超本気で幻想郷を支配したい二人のおはなし。 (納豆チーズV)
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悪魔と小石がおはようするおはなし。

 おはようございます、よろしくお願いいたします。


「おはよー!」

 

 はぁ? なんだ? こいつ。

 というのが、館の中に図々しく入り込んできていた見知らぬ少女への、率直な第一印象だった。

 ここは紅魔館。文字通り外観からして赤い館。人間や妖怪、神さまや妖精など、さまざまな種族が生息する幻想郷の中でも、そのパワーバランスの一角を担う吸血鬼が住むとして有名な館である。

 そこの主たる吸血鬼レミリア・スカーレットの妹、フランドール・スカーレット。諸々の事情で紅魔館の問題児とされ、基本的に孤立しているはずの彼女は今、不審感丸出しな表情で一人の少女と向き合っていた。

 

「おはよー!」

「いや、反応しなかったのは別に聞こえなかったからじゃないって」

 

 薄暗い廊下に甲高い挨拶の声が再びこだまする。何事もなかったかのように連続で行われたものだから、思わずつっこんでしまった。

 親しげに挨拶されはしたが、この少女はフランの知り合いでもなんでもない。むしろ今日この時まで欠片も見覚えすらなかった。初めて出会い、いきなり大声で挨拶を叫ばれたのがつい数瞬前になる。

 フランの回答に少女は、ぷくぅー、と頬を膨らませる。そして、いかにもぷんぷんと擬音が出そうな雰囲気で怒り始めた。

 

「なら挨拶を返してよー! 挨拶は大事! 古事記にもそう書いてある! ……ってお姉ちゃんが言ってた」

「あー? なんだって? 古事記? なにそれ」

「えっとねー。なんか人間の作った本らしいよ。なんか有名みたい。私は全然知らないけど」

「あっそ。人間の作ったルールなら私にはまったく関係がないわね。悪魔だし」

「むぅ、そっけないなぁ」

 

 そもそもお前だって人間じゃないだろうに。フランは、少女の持つ人間にはありえない特徴を見やる。

 彼女の体を取り巻く管のような器官と、胸の少し前にふわふわと鎮座する、瞼が閉じた三つ目の瞳。管は少女の体の各所から伸びて、その瞳を包む膜へと集結し、繋がっている。

 そんなおかしな特徴の目を携えた妖怪の少女は、ひょこひょことフランの隣に馴れ馴れしく歩み寄ってくると、フランの顔を覗き込みながら小首を傾けた。

 

「ねぇねぇ、窓の外なんて見てなにしてるの?」

「見てわかんない?」

「わかんないから聞いてんのよー」

 

 別に教えてやらなくてもよかったが、これからやることを考えると、少しでも目撃者が多い方が気味がいいとも感じる。どうせだから見せてやることにした。

 

「ほら。あれ見える?」

「あれって?」

「あいつよあいつ。あの中央で偉そうにふんぞり返ってるやつ」

 

 窓枠に肘を乗せ、もう片方の手で窓の外の一角を指し示す。これが昼間なら日の光が差し込んできて体を焼いて灰にしてくるところだけど、今は月の魔力が差し込む満月の夜だ。むしろ気分がよかった。

 ……よくよく考えたらこの時間に「おはよー!」はちょっとおかしいんじゃないだろうか。いやそもそもフランが見たこともない相手、つまりは侵入者が唐突に挨拶をかましてきた時点で明らかにおかしいのだけれども。

 少女はフランに指し示されるがまま窓に顔を寄せると、フランが教えた方角と同じ方向に指を向けながら確認するように小首を傾げてくる。

 

「あのあなたに似てるちっちゃいの?」

「そうそう。あれ私のお姉さまなのよ。あとお前、あれをちっちゃいって言えるほどお前も大きくないから」

「へえー、姉妹なんだ。確かにちょっと似てるかも」

 

 現在、窓の外、館の庭園ではパーティーが開催されている。館の主たるフランの姉ことレミリアは当然として、その従者にあたるメイド長やら居候の魔法使いやら妖怪の門番、数え切れないほどの妖精メイドや雑用係のホブゴブリンなど、さまざまな種族で賑わっている。

 毎月、レミリアは満月の夜にはこうしてパーティーを開いたりなどしてなにかしら騒いだりしている。吸血鬼だから満月の日には気分が高揚してそういう気分になるのだろう。騒ぐ場所は紅魔館に限らず、時には知り合いの巫女が治める神社だったりもする。

 とは言え、フランはこれまでそういった催しには一切参加したことはない。普段は一人でふらふら館の中を出歩いているか、自室でごろごろとしているだけだ。今日は少し事情が違ったけれど。

 

「それで、あのあなたの姉がどうかしたの?」

「あんまりに暇だからお姉さまにちょっといたずらでもしてやろうかと思っててね。機会を窺ってたの」

「だから挨拶にもそっけなかったんだねぇ」

 

 それもちょっとはあるが、一番の理由はやはり第一印象が変人であることだろう。

 ただまぁ、無断外出があの姉に禁止されているフランは他人との付き合いが少ないぶん、気になったことに関しては割と好奇心旺盛だ。もしもあちらから変に挨拶してこないでいれば、見知らぬ妖怪の存在にフランの方が気になって、自分から話しかけていたかもしれない。

 

「あ、いい場面見っけ」

 

 妖怪の少女も交えて姉の様子を探っていると、すぐにちょうどいたずらしがいがありそうな場面が訪れた。

 レミリアが、咲夜の用意したフルーツの束の中からチェリーを手にとって、口元に運ぼうとしている。ただそれだけの、けれどフランにとっては非常に好都合な状況だった。

 

「ほら、よーく見てなさいよ」

「んー……?」

 

 不思議そうな声を上げつつも言われた通りに目を凝らし始めた少女を横目で確認すると、フランも自らの姉の方へともう一度視線を移した。

 右手を開き、その手のひらの上に『目』を作り出す。

 レミリアの口の中にチェリーが吸い込まれていく。フランはその光景に、にやり、と口の端を吊り上げた。

 

 ――ぱぁんっ!

 

「へぶっ!?」

 

 銃声のごとき破裂音を立て、唐突にチェリーが爆発した。その衝撃に弾かれて、奇声を上げたレミリアががたんっとイスから転がり落ちる。

 当然、そんなことになれば視線が集まる。情けない姿を見られたレミリアは、さきほど食べようとしていたチェリーのように、その頬を真っ赤に染め上げていた。

 

「くふ、くふふふ……あっははははははっ! ねぇ、見たっ? 今のお姉さまの顔!」

「すごかったねぇ」

 

 少女の反応は無難ななんでもないものだったけれどフランへの同意には違いない。フランは機嫌よく「ふふん」と頬を緩める。

 

「でしょうっ? しかもへぶってなによ、へぶって! ぷくく」

 

 レミリアの奇声がこちらにまで聞こえたくらいだから、この嘲笑もあちらに届いてしまっているかもしれない。

 それでも構いやしないか。この館で今レミリアにやってみせたような真似ができるのはフランだけだ。どうせすぐに必ずばれる。

 

「ねぇねぇ、今のどうやったの? あの果物になにかしかけでもしてたの?」

 

 ただ、隣に立つ少女はフランの持つ力について知らない。未だ笑みの消えないフランを興味津々に見つめてくる。

 

「そんなしちめんどくさいことするわけないでしょ? これよこれ」

「これってどれ?」

「だからこれだってば」

 

 これ、と言いながらフランは右手をひらひらとさせる。当然ながら、なにも知らない相手にそれだけで伝わるわけがない。

 ちゃんと教えてよー、と不満そうにする少女に対し、ふふんっとフランは自慢げに鼻を鳴らしてみせた。

 

「すべてのものには目ってものがあってね、それをきゅっとつっつけばどかーんってわけよ」

「目?」

「そうそう、目。でね、私のこの右手の上にはそのすべてのものの目ってのがあるの。だからあいつがあのチェリーを食べる直前で、チェリーの目をきゅーっとこの右手で一捻りにしてやったってわけ」

 

 これは同じ吸血鬼のレミリアも持ち得ない、フランだけが使える特別な力だ。右手を握りしめることによって、フランが認識した対象を問答無用で破壊する。遅かれ早かれ、それがいずれ終焉の訪れる存在である限り、この能力から逃れるすべはない。

 まぁ、今回みたいに集中して使用した場合はともかくとして、いい加減に使おうとすると余計なものを壊してしまうこともままあったりするが、些細な問題だろう。

 

「へぇ、目かぁ……」

 

 少女が自分の胸の前に浮いている閉じた三つ目の瞳を見下ろしていた。

 そういう実際の目じゃなくて、中核だとか心臓部だとかいう意味での目だったのだけど、訂正するのもめんどうなので口出しはしないでおく。あるいはこの少女もそれはわかっていながらあえてこうしているのかもしれない。

 

「ねーねー、もしかしてさ、私っていう妖怪の目もあなたの手の上にあったりするの?」

「あん? そんなの当たり前でしょ? すべてのものの目は私の右手の上にあるって言ったじゃない。お前の目も、お姉さまの目も、それこそ私自身の目だってこの手の内にあるわ」

「じゃあじゃあ、たとえばだけどあの空に浮かんでる月を壊せたりもする?」

「え? うーん……たぶん壊せるだろうけど……」

「すべてのものの目があなたの手の上にあるんじゃないの?」

「あるわよ? その言葉に嘘なんてない。だから一応、月だって壊せるとは思うんだけど……あのレベルに大きくて遠いのは試したことがないから確実にはね。隕石くらいなら何度かあるんだけど」

 

 そもそも月を壊すなんてことをしたらレミリアに怒られる程度じゃ済まないから試すこともできない。もしもそれができてしまえば――やれる自信はあるけども――、幻想郷中の妖怪だけでなく、あらゆる異界の悪魔や邪神などなど、数え切れないほど厄介なやつらから命どころか存在そのものを狙われるはめになる。

 フランは大体五〇〇年近くの時をほとんど自室のみで過ごしてきたのだが、最近館の中を出歩くようになってからはレミリアから口酸っぱく「月とか星とかは遊びでも絶対に壊さないこと! いいっ?」と注意されたものだ。

 やるなと言われるとやりたくなるのが(さが)というもので、壊しちゃおうかと悩んだりもしたが、さすがにやめておいた。

 

「って、お姉さまがいない?」

 

 なんとはなしにちらっと窓の外を窺ってみたら、いつの間にか姉の姿がパーティー会場から消えていた。

 

「あ、さっきなんかすっごい怖い顔してこの建物の入り口の方に向かってったよ? もうすぐこっち来るんじゃないかなぁ」

「げっ。そういうのは早く言ってよ」

 

 チェリーを食べる瞬間を狙って破壊の力を行使した。それはつまり、その時点でレミリアを視認できる位置にフランがいたということにほかならない。一応レミリアに見つかる前に窓から身を隠しはしていたが焼け石に水だろう。フランは基本的に館から出ないし、紅魔館は吸血鬼が住む関係で窓が少なくなるようつくられている。場所の特定はそう難しいことではない。

 もうレミリアが館の中に入ってきているというのなら、ここに来るのももはや時間の問題だ。

 現に、廊下の奥の方からものすごい勢いでこちらに走ってくる足音が聞こえてきている。ばんばんと扉を乱雑に開ける音も一緒にこだましていることから、フランが隠れていないかと一つ一つ近場の部屋を素早く確かめながら進んできているらしい。今更適当に隠れたところですぐに見つかってしまうのは間違いない。

 

「めんどくさいなぁ……」

 

 部屋を確認しながら近づいてきているということは、逆側へ全力で一直線に進めば逃げ切れるかもしれない。でもそういうのは性に合わないというか、こんな自分が特に得をしないことで必死になるのは果てしなくめんどくさいというか。

 レミリアはこういう余計なことに労力をかけたくないというフランの性格まで加味した上で、わざわざ時間をかけて隅の隅まで捜索しながらこちらに向かってきているに違いない。一応はお互いに五〇〇年近く顔を突き合わせてきた仲だ。互いの性質については熟知している。

 

「もうすぐ来るよ? どうするの?」

「どうするって言われてもねぇ。今更隠れても無駄だし。あー、げんこつ嫌だなー」

 

 もう少し早く姿をくらましていれば話は別だったかもしれないが……ちらりと隣に立つ少女を見やる。

 こんな窓のそばに長く居座ってしまったのはこの妖怪と無駄に話し込んでしまったことが原因だ。別に他人のせいにするつもりなんてないけれど。

 聞こえてくる足音からしてもう本当にすぐそこまでお姉さまが来てしまっているようだった。そろそろ廊下の角から姿が見えてきてもおかしくない。怒られる覚悟はしておく必要はありそうだ。

 

「うーん、そうだね……もしどうしようもないなら、あなた、私の手を取ってみない?」

 

 すっ、と唐突に差し出された手に「はあ?」と疑問の声が漏れる。

 

「急になに?」

「いいからいいから。あなたの力を見せてくれたお礼だよ。今度は私のすごいとこ見せてあげる。むっふん」

「……よくわかんないけど」

 

 言われた通りに自身の手を、左手を彼女のそれと重ねた。フランには、それでなにかが変わったようには特に思えなかったが――。

 

「ふらぁん! どこにいるのっ! 早く出てきなさい! 今ならまだ怒ってないわよ!」

「げっ」

 

 廊下の角からレミリアが修羅のごとき様相で飛び出してきて、フランは顔をしかめた。

 怒ってないとか口では言ってるが、どこをどう見ても怒りに震えている。鏡を見てから言え……と言いたいけれど、そもそも吸血鬼は鏡に姿が映らないからそれはツッコミとして成立しない。

 思っていたよりもはるかにレミリアが怒りに満ち満ちていたものだから反射的に後ずさりしてしまう。しかし、それにより解けそうになった繋いでいる手を、彼女は強く握り直してきた。

 もうすでにレミリアは数歩歩けばたどりつく程度のフランのすぐそばにいる。げんこつを脳天にくだされる未来が見える。現に、こうしてフランの方に歩み寄ってきて。

 

「フラン、いったいどこ! どこに行ったのよ! とっくに地下室にでも逃げてっちゃったのかしら……ああ、もうっ!」

「……あ、あれ?」

 

 やってくるであろう痛みに覚悟してぎゅっと目を閉じていたのだが、予想に反してレミリアの怒声は過ぎ去っていってしまった。

 振り返ると、フランが明らかにそばにいるのに、まるで姿が見当たらないという風に振る舞うレミリアの姿があった。

 

「お姉、さま?」

「あんまりしゃべらない方がいいよ? ばれちゃうかもしれないし。まぁばれないけど」

「どっちよ」

 

 これはどうやら、手を繋いでいる少女のしわざだったらしい。「私のすごいとこ見せてあげる」とかなんとか言っていたが、これがそうなのだろうか。

 なにがなんだかよくわからないが、今のレミリアには絶対に見つかりたくないので、とりあえず言う通り静かにじっとしていることにした。

 しばらくするとレミリアは諦めたように息をつき、姿を消した。フランの自室たる地下室に向かったのか、一旦諦めてパーティーに戻ることにしたのか。どちらにしてもフランが怒られることになるのは後のことになったというわけだ。

 叱られることは避けられない。ただ、時間が経てばいくぶんか怒りも収まっていることだろう。今の彼女に見つかるよりは数倍マシだ。

 もう大丈夫かな、と言わんばかりに少女がフランの手を握る力を弱めた。しかし解けかけたその繋いだ手を、今度はフランが逃がさないようにと力を込める。

 

「ねぇ、お前。今のはなんなの?」

「うん? あー、えっとねぇ。私はね、無意識を操る力を持ってるの。それであなたを見つからないようにしてあげたのよ。どう? すごいでしょー」

「無意識? どういうこと?」

「円融無碍の無に悪意占有の意、旧相識の識で無意識よ?」

「読み方がわかんないんじゃないって。っていうかそれだと逆にわかりにくいってば」

「ほら、そこら辺に転がってる小石とかって、見えてても注意を向けたりなんてしないでしょ? それとおんなじよ。私は小石なの」

「あー?」

 

 館の中でしか暮らしていないフランにとっては、そこら辺に小石が転がっていることなんてありえない。だから少しだけ想像しにくくかったが、少しなら彼女の言いたいことがどういうことなのかはわかった気がした。

 

「つまり、小石みたいに存在感が薄いってこと?」

「そうそう。でもね、小石じゃなくてこいしだよ?」

「はあ?」

「私の名前。古明地こいしって言うの」

「別にお前の名前なんて聞いてないんだけど」

「あなたのお名前はなんて言うのかなー?」

「人の話を聞きなさいって……ほんと、なんなのよお前は」

「お名前ー」

「……はぁ。フランドール・スカーレット。それが私の名前よ」

 

 しかたなく名乗ってみせると、こいしは少し考え込むように宙空に視線を漂わせた後、ふむふむなるほどと意味もなく頷いた。

 

「フランドール、つまりはフランね。お人形さんみたいな名前だねぇ」

ドール(人形)ってついてるから? さすがにその感想は安直すぎるわよ。そもそもつづり違うし」

「何点くらいかな」

「八点」

「一〇点満点?」

「ニ〇〇点満点よ」

「むぅ、厳しいなぁ。そんなんじゃ生徒に懐いてもらえないよ?」

「赤点の生徒なんて我が校にはいらないわ。自主退校してどうぞ?」

「ここは私が一人で先に帰るからお前たちはこの場に残れー! ふっ、心配しなくてもだいじょーぶ。私がいなくてもお前たちならやれる、きっとやれる! そんなのぱっぱと片づけてあとから追いついてきてね!」

「逆じゃないのそれ」

 

 外の世界の漫画や小説なんかでよくある展開だ。誰か一人が番人やら追っ手やらを食い止めて、他の仲間たちを先に行かせたり危険な場所から遠ざけたりする。しかし今のこいしの発言はいささか自分勝手すぎた。

 こいしはとてとてとフランの目の前まで近寄ってくると、くるりと一回転してから、こてんっと首を傾げる。なぜ一回転したかは知らない。

 

「ねーねー、あなたってこのお館に住んでるの?」

「今更ね。当たり前でしょ。自分の家でもないとこんなぶらぶら一人で出歩いたりしてないっての」

「私は別に住んでないけど一人で探検とかしてたよ? はっ、ってことはつまり逆に考えればこのお館も私の家ってことじゃ!?」

 

 バカなのかな?

 

「逆にしてもいいなら自宅の逆は他人の家、つまりお前はまごうことなき不法侵入者って証明が成り立つわけだけど?」

「不法もなにも幻想郷(ここ)に法なんてあるの?」

「それを言っちゃあねぇ。っていうか法なんてなくてもお前が侵入者って事実は覆らないってば。そしてこの私に見つかった……そうねぇ、そんな不届き者にはどんな罰を下してやろうかしら」

「えーっと、こういう時は、なんて言えばいいんだっけ? むむむー……あ、思い出した! 私に乱暴する気でしょ? なんとか同人みたいに! なんとか同人みたいにー!」

「思い出し切れてないじゃない。なんとかってなによ」

 

 罰がどうだとか言ってみても、こいしのハイテンションが揺らぐことはない。元々、罰だなんて冗談のつもりでしかないけど。

 

「まぁ、それに、ないなら作っちゃえばいいしね」

「作る? なにを?」

「だから法ってやつをよ。ここは吸血鬼の館なのよ? ここの法はその吸血鬼たる私が自由に決めてもいいと思わない?」

 

 そんなフランの発言に、こいしはなぜかぴたり、と動きを止めた。

 なに? 急にどうしたの? もしかして本当に罰が怖くなった?

 そんな風にからかおうとしたフランを遮って、こいしはきらきらと目を輝かせながら、ぎゅぅっ! とフランの手を両手で強く握りしめた。

 

「それいいね! すっごくいい! 気に入ったわ! 法を作るだなんて!」

「は?」

「じゃあじゃあ、この世界はすべて私たち二人のものってことにしよう! そういう法を一緒に作ろう! 私たちで世界を支配して、この幻想郷をお菓子とか夢とか恋とか石とかあとなんか希望とかその辺いろいろ詰め込んだ素晴らしい世界に変えてやるのだー!」

「はぁっ?」

 

 フランの手を握ったまま、というか掴んだまま「えい、えい、おー!」と半ば無理矢理一緒に振り上げ出すこいし。

 さすがのフランもこの突然の奇行には口が半開きになる。

 なにこいつ、頭おかしいの?

 情緒不安定で普段頭がおかしいとか思われまくっているフランにそう思われるだけで相当である。

 

「……えーっと。一応聞いておくけど、もちろん冗談で言ってるのよね」

「なに言ってんのよ! 本気も本気のマジと書いて超本気って読むくらい本気が本気の中で本気に超本気を超越した上でスーパー本気が逆立ち進化したウルトラデラックス超本気だよ!」

「とりあえずその本気の二文字がゲシュタルト崩壊する頭が悪そうな表現の仕方をやめない?」

「じゃあ略してウルデラ超本!」

「もっと頭が悪そうに……」

 

 もう話について行けないとばかりに呆れた顔になっているフランをよそに、こいしはまだまだ一人で盛り上がっている。

 やるぞー! 絶対やるぞー! やるったらやるんだからやるんだぞー! やるってことはやるということなのだよ!

 そんな感じに意味不明なほどしつこくやる気の主張をしながら、こいしはあいかわらずフランと繋いだ手をぶんぶんと振り回し続けていた。

 もしかして私、まだまだこれに絡まれ続けるの……?

 なんだか若干辟易としてきて、フランは大きく肩を落とした。

 ……ほんの少しだけ口元に笑みが浮かんでしまったように感じたのは、きっと、気のせいだったことだろう。




・はぁ? なんだ? こいつ。
→遊戯王ARC-Vより。主人公が唐突に敬語で軽演劇を始め出した際の対戦相手のセリフ。

・挨拶は大事! 古事記にもそう書いてある!
→ニンジャスレイヤーより。アイサツは決しておろそかにできない。ニンジャの礼儀だ。古事記にもそう書かれている。

・私に乱暴する気でしょ? なんとか同人みたいに! なんとか同人みたいにー!
→機動戦士ガンダム00同人誌「私立トレミー学園 炎のKAINYU転校生 セカンドシーズン」よりらしい。やめて! 私に乱暴する気でしょう? エロ同人みたいに! エロ同人みたいに!

・他オリジナル設定多数
→できる限り、覚えている限りの原作の情報をもとに作っていますがオリジナル設定も多々あります。ご注意ください。


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池蝶貝に英語の勉強をさせたいおはなし。

 開いた窓の外から流れ込んでくる。少しだけ冷えた風が意外と気持ちいい。

 今は確か、もう夏が近いんだったか。梅雨とやらに入った幻想郷では、最近はよく雨が降る。今日は降っていないが、時折ずっと遠くを大量の雨滴が降り注いでいる――紅魔館周辺は雨が降らないようになっている――さまが窓越しに窺えることがあった。

 雨。姉が『雨の日は嫌い』と愚痴をこぼすさまはそれなりに見てきた――吸血鬼は流水を渡れないため――が、実際にこの目で見たのはそれなりに最近の出来事だ。なにせ五〇〇年近くの長い時間のほとんどを館の地下にある自室で過ごしてきた。仮にかつて見たことがあったとしても、そんなはるか昔のことはとっくに忘れてしまっている。

 

「……はぁ。なんで私、こんなことしてるんだろ」

 

 窓枠に両肘をつけて、空に浮かぶ満月を見上げる。

 暇な一日だった。一日中、ただただ同じところでうろうろしたり、外を眺め続けているだけの一日。実にくだらない。

 

「一月も前の出来事だもん。忘れてるのが当然じゃん……初対面のやつと交わした、あんなどうでもいい約束なんて」

「なにが忘れてるの?」

「だから、あの変な目の妖怪とした次の十六夜の日に遊ぶってやくそ――待ってなに今の」

 

 今日はずっと一人だった。なんの前触れも気配もなく当然のように返ってきた言葉に応じかけ、一拍置いて慌てて振り返った。

 そこにはまるで初めからここにいたのではと思いかけるほど当たり前に、待ち人、古明地こいしが立っていた。

 

「むー、遊ぶ約束じゃないよ! 私とあなたで一緒にこの幻想郷を支配するための下見だよ! 下見!」

「あー……っていうかさ、お前あれ本気で言ってたの?」

「ウルデラ超本!」

「あぁ、うん……」

 

 一月ぶりに顔を合わせたが、まるで変わらない。あいかわらず意味不明だ。

 

「……ところで、いつからそこに立ってたの?」

「四半刻の半分の半分くらい前?」

「えーっと」

 

 四半刻、つまりは約三〇分。それの半分の半分だから四分の一、つまりは七、八分程度か。

 

「いやそんな前からいたんならもっと早く声かけなさいよ。せっかくあんたをずっと待ってたのに」

「待ってたの? ここで? 私を?」

「え、あ、いや」

 

 すごく不思議そうにされて、なんだかたどたどとしてしまう。

 

「ずっとって、どれくらい待ってたの?」

「う、んと……一〇、時間」

「じゅうじかん?」

「……四つ時くらいからよ」

 

 その答えにこいしは本気で驚いたように、目を見開いてはぱちぱちと瞼を上下させた。

 

「え、ってことはつまり、昼間から? ちょっと早すぎない? えっと、大分記憶曖昧だけど私ちゃんと夜に来るって言わなかったっけ?」

「う、うるさいっ! 別にいいじゃん! 他にやることなかったの! ひたすら暇だったのよ! 悪いっ!?」

「うーん。悪くはないけど、それなら私が悪いことしたなーって。もうちょっと早く来ればよかったかな」

「べ、別にお前は悪くないって。私が勝手に待ってただけだもん。暇だっただけだっもん。むしろ? いい日光浴になった? みたいな、ね?」

「吸血鬼なのに?」

「いやまぁ、太陽が出てる間は日が当たらないとこで座ってたけど」

 

 じゃあ浴びてないじゃん、というつっこみは無視する。

 ちょっとだけ、ほんのちょっとだけ待ち遠しくて一〇時間程度待ってたことなんて、フランにとってはこそばゆいだけの話だ。これ以上この話題を続けたくない。

 

「それより! 一緒に外で遊ぶんでしょ? そっちの話をしましょ、そっちの」

「だから遊ぶんじゃなくて下見だってばー」

「そうそう下見下見。私たちで幻想郷を支配するための第一歩、下見の話ね」

 

 フランには幻想郷を支配だとかそんなつもりはさらさらないが、ここはこいしに話を合わせておく。話を逸らすためにも。

 

「うんうん、フランもやる気なようでなによりだね! 私たちならきっとできる、二人揃えばダークファイブだって三人の闇の戦士だってジャアクキングだって闇のファイターだってなんとかマーブル・スクリューで一撃粉砕だよ!」

 

 案の定こいしは上機嫌に胸を張って調子に乗り始めた。言ってることは八割がた理解できないが「そうそうそういうこと」と適当に肯定しておく。

 

「じゃあ早速外に出よっか。玄関どっちー?」

 

 なんて問いながら本人は真反対の方向に歩き出し始めていたので、さっと襟を掴んで引き戻した。

 

「あっち。っていうか玄関の場所わからないって、お前どこから入ってきたのよ」

「このお館ってすっごく広いよね」

「あー。歩いてるとよく迷うからわからなくなるってこと?」

「おおっ! 伝わった! シンデレラ!」

「シンパシーね」

 

 すたすたと歩くフランの横をスキップしたり、時折くるくると回転したり、後ろ歩きしながらフランの顔を覗き込んできたり。こいしは、ただ歩いているだけでもひたすら落ちつきがない。

 玄関ホールには割とすぐにたどりつく。廊下では誰もすれ違わなかったが、ホールには数えられる程度の雑用係ことホブゴブリンたちがいた。

 

「それじゃあ外に……あれ? どうして隠れてるの?」

「言ってなかったっけ? 私ってほら、お姉さまに外出禁止されてるの。あんまり目立って外に出ようとするとバレちゃうから。前はそれで雨降らされたし」

「外出禁止? 厳しいなぁ。うちのお姉ちゃんはそんなきついこと言ってきたことないのに。ちょくちょくお小言とかは言ってくるけど」

「……お前の性格からして、いろんなこと諦められてるだけだと思うけど。っていうかあんたにも姉がいたのね。初耳だわ」

「お揃いだねぇ。そうなると私たちのチーム名は妹同盟かな。英語に直すとシスターアイシクルランス!」

「アライアンスね。ちょっとは英語を勉強した方がいいわ。それから、このままじゃ埒が明かないから……お前の能力を貸してほしいんだけど」

「私の力? あ、なるほどね」

 

 フランがこいしに手を差し出してすぐに、その意図に彼女も気がついた。こいしからもフランの手に自分の手を重ねることで、その能力が適用される。

 無意識を操る程度の能力。レミリアの目さえ欺いたこの力は、たかがホブゴブリン程度に見抜けるものではない。

 こいしに導かれるがままホールを正面から突っ切り、ホブゴブリンの注意を欠片も集めることもなく、二人は堂々と玄関から外に出た。

 

「……ふふ」

 

 どうしてか、笑みがこぼれる。こいしはそんなフランの顔を覗き込んでは、言う。

 

「フラン、なんだかちょっと楽しそう?」

「楽しい? ……うん、楽しいかも。お姉さまに内緒で外に出るなんて初めてのことだもん。ちょっと興奮しちゃってるかも」

「興奮っ? わーっ、フランに襲われるー! なんとか同人みたいなことされるー!」

「そういう意味じゃないって。あといい加減そのなんとかって部分思い出しなさいよ」

 

 窓から外を眺めていた時にも感じたひんやりとした風が、今は全身に当たっている。景色だって枠の外だけじゃない。視界全体に紅魔館の庭園が広がっていて、その一角に自分自身がいる。

 こいしにかかれば、誰にも気づかれず紅魔館の門を超えることだって思いのままだった。

 踏みしめる土の感触、こうして触れられるほど近くにある、緑に溢れた自然の姿。普段館の中でしか過ごさない自分がそんなところにいる若干の違和感と、まるで夢の中でも漂っているかのような心地の良い浮遊感。

 本、あるいは絵画や写真の向こう、窓越しでしか知ることがないと思っていたすべてを今、この身そのもので味わっている。

 

「んーっ。外に興味なんて、なかったつもりなんだけど。意外といいわねぇ、こういうのも」

「まだちょっと歩いただけだよ?」

「私は箱入り娘のお嬢さまだからね。新鮮なのよ、なにもかもが」

「じゃあじゃあ、外出が禁止されてるそのお嬢さまを連れ出してる私は、さしずめ物語によくいるイケチョウガイフェイスな王子さまってところかな!」

「あー、まぁ、よくはいないんじゃないかなぁ……」

 

 イケメンと言いたいのだろう。懲りずに英語でかっこつけようとするこいしにはもう呆れざるを得ない。

 というかイケメンもイケチョウガイももはや英語ですらない。後者に至っては貝の名前だ。本に書いてあったから知っている。

 

「って、わ! え、な、なにこれっ?」

 

 紅魔館の門を越えてすぐ。目の前に広がる景色に突然騒ぎ出したフランの横で、こいしはこてんと小首を傾げた。

 

「これって?」

「だ、だからこれだってば! このでっかい綺麗なの!」

「湖のこと? こんなに館の真ん前にあるのに見たこともなかったの? ほんとに箱入りなんだねー」

「や、絵画くらいでなら一応見たことあるけど……これがその湖なの? 本当に?」

 

 ずっと奥まで続いている幻想の光景に、無意識のうちに目を奪われていた。

 湖。大きな窪みに水を敷き詰めただけの、なんてことはない水たまり。そのはずなのに。

 雲一つない夜空から降り注ぐ無数の星々をその水面に映し出しながら、その光たちがゆらゆらと、まるで生きているかのように鼓動している。単に、星空の光を転写した多量の水分が波や波紋で揺れている、ただそれだけ。そんなことは理解できているのに、それこそそんな理解なんて今は一番どうでもよくて、まさしく星の海とも言うべき光景に見惚れてしまっていた。

 

「ね、ねぇ、あの緑色のいっぱい飛んでるのはなに? なんか湖に映ってる星たちと踊ってるみたい」

「ホタルのこと? 星と踊ってるだなんて詩的な表現だねぇ」

「ホタル……あれが?」

 

 いくらフランが五〇〇年近くの時間を地下室で生きてきた筋金入りの引きこもりとは言っても、さすがにそんな長い時間をなにもせず生きてきたわけじゃない。いろんな本を読み漁ったりもして、ホタルのことも湖と同じで知識としてだけなら知っていた。

 ホタルが発光するわけには諸説ある。敵を脅かすためだとか、食べてもまずい――ホタルは毒を持つ――ことを知らせる警戒色だとか。一番有名なのは、異性への求愛行動とされる説だろう。

 本には客観的な事実しか書かれていない。虫の生態、虫の特徴。正直なところフランは、自我もなく本能のまま必死こいて汚い光を撒き散らすただ醜いだけの虫けら、くらいにしか思っていなかった。

 

「……綺麗だね」

「ねー」

 

 水面に揺れる星と踊る生命の光。それを祝福するかのように、あるいは一緒に騒ぎ立てるように、湖を囲んだ森の木々にもまた生を主張する翆色の灯火がある。

 そっと自分の右の手のひらに視線を下ろした。

 目がある。無数の目が。くだらないと歯牙にもかけなかった、ちっぽけな命の煌めきが。

 

「あ、そうだ!」

「わ、わわっ!? ちょっと!」

 

 突然こいしがフランの左手をばっと奪い取ると、ぽちゃんっ、と湖に足を踏み入れていた。

 いや、踏み入れてはいないか。あくまで水面に立つ形になるようにして妖力で浮いている。器用なことだ。

 

「私たちもホタルと一緒に踊ろうよ。ね? その方がきっと楽しいよ?」

「……ふふ、あははっ!」

 

 勝手に笑いがこぼれてくる。こいつはいつでもどこでも、どゎなタイミングでも本当に変わらない。

 

「まったく、お前は本当に変なやつね。でも、ええ。そうねぇ、確かにその方が楽しそうだわ。一日遅れの虫けらどものお祭り騒ぎ、一緒に参加しましょうか」

「一日遅れ?」

「十六夜だからね。満月は昨日だったでしょ?」

「そんな昔のこと忘れましたっ!」

「昨日のことだってば」

 

 確か、満月の日だと妖怪がいろんなところでどんちゃん騒ぎしていて下見どころじゃないとかなんとかで、その次の日に落ち合う約束になったはずだ。フラン的にも、姉がテンション高く騒ぎ出す満月の夜に出かけることが愚策なのはわかっていたので、二つ返事でそれには了承していた。

 ……や、二つ返事ではなかったっけ。割と大分結構渋った。こんなめんどくさいやつとまた会わなきゃいけないのか、という感じに。

 でも結局は頷いたのだ。ねだられるがまま指切りげんまんまでした。嘘ついたら針千本飲まないといけないやつ。そんなことしても妖怪は死なないが。

 無理矢理断ることだって、待ち合わせをすっぽかすことだってできたのに、それをしなかったのはたぶん。いや、きっと、自分が彼女のことを。

 

「それじゃ、ダンスのエスコートをお願いできるかしら。イケチョウガイフェイスなこいしさま?」

 

 口調は冗談交じり。けれど要求は本物だ。

 そうして小さく微笑んでみせると、こいしはぱちぱちと目を瞬かせて。

 

「えっと、その、フラン……貝の顔なんてしてないよ、私。目とか大丈夫?」

「は?」

「もしかして単語の意味わかってないのかな。まったくもー、ちゃんと英語とか勉強した方がいいよ? ドヤ顔で間違えてると恥ずかしいし。まぁイケチョウガイは英語じゃないけどね!」

「…………あのさぁ」

 

 なんか右手が勝手に拳の形を作ってぷるぷると震えてきた。

 

「私は、お前を、殴っていいよね? いいわよね? ちなみに答えは聞いてない」

「わーっ! フランが急に不良娘になったー! こんな悪い子に育てた覚えないのにー!」

「育てられた覚えもないわ!」

 

 繰り広げられたのはあいにくと追いかけっこのダンスだったが、湖に映った星たちはそれを歓迎するようにひたすら揺らめいてくれた。まぁ、ぶっちゃけ物理的な風圧で波ができてただけなのだが。

 結局その日は下見だとかそんなものは一切できなかった。フランは元々そんな気はさらさらなかったにせよ、途中からこいしもとっくに忘れてしまっていたようだ。ただただ湖の付近で遊び呆けて夜は更け、明けていった。

 そして最後にフランはこいしとまた約束を交わした。月下。もう一度一緒に外で遊ぼう――今度こそ下見――と、指切りを。




・二人揃えばダークファイブだって三人の闇の戦士だってジャアクキングだって闇のファイターだってなんとかマーブル・スクリューで一撃粉砕だよ!
→ふたりはプリキュアより。プリキュアの美しき魂が! 邪悪な心を打ち砕く! プリキュア・マーブル・スクリュー!


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魔法使いにこんさるてーしょんするおはなし。

 フランは当主の妹ということで、紅魔館の中ではレミリアに次いで尊ばれてはいるものの、同時に腫れ物であり壊れ物のような扱いも受けていた。

 というのも、一番の理由にフランは情緒が不安定で周りからは非常に機嫌がうかがいづらいことにある。いつ怒り出すか、なにをされるかわからない。悪魔は自分勝手な者が多いためただでさえ煙たがられやすいのだが、その中でもとりわけ強大な力を保有する吸血鬼が情緒不安定ともなれば、妖精やホブゴブリンといった下級の種族にとってはそれだけでじゅうぶんな恐怖の対象になる。それがたとえ仕える立場にある者だろうとも。

 実際には、フランはそう簡単に身内へ危害を加えるほどにまで危険な性格はしていない。情緒不安定なことは事実だが、そこまで見境がなければ館の中を歩くことをレミリアに許可されてはいない。

 フランは、館の中をふらふらしているだけであれば、ちょっとばかり思考回路が常人とは異なり(あたまがおかしく)、興味がないことはとことんどうでもいいと考えがちな、引きこもり気味の幼い――とは言っても五〇〇年近くの時は生きている――一人の少女でしかない。能力の制御が甘いせいで意図せず物を壊してしまうことなどはままあるものの、その破壊が身内に向いたことはない。やっていいことと悪いことの最低限の分別くらいは一応わきまえていた。

 もちろん、そんなフランの内面をそれなりに理解してくれている者も、数は少ないにせよいるにはいる。姉のレミリアもその一人だ。

 そしてそんなフランの理解者の一人でありながら、けれどレミリアはフランの外出を認めていない。

 

「――――そういうわけで、ひ弱で貧弱で聡明に愚かな人間の魔法使いであるあなたに頼みがあって来たのよ」

 

 地下室(フランの部屋)。フランドール・スカーレットことフランは今、一人の少女と向き合っている。

 いかにも魔法使いと言った円錐の三角帽と黒い洋服、それから白いエプロンが特徴的な服装を纏う、十代前半ほどの体格をした少女。

 ちなみにフランは五〇〇年近くの時を生きているものの、一〇歳に届くかどうかという程度の体格でしかない。必然的に少しだけ見上げる形になる。これは、フランだけでなく妖怪や神などの幻想の生き物に共通する特徴だ。明確な寿命が存在しない彼女たちは年齢と外見が比例しない。フランと同程度の見た目の少女がフランよりはるかに長生きなこともあれば、その逆の例も多々存在する。

 フランは、館から出ることは滅多にない。ただ、別に知り合いが館の中にしかいないわけではない。こいし以外にも顔見知りは二人ほど存在する。ちょうど今フランの前で不満そうに自らの金髪の先をくるくるといじっている彼女が、ちょうどそうだった。

 人間の魔法使い、霧雨魔理沙。

 魔理沙は紅魔館の図書館に保管されている本を狙ってたびたび侵入してくることがあり――館内では割と公認の事実――、稀に廊下ですれ違うこともある。普段は特に会話を交わさないが、今回は話が別だった。

 魔理沙は「はぁー……」と大きくため息をつくと、あいかわらず不満げに口の先を尖らせた。

 

「なーにがそういうわけだ。そもそもお前が来たんじゃない、私が捕まったんだ。不意打ちでな。人さらいだぜこれ」

「だって、私が声をかけたら逃げるでしょ?」

「そりゃまぁ、なにされるかわかんないし……って、あ、べ、べべ別にそんなことはないぜ? 声をかけられておいて逃げるなんてするわけないって、はっはっは」

「あら。だったらあなたの方から来ようが私の方から捕まえようが、どっちだっておんなじことじゃないかしら。どちらにしたってどうせこうやって顔を合わせることになるんだから」

「あー、こう、なんだ。モチベって言うのか? そういうのがな」

「モチベーションね。よく知ってたわねぇ、そんな単語。幻想郷生まれの田舎者のくせして」

「本に書いてあったんだよ。ここの」

 

 元々、紅魔館は西洋に建っていた。それを館ごと幻想郷(東洋のどこかにある山奥)に持ってきたため、幻想郷の人間には読めないような本が数多く保管されていた。

 ここの図書館にある本には魔導書が多く、だからこそ魔理沙もよく借り(盗み)に来る。とは言え、魔導書というものは常人が読める言語では書かれていない。魔理沙が読んだ本というのは、単に幻想郷の外で書かれただけの普通の本のことだろう。

 魔理沙は再び息をつくと、観念したようにじっとフランに視線を合わせた。

 

「で、そんな海外知らずの田舎者に結局なんの用なんだよ。そういうわけだとか突然言われても私は覚妖怪じゃ(心なんて読め)ないんだ。ちゃんとわかるよう説明してくれ」

「うーん。頼みというか、相談があるのよ。この館の関係者じゃないあなたにしかできない相談が」

「なんだ、自分をまともな感性に戻してくれっていうカウンセリングか? それならもっと適任なやつがいるから紹介してやるぞ。仏僧だけどな」

「ふぅん。ねぇ魔理沙。思うんだけど、皆が私と同じように狂っちゃったらさ、それはもう正気(まとも)ってことなんじゃないかな。だからまずは魔理沙から実験台にしてみようかなって今思いついたんだけどー」

「わ、わかったわかった! ちゃんと聞くっ、聞くって! だから物騒なことをしようとするのはやめてくれ!」

「わかればいいのよ」

 

 吸血鬼にとって本来人間とは食料でしかない。魔理沙は魔法使いとして妖怪を退けるすべを持ってはいるものの、相手が悪すぎる。本気で殺し合うとなれば魔理沙に勝ち目はない。もっとも、幻想郷の妖怪たちの間にはむやみに人間を襲ってはいけないというルールがあるため、実際にフランが魔理沙を食べたりすることはできない。

 それに、魔理沙は数少ないフランの遊び相手――避けられがちではあるものの――の一人だ。元々脅しは冗談半分でしかなかった。魔理沙からしてみればまるでシャレにならないのだが。

 

「で……相談ってのはいったいなんなんだ。言っておくが、大したことは答えられないからな」

 

 まだなにも話していないのに、魔理沙はもうすでにげっそりと疲れたような顔をしている。大変そうだなー。他人事のように思う。

 

「実はね。私、お姉さまに認めさせたいと思ってて」

「姉というとレミリアのことか。認めさせるって、なにを?」

「この私が自由にお外で遊ぶことを」

 

 どこからか、うげっ、とずいぶん嫌そうに呻く声がした。

 だからにこーっと満面の笑みを浮かべてみる。

 

「魔理沙ー? なにか今失礼な声が聞こえたようなー」

「い、いやぁ、私にはなんのことかわからないなー。な、なにかの聞き間違いじゃないか?」

「ふーん。ま、いいけどね、別に」

 

 フランはこれまでレミリアの手によっておよそ五〇〇年もの間、地下室に幽閉されてきた。とは言ってもそれは半ば以上フラン自身が望んだことでもある。毎日なにもせず、ただひたすらにのんびりと自由に、怠惰に悠久を生き続ける。めんどうなことも嫌なこともなく、誰と関わる必要もない。自分の心を正気などという枠に収める必要もない一人ですべてが完結する甘美な平穏。

 レミリアはただ、フランが望んだそんな平和な生活を邪魔しないようにと配慮しただけだ。幽閉はしょせん体裁でしかない。事実フランが行動範囲を地下から館の内部全体に広げた際には特に咎められることもなく、レミリアは地下室への幽閉の名目を簡単に解き放った。

 けれど未だ、勝手な外出だけは許されていない。

 

「私は自由にお外を歩けるようになりたいの。私があいつに外出が禁止されてるのは魔理沙も知っているでしょう? あれをどうにかできないかと思って」

「あー……確認なんだが、あいつってレミリアのことだよな?」

「そうよ。他に誰がいるっていうの?」

「いや知ってたけどさ、ただの確認だよ。さっきまでお姉さまって呼んでたろ」

「あぁ。別にいいのよ、あんなのなんて呼んだって」

「……なんていうか、不憫だなぁ、あいつ」

 

 魔理沙は憐れむように、上、一階の方向を見上げていた。

 

「しっかし、なんだ。外出禁止の言いつけをどうにかする、ねぇ。言っちゃなんだが、そんなのお前が本気になれば楽勝なんじゃないか?」

「お姉さまなんて倒して私が紅魔館の主になればいいってこと? さすがに思考が乱暴すぎない?」

「いや欠片も言ってないからなそんなこと。第一お前ら吸血鬼に本気で喧嘩なんてされたら異変レベルだ。しゃれにならん。頼むからそれだけは絶対やめてくれ」

「しないわよ。で、結局どういうことなの?」

 

 続きを急かすと、落ちつけと言わんばかりに魔理沙は指を一本立てた。

 

「順を追って話すぞ。まずレミリア妹、お前が外に出ようとしたのが誰かにバレる。するとどうなる?」

「フランでいいわよ。お姉さまかパチュリー、咲夜辺りの誰かにでも話がいって、雨を降らされるわ」

「ならフラン、その雨は誰が降らせてる?」

「……パチュリーね」

 

 レミリアの親友で紅魔館の居候、生粋の魔法使いパチュリー・ノーレッジ。そして人間でありながらメイド長を務める十六夜咲夜。この二人は館の中でもレミリアやフランに次いで高い地位にいる。

 地下室に監禁されていた関係で咲夜とはごく最近初めて顔を合わせたばかりなので、正直フランは彼女のことをあまりよく知らない。ただ、パチュリーは話が別だ。

 あくまで種族は人間のまま職業として魔法使いを名乗っている魔理沙とは違い、パチュリーは種族そのものが生まれながらの魔法使いになる。要は妖怪の一種だ。捨虫の魔法――魔法使いは通常の妖怪と違って寿命が存在し、これを用いた段階で寿命がなくなる――を習得済みで、確か一〇〇歳ほどだと聞いたことがある。

 フランがそれなりに魔法に通じていることもあり、パチュリーとは以前から少しだけ面識があった。

 パチュリーは七つの属性を操る精霊魔法を得意とする魔法使いだ。そのうちの力の一つ、水の属性を用いれば自在に雨を降らすことさえ可能とする。紅魔館周辺に雨が降らないようになっているのも彼女の力である。

 

「なら、外出する時にはパチュリーを倒していけばいい。そうすれば外は晴れるし、レミリアを倒すよりはるかに楽勝だろ? 元々が雨だったらどうにもならんが、そういう時に出かけられないのはレミリアも一緒だ」

「うーん、まぁ、それはそうなんだけど」

「なんだ? なにか問題でもあるのか?」

「問題もなにも、出かけるたびに誰かを手にかけるようなのはちょっと、なんていうか……めんどくさくない?」

「さすがはフラン、略してさすフラ。心が痛いとか言うかと思ったらこれだぜ」

「それにそもそも私はそういう力任せのやり方じゃなくて、もっと穏便な方法を望んでたつもりだったのよ。お姉さまを口任せに誑かせるような」

「うーむむ。そんなこと言われても……だってレミリアだろ? あいつを説得とかまともにできる気がしないんだよなぁ」

 

 そもそも魔理沙の提案は穴だらけだ。なによりもパチュリーを倒して外に出ることを繰り返していけば、今度はレミリアに本当の意味で地下室へと幽閉されてしまう。そうなっては外で遊ぶどころの話じゃない。それならばこれまで何度か行っているように、こいしの手を借りてこっそり外で遊ぶ方がはるかに安全だ。

 フランが最近よく外に出ていることはこいしの能力と、紅魔館が広くフランを探しづらいおかげでばれていない。このまま続けても感づかれるとも思わない。だけどフランは自分の意思で外に出られるようになりたかった。

 外になんて、興味はない。取るに足らない虫けらども(妖精妖怪神霊その他諸々)が跋扈し、太陽やら流水やら吸血鬼にとって面倒な現象がたくさん転がっていて、きっとただただひどく居心地が悪いだけ。

 そう思ってきた。あの十六夜の夜中、こいしと一緒に紅魔館の前にある湖を訪れるまでは。

 こいしが来ることを待つだけじゃない。自分から会いに行きたい。ばれにくい夜だけじゃなくて、苦手な昼間だって出歩きたい。もっともっと、いっぱい外のことを知りたい。

 こいしと会って一緒に遊ぶたびに、どんどんその気持ちが強くなっていく。

 胸の前でぎゅっと手を握り込むフランの前で、むむむと悩んでいた魔理沙がふと、顔を上げた。

 

「なぁ。そういえばお前ってなんでレミリアに外出禁止令なんて出されてるんだっけ?」

「はぁ? 今更?」

「確認だよ確認。もしかしたら私が知ってる理由と違うかもしれないだろ?」

「……私が情緒不安定で、なにをしでかすかわからないから、ですって」

 

 レミリアは多少はフランのことをわかってくれている。けれどしょせん多少。フランはほとんどの時間を地下室で、たった一人で生きてきた。その心の奥底でいつもなにを考えているのか、レミリアは知らない。

 身内には危害を加えなくても、それ以外はどうか。いたずらに危険なことを、騒ぎを起こしたりしないか。

 

「本当、煮えくり返る思いだわ。自分が迷惑をかぶりたくないからって、私が勝手なことをしたせいで恥ずかしい思いをしたくないからって。姉のくせに、家族のくせに、たった一人の妹のことも信じられないの? 運命が読めるだとかなんだとかデタラメばっかり。中身子どものくせしていつもいつも大人ぶって、いつもいつもあいつは、お姉さまは……!」

「あー、その辺にしてくれ。お前らの関係に口を出すつもりはないけど、とりあえずもう一つ確認だ。フラン、お前はもうレミリアに自分が外に出たいって話したのか?」

「……まだ。だって、そんなことしたら私が外に出ようとしてることがばれて、監視がつくじゃない」

「それは断られた時の話だろ?」

「断られるわよ。だってあいつは言ったわ。私が地下室を出た時、家の中を歩き回るようになった時、『家の中ならどこに行ってもいいけど、絶対外には出ちゃダメよ』って」

「……うーむ。ならフラン、悪いが、もう私にできることはないな」

「え?」

 

 思わず、すがるような目線を向けてしまっていたらしい。魔理沙は少しだけ気まずそうに視線をそらした。

 

「まぁ、なんだ。お前が外に出たがってることを説明せず穏便にレミリアを説得するなんてのは無理だ。私じゃなくたってさすがにな」

「それは、そうかもしれないけど」

「別にお前を手伝えないって言ってるわけじゃない。一度引き受けた相談だ。私にできることはしてやるさ。だけど、今のままじゃ私からはなにもできないんだよ。穏便に済ませたいならなおさらな。わかるだろ? お前の意思をレミリアに伝えてくれてからじゃないと下手に動けないって」

「だって、そうやってもし断られちゃったら……」

「う、うぐ……そんな捨てられた犬とか猫みたいな目を向けないでくれ。無理なものは無理なんだ。何度も言うようだけど、断られるにせよなんにせよ、お前が外に出たいってことを先にレミリアに伝えようとしてくれない限りはさ」

「うぅー……」

 

 もちろん、わかっていた。それでも魔理沙なら、フランが認めた人間である彼女ならなにかいい方法を提示してくれるのではという淡い期待があった。

 魔理沙の言うことはもっともで、当たり前だ。フランが外に出たがっていることを話さない限り、レミリアを説得することなどできはしない。

 けれどそれをして、もしも断られたら。今はフランに目が向けられていないから問題ないが、そうなればたとえこいしの力があろうとも、こっそりとした外出もばれるようになる。それはダメだ。

 ゆえにレミリアに本当のことを話すわけにはいかない。だからそうなれば当然、自由に外に出てもいいように彼女を説き伏せることもできない。

 外に出たいのなら現状を、こいしの力を借りて静かな夜にこっそりと短時間だけ家を抜ける日々を続けるしかない。

 

「……わかった。もう相談はいいわ。聞いてくれてありがと、魔理沙」

「ああ。力になれなくて悪いな。けど、もし気が変わったらまた声でもかけてくれ。その時は今度こそ全力で手伝ってやるよ」

「初めはすっごく嫌そうにしてたじゃん」

「人間ってのはずる賢いもんさ。お前みたいな強力な妖怪に恩を売っておくのも悪くないかと考え直したんだよ」

「そんなことしたってなんにも出ないわよ?」

「いやいや、例えば私がここの図書館に本をこっそり借りに行って見つかると大抵攻撃されるからな。それをお前に取ってきてもらうという手もある」

「物を盗むのにその家の住人の力を借りるのってどうなのかしら」

「盗んでるんじゃない、借りてるんだ。私が死ぬまでの数十年程度な」

 

 魔理沙は最後にフランの頭をぽんぽんと軽く撫でて、ひらひらと手を振りながら去って行った。

 レミリアに自分の思いを話す気は一切ない。だから今は我慢して、もっと別の方法を探るべきなのかもしれない。

 どうにかして堂々と外に出られるようになりたい。その気持ちが消えることはなかった。




・さすがはフラン、略してさすフラ
→魔法科高校の劣等生より。さすがはお兄様です。さすがですお兄様。さすがお兄様。さすおに。


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あいつとお茶会するおはなし。

 遠くの方で、紅魔館の外で雨が降り続いていた。

 梅雨の季節は未だ続いている。ちょっと前までならむしろ日の光が差し込まないぶんだけ居心地がいいと感じていたそれも、今はただただ煩わしいだけだ。

 フランは外出が禁止されているため、普段外出する際は基本的にこいしの手を借りることになる。ただ、彼女が訪れる周期が大体彼女の気分次第のため、遊びたい時に遊べないということもままあった。しかしどちらにせよ、今日は仮にこいしが来てくれたとしてもフランは流水を歩けないので外に行くことはできない。

 とりわけ今日は雨も強い。こいしは来ないだろう。今日は一人で館の中でゆっくりと過ごしているしかない。

 

「……なんでこんなつまんないんだろ。おかしいなぁ」

 

 ふらふらと廊下をぶらつく。以前までならこれだけでも暇つぶし程度にはなったはずなのに、沈んだ気分がもとに戻ることはない。

 言うまでもなくこいしに会えないことが原因なことはわかっている。彼女と外で遊ぶことが楽しすぎたせいで今更他のことに手をつけたって物足りない。きっとそういうことだろう。

 

「今日は一日ふて寝でもしてようかしら。それとも新しいスペルカードか魔法でも研究しとく? それかそれかー」

「……なに一人でぶつぶつ言ってるの? フラン」

「げっ、お姉さま」

「げってなによ」

 

 考えごとをしていたせいで姉の近くを通りかかっていたことに気がつかなかった。

 フランと同程度の一〇歳に届くかどうかという体躯、幼い声音と顔。服装や髪の色も違うが、明確に異なっているところと言えば翼の形状だろう。レミリアのそれはコウモリを彷彿とさせる悪魔らしい翼だけど、フランの翼には翼膜がなく、きらきらとした七色の宝石がぶら下がっている。

 あからさまに嫌そうな反応をしたフランに、レミリアは嘆息する。

 

「あのねぇ、フラン。この際だから言っておくけど、私はあなたのお姉さまなのよ。年上なの。偉いの。もっと敬う気持ちを持ちなさいな」

 

 なに意味不明なこと言ってるのかなこいつ、などと一瞬思いかけたものの、フランはいい子なので言いつけ通りに態度を直してみることにした。

 

「わー、さすがおねえさまー。うんめいがよめるだなんて、そこにしびれるあこがれるー」

「……なんだかバカにされてる気がする……」

 

 フランがレミリアをからかう態度を取ることはいつものことだ。レミリアはため息をつきつつも、わかっていたとでも言うように態度を切り替えた。

 

「で、フラン。最近調子はどう?」

「どうって聞かれても、いつも通りとしか答えようがないけど?」

「あら、そうかしら。私には、なんだかそのいつもより元気がないように見えたけれど」

「むぐ……なにそれ。適当なことばっかり言わないでよ」

「そうね、適当。適当というのはつまり、ほどほどちょうどいいということ。もしかして図星だったのかしら?」

「ろくに私のことを見てないくせによく言うわ」

 

 変わらずつっけんどんなフランにも、レミリアはずいぶん慣れた様子だ。つんと顔を背けるフランに対し、軽く肩を竦めてみせた。

 

「まぁ、あなたの生活に口を出すつもりはないわよ。でもせっかく二人だけの姉妹なんだもの。仲が悪いのも考えものだわ。そうは思わない?」

「別に悪くなんてないでしょ? 私とお姉さまの仲は」

「それはそうなんだけど。もうちょっと姉を慕ってくれてもいいと思うのよ私は」

「それならもっと慕われるような言動をしてくれないとねぇ。たとえばー」

「たとえば?」

「うーん、あー、ウルデラ超本って本を見つけてきたり?」

「なにその頭が悪そうな題名の本は……」

 

 呆れたような表情をするレミリアだが、こいしから聞いた時にはフランも同じ気持ちだった。姉妹だからか抱いた感想も一緒らしい。

 

「あぁ、そうそう。今からパチェと軽くお茶会でも開こうかと思っててね、咲夜にお菓子の準備とかさせてるんだけど。あなたも来る?」

「……珍しいね。私を誘うなんて」

「いつも誘おうって思う気持ちだけならあるわよ。どうせ断られるだろうから言ってないってだけで」

「ふーん。まー確かに誘われたって行かないけど」

「ほらね。それじゃあ今回もやっぱり」

「でも、今日はものすっごく暇だからね。せっかくだから行かせてもらおうかしら」

 

 他にやることもない。前は家の中を散歩しているだけでも暇を潰せたが、今はどうにもそんな気分にはなれない。

 フランのなんとはなしの肯定の返事に、なぜかレミリアは何度も目をぱちぱちとさせて、口を半開きにさせていた。

 

「え? え? えぇ?」

「いや、なんで誘った方が驚いてるのよ」

「や、だ、だっていつもは……そ、そう。わかったわ。一緒に来るのね。それじゃあ行きましょうか。あ……手でも繋いでいくかしら?」

「は? なに言ってんのよ。繋ぐわけないでしょ。お姉さままで頭おかしくなったの?」

「じょ、冗談に決まってるでしょ? ほら、さっさと行くわよ。パチェが待ってるわ」

 

 そそくさと足早に歩き始めたレミリアを若干訝しみつつ、後を追う。進んでいる方向からして、どうやらフランの部屋へ続く通路とはまた別の地下にある、大図書館に向かっているようだ。

 パチェことパチュリーは基本的に図書館に引きこもっているので、お茶会の話を聞いた時からそこでお茶会を開くだろうことは予想がついていた。

 案の定、レミリアは図書館の前までつくとその扉を開け、けれど先には入らず、マイペースにゆっくりと歩を進めているフランを急かすように待っていた。

 

「パチェー、お待たせー! 今来たわよー!」

 

 図書館のどこにいても聞こえるくらいの声音でレミリアが叫ぶ。フランはその横で煩わしそうに両手を耳に当てていた。

 

「レミィ、ここよここ。そんなに大声上げなくたって聞こえるわよ」

 

 近くのテーブルで本を読んでいた少女が呆れ混じりにこちらに顔を向けてくる。

 居心地のよさそうな寝巻きに似た薄紫の服を纏う、髪から服装まで全体的に紫色の少女。各所に赤や青のリボンをあしらえ、レミリアやフランがかぶっているものと同じような形の帽子には三日月の飾りがついている。

 彼女こそが魔法使いパチュリー・ノーレッジ。紅魔館の居候であり、レミリアの親友にあたる。

 

「なんだ、普通に近くにいるじゃない。もしかしたら本の山にでも埋もれているのかも、なんて思ってたんだけど」

「そんなことあるわけないじゃない……って否定し切れないのが辛いところね。というかレミィ、なんだか今日はまたずいぶんと上機嫌な感じねぇ、って、あら?」

 

 パチュリーの目線がレミリアの隣から顔を出したフランに留まり、目をぱちくりさせた。

 

「これはこれは妹さま。なにか暇つぶしのご本をお探しかしら。必要なら案内役に小悪魔をお呼びしますが?」

 

 ご丁寧に礼までするパチュリー。

 親友たるレミリアにはくだけた口調で話すことの多い彼女だが、フランとは敬語で会話する。これは館内の上下関係の問題であって、彼女が妖精メイドやホブゴブリンたちのようにフランを過度に恐れているからではない。

 

「ああ、違うわよパチェ。今日はフランもお茶会に参加するの。いいでしょ? もちろん」

「妹さまも? ……ふぅん、妙にレミィの機嫌がよさそうなのはそういうことね。ええ、もちろん構いませんわ。ですがくれぐれも、気まぐれに本を壊したりなどはしないでくださるよう、妹さま」

「それくらいわかってるわ」

 

 パチュリーと同じテーブルの、すでに用意されていたイスにレミリアと一緒に席につく。

 早速手持ち無沙汰になって、近くに積み上げられていた本のうちの一冊を手に取ってみる。タイトル、『星座を利用した魔法陣』。どうやら魔導書らしい。

 ぱらぱらとページをめくる。特殊な文字で書き綴られている内容もフランにかかれば容易に理解することができた。星の光と力を借り、それらを繋ぐことで擬似的な魔法の陣を形成し大魔法を可能とする方法が書かれている。

 

「ねーパチェ、咲夜はまだ来ないの?」

「さてね。そろそろ来るんじゃないかしら。もしかしたらもうレミィの後ろにいたりしてね」

「あはは、そんなわけないじゃない」

「そうですわね。後ろではなくて真横ですわ」

「なーんだ横ね、っているじゃないの!」

 

 いつの間にか噂の咲夜がレミリアの隣になに食わぬ顔で立っていた。その両手のひらの上には銀色のトレイが乗せられており、くんくんと鼻をきかせれば、その上からこぼれる甘い匂いがフランの頬をほころばせた。

 魔導書を適当に元の場所に戻し、顔を上げて咲夜の方を見やる。

 メイドらしいホワイトブリムや青白のメイド服を身に包み、腰に銀色の時計を下げている。髪は銀髪のボブカットであり、今この場にいる四人の中では見た目的にはもっとも年齢が高い。十代後半といったところだろうか。ただ、彼女は人間なので実際にはこの中ではもっとも、幼い。

 フランが自分に見ていることに気がついたのか、咲夜もまたフランへと目線を合わせ、両手にトレイを持ったまま腰を曲げて器用に礼をした。

 

「ご機嫌うるわしいようでなによりです、妹さま」

「そう見えるかしら」

「見えますわ。もしかして違いました?」

「ううん、違わないわ。そこにあるお菓子の匂いで少し鬱屈だった気分も和らいできちゃった」

 

 咲夜がトレイを机の上に置く動作を、フランはレミリアと一緒になって凝視する。トレイの上にどんな甘味が乗せられているか気になるのだ。

 少し離れたところでパチュリーが、「こういうところは本当、姉妹らしいんだけどねぇ」とでも言いたげに肩を竦めている。

 

「ちょうど厨房にあったありあわせの材料で作りましたので、大したものは用意できませんでしたが」

「ううん、じゅうぶんだわ。さすがは咲夜ね。これであとは性格が天然でなければ言うことなしなのだけど」

「あら。ふふっ、面白い冗談ですわ」

「その本気で冗談と思ってそうな声音がほんっとにねぇ……」

 

 じとーっとしたレミリアの目を、当の本人たる咲夜はけろりとした涼しい表情で見つめ返している。この様子ではどんな言い方をしたところで冗談としか受け取らなさそうだ。

 そんな咲夜の反応もわかりきっていたことなのだろう。レミリアはため息とともに早々に咲夜から視線を外すと、トレイの上にある甘味の山へと向き直った。

 

「それじゃあ早速だけどお茶会を始めましょうか。フランももう早く食べたくてうずうずしてるって感じだもの」

「むぐっ。べ、別にそんなことはないって。私はそんな食いしん坊じゃないわ」

「そうかしら? 私には、私が咲夜と話してる間、視界の端でずっと指を加えてトレイの方を物欲しそーうに見つめてたように見えてたけれど?」

「ふ、ふんっ。お姉さまの目はずいぶんと節穴みたいね。まるでイケチョウガイみたい」

「ふふ、苦しい言いぶんねぇ……うん? なんで貝なの?」

 

 心底不思議そうにするレミリアにももう取り合わない。さっさとトレイの上に手を伸ばし、一番乗りでお菓子を手に取って口に運んだ。

 アーモンド特有のとろけるような甘さ、そしてその奥からはほんのりとした苦味が口の中に広がっていく。ただ甘いだけではすぐに嫌気が差してしまうだろう甘い味も、わずかな苦さと絡み合うことで、より深い恍惚とした風味を生み出している。

 ありていに言ってとてもおいしい。いくらでも食べてしまえそうだ。今はチョコレートを食べたけれど、次はなににしようか。クッキーにしようか、それとも。

 そんな風に甘味に夢中になってあれこれと迷っているフランをレミリアは微笑ましそうに眺めている。

 

「ふふっ」

「……お姉さまなに一人でぶつぶつ笑ってるの? 気持ち悪いよ?」

「き、きもっ!? こ、こほんっ。べべ、別になんでもないわよ、もうっ」

 

 ぷいっ、とレミリアはフランから顔をそらす。さすがに傷ついたらしい。

 しかししばらくすると再びちらちらとフランの方を窺うようになり、「うー、あー、うー……」となにやら言いよどみ始めた。

 

「なに? お姉さま。言いたいことがあるならはっきり言ってほしいわ」

「あ、うん。えっと……ねぇ、フラン。今度はいつもホールとか外でやってるパーティにも参加してみない? きっと楽しいわよ? 今以上においしい食事とかもあるし」

「あー。それは別にいいかな。電灯に群がる醜い羽虫どもみたいに有象無象が固まってるところとか、私あんまり好きじゃないし」

「すごい例え方したわね……」

「ああいうところにいるといろんなものが目障りで手当たり次第に壊したくなっちゃうのよねぇ。私ってほら、頭おかしいから。特にお姉さまが食べかけてるチェリーなんかは壊したくなっちゃう筆頭かなー」

「あら? ふーらーんー?」

「も、もうしないってば。お姉さまはいちいち大げさだわ」

 

 あのいたずらをした翌日にはちゃっかりこってりと絞られていた。もう二度と同じいたずらはしないと誓ってしまっている。

 ……しかし、あの日のレミリアには少しだけ感謝する必要があるかもしれない。あの時、彼女がいたずらのしがいがある場面を作ってくれて、フランが能力を行使してみせたからこそ、こいしはフランに興味を持ってくれた。

 また、早くこいしに会いたいな。

 レミリアやパチュリー、咲夜と一緒にお茶会を楽しみながら、ふいと図書館の扉を振り返って、そんなことを思った。




・わー、さすがおねえさまー。うんめいがよめるだなんて、そこにしびれるあこがれるー
→ジョジョの奇妙な冒険より。さすが○○○(お好きな名前をどうぞ)! おれたちにできない事を平然とやってのけるッ! そこにシビれる! あこがれるゥ!


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陰気な森の廃館を探検するおはなし。

 妖怪にとって、月の光は人間にとっての太陽のそれとなんら変わらない。人間であれば数歩先さえ見通すことが難しい夜闇であろうと、月光が差し込んでさえいれば妖怪の目にはその景色がはっきりと映る。

 森の中。こいしに手を引かれるがまま、木漏れ日のようにわずかに月光が差し込む空間を、かれこれ一時間は歩き続けていた。

 

「あのさ……ほんとにこっちで合ってるの? 一向にたどりつく気配がしないわよ」

「ふっふっふ、だいじょうぶだいじょーぶ! 外のことなら全部この私に任せなさーい! ……あれ、この三つの道どっち行けばいいんだっけ? こっち? あっち? そっち?」

「……はぁ」

 

 先日まで雨が振っていたからか、踏みしめる地面は少しばかりぬかるんでいて、足を進めるたびに少しだけ気持ちの悪い感触が靴を通して間接的に伝わってくる。

 外をよく知らないフランにとって最初はちょっと新鮮だったそれも、何度も何度も繰り返し続けていたら煩わしいとしか感じなくなってしまった。

 そもそもどうしてこんなじめじめとした森の中にいるのか。いや、その原因は思い出そうとするまでもない。下見こと遊びに来たこいしに連れられて。それだけで説明がつく。

 外に関しての知識がなかったことが仇になった。こんな居心地の悪い陰湿な場所を通らなければいけないとわかっていれば二つ返事で頷きなんてしなかっただろう。けれど、今更後悔したところでなにもかもが遅い。

 

「ねー、こいしー。やっぱり木々の上を飛んでいかない? いい加減同じ景色にも飽きたわよ。それに、そっちの方が目的地もすぐに見つかるでしょ?」

「むっ、もしかしてフラン、私が迷ってるって思ってるのかな? かな? ぶーぶー、全然迷ってなんかないもん。それを今に証明してあげるもんっ」

「意地にならないでってばー、もう……」

 

 空気も足場もなにもかもが悪く、地面や木々を這い回る虫けらもまた目障りで、いい加減辟易としてきている。

 こいしが意固地になってしまっているからもう少しだけは付き合ってあげるが、次は無理矢理にでも彼女を抱えて空を飛ぼう。そう決意して、あいかわらずきょろきょろと行くべき場所がはっきりとしていないようなこいしに、今日だけでもう何度ついたとも忘れてしまったため息をつく。

 ふいと、魔法で右の手のひらの上にこぶし大の焔を生み出してみた。

 いっそこれで、この森ごと全部燃やしてしまおうか……。

 もちろん冗談……のつもりだったが、鬱憤がたまりすぎていたのか、一瞬だけ本気でそうしてもいいかもと思いかけてしまった。館の中をふらふらしている時と違い、今回はこうして足を進めるだけでストレスがたまる。何度も言うようだけれど、フランは本当に辟易としていた。

 ……あぁ、もう! やっぱりもう飛ぼう!

 

「――あっ、あった! あそこだよあそこー!」

「え、ついたの? 本当に?」

 

 こっそりとこいしの背後に忍び寄り、いざ問答無用で抱え上げようとした瞬間、こいしが喜々として進行方向を指差し始めた。

 明らかに迷っていたのに本当につけたのか。信じられないとばかりにぱちぱちと目を瞬かせるフランに、こいしはふふんっ、とひどく得意げげな顔を披露してみせた。

 

「ほら、やっぱり迷ってなかったでしょっ? ふふん、ふっふーんっ! どう? どう? すごいでしょ、すごいでしょー? どやぁ! どやぁあっ!」

「しつこい」

「あいたっ! むぅー……叩くのはひどいよー。ぼうりょくはんたいー」

 

 涙目で額を両手で抑えて抗議するこいしを押しのけて、きちんとこの目でこいしの言うことが事実なのか確認する。

 こいしが指差した先にあったもの。それは窓が割れ、壁にもところどころ穴が空いている、ひと目見ただけで人間は住んでいないとわかるようなぼろぼろの廃館だ。

 今日は元々、夏だから肝試しに行こう! とこいしがフランを引っ張ってきたのが始まりだった。

 肝試しと言っても元々魑魅魍魎の類であるフランやこいしにとって、ただの幽霊風情など恐れるに足りない。せいぜい、人間や妖怪などの他者に取り憑く性質を持った怨霊――輪廻転生の輪から外れ、未来永劫幽霊のままの悪意の塊――が少し危険なくらいだろうか。とは言え、その怨霊はただでさえ弱い幽霊よりもさらに弱い。精神の乗っ取りもこちらが相当弱っていなければありえるはずもない。

 肝試しとは怖がりに行くことではなく、幽霊に会いに行くこと。幽霊はあらゆる気質の具現であり、特性としては肉体を持たず、体温が非常に低い。要はこいしは「夏だから涼みに行こう!」と言っていたのだ。

 

「ねぇフラン、あの家泣いてる……」

「は?」

「ほら、泣いて、震えてるみたい」

「いや、泣いて震えてるのはお前だから。まぁ、その……泣いてるのは私のせいなんだけど」

 

 ちょっと強く小突きすぎたかもしれない。吸血鬼は非常に力が強い。そしてフランは他人と触れ合うことが少ないから、どれくらいなら大丈夫なのかの加減がいまいちわからない。ちょっと反省していた。

 しかし震えているのはなぜか。寒がっているのか、怖がっているのか。もちろん後者はありえない。かと言って寒がっているかと言えば、それも違う。夜とは言え今は夏だ。そこまで寒くない。むしろ涼むためにここに来たのにすでに寒がっていては本末転倒である。

 つまり第三の選択肢、肝試し的な雰囲気を出したくて、面白がっている。それが正解だ。

 

「さぁフラン、早速レッツファイト!」

「なんで戦うのよ。レッツゴーね」

 

 あいかわらず当たり前のように英語を間違える。しかもおそらく、いやきっと故意だ。初めてこいしと湖に行った時のことを思い返し、じとっとした半眼になる。

 そんなフランの責めるような視線をものともせず、こいしはフランの手を引いて機嫌よさげに弟切荘の看板が掲げられた廃館の入り口へ向かった。

 

「いやっほーいっ! 元気してるぅ? いつもにこにこあなたの無意識に這い寄る混沌、こいしちゃんだよ!」

 

 無意味に意味不明な自己紹介を叫びながら、こいしが引き戸を開く。中へ足をださーい! 踏み入れると、途端に全身をひんやりとした空気が包み込んだ。まるで秋の夜風のように心地のいい涼しさに自然と頬が緩む。どうやら相当数の幽霊が生息しているらしい。

 

「中も相当ぼろいわね……気を抜いてると抜けた床に足がはまったりしちゃいそうだわ。こいし、お前はいちいちどこでもはしゃぐんだから注――」

「へぶっ! うぅー……なにこれ。頭打ったー……フランから叩かれたのと同じところー……」

 

 いつも通りハイテンションにスキップでも始めるかのように踏み出した一歩目で床に空いていた穴に足を取られ、派手に頭から転倒していた。スカートもめくれ上がっている。

 

「あー……言わんこっちゃないわね」

 

 これがレミリア辺りなら指差して笑いながら周囲を回ってあげるところだけれど、こいし相手にそれは忍びない。すぐに近寄って助け起こした。

 

「あれ、フランが優しい……うーん、これがアメとムチっていうやつなのね。それとも吊り橋効果?」

「どっちも違うから。その……さっき叩いたのは、えっと……ごめんね。悪かったわ」

「へ? あははー、あんなの謝らなくたっていいよ。全然痛くなかったし」

「たんこぶできてるんだけど……」

「全然痛くなかったし! し! しっ! しーっ!」

「わ、わかったわかったっ、わかったからっ。そんな詰め寄ってこないでって」

 

 なにをそんな意固地になっているのかは知らないが、こいしのように床に空いていた穴に足がはまりそうになって、慌ててそこから退いた。

 彼女をどうにか落ちつかせると、改めて館の中を進むことにした。

 二度も頭を打ったからか、こいしも彼女なりに学習したらしい。やたらめったらはしゃぐのはやめて、足場をきちんと確認しながら歩いている。

 ……いや。本当に学習、したのだろうか。足を止めてこいしを観察する。

 確かに足元はきちんと見ているが、けんけんぱのように床の穴を避けながら鼻歌でも歌いそうな感じで楽しそうに廊下を進んでいる。そのうち床が抜けて同じ失敗を繰り返しそうな予感もするが……こいしはなにを言ったところで聞かないか。

 首を横に振って、フランもこいしの後を追った。

 

「あっ、見て見てフラン。あそこに幽霊がいるよっ」

 

 こいしが指で示した先、階段の近くで、白い不定形の人魂のようなものがいくらかふわふわと漂っている。

 

「ふーん、あれが幽霊……なんていうか、焼いてふくれたおもちみたいね」

「わっ、たとえがおいしそう。試しにちょっと食べてみる?」

「あれ食べられるの?」

「みたいだよ? うちのお姉ちゃんのペットなんかはよくむしゃむしゃ食べてるの見るし」

「ふぅん。まぁ、私は別にいいかな……ところで、今ので幽霊たちが怖がってどこか行っちゃったみたいだけど」

 

 ぴゅーっ、と逃げるように、いや実際に一目散に二人から逃げ去っていった。こいしなら「待て待てー!」とか言いながら追いかけそうではあるが、二度も頭を打ったのだからさすがにしないだろう。

 

「待て待てー!」

「知ってた」

 

 即座に走り出そうとしたこいしの襟を掴む。ぐえっ、とおよそ女の子が上げてはいけないような苦悶の声が聞こえたが、三度額を強く打ちつけるよりはマシだと思ってもらいたい。

 ぶーぶー。目線で抗議してくるこいしを今度はフランが引っ張って、階段をのぼって二階へ向かう。

 こうして歩きながら視線を巡らせれば、どこもかしこも幽霊がはびこっていた。それも当然かもしれない。暗くじめじめとした森の中、人気のない陰気な廃館だなんて、まさしく幽霊が生息するのにうってつけの環境だ。

 もしも仮に紅魔館が廃墟になったとすれば、ここと同じように幽霊がそこら中を闊歩するようになるのだろうか。家が廃墟になるのはごめんだけれど、それならば夏はずいぶんと居心地がよくなりそうだ。冬は寒そうだが。

 

「……あれ? この音……」

「フラン? どうかしたの?」

 

 どこでもいい。ちょうど近場の扉を開けて、多くの部屋のうちの一つの中へ踏み入った。

 窓枠さえも取れかかっている窓に駆け足気味で近づくと、外に広がっていた状況に思わず苦い表情を浮かべてしまった。

 

「やっぱり雨……これじゃ帰れないわ」

「そうなの?」

「吸血鬼は流水を渡れない。知らないの? ……実際は渡るのが嫌なだけなんだけど」

「普通のお水は平気なのに? 変なの」

「まぁ確かにそうなんだけど……流水は私たち吸血鬼にとっては泥水みたいなものなのよ。別に苦手ってわけじゃないけど、自分から渡りたいとは思えないわ」

 

 今はまだ小雨だけれど、風上に広がる雲はずいぶんと薄暗く、これからどんどん雨は強くなっていく可能性が高いことを容易に窺わせた。

 

「……これじゃあ、今夜は帰れないかも……」

 

 一瞬、外出していたことがレミリアにばれてしまう可能性が頭をよぎる。これまでは比較的短い時間だったから問題なかったが、しばらくの間どこにも見当たらないとなれば彼女はなにかに感づいてしまうかもしれない。

 ……いや、問題ない。きっと大丈夫だ。フランはあの館の誰とも決まった関わりがない。普段は常に一人。確証を持たれることはまずありえない。

 

「こいし、先に帰ってていいわよ。なんだか雨が強くなってきそうだろうし、早く帰った方がいいわ」

「え、フランは?」

「私は雨がやむまでここにいる。すぐやめばそれでいいけど、長くて二四時間……まぁ、一日中くらいかな。だから待ってるだとか考えなくていいわ。いたって暇なだけだもん」

「むぅ、でも……」

 

 わずかに水滴が入り込んでくる窓から離れ、部屋の隅にうずくまる。壁に頭も預けて、体を休められる楽な体制を取った。

 

「別に気なんか遣わなくたって大丈夫よ。ひとりぼっちは、慣れっこだから」

 

 遊び道具を壊してしまうことが多かったフランにとって、自分以外のなにもかもが存在しない世界で過ごし続けることは実際、苦痛でもなんでもない。誰と関わる必要のない、誰の目も気にすることもない、ありのままの自分でいられる居心地のいい孤独。それだけで完結した小さな怠惰の世界。

 これまで生きてきた約五〇〇年、ほとんどの時間を一人で過ごしてきた。今までずっとそうだったのに、今更たった一日程度、なにが変わるということもない。一人でいること。フランにとって、それは本当に本気で平気なことだ。

 今日はずっと足場も空気も悪い森の中を歩き続けてきて、体はともかく精神が少し疲れている。目を閉じて力を抜けば、一分もせずに眠ってしまえそうだった。

 けれど、そうして睡魔に身を任せようとするフランに、歩み寄ってくる気配がある。

 

「なに勝手なこと言ってるのよ、もー。一人に慣れるだなんてあるわけないじゃん。第一いたって暇なだけって、フランと一緒にいるのに暇なわけないでしょ?」

 

 薄目を開く。ぷんぷんと擬音が浮かんでいそうな表情をこいしが浮かべていた。

 

「一緒にいるのに、ねぇ。まぁ確かに、お前は一人でも暇なんてしてなさそうだけど」

「そんなまるで私が頭空っぽな妖精(バカ)みたいな言い方しないでよー」

「…………うん、確かにちょっとひどかったかも。ごめんね。悪かったわ」

「え、本気でそう思ってたの? さすがにちょっと傷つく……わけないけどねー。えへへー」

「でしょうね、って」

 

 こいしがフランの真横に来たかと思うと、膝を丸めて座り込み始めた。そして壁によりかかるフランの真似なのか、フランの肩に頭を預けるように傾けてくる。

 

「……なにこれ」

「貧乏な姉妹が物乞いとかうまくいかなくて部屋の隅っこでかたまって励まし合ってる儚い感じの光景に見えない?」

「なんで状況がそんな限定的なのよ」

「片方が、あったかいね、とか言って。もう片方が、うん、とか呟きながら擦り寄ったりしてー」

「はいはい」

 

 まともに付き合ってもこちらが疲れるだけなのはわかり切っている。適当に流した。そもそも、それよりももっと気になっていることがあるのだ。

 

「で、お前本気なの?」

「本気? なにが?」

「……雨がやむまで、私と一緒にいてくれるのかってこと」

「へ?」

「……やっぱりいてくれないの?」

「そうじゃなくってさー。え、フラン、もしかしてほんとに私が帰ると思ってたの? そもそも私がいないとおうちに帰れないのに?」

「それは、まぁ、確かにそうかもしれないけど……」

 

 紅魔館には門番の妖怪もいる。帰る際、こいしの能力がなければほとんどの確率で誰かに見つかるだろう。

 

「でも、お前にはそれに付き合う義理もなにもないじゃない」

「なに言ってんのよー。私たちはシスターブラザーズ、いずれ幻想郷を支配する伝説の二人組でしょ?」

「シスターアライアンスね。っていうか、伝説ってなに?」

「うん! そもそもだよ? フランが見るからに寂しがってたのにほっといてどこかに行っちゃうなんてするわけないじゃん。こんなあからさまな好感度イベントのフラグをスルーするなんて三下の三流のすることだわ」

「好感度イベントって、あのねぇ……そもそも寂しがってたつもりなんてないんだけど。あと結局伝説ってなんなの?」

「うん!」

「いやうんじゃなくて」

 

 ばっ! とこいしが勢いよく立ち上がった。儚そうな感じの貧乏姉妹を演じるのはもう飽きたらしい。

 

「フランっ、ふーらーんーっ。もっとたんけん、たんけんしようよー」

 

 うずくまったままのフランの肩をぶんぶんと揺らしてくる。あいかわらず騒がしい。休みたいのに休ませてくれない。

 

「ねーねー! たんけんっ! ねー! ねーねーねー! た、ん、け、ん! ねーねー! ねぇーっ! ねぇーってばー!」

「あーもう、わかったわよっ。わかったから揺らすのはやめてっ。立てないから」

「いやったぁーっ! 幽霊屋敷の探検だーっ! それじゃあまずは日記とかそういうの探そうよ! 謎解きだよ、謎解き! 問題です、なぜこのお屋敷は廃館になったのでしょうっ!」

「あー……それじゃあ第二問。この変な目の妖怪はなんでこんなにハイテンションなのでしょう……なんてね」

 

 フランが立つと、こいしはスキップでもするかのように上機嫌に部屋の扉に向かい始めた。その姿に、くすり、と自然と笑みが浮かぶ。

 別に一人だろうとなんだろうと寂しくなんてない。本当だ。

 けれど、その一人でいることが楽しいのかと聞かれれば、それは――。

 

「――へぶっ!」

「……あー、えっと、その……大丈夫?」

「フラン……もし私がここで力尽きても、フランだけは必ず伝説を……がくっ」

「いや、口でがくっとか言われても……」

 

 二度あることは三度ある。三度額を打ちつけたこいしに肩をすくめつつ、彼女を抱き起こした。

 一人でいることは別に寂しくはない。けれど、こうして二人でいることを楽しいと感じていることにもまた、間違いはない。

 それだけわかればじゅうぶんだ。

 どうかもうしばらく、雨がやまないように。そんな風になにかに強く願いごとを託したのは、初めてのことだった。




・あれ、この三つの道どっち行けばいいんだっけ? こっち? あっち? そっち?
・ねぇフラン、あの家泣いてる……
→弟切草より。こっちは右、あっちは真ん中、そっちは左の道。

・私が迷ってるって思ってるのかな? かな?
→ひぐらしのなく頃により。かな? かな? は登場キャラクター竜宮レナの口ぐせ。

・いやっほーいっ! 元気してるぅ?
→グリモア~私立グリモワール魔法学園~より。みんなのサポ役ノエルちゃんの自己紹介文の一部。

・いつもにこにこあなたの無意識に這い寄る混沌
→這いよれ!ニャル子さんより。いつもにこにこあなたの隣に這い寄る混沌。更なる元ネタはラヴクラフトさまのクトゥルフ神話。

・伝説ってなによ
 うん!
→遊戯王デュエルモンスターズGXより。「伝説上の生き物さ」「伝説って?」「ああ! それってハネクリボー? それじゃ君が遊城十代?」「そうだけど……お前、ハネクリボーが見えるのか?」。その後、伝説に触れられることはなかった。


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家出してしょんぼりするおはなし。

 今話含む三話はシリアス回となります。
 先に明言しておきますと円満に仲直りしますので、どうか生々しい感じのぬるっとした目で見守っていただけると幸いです。


 結局、雨は次の日の昼になるまでやまなかった。雨がやんだ後は太陽が顔を出す前に急いで紅魔館に帰宅し、今はもう夜中である。こいしもすでにそばにはおらず、窓枠に肘をかけてぼーっとしていた。

 ここ最近は、こいしと出会ったこの窓際で外を眺めていることが多かった。

 あれだけ曇っていた空も今はとっくに晴れ切っている。無数の星々、そしてわずかに欠けた月から降り注ぐ光が、庭の花々を太陽の代わりに照らし当てていた。

 

「うーん……やっぱりちょっとだけ、眠いなぁ」

 

 多少仮眠を取りはしたが、昨日の夜からほとんどずっとこいしに振り回されっぱなしだった。肉体的にはともかく、精神的な疲れはいい加減確実にたまってきている。

 うつらうつら、こくんこくんっと時折頭が上下に揺れる。立っているのにこの調子。横になればすぐにでも眠ってしまえるだろう。このままぼーっとし続けていても、いずれこの場に倒れて眠りこけてしまいそうだ。

 本来吸血鬼の活動時間は夜なのだけれど、今日はもうさっさと寝てしまおうか。基本的に一人でいることが多いフランにとって、吸血鬼としての一般的な活動時間など目安程度に過ぎないのだから。

 

「やっぱりここにいたのね、フラン」

「うー? あー……お姉さま」

 

 自室に戻るために踵を返そうとしたところ、背後から声をかけられ振り返った。そこには予想的中とでも言いたげに腰に手を当ててこちらを見据える、見慣れた姉ことレミリアの姿がある。

 彼女はフランと顔を合わせると不意に訝しげに眉をひそめて、そっと歩み寄ってきた。

 

「こんないい夜だってのに、なんだかずいぶんと眠そうな顔ねぇ」

 

 少しだけ呆れたように、それでいてわずかに憂うような声音だ。

 

「調子が悪いの? それとも夜更かしならぬ昼更かしでもしてた?」

「どっちだっていいじゃない。ご覧の通り今の私はとーっても眠いのよ。おねむなの。早くベッドに飛び込んですやーってしたいんだから、話があるなら手短に済ませてくれる?」

「もうっ、つれないわね」

「私がつれなくないことなんてあったかしら」

 

 あいもかわらずつっけんどん。それでもレミリアはフランの調子が悪そうなことが気がかりならしく、フランが一瞬眠そうに瞼を閉じた隙をついて、すっとその額に手を添えた。

 

「あ、ちょっと」

「うーん。熱はないみたいだけど」

「……そりゃないでしょ。私たちは悪魔よ? まともな病気になんてかかるはずがないじゃない」

「そのまともじゃない病気だったら怖いから心配してるのよ。せっかく私のたった一人の妹なんだから、それくらいは許してほしいわね」

「ずっとおうちに引きこもってるっていうのに、そんなものにかかるわけないでしょ?」

「……そうね。もっともだわ」

「じゃあ私、もう行くから。おやすみなさい、お姉さま」

 

 早々に切り上げ踵を返し、今度こそ自室へ。けれど、すたすたと歩き始めたフランを呼び止める声がある。

 

「ねぇ、フラン」

 

 どうしてか、ほんの少しの鋭さを宿した声の色。けれどフランは襲ってきている眠気のせいで、その小さな雰囲気の変化に気づけなかった。

 

「……今度はなに? いい加減ほんっとうに眠たいのだけど。くだらないことなら明日にし」

「昨夜のお出かけは、楽しかった?」

「え、なんで……? あ、まず……」

 

 目を見開いて振り返る。けれどすぐに、その動作をしてはいけなかったことに気がついた。

 違う。感づかれていたわけじゃない。今のはカマかけだ。

 紅魔館内部の空間は咲夜の持つ能力によって相当拡張されている。しらみつぶしに探すことさえ不可能なほどに。そんな中で普段は一人でいるフランをたった半日いない程度で、本当にいなかったのだと断定できるはずがない。

 抱かれていたのはおそらくほんの少し疑念だけ。けれどフランがあからさまな反応をしてしまったせいで、そのわずかな疑いが確信へと変質してしまう。

 すぅー、と彼女の目元が鋭く細まっていく。それは姉としてというよりも、元来の吸血鬼としての、爛々と輝く妖しき鋭い眼だった。

 

「フラン。今の反応がどういうことか、きちんと説明してもらえるわよね」

「あ、え、ちが……い、今のは、えっと、その……」

「言い方を変えるわ。説明しなさい、フランドール。この私が納得できるように」

 

 決して逃がさない。フランを捉えて離さない瞳と意思はまるで一振りの鋭利な剣のようだった。

 そんな彼女の様相に、フランはただただかたまっていた。

 いたずらをして怒り心頭の彼女に叱られた時ですら、ここまで本気で真剣な顔をしたことはなかった。

 別に、怖かったわけじゃない。ただ、そんな姉の姿を生まれてから一度だって見たことがなかったから。レミリアはなんだかんだフランに甘かったから、こんなにも戸惑ってしまっている。

 

「フラン、私は何度も言いつけたはずよ。外に出ることは許さない、と。あれは冗談でもなんでもない。約束ですらない。あれはいわば悪魔としての契約なの。正式なものではなかったけれど、決して軽んじていいものではない」

「か、軽んじてなんか」

「それならどうして外に出たの? 覚えていなかった? 実際は軽んじていた? それとも、ばれなければいいと思った? 下手な言いわけは許さないわ。きちんと一つずつ、嘘も間違いもないよう隅々まで話してもらう」

「わた、わ、私、は……」

 

 どうしてか目の前が霞む。レミリアに詰め寄られ、まっすぐに睨まれて、さまざまな感情が混じり合っていた。

 後悔、確執、不安。他にも無数の感情が。

 

「さぁ、フラン」

 

 外へ出てはいけないことへの不満。どうして自分だけが外に出ることを許されないのか。

 内緒で外出しただけでこれほどまでに責められる理不尽。へたな出来心なんかじゃなくて、心の底から本気で出たいと願っているのに。

 フランはただ、初めてできた友達と一緒に遊びたいだけだ。

 なのに。それなのに、どうして自分の姉はこんな目で。

 

「…………ふざけないで」

「フランっ」

「っ、さわらないでよ!」

 

 レミリアの手を無理矢理に振り払い、彼女の鋭き眼に抵抗するようにフランも精一杯レミリアを睨みつけた。

 

「ふざけないで! 悪魔としての契約っ? 軽んじていいものじゃないっ? なによそれ! お前は好き勝手外に出ているってのに、他のやつらだって問題ないっていうのに、私だけはダメだっていうの!? おかしいっ、そんなのおかしいじゃない!」

「……だから何度も言い含めたでしょう? 外に出てはいけないけれど、それでもいいの? って。あなたは確かに肯定したはずだわ」

「だから私だけは外に出ちゃいけないって言うのっ? あんな……あんな、私が外で勝手なことをしたせいでお前が迷惑をかぶりたくないだけの、くだらない約束があるからっ!」

「それは、違うわ。私はそんなことのためにあなたにあんなことを言いつけていたわけじゃない。私は」

「ならなに? 自分が恥ずかしい思いをしたくないから? 同じ吸血鬼として私なんて外に出したら恥ずかしいから? 姉のくせに、家族のくせに、たった一人の妹のことも信じられないだなんて、そんなもの……!」

「違うっ。フラン、私はあなたのことをっ」

「黙れっ! そんなに私のことが嫌いなら、いらないって言うんなら、こんなところこっちから出ていってやる! もう二度と会うことなんてない……せいせいするでしょっ、お互い!」

「っ、待って、フランっ!」

 

 引き止めるレミリアを振り切っては右手を握りしめ、能力を発動する。さきほどまで外を眺めていた窓のガラスを窓枠ごと粉々に破壊し、そこへ思い切り体を投げ出した。

 全力で飛び去ろうとするフランを追いかけようとするレミリアが視界の端に映るものだから、フランはさらに右手を開閉する。出てきた場所とは違う窓を、庭の花壇を、時計塔の針を、一斉に壊した。追ってくるのなら容赦はしない。

 今は物だけだからよかったが、生物を壊される危険性を考慮したのかもしれない。レミリアは口惜しい表情をしながらもフランを追うのをやめた。

 それがまたどうしてか、むしゃくしゃとした。

 ただひたすらあてもなく空を全速力で駆け続ける。少し疲れて落ちついてきた頃には、いつの間にか昨夜こいしと一緒に訪れた森の上をふよふよと漂っていた。

 もう飛んでいる気力さえなくなってきて、徐々に高度が下がっていく。やがて地に足をついて、ふらふらとすぐ近くの樹木に寄りかかった。

 

「……なにしてるんだろ、私」

 

 外の寒さに当てられて、すでにさきほどまでの怒りは鳴りを潜めている。今はただ、でどころのわからない空虚感ばかりを覚えていた。

 ごろごろ、と。空高くでなにやら蠢く音がする。

 見上げれば、さきほどまで晴れ渡っていたはずの空に、今はずいぶんと薄暗い雲が影を差していた。このままではそう遠くないうちに雨が降ってくるだろう。

 館に引きこもっていた頃までなら気にしなくてもよかったのに、本当に煩わしい。

 

「早く、行かないと……」

 

 ……行くって、どこへ?

 もう紅魔館には帰れない。あれだけ啖呵を切って戻ることはできないし、仮に戻ったところで、きっと今度こそ地下室に本当の意味で幽閉され二度と出られることはない。

 ……どこでもいい。とにかくどこか、雨をしのげるところへ。

 

「そうだ、こいしと一緒に肝試しに行った廃館……」

 

 ふらつきながらも足を進める。けれど森の道はひどく複雑で、一度訪れた程度では目的の場所にたどりつける気配なんてまるでなかった。

 そうしてさまよっているうちにやがて、ぽつり、と頬に雫が落ちてくる。それは確かめるまでもなく、雨の降り初めの一滴だ。

 次第に頻度を増していく水滴が頭の上にも落ちる感触がして、その時にようやく、いつもかぶっていた帽子がいつの間にかなくなっていることにも気がついた。紅魔館を飛び出した時にでも落としてしまったのかもしれない。

 

「散々だなぁ……もう」

 

 本当は、こんなことをしたかったわけじゃないのに。

 ……それなら本当は、いったいなにをしたかったのだろう。レミリアに、なんて伝えたかったのだろう。

 ふるふると首を横に振る。

 もう、そんなことを考える必要はない。だってもう二度と、会うことなんてない。

 あぁ、本当に、これからどこへ向かおうか。

 

「――っとと、降り始めてきたな。いやぁ、早めに切り上げといてよかったな。これなら本降りになる前に帰れそうだ。へたすりゃびしょ濡れになるとこだった、ぜ……?」

 

 急に背後からどこかで聞いたような声がして、思わず、えっ、と振り返っていた。

 目と目が合う。黒白の魔法使い。白いエプロンと黒の三角帽がよく似合う人間の魔法使いこと、霧雨魔理沙と。

 え? なんでこんなところに?

 こんな森の中で魔理沙に遭遇するだなんて思いもせず、ぱちぱちと目を瞬かせてしまった。

 

「はっ? えっ? な、なに? なんで? あれ? なんでお前が外にいるんだっ? えっ、なんで? なんでなんだ? な、なんでだ?」

 

 驚いたのは魔理沙も同じ、というかあちらの方がはるかに動揺した様子で、幾度となくなんでなんでと連呼しては瞠目していた。レミリアに外出が禁止されているはずの問題児が急に目の前に現れたのだからしかたがない部分もあるが、さすがに驚きすぎである。

 けれど、冷たい小雨のおかげか、少しずつ頭が冷えて冷静さを取り戻してきたようだ。一度大きく深呼吸をすると、彼女は困ったようにがしがしと頭を掻き始めた。

 

「あー、なんだ……状況がよくわからんが……お前、泣いてるのか?」

「……別に、泣いてなんかない」

 

 気まずそうに話しかけてくる態度がちょっとだけ気に入らなくて、そっぽを向く。

 

「でも目から涙たれてるぞ」

「雨だもん」

「いやでも目元とか赤いぞ」

「さっき目のところ自分で思い切りぱんって叩いただけだから」

「それはそれで奇行すぎる……」

 

 意地を張って口を尖らせるフランに、魔理沙は小さく肩をすくめてみせた。そしてそれとなく歩み寄ってくると、なくしたフランの帽子の代わりに自分の帽子をかぶせてくれる。

 

「まぁ、あれだ。雨降ってるしな。吸血鬼ってのは流水が苦手なんだろ? とりあえずうちに来るといいぜ。雨宿りくらいはさせてやる」

「うちって、こんな森の中にあるの?」

「ああ。なんだ、レミリアとかパチュリーとか、あの館のやつらから聞いてないのか?」

「お姉さまの……あいつの言うことなんて話半分にしか聞いてないし。パチュリーともたまには話すけど、世間話なんてしたことないわ」

「お前ほんとに孤立してんだなぁ。まぁいいや。ほら、来るならさっさと行こうぜ。吸血鬼じゃなくたってびしょ濡れになるのは嫌なもんだ」

 

 すたすたと先を歩き出す魔理沙の背中を、少しだけ悩んだ後に早足で追いかけた。どうせ他に行くところなんてない。招いてくれるというのなら願ったり叶ったりだ。

 雨の中を歩くのは結構な精神的苦痛だったが、魔理沙が貸してくれた帽子のおかげで多少は不快感を和らげることができた。



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黒白魔法使いの起源のおはなし。

「ほれ、ついたぜ。ここが私の家だ」

「うわ……」

「なんだその微妙な反応は」

 

 魔理沙に案内され間もなくたどりついた場所は、まるで住んでいる人物の性格が目に見えるような敷地だった。

 いや、家自体に変なところはない。雑草や蔦が多少建物に絡んではいるにせよ、普通の洋風の建物だ。

 問題なのは家の周囲にガラクタのように散らかっている、というか実際にガラクタな廃物(ゴミ)の数々。幻想郷ではまず見ない独特かつ歪な形状や材質の物体ばかりだが、どうも金属製のもの、要は鉄くずが多い。また転がっている廃物のほとんどが外の世界出典のものだということは一目見ればわかった。

 家の外がこの様子では家の中は……。

 フランの呆れた視線をよそに、魔理沙は雨から逃れんためにさっさと玄関へ足を進めていた。フランもこんな流水の真っ只中にはできるだけいたくない。早く追いかけようと一歩踏み出すと、つま先になにかが当たった感触がある。

 見下ろすと空き缶と一緒に看板が横になって放置されていた。

 

「えーっと、なになに……『なんかします 霧雨魔法店』」

 

 なんかってなんだ。

 

「おーいフラン、どうした? 来ないのか?」

「ん、すぐ行く」

 

 家の扉を開けて手招きしていた魔理沙のもとへ駆け寄ると、一緒に中に入った。

 魔理沙の家の中は大方の予想通り、大分散らかっている。文字通り足の踏み場もない。家の外ほど大きく邪魔なものは転がっていないが、その分小さなものでいっぱいだった。本が乱雑に積み上げられていたり、あいかわらず鉄くずがたくさんあったり、というか挙げ出したら正直きりがない。

 雲が出ているせいで月の光が弱く、窓から差し込む光なんかではよく見渡せなかった。いろんなものにつまづきかけたりしたが、魔理沙が行灯を点灯させてからようやくまともに動けるようになる。もう少し遅かったら魔法で火でも生み出していたところだ。

 

「よいしょっと。ふぃー、これで一息つけるな」

 

 魔理沙が、ずっと脇に抱えていた物体を空いている場所へ置いた。

 

「それ、なに?」

「あん? あぁ、すごいだろ? 私の新しいコレクションだぜ」

 

 これまでずっと持っていた、抱きしめられる程度の大きさをしたうさぎのぬいぐるみを自慢げに見せつけてくる。長い耳がふわふわと愛らしく、触ってみたら気持ちよさそうだ。

 話してる間に魔理沙に手渡されたタオルで服や体についた水滴を軽く拭き取りながら、コレクションねぇ、と魔理沙の顔をじっと見つめた。

 

「こんなの拾ってきて喜ぶだなんて、もしかして魔理沙って意外と少女趣味?」

「あー? あー、違う違う。私は珍しいものに目がないんだよ。ほら、今日って十六夜だろ?」

「そのぬいぐるみと十六夜になにか関係でもあるの?」

「あるある、おおありだぜ。十六夜ってのはな、月の力が一番強い満月が少しだけ欠けた日のことだ。だからその破片が地上に落ちてくるんだよ。さっきまでそれを探してたんだ」

「ふーん。で、そのぬいぐるみが月から落ちてきたものねぇ……外の世界から流れて来たものとの間違いじゃないの?」

 

 幻想郷はいわゆる箱庭、隔離された世界であり、その文明は科学が大きく発展する前の時代のものが保たれ続けている。妖怪とは人間の恐怖から生まれた存在であるため、人間が妖怪を恐れる心がなければ存在できないからだ。

 外の世界とはつまり、科学が発展し、妖怪の実在を信じなくなった幻想郷の外に大きく広がる地上のすべてを指す。幻想郷にはそんな外の世界から忘れ去られた物や人が流れついてくることがままある、らしい。

 なにぶんフランは幻想郷に来る前も来てからもほとんどずっと引きこもっていた関係上、そこまで詳しくはない。少し前――妖怪基準――までは紅魔館は外の世界にあったから外の道具のことは多少知っているけれど。

 魔理沙はぬいぐるみに向けられるフランの疑いの視線も特に気にした様子はなかった。

 

「どうかな。ま、どちらにしろ珍しいことに変わりはない。本当は月の石でも拾えればよかったんだけど、あれ結構なレア物だからな。そうそう拾えるもんでもなし」

「石? 魔法の研究にでも使いたいの?」

「ああ。満月の直後に落ちてくる石だから、結構な月の魔力がこもってるんだ。もっと欲を言うと月なんかより流れ星(天龍の鱗)の破片の方が欲しいんだが……」

「なんで?」

「決まってるぜ。月の魔力よりも、星の神秘の方に私の興味があるからだ。特に流れ星な」

 

 魔理沙とは初めて会った時に半ば強制気味に少しだけ遊んでもらったことがあるが、そういえば彼女が用いるスペルカード――いわゆる必殺技――には星や光をイメージしたものが多かった記憶がある。

 あの時はまだ館を出歩きすらしておらず地下室に引きこもりっぱなしだったから、単に初めて見る人間というものが新鮮なだけだった。だけど今なら少し魔理沙のことを理解できる気がする。こいしと一緒に星の湖を鑑賞した、今のフランなら。

 

「っていうか私のことなんて今はどうでもいいんだよ。今はそれよりお前になにがあったのかを聞かせてくれ。なにもないならいいけど、そうじゃないんだろ?」

 

 魔理沙が適当に座るスペースを作ってくれたので、もうかぶっている必要がない借りていた三角帽子を取りながら、そこに腰を下ろす。魔理沙も対面の積み上げられた本の上によいしょっと座り込んだ。

 自分になにがあったのか。ほんの一時間もしないほど前の出来事だ。鮮明に思い出せる。

 ぎゅっ、と帽子をにぎる手に無意識のうちに力がこもった。

 

「話さないと、ダメかしら」

「いんや。私にだって話したくないことの一つや二つはある。無理には聞かんさ。気にはなるけども」

「……大丈夫よ。ちゃんと話す。ちょっとごねてみただけ」

 

 一度息をつく。落ちつくことを意識しながら語らないと、またすぐに感情的になってしまいそうな予感があった。

 

「お姉さまと、口喧嘩をしたの。私が内緒で外出してたことで」

「え、内緒で外出? お前普通に外に出てたのか?」

「言ってなかったっけ?」

「私が聞いたのはお前が外に出たいって思ってることくらいだ。もうすでに外に出てたなんて聞いてないぜ」

「そうだっけ。どっちでもいいけど。とにかく、私が内緒で外に行ってたことがばれて……それで言い合いになったのよ。どうして言いつけをやぶったのか、って」

「ふーん。それで嫌気が差して飛び出してきたってわけか。お前レミリアのことあんまよく思ってなかったみたいだしな、自分のこと否定されりゃそりゃ家出くらいするか」

「……別にそういうわけじゃないけど」

 

 レミリアのことをよく思っていない。なんだかそれは少しだけ、違う気がした。

 突然のことすぎて自分でも自分の気持ちが、まだちょっとよくわかっていないけれど。

 

「お姉さまは私が外に出てたことに本気で怒ってた。外に出ちゃいけないっていうのは冗談でも約束なんかでもないって。言いわけは許さない、って。それが……それが、ほんっとうにむしゃくしゃしたっ。あいつは、お姉さまはっ、私のたった一人の肉親のくせに、私のことなんて少しも……!」

「ど、どうどうどうどうっ。ちょ、ちょっと落ちついてくれ」

「あ……えっと、ごめん」

「いや、いいんだけどさ。あんま興奮して暴れたりとかはしないでくれ。ガラクタばっかなのは見ての通りだけど、一応貴重なものもあるからな」

 

 暴れるつもりなんて欠片もないが、感情が爆発してしまえばどうなるかわかったものではない。ただでさえ情緒不安定なのだ。魔理沙の言いぶんにはこくりと素直に頷いた。

 そんな皮肉もないやけにおとなしいフランに調子を崩されているのか、魔理沙は気まずそうに視線を右往左往とさせている。

 

「まぁ、なんだ。少しだけだが、お前の気持ちはわからないでもないよ。私が一人でここに住んでるのは家を出てきたからだからな」

「……魔理沙はなんで家を出たの?」

「あー……言い出しておいてなんだが、あんま自分の話をするのは好きじゃないんだ」

「私は我慢して話したのに自分は話してくれないんだ」

 

 フランにできうる限り精一杯のジト目を披露する。フランはそんなことをやられたところで話したくないことを話そうとは思わないが、人間というものは実に単純かつ愚かだ。フランのように小さな子どもの姿をした女の子にそんな目で見られ続けると話さないではいられなくなってしまうらしい。

 

「な、なんだよ。そんな責めるような目で見るなよ……う、うぅー……あーもうっ! わかったよ! 話せばいいんだろっ。けど、少しだけだからな」

 

 魔理沙の頬がわずかに赤らんでいる。どうやら一丁前に恥ずかしがっているらしい。

 魔理沙はしばらく「うーん」とか「あー」とか話をするまでの時間を長引かせてフランが撤回しないか期待していたようだったけれど、無駄である。そんな気はさらさらなかった。

 早くして、とフランが視線で催促するに至って、ようやく彼女は観念したらしい。大きく肩をすくめ、これ見よがしにため息までついた。

 

「そうだな……私は決められたレールの上を歩かされるのがあんまり好きじゃなくてな」

 

 そっぽを向き、フランとは視線を合わさない。変に内心を探られるのが嫌なのだろう。

 

「自分で乗っかることにしたんなら大して気にもしないし、そこはかとなく誘導されたにしても、その中での選択は結局は全部自分で決めたことだ。特に気にもしない。ただ、私の意思を無視して誰かに強制されるってのは心底嫌だね」

「奇遇ね。私も同じ気持ち」

「気が合うな。それでまぁ、私は里にある霧雨店ってところの一人娘をやってたんだ。人間ってのは妖怪と違って大変でな、毎日生きていくのに精一杯なんだよ。そんなに自由なんてない。私も産まれた時から生きる道は決められてたよ。店を継いで、結婚でもして、あとはそのまま死んでくだけの人生を」

「そうは言うけど、人間なんてそれだけできればじゅうぶん幸せなんじゃないの? 里の人間って滅多に妖怪に食われたりしないんでしょう? 普通はいつ食われてもおかしくないんだから天寿をまっとうできればそれでいいじゃん。決められたレールの上を歩くのは楽だとも聞くし。私はそんなつまんない生き方嫌だけど」

「私も嫌だよそんなの。どんなことも自分で決めて生きていきたい。親への反発心からか知らないけど、昔からずっとそう思ってきた。今もそれだけは変わらん」

「ふーん。それで魔理沙は家を出てきたの? 敷かれてたレールが嫌だから?」

「まぁそれもあるけど、一番は私が魔法使いになろうとすることを受け入れてもらえなかったからだな。私は誰かに決められた人生だけじゃなくて、妖怪の恐怖に束縛される人生も嫌だと思ったんだ。力が欲しかったんだよ。けどうちの元親は頑固なやつでなぁ……人間が妖怪の術に魅入られるなど言語道断だとかなんだとか、いろいろ言われたよ」

「それで家出したのね」

「ああ。私が飛び出しただけじゃなくて、あっちからも勘当されてる。もう戻ることはないだろうよ。その気もさらさらない。さ、私の話は以上だぜ」

 

 これで終わりだ、とばかりに手をひらひらとさせて口を閉じる。もうこれ以上は語らないことの意思表示だろう。

 質問すれば、魔理沙はきっと渋る。それでもどうにも一つだけ聞いておきたいことがあった。普段なら気にもしない。けれど今のフランは無性に一つのことが気にかかっている。

 

「魔理沙は、虚しくなかったの?」

「あん? 虚しい? なにがだ?」

「家を出て、これまで当たり前みたいに一緒にいた肉親と別れて」

「あー……それ、答えなきゃダメか」

「お願い、魔理沙」

「……はぁ。わかったよ。それ以上の質問は受けつけないからな」

 

 じっと見つめて懇願するフラン。しかたがない、と魔理沙は頭をかく。

 

「まぁ、虚しいだとか寂しいだとか、そういう気持ちはあんまりなかったかな。元からあんまり仲がよくなかったし、せいせいした……ってわけではないけど、少なくとも後悔はしなかった。あのままあの家にいたら、私の生きたいように生きることなんて絶対できなかったってのも大きい」

「後悔はない……そうなんだ」

「……で、そういうお前はどうなんだ? フラン」

 

 なにかを責めるでもなく、なにかを諭すでもなく。ただ確認するように問いかけてくる。

 

「どう、って?」

「私とお前は案外似た者同士だ。家出したのもそうだし、たぶん人生観も割と近いんじゃないか? お前は人じゃなくて妖怪だが。それに私の魔法は破壊が得意だし、確かお前の能力だって破壊だろ?」

「あと髪もおんなじ金色だしね」

「あー、言われてみれば。意外と共通点あるな……とにかく、私たちは割と似た者同士、だけど当然だが別人だ。私は家を出たことに後悔なんてないけど、フラン、お前はどうなんだ? 本当に私とただ似てるだけなのか、それともお前は私と同じなのか」

「……そうね」

 

 思い起こす。レミリアとの思い出を。

 フランは基本的にはずっと一人きりだった。それは自分で望んだことだ。だから後悔はない。

 けれど、そんな自分以外との余計な接触を嫌ったフランを見捨てず、唯一温かく接し続けてくれたのが彼女だった。

 初めはそのことをどう感じたのか、もはやよく覚えていない。けれどなんとなく、煩わしく感じていたんじゃないかと思う。

 きっとそれがずっと続いてきて、今のフランが、姉に対してつっけんどんな態度を取り続けるフランがある。

 だけどいつからだったか。他人との面倒な関係を拒絶し続けるフランにとって、そんな彼女の存在が当たり前のようになったのは。

 いや、ようにじゃない。当たり前だったんだ。レミリアはフランの姉で、フランはレミリアの妹。その事実が、初めてできた誰かとの繋がりとしてフランの中に芽吹いていた。

 姉のことが好きかと聞かれれば、口を閉じるだろう。

 けれど姉のことが嫌いなのかと言われれば、フランは否定をする。

 レミリアとフランは決して仲の悪い姉妹なんかじゃなかった。

 

「私は魔理沙とは似ているだけよ。私は私、魔理沙は魔理沙」

 

 別に魔理沙には説教だとか叱責だとか、そういうつもりは一切ないんだろう。

 これはきっと彼女なりの気遣いなんだ。

 生まれた時から敷かれていた幸せのレールを捨てて、自分のために生きると決めた一人の自分勝手な人間の、不器用な心配の言葉。

 今の道をこのまま進んでいいのか。後悔していないのか。

 今の状況が自分で決めたやりたいことなのか。

 本当にこれで、魔理沙のように喧嘩別れしたままでいいと本心から思っているのか。

 そんなこと、決まっている。

 

「私はまだ、お姉さまに自分の気持ちを伝え切ってないから」

 

 どうして内緒で外出なんかしていたのか。この先どうしていきたいのか。それを許してくれるのか。

 レミリアは、フランのことをどう思っているのか。まだ彼女の口からきちんと聞いていない。

 

「ちゃんと全部伝える。伝えて……それからまた決めるわ。あれだけ啖呵切っておいて無様に館に戻るか、魔理沙みたいに本当にお姉さまと縁を切るか……もっとも、お姉さまがもう一度話す機会をくれたらの話だけれど」

 

 もう二度と会うことはないとまで言ってきてしまっていた。会ってもらえなくてもしかたがないとは思う。

 

「そうか。ま、お前がそれでいいなら別に構わないんだがな」

「なにか含んだような言い方ね」

「いや、別になんて答えられようが今みたいに応えるつもりだったし。ぶっちゃけどうだっていいからな。それがお前の本当にやりたいことだって言うんなら」

 

 っていうかいい加減帽子返してくれ、と手を出してこられる。

 しばらく考えた後に、もう一度自分でかぶってみることにした。

 雨で湿っていて、ちょっと気持ち悪い。

 魔理沙がずいぶんと不満そうにしていたが、そんな反応がおかしくて、こちらは逆に口元に笑みが浮かんでくる。

 さっきまでずっと落ち込んでいたのに、今は少しだけ心の中が晴れたような気分だった。

 

「いろいろありがとね、魔理沙。そういうわけだからこの帽子、記念にもらっていい?」

「どういうわけだ。ダメに決まってるだろ」

「わっ、くれるのねっ。しかも二つ返事! ありがとう、魔理沙ならそう言ってくれると思ってたわ!」

「聞けよ」

 

 その後は、雨があがるまでひたすらじゃれ合っていた。

 雨がやんだのは結構後のことで、あと一時間もしないうちに太陽が顔を出すくらいの時間になるまでやまなかった。

 だけどこれでこの夜の間にもう一度だけ、レミリアのもとへ会いに戻ることができる。

 どんな対応をされようとも、どんな結果になろうとも。会うことができたのなら今度こそ自分の気持ちをきちんと伝える。

 その思いを胸に、雨があがるまでの暇つぶしに付き合わされた眠そうな半眼の魔理沙の見送りを受け、フランは紅魔館へ向かって飛び立った。

 ちなみに帽子はねだりにねだりまくったらしぶしぶもらうことができた。レミリアとの再対話の結果がどうなるにせよ、これからずっとこの帽子はフランの宝物の一つになることだろう。




・決められたレールの上を歩くのは楽だ
→いつか天魔の黒ウサギより。この世のすべてが預言によって決められている中で、わざわざそれに逆らおうとする相手に対し暴走状態の主人公がそう主張した。


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すれ違いを解いておやすむおはなし。

「あ……あぁ……あぁあー……」

「……レミィ、口から魂出てるわよ」

 

 紅魔館、大図書館。口を半開きにしたまま机に突っ伏し続けているレミリアに、パチュリーが嘆息をつきながら指摘する。

 昨日の夜の初め頃から今、つまりは今日の早朝前に至るまでずっとこんな感じだった。ちょうど魔導書の内容がいいところだったので半ばスルーし続けていたが、そろそろケアをしてあげなければいけない頃合いだろう。そうしなければいけない事情もある。

 

「だってフランが、フランがー……うぅー……フランー……」

 

 レミリアがこうして異様なほど落ち込んでいる理由はすでに聞き及んでいる。

 レミリアの妹、フランドール・スカーレットが家出をした。原因は姉妹喧嘩。レミリアがフランドールは内緒で外に出ているのではないかとカマをかけたところ大当たりで、それを高圧的に追求してしまった結果、彼女の家出に繋がったようだ。

 

「そんなに心配しなくても大丈夫だと思うけどねぇ。妹さまも子どもじゃない……わけではないけど、本当の意味でのやっていいことと悪いことくらいはわきまえているはずだわ。狂ってはいてもね」

「あぅー、でもー……」

「はぁ。すでに咲夜に探しに行かせてるけど、そんなに不安ならあなたも探しに行ってきたらいいじゃない。もう雨はやんでるでしょ? ここでずっとへこんでたってなにも変わらないわよ」

「けどフランがここに戻ってくるかもしれないし、そうしたら入れ違いになっちゃうし……そもそももうすぐ朝だからまともに動けな、あぁ、朝! フラン、大丈夫かしらっ。ちゃんと日光をしのげる場所にいられてるかしら……もしかしたら悪い妖怪に攫われてたりとか!」

「あなたたち吸血鬼を何事もなく攫えるような規格外の妖怪がいるなら、それはもはや異変よ」

「それに……もう二度と会うことはないなんてまでって言われちゃって、合わせる顔なんて……あぅー、フランー……」

 

 多少相手をしてみたが、なるほど。これを立ち直らせるのはなかなか骨が折れそうだ。

 そもそも元はと言えば秘密で約束を破っていたフランが悪い……と言えれば簡単なのだけど、ことはそう単純ではないだろう。

 彼女が全面的に悪いわけではない。非があるのはレミリアも同じだ。

 

「第一レミィ、あなたはあの子に過保護なのよ。ちょっと前まで地下に幽閉してたのだって、あの子の意思を尊重してのことでしょ? ご飯だってわざわざ持って行ってたし。館の外に出さないのはどうしてだっけ」

「あの子、外の常識とかよく知らないから、もしかしたらなにかの拍子に致命的ことをしちゃって、排除の対象になっちゃうかもしれないじゃない。里の人間を適当な遊び道具にしたりとか……」

「あぁ、そういえばそんな理由だったわね」

「む……そういえばだなんて、適当ね」

「適当よ。適当とは、ほどほどちょうどよいということ。決して悪い意味ではないわ」

 

 レミリアは当然ながら、周りの評判を気にしてだとかフランの行いのせいで自分に迷惑がかかるからかもしれないからとか、別に自分の保身のために彼女の外出を禁止していたわけではない。

 幽閉も、外へ出ることへの制限も。その他の昔からフランへするさまざまなすべてがなにかしら妹を、フランを思ってのこと。フランが内緒で外出していたことが判明した時に高圧的になってしまったのも、その思いが先行して爆発してしまった結果だ。彼女を思う気持ちに偽りはない。

 だけどレミリアはそのことを一切フランへ示したことはなかった。それはきっと、恩着せがましい思いを彼女に抱かせたくないから。姉として妹を大切にする、ただそれだけのことだから。それ以外の事実は必要がないから。

 不器用で、そして少しばかり歪で。けれど家族がいないパチュリーにとって、その関係はちょっとばかり眩しく映る。

 だから思うのだ。

 

「レミィ。あなたが妹さまを大切に思ってることはわかってる。でもそれは、本当に彼女を思ってのこと? ただ単にあなたがあの子を失いたくない、傷つけさせたくない。そんなエゴではなくて?」

「……私があの子の意思を無視してるってこと? そんなこと……」

「もちろんあなたが妹さまのことを一生懸命考えてることはわかってる。あの子が苦もなく健やかに、何事もなく快適に過ごせますように……だけど世の中には、たとえ苦しいことになるかもしれなくても、苦しい道を歩むことがわかっていても、その先に進みたいと思うこともあるのよ」

「まるで仙人みたいなことを言うのね」

「あの子はあなたに内緒で外に出ていた。それはあの子にとって、そうまでしてやりたいことがあったからじゃないかしら。煩わしいと、吸血鬼にとって居心地がいいとは言えないものばかりだと思っていた地上に、それでも出たいと願う理由があったからじゃないかしら」

「……そんなこと、わかってるわよ」

 

 頬を膨らませてそっぽを向くレミリア。そんなこと、パチュリーよりも彼女の方がよっぽどずっと、この半日中悩み続けていたに違いない。

 だからきっと、パチュリーが語ることに意味なんてない。すべてレミリアも考えたことだ。けれど未だ踏み切れていない彼女にもう一度、それを突きつける。

 

「妹さまは、レミィが自分のことを信じていないって言ってたらしいわね。あの子はあなたのことを少し誤解しているけれど、その言葉は決して間違ってはいない。レミィは妹さまのことを信じ切れていない。妹さまが外で問題を起こすんじゃないかと、幻想郷のルールを侵すのではないかと、そう思っている」

「……そうね。私はずっとあの子の望むがまま、自分をも含んだ他人を遠ざけ続けてきたから。そんなんでフランがいつもなにを考えてるのか、理解なんてできるはずがないわ」

「過保護とは元々いい言葉ではないけれど、保護だなんてもの、見方を変えれば束縛にもなる。まぁこれもあなたは何度も何度も考え続けたことだろうから今更私がなにかを言う意味なんてないでしょうけど……だから、もうとっくにわかっているんでしょう? 妹さまのことをまだ大切に思っているのなら、次にしないといけないことはなにか」

「そうね……うん。わかってる。わかってるわ」

 

 ……不器用なのは自分も同じか。そう、小さく息をつく。

 親友を励ましたい。その思いを伝えたいがため、背中を押したいがために、わざわざこんな回りくどい言い方をするだなんて。

 元々パチュリーにできることなんてない。そんなことはわかりきっていた。だからここまでずっと黙っていたのに、結局こうして口を出してしまっている。

 こんなことをしてもなにも変わらない。なるようにしかならない。全部が無駄なこと。それでも。

 

「ありがとね、パチェ。少しだけ勇気が出たわ」

「勇気だなんて、人間みたいなことを言うのね」

「まぁ、普段から人間を食べてるもの」

「あら怖い」

 

 少し元気を取り戻してくれた様子のレミリアと軽く話していると、一人の妖精メイドが今にも転びそうなほど慌て気味に図書館に駆け込んできた。

 今の状況下でこれほどまでに急いで誰かが来る理由なんて、一つしかないだろう。

 

「レミィ」

「わかってるわ。今度はちゃんと、あの子の話も聞く。私のことだってちゃんと話す。心配してくれるのはありがたいけど、ここは私が一人で」

 

 ふるふる、とパチュリーは静かに首を横に振る。

 

「そうじゃなくて、行くんならちょっとそこの本取ってくれる? あなたがずっとその上に突っ伏してたから見れなかったのよ」

「あ、うん……え。もしかしてこれ取りたかったら励ましてくれたわけじゃないよね?」

「もちろん」

「え、どっち? もちろんその通り? もちろん違う?」

「もちろん」

「え、いやだから、って早く行かないとっ!」

 

 少し急ぎ気味に、そしてとても微妙な表情で本を手渡してくれた彼女を見送りつつ、読んでいた本を入れ替える。

 

「……心配なんて元々してないわよ。私も、咲夜も。だって、その必要がないんだから」

 

 一人でそう呟いて、新しい本の内容に没頭した。

 しかし……素直じゃない彼女のことだ。今はあんな風にくだけていても、あの子と顔を合わせたらきっとつんつんとした態度を取ってしまうのだろうな。容易にその場面の想像がつく。

 

「ふわ、ぁ……うーん……」

 

 もうそろそろ眠くなってきた。これを読み終えたら、今日はもう横になるとしよう。

 必要ですらなかった自分の役目はもう終わった。

 次に目を覚ました時には、きっといつも通りの平和な夜が訪れているはずだから。

 

 

 

 

 

 

 

 生まれてからずっと、この世界のすべてがちっぽけなものに見えていた。

 どんなに固い物質も、どんなに巨大な物体も。ほんの少しこの手を握りしめただけで壊れてしまう。

 どんなに強い願いも、どんなに深い思いも。それを有する存在そのものが滅んでしまっては、なんの価値もない。

 自分というただ一つの個体の裁量でなにもかもなくなってしまうような脆く儚い世界で、いったいどんな価値を見い出せるというのだろう。

 この世のすべてがこの手のひらの上にはある。どんな苦労をしてなにかを成し遂げたところで、それさえもこの手を握ればあっけなく壊れてしまう。

 だったら外に出ることに意味なんてないんじゃないかと。そう感じてきた。

 こんな能力を持っているからか。いや、こんな自分だから、そんな能力を持っているのか。時折思うことがある。

 この手で自分を含む全部を壊してしまったらどうなるのだろう。自分も、お姉さまも、館の誰もかれも、空に浮かぶ月やこの星さえも。

 破壊願望、あるいは破滅願望。

 ずっと昔は本気で試そうと思ったこともあった。だって全部がちっぽけなものに感じてしまうんだ。自分も他人も、世界さえ。だからきっとそれは本当にしかたがないことで、そしてどうしようもない。

 けれど今は少し違う。自分が感じているすべてのものを壊してしまおうかだなんて、しょせん冗談としてしか考えることはなくなった。

 それはきっと自分がいろんなものを大切に思い始めているからなんだろう。楽しいと感じているからなんだろう。

 この手のひらを見下ろした時に、なにもかもがくだらなくて、等しくちっぽけに見えるのだとしても。しょせんそんな自分さえ、そのちっぽけでくだらない無数の目の一つでしかないのだから。

 

「ただいま、お姉さま。あ、まだ姉って呼んでいい?」

「……好きにしなさいよ」

「わーい。あ。あともう二度と会うことがないだなんて言った記憶もあるような気もするけど、あれはたぶん夢ね。こうしてまた顔を合わせているんだもの」

 

 硬い表情をするレミリアに冗談交じりにまくし立てる。こんな状況でそんなことができるのも魔理沙のおかげだろう。やりたいことがはっきりしているから、少し心に余裕がある。

 レミリアは初めほとんどしゃべらずに黙りこくっていたが、やがて小さく息をつく。そしていつもフランのいたずらに対してするように、ため息をついた。

 

「……さっきまで喧嘩してたっていうのに、よくもまぁそういけしゃあしゃあと接せられるものね。あなたのことだから癇癪でも起こしててもおかしくないと思ってたのに」

「あら、とんだ失礼だわ。そこまで子どもじゃないわよ私は」

「去り際に喚き散らしてたくせによく言うわ」

「それは夢よ。っていうか、私と違ってお姉さまはまたずいぶんとお硬いねぇ。そんなんじゃもてないわよ?」

「余計なお世話よ……はぁ。それで? なんだかずいぶんと平然としているけど。なにかあったの?」

「別にー? お姉さまには関係ないわ」

「ふんっ。自分から無様に戻ってきておいてよく言うわね」

 

 今日はフランだけではなく、レミリアも妙につっけんどんだ。それもしかたがない。喧嘩別れした直前なのだから。

 一度落ちつくために、大きく深呼吸をしてみた。

 地下室に引きこもっていた頃はずっと手のひらを見下ろして、俯瞰的に考えてきた。だけど今はこの手のひらの上にあるたくさんのちっぽけな存在の一つとして、主観的な見方をしてみよう。

 自分のために家を捨てた魔法使いのごとく、まるで人間のように。自分に正直に。

 

「お姉さま、まずはごめんなさい。黙って外に出ていたこと、誠心誠意謝るわ」

「っ……意外ね。えぇ、本当に意外。誠心誠意? あなたにはまるで似合わない言葉だわ」

「そんなこと私が一番わかってるわよ。でも、この思いは本物だから。悪魔としてじゃない。お姉さまの妹として、心の底から思ってる」

「私の、妹として?」

「そう。だって、私たちは仲が悪い姉妹なんかじゃなかったでしょ? 喧嘩したのなら、仲直りしたい。そんな風に思ってしまうのは当然のことじゃないかしら」

「そう、ね」

 

 どうにも歯切りが悪い。まだ怒っているのだろうか。

 だけどそれを追求している暇はない。こちらの話を聞いてくれている今のうちに伝えなければ。フランの思いを。

 

「お姉さま。内緒で外に行ってたことは謝る。でも私、まだお外に出かけてたりしていたいの。外でもっといっぱい遊んでいたいの。できることなら、お姉さまにそのことをわかってほしい」

「……それなら、当然聞かせてくれるのよね。どうしてあなたは外に出たいのか、その気持ちのわけを」

「簡単な話だわ。もっとたくさん、友達と遊びたいからよ」

「友達?」

「うん。いつも言ってることもやってることもわけわかんなくて、毎回振り回されっぱなしで……それでも、誰よりちっぽけでどうしようもなかった私を、ここから初めて連れ出してくれた、大切な友達」

 

 あの日見た星の海は未だ心に刻まれている。

 綺麗だと感じた。無数の星を。今までくだらないと歯牙にもかけなかった、ちっぽけな命の煌めきを。

 自分も彼女もその煌めきの一つだった。

 誰にも気づかれないでいた寂しい星は、誰にも必要とされない虚しい星に手を伸ばして、星座を結んだ。

 どちらの星も誰の目にもいらないと映る無価値なものだ。星座になったってそれは変わらない。

 それでもその二つの星にとって互いの光は、きっとかすかな希望として映ったから。

 ぎゅっ、と左手を握る。

 この感情は誰にも否定させはしない。この姉にも、俯瞰的な自分にさえ。

 

「お願い、お姉さま。私がお家に戻ることと、普段から外に出ることを許してほしい。まだ全然遊び足りないの。まだ全然彼女の、こいしのことを知らないの。もっといっぱい遊びたい。もっとたくさん知りたい。もっともっと、館の外に広がる世界を味わってみたい」

「もしそれを、この私が許さなかったら?」

「今度こそ本当に、お姉さまの前から消える。今度こそ本当に二度と姿を現さない。悪魔の契約にかけてそう誓うわ」

「私なんかよりそのお友達の方が大事なのね」

「そうじゃないわ。どちらも大切だから、それしかできないの。お姉さまを傷つけたくない。こいしともっと一緒にいたい。だったらお姉さまから離れるしかないじゃない」

 

 言いたいことはすべて伝えた。これでダメならこれ以上気持ちを伝えたところで、きっと全部無駄なことに違いない。

 だからちゃんと待つ。今度は癇癪なんて起こさない。まっすぐ、そらすことなくレミリアの瞳を見つめ続ける。

 レミリアがなにかを考え込むように静かに目を閉じる。そうして、数十秒は時が過ぎただろうか。

 薄目を開き、姉が足を一歩踏み出してくる。

 一瞬、びくりと震えてしまう。それでも逃げ出さず、きちんと踏みとどまった。

 一歩一歩、近づいてくる。少し顔を伏せているせいで、前髪に隠れて目元が窺えない。

 やがてすぐ目の前までやってきたレミリアは、フランの顔へそっと手を伸ばしてくる。下がることはなかったが、ぶたれるのではないかと目を瞑ってしまった。

 そして、そっと体を抱きしめられる。

 

「お、姉さま?」

 

 ぱちぱちと瞼を瞬かせると、すぐ横の間近にぼろぼろと泣きじゃくるレミリアの顔があった。

 

「う、うぅー……フランー、ぐすんっ。わ、わた、私が悪かったわ……うぅ」

「……は? え、なに?」

 

 てっきり怒っているのだと思っていただけに、いきなり泣きつかれて意味がわからない。

 これはどういう状況なのだろう。喧嘩した時に下手な言い訳は許さないとか言ってたからちゃんと全部話したのに、なんだろうこれ?

 ぐすんぐすん鼻をすするレミリアはただひたすらフランを強く抱きしめてくる。普通に痛かった。

 

「まさかフランがそんなに私のことを思って、いろいろ考えてただなんて……うぅ、私が悪かったわ……頭ごなしに否定するようなこと言って……」

「え、あ、うん……って、そうじゃなくて! お姉さま、結局どうなの? 許してくれるの? 許してくれないの?」

「あうー、フランー」

「むぐ。ちょっと……離れ、てっ!」

「ぐぇっ!?」

 

 もしかして真剣に悩んでいたのは自分だけだったのだろうか。そう思うとなんだか無性にいらいらとしてきて、半ば反射的に思い切り頭突きを繰り出していた。

 レミリアがあまりの痛みに仰け反って、頭を押さえている。誤算と言えば同じ勢いでぶつかったことで、当然フランも同等の衝撃を味わったことか。あまりの痛みで意識が及ばないが、きっと彼女と同じように自分の頭を押さえていることだろう。

 

「うぐ……わ、悪かったわフラン……ちょっと冷静さを失ってたかも……」

「べ、別にいいわよ。私も昨日はひどいこと言っちゃったし……お互いさまってことで」

 

 まだ少し目の前がちかちかとするが、もうそろそろ動ける。

 二人してふらふらよろよろと立ち上がると、そのうちレミリアは頭をぶつけた衝撃で飛んでいた帽子を拾う。その間にフランは自分の思いを伝えようとした時のようにもう一度深呼吸をして、改めてレミリアに向き直った。

 

「それでお姉さま、どうなの? 私が戻ることと、外に出ること。許してくれるの?」

「……ええ。あなたが館に戻ることを私は拒絶しない。紅魔館の主として、ううん。あなたの姉としてそれを認めるわ」

 

 さきほどまでの急に泣きついてきたレミリアは鳴りを潜め、いつもの態度に戻った姉がいる。額は腫れているが。

 とりあえず帰ることは許してくれるらしい。しかしまだもう片方の返事を聞いていない。

 

「じゃあ、外に出ることは?」

 

 重要なのはむしろこちらの方だ。じっ、と見つめるフランの目線に、レミリアは考え込むように顎に手を添える。

 

「そうね……どうしようかしら」

「……そっちを許してくれないならここに戻るつもりなんてないけど」

「じょ、じょじょ冗談よ! もちろん許すわっ。別にあなたが思ってたような私が迷惑をかぶりたくないからなんて、情けない理由だったからじゃないし……けど」

「けど?」

「少し、条件はつけさせてもらうわ」

「条件って?」

「あなたは外のことをよく知らないでしょう? そんなことに興味だってなかったと思う。だからもしかしたら、ふとした拍子に致命的な一線を越えてしまって、幻想郷の妖怪どもから目をつけられてしまうかもしれない」

「そんなこと……」

 

 ない、とは言い切れなかった。今はもうそんな自分の身が危うくなるようなことをするつもりはないけれど、無知ほどに恐ろしいものはない。

 レミリアの危惧通り、フランは外のことをあまり知らない。幻想郷に暗黙の了解として浸透している妖怪たちのルールを完全には把握していない。あるいはそれがいつの間にか致命的な一線を超える原因になってしまうかもしれない。

 

「過保護かもしれないけどね。これが私のエゴでも、あなたにはどうか学んでほしい。外のことを。人間のことを、妖怪のことを、幻想郷のことを。私があなたのことを心配してしまう気持ちがなくなるくらいに」

「……うん。それくらいならもちろん受け入れるわ」

 

 元々なにもしなくても生活できるような贅沢な環境にいた。それ以上のことを要求しておいて、多少勉強する程度のことを断ることなんてできない。

 

「……って、あれ?」

「どうかした?」

「や……お姉さまって別に私を外に出すのが恥ずかしいから外出を禁止してたわけじゃないんだよね? お姉さまの言うことを信じるならだけど。で、この条件からするとお姉さまが私の外出を許してくれなかったのって、もしかして私のことを……?」

「へっ? あ、え、い、いえっ!? な、なんのことかしら? べ、べべ別にフランが私の知らないところでひどい目に合わないか心配だったとか全然そんなことはないわよっ?」

「……あのねぇ、お姉さま。こいし譲りのつっこみだけど、ツンデレは今時流行らないわよ」

「意味はわからないけど罵倒されてることはわかる!」

 

 いつものように、フランがからかってレミリアがいじけて。たまにその逆をしたりして。

 結局全部、すれ違いが招いた喧嘩だった。もしもフランがレミリアの前から逃げ出さなかったら、いったいどうなっていたのだろう。

 ……決まっている。きっと今と同じように、こうして軽口を言い合っていたことだろう。

 だってレミリアとフランは、決して仲の悪い姉妹などではないのだから。

 

「って、あつっ! ……あー、日差し……そういえばもう朝だっけ」

「雲ももうほとんどないわね。あれだけ降ってたのに」

「あー……なんだか安心したら眠くなってきたわ……元々眠かったのに、お姉さまに寝るのを邪魔されたせいで一切寝れてないし」

「わ、私のせいじゃないわよ。元はと言えばフランが……はぁ。ううん。こういうところがいけないのよね」

「そうよー。なによ。本気で怒ってるかと思ったら心配してただけって。めちゃくちゃ悩んだのに取り越し苦労だったこっちの気持ちも考えてほしいわ」

「悪かったってば……」

 

 あくびをするフランに、ちらちら、とレミリアが視線を向けてくる。どことなく仲間になりたそうな目に見える。

 どうせくだらないこと言い出すんだろうな、と絡まれる前にさっさと立ち去ろうとすると、ごほん、と咳払いをするような声が背中越しに聞こえてきた。

 

「と、ところでどうかしら。仲直りの記念に、姉妹一緒で同じベッドで寝てみるなんてのは」

「は?」

「そ、そんな嫌そうな顔しないでよぉ……」

「うわ。ちょっとやめてよ。実の姉にそんな猫なで声で擦り寄られても気持ち悪いだけだってば」

「あうぅー、ふーらーんー……」

「ひ、ひっつかないでってば! もうっ、わかったわよ! 一緒に寝ればいいんでしょ、寝れば!」

 

 フランがいない間、ずっと心配してくれていたのかもしれない。そのせいでいつも張っている意地が緩んでしまっているのか。だとすれば、フランにも少し責任があると言えなくもない。

 無邪気に「えへへー」とか喜んでいる姉にぶるぶると鳥肌を立てて戦々恐々としつつ、引っ付いたままの彼女をずるずると引きずっていく。

 

「……少なくとも、これを尊敬するようなことは今後二度とないわね……」

 

 ため息をつきながら。けれど、ほっとしている自分もいる。

 こうしてありのままの自分を彼女にさらけ出せる毎日が続いて。彼女の本当の気持ちを知ることができて、自分の本当の気持ちを伝えることができて、よかった。

 これもまた外に出たいという願いと同じ俯瞰的なものではなく、フランがフランとして思う、偽りのない確かな思いだった。




・どことなく仲間になりたそうな目に見える
→ドラゴンクエストシリーズより。【なんと ○○○○(お好きな名前をどうぞ)が おきあがり なかまに なりたそうに こちらをみている!】


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妹はみんなそう言うおはなし。

 ここまで東方Projectのアレンジ曲を作業用BGMにしてきましたが、勝手にシリアスが入ってくるので「ご注文はうさぎですか?」のキャラソン及びサントラに切り替えました。
 どうでもいいですね。うさぴょん⌒(╹ x ╹)⌒
 ようやく大手を振って外での活動ができるようになった妹同盟の二人のおはなし。


 レミリアとのすれ違いから生じた仲違いを解消して早十数日。フランの生活は一変していた。

 というようなことはあまりなかった。

 一人で外出できる許可をもらいはしたが、今のところフランの興味はもっぱらこいしと遊ぶことにある。活動可能範囲に館の外が加わったところでこいしがいないのでは遠出する意義を見いだせず、出かけるにしても紅魔館のほんの近くを散歩するくらいだった。

 気兼ねなく外に出かけられるようになったからか、普段抱いていたレミリアへの不満、いわゆるストレスはほぼ完全に解消されたものの、様変わりと言うほどには変わっていない。

 

「え? 私のうちに来てくれるの? 来てもらってばっかりじゃ悪いからって? うーん……嬉しいと言えば嬉しいんだけど、実は私、普段は家にはいないんだよねぇ。いっつもふらふらーっとその辺歩いてるだけだから」

 

 むしろ外に出ることというよりも自分からこいしに会いに行けるようになることこそがフランの本当の目的と言って差し支えなかったのだが、当の本人はこれである。

 紅魔館。そのとある一室にて、隣り合った二つの机とイスに二人して座っていた。さながら小さな学び舎の仲良し生徒二人組のような構図である。

 

「普段はいないって、それいつもはどうやって休んでるの? いくらこいしでも遊び疲れる時くらいあるでしょ」

 

 ふらふらー、ふらふらー。突如立ち上がったこいしが奇妙なダンスを踊り始めても、もはやフランはいつものことだと気にも留めない。彼女が唐突に意味不明な行動を起こすのは日常茶飯事だ。この程度でつっこんでいてはキリがない。いい加減学んだ。

 

「そう言われてもねぇ。疲れなんて意識したことないし。それに私って無意識の妖怪だからいろいろ忘れっぽくて。体の自由もそんなにきかないしー? 何日外にいたか忘れちゃうこともしょっちゅうだもん」

「……大丈夫なのそれ」

「へーきへーき。それにね、たまにだけどちゃんと家に帰ってすぴーって寝てる記憶もかすかにちゃんとあるから。まぁでも基本的には外にいるかなー。だから悪いけど、うちに来てもらってもお出迎えとかはできないんだ。ごめんねぇ」

「それならしかたないけど……その忘れっぽいのとか体の自由云々とかってどうにもならないの?」

「無理無理。無意識だもん。勝手にそうなっちゃうのよ」

「軽く言うわね。自分の体の自由がきかないとか私ならそんなの絶対嫌だわ」

「私もそれだけ強く思えたら体の自由くらいきくんだろうけど、そうじゃないから無意識の妖怪なわけですよ。はい」

「ふーん……お前も大変なのね」

「そうです、大変なのです」

 

 しかし体の自由がきかないとなれば、普段の奇天烈極まる奇行の数々はその産物なのだろうか。だとすれば割と納得できる……か?

 ……いや、普通はどんなに無意識下だろうと突然踊りだしたりなんてしない。やっぱりただ単にこいしが変なだけだ。

 

「あ。フランフラン、なんか体の自由がきかないって聞くと、痺れ薬を飲まされたみたいなシチュエーション想像しちゃうよね」

 

 またなんか変なこと言い出した。

 フランは肩をすくめ、「それはお前だけ」とじとっとした目線でこいしを見やる。

 

「フランも痺れ薬飲んでみたら私の気持ちがわかるかもしれないよ?」

「なんでそんなもの好んで飲まないといけないのよ。第一そんなことしたら動けない間、お前になにされるかわかったもんじゃないわ」

「むぅ、信用ないなぁ。フランが嫌がることなんてしないわ。なんたって我がシスターアストラルゲートの大切な仲間だからね」

「アライアンスね。じゃあちょっと私が痺れ薬飲んで動けないところ想像してみてよ」

「身動き取れず倒れてるフラン……なんとか同人みたいなことしてほしいのかな?」

「やっぱり信用できないじゃない」

「よいではないかー、よいではないかー。あははー」

 

 くるくるくるり。機嫌よさげにこいしが回る。機嫌が悪いところなど見たことないけれど。

 なんとなく、フランもこいしが痺れ薬で動けなくなっているところを想像してみた。

 真っ先に浮かぶのは、こいしのようにいたずらをしようという思考よりも、そういう動けない状況下でさえ楽しんでいそうな彼女の笑顔だ。ついでに「フランに襲われるー!」と騒ぎ立てるまでワンセット。

 そこからフランはいたずらよりもなんだかんだ彼女の看病でもするんじゃないかと思う。ただし、その対象がレミリアだったなら顔にラクガキなどのいたずらが先に来る。

 こいしは今はふざけてはいるけど、いやいつもふざけているけど、実際にフランが動けないような状況下になればちゃんと心配してくれる……と思いたい。

 ……してくれるよね? してくれる……はずだ。たぶん、いやきっと、おそらく心配くらいは……でもこいしだし、本当に変なことしてきそうな予感も……いやでも、うーん。

 

「なに変な顔してるの?」

「ん、あー、別に。っていうか変な顔とかいつも変なことばっかりしてるやつに言われたくない。ただ、こいしは普段の言動から改めた方がいいかもねって思っただけ」

「うーん、そっかぁ。私も最近喜びの舞いは逆回転の方がいいかなーって悩んでたんだけど、やっぱりフランもそう思う?」

「それはきっと横回転じゃなくて縦回転の方がいいと思うわ」

「わっ、さすがフラン! 目のつけどころが違うわっ」

「褒められてるのか煽られてるのか……」

 

 仮にこれで褒めてるなどと答えられても反応に困る。まるで嬉しくない。だとしたらどっちでも結局変わらないか。

 こいしが本当に縦回転の練習を始めようとしていたので、袖を引っ張ってきてさっさと止めた。空中でふわふわと浮きながら前転しまくられても反応に困る。

 こいしの相手もほどほどに、ちらり、と時計の針を確認する。

 時間はそろそろなのだけど、まだ来ないのだろうか。一緒に待っている相手がこいしだから退屈はしないにせよ、少し待ちくたびれた。

 

「ねーフラン、下見行こうよ下見ー。今日は森でかくれんぼしようっ」

「あの森毎日地形変わるし広すぎるってば。どっちも見つからず飽きるのがオチよ。そもそも今日は外じゃ遊べないって言ったでしょ?」

「そうだっけ? っていうかなんで私たちこんなとこでおとなしく座ってるんだっけ?」

「お前はもうとっくに座ってなんかないけどね……っていうか、ほんとに忘れっぽいのねぇ。まるで妖精みたい」

「ふふんっ、でしょでしょっ? ……あれ、褒められてない? なんか今バカみたいって言われた気がする……」

「自慢げに肯定してから気づくことじゃないわね」

「むむー。私はバカじゃないやいっ」

「バカはみんなそう言うの」

 

 真顔で返してやると、こいしは不満そうにぷくーっと頬を膨らませていた。

 いたずら心が働いて、そのもっちりとした頬を素早く指でつつけば、ぷしゅーっと空気が抜けていく。むすっとしたこいしがフランに同じことをしようと手を伸ばしてくるが、その手には乗らない。

 座ったままでは分が悪いので、立ち上がり気味にこいしの手を躱し、後退した。見た目は相当幼いにせよ、吸血鬼は幻想郷のパワーバランスの一角を担うほどの妖怪だ。元の身体能力や動体視力に差が存在する以上、こいしの力ではなかなかフランを捕まえられない。

 

「むーっ、待ちなさいよー! ほっぺっ、私にもほっぺ触らせてー!」

「あははっ、待てと言われて待つバカはいないってね。あぁ失礼、バカならちょうど目の前にいたわねぇ。くふふ」

「むぐぐー!」

 

 ひらひらと舞うようにしてこいしを翻弄する。あと少しで掴まると言ったところで、ひらりと横に躱す。フランが本気を出せば部屋の隅から隅までほんの一歩でたどりつけるけれど、ギリギリを演じた方がこいしを煽るのにちょうどいい。

 と、余裕ぶってはいられたのも初めのうち。

 こいしは無意識の妖怪だ。その行動はほとんどすべてが無意識において行われる。ゆえに予測ができない。予備動作もなにもなく、どこからともなく意識していなかったところから唐突に手が伸びてきたりなどということも多々あった。

 吸血鬼の動体視力を頼りになんとか避け続けてはいるものの、少しでも気を抜けば掴まる可能性もじゅうぶんにある。もちろん、身体能力の為せるがままに延々と距離を取れば絶対に捕まりはしない。けれどそれではつまらない、というかなんだか負けたような気がして、意地でもこいしを翻弄しながら部屋中を逃げ続けた。

 

「ふんむ、ほっ、とりゃー!」

「わっ、ととっ! あはは、その程度じゃまだまだ捕まらないわよっ」

 

 と、部屋の扉の前までやってきたところ、不意にその扉が開かれる。

 

「って、わ、わわっ!?」

 

 予想外の事態で一瞬動きが止まったところをこいしにほんの少し押されてしまい、空いた扉の方へと体がよろける。バランスを取れずそのまま倒れるかと思い、衝撃に耐えようとぎゅっと目をつむったが、代わりに訪れたのはぽすんっと誰かに抱きとめられたかのような感触だった。

 

「おっと……こらこら、部屋の中で走り回ったら危ないじゃないか」

「あ、えっと、ごめんなさい?」

 

 真上から聞こえた、少し叱りつけるような声。知らない声音だったので首を伸ばして声の方向を見上げれば、やはり知らない顔の女性がフランを見下ろしている。

 その女性は、目をぱちぱちとさせるフランの頭を帽子越しに優しく撫でては小さく頷いた。

 

「うむ、よろしい。これからはちゃんと気をつけような。こうして誰かにぶつかるかもしれないし、転んで怪我なんてしたら大変だ。まぁ君は妖怪だからすぐに治るんだろうが、痛いことには変わりない。そっちの胸の辺りに目が浮いてる君もだ」

「たわし?」

「それは掃除用具だな」

 

 最後にフランの頭をぽんぽんと撫でて、女性はフランから離れる。

 そこで初めてその女性の全身を認めることができた。

 フランを抱きとめることができただけあって、その身長は人間の大人ほどには高い。腰に届くかというほどの銀色の長髪には青色のメッシュがかかっていて、少し神秘的な美しさを感じさせる色合いだ。衣服は帽子からロングスカートまで基本となる色はすべて青で統一されている。帽子や胸元の赤いリボン、それからスカートの白いレースがチャームポイントと言ったところだろう。

 なんとなく、この紅魔館のメイド長である十六夜咲夜を連想させた。彼女もメイド服、つまりは青色の服を正装としていて、紅魔館の中では二番目程度に外見年齢が高く銀色の髪をしている。けれどあくまで彼女は未だ少女の風格を出ることはなく、目の前に立つ女性はもっと大人の女性と言った雰囲気を存分に纏っていた。

 

「えっと、あなたは?」

「ん、あぁ。私は上白沢慧音。人間の里で寺子屋を開かせてもらっている、しがない獣人さ」

「おー、先生だっ!」

「そう。先生だ」

 

 先生! 先生! と叫んでいるこいしは置いておいて、こいしとのじゃれ合いに夢中ですっかり忘れかけていたこの部屋にいる理由を思い出す。

 フランはレミリアと仲直りをして、外出する許可をもらった。そしてそのために課された条件が人間や妖怪、幻想郷など館の外にある世界のことを学ぶこと。

 ただ学ぶだけならば本を読むだけでも問題ないが、それでは確実性に欠ける。誰かに見てもらった方が手っ取り早く、また学んだ内容がきちんと把握できたのかも確認しやすい。

 そういうわけでレミリアが手配したのが人間や妖怪、幻想郷の歴史に詳しい家庭教師。つまり、この上白沢慧音だった。

 これまではその家庭教師への依頼やらなにやらで時間が空いていたけれど、レミリアとの約束で、今日からは定期的にこうして授業を受ける時間が儲けられる。今日がその初日、つまりは慧音との顔合わせの日だった。

 吸血鬼の家庭教師だと言うから屈強な妖怪を想像していただけに、実のところちょっと戸惑っている。慧音から感じられる力量はそう強いものではない。おそらく保有する妖怪としての能力もまた戦闘向けのものではないだろう。

 

「あなた、慧音だっけ?」

「む、呼び捨てはよくないな。確かに君の方がはるかに年上だろうが、仮にも私は君の先生になる。名前の最後に先生をつけるように」

「じゃあけーね先生。けーね先生って全然強そうじゃないけど、平気? 私のこと怖かったりしない?」

「怖い? なぜだ?」

「だって私のうちに来てるってことは私の噂くらいは当然知ってるんでしょ? 情緒不安定でいつ怒り出すかわからない狂気の妹ー、みたいな。実際私にかかればけーね先生くらい一捻りだし」

「あぁ、まぁ。そういえばそんな話もあったな。半分聞き流していたから忘れかけていた」

「忘れかけてたって……なんていうか、自分の生き死にに関わることだってのにずいぶんとのんきな対応ね」

「そんな大げさな話でもないだろう。確かに噂も来る途中耳にしはしたが、それ以前に君の姉からも君自身の話は聞いていた。あれはなかなかに妹思いの姉だな。少し誤解していた」

「ふぅん。まぁ怖くないって言うんならいいけど。ずっと怖がられてちゃまともに教えてもらえないしね」

 

 そう返したフランに、慧音は少し驚いたように瞠目していた。

 

「ふむ……教える相手が妖怪だからと面白半分で授業を受ける態度も考慮していたが、思っていたより真面目に学ぶ気があるようで安心したよ」

「ちょっと。それはさすがに失礼すぎない?」

「ははは、悪い悪い。先入観を持ってしまうのは私の悪いクセだな」

 

 謝りつつ、慧音はすたすたと足を進めた。立ち止まったのは少し前までフランとこいしが座っていた机とイスの少し前、この日のために用意された黒板と教卓の間である。

 

「ほら、二人とも早く席につけ。初日だから大したことをするつもりはないが、まずはお互い自己紹介くらいはしておこう。親睦を深めるのは大事だぞ」

「二人って、私も?」

 

 こてん、とこいしが首を傾けている。慧音はフランの家庭教師だから本来ならこいしは関係ない。

 けれど慧音はもちろんとでも言いたげに大きく頷いてみせた。

 

「依頼主、まぁここの主の吸血鬼なんだが、彼女からは妹が誰かと一緒にいたならそれにも教えてくれと言われている。一人くらい増えたところでどうってことないよ」

「わっ、やったっ。フランと一緒にお勉強だー」

「そもそも机とイスがすでに二人分用意されている辺り、あの吸血鬼も初めからそのつもりだったみたいだがね」

 

 お勉強お勉強と嬉しげなこいしに手を引かれ、最初に座っていた席へ戻る。

 二人が座ったことを確認すると、慧音はこほんと一度咳払いをした。

 

「さて、私からだな。すでに言ったが、私は上白沢慧音。人間の里で寺子屋を営んでいる、しがない白沢(はくたく)の獣人だ」

「せんせーっ、はくたくってなんですかーっ」

 

 片手をぴしっとまっすぐ上に伸ばしてのこいしの質問。人間の子どもの真似でもしているつもりなのか、口調も大分幼い。

 聞き方はともかく、質問の内容自体はフランも気になっていることだ。じっ、と慧音を見つめて回答を催促する。

 

「白沢は牛の妖獣だな。魑魅魍魎の類に詳しい頭のいい妖獣だ。かつて人間に知識を授け繁栄を促したことから聖獣や神獣ともされる。いわば人間の味方に近い妖怪と言える」

「けーね先生はその白沢の妖獣ってわけね」

「ん? あぁ、いや。それは少し違うな」

「違うの?」

「私は獣人、つまりは半人半獣だ。要は妖怪の一種なわけだが、獣人は完全に獣の妖怪である妖獣と違って人間の要素が強い。というより普段の力は普通の人間と大して変わらないんだ。そうだね、少し違うが、特定の条件下でのみ妖怪化してしまう呪われた人間とでも言った方がわかりやすいかな。私の場合、満月の夜にのみ白沢になるワーハクタクというものだ」

「ふぅん。そんなのもいるんだ」

「フランってやっぱり箱入りなんだね。こんなことも知らないなんて。これなら私の方がいっぱい知ってるよ」

「ここぞとばかりにバカじゃないことをアピールしようとしなくていいの」

 

 それよりもっと気になることがある。慧音は自分を妖怪の一種だと言ったか。

 

「ねぇけーね先生。質問なんだけど、人間の里ってそんな妖怪が堂々と暮らせるようなとこだっけ? っていうか妖怪が寺子屋なんか開いたって人間なんて誰も集まんないと思うんだけど、そこのところどうなのかしら」

「ふむ、そうだね。確かに一部を除いて妖怪は人里をそう堂々とは出歩けない。と言っても、さっきも言った通り獣人は人間と大して変わらないんだ。寿命だって普通の人間よりちょっと長い程度だからね。獣人としての力を使って人の生活を手助けしたりすることもあるくらいだ。あくまで妖怪だからたまに多少避けられたりすることもあるけれど、忌避されるほどではないさ。私の妖怪としての部分である白沢が人間に友好的な性質だというのも大きい」

「ふーん。じゃあダメ元で聞いてみるけど、私が里を堂々とぶらつき回るのは?」

「ダメに決まってるだろう。君は純粋な妖怪、それも悪魔、吸血鬼だ。せめてその特徴たる牙と翼くらいは隠して人間のふりをしてくれなければな」

「ふりをすれば入ってもいいの?」

「いやまぁ、人間の味方としての立場からは入ってもいいとは大声では言えないけれど……実際の話、多くの人間が気づいていないにせよ、天狗や狸なんかの妖怪が人間のふりをして紛れ込んでることなんて日常茶飯事だ。妖怪ウサギなどに至っては変装もなしに普通に馴染んでるしな。入っていいとは決して言えないが、問題も騒ぎも起こさないのなら私から言うことはなにもない」

「ふぅん。今度変化の練習でもしておこっかな」

「そんなことしなくても私と一緒なら誰にも見つからないわよ?」

「そしたらお店でなにか買ったりとかできないでしょ。盗むわけにもいかないし」

 

 別に盗むこと自体に心が痛むのではなく、盗んだことが問題になって目をつけられるのがダメなのだ。食べ歩きなどしていろいろ楽しみたいのなら、やはりこそこそとするのではなく堂々と出歩ける手段が欲しい。

 

「さて、私のことはこんなところか。君の名前はもう聞いているが、まだ直接聞いてはいないからな。自己紹介を頼む」

 

 慧音に指名されたのは本来の教育対象、フランドール。フランは頷いては自分の胸に手を置いた。

 

「私はフランドール、フランドール・スカーレット。フランでいいわ。この紅魔館の主、レミリア・スカーレットの妹よ。今日からよろしくね、けーね先生」

「あぁ、よろしく頼む。フラン」

「……え、それだけ? フラン、それじゃつまんないよー。もっとなにか言おうよ。ほら、たとえば好きな人とかっ。具体的には『こ』から始まって『し』で終わって真ん中に『い』が入る三文字の名前の!」

「それはきっと好きな人ってよりなにかと騒がしいやつ」

「もうっ、フランはあいかわらず照れ屋のツンデレさんだなぁ。前にも言ったと思うけど、ツンデレは今時流行んないんだよ? 最近は素直な子の方が需要あるんだって。そう、私みたいな! 私みたいなっ!」

「お前が素直かどうかはともかくとして、私はツンデレじゃない」

「ツンデレはみんなそう言うんだよ」

 

 なぜか真顔で返される。

 

「はいはいそこまでだ。次はそこの元気いっぱいな君、自分のことを話してくれるか?」

「ふっふっふ、おまかせあれ! 私の名は古明地こいしっ! いずれこの幻想郷を統べるシスターアスキーアートが一人、古明地こいしである! ふはははー!」

「こいしか。君は……なんて言えばいいのかな。最初に顔を合わせた時から思っていたが、なんというか……変わっているな」

「はっ!? 私の常人とは一線を画した精神性が一瞬で見抜かれた……あなた、ただものじゃないね!」

「いやまぁただものというか、先生なんだがな」

 

 こいしは初対面の慧音が相手でもなにも変わらない。いやむしろ変わらないから無意識なのか。人によって態度を変えるようなことはなく、ただひたすらにありのまま。見方によっては魅力的に映るかもしれない。

 慧音もそんなこいしに悪い思いは抱いていないようで、いちいち大げさにリアクションを取るこいしに、いわば出来の悪い生徒を眺めるかのような視線を送っている。

 悪い意味ではない。出来の悪い子ほど可愛いとも言う。そういう、若干あきれつつも嫌ってはいない、むしろそれなりに気にかけている、そんな視線だ。

 

「さて、自己紹介はこんなところだな。特になにもなければこれからの授業の説明でもしようと思うんだが、なにか質問とかはないか?」

「あ、じゃあ」

「なんだフラン。遠慮なく言っていいぞ」

「けーね先生って人里で寺子屋をやってるのよね。それで私の家庭教師もやってって、忙しくないの?」

「あぁ、なんだそんなことか」

 

 嫌でやってるんじゃないか、と暗に問いかけたつもりだったのだが、そんなことは慧音にはバレバレらしい。彼女はフランを安心させるように小さく微笑んだ。

 

「私はここのメイド長を通して依頼をされたんだが、その時にもらった資料によると、フランは今までずっと地下室で生活してきたせいで外の常識をよく知らないそうだね」

「うん、まぁ」

「吸血鬼のように強力な妖怪をそんな無知な状態で野に放つわけにもいかないだろう? 今後の人間の里の安全も考慮すると、私が直接教えた方が安心できるというものだ」

「……私をコントロールするために引き受けたってこと?」

「初めはそのつもりだった。が、こうして顔を合わせた今では違う気持ちの方が強い。私も妖怪とは言えしょせんは人間に近い獣人だ。こうして先生と慕ってくれる勉強意欲が高い生徒を前にすれば、おのずとこちらも教えたい気持ちになるものさ」

「それなら別にいいけど。でもそれ、大変なのは変わりなくない?」

「多少はな。けど、それこそフランの気にするようなことではないよ。これは私が好きでやっていることだし、なによりこの仕事は報酬がいい。これで得たお金を寺子屋の設備の充実に当てれば授業も捗るというものだ」

「仕事で得たお金を仕事場の設備に当てるって、なにか間違ってないかしら」

「間違ってはないさ。私が教える生徒たちに笑顔になってもらえれば私も自然と嬉しいものだからね。だからしょせんこれも自分のためだよ」

「お人好しねぇ。まるで妖怪とはかけ離れた思考回路だわ」

「獣人の精神は妖怪というよりも人間だからな。そんなものだよ」

「人間っていうより、むしろ聖人みたいだけど。半分が聖獣だからかしら」

「褒め言葉として受け取っておこう」

 

 他は特に気になることも質問もなく、しばらくすると慧音による今後の授業の説明が始まった。

 上白沢慧音。人間の里に住まい、人に慕われながら、妖怪にも理解のある人間寄りの妖怪。なるほど、人間と妖怪が共存をする幻想郷において、それについて語るのにこれほどふさわしい教育者は他にいないだろう。

 定期的に授業を受けなくてはいけないというのは、本音を言えば若干面倒ではある。しかし、こうしてこいしと一緒であるならば割と楽しくやっていける気がした。

 もっとも、毎度こいしがいるとは限らないのだけど。



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楽に運動不足を解消したいおはなし。

 フランは自分のことを、どちらかと言えばインドア派だということを自覚している。インドア、つまり室内で遊んでいる方が好きということだ。

 外に出られるようになったと言っても吸血鬼の特性上、太陽や雨を煩わしいと思う気持ちは変わらないし、ずっと地下室で過ごし続けてきたから運動が得意だとも言いがたい。吸血鬼ゆえに身体能力などの潜在能力はずば抜けているにせよ、それに対しフランにできることと言えば、その圧倒的なまでの力を文字通り力任せに振り回してみせることくらいである。まず間違いなく十全に使いこなしているとは言えない。

 そんなフランと違い、こいしはアウトドア派だ。とにかくじっとしていることを嫌い、ひたすらふらふらとその辺を歩き回り続ける。体力の続く限り行動し続け、疲れ果てれば少し休み、起きたらまた懲りずにふらふらと。まるで幼い子どものような快活さを特徴の一つとしている。

 そういう真逆と言ってもいい性質の二人が仲良くなることができたのも、ひとえにこいしが分け隔てのない無意識の妖怪だったからだろう。

 いつもなにを考えているのかわからない、というかなにかを考えているのかすらわからない。無意識にすべてを委ねる放浪妖怪。妖精(バカ)みたいと言うと彼女は毎度不服そうに頬を膨らませるけれど、そんな彼女だったからこそ、フランはこいしを気に入ったのだ。

 室内で遊んでいる方が好きだったというのも今は昔の話。今も別にそこまで外で遊ぶことが好きというわけではないけれど、内や外など関係なく、こいしと遊ぶことは室内で遊んでいる時の何倍も充実している。そのこいしが屋外での行動を主軸としている以上、暇な際のフランの思考が「どうすればもっとこいしと楽しく外で遊べるか」に至るのは自然なことだった。

 

「体の動かし方を知りたい、ですか」

「そうそう。ほら、咲夜も知っての通り私って箱入りでしょう? 地下に引きこもってた頃は一人じゃなんの意味もない努力とかなんだとかそういうの大嫌いだったし、そもそも運動なんて屋内でするようなことじゃないわ。あんまり得意じゃないのよね」

「それは心得ていますけれど、なぜお嬢さまやパチュリーさまではなく私に直接ご相談を?」

「だってあいつに言ったら『それじゃあ一緒に運動しましょうっ?』とか喜々として誘われるのがオチだもん。無駄に準備整えられたりしてさ、そのくせしてきっと効率は悪い。私はもっと効果的かつ楽に運動不足を改善したいのよ。その点パチュリーもダメね。あれは一目見るだけで不健康優良児だってわかるもの」

「ふふふ、妹さまは手厳しいですわねぇ」

 

 曇りの日の昼下がり。万が一にも話が耳に入らないようわざわざレミリアが寝ている時間帯を狙い、咲夜に話を持ちかけていた。

 ついこの前、慧音との顔合わせの日にこいしの頬をつついたことをきっかけにちょっとだけ追いかけっこをしたことが、今回の相談の発端だった。

 あの時は慧音に中断されたおかげで捕まらずに終わったけれど、本音を言ってしまえば、あのまま続けていれば必ずこいしに捕まっていただろうと思っている。ほぼ体力無尽蔵でひたすら好奇心旺盛なこいしに比べ、フランはただ単に身体能力が高いだけだ。きっと最後には集中が切れてフランがしたことと同じように、彼女に頬をつつかれていたに違いない。

 それ以前にも紅魔館の前にある湖――この前知ったが、霧の湖と言うらしい。昼間は視界を塞ぐほどに霧が大量に出ているからだとか――で追いかけっこをした際にも、少しだけ彼女との運動神経の差は感じていた。

 要するに、悔しいのだ。いつも外に出ている彼女と差があるのは当然と言えば当然と言える。だけどそんなことは関係なく、本来なら負けていたという事実が我慢ならない。

 ただ、こいしと同じ土俵に立ちたい。そう思うことはおかしいことではないはずだ。

 フランの相談に、咲夜は考え込むように顎に手を添えた。

 

「しかし、効果的かつ楽に、ですか。これまた難しいご注文ですね」

「咲夜ってスタイルいいし、きびきびしてて運動神経よさそうだし、なにかいい方法知らないかなーって思ったんだけど」

「あら、妹さまはお上手ですわね。お褒めいただいたからにはなにか良き方法を提示してさしあげたいところなのですが、なにぶん私はただのメイド。教えられることと言えば料理と作法、あとはナイフ投げくらいですからねぇ」

「ナイフ投げ教えられるのはただのメイドなのかしら……」

 

 しかも咲夜が主に用いているのは銀のナイフだ。銀、つまりは吸血鬼の弱点の一つ。よくそんな一見叛逆する気満々にしか見えないものの使用をレミリアが許可しているものだと常々思う。しかも全身に隠し持っているというのだから手に負えない。

 咲夜自身が時間を操るという、字面だけでも他とは一線を画した力だとわかる能力を保有していることもあって、もしも彼女に謀叛の気があったのならいくら吸血鬼と言えどただで済む保証はないというのも恐ろしい。

 

「どうかなさいましたか? そのように上から下まで品評するように目線を送られては私と言えども照れてしまいます」

 

 頬に手を当てて恥ずかしそうにする、そんな仕草もさまになる。

 品定めをしているつもりはなかったのだけど、このメイド服のどこに大量のナイフを隠しているのだろうと全身を眺めて唸っていたのは確かだ。

 ナイフのことではないが、この際だから少し気になっていたことを聞いてみることにしよう。

 

「いやねぇ、咲夜っていっつもお姉さまにこき使われてるんでしょ? ちょっと文句言いたいとか逆らいたいとかって思ったことはないの?」

「これはまた、答えづらい質問ですね」

「それってやっぱりちょっとは不満だって思ってるから?」

「いえいえ、そのような気はまるでございませんが、ここで少しでも曖昧な答え方をしてお嬢さまの耳に入ってしまえば、私は今以上にこき使われてしまうでしょうから。ですからここは不満などあるはずもありませんと答えておきましょう」

「別に告げ口だなんてするつもりないのに」

「ふふ、本当に不服な気持ちなどないのですよ。私はお嬢さまに名前をもらいました。それを受け入れた時から私の運命のすべてはお嬢さまこと、レミリア・スカーレットのもの。私はこんな私を望んでくれたお嬢さまのために人間として生き、お嬢さまのために人間として死ぬ。初めからそう決めています」

「……人間として、ねぇ」

 

 少しだけ、レミリアが咲夜を信頼する気持ちがわかった気がした。

 

「私などのことより、妹さまのご相談ですわ。効果的かつ楽に体の動かし方を学ぶ方法、でしたか。申し上げました通りあいにくと私は存じ上げませんが、この館の門番たる彼女ならばあるいは……」

「門番? ……あぁ、そんなのもいたわね。昼間稀に来る無謀にも私たちを退治しようとするつまんない人間を追い返したりしてるんだっけ? 名前覚えてないけど」

紅美鈴(ホンメイリン)です。妹さまは顔もろくに合わせていらっしゃらないはずですので覚えていなくともしかたないかと。彼女は妖怪としては妹さまがた吸血鬼とは比べるべくもない変哲もないただの中級妖怪に当たりますが、本来人間の技術である武術を得意とする少々変わった妖怪でもあります」

「へえ、武術! いいわね、それ。なんだか面白そうっ!」

「彼女が妹さまのご期待にそえればよいのですが……そうですね。他の妖精のメイドたちかホブゴブリンにでも代わりの門番を任せて、妹さまの前にお呼びいたしましょうか?」

「ううん、それには及ばないわ。ちょうど今曇ってるし、私が直接会いに行く。せっかくお外に出られるようになったんだもの。そうしなきゃもったいないじゃない?」

「左様ですか。では、私の役目はここまでですね。あとできることと言えばただ、お嬢さまやパチュリーさまと違って、妹さまが見事健康優良児となれますよう祈ることくらいです」

「くふ。やっぱり咲夜ってちょっと不満に思ってたりしない?」

「いえいえ、今のはただ事実を述べただけですから。それに私めは妹さまを信用しています」

 

 信用している。つまり、密告はしないと信じている。よくもまぁこんなにも堂々と言えるものだ。お茶目のつもりなのかもしれない。

 いつもならこんな弱みを手にすれば「どうしようかなぁ」といたずら気味に揺さぶりをかけるところなのに、そんな気を欠片も起こさせないのもまた、咲夜の手腕の為せる技なのだろう。

 

「ねぇ咲夜、もしお姉さまの従者が嫌になったりしたら今度は私に仕えてみない? お姉さまのとこと違って、ほんのちょっと私の遊び相手になってくれるだけでいいホワイトな職場よ?」

「ふふ、私などを気に入っていただけるのは嬉しい限りですけれど、私はすでにお嬢さまに身も心も捧げた身。せっかくのお誘いですが、ご無礼ながら丁重に断らせていただきましょう」

「あら残念。ふられちゃったわ」

「妹さまなら妹さまに見合うもっと良きふさわしいお相手(パートナー)がいらっしゃいますわ。私にできることはただ、そんな妹さまがたを陰ながらサポートすることだけ」

「本当、できたメイドねぇ咲夜は。お姉さまにはもったいないくらい」

「それこそもったいないお言葉です」

 

 咲夜との交流もほどほどに、それじゃあね、と手を振ってその場をあとにする。

 門番がいる場所と言えば当然、館の入り口だ。最短ルートで玄関までやってきたフランは、以前までこいしと出て行っていた時のようにこそこそとはせず、堂々と玄関の扉を開けると直線状にある敷地の門を目指した。

 紅魔館の庭は広く、緑溢れる生命力の匂いに満ち満ちている。外に出ることを許されるようになってからは、この庭を散歩することも少なくない。

 門と館との中央に位置する噴水を避けて、さらに先に進んでいく。

 

「えーっと、確かー……そう、美鈴。美鈴っ、美鈴ー。美鈴ってこの辺にいるっ? いるよねー?」

 

 門に近づいてきたので少し声を大きくして名前を呼んでみると、こちらが門をくぐるよりも先に向こう側から返事が飛んできた。

 

「あ、はいはいっ! ここにいますよーっ。お嬢さまですよね。こんな時間からどうかしまし……あれ?」

 

 門柱の向こうからひょいっ、と顔を出したのは、咲夜と同等かそれより少し上くらいの風貌をした女性だった。魔理沙がいかにもな魔法使いと言うのなら、この女性はいかにもな中華らしい服装をしている。

 これまで名前を聞いても若干ぴんと来なかったけれど、こうして実際にこの目で見て思い出してきた。フランは何度も彼女のことを見てきている。館の中でもたまにすれ違うし、庭で行われるパーティにも参加しているのを窓から見たことがある。

 美鈴はフランを見つけるとぱちぱちと目を瞬かせ、その疑問をそのまま表すかのごとく不思議そうに首を傾げた。

 

「お嬢さま、じゃない? 妹さまですか?」

「他の誰に見えるの? それとも私の顔なんて忘れてしまった? 悲しいわね」

「い、いえいえ滅相もありません! ただちょっと珍しかったから驚いただけですっ! そんな泣きそうな顔しないでくださいよ!」

「冗談よ、冗談。こんなのでそんな大げさに反応なんてしなくてもいいわよ? どう見ても演技じゃないの。からかいがいのあるやつね」

「あ、はい……これは確かにお嬢さまの妹さまだわ」

 

 出会って早々肩を竦められる。

 そうは言っても今のは美鈴が悪い。ちょっと顔を伏せてみせただけであんなに慌ててくれるだなんて思わない。なんとなく、これはきっとたまにお姉さまにおもちゃにされてるんだろうな、とフランは思った。

 

「それで妹さま、どうかしましたか? 私になにかご用でしょうか。私、そんな大したことできませんよ。私にできることは大抵咲夜さんもできますし」

「その咲夜ができないことをあなたに相談に来たのよ。咲夜の提案でね」

「咲夜さんの提案、ですか? これまた珍しいこともあったものですねぇ。私にできることなんてたかが知れてますが、頼られたからには全力で受け答えさせてもらいますよ。それで、結局なんの相談なんです?」

「私に体の使い方を教えてほしいの」

「体の使い方ですか?」

「そう。ほら、私ってずっと箱入りだったでしょう? だから運動があんまり得意じゃなくってね。美鈴は武術が得意だって聞いたわ。それのコツとかあったら教えてよ」

「あぁ、そういうことですか。確かにそれなら咲夜さんより私の方が適任ですね。把握しました」

 

 しかしコツですか、と言いたげに「むむむ」と美鈴が唸る。

 

「そうですね……正直に言ってしまうと、コツと呼べるほどはっきりとした近道は武術にはありません。何事も一つずつ目の前のことから、一歩ずつ確かに踏みしめて、一段ずつ実感を伴って登っていく。強いて言うなら、そういう堅実さこそがコツでしょうか」

「つまんない答えねー。もっと簡単な方法とかないの? 私、地味な積み重ねとかって嫌い」

「あはは、さすがお嬢さまの妹さまだけあって無茶振りしてきますねぇ。しかし申しわけありませんけど、本当にそういうものはないんです。体を動かすということは必ず基本が大事になるもの。仮に邪道を極めるにしても基礎から逃れることはできません。なぜなら邪道は王道を意識してこその横道なのですから、王道を知らずしてそれを極められるはずもありません」

「さすが武人ね。よくわかんないけどなんかそれっぽい感じな雰囲気がひしひし伝わってくるわ」

「それってあんまり伝わってないってことじゃ……」

 

 美鈴はさらに難しそうな顔をして腕を組み始める。どうにかフランを納得させる答えはないものか、と懸命に探してくれているようだ。

 しかし美鈴には悪いが、初めに即答で基本が大事などと答えられた時点で違う答えが出ることなどまったく期待していない。真剣に悩んでいるせいで周りの言葉も聞こえていない様子の美鈴に、とりあえずもういいことを伝えるために袖を引いた。

 

「美鈴、もうコツはいいから今度は美鈴が武術使ってるとこ見せてよ。一回見てみたいって思ってたのよね」

「武術を使うところ、ですか。それくらいならもちろんいくらでも大丈夫です。でも壁とかに撃つと壊してしまうので空振りしかできませんけど、構いませんか?」

「別にそんなの壊したっていいわよ。私の責任じゃないし」

「まぁ確かに妹さまの責任ではないでしょうけど……とりあえず適当にやってみますね。うーむ、ここはシンプルにわかりやすいものを一つ……」

 

 すぅ、と静かに美鈴が構えを取る。それだけでフランはおおーっという感じの気分になる。フランの戦い(遊び)方に構えなんてものはない。その身に宿る暴力をただひたすらに解放するだけだ。

 フランが見守る中、美鈴は片腕をまさしく引き金を引くように引き絞る。次の瞬間、だんっと一歩を強く踏み出すと同時に繰り出された一撃はまさに空気を裂き、弾丸さえ生ぬるい。超至近距離における大砲の一撃とさえ錯覚させるほどの衝撃だった。

 

「……ふぅ。こんなものですね。まぁ、気もなにも使っていないただの掌底なんですが」

「ううん、すごいっ、すごいわ! これまでずっと『私たちより弱い門番とかなんか意味あるの?』とか思ってたけど、見直したわ美鈴!」

「お、思われてたことの内容が大分ひどいですけれど、褒められて悪い気はしませんね。ありがとうございます」

 

 嬉しさゆえの笑いと苦笑いが半々ずつ。けれどフランは本当に彼女のことを見直したのだ。

 構えを解いた美鈴にフランは目を輝かせながら近寄った。そうして今まさに掌底を打ってみせた手を自分の両手で持って、手のひらをじっと見つめてみたり、ぷにぷにと感触を確かめてみたり。興味津々で観察する。

 

「あは、あははっ! ちょ、ちょっとくすぐったいですってば妹さまっ。もうちょっと優しくお願いしますっ」

「むぅ……不思議だわ。どうしてこんなやわな手であんな鋭い感じの一撃を繰り出せるのかしら」

「そ、そうですねぇ、ふふ。今ではもう無意識にできてしまうことですから説明がしにくいのですが、技というものはその部位だけで繰り出すものではないんですよ」

「どういうこと?」

「結果的に攻撃する部位、今回の場合は手のひらに力を乗せるよう収束させましたが、その実は全身を使って威力を高めているんです。下半身できちんと軸を取り、ネジを回すようにして力を高めながら循環させて、とかそんな感じです。口ではちょっと説明しにくいんですが……」

「全身の力を、ねぇ。そんなことできるの?」

「できますできます。慣れないかたは腕や手首の力だけでどうにかしようとしてしまいがちなのですが、きちんと練習を重ねれば次第に必ずできるようになります。私がそうでしたから」

「ふぅん。練習を重ねれば、かぁ……好きじゃないんだけどなぁ」

「私なんかができたんですから妹さまにできないはずがありませんよ。あ、どうです? ちょっと今の技、チャレンジしてみます?」

「えっ、いいの? っていうかできるの? 今の私でも?」

「もちろんいきなり私ほどには無理のはずですけど、私が少し手を貸せばおそらく今の掌底打ちくらいは……妹さまはまだ基礎の基の字も知らないはずですので微妙なところですけれど」

「やれる可能性があるだけでいいわ! 私、やってみたい!」

「はいっ。ではこちらへ。えっとですね、まずはこう、少し足を引いて、腕を――」

 

 美鈴に言われるがまま。いや、半ば動かされるがまま。

 言葉とともに、美鈴に後ろから抱きつくようにして一挙一動を丁寧に、文字通り手取り足取り整えてもらう。初めはひどく不格好だった構えも、次第に美鈴がさきほどまでやっていたそれと似通うようになり、最後にはせいぜい出来のいい真似事レベルにはしっかりとした構えになった。

 ただ、ここからはフラン自身の体はフランが動かさなくてはならない。始めるための準備は美鈴に手伝ってもらえても、技を繰り出すのはフラン自身なのだから。

 どうやって美鈴が掌底打ちとやらを繰り出していたのか細かくは思い出せなかったフランの前で、美鈴は何度も何度もそれを行ってくれた。時にはゆっくり、ポイントを説明するように。とても丁寧に。

 そうして美鈴の動きを完全に頭の中に叩き込んで、少しだけ深呼吸。美鈴がしてくれた動きをフランもまた幾度となく頭の中で復習し、いざ、記憶に刻まれたその美しい技を再現しようと足を踏み出した。

 

「――……ふぅ。どう、だったかしら? 美鈴」

「とてもお上手です。初めてとは思えないくらい」

「世辞はいいの」

「あはは、本当世辞ではありませんってば。本心です本心。私が初めてやった時は本当全然でしたから。その点妹さまはちゃんとさまになってましたよ」

「だといいけどね」

 

 実際に技を繰り出そうと体を動かしてからようやくわかった。美鈴に細かく教えられた手前、それこそ最初のほんの一瞬だけは全身の力が伝わるような感覚を味わえはしたけれど、それはすぐに途切れてしまった。結局最後に繰り出した掌底はただいつも通り吸血鬼の腕力に身を任せただけの暴力にすぎない。

 自分の手のひらを見下ろす。今は目なんてどうでもいい。ただ、この手や体は美鈴よりもはるかに強いもののはずなのに、けれどそれだけでしかない。

 一瞬と言えど感じることのできた、全身の感覚が繋がったような感触。美鈴はあれをずっと維持し、繋げ、技としている。それも一度や二度ではない。実際に行使する際には連続で何度も、臨機応変に。

 

「美鈴ってすごいのね。ほんと、見直しちゃった。私には到底無理だわ。まるでできる気がしないもの」

「えっ、そんなことないと思いますけど……確かに今はまだまだ技としては未熟ですが、きちんと基礎を習えばもっとずっとすぐにでも変わりますよ」

「だから世辞はいいって言ってるでしょ?」

「世辞じゃありませんよー。妹さまはセンスがあります。私が保証します。まぁ、私なんかが保証したところであってないようなものだってわかってますけど」

「……はぁ、なにそれ」

 

 美鈴のすごさを味わったばかりだから、正直嫌味にしか聞こえない。そう思って美鈴を睨みつけようとしたのに、当の本人は嫌味などではなくまるで言ったままのことを本気で思っているかのような、相当に真剣なアホ面でこちらを見つめてきている。

 フランにはセンスがある、保証する。

 しばらくじっと視線を交わし合って、こらえ切れなかったのはフランの方だった。

 

「くふっ、ふふふ……なにその顔。なるほどね、わかったわ。あなた、あんまり頭が冴える方じゃないのね。それにとってもわかりやすい。嘘なんてついてもすぐに見破れそう」

「え? 嘘なんてついてませんが……」

「わかってるわよそんなこと。あぁ、あなたも咲夜もなんでこんなところに仕えてるのかしらね。世界はこんなにも広いのに、これじゃまるで縛りつけてるみたい」

「うーん……よくわかりませんけど、私は好きでここにいるんですよ? 嫌だと思ったことは……まぁ、ちょっとだけならないこともないですけども、出ていこうと思ったことは一度もないです」

「そう。変わった妖怪ね、あなたも」

 

 美鈴に背を向ける。向かう方向は門の内側、玄関の方角だ。

 けれど去る途中、ふと首だけで振り返って、笑いながら美鈴に告げる。

 

「また来るから。その時はその大事な大事な基礎とやら、ちょっとだけ教えてもらえる?」

「あ、もちろんです! 私にできる限り全力で!」

「それからさっきのほんのちょっとは嫌だって思ったことがあるってこと、お姉さまに言っちゃってみてもいいよね? その方が楽しめそうだし、私が」

「えっ、あっ、い、いやっ。え、えーっと、その……そ、それはできればやめてほしいなー、なんて……」

「ふぅん。じゃあ言っちゃってもいいのね。だって希望というものは我々妖怪にとって得てして絶つべきものだもの」

「だ、ダメです! 後生ですっ、後生ですからどうか! どうかレミリアお嬢さまにだけはっ! お嬢さまに知られたらなにをされるかわかったものでは……うぅ、ぶるぶる」

「ふふ、冗談よ。やっぱりからかいがいがあるわね」

 

 どうせそのほんのちょっぴり嫌だと思ったことだって、レミリアの無茶振りに悩まされている時に違いない。美鈴は相当人当たりがいいしからかいがいがあるし、容易に想像がつく。

 当初の目的だった体を動かすコツなんてものは掴むことができなかったが、とりあえずはよしとしておこう。いきなりこいしと差がつきすぎてしまってもつまらないだろう。今のままでも元々の吸血鬼としての力のおかげでどうにか対応できているのだから、ひとまず少しずつでいい。少しずつ体の使い方を知っていくとしよう。

 努力だとか積み重ねだとかは、やはりあまり好きではない。だけどたまに気分が向いた時に体を動かすくらいなら悪くはない。フランは長い長い時を生きる妖怪だ。それこそ無限にも等しい時間がある。どれだけのんびりしても、さぼりすぎだということもないだろう。




 なんだかそれっぽい描写が散見しましたが、この作品にバトル要素はありません(ーωー )


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賢者が仕組んだ構造のおはなし。

「――――ふんっぬっ!」

「ぐぇっ!?」

「ヴぇぅッ!?」

 

 目の前で気合いの入った一声が発せられた直後、悲鳴にも似た二つの苦悶の喘ぎがこだまする。

 あまりの痛みに一瞬他人事のように感じかけてしまったが、あまりの激痛にすぐその場にうずくまって頭を抱えた。隣を見ている余裕はないが、自分と同じようにこの痛みを味わった少女もまたきっと同様に、額を押さえてぴくぴくと座り込んでいることだろう。

 

「い、痛い……死ぬ、死んじゃうわ……こ、これは絶対死ねる……」

「ふへへへ、て、てんごくがみえるー。もも、ももがいっぱい……おいしそー。じゅるり……」

 

 単に痛がっているフランとは違い、こいしなどはもはや危ないクスリでもやっているんじゃないかという具合に錯乱していた。普段から頭のネジが飛んでいるのにそこへさらに衝撃を加えてしまったから逝ってしまったんだろう。

 いつか慧音とフランが初めて顔を合わせた時に慧音が言っていたこと。怪我はすぐに治っても痛いことには変わりない。まさしくその通りの状況を嫌というほど味わっていた。

 

「まったく……だから私はあれだけ言い聞かせただろう。宿題は必ず忘れるな、忘れたら頭突きだ、と」

「わ……忘れたわけじゃないってば。やってないだけ……」

「なお悪い」

「うぅ、うぅー、うぅうー。ぼ、ぼうりょくはんたいー……じどうぎゃくたいぃ」

「軽く齢二桁は越えてる妖怪がなにを言う。ほら、二人とも痛みが引いたら立って席に戻れ。授業を始めるぞ」

 

 二人に全力の頭突きをかました張本人たるワーハクタクの家庭教師、上白沢慧音は、二人連続でごちんごちんと額を打ち鳴らしたのにもかかわらず、まるで痛さなど感じていないとでも言うようにぴんぴんとしている。吸血鬼をも超える石頭だった。

 今の慧音が本当に人間モードなのか疑わしく感じながらも、一〇秒もすればようやく激痛が苦痛程度には収まってきた。

 それでもそれは吸血鬼の再生能力あってこその回復速度である。フランは足元がおぼつかないながらもなんとか立ち上がると、未だぷるぷると痛みに震えているこいしの襟を掴んで、ずるずると引きずりながら席へ戻る。

 

「こいし、平気……?」

「にゃ、にゃんとかー」

 

 まだ授業が始まる前だというのにすでに瀕死。こんな状態で授業中保つだろうか。不安に思いつつ、帳面(ノート)を机の中から取り出してぱらぱらと開く。

 慧音いわく、ただ聞くだけよりも、聞いたことを書き出していけばもっと覚えやすいとのことで、授業中は最低限大事なことはメモを取ることを義務づけられていた。特にこいしはいろいろと忘れっぽいので必須だと言える。

 実際にはこいしはフランと違って授業を受けることは義務ではないけれど、フランと勉強することも遊びの一環だと認識しているようで、こうして慧音が家庭教師として来る日にはこいしも一緒に授業を受けることがすでに恒例となっていた。慧音もそれは認識しているらしく、宿題もフランだけでなくこいしに課すようにしている。

 もっとも、二人ともまともに宿題をやってきたことはない。

 

「さて、今日の授業の内容は幻想郷の成り立ちについてだ」

 

 授業のために用意された黒板にかつかつとチョークを走らせながら、歴史の授業を始める慧音。

 書かれた内容はとりあえず帳面に移すものの、正直理解ができているとは言いがたい。その原因はフランやこいしが悪いのではなく、単に慧音の言っていることが複雑すぎるからだ。初めてでてくる単語になんの説明もなく、ぺらぺらと専門用語をまくしたてられることもある。

 慧音は知識量は非常に豊富で役に立つことを教えてくれはするが、教え方はそこまでうまくない。ここしばらくの慧音の授業でフランが学んだことの一つだった。

 おそらく慧音の授業はとりあえず理解できる部分のみ覚えておいて、あとはメモするだけしておいてわかったふりでもしておくのが一番いい。でなければあまりにつまらなすぎて寝てしまう。そして寝てしまえば、また。

 

「ふんっ!」

「へぶっ!?」

 

 今まさにぐーすかぴーと眠りこけていたせいで本日二度目の頭突きを食らわされたこいしを哀れに思いつつ、フランはフランでヘッドバッドされないよう『理解できてますよ的な顔』をアピールしながら、帳面に黒板の内容を書き込んでいった。

 主には今日のように歴史を勉強しているが、授業で学んでいることは他にもいろいろある。

 前回は算盤の使い方を習ったし、それ以前には人間の里で使われている文字の読み書きや習字、そして幻想郷の地理など、およそ里で暮らすのなら習っておいて損がないことを教えてもらっている。フランは紅魔館に住んでいるので教わってもあまり意味がないこともあるが、逆に言えばそれゆえに知らないことばかりで新鮮だとも捉えられる。特に人間の文字なんかは知っておけばこいしと里を訪れた時に非常に便利だろう。

 幻想郷の地理もまた興味深い。こいしと遊びに行きたい場所の目星をつけるのにちょうどよかった。

 

「――妖怪は人間の恐怖がなければ存在できない。科学が進み、夜の闇が失われ。そうして妖怪を恐れなくなった外の世界から逃れるため、妖怪の賢者たちは自らを人間社会から隔離することで存続を計った。その結果として生まれたのがこの幻想郷というわけだ」

 

 ここまで話半分くらいにしか聞いていなかったが、そろそろフランでも理解できるくらいには専門用語が少なくなってきた。

 そしてきちんと耳を傾けるようにすれば、おのずと気になることもいくらか出てくる。

 

「けーね先生、質問いい?」

「ん? なんだ、フラン」

 

 慧音は質問自体はよく答えてくれる。ただ、それ以上に専門用語が多すぎて質問し切れないことが多々あるため、いちいち問いかけていたら時間が足りなかったりする。

 いつも実際に質問する際は本当に疑問に思ったことを一つか二つ。今回も同様だった。わざわざ質問したくなるほど気になることはそう多くはない。

 

「外の世界で科学が進んだから賢者とかいうやつらは幻想郷なんて小さな世界を作った。わざわざ山奥のど田舎を結界でくくってさ。それはわかったわ。でもそれって、結局はおんなじことになっちゃうんじゃないの?」

「同じ? どういうことだ?」

「今は人間の文明レベルが……あー、なんだっけ? 江戸だか明治だかで保たれてるんだっけ? そういう状態でも、結局はちょっと時間を巻き戻した状態を維持してるだけじゃん。ならいつかは外の世界と同じようになっちゃうのが自然じゃないかしら。外の世界で人間が妖怪の恐怖にさらされながらも科学を発達させたように……そう。いつか必ず、幻想郷の人間が妖怪の正体を暴く時代が訪れる」

「……ふむ。一理あるな」

 

 かつて妖怪はいつだって人間の恐怖の対象だった。人を攫い、喰らい、驚かし、人の心に巣食い続けた。それでも人間たちは次第に妖怪を恐れなくなり、その存在を忘れていった。

 妖怪は長生きだ。その頃のことを幻想郷の妖怪たちは記憶しているだろう。だからきっと外の世界と同じことにならないよう最大限に警戒、監視している。忘れ去られないようさまざまな工夫を施している。

 それでも、結局は忘れ去られる運命だった妖怪たちの手で、そのかつての自分たちの運命をもう一度変えられるかどうかと言われれば、どうなのか。

 

「フラン、なぜ外の世界では科学が発達したのだと思う?」

「なんでって……そんな聞き方じゃ広義的すぎてどう答えたらいいかわからないわよ」

「なに、簡単な話さ。科学が発達できるだけの余裕があったから、発達した。それだけの話だ」

「なにそれ。余裕?」

「幻想郷の文明は停滞している。幻想郷は今より軽く一〇〇年以上前に作られはしたが、生活水準は大して上がってはいない。それはなぜか。毎日の生活に必死で試行錯誤の余裕が取れないからか? 人手が足りないからか? 妖怪が密かに邪魔をしているからか?」

「全部じゃないの?」

「そう、全部だ。だが私が見るに、一番の理由は『狭い』からだと思う」

「狭い? 人間の住んでるっていう里がってこと?」

「そう。幻想郷では人間が住める範囲が限られている。ゆえに安全に暮らせる人数も限られるし、浪費できる資源も限られる。少し例え話をしようか。極端な話になるが、フラン、君はこの部屋の中のみで一〇〇年間暮らし続けたとして、科学と呼べるほどに技術を発展させられるか?」

「できるわけないでしょ。物資もなにもないし。時間だけ無駄にあったって意味なんてないわ」

「そう、時間だけでは意味がない。文明の発達には資源の浪費が必要不可欠なんだ。だがこの幻想郷はそれにしてはあまりにも狭すぎる。人間の里なんてその狭い中のさらに一部……とてもじゃないが文明の発達などという形の見えないものに資源を浪費しては、生きていくことなんてできはしない」

「……かつては星っていう大きな世界に生命を広げていたから、人は人が必要とするよりもはるかに多くの資源を浪費して科学を進歩させられた。けど幻想郷はそうじゃない。科学を発達させられるだけのあらゆる余裕が存在しないから、妖怪が邪魔するしないにかかわらず、人間は自分たちだけの手ではどうやっても次の段階に文明を進めることができない。そういうこと?」

 

 こくり、と慧音が頷く。

 

「というか……そもそもの話、文明の発達云々以前に、本来であれば幻想郷において人間はそれのみでは生きていくことができないんだ」

「は? なに、どういうこと?」

「天災、飢饉、疫病……なにか一つでも起これば人間の里は妖怪が手をくだすくださないにかかわらず勝手に滅びてしまうだろう。毎日の生活で必死だというのに、どうしてそんな異常に対処ができる? 安全に暮らせる場所だって里だけだ。逃げられる場所なんてどこにもない」

「ほんっと、か弱い存在ねぇ。でも人間どもにいなくなられたら私たちも困っちゃうし……あ、そういうことね」

 

 妖怪の力は人が恐れたありとあらゆるものの力の具現だ。天災や飢饉、疫病もまた人が恐れるものである以上、それを象徴する妖怪が存在する。

 

「人間が滅んだら妖怪も困るわ。だから妖怪はなにかあればその都度人間という種を守る。人間がいなくならないよう、その結果として妖怪が消えないよう……大事なのは、人間にとって妖怪という存在を必須のものにするというところかしら」

「そうだ。かつては人間にとって妖怪とは、いなくなろうとどうでもいい、むしろいなくなった方がいい存在だった。だが今は違う。妖怪がいなければ人間はありえない。そして妖怪もまた人間の恐怖なくして存在できない。互いが互いを必要とする共存関係……その果てにどちらか片方のみの排斥もまたありえない」

「妖怪の賢者ってやつはずいぶんと頭がよかったのねぇ。物理的に人間の文明の発達を阻害した上で、加えて自分たちの存在が人間にとって必須になるよう仕向けた。賢者って言われるだけはあるわ。きっと初めからそういう風になるよう幻想郷を構想していたのね」

 

 フランの感心した呟きに、「まぁ」と慧音が肩をすくめる。

 

「とは言えこの真実は、里の人間には基本的に非公開の情報なんだがな。結局は妖怪の都合に過ぎないと言われればそれまでだ。この事実を知れば妖怪の存在そのものを否定している里の過激派も黙っていないだろう。私の寺子屋でも単に妖怪は人間の敵としか教えていない。それが人間と妖怪、どちらにとっても最適な真実だからだ。今回は、単に妖怪のフランとの授業だから隠していないに過ぎない」

「でしょうね」

 

 もう気になることはない。

 それに、とりあえずこれだけ話しておけばあとは適当に聞き流していても怪しまれないだろう。

 

「さて、話を戻す……その前に」

 

 にこにこ。笑顔を浮かべた慧音が横からフランに近寄ってきて、そして通りすぎた。

 

「うーん、もうたべられないよぉ……とみせかけてー、おねえちゃんのもーらいぃ。そしてぱくんっ……うぇへへ、おねえちゃんのもおいし」

「ふんっ!」

「へぶんぬっ!?」

 

 よだれをたらしてニヤケ面で幸せそうな寝言まで漏らしていたこいしの頭に、本日三度目の頭突きが炸裂した。

 三度目の正直とでも言うのだろうか。これまでの二回とは隔絶した威力を誇っていたらしく、こいしは衝撃でイスから転げ落ちた。

 倒れたこいしは時折ぴくぴくと痙攣するばかりで、立ち上がる様子がない。

 

「えっと……こいし、大丈夫?」

 

 さすがにかわいそうになって声をかけてみたけれど反応はなかった。なんだかどことなく頭上にぴよぴよと何羽かのひよこが飛び回っているかのようにも見える。

 どうやら完全に気絶してしまっているようだ。

 

「……はぁ。今日はここまでにしようか。宿題だが、そうだな。フランは今回はなしでいい。こいしは今日学んだぶんを帳面に書いておくことが宿題だと伝えておいてくれ。悪いがフラン、こいしが起きたら帳面を貸してやってくれないか」

「あ、うん。こいしのためだし、それくらいなら」

「ありがとう」

 

 内心、こいしという尊い犠牲のおかげで宿題がなしになってガッツポーズをしているが、顔には出さない。

 しばらくして慧音が立ち去るのを見送った後、宿題がない嬉しさと、三度目の正直ヘッドバッドを受けたこいしへの心配を半々ずつで、こいしに再び向き直った。

 さきほどまでのように幸せそうな夢を見ている顔は鳴りを潜め、痛みに耐えるような苦しげな表情を浮かべている。

 

「……もう食べられないだなんて、ベタな寝言だったわね」

 

 こいしの近くにしゃがみ込み、その顔に手を伸ばす。髪をかき上げると、赤く腫れた大きなたんこぶがなんとも痛々しかった。

 フランは、そっと彼女のおでこに自分の唇を近づけてみる。そうして、ぺろっとたんこぶを少し舐めた。

 走った痛みからか、こいしはぴくっと体を震わせる。

 

「味見、なんてね。これで吸血鬼の再生能力が少しでも移ってくれたらいいんだけどねぇ……」

 

 しょせん気休めにもなるかどうかというところだろう。

 このまま床に寝かせているわけにもいかないので、落ちていたこいしの帽子を彼女のお腹の上に乗せると、こいしの背中と膝の下に手を通して彼女を抱え上げた。起きるまでベッドにでも寝かせておいてあげよう。

 

「それにしても妖怪を気絶させるほどの頭突きって……けーね先生ってほんとに今は人間と変わらないのよね?」

 

 半ば本気で疑問に思いつつ、フランはこいしを抱えたまま部屋を出て行った。

 こいしが起きたら、彼女の宿題を一緒に進めてあげようか。せめて次だけは慧音の恐ろしい頭突きを食らわないように……。



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人間のふりをしたい姉妹のおはなし。

 あらすじに他作品ネタ(「はぁ? なんだ? こいつ」遊戯王ARC-Vより抜粋)が載っているのは今更ながらどうかと思えてきたので変更しました。


「ねぇお姉さま。人間の里、行ってみてもいい?」

「は? あー……まぁ、いいんじゃない? 変に問題起こさなきゃね。里の人間食べたりとか。正当防衛なら別にいいけど」

 

 なんでもない三日月の夜。レミリアの部屋を訪れたフランは開口一番にそんなことを言い出した。

 難しそうな顔で本を読んでいたレミリアは突然の妹の来訪と質問に初めは困惑したようだったが、いつものことだと思い直したらしい。一度はフランに向けた視線をすぐに手元の本のページに戻すと、ぱらぱらとめくり始める。

 

「ふぅん、そっか。ならいいけど」

 

 なんていつも通りに素っ気なさを装って答えてはみるものの、実を言えば少し意外な反応だと感じている。フランが予想していた答えと少々違った。

 そんなフランの内心のわずかな機微に察しよく感づいたわけではなかろうが、突然押しかけてきた割に質問するだけしておとなしく生返事をするフランを不思議に思ったのだろうか。レミリアは一度は本に下げた視線を再び、今度は訝しげな感情を伴ってフランへ送ってくる。

 

「どうしたの? 急にこんなこと聞いてくるなんて。別に言ってこなくたってよかったのに。むしろあなたのことだから私になんてなんにも話さないで勝手に行くもんだと思ってたけど」

「別に。ほんとは私だってそのつもりだったけど、なんていうか……その……」

「なに? どうかした?」

「……私のこと、心配じゃないの?」

「え? あー……そういうこと」

 

 突如にやにやとし始めるレミリア。フランがなにを考えているか大体察しがついたという顔だ。

 

「そっかそっか、フランは突然人間の里に行こうとするのは私が渋るかもって思ってたのねぇ。この私がずっとあなたが外に出るのをダメだって言い続けてきたから」

「……まぁ」

「えぇ、えぇ! あなたが思ってくれたようにお姉さまも本当は心配なのよフランっ。できることなら今すぐにこの手で抱きしめて大丈夫? って頭を撫でてあげたいくらい! でも私はあなたのためを思って心を痛めながらもそれを許すと決めてしまったの! そう、あなたと同じで、私の近くから大切な姉妹が離れていってしまうことが本当は寂しいと思っ、へぐっ!?」

「真面目にやって」

 

 大げさに演技するレミリアに無性に腹が立ってきて、気づいた時には近くにあった姉のベッドに転がっていた枕をぶん投げていた。

 顔面に受けてイスから転がり落ちる無様な姉を冷たい視線で見下ろしつつ、このまま踏んづけてやろうかなとも思いかけてしまったけれど、さすがにやめておいた。一応は姉だ。

 代わりに彼女が衝撃で手放した本を拾ってみる。タイトルは『反抗期の対処』。

 なぜだか突然破り捨てたい衝動に駆られた。もしかしたらそういう意図的に感情を抱かせる類の妖魔本かもしれない。吸血鬼に効くだなんてなんと凄まじい。

 

「あっ! ちょ、ちょちょ、待って待って待って! 待ってって! お願いだから破らないで! それパチェに借りたやつだから! 破れたら私がパチェに怒られるからっ!」

「別にいいじゃん。私は怒られないし」

「それはそうだけど! あの子怒るとまるでいないみたいにひたすら私を無視してくるし、たまに睨んでくると異様に怖いし……わ、わかったからっ! もうふざけないから! だからそれ以上曲げようとしないで! お願いフランっ……!」

「……はぁ。約束よ。悪魔の約束。今結んだからね」

 

 泣きついてきたレミリアに、ぽいっ、と乱雑に投げ返した。レミリアは慌てて両手でそれを受け止めると、平気? 怪我はない? という風に本をあちこちから確認し始める。

 半ば本気で破くつもりではあったが破いてはいない。あと一秒遅かったら結果は違ったかもしれないけれど、まだ破れてはいない。

 レミリアも本に問題がないことはわかったようで、ほっと息をついていた。

 

「それで、なにか言うことあるんじゃないの」

「あ、うん……フランはあれでしょう? 以前私が外に出ることをダメって言ってた時期のことをちょっと気にしてる。今は私はなにも言わなくなったけど、まだ幻想郷のことをよく知らない今の段階で人間の里なんて一番問題を起こしやすそうなところに行くのは渋るかもって。そう思ってたのよね」

「うん。まー勝手に行ってもよかったんだけど、それであとから文句言われてもめんどうだもん。一応許可取っておこうかと思って」

 

 もしも渋られたら渋られたで嫌がらせとして彼女のそばでぐちぐちと嫌味をたれるつもりでいた。それがあっさり当たり前のように認められたから意外だったのだ。

 レミリアは小さく肩をすくめると、本を机の上に置いてフランのそばに寄ってきた。

 

「本当のことを言うとね、今もまだちょっと不安なの。でも、私はあなたの姉だからね。本当は心配でも、もうフランのことを縛るのはやめにするって決めたのよ。あなたはあなたの好きなように生きていい。ただ、無事にこの家に帰ってきてくれればそれで、ね」

「……反抗期の時はあんまり縛ったり構いすぎない方がいいって書いてあったの?」

「そうそう! あんまり押したりしないで一旦引いた方が効果的なんだって! おかげで最近はフランも心なしか私に対しての毒がちょっと抜けてる気がするし、これまでちょっと嫌そうだった挨拶もすれ違った時とかよく……あ」

「ふぅん、そっかそっかー。書いてあったんだー」

 

 固まるレミリアに対し、にこにこと。フランはなにも言わない。軽蔑も嫌味も口にせず、ただただ満面の笑みを浮かべている。

 しばらくしてそんなフランの反応に、怒ってないか、とレミリアがほっと息をついた。そんな瞬間を見計って、素早く彼女の両肩をがしっと掴む。

 

「ふんっ!」

「ふぎゃ!?」

 

 慧音直伝のヘッドバッドが炸裂する。鈍い音とともに意識が一瞬真っ白に染め上がり、視界がちかちかと明滅した。

 頭突きの衝撃のままにレミリアがどさっと倒れ伏すのがわかる。しかし痛かったのは食らわされたレミリアだけではない。同じ痛みを味わったフランもまた、彼女と同様にその場に蹲ってぶつけた頭を抱えている。

 うめき声を上げながら、レミリアは同じように痛がっているフランを見るとふるふると首を横に振った。

 

「な、なんであなたも痛がってるのよ、フラン……」

「う……別に、失礼なお姉さまにこの鋭い痛みを味わわせるくらいならこのくらい……それに、私はいっつもけーね先生に食らってて慣れてるし」

「え、なにそれ聞いてないわよ怖い。雇うやつ間違えたかしら……」

 

 ふらふらと足元がおぼつかないながらも立ち上がる。初めに回復したのは慣れていると口にしたフランの方だ。それから少し後に、レミリアも同様に頭を押さえながら体を起こす。

 

「と、とにかくそういうわけだから私はなにも言うつもりはないわ。あなたが里に行くのだって許可する。まぁ私たちは有名だから人間にでも変装しないと入れないだろうけど」

「……それなんだよね。それも一応聞いてみようと思ってたんだけど」

 

 立っているのがきついからか、自然と二人してレミリアのベッドに腰かけていた。レミリアは隣り合って座ろうとしていたが、フランがべしっと手の甲で弾くように拒絶したからか、彼女はしょぼんとした様子で人一人分の空きの向こうに腰を下ろしている。

 

「私これの消し方とか知らないんだけど、どうやって隠せばいいの?」

 

 これ、の部分でフランは自分の翼を指差した。翼膜の代わりに七色の結晶がぶらさがった、歪ながらも美しい翼。

 妖怪であれば人間に化けることは必須の技能だろう。単純にその圧倒的な力で襲いかかるのもいいが、人間を装い、騙し、喰らう。そういう手も妖怪の常套手段だと言える。

 ただ、フランはずっと地下室に引きこもってきた関係でなにかに化ける必要なんて一度としてなかった。自分以外のなにかに変身する術は習得していない。そしてそれはおそらく……。

 

「……悪いわねフラン。私もわかんないのよ、それ。人間になんて化ける必要これまでなかったし」

 

 フランはずっと一人だったからその感覚が薄いけれど、レミリアには夜の帝王として君臨する吸血鬼としての自負や尊厳がある。大衆に紛れ込む術を取得しているはずもない。

 わかっていたことだと、小さくため息をつく。レミリアはそれを妹の期待を裏切ってしまったと勘違いしたようで、慌てて「待って待って、今方法考えるから!」と難しい顔で額に手を当てた。

 

「うー、あー……あ。フランの友達だっていう、こいしだっけ? あれに聞いてみるのは?」

「聞いてみたけど知らないみたい。そんなこと(変化なんて)しなくてもそもそも気づかれない体質だからそのまま里に入り込めるんだって」

「あー、まぁ、別に妖怪が入っちゃいけないわけじゃないからね。咲夜いわく妖怪ウサギとかは弱いから普通に入っても問題ないらしいし……私たちが吸血鬼だから問題ってだけで」

「そんなことはわかってるのよ。だからこの翼と、なんだっけ。あと牙? それを隠したいんだけど、その方法がねぇ」

「むむー、そうねぇ……」

 

 いっそ変化をしないで大きなリュックに翼を隠すなどという手も考えられるが、あまり現実的ではない。翼の形状の関係上、相当な横の長さが必要になる。第一それでは窮屈でしかたがない。

 普通に妖術で翼と牙を消すのがもっとも簡単な方法だということはフランもレミリアもわかっている。ただ、その変化の方法がわからない。他の館の住民にしてもそれは知らないだろうと思う。

 パチュリーや美鈴は姿かたちは人間と変わらないから変化の必要はないし、妖精のメイドたちや雑用のホブゴブリンのような力の弱い妖怪が人に化けられるとも思えない。咲夜に至っては元から人間だ。この館にフランが求めている変化を行使できる妖怪はいない。

 そうなると、打てる手は限られてくる。レミリアもそれは理解しているようだ。息をつくと、しかたがないとでも言いたげに首を横に振った。

 

「こういうことはそういうのの専門の妖怪を頼るに限るわね。あいにく私にそういうツテはないけれど、霊夢か魔理沙ならそういうやつらとも親しいでしょう」

「専門の妖怪?」

「狐とか狸とか。天狗でもいいけど、あの閉鎖的かつ前近代的思考の古くさい年寄りどもがまともに取り合ってくれるとは思えないし、やめた方がいい」

「お姉さま、天狗嫌いなの?」

「天狗っていうか、あいつらの住んでる山の考え方が気に食わないのよ」

 

 天狗の住処は妖怪の山と呼ばれる場所にある。幻想郷で山と話題に出ると、基本的にその山のことを指すらしい。妖怪の山だけと言われるだけあって妖怪ばかりが住んでおり、そのヒエラルキーの頂点に天狗が君臨しているという。

 フランはまだ詳しくは知らないが、天狗は独自の社会を形成していて細かく上下関係が管理されているそうだ。まるで外の世界の会社とやらのように。そういう部分が力は強くとも比較的新参な吸血鬼たるレミリアと合わないのだろう。

 

「天狗の話は今はどうだっていいわね。とにかくそういうわけだから霊夢か魔理沙に話をつけてもらえるよう頼んでみましょうか。フランに妖術を教えてくれないか、ってね」

「いいの?」

「いいのよ。せっかくの妹の頼みだもの。無碍にはできない。ふふふ、半ば無理矢理にでも言うこと聞かせてやるわ」

 

 霊夢も魔理沙と同じ人間で、魔法使いではなく巫女にあたる。館の中でたまにすれ違っていた魔理沙と違って霊夢とはかつて一度遊んでもらった際にしか顔を合わせたことがないけれど、面識自体はある。

 霊夢や魔理沙は人間でありながら妖怪の知り合いが非常に多い。言ってしまえばフランやレミリアもその一部だ。神社でたびたび行われる宴会にレミリアはよく顔を出しているが、いわくそのメンバーのほとんどすべてが妖怪だというのだから驚きだ。

 レミリアがフランのことを考えてくれていることはじゅうぶん理解している。ただ、フランはしばらくよく考えた後、ううんと首を横に振った。

 

「ごめんお姉さま。やっぱりお姉さまが二人に頼む必要はないわ」

「え?」

「お姉さまが頼んでくれなくても、私が直接魔理沙にでも頼みに行く。まだあの時のお礼もきちんと言えてないし……」

「あの時? お礼? なんのこと?」

「お、お姉さまには関係ないっ。とにかく! ……そういうわけだから、お姉さまが頼んでくれる必要はないわ。それに私が直接頼まないとなにかと失礼でしょ? 私のためにしてもらうんだもん」

「失礼って、そんなこと気にするような性格じゃないでしょうに。まぁあなたがいいなら別にそれでもいいけど……でも」

「先に言っておくけど、あんまり役に立てなくてごめんなさい、なんて言わないでよね。こんなのは私のわがままなんだから。勝手に落ち込まれても迷惑ってもんだわ」

「ふふ、なに? 励ましてくれてるの? らしくないわねぇ」

「そんなんじゃないわ。ただ、前みたいに猫なで声で擦り寄られたらたまらないからね。あんな無様な姿をまた晒させるのはさすがにしのびないってだけ」

「あ、あれはっ、て、手違い、手違いだったのよっ! なんていうか……そう! ぱ、パチェの魔法にかかってたのよっ、たぶん……こ、心を弱くする魔法かな? そんな感じので、えーっと、だからあのね、本当の私はあんなんじゃなくて、もっと高貴な……」

「なに? いいわけのつもり? 無様ね。見苦しい。蛆虫(うじむし)の方がまだマシ。見るに堪えないわ」

「そこまでっ!?」

 

 結局、彼女ががくんっと落ち込む未来は避けられなかった。

 とりあえず聞きたいことはもう聞いた。この部屋にもう用はない。適当に会話を切り上げると、フランは部屋の出口に向かう。

 ただ、出る直前に少しだけ振り返った。少しだけ迷った後、去る前に未だしょんぼりしている彼女に声をかけてみることにした。

 

「まぁ、あれね。猫なで声で擦り寄られるのは心底嫌だけど、たまになら姉妹一緒に寝てみるのも悪くないと思ったわ」

「え、フラン?」

「相談、乗ってくれてありがとねお姉さま。またなにか頼むかもしれないけどその時はまたよろしく。私のたった一人のお姉さまなんだもの、少しくらい頼りにさせてほしいものだわ」

 

 返事も聞かずに扉をしめる。すぐ扉を開けられても困るので急いでその場を立ち去った。角を曲がってようやく速度を緩め、追ってきていないことに息をつく。

 

「……私のこういう反応も、あの本に書かれてるのかな。もしそうだとしたら……はぁ。別にいっか。考えてもしかたないし。むかつきはするけど」

 

 ああいう恥ずかしいセリフは初めから言い捨てるつもりでないと口にする気になれない。

 一度喧嘩して、本音を言い合って、仲直りして。あの日以降、姉妹の距離が少しだけ縮まったと感じているのはフランだけではないだろう。

 レミリアのことを好きになったわけじゃない。ただ、レミリアがフランのことをずっと思ってくれていることをフランは知ったから。少しくらいなら素直になってもいいかもしれない。たまにそう思うようになっただけだ。

 

「早く人間に変装できるようにならないとね。こいしと里で遊ぶためにも」

 

 そのためには魔理沙を通して変化が得意な妖怪に師事する必要がある。

 一人だったあの頃と比べて今はめんどうなことが増えた。誰かと関わるということはそれ自体が少なからず煩わしい。

 けれどそれ以上に今、一人で天井を見上げてぼーっとしていた毎日と比べて、誰かと笑い合える日々はそれなりに悪くない。なんとなくそう思えていた。



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読書をしたい魔法少女のおはなし。

 フランはよく本を読む。

 ここ最近はこいしの影響もあって外で遊ぶことが多くなってきたものの、フランには何百年もの間ずっと地下に引きこもってきた過去があり、一人遊びに関しては割と詳しい。特に読書は部屋の中、一人で暇をつぶすのにもってこいなものだ。

 引きこもりだったフランがパチュリーと面識があるのも本を読むという繋がりからと言える。レミリアに本を持ってきてもらうことも多かったが、自分から本を取りに行くこともたまにあった。フランは形式上地下に幽閉されてはいたものの、大図書館は地下にあるため同じく地下にあるフランの自室から一階に上がることなく移動することができる。魔法使いたるパチュリーは普段から主に魔法の勉強のために本を読み漁っている関係で一日の大半を図書館で過ごしている。フランが図書館を訪れた際に遭遇することは珍しくない。

 二人の仲がいいかと言われれば首を傾げざるを得ない。仲のよさが確定するほどに二人は交流を重ねていない。けれど気が合うかと聞かれればおそらく合うと二人して答えるだろう。なにせどちらも引きこもりの気質があり、読書を好む。目に見えてわかる共通点があるのだ。

 

「ぜんぶぜんぶぜんぶ、叶えてくれるー。おかしなスキマで叶えてくーれーるー」

 

 こいしから教わった、スキマ妖怪のうた、とやらを口ずさみつつ図書館への道を機嫌よく歩む。

 フランの機嫌がいいのは大した理由からではない。ただ、梅雨が終わったおかげで雨が原因でこいしと遊べないことが少なくなった。そのことが最近よく体感できているだけだ。

 春から夏への移行期間は終了し、今や季節は完全に夏。昼間はがんがんと日差しが容赦なく照りつけ、木々のあるところへ行けば絶え間ないセミの鳴き声が耳を打つ。

 日の光が強いだけでなく太陽が地上を照らす時間帯も他の季節より長いことから、夏は本来吸血鬼にとって居心地がいいとは言いがたい。室内も大分蒸し暑いから妖精のメイドたちやホブゴブリンがバテている姿も最近はたまに見かける。

 そんな中、上機嫌なフランの立ちふるまいは普段にもまして目にとまるのだろう。通りすがる際、いつもは恐怖の感情が多分に含まれるメイドやホブゴブリンたちの目線に、今日はわずかながら羨ましさも混じっているように感じられた。

 

「そっらを自由に、飛べるんだぁー。いらないっ、へりこぷたーっ。にゃん、にゃん、にゃんっ。とっても大好きー、ねこまーんまー……って、うん? あれは……」

 

 図書館の入り口までもうすぐという辺りまで地下への階段を下りてきたところで、フランはふと足を止める。

 

「黒い帽子、白いエプロン……魔理沙?」

 

 扉の影に隠れるようにして大図書館の中をうかがっているいかにも怪しげな不審者を発見し、格好からその正体の大体の当たりをつける。

 このまま素直に近寄ってみてもいいけれど、それでは芸がない。

 にやりと口の端を吊り上げ、妖怪としての力を使ってほんの数センチだけふわりと体を浮かせる。これで足音が立つことはない。そして、そのままふよふよと魔理沙の背後に回り込むようにして静かに接近していく。

 そうして魔理沙のすぐ後ろまでたどりつくと、フランは少し考えた後。

 

「……ふぅー」

「ひゃっ!? な、なんだ!?」

 

 そっと耳に息を吹きかけてみると、面白いくらいにびっくりして飛び上がった。こちらを確認するよりも先にざざっとフランから即座に距離を取り、そこから改めて彼女はフランの方へ体を向ける。

 不審者の少女こと霧雨魔理沙は、くふふと口元に手を当てて魔理沙の反応を楽しがっているフランを目にとめると、これ見よがしな大きなため息とともにがくっと思い切り肩を竦めていた。

 

「あーちくしょう、なんだお前かよ。ったく、急にあんなことするなよな。いきなりすぎて変な声出たじゃないか」

「あははっ、ひゃっ!? だって! いつも男っぽい口調のくせに、こんな時ばっかり……ぷふっ、くふふ……だ、だめ、耐えられないわっ。あはははっ!」

「笑うなよ! 元はと言えばお前のせいなんだからな!」

 

 顔を真っ赤にして怒鳴られてもなんの迫力もない。ツボにはまってひっきりなしに腹を抱えて笑うフランの態度に耐えられなくなったらしく、魔理沙は唇を噛みながら帽子のつばでその赤い顔を隠した。

 一通り笑い終えると、息を整えてから魔理沙に向き直る。明らかに笑いすぎたせいだろう。彼女はそっぽを向いて、私不機嫌ですと言わんばかりに口をとがらせている。

 

「それで魔理、ふふ、ま、魔理沙はなにをやってたの?」

 

 まだ笑いがこらえ切れていなかった。ふとした拍子に笑い声がもれてしまいつつ、魔理沙の顔を覗き込む。

 意地でも張っているのか初めは無言で視線をそらし続けていた魔理沙も、じーっと懲りずに催促し続けるフランに根負けしたようだ。再び小さくため息をつくと、不機嫌な表情はそのままにやっと目線を合わせてくれた。

 

「……パチュリーの目を盗んでこっそり入れるタイミングを図ってたんだよ。あいつに見つかるといろいろ面倒だからな。急に攻撃されたりするし」

「それはまぁ、本を盗みに来たってわかってるのに放っておくわけがないものね」

「何度も言ってるだろ? 盗みに来たんじゃない、借りに来てるんだ。ほんの数十年程度な」

「はいはい。で、狙ってるのはまた魔導書? 懲りないわねぇ魔理沙も」

 

 大図書館と呼ぶだけあって中は相当に広く、各地から集められた多種多様の本が保管されている。ただの料理本から強い封印が施された危険な魔導書まで。その中で人間の魔法使いたる魔理沙が狙う筆頭と言えば、やはり魔導書だ。

 魔導書はそれなりに貴重なものではあるが、それを今まさに盗もうと画策している魔理沙を、しかしフランは捕らえるつもりはまったくなかった。どうせこの図書館の本なんてほとんどパチュリーしか読まないものだ。同じような本も大量にある。それに、盗んだ相手が誰かはわかっているのだからいざとなればいつでも捕まえられる。

 咲夜は見かければ追い出す程度はするけれどレミリアはフランと同様に放置しているらしく、本当の意味で魔理沙を目の敵にしているのはパチュリーくらいだ。魔理沙もそれをわかっているからこそフランに見つかった時に大した反応はしなかった。

 ほんの少し開いた扉の隙間から二人して中を覗き込む。部屋の中央でパチュリーがイスに座って本を読みふけっている姿が少し遠目にうかがえた。こうして覗いている限りではばれなさそうだが、いざ入ってしまえばすぐに見つかってしまいそうだ。

 それは魔理沙もわかっているらしい。パチュリーがしばらく動きそうにないこともあり、どうしたものか、と顎に手を添えて唸っている。

 そんな魔理沙をぼーっと観察していると、不意にちらりとこちらを見た彼女と視線が合った。その瞬間、ぴこん、と魔理沙の頭上で電球が灯った音がしたような気がした。

 

「なぁフラン。あの約束、覚えてるか?」

「約束? なんだっけ」

「あれだよあれ。お前が外に出られるようになるのを全力で手伝う代わりに、私の手足として奴隷のように言うこと聞いてくれるってあれ」

「あー? なに、奴隷? ふーん、約束事で悪魔に嘘をつくなんていい度胸ね。もしかして食べられたいの?」

「じょ冗談だっ! 冗談だって! 奴隷じゃなくて、えーっと、あ、あれだ! 私に代わって本を取ってきてもらうってやつだ! 覚えてないかっ?」

 

 もちろん覚えている。ちょっとからかってみただけだ。

 ただ、あれは約束というほど確たるものではなかったとも記憶している。そういうことをしてもらうのもいいかも、という程度の他愛もない可能性の話だったはずだ。

 

「っていうかそもそもの話、もう自由に外に出られるようになったけど、別に魔理沙に大して手伝ってもらってなくない? 約束以前に前提が果たされてないと思うんだけど」

「いやいやいや、家出したお前を雨宿りさせてやっただろ? 話したくもない昔話だってしかたなく話した。じゅうぶん貢献してるんじゃないかと私は思うが」

「へえ、言うわね。まぁ確かに、なんていうか」

 

 今日最初に図書館の前で魔理沙を発見した時から、実はずっとあの時のお礼を言うタイミングを探していた。今がチャンスなのではないか。じっ、と魔理沙の目を見つめる。

 

「あの時は、その、助かったわ。ありがとう魔理沙。おかげでお姉さまと仲直りできた。感謝してる」

 

 少し頬が赤らんでしまっているだろうか。結局、途中で魔理沙から視線をそらしてしまっていた。

 勇気を出して告げた感謝の言葉に、けれど返答の言葉はない。気になって顔を上げると、魔理沙は非常に微妙な表情で佇んでいた。

 

「うーむ……」

「……なにその顔。黙ってないでなにか言ってよ」

「いやなんか、素直すぎて逆に怪しくて……もしかしてなにか企んでたりしてないか? 実は私をパチュリーに引き渡そうとしてたりとか」

「なっ、むぅっ……企んでるだなんて失礼しちゃうわ。せっかくこの私が珍しくも真面目にかしこまってるっていうのに。ふん、別に信じなくたっていいけどね。言ってみたかっただけだし」

 

 頬が膨らむ。不機嫌さを表すそんなしぐさが、本気で感謝していたゆえのものだとわかったらしい。魔理沙はわずかに口元を緩めると、ぽんぽんとフランの頭を帽子越しに軽く撫でた。

 

「悪かったよ。どういたしまして、だ」

「……ふんっだ。初めからそう言ってればいいのよ。っていうか、勝手に頭に手を乗せないで」

 

 しっしっと頭上の辺りを払う。魔理沙ははたかれる前にぱっと手を離した。

 言いたかったお礼はもう言った。これ以上はこの話を続ける必要はない。

 

「それで、代わりに本を取ってきてほしいんだっけ?」

「ああ」

 

 約束というほどしっかりしたものではなかったが、言われた際に否定しなかったことも確かだ。魔理沙は目の中にわずかな期待の色を見せながらこくこくと首を縦に振る。

 フランはしばらく考えた後、ぴっ、と人差し指を立てた。

 

「その魔理沙のお願い、特別に聞いてあげてもいいわ。でも一つだけ条件がある」

「条件? 内容次第だな。魂をくれとか言うんなら承諾しないぞ」

「そんな物騒なこと言わないって。条件って言っても別に魔理沙にとっては大したことでもない簡単なこと。ただ後日、私に狐か狸の妖怪を紹介してくれればそれでいい」

「妖怪の紹介だぁ? なんだそれ、わからんな。今度こそ明らかになにか企んでるだろ。いったいなにする気なんだ?」

「だから別になんにも企んでなんかないってば。ちょっと学びたい妖術があるんだけど、うちにはまともに使えるやつがいないから外のやつに教わろうってだけ。魔導書をこっそり盗んでまで魔法を知ろうとする魔理沙なら少しはこの気持ちがわかるんじゃない?」

「学びたい術ねぇ……まぁ、なんでもいいか。そのくらいならお安いごようだ。そうだな、近々知り合いの狸にお前と会ってくれないか掛け合ってやるよ。引き受けてくれるかは知らんがな。それでいいか?」

「うん、構わない。契約成立ね。忘れずにちゃんと遂行してよ? こっちもちゃんと期待には答えてあげるから。さ、どういう本が欲しいのかしら。今から約束通り、あなたに代わってあなたが望む本を取ってきてあげる」

 

 魔理沙から具体的な内容を聞き終えると、最後に彼女は頼むぞと視線で念押ししてきた。フランはこくりと頷き、自身の身長の軽く三倍は超える背の高い扉の取っ手に手をかけた。

 ぎぃー。木の軋む音を慣らして中に足を踏み入れる。

 まさしく壮大と呼ぶのだろう。円形に作られている部屋の中、見上げればその天井ははるか遠くにある。そこに至るまでの壁には本棚がそこかしこに存在し、ぎっちりと大量の本が収められていた。飛ばずに上の本を取るためにはそこに至るまでの長さのあるはしごなどを用いなければならないのだが、違う本棚を探そうとするたびに下りてはしごを動かしてまたのぼらなければいけないので、ほとんど利用者が空を飛べることが前提になっていると言える。

 天井の照明から落ちてくる光は部屋全体というよりもまっすぐ真下に伸びており、その先にはパチュリーが腰かけているイスや机がある。それでも光源が遠すぎるせいか割と薄暗いし、端の方はさらに暗い。全体をまんべんなく照らさないのは単純に、天井の照明だけでは光源が足りないほど広く高いからなのだろう。

 魔理沙のように隠れることなく堂々と部屋に足を踏み入れたのだから当然、フランの姿はパチュリーの目に留まる。

 視線が交錯し、ぺこり、とパチュリーが軽く頭を下げた。二人の間に会話はない。フランが本を借りに来ることはたまにあることなので、一人で訪れた際はいつもこんな反応だ。

 確か魔理沙に頼まれたのは……。

 ふらふらと本棚を見て回る。見て回ると言っても、本だけでなく本棚でさえ数え切れないほどの数がある。ある程度の基準で仕分けはされているにせよ、ピンポイントで欲しい本を探すのはなかなかの苦労だ。

 うーん、と唸りながら大量の本を眺め続けていると、誰かの影がフランの足元に伸びてきた。

 

「どんな本をお探しかしら、妹さま」

「あれ、パチュリー?」

 

 本を読んでいたはずの彼女が近づいてきた。フランから本の場所を聞きに行くことは多少あるが、逆は少し珍しい。目をぱちぱちと瞬かせた。

 

「どうしたの? 私に声をかけてくるなんて」

「魔導書を探しているようだったので気になりまして。妹さまなら心配はいらないとは思いますが、ここには少々凶暴な書物もありますから」

 

 凶暴。比喩ではなく文字通りの意味だ。噛みついてきたり食べようとしてきたり。触らなければ特になにをしてくるわけではないのだけど、背になにも書いていない本も多い。手探りで探していればそういう本を手に取ってしまうこともあるだろう。

 

「それで、どのような本をお探しなのかしら」

 

 パチュリーは大図書館のほぼすべての本の位置を記憶している。

 一瞬ばかり悩んだが、魔理沙の名前を出さなければ大丈夫だろう、と言ってみることにした。このままあてもなく探し続けるのは少々骨が折れる。それに、せっかくパチュリーが気遣ってくれたのだ。ここは素直に甘えておこう。

 

「えっとねぇ……星の成分について細かく書かれた感じの本、だっけ? 効果的な使い方がうんたらかんたら。なんかそんな感じの本ってない?」

「また曖昧な……それもそういう本は妹さまというより、むしろあいつの好みそうな……まぁ、いいか。それならそこではなくあちらの方にあります。案内しましょうか?」

「お願いー」

 

 パチュリーの案内のままにふらふらと移動する。

 パチュリーの背中を見て感じるのは、いつ見ても着心地がよさそうな服だなぁ、なんてちょっとした羨みの気持ちだ。一見寝間着にも見える彼女の衣装はゆったりとした感じで実に快適そうに見える。

 フランの服装も半袖にミニスカートと大概に過ごしやすく動きやすい服ではあるものの、パチュリーのような温かい衣装とはまた別の種別に入るだろう。

 今度お姉さまにちょっとおねだりしてみようかなぁ。

 うーむ、と顎に手を添えて悩みながらついてくるフランを、パチュリーは頬を緩めた様子で振り返って眺めてきている。

 

「妹さま。最近よく外出をなさるみたいだけれど、過ごし加減はどうかしら」

「んー? そうねぇ。なかなか悪くない、かしら? 引きこもってた頃は外なんてめんどくさいことばっかりだと思ってたけど、存外悪いところじゃない。もちろん面倒なこともあるけどね。雨とか」

「悪くない、ですか。それはよかった。レミィも喜んでるでしょうね、妹さまが楽しそうに過ごしておいでで。私も同様ですけれど、どうも私は少しだけ悲しい気持ちもあるかしら」

「悲しい? なんで?」

「妹さまが健康優良児になってしまったら、この館の引きこもりは私一人だけになってしまいますから」

「あはは、なるほどね。パチュリーは私みたいに外に出たりしないの? 前までの私みたいに別に禁止されてるわけじゃないんでしょ? 少しは運動しないと体に悪いわよ?」

「よく言われますわ。レミィにも咲夜にも、他にもいろいろ。別にね、運動をしたくないわけではないの。ただ、どうせやるなら苦労は最小限で効率よく運動したいでしょう? だから……」

「だから?」

「……本で一番効率がいい方法を探し続けて、あぁ、もう何十年経ったかしら……」

「逆に効率悪そう……」

 

 パチュリーの行動はさすがにアホのけがあることは拭えないが、その気持ちはわからないでもない。最近はこいしに対抗して体を動かすことにも慣れようと意識してきているフランではあるものの、元々は彼女と同じ引きこもりだった。できることならめんどうごとは最小限で済ませたい。そういう気持ちはフランにもある。

 けれど、そんなフランやパチュリーたちと違って、こいしはそういうことはないんだろうな、とも思う。彼女はむしろ率先してめんどうごとを楽しむ性質だろう。逆にフランやパチュリーが苦痛とは感じない読書など、じっとしていることの方がこいしは苦手そうだ。こういうところがアウトドア派とインドア派の違いなのかもしれない。

 

「さ、ここです。この本棚に妹さまが探しているような本が収められています」

「へえー。ありがとねパチュリー。助かったわ」

「居候の身ですからこれくらいは。それでは私はこの辺、でっ!?」

「あ、あー……」

 

 踵を返す直前、パチュリーは足元に転がっていた本に足を引っかけた。引き戻そうと手を伸ばすも間に合わず、ごてん、と顔から床につっこんだ。

 大丈夫? そう声をかけて駆け寄ろうとしたところで、ふと、ぐらぐらと視界の端でなにかが揺れる。

 本だ。パチュリーが転んだ衝撃で、近くにあった本棚にぎっしり詰められていた無数の本が今まさにパチュリーへ追い打ちをかけようとしてきている。

 

「っ、舌噛んでも文句言わないでね!」

 

 本が倒れてくるよりも先に素早く倒れ伏すパチュリーの腕を掴むと、翼膜のない宝石の翼をいっぱいに広げた。羽ばたくようにそれを動かすと同時に指向性を持たせた魔力をばらまいて、本棚から一気に遠ざかる。

 フランが離れた数瞬後、ばたばたと大量の本がさきほどまで二人がいた場所に降り注いだ。その衝撃でさらにまた別の本棚から本が落ち、その衝撃で……。

 ループは途中で止まりはしたものの、片付けには相当な時間がかかることが一目でわかるくらいには大量にこぼれてしまっている。

 

「パチュリー、平気?」

「え、ええ……ありがとう。助かったわ、妹さま」

 

 ふよふよと眼下の様子を見下ろしていたフランは、徐々にその高度を下げていく。先にパチュリーが着地し、その後フランが床に足をつけた。

 そうしてさきほどまで自分たちがいた、今は無数の本が倒れ込んでいる場所を前にして、がくんっとパチュリーが肩を落とす。

 

「はぁ……これ、片づけないといけないわね」

「んー……手伝おっか?」

「ありがとう。でも、助けてもらっただけでじゅうぶん。これ以上は妹さまのお手を煩わせるつもりはないわ。そうね……とりあえず小悪魔を呼んできて、本を元のところに……ああ、でもその前に」

 

 パチュリーは乱雑に積まれた本の山に歩み寄ると、その中から一冊の本を抜き出した。

 

「これを。妹さまが探していた、星の成分についての研究成果が書かれた書物です」

「わっ、ありがとうっ」

「助けていただいたのはこちらの方ですから」

 

 両手で大事に本を抱える。ここを出たら魔理沙に渡してあげよう。

 

「それじゃ、私もう行くね?」

 

 パチュリーはこれから忙しいだろうから手伝わないならこれ以上いても邪魔なだけだろう。

 軽く別れの挨拶をして、パチュリーに背中を向けた。

 しかしいざ立ち去ろうというところで、「妹さま」と呼び止める声がする。

 

「その本、もしも誰かに渡すつもりなら、その相手にはこう言っておいてもらえるかしら。『今回は妹さまに免じて貸してあげるけど、次からはちゃんと自分から訪ねてきなさい。貸すかどうかは知らないけど』、って」

 

 足を止める。振り返って、しかたがなさそうな顔で肩を竦めているパチュリーに、ぺろっと舌を出してみせる。

 

「……ばれてた?」

「ええ、ばればれ。というか妹さま、ろくに隠す気なかったでしょう?」

「そんなことないわ。隠す気はあったわよ。隠し通せる気がしなかっただけで」

 

 フランがいつもは読まないような本が欲しいと言ったのだから、ばれるのも不思議な話ではない。パチュリーに聞かなければよかったと言えばそこまでだけれど、大図書館と呼ばれるほど広い部屋から目的の本を一人で探すのは相当骨が折れる。

 それに、本を探すのに手間取っているのにパチュリーに場所を聞こうとしない時点で、なにか後ろめたいことがあると勘ぐられることは避けられなかったはずだ。どちらにせよ怪しまれるのならどうしようが変わらなかっただろう。

 なにはともあれ貸してもらえるのだ。なにも問題はない。

 

「ま、私も本の場所を教えてくれたパチュリーに免じて、あれには読み終わったらちゃんと返還するように言っておくから。それで許してちょうだい?」

「ええ、それはもちろん……もっとも、言った程度であいつが返す気になるとは思えないけれど」

「大丈夫よ。ちょっと脅せばそれくらい簡単だわ。魔理沙って意外と怖がりだから」

「いやまあ、吸血鬼に脅されたら誰だって怖がるでしょうけど……」

 

 パチュリーから呆れ混じりの視線を受けながらも、それじゃあね、と今度こそ大図書館をあとにする。

 本を渡した際には魔理沙から「でかした!」と喜ばれたが、パチュリーからの伝言を伝えると途端に苦々しい顔になった。同時に簡単にばれたことへの非難の目線でこちらを見てきたけれど、それはちゃんと返すよう脅した段階ですぐになくなった。

 ちなみに脅しの内容は返さなかったら家を燃やす、だ。フランなら本気でやりかねないことは魔理沙ならもちろんわかっている。青い顔でこくこくと頷きながら、彼女は本を受け取っていた。



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世界はこんなにも簡単だというおはなし。

 ここ最近紅魔館の空き室の一つが改装され、教室と呼ばれるようになった。

 その名の通り慧音が授業を教える場所、フランやこいしが授業を受けている部屋のことで、黒板やら机やら勉学に必要最低限の設備が備えられている。

 今日は慧音の授業があるわけではない。けれどその教室には二人の人影、フランとこいしが当たり前のように居座っている。

 

「それでー、幻想郷の地形がこうなってるからー」

 

 いつもの授業の際と違うのは二人ともではなくフランのみが席につき、こいしが黒板の前でなにやら熱心に語っているところだ。

 雰囲気を出すためなのか、こいしはいつもの帽子ではなく、慧音が普段かぶっているものに似た三角錐とも六面体ともつかない特徴的な帽子をかぶっている。ついでに丸メガネもだ。ご丁寧に指し棒まで用意したらしく、何度もばんばんと黒板を叩いて楽しそうにしていた。

 そんな先生の真似事をするこいしの指し棒が現在指し示している先にあるのは、そのこいしが書いた幻想郷の全域、要は地図……のつもりなのだろう。本人は。

 ぐにゃぐにゃとまるでラクガキのように、いや事実ラクガキだ。フランからしてみれば、ただただ乱雑に書きなぐったくらいにしか感じられない。得意げに指し棒の先端をかつかつ黒板に当てているこいしにはあれが地図に見えているのだろうか。

 

「ここをそうして、ああやれば……ほら、こうなっちゃう!」

「あーうん。なるほどなるほどー。ところでこうって?」

「こう!」

 

 ばんっ。黒板が叩かれる。

 

「どう?」

「こうだってば!」

「いやそんなんじゃわかんないって」

「えー。こんなのもわからないなんて、フランはにぶちんさんだなぁ」

「むしろわかる人いるのこれ……」

 

 自信満々に、「私は毎日いろんなところ歩き回ったりしてるから幻想郷のことはなんでも知ってるよ!」とこいしが主張するものだから、試しに書かせてみたらこれである。この能天気無意識少女にちょっとでも絵心というものを期待したフランがバカだったかもしれない。

 もはや話を半ば聞き流してしまっているフランの態度に、こいしはぷくーっと頬を膨らませた。

 

「もうっ! こいしちゃんは悲しいですよ! 幻想郷を支配する予定の伝説の二人の相方がこんなにやる気がなくて!」

「はいはい精進します精進。っていうか、まだ忘れてないのねそれ。忘れっぽいくせに」

「忘れないよ! 超本気でしたいって思ってるもん! フランはもう忘れちゃったの?」

「忘れられるわけないでしょ? あんな奇妙で印象的すぎるやり取り」

 

 こいしとの付き合いは出会いから今へ至るまでのなにもかもが、どれもこれも印象的かつ刺激的なことばかりだ。ただ自室で毎日代わり映えのしない日々を送ってきたフランにとって、この日常はあまりに鮮烈で鮮明に記憶に刻まれている。

 こいしはフランの返答に満足が行ったのか、膨らんでいた頬が徐々に元に戻っていく。表情にもいつもの笑顔が戻り、「その意気だよ!」と指し棒でがんがん黒板を叩いた。

 

「いいっ? フラン! 私たちは伝説の組織シスターフィッシュアンドチップス! その心意気を忘れず、いずれ私たちは幻想郷を支配するのだーっ!」

「シスターアライアンスね」

 

 なんか今日はやけに元気だなぁ。いいことでもあったのだろうか。

 こいしはたまにこうして、はっと思い出したかのように妹同盟の話をぶり返すことがままある。普段は「ふーらーんー、あーそーぼー」と言った感じに気軽に訪ねてきては普通に遊んで、そのまま一日が終わることがほとんどなのだけれど。

 幻想郷の支配がどうのこうの言ってはいるが本格的な活動など一度もしたことがないし、妹同盟の活動だと称して出かけたりする際も、森の廃館の探検などおよそ幻想郷支配だなんて大望とは似ても似つかない冒険ごっこばかりをしている。

 こいしは超本気がなんだとか戯言を口にしてはいるけれど、無意識の妖怪たる彼女は心のままに動く。彼女の行動原理に、楽しく過ごしたい、遊びたいという感情が存在する限り、本当の意味で幻想郷の支配に乗り出す時などきっと訪れはしないのだろう。

 

「それで、ああとかこうって結局なんなの?」

「だからこうだってばー!」

 

 ただのラクガキを前に、そんな曖昧な表現ばかり使われて黒板を叩かれてもやはり理解はできない。

 こいしの心でも読めれば別なんだけど……。

 こいしの言動に慣れるくらいの付き合いにはなったが、あいかわらず彼女の心も言動も予想がつかない。だからこそずっと一緒にいても飽きないとも言えるのだが。

 

「――幻想郷を支配、のう。なるほどなるほど、ずいぶんと面白そうな計画を立てておるな」

 

 頬杖をついて、ぼーっとこいしの授業もどきを眺めていたフランの後ろから、ふと声がした。

 初めの一秒程度は、誰の声? と言った具合に疑問が浮かんだだけだったが、すぐにその異常性に気がついて慌てて振り返る。

 この部屋にはフランとこいししかいないはずだ。声や口調だって一度たりとも聞いたことがない。つまりフランの知り合いではない。

 

「この、なんだ。しすたーあらいあんすと言ったか。それはどちらの発案なんじゃ? お前さんらの意欲性からして大体想像はつくがな」

「……お前、なに?」

 

 フランの後ろで飄々と二人に問いかけてきたのは、メイドの格好をした見たこともない人間だった。

 肩にかからない程度の赤みがかった茶色の髪をしていて、頭につけたホワイトブリムの端には葉っぱの髪飾りがつけられている。もっとも特徴的なのは丸い鼻眼鏡をかけていることか。口元には笑みが浮かび、二人に気づかれないようこいしの授業もどきを面白げに眺めていたことが窺える。

 この館に人間のメイドは咲夜しかいない。間違いなく彼女は侵入者だ。メイドの姿をしているのは、妖精メイドやホブゴブリンたちを多少なりとも欺くためだろう。

 ……どうしようかな。とりあえず力づくで捕らえてみる? 手加減は苦手だから間違えて吹き飛ばしちゃうかもしれないけれど、相手が侵入者ならなにも問題はないか。

 目を鋭く細め、飛びかかるために両足に力を込めようとしたフランを、その剣呑な様相に感づいた女性が慌てて両手のひらを見せて静止した。

 

「待て待て待て。待たんか。勝手に盗み見した挙句にいきなり背後まで取ったのは悪かった。しかし儂は別にお前さんと事を構えに来たわけではない。そのつもりならわざわざ話しかけるなんてしはせん」

「どうでもいいのよ、お前の目的なんて。そんなもの捕まえてからじっくり聞き出せばいい。話だってその後に聞いてあげるわ。もっとも、あなたの体が無事に残ってるかは保証しないけどね」

「横暴なやつじゃなぁ。怒っとるのか? せっかくの楽しい一時に水を差されたようで。もしそうならば申しわけない限りじゃが……うーむ。のう、そっちの、確か無意識の妖怪じゃったか。お前さんなら儂を知っとるだろう? 少し弁明してはくれんか」

「わー。フランー、なんか知らない人から知り合いのふりして話しかけられたー」

「ややこしくなるからやめんか! ええい、わかったわかった。正体を明かせばいいんじゃろ、明かせば」

 

 どろんっ、と女性の体を突如現れた煙が包み込む。それが晴れた時には、さきほどまでと少し違った彼女の姿があった。

 メイド服はレトロなノースリーブの服と波と船の模様が描かれたスカートへ、靴はずいぶんと厚底な草履(ぞうり)に。そしてその頭にはブリムの代わりに丸い耳が存在し、背中からは二色の模様が交互に並んだ太く丸く伸びた尻尾が伸びているのが見えた。

 目をぱちぱちとさせるフランに、女性は肩を竦めてみせる。

 

「さきほどまでの姿は仮のもの。見ての通り、本来の儂は狸の妖怪じゃよ。魔理沙から紅魔館の主の妹が儂に頼みごとがあると聞いたから来てみたんじゃが、覚えはないか?」

「あ、えっと……覚えてる、覚えてるわ。っていうか、え? 狸の妖怪? 人間にしか見えなかった……」

「ふぉっふぉ、変化は狸の十八番じゃからの。で、どうじゃ? そこの無意識の。今度こそ見覚えがあるんじゃないかい?」

「あー、あなたは! ……誰だっけ?」

「……まぁ、わかっておったが」

 

 額に手を当てて、はぁーっと息をつく。こいしは妖精並みにいろいろと忘れっぽい。一度や二度、少し話したくらいでは彼女の記憶には残ることは難しいだろう。

 今にして思えば、こいしと初めて会った時に交わした次の十六夜の夜にまた会おうという約束。忘れっぽいこいしがあれをまともに覚えて、しかもちゃんと会いに来てくれたことがだいぶ不思議に感じられる。

 まぁ、なぜかとこいしに問うてみても、どうせ「どうしてだろうねー」とか首を傾げられるだけだろうが。

 

「とにかくそういうわけじゃ。忍び込んで驚かしたりして悪かったな。外観に反して中が広かったもんじゃから少々興味深くてのう。ちょっとばかり歩き回らせてもらった」

 

 口調は年寄りくさい割に、好奇心は旺盛らしい。忍び込んでの探検が楽しかったのか、少々声が弾んでいる。

 

「しかし、この館はずいぶん変わっておるのう。廊下で見かけて儂も化けてみた、確かメイドというんじゃったか。あれらはすべて妖精だろう? よくもまぁあのような頭のない連中を統率できるもんじゃな」

「あー。や、別に統率はできてないわよ?」

「なに?」

「頭がなくてあんまり役に立たないから、そのぶん数だけはたくさん揃えてるの。こういうのなんて言うんだっけ? ちりつも? 塵が積もろうとどうせ風に吹かれて消えるだけだっけ。そんな感じなのよ」

「だ、だいぶ違うが……そうか。数だけか。確かにそこかしこにおったな。それはそれで効率はよいのかもしれん……のか?」

 

 疑問形。それもしかたがない。妖精というのは総じてそれほどに気まぐれかつ頭が空っぽで、その日の楽しさだけを追い求めて毎日を謳歌する、その幼き姿かたちとまるで違わぬまさしく幼子の性質なのだ。

 多少教育しただけのこいしを大量に館で雇っていると言えばよくわかるかもしれない。どう考えても役に立たない。

 事実、この館の運営や雑事のほとんどはメイド長たる咲夜が受け持っている。妖精メイドたちがしているのはそれこそ頭をまったく使わなくていい、広すぎる館の掃除程度のものだ。数だけはいるからそれが一番効率がいい。

 幻想郷に来てしばらくしてからはホブゴブリンも雇い始めたので、咲夜の仕事も多少は楽になっている……のかな? あんまりそんな気はしないが、たぶんなっているんじゃないかと思いたいくらいは自由だと感じたい。

 

「まぁ、妖精が役に立つかどうかはこの館の問題か。これ以上は儂の管轄外じゃな。こうしてお前さんのもとまで足を運んできたことの本題はそこではない」

「……私の頼みごと、聞いてくれるの?」

「さてな。お前さん、魔理沙に詳しいことは話しておらんかったじゃろう。じゃからまぁ、とりあえず話を聞いてみないことには――」

「フランっ!」

 

 がばっ! と。まだ話し途中だった狸の女性を押しのけて、こいしがぎゅぅっとフランの手を両手で握ってきた。

 真剣そうな表情でずいっと顔を近づけてくるこいし。突然のことにどぎまぎしてしまうフランと、こいしに押されて足踏みする狸の女性。こいしはそのどちらの反応も意識の外だとでも言うように、息が当たるほど目と鼻の先でうるうると目を潤ませる。

 

「ごめんねフラン……私、気づけなかったわ。まさかフランに悩みごとがあったなんて……!」

「は、え、は? いや、ちがっ、別に悩みってほどじゃ」

「うん! うん! そうだよね、悲しかったよね、辛かったよね……わかる、わかるわ! なにも言ってくれなくても、今はもうちゃんとわかってるから!」

「だから違うって言っ」

「うんうん、わかってるわ! 大丈夫! わかってる! わかってるから!」

「いや」

「わかってる!」

 

 わかり合うって難しい。

 

「だから、さぁ! 遠慮せずこの胸に飛び込んでおいで!」

 

 そう主張して、なぜかぐいぐいとフランに押し寄ってくるのをやめてくれない。

 狼狽え続けるフランを助けたのは、狸の妖怪の女性だった。フランに詰め寄るこいしの服の襟元をひょいっと片手で摘むと、そのまま少し下がって二人の距離を開けてくれる。

 

「わー! 離してー! フランが泣いてるのよー! 私が慰めてあげないとー!」

「おっ、とと。これ、暴れるでないっ。第一よく見よ、欠片も泣いてなんぞおらんわ。お前さん早とちりしすぎなんじゃよ」

「鮠と塵? わけわかんないこと言わないでよ!」

「わけわからんのはお前じゃ……」

 

 狸の女性がどうにかこいしを抑えてくれているうちにフランが改めてきちんと事情を説明すると、こいしは沈静化した。

 なんとか状況が落ちつく。狸の女性は一つ大きなため息をはくと、頭が痛むように額に手を当てた。

 

「なんだかな……こやつのことは前々から知っておったが、こんなに騒がしいやつじゃったか。いや、まぁ、元から変なやつではあったが……」

「なんか今日機嫌いいみたいで……」

「ふーむ。お前さんといるのがよっぽど楽しいのか……まぁ落ちついたのだからなんでもよい。とにかくこれで本題に入れるわい」

 

 こいしを落ちつかせる際にフランが変化の術を習おうとしていることは狸の女性にも伝わっていた。

 

「お前さんの頼みごと、この儂から儂らが十八番たる変化を学びたいという要望……条件つきではあるが、聞いてやらんこともない」

「ほんとっ!? でも、条件って……?」

 

 顔を曇らせるフランに、不安がることはないと言いたげに狸の女性が首を横に振る。

 

「そう大したことではないさ。しょせん些事に過ぎん。ただこれからは儂を、師匠と呼び慕うこと。ただそれだけが儂に術を習う条件じゃよ」

「師匠?」

「そう。名乗り遅れたが、儂の名は二ッ岩マミゾウ。幻想郷のみならず外の世界の狸の大半を束ねる、化け狸の長の名じゃよ。そんな大妖怪が直々に教えるというのに、弟子から呼び捨てをされては格好がつかなかろう?」

 

 そう言って、狸の女性ことマミゾウは、自信満々な様相でにやりと口の端を吊り上げた。




・世界はこんなにも簡単だというおはなし。
→機動戦士ガンダムOO劇場版より。だから、示さなければならない。世界はこんなにも、簡単だということを。


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ちっちゃくても恥じなくていいおはなし。

 最近は先生の真似事をするのがトレンドなのだろうか。

 少し前まではこいしの真似事を机に座って眺めていたものだが、今はそのこいしとともに、また別の妖怪の女性から授業もどきを受けている。

 二人の前で変化の術まで使って先生っぽい格好をしている妖怪の女性こと、二ッ岩マミゾウ。先生っぽい格好とは言うものの、彼女いわくそれは外の世界のそれに似せたものらしく、幻想郷における慧音のそれとは似ても似つかない地味なものだ。

 

「つまりじゃな……うん? どうした、フラン。胡散臭そうなものを見るような目で見おって」

「……マミゾウ、じゃなくて、まみぞー師匠って、化け狸の頭領だって言ってたわよね。あれ本当なの?」

 

 疑わしそうに問いかけると、マミゾウは心外だと言わんばかりに少し口を尖らせた。

 

「なんじゃ、信じておらんのか? ふむ。お前さんの目から見て、そんなに儂は弱く見えるかのう。確かに化け狸は戦闘面においての実力はさほどではない者が多いが、儂レベルとなると話は違う。儂はお前さんら吸血鬼にも引けを取らないほどの」

「あー違う違う。どっちが強いとか弱いとか、そんなことどうだっていいのよ」

「どうでもいいじゃと?」

「そ、どうでもいい。私はただ、まみぞー師匠は長って呼ぶにはちょっと奔放すぎないかって思っただけ。一人で吸血鬼の住処に乗り込んできたりメイドとか先生の真似事とかしたり。あんまり威厳とか感じられないから」

 

 素直にそう告げると、マミゾウは「これは手厳しいのう」と頬を掻いた。

 

「確かに、長と言うからには森の奥深くでふんぞり返ってでもいるのが一番らしいのかもしれんな。じゃが、それでは毛ほども楽しくなかろう? 儂はできることなら毎日を面白おかしく過ごしたいのよ」

「ふーん。なんか、口調の割に全然年寄りくさくないのね。変化のない日常の方が好きかと思ってた」

「ふぉっふぉ、化け狸なんぞ誰かをたぶらかしてなんぼの種族よ。それを忘れては逆に頭領なぞ名乗れんわい。それに、妖怪は成長を放棄することと引き換えに永き寿命を得た存在じゃ。いくら年月を経ようと、よほどのことがない限りその心に変化なんぞあるはずもないさ」

「私はもうちょっと大きくなりたいけどね。せめてお姉さまよりは」

「そうだね、フランちっちゃいもんね」

 

 割り込んできたこいしに、なぜか胸の辺りをじっと見つめながらそんなことを言われたものだから、思わずごすっと脇腹をつついていた。

 

「あうっ! い、いたい……」

「お前も見た感じ私と同じくらいしかないでしょうが。っていうか身長の話」

 

 ふんっ、とこいしから目をそらす。そうしてマミゾウに変化の授業もどきを続けて欲しいと言おうかと思ったのだが、こいしが余計なことを考えさせたせいで、無意識のうちにマミゾウの胸へと視線が行ってしまった。

 ……手に収まるくらいは、あるだろうか。

 そっと視線を下げて、自分のそれと見比べる。ついでに手も当ててみた。

 ぺたぺた。平べったい。

 

「……なんか、ずるい」

「なんじゃずるいって……」

「ねぇ、これは興味本位で私がしたいとかしようとしてるってわけじゃないんだけど、その……変化って胸も大きくできたりもする?」

「いやまぁできんこともないだろうが……お前さん、そんなことして虚しくないか?」

 

 試しに、レミリアが変化で胸を大きくしている姿を想像してみる。

 なんだろう……なんていうか、見ていられない。かわいそうすぎる。想像の中のレミリアからは、いつもはいたずらばかりしているフランでさえ、少し温かく接してあげた方がいいかな、と思ってしまうくらいにはあわれさがにじみ出ていた。

 

「……はぁ」

 

 がくんっと肩を落として落ち込むフランの肩に、ぽん、と手が置かれる。

 

「そんなに気にしなくたって大丈夫だよ。貧乳はステータス、希少価値だから」

「……は?」

「ぺったんこでも恥じることなんてないわ。フランくらいのが好きな人もちゃんといるから。たとえば、私とか? だからそんなに落ち込まないで、ね?」

「……こいし、ちょっとこっち向いてくれる?」

 

 元気づけた相手が立ち直り、絆を深めるような感動的なシーンだとでも思っているのか、うるうると瞳を潤ませてこちらを向くこいし。おそらくは抱きしめられることを期待しているだろう彼女の両肩に手を置くと、フランは思い切り頭を振りかぶる。

 炸裂したのは以前レミリアにも繰り出したこともあった、慧音式ヘッドバッドだ。ごんっ! と鈍い音が部屋中に鳴り響き、頭に走る激痛と明滅する視界の中で、ぶつけた衝撃によって体が傾いていく。

 

「う、うぐ……か、かなり痛い……け、けど」

「い、いきなりなにするのよふらんー。あうぅ、うぅうー、うぐぅーぁー……いたいぃー」

 

 痛みをこらえて目をこいしの方に向けると、彼女は衝突した額を両手で抑えて、涙目で痛がっていた。

 少し罪悪感を覚えるが、悪いのはこいしの方だ。フランは悪くない。

 ぷいっ、と顔をそらして……でもやっぱり気になって、こいしの方をまた向いてしまっていた。

 

「いきなりなにしとるんじゃ、おぬしらは……」

 

 二人してイスから転げ落ち、地面で蹲っているさまを、マミゾウが呆れたような目で眺めていた。言い返す言葉もない。

 先に回復したのは例によってフランの方だ。ふらふらと立ち上がり、席につこうとして……ちらり、とこいしを見やる。

 

「うぅ、いたいよぉ……」

「……あぁ、もうっ!」

 

 こんな気持ちになるくらいなら頭突きなんてしなければよかった。こうして蹲っている相手が姉であるレミリアなら、少しも気にすることなんてなかっただろうに。

 迷いを振り払うようにぶんぶんと首を横に振って、こいしの横まで足を進めた。額を抑えて苦悶の表情を浮かべているこいしの頭をそっと手を伸ばし、一瞬びくっと震えた彼女の頭を撫でる。

 大丈夫、大丈夫。そう、泣いている子どもを慰めるように。

 そうしているとこいしの痛みも徐々に引いてきたようで、まだ涙目ながらも、こいしはフランを上目遣いで見つめてきた。

 

「……やっぱり、近くで見るとよくわかるわ」

「わかる? なにが?」

「フランってやっぱり、私よりぺったん――いつぁ!」

 

 あいかわらず懲りるという言葉を知らないこいしのたんこぶに今度はでこぴんを食らわせると、その体を吸血鬼の身体能力をもってして軽く持ち上げた。

 さきほどまでこいしが座っていた、今は倒れているイスを足を使って元に戻し、そっとこいしを座らせる。追加で食らわされたでこぴんの痛みからか、ぴくぴくと震えていた。

 その後自分のイスの脚立も立てると、こいしの隣に腰を下ろした。

 

「あー……そろそろ落ちついたかのう。説明を続けてもよいか?」

「うん、大丈夫。こいしはまだ回復までもうちょっとかかりそうだけど、続けちゃっていいわ」

「そうか。まぁ、こう言っちゃなんだが、そやつが起きてると話が進まんからの。ちょうどよいと言えばちょうどよいか」

 

 身も蓋もない。しかし事実だからなにも言えない。

 マミゾウが指し棒で、かつんっ、と黒板の一角を指し示した。

 こいしがやっていたがんがんとうるさかったそれと違って、その先にはきちんとわかりやすい図と文章が書かれている。こいしの授業もどきは見ても聞いてもまるでわからなかったが、マミゾウのこれは黒板を眺めるだけでもある程度はその内容が理解できた。

 

「変化は妖怪ならばほとんど誰しもに少なからず適正がある能力と言ってよい。代表として儂ら化け狸の名前が挙げられやすいのは、単にそれが得意だからというだけの話じゃ。通常の妖怪では人間に化ける程度が限界ではあるが、儂らの手にかかればどんな姿にも自由自在よ」

「普通の妖怪じゃ人間以外の姿にはなれないの? なんで?」

「なれないわけではない。じゃが、厳しいじゃろうな。妖怪とは人間の恐怖から生まれた存在ゆえに、それらは小銭の裏表のように相反する関係と言ってよい。ゆえにこそほとんどの妖怪は人間に化ける適正を持つ。じゃがそれ以外のものに化けるとなると、その者本来の力の気質が重要となる」

「力の気質ねぇ」

「要は妖怪としての特徴、伝承じゃよ。儂ら狸や狐どもは歴史上、変化が得意とされておる。人を化かす力があると恐れられている。それゆえにそれに特化した力の気質を持ち、あらゆるものへの変化が可能になっておる」

「なるほどね」

 

 吸血鬼が変化をするという伝承は聞いたことがない。コウモリの姿になるとはよく言われているし、実際になることもできるが、あれは変化とはまた別の一つの能力だ。マミゾウの言うことが事実であれば、フランでは人間に変装するまでが限界だろう。

 

「理解してもらえたかのう? さて次じゃがフラン、お前さんが人間どもに人間と見られるためにはどうすればよいと思う?」

「そうね、牙と翼を隠せばいいんじゃないかしら」

「そうじゃな。妖怪としての特徴を隠し、その外見を人と同じものにする。相手が人間ならばそれだけで騙せるじゃろう。人間とは、己が目で見た情報をもっとも簡単に信じてしまう生き物じゃからな」

「相手が人間ならってことは、相手が妖怪だとそれでもばれちゃうの?」

「その可能性が人間よりも高い、という話じゃ。変化に通じている者であればなおさらな。たとえば儂なんかは変化をしている妖怪なぞ一目で見破ることができる。その種族がなんなのかまで、な」

「え、すごい」

 

 フランはマミゾウの人間の姿を見ても、その正体が妖怪だとは一切気づけなかった。それだけに相手の種族まで見破れると豪語するマミゾウの規格外さがよくわかる。

 

「ふぉっふぉ、これでも化け狸の長じゃからのう。化けるという能力を得意とする者たちの頂点に君臨する者。なればこそ、それを見破れねば嘘じゃろう」

「……なんだか、疑って悪かった気がしてきたわ」

「なに、気にすることはないさ。あれのおかげでお前さんの目にはなにが映っているのか、少し知ることができたからの」

「私の目になにが映っているか? どういうこと?」

「そう深い意味はないわい。それより変化の説明の続きじゃ、続き」

「んー……? まぁ、いいわ」

 

 意味深な言いようが少し気になったが、この様子では答えてくれそうにない。それに、悪い印象を受けたという風ではなさそうだ。別に無理に聞かなくとも問題はないだろう。

 今後のためにも変化の術は早めに覚えたい気持ちもある。フランもマミゾウと同じように気にしないようにして、彼女の話に再び耳を傾けた。

 

「フラン、少し具体的な話をするぞい。変化において妖怪としての特徴を隠す際、それはどうやって隠せばよいと思う?」

「どうやってって、消せばいいんじゃないの?」

「消すとはつまり、消滅させるということでよいか?」

「うーん、そうね。そんな感じ」

「まぁ、なんじゃ。結論から言うと、それはほぼ不可能じゃよ」

「え? でも」

 

 マミゾウはあんなにも完璧に人間に化けていたのに。

 そう言い返そうとしたフランを、言いたいことはわかっている、とマミゾウが手の平を見せて押しとどめる。

 

「儂のあれは単にちょいと見えないようにしていただけに過ぎん。実際に耳や尻尾がなくなったわけではない。人間へ化ける際、妖怪の特徴を隠す場合には、それを小さくしたり、保護色で周囲の色と同化させることが一般的とされておる。儂のあれもそうしていただけじゃ。もっとも、儂が本気を出せば完全になくすことも可能ではあるがな、そんなものは自分が狸であることを否定しているようなもんじゃろう? 儂はあまり好まんな」

「まみぞー師匠なら頑張れば消せるくらいってことは、私にはできないってことね」

「変化が得意な狸でもできん者がほとんどなんじゃ。まず不可能じゃて。やるならば、見えないほどの小さくするのがもっとも簡単じゃろう。保護色は初心者には少々難易度が高いからの」

 

 確かに、周囲の色を意識しながら変化を維持するだなんて難しそうなこと、変化のへの字も知らないフランにできるとは思えない。

 ちらり、と自分の翼を見やる。フランの妖怪としての特徴、隠すべきもの。翼膜がなく、代わりに七色の宝石のような結晶がぶら下がった、歪な翼。

 

「綺麗だよねぇ、フランのこれ」

「あ、ちょっと」

 

 いつの間にかこいしが復活していたらしい。翼を眺めていると、それにぶら下がっている結晶の一つにこいしが手を伸ばし、触れてきた。

 揺らすように、つんつんとつつかれる。それが少しくすぐったくて、口元が緩みかけた。けれどこいしはそんなフランに気づいていないくらい夢中になっていて、これ以上触られいてはたまらない、とフランは彼女から翼を遠ざけた。

 

「あぁー、待ってよー。私のきらきらー」

「私のよ、もう」

 

 綺麗だと言ってもらえて悪い気はしない。むしろ嬉しくて、だけど褒められていないから、ちょっとだけこっ恥ずかしい。

 少し頬を赤らめて口を尖らせるフランと、伸ばした手が空を切ってしょんぼりとしたようなこいし。そんな二人を眺めて、マミゾウが小さく肩をすくめていた。

 

「お前さんらは本当に仲がいいのう。ともすれば儂とぬえ以上じゃ」

「えへへー、でしょでしょ? なんたっていずれ幻想郷を支配する二人組だからね」

「別にそこまで仲良くなんて、ない、こともないけど……っていうかぬえって?」

「儂の友じゃよ。旧友じゃ。ま、機会があれば紹介することもあるかもしれん。あやつは儂といない時は基本的には一人でおるからな。儂以外の友人がいても損はなかろうて」

「ふーん、常に一人ねぇ。寂しいやつね、そいつ」

「フランが言うの?」

 

 的を射すぎているこいしのつっこみは無視する。他人に避けられがちなことは事実だが、フランが一人だったのはそれ以前に、フランがそう望んだからということもある。

 それに、別に今のフランはそこまで一人というわけではない。姉との確執は消え、他の館の住人たちとも少し壁がなくなったように思う。なにより今のフランにはこいしが、とても大切な初めての友達がいる。

 もちろん、こいし本人にはそんな恥ずかしすぎること、欠片も言えはしないけれど。

 

「ま、字面での解説はここまでとしておこうか。やるべきことがわかったところで、ここから先は実践あるのみよ。この儂が直々に教えるんじゃ。途中で投げ出すことは許さぬぞ?」

「望むところよ。里で遊べるようになるためだもの。それくらいの苦労、我慢できる」

「よく言った。ならばその身、その力をもって証明してみせよ。儂にできるのは、その背中を押すことまでじゃ」

 

 フランにはやりたいことがある。こいしと里を見て回りたい、里で一緒に遊びたい。そのためなら、変化の修行を頑張るくらいのこと、いくらでも我慢できるつもりだ。

 強い思いを込めた瞳でマミゾウを見据える。そんなフランを見つめ、マミゾウはどこか楽しげに頬を緩めていた。




・そんなに気にしなくたって大丈夫だよ。貧乳はステータス、希少価値だから
→SHUFFLE!より。小さい胸は貴重なのよっ、ステータスなのよっ!?
 ただどちらかと言うと、らき☆すたのパロディセリフである、貧乳はステータスだ! 希少価値だ! の方が有名。最近死語になりかけている。


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母性を感じる居候のおはなし。

 マミゾウがフランのもとを訪れてから数日。変化についてマミゾウに直接教えてもらったのは最初だけで、今はもう彼女に習ったことを反復し、どうにか形にしようと努力する日々が続いている。

 それというのも人間への変化ということ自体がそれほど難しくない技術であるため、一通り必要なことを教え終えたマミゾウいわく、あとはフランがひたすら練習を繰り返すことのみが重要だというらしい。

 変化のトレーニングはなかなかに順調だ。初めはほんのちょっと縮めるだけでせいいっぱいだったが、今はもうすでに翼を見えないほどに小さくすることもできる。ただ、少しでも気が他のことに向いたり集中を緩めたりしてしまうと維持が不安定になってしまうため、まだ実用的と言えるほどの段階ではない。

 

「こん、こん、こんっ。とっても大好きー、あぶらーあげー」

 

 地下への階段。こいしから教わったスキマ妖怪のうたを軽く口ずさみながら、大図書館へと足を運ぶ。

 変化の練習は毎日欠かさずに行ってはいるが、なにも一日中そうしているわけでもない。慧音の授業がなく、こいしが来ていない日となると、他に暇つぶしになることはだいぶ限られてくる。

 フランは早々にその扉の前にたどりついた。以前のように魔理沙が大図書館を覗いていることもない。あいかわらず無駄に高い扉の取っ手に手をかけると、木の軋む音を奏でて中へ足を踏み入れた。

 いつもであれば、ここで軽くパチュリーと視線が合い、言葉も交わさない挨拶が完了する。けれど今日は少し事情が違ったようだ。

 パチュリーがいつも座っている横に、レミリアが腰を下ろしている。パチュリー一人ならぺこりと頭を下げてくるだけの対応も、レミリアがいるとなればそれだけでは済まない。

 

「あらフラン、おはよう。こんなところで奇遇ね……って、なんでそんな嫌そうな顔なのよ」

「別にー? 静かに本でも読んでようかと思ってたらなにかと絡んでくるやつに遭遇して、うわっ、だなんて少しも思ってないわ」

「思ってないなら口に出さなくていいってば。もう……」

 

 飄々と本心を隠そうとしないフランのつっけんどんな態度は、もはやこの姉妹にとっては挨拶のようなものだ。レミリアも慣れた様子で肩をすくめている。

 

「それでフラン、いったいどうしたの? 今日はあの変な目の妖怪は一緒じゃないのね」

「どうしたもこうしたも本を読みに探しに来る以外にないと思うんだけど。あとこいしは別に毎日来てるってわけじゃないから」

「ふーん。最近はいっつも一緒にいるイメージだったけど……」

 

 言いながら、レミリアが机の上に置いてある包みの中の、クッキーを口に運ぶ。早々にレミリアのもとを離れて本を探そうとしていたフランだったが、そのお菓子の存在に引き止められて足が止まってしまった。

 レミリアは、そんなフランの心情の変化に目ざとく感づく。にやりと口の端をつりあげ、クッキーをひらひらとフランに見せつけるように宙に掲げた。

 

「ほーら、咲夜が作った甘い甘いクッキーよー。欲しいなら欲しいって言いなさい? ちょうど私の横が空いてるから、一緒に食べましょう?」

「む……別に、欲しいなんて言った覚えはないわ。っていうか私、そんな食いしん坊じゃないし」

「あらそう? それじゃあ私が全部食べちゃってもいいわよね。あぁ、残念だわ。こんなに甘くてふわふわで、口の中で溶けてくようにまろやかな味わいなのに」

「むぐぐぐぐ……」

「さ、どうするの? いる? いらない?」

 

 ぽんぽん、と隣のイスの座の部分に手を置きながら、レミリアは挑発気味に問いかけてくる。その意地悪そうな彼女の笑顔は姉妹だけあって、レミリアをからかうフランのそれととてもよく似ていた。

 フランとしては正直、レミリアに頭突きの一つでも食らわせたい気分ではあったものの、それでは近くにいるパチュリーに迷惑がかかるのでどうにか自制する。代わりに、ありったけの不満を表情と声に込めて「……食べる」と小さく一言だけ返事をする。

 レミリアの顔も見ず、彼女の隣まで足早で進む。背の高いイスに届くよう少しだけジャンプして、ぽすんと腰を落ちつけた。

 レミリアは隣り合って座ったフランと仲良くおしゃべりをしたいようだったが、当人たるフランはつーんとした態度で一切視線を合わせようとしなかった。一人黙々とクッキーに手を伸ばしては口に含み、咀嚼している。

 

「えーっと、ふ、フランー? ……その、そんな一人でつまらなそうにしてないで、私とお話とか……」

 

 少しからかいすぎたことに気づいたらしいレミリアが、必死に笑顔を顔に貼りつけながらフランの視界に入るよう体を傾ける。

 フランはそんな姉を一瞥すると、ふんっ、とすぐに顔をそらし、視線を合わせないようレミリアとは逆方向を向いたままクッキーを口に運び始める。

 

「あ、あぅ……えっと、ほ、ほら! パチェもなにか言ってあげてよ! たとえば、その、もうちょっとお姉さまと仲良くした方がいいわよー、とか……?」

 

 せっかくの姉妹水入らずな会話に口を挟むまいとしたのか、あるいは単にめんどくさかっただけなのか。おそらくは後者だろう。一人読書に勤しもうとしていたパチュリーへと、レミリアが助けを求める。

 パチュリーは、初めにレミリア、次にフランとそれぞれ視線を送った後、小さくため息をついた。そうして自分の親友の名前を呼ぶ。

 

「レミィ、素直に謝っておくのが身のためよ。ただでさえあなたは妹さまの前だと素直じゃないんだから。たった一人の妹に構ってもらいたいのはわかるけど、もう子どもじゃない……わけでもないわね。とにかく、あなたは長女なんだから、食べ物で妹を釣ったりするんじゃなくて、もうちょっと理知的な方法を考えるべきよ」

「あれ、なんか私がいろいろ言われてる……」

「……まぁ、とは言え……妹さまも、できればもう少しレミィの気持ちを考えてあげてくださると幸いです。確かに、レミィは五〇〇年も生きてるとは思えないくらい大人げないところが多々あるというか、事実見た目から中身まで大人とは言いがたいですけれど、彼女の妹さまを思う気持ちは本物ですから。あまり意地悪してあげないでくださいな」

「いやえっとあの、そういうこと本人の目の前で勝手に言われるといろいろ恥ずかしいんだけど……」

 

 ちらりとパチュリーに顔を向ければ、お互いの目線が合う。

 お願いします、と。一見やむを得ず二人の仲を取り持っているように見えて、その実親友のことを思う、どことなく優しげで穏やかな視線。伝わってきたその思いは、こいしという初めての友達を得たフランには、どうにも無視できるものではなかった。

 フランもまたパチュリーと同じようにため息をつく。それから、目を合わせまいとしていたレミリアに自分から改めて体の方向を向けた。

 

「……悪かったわ、お姉さま。ちょっときつい態度取りすぎた、かも……別にお姉さまのことが嫌いなわけじゃないっていうか、あ、いやっ! 別に好きでもないんだけど! ……とにかく、謝るわ。ごめんなさい」

「え、あ、うん……って、違う違う! わ、私もっ。私も悪かったわ、フラン。ごめんなさい、変にからかったりして……ほら、クッキー。一緒に食べましょ?」

 

 こくり、と頷く。フランは一度冷たい態度を取ったせいで、そしてレミリアはフランを一度不機嫌にさせてしまったせいか。ちょっとぎこちなくはあったが、さきほどまでのように毒をはくことはなく、いつもよりちょっとだけ近い距離で一緒にお菓子を嗜んでいく。

 パチュリーは仲直りしたそんな二人を眺めると、肩をすくめ、読書に戻ろうとする。

 フランは、ふいとそんな彼女をクッキー片手にじーっと見つめていた。そしてぽつりと漏らす。

 

「なんかパチュリーって、私たちのお母さまみたい」

「……はい?」

 

 フランの抱いた率直な感想に、パチュリーはぽかんと口を開けていた。

 お母さまみたいというのは、なにもフランの母親に似てるという意味ではない。ただ、まるでフランたちの母親のような立場の対応だと感じた、それだけのことである。

 

「あー、なんかわかる気がするわ。こう、しかたがなさそうにしながらも、なんだかんだ仲を取り持とうと優しく言い聞かせてくれる辺りがこう、ね。こういうの、母性を感じるって言うのかしら」

「そうそう! お姉さまと意見が合うなんて奇遇ねぇ。パチュリーってもしかして他人にあんまり関心なさそうに見えて、実は結構他人思いだったりするのかしら? 案外一人が寂しかったりとか? 意外だわー」

「別にそんなはことは……」

「隠さなくてもいいわよパチェ。あなたのことは何十年もずっと親友をやっていた私が一番理解してる。あなたが本当は他人思いの心の優しい子だってことは、私が一番、よーくわかっていることだわ」

 

 レミリアとフランの仲を取り持った結果生まれたもの。それは、お互いに向いていたからかいの態度の両方が、仲良く一人の対象へ向かうこと。

 こういうところばかり本当に姉妹らしい。あきれたようにパチュリーが嘆息する。けれどその頬はわずかに赤らんでいて、こういうことに慣れていないためか、心の底では恥ずかしがっていることはレミリアとフランの二人には丸わかりだった。

 姉妹二人してパチュリーの良いところを列挙していく。そのたびにパチュリーの反応をうかがい、真っ赤になっていく彼女を観察して楽しむ。

 初めは無視していたパチュリーも、やがては耐えきれなくなったようだ。

 ぱたんっ、と本を閉じて。それを丁寧に膝の上に置き。すぅー、はぁー、と深呼吸をして。

 その後、ばんっ! と勢いよく顔面を机に叩きつけた。

 

「ぱ、パチェ!?」

「え、あれっ!? だ、大丈夫っ!?」

 

 突然の奇行に姉妹二人して慌てる。というかこれは誰でも狼狽える。

 それぞれ席から立ち上がり、パチュリーの左右を挟むようにして近寄って、横からそっとその顔を覗き見た。

 

「……お願い……それ以上照れるようなこと言わないで……恥ずかしすぎて顔から火が出そうだわ……」

 

 よほど恥ずかしかったのだろう。どうやら熱がのぼりすぎて、のぼせてしまったらしい。湯気まで出そうなくらい全身を真っ赤にしている。

 こんなパチュリーを見てしまえば、さすがにレミリアもフランも悪いことをしてしまった自覚はある。しゅんっ、とした様子で、二人ともパチュリーに頭を下げた。

 

「えっと……その、ごめんね? パチェ。さすがにちょっとやりすぎたわ……」

「ご、ごめんなさい。パチュリーって確か、体が弱かったのよね。まさかあれだけでこんなになるなんて思わなくて……」

「……いえ、いいのよ……でも次はできれば、その……こういうことがないようにしていただければ……」

 

 パチュリーの頼みにはもちろんこくこくと二つ返事で了承する。

 レミリアもフランも誰かをからかうことは大好きではあるけれど、その誰かに辛い思いをさせたいわけではない。言ってしまえば、ちょっといたずらが好きなだけなのだ。

 何百年と生きてきてはいるけれど、妖怪は永い寿命を得る代わりに成長することができない種族。その精神はパチュリーがレミリアを評したような、誰かに構ってもらいたいと願う人間の子どもとなんら変わりはない。

 

「フラン。私、咲夜を呼んでくるわ。フランはパチェのこと見ていてくれる?」

「うん。できるだけ早く連れてきてあげてね」

「ええ、わかってる」

 

 レミリアが立ち去るのを見送ると、フランは、あいかわらず机に突っ伏したままのぼせているパチュリーに向き直る。

 

「パチュリー、立てる?」

「……いえ。ごめんなさい……」

「ううん。悪いのは私たちだもの」

 

 パチュリーの背中と膝の裏に手を入れて、イスから持ち上げる。そして近くの開けた床にそっと彼女を寝かせた。

 まだ少し息が荒い。別に病気でもなんでもないのだから、こうして落ちついていればすぐに直るとはわかっている。だけどこうなったのは自分たちのせいなのだ。やはり申しわけなく思う気持ちは拭えない。

 

「……ねぇ、妹さま」

 

 心配そうにパチュリーの顔を覗き込んでいると、薄く目を開けた彼女と目が合った。

 どこか穏やかな、弱々しい声。ぼーっと、あまり意識がはっきりしていないような顔で、彼女はじっとフランを見つめている。

 

「たぶん、これはほんの気まぐれで……普段じゃ、言おうとも思わなくて……冷静になって思い返したら、またこうして倒れるくらいこそばゆくなっちゃうくらいのことだろうけど……」

「えっ、と……?」

「……ありがとう、妹さま。ちょっとだけ、嬉しかったわ」

「嬉しかった?」

「お母さまみたいって、言われたこと。私って血の繋がった家族とかいないから……だから、ね。レミィと妹さまみたいな関係がちょっと羨ましかった、のかな……」

「それって……」

「もちろんあなたたちのお母さまになりたいとかそういうんじゃなくて、偽物でも、私をあなたたちの家族みたいに思ってくれたこと自体が嬉しく、て……あぁ、ダメね。今でもじゅうぶん恥ずかしすぎる……まだ熱が上がりそう……」

「……うん。無理に言葉にしてくれなくたっていいわ。今は、ゆっくり休んで。パチュリーの気持ちは、じゅうぶん伝わったから」

 

 パチュリーの言う通り、これはきっと彼女の気まぐれに過ぎない。熱で頭がおかしくなって、思考が弱々しくなって、ちょっと弱音をはきたくなってしまった。誰かに甘えたくなってしまったような。ただそれだけの心理に過ぎない。

 レミリアとフランが羨ましかったとパチュリーは言った。

 もしかしたら、と思う。

 もしかしたら、パチュリーはずっと、それこそフランが引きこもっていた間中、フランとレミリアの二人の行き違っていたことを気にしてくれていたのかもしれない。

 ずっと一人だったフランにとっては大した問題ではなかった。レミリアも、進んで関係を改善しようとは思っていなかっただろう。

 だとすればはるか長い間、一番気に病んでいたのは。

 

「パチェ!」

 

 ばんっ! と図書館の扉が大きな音を立てて開かれた。どうやらレミリアが咲夜を連れて帰ってきたらしい。

 音に一瞬気を取られ、再度パチュリーに視線を戻した時には、すでに彼女は気を失ってしまっているようだった。

 やはりよほど恥ずかしかったのだろう。額に触れてみれば、風邪でもひいてるんじゃないかというほどに熱かった。

 

「フラン、ありがとう。咲夜、パチェをベッドまで運んでくれる?」

「はい。仰せのままに」

 

 寝かせていたパチュリーを咲夜が抱え、部屋から足早に立ち去っていく。レミリアもそれについていった。

 

「……って、私も行かないと!」

 

 パチュリーと交わした会話のせいか。ぼーっとしてしまっていたので、ぱんぱんと軽く頬を叩いて気を取り直した。

 足を動かして、もうとっくにいなくなってしまっているレミリアと咲夜のあとを追う。

 慣れ親しんだレミリアの妖気をたどっていけば、パチュリーの連れていかれた場所にたどりつくはずだ。

 

「パチュリーには早くよくなってもらわないと。それから私と……」

 

 レミリアとフランの関係を一番気にしてくれていたのは、パチュリーだったのかもしれない。

 だからというわけではない。そういうわけではないけれど、思う。

 今度パチュリーとおすすめの本を教えてもらうのも、いいかもしれない。そしてそれが気に入ったら自分も読んでみて、その内容を語り合ってみたりするのもいい。

 ともに過ごす家族の一人である、彼女と。



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お出かけそわそわ猫耳のおはなし。

「うーん……ねー咲夜ー、大丈夫? 私の格好、変なところないよね? 寝ぐせとか……」

 

 紅魔館、玄関前。三日月と星々が光を放つ空の下、フランと咲夜、そしてレミリアの三人が集まっていた。

 集まっていると言っても、なにか特別なことをしているわけではない。レミリアと咲夜は見送りに過ぎなかった。初めて人間の里に出かけるフランの見送りである。

 どこか心配そうにもじもじと上目遣いで問いかけたフランに、咲夜ははっきりと首を縦に振ってみせた。

 

「ええ、大丈夫ですよ。心配はいりません」

「そう、よね……うん、咲夜が言うんだもの。間違いない……はず」

 

 咲夜の言葉を疑っているわけではない。天然であるという唯一の欠点を除けば、完璧で瀟洒なメイドたる彼女のことだ。偽りなどあるはずもない。

 そのことはフランもわかっている。わかっているのに、それでもどうしてか不安が取れることはなかった。

 今のフランの格好は、いつもとまったく変わりはない。真紅を主体とした半袖とミニスカート、ふわふわとしたデザインでとてもかぶり心地のいい白いナイトキャップ。いつも通り支度をしたのだから、わざわざ咲夜に見てもらわなくてもいつも通り問題ないことは初めからわかっていた。それでもどうしてか、どんなに気にしないよう意識しても、暇があればしきりに自分の体のあちこちを見ては変なところがないかの確認を繰り返してしまっていた。

 そんなフランをずっと静観していたレミリアが、ふと、小さくため息をつく。

 

「まったく……あのねぇフラン、それ聞いたの今日で何回目? 私も聞いたし、わざわざ図書館まで行ってパチェにも見てもらってたわよね」

 

 さすがにそわそわとしすぎていたのだろう。レミリアがあきれた表情をしている。

 

「でも、万が一変なとこあったら恥ずかしいし……」

「それこそ今更じゃない。あの変な目の妖怪とはいっつもつるんで遊んでるんでしょ? 多少だらしないところ見られたって大した問題なんてないと思うわよ」

「む……ふんっ、どうせお姉さまにはわからないわ。私の気持ちなんて」

「そんなに心配しなくたって今のあなたは、あ、ちょっと」

 

 ちょっとだけむかっときて、気がついた時にはぷいっと自分の姉から顔をそらしていた。なにか続きを言っていたようだったが、聞く耳は持たない。

 そうしてそらした視線の先には、紅魔館の門がある。夜は普段閉じられているそれは、今は誰かの来訪を待ちわびているかのように向こうの景色を映していた。

 フランはレミリアに今、自分の気持ちがわからないと言った。でも、と思う。それはたぶん、フランも同じだった。

 今のフランにはどうしてか、自分自身の考えていることがよく理解できていない。レミリアの、いつも遊んでいるんだから多少のことは気にしなくたって問題はないという言葉。それを聞いた時フランは正直、確かにその通りだと感じた。いつも一緒にいるくせに突然気にする方がおかしい、と。

 それなのに、今のフランはこうして自分におかしなことがないかとことあるごとに気にしてしまっている。

 自分の気持ちにここまで齟齬が出るだなんて初めてのことで、戸惑いの感情が強く表に出てしまっていた。

 

「……どうしちゃったのかな、私。こいしと会って、もっと頭がおかしくなっちゃったのかな」

 

 フランは狂っている。要は、情緒の変化が激しい。

 たとえば今は、心配性ばりに自分の格好を気にしていたかと思えば、姉の言葉を突っぱねた後、一人で勝手に落ち込んでいた。どこか浮ついていた状態から一気にテンションを落としている。今はまだわかりやすい方かもしれない。けれどこいしと出会う前はもっと、それこそすべてが自分一人で完結していたから、他人の目から見れば唐突に笑い出したり機嫌が悪くなったりということがよくあっただろうと思う。

 でもそれはあくまでフラン自身が自覚する感情や思考によって変化した心の起伏だった。今のフランが感じているまったく出どころのわからない心配や不安感は、その正体がまるで掴めない。

 自分がなにをしでかすのかわからないというのは、なんだか少し怖かった。もしかしたら、知らないうちにこいしを傷つけてしまうかもしれない。この右手で壊してしまうかもしれない。

 しゅん、と一人勝手に肩を落とす。しかしそんなフランの耳に、わずかに楽しげな小さな笑い声が聞こえてくる。

 

「咲夜……?」

「ふふ……あ、すみません。妹さまは本気で悩んでいらっしゃるのに……でも、こう言うのは失礼なことはわかっていますけれど、なんだか少し、微笑ましい気持ちがわきまして」

「……どういうこと? 咲夜は、私にもわからない私の心がわかるの?」

「いいえ。妹さまの心は妹さまのもの。私にわかるのは妹さまが見せることを許してくださっている表面の部分だけ」

「そっか……」

「しかし、妹さまがずっとこの日を待ち望んでいたことを、私はよく知っていますから」

 

 メイドとしてというよりも、しょんぼりする子どもを慰めるような、優しい笑み。

 

「妹さまはずっとこの日を楽しみにしておりましたわ。ほんの十数日と言えど毎日欠かすことなく人間に変装する術の鍛錬に努め、そしてそのひた向きな努力が報われたことでこの日を迎えられたことを。それは私もお嬢さまも、パチュリーさまや美鈴だって存じていることです。妹さまは、どうしてあんなに頑張っていらしたんでしょう」

「どうしてって……こいしと一緒に里に行ってみたいって、そう思ったから」

 

 その思いは本当だ。それだけは自信を持って言える。そうじゃなきゃ、いろんなものがちっぽけに見えるせいで、ずっと一人で過ごしてきたフランがあそこまで必死になにかに打ち込んだりなんてできるはずがなかった。

 咲夜は静かに首を縦に振ると、大切ななにかを包み込むようにそっと両手を合わせた。

 

「妹さまはきっと、その友人のことが本当に、心の底から好きなだけなのだと思います」

「好きって……」

「深い意味はありませんわ。友愛にせよ隣人愛にせよ、要するにとても気に入っているということです。妹さまはそのご友人のことが本当に、心から好きだと感じているからこそ、不安になってしまうのではないでしょうか。妹さまがずっと楽しみだったとしても、そのご友人には本当に楽しんでもらえるのか。あるいは不快な思いをさせてしまうのではないか、と」

「そうなのかな」

「さきほども言いました通り、私には妹さまの本当の心はわかりません。けれど妹さまが今日という日を楽しみにしていらしたことに間違いはないはずです。そして、妹さまがご友人のことを本心から好いているということも」

 

 ですから、と咲夜は微笑んで続けた。

 

「ご安心ください。妹さまがそのご友人を傷つけることなど万に一つもありえません。そのご友人に今日この日を楽しんでもらえないこともまた。そうでなければすべてが嘘になってしまいます。私は思いますわ。妹さまの気持ちは決して嘘などではない。妹さまの思いは絶対に無駄になんてならない。ですから、どうかそのご友人を、笑顔で迎えてあげてください」

「……咲夜」

 

 今の咲夜は、従者としては失格かもしれない。上から目線気味で、自分の気持ちを一方的に押し付けるような態度。咎められてもなにも文句は言えない。

 だけど、そんなことは彼女も覚悟している。その上で、落ち込んでいるフランを励まそうとしてくれている。他ならぬフランのために。

 本当に、咲夜はできたメイドだ。この館にはもったいなさすぎる。

 

「ありがとう、咲夜。ちょっとだけ元気が出たわ。でも、なんていうかその……心から好きとか、なんとか……あんまり言わないでくれると助かる、かな……なんだかこそばゆいから」

「これは失礼しましたわ。さきほどまでの非礼を含め、なんなりとお叱りつけくださいませ」

「……じゃあ、今度咲夜のお菓子をこいしにも食べさせてあげてみたいな。きっと絶対、間違いなく喜んでくれると思うから」

「はい、承りましたわ。その時は腕によりを奮って、最高のお菓子を作ってみせましょう」

「普通のでいいって」

 

 うやうやしく礼をする咲夜。彼女の後ろで、レミリアが小さく微笑んでいるのが窺えた。

 

「やっぱりちょっと変わったわね、フランは。あの変な目の妖怪の影響なのかしら」

「んー……どうだろ」

 

 妖怪とは、成長を捨てることで永い寿命を得た存在。それは肉体のみならず、精神的な事情にも通じる。以前マミゾウが言っていた通り、よほどのことがない限りはその心に変化などあるはずもない。

 フランが変わったというのなら、その原因ははっきりとしている。レミリアも推測した通り、フランにとってこいしとの出会いはそれほど刺激的だったということ。それがそのよほどのことだったということにほかならない。

 

「こいしもだいぶ頭がおかしいからねぇ。影響されて、もっと変な方向に頭のネジとかいかれちゃったのかも」

「ふふ、そうかしらね。でも、今のあなたの方が私は好きよ。魅力的と言ってもいいくらい」

「あっそ。私は実の姉にそんなこと言われても欠片も嬉しくないわ。っていうかキモい」

「キモっ……!?」

 

 仮に本当にフランが変わったにせよ、何度も言うように妖怪とは成長を捨てた種族ゆえに、しょせん変化は微々たるもの。普段の態度が変わるわけではない。

 あいかわらず姉にはまるで容赦をしない発言によって、ずーん、とレミリアが肩を落としているところを、フランは暇つぶし気味にいつ立ち直るかとぼーっと観察していた。

 しかし不意に、遠くから足音が聞こえたような気がして、門の方を振り返った。

 人間では暗すぎて見えない。けれど、月明かりを太陽と同等の光として捉えられる妖怪の眼を持つフランには見えていた。遠く方から、一つの人影が歩いてくるさまを。

 フランがこいしに気がついたように、あちらもフランを見つけたようだ。ぶんぶんと両手を振って、走り出し始め、そして門まで来た辺りで足を引っ掛けてこけた。

 

「……大丈夫?」

「だ、だいじょぶ……だいじょぶ、うん、だいじょぶ! だいじょぶー!」

 

 ふらふらと立ち上がってフランのもとまでやってきた彼女は、まだ出かける前だと言うのにだいぶ弱っている……気もしたが、うが抜けた大丈夫を何度か繰り返していくうちに即座に元気を取り戻していた。あいかわらずよくわからない。

 こいしと話していると、どくどく、と。心臓がいつもより少し強く鳴っているのがわかった。

 緊張、しているのだろうか。さきほど咲夜が言っていた通り、こいしに楽しんでもらえるか不安だから。こうして顔を合わせるのなんていつものことのくせに。

 落ちつけ、と。そうやって自分の内面にばかり意識を向けていたせいだろう。こいしがいつの間にかフランの顔をじーっと間近で覗き込んできたことに、その後になってようやく気がついた。

 

「な、なに? なにか変なところでもあるの? そ、そんなまじまじと見つめないでほしいんだけど」

 

 鼻と鼻が触れ合いそうなほど近い。いきなりということもあって、ちょっとしどろもどろになってしまった。

 

「フランってさ……」

 

 ごくり、と生唾を飲み込む。

 

「……猫耳似合いそうだよね」

「……は?」

 

 こいしにしては珍しく至極真面目な顔をしていたと思ったら、いつも通り意味不明だった。

 

「猫耳だよ猫耳ー。知らないの? 猫」

「いや、まぁ、本でなら知ってるけど……」

 

 突然どうしたと言いたかったが、こいしの発言が突拍子もないのはいつものことなので聞くだけ無駄だろう。

 こいしはなぜか自慢げに、むんっ、とあまりない胸を張った。

 

「猫っていうのはねぇ、その鋭き鉤爪で靉靆たる低所世界の灰色を暴き、時として水底の命さえ喰らいては、温もりに溢れた世界を求めて過酷な日々を駆け抜ける勇敢な狩人のことだよ」

「家下のネズミとか川の魚とか狩ってお腹いっぱいになった後はコタツかなんかで丸くなってゆっくりおやすみすることが主な願望の肉食動物ってことよね」

「そういうわけで、じゃーん。今日はフランのために猫耳ヘアバンド持ってきたから、これあげるねー。こいしちゃんの心がこもったプレゼントです」

「お前の心汚れてるわね」

「心配しなくても大丈夫! ちゃんとここに首輪と紐と尻尾も揃えてあるから!」

「ご自分で装着してどうぞ」

「え、フランってそういうプレイが好みなの? わぁ、意外とマニアックだねぇ……でもそれがフランの望みならしかたないわ。古明地こいし、フランのために一肌脱ぎます!」

「ほんとにつけようとする、な!」

「へぶっ!」

 

 がつんっ! と。こいしが暴走した際にはもはや恒例となりかけている、慧音式ヘッドバッド。

 何度も繰り返してきたおかげで多少加減は覚えてきたが、やはり痛いものは痛いというもので、二人してばたりと倒れ込んだ。

 

「え、ちょっとちょっと! だ、大丈夫なのこれ!? えっと、ふ、フランー? 変眼猫耳執着妖怪ー?」

「だ、だいじょうぶ、へいき……」

 

 レミリアが慌てて駆け寄ってくるが、手のひらを見せて静止する。一応いつもより加減はしていた。悶えるほどのダメージはなく、じんじんと額は痛むにせよ、すぐに立ち上がれる程度のダメージだ。

 フランはよろよろとすぐに立ち上がれたものの、こいしはぺたんと座り込むのが限界のようだ。

 こいしは、ちょっとだけ赤みが加わった額を抑えながら、がっくりと落ち込んでいた。

 

「……なんか、ごめんねフラン……」

「え、あ、いや……その、私も……」

 

 素直に謝れるとこっちも困る。なんだか悪いことをしたような気がして謝ろうとしたが、それより先にこいしの言葉が続く。

 

「私、痛みは快感として感じられないたちだから……その性癖と付き合うのは、私にはちょっときつい、かなぁ……」

「…………殴りたい……」

 

 一瞬でも本気で謝罪しようとしたこっちの気持ちを返してほしい。

 もう一度頭突きを食らわせてやりたくもあったが、これ以上はまたこいしの頭にたんこぶを作ってしまう。さすがに自重をすべきだろう。

 だけどやっぱり勝手に変態に仕立てあげられたのは我慢ならないので、赤くなった額にでこぴんくらいは食らわせておく。

 

「……いろいろとすごいお友達ね……」

「私もそう思う……」

 

 こればかりはレミリアの感想に完全に同意する。それでも気に入ってしまったのだからしかたがない。こんなのでも、フランにとってこいしは大切な友達なのだ。

 頭突きにでこぴんまで食らわされて涙目になっている彼女に手を差し出して、立ち上がらせた。自分では絶対払わないとわかっていたので、倒れたことで服やスカートについてしまった汚れもフランが払って落としていく。ちなみにフラン自身の汚れはさりげなく咲夜が取ってくれていた。

 

「いっつも思うけど、なんだかんだやっぱりフランってツンデレさんだよねぇ」

「違う」

「否定しなくてもいいと思うんだけどなぁ。可愛いし」

「かわっ……べ、別に褒めたってなんにも出ないわよ。私ツンデレじゃないから」

「でも羽、尻尾みたいに割とすっごいぶんぶん動いてるよ? 実は嬉しいんじゃ」

「気のせいだってば! 気、の、せ、い!」

「ツンデレー……」

 

 レミリアを見れば、どう見ても照れているフランをにやにやと面白そうに静観していた。それがまた恥ずかしくて、顔を真っ赤に染め上げたフランはぷいっと顔をそらす。

 

「とにかく! こいし、合流できたんだから早速行くわよ! お姉さまはついてこないでよね!」

「はいはい。ここから先は若い二人でどうぞってところかしらね。お邪魔虫はおとなしくツンデレで可愛い妹の帰りでも待ってるとするわ」

「いってらっしゃいませ、妹さま。妹さまがたにとって、楽しくもかけがえのない一夜になることを祈っております」

 

 お姉さまには今度絶対仕返しする。

 そう誓いつつ、フランはこいしを引っ張って、さっさと紅魔館をあとにした。

 これから向かうのは人間の里。夜ということもあって、人間が無防備に外を出歩いていることなどまずありえない。おそらく、フランが初めに望んだような食べ歩きなどをすることとは少々違う形になる。及第点となった変化の術もまた、人間に化けるためというよりも、比較的嫌われやすいという悪魔であることを隠すために使うことになるはずだ。

 それでも人間の里には夜に妖怪専門の店として開かれるところも数多くあるというから、退屈するということはないだろう。

 フランの望み。たとえどんな形であれ、人間の里に一緒に出かけ、こいしとともに楽しんで回ること。

 こいしが来るまではずっと、それこそまるでなにかに恐怖していたかのようだったのに、いつの間にかそんな思いは欠片もなく。今はただ、なにもかもが楽しみで楽しみでしかたがなかった。



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繋いだ手を巡る温もりのおはなし。

今日この日この時間(5月14日5時14分)にどうしても投稿したかった私の気持ちは察して余りあると思います(ーωー )


 元々、紅魔館は幻想郷に来るより前は西洋の方に建っていた。その頃のフランは一切外に出ようとすることなんてなかったけれど、外にどういうものがあるかは本である程度知ることはできた。

 ただ、それはあくまで西洋での外の様子の話に限られる。幻想郷のように、以前は東洋の田舎だったと思われる地域のことなど知る由もなかった。

 だから、里に訪れたフランの目にはいろんなものが新鮮に映っていた。西洋の外の話なら何度も本で読んできたが、和風な街並みを描いたそれには一切触れたことがない。紅魔館とはまた違った落ちついた雰囲気の風情らしきものを肌で感じて、こいしを待っていた時のように、そわそわと落ちつきなく辺りを見渡してしまう自分がいた。

 

「ここが人間の里かぁ……なんか思ってたよりしっかりしてるのね。藁でできた家に住んでるかもとも思ってたんだけど」

「あ、それ面白そうー。今度一緒に作ってみる? 藁の家」

「それなら木材とレンガも用意しないとね」

「へ? なんで?」

「藁じゃ天狗に吹き飛ばされちゃうからよ」

「うーん? 木でもレンガでも変わんないと思うけど……」

「童話の話よ。三匹の子豚っていうね」

 

 夜の人里は当然のように人通りは少ない。妖怪同士の暗黙の了解として人里に住む人間は襲ってはいけないというものがあるが、妖怪が活発化する夜で無警戒にぶらついてなどいれば、なにが起こっても不思議ではなかった。

 なにせ里の人間を食べられないルールがある以上、妖怪たちが食べることのできる人間は神隠しで幻想郷に迷い込んできた外の世界の人間に限られる。そして供給の少ないそれに全妖怪がありつけるはずもない。幻想郷での地位が低い低級妖怪に魔が差して、無防備でいる里の人間を食べる可能性など、少し考えれば容易にたどりつける。

 その点、フランたち紅魔館の住民は裕福な生活を送っていると言えた。紅魔館には、なにもしなくても継続的に外の人間(しょくりょう)が提供される手はずになっている。人間の供給が足りず、吸血鬼のような非常に力のある妖怪が幻想郷の人間を襲い始めたり、かつての吸血鬼異変――幻想郷に初めて吸血鬼が現れた際に大暴れした異変。引きこもっていたフランは関わっていないし詳細も知らない――の再来にでもなったら目も当てられないからだ。

 なにはともあれ、そういう事情もあって、里で誰かとすれ違うことがあっても、それが人間であることは逆に珍しい。人通りがなければ当然のように屋台もなく、やはり食べ歩きなどはできなさそうだ。しかし妖怪でも客は客というスタンスの店はそれなりにあるようで、営業中の札を掲げた店はそこそこ見受けられた。

 

「わっ。ぷっ……あはは! なにこれ、変な置き物! ねぇこいし、これってなに?」

「んー、これは招き猫だねぇ。にゃんにゃんってあざとく客を呼び寄せるためのものだよ。はい、にゃんにゃん?」

「いやそんな当たり前みたいに猫耳渡されても受け取らないってば。第一こんな往来でつけるもんじゃないでしょそれ」

「そっか、そうだよね……にゃんにゃんするなら人目がないところでこっそりしないと恥ずかしいもんね。気遣いできなくてごめんね」

「ぶっ……つ、つっこまないわよ」

 

 単に猫耳をつけるのが恥ずかしいと言っているのか、それとももっと別のことを暗に指しているのか……きゃー、と軽く頬を赤らませるこいしからは本気か冗談か判別しづらく、ぷいっと顔を背けるのと一緒に言葉を濁した。もしも前者だったならつっこんでもフランが恥をかくだけだ。ここは口を挟まないに限る。

 いつもは天真爛漫なこいしに手を引かれてばかりの日々だけれど、今日はフランが彼女を連れ回すことが多かった。あちこちと見て回っては、時にこいしとともに観察し、時にそれがなんなのかとこいしに問いかける。

 フランもこいしも、望む望まざるにかかわらず一人でいることが多い妖怪だ。知らない誰かが近くにいるよりも二人だけで回る方が居心地がいいと感じていたのか、営業中の店の中に入ることは意外にもそう多くなかった。

 夜の静けさのと比べると二人のはしゃぎようは少しアンバランスに映る。けれど、あるいはそんな浮世離れした独特な雰囲気こそが、その能力や性質によって周囲からはぶられがちな二人だからこその空気と言えるかもしれない。

 

「それにしても変化って結構すごいんだねぇ。ほんとに翼なくなっちゃってる」

 

 里を散歩しながら、興味津々と言った様子でフランの背後に回り、じっとその背中を覗き込むこいし。

 人間の里に入るにあたってフランはすでに変化の術を行使していた。変化と言っても誰かに化けているわけではなく、例によって妖怪としての特徴を隠しているに過ぎない。

 見た目は完全に一〇歳程度の人間の子ども。とは言え、こんな夜中にフランのような子どもが出歩いているはずもないので、妖かしものの気配を感じ取る素質のない普通の人間でも、一発で妖怪だと見破ることができる。

 今回の変化の役割は紅魔館を出る際にも考えた通り、悪魔であることを隠す意味合いが強かった。悪魔は人間や妖怪を問わず嫌われやすい。そんな態度を表に出せばどうなるかわかったものではないので表面上は慕われることが多いが、なんにせよいらぬトラブルを招く必要はないだろう。

 見えなくしたフランの翼をついぞ見つけられなかったこいしが肩を落とし、小さくため息をついた。

 

「フランの翼、虹みたいにきらきらしてて好きだったんだけどなぁ」

「……そんなの、次に会った時にでもいくらだって見せてやるわよ。だからそんな沈んだ顔しないの」

 

 照れている自覚はある。それがばれないよう、にやけそうになる表情筋を必死に抑えつけながら、こいしと顔を合わせる。そして、励ますために彼女の額をつんっと突いた。

 ここ最近はよく頭突きやでこぴんを食らうことが多いからだろう。こいしは半ば反射的に自分の額に手を当てていた。

 ぱちぱちと目を瞬かせた彼女は、くすり、と優しく口元を緩める。

 

「じゃあじゃあ。フラン、フランも私の目、触ってみる?」

「目?」

 

 とことこと至近距離まで歩み寄ってきた彼女と見つめ合う。その輝かな瞳には呆けたフランの顔が映っている。

 

「目って、もしかして……」

「うん。顔についてる方じゃなくて、こっちの閉じてるやつ」

 

 いつもこいしの胸の少し前でふよふよと浮いている、体の端々から伸びた触肢と繋がった第三の目の上に、彼女はそっと手を置いた。

 

「フランの羽はあとでいっぱい触らせてもらうつもりだからね。でも私だけじゃいろいろ不公平でしょ? だからフランも私のこれ、好きなだけ触ってみていいよ」

「や、でも……それ、こいしの妖怪としての特徴そのものでしょ? 大事なものなんじゃないの?」

「んー、私にとっては別に大事でもなんでもないけどね。でも、私だって誰にでも触らせてるわけじゃないんだよ? フランだから触らせてあげるの。フランだから、こんなことも何気なく言えるのよ」

「私だから?」

 

 なんの警戒心もない無垢な笑顔が、フランの心を揺さぶってくる。

 なんとはなしに、自分の右の手のひらを見下ろしてしまっていた。

 そしてそれに問いかけてみる。こいしの目を壊したいか? と。

 こいしと出会う前ならいざしらず、今はもちろん、壊したくないと感じる。こいしを傷つけたくない、彼女の隣にいたい。一緒に笑い合いたい。

 でも、フランはこれまでなにかを壊すことしか知らなかった。それ以外のことを知ろうともしなかった。だから同時に、思ってしまう。

 壊したくない。だけど、ふとした拍子に壊してしまうかもしれない。傷つけてしまうかもしれない。

 触れたいと思う。撫でてみたいとさえ願う。こいしの目は、ぷにぷにしていてやわらかそうで、触れてみたらきっと気持ちのいい感触がしそうだ。撫でたらきっとくすぐったがるだろう彼女をからかってみたい。

 けれど、なにかを壊すことしか知らないこの手では、ただそっと触れることでさえ、その対象を無価値な残骸へと変えてしまうのではないか、と。こいしを泣かせてしまうのではないか。それが、たまらなく恐ろしい。

 こいしが好きだから、気に入っているからこそ、どうしても彼女に触れようとする勇気がでなかった。

 こいしはきっと、フランを信じてくれている。フランだってこいしを信じている。だけどフランはどうしても、自分を信じるということだけはできないでいた。

 

「もうっ、いつまで迷ってるのよー。勝手にやっちゃうからね、えい!」

「あ、ちょ」

 

 割と真剣に悩んでいたのに、こいしはそんなことどこ吹く風とばかりに、フランの右手を勝手に取っては自分の第三の目に押し当ててきた。

 ぷにぃ、と、想像よりもさらにやわらかい独特の感触が手のひらを通して伝わってくる。

 

「どう? どう?」

「……なんか、いい」

 

 さきほどまで怖がっていたことも忘れ、無意識にぷにぷにと少し指を動かしてしまっていた。

 こいしが、むずがゆそうに唇を震わせる。でもなにも文句は言わず、むしろ「それだけでいいの?」と言わんばかりに小首をかしげていた。彼女はきっと、後日フランの翼を文字通り好きなだけ堪能するつもりだろうから、控えめすぎるフランの手つきが逆に不思議に思えるのだろう。

 壊してしまうかもしれないという恐怖はあった。それでも、もう触れてしまっている。その事実がフランの好奇心の枷を外し、恐る恐るながら、今度は意識的に手を動かしてみた。

 

「ん、ぅん……なんか、意外だなぁ」

「意外? なにが?」

「もうちょっと乱暴にやってくるかと思ってた。ほら、最近フランって頭突きにはまってるみたいだから」

「はまってはないけどね。っていうか、乱暴にやってくると思ってたのに触る許可出したの?」

「フランならいいかなーって」

「無防備すぎるわ。もし……もし、私がこいしを傷つけるのもいとわなかったら、どうしてたのよ」

「あはは、その冗談はあんまり面白くないよー。フランが私を傷つけるわけないじゃん。フランは私のこと大好きだもんね! ツンデレなだけで!」

「ツンデレじゃないし、傷つけない云々の前にそもそも今日すでに頭突き一回してるんだけど」

「細かいことは気にしないの! そんなんじゃ大きくなれないよ!」

「そりゃまぁ大きくはなれないけど……妖怪だし。なりたいけどね、大きく」

「胸の話?」

「身長の話っ」

 

 そろそろいいかな、とこいしの第三の目から手を離した。ぺたぺたと文字通り触れていただけだったから、なぜか逆にこいしの方が不満そうにしている。

 今はまだこれだけでいい。今回は、フランが自分から触れたわけではない。恐怖を取り払うことをこいしに手伝ってもらったのだから。

 それに、あんまりやりすぎると後日翼をいじられる時が怖いというのもある。こちょこちょなんてされたら目も当てられない。今のうちに多少の逃げ道を作っておいて損はしないはずだ。

 

「あ、フランフラン、ちょっと背中向けてくれる?」

「背中? さっきも見たと思うけど、別に今は翼出してないわよ」

「いいからいいから。見ーせーてー」

 

 はいはい、とくるりと回る。なにをする気なのかと思っていたら、がばっ、とこいしに覆いかぶさられた。

 たたらを踏みつつも、どうにか転ばないよう立て直す。

 顔を横に向ければ、目と鼻の先にこいしの顔があった。えへへ、と照れくさそうに笑っている。

 

「えっと、これは……?」

「おんぶ、かな!」

 

 それは知ってる。

 

「これまでは羽が邪魔でこういうことしにくかったから。それにしてもフラン、全然平気そう。フランって意外と力持ちだよね」

「まぁ、吸血鬼だし」

「そういえば牙も隠してるんだっけ? でも普通に八重歯見えてるよ? そんなんで大丈夫なの?」

「そ、そんな近くで口元見つめないでよっ。一応これでも小さくしてるのよ。ほんとは触れただけでぷすって穴が空いちゃうくらい鋭いんだから」

「へー。けどフランって誰かの血を吸ってるところとか見たことないなぁ。いつも食事とかどうしてるのよ」

「どうしてるもなにも、普段食べてるご飯とかケーキとかに血とかいろいろ混ざってるのよ。咲夜が作ってくれてるんだけどね。そもそも私、誰かから直接吸ったことなんてないし」

「吸血鬼なのに? 変な話ー。あ、じゃあじゃあ、それなら私がフランの初めての人になってあげよっか? 私、フランが相手なら抵抗とかしないよ?」

「ぶ……お前の血を吸うかどうかはともかくとして、初めてがどうとかいう言い方はやめて」

「なんで?」

「なんでも、よ」

 

 一向にこいしが降りようとしないので、しかたなく背負いながら里を歩き進む。すぐ横でこいしの髪が耳をくすぐってきて、少しだけこそばゆい。

 こいしにしては特に暴れることもなく妙におとなしかったので、もしかしたら寝ているんじゃないかと何度か彼女の顔に目を向ければ、そのたびにこいしと目線が合う。彼女は特に眠そうと言ったこともなく、どうしたの? と言わんばかりにこてんと首を傾げていた。

 

「……こいし、今日はありがとね」

「なにが?」

「私と一緒にここに来てくれたこと。私に振り回されてくれたこと。気、遣ってくれてたんでしょ?」

 

 いつもならふらふらと落ちつきがないこいしが、今日ばかりは珍しくフランのペースに付き合ってくれていた。

 フランのお礼の言葉。だけどこいしは要領を得ないように、小難しい顔で小首を傾げていた。

 

「気なんか遣ってなんてないよ。フランと一緒にいるのに面白くないわけないもん。むしろフランがいつもより楽しんでたおかげで私もおんなじような気持ちになれたわ。いつもよりずっとずっと楽しかった。もちろん、いつもがつまんないってわけじゃないけどね」

「そっか。こいしもちゃんと楽しんでくれてたのね。よかったわ……本当に」

 

 今日が特別な日だと感じていたのは自分だけじゃない。それがわかっただけで、フランはもう満足だった。

 そんなフランにこいしは目を瞬かせた後、わずかに口元を緩める。

 

「フランってやっぱり、ツンデレさんだよねぇ」

「……それ今関係ある?」

「あるわよー。だって今、絶賛のデレ期じゃない。いっつもツンツンしてるのに、今日は妙に開放的って言うか。だから今日は一段と楽しかったのかもしれないねぇ。そんなありのままのフランと一緒にいられたから」

 

 えへへ、と。ツンデレじゃないと言い返したかったのに、そんな気持ちのいい笑顔を浮かべられては、反論することはできなかった。

 ツンデレ、か。

 本当は不本意で、今すぐにでも否定したい。だけど、今だけはそれでもいいと思えた。今だけは、こいしを好いている自分の素直な心持ちでいたかった。

 

「こいし、これ」

 

 こいしを降ろし、懐から、一つの包みを取り出す。それは今日人里を回っていた際に、立ち寄った数少ない店のうちの一つで、こいしにばれないようこっそり買っていたものだった。

 こいしは手渡された包みを見下ろし、はっとしたように目を瞬かせた。

 

「もしかして犬耳!?」

「そんなの売ってるわけないでしょ。とりあえずこれあげる。開けてみて?」

「うーん、なんだろ……」

 

 こいしが包みを開ける。それに入っていたのは、花の飾りがあしらえられたアクセサリーだった。

 こいしはそれを広げると、少し意表を突かれたかのように目を見開いた。

 

「……これ、首輪かな? やっぱりフランってそういう趣味が」

「チョーカーよ。知らないの? 首に巻くアクササリー」

「あはは、冗談よ冗談。もちろん知ってるわ。でも、なんでこんなのを私に? 私が猫耳上げるって言ったから、そのお返しとか?」

「そんなわけないでしょ。や、でも、猫耳のお返しじゃないけど、お返しと言えばお返しかしらね」

 

 少し借りるわね、とこいしが持っているチョーカーを貸してもらう。そして、こいしの首にそれをつけてあげながら、フランは話を続けた。

 

「こいしと会ってから、いろんなことが変わったから。明日が来ることが楽しみになったり、すれ違ってたお姉さまと仲直りしたり、外に出られるようになったり。咲夜と話すことが多くなったり、美鈴をからかうようになったり、パチュリーとちょっと仲良くなったり……こいしと出会わなかったら、きっとそんなこともなかった。今もたぶん、あの窓際で外の景色をずっと眺めてただけだったと思う」

「私と会って変わったから、私のおかげなの?」

「そう。だからね、ずっとお礼を言いたかったのよ。でもほら、そういうのって普段言うのはちょっと恥ずかしいし……だから、必ず今日伝えるんだって、変化の練習を始めた時からずっと決めてたの」

 

 できた。手を離せば、ラナンキュラスの花の飾りをあしらえたチョーカーを身につけたこいしが、そこにいた。

 

「もちろんこんなもので全部返せるなんて思ってないけどね。私が今ここにいるのは、全部こいしのおかげだから。今日はただ、私の気持ちを知ってほしかったの。こいしと一緒にいるのが楽しい、これからも一緒にいたい。それが私の本心なんだって」

 

 こいしはフランが語る間、なにも口を挟まず、じっとフランを見据え続けていた。

 そして、フランが気持ちを伝え終えてしばらくすると、ふっとこいしの顔が少し下を向く。らしくもなく、まるでちょっと落ち込んだかのように。

 

「えっと、ね……それは、私のおかげなんかじゃないわ。フランが頑張ったから、その今があるのよ。私はきっとなんにも関係なんてない、誰にとっても意味なんてない……私は最初からそういう存在、無意識の妖怪なんだから」

「はぁ? なにそれ」

「もしかしたら、フランと一緒にいるのだって気まぐれの一つに過ぎないかもしれないわ。本当はなんにも思ってないかもしれない。フランと一緒にいるのが飽きちゃったら、もうフランのとこに行くことだってなくなっちゃうかもしれない。だって全部無意識なんだから。私自身にさえ、自分がなにをしたいのかもわかんないことだって……」

 

 こいしがこういう弱音をはくのは初めてのことだった。彼女はフランの前ではいつも快活に、天真爛漫に振舞っていたから。

 眉を落とし、フランと視線を合わせない。自分の奥深くに感情を押し隠そうとしているかのように、震えた声で言葉が続く。

 

「フランはさ、もしかして、それでもこんな私と一緒にいたいって思ってくれるの? 一緒にいて楽しいって思ってくれるの? だとしたら、それってどうして?」

「どうしてって……あのねぇ」

 

 こいしの言い草になんだかむっとして、気づけば、フランは少し乱暴にこいしの頬を両手で包み込んでいた。

 半ば無理矢理視線を合わせさせる。その両の瞳の奥さえ見通せそうな至近距離で彼女の瞳に見えたものは、困惑と、若干の恐怖、そして虚無。いつもの彼女の眼に映る無尽蔵の明るさとはまるで程遠い。

 フランにはこいしの気持ちはわからない。当たり前のことだ。フランはずっと自分だけの世界で生きてきた。だから同情も慰めもかけられない。フランにできることはただ、自分の気持ちを伝えることだけ。

 

「友達だもん。当たり前でしょ? 友達と一緒にいたいって思うのは」

「友達……?」

「こいしにとっては、そうじゃなかったの? これまでいっぱい一緒に遊んできたのに。私はずっとそう思ってたのに……」

「……友達。そっか、友達……友達かぁ……私の、初めての……」

 

 すっ、と目を閉じて、こいしは首に巻かれたチョーカーにしばらく手を添えていた。

 ラナンキュラスの飾りに、その指先が触れる。

 次第に彼女の口元が緩んでいった。そっと手が伸ばされて、こいしの手がフランのそれに触れては絡み合う。やがて、ぎゅぅっ、とその手が強く握られた。

 くさいセリフかもしれないけれど、フランには、それがお互いに抱いている絆の証明のように思えた。

 かつてレミリアが初めてフランと結んでくれた始まりの繋がり(姉妹)とはまた別の、フラン自身が望んで手に入れた、新たな大切な繋がり(友達)

 もう二度と、この運命と軌跡を忘れることなどないだろう。たとえこいしの能力がどのようにこいしの姿や記憶を押し隠す力を持とうとも、フランが彼女を忘却することはありえない。だって、もうすでにフランの奥底に根付いてしまっている。これを壊すというのなら、この右手でフランごとすべてをなくしてしまう以外に方法などない。

 

「ねぇ、フラン……」

「ん。なに?」

 

 こいしがわずかに潤んだ瞳を細める。いつもとは少し違った、どこか切なげで、けれど少し嬉しそうな微笑み。

 

「やっぱり、いいかもしれないわ。あの時は断っちゃったけど、なんだかんだ私もフランのことが大好きになっちゃってたみたい。だから、ね」

 

 フランを誘うかのように、囁くような声で続きの言葉を口にする。

 

「フランなら、いいわ。フランが相手なら私も我慢できると思う。フランのS(さでぃすと)な性癖にも、ちゃんと付き合っていけるよう頑張るから」

「……は?」

 

 ……どうやら、いつの間にかいつものこいしに戻っていたようだ。

 こいしの瞳の奥に、さきほどまで見えていた負の感情はもう存在していなかった。落ち込んでいた様子などすでに欠片もなく、毎度のごとく、頭のネジが飛んだ思考回路がフル回転している。

 

「まだ痛みを快感として覚えるなんてできないけど、フランのためだもの。私、フランの要望に目一杯応えられるよう精一杯頑張るわ。だからね、フランも……」

 

 いや私のためって……。

 割と真剣な顔で理解不能なことをのたまいつつ、すっ、と。フランがこいしにチョーカーをプレゼントした時のように、こいしがあれをフランに手渡してくる。

 

「フランも、猫耳つけてくれる?」

「……なんて?」

「猫耳つけて? お願い? 今なら猫耳こいしちゃんのお持ち帰り権利つきだよ?」

「……お前はほんとに……」

 

 本当に、まるでぶれない。うるうると瞳を潤ませているところから見るに、案外本気で言っていそうな部分がまた……。

 ……でも、それでこそ古明地こいしという一人の少女だとも言えるのかもしれない。

 はぁ、とため息をつきつつ、しかたがない、と。そんな笑みも一緒に浮かんでしまった。

 そう、しかたがない。だってフランは、そんなわけがわからないこいしのことが気に入ってしまったのだから。

 だからフランはこいしと同じように、自分もまたいつも通りに振る舞うことにした。

 猫耳を押しつけようとしてくるこいしの手をしっしっと払おうとする。受け取るつもりはない、つける気もない。そう言おうとして。けれどこいしが持つ猫耳に偶然目が留まってしまって、ふと、払おうとした手が止まってしまった。

 ……いやでも、こいしのお持ち帰り権利……猫耳のこいしかぁ。ちょっとだけ見てみたい気も……。

 

「って、ダメダメ! これじゃこいしと考えてることなんにも変わんないじゃない!」

「え、急にどうしたの?」

 

 急に叫び出したせいでこいしが不思議そうにしていたが、直前の思考のせいか、そんな彼女が猫耳をつけている光景を幻視してしまい、ぶんぶんと首を横に振った。

 こいしに感化されすぎたのか、それともこれまで表に出てこなかっただけで、フランには元々そういう趣向があったのか。できれば前者であってほしい。切実にそう思う。

 どうにか煩悩を振り払い切ると、フランは気味に恨みがましくこいしに視線を向ける。

 しかしフランが一人冷静さを取り戻そうとしている間に、こいしはどうやら行動を次に移していたらしい。いつの間にか帽子を外し、手に持っていた猫耳を自分が身につけており、フランがこいしを見た時には、すでに彼女がポーズを取った後だった。

 こいしが、くいくい、と招き猫のように手首を動かす。

 

「にゃー。にゃんにゃんっ。どう、どう? こんな感じかな?」

「……あ、結構いいかも……」

 

 ……思わず口にしてしまった後に自分がなにを言ったのかを思い出し、頭を抱える。割と重症だったらしい。

 こいしは「でしょでしょ!」とフランに褒められて非常に機嫌がよさそうだ。勢いのまま尻尾を取り出して、背中の方の服をめくって身につけようとし始める。

 

「ちょ、ちょっとちょっと! こんな往来でそういうことしちゃダメだってば!」

「なんで? 誰もいないよ? っていうかどうせフラン以外は誰も私なんて見えないし」

「そういう問題じゃないって! あーもうっ、とにかくつけるならこっち! 路地裏にでも行くわよ!」

「つけるのはいいんだねぇ」

 

 こいしの手を引いていく。今日はこうしてフランが手を引くことの方が多い。やはり知らず知らずのうちに、こいしから影響を受けてしまっているのだろう。

 自分が変わっていく感覚というものは恐ろしくもある。だけどそんな恐怖がどうでもよくなるくらい、こいしと過ごす日々はかけがえがなく、楽しいものだから。

 どうかこの絆の証明がこの先もずっと、はるか未来まで続きますように。

 少しだけ目を瞑り、心の底から。繋いだ手から伝わってくる温もりを胸に、空に浮かぶ月や星々に願い事を託した。



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お姉ちゃんの言う通り考えるおはなし。

「さぁ、記念すべき第一回! 幻想郷を超本気で支配するにはどうしたらいいんだろう会議の始まりだよー!」

 

 こいしと里へ出かけた日から、一週間は経っただろうか。

 慧音の授業がない休日、場所は空き教室。フランは机に肘を乗せて座り、こいしは教卓の前で指し棒を握っている。

 ばんばんばんっ! 今日も黒板がうるさい。

 

「ふわぁ……んんー」

「む、フランー。なにあくびなんてしてるのよー。今は大事な大事な会議の真っ最中なんだよ? 真面目に聞いてー」

「大事な会議、ねぇ」

 

 小さく肩をすくめる。それからまた一つ、あくびをついた。

 こいしがこんなよくわからない会議を始めようと言い出した原因は、別に大したことでもない。

 こいしと出会ってすでに二か月近くの時が経っているが、その間、フランとこいしがやってきたことと言えば、せいぜい授業を受けたり散歩したり里に遊びに行ったりしたくらいだ。およそ幻想郷を支配などという大層な野望とはほど遠い。

 フランは別に内容がなんだろうとこいしと一緒に楽しく過ごせるのであればなんでもよかったけれど、反してこいしは、未だ支配の支の字も見えてこない現状に満足がいっていないらしい。

 そんなこんなで「シスターアートオンラインの緊急会議だよ!」といつも通り唐突に切り出したこいしに引っ張られて教室にたどりつき、今に至っている。

 フランが未だぼーっと座っているせいか、こいしの頬がぷくーっと膨らみ始めてきた。このまま放っておいてしまうと、しびれを切らした彼女がほっぺを引っ張ってきたり、こちょこちょとかやってきそうだ。それは勘弁願いたいところなので、そろそろまともに相手をしてあげることにした。

 

「んー、じゃあ聞いてみるけどね。こいしは、幻想郷を支配するにはどうしたらいいって思ってるの?」

 

 こいしが本当に本気で幻想郷を支配しようとはしていないことはわかっていたが、一応聞いてみる。

 いや、あるいは漠然と自分のものにしたいくらいには感じているかもしれない。それでもそれは支配してみたいという好奇心程度のものに過ぎない。

 こいしは、いい質問だねぇ、とでも言いたげに胸を張っていた。その後すぐに「えっとねー」と顎に手を添えて、宙に視線を彷徨わせ始める。

 

「私にお姉ちゃんがいるのはフランも知ってるでしょ? お姉ちゃんって実は地底じゃ結構偉くてね、たまに地底の支配者みたいに扱われることがあるんだー。知ってた?」

「知らないっていうか、そもそもお前の姉が地底に住んでること自体が初耳よ」

「そうだっけ? まあそこは重要じゃないから流してー、それでね」

 

 地底。この幻想郷の下に広がっている広大な地下空間のことだと聞いたことがあった。

 幻想郷をよく知らないフランは当然あまり詳しくはないが、こいしの姉がそこに住んでいるということはこいしの実家もそこなのだろう。

 なんとなく、フラン自身が地下室で何百年も過ごしてきたこともあって、実はどちらも同じ地面の下で暮らしていたということにちょっとだけ親近感を覚えた。

 

「この前ちょっとお姉ちゃんに聞いてみたんだ」

「どうしたらそのお姉ちゃんみたいに立派な支配者になれるか、って?」

「そうそう! いったいどうしたら、お姉ちゃんみたいに引きこもってだらだらのんびりぐてーってしてても皆言うこと聞いてくれるようになるの? って」

「あ、そういう」

 

 そうそう、と同意された割にフランの想像とはだいぶニュアンスが違う。

 しかし、引きこもり? それはつまり家から出ないということだろう。かつてのフランと同じように。さきほどこいしに親近感を覚えたばかりだったが、今度はこいしの姉とやらに同様以上の感覚を覚えた。

 

「それでお姉ちゃん、なんて答えたと思う?」

「なんてって……うーん、地底で一番強いからとか?」

「あはは、お姉ちゃんはそんなに強くないよー。妹の私より弱いくらいだもん」

「じゃあ、地底で一番偉いから?」

「偉そうではあるけど実際に偉いかと言われると、うーん……」

「なら、地底で一番人気があるから」

「お姉ちゃんはむしろ嫌われてる方だよ。ペットには慕われてるみたいだけどね」

「だったら、地底で一番……」

 

 思いつく限りの候補を上げていくフランを、しかしこいしは「ちっちっち」と指を横に振って得意げな顔で否定する。妙にいらっときたが、でこぴんはどうにか我慢した。

 

「それじゃあなんて答えたって言うのよ。そんなに自信満々なんだから相当納得がいくことなんでしょうね」

「ふっふっふ、聞いて驚くがよいわー! えっと、お姉ちゃんは私の質問にねー」

 

 こいしは、かっ、とチョークを手に取って、がっ! と黒板にそれを叩きつけた。そして勢いよく折れた先端がこいしの額に直撃する。

 ……その後しばらくして何事もなかったかのように二本目のチョークに取り替えたこいしは、今度は丁寧に、かつかつと黒板に文字を書き始める。以前彼女が書いた幻想郷の地図とやらは一切解読不能だったが、今回のそれは文字なので、なんとか読み解くことができた。

 

「お姉ちゃんは私の質問にこう答えたんだよ! ずばり! 『自分で考えなさい』!」

「…………うん」

 

 聞き方がひどかったので突っぱねられたというところだろう。妥当な返答である。

 しかしこいしはそんなことは欠片も思っていないようで、「だから!」と言葉を続け、指し棒の先を黒板に叩きつけた。

 

「お姉ちゃんの言う通り、こうして会議を開いて考えてみることにしたのです!」

「……というか、さ。こいし、私は会議を開いた理由じゃなくて、こいしが幻想郷を支配するにはどうしたらいいと思ってるか聞いたのよ?」

「うん。でも私、そもそも案があるなんて一言も言ってないよ?」

「はあ。なんにも思いついてないことを伝えるのに遠回りしすぎだっての」

「えへへー」

「えへへじゃない」

 

 でこぴんを、と思って、近くにいた彼女に手を伸ばしたけれど、その額に白い粉がついているのが見えて手が止まった。チョークが折れてぶつかった際の汚れだ。

 小さく肩をすくめ、手ぬぐいを取り出して、彼女の額に当てる。こいしと一緒にいると、こいしがはしゃいで転んだりして小さな怪我をしたり汚れたりということが稀によくあるので、最近は常備するようになった。妖怪なので怪我は放っておいてもすぐに治るけれど、汚れはそうもいかない。

 されるがままでいるこいしの額についた粉を拭き取って、手ぬぐいをしまった。こいしは自分の額に何度か手を当てて、その手に粉がつかないことを確認すると、ふにゃり、と顔を緩ませる。

 

「だからねフラン、一緒に考えて? 幻想郷を超本気で支配するにはどうしたらいいかーって」

「まぁ、他にやることもないし、別にいいけどね」

「わーい。あ、じゃあ机くっつけようよ。向き合った方が会議っぽいよね?」

「二人だから会議っていうか、面接っぽいかなぁ」

 

 指し棒とチョークをぱっぱと戻したこいしが、自分の机を動かし始める。フランも立ち上がって、同様のことをした。

 こうしていると、外の世界の小説なんかでたまに見る学校に通っているような気分にもなる。案外、悪くない。

 

「とりあえず、互いにどうすればいいか一つずつ思いついたことを言ってく感じでいいかしら」

「いいと思うー」

「じゃあ言い出しっぺのこいしからなんか言ってみてくれる?」

「え? 私から? んー、そうだねぇ」

 

 宙に視線を彷徨わせるこいしを、じっと見つめる。彼女の首には、以前里に出かけた際にプレゼントしたョーカーが巻かれている。あれ以来、少なくともフランと会う際には彼女はいつもこれを身につけていた。

 気に入ってもらえていることをこうしてはっきりと示してもらえるのは、フランも嬉しい。贈り物を考えたかいがあったというものだ。

 考え込むこいしを口元を緩めて眺めているうちに、こいしはなにか思いついたようで、ぽんっ、と手のひらの上に握りこぶしを乗せた。

 

「こんなのはどうかな? なんかいろいろどうにかして、私たち二人のことをいろんな人に知ってもらうの。それで人気者になれば、皆私たちのことを無視できなくなるよね。そうしたら皆も私たちの言うことを聞いてくれるようになるんじゃないかなー」

「……なんて?」

「たくさん人気を集めれば、皆言うことを聞いてくれるようになるはずだと思わない?」

「……え、なにこれ。嘘でしょこれ……夢じゃないの? こいしがまともなこと言ってる……」

「むー、私はいつだってまともだよ」

 

 ごしごしと目元をこする。なにも変わらない。自分の頬を引っ張ってもみたけど、痛いだけだ。なんと夢ではないらしい。

 愕然とするフランをよそに、こいしは話を続けていく。

 

「前にね、いっぱい戦っていっぱい勝って、注目を浴びれた時があったんだ。私のことなんて普通は皆見えないはずなのに、あの時は結構な人たちから話しかけられたりしてねー。だから思ったの。またいっぱい人気を集めれば、いろんな人が私たちの言うことを聞いてくれるようになるんじゃないかなって」

「……うん。私も、有名になるのは重要なことだと思うわ。支配云々はともかくとして、有名になればそれなりの影響力は持つようになるはずだから」

「でしょでしょっ」

 

 賛同が得られてこいしも嬉しそうだ。こいしにしては本当にまともな案だったので、素で褒めてしまった。

 そこでふと、あれ? とこいしが首を傾げる。

 

「そういえば、初めて会った時ってなんでフランは私のことが見えたんだろ。私のこと少しも知らなかったなら見えるはずないのに」

「そんなこと私に聞かれても知らないわよ。こいしが自分で能力を弱めてたんじゃないの?」

「うーん。前にも言った……言ったっけ? 言ったはずだと思うかもしれないけど、私ってほら、体の自由がそんなにきかないのよ。だから能力って言ってもそんなに制御できてるわけじゃなくてね、そもそもこれは力っていうか、体質みたいなものだから」

「じゃあなんで私にはこいしが見えたのよ」

「それを今さっき私が聞いたのよー」

「そうだったわ。うーん……そうねぇ。運命だから、だったりしてね」

 

 こいしと会って、フランの生活は一変した。本来ならありえるはずもなかった出会いがきっかけだったのとすれば、それは運命と表現しても差し支えない。

 けれど、と同時に思う。フランがこいしを見つけることができた理由。きっとそれは、そんなに大した理由ではない。

 初めて会った時、こいしは自分のことを小石だと表現した。小石のように存在感が薄い存在なのだと。だけど、フランにとっての日常で小石が転がっていることなどありえない。きっとそれと同じなのだ。

 普通の人間や妖怪にとっては小石なんてありふれていて目を向けることがなくとも、フランにとって小石とは興味の対象だった。フランがこいしを見つけることができたわけは、たぶん、ただそれだけのことなんだろう。

 

「私のことを言うなら、こいしが最初に会った時に交わした約束を覚えててくれたことも驚きよ。一か月よ? 一か月。あの時は大して不思議には思わなかったけど、忘れっぽいこいしがそれを覚えてて、ちゃんと来てくれたことが今は驚きだわ」

「あはは、どうしてだろうねー。自分のことなんてよくわかんないけど、もしかしたら、フランと友達になりたかったのかもしれないねぇ」

「……あっそ」

 

 こいしは小さく微笑んで、首元のチョーカーに手を添える。いつもは子どもっぽい無邪気な笑い方のくせに、今はなにかに感じ入るような静かに笑みを浮かべていた。

 フランはそっけない返事を装いつつも、こいしのそんな反応がなんだかちょっと嬉しくて、自分の口元も緩んでしまっていた。

 

「じゃあ次はフランの番だよ。フランは幻想郷を超本気で支配するにはどうしたらいいって思ってるのかしら」

「そうねぇ、私はー……」

 

 本当は、まじめに答える気なんてなかった。たぶんこいしはいつも通り遊び半分で、新しく楽しめることを探して支配だなんだのという話を盛り返しただけだと思っていたから。

 いや、たぶん事実その通りだ。その通りだけれど、こいしの出した案が案外まともだったから、フランも少し真剣に考えてみることにした。

 

「……私も大体はこいしと同じ案かしら。やっぱり、まずは私たちの名前が広まらないと始まらないわ。でも、それ以外にももう一つ、やらなきゃいけないことがあるわね」

「やらなきゃいけないこと?」

「こいしは幻想郷を、あー、超本気で支配したいんでしょ? それならまずは幻想郷のことを詳しく知らないと。どこになにがあって、どんなやつがいるのかー、とか。その方がいろいろやりやすいし、支配者が支配地のことを知らないなんて滑稽じゃない?」

「おぉ、なるほどー。でも私、いろんなとこ行ったことあるから地理には結構自信あるよ?」

「どうせどこになにがあるかとか大して覚えてないんでしょ」

「ここにフランの家があります」

「知ってる」

「でも、そうだねぇ。私が知っててもフランはなんにも知らないんだもんね」

 

 こいしががたんっ! と音を立てて立ち上がる。

 

「じゃあじゃあ、これからはもっと探検の範囲を広げてみようよ! すぐそこのでっかい山とか、山の向こうの花畑とか、参拝客のいない神社とか! そうやっていろんなところ巡りながら私たちの名前を広めるの!」

「へえ、いいんじゃないかしら」

「でしょー? よーし、そうと決まれば次に探検する場所を早速決めないとっ。どーこーにーしーよーうーかーなー」

 

 いろんなところに足を運んで、名前を広める。結局のところ名前を広める以外は、言ってしまえばいつもとやることは変わらない。ただ、これからはそのいつもとは違うところにも行ってみようというだけ。

 それでもこいしが満足そうにしている辺り、やはり新しく楽しめそうなことを探していただけだったようだ。

 

「……幻想郷を本当に支配できる日は遠いわね」

「え? フラン、なにか言った?」

「なんでもないわ、なんでも」

 

 そっと、自分の右手のひらに視線を落とす。ありとあらゆるものの目が浮かぶ、破壊の力。フランは、もしもこいしが本当に本気で幻想郷を支配することを望むのなら、この手を貸してあげてもいいと思っていた。

 だけど、きっとこいしはそんなことは望まないだろう。たとえ本当に幻想郷をこの手の内に収められようと、その過程でフランが傷つくかもしれないことを。フランとこいしが二人で、心の底から楽しんで笑い合うことができなくなる結末を、彼女はきっと望まない。

 右手から視線を上げて、こいしを見つめる。物騒なことを考えていたフランの脳内のことなど露知らず、急に目線を向けられて不思議そうにこてん、と小首を傾げている無邪気な仕草がおかしくて、思わず顔が綻んでしまった。

 

「……でも、遠くに出かけることが多くなるなら、そろそろあれをどうにかしないといけないわね」

 

 息をつき、部屋の扉を見やる。あの向こうには廊下があって、そこにはこの館には数少ない窓の一つが存在するはずだ。

 これまでフランは夜にしか活動してこなかった。昼間に寝て夜に活動する。こいしと遊ぶのもいつだって夜中だ。それは吸血鬼や夜型の妖怪からしてみればなんらおかしいことではない。

 だけど、フランはそろそろ昼間にも動けるようになりたいと感じてきていた。こいしは疲れをほとんど感じない体質なので昼だろうと夜だろうと関係ないみたいだけれど、フランに会う以前は昼間の活動が主だったと聞いたことがある。一週間前に里を訪れた時だって人通りはほとんどなく、買い食いなどはできず最終的には里を適当に見て回るだけで終わってしまった。

 今でもじゅうぶん楽しめている。けれど雨の日はともかくとして、太陽が出ていてもまともに活動できるようになること。それがかなえば、もっと毎日が面白く感じられるようになるに違いない。

 こいしともっといろんなところに行けるようになるために。こいしともっといろんなことを楽しめるようになるために。

 こいしとの会議もどきを続けつつ、フランは密かに自分のやるべきことを心の中で固めた。



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ふらふら方法を模索するおはなし。

 困った時には誰を頼ればいいのか。そんな疑問を自分に投げかけてみれば、フランは主に三人の顔が思い浮かぶ。

 一人はパチュリー。彼女はこの紅魔館の知識人である。大抵の疑問は彼女に聞いてみれば答えが帰ってくる。

 一人はレミリア。正直あんまり頼りにならないが、紅魔館の主として長く生きているだけあって悪魔としての知恵となると彼女が一番詳しい。

 一人は魔理沙。この館の住人ではないものの、彼女はなんだかとっつきやすいから、悩みを吐露しやすい。いろんな人間や妖怪などとのツテもそれなりにあるから、紅魔館の外のことなると彼女を頼るのが一番だろう。

 咲夜や慧音もそれなりに頼りにはなるが、咲夜が一番頼りになるのはなにか物事をお願いする場合であり、慧音はあくまで人間の味方なので直接的な関与は期待できない。なので、なにかを相談するとなるとフランの中では基本的にパチュリー、レミリア、魔理沙の三人に絞られる。

 フランは今、吸血鬼でありながら昼間も活動したいと考えている。そうなると、今相談すべき相手はこの三人のうちの誰なのだろう。

 多くのことを知っているパチュリーならフランが求めている知識を保有しているだろうか。レミリアなら五〇〇年以上の時を生きてきた吸血鬼として、なんらかの方法を知っているだろうか。魔理沙ならフランが求める答えを導き出せるだろう人物を知っていて、それを紹介してくれるだろうか。

 悩んだ結果、全員に相談することにした。当たって砕けろの作戦だった。

 まずはパチュリー。そう考えて、こいしと会議をした次の日に、フランは大図書館を訪れた。

 

「――ってわけで、昼間も活動できるようになりたいの。パチュリーはなにかいい方法知らない?」

 

 いつも通りぱらぱらと本を読んでいたパチュリーの近くのイスに座って、ぷらぷらと足を投げ出しながら問いかける。

 パチュリーはフランの質問に一旦本を置き、顎に手を添えた後、ふるふると首を横に振った。

 

「申しわけないですけれど、そういう方法には私は詳しくなくて……吸血鬼に関してはずいぶん前に集中的に調べたことはありますが、知っていることとなると一般に出回っている程度のことだけ。吸血鬼の特性や能力、そして弱点。それを克服する方法は……ごめんなさい」

「ううん、気にしないで。そうよね、もし知ってたらお姉さまが黙ってるわけないもんね」

「ええ、まぁ。仮に知ってても、レミィには教えるつもりはないですけど。聞かれない限りは」

「なんで?」

「太陽の下でも満足に動ける、って、はしゃいで私を外に連れ回す未来が容易に見えますので」

「あはは、なるほどねー」

 

 フランもパチュリーは少しは外で運動した方がいいと思うけれど、どうせ言ったところで聞きはしないだろう。フランがそうだった。地下に引きこもっていた頃にレミリアがたまに暗に外に出てみないかと促してくることがあったが、ことごとく鼻で笑ったりしていた。

 とにかく、パチュリーは知らなかった。それだけわかればじゅうぶんだ。フランはパチュリーにお礼を言うと、早々に大図書館をあとにする。

 次に話を持ちかけたのはレミリアだ。彼女は普段は年上らしく優雅に振る舞おうと心がけているようだが、ふとした拍子ですぐにそれが崩れ、子どもっぽい面が顔を出す。フランが相談などすればすぐに『優雅かっこわらい』の仮面が崩れ去るのが目に見えている。フランに構ってもらおうと地味に甘やかそうとしてくるに違いない。

 それがめんどくさいのであまり頼りたくなかったのだが、背に腹は代えられない。

 フランはレミリアを探して館の中をさまよい歩き、やがてバルコニーにその姿を見つけた。月と星の光の下、イスに座って紅茶を嗜んでいる。ありていに言って暇そうだ。

 

「お姉さま、ちょっと聞きたいことがあるんだけど」

「うん? え、あ、うん。え、聞きたいことって、私に?」

「ここには他に誰もいないでしょ?」

「そう、私、私にね。ふふ、わかったわ。お姉さまがなんでも答えてあげるから、なんでも相談なさい」

 

 心なしか機嫌がよくなったように思える。ありていに言って調子に乗っていた。

 そこに触れるとめんどくさいので気づかないふりをしながら、フランはパチュリーへしたものと同じ質問をしてみる。

 するとレミリアは、パチュリーと同じように顎に手を添えて考え込み始めた。パチュリーと違うのは、いつまで経ってもうんうんと唸り続けているだけで、わからないと首を横に振ろうとしないことだろう。

 

「うー、えっと、そのー……うぅ、うーんと、うー」

「うーうー言ってないで、わかんないならわかんないでいいからそう答えてよ」

「わ、わかる! わかるから! たぶん……えっと、そ、そう! 日傘よ日傘! 日傘を差せば昼間でも動けるわよ? 私、太陽が出てる時に外に出る際はそれで移動してるし」

「あれ、思ってたよりまともな回答……」

「ちょっとそれどういう意味よ、もう」

 

 少し想像してみる。日傘を持つフラン、それを振り回すこいし。取りこぼす未来しか見えない。

 欲張りかもしれないけれど、フランの望みは単に外を出歩くというよりも、こいしと一緒に遊べるようになることにある。日傘ではこいしの天真爛漫さに耐えられそうにないので却下だ。

 ただ、いい方法が見つからなかった時のとりあえずの妥協案としてはちょうどいいかもしれない。

 

「お姉さま、余ってる日傘って持ってない?」

「欲しいの?」

「うん」

「それならあとで咲夜に言っておくわね。私の予備の傘を……なんでそこで嫌そうにするのよ」

「いやだって、この歳でお姉さまとお揃いは……」

「この歳って、私たち妖怪だから成長とは無縁なんだけど……はぁ、まぁいいわ。それじゃあ普段私が使ってるのとはちょっと違うデザインのやつ買っておくよう言っておくから。それでいいでしょ?」

「うん、お願いー」

「はいはい、たった一人の妹の頼みだもの。無碍にはしないわ」

「お姉さまのそういうところ、私結構好きよ」

「す、好きっ? ほんとに?」

「うん。ちょろくて好き」

「……そ、そう。ちょろいって……」

 

 微妙な顔で無言になったレミリアにばいばいと手を振ってバルコニーを去る。

 あと頼りにできるのは魔理沙だけか。ただ、魔理沙は紅魔館の住民ではないから今すぐに会うことはできない。大図書館にこっそり忍び込もうとしているところを捕まえるか、魔理沙の家に突撃をかけるか。

 今日はレミリアを探して歩き回って疲れたので終わりにするが、明日になったらどちらにするか決めることとして、その日は眠りについた。

 そして次の日。魔理沙の家に突撃をかけるため、爆炎の魔法についておさらいしようと魔導書目当てで大図書館に向かっていたところ、偶然にも道中で魔理沙とばったり遭遇する。

 突然家の周囲が燃え盛り始めて慌てふためく魔理沙を見られなかったのが残念な反面、いちいち森まで出かけなくてよくなったので手が省けた。早速近くの部屋に拉致して、パチュリーやレミリアへしたものと同じ問いを投げかけてみる。

 

「あー、お前が昼間でも外に出歩けるようになる方法ー? そんなもん日傘でも差してりゃいいだろ。レミリアは確かそうしてたぜ」

「それじゃ激しく動けないでしょ。出歩ける方法じゃなくて、弾幕ごっことかしても問題ないくらい動けるようになる方法はないかってこと」

「うーむ、そんなこと言われても私は人間なんでな。お前らの弱点の克服方法なんざ、よー知らん」

「知ってそうな人とかも知らないの?」

「知ってそうなやつか? うーむ……知ってるかどうかは知らんが、どうにかできそうなやつなら数人思い浮かぶな。実際できるかは保証しないけど」

「ほんとっ? 誰っ?」

「言ってもわからんだろ。でもま、ぱっと思いつく限りだと、ルーミアと河童どもと仙人のやつらと……あと香霖か? ……いやルーミアは無理があるか。あれたぶん自分の周辺にしか作用しない能力だろうし」

 

 ぶつぶつと呟く魔理沙の言葉を拾う。なんとなく、香霖という単語が一番『できそう』だという感情が込められている気がした。

 

「ねー魔理沙ぁ」

「あー、皆まで言うな。わかってる、紹介してほしいんだろ? 別にそれはいい。悪魔ってのはこっちがなにかしたぶんだけこたえてくれるからな。ただ、たぶん今回は前回みたいにこの館まで来てもらうってのは無理だ」

「なんで?」

「なんでもなにも、河童は金も払わない他人のために動くわけないし、そもそもあいつらは一番どうにかできる可能性が低い。仙人だと神子(みこ)辺りが一番どうにかできそうだが、吸血鬼なんて力のある妖怪の住処まで来るように促すとなると布都辺りが突っかかってきそうだし……あいつ最悪紅魔館燃やそうとするかもしれんしなぁ。私のせいで戦争が勃発なんてしたらしゃれにならん」

「大丈夫よ、返り討ちにしてやるから」

「それがダメだって言ってるんだよ。で、残るは香霖だが……あいつは誰がなにをどう言ったって自分の意志以外では絶対家からは出ないたちだから言っても無駄だ。長い付き合いだから断言できる」

「引きこもりなの?」

「そういうわけじゃないんだが……いや、冬は割と引きこもってるな。とにかくそういうことだからあいつを連れてくるのは無理だ。これまでの異変が一気に全部発生して全部一日で解決するくらい難しい」

 

 だから、と魔理沙は続けた。

 

「悪いが今回はフランの方から出向いてくれ。香霖の店の場所なら教えてやれる。それでいいか?」

「うん。その香霖って人なら私の悩みをどうにかできるのよね?」

「保証はできんって言ったろ? ただ、個人的にはできると思うぜ。あいつ、割とやればできるやつだからな。やらないからできないやつとも言うけど」

 

 そんなこんなで魔理沙には香霖という人物とやらが住むという、香霖堂の大体の場所を教えてもらった。どうやら人間の里から魔法の森へ一直線へ進んだ、森の入口付近に建っているらしい。

 もしわからなければまた聞いてくれと言い残し、彼女は大図書館侵入大作戦へと戻っていった。

 とりあえず最後の最後で目的が達成できた、のだろうか。まだ確実ではないが、手がかりを掴むことができた。そのことに内心歓喜しつつ、次にこいしと会った時はこいしと一緒に香霖堂に訪れることに決める。

 初めてどこかに行く時はこいしと一緒に。フランの中では、すでにそれが当たり前となっていた。

 

 

 

 

 

「なんか新鮮な気分だねぇ。フランと昼間から外を歩いてるなんて」

 

 魔理沙と会った、さらに次の日。真夏の炎天下の中、咲夜を経由してレミリアからプレゼントされた、レミリアのそれよりも少しだけ赤みがかったデザインの日傘を差しながら、魔理沙に教えてもらった香霖堂へ足を進めていた。

 隣には暑さなどまるで感じていないかのごとく軽くスキップをするこいしがいる。対してフランの元気はあまりない。

 直接日の光を浴びなくとも、地面から反射した紫外線が容赦なく肌を焼いてくる。それで体が灰になってしまうことはないが、あまり気分がよくないことは間違いない。

 

「……フラン、大丈夫?」

「うん……平気よ。心配しないで」

 

 ただ時折、こいしがこうして心配そうに覗き込んできてくれるのが、なんだか少し嬉しかった。普段と違ってフランの手を無理に引っ張っていったりしないのも、彼女なりの配慮なのだろう。こいしがフランのペースに合わせてくれることが、彼女を独占できているような気持ちになれて、日差しの心地悪さを和らげてくれる。

 今こいしにツンデレだなんて突っ込まれたらあたふたとしてしちゃいそうかも。そんなくだらないことを思いつつ、こいしの言葉に適当な相槌を打ちながら道を進む。

 

「やっぱりフランって箱入り娘なんだね。ちょっと外を歩いただけでこんなに気分悪そうにしてるんだもん。もしかして体弱いの?」

「そういうんじゃなくて、吸血鬼だからしかたないのよ。お姉さまもおんなじ風になっちゃうって聞いたわ。それに、夏だし」

 

 夏だし。なんて言ってみたものの、ぶっちゃけフランは夏しか知らない。こいしに誘われて外に出るまではどんな季節も館の中で過ごしてきたのだ。実際に外に出て、その季節の感覚を味わっているのは夏が初めてだと言える。

 だから、少し楽しみでもあった。食欲の秋だとか読書の秋だとか、いろんな言葉が生まれる紅葉の季節。世界が一面白銀に染まる雪の季節。春風が気持ちいいという桜の季節。そのどれもがまだ未知の、体感したことがないもの。その初めての時間をこいしと一緒に過ごせたらな、と。そう感じている。

 

「私が日傘持ってあげよっか? そうすれば少しは楽になるんじゃないかな」

「や、こいしに持たせたらふとした拍子に傘と一緒にこいしが飛んでっちゃいそうだし……」

「あはは、そんなことー……あれ、割と否定できないかも……」

 

 そんな他愛もないやり取りを交わしていると、次第に道の先に薄暗い森が見えてくる。

 魔理沙の言っていた通り、その森の手前には一軒の建物が建っているようだった。

 こいしと顔を合わせ、少し足早に一緒に向かえば、すぐにたどりつく。

 目的の建物の周囲には、まるで魔理沙の家のように、あるいはそれ以上に奇妙なものばかりが転がっていた。

 二つの車輪を金属でつないだ上にサドルなどを設置して乗れるようにしたもの――自転車――やら、幻想郷にはない奇妙な材質で作られた、両手で抱えるのがせいいっぱいの灰色の四角い箱――ブラウン管テレビ――などもある。なにやら先端に赤い円盤のついた白くて長い棒――標識――が地面に突き刺さっていたりもするし、建物の壁にはヤギミルクやモリガナヨーグルトなどと描かれたラベルが貼りつけられていたり。

 そしてこれがごく一部であり、それらの軽く数倍の数の意味不明なものばそこらに転がっている。

 一応、招き狸の置き物のようにどこか他の場所でも見るようなものも存在するが、ごくごく少数である。ほとんどがこの幻想郷では見かけない珍妙な外の世界のものであり、フランが見たことがあるものもあれば、知らないものも多数ある。

 そんな摩訶不思議な物々が囲う建物の扁額には、『香霖堂』の三文字が記されている。

 魔理沙いわく、ここは古道具屋らしいけれど……。

 

「変わったお店だねぇ」

「同感」

 

 物珍しげに眺めるのもほどほどに、こいしと一緒に玄関に近づく。

 これだけいろんなものが溢れていれば、こいしでなくとも好奇心が湧き出てくる。ほとんど同時に足を踏み出して、フランは珍しく、こいしよりも先に扉の取っ手に手をかけていた。

 ぎぃ、と木のしなる音とともに、扉が開かれていく。



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日の力さえ遮る外の神秘のおはなし。

 からんからん、と、来客を知らせる鐘の音が鳴る。

 店の中はフランの想像とまったく違わない、店の外のように奇妙なガラクタが散乱した光景が広がっていた。

 いや、散乱したという表現は少々正しくない。確かに大量の外の世界の品が並べられている。けれど中のそれは外のそれと違って商品としてそれなりに整えられており、散らかっているというようなことはなかった。

 ただし、割と埃っぽい。

 

「いらっしゃい。ようこそ香霖堂へ」

 

 店の奥。ロッキングチェアに座って読書に勤しんでいた男性がこちらを向く。

 眼鏡をかけた、落ちついた雰囲気の男性だ。魔理沙が特に冬は引きこもり気味だと言っていた通り、第一印象からして、元気に外を駆け回るような性格には見えない。

 不可思議な道具の数々に目を輝かせて店の中をふらふらとし始めるこいし。フランもまたついていきたい衝動に駆られながらも、まずは挨拶が先だと男性の方に足を進める。

 ちょっと前のフランならば挨拶なんてどうでもいいと考えてこいしと一緒にさっさと商品の鑑賞に行っていたかもしれないが、今回フランは頼みに来た立場であり、最近は慧音の教育も受けている。彼女は挨拶をもっとも重視し、きちんと挨拶をしないとまともに相手をしてくれないので、挨拶の重要性は身にしみて理解していた。

 

「こんにちわ。お初にお目にかかります。(わたくし)、フランドール・スカーレットと申しますわ」

 

 たまには紅魔館のご令嬢らしく、礼儀正しくカーテシなんてものを行ってみる。片足を斜め後ろに下げて、もう片方の足を曲げながら、スカートの端を両手で摘んで慎ましく礼をした。

 こいしが背後で目を瞬かせているのが、見えていないけれど、それなりの付き合いゆえに感覚的にわかる。なにせフランは大体どんな相手にも同じような対応しかしない。というか、妖怪なんて誰もかれも皆そんなものだ。

 しかしこいしに対し霖之助はフランの普段の人柄を知らないため、特に驚くことなく今のフランに対応する。

 

「あぁ、これはご丁寧に。僕は森近霖之助。若輩ながらこの香霖堂の店主をやらせてもらっている」

「店主。じゃあ、あなたが香霖さん?」

「その呼び方は……もしかして君は魔理沙にここを紹介してもらったのかい? それにこの気配、君は悪魔、それも吸血鬼だね。これもまたもしかしてだけど、君はあの赤い館のお嬢さまの?」

「はい。僭越ながら、レミリアお姉さまの妹をやらせてもらっています」

「なるほど……しかし礼儀正しい子だ。姉の方とは大違い、ああいや失礼した。悪口を言ったつもりじゃないんだ。君が歳の割には落ちついていると言いたかっただけでね」

 

 そこで、とてとてとこいしがフランの横に歩み寄ってきた。店内を見回るよりも、フランの普段との態度の違いの方がよほど興味を惹かれたらしい。

 こいしは信じられないものを見るような目をしながら、つんつんとフランの頬をつついた。

 

「フラン? あなたほんとにフランよね? 実は变化してるだけの別人だったりしないよね?」

「……ぷふっ。ええ、本当に私よ。ちょっとふざけてみただけ。霖之助さんもごめんなさい。あれ以上お嬢さまっぽくしてると笑いが堪えられそうにないし、ここからはいつもの態度で行かせてもらうわね」

「ふむ、それが普段の君かい? まぁ正直、僕を敬ってくれるお客の方がはるかに少ないからね。どうしてくれても構わないよ。そもそも君は僕より歳上だろう。もっとも、妖怪に歳の差が関係あるとは思えないが」

 

 これくらいのことには慣れっこらしい。フランの変化にも軽く肩をすくめるだけで、霖之助は特にめぼしい反応を見せることはなかった。

 なんとなく苦労症のにおいを感じ取りつつも、フランは早速本題に入ることにする。店の中のものを見て回るのはその後でもできる。

 

「それでね霖之助さん。私、あなたに折り入ってお願いがあってここに来たんだけど」

「まぁ、あの魔理沙がここを紹介するくらいだからね。薄々わかっていたよ。それも古道具屋としての仕事ではなく、おそらく僕個人への……」

 

 のほほんとくつろいでいる割に、感が鋭い。魔法の森の入り口付近なんていう変わったところで店を構え、しかも幻想郷には滅多にない外の世界の道具を売っているくらいだ。これくらいの面倒は、あるいは日常茶飯事なのかもしれない。

 

「で、君が持ってきたのはどんな厄介事なんだい?」

 

 霖之助は本を机の上に置き、代わりに、置いてあった緑茶の入った湯呑みを口元に運びながら、フランを見やる。

 

「私ね、昼間でも外で遊べるようになりたいの」

「昼間でも……? その日傘じゃダメなのかい? 今ちょうど昼間だし、それを差してここまで来たんだろう?」

「出歩けるだけじゃダメなのよ。遊べるようになりたいの。たとえば、弾幕ごっこができるくらい」

「……なるほど。つまり、吸血鬼の弱点の一つとされる日光を克服したいというわけか。これはまた、相当な厄介事を持ち込んできてくれたものだね……」

 

 額に手を当てて、ふぅー、と大きく息をつく。そんな霖之助の仕草に、フランは途端に不安になった。

 

「で、できないの?」

「……いや、できないこともない。僕はマジックアイテムを作ることを趣味としている。太陽の光から、吸血鬼にとって有害となる日光としての要素のみを取り除くことのできる道具を作ることは、おそらく不可能ではない」

 

 これまた目をぱちぱちとさせた。あっさりと、不可能ではないと。いくら魔理沙が自信を持って紹介してくれたとは言え、実際のところ半信半疑だった。

 それがおそらくながらもできると肯定され、無意識のうちにフランは霖之助に近づいていた。目をきらきらと輝かせ、ばんっ、と少し強めに机を叩いて乗り出して。前のめりになって彼に詰め寄った。

 

「ほ、ほんとにっ? ほんとにできるのっ?」

「あ、あぁ。できるはずだ。だからその、ちょっと力を緩めてくれないか。机が壊れそうだ」

「あ、ご、ごめんなさい」

 

 いつの間にか掴んでしまっていたらしい、みしみしと嫌な音を立てていた机の端から手を離す。霖之助はほっとしたように息をついた。

 

「ふぅ……話を続けるよ。僕の手にかかれば、君が望むような、日光から太陽の力のみを遮断するマジックアイテムを作ることも不可能ではない。ただ、問題が一つある」

「問題……?」

「あぁ。致命的な問題だ。言ってしまえば、そう、材料が足りない」

 

 ことん、と霖之助が湯呑みを置いた。

 

「太陽の光とは、つまるところ太陽の神、天照大御神(あまてらすおおのかみ)の力ということになる。それは曲がりなりにも、いや、正真正銘神の力の具現だ。それを無力化するとなれば当然、それ相応の材料が必要となる」

「材料……たとえばどんなのがあればいいの?」

「一番いいのはかつて光のない世界を作るきっかけになった天岩戸(あまのいわと)にある岩なんかだろうけど、そんなもの手に入れられるはずもない。次点で、海の向こうの神話で太陽を喰らったとされる天狼スコルの毛や牙……まぁこれも無理か」

「むぅ、幻想郷で手に入れられるものはないの?」

「ない、こともない。もちろん神話のそれを素材にしたマジックアイテムにははるかに劣る性能にはなってしまうけれど……日光の力の象徴とされる、外の世界では紫外線と呼ばれる力。それを遮断することを可能とする、これまた外の世界の神秘なる道具の一つ――すなわち、サンスクリーン剤があれば」

「……サンスクリーン剤(日焼け止め)……」

 

 ……なんか一段としょぼくなった。

 急に全身の力が抜けてきたフランとは反対に、霖之助の声音にはどんどん熱がこもっていく。

 

「これがまた難問でね。サンスクリーン剤は僕も容器だけは見たことがあるんだが、いつも中身が入っていないんだ。それも当然だろうね。なんせ太陽の力を無効化できる、ずばり神秘に干渉さえできる道具だ。それが中身が入っているような状態で幻想郷に流れ込んでくるはずがない。幻想郷に流れつくのは人に忘れられた物だけなのだから」

「え、あ、うん。そうね」

「僕は本来古道具屋であり、マジックアイテム作りはただの趣味だ。だが、その中身が入ったサンスクリーン剤を見せてくれるのなら、君のために日光を遮断するマジックアイテムを作ってあげることもやぶさかじゃない。僕だってこれまで中身を一切見たことがなかったサンスクリーン剤には興味があるからね。いわばこれは取引だ」

 

 やけに饒舌に、霖之助がまくし立てていく。

 

「もし君が中身の入ったサンスクリーン剤を自ら調達してきてくれるのなら、僕は無償で君のためにマジックアイテムを作ってあげよう。その代わり、使わなかったぶんのサンスクリーン剤はもらうけどね。どうだい? 君たち吸血鬼は外の世界とのなんらかのパイプを持っているという噂もある。悪い話じゃないだろう」

「うーん……まぁ確かに、悪い話ではないわね」

 

 フランは外で遊ぶことを可能とするマジックアイテムを手に入れ、霖之助は霖之助でこれまで手に入れることがかなわなかったサンスクリーン剤を入手することができる。お互いに損がなく、得がある交渉だと言えた。

 問題はサンスクリーン剤、すなわち日焼け止めをどうやって手に入れるかになってくるが……。

 霖之助の言う通り、紅魔館にはある程度外の世界に干渉することができる秘密の手段がある。ただ、それはほんのわずかでしかなく、狙った外の世界の道具を手に入れることは難しい。それも霖之助の言う通り、中身まで伴った日焼け止めとなると誰かに忘れられている物体である可能性は極端に低くなる。

 少し悩んで、けれどすぐに頭を左右に振った。

 霖之助の提案はフランの前に唯一提示された日光の下で完全なる活動を可能とする確固たる手段なのだ。たとえ現状で入手する方法が思いつかないのだとしても、これからこいしともっと楽しく遊ぶためにもこれを受けない選択肢はない。

 

「……わかったわ。サンスクリーン剤をどうにか手に入れてくればいいのね。その取引、乗った。その代わり、きちんと私の満足できるマジックアイテムを作ってもらうから」

「もちろんだ。古道具屋としてではないけれど、仮にも仕事なんだ。満足してもらえるだけの役割はきっちり果たすさ」

 

 フランの挑発気味な了承にも臆さず言い切った霖之助に、口元が緩む。ここまで自信満々なのだ。ただの日焼け止めであろうと、それを手に入れることができさえすれば、霖之助はきっと間違いなくその道具を作ってみせることができる。

 自信満々にここを紹介した魔理沙の目に狂いはなかったというわけだ。

 

「ふふっ、それじゃ、あとは適当に店の中のものでも見て回って行こうかな。なにか面白そうなものないかなーっと」

 

 話を切り上げて、霖之助に背を向ける。いつの間にか、こいしは二人から離れて一人で店内を観察して回っていた。途中から一切会話に参加してこなかったのでそんな気はしていた。

 彼女の肩にぽん、と手を置くと、こいしが振り返る。

 

「あ、話は終わった? それでどうだったの?」

「サンスクリーン剤を手に入れてくれば外でも遊べるようになる道具を作ってくれるんだって」

「さんすくりーんざい? なにそれ」

「日焼け止めって言うんだけどね。体に塗れば、日光で皮膚が焼けるのを防ぐことができる、とかなんとか聞いたことがあるわ」

「え、それ外の世界の道具なんだよね。あっちって基本的に人間しかいないんじゃなかったっけ。それ塗らないと外の人間は日の光で吸血鬼みたいに燃えちゃうの? 日光で焦げちゃうの?」

「いや、焼けるとは言ったけどそこまで直接的な意味での焼けるじゃないから……たぶん」

 

 外の世界の人間の生態が幻想郷と異なる可能性もありえないこともないかもしれないこともない。完全には否定し切れないフランだった。

 なんにせよ、霖之助が提示してくれた取引は、紅魔館の外に出てようやく見つけることができた、フランが外を出歩けるようになるための唯一の手がかり。ついに見えてきた具体的な光明に、フランの目が細まる。

 多少苦労したって、絶対にサンスクリーン剤を手に入れてみせる。そうしてこいしともっと楽しく、もっと遠くで遊べるようになるんだ。

 うずうずとした気持ちが収まらない。

 明日からは、外の世界の道具を手に入れる方法を探ることになるだろう。きっと苦労する。けれど、こいしと一緒に過ごすためなら、こいしが隣にいてくれるなら、どんな苦難だって乗り越えることができるような気がした。



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困った時はオセロを頼るべしのおはなし。

「あん? 外の世界の道具を手に入れる方法?」

 

 香霖堂を訪れた次の日、は慧音の授業がある日だったので、そのまた次の日の真っ昼間。

 事前にパチュリーに、もしも魔理沙が来たら捕まえておいてフランに知らせてほしい、と言っておいたのが功を奏したらしい。

 パチュリーから、その使い魔の小悪魔へ。小悪魔からフランへ。こんこんと少し大きめの扉をノックする音に目覚めたフランへの報告は、早速魔理沙を捕獲したというものだった。

 そういうわけで寝ぼけ眼をこすりながら大図書館にやってきたフランは現在、魔理沙やパチュリーと一緒に卓を囲んでいた。

 捕まえたという割には、魔理沙は特に拘束されているというようなこともなく、おとなしく魔導書を読みふけっている。いや、彼女がここで本を読んでいるということ自体が少しおかしいことではあるか。

 パチュリーは執拗に図書館の本を狙う魔理沙を少なからず敵視している。普段なら魔理沙が勝手に魔導書なんて読んでいたら迷わず高火力の魔法をぶっ放していることだろう。それが今回、彼女が魔導書を読んでいてもパチュリーがなにも言わないということは、魔理沙を引き止めるために自分の感情を押さえ込み、どうにかここにとどまるよう計らってくれたというわけだ。他ならぬフランのために。

 今度パチュリーにはちゃんとお礼をしなきゃね。なんて思いつつ。

 また変なこと聞いてくるなこいつ、みたいな目をしている魔理沙に向き直った。

 

「そ。外の世界の、誰にも忘れ去られてない道具を手に入れる方法」

「また変なこと聞いてくるなぁ、お前」

 

 口でも言われた。

 幻想郷は二種類の結界により成り立っており、そのうち片方が『博麗大結界』である……と慧音から習ったことがある。外の世界のおける非常識を幻想郷での常識とし、外の世界での常識を幻想郷での非常識とする。そうすることで幻想郷における妖怪の存在を確固たるものにできるのだとか。

 妖怪の存在云々はともかくとして、この博麗大結界の作用により、外の世界から道具や人が流れつくことがそれなりによくあるらしい。ただしそれにも結界を越えやすい条件というものがあるようで、その基準が人に忘れられているか否かのようだ。

 人に忘れられ、存在を信じられなくなった妖怪が幻想郷で存在するように、人に忘れ去られた物体ほど幻想郷に流れつきやすい。逆に言えば外の世界で有名であればあるほど、人の記憶に住みついていればいるほどに、幻想郷に迷い込みにくい。

 霖之助が言っていたように、中身が入ったサンスクリーン剤ともなると幻想郷に自然にやってくることはまずありえない。あるにしても量子力学ほどの奇跡的な確率でしか起こり得ない。だとすればやはり正攻法以外で手に入れられる方法を探るべきなのは当然である。

 事前にレミリアから、紅魔館の独自のルートでの外の世界への干渉ではサンスクリーン剤を手に入れることはできないことはすでに確認していた。そうなるとやはりフランが頼れる相手というのは絞られてくる。

 魔理沙にはこれまで何度も頼り、そのたびになんらかの解決策を提示してもらっている。態度には出さないが、フランは実際彼女をかなり頼りにしていた。

 魔理沙は魔導書を机の上に置くと、うーん、と腕を組みながら唸り始める。

 

「んー、まぁ……ないこともないな」

 

 やっぱり。魔理沙の返事に、フランの口の端がわずかにつり上がる。

 

「まーりーさー」

「……はぁ。わかってるよ。教えてほしいんだろ。っていうかこのやり取り数日前にもやった気がするんだが」

「男子三日会わざれば刮目して見よ、よ」

「いやお前男子じゃないだろうが。というかそれ、ここで使うような意味のことわざだったか?」

「知らない。覚えたてのやつ試しに言ってみただけだし」

「子どもかよ」

 

 あきれたように魔理沙が言う。

 子ども。フランだったからいいものの、言った相手がレミリアだったら大惨事になっていただろう。あのカリスマかっこ笑いの姉は子ども扱いされることを他のなによりも嫌がる。そういうところが一層子どもっぽいのに。

 姉よりは大人であることを自覚しているフランは、子どもと言われたくらいでは怒ったりしない。むしろお子さまバンザイである。フランは遊びたいざかりの年頃なのだ。

 ……ただし背はもうちょっとだけ欲しい。よしんばその、胸も。

 

「あー、なに急に難しい顔してるんだ?」

「べ、別にそんな顔してない。そんなことより早くその外の道具を手に入れる方法っていうの教えてよ」

「へいへいわかりましたよお嬢さま」

 

 魔理沙はしかたがなさそうに肩をすくめる。

 

「とは言っても、そう難しいことじゃないけどな。外の世界の道具を手に入れたいって言うんなら、外の世界の人間からもらえばいい。要はただそれだけの話だろう」

「外の世界に行ってこいってこと? 無茶言うわね。それができたら苦労しないってば」

「違う違う。こっちとあっちを行き来できる外の人間に頼んじまえばいいってことだ。お生憎さま、私の知り合いにそういうやつがいる」

 

 この回答には、魔理沙ならなんらかの方法を知っているだろうと信じていたフランもさすがに目をぱちくりとさせた。

 外とこちらを行き来できる人間。そんなもの、そもそも存在するのかも考えなかった。

 

「……魔理沙の人脈ってほんと広いのね。大抵のことならなんでもできちゃえそう」

「お前もその広い人脈とやらの一人だけどな。ただ一つ言っておくと、知り合いが多いからと言ってその全員が私の頼みを聞いてくれる素直なやつじゃないってのは知っといてくれ。むしろ聞いてくれるやつの方が珍しい」

「そうなの? その割には私にいろんな人を紹介してくれるけど」

「マミゾウのやつは興味本位で受けてくれただけだし、香霖はまともに頼れそうなのがあいつしかいなかっただけだ。たとえばー、ほら。そこにいるパチュリーになんか頼もうとしたって絶対断られるだろ」

 

 と、ここまでずっと黙っていたパチュリーが読んでいた魔導書から顔を上げないまま口を開く。

 

「当然ね。盗人の申し出なんてわざわざ聞いてあげる理由がないもの。この館の大事なご息女であられる妹さまならともかく」

「ほれ見ろ。他も大抵そんなもんだ。私を頼りにしてくれるのは嬉しいが、あんま期待はしないでくれ」

「ふーん。まぁとりあえずそういうことにしておくわ。でも、パチュリーって意外と優しいのに」

「こいつが優しい? はっ、寝言も休み休み言ってくれ」

「……別に否定するつもりはないけれど、そんなバカにされたように言われていい気分はしないわね」

「お、やるかパチュリー。私はいいぜ。最近お前とはスペルカード戦をやれてなかったしな。せっかくだ、私がお前の運動相手になってやるよ」

 

 急にばちばちと火花を飛ばし始める魔理沙とパチュリー。

 今更ながらフランは悟る。小悪魔がフランを呼んで、フランが来るまで二人は一切話さず魔導書に視線を落としてみたいだったが、それは口を開けばこうして喧嘩してしまうからだったに違いない。

 あとでやり合うならともかく、今はまだ話の途中だ。止めなければ、と口を挟もうとして。それよりも先に、ちらりとパチュリーがフランの方を向いたのがわかった。

 そうしてパチュリーは、手を伸ばしかけていた戦闘用の魔導書から手を引いた。

 

「今は、やめておくわ。妹さまのお話の最中だもの。私が勝手に手を出していい状況じゃない」

「なんだよ、つれないな。いつもなら食ってかかってくるところだろ?」

「私なんかよりも、妹さまの意思が第一なだけ」

「大事な大事なご息女だからか?」

「私みたいな居候を本当の家族のように思ってくれる、大事な大事なご息女さまだからよ」

「……はぁ、なるほどな。わかったよ。悪かった、変に挑発したりして」

 

 どうやら魔理沙は、なにを言ってもパチュリーが乗ってこないと判断したらしい。素直に非を認めると、彼女は再びフランの方に向く。

 

「悪い、話の腰を折ったりして。で、どこまで話したっけか」

「魔理沙の知り合いに外の世界とこっちとを行き来できる人間がいるってところまで」

「そうだったそうだった。まぁそいつ菫子って言うんだけどさ。宇佐見菫子(うさみすみれこ)

 

 そう言って、一旦魔理沙は口を閉じた。

 当然ながらそんな名前は聞いたこともない。なので口を挟まず、魔理沙の言葉を待つ。

 

「菫子は、あー……うーむ、あいつ自身は割と快く受けてくれそうだが……どうしたもんかな」

「なにか問題でもあるの?」

「いや、菫子はあくまで外の人間だからさ。幻想郷に来る時も正規の方法じゃないっぽいし、万が一でもこっちで死なれると困るんだよ。だからって別にお前があいつを殺すって思ってるわけじゃなくてでな、その、なんだ。大抵は霊夢があいつの護衛についてたりしてて……」

「長い。わかりやすくまとめて」

「むぅ……つまりだな、うん。あいつに会いたいならまずは霊夢に許可をもらってくれってことだ。勝手に会わせると、あとで私があいつにこてんぱんにでもされちまう」

「霊夢に?」

 

 霊夢。上の名前も含めると、博麗霊夢。それは菫子とやらと違い、フランも知っている名前だ。

 フランがまだ地下に引きこもっていた頃、館の中を彷徨ったりなんてしていなかった頃。とある二人の人間が姉のレミリアを弾幕ごっこという遊戯にて打倒したと聞いて、自分も人間というものが見てみたいと興味を持ち、外に出ようとしてみたのだ。

 外出自体はパチュリーに止められてしまったが、レミリアを倒した二人の人間と遊ぶという目的自体は達成することができた。魔理沙と最初に出会ったのももちろんその時だ。そして同時にもう一人の人間、霊夢とも。

 魔理沙が人間の魔法使いなのに対して、霊夢は巫女である。もちろんただの巫女ではなく、妖怪退治を生業とする幻想郷ならではの巫女だ。

 魔理沙はたまに紅魔館に来るのでそれなりに顔を合わせたりしていたが、霊夢とは初めて会って以来一度も会ってはいない。印象深かったのでフランは覚えているが、あちらがこちらを覚えてくれているかも曖昧だ。

 

「霊夢って確か東の方の神社に住んでるんだっけ。ちょっと遠いかも……夜に行っても大丈夫かな」

「ああ。問題なく追い返されるだろうな」

 

 いや問題しかない。

 はぁ、とため息をついた。

 わりかし世話を焼いてくれる魔理沙とは違い、霊夢は誰に対しても平等な性格をしている。相手が人間でも吸血鬼でも態度が変わらないということだ。夜中に突撃したところで話も聞いてもらえず「帰れ」と迷惑そうに睨まれるのは目に見えていた。

 

「また日傘を差してかなきゃいけないのね……あとこいしにも声かけとかないと。一応神社には初めて行くし」

「ま、頑張れよ。あとは霊夢に丸投げってわけじゃないが、うまくいくように祈って……ん? こいし?」

 

 意外な名前を聞いた、とでも言わんばかりに、魔理沙が目を瞬かせる。

 むしろフランとしては魔理沙がその名前に反応を示したことの方が驚きである。こちらもまた目を少し見開いて、こてんと首を傾けた。

 

「魔理沙、こいしのこと知ってるの?」

「いやそれこっちのセリフなんだが。お前あいつと知り合いだったのか?」

「知り合いっていうか、友達。最近よく遊んだりしてるの。言ってなかったっけ?」

「外出するようになったとしか聞いてないぜ。しかし、友達だと? あの超絶フリーダム空気とお前がか? ははー……意外な組み合わせだな。や、割と気が合うもんなのか? どっちも頭のネジ外れてそうだし」

「あら、言うじゃない。そうねぇ、せっかくだから魔理沙のネジも外してあげよっか? 案外私やこいしとも気が合うようになるかもしれないわよ」

「……そんなことするくらいならお前らのネジはめ直してくれ」

 

 にっこりと微笑みながらのフランの言葉に、魔理沙はびくっと少しだけ肩を震わせて。だけど気づかれないよう気丈に振る舞ってたりして。

 なにはともあれ、サンスクリーン剤を手に入れるための道筋は見えてきた。変化の術の時と言い、香霖堂を紹介してくれた時と言い、魔理沙さまさまである。

 次にこいしと出かける際に行く場所は、東の博麗神社だ。そして霊夢に会って菫子とやらに会う許可をもらう。許可がもらえなかった場合は、その時はその時だ。

 口元に手を当てて、ふわぁ、とあくびをする。

 そういえば今は昼間だった。魔理沙が来たらすぐに知らせてほしいとお願いしていたから、中途半端にしか睡眠時間が取れていないので寝足りない。

 もう用事は果たすことができたため、あとはパチュリーに任せて部屋に戻ることにした。

 この後、二人は不干渉を決め込んだまま魔導書を読み続けるのだろうか。気まずさに耐え切れず魔理沙が帰るだろうか。それとも、フランがいなくなったから喧嘩を再開するのだろうか。

 正直フランはいなくなるのでどれになろうと構いはしない。ただ、フランとしてはパチュリーに無理に運動させようとは思わないが、やっぱり少しは体を動かした方がいいことも事実である。

 なのでフランは去り際に、彼女たちがまた口喧嘩を始めてくれるよう、神さま……はなんだかちょっと違う気がしたから、どこかの小悪魔にでも少しだけ祈ってみたりしておいた。



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真夏の炎天下で暗闇を落とすおはなし。

 晴天。雲一つない、広い広い青空が続いている。

 ミンミンミンとセミの鳴き声が耳を打つ。頬に感じる風は夜の陰気なそれと違って、生命のにおいが濃い昼間特有の陽気さに満ちている。

 それ自体は気持ちがいいのだけれど、吸血鬼であるフランにとっては、やはり日差しというものはいかんとも耐えがたい。真夏のそれであればなおさらだ。たとえ日の光そのものが当たらなかろうと、やはり反射光がフランの体調を崩そうと襲いかかってくる。

 日陰での小休憩を何度かはさみつつ。フランはこいしとともに博麗神社への林の道中を歩いていた。

 歩き。博麗神社は香霖堂よりも遠い。夜であれば飛んでいくことも可能であろうけれど、日傘を差さなければならない今の時分、下手に飛行なんてすれば傘がすっ飛んでいってしまう。そうなれば日光は容赦なく、文字通りフランの肌を焼いてくる。なので飛ぶことはできない。別に数分浴びた程度では死にはしないが、すすんで痛い目に遭おうとは思えなかった。

 それに、こいしとこうしてのんびりと自然の中を出歩くのも、それはそれで風情があるというものだ。

 こいしとはそれなりに夜の散歩には出かけたりしているけども、生命のにおいが濃い昼間に出歩くことは香霖堂へ足を運んで以来二度目である。夜が妖怪の時間であれば昼は人間、ひいてはそれ以外の時間。吸血鬼であるフランにとって、太陽を浴びて元気いっぱいになっている自然のにおいが胸を満たす感覚はなんとも新鮮だ。

 

「うーん、今日は一段と暑いねー……」

 

 額の汗を拭い、うちわに見立てた手でぱたぱたと顔を仰ぎながら、こいしが言う。

 

「そうなの?」

「そうなのって、フラン吸血鬼でしょ? 私がこんなに暑いって思ってるんだからフランも実は相当調子悪くなってるんじゃないの?」

「そりゃまぁいいとは言えないけど、私、昼間になんて普段は出かけないし。一段とか言われたって違いがわからないわよ」

 

 日傘を差すフランが、この一段と暑いらしい日差しの反射光を浴びて思うことなど一つである。早く、こんなのぼせる寸前のサウナみたいな苦しみを味わいながらではなく、もっと清々しい気分でこいしと一緒に遊べるようになりたい。

 そしてフランは現在、その望みをどうにか達成させるためにこうして歩いているのだ。昼間でも問題なく出歩けるようになるために、そうすることができるようになるマジックアイテムを作るため、それに必要な日焼け止めを手に入れる、そのために、その日焼け止めを譲ってくれそうな菫子という外の人間にお願いする、ために、そのお願いをする許可をもらうため……霊夢のもとに足を運んでいる。

 ……このままだと霊夢からも菫子に会うために必要な条件を提示されて、それをどうにかしようと動くことになって、それをさらにどうにかと一種の永久機関(むげんるーぷ)になってしまいそうだけれども、本当に大丈夫なんだろうか……。

 若干不安になりつつも、すぐにぶんぶんと首を横振ってそれを振り払った。

 こいしのため、だなんて言わない。フランがこいしともっと楽しめるようになりたい。そのためにはどんなに気が遠くなりそうなことになったって、絶対に最後まで成し遂げてみせる。そう心の中で誓って。

 けれど心の強さと体の強さは別である。結びつくことは多少あれど、芯は同じではない。

 こいしいわく、いつもより強いらしい日差しの反射光。不意にくらりと一瞬目が眩みかけて、フランは無意識にこいしの服の袖を掴んでいた。

 

「あ、休む?」

「うん……お願い。何度も何度も、悪いわね」

「あはは、気にしなくていいよー。フランは箱入りの病弱っ娘だものね」

 

 ちょうどいい木陰に腰を下ろし、日傘をたたむ。今のフランは夏の熱気とは裏腹に、きっとかなり青い顔をしてしまっている。

 夜では帝王とまで謳われる吸血鬼だというのに、昼間ではこのざま。まったくもってままならない。

 

「むぅ……日陰でも結構暑いねぇ。こういう日は水遊びでもしたいなぁ。ねーフランー」

「悪いけど、それは無理」

「ちょっとだけ、ちょっとだけだから。ちょっと寄り道してくだけ。ちゃんと日陰で遊ぶし、フランだって気持ち悪いだけじゃなくて暑いには暑いんでしょ?」

「そういう問題じゃなくてね、私がというか、吸血鬼は流水がダメなのよ。苦手じゃないけどかなり嫌っていうか、例えるなら泥水。そんなものかけられて気分がいいわけないでしょ?」

「え、フラン水ダメなの? でも前は一緒に湖で追いかけっこして遊ばなかったっけ?」

「水じゃなくて流水ね。流れてる水。雨とか川とかそういうの。湖とかお風呂とかはよほど波立たなきゃ別に平気」

「うぇー、難儀な体質なんだねぇ。水遊びができないだなんて私やだなぁ。この目のことはあんまり好きじゃないけど、吸血鬼にもなりたくはないわね」

「吸血鬼本人を前に言ってくれるわね、まったく」

 

 こいしが自分の胸の前に浮かぶ、閉じている三つ目の目を見下ろしながら文句を漏らす。あまりに遠慮のない言い草に、フランは肩をすくめた。

 確かに、この魔理沙いわく超絶フリーダム空気なこいしからしてみれば、日光も流水もダメな体質だなんてごめんこうむりたいところだろう。もっとも、フランだって別に好きでこんな弱点満載状態なわけじゃないけれど。

 閉じた三つ目の目を見下ろしているこいしを見て、そういえば、と思う。そういえば、なんでこいしの胸の前にはあんな閉じた瞳が浮いているんだろう。

 あれがこいしの妖怪としての特徴ということはわかっている。けれど、かつてこいしはフランに無意識の妖怪だと名乗った。無意識と、閉じた三つ目の瞳。本当に今更ながら、フランにはその二つの関連性が見出だせない。

 聞いてみようと口を開きかけて、ふと、こいしがいつの間にか空の一点をぼーっと凝視していることに気がついた。

 凝視。ただ漠然と見上げているのではなく、なにか気になるもの一つを注視している。当然ながら日陰からは太陽は見えないし、今日の空には雲一つとしてない。そうなると、普段空には浮かんでいないものがあるからこそ、こいしはそれをじっと見てしまっているということだ。

 質問の内容よりもそっちの方が気になってしまって、フランもこいしの視線の先を追った。

 

「……黒い、球?」

 

 こいしが見つめる空の真ん中。ひたすらに青く健康じみた空にただ一点、ぽつんと黒い点がふよふよと浮いている。

 そう高いところにあるわけではなく、ちょうど木々の上を流れていくように。時折木の枝がその黒い球体に飲み込まれることはあれど、過ぎ去った後に消失しているようなことはなく、問題なく存在している。そして謎の黒い球体は、どうやらこちらに向かってきているようだ。大きさは、人が数人分程度だろうか。

 なんとはなしに右の手のひらを見下ろした。この手にはすべての物質の目が存在している。そしてそれによれば、どうやらあの黒い塊自体は物体ではないようだ。ただ代わりに、あの中に一人、あの黒い球体を発生させているだろう物質が存在している。

 この手を見下ろしただけでは生物か非生物か、どんな形をしているのかさえわからない。けれどフランは妖怪だと推測を立てる。なぜなら吸血鬼に限らず、弱点とは言わないまでも妖怪には日の光が苦手なものが多いというから。こんな昼間の日差しが強い時間帯。光の通らない真っ黒な世界の中にいる人物となれば、きっと日の光が苦手な妖怪だ。

 

「……おいしそう」

「は?」

羊羹(ようかん)みたいでおいしそうじゃない?」

 

 あいかわらずこいしの感性はわからなかったが、どうやらこいしはあの黒い球体につっこみたくてうずうずしているみたいだった。いつものこいしであればうずうず(我慢)なんてせず即つっこんでいただろうけれど、こうしてここでおとなしくしているのは調子があまりよくないフランが隣にいるからか。最近、こういう何気ない部分でこいしの気遣いが、彼女も彼女なりにフランを気に入ってくれていることがわかって、少し嬉しい。

 そして嬉しいなりにフランはフランで彼女に報いたいとも思う。

 あいにくこの炎天下を飛ぶことはできないが、あの黒い球体の中にいる妖怪にちょっかいをかけられないわけではない。

 黒い球体がちょうど真上を通りかかった辺りで、フランはすっと左手をかざした。

 やることなんて至極単純である。ただ魔力を集め、弾幕を展開し、それを黒い球体へ向けて撃ち放つ。

 

「うっ!?」

 

 放った弾の大半は球体をすり抜けて空の向こう側へ飛んでいってしまったが、何発かは当たってくれたようだ。黒い球体の中から少女の呻き声が聞こえ、ゆらりと球体の明度が揺らいだ。

 真っ黒だった塊が、ぼんやりとした暗闇程度に。そしてその球体の中にいた一人の少女が、どさりっ、とフランとこいしの近くに落下してきた。頭から。

 真っ先にその顔を覗き込むだろうと思っていたこいしはしかし、心底残念そうな声色で言う。

 

「あぁー、私の羊羹ー……」

「はぁ……今度咲夜に作ってもらうよう言っとくから、今は我慢なさい」

「ほんとっ!? わーいっ、フラン大好きー!」

 

 がばぁっ、と横からフランに抱きついてくるこいし。調子のいいやつである。

 冗談交じりながら大好きと言われ抱きつかれ、思わずにやけそうになる表情筋をなんとか抑えつつ、フランは今度こそ落下してきた少女の顔の辺りを覗き込んだ。

 

「うぅ、なに今の……ひどい目に遭ったわ……」

 

 もぞもぞと地面から這い出るように顔を上げる少女。フランの深い紅色の瞳と、少女の同じく真っ赤な瞳が合った。

 同じ。同じと言うと、髪の色もそうだ。フランはサイドテールでこの少女はボブなので髪型は違うが、色はおんなじ金色である。身長もちょうどフランと同様の、人間で言う一〇歳ほど。服装は白黒の洋服とロングスカートで、こちらの色合いはどちらかというと魔理沙に近い。

 そしてフランはサイドテールの上から帽子をかぶっているけれど、この少女は赤いリボンを左側頭部に身につけている。

 フランと目が合った少女はほんの数回瞬きをした後、すっ、とその視線を横にずらした。その先にあるのはフランの、歪な形をした翼。今は別に変化の術は行使していない。牙も翼もどちらも外にさらしている。

 

「あれ? あんた、吸血鬼? 今昼間なのに。珍しいこともあったものねー」

 

 悪魔は人間妖怪問わず嫌われやすい傾向にある。なのでもしかすれば怖がられるかとも思ったが、単に珍しがられただけだった。

 少女はフランを不思議そうに思った後すぐに、思い出したかのように空を見上げ始めた。フランとこいしがいる場所は日陰であるが、彼女がいる場所はちょうど日向だ。その日向から、おそらくは太陽を見据え、苦々しく顔を歪め出した。

 

「うぅー、そうよ、今真っ昼間じゃないの。あぅー、肌が荒れる髪がかさかさする、頭は働かないしなんか段々眠くなってくるー……」

 

 ぐてー。地べたに這いつくばって、のぼせる少女。

 

「フラン、なにこれ」

「さぁ……?」

 

 そのまま気でも失ってしまうのかと思いきや、ついと、気力を振り絞ったように再び顔を上げた。そしてずいぶん必死な形相で、日差しから逃れるようにフランとこいしがいる日陰へずるずると這いずってくる。その中に入り切るまでおよそ三〇秒ほどかかり、その間こいしがその辺の枝で脇腹をつつきまくったりしていたが詮無きことである。

 彼女は完全に太陽の日のもとから逃れることに成功すると、再度全身の力を抜いて、ぐてーっとし始めた。

 そしてどうやら今度は本当にそのまま動きそうになかったので、とりあえず話しかけてみることにする。

 

「あなた、なんの妖怪なの?」

 

 少女は心底嫌そうな顔をして、フランを見上げた。

 

「えー……今ちょっとしゃべるのも億劫だから、あとにしてほしいんだけど……」

「じゃああなたを抱えてこの先に向かうしかないわね。気になるもん。一応日傘を差しはするけど、たぶんあなたははみ出ちゃうだろうねぇ」

「むぅ。この悪魔ー、外道ー」

「ふふん、悪魔だけど、それがどうかしたかしら?」

 

 隣でこいしが「あくまー、げどー」とか相槌を打っていたが、その辺の適当な枝でごすっと脇腹をつっついて相殺する。地味に痛そうだったけども、いつもの頭突きと比べれば全然である。

 少女は諦めたように肩をすくめていた。

 

「わかったわよもー。答えればいいんでしょ答えれば……私はね、暗闇の妖怪よ。闇を操る能力を持つの」

「へえ、闇。さっきのあれは暗闇を作ってたってわけね」

 

 人間が闇へ抱く恐怖の色彩は根源的なそれに近い。実に妖怪らしい能力である。闇を照らすことは簡単だけれど、すでにある光を完全に閉ざすことは難しい。暗闇の妖怪ならではの力というわけだ。

 しかし闇の妖怪ともなれば、やはりその分だけ光に対する耐性は低くなるらしい。吸血鬼のように蒸発するわけではないみたいだが、こうしてぐったりしているところを見るとかなり苦手であることが窺える。

 ここで少女がふと、なにかに気づいたようにフランを恨めしげに睨み始めた。

 

「っていうかさー、さっき攻撃してきたのあんたなんでしょ? あーもー、なんてことしてくれたのよ。私の避暑楽園が台無しじゃない」

「避暑楽園ねぇ。やっぱりあの中って太陽の光は届かないの? 紫外線も?」

「しがいせん? よくわかんないけど、光は全部遮断してたから真っ暗闇よ。私にだってなんにも見えやしないわ。っていうか見えてたら攻撃なんてされる前に逃げるもの」

「自分も見えないってなにそれ。間抜けすぎない?」

「光を取り入れることもできるけど、そうしたら眩しいし。日の光なんて欠片も浴びたくないのよ私は」

 

 なんて言って口を尖らせる。どうにか協力を取りつけて博麗神社までの日光対策に使えるかもと思ったが、この様子だと引き受けてくれそうにない。無理矢理連れて行ったってこうしてずっとぐだーっとしているだけで役に立ちそうにないように思える。

 結局話を持ちかけるだけ無駄か、と口を閉じた。けれどフランにはなくても、しゃべるのも億劫と言っていたはずの少女の方には、意外にも話を続ける理由があったらしい。

 

「あんた、名前はなんて言うの?」

「名前? そんなもの聞いてどうするの?」

「別に。私と同じように日の光が苦手なはずなのに外を出歩いてたから、ちょっと気になっただけ。意味なんてないわ。聞いたって覚えてるかもわかんないし」

 

 本当にそれ以上の理由はないことが、なんとも乱雑で投げやり気味な言い方からも察することができた。

 

「ふーん。まぁ別にいいけどね。私はフランドール。フランドール・スカーレットよ。あなたは?」

「私はルーミアよ」

「へえ、ルーミア……ルーミア?」

「あれ、私のこと知ってるの?」

「うーん……や、どこかで聞いたことあった気がしたけど、たぶん気のせいね」

 

 具体的には魔理沙辺りから何気なく聞いた単語だったような気もするが、そこまで正確に会話は覚えていない。

 ま、覚えてないってことはどうでもいいことなんでしょ。フランはそう結論づけて、思い出そうとすることをやめた。

 

「あぁ、そろそろ闇を出せるくらい体力が回復してきたかも……まだ立てないけど。っていうかあんた、さっき結構本気で攻撃してこなかった? 当たったとこまだめちゃくちゃ痛いんだけど……」

「悪いわね。手加減は苦手なのよ」

「うぅー、今日は厄日だわ。わけもわからず攻撃されるし日光は浴びるし意地悪されるし……こんな日くらい、どこかにおとなしく襲われてくれる人間がいたっていいと思うのよ私はー」

 

 妖怪らしい愚痴を漏らすルーミアに適当に対応しつつ、機を見てフランは日傘を取って立ち上がった。

 もうじゅうぶん休むことができた。そろそろ頃合いだ。

 

「こいし、行くわよ」

「あ、うん。またね、羊羹妖怪さんー」

「羊羹って……別になんでもいいけど」

 

 足元の雑草にくっついていたてんとう虫を眺めていたこいしを連れて、ルーミアのもとをあとにする。

 まだ博麗神社へつくには距離がある。きっとしばらく歩いたのちにまた体調を崩し、こうして休憩を取る必要性に迫られる。けれどもそれもこれも、昼間にもまともにお出かけできるようになるため。

 よし、と日傘を少し強く握る。そしてその日傘を開いて、日差しの下に歩み出た。日陰にいた時よりも何倍もきつい反射光が体を焼いてきたが、それに耐えながら一歩ずつ足を進めていく。

 こいしがどこか楽しそうにしながらも、ふとした拍子に心配そうに覗き込んでくれる。それだけで、この先もどこまでも頑張ろうと思えた。



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参道の石段は地味に長いおはなし。

 こいしとともに博麗神社に向かい始めて数時間。フランはようやく参道の石段にたどりつき、博麗神社まであと一歩というところまで来ていた。

 もうそろそろお昼頃だろうか。なにぶん日光に弱い身ゆえに休み休み進まなければならず、思っていたよりも時間がかかってしまった。

 この頃になると、初めは「フランとお出かけー!」などと上機嫌にスキップなどをしていたこいしも目に見えて元気がなくなってきてしまっていた。こいしいわく今日は特に暑い日だと言うし、吸血鬼のように苦手でなくとも、その日の光にさらされ続けることは体力や気力を消耗する。炎天下を歩き続ける辛さを知らなかったから、ろくに水分を持ってきておらず摂取もできていない。こいしが望んだ水遊びもしてあげられなかった。人間であれば二人ともとっくに熱中症とやらにかかっているところだろう。

 とは言え、本来ならこれくらいでこいしの元気がなくなることはない。彼女はよほどのことがない限りはいつだってマイペースで脳天気だ。そんなこいしが珍しく口数を少なく、とぼとぼとフランの横を歩いている最大の理由はただ一つ。

 

「……お腹、すいたね」

「……そうね」

 

 ぐぅー。二人してお腹の音が鳴る。顔を見合わせて、これまた二人してため息をついた。

 こんなことなら咲夜にお弁当でも作ってもらえばよかった。

 そんな風に思うも、しょせんは後の祭り。今空腹だという事実は変えようがない。

 そして、そんな落ちに落ちている二人の気持ちとは正反対に、日光はがんがんと降り注いでは強さを増している。おそらくは昼間である今が一番暑い時間帯だろう。そこに空腹、水分不足、そして階段とまで来ている。およそこれまでお出かけしてきた中で最悪の条件が揃っていると言えた。

 紅魔館の窓辺で外を眺めていた頃、館の外なんてめんどくさいものばかりが転がっていると思っていた。こいしに誘われて初めて外に出てみてからはその考えをある程度改めはしたけれど、やはり未だにそう感じてしまう部分も確かにある。こいしが隣にいなければ、フランはとっくに踵を返して紅魔館でぐーたらしているところだ。

 ふと、ふらり、と視界がぐらつく。

 あぁ、まただ。フランは顔をしかめる。嫌な条件が重なってしまっているせいか、石段にたどりついてからは少しのぼるたびにすぐに体調を崩してしまう。

 慌てて支えてくれたこいしに気遣われながら、もはや何度目とも知れない休憩。木陰となる石段の一角に腰を下ろした。

 

「……こいし。一応言っとくけど、私に付き合うのが嫌ならさっさと帰っちゃってもいいからね」

 

 空腹のせいで笑顔が消えているこいしを見ていられなかったからか。ついと、そんな言葉が漏れた。

 

「神社に行きたいのなんて結局は私のわがままなんだし」

「む……またフランはそうやってー。他人に迷惑かけてるかもって気にするなんてフランらしくないよ?」

 

 ぷくぅー、とこいしが頬を膨らませる。

 

「気にするのが私らしくないって、その言い方だと私が傍若無人みたいだからやめてほしいんだけど。っていうか、またって?」

「またはまたじゃん。忘れちゃったの? 森の廃館を一緒に探検した時のこと。雨が降ってきて、私に先に帰っちゃってもいいって。本当は一人が寂しかったくせに」

「あー……いやこいしこそそれよく覚えてるわね。でも別に私は寂しかったなんて一言も言ってないわよ」

 

 フランの不満げなぼやきを無視して、こいしは続ける。

 

「今回もあの時とおんなじでしょ? 私に迷惑かけたくないからって、本音と真逆のことを口にしてるの。本当はもっと私といたいって思ってるくせに。だってフランは私のこと大好きだもんね」

「その妙な自信はなんなの?」

「フランはねぇ、私が迷惑するかもとか嫌がるかもとか、そういうのは考えなくてもいいわ。私はどんなフランも好きだから。私と一緒にいて楽しいって思ってくれるフランが大好きだから。無意識でしか動けないはずの私がここにいるっていうのは、そういうことなんだから」

「……むぅ」

 

 そういう言い方は卑怯だ、とフランは思う。行動も言葉もいつもふらふらとしている彼女は、ふとした拍子に人の心に土足で踏み入ってくる。こんなことを真正面から言われたら、もうなにも言い返すことなんてできやしない。

 顔が熱を持っていると感じるのは、単に暑いせいか、それともなにか別の理由からか。どうしてか緩みそうになってしまう口元をどうにか「へ」の字を保って、好き勝手言われてしまって不本意ですよとアピールをしつつ。ふんっ、とこいしから視線をそらす。

 そらした先にあったのは、ほんの少しの雲が漂う晴天の青空だ。木の枝や葉っぱで太陽は直接隠れてはいるけれど、空いっぱいに広がいる清々しい青さは当然その限りではない。石段の中腹から眺める幻想郷の空と、ずっと遠くまで続いている緑の景色は、ずっと館の中で暮らしてきたフランに自然というものの力強さを伝えてくる。

 ぼうっと、その自然の情景を眺め続ける。さきほど言い合いじみたことをしてしまったからか、こいしが話しかけてくることはなかった。それでいながら階段には隣り合って座ったままで、一緒になって空を見上げ続ける。

 

「……お腹、すいたね」

「……そうね」

 

 しばらく経って落ちついた頃にこいしがぽつりと漏らしたのは、ついさきほどの焼き直し。青空に感動を覚えないわけでもないが、ぶっちゃけ自然の風景なんてここに来るまでに飽きるほど見てきた。今二人の目下の問題はやはり空腹なのである。

 いくら疲れて休憩を取ろうとも、そうやって時が経てば経ってしまうほどに空腹度は増していく。早くご飯にありつきたいのであれば、さっさと神社に行って用事を済ませてしまうのが一番だ。霊夢にお願いしてみれば、もしかしたらありあわせの食事でもくれるかもしれない。可能性はかなり低いが。

 とにかく早く神社に向かうこと。それこそが空腹問題を解決する一番の手段。それはわかっているのだが、そのためには石段をのぼるために体力と気力を消耗しなければならない。そして体力と気力を回復するためにはご飯が必要となる。そしてご飯を食べるためには……と、こんな感じでループして、結局ゆっくりとしか進めていない状況が現実だった。世知辛い。

 

「んー……ねぇ、フラン」

 

 青空の爽快さとは裏腹にテンションがだだ下がりモードのフランの顔を、同じく少し疲れた表情のこいしが覗き込んでくる。

 声に出して答えるのも億劫で、なに? と小首を傾げてみせる。するとこいしは肩が触れ合うくらいの距離にまで座る距離を詰めて、首元を少しだけ緩めて。とんとん、と。自らの首を指し示した。

 

「私の血、吸ってみる?」

「……んんっ?」

「私の空腹はどうにもならないけど、フランはそうじゃないよね。一緒に里で遊んだ時にも言ったけど、私、フランが相手なら抵抗しないよ」

「え、いや、その……えっと」

「私も初めてだから、もしかしたら痛くてちょっと泣いちゃうかもしれないけど……フランのなら、我慢できるわ。だから、ね……いいよ。フランの初めてを、私にちょうだい?」

「待って待ってっ。血を吸うかどうかはともかくとして、とりあえずその言い方はまずいからやめてっ。ほんとにまずいから」

「えー、でも、初めてなのは本当の」

「や、め、て」

「むー……」

 

 不満そうにしつつもフランの言う通り、口を閉ざす。そんなこいしを確認してほっと息をついて、今しがたこいしが提示した事柄を心の中で再確認する。

 自分の血を吸ってもいい。こいしはそう言った。

 それは確かに、フランにとっては願ってもない魅力的な提案だ。本来の食糧たる人間のものではないので大してエネルギーは回復できないかもしれないが、血が血であることに変わりはない。少なからず体力と気力を取り戻すことができるはずだ。

 けれど、それには問題が二つほど存在する。

 一つはフランが、こいしいわく初めて……いや、こいしの言葉を借りるのはやめよう。一つはフランが、一度として他人から直接血を吸ったことがないことだ。これのなにが問題かと言うと、要は力加減、そしてさじ加減がわからない。

 例のごとくフランは手加減というものがあまり得意ではない。能力のこともあって、意図せず物を壊してしまうことなんて日常茶飯事だ。今は地下室に引きこもっていた頃と比べれば大分落ちついてきてはいるが、それでも加減がいまいちわからないことに変わりはない。飢えの衝動のままにがぶりついて、こいしの首を食いちぎってしまうかもしれない。それだけは絶対にしたくない。

 仮にそうでなかったとしても、どれだけ血を吸っても大丈夫かという加減もフランにはわからない。姉のレミリアは直接飲む場合には人一人ぶんの血液なんて飲みきれず、いつも服に血をこぼしてしまうと聞いたことがあるが、フランも同じとは限らない。飢えの衝動のまま、こいしの血を吸い尽くしてしまう、そんな可能性も捨てきれない。

 この時点でもうすでにこいしの血を吸うなんて選択肢はないも同然なのだけれど、まだ二つ目の問題が存在している。

 そちらの問題はフラン自身のものではなく、こいしの方の問題だ。

 血を吸うということは、こいしの体力を奪うことに直結する。いつものハイテンションこいしならば少しくらい血がなくなったってなんの問題もないはずだが、今の彼女は珍しく通常(ロー)テンションこいしである。ここから体力ごと血を吸い取ってしまったら、この先フランではなく、今度はこいしが倒れてしまう危険性がある。

 こいしは迷惑だとか嫌な思いをさせるかもだとか、そういうことは考えなくてもいいと言ってくれはしたけれども、だからと言って、こんなにもフランのためになろうとしてくれるこいしをフランが辛い目に合わせていいはずがない。こいしがフランを大好きだと言ってくれたように、フランだって彼女のことは気に入っているのだ。

 

「悪いけど、今はこいしの血を吸うつもりはないわ。ここまでずっとこいしに支えてもらってきたんだもの。これ以上こいしの手は煩わせるつもりはないわ」

「だから、私の迷惑とかは気にしなくても」

「そういうんじゃないのよ。これは私のけじめみたいなもの。この先もずっとこいしと対等な友達でいるためのね」

「むぅ……そこまで言うんなら、無理強いはしないけど……でも、辛くなったらいつでも言ってね。フランが望むなら、いつだってフランの初めてを受け入れる覚悟はあるんだから」

「だからその言い方はやめてって」

 

 もう休憩は終わりだと、立ち上がる。片手に日傘を差し、片手でこいしと手を繋いで、再び参道の石段をのぼり始める。

 ここまで来た時には精力はほぼ限界に近いところまで来てしまっていたけれど、自分も辛いはずなのに、こいしがフランを一生懸命気遣ってくれたからだろうか。体が少しだけ軽く感じられる。

 それでもやはり数度は休憩を挟んでしまったが、そうやって無駄に座り込んでいる時間はずいぶんと減った。のぼり始めよりもはるかに早く、ずんずんと階段を進んでいった。

 そうしてようやくという具合に、フランとこいしは石段をのぼり切る。

 目の前に鎮座する鳥居の先。脇に灯籠などが置かれた参道の奥にあるのは、ほんの少し寂れた趣のある社。疑う余地もない、数時間ずっと目指して歩き続けてきた目的地、博麗神社である。

 

「やっとついたぁー……」

 

 一字一句間違いなしに。その言葉を口にしたのは、フランとこいし、まったく同時だった。

 お腹すいた、と呟きあった時のように顔を見合わせて。しかしその後に漏れたのはあの時のようなため息ではなく、くすくすとした笑い声だった。

 不思議な達成感を胸のうちに感じながら、二人一緒に鳥居を越える。階段をのぼっていた際は必死だったというのに、今は重かったはずの足取りがかなり軽く感じられる。

 

「えっと、霊夢はどうやって呼べばいいのかしら。大声で呼んでみたら来るかしら?」

 

 拝殿の前までやってくると、一旦足を止める。誰かの家、それも神社にお邪魔することなんて初めての経験なので、なにぶん勝手がわからない。

 こいしはそんなフランをよそに、とてとてと木製の階段をのぼって、賽銭箱に近づいていく。

 なにをするんだろうと興味本位で眺めていたら、彼女はごそごそと懐を漁って硬貨を取り出した。

 

「フランー、こっちこっち」

「あ、うん」

 

 手招きされるがままにフランも賽銭箱に近づくと、硬貨を一枚手渡された。こいしの手にももう一枚の硬貨が収まっている。

 

「えっと、これはなに?」

「なにって参拝に決まってるじゃん。せっかく苦労して神社に来たんだから記念にやっとかないと。まぁここあんまり大した神さまはいなさそうだけどー」

「あぁ、参拝……本で読んだことあるわ。神さまにお願いごとをするのよね。でもあれ、やる前に手とか洗わなきゃいけないんじゃなかったっけ? 禊っていうの? そういうの」

「でもフラン流水ダメじゃん」

「あ、そうだったわね」

「もー、暑さでぼけちゃった? 猫耳つける?」

「なんでそこで猫耳が出てくるのかわからないしなんで今持ってるのよ」

 

 すっ、と当たり前のように差し出された猫耳を押し返す。いや本当なんで今持ってるのだ。もしやここに来るまでずっと隠し持っていたのだろうか。さらにもしかすれば今日だけじゃなく、まさかいつも……。

 なんだかひどく微妙な気持ちになってしまったが、こいしが少し不満そうにしつつも猫耳をしまい、賽銭箱に向き直ったので、フランも同じようにする。

 

「えっと、確か……」

 

 賽銭を入れた後に鈴を鳴らせばいいんだっけ……?

 本の知識を思い返しつつ、ちらり、とこいしの動きも確認する。いつもならこいしの超マイペースな謎言動を参考にするなんて絶対にしないところだが、今回ばかりはしかたがない。

 こいしに習って、参拝の手順を踏んでいく。

 まずは賽銭箱に硬貨を静かに投げ入れて、とんとんと軽くステップを踏む。がらがらと鈴を鳴らした後にこいしがくるりと一回転していたので、フランもそれに習う。それからぴょんぴょんと二回ほど飛び跳ねた後、これまたぱんぱんと手を二回鳴らし、一拝。

 ……なんか本の知識と比べると大分余計な動作が混じっていた気がしないでもないが、最終的には礼に落ちついてくれたのでよしとしよう。

 ――そういえば、拍手と礼の間でお願いごとをしないといけないんだっけっ?

 礼をしている最中に思い出して、慌ててなにかお願いしたいことを探す。拝礼の手順を思い返すことにいっぱいいっぱいで、願いごとについて考えていなかった。

 この幻想郷には神という存在が実在している。そしてこいしが言った通り、おそらくこの博麗神社には願いごとをどうにか叶えてくれるような、大きな力を持った神は存在しないように感じられる。だからきっとこの願いごとに意味なんてなくて、ただ祈りを込めるだけの行為だろうけれど……。

 なにか叶ってほしい願いごと。ほんの数瞬の間に思考し、心の中に浮かんできたことは、ここ数ヶ月の間にフランの中に芽生えてきた思いだった。

 ――これからもずっと、こいしと一緒にいられますように。これからもずっと、こいしと笑い合えますように。これからもずっと――。

 

「……フランー? そんなに長く礼してなくてもいいんだよー?」

「え、あ……うん。そうね、そうだったわね」

 

 はっとしたように顔を上げると、誤魔化すように笑った。

 こいしは少し不思議そうな表情をしていたが、それ以上に話したいことがあったらしい。軽くかぶりを振って、わくわくと言った気持ちをまるで隠さない興味津々な様相でフランに一歩歩み寄ってきた。

 大方どんなお願いごとをしたのか聞きたいのだろうけれど、フランはそれを話すつもりはない。願いごとは話すと叶わなくなる可能性が高い、と本に書いてあったから。他人に話してしまうことで別の意思や邪念が混入し、純粋さを欠いてしまうのだと。

 そうとは限らなくとも、願った内容は特にこいしには絶対に話せない、非常に恥ずかしい内容なのである。こいしがどんな風にねだってこようと教えるつもりはない。

 そしてこいしの願いを知りたくもあるけれど、そちらも聞くつもりはなかった。こいしの願いを知りたいと思う以上に、彼女のお願いごとが叶ってくれる方が嬉しいから。

 と、そんな風にこいしの言葉を跳ね返す準備を心の中で整えていたのだけど、実際にその時が訪れることはなかった。その理由は簡単、こいしがいざ口を開こうとした段階で、第三者がやってきたからである。

 

「これまた珍しい組み合わせねぇ。それもなんか普通に参拝してるし……まぁ賽銭をくれるなら、人間でも妖怪でも誰でも歓迎だけど」

 

 憮然と、けれど賽銭が入ったからかほんの少しばかり嬉しそうな表情をしたその少女が、縁側のそばの部屋から顔を覗かせていた。

 身長は魔理沙よりはほんの少し高いだろうか。ただそれは成長性の違いというだけで、二人の歳はきっとそう変わらない。綺麗な黒い髪を後ろで大きな赤いリボンで結び、肩、腋の露出した、袖のない奇抜な巫女服を身につけている。

 

「……えっと、もしかしなくても、霊夢?」

「ええ。そういうあんたはレミリアの妹ね。久しぶり、とでも言えばいいのかしら。魔理沙から外出するようになったとは聞いてたけど……吸血鬼のくせに、まさか昼間から出歩いてるなんてねぇ」

 

 賽銭に夢中ですっかり忘れかけてしまっていたが、そうだった。元は神社ではなく、霊夢に――正しくは、菫子とやらにお願いをするために、その菫子に会ってもいいよう霊夢に――お願いごとをしに来たのだった。

 木製の階段を下りて、こいしを連れたって霊夢の方に向かう。これも賽銭の効果か、彼女は特に嫌そうな顔をすることもなく、フランが近づいてくるのを待ってくれていた。



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三番煎じは流石に無理があるおはなし。

「まぁ上がりなさいよ。ちょうど暇してたし」

 

 と。お賽銭効果か、意外なことに割と普通に歓迎されたフランとこいし。二人は現在、博麗神社の居間の一室にて思い思いにくつろいでいる。

 フランはちゃぶ台に上半身を乗り出して、ぺたんとちゃぶ台に頬を当ててその冷たさを堪能している。こいしはそんなフランの隣でうつ伏せになって、時折ごろごろごろごろと転がったりしていた。

 ふすまを開けて風通しをよくして、すだれを吊り下げることで日避けをしているからか、部屋の中は外の蒸し暑さと比べれば大分涼しい。

 フランが住んでいる紅魔館は、吸血鬼が住んでいる関係で日差しをあまり取り入れないよう、窓が少ない構造をしている。そのぶん風通しが悪く、暑さの対策としては魔法などの別の力を活用しなければならない。それと違って神社のこれは自然の力をありのままに使っているからか、単純な温度としてならば紅魔館の方が低いものの、居心地のよさで言えば神社の方に軍配が上がる。

 とんっ、と。ついと、こいしがごろごろと転がる勢いのまま、軽くフランにぶつかってくる。視線だけを動かして隣を見やれば、寝転がった姿勢のままフランの頭に向かって手を伸ばしてくるこいしの姿が目に入る。

 なにをする気なのかしら。傍観していると、彼女はフランの帽子に手をかけて、ひょいっと取っていった。

 帽子がない方が涼しいので助かるというか、これだけで終わるならむしろお礼を言いたいくらいなのだが……彼女がするちょっかいがこの程度で終わるわけがないことはわかり切っている。

 直後にこれまでの緩慢な動作とは打って変わって、しゅばばばっ! と素早く猫耳を装着させようとしてくるこいし。フランは即座にその腕を払うと、お返しにげしっと彼女の横腹をどついてあげる。

 うぐぅ。そんなうめき声を上げてぴくぴくと痙攣し始めたこいしを横目に、フランは小さくため息をついた。

 

「お茶が入ったわよー、って……あんたらほんと遠慮なくくつろいでるわね。まぁ、私の知り合いで遠慮するやつの方がはるかに珍しいけど」

 

 こと、こと。居間に戻ってきた霊夢がちゃぶ台の上に湯呑みを並べ、急須からお茶を注いでいく。

 

「ほら、こんな暑い中歩いてきたんだから喉乾いてるでしょ? 好きに飲みなさいよ」

「うーん……まぁ、乾いてると言えば乾いてるけど……」

「なによ。なにか問題でもあるの?」

「や、霊夢が親切すぎて裏があるんじゃないかって」

「ちょっと。別に裏なんてありゃしないわよ。あんたらは今回お賽銭をくれたからね。最低限のもてなしはしておかないと神さまに怒られちゃうわ。まぁ、うちの神さまってどんなのがいるかとか、名前すら知らないけど」

 

 巫女がそれでいいのだろうか。霊夢に問いかければ別にいいとか答えそうだが、十中八九それでいいわけがない。ここの神さまに若干同情を覚えつつ、霊夢がお茶を入れてくれた湯呑みを見下ろす。

 喉もそうだけど、お腹も空いてるから、できれば血が入ってる方が嬉しかったんだけど……。

 そんな風にちょっとだけ不満を抱くものの、咲夜ならともかく、霊夢がわざわざ血がどばどば出るほどの傷を負ってまでフランに尽くしてくれるはずもない。しかたなくそのまま湯呑みを手に取って口に運ぶ。こいしもいつの間にか起き上がって、フランと同じようにお茶に手を伸ばしていた。

 ずずず。暑いので一気には飲まず、少しずつ。しかし一口目を舌で味わった瞬間、「うへぇ」とフランの顔に苦い表情が浮かんだ。

 

「……ねぇ霊夢。これ、もしかしなくても二番煎じ?」

「残念。三番煎じよ」

「本当に残念ね……」

 

 二番ならまだしも三番ときたか。フランだけでなく、これにはさすがにこいしさえ苦い顔をせざるを得ない。

 

「むぅー、仮にも私たちお客さまなのに、こんな出がらしを出すなんていろいろ間違ってない? 最低限のもてなしはしてくれるんじゃなかったっけ?」

「してるじゃない。別に三番でも大丈夫よ。飲めるから」

 

 飲めはするけれども。フランとこいしは揃って不満げな表情を浮かべて抗議するものの、霊夢はどこ吹く風。悠々と自分のお茶を口にしている。彼女は彼女で飲み慣れているのか、同じ三番煎じのお茶を飲んでもその表情に特に変化はない。

 まだまだ文句を言い足りない気持ちではあったが、霊夢も同じものを飲んでいるということで、それ以上の言葉をぐっと押さえ込む。

 一応、今日はお願いをしに来た立場だ。この程度のことであまり霊夢の機嫌を損ねたくはない。

 

「で……今日はいったいなんの用でこんな真っ昼間から神社に歩いてなんてきたの? まさか参拝が目的だなんてあるわけないだろうし」

 

 それぞれ一息をついたところで、湯呑みを置いた霊夢が切り出してきた。

 ちょうどその話をしようと思っていたところだ。フランは少し姿勢を正して、霊夢の方に向き直る。

 

「私、宇佐見菫子って人に会いたくて。魔理沙に聞いたら霊夢に許可を貰えって言われたから、それで霊夢に会いに来たの」

「菫子に? なんであいつと……あ、まさか菫子が珍しい力を持ってる人間だからって、紅魔館で馬車馬のごとく働かせようとしてるんじゃないでしょうね。もしくは眷属かなんかにでもするつもり? あんたら吸血鬼は条約で里の人間には手が出せないみたいだけど、外の人間は対象外だものね。あんたら吸血鬼にとっては都合が」

「ちが、待って待って。違う、違うから。危害を加えたりだとか、そんなつもりは微塵もないわ」

「じゃあなに? どういうこと?」

「えっと、紅魔館がどうとか吸血鬼がどうとかそういうんじゃなくて、私の個人的な用事でどうしても会いたいのよ。菫子って人にしか頼めない用事なの」

 

 霊夢とこうして会った回数なんて数える程度しかなく、互いの性質をあまり把握していない。そのせいかかなり誤解されかけたので、どうにか訂正して言い直す。

 しかし、その内容に霊夢の顔がさらに訝しげに歪んだ。

 

「あいつにしか頼めない用事、ねぇ。詳しく話してもらえる?」

「私、昼間でも自由に外を出歩けるようになりたくて。今も日傘を差せば出かけられはするけどかなりきついし……私としては日差しを気にせず遊べるくらいにはなりたいの」

「ふーん。吸血鬼らしい悩みね。で、それにどうして菫子に関わってくるの? 聞いたところその話に菫子が絡んでくる余地がなさそうだけど」

「んー、霊夢は霖之助って人のことは知ってる?」

「霖之助さん? なんでここで霖之助さんが…………あー」

 

 なにかに思い至ったかのように言葉を止めた霊夢。おそらくはもう理解してくれただろうけれど、確認のためにフランは続けた。

 

「霖之助さんなら日光をどうにかできるマジックアイテムを作れるかもって、これも魔理沙から聞いて、ちょっと前に頼みに行ってみたのよ。実際できるみたいなんだけど、でも、材料が足りなくて。その材料の候補の中でも一番手に入れやすそうなのが外の世界のサンスクリーン剤……えっと、日焼け止めって言った方がわかりやすいかしら。その日焼け止めなのよ」

「……なるほどね。あんたは外の世界の道具が欲しい。でも幻想郷の中だけでそれを手に入れるのは難しい。なら、外の世界の道具が欲しいんだから、外の世界の人間を直接頼ればいい。至って単純な解決方法ね」

 

 納得したように霊夢が首を縦に振る。

 

(ゆかり)でも手に入れられそうだけど、あいつは神出鬼没だもの。確かに菫子の方が確実だわ」

「……紫?」

「あー、あんたは知らないか。八雲紫。妖怪の賢者だとかなんだとか呼ばれてる、やたらと胡散臭い妖怪よ。あいつだけは幻想郷と外の世界の境界を好きに越えることができるの」

 

 妖怪の賢者。その単語は、かつて慧音に受けた授業で習ったものだ。

 科学が進み、妖怪の実在が信じられなくなってきた時代に幻想郷を外の世界から隔離した、今の幻想郷の創造主たち。それらのことを妖怪の賢者と呼ぶ。

 博麗神社は元々外の世界と幻想郷とを分けている結界の管理が仕事の一つらしい――これも慧音から習った――ので、妖怪の賢者と知り合いでもおかしくはないかもしれないが、霊夢も魔理沙も人間のくせして妖怪側に顔が広い。そのうち妖怪化してもフランは不思議に思わない。

 ただ、そんな愉快な彼女たちがなんの変哲もない妖怪になるというのは少々面白くない。それならいっそフランやレミリアの眷属として吸血鬼にでもなってもらいたいところである。特に魔理沙はフランのお気に入りの一人だ。彼女が許可してくれるのなら、次会った時すぐにでも同じ吸血鬼にしてあげたい。

 

「一応確認しておくけど、菫子に危害を加えるつもりはないのよね」

 

 ずいっ、と少しだけフランに詰め寄って念を入れてくる霊夢。フランはこくりと、確かに頷いてみせた。

 

「ならいいや。菫子に会うなりお願いするなり好きにしたらいいわ。そのお願いが聞き入れられるかどうかは知らないけどね」

「……いいの?」

 

 あまりに軽く許可が出されたものだから、思わずそう聞き返してしまっていた。

 

「菫子に死なれたらいろいろと困るのよね。魔理沙がそう言ってたわ。私はその、自分の家じゃ気が触れてるだとかなんだとかいろいろ言われてるし、実際その通りだし。ふとした拍子に菫子を食べちゃったりするかもしれないわよ?」

「あー、まぁ、確かに菫子に死なれたら困るわ。菫子に限らず誰でも死なれたら困るけど、あの子の場合は特にね。でも大丈夫でしょ」

「大丈夫って、なにを根拠に」

「あんたの話は魔理沙から結構聞いてたからね。最近は姉ともちゃんと挨拶交わしたりとかパチュリーのやつと仲良さそうにしてたりだとか、割とおとなしくしてるそうじゃない。こうして話してみても話が通じないってこともないみたいだし、そっちの無意識妖怪とも和気あいあいとしてたみたいだし。一見した程度じゃ気が触れてるようには見えないわね」

 

 フランは目をぱちぱちとさせて、ふと、隣を見た。隣でうつらうつらと頭を揺らしている、こいしを見やった。

 フランが最近はおとなしくしている、一見したくらいでは気が触れてるようには見えない。それはつまりフランが以前とは変わったということ。そしてその原因は間違いなく隣に座る少女、古明地こいしの影響だ。

 能天気で、マイペースで、天真爛漫。いつだって振り回されてばかりだ。でも、だからこそ一緒にいて楽しい。壊したくないと思う。この先もずっと笑い合っていたいと感じる。

 目を瞑る。それから、少しだけ、昔の自分を想起してみた。

 この手を握りしめるだけであっけなく壊れてしまうような脆いものだらけのこの世界に、いったいどれだけの価値があるのだろう、なんて。目に映るもの、感じているもののなにもかもを壊してしまったら、いったいどうなるんだろう、なんて。

 確かにフランは変わった。破壊願望、破滅願望。あんな風に考えてばかりだったつまらない昔の自分と比べれば、本当に大違いだ。

 

「それに菫子だって一応ただの人間ではないわ。あんたが本気で殺そうとしたりとかしなければ大抵のことはどうとでもできるはずよ」

 

 霊夢がそう言うものだから、フランは首を傾げる。

 

「ただの人間じゃない?」

「ええ。あの子は――」

 

 ちゃりん、と。外からなにやら小銭が落ちたような音がして、霊夢の言葉が止まった。

 続いて、ぱんっぱんっと手のひら同士を叩いて合わせるかのような音。霊夢は立ち上がって、開いたふすまの方へ歩いていく。

 

「噂をすれば、ってところかしら」

「え、それって」

「ええ。菫子よ」

 

 なんとタイミングのいい。「やった、今日お賽銭三回目よ!」と小声ではしゃいでいる霊夢の横から顔を出して、フランも外の賽銭箱の方を覗いてみた。

 そこにいたのは、幻想郷では珍しい眼鏡をかけた、一人の少女だ。若干癖のある茶色の髪と瞳は平凡と言わざるをえない色合いだけれども、纏う衣装はひどく印象的だ。魔理沙がいかにも魔法使い然とした格好をしているのだとすれば、これは手品師(マジシャン)然としているとでも言おうか。白いリボンのついた黒い帽子と、幾何学的模様が内側に描かれた、これまた黒いマント。マントの内側にはチェック柄のベストとプリーツスカート、さらにその下には白いシャツを着込んでいる。

 そんな彼女はちょうど参拝が終わったところらしく、合わせていた手を下ろしてこちらにとてとてと小走りで駆けてくるところだった。

 

「霊夢さーん、こんにちわー。いやぁ、今日も暑いですねぇ。なんでこの真夏に私はこんな暑苦しい格好してるんですかね」

「いや知らないけど。なんでそんな格好してるのよ」

「それがですね、これ冬服で、夏服には結構前に変わってたんですけど、前回こっちに遊びに来た時にちょっと破けてしまって修繕中なんです。いやぁ、すごいですよねぇ。私にとっては夢の中のはずなのに、あっちで起きたらなぜか服が同じように破けてるんですもん。これもう一種のホラーですよホラー。まぁ幻想郷の存在自体ホラーみたいなものというか事実そのまんまですけど」

「へえ、すごいわね」

「なんですかその『半分くらい理解できないけどなんか楽しそうだから適当に流しとこう』みたいな反応。そこは制服じゃなくて普通の服着てくればいいんじゃってつっこんでくださいよー、もう」

 

 人懐っこく霊夢のもとに近づいてきたかと思えば、ものすごい勢いでまくし立ててくる。霊夢いわく、この少女が宇佐見菫子らしいけれど……。

 霊夢と魔理沙、幻想郷の人間は知っている。けれど外の世界の人間を見るのは初めてだ。興味津々で菫子のことを見上げていると、あちらもフランのの存在に気がついたようだった。その目線が下げられ、フランと視線が交錯する。



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一足す一はニになるおはなし。

更新が遅れて申しわけありません(´・ω・`)
ちょっと手首辺りの骨などを折ってしまって執筆に物理的に難儀してました。もう一作の方も頑張って書いてるのですがもう少々お待ちくださると幸いです。


「わっ、なにこのちっちゃくて可愛い小悪魔チックな子! 翼生えてるってことは妖怪よね? でも変な形ねぇ、そんなんで飛べるのかしら。って、私含めて皆翼もないのに飛んでたわね。ねぇねぇ、あなた霊夢さんの知り合いなのよね? どんなことができるの? いったいどういう妖怪なの?」

 

 ぐいぐいと近寄られ、きらきらとした目線を向けられる。これまでの人生もとい妖生で一度も経験したことのない相当な関心の抱かれ具合に、若干引き気味になりつつもどうにか口を開いた。

 

「きゅ、吸血鬼だけど」

「吸血鬼! 現代で定番中の定番っ、超人気者の妖怪……妖怪? まぁ、うん。妖怪じゃない!」

「そうなの?」

「そうそう! あ、吸血鬼ってことは血を吸ったりするのよね? 初めて会ってすぐ言うのもなんだけど、よかったらちょっとだけ、貧血にならない程度に私の血を吸ってみたりとかしてくれないかしら。血を吸われるのってどんな感覚なのか興味があるのよ」

「血を?」

「痛いのは嫌だけど、それよりも私の秘封倶楽部(ひみつをあばくもの)としての好奇心の方が抑え切らないのよねー。どうかしら?」

「それは魅力的な提案だけど……」

 

 ちょうどかなりお腹が空いている。食べてもいいのなら食べてしまいたい。

 だけれど何度も言うように、フランは加減の仕方がいまいちわからない。霊夢は菫子をただの人間ではないと言っていたが、だからと言って吸血鬼の怪力に耐えられるとも思えなかった。彼女が言ったただの人間ではないというのは、普通の人間とは違う能力を持っているというだけのことだろう。ちょうどこうして幻想郷と外の世界を行き来しているように。

 これが紅魔館に食糧として仕入れられてくる、神隠しに遭った身寄りのない外の世界の人間であれば、どれだけ乱暴に扱っても構いやしないだろうが、今のフランは魔理沙にも霊夢にも釘を刺されている。万が一にでも殺してしまう可能性があるのなら、やはりその行動は避けるべきだ。

 そう思って否定の言葉を告げようとした瞬間、ばっ! とフランと菫子の間に一つの影が飛び出てきた。

 

「それはダメっ! フランの初めては私がもらうって決まってるんだから!」

 

 寝てしまいそうになりながらも会話は聞こえていたのか、はっとしたように顔を上げたこいしが飛び込んできたようだった。

 無意識の妖怪ゆえに存在感が極端に薄いため、これまでこいしがいたことに気づいていなかったのだろう。突然のことに「うひゃぁ!?」と菫子はたたらを踏む。

 そんな菫子に構わず、こいしはむっとした表情で「フランは渡さない」とでも言うように立ちふさがる。

 

「フランはね、まだそういうの一度もしたことないのよ。それでその初めては、私がもらうって決めてるの。フランも私も初めてだから、もしかしたら痛くて泣いちゃうかもしれないけど、私はフランのためならそれくらい我慢できる覚悟があるもん。いつかフランの初めてを私が――むぐ」

 

 ロマンチックな出来事を語るかのように、両手の指先をそっと合わせながらのこいしの発言を、後ろから無理矢理口元を押さえ込んで物理的に止めさせる。

 これまではこういうことを言うのが二人きりの時だったからまだよかったが、今は霊夢と菫子がいる。これ以上言わせるのは絶対にまずい。というか今の時点で大分まずい。

 菫子は大分困惑したような顔で、確認するようにフランとこいしの顔を覗き込んでくる。

 

「えっと……なんか要領を得ない感じの言い方だったけど、吸血の話よね?」

「ええ、それ以外のなんでもないから。たとえもし仮によしんばあるいは他のことが連想できそうでもそれじゃないから。吸血のことだから」

 

 こいしが「むー! むー!」と暴れてフランの手のひらを退けようとしていたけれども、吸血鬼の怪力をそう簡単に振りほどけるはずもない。とりあえず今は強制的にでも黙ってもらわなければ話がややこしくなる。しばらくこのままでいてもらおう。

 

「それでその吸血についてだけどね。悪いし名残惜しいけど、あなたの血を吸わせてくれるって話はちょっと遠慮させてもらうわ。見ての通り連れがうるさいし、それに私、あんまり力加減とか得意じゃないから。もしかしたら血を吸う時に力が入りすぎてばらばらにしちゃうかもしれないわ」

「え、こわっ! あなたってそんなに力強いの? こんなに小さいのに?」

「小さいは余計。これでも吸血鬼だもの。その辺の大木くらいなら片手で持ち上げられる、と思うわ。試したことないけど」

「わぁ、そういうところ聞くと本当に妖怪って感じするわねぇ。私も能力を使えば同じようなことできるけど、さすがに直接の腕力じゃそんなことできないわ。やっぱり妖怪ってすごいのね」

 

 あいかわらずきらきらとした好奇心全開の肯定的な色の視線。普通の人間なら怯えるなり関わらまいと遠ざけるなりするだろうに、外の世界の人間だからか、あるいはこれが宇佐見菫子という人間個人なのか。どちらにせよ、忌避感や嫌悪感などを抱かれるよりはよっぽどいい。

 というか、普通の人間なら、とフランは例えたが、よくよく考えなくてもフランの周囲には普通の人間はいないように思う。フランが名前を知っている人間となると、紅魔館で姉に仕えるメイド長たる十六夜咲夜、大図書館によく忍び込んでくる白黒魔法使い霧雨魔理沙、そして今すぐそばにいる妖怪退治を生業とする妖怪巫女に、最後は幻想郷と外の世界を行き来する力を持つ宇佐見菫子。

 フランが普通の人間を見たのは以前夜に里に行った時が初めてだった。あの時はこいしと一緒に里を巡る楽しさに目が眩んでいたからだろうけれど、そうでなくとも興味を向けることはなかったようにも思う。

 こいしと出会うよりもさらに昔に一度、ふいと今まで一度も見たことがなかった人間というものにちょっと興味が湧いて地下室から地上に出ようとしてみたこともあるが、あれはしょせん新しいおもちゃを見つけたような感覚でしかなかった。ただ手を握りしめるだけでありとあらゆるものを破壊し得るフランにとって、あらゆるものは等価値であり無価値でしかない。こいしと会ってから多少は意識の変革があったものの、かつてマミゾウも言っていたように妖怪はよほどのことがない限りは心に変化など訪れない。フランも未だ完全にパラダイムシフトを果たしたわけではなかった。

 そんな今のフランの関心はもっぱらどうすればもっと楽しくこいしと遊べるかという部分に向けられている。そのフランからしてみれば、今はもう人間でも妖怪でもどちらでも関係ない。妖怪と違って寿命が短いゆえの一瞬の輝きは確かに認めるところはあるけども、もしも魔理沙が妖怪でも、こいしが人間でも、すべてが反転したってフランが彼女たちに抱く印象に変化などほとんどないだろう。

 閑話休題。なにはともあれ、フランは菫子が人間だからではなく、菫子という個人に少なからず好印象を覚えた。ただそれだけの話である。

 

「ぷはっ! うぅ、苦しかった……」

 

 もういいだろうと判断してこいしへの拘束を緩めると、こいしはフランの腕から逃れてすぐに荒い息を吐いた。

 ちょっとだけ悪い気がしてきて、謝ろうかな、なんて思ったところで「でも」とこいしが続ける。

 

「フランの手のひらぷにぷにでちょっと気持ちよか、いたいっ!」

 

 こいしの反省のない発言が完了するよりも早くでこぴんを繰り出す。吸血鬼のでこぴんだ、伊達じゃない。こいしは額を押さえ、すぐ涙目になっていた。

 そんなこいしにはもう構いもせず押しのけて、改めて菫子と向かい合う。そこで菫子はフランがなにやら自分に言いたいことがあると気づいたようで、「どうしたの?」と、フランに視線を合わせるように両膝に手を当てて屈んだ。

 もしもこれが背伸びしたがりな姉のレミリアであれば、まるで幼子を相手にするかのような所作に若干目元をぴくつかせていたりしたかもしれないが、フランにそんな気持ちはない。見上げる必要がなくなったおかげで話しやすくなって助かるくらいだ。

 

「私、あなたにお願いしたいことがあるの。元々は神社の方にもそのために来てて」

「私にお願い? わざわざ名指しで来るってことは、やっぱり外の世界に関してのこと?」

 

 首を縦に振ると、立ち話もなんなので一旦居間の方に上がってから、フランは霊夢に説明したことと同じことを菫子にも話した。

 霊夢は菫子に新しいお茶――やはり三番煎じ――を出しつつ、二人の様子を見守って、こいしはこいしでさきほどフランから取った帽子をくるくる回したり、かぶってみたりと遊んでいた。においをかぎ始めた時はさすがに見過ごせなかったので前回よりもさらに強いでこぴんを食らわせたが、それ以降はちゃんとおとなしい。

 フランの話が終わると、菫子は「なるほどー」と納得したように頷いていた。

 

「フランちゃんは吸血鬼なんだものね。そりゃあ太陽の下でも動けるようになりたいわよねぇ」

 

 フランちゃん。説明の中で互いに自己紹介をしてすぐにその呼び方は定着した。

 レミリアも魔理沙もこいしもパチュリーも他の誰もかれも、そんな子どもじみた呼び方はしてくれないので、なかなか新鮮だ。これまたおそらく姉のレミリアであればちゃん付けされるたびに不機嫌ゲージが少しずつ上昇していたことだろう。あの姉は見た目も言動もまるで幼いくせして子ども扱いするとすぐ機嫌が悪くなる。悪い癖だ。

 不安と期待がまぜこぜとなったフランの瞳を受けて、菫子は少し考え込むように腕を組んだ。

 

「……やっぱりだめ? それともできない?」

 

 堪え切れなくなって聞いてしまったが、ふるふると首を横に振られる。

 

「できないこともないし、だめってわけでもないんだけど……うーん、そうねぇ。霊夢さん霊夢さん」

「ん? なに?」

「外の世界の道具のことなんですけど、こっちに持ってきて誰かに渡したりしても結界とやら的には問題ないんですか? ここって外で忘れられた道具しか流れてこないみたいですが、私が持ってくる道具はその限りじゃないですよね?」

「あー、どうかしら。まぁ問題ないんじゃない?」

「そんな雑な……」

「雑って言われてもねぇ。っていうかあんた、霖之助さんによく外の道具を売ったりしてるでしょ。その質問今更すぎるわよ」

「あ、そういえばそうでした。ど忘れしてました。暑さのせいですかね」

 

 本当にど忘れしていたらしく、少しだけ恥ずかしそうに菫子が頬をかく。結界の管理を仕事の一つとする博麗神社にいたから、ふと疑問が出てしまったのかもしれない。

 というか、菫子も霖之助と知り合いだったのか。フランは、むぅ、と思わず唸る。だってそうなると、彼からしてみれば日焼け止めなんて本当に欲しければ菫子に直接頼んでもよかったはずなのだから。

 わざわざフランの方に調達を頼んだということは、フランの望みを叶えるために気を遣ってくれていたのか。あるいはどちらを選ぶにせよなにかしらの報酬を支払うという行動をしなければならないことは間違いがないから、せめてフランにも得のある側を選んでくれたのか。

 どちらにしても、彼が直接菫子にではなくフランの方を選んでくれたことに、フランは内心でこっそりちょっとだけ感謝の念を捧げておくことにした。

 

「まぁとりあえず問題はないと。んー、それなら特に断る理由もないわね」

「え、い、いいのっ?」

 

 こんな簡単に了承してくれるとは思っていなかった。無意識のうちにちゃぶ台に上半身を乗り出して、期待一色となった視線を菫子に送る。

 

「もちろんよ。別にそんなに高いものでもないし。あ、でも、一つだけこっちからもお願いしたいことがあるんだけどいいかしら」

「うん、大丈夫。自由に外を出歩けるようになるためだもの。私にできることならなんでもするわ」

「ほほう、なんでも? 今、なんでもって言ったわよね?」

「え、まぁ、うん……私にできることならよ?」

 

 にやり、と口の端がつり上がったのを見て若干後悔しつつ、でも一度了承してしまったほか、目的のものが目前にあることも相まって前言撤回もできない。ちょっとだけ尻込みしつつ、引き気味に肯定する。

 そんなフランの様子に菫子はくすくすと笑った後、悪意はないと言いたげに両手を広げた。

 

「ごめんごめん、ちょっとした冗談よ。そんなにきついこととか、R18的なことを要求するつもりはないわ。だから安心して」

「あーるじゅうはち? って?」

「一八歳以上の人しかダメなことって意味よ」

「うーん? 私一応五〇〇歳近くくらいはあるけど」

「え、マジですか。金髪ロリっ娘吸血鬼ってだけで需要高なのにそこにロリババア追加とか属性盛りすぎてない? むしろ吸血鬼ロリ的には王道なのかしら?」

「R18とか属性とかなんだとか外の世界の意味合いでの言葉はよくわからないけど、とりあえず不本意な呼ばれ方をされてるってことだけはわかるわ」

「わわっ、ごめんごめん。怒らないでフランちゃんー。ちょっとしたお願いを聞いてくれたらちゃんと日焼け止めは上げるから、ね?」

 

 頬を膨らませたフランをなだめるように、菫子が言う。元から断る気などなかったので、こくり、と首を縦に振る。

 それで、ちょっとしたお願いっていうのは? 問いかけてみると、菫子はがさごそとポケットの中をあさり始めた。

 

「ん、あったあった」

「あ、それって」

 

 菫子が取り出したものに反応したのはフランではない。寝そべっていたこいしだ。

 幻想郷ではまず手に入らない外の世界の技術と材質で作られたそれは、手の中に収まるほどの長方形の物体だ。全体的に薄っぺらく、厚みが二センチもない、小さなメモ帳のような。少なくともフランの五〇〇年近くの人生では一度も見たことがない形容のしがたい道具だった。

 こいしが知っているそうなので視線で説明を促してみると、意を汲み取ってくれたらしい彼女は「えっとねぇ」と思い出すように頭を捻り始める。

 

「確か、それ電話だよね。前にあなたが落としていったのをそのままもらった記憶があるような気がするわ」

「そうそう電話電話。って言っても最近は電話というにはかなり多機能な……あれ、ちょっと待って。今聞き逃せない一言を聞いた気がするんだけど」

「確か、それ電話だよね」

「その後の方! 全然見つかんなくてなくしたと思ってたら……!」

「なくしてたじゃん。私はそれを拾っただけだし。先に言っておくけど返さないわよ? あれは私が拾ったんだからもう私のものだもん。私の宝物の一つなの」

「むむむ……霊夢さん、霊夢さん! この子悪い妖怪ですよ! 退治して私のスマホ取り返してください!」

「あんたらで勝手にやってなさいよ。今日は暑いし外出たくないわ。っていうか悪い妖怪もなにも、いい妖怪なんているの? それにそいつ、どうせ倒しても結局返してくれないわよ。やるだけ無駄」

「むぅ……まったく、そんなんだから陰で妖怪巫女とか呼ばれてるんですよ」

「ああ?」

「いえすみませんなんでもないです」

 

 怒った霊夢ほど恐ろしいものはない。レミリアや咲夜、パチュリーや魔理沙や慧音いわく、異変調査中の彼女は出会っただけで人間だろうと妖怪だろうと神だろうと問答無用で退治しようとしてくるとか。そんな霊夢の恐ろしさは菫子もどうやらじゅうぶん知っていたようで、すぐさま身を翻して鮮やかなほど素早く頭を下げていた。

 霊夢も別に本気で怒ったわけではない。小さく肩をすくめると、急須を取って、中身がなくなっていた菫子の湯呑みにお茶を注ぐ。まだフランは半分ほどしか飲んでいなかったが、そのままフランのぶんも注いでくれた。

 こいしは少し菫子を警戒するように距離を取っていた。

 

「……返さないわよ?」

「あぁ、うん……わかったから、もうそれはいいわ。とっくにあっちの契約は切って新しいこっちに乗り換えてるし、もう別になくたって困らないから」

 

 諦めたように息をつき、菫子はフランに向き直る。こいしの余計な一言のせいで少し話がそれてしまったが、本題である菫子からのお願いはここからだ。

 

「それでさっき言いかけたことだけど、最近の電話は多機能なのよ。これはスマホって言ってね、電話だけじゃなくてインターネットに繋いで動画を見たりゲームをしたり、いろいろできるの」

「スマホ、ねぇ。それがお願いとどう関わってくるの?」

「機能の一つにカメラがあるのよ。カメラはわかる?」

「山の天狗がそういう道具を使ってるってどこかで聞いたことがあったような気も……一瞬で目の前の風景の絵を書く道具のことよね?」

「んー、そうね。大体そんな感じで合ってるわ。私のお願いっていうのはね、その絵の中に私と一緒に入ってほしいのよ」

 

 うん? と首を傾げる。そんなことをしてなんの意味があるんだろう、という純粋な疑問だ。

 

「……カメラって向けられた人の魂を取る力があるんだっけ? それで私の魂を閉じ込めて持ち帰るつもりだったり?」

「はい? あー、いや、そういえばそんな眉唾ものの話もあったわね。や、案外眉唾ってわけでもないのかしら。その気になれば幻想郷でなら都市伝説として具現化させられそうだわ」

「やっぱり」

「あ、違う違うっ! そういう意味じゃなくてね、純粋に記念に写真を撮っておきたいのよ。最近ちょっといろんな妖怪をアルバムに収めてくのにハマっててね? 吸血鬼なんて幻想郷でも絶対大物の妖怪でしょ? こんな機会滅多にないかなって思って」

「記念って、そんなもの取っておいてなんの意味があるのよ」

「単純な妖怪コレクションとしてもいいし、歳を取った後に見返したりしてみたら懐かしんだりできるでしょう?」

「懐かしむって……私にはよくわからないわね。過去はしょせん過去じゃない。ちょっと前まで四九五年くらいずっと地下に引きこもってたけど、その頃を思い返してみても私は特に思うことなんてないわよ」

「うーん、その辺は人間と妖怪の感性の違いなのかしら。妖怪は全然歳を取らないみたいだし……って、なんか今すっごい重い過去が流れるように暴露されたような気が……」

「半ば自分から引きこもってたようなものだし別に重くもなんともないわ。それより写真だっけ? それってどうすれば撮れるの?」

「あ、それなら……ん、ちょっとこっち来てくれるかしら」

 

 菫子に促されるがまま、彼女の隣まで移動する。それでもまだ距離が足りないようだったので、肩と肩が触れ合うほどに密着した。

 ぐぐー、と菫子がスマホを掴んだ腕を目一杯遠くまで伸ばしながら、言う。

 

「はい、ピースっ」

「……平和?」

「あー、んー……一足す一は?」

「ニでしょ。バカにしてるの?」

「いや、そうじゃなくて……まぁそうよね、知らないわよね。えっとね、指をこう、私の真似をするみたいに二本立ててくれる? 人差し指と中指を伸ばして、その間をちょっと開いて、ハサミみたいに……」

「……こう?」

「そうそう! それじゃ撮るわよ? はい、チーズ」

 

 スマホで隠れた向こう側の指先を少し動かしたかと思うと、ぱしゃりっ! と音が鳴るとともに一瞬だけスマホから白い光が放たれた。

 目を瞬かせるフランの横で、菫子は満足そうにスマホを見下ろしていた。

 

「ほら、見てみて! これが写真! ここにさっきの私たちが映ってるのよー」

 

 促されるがままスマホに視線を向けると、フランはさらに驚いて目を丸くした。

 

「……本当だわ。すごいわね、すぐそこにちっちゃい菫子が本当にいるみたい。ここまで精密な絵が書けるなんて……っていうか、私ってこんな顔してたのねぇ」

「え? どういうこと?」

「どういうって、吸血鬼は鏡に姿が映らないのよ。自分の頭周りのことなんて金髪で目が赤くて八重歯が生えてるってことくらいしか知らなかったわ」

「わっ、そういえばそうだったわね。日光に当たれないことといい鏡に映らないことといい、難儀な体質ねぇ……あれ、そうなると神社まではどうやって来たの?」

「そこに日傘が置いてあるでしょ?」

「え、そんなんでいいの? なんか……イメージと違う……吸血鬼っていうと私みたいな黒いマントを羽織って、颯爽と夜の摩天楼の上を駆け回ったり、真っ暗な屋敷の中に息を潜めて不気味に潜んだりとか……」

「そんなこと言われてもねぇ。これでもかなり苦労してきたのよ? 何度も何度も木陰で休憩を挟んで、こいしにもいっぱい助けてもらって……って、よく見たら端の方にこいし映ってるじゃないこれ。しかも私たちと同じように二本指立ててるし」

「え? あ、本当っ! 全然気づかなかったわ!」

「ふふん、私は無意識の妖怪だからね。存在感なく映り込むなんて容易いことなのだー」

 

 なぜか自慢げにこいしが胸を張る。それから、どことなく少しだけ楽しそうだ。もしかしたら、見つけてもらえたのが嬉しかったのかもしれない。いくら存在感がないと言っても、誰にも見つからないのは寂しいことのはずだから。

 菫子は写真をしばらくじっと見つめた後に、くすりと笑った。「これもありかもしれないわね」と。どうやら気に入ってくれたらしい。こいしもたまには役に立ってくれる、とフランは内心でちょっとだけ褒めておいてあげる。内心で。実際に言うとすぐに調子に乗るので口には出さない。

 

「……なんか、私だけ仲間はずれみたいね。別にいいけど」

 

 三人でわいわいとしていたからか、霊夢がわずかにむすっとしたような表情で呟いていた。

 フランは菫子とこいしと三人で顔を見合わせて、小さく笑い合った。

 

「意外。霊夢もそういうこと気にしたりするのね」

「霊夢さんも意外と可愛いところあるんですねー」

「意外意外意外だわー」

「ふーん。三人とも表出る?」

 

 ぴくぴくと目元をひくつかせながらのお誘いは三人一緒に丁重にお断りする。その後菫子が霊夢のそばに近づくと、手招きでフランとこいしを呼んできた。

 

「せっかくだからこの四人でもう一枚撮っちゃいましょー。ほら、もっと端っこ詰めて詰めて」

「あ、ちょっと、勝手に……」

「いいじゃないですか。これも記念ですよ記念。んー……でも、やっぱり四人だとどうやっても横は入りませんね。あ、そうだ! フランちゃんフランちゃん、私の膝の上に座ってくれる?」

「いいけど、こいしはどうするの?」

「霊夢さんの膝の上、とか?」

 

 確認、あるいは許可を取るように菫子がこてんと小首を傾げると、霊夢は「はぁー」と重い息を吐き出した。

 ただ、その横顔はフランの目には少々笑っているようにも見えた。

 

「……しかたないわね。ほら、あんたこっち来なさい。一緒に映るわよ」

「変なことしない?」

「しないって」

「ん、なら座らせてもらうわー。本当にしないでね? 私に変なことしていいのはフランだけなんだから」

「…………」

 

 こいしの爆弾発言に黙り込んだのはこいし以外の全員である。一瞬流れた気まずい空気を押し流すように菫子が咳払いをした。

 菫子が「撮るよー」とさきほどのようにスマホを持った腕を伸ばす。

 

「はい、チーズ」

 

 菫子の合図でぱしゃりと撮られた写真を四人で囲って確認する。菫子とこいしはノリノリで二本指を立てていて、フランもまたピースをしてはいるが二人ほどテンションは高くない。霊夢は霊夢でポーズを取ったりはせず特に笑顔なども浮かべてはいないものの、その表情はどことなく柔らかそうに見える。

 

「んー、なかなかいい写真ね。せっかくだから今度時間がある時に現像して全員に配れるようにしておくわ」

「現像って?」

「現像っていうか写真プリントかしら。この写真を紙に写すのよ。それをコピーすれば何枚でも同じ絵を作ることができるわ」

 

 それからも菫子から外の世界の話を聞く。菫子にとっては常識に過ぎないような質問も混ざっていただろうに、彼女は嫌な顔一つせず楽しそうに話してくれた。妖怪であるフランと触れ合うのが楽しいのだそうだが、フランにはよくわからない。

 菫子とは後日写真と一緒に日焼け止めを持ってきてくれることを約束した。また神社に来るのはさすがにきついので、紅魔館の場所を教えて来てもらえるように頼むと、菫子は吸血鬼の館ということで目を輝かせていた。そこは普通恐れるところではないかとも首を傾げたが、フランも以前まではよく情緒不安定で狂っているとか言われたりしていたので、人のことは言えないかと思い直す。

 ちなみに結構気に入ったので菫子に眷属になってみないかとも誘ってみたりもしたけれど、ものすごく名残惜しそうな顔で断られたりもした。

 なんにせよ目的は無事達成することができた。これで近いうちに昼間でも外を歩けるようになるかと思うと、頬が無意識ににやけてしまう。

 霖之助の作るマジックアイテムはどんなものなのだろう。次に人里に行くのはいつにしよう。うずうずと、いろんなことを想像することもまた、一人で過ごしていた頃には味わったことのない、もどかしくも楽しい感覚だった。



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おやつ作りに励むおはなし。

 昼間でも外を出歩ける方法を求めて奔走した日々は終わり、あとは菫子が日焼け止めをもってくれることを待って、霖之助にマジックアイテムの作成を頼むのみとなった。憂いは晴れ、わずかな達成感と、こいしとともにもっと幅広く遊べるようになる時が待ち遠しい、そわそわとした気持ちでいることが多い。

 最近、子どもらしい快活な笑顔が増えたとレミリアに言われたりもした。彼女にしてみれば妹を思う素直な感想なのかもしれないが、それに関してはフランは不満を感じていたりする。フランは自分が子どもでも構わない、むしろ好き勝手できる子ども万歳と思ってはいるが、あの大人ぶりたいだけの正真正銘お子さまに言われるのだけは正直我慢ならないのである。

 なにはともあれ、今日も今日とて幻想郷は平和だ。もう夏も終盤間近とは言え、未だ終わっていない暑い日差しの下を妖精たちが飛び回り、セミの鳴き声は止むことを知らない。昔のフランはああいう鬱陶しくてうるさい環境は大の嫌いであったが、どこかのハイパーマイペース少女とい続けた影響だろうか。今はそこまで不快感を覚えることはない。

 霖之助がマジックアイテムを作ってくれてからは昼間でも外を出歩くつもりではあるけれど、博麗神社に足を運んだ時の一件もあって、太陽の下を歩き回るのはさすがに懲りた。やはり吸血鬼は吸血鬼らしく、太陽が出ている間は館の中で引きこもっているべきなのだ。

 そういうわけで、今日のフランはこいしとともに館の中の探検に興じていた。最近、昼間でも起きていることが当たり前のようになってきている気がする。

 フランからすれば自分の家の中なんて特に目新しいものでもないが、こいしと出会う以前はふらふら館内のそこらを出歩いたりして暇つぶしをしていたこともあって、家の中だけでの散歩も嫌いではない。

 こいしも未だ飽きず探検を繰り返しては迷っているのでフランと同じ気持ちか、あるいはそれ以上なのだろう。今にも鼻歌を歌い出しそうな上機嫌さでフランの少し前を歩いている。というか実際歌い出した。

 紅魔館の内部は咲夜が持つ『時を操る程度の能力』によって拡張されている。時を操るとは、つまり空間をも支配することにほかならない。例を上げるとするならば、時間を止めて移動をして解除すれば、それは瞬間移動と同様の結果をもたらすこととなる。要はどう応用するかが重要であり、咲夜が持つ能力は単純な強さだけでなく、そういう部分でも破格の性能を誇る。

 ただ物を壊すことしかできないフランの能力とは違う。力の大きさの優劣だけで言えばフランの方が上回っているかもしれないが、応用という観点で見ればフランのそれは発展性が皆無なのだ。フランのもたらす破壊は物体の『目』を突くことによって実現する。それは問答無用の現象であるがゆえに、ちょっとだけ、もしくは狙った場所だけを壊す、と言った器用なことはできない。

 羨ましいと思う気持ちは否定できない。もしもフランに時を操る力があれば……あれば……まぁ、特にどう使おうとかはさして思いつかないけれども、とにかく羨ましいのだ。たとえば、そう、レミリアにやるイタズラの種類が増えたりとかするし。

 そんな風に、この館の優秀なメイドについて思考を巡らせていたからだろうか。噂をすれば、というわけではないが、ふと通りかかった部屋の扉の隙間から、その向こう側に咲夜の後ろ姿が窺えた。

 引き返して、そっと覗き込んでみれば、どうやらこの部屋は厨房のようだった。

 フランはよく出歩いてはいたが、別にすべての部屋になにがあるかを把握しているわけではない。どっちに行けばどこにたどりつくなどはわかるけれど、一つ一つ部屋の中を巡ったりしたわけではないのだ。そんなことをしていると日が暮れてしまうくらいには紅魔館は広い。

 

「フラン? なにしてるの?」

 

 フランがついてこないことに気づいたこいしも戻ってきて、フランの様子を見ると、一緒に扉の隙間から中を覗き込む。二人の視線の先では、咲夜が一人で調理に励んでいた。

 料理に精通しているのであれば並べられた材料などから作っているものを推察できるかもしれないが、そこは箱入りのお嬢さまと天真爛漫なおてんば娘のお二人。料理なんて一度もしたことがないどころかろくに見たこともないので、『なんか作ってる』くらいしか感想は出ない。

 

「もうお昼過ぎてたよね? あの人なんで今料理なんてしてるの?」

「さぁ? 大方お姉さまが珍しく私みたいに昼間から起きてて、おやつでも頼んだんじゃないのかしら。あれはほんとにわがまま気質だから」

 

 あいかわらずフランはレミリアに対していろいろと手厳しい。決して嫌いなわけではないのだけれども、大して生きた年月に差がないくせに、姉だからと保護者じみた態度を取ってくるのが癇に障るのだ。

 ただ、表面では鬱陶しそうに、実際の心でも悪態をよくついたりするが、心の底では無意識に慕ってしまっている。それはかつて家出をしでかしててしまい、それでも割り切れなくて、仲直りをするために館に戻ってきたことからも明白だ。

 そしてフランは心の中どころか心の外でも姉のことをよく非難してはいるが、他人がレミリアの悪口や悪態をついていれば間違いなく不機嫌になる。お姉さまのことを大して知りもしないくせによくそんなこと言えるわね、と。

 半ば以上一人だったとは言え、五〇〇年近い時間をともに過ごしてきたのだから姉妹愛の大きさも推して知るべきだ。いささか歪でまるで素直ではないけれど、兄弟や姉妹なんて関係はおおよそこんなものである。

 もちろん、フランがそんなことを表立って認めるはずもないのだが。

 

「……こいしも食べたいの?」

「うん」

 

 指を咥え、物欲しそうな目でじっと調理している咲夜を見続けていたこいし。「私も欲しい!」と雄弁に表情と瞳が語っていたのだが、口には出ていなかった。必死に我慢しようとしていたのだろう。全然し切れていなかったが。

 

「こいしも遠慮なんてものをしようとしたりするのね。でも、そういうのらしくないからしなくていいわよ。むしろいつも騒がしいぶんそっちの方が心配になるわ」

「……そう? じゃあフラン、猫耳つけてくれる?」

「なんでそうなるのよ」

「だって遠慮しなくていいって」

「しなくていいけど、断るものは普通に断るって」

 

 すっ、と懐から猫耳を取り出したこいし。もはやお家芸のレベルである。フランもすでに彼女がこんなものを常時持ち歩いていることを不思議に思わない程度には染まってきてしまった。

 とにかく、こいしもおやつを食べたいとのことなので、こっそり覗いていることはやめて、堂々と突入することにした。

 扉が開いた音に、咲夜がフランたちの方に振り返る。「あら」と声を出して、仕草でも驚きを表現するさまは、少しばかりわざとらしい。もしかすれば、初めからフランとこいしの存在に気づいていたのかもしれない。

 

「妹さま、どうかいたしましたか? 無意識の妖怪、いえ、妹さまのご友人も一緒のようですが」

「咲夜。咲夜は今なにをしているの?」

「おそらくは妹さまのご想像通りかと。お嬢さまの命令で、間食のサブレを作っております」

「サブレ。って、あれよね。前に図書館でお姉さまやパチュリー、咲夜と一緒に食べた……」

「ええ、その通りです。あちらはクッキーでこちらはサブレと、細かい分類は少々異なりますが、大体は同じものと捉えていただいて問題ありません」

 

 まだ作り始めてから間もないようで、完成品を知っていても作り方を知らないフランの目では、それがサブレの調理途中だとは判断できなかった。

 とは言え、なにをしているか、作っているか、という質問自体はさして重要なものではない。今の質問は単なる前振り、そして確認だ。この後にするお願いをしやすくするための。

 咲夜は優秀なメイドなので、フランが厨房に入ってきて声をかけてきた段階で、その辺のことをすでに察している。なればこそ、ごく小さなこととは言え自らが仕える主人の妹になにかを請わせるなどをさせたりはしない。

 

「材料は多めに用意してありますので、よろしければ妹さまがたのぶんもご用意いたしますが、どうでしょう」

「ん、じゃあ、お願いしていい?」

「もちろんでございます」

 

 うやうやしく礼をする咲夜。たまに抜けていたり天然が入っていたりすることもあるが、基本的には忠義を尽くす優秀なメイドなのである。

 さてお願いはしたのでもうここには用がない、と立ち去ろうとしたのだが、ふと、隣に立つこいしの視線がじーっと作り途中のサブレに向いていることに気がついた。

 遠慮しなくていいと言ったばかりなのに。小さく息をつくと、フランは踵を返すのをやめて咲夜に再度向き直った。

 

「ねぇ咲夜、サブレを作るのって私たちがやってみていいかしら。もちろんお姉さまのぶんは咲夜に任せるし、自分たちで作ったぶんは自分たちで食べるわ」

「それは……そうですねぇ……」

 

 咲夜が珍しく思案するように顎に手を添える。自分ならば完璧に作り上げることができるが、初めての妹さまではうまくできないかもしれない。もしそうなっておいしくない菓子を食べさせることになってしまったら、本来食べるはずだったサブレとの格差で……などと、いろいろと考えていた。

 ほんの五秒にも満たない、けれど時を操る力を持つ咲夜にとってはじゅうぶん過ぎるほどの時間が過ぎた後、咲夜はゆっくりと首肯をした。

 

「わかりましたわ。ですが妹さまがたは初めてでしょうから、私がサポートに回らせていただきます。それはよろしいですか?」

「ええ。元々そのつもりよ。よろしくお願いね、咲夜。ほら、こいしも」

「よろしくねー」

「こちらこそよろしくお願いいたします」

 

 そういうわけで、早速エプロンを身につけるフランとこいし。元は種族的に体が小さい妖精用に調理場に用意されていたものだったが、二人とも妖怪ながら一〇歳前後の幼児体型なのでぴったりフィットしている。そしておそらくはフランやこいしが大きくなるよりもエプロンが劣化して使い物にならなくなる方がはるかに早いことだろう。

 

「メイド長せんせー! 初めはどうすればいいのー?」

 

 手を上げて質問するこいし。こいしとは定期的に慧音の授業を一緒に受けているけれど、こいしの今の態度はそんな慧音にする態度とまったく同じだった。おそらくこいしは咲夜のことを臨時の家庭科の先生のように思っている。

 包丁の扱い方もなにも知らずにいきなり実習というのはいろいろと不安でならないが、今回は危険な器具は使わないので問題はない。これもまた咲夜が許可を出した理由の一つなのだろう。まぁ、妖怪は怪我をしたところですぐに治ってしまうのだが。

 咲夜の指示に沿って、フランとこいしは調理を進めていく。咲夜の指示はかなり丁寧で、それでいて命令口調ではなく、嫌味もまるでない。自分の方が腕が上だからと驕るようなことは決してない。仕えるべき相手を立てるよきメイドだ。

 

「うー……腕疲れたぁー」

 

 基本的にはボウルの中をぐねぐねと混ぜ合わし、材料を足して、さらに混ぜ回し、さらに……の繰り返しだ。そして材料を追加するたびにかき混ぜる際の抵抗は大きくなる。先に弱音をはいたのは、やりたいと言い出した――実際には言っていないが、やりたいと顔に出ていた――こいしだった。

 慣れている咲夜が文句をもらすことはない。フランはフランで、何百年も一人で地下で過ごし続けてきただけあって実は単純作業は案外嫌いではないし、吸血鬼なので力もある。しかしこいしは違うのだ。

 こいしは外で遊ぶのが大好きで、すぐに飽きてしまう単純作業なんて大の苦手。妖怪としては単純な力はそう高い方ではないし、性質的にインドア派ではなく完全にアウトドア派だ。

 飽きた、というわけではなさそうだが、肉体的にも精神的にも疲れがたまるのはこいしが一番早い。こいしはボウルをかき混ぜるべらから手を離して、疲労を取るようにぷらぷらとさせた。

 

「少し休憩いたしましょうか。妹さまは大丈夫ですか?」

「うん。っていうか、妖怪のこいしの方が先に弱音を言い出したのに、咲夜は人間のくせに全然平気そうね。大変じゃないの?」

「いつものことですので。それにこれくらいなんてことなくできなければメイド長になどなれません」

 

 レミリアの無茶なわがままを聞くこと、無駄に広い館中を半分以上自らで掃除すること、常日頃においてもパーティーにおいても料理をほぼ一人でこなすこと。ひとえに数だけは多い妖精があまり役立っていないことが起因しているのだが、咲夜の仕事は本当に多い。それこそ時でも止めなければやっていられないほどに。

 もちろんレミリアもわがままは言いつつも咲夜をそれなりに気遣ったりしているし、最近はホブゴブリンを雇い始めたことも相まって、わずかに彼女の仕事は減ってはきている。それでも咲夜が紅魔館の中心に存在し、すべてを総括していることは純然たる事実としてそこにある。

 そして咲夜は誰がなにを言おうと仕事の手を抜いたりはしない性格だ。それはひとえに紅魔館のメイド長として恥となる中途半端な仕事はできないという挟持から来ている。それは自らの誇りを示すためではなく、主人たるレミリアの顔を立てるため。

 

「やっぱり咲夜はお姉さまにはもったいないメイドね」

 

 彼女を見ていると、フランも自分にもメイドが欲しいと思ってしまう。咲夜もフランの言うことをよく聞いてくれるけれども、彼女はあくまで姉であるレミリアに仕えているのだ。咲夜ほどのメイドを見ていれば、フランも自分専属のメイドが欲しいと思ってしまうのもしかたがない。

 仮にメイドをそばに置くとして、目下の候補はニ人ほどである。

 一人目は魔理沙。彼女とは話が合うし、共通点も多く、フランのお願いもよく聞いてくれる。今のところ眷属にしたい人間ナンバーワンにも当たる。

 二人目は菫子。この前一度顔を合わせた程度ではあったが、外の人間というのは珍しくも面白い存在だ。もしも眷属となり幻想に染まり切ってしまえばこちらと外を行き来する能力は消失し、完全に幻想に身を置くことになってしまうことになるだろうが、それでも彼女が珍妙で好奇心をそそる存在であることに変わりはない。

 他にも霊夢や慧音なども候補にはあるが、霊夢はまず間違いなく誰かに仕えたりはしないし、慧音は人間の味方だ。魔理沙だって他人に従うのはあまり好きではさそうだけれど、咲夜とはまた違った、メイドという体を装っただけの対等な関係でならば末永く主従として付き合っていけそうだ。菫子はまだ出会ったばかりなのでよくわからないが、少なくとも一緒にいて飽きることはないように思える。

 候補が人間ばかりなのは、レミリアに仕える咲夜が人間だからだろう。メイドにした後は眷属にしたいとも思ってはいるが、フランは無意識に、メイドにするなら人間しかないと思ってしまっている。それは不肖の姉たるレミリアへのリスペクト精神のようなものから来る思考回路なのだが、フランがそれを自覚することはない。

 

「メイドさんかぁ。うちにはペットはたくさんいるけど、そういうのはいないなぁ」

 

 こいしが呟く。紅魔館にはペットはいないが、メイドはたくさんいる。こいしの家にはペットはたくさんいるが、メイドはいない。どちらがいいかと言われれば、足してニで割るのがちょうどいい。

 いや、紅魔館にもペットらしき生物はいたか。フランの頭の中に一匹の妖怪の姿を思い浮かべた。

 

「ペットねぇ。そういえばこいしと会ってからはあんまり見に行ってないかも。ねぇ咲夜、あれは元気にしてるの?」

「あれですか? ええ、元気ですよ。お嬢さまは大分前に飽きてしまいましたので、今はホブゴブリンたちがお世話していますが」

「む。ねぇねぇフラン、あれって?」

 

 固有名詞を出されなければ事情を知らない人はなにがなんだかわからない。好奇心を刺激されたこいしが興味津々な色をたたえた表情をフランに向けた。

 

「うちのペットみたいなのの話よ。なんだったかしら。チュパカブラ、だっけ?」

「へえー。このお館にもペットがいたのねぇ」

「今度一緒に見に行ってみる? 意外に可愛いわよ」

「フランの方が可愛いよ!」

「う、うん。いや、ペットと可愛さで比べられてもね」

 

 褒められるのは満更でもないが比べる対象が対象である。微妙な顔になってしまうのはしかたがない。乙女心は複雑なのだ。乙女でなくとも複雑だろうが。

 

「そういうこいしはペットがたくさんいるって言ってたけど、たとえばどんな?」

「んーとねぇ。私がお世話してる子もちょっといるけど、ほとんどは私じゃなくてお姉ちゃんのペットで……ペットの中じゃお燐なんかとは一番話すかなぁ」

「お燐?」

「うん。猫の妖獸だよ」

「……まさかとは思うけど、私によく猫耳つけさせようとしてくるのって、私を自分のペットにしたいとか思ってるから?」

「へ? んー、それは穿ちすぎかな。あれは単に私がフランにつけてほしいって思ってるだけ。むしろ私がフランのペットにー、なんてね」

「……冗談で言ってるのよね?」

「まぁそうだけど。もしも私が今の私じゃなかったなら、フランのペットとして生まれるのもよかったかもって。これは本音よ。それなら今以上にフランと一緒にいられるもん」

 

 あ、でも。と、こいしがちょっとだけ難しい顔をする。

 

「それだとお姉ちゃんと離れ離れになっちゃうなぁ。じゃあお姉ちゃんも一緒にフランのペットに……いやいや、それはちょっと私が嫌かも。だったら、うーん……お姉ちゃんには、フランのお姉ちゃんのペットになってもらおうかしら? そうすればお姉ちゃんともフランとも一緒にいられるもんね。それならなにもかも万々歳だわ」

「いや……それ、冗談で言ってるのよね?」

「え? なにが?」

 

 悪意などなく、無邪気にこんな世界もありだったかもと夢を語るこいし。フランへ少なくない好意を向けていることも、こいしが姉を然りと思っていることも一応はわかるのだが、いささか以上にこじれていると言わざるを得ない。

 

「……この妹にしてこの友あり、ってところかしら」

 

 と、呆れ混じりに呟いたのはフランでもこいしでも、ましてや咲夜でもなかった。

 声がする方を見れば、いつの間にか憮然とした表情で腕を組んだレミリアが厨房の入り口に立っていた。

 

「ちょっとお姉さま。それだと私もこいしレベルに頭がおかしいみたいじゃない」

「あら、まさか自分が正常だとでも?」

「そうは言わないけどさー。ぶっちゃけ正常な思考回路をした妖怪なんていやしないじゃない?」

「元も子もないことを言うわね」

 

 妖怪は人間以上に千差万別の特徴を持つ。だからこそ特定の妖怪の常識が他の妖怪の常識とも限らない。少なくとも人間の敵である以上は、ほぼすべての妖怪の常識は人間の常識とはまず合致しない。

 だとすれば正常だという括りはその実あまり意味をなさない。正常と言える基準が明確に存在しないのだから。フランは言ってしまえば、感情の振れ幅が他人よりも大きいから情緒不安定、狂っているとされているだけ。こいしのように思考体系そのものがそこまでぶっ飛んでいるわけではない。

 

「それよりなんでお姉さまがこんなところにいるの? まさかお姉さまも料理してみたいとか?」

 

 もしそうなら鼻で笑うつもりである。なお、特に理由はない。

 

「いや、咲夜がいつもより戻ってくるのが遅いから様子を見に来たんだけど……これはどういうこと?」

 

 どういうこと? の部分でレミリアは咲夜を見る。咲夜は先ず、すっと頭を下げた。

 

「申しわけありません」

「あー、うん。まぁ、あなたにはフランのお願いごとはできる限り聞くようにって言ってるから、本当はいいんだけど……これは、一緒にお菓子を作ってるの?」

「私が咲夜に頼んだのよ。自分たちで作ってみたいー、って。もちろん咲夜みたいにおいしくはできないと思うから私たちで食べちゃうし、お姉さまは咲夜が作ったちゃんとしたものを食べられるから安心して」

「え。や……そ、そうねぇ」

 

 レミリアは一瞬固まって、しかしその後、なぜかそわそわとし始めた。

 

「咲夜が作ったものもいいけど、その、フランが作ったお菓子も食べてみてもいいかも、なんて……」

「……どうせおいしくないってこき下ろしてからかうつもりでしょ。その手には乗らないわ」

「ち、違う違う! 違うからっ! 絶対そんなこと言わないわ! 悪魔の契約にだって誓う!」

「ちょっ、いきなり大声出して詰め寄ってこないでよっ……気色悪いなぁ」

「き、気色悪いって」

 

 しょぼん、と項垂れるレミリア。そのことにフランの内側に一瞬罪悪感が芽生えるものの、普段つっけんどんな態度を取ってしまっている手前、手のひらを返すこともできない。

 今ここでフランにできることと言えば一つだけだ。

 

「まぁ……お姉さまがそこまで言うんなら、ちょっとくらいならおすそ分けしてあげなくもないわ」

「ほ、ほんとっ?」

「本当よ。だからその涙目プラス上目遣いで見つめてくるのやめて。肉親にやられても一切ときめいたりとかしないから」

 

 妹に構ってもらいたい姉と、それを表面上鬱陶しくあしらいながらも完全に拒絶できないツンデレ気質な妹。割といつもの光景だ。

 

「二人とも仲がいいなぁ。私とお姉ちゃんと、どっちが仲がいいのかな?」

 

 なんてのんきに感想を漏らしたのはこいしだ。

 

「別に私たちはそこまで仲はよくないでしょ。それより、そんなこと言うってことはそっちは仲がいいの?」

「うーん、悪くはないんだけど……お姉ちゃん、私と一緒にいるといっつも私に気を遣ってくれるから。あんまりべったりだと疲れさせちゃうかなぁって、あんまり会わないようにしてるの」

 

 私はお姉ちゃんのこと大好きなんだけどねぇ、と最後に口にして、こいしは口を閉ざした。

 そのことに、同じ姉だけあってなにやら思うところがあったのか、レミリアがなにか言いたそうな顔をしていたが、なにも言わずに口を噤んでいた。レミリアはこいしの姉は当然として、こいしともろくに面識がない。言いたいことはあったけれど、あまり踏み込むべきではないと判断したのかもしれない。

 

「大事にしてくれるのね。うちの姉にも見習ってほしいものだわ」

 

 とかなんとかフランは言っているが、まぁ仲直りの際の一件でわかる通り、当然ながらポーズでしかない。本人は本気でそう思っていると思い込んでいるが、しょせん冗談の類だ。隣で聞いていたレミリアは割とガチで凹んでいたが。

 そんなこんなで休憩も終わり、調理も後半に突入。レミリアが横から見ていた以外は順調に進み、焼き上げる場面では咲夜の『時を操る程度の能力』によって早々にことが成った。

 焼き上がったフランとこいしが作ったサブレの味は、よくも悪くもなく、普通と言ったところ。それでも自分で作ったそれはいつも食べているお菓子よりもどこか特別な気がして、フランとこいしは特に不満を覚えることもなかった。

 そしてレミリアはそんなフランのサブレを一番おいしそうに食べていて、というか全部食べ切る勢いで手を進めていたためにフランがジト目で見たり、「太るよ?」とか突っ込まれていたりしたのだが、これは完全な余談だ。



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念願の魔道具を身に纏うおはなし。

「霖之助さんって霊夢と魔理沙とはいつくらいからの付き合いなの?」

 

 香霖堂。先日紅魔館を訪れた菫子からサンスクリーン剤と写真を頂戴し、香霖堂で霖之助にマジックアイテム作成の依頼をして、数日後。フランは現在、作ってもらったマジックアイテムの最終調整に付き合っていた。

 いるのはフランと霖之助だけで、今日はこいしはいない。

 調整と言ってもマジックアイテムが未完成というわけではない。霖之助が作ったマジックアイテムは、ケープの体をなしている。ケープ、つまりは上着だ。赤を主体として白いラインが入ったそれは、フランの普段着ともよくマッチしている。要はそのサイズ調整だ。

 一度身に纏ってみて、少し大きかったので、今はその調整中。店内を見回りながら、フランは霖之助に雑談を投げてみた。

 

「子どもの頃からだね。あぁ、霊夢と魔理沙が子どもの頃からって意味だよ。半人半妖の僕の寿命は人間よりもはるかに長いから」

「子どもの頃の霊夢と魔理沙かぁ。さぞやわがままだったと予想してみるんだけど、どうかしら?」

「あぁ、まぁ、今とさして変わらないよ。好き勝手僕の持ち物を漁ったり、ツケでなにもかも済ませようとしたり……」

「大変だったのね」

「今も大変だよ」

 

 霖之助がついたため息には、相当な苦労が滲んでいるように感じた。

 

「僕は昔、魔理沙の実家の道具屋で修行をさせてもらっていたんだ。魔理沙とはその時からの付き合いになるかな」

「魔理沙の実家……魔理沙は魔法使いになるのが認めてもらえなくて家を出たって言ってたけど」

「あれ、珍しいな。魔理沙が自分のことを誰かに話すなんて。まぁ、そうだよ。それの間接的な原因は僕にもあってね……いや、その辺はいいか。とにかく、魔理沙は実家にいた頃から今と大して変わらなかったよ。まぁ、ご両親の前では『だわ』とか『かしら』とか女性らしい言葉遣いをしてたけど」

「え、そうなの?」

「仮にも大手の道具屋の一人娘だったから、その辺結構厳しかったんだ。今の彼女の言葉遣いはその反動でもあるんだろう。今のしゃべり方の方が魔理沙らしいけどね」

「へぇー……じゃあ、霊夢は? 霊夢とはいつ出会ったの?」

 

 魔理沙の昔話。本人は絶対に聞かせてくれないだろう。そしてそれはきっと霊夢も同じだ。

 人の秘密を盗み聞きしているようなどきどきとした心持ちで、霖之助に霊夢のことも問いかけてみる。

 

「霊夢とは、まだ先代の巫女が生きていた時代に博麗神社で会ったね。わがままだったのに変わりはないけど、当時は結構無口な性格だったんだよ、霊夢は」

「え、あの霊夢が?」

「うん。独特の価値観のせいで周りとうまく馴染めてなくてね、いつも一人だったみたいだ。だからかどうかはわからないけど、神社に行くと僕によく付き纏ってきて……その過程で霊夢は魔理沙と初めて顔を合わせたんだったかな」

「霊夢と魔理沙の出会い……」

「最初は魔理沙が突っかかって、霊夢があしらって、そこをさらに魔理沙が強引に手を引いて……って感じだったよ。僕には霊夢は終始めんどくさそうにしてたようにしか見えなかったけど、先代の巫女はそんな二人の様子を微笑ましそうに見守ってたね」

「魔理沙って結構やんちゃだったのね。や、今も結構奔放だけど」

 

 霊夢があまりしゃべらない性格だったというのは少し驚きだ。魔理沙と付き合っていくうちに口数が増えたのだろうか。

 

「でも僕も、今なら少し先代の気持ちもわかる気がするよ」

「先代の気持ち?」

「霊夢は、魔理沙と会わなかったとしてもきっと今みたいに博麗の巫女であり続けただろうけど、たぶんそれだと彼女は一人だったんじゃないかと思うんだ。今みたいに多くの人間や妖怪を引きつけたりしないんじゃないか、ってね。霊夢ならそれでもいいって言い切ってみせるだろうけど……でもやっぱり、はたから見るぶんには賑やかでいてもらいたいものだ」

「……それが、先代の気持ち?」

「実際のところはどうかわからないけど、それが僕の見解だよ。要は僕は霊夢と魔理沙を引き合わせるために先代に利用されたってことさ。そして、先代がいない今も変わらず彼女たちに付き合わされ続けている。きっと彼女たちが死ぬまで、いや、死んだって終わらない関係なんだろうな、これは」

 

 困ったものだ、と苦笑する霖之助。かなり苦労していることは本音だろうが、そこに嫌悪のような感情は窺えない。きっと、こういう関係こそを腐れ縁と呼ぶのであろう。

 

「さて、調整はこんなものか。一度、これを着て外に出てみてくれるかい? 着心地と、それからしばらく太陽に当てた後に異常がないかどうかをチェックして、それでこのマジックアイテムは完成だ」

「うん。わかった」

 

 ケープを纏い、霖之助に言われるがまま外に出る。

 店の影で一度立ち止まって、大きく深呼吸をしてから、意を決して一歩を踏み出した。

 ケープはただの上着だ。頭や、丈の届かない手先、スカートから覗く足は露出している。

 けれど、それらが灰になることはなかった。せいぜいがサウナの中にいる程度の感覚で済んでいる。これはかなり驚くべきことだ。

 

「どうだい?」

「悪くないわ。完全に無効化できてるってわけじゃないけど……反射光は全然気にならないくらいにはよくできてる」

 

 サウナほど暑いとなると、無理をしても数十分の活動が限界になってくる。だけど日差しの下でそれだけの時間を自由に動き回れる事実は、吸血鬼にとっては革新と言ってもいいような事実だ。

 

「材料を少し妥協してしまったから。僕の腕でも完全に無効化できるようには作れなかった。すまないね」

「なに言ってるのよ。これだけできればじゅうぶんだわ」

「そう言ってもらえると助かるよ。まぁでも、一応できる限りの対策は施してあるよ。そのケープ、フードがついているだろう? それをかぶれば頭は直射日光から守れるから大分楽になるはずだ」

「ん、試してみる」

 

 普段かぶっている帽子を外すと、霖之助が言っていた通り、フードで頭を覆ってみる。するとどうだろう。さきほどまでサウナのように暑苦しかった空気が室内にいるかのように和らいだのを感じた。もちろん、手先や膝の辺りは露出しているのであいかわらずちょっと暑い気がするが、それだけなら耐えられないほどではない。これなら何時間だって外にいられる。

 予想していた以上の出来に、フランの頬が嬉しさで緩んだ。正直フランは、無効化できると言っても灰にならない程度でめちゃくちゃ暑いだろうと侮っていたのだ。

 なにせ、吸血鬼という種族すべてに付き纏う絶対的な弱点の一つなのだ。いつも紅魔館でいろんな魔法の本を読み漁っているパチュリーにだって直接的に無効にする方法がわからないというほど。

 それを、霖之助は完全にとは言わないまでもちょっと暑い程度に済ませるマジックアイテムを作ってみせた。それだけで彼のマジックアイテムの製作技術が相当であることが窺える。霖之助ほどの腕ならば、フランに作ってくれたケープだけでなく、きっと山一つ吹き飛ばすくらいのマジックアイテムなら簡単に作れるに違いない。

 

「霖之助さんってすごいのね。見直したわ」

「気に入ってもらえたようでなによりだ。ただ、その代わりと言ってはなんだが一つお願いがあるんだけど……いいかな」

「お願い? これだけすごい魔道具を作ってもらったんだもの。ちょっとしたお遣いとか雑用くらいなら別に構わないわよ」

「いや、そういうんじゃないよ。僕がしたいのは、いわば口止めだ。そのマジックアイテムを僕が作ったことを他の吸血鬼には知らせないでほしい。それが僕の願いだ」

 

 他の吸血鬼。フランが知っているのはレミリアだけだが、彼女だけではなく吸血鬼という種族を表現に用いた以上、これから出会うかもしれないすべての同種族に適用される約束であることに疑いはない。

 霊夢や魔理沙、菫子なんかは手がかり探しや材料集めに関わったので、霖之助がフランのためにマジックアイテムを作ったことを知っている。しかしパチュリーやレミリアにはこのことはまだ話していない。口止めはまだじゅうぶん間に合う範囲だ。

 

「それくらいなら別にいいけど、どうして? このマジックアイテムは相当便利だし、売り出せば日光が苦手な種族の人たちならこぞって買ってくれると思うわよ?」

「それが嫌なんだよ。幻想郷のパワーバランスを崩しかねないし、なにより僕の本業は古道具屋であって魔道具製作じゃない。今回は特別だ。君が魔理沙の紹介だということと、僕が見た限り、君は幻想郷をどうこうするようなつもりは一切ないように見えた。だから特別に作ってあげたんだ」

 

 いや、私一応幻想郷を超本気で支配しようとする妹同盟の一員なんだけど。なんてフランは思ったが、そんなこと言える空気ではなかったのでお口をチャック。

 それに、超本気であって本気ではないので大した問題にはならないだろう。仮によしんばあるいは支配者になったとしても、そんな地位をほったらかしにして遊び呆けるこいしとフランの姿が目に浮かぶ。

 

「サンスクリーン剤が欲しかっただけじゃなかったのね」

「いや、欲しかったよ。僕は外の世界の道具ならなんでも見てみたいからね。とにかくそういうわけで口止めをお願いしたいんだが、いいかな」

「もちろん。霖之助さんが作ってくれたことを知ってる人たちにも話を通して、そうね。その辺の野良神さまが作ってくれたということにでもしておこうかしら」

「野良神さまって……まぁ、僕が作ったことがばれないならなんでもいいが」

 

 空を見上げれば、爛々と輝きを放つ太陽の勇姿が目に映る。直射日光が目に当たっているせいで、ものすごく、それこそお湯の中で目を開けているかのように熱さを感じているが、然りと日の光を直視することができた。

 普通なら光を浴びたそばから灰になってしまうから、視界なんて即座に封じられてしまう。太陽を見つめることができた吸血鬼は、もしや自分が初なのではないか? そう思うと、なんだか言いようのない小さな優越感が心を満たす。

 他の吸血鬼に、それこそ姉であるレミリアも見たことがないだろう、晴天の景色。青い空、白い雲、そして輝く太陽。人間にとってはありふれた陳腐なものかもしれない。だけどフランにとってはこの上なく珍しく、新鮮味があるものだった。

 フランにつられたように霖之助も空を見上げては、わずかに頬を緩める。引きこもりの店主でも、雨の日よりは晴れている日の方が好きのようだ。

 

「それにしても……もうすぐ夏も終わりか。夏だと店内が暑苦しいから僕としては助かるけど」

「今年の夏はかなり長かった気がするわねぇ。こいしと会ったのは初夏のはずなのに、もっとずっと昔に会ったような気さえするわ」

「ふむ、かなり仲がよかったように見えたけれど、まだ数か月程度の付き合いだったのか。それはまた、相当相性がよかったんだろうね。僕には友達と呼べるような人はいないから、少し羨まし……くもないな。やっぱり一人の方が落ちつく」

 

 小さくため息をついた霖之助が想像したのは、おそらく付き合いが長いだろう霊夢や魔理沙たちだ。彼女たちがもしも霖之助と同年代だったとしても、厄介事ばかり持ち込んでくるのが目に見えている。それでは今と大して変わらない。

 フランもかつては一人の方が好きだった。いや、今も嫌いというわけではない。そうではないけれど、こいしと一緒にいろんなところに足を運んだり、一緒に授業を受けたり、のんびりしたり。そういう時間もなかなかいいものだと思えてきている。

 

「そういえば、近々里で夏祭りがあるって耳に挟んだけれど、君は参加するつもりなのかい?」

 

 少し外で太陽に当ててみている際の世間話として霖之助が選んだだろう話題に、フランはこてんと首を傾げた。

 

「夏祭り?」

「ああ。魔理沙は知らないが、霊夢は屋台を出すってずいぶん張り切ってたね。彼女の本業は巫女のはずなんだが……」

「それ、霖之助さんは行かないの?」

「あいにく、僕は人ごみが少し苦手なものでね。花見なんかも大勢でするよりも一人でする方が好きだったりする」

「ま、わからないでもないわね」

 

 夏祭り。一人でなら絶対に行かないところだけど、こいしと一緒に出歩くことを考えると、途端に面白そうに思えてくるから不思議だ。

 この時点でフランの中にはもう行かないという選択肢はなかった。一応こいしにも確認するが、彼女ならまず間違いなくオーケーの返事をしてくれる。

 夏の終わりがけの祭りごと。こいしと一緒に謳歌するそれは、きっと他のどんな遊びよりも楽しいものに違いない。

 

「ねぇねぇ霖之助さん、夏祭りっていったいどんなことをやるの? 私箱入りだったからその辺詳しくなくて」

「そう特別なことはやらないよ。里をいつもより少し豪華に飾り付けしたり、屋台を出したり、能楽みたいな出し物をやったり踊りをしたりってところさ。いつもなら収穫祭みたいな面も兼ねてるんだけど、今回はただのどんちゃん騒ぎって感じらしいね」

「へえっ。それでそれで?」

「それでって言われても……あとは行ってからのお楽しみにでもしたらどうだい?」

「えー、今すぐ知りたい」

「さっきも言ったけど一人でいることの方が好きだから、僕はそういうことはあんまり詳しくないんだ。悪いね。そんなに知りたいなら他の人に聞いてみてくれ」

「むぅ……」

 

 不満げに口を尖らせるフランだったが、知らない相手にいくら駄々をこねたって意味はない。フランも早々に諦めた。

 

「さて、そろそろいいだろう。もう中には入ろう。一回ケープを脱いでくれるかい? 最後に点検をして、大丈夫そうならそれで依頼は完了だ」

「はーい」

 

 霖之助に誘われるがまま香霖堂の中に入る。

 結局、マジックアイテムには特に不具合もなく、そのままフランに譲渡された。行く時には使っていた日傘も帰りでは必要なく、ぞんぶんに太陽の下を飛び回って帰ることができた。

 もしもレミリアがこれの存在を知れば喉から手が出るほど欲しがるだろうが、霖之助の約束を違えるつもりはない。姉にはせいぜいこれでもかというほど羨ましがってもらうとしよう。

 霊夢と魔理沙の昔話を聞けたことと、マジックアイテムの完成、今後にあるという夏祭りのこと。いろいろなことが重なって、その日一日、フランは上機嫌で過ごすことができたのだった。



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お祭り輪投げ金魚すくいのおはなし。

 夜闇を照らす、きらびやかな火の光。行灯の内側に潜む、自然的ながら人の手のうちにあるそれは、闇に潜む妖怪にとっては元来忌むべきものなのだが、今日という日に限ってはその限りではない。

 普段ならひっそりと、まるで誰もいないかのように静かで暗い人間の里は、今日だけは正反対の様相を成していた。星と火の光によってもたらされた明かりは太陽のそれに劣っているはずなのに、人の熱気による雰囲気の明るさという一点で言えば群を抜いている。

 人が放つ光も、集まれば時に神に劣らぬものになるということの証明なのかもしれない。

 

「す、すごい賑やかね、今日……」

 

 霖之助に聞いた祭りの日。こいしとともに人里に訪れたフランだったが、初めてこいしと里を訪れた際の物静かな感じとはかけ離れたごった返し具合に、ほんのちょっと気後れして後ずさる。

 つい数ヶ月前まではずっと地下に引きこもって、姉のレミリアが開いたパーティーにも参加したことがなかったから、人が多い場所はあまり慣れていない。

 反面、こいしはこれくらい慣れっこのようだ。彼女は無意識の妖怪。それはいわば、風に流される木の葉のような存在だ。風が強ければ強いほど、木の葉も高く舞い上がる。

 

「わぁー、これならいっぱい楽しめそうね」

 

 こいしは目をきらきらと輝かせてあちこちに視線を巡らせる。最初に人里に来た時は少しはしゃいでいたフランにこいしが連れられる形だったが、今回は逆にフランがこいしに連れ回される役になりそうだ。

 なにか面白いものでも見つけたのか、ふらふらと歩き始めたこいしの手を、フランは慌てて握った。普段の人里ならいざ知らず、今日の人里は一人では迷子になってしまいそうだった。一度こいしと離れてしまえば、空から彼女を探したってすぐに見つけることはできないだろう。

 人里に来ているために、フランは今日も今日とて変化の術を行使している。こいしはそんなもの使っていないが、そもそも妖怪としての特性的に他の人間から注目されることはまずないので問題はない。

 こいしが初めに目をつけたのは輪投げだった。今日に限って親と同伴でならば夜に出歩くことを許されている人間の子どもの後ろに二人して並んで、いざ順番が来たら、お金を渡して輪っかを店主から受け取る。

 少々意外だったのはこいしがきちんと人間のお金を持っていたことだ。フランは咲夜から事前にお小遣いとしてもらっていたが、こいしはたぶん、以前言っていた姉からもらったのだろう。

 

「フランフラン、どっちが多く入れられるか勝負しようよ」

「勝負? ふふん、部屋の中でできるような遊びで私に挑んでくるなんて命知らずね。こちとら五〇〇年近く引きこもってきたのよ。ひたすら暇だったから一人でできるような遊びなら一通り極めたし、輪っか投げくらい狙ったところに全部入れられるわ」

「自信満々だねぇ。でも負けない!」

 

 とかなんとか言い合って始まる輪投げ勝負。鬼ごっこのような、これくらいの小競り合いなら日常茶飯事だ。

 闘志を燃やし、それぞれ五つずつ投げて、狙った位置に入った回数はこいしが五回、フランが一回。

 終わった後、店主から景品をもらってからフランをじっと見つめるこいしと、さっと目をそらすフラン。

 

「……一通り極めたんじゃなかったの?」

「……輪投げをやったとは言ってない」

 

 そもそもフランは細かい力加減が苦手なので、熱中し始めるとすぐにその道具を壊してしまう。今はこいしを傷つけまいと意識するようになって大分マシになったが、かつてのフランはそういうことに無頓着だった。輪投げなんか極められるはずもない。

 無駄に自信満々だったのは、あれだ。見た目簡単そうに見えたからだ。これくらい余裕ね、とか内心めっちゃ侮ってた。でも実際やってみたら普通に全然できなかった。ただそれだけの話。

 あいかわらずじーっと見られ続けて恥ずかしくなってきたフランは、ごほんと咳払いをして「早く次行くわよ、次!」とこいしの手を引いた。

 

「……うん? こいし、あれはなに?」

「あれ? あー、あれは金魚すくいね」

「金魚すくい? どういう遊びなの?」

「輪っかに紙が張られたちっちゃい道具があるでしょ? ポイって言うんだけど、それで水の中の金魚をすくって小鉢に入れる遊びのことよ」

「ふーん……」

 

 こいしの説明を聞く限りではそう難しそうに思えなかったが、横から覗き込んで観察してみたところ、どうやら相当難易度は高かったらしい。一分近く見続けて、小鉢に金魚を入れることができたのは大人が数人程度。子どもはまず成功していない。張った紙がすぐに破けてしまうのだ。

 

「……やらないの?」

「やるわよ。どんな感じなのかちょっと見てただけ。これ、こいしはやったことあるの?」

「うん。私これ苦手なんだよねぇ。ばしゃんっ! って思いっきり水につかせちゃってすぐ破けちゃうの。でも、お姉ちゃんはこういうの得意だったなぁ……」

「へぇ、苦手なのね」

 

 にやり、と口の端をつり上げるフラン。はたから見てもなにを考えているのか手に取るようにわかる。

 

「じゃあ勝負しましょうか。いっぱい金魚をすくえた方の勝ちよ!」

「おお、またやる気だね。でも負けないよ!」

 

 再び始まる勝負。さきほどは五つすべてを入れられるという完敗を突きつけられたフランだったが、こいしが苦手なこれならば勝てる可能性もあるはず――。

 そんな打算込みで金魚すくいに挑んで、早ニ分。

 

「あっ。もうっ、なにこれ! ちょっと金魚が乗っただけで破けちゃうじゃない!」

「あはは、私も最初は全然できなくて放り出しちゃったなぁ。懐かしいわ」

 

 フランはもうポイの紙を何度張り替えたかわからない。一方、こいしは何度か失敗をしてはいるものの、すでに二匹ほど金魚の捕獲に成功している。

 むぐぐ、と恨めしげなフランの視線にも、こいしは飄々としていた。

 

「ふてくされてる私にね、昔お姉ちゃんがやり方を教えてくれたんだ。水面でぼーっとしてる金魚さんに狙いを定めて、横から水平に、しゃっ! って。お姉ちゃんと違って数回に一回くらいしかできなかったけど、やっぱりできると本当に嬉しかったなぁ」

「……苦手なんじゃなかったの?」

「うん、苦手。お姉ちゃんと比べたらね。お姉ちゃんだったら一回で確定五匹はかたいし。最高で七匹だったかな?」

「それ、人間技じゃないわよ」

「まぁ人間じゃないし」

 

 とか話しながら、こいしはさらにもう一匹すくい上げることに成功する。フランはまだ全然だ。

 またポイが破けたために貼り直してもらって、もう一度挑戦して、やっぱりできなくて。

 そうして『もういいや』とふてくされてきたところで、おろしかけたフランの手をこいしが横から支えた。

 

「こいし?」

「ほら、こうやって……」

 

 フランの後ろに覆いかぶさるような形になりながら、フランの手の上から自分の手を重ね、こいしがポイを動かす。

 

「端っこだけ紙をつかせちゃうとそこだけ破けやすくなっちゃうから、入れるなら一気にね。それで、ちょうど水面でぼーっとしてる金魚さんに狙いを定めて……せーの、はい!」

「あっ」

 

 水だけが満たされていたフランの小鉢に、初めて金魚が投入された。

 それに目をぱちぱちと瞬かせるフランと、小さくはしゃいでいるこいし。

 

「やったわ、まさか一回で成功するなんて」

「……よくこんな簡単にできるわね」

「簡単じゃないよ。お姉ちゃんに教えてもらってから私も結構挑戦したし。ほら、フランももう一回やってみようよ。また無理そうだって思ったらまた私が手伝ってあげるから」

「……わかったわよ」

 

 こいしに促されるがまま、ポイを手に再び水槽に向き直る。

 さきほどまでは成功するビジョンがまったく浮かばなかったが、今は違う。こいしが一度フランの手を動かして金魚を取ってくれたおかげで、ほんのちょっとだけ成功の感覚がフランの手に染みついている。

 狙うのは水面の近くでゆっくりと泳いでいる金魚だ。

 こいしのアドバイスを思い出しながら、今度は自らの意思でポイを動かし、金魚にポイの紙の部分を当てる。

 

「で、できた?」

 

 不安の声を上げるフランの小鉢の中では、二匹の金魚が悠々と泳いでいた。

 初めは実感が沸かなかったが、段々と興奮が内側から湧き上がってくる。諦めかけていたことほど、成功した時の嬉しさはかけがえがない。

 知らず知らず口元が緩んでしまうフランの横で、こいしもまたそんなフランを盗み見て、どことなく嬉しそうにしていた。

 

「ね? 楽しいでしょ?」

「ん……そうね。悪くない、かも」

 

 その後も金魚すくいを続けたが、フランが成功したのはもう一回だけ。最終的には、こいしがフランの手を使ってすくったものも入れてフランが三匹、こいしが九匹。

 

「ふふん、また私の勝ちー」

「ふん。まぁ、今回は譲ってあげるわ。次は私が勝つけど」

 

 もしもこいしがいなければ途中で諦めてやめていただろうだけに、今回ばかりはおとなしく勝利を譲る。それに、なんだかんだ金魚すくいが楽しかったからか、負けたというのに気分もそう悪くない。

 その後もいろんな屋台を巡り続けた。遊びだけでなく、能楽というものを見たり食べ物を買ったり、変なお面を買ってみたり。

 いつもはフランとこいしの二人きりだったりすることが多いが、もしかすればこいしはこういう賑やかなところの方が好きなのかもしれない。よく一緒にいるフランの目には、彼女がいつもより楽しそうに見えた。

 だからと言ってフランと一緒にいることがつまらなそうというわけではない。むしろ「こっちこっち!」とフランの手をよく引いてきたりしてくることから、一人ではなく二人一緒だからこそ、より楽しめるのだという彼女の心がその言動から伝わってくるようだった。

 もう里に来てから一時間は経っただろうか。まだまだ祭りは終わらないが、そろそろ少し疲れてくるところだ。

 屋台で軽い夕食代わりのものを買うと、フランとこいしは近くの長椅子で並んで座って休憩をすることにした。

 

「――それでね、お姉ちゃんってばほっぺに飴の赤い跡をつけちゃってて。最初は言おうと思ったんだけど、いつもはしっかり者って感じだからおっちょこちょいっぽいところが新鮮で、なんとなく黙ってたのよ。でもそんな私の変化にも目ざとく気づいて自分で拭いちゃって……あの時私が舐めて取ってあげたらお姉ちゃんどんな反応したかなぁ、って今も後悔してるんだよねぇ」

「それは姉妹として距離が近すぎると思うけど……なんか、今日はお姉さんの話が多いわね。こいしのお姉さんってこいしみたいにそんな活動的ってわけじゃないんでしょ?」

 

 これまでもこいしの口から彼女の姉についてそれなりに聞いたことがあったので、大体の人物像はフランの中に出来上がっている。そしてそれはどちらかと言うとこいしとは真反対で大人しげなイメージだ。

 

「うん。いつもは家の中で本を読んだり書いたりとか、滅多に外には出ないわ」

「その割に金魚すくいとかいろんな遊びを一緒にやってるみたいね」

「あはは。まぁ、そうだねぇ……昔の私は、今みたいに外でいっぱい遊ぶのが好きってわけじゃなかったから。お姉ちゃんはそんな私をいっつも心配してくれててね。私がやりたいって言ったこと、思ってたこと……私のために、できるだけたくさん叶えようとしてくれたんだ」

 

 自分のことなんか全部後回しにしちゃってね。

 そう言って軽く笑ったこいしの表情は、どこか愛おしさのようなものが含まれている気がした。

 だからだろう。こいしの笑顔なんて見慣れてるはずなのに、自慢の姉を語る今日の彼女のそれはなんだかとても新鮮に映る。

 

「ふーん……仲がいいのね。私とお姉さまとは大違いだわ」

「や、別にフランとフランのお姉ちゃんは仲いいじゃん」

「よくないわよ。ちっちゃなことで喧嘩ばっかするし」

 

 あくまで「よくない」。悪い、とは絶対に言わない辺りがツンデレなのだが、フランがそれを自覚することはない。

 

「あはは、喧嘩するほど仲がいいって言うじゃない?」

「それ、いまいちよくわかんないのよね。喧嘩するんなら仲よくないんじゃないの?」

「んー、実際にそういう場合もあると思うけど、その逆でほんとは仲がいいってこともあるんじゃないかな」

「なにそれ。あてにならないことわざね」

「まぁまぁ。それで、私から見た限りじゃフランとフランのお姉ちゃんは断然後者かなー」

「あっそ」

「あれ。反応薄いなぁ」

「そりゃね。ことわざ以上に、こいしの言うことほどあてにならないこともないし」

「むっ。そう言うフランだって興味ないことにはいっつも適当なこと言うくせに」

 

 小さく言い合って、ちょっとだけ睨み合う。それから二人してくすりと笑った。

 きっとこういうやり取りが、仲のいい喧嘩とやらというものの一つなのだろう。

 

「ねぇフラン。フランはこれからは昼間も外を出歩けるようになったんだよね?」

「ええ。雨の日は無理だけど」

「んー、濡れながら遊ぶのも楽しいと言えば楽しいけど、帰った時にお姉ちゃんに怒られちゃうし、そこは気にしないよ」

「ならいいけど。で、それがどうかしたの?」

「んーんー、別にー。ただ、これからはフランともっと自由にお外で遊べるんだなぁって思ったら、なんだか嬉しくなってきちゃって」

「それは、私もおんなじよ。元々そのために日光を防げる道具が欲しかったんだもの」

「うむ、苦しゅうない」

「なんでそんな偉そうなのよ」

 

 呆れ混じりにフランが突っ込めば、こいしはまた声を上げて笑った。

 そんなこいしの横顔をため息混じりに眺めながら、フランはふと思う。

 自分がどこかこいしに惹かれているのは、これが原因なのかもしれないと。

 この五〇〇年近くの間、フランの隣に立ってくれる相手なんかいなかった。レミリアはいつだって姉の立場としてフランに接するし、咲夜はメイドなので一歩引いた立ち位置で丁寧な対応を心がけている。パチュリーはパチュリーで「妹さま」とお嬢さま扱いが基本だ。美鈴とはそもそもこいしと会うまで顔を合わせたこともなかったが、あれも門番という立場上、フランと対等に接することはできない。それは他の数多くの妖精メイドやホブゴブリンなどの雑用係も同じだ。

 望む望まざるにかかわらず、フランはいつも一人だった。けれどそんなフランのそばで、隣で、こいしはいつだって、どんな時もどんな場所でも、楽しそうに笑ってくれる。

 友達。そう、友達だ。

 そんなもの、脆くてちっぽけで虚しく儚いものだと思っていた。だけど、今はこうも感じる。

 脆くてちっぽけだからこそ、大切にしたいと思う。虚しいかどうかは当人次第で、儚いからこそ価値がある。

 どんなものも右手で壊してしまえる力を持って生まれてきてきてしまったから、すべてが等価値にしか見えなかった。すべてが無価値にしか思えなかった。

 だけど、価値なんてものはそもそも主観によって決まるものだ。自分が他のものに対し、どう思いどう感じるのか。重要なのはそこだった。

 フランはこいしとのこの関係に価値を見出した。こいしの楽しそうな笑顔をもっと見続けていたいと願った。ただそれだけの思いが、今もなおフランをこいしの隣に立たせ続けている。

 

「よーし、休憩終わり! ほら、フランも立って立って! 次あっち、あっち行こうよ! あれなんか面白そう!」

「あ、ちょ、私まだ食べてる途中――」

「いいからいいから!」

「あーもう、まったく……」

 

 昔の自分ならばくだらないと切って捨てただろう、誰かに振り回されるこの日々を、今はかけがえがないと思える。

 だからこそ、知りたい。

 こいしのことをもっとたくさん知りたい。こいしの昔の話を、いつか聞いてみたい。

 いろんな話をして、いろんな遊びをして、いつか過去を振り返った時、「どうでもいい」とか「なんとも思わない」とか切り捨てるんじゃなく、人間みたいに懐かしんだりできるようになりたい。

 この関係を、他のどんなものよりも『壊したくない』と思えるようにしたい。

 それがフランの今の願いだ。



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