁きながら詩乃はかぷりと彼の首筋にかみついた。
これだけの事をしてなお軽く呻くだけに留まる彼の鈍感さに呆れて、でも今回はその鈍さに心底感謝して。詩乃は次第に噛みつく力を強める。血の味がじんわりと口の中に広がった。
それがどうしてか甘味のように甘く美味しく感じてしまう自分が嫌になる。そう思いつつも噛みつくことをやめようとはしない。自己嫌悪に陥りつつも、十分に時間をかけてから詩乃はゆっくり口を離した。口内は鉄臭い液体が残っていて、それを抵抗もなく、むしろもったいない言わんばかりに彼女は飲み干してから自身の想い人を見つめる。
「……ふふ」
不意に、静かに笑う。
彼女の視線の先には、自分のつけた歯型が痛々しくも朱い液体と共に美しく彩られていた。
まるでそれは、誰の所有物かを主張しているかのようなマークにも見えた。
後に、詩乃は哲郎が詩乃の誕生日プレゼントを買うためのアドバイザーとして、ボクシング部のマネージャーと共に買い物をしていたという事を知ってメチャクチャ自己嫌悪した。
どうでしょう、私なりにヤンデレを書いてみました。
というか一晩で書き上げたので普通にヤバいかもしれない。
だから誤字報告先輩に期待(無責任)
あと「こうした方が良いんじゃない?」という意見も大募集ですっ!
ところで、今回意識したのは自覚系ヤンデレなのですが、どうでしょう。依存系ヤンデレも最高ですが、これもかなりいいと思うんですよね。
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