憲兵さんの日記 (晴貴)
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1話 こうして俺は憲兵になりました

 

 

3月20日

 

 突然だけど今日から日記をつけようと思う。完全なる思いつきだ。

 どうしてそんなことを思い立ったのかというと、昨日とんでもない事態に見舞われたからだ。その出来事をこういう形で記しておく。

 

 昨日の午前中、俺はこの春からお世話になる就職先に入社前の研修という名目で訪れていた。研修といっても実質は見学みたいなものだったけど。

 そしてそれも佳境に差しかかった時、不意に大きな揺れと衝撃が俺を襲った。地震か?なんて思った次の瞬間には轟音と共に会社の壁に大穴が空いた。

 

 その原因は深海棲艦による攻撃だった。確かに会社は沿岸地域の立地だったけど、その海域は安全とされていただけにまあそれはそれは混乱をきたした。逃げ惑う人々を深海棲艦の容赦ない攻撃が襲い、あっという間に阿鼻叫喚の地獄絵図が完成である。

 俺も危うく死にかけた。

 しかし就職予定だった会社が物理的にぶっ潰れたんだけど、これどうなんの?

 

 

 

 

 

3月22日

 

 深海棲艦の攻撃から3日。テレビから流れるニュースはその一件で持ちきりになっている。それだけこの事件が日本に与えた衝撃は大きかった。

 深海棲艦が世に登場してすぐの頃ならまだしも、それらに対抗できる艦娘が現れて久しいこの時分に安全海域で深海棲艦に攻撃されるなんて多くの国民が思ってもいなかっただろう。当然、俺もその1人だ。

 

 人的被害が出たこともあって報道は過熱している。艦娘達を率いて海を守っている海軍の失態だというバッシングもかなり強まっているが、俺にとってはそれは割りとどうでもいい。

 問題なのは今朝届いた、就職予定だった会社からの報せだ。その内容は採用の取り消しである。

 

 今回深海棲艦の攻撃に晒された地域は危険区域に指定され、民間人は立ち退かなければならなくなった。つまり民間会社も移転しなければならない。

 そして俺が就職予定だった会社は移転に伴って規模を縮小。さらには早期の営業再開は困難ということで、まあ仕方ない結果だろう。

 そう納得するしかない。ただし深海棲艦、もしまた会うことがあったこの恨みを3倍返しでぶつけてやるからな。

 

 

 

 

 

3月25日

 

 今日、いきなり海軍の人が家にやって来た。被害に遭った人間の家々を回って謝罪しているらしい。

 いやしかし、大将なんて階級の人が直々にいらっしゃるとかむしろ恐縮したけど。そこいらの凡百とは風格が違うね、風格が。

 名前は周防(すおう)さんというらしい。口ひげが立派なナイスミドルだった。

 

 周防さんは深々と頭を下げて、誠心誠意謝ってくれた。謝られた俺がそこまでしなくても、と思ってしまうほどに見事な謝りっぷりだった。

 確かに責任は海軍にあるんだろうけど、俺は日夜深海棲艦という危険な存在と戦っている周防さん達を責める気は起きない。

 俺自身は無事でピンピンしてるし、元凶は深海棲艦だからな。

 

 そう言うと周防さんはようやくわずかにだけど笑ってくれた。

 そのまま空気をやわらげようと「新しい就職先を紹介してくれたら助かるんですけどねー」なんて冗談を口にしたら、周防さんが硬直してしまった。

 改めて考えてみると嫌味に聞こえないこともない。うーん、失敗したかも。

 

 

 

 

 

3月27日

 

 周防さんから手紙と書類が届いた。内容を要約すると『鎮守府で憲兵やりませんか?』というものだった。

 どうやらあの冗談を真に受けて周防さんが手を回してくれたらしい。つまりこれを断れば周防さんの心にまたダメージを与えてしまうことに……!

 しかし憲兵って何やりゃいいのかさっぱりイメージできない。警備員みたいなもんか?っていうか専門知識とかない俺にできる仕事なのか?

 

 なんて考えながらうむむと唸ること数分、給金の額が目についた俺は、次の瞬間には憲兵になることを決意していた。

 ……だって、大学新卒で月給20万円オーバーは魅力的じゃん?

 

 

 



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2話 いざ鎮守府へ

 

 

5月10日

 

 海軍に入隊し、憲兵としての基礎基本を叩き込まれることおよそ1ヶ月。俺は来週から正式に憲兵として鎮守府に赴任することになった。

 いやー、この1ヶ月は頭も体もフル回転で疲れたなぁ。先輩達の指導はもちろん、最低限の知識を頭にねじ込むのがきつかった。

 

 しかし俺はそれをやり遂げた!来週から勉強しなくて済む!……わけはなく、働きながら勉強は続けなきゃいけない。まあそれでもペースが落ちるだけ楽になるのは違いない。

 ちなみに俺が赴任することになるのは十九渕(つづらふち)鎮守府という。生まれて初めて関東圏外での生活だ。

 まあ鎮守府内に寮があるらしいので、基本的に敷地内での生活になるからどうだってこともないんだけど。

 しかし休日になれば外出できるので、今のうちに観光地や名産品でも下調べしておくか。

 

 

 

 

 

5月14日

 

 意気揚々と、やって来ました十九渕鎮守府。

 色々あって疲れたから一言だけ。

 家に帰りたい。

 

 

 

 

 

5月15日

 

 昨日目にした光景は夢だったかもしれない……という願いは叶わなかった。

 念のためここに着いてからの一連の流れを軽く記しておく。

 

 鎮守府に到着した俺は、ここの艦娘である五十鈴(いすず)に連れられて憲兵の詰め所に案内されたが、ぶっちゃけこの時点で嫌な予感はしてた。

 だって五十鈴の目、死んでたんだもん。ハイライトが消えてるっつーの?

 五十鈴は文句なしの美少女だったけど、その目のせいで不気味さを覚えてしまった。正直言って怖い。

 

 んで、憲兵長や先輩方にあいさつしたあと、ここの鎮守府の提督の元へ。年齢は四十代半ば、やや小太りの提督は開口一番「君は艦娘は好きかね?」と尋ねてきた。

 詳しくは知らないが、好きか嫌いかで言えば好きである。彼女達は深海棲艦に対する人類にとって唯一の対抗手段であり、また艦娘といえば全員が美女または美少女であるということで有名だ。

 彼女らの内面性を知らない俺には今のところ嫌いになる要素がないので肯定しておいた。

 すると提督と憲兵長の笑みがさらに深まった。

 

 はっきり言おう。見てて不快になる顔だった。

 とはいえいきなりそれを指摘できるわけもなく、もやもやしたものを抱えたまま初日の業務を言われた通りにこなした。

 そして寮の自室に戻りあとは寝るだけというタイミングで部屋の外から声をかけられた。声の主は憲兵長。

 何用かと思い顔を出せば、そこにいたのは憲兵長と、今朝俺を案内してくれた死んだ目をした五十鈴だった。

 

 疑問を口にする暇もなく、憲兵長は自分の背後に立つ五十鈴を親指で指しながら、あのニヤついた笑みで俺にこう言った。

 

 就任祝いだ、五十鈴(コイツ)を好きにしな――と。

 

 

 



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3話 下がる好感度、増す敵意

 

 

5月16日

 

 今日は朝から災難だった。憲兵長が出くわすなり「五十鈴の具合はどうだった?」と尋ねてきたからだ。それも周りに艦娘達がいる衆人環視の状況で。

 天地神明に誓うが俺は五十鈴に手を出してない。が、憲兵長にそう返すわけにもいかないので調子を合わせるしかなかったんだよ。もしこれを読む人がいたら信じてほしい。

 こう書くとなんか遺書みたいだけどあながち間違いじゃない気がしている。朝の一件で艦娘達から無言の殺意が飛んでくるようになった。痛いくらいに刺さる刺さる。

 

 特に茶髪ショートカットの名取という艦娘からの憎悪はすさまじかった。それとなく先輩から聞き出したところ名取は五十鈴の姉妹艦、妹らしい。

 姉が無理やり傷物にされたとなったらそりゃ怒る。いつか殺されるかもしない。

 強姦の報復で殺されるとか家族にも迷惑がかかるので改めてここに宣言しておくが、俺は本当にやってない。なんなら五十鈴本人に確認を取ってほしい。

 

 たとえ俺が逮捕されたり殺されたりしてもその汚名だけは返上していただきたい。

 

 

 

 

 

5月19日

 

 状況は最悪だ。様子見の五十鈴以外、艦娘からの好感度はマイナス方面にカンスト。

 対して提督や憲兵長を始めとする同僚達には結構気に入られている。まあそうなるように振る舞ってるから当然なんだけど。

 

 とりあえずこの鎮守府について調べることにした。怪しまれない程度に探りつつ、毎夜部屋に招いている五十鈴からも話を聞き出して情報を精査中だ。

 ……なんだけど、まだ始めて間もないのに目を覆いたくなるような犯罪行為が横行している事実が浮き彫りに。なんだよこの鎮守府、クソ野郎しかいねーじゃねぇか。

 そして傍目から見たら俺もそんなクソ野郎共のお仲間である。泣きたい。

 

 ちなみに五十鈴を毎晩部屋に連れ込んでいるのはいくつか理由があるからであって、決してやましいことはしてないからな。

 

 

 

 

 

5月20日

 

 今日はこの鎮守府に来てから初めての休日だった。事前に調べておいた周辺の観光スポットには目もくれず、東京まで出張って調査に必要な機器を購入して1日を終えた。

 盗聴器とか小型カメラがあんなに高いなんて知らなかったぜ。

 安いのもあるにはあったけど、しっかりとした証拠にするためには質の高い物の方がいいということなので店員に勧められたやつを買ってきた。

 

 あとはこれを仕掛け、効率的かつスピーディーに言い逃れの余地のない証拠を揃えたい。じゃないとそろそろ限界を迎えそうな艦娘がちらほら見受けられる。

 しかしここに来てまだ1週間足らずの俺が、なんで内部告発の準備なんてしてんだろうな……。

 

 

 

 

 

5月22日

 

 名取怖い。

 

 

 

 

 

5月23日

 

 情報収集を継続しているが、どうしても探りを入れられないところがある。提督の執務室だ。

 なぜかと言えばだいたい提督が常駐してるし、2人1組の憲兵がローテーションしながら24時間見張りを行っているせいだ。見られちゃ困るものがあると言ってるようなもんだよな。

 なにせその仕事は大したことをするわけでもないのに限られた憲兵、古株の人間しか担当できないんだとか。ここに来たばかりの俺にはお鉢が回ってこない。

 

 かといってそんなもんに選抜されるほど時間をかけるつもりはないので、なんとか別の手段を考えるしかない。

 五十鈴にも相談してみよう。

 

 

 

 

 

5月25日

 

 五十鈴との協議の結果、川内(せんだい)を引き入れることにした。なんでも彼女は隠密行動が得意らしい。なんだ隠密行動が得意って。忍者か。まあ名前だけなら俺も(しのび)だけど。

 そんな下らない話はさて置き、川内も協力してくれることになった。ちなみに川内を俺の部屋に招く際にちょうどいい口実がなく、そして他の憲兵にも怪しまれたくなかったので「俺の部屋に来い。夜戦だ」というゲスさ満点の文句で連れ出した。神通と那珂からの殺気がとんでもなかったね。

 

 この話をしたら五十鈴に怒られた。なんでも名取の方も最近俺への敵意が増すばかりらしい。

 まあこうして毎晩部屋に連れ込んでれば勘違いもされるか。

 しかし五十鈴も川内も妹に愛されてるなぁ。

 

 

 



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4話 絶望に俯くなかれ

今回は(そして次回も)五十鈴視点のお話です。
基本的に主人公視点は日記形式、それ以外の視点では一人称で進みます。
タイトルにある通り日記はあくまで憲兵である主人公の時のみ。


 

 

 今日、この鎮守府に新しい憲兵がやってくる。

 憲兵と言えば鎮守府内の秩序を維持する自治組織。けれどここ、十九渕鎮守府では憲兵はその機能を発揮していない。

 

 暴力行為、違法労働や横領等の不正およびそれらの隠蔽、そして淫行。

 艦娘が逆らえないのをいいことに憲兵、そして提督は私達に悪逆の限りを尽している。

 新しい憲兵もすぐ彼らと同じ色に染まってしまうんでしょうね。今までの憲兵がそうだったように。

 

 午前9時半。定刻通りに1台の車が鎮守府前に到着する。

 スーツケースひとつ片手に降り立ったのは、赤銅色の憲兵服に身を包んだ身長180センチほどの青年。

 彼はわたしの存在に気付くと海軍式の敬礼を見せた。

 

「本日より十九渕鎮守府に就任する吾川(あがわ)(しのぶ)です」

 

「長良型2番艦・軽巡洋艦の五十鈴よ。よろしく」

 

「よろしくお願いします」

 

 好青年。そうとしか言いようのない第一印象。

 でも、吾川も人間で、男だ。彼も一皮剝けば醜悪(しゅうあく)な欲望の塊を飼っている。

 そんな風には思いたくないが、あの男が提督になってからというもの、ここに来る外部の男は例外なくあっち側だ。

 

「案内するわ。ついて来て」

 

「はい。ありがとうございます」

 

 考えていてもしかたない、と思考を切り替えて吾川を憲兵長――藤田のところへ連れて行く。

 ……わたしはあいつが嫌いよ。

 鎮守府において絶対的な権力を持つ提督。その提督の抑止力となるべき憲兵の長。その二人が鎮守府内で堂々と癒着関係にある。そうなれば彼らを止められる者は存在しない。

 その振る舞いはまさに傍若無人。これまで何人もの仲間があいつの毒牙に掛けられてきた。

 

 それでもあいつを無視することはできない。この鎮守府では艦娘の立場が何よりも下だから。

 心を殺して吾川を憲兵の詰め所へ連れて行き、そこから提督の執務室まで案内する。予想通り藤田もそれに同行して来て、執務室に到着するとわたしは廊下で待たされる形になった。

 

 提督と藤田、そして新任の吾川だけになった執務室。その中から微かに漏れ出る会話に耳を澄ます。

 

「君は艦娘が好きかね?」

 

「はい。彼女達を尊敬しています」

 

 ……尊敬、ね。そう言っていた憲兵は何人もいた。

 けれどそのこと如くが2人に毒され、結局は腐り落ちた。きっと吾川もそうなる。

 最初から期待はしていない。だって分かり切っていることだから。

 思い出されるのは、いつだったか提督が得意げな顔で語っていた言葉。

 

『普段敬っている女を自分の物にできる悦びに抗える男など存在しない。いくら綺麗事を並べようと、穢せる機会を与えてやればみな飛びつく』……と。

 忌々しい言葉よね。そして悔しいけど、それは真実だった。わたし達はそれを身を以て知っている。

 

 沈みそうになる気持ちを振り払い、その後は午前中いっぱいを使って吾川を案内した。

 吾川も不思議そうに首を傾げていたけど、本来なら同僚になる憲兵の仕事よね、これって。

 

「五十鈴さんって艦娘ですよね」

 

「ええ、そうよ」

 

「憲兵の仕事もしてるんですか?」

 

 もっともな疑問。答えはノー。

 

「いいえ、違うわ。憲兵は憲兵で忙しいのよ」

 

 主に仕事以外のことで。ここの実態を知らない吾川には嫌味としては伝わらなかったけど。

 吾川はそうでしたか、とだけ答えてその口を閉じた。

 

 それ以降、他愛もない世間話をぽつりぽつりと交わして役目を終える。

 わたしが戻ると名取が一目散に駆け寄ってきた。そしてわたしの体をなで回しながら上から下まで視線を巡らせる。

 

「大丈夫!?変なことされなかった!?」

 

「大げさね。ただ案内をしてきただけよ」

 

 精々提督と藤田の前に立って不快な思いをした程度。言い換えればいつも通りのことね。

 けれどいつも通りだと思っていたその日、その夜。

 

「五十鈴、来い」

 

 消灯時間間近の午後9時過ぎ。藤田がそう言って私を呼び止めた。

 泣きそうな顔の名取にこれくらい平気よ、とだけ告げて藤田について行く。

 

 ああ、ついに自分の番がやって来たのだと覚悟を決める。いずれ誰かの慰み者になることは分かり切っていた。

 だから願わくば、名取やまだ幼い駆逐艦の子達はどうか無事でいられますように。

 それさえ叶うならわたしはどんな辱めにだって耐えてみせる。絶対に屈したりなんてしない。

 

 私が連れて来られたのは憲兵の詰め所。憲兵達の下卑た笑いに晒されながらたどり着いた一室の前で藤田が中に声をかける。

 扉を開けて顔を出したのは今日この鎮守府に来たばかりの吾川だった。

 いまいち状況が飲み込めていなさそうな彼に藤田は言い放つ。

 

「就任祝いだ。五十鈴(コイツ)を好きにしな」

 

「……えーっと、どういう意味でしょう?」

 

「察しの悪い野郎だな。それとも分かってて惚けてんのか?」

 

 相手の了承を得ることもせず、藤田は部屋の中にずかずかと上がり込む。そしてあとを着いてきたわたしの胸を、いきなり鷲掴みにした。

 

「おほ、やっぱでけぇな」

 

 全身に虫酸が走る。今すぐこいつの手を払い除けたい。

 でもそれはできないようにされている。そして嫌がる素振りを見せるのも相手を喜ばせるだけ。

 だから何事でもないように意地でも無反応を貫く。

 

「ちょ、ちょっと憲兵長。それはまずいですって!」

 

「大丈夫なんだよ。ここでは艦娘(コイツら)に何したって捕まりゃしねーんだ。ほら、抵抗しねぇだろ?」

 

 今度は背後から抱きつくように両手でわたしの胸を揉みしだく。

 そこまでされても無言で拒絶する様子を示さないわたしを、吾川は訝しげに見つめる。

 

「……どうして五十鈴さんは抵抗しないんですか?」

 

「できないようにしてあるのさ。だから何をしたって全て受け入れる。ここじゃ艦娘を自分の好きなように弄べるんだよ」

 

「つまり、就任祝いというのは……」

 

「そういうことだ。こいつをどうしようがお前の自由ってわけよ。ああ、まだ未使用だからそこも安心しな」

 

 ようやく藤田の手が離れる。一刻も早く体を洗い流したい。

 

「……なるほど、そういうことでしたか」

 

「おうよ。で、どうする?」

 

「受け取りません……なんて言うと思いますか?」

 

 好青年の仮面を脱ぎ捨て、嗜虐心に満ちた笑みを湛える吾川。

 ああ、彼もやっぱりそうだった。落胆は感じない。これは当然の反応なんだから。

 

「はははは!いいねぇ!お前とは楽しくやれそうだ」

 

「俺もですよ。この鎮守府に来れたのは幸運でしたね」

 

 吾川の返答に上機嫌な笑い声を上げる藤田。彼はひとしきり笑ったあと、わたしのお尻を撫でて出て行った。

 バタン、と扉が閉まる。これで部屋の中にはわたしの吾川の二人だけ。

 

「改めて自己紹介……は必要ないかな」

 

「ええ、そうね」

 

 吾川がわたしの方へ歩み寄ってくる。そしてわたしを押し倒す――こともせず素通りしていった。

 彼はそのままデスクの上に転がっていたペンを掴むとメモ帳に走り書きをし、それをこちらに見せる。そこに書かれていたのは『話をあわせて』の文字。

 

「まあでも、一応お礼は言っておこう。今日は助かったよ」

 

「不要よ。仕事だから」

 

「つれない女だ」

 

「元から釣る気もないでしょう?」

 

「確かに。釣られた上に捌かれて盛り付けまでされた状態で渡されたわけだからな」

 

「だったら早く食べなさい。さっさと済ませて戻りたいんだけど」

 

「憲兵長が言っていたが初めてなんだろう?せっかくムードを作ってやろうと気を利かせてやってるというのに……」

 

 声だけを聞けば険悪な男女のやり取り。でも吾川はこっちを一瞥(いちべつ)もせず部屋の中を忙しなく行ったり来たりしている。その行動や、会話を合わせろという指示の意図が分からない。

 そのまま数分が経過した頃、吾川はようやく腰を落ち着けた。はあ、と特大のため息をひとつ吐き出す。

 

「もう普通にしゃべっていいよ。ああ、なんか飲む?」

 

「……その前に今の説明をしてもらえないかしら?」

 

「盗聴器とかし掛けられてないかと思ってな。とりあえずこの部屋にはそういう類のものは無い」

 

「どうして分かるの?」

 

「設置できそうな箇所に見当たらなかったのと、ああいった機械が発生させる電波が感じられないからな」

 

「何、あなた電波を受信できる人間?電探ついてるの?」

 

「んなわけあるか。ここに来る前にそういう感知訓練を受けてきたんだよ」

 

 何それ、そんな訓練聞いたことないんだけど……。

 

「とにかく盗聴も盗撮もされてないから遠慮なく本音でトークができるぞ」

 

「……あなたと語り合うことなんてないんだけど」

 

「じゃあ俺の質問に答えるだけでもいい」

 

 椅子に腰かけた吾川はその身を乗り出すようにしてわたしの目を真っ直ぐ覗き込む。

 その瞳には下心も、嫌悪も、嗜虐も宿ってはいなかった。そして懇願するように吾川は言葉を吐き出した。

 

「教えてくれ五十鈴。ここは……この鎮守府は一体どうなってんだ?」

 

 

 



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5話 板挟みの憲兵さん

 

 吾川の質問に答えてあげる義理はなかった。でも隠し通す意味もない。

 だからわたしは律儀に応答することにした。覚悟を決めてきたとはいえ、これで済むなら抱かれるよりは何倍もマシだもの。

 

 

「まずさっきは何で抵抗しなかった?」

 

「しないんじゃなくてできないの。そういう風にプログラムされてるから」

 

「プログラム?」

 

「そう。建造された時にね」

 

 十九渕鎮守府では建造、またはドロップした艦娘にとある装置を取り付け、その行動パターンを脳波で識別し事前に指定された禁止行為に該当する言動はできないように制限している。

 大まかに言えば提督及び憲兵に対して反抗的な態度や危害を加えるといった、彼らに対して不利益になるような行動を起こせなくされている。だから体を触られても拒否できないし、いかなる手段でも鎮守府内での出来事を外部に伝えることは不可能。

 そう説明すると、吾川は何かに思い至ったような顔をする。

 

「……それSebic(セビック)だろ。日本じゃ艦娘の人権を侵害するから禁止されてるはずだ」

 

「確かにそんな名前だったかしら?新人の割りに物知りなのね。もしかして提督志望?」

 

「いや、普通にサラリーマンになる予定だったんだけど会社がなくなったから憲兵になった」

 

「ずいぶん無軌道な人生ね」

 

「おかげさまでな。にしてもSebicとは思ってた以上にヤバいものが出てきたもんだ」

 

 吾川が唸るそうにそんな言葉を漏らす。

 

「口で言うほど驚いてはいないようだけど」

 

「……日本を含む先進国の大半でSebicの使用は禁止されている。だが裏を返せば禁止されていない一部の国では未だに使用も開発も認められているって情報は知ってた」

 

「でもそれが自分の就任した鎮守府で横行してるとは思わなかった?」

 

「そういうことだ」

 

 大きなため息を吐きながらこめかみを押さえる吾川。頭が痛い、という心の声が漏れ聞こえてくるかのようね。

 

「……ねえ」

 

「なんだ?俺は今現実逃避の真っ最中なんだけど」

 

「それをするのにちょうどいい存在がここにいるわよ?」

 

「シャレにならないから止めとけ」

 

「気が引ける?でも本当に何をされても五十鈴は受け入れるのよ?」

 

「……震えながら言うセリフじゃないな」

 

 完全なあきれ顔で吾川はそう言った。

 どうやらわたしを抱くつもりは本当にないらしい。そう分かった途端、情けないけれど緊張が解けて体から力が抜けていく。

 体が崩れそうになるのを堪えて、今度はこの吾川という青年を観察する。

 

 今も椅子に腰かけてどんよりと沈み込む様から悩みの深さが窺い知れる。ここまで思い悩むのは自分の保身のためか、それともわたし達艦娘のことを想ってくれてのことかしら?

 後者なら嬉しいわね。まあここでわたしに手を出さないだけでも提督や他の憲兵よりましだけれど。

 でもこれが彼の素顔なのだとしたら……。

 

「……藤田への対応は演技だったのね」

 

「藤田……ああ、憲兵長か。まああそこでごねてたら面倒事になりそうだったからなぁ」

 

「迫真の演技だったわね。騙されたわ」

 

「そりゃどーも。ちなみにこういう行為はここじゃ常習化してるのか?」

 

「最悪なことに、ね」

 

「……そうか。とりあえずしばらくゆっくりしてから戻ってくれ」

 

「あら、五十鈴と二人っきりでいたいのかしら?」

 

「言ってろ。そんなに早く戻ったら俺が早漏で淡白だと思われるだろ」

 

「ふふ、冗談よ。あんまり早いと怪しまれるものね」

 

 げんなりした表情の吾川には悪いけれど思わず笑みが漏れる。

 好青年然とした顔も悪くないけど、こっちの砕けた雰囲気の方が親しみやすくていいわね。

 

 そんなことを考えながらしばらく取りとめのない会話を続け、2時間ほど暇を潰してから部屋を出る。そして戻ってきたわたしを見るなり、泣き出した名取に抱きつかれて少し困った。

 こんなに心配させて申し訳ないと思う一方、吾川のことを考えると素直に今日あったことを話すのもためらわれる。憲兵に対する不信感が募っている状態じゃ、話しても信じてもらえない可能性があるのよね。

 逆にそう言えと脅された、なんてさらにひどい勘違いを招く危険もあるし。

 吾川からも「襲われた態でよろしく」なんてお願いされてるし、心苦しいけど嘘をつき通すほかない。

 

 なので翌日、わたしよりも傷心している名取を励ますことに1日を費やした。その甲斐あって少々持ち直したのだけれど、次の日の朝、わたしの苦労も吾川の気遣いも台無しにする事態が起こる。

 

 提督や憲兵達の優雅な朝食を尻目にいつも通りの質素な食事を無心でお腹に収めていた時のこと。

 食堂を訪れた藤田は吾川を見かけるなり、周りに聞こえるような声量で言い放った。

 

「おお、吾川。五十鈴の具合はどうだった?あの鉄面皮を上手く鳴かせられたか?」

 

 空気が凍る、というのはまさにこの状況のことだった。わたし本人は元より、まだ幼い駆逐艦達も近くにいるというのに全くのおかまいなし。

 ……いえ、たぶんわざとなんでしょうね。

 

 わたしが傷物になったということを明るみに出して辱めつつ、吾川を完全に自分側の人間にするために。

 そこまで思い至って、嫌な予感がよぎる。藤田に疑われないために吾川が返す答えは決まっている。でもそれをここで言ってしまったら……!

 

「それが中々強情でしてね。ですが近い内に手懐けてみせますよ」

 

「ははは、そりゃ結構!まあアイツに飽きたら俺にも回してくれや」

 

「ええ。ですが体は申し分ないですし、飽きる時が来るかどうか分かりませんよ?」

 

「あんなのに執心するとはお前も好き者だな。アイツ以外にも満足できる女は多いのによ」

 

「時間をかけてじっくり楽しむのが私の好みなので」

 

 一昨日の夜に見せた、演技とは思えない醜悪な表情。あれが嘘だと分かっているのはわたししかいない。そしてあれを初見で見抜ける人物もまずいないだろう。

 つまりこの瞬間、吾川は無実でありながら自分から冤罪を被って艦娘に敵視される立場に陥ってしまった。

 

「あの人が五十鈴ねえを……!」

 

 名取が聞いたこともないような低い声を絞り出す。吾川を睨む視線は、普段気弱で引っ込み思案な性格からは想像できないほど恐ろしいものになっている。

 ああ、今度はわたしが頭を抱える番なわけね。

 決して吾川が悪いわけではないけれど、他にもっとスマートな躱し方もあったんじゃないかしら。そう思うと嘆息せずにはいられない。

 

「あの、バカ……」

 

 これから先、吾川に訪れるだろう地獄を想像して、わたしは誰にも聞こえないような小さな声でそう呟いた。

 

 

 



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6話 憲兵と忍者

 

 

5月26日

 

 川内を仲間にしたのは良いけどSebicのせいで安易に行動させることはできない。ちなみにSebicっていうのは『Self-controlled behavior identification control system』の略だ。

 五十鈴は物知りね、なんて言ってたが憲兵としての必要知識である。勉強に使えといって手渡された枕にするにも余りあるほどの厚みを誇る専門書に載ってたし、テストにも出たんだから基礎知識なんだろう。

 っていうかあの本は分厚すぎて逆に使いにくかった。なんでもひとつにまとめればいいってもんじゃないんだぞ。

 

 とりあえずSebicによる行動の制限をどうにかしないことにはいかんともしがたいな。まあ五十鈴との会話から得られたヒントもあるし突破口も見えないわけじゃない。

 自称情報通だっていう青葉さんにも聞いてみるか。まさか無理やり交換させられた連絡先がこんなところで役に立つとは。

 

 

 

 

 

5月27日

 

 今日は週に一度の休日だったこともあり、鎮守府内の艦娘達から完全に敵認定を受けてる俺はここぞとばかりに外出した。鎮守府から逃げ出す意味もあるが、最たる目的は周防さんとこの青葉さんに話を聞くことだ。

 その成果は上々。睨んでいた通り十九渕鎮守府が艦娘に対して行っている行動制限には穴がある可能性が高まった。しかもかなりの大穴である。提督や先輩方は相当なバカなのかもしれない。

 いや、どっちかって言うと慢心の方が正しいか?これまでは上手くいってたから油断もあるんだろう。

 そのおかげで身内の裏切りに対しては滅法弱い仕様になってしまっている。

 

 この大穴に気付いてる憲兵他にいたりしないのか?それとも気付いてるけど見て見ぬふりをしてるのか?

 まさかこの大穴自体が罠だったりするんじゃ……。

 

 

 

 

 

5月28日

 

 今日は川内とかくれんぼをした。

 あいつマジで忍者かもしんないわ。

 

 

 

 

 

5月29日

 

 一昨日の日記で意味もなくフラグを立ててみたが不発に終わった。要するに問題なく目的を達成できた。

 色々調べてみたけどSebicが廃れたのって艦娘の人権問題だけじゃなくて、単に性能不足も原因だったらしい。まあ付け入る隙がだいぶ多そうだもんな。

 いやまあ行動にある程度の指向性を持たせるには有用なんだろうが、自分が不利になることを全て管理しようとするならそれらを網羅しきって禁止行為を設定しなきゃいけない。思考する頭を持ち、自分の意思で行動できる艦娘をSebicだけで拘束できるかといえば難しいだろう。

 考えてみれば当然だよな。

 

 あとはSebicの現物を押さえるか入手ルートを割り出せれば下準備は終わり。告発は青葉さん経由で周防さんに届ければいいのか?

 この辺も後で聞いておこう。

 

 

 

 

 

6月3日

 

 青葉さんにクソほど怒られた。いつも笑ってたけど怒るんだなあの人。

 最初は冗談かなんかかと思って笑ってたけどマジな話だと察すると沈黙。そして大噴火に到る。

 まあ危ないことをした俺の身を案じるのと、仲間の艦娘を虐げられていることに対する怒りが原因なんだけど。

 それもひとまず落ち着き、その後の非常に冷静な話し合いの末、集めた証拠は青葉さんが後日受け取りに来るということになった。万が一第三者の手に渡ると危険だから郵送はダメらしい。

 だから受け渡しの日まで俺が保管してなきゃいけない。高額の宝くじが当たった人が換金するまでくじを保管してるのってこんな気分なのかも。

 

 

 

 

 

6月4日

 

 めっちゃ川内に懐かれてる。気のせいか?

 ……いや、朝起きたら俺のベッドに潜り込んでるとか、これを気のせいで済ませるほど鈍感にはなれねーわ。またまた誓うが俺は川内にも手は出してないからな。

 

 そして今も机に向かって日記を書いているわけだが、さっきから背後に気配を感じる。部屋の扉が開いた音はしなかったんだけどどうやって入ってきてんだ。さすが忍者の末裔。

 とりあえず心臓に悪いから普通に入ってこいよ。

 

 

 




『Self-controlled behavior identification control system』は単にそれっぽい単語を並べただけなのでたぶん意味はめちゃくちゃです。
訳するなら『自律行動制御システム』とか?
とりあえずそんな感じのものを取り付けられてると思ってくださればオッケーです。
ちなみにどういう原理で、とかそういう設定は考えてないのでそこも各自で補完して頂ければ幸いです。


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7話 吾川流夜戦

 

 

「俺の部屋に来い。夜戦だ」

 

 今日という日ももうすぐ終わろうかという頃、唐突にそんな言葉をかけられた。声の主は見慣れない、でもここ数日ですっかり有名になった人物。もちろん悪い意味で名を馳せている。

 吾川忍。数日前にこの鎮守府にやって来て、すでに五十鈴を手籠めにしている男。

 

 部屋で夜戦。隠語のつもりか、私が夜戦好きと知っていてわざとそう言ったのか。どちらにせよ最低なセリフであることに変わりはない。

 でも私達はそれを拒否することができなかった。反抗的な態度を示して神通や那珂にまで魔の手が伸びるのは絶対に嫌。

 それにこういうことは初めてじゃない。慣れたくなんてなかったけど、もう慣れちゃった。

 

 私が十九渕鎮守府の所属になったのは別の鎮守府で建造されてから半年ほど経ってからのこと。

 横須賀鎮守府で建造されてから戦闘の訓練を受けて、ある程度の練度に到達してからここに着任した。

 

 そういうことは良くある。退役や轟沈などで欠員が出た他の鎮守府に対し、大本営からすぐに戦線で運用可能な艦娘を派遣するための制度。

 各鎮守府で年間に建造できる艦娘の数が定められているのもこんな制度が設けられている理由かな。

 

 そんなわけで私はここにやって来て、その日の内に鎮守府の異常性を知った。体を汚されたのもそれから間もなくのことだった。

 何度絶望に暮れただろう。人知れずどれだけの涙を流しただろう。いつしか大好きな夜戦ができる夜が訪れることすら怖くなっていた。

 

 それでもここでの生活に耐えることができたのはしばらくして神通と那珂が建造されたから。

 私が身を挺していれば二人を守れる。そのためならどれだけ辱められたって構わない。

 だから今回だって素直に従い、吾川の部屋に足を運んだ。そしてそこで私が見たのは――

 

「遅かったわね。何してたの?」

 

 マグカップを片手に小首を傾げる五十鈴の姿だった。

 うっすらと立ち昇る湯気と鼻をつく芳ばしい香り。それで五十鈴が飲んでいるのがコーヒーだと瞬時に察する。

 いや、五十鈴が何を飲んでいるかは問題じゃない。彼女がここにいるのも不自然じゃない。なにせ五十鈴はこの吾川という男に純潔を散らされた……はずなのに。

 

「い、五十鈴……?」

 

「川内も立ってないで座ったらいかが?」

 

 いつもと変わらない気品を感じる所作で私を招く。その振る舞いは自然で、むしろいつもよりリラックスしているようにさえ見えた。

 なんで?という疑問が私の中に渦巻く。ここは吾川の部屋で、五十鈴はこの吾川にひどいことをされたはずなのにどうしてそんな風にしていられるのか理解できない。

 そう混乱している私に、五十鈴はふっと笑いかけた。

 

「安心しなさい。信じられないかもしれないけど、わたしは吾川に何もされていないわ」

 

「いやいや、そんな……えぇ?」

 

 上手く言葉が出てこない。だってこの男は食堂で五十鈴に乱暴したって、確かにそう言っていたはず……。

 恐る恐る吾川の方を見る。すると彼は何事でもないように言った。

 

「あれは嘘だ」

 

「……う、嘘?そんなの、なんのために……」

 

 あの嘘のせいで彼はこの鎮守府の艦娘全員から敵視されている。そんなことをして一体どんな利益が……。

 

「あー、まあ釈明させてもらうとだな……」

 

 そう言って吾川が今に至る経緯を説明してくれる。

 彼がここに来た初日の夜、五十鈴が憲兵長に連れてこられ彼女を好きにしろと言い放った。そこで真っ向から反対すれば面倒事になるし目をつけられる恐れもあったこと、何より憲兵長に体をいいように触られる五十鈴が見るに堪えず調子を合わせたらしい。

 それで一旦は事なきを得たけど、そのせいで憲兵長に対しては「五十鈴に乱暴をした」という体面を保たなければいけなくなり、食堂でのあれは正に最悪のタイミングで起きたことなのだと……。

 

「ついでに言わせてもらうと川内への誘い文句もその一環だな。不快な思いをさせて悪かった」

 

「ちょっと、あなたなんて言ったのよ?」

 

「……『俺の部屋に来い。夜戦だ』って」

 

「バカじゃないの!?」

 

「川内が一人にならなかったんだからしかたないだろ」

 

「それにしたってもっと別の言い方があるじゃない。最近名取があなた憎しですごいことになってるのよ?」

 

 吾川と五十鈴が騒々しく言い合う。それはどこからどう見ても対等な関係のそれで、この鎮守府で憲兵と艦娘がそんな関係にあるという事実と相まってさっきの五十鈴の言葉が本当なのかもしれないと思うだけの説得力を持っていた。

 つまり彼は私にひどいことをしないって、信じられる人なのかもしれない。そう思うと腰が抜けそうになる。

 

「あ、あはは……」

 

 私を挟んで言い合う2人の声を聞きながら思わずその場にぺたんと座り込む。気付かない内に小さな苦笑と、安堵を含んだ一筋の涙がこぼれていた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「……だい、川内ってば!」

 

「ん……あ、ごめん。寝てた?」

 

「うたた寝だけどね。笑っていたけどいい夢でも見たのかしら?」

 

「うーん、まあそうかな」

 

 見てたのは夢じゃなくて過去、一昨日初めてこの部屋を訪れた日のことだけど。

 笑ってたってことは私にとっていい思い出ってことになるのかな。でもそれは私だけじゃないよね?

 記憶に残るあの日の五十鈴。吾川さんが憲兵長に体を触られる五十鈴を助けるために芝居を打ったって話をしていた時、背けた顔がちょっとだけ赤くなっていて、口元がゆるんでいたのをしっかり覚えている。

 きっと五十鈴にとっても大切な記憶なんだ。

 

「仲良くおしゃべりもいいんだけどさ、ひとまず明日の話をしていいか?」

 

「……そうだったわね」

 

「あはは、ごめん」

 

「お前らここ数日でずいぶん馴染んだよなぁ」

 

 呆れたように吾川さんが呟く。確かにそう言われると反論できないなぁ。

 なんでか分からないけどこの部屋は居心地がすごくいい。吾川さんの人柄ってやつなのかな?だからつい安心して居眠りしちゃったり……。

 できれば神通と那珂にも本当の吾川さんを知ってほしいけど、彼が言うにはそれはまだ時期尚早らしい。早く誤解が解ける日がくればいいな。その時は私が、そして五十鈴もしっかり吾川さんの無実を証言するからさ。

 

「まあいいけど。んで、明日だけど」

 

「うん。私は何をしたらいいの?」

 

「なーに、簡単なことだ」

 

 そう言って、吾川さんはニヤっと笑う。そして予想だにしないことを口にした。

 

「川内、俺とかくれんぼしようぜ」

 

 

 



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8話 答え合わせ

日刊ランキング1位ありがとうございます。


 

 

 かくれんぼ。

 鬼が目を塞いで数を数えている間に子が姿を隠して、それを後から鬼が探し出すという単純な子ども向けの遊び。建造されたばかりの頃、前の鎮守府では駆逐艦がやっていたのをよく見かけた。

 それを今から始める。鬼は私で、隠れるのは吾川さん。

 

「なんで?」

 

「わたしに聞かれても分からないわよ」

 

「……そうだよね」

 

 五十鈴と揃って首をひねる。

 まあ吾川さんには何か考えがあるんだろうけど、なぜかそれは教えてもらえなかった。答えはかくれんぼが終わった後にということらしい。

 そしてもうひとつ気になるのが、私の手の中にある謎の機械。小さくて平べったい長方形の箱から二股に伸びたコードのそれぞれの先にクリップがついている。さらにはどこから手に入れたのか鎮守府内の配線図も手渡された。

 これを使ったかくれんぼっていうのがいまいちピンとこないなぁ。吾川さんは自分が隠れている部屋の天井裏に張られた配線にこれを設置すれば見つけたと判定する、と言っていた。意味が分からない。

 

 でも吾川さんに頼まれたんだし、これで力になれるなら精一杯やるしかないよね。

 そう意気込んでいると、鎮守府内の時計が午前11時を報せる。かくれんぼ開始の時刻だ。

 

「それじゃ行ってきます」

 

「一応気を付けなさいよ」

 

「うん」

 

 いざかくれんぼ開始!……したのはいいんだけど。

 どうにも探す必要性を感じられない。別にやる気がないとかそういうわけじゃなくて、吾川さんがどこの部屋にいるかもう見当がついてるんだよね。

 胸元から取り出した配線図を開く。複雑な配線だけど、必要最低限の部分を読み取れるように夕べ見方を教えてもらった。そしてそれには1ヵ所だけチェックが付けられている。

 どう考えても怪しい。

 

 配線図は実際の寸法や縮尺とは異なってる場合が多いらしくてこれだけじゃどこの部屋かまでは分からないけど、それでもおおよその位置は把握できる。

 終着点は天井裏なんだし、いっそのこと最初から天井を移動した方が早いかも。

 そう思い立ってチェックが付いている場所がある鎮守府内の3階に到着してすぐ天井裏に忍び込む。そしていつも持ち歩いてる簡易探照灯の明かりを頼りに音もなく進む。

 

 ……今更だけどこれってかくれんぼじゃないよね?じゃあ何なのかといえばよく分からないけど。

 1番イメージにぴったりなのはスパイかな。でも提督に対して不利な行動ができない私がこうして動けてるんだからそれも違うと思う。

 う~ん、本当に何なんだろう?

 

 そんな疑問を抱えたまま、配線図にチェックされている地点に到着した。耳を澄ませば話し声も聞こえる。あ、この声は吾川さんのだ。

 予想通りここにいたし、誰かと話してるってことはやっぱり隠れる気ないんだ。

 つまり目的はかくれんぼじゃなくてこの小さな機械をここに取り付けること。そういうことならパパッと終わらせよう。

 

 えーっと、確かこのクリップでAC100Vラインっていうのを挟めばいいんだよね?配線図だとこの部屋のAC100Vはここだから……あ、これかな。

 クリップを持つ。挟む。終了。

 とってもあっさり取り付けが終わる。本当にこれだけでいいのか不安になるけど、付け終わったらすぐその場を離れろって言われてるしその指示に従った方がいいよね。

 

 時間にすればたったの10分くらい。あまり呆気なくて、五十鈴もすぐに戻ってきた私を見て困惑することになった。

 でも言われた通りやったんだし、あとで吾川さんから理由を聞けばいいや。そう思って五十鈴とも別れて自分の部屋に帰った。

 そしてその日の夜。今日もまた消灯時間を過ぎてから私と五十鈴は吾川さんの部屋に集まった。吾川さんは私達が来るなりコーヒーを出してくれる。

 それに口をつける私達を見ながら吾川さんはこう切り出した。

 

「じゃあさっそく戦果報告といくか」

 

「戦果って結局今日私がしたことは何だったの?」

 

「盗聴器の設置。感度も申し分なく執務室の会話はだだ漏れだ」

 

 夕飯の献立を答えるような何気なさ。それに私と五十鈴は耳を疑った。

 だってそんなはずがないから。

 

「……あり得ないわ」

 

「どうしてそう思う?」

 

「私達は提督が不利になるような行動は制限されてるんだよ?盗聴みたいな悪事の証拠をつかむようなことはできないはずだし……」

 

「確かにそれは間違いじゃないが正しくもない。そこがSebicの脆弱性だ」

 

「話が見えないわね」

 

「……というかセビック?って何?」

 

「ああ、川内はそこからだっけ。じゃあこの際勉強しておくか」

 

 まあ俺も教えられるほど詳しいわけじゃないんだけど、と言いながら吾川さんはノートを取り出すと、白紙のページに『Sebic』という単語を書いてそれを楕円の丸で囲った。

 

「このSebicっていうのがここの艦娘に使用されている、行動に制限をかけるシステムの名称だ。こいつは対象者の脳波パターンを読み取って設定された禁止行為に該当する行動を起こそうとした時に発動する仕組みになってる」

 

 そう説明しつつ箇条書きで『提督からの命令を厳守』『暴力・反抗等の提督と憲兵が不利になる行為の禁止』『いかなる手段によっても鎮守府の内情を外部に漏洩させる告発行為の禁止』と記していく。

 

「今のところ五十鈴の証言とここ数日で接触・観察した艦娘から得た情報を整理するとこの3つはほぼ確定してるな」

 

「それなら尚更おかしいわ。盗聴なんて3つ目に該当するじゃない」

 

「その通りだが、実はここにからくりが潜んでるんだよ。禁止行為に該当してるって意識が当人にあるか無いかっていうな。Sebicは対象者の脳波を読み取ることで効果を発揮するものだから、裏を返せば禁止行為だって意識がなければ例外が発生する」

 

「そんな、まさか……」

 

「考えてもみろ。人工知能すらない機械(システム)艦娘(にんげん)の行動を完璧に把握して制限をかけることができると思うか?答えはノーだ」

 

 吾川さんは力強くそう断言した。

 それは私達の前に長らく立ち塞がっていた深い絶望の暗闇に差す一筋の光のように思えた。

 

「改めて調べてみたんだけどSebicが衰退したのは艦娘への人権侵害って問題以外にもこの例外が大きな要因だった。仕組みを理解していれば例外を発生させるのはそう難しいことじゃないからな。

 提督や憲兵が新しく来た艦娘に『お前達は俺に逆らえない』『俺達の不利に働くことは全てできない』ってわざわざ言うのは、恐らく艦娘の間で例外を発生させないための刷り込みだ。だから細かい禁止事項じゃなくてあらゆる要素を内包するような言い方にしてんだろう。そうすれば艦娘が行動を起こそうとしても『これは禁止行為に該当する』と意識するから、その脳波パターンを感知してSebicが発動する。ここの艦娘は提督と憲兵に敵意を抱いているから効果は絶大だな」

 

 驚愕とか、感嘆とか。いろんな感情が渦巻いていたけど、声が出せなかった。

 ただ信じられないものを見たような心持ちで私は呆然としていた。それはたぶん五十鈴もおんなじ気持ちだったと思う。

 だってどうしようもないことだと諦めてしまっていた私達にかかった呪いの真実を、こんなにも簡単に解き明かしてしまうなんて。

 

「今日のかくれんぼの前に詳しい説明をしなかったのはこれが理由だ。川内の意識はあくまでかくれんぼをしてるだけ。途中で不審を覚えたかもしれないがこう思わなかったか?『制限されていないから禁止行為には該当していない』んだって」

 

「お、思ったけど……もしかしてそこまで想定済みだったの?」

 

「想定っていうか、過去にそういう事例もあったって詳しい人から聞いてな。どうもSebicは本当に表層的な部分しか読み取れないらしい。正直、リスクを考えれば使用するかどうか考慮する価値もない代物だ」

 

「……あなた何者なの?」

 

「憲兵」

 

 私も思っていた疑問を五十鈴が真正面からぶつける。でも吾川さんからの返答はその一言だけだった。

 普通の憲兵はこんな知識持ってないと思うけどなぁ……。

 

「とりあえずSebicの実態とかくれんぼの真相は以上だ。何か疑問は?」

 

「……ないわ。少なくとも情報の多さと驚きを整理してからじゃないと」

 

「私もないよ」

 

「オーケー。で、今まではお前らの行動に制限かかるからはっきり言ってなかったけど俺は近い内に十九渕鎮守府の内情を告発する」

 

「……まあわたしは薄々気付いていたけど」

 

「でもそんなこと言ったら私達もう協力できないんじゃ……」

 

 こんな話をされてからじゃ吾川さんが告発するっていう意識が常に働いて行動に制限がかかってしまう。告発するならそれこそ最後まで言わないでおくべきだったんじゃないのかな?

 

「大丈夫だ。必要なことはもうほとんど終わってる。あとは時が来るのを待つだけだし」

 

「吾川さん、ここに来たの2週間くらい前だよね?仕事早すぎない?」

 

「ガードが甘すぎてな。ただでさえ機密保持性の低いSebicを使ってる上に設定されている制限と、そもそもとしてこのシステムに致命的な欠陥がある」

 

「致命的な欠陥って?」

 

「五十鈴、さっき俺が告発しようとしてることに『薄々気付いてた』って言っただろ?じゃあなんで告発を考えているかもしれない俺に鎮守府内の情報をペラペラしゃべれたと思う?」

 

 そう尋ねながら吾川さんはペンでノートをトントンと叩く。そこに書いてあるのは『いかなる手段によっても鎮守府の内情を外部に漏洩させる告発行為の禁止』の一文。

 それを見つめながらしばらく考えていた五十鈴は、ふと何かに気付いたように顔を上げる。

 

「……そう、そういうわけね。わたしが吾川をすでに鎮守府内の人間だと認識していたから『外部』に該当しなかった」

 

「ご名答。薄々告発するかもしれないと思っていても、俺が内部の人間だという認識があれば禁止行為に該当するって意識は働かない。これが設定の欠陥」

 

「な、なるほど」

 

「で、次にシステムの方の欠陥。Sebicは『行動を起こすこと』に制限はかけられるけど『行動を起こさないこと』には制限がかからないんだよ」

 

「……んん?」

 

「どういうことかしら?」

 

 私と五十鈴の頭上に揃って疑問符が浮かび上がる。

 行動を起こさないことには制限がかからない……ってどういうことだろう?

 

「俺は今、告発することを明言した。じゃあお前らはこれを提督に報告するか?」

 

「しないわ」「しないよ」

 

 声が重なる。そしてそこで吾川さんの言わんとしていることが理解できた。

 

「それが答えだ。提督が不利になる行為でも、それを起こしているのが自分じゃなけりゃ見過ごせる。あくまでSebicは行動を起こすことを制限するものであって、行動を起こさせる強制力はない。それが分かってたからここまで大胆に動けたし、手早く準備を整えられた要因だ」

 

 そう言って、吾川さんは自分が淹れたコーヒーを口にする。まるで数式の証明を終えたような、理路整然とした解説。

 なんでもないことのような佇まい。でもその知識量、観察眼、思考力、その他諸々をこうして間近で見せつけられると、実はとてつもない人なんじゃ、と思わずにはいられない。

 本当に何者なんだろう。そんな疑問が深まる。

 

 でも、それはどうでもいい。吾川さんがどんな人だって構わない。

 私達を助けるためにここまでしてくれた。その事実だけで充分すぎる。

 どんな結末になっても私は吾川さんの味方でいよう。それが私にできる、吾川さんへの恩返しだと思うから。

 

 

 




かなり穴の多いトンデモ理論ですがご容赦ください。
私の頭ではこの辺の頭脳戦(?)が限界でした。


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9話 カウントダウン

 

 

6月5日

 

 川内に仕掛けてもらった盗聴器が大活躍中。執務室内での会話や電話でのやり取りが丸聞こえだ。1番期待してるのはSebicの入手ルートだが、そう都合よく取引が行われたりはしなかった。

 当たり前か。そもそもSebicはそのプログラムをインストールするために専用の機材が必要で、しかもそれがまた高価なんだよな。お手軽に買うようなもんじゃない。

 今あるのは恐らく鎮守府の運営資金や資材の違法売買なんかで横領した金で買ったんだろうけど。

 

 まあ入手ルートについてはいいか。憲兵長との真っ黒なやり取りは録音できてるし、どうせSebicの在処は割れてるからとりあえず資料改ざんや艦娘への虐待って名目で踏み込んでもらって、その後の調査で工廠(こうしょう)にあるっていう地下室に調査のメスが入れば芋づる式に罪状が全て明らかになるだろう。

 入り口が指紋認証じゃなきゃ忍び込んで映像に撮ることも選択肢に入ったんだけどな。

 

 

 

 

 

6月6日

 

 胸糞悪い光景に遭遇した。昼間から酔っぱらってる二人組の憲兵が工廠の裏で駆逐艦に向けて発砲してやがった。しかも実弾だ。この鎮守府で『射的』と呼ばれている虐待の一種で、話には聞いてたけど実際目の当たりにすると見るに堪えなかった。

 艤装を展開してるからいくら撃っても無傷とか、そういう話じゃない。跳弾ってことにして二人の眉間に風穴空けてやりたかったが、そんなことをすると面倒事が艦娘の方に向かう恐れがあったからそれは断念。

 

 代わりに芝居を打ってその場からご退場願った。もちろん穏便にだ。

 ただしそいつらの行為は胸に潜ませておいた小型カメラでしっかり録画させてもらったので、告発の際には然るべき処罰を嘆願しておこう。

 

 

 

 

 

6月7日

 

 今さらだけどここの憲兵って犯罪はしても仕事はしないのな。毎日ちゃんと鎮守府内を巡察してる俺がバカみたいじゃん。

 今日なんか川内三姉妹とばったり出会(でくわ)して神通と那珂に無言で睨まれて超怖かったし。そんな二人に挟まれて申し訳なさそうにしてる川内に同情した。

 

 よくよく考えてみれば見て回る先々で敵視されたり怖がられたりして精神的にダメージ受けてばっかな気がする。情報収集のためには必要なことだからしょうがないんだけど、ここまで嫌われてると誤解が解消してもお互い気まずくなりそうだよな。

 俺がいると今までのことを思い出すかもしれないし、場合によっては転属も視野に入れるべきか?

 

 

 

 

 

6月9日

 

 相談というほどのもんでもなく、ふとこの前こんなこと考えてたな、と思い出しただけのことだった。だから何の気なしに五十鈴と川内に「俺はここを辞めた方がいいと思うか?」って聞いてみたら、かなり強めに反対された。

 五十鈴には「そこまで思い詰める必要はないわ!」と説得され、川内には「2人の誤解は私が解くから!」と半泣きで言われた。予想してなかった深刻な感じの反応をされて「お、おう……」みたいな返答しかできなかったんだけど。

 軽い雑談のつもりで別に思い詰めてるわけじゃないし、神通と那珂のことを気にしてるわけでもない。

 でもそんなこと言ったら怒られそうな雰囲気だったから黙っておくことにした。

 

 

 

 

 

6月12日

 

 今日も今日とて憲兵のお仕事。先輩の憲兵は無気力、提督は無関心なおかげで新人で下っ端の俺に雑務が回ってくる環境が出来上がっている。自然に書類全般に触れる機会が作れて大助かりだ。

 しかし提出書類の改ざんがひどい。最も顕著なのが違法出撃だ。

 

 有事の場合を除いて、各艦娘は1ヵ月ごとに出撃回数及び出撃時間の上限が定められている。しかし十九渕鎮守府では一部の艦娘、特に潜水艦達の出撃回数が異常だ。ここ2年分ほど遡ってみたが、ほぼ毎日、多い時には日に2度も出撃させられている。

 轟沈だけは出さないようにしているみたいだがそれも艦娘を守るためではなく、轟沈した際の報告書提出を避けるのと、大本営に届け出している在籍艦数の辻褄を合わせるためだろう。潜水艦は狙っても建造しにくいらしいからな。

 

 その代わりなのか比較的建造しやすい駆逐艦や軽巡洋艦といった艦種は大破進撃が頻繁に行われてる。五十鈴や川内も経験あるらしい。笑えない。

 それでも報告書類には規定以内の出撃回数、出撃時間が記されている。轟沈も大破進撃もなしだ。たった2年で7人が轟沈しているにも関わらず。

 

 だがそれも一部だろう。轟沈したのと同型の艦娘を建造するまでに不必要として解体されていったやつだっている。その数50人以上。

 これらの建造と解体も無許可で行われている。そして建造資材を稼ぐために潜水艦は休憩もろくに取れないほどの激務に見舞われている、ってところだろう。

 艦娘をなんだと思ってんだ。

 

 

 

 

 

6月15日

 

 今日は青葉さんと会った。1ヵ月ぶりの再会に積もる話をする……ことはなく、積もりに積もった不正・違法行為の証拠を受け渡した。

 鎮守府内での不正行為の書類(コピー)や五十鈴達から得た犯罪行為の証言、川内に設置してもらった盗聴器で傍受した会話の録音や巡察しながら小型カメラで録画した艦娘に対する虐待行為の映像もある。

 後半ふたつはあまり公にできるもんじゃないだろうけど、内々で処理するなら充分すぎる証拠のはずだ。軽く目を通した青葉さんの表情が険しくなるくらいのものは用意できたってことで。

 

 ついでに告訴状も俺の署名入りのやつを一応添えておいた。俺の名前で受理されるかは分からないが、まあないよりはいいだろう。

 これで俺がやることは全部終わった。あとは大本営から派遣される国家憲兵にしょっ引いてもらうだけだ。さっさと鎮守府を掃除してほしい。

 

 

 

 

 

6月17日

 

 青葉さんから監査が行われる日が通達された。

 決行日は5日後の6月22日。さっさと掃除してほしいとは思ってたけど、それにしたってフットワーク軽すぎない?

 これはあれだな、向こうも向こうで監査に入る下準備を整えてたんだろう。証拠だって前からつかんでたに違いない。じゃなきゃ俺が提出した証拠類を精査して告発するかどうか決定し、手続きを終えて正式に承認されるまでが実質1日とかありえないわ。

 

 というか監査に入る予定があるような鎮守府にいきなり放り込むとかひどくない?俺新人なんだけど。

 周防大将、結構人使い荒いなぁ。

 

 

 

 

 

6月21日

 

 五十鈴と川内が妙にソワソワしてる。監査日の前日だからな。

 明日の今頃には提督と憲兵、総勢42名がお縄についてるだろう。

 突入は明朝6時。寝坊しないように今日は早めに寝ておくか。

 

 

 



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10話 虚空を切る

 

 

 ふと目が覚める。いえ、浅い眠りをくり返している、というのが正しいかしら。

 その原因は胸をチクチクと刺すような、言い知れない不安感。胸騒ぎがして落ち着かない。夕べからずっとこうだ。

 救いを求めて審判の時を待つ敬虔な信徒もこんな気持ちなのかしら、なんて柄にもないことを考えてしまうくらいには調子が狂っている。

 

「……緊張し過ぎね。もっと冷静にならなきゃ」

 

 同じ部屋で眠る名取を起こさないよう、小さな声で自分を叱咤する。

 今日で全てが終わるんだから。しゃんとしなさい、五十鈴。わたしが焦って吾川が整えてくれた舞台を壊してしまったら目も当てられないのよ。

 

 胸に手を当てて、ゆっくりと深呼吸をくり返す。

 この程度の変調を修正するなんて慣れたもの。出撃前や戦闘中、心の平静が崩れることは珍しいことじゃないわ。そしてわたしはそれをしっかり乗り越えてきたからこうして生きている。

 ……はずなのに。口にしてはダメと、堪えていた言葉を漏らしてしまう。

 

「吾川……」

 

 それは出会ってまだ1月(ひとつき)ほどしか経っていない青年の名前。

 会いたい。顔を見たい。声を聞きたい。

 そうすればわたしの胸にわだかまる嫌な予感を払拭してくれるような気がする。根拠なんてない、それこそ数時間前まで一緒にいた相手に募らせるような感情じゃないと、頭では分かっているのに。

 

 布団から抜け出し、物音を立てないように着替えを済ませて部屋を後にする。

 人気のない廊下を微かに軋ませる足音。始めは自分のものだけだったそれが、いつしかわずかにずれて聞こえるようになる。そして寮の玄関へと続く角を曲がったところで、向かい側からもうひとつの足音を立てていた人物が姿を見せる。

 

「おはよう川内。こんな時間からお出かけかしら?」

 

「五十鈴こそ。……たぶん、考えてることは一緒だよね」

 

「……ええ、そうね」

 

 お互いの顔に苦笑が浮かぶ。

 示し合わせたわけでもないのにわたし達が足を向けたのはやっぱり同じ方向だった。言うまでもなく、吾川が暮らす部屋へと。

 夜が明けたばかりの冷え込んだ空気で肺を満たしながらしばらく無言で歩く。もうすぐ憲兵の寮が見えてくるところまで来て、不意に川内が口を開いた。

 

「ねえ五十鈴。今日のこと、上手くいくと思う?」

 

「大丈夫よ」

 

 川内が感じている不安を一蹴するように、迷うことなくそう言い切る。その不安はまさに今わたしも抱えているもので、それに耐えられずこうして吾川の下を目指しているわけだけれど。

 それでもせめて体面だけはいつもらしさを崩さず、川内がこれ以上の不安を覚えないように。

 大丈夫、だなんて本音を言えばわたしが吾川にかけてもらいたい言葉だ。

 

 その一心でわたしはたどり着いた吾川の部屋の扉をノックした。あまり大きな音を出せないせいで控えめなノック。寝ていれば気付かないかと思ったけど、すぐに扉が開いた。

 吾川は早朝に訪ねて来たわたし達を見ても驚く様子はなかった。予想されていたのかと思うとちょっと恥ずかしいわね。

 

「お前ら実は結構小心者?」

 

「う、うるさいわね」

 

「あはは、バレちゃってる。ごめんね、こんな時間に」

 

「別にいいけど外に出るぞ。もうすぐだからな」

 

 時計を見れば時刻は大本営からの監査が入るまであと30分ほどになっていた。

 寮の外で待つこと数分。憲兵の制服に着替えた吾川を先頭に、鎮守府の埠頭までやって来る。穏やかな風に乗って運ばれてくる嗅ぎ慣れたはずの潮の香りが、なぜかいつもとは違うように感じられる。

 吾川はぐーっと背伸びをしながら大きく息を吸い込む。

 

「はあー……絶好の告発日和だな」

 

「何よそれ」

 

 そもそも告発自体はもう済んでるじゃない。

 一大事が控えてるっていうのにどうしてこんなに落ち着いていられるのかしら?神経が太いのか、それともこれくらい吾川にとっては動じるほどのことでもないのか。

 まあ色々先のことが見えてそうな人ではあるけど。

 

「でも本当に私達は何もしなくていいの?」

 

「ああ。なんなら事が終わるまで部屋から出ない方がいいかもな。荒れそうだし」

 

「……吾川は大丈夫なの?」

 

「問題ねぇよ。というか俺も部屋に籠ってるかな」

 

「あー、吾川さんサボりだ」

 

「日頃頑張ってるしこんな日くらいはいいだろ」

 

「じゃあさ、落ち着くまで私達と一緒にいよ?」

 

「それもいいかもな」

 

 クスクスと笑い合う吾川と川内。その光景を見ていると、不思議と心の緊張が解きほぐされていく。

 我ながら単純ね。吾川の笑顔を見ただけで穏やかな気分になるなんて。

 

「ねえ吾川さん」

 

「なんだ?」

 

「明日になったらここは普通の鎮守府に戻るんだよね?」

 

「ああ」

 

「私も、五十鈴も、神通も那珂も、普通の艦娘になれるんだよね?」

 

「そうだよ」

 

「そうなったら私したいことあるんだ。吾川さんも手伝ってくれる?」

 

「内容によるけど、まあ俺にできることならやってやるよ」

 

「約束よ?五十鈴も、ね?」

 

「わ、わたしも?何をするのよ」

 

「ひみつ~」

 

「なんなのよ、もう……」

 

 口ではそう言いつつ、顔には笑みが浮かぶ。期待に胸を膨らませて小躍りする川内の姿が微笑ましい。

 4年近くここで一緒だけど、こんなにはしゃいでる川内を見るのは初めてね。川内はなんだかんだでネームシップだし、この鎮守府では下の妹達を守るために一人で耐えていたのはわたしも知ってる。

 そんな川内がようやく頼れる相手に出会えたんだもの。嬉しくないわけないわよね。

 

 この地獄のような鎮守府に、こんなにも心安らかな時間が流れるなんて思ってもみなかった。

 それも全て吾川が来てくれたおかげ。今日の騒動が終わったらちゃんとお礼を言わないといけないわね。

 そんなことを考えていると、にわかに鎮守府内が騒がしくなってくる。

 

「ん、もう時間か」

 

 いよいよ始まったわね。いくら平静を取り戻したとはいえさすがに気分が張り詰めるわ。

 戻るタイミングを失ったな、なんて言葉を吾川が漏らす。もうここを動く気はないのか、彼は埠頭の(へり)に腰を下ろすと足を投げ出した。この肝の座りっぷりはある意味見習うべきかもしれないわね。

 半ば呆れてそう考えていたその時、鎮守府内に大音量の放送が鳴り響いた。

 

『鎮守府内の全艦娘に告ぐ!全艦娘に告ぐ!速やかに戦闘態勢を取り、我らに敵対する存在を排除せよ!くり返す!速やかに戦闘態勢を取り、敵対する存在を排除せよ!鎮守府内での実弾の使用を許可する!なんとしても敵を排除せよ!』

 

 憎々しい提督の声。それが切羽詰まっているだけでもざまあみなさい、という思いが込み上げてくる。

 けれどそんなことを考えているべきじゃなかった。

 わたし達はSebicで『提督からの命令を厳守』するように強制されている。そして今眼前にいる吾川はこの鎮守府を救おうとしてくれている、提督に敵対する存在だと、わたしと川内は認識してしまっている。

 

 自分の意に反して体が動いた。わたし達は寝間着から出撃時の服に着替えている。この状態であれば艤装を召喚できてしまう。

 突き出される右腕。それに握られているのは使い古した、でも人を殺すには充分すぎる威力を有する14cm単装砲。

 

「いや……!」

 

 どれだけ心が拒んでも、体が勝手に標準を定める。その先にいる吾川は未だ座ったままの態勢で私たちの方へ振り返っている。トリガーに指がかかった。

 時間にすれば刹那の出来事。瞬間が引き伸ばされ、時間の感覚が間延びする。その分だけ、より一層わたしは自分がやろうとしている行為への絶望と恐怖を味わう。

 

 いやよ、止めて。こんなことってないわ。

 どうしてわたし達が吾川を撃たなくちゃいけないの。

 そんなの絶対にダメ。お願い、逃げて。

 まだお礼も言えていないのに。

 あなたを失うなんて、耐えられない。

 

 トリガーが引かれる。

 対象との距離。近すぎる。逃げられない。経験で分かる。外すことなんて万が一にもあり得ない。

 埠頭に響く砲音。命中した。何度も感じてきた手応えが、認めたくない現実を突き付ける。

 

「あ……あぁ……」

 

 体が震え、奥歯がカチカチと鳴る。膝から崩れ、いつの間にか溢れた涙が頬を伝い落ちて冷たい埠頭のコンクリートを濡らした。

 吾川を、なんでもいいから彼が生きている証をつかもうと、懸命に左腕を伸ばす。

 けれどそこには何もない。目に映ったのは大海原の水平線と、澄み渡った蒼天だけ。

 伸ばした左腕は何も得ることができずに虚空を切った。

 

「いやぁ……!」

 

 そのかすれた悲鳴がわたしのものか、川内のものかは分からない。最後に海と空の青を目に焼き付けて、わたしの意識は暗転した。

 

 

 




『8話 答え合わせ』で『提督からの命令を厳守』という制限が登場していたのにノータッチだった時点でこういう展開を予想されていたような気がしてならない。
そもそもこれができるならSebicの欠陥をいくつか補えるっていうね。
というわけで詳しいことは考えずノリと雰囲気で楽しんでもらえれば幸いです。


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11話 十九渕鎮守府の長い1日・壱

 

 

『鎮守府内の全艦娘に告ぐ!全艦娘に告ぐ!速やかに戦闘態勢を取り、我らに敵対する存在を排除せよ!くり返す!速やかに戦闘態勢を取り、敵対する存在を排除せよ!鎮守府内での実弾の使用を許可する!なんとしても敵を排除せよ!』

 

 がなり立てるような大音量の放送が鎮守府全体に響いてからしばらく。うるさいことには目をつむりますが、放送の内容は看過できたものではありません。

 これは面倒なことになりましたねぇ。まさかこちらの来訪を知っただけで誤魔化すこともなく即時戦闘行為を選択するとは。しかも鎮守府にいる艦娘を強制的に戦わせようというのだから質が悪い。

 

「青葉、面倒事は嫌いなんだけどなぁ」

 

「私だって嫌いよ」

 

 独り言のつもりだった心の声が拾われる。その相手は加賀さん。

 長年司令官、周防大将の秘書官を務めている歴戦の(つわもの)です。そのクールな佇まいはこんな状況であっても崩れることはなく、なんとも頼り甲斐のあるお姉さんです。

 ……とはいうものの。

 

「なら鎧袖一触と行きます?」

 

「……それができたら苦労はしないわ」

 

「ですよねー」

 

 一言で表すなら膠着状態。

 相手は実弾を使用してくるのに対し、こちらは鎮圧用の模擬弾。それでも練度を考えれば青葉や加賀さんが後れを取ることもないですが、さすがに圧倒的な数的不利となれば話は変わってきます。

 ならばこちらも実弾を……とは安易に動けません。なぜなら今敵対している艦娘は青葉達にとっては保護対象。そんな彼女達を相手にこちらが実弾を使用すれば、最悪大破以上の被害が出る恐れもあります。

 

 そのリスクに目をつむれるかといえばそれも難しい。ここで最大のネックになるのが拘束対象である提督及び憲兵です。

 実弾を用いての鎮圧となれば艦娘に守られている彼らは真っ先に命を落とすでしょう。いくら艦娘に虐待を働いている犯罪者とはいえ殺害してしまえば後の軍法会議でこちらの過剰防衛を指摘されかねません。

 そして何より……。

 

「泣きながらこっちに銃を向けるあの子達は撃てませんよね」

 

 提督と憲兵(われら)に敵対する存在を排除せよ!という提督からの命令。それに対し心は嫌だと叫んでいるのに、その想いに反して体は命令に従い武器を手にしている。踏み込めばあの子達は涙を流しながら青葉達を殺そうとするでしょう。

 そうなってしまうと国家憲兵の投入も不可能になってしまう。人間である彼らが艦娘の砲撃に晒されれば塵も残らないですからね。

 

「そもそもどうして彼女達は行動を強制させられているの?貴方達の話ではSebicにそんな力はないということだったはずでしょう」

 

「それが青葉にもさっぱりです」

 

 Sebicによる制御が可能なのは行動を起こさせないことだけ。仮に提督からの命令を絶対に守れというプログラムがなされていたとしてもそれは禁止行為に該当する場合のみ行動に制限がかかるのであって、今回のようなケースには当てはまらない。

 したいことをさせないのと、したくないことをさせるのは似ているようで異なるプロセスが求められる。Sebicにそんな性能は備わっていないはずなんですがねぇ。

 そんなことができてしまえば艦娘という強力な戦力を一個人の思想のみで運用することが可能になってしまいます。場合によっては提督制度が崩壊する危険性さえ孕んでいるんですが。

 

「あら」

 

「どうしました?」

 

「忍を発見しました。奥の埠頭にいます」

 

 加賀さんが敵情偵察のために飛ばしていた艦載機で忍君を発見したらしくそう報告してくれる。

 

「埠頭?そんなところで何を?」

 

「……倒れている女性の服を脱がせています」

 

「何それ!kwsk!」

 

(さざなみ)は黙っていなさい。青葉、迎えに行ってください。場合によっては忍の拘束を許可します」

 

「青葉、了解です!」

 

 提督達が立て籠もっている建物は加賀さんに任せ、鎮守府奥にある埠頭へ向かう。まあさすがに婦女暴行というわけではないでしょう。加賀さんの言葉も軽い冗談。

 青葉としては女性が倒れているということの方が気になるんですけど。それってたぶん艦娘ですよね?これまた厄介事の気配がします。

 

 まだいるだろう鎮守府内の艦娘に遭遇しないよう辺りに注意しながら進むことしばし。

 前方から朝日を背に浴びて青葉の方へ歩いてくる人影が見える。器用にも女の子を二人も背負っているその人こそ忍君だった。

 

「恐縮です、青葉です!写真1枚いいですか?」

 

「薄着の乙女を撮るのが青葉さんのジャーナリズムなんすね」

 

「そう言われると痛いなー。でも脱がせたのは忍君では?」

 

「こうしないと艤装が外せなかったんで。放置するわけにもいかないでしょ」

 

 ああ、背負うためにそうするしかなかったということですか。

 ないとは信じていましたけど、これで忍君を拘束する必要はなさそうですね。それぞれに自分の軍服のジャケットとシャツを羽織らせて肌が露出しないようにしてますし。

 それに感心しながら忍君に背負われている二人の顔を覗き込む。ふむふむ、噂の五十鈴ちゃんと川内ちゃんですねー。

 

「この二人はどうして気を失っているんですか?」

 

「詳しいことは本人に聞いてみないと分からないですよ。ただ俺を撃った後に気絶したみたいで」

 

「えぇ……忍君撃たれたんですか?」

 

「提督に強制されただけなんで情状酌量10割でお願いします」

 

「気にしたのはそこではなくて怪我をしていないかどうかですけど」

 

「無傷なんでご心配なく」

 

 それはそれでおかしな話ですよねぇ。まあ忍君だから、で納得するしかありませんか。

 海軍に入るきっかけになったのも先の襲撃事件の時に深海棲艦を蹴り殺したからなわけですし。艦娘以外の攻撃が通じない相手をまさかあんな手段で倒すなんて……。

 

「そうですか。ではとりあえずお二人を救護所まで運びましょう」

 

「起きたらまた問答無用で砲撃してくるかもしれないんで気を付けてくださいよ?」

 

 ああ、意識を失ったとはいえ先ほどの命令が無効になっているとは限らないですもんね。

 木曾ちゃんと夕立ちゃんを後方に回しておいて正解かもです。彼女達が控えていればこの二人が目覚めてから攻撃を仕掛けてきても対処できるでしょう。

 

「しかしそんな危険を承知でよく平然と背負ってきましたね」

 

「……こいつらがこうなったのは俺にも責任があるんで」

 

 そう言った忍君の顔に少しだけ影が落ちる。

 おやおやぁ?これはもしかして……。

 

「むふふふ」

 

「きもちわる」

 

「ストレートな罵倒ですねぇ!」

 

 青葉、階級的には一応上官なんですけど。

 

「すいません。漣みたいな笑い方だったんでつい」

 

「それ青葉のついでに漣ちゃんもディスってますよね?」

 

「まあそれはさて置き」

 

 置いちゃうんですか……。

 

「青葉さん、状況はどうなってますか?」

 

「……膠着状態です。憲兵の多くは拘束できたんですが残りの一部と提督が複数の艦娘を引き連れて籠城(ろうじょう)を開始してしまいまして」

 

「どうしてあんな命令を実行させることができたかは?」

 

「すみません、分からないです」

 

「青葉さんが謝ることじゃないと思いますけど。あ、でも責任を感じてるんだったらひとつお願いしていいですか?」

 

「利用できそうなことはなんでも利用する忍君のスタンスは嫌いじゃないですよ。なんですか?」

 

「難しい話じゃないんですけど……」

 

 そう前置きしてから忍君が口にしたお願いは彼らしい、それはそれはぶっ飛んだものでした。

 まあ口添えするくらいないいですけど、果たして加賀さんは許してくれますかねぇ……?

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 五十鈴と川内を救護所まで運ぶ間の余談

 

 

 

「ちなみにどうやって二人からの砲撃を(かわ)したんですか?」

 

「埠頭から飛び降りて」

 

「その割には濡れてませんね」

 

「岸壁の凹凸(おうとつ)部分につかまってたんですよ。五十鈴と川内が近寄ってきたらバランス崩して海に落としてやろうと思って。そうすりゃ艦娘でもすぐには上がってこれないし」

 

「……もしかしたらお二人は気を失って正解だったのかもしれませんねぇ」

 

「いや、俺に脱がされてる時点でそれはない」

 

「そうでした。っていうかそれ、自分で言うんですか……」

 

 

 



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12話 十九渕鎮守府の長い1日・弐

長くなったので分割しました。
2話連続更新の1話目です。
先にこちらをお読みください。


 

 

「……いいでしょう、許可します」

 

「ええ、いいんですか!?」

 

 私の返答が意外だったのか青葉が驚きの声を上げる。まあ確かに危険ではあります。

 忍が単身で提督達が立て籠もっている建物に乗り込んで鎮圧する、なんて。

 しかし情けない話ですがこの状況を最も素早く打破できるのは忍であることに変わりはありません。

 

 まず彼は提督側の人間だと思われているためこの鎮守府の艦娘から攻撃される恐れがない。それだけで建物内部に侵入することは容易です。

 そしていざ提督と接触しさえすれば、拘束するくらい彼にとって他愛のないことでしょう。

 問題はその時点で艦娘から提督に敵対する存在と認識され、攻撃される恐れが出てくること。ですがあの狭い建物内で艦娘が砲撃すれば忍だけでなく提督や他の憲兵も巻き込むことになる。

 提督らに危害を加えられない彼女達ではそこまで危険な攻撃はできないはず。もし戦闘になっても重火器の類いが使えないのなら忍の方に分があります。

 

「仕方ありません。本来なら一憲兵である貴方に要求するような働きではありませんが……」

 

「適材適所ってやつですよ。それにここで俺を使うのは周防大将の予定通りなんじゃないですか?」

 

「さあ、どうでしょう。提督のお考えは関知していませんので」

 

 本当に(さと)い。恐らく私の白々しい誤魔化しも通じていないでしょうね。

 けれどそれも提督は承知の上。むしろ提督と忍にとってはこの一件、暗黙の了解に近いことなのかもしれません。

 彼を扱うにはここまでしなければいけない、ということでしょう。

 

「ああ、それからひとつ忠告があります」

 

「なんですか?」

 

「やりすぎないで下さい。貴方、相当怒っているようなので」

 

「え、そうなんですか?」

 

 青葉と漣が忍の顔をまじまじと見つめる。

 そのまま数秒、2人揃って首を傾げた。

 

「んー?」

 

「怒ってますか?これ」

 

 顔だけ見ていれば分からないでしょうね。声のトーンや手足の仕草に気を付けていれば一目瞭然ですけど。

 忍と関わり合ったのはまだ1ヵ月ほどですが、普段の彼とは明らかに異なる気配が発せられている。

 

 今の彼を見ていると否が応でもあの日のことを思い出してしまう。

 瓦礫(がれき)の山と化し、あちらこちらから炎が立ち昇っている荒廃した街の中で、既に事切れた軽母ヌ級とその艦載機を踏みしめ、背筋を凍らせるような血走った眼をしていた忍の姿を。

 言葉にするのなら悪鬼羅刹。わずかにとはいえ戦場で私が尻込みしたのはずいぶんと久しいことだった。

 忍がまたああなれば提督達の命など、道端の花を摘むよりも簡単に刈り取られることでしょう。

 

「大切になさい。他人の命も、自分の命も」

 

「……ありがとうございます。少し冷静になりました」

 

 張り詰めていたような忍の気配がすっとゆるむ。

 まだまだ未熟、というよりは……。

 

「大切なのね、あの子達が」

 

 先ほど救護所に運び込まれた五十鈴と川内。

 まだ詳しい経緯は聞けていないけど、どうやらあの2人は例の命令の直後に忍を撃ったという。それはつまり忍が提督の敵だと、自分達を助けようとしてくれているのだと知っていたということ。

 そんな相手を自分で撃ってしまった彼女達の心情は推して知るべし。それによって2人が傷付いてしまったことが忍の怒りの原因なのでしょう。

 

「巻き込んだのは俺ですから」

 

「なら無事に戻って元気な姿を見せてあげなさい」

 

「はい、そうします」

 

 そう答えた忍は真新しい憲兵の制服に袖を通し、提督達が立て籠もっている建物へと足を向けた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 どうしてこんなことになっちゃんたんだろう。自分が手にしている艤装を見ながらぼんやりとそんなことを考える。

 提督の言う侵入者。それは紛れもなく大本営の人達で、私達を助けるために来てくれたのに……。

 そんな人達に対して私は砲口を向けている。私だけじゃなくてこの鎮守府に所属している他の艦娘も同じように。泣きながら、絶望しながら、武器を手にしている。

 こんなことしたくないのに……。

 

 でも今の私にとってはそれすらどうでもいい。何よりも気がかりなのは朝起きたら部屋に五十鈴ねえがいなかったことの方。

 最近、吾川っていう憲兵がこの鎮守府に来てから五十鈴ねえは消灯時間を過ぎても部屋に戻ってこないことが多くなった。五十鈴ねえが吾川の部屋で何をされてるかなんて考えたくもないけど、それでも日付が変わった頃には戻って来てたし夜中に呼び出されるようなこともなかった。

 夕べも同じ時間に布団に入っていたのに、こんなことが起きた日に限っていなくなるなんて嫌な予感がする。

 

 まさか、と思う。

 もしあの男が今日、大本営がここに来ることを何かしらの手段で事前に察知していたのだとしたら。そして自分の罪を隠蔽するために、行動を起こしたのだとしたら。

 

 

 ――五十鈴ねえを解体(ころ)して、口封じをしたんじゃ……!

 

 

 思い至って体が震え出す。これはただの推測で、五十鈴ねえと吾川がここにいないっていう状況証拠だけの仮説。

 だけど一度そう考えてしまえば嫌な予感がどんどん膨らんでくる。

 

「な、名取さん……大丈夫ですか?」

 

「神通、さん……」

 

 様子がおかしくなった私を心配して神通さんが声をかけてくれる。その隣には那珂ちゃんもいて、神通さんと同じように心配そうな顔で私を見ていた。

 でもそこに川内さんはいない。川内型の3人も同じ部屋で寝ているのに、どうして川内さんだけいないのか。

 そして川内さんも、五十鈴ねえと同じようにいつもあの男の部屋に呼び出されていた。

 

「……神通さん」

 

「な、なんでしょうか?」

 

「川内さんは、どこですか……?」

 

 私の質問に神通さんと那珂ちゃんの表情が曇る。ああ、これは……。

 

「……いないんです」

 

「那珂たちが起きた時にはもう部屋にいなくて……」

 

「そう、ですか……」

 

 やっぱりそういうことなの?五十鈴ねえと川内さんはあの男に……。

 こんなこと考えたくない。でも吾川と、いつも吾川に呼び出されていた2人が揃って大本営が来た日の朝に姿を消すなんてこと、ただの偶然なわけがない。

 手にしている14cm単装砲を強く握りしめる。その時だった。

 

 コツン、コツン、という靴音が廊下に響いた。西向きの窓から差す朝日はまだ弱く廊下は薄暗い。

 そんな暗闇の奥から聞こえる足音。大本営……の人ではないと思う。この建物の出入り口は全部警備されてるから、あの人達が入ろうとした必ず砲撃の音がするはず。それがない、ということは足音の主は憲兵か艦娘のはず。

 そして薄暗闇の中から姿を現したのは……。

 

「よう。その中に提督はいるか?」

 

 吾川忍その人だった。

 砲口を向けたい。叶うことならこの男を撃ち殺してしまいたい。それで解体されるのだとしても、吾川を殺せるなら実行する価値は充分過ぎるくらいにある。

 これはきっと私だけじゃなく、神通さんや那珂ちゃんも同じように思っている。

 

「そう睨むなよ。用があるのはお前らじゃなくて執務室(そっち)だって」

 

 私達の殺気なんてどこ吹く風。そんな態度で吾川は笑う。

 艦娘が自分に攻撃できないと分かり切っているから。それが余計に腹立たしい。

 でもそう思うだけで体が吾川を撃つことを許してくれない。ただ立ち尽くすことしかできない私達の横を通り過ぎて、吾川は執務室の扉を開いた。

 

「だ、誰だ!?」

 

「おっと、撃たないでください。俺ですよ提督」

 

「吾川!お前無事だったのか?」

 

「これでも悪運は強い方でして。憲兵長もご無事で何よりです」

 

「あ、ああ……」

 

 吾川が提督や拘束を逃れた憲兵達との再会を喜ぶ。

 バカみたい。どんなに抵抗したってもう逃げられなんてしないのに。たとえ証拠を隠滅したって、私はあの男が犯した罪を許さないし忘れない。ぜんぶ大本営の人達に打ち明ける。神通さんや那珂ちゃんだってそうするはずだ。

 絶対に逃がさない。

 

「だがどうやってここまでたどり着いた?鎮守府内にはもう大本営のやつらがいただろう」

 

「ええまあ。それも関係するんですが、この状況を切り抜けられるかもしれない方法があります」

 

「何、本当か!?」

 

「もちろんですよ」

 

「ど、どうすればいいんだ!?」

 

「簡単なことです。それは……」

 

 吾川が笑顔を深める。そしてこう言った。

 

 

 

 

「あんたの首を差し出せばいい」

 

 



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13話 十九渕鎮守府の長い1日・参

2話連続更新の2話目です。
こちらより先に『十九渕鎮守府の長い1日・弐』をお読みください。


 

 

 肺が潰されて中の空気が漏れ出たような、とでも言えばいいのか。そんな汚い、嘔吐(えず)くような声を提督が発した。それもそのはず、両手で襟首をつかまれて、そのまま引き寄せられた鳩尾に膝蹴りが叩き込まれればそうもなる。

 この事態を引き起こしたのは吾川。なぜ彼が提督を攻撃したのか。

 そんな疑問を抱くよりも早く体は行動を開始した。提督に敵対する存在を排除せよ、という命令を守るために。でも、照準を定めたところで動きが止まる。

 

「そうだよな。撃てるわけがない。そんなことをしたら俺もろとも提督が死んじまう」

 

 素早く提督の背後に回り首を締めあげながら吾川は笑う。

 いつもの醜悪な笑みとは違う、冷笑。

 

「吾川、何のつもりだ!」

 

「見て分かるだろ。抵抗は止めろってことだ」

 

「貴様、裏切るつもりか……!」

 

「裏切る?悪いけど最初からそっち側には立ってねぇよ」

 

 最初からそっち側……提督側には立っていない。吾川はそう言った。

 どういうこと?だって吾川は五十鈴ねえや川内さんにひどいことを……。

 混乱する私を置いてけぼりにして事態は進んでいく。吾川は執務室に備えられている、さっき提督が鎮守府全体への放送に使ったマイクを空いている左手で取った。

 

「このまま首をへし折られるか、さっきの命令を撤回するか。好きな方を選べ」

 

 提督の顔色がどんどん青ざめていく。口の端に泡を浮かべながらじたばたともがく様は滑稽だった。

 脅し……だとは思うけどその冷めた声と瞳が本気のように思えてならない。

 でも、どうして彼はあの命令を撤回させようとしているの?何もかも分からないことだらけで、助けを求めるように神通さんの方を見る。でも神通さんも那珂ちゃんも事態についていけていなかった。

 憲兵達の反応を見てもこの場の誰しもが吾川忍の意図を読み取れていない。

 

 あの男は私達の敵なのか味方なのか。そっち側じゃないということは味方?それなら五十鈴ねえや川内さんに乱暴はしていないということ?

 いや、でも五十鈴ねえは毎晩のように部屋に呼び出されていたし、五十鈴ねえにそういうことをしたってはっきり言ってた。あれは嘘?だとしたらなんのために?

 

「ず、ずる……ずる、がら……」

 

 提督が懸命に言葉をしぼり出す。吾川はそれを聞いてようやく腕の力をゆるめた。

 といっても抵抗できない程度には極まっているけど……。

 

「無駄口も質問もなしだ。命令を撤回すればいい」

 

「……わ、わがっている」

 

 相当強く絞められて喉を痛めたのか、提督の声はしゃがれていた。そんな提督に構うことなく、吾川は放送機器のスイッチを入れて提督の眼前にマイクを差し出した。

 小さなハウリング音。それが収まってから提督は荒い呼吸を抑えつけながら言う。

 

「……ち、鎮守府内の、全艦娘に……告ぐ。現時刻をもって、我らに敵対する存在を排除せよ、という命令は解除とする。命令は……解除だ」

 

 その言葉を聞くと同時に、武器を構えていた腕が弛緩してだらんと下がる。

 命令が解除されたんだ……。

 

「……よし、これでいい。じゃああんたはしばらく眠ってろ」

 

 言うや否や、吾川は再び提督の首を絞める。声を漏らす間もなく、ものの数秒で提督は意識を失った。

 それを確認すると吾川はぞんざいに提督を放り出す。って、それじゃあ……!

 

「やってくれたな吾川ァ!」

 

 残っていた憲兵達が声を荒げながら、腰のホルスターから拳銃を引き抜く。

 解除された命令は『敵対する存在の排除』だけ。つまり今の私達には吾川を守る必要はなく、普段通り彼らの行動を遮ることはできない。吾川がハチの巣になるところを見ていることしかできなかった。

 

 ドン、という銃声が響く。それが合図になったかのように5人の憲兵が発砲を開始する。

 距離を考えればまず外れない、38口径から放たれた実弾。助からない。それが常識的な判断……のはずなのに。銃弾の雨が通ったその場所に、あの男はこれまでと変わらずに立っていた。

 

「な、なんで……?」

 

 思わずそんな言葉が口をついた。その疑問に答えるように、吾川はいつの間にか右手に握っていた警棒を憲兵達に向けて構える。

 まさか……まさか、まさか――!

 

「う、撃てー!」

 

 再びの発砲音。けれどその最中に、明らかに銃撃とは異なる甲高い音が聞こえる。そしてそれは、銃に狙い打たれている吾川が警棒を振るう度に鳴り響いた。

 

「じ、銃弾を、弾き落してるの……?」

 

「あり得ないわ……」

 

 そう、あり得ない。人間はもちろん、艦娘の動体視力でだってできることじゃない。そんなの空想の世界の出来事。

 なのに吾川は未だ傷ひとつ負わず、警棒を操り続ける。そしてついに、憲兵達の拳銃から銃弾がすべてなくなった。

 激しい銃撃音の後に訪れたのは息を呑むような沈黙。その中で吾川だけが何事もなかったようにそこに立っていた。

 

「もう終わりか?ならこれ以上抵抗しないで捕まってくれよ。逃げるってんなら容赦しない」

 

「ふ……ふざけるなああああああ!」

 

 絶叫が木霊する。逆上した憲兵長がなりふり構わず吾川に殴りかかった。

 あれほどの光景を見せられて選択したのが、観念でも逃走でもなく、まさかの攻撃。それが蛮勇を通り過ぎて自殺行為だというのは火を見るより明らかなのに。

 憲兵長の拳は空を切る。最初からそこには何もなかったかのように吾川の姿は消えていた。そう見えたことだろう。

 

 吾川はいつの間にか憲兵長の背後を取っていた。私の目でも追い切れない速さ。そのまま吾川は憲兵長の後頭部を鷲づかみにすると、執務室のデスクに顔面から叩きつけた。

 鈍い音がした。顔面を強打した憲兵長は力なくずるずると崩れ落ちる。デスクの側面を鮮血で染めながら。

 

「ひ、ひいいいいいい!」

 

 恐怖が限界に達してか、残った憲兵達が一斉に逃げ出そうとした。でも、もう遅すぎる。

 たったの一足で吾川は部屋の奥から私達の目の前、部屋の入り口までの距離を詰めた。室内にいた憲兵を置き去りにして。まるで瞬間移動でもしたかのように。

 背を向けたはずなのに、なぜか自分達の前に立ちはだかる吾川。現実とは思えない出来事の連続についに憲兵達は腰を抜かした。

 

「ば、化け物……」

 

 震えて、恐怖に染まった声。

 尻もちをつきながら言葉を発した憲兵の股間にはシミが広がっていた。

 

「化け物結構。それじゃあいい夢を」

 

 きっと見るのは悪夢だろうけど。

 吾川は容赦なく憲兵達の意識を奪い取った。

 

 

 



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14話 十九渕鎮守府の長い1日・肆

 

 

 声が聞こえる。まるで身を切るような泣き声。

 覚めたばかりのぼんやりとした意識が徐々に明瞭になるにつれ、泣きじゃくっているのが誰なのか、そしてなぜ泣いているのかを思い出す。

 あの川内が、人に弱さを見せてこなかった彼女が、まるで赤子のように声を上げて泣いている。その事実が私に重くのしかかった。

 

 ……やっぱり、あれは現実なのね。

 砲撃の感触が、未だ手に残っているような気がする。吾川を撃ち殺してしまったあの感触が。

 見慣れない天井の一点を見つめたまま、目尻からつうっとこぼれた落ちた涙が枕元を濡らす。

 吾川を殺してしまったという自責の念。吾川を失ってしまったという悲しみ。吾川を助けられなかったという後悔。それらがない交ぜになって涙はとめどなく溢れ続ける。

 

「い、五十鈴ねえ!気が付いたの!?」

 

 唐突に声がかかる。わたしが目覚めるのを待っていたのか、そこには名取がいた。

 

「……名取」

 

「大丈夫?泣いてるけどどこか痛い!?」

 

 ……痛い、か。

 そうね、痛いわ。胸が張り裂けそうになるくらい。

 でもわたしにそんな泣き言を口にする資格なんてない。吾川の命を絶ったわたしには……。

 袖口で涙を(ぬぐ)う。今はまだ堪えるのよ、五十鈴。泣くのは1人になってから

にしなさい。名取に心配をかけてはダメ。

 

「……大丈夫よ。それよりも――」

 

 鎮守府はどうなったの?とそう続けようしたところでサーッと勢いよく、わたしを囲っていたカーテンが開かれる。

 そこに立っていたのは川内だった。

 

「い、いすずぅ……」

 

 ひっくひっくと嗚咽を漏らしながら、舌足らずにわたしの名前を呼ぶ。まだ泣き足りないのかその目からはボロボロと涙がこぼれていた。

 そんな川内を見て、またわたしの中から涙が込み上げ、鼻の奥がツンとしてくる。それでも泣くことだけは堪えた。「川内……」と彼女の名前を呼んだ声は震えていたけれど。

 名前を呼ばれた川内は、体を起こしたわたしの膝辺りにすがりつくように駆け寄ってきた。

 

「五十鈴!吾川さんが……吾川さんがぁ……!」

 

 川内が泣き腫らした目でわたしを見上げる。かける言葉が見当たらない。わたしも涙を堪えるのが精いっぱいだった。

 だからせめて少しでも落ち着けるように彼女の頭を撫でる。

 慰めているのは川内か、それとも自分自身かも分からないまま。

 

「ごめんなさい……」

 

 気が付けばそんな言葉が口をついていた。

 けれど川内はわたしの言葉を、そしてわたしの惨痛(さんつう)を振り払うような一言を放った。

 

「違うの……!吾川さんが、生きてたの……!」

 

 …………………………。

 

「え?」

 

 たぶんそれはとても間の抜けた反応だったと思う。それほどまでに川内の言葉は驚かざるを得ないもので、意味を理解するのにかなりの時間を必要とした。

 

「……吾川が、生きてる?」

 

「そうだよ……!」

 

「う、嘘よ……だって、そんな……」

 

 思い出したくもないけれど、記憶には鮮明にこびりついている。吾川を狙い撃ったあの瞬間の映像が。

 距離、砲弾の速度、人間の回避能力。様々な要素を加味し、さらには経験から裏打ちされた直感が、あれで助かっているわけがないという答えを導き出す。

 だからそんな都合のいい現実なんて……。

 

「人の生存を嘘呼ばわりとはひどいなお前」

 

 ――声がした。心にぽっかりと空いた穴を塞いでくれるような声が。

 川内が開け放った薄手の白いカーテン。その隙間から顔を覗かせたのは紛れもなく、わたしが撃ったはずの吾川だった。

 

「な、なんで生きてるの……?確かにわたし、撃ったのに……」

 

「避けた」

 

 単純明快、たった3文字の回答。外れたでもなく、あれを避けた?

 見ればどこかに怪我を負った様子もない。五体満足でピンピンしている。

 

「本物……?」

 

「五十鈴が俺の部屋に持ち込んでる私物でも言えばいいか?」

 

「……いいえ、必要ないわ」

 

 確かめるまでもなく本物の吾川だ。いつも通りの、とうに聞き慣れた軽口。

 傍に立つ吾川の手に触れる。温かい。血が通っている。

 本当に生きている。生きていてくれた。

 視界が滲んで喉が震える。そして今度こそ堪えきれずに感情が溢れ出した。

 

「うっ……うわあああああん!」

 

 堰を切ったように泣いた。

 姉の面目とか周囲の目とか、そういうのはすべて頭から飛んでいた。ただただ吾川が無事だった安堵と喜びを感じながら。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「……で、いつまでそうしてんの?」

 

「う、うるさいわね!」

 

 五十鈴ねえがまるで子どもみたいに泣くことしばらく。落ち着きを取り戻した五十鈴ねえは、泣いたのが恥ずかしくなったのか布団を頭からかぶって動かなくなっちゃった。

 

「川内もさ」

 

「……」

 

 川内さんは泣きつかれて吾川……さんに抱き着いて、寄りかかったまま眠ってしまった。

 こんな状況に陥ってもうすぐ5分になる。

 耐えきれなくなった吾川さんが私と那珂ちゃん、そして神通さんの方を見る。その目は明らかに助けを求めていた。

 

「なんとかしてくれない?」

 

「えーっと……」

 

「むしろ那珂たちがお邪魔かなって」

 

「あ、あはは……」

 

 どこからどう見ても五十鈴ねえと川内さんが吾川さんのことを憎からず思っているのは明白で、それはつまり2人にはひどいことなんてしていなかったということ。

 提督を捕まえた時に言っていたのは本当のことなんだって納得できた。それに大本営の加賀さんや青葉さんからも吾川さんが無実で、それどころか私達を助けるために行動していたんだってことを教えてもらって、今の私の心は感謝と申し訳なさでいっぱいです。

 

 やれやれ、と首を振る吾川さん。

 とても銃弾を弾いて目にも止まらない速さで提督達を鎮圧した人と同一人物には思えません。

 というかさっき避けたって言ってたけど、それって五十鈴ねえと川内さんの砲撃をって意味だよね……?この人、本当に人間なのかな……?

 

「ったく、いい加減出てこい五十鈴。川内も起きろ」

 

 右手で川内さんを揺すりながら、左手で五十鈴ねえのかぶっている布団を引きはがしにかかる吾川さん。

 なんか五十鈴ねえと川内さんが妹みたいに見えてくるよ。2人とも普段はしっかり者で頼りになる姉なのになぁ。

 

「そろそろいいかしら?」

 

「ひゃあ!」

 

 突然背後から聞こえた声に思わず飛び上がる。そこに立っていたのは加賀さんでした。

 私の驚きは気に留めず、加賀さんは話を続ける。

 

「起きたのならひとまず食堂に集合してもらいたいのだけど」

 

「他の艦娘の皆さんももう集まっていますよ~」

 

「どうして食堂なんです?」

 

「ここの艦娘全員が集まれる場所が食堂しかなかったので」

 

 加賀さんによれば作戦会議室では手狭すぎ、大会議室は提督達が立て籠もっていた建物の中にあるから現場保存の一環で封鎖されているから別棟の食堂しか適した場所がない、ということだった。

 

「了解しました。ほれ五十鈴、川内」

 

「わ、分かったわよ……」

 

「う~ん……ふわぁ……」

 

 あ、ようやく2人が再起動した。

 

「それでここの艦娘を集めたってことは……」

 

「もちろん状況の説明です。貴方のことを含めて」

 

 吾川さんのことも含めて。その一言に場の空気が少しだけ重くなる。

 ついさっきまで私や那珂ちゃんがそうだったみたいに、他の艦娘も吾川さんのことを良く思っていない。というかむしろ嫌っている。

 だ、大丈夫かな……?私は五十鈴ねえ達の反応を間近で見たからすんなり納得できたけど、他の皆が言葉だけで納得してくれるかどうか……。

 

「まあ大丈夫だろ」

 

「こ、怖くないんですか?」

 

「怖いって何が?」

 

 本当に質問の意味が分かっていないのか吾川さんは真顔で首を傾げる。

 今から吾川さんは提督達から解放されて喜んでいるみんなの所に行かなきゃいけないのに。もし誤解が上手く解けなかったらって、そう考えたら怖くないの?

 

「安心しなさい、名取」

 

「五十鈴ねえ……」

 

「何があってもわたしと川内で吾川への誤解は解いてみせるわ」

 

「そうだよ!吾川さんも安心してね」

 

「じゃあ任せた。俺がしゃべったら荒れそうだしな」

 

 ああ、状況はちゃんと理解してるんだ……。それなのに全然動じてない。

 なんというか色々すごい人だなぁ。

 そんなことを思いながら、私は五十鈴ねえ達と一緒に食堂に向かった。

 

 

 



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15話 十九渕鎮守府の長い1日・伍

 

 

「あ、五十鈴!」

 

 食堂に入るなり近くにいた暁が、そしてそれに釣られるように彼女の妹達が寄って来る。一様に安堵したような表情だった。

 

「みんなどこに行ってたの?心配したわ」

 

「ごめんなさいね。大本営の人達と少しお話してたのよ」

 

「でもみなさんが無事でよかったのです」

 

「ありがとう電。私達が最後かな?」

 

「なのです!」

 

 笑顔の花を咲かせる第6駆逐隊の面々。普段はクールであまり表情を顔に出さない響でさえ少し微笑んでいる。

 それだけ喜んでいるのね。わたし達の無事はもちろん、提督達から解放されたことを。

 提督は捕まり、艦娘は全員怪我もなくこうして揃っている。結果だけ見ればここまでは最高なんだからそれも当然かもしれないわね。

 問題はここから一波乱ありそう、ということなんだけど。

 

 ひとまず空いている席に座る。それからほどなくして加賀さんや青葉さんが食堂内に姿を現し、空気が一気に静まり返った。

 険悪な雰囲気というわけではなく、全員緊張した面持ち。

 

「十九渕鎮守府の皆さん、初めまして。大本営海軍部所属・加賀型1番艦、正規空母の加賀です」

 

「同じく大本営海軍部所属の重巡洋艦青葉です!」

 

「これから貴方達に状況の説明と今後の予定についてお話します。質問等は最後に受け付けますので、まずは口を挟まないようお願いします」

 

「もー、それじゃ言い方怖いですって。皆さん、そう硬くならなくても大丈夫ですよ」

 

 加賀さんが嘆息する。彼女の苦労がしのばれるやり取りではあるけれど、肉体的・精神的に疲弊している子が多いここでは青葉さんみたいな空気を和らげてくれる人がいるのは正直助かるわね。

 まあ加賀さんもそれが分かっているから青葉さんに注意しないのでしょうけど。

 

「……まあいいでしょう。では早速説明を開始します」

 

 坦々と加賀さんが話し始める。

 

「まずは今後についてですが貴方達にはメディカルチェックを受けていただきます。肉体的にも精神的にも相当な負担を強いられていたのは把握しているので大本営に赴いての精密検査となります」

 

「明日の午前9時、陸路での出発になりますよ。どうしても必要になる物があればこの後に申し出てくださいね?こちらで持ち込みの可不可を判断しますので」

 

「次にメディカルチェック後ですが、そこで心身ともに異常なしと判断された場合、貴方達には選択肢が提示されます。全員の希望が叶う保証はできませんが、ここに留まるか別の鎮守府に転属を希望するか選択してください。しかし心身に問題ありと判断された場合はこの限りではありません」

 

 その言葉に食堂内が少しざわめく。それは転属の希望が申請できる、という部分に対しての反応だった。

 まあ提督達が一掃されたとはいえ嫌な思い出が数多く染みついているここに残りたいと思わない子が多いのは当然ね。

 でもブラック鎮守府出身の艦娘に対して腫物を触るような反応をするとろこもあるらしいしどちらを選ぶのも一長一短かしら。

 吾川は憲兵だしここに残るのよね?それならわたしも……。

 

「次にこの鎮守府に関してですが一時的に閉鎖となります。再編成及び鎮守府内の捜査に時間がかかりますのでその期間は最低限の機能を残し運営は停止します」

 

「その間は他の鎮守府から派遣された代理の提督や艦娘で運営しますので皆さんがお気になさる必要はありませんけどね!」

 

「気にする必要はない、ということなら拘束された提督らも同様です。彼らの犯罪行為に関するいくつかの証拠はすでにつかんでおり、これから鎮守府内の捜査を行って罪状を固めます。少なくとも彼らが貴方達の目に触れる機会はもう二度とないでしょう」

 

「あ、でも皆さんからの証言を得るという形で聴取も行いますよ。ただ思い出したくないとか精神的に不安定になる方もいらっしゃると思うのでこちらは任意です。青葉としては協力して頂けるとうれしいかなーって」

 

「念のために言っておきますが、もちろんお断りいただいても何ら罰則はありません」

 

 淀みなく加賀さんと青葉さんによる説明が続く。

 そして説明がある程度進んだところで加賀さんがひとつ目の本題を切り出した。

 

「それから貴方達に説明しておかなければならないことがあります。大事な話なのでよく聞いていてください。提督や憲兵が不利になることはできないといった行動に制限がかかる現象についてです」

 

 空気が変わる。みんなの表情に真剣みが増した。

 

「……これは私より詳しい青葉に任せます」

 

「了解しました!えー、それでですね、皆さんの行動に制限がかかったのはSebicと呼ばれるシステムが原因です。あらかじめプログラムされている禁止行為に該当する行動ができなくなる、という代物ですね」

 

 わたしと川内は事前に吾川に教えてもらっているので把握できているけど、他の艦娘にとっては初めて聞く話。

 青葉さんの説明はそんな彼女達が聞いてもすんなり理解できそうだと思えるくらいに分かりやすいものだった。吾川が言っていた「詳しい人」っていうのは青葉さんのことかしら?

 

「……とまあこういう仕組みで皆さんは行動を制限されていたわけです。ですがご安心を!Sebicの解除は大本営がしっかりと行いますよ。大本営に出向いてもらう1番の理由はこちらですからね」

 

 小さな歓声や安堵の声が上がる。正直、わたしも今の言葉を聞いて安心している。

 生きていたとはいえ吾川を撃つことになった原因のSebicなんて一刻も早くこの体から追い出したくて仕方がないもの。

 

「解除後も経過を見守る期間を取るので、諸々含め貴方達は1ヵ月ほど大本営に留まることになります。そのつもりで明日までに準備を整えておいてください。簡易的ではありますが説明は以上です。何か質問のある方は挙手でどうぞ」

 

 パラパラと手が上がる。明日までに必要な物が揃えられない時はどうしたらいいかやSebicによる後遺症はあるのか、鎮守府が閉鎖される期間はどれほどになる見込みか等々。

 それらの質問に加賀さんと青葉さんが丁寧に回答していく。そして誰の手も上がらなくなった頃を見計らって、ついに加賀さんが切り出した。

 

「では最後にもうひとつお伝えすることがあります。あらかじめ忠告しておきますがこれから何が起きても騒ぎ立てないように。いいですね?」

 

 他の艦娘達は疑問符を浮かべながら了承の意を示す。

 対してわたし、そして川内の緊張は最高潮を迎える。もしかしたら初めて深海棲艦と戦った時に負けないくらい緊張しているかもしれない。胃が痛いわ……。

 

「それでは入ってきなさい」

 

 加賀さんに促され食堂の扉が開く。

 そこから現れた吾川を見て雰囲気が一触即発しそうな、剣呑なものへと様変わりする。事前の忠告がなければもっと騒ぎ立っていたでしょうね。

 

「ど、どうしてあの人が……?」

 

 隣では暁型の4人も面食らっていた。特に気弱な性格の電の顔は少し青ざめている。

 吾川はしっかり恐怖の対象になっているのね。

 しかし当の本人は周りの険悪な空気も自分に突き刺さる敵意もまるで意に介さず、堂々と艦娘達の真ん中を突っ切って加賀さんの横に並び立つ。

 

「こればかりは黙っていられない。どうしてそいつがここにいるんだ?」

 

 唸るような低い声で那智が吾川を睨みながらそう言った。彼女が忠告されたのを破ってまで声を上げたということはそれだけ腹に据えかねている、ということね。

 

「彼について思うところが多いのは理解しています。この件に関しては五十鈴と川内から説明してもらった方がいいでしょう」

 

 その一言でわたし達の方に視線が集まる。

 それを受けてわたしと川内は立ち上がった。

 

「みんな、聞いてほしいことがあるの。彼は……吾川がみんなが思っているような人じゃないわ」

 

「……どういうことだ?」

 

「言葉通りの意味よ。吾川は提督や他の憲兵とは違う」

 

「そうだよ!むしろ私達は吾川さんに助けてもらったんだから」

 

「話が見えないな。それにお前達はあいつに、その……」

 

「乱暴されただろう、って?」

 

「……ああ、そうだ」

 

 なんとなく気まずそうになる那智。

 

「まずその認識が間違っているのよ。吾川はわたしに手を出していないわ」

 

「もちろん私にもね」

 

 わたしと川内の言葉に場が騒然となる。

 まあ当然よね。吾川に対する嫌悪の原因の大半はそこにあるんだから。

 

「いや、だがあいつはそういうことをしたと自分の口で言っていたぞ!」

 

「だからそれは嘘なんだってば!」

 

「嘘だと?なんのためにだ!?」

 

 那智に釣られ川内も徐々にヒートアップしていく。わたしも熱くなりそうになるのを堪えて心を落ち着ける。

 こういう時こそ冷静に、理性的に話をしなきゃダメ。

 

「那智、それに他のみんなもちゃんと聞いて。全部1から説明するわ」

 

 2度、3度と深呼吸をしてから語り出す。あの夜、藤田に連れられて吾川の部屋を訪れた時のことを。

 そこで吾川は藤田から暗にわたしを抱けと言われた。それによって鎮守府内の異変を確信した吾川は事を荒立てないようにするため、そして好き勝手に体に触れられるわたしの身を守るためにその命令に乗り気であるような反応を示した。

 そのせいで藤田にはわたしを抱いたと思わせる必要があったため食堂でのゲスな発言に繋がったこと。

 

 その上で藤田達に怪しまれないよう、かつ鎮守府の内情を聞き出すためにわたしを毎夜部屋に呼び寄せていた。それを周囲に一切悟られないようにするため、俺に襲われたという態でいてくれとわたしに言いつけるほどの徹底ぶり。

 そうして憲兵達に溶け込み、その裏で鎮守府内での犯罪行為に関する証拠を集めて告発に繋げたこと。

 

「……いきなり全部を信じて、というのは難しいかもしれない。でもこれは本当のことなのよ」

 

「彼女の発言を肯定します。先ほど“提督らの犯罪行為に関するいくつかの証拠はすでにつかんでいる”と申し上げましたが、その多くは彼――忍からもたらされたものです。だから私達は今日、ここまで大胆な行動を起こすことができました」

 

 加賀さんからの援護もあって、みんなから立ち昇っていた気炎がどんどん収まっていく。代わりに戸惑うような顔をしている艦娘が増えたけど。

 いきなりこれが真実だと言われればそれは混乱するわよね。疑う余地のない敵だった相手が、実は身を挺して自分達を助けようとしてくれていた、だなんて知らされれば。

 

「それにSebicの存在を暴いたのだって吾川さんなんだから。吾川さんがいなかったら私達は未だに苦しんでたはずだよ」

 

 川内の発言がダメ押しになったのか、ついにみんなは黙り込んだ。

 信じてくれた者、半信半疑の者、疑念を抱いている者、様々ね。そんな多様な視線がゆっくりと吾川の方へと向かう。

 それを受けてもなお、吾川は顔色ひとつ変えやしない。本当にどういう神経してるのよ。

 場の空気を察してか、加賀さんが吾川に水を向ける。

 

「貴方も何か言ったらどうですか?」

 

「え、ここ俺が話すところ?」

 

「どう考えてもそうでしょう」

 

 そう返され、悩むようにう~んと唸る吾川。

 そして数秒ほど考え込んでから吾川は口を開いた。

 

「今の話はまあ参考程度に聞いておけ」

 

「吾川さん!?」

 

「あなた何言ってるの!」

 

 わたし達の必死の説得を台無しにするような発言。それに焦ったのは言うまでもなくわたしと川内だった。

 けれど吾川はわたし達の抗議をまるで受け入れない。

 

「そりゃ信じてもらえるに越したことはないがこんな環境で生きてきたお前らにそれが難しいことだってのは承知してる。最初からこの場で信じてくれなんて言う気はない。だからお前達は俺を疑え」

 

「……何?」

 

「言葉は所詮、言葉でしかないからな。それだけで五十鈴や川内が力説した俺の姿が本質だと信じられないのは当然だ。だったら俺が信用に足る人物かどうか疑い、監視しろ。それで信用できないと判断したなら煮るなり焼くなり好きにすりゃいい」

 

「貴様、自分が何を言っているか分かっているのか?」

 

「ん?……ああ、加賀さん。仮にこいつらが俺を攻撃しても罪に問わないで済ますことってできます?」

 

「できないわけではありませんが、彼女が聞いているのはそういうことではないでしょう。貴方は艦娘に殺されたいのか、と問うているんです」

 

「……そうだ。むしろそれを口実にして貴様を亡き者にしようとするかもしれんぞ」

 

「あー、まあ大丈夫だろ。五十鈴と川内にはもう撃たれてるし」

 

「なんだと!?」

 

 那智が……いいえ、全ての艦娘が驚愕の声を上げる。

 っていうかそれをここで言わないでよ!

 

「ど、どういうことだ?」

 

「提督が『我らに敵対する存在を排除しろ』って命令したろ。その時ちょうど五十鈴達と一緒にいてな。2人は俺が告発しようとしてることを知ってたからその命令に従って撃った」

 

「……外れたのか」

 

「いや、避けた」

 

「はあ!?」

 

 そうよね、そういう反応になるわよね。

 でもあれは絶対に外してなんてなかった。それなのに無事だったということは本当に避けたってことなんでしょうね。

 

「妄言も大概にしろよ貴様。ふざけたことを――!」

 

 吾川のセリフに激高した那智。でもその言葉が最後まで紡がれることはなかった。

 彼女の言葉を遮ったのは、わたしや加賀さんらが来る前から食堂内に控えていた木曾。改二に至っていることから見てもわたしでは太刀打ちできないくらいの練度を誇っていることは明白。

 そんな彼女が、那智が言葉を言い切る前に、吾川へと切りかかった。

 

 そう認識したのは一太刀目と、追撃の二太刀目が振るわれた後。最初は何が起きたのかさっぱり分からなかった。

 そして理解した直後から焦燥に襲われる。唐突に吾川に死が訪れようとしているのだから当然よ。

 でも駆けだそうとした足が止まる。切りかかられたにも関わらず健在……であるどころか、木曾からの攻撃を受け止めている彼の姿を見て。

 

「いきなり背後からってのはずいぶんとご挨拶だな」

 

「こうすればこいつらも信じられるだろう?お前が言ってたことをな」

 

「そういう建前で俺と戦いたいだけだろ」

 

「ああ、そうだ」

 

「そこはせめてしらばっくれろよ」

 

 軽口を交わす2人。けれどその間も、吾川は刀を持つ木曽の右手首をつかみ、あろうことか木曾の動きを制していた。

 軽巡洋艦とはいえ艦娘、それも改二に至っている相手を人間であるはずの吾川が抑え込んでいる。それは最早現実離れした光景だった。

 

「くそ、相変わらず厄介だなお前の戦い方は。どうやっても思った方向に力が伝わらねぇ」

 

「対人戦に慣れてないからそうなるだけだ」

 

「そのセリフは聞き飽きたってぇの!夕立!」

 

「ぽいっ!」

 

 木曾が叫ぶのとほぼ同時、彼女を飛び越えるように跳躍した夕立が上から襲いかかる。強烈な踵落としが食堂の床に突き刺さり、その衝撃で床板は割れ建物全体が揺れる。

 あの小さな体躯からくり出したとは思えないほどの一撃。しかしそれすらも不発に終わる。

 つかんでいた木曾の手首を離して距離を取った吾川。その顔は穴の開いた床をじっと見つめている。

 

「……加賀さん」

 

「何かしら?」

 

「床の修繕費はそっち持ちで」

 

「元からそのつもりです」

 

「それから高速修復剤(バケツ)をふたつ用意しといてください」

 

「……お手柔らかに」

 

「俺はここの憲兵なんで。理由はどうあれ鎮守府内の設備をぶっ壊した責任は取ってもらいますよ」

 

 いつもと変わらない声色のはずなのに、その言葉には言い知れない迫力がある。

 ……いえ、違うわね。それだけじゃなく雰囲気、佇まいそのものが普段の吾川とは異なっているわ。

 そして彼は2人を睨むように少しだけ目を細めた。

 

「ということで覚悟は良いな?お前ら」

 

「……地雷を踏んだか?」

 

「……これはヤバいっぽい」

 

 気圧されたように冷や汗を流す2人。けれどその攻撃は鋭かった。

 息の合った木曾と夕立の、目で追うのがやっとなほど高速の戦闘。基本的に遠距離、砲撃や雷撃で戦う艦娘からすれば2人の近接戦闘のレベルは異常とさえ思えるものだった。

 木曽の斬撃も、夕立の回し蹴りも、それだけで深海棲艦を沈めてしまえるのではないかと思えるほどの威力。吾川はそれを躱し、いなす。

 そして痺れを切らしてわずかに前のめりになった木曾。攻撃を躱されて踏鞴(たたら)を踏んだ隙を吾川は逃さなかった。恐らくは肘を極めながらの投げ……だと思う。それによって剣を取り落とし、宙に浮いた木曾の腹部に蹴りを叩き込んだ。

 

 その体は別の方向から迫っていた夕立の方へ飛ばされる。突然に進路を塞がれて、木曾との衝突を避けるために跳躍する夕立。けれどその頭上には彼女の行動を予測していたように吾川が待ち構えていた。

 振り下ろされるような蹴りが夕立の肩を捉える。その衝撃で落下する夕立の着地点には転倒している木曾。蹴り降ろされた夕立にそれを回避する術はない。

 鈍い音が響き、食堂の床にふたつ目の穴が開いた。

 

 言葉を失うしかなかった。そして同時に納得することができた。

 これだけの動きができるなら、確かにわたしや川内の砲撃を躱せるてもおかしくはないわ。でもそれ自体、どう考えても常人にできる動きじゃない。

 

「くそ……」

 

「痛いっぽい~……」

 

「そこまでです。貴方達は高速修復剤を浴びてきなさい」

 

「……分かった」

 

 少しふらつきながら立ち上がった木曾はまだ戦い続けたそうだったけれど加賀さんに促されて夕立と一緒に食堂から出て行った。

 そして視線はまたもや吾川に集中する。それは今までのものとは違う、得体の知れないものを見る目だった。

 

「思ってたのとは違う形になったが、見ての通り俺が簡単にやられることはない。だから遠慮せずにぶつかってこい。お前らは誰かの言葉じゃなくて、自分の目で見たことを信じろ」

 

 

 

 

 ――それがきっと、お前らにとって本当の俺だからな。

 

 

 

 

 吾川はそう言い切った。

 ああ、そういうことなのね。ここまで言われてようやく彼の言葉の真意を垣間見る。

 吾川は信じさせるんじゃなくて、信じてもらう方を選んだんだ。容易に人を、憲兵を、男を信用することができなくなってしまったここの鎮守府の艦娘が、自分から信じられるように判断をすべて相手に任せた。

 そのために攻撃されるかもしれない危険を負ってまで「俺を疑え」と言ったのね。

 

 本当に馬鹿な人。いくら強くても、手の届かない遠距離から砲撃の雨を降らされれば塵も残さず消し飛ばされてしまうかもしれないのに。

 こんなに無鉄砲じゃいつ死んでしまってもおかしくない。

 それは困るわ。まだわたしはあなたに受けた恩を返していないんだから、その前に死なれちゃわたしが困るの。

 

 だから、一緒にいよう。彼が無茶をしてしまわないように。そして彼を守れるように。いつでも彼の味方でいられるように。

 どうせそんな物好きなんてわたしと……あとは川内くらいしかいないだろうから。

 自分の仕事は終えたとばかりに壁際に移動して虚空を眺める吾川と目が合う。わたしは口の中で「感謝しなさい」と小さく呟いて、ふっと笑みを向ける。

 

 その意味が分からなかったのか、吾川は少しだけ怪訝な顔をするのだった。

 

 

 




前回の分割が不評だったので分けずにそのままにしたら今までの倍以上になりました。
次で「長い1日編」は終わる予定。


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16話 十九渕鎮守府の長い1日・陸

 

 

 夜の帳も降り、緊張感から解放されてほとんどの艦娘が眠りに就いた頃。十九渕鎮守府内のとある一室にはブラック鎮守府の提督を捕らえた後とは思えない重苦しい空気が流れていた。

 それでもひとまず山を越えたことを労いましょう。

 

「今日はお疲れ様でした。特に忍は」

 

「大したことはしてないですよ」

 

 サラッとそう言うが、今日だけでも五十鈴と川内に撃たれ、立て籠もる提督と憲兵を制圧し、さらには軽くとはいえ木曾と夕立の相手までしたのだからこの中で最も疲れているのは忍で間違いない。

 私達がしたことと言えば捕らえた提督達の拘束と護送、そしてここの艦娘達に対する説明くらいのものだ。

 

「またまたご謙遜を~」

 

「謙遜じゃないだろ。実際、周防大将は俺がここまでやるのを想定してんだろうし」

 

「今朝もそのようなことを言っていましたがそう考える根拠は?」

 

「いくつかあるけど1番大きいのはこの鎮守府に着任したことですよ。周防大将は、そんでたぶん加賀さん達もここがブラック鎮守府だって知ってましたよね?むしろ摘発の寸前だったんじゃないですか?じゃなきゃいくらなんでも行動が早すぎます。俺が集めた証拠を青葉さんに渡したの1週間前ですよ。あの襲撃事件によるゴタゴタがなければもっと早く踏み込んでたと思うんですけど」

 

 まあ忍の言うことは尤もですね。海軍に限らず組織を動かすというのは検討を重ねた上で正当性ないしは利があるかを判断し、いざ行動するには多くの手続きを踏まなければならない。

 緊急事態の独断や現場の判断が優先される状況でもない限り、内部告発の摘発でここまで迅速に動くことはまずありえない。

 

「……ええ、それは貴方の言う通りよ。でもそれがどうして提督の想定通りという話に繋がるのかしら?」

 

「もしこの状況が作為的にもたらされたものだとしたらって仮説を立てて、そこから逆算したんです。どうして周防大将は新人の俺をこんな厄介な鎮守府に放り込んだのか。その目的として可能性が高いのは何か、って。

 まず最初に考えたのは俺の人間性の把握。でもこれはここじゃないとできないわけじゃないし、恐らくついで程度。じゃあ他の理由は何か。それは俺の能力の把握。憲兵としてどれほどの働きが期待できるかを見極めるため」

 

「理屈としては通りますね。でも根拠とするには弱くないですか?」

 

「確かに他にも色々考えてはいたけど、さらなる根拠をくれたのは加賀さんと木曾です」

 

 ……なるほど、そういうことですか。

 でも根拠を得たというのとは少し違うわね。ほぼ確信を持っていて、それを確定させるために引き出した、というのが正しい。

 

「知っての通り俺の力はそう容易く人目に晒せるものじゃない。だからその使用を周防大将から厳しく禁止されてるし、俺としても細心の注意を払って行動してきた。たぶん今日まで俺の異常性に勘付いてる奴はこの鎮守府にいなかったって自信を持って言えますよ。

 でも加賀さんはそれを知っておきながら『やりすぎないように』って忠告はしても俺が単独で提督を拘束すること自体は止めなかった。つまり使用を禁止されていたのは力そのものだけ。身体能力のみなら使用は認めてたってことです。木曾がいきなり攻撃してきたのなんてむしろ見せつけてやるくらいのものだったし、そして加賀さんはやっぱりそれを止めなかった」

 

「……ちっ、ワザとらしすぎたか」

 

「さすがにな。いくらお前でもあの状況で私情を優先するわけねぇ。巻き込まれた夕立は災難だったな」

 

「1番被害大きかったの夕立っぽい!」

 

「授業料だ。足の運びは前より良くなってたぞ」

 

「ほんとっぽい!?」

 

「ああ、ほんと」

 

「はあ……」

 

 いきなり緊張感のなくなる会話に思わずため息が出る。しかしあそこで止めに入らなかったのは私の判断ミスですね。

 もしかしたら忍はこちらの思惑を悟った上で、私のミスを招くために艦娘の前であのような啖呵を切ったのかもしれないけれど。考えすぎ……と言い切れないのが彼の恐ろしいところだ。

 強さにばかり目を向けてしまいがちですが、頭も相当回る男なのだから。

 

「話を戻しますけど、力の露見は避けたいのにそれに繋がりかねない身体能力の行使は多少なりとも容認する、なんてのはどう考えても矛盾してる。だからそこには何かしらの思惑があるはず。そこで俺はこう結論を出した。周防提督は俺にこの鎮守府の問題を解決させたかったんじゃないかって。

 リスクを負ってまでそうさせる理由はたぶん俺に実績を作らせること。そして早いところある程度の立場につかせたいんじゃないんですか?そうすれば俺の異常性がバレても正体をつかまない限りは排除しづらくなるし、目をかけてやった周防大将にとっては動かしやすい手駒が増える。

 ついでに最近、大本営はあの襲撃事件のせいで世間からの風当たりが強い。そんな時にここでの行為が明るみに出たらそれがますます酷くなる。内々で処理するのがベスト。それに貢献した俺はより取り立てやすいですよね。……当たってます?とは聞きませんけど」

 

「……聞く必要がない、の間違いでしょう」

 

 概ね正解だった。恐らく青葉から監査の実行日を聞いた段階でここまで見抜いていたのでしょう。そして今日、あの騒動の中にあって忍は提督らではなく私達の方を見て情報を引き出し、読み切った。

 その最たる証拠は木曾と夕立を相手取った際の立ち回り。身体能力を発揮するだけなら回避に徹するだけでも充分。2人を倒す……艦娘にダメージを与えられる戦い方をする必要性はなかった。

 基本的に深海棲艦には艦娘の、艦娘には深海棲艦の攻撃しか効かないとされている。けれど例外も存在する。それは艦娘同士の攻撃や接触によるダメージ。今でこそ装備の改良や有効な対策が取られていますが以前は誤射による同士討ちや、接触事故が原因で大破、最悪轟沈することもあった。

 

 そしてそれは深海棲艦にも言えること。あちらも仲間の攻撃や接触でダメージを負うことが確認されている。

 けれどそれはあくまで偶発的な出来事であって、交戦の際の戦略・戦術に組み込めるほどのものではない……というのが海軍での常識でした。

 しかし忍にはそれが当てはまらないと、彼は艦娘達の前で証明してみせた。転倒させた木曾と蹴り落とした夕立を接触させることで、人間の攻撃でも艦娘にダメージを与えられるということが実証された。

 

 これは忍がかけた保険。彼はあの襲撃事件で力を使って深海棲艦を撃破した。その事実は今でこそ伏せられていますがいずれ誰かがそこにたどり着く恐れもある。

 もしそうなった時、忍が今日してみせた戦い方で深海棲艦を倒したと言い張れば明確な証拠でもつかまれていない限り追及を逃れることができる。

 忍は忍なりに提督が懸念している『力の露見』に対して策を施しているのでしょう。

 要するにこちら側の意図は最初から見透かされていた、ということ。本当に嫌になる。

 

「そんな怖い顔しないでくださいよ」

 

「貴方がさせているのでしょう」

 

「相変わらず嫌われてますね、俺は」

 

「夕立は忍さんのことそこまで嫌いじゃないっぽい」

 

「ありがとよ」

 

「まあ嫌いって言うと語弊があると言いますか……」

 

「そうだな。嫌いじゃないが一緒に仕事はしたくない、ってのが正解か」

 

「それ嫌いと大差ないからな。まあいいけど」

 

「煙たがられてるの分かっててそこまで開き直れる姿勢は漣も尊敬しますよ?」

 

 私としてもこうして言葉を交わしているだけなら何も思うところはない。

 でも、私は忍の“あの姿”を見てしまった。

 周防提督すら口を(つぐ)む、私達からすれば果たして何なのか及びもつかない不可思議で、強力で、そして不気味な力を持つ正体不明の男。そんな得体の知れない存在が海軍内部に籍を置くこと自体、私にとっては脅威で、排除するべき対象だとしか思えない。

 

 少なくとも立場や権利を与えるべきではないでしょう。どうして提督が今回このような判断を下したのかが私には分からない。

 提督は察していそうな、忍の正体がそうさせるのかもしれません。

 

「おっとすいません。護送班から通信が」

 

 漣が耳元に手を当てながら席を立つ。

 護送班からの通信、という言葉に嫌な予感がした。そして、それは的中する。

 

「はいぃ!?ちょ、ちょっと待ってください!」

 

 漣が突然焦ったような声を上げる。そして通信機を操作して周囲にも相手の声が聞こえるスピーカー機能をオンにした。

 

「すみません、もう一度報告をくり返してください」

 

『……こちら第7護送部隊部隊長補佐青山。報告をくり返します。護送中の三島容疑者が……拳銃で眉間を撃ち抜き、自殺を図りました』

 

 室内が静まり返る。

 三島とは今日拘束した、昨日まで十九渕鎮守府の提督だった男の名。

 

「……容体は?」

 

『心肺停止です。心肺蘇生を含め応急処置は施しましたが効果はありません』

 

 頭を撃ち抜いたのだから助からないでしょうね。あとは病院に搬送されて正式に死亡を確認されるだけの状態。

 それだけでも大きな問題ですが、もうひとつ気になることがある。

 

「護送車内でも拘束は解いていないはずでしょう?そもそも自殺に用いた拳銃はどこから入手したのですか?」

 

「護送車収容前の身体検査では銃なんてどこにも隠し持っていなかったのは確認してますよ?」

 

「というかあの往生際の悪い男に自殺する度胸なんてないと思ったが」

 

『たった今起きた状況なのでこちらもまだ詳細は不明です。ただ目撃した隊員の証言では……』

 

「なんですか?」

 

『……三島容疑者は「いやだ、死にたくない」「止めてくれ」などと喚きながら自身の頭を撃った……ということです』

 

「……そう、了解しました」

 

 その一言を最後に通信を終える。全員が押し黙るが、考えていることは同じ。

 報告にあった自殺直前の三島の状態は、Sebicによって行動を強制された艦娘達と酷似していた。違いは艦娘であるか、人間であるか、という部分だけれど……。

 

「青葉」

 

「はい」

 

「Sebicは人間にも使用可能なのかしら?」

 

「いいえ、艦娘にしか適用できないはずです。少なくとも私が知る限りではSebicで人間の行動を操作することは不可能ですが……」

 

「なら別物か、もしくはSebicに改造が施された物か」

 

 忍が口にした改造、という単語。思い当たることがあった。それがここにこうして集まっている理由でもある。

 青葉や忍が従来のSebicではできないと判断していた、艦娘に行動を強制させるプログラム。その可能性が浮き彫りになっただけでもかなり厄介であるというのに、まさかそれが人間にまで用いられているのだとしたら……。

 

「……どうやら面倒なことになりそうですね」

 

 この事件の裏には何か大きな闇が潜んでいるのかもしれない。

 それこそ歴史の転換点にすらなり得る、幾多の艦娘が沈んできた夜陰(やいん)に染まる海のような深淵が。

 

 

 



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17話 横須賀

 

 

6月25日

 

 色々あったがとりあえず一件落着。五十鈴と川内に砲撃されたり提督が護送中に自殺するという問題はあったが、もう俺が頭を悩ませる必要はない。そうであれ。

 明日からはしばらくの間横須賀鎮守府での生活になる。久しぶりだが先輩達は元気にしてるだろうか。

 

 

 

 

6月26日

 

 横須賀に戻ってきた。2カ月ぶりだ。

 俺との再会を先輩達は泣いて喜んでくれた。早く帰れと言われたから泣いてるだけかもしれないが。

 ここにいた時に強くなりたいっていうから俺が昔やってたトレーニングを教えたのがまずかったんだろうけど、それなりに加減したしあれ以上どうしろってんだ。血ヘドを吐かないで強くなれるわけないだろ。

 

 それから五十鈴と川内が稽古をつけてくれと言い出した。別に向こうに戻ってからならいいけど、艦娘って対人格闘を学ぶ必要あんまりなくない?

 戦場では何があるか分からないとはいえあんまり役に立たない気がする。ほぼ遠距離での撃ち合いだから、近接戦闘する機会なんてほぼないと思うんだけど。まずは艦娘として海上戦闘で必要になる基本能力を底上げする方が先決じゃないのか?

 まあ艦娘が水上で戦っている感覚を俺は知ることができないので、その辺の判断は自分達でやってもらえばいいか。

 

 

 

 

6月27日

 

 時間ができたってことで周防大将に呼ばれて顔を合わせた。相変わらず渋い。

 話の内容を要約すると「よくやった」ということらしい。期待に応えられたなら何よりだ。

 今回のことで思うところはあるし周防大将の言葉も額面通りの意味だけじゃないだろうけど、まあ下っ端の俺は特に何を言うでもなく、そして余計な詮索もしない。基本従順だからな。

 

 とにかく願わくば平穏な憲兵ライフを送りたい。無理そうな予感がするけど。

 なんかやってることが想像していた憲兵としての仕事とかけ離れてる気がするんだよなぁ。

 

 午後からは俺も聴取を受けた。聴取という名の口裏合わせだったが。

 これで書類上、俺は証拠の提供と突入の際に提督達の気を引き付けた、程度の役割を果たしたことになる。たぶん名取、神通、那珂の3人も突入時の証言に関して同じようなことになってるだろう。

 

 

 

 

6月29日

 

 そういえばここは川内が建造された鎮守府だった。よく考えるとあいつは俺の先輩なんだよな。全然そんな感じしないけど。

 今日、横須賀の艦娘と談笑してる川内を見かけてそんなことを思った。

 

 そして小耳に挟んだんだけど、どうやら川内は以前と比べて人が変わったらしい。ここにいた時は何度もうるさいと注意されるくらい夜戦夜戦と騒いでいたのに、今はすっかり大人しくなった、ということだった。

 川内は割と元気な奴ではあるけどそこまでのイメージないからその話を聞いてちょっと新鮮だった。

 まああんな鎮守府に何年もいたんじゃそりゃ性格も変わるよな。川内は手を出されていたわけだし、あそこの艦娘の中でもトップクラスでつらい目に遭ってたんだから。

 

 柄にもなく少ししんみりしてまた夜戦好きになれるといいなって励ましたら川内だけじゃなく五十鈴にまで微妙な顔された。意味分からん。俺なんか変なこと言ったか?

 

 

 

 

7月1日

 

 今日から7月、夏だ。梅雨明け間近ながら横須賀はすでに暑い。

 そんな中、十九渕鎮守府の面々の解除作業はこれといったアクシデントもなく終わったようだ。これで本当に一安心である。

 ただ青葉さんが難しい顔してたからやっぱり何か問題あったんだろうな。無関係でいたいもんだ。

 

 そんなことをポツリとこぼしたら漣に「いやー、それは難しいんじゃないですか?」と言われた。

 相変わらず一言多い奴だな。

 

 

 

 

7月2日

 

 川内との約束を果たしてきた。「私のしたいことを手伝って」っていうあれだ。有耶無耶になりかけたけど覚えてたんだな。

 その内容はまあなんでもないことだった。

 

 俺と川内と五十鈴、3人で横須賀の街にくり出して買い物したりうまいもの食べたり、要するに遊びに出かけただけだ。

 想像以上に普通のことだったけど、あいつら元の鎮守府じゃ外出禁止されてたからな。そもそもしっかりとした休日自体が設けられてなかったし。そういう意味じゃ確かに有意義な羽の伸ばし方にはなったと思う。

 

 ちなみに出かける際は2人とも私服だった。川内は横須賀時代に買ってた自前、十九渕鎮守府生まれの五十鈴は川内の伝手でここの艦娘に借りたらしい。いつもの格好で街中にいたら目立つもんな。

 借り物の五十鈴は清楚系なワンピースドレス。ネイビーカラーを基調に、首回りと腕は白いレース系でいかにもお嬢様チック。少し恥ずかしそうだったが似合ってた。

 川内は対照的にショートパンツ+ニーハイの健康的な脚線美で、こっちは普段のイメージに違わない出で立ちだった。

 まあどっちも素材はいいから大抵のものは着こなせそうだしな。

 

 あと気になったのはずっと俺達を尾行してる奴がいたことだ。といっても川内の同僚だったっていう瑞鶴と夕張なんだけど。

 なんなの?出刃亀?

 嫌な感じの視線じゃなかったし五十鈴達も気付いてないようだからスルーしたけど、これが青葉さんだったら速攻でとっちめてたね。あの人無断で写真撮ったりするからな。

 あれは取材じゃなくて盗撮だと思うんだ。

 

 

 

 

7月4日

 

 最近、駆逐艦の電がよく俺の方を窺っている。俺を見かけるとチラチラ視線を飛ばしてくる。それは嫌悪でもなければ惚れた腫れたの熱っぽいものでもない。

 ただずっと気まずそうにしてるし、痺れを切らして俺の方から話を聞きに行った。

 

 その結果電は涙目になり、あいつの姉妹艦の姉3人には警戒されたが。それでも話を聞くことには成功した。

 肝心の理由は、ずっと誤解して怖がったり悪い人だと思い込んでいたことを謝りたかった、ってことらしい。それで電が楽になるならってことで電、そして姉3人から謝罪は受け取った。

 

 とはいえあいつらは「誤解した」んじゃなくて「誤解させられていた」、つまりは騙された側なんだからそう気に病む必要はない、とフォローはしておいた。

 鎮守府内の治安を維持・改善するのが憲兵の仕事だからな。元より憲兵は提督に毛嫌いされやすいからそんなこと一々気にしてないし。

 そんな感じの説明したら響に「ハラショー」って言われた。

 

 軍人なんだけど、基本的に駆逐艦ってのは子どもっぽさが色濃い。有り体に言えば単純ってことでもあって、どうやらあいつらはその話を聞いて俺への印象が改善したらしい。ちょろすぎるだろ。

 まあもしかしたら十九渕鎮守府でまた一緒に仕事するかもしれないからわだかまりが残ってるよりゃいいけどさ。

 

 

 

 

7月5日

 

 俺が電を泣かせた、っていうのが噂になってた。そしてそれが勘違いだって電達が必死に火消しをしてくれたらしい。

 らしいってのは俺が知った時にはだいぶ事態が進行してたせいで詳しくは知らないからだ。

 とりあえず電達が奮闘したおかげで更なる勘違いが発生し、それに見舞われた俺はようやく事の次第を知ったわけだ。

 

 さすがに駆逐艦に手を出して4股かけるとかねーわ。いや、電達が俺の名誉を守るのに必死すぎてそう見えたらしいんだけどさ。

 本当にそうだったら俺はロリコンの上にクズじゃねーか。

 いきなり部屋に押しかけて来た五十鈴と川内に真顔で「わたし達に手を出してくれなかったのはそういう趣味だったから?」って問い詰められた時は意味分からなさすぎて固まったからね。

 っていうかその言い分だと2人には手を出していいってことなのか?

 

 

 

 

7月6日

 

 いいらしい。ただ直接聞くなと怒られた。

 確かにデリカシーに欠けてたかもしれない。悪かった。

 

 

 



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18話 帰還

 

 

7月7日

 

 七夕に合わせるように梅雨が明けた。川内が今度は近くでやってる七夕祭りに行こうと言い出したので行ってきた。

 といっても今回は3人だけじゃなく、名取、神通、那珂の妹衆に加え、暁型4姉妹に夕立と漣、青葉さん、さらに瑞鶴と夕張という大所帯になった。

 木曾は「興味がないな」と一刀両断。加賀さんは仕事だそうだ。

 

 女子が集まれば姦しい。夕立は迷子になるし、青葉さんは常にシャッター切ってるし、那珂はカラオケ大会に飛び入り参加してるし、雷と電はお土産だっつって両手で抱えきれないくらいの食い物買ってるし。

 当然のようにその荷物は俺に回ってきた。おかしくない?見た目女子でも純粋なパワーなら俺よりあるのに。

 まあ持ったけど。

 

 暁型姉妹の資金は横須賀鎮守府の長門という艦娘がおこづかいとしてくれたらしい。会ったことないけどいい奴だな。戦艦だから太っ腹なのかもしれない。

 ちなみに五十鈴達の資金は俺と青葉さんの折半だ。そのせいで被写体になることに文句を言えなかった軽巡洋艦の5人。

 ただ1人、那珂だけはノリノリだったけど。あいつはアイドルになりたいんだとか。夢があるのはいいことだと思う。

 

 

 

 

7月8日

 

 木曾が俺と戦えってしつこく迫ってくる。ムリだから。前にそれやって周防大将からかなりキツく絞られたろお互い。

 しかしそれでも食い下がられたので仕方なく色々教えることで手を打った。

 

 あくまで体の動かし方についてあれこれ指導する、いわゆるコーチング的なやつだ。足の捌き方とか剣の扱い方とか。

 それだけなら実際に手合わせするわけじゃないから悪目立ちはしない。強いていうなら艦娘なのに近接戦闘を学んでる木曾が変な奴に見えるくらいだな。

 

 

 

 

7月9日

 

 加賀さんに呼び出されて鎮守府内の一室に足を向けた。そこでしばらく待っていると、部屋に加賀さんと赤みがかった長い髪の女性が入ってきた。

 女性の名前は広瀬さん。白い制服に身を包んでいることからも分かったが提督だ。

 この人が次の十九渕鎮守府の提督になるらしい。女性って選択はまあ妥当だと思う。男がトラウマになってる奴とかいるかもしれないし。

 

 その広瀬さんは『駆逐艦主義』というのを掲げているとか。駆逐艦と言えば艦娘の中でも最大数を誇り、戦場では速力を活かした立ち回りで潜水艦を爆雷で駆逐したり主力艦の護衛を務めることも多い。また物質輸送や資材回収の遠征など縁の下でも活躍する、まさに鎮守府運営において欠かせない艦種だ。勉強したから知ってるぞ。

 火力不足で軽視する提督もいるらしいが、広瀬さんはそんな駆逐艦を重用し、高い練度まで育て上げるのを得意としていると加賀さんが教えてくれた。

 

 若くして提督になるだけあって優秀な人なんだな。

 ただ気になるのはなぜか俺を異様にビビってることだけど。加賀さん、なんか吹き込みました?って聞いたら十九渕鎮守府で提督を務めるために必要最低限のことを、と返された。

 たぶん砲撃を避けたとか銃弾を弾いたとかその辺りか?

 だとしても余程のことがない限りそれが広瀬さんの方を向くことはないんだし、そこまでビビんなくてもいいと思うんだけど。

 

 

 

 

7月10日

 

 今日も演習場の片隅で木曾のトレーニングに付き合った。艦娘だからなのかそれとも木曾だからこそなのか、どちらにせよ上達の速度がハンパない。

 しかしそれを切り上げたところで声をかけられた。

 声の主は不知火。ピンクというファンシーな髪の割りに毅然とした、いかにも軍人という性格の艦娘だった。ピンクの髪というとどうしても青葉さんや漣みたいなノリの軽い連中のイメージだけに見た目と中身のギャップにちょっと戸惑う。

 

 で、その不知火がなんで俺に声をかけてきたのかというと、人間なのに艦娘に戦い方を指導している俺が気になったかららしい。

 なんでも不知火はその実力と経験の豊富さを買われて近々異動するのだとか。それ自体には自信があるが、かといって現状に満足しているわけでもない。そんな時にたまたま大本営直属で改二改修を済ませている木曾に指導する俺を見かけて話を聞いてみたかった、と言われた。

 まあそれくらいなら拒否する必要もないので食堂で少し遅めの昼食を取りながらあれこれ話をした。

 

 なんというか向上心に満ちた奴だった。実戦経験が豊富、練度も申し分ない。それでもまだ強くなることに貪欲でいる。木曾に似てるな。

 ただ不知火は改二が実装されていないので今以上の性能アップは見込めない。だから今ある技術を磨き上げ、また新しい技術を身に付けるしか強くなる方法はない。

 常々そう思っていたところで木曾に指導する俺を見て近接・格闘戦を学ばせてもらえないかと思い立ったそうだ。

 

 ここにいる間は仕事らしい仕事もないし知識を溜め込むくらいしかしてない。というわけで時間の問題はないから了承した。

 行動力のあるやつは嫌いじゃない。

 

 

 

 

7月11日

 

 不知火の話をしたら五十鈴と川内も参加したいと言い出たので初心者3人に基本から教えることにした。全員筋は悪くない。継続すればそれなり以上の実力には到達しそうな感じだ。

 そんな3人を見て木曾が「まだまだだな」的な笑みを浮かべてたけど、俺からしたら正直お前も素人に毛が生えたようなもんだけどな。この前俺に伸されたこと忘れてんのか。

 

 まあそれはさて置き。川内もスパッツを着用するべきだと思う。

 なんで艦娘の戦闘用衣装はあんなに軽装なんだ。逆に装甲弱くなりそうだけど。

 ただこれを忠告したらまた怒られそうな気がする。

 

 

 

 

7月14日

 

 木曾は任務で留守にしてるが、そんなこと関係なく3人の指導は続ける。数日後にはここを発つことになった不知火に関してはどう考えても時間が足りない。それでも真剣に打ち込んでるしできる限りのことはしてやろう。

 あいつは打撃を当てるセンスに優れてる。動体視力が良いのかもな。そこを伸ばせるメニューを組んで渡すのもありか。

 

 それと十九渕鎮守府に残る奴と転属する奴が決まった。残るのは3割ほどで、その中には五十鈴と川内はもちろん、2人の妹達の名前もあった。

 しかしそれ以外の艦娘はやっぱり離れる奴が多いので、仕方ないと思いつつ五十鈴達はどこか寂しそうにしていたが。

 何年もあの地獄のような環境を共にしてきた仲間だからな。残る奴も転属する奴もその選択に悔いだけはないようにしてほしいと思う。

 

 それとスパッツは不知火経由で進言してもらった。ありがとう不知火。

 

 

 

 

7月16日

 

 1週間後、十九渕鎮守府に戻ることになった。早いな、と思ったが事前に再編の準備はある程度進めていたんだろう。一部立ち入り禁止区域を除いて鎮守府の運営も解禁される。まあしばらくは大本営の人員も留まることにはなるらしいが、俺としてはどっちでもいい。

 気になるのは新しく配属される憲兵の数が少ないことくらいだ。

 加賀さんからそんな憲兵にも格闘術を仕込むことを推奨された。どこからか見てたんだな、最近俺がやってること。

 

 まあ艦娘にせよ憲兵にせよ弱いよりは強い方がいいに決まってる。だから教えるくらいは構わないが、普通に考えて教導とか入隊してようやく4ヵ月になろうかって新人にやらせる仕事じゃないと思う。

 軍隊で年上の先輩に物を教えるとかある意味地獄だよな。

 

 

 

 

7月17日

 

 暇していた先輩を捕まえて前から気になっていたことを聞いてみた。そしたら案の定の答えが返ってきた。

 どうも俺が最初の1ヵ月で叩き込まれたあれこれは一般的な憲兵に求められるものからは逸脱したものだったらしい。内容的には国家憲兵と呼ばれる役職で必要になるものだと言われた。

 

 国家憲兵っていうのは分かりやすく言い替えると『治安部隊』とか『軍警察』とも呼ばれてるやつだ。日本海軍の国家憲兵は重武装も許可されているって事実でその役割の大きさと危険性がうかがい知れる。

 道理で法執行関係の知識やら盗聴盗撮機器の電波を感知する技能を身に付けさせられたわけだ。

 つーか俺は国家憲兵とかなるつもりないんだけど。なんでそんなものまで学ばせやがった。ふざけんな。

 

 

 

 

7月18日

 

 明日、不知火がここを発つ。見送りは要らないと言われたのでしないつもりだ。

 五十鈴達はそれに不満げだったが、本人が決めた別れ際だ。俺達が口を出す問題じゃない。

 その代わりと言ってはなんだけど不知火用のトレーニングメニューを組んで渡した。新天地でも忙しいだろうが時間の合間をぬって続ければ、不知火ならその努力を結実させられると思う。

 お互い生きてればまたいつかどっかで会うだろうから別れの言葉はいらないだろう。再会する日を楽しみにしておく。

 ただ転属先については聞いておいてもよかったかなと思う。

 

 

 

 

7月20日

 

 十九渕鎮守府に戻るための準備はあらかた終わった。そもそも物をほとんど持ってきてないからな。

 持ち帰るのは衣服類と、青葉さんがくれた写真くらいのもんか。大きめのボストンバッグひとつで事足りる。

 まあちょっと早い夏休みが終わったんだと思えばちょうどいい休暇だったような気がする。

 

 

 

 

7月22日

 

 鎮守府に帰ってきたら不知火がいた。同型艦じゃなくて、横須賀で色々教えてあげたあの不知火だ。

 思ってもみなかったほど早すぎる再会に目を丸くしていた。まあ俺も似たような顔だったろうけど。

 

 五十鈴と川内も驚いたあとに喜んでいたが、不知火はあの鉄面皮を恥ずかしそうに赤く染めて若干気まずそうにしていた。

 そりゃ「見送りは不要です」とかしんみりした感じで別れたのにわずか4日で再会するとか恥ずかしいよな。まさか本当に不要だったとは。

 

 でもまあ楽しくやれそうで結構なことだと思う。

 

 

 



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19話 夜戦よりも・・・

 

 

「大変だよ瑞鶴!ニュースニュース!」

 

 息を切らせながら私のところへ駆け寄ってきたのは同期の夕張。

 かなり焦ってるみたいだけど、また変な物でも作ったんじゃないでしょうね?物作りが趣味なのはいいけど、いざそれを使ってみようってなる度に付き合わされるのも結構大変なんだけど。

 

「落ち着きなさいよ。何が大変なの?」

 

「せ……せっ……!」

 

「せ?」

 

「川内が戻ってきてるの!」

 

「川内って……あの夜戦バカが?」

 

「そう!」

 

 川内と言えば私や夕張と同時期にここ横須賀鎮守府で建造された艦娘の1人。いわゆる同期ってやつね。

 私達とは違って何年か前に別の鎮守府に転属になったけど。

 

「ふーん。もしかしてうちに異動になったの?また騒がしくなるわね」

 

 アイツ夜戦夜戦うるさいのよねぇ。何度文句を言いに行ったことやら。

 

「いや、それがそういうわけじゃないみたいなんだけど……」

 

「そういうわけじゃないって……じゃあなんでこっちに戻ってきたのよ?」

 

 夕張の言っている意味が分からずそう聞き返す。

 すると夕張は辺りをキョロキョロと見回してから、声をひそめて私に耳打ちする。

 

「……実は川内のいた鎮守府が再編されるみたいで、その関係で一時的に戻って来てるんだって」

 

「再編ってまさか……」

 

 鎮守府において大がかりな再編が行われる理由は主に3つ。

 1つは少将より上の将官を務める提督が退役ないしは転属する場合。鎮守府の規模や提督の階級で所属させられる艦娘の数が異なるから将官クラスが抜けると部隊の再編が行われることになる。

 でも近々そんなことがあるなんて話を聞いた覚えがない。

 

 なら2つ目の理由。これは鎮守府や多数の艦娘が深海棲艦の攻撃を受けて壊滅的な被害を受けて、轟沈したり命は助かっても四肢欠損などの損害を受けて復帰が難しいと判断されて除籍となる場合。

 こっちに関してもそんな大規模な作戦や戦闘があったなんて聞いてない。数ヵ月前に深海棲艦の襲撃事件があったけど、そこは川内が着任した鎮守府とは関係ない場所だし。

 

 となると考えられるのは3つ目の理由。ある意味、私達艦娘にとっては2つ目の理由よりも受け入れ難いこと。

 

「うん。どうやら川内がいたのはブラック鎮守府だったみたいで……」

 

 ブラック鎮守府。艦娘の人権なんて歯牙にもかけない提督が運営する、地獄のような鎮守府。

 違法の建造や出撃は当たり前。中には艦娘に性的な暴行を加えるような連中もいる。想像するだけで身の毛がよだつわ。

 まあそれが理由で再編になるってことはその鎮守府の提督は捕まったってことなんだけど……。

 

「アイツは大丈夫なの?」

 

「分からないわ。ただこっちにいる間なら会えないことはないみたい」

 

 会えないことはない、か。詳しい状況については語らないように緘口令が敷かれてるでしょうけど、会えるっていうなら取り返しのつかない状態まではなってないってことよね。

 

「あ、でもこのことは秘密よ?同期だったからって提督がこっそり教えてくれたんだから」

 

「分かってるわよ。まあ会えるなら顔くらい見に行ってあげようじゃない」

 

「素直に心配だからって言えばいいのに」

 

「べ、別に心配なんてしてないわよ」

 

「またまた~」

 

 夕張がニヤニヤと笑う。そういえば昔はこうしてからかわれる私を見て、川内も笑ってたっけ。

 アイツも夜戦さえ絡まなければ普通なんだけどね。

 

「ふん。それで川内はどこにいるの?」

 

「提督の話だと第3庁舎にいるらしいから、今の時間だと食堂とか中庭に行けば会えるんじゃない?」

 

 げっ、第3庁舎っていったら加賀さんが秘書艦を務めてる周防提督が管轄してるところじゃない。あまり会いたくないわね。まあここの鎮守府は人が多いし、あの一航戦ならどうせ仕事に没頭してるでしょ。

 夕張から聞いた提督の話しぶりからしてどうせ掛け合ってもすんなりはいかないんだろうし、会えたら運がよかったくらいに考えて行ってみるか。

 夜に行けばどこにいるか分かりやすいんだけど。そんなことを考えながら第3庁舎まで足を運ぶ。

 

 時間帯のせいもあるけど人がごった返している。いつも通りの光景といえばそうだけど、あまり訪れることのないところに来ると慣れないのもあっていつも以上の人の多さに感じる。

 この中から川内を見つけ出すのって至難の業よね。そもそも横須賀鎮守府に所属している川内だっているから、パッと見だとさすがにすぐには判別できない。せめて真正面から顔を見ないと……。

 

 それから30分くらい食堂内を探し回ってみたけど結局見つけられず。

 やや空席が目立ち始めた席にぐったりと腰かける。

 

「疲れた……」

 

「空振りだったね~。まあ1ヵ月くらいはこっちにいるみたいだからその内会えるよ」

 

「はあ!?なによそれ、最初からそう言いなさいよ!」

 

 じゃなきゃここまで必死に探してないってば。

 

「あはは、ごめーん」

 

「ごめんじゃないわよ、まったくもう……」

 

 ああ、なんかどっと疲れたわ。

 笑みを浮かべながら蕎麦をすする夕張を見て思わずうなだれる。そのまま頼んだ日替わりランチをつつき始めた時だった。

 

「あ、瑞鶴だ。それに夕張も」

 

 懐かしい声がした。

 それに反応して私と夕張は声がした方に勢いよく顔を向ける。そこにいたのは紛れもなく、私達同期の、あの川内だった。

 探していた時はまったく姿を現さなかったくせに、一時的に捜索を諦めた瞬間に現れる神出鬼没さはある意味川内らしいと言えなくもない。けれどあまりに唐突で、私はすぐに言葉が出てこなかった。

 

「久しぶりだね!隣いい?」

 

「え?あ、うん……」

 

 夕張も似たようなもので川内の問いかけにただ頷くことしかできていなかった。

 そんな私達に構うことなく、川内はマイペースに話を続ける。

 

「2人に紹介するね。私の妹の神通と那珂だよ。生まれは向こうの鎮守府だけどよろしくね」

 

「初めまして、よろしくお願いします」

 

「お願いします!」

 

「え、ええ……」

 

「こちらこそ……」

 

 神通は大人しそうに、対して那珂は元気よく挨拶をしてくれる。

 川内はそのまま私達の紹介に入った。

 

「で、こっちの2人は私が横須賀にいた時の同期だった正規空母の瑞鶴と、軽巡洋艦の夕張」

 

「お会いできて光栄です、瑞鶴さん、夕張さん」

 

「那珂ちゃんも感動だなー。うちには軽空母の人達しかいなかったし」

 

「そ、そう?ありがとう」

 

 いつの間にか川内型3姉妹との相席になる。いや、それは別にいいんだけど。

 問題は……。

 

「それにしても本当に久しぶりだね。ここで一緒だったのはもう4年前とかかな?」

 

「そうね。それくらいにはなるかも……」

 

「いやー、懐かしいなぁ。そうだ、ちょっと聞きたいんだけどさ……」

 

「――って、待ちなさい川内!」

 

 久方ぶりの再会もそこそこに雑談を始めようとした川内の会話をぶった切る。3姉妹がキョトンとしてるけどそんなこと知ったことじゃないわ。

 それよりも!どうしても言わなきゃいけないことがあるのよ!

 私は川内を睨みつけると、言葉を叩きつけるように叫んだ。

 

「なんでアンタ、そんな普通に元気そうなのよ!?」

 

 それは心の叫びだった。ブラック鎮守府に4年もいたんだからそこまで重症じゃなくても少なからず傷付いてると思って心配してたのに!

 にっこにこじゃない!昼間なのにここまで元気な川内なんてかなり貴重なくらいよ!

 

「な、なんで瑞鶴はこんなに怒ってるの?」

 

「あー、それはね……」

 

 尋ねられた夕張が状況を分かっていない3人に軽く説明する。

 私達は川内型姉妹がここにいる理由を知っている、と伝えるだけで充分だったけど。

 って、興奮したとはいえこんなの勢いで触れる話題じゃなかったわ……。川内が気丈に振る舞っているだけだったかもしれないのに。

 そう思って恐る恐る川内達の顔を窺う。そこに浮かんでいたのは沈痛な表情だった……ということはなくて、なぜか苦笑していた。

 

「うーん、なんと言ったらいいかな……」

 

「詳しくは言えませんが、私や那珂は姉さんが守ってくれてましたし……」

 

「お姉ちゃんも今は幸せそうだもんね」

 

 幸せそう?そりゃ確かにブラック鎮守府から解放されたらそうかもしれないけど、那珂の口ぶりからしてそういう意味じゃないわよね。

 

「どういうこと?……って聞いても無駄か」

 

「はい、残念ながら」

 

 やっぱり口止めされてるのね。まあ上層部からしたらあまり外に出したくない話題だし、漏洩を防ぐには当事者達の口をしっかり塞いでおくのは当然の手段だ。

 特にあんなことがあったばっかりだから、世間から悪印象を持たれる不祥事が表沙汰になるのは避けたいんだろうし。

 

「も、もうこの話題はおしまい!それより瑞鶴達に聞きたいことがあるの」

 

「聞きたいこと?」

 

「何よ?」

 

 川内の聞きたいこと。それは横須賀鎮守府近辺のお店についてだった。

 以前行きつけだったお店はまだあるかどうかだとか、センスのいい服屋や美味しい飲食店は新しくできたかとか、そういう話。

 なによ、遊びに行く気全開じゃない。もしかして本当に心配する必要なかったわけ?

 微妙に納得いかないけど、まあ元気ならそれに越したことないしいいんだけどさ。

 

「……とまあこんなところかな。服を買いに行くなら『Marine Blue』が私のオススメかなぁ。どうせ買うの夏物でしょ?」

 

「うん。前のところじゃ外出もできなかったから新しいのなくてさ。神通や那珂なんて出かけるための服もないし」

 

「あー、そういうの買い揃えて妹達と遊びに行きたいのね」

 

 なるほど、いい姉してるじゃない。やっぱり夜戦さえ絡まなきゃまともなのね。

 

「う、うん。まあそんな感じ……かな」

 

 川内の歯切れが悪い。そして彼女の妹2人は微笑ましいものを見るような顔をしていた。

 なんなの?

 

「あれ、それじゃあ今神通達が着てるのは?」

 

「これは私の服だよ。簡易服は支給されたんだけど那珂が『こんな服装じゃ人前に出られない!』って言うから貸したんだ」

 

「だって那珂ちゃんアイドルだよ!?あんなダサダサの服を着てたらファンのみんなを悲しませちゃう!」

 

 ああ、この子もしっかり那珂だなぁ。別にデビューしてるわけでもないのにここまでプロ意識持ってるのってある意味すごいわよね。

 そして夜戦バカとアイドル志望に挟まれてる次女の気苦労が偲ばれる。まあ彼女もいざ戦闘になれば『華の二水戦』と呼ばれ、かつて世界最強と目されていた艦隊の旗艦を務めた武闘派ぶりを発揮するわけだけど。

 

「まあそんなわけでいいお店がないか探してたんだ。ありがとう、2人とも」

 

「別にお礼を言われるほどのことでもないけどね」

 

「そうね。それにお礼をするくらいなら夜中に夜戦夜戦騒ぐのを止めてもらう方がうれしいわ」

 

「確かに」

 

 私の言葉に賛同して夕張が腕を組んでうんうんと頷く。

 まあそんなこと川内に言っても無理な注文だってことは分かり切ってるけど、それでも一応言っておきたかった。アンタのせいで何度眠りを遮られたことか……。

 

「ねえねえ、瑞鶴さん」

 

 過去の記憶を思い返していると、すすっと近寄ってきた那珂が私に耳打ちをする。

 

「なによ?」

 

「お姉ちゃんに『今日夜戦しない?』って聞いてみてください」

 

「ええ、嫌よ。そんなこと聞いたら夜戦騒ぎに巻き込まれるじゃない」

 

「大丈夫ですから。ね?」

 

 大きな目をキラキラと輝かせながら那珂が上目遣いで私を見る。

 自称アイドルだけあってなかなかあざといわね……。まあ女の私にはほとんど効果ないけど。

 それでも那珂のお願いに根負けして渋々口を開く。

 

「ねえ川内」

 

「ん、何?」

 

「今夜、私と夜戦しない?」

 

 夕張が『何言ってんの?』みたいな視線を向けてくる。私も立場が反対ならそんな顔してたわよ。

 川内に夜戦のお誘いをするってことは、今夜は徹夜で出撃することと同義。出撃命令がないのにそんなことしたがる艦娘なんてほぼいないと言っていい。当然私もその1人。だって私、空母だし。

 だから恨むわよ那珂。

 

 そう思っていた私の考えは、川内本人によって裏切られる。

 

「あー……嬉しいけどごめん。今日はちょっと予定があるから……」

 

 川内が、夜戦の誘いを断った。

 その状況が上手く飲み込めず、私と夕張は固まる。例えるなら目の前で天変地異が起こったようなものよ。固まりもするわ。

 そして事態をじわじわと理解して、事態の大きさに驚愕する。

 

「川内、アンタ大丈夫なの!?どこか具合が悪いんじゃ!」

 

「ええと、こういう時はまず医務室に……!」

 

「ちょちょ、ちょっと2人とも落ち着いてってば!私なら大丈夫だから」

 

「そんなわけないでしょ!」

 

 アンタが夜戦を断るなんてそれほどのことよ!実は相当ヤバいんじゃないの!?

 ああもう、ほんと滅びろブラック鎮守府!

 

「そう、お姉ちゃんは大丈夫じゃないんです」

 

「那珂!な、何か知ってるの?」

 

「もちろん。実はお姉ちゃん、病気なんですよ」

 

「びょ、病気?」

 

「はい。それもかなり深刻な」

 

 深刻な病気。その一言に血の気が引いていく。

 夜戦バカの川内が夜戦を断るほど、体が病魔に侵されてるとしたら……。

 

「な、何言ってるの那珂!」

 

 川内が慌てて那珂の口を塞ごうとしたけど、それを私と夕張が制止する。

 なんで、なんで……。

 

「なんで隠そうとするのよ、川内……」

 

「そうよ。私達にくらい、本当のこと教えてくれてもいいじゃない……」

 

「え、ええー……」

 

 川内が気まずそうに口ごもる。

 もしかしてそんなに悪いの?まさかさっきのも妹達と最後の思い出を作るために?嫌な考えがとめどなく湧き上がってきてしまう。

 騒がしい食堂内とは裏腹に、私達3人の間には重苦しい沈黙が降りる。そんな時だった。

 

「あ、噂をすれば病気の原因が来ちゃいました」

 

「……はい?」

 

 病気の原因が……来た?那珂の言葉の意味が分からず首を傾げる。

 意味不明な発言をした当の那珂はある一点を指差していた。私と夕張の視線はそれにつられて那珂が指を指している方へと向かう。

 やや少なくなったとはいえ未だに人が多い食堂。そんな中、私の視線が捉えたのは憲兵の服を着た、20そこそこだろう年若い青年だった。

 

 他の艦娘……あれは五十鈴ね。五十鈴と食事をしていた彼は私達の視線でも感じたのかふと顔を上げる。

 その黒い双眸がしっかりと私達の方を向いた。そしてひょいと右手を上げると軽く左右に振ってみせる。なんの合図?

 なんて思っていると、今度は川内型が盛り上がっていた。

 

「ほら姉さん、振り返さないと」

 

「えぇ、人前では恥ずかしいよ……」

 

「何言ってるの?そんなんじゃ五十鈴ちゃんに取られちゃうよ?いいの?」

 

「い、一緒にもらってくれるなら私はそれでも……」

 

 そんな押し問答の末、結局川内は青年に手を振り返した。顔を真っ赤に染めながら。

 これはまさか、そういうこと?あの川内が?う、嘘でしょ……?

 夜戦を断られたのと負けないくらい大きな驚愕と混乱。夕張も何が起きているのか分かってない顔をしている。

 

「ね?だから言ったでしょ?」

 

 困惑する私達に、那珂がいたずらに成功したような笑みを浮かべてそう言った。

 

「お姉ちゃんは夜戦より好きなものを見つけちゃったんですよ」

 

「そして今は、恋の病に侵されてしまいまして……」

 

 川内が夜戦を断るくらいの理由。好きな人ができた。今夜は予定がある。

 普段は割とさばさばしているアイツが初心に赤面するほど深刻な……恋の病。

 

「あーもー!言わないでよー!」

 

 顔を両手で覆い隠して身悶える川内。それはつまり、彼女の妹達の言っていることが真実だと意味している。

 

 川内が、恋をした。

 

 

 

「「えええええええええええええ!?」」

 

 私と夕張の渾身の絶叫は食堂を飛び出して中庭、果ては演習場まで木霊した……という。

 

 

 



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