【完結】水底(ミナソコ)の呼び声 (御船アイ)
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水底(ミナソコ)の呼び声
ハジマリ


「ん……」

 

 逸見エリカは、視界に差し込む微かな光の中で目を覚ました。

 背中から伝わってくる硬い感覚に、エリカの混濁した意識は形をなしていく。

 

「ここは……」

 

 エリカは未だはっきりとしない頭を手で支えながら、ゆっくりと上半身を起こす。

 視界もぼやけ、自分が今いる場所もわからない。とりあえず手を伸ばしてみると、すぐに硬く冷たい鉄の感触がした。

 その感触はエリカがよく慣れ親しんだ感触だった。だんだんと視界もはっきりしてくる。そして、すぐさまエリカは自分がどこにいるかを把握した。

 戦車の中だ。しかも、自分が常日頃から車長として搭乗している、Ⅲ号戦車の中だ。

 エリカが最初に目にした光は、キューポラから入り込んだ外の光だった。

 

「……私、どうしてこんなところで」

 

 エリカはなぜ自分がこんなところで寝ていたのか、それを思い出そうとまだ上手く働いていない頭を無理やり動かす。

 

「えっと……確か、全国大会の決勝があって、それで……そうだ! プラウダ戦! プラウダ戦はどうなったの!?」

 

 エリカは急に立ち上がろうとして戦車の中で頭をぶつける。

 

「いっっ……!!」

 

 エリカは半泣きになり頭を両手でさすりながらも、光がさすキューポラの方へと目を向ける。確か、決勝の日は今にも雨が降り出しそうな曇りだったはず。それなのに、この明るさは一体どういうことだろうか?

 それに、他の搭乗員は一体どこに? エリカはなぜ自分一人がそこで寝ていたのか、ますます分からなくなった。

 エリカはともかく状況を確認するために、痛みが引くのを待ってから、キューポラから体を出した。

 外に出てみると、そこにはエリカのよく見知った光景が広がっていた。薄暗く狭い空間を照らす照明、何台も綺麗に並ぶ戦車、粗雑に置かれた様々な資材。

 そこは、黒森峰学園艦における、戦車格納庫だった。

 

「なんで……」

 

 エリカは状況がまったく飲めないまま、とにかく戦車から出ようと身を乗り出す。

 若干フラつきはあったものの戦車から出たエリカは、そのまま格納庫の中を歩いて周囲の様子を確認する。

 格納庫の中は、特に変わった様子はない。

 せいぜい、格納庫の清掃をしているらしい、エリカと同じ機甲科の一年生が何人かいる程度だ。その中には、エリカの見知った顔もいる。

 エリカはちょうどいいと思い、その一年生達に話しかけてみることにした。

 

「ねぇちょっとあなたたち、少しいいかしら?」

「…………」

 

 しかし、その一年生達はまったくエリカに返事を返そうとはしなかった。それどころか、エリカの方を見ようともしない。

 あからさまな無視である。エリカは当然機嫌が悪くなり、声を荒らげる。

 

「ちょっと! 聞こえてるんでしょ!? ねぇ!」

 

 エリカが声に怒りを込めて言うも、やはり彼女達は反応しなかった。

 一年生達は、エリカに一切見向きもせず、一箇所に集まり始める。

 

「ふぅ、それじゃあこれぐらいでいいかな」

「そうだねー、じゃ、今日はこれで解散てことで」

「はーい、それじゃあねー」

 

 一年生達はそのままその場から離れていった。エリカは唖然としてその光景を眺めていることしかできなかった。

 そして、誰もいなくなった格納庫で、やっと我に帰った。

 

「……っ! 何なのよ!? あの態度!? 私が何かしたって言うの!?」

 

 エリカはその場で何度も地団駄を踏む。意味のない行為だとは分かっていても、せずにはいられなかった。

 エリカが足を地面に叩きつける音だけが格納庫に響き渡る。タンタン、タンタン、と。

 そうして何回か格納庫に音を響かせたあと、エリカは肩を大きく落とし「はぁ……」とため息をついた。

 

「……ここで癇癪を起こしててもしょうがないわね。今日はもう帰りましょう」

 

 エリカは未だ不機嫌な気持ちを腹の中で煮え滾らせつつも、裏口から外へと出た。

 外は、もう日が沈みかけ、空の色は赤から黒へと変わりつつあった。

 エリカは帰るために自分の荷物の置いてあるロッカールームへと行く。ロッカールームには誰も折らず、他の生徒はすでに帰ってしまっていることが分かった。

 暗くなっていた部屋の電気をつけ、自分のロッカーを開くエリカ。

 

「……あれ?」

 

 だが、おかしなことにロッカーには何も入っていなかった。空っぽである。

 間違いかと思い、再度ロッカーの位置を確かめる。確かにそこは、エリカのロッカーだった。

 

「私、何も持たずにあそこにいたっていうの?」

 

 謎はさらに深まる。

 自分は一体、荷物も持たずになぜ学校の格納庫にいたというのであろうか。

 エリカは再度頭を働かせてみることにした。

 一体自分がなぜ、あんなところにいたのか。大会はどうなったのか。

 目を瞑り、なんとか思い出そうとする。しかし、一切思い出せない。それどころか――

 

「――っ!」

 

 エリカの脳内に一瞬、おかしなイメージがよぎった。

 真っ暗な視界に、何の音かよく分からない轟音。

 イメージは本当にわずかの間だけであったため、それがなんであったかも分からない。

 ただ、それを見た瞬間、頭に鋭い痛みが走った。

 エリカは頭を片手で抱えながらロッカーを閉めると、足早にその場から立ち去った。

 一体さっきのはなんだったのだろうか?

 分からない、分からないが、あまりいい印象は受けなかった。

 なのでエリカはそのイメージを振り払うように、ロッカールームから出て自分の寮に帰ることにした。

 暗い歩道を一人歩き、寮へと向かっていくエリカ。その道のりにはもう殆ど人はおらず、たまに人影がいたとしても皆すれ違っていくのみ。

 やがて、学校からはさほど遠くない位置にある寮へと辿り着く。寮と言っても、普通のアパートと何ら変わりない。ただ住んでいるのが全員学生であるというだけである。エリカは階段を登り、自分の部屋を目指す。

 そして、自分の部屋の前に辿り着き、ドアノブに手を掛けたときだった。

 

「……っとそうだ、鍵、鍵っと」

 

 エリカは部屋の鍵を出すためにポケットをまさぐる。だが、おかしなことにポケットに入れた手は一向に何にもあたらない。

 他のポケットに入れたのかと思い服に付いているポケットすべてに手を入れてみるが結果は同じだった。

 もしかして鍵をかけ忘れてそのままなのでは? とも思いドアノブを回してみたが、案の定扉は開かなかった。

 

「参ったわね……」

 

 部屋に入れないのではどうすることもできない。エリカはどうしようもない状況に再びため息をついた。

 

「しょうがない、管理人さんに合鍵で開けてもらいましょう」

 

 そう思い立つと、エリカは階段を降り管理人のいる部屋へと向かった。

 管理人のいる部屋は寮の一階にあった。エリカはその部屋の扉の前まで行くと、インターホンを鳴らす。

 するとしばらくして、ドタドタという音とともに扉が開かれ、寮の管理人が顔を覗かせた。

 

「あっ、すいません。実は部屋の鍵をなくしてしまったようで……」

「…………」

 

 が、そこでもおかしなことが起こった。

 寮の管理人は、扉を開いたあと、正面にエリカがいるというのにまるで誰もいないかのように左右を確認し、そのまま扉を閉めてしまったのである。

 

「……えっ?」

 

 エリカは最初、何がなんだか分からなかった。

 そして、すぐさま寮の管理人が、まるで自分を認識していないかのような反応をとったことに気がついた。

 

「……は? どういうこと?」

 

 エリカは信じられずに、もう一度インターホンを押した。

 今度は特に間を置かずに、扉が開かれた。

 

「あの、さっきのってどういう――」

「……なんなんだ、一体」

 

 しかしまたしても、エリカはまったく相手にされずに扉が開かれた。しかも、まるで悪戯に悩まされているような小言まで残されて。

 エリカは扉の前で立ち尽くした。先程の一年生達だけではなく、ちゃんとした大人であり、学生を見守る立場である寮の管理人からも同じような態度を取られた。これは明らかに異常なことである。

 エリカはもしやと思い、近くを歩いていた人に――と言っても、やはりそれほど人影はないのだが――手当たり次第に声を掛けてみることにした。

 

「あのっ、すいません!」

「…………」

「すいません! 少しいいですか!?」

「…………」

 

 だが、結果はどれも同じ。誰もが、エリカにまったく反応を示さなかった。

 エリカがどれだけ大きな声を上げても、目の前で大きく体を動かしても、それは変わらなかった。

 

「なんなのよ、なんなのよ一体!」

 

 エリカはまったく分けが分からず、その場に膝を落した。

 ただ一つ分かるのは、何故か町ぐるみでエリカが他人から認識されていない状況ということだけだった。

 何故そんなことになっているのか、一切見当はつかなかったが、そう考えなければ説明がつかなかった。

 現に、今エリカの近くを通りかかっている人も、エリカに一切目をくれようとはせず、ただ避けて通るのみ。

 エリカは混乱しながらも、とりあえずその場から立ち上がって歩き始めた。どこか行き先があったわけではない。しかし、その突然襲いかかってきた理不尽な事態と、家に帰れないという現実から、無意識的にエリカの体は町を漂った。

 どれほど歩いただろうか。日はすっかり沈み、月が空の頂点にまで登ろうとしていた。

 エリカは、いつの間にか黒森峰の格納庫の前に戻ってきていた。

 別に意図してやってきたわけではない。本当に、知らないうちにその前に立っていたのだ。

 ――そうだ、Ⅲ号戦車の中に戻ろう。

 エリカはふとそう思った。他に行く場所もなく、誰かを頼ることもできない。いや、誰を頼っていいのかわからないと言ったほうが正しい。

 そんなエリカにとって、行き先なんて何処にもなかった。ならば、最初に気がついた場所にいよう。何故だか、そう思えた。

 エリカは勝手口から格納庫の中へと入る。何故か、勝手口は施錠されていなかった。

 そして、格納庫の一番隅に置かれている、エリカが目覚めたⅢ号戦車まで行くと、素早くよじ登り、中へと入り、狭く硬い戦車内の中で横になった。

 せめて、今までのことが悪い夢であるようにと願いながら、エリカは瞳を閉じた。

 

 

 真っ暗な視界のなか、何人もの叫び声が聞こえる。一体誰が、何を言っているかは分からない。だが、誰もがその声に不安や怯えの色が浮かんでいることは確かだった。

 視界がぼんやりとだが少しだけ明るくなる。どうやら、戦車の中にいるようだった。

 その狭い戦車の中で、エリカの周囲にいる朧げな人影が慌てふためいた動きをしている。

 エリカもまた、声を上げる。しかし、エリカ自身にも自分が何を言っているのか分からない。

 だが、エリカもまた、焦燥感に襲われ、それを隠すように声を上げているのだけは分かった。

 エリカは明滅する視界の中、人影に話しかけながらも戦車の中を移動する。そして、キューポラのハッチに手をかけ――

 

「……んん」

 

 エリカは硬い戦車の中で、再び目を覚ました。

 どうやら夢を見ていたらしい。しかし、その夢が一体どんな意味を持っているのか、起きたエリカには把握することができなかった。

 ただ、とても嫌な感じがする夢であったことだけは確かだった。それは、昨日脳裏によぎった感覚と同じだった。

 できれば、もう二度と見たくない、そんな夢だった。

 どうしてこんな夢を見たのか。やはり、戦車の中で寝たのが不味かったのか、そんなことを少し考えると、エリカは「……馬鹿らしい」と一言漏らしてかぶりを振った。

 

「所詮、夢は夢じゃない。そんなことよりも、今はそれ以上に訳の分からないことが起きているって言うのに」

 

 いや、もしかしたらそれこそが夢なのかもしれない。そうだ、いくらなんでも突然自分が他人から見えなくなるなんてあるわけがない。

 エリカはそうして昨日の出来事を必死に夢だと否定すると、戦車の外へと出た。それが、自分の楽観的な考えでないことを証明するためにだ。

 すると、エリカがいるⅢ号戦車に近寄ってくる人影が見えた。エリカは目を凝らしてその人影が誰かを確かめる。その人影はパンツァージャケットを着ていたため、エリカと同じ戦車隊の隊員であることが分かった。そして、その人影が十分に近づいたときに、その人影の正体が分かった。

 

「……隊長?」

 

 近づいてきていたのは、黒森峰戦車隊の隊長、西住まほだった。まほは、いつも通り感情が見えない厳しい表情を浮かべていた。

 まほはⅢ号戦車の前で立ち止まる。エリカは、急いで戦車から降り、まほに話しかけた。

 

「隊長! 私の事、分かりますよね!? 隊長!」

「…………」

 

 しかし、まほは一切反応を示さなかった。その姿に、エリカは昨日の出来事がやはり夢ではないことを思い知らされる。

 

「そんな……」

「…………」

 

 まほはただ黙って、すぐそばにいるエリカではなく、Ⅲ号戦車を見つめていた。しばらくの間その場にまほは立ち尽くした。エリカには、その意図がなんなのか一切読めなかった。

 しかし、まほは突然瞳を閉じ、かすかにだが辛そうに顔を歪めて、ぽつりと言葉を零した。

 

「……すまない」

「えっ……? 隊長、今の言葉って……」

 

 突然の言葉にエリカは困惑する。まほはそれだけ言うと、踵を返し格納庫の外へと出て行こうとする。

「ちょっと待って下さい! もしかして、私のこと見えてるんじゃないですか!? 隊長!」

 エリカは慌ててまほの手を掴もうとする。しかし、思った以上にまほの足取りが早く、伸ばした手は空を切った。

 そしてそのまま、まほは格納庫の外へと出て行く。エリカもその後姿に着いていくと、外には他の黒森峰の隊員達が整列していた。

 

「ああ、そうか。もう朝練の時間なのね……」

 

 並ぶ隊員達とその前に出て行くまほの姿を見ながら、エリカは呟いた。

 訓練された通りに整列している隊員達は、当然のようにエリカの方を向こうとしない。エリカがいたずらに前に出ても、それは変わらなかった。

 エリカは落胆しながら隊員達を見る。皆、いつもと変わらない。いつも通りの姿だった。

 だがそこで、エリカはいつもとは違う点を一つだけ見つけた。

 副隊長でありまほの妹である、西住みほの姿が見当たらないのだ。普段は副隊長として少し頼りないながらも訓練には必ず出ていた彼女の姿がなかったのだ。

 エリカは当然疑問に思った。なぜみほがいないのだろうか。

 その疑問に答えるように、まほが隊員達に向かって口を開いた。

 

「それでは今日の早朝訓練を始める。なお、副隊長の西住みほは今日も欠席するとの連絡があった」

「欠席……?」

 

 エリカは驚いた。まさか本当にみほが欠席していたとは。しかも、『今日も』とまほは言った。それは、ここ最近ずっと休んでいるということである。

 それは、みほの異常とともに、エリカが目覚めるまでに思った以上に日数が経っているということの証でもあった。

 

「それでは総員、搭乗!」

 

 まほはみほが欠席した理由を言わずに訓練の開始を告げた。誰もみほの欠席について何も言わないあたり、その理由について触れてはいけない理由があるのか、それとも周知の事実であるのか……どちらにせよ、みほもまたなんらかの事情があるのは確かだった。

 そして、エリカの存在について何も言及されないことも、また事実であった。

 エリカはそれからしばらく遠くから訓練を眺めていた。訓練はみほとエリカがいないことを除けば、常日頃行われているものと変わらなかった。

 ただ、エリカが目を覚ましたⅢ号戦車はなぜか誰も搭乗しなかった。

 エリカが大会のとき一緒に搭乗したいた、赤星小梅を中心とする搭乗員がいないわけではない。しかし、彼女らは別の戦車に乗っていた。それがまた、エリカにとって疑問であった。

 まるで、あのⅢ号戦車を避けているかのようだった。

 エリカが様々な謎に頭を悩ませている一方で、何も問題がなかったかのように訓練は終わった。

 ぞろぞろと戦車を片付け、自らの教室へと向かっていく隊員達。

 エリカは、自分と同じクラスの隊員を見つけると、その後ろについて行った。

 クラスで自分がどうなっているか、確かめたかったからである。少なくとも、目の前の隊員には認識されていないようだった。

 学校へと戻る隊員達の群れに混ざり、校舎の中へと入っていく。そこでエリカは、一つ困った事態に遭遇した。

 なぜか、エリカの上履きがなかったのである。

 そこは確かにエリカの下駄箱であることは間違いなかった。

 しかし、その中には靴は入っていなかった。昨日のロッカーと同じである。

 エリカは仕方なく、靴をその中に入れると、靴下のまま学校に入った。来客用のスリッパを借りようとも思ったが、認識されていない状況では借りることもできないだろうと思った。

 エリカは階段を上り自分の教室を目指す。そこで幾人もの生徒とすれ違ったが、誰もエリカを視界に入れることはなかった。

 それ自身は何もおかしいことではない。特に親しいわけでもない他の生徒に気を配る生徒がいるはずもない。

 だが、今のエリカにはそれすら無視されているようで心地悪かった。

 そうしてペタペタと廊下を進んでいき、自らの教室にたどり着く。そして、既に開いている扉から教室に入り、教室の中でそれぞれ友達と話している生徒達に向かってあえて大声で挨拶をしてみることにした。

 

「おはようっ!」

 

 しかし、結果は無情だった。誰もエリカの方を見ることなく談笑をしている。エリカが比較的親しい友人も、普段一緒にいるグループの中で話を続けていた。

 それどこか、エリカより後に入ってきた、明らかに声の小さい生徒が挨拶をすると、他の生徒が挨拶を返しているではないか。

 完全にエリカのことが眼中に入っていないことが証明された。

 

「はぁ……」

 

 エリカは落胆しながらも自分の席はどうなっているか見ようとした。

 そして、そこでエリカはまたもや驚くことになった。

 エリカの机自体が、なかったのである。

 エリカの机は教室の一番後ろ、窓に隣接している席だった、だから、他の席と違いなくなったことがすぐに分かる。机によって作られている四角形の角がなくなっているのだから。

 

「何よ……何なのよこれ……」

 

 エリカはずりずりと後ずさった。ロッカーに自宅、下駄箱、そして机ときてこれである。これでは認識されていないどころではない。まるで、もとより自分がこの世界にいなかったかのようではないか。

 

「ねぇ! みんなどういうことなのよ! ねぇ!? 聞こえてないの!? 私はここにいるの!? ねぇみんな!! ここにいるのよ私は!? ねぇ!!」

 

 エリカはさっき以上の大声を上げ、大げさに手を振りながら必死に自分の存在を周りに訴える。

 しかし誰もエリカの声に耳を傾ける素振りを見せることはない。

 まるで、エリカがいない日常が当然であるかのような――

 

「あ、あああああ……」

 

 エリカは顔を真っ青にして、我慢できずその場から逃げ出した。

 エリカの心中には、何故、どうしてという感情と、それ以上に恐怖が溢れていた。

 自分自身がまるで世界から拒絶されたような、そんな恐怖だった。

 エリカは玄関に戻ると乱暴に靴を取り出し、格納庫へと走っていった。何故か、あのⅢ号戦車に戻りたい、そんな気持ちになったからだ。

 エリカは格納庫に入ると、飛び込むようにⅢ号戦車の中へと入っていった。そして、その中で頭を抱えて小さく縮こまる。

 

「いやぁ……何よ、何なのよぉ……!!」

 

 エリカはかつてないほどに、ガクガクと震えていた。こんなに恐ろしいと思ったことは今までなかった。他人から無視されることが、いないものとして扱われることがこんなにも苦しいことだとは思っても見なかった。

 エリカは目に涙を溜めた。声を上げて泣きはしなかったものの、あまりの孤独感に泣くことを我慢することができなかった。

 そして、どれほど泣いていただろうか。エリカは目元を真っ赤に腫らし、瞳を曇らせながら、再び戦車の外へと出た。

 本当はずっと篭っていたかった。自分が世界から拒絶されていることをつきつけられたくなかった。

 だが、エリカは一つ思い出したことがあった。それは、みほのことである。

 みほはここ最近ずっと休んでいるのだと言う。そこに、エリカは一つの希望を見出していた。

 もしかしたら、おかしくなってしまったのは自分だけではないかもしれない。みほにも、何かあったのかもしれない。

 そうだったならば、もしかすれば、みほには自分のことを認識してもらえるかもしれない。

 自分が世界からいないものにされたわけではないと分かるかもしれない。

 そんな、本当にありえるかも分からないような、淡い希望をエリカは抱いていた。

 ただの気休めかもしれない。みほにも無視され、やはり自分はひとりぼっちなのだと教えられるのかもしれない。

 だが、孤独という水底に沈みかけているエリカは、目の前に差し出された希望という藁にすがるしかなかった。

 エリカは恐る恐る格納庫から出る。外は日が沈み、紫の空にうっすらと月が現れ始めていた。

 エリカはみほのいる寮――自分がいたのと同じ寮へと向かった。

 寮への道のりは帰宅する生徒達で溢れていた。その中を、エリカはかいくぐりながら進んでいく。

 集団の中で走るエリカは目立つはずだが、やはり誰の目にも止まらなかった。

 寮に着くとエリカは一直線にみほの部屋の場所へと駆け上がっていった。みほの部屋は何度か訪れた経験があったから、場所は知っていた。

 みほの部屋の前に立つと、エリカはインターホンに手をかけようとして、そこで指が止まった。

 もし昨日の管理人のような反応をされてしまったらどうしよう?

 そんな恐れが、エリカに襲いかかった。そして、しばらく逡巡した後、エリカはインターホンを押さず駄目元で扉に手を掛けてみることにした。

 これで開かなかったら、勇気を出してインターホンを押そう。そう自分を後押しするためだった。

 だが意外なことに、ドアノブは止まることなく回り、扉はいとも容易く開いたのだ。

 エリカは驚きながらも、みほの部屋へと上がっていった。部屋の中は電気が着いておらず、暗かった。もしかしてちょっとそこまで外出しているのかとも思ったが、みほはそんな不用心な人間ではないことをエリカは知っていた。

 そして部屋の奥へと行くと、そこには、頼りない月明かりに照らされた、パジャマ姿のみほの姿があった。

 みほはエリカに背を向け、ぺたんと座って怪我をしているような熊の人形と向かい合っていた。

 たしか、ボコと言っただろうか。エリカにはよくわからないが、みほの好きなキャラクターだったと記憶していた。

 背を向けているためみほがどんな表情をしているかは分からない。しかし、その背中からも非情に参っていることが伝わってきた。

 エリカはそんなみほに対して、なかなか声を出せずにいた。

 もし何も反応がなかったらどうしよう。

 そのときは、自分が本当に世界から消えてしまったと認めなければいけない。

 エリカはゴクリと生唾を飲む。そして、少しの間躊躇った後、勇気を出して、口を開いた。

 

「……み――」

「ごめんなさい、エリカさん……」

 

 しかし、その言葉はみほのとても小さな呟きによってかき消された。

 

「っ!? みほ!? あなた、私のこと、ちゃんと分かるの!?」

「ごめんなさい、ごめんなさい、ごめんなさい……」

 

 みほは人形に向かって、ただひたすらに謝り続けていた。

 エリカはやはり理解が追いつかなかった。エリカは世界から消失したわけではなかった。少なくとも、みほはエリカのことを覚えていた。

 だが、エリカに気づいているというわけでもなかった。

 では、なぜみほは謝っているのだろうか? エリカには、みほに謝られるような覚えがなかった。

 

「ごめんなさい、ごめんなさい、ごめんなさい……」

 

 みほはまるで壊れたレコーダーのように繰り返す。そんなみほの様子に、エリカは自分のことよりもみほのことが心配になった。

 

「ねぇ……大丈夫……?」

 

 そのためエリカは、恐る恐るみほの肩に手をかけようとした。そのときだった。

 ガチャリと、玄関の扉が開く音がしたのだ。

 そしてそのままドスドスと足音を鳴らし近づいてくる音がした。

 最初は暗闇でよく見えなかったが、暗がりの中目を凝らすと、その姿がはっきりと見えた。

 その人物は、まほだった。

 

「みほ、いつまでそうしているつもりだ」

 

 まほはみほに厳しい口調を飛ばした。

 その言葉に、みほはゆっくりと振り向いた。その顔は、げっそりとしており、目の下には大きな隈を作っていた。

 

「お姉ちゃん……」

「そうして一人篭っていて、現実が変わると思うのか? みほ、いい加減、学校に来たらどうだ」

「でも……でも……」

「でもじゃない。お前がいくら後悔したって、もう後の祭りなんだ。そもそも、あれはお前は一切悪くないじゃないか」

 

 まほがそう言うと、みほはびくりと肩を震わせ、悲痛な表情を浮かべながらいきなり立ち上がった。

 

「そんなことない! 私が、私があのとき助けに行っていれば……!」

「だからお前は悪くないんだ! あのときはああするのが戦術としても、西住流としても、黒森峰の隊員としても正しかったんだ!」

「違うよ!」

 

 エリカを間にまほとみほが言い合う。エリカは、一体何を言い合っているか分からなかった。

 次に、その言葉が飛び出すまでは。

 

「違うよお姉ちゃん! 私あのとき思ったもん! 助けにいかなきゃって! でもしなかった! 勝利を優先した! それが間違いだった! そのせいで……そのせいでエリカさんはっ……!」

「……え?」

 

 突然出てきた自分の名前に、エリカは困惑する。だが、それまでの数々の単語が、エリカの脳内で何かを告げていた。

 

「私が、私が……?」

 

 黒森峰として……? 西住流として……? 助けられなかった……? 誰を……? 私を……?

 

 エリカの中で、突然とある光景が瞬くようによぎっていた。

 

 轟く轟音。

 飛び交う怒声。

 狭い車内に響く悲鳴。

 開かれるキューポラ。

 そして、水流。

 

「うっ……!」

 

 エリカの頭に激痛が走る。エリカは思わず目を瞑り頭を抱えた。

 西住姉妹は相変わらず言い合っている。

 

「お前の判断は間違っていない! エリカだって、お前を責めてはいないはずだっ!」

「そんなことないよ……私のせいで、私のせいでエリカさんは……」

 

 みほの背後に浮かんでいた月が、本格的にその輝きを増した。そのことによって、言い合っている西住姉妹の姿が窓に映り込む。

 エリカがゆっくりと開いた瞳にはその姿が映り込んでいた。

 だが、映り込んでいたいたのは、西住姉妹だけだった。

 部屋にいるのは、みほとまほのみ。

 エリカの姿は、映っていなかった。

 

「私は……」

「私があの戦車を見捨てていなければ、エリカさんはっ……!」

 

 とうとう涙を流し始めるみほ。

 エリカの頭に浮かぶ、すべてが水に飲み込まれていく光景。

 そこで、エリカはすべてを思い出した。

 

 

「私……死んでる」



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シンジツ

 

 第六十二回戦車道全国高校生大会決勝戦。プラウダ高校との戦いであるその決勝において、エリカが車長を務めるⅢ号戦車は、列をなして進む戦車の先頭を切っていた。崖下に川が流れる険しい細道。その危険とも言える道のりをエリカは進んでいた。

 雨も振っており、視界も不良。地盤もぬかるんでおり状況は最悪だった。

 ただならぬ緊張感が各車両を包む。

 そんなとき、エリカ車の目前に、プラウダ高校の戦車が現れる。

 急いで迎撃体制を取ろうとするエリカ車。だが、そのとき悲劇は起きた。エリカ車の接地している地盤が崩れ、エリカ車はそのまま川へと転落していったのだ。

 轟音とともに落ちていくエリカ車。中にいたエリカを含めた隊員達は、その衝撃によってみな強く頭を打ち、気を失った。

 

 

「……んん」

 

 エリカは鈍い痛みと冷たい感触に包まれ目を覚ます。そして、すぐさま自分が尋常ならざる状況に陥っていることを理解した。

 

「なっ……!?」

 

 エリカは驚きながら、バシャリという音をたて上体を起こす。エリカの体はびしょ濡れだった。なぜなら、エリカのいる戦車の中は、半分以上が既に茶色い汚水で満たされていたからだ。

 エリカは動転しながらも周囲を見回す。そして他の搭乗員達は、皆意識を失い汚水に沈みかけているのを目にした。

 エリカは慌てて他の搭乗員達の体を揺さぶる。

 

「ちょっとあなたたち! 起きなさい! 赤星!」

「うう……」

 

 エリカが必死になって起こしたおかげか、まもなく他の搭乗員達は目を覚ます。そして皆、自分の置かれている状況に驚きを隠せなかった。

 

「エリカさん! こ、これって……!」

「……どうやら、川に落ちたらしいわね」

 

 エリカがそう言うと、搭乗員達の混乱はさらに激しいものとなった。

 

「そ、そんな!? 助けは!? 助けはこないんですか!?」

「そうは言っても今試合中よ!? 審判は手が出せないし、西住流を旨とする黒森峰が試合を放棄して助けに来てくれるわけないじゃない!」

「そ、そんな……じゃあ私達、このまま溺れて死んじゃうの……!?」

「皆さん落ち着いて! もしかしたら試合が早く終わって車両を回収してもらえるかもしれないじゃないですか!」

 

 搭乗員達がそれぞれ声を荒らげている間にも、戦車の隙間という隙間から汚水が侵入してきていた。

 どんどん水かさは増していく。すでに、エリカ達の腰まで浸かるほどには汚水が満ちていた。

 

「いやあああああっ! 誰か、誰か助けて!」

「水がっ! 水がぁっ!!」

「落ち着きなさいっ!!」

 

 狂乱する搭乗員達を、エリカが一喝した。その剣幕に、取り乱していた搭乗員達は一様に静かになる。

 

「確かにこのままでは危険だわ。だから、私は賭けに出ようと思うの。私がハッチを開けるから、皆はその間に外に出て」

 

 エリカの言葉に、全員が驚愕した。特に、搭乗員の一人である赤星小梅は、納得できないような顔をしていた。

 

「ま、待ってください! そんなことしたら、戦車の中にさらに水が入ってくるじゃないですか! それに、もしそれでみんなが出られたとしても、ハッチを開け続けているエリカさんはどうなるんですか!? やっぱり救助を待ったほうが……」

「そうだとしても、今はこれしか手がないのよ! 相手はプラウダ。試合がいつ終わるなんて分からない。このままだと、全員溺れ死んでしまうわ! 今しかないのよ! きっとまだ戦車はそれほど沈んでいない。水圧が弱い今がチャンスなの! 私なら大丈夫、すぐに皆の後を追うわ。わかったら早く開けるわよ! そこをどいて!」

 

 エリカは半ば無理やりハッチへと向かうと、体中のすべての力をハッチを開けようとする手に注いだ。

 

「ぬうっ……!」

 

 ハッチはなかなか開かない。だが、除々にハッチが開き、その隙間から汚水が流れこんできた。そして、エリカが必死にハッチを動かし続けた結果、かなりの量の汚水と引き換えに、やっと人一人が通れるほどにハッチが開いた。

 その結果、濁流が勢い良く戦車の中へと流れこんでくる。

 

「さあみんな! はやく!」

 

 エリカに促され、搭乗員達は恐る恐るも濁流流れこんでくるハッチにその身を投げ出した。

 始めはその水圧になかなか外に出れずにいたが、皆なんとか力を振り絞り外に出て行くことが出来た。

 一人、また一人。

 そして、汚水が胸ほどまで満ちたぐらいになった頃には、残ったのはエリカと赤星だけになった。

 

「さあ、あとはあなただけよ! 早く行きなさい!」

 

 エリカはハッチを持つ手を震わせながら言う。

 そんなエリカを、赤星は心配そうな目で見つめた。

 

「エリカさん……必ず、戻ってきてくださいね!」

 

 そして、赤星もまた濁流に押し返されそうになりながらもなんとかハッチから戦車の外に出た。

 エリカは一安心する。

 

「よかった……あとは私が出れば……」

 

 だが、それがいけなかった。

 一瞬気を抜いてしまったせいで、それまで必死に耐えていたエリカの手足から、ほんの僅かな間ではあるが力が抜けてしまったのだ。

 非情な水流は、その隙を見逃さなかった。

 

「っ!? しまっ……!」

 

 エリカが気付いたときにはすでに遅く、ハッチは流入する濁流と水圧で、再び閉じてしまった。

 

「くっ……!」

 

 エリカは再びハッチを開こうとする。だが、そこから更に不幸は続いた。

 ガコン! と戦車が大きく揺れる。

 戦車がそれまでひっかかっていた崖の一部が崩れ落ちたのだ。

 そう、それまでハッチを空けられていたのは、戦車が完全にまだ川の底に沈んでいなかったおかげなのだ。

 だが、戦車の重量と雨によって増水し勢いを増した川の流れに耐えられず、戦車がわずかにひっかかっていた崖の一部が崩れ落ちてしまったのだ。

 戦車は一気に水底へと沈んでいく。

 そのせいでかかる水圧が増し、ハッチは重い岩を乗っけたかのように開かなくなってしまった。

 

「くそっ……! 開け……! 開けっ……!」

 

 エリカがいくら力を込めようと、ハッチは微動だにしない。

 それどころか、戦車に流れ込んでくる汚水の勢いは増すばかりだった。

 戦車の中は、いつの間にか必死に背伸びするエリカの顎が水面につくほどに増水していた。

 

「くっ……かっ……!?」

 

 エリカは出来るだけ空気を取り入れようと顔を水面から出そうとする。しかし、汚水はとどまることを知らず、ついに戦車の中を完全に満たしてしまった。

 

「がっ……!? あばっ……!」

 

 エリカは不透明な汚水の中で、必死になってハッチに力を入れた。それが無駄なことだと分かっていても、それしか希望がなかったから。

 だが、力を入れれば入れるほどエリカの体の中にある空気は早く抜けていく。

 そして、ついには溜め込んでいたすべての空気を使い果たし、汚水を体の中に導きてしまう。

 ――いやっ……いやっ……! 私、まだ、死にたくな……!

 そこで、エリカの意識は途切れた。

 戦車の中では、エリカだったものが、ぷかぷかと水中を漂っていた……。

 

 

 ◇◆◇◆◇

 

 

「……ひっ!?」

 

 エリカは汗だくになりながらⅢ号戦車の中で飛び起きた。

 すべてを、思い出した。

 エリカはあの大会の決勝戦で溺死した。今エリカがいる、Ⅲ号戦車の中で。

 そして、そのおかげで、今までの疑問がすべて解けた。

 エリカが誰からも認識されなかったのは、死んで誰の目からも見えない存在になってしまっていたから。

 ロッカーや下駄箱から中身が無くなっていたのは、エリカの死後それらが処分されていたから。

 開かない部屋の扉や無くなっていた机も、同じ理由である。

 さらに、エリカは自分の認識すら間違っていたことに気が付いた。

 エリカが道路で叫んだとき、誰もがエリカを避けたとエリカは思っていた。しかしそうではなかった。自分が死んだことを理解してから思い出すと、あれは避けていたのではない。エリカの体をすり抜けていたのだ。

 また、まほの手を掴もうと手を伸ばしたときも、手は空を切ったわけではなかった。まほの手を、エリカの手がすり抜けていたのだ。

 どうやら、生きている人間には干渉できないらしい。

 それらすべてを把握すると、エリカのうちから自嘲気味な笑いがこみ上げてきた。

 

「はっ……ははっ、まさか死んでいただなんて……何よ、私、お化けってこと……ははっ何なのよそれ! はははははっ……!」

 

 ひとしきり笑ったあと、エリカは突然黙りこみ、両手で顔を抱え、静かに涙を流し始めた。

 

「何なのよ……何なのよぉ……!」

 

 さめざめと泣くエリカ。だが、そのエリカの泣き声が誰かに聞こえることはなかった……。

 

 

 それから一週間、エリカは自分の置かれている状況、そして現在の黒森峰の状況を理解することに務めた。

 エリカ自身は、自分が死んでいるということを自覚してからというもの、多くのことができるようになった。

 まず一番大きいのは、扉や壁をすり抜けられるようになったということだ。

 まさしく幽霊だ、と初めてそれを自覚したときは、エリカは自嘲した。

 そして自覚する前と比べて、物に上手く触れられなくなった。自分がまだ生きていると思っていたときには自然にインターホンを押したり、扉を空けたりしていたのが、今ではいちいち精神を研ぎ澄まさないとできないようになった。

 どうやら自分の死を理解するか否かで大きな違いがあるらしい。

 さらに、どうやらエリカは自分がⅢ号戦車にいわゆる取り憑いている状態であることを把握した。

 エリカは基本自由に行動できるも、ある程度離れようとすると――具体的には、学園艦の外に出ようとすると、気がつけばⅢ号戦車に戻されるようになっていた。

 また、精神に過度なストレスがかかると、意識を失いⅢ号戦車に戻っていた。

 それらの結果から、自分がⅢ号戦車に縛られている霊であることを把握した。

 それらを理解した上で、エリカは現在の黒森峰の状況を知ることに努めた。

 どうやらエリカが死んでから、そこそこの時間が経っているようだった。

 学校は普段と変わりないし、練習もいつも通り行われている。赤星を始めとした、かつてエリカと一緒に戦車に乗っていた搭乗員達も、以前と変わらない様子で戦車に乗っている。

 皆、折り合いをつけたということなのだろう。

 エリカにとってそれは寂しいが当然のことでもあると思った。

 いくら同じ部隊の仲間とは言え、いつまでもその死を引きずるわけではない。人間は慣れ、忘れる生き物だからである。

 だが唯一、みほだけは違った。みほは未だ引きこもっていた。ただひたすらに、エリカに謝罪の言葉を吐き続けている。

 

「エリカさん……ごめんなさい……ごめんなさい……」

 

 みほは何度もそう呟いている。

 決して廃人と化したわけではない。ちゃんと食事を取ってはいるし、生活規則も規則正しい。ただ、無気力になり、余った時間を謝罪に当てているのである。

 エリカにはそのことがもどかしかった。

 エリカは決して謝って欲しいなどとは思っていない。むしろ、チームとしてみほは正しい判断をしたと思っている。エリカが同じ立場なら、自分もそうしたであろうと。

 だからこそ、みほには気負ってほしくなかった。何の責任もないと分かって欲しかった。

 だが、みほは自分のことを過度に責める性格であることも、エリカには分かっていた。

 今のみほを救うには、現状みほを取り巻く環境ではどうしようもないのだろう。

 まほが何度もみほを説得しているのに結果が出ていないのがその証左である。

 エリカはそんなみほが心配でたまらなかった。

 自分は既に死んでいるのに、それ以上にみほが心配であるとは、おかしなこともあるものである、とエリカは思った。

 だが、生前のエリカにとってみほとは、一言では言い表せないほどの複雑な感情を抱く相手であった。

 憧れのまほの妹であり、天性の才能を持った戦車乗りであり、友人の一人であり。

 様々な感情をぶつけてきた相手、それがみほだった。

 そんなみほが、自分のことでここまで悩んでいる。そのことはエリカにとって驚きであった。自分のことを、そこまで気にかけてくれていたかなんて。

 だからこそエリカは、みほをなんとかして救いたいと思った。

 だが、今のエリカにできることは、あまりにも少ない。

 まず、言葉は絶対に伝わらない。死人に口無しというのは、まさにこういう状態のことを言うのかと思った。

 そこでエリカは考えた。エリカは、集中すればであるが物体に触れることができる。それを使って、なんとか意志を伝えられないものか。

 どうすれば、みほに自分の思いをできるだけ明確に知らせることが出来るのか。

 そのことをエリカは考え続けた。だが、これと言った答えは出てこない。

 そうして悩みながら数日が経ったときだった。

 エリカは何気なく自分のいた教室の授業を眺めていた。そこで、生徒達がこっそりと紙を回して筆談しているのを見た。

 それを見て、エリカはピンと来た。

 

「そうよ……これだわ!」

 

 そう、文字だ。文字で思いを伝えればいいんだ。

 物に触れられるということは、もちろんペンを持つこともできる。ペンを持てれば、文字を残すことができる。

 それは、あまりにも単純すぎて逆に思いつかなかった手段だった。

 だがそれはイタズラだと思われる危険性も含んでいた。突然死者から手紙が届くなんて、悪質な悪戯としか普通は思わない。

 だからエリカは、なるべく不可能な状況で文字を残すことにした。

 それには、時を待つ必要があった。

 だからエリカは、そうと決めるとみほの部屋でずっとその時を待った。その間、みほの謝罪の言葉を何度も耳にしながら。

 そして、ついにその時がやってきた。

 みほが自宅の冷蔵庫を空けた。そして、その中身を見てとても気だるそうな顔をした。

 

「……もう無くなっちゃった……正直嫌だけど、何か買ってこないと……」

 

 みほの部屋から、食料が消えたのだ。

 いくら備蓄しようと、引きこもった生活ではいつか限界が来る。

 それは、みほが外に出るということを意味していた。

 みほは「はぁ……」と溜息を付きながら、暗い面持ちで財布を持ち出し、外へと出て行った。しっかりと、家の鍵をかけてから。

 そしてそのことが、エリカが待っていたタイミングだった。

 

「さて……やるわよ」

 

 密室で、みほに分かるように、文字を残す。

 それがエリカに出来うる、最大限の方法だった。

 いくら不審な書き残しだとしても、密室の部屋に残されていれば、何か常軌を逸した方法であることを疑わざるをえない。

 もしかしたら、ただの泥棒の悪戯と思われてしまう可能性もあった。だが、文字によってみほに意志を伝えるという方法で、なるべく角が立たないように伝えるにはこれしかないと思ったのだ。

 さすがに、みほの見ている前でペンを宙に浮かすというのは、衝撃が強すぎると思った。出来るだけ穏やかに、しかしはっきりと伝えたいというエリカの矛盾した気持ちの折衷だった。

 エリカはすまないと思いつつもみほのノートからページを破ると、精神を集中させてペンを手にとった。

 そして、一文字一文字しっかりと書いていく。

 文字を書くという行為は、思った以上にエリカの精神を削った。これは長文をかけないなと、エリカは感覚で理解した。

 だからこそ、エリカは簡潔に伝えたいことだけを文にした。

 そしてなんとか書き終えると、エリカはその紙をみほが必ず目にするであろう場所に置いた。

 それは、みほが愛してやまない、そして今ではみほがそれに向かって謝り続けている、ボコという人形の手元だ。

 ここなら、まずみほが見落とすことはないだろう。

 

「……よし」

 

 そうして、エリカはすべての準備を終え、みほの帰りを待った。

 すると、ほどなくしてガチャリと扉が開く音がし、みほが部屋の中に入ってきた。

 

「ただいま……」

 

 みほは誰も居ないのにちゃんとただいまを言って入ってきた。みほの育ちの良さが伺える。

 みほは両手に持ったビニール袋をどさりと台所に置くと、その中身を緩慢な手つきで冷蔵庫に入れていく。

 そして、いつもの様に消沈した様子でボコの前へとやってきた。

 

「あれ……?」

 

 エリカの思惑通り、みほはボコの異変に気が付いた。ボコの手元に、紙が挟まれていることに。

 みほは不思議に思い、その紙を手に取る。

 そこには、こう書かれていた。

 

『みほ。あなたは何も悪くない。あなたは、何も気に病む必要がない。自分を責めないで。どうか、自分の人生を取り戻して』

 

 エリカは祈った。どうか、自分の思いが伝わって欲しい。みほが、いつものみほに戻って欲しいと。エリカはみほの反応を確かめる。すると、みほは顔面蒼白となり、その文をまじまじと見つめていた。

 そして、何を思ったのか急に勉強机の下の方にある大きな引き出しを開き、何かを探していた。

 そして、みほはあるものを取り出した。それは、一冊のファイルだった。そしてそのファイルのページを、目を更にして開きその中から一枚の紙を取り出した。

 エリカは何だと思いその紙を見る。それは、エリカがかつて車長としてとある練習試合後に提出したレポートだった。

 どうやらみほは、そのレポートを個別に保管していたらしい。

 そしてみほはそのレポートとエリカの書いた文章を何度も見比べ、そして、ぽつりと言った。

 

「……エリカさんの文字だ……エリカさんの、文字だ……!」

 

 エリカは驚いた。様々な危険性を孕みながらもどうにかして伝えたかったことが、まさかこんな形ではっきりと伝わるとは思ってもいなかったからだ。

 だがみほはクラスの人間の名前と顔を入学前から把握しているような人物であることを、エリカは思い出し、ならば筆跡を覚えていてもおかしくないなと一人納得した。

 するとみほは、宙を向いて大きな声で叫び始めた。

 

「エリカさんっ! もしかして、ここにいるのエリカさんっ!? ねぇいるなら教えてよエリカさん! エリカさんっ!」

 

 その必死な様子に、エリカはなんとしてもみほに自分の存在を伝えねばと思わざるをえなかった。

 しかしどうすればいい? どうすれば、みほに自分の存在を知らせることができる?

 そこで目に入ったのは、またしてもボコだった。ただみほの目の前に置かれているのではなく、棚に並べられているほうのボコだった。

 エリカはまた精神を集中させると、そのボコに手をかけ、ボコを棚から落した。

 

「っ!」

 

 落ちるボコにみほはいち早く気が付いた。そして、みほにはそれだけで伝わった。落ちたボコを見て、みほはエリカが霊になってから初めて、笑顔を見せた。

 

「ああ……そこにいるんだね、エリカさん……!」

 

 そしてみほは、すぐ顔をくしゃくしゃにして、静かに涙を流し始めた。

 

「ごめんなさい……ごめんなさいエリカさん……! 私の、私のせいで……!」

 

 みほは泣いた。泣き続けた。

 エリカにできるのは、そんなみほをただ信じることだけだった。

 自分の思いが、みほに伝わっていることを、みほがきっと立ち直ってくれることを、信じることだけだった。

 みほはどれぐらいの間泣き続けただろうか。少なくとも、日は大きく傾き始めていた。

 そこで、みほはやっと泣き止み、ぎゅっとエリカのメッセージの書かれた紙を手に握った。

 

「……これが、エリカさんの気持ちなんだね。エリカさんは、私のことを思ってこんなことを書いてくれたんだね……? ……だったら、私も頑張らないとね。死んじゃったはずのエリカさんがここまでしてくれたのに、私がいつまでも後ろを向いているわけには、いかないもんね……」

 

 みほの顔は先程までとは打って変わった、決意に満ちた表情をしていた。

 エリカはほっと胸を撫で下ろすとともに、嬉しさで胸がいっぱいになった。

 みほに、自分の思いが伝わった。やはり、みほは強い子だった。みほは、こんなことで躓いたままの人間ではなかった。

 そう思うと、エリカもまた泣き出しそうになった。

 だが、ぐっと堪えた。誰にも見えないはずなのに、なんだか気恥ずかしかったから。

 

 

 その翌日、みほは学校に顔を出した。

 誰もが、みほの姿を驚きの視線で見つめていた。何より、一番驚いていたのはまほだった。

 まほは教室から登校してくるみほを見つけると、急いで玄関へと走っていった。

 そして他人の目も顧みず、みほの両肩を掴んで話しかけた。

 

「みほ!? もう大丈夫なのか!?」

「うん。心配かけてごめんね、お姉ちゃん」

 

 みほはまほに笑顔を向ける。一方のまほは、未だ驚愕が顔に出ていた。

 

「本当に大丈夫なんだな? もう、自分を責めたりしないな?」

「うん。大丈夫だよ。だって、エリカさんと約束したんだもの」

 

 その言葉を聞いた瞬間まほは、今度は唖然とした表情となり、みほから手を離した。

 

「は……? みほ、それは一体どういう……?」

「あっ、もうそろそろチャイムなっちゃう! ごめんねお姉ちゃん! このことはまた後で!」

 

 そう言うとみほは、駆け足で自分の教室へと向かっていった。

 まほは、その場にしばらく立ち尽くしていた。

 そうしてみほは、日常へと戻っていった。まだどこか若干無理している部分は見受けられるも、それでも以前のように友人達には明るく振る舞った。

 戦車道の訓練にも、しっかりと出席した。隊員達もまた皆同様に驚いた。

 誰もがみほに言葉をかけた。

 

「副隊長! もう大丈夫なんですか!?」

「みほさん! 戻ってきてくれたんですね! よかった……!」

 

 それに対し、みほは微笑んで応えた。

 

「うん、もう大丈夫だから。私はもう、大丈夫だから」

 

 その言葉に、その場にいた殆どの隊員が安堵の息を漏らした。そして、みほの復活を喜んだ。

 ただ、一部の生徒は何故だか硬い表情でみほを見ていた。また、まほは怪訝な顔を浮かべていた。

 みほの戦車の指揮は、みほが学校を休む前と比べ、何の遜色もなかった。

 あいも変わらず、西住流の妹としての名に恥じない指揮だった。

 そして練習が終わると、みほは再び多くの隊員に囲まれた。誰もがみほに笑顔を向けていた。そして、みほを囲んだ集団はそのままみほを連れて、街へと繰り出していった。

 どうやら、みほの復活を祝うらしい。

 みほはそれに困ったような笑顔を浮かべながらも、まんざらではない反応を取った。

 みほの復活は、もはや疑いようもないものとなった。

 エリカは、それをただ静かに笑って見つめていた。

 これでいい。これで、みほは自分の人生を取り戻せる。それだけではない。以前よりも、もっと仲のいい友人ができるかもしれない。そう、それでいいんだ。

 そうして、それからエリカは出来る限りみほを見守り続けることを心に決めた。

 

 

 それから、あっという間に時間が過ぎていった。

 みほは以前にもまして明るく、優しくなっているようにエリカには思えた。

 毎日必ず元気よく挨拶をし、ともに戦う戦車道の仲間たちと積極的に関わっていった。それは、どこかおどおどとしていたかつてのみほと比べると、別人のようでもあった。

 きっと、それはエリカの分まで生きようとするみほの意識の現れなのだろう、とエリカは理解した。

 その証拠に、みほは毎日家に帰るとエリカに話しかけてくるのだ。

 

「ただいまエリカさん。今日も私、頑張って過ごせたかな? 私、精一杯頑張るから。エリカさんの分まで」

 

 そうして、みほは言葉通り精一杯毎日を過ごしていた。

 むしろ、エリカが死ぬ前よりも満たされているようにすら見えた。

 ただ、やはり一部の隊員はみほから距離を置いていたり、まほが相変わらず心配そうな表情でみほを見ていたりしていることを除けばだが。

 まほと言えば、まほはみほに詳しく復帰の経緯を聞いたことがあった。そのときに、みほは、

 

「お姉ちゃんになら……教えてもいいかな」

 

 とエリカの残した言葉を見せた。

 それを見た瞬間、まほは言葉を失っていた。そして、まじまじと文字を見つめ、「そうか……」とだけ言って、それで話を終わりにした。

 みほの生活は最初にあったぎこちなさも消え、まさしく順風満帆と言っていいだろう。

 何も、問題のない、満たされた生活。そう、何も問題のない――

 

「…………」

 

 なのになぜか、エリカの心に何かチクリとしたものが走った。

 みほが満たされているのに、なぜこんな感覚があるのだろう? エリカは不思議に感じた。だが、きっとそれも一過性ものだろうと、始めは捨て置いた。

 しかし、みほが友達を増やしていくにつれ、みほが戦車道においてその手腕を発揮するにつれ、エリカの中で言葉にしづらい感情が大きくなっていった。

 ――この気持ちは一体何だ? 私は一体、どうしたと言うのだ?

 エリカは自問自答する。しかし、その答えは出なかった。

 そして、ある日を境にそれははっきりとしたものになっていった。

 

「ただいまー」

 

 みほがいつも通りに部屋に戻る。しかし、そこでその後いつも行っているはずのことを、その日はしなかった。

 みほがそれまで続けていた、自宅でのエリカへの語りかけが、無くなったのだ。

 それは本来喜ばしいことだ。いつまでも死者に話しかけるなんておかしなこと、する必要がない。そう、死者とは忘れされる存在なのだから。

 だが、エリカにはその事が、とても衝撃的であった。

 今まで話しかけてくれたのに、今日は話しかけてくれなかった。

 たった、それだけのことなのに。

 そして、みほはその日からエリカに話しかけることを辞めた。

 それを除けばみほの生活はなんら変わりがない。一部を除いた友人達に囲まれた、幸せな日々。

 だが、それを見守ると決めたエリカは、逆にどんどんと寂寥感に苛まれていった。

 ――これでいい、これでいいんだ。

 エリカはその寂寥感から目を逸らすために、必死で自分に言い聞かせる。

 ――私はみほを見守り続けると決めた。そのみほが幸せなら、それでいいじゃないか。そうだ、それでいいんだ。

 何度も、何度も自分に対して繰り返す。

 そうして、エリカが自分の中に沸いた感情を抑えこもうとしていたある日だった。

 みほはその日も、友人達――そこにいたのは赤星を含んだエリカのかつての搭乗員だった――と、格納庫で談笑していた。

 

「……でね、それでね」

「へぇー、さすがみほさん。物知りですね!」

「ええーそんなことないよー!」

「いえいえ! 副隊長は凄いですよ! 私、尊敬しちゃいます!」

「あはは……照れるなぁ」

 

 みほは友人達に褒められ、頭の後ろを手で掻く。

 何気ない、日常の一コマ。

 エリカはただそれを黙して見つめるのみ。そこに表情は無く、視線は冷たい。

 それに反比例するかのように、みほの笑顔はとても眩しく、暖かい。

 

「あははははっ!」

 

 みほが大声で笑った。友人の一人が言った冗談に対してだ。

 その表情を見て、その声を聞いて、エリカはハッとした。

 ――そんな顔、私には見せたことがない。私が生きていた頃には、そんな顔……なんで、なンデ――

 その瞬間だった。

 資材として壁に立てかけてあった、数メートルほどもある長い鉄パイプが、突如みほ達の方向に倒れこんできたのだ。

 

「っ!? 危ない!」

 

 赤星の一言で、全員がその場から逃げ出す。そのおかげで、鉄パイプは地面に嫌な金属音を響かせるに済み、誰も怪我をすることはなかった。

 

「だ、大丈夫ですか副隊長!?」

「うん……大丈夫。それにしても、びっくりしたね……ちゃんと固定されてなかったのかなぁ?」

「そうですね、あとで隊長を通じて管理してる人にちゃんと言わないと」

 

 そう言って、みほ達はその場から去っていった。

 エリカは一人取り残され、放心した様子で、その場に立っていた。

 

「私……今、一体……」

 

 エリカは自分の手をまじまじと見つめ、今度は倒れた鉄パイプを見る。

 そこには、明らかに不自然なちぎれ方をした、固定用の縄が下敷きになっていた……。



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ヘンイ

 

 エリカはⅢ号戦車の中で、膝を抱え縮こまっていた。

 みほ達に鉄パイプが倒れこんだ日以来、エリカは、一歩も外に出ていなかった。

 

「私が……私が……」

 

 あの出来事は、決して事故などではない。エリカは、そのことを一番よく理解していた。

 鉄パイプを固定していたはずの縄は、明らかに何らかの力によって引きちぎられていた。

 後に状況を確認しにきた大人達は皆首を傾げていたが、エリカには、その原因が自分にあることがはっきりと分かっていた。

 どうやったかは、自分でも分からない。しかし、心の底から湧いてきた、あの言葉にしづらい感情と共に、何か今まで感じたことのない大きな力が自分の中から溢れだしたことが分かった。

 エリカはそれがとても恐ろしかった。

 自分がまるで自分ではなくなってしまうような感覚が。

 そして、自分が大切に思っているみほを傷つけてしまうかもしれないという可能性が。

 だからエリカは、あの日以来ずっと戦車の中に引きこもっていた。

 これ以上みほに関わり続けると、みほに不幸をもたらしてしまうかもしれない。それだけは、どうしても避けたかった。

 

「これでいい……これでいいのよ……」

 

 エリカは膝を抱く腕に力を込め、より小さく縮こまる。

 自分はただここでひっそりとしていればいい。死人は、生者に干渉する必要はない。

 そう自分に言い聞かせ続けていた。

 そんなときだった。

 ドンッ! という音が、戦車の中に響き渡った。どうやら、誰かが外から戦車を強く叩いたらしい。

 エリカは何事かと思い、戦車の外に顔を出した。

 すると、そこには驚くべき光景が広がっていた。

 なんと、みほが同じ戦車隊の隊員の、上級生三人に戦車を背にして取り囲まれているではないか。

 

「みほ!?」

 

 みほはとても辛そうな顔をしながら俯いている。取り囲んでいる上級生は、それぞれみほに冷たい目線を向けていた。

 

「あんたさぁ……いい加減調子乗るのやめてくれない?」

 

 上級生のうちの、長髪の上級生が言った。

 明らかに不機嫌そうな声だった。

 

「そんな……私、調子になんて乗ってません……」

「はぁ!? 乗ってるじゃん! 何いってんの!?」

 

 続いて、眼鏡の上級生が言った。

 眼鏡の上級生は、上半身を前方に倒し、みほの顔を睨みつける。

 

「最近うざいんだよねぇ。西住隊長の妹だかなんだか知らないけど、ちやほやされちゃってさぁ。それで一年の癖に副隊長なんて。調子乗ってるとしか思えないんだけど?」

「そうだよねぇ。特に最近は信者っぽい子に囲まれてマジウザい。ほんとなんなのあんた?」

 

 今度は短髪の上級生が言う。

 みほはその謂れのない難癖に、ただただ萎縮することしかできないようだった。

 

「みんなのこと、そんな悪く言わないで下さい……」

「はぁ!? 口答えするわけ!?」

「そういうところが調子乗ってるって言うのよ!」

 

 長髪の上級生と眼鏡の上級生が続けざまに言い、長髪の上級生が再びガンッ! と戦車が強く叩いた。そのことで、みほはびくりと体を震わせてしまっていた。

 

「まったく……ずっと引きこもってればよかったのに」

 

 短髪の上級生が吐き捨てるように言う。

 そして、さらに長髪の上級生が、信じられないようなことを口にした。

 

「本当よね……よく人前に顔が出せたわね。人殺しの癖に」

 

 その瞬間、みほの顔が絶望で塗りつぶされた。

 あまりに無神経で礼節を外れた一言。

 ただ見ていることしかできなかったエリカも、とうとう我慢の限界が訪れた。

 

「ちょっとあなたたち! いい加減にしなさいよ!」

 

 エリカは戦車から降り、大声で叫びかける。しかし、死者であるエリカの声が、その場にいる四人に届くことはなかった。

 

「なんでこんな陰湿なことするのよ! 気に入らないからって、やっていいことと悪いことがあるでしょ!」

 

 それでもエリカは叫び続けた。そうでもしないと、気が収まらなかった。その間にも、三人組はみほに辛辣な言葉を浴びせかけ続ける。その度に、みほの表情は陰っていった。

 それを見せつけられるエリカの怒りは、とどまることを知らなかった。

 ――どうしてこいつらはみほに対してこんな汚い感情をぶつけることができるんだ。どうして自分のことを棚に上げて他人を蔑むことができるんだ。どうしてみほなんだ。何故みほなんダ。ドうして私ニハ、何もデキナインダ。

 

「ふざけないで……ふざけないでよっ!!」

 

 エリカはちきれんばかりに目を見開いて、心の底から怒りを露わにして叫んだ。

 そして、それはそのエリカが叫んだのと、それは同時だった。

 Ⅲ号戦車の隣に置かれていたティーガーの履帯が、ギン! という音を立てて突如切れたのだ。

 その場にいた全員が、驚き切れた履帯を見る。

 皆、一様に驚いた表情をしていた。

 

「ちょ、何よ一体……」

 

 長髪の上級生が先程までの理不尽な不機嫌さが抜けたかのように、唖然とした表情を浮かべて言った。

 すると、今度はガチャリと格納庫の裏口が開かれる音がした。

 

「っ! やばっ誰か来るよ!」

 

 慌てたように短髪の上級生が言う。それに、眼鏡の上級生がこれまた慌てたように返す。

 

「ほんとだ! ちっ! おいお前! この事誰にも言うんじゃないよ! もし言ったらあんたやあんたの取り巻きがいろいろと辛い思いをすると思いな!」

 

 そう言って、三人組はその場から急いで去っていった。

 みほは肩の力が抜けたように、ぺたりとその場に座り込む。

 エリカもまた、先程までの怒りがだんだんと落ち着いていった。そして、今度はみほのことが心配でたまらなくなった。

 

「みほ、大丈夫……?」

 

 エリカは聞こえないのを承知で、屈みながらみほに声をかける。みほは、相変わらず暗い表情をしていた。

 すると、そんなみほのところに近づいてくる足音が聞こえた。

 誰かと思いエリカとみほがその方を見ると、それはまほだった。どうやら、先程格納庫に入ってきたのもまほらしい。片手にはクリップボードが抱えられていた。

 

「ん? みほじゃないか、どうしたんだそんなところで座って」

「あ、お姉ちゃん……ううん、なんでもないの。ちょっと、ね……」

 

 みほは急いで笑顔を取り繕っていた。その顔が、エリカにはとても痛々しいものにしか見えなかった。

 

「そうか……私はそれぞれの格納庫にある戦車の確認をしに来てな。もう遅い。そろそろ帰ったらどうだ」

 

 だが、まほはそんなみほの様子に気がつくこともない。

 そのことが、エリカにはとても苛立たしく思えた。何故姉妹なのに、みほの苦しみを分かってやれないのか。エリカはそのことをどうしてもまほに伝えたかった。だが、今のエリカにはやはり伝える手段がなかった。

 

「う、うん。ごめんなさい。もう帰るね……」

 

 みほはまほの言葉に、急いで立ち上がり立ち去ろうとする。

 そして、みほがまほに背を向け裏口に向かったときだった。

 

「あ、そうだみほ」

 

 まほが思い出したかのように声をかけた。

 

「ん? 何お姉ちゃん?」

「以前話してくれたな。その……エリカとのこと」

 

 今度は、まほがなんだか辛そうな顔をして話し始めた。その様子に、みほもエリカも不思議そうな顔を浮かべる。

 

「ああ……うん。それがどうかしたの?」

「その……言い難いんだがみほ。……その、一度病院に行ってみないか?」

「えっ……?」

 

 その突然の一言に、みほは驚きを隠すことができなかった。一方のまほは相変わらず辛そうな、しかし確固たる意志が伝わってくる瞳で言葉を続けた。

 

「いいかみほ。人間は死んだらもうおしまいなんだ。幽霊なんて、いるはずがない。そのエリカが書いたという紙も……もしかしたら、みほが無意識に書いたものなんじゃないのか? ……すまないな、こんなことを言って。最初は回復してくれるならそれでいいと思ったんだが……今はもうすっかり立ち直ったようだし、そろそろ言わなければと思ってな」

 

 そのまほの言葉は、みほにとってあまりに衝撃的であったのはうかがい知るにやぶさかではない。

 信頼している姉が、自分のことをまったく信じてくれていなかったのである。それも当然だった。

 その証拠に、エリカは見逃さなかった。みほの瞳から一瞬光が失われるのを。だが、みほはすぐさままほに笑顔を向けた。あまりに貼り付いたような、悲しい笑顔を。

 

「……うん、ありがとうお姉ちゃん。そうだね、近々空いた日に行ってみることにするよ」

 

 あからさまなその場しのぎの発言だった。だが、まほはそれに気がつくこともなく、ぱあっと、他の隊員には見せることのない笑顔を見せた。

 

「そうか! いや良かった……もし霊が見えるなんて言い始めたら、お母様になんて言えばいいか……」

 

 ほっと胸を撫で下ろすまほ。そんなまほに対し、みほは笑顔を貼り付けたまま「それじゃあ行くね、お姉ちゃん」と言い残しその場から去っていった。

 エリカも、慌ててみほについて行った。もうみほには関わらないと決めたにも関わらず、今のみほを放っておくことができなかったからだ。

 一人格納庫に残されたまほは、戦車の確認をしながら、履帯の切れたティーガーを見つけていた。

 

「おや? 履帯が……最近点検したばかりだというのに、一体どうしたと言うんだ」

 

 まほは不思議に思いながらも、後で注意せねばと頭にそのことを片隅に留めるに終わった。

 

 

 みほはずっと暗い表情で帰り道を歩き、そのまま部屋に帰ると、部屋の明かりを付けず勉強机に座り、机に備え付けられたライトだけを付け、机の上に突っ伏した。

 そして、懐からエリカが残した書き置きを取り出すと、それを見ながらポツリと零した。

 

「人殺し……か」

 

 その書き置きを見るみほの目は、とても悲しい目をしていた。

 さらにみほは消え入りそうな声で呟き続ける。

 

「そうだよね……ずっと見ないふりをしていたけど、私、人殺しも同然なんだよね……それが気持悪いひとだって、いて当然だよね……。このエリカさんの言葉通りに生きようと頑張ってきたけど、それももしかしたら私の勝手な現実逃避だったのかな……。もしかしたら、お姉ちゃんの言う通りなのかもしれない。これは、私が現実から逃げるために書いたもので……どうして、こんな簡単なことに気がつけなかったんだろう」

「違う……違うのよみほ!」

 

 エリカはみほの言葉を必死で否定した。

 ――あなたは間違ってはいナイ。その言葉の通りナンダ。だから今まで通リデイイ。

 だが、みほにエリカの気持ちは届かない。

 みほは今にも泣きそうな顔をしながら、エリカの書き置きを強く握った。

 

「ごめんね……エリカさん……」

 

 ――ああ、駄目だ。このままでは、またみほは以前のように戻っテシマウ。

 エリカはまるで谷底に落とされたかのような気持ちになった。

 せっかくすべてが上手く行っていたはずなのに、また逆戻りか。またみほは、昏い闇の中へと戻ってしまうのか。

 エリカは再びみほに言葉を残すべきか考えた。どうせなら、今ここで目の前で文字を書いてやろうかとも考えた。

 だが、すぐにやめた。もしそんなことをして、みほが再びエリカの存在を信じたとしても、それは再びまほにみほを異常者だと思わせてしまう要因になってしまう。それどころか、今の状態ではみほ自身が自分を異常者だと思い込んでしまう危険性すらあった。

 とどのつまり、今のエリカにできることなど何もないのだ。

 ――私が、私がもし生きていれば。どうして私は死んだんだ。どうして、私は生きていないんだ。どうしてワタシハミホノトナリニイラレナインダ……。

 エリカは手をギュッと握りしめた。

 死者というあまりに無力な存在である、自分を呪った。

 そのとき部屋の窓が雨も降っていないのに水滴だらけになっていることに、みほもエリカも気づくことはなかった……。

 

 

 翌日、曇り空の下で、みほは普通に登校し、普段通りに授業を受けていた。

 友人同士と話すときも、何の変哲もない。いつものみほである。だが、一日みほを見つめていたエリカは、それが偽りの笑顔であることを知っていた。

 みほは、朝友人と顔を合わせる寸前まで、落ち込んだ表情をしていたのだから。

 だがみほは他人には決して弱みを見せようとはしなかった。それが、彼女なりの精一杯の強がりなのだろう。

 そんなみほを見ていて、エリカはとても心が苦しかった。

 ――私なラ、みほの力になってアげられるのに……。私ナラ……。

 そうしてみほが嘘の笑みを浮かべ続けて、あっという間にお昼時になった。

 

「みほっ! お昼食べよ!」

「うん! ……あ、お弁当忘れちゃった……」

「あら? 珍しいこともあったもんだねー」

「うん。だからちょっと購買行ってくるね」

「わかった、じゃあ待ってるねー」

 

 友人とそんなやりとりをすると、みほは急いで教室から出て行った。みほ達一年生の教室は校舎の三階にあり、購買は一階にある。それゆえ、人で混雑している階段を降りていかねばならない。

 みほは多くの生徒がごった返す階段を、人にぶつからないように慎重に降りていった。

 そして、二階から一階の階段に差し掛かったときだった。

 

 とん。

 

「えっ……?」

 

 みほは、誰かから背中を押される感覚がした。そして、次の瞬間、みほの視界は、宙に舞っていた。

 

「きゃあああああああああっ!」

 

 誰かの悲鳴が響き渡る。多くの生徒が、人だかりを作る。その人だかりの中心には、苦悶の表情を浮かべて足を押えている、みほの姿があった。

 

「誰かっ! 誰か保健室にっ!」

「ちょっとあなた大丈夫!? ねぇ!?」

 

 その場は一気にパニックになる。誰もがみほを心配し、騒然としていた。

 だが、エリカだけは違った。エリカの視線は、階段の上にあった。そこには、他の生徒と違い、おぞましい笑みを浮かべる、例の三人組の姿があった。

 

 

 

「……全治一ヶ月、と言ったところね」

 

 保健室の養護教諭が、応急処置をしたみほの足を見てそう言った。

 エリカはその様子を静かに見つめていた。その顔は、俯いており髪で隠れよく見えない。もちろん、そのエリカを認識できる人間がいないが。

 

「そう、ですか……」

「しばらくは戦車に乗っちゃだめよ。通常の授業ならまだしも、戦車なんて乗せたら悪化するから」

「はい……」

 

 みほは明らかに落胆した様子で言った。戦車乗りとして、これ以上に辛いことはないだろう。

 養護教諭も、とても同情した表情を浮かべていた。

 

「……本当に災難だったわね。最近のお昼時は混むからいつかこんなことが起きるんじゃないかとは思っていたけど」

「はい……」

「後で先生の車に乗って病院に行くわよ。何、静かにしていればすぐに治るわ。そう気を落とさないでね」

「はい……」

 

 みほは同じ言葉を繰り返すことしかできなかった。そして、決して自分が突き落とされたことを言おうとはしなかった。

 エリカには分かっていた。みほは、すべてを一人で背負い込むつもりなのだ。すべてが己の責任だと考え、他人に迷惑をかけないため。それが、西住みほという少女であると、エリカは知っていた。

 なんとみほは高潔なのだろう。エリカはそう思った。

 だが、エリカはそれで終わらせるつもりはなかった。あの光景を見てから、ずっとエリカの心で、怒りと呼ぶにも生ぬるい獄炎が、燃えたぎっていたからだ。

 ――許さナイ。ユルサナイ。みほを傷付けるヤツハ、みほの笑顔を曇らセルヤツハ、ゼッタイニユルサナイ。私ガみほヲマモルンダ。ワタシガミホノエガオヲマモルンダ。ユルサナイ、ユルサナイ、ユルサナイ……。

 

「あら……」

 

 保健室の窓を、ぽつぽつと叩く音がした。

 

「雨ね……激しくならないと言いけど」

 

 養護教諭は外を見ながら、のんきな様子でそう言った。

 稲光が走る。

 

「きゃっ……!」

 

 養護教諭は思わず目を閉じる。

 その瞬間、窓に水浸しの女が映り込んでいたことに、養護教諭は気がつくことができなかった。

 

 

 ◇◆◇◆◇

 

 

 長髪の上級生は、雨の中傘を指しながら下校していた。その表情は嫌らしい笑顔だ。

 

「いやーまったくいい気味だったわ」

 

 長髪の上級生は三人組のリーダー格の少女だった。三人組は、機甲科でありながら、黒森峰の実力主義に着いていけず、全国大会のときには毎回戦車には乗せてもらえずにいた。

 それゆえ、腐り果て、年功序列を重んじる黒森峰の中で後輩をいびることだけに生きがいを感じていた。

 そんなところに、西住みほという少女が現れた。二年で隊長になったまほですら気に食わなかったのに、そのまほの妹であり、副隊長になったみほはさらに気に食わなかった。

 そんなみほが大会の事故で学校に来なくなったのはとても嬉しいことだった。

 死んでしまったエリカには悪いが、元々気に入らない隊員の一人だったし、邪魔なみほが目の前から消えてくれた要因を作ってくれたので感謝していた。

 だが、みほは戻ってきた。しかも、以前よりも快活になって。それが、三人組には本当に気に食わなかった。だから、直接みほを虐めることにした。みほの言い出せない性格をわかってのことだった。

 案の定みほは他人には言い出すことはなかった。それをいいことに、三人組はさらなる一手を打つことにした。

 それが、みほになんらかの怪我を負わせることだった。

 自分達が絶対に逆らえない恐ろしい存在であることを刷り込むためだった。

 そしてどうしてやろうと思っていたときに、丁度階段を降りていくみほを見つけた。

 これ幸いと三人組は思った。そして、人混みに遠慮して階段を降りるみほの背中を押したというわけだ。

 

「これであの忌まわしい西住妹もおとなしくなればいいんだけど……」

 

 長髪の上級生はそんなことをいいながら、横断歩道橋を上がっていった。そして、橋の三分の一ほどを歩いたときだった。

 

「ん……?」

 

 長髪の上級生は、橋の先の端っこに、不審な女がいるのを目にした。

 それは、どうやら同じ黒森峰の生徒らしく、なぜだか傘もささずに、びしょ濡れで雨の中、立っていた。顔は長い髪に隠れて見えなかったが、どこか見覚えのある姿だった。

 

「なにあいつ……変なの」

 

 そう言って、瞬きした瞬間だった。

 その女が、一瞬にして端から中央まで移動していたのだ。

 

「え……?」

 

 長髪の上級生は目を疑った。そんなすぐさま詰められる距離ではないはずなのに、どうして――

 

「…………」

 

 女は、何も言わずにゆっくりと長髪の上級生に向かって歩いてきた。

 一歩、また一歩。

 ぺたり、ぺたりと靴から水を滲ませながら。

 

「……ひっ」

 

 長髪の上級生は、とてつもない恐怖に襲われた。うまく説明できないが、この状況はとてもまずい。

 目の前の女は、関わってはいけないものだ。

 本能が、そう警鐘を鳴らしていた。

 

「いや……こないでよ……!」

 

 長髪の上級生は、一歩ずつ迫ってくる女に気圧され、一歩ずつ後ずさっていった。

 ぺたり、ぺたり。

 女は近づいてくる。

 長髪の上級生は後ずさる。

 そして、ついに長髪の上級生の背中に、ひやりと硬いものがぶつかった。橋の柵だった。

 

「あっ……」

 

 長髪の上級生は思わず振り返る。そして、顔を正面に戻したときだった。

 

 女が、息づかいが聞こえるほどの眼前に、立っていた。

 

「っ!!??」

 

 そして次の瞬間、長髪の上級生の体は、その女が触れてもいないのに、突如とても強い力によって、階段の下へと吹き飛ばされた。

 そのとき、長髪の上級生は見た。

 髪の下から覗く、恐ろしいその顔を。見たことのあるその顔を。

 

「……逸見」

 

 その女がエリカだと認識したすぐ後、長髪の上級生の首は、階下のコンクリートに落ち、あらぬ方向に曲がって、真っ赤な花を咲かせた。



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レンサ

「……以上で、今日の連絡事項は終わりだ。何か、質問があるものはいるか?」

 

 黒森峰の戦車道訓練場にて、まほはいつも以上に低い声色で言った。

 それを聞く隊員達も、皆一様に暗い面持ちをしている。

 それもそのはずである。副隊長であるみほが階段から落ち足を骨折し全治一ヶ月となり訓練に参加できなくなっただけでなく、日を同じくして隊員の一人が同じように横断歩道橋の階段から落ち頭から地面に落ちて死んでしまったことを伝えられたのだから。

 まだエリカの死が記憶に新しいというのに、またしても死人が出たということは、まだ女子高生である彼女らにはショッキングな出来事であった。

 

「……ないなら、これより訓練に入る。総員、搭乗せよ!」

 

 まほはそんな空気を払拭するかのように、語気を強めて言った。

 その言葉で、隊員達は次々と搭乗していく。

 だが、なかなか搭乗しようとしないものもいた。死んでしまった長髪の上級生といつも一緒にいた、眼鏡の上級生と、短髪の上級生だった。

 

「……どうしてよ、どうして死んだのよ……」

 

 眼鏡の上級生が目を真っ赤にして言う。

 短髪の上級生も、泣きはしないものの、他の隊員以上に落ち込んだ顔をしていた。

 

「落ち着いて、元気だそうよ。いつまでも暗くなってたってあいつは喜ばないよ」

「何よ! だったらヘラヘラ笑っていろって言うの!? そんなことできるわけないじゃない!」

「そこまでは言ってないわよぉ……」

 

 短髪の上級生は弱々しく返事をする。

 友人の死を悼む気持ちは同じだが、そこには大きな感情の差があるようだった。

 

「何よ事故って……そんな簡単に死ぬんじゃないわよぉ……」

「それがさ……どうも、おかしいって話なんだよ」

「おかしい? 何がよ」

 

 眼鏡の上級生が短髪の上級生に聞き返す。

 短髪の上級生は、どうにも何かに怯えているような様子だった。

 

「その、ね……どうもその現場を見たっていう下級生の間で噂になっているらしいんだけど……どうも、滑って転んだにしては明らかに不自然なんだって。まるで、何かに吹き飛ばされたみたいだったって……。それに、それにね! 何人か、誰かが一緒にいたって言ってるの! 雨の日なのに、傘も刺さずにびしょ濡れで立ってた、誰かが……。でもおかしいの。その人影を見たって言うやつと、見てないっていうやつがどっちも複数いて……ねぇ、もしかしてあいつ、何かに襲われたんじゃ……」

「はぁ? 何かって、何よ?」

 

 眼鏡の上級生が呆れたように聞くと、それに対し、短髪の上級生は、まるでタブーに触れるかのように、恐る恐る口を開いた。

 

「それは……幽霊、とか」

 

 その言葉を聞いた瞬間、眼鏡の上級生は見るからに馬鹿にした目つきと不機嫌そうな表情を浮かべて、口を開いた。

 

「はい? 馬鹿じゃないの? そんなの、いるわけないじゃん! ……ああ、そういやあんたそういうオカルト系大好きだったもんね。でもさぁ、あいつが死んだって言うのに、こんなときにまで趣味持ち出すの止めてくれる? そもそも、誰の霊だって言うのよ」

 

 明らかに信じていない眼鏡の上級生の口ぶり。

 だが、短髪の上級生は、いたって真面目で、なおかつ怖がっている様子で応えた。

 

「……逸見、とか」

「……いやいや、なんであいつが逸見なんかに祟られなきゃいけないのよ。本当に荒唐無稽だわあんたの話」

「いやでも! あいつって西住妹と仲良かったし! もしかしたらそれで私達目を付けられて――」

「おいそこ! いつまでぼさっとしている! 他の隊員はもう全員戦車に乗ったぞ!」

 

 話を遮るように、まほの怒声が飛んできた。あたりを見ると、もう他の隊員は訓練の準備を終えていた。

 眼鏡の上級生は、露骨に不満気な態度を露わにした。

 

「ちっ……二年のくせに西住め……まあいい、さっさと戦車に乗るわよ」

「う、うん……」

 

 そうして、その日の訓練がやっと開始された。

 訓練自体は、何ら変わりなく行われた。黒森峰の生徒たるもの、頭をしっかりと切り替えることは出来て当然なのだ。

 そして、練習が終わり、それぞれが荷物を持って帰路につく準備をする。

 眼鏡の上級生も、自分の鞄をもってさっさと帰ろうとしていたときだった。

 鞄の中から、ピリリリ、と電子音がした。携帯電話の音だった。

 

「ん?」

 

 眼鏡の上級生は何の疑いもなく携帯電話を手に取る。どうやらメールらしかった。そして、そこで送信先の相手の名前を見て、言葉を失った。

 

「は……?」

 

 それは、先日死んだはずの、長髪の上級生からのメールだった。

 

 

 その日の夜、眼鏡の上級生は、黒森峰にあるとある寮の屋上に来ていた。月は明るいが、彼女のいる位置からでは貯水タンクによって隠れてその月を見ることはできない。

 なぜそんなところにいるのかと言うと、長髪の上級生からのメールで呼び出された場所が、そこだったからだ。

 

「まったく誰よこんなメール送ってきて。ただじゃすまさないんだから!」

 

 眼鏡の上級生は、長髪の上級生と昔からの付き合いだった。

 幼い頃から共に戦車道をしようと心に誓い合い、そして念願の黒森峰に入学することができた。

 だが、黒森峰で待っていた現実は、非情なものだった。明らかに自分たちとは次元の違う同期の隊員達。それどころか、後輩にすら追い抜かれる始末。

 そんな環境で、眼鏡の上級生は長髪の上級生と一緒に傷を舐め合った。それが、二人の絆をより強くした。

 だからこそ、眼鏡の上級生は先程のメールが許せなかった。大切な友人の名前を騙り呼び出すなんてやり方、あまりにも卑劣だと思った。

 そこに、自分達がしてきたことに対しての反省はなかった。

 

「来たわよ! 誰だか知らないけど、姿を見せなさい!」

 

 しかし、一向に反応は帰ってこない。もしかして、ただ呼び出されただけで、放置されているのではと思い、余計むかっ腹が立った。

 そして、そんなお遊びには付き合ってられないと、反転し扉の方を向いてその場から立ち去ろうとした。

 そのとき、異変は起こった。

 扉の方を向き、ニ、三歩歩いたところで、ガシッと、後ろから誰かに腕を掴まれる感触がしたのだ。

 先程まで彼女が目を向けて誰もいなかったはずの、背後からである。

 

「え……?」

 

 眼鏡の上級生は、唖然としながら掴まれた腕を見る。そこには、確かに手があった。とても蒼白とした、誰かの手が。

 その手は、とても冷たかった。まるで氷のように。そして、濡れていた。水滴をぽたりぽたりと地面に垂らすほどに、濡れていた。

 眼鏡の上級生は、そのまま手から上、自分を掴んでいる何者かを見るために、視線をゆっくりと動かす。

 見てはいけない。

 頭の中で、そんな言葉が反響しているのにも関わらず。

 そして、眼鏡の上級生は見てしまった。

 ぐしょぐしょに濡れた、女の姿を。汚水で汚れきり、水を垂れ流している銀髪を。自分の瞳を覗きこんでくる、見開いた青眼を。

 それは、エリカだった。あの日死んだはずの、エリカだった。

 その瞬間、眼鏡の上級生の両足が、それぞれ脛の位置から、外側の方向に折れ曲がった。

 

「ぎゃあああああああああっ!」

 

 あまりの痛さに、眼鏡の上級生はおよそ女子高生とは思えない声を上げ、その場に倒れこむ。

 エリカは、そんな眼鏡の上級生を、ただ見下ろしていた。

 

「ああああああああっ……!」

 

 眼鏡の上級生は足に走る激痛に涙を流す。だが、それだけでは終わらなかった。

 ギンッ! という、金属音がした。何かと思い眼鏡の上級生は音のした方向を見る。それは、自分の頭上だった。頭上にある、給水タンクからだった。

 給水タンクを支えている四本の柱のうち一本が、眼鏡の上級生の足と同じように、ひしゃげていたのだ。

 再びギンッ! という音が鳴り響く。また一本、柱がひしゃげた。

 

「まさか……まさか……!」

 

 眼鏡の上級生は気が付いた。このままでは、まずい、と。

 そして、その場から逃げようと、必死に腕を動かし、腹ばいになって前に進もうとする。

 しかし、足に走る激痛と、慣れない姿勢から、一向に前に進まない。

 ギンッ!

 また、柱が一本ひしゃげた。給水タンクが、ゆっくりと彼女の方へと傾いていく。

 

「ひっ、ひいいいいいいいいっ!」

 

 眼鏡の上級生は腕の動きをさらに早めた。必死だった。必死に、その場から逃げ出そうとしていた。

 だが無情にも、再び、そして最後の、ギンッ! という、柱のひしゃげる音がした。

 そして、相当の重量を持った給水タンクが、彼女の体めがけて落ちてきた。

 

「いやああああああああああああっ!」

 

 その咆哮が、彼女の最後の言葉だった。

 彼女の死に物狂いの努力虚しく、眼鏡の上級生は、落ちてきた給水タンクに押しつぶされた。

 屋上に赤い絨毯が敷かれたように、彼女の血は屋上に広々と広がった。

 給水タンクが落ちた衝撃で吹き飛んだ眼鏡も、その血にゆっくりと染まっていった……。

 

 

 ◇◆◇◆◇

 

 

 ひそひそと、学食で話し声が沸き立つ。

 普段の喧騒とは違った、まるで忌諱するかのような話し声。

 そうして囁き合っている生徒は皆、一人の生徒に視線を向けていた。短髪の上級生だった。

 

「…………」

 

 短髪の上級生は、周囲に誰もいないテーブルで一人、スプーンをガクガクと震わせながら昼食のカレーを食べようとしていた。

 だが、カレーを掬ったスプーンを口に運ぼうとしたとき、スプーンを手から地面に落としてしまう。

 

「あっ……」

 

 短髪の上級生は落ちたスプーンをまじまじと見た。

 その目には、スプーンを落した哀しみや苛つきはなく、ただただ怯えの色が浮かんでいた。

 そこに、カツンカツンと音を立ててやってくる者がいた。

 みほだった。

 みほは、その日も昼食を忘れたため、今日は友人と一緒に学食で食事を取ろうとしていたのだ。

 そのみほを見た瞬間、短髪の上級生は急に立ち上がり、みほの元へと駆けていった。

 そして、みほの肩を掴んだかと思うと、いきなりこう叫んだ。

 

「あんたのせいよっ!」

 

 みほとその友人は、突然の短髪の上級生の奇行に何がなんだか分からない様子だった。だが、短髪の上級生はそんなことお構いなしとまくし立てる。

 

「あんたの! あんたのせいでっ! 二人とも死んだんだ! 二人とも狙われたんだっ! 今度は……今度は私の番なんだっ!」

「あ、あの一体何を言って……」

 

 みほが困惑した様子で尋ねる。

 しかし、短髪の上級生はまるで聞いていないかのようにさらに言葉を続けた。

 

「どうしてくれるのよ!? 私、まだ死にたくないわよ!? それもこれもあんたが……あんたが、逸見エリカと仲が良かったからっ!」

「……えっ?」

 

 その叫びに、みほは耳を疑った。

 なぜ、どうしてエリカの名前が。

 

「……生きてやるんだから。私は絶対、生きてやるんだからっ!」

 

 そう言って、短髪の上級生はその場からいきなり走り去っていった。

 みほは慌てて走って行く短髪の上級生の方を向く。

 

「ちょっと待って下さい! エリカさんが、エリカさんがどうかしたって言うんですか!?」

 

 しかし、みほの言葉は彼女には届かなかった。彼女は既に、どこかへと消え去っていた。

 

 

 その日、短髪の上級生は学校を抜け出し、寮へと帰って自分の部屋に閉じこもった。

 扉に鍵を掛け、夜になっても電気も付けず、布団に体育座りで包まっていた。

 

「私は……私は絶対、生き延びてやるんだから……!」

 

 布団に包まれ、ガクガクと震えながら言った。

 短髪の上級生は帰ってすぐ、家に連絡をしていた。学校を辞めたい。すぐに帰りたいと。

 もちろん彼女の両親は驚き、事情を聞いてきた。しかし、あまりにめちゃくちゃな状況に、そのことを話すこともできず、ただ帰ると言って電話を切った。

 今日はもう学園艦から陸の上にある実家に帰る手段はなかった。だが、明日には陸の上に向けてヘリが飛ばされることになっている。それに乗せてもらうつもりだった。

 だから、それまでの間、彼女は部屋から出ずに籠城することを心に決めたのだ。

 

「そうよ……大丈夫、水さえ、水さえなければ……」

 

 短髪の上級生は、長髪の上級生と眼鏡の上級生の死、それぞれに水が関わっているのではと考えていた。

 長髪の上級生のときは雨、眼鏡の上級生のときは貯水タンク。

 だから、水と関わりあいにさえならなければ、生き延びられると踏んでいた。

 そのために、水道も急いで止めた。冷蔵庫にあるペットボトルもすべて捨てた。一日ぐらい水を飲まずとも、死ぬことはないと考えてだ。

 

「私は死なない……! 私は死なない……!」

 

 短髪の上級生は自分に言い聞かすように繰り返す。

 彼女は、三人組の中でも少しだけ浮いていた。長髪の上級生と眼鏡の上級生が昔から仲が良かったところに、同じく黒森峰についていけなくなったものとして、仲間に入れてもらったのだ。

 だが、二人のことに好意を抱いていたことも確かだった。ただ、自分は入れずとも二人を眺めていられればいい。

 それに二人はいつでも彼女を守ってくれていた。三人組の中でも一番気の弱い彼女も、二人といれば気が強くなれた。だからこそ、みほにもあんな辛辣な言葉をかけられた。

 だが、その二人はもういない。だったら、自分のことは自分で守るしかない。

 短髪の上級生は、そう誓った。

 

「殺されたりなんかしない……! 殺されたりなんか……!」

 

 短髪の上級生は呪文のように繰り返す。そう自分に言い聞かせるために。

 だが、すぐさま彼女は自分がいかに浅はかであったか、思い知らされた。

 

 ポツリ。

 

「……え?」

 

 短髪の上級生の頬に、冷たい何かが落ちてきた。短髪の上級生は何かと思い、天井を見上げる。すると、彼女の頭上の天井に、シミができていた。そして、そこからポツリ、ポツリと、水滴が落ちてくるのだ。

 

「嘘……? ここ、一階だよ……?」

 

 水滴は、だんだんと落ちてくるペースを早めてくる。さらにそれだけではない。彼女の頭上以外の天井のいたるところに、次々とシミができ、そこからどんどんと水滴が雨のように滴ってくるのだ。

 

「ひぃぃぃぃっ!」

 

 短髪の上級生は思わずベッドから飛び退いた。水滴は、どんどんと部屋全体に広がり、部屋を染めていく。

 また、さらに、壁の上の端から、だらりと、汚れた水が垂れ流れてきたのだ。

 

「い、嫌ああああああああっ!」

 

 短髪の上級生はパニックになり、這々の体で部屋から出ようとする。だが、その刹那――

 

「うっ……!」

 

 短髪の上級生は、急に胃から何かがこみ上げてくる感覚に襲われた。それはあまりにも苛烈で、苦しく、耐えることができなかった。

 

「お、おえええええっ!」

 

 短髪の上級生はその場で吐き出す。そして、自分の口から出たものを見て、目を疑った。

 それは、大量の水だった。茶色い水が、自分の口から吐き出されたのだ。

 

「なに……ご……れ……うっ……!?」

 

 短髪の上級生は急に苦しくなり、その場に倒れこんだ。その苦しみは、息をしたくてもすることのできない、窒息の苦しみだった。

 

「おっ、おええっ! おえええっ!」

 

 彼女は絶えず口から水を吐き出す。そこで彼女は悟った。自分は、今溺れているのだと。陸の上で、水のないはずの場所で、溺れているのだと。そして、それから逃れる術は、ないと。

 

「ごぽっ……! ごっ……!」

 

 だんだんと意識が遠のいていく。視界が闇に包まれていく。

 そんな中、彼女は見た。

 自分を見下ろすように立っている、水を滴らせるびしょ濡れの女を。

 真っ白な顔からおぞましい視線を向けてくる、エリカの姿を。

 

 



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ソウシツ

 

「う、うア……?」

 

 エリカは何度と無く体験した戦車の中での目覚めの感覚を味わう。

 しかし、その感覚はいつもとは少し違っていた。

 まるで、頭にもやがかかったようにはっきりしない。体が、鉛のように重たい。死んでいるはずなのに、なぜこんな感覚に襲われるのか。そんな疑問を浮かべつつも、頭を働かせようととりあえず今までのことを思い返そうとした。

 

「えっと……私、いままで……いままで……いまマデ……。……っ!?」

 

 そこで、エリカは電流が走ったかのような衝撃に打たれた。エリカは顔を真っ青をにして、わなわなと震える自分の手を見た。

 

「私……人を、殺シタ……?」

 

 その光景が、エリカの脳内で強くフラッシュバックする。

 一人は雨の中階段から突き落とし、一人は貯水タンクの下敷きにし、一人は溺死させた。

 その記憶が、あまりにも鮮明に、エリカの脳内に刻みつけられていた。

 

「私……なんて、なんてことを……。そうだ、みほは、みほはどうしてルノ!?」

 

 エリカは慌てて戦車の外に出た。もしかしたら、憶えていないだけでみほにまで危害を加えてしまったのかもしれない。そんな恐怖が、エリカを襲ったからだ。

 すると、その戦車の外では、黒森峰の隊員がまほの前に整列していた。どうやら、訓練の終わりの挨拶らしい。そして、その集団を少し離れた位置に椅子に座って眺めている姿があった。みほだった。どうやら怪我をして訓練に出られないかわりに見学しているらしい。その外見には、少なくとも変わりはなかった。

 

「よかっタ……」

 

 エリカはほっと胸を撫で下ろす。少なくとも、みほまで見境なく襲ってはいないようだった。エリカはそのままみほに近寄る。みほのそばにいて、少しでも人を殺してしまった現実から逃げたかったから。

 

「……あら?」

 

 すると、不思議なことに、みほの近くにいるとさきほどまでぼんやりとしていた頭と、重苦しかった体が元に戻った。

 そして、意識がより鮮明になって、奇妙な安心感に包まれた。何と表現していいのかは分からないが、とにかく、みほがいれば大丈夫、そんな安心感だった。

 

「……それでは、本日の訓練を終了する」

 

 まほの声が高らかに響く。だが、隊員達はというと、皆不安げな顔をしていた。中には、まだ整列しているというのに小さな声で話し合っている者さえいる。

 そんな隊員達を目の当たりにしてか、まほは「んんっ!」とわざとらしく咳き込んだ。そして、付け加えるように口を開いた。

 

「……それと! はっきり言っておくが、ここ最近連続して起きている事故だが、あれはただの事故だ。そこに、諸君らが噂しているようなオカルトは、一切関わってはいない」

「で、でも隊長!」

 

 隊員の一人が手を上げて、おどおどした様子で発言した。エリカの記憶では、その隊員は確か隊の中でも心霊話などについて特に興味関心を持っていた隊員だった。

 

「なんだ」

「さすがに、おかしいとは思いませんか!? あのいつも一緒にいた三人組の先輩方が、急に連続して死ぬだなんて。それに、一人は部屋の中で、水もないのに溺死していたんですよ!? こんなの、幽霊の仕業じゃないとどう説明をしろって言うんですか!」

 

 明らかにその霊の存在を――エリカのことを恐れている様子で、その隊員は言った。しかし、まほは一切表情を変えない。

 

「何かと思えば、馬鹿馬鹿しい……。ただ偶然が重なっただけだ。人は、偶然に理由付けをしようとするが、そこには何の意味もないことが多い。それに陸の上で溺死と言うが、人間は肺に水が溜まれば陸の上でも死ぬことがある。あいつは、きっとどこかで肺に水を溜めてしまったんだろう。説明できないわけじゃない。わかったら、そんなくだらない考えは捨てて、訓練に励め。わかったな」

「は、はい……」

 

 まほの強い言葉に、その隊員は納得はしていなくとも、そう応えるしかなかった。

 

「それでは、解散!」

 

 そして、まほの号令で、その場は解散となった。

 その後すぐに、みほのもとにまほが近寄ってくる。

 

「大丈夫かみほ、足は傷まないか?」

「うん、大丈夫だよお姉ちゃん。これなら、思った以上に早く回復するかもね」

「そうか……私もその日を楽しみにしている。少しの間だけ、我慢してくれ」

「うん」

 

 みほが笑って頷くと、まほは微かに安堵の微笑みを浮かべて、その場から去っていった。そして、そのすぐ後に、今度は赤星が近寄ってきた。

 

「みほさん……少しいいですか」

「うん、何かな赤星さん?」

 

 赤星は周囲を確認し、誰もいないことを確かめると、小さな声でみほに囁くように言った。

 

「実は……一緒に来て欲しいところがあるんです」

「来て欲しいところ?」

「はい……。その、強い霊感を持っている、占い師のところにです」

 

 その赤星の言葉に、みほも、そしてエリカも驚いた。赤星は、そういったたぐいのことを信じている隊員ではなかったはずだが。

 

「隊長はああ言ってましたが、今回の件、あまりにおかしすぎます。私、実は知ってるんです。みほさんがあの三人組にいじめられていたこと……」

「……そ、そうなんだ」

 

 赤星のその言葉に、みほは表情を陰らせる。赤星は、申し訳ないと言った様子で話を続けた。

 

「ごめんなさい。本当は私から隊長に言うべきだったんでしょうが、その、私も脅されてて……。すいません、不甲斐なくて」

「ううん、いいんだよ。しょうがないよ、黒森峰だと先輩は絶対だし」

「はい、そう言って貰えると助かります……。それで、あの三人が死んでしまったことなんですが……やっぱり、関わっていると思うんです。エリカさんが」

「……エリカさんは、そんなことしないよ」

 

 みほが少し怒気を孕んだ声で言った。

 エリカには、それがとても心苦しかった。赤星の言うことは本当だから。あの三人を殺したのは、エリカなのだから。

 赤星は話を続ける。

 

「でも、そう考えるのがやっぱり自然なんです。エリカさんはみほさんのこと、良く思っていてくれてました。それに、あの三人は全員水に関わった死に方をしている……。これは、エリカさんが溺死したことを考えると、辻褄が合うんです。……だから、一緒に確かめてくれませんか? もしかしたら、エリカさんは私達の知らない間に、大変なことになってしまったのかもしれない……そして、もしかしたら私達にエリカさんを救うことができるかもしれない……。もし、私の考えが外れていたらそれでいいんです。ただ、私はそれを確かめたいだけなんです。だからお願いしますみほさん。一緒に来てください。エリカさんの身の潔白を証明すると思って……お願いします」

 

 赤星が頭を下げる。みほはそんな赤星を見てしばらく逡巡すると、その重たい口を開いた。

 

「……わかった。一緒に行ってみる。その、占い師さんのところに。でも、勘違いしないで。私は、エリカさんの潔白を証明したいだけ。エリカさんはそんなことしないって、私、信じているから」

「……はい!」

 

 みほの言葉に、赤星は笑顔になった。

 エリカは、みほの信頼を裏切っていることに心を痛めつつも、もしかしたら自分にも何らかの解決案が見えるかもしれない。そう思った。だから、エリカはみほについていくことにした。

 みほはその場から松葉杖を使って立ち上がる。そして、二人で準備をするために一旦ロッカールームへと向かった。

 

 

 それから数十分後、二人は黒森峰学園艦の中でもとりわけ人通りが少ない、寂れた区画にやってきた。もちろん、エリカも一緒である。

 規律が厳しいはずの黒森峰でありながらも、その区画は異質な雰囲気を放っていた。

 通りかかる人々も、どこか面持ちが暗い。

 そんな中でみほと赤星は浮いた存在だった。だが、二人は目的を果たすためにはそこの更に奥にある路地裏に行く必要があった。

 細い道を二人は進んでいく。そして奥まった場所に入ったところで、その人物はいた。

 その人物は黒ずくめで、男性か女性かも分からない。深くフードを被り、顔も見えない。そんな得たいの知れない人物が、路地の奥で、机の上にシーツを広げ、簡易の台を作り、椅子に座っていた。

 二人はその黒ずくめの人物に話しかける。

 

「あの……」

 

 赤星が言う。すると、黒ずくめの人物はすっと手のひらを出してその言葉を制止させた。

 

「分かっています。あなたたちの来た理由は。……ここ最近起きた、連続怪死事件のことですよね?」

「は、はい……」

 

 赤星もみほも目を丸くして黒ずくめの人物を見た。そして、その人物が只者ではないことを悟った。

 

「はっきりいいましょう。そこのショートカットのお嬢さん。……あなたに執着している霊の姿が見えます」

「えっ!?」

「なっ!?」

 

 みほとエリカが、被るように声を上げた。無論、エリカの声が誰にも聞こえないのだが。

 

「その霊はあなたのことを随分と心配しているようですね……ですが、大変まずい状態になっています」

「ま、まずいって一体……」

「霊というものは、どんなに清らかな心の持ち主だったとしても、大抵の場合長く現世にとどまり続けるとそれは黒く、醜く歪んでしまうのです。特に、現世に執着する理由に何かがあったときは特に」

「そ、そんな! じゃあエリカさんが歪んでしまっているって言いたいんですか!?」

 

 みほが声を荒げる。しかし、黒ずくめの人物は一向に態度を変える様子はない。

 

「はい。そして、このままだともっとひどいことになってしまうでしょう。それを解決するには、ただ一つ」

「……どうすれば、いいんですか」

 

 今度は赤星が冷静な口調で聞く。すると、黒ずくめの人物は、フードから微かに見える口角を微かに上げて言った。

 

「お嬢さん。あなたが、この学園艦から出て行くことです」

「え、ええっ!?」

「そ、そんなっ!?」

 

 またしてもみほとエリカは被るように言った。

 特にエリカは動揺した。

 ――みほがいなくなる? みほが、私のそばから離れる? 嫌だ! そんなの、イヤダ!

 

「霊はあなたに執着しています。だから、あなたが去れば霊は執着を無くすはずです。そうですね、大洗あたりがいいでしょう。あそこは戦車道もなく、落ち着いた場所ですから、霊のことを忘れて過ごすには適しているでしょう」

「そんな……私に、エリカさんのこと、忘れろって言うんですか!?」

 

 みほはそれまで誰も見たことがないほどに怒りを露わにしていた。だが、やはり黒ずくめの人物は動じない。

 

「よく考えて下さいお嬢さん。これは、あなただけの問題じゃない。あなたの、周囲に関わってくる問題なんですよ」

「私の、周りに……」

「はい。霊の被害を最小限に抑えるには、それしかない。どうか、よくお考えを……」

 

 そのとき、黒ずくめの人物が、フードの下に隠れている目で、二人の背後を見た気がした。そこにいる、エリカを見据えるように、黒ずくめの人物は、ほくそ笑んでいた。

 

 

 そう助言を貰った後、二人はその場を後にした。

 みほは非情に思いつめた顔で歩いている。赤星も、なかなか言葉を言い出せずにいた。

 一方エリカは、不安に苛まれていた。

 ――みほがいなくなるわけがない。そうだ、みほはきっと一緒にいてくれる。そうでないと駄目だ。そうじゃないと、私は、私でいられなくなるかもシレナイ……。

 

「……みほさん」

 

 赤星が、零すように言った。みほは、表情を変えずに赤星の方を見る。

 

「……何ですか」

「……その、どうしますか?」

「…………」

 

 みほは無言になる。

 ――大丈夫、きっとみほはいてくれる。みほは、私を裏切ったりしない。みほは、私をおいて行ったりナンカシナイ。

 

「……私、出て行ったほうがいいのかな」

 

 ――……エ?

 

「私のせいでエリカさんが大変なことになっているのなら、私のせいで誰かに被害があるとするなら、私、ここから出て行ったほうがいいのかもしれない」

 

 ――……嘘よネ? ウソヨネ? みほ?

 

「……そう、ですか……確かに、そのほうがいいのかもしれませんね。寂しくなりますけど、エリカさんのことを考えたら……」

「うん……だけどまだ考え中。急に転校しろって言われても、受け入れがたいしね」

 

 そこで二人の会話はぴたりと止んだ。そして、そのまま二人はそれぞれの帰路についた。

 エリカは、頭にまたもやがかかり、さらにぐちゃぐちゃになり始めていた。

 ――みほが私を見捨テル。みほが私をオイテイク。みほがワタシヲワスレテシマウ……。

 そこでまた、エリカの意識がふつりと切れた。

 

 

 ◇◆◇◆◇

 

 

 まほは水没したⅢ号戦車を前に一人立っていた。隊長としての仕事が思った以上にかかり、その帰りにふと格納庫に寄ったのだ。

 もう夜も遅く、格納庫の中には頼りない電灯が明かりを照らしていた。

 

「……それにしても、幽霊、か」

 

 まほはぽつりと呟く。そして、その後自嘲気味に笑った。

 

「馬鹿馬鹿しい。……なあエリカ、本当にいるとは思っていないが言わせてもらおう。私はお前のことを信頼していた。将来はみほと共に黒森峰を背負って立つものとして、な。……だが、お前はいなくなってしまった。今でも、辛い記憶だ。だが、もうそれとはおさらばしようと思う。いつまでたっても、生者が死んだものに引きずられては、いけないからな。みほにも、それは徹底するつもりだ。あいつにはどうもお前が幽霊になって一緒にいてくれると思っているらしいが、そんな馬鹿げた妄想からは早く開放してやらねばいけないな。……私らしくないな。こんなひとりごとを言うなんて。早く帰ろう。ではなエリカ。どうか、天国で安らかに……」

 

 そう言って、まほはⅢ号戦車に背を向け、裏口へと向かった。

 

「……アナタモ、ワタシノコトヲワスレルンデスカ?」

 

「……は?」

 

 まほの耳元で、誰かが囁いた。

 ――そんなはずはない。ここには、私一人のはずだ。

 しかもその声は、とても聞き覚えのある声で――

 ゴポッ。ゴポポッ。

 

 妙な音がした。それは、よく洗面台や台所、風呂などで耳にする音だった。そう、水の中で空気が泡立つ、あの音だ。

 まほは、ゆっくりと振り返った。音のした方向、声のした方向を見るために。

 そこにはⅢ号戦車があった。何の変哲もない、Ⅲ号戦車。

 ゴポポポポッ!

 音が一層激しくなった。そして、次の瞬間、まほの目の前で信じられない光景が広がった。

 Ⅲ号戦車のキューポラから、水が湧き始めたのだ。まるで、洪水で溢れかえる下水のような勢いで。その水の色は、泥で濁った茶色だった。

 ゴポポポポッ! ゴポポポポッ!

 水は一気に溢れだし、滝のようにⅢ号戦車から流れ出てくる。そして、あっという間に格納庫全体を水浸しにした。

 

「……何、これ……?」

 

 まほの本能が告げていた。逃げろ。逃げろ。逃げろ。

 まほは裏口へと全速力で走って、ドアノブに手をかけた。しかし、扉はまるでビクともしない。

 

「開けっ! 開けっ!」

 

 そう言ってまほが扉と格闘している間にも、水かさはどんどん増していく。そして、まほのくるぶしあたりまで水かさが増したときだった。

 まほの足を、何かが掴んだ。

 

「……え、えっ?」

 

 まほはわけがわからないまま、扉を背にし、足元を見る。

 そこには、手があった。誰かの手があった。

 手は、まほの体にすがるように、足首から脛、太ももと伸びていく。そして、伸びていくとともに、手だけではなく体が現れた。まるで、水中からゆっくりと這い上がってくるかのように。

 

「あ……あ……」

 

 まずは頭だ。頭が汚水を掻き分け現れる。その顔は長い髪に隠れて見えない。今度は肩だ。その次は、胸だ。その次は腰だ。そうして、その体がはっきりと姿を現す。そいつは、黒森峰の制服を着ていた。ただの制服ではない。黒森峰戦車隊の隊員が着る、パンツァージャケットだ。

 やがて、体すべてが水の中から姿を表した。まほの体によしかかるように、それは姿を見せた。

 まほは知っていた。そいつの正体を。そいつの名前を。

 それは、まほが先程まで語りかけていた相手だった。

 

「エ、エリカ……?」

「……アアアアアアアアアアアアア……」

 

 エリカは奇怪な声を出し、まほに体重をかけてきた。すべてを把握した瞬間、まほは声を上げずにはいられなかった。

 

「……い、いやあああああああああああああっ!!!」

 

 まほはエリカに押し倒された。バシャリと、泥水に浸かる。だがそんなこと気にしてられなかった。

 まほは、必死にエリカから逃げようとした。

 

「……嘘だ! こんなの嘘……嘘よっ!」

 

 しかし、エリカからは逃げられない。

 エリカはまほの体をがっちりと捉えていた。そして、仰向けになっているまほに緩慢な動きでのしかかってきた。

 

「きゃあああああああああっ! いやっ! 助けてっ! 助けてぇ!!」

 

 まほはいつの間にか泣いていた。泣きながら大声で助けを求めていた。

 だが誰も助けにこない。誰にも、まほの叫びは届かない。

 覆いかぶさるエリカの腕が、これまたゆっくりとまほの体の上へ上へと登ってくる。

 

「助けてっ! 誰かっ! お母様っ……お母さん! お母さぁん!!」

 

 もはや普段のまほの姿はどこにもない。今あるのは、一人の怯える少女のみ。

 エリカの手はとうとう、まほの首筋にまで伸びてきた。

 まほは狂ったように叫び続ける。

 

「お母さん! 助けてよお母さん! お母さん! ……みほっぉ!」

「……み……ホ……?」

 

 そこで、エリカの手が止まった。

 そして、ぶるぶると震えだし、自分の両手を眺めたかと思うと、天を仰ぎ、両腕で頭を抱えて絶叫した。

 

「う、ウワアアアアアアアアアアアアアアアッ!!!!!」

 

 そして一瞬のうちに、エリカも、格納庫を満たしていた水も消え去った。

 残ったのは、一人ガクガクと震え涙を流しているまほ一人だった。

 

 

 ◇◆◇◆◇

 

 

 翌朝、黒森峰は騒然としていた。黒森峰の顔とも言える戦車道の隊長、西住まほが、明らかに狂った様子で、格納庫で発見されたからだ。

 担ぎ出されるまほには多くの人だかりができていた。

 その中には、もちろん妹であるみほもいた。

 

「お姉ちゃん! どうしたの、お姉ちゃん!」

 

 みほが担架で運ばれるまほに話しかける。まほの目は虚空を眺め、涙を流していた。そしてまほは体を震わせ、赤ん坊のように縮こまって、同じ言葉を何度も繰り返していた。

 

「ごめんなさい……エリカ、ごめんなさい……助けてお母さん……助けてみほ……ごめんなさい……エリカ、ごめんなさい……」

 

 まほはそのまま救急車へと載せられた。皮肉なことに、みほよりも先に、まほが病院へと運ばれることになった。

 

「…………」

 

 まほを見物にしにきていた人だかりも、まほが搬送されるとやがて散開していった。しかし、みほは一人その場に立ち尽くしていた。

 そこに、赤星がやってくる。

 

「……そろそろ授業が始まりますよ、みほさん」

「……赤星さん。私、決めたよ」

「えっ?」

 

 赤星が聞き返す。

 みほの顔は、確然たる決意に満たされたいた。

 

「私、転校する」

「……そう、ですか」

 

 赤星は悟ったかのように静かな声でみほに対して言った。

 言葉を紡ぐみほの語調は、とても強かった。

 

「もうこれ以上、被害者を増やしちゃいけない。もうこれ以上、エリカさんに罪を重ねて欲しくない。だから、私転校する。私が犠牲になれば、みんなも、エリカさんも助かるんなら」

「……分かりました。寂しくなりますね」

 

 沈痛な面持ちを浮かべる赤星に、みほはその場で出せる精一杯の笑顔を向けた。

 

「大丈夫だよ! 別に会えなくなるわけじゃないし! ……たまにはこっそり会おう、ね」

「……はい!」

 

 みほも赤星も笑顔を浮かべた。

 これからの未来のために。エリカのためにと。決意を新たにして。

 

 ――オイテイカナイデ、ワスレナイデ、ミホ……ワタシガ、ワタシデナクナッチャウ……。

 

 その痛々しい声は、二人の耳には届かなかった。

 

 

 ◇◆◇◆◇◆

 

 

 

 

 ――そして時は流れ……。

 

 ねぇ、『エリカさんの噂』って知ってる?

 何よそれ、初耳。

 

 ほら、機甲科で毎年怪我人か死人が出るっていう、あの。

 

 ああ、『呪われた戦車』の話?

 そうそうそれそれ!

 あれって確か、機甲科には呪われた戦車がある格納庫があって、そこは戦車を動かそうとしても、格納庫ごと取り壊そうとしても、絶対誰かが死んだり怪我したりして結局駄目になるらしいね。

 そしてそれのせいで、毎年機甲科にも犠牲者が出てるっていう……。

 

 そう! そしてそれを引き起こしているのが『エリカさん』って話らしいよ!

 へぇ……どんな話なの? その『エリカさん』って。

 

 なんでも、昔機甲科でいじめられて自殺した女の子だとか、練習中の事故で死んだ女の子だとか、いろいろ説はあるらしいんだけど……その子の名前が『エリカさん』って言うんだって。

 毎年機甲科で犠牲者が出るのはその『エリカさん』を蔑ろにするからだとか、『エリカさん』が怒っているからだとか言われてて……どうも機甲科だけじゃなく、噂を確かめに来た文科省とかの偉い人も犠牲になったことがあるんだって!

 うわーこわいねー……。あんまり関わりあいにはなりたくないなぁ。

 

 でも待って! この話には続きがあるの! 『エリカさん』に格納庫にある戦車の前でちゃんと尊敬してますって、忘れていませんよってことを伝えると、なんでも願いを叶えてくれるんだって!

 本当にぃ?

 本当本当! それで学年主席になった先輩とか、彼氏が出来た子の話があるんだって!

 へぇー……そういや私、来週のテストまずいんだよなぁ。

 

 私も、最近懐事情が寂しくてね……ね、これから格納庫行ってみない?

 え? でもあそこ立入禁止でしょ?

 それがね、なんでか裏口だけは鍵がかかってないんだって。この前確かめた子もいたよ。

 

 ふぅーん。……でも、大丈夫かなぁ、祟られたりしないかなぁ。

 

 大丈夫大丈夫! 私達普通科だし! 何かあるのは機甲科か戦車道に関わってる人だけだって聞いたから! ほら! 行ってみよう!

 あ! ちょっとまってよお!

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 ――……ミ……ホ……。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 



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水底(ミナソコ)の呼び声2~拡~
サイカイ


今回出しているオリキャラはPixivのほうの作家であるmemeo様の作品『彼女のごく小規模な復讐(あるいは正直者の生涯唯一のブラフ)』から借りさせて頂いたキャラですが、該当作品を読んでいなくとも本作品を理解するには問題ない内容になっていると思います。


 月の微かな光をキラキラと海の穏やかな水面が反射する。夏の夜空には星々が瞬き、夜風は磯の香りを陸へと緩やかに運んでいる。波は静かにコンクリートの壁面を撫で、心地良い音色を奏でている。

 そんな深夜のとある港を一人の女性が歩いていた。

 彼女の名は森船淳美(もりふねあつみ)。とある戦車道プロチームに所属する選手の一人である。

 

「はぁ……」

 

 彼女は港から出ているビットに腰を掛け、深く溜息をついた。それというのも、彼女の所属するチームは朝に行われた試合で、相手チームに圧倒的な敗北を喫したのである。さらに言えば、淳美の乗車していた戦車はいの一番に撃破されてしまった。

 淳美はここ最近、自分がチームに貢献できていないことについて悩んでいた。元々縁故のような形でチームに入った彼女であったが、活躍したいという欲望が無いわけでもない。だが、チームにおいて彼女は、足は引っ張っているというほどではないが、必ずしも必要とされている選手というわけでもなかった。

 だが、それ自体はいつも彼女が抱えていること。人がいない夜更けに彼女が外出したのには、もう一つ要因があった。それは、対戦相手にいた一人の選手が関わっている。

 

「……西住、みほ……」

 

 西住みほ。それが、淳美が肩を落としている最たる原因だった。淳美は学生時代黒森峰に通っていた。そして、そこで淳美が出会ったのが西住姉妹だった。みほの姉、西住まほは淳美にとって憧れの対象だった。自分にはない才能の持ち主であり、理想の戦車乗りの姿だったから。みほは淳美にとって嫉妬、憎悪の対象だった。姉と同じく優れた才能を持ちながら、おどおどとした性格で彼女を苛つかせたから。

 淳美は西住姉妹に対しずっと複雑な感情を抱いていた。まほは憧れの存在だったのに、第六十二回高校戦車道大会の後、突如発狂した。原因はよく分かっていないが、一部では当時噂されていたお化け騒ぎがそうであると言われていた。淳美はそんな話を信じてはいなかった。幽霊などいるはずがないのだから。確かに、大会のときに不幸な出来事はあったのだが。

 そして、その直後にみほが転校した。姉がいなくなった後の黒森峰を支えていかなければならないのに、その役目を放棄したと淳美は思っていた。しかも、それだけではない。みほは転校先の学校で戦車道を復活させ、全国大会で優勝旗を奪っていったのである。これはもはや、裏切り行為に等しいと思っていた。

 だからこそ淳美は、みほという人間に対し極めて個人的な怒りの念をずっと抱いていた。

 ごく小規模な復讐でいいからしたいとも思っていた。もう十五年も前のことだと言うのにである。

 最近になって憧れだったまほが復活しプロの世界に参戦したとは言え、やはりその感情は彼女の心に渦巻いていた。

 だからこそ、プロになった後もみほのチームとの試合は気合が入った。だが、はっきり言ってあまり戦績は芳しくないし、淳美はいつも戦いの蚊帳の外にいた。

 それゆえ今回こそは、とも思ったが結局は駄目だった。それどころか、久々に偶然顔を合わせたみほは、なんのしがらみもないような顔で淳美に握手を迫ってきたのだ。淳美はそれに答えたが、内心は屈辱の極みだった。それが、淳美の心に影を落としたのだ。

 

「……たく、どうして私は……。あーもう、それにしても、暑い! 夜だっていうのにどうしてこんなに暑いの!? こんなんだったら、ホテルに置いてきたペットボトル持ってくればよかった……」

 

 淳美は服の襟を行儀悪くパタパタと仰ぎながらホテルの自室に置いてきたペットボトルのことを考えた。

 戦車道連盟が様々な商売に手を広げ始めたことにより生まれた、戦車道連盟認定のミネラルウォーター。馬鹿馬鹿しいとは思うが、大会のある選手には無償に配られているものなので助かっている。

 ――飲みかけのまま放置してきたが、やはり持ってくればよかったか……。

 淳美が熱帯夜に苦しめられながらそんなことを考えていた、そんなときだった。

 

 プルルルルル……。プルルルルル……。

 

「ん? 電話? こんな時間に?」

 

 淳美はポケットに閉まっていた携帯電話の着信音が鳴っているのに気づき、その携帯電話に手を取る。画面に表示されていたのは、電話帳には登録していない番号だった。

 

「……この番号、どっかで見たような……」

 

 淳美は画面を見ながら疑問を持ちながらも携帯電話に出る。

 

「はいもしもし、森船ですが」

『…………』

「もしもし、もしもーし? ……何よイタズラ? 切るわよ」

 

 突然の無言電話に淳美は明らかに不機嫌になり、電話を切ろうとして耳から携帯電話を話そうとする。すると、微かにだが電話越しから何か声が聞こえてきたのだ。

 どうせイタズラの続きだろう、と思いつつも淳美は耳を傾ける。

 

『……デ……』

「え!? 何!? 何ですって!?」

『ワスレ……ナイデ……』

 

 ――忘れないで。

 

 その言葉を認識した刹那、淳美は突如とても強い力で背後から突き飛ばされ、海へと落ちた。

 

「きゃっ……!? ちょ、一体……!?」

 

 困惑しながらもとにかく港の上に戻ろうと手をコンクリートの淵に伸ばそうとする淳美。

 だが、彼女の手は決して硬いコンクリートを掴むことはなかった。

 なぜなら、彼女の腕には海の中から伸びる銀色の毛髪がびっしりと巻きついていたのだから。

 

「ちょ、なにこ……きゃぁっ!?」

 

 淳美の体が海へと急に沈み始める。いつの間にか、髪は彼女の体中に纏わりつき、物凄い力で彼女を海中に引きずり込もうとしていた。

 

「た、助け……!」

 

 死に物狂いで海面から顔を出そうとする淳美。だが、髪は彼女の顔にまで伸びてきて、だんだんと顔を出していられる時間が少なくなる。

 それだけではない。髪が彼女を縛る力があまりにも強すぎ、彼女の体の節々が、ボキボキと骨が悲鳴を上げ始めたのだ。

 

「がっ……!? あっがっ……!?」

 

 折れる。

 沈む。

 たった二つの単語で説明できる淳美の状況。

 それは、単純ながらも明確に『死』が目前にあることを彼女に教えた。

 淳美の抵抗もだんだんと力を失っていき、とうとう彼女の体は海中へと沈んでいく。

 真っ暗な海の中。何も見えないはずの海の中。痛みと苦しみで満ちた海の中。

 だが、彼女は見た。確かに見た。

 淳美の眼前に現れた女の顔を。彼女を昏い瞳で射殺そうとしてくるその顔を。見覚えのある、その顔を。

 

 ――……逸、見?

 逸見エリカ。第六十二回高校戦車道大会における黒森峰女学園の優勝の影で、悲しい事故によってひっそりと命を落とした少女。

 その姿を見て、淳美の心は海へと溶けた。

 彼女の沈んだ海面は、すぐに何事も無かったかのように、月光を反射する穏やかに揺れ動く光景に戻っていた。

 だが、輝いていたはずの月は、どこからともなく現れた黒雲によってその姿を隠すことになる……。

 



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カイマク

今回出しているオリキャラはてきとうあき様(ID:142816)の作品『~如何にして隊長を尊敬している戦車道に対して真面目な黒森峰女学園機甲科生徒達は副隊長の下着を盗むようになったか~』から借りさせて頂いたキャラですが、該当作品を読んでいなくとも本作品を理解するには問題ない内容になっていると思います。


「はひぃー……」

 

 秋山優花里は『月刊戦車道』の編集部に用意された彼女の机の前で、バタバタと何も閉じていないファイルを使って体を仰いでいた。

 

「暑いであります……」

「しょうがないだろー、エアコン修理中なんだからー……」

 

 隣からだらけきった声が聞こえる。

 声の主は、彼女の先輩の記者である斑鳩(いかるが)だった。

 優花里は大学卒業後、戦車道に対し記者という形で接していく道を選んだ。設立されたばかりとは言え、プロの世界は彼女にとって狭き門であった。戦車道界隈において有名な『月刊戦車道』の記者となった彼女は、記者として様々な経験をしてきた。

 その過程において、優花里を指導してきたのが隣にいる斑鳩である。斑鳩は優花里と年齢が近く、関わってきた時間も長いため、今では仕事だけではなく個人的にも交流が深い間柄となっていた。

 

「うう、何故こんな暑い時期にエアコンが壊れるのでしょうか……」

「それはな秋山、さんざんエアコンさんを酷使する夏だからよ……」

 

 二人はすっかりとだらけきっていた。

 いや、二人だけではない。編集部にいる他の記者達も、額から汗を垂らしながらぐったりとしていた。その日は真夏日を記録しており、風も吹いていないため、とてもではないが風通しの悪い編集部の中にはいられなかった。

 だが、それでも仕事をしなくてはいけないというのが社会人である。

 優花里が今にも倒れそうな顔をしている横で、斑鳩はこれまたとろとろとした動きでノートパソコンを開いていた。

 

「よく作業する気になれますなぁ……」

「しょうがないだろー、早く新しいウェブサイト作らなきゃいけないんだから……。あのクソ編集長、私がちょっとパソコンできるからってこんな面倒な作業押し付けやがって……。他にも仕事あるっつーのによぉー。もうそういうことはプロに頼めよなぁー……」

 

 斑鳩が心底嫌そうな顔で愚痴るのに対し、優花里はハハハと苦笑いして答えた。

 

「編集長、なんというかその……お金に関しては厳しいですからねぇ。内でやれることは内ですまそうとしますから……」

「だからってもうちょっと限度があるだろう……。確かに戦車道連盟が色んな商売に手を出し始めたからって、うちまで出さなくていんだよー。特にさ、このウェブインタビュー企画は見切り発車すぎないか? インタビューを録画してネットに動画として流すってのは悪くないかもしれんが、まだ誰にどんなこと聞くとかこれっぽっちも決まってないんだぞ? そもそも編集長は――」

「やあ二人共! 元気にやっとるかね!」

 

 突然うるさいほどの大声が彼女たちに飛んできた。

 二人が背後を振り向くと、そこには恰幅のいい男が満面の笑みで立っていた。『月刊戦車道』の編集長である。

 斑鳩は明らかに動揺を顔に出していた。

 

「あ、どうも編集長……。その、今の聞いてました?」

「んん!? 今のとは何のことかね!?」

 

 斑鳩は、今度は分かりやすく安堵の色を浮かべている。長く付き合っているとわりと感情表現が豊かなのが斑鳩のいいところだと、優花里は思っていた。

 

「そんなことよりも秋山! 君に頼みたい仕事があるのだがね!」

「へ? 私ですか?」

 

 優花里は突然話を振られて驚く。確かに今殆ど仕事は抱えていない。だが、他に何か任される仕事が思いつかなかったのだ。

 

「今度ある戦車道オールスターゲームの取材なのだがね! 秋山! 君が行ってくれないだろうか!?」

「へ!? 私ですか!? で、でもあれって確か――」

 

 優花里は更に驚いた。

 戦車道オールスターゲーム。それは近年戦車道プロリーグに導入されたものであり、具体的には多く増えた戦車道プロチームから戦車、選手をそれぞれ選抜し、混成されたチーム同士による大規模対抗試合をするという内容だった。

 開催されるようになってから、戦車道ファンの間では年に一度のお祭りになっている。

 もちろん『月刊戦車道』としては大々的に記事を組むのであるが、それは別のベテラン記者が担当するはずであった。

 

「ああ彼かね!? それがな、質の悪い夏風邪を引いてしまったらしく、しばらくは安静にしていないと駄目だというのだよ! だから、頼んだよ秋山! 君は熱のある記事を書いてくれるからな! 期待しているよ! ガハハハハ!」

 

 言いたいことだけを言うと、編集長はあっという間にどこか別の場所に消えていった。

 まるで台風のようだ、と優花里は編集長に何か頼まれるたびにそう思う。

 

「はぁー……。まさか私がオールスター戦の記事を書くことになるとは……」

「よかったじゃないか。あれはなかなか注目される記事だから、記者としては名が上がるぞ?」

「でもプレッシャーですよぉ……。斑鳩殿は何度か書いたことがあるんでしたよね?」

 

 優花里がそう尋ねると、斑鳩は少し誇らしげに笑いながら、顎に手を当てた。

 

「ふふっ、まあな。様々な選手に意見を聞き、使用される戦車や編成、試合後にはそれぞれの作戦を事細かに分析しなければいけないからなかなか大変な仕事だよ。だがやりがいはある。なぁに秋山、お前ならできるさ。お前の戦車に掛ける情熱は編集部一だ。きっと、素晴らしい記事が書けるさ」

 

 そう言って、斑鳩は優花里の背中をポンポンと叩く。

 優花里はその斑鳩の後押ししてくれる気持ちが嬉しくて、顔を赤くし目を潤ませながら笑顔になった。

 

「うう、斑鳩殿、ありがとうございます……!」

「ま、下手なの書いたら凄く叩かれるだろうけどな! ハハハッ!」

 

 大声で笑う斑鳩に対し優花里は、今度はすぐに不安げな表情になる。斑鳩に遊ばれているのは分かるが、それでもやはり不安なことは間違いないのだ。

 

「うう、斑鳩殿ぉ……」

「おいおいそんな捨てられた駄犬みたいな顔するなよ……。ま、なんかあったら私に相談しろ。力になってやるからさ」

「……はい、分かりました! やはり斑鳩殿は頼りになります!」

 

 優花里がころっと明るくなる一方で、斑鳩はなんだか申し訳なさそうに顔をひきつらせながら、そっと優花里から目を逸らした。

 そんな斑鳩の様子を不思議に思っていると、斑鳩が先程とは違い自信なさげな声を出し始めた。

 

「その、代わりと言ってはなんなんだが……」

「はい?」

「ウェブインタビューのための選手か関係者、取材のついでに誰か探してきてくれんかなーっ……て。いや、私の仕事なのは分かるんだがそっちのほうが効率いいだろ? な、頼むよ! この通り!」

 

 斑鳩はギュッと目を瞑りながらバシン! という音を立てて勢いよく優花里に対し両手をあわせる。

 優花里はその斑鳩の言葉と姿を見ると、ぱぁっと斑鳩に対し笑みを向けた。

 

「なんだそんなことでございますか! 任されました! この秋山優花里! 不肖ながら斑鳩殿のお手伝いをさせてもらいます!」

 

 その優花里の解答を聞いて、斑鳩もまたほっとしたような笑みを浮かべた。

 

「よかったぁ……! 頼んだぞ秋山。いい人引っ張ってこれたら、今度なんか奢ってやるからな!」

「本当ですか!? ならばこの前出た超合金シュトゥルムティーガーを……」

「……私は飯のつもりで言ったんだがなぁ……」

 

 二人がそんな談笑をしている編集部だったが、別の一角では他の記者が別の案件について難しい表情で話し合っていた。

 

「ねぇこの前の森船選手の変死事件の記事、どうなったの?」

「あああれ? どうもしばらくは大声では公表しちゃ駄目らしいわよ? あんま有名な選手じゃなかったとは言え、オールスターが近いから連盟側としちゃ面白く無いんでしょうねぇ。あと、何故か警察からも圧力があったとか。ま、内容が内容だし……」

「やっぱりかぁ。記事書いた先輩は気の毒だねぇ……。まあでも、海から髪がぐるぐるに巻き付いてる体中の骨が折れた死体が見つかったなんて、普通に公表できるかどうかも怪しいしねぇ……。おお怖い。どうなってるのかしらね本当に……」

 

 

 ◇◆◇◆◇

 

 

 関東にある戦車道用の大規模演習場。

 広大な敷地の中に何一つないなだらかな平野、複雑な地形、多種多様に再現された自然環境、戦車戦のためだけに作られた模擬的な都市区画など、戦車戦におけるあらゆる状況を再現することができる、まさに戦車道のために作られた演習場である。

 連盟がプロリーグ設立後に多大な資金を投じて作り上げたこの演習場は、プロリーグの優勝トーナメントや高校戦車道の決勝戦など、特別な試合のときに利用されることが多い。選抜オールスターゲームもその一つである。

 その大規模演習場を一望できる大きな建物の上階、複数ある大きな選手控室の一つに、西住みほはいた。

 みほはオールスターゲーム用の特別なパンツァージャケットを身に纏い、菓子盆が置かれたテーブルを目の前にちょこんと椅子に座っていた。

 

「…………」

 

 みほは手元にあるタブレットを見ていた。そこに映しだされているのは、これから戦場となる山岳地帯の地図である。

 

「えーとここは恐らく争奪戦になるだろうから部隊を集中させて……うーんでもそうなると西側の山道の防衛力が薄くなるなぁ……でも重戦車はできるだけ温存しておきたいし……」

 

 みほは画面に集中しながらぶつぶつと小声で作戦を練っている。

 そんなみほの後ろから近づく影があった。

 その影は静かにみほに気が付かれないように近づいてきて、そして……。

 

「よーう西住! 元気してるかー!?」

「きゃっ!? ア、アンチョビさん!?」

 

 みほは、突然背後から抱きついてきたのは、元アンツィオ高校隊長、ドゥーチェの異名を持っていたアンチョビだった。抱きついてきたアンチョビに驚き、思わずタブレットを落としそうになってしまう。

 一方アンチョビは、そんなことお構いなしとみほにスリスリと頬ずりをする。

 みほは困ったような笑顔を浮かべながら、タブレットをテーブルに置いた。

 

「一緒のチームになれて嬉しいぞー! お前の指揮なら怖いもんなしだー!」

「わ、わかりましたから離れてくださいー!」

「おお、すまんな!」

 

 アンチョビはみほから離れ「すまない! すまない!」と言いながら高笑いした。

 

「アンチョビさんお久しぶりです。試合で戦うことはあってもこうして会うのは久しぶりですね」

「ああそうだな。ここ最近お互い忙しかったものな。だが西住はすっかりスター選手だな。何回もオールスターゲームの隊長を任されるなんてさすがだ」

「いえ、持ち回りみたいなものですから……。でもアンチョビさんも凄いと思いますよ。アンチョビさんのチーム、毎年上位クラスじゃないですか」

 

 みほがそう言うと、アンチョビは少し照れたような顔をして照れ隠しのように大声で笑った。

 

「ハ、ハハハ! ま、まあな! 卒業から十年以上経った今でも私はアンツィオのドゥーチェのつもりだ。私が頑張らねば、後輩に示しがつかんだろう?」

「さすがですね、アンチョビさん。憧れるなぁそういうの」

「あら! みほにアンチョビじゃないの! ハロー!」

 

 控室の扉の方から、アンチョビよりも更に快活そうな声が飛んでくる。その声の主は、かつてのサンダース大学附属高校隊長、ケイだった。

 ケイの後ろには、元聖グロリアーナ女学院隊長、ダージリンが落ち着いた表情で立っていた。

 

「あ! ケイさんにダージリンさん!」

「どうもみほ! 今日からよろしくね!」

「隊長としてよろしくお願いしますね、みほさん」

 

 ケイとダージリンはみほに近づくとそのまま側の椅子に腰掛けた。ダージリンがみほの右隣、ケイがさらにその右隣といった位置付けである。

 

「おう二人とも! この前の試合では随分お世話になったな! 今度は私達が勝つから覚悟しろよ?」

「あら? そうそう簡単には負けませんわよアンチョビさん? わたくしとケイさんを相手にして、楽ができるとは考えないことね」

「まあまあいいじゃないの今日から三試合の間は同じチームなんだしさ! 今は仲間同士、友情を深め合おうじゃないの!」

 

 ケイが親指をグッっと挙げてアンチョビとダージリンに突き出す。

 オールスターゲームは三試合行いそれで勝敗の結果を決める。試合にかかる時間がまちまちである戦車道だが、期間は一週間以内と定められている。そのため、プロリーグの試合に大きな影響はない。

 だからこそ、ケイとダージリンのように、同じチームから車長クラスの選手が複数選ばれるのもよくあることである。とあるチームが圧倒的に強かった年など、殆ど一チームまるごと選出されたこともあったほどである。

 なお、みほ達同世代の戦車乗り達は今でも当時の呼び名で呼び合っている。それだけ彼女達にとって高校時代の思い出はかけがえのないものだからである。

 

「ところでみほさん。ちょっとお手を拝借してよろしくて?」

「え? いいですけど……」

 

 ダージリンはみほの右手を持つと、まじまじと見つめ始めた。みほは何がなんだか分からず、不思議そうな目でダージリンを見る。

 

「…………」

「え、えーっと……」

「……綺麗ですわね。さすがみほさん」

 

 ダージリンが呟くように言った。みほは「へ?」と思わず妙な声を上げる。

 

「あー気にしないでみほ。最近ダージリンたら手が荒れてきたとかでちょっとお肌事情に敏感になってるのよ。私は別にそんなことないと思うんだけどねー」

「あなたは気にしなさすぎなのよケイ。元聖グロリアーナ女学院の淑女として、身だしなみを常に気遣うのは当然のことですわ」

「おや? なんだか楽しそうなことをしているね」

 

 またも新たな声が突然みほ達の耳に入ってくる。

 その声の主は元継続高校隊長、ミカだ。

 ミカはいつの間にか、みほ達の背後に立っていた。当然、みほ達は驚きを露わにする。ケイなど、「ワオ!」とオーバーなリアクションでガタリを椅子を揺らすほどだった。

 

「ミ、ミカさん!? いつの間に……」

「ダージリンがアンチョビと火花を散らしていたぐらいにはもう入ってきていたよ? もちろん、こっそりとだけれどね」

 

 ミカは悪戯な笑みを浮かべながらパチンとウィンクをする。

 もうかなり長い付き合いになるが、やはりどことなく読めない人だと、みほは思った。

 

「それにしても……私も興味があるね」

「え?」

 

 ミカはそれまでダージリンが触っていたみほの手を掴み、そのまま自分の顔に近づけた。ミカは立っているので、当然の如くみほの手は高く上方に上げられる。

 

「うわ!?」

「ふむふむ、確かに綺麗な手だね。やはり西住流ともなると、手入れの方法とかにも何か秘訣があるのかな? 私の手はもうすっかり荒れていてね。ちょっと恥ずかしいぐらいだよ」

「そうは思わないけどなぁ……。ミカさんの手も綺麗だと思いますよ? 私、ミカさんの手好きです」

 

 みほが明るい笑顔で言うと、ミカはそれに対し意味ありげにニヤついて見せた。

 

「まぁ、あまり肌のことを気にしていてもそれに意味があるとは思えないけどね」

「おいおい、お前が興味あるって言ったんじゃないか!」

 

 アンチョビがミカに対し突っ込みを入れる。ミカは変わらず瞳を閉じながら口端を僅かに上げているだけだった。

 ダージリンはやれやれといった様子でミカから目を逸らし目の前の菓子盆から菓子を取っているケイに視線を移す。

 ケイはミカを見て笑いながら菓子盆に乗っていたチョコレートを口に放り投げていた。

 そこに、トントン、と扉をノックする音が聞こえてくる。

 その音に対し、みほが代表して「はい! どうぞ!」と透き通る声で答えた。

 みほの声に答えるように、静かに扉が開かれる。

 そこには二人の人間が立っていた。その人物は、その場にいる全員がよく知っている人物だった。

 

「失礼する」

「失礼します!」

「お姉ちゃん! 優花里さん!」

 

 部屋に入ってきたのはみほの姉である西住まほ、そして優花里だった。

 二人の登場に、その場にいる全員が今までよりも更に明るい顔になる。特に、まほの登場に対して喜びの感情が大きく現れている人物が三人いた。

 

「おおまほ! 会いたかったぞ!」

 

 と言うのはアンチョビ。テーブルに両手を付き今にも飛び上がらんとするほどの勢いである。

 

「あらまほさん。お元気そうでなによりですわ」

 

 余裕たっぷりに言うのはダージリン。だが、まほの姿を見てどこか嬉しそうにしているのが見て取れる。

 

「ああまほさん。久しぶりだね。相変わらず、クールな笑みが素敵だね」

 

 そう口にするのはミカ。普段は捻くれていると評されることの多い彼女だが、まほに対しては素直に褒める言葉を選んでいる。

 

「やあみんな。さっきそこで秋山さんと会ってな。どうも取材に来たらしいから、せっかくだから一緒に来ようと連れてきたんだ」

「お久しぶりです皆さん! この秋山優花里、今回はオールスターゲームの記事を担当させていただくことになりました! よろしくお願いします!」

 

 優花里が勢いよく頭を下げると、みほが椅子から立ち上がり優花里に駆け寄った。そして、頭を上げた優花里の手を握って満面の笑みを浮かべた。

 

「優花里さん久しぶり! なかなか会えなくてちょっと寂しかったんだ! こんな形で優花里さんと会えて嬉しいよ私!」

「私もです西住殿! 今回は西住殿が隊長なので、いの一番にこちらに寄らせて頂きました!」

 

 みほと優花里はまるで学生時代に戻ったかのように無邪気に笑い合う。その姿に、控室の空気は和やかなムードで包まれる。

 

「まったく、相変わらず仲がいいな二人共。さすがあの大洗で共に戦った仲間だな!」

「あ! アンチョビ殿! いつも月刊戦車道にコラムを寄せてくれてありがとうございます! 毎回とても好評なんですよ!」

「そうなのか? 私の趣味のような駄文で毎回いいのかと思っているのだが……力になれたのなら嬉しいな」

 

 アンチョビは戦車道についてのコラム連載を『月刊戦車道』で持っている。それは『月刊戦車道』においてとても人気のある記事の一つなのだ。

 

「お前のコラムは楽しい。自信を持っていいぞ安斎」

「まほにまで言われると、本当に自信が付くよ、ありがとう。何せまほは大きなブランクがあったというのに社会人から一気にプロ世界で伸し上がっている超スター選手だ。そんなお前のお墨付きとあらば、どこへ出しても恥ずかしくないってことだな」

「そんなに大層なものではないよ、私は」

 

 まほは可愛いと言うよりもカッコイイという言葉が似合うような、そんな微笑みを見せた。

 まほは高校卒業後しばらくの間戦車道の表舞台から離れていたが、社会人のチームから戦車道を再開し、そのまま僅か一年足らずでプロの世界に入った。それからと言うもの、まほの活躍は戦車道界隈でもトップクラスの人気選手になるほどであった。

 

「まほとみほ、西住姉妹が同じチームだと心強いわね! 西住流の名は伊達じゃないもの!」

「ありがとうケイ。だが今回の相手の隊長はあの島田愛里寿だ。気合を入れて向かわねばこちらの首は簡単に飛んでしまうぞ」

「そうですわね。まぁ、一昨年のみほさんと愛里寿さんが同じチームで相手だったときと比べれば、ずっとマシではありますが」

 

 ダージリンは菓子盆からビスケットを取り出しそれを開けながら言った。その言葉に、みほを除いた全員が頷く。

 

「ああ、あのときのチーム分けは頭がおかしいといって差し支えがなかった……。トップ選手二人相手は、さすがにきついというものではなかったよ……」

「私は二人と一緒のチームだったから楽をさせてもらったね。苦境というものは人を強くするが、圧倒的な状況というものもまた人を育成するにあたっては意味のあるものだと思ったよ。戦車道にはまったく様々な人生の縮図が詰まっているね」

 

 溜息を付くアンチョビに対し、ミカは見えないカンテレを引くように指を動かす。その指付きは、まるで本当にそこにカンテレがあるかのようだった。

 と、そこで、ミカがはっと思いつたような顔をし、すぐさま悪戯な笑みを見せた。

 

「そうえば、今回は奇しくも西住流対島田流となるわけだが……まほさん。“売上”のほうの戦いは一体どんな情勢になっているんだい?」

 

 ミカのその言葉に、まほは苦笑いをした。みほもまた、軽く汗を浮かべながら口では笑いながらも眉を八の字にする。

 

「まったく連盟にも困ったものだよ。商売を拡大させるのはいいが、そこにも流派を持ち込むとは……。西住流天然水と、島田流饅頭。なんともまあ、前の理事長と違って、今の連盟の理事長は商売好きだ」

 

 まほがそう言うと、口には出さないものの同意すると言った雰囲気が漂う。

 戦車道連盟の理事長はみほ達が高校生のときとは違い、五年ほど前に体調不良を理由に交代することになった。結果、今の戦車道界隈は多岐に渡るグッズ展開や宣伝を行うようになったのである。

 

「ま、私は助かっているのからいいんだけどね。西住流天然水も島田流饅頭も、プロチームに所属している選手には無償で配られるから、節約になる。特に水はいい。試合前や試合中にいい水分補給になるからね。日常生活にだって必須品だ」

「はは……。相変わらずギリギリの生活してるんだね、ミカさん……」

 

 みほが苦笑しながら言うが、ミカは堂々と「まあね」と答えまた見えないカンテレを弾き始めた。

 そんな中、優花里は急に「あ! そうであります!」と言いながら方から降ろしていたバッグから手帳を取り出した。

 

「すみませんが、この中に誰か後日別件でインタビューに答えてもいいという人はいませんでしょうか? 現在月刊戦車道ではネットにインタビューを公開したいという企画を考えておりまして……」

「あ! はいはいはーい! 私! 私やりたい!」

 

 優花里が言い切る前に、食い気味に手を上げたのはケイだった。ケイは椅子から立ち上がり、ぶんぶんと上げた手を振っている。

 

「すっごく面白そうね! 私に答えられることならなんでも聞いて頂戴! 今日の試合の後部屋に来てよ! じっくりどんなことするか相談しましょう!」

「おお! ありがとうございます! それでは試合後の夜お伺いしますね! ケイ殿ならきっと斑鳩殿も喜んでくれます!」

「斑鳩先輩? ああ! そう言えば優花里さんと斑鳩先輩って先輩後輩の関係なんだっけ!」

 

 みほは懐かしさに浸る声で言った。

 斑鳩はみほの黒森峰時代の先輩、まほの同級生にあたる。それゆえ、みほにとっては懐かしい名に当たるのだ。

 

「はい! 斑鳩殿からはよく西住殿の話を聞いております! よく妹さ……おっとなんでもありません」

「?」

 

 優花里がしまったと言った様子で口に手を掛ける姿を、みほが不思議そうな顔をして見る。

 優花里は斑鳩からみほの話をよく聞くのだが、それに関してみほには秘密にして欲しいと頼まれていることがあった。

 それは、みほのことを斑鳩が『妹様』と呼んでいることである。斑鳩は高校時代みほを崇拝に近い形で好んでいたらしく、その名残で今もみほのことを妹様と呼んでいた。どうも最初の頃はまほの妹らしくないお飾りの妹だという意味が篭っていた節があったらしいが、今ではすっかりそんな意味は抜けているのだと言う。

 優花里が口を閉じていると、今度はみほが優花里の話から関連するようにポンと手を叩いてまほに話し始めた。

 

「斑鳩先輩と言えばお姉ちゃん、この前森船先輩に会ったよ!」

「森船? えーっと聞いた名だった気がするが……」

「もうひどいよお姉ちゃん! 昔のチームメイトのこと忘れるなんて!」

 

 みほが少し怒ったように言うと、まほは「……ああ」と今思い出したと言わんばかりの声を出した。

 

「そういえばいたなぁ。そんなやつ」

「もう……。でも元気そうでよかったー。たまに試合するけどああして話すのは凄く久しぶりだったから楽しかったなぁ。握手までしちゃった。やっぱりあの頃の先輩や友達とももっと話したいなぁ……」

 

 みほが遠い目をして空を見上げる。

 なんてことない懐古の姿。だが優花里には、その姿にどこかいつもとは違った淋しげな雰囲気を感じ取った。

 

「……西住殿?」

「えっ? ああごめん優花里さん! そ、そうだ! そろそろ作戦考えないと! ごめんね優花里さん! もっとお話していたいけどまた今度ね!」

「え、ええ……。おっと、もうこんな時間だったのですね! 私としたことが、すっかり取材することを忘れていました! それでは皆さん、またあとで正式に取材させていただきます!」

 

 優花里はもじゃもじゃとした頭を勢い良く降ろして上げると、慌てながら選手控室へと出て行った。

 そしてそのまま、試合会場を一望できる観覧室へとカメラのセッティングを行うために向かう。

 オールスターゲームの最初の試合が始まるまで、あと少し。

 

 

 ◇◆◇◆◇

 

 

「ん、んんーっ……」

 

 ダージリンはホテルの自室で、大きく背伸びをした。側にはケイが個人用ソファーに座り炭酸飲料を飲んでいる。

 

「いやーなかなか激戦だったわねー今日の試合」

「ですわね……。なんとか勝てたからいいものの、かなりギリギリでしたわね」

 

 ダージリンはそう言いながら、着ていた衣服を上から順番に脱ぎ始めた。そして、それを籠に入れていく。

 ダージリンはこれからシャワーを浴びるための準備をしているところだった。ケイはすでにシャワーを浴びており、髪はまだ少し湿り気が残っている。

 

「でもダージリン、まほと上手く連携が決まったときは嬉しかったでしょ?」

「……あれぐらい、どうってことはありませんわ」

「またまたー、まったく素直じゃないんだから!」

 

 ケイはケラケラと笑って殆ど裸になったダージリンを見る。二人はこういった遠征時よく一緒の部屋になることが多いため、もう見慣れた光景なのである。

 

「はいはい……。それにしても、選手用の宿泊所とは別にホテルを取って正解でしたわね。こちらは静かな雰囲気が素敵だわ」

「うーん私はみんなとワイワイしたかったんだけどなー」

「あなたが私との賭けチェスで負けたのですから、今更グダグダ言わないでくれます?」

 

 ダージリンが半目でケイを見て言う。ケイが後から文句を言うのはいつものことであるし、仲がいいダージリンにだからこそそういうことを言うのはよく理解しているのだが、やはり呆れてしまう部分はどうしてもあった。

 そんなことを話しているうちに、とうとうダージリンは最後の下着を脱ぎ終え、裸になる。

 

「それじゃあシャワーを浴びますけど、その炭酸を飲み終えた後にそこに置いてある私の水、勝手に飲まないでくださいよね? あまり人の口を付けたペットボトルというのは好きではないので」

「大丈夫よー。私が味付いた飲み物以外は飲まないって知ってるでしょ?」

「前にも似たようなことを言って、私のスコーンを食べたのは誰だったかしらね?」

「あはは! そう言えばそんなこともあったわねー!」

 

 ダージリンは「はぁ……」と溜息を付きながらも、部屋にあるシャワールームへと入っていった。

 シャワールームはトイレとは別になっており、それだけでも普通のホテルとは違い高級であることが伺える。

 ダージリンはシャワーのコックを捻り、水を流す。そして、温度が適温になるのを手のひらで確認すると、そのシャワーを全身に浴び始めた。

 

「……ふぅ」

 

 今日一日の疲れを落とすようにゆっくりと全身を撫でる。体を洗う前にじっくりとシャワーを浴びるのがダージリンのシャワーの楽しみ方である。

 ――やはりオールスターゲームはいいものですわね。

 ダージリンは流水の気持ちよさに浸りながらそう思った。

 オールスターゲームでは普段のライバル同士と手を取り合い戦うことができる。それは、戦車乗りとしては非常に有益な経験である。他者の戦略、戦術、技術を吸収し、組み合わせる。そこには無限の可能性がある。最近になって作られたイベントではあるが、ダージリンはこのイベントに感謝していた。彼女の飽くなき向上心において、実に刺激的なイベントだからだ。

 

「……さて、そろそろ」

 

 ダージリンはもう十分だと思い、まず頭を洗うためにシャンプーを手に取る。そして、そのために一度シャワーのコックをもう一度捻りシャワーを止めた。

 

 ――はずだった。

 

「……え?」

 

 ダージリンが一端シャワーから離れシャンプーの液体を手に広げたときだった。

 何故か、勝手にシャワーが再び温水を流し始めたのだ。

 

「壊れているのかしら……?」

 

 そんなことを思いつつもダージリンはコックを捻る。

 だが、またもシャワーは水を放ち始めた。しかも、水温は少し下がっているようだった。

 再び止める。またも流れる。止める。流れる。止める。流れる。

 それの繰り返し。

 そして、繰り返す度に水温は下がっていき、今ではほぼ冷水と化していた。

 

「どうなってるの……!?」

 

 さすがに何かがおかしい。ダージリンはそう思い始めていた。

 ここから早く出てホテルの人間に告げたほうがいいかもしれない。そんなこと考えつつも、条件反射的にまたシャワーの水を止める。

 だが、次に流れてきたシャワーの水は、ダージリンに自分の考えが甘かったことを教えた。

 シャワーから流れてくる水が、突如茶色い泥水へと変わったのだ。

 

「な、なんですのこれは……?」

 

 さらに、バスルームに備え付けられている淡いライトが点滅しだす。闇と光が互いにそれぞれ己を主張する。

 ダージリンはここでようやくこれが只の故障ではないことに気がついた。

 逃げないと。

 そう彼女の本能が警鐘を鳴らす。

 ダージリンはホテルにしては広めなバスルームの中で、ゆっくりとシャワーから後ずさった。

 

 ……トン。

 

「え?」

 

 ダージリンの背中に、何かが当たった。

 その感触は柔らかく、そしてとても冷たかった。

 ダージリンはゆっくりと振り返る。そして、そこにいたのは――

 

『いやああああああああああああっ!!!』

「ダージリン!?」

 

 ケイはバスルームから突然聞こえてきたダージリンの悲鳴にそれまでゆったりと座っていた個人用ソファーから飛びがった。そして、そのままバスルームの前に駆け寄る。

 

「どうしたのダージリン! 何があったの!?」

『嫌……助け……ああああああああああああっ!?』

「ダージリン!? ダージリン!?」

 

 聞いたこともないダージリンの悲鳴が聞こえる。英国淑女をモットーとする彼女が到底出すとは思えない悲鳴。そのことに、ケイは何か異常事態が起きているのを察知した。

 

「ダージリン! 開けて! ダージリン!」

 

 ケイは必死にバスルームの戸を開こうとするも、固くロックがされていて開かない。ケイが戸を開こうと奮戦していると、バキバキバキ、バキバキバキ……と、今まで聞いたことのない嫌な音が響き渡ってきた。

 ――まずい。これは明らかに、まずい!

ケイは顔を真っ青にしながらも、先ほどまで座っいた個人用ソファーまで走ると、それを持ち上げ、そのままそれを持って再び戸の前に立って、戸をそれで叩き始めた。

 意外と質量のあるソファーだったおかげで、簡素な木製の扉は少しずつ歪んでいき、十回ほど叩くと、とうとう扉は壊れ開くことが可能となった。

 

「ダージリン!」

 

 ケイは個人用ソファーを投げ捨て、バスルームに入る。

 

 そして、明かりが明滅するバスルームの中で、見てしまった。

 

 バスタブに寄りかかるように倒れ、体中が真っ赤に染まっているダージリンを。そして、それを見下ろす、全身水浸しの長い銀髪の女の姿を。

 その女が、ケイを見た。顔は見えなかったが、確かに、ソレはケイを見た。

 

「……い、いやあああああああああああっ!」

 

 その瞬間、ケイはあまりの恐怖からバスルームから逃げ出した。そしてそのまま、勢い良く部屋の扉を開け外に出る。

 

「うわっ!?」

 

 部屋を出た瞬間、ケイは人にぶつかった。

 それは、夜に取材の相談にしにくると言った優花里だった。

 

「ケイ殿!? どうかしたんですか!?」

 

 優花里が動揺しながらも心配しケイに言葉をかける。

 だがケイは聞こえているのかいないのかわからないと言った様子だった。目を大きく開き、涙を流しながら、震えている。

 そして、呟くようにケイは言った。

 

「ダージリンが……ダージリンが……何よあれ……何よあれ……女……銀髪の女が……いや、いやぁ……!」

 

 

 ケイとダージリンの部屋に多くの人間が立ち入っている。その人間達は青い制服を着ているか、背広に身を包んでいるかのどちらかだった。

 そして、赤く染まりながらも誰もいなくなったバスルームを入念に調べている。

 彼らは警察の人間である。優花里がダージリンの姿を見たあと、すぐさま連絡したのだ。

 その優花里はと言うと、ホテルの別室で半ば拘束されているような形で待機させられていた。

 ダージリンの死体はすでに運ばれ、ケイは完全に恐慌状態に陥っていたためそのまま病院に運ばれた。

 話を聞けるのは優花里だけだったのである。だからこその取り調べだと思ったのだが、どうにも人が来るのに時間が掛かっているらしかった。

 

「一体、何が……」

 

 優花里はバスルームで見たものを思い出す。血に塗れ、バスルームに倒れるダージリンの姿。出血だけではなく、恐らく体の節々に異常な力が掛かったと思える痣だらけな体。

 明らかに普通の死に方ではなかった。優花里は、嘔吐するのを何とか我慢したぐらいだ。

 さらに、ケイが言っていた銀髪の女。それが優花里を混乱させた。

 普通に考えれば、ダージリンをああいうことにした犯人をケイは見たことになる。だが、優花里が見たときは誰もいなかったし、逃げ出した気配もなかった。

 自分の認識している世界とは埒外な事が起こっている。

 優花里は記者生活からの経験と直感で、それを悟った。

 そんなことを考えていると、弱々しく扉を叩く音がした。優花里はそれに慌てながら「どうぞ!」と答える。

 とうとう警察の人間が来たのかと思ったが、そこで顔を見せたのは意外な人物だった。

 

「西住殿……!?」

「優花里、さん……?」

 

 現れたのはみほであった。優花里は驚愕の表情になり立ち上がる。まったく関係ない自分の友人が現れたのである。それは当然のことであった。みほもまた、非常に困惑しているようだった。

 

「どうして西住殿が……?」

「あの、突然警察の人に来て欲しいって言われて……私もよく分かんなくて……。ねぇ優花里さん、何があったの?」

「そ、それは……」

「――それは私から説明しましょう」

 

 みほの背後から第三者の声が聞こえてきた。その声は、何故か聞き覚えのある声だった。

 みほが振り返る。優花里もまた、みほの後ろからその姿を見る。

 優花里は驚いた。それは見たことのある顔だったから。

 そしてみほは優花里以上に驚嘆した。それはみほにとって良く知った人間だったから。

 

「あ、あなたは……!」

 

「どうも、警視庁捜査一課刑事、赤星小梅です。……お久しぶりですね、みほさん」



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シドウ

 優花里、みほ、赤星のいる一室は不思議な雰囲気に包まれれていた。

 赤星はみほの黒森峰時代のチームメイトであり、交流の深かった友人である。

 優花里にとっても赤星は、高校時代に黒森峰との戦いや大学選抜戦などで幾度か顔を合わせていた。

 本来なら昔を思い出し、笑顔で再開を喜んだであろう。

 だが、今は状況があまりにも特殊すぎた。

 ダージリンが怪死を遂げ、その相棒であるケイが謎の言葉を残して発狂してしまった。

 みほは赤星から始めにそのことを伝えられたときに大きく動揺し、落ち着かせるのに随分と時間が掛かった。

 赤星は静かにみほを椅子に座らせると、みほが落ち着くまでただ黙ってみほの手を握っていた。みほと赤星が心から信頼し合っていることが、その姿から優花里には分かった。

 優花里はみほの隣に座り、ただ黙ってその姿を眺めていた。二人の間に割って入るのは無粋だと思ったし、何より優花里自身、整理がついてないというのもあった。

 長年の友人の死ぬ姿を見てしまったのである。みほのように取り乱していないだけよく耐えていると言ってよかった。

 そしてみほが落ち着いて十分ほどした後、おもむろに赤星が口を開き始めた。

 

「今日、みほさんに来てもらったのは他でもありません。今回の事件は、みほさんには話しておかなければならない事があるからです」

「私に……?」

「はい」

 

 赤星は頷くと、床においてあった鞄を開き、そこから分厚いファイルを取り出して、三人の近くにあるテーブルに無造作に置き、優花里とみほに見えるようにそのファイルの冒頭部分のページを開いた。

 

「事の始まりは、去年の四月二十七日に遡ります」

 

 赤星が指し示したページにある写真には、気の弱い人間にとっては辛いであろう写真が載っていた。

 長髪の女性の死体が写っていたのである。それは現場で撮られた写真らしく、場所はどこかの倉庫のようだった。

 

「戦車道連盟に所属する女性職員が、連盟の所有する倉庫内にて変死しているのが発見されました。死因は倉庫に置かれていた資材に押しつぶされての圧死。当初は事故だと見られていたのですが……ここを見て下さい」

 

 赤星が写真の下に記されている文章を指し示す。そこには、死体の状況について事細かに説明されていた。赤星はその中の一文を強調する。

 

「読んで分かる通り、死体の足首は不自然な方向に曲がっていたんです。落ちてきた資材が原因とも考えられましたが、これは明らかに外的な力が加わったことによる損傷と見られるのと、何より、死体に落ちてきた資材は頭部に集中しており、下半身には一切落ちてきていないんです」

「な、なるほど……」

 

 優花里が冷や汗を流しながら頷く。一方でみほは、死体の写真ではなく、隅にプリントされている生前の証明写真の写しをまじまじと見ていた。

 

「この人……」

「どうかしましたか? 西住殿?」

「い、いえ。なんでもありません。赤星さん、続けてくれますか?」

 

 みほが一瞬目を逸らしながら、赤星に言う。赤星は「はい」と頷きファイルのページを捲る。

 

「次の事件はその二週間後。今度は、様々なプロチームに出入りしていた男性整備員。戦車の中で口から血を流して操縦席に座っているところを発見されました。死因は内蔵破裂による出血死。体内の状況はあまりにも酷い状況だったそうです」

「う……」

 

 優花里は状況を想像し思わず気分が悪くなってしまう。

 赤星はそれ以降も、次々とページを捲り、様々な変死を遂げた人々について説明した。そのどれもが、何処かに説明の付かない異常性を孕んでいた。そして、赤星が説明するたびに、みほの顔色は悪くなっていった。

 

「ここまでが、私の前任者が調べまとめ上げた結果です。その数、およそ三十一人。そして、その前任者を含めれば、三十二人」

「え? 含めればって……」

 

 優花里が疑問の声を上げる。赤星はそれに、少しばかり陰った表情で答えた。

 

「……私の前任者、私の先輩にあたる方も、怪死を遂げました。死因は焼死。目撃者の証言によると、突如彼が乗っていた車が炎上したようです」

「そ、そんな……」

「私は彼の残した資料からこの資料を見つけ出しました。彼は秘密裏に捜査していたらしく、私も見つけるまでその事実は知りませんでした。ここからが、彼を含めた私が引き継ぎ纏め上げた資料になります」

 

 赤星が開いたページには、警官らしき格好をした男の写真と、真っ黒に焦げた乗用車の写真が写ってあった。

 そして、その写真を見たみほが、震えながら口を押さえ始めた。

 

「西住殿?」

「……たし、知ってる……この人達みんな、知ってる……!」

「え!?」

 

 優花里は驚愕の声を上げた。一方の赤星は、変わらず冷静な面持ちを浮かべている。

 みほは、ファイルのページの最初の部分まで戻り、写真を指で指した。

 

「最初の人は、よく私の実家に着てた人……商品化担当とか言ってて、私やお姉ちゃん、お母さんとよく話すことが多かった……。突然担当が変わったと思ったら、まさか……! 二番目の人は、一時期私のチームにいた人……! すっごく優しい人で、何度も戦車を見てもらった……! この人も、この人も、この人も……!」

 

 みほは捲っていくページそれぞれに震えた声を上げていく。そして三十二人目の、赤星の先輩だと言う刑事のページで止まった。

 

「この人も……! 私とお姉ちゃんのすっごいファンだって言って、お姉ちゃんが紹介してくれたことがあったの……私と握手して会えてよかったですって言ってくれて……嬉しかったからよく覚えてて……」

「……先週増えた次の犠牲者も、私とみほさんにとってはよく知った人物です」

 

 赤星がみほの手をそっとどけてページを捲る。

 すると、みほは「えっ……?」という悲鳴にも似た声を出した。

 

「森船、先輩……!?」

「はい。私とみほさんの黒森峰時代の先輩、森船淳美先輩です。今ではプロリーグの選手として活躍していましたが……死因は溺死。しかし、全身複雑骨折していたのと……何より、決定的に異常な部分があの人の死体にはありました。……巻き付いていたんですよ、体中に、銀色の髪の毛がね」

 

 それを聞いた瞬間、みほはガタリと大きな音を立てて立ち上がり、全身を震わせながら頭を両手で押さえた。

 

「銀色の髪の毛って……まさか、まさか!」

「はい、そのまさかです。その証拠に、遺留品の中にあった森船先輩の携帯電話に記録されている最後の着信履歴に彼女の電話番号が載っていました」

「ちょ、ちょっと待って下さい! 話が見えないのですが……」

 

 優花里は慌てながら二人に質問する。赤星とみほにとって、何かとても重大な出来事が絡んでいることは分かったが、二人の会話だけではそれが一体何なのか把握するには情報が足りなかった。

 少なくとも、『彼女』と呼ばれる誰かが関わっていることは確かだった。

 赤星は優花里の質問の後、みほに確認を取るように目配せする。みほはそれに対し、まだ震えの収まらない体で、ゆっくりと頷いた。

 

「……秋山さんも月刊戦車道の記者なら一度は聞いたことがあるのではないでしょうか? 『エリカさんの噂』という話を」

「『エリカさんの噂』……? ああ、あの黒森峰にあるという怪談話の一つですか? あくまで学生の噂話に過ぎないものだと思っていましたが……」

 

 優花里の言葉に、赤星はゆっくりと首を振る。そして、先程まで震えていたみほが、意を決したかのように深呼吸し、恐る恐る口を開いた。

 

「……優花里さん、これはみんなには内緒だからね? ……あのね、それは本当の話なの。それも、私と赤星さんが一年生だったころに起きた事故が発端なの。第六十二回高校戦車道全国大会で……戦車が川に落ちて……その、一人だけ、死んじゃったの……。それが、エリカさん……逸見エリカさん。私と赤星さんの、かけがえのない友達……」

 

 みほは泣いていた。エリカのことを思い出し、涙していた。みほはそれ以上口を聞ける状態ではなかった。その代わりと言ったように、今度は赤星が話し始める。

 

「……エリカさんが死んだ後、しばらくして黒森峰機甲科でとある怪事件が起きました。三人の先輩が、おかしな死に方をしたんです。どれも、何かの力が加わったとしか思えない、おかしな死に方を……。そして私とみほさんはとある霊能力者に相談をして、こう言われました。それはおかしくなったエリカさんの霊が起こした出来事だと。エリカさんの霊がみほさんに執着しているからその事件が起きたのだと……だからみほさんはこれ以上被害者が増えないように、大洗に転校したんです」

 

「に、西住殿の転校にそんな経緯が……」

 

 優花里はみほに視線を移す。みほは、流れる涙を必死で手の甲で拭いながら、椅子に再び座った。

 赤星と優花里はみほが泣き止むまで何も言わずに待った。そして、みほが目を真っ赤にしながらも、力いっぱい目を擦って泣き止むと、赤星は再び話し始めた。

 

「私はこの一連の事件、そして、今回の事件にも、エリカさんが関わっていると睨んでいます。……ケイさんが言った、銀髪の女というのは、まさしくエリカさんの事でしょう」

「で、でもどうして? エリカさんは、私がいなくなったからもう何かをする必要はなくなったし……そもそも、まだⅢ号戦車は黒森峰にあるんじゃ……」

 

 みほの疑問に赤星は、優花里のときと同じように首を振った。

 

「いえ……実は、みほさんが去った後も、黒森峰では毎年、怪我人か死人、そのどちらかが出ていたんです。噂はすっかり原型を無くし、ただ名前のみが伝わるようになってはいましたが……」

「そんな……」

「私が刑事になったのもそれが要因なんです。エリカさんのような事件を二度と起こしてはいけない。だから、そういったことを公然と調査し、公的な力をもった人間が、しっかりとそれに向き合う必要があると……。まさか、またエリカさんとこんな形で向き合うことになるとは、思っても見ませんでしたが……」

 

 赤星は一瞬自嘲気味に笑うと、すぐに真面目な顔に戻り、優花里とみほを見た。

 

「みほさん。そして秋山さん、どうか私に協力して下さい。エリカさんを止めたいんです。これ以上、エリカさんに罪を重ねて欲しくないんです。そのためには、どうしてこんなことになっているのかを探らなければならない。そのためには、この事に恐らく一番関わっているみほさんと、みほさんの良き理解者であり現場に立ち会った優花里さんの力が必要なんです、どうか……!」

 

 赤星はテーブルに手をつき優花里とみほに頭を下げた。優花里とみほは僅かの間目を見合わせ、そして赤星を見て静かに頷く。

 そして、優花里がテーブルについている赤星の手に触れた。

 

「頭を上げて下さい、赤星殿。私にできることなら、なんだってします。エリカ殿がどうしてこんなことをしているのか、何故こんなことになっているのかは分かりませんが……出来うる限り、お力になりたいと思います」

「ありがとうございます……!」

 

 頭を上げた赤星は、その日初めて笑顔らしい笑顔を見せた。

 一方でみほは、暗い面持ちのまま、赤星を見ていた。

 

「私も……私も力になりたい。いや、その義務が私にはあるんだと思う。……でも、一つ気になるのは、死んでる人がみんな私に関わっているってこと……。もしかしたら、私の、私のせいでみんなが死んじゃっているんじゃないかって……そう、思うの……」

「西住殿、それは……」

 

 みほの言うことにも確かな説得力はあり、優花里はなんと言葉を掛けていいものか悩む。すると、赤星は射抜くような瞳でみほを見て、言った。

 

「確かに、その可能性が現状高いと言えます」

「赤星殿……!?」

「ですが、それはみほさんだけの原因ではありません。いえ、むしろみほさんは利用されている可能性があるんです」

 

 赤星の言葉に、優花里もみほもどういうことなのだろうという疑問符を浮かべた。

 赤星はテーブルに肘をつき、両の手を顔の前で合わせて、射抜くような瞳のまま、二人に目配せをする。

 

「さきほどみほさんは疑問に思いましたね? Ⅲ号戦車は黒森峰にあるはずなのに、と。私も森船先輩の事件の後、それを疑問に思いました。エリカさんはあのⅢ号戦車に縛られていると考えられていましたから。そして、黒森峰に問い合わせてみたんです。学校というものは聖域、かなり苦労しましたが……唯一、一つの情報を手に入れました。『もうあのⅢ号は、黒森峰には存在しない』とね」

「えっ……!?」

「なっ……!?」

 

 みほと優花里は唖然とする。それもそのはずである。みほはずっとⅢ号戦車が黒森峰にあるものだと思っていたし、優花里は聞いていた噂ではⅢ号戦車に手を出そうとすると必ず災いが起きる、という話を聞いていたからである。

 

「あのⅢ号戦車はまさしく呪われた戦車だったはずでした。誰も近づこうとしないし、近づいたものには呪いが振りかかる。実際、二年ほど前にも格納庫に忍び込んだ普通科の生徒二人が一人は大怪我、一人が交通事故にあい死亡するという事件が起きています。ですが……誰かがそれを動かした。その誰かは担当者がいないということで聞き出せませんでしたが……後日、私はその担当者に話を伺いに行く予定です。恐らく、その戦車を動かした誰かが今回の一件に関わっている……そうに違いないと、私は思っています」

 

 そこまで話すと、赤星は再び鞄に手を伸ばし、二つの色違いのファイルを優花里とみほに手渡した。

 

「これはこのファイルをコピーしたものです。お二人にお渡しします。何か気づいたことがあれば、是非私に連絡して下さい。私が気づけなかった何かに、お二人が気づくことがあるかもしれませんから」

 

 優花里とみほはファイルを受け取り、みほはそれを小脇に抱え、優花里は取材のために持ってきていた鞄にそれを入れた。

 赤星もまた、机に置いていたファイルを鞄にしまう。

 そして、今度は苦々しい顔になり、先程よりも自信の無い声を出し始めた。

 

「それとその……大変申し訳無いのですが、この事はできる限り秘密にして欲しいんです。実は本庁及び戦車道連盟からは、この事件はできるだけ秘密裏に捜査し、公表はできるだけ控えろと言われておりまして……」

「え? で、でも、人が死んでるんだよ……?」

「仰るとおりなのですが……警察としては、事件のあまりの特異性からある程度情報がはっきりするまでは公表すべきではないと判断され、また戦車道連盟側からはプロリーグの興行に影響がでるから控えて欲しいという訴えがありまして、結果警察側と連盟側の利害が一致した結果になったんです。先日の森船先輩の事件も知っているのは警察と連盟、そして足早に取材した一部のマスコミのみ。恐らく、今日の事件も一般人や他の選手には秘密ということになるでしょうね……」

 

 警察と連盟の事情を聞いた瞬間、みほはバンとテーブルを叩いて立ち上がった。珍しく怒りを露わにしていた。

 

「そんなのおかしいよ! だって……だってダージリンさんは死んじゃったんだよ!? それを内緒にしろだなんて……辛いよ……」

「はい……でも、分かって下さい……。実際、公表すればどんなパニックになるか分からないというのもあるんです。私もこのことは辛いですが、組織というものは一人の意志ではどうにもならなくて……今回みほさんと秋山さんに話したのだって、大分無茶をしたんです。どうか、お願いします……」

 

 赤星も立ち上がってみほに頭を下げた。みほはまだ納得できていないという様子だったが「……わかりました」と眉をひそめたまま呟いた。仕方ない事情だと、なんとか自分に言い聞かせているようだった。

 赤星もまた、辛そうな顔色をして俯いていた。

 優花里はその事情を一人落ち着いて理解していた。記者をしていると、そういった理不尽にはわりとよく直面するものである。

 特に連盟が今の理事長になってからは、そういった事が増えてきたように感じていた。だから、そういった事情が絡んでいたことに優花里はやはり、とある意味納得していたのである。

 

「……もうこんな時間ですね。お二人とも、今日は私のお願いを聞いてくれてありがとうございました。どうか、これからもよろしくお願いします」

 

 時計はの針は短い針も長い針もどちらも頂点に届こうとしていた。

 三人は今日のところはひとまずそこで解散することにした。

 ホテルの窓から見える夜空は、暗い雲がすっかり月の灯を遮っていた……。

 

 

 ◇◆◇◆◇

 

 

「はぁ……」

 

 オールスターゲーム二日目、みほは試合場に隣接し設置された軍用テントの下で、一人憂鬱そうな溜息をついていた。

 目の前には今回の戦場となる箇所の地図が広げられていたが、みほはいまいち試合に集中できずにいた。

 昨日の赤星達との話がどうしても尾を引いていたのである。赤星の言った通り、ダージリン達のことは秘匿され試合は通常通り行われている。

 だが、事実を知っているみほにはやはり、普通に試合をしている場合ではないのではないのか、という考えがどうしても頭から離れないのだ。

 

「ん? 西住、どうかしたのか?」

 

 軍用テントに入ってきてみほに声を掛けてくれたのはアンチョビだった。他の選手はみな外でなんらかの準備や作業を行っている。

 

「遅いから心配して来てみたんだが……随分と浮かない顔をしているな」

「ええ、まあ……」

「もしかして戦力差について悩んでいるのか? まあ、ダージリンとケイがチームの都合で帰ってしまって指揮系統に不安が残るものな」

 

 ダージリンとケイについてはアンチョビの言う通り、チームの都合で帰らざるをえなくなったという話になっていた。

 もちろん、連盟側が流したカバーストーリーである。

 みほからしてみれば、なんて見え透いた嘘なのだろうと思ったが、選手達は不満こそ申すれど疑問に思ったものは少なかったようだった。

 

「え、ええまあ……」

「……どうも、私と考えてるのは少しばかり事情が違うみたいだな」

 

 みほは驚いた。アンチョビはみほの微かな発言、表情からみほの心中を察したのだ。

 まさしく、ドゥーチェと呼ばれるだけはあると、みほは思った。

 

「アンチョビさん、その……」

「まあ、話しづらいことなら話さなくていいんだ。こっちも無理をしてまで聞きたいわけじゃないしな。でもな西住、私達は戦友だ。高校時代からの友人だ。だから、もし頼りたくなったら、もし耐えられなくなったら、いつでも話してくれ。私でよければ、力になってやる」

 

 アンチョビはそう言ってポンとみほの肩を叩き、太陽のような笑顔を見せた。

 みほにとってそれはそれが救いになった。自分の抱えている重荷を何も言わず分かってくれて一緒に背負ってくれようとする。

 友達とはいいものだと、みほは改めて思った。

 ――もし私が、エリカさんのことをこうやってもっと分かろうとしていたら……。

 

「……ありがとうございます。アンチョビさん」

「なーに言われるほどのことでもないさ。ああそうだ! ペパロニとカルパッチョが観に来てくれているから、今日の夜一緒にイタリア料理店に行こうって話になったんだ! 西住もどうだ?」

「はは、ありがとうございます。でも遠慮しておきますよ、せっかくの元アンツィオ高校での集まりなんですから、邪魔しちゃ悪いですし」

 

 みほが笑ってそう返すと、アンチョビは少し残念そうに「そうか……」と言って腕を組んだ。だが、すぐさま笑顔に戻りその光をみほに向けてくれる。

 

「ま! 今回はその心遣いをありがたく受け取るか! だが今度必ず一緒に食事をしてもらうぞ! 大々的に宴会でも開いてな! そのときはたっぷりとご馳走してやる!」

「はい! 楽しみにしています!」

「おい、もうそろそろ時間だぞ」

 

 二人が歓談していると、テントを開きまほが頭を入れて声をかけてきた。

 その声にアンチョビは振り返り、みほは立ち上がる。

 

「おっ、もうそんな時間か。じゃ、いくぞ西住。今日も任せたぞ」

「はい!」

 

 みほは精一杯の笑顔でアンチョビに答えた。

 それが、アンチョビの好意に対する最大の答えだと思ったから。

 こうして、二日目の試合が幕を開けた。

 

 

 ◇◆◇◆◇

 

 

「ふぃー! 負けた負けたー!」

 

 アンチョビはイタリア料理店の一角で、山盛りに料理が盛られたテーブルを前に座りながら笑いながらそう言った。

 第二回戦はみほ達のチームが敗北することとなった。内容としては終始愛里寿側のチームが有利な形で進めた結果となっていた。

 だが、それでもところどころ名試合と言える展開はあったため、負けとしてもアンチョビにすれば気持ちのいい負け方ではあった。

 

「やっぱ二人抜けたのはきつかったんスかねー」

「そうですね。でもドゥーチェの戦車は最後まで上手く立ちまわっていてさすがだと思いましたよ」

 

 アンツィオ時代の戦友、ペパロニとカルパッチョがそれぞれアンチョビに向かって言う。二人共一応プロではあるのだが、オールスターゲームには選出されなかった。

 それゆえ、一観客としてアンチョビを応援していた。

 

「ま、私もやれるだけのことはやったし後悔はしていないよ。ただ時の運、それだけさ」

「んっ、さっすがっす姐さん! んんっ、負けても、んっ、言ってることはなんか、んっんっ、格好良いッス!」

「ペパロニさん、食べるか喋るかどっちかにして下さい」

 

 パスタを口に入れながら喋るペパロニにカルパッチョが宥めるように言う。

 その光景を見て、アンチョビはまたも快活に笑った。

 

「ははっ! こうしていると、なんだかアンツィオ時代に戻った気分だな!」

「そうっすねー。いやー今でもこうして姐さんと一緒にいられて、戦車道やってて良かったと思うッス!」

「私もそれは思います。アンツィオ時代の三人で今でもこうして戦車道やれるなんて、夢みたいですね」

 

 ペパロニとカルパッチョがニカっと笑いかける。

 それはアンチョビも同意見だった。こうして一緒に戦えているのも、あのとき頑張ってアンツィオの戦車道を立て直したかいがあったというものである。

 これは、人生の大切な宝物と言っていい。

 そう思うとなんだか嬉しくなり、アンチョビはテーブルの上においてあったワインを一気に飲む。

 

「お! さすが姐さん! いい飲みっぷりすねぇ!」

「ふふっ今でも私はお前達のドゥーチェだからな。これぐらい軽い軽い……っと、ちょっと飲み過ぎたかな。お手洗いに行ってくる」

 

 アンチョビは軽い身震いをしながら、なるべく椅子を引きずる音を立てないように丁寧に席を立った。

 

「はーい。それじゃあその間に料理追加していいですか?」

「おう頼め! どんどん頼め! 今日は私のおごりだからな!」

「さっすが姐さん! 太っ腹ぁ!」

 

 アンチョビはカルパッチョとペパロニに手を振りながら、混みあう人を掻き分けトイレへと向かった。

 

 

「……ふぅ」

 

 アンチョビはトイレで用を足しながら少しばかり考え事をする。

 ――昼間、どうやら西住は何か悩み事があるようだった。一体何があったのかは分からないが、どうも深刻なことらしい。それが何かは分からんが……まああいつのことだ。きっと自分で何か答えを出すだろう。私は、それを少しでも手助けできたら、それでいい。

 そんなことをアンチョビは考えつつも、自分の大事なところを拭き、スカートを履き直してトイレの水を流して個室から出ると、自動で水が出るタイプの手洗いカウンターで手を洗う。

 目の前には大きな鏡があり、アンチョビの全身像を映し出していた。

 そんなときだった。

 トイレ内の電灯が、急にちらつき始めたのだ。

 

「ん? なんだ? 電灯が切れてるのか?」

 

 何気なく上を見上げ電灯を確かめるアンチョビ。明るい世界と暗い世界が瞬時に切り替わっていく。

 高級店でも、こういうことがあるのか。

 そんなことをを思いつつ、アンチョビは目の前の視線を鏡に移した。自分の姿が映る鏡を――

 ――だが、そこに映っていたのは、アンチョビではなかった。映っていたのは、汚水を垂れ流す、顔の見えない長い銀髪の女だった。

 

「……は?」

 

 その瞬間、鏡は割れその破片が一気にアンチョビに襲いかかってきた。

 

「がっ……!?」

 

 鏡の破片がアンチョビの体中に突き刺さる。アンチョビはその激痛と鏡が割れる勢いで、トイレの床に倒れこむ。

 

「……かっ、はっ……!?」

 

 全身から血を流すアンチョビ。

 あまりの痛みに動くことすらままならない。それでもなんとか助けを求めようと、必死に這って扉へと向かおうとする。

 だが、

 

「……なっ……」

 

 進まない。

 動けない。

 なぜならアンチョビの足が、強い力で何者かに掴まれているのだから。

 アンチョビは恐る恐る振り返る。そして、見た。

 銀髪の女が、自分と同じく這うような姿で、自分の足首を握っているのを。

 

『アアアアアアアアアアアア……』

 

 唸り声が聞こえる。

 まるで地の底から響き渡るような、深く、暗い唸り声が。

 

「あ、あああ……」

 

 そのときアンチョビは悟った。

 これはもう駄目だ。

 助からない、と。

 

「ペパロニ、カルパッチョ……たす――」

 

 アンチョビの涙と共に溢れでた声は、完全にトイレが闇に包まれると共に掻き消えた。



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ハッカク

今回出しているオリキャラはてきとうあき様(ID:142816)の作品『~如何にして隊長を尊敬している戦車道に対して真面目な黒森峰女学園機甲科生徒達は副隊長の下着を盗むようになったか~』から借りさせて頂いたキャラですが、該当作品を読んでいなくとも本作品を理解するには問題ない内容になっていると思います。


 イタリア料理店の前にパトカーが三台、赤いランプを点灯させながら止まっている。

 店の入り口には複数の警官がたむろしており、黄色いテープで区切られている。その周りには、店から追い出された者、何があったのかを見物しにきた者などで人だかりができていた。

 赤星は店の中からテープをくぐるように避けて外に出てきた。

 赤星が出てくると、その場にいた制服警官が皆頭を下げる。

 

「遺留品や被害者の残した物品はどうなってます?」

 

 赤星は一番近くにいた男性警官に聞く。彼は内情を知っている数少ない赤星直属の部下のようなものだった。

 

「はい。現場の女子トイレには現金十二万三千五十二円が入った財布と携帯電話だけ。被害者が宿泊していたホテルには戦車道関連の資料が纏められたファイル、歯ブラシやタオルといったアメニティグッズ、一週間分の着替え、あとはお菓子と飲みかけのペットボトルですね。戦車道連盟で選手に無償で配っているという島田流饅頭と西住流天然水です」

 

 赤星は「ふむ……」と零しながら顎を手で支える。そしてそのまま、現状を把握するために必要な次の質問を投げかける。

 

「特におかしなものはなし……か。発見時の状況は?」

「第一発見者は被害者と一緒に食事に来ていた女性で、仲間内からはカルパッチョという呼ばれ方をしている人物です。彼女が発見したときには、すでに女子トイレで血だらけになって倒れていたそうです。ご覧になったように、鏡は完全が完全に割れ、その破片がいたるところに飛び散っていました。それ以上の話を詳しく聞こうにも……今の彼女は取り乱しており、一緒に来ていたもう一人の女性が慰めている状況です。とはいえ、慰めている方もかなり混乱していましたから回復には時間がかかるでしょうが……」

「なるほど、分かりました。……しかし、鏡を破壊するほどの物理的干渉をしてくるとは……先輩の事件から、明らかにこちらに及ぼす影響が強くなってきている……。ここは任せました、後はよろしく頼みます」

「はい!」

 

 赤星は敬礼する警官に背を向け、人混みをかいくぐると、群衆から少し離れた位置にいる二人組――優花里とみほの所へとやって来た。

 みほはずっと視線を地面に向けており、優花里はそんなみほに寄り添っている。みほの精神状況が芳しくないことは、一目瞭然だった。

 

「あ、赤星殿。その、状況は……」

「優花里さん。……はっきり言って、酷い有様ですよ。アンチョビさんの遺体には多量のガラス片が刺さっていましたが、恐らく直接的な死因はそれじゃない。明らかに出血量が多すぎる。その場による簡単な検死でも、内蔵の一つや二つ、無くなっていてもおかしくないとのことです」

 

 その場面を想像したのか、優花里の顔色が青くなっていく。

 そしてまた、こわごわといった様子で、赤星に更なる質問を投げかけてきた。

 

「あの……ここまでの事態になっても、この事件のことは隠さなくてはならないんでしょうか?」

 

 優花里の言葉に、赤星は苦い顔をしながら、頭を手で抱え、一筋の汗を垂らした。

 

「いえ……さすがにここまでの事態になると、隠しきれません。今までの事件とは違って、あまりにも目撃者が多すぎる。少なくとも、アンチョビさんの死に関しては公表せざるをえませんね。ただ、エリカさんの霊に関しては……まあ、公表してどうとなることでもないというか、かえってパニックになる可能性の方が高いですから、謎の死亡事件としてですが」

「私のせいだ……」

 

 みほが突然、か細い声でそんなことを呟いた。

 よく見ると、みほの瞳からはポツリ、ポツリと涙がこぼれ落ちていた。

 

「私が、私が関わったから……! 私のせいで、アンチョビさんは死んじゃったんだ……! あんなに、あんなに私のことを心配してくれたアンチョビさんに、私はなんてことを……!」

 

 みほは頭を両手で抱え込み、ガクガクと震えだす。

 みほの精神状況がまずいことになっているのは火を見るより明らかだった。

 赤星はなんと言葉を掛けていいか必死に考える。

 と、赤星がそうして頭を回らせていると、みほの隣にいた優花里が、突然激しい勢いでみほの肩を掴んだのだ。

 

「西住殿!」

「え? 優花里……さん?」

「いいですか西住殿! 西住殿は悪くなんかありません! 赤星殿が言ったではないですか! 本当に悪いのは、西住殿を利用している誰かだと!」

 

 優花里が半ば叱りつけるようにみほに言う。

 みほは動揺しながらも、依然として表情に暗い影が見えていた。

 

「でも……でも……」

「でもじゃありません! ほら、見てください西住殿!」

 

 優花里はみほの肩を掴んでいた手を離すと、今度は力強くみほの手を握りしめた。

 

「私はこうして西住殿と強く繋がっています! ですが、私は死んでいますか? 死んでいませんよね!? 私は今こうして、ここにいます! それが西住殿は悪くない証拠なんです! それに、ここは怒り狂うところですよ!? 西住殿を、そしてエリカ殿を利用している誰かに対して! 私達は戦わなければいけない! それが例え、どんな相手であったとしても!」

 

 優花里の必死な形相が、みほの視界に映り込む。

 怒りと、悲しみと、慈しみが混ざり合った、複雑な表情。

 そのあまりの必死さに、みほは思わず笑顔になっていく。

 

「……ありがとう、優花里さん。そうだよね、私は今自分にできることをしなくちゃいけないんだよね。私にできることが何かは分からない。でも私がエリカさんから逃げちゃだめなんだよね」

 

 ――凄い。

 赤星は素直にそう思った。

 赤星が色々頭を悩ませている間に、優花里はあっという間にみほの肩の荷を降ろす手伝いをしたのだ。

 大洗には本当に彼女にとって良き友人で囲まれた場所だったのだなと、赤星は二人の姿を見て再度確認した。

 

「そうだ、お二人に言って置かなければいけないことがあります」

 

 赤星は良い雰囲気を壊してしまうのも申し訳ないと思いながらも、伝えなければいけない事を思い出し、二人に言う。

 

「はい? と、言うと?」

「私は明日の朝、ここを離れます。黒森峰学園艦でⅢ号戦車が動かされたときに立ち会った担当者と話をすることができる都合が付きました。多分、夜には帰ってくることができると思います」

「ということは……」

 

 みほがごくりと生唾を飲む。赤星はみほに向かってコクリと頷いた。

 

「はい。恐らくこの一連の事件に関わっていると思われる人物が誰かを特定することができます。そしてそれさえ分かれば、私達は一気に事件の真相に近づくことができるはずです」

 

 優花里もみほもぎゅっと手のひらを丸め、力を入れる。

 エリカの呪いを拡めた張本人。

 その手がかりを、ついに掴むことができるのだ。

 優花里とみほにできるのは、ただただ赤星が無事に帰ってくること、そしてその間何も起きないこと、それを願うことだけであった。

 

 

 ◇◆◇◆◇

 

 

 三日目の朝。演習場及び選手が宿泊するホテルではスタッフが慌ただしく駆け回っていた。

 アンチョビの死が公表されたことによって、さすがにオールスターゲームを続行するというわけにもいかず、戦車道連盟は渋々ながらも、オールスターゲームの中止を宣言した。

 配備されていた戦車は元のチームや格納場所に戻すためそれぞれ輸送機や輸送船、運搬車などに積み込まれていき、余った砲弾や二次的な売上を目的にしていた関連グッズもまたしまわれていった。

 みほは宿泊所のラウンジで、一人座りジュースを口にしながら窓の外を眺めていた。

 他の選手は帰り支度を初めているものも多いが、みほは赤星の帰還を待たなければならなかったため、もう一泊していくことにしていた。

 それに、オールスターゲームの期間中は本来の試合はストップしているため、帰っても基礎訓練ぐらいしかやることがない。そのため、ほとんどのチームが選手には中止になった期間を休暇として選手に与えていた。

 

「はぁ……」

 

 みほの気分は沈んでいた。

 昨日の夜に優花里にはああ言ってもらったものの、やはり責任というものを感じずにはいられなかった。

 エリカが何故学園艦の外に出て、多くの人を手に掛けているかは分からない。だが、その原因の一端は間違いなく自分にあるのだ。接触した人間が死ぬ、ということだけではない。もしかしたら、あのとき転校したこと自体が間違いではなかったのだろうか。霊能力者に言われたこととは言え、自分は最初から選択を間違えていたのではないか。

 そんな考えが、みほの頭の中でぐるぐると回り続けていた。

 

「おや? こんなところで一人アンニュイな雰囲気を放っている人がいると思ったらみほさんじゃないか」

 

 みほは突然背後から声を掛けられ、ビクっと体を震わせながら振り向く。

 そこにいたのは、不敵な笑みを浮かべているミカであった。

 

「ミ、ミカさん!? もう、相変わらず突然現れるんですから……」

「まったくまるで幽霊のような言い様だね。それにしても、随分と元気がないようだ。一体どうしたんだい?」

「それは……」

 

 ミカに問われみほは口ごもる。まさか本物の幽霊のことについて悩んでいるなんて言えない。言っても、変な子扱いされてしまうのがオチだ。それに、話したってどうなるというわけでもないだろう。

 みほがそう思い黙っていると、ミカは目を逸らすみほを見て、ポツリと響かないように注意を払った様子で言った。

 

「……もしかして、アンチョビの死に関して何らかの責任を感じているのかな?」

「っ!? ど、どうしてそれを!?」

 

 みほはまるで心の中を見透かしたかのようなミカの発言に驚き、声を荒らげて立ち上がろうとする。

 ミカはそんなみほの体を優しく抑え、そっと椅子に戻した。

 

「みほさんは何でも抱え込む人だからね。昨日は随分彼女と仲良くしていたようだし……でも、みほさんが苦しむことではないんじゃないかな? それとも、何か心当たりがあるのかい?」

「…………」

「……ふむ。どうやら、人には言えない事情を抱えているようだね」

 

 ミカはみほの複雑そうな面持ちを見て、何かを察したかのように口を手で抑えると、みほの隣の席に座り、みほと向かい合うように体を向けた。

 

「みほさんが何を抱えているかは知らないし、きっと私には言えないことなんだろうね。でもねみほさん、考えてみてほしい。果たして本当にみほさんに原因があったとして、そのことでアンチョビは君のことを恨んだりするのかな?」

「え……?」

「彼女と君は深い絆で結ばれた友人同士だった。そこに疑いようはないさ。そしてそれはきっと最期までそうであったのだろうと、私は思うよ。原因がどうとか、何が悪いとか、そんなことは関係ない。大切なのは、心と心、魂同士の結びつきなのさ。アンチョビの死を悼んでいる君と彼女の間にはきっと強い繋がりがあるのだと、確信すらしているよ」

 

 ミカはみほの胸をそっと撫でる。体を通し、その奥にしまわれている、大切な箇所を撫でるその手つきは、先程まで暗鬱としていたみほの心に一筋の光をさした。

 

「ミカさん……」

「私は風さ。ただその場を流れていくだけの風。でも、そんな私にも心を通わせてくれる人がいる。まぁ、アキやミッコのことなんだけどね。私ですらいるんだ。みほさんにはもっと沢山いるだろう。できれば、その中に私も入っていると嬉しいね。……そしてねみほさん、この繋がりは、決して死んだら終わりじゃないんだ」

「え?」

 

 みほは目を丸くし、ミカを見た。ミカの顔はあいも変わらず不敵で飄々としていたが、その瞳の輝きは普段捻くれた冗談を言うときのものとは、一線を画していた。

 ミカはみほの手をそっと取ると、そのままみほの手を自分の胸に押し付けた。

 

「いいかいみほさん。人の言葉は、記憶は、想いは、他人の心に刻まれていくものなんだ。人との繋がりとはそういうものなんだ。他人の心にいかに自分を刻み込んでいくか。そして、刻み込まれた想いにどう応えるか。魂は自分だけのものじゃない。他人の色が自分の魂の色にも影響してくるんだ。刻み込まれたその色は、例え刻み込んだ相手が死のうと、残り続ける。君にもあるんじゃないのかい? アンチョビから刻み込まれた色が。君の心の柱の一本となっている何かが」

 

 みほは思う。

 アンチョビはみほに色々なことを教えてくれた。エリカの一件で離れようと思っていた戦車道に対し、楽しいという気持ちを思い起こさせてくれた一人だった。友人との絆の大切さを再確認させてくれた一人だった。

 その想いは今でも生きている。アンチョビは確かに、みほの中で生きているのだ。

 

「……分かってくれたようだね。いいかいみほさん。例えば明日私が死んでしまったとしよう。でも、あまり悲しみすぎないでほしい。確かに私の死を悼んでもらえるのなら、それはとても嬉しいことさ。でもね、私はみほさんに前を向いて生きていて貰いたいんだよ。風は風のまま、君たちの心をすり抜けていければ、それでいいのさ」

「……凄いですね、ミカさんは。私にはとてもそんなこと思いつかなかった」

「いや、思いつかなかったんじゃない。気づいていなかっただけさ。何せ私はこれを戦車道から学んだんだ。同じく戦車道に、いや私以上に戦車道を愛するみほさんも、きっと心のどこかで知っていたはずだよ。戦車道には人生の大切なことのすべてが詰まっている、でも多くの人はそれに気がつかないんだ」

 

 ミカはみほの手をみほの胸元に戻すと、すっと椅子から立ち上がった。

 

「さて、それではそろそろ私は行くよ。もともと私はまほさんにお別れの挨拶を言うために彷徨っていたからね。それではみほさん、またいつか」

 

 ミカはみほに背を向けると、長い髪を靡かせながら立ち去っていった。後ろ姿で手を上げ、去りながらみほに別れの挨拶をしながら。

 再び一人になったみほの心には、不思議な充足感があった。

 これがミカの言う、心に刻み込まれるということなのかと、みほは思った。

 そして、鼓動を打つ自分の胸元を両手で抑え、静かに目を瞑った。

 

「……私の心にはみんながいる。……じゃあ、エリカさんの心には?」

 

 

 ◇◆◇◆◇

 

 

 赤星は黒森峰女学園の戦車格納庫を見上げながら立っていた。

 胸に溢れかえるのは、懐かしさと、恐ろしさ。

 かつて青春を費やしたこの場所に対する郷愁じみた気持ちと、呪いの元凶たるモノがずっと放置されていた場所への恐怖。

 その二つの感情が入り混じり、なんとも表現しづらい痛みが、彼女の胸中で暴れていた。

 そんな赤星に近づいてくる姿が一つ。赤星はその気配に気がつくと、体をくるりと回転させ、長く美しい黒髪を持つその人物に笑いかけた。

 

「お久しぶりですね、新海先輩……いえ、今は新海教官でしたね」

「お久しぶりね、赤星ちゃん」

 

 新海と呼ばれた女性は、眼鏡の位置を片手で整えながら、赤星に対し深窓の令嬢という言葉が似合う微笑みを赤星に向けた。

 

「それにしても驚きましたよ。まさか新海先輩が黒森峰で教官を務めていたなんて」

「私も驚いたわ。だってあの赤星ちゃんが今は本庁の刑事だって言うんですもの。人生はどう転ぶか分からないものね」

 

 新海は赤星やみほ、そしてエリカが一年だったときの黒森峰の元副隊長だった女性である。みほが入学しその実力を黒森峰戦車隊に知らしめるまでは、まほの腹心として手腕を振るっていた。今では、黒森峰戦車隊の教官として、後進の育成に励んでいる。

 

「ええ本当に……。と、積もる話は山ほどありますが、何分今は急いでいまして、早速説明をお願いできますか」

「そうね。実際に格納庫を見てもらいながら説明しましょう」

 

 赤星は鍵を持って歩く新海の後ろについていく。そして、新海が格納庫の裏口の扉の鍵を開けると、二人で一緒にその中に入っていく。格納庫の中は当然暗かったが、すぐに新海が電気を付けたためその全体を見ることができた。

 格納庫の中はがらんとしていた。戦車は一台もなく、あるのは取り残されたと思わしき壊れた履帯や資材だけ。もちろん、あのⅢ号戦車の影も形もなかった。

 

「もうそろそろこの格納庫は取り壊しになる予定なの。あのⅢ号が無くなってもやっぱり悪い噂というのはどうしても残っちゃうから、いっそのこと……というのが学校の考えなの。……正直、逸見ちゃんのことをなかったことにしているようで、私はあまり乗り気じゃないんだけどね」

 

 僅かに眉を潜める新海の姿は、憂いる美女といった様子で、実に絵になると赤星は思った。

 だが、今はそんなことを考えている場合ではない。

 赤星はさっそく本題に入ることにした。

 

「新海先輩。一体あのⅢ号を動かしたのは誰なんですか? あのⅢ号を動かすことができる人間なんて、そうそういないと思うのですが」

「うん、私も最初はそう思ったわ。でも、あの人は動かして見せたの。でもある意味、一番納得できる人だったわ」

「……あの人?」

「ええ。あの人よ。――――がね」

 

 赤星は自分の耳を疑った。

 信じられなかった。

 最初は悪い冗談かとも思った。

 だが、確かに納得がいく。確かにあの人ならば、動かせてもおかしくはない――。

 

「――教官!」

 

 赤星が放心しているところに、格納庫の扉から大きな声が響いてきた。

 そこには黒森峰のパンツァージャケットを来た生徒が敬礼している姿があった。機甲科の生徒だろう。

 

「あら? どうしたの?」

「はい! 隊長からの伝言で、全員準備を完了しており、後は教官の到着を待つだけだと!」

「もうそんな時間なのね? わかったわ、東ちゃんにはすぐ向かうと伝えて頂戴」

「はっ!」

 

 新海がそう言うと、その生徒は再び敬礼し、走ってその場から離れていった。

 新海は赤星に対し深々と頭を下げる。

 

「ごめんなさい赤星ちゃん。もっと時間を取りたかったのだけど、全国大会のエキシビションマッチがもうすぐある大切な時期だから……。せめてヘリポートまでは送るわね。えっと車の鍵は……」

 

 赤星は頭の中でずっと先程伝えられた名前を反芻していた。

 これは考えていた以上に根が深い問題なのかもしれない。

 赤星は額から汗をたらりと垂らし、それは格納庫の汚れた床にぽたりと落ちた。

 

 

 ◇◆◇◆◇

 

 

 優花里は一人部屋でずっと赤星からもらったファイルを睨みつけていた。

 何か手がかりはないかと被害者の身体的状況など箇所を皿のようにして呼んでいたのである。

 しかし、どの死に方も常識では説明の付かない異常な死に方という以外には大きな共通点はない。

 そうしているうちに、時刻はすっかり夜になっていた。

 

「ふぅー……もうこんな時間でありますか。そろそろ赤星殿が帰ってくる頃ですな」

 

 赤星が来れば何か分かるかもしれない。

 そう思いながらも、優花里は自分のお腹がくぅ……と鳴るのを聞いた。

 

「そういえば何も食べていませんね……何かありましたでしょうか」

 

 優花里は部屋に据え置きの冷蔵庫を開ける。そこには会場に来てから買ったり、貰ったりした飲食物が幾つか入れてあった。

 

「うーん一応お腹は膨らみそうですが味気ないですね……何か買って――」

 

 ――あれ?

 そのとき、優花里は何か引っかかるものを感じた。

 それはごくごく小さな破片だった。気が付かなければ、そのまま流してしまうような小さな破片。

 だが、優花里の記者としての経験と勘、そして、先程から延々と見続けていた資料のとある箇所が重なった。

 

「まさか……!?」

 

 優花里は冷蔵庫の戸が開けっ放しなのも気にせず、机の上に置いてあるファイルに再び目を通す。

 死体についてではなく、遺留品についての箇所を。

 

「そんな、まさか……!? でも、そうだとしたら……!?」

 

 優花里は冷蔵庫に視線を移した。

 雑多な食べ物と水しか入っていない、その冷蔵庫に。

 

 

 ◇◆◇◆◇

 

 

「――ああ、わかっているよアキ。一泊したらすぐにそっちに帰る。何せせっかくできた休暇なんだ。私とアキとミッコの三人で、久々にキャンプと行こうじゃないか。え? 食材? ふふ、そんなもの、きっと風が運んできてくれ……ああ分かったからそんな怒らないでくれ。ちゃんとしたものを買うから。大丈夫だよ、さすがにもうキノコでトリップはごめんだからね。それじゃあまた明日」

 

 ミカは携帯を切ると、それをそのままベッドの上に放り投げた。ミカもまたすぐには帰らず一泊していくことを選んだ選手の一人だった。

 理由としては、まほをずっと探していたのと、何より宿泊所のサービスで出る料理が美味しかったのがある。他の選手が外食で済ませているのが多かったが、ミカとしてはタダで美味しいものが食べられるのならそれにこしたことはなかった。

 

「ふわぁ……さすがにちょっと眠たいかな」

 

 そう言いながらも、ミカは部屋にあるテレビの電源を付ける。映しだされたのは、当たり障りもないバラエティ番組だった。

 それを見ながらも、ミカは別のことを考えていた。

 みほのことである。

 みほは非常に思い悩んでいた。何かを抱えている様子だった。出来うる限りのことはしてみたが、果たして本当に力になれたかは分からない。ミカにはそんなみほのことがずっと引っかかっていた。

 

「まったく、何があったのかね……それにしても、つまらない番組だね。こんな番組を見ることに価値があるとは思えない」

 そうしてミカはリモコンを再び手に取り、チャンネルを変えようとした。

「……あれ?」

 

 しかし、他のボタンを押しても一向にチャンネルは変わらない。それどころか、電源ボタンすら反応しない。

 壊れているのかと思いテレビの電源に直接触ってみたが、そっちも反応を示さない。

 それどころか、突然画面にノイズ出始めたのた。雲が掛かっているとはいえ、天気が悪いわけでもないのに、地上デジタル放送でそういった障害からは程遠くなっているはずなのに、である。

 テレビは、どこかの学者らしき専門家が質問に答えている場面で止まっていた。

 

「一体……」

 

 ミカが何やら只ならぬ雰囲気を感じ取ったときだった。

 

 画面の学者の顔が、歪んだ。ノイズが走るごとに螺旋状に歪んでいき、原型を留めなくなったそれは、次の瞬間、眼と口にぽっかり黒い穴が開いた、異形の相貌へと姿を変えていた。

 

『アアアアアアアアア……』

「っ!?」

 

 ミカはとっさにテレビから飛び退く。テレビからは、おぞましい唸り声が響いてきた。ミカは一歩ずつ、テレビから離れていく。いつしかミカの背中はテーブルにぶつかり、上に置いてあった連盟からもらった飲みかけの天然水が床に落ちその中身を垂れ流した。

 ミカの視線はそれにつられ、そのままふと玄関を見た。

 すると、そこにはさらに信じがたい光景が広がっていた。

 玄関と床との隙間から、水が流れこんできているのだ。泥で汚れた、真っ茶色な水が。

 

 ――まずい。ここにいては、まずい!

 ミカは本能的直感でそれを悟ると、駆け足で部屋のベランダへと出た。そこから眼下に広がるのは宿泊所に備え付けられているプール。そして、ミカのいる部屋は宿泊所の四階に位置する。

 

「……よし!」

 

 ミカは覚悟を決めると、ベランダに足をかけ、汚水が彼女の足元にまで伸びんとする直前に、飛んだ。眼下のプール目掛けて、飛んだ。

 ミカの体は引力に引っ張られプールへと自由落下していく。一瞬味わった不思議な浮遊感の後、ミカの体はそのままプールの中に大きな水しぶきを上げ深く沈んでいった。

 水とはいえやはり高所から飛び降りると痛みが伴う。ミカはその痛みに耐えながら、プールの表面に頭を出した。

 

「ぷはぁ……!」

 

 大きく息を吸う。

 すっかり水浸しになったミカであったが、ひとまず助かったことに安堵し、自然と笑いがこぼれた。

 

「ふふ……よか……」

 

 だが、ミカの表情はすぐさま凍りつく。

 プールの水が、みるみるうちに茶色に染まっていくのだ。匂いも塩素臭から、泥臭いものに変わっていく。

 そして、その汚染の中心は自分の背後にあることを、ミカは知っていた。

 

 ――いる。そこに何かが、いる。

 

「……ごめんね、みほさん。私も、どうやら……」

 

 ミカは諦めたように再び笑う。

 自分の背後の泥水の中からゆっくりと現れるソレがもはや、自分を逃してくれることはないと分かったから。

 

 

 ◇◆◇◆◇

 

 

「……死因は窒息死。泥水に変わっていたプールの水で溺れたのではなく、何者かに首を締めあげられた結果であり、首には真っ赤な手形が残っていました」

 

 赤星は宿泊所の一室で、優花里とみほに今出来たばかりの資料を渡していた。

 ミカの死体がプールで発見された。しかも、水がすべて泥水に変わっていたプールで。

 

「これはもう……疑いようがありませんね。しかし、まさかここまでとは……」

「…………」

 

 渋い表情を浮かべる赤星に、何も言わず俯くみほ。

 重苦しい雰囲気が漂う部屋だったが、だが、優花里だけは鋭い眼差しで資料を見ていた。

 

「……赤星殿」

「はい、なんでしょう?」

「ミカ殿の部屋に転がっていたペットボトル、その銘柄はこれで正しいんですね?」

 

 優花里が赤星に見えるように資料を置き、指差す箇所を見て、赤星は頷く。

 

「ええそうですね。戦車道連盟で選手に無料配布している、西住流天然水ですが……」

「……お二方共、これを見て下さい」

 

 優花里は自分の鞄からファイルを取り出すと、それを開く。そのファイルのページのある箇所に、すべて蛍光ペンでマーキングされていた。

 それは、遺留品の欄にあった。そしてその文字は、すべての被害者に共通していた。

 

「これは……!?」

「はい、そうなんです。被害者全員の遺品にすべてあるんですよ。西住流天然水の文字が、ね」

 

 赤星もみほも驚愕し、言葉が出ないようだった。しかし赤星はすぐさま、苦い表情でボリボリと頭を掻き始めた。

 

「なんでこんな簡単なことに……! 当たり前すぎて見逃していた……!? クソ……! いやしかし、これですべての辻褄が合う……!」

 

 赤星は眉間に皺を寄せたまま、みほの肩を力強く掴んだ。

 

「みほさん! この西住流天然水の水源は、どこにあるかご存知ですか!?」

「え……!? う、うん……。実家の広い土地の中に大きな山があって、そこにある水源地から……」

「やっぱり……!」

 

 赤星は乱暴にみほの肩を離すと、ギリリと歯を強く噛み締め、そのまま部屋の中をうろついた後、今までになく重々しい顔を優花里とみほに見せた。

 

「……今朝、誰がⅢ号戦車を動かしてきたかを確認してきました」

「じゃ、じゃあ犯人が……!?」

「はい……いいですか。特にみほさん、落ち着いて聞いて下さいね……Ⅲ号戦車を動かしたのは……」

 

 赤星はそこでひとつ深呼吸をし、その名を二人に告げた。

 

「西住まほさん……私達の元隊長であり、みほさんのお姉さんであり、エリカさんの手から唯一助かった女性……、まほさんその人です」



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タイジ

 九州熊本における夏の眩い日差しも、曇り空に隠れてはその力は弱まる。直接的な熱気は届かず、代わりに閉じ込められたじめじめとした暑さが満ちていく。

 そんな曇天の下、広々とした土地に自然が満ちる中に整備された道を走る黒い乗用車があった。その乗用車はやがて一つの大きな屋敷へと辿り着く。屋敷の前で車を止め、そこから降りてきたのは赤星、優花里、そしてみほの三人だった。

 その姿を確認したのか、屋敷から和服を来た女性が三人の元へ近づいてくる。そして、顔を見合わせる距離まで近づくと、その女性は深々とお辞儀をした。

 

「お帰りなさいませみほお嬢様、いらっしゃいませお客人方」

「うん、ただいま菊代さん」

 

 西住家の女中である菊代は、礼を済ませると三人を屋敷の中へと案内した。

 戦車道の名家、西住家の屋敷である。

 その大きな屋敷は古き良き趣が満ち溢れており、赤星と優花里を圧倒させた。

 やがて三人は来客用の和室へと案内された。豪華すぎもせず、質素すぎもせず、質実剛健でありながらも名家としての誇りを持つ西住流らしい雰囲気のある客間だった。

 

「あっこの花……」

 

 みほは客間に入ったとき、自分が最後に見たときとは違ったものがあるのに気がついた。

 客間の奥に、ひっそりとだが掛け軸の下に花が飾られていたのだ。主張しすぎることなく部屋に彩りを与えているその花に、何故だかみほは目を奪われた。

 

「はい。五十鈴様からお贈りしてもらった花でございます。名を、『エリカ』といいます。花言葉は『孤独』『寂しさ』『博愛』『いい言葉』などだそうで」

「『エリカ』……」

 

 みほはその名に運命的なものを感じていた。

 エリカを中心に巡っている呪いを解きに来たこの場所で、エリカという名の花と出会う。そしてその花が持つ花言葉、特に「孤独」と「寂しさ」という部分が殊更特別なものに思えた。

 エリカは今、確かに孤独の中にいる。寂しさに苦しめられている。

 みほにはそんな気がしてならなかったのだ。

 

「奥様は現在ドイツへと出張中でございまして、僭越ながらこの菊代が皆様のご質問に答えさせて頂きます」

 

 菊代が頭を下げながら言う。赤星と優花里はすでに座布団の上に腰掛けており、みほも慌てて座布団の上に腰を下ろす。

 それを確認してから、菊代は畳の上に直接正座をした。

 

「単刀直入に聞きます。菊代さん。お姉ちゃんが去年の冬頃、Ⅲ号戦車を持ってきたよね? それが今どこでどうなっているか知らない?」

「Ⅲ号戦車、ですか……。ええ、確かにまほお嬢様がどこからかⅢ号戦車を引き取ってきたことがありましたね。確かあれは……そうです、まほお嬢様が軽く整備をした後、それに乗って一人何処かに出かけていったっきり、見てはいませんね……」

 

 菊代が思い出すように言うも、明確な場所は提示されなかった。

 だが、それでも赤星、優花里、みほはそれがどこにあるのかを確信していた。菊代に聞いたのは、まほがそれを西住本家に持ち込んだことの確認、裏取りである。

 それを聞くと、まず赤星が三人の中で最初に立ち上がった。

 

「それだけ分かれば十分です。ありがとうございました」

「あら、もう外出なさるのですか? せめてお茶の一杯でも……」

「いえ、すみませんが急いでいるので」

 

 そう言って赤星は客間に背を向けた。それに続いて優花里とみほが菊代に頭を下げてから出て行く。菊代は不思議そうな顔をして三人が出て行った客間で座っていた。

 

 

 赤星は屋敷から出るやいなや、走ってすぐさま車に乗りエンジンを掛ける。そして、窓から上半身を出すと後ろからやってきた優花里とみほを急かすように叫んだ。

 

「早く! 目的の場所に行くにはみほさんの案内が必要なんです! だから早く!」

「わ、わかったからちょっとまって赤星さん……」

 

 みほと優花里は小走りで赤星の乗る車へと駆けていく。

 と、そこでふと優花里が足を止めた。

 

「西住殿? あれは?」

 

 優花里が指差す先には、大きな蔵があった。そこに、何人もの奉公人や女中が慌ただしく出入りしている姿があった。

 

「あああそこ? あそこにはね、戦車とは直接関係ないけど第二次大戦あたりの物品を保存しているところだよ。パンツァーファウストとかMG42とかそういうの。うちって戦車道の名家だから、そういう歴史的な価値を持つ物品も保存しておく必要があって。弾とかもちゃんとあるんだよ? ……そういえば今日は蔵掃除の日だったっけなぁ。それにしては随分と人が多い気もするけど……」

「何してるんですか二人共!」

 

 赤星の逸る声に二人は足を止めていたことに気づき、焦りながらも車に乗った。

 

 

 ◇◆◇◆◇

 

 

 日が傾きつつある中、みほは大きな湖ほどはある水源地の水際で、ボートを漕ぐ優花里と大きな機械を水中に垂らしている赤星を見つめていた。

 屋敷から少し離れた奥地に、その水源地はあった。小高い山の上の、森に囲まれた水源地。そこに隣接してある水を汲み上げる人工物はなんとも異彩を放っていた。

 赤星と優花里は、その組み上げ施設ができるずっと前から放置されていたと思われる木製ボートに乗り、水源地の上を移動していた。

 赤星が手に持ち水中に垂らしているのは、小型のソナーである。そのソナーを使い、水源地の中にあると思われる戦車を探り出そうとしているのだ。

 

「それにしてもっ! よくそんなものがっ! 手に入りましたねっ!」

 

 優花里はボートを漕ぎながら赤星に言う。

 赤星はソナーの画面を見ながらも、ふふっと笑い優花里に答えた。

 

「ええまあ。刑事をやっていると、面白い人脈が出来たりするものなんですよ……と、ちょっと待って、止まって下さい!」

 

 赤星が優花里の眼前に手のひらを突き出し静止させる。すると、赤星が見つめる画面には、色づいた何かが現れ出ていた。

 

「これです……これですよ! これがきっとそうに違いありません!」

「ほ、本当ですか!? 思った以上に浅瀬にありましたね。まだそれほど漕いでいませんよ?」

「恐らく、戦車を自動で進ませて沈めたんでしょうが、すぐ駄目になったんでしょうね。もともと水没した後長いこと整備もされず放置されていた戦車です。その場しのぎの、しかも専門家ではない整備ではすぐにボロが出たんでしょう。えっと場所は……よし、では戻って下さい」

 

 赤星は地図に赤いペンでバツ印をつけると、優花里に岸に戻るように促した。優花里は力いっぱい漕ぎ船を岸に戻す。

 船が岸に着くと、赤星はソナーを巨大な軍用バックパックにしまい、優花里と一緒にみほのところへと近づく。

 

「赤星さん! 優花里さん! どうだった!?」

「はい、ビンゴですよみほさん。確かに沈んでいました。間違いなくⅢ号戦車でしょう。場所は記録しました。あとはこれを引き上げるだけです。さっそく、本庁の信頼できる人間に連絡して、準備を整えようと思います」

「よかったぁ……! これで、もう被害が広まることはないんだね!」

 

 みほが明るい笑顔を見せる。それに釣られ、赤星と優花里も笑顔を浮かべた。

 

「はい。販売されてしまった水、そして配布されてしまった水に関しては、別で手を打たなければなりませんが……大丈夫です。不審物が沈んでいた水源からの水と言えば、回収できるでしょうし、すでに飲んでしまった人も検査と称してそういうことを専門としている人達に見せようと思います。調べているうちに、そういった人達とも知り合うことができましたから。とにかく、これでひとまずは――」

「――そう簡単に解決されてもらっては困るな」

 

 パァン!

 静かな水源地に響き渡るほどの鋭くも乾いた音が、三人の耳をつんざいた。

 同時に、三人の足元が軽く爆ぜる。

 三人はその異音がした方向を素早く向いた。そこにいたのは――

 

「お、お姉ちゃん……!?」

「ああそうだよみほ。お姉ちゃんだ」

 

 まほが微笑みながら、森を背後にして立っていた。その右手には、黒光りし、硬質な冷たさを持つ、禍々しい凶器が握られていた。

 

「け、拳銃でありますか……!?」

「そうだ秋山さん。ワルサーP38。カール・ヴァルター社が開発しドイツ陸軍が正式採用した第二次世界大戦中における代表的な拳銃の一つ。またの名を『グレイゴースト』。どうだ、まさにぴったりだと思わないか? 灰色の髪を靡かせ、人々を恐怖の淵に陥れる霊であるエリカには、な」

 

 その落ち着いた口調と、美麗さが際立つ笑みは、まさしくまほ本人だった。だが、彼女から放たれる鋭利と言えるほどの悪意は、元部下である赤星も、記者として長年付き合ってきた優花里も、そして妹であるみほですら、別人ではないかと思わせるほどのものであった。

 

「どうして……どうしてこんなことをしたんですか、隊長!」

 

 赤星がまほに吠える。

 だがまほは怒りに満ちている赤星を鼻であざ笑った。

 

「どうして? そうだな、お前達には分からんだろうな。私がこの十五年間、いったいどれほど苦しんで生きてきたのかを」

「な……!?」

 

 まほは笑みを浮かべつつも、みほ達を睨みつけた。その銃口は依然としてみほ達を狙っており、彼女らはまほの言葉に耳を傾ける他ない。

 

「私は初めてエリカに襲われてからというもの、ずっとエリカの霊に苦しまれてきた。一人でいるときも、他人といるときも、エリカを感じ続けた。眠りの中ですら、エリカは私を苦しめ続けた。エリカの声が、ずっと私の頭の中でこだまし続けたのだ。『一人にしないで欲しい。助けて欲しい。忘れないで欲しい』とね。だがな、私にとってそれは苦痛以外の何者でもなかったんだ。それどころか、精神病院のやぶ医者はずっと私を狂人扱いし続けた。大人しくなったふりをして病院を出たあとも、世間は私を異常者として見続けた。いもしないものに怯える、哀れな女だとね。違う! 私はそんなんじゃない! 私は正常だ! だが奴らは……私を愚弄した。いくら私が隠しても、影で私を笑い続けた……!」

 

 まほは左手でボリボリと自分の頭を掻き始めた。端から見ても分かるほどの、物凄い力で。

 表情は相変わらず笑顔ではあったが、眉間には皺が寄り、目は瞳孔が開き、極めて歪な表情になっていた。

 

「それだけじゃない。いやむしろ、そんなのはまだ可愛い方なんだ。問題は、私の心だ。私の心に、魂に! エリカが侵蝕してきているんだよ……!」

 

 まほは頭を傷つけるほどに暴れさせていた左腕を途端に握りしめ、強くその拳を振り下ろした。

 そしてその途端、まほから笑顔が消えた。

 

「エリカの魂が私の魂を溶け合おうとしてきたんだ! 私の話を唯一聞いてくれた霊能力者はこう言っていた。霊とはむき出しの魂だ。そして、私はその魂と接触し、互いの魂が触れ合った。結果、生者である私と死者であるエリカ、決して結びつかない私達の間に、繋がりが出来てしまったっと……! そしてさらに、エリカはもうエリカじゃない。長い時間苦しんだ結果、もはやエリカとは別のものに変容してしまったんだ。あれはもはや怨念の集合体だ。形をなしている呪いだ。移動する死そのものだ。 分かるか!? そんなものに陵辱され自分が自分でなくなっていく恐怖が! 他人の思考が自分の思考に混ざり合って何が何だか分からなくなっていく苦しみが! 味わったことのないはずの悲痛で枕を濡らす悲しみが! 十五年だ。十五年だぞ! 誰にも助けを求められずに自らが蝕まれていく地獄を味わい続けて、十五年だ! 分からないよな!? 分からないよなぁみほ!? エリカから逃げたお前には、決して……!」

 

 まほの荒々しい叫びに、思わずみほはビクリと体を震わせ、後ずさる。

 だがまほは先程までの表情が嘘だったかのように、急に柔和な笑みを見せたかと思うと、今度は穏やかな口調で話し始めた。

 

「だが、それももう終わりだ。エリカが私ではない誰かを襲うたび、犠牲者がどんどんと増えていくたび、私の心はエリカから開放されるのだから……」

「っ!? ま、まさか!?」

「さすが鋭いねみほ。そう、私は私を救うために、エリカが縛り付けられているⅢ号戦車をこの水源地に沈め、彼女を解き放ったのさ。水に沈む戦車、それが彼女の死因だからね。エリカの死の記憶を蘇らせ、呪いを強めるにはこれ以上のものはない。そしてみほ。お前は点火装置だ。エリカの呪いという爆薬を抱えた人間の導火線に火をつける点火装置なんだ。……なあみほ。お前は私にとって最愛の妹だ。もちろん、お前にとっても私は最愛の姉だろう? だから、助けてくれないか……。この哀れな私を、救ってやくれないか……」

 

 まるで赤子に語りかけるかのようなまほの声。

 その優しい顔は、確かにずっと一緒に暮らしてきた、姉の顔だった。

 思わず頷きたくなるほどの、懐かしい顔。

 だが、みほは――

 

「……ううん。断るよ、お姉ちゃん」

「……ほう?」

「だってお姉ちゃんは、エリカさんを利用しているんだ。エリカさんのことを分かろうともせず、自分のことだけを考えて、ダージリンさんを、アンチョビさんを、ミカさんを……! そんなの許せない、エリカさんを踏みにじるような、そんな行為には!」

「……フフッ、ハハハハ、アッハハハハハハハハハハ!」

 

 みほの強い意志の篭ったその言葉を聞いたまほは、堰を切ったように笑い始めた。

 

「それをお前が言うのかみほ! エリカを捨て、大洗に転校したお前が!」

「そうだよ。あのときは間違えた。だから今度は、間違えない」

「……ふん。まあいいさ。お前がいなくとも、呪いを起爆させる方法はないわけじゃあない。私はこれでも随分と勉強したからな。ではまずは……」

 

 パァン!

 再び拳銃から火花が散った。煙を上げたのは、赤星の足元だった。赤星の手は、いつの間にか懐に伸びようとしていた。

 

「赤星。お前からだ。その胸に隠しているものは厄介だからな。どうせ幽霊のことを信じているのなんて警察の中でも少数派なのだろう? それに私だって西住の人間さ。口利きできる人間はいくらかいる。誤魔化そうと思えば、なんとかなるのさ。お前の先輩のようにね」

「……くっ!?」

「そう怖い顔をするなよ赤星。仲間だったよしみだ。楽に逝かせてやろう。あんまり動いてくれるなよ?」

 

 まほの指が引き金にかかる。

 ――駄目だ。これはもう、駄目だ……。

 赤星は完全に状況が詰んでいることを自覚し、強く目を瞑った。

 だが、そこで予想外のことが起きた。

 

「赤星さん!」

 

 まほが引き金を引き切る瞬間、みほが赤星を掴むようにして庇ったのだ。

 まほも驚いたようだったが、引き金は止まらない。

 銃弾は炸裂音そして瞬く火花と共に、みほ目掛けて飛んでいき、そして――

 ――銃弾は、空中で止まった。

 

 

「え……え?」

「な……!?」

「は……?」

「……な、に……!?」

 

 その場にいた誰もが言葉を失う。

 弾丸はみほの眼前に浮遊しており、やがてポタリと地面に落ちた。

 

『アアアアアアアアアア……』

 

 唸り声が聞こえる。

 どこから?

 水の底から。

 暗い暗い、苦しみに満ちた唸り声が。

 

 全員が岸に目を移した。そこには、水の中からゆっくりと水際に上がってくる、銀髪の女の姿があった。

 

 逸見エリカが、そこにいた。

 

「あ……あああ……ああああああああああああああっ!?」

 

 パァン! パァン!

 まほは恐慌状態になりながら、エリカ目掛けて銃弾を放つ。だが、銃弾は彼女の体に当たっても何の影響も及ぼさない。そうしている間にも、エリカは歩みを進め、陸へと上がる。

 

「来るな……来るなああああああああああああああああっ!!!!」

 

 まほは震えた声を張り上げながら、くるりと後ろを向きほうほうの体で森の中へと逃げていった。

 ひとまずの脅威は去った。

 だが、新たな脅威に三人は脅かされていた。

 エリカという存在が、今ここに現出しているのである。

 赤星も優花里も動けなかった。

 

 ――だが、みほは、みほだけは、エリカに歩み寄っていった。

 

「みほさん!?」

「西住殿!」

「大丈夫! 大丈夫だから……」

 

 みほは驚き心配する赤星と優花里に顔を見せないまま大声でそう言うと、ゆっくりと歩いているエリカに、みほもまたゆっくりと近づいていき、そしてとうとう目と鼻の先にまで近づく。

 

『アアアアアアアアアアアアア……』

 

 相変わらずエリカは地響きのような声を上げている。だがみほは、決して怯えた表情を見せなかった。それどころか、エリカの体をしっかりと抱きしめた。

 

「大丈夫だからね、大丈夫だから、エリカさん……」

 

 みほはとても優しい声で、頬をエリカの横顔に密着させて、エリカに囁きかけた。

 エリカの唸り声は、いつの間にか止まっていた。

 

「あのときの私にダージリンさんとケイさんのようにエリカさんを信頼する心があれば……。アンチョビさんのように、エリカさんのことを思いやる心があれば……。ミカさんのように、大切なことに気づけていれば……。でも、もう間違えない。エリカさん……私は……」

 そこでみほは頭を少し離し、髪で隠れているはずのエリカの瞳に自分の瞳を重ねあわせ、涙を流しながらも精一杯の笑顔を作り、言った。

「あなたのことが……好きです」

『……ミ……ホ……』

 

 エリカが名を呼んだ。みほの名を、呼んだ。

 そして、次の瞬間、エリカの体はスゥー……と、姿を消した。



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ヨビゴエ

「はぁ……! はぁ……! はぁ……!」

 

 まほは息を荒げながら森の中を走っていた。走るといっても、体に力は入っていなくよれよれとしており、今にも倒れそうな姿だった。

 

「私の心は私のものだ……! 私の魂は、私だけの……! ……ぐっ!?」

 

 まほは木の根に足を引っ掛け転んでしまう。

 まほの口の中に土と草の味が広がった。

 

「くそっ……!」

 

 土だらけになった体で立ち上がるまほ。

 だがそこで、まほは背後に気配を感じた。凍えるほどの冷たい冷気を放つ、おぞましい気配を。

 

「あ……あ……」

 

 まほは石のように硬い首を必死で動かし振り向く。

 そこに立っていたのは、ダージリンだった。血まみれで、手や足があらぬ方向に曲がっていながらも立っている、ダージリンの姿があった。

 

「あああああああああああっ……!?」

 

 まほは急いでその場から逃げようとする。

 だが、まほはその足を止めざるをえなかった。

 なぜなら、正面にもいるのだ。

 同じく、いやそれ以上に体中を真っ赤に染めた、アンチョビが、そこにいたのだ。

 

「ひいいいいいいいいいっ……!?」

 

 まほは泣いていた。情けない悲鳴を上げながら泣き始めていた。

 なんとか逃げようと、迫ってくるダージリンとアンチョビとは真横の方向に逃げようとする。

 だがしかし、やはり。

 そこにもいた。

 全身から水を滴らせ、首が真横に曲がっている、ミカが。

 

「あ……うわああああああっ!」

 

 まほは無駄なあがきと知っていつつも拳銃を放つ。ダージリンに、アンチョビに、ミカに。

 それぞれ一発ずつ打ち込む。だが当然の如く、それは何の効果も示さない。

 

「や……やめろ……私は……私は……ただ、ただ幸せになりたかっただけなんだ……」

 

 まほは迫り来る三人の霊に怯えきり、歩みを背後に進める。だが、その後退はすぐさま止まった。まほの背に、巨木があったからだ。

 逃げる場所を失い、ある場所のない逃げ道を求めて足だけは下がり続けるまほ。

 三人は少しずつ、少しずつ近づいてくる。

 だが、まほを追い詰めるのは、三人だけではなかった。

 

「……へっ?」

 

 まほの足を、誰かが掴んだ。

 まほが下を向くと、そこにいたのは、体中に銀髪がまとわりついた、ダージリン以上に体の節々がおかしな方向に向いている女の姿だった。森船淳美が、まほの体に縋ってきた。

 そして淳美だけではない。まほの足元には、何十人という人だったモノの群れができていたのだ。頭と足が潰れたモノ。口から血を流し続けるモノ。体中が真っ黒く焦げ付いているモノ……。

 まほの理性はとうとう限界を迎えた。

 

「……くっ……くっ……!」

 

 まほはガクガクと振れる手つきでずっと握りしめていた拳銃を頭につきつける。そして、逡巡しながらも、やっとのことで引き金を引き――

 ――カチリ。

 

「……う……そ……?」

 

 まほは何度も引き金を引いた。しかし、帰ってくるのはカチリという軽すぎる音だけ。

 ワルサーP38の装弾数は八発である。まほはその全弾を撃ち尽くしてしまっていた。

 通常のまほなら気づいたことだが、今のまほにはその余裕はなかった。

 そうしている間にもその群れはまほを取り囲んでいく。

 まほの体はついに、亡者の群れにまるで蜂球のように群がられることとなった。

 

「ハ……ハハハハ……私は……わたしは……わたくしは……俺は……僕は……ハハハハハ……!」

 

 まほの狂った笑い声だけが、森に響きわたった。

 

 

 

 ◇◆◇◆◇

 

 

 

「……では、もう行ってしまうのですね」

 

 優花里は西住家の玄関で、車に乗っている赤星に話しかけていた。

 赤星は車の窓を開けて優花里に笑顔を向けている。

 

「ええ。私も、一応忙しい身ですからね。本当はお言葉に甘えて泊まって行きたかったですが、事後報告や後処理など色々ありますので。戦車の回収も手配しましたし、もう私の仕事はありません。……これで、すべては解決しました。もうエリカさんが誰かを襲うことはないでしょう。みほさんにはゆっくり休んでと伝えて下さい。そして、今度はゆっくりと一緒に遊ぼう、とね。それでは優花里さん、また今度」

 

 赤星は軽く手を振ると、窓を閉めて颯爽と車を走らせていった。

 優花里はその姿が夜の闇に消えていくまで見続けた。

 ――終わった、すべてが、終わったんです……!

 あの後、みほは倒れそのまま西住家へと運ばれることとなった。途中で意識を回復したが、寝起きのように覚束ない感じであった。

 みほを西住家に運ぶと、菊代が中から現れみほを家の中へと案内した。そのとき、優花里と赤星は泊まっていかないかと言われた。

 そして優花里はそれを飲み、赤星は仕事があるからと帰る選択を取った。

 そこで、赤星に電話が掛かって来た。まほが発見されたらしい。森の中で、意味不明な言葉を呟き続けていたため、精神鑑定が行われるという。だが、まほを発見した警官によれば、まほは自分が誰かも分かっておらず、それどころかまるで何十人もの人間が一人の中に入っているかのようなちぐはぐな言動をしているため、精神病院送りは間違いないだろうとのことだ。

 優花里は少しだけまほに同情したが、やったことを考えるとそれもやむ無しだとも思った。

 とにかく、これですべてのことに決着がついたのだ。

 

「んんっー……!」

 

 優花里は笑顔でぐっと背伸びをする。たった数日の出来事だったのに、物凄い疲れが彼女を襲っていた。

 そのまま優花里は西住家の門を潜り、中へと入っていく。

 ――今日はお言葉に甘えてゆっくりと休みましょう。そして、明日は西住殿と久々に色々と話しましょう。あ、そうだ。西住殿に斑鳩殿のネットインタビューの件を頼んでみましょうか!? 西住殿も先輩と久々に会えるとなれば喜ぶはずです。……と、そう言えば、私が眠るのはどこの部屋なのでしょう?

 そんなことを考えながら暗い廊下を歩いていると、明かりが灯った和室があるのに気がついた。その中心には、先にみほを部屋に送っていた菊代が立っていた。後ろ姿だけを見せ、顔は見えない。

 

「あの菊代殿、私は一体どの部屋で寝れば……」

 

 ――おかしい。

 

 優花里はそう思った。菊代は優花里の声に反応しないどころか、ゆらゆらと揺れ危なげな様子で立っている。

 

「菊代、殿……?」

 

 優花里は恐る恐る菊代の肩に触れる。

 すると、その瞬間、菊代の体はガクリと畳の上に倒れこんだ。

 

「菊代殿!?」

 

 菊代を起こそうとした優花里は、絶句した。菊代の表情は、白目を向き、大きく歪に口を開け硬直していたのだから。まるで、おぞましい何かを見てしまったかのように。

 

「……そんな……そ、そうだ! 赤星殿に連絡を……!?」

 

 優花里は混乱しながらも、赤星に連絡することにした。警察であり今回様々なことで活躍してくれた赤星に連絡するのが一番であると考えたからだ。

 優花里は携帯電話の電話帳から貰ったばかりの赤星の連絡先を選び、電話を掛ける。

 コール音がしばらく鳴り響く。

 ワンコール、ツーコール、スリーコール……だが、なかなか赤星は出る気配がない。運転中だからだろうか?

 もう切ろうかと思ったとき、やっと赤星との電話は繋がった。

 

「あ!? 赤星殿! 大変なんです、菊代殿が……!」

 

 

 ◇◆◇◆◇

 

 

「ふんふーんー」

 

 赤星は上機嫌で車を運転していた。自分の果たしたかった目的をとうとう遂げられたのだ。これほど嬉しい事はない。

 みほもエリカも救われた。自分は役目を果たしたのだ、と。赤星はそんな充実感に満たされていた。

 刑事としてはまだまだ困難に立ち向かうことがあるだろう。だが、この経験が、この想いがあればきっとどんな困難も乗り切っていけるはず。

 そんなことを考えていると、目の前に踏切が見えた。赤星は念のため車の速度を落とした。

 ……はずだった。

 

「……っ!?」

 

 赤星がアクセルを緩めているはずなのに、なんと車はかえって速度を上げ始めたのだ。咄嗟にブレーキを踏むも、一向に止まる気配はない。ハンドルを切ってどこかにぶつけて止めようとしても、進行方向は変わらない。

「何が起こって……!?」

 車はとうとう百キロを越し、勢い良く踏切に突っ込んだ。

 と、踏切の丁度中心で、車はピタリと動きを止めた。

 

「ぐっ!」

 

 シートベルトをしているとはいえ、それほどの急停止では赤星の体に負担がないわけがなかった。

 赤星の体は締め付けられながらも激しく揺れ動く。

 赤星はクラクラする頭を抑えながらも、周囲を見回した。車は相変わらず言うことを聞く気配はなく、外は闇に包まれている。虫の音一つも聞こえない。

 

 カンカンカンカン……。

 

 だが、けたたましい音と、赤い発光がその静寂を破った。踏切の警報だ。

 同時に、プァーンという大きな警笛が聞こえてきた。音の方向を見ると、微かな光がどんどんと大きくなって近づいてくるのだ。

 ――あれは列車だ。しかも、ただの列車じゃない。音とライトの位置からして、貨物列車だ!

 そんなものに轢かれてはひとたまりもない。

 赤星はシートベルトを外すと、急いでドアを開けようとした。

 

「くそっ! 開けっ……!」

 

 だが、扉はびくともしない。ロックはかかっていないはずなのに、まるで壁を相手にしているかのようにびくともしない。

 赤星がなんとか扉を開けようと奮闘していると、彼女のポケットから携帯電話の着信音が流れてきた。だが、それに答えている余裕はない。そうしている間にもどんどん貨物列車は近づいてきているからだ。

 赤星は必死に扉と戦う。決して開かない扉。赤星は扉にとうとう見切りを付け、ガラスを破る方向に頭を切り替えた。まずは座席の後頭部に位置する部分をシートから抜き、それで窓を破ろうとする。

 だが、一向に窓は割れない。そうしているうちに、携帯電話が赤星のポケットから落ち、落下の衝撃で偶然着信に反応した。

 

『あ!? 赤星殿! 大変なんです、菊代殿が……!』

 

 それは優花里の声だった。その声は非常に慌てふためいており、さらに菊代に何かあったことを知った。

 そこで、赤星は悟った。

 

「そうか! そういうことか……!」

 

 赤星は苦々しい顔をし、だらだらと汗を噴出させながらも、懐から拳銃を取り出し、窓を射撃した。

 だが、なんと窓は銃弾を受け止めはすれど、割れることはなかったのだ。全弾打ち込んだのにもかかわらず、だ。

 

「くそっ! くそっ! くそっ!」

 

 赤星は拳銃を窓に投げつける。そして、ヒビの入った窓から、外を見た。

 そこには、勢い衰えぬ貨物列車が、目前にまで迫っていた。

 

「う、うわああああああああああああっ――!?」

 

 それが赤星の最後の叫びだった。

 赤星の乗っていた車は、原型を留めないほどの、鉄の塊と化した。

 

 

 ◇◆◇◆◇

 

 

「…………!?」

 

 赤星との電話が悲鳴と共に切れたことで、優花里は想像以上の事態が起きていることを把握した。

 

「お……終わったはずじゃ……はっ!? に、西住殿は!?」

 

 優花里は頭の中がぐちゃぐちゃになりながらも、みほのことを思い出し駆けた。もしみほに何かあったら……! そう思うと、いてもたってもいられなかった。

 みほの部屋の場所は知っていた。

 菊代に案内されている途中で、みほにこっそりと教えてもらったからである。

 優花里はみほの部屋の前に着くと、その戸を乱暴に開いた。

 

「西住殿っ!」

「……優花里さん」

 

 そこには、確かにみほがいた。みほが薄暗い明かりの中で優花里に背を向け立っていた。

 そしてみほは振り向いた。

 

 ――振り向いて、優花里にその青い瞳を見せた。

 

「西住、殿……?」

 

 優花里はとうとう何がなんだか分からなかった。そこにいるのは、本当にみほなのか、分からなくなった。

 一方みほは、微笑みながら優花里の側に寄ってくる。

 

「ねぇ優花里さん。私、分かったんだ」

「分かった……?」

「うん。エリカさんの、気持ち」

 

 みほは優花里に息が当たるほどの距離まで接近する。間近でみるみほの顔は、いつもどおりのはずなのに、とても恐ろしかった。

 

「エリカさんはね、ずっと苦しんでたんだ。一人でずっと、忘れられたくない、一人は嫌だってね。それはとってもとっても苦しくて、辛い想い……。自分が自分でなくなっていくなかでも、その苦しみだけはずっと続いていた……。そのことを私は心が融け合って、分かったの。……私はね、そんなエリカさんを助けたいと思ったの。だって私にとってエリカさんは大切な人だから。ううん、もうすでに、私はエリカさんで、エリカさんは私だから」

「あ、あああ……」

 

 優花里は腰が抜け、その場に尻もちを付く。

 もはや目の前の人間はみほではない。みほであってみほでない。肉体を持った、呪いなのだ。

 優花里は力が抜けていながらも、なんとかその場から逃げようとした。体を動かし、なんとか後退しようとした。だが――

 

『アアアアアアアアアアア……』

「ひぃっ!?」

 

 優花里が上を見上げると、そこにはエリカがいた。優花里の背後に、エリカが立っていた。

 

「もう、逃げられないんだよ優花里さん。私はもうエリカさんだから。エリカさんはもう私だから。だから、私を見て、私の声を聞いた人はみんな、エリカさんと一緒になるんだよ?」

「……た、助け……」

「助かりたい? ひどいなぁ私はただエリカさんのことをみんなに理解して欲しいだけなのに。エリカさんのことを受けれて欲しいだけなのに。……でも、優花里さんがそんなに言うんなら、チャンスを上げる。ね? 手伝ってよ? 私とエリカさんが、沢山の人に受け入れてもらえるように、さ。沢山の人に。できるだけ沢山の人に私のことが伝わるように、ね……」

 

 みほはしゃがみ優花里と同じ目線で笑いかけた。

 それはみほの笑顔だった。同じ戦車に乗って、共に優勝を勝ち取った、あの笑顔だった。

 

「わ、私……は……」

 

 

 

 ◇◆◇◆◇

 

 

 

「んん……?」

 

 斑鳩は月間戦車道の編集部で、鳴り響く携帯電話によって起こされた。時計はすでに夜の十二時になろうとしていた。

 

「いかん、いつの間にか寝ていたのか……ったく、こんな仕事の山があるから……ふあぁ」

 

 眠たげな眼をこすり欠伸をしながらも、斑鳩は机の上に放置してあった携帯電話を手に取る。

 

「はい、もしもし……」

『斑鳩殿ですか……』

「ん? 秋山か? どうしたこんな時間に……」

 

 相手は優花里だった。何処か声に元気がないが、まあ夜だし相手も疲れているのだろうと思って気にしないことにした。

 

『……前に、インタビューする相手を探して欲しいって言ってましたよね』

「ああ、そうだが?」

『……西住殿が、受けてくれるようですよ』

 

 それを聞いた瞬間、斑鳩の眠気は一気に吹き飛び、椅子を吹き飛ばさんとするほどの勢いで立ち上がった。

 

「何!? 西住殿って、もしかしてもしかしなくても妹様か!?」

『……はい。斑鳩殿にも会いたがっていますし、できればすぐにでもインタビューに答えたいそうです。スケジュールはいつでも開けてくれるそうですよ』

「そ、そうか……! いやよかった! まさか妹様にオッケーしてもらえるなんてな……! わかった! すぐにスケジュールを確認して連絡する! よくやった、秋山! お前はできる駄犬だよチクショウ!」

『……ありがとうございます。それでは』

 

 電話がブチリと切れ、ツーツーという音が電話越しから鳴る。

 斑鳩は、携帯を持ったままガッツポーズをし、喜びを体で表現した。

 

「よっしゃあああああ! ひっさしぶりに妹様に会えるぞー! いやー何話そっかなー! いや、仕事だしまずはちゃんとインタビューを……いや、その後はしっかり先輩後輩としていろいろとプライベートな話とかを……!」

 

 斑鳩がそんな風に満面の笑みで歓喜に打ち震えていたときだった。編集部の窓を、ポタリと水滴が叩いた。

 

「ん? おいおい雨か? こんなときに……傘あったかなー……?」

 

 雨脚はどんどんと強くなり、叩きつけるような雨が夜を支配した。

 まるでそれは、あの大会のときの雨のようだと、斑鳩は何気なく思った。

 

 水底(ミナソコ)の呼び声が世界中に拡がる日は、すぐそこにまで来ていた。



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水底(ミナソコ)の呼び声3~甦~
ソウサク


幽霊エリカ第三作目、唐突にスタートしたいと思います。
ホラーの三作目なので蛇足な感じになりそうです。


「戦車道連続怪死事件? そんな事件あったねぇ一年前だっけ?」

 

 雑踏行き交う町中、そこで噂は無秩序に語られる。

 

「そうそう、戦車道の有名な選手が大きな試合のときに次々に死んじゃったんだよねー」

「まだ未解決なんでしょ? あの事件」

 

 人々が語る噂はどんどんと形を変え、様々な姿で語られる。

 

「確か猟奇殺人犯の仕業なんだっけ?」

「えー? 私は危険ドラッグが業界に蔓延していたって聞いたよ?」

「私はなんか危ない病気が海外から流れてきてたって聞いたなぁ」

 

 その噂はどれも根拠のないものばかり。噂の内容のほとんどに価値はない。

 しかし……。

 

「あ、私知ってるよ! あれはねー! 昔戦車道で死んだ女の子の幽霊の祟りなんだって!」

「えー嘘ぉー!」

「そんなはずないよぉ! ねぇ!」

「そうかなぁ?」

 

 くだらない噂話の中にも、ときとして真実が混ざることがある……。

 

 

   ◇◆◇◆◇

 

 

「王大河ー! 王大河はいるかー!」

「はーい!」

 

 都内にある某テレビ局。

 そこに勤めている一人の記者、王大河は突如上司に呼び出された。

 

「はい、なんでしょうか?」

「よく来た大河。実はな、今度うちでやる特番あるだろ、行方不明者を探す番組」

「あーありましたねぇ。改編期に流す適当なやつでしたよね?」

「お前、一応自分達で作ってる番組なんだからそんなことを言うなよ……まあいい。それでな、その番組にぜひとも探して欲しい人がいると依頼してきた人がいて、その担当にお前をつけたいんだ」

 

 その言葉を聞くと、大河は露骨に嫌な顔をした。

 

「えぇ!? なんで私なんですか!? 特番でそういうことするようなスタッフは他にもいるでしょう!?」

「まあ待て話を聞け。実はな、その依頼主というのが……あの戦車道の天才選手、島田愛里寿なんだ」

「えぇ!?」

 

 大河は驚く。

 島田愛里寿。その名は戦車道を知っているものなら皆聞くことになる名であり、大河も面識がないわけではなかった。

 大河は学生時代、大洗女子学園にいた。そして、大洗がその学校の存亡をかけて戦った大学選抜の隊長が愛里寿だったのだ。その縁から、大河は愛里寿にインタビューしたことがあり、それ以降社会に出てからも取材をしたことがあった。

 

「なるほど……私と島田さんが面識があるから私が適任と?」

「ああ、まあ……理由はそれだけじゃないんだがな」

「え?」

「ま、後は本人から聞いてくれ。とりあえず、応接間で待たせている」

 

 大河はそう言われたため、一人応接間に行く。すると、そこにはソファーに座っている愛里寿の姿があった。

 

「あ、愛里寿さんこんにちは」

「こんにちは」

 

 大河が現れ礼をすると、愛里寿は椅子から立ち上がりペコリと礼をする。

 そうして挨拶を済ませた後、大河は愛里寿の正面のソファーに座る。

 

「さて、私に人探しを手伝って欲しいということらしいですが……」

「うん。この人を探して欲しい」

 

 そう言うと、愛里寿は写真を取り出し大河に見せる。

 

「こ、これは……!」

 

 そこに映っていた人物に、大河は驚きを隠せなかった。

 それは、大河もよく知った人物だったからだ。

 

「これ、西住みほさんじゃないですか……!」

 

 西住みほ。

 かつて大洗女子学園を廃校から救った英雄であり、プロリーグの選手として名声を欲しいままにしてきた人物だ。

 

「た、確かにみほさんは……」

「そう、一年前から失踪している」

 

 愛里寿は静かに言った。愛里寿の言う通り、みほは一年前から失踪していたのだ。

 理由は誰も知らない。みほの失踪以前に、みほの実家である西住家で女中の一人が怪死を遂げた事件や、姉であり西住流の次期家元であった西住まほが精神病院に送られた事件と何か関係があるのではと噂されたが、結局その関連性も分からず真相は闇の中のまま、一年が過ぎていた。

 

「私に依頼した理由が分かりました。確かに私はあのときの大洗にいた生徒の一人ですからね。無関係とは言えません。しかし、なぜ今になって捜索の申し出を? 一応、今でも警察が捜索していると思うのですが……」

「警察にはもちろん頼んである。探偵も雇った。それに加えて、私はテレビの力も借りたい。みほさんは私にとって大切な人だから」

「なるほど……」

 

 大河は納得したように頷く。

 どうやら愛里寿はどうしてもみほのことを探し出したいらしい。そのためには、わらでも掴むと言った感じを大河は受けた。

 

「一年前に突如失踪した戦車道プロチームの花形選手、確かにこれはテレビとしても美味しいネタですね。……いいでしょう! その依頼、受けましょう!」

「本当!?」

 

 笑顔で言う大河に、愛里寿もまた笑顔になった。依頼を受けてもらったことが、とても嬉しい様子だ。

 

「ええ、これでもマスメディアに携わる人間の端くれですからね! もし見つかったら大スクープですし、乗らないわけにはいかないですよ! とは言え、心当たりはあらかた警察が調べていそうですが……」

「そうでもない。当時の大洗の人間だから分かることもあるはず」

「そう言われても……あっ、そうだ」

 

 そこで大河は何かを思いつき、手を打った。

 

「みほさんのお友達に聞くのはどうでしょうか?」

「みほさんの、友達?」

「ええ。具体的には、かつてみほさんと一緒に戦った大洗女子の戦車チーム、あんこうチームのみなさんです!」

 

 あんこうチーム。それは大洗優勝の柱となったチームの一つであり、みほがもっとも仲良くしていたメンバーである。

 

「なるほど……確かに、そこは盲点かもしれない」

「でしょう? 五十鈴華さん、武部沙織さん、冷泉麻子さんの三人なら、何かみほさんの手がかりを持っているかもしれません」

「ん?」

 

 大河が三人と言った。そこで、愛里寿は引っかかったような顔をする。

 

「三人って……あんこうチームは、もう一人いたはず。確か装填手の……」

「あー、秋山優花里さんの事ですよね……。その、ご存知ないんですか?」

「え? どういうこと?」

 

 愛里寿がよく分からないと言ったような顔で返す。

 すると、大河は若干口を濁しながらも、愛里寿に答える。

 

「えーと……その……実は、優花里さんも、一年前に失踪しているんですよ」

「えっ!?」

 

 愛里寿は驚いた。みほ以外にも一年前に失踪した人間がいる。そのことに驚きを隠せない様子だった。

 

「一年前に、失踪……!?」

「ええ……愛里寿さんは多分覚えていないでしょうけど、実は一年前。月刊戦車道の記者が一人入水自殺しているんです。斑鳩拓海っていう人なんですけど……」

「そういえばそんな事件があったような……」

「ええ。それで、その事件の前後に隠れてしまったんですが、優花里さんが突如姿を消してしまったんです。最後の連絡は、その拓海さんが取っていたらしく行き先がまったく分からないままで……」

「そうだったんだ……」

「ええ。だから優花里さんから話を聞くことは無理なんですよ」

 

 それを聞いた愛里寿は、何か考え込むように顎を手で触りながら、言った。

 

「……なんだか、無関係とは思えない」

「あっ、愛里寿さんもそう思いますか? いやー私も実は何か関係あるんじゃないかなとは思ってはいるんですよね。でも何の手がかりもない上に、警察は無関係で捜査を始めちゃったみたいで」

「……だったら、ますますあんこうチームの人達に話を聞いたほうがいいかもしれない。優花里さんのこと含めて、何か知っているかもしれないから」

「そうですね。私もそう思っています」

 

 大河と愛里寿はお互いにそう確認しあうと、さっそく話を詰め始める。

 

「それじゃあ、最初は誰に聞きに行く?」

「そうですね……華さんあたりが妥当だと思います。華さんの家は華道の家元として、とても由緒正しい家ですが、その分いろんな方面に顔が効く人です。みほさんのことも何か知っているかもしれません」

「分かった。そうなれば、さっそく行動」

 

 そう言って、愛里寿は立ち上がる。

 

「え!? もう行くんですか!?」

「行動は早いほうがいい」

「それはそうですが……分かりました! 私もジャーナリストです! その理念には共感を覚えますし、お供させてもらいましょう! ですが、向こう側にもアポを取らないといけません。少し待ってくださいね。それによっては日にちがずれるので」

「……分かった」

 

 愛里寿はコクリと頷くと、大河は応接間から出ていった。愛里寿は、大河が五十鈴家に連絡するのを待つ。

 大河は自分のデスクで連絡先を調べ、五十鈴家に電話をする。

 それからしばらくして……。

 

「愛里寿さん! 連絡がつきましたよ!」

「本当!?」

「ええ! 明日にでも行っていいそうです!」

「よかった……」

 

 愛里寿はほっと胸を撫で下ろす。一方大河は少し苦笑いをしていた。

 

「いやまあ、少し手こずりはしましたがなんとか了承をもらえてよかったですよ。何せ問題が問題ですからね……それでは、明日車を出すので再びこのテレビ局に集まるということでいいですか?」

「うん」

「良かった。それではまた明日」

 

 大河と愛里寿はそうして、その日別れた。

 こうして、大河と愛里寿によるみほの捜索が始まった。

 だがこのとき、大河はまだ知らなかった。

 軽い気持ちで始めたみほの捜索が、後に大きな事件へと発展していくことに……。

 



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エイゾウ

 翌日、大河は愛里寿とテレビ局で合流し、共に五十鈴家へと向かった。天気はあいにくの曇りであり、太陽は厚い雲に覆い隠されている。

 五十鈴家は大洗にある。

 そのため、大河と愛里寿は二人で大洗へと車を走らせた。運転は大河である。愛里寿は正確な五十鈴家の場所を知らないためだ。

 大河が車を走らせることしばらく。二人は大洗の五十鈴家へと到着した。

 

「ここです」

「ここが……うちと同じくらい大きなお屋敷……」

 

 愛里寿は五十鈴家の邸宅を見上げながら言った。

 五十鈴家はまさに古風な日本屋敷であり、その敷地はとても広かった。他の一般的な家庭の家屋なら数件まるまる入ってしまうぐらいだ。

 

「おっと、そうだ」

 

 大河は思い出したかのようにカバンからとある物を取り出す。それはカメラだった。少し小さめではあるが、テレビ撮影用のカメラだ。

 

「一応取材ということで来ているので、これを回しておかないといけませんね」

 

 大河はそう言いながらカメラの電源を入れ、撮影を始める。

 まずは五十鈴家を撮り、そして撮影しながら邸宅へと足を踏み入れる。

 二人が邸宅に入ると、玄関に向かって奥から着物の女性が歩いてやって来る。

 かつてのあんこうチームの砲手、五十鈴華だ。

 

「お二方とも、よくいらっしゃいました」

 

 華は笑顔で大河と愛里寿を迎える。

 

「失礼します」

「お邪魔します」

「では、どうぞこちらに」

 

 華に案内され二人は邸宅の中を進む。

 五十鈴家の邸宅は外が曇りなせいもあってか薄暗く、どこか不気味な雰囲気を醸し出していた。

 長い廊下を歩いていると、五十鈴家で働いている女中と何人かすれ違い、向こうが頭を下げて挨拶してきたので大河達もまた頭を下げた。

 そうして歩いているうちに、三人は五十鈴家の客間へと案内される。

 

「こちらです」

 

 客間にはすでに座布団が用意されており、華が二人に座るように促す。二人は用意された二つの座布団に座り、華が向かい合うように座る。

 

「さて、今日は何やらテレビの取材と聞いたのですが……」

「ええまあはい、そうなんですよ」

 

 大河は歯切れ悪く言う。

 その様子を、愛里寿は訝しんだ。

 

「一体どんな取材をするのでしょうか? 花についてですか? それとも愛里寿さんがいらっしゃりますから、戦車道についてでしょうか? 懐かしいですねぇ最近は少し離れてしまいましたけど、今でもたまに乗りますよ。あの振動はいつ体験しても私の花にいい刺激をもたらしてくれます……」

 

 華がうっとりしながら言う様子を見て、愛里寿はこっそり大河に聞いた。

 

「……もしかして、みほさんのことだって言ってないの?」

「……ええまあ。その、直接言ったら断られるだろうと思いまして……」

「ん? どうかしたのですかお二方?」

「……はぁ」

 

 愛里寿は軽くため息をつく。一方華はきょとんとした目で二人を見ている。大河はバツの悪そうな顔で頭をかいている。

 愛里寿はそこできっと華を見据え、軽く深呼吸して言った。

 

「華さん。今日私達が来たのは、他でもない。みほさんのことについて聞かせて欲しい」

「お帰りください」

 

 華は即座に返答した。それは、明らかな拒絶だった。

 

「そこをどうにか……」

「私は何も知りません。みほさんがいなくなったことも、優花里さんがいなくなったことも、何も知りません。話すことなどないのです」

 

 そう言って、華は立ち上がった。

 

「分かったならお帰りください。帰り道は分かりますね? 来た道をそのまま行けば玄関です」

 

 そして華は二人に後ろ姿を見せ、客間から出ていこうとした。

 

「ま、待ってください!」

 

 その華に、大河は慌てて声をかける。

 

「華さん、本当は何か知っているんじゃないですか!?」

「だから、何も知らないと――」

「じゃあ、なぜみほさんのことだけでなく優花里さんのことまで言及したんですか!?」

「っ!? そ、それは……」

 

 華が足を止める。この期を逃すまいと、大河は続ける。

 

「それは、優花里さんの失踪がみほさんの失踪に何らかの関係があるとあなたが知っているからじゃないんですか!? あなたにとっての大切な親友なのにそこまで忌諱するのは、何か理由があるんじゃないですか!?」

「……っ」

 

 華が苦虫を噛み潰したような顔をする。

 そこに更に、愛里寿が言う。

 

「お願い華さん。私達に教えて欲しい。みほさんを、私はどうしても探し出さなくてはいけないの」

「……どうして……」

「それは……みほさんが、私にとって大事な人だから」

 

 愛里寿の言葉にはとても深い情熱が秘められているように、大河と華は感じた。

 ――どうして彼女はここまでみほさんのことを想っているのだろう? 彼女の言う、大事の意味とは一体……。

 大河の脳裏に、ふとそんな考えがよぎった。

 

「……分かりました」

 

 そのとき、華が折れ再び二人の方を向いたため、大河は雑念を振り払って華の顔を見た。その顔は、何かに怯えているような顔だった。

 

「お話しましょう、私の知っていることを。ですが、私の知っていることは微々たることです。それと、少し時間をください。この件に関して私の信頼しているとある方々を呼びたいのと、お二人にお見せしたいものがあってそれを用意しなければなりませんから」

 

 華はそう言って一旦客間を出ていった。

 そしてそれから二十分ほどして、華は戻ってきた。華の手には、とあるものが持たれていた。

 それは、プラスチックケースに入れられたDVDディスクのようだった。

 

「DVD、ですか?」

 

 大河が聞く。

 

「ええ……これが私達に渡されたのは、ちょうど一年前、みほさんがいなくなった直後、優花里さんが失踪する直前でした」

 

 華は再び座るとDVDを自分と大河達の間に置いた。

 

「私達というのは、私、沙織さん、麻子さんの三人です。直接受け取ったのは沙織さんでした。沙織さんは言いました。優花里さんから、これをみんなで見て欲しいと言われたと」

「優花里さんから……!?」

 

 大河と愛里寿は驚愕する。やはり、みほの失踪には優花里が関わっていたのだと。

 さらに華は口を震わせながら続ける。

 

「そして、私達は見ました。とても気軽な気持ちで、三人で。……ですが、それは見てはいけないものだったのです」

「見てはいけないもの?」

 

 愛里寿が聞く。すると、華は少しためらい、自らの体を腕で抱きながら答えた。

 

「ええ。その内容は意味不明な映像でした。ですが、重要なのは見た後……その映像を見た後、私達の周りで次々と不可解な事象が起き始めたんです」

「と、言うと?」

「……最初は、それぞれの家で奇怪な音が聞こえたり、勝手に物が落ちたりする程度でした。でも、それはだんだんとエスカレートしていって、一人で歩いているのについてくるような足音が聞こえたり、誰かに見られているように感じたり……そして、ついに身内に不幸が起こるようになったのです。最初は麻子さんのお祖母様でした。突如、病院で叫び狂いながら死んだらしいのです。その次は、沙織さんの旦那さんと息子さんでした。沙織さんの旦那さんと息子さんが二人でドライブに行った後、交通事故で亡くなりました。車のブレーキが不自然に切れていたそうです。そして、最後は私のお母様と奉公していた新三郎……二人は、自室で窒息死していました。首には、不自然な跡があり、縄か何かで締めたらしいと警察は判断しました。しかし何かは分からないまま、今に至ります……」

『…………』

 

 二人は言葉を失った。たった一枚のDVDを見ただけで、そんなことが起こるのだろうかと思った。とても信じられないような話であり、ただ偶然が重なっただけにも思えた。

 だが、華の話しているだけなのにとても憔悴している様子から、少なくとも華は本気で信じていて、今なお彼女は苦しんでいることが分かった。

 

「……なるほど……つまり、そのDVDに何かおぞましい力がある。華さんはそう言いたいわけですね?」

「ええ……信じてもらえないでしょうが……ですが、本当なんです! ああ! 私は優花里さんを恨みます! どうしてこんなものを私達に見せたのかと! どうして、どうして……!」

 

 華は両手で顔を覆い泣きながら言った。本当に精神的に参っている様子だった。

 

「……ねぇ、華さん。一つお願いがあるんだけれど」

 

 その華を見て、愛里寿が言った。華は手を顔から離し、涙を拭って愛里寿を見る。

 

「……はい。なんでしょうか」

「そのDVD、私達にも見せてくれないかな?」

「えっ!?」

 

 華は驚愕する。もちろん、声には出してないが大河もだ。

 

「そんな……危険すぎます! もしあなた達の身にも何か不幸があったら……!」

「でも、それが何かみほさんの手がかりになるかもしれない」

 

 華は制止するも、愛里寿は断固として譲らないつもりらしかった。

 

「……そうですね。そのDVDに何かあるのは明白らしいですし、私も正直内容に興味があります。そしてそれが、もしかしたら華さん達の身の回りの不幸から逃れる術を見つけられるかもしれませんし」

「……あなた達は……」

 

 大河もまた同意したことにより、華はさらに困惑した表情になる。

 そしてしばらく華は逡巡してから、やっと口を開いた。

 

「……分かりました。でも、私はこのDVDを見たことによる責任は、一切負いません。あなた達の自己責任でお願いします」

 

 そう言って、華はDVDを大河達の前にすすっと差し出した。

 

「……ありがとう」

 

 愛里寿は礼を言う。

 一方、大河はカバンからとあるものを取り出していた。ノートパソコンである。

 

「よし、じゃあさっそくこれでそのDVDを見てみることにしましょう」

 

 大河がそう言うと、華はそっと立ち上がった。

 

「私はしばらく自室に行っていようかと思います。正直、再びそのDVDを見ようとはとても思えませんから。見終わったら、女中に声をかけて私を呼んでください」

 

 そう言って華は部屋から出ていった。

 部屋には、大河と愛里寿の二人が取り残された。

 

「……さて、それじゃあさっそく見てみましょうかね!」

「……良かったの? 今更だけど、私だけ見るっていう手もあるよ?」

 

 乗り気になっていた大河は愛里寿にそんなことを言われ驚く。そして、すぐさま愛里寿に笑ってみせた。

 

「ははっ、大丈夫ですよぉ! そこに何か情報の詰まったものがあるのに手を出さないマスコミはいませんから! むしろ、進んで見させて欲しいぐらいです! ……それに、正直眉唾だと思っているのも確かです。だって、DVDを見ただけで何かあるなんて、オカルトすぎますよ。この科学の時代にー」

「そう……大河がそれでいいなら、それで」

 

 そう言って愛里寿はDVDを大河に渡す。大河は渡されたDVDをノートパソコンのドライブに入れる。

 

『…………』

 

 二人は緊張しながら画面を見据える。

 そうして、動画が再生され始めた。

 冒頭は、インタビュー動画のようだった。大分映像と音声が荒れておりインタビューアーとインタビューを受けている人間の声ははっきりと聞こえず、またその姿もちゃんと確認することはできなかった。

 それが数秒流れたかと思うと、今度は突然画面が切り替わり、崖道が映し出される。崖のすぐ下には川が流れており、天候は豪雨。そのせいで川は激流となっていた。

 さらに画面が切り替わり、今度は戦車の内部が映し出された。誰も居ない戦車の内部だ。

 また画面が切り替わり、次に映し出されたのはどこかの地下室だった。上方からうっすらと光が漏れているが、ほぼほぼ真っ暗でほとんど何があるか見ることができない。

 そして最後に一瞬、チラリとそれは映った。

 それは目だった。暗く輝く、画面いっぱいの碧眼だ。

 そこで、動画は終わった。

 

「……何ですか? これ?」

 

 大河は見終わった後ポツリとこぼした。

 

「正直訳がわからない動画でしたね。ただ、あの崖道はどこかで見たことあるような……。うーん、そうだ、愛里寿さん。戦車の車内っぽいのが映りましたが、何か分かりますか?」

「……あれは、Ⅲ号戦車J型の内部」

「なるほど。確かドイツの戦車でしたよね? どうして。それにしても、最後の目は気持ち悪かったですね。一体優花里さんはなぜこんな動画を……」

 

 大河が思案し始めた、そのときだった。

 

「きゃああああああああああああああああああああああああああああああっ!!!!」

 

 突如、邸宅中に悲鳴が響き割ったのだ。

 

「な、何事ですか!?」

「っ!」

 

 愛里寿はその悲鳴を聞いた瞬間駆け出した。

 

「あっ、待ってください!」

 

 大河もそれに続いた。

 二人は声のした方へと歩いていく。すると、廊下に女中や奉公人が人だかりを作っていた。

 

「すいません、ちょっと通してください!」

 

 二人はその人だかりをかき分ける。そして、それを見た。

 

「えっ……!?」

「っ……!」

 

 それは、死体だった。

 目を見開き、仰向けで倒れている、五十鈴華の死体だった。

 その死体は異様だった。顔が恐怖でひどく歪んでいるし、手足も変な方向にねじれている。

 だが、最も異様なのは大きく開けた口だった。その口から、出ていたのだ。銀色に輝く銀髪と、溢れ出る泥水が。

 

「な……何これ……」

 

 大河はわなわなと震える。

 ――ありえないありえないありえない。こんなことありえるはずがない。だって、だってさっきまで元気にしていたはずなのに、どうして――

 パニック寸前になる大河。一方、愛里寿は冷静にその死体を眺めていた。

 

「…………」

 

 だが、かすかに体を震わせてもいた。

 二人は、周りに大勢いる女中や奉公人のように、動けなくなっていた。

 

「皆さんすいません! 通ります!」

 

 と、二人が固まっているときだった。二人の背後から、突如新たな声がした。それは最初奉公人か女中かと思ったが、すぐに違うと分かった。

 二つの人影が、大河と愛里寿の前に出たからだ。その二人は、大河と愛里寿がよく知る人物だった。

 

「あ、あなた達は……!」

「……どう思う?」

「…………」

「そう……やっぱり……」

 

 その二人は大河の声を無視して喋っている。片方の声はあまりに小さく聞こえない。

 そして、その二人はしばらく死体を見たり触ったりしして、その後大河と愛里寿の方を向く。

 その二人に向かって、大河は言った。

 

「どうしてあなた達が……!? 澤梓さん! 丸山紗季さん!」

 

 その二人は、かつて大洗でうさぎさんチームと呼ばれた少女達のうちの二人、リーダーの澤梓と、丸山紗季だった。

 

「どうもお久しぶりです。王先輩。愛里寿ちゃん」

 

 梓がペコリと礼をする。一方、紗季は大河と愛里寿をじっと見ていた。

 

「…………」

 

 そして、すっと二人を指さした。

 

「な、なんです……?」

「……ついてる」

「へっ?」

 

 紗季はとても小さな声で言った。それに、梓が反応する。

 

「ついてるって、この二人にも!?」

「……うん」

「ちょ、ちょっと待ってください!? ついてるって、一体何が……?」

 

 その大河の声に、紗季は答えた。

 

「……エリカ」

 

 “エリカ”。

 呪われし名が告げられる。その場にいる本来なら誰も知りえないはずの名前。

 紗季がその名前を告げたとき、運命は新たな局面を迎えようとしていた……。

 



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デンワ

 大河達はひとまず警察の取り調べを受けた後、華のことを使用人と警察に任せた後、場所を移して会話することにした。

 大洗にあるファミリーレストランである。

 

「……それで、何なんですか、エリカって」

 

 大河は愛里寿と隣合わせで座り、正面に座る梓と紗季に聞いた。

 

「そうですね、そこから説明が必要でしょう」

 

 梓が紗季と目を合わせて言う。そして梓は、一杯水を飲んでから説明を始めた。

 

「事の始まりは十六年前に遡ります。そのときに行われた戦車道の高校生全国大会、そこで一人の黒森峰女子生徒が戦車ごと川に落ちて助からずに亡くなりました。名を、逸見エリカ」

「黒森峰の逸見エリカ……?」

「はい。みほさんの同級生だった生徒です。その生徒が亡くなった後、黒森峰では謎の怪事件が起きて、生徒が三人怪死を遂げているんです。それをきっかけに、みほさんは私達の大洗女子学園に転校、事件は一旦終息したかに思えました。ですが、それ以降も黒森峰では事故が多発、さらに、もっと時間が経ってから今度は各所で不可解な死者が出るようになりました。それは、エリカさんが乗っていたⅢ号戦車が沈められた水源の水を飲んだ人間ばかりでした。その犠牲者には、去年の戦車道連続怪死事件の被害者がすべて入っています」

「そ、それでは去年の事件はそのエリカさんという生徒の祟りであると!?」

「はい。その通りです」

「その通りって……」

 

 大河は愕然とする。事の現実離れした大きさと、まったくその事を知らずに生きていた事に。

 

「と言っても、私達もそのことを知ったのは最近なんですけどね。五十鈴先輩から身の回りで起きる不幸の調査の依頼を受けて、それで色んなところから話を聞いたり、ちょっと危ない橋を渡ったりして調べて分かったことなんです」

「なるほど……華さんから調べてと依頼されたっていうことは、あなた達は探偵か何かなの?」

 

 愛里寿が聞く。すると、梓は苦笑いしながら首を横に振った。

 

「いいえ。ちょっと違います。実は、紗季には強い霊能力があるんです」

「霊能力……?」

「はい。それで昔から見えないものを見たり、感じられないものを感じたりしていたらしくて、その紗季の手伝いを私はしてるんです。紗季、かなり口下手だから」

 

 梓の言葉に、紗季がわずかに頷く。

 その目は、愛里寿や大河をしっかりと見据えていた。

 

「幽霊に、霊能力……にわかに信じがたい話ではありますが、あのような華さんの姿を見た後では、とても否定はできませんね……それで、私達が呪われたというのは、やはりあのDVDを見たから?」

「はい。あのDVDには、強いエリカさんの念が籠もっているようなんです。それで、言いづらいのですが、お二人はもしかしたら近々……」

「死ぬ、ってことだよね」

「……はい」

 

 愛里寿が重々しく反応し、梓は苦々しい顔つきになる。

 

「そ、そんな……」

 

 続いて、大河が絶望した表情を浮かべる。

 

「本当にすいません! 私達がもっと早く五十鈴先輩の家に来ていれば……!」

「いいや、しょうがない。危険があると分かってDVDを見たのは私達のほう」

「……そうですね。華さんからも自己責任と言われましたし」

 

 愛里寿があくまで冷静に梓に言う。大河も続いて言う。

 梓は、それでも二人に対し申し訳なさそうな顔をしていた。

 

「本当に、申し訳ありません。……どうしてそのDVDにエリカさんの強い念が籠もっているかはよく分からないんですが……それには、西住先輩と秋山先輩が関わっていることは、確かです」

「みほさんと、優花里さんが……なぜでしょうか……」

「そこまでは……ただ直前に連続怪死事件の捜査協力をしていたことは確かなのですが……」

「それには、まだ情報が足りない……」

 

 一同はそこで一旦静かになる。気まずい沈黙が四人の間で流れる。

 

「……そうだ!」

 

 と、そこで大河が少し大きな声で言った。

 

「DVDを優花里さんから直接受け取ったのは沙織さんらしいじゃないですか。沙織さんから話を聞いてみるのはどうでしょう、優花里さんの居場所が分かるかもしれません!」

「一応以前にも私達は話を聞きましたが……王先輩達を含めてもう一度話を聞いてみるのもいいかもしれませんね。そうしましょう。いいね、紗季」

「…………」

 

 梓が大河の言葉に同意し、紗季に聞くと紗季は静かに頷く。

 

「愛里寿さんも、それでいいですね?」

「うん。情報はできるだけあったほうがいい。そうと決めたら、さっそく行こう」

 

 愛里寿が大河の言葉に頷くと、素早く立った。

 

「そうだね。行動は早い方がいい。五十鈴先輩が死んじゃってるから、特に」

 

 梓も愛里寿の意見に頷き、立ち上がる。

 

「…………」

 

 紗季も続いて立ち上がる。

 

「みなさん、行動すると決めたら早いですね……まあ、今回ばかりはのんびりしている余裕なんてありませんからね」

 

 そうして、一行は武部沙織の家へと向かうことを決めた。

 

 

 ファミリーレストランから車を走らせ、一行は沙織の家へと着く。

 沙織の家は大洗にある閑静な住宅街にあった。天気は相変わらずの曇天で、妙に人気が少なかった。

 大きさは立ち並ぶ家の中でも大きめで、そこそこ裕福なことが伺える。

 

「ここですね……」

 

 大河が車から降りて言う。ここまで運転してきたのはもちろん大河だった。

 彼女の車に、愛里寿、梓、紗季が乗ってやって来たのだ。

 

「それでは」

 

 大河が代表して沙織の家のインターホンを押す。だが、押してしばらくしても誰も出てくる気配はなかった。

 

「留守なのでしょうか……?」

 

 大河は家の窓を見てみる。窓は、どれもカーテンが閉め切られており、中を伺うことはできない。

 

「いや、待ってください」

 

 梓がドアに手をかけて、引いてみる。すると、扉はすっと開いた。

 

「開いてる……多分、中にはいるんだと思います」

「そうらしいですね……」

 

 一行は沙織の家の中に入る。電気はついておらず、またしばらく掃除をしていないのか、妙に埃っぽかった。

 

「沙織さーん……」

 

 大河が恐る恐る呼びかける。だが、反応は帰ってこない。

 

「どうしましょうか……」

「中に入って探そう。手分けして探せばすぐだと思う」

 

 困った様子の大河に、愛里寿がぴしゃりと言った。

 

「だ、大丈夫でしょうか……」

「緊急事態。仕方がない」

「そういうものでしょうか……」

 

 本当に大丈夫かと大河は思いつつも、他にいい案がないため四人は別れて沙織のことを探すことにした。

 梓は紗季と一緒に別れた。紗季は見つけても大声を出せないかららしい。

 二人と一人と一人に別れた四人は、それぞれ沙織の家を探索していく。

 大河はまず、リビングに入った。

 リビングにはいろいろと物が置かれてはいたが、しばらく触った形跡はなく、長い間放置されていることがわかった。

 

「旦那さんと息子さんが亡くなってから、生活する気力がなかったんですね……」

 

 そんな風に沙織の行動に思いを巡らせながらリビングを調べる大河。

 

「きゃあっ!」

 

 そんなときだった。

 愛里寿の大きな叫び声が聞こえてきたのだ。

 

「っ!? 愛里寿さん!?」

 

 愛里寿の声は二階から聞こえてきた。大河は急いで二階へと向かう。愛里寿の声が聞こえて来た部屋は、二階の突き当りにあった。

 そこには、すでに梓と紗季がおり、愛里寿は床に尻もちをついていた。

 

「一体何がっ……!?」

 

 大河が愛里寿の元に駆けつけたとき、それを見て、すぐさま状況を理解した。

 沙織はいた。

 だが、生きてはいなかった。

 沙織は、暗く荒れた部屋の中、天井から首を吊るして死んでいたのだ。

 

「そんな……自殺……!?」

 

 その状況はどこからどう見ても自殺であった。だが、紗季がふるふると首を振って指を指す。

 

「ん? どうしたの紗季? ……! これって……!」

「え? 一体どうし……っ!?」

 

 大河は紗季の指差す奉公をよく見て、言葉を失った。

 紗季が指さしていたのは、沙織が首を吊っていたロープだった。否、それはよく見ればロープではなかった。

 それは、髪の毛だった。華の口から出ていたのと同じ、銀色の髪の毛だったのだ。

 

「紗季、またこれって……」

「うん……エリカ……」

 

 紗季が小声で言う。梓はその紗季の答えに青ざめた顔になる。

 

「どうして……今まで周りの人間を不幸にしていたのにとどまっていたって言うのに、どうして突然……!」

「…………」

 

 紗季はわからないと言った様子で首を振る。大河はただただ言葉を失い、その死体を眺めているだけだった。

 

「……あっ、これ、見て!」

 

 と、そこで尻もちをついていた愛里寿が立ち上がり、沙織の死体のとある部分を指さした。

 それは右手だった。その右手をよく見ると、手に携帯電話が握られているのが分かった。

 

「……携帯電話……?」

「……ちょっと待ってて」

 

 愛里寿は死体に近づくと、その携帯電話を死体の手から離した。

 

「ちょ、愛里寿さん!?」

「……なるほど」

 

 そして、愛里寿はその携帯電話の画面を見て、一人頷いた。

 

「これ、見て」

 

 そして愛里寿はその携帯電話の画面を三人に向ける。その画面にはとある名前が表示されていた。

 

『麻子』

 

 それは、冷泉麻子の名だった。

 

「これって……こうなる直前まで沙織さんは、麻子さんと電話をしていたってことですか!?」

「うん、そうらしい」

「それじゃあ……」

「急ごう、麻子さんのところへ」

 

 愛里寿のその一言で、麻子のところへと向かうことにした。

 



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ツイオク

 麻子の家は大洗の街の中心部から少し離れた場所にあった。

 人気のなかった住宅街よりもさらに人の気配がなく、さらにまばらに通る通行人も麻子の家は避けているように思えた。

 一行は午後も大分過ぎた頃に、麻子の家へとたどり着いた。

 だが、一行とは言っても大河の車に乗っていたのは三人だった。

 大河、梓、紗季である。

 

「しかし、大丈夫でしょうか愛里寿さん。愛里寿さんに警察への説明を任せて私達だけで先に来てしまいましたが」

「しょうがないですよ。全員取り調べを受けていたら時間がかかりますし、ここは第一発見車の愛里寿ちゃんに任せて後で合流するのが一番ですよ」

「愛里寿さんは不満げでしたけどね」

「まあ、自分だけのけものにされたみたいでちょっと辛い気持ちは分かります」

 

 大河と梓はそんなことを話しながら、麻子の家のインターホンを鳴らした。

 

「…………」

 

 なかなか返事は返ってこない。

 もしかして、麻子もまた沙織のように死んでしまっているのではと、大河の頭に嫌な予感がよぎる。

 そのため、もう一度インターホンを鳴らして出てこなかったら、無理矢理にでも中に入ろうかと、そう考えてインターホンに指をかけた、そのときだった。

 

「……誰だ」

 

 麻子の家の扉がわずかに開かれ、中から伺うように顔が出てきた。麻子だ。

 その麻子の顔は、暗く、非常にやつれ、衰えているように大河には見えた。

 

「あ、どうも。麻子さん……」

「お久しぶりです、冷泉先輩」

「あんた達は……随分と懐かしい顔だな。一体なんのようだ」

 

 麻子は大河達を見て一瞬驚きながらも、すぐさま陰気な表情になった。

 

「その……実はお聞きしたいことがあって来たんです。みほさんと優花里さんのことについて――」

「帰ってくれ」

 

 それは、華と最初話したときと同じ、いやそれ以上に強い否定だった。

 麻子はそのまま扉を閉めようとする、大河は、その扉にしがみつきなんとか扉が閉められるのを阻止した。

 

「ま、待ってください! どうしても聞かないといけないんです!」

「話すことなど何もない。沙織から電話があって、五十鈴さんも死んでしまったんだろう。それに、その電話の途中で沙織も……! もう嫌だ。関わりたくないんだ。迷惑だ。帰ってくれ」

 

 どうやら麻子は華と沙織の死を知っているようだった。ニュースなどで知ったのだろうか。

 だが、今重要なのはそこではないと、大河は思い、とにかく率直に自分の思いを伝えることにした。

 

「あのDVDを見てしまったんです! 私も!」

「え……?」

 

 そこで、麻子の扉を閉めようとする力が弱まった。

 その隙をついて、大河は大きく扉を開いた。

 

「あっ……」

「お願いです麻子さん、話を聞かせてください! 私と、そして島田愛里寿さんもDVDを見てしまったんです。もう、こうなったらこの事件を解決するしかないんです! どうか協力してください! お願いします!」

「私からもお願いします。私はDVDは見ていませんが、五十鈴先輩にお願いされたことをここで放り投げるわけにはいかないんです。どうか、よろしくお願いします」

 

 大河と梓は麻子に向かって頭を下げる。紗季も無言であったが一緒に頭を下げる。

 

「…………」

 

 麻子はそんな三人を見て、しばらく悩むような素振りを見せた後、「……はぁー」と大きくため息をついて口を開く。

 

「……いいだろう。中に入ってくれ」

「っ! はいっ!」

 

 そうして、三人は麻子の家に上がることができた。

 麻子に連れられ彼女の家の奥へと進む三人。その過程で、三人は言葉を失った。

 

「これは……」

 

 なぜなら、麻子の家は壁という壁にアルミホイルが貼り付けられていたからだった。

 さらに、アルミホイルの上には何枚ものお札が貼られている。

 

「……おばあが死んでから、家の周りで妙なことばかり起こるようになってな。気休めだが、こうしていると少しでもそういうものが遠ざかると聞いたのでな」

「な、なるほど……あの、紗季さん。これ効果あるんですか?」

「……一応。なくはない」

 

 紗季がかすかな声で梓に言った。

 そんな異様な冷泉家の光景を見ながら、三人は麻子の部屋へ入る。麻子の部屋は、廊下や他の部屋と比べ、一層壁や天井に貼ってあるアルミホイルが厚かった。

 さらに、床には満杯のゴミ袋がいくつも転がっており、長い間部屋に引きこもっているのが分かった。

 

「まあ適当なところに座ってくれ。汚いがな」

「い、いえ……」

 

 三人は言われた通り適当な場所に座る。麻子は三人と向かい合えるようなところ――彼女の布団の上に座る。

 

「それでまず、お前達はどこまで知っているんだ?」

「あっ、はい。そうですね……」

 

 大河達は麻子に聞かれ、これまでの経緯を話すことにした。

 愛里寿がみほを探して欲しいと依頼してきたこと。

 その目的で華の家に行き、優花里とのことを聞かされDVDを渡されそれを見たこと。

 梓と紗季が華に依頼されエリカの霊を追っていること。

 華と沙織の死体をその目で見たこと、などである。

 

「なるほどな……」

 

 麻子はその話を聞くと、腕を組みしばらく黙り込んだ。

 

「……そこまで知っているとなると、私から話せることは殆どないぞ?」

 

 そして、麻子は申し訳なさそうに大河達に言った。

 

「そうですか……ですが、殆ど、ということは何か話せることはまだある、と捉えても大丈夫ですか?」

「……まあな」

 

 麻子は頷く。そして、麻子は言った。

 

「まずは、沙織の最後の電話の内容だ」

「はい」

 

 大河達は息を呑んだ。沙織は直前まで麻子に電話をかけていた。つまり、直接見たかもしれないのだ。エリカの事を。

 

「沙織は華が死んだことを私に伝えてくれた。正直それもかなりショックでお互い気が動転していたんだが、その最後に沙織はとてつもなく取り乱して……さらに電話の途中でひどい雑音が入ってきて、なんと言っているか、正直分からなかった。だが、最後にこの言葉だけははっきり伝わってきた。『青い目が……』とな」

「青い、目……」

 

 それは大河達がDVDで見たものを思い出させた。青い目とは、一体何を意味しているのだろうか? 大河は悩んだ。

 梓と紗季も、その意味についてはよく分からないようだった。

 

「すまない、沙織の最後についてはこれぐらいしか分からない……すまない……」

 

 麻子はガクガクと声を震わせながら言った。

 それだけで、麻子が大きな恐怖に襲われていることが分かった。それと同時に、泣いていることも。

 

「大丈夫です麻子さん、ここには私達が、強い力を持った紗季さんがいます。どうか落ち着いてください」

「あ、ああ……すまない……」

 

 麻子は大河達に言われ、少しの間落ち着くのに時間をかける。

 

「……よし、もう大丈夫だ」

 

 麻子は時間をかけて落ち着くと、涙を拭って言う。

 そして、その言葉に続けて、意を決すように言った。

 

「あと、もう一つ、きっとこっちのほうをそっちが知りたがってる事だと思うんだが……実は、最後に秋山さんと会ったのは私なんだ」

「えっ!?」

 

 大河達は驚く。それは、優花里へと繋がる大きな手がかりとなるからだ。

 

「それじゃあ、優花里さんがどこへ行ったのかも……!」

「いや、そこまでは。ただ、最後に秋山さんと話したというのが私なだけで。……だが、あそこから動いていないということも考えられる」

「あそこって、あそこってどこですか!?」

 

 大河は麻子に掴みかからんとする勢いで聞く。その剣幕に、麻子は少し気圧される。

 

「王先輩、落ち着いて」

「あっ、すいません。私としたことが……」

「いや、いいんだ。自分の命が掛かっていることだものな。仕方ない」

 

 大河は梓の言葉で冷静になり、身を引く。

 麻子はそんな大河に大丈夫だと軽く手を振ると、話を続ける。

 

「私と秋山さんが最後に話した場所、それは、十六年前に戦車道の全国大会決勝戦が行われた場所だ」

「そんな昔の大会会場で……? どうしてまた……?」

「ああ、まずはそこから話す必要があるな。そのとき、DVDを見た直後で秋山さんにあの内容が何かを聞きに行った。そこで、秋山さんはそこに居たから私はその場所に行った。秋山さんはそこで、とある事件を調査していると言っていた。それは、十六年前に、逸見エリカという黒森峰の生徒が死んだ、戦車道の大会についてだった」

「逸見エリカ……!」

 

 それは、梓が呪いの根源として述べた名だった。それは間違いなく、優花里がこの事件の中核にいることを示している証左だと、大河は思った。

 

「あのDVDの内容を思い出して欲しい。あのDVDは、よくわからないインタビュー映像の後に、崖道が映っただろう? あの崖道は、戦車道大会に使われる演習場の一つなんだ。つまり、十六年前の決勝戦が行われた場所なんだ」

「あっ……そうか、どこかで見覚えがあると思ったら……!」

 

 大河は思い出した。かつて、戦車道の取材をしていたときにその取材の一環で各地の戦車道会場を調べたことを。そして、その一つに過去の大会の決勝会場があったことを、である。

 

「あれは、あの場所の映像だったんですね……!」

「どうやら心当たりがあるようだな。そして、その後映った戦車の内部は、そのとき沈んだⅢ号戦車の内部だったんだ。まあ、それは私が後から調べたことだがな」

 

 麻子は遠い昔を思い出すような目で語っていた。その様子には、懐かしさではなく恐怖がにじみ出ているように、大河は感じた。

 

「とにかく、秋山さんはそのDVDの内容については語ってくれなかった。もしかしたら知らなかったのかもしれない。だが、とにかく逸見エリカという人間のことを調べていた。そして、最後に私と秋山さんは別れた。秋山さんは、その会場にあった小さな小屋に用があると言ってな。私は不気味だったからその小屋に行くのは勘弁させてもらったんだ。そしてそれ以降、秋山さんの消息は途絶えた」

 

 そこまで話すと、麻子は一旦話を終えた。

 一方、大河は優花里へと繋がるかもしれない有力な情報に身を震わせていた。

 しかし、少し引っかかることがあり麻子に聞くことにした。

 

「あの……そのことは警察には話したんですか? 私達はこれからそこに行ってみるつもりですが、もしかしたら警察によってあらかた調べられているかもしれませんから……」

「いや、この事を話したのは王さん達が初めてだ。正直な話、こんな事態になるまで私はなんだか恐ろしくてとても人に話そうとは思えなかったからな」

「そうですか……ありがとうございます」

 

 大河は麻子に礼をする。そして、その場で素早く立ち上がった。

 

「本当にありがとうございました麻子さん。私達は、これからその場所に向かってみようと思います。今回の事件に、何か打開策が見つかると信じて」

「……そうか、頑張れよ」

 

 麻子はぶっきらぼうに大河達に言う。

 と、そこで一緒に立ち上がった梓は思いついた。

 

「あ、そうだ。もしよければ冷泉先輩も一緒に来ますか? 今回の件に冷泉先輩は深く関わっていますし、一緒に来てくれれば――」

「断る」

 

 麻子は大河の言葉に食い気味に言った。

 

「私はこの家を出るつもりはない。ここにいれば、一応安全だと思うからだ。外に出たら、何があるか分からない。もしかしたら、沙織や五十鈴さんのようになってしまうかもしれない。すまない……私は……怖いんだ……」

 

 麻子はガクガクと体を震わせながら言った。その様子に、大河達は説得は無理だろうと思った。

 

「……分かりました。今回の件は、私達でなんとかします。冷泉先輩は、どうか安心してください」

 

 梓がそう言うと、一同は麻子の家を後にして車へと戻っていった。

 そこで、大河が愛里寿へと電話をかける。

 

「もしもし、愛里寿さんですか?」

『うん、大河? こっちは終わったよ』

 

 電話越しから愛里寿の声が聞こえてくる。大河はとりあえず情報を簡潔に伝えることにした。

 

「そうですか。こちらも話を聞き終えました。有力な情報が手に入りましたよ。優花里さんが最後にいなくなった場所を突き止めました。これからそこへ行くつもりです。一旦警察署で合流しましょう」

『分かった。……私も、麻子さんに会いたかったな』

 

 と、そこで愛里寿の声が少し寂しそうなものになった。

 

「おや? 麻子さんとも知り合いでしたっけ?」

『まあ、一応ね』

「この事件が終わった後で、ゆっくり会えばいいと思いますよ? とにかく、今は優花里さんとみほさんを探さないと」

『……そうだね。今は、優花里さんと、何よりもみほさんだよね』

「ええ、そうですよ。では、一度切りますね」

 

 電話の向こうの愛里寿が納得したようなので、大河は電話を切る。

 そして、愛里寿を迎えるために警察署に向かい、そこから戦車道会場へと向かうのであった。

 



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ハッケン

「……ここですね」

 

 日も落ちてきた頃。愛里寿と警察署で合流した一行は、麻子から教えてもらった目的の場所、第六十二回高校戦車道大会が行われた会場へと着いた。

 

「しかし、これは……」

 

 大河はその会場の入り口を見て憂鬱そうな声を出す。

 会場の入り口は、鬱蒼とした草木が生い茂っており、なかなか容易には入れそうもなかった。

 

「どう見てもここ数年放置されてますね……」

「ですね……ちょっと調べたんですけど、どうもこの会場は長い間使われていないらしいんです」

 

 梓が付け足すように言う。その言葉を裏付けるかのように、周囲をよく見るとボロボロになった看板や、回収されていない戦車の履帯などが転がっていた。

 もちろん、ここ最近人が通ったような形跡もない。

 

「本当にこんなところに……そもそも、入って大丈夫なんでしょうか」

「でも、手がかりがある可能性があるなら行く」

 

 大河の自信なさげな声に対し、愛里寿は芯の通った声で言うと、一人車を降り、草木をかき分け会場へと入っていった。

 

「あ、待ってください愛里寿さん!」

 

 大河達もそれに続く。一行は、愛里寿を先頭にしわずかに道の体をなしている林の中を進んでいった。

 

「どう紗季、何か感じる?」

「…………」

 

 進みながら梓が紗季に聞く。それに対し、紗季の反応は、静かに首を縦にふる、肯定だった。

 

「こっちであってるみたいです」

「そうですか……しかし、愛里寿さんよく迷いなく進みますね」

「戦車道の会場なら、戦車道においてどういう戦いをこの会場で求められているかを考えれば自ずとどういう地形をしているかは分かる。それを考えながら、何かありそうな場所へと進んでいけばいい」

「ほうほう、なるほどなるほど。今度ゆっくり腰を据えて聞いてみたい話ですね」

「今度ね。それより、多分そろそろ林を抜ける」

「えっ? あっ、本当だ……」

 

 愛里寿の言った通り、一行は林を抜け、開けた場所に出た。そこは、あたりを一望できる高所だった。

 その高所からは、大河と愛里寿にとって見覚えのある場所も見ることができた。

 

「あ、あれって……!」

「うん。あの崖道」

 

 それは、DVDに映し出されていた崖道だった。DVDでは暗い雨模様であり、画質も悪かったためはっきりと見ることはできなかったが、それが同一のものであることは分かった。

 夕日に照らされる崖道は、大河の心に冷たい風を吹き込ませるような感覚に陥らせる。

 

「恐らく、あの崖道なんですよね。エリカさんが落ちた場所って」

「多分、そう」

「やっぱり、この場所に縛られているんでしょうか。だから映像にも……」

「半分はそうなんじゃないかと思います。DVDを媒体にして人に呪いをかけているということは、ある程度の制約があるということに思えますし」

 

 梓が分析するように言う。一同は、しばらくその崖道を眺めていた。まるで、彼女ら自身もその崖道に縛られているかのように。

 そんなときだった。

 

「…………」

 

 紗季が、ふとまったく違う方向を指指した。

 

「紗季? どうしたの? ……あっ」

 

 梓がその方向を見て、思わず声を上げた。そこには、大分ボロボロになった小屋が一軒建っていたのだ。

 

「……あの小屋に、何かあるの?」

「…………」

 

 紗季は梓の言葉を無言で肯定する。

 

「なるほど……ここからまっすぐ歩いていけそうですね」

「よし、行こう」

 

 こうして一行は、その小屋へと向かっていった。

 遠くからは分からなかったが、小屋の途中の道には崩れたり焦げたりしている建物の残骸があり、そこで行われた戦車戦の名残を感じることができた。

 小屋へと着くと、まず正面の扉を開けられるか大河が確かめた。

 

「それでは……よっ!」

 

 大河は小屋の扉に力を入れる。すると、大河の想像とは違い、小屋の扉はすんなりと開いた。

 

「……てっきり鍵が掛かっているものと思いましたが、そうでもありませんでしたね」

「……これ、見て」

 

 と、そこで愛里寿が床を指し示す。そこには、壊れた鍵のちょうつがいが落ちていた。

 

「ふむ、誰かが鍵を壊して中に入った、ということですね……これは、いよいよ何かありそうですね……」

 

 大河は期待と恐怖をないまぜにしながら、そう言った。

 一同はゆっくりと小屋の中に入っていく。

 小屋は当然ながら電気はついておらず、夕方の時間帯ではいささか暗いため、梓が持ってきた電灯をつける必要があった。

 

「うっ……すごい埃……」

「気をつけてくださいね。何があるか分かりませんから。紗季、何か感じる?」

「……すごい力……そのせいで、よく分からない……」

「そう……でも、何かがあるのは確かなんだね」

 

 心もとない明かりで探索を勧める四人。

 埃をかぶった床や調度品、壊れた道具などが散乱している。

 床はギイギイと音を立て、今にも床板として使われている木材が割れてしまいそうだった。

 

「みんな! ちょっとこっち来て!」

 

 四人で手分けして小屋を探索していると、愛里寿が何かを見つけ三人を呼んだ。

 三人は急いで愛里寿の元へと駆け寄る。そこで発見したのは、驚くべきものだった。

 

「こ、これは……」

「……人の骨、ですよね……」

 

 それは、白骨死体だった。あたりには生前の持ち物らしきものが散乱している。

 大河は、その中から落ちていたカバンを手に取り、中を調べてみた。すると――

 

「あっ、これ……! 皆さん、見てみてください……!」

 

 それは財布だった。中にはまだ紙幣や硬貨が残っている。だが、大事なのはお金ではなかった。そこには、運転免許証が入っていた。そして、その免許証に記されている名は、こう書かれていた。

 

「秋山、優花里……」

 

 それは、優花里の運転免許証だったのだ。写真も、優花里のものだった。

 

「つまり、この死体って……」

「……優花里さんの、骨」

 

 一同は息を呑む。みほに繋がり、事件の真相に繋がる手がかりとなる人物が、白骨死体として見つかったのだ。

 言葉を失うのも当然だった。

 

「……他に、他に何か……」

 

 大河は何か手がかりはないかとカバンを漁る。すると、一冊の手帳が出てきた。

 

「手帳……何か、大切なことが書いてあるかもしれません……!」

 

 大河はカバンを床に置き、その手帳を読み始める。

 

「こ、これは……!」

 

 そして、その内容を読み、思わず驚嘆の声を上げた。

 

「どうしたの!? 何が書いてあったの!?」

「……読みますね」

 

 そして、大河は読み始めた。優花里のボロボロになった手帳の、重大な事実が述べられている部分を。

 

『私、秋山優花里はもうすぐ死ぬでしょう。飲まず食わずでもう何日も経ちましたが、死因はそれではありません。私は、取り殺されるのです。西住殿と、エリカ殿に』

「それって……!」

「まって! 愛里寿ちゃん! ……王先輩、続きを」

『私はあのとき、エリカ殿が宿った西住殿を見て、恐怖に屈してしまいました。死にたくないと思いました。だから、斑鳩殿と西住殿と対面させ、インタビュー動画を作りました。あとはそれを、全国にネットで流せば呪いは日本中に広がるはずでした。そして、私も助かるはずでした。でも、私は直前で、やはりこれは駄目だと思ったのです。もしあの動画を流せば、この国は、いや世界は大変なことになります。だから私は、ギリギリのところで動画を流すのを止めさせました。あの、冒頭のインタビュー以外は撮ってもいないはずの映像が映し出された、あの映像を』

「あの映像は、みほさんへのインタビュー映像だったんだね……」

「はい、そうらしいです。では、続きを読みますね」

『そして、私はこの場所をよく訪れていた西住殿を捕まえ、この小屋の地下室へと監禁しました。この場所を封印しました。もう二度と、西住殿が外に出ないように、と。そのときは、それでよかったと思いました。でも、その直後に斑鳩殿が怪死を遂げたことにより、私の心は再び恐怖に支配されました。死にたくない、そんな気持ちが心を支配しました。だから、未だに捨てずに持っていたあの映像をDVDに焼き、あろうことか私は大切な友人である五十鈴殿、武部殿、冷泉殿へと渡してしまいました。そうすることで、私は助かると思って。でも、それは浅はかな考えでした。一度裏切った私を、西住殿は、いやエリカ殿は許してくれるわけがなかったんです。私の周りでどんどんと不幸が起き始めました。いずれは私の番でしょう。だって、私はあの西住殿を、エリカ殿を直接見てしまっているんですから。今願うのは、どうかあのDVDがこれ以上他人の目にさらされないことだけです』

「…………」

 

 大河はそこまで読むと、手帳をパタンと閉じた。

 一同の間で緊張の糸が張り詰める。それは、探していた人物が呪いの根源であることを知ったゆえであり、そして、その根源が今すぐ近く、その小屋のどこかにいるということからだった。

 

「地下室……この小屋にそんな場所が……一体どこに……」

「……それは、多分ここ」

 

 愛里寿は梓の言葉にそう言うと、そこにあった優花里の骨を横によけた。

 そして、懐中電灯を当てると、そこには地下へと続く四角い扉があった。

 

「……入るよ、いいね」

「だ、大丈夫なんでしょうか。私達、これ以上踏み込んだら後戻りできないような……」

「もともとそのつもり。呪いを解くには、これしかない」

 

 愛里寿は大河の不安げな声に対し、毅然とした態度で言うと、その扉を開けた。

 地下に降りていく四人。地下は小屋の中よりも更に埃っぽかった。

 そして、ある程度進むと、四人は、彼女を見つけた。

 

「あっ、あれって……!」

 

 地下の壁に拘束されている女性が一人、そこにいた。それこそ、愛里寿が探し求めていた、西住みほ、その人だった。

 

「みほさん!」

 

 愛里寿はみほに駆け寄る。

 驚くことに、みほは白骨化していないどころか、まだ顔の血色が良かった。

 大河達もワンテンポ遅れて愛里寿に続く。

 

「……すごい……意識はないけど、まだ生きてる……」

 

 梓がみほを見て言った。みほはまだ息をしており、かろうじてという様子だが生きていた。

 そのみほに、紗季が触れる。そして、ぶつぶつと何か言葉をつぶやき始めた。

 

「紗季さん……?」

「しっ! みんな動かないで! 紗季は今、多分戦ってる……」

 

 大河と愛里寿は梓の言葉通り、動くのを止め、その成り行きを見届けた。

 紗季はずっとぶつぶつと何か言葉を続ける。

 すると、周囲にあるものが次々と勝手に揺れ始め、ついには小屋全体が震え始めた。

 

「あ、梓さん! これって……!」

「いいから! みんな! 紗季を信じて!」

「……! ……!」

 

 紗季のよく分からない言葉がより一層激しさを増す。それにつれ、揺れも激しくなる。

 

「……っ!」

 

 しかし、紗季が大きな声で何かを叫ぶと、その揺れはピタリと止み、静かになった。

 そしてそれと同時に、紗季が床に倒れた。

 

「紗季っ!」

「だ、大丈夫ですか!?」

「……大丈夫。気を失ってるだけみたい。多分、除霊に成功したんだと思う」

 

 その言葉に、大河はほっと胸を撫で下ろす。

 

「そ、そうなんですか……案外、あっさりとしたものですね……」

「除霊するときは、だいたいそうだから。でも、紗季が気を失ったのは初めてかも……」

「……そうだ、みほさん。みほさんをここから解き放たないと」

 

 そう言い、愛里寿は周辺を探し、一度優花里のカバンまで戻り、そこから鍵を見つけ出す。

 そして、その鍵でみほの拘束を解いた。

 

「さ、みほさん。辛かったでしょう。でも、もう大丈夫だから。もう、問題はないから」

 

 愛里寿は優しい笑顔でみほに言う。

 大河はと言うと、現実離れした状況に、一人ポカンとしていた。そして、なんとなしに後ろを振り返る。

 

「あっ……」

 

 そこで気づいた。その位置からの光景――みほが拘束されていた場所からの光景が、あのDVDに最後に映っていた光景だったのだと。

 もしかしたら、みほは助けを求めていたのかもしれない。

 大河はそう思った。DVDに自分へと繋がる映像を移して、友人に助け出してほしかったのかもしれない。それに、エリカの邪念が邪魔しただけなのかもしれない。

 大河は、そう考えることにした。

 

「みほさん……!」

 

 愛里寿はみほをおぶろうとするも、愛里寿の小さな体ではみほは少し大きかった。

 

「あっ、愛里寿さん、手伝います!」

 

 大河は愛里寿を手伝い、みほを運ぶことにした。

 ――終わった。これで、きっと終わったんだ。

 大河はみほの重さを体で感じながら、そう思った。

 



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アメ

 みほを病院に送り届け、警察の事情聴取を受けた大河は、自宅へと戻っていた。時間は、すっかり夜になってしまっていた。

 

「ふぅ……」

 

 大河は軽く息を吐き、飲み物を口にする。

 

「一時はどうなることかと思ったけど、なんとかなってよかった……」

 

 大河は心からそう思っていた。

 幽霊という存在を身近で感じた、恐ろしい一日だとも思った。

 だが、喉元過ぎれば熱さを忘れるという言葉のように、大河はすでにこの事件をどうテレビのネタにしようか考えていた。

 

「ちゃんと録画しておけばよかったなぁ。そんな余裕なかったと言えばそれまでなんだけど」

 

 そんなことを言いながら、大河はコップにさらに飲み物を注いだ。

 

 プルルルルルル……。

 

「ん?」

 

 と、そのときだった。

 大河の携帯電話が、突如電話の着信音を鳴らし始めたのだ。

 

「誰だろう?」

 

 大河は着信画面を見る。そこには、『澤梓』と表示されていた。

 

「梓さん? 確か病院で紗季さんを見舞っているんじゃ……」

 

 不思議に思いつつも、大河は電話に出る。

 

「はい、もしもし王ですが」

『あっ、王先輩ですか!? 澤です! その、そっちに愛里寿ちゃん行ってませんか!?』

「えっ?」

 

 突然の質問に大河は驚いた。なぜ愛里寿のことを聞いてくるのだろうか。愛里寿は今みほにつきっきりのはずだが、と。

 

「えっと、愛里寿さんはそっちにいるんじゃ……」

『それがいなくなったんです! それだけじゃなくて、先程まで病院のベッドで安静にしていたはずのみほさんが、容態が急変して、突然発作を起こして死んじゃったんです!』

「へっ……!?」

 

 大河は思わず変な声を出してしまった。

 みほが死んだ。それは、大河にとって理解不能な事態だった。

 

「そんな……除霊は成功したんじゃ!?」

『……もしかしたら、失敗したのかも……』

「そんな!」

『それで、急に愛里寿ちゃんもいなくなっちゃって……! 私、これから探してみようと――紗季!? どうしたの!? どこへ行くの!? あっ、すいません切ります! 王先輩は、絶対そこから動かないでくださいね!』

「ちょ、ちょっと待ってください! ちょっと! ちょっと!」

 

 そこで電話は切れた。大河は、何がなんだか分からず、呆然とするだけだった。

 

 

「……ん? こんな時間に誰だ?」

 

 麻子は、突然インターホンを鳴らされ、恐る恐る玄関へと向かった。

 そして、のぞき穴から外を伺うと、そこに愛里寿が立っているのが見えた。

 

「……なんだ、島田さんか」

 

 麻子は警戒を解き、扉を開ける。

 

「どうしたんだ島田さん、こんな時間に」

「こんばんは、麻子さん。会いたかったよ」

 

 愛里寿は笑顔を麻子に向ける。その笑顔に、麻子はなんだか薄ら寒いものを感じた。

 

「……もしかして、西住さんのことか? そのことなら、澤さんからもう電話で聞いたぞ」

「そうだよね、もう電話で聞いてるよね。みほさんのこと。でもね、今回はちょっと違うんだ」

「……違う? 一体何が」

 

 麻子はますます分からなかった。愛里寿が訪ねてきた理由が。

 愛里寿はただただ笑顔を浮かべているだけ。それがとても解せなかった。

 そして、もう一つ疑問に思ったことがあった。

 彼女の目は、こんな色をしていただろうか?

 

「私ね、麻子さんにすっごく会いたかったんだよ? 華さん、沙織さんと会って、次は麻子さんって決めてたの。でも、警察に余計な足止めをくらっちゃったから……でも、こうして会えた。だから、私の目的は達成されたの」

「目的? 達成? 一体何を言って――」

 

 麻子は途中で言葉を失った。

 なぜなら、聞こえてきたからだ。背後から、その声が。

 

「アアアアアアアアア……」

 

 水の底から這い出るような、その声が。

 

「え……あ……」

 

 麻子はゆっくりと後ろを振り返ろうとする。だが、次の瞬間。

 

「っ!? がはっ!?」

 

 麻子の喉に急に銀髪の髪の毛が巻き付き、そのまま麻子を部屋の奥まで引きずっていったのだ。

 

「……! ……!」

 

 必死にもがくも、だんだんと気が遠くなる麻子。

 その麻子が最後に見たものは、ただただ笑顔を浮かべている、愛里寿の姿だった。

 

 

「一体、何だって言うんですか……」

 

 大河はただただ困惑していた。

 

「事件は解決したんじゃなかったんですか……!?」

 

 すべてが丸く収まったと思っていた。しかし、みほが死んだということはそうではない。愛里寿がいなくなったということはそうではない。何かが起こっている。

 大河はそう感じていた。

 

 プルルルルルル……。

 

「っ!?」

 

 再び大河の携帯が鳴る。

 大河は恐る恐る電話に出る。

 それは、梓からの電話だった。

 

『もしも……澤で……聞こえてま……か……王先……い……!』

「えっ? すいません! よく聞こえません! もっとはっきり!」

 

 電話は妙なノイズが入りはっきりと聞き取ることができなかった。

 大河は大きな声を上げ、電話の向こうの梓に叫びかけた。

 

『今……麻子さんの家……麻子さん……死……で……!』

「えっ!? 麻子さんがどうしたんですか!? 梓さん!」

『いいで……愛里……絶対……出……でくださ……!』

 

 そのとき、ピンポーンと、大河の家のインターホンが鳴り響いた。

 

「あっ、すいません! 誰か来たみたいなんで! 一旦切りますね!」

『だ……王先輩……待っ……!』

 

 大河は電話を切り、近くにあるソファーに置くと、玄関へと向かう。そして、のぞき穴から誰が来たかを確かめる。

 その人物に、大河は驚いた。

 

「愛里寿さん!?」

 

 大河はその驚きの勢いのまま、扉を開ける。

 

「どうしたんですか愛里寿さん! 皆さん、あなたがいなくなったって大騒ぎしてましたよ!」

「うん、ごめんね大河さん。ちょっと上がってもいいかな?」

「えっ? それはいいですが……というか、あなたに私の家の場所、教えてましたっけ?」

「ふふふ……」

 

 愛里寿は大河の疑問にただ笑って返すだけだった。

 大河はその時点で、何かまずいものを愛里寿から感じる。だが、一度開いた扉を何故か閉めることができず、大河は愛里寿を家の中に入れてしまった。

 

「何やってるの? 大河さんも玄関で固まってないで入りなよ」

「え? ああ、はい……」

 

 まるで家主と客が逆転したかのような会話だった。大河はそのまま愛里寿に続き、家の中に入っていく。

 愛里寿は大河の家の廊下を楽しげに歩いている。

 

「あの、愛里寿さん。一体どうしたんですか……?」

「実はね、私、いなくなる直前のみほさんと会ってたの」

「え……?」

 

 突如語り始める愛里寿。その語りに、大河は戸惑いを隠せない。

 

「みほさんはね、仲間を欲しがってた。ううん、欲しがってたのはみほさんじゃなくて、エリカさんなんだけど。とにかく、自分を受け入れてくれる人が欲しかったの。エリカさんの想いは昔から何一つ変わってなかった。それは、一人は嫌だ。忘れられたくない。そんな想い。私はそれをみほさんを介して理解して、みほさんを通じてエリカさんという人物を知って、同情した。可哀想に思った。力になりたいと、そう思った。そして私はその日から、エリカさんと一つになった」

「な、何を、言って……」

 

 大河はその時点で察していた。眼の前の女性が、島田愛里寿という女性でありながらも島田愛里寿ではないということに。

 なぜなら、灰色だったはずの彼女の瞳は、今、青く輝いているのだから。

 

「でもその後不測の事態が起きた。エリカさんの魂を宿していたみほさんが、まさか監禁されちゃうなんて。でも、もう大丈夫。エリカさんもみほさんも今は私の中にいるから」

「え……あ……」

「王先輩っ!」

「……っ!」

 

 と、そこに玄関を開け梓と紗季がやって来た。そして、愛里寿を見て顔を真っ青にした。

 

「……! ねえ紗季、これって、やっぱり……!」

「……うん。エリカ、そこ……」

 

 紗季が、愛里寿を指さして言った。

 

「王先輩! 逃げてください! エリカさんは、ずっと私達の側にいたんです! 愛里寿ちゃんの中にいて、ずっと一緒にいたんです! くそっ! 愛里寿ちゃんがDVDを見たのも、計算の内だったんです! 私達に自分の存在を気取られないようにするための……!」

「に、逃げろって言ったって……!」

 

 大河の足はガクガクに震え、動けなくなっていた。恐怖が大河を支配していた。大河はなんとかその場から動こうとする。だが、転び、尻もちをついてしまった。

 

「あっ……!」

「王先輩! 紗季っ!」

「……うんっ!」

 

 紗季は今までになく力強い返答をし、大河と愛里寿の間に立つ。

 そして、両手を前に出し、またブツブツとつぶやき始めた。

 

「またそれ? でもね、無駄だって分かってるでしょ?」

 

 愛里寿はクスリと笑い、紗季へとゆっくり歩み寄る。

 一方、紗季は体中から玉のような汗をかいていた。

 

「……っ! ……っ!」

「頑張ったね。でももう、終わり」

 

 そう言って、愛里寿は呪文を唱え続ける紗季の横まで行くと、ポンと肩を叩いた。

 

「っ!?」

 

 その瞬間、紗季は吐いた。泥水を、床にぶち撒けた。

 その泥水には、銀髪が混じっていた。

 

「っ! っ! っ!」

 

 紗季は吐き続ける。その量は、明らかに人間の体から出るような水量ではなかった。

 そして吐き続けた紗季は、ついに床へと倒れた。その目は白目を剥き、倒れてもなお口から泥水を吐き続けていた。

 

「あ……ああ……! 紗季……! 紗季……!」

「次は、あなた」

 

 愛里寿がそう言い梓に向かって手を前に出す。

 

「っ!?」

 

 すると、梓の四肢に銀髪がまとわりつき、梓を引っ張っていく。

 

「嫌ぁ! 嫌ぁ!」

 

 梓は泣きながらもがく。だがその抵抗も虚しく、梓は道路へと引きずり出された。

 そして、その梓に向かってトラックが走ってくる。

 

「嫌っ、嫌あああああああああああああああああっ!」

 

 梓の声は夜の帳にこだました。そのまま、梓は止まらないトラックに轢かれる。トラックはそのまま横転し、荷台の下に血溜まりを作った。

 

「あ……あ……」

「これで、みんな一緒」

 

 愛里寿が笑顔で大河に言う。

 

「あああああああああああああっ!」

 

 大河は愛里寿から這々の体で逃げる。家の中へと、必死で逃げ込む。

 

「どうして逃げるの? 私はただ、みんなで一緒になりたいだけだよ? エリカさんが一人で寂しくないよう、いっぱい友達を作ってあげるの。私とみほさんだけでもいいけど、それじゃあやっぱり寂しいしね」

「ああ……うああ……」

 

 大河に歩み寄ってくる愛里寿。

 その愛里寿を、大河は近くのカバンに入っていたカメラで撮り始める。

 なぜそうしたかは大河には分からなかった。ただ、テレビ記者としての彼女が、最期の光景を映し出そうとしたのかもしれない。

 大河はカメラを見る。

 カメラ越しに見る愛里寿は、愛里寿ではなかった。そこにいたのは、エリカだった。

 碧眼銀髪で、体中から水を滴らせるエリカの姿が、そこにあった。

 

「さあ、大河さん。一つになりましょう……?」

「あ……ああああああ……ああああああああああ……!」

 そこで、部屋の電気が消えた。それと同時に、カメラの電池も尽きる。

「くすくす……」

 

 暗闇の中で聞こえてくるのは、愛里寿、いやエリカの笑い声だけであった……。

 

 

   ◇◆◇◆◇

 

 

『続いてのニュースです。◯◯テレビの記者である王大河さんと戦車道プロリーグの選手島田愛里寿さんが失踪してから三ヶ月が経ちました。警察は同時期に起きた怪死事件となんらかの関係があると見て調査を続けていますが、捜査に一行に進展はなく……』

 

 ニュースを放映しているテレビが置かれている、ショーケースがある家電屋はシャッターを下ろし、その店頭には、誰も居ない。

 店の中にも、店の外にも、それどころか、その通りには誰も人がいなかった。

 そこは商店街のはずだった。だが、どの店もシャッターを下ろしており、そのシャッターにはどこのシャッターにも無数の張り紙がしてある。

 その張り紙は、どれもが探し人の張り紙だった。

 うちの子を探しています。夫を探しています。妻を探しています。祖父を探しています。祖母を探しています……。

 そんな内容の張り紙がいくつもしてあり、その異様な光景はどこまでも続いていた。

 商店街を抜けたスクランブル交差点にも人はいない。ただ、ビルに設置されたテレビが行方不明者のニュースを続けるだけであり、信号は虚しく赤く点灯していた。

 その誰も居なくなった街に、雨が降り始めた。ポツポツと降り始めた雨は、やがてざぁざぁ降りになり、誰も居ない街を濡らしていく。

 人のいなくなった街で、ただ雨音だけが鳴り響いていた。まるで、人のいなくなった代わりに雑踏を奏でるが如く……。

 



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