猫がいる (まーぼう)
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1話

「入るぞ」

「先生、部屋に入るときはノックをしてください」

 

 毎度毎度よく飽きないな、この二人。

 何度言われても改めない先生もアレだが、毎回律儀に突っ込む雪ノ下も相当だぞ。

 ここは『奉仕部』。

 顧問である平塚先生が、変革の必要ありと判断した生徒の悩みを解消する……部?組織……集団というのが一番しっくりくるか?でも一応部活動なんだよな。

 ぶっちゃけ普段はダラダラ文庫本を読むぐらいしかすることがないわけだが。

 

「まあ、細かいことは気にするな」

「ハァ……。それで、ご用件はなんでしょうか?」

 

 雪ノ下が小さくため息をついて先を促す。

 

「うむ。君達に依頼を持ってきたのだが……由比ヶ浜は来てないのか?」

 

 先生がこの場に不在のもう一人の部員、由比ヶ浜のことを尋ねる。

 

「……由比ヶ浜さんなら今日は用事があって欠席です」

「ま、あいつにも付き合いとかあるだろうしな」

 

 雪ノ下の返答に補足する。

 奉仕部は部長である雪ノ下雪乃と由比ヶ浜結衣、そして俺、比企谷八幡の三人で全員なのだが、雪ノ下の言った通り、由比ヶ浜は今日は休みだ。

 俺と雪ノ下は友達ゼロのいわゆるぼっちなのだが、由比ヶ浜はスクールカーストの頂点に所属するリア充だったりする。本来俺達とは水と油の関係のはずだが、どういうわけか奉仕部に入り浸っている。

 そんな由比ヶ浜だが今日はリア充組の先約があったらしい。今頃元気に女王様のご機嫌をとっているだろう。

 

「なるほど。それで雪ノ下が不機嫌なわけか」

「……別に不機嫌じゃありません。適当なことを言わないでください」

「いや、それは機嫌悪い奴のセリフだろどう聞いても」

「違うと言っているでしょう。腐っているのはあなたの脳と魂のどっち?」

 

 すげえ目で睨まれた。なんで魂なんだよ、耳だろそこは。

 

「それで、依頼というのは?」

「ああ、そうだった。入りたまえ」

 

 先生が振り返って声をかけると、ドアの前で待たされていたのだろう、すぐに一人の生徒が入ってきた。

 見覚えのない女子。と言っても俺の場合、クラスメイトの顔すら覚えてないから当然か。

 黒髪ロングの小柄な少女。色白でどこか日本人形を思わせる和風美人。……なんとなくプチ雪ノ下って感じがする。

 

「比企谷くん、目を腐らせないでちょうだい。……先生、彼女は?」

 

 雪ノ下が促す。いちいち俺を一刺しするのやめてくれませんか?

 

「彼女は五更瑠璃。1年だ」

「……初めまして、五更です。あの、先生、これは?」

 

 どうやら何の説明もないまま連れてこられたらしい。俺の時と同じだな。

 

「ここは奉仕部と言ってな。生徒の抱える問題を解消することを目的とした部活だ」

「正確にはその手助けです。自分の受け持つ部の説明くらいちゃんとしてください」

 

 先生の説明に雪ノ下が付け足す。それを聞いていた、五更という1年の表情がピクリと動いた。

 

「先生、つまり、ここはお悩み相談室ということですか?」

「まあ、有り体に言えばそうなるな」

「なら私には必要ありません。先輩方、お騒がせして申し訳ありませんでした」

 

 五更さんはそう言って小さく頭を下げると出ていってしまった。

 

「……あの娘、依頼人なんじゃなかったんすか?」

 

 説明を求めると、先生は難しい顔でバリボリと後頭部を掻いた。なんか男らしい。

 

「いや、依頼人は私だ。先ほどの彼女、気づいたかもしれんが気難しい性格でな。教室で君達のような状態になっている。なんとかしてやってほしいのだが」

 

 俺達みたいって、ぼっちってことか?失礼すぎんだろ、事実だけどさ。あと悪いのは先生なんで人が殺せそうな目で睨みつけるのはやめてください雪ノ下さん。

 しかし、と思う。この依頼は受けるべきか?

 めんどくさいというのはもちろんだが、それ以外の部分で納得いかない。

 

「……それは、余計なお世話、と呼ばれるものだと思いますが」

 

 雪ノ下の言う通りだ。

 世の中では、それがさも悪であるかのように扱われているが、ぼっちは別に悪いことではない。当人が好んでそうしているのなら口出しすべきではないだろう。

 だが先生は引き下がらなかった。

 

「余計な世話をやくのが教師の仕事というものだよ。なに、君達が手を貸す必要がないと判断したのならそれで構わん。とりあえず様子を見てやってもらえまいか?」

 

 

 

「それで結局引き受けたんだ?」

「まあな」

 

 翌朝。乗降口で出会った由比ヶ浜にいきさつを話しつつ教室に向かう。

 

「じゃあ、その五更さんって娘に友達作ってあげればいいんだよね」

 

 俺はため息をついて、隣を歩く短絡的なお団子頭に説明してやる。

 

「あのな、まずは本人がどう思ってるか確認してからだろうがこのバカ。ちゃんと話聞いてたのか」

「うっ……。で、でも普通だったら友達欲しいって思うでしょ?」

「普通じゃないかも知れないだろが。そもそも普通の奴はぼっちになったりしないだろバカ」

「そ、そうかも知れないけど……。ていうかバカバカ言いすぎ!ヒッキーのバカ!キモい!」

 

 ぷんすか怒って先に行く由比ヶ浜。やれやれ、あいつにバカ呼ばわりされ……えっ、キモい?

 

 

 

「まずは情報ね」

 

 それが昨日雪ノ下が立てた方針だった。と言っても大したものでもない。件の五更さんのクラスに行って、普通に評判なんかを聞くだけだ。

 昔から言うだろ?敵を知り己を知れば百戦諦めよって。おいおい諦めちゃうのかよ。

 とはいえこの情報収集というのは、俺や雪ノ下のようなぼっちにとって苦手な分野ではある。違う学年ともなればなおさらだ。

 というわけで昼休み。

 

「出番だリア充」

「命令すんなし。つか自分で行けばいいじゃん」

「バッカお前、相手は一年の女子だぞ?俺が行ったらストーカー扱いされるに決まってんだろ」

「決まってるんだ……」

「当たり前だ。女ってのは知り合い以外の好みじゃない男が声かけて来たらナンパか痴漢かストーカーだと思うもんだろ?」

「いや、んなことないし。ハァ……しょうがないなぁ。んじゃ、行ってくんね」

 

 人当たりのいい由比ヶ浜ならなんとかなるだろ。

 由比ヶ浜の交遊関係が一年にまで及んでいるかは知らないが、俺が行くよりはマシなはずだ。

 教室の入り口から様子を見ていると、最初は警戒されていたようだがすぐに笑い合うようになっていた。

 なんというかさすがだ。なんでああいう連中って会ってすぐの相手に平気で冗談とか言えるんだろ。少なくとも俺には無理。怖いもん。

 

「あの……何かご用ですか?」

 

 不意に後ろから声をかけられた。

 振り向くとそこにはクラス委員って感じの真面目そうな眼鏡女子。……ていうかでかいな。由比ヶ浜と同じくらいか……?

 

「……どこ見てるんですか」

 

 ジト目で睨まれた。

 いかんいかん。紳士にあるまじき行為だったな。

 とりあえず警戒を解こう。……ふむ。さっきの由比ヶ浜を参考にしてみるか。まずは笑顔だな。

 

「いやぁ、ちょっと一年の女の子に用事があってさ。よかったら話聞かせてくんないかな~、なんて、フヒッ」

 

 そう爽やかに笑ってみせると、眼鏡っ娘は身を守るように自分の体を抱いてずざざっ!と後退った。

 うむ、好感触。先生を呼ばれない内にちゃんと誤魔化そう。

 

「いや、知り合いが一年の子に用事あるっつうから付き合ってるだけなんだ。ほら、あれ」

 

 教室内の由比ヶ浜を指すと、とりあえず納得はしてくれたようだ。距離は開いたままだが。

 

「でさ、このクラスに五更って娘がいると思うんだけど知らない?」

「五更さん……ですか?」

 

 名前が出た途端、表情が動く。

 俺は人の顔色を伺うことにかけては自信のある方だが、そんなことは関係ないくらいあからさまに嫌な顔をしていた。

 これは……もしかして当り引いたか?

 一瞬だけそう思ったが、すぐに否定する。

 この娘が五更瑠璃をハブにしてる連中の筆頭なら、ここで出てくる表情は、嫌悪ではなく嘲笑のはずだ。

 集団で一人を小バカにするような人間は、本気で人を嫌ったりはしない。相手のことを知る必要などないからだ。

 数という強みさえあれば、立場の弱い相手を攻撃する理由として充分なのだ。なにそれ虫酸が走る。

 とはいえこの娘がまったくの無関係ということもないだろう。嫌っているということは、意識してるということなのだから。……少し探りを入れとくか。

 

「もしかして友達?」

「違います」

 

 即答かよ。

 

「五更さんってどういう娘なの?仲悪いみたいだけど」

「……知り合いなんじゃないんですか?」

「知り合いはあっち。俺はただの付き合いだって」

 

 由比ヶ浜を指差しながらしれっと大嘘をつく。

 ただまあ、知り合いじゃないのは本当だ。

 自己紹介したのは向こうだけだし、俺はステルス能力があるから認識されてない可能性もある。そもそも挨拶しただけの相手を知り合いとは呼ばないだろう。

 眼鏡ちゃんは顔をしかめつつ話し出した。そういや自己紹介してねえな。

 

「なんて言うか、とにかく付き合い悪いんです、彼女。初めはみんな遊びに誘ったりしてたんですけど、全部断っちゃうし。クラスで団体行動しなきゃいけないときも、よくわかんない理屈で一人で勝手に行動するし。はっきり言って私は嫌いです」

 

 ずいぶんハッキリ言う娘だな。嫌いじゃない。

 しかし、やっぱり自分から好んで孤立してたのか。なら問題ないな。

 あとは一応いじめになってないかだけ確認したいところだけど、どうしたもんか……。

 

「あれ、ヒキタニくん?」

 

 思案していると後ろから声をかけられた。

 同じクラスの爽やかイケメン葉山隼人だ。

 少し前に奉仕部に依頼を持ってきて、成り行きで今度の職場見学で同じ班になった。それ以来、たまに話すようにはなったが別に友達というわけでもない。

 

「どうしたの?こんなとこで」

「いや別に。てかお前こそどうしたんだよ。一年の教室だぞこの辺」

「俺は職員室に用事あってその帰りだよ。その娘は?ヒキタニくんの彼女?」

 

 うぜぇ。

 なんでおまえら系は男と女が一緒にいるだけでなんでも恋愛に結びつけんだよ。お前だって三浦と付き合ってるわけじゃねえんだろ?

 葉山は爽やかに笑って去っていった。

 何しに現れたんだあいつは、いらんこと言いやがって。

 すっげぇ嫌な顔してるんだろうな。これ以上の情報収集は無理か……?

 おそるおそる眼鏡ちゃんの様子を伺うと、予想に反して機嫌を悪くした気配はない。というかすっごいエエ顔してる。なんか鼻息荒くないか……?

 

「……あの、よだれ垂れてるけど?」

「――はっ!す、すみません!今の、二年の葉山センパイですよね。お付き合いしてるんですか!?」

「?あ、ああ。一応付き合いはないこともないけど」

 

 一年にまで知られてんのか。さすが葉山だな。

 

「そうですか!頑張って下さい!応援してます!」

「お、おう。ありがとう?」

 

 なんだろう。なんとなくクラスメイトのある女子と似た気配を感じる。何この娘?同系機?ビギナ・ゼナ?

 もう少し話を聞くこともできそうだがすごく逃げたい。

 

「じゃあ俺、そろそろ行くから」

「ハイ!今度、彼氏さんのお話し聞かせて下さいね、ヒキタニセンパイ!」

 

 間違って覚えられた。……彼氏ってのはなんかの聞き間違いだろう。そう信じたい。

 

 

 

「それで由比ヶ浜さんを置いて帰ってしまったわけね」

 

 ……いや、そうだけどさ、仕方ないじゃん。ねえ?

 

「ふんだ。ヒッキーのバカ」

「……悪かったよ」

 

 由比ヶ浜が戻ってきた頃にはもう授業が始まる直前だったから、今まで謝る機会がなかったんだよな。

 

「……今度なんかおごって」

 

 くっ、足下見やがって……。だがまぁ仕方ないか。

 

「わかったよ、サイゼでいいか?」

「ん、許す」

 

 えへへ~♪と機嫌を直す由比ヶ浜。まあ、分かりやすいのは助かるけどさ。

 

「二人の情報をまとめると、五更さんは自分からクラスメイトに距離を置いている、という判断でいいのかしら?」

「ま、そうなるな」

 

 由比ヶ浜が仕入れてきた情報も、俺とそう大きな違いはなかった。

 

 とにかく付き合いが悪い。

 愛想がない。

 口が悪い。

 和を乱す。

 何を考えているかわからない。

 時々意味不明なことを言う。

 

 まさにプチノ下。最後のはよく分からんが。

 とにかく良い印象は持たれてないらしい。

 

「とりあえず、依頼は完了、ということになるけれど……」

 

 雪ノ下にしては歯切れの悪い言い方。無理もない。

 平塚先生の依頼は「必要なら手を貸せ」だ。

 俺達なりに調べた結果、その必要はないと判断した。彼女が孤立しているのはあくまで自分の意志だ。

 但し、これには「今のところ」という注意書が入る。

 ちょっと調べただけで判るほど悪印象を持たれている。今はまだいじめになったりはしていないようだが、これが何時攻撃に切り替わるかは未知数だ。

 

「……やっぱり友達作り、手伝ってあげた方がいいんじゃないかな」

「うーん……」

 

 由比ヶ浜の意見に唸り声で返す。

 彼女が独りでいるのは自分の意志だろう。それは間違いないと思う。

 だが、望んでそうしているか、と訊かれると判断に迷う。

 

 ぼっちというのは世の中に優しい存在だ。

 他人に迷惑はかけないし、進んで嫌われることをすることもない。少なくとも本人はそう心がけている。何故か。

 それは自分を守るためだ。

 ぼっちというのは絶対的に弱者だ。

 数とは強大な力であり、ぼっちが他者と対立すれば、ほぼ間違いなく数を敵に回すことになる。

 それを回避するためには、初めから敵を作らないことが肝要になる。

 

 五更瑠璃の場合、あれだけ嫌われるということは対人スキルは高くないはずだ。そうでなければそもそもこの依頼自体がなかったはず。

 そうなると彼女は以前からぼっちだったことになる。高校に上がってからいきなりぼっちになったというのは考えにくい。

 だがそれだと矛盾が生じる。

 以前からぼっちとして過ごしていたのなら、嫌われるリスクを理解していなければおかしい。

 人と関わるのを嫌っているのだとしても、自分から拒絶するのではなく、やんわりと断り続けて相手の意識からゆっくりとフェードアウトするべきだ。

 ぼっち歴が長いなら、このあたりは理解してないはずはないのだが……。

 

「……もう少しだけ様子を見ましょう。由比ヶ浜さん、明日もお願いできるかしら?」

「うん、まかせてゆきのん。ヒッキーもがんばろうね」

「比企谷くんは得意分野だからといって羽目を外さないようにね。事件になったら私では庇いきれないわ」

「なんで俺が普段からストーキングしてることが前提なんだよ。お前はあれか、そんなに俺を犯罪者に仕立て上げたいのか」

「ひどい言いがかりね。わざわざ仕立て上げるまでもないでしょう。ところで昨夜はうちのマンションの壁に張り付いて何をしていたのかしら?必死そうだったから声はかけないでおいてあげたのだけれど」

「ヒ、ヒッキーそんなことしてたの!?」

「いや、信じるなよ。ていうかまでもないってなんだ」

 

 

 人気の減った校舎を一人歩く。

 冬に比べると陽もずいぶん延びたが、そもそもまだ陽が暮れるような時間ではない。

 今日の部活は報告のみで早々に解散になった。雪ノ下にヤボ用があったらしい。

 雪ノ下は部室の鍵を職員室に返しに行き、由比ヶ浜はそれに付き合っている。俺だけ先に帰らせてもらってるわけだ。

 並の奴なら「あ、俺も付き合おうか?」とか、そんな軟弱なことを言い出すところだろうが俺には通じない。異性に向かって軽々しく「付き合おう」なんて言わない硬派な男なのだ。

 階段に差し掛かったところで見覚えのある顔を発見した。

 最近、と言ってもたった一日のことではあるが、とにかく話題の人物、五更瑠璃だ。

 彼女は箒を持って階段を掃除している。当番なのだろう。が……

 

「……お疲れ」

「……どうも」

 

 短くねぎらいの言葉をかけると、やはり短く返事する。

 

「……手伝おうか?」

「……結構です」

 

 予想通り、あっさりと拒絶された。その眼には警戒の色がありありと浮かんでいる。しかしあれだな。やっぱり覚えられてないみたいだな。

 

「そっか、じゃな」

 

 簡単に言って階段を降りる。角を折れたところで辺りを見回す。

 周囲には誰もいない。通行人も、五更瑠璃と同じクラスの掃除当番もだ。

 

 少しまずいな……。

 

 彼女に掃除を押し付けた連中も、特に悪意のようなものは持ってないのかもしれない。

 だが、こういう事例を一度でも作ってしまうと、周りから『面倒を押し付けていい相手』というレッテルを貼られてしまう。

 そうして何度も繰り返しているうちに、『面倒を押し付けていい相手』から『理不尽を押し付けていい相手』に変質していくのだ。

 そうなれば最後、単なる憂さ晴らしのための攻撃が始まり、誰もそれを咎めなくなる。なにしろ本人達には攻撃してる自覚すらないのだ。

 無論、そうならない可能性もある。

 だがこの手の問題は、一度始まってしまえば止める方法は無いに等しい。

 思ってた程楽観できる状況ではないのかもしれない。だが、何か打てる手はあるか……?

 

 

 

 翌日。

 昼休みにパンを持って教室を出ようとすると来客と鉢合わせた。

 

「このクラスに真壁くんっていると思うんだけど呼んでくんない?」

 

 人の良さそうな地味顔の男子。上履きの色で分かるのだが3年だ。

 しかし真壁って誰だ……?

 

「僕に何か用ですか?」

 

 おおっと、ご本人登場。手間省けてよかった。

 気配を消してさっさと退散する。こんな時、存在感ないって超便利。

 さて、と……。

 俺が普段飯食ってる階段の方は省いていいだろ。

 入学して間もない1年、と言ってももう1月経ってるが。とにかく、よほどめざとい奴でもなければ校舎内の線も考えにくい。この学校、屋上は施錠されてるしな。

 となるとやはり裏庭か。一応ベンチあるし。

 目的地を定めて歩く。裏庭のベンチに、はたして彼女は居た。

 もう少し情報が欲しい。人と関わりを持たないなら、本人に聞くのが一番だ。

 

「隣、いいか?」

 

 声をかけると五更瑠璃は、弁当箱に蓋をして無表情に俺を見上げてきた。



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2話

「……誰?なんのつもり?」

 

 五更があからさまに不機嫌な声を出す。

 

「比企谷。飯食う場所探してただけだ」

 

 俺は平然とすっとぼけた。

 

「他所にいくらでもあるでしょう」

「いちいち探すのがめんどい」

「……さっきと言ってることが違うじゃない」

「別にいいだろ。そもそもこのベンチ四人がけなんだから」

 

 言って、勝手に座る。

 五更は不愉快そうに眉をひそめていたが、立ち上がりはしなかった。

 俺は黙ってビニール袋からコロッケパンを取り出しかじりつく。近くに人がいるといまいち味がわからん。

 

「なんのつもり?」

 

 1つ目のパンを口に詰め込んだところで、五更が最初と同じ問いを、先ほどより強く発する。

 

「たまたまだ」

「嘘おっしゃい」

 

 一言で切り捨てられた。

 

「あなた、あの奉仕部とかいう部に居た男よね。昨日も突然声をかけてきたし、同情でもしてるつもり?」

 

 表情は変わらない。だが、その瞳の奥にあるのは怒り。

 初めは雪ノ下に似てると思ったが別もんだな、こりゃ。割と激情家っぽい。

 

「同情ってのはなんのことだ」

「……っ!」

 

 しまった。そんな感じで顔を背ける。若いねえ。さすが1年。

 俺はヤキソバパンの袋を開けながら適当に話す。

 

「昨日のは本当にたまたまだよ。友達なんかいなくたって別に困んねえんだから、わざわざ隠さなくてもいいだろ」

「……なんの話かしら?友達くらいいるのだけれど」

 

 ……そうきたか。

 

「そうかい、そりゃ悪かったな。そのお友達は今日は休みなのか?」

「……その娘は今、遠いところにいるのよ。会うことは叶わないわ」

「どこのファンタジー世界の住人だよ。あのな、妄想に逃げ込むのは別に構わない。世の中辛いことだらけなんだ。逃 げ場くらい自分で作ったって誰も責める権利なんかねえよ。でも現実に居もしない相手にすがって」

 

 柄にもなく説教くさい言葉がこぼれ、それが途中でせき止められる。

 

「いるわ」

 

 五更瑠璃は真っ直ぐに俺の眼を見つめていた。

 その瞳は深く澄んでいて、強い意思を湛えている、ような気がする。

 

「友達は、いる」

「……そうかい、そりゃ悪かった」

 

 今度は皮肉ではなく謝罪する。

 いるのだろう。きっと、本当に。彼女が友達と呼べる相手が。

 俺は最後のチョココロネを開け、ちぎって口に放り込む。

 

「しかしなんだ、お前よく俺のこと覚えてたな」

「そうね。随分と存在が希薄だったから最初は低級霊の類いかと思ったわ」

「よりによって低級霊かよ……。俺の気配遮断はスキルなんだよ。なんなら火影を目指せる逸材だぞ」

「あら、それは失礼したわね。どのみち私の魔眼には通じないようだけど」

 

 案外ノリいいなこいつ。これなら普通に話すくらいできそうなもんだが。……いや、ちと毒が強いか?

 

「お前、クラスの奴らともうちょい上手くやれねえの?」

 

 自分のことを棚に上げて聞いてみる。

 

「……あなたには関係ないでしょう」

「友達いんだろ?同じ要領で付き合えねえ?」

 

 まあ人間関係ってのが、んな単純なもんじゃないのは分かっているが。と、思っていると予想外の反応が返ってきた。

 

「冗談ではないわ。我が強敵(とも)をあのような下賤な連中と同列に扱わないでもらえるかしら」

 

 あれ、なんか雰囲気違ってねぇ?

 

「いや、いきなり下賤とかどこの貴族だよお前は。何?魔眼持ちとか魔族かなんかなの?」

「ふっ……。よくこの私の擬態を見抜いたわね。褒めてあげるわ」

 

 おかしい。ここは否定が返ってくるタイミングじゃないのか?

 

「……えーと、あの、五更?」

「その名で呼ばないでもらえるかしら?それは人の世で過ごす為の仮の名……。我が真名(まな)は黒猫。千の葉が舞い散る大地に降り立った咎人。千葉(せんよう)の堕天聖、黒猫よ」

 

 oh、GOD……。

 わけ分からんってのはこれのことか。

 雪ノ下に似てると思ってたら、まさかの材木座タイプとは。そりゃ友達できねえわけだよ。

 いつの間にか立ち上がり、ポーズまで取ってる五更を刺激しないように、俺は慎重に言葉を選んだ。

 

「何言ってんだこのバカ」

「だっ、誰が馬鹿よ!」

「いや、お前以外に誰がいんだよ」

「くっ……、屍鬼の分際で生意気な……!」

「誰が屍鬼だ!」

「あなた以外に誰がいるのよ」

「くっ……、中二のくせに生意気な……!」

 

 しばし睨み合う。

 五更は不意に視線を外し、ふっと息を吐くと、ベンチに置きっぱなしになっていた弁当箱を拾い上げた。

 

「……どういうつもりかは知らないけど、先生に連れられて行った時に言った通り、気遣いは不用よ。他人を気にかけている暇があったら自分の心配でもしてなさい。その眼の腐りぶりでは、あなたの方こそ友達などいないのではなくて?」

「へいへい。ちゃんと友達いる奴の言うことは重みが違いますね。あいにく俺は、一人でいられるのは権利だと思ってるんでね」

 

 リア充たちは常に群れている。それはつまり、一人の時間を持てないということだ。

 一人になれないということは、常に他人の目を気にしなければならず、常にストレスにさらされ続けることになる。

 実際、それはかなり辛い。

 人に慣れた犬だって、子供にベッドに連れ込まれて一緒に寝ると、ストレスで吐いたりする。

 つまり、リア充よりも、ストレスフリーで生活しているぼっちのほうが長生きし、最終的には勝者たりえるのだ。

 ところで権利って大抵自分から放棄できるものなんだけど、これの場合どうなんだろう。

 

 そんなアホなことを考えていると、五更が俺を無表情に見つめていた。

 ……いや、違う。

 こいつは表情が読みづらいだけで無表情なわけじゃない。

 だがその表情が何を意味しているかまではわからない。

 

「……なんだよ」

 

 仕方なく、声に出して聞く。

 五更は小さくかぶりを振って答えた。

 

「……昔の私と同じようなことを言うのね」

「あん?」

「以前の私は孤独を好み、孤高であることを誇って生きてきたわ。それが間違っていたとは今でも思ってない」

「……」

「それでも私は、今の自分になれたことを嬉しく思っているわ」

 

 嬉しい。

 そうはっきりと言い切った五更の目に、偽りの色はない。

 

「……ハッ、ご立派なことで。簡単に変えられるような自分が自分だとは思えんがね」

 

 どこかで聞いたことのある言葉、と思ってたら自分のだ。雪ノ下と初めて会った時に似たようなことを言った覚えがある。

 あの時の雪ノ下は確か、それじゃ誰も救われないとかそんなことを言っていた。

 俺にはそれが、必至に自分に言い聞かせているように見えたんだ。

 だというのに、

 

「変わってなどいないわ」

 

 五更はあっさりと言い放った。

 

「私は変わったのではなく、前に進んだのよ」

 

 詭弁だ。

 そう言うのは簡単だったろう。

 だが俺はなにも言えなかった。

 こいつには勝てない。心のどこかでそう思ってしまったのかもしれない。

 

「あなたの誇りを傷つけるつもりなどないけれど、あなたにも何時か、前に進める日が来ることを祈っているわ」

 

 そう言い残して五更は立ち去った。

 後に残された俺は、MAXコーヒーを取り出し蓋を開ける。

 

「……クソガキが」

 

 流し込んだMAXコーヒーは、なぜかとても苦かった。

 

 

 

 放課後。

 

「もうほっといていんじゃね?」

 

 隣のお団子頭にぼやく。

 割と本気でそう思った。いや、生意気な後輩にムカついたとかじゃなく。俺より全然大人だろ、あいつ。

 

「いやそーいうわけにもいかないっしょ。なんかあったの?お昼終わってからいつも以上に目が死んでるけど」

「うっせ、ほっとけ」

 

 俺は教室を出ていつもとは逆に曲がる。

 

「ってヒッキーどこ行くの?部活行かない気?」

「先行ってろよ。ちっと寄るとこあるだけだから」

「あたしも付き合うってば」

 

 だからなんで必要もないのに誰かと一緒に居たがるんだよこいつらは。

 そんなリア充の性質に生物学的な疑問を抱きつつ歩く。

 

「ヒッキー、こっち昇降口だよ?やっぱ部活サボる気?」

「確認しときたいことがあるだけだ。向こうの階段、誰もいなかったよな?」

「? うん。多分」

 

 やっぱりか。普通なら手分けしてやるものなんだが。

 

「ねえ、なんなの?説明し……」

「しっ」

 

 唇の前に指を立てて由比ヶ浜を黙らせる。

 

「居た」

 

 壁の端から除きこむと、昨日と同じように五更が一人で階段を掃除していた。

 

「誰?」

 

 由比ヶ浜が聞いてくる。

 誰って……て、由比ヶ浜が五更を見るのは初めてか。

 

「五更瑠璃。今、奉仕部で話題独占中の人物だ」

「へー、可愛い娘だね。でもこれって……」

 

 言葉の途中で黙りこむ由比ヶ浜。こいつはこうやって察してくれるからありがたい。

 

「でも、たまたまかもしんないよね?」

「昨日も見てなけりゃ俺もそう思ったんだがな」

「そっか……」

 

 予想していた通り、他の当番は見当たらない。

 やっぱ放置するわけにはいかないか……。

 

「手伝ってったほうがいいかな?」

「やめとけ」

 

 由比ヶ浜の提案を一言で却下する。

 五更は昼に、誇りという言葉を使っていた。多分五更自身、相当にプライドの高い奴なんだろう。

 それでなくともぼっちというのは誇り高い生き物だ。冗談ではなく。

 普通の人間が仲間に頼って解決していることを、ぼっちは自分一人でなんとかしなければならない。弱音を吐いたところで助けてくれる相手などいないからだ。

 たとえ理由が後ろ向きであったとしても、他が複数で助け合ってこなしていることを、自分一人で乗り越えたという事実は自負につながる。

 ぼっちにとって、誇りとは心の支えなのだ。支えがなければ一人でいることに耐えられない。

 それを傷つけられれば当然のように激怒する。

 

「……何をしているの、あなたは」

『見てのとおり、階段掃除』

 

 ……こんなふうに。

 由比ヶ浜と二人して再び覗き込む。

 五更は階段の踊り場から階下を睨みつけていた。

 ここからは見えないが、下に誰か居るのだろう。くぐもってよく聞き取れないが、男のものらしき声で返事も聞こえてきた。ところで由比ヶ浜さん、あんまくっつかれるとその、色々困るんですが。

 

「……気に入らないわね。哀れんでいるつもり?」

 

 言葉自体は昼に俺に向かって言ったものと大差ないが、込められた感情は桁違いに思える。こいつがここまで感情を露にする相手ってのはどんなんだ?

 

『なんのことだ?』

 

 ……とぼけかたが俺そっくりなんですが。何だろう。なんか胸くそ悪い。何この感情。

 

「とぼけないで。私が一人で掃除しているのを見かねて、それでこんなことをしたのでしょう?余計なお世話よ。言われなければ分からないの?」

『そりゃ悪かった。でも、もう掃除しちまったしなあ。ま、今日のところは許してくれよ』

「……っ」

 

 うわーぉ。とんでもなく神経の図太い野郎だな。五更が唇噛み締める音がここまで聞こえてきたぞ。

 にわかに緊迫した空気に、由比ヶ浜なんか向こうに気づかれてないのに固まっちまってる。

 

「お礼なんて言わないわよ」

『もちろんだ。これは俺たちが勝手にやったことだからな』

 

 そこで五更の両目がきゅっと細くなった。微妙な間があってから、彼女は重い声を紡ぐ。雰囲気が変わった……?

 

「私のことが心配なのはウソじゃない――以前、あなたそう言ってたわね?」

『おう。ウソじゃないぞ』

「あらそう。……ええ、分かっているわ。ウソではない、ウソではない、ウソではないのでしょうね。でも……その気持ちがどこから来ているのか、考えたことはあるのかしら?それとも……気付いているのに気付いてないふりをしているの?」

 

「……行くぞ、由比ヶ浜」

「えっ、でも」

「これ以上は勝手に聞くべきじゃないだろ」

 

 というかもっと早い段階で離れるべきだった。雰囲気に飲まれてたな、くそ。

 由比ヶ浜はまだ気になるようだが、すぐに頷いてくれた。

 言い争い――いや、五更の一方的な糾弾をできるだけ耳に入れないようにしながら、俺達は静かにその場を離れた。

 

 

 

「……ヒッキーの言うことって合ってるんだね」

 

 そう、力なく呟いた由比ヶ浜を、雪ノ下が気遣わしげに覗き込んだ。

 

「……由比ヶ浜さん、体調が悪いの?比企谷くんの言うことが正しく聞こえるなんて重体よ?」

「どういう意味だおい。しかも重症じゃなくて重体かよ。なんで死の危機に瀕してんだよ」

「比企谷くん。何があったのかは知らないけれど、きちんと由比ヶ浜さんに謝りなさい。切腹は掃除が大変だから、できるだけ部屋を汚さない方法を選んでちょうだいね」

「別に謝らなきゃならないことはしてない、つかなんで詫び入れる方法が命ありきなんだよ」

「大目に見てあげたのよ。あなたの一月分のお小遣いよりは安上がりなはずでしょう?」

「お前は俺の命をいくらだと思っとるんだ!?」

「……ぷっ、あははははは!」

 

 突然由比ヶ浜が笑い出した。なんか笑う要素あったか?

 

「はは、は……ありがとね。なんか元気出た」

「……それで、何があったの?」

 

 

「そう、そんなことが……」

「うん。ヒッキーが止めてなかったらあたし、普通に手伝ってたと思う。それで仲良くなれると思ってた。それがあんなに怒るなんて思わなかったから……」

「まぁ、由比ヶ浜ならもっと違った展開になってたとは思うけどな」

 

 同じことをされても、相手次第で感じかたは異なる。五更の場合、あれだけ感情的になる相手のほうがレアケースだろう。

 

「今回は由比ヶ浜さんの方針でいこうと思っていたのだけど、見直したほうがいいかしら」

「というと?」

「五更瑠璃さんに友達を作る。彼女、本気で人付き合いを嫌っているわけではないと思うのよね」

 

 その可能性は俺も考えていた。

 嫌われるには他人と関わりを持つ必要がある。

 孤立を好むならわざわざ自分から接触したりしない。

 つまり五更の場合、普通に仲良くなろうと近付き、普通に失敗してきたのではないだろうか。あの堕天聖黒猫を見た後なら普通に納得できる。

 しかしそうなると別の問題が出てくる。

 

「……友達ってどうやって作るんだ?」

「……盲点だったわ」

「別の案探すか」

「そうね」

「いやいや二人とも諦めるの早いから!」

 

 由比ヶ浜が突っ込むがこればっかりはな……。

 

「自分の友達作ることもできないのに人の友達なんかどうやって作るんだよ?」

「それは、ほら……そうだ!部活入るとか!」

 

 これだ!とばかりに身を乗り出す由比ヶ浜。確かにポピュラーな手段ではある。

 

「でもなぁ、同じ趣味を持ったメンバーで空間を共有すれば話も弾むだろうけど、それで友達になれるとは限らないだろ?俺達とかいい例だろ」

「えっ!?あたしら友達じゃなかったの!?」

「えっ?俺らって友達だったの?」

「違うわよ」

「違うってさ」

「ゆきのんひどい!?」

「あ……、違うのよ、由比ヶ浜さん。由比ヶ浜さんのことはその、と、友達、だと、思っている、わ……」

「……ゆきのん!」

 

 おお、雪ノ下がデレた。由比ヶ浜なんか感極まって抱き付いてるし。見た目エロくて非常にけっこう。

 しかしあれだな。ナチュラルにハブられてるね、俺。いや別にいいけどさ。混ざりたいわけでもないし。……ホントだよ?

 

「それで、部活のことなのだけど。調べてみたら彼女、少し前にゲーム研究会に入っているらしいわ」

「調べたって、どうやったんだ?」

「平塚先生に頼んだのよ」

「ああなんだ、ビックリした」

 

 雪ノ下に普通の聞き込みなんかできるわけないもんな。

 

「……今、何かとても不愉快なことを考えてなかった?」

「気のせいだ」

 

 しかしゲー研か。

 

「他に一年で入ってる奴っていんの?」

 

 できれば女子がいいんだが。

 

「同じクラスの女子に一人いるようよ」

「マジかよ、どんな偶然だよ」

「名前は赤城瀬菜さん。こちらは入学してすぐゲーム研究会に入部したようね」

「んじゃとりあえずはその娘とくっつけるって方向で行くか」

 

 雪ノ下と簡単に打ち合わせしていると、由比ヶ浜がなんか難しい顔をしているのに気付いた。そういやさっきからしゃべってねえなこいつ。

 

「どうかしたのか?」

「あ、うん……」

 

 なにモジモジしてんだこいつ。

 

「えっと、五更さんのことで、あくまで噂なんだけど……。なんかね、三年の先輩と付き合ってるらしいの」

 

 …………は?

 

「えっ、なに?あいつ彼氏いんの?」

「うん。そういう噂」

「……それをどうして今まで黙っていたのかしら?」

「ゴ、ゴメン!なんか言い出すタイミングがなくて」

 

 ま、まあタイミングって大事だよな、うん。

 しかし五更の彼氏ってどんなのだ?まったく想像できんぞ。つーか友達0で恋人1ってありえんの?いや一人とは限らんが。

 

「それでね、その先輩なんだけど、五更さんの他にも幼馴染みの彼女がいるらしいの」

「…………」

 

 えーと嘘から出た真いや違うなんだこれ頭の中で適当に考えたことが現実化いやそれも微妙に違う増えたのは五更の彼氏じゃなくて彼氏の彼女でオーケイ一辺落ち着け俺なにこれすごい動揺してる。

 

 予想外過ぎる情報が立て続けに飛び込んできたせいで混乱した。

 

「……つまり二股、ということ?」

 

 雪ノ下が絶対零度の声音で確認する。やはり女子ということなのだろう。

 

「う、うん。多分……」

 由比ヶ浜が震える声で返事する。びびってるびびってるめっちゃびびってる。でもこれは仕方ない。

 にしても二股か……。

 割とよく聞く単語、いやそうでもないか。ラノベならともかく現実では、いやラノベでもあんまないか。いかん、まだ動揺してる。この手の問題にはてんで縁がなかったからな。

 

「えっと、ゆきのん……、それで、どうする、の……?」

「どう、とは?」

 

 だから怖えよ。

 写真で見れば穏やかな微笑みだろうに、放たれる気配は最上級の氷結魔法すら凌駕している。雪女でも凍死するレベル。

 

「死刑、とか言わないよね?」

「そんなわけないでしょう。馬鹿なことを言わないで」

 

 まったくだぜ由比ヶ浜。お前は全然分かってない。

 雪ノ下がそんなこと言うわけないだろう。

 

「死刑じゃ苦しみが一瞬で終わってしまうでしょう?」

 

 ホラやっぱり。



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3話

 結局、赤城瀬菜のことは俺と由比ヶ浜が担当することになった。

 例の二股先輩は本人の希望により、悪即惨殺状態で凍てつく焔と化した雪ノ下に一任することになった。凍てつく焔って材木座とか五更が喜びそう。

 ……いや、俺も知り合いが殺人に走るのは止めるべきだとは思うんだが、うかつに口出しすると俺のほうが凍らされたあげく「貧弱貧弱ぅ!」とばかりに砕かれそうだったもんで。

 まあ雪ノ下もあまり無茶はしないだろう。と思いたいところなんだが、あいつの場合、完全犯罪普通にやってのけそうだからなぁ……。

 

「んで、どうする?」

 

 翌朝、下駄箱で出くわした由比ヶ浜にそんなことを聞く。

 もっともできることなどそう多くない。

 とりあえずは赤城瀬菜がどんな奴か確認するのが先決だろう。五更と同じクラスらしいからもう一度聞き込みに行くか。

 

「それなんだけどさ、ゲー研の方も調べてみない?」

 

 一瞬きょとんとしたがすぐに得心する。

 考えてみればクラスの方に拘る必要もない。むしろクラスメイトの目がある分、話づらいこともあるかも知れない。

 それならいっそ部活の方に的を絞るのもありだろう。

 

「で、調べるのはいいけど、心当たりでもあんのか?」

「心当たりってほどでもないけど、ゲームだったら姫菜が詳しいかも知んない」

 

 ……姫菜って誰だっけ。まあ由比ヶ浜の知り合いならとりあえず任せとくか。

 

 

「優美子、おはよー。おはよ、姫菜」

「はよー、結衣。……ふぁ、ねむ……」

「おはよ、結衣。優美子もホラ、しゃっきりして」

「いやあーし昨日三時間しか寝てなくてさ……。ちょっと気になったことあって調べてたらいつの間にか3時まわってて……」

「そんなの私だって同じだよ。私も気になるBL画像追っかけてたらいつの間にか真夜中だったから」

 

 全然同じじゃねえ。

 朝っぱらから飛ばしてんな、何この眼鏡。由比ヶ浜も笑いが引きつってるし。三浦の方は眠気のせいか反応薄いけど。

 つーかこの娘だったのね。また分かりませんでした。

 

「あはは……。そういうこともあるよね、たまには。ところで姫菜、ゲーム研究会のことって知ってたりする?」

「?ううん。なんで?」

 

 ありゃ、あてが外れたか。

 

「ふーん、ゲー研とかあんだ。何、結衣、入んの?」

 

 三浦が首を突っ込んでくる。眠いなら寝てりゃいいのに。

 

「結衣ちゃんゲームに目覚めたの?よかったら私のコレクション貸そうか?」

 

 そのコレクション、ジャンルに偏りがありませんか?

 

「いやー別にそういうわけじゃないんだけど」

「なになに?何の話?」

 

 由比ヶ浜のセリフの途中で金髪の男子が割り込んできた。誰だっけこいつ。確か葉山の取り巻きの……騒ぐしか能のないお調子者、戸部だ。

 

「なんかー、結衣がゲームにハマってんだって」

「いや、そういうわけじゃ」

「へー。俺も結構詳しいぜ?海老名さんはどんなのやんの?」

 

 あー、そうだそうだ。海老名姫菜だ。思い出した。

 で、なんでそっちに話振んの?今確か由比ヶ浜の話してたよね?相変わらずリア充の会話の流れは理解できん。

 

「うわ、あんたオタクだったの?」

「バッ、ちっげーから!男ってフツーにゲーム好きなもんだから!」

「え~、そういうもん?隼人~、隼人もゲーム好きなわけ~?」

「やってみると結構面白いよ。今度一緒にゲーセン行くか」

「ふーん。隼人が一緒なら行ってみてもいいかな」

「ちょっ!俺のときと態度違くね!?」

「戸部……人には持って生まれた領分ってものがある。諦めろ」

 

 蝶が花に群れるように、リア充は賑やかな雰囲気に群れる。

 三浦と葉山が揃ってにわかに華々しくなった空気にみんなしてワラワラ集まってきた。

 1匹見たら30匹。蝶とか言ってる場合じゃねえ。ほとんどクラス全員じゃん。(比企谷くんは含まれません)

 これはもう情報聞き出すとかは無理だな。

 由比ヶ浜も諦めたのか、人の群れから脱け出して俺の方に退避してきた。

 

「ゴメン、ダメだった……」

「まあしょうがないだろ。地道にクラスの方当たるか」

「何の話?」

 

 うお!?

 いきなり背後から投げ掛けられた声に振り向くと、いつの間にか葉山隼人がそこにいた。

 またしても背中を取られた……。俺がゴルゴだったらどうする気だ。

 

「隼人くん、ゲー研の人に知り合いとかいない?」

 

 あ、聞いちゃった。

 まあ葉山なら問題ないとは思うが、こいつは探偵にはなれないな。

 

「うーん、そうだな……」

「いや、事情とか聞かねえの?」

「また奉仕部の活動なんだろ?いいよ。この前の恩もあるしね」

 

 ……だからどこまでイケメンなんだこいつは。

 

「で、知ってる?」

 

 由比ヶ浜が意気込んで聞くが葉山は首を横に振った。

 

「ゴメン、知り合いにはいない。でもサッカー部の先輩が、妹がゲー研に入ったって話してたよ」

 

 おお、予想外の収穫。……て、妹?

 

「なあ、その先輩なんて人だ?」

「赤城先輩だけど?」

 

 

 

「そう、葉山くんが……」

 

 昼休みに部室で情報交換したところ、雪ノ下が苦い顔で呟く。

 この前も思ったけど、こいつ葉山が絡むと態度おかしくね?

 

「んで、放課後葉山にその先輩に紹介してもらえることになってる。妹さんは一年らしいから、多分昨日話に出てきた赤城瀬菜本人で間違いないだろ」

「なんていうか、さすが隼人くんだよね~。人脈広い広い」

 

 由比ヶ浜だって相当だと思うけどな。……いや、俺のレベルが低すぎて差が理解できないだけか?

 

「それで、雪ノ下はどうする?」

 

 俺と由比ヶ浜で行くことになっているが、話を聞くだけなら俺一人でも事足りる。雪ノ下が付き合う必要はない。

 なのだが雪ノ下は小さく息を吐きながら首を振った。

 

「……いえ、私も行くわ。例の先輩だけど、五更さんと一緒にゲーム研究会に入部してたらしいの」

 

 どんだけ重要なんだよゲー研。ていうかマジで何なんだ二股先輩。

 噂に踊らされるのはさらさらゴメンなんだが、こう先々に出没されると本気で何か企んでると思えてくるぞ。

 つーか五更の奴狙われてる?マジで危ないんじゃないか?……いや、噂は既に『彼氏』だったよな。てことは手後れ?

 噂は噂に過ぎないとはいえ、こういう「もし本当だったらシャレにならない系」は勘弁してほしい。

 必死になって追いかけても大抵徒労に終わるし、デマと決め付けてそれが本当だった場合、罪悪感が半端じゃない。

 結局、無駄だと思いながらも必死にならざるをえないのだから質が悪い。

 

「……五更の奴に直接忠告した方がいいか?」

「……どうだろ。その先輩が実際にどんな人なのか知らないけど、少なくともあたしたちよりは五更さんと付き合い長いんだよね?あたしたちが何か言って聞くとも思えないけど」

「だよなぁ……」

 

 こういうのは、たとえ100%善意で忠告したとしても聞き入れてもらえるとは限らない。むしろ敵視される可能性すらある。特に恋愛絡みだと盲目的になりがちだし。ホンッとめんどくせぇ。

 

「とにかく」

 

 迷いを断ち切るような鋭さを持った声で雪ノ下が宣言する。

 

「まずは放課後、赤城先輩の話を聞いてから。どうするかはそれからよ」

 

 

 

 放課後、昇降口の前で雪ノ下を待つ。一人だけクラス違うからな。

 さほど待つこともなく雪ノ下が現れる。

 

「……お待たせ」

 

 相変わらず感情の読めない無表情。だがそれは、今日この場に限っては無理に作ったもののような気がする。気がするだけだが。

 一方葉山は普段と変わらぬ爽やかな笑顔。

 

「じゃあ行こうか」

「隼人くん、その赤城先輩ってどんな人なの?」

 

 てくてく歩きながら由比ヶ浜が葉山に尋ねる。

 

「そうだな……いい人だよ。後輩からの信頼も厚いし頼りになる人だ。それにすごく妹想いだし」

「ふーん」

 

 葉山にかかれば誰でもいい人になってしまう気がするんだが。それはともかく最後の方、笑顔が若干引きつってたように見えたんだが気のせいか?

 グラウンドまでの僅かな距離の移動の間、葉山と由比ヶ浜が他愛ないおしゃべりしながら歩く。

 俺と雪ノ下は黙って後をついていくのみだ。

 やがてグラウンドに着くと、一人の男子生徒が立っていた。

 どこか葉山に似た、爽やかな雰囲気のイケメンだ。何?サッカー部ってこんなのしかいねえの?

 

「赤城センパイ、チワッす!」

 

 葉山がいきなり大声でお辞儀した。こいつもやっぱ体育会系なんだな。

 俺達も葉山に倣って頭を下げる。

 

「おー葉山。話ってなんだ?練習すぐ始めっから手短に済ませろよ」

 

 赤城先輩の方は、いたってリラックスした感じでフレンドリーな気配を纏っている。これなら話も聞きやすそうだ。

 葉山はもう一度頭を下げて、直球で頼み込んだ。

 

「すいません。実は妹さんのことを教えてもらいたいんですが」

「あ゛?」

 

 瞬時に赤城先輩の気配が塗り変わる。

 つい先ほどまで極めて穏やかな空気だったのが、今はなんというか修羅を感じる。

 

「葉山……オマエまさか、俺の天使に手ぇ出すつもりか……?」

「い、いえ!決してそんなつもりは……」

「貴様ぁ!瀬菜ちゃんに口説く価値がないと言うのか!!」

 

 なるほど、こういう人か。

 両眼を爛々と輝かせ、今にも葉山に噛みつかんと(文字どおりの意味で)している赤城先輩に、俺は猛獣使いになった心境で話しかけた。

 

「まあまあ落ち着いて。妹さんに用事あるのは俺ですから」

「なんだ貴様は……?貴様も瀬菜ちゃんに近付く害虫か……?」

 赤城先輩はふしゅるるる~、と口の端から蒸気っぽい何かを吹き出しつつ俺に向き直った。該当クラスはバーサーカーだな、間違いなく。

 

「いえ、そういうつもりはありません」

「なんだと!この世で最も美しい女に向かって」

「俺ごときでは到底釣り合いませんから」

「なんだ、お前いい奴だな。何でも聞けよ。答えられることなら答えるぞ」

 

 よし。あとは話を聞くだけだな。

 

「ヒ、ヒキタニくん、すごいな……」

「いや、別に大したことしてないだろ?」

「ううん、すごかったよヒッキー」

「ええ、癪だけど認めざるをえないわ。大したものよ」

 

 なんでべた褒め?俺普通のことしかしてないはずなんだけど。

 赤城先輩だって、妹を持つ兄としてごく標準的な態度しかとってないし……。

 それはともかく何を聞くべきか。

 実は予想外に大きな収穫があったことで満足してしまい、そこから先を考えるのを忘れていた。

 そんな俺に気付かずに、由比ヶ浜が口を開く。

 

「それじゃ早速、妹さんってどんな娘なんですか?」

「この世で一番可愛い女の子だ」

 

 ごく簡潔に答える赤城先輩。

 

「学校での評判などを教えていただけるでしょうか?」

「当然みんなの天使だな」

 

 雪ノ下の問いに即答する赤城先輩。

 

「あの先輩、もっとこう、どの教科が得意とか、友達は何人くらいいるとか、そういう答え方をした方が……」

「貴様が瀬菜ちゃんを語るなぁ!」

 

 葉山に牙を剥く赤城先輩。

 葉山は練習があるから、と行ってしまった。なんで俺だけ……とかなんとか聞こえてきたのは空耳だろう。

 しかしこの先輩に妹のことを聞いても、主観が強すぎて質問する意味がないな。もう少し具体的な質問をした方がいいか。

 

「妹さんってゲー研で仲良くしてる相手とかいるんスか?」

「……瀬菜ちゃん、部活のこととか、あんまり教えてくれないんだ」

 

 哀しそうに呟く赤城先輩。駄目だ、使えねえ。

 

「由比ヶ浜、ちょっと」

「ふぇ?」

 

 由比ヶ浜に耳打ちする。……なんかいい匂いする。由比ヶ浜さんはちょっと無防備すぎると思います。

 

「あの、直接お話ししてみたいんで、写真とか見せてもらっていいですか?」

 

 由比ヶ浜は俺の言った通りに頼んだ。これは男子が言うと、また暴走するからな。

 

「おう、いいぞ。ほら、これだ。可愛いだろ?」

 

 そう言って赤城先輩は携帯の待ち受けを見せつけてきた。だからなんでみんな引くの?妹の写真待ち受けに使うのは当然の義務だろ?

 笑顔を引きつらせた由比ヶ浜の肩越しに先輩の携帯を除きこむ。って、こいつはあのときの眼鏡ちゃんじゃねえか。

 

「ヒッキー、どしたの?」

「ああ、いや、なんでもない」

 

 動揺が表に出たらしい。

 しかし参ったな。こいつ確か五更のこと嫌いっつってたよな。

 

「もうそろそろいいか?俺も練習あるし」

「ハイ。お手数おかけして申し訳ありませんでした」

 

 雪ノ下が丁寧に頭を下げる。結局大した収穫はなかったか。

 

「そだ。三年生に二股男がいるらしいんですけどなんか知りません?」

 

 ふと思い出したので聞いてみる。まあさすがに知ってるわけないとは思うが。

 

「二股?パッと思いつくのは高坂くらいか?」

 

 …………まさか普通に答えが返ってくるとは思わなかった。雪ノ下と由比ヶ浜も唖然としている。

 

「ちょっ、すいません。それもうちょっと詳しく!」

 

 

 

 結局あれからさらに聞き込みを続け、いくつかの有力な情報を手に入れることができた。

 赤城先輩は、練習時間を大幅に削られたにも関わらず、終始にこやかに対応してくれた。なんというか感謝の言葉もない。

 俺は葉山の「いい人」発言をロクに信じていなかったのだが、この先輩に関してはガチだったらしい。

 

 赤城先輩から聞き出すことのできた高坂京介という人物。

 先輩の友人であり、幼馴染みの彼女がいるにも関わらず(本人は彼女じゃないと言い張っているらしい)最近は一年の女の子にべったりだとか。

 しかもその一年生の特徴が五更瑠璃に酷似してる上に、三年に進級してからゲー研に入部したらしい。

 もう完全に真っ黒である。

 噂の二股先輩と別人の可能性を探す方が難しい。

 

「この高坂先輩については、引き続き私が当たることにするわ」

 

 名前まで割れた以上、雪ノ下にかかれば二股疑惑の真相が明かされるのも時間の問題だろう。風前の灯火と言い換えてもいい。高坂先輩の命がだ。

 俺と由比ヶ浜はロクに収穫のなかった赤城瀬菜の方に話を聞くべく、ゲー研の部室に向かっていた。特別棟のすぐ下の階だ。

 すでに下校時刻が迫っている。今のタイミングなら捕まえられるかもしれない。

 

「でも困ったね。五更さんと仲悪いんでしょ?」

 

 由比ヶ浜がぼやく。

 仲が悪いとは限らない。赤城瀬菜が一方的に嫌っているだけの可能性もある。なんの救いにもならないが。

 だがまあ、あのはっきりした性格を考えると、正面からぶつかり合ってる可能性の方が高いだろう。それならまだ望みもあるかもしれない。

 階段を降りたところで鉢合わせた。

 無害で大人しそうな風貌の、見知らぬ男子生徒と。

 ……誰だよ。このタイミングで関係ない奴が出てきてんじゃねえよ。

 

「あれ?真壁くんじゃん」

「由比ヶ浜さん?と……奇遇ですね」

 

 このやろう、失礼にも俺を見て言葉を濁しやがった。で、こいつ誰?

 由比ヶ浜に目で訴えると、察してくれたらしく互いを紹介してくれた。

 

「えーと、こちら同じクラスの真壁くん。で、こっちは同じクラスの比企谷くんです」

「「……初めまして」」

 

 お互いぎこちなく一礼する。初めましてって五月にクラスメイトに対して使う挨拶じゃないっすよね。

 

「それでどしたの?こんな時間に」

「僕は部活の帰りです。由比ヶ浜さんこそどうしたんですか?」

「あたしも部活。真壁くんって何部だったっけ?」

「ゲー研です。由比ヶ浜さんも部活やってたんですね」

 

 こいつもゲー研かよ。思いっきり関係者じゃねえか。

 しかも同じクラスときた。メチャクチャ遠回りしたなオイ。

 ところで真壁くんとやら、視線がさっきからチラチラ下向いてんだが何見てんだ?

 

「ゲー研の一年に赤城って部員がいると思うんだが来てるか?」

 

 声をかけると真壁くんはビクリと身を震わせた。こいつ、俺のこと忘れてやがったな?

 

「あ、赤城さんは今日は来てませんけど……。彼女に何か?」

 

 丁寧口調だが気弱な印象は受けない。後輩の女の子に知らない男(クラスメイト)が近付くのを警戒してるようだ。

 ていうか愛されてんな眼鏡ちゃん。年上を魅了するフェロモンでも持ってんのか?

 僅かに緊迫した気配を感じ取ったのか、由比ヶ浜がとりなすように間に入る。が、俺は構わず続けた。

 

「最近になって高坂って三年が入部したらしいけど話聞かせてくんねぇ?」

「ちょっと、ヒッキー?」

「……個人情報を提供するわけにはいきませんので。一体なんのつもりですか?」

 

 いよいよ警戒を露にする真壁くん。

 

「まあ当然の対応だな。ところで話は変わるが大は小を兼ねるって言葉、どう思う?」

「は?」

「男としてわからなくはねえけどな。紳士としてあるまじき行為だとは思わんかね?」

「……っ!な、なんのことですか?何を言っているのかさっぱりわかりませんけど?」

「そうか。わからないならいいんだ。今度二人で話そうや」

「そ、そうですね!また今度ゆっくり!じゃ、じゃあ僕、もういきますから!」

 

 真壁くんは逃げるように行ってしまった。

 置いてきぼりを食らってキョトンとしていた由比ヶ浜が口を開く。

 

「……ねえ、さっきのなんだったの?」

「さあな」

「ちゃんと説明してよ!全然意味わかんなかったんだから!」

「知らねえって」

「ふんだ、ヒッキーの意地悪!」

 

 由比ヶ浜はぷりぷり怒って行ってしまった。

 説明しろと言われても、何もないのだから仕方ない。ないものはないのだ。

 真壁くんが由比ヶ浜の胸をチラ見してたのが気に食わなかったとか、そんな事情はどこにもない。



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4話

 翌日。今日は土曜日、午前のみで修了だ。

 俺は授業が終了すると、飯も食わずに一年の教室を目指した。由比ヶ浜も一緒だった。

 いい加減、赤城瀬菜と直接話をしたいところだ。今から行けば部活前に捕まえられるだろう。

 目的の教室が見えたところで何か違和感を覚えて立ち止まる。

 

「ヒッキー?」

 

 由比ヶ浜もつられて止まったものの、別段何かに気がついた様子はない。

 なんだ?何に引っ掛かった?

 視界に映るのは人、人、人。

 授業が終わって緊張から解き放たれ、めいめいに身体をほぐす一年生の群れ。

 ある者は腹を抑え昼飯を求めて教室からさ迷い出る。

 またある者は隣を歩く相手と泊まり掛けで遊び倒す計画を練っている。

 食堂に向かう者、部活の準備をする者、街に繰り出そうとする者、目的もなくたむろする者、教室を覗き込む者、それぞれがそれぞれに行動し無秩序な喧騒を……覗き込む?

 他の生徒達が教室から吐き出されていく中で、一人流れに逆らい教室の中の様子を伺う男子生徒がいた。

 どう見ても挙動不審なその男は、人混みで上履きは確認できないが、少なくとも一年生には見えない。

 そしてそいつが覗いているのは俺たちが目指していた教室。すなわち、五更瑠璃のクラスだ。

 

「あいつ……!」

 

 断定はできないが、恐らく高坂京介だ。五更に付きまとっているというのはどうやらマジだったらしい。

 思わず駆け出しそうになるが人が多すぎて思うように進めない。くそっ!無双ゲージが溜まってれば一気に蹴散らせるのに!

 手間取っている間に五更が姿を現す。

 二人は二、三言葉を交わすと連れ立って歩いていった。

 ……今の、五更のほうから声かけてたよな?

 結局、噂は単なる噂でしかなかったのかもしれない。だが実際に自分で確認するまでは投げ出すつもりもない。

 二人を呼び止めるべく、今度こそ走り出した。

 

「きゃっ!」

 

 ところで誰かとぶつかった。

 

「わ、悪りぃ!大丈夫か?」

 

 思わず足を止めて、しりもちをついた相手に謝る。

 

「いたたた……。気を付けて下さいよもう、ってヒキタニセンパイ?」

 

 ぶつかったのは、やや赤みがかった髪に真面目そうな眼鏡、そして俺の知る中で一、二を争うおっぱいの持ち主。

 都合が良いのか悪いのか、赤城瀬菜その人だった。

 五更たちの方に目をやると、すでに二人の姿は見えなかった。

 仕方ない。本来の目的を果たすか。

 俺は赤城に手を差し伸べた。

 

「チッ、肝心なところで出て来やがって」

「ちょっ、いきなり突き倒された挙げ句に舌打ちされましたよ!?何なんですかこの人!?」

「いやスマン、つい本音が出ちまっただけだ。全面的にこっちが悪い、謝罪する」

「本音って言った!実は全然悪いと思ってないでしょう!?」

 

 言いながら助け起こしたところで由比ヶ浜が追い付いた。

 

「ヒッキー、どうしたの急に……って、あれ?」

 

 すでにターゲットと接触していたことに面食らったらしい。目をぱちくりさせていた。

 

「ヒッキー、なんで手つないでるの?」

「そこかよ。転ばせちまったから助け起こしただけだろうが。何?ナンパしてるようにでも見えたの?俺がナンパして上手くいくとでも思ってんの?」

「ちがくて、ちょっと羨まし……って嘘!間違い!なんでもない!」

「嘘なのか間違いなのかなんでもないのかはっきりしろよ。何?羨ましいの?」

「だ、だからちがくて!」

「女同士なんだから手くらい頼めば繋がせてくれんだろ。いちいち騒ぐようなことか?」

「……あー、うん、そだね」

「なんで露骨に適当になってんだよ」

 

 何故か遠い目で答える由比ヶ浜は一旦脇に置くことにして、ふと気が付くと、赤城が俺達にじったりとした視線を向けていた。いかんいかん。ついほったらかしてしまった。

 

「スマン、ちょっと話があるんだが……」

「あたしからも聞きたいことがあるんですがいいでしょうか?」

 

 赤城が俺の言葉を遮る形で発言する。

 その語気は強く、拒否を赦さない。

 

「お、おお。いいけど……」

 

 迫力に飲まれ、つい許諾してしまった。

 赤城は、では、と置いてから由比ヶ浜を厳しい目で見据えながら口を開いた。

 

「そちらの方は誰でしょうか?」

 

 なんでそんな敵意満々なの?

 由比ヶ浜を見るがきょとんとしている。心当たりはなさそうだ。

 

「……こいつは由比ヶ浜結衣。クラスメイトだ」

 

 とりあえずそのままを答える。だが、それでは赤城は納得しなかったらしい。

 

「この前来た時も一緒でしたよね。まさかと思いますけど……浮気ですか?」

 

 険しい表情で、そう追及してくる赤城瀬菜。

 ……何を言ってるんだこいつは。

 突然由比ヶ浜に襟首を掴まれ激しく揺さぶられる。

 

「ひ、ひひひひヒッキー!うわうわうわ浮気ってどういうこと!?もしかしてこの娘と付き合ってんの!?」

「放せ揺らすな何言ってんだお前は……ちょっマジやめてホント吐く」

 

 どうにか由比ヶ浜を振りほどいく。うう、気持ち悪い。

 

「んで、どういうことだ?百歩譲って俺と由比ヶ浜がそういう関係だったとして、それがなんで浮気になる?」

 

 吐き気を抑えて赤城に質問する。何の話なのか本気でわからない。由比ヶ浜が後ろで「やだ……そういう関係とか……」とか言いながらくねくねしてるけど気にしない方向で。

 赤城は断罪者の顔で決定的な言葉を放った。

 

「ヒキタニセンパイ、葉山センパイという彼氏がありながら何故違う女の子とイチャイチャしてるんですか!」

 

 ……何を言ってるんだこいつはアゲイン。

 一体俺がいつ由比ヶ浜とイチャイチャしてたというんだそこじゃありませんよねわかってますちょっとした現実逃避です。

 そういやそうだよこういう奴だったよ!あまりに嫌すぎて記憶の底に封印してたよ!

 

「ひ、ヒッキー……?隼人くんと……そうだったんだ……」

「おい待て、あっさり信じるな。泣くほどイヤなら想像とかしてんじゃねえ」

「ヒキタニセンパイ!なんでよりによって女の子なんですか!言語道断ですよ!」

「お前はちょっと黙ってろ!」

「ゴメンねヒッキー、気がつかなくって……。あたし、応援できるようにがんばるから……そうゆうの姫菜が詳しいから相談にのってくれるように頼んどくね」

「やめてお願い引き返せなくなっちゃう!」

 

 

 

「お兄ちゃんにあたしのこと聞いたんですか?」

 

 赤城は大きな瞳をぱちくりさせて疑問の声を上げた。

 

「うん。実は赤城さんのクラスの五更さんのこと相談したくて」

「あ……この前来てたのって」

 

 それだけで察したらしい。話が早くて助かる。

 

「ま、そういうことだ。とりあえず一人話し相手ができるだけでもずいぶん変わると思うんだが、頼めないか?」

 

 そう言うと赤城は、顎に指を当てて考える素振りを見せる。

 

「無理ですね。あたしはともかく五更さんのほうにその気がないですから」

「そこをなんとかできないかな?」

 

 由比ヶ浜が手を合わせてお願いのポーズをとる。すると赤城は、イタズラを思い付いた子供のようにニヤリと笑った。

 

「んっふっふっ。ご安心ください。あたし、ゲーム研究会に入ってるんですけど、実は五更さんもゲー研なんです」

「それは知ってる。だからお前に頼んでるわけだし」

「なら話が早いです。任せてください。部活を通じてキッチリ真人間に更生させて見せますから」

 

 赤城は得意顔で胸を叩く。

 

「あたし、ああいうちゃんとしてない人って大嫌いなんですよ。正直五更さんが入部したって聞いたときはうわっ、て思ったんですけど、考えてみたらこれってチャンスですよね」

 

 腕が鳴ります、と赤城は眼鏡を光らせた。

 

「今日これから新勧会っていうのがあるんです。実はまだ部活では五更さんと顔を合わせてないんですけど、こうなったらもう逃がしませんよ」

 

 

 

「どう思う?」

 

 そう、由比ヶ浜が呟くように聞いてきた。

 赤城瀬菜は意気揚々と部活に向かい、俺と由比ヶ浜も教室に鞄を取りに戻ってから部室へ向かった。その途中の言葉である。

 

「赤城さん、上手くいくかな?」

「無理だな」

 

 即答した。

 赤城は更生という言葉を使った。この段階でアウトだ。

 ぼっちは、というより少数派に属する人間は、自分と異なる価値観というものに対して柔軟だ。少なくとも、自分とは違うから、という理由でむやみに排除しようとしたりはしない。

 これは少数派の人間が温厚だとか、性格が良いとかそういうことではない。そんなことをすれば自分自身が排除されることを知っているからだ。

 少数派とは基本的に排除される側だ。故に、身を守ることにかけては過剰と言えるほどに慎重になる。

 正面切って誰かを攻撃すれば、次は自分が的になる。

 そう。少数派の人間は、正面から他の価値観を否定することはない。

 自分には無かった概念であっても「そういう考え方もあるか」と受け入れることができるし、理解できないものでも不干渉というスタンスで許容できる。

 また、どうあっても受け付けない価値観とぶつかった場合でも、正面から戦うことはない。そんなことをすれば叩き潰されるのは分かり切っているからだ。

 嫌がらせをするならあくまでもこそこそと。

 表では仲間の振りをして、決して顔を明かさず、正体を隠しながら。それが鉄則だ。

 

 そんな少数派ではあるが、例外が一つだけある。

 それは、自分の価値観を正面から否定された場合だ。

 価値観の否定は精神的な拠点侵略である。故に、敗走は即滅亡となるため、一時的な撤退すらも許されない。

 それを知っている者ならば、例えどれだけ絶望的な敵であろうと戦わざるをえないのだ。

 少数派同士の小競り合いならば、そんな状況は滅多に起こらない。

 その危険さを理解している、いわゆるマナーをわきまえた者が多いのも勿論だが、それ以上に、自己保身に特化した人間がほとんどだからだ。そうした人間は、誰かの正面に立つような愚は犯さない。

 

 だが多数派は違う。

 多数派に属する人間にとっては自分達の価値観こそが絶対の正義であり、それ以外の価値観は悪となる。その悪性を『善意』でもって正そうとするのだ。

 多数派の人間は、自分達は正しい。だからみんな自分達と同じになろうと価値観を押し付ける。そして彼らは、それが相手の価値観を否定していることに気付かない。

 彼らにとって少数派とは、存在することを『許してやって』いる相手であって、『認めてやってる自分優し~!』と悦に浸るためのツールでしかない。

 

 彼らは自己保身を考えない。絶対的強者である彼らには、保身を考える意味がない。

 仮に絶対に相容れない価値観とぶつかったなら、数という最強の矛をもって一方的に磨り潰すのみだ。理解しようとする必要すらない。

 彼らは多数であるが故に正義とされ、正義であるが故に自分達の正しさを疑わない。

 数が正しさの保証足りえないにも関わらずだ。

 

 なお、これに例外は存在しない。少数派の価値を認めた段階で、そいつは多数派から外れるからだ。

 その理屈でいくと、由比ヶ浜や葉山なんかは『多数派のふりをした少数派』ってことになるがまさしくその通りと言える。

 実際この二人みたいな本物のお人好しは、探したところでそうそう見つかるものではないだろう。

 

 由比ヶ浜も赤城が成功するとは思っていないのだろう。

 俺の言に特に反論することもなく、ただ小さく息を吐いた。

 

 

「高坂京介について調べてきたわ」

 

 部室にはいつもの如く雪ノ下がすでに居て、俺と由比ヶ浜がいつもの椅子に座るなり、そう切り出した。

 

「って、昨日の今日だぞ。早すぎんだろ……」

「すでに名前までわかっているのだからこんなものでしょう」

 

 澄まし顔で言っているが俺には分かる。ちょっと得意になってる。

 

「それで、どんな人なの?」

「そうね……とりあえず噂レベルの情報だということは念頭に入れておいて」

 

 由比ヶ浜が聞くと、雪ノ下はそう前置きしてメモ帳を開いた。

 

「まず、幼馴染みの恋人がいる。ただ、当人は恋人であることを否定している。これは昨日赤城先輩から聞いた通りね」

 

 本人は違うと思っているが周りからはそうとしか見えない間柄。つまりはラブコメ物でありがちなテンプレ幼馴染み関係ということか。

 とりあえず包丁でも用意するべきかな。

 

「ただし、恋人関係を否定した直後に、その幼馴染みに恋人ができることは許さないと発言しているわ」

 

 ……なにそれ。

 

「……なにそれ」

 

 由比ヶ浜が異口同音に声を上げる。いや、俺は口に出してないが。て言うか由比ヶ浜さん、顔が恐いっすよ。

 

「自分はその人と付き合う気はないけど、他の男がその人とくっつくのは許せないってこと?」

 

 言葉にするとあらためて最低だなオイ。

 雪ノ下は重々しく頷き続けようとするが、メモに目を落として一瞬硬直した。心なしか顔が赤くなってる。

 

「また、その幼馴染みの家に、その……宿泊、することもあるらしいわ」

 

 …………いかん。俺達とは次元が違いすぎる。

 由比ヶ浜も唖然として何も言えずにいる。

 

「……あー、その、幼馴染みなんだろ?泊まるつってもガキの頃の話なんじゃねえか?」

「確認された中で一番最近の例は去年の10月だそうよ」

 

 ……真っ黒ですやん。

 今度は由比ヶ浜が口を開く。

 

「……相手の人って一人暮らしなの?」

「いいえ。ご両親と弟、祖父母と暮らしているようよ」

 

 マジですか。それで彼女の家に泊まれるとかどんな心臓してんだよ。

 

「ていうか、家族公認の彼女居んのに浮気してるわけ?サイテー……」

 

 これはもはや庇うこともできない。いや元々庇う気もないけど。

 

「さらには近くの……」

「ちょっ、待った!まだあんのか!?」

「こんなの序の口よ。近くの公園で中学生の女の子に脅しをかけていたという噂もあるわ」

「お、脅し?てか中学生って……もしかして五更のこと間違えたのか?あいつ小柄だしそういう可能性も……」

「いえ、特徴を聞いた限りだと別人のようよ。制服も違っていたようだし。どうもいやらしい格好をするよう強要されていたらしいわ」

「……サイッテー」

 

 由比ヶ浜が吐き捨てるように呟く。

 

「この公園ではよくこの二人が見かけられるみたいね。何か弱味でも握られてるのかもしれないわね」

「……よく見かける?てことは他にも?」

「ええ。その娘とまた別の女の子の三人で修羅場のようになってたこともあるらしいわ」

 

 登場キャラまだ増えんのかよ!

 

「……それ、あたし知ってるかも」

 

 由比ヶ浜がぼそっと漏らす。

 

「あたし、サブレ……えっと、犬の散歩でよくその公園行くんだけど、去年の夏休み終わって少ししたくらいだったかな。なんか女の子二人がすごいケンカしてて、それで男の人がなんかすごいこと……アレ?」

「オイ、途中でやめんな。どうしたんだよ。忘れたのか?」

「いや、なんかこう……高坂?」

 

 由比ヶ浜はおもむろに鞄を漁るとファッション誌を取り出しパラパラとめくりだした。

 

「おい、ホントどうしたんだ?」

「いや、ちょっと……やっぱ無い!ヒッキー、スマホ貸して!」

「お、おお……」

 

 こちらの返事も待たずにひったくると、スマホを操作してブラウザを立ち上げる。

 

「何調べてんだ?」

「バックナンバー。たしか……この表紙……うん、思い出した。これに……あった!」

 

 由比ヶ浜がスマホに表示された写真を見せてくる。

 そこには雑誌で紹介されてる服をバッチリ着こなした、俺達より少しだけ年下と思われる二人の少女。

 一人はおそらく染めたものであろうライトブラウンの髪にヘアピンを留めた、快活そうな笑顔の少女。

 もう一人は、しっとりとした黒髪に控え目な笑顔が印象的な、真面目そうな雰囲気の少女だ。

 二人ともとんでもない美少女だった。雪ノ下で美人に慣れてなかったら惚れてたかもしれない。

 由比ヶ浜がその内の片方、茶髪の娘を指して叫ぶ。

 

「この子だよ、絶対!あの時公園にいたの!」

「ハ、ハァ!?」

「それで、男の人がこの子のこと抱き締めて『俺は妹を愛してるんだー!』って大声で叫んでた!」

 

 妹展開キターーーー!!!

 慌ててプロフィールを確認すると確かに『高坂桐乃』とある。しかもコメントにはお兄ちゃん大好きときたもんだ。おのれ……なんて羨ましい……!

 あまりの超展開に雪ノ下も目を見開いている。

 

「つ、つまり、こいつ妹にまで手ぇ出してるってこと?」

「……残念ながらまだ終わってないわよ」

「マジで!?」

「さっきの妹発言のインパクトが強すぎて印象が薄れてしまったけれど、彼の噂はまだ残っているわ。聞きたい?」

 

 俺は、ごくりと喉を鳴らして頷いた。

 

 

 

 曰く、エロゲーキャラがプリントされた痛チャリで深夜の街を疾走していたらしい。

 曰く、新発売のエロゲーを買いにわざわざ秋葉の深夜販売の行列に並んでいたらしい。

 曰く、レンタルルームを『高坂京介専属ハーレム』の名前で借りて、複数の女の子を連れ込みメイドのコスプレをさせていたらしい。

 曰く、クリスマスに妹とデートして外泊までしたらしい。

 曰く、駅前のスタバで年下の女の子と修羅場って泣かせていたらしい――これは情報が古くてはっきりしないが、どうもこの女の子というのは妹っぽい。

 

 

 

 出るわ出るわ。

 よくこんだけやらかしたなってくらいワケわからんエピソードが大量に。

 いやもう尊敬するわ、嫌味抜きで。

 だが約二名の女子には甚だ不評だったらしい。

 雪ノ下は元々自分で調べてきた物だからあまり変化はないが、由比ヶ浜の方が何と言うか眼に光が無い。

 怒りのあまり、俯いてぶつぶつ何事かを繰り返すだけのモノと成り果てている。

 

「とりあえず、さっさと拘束するべきね」

「待てオイ。お前最初に自分で噂だって言ってたろ」

「こんな噂が流れてる時点でロクな人間ではないのは確実でしょう」

 

 それはまあ、一理あるが。

 

「だからっていきなり逮捕ってわけにゃいかんだろ。警察だって逮捕状が必要なんだぞ?」

「比企谷くん、どういう……」

「ヒッキー……なんで庇うの?」

 

 雪ノ下のセリフに被せる形で声が響く。

 由比ヶ浜のその声にいつものような明るさは微塵もなく、その瞳と同じくただひたすらに虚ろだった。

 

「ねえ、なんで?あんなやつ守る価値なんかないよね?もしかしてヒッキーもあいつと同じなの?そんなのやだよねえヒッキーなんとか言ってよねえヒッキーなんとか」

「怖ぇーよ!正気に戻れ!レイプ目やめろ!いいか?俺らが請けた依頼は五更の立場の改善だ。高坂京介は確かに女の敵っつーか男の敵でもあるが、とにかくこいつの成敗は別問題だ。わかったか?」

「正確には五更さんの対人関係を把握して、問題があるようなら解消することよ」

「わかってんなら暴走してんじゃねえよ質悪ぃな!」

 

 ったく、大声出したのなんか何年ぶりだ?なんか異常に疲れたぞ。

 

「わかったわ。高坂京介のことはひとまず置いておきましょう。その代わり、五更さんの件が片付いたら徹底してやらせてもらうわ。由比ヶ浜さんも手伝ってくれる?」

「うん!任せてゆきのん!」

 

 目に光の戻った由比ヶ浜が力強く頷く。

 言っとくが俺はやらんぞ。殺人に関わる気なんてないからな。

 

「あなたもくるのよ。拒否権は無いわ」

 

 ……やらないって言ってんのに。



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5話

 日曜日。

 星々の王、太陽の名を冠された偉大な日だ。

 その大いなる輝きはあまねく人々に与えられ、全ての命に癒しと安息をもたらす。

 それは自然の摂理によって定められた休息の刻であり、即ち日曜に働いたり疲れる運動をすることは神に弓引く行為も同然でつまり何が言いたいかというと休日サイコーってことで惰眠を貪るのは正義の行い。

 というわけで俺は正義を執行する。

 

「わっせろーい!」

 

 ずるべしゃっ。

 掛け声と同時にいきなり布団をーー敷き布団を抜き取られ、俺はテーブルクロス抜きに失敗した食器よろしく、盛大にベッドから転げ落ちた。

 

「あれ?なんか思いの外悲惨なことになったような……」

 

 糸の切れた操り人形のような姿で転がる俺を見下ろし、まあいっか、と呟いてそのまま出ていこうとする我が妹を呼び止める。

 

「……なんの真似だ小町」

「あ、お兄ちゃんおはよー。今日は早いね」

「おかげさまでな。で、その俺から奪い取った布団をどうする気だ?」

「お母さんが天気いいから布団干せって。お兄ちゃんの分もやっといてあげるね。あ、今の小町的にポイント高い」

 

 うぜぇ。つうかなんで普通に朝の挨拶とかしてんだ俺ら。今の下手すりゃ死んでたんだが。

 小町だったら『お兄ちゃんを脅かそうと思って階段から突き落としたら動かなくなっちゃったてへぺろ☆』とか普通にありそう。俺よくこの年まで無事だったな。

 まぁそれはともかく。

 

「いいか、俺は寝たい。だから返せ」

「うわー端的だー。お兄ちゃん、たまにはちゃんと起きた方がいいと思うよ?」

「余計なお世話だ。意味わからんこと言うな。いいから返せ」

「意味わかんないかなぁ。それよりお兄ちゃん、そろそろプリキュア始まる時間だと思うけど」

「でかした小町。布団のことは頼んだぞ」

「あいあい、おまかせあれ~」

 

 俺はバカっぽく敬礼する小町を残してリビングへ向かった。

 

 

「ふぅ……」

 

 テレビを消して短く息を吐く。素晴らしい30分だった。

 当然録画予約はしてあるが、やはりリアルタイムで見ると一味違う。

 さて、満足したし寝るか。

 

「寝るな」

 

 頭にのさっ、と毛の塊が乗せられた。

 さきほどまで我が家のお猫さま、カマクラで遊んでいた小町の仕業だ。

 

「せっかく早起きしたのになんでまた寝ちゃうの。たまには外で遊んできたら?」

「えー、何そのムチャぶり。意味わかんない」

 

 頭上の毛玉を指でゴロゴロさせながら抗議する。つーか人の頭でくつろぐな。なんかダルんダルんなのが感触でわかる。

 

「おお、カーくんがすっごい伸びてる。さすがお兄ちゃんテクニシャン」

「ふっ、任せろ。なんなら小町のことも伸ばしてやるぜ」

「はいはい、妹にセクハラしないように。まぁ小町的にそれはそれでありだけど」

 

 ありなんだ。

 

「それはともかくお外行きなさい。カーくんの相手は小町がしててあげるから」

「いやなんでそんな頑なに追い出そうとすんの?お兄ちゃんいらない子?」

「小町なりに心配してあげてんの。お兄ちゃんこのままだと引きこもり一直線じゃない」

 

 むう、愛が重いぜ。

 このままだと追い出される。なんとか家に留まれないものか。

 ふと昨日の話を思い出す。

 

「小町……愛してるぞ」

「小町もお兄ちゃんのこと愛してるよ☆じゃ、行ってらっしゃい」

 

 チッ、ダメか。

 やはり俺の妹がそこまで可愛いわけがない。

 高坂さん家だったらここからイチャイチャ展開に突入したりするんだろうか。羨ましい。

 ……本屋でも覗いてくるかな。

 

 

 

 残念ながら収穫はなし。新刊いつ出るんだろう。

 店から出ると、目眩がするほど強烈な日射しが容赦なく照りつけてくる。

 まだ5月だってのに仕事熱心すぎだろ太陽。

 心の中で神を呪いつつ、涼しい場所を探し求めてフラフラと歩き出す。……近くにゲーセンあったよな。

 暑ぃ……。そもそも日光がダメなんだよ俺。

 もうゾンビ枠でいいから日中は休みにしてくんねえかな。夜はちゃんと早寝早起きするからさ。

 さながらグールのごとき様相で歩く。ゾンビじゃないのかよ。影分身が使えれば死者の行進とかやれそうだ。

 汗だくで、自分でもわかるくらい目を腐らせていると、ぽんぽんと肩を叩かれた。

 振り向くと頬に、ふにっとした抵抗を感じる。

 

「えへへ……また引っかかったね」

 

 俺の肩に置かれ、人差し指を立てた手を目で追っていくと、そこにはふんわりと微笑む天使、戸塚彩加がいた。

 グリーンのパーカーにハーフパンツからのぞく素足、そして何よりその笑顔がまぶしい。

 

「偶然だね、八幡」

「お、おおお、偶然だな。ていうかなんか久しぶりに話した気がするな」

「ホントだよ。八幡最近ずっと難しい顔して忙しそうにしてたから。ぼく寂しかったんだよ?」

 

 ほっぺを膨らませてむくれる戸塚。

 何この可愛い生き物超抱き締めたい。

 

「八幡、これから予定とかある?」

「いや、ゲーセンでも行こうかくらいしか考えてなかったけど」

「よかった。じゃあ今日は一緒に遊ぼ?」

 

 コクン、と小首を傾げてお願いしてくる天使が一人。

 え、ええぇぇ!?なにそれ、デートのお誘い!?

 

「ちょ、待った、ホントに俺でいいの?」

 

 動揺しすぎて変な聞き方になった。が、天使すぎる戸塚は特に気にすることもなく、俺の手首を捕まえる。

 

「逃げようとしてもダメだよ。ぼくのことほっといた罰として付き合ってもらうからね?」

 

 何その幸せすぎる罰!

 酒を飲んだことはないが、酩酊というのはこういう感覚なのだろうか。

 俺はこの世に産まれたことを神に感謝しながら、戸塚に腕を引かれフラフラと歩き出した。

 

 戸塚と二人、並んで歩く。

 ちなみに戸塚はいまだに俺の手首を握ったままだ。

 何これ幸せすぎる。ぶっちゃけ今日死んでもいい。

 ど、どうしよう。腕組もうとか言ってみようかな……?ていうかなんかいい匂いする。なんかすっごい甘い匂い。なにこれ生クリーム?

 見ると戸塚は、俺の腕を掴んでいるのとは逆の手にクレープを持っていた。うん、ホントに生クリームでした。

 少し遠くにクレープの屋台があった。そこで買ったのだろう。あまりに自然すぎて今まで気が付かなかったようだ。

 というかクレープがここまで似合う男がいていいの?いや待て、戸塚の性別は天使or戸塚、もしくは秀吉だ。ならいいのか。

 食い物の気配に胃が刺激されたのか、くるるるる……と可愛らしい音を立てる。俺の腹が。

 

「……ゴメン」

 

 思わず赤くなって顔を逸らす。

 何考えてんだよラブコメの神様ホント馬鹿かよ。俺の腹とか鳴らして誰が得すんだよ。

 

「八幡、おなか空いてるの?」

「あーその、朝飯食うの忘れてた」

「もう、ダメだよ、ちゃんと食べないと。体に悪いよ?」

 

 戸塚は可愛く怒りながら俺に向かってクレープを差し出した。

 

「はい、半分こ」

 

 ふらり、バタン。

 

「は、八幡!どうしたの!?大丈夫!?」

「ああ、大丈夫。なんでもない」

 

 単に萌え分が致死量を突破しかけただけだ。

 

「ちゃんと食べないから倒れたりするんだよ。はい、口開けて」

 

 戸塚が俺を殺しにきてる。ありがとう、ラブコメの神様。

 

 戸塚にクレープを半分食べさせてもらって(!)ゲーセンに到着。

 

「どうする?」

「そうだな……久しぶりだし、どんなのあるか全然わからんしな」

「そうだね。まず入ってから面白そうなの探そっか」

 

 大抵のゲーセンは、入ってすぐのところにクレーンゲームが並んでいる。

 これは小さな子供を連れた親子や、ゲームにあまり興味のない女性が入りやすいようにとの配慮だ。

 こういう景品の有るゲームなら、そうした客層であっても物欲に負けて金を落とすことも有り得る。

 そこから右手にサービスエリアと二階へ続く階段。左にはプリクラの筐体が立ち並んでいて、中高生の女子達がきゃいきゃいとやかましい。

 それらを越えた奥には、リズムゲームを主とした体感型ゲームの筐体が見えるが、入口からでは何があるかまではわからんな。

 格ゲーやシューティングなんかのコア向けのコーナーは二階だろうか。

 

「わー。八幡、見て見て、トースターとかあるよ。あ、あの抱き枕可愛い」

 

 可愛い戸塚は、ゲーセンの思惑通りにクレーンゲームに引っ掛かる。可愛いから無問題。

 

「欲しいのあるなら取ってやろうか?」

「八幡こういうの得意なの?」

「得意ってほどでもないけどな。台がまともなら回数こなせば大体取れるだろ」

 

 最後の手段の究極奥義に『代わりに取ってくれるサービス』もあるが、さすがにこれは戸塚の前で使うわけにはいかない。カッコ悪すぎる。いや、別に戸塚とカップルに見られるのが恥ずかしいとか、そんなんじゃないんだからね!

 

「んー、それじゃあ……」

 

 そう言って戸塚が選んだのは、小さな猫のストラップがたくさん入った小さなクレーンゲーム。安物の景品がたくさん取れる、難易度の低いタイプのやつだ。

 このタイプの景品にしては、割りと可愛くてマシな部類に入るとは思うが、質が良いとはお世辞にも言えない。気ぃ遣われちゃったかな。

 まあいい。我が天使がご所望とあらば、それがなんであろうと手に入れるのみ。

 俺は百円玉を投入すると、レバーを操作してクレーンを動かす。

 クレーンゲームにはボタンで操作するタイプと、レバーで操作するタイプがあるのだが、安物の景品の場合後者が多い。

 ボタンの場合、うっかり通り過ぎてしまうとやり直しが利かないため、難易度が高めと言えるだろう。そのため良い景品はボタンタイプの筐体がほとんどだ。ついでに1ゲーム二百円とかのやつがほとんどだ。難しい上に高いってどういうこと。

 対してレバータイプは、通り過ぎても戻すことができるため、時間いっぱいまでクレーン位置を吟味することができる。

 なお、このタイプには60秒間取り放題みたいな機能があって、時間内であれば何度でもチャレンジできるみたいな説明が書かれていたりすることがあるが、一度クレーンを降ろすと、元の位置に戻って景品を放すまでの一連の動作に50秒近く時間がかかるため、二回以上挑戦するのは事実上不可能だ。

 というわけで俺は、制限時間の半分ほどを使って狙いを定め、クレーンを落とす。

 狙い通りに二匹のにゃんこを捕まえて吊し上げる。

 若干不安定だったらしく、出口近くで一匹が落ちてしまう。落ちた猫は、まるで道連れを求める亡者のように出口近くの山を崩し、結果本来無関係なはずの二匹が穴へと転がり落ちた。

 それはさながら人間社会の縮図のようだった。なんでこんなファンシーな空間でそんなものを見せられなきゃならんのよ。

 それはともかく、クレーンに残ってた一匹と偶然落ちた二匹を合わせて、都合三匹のにゃんこをゲット。

 にゃんにゃん三兄弟を戸塚に差し出す。戸塚はその内二匹をつまみ上げた。

 

「……ありがと」

 

 おや?なんか不満気?ど、どうしよう。俺、なんかやっちゃった?

 お願い嫌わないで!なんでもするから!とかリアルに言い出しそうなくらい動揺していると、戸塚は猫の一匹を俺に差し出してきた。

 よくわからないまま手のひらを上に向けると、そこにぽとんと落としてきた。

 

「もう……ホントはぼくがもう一つ取って八幡にプレゼントするつもりだったのに」

 

 戸塚はそう言ってむくれていたが、やがてにっこりと笑ってこう言ってくれた。

 

「……でも、これでお揃いだね。……は、八幡!?そんなにガンガン壁に頭ぶつけたら怪我するよ!?」

 

 これは家宝にしよう。……もう一匹は小町にでもやるか。

 

 

 落ち着くまで少々時間を要した。

 

「はい、八幡。コーラでいいよね?」

「おお、サンキュ」

 

 千葉県民としてはやはりMAXコーヒーと言いたいところだが別にジュースが嫌いというわけではない。何より戸塚がくれたという時点でいかなる高級飲料より優れているのは確実だ。

 

「次は上覗いてみるか」

「うん。ぼく、あんまり得意じゃないから八幡教えてね?」

「おう。つっても最近のやつは俺もやってねえけど」

 

 コーラをチビチビ飲みながら階段を登る。……あれ?今のは手取り足取り教えてやるって答えるところじゃね?

 うおぉおう!なんつう勿体ないことしてんだ俺は!

 いや待て、まだチャンスはあるはずだ。全ての神経を張りつめて、一瞬の機会を決して逃さぬ狩人となれ!

 

「八幡、これやろうよ」

「おう、いいぞ。で、どれ?」

 

 何をやるのか確認もしないで承諾する。

 戸塚が指差したのはゾンビを殺しまくるガンシューティングだった。

 俺としては雑魚は一撃で仕止められる精密射撃タイプの方が好みなんだが、こういうマシンガンで撃ちまくるのもそれはそれで面白い。

 ただ相手がゾンビというのがな……。なんとなく仲間を撃っているようで気が引ける。仲間いないけど。……これ、戸塚が俺を撃ちたいって意味だったらどうしよう。

 

「んじゃやるか。あ、戸塚、泣くなよ?」

「え、なんで?泣かないよ?」

「ホントか?結構怖そうだぞこれ」

「も、もう!ゲームで泣いたりしないよ!」

「問題あるまい。この手のゲームは視覚的に多少グロいだけで恐怖は大したことはないからな」

「ホラ!ぼくだって男の子なんだからね!あんまり意地悪なこと言わないでよ」

「ははっ、悪い悪い。もう言わないよ」

「フッ、信用ならんな。どれ、ここは八幡の代わりにこの我が戦に付き合おうではないか」

「……おい、どっから湧いた材木座」

 

 いつの間にか混じっていた材木座を睨み付ける。

 こ……のヤロウ、マジふざけんなよ。せっかくの戸塚との二人っきりを……!

 

「知れたこと!貴様が我がテリトリーに踏み込んだ瞬間からよ!」

 

 要するに二階に上がってきたときからか。くそっ、油断した。

 

「材木座くんも遊びに来てたんだ」

「左様。ゲーセン通いは我の日課であるからな」

「ゲームするなとは言わんが原稿書けよお前は」

 

 笑って誤魔化す材木座を半眼で睨むが堪えた様子はない。このバカなんとか凹ます方法ねえかな。

 やや物騒なことを考えていると聞き慣れない声が響いた。

 

「おう、剣豪じゃねえか、来てたのか」

 

 見ると眼鏡をかけた老け顔の男が、人好きのする笑顔で立っている。

 

「おお、信玄公ではありませぬか!」

「……知り合いか?」

 

 剣豪というのは材木座のことだ。単に剣豪将軍と名乗っているだけで剣道の達人とかそういう設定はないので注意。つーか実際に剣豪って呼ばれてるの初めて見た。

 にしても信玄公って、材木座の同類か?

 疑惑の目線を向けると信玄公は、ニヤリと歯を剥いて笑って見せた。

 なんだろ、わざとらしいのにすごく様になってる。戦国武将ってこんな感じなんじゃないだろうか?

 

「信玄ってのはな、俺の名前に『げん』って入ってるからって剣豪に勝手に付けられたんだ。字は違うんだがおもしれーからそのまま使わせてもらってる。お前ら、剣豪のダチか?」

 

 テンションとセンスはアレだが中二病というわけではないらしい。ていうか居るんだな、こういう人。あとダチじゃないんでそこんとこヨロシク。

 

「ほむん、信玄公よ。我に友などおらぬ。マジで一人も。こやつは我が半身、はち……いや、『八咫』とでも呼んでやってくれたまへ!」

「人に勝手に妙な二つ名付けんじゃねえよ」

「よろしくな!八咫!」

「あんたも呼ばんでいいから」

 

 材木座とタイプは違うが面倒くさいのは同じらしい。

 辟易しているとくいくいと袖を引かれる感触。

 

「ねえ八幡、ヤタってなあに?」

「八咫烏から取ったんだろ。八咫烏ってのは神武天皇が遠征の際道に迷った時、案内役として遣わされた三本足のカラスのことで、勝利の象徴として扱われている」

 

 もっとも材木座がそこまで知っているかは疑問だが。

 八咫烏はそこそこ知名度があるから、俺の名前の八から連想しただけという可能性の方が大。もっとも八幡も八咫も、元は「八田」から来ているから間違いとも言えないが。

 

「へぇ~、そうなんだ。八幡って物知りだね」

 

 戸塚に感心されてしまった。

 運が良かったな材木座。勝手に混じってきた無礼はなかったことにしてやる。

 ちょっとだけほっこりしていると、また新たに声がした。

 

「部長ー。ジュース買って来ましたよー……って、アレ?」

「おう!サンキューな、真壁!」

 

 俺を見てきょとんとしているそいつは知ってる顔、ゲー研部員の真壁くんだった。

 

「……どうも、奇遇ですね」

「ん?なんだお前ら、知り合いなのか?」

「ええ。こちらは同じクラスの戸塚くんに……えっと……」

 

 この野郎、俺のこと忘れてやがるな?俺が覚えてるのに向こうは覚えてないとか失礼すぎんだろ。なんだそのいつものことは。

 

「同じクラスの比企谷だ。よろしくな、真壁くん」

「ど、どうも……」

 

 頬をひくつかせながら握手に応じる真壁くん。別に力一杯握ったりはしないぞ?負けたらヤだし。

 ちなみになんで俺が一発で覚えてるのかというとあれだ。人の名前覚えるのは難しくても、ゲームでイベントに関連するキャラを覚えるのは簡単だろ。あれと同じだ。

 

「なんだ、うちの後輩かよ!俺は三年の三浦絃之助ってモンだ。改めてよろしくな!」

 

 同じ学校だったのか。さっき真壁くんが部長って呼んでたってことはやっぱそうなんだろうな。だがそれより、

 

「あの……もしかして妹います?」

「いるけど……なんで知ってんだ?」

「うちの学校ですか?」

「一応うちに在籍してることになってるが……」

 

 ……やはりか。すげえ偶然だな。

 

「あの、うちのクラスの三浦さんとは関係ないですよ?」

 

 真壁くんが耳打ちしてきた。

 ええ、なんで考えてることわかったの?エスパー?

 しかしゲー研の部長か。丁度いいっちゃ丁度いい。

 

「ゲー研のことで聞かせて欲しいことあるんスけどいいっスか?」

 

 真壁くんがギョッとした顔をする。

 まどろっこしいのは抜きだ。この人なら多分大丈夫だろ。

 

「……もしかして、真壁が言ってたウチを嗅ぎまわってる奴ってお前か?」

「ええ。多分」

 

 肯定すると部長はにやりと笑った。こういうの異様に似合うなこの人。

 

「生憎だがただで教えてやるわけにはいかねぇな」

「……ただじゃなけりゃいいってことですよね?何すりゃいいんすか?」

「決まってんだろ?ここをどこだと思ってやがる」



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6話

 閃光。

 そう形容するに相応しいパンチだった。

 俗にワンツーと呼ばれる高速のコンビネーション。老いてなお屈強な肉体から放たれた両の拳が、視認すら困難な速度で相手の顔面に突き刺さる。

 怯んだところを更に左、右、左と畳み掛け、体勢を大きく崩した相手の側頭を飛び後ろ回し蹴りが抉る。

 その勢いは着地後も止まることはなく、くるくると独楽のように回転し、連続足払いへと変化した。

 いや、その威力は足払いなどという生温いものではなかった。一撃で相手の脚が真横に弾け飛び、達磨落としのように落下してきた上半身を二撃目が捉えると、今度はその威力の為か真上へと浮き上がる。

 哀れな被害者は、まるで荒波に翻弄されるが如く上へ下へと身体の位置を入れ替え、当人には最早、自身がどのような状態にあるかも分からなかっただろう。

 だが彼の不幸は終わらない。

 老人の掬い上げるような掌打が浮いた身体の中心を穿ち、遥か天までかち上げる。

 木の葉のように舞い上がった男の真下では、この状況を作り上げた老人が、ゆっくりと腕を振り上げていた。

 まるで、内包されたエネルギーが溢れ出しているかのように老人の全身から放電にも似た光が迸り、それは振り上げられた拳へと収束していく。

 やがて――と言っても、時間的には2秒にも満たないだろうが――男が重力に従い落下を始め、老人はそれに合わせるように、否、実際に合わせて紫電を纏った腕を降り下ろした。

 落下のエネルギーに豪腕が加算され、男の身体が鋼鉄の床に、めり込んだかと錯覚するほど強烈に叩き付けられた。

 

 

 K.O!

 

「っしゃあ!」

「やったぁ!すごいよ八幡!」

「でかしたぞ八幡!それでこそこの世で最も邪悪な一族の末裔よ!」

「つ、強えーじゃねーかこのヤロウ……!」

「たりめーだ!ぼっちがゲーム苦手なわけねーだろが!三島流喧嘩空手の真髄見せてくれるわ!」

 

 やいのやいの。

 より集まって対戦祭りである。

 高難度AIとの綱渡りのような戦いも悪くないが、やはり対人戦は熱い。なんつーか裏のかき合いがすごく楽しい。

 

「わはははは!やるじゃねーか、楽しかったぜ!」

「どうも。そっちこそゲー研部長なだけはありましたね」

 

 交代して空いてる席で休んでいると、三浦先輩が豪快に笑いながら隣に腰を下ろしてきた。

 

「んで、勝ちましたけどこれでいいんすか?」

 

 ゲー研の情報を求めた俺に提示された条件というのが、ゲームでの対戦だった。先ほど、苦戦しながらもどうにか勝利を納めたわけだが。

 

「おう!何でも聞いていいぜ。単に遊び相手が欲しかっただけだからな。元々普通に答えるつもりだったぜ?」

「軽々しくそういうこと言わないで下さいよ部長。部員の個人情報にも係わることなんですから」

 

 気安く情報を開示しようとする部長を、同じくゲー研部員の真壁くんがたしなめた。

 

「お前はイチイチ警戒心が強すぎんだよ。そんなん悪用する奴なんかそうそう居るわけねーだろが」

「居るかも知れないでしょう。ていうかそういう問題じゃないですし」

「カッ!疑り深けーヤロウだな!お前ちっと裏切りの洞窟行って信じる心でも探してこいよ」

「僕、アイテム物語読んだことありますけど、あれってむしろ疑心暗鬼を誘発する呪いのアイテムみたいですよ?」

 

 俺は二人のやり取りをじっと眺める。

 最初話した時にも思ったが、三浦先輩は初対面の相手でもある程度好意的に解釈する人間のようだ。

 以前、リア充(真)と(笑)の違いを説明したことがあるのだが覚えているだろうか。判断基準は簡単、比企谷八幡に優しいかどうかだ。

 リア充(真)と(笑)の差は、主にその人間性にある。

 真のリア充は、あらゆる相手に対して優しく振る舞うが、それは他人を善人だと信じているからだ。では何故他人を善人と信じられるのか?それは自分自身が善人だからだ。

 人間は自分を基準に物事を判断する。

 程度の差や、自覚無自覚の違いはあれど、主観でしかものを見ることが出来ない以上、これは避けようのないことと言える。

 ほとんどの人間は、自分が善人ではないために、善人が存在することを信じ切ることが出来ない。

 善人の場合は逆に、他人が善良ではないことを理屈や常識で理解することは出来ても、本当の意味で人を疑うことは出来ないのかもしれない。

 

 俺のような得体の知れない人間を、それも自分の所属するコミュニティに害を為すかもしれない者を、普通に誘って遊べてしまうあたり、三浦先輩は本質的には葉山なんかと同タイプの人間なのだろう。

 外見的には割と典型的なオタクで、いわゆる負け組に属する側に見える。だが本当に充実しているかどうかというのは、他人からどう見えるかは関係ないのだ。

 一方真壁くんは、リスクと利益を秤にかけ、常に他人の目を意識し、常識を盾にして行動する。

 それは極めて当たり前のことで、誰もがごく自然に行っていること。

 つまりは俺と同じタイプ。要するにただの小者だ。

 俺は真壁くんを説得することにした。

 

「そんな警戒すんなよ真壁。ちゃんと初めから説明するからよ」

「まぁ説明してもらえるなら、ってなんでいきなり呼び捨て!?さっきまでくん付けでしたよね!?」

「好感度上がったんじゃね?」

 

 三浦先輩がゲーマーらしい予想を口にする。

 

「今の会話でですか!?なんか上がる要素ありました!?」

「まあ確かに上がったかな。『よく知らん奴』から『どうでもいい奴』にランクアップした」

「おお!やったな真壁!」

「やってないですよ!ていうか上がってるんですかそれ!?」

 

 

「なるほどな。それでウチを嗅ぎ回ってたわけか」

 

 簡単に事情を説明すると、三浦先輩は鷹様に頷いた。こういうのがいちいち様になる人だな。

 

「しかし高坂先輩といい、愛されてますねぇ、五更さんは」

「その高坂先輩って高坂京介のことだよな?どういう人なんだ?」

 

 真壁から何気なく出てきた名前に反応すると、三浦先輩の方が食い付いてきた。

 

「なんだ、高坂のことも知ってんのか?」

「いや、噂くらいですけど」

「そうか!オレと高坂はな、同じ女を愛した、言わば義兄弟ってところだな!」

 

 ……今何角関係なんだよ。ヘキサグラムくらいいってんのか?

 

「一応説明しておきますと、二人して同じエロゲヒロインにマジ恋愛しちゃった痛い人って意味ですからね」

 

 それはそれで嫌だ。つうかエロゲ関連の噂はマジっぽいな。

 

「でもまあ、悪い人ではないと思いますよ。五更さんのことも気にかけて色々動いてくれてるみたいですし」

「そうなのか?」

「ええ。実は昨日も新歓会がありまして、それを利用して女子二人に仲良くなってもらおうとしたんですけど」

「ああ、そんなのあるとか言ってたな。駄目だったろ?」

「それが元々仲悪かったみたい断定ですか!?いや確かにダメでしたけど」

 

 赤城のあの言い草じゃな。正直うんこな未来しか見えん。

 三浦先輩が腕を組み、少し真剣な顔をする。

 

「つーわけでオレらもちっと困ってんだわ。なんか良いアイディアとかねーか?」

「部外者が口出ししちゃっていいんすか?」

「今さらってやつだろ。細けーこた気にすんな」

 

 そう言って歯を剥いて笑う。確かに今さらだ。

 

「それにあいつら、二人とも有望だからな。ウチとしても手放したくねーんだよ」

「有望って、そんなにゲーム上手いんですか?」

「それもあるんだがな、揃ってプログラミング経験者ってのがでかいな」

「え、ゲー研って作る方もやんの?」

 

 てっきりダラダラ遊ぶだけの部活かと。

 

「おう!今度遊びに来いよ。オレ様自慢の滅義怒羅怨をやらせてやるぜ!」

「はあ、行けたら行きます」

「部長、自信満々にクソゲーを勧めないで下さい。一応ゲームコンテストにも時々参加してるんですよ。上位に入ったことは無いんですけどね」

「そういうヌルい姿勢だからダメなんだよ!つうかオレのゲームのどこがクソゲーだ!?」

「全部に決まってるじゃないですか」

「お……ま……メチャクチャバッサリきやがったなテメェ!?」

 

 漫才を始めた二人にトイレと告げ、俺はその場を離れた。

 

 

「疲れた……」

 

 一階のトイレで鏡に向かってため息を吐く。

 久しぶりに沢山話したせいで随分消耗したらしい。

 別に不快なわけではないのだが、俺の場合、根本的に「誰かと一緒に行動する」というのが苦手なのだ。社会に適合しようと思ったらリハビリが必要なレベル。やはり将来は専業主夫しかない。

 なんとなく上に戻る気が起きず、クレーンゲームのコーナーをフラフラと見て廻る。

 人の入りはそこそこで、混雑するほどでもなく、かといって寂しさを感じることもなく。ストレスを感じずに遊ぶなら理想的かもしれない。

 そんな中で、ある台と格闘する少女が目についた。

 長く艶のある黒髪の、思わず見惚れてしまうほどの美少女。下手をすれば雪ノ下にも負けないほどだ。最近どこかで見たような気がするが……まぁ気のせいだろう。

 俺より少し年下であろうその少女は、しばらく台と財布の中身を見比べると、ため息を吐いて去っていった。どうやら諦めたらしい。

 何を狙っていたのか見てみると、それは丸っこくデフォルメされたツインテールの女の子のぬいぐるみ。確か、星くずうぃっちメルルとかいうアニメのキャラだ。

 名前は知ってるけど、同じ時間にマスケラやってたから観てなかったんだよな。一般的にはこっちの方が人気あったらしいけど。こんなとこでも少数派なのね、俺。

 景品はまだ残っているが、位置や積まれ方を見るに取れそうなのは一つだけだ。さっきの娘はこれに挑戦していたのだろう。一つだけやたら取り易そうな形で転がっていた。

 

「……」

 

 なんとなく二百円を投入。

 クレーンは狙い過たずにぬいぐるみの重心をがっしり掴み、あっさりと持ち上げる。

 一発ゲット。つい取っちまったけどどうすっかなこれ。

 

「あ……」

 

 声に振り向くと、先ほどの少女が財布を片手に茫然と見ていた。

 どうも諦めたわけではなく、単に両替に行って来ただけのようだ。悪いことしたな……。

 がっくりと項垂れて立ち去ろうとする少女を、俺は呼び止めた。

 

「おい」

「え?」

「パス」

 

 胸元を狙ってぬいぐるみを投げる。反射的に受け止めた少女は、えっ?えっ?と、手元と俺とを忙しなく見比べていた。

 

「やる」

「そ、そんな!困ります!」

「んじゃ捨てといてくれ。俺、それ要んねえから」

 

 そう言って返事を待たずに歩き出す。ぬいぐるみなんか持ってても仕方ないしな。……フィギュアならともかく。

 それにこのまま別れれば『通りすがりの親切な人』でいられるかもしれないが、迂闊に話すとイメージ下がる一方だからな、俺の場合。

 もっとも今の時点で『なんかいきなり贈り物してきたキモい人』と思われている可能性もある。

 それを裏付けるようなセリフが飛んできた。

 

「ま、待ってください!通報しますよ!」

 

 ……状況を整理しよう。

 女の子が狙っていた景品をうっかり取ってしまい、すごいガッカリしてたからプレゼントしたら通報宣告。

 

「……俺何の罪で訴えられんの?」

「す、すみません!癖でつい!」

 

 なんだ癖か。……癖になるほど通報してるってどういうこと。少年探偵団にでも所属してんのか。

 

「んで、何の用?」

「ですから、これをお返ししようと……」

「だから要らねって。持ち帰るなり捨てるなり好きにしてくれ」

「でも、只で貰うわけにはいきませんし……」

 

 真面目そうなのは印象通りだが、どうもそれ以上に強情なタイプらしい。素直に受け取ってくれるのが、お互いにとって一番良いと思うんだが。

 

「……只でなけりゃいいわけか?」

「……え?」

 

 コクン、と小首を傾げる美少女が一人。

 俺はそれを見て唇を歪めた。

 

「なら一つ、頼みを聞いてもらおうかな」

 

 

「はいよ、お茶で良かったんだよな?」

「あ、ありがとうございます」

 

 新垣と名乗った少女にペットボトルを手渡し、俺はMAXコーヒーの蓋を開けながら隣に腰を下ろした。やはり千葉県民はこれに限る。

 

「んで、相談ってのはさ、後輩の女子二人が仲悪いのを何とかしたいんだけど」

 

 頼みというのがこれだった。

 只では受け取れないと言うので、相談に乗ってもらう謝礼、ということにしたのだ。

 打開策の見えない現状に、意外な目線をもたらしてくれるかもしれない、という期待もある。そっちはダメ元だが。

 初めは警戒心剥き出しだったのだが、冗談で人生相談と言った途端に態度が軟化した気がする。なんでだ?

 

「その二人ってなんで仲悪いんですか?」

「そうだな……片方は真面目で片方は捻くれてる。だから合わない」

 

 俺が言うなって感じだが。

 

「真面目な方に合わせればいいだけだと思いますけど」

「真面目だから正しい、ってことにはならんだろ。そもそも合わせられるくらいなら捻くれ者なんて呼ばれない」

「でも真面目な人なんですよね?なら失敗しても適当なこと言って話を誤魔化したりしないと思いますし、他の人もそっちの方が納得しやすいんじゃないですか?」

 

 おいおい、論点がずれてるぞ。今は『他の人』なんて奴は関係ない。

 

「周りが納得するのと当人が納得するのとは別問題だろ。捻てる方が正しくても真面目な方に合わせるのか?」

「それは……仕方ないじゃないですか。それまで周りに合わせてこなかった人が悪いんですから。捻くれてるってそういうことですよね?」

 

 ……仕方ない、ね。

 

「つまり君は、事実がどうであろうと数が多い方が正しいと、そう言うわけだ」

「……そんなこと言ってないじゃないですか」

「言ってるのと同じだろ。実際の内容よりも周りからどう見えるかの方が重要なんだろ?それはつまり、味方の多い方が正しいと言っているのと同じじゃないのか?」

「そんなつもりで言ったんじゃありません!それに味方が多いってことは、それだけ多くの人に認められてるってことじゃないですか。ならそれで間違ってないと思います!」

 

 少しキツい言い方に反発したのか、新垣がやや大きな声で反論する。先ほどまで多少は好意的な態度だったのが嘘のような剣幕だ。

 だがそんなことは俺にとっては別段珍しいことでもない。怯むことなく反撃する。

 

「数が多い側が揃って間違ってることだって珍しくない。ニュースなんかの間違った情報を鵜呑みにしてる連中とか典型だろ」

「じゃあ捻くれてる方が正しいって言うんですか!?」

「一方的なものの見方をするなって言ってるんだ。例えば君の友達が、君に理解できない趣味を持っていたとして、君はそんな理由で友達をやめるのか?違うだろ?」

 

 そこまで話すと新垣は鼻白んだように黙りこんだ。

 ちっと強く言い過ぎたな……。この娘にこんな厳く当たる必要なんかどこにもないのに。

 この手の話になるとついムキになっちまう。アドバイスを貰う立場でこれはないだろう。

 

「……まぁ、なんだ。君みたいな考えは多くの場合正しいんだけどな。それでも間違えることはある。自分の正しさを信じ過ぎると、大事な時に自分も他人も傷付けることになるから気ぃつけろ」

 

 ばつの悪い顔でそう言うと、新垣は目に涙を浮かべてみるみる顔を青ざめさせ、ってなんで!?

 

「ちょ、どうした!?」

 

 さすがに動揺して声をかけるがそれで精一杯だ。後はどうすれば良いか分からずオロオロするのみ。俺マジ使えねえ。

 

「すみません。大丈夫です……」

 

 新垣は涙を拭ってそう言うが、無理しているのが見え見えだ。本人も誤魔化し切れるとは思ってなかったのだろう。ぽつりぽつりと語り出した。

 

「このぬいぐるみ、友達にプレゼントするつもりだったんです。このアニメの大ファンらしくって」

 

 そりゃまた随分趣味の良い友達だな。所属するコミュニティも含めてそっち方面には縁が無さそうなのに。

 

「私、その娘のこと大好きで、尊敬してて、でもそんなこと全然知らなくて……」

 

 話しながら、また涙が溢れてくる。

 

「私ショックで、信じたくなくて、でも否定してくれなくて、私、もう付き合えないって言っちゃいました。二度と話しかけないでって、言っちゃいました……」

 

 極端だなオイ。どうやらフォローしたつもりで地雷を踏んでしまったらしい。

 

「なんぼなんでもアニメでそこまで言うことねえだろ?」

「……いえ。詳しいことは言えないんですけど、それだけじゃなかったんです」

 

 アニメ以外にも手を出していたらしい。エロゲとか?ハハッ、まさか。精々エロ同人だろ。ねーよ。

 

「その時は、ある人の助けもあって仲直りすることができたんですけど、本当はやっぱり怒ってたんじゃないかなって。もうずっと連絡くれないし、嫌われちゃったんじゃないかって」

 

 もはや涙を拭いもせず、ボロボロこぼしながら独白を続ける新垣。友人というよりほとんど恋人に捨てられたノリである。

 

「このぬいぐるみも、次会った時にあげられれば、機嫌直してくれるかなって、でも、いつ会えるか分からなくて……」

「なあ、仲直りしたってどうやったんだ?二度と話しかけんなとか言ったんだろ?」

 

 延々と沈み続ける新垣に強引に割り込む。いや、単に雰囲気に耐え切れなくなっただけなんですが。

 

「……えっと、その娘の方から仲直りしたいって言ってくれて」

「でも君は拒絶してたんだろ?」

「……はい。私も仲直りしたいとは思っていたんですけど、その趣味だけはどうしても認められなくて。だからそんな趣味やめようって頼んだんですけど、絶対いやって言われて。私、凄いショックでした」

 

 絶対いやってのもすげぇな。いや、俺だって人から「認められないから趣味やめろ」とか言われたら反発するけど。

 

「私、その娘に偽者って言っちゃったんです。こんな人、私の親友じゃないって」

 

 つまり、珍しいパターンではあるがレッテル貼りの一種だな。

 通常、レッテルというのは相手を見下す為に貼り付けるものだが、この娘の場合は相手に理想を押し付けてしまったのだ。そして相手がその理想から外れた為に失望し、身勝手に糾弾した。

 よくある、とまでは言わないが、さして珍しい話でもない。探してみればいくらでも転がっている、ありふれた、下らないエピソードだ。だがまあ……

 

「なのにその娘は、私のこと大好きだって、私も趣味も、両方大事だから、絶対諦めないって。おかしいですよね?」

 

 そう、最後に俺に問いかけた新垣は、相変わらず涙でぐしゃぐしゃだったにも関わらず、どこか誇らしげに見えた。

 俺はそんな彼女に、先ほども思ったことを率直に伝える。

 

「大したもんだな」

「はい。凄い娘なんです。私には、両方手に入れるなんて思い付きもしませんでした。本当に彼女は……」

「いや、俺が言ってんのは君のことだよ」

「え?」

「許せなくて、認められなくて、絶交までして、それでもちゃんと仲直りして今も友達続けてんだろ?普通そこまで行ったらケンカ別れしてそれまでだろ。中々できることじゃねえよ」

 

 俺は友情だのなんだのと、声高に掲げる奴らが嫌いだ。そうしたものを取り扱った、安っぽいドラマも。けれど、

 

「そういった諸々に目を瞑ってでも友達でいたかったんだろ?」

 

 ならばきっと、その友情は本物なのだろう。俺は、本物は否定しない。

 

「相手の娘だって同じだったんだろ。でなけりゃ、そこまで言われた相手とわざわざ復縁したりしねえよ」

 

 だからあんま心配すんな。

 そう言うと、新垣はどうにか笑ってくれた。

 

「比企谷さん……ありがとうございます」

 

 

 

「すみません、お恥ずかしいところをお見せして」

「まあ、気にすんな」

「それに相談に乗る約束だったのに、こっちが愚痴を聞いて貰っちゃって」

「それはむしろこっちが謝らせてくれ。なんか悪かったな、やなこと思い出させて」

「いいえ、実は最近ずっと落ち込んでて。話を聞いてもらえて少し気が楽になりました」

 

 新垣はそう言って微笑むと、突然何かを閃いたらしく、そうだっ、と声を上げた。

 

「お二人に何か共同で作業させてみるのはどうでしょうか?」

 

 一瞬何の事だか分からなかったが、すぐに元々の相談、五更と赤城についてのことだと思い至る。

 

「私も桐……その娘に仕事で色々世話してもらっているうちに仲良くなったんです。だからそのお二人も、同じ目的を与えてあげれば仲良くなれるんじゃないでしょうか」

 

 ふむ、一理ある。

 たとえ嫌いな相手であっても、仕事となれば最低限のコミュニケーションは取る必要が出てくる。そうなれば、友情は無理でも仕事仲間として能力を認め合うことは出来るかもしれない。

 ゲーム制作は共同作業とどこかで聞いたこともある。三浦先輩に提案してみよう。

 

「ていうか仕事って?」

 

 つい聞き流しそうになったところを聞いてみる。確かまだ中学生って話だったはずだが。

 

「あー……その、アルバイト、みたいなものです」

 

 少し困った顔で歯切れ悪く答える新垣。

 ……よくわからんが深く突っ込むと迷惑っぽいな。気にしないことにしよう。

 

「……比企谷さんが相手だとつい話しすぎちゃいますね。なにか調子が狂うと思ったら、知り合いにちょっと似てるんですね」

 

 おいおい、俺に似てる奴とかこの世に存在すんのかよ。

 

「ちょっとだけですよ、ちょっとだけ」

 

 新垣はそう言って、遠くを見るような眼をする。

 その眼は過ぎ去った何かを、もう変えられない何かを見ているようで、後悔と諦めが滲んでいるように見えた。

 

「……もし、一年前に会っていたら、私、比企谷さんのこと好きになっていたかもしれませんね」

 

 そんなことを呟く。

 

「なんだそりゃ。一年前だとなんか違うのか?」

「内緒です。ふふっ」

 

 いたずらっぽく言ってベンチから立ち上がる。

 

「それじゃ、そろそろ私、行きますね。今日は色々ありがとうございました」

 

 そうして最後に向けられたのは、見惚れてしまうような、まさしく天使の、としか形容しようのないとびきりの笑顔だった。

 俺は思わず顔を逸らしてしまう。やべ、顔赤くなってねえか?

 誤魔化すようにポケットをごそごそやると、指に引っかかったのは、今日戸塚と取った猫のストラップ。

 その内一匹を新垣に差し出す。

 

「これ、やるわ」

「え、でもお礼のぬいぐるみはもう……」

「こっちは泣かせちまった侘びだ」

 

 ホントは極上の笑顔を見せてもらった礼だけどな。ぬいぐるみ一つじゃ貰い過ぎだ。言わねえけど。

 

「……そういうことなら」

 

 新垣は猫を受け取ると、確かめるように握り締める。

 

「……あんまり女の子に優しくしちゃダメですよ?好きになっちゃったらどうするんですか」

 

 俺の場合、その心配はするだけ無駄だ。別に優しくもないしな。

 

「……ホント、変なところばっかり似てますね」

 

 なんのことやら。いや、ホント何のことだよ?

 

「はちま~ん、どこ~?」

 

 遠くから耳に甘い声が聞こえる。いつまでも戻らない俺を探しに来たのだろう。少し離れたところを、戸塚が可愛くきょろきょろしていた。時計を見ると既に結構な時間が経っていた。

 

「あ、彼女さんが迎えに来たみたいですよ?」

「ば!ばばばばっか、彼女とかそそそんなんじゃねーよ!」

「ふふっ、意外と可愛いとこあるんですね?私と一緒に居るとこ見られたら浮気と思われちゃうかも?」

「うっせ!もういけっ!」

「あははっ!それじゃあ本当にありがとうございました!」

 

 こうして新垣は俺をからかいながら去っていった。ったく……。

 今のやり取りが聞こえたのだろう。戸塚が俺を見つけてとててっ、と走り寄ってきた。

 

「八幡、こんなところで何してるの?」

「悪りぃ、ちょっとな」

「ふ~ん……可愛い娘だったね?」

「ああ、そうだな」

「……!はっ、八幡!」

「うおっ!?ど、どうした、戸塚?」

「今日は僕と遊ぶ約束でしょ!?」

「お、おう。それがどうかしたのか?」

「~~っ!」

 

 いきなり無言で、というより言いたいことがあるのに言葉にできない、という感じだったが、とにかく戸塚に強引に腕を引かれて歩き出す。

 戸塚が機嫌を直してくれるには、結構な時間がかかった。

 まったく今日はついてない、とは思わない。

 一日に二人も天使と話しておいて、ついてないなどと言ったらそれこそ神罰ものだろう。ゾンビは破魔属性が弱点だからそれは避けたい。あれ、神罰って万能だっけ?

 それはともかく、今日は中々に有意義な休日だったといえるだろう。小町にプリンでも買ってってやるか。



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7話

 一年二人に共同でゲームを作らせてみてはどうだろうか。

 三浦先輩にそう提案すると、ノリノリで賛成してくれた。丁度来月、有名なゲームコンテストがあるらしい。確か『かおすくりえいと』とかいったか。俺も名前くらいは聞いたことのあるやつだ。

 午後から部活があるらしく、早速告知してくると真壁と一緒に帰っていった。

 俺はそれからどうしたかというと、戸塚と一緒に夕方まで遊び倒していた。

 

「八幡よ、書店に寄りたいのだが構わぬか?」

「書店でも特異点でも好きなとこ行けよ。俺は午前中に寄ったから行かねえけど」

「あ、僕も行きたい。見たい本あるんだ」

「何やってんだ材木座、置いてくぞ」

 

 三人で駅前の本屋へ。

 ここは結構大型で品揃えが良く、駅前ということもあって人の出入りが多い。休日だが部活の帰りなのか、制服姿も多数見かける。

 

「で、見たい本って何?」

「ウム。実は『妹空』の続編が出ているはずなのだがな、我の行き付けの店では既に売り切れてしまっていたのだ」

 

 我としたことが予約してなくてな、と、なぜか照れくさそうに笑う材木座。いや、今の戸塚に聞いたつもりだったんだけど……。つうか

 

「妹空ってあれか?現役の女子中学生が書いてるとかいうやつ。お前あんなの読んでんの?」

「なっ!?貴様、あんなのとはなんだ!?」

「いやだってひでぇだろあれ」

 

 好きな作品を馬鹿にされた材木座の反応はもっともだが、正直訂正する気がまったく起きない。

 

 現役女子中学生作家が描く真実の愛。

 

 嘘かホントか知らないが、ていうか嘘だと思うが、そういうアオリで売り出されていた携帯小説なのだがもうこの時点でダメだ。小説なんだから内容で競えよ。なんで作家のプロフィール売りにしてんだ。風俗か。

 

「し、しかしだな八幡、あの作品は中高生を中心に多くの支持を得ていてだな……」

 

 そうなのである。この作品はどういうわけか高い評価を受けていた。ヒット作と呼んでいいだろう。が、

 

「ひどいもんはひどい。言っとくが読んだ上での感想だぞ」

 

 何やらわめき続ける材木座の声を聞き流しながら内容を思い出す。

 俺も評判の高さにつられて手を出してみたのだが、とにかく主人公が酷すぎる。

 浮気援交当たり前のクソビッチで、関わる男がことごとく破滅していくサゲマンぶり。

 冒頭で彼氏がいきなり事故死するし、援交で知り合った実業家は奥さんから訴えられるし、バンドマンは記憶なくすし。

 このバンドマンが本命らしいんだけど、事故やら病気やらでひたすら悲惨な目に合い続ける。入院してる間に親友に浮気されるし。しかもその浮気相手も死ぬしな。

 これでタイトルが『災いを呼ぶ少女』とかだったらまだ納得いくんだが、テーマは純愛というんだから本気で理解不能である。

 どうも、最終的に本命の相手と結ばれれば純愛、みたいに考えてるようなフシを感じられるのだが、なんぼなんでもこれは違うだろと突っ込みたい。ていうかこれ、主人公の名前が『リノ』って、作者思いっ切り自己投影してるよね。何考えてこんなのに自分重ねてんだよ。

 何より恐ろしいのは若い女性達から絶大な支持と『共感』を得ている、ということである。つうか大丈夫なのかこの国。オタク文化より性の乱れをなんとかしろよ。

 まあともかく好きな人は好き、いや、売り上げを考えると逆か。嫌いな人は嫌いな作品なのだ。

 俺には理解できないが、売れてる以上は何か良いところがあるんだろう。

 だから材木座がファンだったからといって、それは別に責めるようなことではない。というか材木座の好みなんぞどうでもいい。問題はだ。

 

「戸塚はどうだ」

「う~ん……僕はちょっと苦手かな」

 

 ぃよっし!

 ふう……これで戸塚が好きとか言ったら自分の好みを変えるために脳手術でも受けなきゃならんところだった。世界を滅ぼすのは論外だ。戸塚が好きと言う以上、世界が間違っているはずがない。

 材木座は俺の説得に失敗したためか、やや肩を落としていたが、新刊コーナーに平積みされた『妹空2』を発見して復活した。

 早速手に取ってレジへ向かう。

 本気で楽しみだったのだろう。ちょっとスキップしてる。その様はひどく気持ち悪かったが、本好きとして気持ちは理解できた。

 

「戸塚はどんな本探してんだ?」

「トレーニングの本とか。部活の練習メニューの参考にしようと思って」

「ああ、なるほど」

 

 戸塚は熱心だな。

 練習メニューなら、前に雪ノ下が組んだものが、とも一瞬思ったが論外だな。

 いや、あれはあれで間違ってないっつうかむしろ正解だと思うんだが、メニュー通りにこなすと4回死ぬからな。素振り、走り込み、腕立て、腹筋背筋をそれぞれ死ぬまでだから。あれ?5回じゃん。

 スポーツ関連の本を探して店内を回る。目的のコーナーは店の隅の方にあった。

 本棚に並んだ背表紙とにらめっこしてキュピーン!とニュータイプの勘に引っかかったものを抜き出す。

 パラパラとページを捲って戸塚の要望に添う内容のものか確認する。ほうほう、中々のおっぱいで。こっちは……世界一足の速い小学生?リア・ハグリィちゃんか。帰ったらチェックだな。いや、アスリートというのは盲点だった。

 そんな感じで何冊か中を覗いていく。3冊目で効果的なトレーニング法という特集の見出しを見つけた。

 

「戸塚、これとかどうだ?」

「あ、良さそう。それとこれかな」

 

 戸塚は俺の選んだ雑誌と、自分で見つけた専門書っぽい本を持って「じゃあ、行ってきます」と、可愛くはにかんでレジに向かった。人目が無ければ行ってらっしゃいのちゅーぐらいしちゃってたかもしれない。

 そんなアホみたいな妄想をしてしまい、人知れず虚しさにうちひしがれる。

 レジは少し混んでいて、戸塚が精算を済ませるまでは時間がかかるだろう。それまで何をしているか。

 午前中に寄ってしまったために、確認しておきたいところはあらかたチェックしてしまっている。

 ラノベの立ち読みでもしようかとも思ったが、おそらく材木座がいるだろうからなんとなく嫌だ。

 仕方ない。後ろでイチャついてるバカップルに天誅でも食らわすか。

 

 ったく、見境なく発情してんじゃねえよ。

 

 このあたりのコーナーは、店の隅だけあって人が少ない。というか来てしばらくの間は、俺と戸塚二人きりの幸せ空間だった。

 ところが本を物色している間に制服姿の男女二人組がやって来たのだ。

 女子が男の腕を引いて通路の角の、本棚の隙間のスペースに押し込み、自らも身体を密着させやがった。

 一応は周りを見回して人気が無いことを確認していたが、俺の隠行スキルは看破できなかったらしい。俺マジSINOBI。

 ちなみに戸塚は俺が体を張って隠した。否、その二人を戸塚から隠した。こんな穢らわしいものを天使の目に触れさせるわけにはいかん。

 この二人、男はしどろもどろで女子の方が積極的なタイプらしい。噂の肉食女子というやつだろうか。

 どうでもいいけど、リア充どもはおとなしい男のことを草食系って言うけどさ、草食動物ってお前らが思ってるほどおとなしくないからね?サイとかカバとかになると状況次第でライオンを殺すことだってあるし。

 閑話休題。

 とりあえず、すぐ後ろで咳払いでもしてしてやろうかと近付くと、一応はヒソヒソのつもりらしい話し声が耳に入った。

 

「……こ、高坂せんぱい?あたし、いまなんだか一瞬身の危険を感じたんですけど……」

「気のせいだ」

 

 ……今、なんつった?

 動揺を表に出さないように注意しつつ、元から薄い気配を意識して殺す。

 本を探すフリをしながらゆっくり近付き、立ち読みするフリをしながら気づかれないように横目で観察する。

 よくよく見れば、二人が着ているのはうちの制服だった。というか女子の方は、最近知り合った一年生のおっぱいメガネ、赤城瀬菜だった。

 ええ?何コレ、どういう状況?

 当たり前だが、二人は戸惑う俺に構うことなく会話を続ける。

 

「あのさあ、おまえって……」

「なんですか?」

「兄貴と仲いいの?」

「ええ~?超悪いですよ!」

「そうなの?でもおまえの兄貴は、ずいぶんシスコンみたいじゃん?」

「そうなんですよ~!きもいったらないんですよね!」

 

 地味面の男子――さっきのが聞き間違いでなければ、こいつが噂の高坂京介だろう――の問いを、一刀のもとに両断する赤城妹。哀れなり赤城先輩。同じ妹を持つ兄として同情する。

 

「いやいや赤城ちゃん。仮にもお兄ちゃんのことを、悪く言うのはよくないぜ?」

「高坂先輩、いやに兄の肩を持ちますねえ………………そ、そっか、やっぱり愛してるんだ……」

「愛してねえよ!」

 

 …………ま、まさかこいつ男にまで手ぇ出してんのか?イヤ、これはさすがに赤城の暴走だろう。そうであって下さい。お願いします。

 

「つーかおまえ、新歓会んときは、『ありがとう、ごめんね、お兄ちゃん。試合がんばって』ってな感じだったじゃん?」

「ぎゃ――ッ!忘れてくださいッ!」

 

 真っ赤になって、高坂京介の襟元を締め上げる赤城。

 なるほど。妹は妹でもツンデレタイプだったわけか。まあ、ブラコンシスコンは兄弟姉妹の義務だしな。

 

「ゲームコンテストに参加することになった件については、どう思ってるんだ?」

 

 お?

 どうやら三浦先輩は、宣告通りに行動したようだ。

 

「どうって……うーん、ここだけの話ですけど……結構楽しんでるってのが、本音です」

「そりゃまたどうして?五更とは、そりが合わねえんだろ?」

「だってチャンスじゃないですか。プレゼンで勝てば、『あたしのゲーム』を『あたし主導』で作ることになるんですよ?あたしの実力を見せつけるにはうってつけのシチュエーションですし、首尾良くゲームを完成させて、コンテストで入賞できれば――」

「できれば?」

「五更さんも、自信が付くでしょう?『ああ……こんな私でも、赤城さまの言うとおりにすれば、人と協調して、何かを創り上げることができるのね……。ありがとう、あいらぶゆー、あなたのおかげで目が覚めたわ』とまあ、そんな感じですか?」

 

 なるかボケ。頭悪いんじゃねえのかこのアマ。

 悪いやつではないんだろうが、なんでリア充ってのはこう、自分の都合を最優先でものを考えんのかね。

 多分、こいつみたいな連中にとって、こういうのは100%善意のつもりなんだろう。実際多くの同調を得ているからこそ、ここまでナチュラルに増長できる。

 だがそれは、あくまでも多数であって全てではない。それが理解できてないから、何故反発されるかがわからない。否、その理由を考えない。

 もっとも赤城のこれはそれ以前の問題という気もするが……。

 

「どーせ先輩は、五更さんの味方をするんでしょうけど。負けませんからね、あたし」

「自信がありそうだな」

「とーぜんです」

 

 二人の話はそれで終わったらしく、移動を開始した。

 俺はB・T(ぼっち・透明)フィールドを全開にして緊急離脱。戸塚と合流し、一応材木座も拾って店を出て、そのまま解散となった。

 

「ばいばい、八幡。また遊ぼうね」

「さらばだ!また会おうぞ!」

「おう。また明日な、戸塚」

「あ、あれ?八幡、我は?」

 

 戸塚と別れて家路につく。

 なんかやたら長い一日だった。

 高坂京介か……。

 正直思っていたのとは大分違ったな。

 数々の噂から、堕ちた葉山というか性格のねじまがったイケメンを想像してたんだが、思ったより地味というかハッキリいってモテるタイプには見えなかった。

 赤城と一緒にいた時の様子を見ても、それほど女慣れしているようにも見えない。まあ、その割りに動揺してる様子も見えなかったとか、あの体勢、絶対おっぱい堪能してたよねとかも思ったけど。

 何より複数人、高坂京介の直接の知人から話を聞くことができたわけだが、いずれも悪感情は見えなかった。

 やはり噂話よりは知り合いの評価の方が信が置けるだろう。

 もっとも本性を隠すのが異様に上手いだけ、という可能性もある。火のないところに、とも言うしな。

 いずれにせよ、注意を払いつつも基本ノータッチで、という方針は変わらないだろう。高坂京介がまともな奴だというなら、単に心配事が一つ減るだけだ。

 そういえば赤城の奴、高坂京介に負けませんとか言ってたな。その前にもプレゼンで勝てばとか言ってたし。

 ……プレゼンってなんだろ。多分ゲームコンテストに関係してることだと思うんだが。

 明日雪ノ下にでも聞いてみるか。

 

 

 

「プレゼンテーションの略。聴衆に情報を提示して理解・同調を得る行為を指す。企画や研究成果の発表などで用いられることが多いわね」

 

 さすがユキペディアさん。頼りになります。

 翌日の放課後、部室で雪ノ下と由比ヶ浜に昨日あったことを簡単に説明し、ついでに「プレゼンって何?」と聞いてみたところ、この言葉が帰ってきた。

 

「つーことはあれか。どんなゲームを作りたいかの説明会ってとこか」

「ゲーム研究会での話に限定すれば、その認識で間違ってないでしょうね。おそらく赤城さんと五更さんがそれぞれ企画したゲームの説明をするのでしょう」

「でも勝ちとか負けとかってなに?ただ説明するだけじゃないの?」

 

 由比ヶ浜が口を挟む。ある意味もっともな、しかし社会というものを知る者からすれば、非常に馬鹿馬鹿しい疑問だ。

 

「いいか、由比ヶ浜。ゲームを作るには色んなものが必要になる。予算とか時間とか人手とかだ。だが、当たり前だがそういったものには出せる限度ってもんがある。だからその限度をオーバーしないために、どのゲームを作るかの取捨選択をしなければならない」

「ふぇ?」

「複数の人間が同時に企画を立てた場合、どちらの企画が組織にとってより有益かを見極めなければならないわ。それを判断する為に開かれるのがプレゼンなの。だから企画した人達にとっては組織に自分をアピールする為の勝負の場とも言えるわね」

「はひ?」

「全部の企画を実行できるだけの力があればそんな必要もないんだけどな。残念ながら世の中ってのはそんな便利にできてない。俺も詳しいことは知らんがゲーム製作の終盤は修羅場と言われていて、それこそ死人が出ないのが不思議なくらい悲惨な状況になるらしい。働きたくねえなぁ」

「はう?」

「本来なら単純に企画の主旨と概要を説明する為のものだったのだけど、今では意味が変質して、同僚を蹴落とす為の場になってしまっているわね。あいつら、自分の無能を棚に上げて人の粗探しばっかり……。他人の足を引っ張るより自分を高めようとは思わないのかしら。ねえ、足引き谷くん」

「えっと……」

「ゲーム製作の現場って霊とか出やすいらしくてな、しょっちゅう金縛りになるんだと。で、幽霊見つけると『今忙しいんだ!金縛りになってる暇なんかねーんだよ!』って、数人がかりでドロップキックやらラリアットやらかまして退治すんだとさ。誰が足引き谷くんだ、なんで俺の小4のときのあだ名知ってんだよ。玉入れとかクラス全員参加なのに、負けると俺一人のせいにされるんだぞ」

「あうぅ……?」

 

 おっと、気がつくと由比ヶ浜のライフがゼロになっていた。情報量が処理能力を越えてしまったらしく、プシュ~ッと頭から煙を出している。

 

「おーい、平気か由比ヶ浜ー」

「う、うん……なんとか……」

 

 フラフラと頭を振って再起動する。

 

「えっと……つまり、五更さんと赤城さんの、どっちのゲームを作るかをそのプレゼンで決めるってこと?」

「おーよしよし、よくできました」

「ふにゅ……って違う!あ、頭撫でんなし!」

 

 一瞬、目を細めて気持ちよさそうにしたと思ったら、真っ赤になって怒り出す由比ヶ浜。ちっと調子に乗りすぎたか。我が部の誇る氷の女王さまも、冷気を纏わせた視線を投げ掛けている。

 

「比企谷くん、人生で最期に食べるとしたら何が良いかしら?」

「……何その不吉極まりないアンケート。なんのためにんなこと聞くわけ?答えるとどうなんの?」

「あなたの最期の晩餐のメニューからその品が外されるわ」

「外されんのかよ!?最期の晩餐って普通、これから死ぬ奴にせめてもの慰めとして出されるもんだろ。そんなとこで嫌がらせとかどんだけ鬼なんだよ」

「答えたくないなら答えなくていいわよ。何も出さなければ良いだけなのだし」

「だから鬼か!そもそもなんで俺が処刑されなきゃならん。罪状はなんだ!?」

「セクハラは死罪よ。私がそう決めたもの」

「何この独裁者。自由すぎんだろ……」

「大丈夫、あなたが死んでも代わりはいるもの」

「いねえよ!名ゼリフでとんでもねえパロかましてんじゃねえ!」

「……パロ?」

 

 冷気どころじゃなかった。自由の女神も真っ青である。お前もうソフトクリームでも持って校長像の替わりに立ってろよ。

 

「……むぅ~」

「……なんだよ」

 

 何故か由比ヶ浜が頬を膨らませていた。

 

「……なんかヒッキー、ゆきのんと仲良くない?」

「……お前の目はビー玉かなんかなのか?どこをどう見たら仲良さそうに見えるんだよ」

「だって!二人ともさっきからすごい楽しそうにおしゃべりしてるし!なんかズルい!あたしも混ぜてよ!」

 

 羨ましいんだったら代わってくれよホント。あと後半はともかく前半はお前が勝手にリタイアしただけだからな?

 由比ヶ浜は雪ノ下にじゃれついて、首もとに絡み付いている。雪ノ下は迷惑そうな顔をしながら拒みはしない。

 ったく、お前らの方がよっぽど仲良しじゃねえか。二人で勝手にゆるゆりしてろよ。

 呆れているとノックの音が響いた。

 

「失礼しま……失礼しました」

 

 返事を待たずにドアが開き、そこから顔を覗かせた男子生徒が、雪ノ下と由比ヶ浜を見て一瞬固まってから去っていく。

 

「ま、待ちなさい!比企谷くん、捕まえて!」

 

 おお、雪ノ下が焦ってる。それでもナチュラルに命令してくるあたりはなんつうかさすがだが。

 

「へいへい。おーい、真壁。気にしなくていいから入ってこい」

「はぁ……。それじゃ、改めて失礼します」

 

 ドアを閉めただけで立ち去ったわけではなかったのだろう。声をかけるとゲー研部員の真壁楓がすぐに現れた。



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8話

「それで、この出歯亀男は何者なのかしら?」

 

 雪ノ下雪乃は、部室の真ん中で正座させられている真壁楓を冷たく見下ろしながら、そう言った。どうでもいいけどなんで俺まで正座させられてんの?

 俺は雪ノ下の疑問に端的に答えた。

 

「こいつは真壁。同じクラスでゲー研部員だ。今回の件で協力を取り付けたから、その説明の為に来てくれるように頼んどいたんだよ」

「お願いしたのはあたしだけどね」

 

 そうなんだよ。この野郎、俺が頼んだときは散々渋ったくせに、由比ヶ浜が頼んだら一発でOKしやがった。そんなに巨乳が好きか。俺も好きです。

 

「……なるほど。つまり比企谷くんが覗きの手引きをしたということね」

「話聞いてた?説明の為に呼んだだけで、しかも頼んだのは由比ヶ浜だよ?覗きはあくまでも真壁の個人的な趣味だからね?」

「いや庇ってくださいよ!?そんな趣味ないですから!変なタイミングで入っちゃったのはただの事故ですから!」

 

 悲鳴を上げて自己弁護する真壁を、しかし雪ノ下は冷たいままの眼で睨めつける。

 

「たとえ本当に事故だったとだとしても、ノックの返事も待たずに部屋に入るというのはどういうつもりなのかしら?マナー以前に常識を疑うわ。状況次第では訴えられてもおかしくないと思うのだけれど」

「それは……その、すみませんでした」

「……もういいわ。次からは気をつけるように」

 

 ようやくお許しが出て、膝の埃を払いながら立ち上がる。やれやれ、酷い目にあった。

 

「比企谷くん。あなたに立っていいと言った覚えはないのだけれど。一体誰の許可を得て足を崩しているのかしら」

「待てオイ。実行犯が解放されてんのに、なんで巻き込まれただけの俺が正座続けなきゃなんねんだ。理由を分かりやすく説明してみろ」

「私がなんとなく気に入らないからよ」

「理不尽だけど分かりやすい!」

 

 なんとなくって言っちゃってるよ!俺Mとかそういう性癖無いんでやめてほしいんですけど。

 

「……で、お前はさっきから何やってんの?」

 

 正座している俺の隣、よりもやや後方で、膝を抱えるような形でしゃがみこんでいる由比ヶ浜に疑惑の視線を投げる。その格好、あとちょっとでパンツ見えるぞ。

 由比ヶ浜はなんというか、そわそわした様子である一点を凝視している。

 

「……ねえヒッキー」

「なに」

 

 嫌な予感しかしないんですが。

 

「突っついていい?」

「ダメ」

「えい!」

「うぎょろべ!?」

 

 足の痺れを紛らわすために転げまわる。ダメって言ったよね!?ねぇ!?

 

「何……しやがる……!」

「あはは……。ゴメン、つい」

「ついじゃねえ!お前だってこれの辛さぐらい知ってんだろ!?自分がやられて嫌なことは人にするなと「えい!」ぎゃわばら!?」

 

 再び床を転げまわる俺。

 雪ノ下が常に清潔にしているとはいえ、わざわざ転がりたいとは思わないのだが、そんなことは気にしてられない。のたうちまわる俺を見下ろす由比ヶ浜が、頬が紅潮していてちょっと色っぽいとか思う余裕も無い。

 少しでも刺激を抑える為、うつ伏せてエビ反りになって足を持ち上げる。その状態のままヒクヒクしている俺に、呆れたような声が振りかけられる。

 

「……何をやっているのあなたは。お客がいることを忘れているの?」

「あはは、ゴメンゆきのん。面白くって、つい」

 

 だからつい、じゃねえだろ。雪ノ下じゃなくて俺に謝れ。それと雪ノ下さん、なんで単数形でしかも俺に言うんですか?

 

「まったく……TPOをわきまえなさい。次は私がするからそれで最後にするわよ」

「えー?ゆきのんズルい!」

「ズルいとかそういう問題じゃねえ!TPOわきまえろとか言っといてなんで続けようとしてんだよ!?お前こそわきまえろ!」

 

 頬染めてそわそわしてんじゃねえよ!……可愛いって卑怯だよな。

 

「……仕方ないわね。まずは話の方を片付けてしまいましょう。比企谷くんはそれまで正座を続けるように」

「するかっ!」

「えー?やってよヒッキー。ホラ、ゆきのんあんなに残念そうにしてるよ?」

「そう思うんならお前がやってやれよ」

 

 実際、雪ノ下は哀れみを誘うほどにガッカリしている。

 なんなのこの娘。そんなに俺が苦しむところが好きなわけ?愛?愛なの?そんなものが愛だと言うのなら、俺は愛など要らぬ!

 退かぬ媚びぬ省みぬの精神で今度こそ立ち上がる。だから残念そうにしてんじゃねえよ二人とも。

 

「あのー、そろそろ僕のことも思い出してほしいんですけど……」

 

 部室の隅で所在無さげに佇んでいた真壁楓が、ボソリと小さく呟いた。

 

 

「つーわけで、ゲー研の方でなんか動きがあったら伝えてもらえることになった」

 

 俺はもう一度日曜にあったことを簡単に説明し、三浦先輩に協力を取り付けたことを二人に伝えた。

 まあ、逆にこっちで何かあった場合はゲー研に連絡することになってるのだが、現状そっちのパターンが起こる可能性は限りなく低い。なにしろ問題の中心となる人物は一人残らずゲー研側だし。

 だからこの条件は三浦先輩の気遣いなんだろう。……ウチのクラスの三浦さんも見習ってほしいものだ。

 雪ノ下は話の内容を確認すると、小さく頷いてから真壁に向かって丁寧に頭を下げた。

 

「ご協力感謝します。後日改めてお礼に伺うと、そちらの部長にもお伝えください」

「い、いやいやいや!お礼とか別にいいですから!ホラ、部長とか基本ノリだけで行動する人ですし」

 

 真壁は真っ赤になって謙遜している。別に真壁個人に感謝したわけではないはずだが、まあ美人慣れしてるようにも見えんしな。

 

「それで、昨日早速ゲーム作りのこと説明するって話だったけど、どうなったんだ?」

「あ、はい。部長が二人を説得して、コンテスト用のゲームを一本作ってもらうことになりました。それで二人がそれぞれ制作中のゲームのどちらかを、という話になったんですけど……」

「今度はどちらのゲームを作るかで揉めだした、と」

 

 雪ノ下の言葉に真壁はハイ、と頷く。昨日赤城が言ってたのはそれか。

 

「それで今度プレゼンを開いて、二人にそれぞれの作品をアピールしてもらことになったんですけど……」

 

 そこで真壁が口ごもった。

 

「どしたの、真壁くん?」

 

 由比ヶ浜が先を促すが、真壁の表情は晴れない。

 

「今日の部活でついさっきのことなんですけど、その……高坂先輩が、あ、最近ゲー研に入部した先輩なんですけど、その人が、って、え?」

 

 高坂京介の名前が出た途端に殺意の波動を放ち始めた女子二人に真壁がビビる。

 そういや五更と赤城についてばっかりで、奉仕部内での高坂京介の評判が最悪だってのは話してなかったな。

 真壁は助けを乞うように、俺に説明を求めてきた。

 

「あ、あの、どうしたんですか?この二人……」

「まあ色々あってな。それで、高坂先輩がどうしたんだ?」

「ええと、その……エロゲー作ろうとか言い出しまして」

「…………What?」

 

 何を言っているのか分からない。あまりに意味不明な発言に、雪ノ下と由比ヶ浜も目を白黒させている。

 

「……えーと、なんだ。え?何それ?」

「今度応募する予定のゲームコンテストなんですけど、ジャンル毎に分けて評価されるんですよ。RPGとかSTGとか。当然応募数にも偏りがあって、人気のあるジャンルでは賞を獲るのが難しくなります。そこで、比較的賞の獲りやすいジャンルを狙おうと言い出して……」

「その狙い目のジャンルがエロゲーってことか」

「はい……」

 

 疲れたように頷く真壁。

 まあ、筋は通ってるよな。

 部活なんか生徒全員強制参加の学校とかでもない限りは、基本自分の趣味に合わせて入るもんだ。

 つまり五更も赤城もゲーム好きで、しかもプログラミング経験者ってことは、元から作る方に興味があったってことで。

 そういう奴がコンテストに参加するとなれば、良い成績を残したいと思うのはごく自然なことだろう。だから少しでも競争率の低いところを、というのはおかしくも何ともないことだ。

 雪ノ下あたりなら小賢しい小細工、とでも言うかもしれないが、俺はそうした部分も含めて努力だと思う。

 つまり何が言いたいかというと、高坂京介の言い分は正しい。正しいんだが……

 

「……それ、後輩の女の子にエロシーン書けってことだよな?」

「そうなんですよ……」

 

 またかよ。最高すぎんだろ高坂先輩。

 思わず師匠と崇めてしまいそうだ。絶対やらんけど。

 

「それ、ただのセクハラじゃん!」

 

 由比ヶ浜が非難の声を上げる。まあ当然の反応だな。

 雪ノ下は無言だが、プレッシャーがね、もう木星帰りかってくらい圧倒的。オールドタイプにも伝わっちゃうとか凄すぎだろ。

 

「まあ落ち着け。そんな意見通るわけねえんだから。んで、結局何作ることになったんだ?」

「それがその……18禁ゲームで行こうってことになっちゃいまして……」

「オイッ!?」

「いや、僕は反対したんですよ!?でも部長がノリノリで五更さんまで賛成しちゃってそういう流れになっちゃって!だから雪ノ下さんも由比ヶ浜さんもその汚物を見るような目をやめてください!」

 

 いや、その視線は順当なものだと思うぞ?

 賛成に回ったという部長はもちろんだが、止めなきゃならん立場であっさり見過ごした真壁も同罪だ。

 しかし今のセリフで重要なポイントはそこではないだろう。

 

「五更が賛成したってのはどういうことだ?」

 

 俺の言葉に由比ヶ浜が表情を変える。今気がついたらしい。

 セクハラされる側がそれを受け入れるというのは、普通に考えればまともではないだろう。

 高坂京介に対してネガティブな印象を抱いている俺達としては勘繰らざるをえない。精神的な拘束、いわゆる脅しとかそういうのをだ。

 

「単純に、それで成績が良くなるなら、って言ってましたね。あとは高坂先輩に対する信頼でしょうね。五更さんもかなり恥ずかしそうにしてましたけど、高坂先輩の言うことなら何だかんだで聞きますから」

 

 真壁の言葉に、雪ノ下と由比ヶ浜はヒソヒソと何ごとかを話し合う。女子のヒソヒソ話ってトラウマ刺激されるからやめてほしいんだけど。

 にしても信頼ねぇ……。五更の話でそんな単語が飛び出すとは思わなかった。

 

「しかし18禁ゲームか……。五更にそんなもん書けんのか?」

 

 赤城の方は平気な気がするけどな。ジャンルは偏りそうだが。

 

「その辺りは大丈夫なんじゃないですかね。五更さんもまるきり経験ないってわけじゃないみたいですし。あ、18禁モノの創作って意味ですよ?男性の身体には知識が無いと言ってましたけど、高坂先輩が手伝うって言ってましたし」

「ふーん……おい、それまさか『作画資料を提供してやるぜフヒヒヒヒ』とかそういうことか?」

 

 ガタン!と顔を青ざめさせて由比ヶ浜が立ち上がる。

 それを見た真壁が慌てて否定した。

 

「い、いやいや!そんなんじゃありませんから!多分!五更さんだってその辺りはちゃんと拒絶してましたから!」

 

 ……拒絶したってことは、それらしいことは言ったってことか?あと今多分って言ったよな?

 取り乱す由比ヶ浜に、雪ノ下が声をかける。

 

「由比ヶ浜さん、落ち着いて」

「でも!」

「とりあえず高坂京介について、一年生を中心にセクハラ先輩という噂を流しましょう。少なくとも、それで今後新たな被害者が出ることは防げる筈よ。……由比ヶ浜さん、お願いできるかしら?」

「……うん!分かったゆきのん!」

 

 雪ノ下の要請に決意の表情で頷く由比ヶ浜。

 激しく動揺してる者でも、明確で分かり易い目標を与えてやれば冷静さを取り戻す。なんつーかさすがだ。

 そしてこれで高坂京介が後輩から告られるイベントは、可能性のレベルから摘み取られたわけだ。ザマミロ。

 そんな二人を見ていた真壁が、何かを恐れるように俺に耳打ちしてきた。

 

「あの……あの二人、もしかして高坂先輩のこと嫌いなんですか?」

「まあ、ちょっとな……」

 

 説明できない、というか説明するのが面倒くさいので適当に誤魔化した。

 

 

 二人の様子に、やや怯えた風に真壁が退室したあと。

 今度こそ放っては置けないと、急遽、高坂京介対策会議が開かれた。

 

「絶対ヤバいって高坂って人!高校の部活で、その……Hなゲーム作れとか、どう考えても普通じゃないじゃん!」

「全面的に同意ね。手近な女性に捻じ曲がった劣情をぶつけているとしか思えないわ。少なくとも真っ当な神経の持ち主なら有り得ない発想よ」

「五更さんも幼馴染みさんも騙されてるんだよ絶対!こんな変態好きになるとかどう考えたっておかしいもん!ヤダもうマジキモい!ヒッキーよりキモい!」

「きっと妹さんにも無理矢理破廉恥なゲームを押し付けて一緒に遊んだりしているのでしょうね。吐き気がするわ」

 

 高坂先輩フルボッコの巻。二人揃って思い込みだけで滅茶苦茶言ってます。ところで由比ヶ浜、俺を引き合いに出す意味ってあったの?

 いや、俺も別に庇うつもりは無いんだが、周りがこうヒートアップしてるとどうしても冷めちまうというか。

 高坂京介の最初の印象が悪すぎたせいか、二人とも冷静になるのが難しいらしい。特に雪ノ下なんか、面識の無い相手を『きっと』でああまで罵倒するというのは、普段ならそれこそ有り得ないだろう。

 

「とりあえずちょっと落ち着けお前ら」

「ヒッキー?」

「比企谷くん?」

「五更が誰を信用してようが、それは俺達が口出しすることじゃねえだろ。もう高校生なんだし、その辺の判断くらい自分で出来んだろ」

「……あなた何を言っているの?五更さんを見捨てるつもり?」

「そうだよヒッキー!このままほっといて手後れになったらどうすんの!?」

「放っとくとは言ってねえだろ。俺が直接話してくるよ。五更か、高坂京介と」

 

 

 

 翌日の昼休み、俺は五更を探して裏庭へ向かっていた。

 一応、先に三年の教室も覗いてみたのだが、高坂京介の姿は見えなかったので、もうそういう星の下に生まれたものだと思うことにした。

 ……なんで行き先を聞かなかったのかって?

 俺を誰だと思ってる。見知らぬ上級生に話しかけられるわけないだろうが。

 初心忘れるべからず。押して駄目なら諦めろだ。

 

 話をつけてくるという俺に、二人ともかなり食い下がってきた。主に、俺にコミュニケーションがとれるのか、ということで。

 まあ確かにこういうことなら普通は由比ヶ浜の出番なんだろうが、五更とまともに話したことあんの、この中じゃ俺だけなんだよな。

 それに由比ヶ浜は五更とは相性悪い気がする、なんとなく。雪ノ下は論外だしな。

 それにあんな噂が飛び交ってる男に女子を差し向けるわけにもいかんし。……言っとくがこれはあくまでもついでの理由だぞ。ハチマンウソツカナイ。

 五更瑠璃は、以前俺と話したベンチで以前と同じように座っていた。

 

「よう」

「……どうも」

 

 五更は何時かと同じように、無表情に俺を見上げてきた。

 今度は前置き抜きで隣に腰を降ろす。五更は一つため息を吐くと、弁当箱に蓋をした。

 

「……またお昼を食べる場所を探していたのかしら?」

「まあそんなとこだ」

「陰でこそこそ嗅ぎ回っているようね。なんのつもり?」

 

 五更が鋭く睨みつけてくる。敵意を隠そうともしないのは個人的に非常に好感が持てる。

 さて、こいつと高坂京介が本当はどういう関係なのか。

 少なくとも、健全な付き合いなのかどうかだけでも確認する必要があるわけだが、どうするか。

 

「お前って、高坂京介と付き合ってんの?」

 

 ゴト

 

「おい、弁当落としたぞ」

「と、とととととつでん何を言い出すのかしらこの男は。何故この私があんな人間の雄と契りを結ばなければならないの?そういうことはまず連理の誓いと比翼の契約を交わし光の属性へ転聖(クラスチェンジ)を果たしてから……」

 

 動揺しすぎだ。途中から何言ってるか分かんねえし。あと契りとか俺そこまで言ってないよ?

 

「ちっと落ち着け」

 

 俺は五更が落とした弁当箱を拾いながらそう言った。

 幸い蓋が開いたりはしてない。中身までは分からんが多分大丈夫だろう。少なくとも食えなくはない筈だ。

 

「わ、私は落ち着いてるわ。一体何を根拠に私が動揺してるなんて思ったのかしら。というか何故あなたが先輩のことを知っているの?繋がりがまるで見えないのだけど」

 

 別に繋がりってほどのもんでもねえんだけどな。マジで。噂話と顔を知ってる程度。

 

「根拠もなにもどもりすぎだ。なぁ、お前高坂先輩のどこが好きなの?」

「だ、だから!私は別に先輩のことなんて」

「セクハラ大王なんだろ?」

「え?」

 

 五更は一瞬きょとんとしてから、取り直したように同意して見せる。

 

「そ、そうね。発情期の狗と変わらない、呆れた雄よ。まったく、年下の女と見れば見境なく手を出して……」

「ふーん、二股疑惑は本当なんだな。他にも居るっぽいけど。エロゲマニアってのも聞いたんだが?」

「ま、まあエロゲーはあの男のライフワークと言って良いでしょうね。ところで二股とか他の女とやらのことを詳しく……」

「つくづくろくでもねえんだな。こりゃ妹にまで手を出してる鬼畜野郎ってのもマジなのかもな」

「……ええ、そうね。先輩は実の妹を心の底から愛して止まない変態よ」

「ああ、やっぱそうなんだ。シスコンを自認する俺でもさすがに引くわ」

「……」

「いやマジ引くわ。妹相手に二股とか有り得ないっしょマジで。変態鬼畜先輩マジパナイわ。どうせ二次元相手にマジ恋愛してるような痛い奴なんだろ?ホントこんな奴」

「黙りなさい」

 

 低く、暗く、重い声が響く。

 見れば堕天聖黒猫がドス黒いオーラを放ちつつ、ドドドドドッ!とジョジョっぽい書き文字を背負っていた。つーか超コエー。

 

「さっきから黙って聞いていれば、一体何様のつもり?あなたが先輩の何を知っているというの?」

 

 いや、黙ってはいなかったよね?

 どうやら、とか言うまでもないようだが、ようやく怒ってくれたらしい。バカの真似までした甲斐があった。

 俺と五更は大して親しくもない。そんな相手から本音を引き出すにはどうすればいいか。

 方法は色々あるだろうが、手っ取り早いのは怒らせることだろう。

 怒りは容易に本音を引き出す。後は黙っていても勝手に喋ってくれる筈だ。

 

「いいこと?先輩は確かにシスコンの変態よ。でもそれが何?妹を愛するのは家族として当然のことでしょう。それの一体何がいけないというの」

 

 その辺はまったくもって同意見だ。もしかしたらこいつも妹いるのかもな。

 それはともかく相手のことを何も知らないまま盲信しているわけではないらしい。

 

「二股?あの男にそんな甲斐性あるものですか。大方いつものノリで誰かを助けて過剰に感謝されていたんでしょうよ。まったく、あの雄はいつもいつも……」

 

 ……助けて?

 

「大体エロゲーの何が悪いというの。思春期の男なのだから性欲くらいあって当然でしょう。私だって好きなアニメのキャラで妄想するのは日々欠かさないわ」

 

 あ、こいつもバカなんだ。気付いてないみたいだけどトンでもねーこと口走ってんぞ。

 

「いい?よく聞きなさい。私はね、彼が妹の為に無様晒して必死になって駆けずり回る姿を見て好きになったのよ。それを侮辱するというのであれば、たとえ誰であろうと赦しはしないわ」

 

 五更は真っ直ぐに俺を睨みつけてそう言った。

 その瞳に宿る物は、揺るぎなき信念。

 俺は、知らず気圧されていた。

 

「……オーケー。俺が悪かった」

 

 アメリカ人のように両手を上げて降参のポーズを取る。どうもこいつとは相性が悪いらしい。やっぱ由比ヶ浜に任せりゃ良かったかな。

 

「……ふん。もう余計な真似はしないでもらえるかしら。不愉快だわ」

「了解。他の二人にも言っとくわ」

 

 俺は立ち上がりその場を後にする。五更はこちらを見る事もなく食事を再開していた。

 ……さて、奉仕部の依頼はこれにて完了だ。高坂京介の人格についての確認は取れなかったが、五更なら大丈夫だろう。

 

 ……あいつらになんて説明すっかなあ。



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9話

「一体どういうつもりなのかしら?」

 

 奉仕部の部室にて、俺はまたしても正座させられていた。

 正面には椅子に腰掛け、ゴミクズを見るような目をした雪ノ下が。

 後ろには、仁王立ちで猛獣のシャドウ(ポメラニアン)を背負った由比ヶ浜がそれぞれ俺を見下ろしている。

 

「いやあのそのですね、やれることはもう大体やったし後は若い者に任せて年寄りは退散した方がいいんじゃないでしょうか、なんて」

 

 しどろもどろで言い訳になってない言い訳を吐き出す。

 これがどういう状況なのか。

 今日の昼、俺は一人で五更のところに赴き、勝手に依頼を打ち切ってしまった。その事を二人に責められているのだ。

 

「比企谷くん。あなたは何度も私を驚かせてくれるのね。これ以下には下がりようがないと思っていた評価が更に下がることになるとは思いもしなかったわ」

「ヒッキーどういうこと?五更さんのこと見捨てないって言ったのに」

 

 もっともこの二人が気にかけているのは、依頼の成否云々よりも五更の身の安全の方だ。つまり、五更に関わる口実が失われたことが問題にされているのだ。

 

「……あー、そのだな。五更なら多分大丈夫だろ」

「ちょっとヒッキー、適当なこと言わないでよ」

「適当じゃねえよ」

 

 これは本音だ。決して二人の追求を面倒がっているわけではない。

 確たる根拠が有るわけでもないが、俺は五更を信じることにしたのだ。

 

「……本気で言ってるの?」

「ああ」

 

 そもそも依頼について出来ることは、もう本当に残ってない。

 

「飢えた者に魚を与えるのではなく、魚の捕り方を教える。お前が言った事だぞ、雪ノ下」

 

 五更の友人になれそうな相手を見付け、ゲーム制作というきっかけも用意し、お膳立ても整えた。

 ここから先は当人同士の問題だ。これ以上の手出しは奉仕部の理念に抵触する。

 

「もし、上手く行かなかった場合、それはあなたの責任になるわよ。それでもいい?」

「好きにしろ」

「……随分強情ね、あなたらしくもない。何かあったの?」

「たまにはそういう事もあるってだけだ。高坂京介は元々依頼の外のことだ。納得いかないなら好きにすればいい。だが、五更にはもう関わるな。そういう約束だ」

 

 雪ノ下はしばらく俺を見詰めていたが、やがて目を閉じると小さくため息をついた。

 

「……やはりダメね。ゲーム研究会が終わる時間を見計らって、今度は私と由比ヶ浜さんで五更さんと話しに行きましょう」

「あれ!?」

 

 由比ヶ浜が意表を突かれたような声を上げる。うん、俺も意表突かれたよ。おもくそな。

 

「……なぁ、今のって納得いかないながらもひとまずは認める流れじゃなかったの?」

「何を言っているの?納得いかないなら認める筈がないでしょう」

「いや、そうかもしれんが、ここは普段と態度が違う俺に免じてとりあえず信じてみるとか……」

「バカなことを言わないで。あなたに何か信用に値する要素があるとでも思っているの?あなたが関わっている、それだけで疑う理由としては充分でしょう」

「なるほど納得。表出ろこのヤロウ。前々からお前とは一度ハッキリ決着つけなきゃならんと思ってたところだ」

「ふっ、ついに馬脚を現したわね。口で勝てないから腕力に訴えようなんて、低俗な有象無象の考えなんていつも同じね。ところで私は合気道の有段者なのだけれど、本当に表に出てしまっていいのかしら?」

「額を地面にこすり付けますからいじめないで下さい」

「よろしい」

「ヒッキーカッコ悪……」

 

 うるせえ仕方ねえだろ。力に訴えようなんて低俗な有象無象の考えはいつも同じだ。暴力ダメ絶対。

 つうかなんなのこいつ?美人で金持ちで頭良くて運動出来て戦闘能力ありとかおかしいだろ絶対。ラノベのヒロインかなんかなの?

 戦維喪失して本当に土下座する俺を見下ろし満足気に微笑む雪ノ下と、蔑みを通り越して憐れみの視線を向けてくる由比ヶ浜に、どうしてくれようかと思考を巡らせている時のことだった。

 

 

『お兄ちゃんに言いつけてやるんだからっ!』

 

 

 どこかから、そんな叫びが聞こえてきた。

 

「…………なに?今の……」

「いや、俺に聞かれても」

 

 唖然と呟く由比ヶ浜に、思ったままを答える。

 

「……下の階からかしら?」

 

 雪ノ下がぽつりと漏らす。よく分かるなそんなもん。

 しかし下と言うとゲー研か?そういや聞き覚えのある声だった気もする。聞き間違いでなければ、あれは多分……

 記憶を探っていると、コンコン、とノックの音が響き渡った。

 

「どうぞ」

 

 雪ノ下がドア越しに告げると、失礼しますという言葉と共に開かれた。

 

「どうも」

 

 そこには真壁が、どこか困り顔で立っていた。

 

 

「赤城さんが、逃げた?」

「はい……」

 

 雪ノ下の言葉に、真壁は力無く頷いた。

 真壁の話によると、五更と赤城のプレゼン対決は今日だったらしい。

 初めは赤城が優勢だったらしいのだが、決を取る段階になって、赤城のゲームにある致命的な欠点が発覚。結果、5対0の満場一致で五更のゲームが採用されることになったそうだ。

 赤城はそれにショックを受け、『プレゼンに負けた側が勝った側のゲーム制作を手伝う』という約束を放棄して逃走したらしい。

 ……致命的な欠点ってなんだろう。ガチホモゲーだったとか?さすがに無いか。

 

「……それって、大変なんじゃない?」

 

 大変だろう。本来なら真壁も俺達に構っている余裕は無いのかもしれない。

 にも関わらず、約束を守って律儀に状況報告に来てくれてるのだから、こいつも大概なお人好しだ。

 

「……五更はどうするって?」

「一人で作ると言ってます。でも、元々二人分の作業量でスケジュールを組んであるんで、正直厳しいと思います」

「みんなで手伝えばなんとかなるんじゃないかな?」

 

 由比ヶ浜から出た意見に、しかし真壁は首を横に振った。

 

「部長は手伝う気ないみたいです。新入部員の実力テストって名目なんで。高坂先輩は手伝うつもりですけど、こっちは完全に素人なので戦力にはならないと思います」

「それにこれは、あの二人に仲間意識を持たせる為のものだからな。ただゲームを完成させるだけじゃ意味が無い」

 

 真壁の言葉に補足する。

 このゲーム制作は、五更と赤城を協力させることが目的なのだ。

 いざとなれば部員全員で手伝うのもありだろうが、そこから赤城が抜けていたのでは本末転倒になってしまう。

 

「とにかく時間を置いてからもう一度説得に行ってみます」

 

 真壁は最後にそう言って退室した。

 

 

「さて、比企谷くんのせいで折角のゲーム制作が台無しになりかけているわけだけど」

「おい」

「……さすがに意地が悪かったわね。ごめんなさい」

「……」

 

 なんだろう。素直に謝られた方が百倍気持ち悪いってどういうこと?雪ノ下に対して気持ち悪いなんて思った奴、この学校で俺だけなんだろうな。

 

「それにしても困ったわね。赤城さんが約束を破って逃げ出すなんて……」

「そういうタイプの娘には見えなかったんだけどなあ……」

 

 雪ノ下の呟きに相づちを打つ由比ヶ浜には、少なからず失望が見える。

 まあ気持ちは分かる。俺も赤城が責任を放棄するタイプには見えなかったしな。

 とは言えだ。

 

「なんだかんだ言ってもまだ高校生になったばっかだしな。感情が制御出来ないことだってあるだろ」

 

 感情に流されることなく理性的な判断を下せることが大人の条件だとするなら、例えどれだけしっかりしてるように見えたところで、15やそこらのガキが大人として振る舞うのは無理な相談なのだ。

 実際、高校生なんてまだ子供だ。それは俺達だって変わらない。いや、良い歳した大人にだって、それが出来ない人間は大勢いる。

 筋が通っていないことが分かっていたとしても、それで納得出来るかはまた別の問題なのだ。

 

「とにかく、あたし達からも赤城さんに部活に戻るようにアプローチして……」

「いや、その辺はわざわざ俺らでやらんでもゲー研でやるだろ。寧ろ、ろくに接点の無い俺達がでしゃばっても不審がられるだけだ」

 

 由比ヶ浜の言葉を首を振って否定する俺に、雪ノ下が鋭い視線を投げ掛ける。

 

「では、どうすると言うの?」

「どうもしねえよ。初めに言ったろ、俺達に出来ることはもう終わった。後は当人同士の問題だ」

 

 雪ノ下は少し考える素振りを見せると、不快そうにため息を吐いた。

 

「……仕方ないわね。依頼はここまでだわ」

「……ゆきのん、いいの?」

「良いも悪いもないわ。出来ることが残ってないもの」

 

 そして俺を睨み付けて言った。

 

「言っておくけれど、別にあなたが正しいと認めたわけではないわよ。いいわね?」

「あぁ、わかったわかった」

 

 フン、と鼻を鳴らしてそっぽを向く雪ノ下。

 どうも俺の言った通りになるのが気に入らないらしい。この負けず嫌いさんめ。

 

 

 

 それから数日が過ぎた。

 翌日から赤城は、部室に顔を出さなくなったらしい。

 真壁が説得に向かったらしいが『もう行きません』と言われてしまったそうだ。

 俺達は俺達で、苦肉の策として、葉山を通して兄貴の方から働きかけてもらおうともしたのだが、肝心の赤城先輩の機嫌が悪くて話にならなかった。

 どうも妹が口を利いてくれないらしい。そんなんなったら俺でもグレる、つうか多分死ぬ。

 

「困ったわね……」

 

 雪ノ下の呟きに、答えることも出来ない。

 どうにもならない状況が続いていた。

 ゲー研はゲー研で動いている。それでダメなのだから、部外者の俺達にはどうしようもない。

 ……本当に依頼は失敗かもしれないな。

 ふと、そんな考えが去来した、その時だった。

 バンッ!と部室のドアが勢いよく、というより寧ろ乱暴に開かれる。

 驚いて目をやると、由比ヶ浜がドアを開けたままのポーズで突っ立っていた。

 

「……由比ヶ浜さん、どうかしたの?」

 

 雪ノ下の問い掛けにもろくに反応がない。顔を青ざめさせて小刻みに震えている。

 

「おい、どうした?」

 

 その尋常ではない様子に改めて声をかけると、由比ヶ浜はどこか虚ろな声で呟いた。

 

「……五更さんが」

「!? おい、五更がどうした?」

「五更さんが、高坂京介の家に連れ込まれてるって……」

 

 

 由比ヶ浜が真壁から聞いた話によると、五更と高坂京介の二人は、赤城が抜けたにも関わらずコンテスト用のゲーム制作を続け、その作業を高坂京介の自宅で行っているらしい。

 つまり、作業中は二人きり。しかもこれは既に、数日間にわたって行われているらしい。

 ……まあ、確かに色々と妄想の膨らむシチュエーションではあるが、正直俺は、二人に何かがあるとは思っていなかった。

 五更にしても、高坂京介にしても、そういった事に積極的なタイプには見えなかった。

 無論、俺の勝手な思い違いという可能性もあるし、何より年頃の若い男女のことだ。雰囲気に流されることだって十分有り得る。が、それはそれで構わないとも思っている。

 だが女子二人が、そうは思わないことも分かっていた。

 

「あたし、五更さんと直接話してくる!」

「だから五更にはもう手出しするなって約束が」

「そんなこと言ってらんないよ!手遅れになったら……ううん、手遅れでも別れさせなきゃ……!」

 

 言うが早いか、由比ヶ浜は部室を飛び出して行った。

 放課後になってさほど時間も経ってないし、五更を捕まえることは出来るだろう。

 雪ノ下は由比ヶ浜を見送った後、ため息を吐いて自らも立ち上がる。

 

「おい、何する気だ?」

「由比ヶ浜さんが五更さんの説得に当たるなら、私はもう一人の被害者に会ってくることにするわ」

「……もう一人?」

「高坂京介の幼馴染みよ。確か田村麻奈実先輩だったかしら。ここのところ高坂京介は五更さんに懸かりきりで、田村先輩は放置されている状態らしいわ。今なら私の言葉でも届くかもしれない」

 

 そういやあったな、そんな設定。こいつよく覚えてたなそんなもん。

 雪ノ下は俺に向かって口を開いた。

 

「あなたはどうするの?このまま不干渉を貫くつもり?」

 

 それは単なる意志確認の言葉だったのかもしれないが、俺には『お前も何か動け』と言っているように聞こえてしまった。

 より具体的に言うと、『自分達が話している間、高坂京介を足止めしろ』と言われている気がした。

 俺はため息を吐いて首肯した。

 

「……わかった。もう一人とは俺が話しておくわ」

「そう」

 

 雪ノ下は素っ気なく、しかしどこか満足気に頷くと部室を出ていった。

 さて、俺も行くか。このまま放っといてbadendってのも気分悪いしな。

 

 

 

 学校から駅に繋がる道の途中にある丁字路。俺はそこで壁にもたれ、人が来るのを待ち構えていた。

 家に帰るにせよ、駅前に遊びに行くにせよ、この場所は必ず通る。

 ここ数日の間、目標の行動は定型化している。ならば、パターンを読んで先回りするのは難しいことではない。

 懸念材料があるとすれば、一度奉仕部に出てからここに来たので、もうとっくに通り過ぎた後でした、ってな可能性も十二分に有り得ることだったのだが、どうやらそれは杞憂に終わったらしい。

 目的の相手が、数人の女子とお喋りしながら歩いて来るのが見えた。

 俺は壁から身を起こし、その相手の前に立ち塞がった。

 

「よう」

「あ……ヒキタニセンパイ?」

 

 俺を見た眼鏡の少女、赤城瀬菜は目を丸くしていた。



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10話

「えっと……どうかしたんでしょうか?」

 

 赤城は特に警戒もせずにそう言った。ま、赤城から見れば俺は部外者だしな。

 

「ああ、ちっとお前に話があってな」

 

 雪ノ下達は思い違いしているようだが、今回の依頼、と言うより五更瑠璃を巡るゲー研での騒動における主役は、五更と赤城の二人だ。

 高坂京介は、重要人物ではあってもあくまで脇役にすぎない。この状況で彼に接触したところで何の意味もないだろう。

 

「今日はどこまで遊びに行くんだ?」

「……なんでセンパイにそんなこと教えなきゃならないんですか」

「いや別に。ただ、ここ何日か毎日遊び歩いているみたいだからな」

「……!」

 

 赤城は俺の言葉にサッと顔を青ざめさせる。

 ギャラリーはキョトンとしているが、さすがに赤城は俺が何を言いたいのかを読み取ったようだ。

 赤城はここ数日の間、俺の言葉の通り部活をサボり、空いた時間でクラスの友達と遊び歩いているらしい。が、やはり後ろめたくは思っていたのだろう。

 

「……それは、その、色々用事とかあるんです、わたしにも」

 

 目を逸らしながら、ボソボソと聞き取り難い声で言い訳する。ということは、次は……

 

「別にいいじゃないですか。ていうか、ヒキタニセンパイには関係無いじゃないですか」

 

 やはりそう来たか。

 まず言い訳。次にお前には関係無い。そして責任転嫁が来て、最後には『みんなそうしてる』と、どこの誰だかわからない奴らに合わせて安心しようとする。

 

「大体わたしは初めから乗り気じゃなかったんです。それなのに無理矢理一緒にやれって。そんなんで真面目にやろうなんて思うわけないじゃないですか」

 

 リア充ってのは、追い詰められるとどいつもこいつも同じことをする。なるほど、確かに『みんなそうしてる』な。

 

「そんなの誰だってやる気なんか起きませんよ、ええ。わたしじゃなくたって、みんな反発するに決まってます」

 

 だが気付いているか、赤城瀬菜。

 わざわざ意識して口に出す時点で、そいつは『みんな』から外れているんだぞ。

 

「そうだな。みんなそうする」

 

 それがわからないというのなら、俺が教えてやる。

 

「元々一人でやってたことを、先輩命令でいきなり馬の会わない奴と二人でやれと言われて、しかも自分の作品を却下された挙げ句に嫌いな相手を手伝えと。そんなもん、誰だって逃げ出したいと思うよな」

「で、ですよね!?わたしは全然普通ですよね!?」

「ああ、普通だな。どこにでもいる、ごく普通のクズだ」

 

 絶句して固まる赤城に、容赦なく続ける。

 

「例えば車のまったく通らない道での信号待ち」

 

 お前らリア充は、自らを疑うことなく正義と諳じる。

 

「安全なことが判りきっているなら、わざわざ青に変わるのを待つ必要なんかないよな。多分、みんな信号を無視して道路を渡る筈だ。俺だってそうする」

 

 実際お前達は多くの場合正しく、強く、だからこそ他者から慕われ人が集まるのだろう。

 

「だけどそれは、赤信号を渡っても良いとルールが変わったわけじゃない」

 

 だがな、赤城。それは正しいから数が集まるのであって、数がいるから正しいわけではないんだ。

 

「『みんなそうしてる』。そんなことが何の言い訳にもならないことくらい、分かっているだろう」

 

 そこを履き違えている限り、お前達の強さ正しさは本物足り得ない。

 

 リア充は高みに居る。

 リア充は明るい舞台に居る。

 

 この表現は、実のところまったくもって正しい。

 リア充は実際、高く明るい場所に居るのだ。

 だからこそ低い場所、暗い場所からはハッキリとよく見える。そして逆に、明るい舞台上からは、暗い客席の様子は分からない。

 

 だが赤城。お前になら見える筈だ。

 光の中からでは見透せない闇の中が。

 高みからでは目の届かない谷底が。

 お前達が弱者と、敗者と、間違いだと蔑んだ者達の心が。

 闇に、谷底に堕ちた今ならば。

 戦いに敗れ、己れの弱さを突き付けられ、間違いを犯して自己嫌悪にうちひしがれている今ならば。

 お前達が畏れ忌み嫌う闇の中にあるモノが、お前達と何も変わらぬ人間だと解る筈だ。

 

「ま、折角ここまで堕ちて来たんだ。もうちょい見学してけや」

 

 

「何……言ってるんですか……?」

 

 赤城は怯えたように、震える声を絞り出す。

 

「見学ってなんですか……意味分からないこと言わないで下さいよ……」

 

 ろくに面識があるわけでもない相手に、突然ワケわからんことをまくし立てられれば、そりゃ面喰らうだろう。

 実際俺が言ってることに大した意味なんか無い。誰にでも言えることしか言ってないんだから。

 

「なぁ赤城。今の気分はどうだ?逃げ出して、投げ出して、遊び呆けているのは楽しいか?」

 

 だけどそれでもいいんだ。

 はっきりと伝わらなくても、連想さえしてくれれば。

 お前は真面目な人間だ。責任感のある人間だ。

 だから今苦しんでいる。自分を許せないでいる。

 苦しいだろう。悔しいだろう。惨めだろう。

 だけどその感情は、ぼっちが、俺のような人間が、五更瑠璃が、いつもお前達に対して抱いている感情なんだぜ。

 

「情けないよな。上から目線で偉そうなこと言って、自信満々で出陣してボロ負けとか」

 

 俺の心無い罵倒に、赤城はとうとう耳を塞いでへたりこんでしまう。だが俺は追撃の手を緩めない。

 

 お前達の強さは偽物だ。

 本当に強い人間というものは、己れの正しさのみを信じ、それ以外の全てを拒絶し、世界に戦いを挑み続けるような者のことだ。例えば雪ノ下雪乃のように。

 

 あるいは周囲と協調し、共鳴し、期待に応え続けながら、それでも自分の芯の芯だけは決して曲げない者のことだ。例えば葉山隼人のように。

 

 さもなくば周囲から拒絶され、敬遠されながらも己れを貫き、その上で尚他者に向けて手を伸ばし続けることが出来る者のことだ。

 例えば――五更瑠璃のように。

 

 五更はぼっちだ。

 雪ノ下ではなく、俺と同じタイプの、弱さ故に周りに馴染めない人間だ。

 五更はきっと、疎外され、除外されながら生きてきた筈だ。

 何しろあいつは中二病だ。それも、ほとんど初対面の俺に向かって平然とぶちかますくらいのガチ。

 使い分けが出来てるようには見えないし、それが無くても人付き合いが得意なタイプとは思えない。

 その様は、俺も元中二病だから簡単に想像出来る。材木座という現役の例もあるしな。

 だけどあいつは友達が居ると言った。高坂京介を好きだと言った。

 俺と同じ道を歩んでいるにも関わらず、友情を信じ、誰かを好きになった。

 

 愚かしいことだ。

 

 想いとは裏切られるものであって、報われることなど無いと、身に染みて知っている筈なのに。

 学習能力が無いのかと、そうも思った。

 だがそんな筈は無い。学ばない筈が無いのだ。苦しい想いをするのは自分なのだから。

 苦しむと知って、傷付くと知って、それでも手を伸ばす事がどれほど難しいか。俺はそれを良く知っている。かつてそれを諦めて、投げ出した結果が今だから。

 だからだろうか。俺は五更の想いを、普段なら鼻で笑う筈のそれを、美しいと思ってしまった。

 真剣で、懸命で、それこそギャルゲーのヒロインの如き一途な恋に、現実に存在する筈が無いと思っていた『本物』を感じてしまった。

 

 五更を、応援してやりたいと思ってしまった。

 

 要するに俺は、五更瑠璃という少女を、と言うより人間を気に入ってしまったのだ。

 万一、高坂京介が五更を泣かすようなことがあればぶちのめす。こっそりそんな誓いを立てるくらいには。

 弱いことが罪だとは思わない。俺だって弱いから。きっと他の誰よりも。

 だけど、いや、だからこそ、弱者が強者の邪魔をすることは許せない。

 

「バッタもんが本物の足引っ張ってんじゃねえよ」

 

 

 

「先輩、なんだかよく分かんないですけど止めてもらえませんか?赤城さん嫌がってるじゃないですか」

 

 突然脇から声がかかる。

 赤城の連れの女子だった。俺の暴言を見かねて割り込んできたのだろう。良い友達持ってんじゃねぇか。

 

「うちらこれから遊びに行くんで、邪魔しないでもらえます?赤城さん、行こ」

 

 言って、えーと、名前わかんね。ポニテちゃんで良いか。ポニテちゃんは赤城の手を引いて歩き出す。

 無論、そのまま行かせるわけにはいかない。俺は二人の前に立ちはだかった。

 

「どいてくれませんか。そっち行きたいんですけど」

「生憎だがそいつに用事がある。行きたきゃそいつを置いてけ」

「うちら赤城さんと遊ぶんです。先輩の都合なんか関係ないんですけど」

「奇遇だな。俺もお前らの都合なんかどうでもいい」

「な……!」

 

 引き下がる気配を見せない俺に面食らったようだが、ポニテちゃんはすぐに何か思い付いたようにニヤリと口元を歪める。

 

「良い性格してるじゃないですかセンパイ。空気読んで下さいよ。目付きやたら悪いし、もしかして友達いないんじゃないですか?」

 

 痛いところを突いたつもりなのだろう。少し得意気にも見える。

 だが甘い。そんな言葉が有効なのは、友達の数をステータスだと思っている奴が相手の時だけだ。俺クラスのぼっちにダメージを与えたかったら、雪ノ下レベルになってから出直してこい。

 

「確かに友達はいないが、空気を読めないってのは誤解だ」

「ハッ!やっぱり友達いないんじゃないですか。誤解?どこが!空気読めないから作れない……」

「俺は空気が読めないわけじゃない。読んだ上で無視してるだけだ」

「より酷いじゃないですか!?」

 

 この返事は想定してなかったらしい。狼狽えて辺りを見回し、いつの間にか結構な数が集まっていたギャラリーの一角に向かって声を上げる。

 

「ちょっと男子!ボケッと見てないで助けなさいよ!」

「エエッ!?俺ら!?」

 

 おそらくクラスメイトなのだろう。その他大勢に紛れていたチャラい感じの男子が悲鳴を上げた。

 

「普段調子良いことばっか言ってんだから女の子が困ってる時くらい助けなさいよ!」

 

 ポニテちゃんの声に注目が集まり、視線に押されるようにして二人の男子が渋々前に出る。

 初めは嫌そうにしていたが、俺を軽く観察して顔を見合わせるとニヤリと笑った。

 髪を明るく染めた、一年にしては背の高い、個性的なように見えて、その実無個性の極致のような典型的なリア充(笑)。

 こういう奴らは、注目を浴びるのは好きだが目立ちすぎるのは嫌と、実に面倒くさい性質を持っている。

 今回のイベントは、ヒョロい男一人(俺)を追い払って同じクラスの女子を助けるというもの。

 相手が先輩らしいことを差し引いても、程々に目立つには手頃だとでも思ったのだろう。揃ってニヤけながら近付いてきた。もうちょい年上を敬いたまえ君達。

 

「あー、センパイ?この娘ら迷惑してるみたいなんで消えてもらえません?」

「生憎俺は電球じゃないんでな。点いたり消えたり出来ねえんだ」

 

 凄めば引き下がるとでも思っていたのか。それとも単純にバカにされたと思ったのか。二人の顔からニヤけが消える。どうもカチンときたらしい。

 

「……センパイよぉ、俺ら見逃してやるって言ってんだよ」

「二人相手に敵うと思ってんのか?」

「思ってるが。試すか?」

 

 平然と答える俺に一瞬鼻白むが、すぐさま顔を赤く染めて俺の胸ぐらを掴み上げる。

 

「……オイ。一つ上だからって調子乗っててててて!?痛い痛い痛い痛いッ!?」

 

 そしてその次の瞬間には、俺がその腕を捻り上げていた。

 何が起きたのか分からずに固まっているもう一人に向けて突き飛ばすと、受け止め切れずにまとめて倒れ込む。

 

「邪魔だ」

 

 一言だけくれてやると、二人はヒッ!と息を呑んで抵抗の気配を消した。

 さっきのは昔テレビでやってた護身術。確か合気道かなんかで、指一本を掴んで軽く捻るだけで相手を制圧出来るというものだ。

 それを俺が脳内でアレンジしたものの一つで、今のは胸ぐらを掴まれた時用。理屈さえ理解してしまえば応用は利く。実際に使う日が来るとは思わんかったが。

 

 ……使わないと思ってたのになんでそんなもの考えてたのかって?聞くなよ……。ぼっちはそういうの、考えちゃうものなんだよ……。

 ちなみにこういうの考えると試してみたくなるもんだけど、友達いないからって妹で試すと親父から反撃が来るので注意。ちくしょう、奥歯折れるくらいおもくそブン殴りやがって……。

 

 まあ、とにかく何だ。内心でヒビってるようなガキに、開き直った俺を止められるわけねーだろ。

 男子二人があっさり撃退されたのを見て、ポニテちゃんが顔を青ざめさせる。だがそれでも赤城を見捨てる気はないらしい。気丈に俺を睨み付けている。

 ……ホント、良い友達持ってんじゃねえか。

 そろそろ潮時かと、どうやって退くか考えていた時のことだった。

 

 

「……何をやっているの、あなたは」

 

 

 後ろから聞こえた声に振り向くと、五更瑠璃が寒気のするような眼で睨んでいた。

 

「余計な真似はするなと、そう言っておいた筈よね。あの女もあなたの差し金なのかしら?」

 

 底冷えするような五更の声に、俺は思わず一歩下がる。

 迫力が異常だ。とんでもなく不機嫌らしい。

 あの女というのは由比ヶ浜のことだろう。一体何言ったんですかガハマさん。

 五更は俺の返事を待つことなく、スタスタと歩いて間を詰める。そして俺の前で一言。

 

「邪魔よ」

 

 今度は俺が息を呑む番だった。

 邪魔するつもりも無かったが、普通に気圧されて横に退いてしまった。

 

「……五更さん、その人と知り合いなの?」

 

 ポニテちゃんが五更に聞くと、五更はフンと鼻を鳴らして答えた。

 

「……知り合いと言えば知り合いね。二度ほど話したことがあるだけだけど」

「やっぱり!赤城さんが気に入らないからって知り合い使って嫌がらせとか、恥ずかしいと思わないの!?」

 

 強引過ぎるこじつけだが、ポニテちゃんにとって敵は一纏めにしておきたいのだろう。その方が楽だから。

 五更もそうした心理を理解しているのか、気に留めることも無く俺の横を通り過ぎる。

 

「下らない言い掛かりは止めてもらえるかしら。私は忙しいの。あなた達ごときに割く時間なんて無いのよ」

 

 そして赤城とポニテちゃんをも通り過ぎる。歯牙にもかけないとはこのことだろう。

 そんな五更が、赤城の脇でふと脚を止めた。

 

「……あと二日よ」

 

 振り向くことのないまま、背中越しに声をかける。

 

「二日以内に完成させるわ」

 

 一体何の話か。誰に向けての言葉か。それが解るのは、この場に三人だけだったろう。

 

「なん、で……」

 

 その三人の内の一人、赤城が五更の背中を見上げて弱々しく呟いた。

 

「言った筈よ。目にもの見せると。あなたはそこでそうして俯いていなさい」

 

 五更はそれだけ言い残し、足早に立ち去った。分かってはいたが、本当に忙しいのだろう。

 

 目にもの見せる。

 

 誰に、何を。いつの話なのか。俺にも分からない。

 それを知っているであろう赤城瀬菜は、五更の立ち去った方を呆然と眺めている。

 同じくそちらを見ていたポニテちゃんが、唐突にくるりと俺に顔を向け、改めて睨み付けてきた。

 俺は小さく両手を上げて降参のポーズを取る。そのまま背を向けて、学校の方へ歩き出す。

 俺が居なくなると同時に、ギャラリーの何割かが赤城に殺到する。赤城のお友達とやらなのだろう。

 これだけの数の目の前で苦しんでいたというのに、実際に手を差し伸べたのはたったの一人だけ。やはりリア充なんてろくなものじゃない。

 それとも嵐が過ぎ去ってから一緒になって陰口叩くのが友達ってものなのかね。

 そんな関係性を至上と考え、今も一丸となって俺に敵意を向けてくるその集団に吐き気を覚える。

 だけど、たった一人だけでも、本当に苦しい時に寄り添ってくれる相手が居るというのなら、それほど捨てたものでもないのかもしれない。

 赤城、他の奴らはどうか知らんけど、ポニテちゃんだけは大事にしとけよ。



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11話

 部室に戻ると屍が二つ転がっていた。

 二つの死体は勿論由比ヶ浜と雪ノ下のものだ。

 転がっていたと言っても床に横になっているわけではなく、まあ何と言うか、全てを出し切った矢吹さんを想像してもらえれば大体合ってると思う。もっともあんな爽やかさは微塵も感じられないが。

 

「……おーい、生きてるかー?」

「スイーツ(笑)……クソビッチって……なんで3号なの……?」

「怯えた……この私が……?信じられない……姉さん以外にあんな人がいるなんて……」

 

 声をかけてもこんな調子でブツブツ繰り返すだけでロクに反応がない。

 つうか正直、由比ヶ浜の方はある程度予想通りなんだけど、雪ノ下までこんな有り様ってどういうことよ?

 確か高坂京介の幼馴染みと話しに行ったんだよな?一体何者だよ幼馴染み。心に魔王でも飼ってんの?ベルフェゴールさん?

 まだ見ぬ田村先輩とやらに密かに戦慄を覚えつつ、今日はもう部活にならんだろうと帰り支度を始める。

 とは言っても、読みかけのまま放り出したラノベを鞄に突っ込めばそれで完了だ。後は二人が正気に戻るのを待たなければならないが、まあそれほど時間はかからないだろう。多分。

 窓からゆっくりと沈みゆく夕陽を眺めつつ、なんとなく昔のことを思い出す。ふと、ため息が漏れた。

 

「……久々にやっちまったな」

 

 

 

 

 それから二日。

 一年生を中心に、『やたら目付きの悪い上級生が一年の女の子を公衆の面前でいじめて泣かせた』という噂が駆け巡った。それはもう、セクハラ先輩の噂を塗り替える勢いで。

 赤城自身には話を広める気が無かったことと、俺の名前を間違って覚えていたのが幸いしてか、俺個人のことは特定されてないようだ。

 噂の内容が『目付きが悪い』というのもポイントだ。これが目が腐ってるだったら一瞬で特定されてた自信がある。

 

 雪ノ下と由比ヶ浜も、ダメージは抜けきっていないようだがどうにか復活した。

 五更の宣言通りなら、今日にはゲームは完成する筈だ。確かコンテストの締め切りにはまだ一週間ほどあったと思う。

 真壁の話だと、二人でやってギリギリ間に合う作業量だった筈。

 つまり五更が並外れて優秀だったということか。

 いや、手伝いに入ったという高坂京介が、予想より使える奴だったという可能性もある。それとも完成を優先してクオリティーを下げたか。

 何にしても、赤城は結局部活には出ていないらしい。

 雪ノ下達は今度こそ手出し出来なくなったらしく、ただ状況を見守るばかり。

 つまるところ、奉仕部は五更に対して何もしてやれなかったことになる。情けない限りだ。

 

 

 購買での激戦の果てに手に入れたいくつかの戦利品を持って、ベストプレイスを目指して歩いている時の事だった。

 階段で見知った顔を見かけた。五更だ。

 急いでいるのかやたら早足で、俺に気付くこと無く歩み去っていった。

 そしてその直後、五更を追いかけてか高坂京介が走り抜けていき、さらにその後から由比ヶ浜が現れた。

 

「なんかあったのか?」

「あっ、ヒッキー」

 

 声をかけると由比ヶ浜は立ち止まった。

 由比ヶ浜によると、雪ノ下と部室で今後の相談をしながら昼食をとっていたところ、下の階、要はゲー研の部室が妙に騒がしい事に気が付いたらしい。

 様子を見に行くと、五更と高坂京介が部室から飛び出してきたので、慌てて追いかけてきたそうだ。ところで昼休みの相談って何?俺そんな話聞いてないんスけど。

 

「んじゃ、何があったかは分かんねえんだな?」

「うん。ゆきのんがゲー研に話聞きに行ってるけど……」

「どうも五更さんのゲーム制作でトラブルが発生したようよ」

「あ、ゆきのん」

 

 追い付いた雪ノ下が、現れるなり説明を始めた。

 

「終盤の調整の段階になってプログラムにバグが出たらしいわ。直せないものではないみたいだけど、コンテストに間に合わせるのは難しいそうよ」

「そんなぁ……。五更さん、せっかくガンバってたのに……」

 

 まあ仕方ないだろ、とは言えなかった。

 実際、ゲーム作りにこういう状況は割とよくあるらしいのだが、だからと言って、努力の成果が試される機会すら得られずに潰えるというのは、見るに忍びない。

 

「んで、五更はどこに向かってるんだ?」

「それがよく分からないのよね。期限までに直すのが難しいと聞いて、急に飛び出して行ってしまったらしくて……」

 

 ふむ……。この先は一年の教室だ。もしかすると……

 

「……多分、五更の教室だ」

「何故?」

「真壁も部長も高坂京介も部室にいたんだろ?関係者はあと一人じゃねえか」

「そうか、赤城さん……」

「行ってみよう!」

 

 由比ヶ浜が返事を待たずに駆け出す。俺はそれを見送って小さく手を振った。

 

「おー、行ってこい」

「……あなたは行かないの?」

「もう手出ししないって言っちまったからな」

「……そう」

 

 それだけ言って、雪ノ下も由比ヶ浜の後を追った。

 まあ、ホントはこないだやらかしちまったから近付きたくないってだけなんだけどな。

 正直気にはなるが……仕方ない。俺が顔出したらこじれるかもしれないし。

 俺は後ろ髪を引かれつつ、飯食う場所を探して歩き出した。

 

 

 俺はフラフラと歩いて、いつものベストプレイスではなく、裏庭に来ていた。以前に五更と話したあのベンチだ。

 ……なんだかんだで未練タラタラだな。我ながら気色悪い。

 飯を食う気も、ベンチに腰掛ける気も起こらず、校舎に背を預けてぼんやりと空を見上げる。

 と、唐突に人の気配がした。

 慌てて身を隠す。

 隠れてからそんな必要は無かったと気付くが、今回はそれで正解だったようだ。

 

「まったく、人目を考えてくださいよ……!……信じられない」

 

 現れたのは赤城と五更だった。

 さらに向こう側には高坂京介の姿もある。もっともこれは、二人に介入する様子は見られないが。

 

「……どうしてそこまでするんですか?あんな、大勢の前で頭を下げて――」

 

 赤城は苛ついた様子で五更の腕を引き、自分の身体でサンドイッチするように校舎に押し付ける。

 

「それにあたしには、関係ないでしょう?……風紀委員にもスカウトされてるし、もうあんないい加減な部活、辞めるつもりだったんですよ」

 

 拒絶。

 五更は掴まれたままだった腕を振りほどき、触れ合う程に顔を近付けて睨み付けた。

 

「……私は、どうしても、ゲームを完成させたいの。そしてできることなら、コンテストで入賞したい」

「そんなことは分かってます!あたしが聞いてるのは、どうしてそこまでするのか、です!なんですか?あなた、コンテストで入賞しないと死ぬ呪いでもかかってるんですかね!どうにもあなたのその態度を見ていると、そうとしか思えないんですけど?」

 

 赤城は嫌味を吐き出すが、言っている彼女の方が苦しそうに見える。

 五更は赤城の言葉に対し「近いわ」と答えた。

 

「一度自分が始めたことは、最後までやり遂げる。目標を高く掲げ、全力を尽くす。誰かさんを見習って、私はそうすると決めたのよ。そうしないと、私は、ずっと負け犬で――穢らわしい怨念を抱えたまま、悠久の時をさまよい続けなければならない。そんな無様は、私のプライドが許さないの」

「……何を……言ってるんです?」

「今は遠くへ行ってしまった、大嫌いな友達の話よ」

 

 以前言っていた友達のことだろうか。そう何人も作れる奴とは思えないし。

 

「それってもしかして……プレゼンであなたが言ってた、一泡吹かせてやりたい相手?」

「……ええ、そうよ……足下に跪かせて、靴を舐めさせてやりたいの。そのためには、みっともなくても無様でも、最後まで全力で足掻かなくては」

 

 五更は薄笑みを浮かべ、舌舐めずりする。

 

「まったく……。私をこんな気持ちにさせるなんて……。奴にはしかるべき報いを受けさせなければならない。勝ち逃げなんて許さないわ。次に会ったとき、必ずほえ面をかかせてやる」

 

 次に会うときに、胸を張っていられるように。

 なんとなくだが、そう言っているように聞こえた。

 

「だから――」

 

 五更は赤城を真っ直ぐに見据える。

 

「どうか私に協力して頂戴、赤城瀬菜。これで足りないというなら、土下座でもなんでもするから」

「五更さん、あなた……」

 

 赤城は困惑した様子で五更を見つめた。

 

「どうしてさっきから、あたしを一言も責めないんです?自分で言うのもなんですけど、あたしって最悪じゃないですか。プレゼンで負けたのに、あなたの企画が気に入らないからって、逃げ出して――そのうえあなたに先に頭を下げられて……」

「どちらが悪いとか、どちらが先に謝るとか、そんなことより、もっと大事なことがあるわ。大切なのは、私があなたと一緒にゲームを作りたいということ」

 

 それはきっと、五更の本音だったろう。

 追い詰められたからこそ出て来た、素直な言葉。

 

「仲間というのは、なかなかどうして凄いものよ。自分だけじゃできないことでも、二人なら――三人なら――できるかもしれない。一人じゃ心細くて足を踏み出せないときでも、二人なら勇気を出せることもある。頑張っても頑張っても報われなくて、なまじ努力を重ねているぶん見返りを期待して……それでも結果が付いてこなくて……頑張ったぶんだけ裏目に出て……辛くて泣いてしまいそうなときでも……支えてくれる人がいれば耐えられるって、分かった。なんでもない一言だけで……報われるって、分かった。……うん、そう……そうね――」

 

 一瞬だけ――それが何を意味していたかは分からない。けれどほんの一瞬だけ、五更は確かに微笑んだ。

 五更はぼっちだ。そしてぼっちであることを誇っていたと言った。

 五更は俺と似ているんだ。それなのに。

 

「仲間がいれば、私はまだまだ頑張れるのよ。最近分かったことだけど」

 

 だから、一緒にゲームを作りましょう。

 頬を染めながら、それでも真剣な表情で、五更はそう言った。

 俺には決して言えない筈の、けれど、五更にならもしかしたらと思っていたその言葉を。

 

「……そーですか」

 

 赤城は肩を落として脱力し、あはは、と力なく笑った。

 

「それで?ゲームデータは、部室ですか?」

 

 俺はその言葉を聞いて、身を隠したまま静かにその場を離れる。

 二人の邪魔をしないためには遠回りしなきゃならんが……まぁ仕方ないだろう。

 

「あら、手伝ってくれるの?」

「手伝いませんよ」

 

 その後の展開は見なくても分かる。友情物のお約束だ。

 

「一緒に作るんでしょう?」

 

 

 

 

 それからのことを簡潔にまとめよう。

 

 結論から言うとコンテストには間に合った。

 一体どんな魔法を使ったのか、赤城は期限までには直せないと言われていたバグを、ほんの僅かな期間で修正してしまったらしい。

 それで余裕を持ってエントリーしたのかと言うとそんなこともなく、時間があるんだからもう少し改良しよう、という話になったらしく、それまで以上の修羅場を経て、結局ぎりぎりになったそうだ。

 真壁曰く、締め切り前日はまさしく地獄だったそうだ。実際にどんなもんなのかは想像できんが、改めて働きたくないと思ったもんだよ。

 肝心の五更と赤城の二人だが、相変わらずケンカばかりだそうだ。が、それでも互いに認め合っている。そんな風に見える。

 あれだけぶつかり合って、否定し合って、それでも並び立つことができるのなら、それはきっと本物なのだろう。俺は、本物は否定しない。

 

 そして奉仕部はというと、小町によってもたらされた新たな依頼に体制をシフトさせていた。

 なんでも小町にたかるゴミムシの姉が不良化してるとかなんとか。その姉が総武校の生徒なんだそうだ。

 

「結局あたしら、今回全然役に立たなかったね」

「そうね。出る幕が無かったと言う方が正確かしら」

 

 まさに雪ノ下の言葉通りだ。

 俺達のしたことは全て徒労。五更は奉仕部の力も、高坂京介の力も借りることなく、自らの力で状況を打破してみせた。

 結局のところ、一番初めに出した判断、すなわち『手助けの必要無し』というのが正解だったらしい。

 だがまあ、助けが要らないというなら、それが一番良いのだろう。昔読んだラノベに、医者が暇なのは皆が健康な証、なんてセリフもあった。

 

 だから。

 

「ま、たまには役立たずってのも良いんじゃねーの?」

 

 

 

 

 6月に入って少しが経った。

 なんかやたらと色々あったお陰でしばらくぶりのベストプレイス。

 久々にここで飯を食うことにしたのだが、少しは落ち着けるかと思ったらさっぱりだ。

 

 あのゲー研での騒動の後、新たに持ち込まれた依頼。それに一段落着いた直後のことだ。

 俺のごく個人的な事情から、奉仕部内での空気がおかしくなった。由比ヶ浜が、部室に顔を出さなくなった。

 俺は別に悪くない。と言うか誰も悪くない。誰も悪くないからこそ、どうにも出来ない。

 

 購買で買ったヤキソバパンにかじりつく。

 味がしない。あの、職場見学での別れ際に見た、由比ヶ浜の涙が頭から離れない。

 処理出来ないイライラを募らせながら、味のしないパンを咀嚼していると、コツン、と背後から足音が聞こえた。

 

「隣、いいかしら?」

 

 振り向くと五更瑠璃が、無表情に俺を見下ろしていた。



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12話

「……なんの用だ?」

 

 保健室脇の階段。俺のベストプレイス。

 そこに突然現れた、半月近く接点の無かった五更に、俺は不機嫌さを隠しもせずに問いかける。

 

「別に。お昼を食べる場所を探していただけよ」

「他にいくらでもあんだろ」

「いちいち探すのが面倒だわ」

「……さっきと言ってることが違うじゃねえか」

「あらそう?私は以前誰かさんにやられた事をやり返しているだけなのだけど」

 

 ……そういやあったな、そんなこと。つーかそんな前のことよく覚えてんな、こいつ。俺だったら確実に「キモッ、ストーカー?」とか言われてるところだ。美人ってつくづくずるい。

 五更は俺の返事を待たずに、ピンク色の女の子らしいハンカチを敷いて腰を下ろす。少し離れた所にだ。ぼっちの距離感ってものを分かってる。

 俺は食いかけだったヤキソバパンを飲み込んでから改めて聞き直す。

 

「で、なんの用だ?」

「偶々よ」

「嘘つけよ。そこまで再現することねえだろ。何お前、ものまね士のAPでも稼いでんの?」

「随分細かい事まで覚えているのね。ストーカー?」

 

 そう言ってくつくつと笑う五更。結局言われたよオイ……。

 

「別に用と言うほどの事ではないわ。少しお礼を言わせてもらおうと思っただけよ」

「……なんかお前に礼言われるようなことあったか?」

 

 正面を向いたまま語り出した五更に疑問を投げる。

 

「ええ。お陰でどうにかコンテストに間に合わせることができたわ。結果は散々だったけれど」

「俺はなんもしてねえだろ。礼なら高坂京介にでも言っとけよ」

「先輩へのお礼は今日するつもりよ」

「……まだしてなかったの?」

「ええ。コンテストの結果が出てからにしようと思っていたから」

 

 ふーん。それにしたって遅すぎる気がするが。……まあ、五更には五更で都合があるのかね。

 

「赤城瀬菜」

 

 五更はそれだけ言って言葉を切った。続ける気配がないので仕方なくこちらから切り出す。

 

「……赤城がどうした?俺があいつと会ったのは、あの泣かせちまった時が最後だぞ。ああ、礼ってそのことか?お前あいつと仲悪かったらしいし」

「私が人任せだけで満足するとでも思っているのかしら、この男は……」

 

 呆れたようにため息を漏らす五更。呆れるポイントおかしくね?

 

「質問させてもらうわ。あなた、何故彼女にあんな真似をしたのかしら?」

「……別に。気に入らなかっただけだ。気に食わんものは潰す。誰でもやってることだろ」

「そうね、その通りよ。ではあなたは、一体『何が』気に入らなかったのかしら?」

 

 …………チッ。

 俺の舌打ちを聞いて、五更の口元に薄い笑みが浮かぶ。こいつ、人に嫌がらせするの大好きだろ。

 

「当ててあげましょうか。あなたが気に入らなかったのは、赤城瀬菜が部に戻れなくなる事。意地を張って好きな事が出来なくなる事。彼女が自分を嫌いになってしまう事が我慢ならなかった。違う?」

「……ただの妄想だ。結果的に丸く収まったのかも知れんが赤城がゲー研に戻ったのはあいつの意志だろ。俺がやったことなんか何の意味も無かったろ」

「そうかもしれないわね。でもそうじゃなかったかもしれない。もしかしての話に意味なんて無いけれど」

「だろ?可能性なんか論じるだけ無駄だ」

「ええ、その通りよ。あなたは彼女を救おうと行動を起こし、結果、彼女は救われた。それが全てよ」

「…………チッ」

 

 ダメだ。やはりこいつには勝てないらしい。

 

「……んで?仮に俺がそういうつもりで行動してたとして、それがどうしたってんだ?最終的な結果がどうあろうが、俺がしたのは後輩を罵倒して泣かせただけだぞ」

「そうね。最低で卑怯極まりないやり方だわ。これでは救われた側は感謝することすらできない。救われたことに気付けないのだから」

 

 と、ここまで前だけを向いていた五更が、初めて俺を見て口を開いた。

 

「だから、せめて気付いた人間が感謝することにしたのよ」

「……さっきも言ったが、全部お前の妄想だ。あれは、俺が俺の都合で勝手にやった事だ。誰かにどうこう言われる筋合いなんかねえよ」

「なら、私があなたに感謝するのも私の勝手よ。あなたにどうこう言われる筋合いなんて無いわ」

 

 このガキ。さっきから人の真似ばっかしやがって……。

 五更は、からかいを多分に含んだ人の悪い笑みを引っ込めると、一度真顔に戻ってから、今度は柔らかく微笑んだ。

 

「ありがとう。私の友達を助けてくれて」

 

 それは言葉通りの感謝の笑顔。

 苦労だろうが、困難だろうが、一発で帳消しにしてしまう無敵の切り札。

 卑怯はどっちだクソッたれ。ここでそんなカード切られたら、こっちはなんにもできやしねえ。

 

「……赤城と、友達になったのか」

「ええ」

「……そっか」

 

 それが、俺の行動の結果。

 それで、俺がこっそり満足できれば、それで上出来。それ以上は貰い過ぎなんだ。

 だから、感謝なんか必要無い。

 それなのに。

 

「…………そっか」

 

 多すぎる報酬を受け取って、喜んでしまうのは間違いではないのだろうか。

 

「……まるでニブルヘイムの不死者王ね」

 

 五更が俺を見ながら唐突に呟いた。

 

「……なんだ突然。低級霊からいきなりヴァンパイアロードとか出世し過ぎだろ」

「だからどうしてそんな事まで覚えているの、気持ち悪いわね。それとなんでこんな古いゲームネタを拾えるの」

 

 はい、気持ち悪い頂きました。放っとけこのヤロウ。つうか通じないと思うようなネタ使うなよ。

 視線で先を促すと、五更は謳うように語り出す。うん、中二スイッチ入ってるね。

 

「闇に蠢く亡者どもを束ねる不死の王。腐り爛れた眼差しで、神々に勝てる筈のない戦いを挑み続けた愚か者」

「なるほど。俺は目が腐ってて愚かだと」

「けれどもその実態は、世の穢れを一身に引き受け、虐げられし者達の剣となって暴虐なる神々と戦い続けた誇り高き戦士だった」

 

 …………はい?

 

「いや、何言ってんだお前。俺が一体何と戦ってるってんだよ」

「さあ?私に分かる筈ないでしょう」

 

 それでも、と五更は続ける。

 

「人々から蔑みの視線を受けながら、見返りを求めるでもなく、ただ己の満足の為だけに戦い続ける。そっくりじゃない」

 

 だから俺は何と戦ってんだよ……。

 

「自己犠牲、などと言ったら怒るのでしょうね、あなたは」

「ったり前だろうが。ざけた事ぬかすとブン殴んぞクソガキ」

 

 いやホントふざけんな。

 俺は常に俺の都合で行動している。これは誤魔化しでもなんでもない。

 俺は自分が大好きなんだよ。他人からどう見えるかは知らんが、俺は自分を犠牲にした事なんか一度も無い。

 思わず本気の怒りが出かかった俺を見て、五更がニヤリと笑う。

 

「あら怖い」

「…………チッ」

 

 何度目の舌打ちだろうか。やはりこいつとは相性が悪い。

 ぼっちというのは誇り高い生き物だ。

 人は心の中に、己を支える柱を持っている。誇りとはその柱の一つだ。

 他には、他者との繋がりもそうした柱の一つに含まれる。こちらの場合、柱の数と太さは反比例する傾向があるが、基本的には数が多い方がより強固な自分を保てるようだ。というより、数が多いと柱の一つ二つが折れた程度ではさしたる影響が出ないというだけなのだが。

 同じ理由で『誇り』という柱が折れても、友達の多いリア充にはダメージにならない。

 しかしぼっちの場合、他者との繋がりという柱が存在しない分、誇りの柱が太く強固になる。その為ちょっとやそっとで折れることは無いが、他に支えるものが無い為それが折れてしまうと立ち直れない。

 だからこそ、ぼっちは誇りを傷付けられると、過敏に、過剰に反応してしまう。

 これは習性というより、生物的な特性に近い。だから反応しないということはできない。

 五更はそれを理解した上で、平然と俺の柱をつついてきやがった。

 

「……意趣返しのつもりか?」

「さあ?なんの話か解らないわ」

 

 絶対嘘だ。お前さっきから、前に俺にやられた事やり返してるじゃん。

 

「で、何だって?自己犠牲?お前には俺がヒーローにでも見えるってのか?」

「馬鹿も休み休み言いなさい。ヒーローというのは、堕ちた人間を上から引き上げるものでしょう。下から押し上げるようなのはどこを探したところであなたくらいよ」

「……なぁ、お前結局何しに来たんだ?上げたり落としたりで、目的がさっぱりわからんのだが」

 

 中二病というのは持って回った物言いを好む。五更もその例に漏れないらしい。お陰で何を言いたいのかまるで分からない。

 しかしこれまでの事を鑑みるに、五更は材木座と違い、回りくどいだけで意味の無い事というのは言わない気がする。

 だとすると、五更には俺に伝えたがっていることがある筈なのだが……。

 

「……忠告よ」

 

 五更は重々しく口を開いた。

 

「人には人の領分というものがあるわ。手の届かない幻想を追うのは止めておきなさい」

 

 カヲルくん、君が何を言っているのかわからないよ。

 

「例えあなたが闇の底の汚泥から産まれ出でた、あらゆる祝福から見放された存在だとしても、身の丈に合った生き方さえしていれば、それなりの幸せは掴めるものなのよ」

「やかましいわ、大きなお世話だクソガキ。つうか俺はバケモンかなんかか」

「化け物じゃない」

「オイ」

 

 あまりと言えばあまりの言葉に思わず突っ込む。が、

 

「……私はかつて、力を欲していたわ。欺瞞も理不尽も全て跳ね除ける、世界そのものと戦える力を」

 

 しかし五更のその瞳に、冗談の色は無い。

 

「その力を振るって、私を馬鹿にした連中を見返してやりたかった。世界に私を認めさせたいと思っていた」

 

 まさに中二だ。だが、これがふざけているのかというと、そんなことはない。

 そもそも中二病というのは、本人の真剣さ、その一点においては他の追随を許さないものだ。

 つまりは五更も、過去に許せない何かがあったのだろう。皆が『当たり前』と受け入れている間違いを、認められなかったのだろう。

 ――俺と、同じように。

 

「私がかつて渇望し、結局は手にすることの叶わなかったその力を、あなたは当然のように体現している。これが化け物でなくてなんだと言うの?」

 

 しかし、五更の口から出てくる言葉は過去形ばかり。そして俺に向けられた眼差しには、かすかではあるが憐れみが混じっている。

 ――不愉快だった。

 

「……えらく持ち上げるな。自分が諦めちまった物を持ってる俺が羨ましいってか?」

「褒めてないわ。忠告と言った筈よ。そしてこれも以前に言ったことがあったわね。……私は変わったのではなく、前に進んだのよ。諦めたのではなく、そもそも必要なかったことに気が付いただけよ」

 

 五更はそこまで言うと、立ち上がって背を向けた。

 

「適当なところで止まりなさい。そのまま行けば、いずれあなたの強さに、誰も付いてこられなくなるわ」

 

 そう言って歩き出す気配を見せ、留まった。

 

「……今日の放課後、先輩に告白するわ」

 

 そのままそんなことを言う。

 先輩というのは高坂京介のことだろう。なんの告白かは言わずもがなだ。

 声は平静を装っているが、髪の隙間から覗いた首筋が真っ赤に染まっているのを、俺は見逃さなかった。

 

「見ていなさい。必ず成功させてみせるわ」

 

 言葉少なに宣言して、今度こそ歩み去る。

 五更が言わんとしていた事におぼろ気ながら気が付いたのは、それを見送り、五更の姿が完全に見えなくなって、さらにしばらく考えてからだった。

 要するに五更は、あまり無茶をするなと、そう言っていたのだ。

 己の身を削らずとも良いと。そんなことをしなくとも望む物は手に入ると。

 俺にわざわざ告白のことを伝えたのも同じだ。

 手本を見せてやる。そう言っているのだろう。そしてそんな言葉が出てくるということは、五更は五更で俺に似たところを見出だしていたということか。

 

「……クソガキが」

 

 本当、生意気な後輩だ。

 いいだろう。見せてもらおうじゃないか。ぼっちが幸せを掴む瞬間とやらを。

 俺はMAXコーヒーの蓋を開けて喉に流し込んだ。

 苦かった。

 だけど、初めて五更と話した時よりは、少しだけ甘かった。

 

 

 

 肩にかかるわずかな重みに目を覚ます。

 どうも夢を見ていたらしい。見れば隣に座る戸塚が、俺の肩に頭を預けて眠っていた。

 いつもなら舞い上がり、妙なテンションになって周囲の人間に気味悪がられるところだが、今はそんな気も起きない。いや、戸塚の寝顔は超可愛いけど。

 寝ぼけた頭で今の状況を思い出す。と言っても、修学旅行の帰りの新幹線で眠ってしまったというだけなのだが。

 俺はいつものように隅っこの席に座り、戸塚が隣に来てくれて、さらに材木座がわざわざ隣のクラスから押し掛けてきた。その材木座も俺の正面で寝こけている。……鼻ちょうちんとか初めて見たぞ。昭和のマンガか、こいつは。

 他の連中も寝ている奴がほとんどなのか、行きと違って非常に静かだ。

 由比ヶ浜と戸部も眠っていて、三浦と葉山がそれぞれタオルケットをかけてやっていた。

 俺の偽告白の甲斐もあってか、葉山達も今まで通りにやれているらしい。……少なくとも表面的には。

 

 昨日のことを思い出す。

 由比ヶ浜を泣かせたのは二度目だ。一度目は職場見学の時。そのせいだろうか、あんな夢を見たのは。

 

 結局、五更の告白は失敗した。

 振られたわけではなく、相手側に何かトラブルがあったらしく、告白どころではなくなってしまったのだ。

 それからどうなったのかは知らん。知りようもない。

 つまるところ、ぼっちには幸せになる権利は無いってことなのかもな。

 

 ざけんな。

 

 よく言われることで、幸せの席の数は決まっているというのがある。だからその席を奪いあって、こぼれ落ちた人間は不幸になるのだと。

 俺はそれが気に入らなかった。

 どこの誰が決めたルールだかは知らないが、これでは必ず誰かが不幸にならなければならない。

 そしてこのルールを決めた奴は、不幸になった人間を嘲笑っている筈だ。初めからそのつもりで考えたルールとしか思えない。

 だから俺は、抗いたかった。その理不尽な決まり事に。

 そこに落ちることは不幸だと言われる谷底で、抜け出さなければ決して幸せにはなれぬと決めつけられたその場所で、幸せを掴んでやると、そう決めた。

 不合理なルールを定めた神を、落ちた者達を指差し嘲笑う世界を、見返してやると、そう決めた。

 だからこの場所は俺の物だ。この底辺は、他の誰にも譲らない。踏み込む奴は叩き返す。

 そう、決めていた。

 

 ハッ。

 

 思わず自嘲が漏れる。なんだこの中二病。材木座なんか目じゃねえじゃねえか。

 そういや某中二病アニメの最終話でも言ってたな。中二病は一生治らないって。

 結局のところ、五更の言うことは正しかったのだろう。

 俺は身の程も知らずに突っ走り、結果全てを失った。いや、全てと言うほど悲惨ではないだろうが。

 それでも雪ノ下を怒らせ、由比ヶ浜を泣かせてしまった。

 

 平塚先生は今度こそ俺を見放すだろうか。

 五更が今回の、あるいは文化祭での俺のことを知ったらなんと言うだろうか。

 

 心の中で雪ノ下に謝り、由比ヶ浜に謝り、そして夏休みの間に転校してしまったという生意気な後輩のことを思い出しながら。

 俺は再び眠りに落ちた。



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続 猫がいる
13話


ここから続編。
作中時期は12月。
俺妹は最終巻。俺ガイルは9巻の生徒会選挙後になります。
3話で止まってて、続きをいつ書けるかも分からないので、半端なところでもやっとするのが嫌な人は読まぬが吉。


「だぁーっ!くそ!クリアできっかこんなもん!」

 

 爆発のエフェクトと共に消滅する自機を見送って呪いを吐く。

 

「ぬう……凄まじい妖気よ。これはもはや大妖クラス。我でも勝てるかどうか……」

 

 隣では剣豪将軍こと材木座が、ブツブツとわけわからんことを呟いていた。

 

「ひっひっひっ。どうよお前ら。俺様謹製、滅魏怒羅怨(メギドラオン)Ⅲの感想は?」

 

 そうドヤ顔で笑うのは、ゲー研部長の三浦弦之助先輩だった。

 放課後、たまたま材木座と話していたところをこの人に捕まり、新作ゲームのテストプレイをさせられていたのだ。

 感想を請われ、俺は材木座と顔を見合わせ忌憚無き意見を述べる。

 

「クソゲーっすね」

「げほぁっ!?」

 

 壮絶に吐血する部長。いや、吐いてるのは血じゃなくてホットドッグのケチャップだが。汚えなおい。

 

「ち、ちなみにどこが駄目だった……?」

「うーん……」

 

 中々難しい質問だ。強いて上げるとすれば全部だろうか。

 

「とりあえずボムでも消せない追尾弾とかやめましょうよ。難しいのは問題無いけど鬱陶しいのはアウトっすよ」

「然り。背景と見せかけて実は障害物など、一つ二つであれば面白いトラップで済むかもしれんが、それで迷路を作るのはいくらなんでもやり過ぎであろう」

「初見殺しっていうか、あらかじめ知ってないと絶対に対処不可能なのはSTGとして最悪でしょう。前触れなく後ろから敵が湧いてくるとかファミコン初期のゲームじゃないんですから」

「よ、容赦ねーなテメーら……」

 

 いや、いくらオブラートに包んでもクソはクソだし。

 ゲーム自体の出来は悪くないのだが、いかんせんバランスが取れてない。良い悪いではなく破綻している。グラフィックがムダにハイレベルな分、内容の酷さがより際立つというか。

 逆に言えばそれさえなんとかすれば売りに出せるレベルなのかもしれないが、作り手の性格を反映したような内容を見る限りあまり期待できそうにない。

 

「だから前から言ってるじゃないですか。部長が作る限りクソゲー以外はあり得ないって」

「ぐっはぁ!?ブルータス、お前もか……!?」

「いやブルータスじゃなくて真壁です」

「うるっせえ!俺は俺の作りたい物を作るんだよ!見てろてめえら、ぜってえ面白いって言わせてやるかんな!?おい剣豪!手伝え!」

「ふっ!信玄公の頼みとあらば断れはすまい!」

 

 そう言ってパソコンをいじり始める部長と材木座。

 元気だなー。真壁の言葉が止めだと思ったのに。本気でゲームが好きなんだな。

 だがまあ材木座の方はただのノリだろう。

 あいつの場合、スキルがどうこう以前に絶望的に根性が足りない。

 部長はどうかしらんが、あいつに本気になって何かを成し遂げるなんてできるわけがない。それができるくらいなら、いい加減パクリ小説から卒業してるだろう。

 そんなことを考えながら滅魏怒羅怨Ⅲをリスタートする。ま、一応は仕事だしな。

 それぞれが黙々と作業をこなし、しばし沈黙が流れる。

 そんな時だった。予想だにしない人物が現れたのは。

 

「ひゃっはろー!遊びに来ちゃった!」

「うげっ!陽乃!?」

 

 雪ノ下の姉、完璧悪魔超人陽乃さんである。いや、ていうか部長……?

 

「ちょっと弦ちゃん、人の顔見てうげっ!はないんじゃないの?うげっ!は」

「うるせえよ!?暇もて余してんのか知らねえけど、ちょくちょく出没しやがって!卒業したんだからおとなしく大学行け!」

「むぅー!弦ちゃんちょっと冷たくない?ゲー研作る時、あんなに手伝ってあげたのに」

「あれ手伝ってるつもりだったの!?俺妨害だと思ってたんだけど!?」

 

 え?ちょっ、何この距離の近さ。この二人どういう関係?

 

「あれ……?」

 

 まじまじと見ていると、陽乃さんと目が合う。

 

「へ……?ちょちょ、なんで比企谷くんがいるの!?」

「陽乃、何慌ててんだオメー?」

 

 慌てる。

 確かにそんな風に見える。が、陽乃さんだぞ?この人が慌てるとかあり得んのか?

 

「ちょっと弦ちゃん、どういう事?」

「いや、何がだよ?」

「なんで比企谷くんがここに居るの?部室に居なかったから帰ったのかと思ってたのに」

「呼んだからだが。なんかマズイのか?つーか陽乃、お前こそ比企谷とどういう関係だ?」

「え……えっと、義弟?」

「違います」

 

 黙って様子を見るつもりだったのだが、突っ込まずにいられなかった。

 

「えーと部長、この人とどういう知り合いで?」

 

 陽乃さんを指差して聞く。

 

「あー、まあなんつーか、元同級生だ」

「弦ちゃんヒドイ!わたしの初めて奪ったクセに!」

「人聞き悪いこと言ってんじゃねぇ!?」

 

 ますますわからん。いや、初めてがどうたらは陽乃さんの冗談なんだろうが。

 

「おい、誤解だからな?オメーらが想像してるような事は何もなかったぞ?」

 

 いや、別に大したこと考えちゃいませんが。つうかなんでそんな必死なんです?

 

「えー、ひっどーい。わたし男の子にフラれたのって弦ちゃんが初めてなんですけど?」

 

 やはり笑いながら言う陽乃さん。が、その内容は正直驚嘆に値するものだ。真壁と材木座も凍りついている。

 フラれた?陽乃さんが?

 

「ちなみに二度目は比企谷くんね♪」

 

 真壁と材木座が凍りついたままで視線を俺に移す。

 あー……。部長も陽乃さんに苦労させられたクチか。

 俺は眉間を押さえながら陽乃さんに疑問を投げる。

 

「……陽乃さんって俺と入れ代わりで卒業したんですよね?だったら部長と同級生ってあり得ないと思うんですけど」

「それがねー、弦ちゃんてば留年してるのよ。二回も」

 

 ケラケラ笑って手を振る陽乃さん。なるほど、高三にしては老けてると思ってたらそういうことか。

 

「ケッ!ほっとけ。俺にゃここでやり残した事があったんだよ」

「あっははー。それはもう片付いたのかな?今年こそ卒業できるといいねー」

「おう。後継者も見つかったしな。もう大丈夫だろ」

「ありゃ、ホントに大丈夫なんだ。皮肉のつもりだったのに」

 

 言葉通りに捉えるなら、部長が留年してるのは自分の意思ということになる。

 普通ならただの虚勢と取るところだが、この人の場合あり得ると思えてしまうからすごい。

 

「それにしても弦ちゃんも比企谷くんを気に入ったんだねー。なんか意外」

「そうか?俺としちゃお前がこんなに誰かを気にかけることの方が意外だけどな」

「……んー、どういう意味かな弦ちゃん?わたしはいつでも周りに気を遣ってるよ?」

「まぁまちがってはいないわな。お前くらい周りを良く観てるヤツもそう居ねえ」

「……弦ちゃん。わたし、間違ったイメージを植え付けられるのって嫌いだよ?」

「知ってるよ。それがどうかしたか?」

 

 こ……恐ぇー!?

 陽乃さんの怖さはある程度知ってるつもりだったけど、それと普通に渡り合ってる部長って何者だよ?オイ材木座!全員から忘れられてるからってこっそり白眼剥いてんじゃねぇ!

 

「はぁ……相変わらずだなぁ、弦ちゃんは。ま、いいや。顔も見れたしわたしはもう行くから。また来るね♪」

「へいへい。二度と来んなよ」

「あ、そだ、比企谷くん。なんか静ちゃんが探してたよ?」

「え」

「何があったのか、詳しいことはお姉さんも知らないけど……雪乃ちゃんを泣かせたら、お姉さん許さないぞ?」

 

 陽乃さんはそれだけ言い残して去って行った。

 最後の言葉。あれは冗談めかしていたが、きっと本気なのだろう。部長とやりあっていた時には無かった凄みを感じた。

 それに当てられたのか、材木座と真壁などは青ざめている。

 

「なんつうか、大変なヤツに目ェつけられたな」

 

 一方部長は平常運転である。すげえなこの人。

 以前葉山が言っていた事を不意に思い出した。

 陽乃さんは、構い過ぎて殺すか、徹底的に潰すか、そのどちらかしかしないらしい。

 部長は陽乃さんに明らかに気に入られている。それでこんな態度を取り続けていられるというのなら、もしかすると部長は、陽乃さんにとって極めて特別な相手なんじゃないだろうか。下手をすれば雪ノ下以上に。当人達に自覚があるかは分からんが。

 

「なんかフラれたとか言ってましたけど」

 

 俺はごまかすようにそう言った。いや、何をごまかしてるのかは自分でもわからんけど。

 部長はそれに、言いにくそうに答えた。

 

「あー、まぁ、告られた事はあったな」

「……なんで断ったんですか?」

「あんなおっかねえ女と付き合えるかよ……」

 

 あー、うん。すごい分かるわ、それ。

 

 

 

 陽乃さん襲来の後、俺は職員室に向かっていた。なんか先生が探してるらしいし。

 

(ま、そろそろかとは思ってたけどな)

 

 心当たりならありすぎるほどあるが、おそらくタイミングから見て理由は一つしか無い。そしてその事にある種の安堵を感じている自分に嫌気が差す。

 

(雪ノ下を泣かせたら、か……)

 

 先程の陽乃さんの言葉を思い出す。

 正直そんな事態は、あらゆる意味であり得るとは思えない。そもそもあいつは誰かに涙を見せるような事は無い気がする。

 仮に俺と雪ノ下が対立したとして、その場合俺が一方的に泣かされるだけだろう。スペックが違いすぎる。

 なら俺が、そうだな、例えば事故か何かで死んだとして、雪ノ下が泣くか?泣かない気がする。

 一応悲しんでくれるとは思うが、ため息一つ吐いて終わり、みたいな。うわ、なんかすげえ想像できる。

 では例えば、雪ノ下が俺に何かを期待していて、俺がそれを裏切ったら?

 ……バカバカしい。雪ノ下が俺に期待するなんざそれこそあり得ん。それにーーーー

 

 

『わかるものだとばかり、思っていたのね……』

 

 

 ーーーーそう、雪ノ下は泣かない。泣きは、しない。

 俺はそれを、もう知っている。

 

 

 

「失礼します」

 

 放課後に入ってそこそこ時間が経っていたが、職員室には結構人が残っていた。

 生徒みたいに何となく残ってるわけじゃなくて、ちゃんと仕事してるんだろうな。

 絶対に働かない。そう決意を新たにする17才の冬。

 平塚先生もまた、書類の山と格闘していた。コーヒーの差し入れくらい持ってきてやればよかったかな。その先生が俺に気付く。

 

「おお、比企谷か。何か用か?」

「いえ、なんか先生が俺のこと探してたって聞いたもので」

 

 まぁどうせ明日には呼び出されるんだろうから、嫌な事はさっさと済ませてしまおう。そう思って自分から出頭したわけだ。

 先生は二度ほど目をしばたたかせてから「ああ、陽乃か」と呟いた。あれ?これもしかしてスルーしちゃっても大丈夫だったんじゃね?

 

「……そうだな。近い内に話をしなければならんとは思っていたところだ。向こうへ行こうか」

 

 先生はそう言って、もう俺にとっても馴染みの深い応接スペースを指す。

 

「仕事、いいんですか?」

「丁度休憩しようと思っていたところだ。そろそろニコチンが足りなくなってきてな」

 

 先生は内ポケットからタバコを取り出すと、やたらと男前な仕草で火を着けた。この人なんでこんなにかっこいいの。

 先生はいくらか逡巡する素振りを見せてから切り出した。

 

「話というのはな、まあお前も分かってはいるんだろうが、最近部活に顔を出してないらしいな?」

「…………はい」

 

 そうなのだ。

 あの生徒会選挙からしばらくの後、たまたま用事ができて部活を休んだ。それからだ。

 俺は何かと理由をつけて部活をサボるようになった。今日ゲー研に呼び出されたのも、正直に言えば渡りに舟と思った部分すらあった。

 由比ヶ浜とは相変わらず教室で絡む事は無いし、雪ノ下に至っては話すどころか顔すら見ていない。まるで1年の頃に戻ったみたいだ。

 唯一異なるのは戸塚の存在。

 戸塚こそは個にして全。全にして個。つまり戸塚が居れば他はどうでもいい。ただし小町は例外。もう結婚するしかない。

 ま、究極にして至高のボッチたる俺にとってははどうということもない。むしろ快適ですらある。

 

 ……などという強がりもいい加減苦しい。

 

 結局のところ、俺はただ逃げただけだ。そこから目を逸らそうとすれば、惨めになるのも道理だろう。

 俺は耐えられなかったのだ。

 上っ面で横滑りな空虚な時間に。

 紅茶の香りが消えたあの部屋に。

 あの故人を偲ぶような、幼子を見るような、まるで取り返しがつかなくなったものを懐かしむような雪ノ下の微笑みに。

 一月近くも費やして手に入れたものだからと。

 俺と由比ヶ浜が守り抜いたものだからと。

 そう自分に言い訳して、必死にこれまで通りを演じてきた。

 だけど一度、たったの一度休んだだけで、その無理矢理被ってきた仮面にヒビが入った。

 雪ノ下に会わずに済むことに、彼女の笑顔を見ないで済むことに、安堵してしまったのだ、俺は。

 そして安息の味を覚えた俺は、それにすがった。それがこの状況だ。

 

 いつまでもこのままというわけにはいかない。

 例え結果が自分の望みからかけ離れたものだったとしても、自ら選択し行動した者として、それを見届けるのが最低限の責任だろう。何より、こんな重荷を由比ヶ浜一人に背負わせるわけにはいかない。

 しかし、今の俺には自発的にあの二人に会うことはできない。

 ただヘタレてるだけだというのは分かってる。だけど勘弁してほしい。自覚があるからって行動できるくらいなら、この世にヘタレなんて言葉は産まれてない。

 ともかく俺は、自分の逃げ道を塞ぐ必要がある。そうしなければあの二人に向き合うことすらできない。

 だから、今回ばかりは平塚先生の呼び出しが有り難かった。

 やっと部活をサボれない理由ができた。そう思ってた。

 それなのに。

 先生の口から出てきた言葉は、俺がまったく予想していなかったものだった。

 

 

「なあ、比企谷。奉仕部を、辞めるか?」



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14話

「なあ、比企谷。奉仕部を、辞めるか?」

 

 一瞬、何を言われたのか解らなかった。

 その言葉の意味が徐々に浸透するにつれ焦りにも似た感情が沸き上がり、しかし己の心の内を隠したがる性分が冷静を装おうとする。

 

「……なんすか急に」

「急ということもないだろう。しょせんは部活、などと言うつもりはないが、絶対に必要なものでもないのも確かなんだ。続けるのが難しいなら辞めるのも選択肢の一つだろう」

 

 平塚先生はあくまで淡々と告げる。

 それで気付いてしまった。先生は本気だ。

 

「い、いや、待ってください。そもそも三人しかいない部活なのに俺が抜けたら……」

「幸い今は危急の件案を抱えているでもなし、特に問題ないだろう」

「いやでも、部活って確か三人以上が条件でしたよね?だったら俺が抜けたら定員割れに」

「元々認可など有って無いような部だ。それに部費も受け取ってないからな。最悪同好会に格下げになったとしても何の支障も無い」

「え……えっと、そうだ、ホラ!これって元々罰だったじゃないですか!変な作文書いたからって。だから勝手に辞めるのは」

「私はただの一教師だぞ?生徒に部活動を強制する権利など持ってるはずあるまい。そもそもその罰を申し付けた私がもう良いと言っているのだが?」

「あ……その、だから……依頼!先生が雪ノ下に出した、俺の人格矯正!あれもまだ達成できてないでしょう!?だから……」

「なあ、比企谷」

 

 先生は捲し立てる俺を遮るように口を挟んだ。そして苦笑を浮かべながら続けた。

 

「どうして辞められない理由を探してるんだ?」

 

 言われて初めて気が着いた。

 俺はずっと辞めたいと願っていたはずだった。

 働くのはゴメンだと、さっさと帰りたいと、そう思っていたはずだった。

 なのに今、実際にその機会が訪れたというのに、俺はそれに気付くことすらなく現状を維持しようとしている。

 その事実に愕然としていると、先生は優しく微笑んで続けた。

 

「よかったよ、君が喜んで飛び付いたりしなくて。もしそうなってたら、この8ヵ月がまったくの無駄だったと嘆かなければならないところだった」

 

 いや、待て。待ってくれ。

 

「辞めたくないと思ってくれているのであれば、君にとって奉仕部がそれだけ大切なものになっているということだろう。ならば君の孤独体質は既に十分改善されている。私が雪ノ下に出した依頼は達成だ」

 

 辞めたいと言っていた時は絶対辞めさせてくれなかったくせに。

 

「これ以上、君を奉仕部に縛り着ける意味は無い。辞めたいならいつでも辞めて構わん。まぁ元々私にそれを止める権限など無かったわけだが」

 

 必要になった途端に取り上げるとか、そんなの……!

 

「だから、続けるかどうかは、君次第だ」

 

 

 

 

「へ…………?」

 

 

 茫然と呟く俺に、平塚先生はイタズラを成功させた子供のような、人の悪い笑みを向けた。

 

「何を情けない顔をしている。入りたくない者を無理矢理入部させることができないのと同じように、辞めたくない者を無理矢理追い出す権利も無い。当たり前だろう?」

「……俺、入らなかったら留年とか言われましたよね?」

「そんなもの本気にする方がどうかしてる」

「うわ、最悪だこの人」

 

 俺がかなり本気で呆れていると、先生は短くなったタバコを灰皿に押し付けながら言葉を続けた。

 

「……少し意地が悪かったな。だがな、比企谷。これは君が自分で決めなければならないことだ。誰かに決断を委ねてしまえば、いずれはその誰かを恨むことになる。君はそういうのを何よりも嫌っていたはずではないか?」

 

 ……先生の言う通りだ。

 俺はこの間の生徒会選挙の時、小町に背中を押してもらい、それを良しとしてしまった。自分が動く理由を、誰かに委ねてしまった。

 そして今また同じ事を繰り返そうとしていたのだ。

 何の反省も無く。

 何の恥じらいも無く。

 半ば自失する俺に、先生は続ける。

 

「それで、どうする?辞めるなら辞めるでそれなりの手続きもある。ハッキリ答えてもらえると助かるんだが」

「……少し、考えさせてもらっていいですか?」

「無論、構わんよ。好きなだけ悩みたまえ。私はいくらでも待つ。でもな、比企谷」

 

 先生は一度そこで言葉を切り、あくまでも優しく、諭すように語りかけてきた。

 

「私はいくらでも待ってやれるが、時間や他の人間はそうとは限らん。それだけは忘れるなよ」

「……ウス」

 

 俺はどうにかそれだけ返し、職員室を後にした。

 

 

 

 今朝は雨が降っていた。

 クリスマスも近いこの時期、雨に濡れながら自転車を漕ぐのはさすがにキツい。なので今日はバス通学だ。

 遅刻というリミットの存在する朝はともかく、帰りならば歩いて通えない距離ではない。なので小遣い節約の為に徒歩にしようと思っていたのだが、なんだか疲れてしまいそんな気も失せた。そんなわけで帰りもバス。

 俺は馴染みの薄い震動に身を委ねながら、平塚先生に言われたことを思い返していた。

 

 誰かに決断を委ねてしまえば、いずれはその誰かを恨むことになる。

 

 分かっていたはずだ。知っていたはずだ。そもそもそれが嫌だったからこそ、俺はボッチであることにこだわっていたのだ。

 それなのに、俺は理由を他人に求めてしまった。

 自分のことは自分で。

 それがボッチの誇りであり、矜持でもあったはずなのに、そんな当たり前のことにさえ思い至らないほど自分を見失っていたらしい。

 

 知らず、ため息が漏れる。

 

 奉仕部を辞める。それ自体にはそれほど大きな意味は無いのだろう。

 平塚先生の言うように、結局のところはただの部活なのだ。本当に繋がりを失いたくないのなら、この形にこだわる必要なんてない。

 奉仕部というのは形にすぎなくて、俺や由比ヶ浜が守りたいと願ったものは、きっとその内側にあったものなのだ。

 しかし選挙の時はそれを見誤り、形を残すことに腐心してしまった。

 その結果が今の奉仕部だ。奉仕部という形だけが残り、その中身は無価値な馴れ合いにすり換わってしまった。本当、馬鹿げている。

 

 またため息が漏れる。

 いつからだろう、ため息が増えたと感じるようになったのは。わりと最近だと思うが。

 

 俺と由比ヶ浜が奉仕部という形に拘泥するなかで、雪ノ下だけは別の何かを見ていた。

 それがなんだったのかは分からない。雪ノ下が本当に生徒会長になりたかったのか、その先に別の狙いがあったのかも分からない。

 きっとそれを知る機会は永遠に無いのだろう。

 

 浮かんでくるのは後悔ばかり。

 仮に雪ノ下が勝っていたとして、それで上手くいっていた保証などどこにも無い。というか無理だと思ったからこそ、俺はおろか由比ヶ浜までもが対立することになったのだ。なんなら今よりも酷いことになっていた可能性さえある。

 だから、俺のとった手段は最善のはずだ。少なくとも、俺が選べる手札の中ではあれ以上のものは無かった。

 例え誰に否定されようとも、これを自分で否定することは許されない。

 だというのに、もっと他の道はなかったのか。そんなことばかり考えてしまう俺は、やはりどこかでまちがっていたのだろう。いつものように。

 

 だけど、他にどうすりゃよかったってんだ。

 

 

 

「何やってんだ、俺は……」

 

 見知らぬ道をとぼとぼと歩く。

 バスに揺られて物思いに耽っていたら、いつの間にか自宅を通り過ぎていた。しかも降りたところは学校より遠いでやんの。

 まぁ歩いて帰れない距離でもないし、おとなしく歩くか。つーかバス代がねえ。残金三百円とか高校生の所持金じゃねえだろ。

 口の中でぶつくさと文句を言うが、誰が悪いかと言われると自分としか答えようがないわけで。

 自分のことは自分で。

 さっき思ったことを早速実践するあたり俺マジボッチの鑑。

 そこらへんですれ違ったオッサンのせいにしないとか超マジメだよね俺。どこぞの竜と虎なら電柱のせいにして殺しにかかるところだ。なにそれこわい。

 

 知らない道を歩くというのは意外と消耗するものらしい。大して歩いたつもりも無いのだが疲れを感じる。

 ちょうど公園を見つけたので、手近な自販機でコーヒーを購入して休憩することにした。

 走り回る小学生達を横目にベンチに身体を投げ出し一口啜る。苦ぇ。

 見上げれば茜色。

 この時期はどんどん日が短くなる。この昼と夜の境は特にそれが顕著で、ふと気を抜くとあっという間に真っ暗になってしまう。

 子供達に「早く帰れよ~」と念波を飛ばしてボーッとしていると、不意に膝の辺りを引かれる感覚がした。

 視線を落とすとおかっぱの幼女。

 小学校低学年くらいだろうか。将来有望そうな顔立ちのそれが、ちっちゃなおててで俺のズボンをきゅむっと掴んでいた。

 

「……何?」

「……!」

 

 声をかけると目に見えて怯える幼女。しかし手は放さない。

 えーと、ナニコレ?

 

 女の子は口元を引き結び、目尻に涙を溜めながら、不審者(俺)を逃がすまいと掴み、気丈に睨み着けている。

 俺は状況を整理し、対策を考える。

 

 

 無理矢理引き剥がす→泣かれる→逮捕

 怒鳴る→泣かれる→逮捕

 無視する→泣かれる→逮捕

 微笑む→泣かれる→逮捕

 

 

 あ、詰んだわ。

 つーかホントなにこれ。何となく公園に入ったらbad endとか無理ゲーにもほどがあんだろ。ていうかなんなのこの子?撃破不能の無敵キャラ?絶対絶望少女?

 俺が世の理不尽に嘆き、辞世の句とか考えていると、離れたところからボソボソとした話し声が聞こえた。八幡イヤーは地獄耳。悪口は聞き逃さない。

 

「ちょっ、ヤバいってルミちゃん!大人呼んだ方がいいって!」

「でもその間に何かあったら大変。誰かが見てないと」

 

 うん。二人とも冷静で正しい判断だ。こういう時は、まちがっても自分で助けに入ろうなんて考えてはいけない。

 ただ一つだけ見落としがあるとすれば、相手が本当に不審者かどうか確かめてほしかったなぁ。……確かめた上でこれってことはないと思う。ないよね?

 

「……なぁ、この子お前らの妹か?離れるように言ってほしいんだが」

 

 こそこそと植え込みの蔭に隠れていた二人に声をかけると、はみ出していた頭がビクリと震え、わずかな間を置いてから観念したように立ち上がった。

 二人はおそらく小学校高学年くらいだろう。その片方、後ろ髪で二つ小さなお下げを作っている方が声をかけてきた。

 

「やー、すいません。ウチの妹が」

 

 笑顔がややひきつっているのは、俺に怯えているからではないと思いたい。とかいうかそんな冗談を考える余裕は無かった。

 声を発さなかったもう一人。こちらを見て目を円くしている少女。

 その少女に、俺は見覚えがあった。

 

 長く艶やかな黒髪。

 儚げな、小学生にしては大人びた雰囲気。

 そしてどこか、何かを諦めているかのような冷めた表情。

 

 

「……八幡?」

 

 

 かつて俺が関わった少女。

 奉仕部が、夏休みに千葉村で救おうとした少女。

 鶴見留美が、そこにいた。



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15話

「八幡…………?」

 

 その少女は俺を見て呆然と呟いた。

 気持ちはよく分かる。俺だってこんなところで再会するなんて夢にも思っていなかった。

 かつての知り合い、と呼ぶほど親しくはない。かと言って、赤の他人と呼ぶほど浅い因縁でもない。

 そう、因縁である。

 俺と鶴見留美という少女の関係を表すなら、きっとそれが相応しい言葉だろう。

 

「えーっと……留美ちゃん、友達?」

「…………違う」

 

 隣に立つお下げ髪の少女の問いに、留美は大分考えた末に否定した。まぁ、確かに説明に困る間柄ではある。

 それきり言葉が途切れ、俺は沈黙を埋めるように口を開いた。

 

「……久しぶりだな」

「……うん、久しぶり」

 

 開いたはいいものの、やはり会話が広がらない。リア充ってなんであんな間断なく喋り続けられるんだろうな。やっぱスゲーわあいつら。俺には無理だ。

 どうすればいいか分からんが、とりあえずはさしあたっての問題をなんとかしてもらおう。

 

「とりあえず、この子なんとかしてくんない?」

「あっ!ご、ごめんなさい!ほら珠ちゃん!」

 

 俺がいまだにズボンを掴んだままだった幼女を指すと、お下げの子が慌てたように珠ちゃんとやらを引っ張る。が、珠ちゃんはいやいやと首を振って離れようとしない。

 えー?マジで何これ?

 これが子供になつかれてるだけならば、困りはしても困惑はしなかっただろう。しかし珠ちゃんの表情は幼いながらに必死そのもの。幼女に親の仇の如く睨まれて、俺ちゃんちょっと涙目。

 

「……八幡、珠ちゃんに何したの?」

「いやいやいやいや。何もしてないから。俺ここに来たばっかだから。なんかする時間なんか無かったから」

「時間あったら何かしてたんだ?」

「揚げ足取ってんじゃねえよ。つかホントなんなの?この子って普段からこんななワケ?」

「いや、どっちかというと人見知りな子なんですけど。どうしちゃったんだろ?」

「……もしかしてそれじゃない?」

 

 留美が指差した先に目をやると、俺の尻の下に黒いノートがあった。気付かずに踏んづけてしまっていたらしい。

 手に取ってみると何か違和感を感じた。

 よくよく見ると黒い表紙ではなく、普通のノートをマジックか何かで黒く塗りつぶしてあるらしい。さらにその上から修正液を使い、なにやらウネウネした字体でタイトルが記されている。

 ……………うん。なんつうかものすごい懐かしい匂いがする。具体的には二、三年前まで俺が書いてたような。

 俺はそのノートを珠ちゃんに差し出し恐る恐る聞いてみる。

 

「これ、君の?」

「……姉さまのです」

 

 珠ちゃんはそう答えてノートを受け取ると、大事そうに抱き締めた。

 ……うん、良かった。この歳でこのノートを書いてたんならどうしようかと思った。なんだよデスティニーレコードって。パンさんのキャラソン集?やだ、雪ノ下が持ってそう。

 

「あー……珠ちゃんこれ持ってきちゃってたんだ……」

 

 お下げの子がなにやら複雑な表情で呟いた。俺はその子の方を向いて確認する。

 

「…………ねえさま?」

「違います。いや、姉ですけど」

 

 どうやら他にも姉妹がいるらしい。まあどうでもいいが。

 珠ちゃんの狙いはやはりそのノートだったらしく、てててっと走ってお姉ちゃんの後ろに隠れてしまった。うん、微妙にショック。

 

「あー、ども、すいません。ウチの妹が」

「いや、別にいいけど」

「ほら、珠ちゃんもお兄さんに謝って」

「……怖くないです?」

「怖くないぞ。多分」

「……ノート、ありがとです」

「あっ、珠ちゃん!?」

 

 珠ちゃんはそれだけ言って逃げるように走り去ってしまった。この恥ずかしがり屋さんめ☆(吐血)

 お下げのお姉ちゃんは珠ちゃんと俺とを交互に見てオロオロしている。

 

「行っていいぞ」

「あ、ありがとうございます!ホント、すんませんした!」

 

 お姉ちゃんは俺に向かって気を付け!礼!してから珠ちゃんを追いかける。

 

 そして誰もいなくなった……

 

 とか言おうと思ったんだが。

 

 

「……なんで残ってんのお前?」

「……いいでしょ、別に」

 

 

 一人だけこの場に残った鶴見留美は、不機嫌そうにそう答えた。

 

 

 留美は俺としばし無言で睨みあった後、やはり無言でベンチに腰掛けた。同じベンチだが隣ではない。俺からもっとも遠い端っこにだ。

 一方俺は距離を空けることも詰めることもしない。絶対しない。意地でもしない。ホラ、意識してるとか思われたらヤダし。なにこれすごい意識してる。

 

「……八幡は」

「ふぁ、ふぁい!?なんでふか!?」

「え……?なにそれ、キモい」

 

 おおっと、いっけねえ。つい変な声出ちゃったぜテヘペロ☆

 

「いや、なんでもない。んで、なんだ?」

 

 平静を装って促すと、留美は気を取り直したように続けた。

 

「……八幡は、この公園よく来るの?」

「いや。今日はたまたまだ」

「ふーん……」

 

 それきりまた会話が途切れる。

 なんだろうな、これ。なんでこんなに気まずいんだ?普段なら人と会話しないことが理由で気まずさを感じることなんてないのに。

 その息苦しさをごまかすようにまた口を開く。

 

「……さっきのは、友達か?」

「……隣の家の子。夏休みの終わり頃に引っ越してきた」

「ふーん。同じクラスになったとか?」

「ううん。ていうか一つ下だし」

 

 一つ下、か。

 こいつくらいの歳で、いや、学生という立場の人間が違う学年の友達と遊ぶというのは、果たしてよくあることなのだろうか。友達自体が居ない俺にはいまいち分からないが、あまり普通ではないような気がする。

 もちろん俺がこの公園に立ち寄ったのと同じように、今日はたまたまという可能性だってある。しかし、俺にはどうしても千葉村で必死に涙をこらえていたあの姿がちらついてしまう。

 と、そこまで考えて息苦しさの理由に思い至った。

 

(ああ、そうか)

 

 要するに俺は、この少女に後ろめたさを感じていたのだ。

 俺はかつて、鶴見留美を取り巻く世界を叩き壊した。

 あんな薄気味悪い友情など、うすら寒い良識など間違っていると。そんなものを強いる世界など間違っていると。そう信じて行動した。

 この世の中は間違っている。これには絶対の自信がある。だがそれは、自分が間違ってないということにはならない。

 これまでずっと間違い続けてきた俺だ。自分を信じるなんてできるはずがない。この世に自分ほど信じられないものなど他に無いまである。

 ましてやあの時は、葉山たちに悪役を押し付けてしまったのだ。それで自分が正しかったなどと、そんな恥知らずなこと言えるはずもない。

 俺の行動がどのような結果をもたらしたのか。

 それを確かめる術もないまま時は流れ、俺はいつしか彼女のことを忘却の淵に追いやっていた。

 そして今、その結末の一端が、こうして目の前にいる。それを直視するのが怖くて怯えている。

 なんという無様。

 自分が大した人間などと思ったことは無いが、最近の俺はそれに輪をかけてダメすぎる。

 

「……暗くなってきた」

 

 留美が不意に顔を持ち上げ、ポツリと漏らした。

 確かに陽は沈みかけ、街灯が灯り始めている。見れば公園の入り口近くで、先ほどの姉妹に良く似た人影が手を振っていた。

 

「もう、行くね」

 

 留美はそれだけ言って立ち上がると、その二人の方へと駆けていった。

 結局、彼女が何を言いたかったのか、何を思ってここに残ったのか分からなかった。もしかしたら留美自身にも分かってなかったのかもしれない。

 一つだけはっきりしているのは、彼女が一度も笑わなかったということ。

 再会してからここまでほんの十数分。

 俺と留美は屈託なく笑い合えるような仲ではないし、留美が積極的に笑顔を振り撒くタイプとも思えない。何より、千葉村でだって彼女の笑顔を見た覚えなど無い。

 それでも、彼女が笑顔を作れない環境にあるのではという疑念は拭えず、その遠因が自分にあるかもしれないという事実は、気分を沈めるには充分にすぎる。

 俺はため息を吐いてコーヒーの残りを飲み干す。苦え。

 すっかり冷えてしまった黒い液体に顔をしかめ、空き缶を近くのくずかごに放る。カンッ、と硬い音を立てて跳ね返った缶を改めて捨て直してから公園を出る。

 と、そこで道端に落ちている物に気付いた。

 

「ったく、子供ってのはこれだから……」

 

 思わず呆れた声がこぼれる。

 落ちていたのはデスティニーレコードだった。あんな大事そうにしといてなんで落とせるんだよ。

 さっきのベンチにでも置いといてやるか。

 そう思って拾い上げると、視界の端でチカチカと何かが瞬いた。

 何事かと目を向けると、遠くの雲が暗く明滅し、数秒遅れてゴロゴロと重い音が響く。すぐさま降りだすことはないだろうが、今夜は雨だろう。

 手に持った黒いノートを見る。耐水加工もなにもない、ごく普通のノートだ。

 あの珠ちゃんとやらの必死の眼が脳裏をちらつき、俺はため息を吐いてノートをカバンにしまい込んだ。

 

 面倒だが、明日届けにきてやろう。

 

 仕方なく、そう思う。

 これで部活に行かなくてすむ。

 そんな考えが頭の隅に浮かんだことには、気付かないふりをして。

 

 

 

 雨は夜になってから降りだし、夜の内に上がっていた。

 水溜まりの残る路をチャリンコで走り抜けて学校に向かい、特に何も無いまま放課後を迎える。

 

「ヒッキー」

 

 廊下に出たところで声をかけてきたのは由比ヶ浜だった。

 彼女の態度はどこか弱々しく、普段の快活さには陰りが見える。

 

「その……今日は、部活、来るの?」

「あー……すまん。ちょっと用事がある」

 

 嘘ではない。

 

「そっか。それじゃ、しょうがないよね、あはは……」

「……悪い」

 

 由比ヶ浜が悲しげに目を伏せる。俺はそれに気付かないふりをして顔を逸らした。

 

「ヒッキー、明日は大丈夫?」

「……いや、ちょっと分からん」

 

 嘘ではない。嘘ではないが、それだけだ。

 もしかしたらいきなり急用が入る可能性もゼロではない。しかし今のところはなんの予定も入っていない。そう伝えることはできたはずだ。 

 由比ヶ浜に聞こえないようにため息を吐く。俺はいつからこんなに弱くなった?

 

「……なんか、あったのか?」

 

 ごまかすようにそう聞くと、由比ヶ浜は躊躇いがちに口を開いた。

 

「あのね、昨日、いろはちゃんが来たの」

「……依頼か?」

「うん」

 

 一色いろは。

 サッカー部マネージャーのあざとい一年。

 女子連中の嫌がらせで生徒会長に立候補させられ、それを角立てせずにぶち壊すために奉仕部の戸を叩いた。そして色々あった末に自らの意志で生徒会長になった少女だ。それが再び奉仕部を訪れたという。

 

「えっとね、なんか他の学校と合同でクリスマス会やることになったんだって。それで、奉仕部にもそれを手伝ってほしいって……」

「……引き受けたのか?」

「うん」

「雪ノ下が?」

「えっと……うん……」

 

 肯定。しかし消え入るような声で。

 きっと雪ノ下は断ろうとしたのだろう。それを由比ヶ浜が押し留めたのだ。……恐らくは、以前の雪ノ下なら引き受けただろうという理由で。

 馬鹿げた理由だ。だがそれを責める資格は俺には無い。由比ヶ浜にそんな負担を強いているのは、他ならぬ俺なのだから。

 

「……時間は、多分作ろうと思えば作れる。手が必要だったら声かけてくれ」

 

 それが今の俺の精一杯。本当、情けない。だというのに。

 

「……うん。ありがと、ヒッキー」

 

 由比ヶ浜はそう微笑んだ。

 その笑顔が、胸に痛かった。

 

 

 

 記憶を頼りに自転車を走らせ、どうにか迷うことなく昨日の公園にたどり着く。

 軽く見回すと、見覚えのあるお下げ髪が目に入った。

 カバンから例の黒歴史ノートを取り出しつつ声をかける。

 

「おい」

「うぇいっ!?……あ、あれ?昨日の……」

 

 なにやら面白いポーズで固まる少女。

 

「……なかなか愉快なリアクションだな」

「あ、いえ、できれば忘れてください……」

「まあ別にいいが。それよりほれ」

「あ、拾ってくれてたんですか」

 

 ノートを受け取って頭を下げる。

 由比ヶ浜に近い匂いを感じるが、割りと礼儀正しい少女だ。爪の垢でも貰っていこうか。

 俺はシュタッと手を上げた。

 

「じゃ、俺はこれで」

「いやいやいや待ってください」

 

 捕まってしまった。

 

「……何?」

「いや、そんな嫌そうな顔しなくても。お礼くらいさせてくださいよ」

「いや、そういうのいいから」

「いや助けると思って。うちの姉がそういうのわりと厳しい方なんで、このまま帰しちゃったら怒られちゃいますよ」

 

 えー、なにそれ面倒。

 ……だけどまあ、いいか。特に予定もないしな。

 ぐいぐいと、腕を引かれるままに歩き出す。女の子に手をつながれているが、さすがに小学生相手では何も感じない。ないはずだ。ないよね?頼むよ俺!

 

「やー、ありがとうございますホント。あのあと珠ちゃん泣いちゃって大変だったんですよ。あ、あたし五更日向っていいます」

「……比企谷八幡だ」

 

 世間話に交えてさらりと自己紹介してくるあたり、やはりリア充側の人間らしい。今後は近寄らないことにしよう。……ん?ていうか今、なんか聞き覚えのある名前を聞いたような……?

 日向ちゃんがわきゃわきゃ話すのを適当に聞き流しながら歩いていると、先に先日の珠ちゃんと、俺と同年代くらいに見える少女の後ろ姿が見えた。

 珠ちゃんは泣いているらしく、俯いてしきりに目元を擦っている。それを隣の、日本人形を思わせる見事な黒髪の少女が慰めていた。

 

「あ、珠ちゃ-ん!瑠璃姉-!」

 

 日向ちゃんがその二人にぶんぶん手を振る。二人がこちらを向いた。

 

「……」

 

 その、珠ちゃんが言うところの姉さまであろう人物を見て、俺は固まった。

 おいおいどうなってんだよ。昨日の留美といい、こないだの折本といい、最近やたらと過去の知り合いと会うな。なんなの?借金の取り立てかなんかなの?

 なるほど。こいつの妹だってんなら、そりゃ聞き覚えもあるはずだよ。珍しい苗字だもんな。

 

「比企谷先輩……?」

 

 妹の頭を撫でながら、五更瑠璃はそう呟いた。




出来てる分はここまで。
続きがいつになるかは俺が聞きたい。
……マジすんません。


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