孤独の行軍歌 (まーぼう)
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プロローグ

 1945年。

 全世界を巻き込んだ戦い、いわゆる第二次世界大戦は、意外な形で終焉を迎えた。

 

 黒い月の出現。

 それに伴う人類の天敵の登場である。

 

 人類の天敵。それを幻獣と呼ぶ。

 

 学者達によって神話の獣達の名を与えられた彼等の事は、まだあまり判っていない。

 口を持たず、生殖せず、ただ人を殺し続ける。

 幻のように現れ、その身に蓄えられたエネルギーを使い果たすまで戦い、死んで幻のように消える。

 

 人類はそれが何かを理解する前に、人類同士の決着をつける前に、自身が生き延びる為に、幻獣との戦いを余儀なくされた。

 

 それから50年。

 戦争はまだ続いているーー。

 

 

 

 1997年。

 1945年から続く幻獣との戦いは、ユーラシアでの人類の後退という形で続いていた。

 焦土作戦を採用し、核の炎で自らの街を焼きながら後退するユーラシア連合軍は、遂に海岸線へと追い詰められた。

 

 同年4月。

 ユーラシア大陸陥落。

 人類は四千万の死者を残してユーラシアから消滅した。

 人類の生存圏は、南北アメリカ大陸とアフリカ南部、日本を残すのみとなる。

 

 同年9月。

 自然休戦期明け、幻獣は遂に九州西岸から日本に上陸を開始。

 ここに人類と幻獣の幾度目かの防衛戦争が開始された。

 

 1998年。

 恒常化した日本国土での幻獣との戦いにおいて、一つの事件が起こる。記録的な惨敗である。

 九州南部の八代平原において行われた会戦において、投入された自衛軍は陸自のほぼ全力にあたる48万。

 対する幻獣側は1400万。

 人類は生物兵器を用い、同地の8割を焦土と化してどうにか戦術的な勝利を手にしたが、同時に30万以上の将兵を一挙に失う事になった。

 人は、その穴を埋める為に戦い続ける事になる。

 

 1999年。

 国会において二つの法案が可決された。

 一つは熊本要塞を中心とした防衛ラインの設置。

 もう一つは少年兵の強制召還である。

 これにより、14歳から17歳までの徴兵規定年齢に達していない子供達が、学籍のままかき集められる事になった。

 その数、約十万人。

 これを即席の兵士として熊本要塞に投入し、本土防衛の為の「大人の兵士」が錬成されるまでの時間を稼ぐ。

 これら少年兵のほとんどが1999年中に死亡すると、政府はそう考えていた。

 

 

 

 比企谷八幡と葉山隼人。

 

 共に特異な能力を持つわけでもなければ、世界を救う勇者でもない。どこにでもいる、ありふれた少年である。

 

 物語は、この二人の少年の目を通して語られることとなる。

 

 

 

 

「しゃあっ!ミノゲット!」

 

 優美子が無線越しに快哉を叫ぶ。

 その言葉の通り、これまで俺達が散々に苦しめられてきた難敵、ミノタウロスが胸から煙を上げて崩れ落ちていった。

 戦力の中核を失った敵は総崩れとなり、仲間達の一斉射によって次々消滅していく。俺の予想が正しければそろそろーー

 

『葉山、そろそろ敵が撤退を始めるぞ』

「了解。どっちに追い込む?」

『ポイントA-4にホイホイを仕掛けた。座標を転送するから榴弾をぶちこめ』

「分かった、東のルートを潰す。帰りが遠回りになるが……」

『ルートは確保してある。お前の方こそしくじるなよ』

 

 皮肉を最後に通信が切れる。今のは守秘回線だから他の隊員には聞こえてないはずだ。

 

「みんな、一気に叩くぞ!右から切り崩せ!優美子、戦車は榴弾に切り替えてくれ。合図するまで撃つなよ」

「よくわかんないけど分かった!」

 

 オープン回線で指示を出すと、みんな快く受け入れてくれる。俺のーー俺達の狙い通りに。

 戦いは勝つだろう。あいつの計算通りに。

 負ける要素が無い。そんなものは、戦う前からあいつが全部潰してる。

 俺は臍を噛む思いで銃把を握り締め、怯えを見せ始めた敵の群れへと突撃した。

 

 

「いっや~!マジ快勝ってやつ?ヤバくね?俺らヤバくね?」

「スッゴいよね。ミノタウロスやっつけちゃったし。さすが優美子って感じ?」

「隼人が戦車取って来てくれたからっしょ。ホント、マジ頼りになるし」

「いや、陳情が受け付けられたのは俺達の戦績が良かったからだし、それはみんなが頑張ったからだろ?だから全員の手柄だよ、これは」

「やっべー!隼人くんマジ謙虚!今までだって隼人くんの指揮があってだべ?つーか隼人くんの予想って外れた事あったっけ?」

「そうだよね。なんか穴にはまってた敵も、戦車の榴弾で一発だったし。隼人くん、もしかしてあれ、狙ってた?」

「マジで?隼人ヤバすぎっしょ。予知能力でも持ってんの?」

「いや、大物を潰したから榴弾の方が効率が良いと思っただけだよ。穴は単に運が良かった……いや、敵の運が悪かっただけさ。幻獣は起伏に弱いみたいだからね」

「謙虚な隼人、カッコいい……」

 

 戦いが終わってホームに帰還し、各々戦勝の余韻に浸る。その明るい雰囲気は、ここに来たばかりの頃とは雲泥の差だ。

 あの頃は酷かった。誰も彼もが絶望し切っていた。

 俺自身もここまで生き残れるとは思っていなかったのだが、この部隊は一人の戦死者を出すこともなくこうして生き残っている。それもひとえに……

 

「皆さん、おっ疲れさまで~す!お水お持ちしました~!」

 

 思考が沈みかけたところに明るい声が響いた。

 

「おー小町、サンキュー」

「いえいえ優美子さん。小町は守ってもらってる立場ですからこのくらいは!」

「かー!小町ちゃんマジできた妹だし!どうよ、今度俺とデートしね?」

「謹んでお断りします」

「かー!小町ちゃんマジ厳しーわー!」

「戸部っ!小町に手ぇ出すんじゃねえし!でもホントできた妹だわ。ヒキオもちっとは見習えばいいし」

「あー、それホントだわー。ヒキタニくん今日何やってたん?つーかあれ?ヒキタニくんいなくね?」

「比企谷なら別行動中だよ。もうすぐ合流するはずだ」

「別行動って何やってんのよヒキオのやつ。戦えっつの」

「別に戦ってないわけじゃないよ。任務で行動してるんだから」

「任務ってもただの偵察っしょ?ちゃっちゃと終わらせて帰ってくりゃ良いのに」

「悪かったな、遅くなって」

「うっお!?ヒキタニくん、いつからいたのよ!?」

 

 背後からいきなり現れた比企谷に、戸部が大袈裟に驚く。

 

「お兄ちゃんお疲れ!はい、お水!」

 

 小町ちゃんが差し出した水を、比企谷は無言で受け取ってあおる。そのぞんざいな態度に優美子が柳眉を吊り上げた。

 

「こらヒキオ!礼ぐらい言えし!」

「……疲れてんだよ。悪いけど先上がらせてもらうわ」

「おい、まだ話終わって……!」

「優美子さん、いいですから……!」

 

 周りに関わろうとしない比企谷に食い下がる優美子。その優美子をなだめる小町ちゃん。最近よく見られる光景だ。

 

「ったく、なんなんだし、あいつ」

「すみません、兄がご迷惑を……」

「いや、小町が謝る事じゃないっしょ」

「……きっと本当に疲れてたんだよ。戦場で単独行動してたわけだし」

「いや隼人くん、甘いっしょ。優しさはもち大事だけどさー、ああいうなんつーの?調和を乱す行動?は見逃すべきじゃねんじゃね?」

「そーそー。つーかあいつ、ロクに戦わないクセに一人だけ最新装備って何よ?あれも隼人が取り寄せたもんっしょ?」

「マジ?うっわヒキタニくん最悪だわそれー」

「……重ね重ね兄がすみません……」

「いやだから小町は悪くねーし」

 

 そうして戦闘後に比企谷の文句で盛り上がるのも、もう見慣れた光景だった。

 

 

 

「葉山、さっきのは何の真似だ。何故俺を庇うようなことを言った?」

 

 人気の無い教室で、比企谷に胸ぐらを掴まれ壁に押し付けられる。俺はその状態のまま、なんとか声を絞り出した。

 

「俺はただ……人が不当な評価を受けるのが……!」

「それについてはとっくに話が着いてるだろ。余計な真似してんじゃねぇよ」

「だけど!この部隊の一番の功労者は……!」

「お前だろ。そういう決まりだろうが」

「……っ!」

 

 何も言い返せずに唇を噛み締める。

 

「……葉山、俺の目的は説明したはずだったよな?」

「それは、この部隊を守ること……」

「違う。俺が守りたいのはあくまで小町だ。その手段として部隊そのものを守っている。戦闘要員に空きが出なければ、小町が戦場に出ることはないからな」

 

 比企谷は表情を変えないまま言葉を続ける。

 

「葉山。戦争で一番重要なのは何だ?」

「……情報だ」

「その通りだ。それを理解出来てるお前を、俺は買ってる。だから情報を扱う偵察と隊長を、俺とお前でやってるんだろうが。お前はそれをぶち壊そうとしたんだぞ」

「だけど、偵察なら他のやつでも……!」

「任せられるわけねえだろうが。『ただの』偵察とか言い出すような連中だぞ。情報の価値ってものをまるで理解出来てない。試しに次は戸部か相模あたりに偵察を任せてみるか?賭けてもいいが全滅するぞ」

 

 比企谷の眼には迷いも躊躇も無い。

 

「いいか。俺が偵察なんて一番危険な役割を引き受けてるのは、他のやつらを信用してないからだ。そんな人間に隊長は務まらない。つまりこの配役は最初から変えようが無いんだよ。お前は優れた指揮官として信頼と栄光を集め、俺は部隊の鼻つまみ者としてストレスの捌け口になる。その形を保っている限りこの部隊の統率は乱れない。そして統率さえ取れていれば、俺とお前なら絶対に負けない」

 

 だから、と比企谷は続けた。

 

「余計な真似はすんな。おとなしく人気者やってろ」

 

 比企谷は、それだけ言って立ち去った。

 俺はそれを見送って、ずるずるとへたりこむ。

 

 口には出さなかったが、比企谷が不当な評価を受ける事に我慢出来ないのは自分の為だ。

 俺達は、徴兵されるまでは普通に高校生をしていたのだ。

 俺はその頃から比企谷を凄い奴だと思っていた。だけど、それでも自分の方が上だと疑わなかった。

 実際、勉強でも運動でも、高校生がステータスとする項目で勝負すれば、きっと全てで俺が勝つだろう。おそらく比企谷だってそう思っているはずだ。

 だけどこの戦争という地獄に来て、その立場は逆転された。

 俺が今まで誇りとしていたものは何一つ通用せず、しかし比企谷は圧倒的な力でみんなを守り続けた。

 

 比企谷の装備は高性能ウォードレス『武尊』に、最新鋭の光学兵器レーザーライフル。近接戦闘用にカトラスと手榴弾を持ち、撹乱用の煙幕弾。

 これは、熊本最強と呼ばれる兵士とほぼ同じだ。

 重要なのは、比企谷の装備が最強の真似『ではない』ということ。比企谷が実戦の中で試行錯誤を繰り返し、自然とこの形に落ち着いたということだ。

 比企谷の戦果は基本俺のものになる。目立ちすぎる場合はカウントしない。しかし個人的に記録していた比企谷の戦績は、熊本最強と比べてもなんら遜色のないレベルだった。

 つまり比企谷は熊本最強と、ひいては世界最強の兵士と肩を並べている。既にそんな領域にいるのだ、あいつは。

 やつが貶される度に、やつの身代わりに押し付けられた勲章が重くなる。俺はもうそろそろ、その重さに耐えられそうにない。

 

 

 つまるところ。

 葉山隼人は、比企谷八幡に、劣等感を抱いているのだ。



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宝剣との邂逅

「葉山、小型幻獣の群れが裏通りに向かってる。突破されれば本隊が壊滅するぞ」

 

『戦術マップを確認した。歩兵中隊が守備に着いてるみたいだが?』

 

「いや、ダメージを受けて潰走した部隊がより集まってるだけだ。数こそ中隊規模だが負傷者ばかりで戦力にならん」

 

『そうか……了解した、支援に向かう。裏通りだと戦車は入れないよな』

 

「近くに総武2Jの戦車部隊がいる。一時的に預けとけ」

 

『雪ノ下さんの部隊か……。優美子が反発しなきゃ良いけど』

 

「由比ヶ浜も一緒なら大丈夫だろ。俺はこのまま作戦行動を続行する」

 

『了解。……比企谷、死ぬなよ』

 

「自分の心配してろアホ」

 

 

 それを最後に通信を切る。

 俺は偵察兵だ。役割柄単独行動が多いが、その分戦闘に直接参加する機会は少ない。幻獣の性質さえ把握してしまえば、見付からないように行軍するのはそれほど困難ではなかったりする。

 

 小型幻獣は雑魚だ。簡単に倒せる。が、ほぼ必ずと言っていいほど群で行動する為、装甲の無い歩兵に対する脅威度は下手な中型幻獣を上回る。危険度でいえば葉山達の方が上なのだ。

 むろん、こっちはこっちで十分以上に危険ではある。なにしろ味方のサポートを受けられないから、一つ下手を踏めばそのまま死ぬ羽目になる。

 

 偵察兵の役目は、アンテナとして敵の戦力分布を把握すること。俺の場合、そこから味方をどう動かすかまで考えなきゃならん。ま、実際に命令飛ばすのは隊長の葉山なんだが。

 

 学兵、特に直接戦闘を担当する者には偵察を軽く見る者が多いが、ここで半端な情報を持ち帰ると、味方部隊は勝ち目の無い敵に戦いを挑む事にもなりかねない。

 ぶっちゃけた話、戦闘で勝てるかどうかは偵察の段階で決まってしまう。そのため俺は、他の誰かにこの役を譲る気にはなれなかった。

 

 それはさておき、本当に偵察だけして遊んでるわけにもいかない。少しでも敵戦力を削るのは重要だ。

 八代会戦での幻獣軍の戦力は自衛軍の約30倍だった。

 もうこの時点で絶望的な戦力差であり、個人でいくら倒したところで焼け石に水ではある。ついでに言えば30倍程度では相当に甘い見通しだとも思っている。が、それでも文字通りやらないよりはマシだ。

 この状況下では味方を守る事は自分を守る事とイコールであり、俺にとってそれは小町を守る事と同義だ。手を抜くつもりは無い。

 

 それにだ、攻撃を仕掛ける意味はなにも敵を直接倒す事ばかりではない。

 攻撃を受ければ当然それに対してリアクションする。進軍速度を落としたり、攻撃があった方向を索敵したりだ。

 そうした敵の反応をしっかり予測すれば、戦況をある程度コントロールすることも不可能ではない。

 味方を動かすのが葉山の仕事なら、敵を動かすのが俺の仕事なのだ。

 

 しかし先にも述べたように、単独行動がデフォの俺は味方のサポートを受けられない。よって出来る事は限られる。

 そこで俺が選んだ道は狙撃だった。

 気配を消して死角を取り、反撃を受けない位置から一方的に打撃を加える。

 姑息に卑怯に陰湿に。まさに俺のためにあるような戦術だ。

 

 俺は洪水の如く流れるゴブリンの群をやり過ごしつつ、目的の地点へと急いだ。

 

 

 

 気配を感じた。

 

 目的地、主戦場からほど離れた廃ビルの屋上。そこに先客が居たらしい。

 幻獣である可能性は低い。

 幻獣はアップダウンに弱い。これは幻獣がなだらかな地形が続く大陸での戦いに適応したためであり、日本がどうにか持ちこたえていられる最大の要因でもある。

 そのため町を埋め尽くすような小型幻獣の津波からも、家屋の上階はスルーされることがほとんどだ。俺のような兵士はそれを利用して移動する。

 

(てことは同業者か?)

 

 俺と同じ役割を負った人間なら、俺と同じ考えを持ってもおかしくない。ならば目的遂行のために俺と同じポイントを押さえようとするだろう。

 壁越しに銃を構える気配を感じた。

 やはり人間。それもこれは、俺の力量を見抜いた上で、気配だけで警告している。

 

「総武2F、比企谷十翼長」

 

 名乗ると同時に攻撃の意思が消える。姿をさらすと、それでも銃口はこちらを向いていた。

 

(ま、当然だな)

 

 相手が人間だからといって味方だとは限らない。こんなご時世でさえ足を引っ張り合うのが人間だ。

 その理由は政治的な駆け引きであることもあれば、宗教的なものであることもある。特に最近は共生派の動きが活発になっているらしいし。

 

 幻獣共生派というのは、文字通り人間と幻獣の共存を主張する一派だ。彼らによると幻獣とは神の遣いらしい。

 当然ながら政府はこれを弾圧。この主張を認めてしまえば、人間が悪ということになってしまう。以降、共生派はそれだけで銃殺刑だ。

 共生派は共生派で、政府に抵抗するテロリストへと成り下がった。

 まぁ、あくまで戦いを否定するガチの平和主義者も居るみたいだが、現在共生派とされる人物のほぼ全ては、共生派を名乗っているだけのただのテロ屋だ。

 

 ただ、俺の方は相手のことを疑ってなかった。

 わざわざ警告を発してきた相手だ。テロリストである可能性は低い。無論、こちらも銃を向けてはいるが。

 相手の男の装備を観察する。

 戦車随伴兵(スカウト)としては最高級のウォードレス『武尊』にレーザーライフル。腰には超硬度カトラス。

 驚いた事に俺とほぼ同じだった。そして同時にこの男に対する疑惑が完全に霧散する。

 武尊はともかく、レーザーライフルはレアすぎる。テロ屋風情には入手できないし、無理を通してまで手に入れる意味も無い。

 そう考えたのは相手も同様だったらしく、俺達は同時に銃を下ろした。

 

 この場所からはビル群が遮蔽になって地上がほとんど見えない。代わりに飛行タイプの幻獣どもは丸見えだった。

 俺の目的は、この敵の空戦ユニットを叩く事。人類側は航空戦力を使えない為、制空権を取られると被害はシャレにならなくなる。

 主な石油産出国が滅んでしまっている今、燃料を大量に消費する航空機は滅多な事では使えない。

 化石燃料の値は年々上がり続け、ガソリンはリッター500円を越えている。が、それでも金を出せば手に入る分、まだ余裕があるのだろう。

 

 俺は男から少し離れた位置で腹這いになり、レーザーライフルのスコープを覗きこむ。

 こいつは研究所で最近開発された最新兵器で、人類側では唯一の光学兵器。軍全体でも使い手が数人しかいないという代物である。

 もっとも使う人間が居ないのは、数自体が少ないというのもあるが、最大の理由は使い勝手が悪すぎることだろう。

 なにしろ人類初の光学兵器だ。実戦投入はされてるが、いまだに試作品の域を出ていない。

 弾切れの心配は無いものの一発毎にエネルギーのチャージが必要だし、威力は充分だが故障も多い。

 こんな使い辛い物をわざわざ使っているのは、ひとえに銃声がしないからだ。

 幻獣は音に敏感だ。普段なら階段を無視するゴブリンどもも、上に人間が居ると判れば話は別だろう。

 

 スコープ越しに見えるのは2種類の幻獣。

 現在確認されている幻獣は8タイプ。その内飛行タイプは2種類だ。

 厳密にはもう1種ヒトウバンというのがいるが、2メートルほどしか浮けない上にザコなので数に数えられてない。ただし、そいつは相対した時の胸糞の悪さはダントツだ。

 まぁそいつの事はいい。今敵軍の上空を飛んでいるのは十数機のヘリ、ゾンビヘリこと『きたかぜゾンビ』の群だ。

 こいつは寄生タイプの極小の幻獣の群体で、軍用ヘリ『きたかぜ』に取り憑いて操っている。機動力と攻撃力に優れるが装甲は薄いという、典型的な空戦ユニットだ。

 ちょっと油断するといつの間にか頭上を取られ、生体機関砲を雨あられと降らせてくる危険極まりない敵だ。序盤でこいつをどれだけ減らせるかは、味方の損耗率に直結する。

 そのゾンビヘリに混じって巨大な影が浮いている。

 

(……チッ)

 

 スキュラ。

 空中要塞の異名を持つ、8種の幻獣の中で最強と目されるタイプだ。学校では、こいつが出てきたら味方に死人が出るのを覚悟しろと教えられる。

 実際にその力は凄まじく、主武装であるレーザー砲は長射程にして高精度、戦車の装甲を一撃でぶち抜く威力を持つ。さらには高高度から撃ち下ろしてくる為、塹壕がまるで役に立たないという厄介さ。

 また、防御面でも突出しており、装甲でも耐久力でも群を抜いている。まさに要塞である。

 

 俺は少し迷った。

 どちらを優先して落とすかで言えば、やはりスキュラだろう。しかし先にも述べたようにスキュラは堅牢だ。一撃で落とせるかと言われると正直自信がない。せめてこっちを向いてくれれば話も違うのだが……

 

「……俺はまずゾンビを落とす」

 

 唐突に聞こえたその言葉は、隣の男が発したものだった。まったく予想してなかったことなので、それが俺に向けられた言葉だと判断するのに数秒かかった。

 

「了解。スキュラは俺が殺る」

 

 俺の簡潔な答えに、男は小さく頷いた。

 再びスコープを覗く。この時、目は両方開けておく。

 左右の目で別々にものを視るのだ。それが出来ない奴は狙撃には向かない。

 スコープを覗く側ではない左目に、男が引き金を引くのが映りこむ。

 レーザーライフルの先端から光が迸り、遥か彼方の機影が2つ地に落ちる。

 

(すっげ……!)

 

 ワンショットツーキル。一度の射撃で二体の敵を落とす高等技術。

 狙って出来る事ではないが、狙わなくては絶対に出来ない。そういう部類の技、というより現象だ。

 雰囲気からして相当な手練れだと踏んでいたが、どうやらこの男の戦士としての技量は、俺より数段上らしい。

 

 対抗心が湧いたわけではないが、見惚れているわけにもいかない。スコープの中ではスキュラがこちらに回頭していた。今の一撃だけで射撃地点を特定したらしい。

 

 俺はスキュラの厄介さは、単純な戦闘力よりもこの頭の良さだと思っている。

 軍上層部は頑なに認めようとしないが、幻獣には明らかに知性がある。

 個体差はもちろん存在するが、タイプ毎にレベルや傾向の偏りがある。例えばミノタウロスなら単純で獰猛、のような。

 スキュラは一言で言えば指揮官タイプ。

 視野が広く、判断力に優れ、統率力も高い。正直、スキュラが居るかどうかだけで敵の動きがまるで違う。人間でさえあれば俺の上官に欲しいくらいだ。少なくとも戸部や由比ヶ浜では比較にもならない。

 

 こちらを向いたスキュラの単眼が赤く輝く。レーザーの予兆だ。それを、俺のレーザーライフルから放たれた閃光が焼き貫いた。

 行き場を失ったエネルギーはスキュラの体内で炸裂し、その巨体は驚くほどあっさりと崩れ落ちる。

 

「……やるな」

 

 ボソリとした声は隣の男のもの。見ればその銃口は、わずかにこちら側に角度を変えていた。

 俺が討ち漏らしたら自分で落とすつもりだったのだろう。要は信用されてなかったということだ。

 別にその事に腹を立てたりはしない。逆の立場なら俺だってそうする。というか今日初めて顔を合わせた相手に信用もへったくれもないだろう。

 戦場では名前も知らない相手に命を預ける事も珍しくない。だから味方が出来ると言ったなら、いちいちそれを疑ったりしない。

 戦場で味方を疑わない事は単なる技術でしかなく、それは信用や信頼とはまったく別の事なのだ。

 戦場では味方を疑わず、その上で味方が失敗した時の対応を常に頭に置いておく。生き残りたいならそうすべきだ。

 

 狙撃手を探してグルグル回っていたゾンビヘリ達は、さらに二機を落とされてようやくこちらを捕捉したようだ。

 ただ、スキュラとは対称的に、きたかぜゾンビは幻獣の中でぶっちぎりに低脳だ。足の速さに任せて真っ直ぐ突っ込んでくるだけなので、ただの的当てと変わらない。

 当然俺達が的を外すわけもなく、ゾンビヘリは二分足らずで全滅した。

 

 

 最低限の仕事は終わったが、戦いはまだ続いている。

 地上の砲戦型に狙われないように遮蔽の多いこの場所に陣取ったので、地上を狙えるポイントまで移動しなければならない。と思っていたら男がいきなりビルに向かって発砲した。

 ビルの窓越しに幻獣側の主力砲戦タイプ、ゴルゴーンが爆散するのが見えた。

 

(ま、窓抜き……!)

 

 建物の窓という、ほんのわずかな隙間を縫って敵を射殺す超高等技術だ。それを事も無げにやってのけた男を唖然と見ていると、そいつは変わらぬ調子で口を開いた。

 

「……俺は北に向かうつもりだ」

 

 言外に、お前はどうする?と聞いているのだろう。

 空戦ユニットを叩いた後は地上を狙えるポイントに移動する予定だった。その候補は北と東に一つずつあったのだが、東は幻獣軍の勢力下にあるため、少々危険が伴う。

 別に二手に別れる必要はない。どちらに行っても戦果は大差ないだろう。が……

 

「なら東で」

 

 俺はそう答えていた。

 意味なんて無い。ただこいつに守られるのが我慢ならなかっただけだ。

 などというわけはなく、場所を散らせばその分敵に特定される可能性が減るからだ。いや、正直に言えばなんとなくシャクだったというのもあるが。

 

「……行けるのか?」

 

 男のその声にも挑発の気配は無い。なのについ反発したくなる。

 まぁなんだ、俺にも一応プライドみたいな物があったらしい。……さっさと捨てちまわねえとマズイな。

 俺は男の言葉に頷いて懐からある物を取り出す。

 

「……それは?」

「手製のバルーングレネード」

 

 答えつつピンを抜き、通りに向かって放り投げる。

 バルーンはすぐに膨らみ、慣性に従ってふよふよと流れていき、100メートルほど進んだところで破裂して中の硫酸を撒き散らした。

 下では道路を埋め尽くしていたゴブリンどもの一部に、一時的に穴が開く。

 連中は慌てふためいた後にバルーンの残骸を発見し、それを追いかけて俺達とは反対方向へと流れていった。

 

「……なるほど」

 

 男は感心したように呟いた。

 しかしなんだ。ずいぶんと口数の少ない奴だな。お喋りな奴よりはよほど良いが。

 

「じゃ、奴らが戻って来ない内に俺は行くぜ」

 

 俺は簡潔に告げて立ち上がる。

 背中からも、男が立ち去ろうとする気配。

 

「……5121。来栖銀河」

 

 唐突に聞こえたその単語が、自己紹介であると理解するまで数秒を要した。

 

「……俺は運が良い。安心して背中を任せられる味方を、最低でも二人知っている」

 

 脈絡の無いセリフに振り向くと、男ーー来栖、でいいのか?ーーの姿は既に無かった。

 

 ……こんなバケモンみたいな兵士があと二人も居んのかよ。

 

 内心で呆れつつ東のポイントへ急ぐ。その道すがら、来栖の出で立ちを思い出す。

 

(……そういや、見たことねぇ勲章着けてたな、あいつ)

 

 俺の戦果は全て葉山のものになる。そういう取り決めがある。

 だから俺が勲章を受け取る事は絶対に無い。

 そのため、俺は勲章の事はほとんど知らない。来栖の着けていた勲章の意味も、やはり知らなかった。





 火の国の宝剣章

 マジックソードオブムスルブヘイム。
 焔の絡み付く剣を意匠化した勲章。熊本最強の兵士の証。


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銀剣の誓い

キャラ死亡注意


「ようこそ熊本へ。あなたが葉山隼人くん?」

 

 バスから降りた俺を迎えてくれたのは、教師としてはまだ若い女性だった。

 淡い桜色の服を纏ったボブカット。美人というよりは可愛らしいと呼んだ方がしっくりくる、幼さの残る容貌。

 目上の相手に対して抱く類いの感想ではないと分かってはいたが、それが彼女に対する最初の印象だった。

 

「初めまして。私は芳野春香、あなたの副担任になります。……といっても私の担当は国語だけなので、戦争のお役には立たないんですけど」

「そういうことは自分で言わない方が良いですよ。国が必要だと判断したからここに居るんじゃないですか?」

「ふふっ、ありがと。お世辞でも嬉しいわ」

 

 芳野先生はそう言って笑い、くるりと背を向ける。

 

「寮まで案内しますね。着いて来てください」

「よろしくお願いします」

 

 

 

 これが、俺と芳野先生の出会いだった。

 

 

 

「葉山くんは関東からでしたね。どうして熊本に?」

「徴兵ですよ」

 

 先生の当たり障りのない質問に、俺はそのままを答える。が、どうやら意図を読み違えたらしく、芳野先生はきょとんとした表情を浮かべてから付け加えてきた。

 

「ああ、いえ、葉山くんの学校……総武校でしたか?着任は来週からの予定じゃないですか。どうして1人だけ先に来たのかと思いまして」

「ああ、そういう……。下見、みたいなものです。成り行きとはいえ隊長を任されたわけですし」

「真面目なんですね」

「ただの性格ですよ。自分の目で直接見ないと安心できないんです。臆病なものでして」

「勇敢で無謀な兵隊さんは使えないらしいですよ?隊長さんなら臆病なくらいで丁度良いと思いますけど」

 

 どこかピントのズレたことを言う芳野先生。国語担当というだけあって軍のことは全く知らないらしい。俺はため息をなんとか押し殺して会話を続ける。

 

「そういうわけにもいきませんよ。戦う以上は戦果を上げないと、下手したら懲罰部隊行きもあり得ますから」

 

 懲罰部隊とは文字通り、何らかの違反者が罰として配属される部隊だ。

 基本的には犯罪者、主に脱走兵が送られるところで、最低限の装備だけで最前線に放り込まれ、逃げれば味方から撃たれることになる。要は事実上の処刑である。

 普通に兵役に就いていればそうそうあることではないが、あまりにも戦績が悪いと敵前逃亡と見なされてそういうことも有りうるのだ。

 しかし芳野先生にとってはやはり理解の及ばない世界の話らしく、小さく小首を傾げるばかり。

 

「そういうものなんですか?私としてはあまり生徒に危ないことはしてほしくないんですけど」

「……まあ、戦争ですからね。できるだけ努力しますよ。俺だって危ないのはゴメンですし」

「はい。無理はしないでくださいね。……真面目ですね、やっぱり」

「そうでしょうか?」

「ええ。部隊のみんなのために自分ができることをしようとしてます」

「自分の役割をこなすのは普通のことだと思いますけど」

「そうでもないですよ。東側は徴兵拒否も多いと聞いてますし」

 

 そういうものなのだろうか。

 割り振られた役目は自分で消化する。それをしなければ他人にしわ寄せがいくのだから当たり前だ。結局は力及ばずそうなってしまうこともあるが、少なくとも自分でなんとかしようとするのは当然のことだろうと思っていた。が、周りの人間を見てみると、案外そうでもないのかもしれない。

 たとえば去年の文化祭。あれは酷かった。

 六十人以上居るはずの実行委員が十人足らずで作業に追われていた。

 それはある理由からサボりが半ば公認されてしまったからなのだが、いくら許されるからといって、自分が負うべき責任を疑いもなく誰かに押し付けられることが理解できなかったものだ。

 こうした事例を鑑みれば、俺のような考えはむしろ少数派なのかもしれない。

 少数派、文化祭という単語からあいつを思い出す。

 

 みんなのため、か。

 あいつが聞いたら鼻で笑うんだろうか。

 そういえばあいつは俺より先に熊本に来ているはずだが、先生はそれには触れてないな。

 

「先生、着任前に来るのってそんなに珍しいですか?」

「そうですね。やっぱり早く戦いたいなんて人はいませんし、準備のために前日に来るくらいが普通でしょうね。こんなに早く来た人は、私が知る限りでは葉山くんだけですよ」

 

 どうやら知らないらしい。あいつのことだ、きっと部隊から離れたところでなにかしているのだろう。

 意識をクラスメートから切り離したところで先生が声を上げた。

 

「ここです。荷物はもう届いてますから荷ほどきしといてくださいね。明日は学校まで案内しましょうか?」

「お願いします」

「わかりました。それでは朝の八時に迎えにきますね。私は書類仕事が残ってるのでもう行きますが、何かあったらここに連絡してください」

 

 先生が差し出した電話番号が書かれたメモ用紙を受け取り礼を言う。先生は最後までにこやかに立ち去っていった。

 

「さて……と、とりあえず食って寝れるようにしないとな」

 

 今日からはここで生活することになる。隊長特権で一人部屋だ。

 荷ほどきが終わったら周りに何があるかを確認しに行くか。そんなことを考えながら、俺はそう多くない荷物と格闘を始めた。

 

 

 

 翌日。

 朝に弱いらしい芳野先生が、八時よりは大分遅れて迎えにきたのは別の話。

 

 三月半ば。桜の咲く前であった。

 

 

 

 

 変化は最初から始まっていた。

 それが顕著に現れだしたのは、四月に入ってからだった。

 

 

「あははははっ、三浦さーん。国語のお勉強しましょー」

「いや、あーしら戦車の整備あるから無理……つか酒臭っ!?」

「ほらー、由比ヶ浜さんもー。こんな成績じゃ卒業できませんよー?先生プリント作ってきましたからー」

「せ、先生、最近出撃多いからみんな勉強してる余裕無いですよ」

「そんなこと言ってー。勉強キライだと立派な大人に……あら?あらあら?」

「はいはーい、先生は小町とお勉強しましょうねー」

「こ、小町、助かったし!」

「小町ちゃんゴメン!先生のことお願い!」

「はいはい、小町にお任せあれ!さー先生、プリントどんなですかー?」

 

 プリントのことを聞かれた芳野先生は、機嫌よく小町ちゃんに引っ張られていった。

 格闘訓練中、それらの様子を遠目に眺めていた俺に、パートナーをしてくれてた戸部が話かけてくる。

 

「芳野先生、最近ずっとあんなだよなー」

「そうだな……」

 

 戸部の言うように、芳野先生は酒の臭いをさせて学校に現れるようになっていた。

 飲酒は以前からだったようだが、時間と共にその量が増えているらしい。最近では校内に持ち込んで飲んでいる姿も目撃されている。

 

「まあでも仕方ないかもなー。芳野型はストレスに弱いっていうし」

「そう、だな…………」

 

 芳野型。

 戸部が何とはなしに口に出した言葉が胸に刺さる。

 芳野先生が量産タイプのクローンであることを知ったのは、こちらでの授業が始まってからだった。

 

 人類は幻獣との戦争を続けるために、人間のクローンという禁忌に手を出した。減り続ける人口に対し、戦える人間の育成がまったく追い付かなかったからだ。

 また、人間同士の交配によって産まれる純粋な意味での、いわゆるオリジナルと呼ばれる人間は弱すぎた。そこでクローンは遺伝子操作によって細胞レベルで強化されるようになった。

 遺伝子操作の影響か、クローンは繁殖力が極端に弱かった。

 戦争でオリジナルの人間が淘汰され、出生率が1%を下回るようになってからずいぶん経つと中学の授業で習った。今ではほぼ完全にクローン技術によって人口を保っている有り様だ。

 

 現在、人間と呼ばれる生物は大別して二種類存在している。

 一つは赤ん坊の状態で、申請のあった婚姻関係にある男女の下に届けられ、子供として育成される『市民』

 もう一つは戦争継続のため、必要充分な状態まで培養された肉体に記憶を焼き付けた『量産型』だ。

 

 戦争と縁遠い関東には、量産型はほとんど存在しない。故に、俺は芳野先生がそうであることに気付かなかった。

 芳野型は戦争による平均的な学力の低下を補うためのタイプだ。自然、その役割は教師として学兵の指導を勤めることになる。が、最近増えてきた量産型の暴走事故の筆頭として名前が挙がるのも芳野型だった。

 量産型のクローンは、知識はあっても経験が伴わない。つまり実質赤ん坊の精神しか持たない者に、大人のとしての責任を負わせていることになる。当たり前だがストレスに耐えられるはずがない。壊れるのはむしろ自明と言える。

 

 量産型にもストレスに強いタイプはいる。例えば小隊付き戦士(戦士は学兵における階級の一つ。自衛隊の軍曹に相当する)として配備される若宮型や、戦術理論の教官となる坂上型などはかなり安定しており、長期にわたっての運用が可能とされている。

 しかしそれらはベースとなる人格によるところが大きく、芳野型は戦争には致命的に向いていないのだ。

 芳野型の性格は、端的に言えば優しい普通の女性である。

 責任感が強く、思いやりがあり、細やかな気配りができる。

 平時であれば多くの生徒に慕われる良い先生となっていただろう。実際政府は、そうした点が学兵達の精神的なケアになると見越して芳野型を採用したはずだ。しかしそれは失敗だったと言わざるをえない。

 そうした人間的な長所は、戦争の中では己を押し潰す重荷にしかならなかった。

 芳野型の多くは、教え子を戦場に送り出し、そして失う心的負荷に耐え切れずに不具合を起こしていったのだ。最近では暴走した個体が学兵に怪我を負わせたという噂も出てきている。

 

「なんかしてやれねーかなー。あのままじゃ可哀想じゃね?」

「そうだな……」

「いや隼人くん、ちゃんと聞いてよー。そうだなばっかっしょー」

「そうだな……」

 

 そうは言っても、芳野先生の優しさに助けられた部分は大きかった。

 熊本に来たばかりの頃の地獄のような惨状では、先生の励ましが無かったらきっとみんな持たなかったはずだ。だからこの部隊には、先生を嫌っている者は一人もいない。

 

「せめてなんかで安心させてやれりゃなー」

「そうだな……」

 

 戸部のおしゃべりを聞き流しながら、俺は淡々と訓練をこなした。

 

 

 

「全体、休め!……姫菜、戦況を確認してくれ」

 

 戦線が落ち着き小休止の命令を出すと、みんなが一斉に座り込んで深く息を吐いた。その中で通信士の姫菜だけが俺の元へと駆け寄り、戦場の状況を伝えてくれた。

 

「この辺はもう大丈夫。他のエリアも敵が撤退を始めてる。今日はもう戦闘は無いと思うよ」

「そうか。人類側の損害は?」

「ウチの部隊は損害ゼロ。目立った怪我人も無し……別行動中のヒキタニくんも含めてね。よその戦域では車両大破が一、多少死傷者も出たけど戦力には影響無いみたい」

「追撃戦の様子は?」

「幻獣は北と西に逃げていってるみたい。参加する?」

「そうだな……みんな!まだ余裕はあるか!?」

 

 個人的には優勢な時にできるだけスコアを稼いでおきたい。

 戦績が良ければそれだけ軍で優遇される。それはそのまま部隊の生存率に直結する。それがなくとも、敵を減らせばその分だけ人間の驚異が減るのだ。戦える時に戦えるだけ戦うのは、戦時下において当然の義務でもある。

 しかし一方で、戦いからできるだけ遠ざかりたいと願うのもごく自然な欲求だ。実際今の俺の問いかけにも、嫌な顔をする者が少なからずいた。

 今の部隊全体の状態は、戦えなくはないができればやりたくない、といったところか。

 このような半端な精神状態で戦えば、思わぬ損害を出す恐れもある。

 姫菜の話では他所に応援に行く必要も無さそうだし、今日はもう切り上げた方がいいかもしれない。

 そう考えて撤収準備の指示を出そうとした時、姫菜が思い出したように付け加えてきた。

 

 

「そういえば今日のスコアだけど、隼人くんがあとちょっとでシルバーソードに届くよ」

 

 

 場が静まり返り、一拍置いて喧騒が溢れだした。

 

「ちょ、マジで!?隼人くんスゲエ!」

「隼人ヤバイ!マジヤバイ!マジヒーローじゃん!」

「お、落ち着けよみんな!まだ取ったわけじゃないんだから!」

 

 騒ぐみんなを慌ててなだめるが、あまり効果は無かった。

 シルバーソードとは勲章の一種だ。獲得が最も困難と言われるものの一つで、前線の兵士からはエースの証として羨望を集めている。

 そのシルバーソードの獲得者がこの部隊から出るかもしれないとあって、みんなは俄然色めき立っていた。「ここは追撃戦で勲章狙うしかないでしょー!」などと言い出す始末。つい先ほどまでの士気の低下ぶりがウソのようだ。

 そんな中で、テンションの上がった戸部がこんなことを言い出した。

 

 

「そうだ!勲章取れば芳野先生も安心させてやれんじゃね!?」

 

 

 一瞬静まり返り、そして再び沸き上がる。

 

「それいいじゃん!」

「戸部っちたまには良いこと言うし!」

 

 みんなすっかりその気になっている。

 撤収を命じようとしていた俺は戸惑ったが、考えてみればそれは部隊の士気が落ちていたからだ。今の状態なら充分な戦果をあげられるだろう。

 それに、これが少しでも先生の助けになるなら……

 

 俺は考えを改めると、単独で遊撃任務にあたっている比企谷にプライベート通信を送った。あいつにはこちらの会話は聞こえているはずだけど、念のため。

 

『比企谷、聞こえるか……比企谷?』

 

 いつもならすぐに返ってくるはずの皮肉が無い。不安に駈られてオープン回線で呼び掛けようかと思ったところでようやく返事がきた。

 

『…ザ……聞こえてる。どうかしたか?』

『どうかしたかはこっちのセリフだ。何かあったのか?』

『…………いや、何でもない。それより何の用だ』

 

 何か妙なタメがあった。

 気にはなったが、比企谷相手に通信越しに問い詰めても絶対にはぐらかされるだろう。無駄なので仕方なく気付かないフリをする。

 

『俺たちはこれから追撃戦に合流する。西のエリアに向かうからお前も……』

『こっちには来るな』

『は?』

 

 間髪入れずに拒絶が返ってきた。それに違和感を覚える。

 比企谷ならば余計なリスクを嫌って追撃戦に反対するかもしれないとは思った。だから事前に連絡を入れたのだ。

 しかし比企谷のセリフは『こっちには来るな』。自分のいる西側には来るなと言っているだけで、追撃戦そのものに反対してるわけではない。

 これはつまり、比企谷の周りで何かが起きたことを意味している。

 

『比企谷、何があった?』

『…………輸送車が戦闘に巻き込まれた。死傷者も出ている』

 

 車両大破一、死傷者あり。

 比企谷の言葉に姫菜の報告を思い出した。そうか、比企谷の担当エリアだったのか。

 

『救助は?人手は足りてるのか?』

『幻獣はとっくに撤退してるが、そこにいた奴らは捕まって警戒任務に当たらされてる。俺もな。追撃戦に行くつもりなら北にしろ』

『そういうことか……。了解した、解放されたら合流してくれ」

 

 了解の返事を最後に通信を切る。俺は比企谷のことを意識から切り離し、みんなに進軍の命令を下した。

 

 

 

 深夜。

 

 中学校の敷地内に建てられたプレハブの校舎。その一階の小隊長室。

 出撃があった日は、芳野先生はいつもここに居た。この小さな部屋で、俺たちの無事をずっと祈ってくれていた。

 戦闘を終えたら、まず彼女に全員の無事を報告する。それが決まりごとのようになっていた。だから今日も、当然のようにこの部屋を訪れた。

 今日は少しだけ違った報告ができる。そう思いながら引き戸を開けると、いつもと様子が異なることに気が付いた。

 

「……先生?」

 

 人の気配がしない。明かりがないのはいつものことだが、もぬけの殻というのは初めてだった。

 正体のわからない不安に駆られる。

 いつもなら酒で顔を紅くした先生が飛び付いてきて、『大丈夫、みんなのことは先生が守ってあげるから』と泣き出すのだ。

 それを泣き止むまで慰めて家に送り届ける。俺にとっての戦闘は、そこまでして初めて終わる。先生を見つけなければ俺は自分の部屋に帰れない。

 小隊長室から飛び出すと、夜闇に溶け込むような人影が立っていた。比企谷だった。

 

「比企谷……芳野先生を見なかったか?いつもはここに居るはずなんだけど……」

 

 比企谷は何も答えない。その顔は暗くて伺いしれないが、どこか思い悩んでいるようにも見える。

 

「比企谷……?」

 

 再度声をかけると、比企谷は少しだけ顔を持ち上げて口を開いた。

 

「先生はもう居ない」

 

 何を言われたのか解らなかった。思考停止して固まる俺をあえて無視するように、比企谷は事務的に言葉を重ねる。

 

「別の小隊で芳野型の暴走事故があっただろう。それが問題になったらしい。昼の戦闘の間に暴走の危険のある量産型の回収が行われたそうだ」

「何を……言ってる……?」

「明日の午後には『代え』が届くそうだ。必要書類をまとめておくから後で受領印を」

「何を言ってるんだお前は!?」

 

 怒鳴り付けて比企谷の言葉を遮る。これ以上聞きたくなくて、比企谷に背を向ける。

 

「どこへ行く」

「決まってるだろ。先生を助けに行くんだ」

「先生はもう居ないと言った」

「軍が勝手に決めたことなんか知るか!先生に代わりなんかいるはずないだろ!」

「そうじゃない。先生はもう『居ない』んだ」

 

 わずかにトーンの変わったその声音に、決定的な何かを感じ取った。

 

 考えるな。理解してしまえば取り返しがつかなくなる。

 

 輸送車。回収。戦闘。死傷者。

 

 今日一日に耳にした単語が不意に甦った。

 筋道立った根拠などありはしない。なのに、頭の中でバラバラだったピースが噛み合いだしてしまう。

 必死になって理解を拒んでも、頭が勝手に仮説を組み立ててしまう。そして荒唐無稽なはずのその仮説を、否定できる材料が見つからない。

 

「量産型を回収した輸送車が、撤退する幻獣の群れに呑み込まれた」

 

 そんな俺の仮説を、比企谷が無情に補強する。

 

「倒壊したビルで敵の撤退ルートが変化したんだ。俺も駆け付けたが、追撃部隊が追い付いた時にはもう手遅れだった」

「先生は…………どうした………?」

 

 掠れた声で問い返す。

 何か意図があって出たものではない。脳を介さず反射のみで出てきた言葉だった。

 

「輸送小隊は護衛も含めて全滅だった。……輸送車は横転して『積み荷』もぶちまけられていた。幻獣は生身の人間には真っ先に襲いかかるから」

「俺はっ!先生はどうしたんだって聞いてるんだ!」

 

 質問の形をとっていながら、その実相手の発言を遮る怒鳴り声。

 ひどく理不尽だと分かっていたが、それでも認めたくなくて比企谷の胸ぐらを掴み上げてしまう。

 闇に隠れていた比企谷の表情が露になる。

 

 

 

「……すまん」

 

 

 

 比企谷は熊本にきて以来貼り付いていた、いつもの無表情。

 しかしどこか泣き出しそうにも見えるそれから搾り出された一言に、俺はそれ以上何もできなくなった。

 

 

 

 

 比企谷の話ではこんなことがあったそうだ。

 

 輸送車が横転した時に、護衛の学兵が巻き込まれて身動きが取れなくなった。

 当然敵がそれを見逃すはずもなく、すぐさまゴブリンが襲いかかった。そのゴブリンに、車外に投げ出された芳野型の一人が、拾った鉄パイプで殴りかかったそうだ。

 当たり前だが、訓練もしてない生身の女性が幻獣に太刀打ちできるはずもなく、その芳野は学兵ともどもあっさりと殺された。

 その芳野がどこの芳野だったかは判らないし、報告を受けた軍はただの暴走と切り捨てた。それでも、

 

 

「あの人はきっと、最期の最期まで『先生』だったんだと思う」

 

 

 比企谷はそう言っていた。

 

 

 

 

 翌日。

 簡略式の勲章授与を終え、敷地を間借りしてる中学校に関連書類を届けにきた俺は、職員室前で新任の先生と鉢合わせた。

 

 

「えっと、初めまして、芳野春香です。あなたが隊長の葉山くん?」

 

 

 そう言って小首を傾げたのは、教師としてはまだ若い女性だった。

 淡い桜色の服を纏ったボブカット。美人というよりは可愛らしいと呼んだ方がしっくりくる、幼さの残る容貌。

 まだ薄れもしない記憶と瓜二つの姿に、膝から力が抜けて崩れ落ちる。

 

「え、え?あ、あの、どうしました?」

 

 突然うずくまった俺に、新しく補充された『芳野先生』が心配気に声をかけてくる。その優しい声音に、嬉しさでも悲しさでも悔しさでもない、よく分からない涙が溢れ出る。

 

「大……丈夫……。大丈夫、です……」

 

 どうにかそれだけ答え、気付かれないように涙を拭う。

 今さらになってようやく思い知った。

 俺はきっと、芳野先生に恋をしていたのだ。

 

「……すみません、ただの立ちくらみです。心配おかけしました」

 

 立ち上がり、いつもの笑顔を浮かべる。

 みんなの人気者、頼りになる隊長『葉山隼人』の仮面を被る。

 どうにか取り繕えたと思うが。

 

「そうなんですか?ちゃんと休憩取らないとだめですよ?」

「ははっ、すみません。気をつけます」

「隊長さんが忙しいのはわかりますけど、倒れちゃったりしたらみんな困るんですから……あら?」

 

 屈み込み、俺がぶちまけてしまった書類を拾い集めてくれていた先生が怪訝な声を上げた。その手には、先ほど受け取ったばかりの銀色のメダル。

 

「わっ、スゴい!これシルバーソードですよね?私初めて見ました!」

 

 先生はその勲章を透かすように眺めて子供のようにはしゃいだ。

 そんな仕草も芳野先生とそっくりでーーそれでもやっぱり別人なのだ。

 

「こんな勲章貰えるなんて、葉山くんて強いんですね?」

「……はい。結構強いんです、俺たち。だからーー」

 

 どうしたところで、先生はもう帰ってこない。

 だけどせめて、これだけは誓おう。

 

「だから、何があっても必ず帰ってきます。安心して待っていてください」

 





 銀剣突撃勲章

 通称シルバーソード。
 一度の出撃で多大な戦果を上げた兵士に贈られる、交差する三本の剣を意匠化した銀製の勲章。
 累積撃墜数ではなく、あくまで一回の戦闘での撃破数が条件となるため獲得が非常に困難。
 そのため前線の兵からは真のエースの証として、より上位の勲章である黄金剣突撃勲章以上に尊敬を集めている。


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