超速い慇懃無礼な従者 (技巧ナイフ。)
しおりを挟む

プロローグ おはようございます

妄想が止まらなくてやっちまったよ……。
仕方ないんです!システィちゃんとルミアちゃんが可愛い過ぎるから!!

文才ゼロです。でも頑張ります。



 朝比奈信一の朝は早い。

 

 フィーベル家という名家でお世話になっている居候という立場であるが故に、朝はフィーベル家の家人が起きるより早く起床し、郵便物の回収と朝食の準備を始める、が———

 

 その前に日課である素振りを行なっていた。彼の握る武器は反った片刃が特徴的な剣。“刀”の呼ばれるアルザーノ帝国では珍しい舶来品だ。それを左右の手に一本ずつ持って、丁寧に力強く振るう。

 

「9998、9999、10000!」

 

 フィーベル家の広い庭で日課の素振り10000回を終え、木陰に置いてある竹筒の水筒に入った水を飲み干す。

 

「ふぅ……」

 

 朝のパリッとした空気の中で流す汗は最高だぜ!と、爽やかな笑顔を浮かべ、額に薄っすらと浮いた汗を拭う。

 

「う〜ん……よし、やっちゃおう」

 

 少し悩むように考える仕草をし、何かを思い立って井戸の方に向かう。

 よいせよいせと井戸から桶一杯の水を掬い出し、一思いに服の上からにも関わらずザバァーと被り、一気に体を冷やした。

 

「気持ち良いいいイィィィィィッ!!」

 

「うるさい!」

 

「痛い!?」

 

 そして、傍に置いてあった刀で鞘越しにゴツンと頭を殴られる。鉄の刃を納めているだけあって、響くように痛い。それはもう、お星様とヒヨコさんがパ・ド・ドゥで踊る様子が見えてしまうほど痛い。

 

「いてて……おはようございます、システィーナお嬢様」

 

 いつまでもお星様とヒヨコさんのバレエを見ていたい気持ちに駆られたが、その先に見えた川に危機感を覚え、意識を無理矢理こちらに戻して信一は主であり護衛対象であり、そして従者の自分を家族と言ってくれる銀髪の少女に笑顔で挨拶をする。

 

 それに対し、システィーナも主らしく同年代と比べると少々平面度の高い胸を張り、腰に片手を当てて挨拶を返す。

 

「うん、おはよう信一。朝から精が出るわね」

 

「……早朝から下ネタですか?」

 

「そういう意味じゃないわよ!」

 

 主らしさは一瞬の後に霧散した。

 

 ブンッ!とわりとマジで振られる自分の刀を今度はしっかりと避け、井戸の淵に手をついてそのままバク転。最短距離で井戸の反対側に移動し暴力的な主から距離を取る。

 

 対して信一の主であるシスティーナはフーフー!と猫のように威嚇していた。はて、何か怒らせるようなことをしただろうか?

 

 右から回って追いかけてくるシスティーナから逃げるように自分も右に回り、急転回で左から回ろうとしてくれば自分も左に逃げる。

 

 井戸の周りで行われる奇妙な鬼ごっこはシスティーナの体力切れという結末で幕が下りた。

 

「お嬢様、お水をどうぞ」

 

「ぜぇ…はぁ…はぁ……この体力バカ!」

 

「基礎体力がなければお嬢様方の護衛は務まりませんので」

 

 慇懃無礼な態度で疲れ果てて座り込んでしまっているシスティーナをニヤニヤと見下ろす信一は三下悪役そのものだ。間違っても護衛対象に向けるべき眼差しではない。

 

「それより珍しいですね?お嬢様がこんな早朝に何か庭にいるなんて」

 

「あ〜……ほら、今日から新しい講師が来るらしいじゃない?それが気になって早く目が覚めちゃったの」

 

「またいじめるのですか?」

 

「別にいじめてなんかないわよ。ただ単にわからないことを徹底的に質問してるだけじゃない」

 

 システィーナは学習意欲の大変高い女の子である。信一やシスティーナが通う『アルザーノ帝国魔術学院』では、“講師泣かせ”と不名誉極まりないあだ名を頂戴しているほどだ。

 

 これだけなら嫌われそうなものだが講師を泣かせる程度には魔術の理解も深く、覚えも良い優秀な生徒なので、わりと評判がいい。困っている生徒にも手を差し伸べることを忘れない、信一にとっても誇らしい主なのだ。

 

「私、信一が心配よ。ヒューイ先生のおかげでなんとか進級できたけど、あなた……【ショック・ボルト】しかまともに起動できないじゃない」

 

「お言葉ですがお嬢様、【フラッシュ・ライト】や音響魔術だってちゃんと使えますよ?」

 

「その2つは学院の進級に必要ないでしょ……」

 

「むぅ……」

 

 呆れたように額を小突かれ、信一は不満そうに口を尖らせる。

 確かにシスティーナの言うことは正論だが、だからと言ってそれで主から軽視されることは従者としてのプライドが許さない。

 

 しかし、いくらプライドが高くとも、それだけで成績が貰えないのが『アルザーノ帝国魔術学院』という場所だ。

 一応学友には恵まれ、主やもう1人の居候、急に辞めてしまったヒューイ先生などたくさんの人のおかげで進級できたのは事実なので何も言い返せない。

 

 何も言い返せないのは悔しい。なので話題を変えてしまおうと考え、信一は刀を抜く。

 

 この刀という武器、アルザーノ帝国では武器ではなく芸術品として見られることが多く、そう見られることも恥じぬ不思議な美しさがあるのだ。

 

 大貴族フィーベル家の次期当主であるシスティーナは芸術も解するので、困った時はこの刀の刃を見せて黙らせるのが信一の常套手段になっている。

 

「ほぇ〜……何度見ても綺麗ね。これが戦う為の武器だなんて信じられないわ……」

 

「しかし、結局は人殺しの道具です。俺が生まれた国ではコレを使って長いこと人々が争っていました」

 

「ふぅん。せっかくこんなに綺麗なのに……もったいないわね」

 

「はは、そうですね。みんながみんな刀を芸術品として扱っていれば、きっと起きた争いはもう少し規模が小さかったことでしょう」

 

 しかし、その争いがなければ自分がここにいることはなかっただろう。

 

 その気持ちを優しげな微笑みで隠し、信一は手を差し出す。

 迷わずシスティーナもその手を握り、それを頼りに立ち上がった。

 

「それでは屋敷に戻りましょう」

 

「えぇ」

 

 刀をもう一度鞘に収め、2人は屋敷に戻っていく。

 

 

 

 

 

 

 ティーポットにトポトポと優しくお湯を注げば、上等な茶葉の香りがキッチンに充満する。

 2人分の量を淹れた後蓋をし、ティーカップが2つ載ったトレーに並べてシスティーナに手渡す。

 

「ルミアさんが起きたらカップに注いでください。そのタイミングが茶葉も程良く蒸れる絶妙な頃合いでしょう」

 

「ありがとう」

 

 もう1人の少し寝坊助な居候を主に起こしてもらい、朝食ができるまでは部屋で紅茶を飲んで待ってもらう。

 2人がどの程度の時間でお茶を飲み終わるかは長い経験でなんとなく分かるので、その間に朝食を作り終わることを信条にしている。

 

 転ばないように慎重な足取りでキッチンから出て行く主を見送り、自分はエプロンを装着し眼光を鋭くして調理台を睨みつける。

 

「さて……何を作るかな」

 

「私は久しぶりにお味噌汁が飲みたいわね」

 

「かしこまりました、奥様」

 

 いきなり横から現れた妙齢の女性———フィリアナ=フィーベルに対して信一は特に驚いた様子もなく、味噌と呼ばれる大豆を使って作った発酵食品を棚から取り出す。

 

 たんたんと調理をする信一に、フィリアナはつまらなそうに頰を膨らませた。

 

「むぅ……少しは驚いてくれてもいいんじゃない?」

 

「奥様の気品は俺のような下々の民にとって太陽のように美しい。太陽に気付かない人類はいないでしょう?」

 

「そういうことは目を見て言って欲しいものよ」

 

「それは旦那様のお役目ですよ」

 

 システィーナの母親であるフィリアナは、あの年の子どもがいるとは思えないほどの美貌の持ち主だ。

 自分の母親であろうとする姿勢がなければ、きっと1人の女性として恋慕の情すら抱く事もあったかもしれない。

 未だそうならないのは、やはり自分も彼女に母親としての母性を強く感じているからだろう。

 

「そちらにティーポットを用意しておきました。お手数ですが、お湯を注いで旦那様と一緒に飲みながらお待ちください」

 

「えぇ、ありがとう」

 

 信一の頭を軽く撫でてから言われた通りにフィリアナもキッチンを出て行く。

 

「味噌となると……やっぱり主食は米だね。おかずはどうしようかな……」

 

 色々悩んだ末、卵焼きと豆腐に決定した。

 

 

 

 

 

 

 

「おはようございます、旦那様、ルミアさん」

 

「あぁ、おはよう信一」

 

「おはよう、シンくん」

 

 食卓に食事を運び込むと、既にフィーベル家の面々が揃っていた。

 まずこのフィーベル家の現当主、レナード=フィーベル。

 そして、もう1人の居候。3年前から一緒に暮らしている金髪の少女、ルミア=ティンジェル。

 

 そこにシスティーナとフィリアナも加わり、信一の朝食を今か今かと待っている状態だった。

 

 少し遅れてしまったことを反省しつつも、今は彼女達の朝食を並べることに専念する。と言っても、この家の住人は基本的に自分で自分の皿を受け取ってくれるので、単純に信一はフォークやスプーンを並べるだけなのだが。

 

「本日の卵焼きは味噌汁もあるということで少し甘めの味付けとさせていただきました」

 

 おぉ!と、システィーナとルミアの顔が嬉しそうに綻ぶ。甘めの卵焼きを気に入ってくれている女子2人に微笑みを返して信一も自分の席に着く。

 

 本来なら従者の自分が主と食事を共にするなんてことはありえないのだが、本人達の強い希望に寄り、僭越ながら同じ食卓についている。

 

 信一の手元にはフォークやスプーンはなく、手のひらサイズの木の棒が二本。箸と呼ばれる極東の食器だ。

 

「それでは、いただきます」

 

「「「「 いただきます 」」」」

 

 アルザーノ帝国にはこのように食前の儀礼は基本ないのだが、5年前に信一がやってるのを見てフィーベル家に浸透したものが今でも続いている。

 

 フィーベル家の食事は穏やかな会話が弾む、静かでゆったりとした時間の中で行われていく。

 

 

 

 

 

 長い布袋に刀を二本入れ、アルザーノ帝国魔術学院の制服をしっかりと着こなした姿で信一はフィーベル家のある部屋に向かっていた。

 既にシスティーナとルミアは屋敷の玄関で待っている。

 

 にも関わらず、信一は出掛ける前の日課を済ませる為にある部屋の扉をノックする。

 

 返事が返ってきたことは……信一がこの屋敷に来た5年前から一度もない。

 

「入るよ、信夏」

 

 部屋の中には簡素なベッドが1つ。そのベッドの上には5年前から眠り続ける妹の姿がある。

 

 5年前のある事件がきっかけで精神的なショックを受け、未だに昏睡状態が続く妹の髪を優しく撫でて額にキスを1つ落とす。

 

「いってきます」

 

 しかし、妹は何も言わない。今にも起き出して来そうな寝顔が、いつも信一に返事を期待させる。しかし……何も言わない。

 

 その様子を見て、信一は唇を噛みながら手元の布袋に入った刀を憎らしげに睨む。

 その表情も束の間、信一は優しく妹の寝顔に笑いかけ、部屋を後にした。




どうでしたか?ルミアちゃん……ほとんど喋ってないやんけ……っ!?

あらすじに書いた『迅雷』は作者の中二病的な思考が生み出したオリジナルの魔術です。うん、恥ずかしい。

それでは、評価など色々していただければ嬉しいです。


目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

第1章 『正義の魔法使い』と【迅雷】は出会う
第1話 通りすがりのロクでなし


はい、本編開始です。
と言っても、自分は結構ダラダラと原作の中にオリジナルの会話を盛り込んでいくので話が進みにくいです。

それでは、お楽しみいただければ幸いです。


 3人で家を出たはいいが、学院までの道中で忘れ物に気付いたシスティーナが引き返してしまった。

 先に行ってて良いとは言われたが、時間的にも余裕があるので信一とルミアは談笑をしながら待っている。

 

 そもそも、従者の信一にとっては主のシスティーナを置いていくという選択肢そのものが頭に浮かばなかったが。

 

「システィが忘れ物するなんて珍しいよね」

 

「そうですね。おおかた昨夜お勉強をしていて鞄に入れ忘れたのだと思いますけど……」

 

「真面目だからねぇ。その点で言ったらシンくんが忘れ物したところみたことないな」

 

「俺は自主学習ができるほどの基礎が出来上がっていませんから」

 

「そんなこと言って、実は本読んでたんでしょ?ちょっと隈ができてる」

 

「あ…ちょっと……」

 

 悪戯っぽく笑いながらルミアが信一の顔を覗き込んでくる。

 

 ルミアもシスティーナに勝るとも劣らない美少女であり、いくら同じ屋敷に住んでいるとはいえあまり顔を近付けられたりすると意識してしまう。

 

 少し赤くなった信一の顔を見て、満足そうにクスクス笑いながら離れた。

 

「……俺以外の男にはあまりそういうことしちゃダメですよ?」

 

「ん?もしかして心配してくれてる?」

 

「いえ、された男の気持ちを考えると同情を禁じえられませんので」

 

 きっと舞い上がって悲しい勘違いを発揮した挙句、最後には涙を流してしまうことだろう。同じ男として同情の念が溢れ返って止まらない。

 

「まぁ……心配をしてるのも事実ですが」

 

「シンくんが心配してくれるならやっちゃおうかな」

 

「やめて下さい。変な気でも起こして襲いかかってくるような輩がいたら……ルミアさんも自分の住む町で手足を斬り落とされて内臓の抉り出された死体が出るなんて事態は起こってほしくないでしょう?」

 

 ルミアの両肩に手を置き、わりとマジな顔でわりとマジで怖いことを言ってお願いする。

 

 さすがにここまで言われてしまうとルミアも無心で頭を縦に振るしかない。

 

 それを確認した信一は優しげに微笑み、ルミアの肩から手を離す。

 

「わかっていただけて嬉しいですよ」

 

「シンくんって……たまにちょっと怖いよね?」

 

「フィーベル邸に住む方々を害する者に生きる価値はありませんからね」

 

 それが当たり前といったように言い切る信一にルミアは若干引き攣った笑顔で応じる。

 

 3年前———ルミアがフィーベル家に居候になり始めた頃、ある理由で少し荒れていた。世話係を任された信一には何か気に入らないことがあればケチをつけ、罵詈雑言を浴びせるなど日常茶飯事だった。それに対して信一はニコニコと対応していた。

 

 しかし勢い余ってフィーベル家を蔑める発言をした瞬間、信一がキレた。

 無言無表情でズルズルと屋敷の庭までルミアを引きずり出し、正座をさせてその足の上に石を乗せたのだ。しかも刀まで持ち出し、首元に当てて逃げないようにするおまけ付き。

 時間にして20分程と比較的短かったが、その20分がルミアには永遠に続く地獄のように感じられた。

 

 その折檻を受けてから信一は恐怖の対象となったのだが……ある事件を経てルミアが最も信頼できる家族に変わった。

 信一も基本フィーベル家以外のことなら寛容で、相手の態度が良ければ友好的で親切な対応をするので、お互いの蟠りは案外早く解消されたのだ。

 

 閑話休題

 

「痛っ!」

 

 その後も仲良く談笑を交わす2人の近くで、何やら作業をして老人が小さな悲鳴を上げた。

 心優しいルミアはすぐさまそちらに振り向き、痛そうに指を抑えている老人に駆け寄る。

 

「大丈夫ですか、お爺さん?」

 

 老人の足元には落ち葉や小枝などが詰まった金属製のバケツが置いてあり、近くには血の付着した火打石が転がっていた。

 どうやら火打石で火をつけようとした時に勢い余って自分の指まで叩いてしまったようだ。

 

「あぁ……いたたた。ははは…お嬢ちゃんに格好悪い所を見られてしもうたわい」

 

「少し見せてください」

 

 信一も老人に寄り、出血をしている指を検める。少し腫れているが骨まで傷が付くようなことにはなってないようだ。

 

 信一は刀の入った布袋を地面にいて鞄から応急処置キットを取り出し、すぐに手当てをしようとするが……

 

「シンくん、私に任せて」

 

 ルミアに声を掛けられ手を止める。

 

「内緒ですよ、お爺さん」

 

 ルミアは指を唇に当て悪戯っぽく老人に笑いかけて、怪我をした部分を両手で包み込む。

 その様子に、信一は思わずため息をこぼして往来から包まれた老人の手を自分の体で隠す。

 

「《天使の施しあれ》」

 

 ルミアがルーン語で一言呪文を唱えると、老人の手を包むルミアの手が淡い光に包まれてみるみるうちに傷が塞がっていく。

【ライフ・アップ】という治癒魔術———正確には被術者の自己治癒能力を高める白魔術だ。

 

「お、おぉ……」

 

「うん、よし。それから……」

 

「ルミアさん、ストップです」

 

 ついでにバケツに火をつけようと再び魔術を発動しようと向けられたルミアの手を信一が降ろさせた。

 

「ルミアさんの後ろにI組の『なんか若いわりに生え際が後退を始めてる可哀想な』先生がいます」

 

「ハーレイ先生だよ、シンくん」

 

「あいつはちょっと規則にうるさいと記憶しています。ここで魔術を使うのは好ましくありません」

 

 そう言って信一は火打石を拾い、付着した血液を水筒の水で落としてから普通にそれを使って火を付ける。火をバケツに入れ、燃え上がり始めたことを確認して立ち上がった。

 

「さっきのお嬢ちゃんの……話に聞く魔術ってやつかい?」

 

「はい。本当は学院以外で使うと罰則があるので……そのぅ…できれば……」

 

「わかっとるよ。内緒にしておけばいいんじゃろ?」

 

「はい、ありがとうございます」

 

「いやいや。こちらこそありがとう、お嬢ちゃん。そっちの坊主もありがとうな」

 

 自然と親しみの湧く好々爺のような老人に、信一とルミアは手を振って少し離れた場所で再びシスティーナを待つ。

 

「ルミア!信一!遅くなってごめん!」

 

 待ち人来たれり。やっと来たシスティーナを2人は笑顔で迎え入れる。

 

「先に行ってても良かったのに……」

 

「まぁ、時間もまだありましたし。それに……」

 

「しがない居候の私達がシスティーナお嬢様を置いて行くなど……旦那様と奥様にしかられてしまいます」

 

 よよよ、とわざとらしく泣き真似をするルミアとそれを庇うよう背中をさすってあげてる信一が相まって……システィーナがルミアを泣かせてるような光景ができあがってしまう。

 

 実に良いコンビネーションだ。実用性皆無だが。

 

「ちょっと……冗談でもそういうのは止めてよ。私達は家族でしょ?」

 

「あはは、ごめんごめん」

 

 ニコニコと反省してるようなしてないような、どっちつかずの謝罪をするルミアだが、システィーナもちょっと頰を膨らませるだけですぐにいつもの顔に戻る。

 

 そんな2人の様子を従者らしく一歩半後ろから眺める信一の表情は穏やかそのものだ。

 このなんでもない日常を幸せと感じているどこか達観しつつも幸福感を多分に含んだ黒瞳は、優しさと慈愛に満ちていた。

 

「そういえばシスティ、今日からヒューイ先生の代わりの先生が非常勤講師として来るみたいだよ?」

 

「知ってるわ。ヒューイ先生と同じくらい良い授業してくれるといいんだけどなぁ……」

 

「それは難しいでしょう。ヒューイ先生は俺を進級させられる程素晴らしい教鞭の持ち主でしたし」

 

「う〜ん……まぁそうなんだけどさぁ」

 

 そこは否定してほしかった信一だが、どうにもシスティーナはヒューイ先生の授業をとても気に入ってたらしく上の空といった様子だ。

 

 学院までの距離も近くなり、噴水の設置された十字路に差し掛かった時、右方向からなにやら男の声が響いていた。

 

「うおぉぉぉぉぉぉっ!!遅刻だあぁぁぁぁぁぁ!!」

 

 目を血走らせ、ちょっとお近付きになりたくない表情を顔面に貼り付けたいかにも何かキメちゃってる風の男が、こちらに向かって全力で突っ込んできて……

 

「邪魔だガキ共おぉぉっ!!———ごべっ!?」

 

 システィーナとルミアに激突する瞬間、信一が2人と男の間に割り込んで男の頰に手を当て———そのまま美しい直角を描くように男の進行方向を噴水の方へと曲げた。

 

 バシャアァァァァァァァァ!!と、全力疾走で噴水へと顔から突っ込んで行く。

 

「お怪我はありませんか、2人とも?」

 

「いや、私達は大丈夫なんだけど……」

 

「ちょっと信一……やりすぎじゃない?」

 

「……………………あ……………………っ」

 

 いきなりの出来事で咄嗟に体が動いてしまった信一は今さらになっていくらなんでも過剰防衛だなと思い始めた。

 

「そもそも人間って直角に曲がれるものなの……?」

 

「一瞬だけ首が回らないところまで回ってた気がしたけど……」

 

 ダラダラと冷や汗が背中を滝のように流れ出す。

 家族2人の犯罪者を見るような眼差しにいたたまれなくなった信一は、逃げるように噴水で両足だけを水面上に出している男に駆け寄る。

 

 この状況、どうしたものか?もういっそ2人を抱えて学院まで逃げてやろうか。

 

 そんな考えが頭によぎり始めた。

 

「えっと……ご臨終してるところすみません」

 

「……………………………」

 

 声をかけてみるが、返事がない。マジで殺ってしまったかもしれない……と顔を青ざめさせて主達2人に助けを求める視線を送るが、2人は首が引きちぎれんばかりに明後日の方を向く。

 

 どうやらこの男の生死によって、あの2人が信一にとって他人になるか家族のままでいてくれるのかが決まるらしい。

 

「仕方ないか……」

 

 最悪死んでいたら【迅雷】を使って一気に蘇生してしまおう。もし運良く生き返れば、首の可動域が常人より広いビックリ人間として生まれ変われることだろう。

 

 あの2人が他人になるかもしれないという可能性が生まれた動揺で、少々頭の悪い未来予想図を描いた信一は未だに水面から飛び出したままの男の足を掴もうとする。

 

「とうっ!!」

 

「うわっと!?」

 

 男は腕の力だけで飛び上がり、信一の頭上を越えてシスティーナとルミアの前に着地した。

 

 第1印象は……なんというかだらしないと一言に尽きる男だった。

 それなりに上等な生地を使っているシャツやタイを着崩していて、そこから溢れ出す紳士感を台無しにしていた。

 

「はは、お嬢さん達。いきなり飛び出したら危ないじゃないか」

 

 そして服装に合わない紳士的な態度で吹っ飛ばされる直前まで視界にいたシスティーナとルミアに話しかけている。

 なんか変なポーズを取っているが、そこは一旦無視しよう。

 

「「 …………………………… 」」

 

 その様子に2人は呆気に取られている。

 

「えっと……大丈夫ですか、お兄さん」

 

 名前も知らない男だが、よく見ると自分達より少し年上といった程度でそこまで年が離れているようには見えない。

 なので、恐る恐る信一が声をかける。

 

「うん?君は誰かな?」

 

 対して男は紳士的な態度のまま、変なポーズのまま信一に優しく微笑む。

 

 シュール過ぎるこの光景に周囲の人間は動きが止まっている。

 

「あのう……一応お兄さんを噴水まで吹っ飛ばした者です」

 

「はは、そうか。君だったのか。いやいや大丈夫。怪我はないから気にしなくていいよ」

 

 ポーズは変なままだが、どうやら性格は口調と同じように紳士的な方らしい。

 信一は少し安心したように息を吐く。

 

「ただね、年長者として教えておくけどね、どんなに悪気がなくてもやってしまったら謝ることは大切だよ?一歩間違えれば大怪我に繋がっていたからね」

 

 年下を優しく諭すような口調で男は信一に笑いかける。

 確かにこの男の言うことは正しく、自分のやったことがどれだけ危険だったかは理解しているので信一は頭を下げた。

 

「あの……すいませんでした。驚いたとはいえ、どうかご無礼をお許しください」

 

「はっ!すいませんでした〜?す み ま せ ん だろ?謝罪の1つもできないとか……どんな教育受けて育ったんだクソガキ?あ?」

 

「………………………」

 

 こんな早さで頭を下げて謝ったことを後悔したことは、信一の今までの人生であっただろうか?いや、ない。

 

 反語表現によって怒りの沈静化を図るが、どうやら無理のようだ。

 

「だいたいなー、てめーみたいに謝罪1つ満足にできないクソガキが今の社会に蔓延ってるから俺が働かなくちゃいけなくなるんだよ。あ?なんだその反抗的な目は。俺なにか間違ったこと言ったか?」

 

 間違い以前に労働という義務を自分より年下の子どものせいにするのは人としてどうなのか。拷問してでも問いただしたいところだが、ここでキレるとフィーベル家の品格が疑われてしまう。

 

 なので信一は青筋を浮かべ、ピクピクと引き攣った笑顔をなんとか作り上げる。

 

「いえ、お兄さんは何も間違っていません。間違いなく、100パーセント、完璧に、完全に今のは俺が悪かったです」

 

「はっ!最初からそうやって素直に謝ってりゃいいんだよ、クソガキが」

 

 チャキイィィ……と、信一が布袋の中で刀の鯉口を切る音がかすかに響く。

 それでさすがにまずいと思ったシスティーナとルミアも一緒に頭を下げた。

 

「あの……私の家族の無礼、どうかお許しください」

 

「私からも謝ります。本当にごめんなさい」

 

「あぁ、いいよ。こっちはこれっぽっちも悪くなくて、お前らが悪いのは火を見るよりも明らかだが優し〜い俺が超特別に許してやる……ん?」

 

 男がルミアを見た瞬間、言葉を止めてなにやら顔を近づけだした。

 

「お前……どこかで…………」

 

 訝しげに眉間に皺を寄せて、ルミアのおでこを突っつく。ほっぺたをむにーっと伸ばし、肩から脇腹、腰へと手を滑らして前髪をつまみ上げる。極め付けに目を覗き込み、唇が触れ合いそうなほど顔を寄せて……

 

「おい、何したんだ」

 

 冷たい声と共に肩が握り潰されそうな握力で掴まれ、無理矢理引き剥がされる。

 信一が今までの平謝りの態度から一変、絶対零度の声と眼差しでルミアにお触りしまくっていた男———改め変質者を射抜いていた。

 

「え……いや…………」

 

 変質者も今までの見下し果てていた少年の雰囲気が変わったことに寒気を覚える。

 

 そして生物的本能で感じ取った……こいつはヤバい、と。

 

「選ばせてあげるよ、変質者。原形を留めたままだるまになるか、指先から少しずつ刻まれて失血死するか」

 

「あの…えぇっと………」

 

「羞花閉月のルミアさんに触れ合いたいと思う気持ちは理解を示すよ。でもね、俺の前のやったのは悪かったね」

 

 自分の出身国で使われていた特殊な言い回しの熟語を駆使し、布袋から刀を二本とも取り出して男にゆらりゆらりとにじり寄る信一。

 その様子に、男は目を見開いてなにやら既視感に囚われていた。

 

「お、お前……名前はなんていうんだ?」

 

 そしてあろうことか、信一に名前を尋ねてくる。

 

「朝比奈信一です」

 

「朝比奈……ひぃっ!?」

 

 信一の名前、正確には姓名を聞いた男は顔を真っ青に染めて素早く立ち上がった。

 それに対して信一はなんの感慨もなく眺め、よしじゃあ斬るかと鞘から刀を抜こうとした瞬間……男は飛び上がり誰もが賞賛するであろうムーンサルトを空中で決め、両膝、両手、額の順番に着地を決めてみせる。

 

「本っっっ当に申し訳ございませんでしたあぁぁぁっ!!」

 

 所為、土下座という謝罪の姿勢だ。

 なぜ自分の名前を聞いて先ほどまでの尊大で、えらそうで、超うざい態度を翻したのか理解できない。信一はこの男の真意を掴みかねていた。

 

「マジすんませんしたあぁぁぁ!ホント、ボク調子乗ってましたあぁぁぁ!」

 

 泣きそうな……というか既に大粒の涙をボロボロ零して男は恥も外聞もなく年下の少年に何度も額を地面に叩きつけるが如く下げる。

 

「ですからどうか!どうかぁぁぁ!!お父上様にはこの事はご内密にお願いします!!」

 

 ガンガンガンと地面にヒビが割れ始めたあたりで、さすがに信一もこの男の頭が2つの意味で心配になり始めてきたので刀を納める。

 

「あのぅ……分かりました、大丈夫です。最初に非があったのは自分ですので」

 

「ありがとうございますっ!!それでは、失礼しますぅぅぅ!!」

 

 信一が許したと見るや、男は全力疾走で学院の方角へと走り去ってしまった。

 

「「 …………………………… 」」

 

 いきなり態度を急変させた男の状況にシスティーナとルミアは唖然として、開いた口が塞がらないという様子を見事に体現している。

 かくいう信一も、正直状況についていけてなかった。

 

「えっと……2人とも、学院に参りましょうか?」

 

「「 う、うん…… 」」

 

 とりあえず信一が2人の手を引き、少し歩かせる。

 2人が我に帰ったところを見計らって手を離し、先程と同じように一歩半後ろについた。

 

「信一、あの人と知り合いなの?」

 

「いえ、あのような変な人は知りませんよ」

 

「でも信一が名前を言ったら態度が一変したわよ?」

 

「『お父上様にはご内密に』とか言ってたよね?」

 

「あぁ、そういえば言ってましたね。てことは父さんの知り合いかな……」

 

 顎に手を当て、それなりに交友関係の広い父親を思い浮かべる。あの人なら確かに変人や変わり者の知り合いがいてもおかしくないな、と妙に納得してしまう。

 

「確か信一のお父様って……」

 

「『帝国宮廷魔導士団』の団員兼白兵戦戦術顧問です」

 

 帝国宮廷魔導士団———アルザーノ帝国が抱える最強の魔術師集団。

 一騎当千の化け物が名を連ねる、魔術警務官だ。

 

 基本魔術師は白兵戦を必要としない。剣術や拳闘術を使うよりも魔術を使ったほうが相手の無力化が容易だからだ。

 しかし、出来ないよりは出来たほうがいいということで【迅雷】を扱い白兵戦を得意とする団員の1人である信一の父親が白兵戦戦術顧問役という任を受けている。

 

「まぁ、さきほどの男性とはもう関わることもないでしょうし、気にしなくてもいいんじゃないですか?」

 

「そうね。じゃあ信一、早く学院に行って勉強するわよ!」

 

「え〜……俺、本の続きが読みたいんですけど?」

 

「あはは。私も教えられるところは手伝うから一緒に頑張ろう?シンくん」

 

「そうですね。ルミアさんがいるなら心強いです」

 

「ちょっと!なによ、そのルミア贔屓は?」

 

 そう言いながらも、3人は仲睦まじく学院に向かう。

 

 今日も1日、長く楽しい学院の時間が始まるのだ。




はい、どうでしたか?

チラッと出てきた信一の父親。まぁいずれ出てくるでしょう(すっとぼけ)

【迅雷】については、一応ボカしています。
使えば人の蘇生が出来て、白兵戦にも使える。一体どんな魔術なんでしょうね?


目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

第2話 ロクでなしの到来

いやぁ〜アニメもリィエルちゃんが出てきましたね。素晴らしく可愛いです!!

今回もただダラダラと会話をしてるだけです。仕方ないんです!自分もシスティちゃんやルミアちゃんと話したいという妄想が止まらないんです!!


「……遅い!」

 

「そうですね〜」

 

「信一は自習しなさい」

 

「あ、ちょっ……せめて栞を…!」

 

 学院の授業時間も半分が過ぎたが、未だに今日から新しく来る非常勤講師は現れないでいる。

 

 基本的にこのアルザーノ帝国魔術学院は講師、生徒問わず皆、この学院の在籍者であることに誇りを持っている。なので、この学院の講師が遅刻するという事態は極めて稀である。しかも五分程度の遅刻ならいざしらず、授業時間の半分を過ぎた遅刻などこの学院始まって以来前代未聞なのではないかと考えてしまう。

 

 だが、そんな中信一は授業が始まらないのなら気になっていた本の続きを読もうとし……そして苛立つシスティーナに八つ当たり気味に奪い取られていた。

 

「むぅ……きっと先生のほうでも何か事情があるのでしょう。なにせアルフォネア教授が優秀と言ったくらいなのですから」

 

「シンくんの言う通りだよ、システィ。遅刻しようと思って遅刻する人なんていないんだし……」

 

「甘いわよ、2人とも。いい?どんな理由があったって、遅刻をするのは本人の意識が低い証拠よ。本当に優秀な人なら遅刻なんて絶対にありえないんだから」

 

 奪い取られた本を取り返そうとしながら信一はルミアと共に非常勤講師を弁護するが、システィーナは本を右へ左へと動かしながら2人の言葉をバッサリ斬り捨てる。

 

「現に信一が私達の朝食を作り始めてから寝坊したことは一度もないわ。それがなによりの証明じゃない?」

 

「うえっ!?」

 

 頑張って本を取り返そうとする信一が今のシスティーナの言葉で動きを止める。

 

 遠回しに自分は優秀だと、しかも敬愛する主に言われてしまうといつもの微笑みが消え、照れたように赤くなってしまうのは仕方のないことかもしれない。

 

 そんな信一の様子を可愛いなぁと思いながらも、ルミアはシスティーナの言に一理あると顎に手を当てる。

 

「まったく、この学院の講師として就任初日からこんな大遅刻だなんて……生徒の代表として一言言ってあげないといけないわね」

 

「ほどほどにしてくださいね、お嬢様」

 

「相手の態度に寄るわ」

 

 さきほどの照れた様子がシスティーナの心を打ったのか、本を返してやりながら鼻息荒く教室の前扉を睨んでいた。

 その時、

 

「あー……悪ぃ悪ぃ、遅れたわー」

 

 やる気を一切合切持たない、どこまでも生き生きとしていない男の声と共にその扉が開く。

 

「ん?」

 

「お?」

 

 本から目線を外し、そちらを見た信一と新しい非常勤講師の目が合う。

 

「…………………」

 

「…………………」

 

 お互いがお互いを見つめ合い、たっぷり10秒が経過。

 

 信一は本に目線を戻し、非常勤講師は無言で扉から出て行こうとする。

 

「ちょ、ちょっと待ちなさい!」

 

 しかし、男の撤退とも退却ともサボりとも取れる行動をシスティーナが制した。男はこの世の終わりのような表情を浮かべながらこちらに振り向く。

 

「違います人違いですお願いします人違いということにしてくださいマジで!」

 

「人違いなわけないでしょ!?」

 

「そうですよ、貴方は間違いなくさきほど会った男性です」

 

「はいそうです!グレン=レーダスと申します!!」

 

 男———グレン=レーダスは直立した状態から信一に向かって腰を179°の角度まで曲げる。というか折る。

 

 信一は何故このグレンという非常勤講師がこれほどまでに自分———さきほどの会話から察するに、正確には自分の父親———に怯えているのかと考えてみると、いくつか可能性が生まれた。

 

「よろしくお願いします、グレン先生」

 

「いえ、こちらこそ!誠心誠意勤めさせていただきます!」

 

 だが1つ、このグレン=レーダスは間違いなく自分達に危害を加える人間ではない。これだけは確かだ。

 そして、信一にとってグレンは間接的にではあるが恩人でもある。ここに来る前の態度は見習いたくない類のものだったが、システィーナとルミアに手を出すようなことがなければある程度は好意的に接することができる人物だ。

 

「……挨拶はいいから、早く授業始めてからくれませんか?」

 

 信一がグレン=レーダスという人間の大まかな評価を下したところで、システィーナの冷ややかな声音が浴びせらた。

 

 対してグレンは、頭を上げてかったるそうに頭を掻く。

 信一に向けての取り繕った口調は消え、たちまち素の態度が現れる。

 

「あーまぁ、そうだな。本当ならめちゃくちゃ帰りたいところだが、そんな本音は口に出さずに頑張らないとな……仕事だし……」

 

 既に本音がダダ漏れだがシスティーナはここに突っ込むと肝心の授業が始まらないことをさとり、スルーする。

 ルミアも苦笑いを浮かべているが、特に物申すようなことはしない。というより、彼女はそういうことをする性格ではない。

 

 グレンはチョークを拾い、スタイリッシュにかっこよくコントンコンっ!と、黒板に文字を書き記した。

 

 “自習”と。そうして教壇に突っ伏して睡眠の体勢に移行する。

 

「「「 ……………………………………… 」」」

 

 クラス全員が我が目を疑い、こすったり瞬きをして眼球の機能を戻す努力をするが……どうにも黒板の文字は変わらない。

 

 信一は白昼夢でも見てるのかと思い、自分の頰を引っ張る———と痛いのでシスティーナの頰を痛くならない程度に引っ張る。

 

「お嬢様……俺にはあれが“自習”という文字に読めるのですが……」

 

ひょうにぇ(そうね)わひゃひにもひょうみえりゅわ(わたしにもそう見えるわ)

 

「あはは……」

 

 どうやら白昼夢ではないようだ。ではなんだろうか?集団白昼夢だろうか?

 

 どこまでも白昼夢の可能性を疑う信一だが、システィーナの頰が思いの外よく伸びて面白いので、それで遊び始める。

 だが、太腿をつねられてすぐにやめた。腿はつねられると地味な痛みが残るのだ。

 

「本日の授業は自習にしまーす……眠いから」

 

「「「 マジか…… 」」」

 

 クラスメイト全員の誰に向けたでもない呟きが奇跡的にシンクロした。

 

 そんなプチ奇跡に感嘆しながらも、この事態はさすがに看過できない。特に成績が結構ヤバめな信一は……

 

「先生、納得いきません!」

 

 バンッ!と机を叩き、いの一番に声を上げた。それを見て、普段は成績の悪い信一がこの事態に立ち上がったことにクラスメイトから驚愕の視線が集まる。

 

「ここで自習にされたら……単位はどうなるんですか!!」

 

「「「 ん? 」」」

 

 若干信一の言に首を傾げるが、広義的な意味では授業をしてほしいということになるのでとりあえずスルーする。

 

 信一の発言に顔を上げるグレン。ひじょうにダルそうである。

 

「んあ?」

 

「俺は自慢じゃありませんが、単位1つ1つが進級に関わってくるほど成績がヤバいんです!…エグ……この授業が自習になった場合……ヒグ…単位はどうなるんですか!!」

 

「シンくん……涙拭こう?」

 

 自分の発言で自分を傷付け涙目になり始めた信一に、心優しいルミアはそっとハンカチを渡す。その優しさが逆に辛い。

 

「えっと……お前、成績まずいのか?」

 

「進級がかかるレベルで……ヒック……」

 

 あまりにも憐れな従者の姿に、システィーナも優しく背中をポンポンしてあげる。やはり、その優しさが辛い。

 

 その様子を見たグレンは、う〜んと考えるような仕草をする。

 

「だ・か・ら!単位はどうなるんですか!」

 

「出席さえしてれば単位くらいやるぞ。……追試験とか作るのメンドイし」

 

「あ、ならいいや」

 

 グレンの答えが意外にも信一的にかなり嬉しいものだったので、すぐに着席する。

 そして、嬉しそうに手元の本を開いて物語の世界に旅立つ。

 

 その様子を見て、グレンも満足そうに教壇へ突っ伏した。

 

「「「 マジか…… 」」」

 

 再びクラス全員の呟きがシンクロを果たす。

 もはやロクでなしとしか言いようのない非常勤講師の言い分と、それに納得してしまった頭の可哀想なクラスメイトに向けて。

 

 そんな2人の様子にシスティーナはプルプルと震え……

 

「ちょっと待てえぇぇぇぇぇぇッ!!」

 

 大声を上げながら2人の頭頂部に教科書の角をお見舞いしたのであった。

 

 

 

 

 

「いたたた……」

 

「シンくん、大丈夫?」

 

「いや、ダメみたいです。本の続きが気になって仕方ありません」

 

「それっていつものことだよね?」

 

 信一の頭にできた特大のたんこぶをルミアが優しく撫でる。

 

 普段は信一、システィーナ、ルミアの順番で席に着いているのだが、さきほどから頑なに本を開こうとするアホな従者に見かねたシスティーナが信一と席替えをしたのだ。

 

 学院でも有名で人気の高い美少女2人に挟まれる形になった信一を、クラスの男子生徒は羨望一割、嫉妬一割、殺意八割の割合で睨みつけている。たぶん今日俺は死ぬんだろうなぁ〜と他人事のように考えながら信一はルミアのナデナデを堪能していた。

 

「お嬢様も一応は貴族なんですから、もう少し優しさと落ち着きを持って対応していただきたいです。特に俺には」

 

「何言ってんのよ。授業中に本を読んじゃダメなんて常識でしょ?」

 

「これを授業と呼ぶのは……いかがなものですかね?」

 

「まぁ……ね」

 

 3人の視線の先には、信一と同じ大きさのたんこぶを頭に作ったグレンが授業をしている。だが、背中はやる気なく丸まり、目はやる気なく半開き、書かれる文字はやる気なくグニャグニャしていて判読不可能である。

 

 一応解説はしているが……

 

「え〜と、たぶんこれがあんな感じに変わって〜こういう風に〜……ん?こうか〜?」

 

 まったくもって要領を得ない。

 

「こんなのが授業だなんて……時間の無駄使いかもね。信一もあんな説明じゃ理解できないでしょ?やっぱりヒューイ先生のほうがよかった?」

 

「いえ、俺にとってはヒューイ先生の授業もグレン先生の授業を等しく理解出来ないので問題ありません」

 

「それはそれで問題よ……バカ」

 

 システィーナの問いかけに陽だまりように暖かく安心させてくれる笑顔でまったく安心できない言葉を返す信一。

 その姿にシスティーナはがっくりと肩を落とす。

 

 どうしてこいつはこんなに危機感がないのか……。

 

 信一は自他共に認める落ちこぼれだ。

 本の世界の主人公のように座学はできないが実技が桁外れとか、実技はからっきしだが座学では全科目満点を取る化け物……ではない。

 

 座学は何を言われているのか理解できないし、実技では音響魔術や閃光魔術、そして初歩の初歩である【ショック・ボルト】ならある程度はできるという、学院に類を見ないポンコツである。

 極め付けに、それを努力で埋めようという気概が欠片もない。

 

 これで性格も悪ければ誰も手を差し伸べないのだが、どうにも魔術関連以外なら大抵のことはやってのけるという微妙な万能ぶりを見せている。それに加え、頼まれれば基本的に頷くのでこの二年次二組では出来は悪いが可愛い弟といったポジションに落ち着いていた。

 

「はぁあ〜……ヒューイ先生が良かったなぁ」

 

「どうにもならないことを嘆いてもどうにもなりません。大切なのは現状で自分が何を学び取ることができるか見極めることですよ」

 

「良いこと言ってるんだけどあなたに言われるのはとっても悔しいわね……。ちなみに信一は現状で何か学び取れることを見極められた?」

 

「とりあえず話が理解できないので、この時間は読書の時間にあてるのがいいということを見極めました」

 

「だから本を読むなって言ってるでしょ!」

 

 どうもこのアホはとびきり根性のあるサボり癖がついているようであった。もはや不治の病レベルである。

 

「こ〜ら、シンくん。あんまりシスティを困らせちゃダメだよ」

 

「そうですね、ルミアさん。今は授業の時間。その時間に本を開くなんて言語道断です」

 

「だからなんでルミアの言うことにはそんなに素直なのよ!」

 

「ルミアさんは優しい。お嬢様は厳しい。だから俺、ルミアさん大好き」

 

「ふふ、ありがとう。私もシンくんのこと大好きだよ」

 

 ニコニコと笑い合う2人を見て、なんとなく疎外感を感じたシスティーナはつまらなそうにそっぽを向いてしまった。

 

 その様子に、信一とルミアは困ったように頰を掻く。

 

「申し訳ございません、お嬢様。少しからかい過ぎましたね」

 

「えへへ、ごめんね。拗ねちゃうシスティが可愛くて……つい」

 

 この2人、隙あらばシスティーナをからかう。これは別に意地悪をしていふわけではなく、ルミアが今口に出したように、拗ねたりムキになるシスティーナが可愛くて仕方ないのだ。

 

「いいわよ……。どうせ私は優しくないもの」

 

「でも、そんなお嬢様のことも俺はルミアさんと同じくらい大好きですよ」

 

「私もシスティが大好きなんだけど……言うまでもないかな」

 

「…………ッ———!?」

 

 2人の言葉にシスティーナはまたもやそっぽを向いてしまう。しかし、その顔が照れて赤くなっていることは2人に丸分かりだ。

 白い耳まで真っ赤になっているのだから。

 

 

 

 

 

 

 

 次の授業は錬金術ということで、信一は素早く着替えて女子更衣室の前に待機している。もちろん手元には二振りの刀が入った布袋。

 

 錬金術の授業は主に実験で、生徒の手自ら講師の指示の下魔法素材や試薬などを使って行われる。

 その実験の中には衣服が汚れたり落ちない臭いが着いたりするので着替えを行うわけだ。

 

「だとしても面倒なんだけどね……」

 

 それでも制服が汚れるよりは何倍もマシだ。

 多少の汚れなら持ち前の洗濯スキルで綺麗に洗い落とす自信があるが、臭いとなるとそうはいかない。

 アルザーノ帝国魔術学院の制服は高いので買い直すのも気が引ける。

 

 ちなみに信一は案外錬金術の授業が好きだったりする。

 座学であーだこーだ言われてもよくわからないが、実験で試薬を混ぜて色が変わったり石が別の物に変わるのは見ているだけでも単純に面白いからだ。

 

「あー面倒臭ぇ!別に着替える必要なんかねーだろうに……」

 

 今日はどんな実験をするのか少しワクワクしながらシスティーナとルミアを待っていると、廊下から本日何度目になるかわからないかったるそうな声が響いてくる。

 

「あ、グレン先生。まだ着替えてなかったんですか?」

 

「あぁ。お前は着替えるの早いな」

 

「実験好きなんですよ。見てて楽しいですし」

 

「ふぅん」

 

 グレンはそんな信一の言葉に心底興味なさそうな体で相槌を返す。

 

「さっさと実験室いけよ。ついでに俺の代わりに実験の用意しといてくれ」

 

「はは、イヤですよ。ていうか何するかわからないのに用意なんてできませんし」

 

「チッ……それもそう…か!」

 

「ちょっ!先生!?」

 

 面倒くさそうに舌打ちをしながらグレンは信一のすぐ横にある扉をなんの躊躇いもなく蹴り開けた。それに信一は驚きの声を上げる。

 扉を蹴り開けたことに、ではない。信一は自分や主達の持ち物以外を乱暴に扱われたとしても大して気にしない。

 

 信一が驚いたのは、今現在花も恥じらう乙女達が絶賛使用中の女子更衣室の扉を躊躇なく蹴り開けたことにだ。

 

 扉が開かれた瞬間、なにやら砂糖菓子よりも甘く、花よりもいい香りが鼻腔をくすぐった。

 

「……………………………」

 

「……………………………」

 

 耳に痛い沈黙がグレンと女子更衣室の間に広がっている。

 

「あー……昔と違って、男子更衣室と女子更衣室の場所が入れ替わってたんだな……まったく余計なコトしやがる」

 

 なにやら女子更衣室からいい香りと一緒に殺気が漏れ出ているように感じるのは信一の気のせいではないだろう。

 グレン先生とは短い付き合いだったなあ〜と、心の中で合掌する。

 

 そして、未だ頑張って辞世の句を紡ぐグレンの後ろに回り……

 

「———だから俺はこの光景を目に焼きつけ……うぉっ!?」

 

 思い切り背中に蹴りを入れて女子更衣室に蹴りをいれた。すかさず内開きの扉を女子更衣室の中を見ないようにして素早く閉め、この後中から響くであろう断末魔が止むまで絶対に開けまいと心に決める。

 

「待って!ごめん!ごめんって!いやすみませ…ごふぁ……ぐふっ……痛い!お願い開けて!ここ開けてー…ぐふぇっ!?」

 

「信一〜、絶対に開けちゃダメよ?開けたら………わかるわよね?」

 

イエス(もちろんです)マイロード(お嬢様)

 

 予想通り、この女子更衣室の中では目を覆いたくなるような凄惨な光景が広がっているだろう。

 

 グレン=レーダスというあと数十秒で故人になる予定の非常勤講師が上げる悲鳴をBGMに、信一はチラッと見えてしまった下着姿のシスティーナとルミアの姿を思い出す。

 なぜかシスティーナがルミアの胸を揉みしだいていた。

 

 もしやあの2人は……まぁ、その…そういう関係なのかもしれない。

 

 もしそうだとしたら、自分はこれから普段通り2人に接することができるだろうか?

 

「きっとできるよね……」

 

「ぎゃあぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁ———ッ!?」

 

 自分の予想が合っていたら、絶対に祝福をしよう。心にそう誓い、信一はグレンの断末魔を聞き届けた。




はい、どうでしたか?

あと2、3話くらいで戦闘に入れると……たぶん思います。


目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

第3話 どこまでも最低な非常勤講師

いや〜、文字が多い!!以上!!


 アルザーノ帝国魔術学院の食堂は美味しい。

 

 これは学院で食堂を利用したことがある者なら誰もが口を揃えて言うとこである。

 その例に漏れず、信一もシスティーナとルミアと共に毎回ここで昼食に舌鼓を打っている。

 

 目の前のトレーに乗せられた料理は、地鶏の香草焼きと羊の塩炒め、豚の生姜焼きにコーンポタージュ。申し訳程度に小鉢に入ったサラダとライ麦パンが5つ。

 肉料理が半分を占めていた。

 

「今日もいっぱい食べるね?」

 

「この量の肉はここでしか食べられませんから。フィーベル邸での食事でこれだけの肉料理を出すのはお二人の体にも悪いですし」

 

「でも、それだけ食べたら午後の授業眠くなるわよ」

 

「なら寝ればいいんですよ」

 

 まったく悪びれず、信一はサラッと言ってのけた。

 

『眠いなら寝ればいい。眠くなる授業をする講師に問題がある』と、平然と言っちゃう男、それが朝比奈信一なのだ。

 

「寝ることができるというのは平和な証拠です。平和万歳」

 

 そう言って香草焼きをパクリと美味しそうに口に入れる。もぐもぐと笑顔で咀嚼する姿はどうにも2人の母性本能をくすぐるようで、普段なら小言の1つも言うシスティーナでさえ今の信一の姿に優しく目を細めていた。

 

「失礼、ここいいか?」

 

「えぇ、どうぞ」

 

 美味しい肉料理に機嫌が良い信一は隣の席に着こうとする男の声の主をロクに確認もせず了承。

 ゴクリと口の中のものを飲み込んでそちらを確認すると、おや?と首を傾げる。

 

「先生……生きてたんですか?」

 

「なんとかな」

 

 隣に座った男———グレンは腫らした目元で遠くを見つめながらそう答えた。

 その表情はさながら、地獄を見た後に今の平和がどれだけ尊いものか理解したようである。

 

「美味ぇ。なんつーか、この大雑把さが実に帝国式だよなぁ……」

 

 グレンが自分の皿に乗っているキルア豆のトマトソース炒めを口に入れながらそう呟く。確かに、唐辛子とニンニクがトマトソースの香りとマッチしてとても美味しそうだ。

 

 ルミアは美味しそうに食事をするグレンに話しかける。

 

「先生ってたくさん食べるんですね?食べるの好きなんですか?」

 

「ん?あぁ、食事は俺の数少ない娯楽の1つだからな」

 

「あ、それ分かる気がします。それはそうとグレン先生、その炒めもの一口くれませんか?」

 

 その話題に便乗し、さりげなくグレンの料理を頂戴しようとする信一。わりといやしい。

 

「その生姜焼きと交換ならいいぞ」

 

「了解です」

 

 豚の生姜焼きを一切れグレンの皿に乗せ、スプーンで一口キルア豆のトマトソース炒めをいただく。

 思っていたよりずっといい香りがして美味しい。

 

 その感想が表情に出ていたのか、グレンが得意げな表情を浮かべる。

 

「美味いだろ?ちょうどこの時期、学院に今年の新豆が入るんだよ。キルアの新豆は香りが良いんだ。これを食べるなら今が旬ってやつか」

 

「なるほど、詳しいですね」

 

 と言いつつも、特に興味はなさそうに咀嚼する信一。

 それを見て、ルミアは間を持たせるために口を開く。

 

「今度私もキルア豆の炒め物、食べてみようかな」

 

「おう、マジお勧め。なんなら今、一口食ってみるか?」

 

「え?いいんですか?私と間接キスになっちゃいますよ?」

 

 ルミアがそう言った瞬間、信一の手にあったスプーンが面白いように曲がっていく。一応金属製なのだが、信一の握力でどんどん曲がっていき、終いにはポロっと折れて床に落ちて高い音を1つ鳴らした。

 

「……すみません。新しいスプーンもらってきます」

 

「……………………………」

 

 グレン、絶句である。

 

 信一は別にルミアに恋愛感情があるわけではない。ただ大切に思っているので、そのルミアが異性と間接キスをすることに動揺しているだけだ。

 

 その動揺が少し恐ろしい形で出てくるだけで。

 

「そ、そっちのお前はそんなんで足りるのか?」

 

 流石にこれ以上ルミアに何かすると今度は自分が床に落ちたスプーンと同じ末路を辿ると思ったのか、さきほどから刺々しい視線を向けているシスティーナに話しかける。

 

 システィーナの本日の昼食はベリージャムの塗られたスコーンが2つだけ。というか、いつもそれだ。

 

「余計なお世話です。私は午後の授業が眠くなるから、昼はそんなに食べないだけです。真面目ですから。まぁ、先生にはそんなこと関係なさそうですけど」

 

「……回りくどいな。言いたいことがあるならはっきり言ったらどうだ?」

 

 システィーナの挑戦的な言葉に、グレンの声が少し低くなる。2人の間に流れる空気が重くなってきた。

 

「わかりました。この際だからはっきり言わせてもらいます」

 

 だが、システィーナは臆することなく目つきを鋭くしてグレンを射抜く。

 

 その様子に、代わりのスプーンを持って帰ってきた信一がハァとため息をついて口を挟む。

 

「グレン先生、いくらなんでも察しが悪いんじゃありませんか?」

 

「あ?どういう意味だよ」

 

「さきほどの自分の行動を顧みればわかるでしょう。お嬢様が何を言いたいか」

 

 グレンはさっきまでの子どもらしく食事をしていた信一から一変した空気に、何かを察したらしい。

 

「……なるほどな」

 

「わかっていただけましたか?」

 

「あぁ、そうだな。確かにこれは俺が悪い」

 

 申し訳なさそうにグレンは目を伏せ、自分のお皿からキルア豆を一粒掬ってシスティーナのお皿に載せた。

 

「『ルミアと信一ばかりずるい。私にも寄越しなさい!』お前はそう言いたいんだろ?この、いやしんぼめ」

 

「そういうことです、グレン先生」

 

「違うわよ!!」

 

「なるほど、生姜焼きも寄越せと。お嬢様が求めるなら俺はなんだって渡しますよ」

 

 バンッ!とテーブルを強く叩いて立ち上がるシスティーナ。それを見た信一も、察して自分の生姜焼きのお皿を丸ごとシスティーナのトレーに載せる。

 

「だから違うって言ってるでしょ!!」

 

「そうですね。それを察して行動するのが従者である以前に男性である俺の務め。デリカシーのない自分をどうかお許しください」

 

「それより代わりにそっちも寄越せ」

 

 恭しく頭を垂れる信一の横からグレンはフォークを伸ばし、システィーナのスコーンをかっさらって一口で食べる。

 

「あぁっ!?」

 

「うん……久しぶりに食べるとスコーンも美味いな」

 

「ちょっ!?グレン先生!」

 

 グレンの傍若無人の行動に信一は慌てて声を荒らげる。今のはさすがにひどいと思ったのだ。

 

「システィーナお嬢様の年頃なら女性であっても健啖な時期です。そのお嬢様の主食を取るのはちょっとひどいのでは?」

 

「だが交換しないのは不公平だろ。お前だって生姜焼きと交換きたわけだし」

 

「俺はいいんですよ。でもお嬢様は違います。お嬢様は本来なら健啖な方です。しかし、こういう年頃にもなると自分の体型を気にするようになります」

 

「回りくどいのは嫌いだ。はっきり言えよ」

 

「わかりました……」

 

 了承した信一は大きく息を吸い、食堂の隅から隅まで聞こえる声量で叫んだ。

 

「お嬢様はできることなら体型を気にせず食べたいんです!本当はお腹いっぱい食べたいんです!たくさん食べたいんです!お嬢様は本当は……食いしん坊なんです!!それがわからないなんて、先生にはデリカシーがないんですか!!」

 

「まずあんたにデリカシーはないのか!!」

 

「痛い!?」

 

 従者の口から出たとっても恥ずかしいカミングアウトにより、顔を羞恥で真っ赤にさせたシスティーナは思いっきり信一の頭をぶん殴る。

 それにより信一は頭を抱えてうずくまり、涙目で主を見上げて———縮み上がる。

 

 システィーナ史上(信一作)類を見ないブチギレっぷりを整った顔に浮かび上がらせていたからだ。

 

 

 

 

 

 

 

 グレン=レーダスが非常勤講師となって1週間。特に彼の授業は変わり映えもなく、本日は教科書を釘でガンガン打ちつけていた。

 

 そんなある日の最後の授業。ついにシスティーナの怒りが頂点に達した。

 

「いい加減にしてくださいッ!」

 

「いや、見てわからないのか?ちゃんといい加減にやってるだろ?」

 

「子どもみたいな屁理屈こねないで!」

 

 バンッ!と机を叩きつけ、立ち上がる。隣で気持ち良さそうにお昼寝していた信一はそれにビックリして起きてしまった。

 

「な、なんですか!?どうしたんですかお嬢様?」

 

「このバカ講師に我慢の限界がきたのよ!

 

「さいですか……」

 

 どうも1週間前からシスティーナの怒る頻度が上がっているような気がする。血圧が上がるのはあまりよくないので、なんとかどうどうと落ち着かせようと宥めるが効果は薄いようだ。

 

 あまり機嫌の悪い主ばかり相手にしているとこちらにも火の粉が飛んできそうなので、信一はグレンに矛先を向ける。

 

「グレン先生、とにかく謝ったほうがいいですよ。マジで」

 

「う〜ん……イヤだ」

 

「そうですか」

 

 俺は何も悪い事してないもん、と子どものようにそっぽを向くグレンに信一は首を縦に振る。

 

 よし、自分は不干渉を決め込もう。

 

 そう心に決め、寝直す気にもなれないので本を開く。

 いつもならここでシスティーナが本を取り上げて小言の1つでも言うのだが、今はグレンへの怒りが優ってしまっているらしく特に何も言ってこない。

 

「……私はこの学院にそれなりの影響力を持つ魔術の名門、フィーベル家の娘です。私がお父様に進言すれば、貴方の進退を決することもできるでしょう」

 

 教壇の前まで迫り、最後通告のようにシスティーナは言い放つ。

 

 だが、

 

「お父様に期待してますと、よろしくお伝えください!」

 

「なっ!?」

 

 グレンはそんなシスティーナの神経を逆撫でするように嬉しそうに手を握った。

 さすがの彼女もこれには絶句だ。

 

「いやーよかったよかった!これで辞められる!」

 

「貴方っていう人は———ッ!」

 

 システィーナが左手に嵌めている手袋を外し始める。

 

 もはやこの男の素行は看過できない。この学院に通う者として、魔術に誇りと敬意を持つ者として、そして魔術の名門フィーベル家として。

 魔道を汚す者を許すことはできない。

 

 外した手袋をグレンの顔面に叩きつける。

 

「貴方にそれが受けられますか?」

 

 その光景を見たクラスにどよめきが渦巻き始める。

 今システィーナが起こした行動は“魔術決闘”を挑む儀礼だからだ。

 

 魔術師は呪文を唱えるだけで火球を放ち、山を吹き飛ばし、大地を割ることができる者たち。そんな魔術師が好き勝手に暴れ回れば、好き勝手に争えば国なんて簡単に滅ぶ。

 

 そうならない為に昔、魔術師同士が争うためのルールが設けられた。それがこの“魔術決闘”の儀礼だ。

 

 この“魔術決闘”では勝者が敗者になんでも1つ要求ができるという破格の報酬があるが、ルールは受け手側が決められる。

 

 簡単に言ってしまえば、客観的に見て公平なルールならなんでもいいのだ。自分が絶対的に自信のある魔術以外の使用をお互いに禁止すれば、どう考えても受け手側が有利になる。

 

 だからこそ、強力な魔術師達の決闘が乱発しない為の抑止的な意味を持つのだ。

 

「この決闘は【ショック・ボルト】の呪文のみで決着をつけるものとする。それで、お前の要求はなんなんだ?」

 

「その野放図な態度を改め、真面目に授業を行ってください」

 

「……辞表を書け、じゃないのか?」

 

「もし貴方が本当に講師を辞めたいなら、そんな要求に意味はありません」

 

「あっそ、そりゃ残念」

 

 グレンは本当に残念そうに肩をすくめた。

 

「忘れてねぇよな?俺も勝ったらお前に好きな要求ができること」

 

「もちろんです」

 

 システィーナの意思の強い眼差しに見られ、グレンは生理的嫌悪感が浮かび上がるような笑みを浮かべる。そして、システィーナの体を値踏みするように見回す。

 

「じゃあお前、俺の女になれ。生意気だが、かなりの上玉だし……———ッ!?」

 

「……笑えない冗談だ。それとも本気なのかな?非常勤講師」

 

 グレンが要求を口にした瞬間、この教室全体が底冷えするような錯覚をこの場にいる全員が感じた。

 

 それは今までのほほんと本を読んでいた信一から発せられた殺気と殺意。机の下に置いてある布袋から刀を二本とも取り出し、グレンになんの価値も見出していないような冷たい眼差しを向けていた。

 

「悪いけど、お嬢様が泣くような要求をするなら俺はお前を殺すよ?」

 

 なんの気負いもなく放たれる信一の言葉はハッタリでも脅しでもない。そのことが何も言われずとも伝わってくる。

 

 場合によっては、本当にグレンを殺しにかかる。それが理解できたルミアは急いで信一の腕に組みついて2人に叫んだ。

 

「手袋を拾って、システィ!グレン先生も今の要求を取り消してください!」

 

 必死な形相で叫ばれれば、いくら野放図なグレンでも要求を変えざるを得ない。

 そうでなくとも、元よりそんな要求をするつもりはなかった。ただ、ほんの少しこの生意気な娘を怖がらせてやろうという軽い気持ちだっただけで。

 

「じょ、冗談だよ。俺が勝ったらお前は俺に説教禁止な」

 

 そんな軽い気持ちで命の危機に瀕するなんてバカらしい。一応自分は魔術に対して絶対的な防御力を誇るが、物理攻撃には身1つで対処しなければならないのだ。

 

 グレンの要求がソフトなものに変わったことを確認した信一は刀を布袋にしまい、いつもの優しげな笑みを浮かべた顔に戻る。

 

 一同はそんな信一の様子に恐怖を上回る狂気を感じながら、決闘が行われる中庭にぞろぞろと移動した。

 

 

 

 

 今回のルールで使用する【ショック・ボルト】。これは学院に入学した生徒が1番最初に習う初等の汎用魔術だ。

 微弱な電気の力線を飛ばして相手を打ち、電気ショックで行動不能にさせる、魔術師なら誰もが使える基礎中の基礎。

 システィーナや信一など、魔術の手解きを受けた者なら学院入学前から使える簡単なものだ。現にこの2人は使えた。

 

 そのせいで上級生に目の敵にされ、ルミアを人質に取られて私刑にされかけだがそこは紆余曲折あって切り抜けることができた。主に信一の物理技で。

 

 閑話休題

 

 つまり誰もが使えるこの呪文を決闘で用いるということは、どれだけ相手より早く詠唱ができるかが鍵になってくる。

 

 呪文は三節。《雷精よ・紫電の衝撃以て・打ち倒せ》。

 だが二年次生ともなれば略式の一節詠唱、《雷精の紫電よ》で発動することもできる。

 

「ねぇ、カッシュ。君はどっちが勝つと思う?」

 

「心情的にはシスティーナなんだけど……でも相手はあのアルフォネア教授イチ押しの奴だからな……信一はどう思う?」

 

 女顔のセシルが大柄なカッシュに問いかけ、カッシュはシスティーナに近しい信一の推測を聞く。

 

「俺もカッシュと同じかな。でも、ちょっとお嬢様の勝ち目は薄いと思う」

 

「へぇ、珍しいね。信一がシスティーナの肩を持たないなんて」

 

「一応勝負だからね。セシルだって生徒が講師に魔術で勝るのは難しいと思うでしょ?」

 

「まぁ……そりゃあね」

 

 あのグレン=レーダスという男。信一が見た感じでは、研究よりも実践———もしくは実戦向きの魔術師だ。

 もしそうだとしたらシスティーナの勝ち目はかなり薄い。実戦というのはどれだけ早く相手を無力化するかがミソなのだから、一節詠唱よりも呪文を切り詰めている可能性はかなり高い。

 

「おいおい、そんなに気負うなよ。いつでもかかってきな」

 

 なによりこの余裕。実戦向きの魔術師は相手を侮るようなことはしない。侮った結果足をすくわれて死ぬのは自分なのだから、一見どんなに相手が格下であっても迅速に無力化することを是としている。

 

 つまりこの余裕は挑発。相手よりも早く呪文の詠唱を始めたのに相手が自分よりも早く魔術を発動させて打ち倒されれば、2度と逆らおうとは思わなくなる。

 特にプライドの高いシスティーナには効果的な手だろう。

 

「システィ……大丈夫かなぁ」

 

「最悪俺が【迅雷】で助け出します。そうなればさすがのお嬢様も負けを認めるでしょう」

 

 心配そうに呟くルミアを安心させる為に手を握りながら微笑みかける。

 きっとその後、システィーナは勝負に横槍を入れたことを咎めてくるだろうが、信一にとってはシスティーナが怪我をするよりずっといい。

 

「始まるみたいですわよ」

 

 ツインテールの女生徒———ウェンディが向かい合う2人を見て教えてくれる。

 

 システィーナの表情からは強い意志を感じる。

 いくら自分より腕が上でも、無様に地を舐めることになっても、魔術に対する誇りにかけて打ち倒しにいく。

 

「頑張れ……お嬢様」

 

 信一もその表情を見て応援の言葉を呟いた。

 

 そして、システィーナがグレンに向けて指先を向ける。

 

「《雷精の紫電よ》———ッ!」

 

 システィーナから放たれる紫電は寸分違わずグレンに向かっていき……それをグレンは得意気な顔で眺め……

 

「ぎゃあぁぁぁぁぁぁぁッ!?」

 

 バチバチバチチチチチッ!!

 

 悲鳴を上げた。一瞬びくんと跳ねて、バタリと倒れてしまった。

 

「「「 えぇ…… 」」」

 

「あ、あれ?」

 

 クラスメイトが全員呆気に取られる中、システィーナはバツが悪そうに大きな目をパチクリさせている。

 

「わ、私……なんかルール間違えた?」

 

 助けを求めるように居候2人を振り返るが、信一とルミアは自信なさげに首を振る。2人ともこの事態を上手く理解できてないようだ。

 

「……卑怯な…………」

 

 よろよろと立ち上がりながら恨めしそうにシスティーナを睨むグレン。経緯的に本当に自分は卑怯なことをしたのかもと不安になってきてしまう。

 

「まだ準備ができてない内に不意打ちとは……お前、それでも誇り高き魔術師か!?」

 

「いや、いつでもかかってこいって……」

 

「まぁいい。この決闘は三本勝負だからね!一本くらいくれてやるよ!」

 

 いきなり出てくる後付けルールにポカーンと開いた口が塞がらない。

 

 その後五本勝負、十本勝負、五十本勝負とどんどん増えていき、最終的には勝ち逃げならぬ負け逃げをかまして逃亡を図った。

 もちろん負け犬の遠吠えも忘れない。

 

 グレン=レーダスの評価が落ちるところまで落ちたのは言うまでもない。




はい、どうでしたか?

信一はキレると相手を固有名詞ではなく代名詞で呼びます。今回の場合だと“グレン先生”ではなく“非常勤講師”と呼びましたね。

あと入学当初にシスティちゃんが私刑になりかけたという下りは一応原作順守です。アニメが始まる前に秋葉原で配られていたものを兄から借りて読みました。ぶっちゃけ、システィちゃんがルミアちゃんの為に頑張る姿はかっこいい……と感動してしまいますね。


目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

第4話 家族を守れなかった少年のお話

待っててくれた方々、お待たせしました!

いや〜、入学から一月で反省文を書くなんて誰が思ったか……。
奴ら、許さん!!

今回はちょっぴりシリアスなお話です。オリ主の過去が明かされる的なアレです。


 システィーナとグレンの決闘から3日後。

 

 今日も今日とてグレンの授業は不真面目なものだった。

 変わったことと言えば、グレンはシスティーナに負けたにも関わらず約束を反故にしたことから、今までは一応授業を聞いていた生徒たちもほとんどが耳を貸さなくなったくらいだ。

 

 例のごとく本を読んでいた信一はもちろん、基本真面目なシスティーナですら自習をする始末。

 

 それでも、未だにこの不真面目な非常勤講師に質問をする健気な生徒はいるみたいだが。

 

「あ……あの、グレン先生。質問があるんですけど……」

 

 メガネをかけた小柄で小動物のような女生徒———リンだ。

 リンはオドオドと拙くも頑張って言葉を紡ぎながら教壇のグレンの元へ教科書を持って向かう。

 

「んだよ、しゃーねぇなぁ。で、何?」

 

「え…えっと……このページなんですけど……」

 

「無駄よ、リン」

 

 だが、質問をしている最中にシスティーナが割って入る。

 

「その男に聞くことなんて何もないわ」

 

 事実、リンの質問にグレンは面倒くさそうな態度を隠そうとしていなかった。

 俺もわからんから自分で調べろと言われるのは目に見えて明らかだ。

 

「何せそいつは、魔術の崇高さも偉大さも何一つ理解してないんだから」

 

 グレンを見ながらシスティーナはそう言い放つ。それを止める者はこのクラスにはいない。システィーナの言っていることは何も間違ってないと全員が思っている。

 

 いつものグレンなら特に気にしないだろう。だがなんの気まぐれか、

 

「魔術ってどこが崇高でどこが偉大なんだ?」

 

 珍しく反論してきた。

 

 少し驚いたようにシスティーナはグレンに振り向く。本を読んでいた信一も顔を上げて2人に注目する。

 

 それも一瞬。システィーナは得意げな表情で魔術がいかに素晴らしい学問か語り出した。

 

「フン…何を言うかと思えば。魔術はこの世界の真理を追究する……いわば神に近付くに等しい尊い学問よ」

 

「ふぅん……で?それって何の役に立つんだ?」

 

「え……」

 

 グレンの思わぬ返しにシスティーナが言葉を詰まらせる。

 

「例えば医術は人を病から救うよな。農耕術、建築術……人が生きる上で必要な技術は多い。だが魔術は?まともに生きてりゃ一般人は見る事もなく人生が終わっちまう。そんな魔術が何の役に立つのか疑問に思うのは俺だけか?」

 

「ま、魔術は……人の役に立つとか…そういう次元の話じゃなく……その……」

 

 グレンの猛攻は続く。

 それは魔術を見ないのが当たり前の一般人の考え方だ。

 

 あんなにも特別な力があるのに、自分たちには何の恩恵もない。

 

 だが、それをこの魔術学院に通う者は考えたことがない。なぜなら、魔術師である自分たちはその恩恵を当たり前のように受けているから。

 

 この一見相反する2つの“当たり前”がシスティーナに言葉を詰まらせる。

 そんなシスティーナを見て、グレンはフッと息を吐いた。

 

「……悪ィ悪ィ、嘘だよ。魔術はちゃーんと役に立ってるさ———人殺しのな」

 

 その瞬間、教室全体に緊張が走る。

 もしかしたらこのクラスの大半も一度は考えたことがあるのかもしれない。

 

「剣術で一人殺す間に魔術は何十人と殺せる。これほど人殺しに長けた術は無いぜ?」

 

「ち……違うわ!魔術はそんな……」

 

「違わねぇよ」

 

 グレンの目は冷たい。魔術そのものをどこまでも見下げ果てているような……魔術の根本をどこまでも理解してるような、そんな有無を言わさない暗い光がシスティーナを射抜いている

 

「このアルザーノ帝国が他国から魔導大国と呼ばれる意味は何だ?“帝国宮廷魔道士団”なんて物騒な連中がいる理由は?」

 

「う……あ……ちが………」

 

「違わねぇっつってんだろ!なんでお前らが習う魔術がほとんど攻撃用なのか、考えたこともねぇんだろうな!なぜならお前らにとって魔術は偉大で崇高なものだから!だから講師として教えてやる……魔術はな、殺戮に特化した人殺しの術だ!どこまでも血に汚れた、ロクでもね———」

 

 パァンッ!!

 

 乾いた音が教室に木霊した。システィーナの右手は左肩まで振り抜かれ、グレンは左頬を赤く腫らしている。

 

「……大っキライ……!!」

 

 そしてシスティーナは教室を飛び出して行ってしまった。目から雫を流しながら。

 

 その様子を黙って見ていた信一は、

 

「……クソッ…」

 

 システィーナを追うこともせず……いや、できずにいる。その両手からは、爪が掌に食い込んだせいで血が流れ出していた。

 

 本来ならシスティーナを泣かしたグレンをズタズタに斬り裂いているが、どうにも体が動かない。

 

『魔術は殺戮に特化した人殺しの術』

 

 そんなことはずっと前に理解している。5年前のあの日に。

 

 

 

 

 

 

 

 

 眠れずに、システィーナは自分のベッドで寝返りを打つ。

 

 いつもなら楽しくおしゃべりが弾む夕食も、自分のせいで葬式のような空気になってしまった。気に入っている信一の卵焼きの味も感じないくらい美味しくなさそうな顔をしてしまった。なにより……

 

「さすがに引っ叩くのはマズかったかなぁ……」

 

 今日学院で非常勤講師にビンタしたこと。

 

 それらが気になって眠れずにいる。

 いくら相手は素行が悪くても学院の講師。それを相手に手を上げるのは些か以上にマズい。

 

 またごろりと寝返りを打つ。

 

「やっぱり……罰則とかあるだろうなぁ」

 

 それでも譲れなかった。悔しかった。大好きだった祖父が人生をかけたものを人殺しの術と貶める非常勤講師が許せなかった。

 

「……ヒグ…ウゥ……明日…エグ……サボっちゃお…ヒック……かなぁ……」

 

 嗚咽を誤魔化すようにひとりごちるが、ダメだった。涙は止めどなく流れてシーツに小さなシミをいくつも作っていく。

 

 また寝返りを打つ。

 

 自分が偉大だと思い、憧れた魔術は決して清廉潔白でどこまでも美しいものではないことくらい分かっていた。それでも魔術を否定されたことは、祖父の生き様を否定されたようで我慢ならなかった。

 

 そして、寝返りを打つ。

 

 どれほどの涙が流れたのか、数えるのもバカらしいほどにシーツのシミは大きくなっていた。そんな時、コンコンと控えめに部屋の扉がノックされる。

 

『お嬢様、眠れないようなのでホットミルクをお持ちしました。入ってもよろしいでしょうか?』

 

「ごめん、信一。今は1人にして」

 

 信一の部屋はシスティーナの部屋の真下。寝返りで軋むベッドの音がうるさかったのかもしれない。

 それでも優しい声で自分を気遣ってくれる信一には感謝するが、今の顔を見られるのは恥ずかしい。

 確認しなくても分かるくらいに目は赤く腫れているだろう。

 

『わかりました。入りますね』

 

「ちょ、ちょっと!!」

 

 自分の返事とは反する行動を取り、遠慮なく信一は扉を開けた。

 慌てて布団を頭まで被る。

 

「1人にしてって言ったじゃない」

 

「でも1人にしておくと今のお嬢様は眠れないと思いましたので」

 

「……バカ」

 

 この『バカ』は誰に向けたものなのか。きっと意地を張っている自分に向けたものだ。

 きっと信一は自分が泣いていたことなんてお見通しなのだろう。

 

「横、失礼しますね」

 

 ベッドの縁に信一が腰を下ろす。ギシシっと小さく軋む音が聞こえた。

 どうせバレてるなら意地を貼るのもバカらしい。被っていた布団から顔を出して信一の顔を伺うと、こちらにマグカップを差し出してきた。

 

「熱いから気をつけてください」

 

「……ありがと」

 

 それを両手で受け取り、恐る恐る一口飲んでみる。熱いと言っているわりには、飲みやすいちょうど良い温かさだった。

 

 それから数分ほど、無言でシスティーナがホットミルクを飲む時間が続く。

 一応信一も自分の分として持ってきてるようだが、口をつける様子はない。ずっとこちらを優しげな表情で眺めている。

 

「……何も聞かないの?」

 

「聞いたほうがいいですか?」

 

「……………………」

 

 こうやって意地の悪いところを見せなければ、本当に優しい人と言えるのだろうが……きっとわざとなのだろう。

 

 信一は悩んでいる人がいた時、聞き出すような真似はしない。自分から言い出すように誘導はするが。

 

「信一はさ……今日先生が言ったこと、どう思う?」

 

「先生が言ったことというと、『魔術は殺戮に特化した術』という?」

 

「うん」

 

 う〜ん……と考え込むような仕草を信一は取る。だが、すぐにそれを止めていつもの優しい笑顔を向けてきた。

 

「俺はグレン先生の言ったことが正しいと思いますね」

 

「………………え…………………っ?」

 

 一瞬、信一が何を言っているのか理解出来なかった。

 しかし、やはりそれは一瞬。すぐに信一の言っていることを飲み込めた。

 

「魔術は人を殺します。そもそも、人を傷つける術だからこそ人の怪我を治す術があるんですよ」

 

「……………………………」

 

 信じられない気持ちだった。

 いつも隙あらばからかってくるような奴だけど、なんだかんだ言って最後には味方でいてくれる。そんな信一だから、無意識に今回も自分の言い分の方に味方してくれると思っていた。

 

 でも、違った。

 

「そうですね……いい機会ですから話しておきましょうか」

 

 信一の表情が少し変わる。何かを決意するような、そんな表情。だが、すぐに『優しげな微笑み』という仮面で隠してしまった。

 

「5年前、俺は自分の母親を殺しています」

 

「……っ———!?」

 

「あ、もちろん殺したくて殺したわけじゃありませんよ?その辺りは誤解しないでくださいね?」

 

 自分の知らない5年前の出来事を話そうとする信一の口調は……いつもと変わらない。昨日見た大道芸の内容を語るような、軽い口調。

 

 それが紡ぎ出す言葉は想像を絶する重さだ。

 

「俺は5年前、母と妹の3人で帝国郊外の港町に住んでいました。そこで極東の料理を出す小さな定食屋をやっていましてね、それなりに繁盛していたと記憶してます。その時の夢は料理人になることでした」

 

「…………………………」

 

 だから信一の作る料理は美味しいのか、と。変なところで合点がいく。

 

「5年前の俺は……そうですね、泣き虫で弱虫でした。近所の悪童にいじめられても、うずくまって何も言い返せずに泣いて帰るどうしようない奴でしたよ。でも、そんな俺に母は言ったんです」

 

『泣き虫でもいい。弱虫でもいい。それでも美味しい料理を作れば、みんなが笑顔になるんだよ』

 

「だから俺は“泣き虫で弱虫の料理人”になることにしました。笑えますよね。情けないったらありゃあしない」

 

 ははは、と笑う信一の表情は昔を懐かしむようなもので……。母親を殺したことを悲しんでいる様子はなかった。

 

「頑張って、頑張って、たくさん頑張って、卵焼きくらいならお客さんに出しても恥ずかしくないくらいになった頃です。どこから流れたのか、『朝比奈家の使う【迅雷】という固有魔術は、実は誰でも使える』という妙な噂が立ちました」

 

「………………………」

 

「お嬢様には見せたことありませんが、【迅雷】は誰の目から見ても強力な魔術です。その噂を聞きつけた魔術師がうちに押し込み強盗に入ってきまして、母に精神作用系の魔術をかけて俺と妹を手にかけさせようとしたんです。しかも自我を保ったまま、深層心理に働きかけて体だけを動かす最低最悪の術でしたよ」

 

 そこまで話して、やっと信一の表情が嫌悪に歪む。

 

「最初に母が襲いかかったのは妹でした。包丁を持ち、地面に倒した妹に乗りかかって涙を流しながら刺し殺そうとしたんです。母は叫びました」

 

『信一!私を殺して!!早く!!』

 

「その後はお察しの通りです。俺は店に護身用として置いてあった刀で、【迅雷】を用いて母の首を飛ばしました。それを間近で見ていた妹は、その日から精神的なショックで昏睡状態。世界を見ることを止めてしまったんです」

 

 大好きな母親が自分を殺そうとし、その母親を大好きな兄が目の前で殺す。

 

 そんな光景を見てしまえば、確かに世界なんてものに失望して覚めない眠りに逃げてしまうだろう。

 

「そして俺は“泣き虫で弱虫の人殺し”になりました。もう自分に料理を作る資格はない。料理を作るというのは、人を生かす糧を作るということですからね。“泣き虫で弱虫の人殺し”に許されるようなことじゃありませんよ」

 

「……じゃあ信一は……信一も魔術が嫌いなの?魔術を殺戮に特化した人殺しの術だと思ってる?」

 

「人殺しの術だとは思ってますけど、別に嫌っちゃいませんよ」

 

 またニコリと優しく微笑む。いつもと変わらない。こんな過去を人に話しても、信一の笑顔はいつもと変わらない。

 

「なんでかはよくわかりませんけど、たぶん母を殺した日に俺は心のどこかが壊れちゃったんですよね。人を殺すことに何も感慨を持たなくなって、全ては使い方次第って考え方になりました。

 

「使い方……?」

 

「はい。例えば……包丁。あれって料理を作る道具ですよね?でも人を殺せます。刀だってそうです。芸術品という見方をこの国ではしますが、人を殺せますね?魔術もそれと同じです。考え方は逆ですけど」

 

「逆?」

 

「魔術は人を殺せますが、でもさっき言ったように人の怪我を治すことができます。そういう意味では偉大で崇高な術ですよ」

 

「……………………」

 

 マグカップのホットミルクを一口飲む。これで空になってしまった。しかし、それとは逆にシスティーナの心には何かが降り積もっていくような感覚が広がっていく。

 

「包丁も刀も魔術も人を殺せます。でも、包丁は料理を作って人を笑顔にできる。刀はその美しさで人を感嘆させられる。魔術は人の怪我を治すことができる。これらを綺麗事と笑うような奴らもいるでしょう。それでも俺は……」

 

 そこで初めて信一は自分のホットミルクを飲んだ。

 

「この綺麗事が好きです。だから俺はお嬢様の考え方、好きですよ」

 

「……そっかぁ」

 

 包丁も刀も魔術も、人を殺すことができるというのは一部の側面にしか過ぎない。他の面を見てみれば、確かに人を笑顔にさせていた。

 

 自分だってそうだ。その綺麗事な側面に憧れた。大好きな祖父が目指し、通った道がどこまでも尊いと思えたから魔術を学ぶことで笑顔になっている。

 

「じゃあお嬢様。世界中の誰もが魔術は人殺しの術だと言った時、あなたならどうしますか?」

 

「それは違う!と世界中に響く声で言ってやるわ」

 

「その粋です。大旦那様が通った道を自分も究めたい。そう思ったからお嬢様は魔術を学んでいます。だからお嬢様だけは、誰がなんと言おうと魔術は“偉大で崇高なもの”だと言い張らなければなりません。俺のように魔術を使って人を殺したようなクズにその資格はありませんから、どうか俺の代わりにも言い張ってください」

 

「任せなさい」

 

 やっぱり信一は自分の味方だった。今なら分かる。自分の過去を話そうとした時の信一の決意したような表情の理由。

 

 ただ、怖かったのだ。魔術を偉大だ、崇高だと言っている自分に魔術で人を殺したことがあることを打ち明けて軽蔑されることが。

 

 でもそれはあり得ない。いつも味方でいてくれる信一を、人を殺した()()()で軽蔑なんてしない。

 もしかしたら信一は親を殺したことを、使い方次第と割り切って正当化しようとしているのかもしれないが、だからなんだと言うのだ。親殺しの大罪を背負って、それでも自分の心を保つ為にはその心自体を壊すしかなかった。

 

 自分がその大罪を代わりに背負うことはできない。でも、隣で寄り添うことはできる。信一が自分の味方でいてくれるように、自分も信一の味方であり続けようと心に誓った。

 

「さ、そろそろお休みください。明日も学院はありますよ」

 

「うん、わかった」

 

 持っていたホットミルクのマグカップを信一に渡し、いそいそとシスティーナは布団に潜る。

 何故か今ならよく眠れるような気がした。だから……少しだけどわがままを言ってしまおう。

 

「ねぇ、信一」

 

「はい?」

 

 不思議そうに振り向く信一。

 不真面目で、努力嫌いで、隙あらばサボろうとする……それでも大好きな家族の1人。どんな時も自分の味方でいてくれる、優しい人。

 

「私が眠るまで……その…手、握っててくれる?」

 

 一瞬驚いたように目を見開くが、すぐにいつもの優しい表情に戻った。

 ゆっくりともう一度ベッドに腰掛け、包むように左手を握ってくれる。

 

「いついかなる時も、貴女の御心のままに」

 

 

 

 

 

 

 システィーナが眠ったことを確認した信一は、静かにその部屋を後にする。

 すると、部屋の前でルミアが壁にもたれかかって待ち受けていた。

 寝間着姿なのだが、目はそこまで眠そうではない。

 

「どうかしましたか、ルミアさん?眠れないようでしたらホットミルクをお持ちしますが」

 

「ううん、大丈夫。それよりシスティはどう?」

 

「明日にはいつも通りになると思われます」

 

「そっか……良かった」

 

 安心したように息を吐くルミアを見て、信一も相好を崩す。

 やはりルミアは心優しい少女だ。

 

「立ち話もなんだから、私の部屋に来てくれる?」

 

「よろしいのですか?男は夜になるとケダモノに変身致しますよ?」

 

「シンくんは狼男じゃなくて、可愛いワンちゃんになりそうだね」

 

「むぅ……」

 

 仔犬っぽいルミアに言われたくないのだが……あまりそこは掘り下げないでおこう。信一にも男としてのプライドはあるのだ。

 

 一度キッチンに戻り、自分の冷めたホットミルクを煽ってから改めてルミアの部屋にお邪魔する。

 

「それで、何かありました?」

 

「グレン先生のことなんだけど……。シンくん、気付いてるよね?」

 

「……3年前の男のことですか?」

 

「うん」

 

 3年前———ルミアがフィーベル家に来てすぐの頃に、システィーナと間違えて魔術師達に誘拐されたことがある。

 

 その頃の信一は……別にルミアのことなんてどうでもよかった。

 その日の前日にフィーベル家を貶める発言をし石を抱かせたばかりで、むしろシスティーナが誘拐されずに済んで良かったと安堵したくらいだ。

 

 だが、件のシスティーナは違った。誘拐されるまでルミアとはケンカばかりしていたにも関わらず、システィーナは泣いていた。

 自分のせいでルミアが誘拐された事に責任を感じたのか、はたまた知り合いが危険な目にあっているのが怖かったのか。

 

 どちらにせよ、システィーナが泣いた時点で信一が行動を起こすのは当然の帰結と言えた。

 

 刀を二本持ち、ルミアを誘拐した魔術師達を探し当てた時のことだ。既にルミアを守る男がいた。

 その男の周囲の魔術師達は何故か魔術を使わずに男と対峙し、そしてその男は次々と魔術師を殺していた。信一も加勢する為に【迅雷】を使おうとしたが、何故か発動しなかったのを覚えている。

 

【迅雷】がなくとも、武器を持っている信一のほうが魔術を使えない魔術師よりも圧倒的に強いのは変わらないので特に気にしなかったが。

 

 そして、その男は———今自分たちの非常勤講師をしている。初対面の時に信一は勘付き、ルミアも確信を持っているようなので間違いない。

 

「ルミアさんはいつお気づきに?」

 

「なんとなく似てるなぁ〜とは思ってたんだ。でも、今日の放課後に確信したよ」

 

「……何かありましたか?」

 

 信一の目が鋭くなる。今日はシスティーナが早退したことで、信一も授業が終わり次第すぐに帰った。ルミアは復習したいことがあるというので、残していったが……もしやグレンはルミアに何か淫らな事をしたのではないか。

 

 もししたのなら去勢して川に放流しよう。うん、そうしよう。

 

 密かな決意を胸に、ルミアに優しく問いかける。目の鋭さと声音の優しさという変なギャップがちょっと怖い。

 

「『流転の五芒』っていう魔力円環陣の練習してたの。でも上手くいかなくて……それで手伝ってくれたんだ」

 

「……変な事はされていませんよね?」

 

「あはは、されてないよ。大丈夫」

 

 確か法陣を行う魔術実験室を生徒が個人的に使うのは禁止されてたはず。見かけによらずやんちゃなルミアはどうせ事務室に忍び込んで鍵をゲットしたのだろうが、そこで男と2人きりというのは家族として気が気でない。

 

「まぁ、そこはおいおい後でお説教するとして……それで?」

 

「うん、ただ水銀が足りてなかっただけだったんだ」

 

「いえ、そっちではなくて」

 

 どうやらお説教という言葉は聞こえなかったみたいだ。都合の良い耳である。

 

「まさかそれで手伝ってくれたから『あの人』だ、なんて言いませんよね?」

 

「あぁ……うん。えっとね、それで一緒に帰った時にそれとなく探りをいれてみたんだ。そしたら少し反応があって、きっと『あの人』だって確信した」

 

「そうですか。じゃあルミアさんはあの時のお礼、言えたんですか?」

 

「ううん。なんかはぐらかされちゃって……」

 

 あの時、あの男が自分より早くルミアを守っていなければ彼女はどうなっていたかわからない。

 今なら思える。やはりあの男は恩人だ。あの時ルミアを守ってくれていなければ、自分とルミアは家族になんてなれなかっただろう。

 

 あの日はルミアをおぶって帰った。フィーベル家でお世話になってる分際で卑屈なことばかり言う、気に入らない少女だったが……それでも守るべき存在になっていた。

 

『死にたければ死ねばいい。自分がいない方がいいと思うなら消えればいい。でも、もし君が生きていたいと思うなら俺は———』

 

 その言葉を言った瞬間、ルミアは大泣きして信一の背中に抱きついていた。帰れば今度はシスティーナが泣きながら抱きついてきた。

 

 夜は……初めて3人で寝たっけなぁ。

 

 少し大人に近付いた今はもうそんなことできない。でも、手を握って眠るまで隣にいてあげることはできる。

 

 信一はベッドにルミアを寝かし、布団をかける。

 

「さ、ルミアさんも寝てください。朝弱いんですから」

 

「システィかシンくんが起こしてくれるから大丈夫だもん」

 

「自分で起きる努力をしてくださいよ……」

 

 呆れたようにため息を吐き、ルミアの手を握って微笑みかけてやる。

 

 殺してしまった母親はもう戻らない。でも、今はまた新しい家族がいる。刀を握り続けてゴツゴツになった自分の手を眺め、今度はあんな惨事にならないことを願う。

 

 刀や【迅雷】を使う時が来ないならそのほうがいい。だが、もし使わないといけない時がきたら迷わず使って家族を守る。

 フィーベル邸に住む方々に害を為す者……その全てを———

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 殺す




はい、どうでしたか?

オリ主、心のどこか壊れちゃってます(笑)
補足しておきますと、人を殺すことに何も感慨はありませんが進んで殺しに行くわけではありません。そんなに頭がヤバイ奴ではないですからご安心を。

それでは、感想や評価などお待ちしております。くれたら更新速度があがる……かも(チラチラ)


目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

第5話 ロクでなしの覚醒

一応気まぐれ更新なんですが、今日はなんかルミアちゃんに膝枕された夢を見てしまいましてね?勢いでパパッと書いちゃいましたよ。




「すまん」

 

 翌日、グレン=レーダスはシスティーナに頭を下げて謝った。

 その様子に、クラスメイト達は目を丸くして驚いている。

 

「確かに俺は魔術が嫌いだが、昨日は言いすぎた。ええと……その……悪かったな」

 

 それだけ言うと、照れくさそうに振り向き教壇の方に向かってしまう。

 

 何か心境に変化でもあったのかと信一は思考を巡らすと、1つ、思い至った。

 チラリ、とルミアを見る。

 

 昨日の放課後、ルミアはグレンと話したと言っていた。もしかしたらその時に何かグレンに変化を与えることを言ったのかもしれない。

 

 信一の視線に気付いたルミアは可愛らしくウインクを1つ。

 惚れてしまうのでやめていただきたい。

 

 ハァ……と、小さくため息が口から漏れた。やはり、ルミアという少女はどこか不思議な魅力があるようだ。

 容姿はもちろん、話してみるとなんでも打ち明けたくなるような……なんでも受け止めてくれるようなそんな魅力。

 

 その魅力がグレンの心も動かしたのだろう。

 

「それでは、授業を始める」

 

 彼がここに来てから11日目になる今日。初めてグレンの口から講師らしい言葉が出た。

 

 だが、

 

「えー……始める前に全員に言っとく事がある。お前らって———ホンットに馬鹿だよな」

 

 同時に講師らしくない言葉もぶっ放した。

 

 クラス中のこめかみに青筋が立つ。

 

 信一のこめかみにも青筋が立つ。さすがに今のはイラっと来たので、少し発言することにした。

 

「グレン先生」

 

「なんだ、信一?」

 

 珍しく反論する信一の姿に、クラスメイトは『おうおう、言ったれ言ったれ!!』という空気が蔓延し始める。

 空気が自分のホームになったことを察し、少し胸を張って言い放つ。

 

「お言葉ですが、馬鹿って言ったほうが馬鹿なんですよ!」

 

「「「 ……………………………… 」」」

 

 クラス中の空気が叫んでいる。『いや、そっちじゃねぇよ』、と。

 だが、グレンは違った。

 

「その理屈で言ったら、お前も馬鹿ってことだろ?今俺のこと馬鹿って言ったし」

 

 ある意味、この場の誰よりも信一の言葉を真摯に受け止めている。

 

「じゃあグレン先生も馬鹿じゃないですか。馬鹿」

 

「うっせぇ、講師に向かって馬鹿とはなんだ。馬鹿」

 

「非常勤でしょう?馬鹿馬鹿馬鹿」

 

「でも講師だろうが。馬鹿馬鹿馬鹿馬鹿馬鹿」

 

「馬鹿馬鹿馬鹿馬鹿馬鹿馬鹿馬鹿馬鹿馬鹿馬鹿馬鹿馬鹿馬鹿馬鹿馬鹿馬鹿馬鹿馬鹿馬鹿馬鹿馬鹿馬鹿馬鹿馬鹿馬鹿馬鹿馬鹿馬鹿馬鹿馬鹿馬鹿馬鹿馬鹿馬鹿馬鹿馬鹿馬鹿馬鹿馬鹿馬鹿馬鹿馬鹿馬鹿馬鹿馬鹿馬鹿」

 

「馬鹿馬鹿馬鹿馬鹿馬鹿馬鹿馬鹿馬鹿馬鹿馬鹿馬鹿馬鹿馬鹿馬鹿馬鹿馬鹿馬鹿馬鹿馬鹿馬鹿馬鹿馬鹿馬鹿馬鹿馬鹿馬鹿馬鹿馬鹿馬鹿馬鹿馬鹿馬鹿馬鹿馬鹿馬鹿馬鹿馬鹿馬鹿馬鹿馬鹿馬鹿馬鹿馬鹿馬鹿馬鹿馬鹿馬鹿馬鹿馬鹿馬鹿馬鹿馬鹿馬鹿馬鹿馬鹿馬鹿馬鹿馬鹿馬鹿馬鹿馬鹿馬鹿馬鹿馬鹿馬鹿馬鹿馬鹿馬鹿馬鹿馬鹿馬鹿馬鹿馬鹿馬鹿馬鹿馬鹿」

 

「やめなさい、馬鹿!」

 

「痛い!?」

 

 馬鹿な2人がお互いを馬鹿と罵り合う馬鹿馬鹿しい光景を止めるためにシスティーナの鉄拳が信一の脳天を穿つ。

 もはや見るに耐えなかった。子供の方がまだまともな言い合いをするだろう。

 

 殴られた場所を両手で抑えて涙目になる信一の姿はなんとも情けない。昨夜の優しくも凛々しい姿は一体どこにいったのか。

 

「先生も!生徒の中でも特に知能が低い信一にムキにならないでください!!」

 

「お嬢様は俺を泣かして楽しいのですか?」

 

 もしかしたらこの主は自分のことが嫌いなんじゃないだろうか?一筋の不安で信一はさらに涙目になる。

 

「はっ、俺大人だからムキになんてなってねぇし」

 

「今までで大人っぽいところを見たことがないんですけど……」

 

 強いて挙げればさきほど自分の非を素直に認めて謝罪したくらいだ。

 

 グレンはゴホンと咳払いをして、クラス中の生徒たちを見回す。

 

「さて、そんな馬鹿なお前らに言えることが1つだけある。お前らは魔術のことをなぁーんも分かっちゃいない」

 

 グレンの言葉に、ルミアに頭を撫でられて慰めてもらっていた信一が顔を上げる。

 

 自分はともかく、ここにいるシスティーナや他のクラスメイトはそれなりに魔術への造詣は深いはずだ。

 その彼女たちに対して『魔術を分かってない』という発言はどういう意味なのだろうか?

 

「そうだな……例えば【ショック・ボルト】。今日はそれについて教えてやる」

 

 そう言ってグレンは左手を伸ばして呪文を唱えた。

 

「《雷精よ・紫電の衝撃以て・撃ち倒せ》」

 

 すると、宣言通り【ショック・ボルト】が発動。バチッと音がして紫電が左手から放たれる。

 

「ま、これが【ショック・ボルト】の基本的な呪文だ」

 

 だが、特にクラスメイトは驚いた様子はない。こんなのは当たり前のことだ。

 

「やっぱり三節詠唱……」

 

「とっくに究めたっての、【ショック・ボルト】なんて」

 

 むしろ、グレンが三節詠唱をしたことに嘲笑すら上がる始末。

 しかしそんなことは気にせず、グレンはチョークで黒板に【ショック・ボルト】の呪文を書き記した。

 

「アホ……いや、馬鹿なお前らはこれを省略する事ばっか考えてるみてーだが……じゃあ問題だ」

 

 アホをわざわざ馬鹿と言い直した真意がとても気になった信一だが、あえてそこは聞き流す。

 

 グレンは黒板に書かれた呪文、

《雷精よ・紫電の衝撃以て・撃ち倒せ》を

《雷精よ・紫電の・衝撃以て・撃ち倒せ》と四節に区切った。

 

「さて、これを唱えるとどうなる?」

 

「その呪文はまともに起動しません。必ず何らかの形で失敗しますよ」

 

 メガネを掛けた少年———ギイブルが即座に答える。

 このギイブル、クラスではシスティーナに次ぐ成績の持ち主で言うまでもなく優秀な生徒だ。

 

 しかし、こんなことはギイブルやシスティーナじゃなくても分かる。クラスメイトの全員がギイブルの言葉に頷いているのが良い証拠だろう。

 

「んな事分かったんだよバカ。その失敗がどういう形で現れるのか聞いてんだ」

 

「何が起こるかなんて分かる訳ありませんわ!!結果はランダムです!!」

 

「ブフーッ!?ランダム!?マジで言ってんの!?お前らこの呪文究めたんだろ?」

 

 ウェンディの反論にグレンは教壇の上だと言うのに腹を抱えて大笑いしている。その様子は、そういえば俺の国には抱腹絶倒って言葉があったなぁ……と信一に思い出させるほどすごい笑いっぷりだ。

 

 だが、グレンの笑いっぷりに苛立つクラスメイトたちはそれ以後の反論ができないでいる。

 

「「「 ……………………………… 」」」

 

「なんだぁ?全滅かぁ〜?【ショック・ボルト】を究めた若人諸君?」

 

 どこまでも挑発的な態度に、プライドの高い成績上位者は青筋を立てている。それはシスティーナも例外ではなく、口の端がひくひくと引きつっているのが見て取れた。

 

 これでまた八つ当たりなんてされてはかなわないので、信一が立つ。

 

「確かぁ……右か左、とにかく横方向に曲がったと思います」

 

「お、大体正解だ。答えは“右に曲がる”」

 

 クラスメイトがギョッとした表情で信一を見つめた。

 基本親切だが、魔術に関しては間違いなく落ちこぼれの信一が自分たちの知らない魔術の知識を披露したからだ。

 

「《雷精よ・紫電の・衝撃以て・撃ち倒せ》」

 

 グレンが呪文を唱え【ショック・ボルト】が起動するが、それは確かに右に曲がった。信一の言ったことが本当のことだと証明されたのだ。

 

「じゃあ次な。《雷・精よ・紫電の・衝撃以て・撃ち倒せ》と五節にしたらどうなる?」

 

「右に曲がりながら…えっと……短くなったかなぁ…?」

 

「正解」

 

 またもや信一の答えはグレンの実践で証明された。クラスの数人が信一に尊敬の目を向け始める。

 

「次はそうだなぁ……。こうしたら?」

 

 黒板に書いてある【ショック・ボルト】の呪文をグレンは、

《雷精よ・紫電 以て・撃ち倒せ》と一部を消してしまう。

 

「出力がぁ……落ちた気が…したんですけどぉ……?」

 

「ん、正解。やるな信一」

 

 おぉ!とクラスの歓声と共に全員が尊敬の眼差しを信一に送った。

 今まで信一が落ちこぼれだったのは、自分たちとは違う観点から魔術を見ていたからに過ぎなかったのだ。

 

「合ってるんだから自信持てよ。なんでさっきから若干フワッフワな答え方なんだ?」

 

「いやぁ……結構前に実際にやったことがあったんですけどね。本当に小さい頃だからうろ覚えで」

 

「だとしてもすげぇぞ。正直、お前らのこと困らせるつもりでこの問題出したのに」

 

 珍しく手放しに褒めるグレンに対し、信一は遠くを見ながらこう答えた。

 

「昔から【ショック・ボルト】くらいしかまともに出来なくてですね……友達もいなかったから色々いじって遊んでたんですよ」

 

 クラスの尊敬の眼差しが一気に憐憫に変わった。

 地味に寂しい過去をお持ちだった信一の発言に、教室が変な空気になる。

 

「えっと……信一、俺はお前の友達だぞ」

 

「わたくしも…その……貴方のことは良い友人だと思っていますわ…」

 

 カッシュとウェンディが信一を慰めるように言うと、クラス中から俺も私もと賛同する声が上がる。

 しかし、このクラスメイト達は知らない。

 

 時に優しい言葉は、どんな罵詈雑言よりも人を傷つけることを。

 

 優しい言葉を投げかけられている信一の姿が心なしかモノクロに見え始めたので、これはまずいと結構マジで思ったグレンは講義の続きを話し出す。

 

「と、とにかくだ!魔術ってのは要は高度な自己暗示なんだ。呪文を唱える時に使うルーン語ってのはその自己暗示を最も効率よく行える言語だ。人の深層意識を変革させ世界の法則に結果として介入する。魔術は世界の真理を求める物じゃねぇんだよ。魔術はな、人の心を突き詰めるもんなんだ」

 

 ルミアに撫でてもらい、なんとか元通り着色された信一はグレンの話がいかに的を得ているか理解できた。

 

 そして、この講師が凄腕であることも。

 

 なにせ、自分が()()()()()()()のだから。

 今まで色々な講師に物を教わったが、ここまで分かりやすい話をした講師は1人もいなかった。

 

 魔術が何故起動するか、という疑問を抱かなかった自分にも責任はあるだろう。それは一般人からすれば、何故腕が動くのかと聞くようなものだ。

 

 その当たり前を当たり前として片付けない。グレンの授業は正に“本物”の授業だと言える。

 

「ま、口だけの説明で言葉ごときが世界に介入するなんて分かりにくいか。じゃあそうだな……おい、白猫」

 

「んなッ!?」

 

 グレンはシスティーナに近付きながら変なあだ名を付けて近づいていく。

 

「白猫って私のこと!?私にはシスティーナにっていうちゃんとした名前が……」

 

「愛してる。一目見た時から———お前に惚れていた」

 

「ふえっ!?」

 

 まさかのカミングアウトにシスティーナの顔が真っ赤に染まった。

 しかし、

 

「はい注目ー。白猫の顔が真っ赤になりましたね。見事言葉ごときがこいつの意識に影響を与えたワケだ」

 

 件のグレンはしれっとした顔で講義の続きを行う。残ったのは哀れにも騙されて照れたシスティーナだけ。

 

「言葉で世界に影響を与える。これが魔術の……うがっ!?」

 

 直後、グレンを教科書の雨が襲った。もちろん犯人はシスティーナ。

 

「おい馬鹿!教科書投げんな!」

 

「馬鹿はあんたよ!馬鹿馬鹿馬鹿ー!!」

 

「あ、お嬢様馬鹿って言った。じゃあお嬢様も馬鹿ですね?」

 

「うるさい!!」

 

「おっと危ない」

 

 一冊だけ手元に残った教科書の角で信一を殴ろうとするが、読んでいた信一は上体を反らすだけ回避する。

 

 余裕がない彼女をさらにからかうのは本当に気分が良い。いつもなら殴られているシチュエーションなのでなおさら。

 

「いてて……。まぁ、魔術にも文法と公式みたいなもんがあんだよ。深層意識を自分が望む形に変革させるためのな。それが分かりゃあ例えば……」

 

 再度グレンは左手を伸ばし、右手の指で何かを考えるように頭をトントンする。そして、まとまったように右手を降ろすと唱えた。

 

「《まぁ・とにかく・痺れろ》」

 

 その瞬間、左手から紫電が放たれる。それは間違いなく【ショック・ボルト】だ。

 

 ザワザワと教室にざわめきが広がりだした。今までの自分たちの常識では、決められた呪文を唱えなければ魔術は起動しないとされていたのだから当然だ。しかし、グレンが唱えたのは誰がどう聞いてもテキトーな呪文。

 

 この非常勤講師は自分たちの常識を真っ向から覆してみせた。

 

「簡単に言っちまえば、魔術なんて連想ゲームと一緒なんだ。【ショック・ボルト】なら相手を痺れさせる。だからそれが連想できるキーワードを言えば、それが呪文になる。だが、そのド基礎をすっ飛ばしてこのクソ教科書で『とにかく覚えろ』と言わんばかりに呪文を書き取りま翻訳だの……」

 

 グレンは自分の教科書をみんなに見えるよう掲げ、

 

「はっ!アホかと」

 

 ゴミのようにポイと投げ捨てた。

 

「今のお前らは単に魔術を上手く使えるだけの『魔術使い』に過ぎん。『魔術師』を名乗りたいなら自分に足りん物は何かよく考えとけ」

 

 もはや、グレン=レーダスに対するクラスの眼差しに侮蔑はない。11日間のグレンに対するイメージは、この短時間でほとんど払拭されていた。

 

 この非常勤講師は何者なのか。この非常勤講師が教えてくれる『本物』の魔術とは何か。それを知るため、全員がグレンの言葉に耳を傾ける。

 

「じゃあ今からド基礎を教えてやるよ。興味ない奴は寝てな」

 

 無論興味のない者など、いるはずはなかった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「そういえばグレン先生、聞きたいことがあるんですけどいいですか?」

 

「信一か。なんだ?」

 

「さきほどのお嬢様に一目惚れしたというお話。できるだけ詳しくお聞かせください」

 

「…………………………………………」

 

 刀を二本とも取り出して優しく威圧的な笑顔を浮かべる信一が印象的だった、そんな一幕があったことは……きっと明日にはみんな忘れていることだろう。




はい、いかがでしたか?

ルミアちゃんしゃべってないやんけ!?って思った方、すみません。
本っっっ当にすみません!!

次回あたりから戦闘に入れるの……かな?たぶん…きっと……頑張れば………


目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

第6話 少年が刀を抜く時

ついにここまで来たか……。と言っても、戦闘描写はちょっとだけですけどね。

今回は信一の立ち回りの都合で少し内容を変えさせていただいております。タグにもある“オリジナル展開”ってやつですね。

それでは、どうぞ!!


 グレンの授業は非常に分かりやすく、造詣の深いものであった。

 理路整然とした話術。その話術から繰り出される講義の内容は、問いを作り次にその問いの原因を探り、最後に答えを教えるという基本の体系。しかし、結果に行き着く過程すら理解を深めるためのスパイスになっているという特徴があった。

 

 そんなグレンの噂はすぐに学院中に広まり、別のクラスや他学年、果ては若手の講師すら拝聴しにくる始末。二組のクラスは混雑し、立ち見がいるという少し奇妙な光景すら出来ていた。

 

「じゃ、今日はここまでだ。そんじゃな」

 

 授業も終わり、生徒は各々グレンの授業に対する感想や自分なりの解釈を話し合っている。

 

 本日の内容は汎用魔術と固有魔術について。

 固有魔術とは本来、魔術師なら誰もが憧れる魔術の極致。しかし、グレンはその固有魔術にを大したことはないと言ってのけた。

 対して、汎用魔術とは魔術の歴史を作ってきた魔術師が長い時間をかけて洗練し作り上げた、『誰でも使える術』という隙のなさが上げられた。

 

『誰でも使える術』というのはそれだけで充分完璧ということだ。

 そこまで話して浮き彫りになってくるのが、固有魔術という自分だけ(オンリーワン)の術でどうやって汎用魔術を超えるかだ。

 

 グレン曰く、並大抵の物じゃ汎用魔術を超えられないらしい。

 

 だからこそ、汎用魔術の歴史や式を紐解くことで理解を深めることが大切なのだ。

 

「やられたわ……」

 

「お嬢様?」

 

 頭の中でグレンの授業を反復していたシスティーナが、その頭を抱えて悔しそうに机に突っ伏した。

 

「認めたくないけど……人間としては最悪だけど……講師としては本当にすごい奴だわ。……人間としては最悪だけど!!」

 

 システィーナがここまで言うのにはもちろん理由がある。

 先ほどの授業、板書を取りきってない内に黒板を消されてしまったのだ。グレンの100パーセントの悪意によって。

 

「まぁまぁ、そう怒らないでください」

 

「信一は板書……取ってないわよね」

 

「もちろんです」

 

 にぱぁと花が咲くような笑顔に一瞬誤魔化されたが、やはりこいつは取ってないらしい。落胆のため息が口から漏れる。

 

「あれだけ分かりやすい内容なら板書を取る必要なんてないでしょう。全部頭の中に入っていますよ」

 

「その無駄に良い頭が今は羨ましいわ……」

 

 理解力に乏しいくせに、理解したものは覚えてしまう。そして覚えたものは基本忘れない。

 

 この男の頭は良いと評すればいいのか、とんでもない欠陥品と評すればいいのか。

 今この時だけは良いと評することができることが悔しさを助長させた。

 

「ま、わからないことがあるなら聞きにいけばいいんです」

 

 パパッと鞄にノートをしまい込み、信一はシスティーナの手を引いて立たせる。

 

「たぶんグレン先生なら東館の屋上バルコニーにいますよ」

 

「なんであんたがそんなこと知ってんのよ?」

 

「とあるとても信用できる人からの情報です」

 

 後ろで黙ってこちらを見ていたルミアを軽く振り返る信一。

 その視線に気付いたルミアはやはりにこにこと笑っているだけだった。

 

 東館の屋上バルコニーに着いてみれば、予想通りグレンがいた。

 手すりに寄りかかりながら金髪の女性と話している。

 

「あれは……アルフォネア教授かな?」

 

 豪奢なドレスを身に纏った金髪の美女、セリカ・アルフォネアとグレンが話している。

 彼女は見た目に反してかなりの時間を生きた人物で、歴史の教科書に名前が載っているほどだ。もちろん同姓同名などという悪ふざけではなく、れっきとした本人。

 元はアルザーノ帝国でも重要な魔術師で、かの女王陛下とも友人という大物だ。

 

 とりあえず2人の話が終わるのを待っていると、セリカが自分たちに気付いたらしく手を振ってくる。

 

「どうしたお前たち、グレンに用事か?」

 

「あ、はい。今日の授業のことで質問があって……」

 

「そうか。あ、心配しなくていいぞ。私はもう行くところだ」

 

「そうですか」

 

 誰に対しても物怖じしないルミアが代表して応える。

 信一もシスティーナも、入学してすぐに少しお話をしたが、今になって考えてみるとかなり勇気があったものだと過去の自分に関心してしまう。

 

 セリカの背中を見送り、3人はグレンに振り返った。

 

「なんだ、俺に用って?」

 

「今日の授業でどうしても聞きたい事があるってシスティが……」

 

「ちょっ、それは言わないって約束でしょ!?」

 

 ルミアがサラッと約束を破り、システィーナが顔を真っ赤になる。それにグレンはとても悪い顔をして、どこまでも尊大な態度で上から目線の物言い。システィーナは真っ赤になってぎゃーぎゃー騒いでいる。

 

 その光景は……とても穏やかで優しく、いつか時間の波に埋もれてしまう日常。本当に尊く、そしてありきたりなものだった。

 

 

 

 

 

「はぁ〜やだ〜帰りたい〜」

 

「もう信一ったら、学院に来てからそればっかり!」

 

「だって本来なら今日休日ですよ?休みの日ですよ?せっかく一日中本読んでヒャッハーできると思ってたのに……」

 

「あんまり本読んでヒャッハーする人はいないと思うけど……」

 

 ぐでぇ〜とどこまでもやる気なさそうに机に突っ伏す信一をシスティーナは呆れた目で、ルミアは可愛い弟を見る目でそれぞれ眺めていた。

 

 ちなみに一日中本を読むと言っても食事の支度はするし、屋敷の掃除をちゃんとやる。それを除いた時間で信一はヒャッハーするつもりだった。

 

 信一の言う通り、本来なら今日学院は休みのはずだった。というか普通に休みだ。

 しかし、グレンの前任であるヒューイが突然辞めたせいで授業時間に穴が空き、今日はその穴を埋めるためにこの二年次生二組だけが学院に来ていた。

 

「ヒューイ先生……今あなたに会えたなら、思いっきりぶん殴ってますよ……」

 

 元々ヒューイのおかげで二年次生になれたというのに、とんでもなく恩知らずな男である。

 

「てか、学院長殺そうかな……うんそうしよう。あのジジイの提案だろうし」

 

 しまいには学院の最高権力者をディスる始末。チャキっと足元にある刀がぶつかりあって音が鳴る。

 

「あんた、どんだけ休日に学院来たくないのよ……」

 

「俺は用がなければ屋敷の敷地から出たくないんです!」

 

「まぁ、家の中でも楽しいことはあるしね」

 

「さすがルミアさんです。今日のおやつはルミアさんの好物でも作りましょうか?」

 

「やった!」

 

 嬉しそうにガッツポーズをするルミア。甘いものをこよなく愛す女の子らしい反応に信一の頰も緩む。

 

「それにしても、グレン先生遅いですね」

 

「そうね。最近は真面目にやってるから見直したと思ったら……来たら説教ね」

 

「そんなにお説教ばかりしてるから『説教女神』なんていうあだ名付けられるんですよ」

 

「えっ!?なにそれ私初耳なんだけど!?」

 

「……ルミアさん、練り切り等はいかがですか?」

 

「無・視・す・ん・な!!」

 

 自分の失言に深いため息が漏れる。周囲の男子生徒から何やったんだという視線を感じ、ここはカッシュ辺りのせいにして逃れようとわりと最低な算段を立て始めた時だ。

 

 バァンッ!!と乱暴に教室の前扉が開いて、チンピラ風の男と紳士然とした男が2人入ってきた。

 

「ちぃーっす。ジャマするぜー」

 

 軽薄そうな声で挨拶するチンピラ風の男を見て、クラスがざわめきだす。見たことのない人物だ。後ろで静かに控えている紳士然とした男も同様。

 

「まずは自己紹介から。お兄サン達はね、簡単に言えば君らを拘束しに来たテロリストってやつかな?」

 

 このアルザーノ帝国魔術学院はこの学院の関係者か、その関係者から正式に許可を得た者しか出入りできないように結界が張られている。

 つまり、この学院にテロリストを含めた部外者は入らないようになっているのだ。

 にも関わらずこの男達は入ってきた。

 

 ここで考えられることは2つ。

 

 1つはこの2人の正体が学院の関係者でただふざけていること。

 

 もう1つは本当にテロリストで、なんらかの手段を用いて侵入してきたこと。

 

 今の段階では判断材料が少なすぎる。ここで武力を行使してこの場から2人に立ち去ってもらうのは、場合によっては色々と危険な為、信一は何も言わずに観察するという手段に出る。

 

 しかし、システィーナは違った。

 

「ふざけないでください。、あなたみたいなチンピラがどうやって侵入できたかは知りませんが、すぐ出ていかないのなら無力化した後警備官に引き渡しますよ?」

 

 フィーベル家の娘として、不審な者に徹底的に立ち向かうという行動を取った。

 

 これは愚策だ。もしこの2人がただふざけているだけなら、『君は勇気のある子だね』で済むが、もしテロリストなら……

 

「《ズドン》」

 

 危害を加えてくる可能性がある。

 

 今回の場合は残念ながら後者だった。チンピラ風の男がふざけたように唱えた呪文で魔術が発動。恐ろしく速い電撃がシスティーナの顔スレスレを通り、後ろの机をすんなりと貫通した。

 

 一瞬【ショック・ボルト】のように見えたが、これは違う。

 

「【ライトニング・ピアス】……軍用魔術!?」

 

「お、よく知ってんじゃん。見た目は【ショック・ボルト】とよく似てるけど、これはお前らガキ共がお勉強するお遊戯じゃねぇ。正真正銘———人殺しの術だ」

 

 静かな殺意を込めたその言葉がこの空間を支配した。

 

 生徒達は一切の抵抗の意思を捨て、顔を絶望に染める。ガタガタと震える者。涙を流す者。行動は様々だが、恐怖に怯えるしかないといつ意味では皆同じだ。

 

 そんなことはお構いなしに男は告げた。

 

「この中にさ……ルミアちゃんって女の子、いる?」

 

 だが、誰もそれに答えない。当然だ。これに答えるということは学友を売ることと同義。そんなこと、誇り高い魔術師の卵に許されることではない。

 

 その様子に、男は困ったように唸る。

 

「ん〜……どれがルミアちゃんだ?君かな?」

 

 そこで男に指差されたのは女子の中でも特に気の弱そうな女の子、リンだ。

 ただでさえガクガクと怯えていたのに、男に目を向けられてさらに不安そうな表情が浮かび上がってくる。

 

「ち……違います……」

 

「あっそ。じゃ、どの子がルミアちゃんか知ってる?」

 

「……し……知りま…せん……」

 

 恐怖の中、それでも彼女はなんとか言葉を紡いでルミアを庇おうとする。その勇気は賞賛に値するのだろう。

 

「ホント?俺、ウソつきは嫌いだよ?」

 

 しかし、そんなものは今この状況でなんの役にも立たない。男はリンの顔を覗き込み、脅すようにドスの効いた声で確認する。

 

 だが、これ以上はリンも恐怖でしゃべれなくなってしまう。それを見て、またもや義憤に燃えたシスティーナが口を開いた。

 

「貴方達……ルミアって子をどうするつもりなの?」

 

「おぉ、さっきの。何?お前ルミアちゃん知ってんの?それとも……」

 

「私の質問に答えなさい!!貴方達の目的は一体……」

 

 この状況はもはやこの男達のホームとなっている。そんな中でシスティーナは気丈にも気高く親友であり家族である少女を守る為に声を上げた。

 

 それはやはり……とても愚かなことだ。

 チンピラ風の男は青筋を立て、システィーナの顔面に指を向ける。

 

「ウゼェよ、お前。《ズド……」

 

「やめて下さい!!」

 

 男が呪文を唱える寸前、教室にルミアの声が響いた。

 

 その声の主に男達は振り向き、システィーナは目を見開き、信一は密かに起動しようとしていた【迅雷】をキャンセルする。

 

「私がルミアです。他の生徒達に手を出すのはやめて下さい」

 

 ルミアの目に怯えはなかった。ただ、こんな自分自身が目当てにも関わらず、他の生徒が巻き込むのは許さないという怒気に燃えている。

 

「へぇ……」

 

 その姿に関心するように、チンピラ風の男は声を漏らした。

 

「君がルミアちゃんなんだ。うん、実は知ってた。君が名乗り出るか、我が身可愛さに教える奴が出るまで関係ない奴を1人ずつ殺していくゲームしてたんだよね」

 

 およそ、正常な人間の考える事ではない。間違いなくこの男は狂人と呼べる部類の人種なのだろう。

 ルミアの目で燃える怒りの炎がさらに強く燃えていることが見て取れた。

 

「遊びはその辺にしておけ、ジン」

 

 ここで初めて紳士然とした男が口を開く。この男も雰囲気で分かりにくいが、狂人の類いだろう。今のチンピラ風の男———ジンの凶行を遊びと言い切ったのだから。

 

「貴女は私と来てもらう。言うまでもないと思うが、是非はない」

 

「わかりました」

 

 紳士然とした男の言うことに素直に従い、ルミアは席から移動した。

 そのルミアが、何故か遠くに行ってしまうような気がして……システィーナは声をかける。

 

「ダ……ダメよ……ルミア……行ったら殺されちゃう……」

 

「大丈夫だよ、システィ。きっとグレン先生がみんなを助けてくれるから……」

 

 しかし、ルミアの言葉には不思議な諦観を感じる。

 ここでグレンの名が出たのは、3年前の出来事を知っている信一にとって納得はできる。しかし、そのグレンが助けてくれると言った『みんな』にルミア自身は含まれているのだろうか?

 

 答えは否だ。彼女の目は、自分が助かることを諦めていた。

 

 それでもルミアはシスティーナを安心させる為に手を握ろうとするが……

 

「触るな。貴女が魔術師に触ることは許さん」

 

 紳士然とした男がどこからか取り出した剣でそれを阻む。

 

 何故なのか、それはルミア自身がよく理解している様子だった。やはり自分は助からないな、と諦めのため息を吐いてシスティーナと信一に微笑みかける。

 

「あ、そのグレンって奴なら来ないぜ。もう俺らの仲間がブッ殺したからさぁ」

 

 そんな彼女の小さな希望すら、ジンの軽薄な声に打ち消される。

 この狂人の口から出た、虫を殺したことを報告するような声音。それが今はなによりも納得できる材料となっていた。

 

 生徒達の表情が絶望に染まる中、ルミアと紳士然とした男は教室を出て行った。

 

 

 

 

 

 

 

 2人が教室から出て数分間、ジンは生徒達を【マジック・ロープ】で縛り上げ、呪文の起動を封じる【スペル・シール】をかける途中で……良いことを考えたと言いたげにニヤリと笑った。

 

「おいお前、こっちに来い」

 

 縛り上げられて抵抗できないシスティーナの髪を掴み、無理矢理教壇まで連れて行く。

 

「な、何するのよっ!きゃっ!?」

 

 叫ぶシスティーナを無視して、その場に転がす。

 

「これからね、このガキを犯したいと思いま〜す。あ、もちろん男が女を組み敷いて無理矢理ってやつのほうね?」

 

 高らかに陽気な声で宣言されたことは、どう考えても女性の尊厳を踏み躙ること。

 それを聞いているクラスの女子生徒達は嫌悪感に顔を歪ませる。

 

「それで〜、もしこの子を助けたいって言う勇気ある若人は元気に手を挙げてくださ〜い。制限時間はそこの扉から俺たちが出て行くまで。あ、もちろん俺たちが出て行った後に逃げようとしたら殺すから。もし手を挙げてくれた若人には、俺との魔術決闘をする権利を与えちゃいま〜す」

 

 しかし、それに手を挙げる生徒は誰もいない。さきほど見せられた【ライトニング・ピアス】の一節詠唱、あれだけ見ればこの男がどれだけ魔術戦に優れた魔術師かは理解できる。

 

 ここでこの男に挑んでも死ぬだけ。そんな未来がアリアリと浮かんでいた。

 

「あれ〜、いないのかな〜?じゃあこのガキが男子生徒諸君にサービスしてあげよう!」

 

 システィーナは何も言えないでいる。ここで誰も助けてくれなければ、自分の純潔は理不尽に汚される。だが、助けに入ればその人が死んでしまう。

 

 おいそれと助けてなんて言えない。

 

 そんな彼女の気持ちなど1つも理解しようとせずに、ジンは教室で座っている生徒達の方向にシスティーナの足を向けた。

 そして、システィーナのスカートをどんどんめくり上げていく。

 

「や…やめて……やめ……て…」

 

「ひひ!綺麗な肌じゃん!ほら、クラスの連中に見てもらえよ!」

 

 下着があろうと、自分の秘部を晒される恥辱。それは年頃の少女にとって到底耐えられるものではなかった。

 

「お願い………やめて……やめて…ください………」

 

「ぎゃはははっ!!———うぶっ!?」

 

 下品で聴くに耐えない笑いを響かせながらシスティーナの泣き顔を楽しむジンの顔に、革製の手袋が当たる。

 

「へぇ……誰?これ投げたの?」

 

 ジンの表情が怒りに変わった。正直、助けに入る奴なんていないと思っていたし、何よりこの少女の怯える顔は自分の情欲をどこまでも昂ぶらせてくれるものだった。

 

 それを邪魔されたのだ。

 

「俺です。貴方に魔術決闘を申し込みます」

 

 そう言って立ち上がったのは……刀を一振り、縛られた両手で握っている信一だ。

 

 別に信一は、恐怖に怯えて今まで行動に移れなかったわけではない。この男がシスティーナと一緒に教室を出た瞬間、扉越しに男の心臓を貫いてやろうとタイミングを見計らっていたのだ。

 しかし、予定が狂った。この男のふざけた余興のせいでそれができなくなってしまった。

 

 だがそれについて特に悔やむことはない。

 システィーナが涙を流している。それだけで、信一が命を張る理由はできているのだから。

 

「《ズドン》」

 

「………………………」

 

 突如何の前振りもなく信一の頭部を狙った【ライトニング・ピアス】が放たれる。しかし、それを首を傾けるだけで回避してみせた。

 

 特に今の行動を気にせず、信一は微笑みながらジンに問いかける。

 

「勝負の内容はどうしますか?一応俺から投げたのであなたが決める権利がありますが?」

 

「お前が決めていいよ、坊ちゃん。そのくらいのハンデはくれてやるよ。ほら、お兄サン優しいから」

 

「それは助かります」

 

 口調そのものは穏やかだが、信一の心中は嵐のように怒りと殺意が渦巻いていた。

 

 システィーナを泣かした。システィーナを辱めた。システィーナに汚い手で触れた。

 

 だからこそ、この男は殺す。もちろん地獄の苦痛を与えて。

 その為にはまず、どうすればいいか。すぐに考えは纏まった。

 

「じゃあ、俺がこの刀を貴方に当てたら俺の勝ち。それを阻止したら貴方の勝ち。使用する魔術はなんでもいい。これでどうですか?」

 

「はっ!バカだね坊ちゃん。そんなの俺が有利に決まってるじゃねぇか」

 

「そうなるようにしてあげたんですよ。———お前みたいな三下、そのくらいのハンデがないと俺に太刀打ちなんてできないしね」

 

「あ?」

 

 直後、信一の目つきが変わる。相手に何の価値も見出していない、そんな目。

 挑発的な物言いに、ジンは青筋を立てた。だが、これも信一の狙いだ。冷静さを失ってくれるならラッキー。

 なにより、自分の優位性を信じて疑わない者のプライドをへし折るのは快感だ。憎い相手ならなおさら。

 

「お前みたいな三流魔術師、俺でも勝てるね。たかが【ライトニング・ピアス】()()()、一節詠唱できるくらいで得意になってるだけのお子様だよ。いい歳こいたお兄サンが恥ずかしくないの?」

 

「———《ズドン》《ズドン》《ズドン》」

 

 ジンはもはや信一の言葉には取り合わず、即座に殺す決断を下した。

 

 さきほど信一が【ライトニング・ピアス】を避けたのは偶然じゃない。あれは読んだのだ。

 最初にシスティーナに向けて撃った時、2度目に放とうとした時、どちらも頭部を狙っていた。

 

 だからこそ、また頭部を狙ってくると読んでいた。

 

 しかし、今回は違う。【ライトニング・ピアス】の3連撃。しかも腿、心臓、喉とどこに当たっても行動不能になる箇所を正確に狙っている。

 

【ショック・ボルト】にも似た、しかし【ショック・ボルト】とは比べ物にならない威力の紫電が信一に向かう。防ぐことなど不可能。避けることも不可能。

 この場にいる誰もが次の瞬間、信一の死を予感した。

 

 そんな中、信一は小さく一言呟く。

 

「《()くあれ》」

 

 その瞬間信一の足下の床が爆ぜ、紫電が信一を貫いていく。

 

 

 

 

 

 

「———え?」

 

 

 

 

 

 そんな間抜けな声が()()から上がった。

 自分の視界が右方向に傾いているのだ。軽い浮遊感と共に。

 

 倒れている。何かバランスを崩すような物を踏んだのかと思い、右足を見ると……そこにあるはずのもの()()()()()()()()

 

 ジンの背後では、刀を振り抜いた姿勢の信一が幽鬼の如く佇んでいる。その顔のすぐ横を、誰かの右足が舞っていた。




はい、どうでしたか?

やっと書きたい描写が書けましたよ。嬉ぴー!!

ということで、本格的な戦闘シーンは次回から。
感想や評価、お気に入り登録はいつでもしていいんだぜ……(チラチラ)


目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

第7話 迅速に雷の如く

いやぁ、6月ですね。6月って祝日何もないから小中高生や社会人の方々には辛い時期ですよね。

まぁ、自分はそのどれにも当てはまらないのでいいんですが(笑)

そんな作者の悩み、聞いてください。





エアコンが臭い!!


「《疾くあれ》」

 

 バチイイイィィィ——……ッ!

 

 頭の中で雷が弾けたような音が鳴り、それと同時に身体が変わっていくのを感じる。

 

 バキバキバキッと背骨を中心に肩、背中、脚……身体中の筋繊維が絞られ、視野は全能者になったかのような広さを見せる。

 

 ……とりあえず3割かな。全力()3割

 

 迫る三閃の雷撃が、ひどくゆったりと動いている。狙いは喉、心臓、腿。

 

 さきほどのように体の一部を動かせば回避できる箇所への攻撃ではない。正確で精密な狙い。動かなければ寸分違わず自分の体に穴を空けるだろう。

 

 だが……遅い。

 

 どんな強固な鎧も盾も意味を為さず、問答無用で貫く雷槍。防御は不可能。当たれば即死。

 

 だがやはり……遅い。

 

 刀を脇構えにして、両足の筋肉だけで一歩目を踏み込む。

 今まで足を置いていた床は爆ぜたが、なんの問題もない。

 

 そんな場所は()()()()だ。一瞬右側に的を失った雷槍も見えたが、どうでもいい。

 

 目の前の男。システィーナを泣かし、辱め、尊厳を踏み躙った人間。

 まずはその右足を刈り取る。

 

 刀を振るい、予定通りその右足を斬り飛ばした。ドブ水よりも汚いと思える血が舞い、生ゴミ(右足)が自分の顔の横を飛んでいる。

 

「———えっ?」

 

 間抜けな声が聞こえるが、特に耳を貸す必要もないだろう。

 

 振り返り様に斬り上げを放ち、無様に体を回してこちらに向いた左腕を肩口から斬り飛ばす。

 

「遅いんだよ、三下」

 

 一言、自分でも驚くくらい冷たい声が口をついた。

 それと同時に男の体を飛び越えて、重力に従いながら残った右腕を斬り落とす。

 

 ここまで斬り刻んで思い至る。この立ち位置では男の返り血をシスティーナが浴びてしまう。

 何者にも汚すことを許されない美しい主の体に汚物を浴びせるわけにはいかない。

 

 その場で自らの体を二回転。回し蹴りを4発放つ。1発目が男を教室の扉まで蹴り飛ばし、続く3発でそれぞれ切断した肢体を同じ場所まで送った。

 

 美しさすら覚える迅速で雷の如く目にも止まらない解体劇。その様相はまさに、【迅雷】と呼ぶにふさわしいものだ。

 

 

 

 

 

「ふぅ……」

 

 血がべっとりと付いた刀を握りながら、信一は一仕事終えたようなため息をついた。

 

 教室の扉付近では、さきほどまでシスティーナを辱めていた男が欠損した部分から血を噴き出している。ほんの3秒ほど前までは信一が立っていた場所に五体満足でいたはずなのに。

 

「ごめん、誰かそいつに【ライフ・アップ】かけてあげて。聞きたいことがあるから死なれると困るんだ」

 

 男をそんな様にした信一の口調は……いつもと変わらない。

 馬鹿と言われればムキになり、いつも魔術の学習にやる気がなく、だが不思議と親切で子どもっぽいいつもの口調の信一の姿にクラス一同は狂気を感じた。

 

 クラスメイト達のそんな心情など知らず、信一は誰も動かないことに首を傾げる。

 

 いつもなら自分の頼み事を笑顔で了承してくれるみんなが今は怯えた顔をしている。おかしい、みんなを怯えさせた男は無力化したはずなのに。オカシイナ。

 

「えっと、急かして悪いんだけど動いてくれるかな?早くしないと失血死しちゃうからさ」

 

 そこまで言って、やっとクラスメイトが動いた。3人がかりでジンに白魔【ライフ・アップ】をかけてやってる。

 

【ライフ・アップ】は自己治癒力を上げる魔術なので、欠損した手足が生えてくることはない。ただ皮膚がその場所を覆い、血管などを繋ぐだけだ。

 

 それを見届けた信一は刀を空中で1回転させ、その回転を利用して自分の手首を縛っている【マジック・ロープ】を切り、今なお何が起きたかわからないと言ったように目を丸くしているシスティーナを跪いて優しく抱きしめる。

 彼女の耳を自分の左胸———心臓部分に当て、自分の鼓動を聞かせてやりながら慈愛に満ちた手つきで頭を撫でる。

 

「遅れて申し訳ございません、お嬢様。よく頑張りましたね」

 

 よしよし、と親が初めて1人で留守番をした子どもを褒めるように。安心させるように。

 

 それでやっとシスティーナは自分が助かったことを自覚する。

 信一の鼓動を聞いて安心してきたのか、途端に涙が溢れてきた。

 

「うぅ……ヒグ…エグ……」

 

「もう大丈夫です」

 

 背中をポンポンと軽く叩いてあげれば、システィーナも背中に手を回して思いきり抱き着いてくる。

 いつもキリッとしたシスティーナの変わりように、特に信一は驚くことはない。以前も泣いたシスティーナを見たし、その時も慰めた。

 

「さて……すみません、お嬢様。俺はこれからルミアさんを連れ戻してきます」

 

 システィーナが落ち着いてきたのを見計らって、信一は体を離す。

 

 もうシスティーナは助けた。だが、ルミアはまだだ。もしかしたら今この時、ルミアが慰み者にされている可能性すらある。

 そうでなくとも、苦痛を与えられているかもしれない。

 

 信一は一度自分の席まで戻り、布袋からもう一振りの刀を鞘ごと取り出す。ついでに懐紙も3枚取り出し、2枚をポケットに。残った1枚で今刀に付着している血糊を拭う。

 

「信一」

 

「なんですか?」

 

「私も行く!私も……ルミアを助けに……」

 

「ダメです。危険過ぎます」

 

 こればっかりはいくらシスティーナの言葉でも聞いてやることはできない。今から戦う相手は降参すれば危害を加えてこない生徒でもチンピラでもない。

 

 正真正銘、目的の為なら人を殺す事になんの躊躇いも持たない連中なのだ。

 

 それを伝えようとシスティーナに振り向くと……またも彼女は涙を浮かべていた。

 

「私……悔しくて……」

 

「…………………………」

 

「先生の言う通りだった……魔術なんて…ロクなものじゃない……こんなもののせいで……ルミアが……」

 

「ダメですよ、お嬢様」

 

 言葉通り悔しそうに言葉を紡ぐシスティーナ。それを信一は遮る。

 

「『魔術は偉大で崇高なもの』。お嬢様はそう言い張ると言ったじゃないですか」

 

「え……?」

 

「お嬢様は正しいんです。だから俺はそれを証明します」

 

「どうやって……?」

 

 正論に対し、それを覆すように放たれるものが反論とされる。

 

 この正論(システィーナ)を覆さないように、反論をさせないようにする手段は確かに存在する。簡単な話だ。反論する者を消せばいい。

 

 つまり……

 

「———こいつらを殺します」

 

 信一がそれを口にした瞬間、教室の空気が底冷えしたような錯覚を覚える。

『殺す』という言葉をなんの感慨もなく使ったこと……ではない。

 

 それを実行することに、この朝比奈信一という男は何も感じてないのだ。

 

「フィーベル邸に住む方々に害を為す者は、生きる価値なんてありませんから」

 

 にっこりと、いつものように笑う。優しく、安心させてくれる微笑み。いつも通りの笑顔。

 

「ごめん、信一。でもやっぱり……私もルミアを助けたい!」

 

「ダメです」

 

「足手まといになるようなら捨てて行ってくれても構わないから!」

 

「…………………………」

 

「だからお願い!私もルミアを……家族を助けたいの!!」

 

「———っ!?」

 

 それは卑怯だ。その言葉を言われてしまったら……自分は了承しなくてはならない。

 

『家族を助けたい』という気持ち。そして助けられなかった気持ち。どちらも自分は知っているのだから。

 

「……1つ、約束してください」

 

「なに?」

 

「“絶対に俺から離れないこと”。それが条件です」

 

「わかった」

 

 真っ直ぐにこちらの目を見て答えるシスティーナ。敬愛する主の目を見て、内心で深くため息を吐く。

 

 ……こういう人だったね。でも、こういう人だからこそ俺は———

 

 自分の全てを投げ捨ててでも守りたいと思うのだ。

 

「それでは手始めに敵の情報とルミアさんの居場所を聞き出しましょう」

 

 信一は優しさ溢れる微笑みを一気に冷たい微笑みに変えて、床に転がるジンに向ける。

 

 

 

 

 

 

 

 

 廊下にジンと、ついでに切断した肢体を蹴り出して教室の扉を閉める。

 

 これから行うことを、ただ巻き込まれただけのクラスメイト達に見せるのは気が引けた。

 

「くくく……」

 

「…………………?」

 

 足元で転がるジンが突然笑い出したことで信一はそちらに注意を向ける。

 

「お前、まともなガキじゃねぇだろ?たぶんこっち側の人間だ」

 

「…………」

 

「俺らと同じ外道だ……がぼぉっ!?」

 

 ジンが可笑しそうに話す途中で、信一は左手に持っている刀を鞘ごと口に突っ込む。

 

「黙れ。誰がしゃべって良いって言ったのかな?」

 

 両手を失っているジンは苦しそうにもがくだけで何もできない。その光景を数十秒ほど眺めて、刀を口から抜いてやる。

 

「ゴホゲホゲホっ……てめぇ……」

 

 今の衝撃で折れた歯がボロボロと口の端から零れ落ちているが、恨めしそうにこちらを睨んでいるジンは特に気にしている様子はなかった。

 

「何か勘違いしてると思うから言っとくね?俺、今あんたの事を人間扱いする気ないから」

 

 冷たい目をしている。ジンに対してどこまでも無価値だと感じている冷たい目。

 

 今の信一は彼の人権を尊重するつもりも、人道的で倫理的な措置をするつもりもなかった。

 ただ、自分の質問に答える為に生かしている人の形をした肉塊。その程度の認識だ。

 

「まぁわかってると思うけど、これからあんたの事を拷問しようと思う。できるだけ早くに答えてね?」

 

 そう言ってジンの残った左足のふくらはぎに刀を刺し込む。

 

「ぐあぁ!」

 

 悲鳴を上げるが、信一はいつもの笑顔を浮かべるだけで特に気にしない。

 

「まず1つ目。あんたらの目的は何?どうしてルミアさんを攫おうとしたの?」

 

「……………………………」

 

 だんまりを決め込むジン。数秒待っても答えが返ってこないので刀をふくらはぎから抜く。

 

「よっ……と」

 

「うぐっ………あぁ…っ!」

 

 バキャッ!と音が鳴り、ジンの足首が本来なら曲がらない角度まで曲がる。

 今度は刀を耳に添え、もう一度同じ質問。

 

「はっ、言うわけねぇだろ」

 

「ふぅん」

 

 口答えされたので、容赦無く耳を斬り落とす。ボタボタと止め処なく血が流れ落ちているが、このくらいなら失血死の心配はないだろうと処置をせずにまた同じ質問を続ける。

 

 その一方的な拷問の光景を、システィーナは顔を青くしながら見ていた。

 信一の表情はいつもと変わらない。毎日見ている優しい微笑みを顔に貼り付けている。

 

 だがその表情で行なっているのは、おやつを作るのでも、お茶を淹れるのでもない。

 人権、倫理、道徳、そんなものなど知らないと言ったように。子どもが無邪気に虫の羽をちぎるように人を傷つけている。

 

 バシュゥと鈍い音がなり、靴越しに足の指が2本斬り飛ばされた。ジンの苦悶の悲鳴が上がるが、信一の口調と表情になんの変化もない。

 

「う〜ん……弱ったなぁ。どうしたもんか」

 

「ハァ……ハァ……へ、もう諦めろよ」

 

「うるさい」

 

「ぐっ!?あぁ……」

 

 グシャアァ——ッ!

 

 足の小指を思い切り踏み潰し、その部分から血が広がっていく。

 

 もはやジンの体は無傷な場所を探す方が困難な程ひどい有り様になっていた。だが、信一の手が休む事はない。

 

 残された足の指を折り、膝の関節を破壊し、背中の皮を剥がす。

 

 ここまでされれば、もはやジンの精神は削られ切っていた。

 そんな彼の心情など関係ないと言わんばかりに、抉り取った右目を自らに食べさせようとした時だ。

 

「も…もう……勘弁してくれ……」

 

「ん?質問に答える以外はしゃべっちゃダメだよ」

 

「ぐあぁぁぁぁっ!!」

 

 最初に刺し込んだふくらはぎにもう一度刀を突っ込み、グチャグチャとかき混ぜるようにすると血の汚い音が響いていた。

 

「じゃあ、質問に答えてもらおうかな。ルミアさんを攫った目的は?」

 

「そ…組織の命令だ」

 

「なるほど。ちなみに組織の名前はなんて言うの?」

 

「“天の智慧研究会”……」

 

「マジか……」

 

 “天の智慧研究会”。それは、帝国有史時代から国に敵対してきた外道魔術師集団だ。

 “天の智慧研究会”に所属する者が真に優秀な魔術師であり、それ以外は有象無象の塵芥。魔術の発展の為ならどんな犠牲も厭わない最低最悪の外道ども。

 

「それじゃあ、あんたの仲間たちの情報をちょうだい。とりあえずさっき一緒に入ってきた奴のから」

 

「…………名前はレイク」

 

「それ以外も」

 

「ぐがぁっ!」

 

 肩に刀を刺し、軽く持ち上げて顔から床に落とす。両手のないジンはそれを受けるしかない。

 

「くぁ……お…主に使う魔術は……」

 

「ん?なんだあれ?」

 

 ジンが紳士然とした男———レイクの情報を吐こうとした瞬間、その場に魔力の共鳴音が鳴り響いた。周囲を見渡すと、信一たちを囲むように空間が歪んでいる。

 そして、その揺らぎから二足歩行の骸骨がぞろぞろと出てきた。手には剣と盾を持っている。

 

「やっとお出ましだぁ!レイクの兄貴お得意、召喚【コール・ファミリア】」

 

 さきほどまでの様子はどこへやら。ジンが威勢を取り戻し、歓声をあげる。

 

「チッ……お嬢様、走ってください!」

 

 一目でこの骸骨———ゴーレム達の運動能力の高さを見抜き、信一はすかさずシスティーナを促す。

 それと同時にジンの残った左足を斬り落とし、左手の刀の鞘にジンの襟を引っ掛けて走り出す。

 

 この男にはまだ利用価値があり、手元に置いておきたい。用済みになればすぐにでも捨てるが、まだ情報を持っている。なにより、まだルミアがどこにいるか聞き出してないのだ。

 

「クソッ」

 

 どうやらゴーレム達は見える範囲の敵しか襲わないようで、教室に入っていくことはしない。それが唯一の救いだが、逆に言えばそれしか救いがない。

 

「《疾くあれ》」

 

 バチイィィィィィ———ッ!

 

 頭の中で雷が弾けるような音が響く。

 

 進行方向を塞ぐように立ちはだかる三体のゴーレム。

 

 まずは一体目の胴体に渾身のドロップキックを見舞い、反作用の勢いで後方宙返り。一体目の横にいたゴーレムの脳天に宙返りの勢いを乗せた膝蹴りを叩き込む。

 

 二体がバラバラに砕けたことでゴーレム達が持っていた剣が持ち主を失い空中を彷徨う中、タイミング良く剣の柄尻を押し込むように蹴り込み、即席の矢で三体目のゴーレムを射抜いた。

 

「お嬢様、この階では戦えません。上の階に向かいます」

 

「わかった」

 

 騒ぎを聞きつけて教室からクラスメイト達が出てこられては敵わない。さすがにあの数のゴーレムの中彼等まで守ってやれるほど信一は強くない。

 

「あまり刀は使いたくないなぁ……」

 

 苦々しい表情でひとりごちる。蹴った感触でわかったが、このゴーレム達はかなり堅い。斬ることが目的の刀ではすぐに刃こぼれが起きてしまい、最悪折れてしまうだろう。

 

 だが、絶体絶命というわけではない。

 

 ゴーレムを三体倒す時に使った【迅雷】のおかげで、この有象無象を一掃する技を思いついていた。

 

 普段の自分なら絶対にできない技。しかし、【迅雷】を使った状態の自分なら可能だ。迅速に雷の如く、この骸骨共を一掃できる。

 

「ちょっと失礼しますね」

 

「え……うわぁっ!?」

 

 右手に持っていた刀を逆手に持ち直し、システィーナを脇に抱える。女性の抱き方については0点だが、今は仕方ないだろう。なにより、0点なんてものは慣れ親しんだ点数だ。

 

 もう一度【迅雷】を使い、階段の壁を三角飛びの要領で蹴る。一歩で踊り場まで辿り着きまた同じようにして上の階に飛ぶ。

 

「信一!こっち行き止まりよ!」

 

「問題ありません」

 

 システィーナの言う通り、袋小路になった行き止まりまで辿り着いてしまった。

 だが、これで良い。狭い廊下。天井もそこまで高くない。ここなら———できる。

 

 振り向くと、ちょうどゴーレムの先頭が階段を登りきったところだった。

 信一は左手の刀の鞘をジンごと捨て、二刀をダラリと垂らす。

 

「フゥゥゥ……」

 

 大きく息を吸い、深く吐き出して静かにゴーレム達を見据えた。

 

 垂らしていた二刀を肩に担ぎ、さらに体を弓なりに仰け反らせていく。まさに弓を引き絞るかのように背骨の限界まで反らしていき、一言。

 

「《失せろ》」

 

 即興で呪文を改変し、【迅雷】を起動。さらに体は反り、ゴーレムの持つ剣が信一に届く距離まで来た時だ。

 二刀を目にも止まらぬ速さで振り下ろした。

 

 

 

 ドォォォォォッオオオオォォォォンッッッ——!

 

 

【迅雷】を用いて全力で振るわれた刀の先端は超音速にまで達し、衝撃波を生み出した。

 

 技と言うにはどこまでも荒っぽく、粗野で野蛮なもの。術理など無く、ただ刀を二本全力で振り回しただけのものだ。

 

 だが、侮るなかれ。

 

 それが生み出す威力は廊下の床を削ぎ、窓ガラスを全て粉微塵にまで割り、全てのゴーレムを信一達とは逆側の突き当たりまで吹き飛ばして例外無く粉々にした。

 

「あちちち……」

 

 そんな恐ろしい技を放った信一は音速を超えたことで空気との摩擦が肘から下の袖部分を燃やしてしまい、その消火活動に勤しんでいた。

 ブンブン腕を振り回したり、フゥーフゥーと息を吹きかけて頑張っている。

 

「信一……今の……」

 

「う〜ん……『風刄(ふうじん)』ってところですか?」

 

「いや、技の名前とかじゃなくて」

 

「あ、すみませんお嬢様。【ライフ・アップ】かけてくれませんか?火傷しちゃいまして……」

 

 たはは〜といつも通り笑う信一は……本当にいつも通りの信一だ。

 マイペースに笑いながら空気の摩擦で火傷を負った腕を差し出してくる。

 

 この一瞬だけ、システィーナとジンの感想は一致していた。

 

 ———この男は……一体何者なんだ?




はい、どうしでしたか?

書いてて思いましたけど、……信一怖くね?
笑って拷問するとか結構頭がトンでますね。やばいです。

Q.どうして『風刄』の“刄”が“刃”ではないのか?
A.だってこっちの方が字面的にかっこいいんだもん

ということで、感想や評価をしてくれると作者が狂喜乱舞するのでオススメです。読者様へのメリット?


なんもねぇべ


目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

第8話 そして少年は意識を手放した

はい、こんにちは!こんにちは?もしくはおはようございます?

ハーメルンの原作カテゴリに“ロクアカ”が表示されましたね。嬉しい限りです。
アニメもいい感じに盛り上がってますしね。照れるシスティまじ可愛いんじゃあぁぁぁ!!


 システィーナに【ライフ・アップ】をかけてもらいながら思考する。

 その対象はゴーレムを大量に召喚したあの紳士然とした男———レイクについてだ。

 

 あの尋常ではないゴーレムの数。

 

 召喚魔術【コール・ファミリア】は本来小動物などの使い魔を呼び出す、大して脅威の大きくない術のはずだ。

 あのゴーレムが使い魔だとして、それに戦闘能力を持たせるだけに飽き足らず武装まで付けてあの堅さ。

 これだけの要素を鑑みれば、レイクが凄腕の超一流魔術師であることは疑いようもない。

 

 そして、そんな凄腕の超一流魔術師であるレイクの攻撃手段がアレだけとは考えにくい。その情報を足元に転がっているジンに聞いてもいいが、百聞は一見にしかず。一度見たほうが戦いになった時は有利に動けるだろう。

 

 ……クラスのみんなに一度逃げてもらおうかな?

 

 まだ学生とは言え、魔術師の卵。足元を掬われる可能性がある彼らだからこそ、わざわざジンを見張りにつけてまで教室に閉じ込めたはずだ。

 だからこそ、一度彼らにバラバラに逃げてもらってレイクがそれに対処する様子を観察する。そうすれば———

 

「ははっ…………」

 

 そこまで考えて自嘲の笑いが口から零れた。

 

 自分も結局、このテロリスト達と同じだ。システィーナやルミアを守る為に1年とはいえ友人として過ごした者たちの命を使い潰そうとしている。

 ここ3年ほど彼女達と共にフィーベル家で過ごした優しい日常のおかげで、自分が真っ当な人間になれていたと思っていたのに。

 

 自分が人の命をなんとも思わない異常者だということくらい、わかっていたはずだ。自惚れも甚だしい。

 

 それにクラスメイトの命を使い潰して2人を守り抜いたところで、心優しい彼女達が泣かないはずがない。

 それは自分が1番避けなければならないことだ。

 

 ……やっぱり俺が殺すしかないか。

 

 結局これが今の自分の中では正解らしい。

 考えがまとまったところで、ちょうど治療も終わったようだった。

 

「はい、できたわよ。少し痕が残っちゃうと思うけど」

 

「ありがとうございます。怪我が治ればそれでいいので、気にしないでください」

 

「ルミアなら……もっと綺麗に治せるんだけどね」

 

 悲痛な面持ちで信一の腕にかざしていた両手を引くシスティーナ。火傷の治った腕の調子を確かめるように手を閉じたり開いたりしながら信一はそんなシスティーナに笑いかける。

 

「これはお嬢様を守った名誉の傷ですので消す必要はありませんよ」

 

「でも……」

 

「それに、今はそんなことを悔やんでる場合じゃありません」

 

 優しく諭すような声音で告げる信一の言葉に、システィーナはハッとする。

 確かに、まだルミアを連れ戻すという目的が達成されてはいないのだ。信一の腕の痕は痛々しいが、それは後でルミアの得意な法医呪文(ヒーラースペル)でさっぱり消してしまえばいい。

 

 今優先すべきはルミアの奪還だ。それを理解したシスティーナは力強く頷く。

 

「さてと……じゃあ、拷問の続きといこうか」

 

「ひぃ……っ!?」

 

 信一は床に転がっているジンに、冷たい微笑を向けた。

 

 だが、ジンの姿を見て困ったように眉根を下げる。

 もはやどう拷問しようか迷うくらいにジンの体は傷だらけだった。

 

 残っていた左足もゴーレムから逃げる為に斬り落としてしまったし、右目は抉り取ってしまった。両耳もなく、鼻は削げている。

 

 だが、その心配は杞憂に終わった。信一の冷笑を見た瞬間、ジンが自分からペラペラ話し出したのだ。

 

「ル、ルミアって子ならこの学園にある転送塔ってところにいる!」

 

「なんでそんな場所に?」

 

 転送塔は学院の敷地にある、妙に高い塔のこと。ここには転送方陣があり、馬車なら何日もかかる帝都に一瞬で移動できる。

 昨日の夜、この魔術学院の教授や講師をこれを使って帝都で行われる学会に行ってしまい、今日このフェジテにいる学院の講師はグレン1人。

 

 しかし、そのグレンもこの男の話では死んでしまったらしい。

 

 転送塔にルミアがいるということは、その転送方陣にも細工されているだろう。わざわざ、今日という日を狙って乗り込んで来たテロリスト達だ。そんなところで細工をしないなんていうミスを犯すような間抜けではない。

 

「ルミアって子をある場所に送る為だ」

 

「ある場所っていうのは?」

 

「知らない!本当だ!信じてくれ!!」

 

 必死の形相で叫ぶジンが嘘をついているそぶりはない。とりあえずは信じていいだろう。

 

 学院にある転送塔を使い、どこかへ飛ぶ。おそらくこの男も、その仲間達も一緒にそれでここから脱出するつもりだ。ということは、外部からこの学院に侵入する手段はないということだろう。その逆もまた然り。

 

 ここまでのことを今日という1日で行う。それはさすがにポッと来ただけのテロリストには不可能だ。

 

 つまり、この学院に協力者がいる。

 

 ここまで考えて、まずは自分のクラスメイトを思い浮かべるが……天の智慧研究会なんていう歴史の教科書に載っているようなある意味歴史ある魔術師集団に属する者が魔術を学ぶ生徒役になるだろうか?しかも、生徒は4年で卒業してしまう。

 これでは人員の無駄遣いだ。有史以来、国と対立してきた集団がそんな無駄なことをするはずがない。

 

 では、残る可能性は……

 

「ねぇ、この学院の講師か教授、事務員や清掃員でもいい。協力者がいるよね?」

 

 刀をまだ残っている左目に向け、脅す。そこに罪悪感はまったく無い。

 

「あ、あぁ!いる!」

 

「その協力者の名前は?」

 

「そいつの名前は———」

 

 ジンが協力者の名前を言おうとした瞬間、別の棟から眩い光が轟音を立てて駆け抜けた。

 

「【イクスティンクション・レイ】ッ!?あんな高等呪文…誰が……?」

 

 その光は個人が使用する最高峰の威力を持つ呪文。神さえ殺す術。

 

 それがこんな場所で放たれたのだ。ジンの話ではルミアは転送塔にいるらしいので彼女に被害はないと思うが、では誰がそれを放ったのか。

 

「ねぇ、レイクっていうあんたの仲間。【イクスティンクション・レイ】は撃てる?」

 

「いや……いくらレイクの兄貴でもあんなもん呪文は使えねぇ」

 

「他の奴は?」

 

「今日ここに来た仲間の中にはいないはずだ……」

 

 つまり、テロリスト連中以外の誰かがあれをぶっ放したということだ。

 

 少し希望が見えた気がする。自分達に味方がいるかもしれない。

 

「お嬢様、あの場所に向かいます。走れますか?」

 

「わ、わかったわ」

 

【イクスティンクション・レイ】の存在に目を見開いていたシスティーナを我に帰らせ、ジンを刀の峰に引っ掛けて走り出した。

 

 

 

 

 ゴーレム達を一掃するために【イクスティンクション・レイ】を放ち、魔力切れで土色の顔色になりながらもグレンは自分に()()()()()を避ける。

 

 相手の厄介な魔導器。フワフワと浮く5本の剣のうち、3本は自動で攻撃し、2本は術者の意思で動く隙のない剣技。

 

「チッ!…この!」

 

 相手の隙を見てなんとか起動した【ウェポン・エンチャント】を使い、拳を強化して2本の剣を捌く。

 

「うおっとぉ!!」

 

 だが2本目と全く同じ軌道で隠れていた3本目には反応が遅れ、上体を反らしてなんとか避けた。

 

「終わりだ。グレン=レーダス」

 

 レイクはそう言い放ち、自分が操作している1本を腹部に狙いをつけて飛ばす。グレンの姿勢を考え、1番効果的である一撃。

 

 しかし、グレンもその程度では終わらない。

 

「おんっどりやぁぁぁぁ!!」

 

 バゴゥッ!

 

 反らした体をそのまま後ろに倒し、バク転を駆使してサマーソルトキックを放つ。グレンの足はなんとかそれを弾き飛ばした。

 

 だが、先の避けた3本がバク転で態勢を崩したグレンに殺到して……

 

「チッ……」

 

 これは避けられないと悟る。両手を床についてる状態で弾き飛ばすのは無理だ。

 目の前に迫る剣がスローモーションに見える。魔導器として運用する為に刻まれた紋様までくっきりと。

 

 そして、理解する。自分は死ぬと。

 

 ……やっぱり…働くなんてロクでもねぇな。

 

 死ぬ寸前まで、労働という義務に憎まれ口を叩きながらここ2週間のことが頭をよぎった。

 

 いつも自分に噛み付いてくる猫のような銀髪の少女。

 そんな少女をまぁまぁと窘める金髪の少女。

 その2人を優しく見守る元同僚の息子。

 

 なんだかんだ言って、悪くない時間と思えた。血生臭い世界の住人である自分がまともになれたと勘違いしてしまうほどに。なんてことのない日向の世界の住人に自分はなれたんだと自惚れてしまうほどに。

 

 ……あぁ、やっぱり———死にたくねぇなぁ。

 

 迫る剣はもう目の前まで来ていた。1本は首を抉り、1本は心臓を抉り、最後の1本は首を飛ばすだろう。

 

 ……ちくしょう———

 

 せめて恐怖から逃れる為にグレンは目を閉じる。たった2週間の日向の世界で過ごす時間は……もう終わりなのだ。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「いいぃぃぃよいしょおおぉぉぉぉぉぉ!!」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 生への執着にも諦めがついた瞬間、間抜けな声と共に自分の足に『何か』が激突した。その衝撃で体が倒れ、すっ転ぶ。刹那、頭上を3本の剣が通過していった。

 

「「 ぐはぁっ!? 」」

 

 足にぶつかった『何か』は自分と同じように悲鳴を上げて床に転がっている。

 

「んだよ……いきなり」

 

 その『何か』を確認する。それは———両手両足を無くした黒衣の男だ。レイクと同じローブを纏ってはいるが、耳は無く、鼻は削げ、片目は抉り取られている。

 

 それが床を恐ろしい速度で滑り、自分の足に激突したのだ。どう考えても第三者の力がなければああはならない。

 その第三者———さきほどの間抜けな声の発信源は……レイクの後ろにいた。

 

「《疾くあれ》」

 

 銀髪の少女を脇に抱えながら呪文と共に片手の刀で斬りかかる。

 

「フッ……」

 

 速すぎてまったく見えない一閃がレイクの首を斬り裂こうとするが、それを半歩だけ移動してあっさり避けられる。

 初めからそれで決まるとは思っていなかったらしく、そのまま通り過ぎてグレンの目の前まで来た。

 

「やぁ、グレン先生。生きてたんですね」

 

「信一……それに白猫も……」

 

 抱えていたシスティーナをそっと下ろし、グレンに笑いかける信一。

 その表情はいつも通りであり、殺し合いを行なっているこの場において最も相応しくない。

 

 そのはずなのに……何故かこの少年の笑顔に違和感を感じない。殺し合いを楽しむでもなく、これが自分の日常だと言いたげな顔だ。

 

 だが、そんな悠長な考えは一瞬で霧散した。信一を狙って後ろから迫る剣が2本見えたからだ。

 

「おっと危ない」

 

 信一は振り返りながら両手の刀を逆手に持ち変え、危なげなく柄を用いてシスティーナとグレンに当たらないよう受け流した。

 

「ふむ……。何者だ、少年?」

 

 レイクはその一撃で信一の技量を見抜いたらしい。警戒心を全開にして睨み据えてきた。

 

 しかし、信一はヘラヘラと笑うだけ。相手の問いに答えるようなことはしない。

 

「グレン先生、あの浮いてる剣は?」

 

「あれはあいつの魔導器だ。3本が自律して動くが、もう2本はあいつ自身が動かしてる」

 

「なるほど」

 

 心底面倒くさそうに苦笑しながら、刀を手の中で回して順手に持ち直す。やはり、一筋縄では行かない相手のようだ。

 

 信一はレイクから目を離さずグレンに告げる。

 

「先生、お嬢様を守っていてくれますか?」

 

「ちょっと待て。もしかしなくてもお前が戦うのか?」

 

「はは、戦うんじゃないですよ。———殺すんです」

 

 そう言われた瞬間、グレンは皮膚を体の中から針で刺されるような感覚に襲われた。信一の出している殺気は心臓の弱い者ならそのまま死んでしまうほどの濃密さを誇っている。

 

 間違いなく、この歳の少年が出せる……否、出していい殺気ではない。

 

 横にいるシスティーナも、2度目となる家族の豹変に恐怖を覚えて震えてしまっている。ジンを斬り刻んだり拷問していた時のは自分の勘違いであってほしいと思っていたが、残念ながらそれは間違いだったことを理解してしまった。

 

 それを感じ取った信一は悲しそうに眉尻を下げる。できれば敬愛する主にはこのような醜い自分の姿を見せたくはなかった。

 

「話は終わったか?」

 

 3人の会話が途切れたことを察してレイクが声をかけてくる。

 

「待っててくれたの?下劣で手段を選ばないテロリストが随分と人間臭いことをするんだね?」

 

「どうせ会話の途中で仕掛けたとしても貴様は対処していただろう?わざわざ好んで魔力の無駄遣いをする必要はない」

 

「はっ!道理だね」

 

 やはりこの男は魔術師としても超一流だが、実戦で養われる観察眼も大したものだ。正直、自分には荷が重い。

 

 

 

 だが———それがなんだと言うのだ。自分の背中には守るべき人がいる。最悪、ここで負けたとしても自分が死ぬだけだ。その間にこの男を消耗させて後はグレンに任せればいいだろう。

 

 

 

 思考はそこで止めて、切り替える。自分だって死にたくはない。昏睡状態の妹を目覚めさせるという目的があるし、フィーベル家の方々に尽くし切ったとは口が裂けても言えないのだ。生きてやる事はまだたくさんある。

 

 左の刀で先ほどから床に転がっているジンを拾い上げ、レイクに向き直る。

 

「この人、返すよ」

 

 バチイイイィィィ———ッ!!

 

 頭の中で雷が弾けるような音が響き、【迅雷】を起動。

 バキッ…バキバキと絞り上げられた筋力を使ってヒョイっとジンをレイクの元に投げる。

 

 もはや変わり果てて人の形をしていないジンの姿をレイクは静かに見据える。勝手な行動を取って、あげく失敗した弟分はどうせこのまま生き延びたとしても組織に殺されるだろう。

 

 そんなジンがレイクの視界から信一を隠した瞬間———()()()()()()片刃の刀身が顔面めがけて飛び出してきた。

 

「———っ!?」

 

 咄嗟に横へ飛び避ける。しかし今度は視界の端に何かを捉えた。それは、人の足。

 

 信一がジンのうなじから延髄を貫き、避けられることを予想して回り込むような後ろ回し蹴りを放っていたのだ。

 

「くっ……」

 

 なんとか両手を使って受け流すが、その威力は人間の力が出せるものではない。

 負けじとレイクも自身の魔導器を使って頭上から自律して動く3本の剣で信一を強襲する。

 

「よっ……と」

 

 その剣の雨を、事切れているジンを持ち上げて肉壁に防いでみせた。

 

 体をその場で一回転させ、ジンから刀を抜くと同時に斬撃を二閃。横薙ぎに放ち牽制と共に刀に付いた血液をレイクの目に飛ばす。

 レイクは血液を操作する1本で防いで、残りの1本で信一のアキレス腱を斬り裂くような軌道で後ろから攻撃した。

 

 しかし———そこに既に信一はいない。

 

 血液を防ぐ為に目前にかざした剣がレイクの視界を塞いでる内にまたもや接近していた。

 

「———『刄鋏嶽(ジンキョウガク)』———」

 

 刀を鋏のように交差させて、地を這うように飛ぶ燕の如く低い姿勢で突進してきている。

 そして、一切の躊躇無くレイクの足首を切断しようと一対の刃を閉じようとするが———その交差している刃の間に血液の付いた剣が割り込んで挟めなくなってしまう……しかし、

 

 これは想定内。なんらかの手段で足への攻撃を避けるなり防ぐなりして意識が下に向いたこの瞬間、信一の『刄鋏嶽(ジンキョウガク)』は力を発揮するのだ。

 

 突進の勢いそのままに動かなくなった刀から手を離して前宙をきり、胴回しと遠心力を加えた踵落としを放つ。

 まともに食らえば首が胴体にめり込むような一撃をレイクは後ろに下がって避ける。

 

「惜しかったな、少年」

 

 今の踵落としを避けたレイクにとって、この瞬間は好機。

 信一は得物から手離し、無手の状態だ。すかさず魔導器を信一に殺到させて殺しにかかる。

 

「惜しくないよ、テロリスト」

 

 この状況でも信一は笑っていた。

 

【迅雷】特有の視野の広さと鋭敏な感覚で5本の剣がどこから迫っているかの感じ取り、体を素早く回す。

 たったそれだけの動きで5本の剣は信一をすり抜けるようにかすりもしない。

 

 一度後ろに飛びながらクラウチングスタートのような態勢を作って空中で二振りの刀を回収。システィーナとグレンの元に戻る。

 

「《炎獅子よ》」

 

 信一が下がり、3人が固まったところでレイクは呪文を一冊詠唱。

 火球を放ち、着弾地を中心に爆発を起こす軍用の攻性呪文(アサルト・スペル)、【ブレイズ・バースト】を起動して3人纏めて吹き飛ばそうという算段らしい。

 

 猛スピードで向かってくる火球に対し信一は———

 

「《消えろ》」

 

【迅雷】を起動しながら左の刀でそれを薙ぎ払った。

 

 

 

 バオオォォォォッオオォォォンン——ッ!!

 

 

 

「なにっ!?」

 

 超音速で振るわれた空間から嵐のような音と突風が発生し、火球は内側から四散。消え失せた。

 

 これにはレイクや後ろで控えていたグレンも目を見開く。

 信一は対抗呪文(カウンター・スペル)なしで呪文を打ち消し(バニッシュ)たのだ。

 

 本来魔術の起動を封じるには起動する魔術と同じ量の魔力量をぶつけて打ち消す【ディスペル・フォース】や、炎熱、冷気、電撃といった三属エネルギーをゼロ基底状態に強制的に戻して打ち消す【トライ・バニッシュ】を使う必要がある。

 

 だが、信一にそれを使った様子はない。さきほどから断続的に起動している呪文をまた行使したようである。

 では、何故信一が【ブレイズ・バースト】の火球を打ち消せたのか。

 

 これは単純な物理技に他ならない。

 

 音速を超えた速さで刀を振るい、その軌道上にある空間の大気を押しのけて真空を作る。信一が行ったのはこれだけだ。

 

【ブレイズ・バースト】の火球も何もない場所に炎が発生しているわけではない。ちゃんと空気中の酸素を燃やして火球が作られている。

 

 それに刀を通して内側から大気を押しのければ火球は簡単に四散するという寸法だ。

 ちなみに大量のゴーレムを吹き飛ばし粉々にした『風刄(フウジン)』はこの押しのけた大気でぶっ飛ばすという応用技である。

 

 落ちこぼれの一因でもある潜在的な魔力量(キャパシティ)が少ないという欠点を持つ信一が【迅雷】を起動している時にのみ使える反則技。魔術を手段として使う信一ならではの物理的魔術霧散術。それは魔術や魔導器のみで戦う大半の魔術師が非効率だと断ずるであろうものだ。

 

「《疾くあれ》」

 

 バチイイイィィィ———ッ!

 

 驚愕の時間は与えない。信一の両足がついていた床が爆ぜ、姿が消える。

 刹那、レイクの真横に現れた信一は片手の刀を逆手に持ち替えて彼の足を床に縫い付けるように刺し込んだ。

 

「フッ、私の武器が魔導器だけだと思ったか?」

 

 レイクは縫い付けられそうになる足を引き、ローブで隠れた腰から何かを取り出して信一の喉目掛けて突き込んでくる。

 

 煌めく凶刃。それは大型のナイフだ。

 

 そのナイフを信一は避けず、床に刺さった刀を離してその手でレイクの服に包まれた腕を掴む。

 

「《走れ雷精》」

 

 この距離なら刀よりも効果的な【ショック・ボルト】を起動し、相手の感電による無力化を狙う。

 

「———シッ!」

 

【ショック・ボルト】は確かに起動したはずだが、レイクは構わず反対の手でもナイフを抜いて信一に斬りかかってきた。

 どうやら彼の羽織っているローブには熱、電気、冷気の耐性を付与する【トライ・レジスト】が付呪(エンチャント)済みのようだ。

 

 それを看破し、体を半身にしてナイフによる斬撃を避けながら床に刺さった刀を回収。

 信一とレイクは同時にお互いの腹へ距離を取るための蹴りを入れる。

 

「いってぇ……」

 

「ぐっ……」

 

 刀の間合いから出てしまえば、そこはレイクの距離。浮遊する5本の剣が一斉に襲いかかってくる。

 しかし、さっきと同じ方法で全てを避けた信一はやはりシスティーナとグレンの元に戻っていった。

 

 その行動にレイクは疑問を覚える。さきほどもそうだが、そのまま攻め込めば有利になれる状況であの少年はわざわざ2人の元に戻っているのだ。

 

 ……何かあるのか?あの少年が2人の元に戻る理由が?

 

 信一が下がっていく状況。今とさっきの二回で同じことと言えば、自分が刀の間合いより外に居て魔導器を動かせる余裕ができた時だ。

 

 ……なるほど。そういうことか。

 

 ここでレイクに勝機が見える。

 あの少年の見たことのない、恐らく身体能力強化の魔術は厄介だが、それ以外は案外大したことない。

 一応の心得はあるのだろうが、剣術の腕は杜撰。それは目にも止まらぬ速さで動いているにも関わらず今自分が生きていることがその証左になる。

 

 そして、腕を掴んだ時に使用した魔術。わざわざ威力の低い【ショック・ボルト】を使ってきた。戦うことに特化した魔術師ならあの場合【ライトニング・ピアス】を使う。

 つまり魔術の腕は学生相応のレベル。

 

 戦術の組み立てもめちゃくちゃ。読めても三手先程度。

 これは戦い慣れしてないことに起因するのだろう。

 

 なにより弱点を露見させ過ぎている。剣術の腕は杜撰だが、それでもあの速さと人間離れした膂力で放たれる斬撃は脅威だ。それでゴリ押しすれば、最初のせめぎ合いで勝っていたかもしれない。にも関わらず後ろの2人の元に下がってしまった。

 こんなことをすれば後ろの2人……恐らく銀髪の少女を守っていることくらい誰だって分かってしまう。

 

「少年、もう一度聞く。何者だ?」

 

「なんでそんなこと聞くの?」

 

「私なりの敬意だ。ここまで私と渡り合った者は貴様が初めてでな。しかもその年で、となれば———っ!?」

 

 レイクは自分の本能に従って即座に屈む。その瞬間今まで自分の首があった場所を刀が通過していた。

 

 信一にとって、わざわざこの男の口上に付き合ってやる義理はない。

 この男が自分に敬意を持とうが、そんなことはどうでもいいのだ。

 

「チッ……!」

 

 体を起こすと同時に顎下から口を貫くようにナイフで刺突を繰り出すが、刀を持ったままバク転を駆使してサマーソルトキックを使い手元のナイフを片方弾き飛ばされる。

 

「それは失策だぞ、少年」

 

 だが、奇しくもこれでレイクの勝利が確定した。

 左手をシスティーナに向け、手元に1本だけ残して他の4本で強襲する。

 

 信一の速さなら剣がシスティーナに届く前に自分を殺すことができるだろう。

 だが、それは信一が手練れの戦士であればこそできる判断だ。

 

 彼は未だただの学生。単純に強いし伸び代もあるが、今はまだ戦いに慣れてない子供。

 

 そんな子供だからこそ、レイクの策は功を奏した。

 

 突如守るべき人が狙われたことへの動揺と焦燥が刀を振るう腕の動きを鈍らせる。

 

 

 

 

 

 

 

「が……はぁ———っ!?」

 

 

 

 

 剣とシスティーナの間に割り込んで4本中3本は無理矢理叩き落としたが、残りの1本が深々と信一の右胸に刺さっていた。

 

「ふっ……」

 

 即死ではないが、間違いなく致命傷。そんな信一の胸から容赦無く剣が抜かれ、傷口から血が噴き出す。

 

「「 信一ッ!? 」」

 

 グレンとシスティーナの悲鳴が遠くから聞こえたような気がする。

 だが、それも水面の波紋が消えていくように……少しずつ小さくなっていき……信一は意識を手放した。







ジンの扱い(笑)
拷問される→目隠しとして使われる→肉壁にされる→ポイ

実を言うと信一はこのレイク戦が初めての本格的な戦闘なんですね。
3年前のルミアちゃんを取り返した時は一方的に殺してただけですし。

だから戦いの組み立てとか下手っぴでポンコツ。レイク強いし頭良いからそこを見抜かれても仕方ないよね!!


目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

第9話 家族を守ると決めた少年のお話

語る事など……ありません(泣)


 さらさらと耳に優しい川のせせらぎで意識が戻る。

 

 後頭部には柔らかい感触。前髪の生え際から頭頂部にかけて断続的に感じる人の温もり。どこか懐かしく、そのまま身を委ねていたい気持ちにさせる。

 

『目、覚めた?』

 

 どうやら自分は寝てしまっていたようだ。慈愛に満ちた女性の声で目を開ける。

 

「母…さん……?」

 

『おはよう、信一』

 

 そこには自分の顔を覗き込む、今は亡き母親の顔があった。

 

 ……あぁ、なるほど。俺は死んだのか。

 

 周りを見回せばそこには水が流れている。母親の後ろに岸。自分の足を伸ばしている方向にも岸。

 どうやら自分は人の足首程度の水位しかない川の真ん中で母親に膝枕をされているようだ。

 

 こんな異常な状況、死後の世界としか考えられない。

 

「ねぇ、母さん。俺は死んだの?」

 

『まだ死んでないわ。死んでたらこの川を渡りきってるもの』

 

「そっかぁ……」

 

 さきほどから自身の頭を撫でる手が心地良い。このまま眠ってしまいたい。

 

 もう疲れた。結局自分は5年前と同じ。家族を守れなかった。

 

「母さん。俺、またダメだったよ」

 

『ダメだったの?』

 

「うん。また大好きな家族を守れなかった」

 

 何も変わっていない。

 

 大好きな母親の首を落とし、大切な妹が世界に見切りをつけるきっかけを作り、ただ自分の無力さに大泣きしていた5年前。

 

 家族を守ろうとし、失敗して剣を胸に受け死にかけてる今の状況。

 強くなろうとし、なんの奇跡かもう一度手にした家族を守ろうとし……そして自分が無力なせいで何もできない。

 

 本当に何も変わっていない。自分は守るべき人たちを取りこぼしてばかりではないか。

 

『まだ死んでないなら、チャンスはあるのよ?』

 

「もう無理だよ。俺は結局……弱虫で泣き虫の人殺しだ」

 

『まだあなたの家族は死んでないわよ』

 

「きっとグレン先生が守ってくれる。もう俺なんかいらないよ」

 

 護衛対象を守れない従者に価値なんてない。こんな中途半端な人間、死んだほうがいいだろう。

 

 

 

 

 

 

『あなたが死んじゃったら、今の家族は泣いてしまうわよ?』

 

 

 

 

 

「…………え?」

 

 もはや生きることを諦めていた信一の耳にその言葉は、まさに晴天の霹靂であった。

 

「俺は……守れなかったんだよ?弱くて、無力で……何もできない奴だよ?」

 

『そうかもね。あなたは弱い。でも———それがなんだっていうの?』

 

 母親が何を言っているのか、信一には理解できなかった。

 

 誰の役に立つこともできず、誰も守れず、ただ弱くて泣くことと人を殺すことしかできない。

 そんな自分は生きてる必要なんてないはずだ。

 

 だというのに……慈愛に満ちた母親の眼差しはそれを口にさせてくれない。その言葉を口にすることは許さないと言外に伝えてくる。

 

『あなたにとって、今の家族は守る()()()()の存在?その人たちの幸せはただ生きていることだけだと思う?』

 

「……………………………」

 

『もし本気でそう思ってるなら———それは間違いよ』

 

「間違い?」

 

『えぇ。今のあなたの家族にとって、あなたは何?』

 

「俺は……」

 

 自分はあの方たちの従者だ。でもそれだけではない。

 

 今は亡きレドルフ(大旦那様)は言った。信一は家族だ、と。

 レナード(旦那様)は言った。信一は家族だ、と。

 フィリアナ(奥様)は言った。信一は家族だ、と。

 ルミアは言った。シンくんは家族だ、と。

 そしてシスティーナは言った。

 

 

 

 ———————信一は家族だ、と。———————

 

 

 

 自分はあの方たちにとって、従者でありながら掛け替えのない家族だ。家族になってしまったのだ。

 そんな当たり前のことに今更ながら気付く。

 

『家族を失う辛さをあなたは誰よりも知っているでしょ?』

 

 それは卑怯だ。

 心の底からそう思う。

 

 心優しい彼女達は自分が死んだら泣くだろう。こんな弱虫で泣き虫の人殺しが死んだだけで泣いてしまうだろう。

 

 

 

 

 それは自分が1番避けなければならないことだ。

 

「……そっか。そうだね」

 

 信一は目を閉じる。フィーベル邸に来てから今まで、色々なことがあった。

 おやつを交換したこともあった。隠れんぼをしたこともあった。忙しい仕事の合間を縫ってピクニックに連れて行ってもらったこともある。

 時にはケンカもした。そしてその数だけ仲直りをし、その人のことを深く知った。

 

 それらの経験を踏まえ、自分の心に問いかける。彼女達が泣いてもいいのか、と。

 

 答えなんて考えるまでもない。

 

「母さん、俺は死なない。次は守る。今度こそ守り抜く」

 

『それがどんなに辛くても?』

 

「家族がいなくなるより辛いことなんてないよ」

 

 自分はそれを知っているのだ。誰よりも。

 

 だからあの気持ちを今の家族に味あわせるわけにはいかない。その決心を胸に、信一は母親の膝から立ち上がる。

 それと同時に母親も立ち上がった。

 

 母親を殺してから5年。体は成長し、あの時より背もいくらか高くなった。いつも泣きついていた母親の背中よりも。

 

『信一、大きくなったね?』

 

 そう言って母親は少し背伸びをしながらもう一度息子の頭を撫でる。

 

「うん。そうかもね」

 

 そんな母親に微笑みかけ、そして親子はお互いに背中を合わせる。

 子は生の世界を向き、親は死の世界を向いた。

 

「ねぇ、母さん」

 

『ん?』

 

 振り向かず、背中越しに信一は母親に声をかける。

 

 5年前からずっと言いたかったこと。大好きな母親にずっと言いたくて……ずっと心の中で叫び続けた言葉。

 

「殺しちゃって……ごめんなさい」

 

 答えは今なら聞けるから。

 

『ふふ……いいのよ信一。殺させちゃってごめんね』

 

 母親の返事を確かに聞き届け、答えを得た。謝罪をした。許しをもらった。

 

 ならもう交わす言葉はない。信一は生の世界へと歩き出す。母親の足が水を割る音が遠ざかる音を聞きながら。

 

 あの時、自分の判断が早ければあんな惨事にはならなかっただろう。自分の行動が速ければ母親を救えただろう。

 この気持ちは今も変わらない。今後変わることもない。

 

 だからこそ、懺悔の言葉はこれしかない。早くなかったことの後悔。速くなかったことの後悔。次はその後悔をしない為に———

 

 

 

 

 ————————疾くあれ!!—————————

 

 

 

 

 

 

 

 

 バキッ……バキバキと、システィーナに膝枕されている信一の身体から何かを引き絞るような音が鳴る。それと同時に右胸の傷口から止め処なく流れ出ていた血が一気に減った。

 

「信一……?」

 

 自分の前ではグレンが戦っている。避ければシスティーナや信一に当たるから時には飛来する剣を掴むことさえいとわず、守っていた。

 そこに迷いはない。

 

 肉に刃が食い込むことも気にせず、掴む。白刃取りで止める。肘と膝で挟み殺す。

 

 攻撃に出るのは愚の骨頂。そんなことをすればレイクの操る魔導器は容赦無く信一とシスティーナに凶刃を向けるだろう。返す刀で自分も斬られる。

 

 今のグレンにとって、防御に徹するというのは奇しくも1番生存率が高いことになっていた。

 

「クソッ!このままじゃ!ジリ貧……だ!」

 

 システィーナが【ウェポン・エンチャント】をかけてくれているので、弾くこと自体は難しくない。だが、それをすると腕の動きが大きなって二撃目の対応が遅れることになる。

 

 チラっと一瞬だけ2人の様子を振り返る。嵐のような剣戟の中、微かに聞こえた筋肉を絞り上げる音。あれは【迅雷】が起動した証だ。

 まだ信一は死んでいない。

 

 システィーナが叫ぶ。

 

「信一!目を覚まして!」

 

 もはや【ライフ・アップ】を受け付けられないほど信一の傷はひどいものだった。それでもシスティーナの手は血に汚れることも構わず傷口を抑えながら【ライフ・アップ】の淡い光が灯っている。

 

 再度、システィーナが叫ぶ。

 

「信一!!」

 

 目から流れる涙は止まることを知らない。蛇口を捻ったかの如く流れ続けている。

 

「お願い信一!死なないで!!」

 

 三度叫んだ瞬間、彼女の元に剣が飛来した。

 

 その剣が目に映った瞬間、システィーナの世界がスローモーションになる。

 

 猟奇的な鋭い刃が煌めき、迫ってくる。間違いなく直撃する。信一に膝枕をした状態では避ける術はない。【ライフ・アップ】を行使しているので防ぐ為の魔術も起動できない。

 

 そして剣は容赦無くシスティーナを貫く……はずだった。

 

 

 

 バオオォォウウゥゥゥゥ———ッ!

 

 

 

 何かが風を切る音を鳴らしながらシスティーナに迫る剣を弾く。

 それだけに留まらず、弾かれた剣を美しい刃紋の浮いた片刃が自身にもひびを入れながら粉々に砕き割った。

 

 剣を弾いたのは人の足。剣を砕き割ったのは刀。

 

 そんな芸当ができる者などこの場では1人しかいない。その1人の男はシスティーナを守るように背を向け、片手の刀を振り抜いた格好で佇んでいる。

 

 男———信一はいつもの優しげな笑みを浮かべ、システィーナに振り向く。

 

「お嬢様、“死なないで”と申しましたか?」

 

「信一……」

 

 泣き腫らした目が映す幻覚じゃない。確かに信一はそこにいる。

 

 対して信一はシスティーナに返す言葉を考えていた。結局彼女を泣かせてしまった。だからこそ、それを挽回する言葉で泣き止んでもらわないといけない。

 

 そんな魔法の言葉を……自分は知っている。だから安心させるために微笑み、

 

「いついかなる時も、貴女の御心のままに」

 

 そう言い放った。そして、両足の付いていた床を爆ぜさせながら消える。

 

 

 

 

 

 

 システィーナに1本剣が飛んでいった瞬間、グレンの意識はそちらに向いてしまった。その一瞬を逃すレイクではない。

 

 残りの4本でグレンを3次元的に囲み、逃げ場を作らせないと同時に必殺とする。

 

 ……終わりだ、グレン=レーダス。

 

 ここでグレンを殺し、突然立ち上がった信一も先ほどと同じ要領で殺す。これで自分の勝利は揺るぎないものになる。

 

 

 

 

 ———だが、それは間違いだった。

 

 

 

 突如グレンと2本の剣の間に割り込む人の胴体———それはジンの死体だ。ジンの死体に阻まれ、その2本の剣は虚しく亡骸に刺さって勢いを失う。

 しかし、残りの2本もグレンに辿り着く事はなかった。

 

 その剣があった空間が歪み、刹那の先にはバラバラに砕け散る自身の魔導器。それと同時に折れた片刃の刀身も1本宙を舞う。

 剣が砕け散った場所には折れた刀とひびの入った刀身の刀を両手に持ち、羽のように広げた態勢の信一がいた。

 

 そして瞬く間に消える。

 

 ブオォウゥゥゥゥゥン——ッ!!

 

 長年の戦闘で培った勘が叫んでいた。全力で後ろに飛べっと。

 それに従い、必死の形相で後ろに飛ぶレイク。その後すぐに今自分がいた空間が歪み、恐ろしい速さの刀が通過した。

 

「逃すかよっ!」

 

 刀を振るった勢いを殺さず、信一は体を回しながら折れた刀の柄を投擲。レイクを追い込んでいく。

 

「クッ……!」

 

 当たれば顔面が石榴のように破裂するような勢いを内包した柄。それを無様にも後ろに転ぶように転がって避ける。

 だが、レイクも近接戦の覚えはあるほうだ。そうでなければ信一の剣術の腕を杜撰と判断できなかった。

 

 ナイフを持った手を床につき、体幹と背筋の力だけで体を起こす。油断することはしない。今ここで信一の猛攻を防げば自分の勝ちだ。

 

 

 

 

 ———そう思った瞬間、信一は既にレイクの真後ろで刀を振りかぶっていた。

 

 

 

 自身に振り下ろされるひびの入った凶刃。これが当たれば斬られるとごろではない。レイクを斬ってなお余りある衝撃が内側から体を四散させるだろう。さきほどの【ブレイズ・バースト】のように。

 

「剣よ!」

 

 身の毛もよだつ自身の死に様を想像し、背中に冷たい汗が流れる。

 しかし、そんなこととは関係なくレイクは適切な判断で刀の軌道上にジンに刺さっていた2本の剣を割り込ませた。

 

 

 

 

 パキイィィィンッ!!

 

 

 

 甲高い音と共に()()()()が折れ、頭上に舞う。

 

 これで信一の武器は両方とも無くなった。対してレイクにはまだ魔導器が2本と手元にナイフが2本。状況は圧倒的にレイクが有利な状態となる。

 

 振り向き、信一の頸動脈目掛けてナイフを二閃。神速と言っても過言ではない完璧な軌跡の斬撃を……しかし信一は伏せてかわす。

 

「———————ッ!」

 

 そしてあろうことか、何かを呟きながら無手のままレイクに抱き着くように組みついた。

 

 このまま人間離れした膂力で背骨を折ろうという魂胆なのだとレイクは素早く判断を下し、それと同時にナイフを逆手にもって信一のうなじに刺し下ろす。

 

 いくら信一の【迅雷】を用いた筋力が凄まじくとも、ナイフのほうが圧倒的に速い。システィーナとグレンは強く目を瞑る。

 

 勝負は決した。

 

 

 

 

 

 

 ———その場にいる誰もがそう思った。

 

 

 

 

「ルウゥアァァァァァァァァァァァ——ッ!!」

 

 突如、信一が獣の如き咆哮を上げる。その声量は間違いなく普通の人間が出せる大きさではない。

 空気を震わせ、その振動だけ窓ガラスを割る人外の咆哮。

 

 それは【迅雷】を使ったものでは()()

 

 学院中に、もしかしたらフェジテにも響き渡るような声の正体。それは……

 

「音…響…魔術……だと……ッ!?」

 

 大音量の空気の振動を誰よりも近くで受けたレイクは、その身を痺れたように動かせないでいる。脳がダメージを受けて動けないのだ。

 

 そして、その隙は殺し合いの場において致命的過ぎる隙。

 

「———死ね」

 

 折れて宙を舞っていた刀身を無造作に掴み取り、刃が肉に食い込むことも構わずそれをレイクの眼窩に深々と突き刺す。

 

 コンと内側から頭蓋骨を叩く音が鳴ったことを確認した信一は、自分が唯一まともに起動できる呪文を使用。

 

「《雷精の紫電よ》」

 

 刀身に紫電を伝導させ、レイクの脳を完全に破壊した。

 

 

 

 

 

「はぁ……はぁ……」

 

 息を切らせながら眼窩に刀身を突き刺したまま倒れるレイクを見る。

 

 ……やっぱり何も感じないか。

 

 人を殺したのに何も感じない。罪悪感も恐怖も何もない。ただ乾いた洗濯物を畳んだような、そんな日常の当たり前をこなしたなんてことのない気分だ。

 

 それに小さく落胆する。その落胆だって読みかけの本に栞を挟み忘れたような小さなもの。コーヒーの一杯でもあれば治ってしまう。

 

「信一!大丈夫か!?」

 

「大丈夫ですよ、グレン先生。守ってくれてありがとうございます」

 

「いや、それはこっちのセリフだよ。さっきのは流石にやばかった」

 

 ところどころにある裂傷から血を流す痛々しいグレンの姿に、必死で守ってくれていたことを痛感する。

 この人がいなければ勝ちはなかっただろう。

 

 信一はにっこりと笑って、使用者を失って床に落ちている剣の魔導器を2本とも拾う。

 刀を防いだことでひびが入っているが、まだ使えそうだ。刀身は刀の三分のニといったところか。少し短いが贅沢は言えない。まだ戦いは終わっていないのだ。

 ついでにレイクが両手に握っていたナイフ2本と腰に吊るしていたホルスターを奪い、自身のベルトに装着。なんとかまだ戦える装備が揃った。

 

「グレン先生、魔力のほうはどの程度残っていますか?」

 

「正直かなり少ないが……それがどうしたんだ?」

 

「敵の情報ですが、ルミアさんはどうやら転送塔にいるみたいです」

 

「転送塔?あの馬鹿高い塔に?なんでそんなところに……あぁ、そういうことか」

 

 まだ全て話したわけではないが、グレンは察したらしい。

 

「確かに門の結界は外から入れず、中から出られずだった。それでどうやってテロリスト共が逃げるのか気になってたが、転送方陣を使うつもりだったのか」

 

「恐らくですけどね。それで、少なくともそこに敵が1人以上いるはずです。しかも学院に潜んでいたスパイ」

 

「スパイか……妙だな」

 

「妙とは?」

 

 グレンが考えるように顎に手を当てて気になることを呟く。

 それについて信一が質問すると、グレンはポケットから半割れの宝石を取り出した。

 もう半分の宝石を持ってる相手と離れた場所でも会話ができる通信結晶だ。

 

「今俺以外の学院の講師陣が全員帝都の学会に行っているのは知ってるな?」

 

「はい」

 

「セリカに聞いたんだが、どうやら学院に裏切り者はいないらしいぞ」

 

「そうですか」

 

 そのセリカもそちらに行っているせいで、今の騒動を自分達が解決する羽目になっている。ただの一生徒である自分や家族が危険な目に遭っているのだから迷惑極まりない。

 

「そうですかって……」

 

「あぁ、すみません。正直なところ裏切り者が誰であってもあまり関係ないんです。ただ、グレン先生がその裏切り者を特定できていれば対策が立てられるってだけで」

 

 信一にとって、敵の協力者が誰であろうとどうでもいい。殺すことはもう決まっているのだ。

 

「お前のそういう考え方……似てるな」

 

「俺の父親にですか?」

 

「あぁ。今まで同僚だった奴でも、敵になった瞬間斬り伏せようとしてたよ」

 

「その話はまた後で聞きます。今はルミアさんを助け出しましょう」

 

 もう5年も会ってない父親の話は気になるが、優先すべきことはさっきから変わらない。ルミア奪還。信一の頭にはそれしかない。

 

「お嬢様。すみませんがグレン先生に【ライフ・アップ】をかけた後、教室に戻っていただけますか?」

 

「いやよ。私も行く」

 

「ですよね〜」

 

 まぁ、どうせそうだろうなとは思っていた。こうなったシスティーナは梃子でも動かないだろうことは家族であり、従者である信一がよくわかっていることだ。

 

「それに信一……あなた、マナ欠乏症になってるでしょ?」

 

「……バレてましたか」

 

「顔色を見ればね」

 

 マナ欠乏症とは極端に魔力を消耗した時に起こるショック症状だ。

 信一は戦闘中に何度も【迅雷】を使っていた。

 

【迅雷】はそもそも消費する魔力が【ショック・ボルト】程度の燃費が良い呪文だが、潜在魔力(キャパシティ)が少ない信一にはその連続行使だけでも充分過ぎるくらいきつい。

 

 実際、信一の顔色は真っ青で体温も人とは思えないほど低くなっていた。

 

「このペンダント、貸してあげる」

 

「これは……魔晶石ですか?」

 

「それに私の予備魔力が蓄えられてあるから。少しは楽になるはずよ」

 

 システィーナの胸元から取り出されたペンダントを首にかけると、徐々に魔力が回復していることが分かる。これならいけそうだ。あと5()()は【迅雷】が使える。

 

「ありがとうございます。助かります」

 

 本当に何から何までこの方は自分を支えてくれる。だからこそ、守らなければならない。この方の家族であり、自分の家族でもある金髪の少女を。

 

 

 

 

 

 バァンッ!!と荒だたしい音を立てて転送塔最上階のよ扉をグレンが蹴り開ける。

 

 転送塔の下の入り口付近には警備用のゴーレムが守るように配置されていて、そこで信一は【迅雷】を3回も使ってしまった。しかし、そのおかげで3人は突破することができた。残り2回。できれば使わないことを願う。

 

 転送塔最上階には魔法陣に囲まれたルミアがいた。

 

「先生!シンくんにシスティも!無事だったんだ……」

 

「あのな、これが無事に見えるなら病院行け」

 

 グレンはボロボロ。信一もまだ少量とはいえ右胸からは血が流れている。完全に無傷なのはシスティーナくらいだ。

 

 安堵のため息を吐くルミアのすぐ近くの闇の中にローブを纏った長身痩躯の男が立っているのが見えた。

 信一はその男を敵と断定し、素早く両手の剣で斬りかかる。

 

「シンくんダメ!」

 

 剣が男の喉を貫く寸前でルミアの声に信一が動きを止めた。

 

「暴力は関心しませんよ、信一くん」

 

 その男の声は、聞き覚えのあるものだった。きっとグレンの後ろにいるシスティーナも驚愕を顔に貼り付けているだろう。信一も目を見開く。

 

 剣の間合いに入ったことで男の正体が見えてくる。

 

 優しげに細められた目。涼やかな顔立ち。柔らかい金髪。

 総じて優男と評するのが適切な青年だった。

 

 その男を信一は知っている。去年散々お世話になり、自分を進級までさせてくれた恩師。

 

「ヒューイ……先生……」

 

 授業の評判も良く、多くの生徒から慕われていたにも関わらず突然学院を去った講師。

 

 ヒューイ・ルイセンだった。






はい、どうでしたか?

実を言うとここで終わらせて次回に【迅雷】の術理を話して、その次から二巻目突入といきたかったんですが、長くなりそうなので切ることにしました。



目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

第10話 家族を守れた少年のお話

別にサブタイが思いつかなかったわけじゃないんだからね!(キモい)

ちょっと今回は長めです。話は一向に進まないにも関わらず。







 ヒューイ・ルイセンを悪く言う者は誰もいなかった。

 

 教え方は丁寧であり、多くの生徒から慕われていた。質問しにきた生徒には理解できるまで嫌な顔1つせず付き合った。

 

 そして、留年ギリギリの落ちこぼれを進級させられるほど優秀な講師だった。

 

 想像し得る限り先生の理想型と思われるヒューイ・ルイセンという講師。そんなヒューイ先生を悪く言う者は誰もいなかった。

 

 

 

 

 

 

 

 

「暴力は関心しませんよ、信一くん」

 

 ヒューイは生徒に注意するような口調で優しく信一を諭す。

 喉元に突きつけられた剣など見向きもしていない。

 

 いつものように目を見てやんわりと注意する。

 

 そんなヒューイにルミアが叫んだ。

 

「お願いです!もう止めてください……ヒューイ先生!貴方はこんなことをする人じゃ……」

 

「残念ながら僕は元々こういう人間なんです、ルミアさん」

 

 困ったような八の字眉を作り、今度はルミアを諭す。

 

「ヒューイ先生が今回のテロリストの協力者だったんですか?」

 

「はい」

 

 信一は今でも信じられないと言いたげに聞くが、しかしヒューイは肯定した。

 願わくば、そうであってほしくなかったが。

 

 

 

 

 

 ———今まで慕われていた講師をルミアの前で殺すのは気が引けるから。

 

 

 

「死ね、()()

 

 家族に危害を加えてる時点で信一の心にあった今までのヒューイに対する好意は霧散していた。

 止まっている手とは反対の手で剣を振りかぶり、首を刎ね飛ばそうとする。

 

「もし僕を殺せば学院が爆破されますよ」

 

 その言葉に再び信一の手が止まった。

 

「どういうこと?」

 

「もうじきルミアさんは法陣の力で組織の元に送られるでしょう。それと同時に僕の魂と直結したこの法陣も起動し、僕の魂を食いつぶして錬成した莫大な魔力でこの学院が爆破されます」

 

 ヒューイはなんてことないように言っているが、それはつまり自分もろともここにいる全員死ぬということだろう。

 

 学院と括った時点でこの転送塔も例外じゃないはず。いくら石造りと言っても学院の敷地内にある時点で同じだ。

 

「何のためにあんたは死ぬの?」

 

「僕はね、信一くん。王族や政府関係者が学院に入学した時、自爆テロで殺害する為の人間爆弾なんです。もっとも、ルミアさんは少々特殊な立場なので生け捕りになったんですけどね」

 

「チッ!胸糞悪いことをやるバカ共だったな、てめぇら“天の智慧研究会”てのはよ!!」

 

 計画の全容を聞いたグレンが吠える。

 

 だがヒューイは涼しい顔でそれを受け流し、信一に微笑みかけて言葉を続けた。

 

「信一くん、今ならまだ間に合います。クラスのみんなとシスティーナさん、あとそこのグレン先生を連れて地下迷宮に逃げてください」

 

「今さら善人気取り?それとも笑えない冗談?」

 

「僕も一時とはいえ、君たちの先生でした。元生徒に死んでほしくないという気持ちはあります。君の【迅雷】なら爆破前に全員避難させられるでしょう?」

 

「その全員にルミアさんがいなきゃ意味ないんだよ」

 

 元々ルミアが攫われたから信一はジンやレイクを殺してここまで来ている。

 ここではい、そうですかと引き下がる気は毛頭ない。

 

「ですが、今君に何ができますか?君は【迅雷】が使えるだけの劣等生。システィーナさんだって優秀とは言っても結局は学生の領域を超えるほどではない。そこのグレン先生は三流魔術師。この白魔儀【サクリファイス】をキャンセルさせる手段があるにはありますが、打ち消すには圧倒的に魔力が足りてないと見えます」

 

 確かにヒューイの言う通りだ。

 

 石畳に書き込また五層構造からなる白魔儀【サクリファイス】は、一層ずつ解呪していくしかない。

 だが、そんなことを落ちこぼれの信一ができるはずはない。優秀なシスティーナも同様、そもそも学院で習っていないのだ。

 

 残る可能性はグレン。

 

 そしてそのグレンはヒューイの言葉が終わると同時にがり、と自身の右手首を噛み千切ってルミアを囲む転送法陣に飛びついた。

 

「《原初の力よ・我が血潮に通いて・道を為せ》!」

 

 黒魔【ブラッド・キャタライズ】の呪文を唱え、手首から指に滴る血で転送法陣の最外層に直接解呪術式を書き込んでいく。

 

 その速さは指先が霞んで見えるほどだ。にも関わらず書き込まれる文字のバランスを損なっていない。

 

「《終えよ天鎖・静寂の基底・理の頸木は此処に解放すべし》!」

 

 あまりないと先ほど自己申告した魔力を振り絞り、黒魔【イレイズ】を起動させて第一層を破壊する。

 

 休む間も無く第二層の解呪に取り掛かった。だが、第一層に比べそれは格段に複雑になっている。

 

 血を流し、魔力を一気に放出するグレンはひどいマナ欠乏症に陥っていた。血色と体温、どちらも感じさせない肌の色は死に関わる領域に踏み込んでいることなど一目瞭然だ。

 

「先生!もうやめてください!これ以上魔術を行使したら死んじゃいます!!」

 

「うるせぇ!気が散るから黙ってろ!!」

 

 転送法陣の中から涙を目に浮かべ、ルミアが叫ぶ。しかしグレンは聞く耳を持たない。

 

「システィとシンくんも先生を止めて!」

 

「「 ………………… 」」

 

 泣き叫ぶように放たれるルミアの言葉に、だが2人は悔しげに目を逸らすだけで動こうとしない。

 信一もシスティーナも今はグレンに縋るしかないのだ。ルミアを救う為に。だから何も言わず、何もできずグレンを見守るしかない。

 

「なんで……どうしてですか!先生が命を賭ける必要なんてないじゃないですか!?私は……私の為に誰かが傷つくくらいなら死んだっていいんです!!だから……」

 

「……思い出しちまったんだよ」

 

「え?」

 

「さっき信一と白猫を守ってた時にな。俺がなんで最近会ったばかりのガキどもを守ろうと思ってたのか」

 

【イレイズ】を唱え、第二層の解呪に成功。グレンは第三層へとフラフラ歩み寄って……喀血した。

 

 だが、すぐに第三層の解呪に取り掛かる。

 

「『正義の魔法使い』になりたかった……。悪い魔王を倒して、お姫様を救って、みんなを幸せにする『正義の魔法使い』になりたかった」

 

 吐いた血を指につけ、皮肉げに口元を歪めながらグレンは作業を続ける。命を惜しみなく使って。

 

「げほっ……ごほっ…でもな、『正義の魔法使い』なんてものは嘘っぱちだ!みんなを幸せにできると信じて疑わなかった魔術は……結局人殺しに1番特化した手段でしかなかった!こんなくだらなくて馬鹿馬鹿しい夢の果てに絶望して……それでも!!」

 

 血を吐き、命を搾り出し、【イレイズ】を唱えて第三層の解呪に成功する。

 

「諦めきれないんだよ!だからお前を救う。『正義の魔法使い』に掛けた時間は無意味だったかもしれない……無駄だったかもしれない……だけど無価値にだけはしたくないんだ!わかったか!!」

 

 もはや言うことを聞いてくれない体を鼓舞する為に叫ぶ。

 

 だが———それまでだった。グレンの中で何かがぷつんと切れ、先ほどとは比べ物にならないほど盛大に喀血する。

 

「ごぼっ……!?」

 

 そしてその血の上に倒れた。白いシャツは血を吸ってどんどん赤黒く染まっていく。それは一見、グレンが血の海に沈んでいくようにさえ見えるようであった。

 

「「 先生っ!! 」」

 

 ルミアとシスティーナの悲痛な叫びが転送塔内に木霊する。

 

 もはやグレンは動けない。皮肉にも海に沈むような感覚が体を包み、思考がまとまらなくなっている。

 

 ———そのグレンの体を、信一は抱き上げる。

 そして、転送塔の螺旋階段……出口へと向かう。

 

 ルミアは安心したように息を吐いて信一に問いを投げた。

 

「シンくん……グレン先生は?」

 

「まだ生きています。ギリギリですが、適切な処置をすれば間に合います」

 

 グレンがいなくては、もう転送法陣の解呪なんてできない。だから信一はルミアを見捨て、生きる道を選ぼうとしている。

 

 それを悟ったシスティーナは信一の背中に叫ぼうとして……しかし何も言葉が出てこない。

 

 今ここで家族を見捨てる選択をした信一を責めて、じゃあ自分に何ができる?責めて、詰って、自分ができることはそれしかない。

 そんな簡単なことを理解したシスティーナは悔しそうに歯噛みした。

 

「お嬢様、こちらに」

 

「うぐっ……ごめん、ルミア」

 

「大丈夫だよ、システィ」

 

 永遠の別れを覚悟し、涙を流す少女2人。その2人の様子を無視して信一は再び声をかける。

 

「お嬢様、早くこちらに」

 

「……うん。じゃあね、ルミア」

 

「バイバイ。システィ、シンくん」

 

 涙でぐしゃぐしゃになった顔で2人は強引に笑顔を作る。家族との永遠の離別が辛いのは当たり前だ。本当なら抱き合いたい。

 それすら叶わないからこそ、笑顔で別れる。

 

 グレンを抱き上げて螺旋階段の途中にいる信一の元にシスティーナは歩いていった。

 

「お嬢様、グレン先生をお願いします」

 

 だが、あろうことか信一は階段にグレンを寝かせてそんなことを言い放つ。

 

「え?」

 

「階段から転げ落ちないようにしっかり抑えていてください」

 

 そして、自身の首からシスティーナに借りていたペンダントをグレンにかけてやり、転送塔に戻っていく。

 システィーナはその姿を呆然と見つめるだけで何も言わない。

 

「絶対にこの扉、開けちゃダメですよ?」

 

 信一はいつも通りの優しい微笑みをシスティーナに向け、そんなことを言った。

 

「なにしに行くの?」

 

「ちょっとルミアさんに今日のおやつ何が食べたいか聞いてきます」

 

「は?」

 

 此の期に及んで、この男は何を言っているのか。しかし、信一にふざけた様子はない。

 いつも通り笑い、いつも通り優しく、いつも通り日常を送る。

 

 そんな雰囲気をこの状況で醸し出していた。

 

「さっき言ったでしょ?今日のおやつはルミアさんの好物を作るって」

 

 それで思い出されるのはテロリストが来る前の教室での会話。

 ルミアが信一に共感し、それが嬉しかった信一は今日のおやつをルミアの食べたいものにすると言っていた。

 

 今、信一がその話をする真意とは?

 

 簡単だ。今日もルミアを入れた3人で信一の作ったおやつを食べる。

 何気ない会話をして、くだらないことで笑い合って。日常に帰るのだ。

 

「……そうね。なら早く帰りましょ、3()()で」

 

「はい」

 

 にっこり笑いかけ、信一は転送塔の扉を閉めた。

 

 

 

 

 

 

 

「君は逃げないのですか?」

 

「逃げないよ」

 

 ヒューイは信一の行動が理解出来なかった。もう彼にできることはない。グレンが使い物にならなくなった時点で、ルミアは救えない。

 

 にも関わらずここに戻ってきた。

 

「まさか……ここで死ぬ気ですか?言っておきますが、学院の爆破はルミアさんを転送した後に行われますよ?」

 

「そんなことわかってるよ」

 

「だったら早く逃げなさい」

 

「そうだよシンくん!早くみんなのところに……」

 

「ルミアさん」

 

 ルミアの言葉を遮るように信一は彼女の名前を呼ぶ。

 

「帰りましょう。俺たちの家に」

 

 有無を言わせない笑顔でいつも通りのことを言う。たったそれだけなのに……ルミアは悟った。

 

 ……シンくん、怒ってるなぁ。

 

 どうやらかなりご立腹のようである。その理由も検討はついている。

 ———嘘をついたからだ。

 

『私の為に誰かが傷つくくらいなら死んだっていい』と嘘をついたからだ。

 

 本当はそんなことない。死にたくないし、今の生活を手放したくない。

 システィーナがいて、信一がいて、クラスのみんながいて……そしてグレンがいる今の日常が大好きだから。

 

 でも……

 

「ダメだよ、シンくん。私がいたらまたみんなが危険な目にあっちゃうもん」

 

「構いません。俺が守ればいいだけです」

 

「私なんて……いなくなったほうがいいんだよ」

 

「そう思ってるのはルミアさんだけです。俺もお嬢様もクラスのみんなも、グレン先生だってルミアさんがいなくなったほうがいいなんて考えていませんよ」

 

「でも……」

 

 信一はハァ、と露骨にため息をついて見せる。

 

 この心優しい少女は何故他人の為に自分を蔑ろにするのだろうか?

 彼女が傷ついて辛くなるのが彼女自身だけだと本気で思っているのだろうか?

 

 それはバカな話だ。彼女の自己犠牲で自分たちが助かったとして、それで今後自分たちが幸せに暮らせるわけがない。

 残された者たちの気持ちを信一は誰よりも知っている。

 

 暗黒よりも暗い絶望が心を支配する嫌悪感。自分の無力さを嘆いて、泣いて、喚いて、それでも何も戻らない虚無感。

 

 結局ルミアがいなくなって幸せになる人なんて誰もいないのだ。

 

「ルミアさん、本音を言ってください。俺は昔言ったはずですよ?『死にたければ死ねばいい。自分がいない方がいいと思うなら消えればいい。でも、もし君が生きていたいと思うなら俺は———君の味方だよ』って」

 

「…………いいの?」

 

「もちろん」

 

 にっこりといつもの笑顔で頷く。理由なんてない。無条件になんの損得も考えず、ただその人の意志を尊重する者———それを家族と呼ぶのだから。

 

 自分はルミアの家族だ。だから彼女の意志を最大限尊重しよう。

 

「もっと……みんなといたい!学院のみんなと、シンくんとシスティと、グレン先生と、お義父様とお義母様と……みんなともっといたいよ!!」

 

「わかりました」

 

 頭を突き抜けるような多幸感に包まれた気分だ。こんな自分とさえ一緒にいたいと言ってくれる。

 

 信一はツカツカと歩きルミアの後ろ側にある石造りの壁を———

 

「《疾くあれ》」

 

【迅雷】の膂力を用いて思いっきり殴りつける。それだけで人の胴体ほどの穴が空いた。同時に拳から骨の砕ける音が鳴ったが、まぁどうってことはない。

 

 穴から見える外の景色は雄大だ。グレンが馬鹿高いというだけあって、学院やフェジテが一望できる。

 

「君は……何をするつもりですか?」

 

「家族と一緒に帰るだけだよ」

 

 グレンを抱き上げた時に床に置いた剣を拾い、空けた穴と自分の間にルミアがいるように立つ。

 

「ねぇ、ルミアさん。今日のおやつは何がいいですか?」

 

「今日は……そうだなぁ。シンくんの作ってくれるものならなんでもいいよ」

 

「1番困る回答ですね」

 

 軽口を叩き、適度にほぐれた緊張感。自分の作ったお菓子を美味しそうに食べてくれる家族の顔を思い浮かべて頰が緩む。

 

「ま、帰ってから考えるとしますか」

 

 そう纏めて、両手の剣を肩に担ぐ。使うのは超音速で得物を振るい、押しのけた大気でぶっ飛ばす荒技———『風刄(フウジン)』。

 

 これは転送法陣が五層あった時には使えなかった。この技の威力は自身が握る得物の長さに依存する。刀より短い剣2本ではできなかったが……しかし『正義の魔法使い』によって可能になった。

 

「フウゥゥゥ………」

 

 ゆったりと息を吐いて集中力を高め、体を弓なりに背骨の限界まで反らして引き絞る。

 

 ……やる事は5年前と変わらない。家族を守る。でも、結果は変える。家族を———

 

「《守り抜く》ッ!」

 

 バチイィィィィィ———ッ!!

 

 頭の中で雷が弾けたような音が鳴り、それと同時に身体中の筋肉が音を立てて絞られる。

 

 そして、自身の体の前でX字を書くように2本の剣を目にも止まらぬ速さで振り下ろした。

 

 

 

 

 ドォォォォォッオオオオォォォォンッッッ——!

 

 

 

 凄烈な轟音が空気を震わせ、狭い室内の大気がルミアに向けて放たれる。

 それはさながら嵐の如き衝撃波。

 

 石造りの床に描かれた()()()()()()ルミアの座る石畳をベリベリ剥がしていく。

 しかしそれだけで威力が死んでしまうほど『風刄』は脆弱なものではない。

 

 狭い室内に収まりきらない衝撃波は外に逃げようとし、信一の空けた人の胴体ほどの穴に殺到。だが、穴の大きさは小さく衝撃波は逃げきれず———壁をさらに大きく破壊する。

 

「え?」

 

 その穴から空中にルミアは投げ出された。

 

「ルミアさん!」

 

 剣を捨て、信一も即座に走って飛び降りる。

 下からの猛烈な風で目を開けるのもやっとだが、なんとかルミアの手を掴みそのまま抱きかかえる。

 

 あとは【迅雷】を起動して強化した人体で着地すればいいのだが———

 

「んな……ッ!?」

 

 ———【迅雷】が起動しない。

 

 ここで信一は重大なことを思い出した。

 転送塔に入る前、ゴーレムを突破する時に3回。

 飛び出す穴を開ける時に1回。

 そして、『風刄』を使ってルミアを転送法陣ごとぶっ飛ばすのに1回。

 

 計5回、【迅雷】を使い切ってしまっていたのだ。

 もはや【迅雷】を起動する魔力すら信一には残っていなかった。

 

 ……チッ、仕方ないか。

 

「すみません、ルミアさん。どうやらおやつは作れなさそうです」

 

 腕の中にいるルミアに申し訳なさそうに謝る。自分はこのまま落下死する運命らしい。

 

 だが、ルミアだけは無事に生きてもらう。

 

「地面にぶつかる寸前で思いっきり横に投げます。そしたら全力で転がってください」

 

「でも…それじゃあシンくんが……」

 

 悲痛な面持ちでこちらを見上げるルミアに、信一はいつも通り微笑んで彼女の額に小さくキスをする。

 

 ……家族として、俺は貴女を愛していましたよ。

 

 たった3年間だが、ルミアもまたシスティーナに負けないくらい大切に思っていた。だから彼女が生きてくれるなら構わない。

 身勝手な話だとは思う。さきほどルミアには死ぬなと言ったくせに、自分は死ぬのだから。

 

 猛スピードで迫る地面。転送塔を守るように歩き回っていたゴーレムはもう動いていない。幸いなことに転送法陣と連動していたようだ。

 

 これならルミアが危ない目に合うことはない。

 

「……ダメだよシンくん」

 

「はい?」

 

 タイミングを外さない為に地面を凝視する信一に、ルミアは言った。

 

「私、シンくんの作るおやつが食べたいもん。だから……」

 

 ルミアの言葉が紡がれる瞬間……

 

「シンくんも生きて!」

 

 彼女の体が淡く発光し、抱えている腕が熱くなるのを感じる。

 落下中の暴風とはまた別の風が2人の髪を揺らす。周囲に光の粒子が舞う。

 

 そしてルミアの願いが力になるように、信一の中に莫大な魔力が生み出された。

 

 ……家族愛ってわけじゃないな。

 

 そんな不確かなものではないだろう。だが、今はそんな不確かなものだと信じたい気分だ。

 だから彼女の願いに対する答えは決まっている。

 

「《いついかなる時も、貴女の御心のままに》」

 

 バチイィィィィィ———ッ!!

 

 頭の中で雷が弾けたような音鳴る。

 バキッ……バキバキと筋肉は引き絞られ………

 

 

 

 ドウゥゥウウゥゥゥゥゥゥンンン——ッッッ!!

 

 

 信一はルミアを抱え、右足と左足の下にクレーターを作りながらしっかりと着地した。

 

 

 

 

 

 

 

 

 再び剣を握り、ヒューイの首元に添える。

 

「まさか転送法陣を吹き飛ばして無効化するとは思いませんでしたよ」

 

「…………………」

 

 しかしヒューイに臆した様子はない。だが虚勢というわけでもないようだ。

 ただ諦めたのだろう。

 

 そんな彼の言葉を無視して信一は口を開く。

 

「1つ、あんたに聞きたいことがある」

 

「なんですか?」

 

「どうしてあんたは自分の仲間達に俺が【迅雷】を使えると教えなかったの?」

 

【迅雷】は詳細こそ明かされていないが、強力な固有魔術だというのがアルザーノ帝国では囁かれている噂だ。

 実際消費する魔力は少なく、人外に膂力と速度を用いられるのだから噂に違わない。

 

 そんな【迅雷】を信一が使えると知っていたにも関わらず、ヒューイの仲間———ジンとレイクは知らされていなかったようであった。

 もし知っていれば、生徒であろうと真っ先に計画の障害として教室で始末されていただろう。

 

 にも関わらず、彼らはそれをしなかった。戦ったレイクの表情は本気で自分の速さに驚いていた。

 しかし、ヒューイはちゃんと自分が【迅雷】を使えると知っていたのだ。どう考えてもおかしい。

 

「そもそもあんたがルミアさんを誘拐する目的なら、どうして俺を進級までさせてくれたの?」

 

 今日自分たちが学院に来ているのは、このヒューイが突然辞めたことが原因だ。

 今日という日を彼が作ったと言っても過言ではない。しかもそれは計画的に行われたことだった。だったらなおさら自分がここにいることはおかしい。

 

 ヒューイの行なっていることは説明がつかないことばかりだ。

 

「さぁ……なんででしょう。もしかしたら、生徒達を守ってほしかったのかもしれませんね」

 

「……………………」

 

「“天の智慧研究会”に属する外道魔術師の僕が人間爆弾として過ごしてきたこの学院での生活が……優しすぎたのかもしれません。こんな僕を先生と慕ってくれた生徒達に死んでほしくなかった」

 

「……俺だけじゃ無理だったよ。グレン先生がいなきゃ、この計画を止められなかった」

 

「それは誤算でした」

 

 計画が頓挫したにも関わらず、ヒューイは清々しい表情をしている。

 

「本当に……()()()誤算です」

 

「あんたはどうして“天の智慧研究会”に?」

 

「そうするしかなかったんです。僕が生きる道は……もうそれしかなかった」

 

 少し……不思議な気分だ。まるで昔の自分を見ているような、そんな気分を信一は味わっていた。

 

 母を殺し、父の紹介で妹と共にフィーベル家にお世話になっている自分。

 何か事情があって外道魔術師とならざるおえなかったヒューイ。

 

 1つ歯車が違えば、自分もヒューイと同じ道を辿っていたかもしれない。

 

「信一くん」

 

「なに?」

 

「これからも“天の智慧研究会”はルミアさんを狙い続けるでしょう。僕がこんなこと言う資格なんてないかもしれませんが……彼女を守ってくれますか?」

 

「言われなくてもそのつもりだよ」

 

 もう話すことはないと、信一は剣を振り上げる。元講師だろうと、彼は家族に危害を加えた。信一にとって生かす理由はない。

 

 だが、彼のおかげでルミアを守れたのもまた事実。だから自分は彼の生徒として殺す。

 

「あんたはテロリストより先生のほうが向いてるよ。さよなら、ヒュ()()()()()

 

「はい、さようなら。信一くん」

 

 そして、振り下ろそうとした瞬間———

 

「待て、信一!」

 

 転送塔の螺旋階段からシスティーナとルミアに肩を借りたグレンが待ったをかけてきた。

 信一は不満そうにグレンを睨む。

 

「なんですか……っと」

 

 グレンから何かが投げられ、それをキャッチ。どうやら通信結晶のようだった。

 その通信結晶は既に通話ができる状態にある。

 

『朝比奈か?』

 

 そこから聞こえてくる女性の声はセリカ・アルフォネアだ。

 

「こんにちは、アルフォネア教授。何かご用ですか?」

 

『あぁ。まだヒューイ・ルイセンは殺してないな?』

 

「今殺すところです。それでは」

 

『ま、待て!殺すな!』

 

「何故ですか?」

 

 信一は顔が見えないのをいい事に、露骨に鬱陶しそうな顔をしている。

 

『“天の智慧研究会”の情報をそいつから聞き出したい。殺さず警務官に引き渡せ』

 

「お断りします」

 

『…………どういうつもりだ?』

 

「どういうつもりも何も、俺はフィーベル家の従者です。主達を危険に巻き込んだ時点で相応の報いを与えるのに理由はありませんよ。それに……」

 

 言葉を切り、信一の眼光が鋭くなる。例えるなら彼の持つ刀のような触れれば斬れてしまうような鋭利さ。

 それを通信結晶に向ける。

 

「ヒューイ・ルイセンの身元調査を怠り、このような事態を招いた学院側にも少なからず非があるはずです。その学院側に属するアルフォネア教授の意見に俺が耳を貸す義理はないと思われますが?」

 

『ガキ……身の程をわきまえろよ』

 

 通信結晶から聞こえるセリカの声から穏やかさが消える。

 

 第七階梯に至った大陸屈指の魔術師にただの生徒が歯向かっているのだ。彼女の心中が穏やかでないのは誰でも理解できる。

 

 だが、信一がここまでするのには理由がある。正直な話、セリカが止めた時点で信一はこのヒューイ・ルイセンに殺す以上の価値を見出していた。

 あとはセリカがその意思を汲み取ってくれるかどうかだ。

 

『……何が望みだ?』

 

「ふふ、そうこなくっちゃ♪」

 

 さすがは大陸屈指の魔術師。声だけでも充分伝わったらしい。

 

 それに対して信一は嬉しそうに笑う。しかしそれも一瞬。

 剣をヒューイに向けながら、再び眼光を鋭く変える。

 

「別に高望みはしません。俺の望みは学院内に於けるシスティーナ・フィーベル、及びルミア・ティンジェル両名の安全です。もし彼女達が危険な目に遭った場合、迅速な対処とそのお手伝いをしていただきたい」

 

『クッ……わかった。約束しよう』

 

「ありがとうございます、アルフォネア教授。これからもお互いに良い関係を築いていきましょう」

 

 白々しくそう締めくくり、通信結晶をグレンに投げ渡す。

 

 これでやる事は終わった。そう安心した瞬間……

 

「あ、あれ……?」

 

 視界がグニャリと歪み足元が覚束ない。フラフラっと数歩たたらを踏み、信一はバタリと倒れて意識を失った。




はい、どうでしたか?

本当はね、この話で一巻の話はおしまいの予定だったですけどね。
アルフォネア教授が話しかけてくるから終わらなかったよ(すっとぼけ)

信一がルミアちゃんを助けたのは簡単に言うと、将棋で負けそうだから将棋盤自体をひっくり返すのと同じです。実に狡い!

次回は【迅雷】の術理とか、クラスメイトと話し合って一巻の話を締めます。本当だよ?


目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

第11話 超速い慇懃無礼な従者

エアコンの臭いって少し休ませると取れるんですね……。






 アルザーノ帝国魔術学院自爆テロ未遂事件から1ヶ月の月日が経った。

 しかし、その事件の真相は社会的に多くの不安を残すものとされ、学院に刻まれた破壊痕や傷跡は魔術の実験中で起きた暴発と公表され、全てを知るのは巻き込まれた生徒や事件解決に奔走した非常勤講師、ごく一部の教授陣だけとなる。

 

 無論、それだけで全てが闇に葬れる訳もない。

 

 どこからともなく流れた様々な噂がある。

 死んだはずの廃棄王女、伝説の魔術師殺し、噂に名高い【迅雷】など、根も葉もない()()()()ものが飛び交いはした。

 

 それでも、1ヶ月の月日が流れれば好奇心旺盛な若者の興味は別のものに向く。今やそんな噂は忘却の彼方だ。

 

 

 

 

 

 

 

「信一、ちょっとよろしいですか?」

 

「あ、テレサ。もしかして届いたの?」

 

「はい」

 

 本日の授業も終わり、帰りの支度をしている信一にモデル顔負けのプロポーションわ誇る美少女———テレサが声をかけてきた。

 

 彼女の家は貿易商を営んでおり、信一はそのパイプを見込んである品物を注文していたのだ。それが届いたので受け渡しをしたいということだろう。

 

「ただ……物が物なのでここで渡すというのはちょっと……」

 

「OK。じゃあ中庭に行こっか?」

 

 にっこりと笑いかけるが、テレサは少し怯えた様子だ。

 

 それも仕方ない。このクラスメイトの前で自分は悪党とはいえ、1人の人間を惨たらしく斬り刻んだ。たった1ヶ月で普段通りの態度を取れというのは、ごく普通に暮らしてきた少女に求め過ぎだろう。

 

 2人は所々茂みがある中庭に移動して向かい合う。しかし当然と言えば当然だが、テレサは向かい合って話すには少し距離を取っていた。

 それについて何か言うつもりはない。自分だって彼女を含めたクラスメイト達を囮として使おうとした。文句を言う筋合いはないことくらいわかる。

 

 ……それでもちょっと辛いけどね。

 

 身勝手な自分の思考に嘲笑が漏れる。

 

「品物の確認をお願いできますか?」

 

 テレサが重そうに布袋を持ち上げ、信一渡す。そしてすぐにまた離れてしまった。

 信一は悲しそうに眉根を落としながら、布袋を開ける。

 

 中身は刀が二振り。鞘から抜いて刀身を眺めるが、以前使っていたものと質もそこまで変わらないものだ。

 

「うん、完璧だね。ありがとう」

 

「……………………」

 

 あとは明細書を確認して支払いの手続きをすれば受け渡し完了となるのだが、テレサは俯いたまま何も言わない。

 

 信一は怪訝そうに首を傾げて声をかける。

 

「テレサ?どうかしたの?」

 

「いえ……その…ごめんなさい」

 

「……俺が怖い?」

 

「———っ!?」

 

 ハッと弾かれたようにテレサは顔を上げた。

 

「別にテレサが悪いわけじゃないよ。あんなの見せられて、それでも俺に普段通り接することができる人の方がおかしい。テレサの反応が普通だよ」

 

「でも……信一は私たちを守ってくれました。なのに……」

 

「……………………」

 

 自分が守ろうとしたのは家族であり、クラスメイト達ではないのだが……まぁわざわざプラスに考えてくれてるところをマイナスにする必要はないだろう。

 

 ただ、最低限の誠意は見せる必要がある。

 

「俺はね、人を殺してもなんとも思わない異常者なんだよ。たぶんあのテロリストと同じ狂った人種。そんな狂人にテレサが負い目を抱く必要はないよ?」

 

「……やめてください!!」

 

「テレサの感情はごくごく当たり前の健全な感情だからさ。だから自分が間違ってるとか思わないでほしいな」

 

 この少女もそうだが、自分のクラスメイト達は優しすぎる。

 こんな異常者を怖がるという当たり前のことに———泣いているのだから。

 

「1つ、聞いてもいいですか?」

 

「なに?」

 

「あなたは……私たちを殺したいと思ったことはありますか?」

 

 彼女の質問の意図がわからない。何故そんなことを聞くのか理解できない。それは自分が狂人だからなのか?

 

「ないよ。わざわざ自分のクラスメイトを殺したいなんて思わないでしょ、普通」

 

 狂人が普通を語るとはこれ如何に、とくだらない思考が頭をよぎる。

 せっかくある自分の居場所を壊したいなんて思う奴は狂人以前にただの馬鹿だ。

 

「そう……ですか」

 

「聞きたいことはそれでおしまい?」

 

「あともう1つ」

 

 それでは2つ聞いているではないか、と茶々を入れようと思ったが止める。さすがにそんな空気ではない。

 

 テレサは真剣な眼差しで信一を射抜き、口を開く。

 

「信一は、私たちと友人でいたいと思っていますか?」

 

「…………」

 

 信一は黙考する。

 

 できることなら、彼女達とはいつまでも友誼を結んでおきたい。

 どうでもいい世間話をしたり、一緒に魔術の授業を受ける日々は心地良かったと断言できる。

 願わくば、あの時間を可能な限り過ごしていきたいと心から思う。

 

 損得なんてない。ただ一緒に笑い合い、時には共に悩むことのできる友人という関係は素晴らしいものだ。

 だから返事は決まっている。

 

「もちろん。俺はテレサや他のみんなとまだ友達でいたいよ」

 

「……わかりました」

 

 テレサは俯いたまま手に持っている明細書を……容赦無くビリビリと破く。

 

「うえっ!?ちょ……」

 

「皆さん、ちゃんと聞きましたか?」

 

 そして再び顔を上げ、けろっとした表情のテレサは周りの茂みに大きな声で問いかけたのだ。

 信一はわけがわからず目を白黒させて辺りを見回す。

 

 すると、茂みからクラスメイトが次々と顔を出した。

 

 カッシュ、セシル、ウェンディ、リン、ギイブル、その他多くのクラスメイトがいつの間にか茂みに隠れていたらしい。システィーナやルミアまでいる。

 

「うふふ……騙すようなことをしてごめんなさい。でも、どうしても皆さんが信一の本心を聞きたいと言うので」

 

 悪戯っ子のようにウインクをするテレサの真意を信一はやっと理解した。

 彼女が離れていたのは、怖がっていたのではなく自分に大声を出させる為だ。茂みに隠れているクラスメイトに聞かせられるように。

 

 そしてこちらを見ているクラスメイトの表情に恐怖はない。事件が起こる前と同じ、出来は悪いが可愛い弟を見るような暖かい視線を向けてきている。

 

「……策士だね、テレサ。あれも嘘泣きだったの?」

 

「泣き落としは女の子の特権ですから」

 

 まんまと騙された。

 

 どうやら怯えていたのは自分のほうだったらしい。

 だって———また自分と友人でいてくれる彼女らの心が嬉しくて目頭が熱くなっているのだから。

 

「ハァ……ありがとう、みんな」

 

 涙の浮かんだ目を誤魔化すようにため息を零し、信一はクラスメイトに礼を述べる。

 その姿は狂人とは程遠い、どこにでもいる友達と笑い合う少年の姿であった。

 

 

 

 

 

 

 ある日の休日。

 信一は対面に座って美味しそうに自分の作ったマフィンを頬張るシスティーナとルミアを眺めていた。

 あまりにも美味しそうに食べるので、それを見てるだけでお腹いっぱいになってしまう。

 

 

 ……まさかルミアさんが3年前に病死したエルミアナ王女だったなんてね。

 

 

 事件から数週間が経ち、傷も癒えた信一はグレンとシスティーナと共に事件解決の功労者として帝国上層部に密かに呼び出された。

 そこで聞かされたのはルミアの素性。

 

 彼女は正真正銘の王女であり、また“異能者”でもあった。

 

 “異能者”とは、生まれながらにして魔術とは別の力を持った人間のこと。

 それは魔術と違い原因が解明されておらず、悪魔の生まれ変わりとされてきた。

 そんな悪魔の生まれ変わりが王室に生まれてしまい、彼女は様々な政治的事情で放逐されたらしい。

 そして、帝国上層部からの要請はそんなルミアの素性を帝国の未来の為に秘密にしておいてほしいとのことだった。

 

 

 ……国の為に家族を放逐なんて、胸糞悪いったらありゃあしないよ。

 

 

 もちろん、その決断を下した女王陛下の心に葛藤があったとは思う。

 ただ、信一としては葛藤するくらいなら国なんて捨ててしまえと言いたい。家族より大切なものなどあるものか。

 

 心から筋違いの怒りが湧くが、すぐに収まる。この考えだって庶民出身の自分だからこその意見だ。

 

 それに事情はどうあれ、自分が出会い家族として生きている彼女はエルミアナ王女ではなく、ルミア・ティンジェルなのだ。王族だとか異能者だとか関係なく、自分がやる事は決まっている。

 

「どうしたの、シンくん?私の顔に何か付いてる?」

 

 つい、彼女の顔をまじまじと見つめてしまっていたらしい。きょとんと首を傾げるルミアに信一は優しく笑いかけた。

 

「……はい。食べカスが」

 

 テーブルの上に置いてあるナフキンでルミアの口の周りを拭いてやり、マフィンの食べカスを落とす。

 王室出身だろうと、今の彼女は年相応の甘いものに夢中な女の子だ。そんなルミアの世話を焼いてやることに自分はこの上ない充足感を感じている。

 

「えへへ〜、ありがとう」

 

「もう…がっつきすぎよ、ルミア」

 

「お嬢様も付いてますよ」

 

「ウソッ!?」

 

「はい、嘘です」

 

 慌てて口元を拭うシスティーナに信一はニヤニヤ笑いながらサラッと言ってのけた。

 システィーナの顔がみるみる赤くなる。それを気にすることもなく、信一は紅茶を一口。

 実にふてぶてしい態度だ。

 

「うぅ〜〜〜ッ!」

 

「どうどう、おさえてシスティ」

 

 悔しそうに歯噛みして睨みつけてくるが、信一には子猫が一生懸命威嚇しているようにしか見えない。

 

 ぶっちゃけ、俺の主マジ可愛い!!と声を大にして叫びたい気分になる。

 

「そ、それより!信一、早く【迅雷】のこと教えなさいよ!」

 

「おや?それが人に物を頼む態度ですか?」

 

「うぐっ……」

 

 今回のおやつタイムはシスティーナが【迅雷】について知りたいと言い出したのが始まりだ。

 またもや悔しそうに顔を赤くしているシスティーナだが、魔術に対しての学習意欲は非常に高い子である。

 

 身近に固有魔術が使え、なおかつそれを間近で見てしまえば好奇心が勝ってしまうのは仕方のないことだろう。

 信一としても、別に教えるのはやぶさかではない。

 

 それに、あまりからかい過ぎると拗ねてしまうので大変面倒なのである。今の信一の思考はこれが9割を占めている。

 

「まぁ、仮にもお嬢様の頼みですからね。それじゃあまず最初に言っておきますが……」

 

 にっこり笑い、慇懃無礼な態度をまったく崩さない信一。しかし、システィーナは本題に入ると見て特に気にしない。あとで相応の仕返しはするが。

 

 

 

 

 

 

 

 

「そもそも【迅雷】という固有魔術は()()()()()

 

 

 

 

 

 

 

「「 え? 」」

 

 システィーナとルミアは呆けた声を上げ、目を丸くした。

 

 当然だろう。【迅雷】とは強力な固有魔術という噂が帝国では一般化している。実際、信一自身がこれは固有魔術と言ったこともあった。

 

「そもそも“一子相伝の固有魔術”という時点でおかしいでしょう?それなら単純に眷属秘呪(シークレット)と言えばいいんですから」

 

 固有魔術とは個人が持つ魔術特性(パーソナリティ)を組み込んだオンリーワンの魔術のことを指す。

 

 そんな大それたもの、落ちこぼれの自分が使えるはず()()

 

「ちょっ……じゃあ【迅雷】ってなんなのよ!?身体強化の白魔【フィジカル・ブースト】とは別物でしょ!?もしかして……」

 

 言葉を切り、システィーナがチラリとルミアを見た。

 

 彼女が言及したいことはわかる。【迅雷】とは“異能”なのか、という可能性だ。

 

「お嬢様の考えてることと俺が考えてることが同じなら、それも違います。【迅雷】はれっきとした魔術です」

 

「えぇ……?」

 

 システィーナは頭を抱える。ならあの人外の動きはなんなのか。刀を薙いだだけで【ブレイズ・バースト】を打ち消せる身体強化の魔術なんて思いつかない。

 

 そんな彼女の様子を楽しげに眺め、満足した信一は種明かししようと左手人差し指をシスティーナに向ける。

 

「《雷精よ・紫電 以て・撃ち倒せ》」

 

 グレンが授業中にやってみせた、出力を物凄く落とす方法で【ショック・ボルト】を起動。紫電はシスティーナに直撃するが、ポスっと間抜けな音を立てただけで消える。

 

「今のが【迅雷】の正体です」

 

「「 はい? 」」

 

 パチクリと大きな目を瞬かせながらシスティーナとルミアは首を傾げた。

 その様子を見た信一はわずかに吹き出す。

 

「えっと……信一、もしかしてふざけてる?」

 

 笑われたことが癪に障ったのか、システィーナの額に青筋が立っていた。

 無論、信一はふざけてなどいない。仮にも主からの質問だ。真面目に応えている。

 

「まぁ落ち着いてください。ちょっと話が変わりますが、人間の体って普段は何%で活動しているか知っていますか?」

 

「なによいきなり……」

 

「確か2%だったよね?」

 

 怪訝そうに眉を顰めるシスティーナに変わり、ルミアが答えた。

 

「その通りです、ルミアさん。それ以上使うと体に負担がかかって動けなくなってしまうので、脳がリミッターをかけているんですね」

 

 それを聞いたシスティーナはハッと何かに気付いたように顔を上げる。

 聡明な彼女は話の流れで【迅雷】がどのようなものか理解したようだ。

 

「もしかして……【迅雷】って脳に直接【ショック・ボルト】を打ち込んで強制的にリミッターを外す術ってこと?」

 

「さすがお嬢様です。その通り」

 

 人間の体は脳からの電気信号で動いている。その電気信号に直接割り込んでリミッターを外すというのが【迅雷】の術理だ。

 

 リミッターが外れた人間は文字通りの超人になる。超音速で刀を振るうくらい朝飯前である。高所から人1人を抱えて両足での着地もまた然り。

 身体面だけでなく、五感においてもかなり強化される。

 視野が広くなり、音と空気の流れだけで視界の外からの攻撃にも対応できる。嗅覚で相手の位置を探ることだった可能だ。

 思考速度も急速に上がる。

 

「つまり【迅雷】って言うのは固有魔術ではなく、汎用魔術の応用に過ぎないんです」

 

「でもちょっと待って……。使う魔術が【ショック・ボルト】ってことは……」

 

「はい。魔術を扱う者なら誰だって使えるってことです。それこそ、お嬢様やルミアさんでもね」

 

 なにせ落ちこぼれの自分が使えるのだ。自分より優秀な彼女達が使えない道理はない。

 ただ、使い方を教えてやるつもりは毛頭ない。脳に直接電撃を打ち込むのだから、それ相応の危険が伴ってくる。

 

「まぁ、だからこそ固有魔術って言い張ってるんですけどね」

 

「「 ………………… 」」

 

 システィーナとルミアは顔を青くして頷く。

 

 軍用魔術を身体能力だけで打ち消すことのできる魔術が誰でも使えるなどと知れたら、魔導大国と名高いアルザーノ帝国なんて2、3回は軽く滅ぶ。

 国民の自分たちもポコポコ自国が滅びられてはたまったものではない。

 

 しかし、『【迅雷】は固有魔術』と喧伝しておけばそうなる可能性はグッと低くなる。何せ固有魔術はオンリーワンなのだから。

 

「なんか……凄いこと聞いちゃったね」

 

「えぇ。これって話しても良かったの?」

 

「たぶんダメですね。あ、お茶のおかわり淹れてにましょうか?」

 

 もはや彼女たちは空いた口が塞がらない状態だった。こんな重大なことをポロっと零しちゃっていいのだろうか?

 なにより、何故こいつはこんな重大なことを話した後で平然とお茶を啜れるのだろうか?

 

 そんな2人の不安をよそに、信一はティーポットを持って部屋から出ていった。

 

 

 

 

 

 

 キッチンに行く前に、少し寄り道をした。未だに昏睡状態の妹が眠っている部屋だ。

 

「入るよ?」

 

 もちろん返事はない。しかし、信一は少し待ってから扉を開ける。

 妹———朝比奈信夏は今日も眠り続けていた。きっと明日も、その次の日も目を覚ますことはないだろう。

 

 そんな妹の寝顔に信一は優しく微笑みかけ、頭を撫でる。

 

「俺…ヒック……今度は…守れたよ……エグ…」

 

 しかし、信一の目からは涙が溢れていた。止め処なく、嗚咽を抑えながら静かに涙だけが流れる。

 

 信一は、今が幸せだった。システィーナやルミア、レナードやフィリアナといったこのフィーベル家でお世話になりながら彼女達に尽くす毎日が幸せだ。

 

 だが、今が幸せだからこそ妹への罪悪感は大きくなっていく。

 

 母親を殺しておきながら、自分だけが幸せになっている事実が自身の心を締め付ける。

 

「ごめんね……ごめんね……」

 

 何度謝っても罪悪感は消えない。涙を流しても自責の念は消えない。

 自分は本来ならこの世全ての不幸を背負って地獄に落ちるのが妥当なほどの大罪人だ。にも関わらず、新しい家族に囲まれ幸福な時を過ごしている。

 

 そんな自分が許せなかった。

 

 結局昔から変わっていない。

 5年前、母親を殺す前は“弱虫で泣き虫”。

 母親を殺した後は“弱虫で泣き虫の人殺し”。

 

「きっと信夏は過去じゃなくて今を見ろって言うんだろうね」

 

 いつも明るくて、人懐っこくて、誰からも愛されていた自分の妹はポジティブな考え方を持っていた。

 今の自分の姿を見たら、優しく微笑んで容赦無く今を大切にしろと言うだろう。

 

 だから考える。今の自分に相応しい肩書きを。

 

 今度こそ家族を守る為に速くなろうとした。

 従者でありながら家族としても生きていけるように慇懃無礼な態度を取ろうとした。

 

 そんな自分にピッタシな肩書き、それは……

 

「『超速い慇懃無礼な従者』、かな」

 

 どうにも語呂が悪いが、まぁいいだろう。いつかしっくりくる日が来る。

 

 

 ……今度は守り抜くよ。

 

 

 心にそう誓い、信一は妹の部屋を後した。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 アルザーノ帝国、帝都オルランド某所。

 

 ある男性は椅子に座り、行儀悪く机に足を乗せて紙の束を読んでいる。その男性の顔は純粋無垢な子供のように楽しそうだ。

 

 紙の表紙には『アルザーノ帝国魔術学院自爆テロ未遂事件』の文字。男性はその事件の報告書を楽しげに読んでいた。

 

「とある非常勤講師と生徒2名の奮闘により、自爆テロは未遂に終わった。尚、事件解決に協力した生徒1名が【迅雷】を使用した模様……か」

 

 報告書の特に気に入った部分を改めて声に出して読み、男性は嬉しそうに笑う。

 

 その時、部屋の扉からコンコンと無機質なノックが鳴った。

 

「どうぞ」

 

「…………………」

 

 扉を無言で開けて入ってきたのは———すらりとした長身痩躯の男だ。

 藍色がかった長い髪の奥から覗く双眸は鷹のように鋭い。

 

「どうした、アル?何か用か?」

 

 どこか冷淡さを感じる声音で話す彼の名はアルベルト=フレイザー。

 帝国宮廷魔道士団特務分室、執行者ナンバー17『星』の名を冠する男性の同僚だ。

 

「仕事だ。今度フェジテのアルザーノ帝国魔術学院で行われる『魔術競技祭』に女王陛下が賓客として赴くことになっているのは知っているな?女王陛下から直々にお前を護衛に加えたいとのことだ」

 

「女王陛下には王室親衛隊がいるだろ?なんで宮廷魔道士団の俺が?」

 

「知らん。ただ、最近その王室親衛隊が不穏な動きを見せている。個人的に交友のあるお前がいたほうが陛下も安心するのだろうな。ついでに親衛隊の見張りもしてこい」

 

「してこいって……俺一応お前より年上なんだけど?」

 

「軍での階級は俺のほうが上だ」

 

 にべもないアルベルトの態度に男性は肩をすくめてため息を1つ。

 ちょっと言ってみただけで、別に彼もアルベルトの口のきき方なんてどうでもいいのだ。

 

 それより問題は女王陛下の護衛。つい3日前に“天の智慧研究会”の構成員を500人ほど血祭りに上げたばかりだ。

 少し間があるとはいえ、国家元首の護衛が予定に入るなんぞ頭痛の種にしかならない。

 

 ハァ……ともう一度深いため息を吐いて、ふと何かに気付いたように顔を上げる。

 

「アル、フェジテのアルザーノ帝国魔術学院って言ったか?」

 

「あぁ。……どうした、急にニヤけだして?控え目に言って気色悪いぞ」

 

 どこをどう控えたのか気になるアルベルトの物言いを尻目に、男性は嬉しそうに笑う。

 

「いや、なんでもないよ。それよりちょっと手を貸してくれないか?」

 

 機嫌良さげに足を乗せていた机の引き出しから新品の通信結晶を取り出し、それをコツンと指先で小突く。

 それだけで通信結晶は綺麗な真っ二つになった。

 

 それをアルベルトに渡し、通信結晶として機能するように魔術を施してもらう。

 

「楽しみだなぁ……あいつらと会うのは5年ぶりか」

 

 男性———帝国宮廷魔道士団特務分室、執行者ナンバー13『死神』の零こと、朝比奈(れい)はワクワクした表情を浮かべながらポストカードに羽根ペンで文字を記す。

 

 その机には刀が一振りと血を吸ったかのように赤い槍が一本、静かに立てかけてあった。




はい、いかがでしたか?
これにて一巻のお話は終了です。もちろん二巻に続きますけどね!!

最後にチラッと出た男性は言うまでもなくオリ主の父親です。
二巻の内容からは彼も絡ませますぜぇ(ワルイカオ)


目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

第2章 家族の為なら国を壊せますか?
第12話 父親からの手紙


待たせたな(イケボ)
いや、本当にすみません。学校の行事で手がつけられませんでした。

そんな学校の行事、なんというか……ゴミのような時間だった。

はい、今回から二巻に突入です。といっても今回は本編に入らず、この小説特有のグダグタとシスティちゃん&ルミアちゃんと会話する回ですがね。

ボディタッチもあるよ(ボソボソ)


あとルミアちゃん!誕生日おめでとう!!



「19998、19999、20000!!」

 

 左右の手に持つ刀を気合一閃、空気を裂きながら振り抜き日課の素振りを終える。

 あの事件から、信一は素振りの回数を2倍にした。

 

 5年間、毎日10000回刀を振り続けても死にかけたのだ。だったら2倍にして今より2倍の速度で技術の研鑽を積むという、わりと安直な考えだが。

 

 あの時、システィーナを危険に晒してしまった。それだけでなく、もう一度自身の家族を失うところまで来てしまったのだ。

 

 刀を鞘に収め、次に腰のホルスターから大型のナイフを2本取り出す。レイクから奪ったナイフだ。

 敵ながらあの男のおかげでナイフの有用性は身に染みた。それに、刀が折れた後でも武器があるというのは心強いものがある。

 

 それをまた左右の手に持ち、レイクの太刀筋を鮮明に思い浮かべながら10000回振るう。順手で薙ぎ払い、その勢いで逆のナイフから突きを放ち、それを避けられたと想定して逆手に持ち替えまた突き刺す。

 

 そんなハードな鍛錬が終わる頃には、信一の体は汗でびっしょりにらなっていた。

 

「ふぅ……しんどいな」

 

 だが足りない。この程度では足りない。

 レイク程度の敵は、読書の片手間に排除できるくらいに強くならねば、彼女達を守り切れるとは口が裂けても言えない。

 

 しかし、あまり根を詰め過ぎると逆に動けなくなる恐れがある。それでは本末転倒もいいところだ。

 

 信一は思考を切り替え、軽く水を被った後にフィーベル邸の郵便受けから新聞やら何やらを回収する。

 

「ん?」

 

 その中に1通、手紙と何やら硬いものが入った封筒を見つけた。

 差し出し人を確認すると……

 

「朝比奈零……父さんからだ!?」

 

 5年間会っていない父親の名前が書かれていた。

 

 

 

 

 

 

「ふ〜ふふん♪ふふふふ〜ふ〜ふん♪」

 

 フィーベル邸のキッチンにて、信一は機嫌良さげに鼻歌を歌いながら野菜を切る。包丁がまな板を叩くトントントンというリズムも相まって、1つの音楽が形成されているようだった。

 

 その様子を銀髪の少女——システィーナ・フィーベルは柱の影からおっかなビックリ眺めていた。

 

 ……なんか今日の信一、機嫌が良い。

 

 いつも笑顔ではあるが、その笑顔は優しく微笑んで相手を安心させるような笑顔だ。

 今の信一の笑顔は、ただただ子どものような自分の事を喜ぶ笑顔。

 

 その差は一目瞭然だった。

 

「あの……信一?」

 

「あ、おはようございますお嬢様。つまみ食いですか?」

 

「違うわよ!」

 

 さすがに気になって声をかけてみるが、いつものようにからかってくるだけ。しかし、それすらも幸せの絶頂であるかのように心底楽しそうである。

 

「お茶ならそちらに用意してありますよ」

 

「あ、ありがとう……じゃなくて!!」

 

「ん?」

 

 今日システィーナがキッチンに来たのはお茶を取りに来たわけでもつまみ食いしにきたわけでも、ましてからかわれに来たわけでもない。

 

「えっと……そのぅ……」

 

 もじもじと指遊びをしながら目線を忙しなく泳がせるシスティーナ。

 

 とりあえず信一は用意しておいたお茶を彼女の分だけ淹れて、目の前に差し出す。これ飲んで落ち着け、という意味だ。

 それを察したシスティーナは一口飲んで深呼吸を1つ。

 

 決意を固めた真剣な目で信一を射抜く。

 

「お願いがあるんだけど……」

 

「なんですか?」

 

 信一は再び包丁での調理を再開しながらシスティーナに笑いかける。

 お嬢様の願いならなんでも叶えてみせるぜ、という気概が溢れてくる優しい笑みだった。

 

「料理をね……教えてほしいの」

 

「料理ですか?別に構いませんが、何故?」

 

「そのぅ……」

 

 ここでシスティーナの心に葛藤が生まれる。

 

 前回の事件で身を呈して守ってくれたグレンにお礼として作ってあげたい、というのが本音だ。

 

 しかし、信一のことだからそれを知ったらからかってくるに違いない。最終的には教えてくれるだろうが、からかわれるのは悔しい。

 

 なので無難な理由をでっち上げることにした。

 

「ほら、私ってもう15歳じゃない?花嫁修行始めたほうがいいかなぁ〜って」

 

 ザクッ!

 

 システィーナの言葉を聞いた瞬間、信一の握る包丁が彼自身の指を深く切り裂いた。赤い血が滴る。

 だが信一は特に気にした様子はなく、包丁でトントントンとまな板を叩いていた。そこに切るべき野菜はない。というか何もない。

 

「なん……ですとぉ…………ッ!?」

 

「いや!そんなことより指ぃーッ!」

 

 急いで駆け寄り、信一の指に【ライフ・アップ】をかける。

 その時彼の顔を見ると、(´⊙ω⊙`)な顔をしていた。

 

「お嬢様が……花…嫁……に………」

 

 そして発せられる声は聞くもの全てに無償の同情をさせてしまうほど情けない。

 さっきまでの笑顔が嘘のように動揺していた。

 

 だがそこは腐ってもフィーベル家の従者。なんとか持ち直し、包丁を投げ捨てて鬼気迫る形相でシスティーナの肩を掴んで顔を近付ける。

 

「誰か結婚したい男でもできたのですか!?そいつはどこのどいつでどんな奴ですか!?一般人ですか!?魔術師ですか!?血液型は!?家族構成は!?」

 

 主としてはもちろん、姉のように慕い、妹のように大切にしてきたシスティーナの婿になる相手だ。

 最低でも世界中の軍隊から1人で彼女を守り抜くだけの武力と、世界中の政治家や弁護士が束になっても説き伏せられるだけの知力を持ち、なによりシスティーナを誰よりも愛する人格が備わっていなければ信一は認めないつもりだった。

 

 無論、それを全て満たす者は人類に存在するわけなどないのだが……。動揺で我を忘れている信一は残念ながらそれに気付けない。

 

「お、落ち着いて信一……」

 

「これが落ち着いていられるわけないでしょう!!まずは旦那様と奥様に連絡を取ります!それから密かに俺がこの目でお嬢様に相応しい相手か見定め……斬りかかりましょう!」

 

 どこからともなく取り出した刀を手に、鯉口を切って小さく刃を覗かせる。

 もはや目的が偵察から暗殺に変わっていることに、やはり信一は動揺のせいで気付けていない。

 

 そろそろ本格的に収集がつかなくなってきた暴走ぶりに、システィーナは最後の手段に出る。

 

「———信一」

 

「………っ!?」

 

 システィーナは優しく信一の頭を自分の胸に抱き寄せた。

 たったそれだけの動きで信一の暴走が止まる。

 

「私はどこにも行かないから。だから落ち着いて……ね?」

 

「……申し訳ありません。取り乱しました」

 

 取り乱したというレベルではなかったのだが、そこはあえてツッコまずに頭を撫でてやる。すると信一の体が一瞬強張り、それから安心したように力が抜けてくる。

 身をシスティーナに委ね、信一自身も甘えるように首へ手を回してきた。なのでシスティーナも少し腕に力を込め、彼の頭を抱き締める。

 

「———お嬢様」

 

「なに?」

 

 システィーナは甘えん坊な弟を見るような慈愛に満ちた目で見下ろし、優しく答えてやる。

 

「顔面に骨が当たって痛いです」

 

「フンッ!!」

 

 信一の脳天にシスティーナの肘鉄がめり込んだ。

 

 本来女性としてある胸の膨らみが同年代より些か以上に乏しい彼女の胸部は、胸というより胸板(むないた)だった。

 

 信一は脳天に深刻なダメージを受けながらふと思う。

 

 ……胸板とまな板って、音の響きが似てるなぁ。

 

 その考えが伝わってしまったのか、2発目がめり込んだのは言うまでもない。

 

 

 

 

「はあぁぁぁ〜〜〜……なんかすごい場面に遭遇しちゃった……」

 

 なお、キッチンが騒がしくて起きたルミアは、えらく半端な場面———具体的にはシスティーナが信一を抱き締めた場面()()を見てしまい、盛大な誤解をしていた。

 

 

 

 

 

 

 

 

「いや〜、ビックリしたよ。なんか家族間で禁断の恋が発展しちゃったのかと思った」

 

 ルミアがにぱぁと見る者全てに無条件の幸福をもたらす笑顔で言った。

 

「もう勘弁してください、ルミアさん」

 

「お願いルミア。もう勘弁して」

 

 それに信一とシスティーナは顔を真っ赤にして俯く。

 

 場所は学院までの道中。今朝キッチンで起きた珍事を見事に誤解していたルミアに対し、信一とシスティーナは朝食の時間を費やしてなんとか事の次第を説明して誤解を解くことに成功した。

 

「お嬢様が変な嘘つくからあんな事になるんですよ」

 

「なによ。だからってあんなことで取り乱すあんたにも非はあるでしょ?」

 

「こーら。喧嘩しないの」

 

「「 元々はルミア(さん)が原因だからね(ですからね)っ!! 」」

 

 2人は声を揃えて叫ぶ。なんだかんだ言って仲の良い主従であった。

 

「はぁ…はぁ……ごほん!それより信一」

 

「はい?」

 

 咳払いをして気を取り直したシスティーナは腰に手を当てて振り向く。

 

「なんか今朝はやけに機嫌良かったじゃない。何かあったの?それにそのイヤリングも」

 

「あ、ホントだ。シンくん、そのイヤリングどうしたの?」

 

 彼女達の言うように、信一の左耳には見慣れないイヤリングが付けられていた。小さな宝石の装飾が施されたものだ。

 

「これは通信結晶ですよ。実はですね……」

 

 信一はゴソゴソと自分の鞄を漁って1つの封筒を取り出し、嬉しそうに2人へ渡す。

 

「父さんから手紙が来まして。その中にこれが入っていて、夜ならいつでも連絡してきて良いって手紙に書いてあったんです!」

 

 渡された封筒にはフィーベル邸の住所が書かれていた。差出人の欄には間違いなく信一の父親の文字。システィーナは一度だけ会ったことがあるので、名前を知っていた。

 

 対してルミアは、どこかで見たことある名前だなぁとデジャブを感じて首を傾げる。

 

「これ、読んでもいい?」

 

「どうぞ」

 

 システィーナが封筒から大事そうにしまわれた手紙を取り出して開き、ルミアにも見えるように顔を寄せて読み始めた……が、

 

「「 読めない…… 」」

 

 そこに羅列する文字はアルザーノ帝国で使われる文字ではなかった。

 なにやら画数の少ない文字が2種類と、それ自体が意味を持っていそうな画数の多い文字が1種類で構成されている。

 

 生まれも育ちもアルザーノ帝国の2人には判読不能だった。

 

 返された手紙を受け取り、信一はもう一度流し読みしてから要約する。

 

「簡単にまとめると、『今度学院で行われる魔術競技祭に仕事で行けることになったから、終わったら会わないか』って感じですね」

 

「シンくんのお父さんのお仕事って、宮廷魔道士団の?」

 

「はい。女王陛下の護衛と書かれていま……あ……」

 

 ここで信一は自身の失言に気付く。

 

 5年ぶりに父親と会える事に浮かれてルミアへの配慮を忘れていた。

 彼女は元王女。母親は言うまでもなく女王陛下だ。そんな彼女の前で親の話は厳禁だろう。しかも女王陛下の名前まで出してしまった。

 

「あの……申し訳ありません、ルミアさん」

 

「あはは、大丈夫だよ。気にしないで」

 

 自分のデリカシーの無さに嫌悪感が沸いてくる。しかし、それを笑って流せるルミアの豪胆さには舌を巻くばかりだ。

 

 少し重苦しい空気になってしまったのを察したシスティーナが、それを払拭しようと声を上げた。

 

「魔術競技祭といえば、ウチのクラスだけまだ出る種目決まってないのよね」

 

「そういえばそうだね。競技祭は来週だし、今日あたりには決めておかないと練習が間に合わなくなっちゃうかも……」

 

 魔術競技祭はいわば魔術を使った運動会のようなものだ。魔術に触れる機会のない一般人や、帝国のお役人なども見にくる楽しいお祭り……というのは残念ながら建前に過ぎない。

 例年では、クラスの成績優秀者を全競技で使い回して挑むものとなっている。

 学年トップの成績を持つシスティーナは去年、その例に則って競技祭に参加したが、感想は『とてもつまらなかった』とのことだ。

 

 しかし、今年は非常勤講師から正式に講師となったグレンの意向(丸投げ)で好きに決めて良いことになった。

 この機を逃さず、システィーナはクラス全員で参加して勝利したい、もしくは勝てなくとも楽しみたいと考えている。

 

 そんなシスティーナらしい考えに信一とルミアもできるだけの事はするつもりだった。

 

「ですが、難しいですよね。負ける確率の方が高いものに挑むのはそれだけで勇気がいりますから」

 

 別に絶対発揮しなければならない勇気ではないのだ。だったら負けて無様を晒すより、傍観者でいたいと思うのは当然の帰結だろう。

 

 残念そうに肩を落とすシスティーナに、信一は優しく微笑みかける。

 

「ま、それでも決めないといけないものですし。俺もルミアさんも、できるだけのことはしますからね」

 

「……うん、ありがとう」

 

 少しだけ肩の荷が軽くなったように笑うシスティーナ。その表情に信一も安堵する。

 

 続けて、システィーナにだけ聞こえるように顔を寄せる。

 

「あとお嬢様。ありがとうございます」

 

 それは先ほど女王の名前を出してしまった時のお礼。

 信一が自分を責めている時、システィーナが助け舟をだしてくれたことにだ。

 

 だがシスティーナは、

 

「ん?なんのこと?」

 

 なんのことだか全くわかっていない。

 

 彼女にとって家族が困っていたらフォローを入れるのは当たり前のことに過ぎない。

 空気を吸ったら吐く。それと同じくらい当たり前なことに対して、お礼の必要性など感じていないのだ。

 

 そんなシスティーナだからこそ、信一は彼女を敬愛している。家族として。そして、主として。




はい、いかがでしたか?
ボディタッチ(笑)でしたが満足していただけましたか?

先日、秋葉原のボークス七階でやってるロクアカのイベントに行ってきました。アニメの原画や台本、声優さんのサインやグッズなどファンにはたまらないものばかりでしたよ。
今月の17日までやってるので、ぜひ行ってみてください!

ちなみにオススメのグッズはクリアファイルセットです!!


目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

第13話 魔術競技祭の思惑

先日、間違えてラブライブ!サンシャイン!!の方を投稿してしまい、読者の皆様を混乱させてしまいました。
本当に申し訳ございません。


「はーい、じゃあ次は『変身』の種目に出たい人ー?」

 

 システィーナの呼びかけに、しかし教室に座る誰もが反応を返さない。

 大半が気まずそうに目を晒すか、目を伏せるか。先ほどからこんな光景が続いている。

 

 1週間後に迫った魔術競技祭だが、残念ながらこの二年次生二組だけは誰が何の種目に出るかすら決まっていない。

 正直な話、原因はシスティーナ自身だったりする。

 

 例年の如くさっさと成績上位者だけで出場すればいいものを、わざわざクラスメイト全員に出番を与えようとしているのだ。

 

「ねぇ、せっかくのチャンスだしみんなで頑張ってみない?先生が『好きにしろ』って言ってくれたんだし……」

 

 今決まってるものといえば、『精神防御』のところに朝比奈信一の文字があるだけだった。

 

『精神防御』は精神汚染攻撃への対処能力を競う競技である。

 しかし、この競技は敗者脱落形式で一位のクラスにしかポイントが入らない。それに加え、ある程度のラウンドまで行くと脱落した場合3日ほど廃人になってしまう恐れがある危険な競技だ。

 

 結局例年通りになった場合、学年トップのシスティーナがこの競技に出る可能性がある。だったらそうなる前に信一が進んで出場したいと手を挙げるのは当然の帰結だった。

 それに、去年信一はこの競技に捨て駒として出場している。特に恐れる気持ちはないし、システィーナが廃人になるくらいなら自分が廃人になるくらい何とも思わない。

 それ以前に、廃人となる前のラウンドで信一は脱落する。去年は第3ラウンドで脱落した。

 

「ムダだよ、システィーナ」

 

 さすがに業を煮やしたのか、クラスの次席であるギイブルが声を上げた。

 

「今回の競技祭には女王陛下が賓客としてご尊来になるんだ。皆、負けると分かってる戦いにわざわざ負けて無様を晒したくないのさ。それに……」

 

 一度息を吐き、まっすぐシスティーナの目を見て彼は言う。

 

「足手まといにお情けの出番を与える遊びはもういいだろう?そろそろマジメにメンバーを決めようよ」

 

 それは暗に成績上位者以外を蔑ろにする発言であった。さすがにシスティーナもそれにはカチンと来て彼を睨む。

 

「ギイブル……あなた本気で言ってるの……?」

 

「そうだよ。何かおかしいかい?」

 

 対してギイブルは自分が間違っているとは微塵も思ってない様子だった。2人が無言で睨み合い、剣呑な空気が教室内を覆う。

 

 さすがにここで喧嘩が起きても面倒なので、ルミアと共に書記を務めていた信一はため息混じりに仲裁に入ることにした。

 

「ハァ……。お嬢様、落ち着いてください。ギイブルもわざわざ怒らせるような事を言わないで」

 

 しかし、2人の睨み合いは続く。なんだかんだ言って2人とも成績上位者というだけでなくプライドも高い。引くに引けないという気持ちもあるのだろう。

 それを見抜いた信一は別の方向から解決を試みることにする。

 

「皆さ、本当に今回の競技祭に出なくていいの?」

 

 信一は2人を一旦放置し、他のクラスメイトに声をかけた。

 

「さっきお嬢様が言ったことを繰り返すようだけど、せっかくグレン先生が好きにしろって言ってくれたんだしさ、出てみない?それにこれが最後のチャンスかもしれないよ?」

 

 最後のチャンス、という部分でクラスメイト達は首を傾げた。はて、競技祭は来年もあるはずだが?

 

 そんな空気がありありと見えた信一はにっこり笑う。

 

「確かに来年も競技祭はある。でも、来年までグレン先生がいるとは限らないんじゃないかな。だって……あのグレン先生だよ?」

 

「「「 あぁ…………………… 」」」

 

 非常勤講師から正式に講師となった今でも、グレンの素行が改善されたわけではない。

 先日など、3日前が給料日だったにも関わらずクラスの生徒全員に昼食をたかっていた程だ。噂に寄ると全額未来へ投資したらしい。

 ちなみに『未来へ投資』と書いて『ギャンブルでスる』と読む。

 

 そんなグレンが来年もこの学院で講師をしているだろうか?

 

 その疑問に力強く頷けるものは……悲しいかな。彼をよく知る二年次生二組にはいなかった。

 あの心優しいルミアでさえ、苦笑いを浮かべるだけで首が縦には1ミリも動かない。

 

「だからまぁ、みんな出てみてもいいんじゃない?思い出作りって意味で考えれば女王陛下の前で競技祭をしたっていうのもそれなりに立派なものだと思うよ」

 

 これが効いたらしく、クラスが少しざわめき出す。とりあえず勝ち負けは二の次と考えてくれたらしい。

 それ以外にも「そうか、先生いなくなるんだ」「短い間だったけど楽しかったなぁ」「俺、明日先生に花束買ってくる」といった、何故かグレンが今年中にクビになることは確定したような会話もチラホラ聞こえてくるが、特にそれは気にしなくていいだろう。

 

 今のところそれを否定できる材料は1つもないのだから。

 

 なんとなくシスティーナとギイブルの空気も有耶無耶になったので、一息つく。そんな時、廊下からドタドタと荒々しい足音が聞こえてきた。

 その音は自分達の教室の前で止まる。

 

 バァンッ!!

 

 大きな音を立てて教室の扉が開かれ、ちょうどクラスの中では来年いなくなることになっているグレンが姿を現した。その表情はいつになくやる気に満ち溢れている。

 

「ここは俺に任せろ!!このグレン=レーダス大先生様になッ!!」

 

「うわぁ……ややこしいのがきちゃったよ……」

 

 その小さな信一の呟きはクラスメイト全員の心を代弁していた。

 

 何がややこしいって、どう考えても先日と今で魔術競技祭へ向ける情熱が違うことだ。どう考えても何かある。

 

「白猫、競技種目のリストよこせ。言っとくが、俺がやるからには全力で勝ちに行くぞ?」

 

 リストをグレンに手渡すシスティーナも何か訝しんでいるようだ。

 

 そんな彼女達を尻目に、グレンはリストを見ながら考え込むように顎へ手を当てている。しかし、すぐに纏まったようで視線をクラス中に向けた。

 

「じゃあこの1番配点が高い『決闘戦』は白猫とギイブル、そんでカッシュ。お前ら3人が出ろ」

 

「俺!?」

 

 まさかの人選にカッシュは驚愕の声を上げるが、グレンは構わず生徒達に種目を割り振っていく。

 

「次……『暗号早解き』、これはウェンディ一択だな。『精神防御』……はルミア以外ありえんわ。んで、この『スナイピング・ダブルス』っていうのは今年の新競技か?これはそうだな……【ショック・ボルト】系統の競技だし、セシルと信一がいいだろう」

 

 淡々と決められていく出場種目にクラスメイトはざわめきすら起こさず、黙って聞いている。

 一応書記の信一とルミアは、慌てて黒板にグレンの言った通りに手分けして競技の隣へ名前を書いていった。

 

「———で最後、『変身』はリンに頼むか。よし、これで枠は埋まったな。何か質問は?」

 

 ルミアが『変身』の隣にリンの名前を書いて、その作業が終わった。

 グレンの言う通り全ての枠が埋まった黒板を見て、システィーナが目をパチクリさせる。改めて見返した信一とルミアもお互い顔を見合わせていた。

 

 少なくとも最低1回はクラスの全員が競技に参加することになっているのだ。

 

「納得いきませんわ!」

 

 黒板の様子を見て感嘆していると、1人の女子生徒がグレンの采配に異を唱えた。ツインテールの少女———ウェンディだ。

 

「どうして私が『決闘戦」の選択から漏れてるんですの!?カッシュさんより私の方が成績はよろしくってよ!?」

 

 それを聞いたカッシュはなんとも微妙な顔をしている。

 

 ウェンディの言う通りこのクラスの成績は首席がシスティーナ、、次席がギイブル、三席がウェンディとなっている。四席以降はわりとコロコロ変わるが、基本トップスリーはこの3人だ。

 

『決闘戦』はグレンも述べたように1番配点が高い。本来ならカッシュではなくウェンディを出すのがセオリーだ。にも関わらずグレンはカッシュを選んだ。それがプライドの高いウェンディにはお気に召さなかったのだろう。

 

「お前、突発的な事故に弱えし鈍臭いとこあるからなー。使える呪文は少ねーが運動能力と状況判断のいいカッシュの方が向いてると思ってな」

 

「んな……」

 

 どうやらグレンの説明はいたくウェンディのプライドを傷つけたらしい。彼女は顔を真っ赤にしてグレンを睨んでいる。

 だが、グレンの言葉には続きがあった。

 

「でもな、リード・ランゲージの腕前はこのクラスならお前は誰よりも上だ。『暗号早解き』は独断場だろ?」

 

「ま、まぁ……そういう事でしたら……」

 

 ウェンディの顔が先ほどとは別の意味で赤くなった。グレンの言葉を要約するなら、『お前が1番』と言っているようなものなので分からなくもないが、案外ウェンディは褒め言葉を添えれば簡単に説得できることがクラスに露見した瞬間である。

 

「あ、じゃあ先生。なんで俺が『決闘戦』なんだ?」

 

「ん?今言っただろ?」

 

「いや、使える呪文が少なくて運動能力と状況判断がいいって言うなら俺じゃなくて信一の方が向いてるんじゃないか?」

 

 あぁそういえば、とクラス中が不思議そうに首を傾げる。

 

 皆の頭には1ヶ月前の事件のことが思い浮かんでいるのだろう。

 信一は的確な判断と類い稀な身体能力でテロリスト1人を無力化してみせた。魔術で強化し、なおかつ武器を使ったことを差し引いてもカッシュより戦闘能力が上であることは火を見るよりも明らかだ。

 

『決闘戦』はその名の通り(いくさ)。さすがに学生同士の競い合いなので殺し合いをするわけではないが、それでも戦闘に関してはクラスの誰よりも上を行く信一が適任と考えるのは普通だろう。

 

 しかし、それもグレンはしっかりと考えていた。

 

「体術有りなら確かに信一の方がいい。だが、この『決闘戦』は魔術オンリーの戦いだ。使える呪文が少なくてもいいとは言ったが、信一はいくらなんでも少な過ぎる」

 

「うぐっ……」

 

 信一は痛いところを突かれたかのように呻く。

 

 確かにまともな一節詠唱ができるのは【ショック・ボルト】や【フラッシュ・ライト】、あとは音響魔術くらいだ。

 他の呪文も使えなくはないが、ダラダラと三節詠唱をした挙句発動しないことのほうが多い。さすがにこれでは試合にならない。

 

 それを説明し終わる頃には、信一の目が濁り切っていた。ルミアに頭をナデナデしてもらいながら慰めてもらっている。

 さすがに従者であり、家族である信一がそこまで言われたとなるとシスティーナもグレンへ非難の眼差しを向けていた。

 

 グレンは慌ててフォローを入れる。

 

「でもな、お前らは気付いてないかもしれないけど、【ショック・ボルト】に関してはこの学院の生徒で信一に勝てる奴はいない。これは断言できる」

 

 それを聞いてカッシュも思い出したかのように手を打つ。そういえば、入学当初から【ショック・ボルト】を使えたのは信一とシスティーナだけ。しかもその信一は既に一節詠唱すらできていた。

 

 当時はとんでもない天才がいたもんだ、と感心したものだ。実態はそれ以外がポンコツな劣等生だったが。

 

 しかし、グレンは信一が【ショック・ボルト】の使い方に関してクラスの誰よりも上と言ったのは別の理由がある。

 それはグレン自身も【迅雷】の術理を信一の父親であり、元同僚から聞いていたからだ。

 脳に直接打ち込む時点で、正確無比な狙いと威力の調整が要求される。それを、精神を極限まで擦り減らす戦闘中に行使できるということはすなわち、学生レベルを軽く凌駕しているという証左に充分なり得るのだ。

 

「だからわざわざできない魔術オンリーの『決闘戦』より、【ショック・ボルト】だけの競技のほうが信一の有用性は高い。それに『スナイピング・()()()()』って言うくらいだし、パートナーとのチームワークは必須だろう?俺が見た限りだが、信一とセシルは仲が良いように見える。セシルも読書で発揮している集中力は目を見張るものがあるしな」

 

 セシルの趣味は読書。信一も授業を放棄してまで本を読もうとする本好き。

 確かに2人は趣味が合うためよく話すが、それをグレンの前で見せた覚えはなかった。

 

 どうやらグレンは自分達が思っている以上に生徒達を見ているようだ。

 

 グレンの説明を受けてカッシュも納得したようだった。

 

「どうやら自分がその競技に選ばれたことがよく分かってない奴もいるみたいだし、1人1人答えていこうか」

 

 そして、グレンは宣言通り競技に選ばれた理由を1人1人丁寧に述べていく。その様を見てシスティーナは感動したようであった。

 

 しかし、またしてもそのグレンの采配に異を唱える者が現れた。ギイブルだ。

 

「やれやれ……何が全力で勝ちに行く、ですか。そんな編成で勝てるわけないでしょう」

 

 彼はゆらりと立ち上がって、呆れたように肩をすくめていた。

 

「ほう、ギイブル。そういうお前は俺が考えた以上に勝率を上げる編成ができるのか?」

 

 それに対してグレンは特に気分を害した様子はない。むしろ、そんなものがあるなら即そちらを採用してやるぜ、という気概すら見える。

 

 そんな様子にギイブルは苛立ちを隠さず吐き捨てるように言ってやる。

 

「そんなもの決まってるじゃないですか。成績上位者だけで全種目を固まるんですよ。それが毎年恒例で、他のクラスがやってることです」

 

「………………え?」

 

 グレンの動きが止まる。

 

 顔には今日1番の驚愕を貼り付けていた。まるで神の天啓を聞いたかのようにポカンとしている。

 それから顎に手を当て、数秒。何かブツブツ言ってるようなので信一がグレンの顔を覗き込むと、とんでもなく悪い顔をしていた。

 

 とりあえずその顔をシスティーナとルミアに見えないよう自分の体で隠す。

 

「うむ……そうだな。そういうことなら……」

 

「何言ってるの、ギイブル!」

 

 どんな心境の変化があったのかはわからないが、ギイブルの意見を採用しようとしたグレンの声をシスティーナが遮った。

 

「見なさいよ、この編成!皆の得手不得手をきちんと考えて、皆が活躍できるようにしてくれてるのよ!」

 

 我が意を得たり、というわけではないが、これは奇しくもシスティーナが望んでいたものと同じものだ。

 

 すなわちクラス全員で競技祭に参加する、ということ。

 

 しかも、自分では到底成し得なかった編成さえグレンは簡単にやってのけた。しかも皆をきちんと見ているとわかる形で。

 

「先生がここまでしてくれたのに、それでもまだ成績上位者で固めることにこだわるの?それで掴んだ勝利なんてなんの意味もないじゃない!

 

 クラスもシスティーナの訴えでなんとなく彼女へ追従するムードが出来上がっていた。

 グレンを信じ抜いて啖呵を切るシスティーナ。しかし、グレンの顔は反比例して真っ青に染まっていく。

 

 そして、縋るような視線をギイブルへ向けていた。声には出してないが、なんというか……顔面がギイブルを全力で応援していた。

 

 だが、そんなグレンの視線に気付くことなく彼はため息を1つ。

 

「やれやれ。相変わらずだね、システィーナ。まぁいい。それがクラスの総意だというなら、好きにすればいいさ」

 

 ギイブルがそう言った瞬間、グレンがこの世の終わりみたいな顔をしだした。

 

「ふふ……♪」

 

 それとは対照的に、システィーナは今が最高だと満面の笑みを浮かべる。

 ギイブルを言い負かしたことではなく、クラス全員で競技祭に参加できることを心から喜ぶように。

 

 そして彼女にしては珍しく、世の男どもが嫉妬に狂って身を焦がしてしまいそうなほど可愛らしい笑みをグレンに向ける。

 

「私達、精一杯頑張るから。期待しててね、先生♪」

 

「お、おぅ……任せたぞ……」

 

 今にも死んでしまいそうな顔でそんなシスティーナにサムズアップを返すグレン。

 なにやらチグハグな2人の様子に苦笑いを浮かべ、信一は隣のルミアにそっと耳打ちをする。

 

「ねぇ、ルミアさん。なんかこの2人の会話……」

 

「うん……かみ合ってないよね……?」

 

 会話の字面だけで見れば、生徒思いの良い先生と先生の期待に応えようと頑張る健気な生徒なのだが……どうにも表情がその雰囲気を完全にぶち壊していた。

 

 ……ま、お嬢様が嬉しそうだし別にいっか。

 

 

 

 

 

 

 出場種目も決まったということで、二組一同は翌日から学院の中庭で各々競技の練習をしていた。

 

「よろしくね、信一」

 

「こちらこそよろしく、セシル」

 

 今回『スナイピング・ダブルス』でパートナーとなる女顔の小柄な男子生徒———セシルと軽く拳を合わせ、信一はにっこり笑う。

 

 基本信一は学院でもシスティーナとルミアにべったりなイメージだが、実はそうでもない。

 昼食に誘われれば2人に断ってそちらに行くし、普通に談笑も交わす。クラスメイトが困っていて、その一助になれそうなら自分から声をかけて必要なら手を貸す。

 

 案外女子生徒とはシスティーナとルミア経由で早い段階から仲良くなれたが、男子生徒はそうもいかないので自分から仲良くなっていった。なので、今回セシルと組むことになっても特に気負うことはない。

 

「それにしても、僕も魔術競技祭に出れるなんてね。正直、今でも信じられない気分だよ」

 

「俺も。しかも捨て駒じゃなくて、ちゃんと勝つ為の役割なんだから。グレン先生には感謝感謝だね」

 

 その辺の適当な木に背中を預けて座るグレンに2人は視線を向けた。

 なんか昨日より痩せた気がするが、何故だろうか?

 

「ま、本当に感謝するのは競技に勝ったからだけどね。やるからには一位狙ってこう!」

 

「おぉーー!!」

 

 余談だが、信一もクラスでは小柄な部類に入る。それは人種的な問題で仕方のないことだが、加えて童顔でもある。

 

 小柄で女顔のセシルと小柄で童顔な信一。その2人が気合を入れて拳を突き上げる様はどうにも母性をくすぐるらしく、女子生徒が微笑ましいものを見るような眼差しを向けている。

 

 その眼差しに気付いた信一はセシルと共にそちらへ笑って手を振ると、黄色い声が上がった。

 

「信一×セシル!尊い!」「いや、ここはあえてセシル攻めで!」「システィーナとルミアへ対する気持ちに悶々とする信一へ、『僕が忘れさせてあげるよ』と迫るセシル!」

 

「「「 キャーーーーーーーッ!! 」」」

 

 若干腐った黄色い声も聞こえたが、聞かなかったことにする。

 

 とりあえず信一が今腐った黄色い声(腐黄色(ふおうしょく)と命名)を上げた女子生徒の本棚は燃やそうと決意した時———中庭の一部からカッシュの怒号が響いた。

 

「いい加減にしろよ、お前ら!」

 

 そちらを振り向くと、なにやら違うクラスの生徒と言い争いをしているようだった。

 ただの言い合いならともかく、既にヒートアップしていて掴みかかりかねない雰囲気だ。

 

 ここで問題を起こされると、せっかくクラス全員で出場することになった競技祭に対してペナルティが課せられるかもしれない。

 そうなれば、システィーナが悲しんでしまうと考えた信一は仲裁に入ることにする。

 

「こーら。どうしたの?」

 

 布袋から刀を二本とも取り出して、右刀でカッシュを、左刀で違うクラスの生徒の襟をそれぞれ鞘に吊るして引き離す。

 

 2人とも大柄だが、地に足が着いてなければ暴れることもできない。とりあえずはお互いを宥めてから話を聞くことにした。

 

「な、なんだよお前!?」

 

「いいからいいから。何かウチのクラスに言いたいことがあるんでしょ?話は聞くから喧嘩腰はやめてくれる?」

 

「むっ……あぁ、わかったよ」

 

 しぶしぶと言った様子で頷く生徒ににっこりと笑いかけて2人とも下ろしてやる。

 すると、さすがに生徒同士のいざこざとなると放置するわけにもいかなくなったグレンがこちらへ歩いてきた。

 

 グレンが違うクラスの生徒———一組のクライス———はどうやら練習場所を確保しにきたらしい。

 一組は例年通り、成績上位者だけで固めた少数精鋭。対して二組はクラス全員が参加するということで人数も多い。

 なので、二組は出ていけとのことだった。

 

 だがここは先生という立場でもあるグレンが、公平に練習場所を分けるということで話に決着がついた。ついたのだが……

 

「何をしている、クライス!さっさと場所を取っておけと言ったろう!まだ空かないのか!?」

 

 怒号を飛ばしながら一組の担当講師、ハーレイが口を挟んできたことで、せっかく治りかけていた騒ぎが再発した。

 彼の言い分はこうだ。

 

 成績下位者、つまり足手まといをわざわざ使って競技祭に挑むようなふざけたクラスに練習場所は必要ないという一方的なものだった。

 

 いくらなんでもあんまりな言い方に黙って聞いていた信一はムッとして一言言ってやろうと一歩前に踏み出す……が、それをグレンは抑えて代わりに言い返した。

 

「お言葉ですがね、うちのクラスはこれが最強の布陣なんすよ。やる気がない?ふっ、馬鹿言わんといてくれませんかね?無論、俺たち優勝を狙っていますよ?まぁ、せいぜい油断してウチに寝首を掻かれないことっすね」

 

 口の端を上げ、不敵に笑うグレンには言い知れない威圧感がある。

 だが、ハーレイも生徒の手前、それを悟られないように反論してきた。

 

「……く、口ではなんとでも言えるだろうな、口では。だが、お前はシスティーナやギイブルといった優秀な生徒達を遊ばせているではないか……ッ!」

 

 システィーナが優秀と、敵とはいえ講師の口から出たその言葉に信一は一瞬誇らしい気持ちになるが、ふと考え直す。

 

 システィーナの名前が出たのはいい。しかし、ルミアの名前が出ていない。確かに彼女は成績だけでみたら上位者というわけではないが、治癒系の白魔術はプロ顔負けの練度を誇る。つまり、ルミアも優秀なのだ。

 

 三席のウェンディのほうが優秀なんじゃないか? 知らん。

 

 そんな考えが頭を巡り、大人気なく売り言葉に買い言葉で言い合いをしているハーレイの肩を叩く。

 

「……ん?なんだ朝比奈」

 

「なんか若いわりに生え際が後退を始めてる可哀想……じゃなくてハーレイ先生!一言俺から物申したいことがあるんですけど!」

 

「私は今のお前の発言に物申したいのだが……?」

 

 青筋を立てているハーレイの言葉を聞こえないふりで華麗にスルーして続ける。

 

「俺達のクラスはグレン先生の言う通り最強です。どのクラスにも負けません。もちろんなんか若いわりに生え際が後退を始めてる可哀想な……もといハーレイ先生のクラスにもね」

 

「ほう、私の言葉を無視するとはいい度胸だ」

 

「でも、口だけではなんとでも言えるというのも間違っていません。だから……」

 

 バッと指を3本立ててハーレイに向ける。

 

「3ヶ月分です。()()()()()()給料3ヶ月分を、二組が優勝することに賭けます」

 

「いやちょっと待……ごふッ!?」

 

 軽く肘をグレンの鳩尾に叩き込んで黙らせる。

 信一も顔では穏やかだが怒っているのだ。ルミアを優秀と言われなくて。

 だからこそ、ルミアを優秀と認めさせる為ならグレンの給料3ヶ月分なんて安い。格安だ。特に自分達に実質的な被害がないというのが素晴らしい。

 

「どうです?もちろんこの賭け乗りますよね?だってなんか若いわりに生え際が後退を始めてる可哀想な先生にとっては二組なんて足手まといの集まりなんですものね?」

 

「貴様……ついに言い切ったな」

 

「ほら、どうなんですか?乗らなくても構いませんよ?でももし乗らなかったら明日から先生に対する生徒の評判は———どうなってるか楽しみですね?」

 

 ひまわりのような満面の笑みで笑う信一の姿はもはや悪魔であった。

 グレンにとっても、ハーレイにとっても。

 

 ここまで言われればハーレイも乗らないわけにはいかない。

 ということで、なんか競技祭とはまた別の争いが生まれた。

 

 この後、グレンが灰のように真っ白になっていたのは言うまでもない。

 

 

 

 

 

 時間は学院の馬鹿騒ぎから数日遡る。

 場所は帝都オルランド。王宮内部の謁見の間にて。

 

 帝国宮廷魔道士団の魔道士礼服を身に纏い、一振りの刀を腰に差した男性が扉の前で握手を求めるように手を差し出す。

 

「帝国宮廷魔道士団特務分室所属、執行者ナンバー13『死神』。朝比奈零という。今回女王陛下の勅命により、護衛に参加することとなった」

 

「王室親衛隊、総隊長のゼーロス・ドラグハートだ。よろしく頼む」

 

 彼の手を握るのは初老の男性だった。しかし、気の良いお爺ちゃんとった優しい雰囲気は一切なく、鋭い眼光と服の隙間からチラチラと覗く古傷は歴戦の猛者ということを言外に知らしめてくる。

 

 王室親衛隊、総隊長ゼーロス。40年前の奉神戦争を『双紫電』の2つ名と共に駆け抜け、そして戦い抜いた本物の武人だ。

 

 この2人は謁見の間にて、女王の目の前で顔合わせをしていた。

 

 といっても女王と朝比奈零は個人的に親交があり、時間が合えば共にティータイムを興じる仲なので、親衛隊のゼーロスとも初対面ではない。

 

「まさか貴殿と共に陛下をお守りする時が来るとはな」

 

「まったくだ。いつも陛下の後ろから警戒心丸出しで、お茶の味をわからなくしてくる奴と組むとはね」

 

 お互い冗談を言っているのだが、まったくもって和やかな雰囲気はない。感情としては仕事だけのお付き合いにしたいのだろう。

 

「して、貴殿は一刀一槍の変則二刀流とバーナードから聞いていたが……槍はどうした?」

 

 本来女王陛下の前で武装をするというのは不敬罪にあたるのだが、今は護衛任務の顔合わせということで武装をして来ることになっていた。これは女王に力の象徴を見せて安心してもらうという形式的なものだ。

 

 なので自分の武器を持ってここにくることになっていたが、零は槍を持っていない。

 

 ……あのしじい、なに人の武器バラしたんだよ。

 

 零は同僚であり、またゼーロスの元戦友でもあるやんちゃ坊主のような初老の男性に心の中で恨み言を吐く。

 

「持ってきてはいる。ただ見せないだけだ」

 

「ほう……。その真意は?」

 

「『持っているのに持っていない』というのは相手に必要以上の警戒心を煽る。見せろと言わられば構わないが、必要か?」

 

「ふっ……いや、必要ない。そして合格だ」

 

「合格?」

 

「貴殿を心から信用するという意味だ。試すような真似をしてすまなかった。非礼を詫びよう」

 

「別にいい。あんたにはあんたなりに陛下を守ろうとしているに過ぎないんだからな」

 

 そこでやっと2人とも相好を崩す。このやり取りを見ていた女王にはわからないが、彼らには何か通じ合うものがあったのだろう。

 

「話は終わりましたか、2人とも」

 

「はい。時間を取らせて申し訳ございません、陛下」

 

「では、命じます」

 

 陛下は玉座から立ち上がった。それに合わせて零とゼーロスは跪く。

 

「王室親衛隊、総隊長ゼーロス。並びに『死神』の零。貴方達を此度のアルザーノ帝国魔術学院で行われる魔術競技祭の護衛に任じます。私を守る盾となり、また私を守る剣となりなさい」

 

「「 はっ!貴女の御心のままに! 」」

 

 彼らは平伏し、忠誠を示す。




はい、いかがでしたか?

家族の優秀さを示す為なら他人の金を平然と賭ける信一、わりとクズいです。
あとゼーロスさんの喋り方難しい!なんなのこのおっさん!?



今更ですけど、【迅雷】の元ネタってわかる人いるんですかね?
ヒント:電撃文庫の黒いコートを纏った二刀流の人


目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

第14話 親の心子知らず。その逆もまた然り

未だ始まらない魔術競技祭。話が進まない……。


 魔術競技祭前日の夜。夕食を終えた信一とシスティーナはフィーベル邸のキッチンにて、明日の弁当の下準備を開始しようとしていた。

 

「それじゃあお嬢様、それにこの粉を混ぜてからもう一度捏ねてください」

 

「はーい」

 

 信一の指示でボールに入った大きめの生地にイースト菌を混ぜて力いっぱい捏ねる。

 明日の弁当のメニューはサンドウィッチ。それに使う食パンを作っているのだ。

 

 一生懸命生地を捏ねるシスティーナの横顔を信一は優しく眺める。どうやら彼女は魔術だけでなく、料理の才能もあるようだ。

 約1週間、朝食や夕食におかずを一品ずつ彼女に作ってもらったが、どれも口で説明して軽く見本を見せただけでそれなりの味に仕上がってしまう。正直、その才能には嫉妬してしまった。

 

「よし、そんなもんでいいでしょう。あとは明日の朝まで熟成させて焼き上げれば完成です」

 

 上にほこりが入らないよう布を掛けて冷蔵庫にしまう。明日はシスティーナだけでなく、自分とルミアも競技祭に挑む。なので、サンドウィッチに挟む材料は少し奮発して揃えてある。いつもよりちょっとお高く、信一がこの目で品定めしてきた物ばかりだ。

 

「後片付けは俺がやっときますので、お嬢様はお休みになってください」

 

「ううん。片付けも料理の内、でしょ?」

 

「そうですけど……明日に備えて寝たほうがいいと思いますよ?」

 

「それは信一も同じよ」

 

 コツン、と軽く額を小突かれる。

 

「むぅ……」

 

「ほら、早くやっちゃいましょ?」

 

「わかりました」

 

 システィーナが調理の際に使っていた皿を洗い始めたので、信一も並んで麺棒に水を当てる。

 それからは何気ない会話をしながら2人の時間が流れた。

 そんな空気だからか、システィーナは信一の左耳で揺れるイアリングを見て気になったことをきく。

 

「そういえば信一、お父さんとはどんな話をしてるの?」

 

「父さんと、ですか?」

 

「うん。夜には通信結晶でおしゃべりしてるんでしょ?」

 

「あぁ……そのことですか……」

 

 途端、信一の顔が苦く歪む。その表情にシスティーナは首を傾げた。

 

「なにかあったの?」

 

「いえ、その……話してないんです」

 

「え?」

 

「実を言うと、まだ父さんと話してないんですよ」

 

 言いにくそうに言う信一。どうにも何か事情があるようだ。

 

「どうして?手紙もらった時はあんなに嬉しそうにしてたじゃない」

 

「はい。手紙が届いた時はもちろん嬉しかったです。ですが……通信結晶を使おうとすると、どうしても頭に浮かんじゃうことがあって……」

 

「浮かんじゃうこと?」

 

「父さんは……本当は俺のことを憎んでるんじゃないかって」

 

 信一はシスティーナが洗ったボールを受け取りながら誤魔化すように笑う。しかし、それは恐怖を隠すための仮面を被ったように見える。

 

 それを見て、システィーナはどうにも居た堪れない気持ちになった。どうやら彼はまた1人で抱え込んでいるようだ。

 

「お父さんが憎んでるって……信一が自分のお母さんを殺したことでってこと?」

 

「はい」

 

「でも、それは貴方が妹を———信夏を守る為に仕方無く……」

 

「それでも!!」

 

 突如彼の大声がキッチンに響く。そこで気付く。信一の手が震えているのだ。

 

「俺は……殺したんです」

 

「信一…………」

 

 いつも優しく、時には凛々しく、そして時には情けない。天真爛漫な朝比奈信一はその場にはいなかった。

 

 ただ大好きな父親から拒絶されることを怖がる、今にも泣き出しそうな子どもにすら見える。カタカタと弱々しく震える姿は、さきほどまでの信一とは別人だ。

 

「もしかしたら父さんは俺のことを憎んでいて、通信結晶で話そうとしたら拒絶されるかもしれない。どうしてもそんな想像が頭に浮かぶんです……」

 

「……………………………」

 

「父さんがそんな人じゃないことはわかってます……。でもやっぱり……怖いんです」

 

 その姿をシスティーナは知っている。5年前、初めて信一がフィーベル邸にきた時と同じだった。

 闇より暗い、この世の地獄を見てきたかのような荒んだ瞳。話しかけた自分にひどく怯えていた。

 

 あの時の小さな男の子と震えている目の前の少年の姿が酷似している。5年の月日とともに成長した身体とは違い、心の傷は未だに癒えていないことが見て取れてしまう。

 

 ———だからだろうか。システィーナの手は自然と信一の頭を抱いていた。

 

「大丈夫よ。私も知ってる。あなたのお父さんは絶対にあなたを拒絶したりなんかしない」

 

「でも……」

 

「だって信一は———お父さんが大好きなんでしょう?」

 

「———っ!?」

 

「ならそれが証拠なんじゃない?家族を守る為に頑張った子どもを嫌いになる親なんていないもの」

 

 この1週間、信一は自分にそれを言い聞かせ続けた。だがダメだった。どんなに自分で言い聞かせても、頭では理解できていても、心が囁き続けていた。父親の声で、『お前が憎い』と。

 

 しかし、何故だろうか。システィーナに言われただけでその心の囁きが嘘のように霧散していく。

 

「大丈夫。あなたの主である私が保証する」

 

 数回ほど抱いていた頭を撫で、離す。すると、今度は信一がシスティーナの背中に手を回した。

 

「……申し訳ありません、お嬢様。もう少しこのままでいてもいいですか?」

 

 その姿が姉に甘える弟のように見えて……システィーナは思わず頰が緩むのを感じる。

 彼は強くて優しい。しかし、心の面で言えばひびの入ったガラスのように儚く脆い。

 そんな従者だが———それが朝比奈信一という少年なのだ。

 

 だからこそ自分は主として、姉として、彼を支える。自分はいつまでも彼の味方でいようと1ヶ月ほど前に決意したのだから。

 

「ほーら、信一。早く片付けしちゃいましょ?」

 

「……そうですね。お見苦しいところを見せてしまい……」

 

 ガタンッ

 

 キッチンの入り口で物音がし、信一とシスティーナは抱き合った態勢のままそちらに振り向く。

 

「はわわわ……」

 

 そこには主と従者の、あるいは姉弟の禁断の愛を覗き見てビックリ仰天としか表現のしようがない寝間着姿のルミアが立っていた。

 塞がらない口を両手で覆って、顔を真っ赤に染めている。

 

「ゴ、ゴメン。ワタシナニモミテナイヨ」

 

 確実に何も見てない人間のものとは思えない片言言葉を言い残し、ルミアは素早くその場を去る。

 

「「 ………………………………… 」」

 

 残された信一とシスティーナは顔を見合わせ……ダッ!!

 

 鬼気迫る表情でキッチンから飛び出し、誤解を解くためにルミアを追いかけ出した。そして、ルミアはその2人のあまりにも必死な表情に恐怖を覚えて逃げ出す。

 

 魔術競技祭前日の夜、フィーベル邸にて鬼2人と逃げ役1人の奇妙な鬼ごっこが繰り広げられた。

 それは平和で優しい日常(?)の1ページ。その1ページに映る信一の顔には、もうなんの憂いもない。ただ、今の家族とのドタバタした時間を楽しむ幸せそうな表情が浮かんでいた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 帝国王室の紋章を刻まれた馬車が早朝の街道を走る。

 その窓からアルザーノ帝国女王アリシア七世は、場所を守るように軍馬に乗った王室親衛隊を眺めていた。

 

「もうすぐ……フェジテに到着になりますね、陛下」

 

 そんな彼女に使用人服を着た女性が隣から話しかける。女王の侍女長———エレノア=シャーレットだ。

 

「えぇ、そうですね。あの学院に顔を出すのは久しぶりです」

 

 馬車の窓から微かにフェジテの市壁が見え始めた。

 

「あなたもそうでしょう、零」

 

「あぁ。と言っても陛下とは違って5年ぶりだけどな」

 

 アリシアの斜向かい、エレノアの正面に座る朝比奈零は嬉しそうに応える。腰に差していた刀を抱え、相持っていると言い張る槍は相変わらずどこにも見えない。

 

「あの……朝比奈様。陛下にそのような言葉遣いは……」

 

「いいんですよ、エレノア。形式上は護衛としていますが、彼は私の友人として喚んだのですから」

 

「公私混同甚だしいな」

 

「ですが、あなたもフェジテには行きたかったのでしょう?」

 

「まぁね」

 

 本来なら不敬罪で即刻斬首にされても文句の言えない喋り方だが、咎められても直そうとしない。

 口ではお互い相手を試すようなことを言っているが、雰囲気はアリシアの言う通り友人同士の語らいといったようだ。

 

「息子と娘に会うのは5年ぶりだよ。それが楽しみで仕方ない」

 

「あら、女王の護衛任務に就くことよりもですか?」

 

「当然。よくお茶をする友達と久しぶりに会う家族。会えて嬉しいのはどちらかなんて考えなくてもわかるだろう?」

 

「ふふ、あなたはブレませんね。忠誠心なんて欠片も感じられない」

 

「それも当然。俺が帝国宮廷魔道士団に身を置いているのは、俺が働く上で1番給料が良い仕事だったからだし」

 

「あなたのそういう考え方、好きですよ。だからこそ私はあなたと友人でいたいと思うのですから」

 

 零はアリシアを女王であると理解しているが、それに対して忠誠を誓っているわけではない。

 一応公の場では取り繕うが、このようにプライベートな空間であれば女王としてではなく友人として接している。

 

 それに、アリシアの立場からすれば友人を作る———つまり個人的な関係を持つというのは難しい。忠誠心はなくとも、そんな彼女と友人でいたいと思う気持ちは嘘偽りない零の本心だ。

 

「そういえば、以前にもあんたと魔術学院に来たことがあったよな?あの時はあんたの娘もいた気がする」

 

「確か学院で開かれた『社交舞踏会』の時ですね。学院と言うより国内の定期巡行でしたが」

 

「まぁ、名目はなんでもいいよ。あの時いた子が今は……」

 

「あなたのご子息ご息女と同じく、フィーベル家の方々にお世話になっています」

 

 アリシアは少し哀しげに目を伏せて首元に掛けられているロケット・ペンダントを握った。

 その様子を見て、零は地雷を踏んだかと顔を顰める。この状況で話すべきではなかった。

 

「ねぇ、()

 

「なんだよ、()()()

 

 普段はお互い二人称を用いて呼び合うが、この時ばかりは固有名詞を使って呼び合う。

 それがスイッチとなり、2人とも友人としての顔から子を持つ親の顔へと変わっていった。

 

「あの子は……エルミアナは私を恨んでいるでしょうか?」

 

「どうだろうな。でもこれだけは言えるよ」

 

 帝国の臣下としてでもなく、友人としてでもなく、あくまで子を持つ同じ親として零はアリシアに向けて言い放つ。

 

「あんたは母親として最低なことをした。政治的要因、国の平穏、色々な事情があったにせよ、あんたが自分の娘を見捨てたのは事実だ」

 

「そう……ですよね……」

 

 分かってはいたが、改めて口に出して言われると堪えるものがある。

 

 アリシアは辛そうにロケットを握る力を強めていく。その様子に、さすがに黙っていられなくなったエレノアが口を開こうとする。しかし、零の言葉には続きがあった。

 

「だからさ、話してみたらどうだ?顔を合わせて、目を見て、言いたかったことを言ってやれよ。エルミアナちゃんも言いたいことはあるだろうし、それにさ……」

 

 にっこりとアリシアを安心させるように笑う。どこぞの『超速い慇懃無礼な従者』と同じように、無条件に相手を安心させる笑顔で。

 

「子どもの言いたいことを受け止めてそれに答えてやるのは古今東西、万国共通、徹頭徹尾親の義務だと思うぞ」

 

「零……」

 

「だからエルミアナちゃんと話したくなったら言ってくれ。貴賓席を抜け出すくらいの手伝いはしてやる」

 

「……感謝します」

 

 自分は良い友人を持ったなと、思わず感動するアリシア。

 だが忘れてはいけない。ここにはアリシアと零以外に、女王の侍女長であるエレノアがいることを。

 

「ハァ……」

 

 彼女は心底面倒くさそうにため息を吐いた。本来なら女王の前では絶対にやらない行為であるにも関わらず。きっと女王としてではないアリシアと友人や親として話す零、2人の会話に充てられたのだろう。

 

「あ、ごめんエレノアさん。たぶん女王陛下、途中でいなくなるわ」

 

 まったく悪びれず、見方によっては開き直ってるとしか思えない態度の零をジト〜と睨みつけた後、どうせ止めても居なくなるだろうと諦めたように再びため息を吐く。

 

 そしておもむろに座席の下から宝石箱を取り出して中から翠緑の宝石が美しいペンダントを出した。

 

「もはや止めても仕方ないことはわかりました。……しかし、万が一があります。せめてそのロケット・ペンダントを外してください。こちらを代わりにどうぞ」

 

「……苦労をかけますね、エレノア」

 

「いえ、陛下は何も悪くありませんゆえ」

 

 では、悪いのは誰か。言うまでもなく、エレノアの冷ややかな視線の先にいるアリシアの友人である。

 ヘラヘラ笑っていて、めっちゃ腹立つ。

 

 疲れたように三度ため息を吐くエレノア。

 そんな彼女に申し訳なさそうなアリシア。

 その2人を見て楽しそうに笑う零。

 

 三者三様の表情を浮かべた3人を乗せて、馬車はフェジテに近づいていく。




はい、いかがでしたか?

今回は信一とアリシア女王の話でした。システィちゃんの圧倒的姉力!!自分も優しくて包容力のあるお姉ちゃんに甘えたいものです。

実は零の信一に対する気持ちも書こうと思ったのですが、まぁそれはまた別の話で。


目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

第15話 魔術競技祭、開催

サブタイがどうしても思い付かなかった……。

今回はオリ主が戦闘以外で活躍するという、たぶんこれ以降ないだろうというお話です。


 アルザーノ帝国魔術学院正門前は多くの人でごった返していた。

 

 魔術競技祭が行われる今日、賓客として足を運んできた女王陛下を出迎えるためだ。女王陛下が乗る馬車の通る道を王室親衛隊が守るように開けている。

 

 その中で信一、システィーナ、ルミアとついでにグレンが女王陛下が来るのを今か今かと待っていた。

 

「グレン先生、大丈夫ですか?えらく顔色が悪いですけど」

 

「あぁ……大丈夫だ。たぶん今日は」

 

「明日は無理ですか?」

 

「うん、無理」

 

 腹が痛いのか減ってるのか、とにかく腹を抑えてぐったりしてるグレンに暇だった信一は声をかけた。

 しかし会話するエネルギーすらもったいないと言わんばかりに、話しかけるなオーラ全開のグレンは口数が少ない。

 

「———女王陛下のおなぁーりぃーっ!!」

 

 馬車が正門を潜り、止まる。そのタイミングで王室親衛隊の1人が高らかに声を上げた。

 その声と共に親衛隊は忠義を示すように馬車の入り口へ跪く。

 

 いよいよ女王が出てくるとあって周囲から期待するような眼差しが向けられる中、馬車の入り口が開く。

 そして、姿を現したのは紛れもなく女王。艶のある金髪をアップにまとめ、優しげな瞳と高貴さと気品が存在感を溢れさせている。

 

「ふぅん」

 

 初めて直に見るか女王陛下の姿に、信一は納得したように頷いた。

 やはり、親子だけあってどこかルミアに彼女の面影を感じる。

 

 そんな気持ちでルミアを見やると、なにやら憂いを浮かべた目でロケット・ペンダントを握りしめていた。この状況で握るということは、少なからず女王とゆかりのある物なのだろう。

 

 そんなルミアのロケットを握っていない手を、信一はそっと握る。

 

「……シンくん?」

 

「人が多いですから。はぐれないようにです」

 

 いきなり手を握られ、驚いたように振り向いた彼女に優しく微笑みかける。

 

「今のルミアさんの家族はここにいます。それではダメですか?」

 

「ううん……ありがとう」

 

 ルミアの手を握る力が強くなる。

 

 そして女王が開会の言葉を述べ———魔術競技祭、開催である。

 

 

 

 

 

『ロッド君が抜いたぁっ!!まさかの二組が3位だぁ!!』

 

『おおおぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉっ!!』

 

 競技祭が行われる競技場で実況担当者の驚愕に歓声が空気を震わせる。

 なんと、二年次生二組は3位。この結果を予想した者は誰1人いなかった。

 

 湧き上がる拍手と大歓声。勝って当たり前のクラスが1位を取るより、落ちこぼれの足手まといと言われてきた者たちが3位を取ったことはそれだけの価値があったようだ。

 

 今行われていた競技———『飛行競争』で見事3位を取り、その惜しみ無い拍手を受けるカイとロッドは照れくさそうに、しかしそれ以上の歓喜に綻んだ顔を二組のメンバーに向けている。

 

 その様子を信一は持ってきた射影機でパシャリと撮った。

 

「なんかいいなぁ、こういうの」

 

「え?信一、何か言った?」

 

「いえ、なんでもありません」

 

 去年のことを思い出し、苦笑いを浮かべる信一。

 捨て駒として出場した『精神防御』では、3ラウンド目で脱落した。それに対し、クラスメイトからもらったのは多くの罪悪感を孕んだ謝罪。捨て駒にし、観客には笑い者として扱われた信一に申し訳無さそうにするクラスメイトに、むしろこちらが罪悪感を覚えたほどだ。

 

 だが、今年は違う。去年のように誰も幸せにならない結末は来ないだろう。

 

 

 ……だって、みんながすごく楽しそうだ。

 

 

 システィーナも、ルミアも、そして自分も。

 

「信一、次あなたの番よ」

 

「……あ、はい」

 

「どうしたの?ぼーとして」

 

「シンくん、体調でも悪いの?」

 

「違いますよ。ちょっと考え事をしてました」

 

「ならいいけど……。信一、射影機貸してくれる?」

 

「えぇ、お願いします」

 

 今年は去年と違う。去年はひたすら活躍するシスティーナの姿を射影機で撮像するだけだったが、今年は自分も撮像される側になる。

 

 システィーナの両親———レナードとフィリアナに送るための写真に自分やルミア、クラスメイトが写るのだ。

 

「かっこよく撮ってくださいね、お嬢様」

 

「かっこいいところが見れたらね。それはそうと、どこを押すと撮像できるの?」

 

「……ルミアさん、かっこよく撮ってくださいね」

 

「あはは……もうちょっとシスティのこと信じてあげよう?」

 

 曖昧に笑うルミアに撮像は一任したい気持ちが溢れかえる。システィーナがちゃんと撮ってくれるか不安で仕方ない。

 せっかくレナードやフィリアナといった普段会えない2人が見てくれる写真なのだ。できるだけ良い写りにしてもらわなくては困る。

 

 とりあえずレンズを被写体に向け、シャッターを押せばいいことだけ伝えておいた。あとは機転の利くルミアがなんとかしてくれることを願うばかりだ。

 

「さて、こいつをどうするか」

 

 信一は刀が入った布袋に困ったような視線を寄越す。

 

 見えないところにしまってあるナイフはともかく、さすがに刀を競技する場まで持ち込むのはまずいので、グレンに渡しておけばいいだろう。そう考え、競技祭が始まる前よりさらにぐったりとしている彼の元に向かう。なんかもう死にそうだ。

 

「グレン先生、刀預かっててもらえます?」

 

「あ、あぁ……了解…だ」

 

 刀が二振り入った布袋を渡すと、その重さに耐え切れずグレンが倒れ込んでくる。信一は支える———などということはせず、サッと避ける。

 バタリ。芋虫が移動するような、尻を空に突き出すなんとも格好悪い態勢で倒れた。

 

「あともう一つ」

 

「な、なんだ……?あと起こし…」

 

 助けを求めるグレンの手を鬱陶しそうに払い、真剣な眼差しで彼の目を射抜く。

 

「さすがにないとは思いますが俺が離れている間、ルミアさんのことお願いします」

 

「任せろ」

 

 元よりそのつもりだったグレンも、この時ばかりは真剣な顔で頷く。相変わらず態勢は格好悪い芋虫だが。

 

「あ、あと信一……悪いんだが起こし……」

 

「じゃあ行ってきます」

 

 再び伸ばされた手を無視して、出場競技のパートナーであるセシルの元に向かう信一。ほとんど鬼である。

 

 

 

 

 

 信一とセシルが出場する競技———『スナイピング・ダブルス』は魔術競技祭恒例の【ショック・ボルト】を用いた『魔術狙撃』から派生したものだ。

 

 主なルールはクレー射撃と同じ。右から左か左から右か、あるいは下から上などと言ったようにランダムに飛ぶ皿のような物体を【ショック・ボルト】で撃ち抜く競技である。

 

 皿は合計6回飛ぶ。しかも数を追うごとにスピードが倍にされて。

【ショック・ボルト】を撃てる回数は一人3回までと決められており、二人一組で6回。

 

 そして、ここからが『スナイピング・ダブルス』の“ダブルス”たる所以。撃つ順番は自由ということだ。

 両者が交互に撃ってもいいし、一人が3回撃ち切り、もう一人が3回撃ってもいい。

 このようなルールなので、1枚の皿に対して2人が同時に撃ってしまうこともあり得るのだ。撃てる数が限られてることからそれはかなりの痛手になる。しかし、これは事前に打ち合わせをしておけば防げる。

 

 この競技の意地悪なところは、外したら最後の6発目に6発目+外した分の皿も同時に飛んでくるというとこだ。

 一見救済措置と考えられるが、複数の皿が別々の方向から飛んでくるというのは戸惑いを生む。しかも最後というだけで、飛ぶ皿のスピードは5発目までの倍。1発目の64倍の速さだ。

 

 以上のルールから後半に……少なくとも最後の1回を決める者は2人のうち【ショック・ボルト】の腕が高いほうになる。

 

『さぁ、泣いても笑ってもこれが最後!!みなさん、準備はいいですか!?』

 

 実況担当の生徒の問いかけに、極限まで集中している競技者達は無言を返答とする。

 

 5発目まで終わった今の状況は、ハーレイ率いる一組がパーフェクト。四組、五組が1発外している。

 

 セシル・信一ペアの二組は2人が1発ずつ外した。今のところ暫定4位。優勝を目指すならここで外すわけにはいかない。

 

 精密な狙いを要する競技であるため、競技祭の場は静寂に包まれている。会場中全ての人が最後の6発目の推移を見守っていた。

 

 ……ここで外せば優勝は絶望的。絶対に3枚のうち1枚は撃ち抜かないと。

 

 二組の6発目担当である信一は心で呟き、極限まで集中力を高める。

 外すわけにはいかない。みんなが目指す優勝に自分も貢献したい。

 ただその一心で皿が通るであろう正面を静かに見据える。

 

『では6発目、発射!!』

 

 実況担当者の声に応じ、バシュウッ!という音とともに二組のレーンに3枚の皿が発射された。

 3枚中2枚は右から、1枚は下から空気を切りつつかなりの速度で飛ぶ。

 

 ……右から飛んでくる2枚は高さが違うな。でも下から飛んでくる皿の速度からして———

 

「《雷精の紫電よ》ッ!」

 

 ———ここだ!!

 

 信一の指から放たれた【ショック・ボルト】は狙い過たず、寸分の狂いもなくその場所に飛来する。

 そしてその紫電は右から飛んできた高い方の皿と下から飛んできた皿がちょうど重なったところ。

 

 ———そこを見事に撃ち抜いた。

 

 一石二鳥(ツーインワン)と呼ばれる、一撃で2つの的を纏めて撃ち抜く高等技術だ。学生のレベルでは、まぐれとしか言いようのないモノ。

 

 だが、それが起きたのだ。

 

『なんとぉ!?誰が予想したかァァァァ!二組の朝比奈信一君、この土壇場で一石二鳥(ツーインワン)をやってのけたァァァァ!!』

 

「「「「 おおぉぉぉぉぉぉぉぉぉっ!! 」」」」

 

 会場が沸く。巻き起こる拍手喝采と大歓声。それはパーフェクトを果たした一組の生徒でも、最後に冷静な判断で2枚中1枚を撃ち抜いた五組の生徒にでもない。間違いなく、二組の朝比奈信一に向けられたものだ。

 

『ここで二組!暫定3位に躍り出たぁ!!これはあるかもしれないぞぉぉ!唯一クラス全員で出場した二組の優勝がァァァァ!!』

 

「やったぁ!信一!!」

 

「……………………」

 

 嬉しさのあまり肩を組んでくるセシル。しかし、信一は無言のまま【ショック・ボルト】を撃った自身の指を見ている。

 

「どうしたの、信一?嬉しくないの?」

 

「いや、実感なくてさ……」

 

 指から目を離し、次に会場の観客席を見回す。そこでは誰もが自分に拍手と歓声を笑顔で送っていた。

 

 去年の嘲笑とは違う。勝負を捨てず、さらに超絶技巧でクラスの順位を引っ張り上げたヒーローを見た、そんな歓喜の笑顔。

 今まで受けたことのない賛辞の嵐がコーヒーに溶ける砂糖の如く、ゆっくりと信一の心に『成功』の二文字を刻んだ。

 

「よっしゃあぁぁぁぁぁぁ!!」

 

 この時ばかりは、いつも落ち着いている信一も嬉しそうに拳を掲げて大喜びする。それに合わせ、再び大きな拍手が競技場を包み込んだ。

 

 

 

 

 

 

「へぇ、やるなぁ」

 

 貴賓席で女王の影のように後ろから自分の息子の活躍を見ていた零は、嬉しそうに口角を上げる。

 

「凄いですね、あなたのご子息は。あの速さで動く的を一石二鳥(ツーインワン)とは」

 

 アリシアの言葉に、セリカが柳眉をピクリと上げて反応を示す。

 

「おや、お前はあいつ(信一)の父親なのか?」

 

「あぁ。特務分室のナンバー13だ。貴女の後輩になるのかな、ナンバー21のセリカ=アルフォネア?」

 

「やめてくれ。今はただのしがない魔術教授だよ。……それにしても、なるほどな。お前があの『死神』か」

 

「俺のことをご存知なのか?」

 

「グレンが愚痴ってたぞ。『宮廷魔道士の白兵戦戦術顧問は俺を虐めてくる〜』って」

 

「はは、そういえば貴女はグレンの師匠だったな。まぁ、悪く思わないでくれよ。あいつは筋が良かったからどうしても楽しくなっちゃってね」

 

 初対面ではあるが、お互いグレンというつながりを持つので意外にも話が弾んでいる。

 

 だが、零は知らない。よもや、自分の息子が神すら殺すセリカに先の事件で一方的な取引を持ち掛け、さらに承諾させたことを。

 

「それで、貴女から見て俺の息子はどうだ?魔術の才能とか」

 

「朝比奈か?あいつは魔術の才能に関してはからっきしだね。まったくないわけじゃないけど、魔術師として歴史に名を残せる程じゃない。だが———」

 

 一言言葉を切り、セリカは若干憎たらしそうな目で、クラスメイトに囲まれて嬉しそうに笑う信一を見る。

 

「今のを見てわかったよ。お前の息子はここぞという時には絶対に負けない。勝つことはなくても、負けることは絶対にない。真理の探究を目指す魔術師より、魔術を駆使して戦う魔導師向きだな。しかも今の競技で分かったが、脅威的な才能を持っている」

 

 ちなみにこの場にいるもう1人の男性———アルザーノ帝国魔術学院の学長であるリックは聞きたくなさそうに耳を塞いでいた。

 先の事件の真相を知る数少ない学院関係者の彼からすれば、セリカにここまで言わせた少年が学年トップクラスの落ちこぼれとか信じたくないのだろう。

 

「なるほどなぁ……」

 

 セリカとしては最高レベルの褒め言葉なのだが、信一の父親である零は苦虫を噛み潰したような顔をしていた。

 それにアリシアは首を傾げる。

 

「おや、嬉しくないのですか?天邪鬼なセリカがここまで認めているのですよ?」

 

「いや、まぁ……嬉しいっちゃ嬉しいが……やっぱり親としては自分の子どもに戦闘の才能があるって言われてもね……」

 

「あっ……」

 

 真っ当な親なら戦闘という危険の伴う行為をする才能があなたの子どもにありますよと言われても素直に喜べないだろう。

 

 少々真っ当とは言えないし、敵と見なせば顔色一つ変えずに斬殺できるとはいえ、零も親。そのあたりには思うところがあるようだ。

 

「まぁ、あいつは特定のことが起きなければ人畜無害。悪い評判は聞かないし、魔術以外ならそれなりになんでもこなすぞ」

 

「ほう、セリカ君も意外と生徒を見ておるんじゃな」

 

「グレンが見ているのにあいつの師匠である私が見ないのは…そのぅ……色々ダメだろう?」

 

「うふふ、セリカもなんだかんだ今の生活を楽しんでいるようですね」

 

「う、うるさいなぁ!」

 

 零には信一。アリシアにはルミア。セリカにはグレン。

 

 宮廷魔導士に女王に魔術教授と、一見まったく関わりのない彼らの子ども達は不思議なことにアルザーノ帝国魔術学院に集結している。

 

 だからだろうか。リック学長にはこの3人の会話をする風景が子どもの授業参観で仲良くなった親同士のおしゃべりに映ったのは。

 彼は願う。この魔術競技祭が平和に終わることを。

 

 しかしその願いを嘲笑うかのように、今まで彼らの会話を黙ってきいていた女王の侍女長であるエレノア=シャーレットは怪しい笑みを口元に浮かべていた。

 

 

 

 

 

 

 

『さぁー!次は午前最後の種目、競技祭一過酷と名高い『精神防御』だぁ!そして今まで注目を集めてきた二組の選出は……何と女の子!?』

 

「きゃーーー!!ルミアさんこっち向いてぇぇぇ!!」

 

 先ほどの活躍でシスティーナとルミアに褒められたせいでテンションがおかしいことになっている信一は、射影機で競技場に立つルミアをバシャバシャ撮りまくっていた。

 その様子に、クラスメイトはドン引きしている。ちょっと信一の頭にあった大切なナニカが外れてしまったようだ。

 

 そんな激しくキャラ崩壊している従者を尻目に、システィーナも競技場に目を向ける。射影機を構える信一の目にはルミアしか映っていないが、この『精神防御』に出場する選手はルミア以外が全員屈強な男たちだ。

 中にはどうして魔術学院に通っているのかわからない、筋骨隆々で不良っぽい者までいる。基本インテリ然としたアルザーノ帝国魔術学院の生徒としては、かなり異質な存在感がある。

 

「今からでもルミアを代えたほうがいいんじゃないかしら……。女の子はルミアだけだし」

 

「あぁ、そうだね。僕もそう思うよ」

 

 システィーナの呟きに反応したのは二組の次席であるギイブル。

 

「去年も数日寝込む者が続出したし、なにより彼女の隣……」

 

 ギイブルの言葉に従い、システィーナはルミアの隣を見やる。

 ジャラジャラと魔術的にはなんの意味もない銀細工のアクセサリーを付けている、一際厳つい男子生徒がいた。

 

「五組のジャイルくんね……」

 

「うん。彼は去年、他のクラスをまったく寄せつけず圧勝している。この競技は敗者脱落形式で一位にしか点が入らないから、選手を温存する為に勝負を捨てて成績下位者を選出しているところもあるくらいだ」

 

「捨て石……か」

 

 システィーナは顔をしかめ、信一を見る。

 

 フィルムを交換し、未だにルミアの写真を撮りまくっていた。もはや娘の活躍を1秒たりとも逃してたまるか、と鬼気迫る病的な親バカにしか見えなくなってきた。心なしかフィーベル家当主の父親に行動面が似てきてる気がする。

 

 だが、ここは従者。システィーナの視線に気付き、撮像の手を止めた。

 

「どうかしましたか、お嬢様?」

 

「いや、その……ルミアは勝てるのかなぁって」

 

「心配なのはわかりますが、ルミアさんなら大丈夫だと思いますよ。俺ね、ルミアさんなら大丈夫っていう根拠のない自信があるんです」

 

「根拠のない自信って1番ダメだからね!?」

 

 システィーナのツッコミにハッハッハと笑う。そして、パシャリと彼女の焦った顔を撮る。

 

「問題ないでしょう。ルミアさんを信じるのに———根拠なんて必要ありませんよ」

 

「信一……」

 

「それに、グレン先生がルミアさんなら勝てると判断してそう決めたんです。だからお嬢様はルミアさんを応援してあげてください。俺は写真で形に残しますから」

 

 安心させるように笑いかけ、信一はグレンを見やる。

 

「Zzz……」

 

 彼は立ったまま寝ていた。

 

 スパパァンッ!! 右の尻を信一が、左の尻をシスティーナがそれぞれ蹴り、強制的に起こす。

 

「痛ってぇッ!?」

 

「先生、ルミアは大丈夫よね?間違っても捨て石とかじゃないわよね?」

 

「話がまったく読めんが……ルミアが捨て石?んなわけねぇだろ。全力で勝ちに行くって言ったはずだぞ、俺は」

 

「てことは……」

 

「あぁ、ルミアに任せりゃ楽勝だ」

 

 グレンは確信に満ちた不敵な笑みで言い切ってみせた。

 

 彼がそう言うのなら大丈夫なのだろう。

 

「わかりました。じゃあもう寝てて結構ですよ」

 

「ひどいなっ!?」

 

 それだけ聞ければもうグレンに用はない。信一は吐き捨てるように言って、完全にグレンを視界から外す。

 

 そしてそんなやり取りが行われていたことなど露知らず、午前最後の種目である『精神防御』が始まった。







はい、いかがでしたか?

ちなみに『ツーインワン』はfpsゲームが好きな人ならわりとよく聞くものだと思います。。自分はそもそもワンショットキルができるSRはあまり使わないので、記憶にある中で1回だけできたことがあります。

そんな『ツーインワン』。今回オリ主がやってのけましたが、もう一度やれと言われたらできません。そこまでの技術はありませんので。

う〜ん……男爵も書きたかったけど、どうしても長くなりそうなので泣く泣く飛ばします。あの変態は自分の手に余りますし……


目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

第16話 再開する女王と廃棄王女

こんにちは。
相変わらず話が進みません。


『精神防御』は辛くもルミアの勝利に終わった。

 

 なにやら『精神防御』を担当した講師、ツェスト=ル=ノワール男爵が身の毛もよだつ性癖を暴露したり、それを聞いたリック学長が彼をクビにしようか考えたり、信一が彼を打ち首にしようか考えたりなど色々あったが、とにかくルミアの勝利に終わった。

 

 そして今は昼休み。競技場に集まっていた生徒達は学院内の食堂に行くなり、持参したお弁当を開くなどして昼食を楽しんでいた。

 

 そんな和気藹々とした雰囲気が広がる中を、信一は1人で口を尖らせて歩いている。

 

「むぅ……別にいいじゃん。ケチくさいなぁ」

 

『精神防御』が終わり、昼休みに入る直前で魔術競技祭運営委員から呼び出しをくらった信一。

 何かしたのかと首を傾げながら向かうと、軽くお説教された。

 

 どうやら『精神防御』の競技中に観客席でバカ騒ぎしている奴がいて集中できなかったと出場していた選手から苦情が入ったらしい。どう考えても見え見えの腹いせなので運営側も軽く注意するだけに留めたが、競技中の撮像は禁止にされた。

 

 これでは午後にある『決闘戦』でシスティーナの勇姿が映せないではないかと、信一はヘソを曲げているのだ。一応競技が終了して観客から拍手をもらっている間はOKとのことだが、それでは意味がない。

 システィーナが称賛されるのは当たり前。必要なのはシスティーナが頑張っている姿なのだから。レナードとフィリアナもそれを楽しみにしている。

 

 ということで、信一は『決闘戦』のシスティーナの時だけは競技中でも撮像することを心に決めた。

 

 考えをまとめ上げ、思考を切り替える。

 これからシスティーナが初めて作ったお弁当が待っているのだ。材料の選別は自分が行ったとはいえ、主自ら作った料理。従者の信一が楽しみにしない理由はない。

 

 あらかじめ決めておいた場所に到着した信一はキョロキョロと周りを見回す。目当ての人物はすぐ見つかった。

 

「お嬢様!ルミアさん!あと……リン?」

 

 リンはクラスメイトなので別段システィーナ達と一緒にいるのは珍しくないが、昼食まで一緒というのはあまりない。彼女たちが誘ったのか、と首を傾げながら近くに寄る。

 

「もう!遅いわよ、信一」

 

「すみません。ルミアさんも、遅くなりました」

 

「う、ううん。大丈夫だよ信い……じゃなくてシンくん!」

 

「ん?」

 

 どこか挙動不審なルミア。何か違和感がある。

 

「……まぁいいか。リンもこれからお昼?良かったら一緒に食べない?」

 

「あ……ううん…私はウェンディ達と約束……してるから」

 

「そっか」

 

 小動物のようなリンでも、二組にはちゃんと友達がいる。基本仲良しな二年次生二組なのだ。

 

「信一、アイツ見なかった?全然見当たらないのよ」

 

「いえ、見てませんが」

 

「ねぇ、白ね……じゃなくてシスティ?アイツって誰だか知らないけど早く食べない?」

 

「そんなにお腹すいての、ルミア?」

 

「う、うん!もう背中とお腹が熱い抱擁を交わしちゃいそうだよ!!」

 

 やはりどこかルミアの様子がおかしい。

 

 基本彼女はあまり自分の意見を優先させるような言動はしない。にも関わらず、今日はかなり強引だ。それに加えて謎の違和感。

 

 少し確かめなければならない。

 

「ルミアさん、ちょっと失礼しますね」

 

「え?なに?……って、うおっ!?どうして俺……私の匂い嗅いでるの?」

 

「ふむ……なるほど」

 

 信一は匂いを嗅ぐために近付けていた顔をルミアの首元から離し、納得したように頷く。

 

「お嬢様、ちょっと下がってください。リンもルミアさんから離れてくれる?」

 

 訳が分からず首を傾げながらもシスティーナは信一の指示に従う。

 対してリンは、どこか冥福を祈るような顔をしていた。

 

 2人がルミアから充分離れたことを確認。信一は布袋から鞘に収まった刀を一振り取り出し、左手に持つ。

 

「ルミアさん、動いちゃダメですよ?」

 

「う、うん」

 

 腰を落とし、右半身が前にくるよう半身を作ってルミアを見据える。

 刀は左腰に当て、親指で鯉口を切り……

 

「すぅ……せいっ!!」

 

 信一は左足、右足の順で二歩。鋭く踏み込み、ルミアに接近。

 二歩目が地面を踏みしめる力を膝、腿、腰、胸、肩、腕へと伝えていき、素早く右腕で刀を鞘から振り抜く。

 

 鞘から抜くと同時に相手を斬りつける———抜刀術と呼ばれる刀特有の技術だ。

 

「うおぅっとおぉぉぉぉぉぉッ!?」

 

 振り抜かれた刀身はルミアの股間、主に男性ならばぶら下がっている『男の勲章』を斬り落とす軌道で放たれていた。

 対してルミアは股間を中心に体をくの字に曲げてギリギリ回避する。

 

「ちょ……なにしてんのよ信一!?」

 

 あまりにも唐突な信一の凶行にシスティーナが悲鳴のような声を上げた。しかしそれには構わず、返す刀をルミアの首筋に当てる。

 

 そして信一は目が笑っていないにこやかな表情でルミアの顔を覗き込む。

 

「はっはっは、女性になりたいのならいつでも斬り落としてあげますよ———グレン先生?」

 

「……え? グレン先生?」

 

「ひ、ひいぃぃぃぃッ!?やめてぇ!まだ使ってないの!新品なのぉぉぉぉ!!」

 

 ルミアの姿がグニャリと一瞬歪み、そこからグレンが現れた。講師が生徒に向けるとは到底思えない、とてつもなく情けない声を上げながら。

 

「もしかして先生、ルミアさんに化けてお嬢様の弁当を盗もうと考えてたわけじゃありませんよね?」

 

「も、もし考えてたら……?」

 

「う〜ん……ちょっと人目のないところに移動しましょうか?」

 

「考えてません!! 神に誓ってそのような事は!!」

 

「ならいいんです」

 

 刀をグレンの首から離し、鞘に収める。

 

 にこやかな信一。怯えるグレン。呆然とするシスティーナ。意外にも落ち着いているリン。

 なんかもう、色々とカオスな空間が広がっていた。

 

 そんな中、トテトテと足音が近付いてくる。本物のルミアだ。

 

「シンくーん!もうこっち来てたんだ」

 

「え?もしかして俺のこと探してました?」

 

「運営委員から呼び出されてたから、お手洗いのついでに迎えに行ったんだよ」

 

「あらら……入れ違いになっちゃいましたね。すみません」

 

「ううん、私が勝手に行っただけだから気にしないで。それより……」

 

 ルミアがこの惨状を見回して不思議そうに首を傾げる。

 

「どうしたの、みんな?」

 

「ちょっと遊んでました。それより早く昼食にしましょう? なんと今日はお嬢様が作ってくれたんですよ」

 

「え、そうなの! 楽しみだなぁ♪」

 

 グレンが光の屈折で姿を変える黒魔【セルフ・イリュージョン】でルミアの姿に変身してシスティーナの作ったお弁当を掠め取ろうとしてたところを自分が匂いでルミアじゃないと見破り尋問していた、などと言うわけにもいかないので適当に誤魔化しておく。

 

 

 ……匂い嗅いで正体を看破とか、変態だと思われちゃうからね。

 

 

 天使のように優しいルミアから軽蔑されたら、軽く100回は自殺してしまう。

 

「じゃあまた後でね、リン。午後の競技、応援してるよ」

 

「うん……ありがとう信一…。またあとで」

 

 3人を代表してリンに手を振り、次にグレンに振り返ってにっこり笑顔を作る。

 

「グレン先生……次はありませんからね?」

 

「す、す、すみませんでしたぁぁぁぁぁ!!」

 

 グレンは尻尾を巻いて逃げる悪役のようにそそくさの逃げていった。

 

 なんとなくグレンが初めて学院に来た日のような光景だなぁと思いながら、彼の背中を見送る。

 

 ルミアはその光景とムッとしているシスティーナを見て、またグレンが何かやらかしたなぁと察した。

 苦笑いを浮かべつつ、まぁまぁとシスティーナを宥めるいつもの昼食風景。お昼休みはまだ始まったばかりだ。

 

 

 

 

 

 

 女王アリシアは学院北部にある『迷いの森』に向かっていた。

 しかし、彼女の周りに王室親衛隊の衛士はいない。侍っているのは1人の男。宮廷魔導士の礼服に身を包んで、刀を一振り腰に差している。

 

 その男、朝比奈零は友人に話しかけるような気安さで女王に声をかける。

 

「まさかセリカ=アルフォネアが手助けしてくれるとはね」

 

「えぇ。しかもその理由が……ふふ、私がいなくなったことに親衛隊が気付いたらどんな顔をするかなんて。とてもセリカらしい理由ですわ」

 

「それを笑うあんたは悪い女王だな」

 

「いいじゃありませんか、たまには。それに、そのおかげで3年ぶりに娘と会えるのですから」

 

「まぁ、子に会えることを喜ばない親はいないよな」

 

 悪戯に成功した子どものような笑みを浮かべる女王。それを見つめる零も内心では競技祭が終わった後、5年ぶりに息子と娘に会えることを楽しみにしている。

 

 娘は相変わらず昏睡状態が続いているらしいが、それでも肉親の顔が見れるというのは嬉しいものだ。

 

「そういえば、あなたのご子息とご息女はどのような人なのですか?」

 

「ん?俺の子ども達か?そんなの聞いてどうするんだよ」

 

「だって今はエルミアナと一緒に暮らしているのでしょう?」

 

「あぁ、なるほどね」

 

 娘と1つ屋根の下に暮らす人間のことが気になるのは母親として当然だ。まだ『迷いの森』までは距離があるので、暇潰しに話すとしよう。

 

「まず息子のほうは信一。さっき見たよな?あいつだ」

 

「えぇ。見事な【ショック・ボルト】の腕前でした」

 

「学生のレベルで見ればな。そんで信一はまぁ、なんというか……泣き虫な奴だ。今はどうか知らないが、5年前以降は俺が長期の休暇を取って帰ってきてもついぞ母親の背中に泣きついてるところしか見てない気がする。わりとマジで」

 

 気が小さくて人種的な問題で小柄だった信一は近所でも有名ないじめられっ子だった。

 

「それでも可愛いところがあってな。俺が帰ってくると、母親の背中から離れて抱きついてくるんだ。それで俺にはかっこいい所を見せたいのか、上手く作れた料理の話をしてくれるんだよ」

 

「はぁ……。そういえば貴方の家は定食屋さんでしたね」

 

「はは、まぁな。それで娘の信夏なんだが、こいつはお兄ちゃんっ子でな。信一がいじめられてるのを発見したらいじめっ子を蹴散らしてたらしい」

 

「蹴散らす……ですか?」

 

 兄をいじめているということは、当然信夏にとって相手は年上のはず。しかも女の子が、となるとアリシアは不思議そうに首を傾げる。

 

「文字通りの意味だよ。信一がいじめられてたら、いじめっ子のほうに飛び蹴りをかましてた」

 

 その現場を見るまでは半信半疑だったので、さすがの宮廷魔導士である零も娘の暴れっぷりには茫然自失だった。

 子どもの喧嘩に大人は手を出さないと決めていたが、あまりやり過ぎるとご近所付き合い的によろしくないので止めることにした。

 

「なんというか……仲の良い兄妹なのでしょうか?」

 

「仲は良かったな。信一も信夏のお願いはできるだけきくようにしてたし」

 

 何故いじめられっ子の情けない兄のことがあそこまで大好きだったのか謎だが、それはそれ。家族の仲が良いことに代わりはないし、喜ばしいことである。そして———

 

 ——その日々はもう戻らない。妻を息子が殺し、それを見ていた娘は昏睡状態になっている。

 

 そんな現実を直視すると、どうしても胸が痛む。今でも後悔の念は絶えない。

 

「どうかしましたか?いきなり暗い顔になって……」

 

「いや、なんかさ。信一は俺のことを憎んでるんじゃないか、って思えてさ。そうてなくても、あまり良い感情は持ってないと思うんだ」

 

「何故?」

 

「俺はあいつが1番辛い時、側にいてやれなかった。赤の他人であるフィーベル家に預けるだけ預けて、俺は妻を失った悲しみを仕事に没頭することで打ち消そうとしていただけで何もしてやれなかったんだ」

 

 目を伏せたまま悲痛な面持ちで独白する零。

 

 信一と昏睡状態の信夏を一緒に暮らさせるということで、フィーベル家は1番都合が良かった。

 

 学究都市であるフェジテは医学もある程度先進的であり、なおかつ貴族であるフィーベル家なら継続的に信夏の医療費を払い続けるだけの財力があったからだ。

 今は夫婦となっている同級生と恩師が2人を快く引き取ってくれたこと、とても感謝している。

 

「正直、私にはなんとも言えません。貴方のご子息は貴方を嫌いになんかならない、と言うのは簡単です。しかしそれは私の言葉であり、私の推測でしかないのだから。そんなものに価値はないでしょう?」

 

「……そうだな」

 

 女王の言葉を無価値と断ずる。本来アルザーノ帝国に住む者なら光栄に思うべきものであるにも関わらず。

 

 だが、それは女王としての言葉であった場合だ。

 

 今の彼女の言葉は零の友人としての言葉。であるならば、むしろ無条件に傅くのは失礼だろう。不敬ではなく、失礼。

 友人に傅くなど、健全な友誼とは言えない。そんなことは小さな子供でも知っている。

 

「お互い、子どもには苦労しますね」

 

「まったくだ」

 

 アリシアと零は揃ってため息を吐く。しかもその苦労を子どもにも強いてしまったのだから、そのため息は深い。

 

 そんな話をしているうちに、2人は目的地に着いたらしい。目の前にはルミアと、セリカが言った通りグレンが並んでベンチに座っていた。どうやら昼食は食べ終えたらしい。

 

 2人は後ろからこっそり近付き、アリシアが声をかける。

 

「あの……あなた方。少しよろしいですか?」

 

「はいはーい。全然よろしくありませーん。俺今すっごく忙しいでーす」

 

 こちらをロクに確認もせず、グレンが非常にかったるそうな口調で言葉を返す。

 それに零は悪戯を考えた子供のようにニヤリと笑い、アリシアを体で隠すように立つ。

 

「———いいからこっち向けよ。不敬罪でその首が胴体とgood-by foreverする前にな」

 

「ハァ……不敬罪?なんだあんた、そんなに偉いの……」

 

「よお、グレン。久しぶりだな」

 

「カァ……ッ!?」

 

 こちらを振り向いたグレンが零の顔を見るなり劇画調に硬直した。

 

 そしてたっぷり10秒ほど固まった後、ルミアに振り向く。とても優しく穏やかで、この世に一片の悔いもないような爽やかな笑顔を浮かべて。

 

「ルミア……すまない。俺の命はここまでのようだ。クラスのみんなに短い間だったが楽しかったと伝えておいてくれ」

 

「いや、さすがに殺さないぞ?殺してくださいって泣いて懇願するくらい殴るがな」

 

「ひいぃぃぃぃ!!」

 

「……冗談だ」

 

 そんなに本気でビビらなくてもいいではないか、とちょっぴり傷付く零であった。

 

 ここまで怯えるほど彼に厳しくしたつもりはない。ただ、3時間ほどぶっ通しで組手をしただけだ。無論訓練なので彼は素手、自分は刀と槍を持って。あの時は必死なグレンを見るのが楽しかった。

 

 そんな追憶をしながら、零はルミアに向き直る。

 

「久しぶりだな、エルミアナちゃん。覚えてるかな?」

 

「貴方は……」

 

「まぁ、今は俺のことなんてどうでもいい。君に話があるのはこちらの方だ」

 

 零は一歩横にずれる。

 

「元気でしたか、エルミアナ?」

 

 そこにはルミアに微笑みかけるアリシアがいた。慈愛に満ちた、深い愛情を感じられる笑顔だ。

 

「ずいぶん背が伸びましたね。それに凄く綺麗になったわ」

 

 3年ぶりに会う娘に触れ合おうと、アリシアはルミアの頰に手を伸ばす。

 

 その手が頰に触れる瞬間———ルミアは避けるように跪いた。

 顔を伏せ、前髪で表情を隠しながら彼女は言葉を紡ぐ。

 

 

 

 

 

 

 

「失礼ですが、陛下は人違いをされておられます」

 




はい、いかがでしたか?なんかほとんど原作キャラにオリキャラがくっついておしゃべりしてた回でしたね。
この2巻の話のポイントは親子。親と子の気持ちは同じであり自分は憎まれているかもしれないというところです。

原作を読んでる方達って、戦闘パートと日常パートどちらが好きなんでしょう?ちなみに自分はどっちも好きです。

というわけで、次回は戦闘パートが入ります。感想などお待ちしてますね。


目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

第17話 超強い一騎当千の死神

待たせたな(イケボ)

少女家庭の事情で遅くなりました。

今回はちょっと長めです。1万文字超えです。読むのなら通勤通学の移動時間にどうぞなレベルです。

それでは、どうぞ!


 昼休みも終わり、午後の競技が始まった。

 

 今行われている競技は『遠隔重量上げ』。

 白魔【サイ・テレキネシス】を駆使して、鉛の詰まった袋をどこまでの重さまで持ち上げられるかを競うものだ。

 二組の生徒はテレサが出場している。

 

 そんな競技場の様子に最低限の気を配りながら信一とシスティーナはキョロキョロ辺りを見回していた。

 

「ルミア、どこいったのかしら……」

 

「お手洗い……は昼休み前に行っていましたしね」

 

「うん……」

 

 昼休みの途中で別れてからどうもルミアが見当たらないのだ。

 さすがに1年以上通っている学院で迷子になったとは考えにくいし、なにより彼女はそこまでアホじゃない。

 

 何かあったのかもしれない。その考えが頭によぎり、信一はシスティーナに射影機を渡す。

 

「お嬢様、俺探してきます」

 

「ちょっと待って。一応先生に聞いてみない?もしかしたら知ってるかもしれないし」

 

「……なるほど」

 

 2人とももう気付いているが、ルミアは担任であるグレンに恋慕の情を抱いている。もしかしたら昼休みの途中で別れた後、グレンに会いにいったのかもしれない。

 

 そう考え、壁に背を預けて競技を眺めているグレンに近付く。

 

「先生」

 

「あ? どうした2人とも」

 

「ルミアがいなくなっちゃって……どこ行ったか知らない?」

 

「……あぁ、ルミアか」

 

「何か知ってるんですか、先生?もし知っているのなら過不足無く……」

 

「話す!話すから刀に手をかけないでくれ!?」

 

 ぶんぶん両手を振って布袋から刀を取り出そうとする信一に抵抗の意思が無いことを示す。この生徒、家族のこととなるとマジ怖い。

 

 グレンは2人を手招きし、耳を貸せと合図を出す。それに従い、2人はグレンの口に耳を寄せる。

 

「実はな、昼休みの最中に女王陛下がルミアに会いに来たんだ」

 

「「 んなっ!? 」」

 

「だけどアイツ……仕方なかったとはいえ、自分を捨てた陛下を母親と認めたくなかったみたいでな。『私は陛下の娘じゃない』ってはっきり言っちまいやがった」

 

「そんな事が……」

 

「まぁ、だから今は1人になりたいのかもな」

 

 グレンの簡潔な説明でも充分伝わった。確かに、今のを聞いてしまえば自分たちもルミアになんと言ってやればいいのかわからない。

 

 だが、それならなおさら……

 

「先生、悪いんだけどルミアのところに行ってあげて?」

 

「いや、白猫。こういう時は1人にさせておいたほうが……」

 

「そうですね。先生、行ってあげてください」

 

「信一まで……」

 

 辛い時、1人になりたいと思っても心のどこかで人の温もりを求めているというのは珍しい話ではない。もちろん人にもよるだろうが。

 

 少なくとも信一はそうだった。フィーベル家に来たばかりの頃、与えられた部屋で1人塞ぎ込んでいたが何も解決なんてしなかった。銀髪の少女が自分の手を引いて部屋から引きずり出してくれなければ、今もそのままだった可能性すらある。

 

「行ってあげてください。ルミアさんをお願いします」

 

「……わかったよ」

 

 信一に真剣な眼差しで射抜かれ、グレンは諦めたようにため息を1つ。しかし口元には小さな笑みを浮かべている。

 

「んじゃ、ちょっくら行ってくる。白猫、クラスの連中は頼んだ」

 

「任せて!」

 

「あ、ちょっと待ってください」

 

「なんだよ?」

 

 悩める生徒に颯爽と駆け寄る理想の先生になりきっていたグレンは、呼び止められたことで不機嫌そうに振り向いた。

 そんなグレンに信一は悪戯っぽく笑って問いかける。

 

「なんか朝より顔色が良いようですが、何かあったんですか?」

 

「あぁ。ルミアがな、サンドウィッチ持って来てくれたんだ。捨てる予定のものだから良かったらどうぞ、って」

 

「へぇ。ルミアさんがサンドウィッチですか……」

 

「なんかどこぞの可愛い女の子が気になる男の為に作ったんだけど、渡しそびれたんだとよ」

 

 察しの悪い男もいるもんだよなぁ、とグレンは見ず知らずの『可愛い女の子』に気の毒そうな言葉をぼやいた。

 

 それを聞いて、信一は思わずニヤける口元を隠しながらさらに問う。

 

「でも、捨てる予定のものだったなら美味しくなかったんじゃないんですか?」

 

「いやいや、それがな!!」

 

 ふふん、と自慢気に胸を張るグレン。

 

「めちゃくちゃ美味かったんだよ!本格的なパン屋でもそうそう売ってないくらいフワッフワのパン!そこに挟まれた具材の数々!味付けも一緒に挟まっている具材を引き立てさせ合う最高のコントラストだったぜ!しかも彩りが綺麗で目にも楽しい!ぶっちゃけ、あんなに美味いサンドウィッチは初めて食ったよ!」

 

「そ、そうですか……」

 

 教師辞めて食レポでも始めたらいいんじゃないだろうか? 語彙力的に売れないとは思うが。

 

 そう考えながらあまりの熱弁にドン引きする信一の後ろには、耳まで真っ赤になったシスティーナがいる。

 

「いや〜、ホントに美味かった。あんなに美味い料理を作れる女の子が気になってる男ってどんな奴なんだろうな?ここだけの話、女の子の気持ちも察してやれない奴なんてロクでもない甲斐性なしな男だとは思うけど」

 

「はは、そうですね。きっとロクでもなくて、甲斐性もなくて、おまけに社会の適合能力もない肥溜めに群がるハエのような男でしょうね。死んでほしい〜」

 

「さすがにそこまでは言ってないんだが……」

 

 ひどい言い草に顔が引き攣るグレン。信一が真っ直ぐ目を見てるので、まるで自分が言われているような感じがする。

 

「ま、とにかくだ!そんな美味いサンドウィッチを食べた俺は元気全開だからな。ルミアを探してくるよ」

 

「えぇ、お願いします。呼び止めてすみませんでした」

 

 なんだか信一が怖いので、グレンは逃げるようにルミアを探しに行った。

 

 それを見送り、後ろで耳まで真っ赤になって俯いているシスティーナの顔を覗き込む。

 

「良かったですね、お嬢様。美味しく食べていただけて」

 

「……サンドウィッチのパンを焼いたのは信一じゃない」

 

「それ以外の味付けや具材の組み合わせはお嬢様がやったじゃないですか」

 

「むぅ……」

 

「隙あり!」

 

 リンゴのように赤くなっているシスティーナの手から預けておいた射影機を奪い、彼女の顔を撮像する。

 

「あ、ちょっと!なに撮ってんのよ!」

 

「あはは〜、照れてるお嬢様が可愛くてつい」

 

「べ、別に照れてないわよ!」

 

「え〜そうですか〜?」

 

 慇懃無礼な態度でニヤニヤといやらしい笑みを浮かべる信一。とにかく顔がウザい。

 

「う、うぅ〜……」

 

 それに対し、システィーナは顔がリンゴのまま言い返せずに睨むだけ。それを見ているとなんというか、信一は自分の秘められた何かが目覚めそうだった。

 

 しかし、あまりからかい過ぎると暴力に訴えてくる可能性があるのでここでやめておく。さすがに【ゲイル・ブロウ】で吹っ飛ばされるのは勘弁願いたい。

 

 そう考え……

 

「お、テレサが二位みたいですね」

 

 くるっと身を翻して、競技場からクラスのみんなに手を振っているテレサを撮像する。

 ただ逃げるだけでなく、仕事を全うすることで攻撃しにくくさせるというシスティーナには効果的な策だ。5年間従者として働いている信一ならではの技である。

 

「……ありがと、信一」

 

 だから技を使っている信一の耳に、システィーナの呟きは届かない。

 

 

 

 

 

 

 朝比奈零は自分の前を歩くアリシアになんと声をかけていいかわからないでいる。

 いつも通り肩で風を切るような毅然とした歩き方のはずなのに、どこかアリシアの背中は哀愁が漂っていた。

 

「アリス」

 

「……なんでしょう?」

 

 なんとか彼女を呼ぶ。しかし、それからなんと言えばいいかわからない。とりあえずは謝ったほうがいいだろう。

 

「その……すまなかった。俺が余計な世話を焼かなければ……」

 

「零のせいではありませんよ。あなたは友人として、私の背中を押してくれただけです」

 

「でも……」

 

 自分が背中を押したせいで彼女は娘から拒絶された。それは紛れも無い事実だ。

 

「少し……浮かれてたみたいです。久しぶりに娘に会えると浮かれて、あの子の気持ちを察してあげられなかった。これでは母親失格ですね。……いえ、あの子を捨てた時点で私に母親を名乗る資格なんてなかった」

 

「………………………」

 

「頭ではわかっていても……やはり………」

 

 彼女は振り返る。そこには弱々しい笑顔が本来の感情を隠す仮面のように貼り付いていた。

 

「———家族に拒絶されるのは悲しいものです」

 

「……………………」

 

 何故自分はアリシアだけでなく、彼女の娘の気持ちも考えてやれなかったのか。何故自分はこの状況を想定できなかったのか。

 

 理由はわかっている。

 

 ———自分は彼女達親子がわだかまりを解消するところを見届けて、勇気が欲しかったのだ。

 自分も彼女達のように息子とのわだかまりが無くなると、そう思いたかった。

 

 だが結果は違った。ただ彼女達の軋轢が浮き彫りにされただけだ。

 

「陛下!」

 

 悲しげに俯くアリシアに零ではない声がかけられる。

 貫禄のある男性の声。王室親衛隊隊長であるゼーロスのものだ。

 

「ゼーロス……!」

 

 彼は親衛隊の衛士を5人ほど引き連れ、アリシアに近付く。

 

 親衛隊の前ではアリシアも女王として振舞わねばならない。気持ちを切り替え、表情を公人としてのそれに変える。

 

「見つかってしまいましたね。勝手に外を出歩いてしまってすみま……っ!?」

 

 アリシアが謝罪の言葉をかけようとすると、突然ゼーロスが引き連れていた5人の衛士が零ごと彼女を取り囲んだ。

 

「申し訳ございません、陛下。至急、貴女の耳に入れておかなければならない話があります」

 

「———今すぐここで話せ」

 

 考えたくはないがこの状況、親衛隊がアリシアに危害を加える可能性がある。

 零は腰の刀に手を乗せ、アリシアを守るようにゼーロスの前へと立ち塞がった。

 

「貴様……!」

 

 取り囲んでいる衛士の1人がその態度に怒気を込めた声を上げた。

 だがゼーロスは手でそれを制し、説明を始める。

 

「———なので陛下、ルミア=ティンジェルを殺さなくてはなりません。このアルザーノ帝国に住む全ての国民の為。ひいては陛下の為にも」

 

「そんな……」

 

 ゼーロスの説明を受け、アリシアは口元を抑えてわなわなと震え始めた。無意識に首元へ手が伸びるが、そこにいつも身につけているロケットはない。あるのはこの状況を作り出した元凶だけ。

 

「我等はこれよりルミア=ティンジェルを討ちに参ります。陛下はどうか、貴賓席でお待ちください」

 

 それだけ言い残し、ゼーロスは親衛隊を引き連れてルミアの元に向かおうと踵を返す。

 

 しかし、

 

「待ちなさい、ゼーロス」

 

 アリシアが呼び止める。それに対し、ゼーロスは心から悲痛な面持ちで振り返る。

 

「……心中お察しします。しかし、貴女はこの国の女王。どうかご決断を」

 

「いえ、それについてはもう大丈夫です。一度は捨てた娘。もう未練などありません」

 

「では何か?」

 

「貴方は私の元にいてください。代わりに彼を」

 

 そう言ってアリシアは後ろで黙って話を聞いていた零を指す。

 

「彼なら必ずやルミア=ティンジェルを討ちます。しかし、それ以外の手段で他の者が仕掛けてくる可能性も否定できません。なので貴方は親衛隊隊長として私を1番近くで守ってください」

 

「承知しました」

 

 女王の言葉とあれば是非もない。それに、特務分室所属の零ならば間違っても小娘1人を討ち漏らすことなどありえないだろう。

 態度は飄々としているが、実力は女王から太鼓判が押されているほどだ。

 所属が違うことで他の衛士たちは少し不満そうだが、目的は同じ。零なら問題ないという確信はゼーロスにもある。

 

「彼と連携を取りつつ、なんとしてもルミア=ティンジェルを殺すのだ。年端もいかぬ少女だが躊躇うな。全ては陛下の為に」

 

「「「「「 はっ! 」」」」」

 

 ゼーロスの号令に呼応し、5人の衛士は使命感にあふれた表情でルミアの元に向う。

 

「……頼みましたよ、零」

 

「任せろ」

 

 彼らの後をついて行く為、その方向に歩き出すと自然とアリシアとすれ違う。瞬間、彼女は零に呟いた。

 その声音のから彼女の真意を全て読み取り、頷く。

 

 この状況で誰もが望むハッピーエンド。ルミアは死なず、アリシアも無事。誰1人死者を出すことなく、魔術競技祭を終えるという雲を掴むような話をアリシアは望んでいる。

 

 そしてそれは零1人では不可能だ。しかし、実現させる為に必要な人物に心当たりがある。

 

「ハァ……とんだ貧乏くじだな」

 

「何か言ったか、『死神』」

 

「んにゃ、なんでもないよ」

 

 ため息混じりの独り言に衛士の1人が反応を返してきた。

 

 彼らの歩みに迷いはない。どうやらルミアの居場所は既に突き止めているようである。

 

 ……それにしても、5人全員が剣術に関しては達人の域だなぁ。

 

 暇つぶし程度に所作を見ていてわかったが、彼等は王室親衛隊の中でも剣術に関して言えば精鋭になるのだろう。もちろん奉神戦争を生き抜いたゼーロスには遠く及ばないが、それでも一対一の勝負であれば勝ち星が多い部類だ。

 

 伊達や酔狂で宮廷魔導士の白兵戦戦術顧問をやっているわけではない。白兵戦の実力を見抜く自身の目には絶対の自信がある。

 

「———いたぞ」

 

 親衛隊の1人が顎をしゃくって示した先には神妙な表情で会話するルミアの姿。彼女は手に首から下げた何かを握りながら———グレンと話していた。

 

 ……ツイてるな。アイツもいるのか。

 

 午後の競技が始まった時点で競技場に戻ったとばかり思っていたが、ずっとルミアに付いていたのか。それとも一度は戻ったのか。

 

 どちらにしろちょうど良い。彼はアリシアの望むハッピーエンドに絶対必要なカードだ。

 

「ルミア=ティンジェル、だな?」

 

 親衛隊がルミアを囲みながら尋ねる。

 

「はい、そうですけど……」

 

「恐れ多くもアリシア七世の暗殺を企てたその罪、弁明の余地なし。貴殿を不敬罪、及び国家反逆罪で処刑する!」

 

 さきほど零の独り言に反応した衛士が告げ、それを合図に5人が一斉に腰の細剣(レイピア)を抜き放つ。

 あまりにも突然の事態に、ルミアは口をパクパクと動かすだけ。

 

 そんな彼女の様子を見て、グレンは親衛隊とルミアの間に割り込む。

 

「どういうことだよ、ルミアを処刑って?何かの間違いじゃないのか?」

 

「部外者に開示の義務はない。その娘を渡せ」

 

「断る。裁判も無しに処刑なんてありえねぇだろ!いつから帝国は……」

 

「これは女王陛下直々の勅命である。聞けぬとあらば、貴様も不敬罪に処すが?」

 

 うぐっと、グレンには歯噛みすることしかできない。

 

 アルザーノ帝国において、女王の言葉は国の言葉。国民である以上、その言葉にはなんとしても従う義務がある。例えそれが命を差し出すものであっても。

 

 だがルミアと女王、双方の事情を知っているグレンにはどうにもこの勅命は納得いかない。なので女王とも友人であり、なおかつ自分の元同僚でもあった男———この状況を静観している零に目を向ける。

 

「おい、零さん!あんたから説明してく……ガッ!?」

 

「寝てろ、グレン」

 

 瞬き1つ。ほんの刹那のひと時で距離を詰め、グレンの腹に腰に差してある刀の柄頭を叩き込む。それだけでグレンは地面に倒れ伏した。

 

「先生!!」

 

「安心して良い、ただ寝てもらっただけだよ。ちょっと時間が経てば後遺症も無く起き上がれる」

 

 泣きそうな彼女を見据え、優しく言ってやる。

 

 その雰囲気にルミアはどこか既視感を感じた。なによりグレンが呼んだ零という名前、腰の刀、宮廷魔導士団の礼服。

 

「もしかして……シンくんのお父さん?」

 

「君の言う『シンくん』というのが朝比奈信一のことなら正解だ。俺は信一の父親だよ」

 

 にっこり笑いかける。その笑顔からは何も感じ取れない。自分の家族である信一のような優しさは無い。だからと言って女王暗殺を企てた大罪人に向ける敵意も無い。

 

 本当に何も無い。

 

「知り合いだったのか?」

 

「俺の息子と暮らしてる子でね」

 

「そうか」

 

 衛士の1人がどこか憐憫の浮かぶ目で零を見た。

 

 なにやら息子の婚約者とでも勘違いしたのだろう。だが、それも衛士にとっては栓無きこと。

 零の家族であろうと、彼はルミアを討つ為に動いている。彼がとっくに見捨てているということは自明の理だ。

 

「目を瞑り、動かぬことだ。我らも貴殿をいたずらに痛めつけるつもりはない」

 

「……はい」

 

 そう告げ、衛士が細剣を引く。狙いは心臓。一撃で刺し、即死させる。それが女王を暗殺しようとした罪人に与えられる最後の慈悲だ。

 

 ルミアも諦めがついたらしく、目をゆっくりと閉じる。

 

「いくぞ」

 

「お願いします」

 

 涙が一筋、ルミアの頬を流れる。それと同時に放たれた突きは寸分違わずルミアの心臓に向かい、次の瞬間———

 

 

 ———パキイィィィッ!

 

「ぐあっ!?」

 

 何か細い金属が折れる音と()()の悲鳴が立て続けに上がった。少し間を空け、ドサっと人が倒れるような音も響いた。

 

「……なんのつもりだ、『死神』」

 

 

 別の衛士が低くドスを効かせた声音でルミア……正確にはルミアのいる方向に向けて言い放つ。

 未だに自分が死んでいないことを理解したルミアは目を開ける。その目に映るのは、宮廷魔導士団の礼服に身を包んだ男の背中。

 手には袈裟掛けに振り抜いた刀を持ち、残心の姿勢を取っていた。

 彼の足元には自分を刺し貫こうとした衛士が1人、ゴミのように転がっている。

 

「気が変わった」

 

 あっかからんと言ってのけるその姿を信じられない気持ちで見つめる。

 なにより目を引くのは彼が持つ刀。

 

「金色の……刀……?」

 

 その刀身は美しい金色に輝いていた。

 

 驚愕の声を漏らすルミアをチラリと振り返り、零は笑う。さきほどとは違う、優しさを多分に含んだ自分の家族と同じ笑顔だ。

 それから残り4人の親衛隊を見据えて不敵な笑みに切り替える。

 

「この子、友達の娘でもあるんだ。それに息子と暮らしてるし、みすみすこの子を見捨てたとあってはアイツに嫌われちまう」

 

「ふざけているのか?そのような理由で女王の命に逆らうと?」

 

「アホか。家族に嫌われることは女王の命令より重いんだよ。特に単身赴任の親父にはな」

 

 親衛隊は即座に零を囲み、細剣を構える。

 

 王室親衛隊の闘い方は数で囲んで逃げ場を無くし、同時に突きを放って殺す。

 元より細剣は形状の都合上、突きを放ちやすい。そして剣術において、突きは対処の難しい一撃。それを四方から撃たれればどんな達人でも対処しきれないだろう。しかもそれを放つ4人も達人とあってはなおさら。

 

 しかし侮るなかれ。

 

「俺は魔導士だけど魔術は苦手でね。だからこいつ()で遊んでやるよ。お前ら親衛隊も斬り合い(チャンバラ)のほうが得意だろ?」

 

 4人の達人に囲まれてなおも笑い続けるこの男は一騎当千の猛者。4人の達人程度、なんの障害にもならない。

 

「我らを愚弄するか!!」

 

 零の挑発を受け、4人は裂帛の声と共に突きを放つ。

 感情的になっても、その剣の冴えに一切の曇りは感じられない。そこは賞賛されるものだ。

 

 ……逆に言えばそれだけだがな。

 

 集団における細剣の使い方は教科書通り。四方向から心臓への突き。

 

 確かに首を狙えば屈んで避けられ、アキレス腱を狙えば飛んで避けられる。心臓というなんとも対処の難しい高さを突きで狙うのは基本中の基本。まさに教科書通り。

 

 だが、対処が難しい高さというだけでできないわけではない。

 例えば———

 

 

 

「そりゃっ!!」

 

「うがァっ!?」

 

 ———心臓の高さより高く飛ぶ。

 

 ドガァ——ッ!

 

 零は体を丸めて飛び上がり、空中で横に寝かせて正面から攻撃してきた衛士の顔面にドロップキックを叩き込む。

 

 両手と両足を同時に伸ばすことで、人体で1番威力の出る蹴りだ。

 

 蹴りを放った態勢のまま地面に落ち、蜘蛛のように四肢で這う。そこから刀を持ったまま逆立ちし、隣の衛士に踵を振り下ろす。

 

 体重と遠心力の乗った踵落としは容易く衛士の意識を刈り取った。

 

 細剣の突きが放たれ、引き戻す間に親衛隊2人を無力化。この時点で格の違いは明白だ。

 だが、親衛隊にも意地がある。

 

「いよっと!」

 

 地面に足が着いたと同時に体を回しながら片手で金色の刀が振るわれる。狙いは首。刀身は返され、峰打ちということで殺傷能力は格段に落とされていた。

 

 ……あくまで我らの無力化が狙いかっ!

 

「舐めるなアァァァァッ!!」

 

 迫る金色の刀身を衛士は意地で絡める。

 無力化が目的とあって力も大して入れず、なにより片手で持っていたこともあって簡単に頭上へ飛ばされた。

 

「マジか」

 

「我らに逆らったことを悔いて死ね、『死神』!」

 

 相手の武器を奪い、なおかつ態勢も崩れたとあって完全に無防備。

 零の後ろから別の衛士が心臓に向けて突きを放つ。

 

 見事なコンビネーション。大抵の賊ならこれで終わる。

 

 

 

 

「ん?やだ」

 

 零は左手を思いっきり振り下ろし、腰に差して僅かに体の前面へ出ている鞘を上から叩く。

 

 

 パコゥ——ッッ!!

 

 

 鞘は梃子の原理で腰を支点に、後方へ出ている部分が空気を裂きながら弾き上がっていった。後ろの衛士の顎を打ち、失神させる。

 

 動きは止めない。そのまま前面に出ている鞘を逆手で掴み、指で留め具を外して素早く抜く。逆手斬り上げの要領で放たれた一撃は、刀を頭上に絡め飛ばしたことで無防備になった最後の衛士の顎をかち上げた。

 

 零を挟んでいた衛士2人が空中で仰け反るように体を浮かせ……バタン。

 ほぼ同時に地面へと落ちた。

 

 それを見ながら、零は鞘の口を真上に向けてアドバイスを送るように言う。

 

「お前らに女王の警備はまだ早い。自宅の警備からやり直しな」

 

 言い終わると同時。頭上に飛ばされていた金色の刀が重力に従って落ちてくる。そして———チャキンっと小気味好い音を立ててなんの抵抗もなくスルリと零の持つ鞘に収まった。

 

 

 

 

 

 

「よお、怪我はない?」

 

 零は刀の収まった鞘を腰に差しながらルミアに尋ねる。

 

「は、はい!その……ありがとうございました!」

 

「いえいえ、殺そうとしたのはこっちだし」

 

 礼儀正しい子だなぁと感心するように笑いかける。少々言ってることは頭オカシイが、基本零はこんな感じである。

 

 ポンっと一瞬ルミアの頭に手を乗せ、それから地面に転がっているグレンをゲシゲシと蹴り始めた。すると、すぐに彼は体を起こす。

 

「よおグレン。さっきぶり」

 

「たく……あんたのことだから、どうせこんなことだろうと思ったよ」

 

「うん。理解のある教え子で俺は嬉しいぞ」

 

 そう言いながら本当に嬉しそうにグレンの頭も撫でる。

 

 だが、すぐに止めて目つきを鋭く変えた。それに応えるようにグレンの目も真剣なものに変わる。

 

「それで? これは一体どういうことだよ?」

 

「今そいつらが言った通りだよ。女王陛下はそこのルミアちゃんを殺す命令を出した」

 

「そうじゃねぇ!どうして陛下がそんな命令をしたか聞いてるんだ!」

 

 掴み掛かりそうな勢いでグレンは零に詰め寄る。

 

「あり得ないだろ。だって陛下は……ルミアの………」

 

「あぁそうだ。あり得ない。だが、そのあり得ない命令を陛下は出したんだ」

 

 犬歯を剥き出しにして、問いかけるというにはあまりにも乱暴なグレンの目を見て零は言う。

 

 できれば全てを話したいが、それもできない。ではどうするか?

 その方法を考えようとして、零は遠くから迫る一団を見て思わず舌打ちをこぼす。

 

「グレン、話は後だ。王室親衛隊の援軍が来ちまった」

 

「あぁもうっ!次から次へとどうなってやがる!!」

 

「とりあえずルミアちゃんを連れて逃げろ」

 

「言われなくてもそうするよ!ルミア、ちょっと我慢してくれ」

 

「きゃっ!?」

 

 右腕を背中に、左腕を膝裏に回す。グレンは所謂お姫様抱っこでルミアを素早く持ち上げる。

 突然のことに驚いたルミアは声を上げるが、それに構っていられるほどグレンに余裕はない。

 

 振り返ってわかったが、こちらに走ってくる親衛隊の数は優に20を超えている。あの人数を、ルミアを守りながら切り抜けるのは不可能だ。

 

「零さん、ここは頼んだぞ」

 

「ん、了解」

 

「そんな!?あの人数を1人でなんて……」

 

 戦闘についてはまるっきり門外漢のルミアでもわかる。多勢に無勢という言葉が表すように、数というのは立派な武器だ。

 

 さきほどは不意打ちで1人を無力化し、残りの4人に対しても大立ち回りを演じた零だが、さすがにあの人数を相手に仕切れるとは思えない。

 

「ルミアちゃん。1つ、東方の常識を教えてやる」

 

 ルミアの焦りに、しかし零は優しく諭すような声音で告げる。

 

「俺の母国ではね、『赤色と金色は強い』っていうのが常識なんだ」

 

 その言葉を証明するように、零は宮廷魔導士団の礼服を翻して体を180°回して背中を向ける。

 すると、まるで手品のように今まで何も無かった零の左手には血を吸ったかのような禍々しい赤槍が握られていた。右手にはいつの間にか抜かれた金色の刀。

 

 その一刀一槍を翼のように広げる。

 

「じゃあ、どっちも持つ俺はどうなのか。———簡単だ」

 

 少年のような笑みを浮かべ、この可愛らしい少女に教えてやる。母国の常識を。

 

 バチイィィ———ッ!

 

 零は自分の頭の中に【ショック・ボルト】を予め唱えておいた呪文を使って時間差起動(ディレイ・ブート)。【迅雷】を起動する。

 

「———超強い!」

 

 そして、ブオォゥゥン——ッッッ!!

 一刀一槍を羽ばたかせる。

 

「さぁ飛んで行け———『飛花落葉』——ッ!」

 

 

 ドォォォォォッオオオオォォォォンッッッ——!

 

 

 超音速で一刀一槍が空気を押しのけりながら振るわれる。その押しのけられた空気は衝撃波となり、轟音を上げながらこちらへと迫る王室親衛隊へと向かう。

 

 王室親衛隊一人一人が悲鳴を上げながら吹っ飛ばされていく。

 それはまるで、風に散らされる花の如く。儚い葉の如く。

 

「すごい……」

 

「相変わらずデタラメだなぁ……」

 

 ルミアの驚くように、グレンは呆れるように2人の口から自然とそんな言葉がこぼれていた。

 

「ほら、グズグズしないで逃げるぞ」

 

「はいよ!《三界の理・天秤の法則・律の皿は左舷に傾くべし》」

 

 グレンはルミアを抱えたまま黒魔【グラビティ・コントロール】———自身や自身の触れているものの重さをコントロールする魔術を用いて大きく飛ぶ。

 零も引き続き【迅雷】を起動して彼を追う。

 

 その場に残されたのは死屍累々と転がる王室親衛隊だけであった。





はい、いかがでしたか? オリ主パピー、ほぼ化け物じゃね……?

Q.何故オリ主ではなくオリ主の父親が王室親衛隊の相手をしたか?
A.オリ主は弱いから【迅雷】使って親衛隊をぶち殺しちゃう☆

そもそもルミアちゃんを殺そうとする親衛隊に信一は容赦しません。にっこり笑顔で惨たらしく殺しちゃいます。なので今回はとっても影薄かったですね(笑) 父親に全部持ってかれました。

ちなみに零が使ってる赤い槍はFateのゲイ・ボルグとかゲイ・ジャルグみたいなのを想像してください。わからない方、今すぐGoogle先生に質問しましょう!

次回はリィエルちゃん登場です。あの子のアホ可愛さはもしかしたらラノベ1なのではないだろうかと思う今日この頃……。


目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

第18話 トラスト

原作9巻読んでたら遅くなっちゃいました(テヘペロ)
ちゃんと反省してますよ?

最近やっと気付いた自分の小説を書くのに不足した能力!
それは、重要な部分をまとめ上げる能力でした!!

という前振りをしたということは、つまり今回も長いというわけです。だって仕方ないじゃないですか! ロクアカって伏線多いんだから!!

てなわけで、楽しんでいただければ幸いです。




「ハァ……ハァ……ここまで来れば大丈夫か?」

 

「そうだな」

 

 ルミアを抱えて走っていたグレンは息を切らしながら足を止める。

 

 場所は学院を飛び出し、フェジテの路地裏。それなりの広さがあるとはいえ、区切られた敷地で逃げ回っていればすぐに捕まると判断したグレンはすぐに学院を出たのだ。それに従い零も周囲を警戒しつつ並走していたのだが、彼は汗ひとつかかずケロッとしている。

 

「ルミア、降ろすぞ」

 

「は、はい」

 

 今のところ追っ手は撒いたので、休憩がてらルミアを降ろして壁にもたれかかるグレン。少女とはいえ人間1人抱えてかなりの距離を走ったので体力の限界がきているようだった。

 

「この程度で情けない」

 

「人間5人抱えて笑いながら帝都を走り回るアンタと一緒にすんな!」

 

「2年前の忘年会の話か? あの時は参加者が多かったから嬉しくてつい飲み過ぎちまったよ」

 

 なんとも迷惑な酔っ払いである。

 

 零の所属する宮廷魔導士団特務分室は、魔術がらみの事件でも特に危険度の高い事件を扱う都合上、よく欠員が出る。

 死亡したり凄惨な事件の現場に心が耐えられなかったりと理由は様々だが、そんな特務分室の参加人数が過去最多だったのが2年前の忘年会であった。

 

 今は亡き遊牧民の姫やその姫を亡き者にした狂気的な独善者、頭の固い特務分室の室長。筋骨隆々の爺さんに女顔の少年。青髪の猪娘と鷹の如く目つきの鋭い似非司祭。そして『正義の魔法使い』に憧れた愚か者。

 そんな濃いメンバーがまだ仲間として集まった最後の時だ。

 

「まぁ、今そんなことはどうでもいいか……」

 

 過去を思い返し、楽しかった思い出に浸るのは今じゃない。

 軽く頭を振って、零は座り込んでいるグレンを見下ろす。

 

「で、どうするグレン。 たぶんこのままここに居ても見つかるぞ?」

 

「そう……だな。とりあえず逃げる」

 

「その後は?」

 

「逃げながら考える」

 

「ははっ! お前らしい」

 

 行き当たりばったりの作戦にも程がある。にも関わらず、零はそんな今も変わらないグレンのやり方が嫌いじゃなかった。

 

 グレンは相手の先を読んで布石を打つより、その場その場で最善の手を打つ男だ。気の遠くなるような広さの砂漠の中にある勝利という一粒の砂を見つけ出し掴み取る。そうして数々の修羅場を潜り抜けてきたことを、彼に白兵戦全般を教えた零は知っていた。

 

 だから笑ってその作戦を受け入れる。なにせ———自分も同じやり方をするのだから。

 

 しかし、そんな笑い合う2人を理解できないと首を振る者がいた。

 

「どうして……どうしてそんなに呑気なんですか!」

 

 ルミアだ。

 

「私なんかを助けたせいで、2人も国家反逆罪で殺されちゃうんですよ! 女王陛下暗殺を企てた罪人の逃亡幇助の罪で!」

 

 彼女は恐れていた。大切な家族の父親と心奪われた男性が自分のせいで国に殺されることを。

 自分が死ぬことよりも、そちらを恐れていた。

 

「なのに……いた!」

 

「アホ」

 

 グレンはビシッとルミアの額を指で弾き、彼女の言葉を止める。その表情は心底呆れたと言いたげだ。

 

「お前は罪人なんかじゃない。自分の命より他人を心配できる優しい俺の生徒だ」

 

「でも……だって……」

 

「それとも、お前は陛下の暗殺を企てたのか?」

 

「そんなこと……っ!」

 

 顔を伏せて震えていたルミアがパッと顔を上げた。その表情を見て、グレンは相好を崩す。

 

「その顔を見れば分かる。お前はそんなことしないし、考える奴じゃない」

 

 疲れた体に鞭を打ち、なんとか立ち上がってルミアの頭を優しく撫でるグレン。

 その2人の光景を見て、零も安心したように微笑む。

 

 

 ……なんだ。案外良い先生やってるじゃないか。

 

 

 だからと言って女生徒にボディタッチはどうなのかと思うが。ここは空気を読んでその事には何も言わないでおこう。

 

「ゴホン!」

 

 これ以上教師と生徒のイチャイチャした場面を見せられても、自分が蚊帳の外になるだけなのでわざとらしく咳払いを1つ。

 この場を仕切り直すように零は言う。

 

「まぁ、この場に罪人はいないってことだな。誰も国家に反逆なんてしてないわけだし」

 

「いや、アンタは反逆しただろ。王室親衛隊を5人ボコってたじゃんか」

 

「失礼なこと言うな。あれは()()抜いてあった刀を()()()に振ってたら()()()()そこにいた親衛隊に当たっちゃっただけだ。わざとじゃない」

 

「苦しすぎるだろ、その言い訳」

 

「うるさい。殴るぞ」

 

「……この世界は不条理に満ちている」

 

「あ、あはは……」

 

 零の雑な脅しにグレンはどこか遠くを見ながら嘆く。そんな彼にルミアはなんと言ったらいいのか分からず曖昧に笑うしかない。

 

 それでも彼女の表情からは適度に憂いが消えたのを見て取り、零も和やかな雰囲気ができたことに満足した。

 

「さてと……」

 

「もう大丈夫か?」

 

「あぁ」

 

 呼吸を整えたグレンは気合を入れるようにパンパンと自身の頬を数回叩く。

 そろそろ動かなくては場所を特定されてしまうだろう。王室親衛隊は馬鹿の集まりではない。ルミア達がもう学院にはいないことくらいとっくに気づいているはずだ。

 

 街中なので魔術を使って逃げるよりは人混みに紛れた方が得策だと判断し、グレンがルミアの手を取って歩き出そうとした瞬間———ある意味慣れ親しんだ感覚が背筋を走った。

 

「殺気!」

 

 すぐさまその気配の出所からルミアを守る位置取りを行う。

 

 殺気の出所———路地裏から見える通りの屋根には2人の男女がこちらを見下ろしていた。

 

 藍色がかった黒髪の男と青い髪の小柄な少女。

 

 無表情を浮かべる2人は見方によっては兄妹にすら見える。だがそんな微笑ましい雰囲気はなく、あるのは人間味を感じさせない冷酷なもの。

 そして、2人は零と同じ衣装に身を包んでいた。

 

「リィエル!?アルベルト!? まさか……宮廷魔導士団も動いているのか!?」

 

 グレンの驚愕と共に同時、小柄な少女———リィエルが屋根を蹴って地面に着地。そのまま手を石畳の地面に当てがい何かを口走る。

 そして手を地面から離すとその石畳がごっそりと消えて、代わりにリィエルの手には立派な大剣が握られていた。

 

 その大剣を担ぎ、リィエルはグレンに突進してくる。それはまさに猪突猛進を体現したかのような動き。

 

 今や彼女もグレン達を敵として狩りに来ていることが一瞬で理解できてしまう。

 

「いいいいやぁああああ———ッ!」

 

 少女らしい高い裂帛と共にグレンへ向けて跳躍。稲妻の如く鋭い一撃が振り下ろされる。

 

 

 

 

 

「ハァ……時と場合を考えろ、リィエル」

 

 

 刹那、グレンとリィエルの間に零がいた。

 

 

 彼はため息を吐きながら人差し指と中指を立て、そのピースサインをリィエルが振り下ろすであろう大剣の軌道上に置いておく。

 

 大剣は吸い寄せられるかのように彼の立てた指の間へと入り、挟まれ———そして挟んだ瞬間、即座に手首を返す。

 

「———っ!?」

 

 すると、まるで板チョコを割るようにパキッと何の抵抗も無く半ばから折れた。リィエルの表情が驚愕に染まる。

 だが、零は動きを止めない。

 

 折れて宙を舞っている刀身を今度は親指とそれ以外の四指で挟むようにキャッチ。それを大剣を振り下ろした態勢のため、がら空きになっているリィエルの頭部へと落とす。

 

「きゃん!?」

 

 ガゴォォンと空っぽの何かを金属製の物で叩く……例えるなら鐘のような音が路地裏に響いた。

 零がリィエルの頭部に落としたのは刃ではなく、大剣の腹。幅広の刀身は見事即席のハリセンとなったわけだ。

 

 

 

 

「このお馬鹿!! 一体何考えてるんだ!!」

 

「痛い」

 

 ———グリグリグリグリッ!

 

 グレンの両拳がリィエルの側頭部をえぐる。

 

「あの……この方達は?」

 

 グレンがリィエルへ、文字通り鉄拳制裁中で忙しそうなのを見て取ったルミアの袖を引っ張って問いかける。

 

 どうやら2人とも、ルミアを殺しに来たわけではないらしい。

 にも関わらず、何故リィエルはグレンに襲いかかったか。理由としては単純なもので、ただお預けだったグレンとの決着をつけたかったというだけであった。

 

 それを聞いたグレンはブチギレ、今に至る。

 

 閑話休題

 

 

 ちなみにリィエルの大剣はウーツ鋼という通常の鋼より圧倒的に優れた剛性、靭性を持たせた特殊鋼材でできている。

 そんなウーツ鋼製のハリセンでぶっ叩かれてなお、ケロっとした無表情のままグレンのお仕置きを受けるリィエルは只者じゃない。

 

 なにより零と同じ衣装を着ているのだからほとんど正体はわかったようなものだろう。

 

「俺の同僚だよ。 女の子がリィエルで、そっちの無愛想な奴がアルベルト。アルベルトのことはアルちゃんと呼んであげると急に脱ぎだ……おっと危ない」

 

 ルミアの質問に答えていると、アルベルトから【ライトニング・ピアス】が飛んできた。

 特務分室のツッコミは一般人にとって命に関わる威力のものが多いなぁと、先ほどの自分を棚上げしながら危なげなく避ける。

 

「無駄話は止めろ。俺はお前に聞きたいことがある」

 

「なんだよ」

 

「この事態が起きた理由だ。陛下と共にいたお前なら何か知っているだろう?」

 

「……親衛隊の忠誠心が暴走したとは考えないのか? このルミアちゃんが3年前に死んだ『廃棄王女』で、それをどこかで知った親衛隊が殺しにきていると」

 

「いや、そりゃ無理があるぜ」

 

 2人の会話にグレンが割り込む。

 

「そうだよ……落ち着いて考えればすぐにわかる。零さんが今俺たちといるのは、元々親衛隊と一緒にルミアを殺しにきたからじゃねぇか。そもそも、アンタが親衛隊の勝手な暴走に加担するとは考えにくい。さらに言うなら、わざわざ加担した奴らを裏切るなんてありえない」

 

「……………………」

 

 グレンの推理に零は黙り込むしかない。

 

 どうしてさっきまでのロクでなしな魔術講師のままでいてくれないのか。そんな胸中の憂いを知らない彼はルミアを守るように立ち、零に不信感の混じった眼差しを向けている。

 

「ハァ……正解だ。確かに俺はこの騒動の理由を知っている」

 

 観念したように息を吐く零。そんな彼にグレンは思わず掴みかかっていた。

 

「どういうことだっ!どうして黙って……」

 

「落ち着け、グレン」

 

 零の胸ぐらを掴み上げるグレンの手にアルベルトの手が重ねられる。

 

「零はわざわざ不信感を煽るようなことをしない。それはお前も知っているだろう?」

 

「———っ!……そうだったな」

 

「つまりこいつには言いたくても言えない理由があるということだ。違うか?」

 

「アルの言う通りだ。黙っていたことは謝るが、俺にも言えない理由がある。……だが信じてほしい。俺はルミアちゃんを守る為に行動している。それだけは誓って本当だ」

 

 虫のいいことを言ってるのはわかっている。何も言わないクセに信じてほしいなんてのは自分勝手なワガママなのも理解している。

 

 それでも信じてもらいたい。自分は決して敵ではないことを。

 まるで懇願するように、この中では最年長者であるにも関わらず零は頭を下げた。

 

「あの!」

 

 その姿を見て、今まで静かに事の推移を見守っていたルミアが声を上げる。

 彼女へと他の四対の瞳が向けられるが、それに気圧されることなくルミアははっきりと言う。

 

「私は信じます。 言えないことがあっても……それでも貴方は私を守ってくれましたから。その事実は変わりません」

 

「そっか……ありがとう」

 

 口では感謝の言葉を告げるが、それに反して零は内心呆れていた。

 

 

 ……この子は他人からの好意に素直過ぎるなぁ。

 

 

 あまりに無警戒で無防備。一度味方と認めれば信じ抜いてしまうだろう。

 それはとても危険なことだ。特に他人から命を狙われる立場ならなおさら。

 

「まぁ、ルミアが信じるならそれでいいよ。元々この人は仲間を裏切るようなことはしないしな」

 

「わたしは最初から零を信じてた。グレンとアルベルトは疑ぐり深い」

 

「当然だ。やすやすと信じた結果背中から刺されては笑い話にもならん」

 

 口では色々言っても、彼らは自分を信じてくれる。息子と同年代の彼らからの信頼は嬉しいものがあった。

 

「さて……では話を続けようか。一応王室親衛隊は女王陛下の勅命という大義名分で動いている。だが、女王陛下はそんな命令を出していない。ここまではいいな?」

 

「あぁ。でも女王は親衛隊が動いていることを知ってる」

 

「ふむ……」

 

「アルベルト。この状況を打破する作戦を思いついた」

 

「……………………」

 

 静かに手を挙げたリィエルをアルベルトは無言で見やる。それを発言の許可と取ったリィエルは凹凸があまりない胸を微かに張る。

 

「考えてもわからないものはわからない。だからまずわたしが正面から突っ込む。次に零が正面から突っ込む。その後グレンが正面から突っ込んで、最後にアルベルトが正面から突っ込む」

 

「「「「 …………………… 」」」」

 

「どう?」

 

 ————グリグリグリグリッ!

 

 グレンの両拳がリィエルの側頭部をえぐる。

 

「惜しかったな。どうせならそこは俺とリィエル、グレンとアルベルトの二人一組で別々の方向から突っ込んだほうがいい」

 

「は……! なるほど」

 

「なるほどじゃねぇ!」

 

 ———グリュグリュグリュグリュッ!

 

 グレンの両拳がさらにリィエルの側頭部をえぐる。

 

 痛い痛いと棒読みで喚くリィエルを放置し、グレンは零へと向き直った。

 

「なぁ、セリカも動けないのか?」

 

「そうだ。セリカ=アルフォネアも俺とまったく同じ理由で動けない」

 

「となると突破口がわからねぇな……」

 

「いや、それはあるぞ」

 

「はひょ?」

 

 サラッと重要なことを言われたグレンの口からなんともマヌケな声が漏れた。それにはとりあえずノータッチで言葉を紡ぐ。

 

「グレンが女王に直接会うんだ。彼女の目の前まで行くんだよ」

 

「それでどうするんだ?」

 

「そこからは言えない。だが、それが唯一の突破口だ。俺にも、セリカ=アルフォネアにもできない。だが、お前ならできるんだ」

 

 確信を持って言える。その為に零はわざわざグレンを気絶させるようにして親衛隊の凶刃からかばったのだから。

 

「だけど、どうやるんだ? 陛下は貴賓席にいて、確実に王室親衛隊が護ってるだろ?」

 

「おまけにセリカ=アルフォネアもな。でも1つ忘れてないか? 今のお前は教師で、お前の生徒たちは競技祭に出場している」

 

「……っ! そうか! 俺のクラスが優勝すれば……」

 

「直々に勲章が下賜される。その時がチャンスというわけだ」

 

 八方塞がりと思われた状況に光が見えた。

 しかし、またここで新たな問題が発生する。

 

「でも、今俺とルミアは追われてる身だぞ? ノコノコ競技場に戻ったらあっさりと捕まっちまう」

 

「なら1つ作戦を提案する。まずわたしと零が……」

 

「それはもういい!」

 

 こいつは状況の深刻さを理解しているのだろうか。いや、きっとしてない。

 

 そんなお馬鹿ちゃんは放っておいて、グレンは施策に耽る。幸い、今日は昼休みにルミアからサンドウィッチを貰ったおかげで頭がよく回るのだ。

 

 

 ……ん? 昼休み?

 

 

 1つ、頭に作戦がよぎった。昼休みというキーワード。そして、自分が昼休みに何をしたか。

 

「これだ……!」

 

「何か思いついたのか?」

 

 競技場に戻れるだけでなく、優勝の為にクラスの指揮も取れる。そんな夢のような作戦を、彼は思い付いていた。

 

「あぁ。よく聞けよ———」

 

 その作戦を他の4人に話す。ほう、とリィエル以外から感心の声が漏れた。

 しかし、当然ながらこの作戦にも穴がある。それにいち早く気付いたアルベルトが顎に手を当てながら発言。

 

「しかし、その作戦では生徒からの信頼が重要だろう。そこはどうするつもりだ?」

 

 確かにその通りだと、グレンの眉間に皺が寄る。しかし……

 

「その信頼、もしかしたらクリアできるかもしれないぞ」

 

 零が不敵に笑って見せた。4人が彼に注目する中、ポケットを漁り出す。

 やがて零がポケットから取り出した物。それはアルベルトにも見覚えのある物だった。

 

 

 

 

 

 

 

 競技場の熱気は衰えることを知らず、競技1つ1つが行われるごとに歓声が上がっていた。

 

「う〜ん……まずいわね」

 

 システィーナが唸るように呟く。

 

 まずいと言うのは、自分のクラスである二組の優勝が難しくなってきたことについてだ。

 

「今が4位。そろそろ何かの競技で1位を獲得しないと厳しいですね」

 

 午後の部が始まって早々担任のグレンがいなくなったことで、クラスの士気はあまり芳しく無い。

 

 一応クラスでトップの成績を誇るシスティーナがグレンに任されたこともあり指揮を執っているが、どうにも上手くいかない。信一も出来るだけ手伝うようにはしているが焼け石に水であった。

 なにより、システィーナ自身も昼休みが終わってから見当たらないルミアのことが心配で仕方がなかった。その不安がクラスに伝わっていることも、士気向上を阻害する要因の1つになっている。

 

 そんな時だ。

 

 ———リリッ、リリッ、リリィン

 

「「………っ!? 」」

 

 鈴を転がしたような音がどこからともなく聞こえてきた。信一とシスティーナは辺りを見回し、その音の出所を探す。

 だが、それがどこから聞こえているのかよくわからない。もちろん足元に鈴が転がっているわけでもない。

 

「あ、信一の通信結晶……」

 

「え?」

 

 信一の耳に着けられている通信結晶がチカチカと光っているのをシスティーナが見つけた。実はこの通信結晶を使っていなかった信一は耳元にあったにも関わらず、呼び出し音がわからなかったみたいだ。

 

「え……なんで…?だって今は仕事中じゃ……」

 

 珍しく信一がワタワタと慌て出す。元々夜限定で通信するように送られた物。それが昼間、しかも今は父親も仕事中のはずなのに鳴り始めたのだ。

 それに加え、信一は未だ心のどこかで父親と話すことを恐がっている。軽くパニックに陥っていた。

 

「あ……うぁ……」

 

「信一?大丈夫?」

 

 耳から下がっている通信結晶の前を信一の手が右往左往。言葉にならない声を出すだけで何もできない。

 

「———信一」

 

「あう……」

 

 凛としたシスティーナの声に、しかし信一は今にも泣きそうな顔で振り向く。これを無視したら父親に嫌われるかもしれない。でも、出たら出たで何を言っていいのかわからない。

 

 まるで迷子のような信一の手を———システィーナが両手で優しく包む。

 

「大丈夫。どうしてこのタイミングなのかはわからないけど、とりあえず話してみなさい。そうじゃないとあなたのお父さんにも伝わらないわよ」

 

「でも……」

 

「もし拒絶されたら慰めてあげるから。だから、一度話してみなさい」

 

 包んでいた手が信一の頬を挟み———コツン。

 軽くおでこをくっつけて、迷子になっている弟を安心させるように窘めるシスティーナ。

 

 その行為でパニックになっていた頭が急速に冷えていく。

 

「……わかりました。ちゃんと慰めてくださいよ?」

 

「ぎゅってしてあげるわよ」

 

「あれ痛いからイヤです。特にお嬢様のあばら骨が顔をゴリゴリして」

 

 遠回しに貧乳と言われ、システィーナの額に青筋が立つ。

 しかし、内心ではホッとした。そのくらいの軽口が叩ける程度には落ち着いてくれたらしい。

 

 信一はシスティーナから離れ、競技場の外へと出て行った。

 

 

 

 

 

 ———リリッ、リリリリッ、リリィン

 

 未だ鳴り続ける通信結晶に手を当てがい、深呼吸を1つ。思わず不安で高鳴る心臓を落ち着ける。

 

 ……よし!

 

 なんとか落ち着いたのを見計らってピンッと指で通信結晶を弾いて通話を開始。

 

「と、父さん……?」

 

『あぁ、やっと出たか』

 

 結晶越しに、5年ぶりに聞く父親の声。その声音は少し焦燥に駆られているようである。

 

「あの……久しぶり…だね」

 

『そうだな。顔が見れなくて残念だが、とりあえずは元気そうな声で安心したよ』

 

「うん……俺もだよ」

 

 ファーストコンタクトは良好。声を聞く限りは憎悪のような負の感情は感じられない。

 

「それで…その……何か用?まだ昼間だけど」

 

『あぁ、かなり火急の用だ。……今お前の周囲に誰かいるか?』

 

 父親の不思議な問いかけに信一は首を傾げながら辺りを見回す。5年ぶりの会話を誰にも邪魔されたくなかった為、人目のない茂みに入り込んだので周囲に人は見受けられない。

 

「いないけど……」

 

『なら良かった。信一、落ち着いて聞けよ? ———ルミアちゃんが王室親衛隊に命を狙われている』

 

「———どういうこと?」

 

 零の言葉が耳に入った瞬間、信一の声音から緊張や恐怖が霧散し、何の感情も持たない冷たいものに変わる。

 

『何故襲われてるかは言えない』

 

「理由なんてどうでもいいよ。それよりルミアさんは無事なの?毛一筋ほどの怪我もない?」

 

『大丈夫だよ』

 

「なら良かった」

 

 安堵のため息を溢す。

 だがそれも一瞬。再び冷たい声で通信結晶越しの父親に問いかける。

 

「今ルミアさんはどこにいるの? 父さんと一緒?」

 

『あぁ。俺もちょっと親衛隊から狙われちまってな。だから一緒に逃げてる。ちなみにグレンもいるぞ』

 

「ふぅん」

 

 グレンのことだから、ルミアを王室親衛隊から庇ったのだろう。偶然グレンが迎えに行ったタイミングで親衛隊が仕掛けてきたというのは、彼にとってとても不運なことだがルミアが無事ならどうでもいいことだ。一応感謝はしておくが。

 

 それよりこの状況の解決策を考えるのが先決だろう。

 

 王室親衛隊がルミアの命を狙う———順当に考えれば女王陛下が命令したと捉えるのが普通だ。しかし、ルミアは女王陛下の実の娘。

 そして、ルミアの様子から王女の立場を追放される前の親子関係はそこまで悪かったとは考えにくい。そもそも、生きていては困るのなら追放などせずに殺してしまえば良かったのだ。にも関わらず追放したのだから、親としての愛情が最後の一線を越えられなかったというのは自明の理。

 

 ———だったら何故今になってわざわざ殺そうとするのか?

 

 それが信一にはわからない。政治的な理由が存在するのか、それとも別の要因か。

 

 

 ……まぁ、やっぱり理由なんてどうでもいいか。

 

 

 信一にとって、ルミアが狙われる理由などどうでもいい。重要なのはルミアが狙われているという事実のみ。そして、それを阻止することが最優先事項だ。

 

「父さん。ルミアさんを守るにはどうしたらいい? 女王陛下を殺せばいいのかな?」

 

『それも1つの解決策ではあるが、やめておけ。 殺した後、お前が世話になってるフィーベル家が一族郎党皆殺しになる』

 

「チッ……これだから国の偉い人は面倒くさいなぁ」

 

 天の智慧研究会の連中達は殺せばそれで終わりだった。

 しかし、それが女王陛下となると話は変わってくる。

 

 彼女は紛れもない国家元首。それを殺したとなれば、歴史の教科書に載ってしまう程の大罪人だ。

 別に自分がそうなるだけなら構わない。だが今の信一の立場はフィーベル家の従者。従者の罪はそのままフィーベル家の罪になってしまう。

 

 家族を守る為の行動で家族全員が死ぬなど、本末転倒ここに極まりと言うしかない。

 

『でもほかの解決策はちゃんとある。———お前のクラスがこの魔術競技祭で優勝することだ』

 

「は? どゆこと?」

 

 何故ルミアを殺されない為の解決策がいきなり二組の優勝になるのだろうか。理解が追いつかない。

 

『どういうことと言われても、それが1番後腐れのない方法になる』

 

「よくわからないけど、父さんがそう言うなら信じるよ。でもさ、今結構ヤバい状況なんだよね。グレン先生がいないからみんなの士気も低いし、優勝するの厳しそう」

 

『それなら安心しろ。 そっちに俺の同僚2人が向かってる。時間的にそろそろ着いたんじゃないか?』

 

「その人たちがグレン先生の代わりになるってこと? ……こう言っちゃ悪いけど、信用できるの?」

 

 父親の同僚と言えば宮廷魔導士団———言うまでもなくて帝国側だ。親衛隊と一悶着やらかした今の父親はむしろ帝国の敵として認知されてる可能性があるので、この状況では信用できない。

 

『100%信用できる。グレンと全く同じくらいだ。お前にとってはな』

 

「俺にとっては……?」

 

 変な言い回しに首を傾げるが、父親が言うのならそうなのだろう。

 

『なぁ、信一』

 

「ん?」

 

 突然、父親の声が神妙なものに変わる。

 

『お前はルミアちゃんを守りたいか?』

 

「もちろん」

 

 即答。その質問に迷う余地など一切ない。

 

『本気で守りたいならそっちに行った女の子の方———リィエルって言うんだが、そいつを全力で守れ。それがルミアちゃんを守ることに繋がる。絶対だ』

 

「絶対……ね。わかった」

 

 父親もルミアを守る為に必死だと言うことは話していれば伝わってくる。そんな彼が言うのだから、それを疑う理由はまったくない。

 

『じゃ、こっちも親衛隊に見つかっちまったんでな。今から全力で逃げる。最終種目が終わったら連絡くれ』

 

「了解。……死んじゃダメだよ」

 

『死なないよ。『母は強し』って言うが、父だって強いんでな』

 

 軽口を叩き、通話が切れる。切れる寸前、奥から男達の怒号が聞こえた。父親はこれからグレンとルミアと共に逃走劇をおっ始めるようだ。

 

 しかし、心配はしていない。なにせ父親なのだから。

 

 耳から下がっている通信結晶を一撫でして、信一は競技場へと歩を進める。父親の同僚がもう着いているかもしれないし、そのうちの1人はルミアを守ることに繋がる人物なのだ。

 それに、もう1人も優勝する為にクラスの指揮を執ってくれると言っていた。クラスメイト達を説得しなければならない。

 

 そしてクラスのところまで戻ると、なにやら誰かを囲んでいるようであった。

 軽くクラスメイトをかき分けてその中に入る。

 

 クラスメイト達が囲んでいたのは、藍色がかった黒髪の男性と青髪の小柄な少女。そして宮廷魔導士団の礼服を着ている。どうやらこの2人で間違いなさそうだ。

 

「あ、信一! この人が急に来て……」

 

「事情はある程度知っています。この人たちがクラス指揮を執るということでしょう?俺たちを優勝させる為に」

 

「なんで知ってるのよ?」

 

「父から聞きました。アルベルトさんとリィエルさんで間違いありませんね?」

 

 振り返って聞くと、2人は頷いた。無口で表情が変わらないところは少し人間味を感じないが、特に気にするほどでもない。

 

 その時、唐突に2人の方向からこちらに向かって突風が吹く。急に吹いた突風に煽られる女子生徒のスカート。

 信一は刀の入った布袋でシスティーナのスカートを後ろから抑えて、完璧に守りながら、

 

 

 ……ん? これって……もしかして?

 

 

 風に乗って自身の鼻腔をくすぐった匂いに違和感を覚える。

 

「……あぁ、なるほどね」

 

 そして、その違和感の正体を見破り、何か確信を得たように笑った。

 

 

 ……父さんがこのリィエルって子を守れって言った理由、アルベルトさんが俺にとってグレン先生とまったく同じくらい信用できるって言った理由。どちらもよくわかったよ。

 

 

「お嬢様、彼らの指示に従いましょう。どうせ二組の目標は『優勝』なんです。だったら誰の指示に従っても変わらないでしょう?」

 

「確かにそうだけど……でも……」

 

 未だに猜疑心の拭いきれない目を彼らに向けるシスティーナ。

 そんな彼女に、リィエルが近寄ってそっと手を握る。

 

「……お願い。信じて」

 

「あ……」

 

 何かに気付いたように、システィーナはリィエルの瞳を覗き込む。

 そして頷き、彼女はクラスメイト達に告げる。グレンにクラスを任された生徒として。

 

「みんな、この人達は信用できるわ。間違いなく、グレン先生とまったく同じくらいに!」

 

 

 ……さすがお嬢様。手を握られただけで気付きましたか。

 

 

 システィーナの様子に、信一は内心心から拍手を送っていた。

 それからありとあらゆる褒め言葉を並べ、心の中でべた褒めする。ついでにそんな聡明な彼女の従者である自分は世界で1番幸せだと確信していた。

 

 システィーナと信一。別々のベクトルではあるがどちらもクラスの中では信頼されている2人が確信を持って言うものだからか、二組の生徒に『優勝』への渇望が再び湧き始める。

 

 優勝したい。クラスメイト全員で優勝を掴みとりたい。

 

 その気持ちはこの時、間違いなく一つであった。

 

「さて、お手並み拝見といこうかしら。ア ル べ ル ト さん?」

 

 システィーナに挑戦的な笑みを向けられ、アルベルトは気まずそうに頬を掻く。

 その2人を見るリィエルの横顔に、やはり信一は見覚えがあった。





はい、いかがでしたか?

アルベルトさんがいると話が円滑に進みますね。だとしても1万文字越えはひどいですが。

たぶん次回あたりから1万文字以内に収まると思います。……たぶん。


目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

第19話 従者がすべきこと

どうも、お待たせしました。

ここ最近はテストがあったりレポート書いたりで大忙しでしたからね。しゃーなし!

今回はシスティちゃんが頑張るお話。いや、なんか2巻の内容だと彼女影薄いから出番を与えたくて……という理由で書きました。原作に沿いながらもオリジナル要素を組み込んだ『決闘戦』にしてみました。

それでは、楽しんでいただければ幸いです。






 魔術競技祭の熱気は観客、生徒共にピークを迎え、視線は全て競技場の中心で対峙する2人の生徒が独占している。

 

 1人は二年次生一組の男子生徒、ハインケル。

 1人は二年次生二組の女子生徒、システィーナ。

 

 行われる競技は競技祭の大トリである『決闘戦』。先鋒、中堅、大将の3人がそれぞれ魔術決闘をして、勝ち星の多い方にポイントが入る。

 

「お嬢様、頑張れ」

 

 システィーナの背中に信一は思わず呟いていた。

 

 二組から見れば先鋒のカッシュは敗れ、中堅のギイブルは勝って1-1となっている。そして、言うまでもなくこの大将戦が勝利の鍵なのだ。

 これは『決闘戦』という1つの競技だけでなく、魔術競技祭そのものの優勝争いでもある。全てはシスティーナの女性らしい細い双肩にかかっていると言っても過言ではない。

 

「ん?」

 

 観客席にいる信一の呟きがシスティーナに聞こえるはずは無いのだが、彼女はこちらに笑顔で手を振っている。それに振り返すと、グッとサムズアップ。

 

 任せろ、という意味なのだろう。

 

 その姿がどうにもかっこよかったので、首から提げている射影機で撮像する。信一の目は真剣そのもので———お嬢様の勇姿は1コンマ1秒たりとも見逃さないぜ、という気概が満ちに満ちて溢れかえっていた。

 

 

 

 

 

「余裕だな、システィーナ」

 

 口上戦とばかりにハインケルは観客席へ手を振っているシスティーナへと言う。

 

「ん?」

 

 振り返ったシスティーナの表情はとても楽しそうだ。

 少なくとも緊張感を感じない。まるで自分が舐められてるようで、その姿にハインケルは神経を逆撫でされる思いだ。

 

「もう優勝したつもりでいるのかい? 学年首席の君に僕は勝てないと?」

 

 ハインケルは毎回テストで二年次生の首位争いをしている1人だ。

 基本首席のシスティーナに対抗意識があるのは当然。しかし、当の本人はこちらを見向きもせずに自分のクラスへ手を振っている始末。

 

 確かにそれは失礼だろうと、システィーナは若干浮かれていた自分を戒める。

 

「あぁ……ごめんなさい、そうじゃないの。ただ嬉しくて」

 

「嬉しい?」

 

 ハインケルにはシスティーナの言っている意味が理解出来ない。確かに優勝争いの場に立ち、しかも自分の勝敗が競技祭の全てになるのは誇らしいが、嬉しいという感情は勝ってから湧いてくるものだろう。

 

 にも関わらず、システィーナは今が嬉しいと言った。ますます苛立ちが増す。

 

「あ、誤解しないでね? 別に貴方を軽視してるわけじゃないの」

 

「じゃあどういう意味なんだい?」

 

「みんなが心の底から優勝したいって思ってるのが、ってことよ」

 

「それはどこのクラスも同じはずだと思うが?」

 

「そうね。でもウチのクラスは全員がそう思ってる」

 

 システィーナはもう一度自分のクラスを振り返る。勝てるかどうか、それは分からないというハラハラした面持ちを全員がしている。

 

「優勝()()()()()じゃなくて優勝()()()って思ってるのよ。それは全員が競技に出場したからこそ湧いてくるものでしょう?二組の優勝は二組の成績上位者の優勝じゃなくて、二組全員の優勝になる。 それが嬉しくてね」

 

「君は……」

 

「だから私は負けない。みんなの為に勝つんじゃない。みんなで勝つ為に貴方を倒す」

 

 まっすぐ目を見て告げられた言葉は確かにハインケルへと向けられている。

 ならば、と。ハインケルも口元に笑みを浮かべてシスティーナを見据える。

 

「今日、僕は君に勝つ。そしてこれからも、勝ち続ける!」

 

 2人は互いに左手を向け合う。それと同時に実況担当の生徒が試合開始を高らかに告げた。

 

「《雷精の紫電よ》ッ!」

 

「《災禍霧散せり》!」

 

 ハインケルの一節詠唱で放たれた【ショック・ボルト】をシスティーナはすかさず【トライ・バニッシュ】で打ち消し、2人の間で散る魔力の残滓を中心に時計回りへと駆け出す。

 

 走る速度は男性であるハインケルの方が速い。そんなことはシスティーナにも分かっている。

 

 だからこそシスティーナは体を90度回して、ハインケルの虚を突いてお互いが描いていた円の中心へと走り込んだ。

 

「《大いなる風よ》!」

 

 ハインケルの想定より早く距離を詰めたシスティーナは十八番の【ゲイル・ブロウ】で牽制しながらさらに迫る。

 

「《雷精の紫電よ》ッ!」

 

 しかしハインケルも負けてはいない。彼は素早く身をベッタリと競技場に寝かせながら突風の拳を突き破るように【ショック・ボルト】を放つ。

 

「———んなっ!?」

 

 システィーナの驚愕が声となって漏れた。

 

 まさか【ゲイル・ブロウ】を打ち消すのでも防ぐのでもなく、直撃しても問題ないように伏せながら風の抵抗を受けない雷撃でのカウンターを放ってくるとは。

 

 さすがは二年次生の首位争いを行えるだけの実力者だ。

 どうやらハインケルは座学だけの頭でっかちではないらしい。

 

 うつ伏せという本来なら絶対にしない態勢でありながらも、彼の【ショック・ボルト】の狙いは正確無比。

 システィーナの胴体目掛けて寸分違わず飛んできている。

 

「《守人の加護あれ》」

 

 即座にマナ・バイオリズムを整えて【トライ・レジスト】を唱え、基本三属の耐性を制服に付与して雷撃を防ぐシスティーナ。

 防がれるのは分かっていたようで、既に立ち上がって次の呪文を詠唱しているハインケル。

 

 一進一退。勢力伯仲。お互いの技量を軽視せず、さらに1つ1つ丁寧ながらも豪快な応酬は競技場をさらに沸かせる。

 

「やっぱり凄いなぁ、お嬢様」

 

 走り、飛び、呪文を放つ。

 そんな戦乙女さながらの動きをするシスティーナの姿は凛々しいの一言に尽きた。その勇姿を信一は次々と最高のアングルを見つけて撮像する。運営委員の方からすごく睨まれているが知ったことではない。てかお嬢様を見ろ、と逆ギレ気味に一瞬睨み返す。

 

 だがそれも一瞬。残像の動きを一切緩めず、残像すら見える速さで最高のアングルを選択し続ける。

 

 

 ……超速い慇懃無礼な従者は伊達じゃない!

 

 

 心で叫びながら隣で『決闘戦』の中堅を務めたギイブルに問いかける。

 

「ギイブル的に見て、相手のハインケル君ってどのくらい強い?」

 

「……そうだね。あくまで私見になるけど、僕が彼と10回戦ったら7回は負けるんじゃないか」

 

「なるほど。かなり強いね」

 

 ギイブルは二組の次席。中堅戦では会話の言葉をそのまま呪文に改変して勝利を収めるという優秀な彼ならではのやり方で勝利を掴み取った。

 

 そんなギイブルの分析を聞いて関心する信一。彼は魔術の腕にそれなりの自信はあるが、だからと言って絶対に相手の実力を過小評価しない。それは美点であり、彼自身の次席という実力地位を確立する根源なのだろう。

 

「信一はどうなんだ?」

 

「 たぶんボロ負けすると思う。10回戦ったら12回分無様に負けるんじゃないかな」

 

「よく言う。あのよく分からない身体強化の魔術を使えば圧勝だろうに」

 

 不機嫌そうに鼻を鳴らしながらギイブルは冷たく言ってきた。

 よく分からない身体強化の魔術というのは恐らく【迅雷】のことだろう。

 

「あはは……グレン先生も言ってたでしょ? あれは体術アリなら強いけど、単純な魔術戦だけの勝負じゃ速く動けるだけのモノだよ」

 

「あの速さで翻弄しながら【ショック・ボルト】などの攻性呪文(アサルトスペル)で攻撃するっていう手があるじゃないか」

 

「残念ながらそんなハイレベルなこと劣等生の俺にはできないよ。マナ・バイオリズムを整えてる間にポンとやられる」

 

【迅雷】は完全に戦闘特化の魔術だ。殺し合いを避ける為に作られた魔術決闘でこんなものを使ったら、それを作った先達が草葉の陰から【ブレイズ・バースト】を叩き込んでくるだろう。

 

 このアルザーノ帝国魔術学院で教えているのは魔術の使い方であり、今行われている競技はその教えられたものを使って競うものだ。殺し合いに特化した【迅雷】の出る幕などない。

 

「話が逸れちゃったね。———率直に言って、ギイブルはお嬢様が勝てると思う?」

 

「勝てる勝てないじゃない。勝ってもらわなきゃ困る。せっかく優勝まであと一歩のところまで来てるんだ。魔術競技祭で優勝したクラスで競技に出場してたって言えば経歴に箔が着くしね」

 

「ブレないな〜」

 

「そんなこと聞いてくるなんて、君は彼女のことを信じてないのかい?大好きなお嬢様なんだろう?」

 

 相変わらず皮肉気な言い方は聞く者によっては腹立たしい。

 しかし信一は特に気にせず、さも当然とばかりに胸を張って答える。

 

「もちろん信じてるよ。ていうか、お嬢様が負ける訳ないじゃん」

 

 システィーナの勝利を寸分も疑ってない。それどころか微塵も負ける可能性など考えていない。

 信一にとって、こんな試合は出来レースを見ているようなものだ。そして、その出来レースの中でどれだけ輝かしく凛々しい彼女の姿を撮像するかが信一の使命となっている。

 

 

 

 ———そして競技開始から四半刻。

 

 システィーナとハインケル、両名の魔力は確実に限界が迫っていた。

 だが、出し惜しみをすれば負ける。その一瞬の隙を見逃さないだけの技量をこの2人は有している。

 

「《白き冬の嵐よ》!」

 

 黒魔【ホワイト・アウト】———相手の四肢から感覚を奪って行動不能に追い込む冷気の嵐をハインケルに放ち、その副作用として発生した白が視界を覆う。

 

「《大いなる風よ》ッ!」

 

 その冷気を【ゲイル・ブロウ】で払い除け、そのままシスティーナへと向かわせる。

 これが当たれば勝てる。しかし、システィーナがこれに当たってくれるなどというのは希望的観測でしかない。

 

「《紅蓮の炎陣よ》!」

 

 ハインケルの【ゲイル・ブロウ】を迎撃の為の【ファイア・ウォール】を唱え、放射状に広がる炎の壁が防ぎながら反撃の熱波が今度こそお互いの視界を奪った。

 

 

 ……たぶんハインケルはここで接近してくる。正面か、右か、左か。答えは三分の一。

 

 

 炎の壁に囲まれているシスティーナには相手が見えない。しかし、ハインケルからすれば彼女は炎の中に確実にいる。つまり、自由に動ける分この状況ならハインケルのほうが有利。

 

 

 ……やるしかないわね。

 

 

 密かに……それこそ信一やルミア、グレンにすら内緒で作り上げた改造呪文。威力は同じであるが一点にではなく広範囲に、持続時間を長くした【ゲイル・ブロウ】。

 グレンの授業を受け、先の事件で信一がボーン・ゴーレムを吹っ飛ばした時に思いついたものだ。

 

 正面、右、左。その三方向全てをカバーできる呪文を唱え始める。

 

「《拒み阻めよ・嵐の壁よ・その下肢に安らぎを》!」

 

【ゲイル・ブロウ】のような突風ではなく、全てを覆う嵐の壁。

 名付けるのなら———黒魔改【ストーム・ウォール】。

 それが炎の円陣を内側から突き破って扇状に放たれる。

 

「なっ……なんだ、その呪文ッ!?」

 

 システィーナが独自に改造した呪文だ。学院で習ったものしか知らないハインケルにこの正体は分からない。

 

 システィーナの【ストーム・ウォール】はハインケルに直撃。相手を吹っ飛ばすとまではいかないが、彼は顔を覆って身動きは封じられている。

 しかし、それだけで終わるハインケルではない。

 

「《雷精の紫電よ》ッ!」

 

「なっ!?」

 

 システィーナの姿が見えていないにも関わらず、彼女に向けて【ショック・ボルト】を放ってくる。

 先ほどもそうだが、ハインケルは追い込まれても冷静にその場で自分が持ち得る最善の呪文を選ぶことができる。

 

 まだ慣れてない【ストーム・ウォール】を放ったせいでシスティーナのマナ・バイオリズムは整っていない。

 つまり、ハインケルの【ショック・ボルト】を打ち消す手段はない。しかも彼の【ショック・ボルト】はまたも寸分違わずこちらに向かってきている。見えてない相手を顔を覆う前の記憶だけで狙ってこれなのだから舌を巻く。

 

 紫電は間違いなく彼女に当たる軌道を描いている。本来ならこれで負けだ。

 そんな紫電がシスティーナに当たる瞬間、彼女は———

 

 

 

 

「私の……私達の勝ちよ!」

 

 ———右に思いっきり体を傾けて()()()

 

「なん……だとぉ……」

 

 ハインケルの驚愕と苦悶に満ちた声が漏れるが、それに構わず左手を向け……

 

「《大いなる風よ》———ッ!」

 

 得意の【ゲイル・ブロウ】を唱え、突風がハインケルに直撃。彼は防ぐ手段もなく、【ショック・ボルト】を撃った姿勢から伏せることもできず場外へ吹っ飛ばさせれていった。

 

 

 

「「「「 うおぉぉぉぉぉぉぉッッ!! 」」」」

 

 今までで一際大きな歓声が競技場を埋め尽くす。この瞬間、魔術競技祭の優勝は二組へと決まった。

 

 歓声と拍手喝采の中、システィーナは吹っ飛ばしたハインケルの元に歩み寄る。

 

「どうして……? 最後の【ショック・ボルト】は完璧に入ったと思ったのに……どうして君は避けられたんだ?」

 

 ハインケルは自分のすぐ近くまで来たシスティーナを見上げ、問いかける。本来ならアレは当たるものだった。学生レベルで【ショック・ボルト】を避けるなど白魔【フィジカル・ブースト】で身体能力を強化しない限り不可能だ。

 

 しかしシスティーナは避けて見せた。それがどうしても理解できない。

 

 そんな彼の疑問に、システィーナはあっさりと答える。

 

()()……かな。貴方、不安定な態勢で【ショック・ボルト】撃つ時はほとんど胴体を狙ってたでしょ? だから今回もそうかなって思ったの」

 

「そんな……」

 

 しっかりと狙えない状況なら人体で一番面積の広い胴体へと向けて撃つのは定石だ。だが、それではある程度ブレてしまう。体を傾けてもそちらに逸れる可能性はゼロじゃない。———本来ならば。

 

「貴方の【ショック・ボルト】は正確無比。どんな態勢でもしっかりと胴体の真ん中へと撃ってきてた。だから避けられたのよ」

 

 ハインケルの【ショック・ボルト】は完璧だった。もっと言えば()()()()()。だからこそ、避けた先に飛んでくるなどということを微塵も考えずに済んだのだ。

 

「……ははっ。君に勝つ為の努力が仇になったわけか」

 

 ハインケルの口から乾いた笑いが漏れる。力が及ばなかったわけではない。

 

「僕は君に勝つことなんてできない……か」

 

「そんなことないわよ」

 

 項垂れるハインケルにそっとシスティーナが手を差し出す。

 

「貴方の技術を信じたの。貴方は私より上の部分があるから、その部分を理想的な場面で使うと想定することができた」

 

「…………………」

 

 もし、ハインケルの【ショック・ボルト】の腕がもう少し鈍ければ勝てた……というわけではない。

 ただ単にハインケルの強さを信じて、それでも尚勝つ為に動けたシスティーナが上手だっただけだ。

 

「今回は私が勝てた。でも次にやったら結果はわからない。貴方が私に勝てないなんてことはないわ。———だから今は、お互いの健闘を讃えましょ?良い勝負だった……てね」

 

 にこりと笑い、差し出した手をさらにハインケルへと近付けるシスティーナ。

 

「……なるほど。勝てなかったわけだ」

 

 その手を数秒呆然と見つめ、何かを理解したようにハインケルは掴む。

 

 次の瞬間、今までよりさらに大きな拍手が競技場を覆う。健闘を讃え合う若き魔術師の卵へ喝采が送られる。

 

「次は負けないよ、システィーナ」

 

「えぇ。また全力をぶつけ合いましょ」

 

 喝采の嵐は2人の呟きを隠していった。

 

 そんな2人を見ながら信一は誰よりも大きな拍手を鳴らしつつシャッターをきり続けるという実に器用なことをやってのける。

 

「ヒグ……グス…成長しましたね、お嬢様」

 

「なんで泣いてるんだよ、君は……」

 

 打ち倒した相手を見下すのではなく、健闘を讃える。人として理想的とさえ言える成長を果たした家族の姿に感涙が絶えない。

 その姿を見て、隣のギイブルはいかにも鬱陶しそうだ。

 

「ねぇ、ギイブル」

 

「……なんだい?」

 

「やっぱりお嬢様って最高だよね」

 

「………………………さ、整列しようか」

 

 目をキラキラさせて肯定してくれるのを待っている信一の姿に、これを肯定したら絶対にシスティーナのべた褒めを聞かされると察したギイブルは素早くその場を離脱。

 つれない彼の態度に、信一は不満気に頬を膨らましている。

 

 だがそれも一瞬。誰よりも大きな拍手を鳴らしつつシャッターを切り、さらに左耳の通信結晶を指で弾くというもはや手が増えたんじゃないかという動作をかます。

 

「———父さん。最終種目終わったよ。優勝した」

 

 そして足元に立て掛けていた刀の入っている布袋を見つめながら一言、誰にも聞こえない声で言った。

 

 

 

 

 

『それでは今大会で顕著な成績を収めたクラスに女王陛下が勲章を下賜されます』

 

 実況担当だった生徒の声と共に、ゼーロスとセリカに挟まれて立っていたアリシア七世が一歩前へ。それに合わせて盛大な拍手が鳴り響く。

 

『優勝した二組の代表は前へお願いします』

 

 それに合わせ、二組の担当講師が舞台へと上がった。

 しかし、今はグレンが不在。グレンの友人と名乗ったアルベルトとリィエルが2人でアリシアの前に立つ。

 

「アルベルト……?それに、リィエル……?何故貴方達が?」

 

 宮廷魔導士の2人とアリシアは言わずもがな、面識がある。二組の担当講師が上がるはずが、何故か目の前に立っている2人にアリシアは目を瞬かせた。

 少し、会場がざわめき始める。

 

 アルベルトとリィエルを知らない生徒達も、突如上がった2人を不思議そうに見ていた。

 

「……来たか」

 

 そんな中、セリカだけはニヤリと不敵に笑う。

 

「陛下、そやつが二組のグレン=レーダスという講師なのですか?」

 

「いえ……違いますけれど……」

 

 アリシアの動揺する姿に彼女の後ろで控えていたゼーロスが尋ねる。

 

「いい加減、馬鹿騒ぎもおしまいにしようぜ。おっさん」

 

「何……!?」

 

 突然、冷たい雰囲気を醸し出していたアルベルトから彼らしくない軽い口調で言葉が放たれる。

 それに驚愕するアリシアとゼーロス。

 

 しかし2人には構わず、突如アルベルトとリィエルが波紋を浮かべる水面のように歪む。

 

「どーも。さっきぶりですね、陛下」

 

 アルベルトはグレンに。リィエルはルミアへと姿を変えた。———否、姿を戻した。

 

 それを見届けた信一は、隣で整列しているシスティーナに問いかける。

 

「お嬢様、気付いてましたか?」

 

「もちろん。……そういう信一も気付いてたでしょ?」

 

「えぇ、まぁ」

 

 どんな事情があるかは知らないが、グレンとルミアは【セルフ・イリュージョン】で姿を変えていた。

 しかし、【セルフ・イリュージョン」は光の屈折を利用する術。

 だからこそ、システィーナはルミア扮するリィエルに手を握られた時気付いた。

 3年間も一緒に暮らしているのだ。手を繋いだことは数え切れないほどある。いくらルミアの姿ではないとはいえ、握られればすぐに分かる。

 

 現れたグレンにゼーロスは目を見開き、部下である親衛隊へとグレン達を捕らえるように指示を出す。

 その刹那、セリカが信一へとまるでメッセージのように目配せした。

 

 

 ……来るなら来い。

 

 

「お嬢様、すみませんが射影機を持っててください」

 

 信一は首から提げていた射影機を外し、隣のシスティーナの首にかける。

 そして布袋から鞘に収まった刀を二本とも取り出し、左右の手に一本ずつ握る。

 

「《疾くあれ》」

 

 バチイィィィ———ッ!

 

 呪文を唱えると、頭の中で雷が弾けるような音が鳴り響いた。

 

【迅雷】を起動し、舞台を見据える。整列してる生徒の中、左右に刀を持った状態で舞台まで間を縫って走り抜くのは難しい。

 だが、グレン達……つまりルミアを捕らえようとしてるので最速で辿り着きたい。

 

【迅雷】で一時的に解放された潜在能力が脳をフル回転させる。そして、すぐにその方法を思いついた。

 刹那、信一が足を置いていた地面が爆ぜる。

 

 ———タンッ!タンッ!タタンッ!

 

 信一は軽い足取りで自分の前に並ぶ()()()()()()を足場にして迅速に雷の如く舞台へと向かっていった。

 

 そして……スタンッ!

 

 王室親衛隊隊長ゼーロスとグレン達の間への割って入るように立つ。

 信一が来た瞬間、セリカが結界を張って他の親衛隊が阻む。

 

「シンくん!?」

 

「やぁ、ルミアさん。他の女の子に変身してきた時は驚きましたよ」

 

「やっぱりお前は気付いてたんだな」

 

「姿が変わった程度で家族を見分けられないんじゃフィーベル家の従者は務まりませんからね」

 

 軽口を叩きつつ、信一の目はゼーロスを見据えている。

 見る者を安心させるようないつもの笑顔。しかしその目は冷たく、見据えたゼーロスをまるで無価値な路傍の石ころとしか見ていないようだ。

 

 

 ……この人はルミアさんの命を狙った。なら———殺しても構わないか。

 

 

 王室親衛隊の隊長だろうが、奉神戦争を生き抜いた猛者だろうと関係ない。ゼーロスは家族の命を奪おうとした。

 であるならば簡単だ———

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 —————殺せばいい

 




はい、いかがでしたか?最後はちょっと駆け足になっちゃいましたね。ごめんなさい。

次の話で戦って、その次にまとめて2巻の話は終了。そっから3巻ですね。
というか、またオリ主の新技を考えなくては……。





目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

第20話 そんな国なら滅びてしまえ

やっとテストが終わりましたよ。えぇ、終わりましたとも……2つの意味で(泣)


『———父さん。最終種目終わったよ。優勝した』

 

「お疲れ様……と」

 

「ぐあぁッ!」

 

 通信結晶から聞こえた息子の声に返事を返しながら、親衛隊の1人を蹴り飛ばす。

 その1人は零が誘導して4人ほど別の親衛隊が集まっている場所に飛び込んでいき、一気に行動不能へ。たった一発の蹴りで国の精鋭たる王室親衛隊が5人纏めて無力化された。

 

「アル、リィエル。もう【変身】解いていいよ」

 

「ん」

 

「了解だ」

 

 零と一緒に逃げていたグレンとルミア……に変身していたアルベルトとリィエルは短く返事を返して姿を戻す。

 

「じゃ、ここ頼んでいいか?学院からだいぶ離れちゃったからさ」

 

「……分かった。全員叩き斬る」

 

「はは、斬るのはいいが殺さないようにな」

 

「今は戦闘中。そういう難しいことは叩き斬った後に考えてみる」

 

「……アル、頑張れよ」

 

「………………………」

 

 表情こそ変わらないが、アルベルトの背中から哀愁が漂っているように見えた。

 リィエルの猪突猛進で親衛隊が死なないように、なおかつ死なない程度に無力化しなければならない。相手を守りながら倒す。それはとても難しいことだろう。

 

 そんなアルベルトに頑張ってね〜とヘラヘラ笑いながら頭の中———脳に直接【ショック・ボルト】を撃ち込んで【迅雷】を起動。地面を爆ぜさせながら姿を消す。

 

 

 

 

 

 

 ゼーロスと対峙するように立つ信一。その背中にルミアを守るような立ちながらグレンは叫ぶ。

 

「待て、信一。まだ抜くな」

 

「何故ですか?」

 

「いいから。とりあえず俺に陛下と話をさせてくれ」

 

 刀は芸術品という見方が強いが、紛れもなく人を傷つける為の武器。それを抜くということは『殺意あり』と見られてしまう。

 国家元首の前でそのような行為を行えば言い訳の余地無く死刑になるのは目に見えていた。

 

 だが、グレンにはまだ戦う以外の方法が残っている。

 

「陛下。王室親衛隊が貴女の名を騙り、ルミアを狙って暴走している。でも安心してくれ。陛下を拘束していた親衛隊はセリカが張った結界の外。だから下知してほしい」

 

 

 ……なるほど、そういうことね。

 

 

 ここでやっと信一はこの騒動に対して納得がいく。

 つまり親衛隊は女王の命令ではなく、独自に動いていたのだ。恐れ多くも女王を武力の壁で拘束して。

 

 それを示すように、王室親衛隊隊長ゼーロスの顔が苦悶に歪む。今この結界にゼーロス以外の親衛隊はいない。ここでアリシア七世が下知を下せば従うしかなく、もし従わない場合はセリカとグレンが力ずくでという手段も取れる。なにせ、女王の命令に従わないのだから。

 

 

 ……こりゃあ、俺の出番はないか。良かった良かった。

 

 

 一応ゼーロスを見据えながらも内心ホッとしていた。戦わなくていいならそれに越したことはない。自分が戦い、傷付くとルミアやシスティーナが悲しそうな顔になるのだ。

 

 そんな信一の安堵を、誰でもない———

 

「ゼーロス。ルミア=ティンジェルを討ち果たしなさい」

 

 ———女王アリシア七世が突如打ち砕いた。

 

「……は?」

 

 信一の口から間抜けな声が漏れる。

 

 慌ててルミアの方を見れば、彼女は信じられないほど顔を青ざめさせていた。

 

「その娘は、私にとって存在してはならない者です」

 

「ちょ……陛下、何を言って……?」

 

 どうやらアリシアの言葉で動揺しているのは信一だけではないらしい。グレンもアリシアのまさかの発言に狼狽えている。

 

「いなければ良かった。愛したことなど一度もなかった。その子を生んだ我が身の過ち、悔やみに悔やみきれません」

 

「そ、そんな……それがあなたの本心なの?」

 

 アリシアの目は氷ですら生温いと感じられるほどに冷たい。その目を実の娘であるルミアに向けながら、心を壊すように残酷なことを言ってのける。

 

「えぇ、その通りです」

 

 たった一言。その言葉に、ルミアはがくりと力なく膝をついて項垂れ、涙を流す。

 

「ふはははっ!大義は我らに有り!」

 

 先ほどの苦悶に歪んだ表情が嘘のようにゼーロスは力を取り戻していく。

 そして右、左。両腰に吊るしてあるレイピアの柄に手を掛け———抜いた。

 

「さて、それでは大義に則り……私が直々に引導を渡してくれよう」

 

 その瞬間、ゼーロスから豪雨のような殺意が叩きつけられる。

 気を抜けば呑まれ、戦意を挫く。歯向かえば殺される。そんな見えない意思が生物の本能で感じ取れた。

 

「グレン先生」

 

 それを感じて尚、

 

「もういいですよね?」

 

 信一はゼーロスの目を見据えながら言った。

 

 女王の命令? 大義名分? それは家族(ルミア)の命より重いのか?

 ———答えは否だ。

 

 ゼーロスの殺意に応えるように、信一は左右に握った刀の鍔を親指で押して鯉口を切る。鍔と鞘の隙間から微かに覗く鈍色の刃。

 

「ほう……ニ刀と来たか。して少年、儂に挑むというのか?」

 

「………………………」

 

 信一は何も答えず、鯉口を切ったまま鞘に収まった状態の刀をクルっと回して柄を握る。

 

 

 ……40%まで上げて一気に決める。

 

 

 口上は無用。ただひたすらに斬るのみ。

 

「《疾くあれ》」

 

 ブオォゥゥン———ッ!

 

【迅雷】を起動。バキッ……バキバキと筋肉が引き絞られる音が信一の体から鳴っていた。

 それと同時に握っていた刀を開くように振るい、その遠心力で鞘を飛ばす。

 鞘は回転しながらゼーロスへと向かっていく。当たれば死にはしないものの昏倒は確実。当たりどころによっては再起不能すらあり得る、そんな人外の膂力で放たれた二本の鞘。

 

「フンッ!」

 

 それを低い裂帛と共に振り下ろした二本のレイピアがそれぞれを真っ二つに割る。四つに分かれた鞘はゼーロスの後方へと飛んでいくが、後ろのアリシアには掠りもしない。

 彼はそうなるように斬ったのだ。

 

 ———刹那、信一は勝利を確信した。

 

()った!」

 

「ぬっ……」

 

 鞘を飛ばすと同時に自分も踏み出し、既に刀の間合いにゼーロスを捉えていたのだ。

 右刀は首へ、左刀は胴へ。開いていた腕を、今度は閉じるようにしてゼーロスへと向かわせている。

 

 描かれる鈍色に輝く高さの違う2つの三日月。

 回避は間に合わない。レイピアで止めようするならばソレごと破壊する。

 人間の潜在能力を40%まで解放し、常人の20倍の膂力と速度で放たれる必殺の二撃。

 

 

 

「———未熟」

 

 それをゼーロスは一言、吐き捨てるようにして凌いでみせた。

 

 ———パパキイィィンッ!!

 

 下ろしていたレイピアを二本とも振り上げ、刀の腹を打ってへし折る。言葉にすれば、彼がやったのはそれだけだ。

 

 回避が間に合わない? そもそもする必要がない。

 防げば武器ごと破壊される? なら破壊される前に逆に破壊してやればいい。

 

 40年前の『奉神戦争』を駆け抜け、戦い抜き、生き抜いた正真正銘の猛者である『双紫電』ゼーロスにとって、信一の攻撃などその程度に過ぎない。

 

「ハッ!」

 

 刀を破壊され、武器を失った信一へゼーロスは両手のレイピアを用いた七連撃。その一撃一撃が『双紫電』の名に恥じない、先ほどの信一の斬撃を童戯と嘲笑うかのような真の必殺を内包している。

 

「チッ……」

 

 折れた刀の柄をゼーロスに投げつけ、最初の二撃を捌いてその隙に離脱。

 ホルスターに収まっているレイクから奪った大型(シース)ナイフを素早く取り出して追撃に備える。

 

 しかし、ゼーロスは追撃をしてこない。

 

退()け、少年。儂とて無益な殺生はしたくない」

 

「……でも、あんたはルミアさんを殺すんでしょ?」

 

「それが陛下の為、ひいては国民の為だ」

 

「なら引かないよ」

 

 そう言いながらも、信一は確信していた。この男には勝てない、と。

 

 なにせ、ゼーロスは自分の刀を二振りとも破壊したのだ。それはつまり、破壊する程の()()があったということ。

 あの場面でそれが出来たなら、突きを放って心臓を串刺しにすることだってできた。だがやらなかった。今彼が言ったように『無益な殺生をしたくない』という理由で。

 

 

 ……さすがに格が違いすぎるなぁ。

 

 

 練度が違う。密度が違う。濃度が違う。深度が違う。

【迅雷】を使える信一の方が膂力と速度では上回るが、ゼーロスにはそれを軽く捩じ伏せるだけの技術と経験がある。

 

 膂力と速度と技術はジャンケンのような三つ巴になっている。

 技術は速度で突破できる。速度は膂力に殺される。膂力は技術で受け流される。

 しかし、経験は違う。

 経験は膂力、速度、技術のグーチョキパー全てに勝てる。そんな子どもが考えるような最強の手と同じなのだ。

 

 

 ……だからと言って、引き下がる気は毛頭ないけどね。

 

 

 自分がここにいるのはルミアの為。ゼーロスが国民の為に立ちはだかるのだと言うのなら、信一は家族の為に打ち破る。

 

 その変わらぬ決意をさらに固める信一へ、グレンの後ろからルミアが声を絞り出す。

 

「……シンくん、もういいよ」

 

「え……?」

 

「もう……戦わないで。私の為に傷つかないで……」

 

「ルミアさん?」

 

 力無く紡がれるルミアの言葉からは諦観が感じ取れた。

 

「陛下、私の命を差し出します。ですからどうか……こちらの2人を許してはいただけないでしょうか?」

 

「おい!何言ってんだ、お前!」

 

 グレンも感じ取ったようで、ルミアに対して大声を張り上げる。しかし、彼女はそれを無視してアリシアへと懇願していた。

 

「お願いします……どうか…お願いします」

 

「……わかりました。貴女がその命を差し出すというのならば、アリシア七世の名の下に、そちらの少年と魔術講師を免罪とします」

 

「ありがとうございます」

 

 アリシアの言葉に、項垂れていたルミアは立ち上がる。そしてグレンの脇をすり抜け、信一の脇をすり抜け、ゼーロスの前に立とうとした瞬間———信一が左のナイフを離して代わりにルミアの手を掴む。

 

「シンくん……?」

 

「ダメですよ、ルミアさん」

 

 少し手を引き、ルミアを抱き寄せる信一。その目はいつものように優しい。

 だが、その優しい目が今のルミアには辛かった。

 

「どうして……? 私が死ねば、もうシンくんは傷つかないで済むんだよ? 私がいたら、シンくんや先生が不幸になっちゃうんだよ?」

 

「だから死ぬんですか?」

 

「うん。もう……いいんだよ。実の母親にも死ぬことを望まれてる私は死んじゃったほうが良いに決まってるもん。私が死ねば……」

 

「———ルミアさん」

 

 信一の目は優しい。しかし、優しさと同じくらいの怒気を孕んでいる。

 

「———今のルミアさんの家族はここにいます」

 

 それは魔術競技祭が始まった時、信一がルミアの手を握りながら言った言葉だ。

 改めてそれを聞き、ルミアの瞳が微かに揺れる。

 

「私は……今の家族を不幸にしたくないよ……」

 

「じゃあルミアさんを見捨てれば幸せになれるとでも?」

 

「……………………………」

 

「家族は家族を見捨てない。世界中の誰もがルミアさんの敵になっても、それでも家族だけは貴女の味方です」

 

 ここにシスティーナがいれば自分と同じことを言っただろう。信一に絶対の確信があった。

 だから次の言葉を信一はアリシアへと向けて紡ぎ出す。

 

「そもそも女の子1人幸せに生きることすら許されない国なんてさっさと滅べばいいんですよ。それとも———俺が滅ぼしてあげましょうか?そこの女王を殺せば良いのでしょう」

 

 それは明確なアルザーノ帝国に対する敵対宣言。国家反逆罪どころではない。国家を転覆させると宣言したのだ。

 

 瞬間、それを聞いたゼーロスからまたもや豪雨のような殺意……いや、豪雨すら生温い殺意の嵐が信一へと叩きつけられる。

 彼の目は少年に向けるものから、排除すべき賊に向けるものへと変わっていた。

 女王へと仇なし、国民へと害を為すそれは逆賊ですら生温い。

 

()えたな、国賊」

 

「吠えたよ、国防」

 

 もはやゼーロスにとって、女王アリシアにとって、そしてアルザーノ帝国にとって信一は敵になったのだ。ただ1つ、家族の為に。

 

 

 ……だけどどうする?こんな存在自体が卑怯な化け物に、一体俺はどうすればいい?

 

 

 

 

 

 

 グレンは信一の啖呵を聞きつつ、考えていた。何故アリシアはルミアを殺そうとするのか。

 そして、信一の父親であり元同僚である零が自分に言ったことを。

 

 

 ……セリカでもなく、零さんでもなく、俺にしかできないことってなんだ?

 

 

 セリカ=アルフォネアは大陸屈指の魔術師。第七階梯に至った魔術師の中でも最高峰の存在。

 朝比奈零はグレンが知る中で近接戦最強の魔導士。戦闘という分野なら彼に勝てるものはほとんどいない。

 

 

 ……俺がこの2人に勝るものってなんだ? 魔術じゃセリカの足元にも及ばない。格闘術なら零さんの足元にも及ばない。

 そもそも、俺が陛下の前に来ることでこのバカ騒ぎは終わると言ってた。しかし、事態は好転どころかむしろ悪化してる。おかしい。

 

 

「おかしい……か」

 

 

 ……まさか、俺だけっていうのは———!?

 

 

 ほとんど直感だった。だからそれを確信に変える為、グレンはアリシアに問いかける。

 

「陛下、そのネックレス綺麗ですね」

 

 いきなり、この状況にまるで関係の無いことを言ったにも関わらず———ゼーロスは硬直し、信一とルミアは目を瞬かせグレンを見つめる。セリカはニヤリと不敵に笑い、アリシアは冷たかった表情を明るくさせた。

 

 この状況でグレンの発言なら、信一とルミアの反応が普通だ。しかし他の3人はどう考えても不自然な反応を示した。まるでアリシアのネックレスに何かあるかのように。

 

「そうでしょう?私の『一番のお気に入り』です」

 

「『一番のお気に入り』……なるほど、ね。でもちょっと重そうですね?外したほうがいいんじゃないすか?」

 

「ふふっ、だめですよ。私はこれ、外したくありませんから。全然」

 

 

 ……了解だ、陛下。

 

 

 やっと、この状況を打破する方法が理解できた。確かにこれはグレンにしかできない。彼の()()()()()()の出番だ。

 

「ルミア、どうやらお袋さんはしっかりお前のことを愛してるようだぞ」

 

「え……?」

 

「信一、お前はルミアに泣いてほしくないか?」

 

「もちろん」

 

「だったら頼みがある。誰も泣かず、みんなが求めるハッピーエンドの為に動いてくれるか?」

 

「ルミアさんがハッピーになるのなら、俺はなんだってしますよ」

 

「いい返事だ」

 

 この騒動を終わらせる。アリシアが願い、ゼーロスが求め、ルミアが泣かないハッピーエンドで幕を降ろす。

 

「何をするつもりだ、貴様?」

 

「決まってるだろ?陛下のネックレスを外して差し上げるのさ」

 

「———っ!? 余計な真似をするな!」

 

「まぁ、それが当然の反応だよなぁ……」

 

 恫喝するゼーロスに、グレンは肩をすくめてため息を1つ。

 

 

 ……ハァ、やるしかないか。

 

 

「信一、今から俺は一定効果領域内の魔術起動を封じる。その為にゼーロスのおっさんを止めてくれるか?」

 

「魔術起動を封じるって……そんなことが可能なんですか?」

 

「あぁ———俺ならできる」

 

「わかりました」

 

 半信半疑だが、ここはもうグレンを信じるしか手がない。

 それに、彼はルミアが泣かない方法があると言った。その方法の為なら信一は自身の命すらなんの躊躇いも無く使うことができる。

 

「でも先生、魔術の起動を封じられたら【迅雷】が使えません」

 

「お前が起動した後に封じるから安心しろ」

 

「だけど【迅雷】には弱点が……」

 

「知ってるよ。3秒、だろ?」

 

「……えぇ」

 

 どうやらグレンは【迅雷】の弱点も全て知っているようだ。父親の元同僚というのは嘘ではないらしいと、今さらになって再認識する。

 

「ルミアさん、下がっててください」

 

「大丈夫なの?」

 

「大丈夫です。俺を……俺とグレン先生を信じてください」

 

「……うん!」

 

 にっこり笑いかけ、ルミアをもう一度グレンの後ろへと下がらせる。

 

「ちなみに先生、俺が止められなかったらどうなりますか?」

 

「俺も死んで、信一も死んで、ルミアが死ぬな。だから全力で止めてくれ」

 

「了解です」

 

 自分が死ぬのもグレンが死ぬのも別にどうでもいいが、ルミアが死ぬのは許さない。

 それに、あそこまで啖呵を切ってしまったのだ。

 

 

 ……腹ァ括るしかないよね。

 

 

「何をするつもりか知らぬが、させると思っているのか?」

 

「もちろん思ってねぇよ」

 

「できればおとなしく見ててほしいけどね」

 

 もう、落ちたナイフを拾う隙はない。ゼーロスは信一とグレンの一挙手一投足を完全に見極めている。

 何か行動を起こせばすぐにでも二本のレイピアで斬りかかってくるはずだ。今度は殺すつもりで。

 

 武器が健在なゼーロスに対し、信一はレイクから奪ったナイフが一本。しかも、実戦で使うのは初めてときている。

 

 

 ……思い出せ。あの男のナイフ捌きを。

 

 

 彼は魔導器とナイフで信一の二刀を凌ぎ続けた。奇しくも今、信一はあの時のレイクの立場と同じだ。

 だからこそ、あの時の戦いを思い出す。

 

「行くぞ、信一。準備はいいな?」

 

「はい」

 

 スラックスのポケットに手を突っ込んで何かを握るグレンの声に応え、信一は右手のナイフを真っ直ぐ正面のゼーロスに向ける。やるしかないのだ。3秒間、このナイフ一本でゼーロスの攻撃を凌ぐ。

 

「行け!」

 

「させるかぁ!!」

 

 バッ! とグレンがポケットから掴んだ何かを取り出した瞬間、ゼーロスは人間とは思えない速さで彼へと向かう。

 

「《疾くあれ》!」

 

 その間に割り込む信一。身体からバキッ……バキバキという筋肉が引き絞られる音を上げながら、心の中でカウントダウンを開始した。

 

 

 ————————1秒—————————

 

 二本のレイピアを振りかぶりながら接近してくるゼーロス。その速さは先ほど【迅雷】を使って飛び込んだ自身を優に超えている。

 それに対し、信一は右手にナイフを掴んだままその場で体を時計回りに回転させる。

 

 ———30°、60°、120°、180°……パアァン!

 

 半周し、一瞬だけゼーロスに背中を向けた時点でナイフの先端から風船の弾けたような破裂音が響く。同時に、その部分を一瞬だけ雲のようなものが広がった。音速を超えた証拠だ。

 

 

 —————————2秒——————————

 

 ゼーロスのレイピアが振るわれる。右は首に、左は胴に。先ほど信一が彼に斬りかかった軌道と同じ。

 

(まだ遅い……もっと早く!)

 

 ———210°、270°、300°……ジジッジジジィと音を立てながら空気の壁を突き破り続ける刃の部分が徐々に大気との摩擦で赤熱化していく。既に信一の右袖は肘から下が燃え落ちた状態だ。

 

 そして———360°に到達。

 

 ゼーロスの左、信一の右胴に迫るレイピアはちょうどナイフの軌道上にある。

 

「———『殺刄(サツジン)』———!」

 

 信一は体の回転をそのままに、さらに加速させていき……迫るレイピアの半ばを赤熱化したナイフの刃で———()()()()()

 

 

「……っ!?」

 

 ゼーロスの表情が驚愕に染まる。しかしそれも一瞬。

 短くなった左のレイピアは空振るが、右のレイピアは問題ない。間違いなく、信一の首を刎ね飛ばす。

 

 信一は既に左腕をレイピアの軌道上に置いているが、それはただの腕。籠手などの防具を付けていない腕ならば、それごと斬るまで。

 

 

 —————————3秒—————————

 

 レイピアの刃はゼーロスの振るう通り、一寸の狂いもなく完璧な角度で信一の左腕へと食い込んでいく。このまま腕を斬り落とし、首を刎ねる。

 

 ……そのはずだった。

 

「なにぃっ!?」

 

「ルゥゥアアァァァァァァァァッ!!」

 

 バキッ……バキバキ…バキッと、信一の左腕からレイピアを食い込ませたまま筋肉の引き絞られる音が鳴り続けている。

 そして、止まった。信一の左腕半ばで、ゼーロスのレイピアが。

 

 彼は勘違いしていた。信一の腕は()()()()()()()()

 

 変則的ではあるが、これも一種の白刃取り。

【迅雷】を使い、潜在能力を解放して引き絞られる筋肉でレイピアを止めているのだ。

 

 どちらの武器も封じた。それでもゼーロスは終わらない。左の斬り飛ばされたレイピアを離し、貫手を作って信一の喉へ。

 しかし、信一はそれよりも早く———シュパッ、と。手首のスナップと【迅雷】の膂力で赤熱化したナイフを投げる。

 

 ゼーロスに、ではない。彼が命を賭けてでも守るべき存在。

 ———()()()()()()へ向けて。

 

「貴様……ッ!?」

 

 信一がレイクとの戦いで学んだのはナイフの有用性だけではない。

 それは———自身の守るべき存在が突然狙われると焦る、というとてもシンプルなものだ。

 

 そして、タイムアップ。3秒が経過した。

 

 信一の投げたナイフは真っ直ぐアリシアの心臓へと向かっている。彼女も高位階の魔術師ではあるが、今この空間では魔術が封じられているのだ。防ぐ手段はない。

 

 刀を失い、右腕に大気の摩擦で大火傷を負い、左腕にはレイピアが食い込み……終いには現状戦闘能力のない者を狙う。そうまでして初めて、やっとできた明確なゼーロスの隙。

 しかし、その隙を突く手段が信一にはない。

 

 

 

 

「———これでいいんですか、グレン先生」

 

「あぁ、上出来だよ」

 

 そう、()()()()

 

 レイピアを止めるために上げた信一の左腕。その下からグレンが鋭い踏み込みと共に現れる。

 

「がぁあああああああ———ッッッ!!」

 

 意気衝天。天に昇る龍が如く、グレンの昇天脚がゼーロスの顎を打ち上げる。

 

 その威力はゼーロスの体を浮かし、やがて……バタッ———

 脳を揺らされ、立てなくなる。意識はハッキリしているが、足腰に力が入らない。

 王室親衛隊隊長にして、『双紫電』のゼーロスは一介の魔術講師と生徒に敗れたのだ。

 

 

 

 

 

「俺たちの勝ちですよね?たぶん……きっと……メイビー……」

 

「えらく紙一重だけどな」

 

「まったくです」

 

 正直、勝利というにはどこまでも泥くさいものだが……それでもグレンと信一はゼーロスを下した。だが、勝負は決したというのにゼーロスは尚も立ち上がろうとする。

 

「いくらアンタでも、人間である以上しばらくは起き上がれねぇぞ」

 

「わ、わしのことなど……どうでもいいッ!それより陛下は!?」

 

 焦燥と絶望に染められた叫びを上げるゼーロス。あの状況で突然ナイフが投げられたのだ。魔術を使えないと言われた空間でアリシアが対処できたとは考えにくい。

 

「私は大丈夫ですよ、ゼーロス」

 

「ハァ……息子からの初めてのプレゼントが熱したナイフとか……。ちょっと悲しくなるな」

 

 ため息混じりのぼやきを溢すのは、手に赤熱化したナイフの刺さったネックレスをぶら下げている朝比奈零。

 

 彼はアリシアが首に提げていたネックレスの鎖を一瞬で斬り、そのまま振り回して信一の投げたナイフを防いだのだ。

 言葉にすれば簡単だが、それをあの刹那の時にやってのけるのは神業と言える。

 

「やっほ、父さん。やっぱりそのネックレスがこの騒動の原因だったの?」

 

「あぁ、条件起動型の呪い(カース)だよ」

 

「条件起動型……?」

 

「おい、グレン先生よぉ。ウチの息子がそんなことも知らないんだが、ちゃんと教えてんのか?場合によっては学院を通して抗議すんぞ?」

 

「うわぁ……モンペだ」

 

 グレンが心底面倒くさそうな顔を零へと向ける。

 それから彼もため息を吐き、やっぱり劣等生な信一に教えてやる。

 

「条件が成立したら死の呪いが起動する、それがこのネックレスだったんだよ。セリカと零さんが何も言えなかったところを見ると、その条件は信頼と伝統の『勝手に外したら装着者を殺す』、『装着から一定時間経過で装着者を殺す』、『呪い(カース)に関する情報を新たな第三者に開示したら装着者を殺す』ってところか?」

 

「正解だ」

 

 ナイフの刺さったネックレスをポイっと捨てて、何故か偉そうに腕を組んで頷く零。

 

「なぁ、『死神』。私の弟子って凄いだろう?あれだけのヒントしか与えてないのに答えに辿り着くなんて」

 

「まぁ……そうだな」

 

 なにやらセリカは零に弟子自慢をしているが、もう疲れちゃったグレンはそれを聞くのも面倒だと言わんばかりに信一へ講義を続ける。

 

「おおかた、その解呪条件が『ルミアの殺害』だった。だから王室親衛隊はルミアを狙ったわけだ」

 

「なるほど、そうだったんですね」

 

「ていうか、お前本当に何も知らないで国に敵対宣言したんだな……」

 

 呆れたようにグレンは信一を見やる。右腕の大火傷と左腕に食い込んだレイピアがとても痛々しい。

 しかし、信一はそんなグレンの呆れ顔になんてことのないように言う。

 

「家族の命を狙うなら俺はどこの誰だって殺しますよ」

 

「ハァ……お前はそういう奴だったな。親子そっくりだよ」

 

 家族の幸せが第一。信一の心にあるのは結局それだった。

 

 そんな講師と生徒———自分を下した2人にゼーロスは問いかける。

 

「貴様等……一体何をした……?なぜ、呪い(カース)が発現しなかった……?」

 

「あぁ、そういえば。どうしてなんです?」

 

「その正体はコレだ」

 

 ゼーロスの疑問に信一も賛同。続いてルミアもグレンに視線を送る。

 それに対し、グレンはスラックスのポケットから古めかしい一枚のカードを取り出して見せる。

 

「……アルカナ……?『愚者』の……?」

 

 大アルカナのNo.0。『愚者』のアルカナ・タローだった。

 

「こいつは俺の魔導器。愚者の絵柄に変換した術式を読み取ることで、俺は一定効果領域内における魔術の起動を完全封殺できる」

 

「それって無敵じゃないですか?」

 

「俺も魔術を起動できないから無敵ってわけじゃねぇよ。んで、呪い(カース)も魔術には変わらないだろ?だから俺の固有魔術【愚者の世界】の影響下じゃ起動できねーってことさ」

 

「へぇ」

 

 今さらになって、グレンの格闘術が達者なのを信一は思い出した。父親を怖がるなら指導を受けたことはあるんだなぁ〜程度に思っていたが、グレンは魔術を封じて物理で倒すというのが本来の戦闘スタイルらしい。

 

「魔術を封じる……『愚者』……まさか貴公は……!?」

 

「さぁな?なんのことだかサッパリ」

 

 ゼーロスの最後の疑問には答えず、プイッとそっぽを向いてしまった。

 それを見て追求はできないことを理解し、ゼーロスは隣の信一へと目を向ける。

 

「そこの魔術講師はわかった。……しかし少年、貴様はなんなのだ?」

 

 本来ならゼーロスにとって信一などを取るに足らない矮小な存在だ。【迅雷】を使っていようとそれは変わらない。そもそも経験の差が違う。あの程度の膂力と速度、『奉神戦争』で戦いに出た者にとっては対処することなど当たり前のことだ。

 

 だが、信一はそれを覆した。自身の持てる力を使い、ゼーロスの立場まで利用して食らいつき、勝利への布石とした。

 そんな少年が只者のはずがない。だから聞かずにはいられなかった。

 

「貴様は一体……何者なんだ?」

 

 脳が揺れて動けないゼーロスの疑問に、信一はフッと笑って答える。

 

「『超速い慇懃無礼な従者』にござい……ごふぁッ!?」

 

 胸に手を当て、慇懃な態度でお辞儀……しようとした信一にルミアはタックルのような勢いで抱き着いてきた。

 

「あぁ……シンくん、シンくん……」

 

 目にいっぱいの涙を溜めて体にしがみついてくるルミアに、信一はオロオロとするしかない。

 

「また、こんなに傷ついて……ふえぇ……ヒグ…」

 

 そんなことは知ったことかとついにルミアは泣き出してしまう。

 そんな彼女に対して信一は「あ〜」とか「えぇっと〜」とか言葉にならない声を出して慌てふためくだけ。

 

 大火傷を負った右腕で抱き締めるわけにもいかないし、レイピアの食い込んだ左腕は血が滴っていているため論外。

 もしかしたらさっきまでより厄介な状況なんじゃないかと思いながら、今や『双紫電』ゼーロスより強力な『泣いてる女の子』ルミアの対処を必死に考える。

 

 

 ……父さんの前だからもうちょっとカッコつけておきたかったなぁ。

 

 

 そんなことを悔やみつつも、このルミアの温もりが彼女の生きている証でもあり、守り抜けた証左であることを理解して表情を綻ばせるのだった。





信じられるか?この話、アニメだと3分程度だったんだぜ……(戦慄)

戦闘シーンがちゃんと読者の皆様にしっかり伝わったかが不安です。特に『殺刄』の部分。自分の文章力でちゃんと伝えられるか、結構挑戦してみたんですよ?



目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

第21話 家族の為なら国を壊せますか?

はい、2巻最終話です。

やはりまとめとなると長くなっちゃいますね……。
今回はオリ主の新武器登場です。燃えますよね、新武器って!なんかもう、響きからして!!


  閉会式での騒動はアリシアの巧みな話術で無事?誤魔化された。

 ゼーロスの投稿宣言を聞き、暴走していた王室親衛隊も沈静化。その場に居合わせた者達に不安や動揺が走ったが、それもじき落ち着くことだろう。

 

  そして閉会式から1時間が経った今、信一とルミアは学院内にある迷いの森へと向けて仲良く肩を並べて歩いていた。

 

「シンくん、本当に勲章断っちゃって良かったの?」

 

「別にいりませんからねぇ〜。ああいう勲章は従者よりお嬢様みたいなフィーベル家の誰かが貰わないと他の貴族からはマイナスなイメージになりますし」

 

 従者は主の前に出るものではない。あくまで主の引き立て役である。

 主より先に従者が名誉ある勲章を貰っては、フィーベル家が従者頼みの貴族だと侮られる可能性があるのだ。

 

 ———というのは建前で、ぶっちゃけ勲章授与式とか事情聴取とか面倒だから信一はグレンに全て押し付けた。

『女王陛下の苦しみをいち早く察し、それをすぐにでも取り除きたいというグレン先生の気持ちに生徒として精一杯応えただけです。讃えられるべきは手伝った俺ではなく、事件解決に全力で奔走したグレン=レーダス大先生様ですよ』という1コンマ1秒たりとも思ってないことを(のたま)って。

 

 我ながら上手く押し付けられたと、信一は自分に拍手喝采を送りたくなったほどだ。それを横で聞いていたグレン=レーダス大先生様が恨めしそうな視線をぶつけてきてたが知ったことではない。

 

「そういえば、シンくんはどうして私が変身してるって気付いたの?」

 

「……秘密です」

 

「え〜教えてよ〜」

 

「ダメです。秘密です」

 

 さすがに「貴女のいいニオイで気付きました」とは言えない。率直に言ってキモすぎる。

 ルミアに嫌われたら自暴自棄で本当に国家転覆を目論んじゃうかもしれない。

 

「まぁ、アレです。姿が変わったくらいで気付けなくなるなんてあり得ないということです」

 

 嘘は言ってない。姿が変わっても匂いは変わらないのだから。

 

「う〜ん……なんか誤魔化されてる気がするなぁ」

 

「気のせいです」

 

「本当に?」

 

「気のせいったら気のせいです。気のせいって事にしないとおやつ抜きにしますよ?」

 

「うっ……わかった」

 

 おやつ抜きは嫌だったようで、ルミアはおずおずと引き下がった。かなり強引だが、今度からはこの手でいこうと心に決める信一。

 

 それからしばらく談笑しながら2迷いの森へと歩いていくと、既に2人を待つ人達がいた。

 ドレスに身を包む気品溢れる女性と、その女性を守るような立ち位置で談笑を交わす男———アリシアと零だ。

 

 2人は信一とルミアに気付くとそれぞれ微笑みながら手を振ってきた。それにルミアは少し緊張したように体を強張らせる。

 

「大丈夫ですか?」

 

「う、うん」

 

 本来は信一が父親の零と話す予定だったのだが、急遽ルミアも連れてきてほしいと言われた。突然信一から伝えられルミア自身もすぐに答えに辿り着いていたが、さすがに本人を前にすると固くなってしまうらしい。

 

「アリス、…だ…し………て………れ」

 

「えっ!いや……いきなりそんな……」

 

 そんなルミアを見て、零はアリシアに耳打ち。アリシアはそれを聞いて明らかに戸惑っているが、グッと勇気を振り絞るような仕草をする。

 そして———両手をルミアに向けて広げた。

 

「……っ!?」

 

 優しげな表情で自分へと手を広げるアリシア……実の母親にルミアは動揺しながらも近付いていく。だが、あと一歩。アリシアの腕に収まるあと一歩が踏み出せない。

 

「ハァ……」

 

 そんなルミアに、信一は優しくも呆れたようなため息を1つ。そして彼女の背中を軽くトンと押す。

 

 突然押されたことでルミアはたたらを踏み———アリシアの腕の中へと収まった。

 

「あ……」

 

「エルミアナ!」

 

 ルミアの本名を叫びながら、腕に収まった彼女をアリシアは強く抱き締める。

 それに最初はルミアも戸惑っていたが、母親の温もりが自身へと伝わっていくうちに自然と手を背中へ回していた。

 

「お母……さん……」

 

 3年ぶりの母娘(おやこ)の抱擁。

 娘を愛し、しかし女王という立場がそれを許さなかったアリシア。

 そんな事情を知らず、母親に捨てられたと思いながらも最後まで嫌いになれなかったルミア。

 

 どちらも悪かったわけじゃない。どちらもお互いが大好きだった。だが、どちらも踏み出せなかった。その心の距離がこの瞬間、ゼロになったのだ。

 

「信一」

 

「うん」

 

 ここからは女王と元王女ではなく、アリシアとルミアの親子としての時間だ。言いたい事、苦しかった事、そしてやっぱり大好きだったこと。伝えたい事はたくさんあるはず。

 

 それに立ち会うのは野暮と判断した零は、顎をしゃくって少し距離の空いたところにある太い木の幹を指した。

 

 

 

 

 

 

 零が指した場所に移動した2人。

 

「………………………………」

 

「………………………………」

 

 しかし、こちらはこちらでお互い言葉が出ない。

 零としては抱き締めてもいいが、さすがにそれは信一が嫌がると考えて何もできないでいる。

 

「……父さん、グレン先生に【迅雷】のこと教えたの?」

 

「んっ……あ、あぁ。命懸けの場で背中を合わせることの多い奴だったからな。弱点も含めて全部教えた」

 

「そっか」

 

 突然振られた息子からの話にガラにもなく驚きつつ、答える。

 

【迅雷】の弱点。今回の騒動解決に一役買った……かどうかは微妙だが、少なくともこれをグレンが知ってたおかげでゼーロスを倒せたのは事実だ。

 

 その弱点というのが、一発の【ショック・ボルト】に対して潜在能力を解放できる時間がたったの3秒しかないということ。

 一発脳に撃ち込み、それからの3秒間でマナ・バイオリズムを整えてまた撃ち込まなければならない。

 

「グレンの【愚者の世界】は魔術の起動を封じる。だからゼーロスの剣を防いだ後【迅雷】は使えなかっただろ?」

 

「うん。本当にスリリングな3秒間だったよ」

 

「そうかもな。それで……だ。体は大丈夫か?あの瞬間だけ、お前80%くらい解放してたように見えたんだが」

 

「一発目だけだったし、なんとかね。……やっぱり解放し過ぎるのはまずいの?」

 

「あぁ。元々自損しないように掛けられた身体のリミッターを無理矢理外してるようなものだからな」

 

 これもまた弱点の一つである。

 

 現に信一は先のテロ事件でヒューイが降伏した後倒れている。あれも【迅雷】の後遺症だ。

 

「「 ……………………… 」」

 

 ある程度話すと、またお互い間ができてしまう。本来なら久し振りの親子水入らずを楽しみたいのだが、2人の間にはどうしてもそれを妨げてしまうものがあった。

 

 それについて、やはり2人は踏み出せないでいる。

 

 しかし、ここで踏み出さなければ変わらない。それに、零の仕事は正真正銘の命懸け。もしかしたら今日が信一に会える最後の日になる可能性は充分にあり得る。

 だから今度は自分から話しかける。

 

「……なぁ、信一」

 

「ん?」

 

 真っ直ぐ息子の目を見て、踏み出さなければならない。

 

「5年前、お前が1番辛い時に……側に居てやらなくてすまなかった」

 

 頭を下げる。信一が望むのなら土下座だって辞さないつもりだ。

 

 母親を殺し、それが原因で妹が昏睡状態に陥ったことで自分を責める信一に、零は父親として寄り添うべきだった。だが、それをしなかった。

 学生時代の友人と恩師に預け、妻を失った悲しみを仕事に打ち込んだ忘れようとしただけ。

 

 零はそんな自分が許せなかったのだ。

 

「父さんこそ……俺を憎んでないの?」

 

 対して信一は、父親からの謝罪に目を丸くしている。

 

「俺は母さんを……父さんが生涯愛すって誓った人を殺したんだよ?」

 

 信一は今この瞬間になるまで、父親に会うことを恐れていた。

 大切な家族を殺し、妹すら守れなかった不甲斐ない自分を責めてくるのではないか。お前なんかいなければ良かったと拒絶されるのではないか。

 

 そんな予想が毎日のように頭へと浮かんでいた。

 

「…………………………」

 

「…………………………」

 

 頭を下げて謝る父親と、それを狐に摘まれたような表情で見つめる息子。彼ら親子は5年前から自分を責め続け、それが高じて相手も自分を責めていると思い続けてきた。

 しかし蓋を開けてみれば、それはただの強迫観念でしかなかったのだ。

 

 自分は責められなければならない、と。

 

「信一。父さんは、お前を憎んでないよ。お前はどうなんだ?」

 

「俺もだよ。確かに父さんが側に居てくれれば嬉しかったけど、でも父さんと同じくらい俺や信夏を大事にしてくれる人達に会えたから」

 

 レドルフは祖父のように色々なことを教えてくれた。

 レナードは父親のように頭を撫でてくれた。

 フィリアナは母親のように抱き締めてくれた。

 システィーナはまるで姉のように鬱ぎ込む自分の手を引いてくれた。

 そしてルミアは妹のように自分を慕ってくれた。

 

 そんな家族と出会えたのは零のおかげだ。だから信一にとって父親を責める理由は何もない。

 

「でもさ、もしかしたら母さんは俺を憎んでるかもね」

 

「どうしてだ?」

 

「今が……とても幸せだから」

 

 どうしても、その考えが胸を締めつける。

 

 この幸福は言い方を変えれば、母親を殺したから手に入れられたものだ。母親を殺して手に入れたものなのだ。

 

「俺は本当なら……幸せになる資格なんてないんだけどなぁ」

 

「アホ」

 

 頭を上げた零が、信一の頭へ大きな手を置く。その重みで逆に信一が謝っているような態勢になってしまった。

 

「逆だ。お前は幸せになる義務がある」

 

「どうして……?俺の今の幸せは母さんを踏み台にして得たものなんだよ」

 

「ハァ……」

 

 突然零が誤魔化しようもない落胆のため息を一つ。

 これには信一もムッとなる。

 

「だって……」

 

「お前は、今日なんの為に戦った?なんの為に命を懸けた?」

 

 未だ自分を責めようとする信一へと食い気味にセリフを被せる。

 

 こいつは1番重要なことに気づいていないのだ。

 

「———家族を守る為だろう?」

 

「そうだけど……」

 

「ならお前は知ってるはずだぞ。———家族を守る為に命を懸ける理由を」

 

「———っ!?」

 

 信一は驚愕に目を見開く。

 自分が戦う理由。それは紛れもなく家族の幸福の為だ。その為なら国と敵対することも辞さない。

 

「俺は……」

 

「———幸せになれ、信一」

 

「…………………………」

 

「命を懸けて家族を守る理由……そんなものは古今東西決まってる。幸せになってほしいからだ」

 

 少し屈み、零は信一と目の高さを合わせて優しく言ってやる。

 

「お前が幸せにならなければ、アイツは本当にただ死んだだけになっちまう。だから信一、信夏、お前ら兄妹は幸せになる義務があるんだ」

 

「……そっか……」

 

 自然と、信一は涙を溢していた。母親を殺した自身の手を眺めていると、涙で歪む。

 

「そっかぁ……」

 

 ずっと知っていたのだ。母親が自分や妹を守る為に、自分に殺してほしいと願った理由を。

 だが気付かなかった。今の生活に幸福を感じている自分を責めることばかりで、目を向けようとさえしていなかった。

 

「俺は……バカだなぁ……」

 

「どんなにバカでも()()の子どもだ。俺達はお前ら兄妹がこれからも幸せに生きることを願っている」

 

「うん……約束するよ」

 

 そう答えると、父親は頭をグシャグシャと乱暴に撫でてくる。しかし不思議と不快感はない。男らしくも、やはりどこか優しさを感じる。

 

 それから2人は、やっと本当の親子のように談笑を始めた。

 信一の学業成績を聞いて零が呆れたり、零の武勇伝を聞いて信一がはしゃいだりと。5年越しに……やっと親子に戻れた。

 

「信一、コレを」

 

 突然、零は腰に差している刀を信一に差し出す。

 

「……いいの?」

 

「もちろんあげるわけじゃないぞ。新しい刀が出来るまで貸しておくだけだ。さすがにナイフ2本だけじゃ心許ないだろ?」

 

「まぁね……って重いなぁ!?」

 

 零が軽々と片手で持っているので、信一もそれを片手で受け取った瞬間———あまりの重さに体がガクンと傾く。

 信一もわりと力はあるほうだが、それにしても父親の刀は重たい。

 

 何かの悪戯かと思って刀を鞘から抜くと、金色の刃が小さく覗く。

 

「綺麗だね。なんか混ぜてるの?」

 

「強度を上げる為に『純金』と玉鋼の合金製にしてある。金の方が比率が高いから、普通の刀の3.5倍くらい重いかもな」

 

「笑えない……」

 

 ルミアの話だと、零はこれを片手で振り回していたらしい。しかも【迅雷】抜きの、純粋な膂力だけで。

 信一は自分の顔筋が引き攣るのを自覚しながら、父親に尋ねる。

 

「でもさ、父さんコレなくて大丈夫なの?刀が無い間も仕事はあるでしょ?」

 

「まぁ、なんとかなるだろ」

 

 命のやり取りを行う人間のセリフとは思えないほど軽い口調なのだが……この父親が言うと本当になんとかなる気がするのが不思議だ。

 

「さ、そろそろ戻るぞ。あの2人も話はついたみたいだしな」

 

 それに応えるよう、信一もアリシアとルミアの方を見る。

 2人とも自分たち同様、話は終わったようだ。陰りの一切ない笑顔を向けあっている。

 

「アリス」

 

「あ……もう時間ですか?」

 

「あぁ」

 

 すると、アリシアの表情が名残惜しいものに変わる。

 

 それを尻目に信一もルミアへ話しかける。

 

「ルミアさんも、もう大丈夫ですか?」

 

「うん!ありがとね、シンくん!」

 

「お礼なら父さんに言ってください。この提案は父さんからされたものなので」

 

 頷き、ルミアは零にしっかりと頭を下げた。

 

「信一、今度まとまった休暇が取れたらフィーベル家に行くよ。信夏にも会いたいしな」

 

「そっか。きっと喜ぶと思うよ」

 

「あぁ。そしたら一緒に墓参りにでも行こう」

 

「OK」

 

 少し遠出になるが、母親の墓参りにはまだ行ったことがない。信一自身、どんな顔をすればいいかわからなかったからだ。

 だが、今日この日、その踏ん切りもついた。墓前で手を合わせながら、今が幸せだと伝える。

 それを母親も望んでいるだろう。

 

「それじゃ、また適当に連絡するよ」

 

「あぁ。今度はお前からしてくれよ」

 

「もちろん」

 

 ふふっと笑い合う父子(おやこ)

 アリシアとルミアもそれにならって手を振っていた。

 

「またね、父さん。そして女王陛下も、此度の無礼はお許しください」

 

 まさか自分が声をかけられると思っていなかったアリシアは、心底驚いた様子で信一を見る。しかし、彼はもうルミアの手を引いて踵を返していた。

 

「あの!」

 

「……はい?」

 

 そんな信一を、アリシアは呼び止める。

 

 実は今の別れの言葉で、今回の敵対宣言を有耶無耶にしようと考えていた信一は恐る恐るといった様子で振り向く。背中に冷や汗がどっと流れてきた。

 

「貴方はエルミアナの……いえ、ルミアの為なら国を壊すと言いましたね」

 

「は、はい……」

 

 もはや背中は大洪水だ。

 そんな信一の気持ちなど露知らず、アリシアは真剣な面持ちで言葉を紡ぐ。

 

「もしまたわたくしがルミアを討つ命令を出さなくてはいけなくなった時———貴方はわたくしを殺し、このアルザーノ帝国を壊してでもルミアを守ってくれますか?」

 

 その言葉に、信一と手を繋いだ状態のルミアは顔を青くしてアリシアに振り返る。

 だが、信一は彼女と対称的に躊躇いなくその問いに答えることができた。そこに迷いなど一切ない。

 

「———それがルミアさんの幸せに繋がるのなら喜んで」

 

 信一の表情はどこまでも深い優しさで満ち溢れている。

 

 アリシアという女王を突如失い、その結果他国からの侵略を止める術がなくなるかもしれない。多くの国民が死に、もしくは奴隷として人権を失い金で取引される『物』に成り下がる可能性もある。それが理解できない程、信一も馬鹿ではない。

 

 しかし逆に言えばそれを理解した上で、それでも信一は家族の為ならアリシアを殺せる。罪悪感など湧かず、むしろ家族の幸福に繋がるということに喜びを感じながら満面の笑みを浮かべて殺すだろう。

 

 ———壊れている。狂っている。イカれている。

 そんな表現がぴったりと当てはまる。間違いなく、朝比奈信一という少年は狂人の類だ。

 

「ですが……」

 

「きゃっ!」

 

 突然、繋いでいたルミアの手を軽く引き寄せて片手で抱き締める。まるでこの世に存在する全ての宝石などただの石ころと思わせるような手つきで、優しく大切に。

 

「できれば貴女を殺すようなことはしたくありません。母親が死ぬのは辛いものです。それをルミアさんに味合わせたくはない」

 

「———っ!?」

 

 ルミアが母親を殺されて幸福になるとは思えない。それくらいの判断は狂人にだってできる。

 

「だから女王陛下。どうか貴女も彼女を守れるよう尽力してください。ルミアさんが危険な目に合わないよう努力してください。子どもを守る為の母親の努力を非難する資格は誰にもありませんから」

 

「それは……公私混同というのでは?」

 

「———そのくらいやってみなよ。母親でしょ?」」

 

 挑発的な言い方。場が場なら即刻不敬罪で首を落とされても文句は言えない。

 にも関わらず、アリシアの口元には笑みが浮かんできていた。

 

「朝比奈信一、と言いましたか?」

 

「はい」

 

「———わたくしの娘を守ってくださいね?」

 

「もちろん———俺の家族ですから」

 

 話はそれで終わった。

 

 アリシアは女王に、零はその護衛に。

 ルミアはフィーベル家の居候に、信一はフィーベル家の従者に。

 

 それぞれ本来の自分の立場に戻り、背を向けて歩き出す。

 

 

 

 

 

 信一達と別れ、少し経ったところで零は通信結晶を取り出した。それを口元まで持ってきて、告げる。

 

「アル、今回の騒動の黒幕———侍女長エレノア=シャーレットを捕らえろ」

 

『南地区にて交戦中。今すぐ合流してくれ』

 

「了解」

 

 そして長い一日が終わる。

 

 

 

 

 

 

 

 

 魔術競技祭から2週間。

 

 早朝、信一はいつものように刀を振るう。しかしいつもと違い、振るう刀は一振り。しかも刀身は金色で、めちゃくちゃ重たいが。

 

「ふぅ……」

 

 井戸から汲み上げた水を頭から被り、一気に汗を流す。鍛錬で火照った体に、水の冷たさが心地良く染み渡っていく。

 

 日課を終えた信一は朝食の献立を考えながら郵便受けを見て本日の分を回収。すると、門の外から男性に声をかけられた。

 

「あの〜、こちらフィーベル家でよろしいでしょうか?」

 

「はい、そうですが」

 

 どうやら宅急便のようだ。彼は抱える程の木箱を持っていた。

 

「こちら、お届け物です」

 

「あぁ、ありがとうございます」

 

 一応木箱を叩き、音で危険物ではないことを確かめた後受け取る。

 その木箱の前面には大きく翼を広げた鷹の紋———帝国王室の紋章が描かれていた。

 

 それを確認した信一は素早くそれを一旦部屋に置き、即座に朝食の支度を済ます。そして、システィーナとルミアが席に着いたことを確認。

 

「あの、朝これが届きまして……」

 

 食事が載っているテーブルへ置くわけにもいかず、信一は本来自分が座っている椅子へドンと木箱を下ろす。そこに描かれた紋章を見て、眠気まなこを擦っていたルミアが一気に覚醒した。

 

「えっ……シンくん、それって……」

 

「はい。王室の紋章で間違いありませんよね?」

 

「う、うん」

 

 システィーナに関しては、開いた口が塞がらないといった様子だ。

 なにせ、家に王室から荷物が届くなど一大事。いくら貴族といえど、これはメンツ的に色々まずいのではないかと彼女は考えている。

 

「んじゃ、開けますよ?」

 

「「 うん…… 」」

 

 かぱっと開けると、木箱の中には黒塗りの鞘と黒い柄巻きに収まった刀が二振りと、手紙が2枚入っていた。

 手紙のうち、片方はルミア宛になっている。

 

「……あぁ、なるほどね」

 

 たぶんこれはアリシア女王からルミアに宛てた手紙だ。なんとなく、そうな予想がついた。

 

「どうぞ」

 

「うん」

 

 それをルミアに渡す。彼女はさっそく便箋を開き、読み始めた。

 目にどんどん涙が溜まっていく。しかし、その涙が悲しみではないことがよく分かる。何故なら、ルミアはとても嬉しそうな笑みを浮かべているのだから。

 読み終わったルミアは、その手紙を宝物のように胸に抱く。

 

「なんて書いて……」

 

「お嬢様」

 

 システィーナが手紙の内容を尋ねようとすると、珍しく信一が咎めるような声色で遮る。

 振り向いたシスティーナに首を振る信一。その仕草だけで、彼女も理解した。

 親子水入らずの手紙に口を挟むのは野暮だろう。その手紙の内容は、ルミアとアリシアだけが知っていれば良い。

 

 なので、システィーナは木箱に入っていた刀のうちの一振りを取り出す。

 

「信一、抜いてもいい?」

 

「どうぞ。言うまでもありませんが、刃物なので充分気を付けてください」

 

「わかってるって」

 

 信一の見様見真似で刀を抜く。

 

「うえっ!?」

 

 途端、驚きの声がシスティーナから上がった。

 何か虫でも入ってたのだろうか、とそちらを覗き込むと———刀の刃が鈍色ではなく蒼銀の輝きを放っている。

 それは大変美しく、国が一つ買えてしまえるのではないかと思えてしまうほどだ。

 

「これ……真銀(ミスリル)じゃない!」

 

真銀(ミスリル)……ですか?」

 

 システィーナの驚嘆を聞いてどこかで聞いたことがあるなと首を傾げる信一。実は二組の中でシスティーナに付けられたあだ名の一つに『真銀(ミスリル)の妖精』というものがある。

 

 真銀(ミスリル)とは、アルザーノ帝国で刀剣の素材として使われる最高級品、ウーツ鋼のさらに遥か格上。魔法金属である。(ちなみにシスティーナのあだ名になった原因として、真銀(ミスリル)は大変美しいが、融通が利かなく扱い難いということらしい)

 そんなシスティーナのような剛性と靭性を兼ね備えている真銀(ミスリル)。この刀はそれをさらに魔術的な手段で折り返し、叩き、鍛え、また折り返し、叩き……気の遠くなるような作業の一つ一つに魂が込められ作られた一品。

 

 それが()()()。しかも間違いなく信一用であると分かる刀の形状をしている。

 

 これを2週間……いや、アリシア女王が帝都に帰る時間とこちらに郵送される時間を考えるとさらに短期間で鍛造されたことになる。帝都の錬金刀匠何人か過労死したんじゃね、とちょっぴり不安になってきた。

 

「ま、まぁ……せっかくですし使わせて貰いましょう」

 

 魂を込めたどころか、本当に霊魂が宿ってるかもしれないし。使わないと祟られそうで怖い。

 

 そうなると父親から借りている刀はどうするかということになるのだが、もう一枚の手紙に、この木箱に入れて送り返してくれればいいという旨が書かれていた(郵送代は自腹)。

 

 ちなみにゼーロスに叩き折られた刀は、折れた刃も含めて鞘や柄全てが信一の自室に揃っている。実はこっそりそのままにして帰ろうとしたら、リック学院長に不法投棄になるから持って帰れと言われたのだ。ちゃっかり信一が『殺刄(サツジン)』で斬り飛ばしたレイピアの刃も入れられた。

 

 

 ……これもまた、娘を守りたいという親心かな?

 

 

 まさかこのレベルの公私混同をしてくるとは思わなかったが、信一自身もルミアを守る努力をしろと言った身だ。この刀は二振りとも大切に使おう。

 

 だが、ここで新たな危惧が生まれた。

 

「大切に……か」

 

 どうも自分は戦う度に刀を折っている気がする。

 

 今回も折れたし、その前も折れた。

 特に今回折れたのはレイディ商会の娘であるテレサ=レイディがプレゼントしてくれたものだった。にも関わらず約1ヶ月でへし折り、それを知った彼女はおっとりお姉さん系の優しい笑顔に信一が思わず震え上がるほどの威圧感を込めていたのは今も鮮明に思い出せる。

 

 

 ……今度テレサ経由でレイディ商会に何か注文しよう。

 

 それで許してくれるだろう……たぶん。

 

 ———閑話休題

 

 

「どうしたの、信一?」

 

「いや、俺ってあんまり武器を大切にしてないなぁって思いまして」

 

 もちろん毎日最高レベルの整備をしているが、いざ使うとなると使い潰すような扱いをしている。家族を守る為なのでそれは仕方のない事だが、その結果としてテレサが怖くなったのは良い教訓になった。

 

 さてどうしたものか、と悩んでいると手紙をポケットにしまったルミアが提案してくる。

 

「名前とか付けてあげたら愛着湧くんじゃないかな? ほら、お花とか育ててるとつい名前つけちゃってもっと大切にするし」

 

「名前、ですか……」

 

 ルミアの可愛らしい理由に身悶えするのを必死に抑えながら顎に手を当てて黙考する。確かにそれは良いアイデアかもしれない。

 

「じゃあこっち(右刀)は『叢雲(ムラクモ)』、こっち(左刀)は『羽々斬(ハバキリ)』なんてどうでしょう」

 

「なんかいきなり思春期拗らせたような名前になったわね」

 

「むぅ……」

 

 システィーナのにべもない言い方に口を尖らせる。信一的にはそれなりに由緒正しい神聖な名前のつもりなのだが。

 そんな彼の意思をなんとなく察し、ルミアは苦笑いを浮かべて問いかける。

 

「あはは……何かの名前なの?」

 

「母国の神話に出てくる武器です。八岐大蛇っていう———頭が八つある大蛇を退治した刀が『羽々斬』で、その大蛇の中から出てきたのが『叢雲』といいます」

 

「へぇ、結構面白そうなお話だね」

 

「ちなみに神話の中だと『羽々斬』は大蛇の中にあった『叢雲』にぶつかってへし折れてます」

 

「「 えぇ…… 」」

 

 なんとも微妙な表情を浮かべる2人。

 それにちょっと押され気味になりながらも、咳払いで誤魔化して話を続ける。

 

「でもまぁ、断じて拗らせてなどいませんが言われてみればそう思えても仕方ありませんね。断じて拗らせてなどいませんが」

 

「なんか信一怒ってない?」

 

「怒ってませんよ。今日のおやつ、お嬢様の分は作り忘れてやろうとか思ってませんから安心してください」

 

「怒ってるわよね!めちゃくちゃ怒ってるわよね!?」

 

 実際、自分のネーミングセンスを遠回しにディスられてイラっときたのは事実だ。

 このままでは、システィーナがおやつ抜きになると考えたルミアは助け舟を出してやる。

 

「あ!あ!でもシンくん、右に持つのと左に持つのじゃ毎回変わっちゃわない?見分けってつくの?」

 

 右刀が『叢雲』なのはいいが、それは今右手に持っている刀の場合で、いつものように布袋に入れたら『羽々斬』もごっちゃになってわからなくなってしまうのではないか、というのがルミアの言い分だ。

 

 その発言になんとかおやつ抜きを阻止しようと言い訳を並べ、その数だけ墓穴を掘るという作業を行っているシスティーナを一旦放置してまたも考える。

 すると、すぐに名案が浮かんだ。

 

「じゃあ右手に持ったらどっちであろうと『叢雲』で、左手に持ったら『羽々斬』ということで」

 

「「 雑な…… 」」

 

 システィーナとルミアが再び微妙な表情を浮かべる。だが、信一の言葉には続きがあった。

 

「んでんで、なんか名前が仰々しくて硬いので、右刀は『叢雲』改め“むーくん”。左刀は『羽々斬』改め“はーちゃん”なんてどうでしょう?」

 

 ドヤ顔でそんなことを言い放つ信一。

 それに対し、2人はこの男のネーミングセンスが壊滅的なことを理解したのだった。

 

 

 ……守ってみせますよ、女王陛下。

 

 

 もはや引き気味の表情になった2人を見て、それでも信一はこの真銀(ミスリル)製の刀二振り、“むーくん”と“はーちゃん”を力強く握る。

 

 自分にとって、家族とその幸せが一番だ。だから———

 

 ———一番(家族)の為なら二番(自分)三番(友人)なんて使い捨ての道具として扱える。

 そして一番を害す者。それが誰であろうと……この刀で殺す。

 

 それは狂気だ。狂気的な考えだという自覚を持ちながらも、その考えを実行する時は狂喜の笑みを浮かべられる。朝比奈信一はやはりどこか———

 

 ———狂っている







はい、いかがでしたか?オリ主、狂っちゃってます(笑)

といっても、一応片鱗は何度か見せてきたので驚きは少なかったのかな?
あ、ネーミングセンスに関しては狂ってるとか関係ないですからね。ただ単に狂気的なまでにセンスがないだけです。

では、次回はやっとリィエルちゃん登場となります。ちょっと口調が難しそう……


目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

2.5章 聖女と悪魔と死神と
任務出発前


お久しぶりです。皆さん、自粛してますか?自分はめちゃくちゃ自粛しています。話し相手がいなくて寂しい(T_T)

本当なら5巻の続きを書きたかったのですが、友人に貸してしまっているのでオリジナルのお話で繋いでいきます。主人公はパパで、2巻と3巻の間の話。

それでは、楽しんでもらえたら幸いです。


 アルザーノ魔術学院の魔術競技祭における女王暗殺事件から半月が経ったある日。朝比奈零は友人でもある女王アリシアと情報交換も兼ねてお茶会をした後、宮廷の廊下を練兵場に向けて歩いていた。

 

(まさかアリスがあそこまで信一を気に入るとはな……)

 

 零がセリカの張った結界を力尽くで突破した時には、既に赤熱化したナイフが投げられる直前であった。彼女本人から先ほど聞いた話では、どうやら信一はアリシアに直接殺害宣言をしたらしい。末恐ろしいことこの上ない。

 話はそれだけに終わらず、その宣言をした理由はルミアの幸せを願ってのこと。政治的な事情でどうしようもなかったとはいえ、実の娘を追放した身であるアリシアにとって、ルミアの幸福を願ってそこまで啖呵を切ってくれた信一がどうしようもなく嬉しかったそうだ。

 

(だからと言って、真銀(ミスリル)製の刀を二振りも送りつけるとは思わなかったけどな)

 

 既に発送準備まで終えていたので、どうせならと自分も信一に向けて手紙を1枚いれさせてもらった。そろそろ自分の刀も返してほしいので。

 今零の腰にはいつもの金刀はなく、予備で何振りも持っている(ナマクラ)のうちの1つを差している。切れ味は悪くないが、どうにも軽くて使いづらい。

 

(王室親衛隊の練兵場にでもお邪魔するかな)

 

 宮廷魔導士である零には本来宮廷魔導師用の練兵場があるのだが、白兵戦を戦闘の主眼に置く彼にとっては鍛錬用の道具があまり充実していないように感じる。むしろ、剣士が主戦力の王室親衛隊の練兵場の方が道具は揃っているというわけだ。

 宮廷魔導士団の本部が郊外にあるので移動するのが面倒くさいというのが本音だが、それを尋ねる者は誰もいない。

 

 というわけで、意気揚々と鍛錬の声が響く練兵場に入ったのだが…。

 

「…………」

 

 誰も声をかけてくれない。零が練兵場に足を踏み入れた瞬間、軽く空気が凍ってからまるで最初から居なかったかのように鍛錬を再開する隊員達。挨拶くらいあっても良いじゃないかと肩を落とすが、どちらかと言えば原因は零にある。

 なにせ、先日の女王暗殺事件で同行していたほぼ全ての親衛隊員をボコったのだ。結果として全ての責任は親衛隊隊長であるゼーロスが被り終息したのだが、個人の心情は別問題である。むしろ即追い出されないだけ親衛隊は紳士的と言えよう。

 

「ハァ……。寂しい」

 

 誰も相手をしてくれない虚しさをため息で吐き出し、試し斬り用の丸太を目の前に立てる。親衛隊の標準装備であるレイピアの刺突訓練で使われる物なので本来ならばしっかり固定するのだが、零はあえてしない。

 バランス良く立てたら、重心を落として右足を前に出し左足は軽く引く。左手四指で腰に差した鞘の部分を掴み、親指で鯉口を切る。右手は力を抜いた状態で柄を包むように添えておく———抜刀術の構えだ。

 

「すうぅぅぅ……」

 

 長く深い呼気。目蓋は閉じず、自身の内側に目を向ける。この丸太に向けて放つ斬撃を想定する。瞬時に何百通りもの乱撃が浮かび、それを緻密に、精密に、濃密に整えて連撃へ変えていき———カッ!

 目を見開いた瞬間———パパッパンッ!零の右腕が霞み、風船が割れたような甲高い音が連続して周囲に響く。

 

「う〜ん…少しずれたか」

 

 納刀した零は顎に手を当て、出来上がった()()を見て微かに眉間へしわを寄せる。

 今まで丸太だった物は、いつの間にか木彫りの熊に姿を変えていたのだ。まるで一流の彫刻師が掘ったかのような躍動感溢れる熊。冬眠前を表現するように、振り抜いた前足の先には鮭がくっついている。しかし、肝心の熊の爪先が欠けてしまった。いつも手にしている金刀であればこのようなミスはしないのだが、やはり普段使わない刀では完璧を目指すのは難しい。

 

「さてと…これで誰か相手してくれるかなっと…」

 

 零としては普通の鍛錬に飽きて始めたものだが、一般的観点から見れば文句無しの超絶技巧だ。剣士として、これを見て心躍らなければ嘘というもの。輝かせた目を自分に向けているだろうと期待して振り向くと———

 

「「「 ……………… 」」」

 

 練兵場にいる全ての親衛隊がこれ以上ないくらいドン引きした顔を向けていた。

 

「え?なんで?」

 

 あまりに予想外の視線に首を傾げそれぞれの隊員を見るが———バッ!目を逸らされた。

 当然である。本来人間は刀で彫刻をしない。というよりできない。しかも本業は魔導士である者がだ。それを目の前で当たり前のようにされては羨望より先に恐怖が先立つのは少し考えれば分かることである。

 なんかもう寂しくて虚しくて苦しくなってきた零は帰ろうかなっと考えた、まさにその時。

 

「さきほどの音はなんだ!!」

 

 大気を震わせる低音が練兵場に響き渡った。こちらから目を逸らしていた親衛隊の面々は反射的に背筋を伸ばし、緊張と畏怖が混ざった視線を声の主へと向けている。

 

「た、隊長!」

 

 その男はゼーロス=ドラグハート。先の事件で責を負い投獄されていた初老の古強者だ。

 

「よお、ゼーロスさん。釈放されたんだな。おめでとう」

 

「む、何故貴殿がここに?」

 

「鍛錬だよ。ここは練兵場だろう?」

 

「そうではない。何故宮廷魔導士の貴殿がここにいるのかと問うている」

 

「えっ⁉︎あぁ…えっと……あれだよ。あんたに会いに来たんだ」

 

 目が泳ぎつつも、ここは冷静に嘘をつく。一応先ほどのお茶会でアリシアからゼーロスを釈放したことは聞いていたので、なんとか誤魔化せるはずだ。流石に移動が面倒だったとは言えない。

 

「儂に?」

 

「あ、あぁ。ほら、なんだかんだ俺達顔を合わせることは多くても個人的な会話ってほとんどなかっただろ?それに投獄されてて体鈍っただろうから、ちょっと運動に付き合ってやろうかな〜ってさ」

 

「ほう」

 

 どこか疑るように目を細めつつも頷くゼーロス。恐らく嘘だろうことは見破り始めているだろう。所属は違うが、帝国の武力を持つ軍属というかなりアバウトに見た枠の中では同じ人種なので咎められることはないと信じたい。

 黙考の後、確実にバレたことを悟らせる目をこちらに向けてきた。

 

「まぁ良い。そういう事情であるならば儂も歓迎しよう」

 

「え?いいのか?」

 

「構わん。そら、さっさと準備しろ」

 

「準備?なんの?」

 

「何を惚けている。運動に付き合ってくれるのだろう?」

 

 そう言ってゼーロスは武器庫から刃を潰したレイピア二振りを持って来た。嫌な予感に顔を顰める零。

 

「申し訳ないが、貴殿の刀を模した剣はない」

 

「いや…いいよ。一応俺も刃引きしたやつ持ってる」

 

 零は諦めて予備呪文(ストック・スペル)を起動。瞬間召喚(フラッシュ)で刃引きした刀を一振り取り出し握る。

 

「さすがは魔導士だな」

 

「どうも」

 

 もはやゼーロスの中では自分と模擬戦をやることが確定事項らしい。王室親衛隊の面々はいつの間にか自分達から距離を取っていた。空気が読めなければ親衛隊は務まらないので、この行動は納得できる。腹立たしい。

 だが、ここで意識を切り替える。ゼーロスは40年前の奉神戦争をレイピア二本で戦い抜いた正真正銘の猛者。あの戦争は魔術師も参加していた。当然ながら弓矢や試験段階の銃火器も導入されていた。その中でも己の心体のみで生き抜き、今ここで王室親衛隊隊長をやっているということは、つまりそれだけの技量があるということ。剣術に関しては他の親衛隊と一線を画すことは想像に難くない。正直、実戦では特務分室の同僚やセリカ・アルフォネアに並ぶレベルで戦いたくない相手だ。

 そんな相手と模擬戦ができるのだ。学ぶことは多いだろう。

 

「号令は貴様に任せる」

 

「はっ!」

 

 自分達を囲むように並んだ隊員の1人を号令役に任じたゼーロスと目が合う。距離は7メトラほど離れているが、彼から放たれる闘気はビリビリと伝わっていた。

 

「王室親衛隊隊長、ゼーロス・ドラグハート。貴殿の胸を借りるとしよう」

 

「宮廷魔導士団特務分室執行官ナンバー13《死神》、朝比奈零。推して参る」

 

 所属などの個人情報を伝える『名乗り』を使う古風なゼーロスに合わせ、零も久々に宣言した。

 ここは魔導大国アルザーノ帝国。即死でない限り、大半の大怪我はすぐに法医魔術で完治する。ならば、模擬戦ではあるが『死合』ギリギリまで試合おうというゼーロスの意気に応えていくつもりだ。

 

 零は刀を正眼———切先を眉間の高さまで上げ、攻撃にも防御にも転じられる基本の構えで相対する。

 

 零とゼーロスの闘気が練兵場にいる全ての隊員を緊張させていた。それは張り詰め、張り詰め、張り詰めて、そして号令を任された隊員の声で弾ける。

 

「始め!」

 

 ———ドンッ!

 

 先に動いたのはゼーロス。身体強化魔術を使ったとしか思えない、しかし純粋な身体能力のみの速さで7メトラもの距離を瞬時に詰める。

 振るわれるは二刀レイピアによる神速の七連撃。そしてその中に混ざる喉を狙った正確無比の突き。全てが投獄のブランクを感じさせない精度で放たれる。

 

「フゥ……ッ!」

 

「ッ!?」

 

 対して零は短い裂帛と共に一発の突き。しかし、片手でレイピアを扱うゼーロスと両手で刀を握る零ではリーチに差がある。

 だが、ゼーロスは即座に体を捻って回避に移行。突きの軌道から素早く逃げた。

 

「チッ、さすがに無理か」

 

「初見殺しにしては拙いな」

 

 間合いに入られたので、零は即座に胸目掛けて横蹴りを打つ。当たれば内臓くらい簡単に潰れる威力だが、それを敢えて受け衝撃を流すことに切り替えたゼーロスは両手で同時に突きを放った。

 剣の勝負だと言うのに、早々に蹴りを使ったことに対して周囲の隊員から非難の視線を浴びながらも零は半歩下がり体を大きく反らして回避。さらに片手バク転のサマーソルトキックでゼーロスの股間を狙う。

 

 卑怯と言うなかれ。模擬戦である以上、急所への攻撃は卑怯でもなんでもない。

 

 片足を上げ、膝で蹴りを防いだゼーロスは零が体勢を直す前に既に追撃を仕掛けてきていた。左右から挟み込むような胴打ち。当たれば昏倒は免れない。

 

「あっぶない!」

 

 ———ギギンッ!

 

 立ち上がると同時に切り上げ、返す刀で振り下ろしレイピアを弾く。ゼーロスに隙が生まれた。

 

「お返しだ!」

 

 唐竹、袈裟斬り、右薙、右斬上、逆風、左斬上、左薙、逆袈裟、突き。

 

 刀における斬撃九種類全てを瞬時に放ち、さらに最後の突きは一撃の間の中にさらに三撃混ぜておいた。しかし、冷静に対処される。

 

「この程度か《死神》?そのような曲芸、大戦中の武人ならばできば当たり前だったぞ」

 

 懐まで入られカウンターの柄打ちが眉間に迫るが、それは牽制。首を傾けて避けたところへ、肘打ちが飛んでくる。この距離は斬り合いではなく、徒手格闘の距離だ。

 ならばと、零は刀を手放す。剣の間合いをさらに詰めた超々近距離戦では邪魔でしかない。

 肘打ちを敢えて人体の中で特に硬い額で受け、顎を狙って掌底の打ち上げ。当然避けられるが特に気にせず拳や手刀、肘や膝の連撃で追い込んでいく。狙いは臓器各種。加減はせず潰す気でいく。

 一発でも食らえば終わりなのでゼーロスは下がるしかない。

 

 

 

「———そろそろ本気を出したらどうだ?」

 

 

 レイピアを持ったまま腕を絡ませ、さらに足払い。組討術(くみうちじゅつ)だ。一本背負いの要領で綺麗に投げられた。

 上下逆さの視界の中でゼーロスのレイピアが迫る。

 

(もう少し粘れると思ったんだけどなぁ…)

 

 ———ガギギギギギンッ!!

 

 自身の力量に落胆した零は腕を振るう。そこにはいつの間にか血を吸ったかのような赤槍が握られ、無数の火花を散らしながらレイピアを弾いていた。

 ベタッと体の前面全体を使うように着地した零は、その姿勢から刺突をゼーロスのアキレス腱部分に放つ。もちろん刃引きはされているが、それでも当たればしばらくは立つことにも支障を来す一撃だ。

 半歩足をずらすだけで避けられるが想定内。零の狙いはその先にある。

 地面でうつ伏せに寝転がる零へ止めを刺そうとレイピアを構えるゼーロスだが、これまでの戦闘で培われた第六感が警鐘を鳴らしていた。一瞬迷った後、それに従って伏せる。瞬間、自身の首があった空間をうなじ側から刀が通過していったのを察した。

 何故、というのは愚問だ。そんなもの目の前で寝転がっている男の仕業に決まっている。

 

「惜しい惜しい」

 

 不敵な声音と共に逆立ちで立ち上がりつつ顔面目掛けて蹴りを放つ。その蹴りを捌いて仕切り直すように距離を取ったゼーロスの視界には右手に刀、左手に赤槍を握る零の姿があった。

 

「ふむ…槍を指先で操り、先ほど落とした刀の鍔に引っ掛けた…といったところか?」

 

「正解。指先の繊細な動きがポイントだ。お裁縫で練習してる」

 

「やっと本気になったようだな」

 

「正直全盛期のあんたならともかく、今のあんたなら一刀で十分だと思っただけど…。アテが外れたよ」

 

 一刀一槍変則二刀流。剣士ではなく、あくまで魔導士である零が行き着いた魔術師殺しの極地。これと【迅雷】を以て零は多くの外道魔術師を屠ってきた。

 

「それが噂に聞く一刀一槍か」

 

「初見の奴はだいたい『目立ちたがり屋の一発芸』って鼻で笑うけど、あんたはそうじゃないらしいな」

 

「あのような絶技を見せられて笑えるほど耄碌はしていないつもりだ」

 

「そのわりには口の端が上がってるぜ?」

 

「すまんな。一剣士として、この高揚は抑えられぬ。あの戦争で世界中の強者とは一通り死合ったつもりだったが…いやはや、貴殿のような者がまだいたとなっては自身の知見の狭さを恥じるばかり」

 

「そいつはどうも」

 

「さぁ、まだまだ付き合ってもらうぞ。貴殿の持つ全ての武を儂に見せてくれ」

 

「夕方から任務に出発するんだ。それまでなら付き合うよ」

 

 獰猛な笑みを浮かべた2人は、口上もそこそこに再びぶつかるのであった。

 

 2人の模擬戦は昼前から始まり、零の任務出発ギリギリまで続いた。雌雄を決することはなく、お互いの武器が蓄積された衝撃に耐え切れず木っ端微塵になったことで決着となったのであった。

 ちなみに王室親衛隊の練兵場は2人の模擬戦の余波で地面がボコボコになり、しばらく使えなくなったとのこと。結果として零は宮廷魔導士団以外の練兵場が出禁となったが、それはまた別の話である。




はい、いかがでしたか?なんか原作だといつの間にか釈放されてちゃっかり職場復帰していたゼーロスさん。2巻の最後のほうを読んだ感じ、結構早くに釈放されてたんじゃないかと思って牢から出てリハビリにパパと戦っていただきました。

次回はこの話の根幹、パパの任務についてのお話です。第二回人気投票一位だったお嬢さん、出番ですよ(ボソボソ)



目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

行動を始める闇

自粛が続くと焼き立てパンが食べたくなっちゃう今日この頃。パン屋さんの匂いは幸せの匂いですね。

今回は任務内容について。時間は前話から少し戻って朝になります。


「悪魔が出た?」

 

 零は宮廷魔導士団総本部、『業魔の塔』にある特務分室の室長室でソファに腰掛け朝食のパンを齧りながら告げられた言葉を繰り返した。

 

「えぇ、そうなの」

 

 相対するのは紅蓮の炎で染め上げたような髪が美しい、二十歳前の娘だ。常人離れした美貌を持ちながらもその目は硬質で冷たい。凜然とした声は彼女が職業軍人であることをこれでもかと知らしめていた。

 イヴ・イグナイト。帝国宮廷魔導士団特務分室、執行官ナンバー1《魔術師》を拝命する特務分室の室長だ。

 

「それならアルを現地に送ればいいんじゃないか?俺が悪魔退治なんてできないのは知ってるだろう。…あ、これ美味いな」

 

 本来零は今日久々の休暇であり、ならばと前々から気になっていた帝都オルランドで話題になっているパン屋に朝イチで繰り出していた。今1番勢いのあるパン屋として雑誌にも紹介されただけあり、早朝にも関わらず多くのマダムが長蛇の列を作っていた。そこは戦場であったと後に彼は語る。

 そこで孤軍奮闘し、なんとか手に入れた焼き立ての戦利品(生食パン)は頬が落ちそうなくらい美味だ。小麦の香りが食欲をそそり、齧ればジャムなど付けずとも素材そのものの甘さが口に広がる。バターを塗ってトーストにしようかと考えたが、気付けば半分以上を食べてしまっていた。正直、このまま完食したい気分だ。———閑話休題。

 

 悪魔とは人の様々な忌避や禁忌、恐怖が、宗教や信仰と結びついて擬人化したものである。『意識の帳』の向こう側にいる概念存在であり、それを受肉、具現化、降臨させる悪魔召喚師の手によって召喚されなければこの世界に存在することはできない。

 しかし、1度召喚されればその暴威は留まることを知らない。物理的な攻撃や魔術は概念存在たる『悪魔』にはほとんど通用しないのだ。それは律法(ルール)であり、どう頑張っても覆すことはできない。一刀一槍を扱い、攻撃方法のほぼ全てが物理に頼った零にはほとほと相性の悪い相手と言える。

 一応退治する方法があるにはあるが、それには複雑怪奇な魔術儀式、高レベルの悪魔学を修め、さらにそれを応用するだけの手腕が必要。例え特務分室と言えども、それをできるのは何故か司祭の資格を持っている執行官ナンバー17《星》のアルベルトくらいだ。

 

「まぁ、そうなんだけどね。実際のところわからないのよ」

 

「わからない?何がだ?」

 

「本当に悪魔なのかどうか、ということよ」

 

 ゴクリ。パンを嚥下し、首を傾げる。話の概要が見えない。

 

「あなた、湖水地方リリタリアの『聖女』については知ってる?」

 

「うん?あぁ、一般教養レベルだけど」

 

「1週間後、その聖女継承の儀式が行われるの。現聖女はもう高齢で、老衰による危篤状態と言っても過言じゃないくらい」

 

「つまり今の聖女が死ぬ前に聖女継承をしてしまおうってわけか。それで?その聖女と悪魔になんの関係があるんだ?」

 

「その地域では、聖女の存在を脅かす者を便宜上『悪魔』と呼ぶらしいのよ。今から5日前に1度現れた悪魔は聖女継承の儀式の日に現聖女を攫うと予告して帰っていったそうなの」

 

「なるほど……」

 

 概念存在である『悪魔』のほとんどは人間とコミュニケーションを取ることがない。稀に人語を解する『悪魔』も確認されているが、それも解する()()であり、わざわざここで語られる『悪魔』のように人間へ譲歩することはない。現聖女が欲しいのであれば、力尽くで奪うことなど造作もないだろう。わざわざ儀式の日を待つ理由がわからない。

 

「わかっていると思うけど、聖女継承の儀式には現聖女の存在が不可欠。もし奪われれば、聖女がいなくなるわ」

 

「いなくなる、ねぇ…」

 

 聖女には不思議な力があるとされている。魔導大国アルザーノ帝国で今さら不思議と言われても、どうせ魔術だろうの一言でカタがつくが、どうもそうではないらしい。

 どちらかと言えば精神に寄り添った事柄であり、精神に異常を来した者が聖女に手を握られると正気に戻るという言い伝えから始まり、不治の病が完治した、抜け落ちた髪が再び生えた、飢饉を祈りで退けたなど若干嘘くさいものも数多く混ざっている。一説には異能者の可能性も挙げられるが、実際のところよく分かっていないのが実情だ。

 分かっていることは、何故か湖水地方リリタリアにだけ聖女が存在しているということ。まぁ、湖の近くは精霊がよく湧くので魔術的根拠はないが『そういうもの』と一般的に認知されている。

 

「仮にその『悪魔』がただの誘拐犯だったとしよう。だったらそれは俺たちではなく、警備官の仕事じゃないのか?」

 

「わかりきった事を聞かないで頂戴!警備官じゃ対処できなかったからウチにこの仕事が回ってきたのよ」

 

「警備官じゃ対処できないレベルの武力を持っていたのか」

 

「そういうことよ。怪我人は出なかったけど、かなりの魔力を保有していることは現場の状況を読めばわかるわ」

 

 バサっと、イヴがこちらに束になった報告書を投げて寄越す。被害状況の欄だけ軽く読むと、なるほどこれは酷い。

 しかし、街自体の機能にはなんの影響も及ぼしていない。これだけ見ると、この『悪魔』が召喚されたものでない可能性のほうが濃厚だ。

 

「逆に本当の『悪魔』だった場合はどうする?俺じゃ対処できないぞ」

 

「対処はできなくても対応はできるでしょ?なんとかしなさい」

 

「横暴な……」

 

「いいじゃない。そうなった場合は流石に増援を寄越すわよ。それまで時間稼ぎしてちょうだい。あなたなら三日三晩飲まず食わずで戦うくらいできるでしょ」

 

「そりゃあできるけど…」

 

 湖水地方なら水分補給はできるだろう。衛生面が怖いけど、などと考え苦虫を噛み潰したような顔で頷く。

 特務分室は常に慢性的な人手不足だ。過酷な任務で死ぬ者もいれば、地獄すら生温いと思わせる悲惨な現場の状況に心を病む者もいる。結果として、こういった適性の低い任務に割り振られることもあるのだ。それは仕事なので仕方ない。

 だが、それ以上にイヴの人並外れた戦果への渇望がそのような状況を作っているのとも言える。

 

「一応聞いておくわね。過不足なく簡潔に私の質問に答えなさい」

 

「なんだよ」

 

「あなたの特務分室での主な仕事は何?」

 

「斥候、諜報、場合によっては暗殺」

 

「理解できてるじゃない。なら今回の任務、何故あなたに振るかわかるでしょう?」

 

「…………」

 

 零は黙考する。『悪魔』が街全体を破壊するほどの武力を持つというならば、普通は拠点防衛に適したクリストフが選ばれるはず。別の任務に就いているから無理ということも考えられるが、そうでないとすると———

 

「———天の智恵研究会の連中がこの件に噛んでいるのか?」

 

「あくまで可能性だけど」

 

 確かにそれならば自分が選ばれたことも納得できる。『悪魔』は囮であり、本命は聖女の奪取。何に使うかは流石にわからないが、少なくとも聖女が幸せになる未来でないことは想像に難くない。

 

「まぁ天の智恵研究会が関わってるにせよそうでないにしろ、この任務は長くても1週間後には終わるわ。2週間後の遠征学修における王女護衛には間に合うから、今日の夕方にでも発って現地調査でもしてなさい。話は以上よ」

 

「ハァ…。人遣いが荒いな」

 

「なんだかんだであなたには期待してるのよ。死ににくい上に死んでも生き返る。こんなに使い勝手の良い()はないわ」

 

 口の端を歪めて冷徹に言い放つイヴ。部下はあくまで駒。壊れれば替えればいい。言外にそう言っているのだ。

 彼女がこのような言動を取るようになった事情を知っている身としては、痛ましい限りである。

 

「あぁそうだ。これあげるよ」

 

 退室しようと席を立った零は思い出したようにパン屋の紙袋から包装された円盤型のパンを取り出し、イヴの前に置いた。

 

「リンゴのデニッシュ。奇跡的に二個買えたしリンゴ好きだろ?温かいうちに食べちまいな」

 

 薄くスライスされたシナモン香るリンゴが薔薇を象っている。その上から格子状に固まったシロップが今にもかぶりつきたくなる衝動を駆り立てていた。

 今までのやり取りで零が自分に好意的な印象を持つことは絶対無いと確信していたイヴは、彼のそんな行動に目をパチクリと瞬かせる。

 

「自分でも正しいと思ってない意地を張る必要はないんじゃないか、イヴ?」

 

 最後にそれだけ言い残し、零は室長室を出て行った。

 部屋に残されたイヴは目の前に置かれたリンゴのデニッシュを掴み、ゴミ箱に叩き込もうと振り上げ———

 

「———私が正しいと思うかなんて関係ないのよ…イグナイトには」

 

 これでは単なる八つ当たり。食べ物を粗末にするのは良くない。そんな言い訳を心の中で並べ、荒々しく包装を破って食べ始めるのだった。

 

 

 

 

 湖水地方リリタリア某所。夜闇に覆われた廃屋で2人の影が言葉を交わしている。

 

「経過は順調のようですわね」

 

「あぁ。邪魔者が出てくるようだけど、ボクの計画に支障はない。聖女は必ず手に入る。時間の問題だよ」

 

「うふふ…それはそれは。大導師様もきっとお喜びになるでしょう」

 

「それより———エレノアさん?貴女こそ、こんなところにいてもいいのかい?結構な大役をしくじったと風の噂で聞いたけど」

 

「あらあら、耳の早いこと。ですがご心配なく。所詮は女王暗殺。こちらもいつかは成すことであり、時間の問題ですわ。大導師様も寛大な御心でお許しくださいました」

 

「あっそ。流石は第二団《地位》。使い捨ての第一団《門》とは処罰規定すら違うわけだ」

 

「ふふ。聖女を回収した暁には、第二団《地位》にお迎えすることを大導師様はお約束してくださいましたよ?」

 

「へぇ。それは破格だね」

 

 エレノアと言葉を交わす者は深い闇色のローブを被り、男女の見分けすらつかない。しかし、廃屋の隙間から入った月明かりが一瞬だけ照らした首元には、短剣に絡みつく蛇の紋が刻まれていた。

 

「それでは、事が終わってからまたお会いしましょう。健闘を祈りますわ」

 

「あぁ。健闘の必要があるかはわからないけどね。天なる智慧に栄光あれ———」

 

 ———そして、闇は動き出す。




はい、いかがでしたか?この小説ではイヴ室長初登場になります。

まだツンツンしてた頃のイヴさん。しかし、宮廷魔導士勤続10年目のパパは彼女の事情をある程度は知っています。なので駒扱いされても、むしろ哀れみしか湧かず優しくしてしまうのです。
いつかこの2人が肩を並べて戦うシーンも書いてみたいと思っちゃいます。


目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

到着

 帝都北側にあるライツェル・クラス鉄道駅の5番線ホームから北西、湖水地方リリタリア方面行きの鉄道が夕陽に照らされながら出発した。

 アルザーノ帝国は魔導大国であるが、科学技術も諸外国に負けないくらいの発展を見せている。現代の帝国民が科学の代表格を述べよと言われれば、まず間違いなく今零が乗る蒸気機関車が上がるだろう。

 

「おぉ!これも美味いんだな」

 

 ゼーロスとの模擬戦で熱くなってしまった零はこの時間になってやっと昼食を口にできた。とは言え、朝パン屋で買って取っておいたリンゴのデニッシュ1個のみだが。買ってから9時間以上経って当然冷めてしまっているが、それでも美味であることに変わりはない。思わずにっこりである。2個買ったうちの1個をイヴにあげてしまったことをちょっと後悔している。

 彼が今いる場所は列車内の個室であり、中年男性の零がリンゴのデニッシュににっこりしてても周囲に不気味がる乗客はいない。

 車内販売で買ったコーヒーを軽く喉に流し込み、イヴからもらった今回の報告書を眺める。

 

(う〜ん…天の智慧研究会が関わってるのか?)

 

 正直、その可能性はかなり低いと考えられる。天の智慧研究会にも悪魔召喚師はいる。零も過去何度か交戦しているので、そこは別に疑う必要がない。当然まだまだいるだろう。魔術の発展の為ならどんな犠牲も厭わないロクでもない連中なのだ。

 問題は、何故『悪魔』なのかである。確かに人にとっては脅威的な存在だ。これから行く街にとって聖女が重要な存在である以上誘拐を阻止しようと抵抗されることは想定できるので、それを排除するにはうってつけだ。しかし、報告書を読む限り現聖女は危篤状態。もし排除の過程で現聖女が死ぬかもしれない。悪魔召喚師ならば召喚された『悪魔』の制御も多少できるが、もしもの事を考えれば人間の魔術師を使ったほうが安全なのではないか。 

 

(まぁ、その線で考えればこの『悪魔』は召喚されたものじゃないってのが妥当かな)

 

 便宜上の『悪魔』という呼称が使われた人間の誘拐犯だろう。だが、それでも天の智慧研究会の可能性が拭い切れていないことに気付いた。

 

(ならどうしてわざわざ儀式の日まで待つ必要がある…?)

 

 もう一度報告書の被害状況欄に目を通す。街の機能には一切被害を出さず、しかし宮廷魔導士を派遣するレベルの恐怖を演出した。

 あのボケナス共がわざわざそれだけの配慮をするだろうか。まるで自分(宮廷魔導士)がおびき出されたような形だ。

 

(狙いは宮廷魔導士なのか…?)

 

 特定の『誰か』、ということはない。それは軍上層部の采配によって誰が派遣されるかが決まる。どうせ軍上層部の中にも天の智慧研究会の連中は潜んでいるだろうが、今回自分を選んだのはイヴだ。彼女は普段の振る舞いこそアレだが、それでも効率良く手柄を立てるという思考で動く。わざわざ部下()の任務失敗という泥を被るとは思えない。

 一貫性がない。統合性がない。なにより情報が足りない。現地調査を行わなければわかることもあるかもしれない。

 零はそこで一旦思考を切り、夕食を求めて食堂車へ向かった。

 

 

 

 

 現地の最寄駅には夜中に到着した。なんとか駅近くの宿が取れ、そこで一晩過ごしてから街に向かう。

 ベッドとトイレ、1人がなんとか入れるほどの狭いシャワーしかないような部屋だったが、屋根があるだけマシである。

 そこでこれからのプランを考えていく。

 

(普段着で行くべきか、魔導士礼服で行くべきか)

 

 今回の任務は『悪魔』討伐だが、潜入の側面もある。普段着でも魔導士礼服でもそれぞれ潜入のメリットがあるので迷いどころだ。

『悪魔』自身は今日から6日後に来ると宣言しているが、それもどこまで信用していいのかわからない。相手は天の智慧研究会かもしれないのだ。むしろ信用できる要素など1つもない。

 先方にも宮廷魔導士が行くことは伝わっている。ならば相手側に潜入という側面を勘繰られない為に礼服で行く方がベターだろう。こちらの方が急遽戦闘になっても対応できるし。

 しっかりと着込み、最後に刀を腰に差して宿を出る。

 駅前の宿から歩いて1時間ほどだろうか。件の街が見えてくる。それと同時に周囲の自然が大きく破壊されていることに気付いた。災害の類では無い。木々が焦げたり岩が大きく抉れているのは魔術による攻撃だろう。つまり、ここ一帯で『悪魔』が脅迫行為をしたことになる。

 確かにひどい。魔導士の零はともかく、平和に暮らしてきた人々が見れば強い恐怖に囚われてること間違いなしだ。

 

「ん?」

 

『悪魔』の戦力について思考しながらさらに歩いていくと、街の入り口付近に立つ黒い影が目に入る。よく見ると、首からくるぶしまで包むトュニカにウィンプルという裾が大きな頭巾を被っている、修道服を着た女だ。所謂シスターだろう。

 そのシスターがこちらに気付き、清楚な仕草で手を振ってくる。

 

「もし?あなたが帝都から派遣された魔導士の方で相違ないでしょうか?」

 

「あぁ。宮廷魔導士の朝比奈零だ。貴女は?」

 

「失礼致しました。わたくし、この街の教会でシスターを務めているリリーナと申します。お待ちしておりました」

 

「お出迎え、ってことかな?」

 

「はい。ようこそ、聖女の街『セシリア』へ」

 

 随分と若い。恐らく20代前半か、もしかしたらまだ10代ということも考えられる。異邦人でありながら宮廷魔導士を務めている自分を見ても特に驚いた様子がなく、落ち着いた態度が年齢を曖昧化させていた。

 

「ありがたいが、街に着いたらまずどこに行くかは理解しているつもりだ。何故出迎えを?」

 

「差し出がましい真似はご容赦ください。わたくし達の聖女様がいるのはこの入り口から街を挟んで反対の位置になるので、それならば先に街の案内をと思いまして」

 

「……なるほど」

 

「もしかして不要でしたか?」

 

「いや、助かるよ。尋問するような口調になってすまなかった。『悪魔』が暴れた跡がすぐそこにあるのに、わざわざ待っていたのを不審に思ってしまってね」

 

「あら言われてみれば」

 

 口元を両手で押さえて、今気付いたと言わんばかりのリアクションだ。天然なのだろうか。

 

「ですが、あの『悪魔』さんは1週間後…あと6日後ですか?その日に来るとおっしゃっていたので、まだ安全なのでは?」

 

「それが嘘という可能性もあるんだ」

 

 少ないやり取りでわかった。このシスター・リリーナ、天然である。

 おっとりとした優しげな口調は否応無く安心感を与えてくれるが、それはそれとして危機感が無いのかと不安になってしまう。

 

「まぁいいや。お言葉に甘えて、街の案内をお願いできるか?」

 

「はい!任せてください」

 

 ドン!…というよりはポヨン!といった効果音が相応しい。得意気に拳で胸を叩くと、服の上からでも分かるくらいの波紋ができていた。

 

 

 

 

「この街は主に3つの区域に分かれております。入り口から観光客向けの旅籠、商業区、この街に住む方々の居住区となります。居住区のさらに奥にわたくしや聖女様が住む教会が建っております」

 

 隣を歩きながら意気揚々とシスター・リリーナは街の紹介をしてくれる。聞いた話では生まれも育ちもこの街であるとのことだ。しかし生まれてからすぐに両親を事故で亡くし、それからは今までずっと聖女と共に教会で暮らしていたらしい。

 

「観光客が来るのか?」

 

「あっ、今『こんな田舎に?』って思いましたね?」

 

『あ、あぁ…申し訳ない」

 

 正直、ここは街というより村と言ったほうがしっくり来る規模だ。街の周囲も大人の腰くらいまでしかないような柵で覆われているだけで、今のところシスター・リリーナ以外の住人とはすれ違うことさえしていない。

 

「『悪魔』さんが来てからはさっぱり来なくなってしまいましたが、それまでは毎月100人〜300人程観光にいらしてくださいましたよ?」

 

「何か名物でもあるのか?」

 

「わたくし個人としては周囲の湖で獲れる川魚と申したいのですが、やはり大半の方は聖女様を目当てにいらっしゃいますね」

 

「……あぁ、なるほど」

 

 確かに聖女という存在は珍しい。信心深い信者ならば一度は御目通り願いたくなるものなのだろう。宗教にはてんで興味の無い零にはわからないことだが。

 

「お恥ずかしい話、そういった観光に来てくれた方々のお金でこの街が成り立っていると言っても過言ではありません」

 

「聖女さんはこの街の経済の要でもあるんだな」

 

「……はい」

 

 意外、とは思わない。聖女が神聖な存在であることは理解しているが、やはりそれを利用して金を稼ごうと考える輩が現れても不思議じゃない。どこか汚い行動に思えなくもないが、それがなくては生きていけない人も確実にいるのだ。街ぐるみで名物にされる気持ちがどんなものなのかはわからないが、それは零がどうこう言う問題ではない。

 

「ですが、そのおかげで行商の方が来なくても皆不自由なく暮らしております。聖女様もきっと喜ばれているでしょう」

 

 尊いものを見るような目でシスター・リリーナは街の奥へと視線を送る。恐らく危篤状態の現聖女に対する感謝と尊敬だろう。

 

「立派な人なんだな。聖女さん」

 

「はい!それに加えて、わたくしの祖母であり母であり姉でもある大切な家族なのです!あの方はこの街に住む方々全ての幸せを常に祈っておられるのですよ!それに……」

 

「わかったわかった。それは後で聞くから今は街の案内を頼むよ」

 

 どうもシスター・リリーナはえらく聖女に心酔しているらしい。話の流れからして育ての親でもあるので当然かもしれないが、反抗期とかなかったのだろうか。たぶんないな。

 二児の父としてなんとなく疑問に思ったが、この様子だとありえない。そう心の中で断言すると、前方から市場特有の掛け声が聞こえてきた。シスター・リリーナに目配せをすると、微笑みを浮かべて答えてくれる。

 

「そろそろ商業区ですよ」

 

「それでか。結構元気なんだな」

 

「きっと零さまのおかげですわ。今日宮廷魔導士の方が到着と知って、みなさんとても安心したご様子でした」

 

「顔も見ていない相手にどうしてそこまで安心感が持てるんだ?」

 

「う〜ん…この街のみなさんは大体そんな感じですよ?なんて言うんでしょうか…すごく大らかなんです」

 

「ふぅん」

 

 不思議と納得できてしまった。

 そんなこんなで歩いていると喧騒に包まれる。売られているものは野菜や果物がほとんどだ。行商が来ていないことと、不細工な形のものが多いところを見ると、恐らく家庭菜園で採れたものを商品にしているのだろう。

 シスター・リリーナが足を止めて並んでいる商品を熱心に品定めしている。案内されている側の零も仕方なく彼女の後ろから商品を眺めていると、その露店の店主がリリーナに話しかけてきた。

 

「おっ!リリーナちゃん、珍しく男連れてるねぇ〜。お似合いだよ」

 

「ふふ、こんにちは。この方は帝都から派遣された宮廷魔導士さんですよ?」

 

「おやそうかい!ありゃ?よく見たら外人さんじゃねぇか。年はリリーナちゃんと同じくらいかい?」

 

「そういえばおいくつなんです?」

 

「正確な年は実のところ自分でも分からないんだ。一応40よりは手前のはずだが」

 

「40⁉︎こりゃたまげた!」

 

 東方の人間はアルザーノ帝国が属する北セルフォード大陸の人間から見ると幼く見えるらしい。こういったやり取りは零にとってそこまで珍しいものではないのだが、周囲の驚愕の反応には未だ慣れない。

 

「ちなみに妻子持ちだ」

 

「「 えっ!? 」」

 

「そんなに驚く?」

 

 というか、この店主は自分を宮廷魔導士と知ってここまで態度を崩さないのか。シスター・リリーナが言っていたことは本当のようだ。この街の人、超大らかである。

 

「なんだい!やっとリリーナちゃんにも恋人ができると思ったのになぁ〜」

 

「わたくしは恋人を作るつもりなんてありませんよ。シスターですから」

 

「かぁー!いつの間にかこんなにお淑やかになっちまって!昔は半袖短パンのやんちゃ坊主みたいだったのによー」

 

「も、もう!昔の話はやめてください!」

 

 店主とシスター・リリーナがそんなやり取りをしていると、周囲の人々が集まってきて次々の彼女をからかうのに加わっていく。

 生まれも育ちもこの街ならば彼女のことを昔から知っていて当然だ。その上、どうやら人気者でもあるらしい。顔を真っ赤にして照れてるシスター・リリーナだが、そこに負の感情はない。からかっている人達からも温かい何かが溢れているように感じられる。

『悪魔』の脅威に晒されながらも、ここの住人はたくましく生きているのだ。

 

「ほれリリーナちゃん、こいつも持っていきな!おまけだよ」

 

「今日採れたトマト、いつもより甘かったの!持っていってちょうだい」

 

「おい(あん)ちゃん!あんたが街守ってくれるんだってな!これ食べていっちょ頼むよ!」

 

 いつの間にか両手が食材の入った紙袋でいっぱいになったリリーナを見かね、零も手を貸す。すると、今度は魔導士礼服にいっぱいのジャガイモを詰められてしまった。

 

「いやちょっ!金が出せない…」

 

「お代はいいよ。宮廷魔導士なんていう凄そうな人が来てくれたんだ!お礼の先払いだと思っとくれ」

 

「だけど……」

 

 なんとか払おうと思ったが、両手が塞がったせいで財布を取り出せない。頑張って取り出そうと四苦八苦してるうちに背中を押されてこちらも両手が紙袋でいっぱいのリリーナと共に商業区を追い出されてしまった。

 

「……大らかでもあり、強引なんだな」

 

「ふふ。みなさん、気の良い方ばかりですので」

 

「そうみたいだな。とはいえ、こんなに食料貰っても困るんじゃないか?聖女さんと貴女の2人暮らしなんだろ?」

 

「いえ。うちの教会は孤児院の役割も為していますから、これくらいの量は3日で無くなってしまいます」

 

「孤児院…か。この街は孤児が多いのか?」

 

 リリーナも元は孤児。この街は聖女のおかげで経済的な困窮は免れているので、事故や事件などが原因と考えられる。

 零の考えていることを察したのか、リリーナは悲しげに眉根を落とした。

 

「悲しいお話なのですけど、観光客に紛れて教会に捨てていく人がいるのです。聖女様のいる教会ならば見捨てられることは無いと考える方が多いみたいで……」

 

 思ったよりも事情は深刻らしい。聖女の教会に預けるのは最後の親心か。同じ親として怒りが湧いてくるが、自分は母親を殺し、妹を昏睡状態にしてしまった息子を置いて仕事に逃げた身だ。同じ穴の貉と言われてしまえばそれまでである。

 ハァ…とため息で自己生産した怒りを吐き出し、暗い話題を変えるようにリリーナへ軽口を叩く。

 

「そういえば、やんちゃ坊主だったのか?」

 

「できればお転婆、と言ってほしいものです。わたくしも一応女の子ですよ?」

 

「悪いね。今の貴女を見ていると想像できない」

 

「ふふ…そうかもしれませんね」

 

 自分を変える努力もしたのだろう。成長によって変わることはあれど、意図的に変化させるのはそこそこ難しい。とはいえ、同僚でありながら演技中は別人なのではと疑わせる者もいるので不思議ではない。職業によってはそういうことも必要なのだろう。

 それからも雑談を交わしながら住人の居住区を抜け、小さな川に架かる一本橋の先に十字架を掲げた建物が見え始める。並んで歩いていたリリーナは小走りで零の前に立ち、振り返ってにこやかに告げた。

 

「さぁ、着きましたよ。ようこそ我が家へ」

 




はい、いかがでしたか?舞台となる街の全容を説明する回になってしまいましたね。できればもう少し書きたかったのですが、長くなりそうなので続きは次回に持ち越します。

自分はだいたい5000文字〜7000文字くらいを目指して書いてます,なんとなくこれくらいが一話の読み応えとしてちょうど良いのかな、と考えています。


目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

聖女

2週間半くらい空いちゃいましたね。ちょっと別の二次創作にも手を出してました。


 教会の中はよく掃除が行き届いていた。

 絨毯が敷かれた身廊を挟むように長椅子が並んび、最奥に祭壇。さほど広くはない。特別珍しいものは無く、築年数がかなりのものという事が柱の色から察せられた。しかしステンドグラスには力を入れたのか、他にはない引き込まれるような神聖さを感じさせる。

 

「こちらに運んでもらえますか」

 

 祭壇横の扉を開きながらリリーナが声をかけてくる。どうやらそちらが彼女や聖女の居住スペースに繋がっているらしい。

 

「なんだかこういうところって思わず黙っちゃうな」

 

「厳かな雰囲気はありますものね。わたくしは気が引き締まる思いになります」

 

「……今更だけど、武器持ち込んでるのは目を瞑ってくれるか?」

 

「軍人さんですもの。そんなことをしたら職業差別になってしまいますわ」

 

「助かる」

 

 調理場に着き、両手いっぱいの紙袋を調理台に乗せる。さらにポケットのじゃがいもを並べ、ついでなので仕分けをすることにした。足の早いものや緑黄色野菜、果物を分け、さらに質の良いものを選別していく。

 軍人である零の手際が思いの外良く、リリーナは驚いたと言う。それについて昔住んでいた港町の話をしていると、ドタドタとたくさんの足音がこちらに近付いてきた。

 

「おかえりなさい、お姉ちゃん!」

 

「リリ姉!おかえり!」

 

「今日のおやつ何〜?」

 

 元気な男の子が3人。年は10歳〜13歳くらいだろうか。調理場に入るなりリリーナを囲む姿は、どこか雛鳥を思わせて微笑ましい。

 その中の1人が零の姿に気付いた。

 

「あれ?この人誰…痛っ!」

 

「こら!人を指差しちゃいけないっていつも言ってるでしょ!あと言葉遣いも!」

 

「いってぇ……こちらの方はどなたですか?」

 

 軽くデコピンをされた男の子は涙目で零について質問してきた。

 

「こんにちは。俺はこの街に出た『悪魔』を退治しにきた宮廷魔導士……って言ってわかるかな?」

 

「あっ!僕知ってるよ!宮廷魔導士って、魔術を使う軍人なんでしょ?しかもすごく強い人しかなれないの!」

 

「まぁそうだな。いわゆる超強い軍人さんだ」

 

「すっげぇ!カッケー!!」

 

 この年の男の子ならば、『強い』というだけで憧れを持つのだろう。少年達は目を輝かせて今度は零を囲んでくる。

 その姿に、一瞬昔の息子の姿が重なって見えた。頬を緩め、頭に手を乗せる。するとすぐに質問攻めが始まった。

 どんな魔術を使うのか。どんな敵と戦ってきたのか。どんな鍛錬をするのか。正直鍛錬以外は子どもに聞かせるものではないだろう。というより守秘義務やら情報漏洩防止やらの事情があり、いくら子どもでも話せないことがほとんどだ。

 相手をしてやりたいが質問には答えられない。頬をかいて困っているとリリーナが忍び足で近づいてきた。

 

「こ〜ら!」

 

 ビシッビシッビシッ!瞬時に3連発のデコピンが少年達の額に放たれる。

 まったく同じポーズで額をおさえる彼らへ、腰に手を当てて妙に威圧感のある笑顔を貼りつけたリリーナは顔を近づけた。

 

「———ダメでしょ?」

 

「「「 ………… 」」」

 

 ちょっと気の毒になった。

 

「お、お姉ちゃんデートの邪魔されて怒ってる〜」

 

「リリ姉この軍人さんのこと好きなんだ〜」

 

「そうだそうだ!だから怒ってる〜」

 

 さささっと素早く廊下に出た3人はそのまま逃げていった。真っ赤に顔を染めているリリーナへ苦笑を浮かべるしかない。なんとフォローしたものか。

 さきほどとは別の意味で困っている零の視線に気付いた彼女はパタパタと両手を振って誤魔化すように早口で捲し立てる。

 

「も、もう!あの年頃の子はみんな『好き』に絡ませるんですから!零さまも気にしないでくださいね!」

 

「それはもちろん。それにしても、貴女はもう少しおっとりしてる人だと思ったんだけどな」

 

「うっ……あの子達はもうほとんど家族みたいなものですから!おしめだって変えたことあるんですから!」

 

「はいはい。あのキャラ作ってたんだってことはよくわかったよ」

 

 初対面を果たし、一緒に商業区を抜けて教会に到着。会ってから1時間ほどだが、彼女のことはなんとなく分かってきた。頑張り屋さんだ。

 住人から聞いた話も相まって、なおかつ先ほどの少年達に対する対応だ。元々は活発な性格だが、シスターになったことから頑張って立場に合わせた振る舞いを身につけたのだろう。

 そして、そんなリリーナのことがこの街の住人は大好きなのだ。

 

「うぅ…頑張って練習したのに……」

 

「いや、いいんじゃないか?シスターがお淑やかじゃないといけないって決まりはないんだろう?」

 

「ダメです!次期聖女として、もっと聖女様を真似しないと!」

 

「次期聖女…なのか?」

 

「あ、今疑いましたね?」

 

『悪魔』が来る日は聖女継承の儀式の日。そう考えれば確かに次の聖女が既に決まっていても不思議ではないが、まさかリリーナが次期聖女とは意外だった。

 そんな思考が顔に出てしまい、ジト目で睨まれてしまう。

 

「ンンッ!そういえば、聖女を継承する儀式ってどうやるんだ?」

 

 この話をリリーナの地雷だ。そう直感し、すぐさま話を逸らすことした。

 誤魔化しを多分に含んだ疑問だったが、唐突に彼女の顔に影が落ちた。

 

「簡単ですよ———()()()のです」

 

「食べる?」

 

「はい。魔術的な加工を施した後に聖女様の脳髄と脊髄液を食すのです。しかも、聖女様がご存命のうちに」

 

 呼吸が止まる。食人を魔術儀式に落とし込んだ事例は聞いたことがない。

 いや、宗教が絡んだ儀式では形式を重んじる。もしかしたら、そのような悍しい行為を儀式とするのは、形式によるところがあるのかもしれない。しかし、そうだとしても……

 

「貴女は大丈夫なのか?聖女さんは貴女の……」

 

「ご心配いただきありがとうございます。ですが、わたくしが次期聖女となることが決定した時、覚悟を決めましたので」

 

 その目には強い決意が窺える。育ての親を食べなければならない覚悟とはどのようなものなのか。宮廷魔導士として数多くの修羅場をくぐり、およそ地獄と表現するのも生温い状況に陥ったことがある自分でさえ理解が及ばない。

 

「そうならない為の道も模索しました。わたくしが聖女になった時でも、聖女様が隣にいてくれたらどんなに幸せだろうかと夢想しました。でも……時間が足らなかったのです」

 

 覚悟を決めていたとしても、それを決して歓迎しているわけではない。リリーナの目に浮かぶ涙がそんな当たり前の事実を物語っている。

 

「ダメですね…覚悟決めたと言ったそばから…」

 

「構わない。食材を保管する場所だけ教えてくれれば俺がやっておくよ」

 

 涙を拭うリリーナに気の利いた言葉が見つからず、彼女が落ち着くまで2人の間には無言の時間が続くのであった。

 

 

 

 

 

 それから1時間ほどして、2人は聖女のもとへ行くため廊下を歩く。

 

「申し訳ございません。お恥ずかしいところをお見せしました」

 

「いいさ。家族が死ぬのは悲しいことだ」

 

「あの…できれば泣いてしまったことは聖女様にはご内密に……」

 

「別に言いふらしたりしないよ」

 

 さすがにそこまで性悪ではないつもりだ。少し気まずくはあるが、それだけのこと。何か彼女の好物などを知れれば夕食に出してやりたいと考えてしまい、自分のお節介度合いに零は苦笑を浮かべる。

 とはいえ、表情を引き締めなければならない。これから会う聖女はいわばこの教会の主人だ。いくら危篤状態とはいえ、最低限失礼のないように過ごしたい。

 

「こちらが聖女様のお部屋です。お休みになられているかもしれないので、確認してきます。もし起きていれば声を掛けるので、零さまはここでお待ち下さい」

 

「OK」

 

 リリーナが扉を閉めたのを確認してから服の裾などを整える。基本的に無神論者のつもりであるが、それでもやはり宗教的に上の人に会うとなると緊張してしまう。このような自分の姿を同僚が見たら驚くだろう。

 

「どうぞ」

 

 宮廷魔導士団の入団前にある面接でもここまで緊張しなかったぞ、と思いながら扉を潜ると、最初に目に飛び込んできたのは多くの管に繋がれた老婆だった。

 魔術的に管理されてなんとか延命している状態。顔はシワだらけで手足は痩せ細っており、聖女という神々しい響きとは裏腹に、本当にどこにでもいる危篤状態の老人にしか見えない。

 

「あ…あなたは……?」

 

「聖女様。彼は今回『悪魔』から聖女様を守る為にお越しくださった軍人さんですよ」

 

「それは…それは……」

 

 聖女はほとんど皮だけとなっている手をこちらに伸ばしてくる。恐らく握手を求めているのだろうの推測し、零は手を握った。

 

「聖女様はもう1日のほとんどを寝て過ごしておられますが、たまたま起きられてましたので」

 

「そうか」

 

 あまりにも弱々しい。しかし、握られた手は優しい温もりに包まれていた。何故だかとても安心する。

 ふと、唐突に今は亡き妻を思い出してしまった。一生守ると誓いながらも、最期の瞬間には側にすらいられなかった。子どもを守る為に自分を殺させた、世界で1番優しい殺人教唆を行った最愛の妻。子どもの成長を見守ることという、当たり前の幸せすら掴めなかった。

 何故この聖女に手を握られただけでそんな事を思い出してしまうのかはわからない。ただ、心に生まれた安心感が、妻と過ごしていた日々と似通っているのだ。

 

「リリーナ…お迎えまではあと何日ほどですか…?」

 

「あと5日です、聖女様。何か不安なことが?」

 

「いえ。ただ…待ち遠しくて……」

 

 5日後———聖女継承の儀式の日であり、『悪魔』が街を襲撃する日だ。

 

「あぁ…でも心配だわ…。あなたが1人で…やっていける…かしら……?」

 

「安心してください、聖女様。わたくしは立派な聖女として聖女様の後を引き継ぎます」

 

 聖女は反対の手をリリーナへと伸ばし、彼女はすかさずその手を握った。そして、僅かに崩した相好を零へ向ける。

 

「軍人さん…忙しいことは百も…承知でございます……。でも、もしこれからも…お仕事でこの近くに……訪れるので…あれば……少しだけでもこの子に…会いに来てくれませんか?…この子…結構寂しがり屋で……」

 

「わかった。約束するよ、聖女さん」

 

「ふふ……優しい手。硬くて、大きくて…マメだらけ…あなたの手は誰かを守り、助ける……そんな優しい手ですね…」

 

「そんな立派なもんじゃないよ」

 

 まるで慈しむように握られた手から、聖女の体温が伝わってくる。

 確かに自分は宮廷魔導士として多くの帝国民を守り、助かる為に刀を振り続けてきた。そして、助けた人の数だけ人を殺してきた。

 助けた数と殺した数、どちらが多いかは知らない。ただ、この手が血に塗れていることだけは確かだ。

 今までは別に気にしていなかった。この仕事は天職だと思っているし、始めた理由も、自分のできる事で1番稼ぎが良いからだ。

 だから、『優しい手』なんて言わないでほしい。家族を支える為に大金が貰える職に就き、しかしそんな家族すら守れない。妹を守る為に母親を殺して打ち拉がれる息子に背を向け、5年間も知り合いの家に預けて放置した臆病者なのだ。そんな自分の手が、『優しい』わけがない。

 

「あなたは俺が守るよ。『悪魔』なんかに手出しはさせない」

 

「…あら、情熱的……そんな事を言われたのは…60年ぶりくらい……かしら…?」

 

「ふふ、聖女様の初恋の方でしたっけ?」

 

「そうなの…あと5日で……逢えるのね…」

 

 恋する乙女。しわくちゃの顔で、それでも懸想する相手を思い浮かべて微笑む聖女にはそんな比喩がピッタリだった。

 話の流れからして、その相手は亡くなってしまったのだろう。そこまで分かって、納得した。聖女がリリーナを心配しながらも、妙に死を恐れていない理由はそこにあったのだ。

 

「俺はそろそろ失礼するよ。礼拝堂にいるから、何かあれば呼んでくれ」

 

 流石に、この聖女から『悪魔』に関する情報は出てこないだろう。ならば、少しでもリリーナとの母娘の時間を優先させてあげたい。

 そういえば、2週間前にもこんな温かな光景があったなと。零はルミアとアリシアが語り合う姿を2人に重ねて、聖女の部屋の扉を閉じた。




はい、いかがでしたか?

ルミアとアリシア女王のような、しかし血の繋がりがない母娘の聖女とシスター・リリーナ。自分、こういった家族愛的なのはどんな作品でも泣いちゃんですよね…(自分語り)
あとはもう一度街の様子を書いてから、『悪魔』との戦闘開始と予定しております。


目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

第3章 それでも君は……
第22話 編入生、襲来!?


久し振りに1週間以内の投稿。

今回から3巻の内容ですね。2巻では戦闘シーン少な目だったので、さっそく入れてみました!!


「ふぅ……」

 

 井戸から汲み上げた水をザパァと頭から被り、朝比奈信一は汗を流す。

 

 髪から滴る水滴がよく整えられた芝生に落ち、太陽の光をキラキラと反射させている。今日も1日、良い天気になりそうだ。

 

 真銀(ミスリル)製の刀———“むーくん”と“はーちゃん”を布袋にしまい、フィーベル家の郵便受けがある門を横目で見る。

 

「ん、またか……」

 

 すると、そこにはコソコソと屋敷を抜け出す銀髪の少女———システィーナがいた。

 

 魔術競技祭も終わり、女王アリシアから信一に刀が送られてきた日以降、システィーナは毎日のように早朝屋敷からコッソリ抜け出している。

 システィーナも少女とはいえ女性なので、従者であり家族でもあるが男の信一には知られたくないことあるだろうし、ちゃんと朝食前には帰ってくるので何か言うことはないのだが……今日信一はいつもより早起きしたので、鍛錬も早く終わった。なので、システィーナを尾行してみようと思い至る。

 

 考えたくも無いが、もしかしたらいたいけな彼女を利用して何か良からぬ事の片棒を担がざれているかもしれない。もし本当にそうなら……まぁ、フェジテは人口も多い。人間が1人や2人消えてもバラやしないだろう。

 布袋に入った刀を見て、信一は冷たい微笑みを浮かべる。

 

「公園……?」

 

 システィーナが入っていったのはフェジテにあちこち点在する自然公園の一つ。

 森林浴や散策が楽しめる周囲に住む人々の憩いの場だ。だが、今は早朝。公園に人はいない。

 

 彼女に気付かれないよう細心の注意をしながら信一も公園へ入る。森林浴もできることから木々が生い茂っていて、一瞬システィーナを見失ってしまった。

 

「あれれ?」

 

 キョロキョロと辺りを見回すが、どこにも姿が見えない。どこか木の陰に紛れてしまったのかな、と困ったように八の字眉を作って首を傾げていると……声が耳に届く。

 

「……今日は遅かったな」

 

 それはシスティーナの声ではない。しかし、ここ数ヶ月で聞き慣れた男の声。信一のクラスの担当講師であるグレン=レーダスのものだ。

 

 彼の声が信一の目の前にある一際大きなブナの木の裏から聞こえてきた。

 

「その、ごめんなさい……今日先生と会うことを考えてたら、その……なんだか緊張して眠れなくて……」

 

 グレンに応えるシスティーナの声は、どこか熱を孕んでいるようである。

 

 

 ……逢引だとおぉぉぉぉぉっ!?

 

 

 顎が外れるのではないかと思えるほど、信一は愕然とした面持ちだ。

 

 ここは人っ子1人いない早朝の公園。そんな場所で男性講師のグレンと女生徒のシスティーナが密かに会っている。しかし、まだ分からない。決定的とは言えない。もしかしたら逢引ではなく、別の要件の可能性が……五分五分だ、たぶん。

 

「はは、期待してたってやつか?とんだマゾヒストだな、お前」

 

「ば、馬鹿!そんなんじゃないわよ……ッ!」

 

 否定はするが、やはりどこか期待してたかのような声色のシスティーナ。可能性が六分に縮む。

 対称的に信一の手が刀の入った布袋へと伸びていく。

 

「しっかしお前も悪い奴だな、白猫。嫁入り前の女の子が両親にも黙って、俺と毎日こんなことしてるなんてな……親御さん、知ったら泣くぞ?」

 

「そ、そんなこと……だって仕方ないじゃない……私は……その……」

 

 可能性が七分へ。布袋から刀を二振り共抜き、鯉口が切られた。それと同時に、信一の目はグレンとシスティーナの2人がいるブナの木へと向けられる。

 声の反響からして、システィーナが木の幹に背中を預け、グレンが彼女に正面から迫っているのだろう。

 

「まぁいい。生憎、ここなら誰もいない。誰に憚ることなく、心置きなくできる。さっそく始めるぞ」

 

 システィーナの身長は毎日並んで歩いてるだけあり、目を瞑ってても完璧に分かる。

 鞘が重力に従って落ち、真銀(ミスリル)特有の美しい蒼銀の刃が日の下に晒された。

 

「……待って…私……まだ……」

 

「悪いな。俺はせっかちなんだ」

 

 可能性が八分へと。

 

 木の幹を見据え、肩幅に開いた両足、その右足を半歩引く。それに合わせ右刀(むーくん)も後ろへと引かれる。重心は七……八……と逢引の可能性が高まると共に右へ傾いていく。信一の態勢はまるで見えない弓に矢を番えるようなものになった。

 

 これは突きの構えだ。

 

「あ…あぅ……その…痛くしないで……」

 

「保証しかねるな」

 

 可能性と右への重心が九分まできた。

 

 狙うはシスティーナの頭上スレスレ、グレンの喉元。

 木の幹を貫き、一気に突き穿つ。

 

「なんつーかお前、イジメ甲斐あるしな」

 

「うぅ……この鬼……」

 

 そして十分に。

 

「《疾くあれ》」

 

 バチイィィィ———ッ!!

 

 頭の中で雷の弾けたような音が響く。

 

 ———ドウゥゥゥッ!

 全ての体重が掛かった右足。まずはその足首を捻り、一気に前方へ。まさに信一が一本の矢になったかのように地面を爆散させながら飛び出す。

 

 足首の捻りは膝、腿、腰……体重をエネルギーへと変えながら下半身を駆け上がっていく。

 だが止まらない。そこから腹へ、胸へ、そして肩へ。

 自身の体重と【迅雷】で解放された人間の潜在能力で生み出される膂力。それを余すことなく乗せた信一の右片手一本突きは幹を突き抜けてその先にいるグレンへ。

 

「うあっっっとおぉぉぉぉぉぉぉぉっ!?」

 

 しかし、さすがは元宮廷魔導士。しかも拳で戦い抜いてきただけあり、驚異的な反射神経で体を捻って避けられた。

 

「チッ……」

 

 仕留めた手応えを感じられず、舌打ちを溢す。

 

 信一の突きにより、一際大きかったブナの木は刀が刺し込まれた部分から上へと()()()()()()()。そのまま裂けたのをいい事に木を飛び越え、左刀(はーちゃん)による追撃を加えようと振りかぶり……

 

「ん?」

 

 そこで初めて見えたグレンとシスティーナの姿に信一は首を傾げる。グレンは突きを避けたので崩れているが、システィーナの姿勢は若干猫背になりながら、半身を作って両拳を顔の前へと置いていた。

 

 これではまるで———2人が拳闘術の組手をしていたかのようだ。

 

「あれ?」

 

 再度、信一は首を傾げる。左刀(はーちゃん)を振りかぶり、右刀(むーくん)を引くというマヌケな態勢で。

 

 

 

 

「———ということなの」

 

「そういうことだったんですね」

 

「うん。でもごめんなさい、秘密にしてて」

 

「いえ、早とちりした俺も悪かったので」

 

 まったく着衣の乱れていないシスティーナから説明を受ける。

 

 毎朝システィーナがグレンと会っていたのは魔術戦の訓練を頼んだかららしい。もちろんグレンも最初のうちは断っていたが、彼女の熱心さに折れて今に至るというわけだ。

 しかし、グレンに魔術の才能がないのはもはや周知の事実。なので魔術戦ではなく拳闘術の訓練になったというわけだ。

 

 グレン曰く、魔術戦も拳闘も根っこの部分は同じらしい。

 

「ですが、何故わざわざ訓練を?」

 

「そのぅ……今まで私って何もできなかったじゃない?テロリストが入ってきた時も、魔術競技祭の時も、私はルミアを守る為に戦えなかった。そんな自分が情けなくて」

 

「ふむ……」

 

 少し肩を落とす信一。自分が守るのでは不安なのだろうか。確かに毎回大怪我をしているが。

 そんな信一の気持ちが伝わったのか、システィーナは慌てて手を振りフォローする。

 

「べ、別に信一が頼りないってわけじゃないのよ!ただ、私にも何かできたらなって」

 

「………………………………」

 

 顎に手を当ててこの状況を考える。信一の率直な意見を言わせてもらえば———この訓練は即刻やめてほしい。

 

 もし……いや、これからも確実にルミアは狙われ続ける。当然ながら戦闘になることもあるだろう。

 そんな時、中途半端な力しか持たないシスティーナに出しゃばられてはルミアを守ることに支障をきたすかもしれないのだ。

 

 もちろんシスティーナの魔術の才能は家族であり従者でもある信一だってよく理解している。しかし才能があって上手く使えるのと、実戦でその力を振るえるかはまったく別の問題だ。

 

 だが、システィーナの力を求める理由も分からないではない。なにせ、信一自身とまったく同じなのだから。

 

「う〜ん……まぁいいでしょう」

 

「いいって?」

 

「お嬢様の気持ちはよく分かります。それに、グレン先生も戦うのは最後の手段と教えたのでしょう?」

 

「あぁ、そりゃあな。まずは逃げることを考えて、どうしようもない時に戦えって最初のうちに教えておいたぞ」

 

「なら構いません。ですが、今まで通り朝食までには絶対に帰ってきてください。ルミアさんが心配しますので」

 

「うん、わかった」

 

 力強くシスティーナが頷いたのを見て、ふぅと安堵の息が漏れる。

 怪我する可能性もあるが、戦闘の為の訓練なら仕方がない。あまりしてほしくはないが。

 

 そんな気持ちを胸にしまい、信一はグレンへと振り向く。

 

「それはそうとグレン先生、ちょっと提案なんですが」

 

「ん、なんだ?」

 

「俺と手合わせしませんか?もちろん拳闘で」

 

「えっ!?」

 

 いきなりの提案にシスティーナは声を上げるが、グレンは首を傾げるだけ。手合わせするのは構わないが、その理由を尋ねてるようだ。

 それを察し、軽く微笑んで言葉を続ける。

 

「特に理由はありません。単に自分の実力がどれほどが気になっただけですよ」

 

「お前、拳闘できたのか?」

 

「昔父さんから護身術程度に習いました。それに、刀が折れたから戦えません見逃してくださいは実戦じゃ通じないでしょう?」

 

「そりゃそうだ」

 

 ニヤリと笑い、グレンは拳を鳴らす。案外彼も技術を競い合うのは嫌いじゃないようだ。

 

「あ、でも怪我したからって体罰とか騒ぐなよ?そろそろ学院からの減給がマイナスになって俺からお金を払わなきゃならなくなりそうなんだ」

 

「どうしてそこまでやらかしてるのにクビにならないか心底不思議ですよ」

 

 ハァ、と呆れたため息を一つ。しかし、彼にクビになられるとルミアを守るのが難しくなるので、内臓売っ払ってでもグレンには講師を続けてもらいたい。

 

「え?え?本当にやるの?」

 

「そんな慌てなくても、ただの組手ですよ。【迅雷】だってつかいませんし。ルールはどうします?」

 

「う〜ん……寸止めでもいいけど、当てた方が面白いだろ」

 

「じゃあ一本勝負で」

 

「いいぜ」

 

 信一とグレンはシスティーナから少し離れ、さらにお互い三歩分距離を取って構える。

 

 グレンの構えは帝国軍式格闘術。両拳を顔まで上げ、左半身を前に出す。タンタンとステップを踏み、いつどこからの攻撃でも対応し、反撃もできる自由度の高いものだ。

 

 対して信一の構えは拳闘術に精通するグレンから見ても異質。左半身はグレンと同じ。両手は共に開き、右手は腰に、左手は前へ。

 特筆すべきは大きく斜めに開かれた脚。踵は完全に地面へと着いている。

 

「へぇ、静の構えってやつか?」

 

「えぇ」

 

 静の構え———主に防御やカウンター狙いの構えだ。自分は動かず、相手の動きに合わせる。

 

 見た所信一の構えでは、前に出した左手で攻撃を捌いて右手か右脚で反撃をするものだろう。そこまで読めれば容易い。

 

「———シッ!シッ!」

 

 先に動いたのはグレン。左ジャブ2発による牽制で接近しながら信一の左手を巧みに誘導し、攻撃の意識を顔へ。

 そこから間合いに入った瞬間、ムチのようにしなるローキックを叩き込む。

 

「ととっ……よ」

 

 咄嗟に反応し、ローキックに対して自身の脛を使ってカット。ガスッという骨と骨のぶつかる硬い音が響く。

 そこからカウンターに移行。カットに使った脚を下ろさず、上半身の捻りと軸脚の返しのみでミドルキックを振り抜く。

 

 だが、グレンはスウェーで避けた。が———

 

「ハッ!」

 

「んなっ!?」

 

 振り抜いた脚で地面を蹴り、掛け蹴りで今度はグレンの顔面を狙う。

 まさか避けた脚と同じもので攻撃してくるとは思わなかったグレンは咄嗟に両腕を上げて信一の踵を受け流す。

 

「まだ終わりませんよ!」

 

 受け流された勢いを殺さず再度振り抜いてからの旋風脚。もはや防ぐ手段を持たないグレンは下がってやり過ごす。

 しかし信一の追撃は止まらない。

 

 ——バッ!ババッ———

 

 地面に手を着き、それを軸にさらに回る。その勢いで飛び、空中で地面と水平に体を倒して袈裟懸けに浴びせ蹴り。それを避けられれば槍のような後ろ蹴りでグレンの鳩尾を狙う。

 

「チッ……」

 

 思わず舌打ちが漏れる。動きがアクロバットなので、魅せ技っぽさもあるが、蹴りを避けた時に顔へと当たる風圧は間違いなくれっきとした攻撃であることを物語っていた。

 

 猛攻は続く。

 牽制の前蹴りを放つがグレンに横へと払われる。しかしそれを見越してたかのように払われた勢いで体を回し、斬りかかるように側頭部への手刀。振り抜いてからの喉元へ貫手。

 

 蹴り技もさることながら、手技もそれなりに速い。しかも信一の手技は拳だけでなく、掌底、手刀、貫手、微かな距離の違いと当てる箇所によって巧みに使い分けている。

 

(これじゃあジリ貧だな……クソ)

 

 最初のうちは少し揉んでやろう程度だったが、少し本気を出さねばならない。

 

 横殴りに迫ってくる顎狙いの掌底をダッキング———潜るように避け、レバーを狙って左ボディ。

 対処できるタイミングではないと確信したが、

 

(マジかッ……)

 

 信一は避けられた掌底打ちを肘を支点にして90°回転。グレンの拳に当て、その勢いを使って()()()で片手側転を切り、彼の側面に回り込んだ。

 

「サァッ」

 

 ———ズバゥ!

 

 空気を斬り裂くような上段回し蹴り。さすがに避けることもできず、グレンは両腕を上げて上腕筋をクッションにして受ける。

 

(重い……っ!?)

 

 態勢が崩れた。ならば、一気呵成に畳み掛ける。

 

 左手を開いて前へ、右手は貫手を作り思いきり引く。

 右脚で一歩。力強く地面へと踏み込み、左手を引いて背骨を滑車のように使い、右の貫手を射出。狙いはグレンの喉元。

 

 全身の勢いを乗せた貫手が喉に当たると、さすがのグレンも死ぬのでこれは寸止めに留めるつもりだ。

 

(入った!)

 

 勝利を確信し、いつものウザったらしい顔が焦りに染まっているだろうとグレンの顔を見る。

 

 

 

 

 ———ニヤリ。彼は獲物が罠にかかったことを喜ぶ狩人のような笑みを浮かべていた。

 崩れた態勢でありながら、信一の貫手を両腕で絡める。そこから敢えて態勢を立て直さず、グルン!

 

 瞬間、信一の視界が上下逆になる。

 

 一本背負い———相手の腕一本に組みついて投げる技。見た目も派手なソレが信一へ綺麗に決まり、勝負は決した。

 

 

 

 

 

 

 システィーナに膝枕をしてもらいながら、グレンが汲んできてくれた水を一口煽る。やはり体を動かした後の冷えた飲み物は格別だ、と少々おっさんくさいことを考えながら信一は組手の反省点を考えていた。

 

 だが、分からない。グレンの方が上手(うわて)だったと言われてしまえばそれまでだが、それにしたって何か改善点が欲しい。

 

「信一、本当に拳闘もできたのね」

 

「父に習ったのを剣術に合わせてちょっとアレンジしたものですけどね」

 

 やはり独自に改良したのがまずかったのだろうか。我流で鍛えると、どうしても悪癖が付いてしまう。そこを突かれた可能性が高い。

 

「剣術に合わせたってことは……あぁ、そういうことか」

 

「何かありましたか、先生?」

 

「いや、だから随分と腕や脚を振り抜いてたんだなってな。本来拳闘は『打ったら引く』っていうのが定石だからさ」

 

 戦闘において、相手に背中を見せるのはほとんど自殺行為に等しい。熟練者なら、ほんの一瞬であろうとそこを突いて食い破ってくる。

 本来信一は刀を握っていてリーチがあるので隙を突かれることはなかったが、拳闘においてはそうはいかないらしい。

 

 信一は小柄なので、刀を持っていようとリーチが短い。それを補う為に蹴り技も多数習得していたのだが……と、ここまで考えて自分の敗因に気付く。

 

「決め手を手技にしたのが悪かったのでしょうか?」

 

「かもな。お前の蹴りは脅威的だが、手技はそうでもない。両手に刃物を持って初めて成り立つもんだったよ」

 

「そうですか……」

 

 どうやらこれが改善点らしい。毎朝の日課に素手による攻撃の素振りも加えたほうがいいようだ。

 

 そこまで考えて、信一はダメ元でグレンにもう一度提案する。

 

「先生、今度は【迅雷】使っていいですか?」

 

「やめろ。俺が挽き肉になる」

 

「えぇ〜」

 

 受け入れてもらえなかったが、特に残念な気分にはならない。

 

「こ〜ら。背中打ちつけたんだから無茶しちゃダメよ」

 

「……それもそうですね」

 

 膝を貸しているシスティーナは手慰みに信一の頭を撫でる。

 

 実は完璧に受け身を取っていたので全然動き回れるが、素人のシスティーナにはそれが見切れていない。なので、珍しく彼女が優しくしてくれるのを良い事に信一は甘えることにした。

 それをグレンは見抜いているのだが、余計な事言ったらぶった斬るという殺意の篭った視線で睨まれたので何も言わない。

 

 それからはなんとなく拳闘の話で盛り上がり、本日の早朝訓練はお開きとなった。

 

 

 

 

 

 屋敷に戻った2人は素早く交代で湯浴みを終え、信一は朝食の支度を、システィーナはルミアを起こして向かう。

 それからはいつも通り。他愛もない会話に花を咲かせ、3人は今日も仲良く学院へ向かう。

 

 いつもならこのまま学院まで3人のままだが、魔術競技祭が終わってからは十字路で4人目が合流することになっていた。

 

「あ、先生!おはようございます!」

 

 ルミアが嬉しそうに噴水の前に立つグレンへ挨拶をする。それに合わせ、信一とシスティーナも会釈。

 

 この噴水のある十字路は、グレンの赴任初日にひと騒動あった場所だ。突っ込んでくるグレンを信一が噴水まで(無理矢理)送り届け、ご臨終一歩手前までいった場所。そこにこうして挨拶を交わしながら集まるということに、不思議な面白さを感じる。

 

「先生、朝食は食べましたか?」

 

「いや。今日も元気にシロッテの枝生活だよ」

 

「だったらこれ、良かったらどうぞ」

 

 信一は持ってきていた小振りなバスケットを手渡す。

 

「サンドウィッチです。少し行儀が悪いですが、これなら歩きながら食べられるでしょう?」

 

「おぉ!サンキュー信一!!」

 

 早朝色々と付き合わせてしまったし、少し前からシスティーナが世話になってたらしい。あまりこのロクでなしを甘やかすのはよくないが、餌付けと考えればいい。

 

 グレンはさっそくバスケットを開けてサンドウィッチを摘みながら歩き出した。3人もそれに続く。

 

「あ、そういえば先生。今日、編入生が来るんですよね?」

 

「あぁ……ムグ…モグモグ……仲良くして………ゴクン……やってくれ」

 

「食べながらしゃべらない!」

 

 ルミアは楽しげに、システィーナは説教ぽくグレンに話しかけ、信一はそんな3人を半歩後ろから優しい眼差しで見守る。いつもの平和な光景だ。

 

「……あれ?」

 

 そんな光景に、今日は何か別のものが混ざっていた。

 

 学院正門の前に、制服に身を包んだ見慣れない小柄な少女が佇んでいる。特に目立つのは長く鮮やかな青髪。アルザーノ帝国では珍しい部類だ。少なくとも学院にあのような髪色をした女生徒はいなかったと記憶している。

 

(てことはあの子がルミアさんの言ってた編入生かな?)

 

 首を傾げながらその少女を見ていると、あちらも自分たちに気付いたようだ。

 すると、石畳に何かを呟きながら手をつき———持ち上げる。大剣を。

 

「なっ!?」

 

 そして、おもむろにこちらへと大剣を構えながら駆けてきた。速度は空間を飛ばしているかのように速い。

 

「2人とも下がって!」

 

 そう言いながら信一は腰からナイフを抜く。布袋から刀を出す時間すら惜しいほどに、少女の駆ける速度は人智を超えていた。

 

(このナイフじゃあの大剣は防げない。となると……)

 

「《疾くあれ》」

 

 バチイィィ———ッ!

 

 バキッ……バキバキッと身体中の筋肉が引き絞られる音が響く。

【迅雷】を起動。人間の持ち得る潜在能力を80%ほど一気に解放しつつ、青髪の少女を見据える。

 

 少女は跳躍し、重力も合わせて稲妻のような縦一閃を振り下ろそうとしていた。

 

 大気との摩擦で刃を赤熱化させ、相手の武器を融解と共に斬り飛ばす———『殺刄(サツジン)』を使おうと少女の大剣が振り下ろされる軌道を【迅雷】で強化された脳で演算すると……

 

(……ん?)

 

 何故か大剣はグレンに振り下ろされるようだった。

 よく見ると、少女は無表情ながらもグレンに視線を固めている。

 

 まぁせっかく【迅雷】を起動したし使わないのはもったいないので、とりあえずグレンの肩を軽く蹴り込んでおく。しかし、侮るなかれ。

 

「どぉおわぁあああああッ!?」

 

「「 せ、先生ーッ!? 」」

 

 常人の40倍の筋力で蹴られれば、それが軽くであろうととんでもない威力となる。それを証明するように、グレンはまるでボールのように蹴られた方向へと転がっていった。

 システィーナとルミアの悲鳴にも似た声が響く。

 

 気にせず、グレンが持っていたバスケットを空中でナイフを取っ手に引っ掛けて回収。ナイフの先でグルグルとバスケットを回転させながら空中に散らばったサンドウィッチを【迅雷】の動体視力をフルに使って見事一つも取り零さず収めた。

 

「……グレン、どこ?」

 

「あっち」

 

「ありがとう」

 

 突如消えたグレンの行方を少女に尋ねられ、信一は正直に答える。少女は一言お礼を言ってまた元気良くグレンに斬りかかりにいった。

 

 どうやら狙いはグレン1人のようなので、信一は即座に他人のふりをしてシスティーナとルミアの手を引き、学院を目指す。





はい、いかがでしたか?リィエルちゃん、襲来しましたね。

基本家族優先のオリ主は、グレンだけが危ない目に遭うのならトカゲの尻尾みたいに切り捨てます。そういう奴です(笑)


目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

第23話 ファーストコンタクト

やはり自分には話をまとめるという能力がない……。
というわけで、今回も話がほとんど進みません。


 日常の中、突如襲いかかってきた少女。その狙いがルミアだと思ったらグレンだった。そのグレンは蹴り転がされ、彼を蹴り転がした本人に手を引かれて走っている。

 

 そんな目まぐるしく変わる状況で、1番最初に我へと帰ったルミアは自分の手を引く信一に叫ぶ。

 

「シンくん、あの子魔術競技祭で私が変身してた子だよ!」

 

「……はい?」

 

「みぎゃ!」

 

 ルミアの声に、信一は急ブレーキ。一緒に走っていたシスティーナは対応できず、猫みたいな声を出して彼の背中にぶつかった。

 

「ほら、私が親衛隊に狙われてたからグレン先生と一緒に変身してた子。覚えてない?」

 

「あぁ〜……そう言われてみれば確かに」

 

 ということは、あの時ルミアを守ってくれていた1人でもあるということだろう。何故かグレンに斬りかかっていたが、些末な問題だ。

 なので、こっそりと3人でさっきの場所に戻ることにした。一応信一を先頭に、まだ争ってても対応できるように刀を布袋から出して。

 

 心なしか石畳の床や壁に傷が増えてるような気がするが、とりあえず争いは終わっていたらしい。

 

「お・ま・え・は〜!何のつもりだ!なんだ!?最近は俺に斬りかかるのがトレンドなのか!?」

 

 早朝、システィーナに淫らな事をしてると誤解されて信一に斬りかかられ、登校時間には少女に斬りかかられ……午前中に別々の生徒から2度も斬りかかられる教師は、世界広しといえどグレンくらいだろう。

 

 怒鳴るグレンの顔を少女は不思議そうに首を傾げて見ている。

 

「……挨拶?」

 

「これのどこが挨拶だ!殺す気か!」

 

「でもアルベルトが久し振りに会う戦友にはこうしろって」

 

「んなわけあるかぁ!」

 

 ———グリグリグリグリ

 

 グレンの両拳が少女の側頭部を抉る。

 

「痛い」

 

 少女は棒読みで抗議するが、グレンの手が止まる気配はない。

 

「あ……あのー……先生……」

 

 茶番を繰り広げる2人にルミアが控え目な声で呼び掛ける。それでやっと信一達に気付いたグレンは一旦少女を離し、事情の説明を始めた。

 

「こいつがさっきルミアの言っていた編入生のリィエルだ。表向きは……だがな。3人とも面識はあるんだっけか?」

 

「は、はい……私は……」

 

「あ、そうだ!魔術競技祭の……!」

 

 システィーナも思い出したらしく、手をポンと打った。

 

 だが、この信一は黙ってこの少女———リィエルを見ている。少し聞き逃すには不穏と思える部分がグレンの言葉にあったからだ。

 

「先生、表向きというのは?」

 

「あぁ。なんでも帝国政府がルミアを正式に警護することを決定したらしくてな。で、帝国宮廷魔導士団に所属するこいつが派遣されたらしい」

 

「この子が宮廷魔導士団……ですか?」

 

 編入生として来たからには自分達と同年代、小柄なので下手すると年下の可能性すらある。そんな少女が父親やグレンの同僚というのはほのかに信じ難いが、しかしさきほどの動きを見ると納得もできてしまう。

 

 なにはともあれ、このリィエルがルミアの護衛を担当するらしい。どうせ来るなら父親が来て欲しかったが彼も忙しいのだろうと納得して、信一は友好的な笑みを浮かべて手を差し出す。

 

「フィーベル家の従者、朝比奈信一です」

 

「朝比奈……?」

 

「あ、俺の父さんは朝比奈零。リィエルの同僚だよ」

 

「零の……息子……っ!」

 

 突如リィエルはガタガタと震え始めた。この反応、グレンに初めて自身の名前を告げた時の反応と同じだ。

 

「ぐ、グレン。シンイチは大丈夫な人?3時間一刀一槍耐久レースとかしない人?」

 

「あぁ、こいつは比較的安全な奴だ……白猫とルミアに手を出さなければ」

 

 グレンとリィエルは遠い目をして自分の父親についてなにやら言っている。

 

 というか、宮廷魔導士団での父親の評判がかなり気になるところだ。同僚にここまで怯えられるなど、一体なにをしているのだろうか?いつかパワハラで訴えられるんじゃないかと不安になってきた。

 

「あはは……よろしくね、リィエル。貴女が来てくれるなんて心強いよ」

 

 いつまで経っても遠くを見続ける彼女に、護衛対象のはずであるルミアが挨拶をする。それにハッと帰ってきたリィエルは小さな胸を張って自信満々に応えた。

 

「ん……任せて———グレンはわたしが守る」

 

 これにはルミアもポカン。唖然とした面持ちになる。

 

「俺じゃねぇよ!守るのはこっち!ルミア!!」

 

「……なんで?わたしはグレンを守りたい」

 

「そんなワガママ通るかあぁぁぁぁぁ!!」

 

 またもグレンは両拳でリィエルを挟み上げ、上下左右にシェイク。痛い痛いと棒読みで喚く彼女を眺め、心強い味方であるはずなのに不安感だけが募っていくのはきっと……信一の勘違いではないだろう。

 

 

 

 

 

「本日から新しくお前らの学友となるリィエル=レイフォードだ。まぁ、仲良くしてやってくれ」

 

 二組の生徒達の前にリィエルが立つと、学生らしく新しいクラスメイトに色めき立つ。

 

「おぉ……」

 

「……か、可憐だ」

 

「うわぁ、綺麗な髪……」

 

「なんだかお人形さんみたいな子ね……」

 

 感想は様々だが、奇しくも4人目のものが的確にリィエルの特徴を捉えていた。

 

 小柄で童顔、しかもほとんど表情が変わらず無駄な身じろぎもしない。だが相貌は非常に端麗であり、この国では珍しい青色の髪がどこか非現実っぽく見えてしまう。人形のように映るのは頷ける話だ。

 

「め、滅茶苦茶可愛い子だよなぁ……」

 

「つーかこのクラスの女子、全体的にレベル高過ぎだろ……」

 

 元々少なくはなかったが、リィエルの編入でさらに男子生徒は二組になれたことを神に感謝する者が増えたようだ。

 

「男子ってホント馬鹿よね」

 

「あはは……お嬢様派はごくごく少数ですからね」

 

 そんな男子生徒をシスティーナはとっても冷ややかな目で睥睨していた。

 

 二組どころかこの学院は主に『優しい貴女が大好きです!』のルミア派と『高飛車ながらもそこがいい!』のウェンディ派に二分される。最近は『小動物みたいで守ってあげたい』リン派や、逆に『お姉さんに甘えたい!』のテレサ派も勢力を伸ばしてきている。

 そんな中、システィーナ派は驚くほど少ない。というかほぼいない。理由としては、やはり性格がきついところだろうか。

 

 実質4派閥ある中極めて珍しい少数の無所属もいたのだが、その無所属が今、Show me your smile?(笑顔を見せて?)のリィエル派になった瞬間であった。

 

「だいたい、性格なんて持って生まれたものじゃない」

 

「でも性格だけじゃないと思いますよ、お嬢様の場合」

 

「他に何かあるの?」

 

「胸に手を当ててよく考えてみてください」

 

 そう言われ、素直に胸へと手を当てて考え出すシスティーナ。行動面では非常に素直なので、どこか可愛らしい。彼女の様子をルミアと一緒に微笑ましく思う信一を他所に、システィーナは首を傾げるだけだ。

 

「わかりませんか?」

 

「……わからない。何か他にいけないところがあるの?」

 

 なんでわからないのだろうか。聡明な彼女ならここまでやれば分かるはずだが。

 

「お嬢様は胸が小さいんで……痛い!」

 

 ゴチンッと拳骨が1つ。信一の頭にめり込んだ。

 

「胸に手を当てろってそういう意味か!」

 

 顔を真っ赤にして憤慨するシスティーナ。頭を抑え、ルミアに撫でてもらっている信一。自身の派閥を宣言しまくる男子一同。

 

 もはや教室はてんやわんやのお祭り騒ぎと化していた。

 

「お前らも新しい仲間のことは気になるだろうし、まずはリィエルち自己紹介でもしてもらおうか。つーわけで、リィエル」

 

 なんかほっとくと派閥争いで魔導兵団戦が始まるかもしれないと考えたグレンは肘で小突いてリィエルに自己紹介をさせようとする。

 だが、クラス中の視線が集まっても知ったことかとリィエルは沈黙を貫くだけで何も言わない」

 

「あの……自己紹介してくれませんかね?」

 

「……なんで?わたしのこと紹介してどうするの?」

 

「いいからやれ!頼むから!定番なんだよ、こういう場合!」

 

「……そう。わかった」

 

 微かに頷き、リィエルは一歩前に出る。

 

「……リィエル=レイフォード」

 

 そして一言、そう呟いて終わった。

 

 即座にグレンはリィエルの頭を掴んでガクガクと前後にシェイク。やめて〜と棒読みで喚くリィエルにグレンはコソコソと耳打ちをする。

 それに頷き、改めて彼女は自己紹介を始めた。

 

「……将来わたしは?帝国軍の入隊を目指して?……え、なに?魔術を学ぶ為にこの学院にやってきた…ということになった?出身地はえっとイテリア地方……?年齢はたぶん15歳。趣味は……読書?……グレン、これでいいの?」

 

 これだけ疑問符の多い自己紹介も珍しい。

 

「とまぁ、リィエル=レイフォードさんでした!」

 

 だがこれ以上追求されてもグレンの精神が摩耗するだけなので、かなり強引にその場を締める。しかし彼は忘れていた。編入生の自己紹介が終わった後に待ち受けているものを。

 

「1つだけ、よろしいでしょうか?」

 

 質問タイムだ。

 

 ウェンディがリィエルに質問をしようと挙手。凄くやめて欲しそうな顔をしてるグレンなど見向きもしていない。

 

「差し障りなければ教えていただきたいのですけど。貴女、イテリア地方から来たって仰りましたが、ご家族の方はどうされているんですの?」

 

「……家族?……兄が…いた……けどれ

 

 この質問に、ずっと乏しかったリィエルの表情が少し動いた。それを敏感に感じ取ったのか、グレンが彼女の前に出てウェンディに手のひらを向ける。

 

「すまん。家族に関する質問だけは避けてやって欲しい」

 

 珍しく深刻な顔で告げるグレンに、ウェンディもその意味を察したようだ。

 

 

(そっか……リィエル、家族いないんだ)

 

 これに、信一は少しシンパシーを感じた。母親を殺し、妹は昏睡状態。全てとは言わないまでも、彼女の境遇は自分に似ているようである。

 それに兄がいたと言った。その言葉のせいで、一瞬だけリィエルが妹の信夏に重なって見えてしまった。

 

(バカバカしい)

 

 一時の気の迷いであることは分かっている。いくら重なって見えたからといっても、彼女はルミアの護衛。戦う側の人間であり、守るべき存在ではない。

 

 それに、実を言うと信一はあまりリィエルの事を快く思ってはいなかった。確かに自分では実力が圧倒的に不足しているし、ルミアを守ってくれる人が増えるのは嬉しい事だ。しかし、リィエルが護衛に向いているとは思えない。

 

 信一も人の事は言えないが、リィエルは往来で当たり前のように剣を振るった。どう見ても常識が欠落しているのではないか。これでは護衛として一緒に居なければならないルミアの居場所も無くなってしまうかもしれない。護衛が護衛対象の評判を落とすなど、本末転倒ここに極まりだ。

 

「……まぁ、それならそれで使いようはあるか」

 

 無機質とも表現できるような笑みを浮かべて小さく呟く。

 

 従者としても一個人としても、信一は家族の幸せを最優先としている。その為なら……いや、その為じゃなくとも人を殺す事に何も感じないのだ。だったら何の躊躇いもなく使い潰せるだろう。

 

「ん?シンくん、何か言った?」

 

「いえ、なんでもありませんよ」

 

 クラスの喧騒を楽しそうに眺めてルミアにいつも通りの優しそうな微笑みで言葉を返し、信一も思考を切る。

 

 なにやらリィエルが爆弾発言をしたらしく、男子生徒は全力でグレンに向けて手袋を投擲していた。そこに派閥は関係なく、あるのはモテない男達の妬み嫉み、そして爆発してほしいという願い。

 

「……?」

 

 様々な思惑が渦巻く教室の中、その中心であるリィエルだけは不思議そうにぼんやりとしていた。

 

 

 

 

 

「《雷精の紫電よ》!」

 

 システィーナの凜とした声が魔術競技場に響く。

 

 グレンと男子の間で手袋や魔術が飛び交ったせいで本日の授業予定が大幅に狂い、急遽内容がされた。というのも、皆と一緒に体を動かせばリィエルか早くクラスに馴染めるのではないかというグレンの配慮の結果でもある。

 

 そして行われているのが魔術の実践授業。【ショック・ボルト】で遠くに設置されたゴーレムの頭、胸、両足、両腕の六ヶ所を撃ち抜くものだ。

 

 今撃ったシスティーナの紫電はしっかり全てに命中。学年主席は伊達ではない。

 

「凄いよシスティ!6発撃って、全部の的に当たったね!」

 

「さすがです、お嬢様」

 

 ルミアと信一は自分の事のように喜び、惜しみない賞賛を送る。やはり家族の成績が良いのは誇らしいのだ。

 

 ちなみにルミアの成績は6発中3発命中。ごくごく平均的な数字だった。

 

「やるな、白猫。この距離で全弾命中は普通にすげぇぞ」

 

 いつもは口喧嘩ばかりしているグレンも、素直に感心していた。褒め言葉を言いながら、手元のボードに結果を書き込んでいく。これは成績にも反映されるらしい。

 

「次、信一」

 

「はい」

 

 名前を呼ばれ、信一が前に出る。

 

「シンくん、ファイト!」

 

「頑張って!」

 

 2人の声援に笑顔で応え、目標のゴーレムを見据える。

 

 ここはやはり、2人に良いところを見せたい。基本魔術の授業では基本的にポンコツなのだ。一節詠唱はほとんどできず、三節でしっかり詠唱しても起動しないことなど珍しくもない。

 

 しかし、【ショック・ボルト】だけは違う。なにせ天才のシスティーナに会う前から習得し、彼女に教えたのも信一自身だ。【ショック・ボルト】だけなら、最高学年の四年次生にだって負ける気がしない。

 そもそも四年次生になると、【ショック・ボルト】を使った勝負など鼻で笑うレベルだがそこは考えないでおく。

 

 すぅっと深呼吸を1つ。それから———クルッ

 

 ゴーレムに背を向ける。自分を後ろから見守っていたクラスメイトの顔が一瞬怪訝なものになるがそれに構わず指先だけをゴーレム向け、

 

「《雷精の紫電よ》——《(ふぅ)》——《(みぃ)》——《(よぉ)》——《(いつ)》——《(むぅ)》ッ!」

 

 独特の発音で【ショック・ボルト】を連続起動(ラピッド・ファイア)。六閃の紫電はゴーレムへと殺到する。

 

 信一が唯一できる連続起動(ラピッド・ファイア)。しかも六連射。これには、クラスメイト全員が唖然としていた。

 

「ん?」

 

 眼鏡をかけた少年———ギイブルがゴーレムを見て首を傾げる。確かに今のは凄かったが、ゴーレムに空いた穴は頭にある1つだけ。それ以外はどこにも命中していなかった。

 

「六分の一、か?」

 

「よく見てごらん、ギイブル」

 

 さすがに後ろを向いて全弾命中は【ショック・ボルト】()()は神ってる男、朝比奈信一にも無理だったのかと考える。

 

 だがおかしい。確かに信一の【ショック・ボルト】は全てゴーレムに向かっていった。にも関わらず頭の穴以外、周辺に着弾跡がない。

 

「まさか……っ!?」

 

 ギイブルの顔が驚愕に染まる。彼と同じ考えに至った者も多く、グレンも含めクラスのほとんどが目を見開いて信一を見ていた。

 

「うん———6発全部同じ場所に撃ち込んだ」

 

 なんてことないように言う信一だが、これはまさに神業。的を見ず、連続起動(ラピッド・ファイア)で寸分違わず同じ場所を射抜くなど、学生レベルでできることではない。

 

「すげぇな!」

 

 途端、クラスメイトから拍手喝采と賞賛の嵐。それは少しこそばゆいが、心地良いのも確かだ。プライドの高いギイブルやウェンディも、これには勝てないと半ばヤケクソ気味に手を叩いている。

 

「信一」

 

 しかし、クラスの反応とは対称的にグレンの声はちょっと震えている。何かと思い彼の顔を見ると、同情の念を貼り付けていた。

 

 それで信一も自分がやらかした事に気付く。声を震わせながら、一応最後の希望に縋る気持ちで尋ねる事にする。

 

「な、なんですか?」

 

「お前、六分の一な」

 

 どれだけの神業を披露しようと、撃ち抜いた的は1つだけ。悲しい事に、信一は唯一高得点を出せる【ショック・ボルト】で平均以下を叩き出したのだった。

 

「ちくしょう!」

 

「「「「 アホだ…… 」」」」

 

 さきほどまでの尊敬に満ちた顔はどこへやら。クラスメイトの視線は信じられないアホを見るようなものに変わっていた。

 

「よし、次はリィエル」

 

「……ん」

 

 一応技術だけは凄かったので、おまけで信一の横に3と書いてやりながらリィエルの名前を呼ぶ。

 その瞬間、クラスの興味は無駄な神業を披露した信一から彼女へと移る。皆、新しい仲間の実力に興味津々といった様子だ。

 

「お手並み拝見、ですね」

 

 帝国軍のエリートであるリィエル。彼女の実力がこんな学生レベルのテストで測れるとは到底思えないが、一端でも知ることができれば良いだろう。

 隣で見ているシスティーナも、宮廷魔導士団の実力を生で見れるとあってワクワクした表情を隠せないでいる。

 

「《雷精よ・紫電の衝撃以て・撃ち倒せ》」

 

 棒立ちから筋肉だけで上げた左腕、そこから放たれる三節詠唱の【ショック・ボルト】はゴーレムよりも大きく右に逸れて外れた。

 

(冗談でしょ……?)

 

 表情がほとんど変わらないので本気かどうかはわからないが、少なくとも今の一射はこのクラスの中で一番ひどいものだ。

 

 続く二射、さらに三射もゴーレムに掠る気配すらない。もしかしたら実力を隠しているのかとも思ったが、それならばもう少し的に寄せる努力をするだろう。

 

 そしてそのまま、とうとうラスト1発まで来てしまった。クラスメイトも子どもを応援するような優しい視線と声援を投げかけている。

 

「信一、今のって……」

 

「たぶんあれがリィエルの本気だと思いますよ」

 

 リィエルの素性を知るシスティーナは顔を引攣らせながら小声で尋ねてきた。彼女もリィエルが実力を隠していると思っている……というより思いたいようだ。ルミアすら若干苦笑いになっているし。

 

 そんなクラスの皆とは別の意味でリィエルを見守る3人の先で、彼女はグレンにぼそぼそと呟いている。それから2人が何かやりとりをした後、リィエルは再びゴーレムへと向き直った。

 

「頑張れー、まだ最後の1発があるぞー」

 

「最後まで諦めるなよー」

 

 クラス中の生暖かい声援を受けながら、リィエルは呪文を唱える。

 

「《万象に希う・我が腕に・剛毅なる刃を》」

 

 ———バチィッ

 

 彼女が地面に手をつく。次の瞬間、リィエルの手に大剣が出現。それを力強く握り、驚愕の視線の中、

 

「いいいいいやぁあああああ———ッ!」

 

 裂帛の気合いと共にゴーレムへ向けて投擲した。

 

 縦回転で飛んでいく大剣はまさに嵐そのもの。風を斬り裂きながらゴーレムに迫り、そして———ドゴゥッ!

 重たい音を響かせてゴーレムの胴へと突き刺さり、それでも余りある衝撃が四散させた。

 

「……ん。六分の六」

 

「たぶん違う」

 

 どこか得意気に腰へ手を当てて宣言するリィエルへ、信一は誰にも聞こえない声でつっこむ。

 はたして、二組とリィエルのファーストコンタクトは盛大な失敗に終わったのだった。

 

 








はい、いかがでしたでしょうか?オリ主はアホ、はっきり分かんだね!

次の話を書いたら、オリジナルでシスティちゃん&ルミアちゃんと水着を買いに行く話でも書こうと思っています。
彼氏じゃなくても美少女と一緒に水着を買いに行けるのは、やはり家族だけでしょうから。


目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

第24話 人間関係

一応、この話を込みで2話にまとめたかった……。そんなお話です。


 アルザーノ帝国魔術学院の食堂は今日も多くの生徒や講師が賑やかに食事をしていた。

 

 そんな中、1つのテーブルではシスティーナ、ルミア、そして今日編入してきたリィエルが食事を共にしている。性格に難アリ、社交性に難アリのシスティーナとリィエルも一応は美少女。性格良し、容姿良し、社交性良しのルミアも美少女。

 その3人が楽しそうに食事する姿はとても華やかで、食堂を飾るステンドグラスが霞んで見えるほどだ。

 

 ———そしてそれを物陰から見守るグレンの姿は、テーブルクロスにこびり付いたシミのような異物感がある。

 

「なにやってんですか、先生?」

 

 周囲の生徒達から変質者を見るような目を向けられているグレンに声を掛けるのは気が引けたが、そこは勇気を振り絞った信一。昼食の載ったトレーを持って彼の背中に問いかける。

 

「うぉっ!?……ってなんだ、信一か」

 

「はい、信一です。ちょっとお話したいことがあるので、一緒にどうですか?」

 

 トレーを掲げ、信一は近くの空いてるテーブルに流し目で示す。

 

 昼食を摂りながら話。学院の講師と生徒なら普通は魔術についてと考えるが、今の状況であれば信一がグレンに話したいことなど限られている。

 

「……リィエルについてのクレームは受け付けてないぞ?」

 

「う〜ん……それもあったんですが、他にもあります」

 

「他にも?」

 

 他となるとグレンには見当がつかないので、とりあえず信一が示したテーブルに腰を落ち着けて話を聞くことにした。

 

「で?話ってなんだよ」

 

「はい。その、ちょっと先生にお願いがありまして……」

 

 話の流れが読めず、首を傾げるグレン。信一は肉料理大半の昼食を美味しそうに食べながら言葉を紡ぐ。

 

「なんだ?遠慮せずに言ってみろ」

 

「実は、先生の人脈で人を探してもらいたいんです。あ、個人ってわけじゃないですよ?ただ今から俺が言う条件に合う人です」

 

 前置きをして、信一は条件を並べていく。

 

 まず家事全般ができる人。ある程度の武力を持つ人。信頼も信用もできる人。そして女性。

 

 このような人物を探してほしいというのがグレンへのお願いだ。

 

「ふぅん、なんでこんな人が必要なんだ?」

 

「えっと……突然なんですけど、先生は俺の妹についてご存知ですか?」

 

「……あぁ、知ってるよ。昔酒に酔った零さんに聞かされた」

 

 信一の妹———信夏は精神的なショックで5年前から昏睡状態。今もフィーベル邸の一室で眠っている。毎日関節が固まらないように体を動かしてやり、医術や魔術的な手段で今まで生きてきた。

 

「知っているのなら話が早いですね。今度ある『遠征学習』の時、今言った人にフィーベル邸の留守を任せたいんです」

 

『遠征学習』とは、アルザーノ帝国が運営する各地の魔導研究所に生徒が赴き、最新の魔術研究に関する講義が受けられるという二年次生の目玉イベントだ。

 どこの研究所も日帰りできる場所には無く、少なくとも1週間以上は帰れない。そんな中、フィーベル家はシスティーナの両親もほとんど家に居ない。となると必然的に『遠征学習』の期間はフィーベル邸に昏睡状態の信夏が1人きりとなってしまう。

 

「あぁ、だから女性ね」

 

「そういうことです」

 

 信夏は間違いなく美少女。その意見は信一の身内贔屓というわけでは決してない。

 そんな美少女が抵抗できる状態でないことを見て取れる状況で、知らない男と一緒にしておいて安心できるほど信一も子どもではないのだ。

 

「そういえば、零さんはダメなのか?」

 

「なんか『遠征学習』の日はどうしても外せない仕事があるそうです」

 

「なるほどなぁ。でも、そんな才色兼備の女なんて俺の知り合いには……ん?」

 

 何か思い当たる人がいるような反応。

 

「あぁ、いたわ。家事全般ができて武力を持ってて信頼も信用もできる暇な女」

 

「本当ですか!」

 

 思わず信一は身を乗り出していた。その様子にグレンは相好を崩す。信一が手放しに喜ぶ姿は案外珍しい。

 

「一応聞いてはみるけど、たぶん大丈夫だと思うぜ」

 

「ありがとうございます。これで安心して()()『遠征学習』に行けます」

 

「俺も?元々行かないつもりだったのか?」

 

「えぇ。今朝ルミアさんの護衛が来ると言われて、だったら俺は留守番でもしてようかと思ってたんです。でも来たのがアレですから……」

 

 まるで一般常識のないリィエルの姿を見て、むしろ彼女から護衛したくなってしまった。

 グレンといい、リィエルといい、父親の同僚には社会不適合者しかいないのだろうか?

 

「あぁ……うん、ゴメン」

 

「いえ、先生が謝ることではありませんよ。本当にどうしようも無ければ適当なところで肉壁にでもするんで大丈夫です」

 

「そ、そうか」

 

 サラっと怖いことを言うが、信一はいざそれを実行する時になっても特に何も感じることはないだろう。グレンも最近になってようやく信一がどこか壊れた人間であることに気付いてきていた。

 

「でもまぁ、たぶんそうならないと思うんですよね」

 

「え?」

 

 信一はグレンの背後、周囲の人間がドン引きする量の苺タルトをサクサクと食べているリィエルのテーブルを見る。グレンもそれに釣られて同じように。

 いつの間にかウェンディやカッシュ達も同じテーブルに着いていた。食堂の喧騒で会話の内容までは聞き取れないが、少なくとも険悪な様子はない。

 

 元々目の前で人間1人を解体し、人を殺す事に何も感じない信一にすら友達でいたいと言うような連中なのだ。時間はかかるかもしれないが二組の仲間達はリィエルを1人にしないし、させないだろう。そんな確信めいた直感が信一にはあった。

 

「皆、とても良い人ですから」

 

「……そうだな」

 

 そして昼休み終了を告げる予鈴が鳴る。

 

 

 

 

 

 

 

 リィエルが学院にやってきて1週間。彼女がクラスに受け入れられるのにそう時間はかからなかった。

 カッシュやウェンディといったクラスの中心的なメンバーが早々にリィエルを受け入れたのも大きかったかもしれない。彼等がリィエルと話す光景を目の当たりにし、他の生徒も受け入れ始めていた。

 

 最初はリィエルを快く思っていなかった信一も、少し彼女のことが理解できてきた。リィエルは常識がないのではなく知らないのだ。それを証明するように、一度やってはいけないと教えればやらなくなる。システィーナやルミアも言ってたが、手のかかる妹を持った気分だ。

 

(信夏もあんな感じだったかな?)

 

 天真爛漫な妹と基本無表情のリィエル。顔は似ても似つかないし、髪色だって全然違う。にも関わらず、何故か彼女を見ていると妹を想起させられる。

 

「…ン……シ………ん!……シンくん!」

 

「ん?」

 

「大丈夫?なんかボーとしてたよ?」

 

 突然肩を叩かれ、そちらを見るとルミアが心配そうに顔を覗き込んできていた。どうやら随分深く考えてしまっていたらしい。

 

「あぁ、ごめんなさい。何かありましたか?」

 

「リィエルが錬金術について話してくれるみたいだよ。一緒に聞こう?」

 

 ルミアが示す先では、リィエルが羽根ペンと紙を持った状態でクラスメイトに囲まれていた。囲んでいる中にはシスティーナもいて、早く来いと手招きをしている。

 

 リィエルの錬金術———ウーツ鋼の大剣を錬成する高速武器錬成のことだろう。確かに興味はある。

 いつも刀を持ち歩いているが、正直二振りを持ち歩くのは疲れるのだ。リィエルのようにどこでも大剣を作り出せるのはとても魅力的に思える。

 ぶっちゃけ刀二振りとか重いから持ち歩きたくない、という真銀(ミスリル)製の刀を送ってくれたアリシア女王が聞いたらブチギレそうなことを信一は常々思っていた。

 

「いいですね」

 

 楽ができるなら楽がしたい。そんなダメ人間の片鱗を見せつつ、信一もルミアに手を引かれてリィエルの解説を聞くことにしたのだが、

 

「で……こうなって…ここの元素配列式をマルキオス演算展開して……こう。……で、こうやって算出した火素(フラメア)水素(アクエス)土素(ソイレ)気素(エアル)霊素(エテリオ)根源素(オリジン)属性値の各戻り値を……こっちに……こんな感じで根源素(オリジン)を再配列していって……物質を再構築……」

 

 まったくもって理解不能であった。

 

 スラスラと数枚に渡ってびっしり記載された魔術式も、複雑極まりない元素配列変換の錬成式も、何もかもが理解できない。理解できないことすら理解できているのか理解が追いつかないくらい理解できていない。

 

「……わかった?」

 

「「 おう、まったくわからん 」」

 

 見事にハマったカッシュと信一は一瞬だけ視線を合わせ、その後ノールックでパンッと男らしいハイタッチを交わす。

 

「リィエルって凄いね……私も途中から何をやってるのか全然わからなくなっちゃったよ……」

 

 苦笑いを浮かべるルミアも理解できなかったらしい。成績は良くも悪くも平凡とはいえ、自分より高い彼女が分からないのなら仕方ないのだろう。

 

「凄すぎる……」

 

「なんてこと……この術式、誰が作ったの……?」

 

 なんとか理解できたのはセシルとシスティーナの2人だけ。だが2人とも全てとはいかなかったようで、額には脂汗を浮かべている。

 

「ウーツ鋼の大剣をどうやってあんなに素早く錬成していたのか不思議だったけど、まさか魔術言語ルーンの仕様に存在するバグすら利用していたなんて……」

 

 セシルの説明は分かりやすかったので、遅ればせながら驚愕することができた。つまり錬成する時に起こる術式の中の『誤算』すら、あの高速錬成の一助になっていたということらしい。

 

「お嬢様、これは誰にでも真似できるものですか?」

 

「無理よ」

 

 システィーナは即答。その表情には驚愕というより憤りのようなものが見て取れる。

 

「これ、一歩間違えたら脳内演算処理がオーバーフローするわ」

 

「すみません。分かりやすくお願いします」

 

「つまりミスったら廃人になるってことよ。まったく……正気とは思えないわ、この術式作成者。使う術者の安全がまったく考慮されてないもの」

 

 それを言ったら信一が使う【迅雷】も脳に直接【ショック・ボルト】をブチ込んでるのでそれなりに危険なものなのだが……あれはしくじれば1発で死ぬ分、廃人のように他の人に迷惑がかかることはない。その点で言えばリィエルの高速武器錬成の方が厄介なのだろう。

 

「皆、真似しちゃダメよ。こんなの、ほとんどリィエルの固有魔術みたいなものなんだし」

 

「真似なんてできるわけねーだろ……」

 

 カッシュの呟きに、全員が揃って首を縦に振っていた。

 と、その時だ。

 

 ———ガタン!

 

「ギイブル?どうしたの?」

 

 荒々しい音を立てながら立ち上がったギイブルは乱暴に教科書やノートを鞄へと詰め込んでいき、苛立たしげにこちら……というよりリィエルを睨んできた。

 

「……帰る。君達もそんな風に遊んでいる暇があったら、帰って魔術の勉強に励むべきなんじゃないか?」

 

 それだけ言って、さっさと教室を出て行こうとする。だがその時、くいっと彼の袖が引っ張られた。

 

「なっ……き、君は……ッ!?」

 

 彼の袖を引っ張ったのは今までクラスメイトに囲まれていたリィエルだ。リィエルはまるで瞬間移動のようにギイブルの後ろに回っていた。

 

「……これ、落とした」

 

「〜〜〜〜〜っ!」

 

 彼女の手にはギイブルがいつも使っている羽根ペン。乱暴にしまい込んだせいで落としていたらしい。

 それをリィエルは渡そうとするが、やはりギイブルは苛立たしげな様子でひったくるように奪い取る。

 

「ハァ……まぁ、これも仕方ないことなのかな」

 

 信一も完全にリィエルを受け入れたわけではないが、それでも一緒にルミアを守る者同士折り合いをつけて良好な関係を築こうとしている。

 だが、はっきり言ってしまえばリィエルはこの平和な日常にとって異物だ。それをすんなりと受け入れるのは誰にでもできることではない。

 

 これもまた、時間が解決してくれるのを祈るばかりだ。








はい、いかがでしたか?オリ主のお願いでグレンが誰を紹介するかは、たぶん原作読んでる人なら分かりますね。

次回はオリジナル、システィちゃん&ルミアちゃんと水着を買いに行く話です。お楽しみに。


目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

第25話 それでは、お出掛け準備を

お久しぶりです。

今回はオリジナル回。頑張ったせいか、アホみたいに長いです。もう一度言いましょう。

ア ホ み た い に 長 い で す !

それでも楽しんでいただければ幸いです。


 休日。フィーベル家の食卓で3人は学院がある日より少し遅い朝食を摂っていた。もちろん、仲良く雑談を交わしながら。

 

「そういえば2人とも。水着はもう準備しましたか?」

 

 飲みやすい温度のオニオンスープを啜りながら、ふと信一はそんな事を聞く。

 

 ついに来週に迫った『遠征学習』。二年次生二組は『白金魔導研究所』へ赴くことになった。

 この『白金魔導研究所』はサイネリア島という島にあり、リゾートビーチとしても有名なサイネリア島周辺は霊脈(レイライン)の影響で年中温暖な気候なのだ。『遠征学習』は自由時間も多くあるので、多くの男子(担任も含む)は海水浴で美少女の水着姿が拝めると狂喜乱舞していた。

 

「そういえばまだ買ってないわね」

 

「そろそろ買わないとね〜」

 

 どうやら美少女2人はまだ水着を買っていないみたいだ。

 

「良かったら今日買いに行きませんか?せっかくの休日ですし、俺も荷物持ちくらいならしますよ」

 

「いいわね。ルミアは?」

 

「私も賛成。シンくんが来てくれるならたくさん買っちゃおうかな」

 

「あはは……お手柔らかに」

 

 ショッピングが確定すると、システィーナとルミアは流行のファッションについて相談を始めている。2人ともどこか浮世離れしているところはあるが、この辺りはやはり年頃の少女らしい。

 

 そんな彼女達を微笑ましく思いながら、信一は隣の席に置いていた2つのメジャーを机の上へ置く。

 

「屋敷の掃除などをしたいので出掛けるのは正午過ぎにしましょう。その間にお願いしてもいいですか?」

 

「うん、わかった」

 

 置かれたメジャーを見て2人は真面目な顔で頷く。それに微笑みで応え、また3人は仲良く食事を再開するのであった。

 

 

 

 

 

「はい、ルミア。そっちから捻らないように引っ張って」

 

「は〜い」

 

 フィーベル邸の一室。信一の妹であり、今なお昏睡中の信夏の部屋でシスティーナとルミアは信一から渡されたメジャーで彼女のスリーサイズを計っている。

 

 今は信夏の体を横向きにし、軽く持ち上げた腋からシスティーナがメジャーを通して逆側のルミアに渡している場面だ。

 

「それにしても、信一って愛が深いわよね」

 

「どうしたの、急に?」

 

「だって私たちと出掛ける度にこの子の服買ってあげてるじゃない」

 

 システィーナの言う通り、信一は2人と買い物に行くたびに信夏の服を買っている。理由は単純で、目覚めた時に着る服が無いのは可哀想というものだ。

 

 信夏は昏睡状態とはいえ、医術や魔術の力でちゃんと生きているし成長もしている。そんな彼女も身体が子どもから大人に成る時が訪れ、順調な発達をみせていた。

 

 本来なら信一も主達にこのような雑用をやらせるのは気が引けたが、兄とはいえ男である自分に眠っている間しょっちゅう体を触られていた年頃の女の子からすれば気色悪いと断言されてしまう。なので、彼女達に頼んでいるというわけだ。

 

「システィ、もしかして嫉妬してる?」

 

「してないわよ。ただ、愛が深いなぁって思っただけ」

 

「でも、私がここに来てシンくんが私のお世話係になった時は『信一が取られた〜』っていつも拗ねてたよね?」

 

「い、いつの話してんのよ!」

 

 あの時は毎日一緒にいた信一が急に構ってくれなくなったのが寂しかっただけ。

 ただそれだけなのだが、なにぶんシスティーナは素直じゃないので頰を膨らませて否定するしかない。

 

「……もしさ、信夏が目覚めたら信一はこの子に私達をなんて紹介するのかな?」

 

 ウエストを計り終え、そのままヒップにメジャーを滑らせながらふとそんな事をシスティーナが呟いた。

 

「私はお姉ちゃんって紹介してほしいなぁ」

 

「あ、分かる気がする」

 

 どこか信一の面影があるが、それでも愛らしい顔立ちの信夏にそう呼ばれたらなんでもしてあげたくなっちゃうだろう。なんとなく、そんな気がするのだ。

 これはきっと、最近編入して来たリィエルの影響があるのかもしれない。

 

 システィーナとルミアは測定の為に脱がせていた服を信夏に着せ、シーツを掛けてあげた後、優しく彼女の頭を撫でる。

 

 ———早く目が覚めますようにと願いを込めて。

 

 

 

 

 

 信一はフィーベル邸の掃除を1週間のうち5日間に分けて行なっている。1日目は玄関、2日目は一階、3日目は二階といったように。

 

 そしてそれも終わり、私服に着替えて読書をしながら玄関でシスティーナとルミア待っていた。

 

 ちなみに彼の私服は祖国の民族衣装。若草色で染められた懸衣(かけぎぬ)型の長い服を体の前面で重ね、帯で縛って留めたもの。何故か履いているのはブーツというどこかチグハグな格好だが、一応これが信一の私服だ。もちろん、刀が二振り入った布袋も忘れない。

 

「おまたせ」

 

「ごめんねシンくん、待たせちゃったかな?」

 

 声に振り返ると、当然ながら2人とも私服姿。

 

 システィーナは白いシャツにサスペンダースカート。手に持つトートバックと首元のループタイがささやかながらも彼女らしい知的さとオシャレさを引き立たせている。

 

 ルミアは淡い桃色のワンピース。膝丈のスカートが彼女の持つ清楚な雰囲気をさらに高めていた。左肩から右腰に掛かる小さめのショルダーバッグも、その一助となってるのだろう。

 

「…………」

 

「ん?どうしたの、シンくん?」

 

「手間を取らせて申し訳ないのですが…その……お嬢様とルミアさん、バックをチェンジしてもらってもいいですか?」

 

「なんで?」

 

 小鳥のように無邪気な顔で首を傾げるルミア。そんな彼女に信一は気まずそうに頰を掻きながら理由を述べる。

 

「いえ……ルミアさんのショルダーバッグの紐が…そのぅ……胸にですね……」

 

 信一の言う通り、ルミアの豊満な胸の隙間にバックの紐が食い込んでしまっている。これでは、彼女に邪な視線を浴びせる不埒な者たちの眼球を1回1回潰して歩かなくてはならない。

 

 ルミアは一瞬赤くしながらも、すぐに悪戯っ子のような顔になって信一に告げる。

 

「……えっち」

 

「えっとぉ……」

 

 そう言われてしまうと何も言い返せず、ただ顔を背けるしかない。

 

 しかし甘酸っぱい反応を示すルミアとは対照的に、システィーナは不満気に眉間へ皺を寄せていた。

 

「なによ、信一。私なら食い込んでもいいって言うの?」

 

「……お嬢様…………」

 

 すると、信一は打って変わって憐れみに満ちた目で彼女を見る。

 

「……もしかして笑わせようとしてます?」

 

「なんでよ!」

 

「だって、まるで自分に食い込むくらい胸があるってボケたから……」

 

「別にボケてないわよ!」

 

「ちなみに俺の祖国の西側では、相手がボケたらコケるという風習があります。コケた方がいいでしょうか?」

 

 ルミアに対して行った発言を誤魔化す意味もあり、わりと苛烈にシスティーナをからかい倒す。顔を真っ赤にして憤慨する彼女のおかげで、気まずい空気は払拭できたので良しとしよう。

 

 勝手に自己完結した信一は2人の手を引いて歩き出した。

 

 ———そして街の中へ。

 

「最初はどこ行くの?」

 

「まずは水着を見ましょう。2人が気に入ったものを買えたら、最近話題になっている店で昼食。後は適当にブラブラしようかと」

 

「あら、最初に水着なのね」

 

「さっき食べたばかりですしね。それに、少し時間をずらした方がお店も空いてると思いますよ」

 

 なんだかんだ言いつつも信一に言われた通りバッグを入れ替えた2人の質問に答えながら仲良く歩く。

 

「良い水着が見つかるといいですね」

 

「そうね!」

 

「うん!」

 

 今から楽しみで仕方ないという2人を微笑ましく思う。学校行事とはいえ、せっかくの旅行なのだ。グレンのおかげで自分も同行できるようになったので、彼女達には最高の思い出を作ってもらいたい。

 

「———お母さん!早く早……うあっ!?」

 

「痛っ」

 

 ———べちゃ

 

 突然腹部に衝撃が走り、直後小さな悲鳴が聞こえた。

 

 視線を下に向けると、足元では10歳くらいの女の子が尻餅をついてしまっている。そして、その女の子が転ぶ直前まで持っていたと思われるアイスクリームがべっとりと信一の着物に付着していた。

 

 これから買い物という時にコレである。一言言ってやろうとこちらを見上げている女の子と目を合わせると、

 

「あ……」

 

「うぅ……あいす……」

 

 その目には今にもこぼれ落ちてしまいそうな程いっぱいの涙が溜まっていた。

 服に付いた大きさからして、今さっき買ってもらったばかりなのだろう。それが自身の不注意とはいえダメになってしまい、悲しみに暮れているのが見て取れる。

 

 そんな姿を見せられてしまうと何か言う気もすぐに失せ、むしろこちらにはなんの落ち度は無いにも関わらず心の内から罪悪感が湧いてくる。

 居たたまれなくなり、思わずシスティーナとルミアを見ると『うわ〜泣かした〜』みたいな白い目を向けて来ていた。

 

「あ、あの〜!」

 

 何故かまったく悪くないのに極悪人のような扱いを受けている信一に、体を揺らさないようにゆっくり走ってきた女性が声を掛けてくる。下腹部が大きく膨らんでいるが、太っているというわけではない。どうやら妊婦のようである。

 その女性が慌てた表情で信一に大きく頭を下げてくる。

 

「申し訳ありません!クリーニング代はお支払いしますので……」

 

 どこか女の子の面影があるところから、母親のようだ。女性は財布から銀貨や金貨を数枚取り出して信一に許してもらえるよう懇願する。

 

 泣きそうな女の子を見下ろす男と、その男に許しを乞いながらお金を差し出す母親。

 その構図はまるで、信一が服を汚されたのを口実にしてお金を脅し取っているようにすら見える。しかも服装はあまり一般的なものじゃない分余計に目立つ。

 

 心なしか周囲の関係無い人々からも白い目を向けられてるような気分になり、信一は慌てて手を振りながら断ることにした。

 だが、普通に断ってはダメだ。できるだけ紳士的に、なおかつ優しくやんわりと。

 

「クリーニング代なら要りませんよ。代わりにそのお金でこの子に新しいアイスを買ってあげてください」

 

 屈んで泣きそうな女の子に手を貸してやりながら、できるだけ柔らかい表情を作る。

 信一の言葉に目を丸くする女性。それを尻目に女の子の服に付いた埃を払ってやる。

 

「ごめんね。どこか痛いところはないかな」

 

 ここまでやれば完全に紳士だろうと内心で自画自賛。しかしそれは決して出さず演じ抜く程度には余裕が生まれ始めてきた。

 

 頷く女の子にもう一度微笑みかけ、頭に手を乗せて諭すように言う。

 

「怪我が無くて良かったよ。今君のお母さんのお腹には赤ちゃんがいるみたいだから、君は今度お姉さんになるんだね」

 

「……! うん!わたしお姉ちゃんになるの!」

 

「だったらあまりお母さんを走らせちゃダメだよ? お母さんとお出掛けする時はちゃんと手を繋ぐ。お兄さんと約束できるかな?」

 

「うん!」

 

 紳士的なそれっぽい事が口からポンポン出てくるようになってきたのが自分でも分かる。興が乗ってきたらしい。

 

 ———もしくは、自身の母親に対する気持ちの表れかもしれない。女の子の正確な歳は分からないが、信一はこのくらいに母親を殺している。

 だからかもしれない。子どもの為に迷わず頭を下げ、許してもらえるよう懇願する女性に苦労してほしくないと思ったというのもあるだろう。

 

 信一が差し出した小指に小さな小指を絡ませる女の子へと今度は本心からの笑みを向けてもう一度頭を撫でてやれば、女の子はくすぐったそうな顔をしてしっかりと母親の手を握った。

 

「お兄さんバイバイ!」

 

 こちらに大きく手を振る女の子と会釈する女性に微笑みかけ、システィーナとルミアを振り返ると……何故かこっちはこっちで暖かい視線を自分に向けている。

 

「シンくんは優しいね」

 

「優しい……のでしょうか? これくらい普通だと思いますよ」

 

「それを普通って言えるから優しいんだよ」

 

 そんなものだろうか? 母親との思い出なんて怒られた事より『良かったね』と言われた事の方が多いに越したことはない。信一にはその程度の認識である。

 

「それより……服、どうするの?そんなんじゃお店に入れないんじゃない?」

 

 自分の事のように誇らしそうなルミアへと首を傾げる信一へシスティーナが呆れたような口調で言う。

 べっとりと着物に付いてしまったアイスクリーム。さすがにこれを着て服を扱う店に入るのは迷惑行為以外のなにものでもない。

 

 さてどうしたものかと頭を捻る信一を見て、ルミアはポンと手を叩いた。

 

「こういうのはどうかな!」

 

 名案とばかりに明るい口調で口にしたそのに明るい提案に、信一は自身の顔が引き攣るのを感じるのであった。

 

 

 

 

「その色ならタイはこっちがいいかな?」

 

「う〜ん……色合いはいいけど、信一はゆったりしたのが好きみたいよ」

 

「もうなんでもいいんですけど……」

 

「「 よくない!! 」」

 

 バッサリ切り捨てられ、試着室で疲れたよう項垂れる信一。

 

 そんな信一の様子など知る由も無く、システィーナとルミアは手に持った紳士服を頭の中の彼の姿と重ねて仲良く議論していた。その顔はウキウキと浮かれまくっている。まるで新しい着せ替え人形を買ってもらえた子どものようだ。

 

 その例えは案外的を得ていて、実際信一は彼女達の着せ替え人形と化していた。

 

「はい、今度こっち着てみなさい」

 

 外側から試着室の縁に掛けられた何着めかを手繰り寄せ、疲れ切った表情で淡々と着替えていく。

 学院の制服以外洋服はほとんど着ない信一でも、一応着方は分かる。しかしアルザーノ帝国の紳士服はビシッとしていて、システィーナが言ったようにゆったりと着こなせる着物が好みの信一にとっては肩が凝ることこの上ない

 

「着替えましたよ」

 

 サァーと試着室のカーテンを開け、今が楽しくて仕方ないといった様子の2人へ彼女達が選んでくれた服を着た自身の姿をお披露目。

 

 今着ているのは蘇芳(暗い赤)色の三つ揃いスーツだ。白いシャツの襟元はループタイで留め、ジャケットはベストが見えるように開けておく。

 

「少し派手じゃないですか?」

 

 正直、信一は自分にスーツなど似合わないと思っている。スーツはスラっと背の高い男が着るものであり、小柄な自分ではあまり格好がつかない。

 そのはずなのだが……

 

「おぉ!シンくんカッコいい!」

 

「似合うじゃない!」

 

 2人とも、大絶賛である。

 

 実際のところ、ただ単に信一の姿がいつもと違うのが新鮮なだけだ。変ではないが、絶賛するほど似合ってるわけでもない。少年が大人への背伸びとして頑張った、というのが妥当な評価だろう。

 それを証明するかのように、近くでこちらをチラ見した店員は苦笑いを浮かべている。

 

 だが、ぶっちゃけもう疲れちゃった信一はこれ以上着せ替え人形になるのはごめんだった。オシャレに本気を出した少女2人を相手取るなど、【迅雷】を使っても無理なんじゃないかと思う。

 

「ハァ……じゃあコレ買ってきますね」

 

 スーツにブーツという少し謎な格好になるが、もうこの店から出たい一心でレジへ向かおうとすると———システィーナとルミアが自分を追い越してレジへ走っていく。その手にはちゃっかり水着が握られている。きっと信一の服を選んでる片手間で決めたのだろう。

 

 その水着と、何故か信一の服を指差して店員と話す2人。彼女達の話を聞き、頷いた店員は信一へ近付いてまだ付いていたスーツの値札を切り取ってから戻っていく。

 

「あ…ちょっと……」

 

 訳が分からず首を傾げていると、近くにいた別の店員が寄ってきた。

 

「お連れの方が貴方にそちらの服をプレゼントしてくれるみたいですよ」

 

「はい?」

 

「あとコレ、アイスクリームが付いた服です。紙袋に入れておきました」

 

 いきなり渡された紙袋の中には、確かにさっきまで自分が着ていた着物が入っている。これは助かるが、彼女達にわざわざ買ってもらって良いのだろうか。2人にお小遣いを渡すのは信一がレナードとフィリアナに任された役目なので、ある程度の所持金は把握している。たぶん2人で出し合うのだろうが、それでもかなりお金を使わせてしまうことは想像に難くなかった。

 

 思わず顔を顰めていると、紙袋を持ってきてくれた店員が耳打ちをしてくる。

 

「お客様。差し出がましいようですが、このままでよろしいのでしょうか?」

 

「と言いますと?」

 

「こちらなど、あちらの2人によくお似合いかと思われます」

 

 男なら女性からのプレゼントにはお返ししろ、と言外に目で訴えてきた。この店員の商魂はたくましいの一言に尽きる。

 

 そんな事を考えながらレジで会計を済ませる2人に見えないよう店員にお金を渡し、店員が持っていた物をこっそりとジャケットのポケットへしまう。

 

 

 

 

 慣れない服に違和感を覚えながらも2人からのプレゼントに自然と頰が緩む信一。人目さえなければ鼻歌も歌ってしまいそうな気分だ。

 

「昼食は俺が出しますね。これは絶対譲りませんよ」

 

 ニコニコと笑いながらも強めな口調で言う信一に、システィーナとルミアは顔を見合わせて苦笑い。だが、プレゼントを喜んでもらえるというのは一目瞭然なのでそこは大人しく従おうと決める。

 

「そういえば話題のお店ってどういうお店なの?」

 

「従業員がみんな子どもなんです。俺達よりも年下の」

 

「「 ……………… 」」

 

「な、なんですか?」

 

 質問に答えたらいきなり2人の視線が冷たいものになった。それに気圧されながらも一応尋ねる。

 

「……ねぇ、システィ。シンくんってもしかして……」

 

「あまり信じたくないけど……可能性はあるわ」

 

 しかし華麗にスルーされ、2人はコソコソと耳打ちで会話。その間も何度か信一をチラチラと見ているのだが、目はやはり冷たいままだ。

 そんな2人のコミュニケーションは、意を決したように頷き合うことで終わった。

 

「信一。1つ、確認しておきたいことがあるんだけど」

 

「はい、なんでしょう」

 

「信一ってもしかして……そのぅ…小さい子が好きだったりするの?」

 

「……? まぁ、人並みには好きですよ」

 

「「 ———っ!? 」」

 

 質問の意図は分からないが、とりあえず素直に答えると2人の顔がぎょっとしたものになった。

 それからまた信一に背を向けてコソコソと話し出す。

 

「やばいわよ、ルミア。私の聞き間違いじゃなければ信一は今、人並みって言ったわ」

 

「たぶん聞き間違いじゃないよ。私もそう聞こえたもん」

 

「つまり信一は……」

 

「シンくんは……」

 

「「 ロリコンが普通だと思ってる!! 」」

 

 狂っていたり壊れていたりはするが、それは命に対する価値観だけだと思っていた。それがまさか———性癖まで狂っているとは……。

 

 システィーナは5年、ルミアは3年。信一と一緒に暮らしてきた中でもトップクラスのビックリ案件だった。

 

「あの、何かありましたか?」

 

「「 う、ううん……なんでもない! 」」

 

「一応言っておきますが、俺はロリコンじゃありませんからね」

 

 こっそり【迅雷】を使って2人の内緒話を聞いていた信一は自分の名誉の為に弁明しておく。さすがに家族からロリコン認定は承服しかねる。

 

「でもさっき小さい子どもが好きだ、って」

 

「一般的な意味です。子どもと遊んだり話したりするのは好きですが、恋愛対象には入りません」

 

 そんなローボールを打てるほど名バッターではない。しかも打ったら人生アウト、住む場所はチェンジでブタ箱直行。想像するだけで恐ろしい。

 

「良かった〜。でも、私はシンくんがどんな趣味でも付き合いを変えるつもりはなかったよ」

 

「いや、さっき思いきり冷ややかな目を向けてたじゃないですか……」

 

 そう返すが、ルミアはニコニコ笑うだけ。どうやら彼女の耳は都合の悪い事を遮断できる機能が付いているらしい。

 

「っと、ここですね」

 

 足を止め、店の看板を見上げる。

 

「ここが話題のお店?」

 

「はい」

 

 目論見通り、時間をずらしたおかげで店は空いてるようであった。休憩時間ということもなく、ちゃんと営業してる。

 

 店の扉を開けると、入店を知らせる為に付けられているベルが涼やかな音を響かせた。

 

「いらっしゃいませ」

 

 信一達3人を出迎えたのは少年だった。どう見ても自分達より年下である。

 

「こちらの席へどうぞ」

 

 席に促され、腰を落ち着けてから店の中を見回す。

 

「本当に子ども達ばかり」

 

 今は客が少ないからか、働いている従業員は4人。席に案内してくれた少年、カウンター側で水を淹れている少女、ちょうど料理を運んでいる少女。

 あとカウンター席に何故かI字バランスで立っている貴族風の男。この男は店側の唯一の大人だ。

 

「あのカウンター席のちょっと頭がヤバそうな人が店長です。どうやら上流階級の三男坊らしいですよ」

 

「えっ、あの人が?」

 

 自分も上流階級の人間であるシスティーナはもう一度カウンターの男を見る。

 目を閉じ、ただひたすら椅子の上で見事なI字バランスをとり続ける男が自分と同じ立場とは信じたくないようだ。

 

 信一が調べたところ、この店はあの男の道楽らしい。基本的に家は長男が継ぐし、もしその長男に何かあっても次男がいる。家督相続の可能性が限りなく低い彼は、早々に相続争いから降りてこの店を開いたという経緯だ。

 

「お名前は確か……ノブリスさんですね。あ、名札に書いてあります」

 

 I字バランスの男の首からネームプレートがかけられていて、そこには信一の言った通りの名前が書かれている。

 

「なんか変な人ね」

 

「変わり者ではありますね」

 

 ただひたすら椅子の上でI字バランスを取る人間は今のところ会ったことがない。しかしどうやらあの光景はこの店の日常であるらしく、働く子ども達はまったく意に介してない様子だ。シカトとも言う。

 

「ご注文はお決まりですか?」

 

「あ、じゃあ俺はコレで」

 

「私はこれをお願いします」

 

 信一とシスティーナがノブリス店長を眺めてる間にルミアは決めていたらしい。信一も事前に調べていたのでルミアが開いていたメニューのページにあったものを指して注文。

 

「あっ、えっと……これをお願い」

 

「かしこまりました」

 

 システィーナだけは慌ててメニューをパラパラとめくって、よく考えずに決めた。

 注文を取りに来た少年は一礼して席を離れていく。

 

「ふぅ……」

 

 水を一口煽り、やっと一息つく。

 

 システィーナとルミアは自分達の水着を片手間にしてしまうほど楽しかったらしいが、着せ替え人形にされた信一本人は完全に疲れ果ててしまっていた。これほど疲れたのは、生まれて初めて【迅雷】を使った時以来ではないかと思ってしまうほどに。

 それでも彼女達からのプレゼントは小躍りしたくなるほどに嬉しいものだ。

 

 フッと1人で相好を崩しておしゃべりしている2人を眺める信一の背中を、トントンと叩く手があった。

 

「……ん?」

 

「あ、やっぱりお兄さんだ!」

 

「あれ、君はさっきの」

 

 振り返ってそちらを見ると、疲れ果てる原因とも言えるアイスクリームの女の子が笑顔で自分を見上げていた。店の人(主に店長)のインパクトが強すぎて気付かなかったが、出入り口の近くに女の子の母親も座っていてこちらに会釈している。

 

「代わりのアイスは買ってもらえた?」

 

「うん!」

 

 元気良く応える姿に自然と頰が緩む。やはり子どもというのは元気なのが一番だ。

 ポンっと頭に手を乗せて微笑みかけてやれば、嬉しそうに笑ってくれる。子どもの無邪気な姿は疲れを吹っ飛ばすというのは本当らしい。

 

「お兄さん達もお茶しに来たの?」

 

「ううん、お昼ごはんだよ。朝ごはんが早かったからね」

 

 どうやらすっかり懐かれてしまったようだ。

 自分としてはシスティーナやルミアとの時間を楽しみたいが、だからといってこの女の子の笑顔を無下に扱うのも気が引ける。自分は子ども好きではあるが、得意ではないなと苦笑を浮かべるしかない。

 

 ———その時だ。

 

「きゃっ!」

 

「お、ぉおい!かかか金を出……出せぇ!」

 

 突如店の扉が乱暴に開かれ、ナイフを持った男が近くにいた女性客の腕を強引に掴みながら叫んだ。握られているナイフは女性の首元へ向けられている。

 

 誰がどう見ても強盗だ。

 

 強盗は1人。長身痩躯の男。通常なら親しみやすそうなタレ目が特徴的だが、その目は興奮と緊張で見開かれている。見た目からしても強盗をするとは思えない。そんな強盗である。

 

 この店は従業員が全員子ども。唯一の大人であるノブリス店長も貴族の三男坊だが相続争いを自分から降りた腑抜け。しかも今は時間がズレていて客も少なく、信一とノブリス店長以外男はいない。考えてみれば強盗がしやすい店だ。そして強盗しやすい店が不運にも今日強盗された。状況を並べればそれだけのこと。

 

 しかし、不運というものは重なる。

 

「お母さん!」

 

「……っと」

 

 強盗が人質に取った女性は、不運にも信一に懐いてくれていた女の子の母親だった。

 信一は母親のピンチに突っ込んでいく女の子の手を引き、自分の元へ片手で抱き寄せる。相手は痩躯といえど大人。しかも刃物を持っている。この少女が立ち向かったところで、怪我をする……下手したら死んでしまうかもしれない。

 

「《大いなる……」

 

「お嬢様もストップです」

 

 正義感の強いシスティーナが得意の【ゲイル・ブロウ】を放とうとするが、それも信一は空いてる手の方で制する。

 人質が首元にナイフを突きつけられている状況で強盗を吹っ飛ばせば突風に煽られたナイフが女性の頸動脈を切りつけてしまう可能性が高い。

 

 信一は静かに強盗とシスティーナ、ルミアの直線上に立つ。刀は足元にあるが、この状況で武器を持てば強盗の興奮を助長させるだけだろう。ただでさえあまり強盗に向いているとは思えない強盗だ。逆上させて良いことがあると考えるのは楽観的すぎる。

 

「はやっ、早くしろぉ!」

 

 どもりまくる強盗は一瞬だけナイフを従業員の子どもに向けるが、すぐに女性へと戻す。この人質を失えば自分が圧倒的不利なものになると理解しているようだ。

 

 総じて厄介としか言いようがない。刃物を持っていることもそうだが人質の女性は妊婦。この状況を長引かせれるのは心労となる。最悪【迅雷】を使って強盗を殺すことも考えるが、人が殺される姿も心労になることに変わりはない。むしろ従業員の子どもや片手で抱き寄せている女の子のトラウマにもなるだろう。

 あと飲食店なので、血飛沫が舞うのは衛生上よろしくない。

 

(さて、どうするか……)

 

 一度朝比奈信一個人の感情を切り離し、フィーベル家の従者としての思考へ切り替えてみる。

 すると、まず最初に現れる感情は安堵。システィーナとルミアが人質にならなくて良かったという安心。

 次に出てきたのはこの打開策。従者として、この状況は主達の危険に他ならないと言える。ならば妊婦の心労や子どものトラウマ、店の迷惑など一切考えずに【迅雷】を使って強盗の首を捩じ切ってしまえばいい。

 

(ダメだな)

 

 従者としての行動で得られる結果をシスティーナとルミアは喜ばない。人間の首が目の前で捥がれる光景など嬉しいわけがないのだ。

 

 それが理解できたのならやはり、と流石にI字バランスを止めているノブリス店長へ視線を向ける。彼が店にある金をすぐに渡しさえしてくれれば終わりだろう。

 

「どうしてお金を求めるのよ?」

 

 瞬間、空気が凍る。

 ノブリス店長の口から男声で男性らしからぬ口調の言葉が飛び出したのだ。

 

「貴方がお金を求める理由はなんなの?答えなさいよ」

 

「………………」

 

 オネエ口調なのはさておき、ノブリス店長の有無を言わせない剣幕にむしろ強盗は押し黙ってしまう。

 やはり、そもそもこのような強行に出るほど度胸があるわけではないようだ。何かやむを得ない事情があるのは明白である。

 

「もし、ワタシを納得させられるような理由ならお金を渡すわ。でもできないのなら……」

 

 一息。そして従業員の子どもを守るように前へ進みながら言い放つ。

 

「その女性を離して今すぐここから出て行きなさい」

 

「…………こっ……この……」

 

「———お母さんを離して!」

 

 ———瞬間、ノブリス店長に意識を持っていかれていた信一の腕から女の子が飛び出して強盗へ走り込んでいく。

 

「———っ!?」

 

「来ちゃダメ!」

 

 女の子は強盗が母親を掴んでいる腕に組みついていた。

 

「はっ、はっ離せぇ!!」

 

 だが、所詮は少女の腕力。痩躯とはいえ、大人の男に敵うはずはない。

 強盗は何度も乱暴に腕を振って女の子を解こうとする。女の子もなんとかしがみついて耐えるが、ダメだ。

 

「うわぁ……」

 

 女の子が予想外に長い間耐えていたので、強盗にも力が入り過ぎてしまったらしい。下から上へと振り抜いた腕から離れた女の子は小さな放物線を描くように頭から落ちていく。落下地点と思われる場所は、度重なる不運を感じさせるが如く机の角。

 あんなところに頭から落ちれば、惨劇は免れない。

 

 

 

 

 

 ……流れる静寂。人の頭が机にぶつかる音はしない。

 

「ほら、大丈夫?」

 

 信一は【迅雷】を起動し、女の子を空中で抱きとめていた。

 

 その光景に、システィーナとルミア以外の全員が目を丸くして何が起きたか理解できないでいる。だが、それと同時に全員が女の子が無傷であることに安堵のため息を溢していた。

 

 ———そう、全員。そこには女の子を投げ飛ばした強盗も含まれる。

 

「《疾くあれ》」

 

 女の子を下ろした後、再び【迅雷】を起動。

 

 安心感から完全に意識が向いていないナイフの腹を手刀で打ち上げてへし折る。そして肝臓のある右脇腹に掌底を叩き込み、呼吸困難に陥らせて動きを止めさせる。

 

「ガハァ……」

 

 思わずうずくまる強盗から女性を引き剥がし、関節を極めて拘束。本来なら両足の骨を砕いておくが、それはしない。それは妊婦の心労や子どものトラウマになる可能性があるから。

 

「強盗ごっこは終わりだよ、おじさん」

 

 一応へし折ったナイフを強盗の手が届かないところまで蹴り飛ばしてから言ってやる。

 強盗は抵抗しない。未だに自分が投げてしまった女の子へとタレ目を向けていた。

 

「あの子にケガは……」

 

「たぶんない。そうなるように抱き止めたからね」

 

「そうか」

 

 やはりこの男は強盗に向いていない。他人の物を武力で脅し取る行為をするには、優し過ぎる。

 

 ふと信一は、そんな優しさを持つこの男が強盗をする理由が気になってきていた。さきほどノブリス店長も聞いていたので、今なら聞いても問題ないだろう。

 

「どうしておじさんは強盗なんてしたの?こんな事をするようには見えないけど」

 

「………………………」

 

 関節を極めている力を振り解かれない程度に緩めながら聞く。

 むしろそちらを聞かれるほうがダメージになるように顔を歪めて押し黙る男。

 

「息子の治療費が……必要なんだ……」

 

 やがて、ポツポツと話し出した。

 

「僕の息子は少し厄介な病気にかかってしまって……不治の病というわけではないから金さえあれば治せる。だけど……足りないんだ…どうしても、僕の収入じゃ……」

 

「でも、こんな事して手に入れたお金で治っても息子さんは喜ばない……」

 

「わかってる!!」

 

 システィーナにもっともな正論を言われ、思わずといった様子で男は声を上げた。だが、それは男が1番理解していた事なのだろう。叫んだ勢いで宙へと舞った男の涙がなによりの消化だ。

 

「それでも……必要だったんだ。どんな汚い金でも、金は金。息子を治す為なら僕は……」

 

 どれだけ汗を流して稼いだ銅貨1枚でも、金貨1枚の価値になることはない。

 それは貨幣経済の常識であり、人によっては理不尽とも取れることだ。ちょうど、この男のような境遇の人には。

 

 男の慟哭を聞き、システィーナは何も言えないでいる。彼女は上流階級の人間であり、金に困ったことは一度たりともなかった。そんな自分が、息子の為なら強盗すら厭わないというこの男に何か言う資格はないと理解したようだ。

 

 家族の為ならなんだってする、という部分には信一も共感できる。家族の為に友人を使い捨てようと一考し、一時は女王にすら歯向かったのだ。

 

「ごめんなさい……ごめんなさい………」

 

 全ては家族の為。しかしそれが免罪符になることは無いということもちゃんと理解している男は、ただひたすら信一の下で謝罪の言葉を述べるだけになってしまった。

 

 その姿を黙ってみていた従業員の少年は、一度ノブリス店長に目配せしてお互い頷き合う。そして何を思ったか、男の元まで歩み寄り、屈んで手を伸ばした。

 

「もしよろしければ、ここで一緒に働きませんか?」

 

「は……?」

 

 少年の言ってる意味が分からず、男は目を丸くしている。それに構わず、少年は言葉を続けた。

 

「ボク達は元々、スラム出身なんです。そこを店長に拾われて、こうして住み込みで働いています。もちろん国が定めた賃金は出してくれるし、虐待もされていません」

 

「………でも僕は……」

 

「『あなたは人間よ』と、拾われた時に店長から言われました」

 

 脈絡も無く少年は言う。その目は男に向けられながらも、過ぎ去った美しい思い出を見ているようだ。

 

「毎日残飯を求めてゴミを漁っていたボクはまるで野良犬のようだった。時には乞食の真似事もしました。そんな日々の中、いつものようにお金か食べ物を恵んでくれと伸ばしたボクの手を偶然通りかかった店長は無理矢理引っ張って風呂に入れられ、服を着せられ、瞬く間に店のスタッフにされていましたよ」

 

「懐かしいわね」

 

 ノブリス店長はにっこりと少年へ笑いかける。少年もそれに応え、また男へと視線を戻す。

 

「恵んでもらったり施されたりするだけじゃダメなんです。それじゃあ結局、野良犬が飼い犬になったに過ぎない。仕事を得て、働いて、自分で稼がないと『人間』とは言えないんですよ。だからもう一度言います」

 

 

 ———ここで一緒に働きませんか?

 

「息子さんの治療費、ワタシが立て替えるわ。だからその分はここでタダ働きよ。もちろん三食とおやつ代くらいは出してあげるから安心なさい」

 

「……どうして………そこまでしてくれるんだい?」

 

 男にはノブリス店長の言ってる事が理解できなかった。

 

 確かに息子が助かるなら嬉しい。その為ならなんだってするし、事実今日はそれを実行した。そして自分は加害者でノブリス店長や少年は被害者だ。にも関わらず、それでも自分に手を差し伸べるこの2人の心情が理解できない。

 

「———あなたが本当はどこまでも息子想いの優しいお父さんだからよ。ワタシ、三男坊だからあまりお父様に構ってもらえなくてね。だからかな」

 

 照れ笑いを浮かべるノブリス店長は、少年と並んで手を伸ばす。

 

 信一もこの空気で未だに拘束しておくのは野暮と分かり、手を離した。だが男は暴れることをしない。ただ目から流す涙の種類を変えただけ。

 

 悔恨の涙から嬉し涙へと。そして、2人の手を取る。

 

「ありがとう……ありがとう………」

 

 

 

 

 

 

 

 結局、強盗事件は店側の示談金0の示談ということで終わりを告げた。

 

 店もそれほど荒れたわけではなかったし、その場にいた客も男の行動を『仕方がなかった』と受け流せる人格者ばかりだったので第三者に触れ込むこともないだろう。

 

 ———そして帰り道。信一達と女の子、母親の女性は今日初めて会った場所まで帰路を共にしていた。

 

「それでは、私達はこっちなので。今日は色々ありがとうございました」

 

「お兄さん、お姉さん達もバイバイ!」

 

 たった1日が随分と長いように感じられた。それもこの親子との出会いがあったからだろう。

 

 アイスで着物を汚され、システィーナとルミアに着せ替え人形にされ、強盗に遭う。刺激的というには激し過ぎる1日だった。

 

「帰り道、気を付けてください。元気な赤ちゃんを産んでくださいね。君も。良いお姉ちゃんになるんだよ」

 

「うん!」

 

 元気良く返事をする女の子に微笑みかけ、頭を撫でる。

 

 強盗に遭った時、従者としての考えに則って行動していたらこの笑顔も見れなかったかもしれない。そう思うと、ノブリス店長達には感謝するべきだろう。

 

 心地好さそうに目を細める女の子が可愛らしく、どうしても頰が緩むのが自覚できる。

 

「ねえ、お兄さん。ちょっと」

 

 突然女の子は手招きをし出した。屈めという意味らしい。

 それに従って女の子の視線に合うよう膝を折ると———首に手を回して、

 

「———っ———」

 

「———っ!?」

 

 小さな唇を押しつけてきた。年齢にそぐわない、えらく情熱的な感じで。

 

「「「 …………!? 」」」

 

 その光景にシスティーナとルミアはもちろん、女の子の母親ですら目を見開いて驚いている。

 

 女の子の短いキスが終わっても、信一の口は閉じない。いや、驚愕のあまり空いた口が塞がらないという様子だ。

 

「じゃあ、バイバイ!」

 

 幼さから女の子はあまり深く考えずにキスをしてきたらしく、何事もなかったように信一に言われた通り母親の手を握って背を向けた。

 母親の女性は慌てて会釈をしてから、女の子に手を引かれて去っていく。

 

「「「 ………………… 」」」

 

 残された3人———信一は未だに空いたままの口へ手をやり、システィーナとルミアはそんな信一をとても冷ややかな目で見ていた。

 

「信一、あれは犯罪よ」

 

「家族が犯罪者って悲しいね、システィ」

 

「いや、ちょっと待ってください!?」

 

 ロリコンに人権は無いと言いたげな表情の2人。

 

 自分からしたわけではないのだ。あの女の子から不意打ち気味にされただけで。だが、2人にはあまり関係ないらしい。

 

「大丈夫よ、信一。アンタがどんな性癖でも私の家族であることに変わりはないわ。だから……」

 

「私も。趣味は人それぞれだし、それをとやかく言う資格はないと思うの。だから……」

 

「「 もう少し離れてくれない(ほしいな)? 」」

 

「一瞬にして凄く高い心の壁ができましたね……」

 

 やばい泣いてしまいそうだ、という感情を必死に押し殺して信一はジャケットのポケットからある物を2つ取り出す。

 

「あんまり意地悪言うと、これあげませんよ?」

 

「なにそれ?」

 

「俺から2人へプレゼントです」

 

 あと店員の商売魂、と心の中で付け足しておいた。

 

「わぁ!綺麗!」

 

「ブレスレット……かしら?」

 

「たぶんそうですね。どうやら水着用のアクセサリーみたいですよ」

 

 せっかくの水着を着る機会だ。あまり甘やかすとレナードやフィリアナに怒られてしまうが、これくらいなら構わないだろう。

 

 システィーナには『真銀(ミスリル)の女王』にちなんで蒼銀の、ルミアには彼女の綺麗な金髪に映える翠緑の飾りが付いたブレスレットをそれぞれ用意していた。

 

「まぁ、離れちゃったら渡せませんしね。これはいらないということで」

 

「信一。あなたのこと大好きよ」

 

「シンくん、大好き!」

 

「俺への大好き安くないですか……?」

 

 一応期待通りの反応を返してはくれたが、ここまで簡単に掌返しをされるとそれはそれで少し不安になってくる。

 

 とはいえ、基本彼女達がここまで現金な態度を取ることは無い。これはこれで甘えられているのだろう。

 いつも通り優しく微笑みつつ2人の手にそれぞれ嵌めてやると、水着用ではあるが私服姿でも充分過ぎるほど似合う。

 

 2人ともブレスレットを嵌めた手を空に掲げたり、お互いを褒めあったりと気に入ってくれたようだ。

 

「2人が『遠征学習』を楽しめるよう、俺も頑張りますね」

 

 具体的に何を頑張ればいいかは分からないが、それは臨機応変に考えていけばいい。彼女達が楽しめるのなら、それが信一にとっては1番だ。

 

 しかし、そんな信一の考えに二人はかぶりを振る。そしてシスティーナはいつもするように額を小突いてきた。

 

「いてっ」

 

「今のセリフ、一部訂正してちょうだい」

 

「……どこをですか?」

 

「『2人が』、じゃなくて『()()()()』に」

 

「もちろんそのつもりですよ」

 

「シンくんの場合、その『みんな』にシンくん自身が入ってないからねぇ」

 

「むぅ……」

 

 図星を突かれ、眉を顰める。別に2人が楽しんでくれるのならそれで良いのだが、それを言ったところで信一が楽しんでないなら楽しくないと返ってくるのは目に見えている。彼女達はそういう人なのだ。

 

「わかりましたよ。俺も楽しめるよう頑張ります」

 

「ふふっ、わかればよろしい!」

 

「うん!」

 

 とびきり可愛らしい笑顔になり、システィーナとルミアは信一の手を握る。

 

 そして3人は、久しぶりに手を繋いでフィーベル邸へと帰宅していくのであった。

 

 







はい、いかがでしたか? この後書きに辿り着いた方は一体何人いるのか……あまり考えないことにしましょう。本当に長くてすみませんでした。

次回は原作通り『遠征学習』へ出発です!それでは、お楽しみに!


目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

第26話 始まる遠征学修

やっと出発しましたよ。

リィエルちゃんのキャラソン、雰囲気が最高!(乏しい語彙)
未来スケッチ、良い曲なのでぜひ聴いてみてください!!



 まだ薄暗い、朝靄の漂う早朝。二年次生二組の生徒は学院の中庭に集合していた。

 

「なぁ……俺、この遠征学修中にウェンディ様へ告白するんだ……」

 

「やめとけよ、アルフ」

 

「テンション上がってきたーッ!」

 

 若さ故のテンションで、早朝にも関わらず皆元気いっぱいだ。

 

 そんなクラスメイトの様子を尻目に、信一はグレンに呼び出された場所へ向かう。ちょうど校舎の影になってクラスメイトからは見えない場所。そこに着くと眠そうに目を擦るグレンともう1人。一応信一も知り合いである女性が待っていた。

 

「おはようございます、グレン先生。それと———アルフォネア教授」

 

「ふぁ……ん、おはようさん」

 

「やっぱりアルフォネア教授でしたか」

 

 ニコニコと笑う信一にセリカは苦虫を噛み潰したような顔をしている。

 

 数ヶ月前に起きた天の智慧研究会によるテロ事件で、信一はセリカに一方的な要求を飲ませた。そのせいか、あまり彼女は信一に良い感情を持っていないのだ。

 

「家事全般ができて武力もあり、さらに信用も信頼もできる女。おまけに遠征学修中ずっと留守番できる暇な奴といったらコイツだしな」

 

「助かります、先生」

 

『大陸屈指の魔術師』、『灰燼の魔女』などの異名を持つセリカなら信一も安心して妹を任せられる。たぶん世界最強のお留守番だろう。

 

「グレンから事情は聞いてる。資格を持っているわけではないが、整体師の真似事くらいなら私もできるぞ」

 

「なら話が早いですね。リビングに屋敷についてまとめておいた紙を置いといたので、詳しいことはそちらで確認してください。これ、フィーベル邸の鍵です」

 

 予備の鍵をセリカに渡し、できるだけ好印象な笑顔を向けるが、彼女は胡散臭い物を見るような目をするだけ。それだけの事をしたという自覚はあるし、それを気にしても得られるものなど無いので特に気にしない。

 

「それではお願いします。くれぐれも屋敷を汚したり壊したり灰燼にしたりしないよう気を付けてください」

 

「フンッ」

 

 セリカは鼻を鳴らしてそのまま回れ右。学院内へと戻っていった。

 

「お前ら……仲良くしろよな」

 

「俺はそのつもりなんですけど、どうにもアルフォネア教授が俺のこと嫌いみたいですしね〜」

 

 だが、学院内で生徒の安全が保証されるのは当たり前のことだ。そしてその安全を自分の家族に優先しろと言えるだけの事件が実際に起きた。なら従者として信一が最大限の安全を確保するのは当然の帰結である。そこにセリカの意思など関係ない。

 

 とはいえ、自分の師匠と生徒の仲が悪いのはグレンの精神衛生上よろしくないみたいだ。それもあまり知ったことではないが。

 

「さ、出発しましょう。あんまり遅いとまたお嬢様がブチギレますよ」

 

「はいはい」

 

 影から出て中庭に着くと、案の定システィーナは腰に手を当てて説教くさいことを言いだしてきたが、手慣れた様子でグレンは受け流す。

 

 その姿をいつも通り楽しげに見守るルミアが口を耳に寄せてくる。

 

「シンくん、何か先生と話してたの?」

 

「はい。俺たちが遠征学修行ってる間、アルフォネア教授がフィーベル邸の留守番をしてくれることになりました。妹のこともあるので」

 

「なるほど。でも、アルフォネア教授がお留守番してくれるなら安心だね」

 

「えぇ、まぁ……」

 

「あれ?そうでもないの?」

 

 八の字眉を作って苦笑いする信一にルミアは首を傾げている。

 

「いえ……1つ聞き忘れたことがありまして」

 

「何か大切なことなの?」

 

 コクリと頷き、かなり深刻な表情を浮かべる信一。

 

「アルフォネア教授って……同性愛者じゃないのかと」

 

「……………………」

 

 ルミアの顔が固まった。シリアスな顔で何言ってんだ、と言外に訴えられてる感じがする。

 

「まぁ歳を取ると性欲も枯れると言いますし、仮に同性愛者だとしても大丈夫でしょう」

 

「それ絶対に教授に言っちゃダメだよ!特に前半!」

 

 女性に年齢についての発言はタブーなのだ。それがセリカに対してなら、冗談抜きで灰燼に()されちゃうのは目に見えている。

 

「ふぁ……」

 

 実はルミアの隣にいたリィエルが眠そうにあくびを溢した。

 

 かくして二年次生二組の生徒達は各々遠征学修への期待を胸に抱き、学院の外に停めてある馬車へと乗り込んでいく。

 

 

 

 

 フェジテの南西、港町シーホークで行き交う人々の中を2人の男が歩いている。

 

 1人は藍色がかった黒髪を後ろでまとめ、目元には色付き眼鏡、シルクハットを被りステッキを握るどう見ても軽い感じの青年。

 もう1人は黒いポロシャツにジーンズのズボンという、かなりラフな格好をした落ち着いた雰囲気の男性。手にはステッキより長い()()()が入った布袋を持っている。

 2人の年齢差は歳の離れた兄弟、もしくは親子といった程度だが、一目でそうではない事が分かる。ラフな格好の男性は顔立ちが平坦だからだ。そもそも人種が違う。

 

「おぉ!やっぱり港町だけあって魚料理の屋台がたくさんあるな」

 

「はしゃぐな」

 

「でもそろそろ昼時だろ?実際()()()()は船が来るまで昼休憩みたいだし」

 

 男性の視線の先には魔術学院の制服に身を包んだ少年少女達。何人かの仲良しグループに分かれて昼食をどこで摂るか雑談を交わしながら歩いている。

 

 その中には2人の護衛対象であるルミアと男性の息子である信一、さらに2人と共に暮らすシスティーナや形だけの護衛として付いている同僚のリィエルもいる。

 

「リィエルのことを警告しに行くんだろ———アル」

 

「あぁ。万が一ということは充分に考えられるからな」

 

「2年も経って、何度も背中を預けたのにまだ信用できないのか?」

 

「無論だ」

 

 にべもなく青年———アルベルトは色付き眼鏡の奥から鷹のような眼光でリィエルを睨みながら言った。

 それに男性———零はため息を吐き、呆れたように背中を向ける。

 

「まぁいいや。警戒するのは構わないけど、バレるなよ」

 

「わかっている」

 

 今ここにアルベルトと零いるのは、ルミアを護衛する為だ。

 

 学院に編入までしたリィエルは囮。実際は影からアルベルトと零の2人がかりでルミアを警護し、彼女を狙ってくる()()()()()()天の智慧研究会の襲撃をいち早く察知して密かに対処。あわよくば組織のしっぽを掴むという作戦だ。

 

(ま、俺の場合はアリスが気を利かせてくれたのかもな)

 

 元王女とはいえ、今のルミアはただの国民。そんな彼女に帝国宮廷魔導士団が合計3人がかりで護衛するなど、破格に過ぎる。

 零に関して言えば、アリシア女王がルミアと一緒に暮らす息子の側にいられるようにと配慮してくれたこともあるのだろう。

 

「お、美味い。やっぱり魚は塩焼きに限るな」

 

 アルベルトの分は包んでもらい、さっそく屋台で買った自分の分に食らいつく。串で刺して焼かれた魚は、シンプルに塩だけで味付けされたとあって魚の旨味がよく出ている。子どもの頃は苦手だった内臓の苦味も今では味を引き立てるスパイスとして楽しめる。

 

「また、アイツの料理が食いたいよ」

 

 今は亡き妻の味には程遠いが、魚を口にするとどうしても思い出してしまう。仕事の都合上、家族揃って食事をした回数は両手の指で足りてしまうくらい少ない。自分は良き父親であり、良き夫であれただろうか。

 

「……もう一本買おう」

 

 感傷的になった時は好きなものを食べる。大人として年下の同僚に教えてきたことだ。

 自分もそれを実践し、今やるべきこと———仕事に集中しようと決めた。

 

 

 

 

 

 シーホークから船に揺られて数時間。優しい潮風が歓迎するように二組の生徒を撫でる。

 時刻は黄昏時で、水平線に沈む太陽が海を黄金色に染めていた。

 

「とても綺麗ですね」

 

「そうね。フェジテじゃこんな景色は見られないもの」

 

 タラップを降りながら信一とシスティーナは雄大な自然の芸術に感慨深いものを感じている。

 

 故郷の港町は海が東側にあったので、日の出は見れても日の入りは見られなかった。同じ海と太陽のコントラストでも方角が変わるだけでここまで違うのかと驚きが隠せない。

 

 と、その時だ。

 

「先生、しっかり……」

 

「あぁー……うぅー……」

 

 ルミアとリィエルに両脇を支えられたグレンが後ろからタラップを降りてきた。

 顔は真っ青で、今にもさきほど食べた昼食を雄大な自然の芸術にブチまけてしまいそうだ。

 

「「 ハァ…… 」」

 

 相変わらず感動を壊すのが得意なグレンに主従は揃ってため息を吐く。

 それも束の間、リィエルはともかくルミアに苦労をさせるのは嫌なので刀が入った布袋をグレンの襟首に引っ掛けてそのまま担ぐ。痩躯ではあるが、拳闘をやるせいか意外と重い。

 

「船がダメなら酔い止めくらい飲んでくださいよ」

 

「俺は薬が効きにくいんだ……うぷっ」

 

 たぶん帝国軍時代に耐毒訓練でもあったのだろう。死なない為の訓練がまさかの逆効果だ。

 

 布袋の先で洗濯物のようにブラブラしているグレンへとルミアが問いかける。

 

「でも、そんなに船が辛いならなんでここ(サイネリア島)を遠征場所に……」

 

「あ?決まってんだろ、んなもん」

 

 実は二組の行き先のアンケートを取った結果、軍事魔導研究所と白金魔導研究所で見事半々に分かれてしまったのだ。最後の1票であるグレンが白金魔導研究所に入れここに来ることが決まった。

 

 その1票を入れた理由を、グレンは無駄にキリッとしたキメ顔で言い放つ。

 

「美少女の水着はあらゆるものに優先するのさ」

 

「せ、先生……!!」

 

「アンタ(オトコ)だよ……!」

 

「一生着いて行くぜ!!」

 

 そんなグレンの言葉に後ろの男子達は感涙にむせび、尊敬の眼差しを向けていた。グレンが来てから男子のノリがおかしくなり始めたというのはシスティーナの言。

 

「馬鹿なこと言ってないでさっさと旅籠に行きますよ!」

 

 沸く男連中に冷ややかな目を向けつつ、システィーナはずんずん先へ行ってしまった。

 担いでいるグレンとルミアが話しているのでそれに続くことができず、離されていく信一達。しかし、それを見計らったようにルミアの嬉しそうな声が後ろから聞こえてきた。

 

「ありがとうございますね、先生。軍事魔導研究所ではなくここを選んだのは、私達を軍の魔術に関わらせたくなかったからなんでしょう?」

 

「……何の事だー?俺はただ美少女の水着姿を拝みたかっただけだし」

 

 ルミアから顔を晒してそう言ったのが、聞こえてる音の方向が変わったことから信一にも理解できた。たぶん今言ったことも本心だが、ルミアの言ったこともまた彼の心にあった本音なのだろう。

 

「男のツンデレに需要はありませんよ」

 

 ここはグレンの気持ちを汲み、茶化すように言ってやる。

 

「べ、別にお前らの為じゃないんだからね!」

 

「キモいなぁ〜」

 

 信一の意図を理解して照れ隠しにおどけるグレン。彼らの姿を眺めるルミアの顔に全てお見通しと言いたげな優しい笑みが浮かべられていた。

 

 

 

 

 

 

「それでは作戦を開始する」

 

 物々しく重たい雰囲気で告げられたカッシュの一言に、二組の男子計8人は静かに頷く。

 

 時刻は就寝時間。本来なら床に就き明日へと備えて寝る時間なのだが、遠征学修は天候の影響で旅程が狂うことを考慮して余分に時間を確保してある。二組は特に滞り無くサイネリア島まで来れたので、明日は実質自由時間なのだ。

 それを良いことにここにいる男子生徒は今夜女子部屋にお忍びで遊びに行くという、なんとも思春期の男の子らしいことを決行しようとしている。

 

「でも意外だったな。まさか信一も来るなんて」

 

「そうだな。てっきり止める側だと思ってたよ」

 

「そのわりには話持ちかけてきたよね?」

 

 そして、そのお忍び部隊にはフィーベル家の従者である朝比奈信一も加わっていた。さすがに旅籠ということで刀の入った布袋は部屋に置いてあり、珍しく手ぶらの状態だ。

 

「こういう機会はもうないかもしれなからさ。だから楽しまないと。それに———」

 

 にこやかに言葉を紡ぐ。

 

「もし女子部屋で下手なことしたら……わかるよね?」

 

「……どうなるんだ?」

 

 その笑顔から放たれる威圧感に、7人の男の子達は気圧される。しかし、それでも代表して問い掛けたカッシュはとても勇気があるのだろう。

 

「みんなの指を一本残らず突き指させる」

 

「「「 怪我の度合いがリアルで逆に怖い!! 」」」

 

「まぁ、遊ぶだけならそんなことしないから安心してよ」

 

 自分のクラスメイトは人が傷つくことを進んでやるような連中じゃない。それは信一が1番よく分かっているので、この脅しは単なる保険だ。もちろんその時がくれば実行するが。

 

「それでどうやって女子部屋まで行くの?」

 

 自分の話はここまでと切り上げ、雰囲気的に部隊長ぽいカッシュへ聞く。

 

「裏手の雑木林から木を登って部屋内に侵入するんだよ。俺達が泊まる別館と女子達が泊まる本館を繋いでる回廊じゃ誰かに目撃されるリスクがあるからな。ちなみにルートや誰が誰の部屋なのかは夕食をサボった時に調査済みだ」

 

「い、いつの間に……」

 

「流石……抜かりないぜ」

 

 尊敬の眼差しがカッシュへと集まる。

 

「さぁ、行くぞ!俺達の楽園(エデン)は目の前だ!!」

 

「「「「 おうッ! 」」」」

 

 そして8名は歩み出す。全ては一夜限り、可愛い女の子とのキャッキャうふふを目指して。

 

 ———だが、それを阻む者がいた。

 

「甘い……甘いぜ?お前ら。その程度の浅知恵なぞ、最初からお見通しなんだよ」

 

「どう…して……」

 

 本館への道中にある、ぽっかりと円形状に開けた空間で待ち受けていた。

 

 カッシュの調査では、この時間ここにいるはずがない。それが何故だろうか。まるで未来が見えていたかのように仁王立ちしている。

 

「どうしてアンタがここにいるんだ———グレン先生!!」

 

 カッシュの手酷い裏切りを嘆く慟哭が雑木林に響く。

 

「そんなの簡単だろ」

 

 その慟哭すらグレンの心に届くことはない。さも当然とばかりに一同を睥睨し、威風堂々言い放つ。

 

「俺がお前らだったら、絶対このルート、このタイミングで、今晩、女の子達に会いに行くからなぁ!」

 

「ですよね〜」

 

 信一はゼーロスと戦った時に学んでいた。経験は全てを凌駕するということを。

 グレンの経験に基づいた憶測が、まだ青い少年の浅知恵を凌駕した。この状況はただそれだけのことだ。

 

「ま、そういうわけで……だ。部屋に戻れ、お前ら。一応規則なんでな」

 

「……………………」

 

「心配すんな。んなコトいちいち報告なんてしねーよ。だから……」

 

「———それはできないぜ、先生」

 

 カッシュが食い気味に固い意志の灯った言葉を放つ。

 

「……なんだと?」

 

「男には退けない時がある……俺達にとっては『今』がそうなんだ……」

 

「あぁ、そうさ。俺達は退かない。例えドラゴンが行く手を阻もうと、例え多くの人から後ろ指を差されようと……俺達は楽園(エデン)を目指す!」

 

「それすら踏破できずして、何が楽園(エデン)だぁ!」

 

「そうか……お前ら」

 

 グレンの目が変わる。生徒を見る目から『男』を見る目へと。

 

「………………」

 

「………………」

 

 場に渦巻く緊張感。誰かの額に浮かんだ汗が流れ、頰を滑り、顎をなぞり、そして———落ちた。

 

「行くぜ、皆!俺に続けッ!グレン先生をやっつけろッ!」

 

「ふっ……かかってこい、お前らぁ!?」

 

 講師と生徒……否、男と男が雑木林の中でぶつかり合う。そこにあるのは意地とプライドと9割の下心だ。

 

 

 

 

 

 

 と、そんな彼らをどこまでも冷やかな目で見下ろす影が旅籠本館の屋上に1つ。まだ水分の残る銀髪を月明かりに煌めかせながら頬杖をついて眼下のしょーもない茶番を眺めている。

 

「何かあったの?システィ」

 

「おバカとおバカがバカバカしい意地張ってバカみたいにじゃれ合ってる」

 

「あんまりバカバカ言われると悲しいですよ」

 

「「 うわっ!? 」」

 

 突然手すりの外からピョンっと飛び出してきた影にシスティーナとルミアは驚愕の声を上げた。

 ここは旅籠の屋上。どう考えても外側から人が飛び出してくるような場所ではない。

 

「し、シンくん!?」

 

「はい。2人とも、お風呂はもう済ませたんですね」

 

「あ、うん……じゃなくて!」

 

「ここ屋上よ!どうやって来たの!?」

 

「どうやって、といわれましても……普通にこう、こうです」

 

 右手を上げて、それを下げながら今度は左手を上げる。あまり信じたくはないが、旅籠の壁をよじ登ってきたらしい。

 

「【迅雷】を使えば大したことはないですね」

 

 恐ろしいレベルの無駄遣いに2人の口が塞がらない。これを普通と言っちゃうあたり、何度かやってるんじゃないかと心配になってくる。

 

「そ、それより!あれは何してるの?」

 

「ん?楽園(エデン)への行く手を阻むグレン先生を打倒しようとしてますね」

 

楽園(エデン)って?」

 

「女子部屋です」

 

「あはは……」

 

 ルミアが苦笑いを溢す。このあたりは男女で価値観が違うのだろう。なにせ男連中はマジで女子部屋を楽園(エデン)と思ってるのだから。

 

「まぁ、それは置いといてですね。リィエル」

 

「…………………」

 

 信一は小柄な体躯のせいか背伸びをして下の様子を眺めているリィエルへ声をかける。

 

「あれは遊んでる……って言ったらカッシュ達に失礼だけどそんな感じだから襲いかかっちゃダメだよ」

 

 以前、グレンに突っかかるハーレイへ問答無用で斬りかかっていたことを思い出して釘を刺しておく。一応カッシュ達は本気だからなんと言っていいか困る。

 

「……ん、大丈夫。カッシュ達からは嫌な感じがしないから」

 

「そっか」

 

 あまり自身の感情を表に出すことはないが、他人のそういった敵意には敏感なようだ。そのあたりは安心できる。

 同じようなことを考えていたらしいシスティーナと共に安堵のため息を吐いた、その時だ。

 

「あんな楽しそうなグレン……初めて見た……」

 

 ぽつり、雨音のような小さな呟きがリィエルの口からもれる。

 

「そうなの?だいたいいつもあんな感じよ?」

 

「昔は……もっと暗かったから」

 

 いつも通りの無表情で未だに続く茶番を眺める彼女の瞳には何が映っているのだろうか。生憎と読み取ることはできない。

 

「だから、わたしがそばにいて守ろうって……」

 

 リィエルはリィエルで昔何かあったのかもしれない。

 

 よくよく考えてみれば分かることだ。自分達と年の近い少女が宮廷魔導士団などという命懸けの世界に身を投じてる理由が楽しいものとは考えにくい。だからグレンを守るという使命を自身に課すことで何かに手を伸ばしている。

 

 それが彼女にプラスなのかは、事情を知らない信一には与り知らぬことだ。

 

「別に暗くても明るくても、守りたいなら守ればいいと思うよ。もちろん仕事に支障が出ない範囲でね」

 

 これが何も知らない自分に言える精一杯だった。ルミアを護衛するということに支障をきたさないのならリィエルの自由にすればいい。フィーベル家の従者であり、共にルミアを守る信一にも彼女を束縛する資格はないのだから。

 

「……うん」

 

「まぁ、何かわからないことがあったら皆を頼りなよ。もう友達でしょ?」

 

「とも…だち……?シンイチもわたしの友達?」

 

「俺? う〜ん……そうだなぁ………」

 

 どうなのだろうか。良い関係を築きたいとは思っているし、ここは頷いておくのが合理的な判断だとは思うが……と、どう答えたらいいか迷っていたその時。

 

「あらあら。こんなところにいたんですの?お三方……と信一?」

 

「やっほ、ウェンディ。どうしたの?」

 

 屋上の扉を開いて姿を見せたウェンディは、何故かいる信一に目を丸くしている。いちいち説明するのも面倒なのでさっさと話を進めてもらおうと先を促す。

 

「えぇ、これからわたくし達の部屋に集まってカード・ゲームにでもと思いましたの。それで3人を」

 

 これまた男子が乱入したそうなことが女性陣だけで始まるみたいだ。

 

 林の状況をチラッと見ると、7人もいるのに生徒側は劣勢を期している。そろそろ助力に行くべきだろう。魔術の才能がない自分が行ったところで焼け石に水だが、いないよりはマシだと思いたい。

 

「シンくんも参加しない?」

 

「う〜ん……俺、というか俺達はグレン先生を打倒しないといけませんし」

 

「あの連中を部屋に入れる気はないわよ」

 

「あはは、それ聞いたら泣いちゃいますよ」

 

 わりと容易にその光景が想像できる。

 

 あんまり女子の世界に長居するのは良くないと判断し、手すりに足をかけて飛び降りる準備。一度はこの3倍くらい高い転送塔から人を抱えて飛び降りているので恐怖はない。

 

「あ、待って信一!」

 

「はい?」

 

 あとは手を離せば降りられるのだが、その時になってシスティーナが声を掛けてきた。

 振り返って彼女を見ると、ほんの少し心配そうな表情を浮かべている。

 

「ちゃんと楽しめてる?」

 

「えぇ———もちろん」

 

 いつもの微笑みではなく、満面の笑みでそれに応え、今度こそ飛び降りてカッシュ達の元へ向かうのだった。

 

 

 

 

 

 

 雑木林の中では何故か怪我をしていないのに肩を抑えてたり、絶対自力で立てるはずなのに肩を貸し合ってるクラスメイト達。なんとなく満身創痍に見えるが、見えるだけで特に大きな怪我はない。

 

「クソッ!」

 

「やっぱり俺達じゃ届かないのか……ッ!」

 

「今は退いておけよ、お前ら。楽園(エデン)はおのずと現れる。絶対にな」

 

 ピンピンしてるグレンは彼らを睥睨してそう宣言。みんな、劣勢のせいか士気も落ちてグレンの言葉を鵜呑みにしようとしている。

 

 

 

「諦めるな!」

 

 

 雑木林の中に戦意に満ちた激励の言葉が木霊する。一同が声の出所は目を向けると、信一が仁王立ちで胸を張って立っていた。

 

「信一……」

 

「諦めるな!立ち上がれ、楽園(エデン)を目指す益荒男(マスラオ)達よ!先生を倒せば、そこに俺達の目指すモノが必ずある!!」

 

 信一の激励に、しかしカッシュ達の戦意は挫けたままだ。膝を折り、悔しげに歯噛みするしかない。

 

「信一、楽園(エデン)は待てば必ず現れる。だから今は……」

 

「確かにそうかもしれません。先生の言ってることはたぶん正しい」

 

「だったら……」

 

 ただ1人、未だ戦う覚悟がある。この姿を見せれば彼らも立ち上がると信じて信一はまっすぐグレンの瞳へと眼差しを向けた。

 

「勘違いしていた」

 

「なに?」

 

 言葉を遮って言われたものに、グレンは眉を顰める。だが構わず続ける。

 

楽園(エデン)は1つしかないと。そう、勘違いしていました」

 

「………………………」

 

「先生が言うのもまた楽園(エデン)なのでしょう。ですが、お風呂上がりの女子達がキャッキャうふふとカード・ゲームに興じる場所も間違いなく楽園(エデン)のはずです」

 

 その言葉にカッシュ達はハッとした顔になる。

 楽園(エデン)とは人によって千差万別、千変万化。そして1つだけとは限らない。

 

「何が言いたいんだ、お前」

 

「今俺達が目指す楽園(エデン)が、先生の言う楽園(エデン)に勝てないなんていう道理はない」

 

 グレンと信一の間を一陣の温風が吹き上げる。髪服の裾が煽られ靡く中、信一はカッシュ達への激励も込めてはっきりと言い放つ。

 

 

 

 

「いくぞ魔術講師———魔力の貯蔵は十分か」

 

 

 

 

 

 

 

 

 その日の夜、さんざん騒ぎまくった二組の男子8名と担当講師1名は旅籠の従業員から一晩中お説教を食らったとさ。





はい、いかがでしたか?最後のセリフはたぶん皆さん分かったと思います。自分の中にロクアカ好きな人は大抵Fateも好きという偏見があるので。
分からなかった人はFateを見ましょう。全部。

次は海の回ですね。それではお楽しみに。


目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

第27話 縮まる心の距離

原作の最新刊読んで、ハーレイ先生かっけーってなった人は多いはず。

今回は伏線&茶番回です。正直、伏線をここに全て詰め込むのは如何なものかと思いました。2つしかないけど。


 燦々と照りつける強い日差しの下、信一は寄せては返す波に揺られる釣り糸の先をぼんやりと眺めていた。

 視線を少し左に向ければ、自分のクラスメイト達が砂浜でビーチバレーに興じている。もちろん、みんな水着だ。

 

 その中には当然ながらシスティーナとルミアの姿もある。時折キラキラと彼女達の手首が煌めいて見えるのは、自分がプレゼントしたブレスレットを着けてくれている証拠だろう。

 

「2人とも楽しんでるね」

 

 ルミアは審判。システィーナはグレンとギイブルのチームで、テレサ率いるカッシュとリィエルのチームと熱戦を繰り広げている。

 

「お、食いついた」

 

 指先に断続的な揺れを感じて竿へ意識を集中させ、巧みに動かして魚の体力を奪っていく。そして一瞬の隙を見出し、一気に竿を引く。

 

「よし!」

 

 それなりの大物が釣れた。

 

 元々信一の実家は港町で定食屋をやっていたことから、釣りで魚を調達するのは珍しくなかった。5年も経って勘が鈍っていると心配していたが、旅籠から借りた竿でも十分釣れる。

 針から魚を外して山ほど入っている魚籠に傷が付かないよう入れ、また餌を針へ。

 

(俺も泳ぎたかったなぁ)

 

 一応水着は用意したが、信一は長袖のパーカーを羽織っていた。パーカーの隙間から覗く自身の上半身には痛々しい傷が多く残っているからだ。

 傷が残りやすい体質なのか、【ライフ・アップ】で治したにも関わらずそれなりにくっきりと残ってしまっている。

 

 右胸にはレイクの魔導器で貫かれた刺し傷、左腕にはゼーロスのレイピアが食い込んだ跡と『風刄(フウジン)』を使った時の火傷、右腕も同じく『風刄』と『殺刄(サツジン)』の火傷がある。

 自分はあまり気にしないが、クラスメイトがこんな傷を見せられてはせっかくの海も楽しめないだろう。そういう配慮もあり、信一は1人で海釣りへと洒落込んでいた。

 

「こんなものかな?」

 

 少々たくさん釣り過ぎてしまったが、自分のクラスメイト達は男女共に食べ盛りだ。加えて痩せの大食いであるグレンもいる。このくらいはペロリと平らげてしまうに違いない。

 

 最初はシスティーナとルミアに海の幸を味わってもらいたいという想いからだったが、釣りをしているうちにそれが全員に変わっていた。自分も懐かしさを感じるこの環境に浮かれているのかもしれない。

 

「……シンイチ」

 

「ん?」

 

 クラスメイトが喜ぶ姿を想像して頰を緩ませる信一に、突如背後から声がかかった。振り向くとそこには、リィエルがいつも通り感情の読めない目をこちらに向けている。

 

 彼女は特にお洒落には興味がないらしく、紺のスクール水着だ。ほとんど年も近いはずなのに異様に似合っている。そういう趣味がある人なら思わず攫ってしまいそうだ。無事に攫えるかどうかは別として。

 

「なにしてるの?」

 

「釣りだよ。もう終わりだけどね」

 

「……そ」

 

 チョコチョコと歩いてきて隣に腰を落ち着けるリィエル。しかし特に何も話しかけてこないので沈黙が流れる。

 それが気まずく感じ、信一は先ほどここから見えた彼女のプレイについて話すことにした。

 

「さっきのスパイク凄かったね。どうしてあんな脱力した状態から打った球が砂に半分めり込むのか不思議だよ」

 

「柔は剛を制す……?」

 

「たぶん違う」

 

 まさかの返答に思わずツッコミが口をついた。そんな理屈で説明がつく話ではない。

 

「………………」

 

 リィエルは特に気にせず、魚籠に入った魚を興味深そうにしげしげと眺めている。

 

「食べてみる?」

 

「……いいの?」

 

「元々その為に釣ってたからね。あっちから枯葉と適当な長さの枝取ってきてよ」

 

 コクンと頷いたリィエルは注文通りそれらを拾いに向かった。

 

 素直な彼女の姿を尻目に信一は魚籠の中から適当に二尾を取り出して【ショック・ボルト】を撃ち込むという、とても魔術学院の生徒らしいやり方で締める。それから血抜きを終えた頃、丁度リィエルが腕いっぱいの枯葉と二本の枝を持ってきてくれた。

 

「《火の仔らよ・指先に小さき焔・灯すべし》」

 

 3回目にしてようやく起動した黒魔【ファイア・トーチ】を枯葉に放り込んで火を起こす。その火が大きくなる前に海水で枝を洗い、魚に突き刺して固定。あとは焼き上がるのを待つだけだ。

 

「魚は塩焼きが1番美味しいんだってさ。父さんが言ってた」

 

「……なんか聞いたことある」

 

 2人はパチパチと音を鳴らしながら魚を炙る火に視線を固めたまま、そんな当たり障りのない会話で時間を潰す。

 

 ふと、信一の頭に5年以上前にも同じような光景があったことを思い出した。信夏と2人で釣りをして、少し多く釣れたから兄妹仲良く一尾ずつ食べて笑い合っていた光景だ。

 やはりリィエルといると、どうしても信夏を想起してしまう。

 

「そろそろかな。はい」

 

「……ありがとう」

 

「お腹のところは内臓があって苦いから気をつけてね」

 

「……ん」

 

 信一はまだこの苦味が得意ではない。一応食べられはするが、まだこれを旨味と捉えるには舌が大人になりきれてないのだろう。

 父親が言うに、内臓を美味しいと思えるようになれたら立派な大人らしい。当時は大人の基準って案外しょぼいと思ったが、今も苦手なのだからその基準も捨てたものではない。

 

「あ、美味しい」

 

「新鮮だからね」

 

「新鮮……? 死んですぐってこと?」

 

「間違ってないけど言い方がちょっと……」

 

 もう少し美味しそうな表現をしてほしいものだ。

 

 背中にかぶりつくと、ほどよく乗った油と締まった身が旨味を口の中へ広げていく。この味も、ここ5年で随分とご無沙汰であった。

 

「焼きたてっていうのもあるかもね」

 

「…………………」

 

 美味しさの理由を大雑把に教えると、リィエルは顎に手を当てて真剣な顔へ。その間も魚を頬張ることは忘れない。

 それから自分なりに理解できたのか、人差し指を立ててほんの少し得意そうな顔になった。

 

「つまり……死んですぐ火葬した魚は美味しい?」

 

「もうそれでいいや」

 

『新鮮で焼きたての魚』をどうしてそこまで食欲のそそらない表現にできるのか謎だが、ここはリィエルだからということで納得しておこう。諦めるとも言う。

 

「あ、こらリィエル。口のまわり凄いことになってるよ」

 

「……んむ」

 

 あまりこういった食べ方に慣れていないのか、リィエルの口のまわりは魚の身と油でベタベタになってしまっていた。パーカーのポケットから取り出したハンカチを使い、丁寧に拭ってやる。

 

(そういえば信夏も下手だったなぁ……)

 

 この姿もまた、妹の姿を想起させてくる。釣りの後に魚を食べ、毎回口のまわりを汚す妹の世話を焼いていた。ちょうどこんな風に。

 

「はい、綺麗になった」

 

「……ありがと」

 

 当初はリィエルから妹を想起することに苛立ちを感じていたが、今はどうだろうか。あまりそれを感じない。

 

 自分も変わっているのだろう。

 

「さ、戻ろうか。みんなにも食べさせてあげないと」

 

「死んですぐ火葬した魚を?」

 

「それ、みんなの前で絶対に言わないでよ?」

 

「……わかった」

 

 釣り竿はリィエルに持ってもらい、大量の魚が入った魚籠を抱えてクラスメイトのところへ戻っていく。肩を並べて歩く2人の姿は、髪色が同じなら本当に兄妹のように映るかもしれない。

 

 

 

 

 

「「「「 おぉ!! 」」」」

 

 ビーチに戻り、旅籠から借りた器具で手際良く調理されたパラソルの下の魚料理にクラスメイトは目を輝かせながら感嘆の声を上げた。

 

「すげぇ!」

 

「お…美味しそう……」

 

 カッシュとリンの呟き通り、信一が用意した海の幸は遊びまくった彼らにとってご馳走に見えるほどだ。盛り付けにも気を使い、さらに食欲をそそられる。

 

「これ、もう食べていいのか?」

 

「いいよ。お腹のところに内臓があって、それは苦いから気を付けてね」

 

 一本ずつ渡しておいた串焼きを待ち切れないと言わんばかりに食らいつくグレンを含む男子一同。やはりこうして豪快にかぶりつくのが格別だ。

 しかし、それに抵抗を示すクラスの半数の者達。

 

「「「 ……………… 」」」

 

「はい。女子のみんなもどうぞ」

 

 さすがにお年頃の乙女が大口開けて豪快に、というのは少々はしたない(リィエルは例外)。そこはシスティーナやルミアと一緒に暮らしているだけあって気付くことができた。

 なので、フォークでも食べやすいように開いて骨を抜いた魚を紙皿に載せて女子の人数分用意しておいたのだ。それを渡すと、彼女達の顔も嬉しそうに綻び出す。

 

「こんなにシンプルなのに……美味しいですわ」

 

「う、うん。これ……味付けは塩だけ?」

 

 実は密かに料理上手なリンの分析に褒め言葉を添えて頷く。素材の味を存分に活かす料理、それが塩焼きなのだ。

 

「ここまで来てもシンくんのお料理食べられるなんて思ってなかったなぁ」

 

「そうね。しかもめちゃくちゃ美味しいし……」

 

 幸せそうに食べるルミア。その顔を見るだけでこちらも幸せな気分になってくる。

 対してシスティーナは若干悔しそうだ。最近メキメキと料理の腕を上げている自信はあったが、まだ差は大きいと自覚してしまったのだろう。それでも食べる手を止めないところは流石と言える。

 

「なぁなぁ!こっちの白いヤツはなんなんだ?」

 

 ペロリと内臓までしっかり食べたカッシュが直射日光に当たらないようパラソルの下に置いてあるもう一品の料理を指差して聞いてきた。

 

「それはお刺身だよ」

 

「オサシミ?」

 

「簡単に言うと生魚」

 

「うっ……生………」

 

 生と聞いてカッシュの表情が引き攣る。そういえばと、今更になって信一は思い出した。このアルザーノ帝国には元々食べ物を生で食べるという習慣がないのだ。

 

「新鮮なうちじゃないと食べられないからおすすめなんだけど」

 

「でもなぁ……」

 

「うん……生はちょっと……」

 

 クラスメイトの刺身を見る目は得体の知れないものを見る目と同じだ。絶対美味しいので是非食べてほしいのだが、どうにも食文化の壁は高いらしい。

 

「おや?これはお刺身ですか?」

 

「あ、テレサ。食べたことある?」

 

「父の商談に付き添った時何度か」

 

 たぶんお花を摘みに行って戻ってきたであろうテレサが、みんなの視線の先にあった刺身を見て首を傾げている。

 彼女はそれなりの規模を誇るレイディ商会の娘。レイディ商会が主に営むのは貿易業であり、その筋で異なる食文化に触れていても不思議ではない。

 

 そこで信一の頭に1つ案が浮かんだ。

 

 彼女が食べれば俺も私もとクラスメイト達が食べてくれるかもしれない。無理強いはしたくないが、せっかくなら食べてほしいという気持ちもあるのでこれは名案だ。

 

 さっそく信一は自前の箸で刺身を一切れ摘み、持参した醤油に程良く浸してテレサに差し出す。

 

「どうぞ」

 

「えっと……はい?」

 

「あれ?食べない?」

 

「あ、いえ……あのぅ……」

 

 差し出された刺身を食べようとしないテレサに信一は首を傾げる。あまり日光に当てておきたくないので早く食べてほしい。そして、この刺身の素晴らしさをクラスメイトに伝えてほしい。

 

 信一の気持ちは単純にそれだけなのだが、テレサは困ったような苦笑いを浮かべて右往左往。その頰も少し赤い。

 

「もしかしてわさびが欲しいとか?」

 

「いえ、そうではなくて……」

 

「じゃあ早く食べないと悪くなっちゃうよ」

 

 添えた左手に刺身から滴る醤油が黒い水たまりを作ってしまっている。さっさと食べてほしい。

 

「では……いただきます」

 

 何故か意を決したような仕草をした後、テレサは片手で髪を抑えながらゆっくりと口に入れる。

 おっとりお姉さん系の美少女であるテレサは色々と発育も良く、そのような行動がとてもセクシーに見える。というか、ぶっちゃけエロい。周りで見ていた男子達はもはや刺身ではなく、テレサにしか視線がいってない状態だ。

 

「ど、どうかな?」

 

「えぇ。とっても美味しいですよ」

 

 いくら狂ってようが壊れてようが信一も年頃の男の子なので、これにはちょっと気まずい気分だ。クラスメイトの前で彼女にとんでもないことをやらせてしまったという思いが半分、それでも間近で見れたのはラッキーという思いが半分といったところか。

 

 テレサはテレサで一応平常心を装っているのだが、照れてるのが丸わかりの真っ赤な頰がその努力を台無しにしていた。

 

 そんな男女の距離が縮まる瞬間を図らずも見せられた他の二組全員は……

 

「「「「 ごちそうさまでした 」」」」

 

 そんな気分にさせられたのであった。昼食はまだ終わらないが。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 明日は白金魔導研究所へ行くということで、今夜はおとなしく自分の部屋で就寝準備を終えて各々時間を潰していた。

 

「ギイブル、チェスやらない?」

 

「教科書を読んでるのが見て分からないのかい?」

 

「でも眉間に皺寄ってるよ。行き詰まってるんでしょ?」

 

「むっ……」

 

 信一は自分と相部屋であるカッシュ、セシル、ギイブルの分のお茶をそれぞれに渡しながら提案してみる。茶葉とティーポットは旅籠のどの部屋にもあるらしい。

 ちなみにこのチェス盤はカッシュが夜に女子と遊ぶ為、生活費を切り詰めて買ったものだ。

 

「あんまり根詰めても入らないだろうし、頭の体操にどう?」

 

「……分かったよ。一戦だけだぞ」

 

「ありがとう」

 

 実はギイブルが返事をする前から駒を並べて断れないような空気にしておいたので、わりとあっさり承諾してもらえた。

 

「あれ?あそこにいるのシスティーナ達じゃない?」

 

「ホントだな」

 

 なんとなく揃って窓から星空を見上げていたカッシュとセシルがそんなことを言ってきた。

 

「お嬢様達?」

 

「うん。ルミアとリィエルと一緒に海へ向かってる」

 

「ならいいや」

 

 これから街に繰り出そうとするなら止めるが、大方カッシュ達のように海岸から星空を眺めようというのだろう。確かに光の少ない海岸からは星や月がとても綺麗に見られる。一応規則を破ってはいるが、せっかくの機会だ。硬いことを言うのは野暮というもの。

 

 後攻の信一はギイブルが動かしたのを確認して、自陣のナイトをポーンの前へ出す。それから自分のお茶を一口。

 

「そういえば信一ってゲイなのか?」

 

「んぐぅっ!?……げほ!………ゴホゴホ!!」

 

「わわっ!大丈夫!?」

 

 唐突なカッシュの爆弾発言で盛大にむせてしまった。セシルが背中をさすってくれるが、回復に時間がかかりそうだ。

 

「けほけほ……なんだよ突然」

 

「いや、なんとなくさ。昨日も女子部屋に行く時は遊びに行くって言うより俺達を監視する為って感じだったし」

 

「あぁ、そういうことね」

 

 チェスに意識を戻しながらカッシュの質問の意図に納得する。確かに自分は学生生活の中であまり恋愛方面に積極的ではないかもしれない。勉強方面も大概だが。

 

「別にゲイってわけじゃないよ。恋人なら男より女の子の方がいい」

 

「ふぅん。じゃあ好きな子とかいねーの?」

 

「特にいないね。みんな優しくて良い人だから友達としては好きだけど、恋愛対象としてはピンと来ないなぁ」

 

 話し掛けられれば話すし、用があれば話し掛ける。それ意外でも談笑はするが、友達から先の関係になろうとは別に思わない。

 それに自分はどうしようもなく人として壊れている。命を奪うことに何も感じないし、家族を守る為なら女王だろうと殺そうとする狂人なのだ。こんな男と恋仲になったところで、不幸になるだけだろう。

 

 信一は自嘲気味な笑みを浮かべながら、また駒を動かす。

 

「あ、じゃあシスティーナとルミアはどうなの?2人とも一緒に暮らしてるし、恋人になりたいとか結婚したいとかないの?」

 

「随分話が飛んだね……」

 

 セシルと質問に少し考えてみる。答えは決まっていた。

 

「結婚は良いけど、恋人にはなりたくないかな?」

 

「それってシスティーナ?それともルミア?」

 

「どっちも」

 

「「 うん? 」」

 

 信一の言ってる意味が分からず、カッシュとセシルは揃って首を傾げる。それが可笑しく、ちょっと笑い声を溢しつつ言葉を続けていく。

 

「結婚は家族だけど恋人は他人でしょ?わざわざ今の家族を他人にしたいとは思わないだけだよ」

 

「あぁ、なるほど」

 

 ここは信一の独特な感性の問題だが、2人とも納得してくれたようだ。

 

 今のガールズトークならぬボーイズトークで気付いたが、自分は想像以上に恋バナには疎いらしい。なので、この話はおしまいと言外に示すようお茶を一口啜って完全にギイブルとの対戦に集中する。

 

 彼は表に出さないだけでかなり努力家だ。それ故にクラスの次席の座を獲得しているが、地の頭もかなり良いらしい。1を切り捨てて2を得るような戦略は正直手強い。

 

 そんなギイブルが意外にも口を開いた。

 

「だったらテレサはどうなんだい?さっきは良い雰囲気に見えたけど」

 

「「「 …………………… 」」」

 

「なんだよ」

 

 ギョッとした三対の目で見られ、ギイブルは不愉快そうに眉を顰めた。

 だが信一もカッシュもセシルも、まさかギイブルが恋バナに乗ってくるとは思わなかったのだ。この反応はむしろ当たり前と言える。

 

「テレサか……。う〜ん……どうだろう」

 

 ゼーロスに折られてしまったが、彼女からは1度プレゼントを貰っている。レイディ商会がそれなりの名家であるフィーベル家に取り入る為の布石ではあったと思うが、たぶんあのプレゼントはテレサ自身の感謝の気持ちも篭っていた気がする。

 

「昼間のアレ、彼女も満更では無さそうだったよ」

 

「そうなの?」

 

「嫌なら受け取らないだろう」

 

 別にテレサに嫌われるような行動をした覚えはない。好かれるような行動をした覚えもないが。

 かなり悩むが、結局人の心なんて考えても分からない。単に友人の厚意を無下に扱うのが気が引けたからそうしただけだろうと勝手に結論付け、ビショップを次の次の手でチェックを掛けられる位置へ。

 

「まぁ、とりあえず今は恋愛する気ないかな。というわけで———はい、ギイブル」

 

「面白いくらい上手く引っかかったね。ほら、チェックメイト」

 

 対してギイブルは右手にルーク、左手にキングを持ってクルッと旋回させながら2つの場所を入れ替える。

 チェスの特殊手『キャスリング』だ。ゲーム中1度も2つの駒を動かしていない場合、一手で入れ替えることができる。

 

 しかも、その『キャスリング』によってギイブルはチェックメイトと宣言した。信一は慌てて自分のキングを見ると、今動かしたビショップが邪魔で安全地帯が無い。逆に別の駒で防ごうにも、ギイブルを追い詰める為に総動員していて守りに使える物は残っていなかった。

 

「うぐっ……参りました」

 

 悔しそうに歯噛みする信一。仕掛けておいて負けるのはやはり悔しいのだ。

 

「さて、寝ようかな」

 

「ん?教科書はいいの?」

 

 敗者らしく駒を片付けながら首を傾げる。途中から本気になっていたが、元はギイブルの休憩の為に挑んだのだ。てっきりまた教科書でも読み始めると思っていた。

 

「なんとなくだけど、今日はこれ以上やっても身にならないと思ってね。それに明日は研究所の見学だろう?白金魔導研究所への道のりは険しいらしいし、君達も早く休んだほうがいいよ」

 

「それもそうだな」

 

「楽しみだね、白金魔導研究所」

 

 ギイブルの言葉に、カッシュとセシルも頷いてそれぞれベッドへ入っていく。

 

「消灯は俺がしとくよ。おやすみ、3人とも」

 

 片付け終わり、信一がベッドに潜る頃には3人とも寝息を立てていた。

 今日は普段接することの無い海でたくさん遊んで疲れたのだろう。遠目から見ていたが、ギイブルでさえビーチバレーに参加していた。その後少しリィエルと話していたし、案外2人の距離も縮まったのかもしれない。

 

 この遠征学修でリィエルも着々とクラスに馴染みつつある。自分ももしかしたら、彼女をルミアと護衛としてでなく友達として見られる日がくるかもしれない。

 

(それも悪くないかもね)

 

 そして信一も瞼を閉じた。







はい、いかがでしたか?なんだかんだでオリジナル回になっちゃいましたね。
テレサにヒロインの可能性を感じた?気のせいです(白目)



目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

第28話 離れる心の距離

はい、お久しぶりです。まだエタっちゃいませんよ!

今回はかなり原作遵守です。さすがにオリジナル要素を入れる部分が見当たらなかった……。


 翌日、ついに遠征学修のメインである研究所見学の日がやってきた。

 

 二組の見学先である白金魔導研究所はサイネリア島の中心部にあり、道中は手付かずの樹海。未だ生態系も完全には掴めていない未知の領域で、調査が入るたびに新種の生物や植物が見つかるほどだ。

 白金魔導研究所へ向かう道は唯一石畳で舗装された一本道。ただし左右には等しく樹海が広がっている。

 

「ご、ごめんね信一……大丈夫…?」

 

「まぁ、なんとか」

 

 そんな場所を信一は右肩に担いだ右刀(むーくん)の先にリンをぶら下げ、左刀(はーちゃん)には自分とシスティーナ、ルミアの荷物を吊るして歩いていた。

 どういう理屈なのか、襟に引っかかって首吊り状態のはずであるリンは全然苦しそうじゃない。

 

「あなた……ぜぇ…はぁ……なんでそんなに……はぁ……余裕なのよ……?」

 

「……俺の住んでた港町って海と山に挟まれてましてね。いじめっ子から逃げる為に走り回ってましたから」

 

「あ……その…ごめん」

 

 システィーナの質問に遠い目で答える信一へ、周囲からは多大な憐憫が向けられる。

 信一は魔術以外はなんでもこなせるが、そのこなせるようになった経緯に残念なものが多い。

 

 奇しくも信一の地雷を踏み抜いたシスティーナは気まずさのあまり目を逸らし、その先のルミアに視線を移す。彼女も体力に自信があるほうではなく、端正な顔に疲労の色が濃く見て取れる。

 

「……大丈夫?ルミア」

 

「あんまり……大丈夫じゃ……ないかも」

 

「キツいようでしたら担ぎましょうか?荷物を背負えば左側が空きますけど」

 

「う〜ん……もうちょっと頑張って……みるよ……」

 

 迷惑を掛けたくないという思いから気丈に振る舞う健気なルミアの姿に涙腺が緩む信一であった。

 

「最悪リィエルに背負ってもらうのもアリか……」

 

 ひとりごちつつ、自分たちより少し後ろを歩くリィエルへと目を向ける。

 さすがは現役の宮廷魔導士というべきか。息一つ乱さず、汗一つかいていない。いつも通りの眠たげな無表情で平地のようにスイスイ歩いている。

 

 ———その時だ。

 

 一つだけポコッと飛び出していた石畳に足を取られ、リィエルの体がぐらつく。さすがに転倒まではしなかったが、彼女も疲れているのだろうか。

 

「リィエル、大丈夫?足場が悪いみたいだから気をつけて」

 

 ルミアが心配そうに片膝をついて手を差し伸べ……パチン。その手をリィエルは煩わしそうにはたいた。

 

「……触らないで」

 

 実は今日初めて聞く彼女の言葉。それは昨日までの無表情ながらも素直な態度が嘘のようにとても冷たく攻撃的なものだ。

 

 信じられないといった様子ではたかれた自分の手を見るルミアには目もくれず、リィエルはスタスタと先へ行ってしまう。

 

「……ちょっと待って、リィエル。今のはさすがに酷いんじゃない?ルミアは貴女のことを心配して……」

 

「……うるさい」

 

 さすがに今のは見過ごせず、システィーナはリィエルの腕を掴んで一言。だがそれに対するリィエルの言葉は拒絶であった。

 

「うるさいうるさいうるさい!」

 

「え?」

 

「関わらないで!いらいらするから関わらないで!」

 

「ちょ……リィエル?」

 

「わたしは———あなた達なんか、大嫌い!」

 

 システィーナの腕を振りほどきながらそれだけ叫び、今度こそ彼女は先へ行ってしまう。

 

「うん……?」

 

 信一は今の様子を見て首を傾げていた。少なくとも昨日までシスティーナ、ルミア、リィエルの仲は良好だったはず。護衛などの事情とは関係無く、友人として過ごしていた。それが一変してあの態度。

 

 原因はすぐに思い至る。

 

「お嬢様、何したんですか? 怒らないから正直に話してください」

 

「なんで決めつけるのよ!」

 

「違うんですか?」

 

「ち・が・う!!」

 

 てっきり昨夜自分と別れて以降にシスティーナが何か鬱陶しいことでも言ったのではないかと考えていた信一は意外そうに目を見開く。一応本人が自分の非を認めたくないだけという可能性もあるのでルミアに目配せすると、首を横に振った。どうやら本当に違うらしい。

 

「すまん」

 

 何か他に原因でもあるのかと黙考していると、突如後ろからグレンが謝罪を口にした。

 

「俺が昨日あいつを怒らせちまってな……。今ちょっと不安定なんだよ」

 

 珍しく本当に申し訳なさそうにするグレンに、3人は何も言えない。いつもの彼ならここから自分の名誉だけでも守ろうとするが、叱られた子どものような表情を浮かべてるだけで黙っている。

 

「……あいつはさ、子どもなんだよ」

 

「俺たちも子どもですよ」

 

「まぁ、そうなんだけどさ。なんというか……心がな、まだ小さい子どもなんだ。そうならざるを得なかった特殊な生い立ちで……」

 

「「「 ……………… 」」」

 

「そういうわけでさ。だからその……これで愛想を尽かさないでやってくれ。難しいかもしれんが……」

 

 苦笑いで頼み込むように手を合わせるグレン。そんな彼へと真っ先に頷いたのはルミアだった。

 

「大丈夫ですよ。こんなことでリィエルを嫌いになったりはしません」

 

 それに続いてシスティーナも腰に手を当てて呆れたように言う。

 

「私達は大丈夫です。それよりも先生、リィエルと早く仲直りしてくださいよ?」

 

 さらに信一も、いつもの優しげな微笑みで諭すように。

 

「今夜旅籠の裏に来てください。理由はどうあれ、ルミアさんに悲しい顔をさせた原因が先生なら是非も無くシバきます」

 

「お前ブレないな!?」

 

 顔と言動の差が著しく大きい信一に鋭くツッコミを入れれば、ルミアとシスティーナはなんとか笑ってくれた。

 

 編入してからそれなりに時間が経ったといっても、やはりリィエルと過ごした時間が1番長いのはグレンだ。とりあえずグレンには仲直りしてもらい、それに便乗する形で自分たちは彼女を許す空気を作っておけばいいだろう。

 

 

 

 

 

 

 

 それから2時間。二組一行はやっとの思いで白金魔導研究所にたどり着いた。

 

「おぉ!凄いですよ、2人とも!滝つぼに虹ができてます!」

 

「ご……ごめんね…シンくん……」

 

「ちょっと……そんな余裕ないわ……」

 

 いじめっ子から逃げ回っていた体力は伊達じゃない信一。白金魔導研究所のすぐ近くにある滝を見てはしゃぐが、ルミアとシスティーナは疲れ果てて背中合わせで座り込んでしまっている。

 

 周りを見れば、ほとんどのクラスメイト達も彼女らと同じような状態になっていた。余裕がある者はグレンとリィエル、あとはずっと担がれていたリンくらいだ。

 

「ようこそ、アルザーノ帝国魔術学院の皆さん。遠路はるばるご苦労様です」

 

 2人に水筒を渡していると、クラス全体に初老の男性が声を掛けてきた。

 

「私はバークス=ブラウモン。この白金魔導研究所の所長を務めさせていただいている者です」

 

 禿げ上がった頭や白の混ざった髭は年齢を感じさせるが、柔和な表情で笑いかけてくる姿は好々爺然としてとても親しみやすそうだ。

 

(なんとなく雰囲気が大旦那様に似てるかも……)

 

 初めてフィーベル家に来た時、今は亡きシスティーナの祖父であるレドルフはちょうどバークスのように優しく笑顔で迎えてくれた。

 あの時の自分はまだ母親を殺した自責の念で素直に喜べなかったが、今思えば彼は初めから自分を受け入れていたのだろう。でなければ初対面の小僧にあのような聖人じみた笑みを向けることなどできない。

 

「信一!早くしないと置いてくわよ!」

 

「うわっ、ちょっと……」

 

 少し思い出に浸っていると、いつの間にか復活したシスティーナに突然腕を引かれる。

 

 どうやら所長であるバークス直々に研究所の案内をしてくれるらしい。彼の権限なら本来は見学できないところも立ち入ることができ、正真正銘の白金術の最先端を見れるとあってシスティーナは興奮を隠せない様子だ。

 

 そんな魔術大好きな彼女の様子に頰を緩ませながら、ふとルミアの方を見ると、何故か不安そうな表情を浮かべていた。

 

「ルミアさん?どうかしましたか?」

 

「……え?ううん、なんでもないよ」

 

「……?」

 

 まるで誤魔化すように首を振るルミアを怪訝に思いながらも、本人がそう言うのならと信一は頷いてシスティーナに引かれてる腕とは逆の手で彼女の手を取る。

 

「さぁ、行きましょう。なんかお嬢様のスイッチが入ってしまったみたいなので」

 

「あぁ……シンくん、頑張って!」

 

「もちろんルミアさんも道連れです」

 

 興奮したシスティーナが最先端の研究を見て私見を語らないはずがない。それを1人で聞くのはさすがに荷が重いのでルミアと半分こという魂胆だ。

 

 せっかくの遠征学修。理由はわからないがルミアに何か不安があるのなら取り除きたい、そうでなくともせめて今この時は忘れさせたいと思うのは家族として当然のこと。

 そんな信一の気遣いを悟ったルミアは静かに手を握り返した。

 

 

 

 

「白金術。それは皆様もご存知の通り白魔術と錬金術の複合術であり、この分野が扱うのは生命そのもの」

 

 バークスの解説を聞きながら研究所内を歩く二組一行。

 研究所内には様々な研究室があり、その1つ1つがフェジテでは見ることの叶わない目新しいものばかりだ。

 

 中でも特に目を引いたのは複数の動植物を掛け合わせて作られた合成魔獣(キメラ)の並ぶ研究室。中にはおとぎ話でし出てこないような、空想上の生物に極めて近い形のものまであった。

 

「グロいけど、なんだか幻想的ですね」

 

「う、うん……そうね」

 

 本好きな信一からするとそれなりに楽しめるが、システィーナにとっては思わず目を背けたくなるようなものらしい。

 

「でも……なんだか気が引けちゃうな」

 

「ルミア?」

 

「やっぱり、人がこんな風に命を好き勝手に弄くって本当にいいのかな……」

 

「それが白金術なのだから仕方ないのでは?」

 

「まぁそうなんだけどさ……」

 

 確かにルミアの言いたいことは分かる。生命は尊いものであり、それを操作するというのはどこか神を冒涜するような傲慢な行為に思えてならない。ルミアが気が引けるというのも無理のない話だ。

 だが、尊いからこそ手中に収めたい。生命の神秘を解き明かしたいと思うのもまた人の性だろう。特に知的好奇心旺盛な魔術師にとって白金術はまさに禁断の果実———深みにハマれば戻れない道と言える。

 

「人間である以上、知を求めるのは仕方ないと思う。でも、やりすぎないようにしなきゃね」

 

「……うん。呑まれないように気をつけないと」

 

「お嬢様、珍しく良いこと言いましたね」

 

 ———ゲシッ

 

 しんみりとしながらも絶対に水を差してはならないところで差しにいった信一の脛をシスティーナがトーキック。結構痛い。

 

「でも……流石に『あの研究』はここでもやってなさそうね。まぁ、当然といえば当然だけど」

 

「あの研究って何?システィ」

 

 涙目で脛を抑えて蹲る信一の頭をナデナデしてあげながらルミアは首を傾げる。それにシスティーナも答えようとするが、どうにも重要なところが思い出せないらしく考えるような仕草をしていた。

 

「えっとね、死者の蘇生・復活に関する研究。かつて帝国が大々的に立ち上げたプロジェクトで、その名前が……」

 

「……『Project : Revive Life』」

 

 突然、背後から3人のものではない声が割って入った。

 振り向くと、そこには相変わらず好々爺然ときた顔のバークスが立っていた。

 

「まさか学生さんの口からそこ言葉を聞けるとは……よく勉強していらっしゃる。あなたのような優秀な若者がいれば帝国の未来は明るいですな」

 

「いえ、そんな……」

 

 そんな慌てて恐縮するシスティーナを尻目に、信一は脛の痛みも忘れてバークスへ詰め寄る。

 

「あの!死者の蘇生・復活というのは本当ですか!?」

 

「お、おや?興味がおありで?」

 

「はい!」

 

 バークスからすれば、突然足元から生えてきたようにすら思える信一の挙動。それに若干引きながらも柔和な笑顔を崩さず丁寧な口調で説明を始めてくれる。

 

「生物の構成要素は肉体たる『マテリアル体』、精神たる『アストラル体』、霊魂たる『エーテル体』の三要素なのですが……死を迎えた生物はその三要素が分離し、それぞれがそれぞれの円環に還ります。すなわち『マテリアル体』は自然の円環へ、『アストラル体』は集合無意識の第八世界……意識の海へ、『エーテル体』は輪廻転生の円環、摂理の輪へと回帰します。ゆえに生物の死後、『アストラル体』が意識の海に溶け消え、『エーテル体』が次の命へと転生する以上、死者の蘇生は不可能———これを死の絶対不可逆性と言います」

 

「………………………………」

 

 何言ってんの、このお爺ちゃん。それが信一の率直な感想だった。バークスを見る目は、耄碌した老人に向けるものとなっている。

 理解できた部分と言えば、肉体たる『マテリアル体』は死んだら土に還るというわりと誰でも知ってるところくらいだ。

 

 ちなみに今バークスが話した内容は学院の授業でも取り上げたことがあるものなので、システィーナとルミアは問題なく理解できている。

 

「今のところ、この死の絶対不可逆性を覆す魔術はございません。それゆえに、この死者蘇生計画たる『Project : Revive Life』……通称『Re()———」

 

「『Project : Revive Life』ってのはな、要するに今バークスさんが言ってた生物の三要素を別のもので置き換えて、死者を復活させようという試みなんだよ」

 

 突然、グレンがバークスの言葉尻を奪うように口を挟んできた。

 

「復活させたい人間の遺伝情報から採取した『ジーン・コード』を基に、代替肉体を錬金術的に錬成し、他者の霊魂に初期化処理を施した『アルター・エーテル』を代替とし、復活させたい人間の精神情報を『アストラル・コード』に変換して代替精神とする。そして、最終的にこの代替肉体、代替霊魂、代替精神の三要素を一つに合成し、本人を復活させる……そんな術式だ。わかったか、信一?」

 

「なんとなく……ふわふわと……シルエットくらいは掴めました!」

 

 信一流にざっくりとまとめてしまえば、同じ考え方と同じ記憶を同じ形にした肉体へ叩き込んでしまおうというものだ。

 

「でも……それって復活って言えるんでしょうか?」

 

 グレンの説明をしっかりと理解したルミアは、この術式の問題点をバークスへと問いかける。3つのコピーが合わせたことを復活と呼べるのか。当然の疑問だ。

 

「確かにこの方法で復活させた人間は厳密な意味では本人ではありません。けれど周囲にとっては失ってしまったはずの人間が寸分変わらない姿形と人格記憶を持って戻ってくる。そういう意味での有用性が唱えられたのです」

 

 バークスの答えは思わずルミアとシスティーナの背筋を凍らせた。

 自分じゃない自分を周囲が自分として扱う光景を想像してしまったのかもしれない。その光景は言い知れないおぞましさを感じさせる。

 

 彼女達の顔色から悟ったらしいバークスは安心させるように笑いかけながら言葉を続けていく。

 

「ですがご安心を。結論と致しましては、このプロジェクトは失敗に終わりました」

 

「そういえば、どうして失敗したんですか?これだけ理論が成立しているのなら……」

 

 ここまで話を聞く限り、失敗する要素は見当たらない。優秀なシスティーナにとっては不思議であった。

 

「様々な問題があったからですよ。魔術言語『ルーン』の機能限界であったり……あとは倫理的な、ね」

 

「倫理的……?」

 

 システィーナは不思議そうに問い返す。すると、それにグレンが応じる。

 

「復活に必要な三要素の一つ……霊魂体の代替品であふ『アルター・エーテル』だが、これを作成するには何の関係もない複数の他人から霊魂を抽出して加工、精錬するしか手段がなかったんだ」

 

「え!?それって……まさか……」

 

「そうだ。一人復活させようとすれば、別の誰かが何人か確実に死ぬ。こんなこと許されるはずがねぇ」

 

 グレンが吐き捨てるようにして『Project : Revive Life』の概要を締めくくった。

 なんとも言えない沈黙が流れるが、そこで信一は口を開く。

 

「参考までに聞きますけど、具体的に何人の命が必要とかわかりますか?」

 

「ふむ……どうでしょう。元々頓挫したプロジェクトですからねぇ……。少なくとも1人復活させるのに二桁は必要でしょう。三桁まではいかないかと」

 

「二桁ですか。意外と少ないですね」

 

 淡々と、まるで命をただの数字であるかのように語る信一の質問にシスティーナ達は顔を顰めている。実際信一にとって家族以外の命は数字程度の価値しか見出していないし、それを彼女達も認めているが、だからと言って気持ちの良い話ではない。

 

 だが、珍しいことに信一はルミアとシスティーナの反応には目もくれず話を進めていく。この話は理解出来ないなりにも詳しく聞いておきたいのだ。

 

「死者の蘇生・復活というからにはもう少し焚べると思いました」

 

「コーヒーと同じです。注いだお湯は挽いた豆に少し吸われてしまいますが、ほとんどお湯と変わらない量が抽出できるでしょう?そう考えれば、むしろ二桁だって十分多いほうです。それに———」

 

 バークスは信一の目をまっすぐ見て続ける。

 

「命の取捨選択は許される行為じゃありません。全ての命は尊く、それを理解せずに弄るというのは快楽殺人と変わらない」

 

「そう……ですね。不躾な質問でした」

 

「いえいえ。内容はどうあれ、未来ある若者が白金術に興味を持ってくれるのは私としても嬉しいものですよ」

 

 そして次から次へと目の前を流れる神秘の数々、尽きぬ驚愕の連続。この白金魔導研究所の見学は魔術を学ぶ者として(学べてない者もいるが)時間を忘れてしまうほど有意義なものになったのは言うまでもない。

 それも終わり、白金術を主軸に魔術談義しながら帰れば、宿舎に着く頃にはすっかり日が落ちていた。

 

 これからは自由時間だ。元気のある者は町へ食事に行ったり、露店を冷やかしたり、疲れた者は部屋で休憩したりと生徒達は幾つかのグループに別れていく。

 その中をリィエルだけは誰と一緒にいるわけでもなく、1人ぽつんと立ち尽くしていた。

 

「ねぇ、リィエル。私達、これから町に食事に行こうと思うんだけど、よかったら一緒に……」

 

「……やだ」

 

 見かねたルミアが優しく声をかけるが、リィエルはこの調子だった。にべもない露骨な拒絶にルミアの表情が悲しそうに沈む。

 

 いくらなんでも、これはひどい。友人としての仲違いならば仕方がないと割り切ることもできるが、リィエルはルミアの護衛という任務がある。こんな状態では肩を並べて彼女を守るどころか、足を引っ張られる可能性も生まれてくる。場合によっては信一自身が隙を見て殺すことも考えなければならない。

 信一にとってルミアは何を差し置いても守るべき存在の1人。その障害となるのなら喜んで排除できる。

 

 もちろん、極力それはしたくない。なので一言言ってやろうとリィエルに向かって進もうとした、その時だ。肩に手を置かれ、その置いた本人が自分を追い越していく。

 

「いい加減にしろよ、リィエル」

 

 グレンだった。彼は苛立ちを言葉に乗せてリィエルの背中へと浴びせ掛ける。

 

「いつまで一人で拗ねて……」

 

「うるさい!」

 

 しかし、当のリィエルは一言それだけ叫んで走り去ってしまう。

 

 その背中をルミアは誰よりも悲痛な面持ちで見送っていた。だがそれも一瞬。決意をするように頷いた後グレンに声をかける。

 

「追いかけてあげてください、先生。私達は大丈夫ですから。それよりも今はリィエルです」

 

「いいのか……?」

 

「たぶん、私達が行っても逆効果でしょうから。今は先生がリィエルのそばにいてあげてください」

 

「……わかった」

 

 そう言い残し、グレンはリィエルを追って駆け出した。

 

 3人はどうにもこれから食事という気分にならなくなってしまい、とりあえず部屋へ戻ることにした。その道中システィーナが頑張ってルミアを励ますが彼女の顔が晴れることは無く、信一もこの事態をどう解決するかと頭を悩ませるが名案が浮かばない。

 

(さて、どうしたものか……)

 

 

 

 

 

 

「なぁ、アル」

 

「なんだ?」

 

「お前って今日誕生日だったりする?」

 

「いや」

 

 薄霧漂う夜の森。その暗闇の中で男と青年が軽口を叩き合っていた。しかし2人に楽しそうな雰囲気は一片も無く、ただ一点———正面にそびえる大木の太い枝に乗る影を険しい目で見つめている。

 

 二対の視線の先には妖艶な笑みを浮かべた女が1人。

 

「屈強な男性が一夜にして2人も……私、壊れてしまいそうですわ」

 

 男———零は腰の刀に手を乗せ、微かに左足を引く。

 青年———アルベルトは左人差し指を立てる。

 

「誰だ? こんな時にあんなアバズレを呼んだおバカさんは。まだ俺達公務員は就業時間というのも忘れたのか、失業者」

 

「ふふっ……そのような冷たいことは言わないでください。今夜はお仕事も忘れたくなるほどの熱い夜をお届けいたします。……私の身体を使って」

 

「貴様が出てくるとはな。天の智慧研究会、第二団(地位)《アデプタス・オーダー》が一翼、外道魔術師エレノア=シャーレット」

 

 エレノアはアルベルトの言葉に恍惚とした表情を浮かべ、自身の体をかき抱く。その態勢のままボソリと。

 

「《———————っ!?」

 

 ———呟くことができずに後ろへ飛ぶ。

 

 自分の意思ではない。生物の本能が体にそう命じ、それに従ったのだ。否、従わなければならなかった。

 

「チッ、惜しい」

 

 一瞬前まで自分がいた場所には黄金の刀身が通過していた。その数は知覚できただけで十七。恐らくもっと多い。

 それを本来なら一度しか振るえない間に行った。

 

(これが本家本元の【迅雷】ですか……)

 

 重力に従って地面へと落ちるエレノアの上方、今まで立っていた場所には刀を振り抜いた態勢の零が自分を見下ろしていた。

 先の魔術競技祭で彼の息子が披露したものとは一線を画す、まさに極められた【迅雷】の使い手。そんな彼を見つめるエレノアは———体の芯に熱が集まるのを感じる。

 

「……っ! 《霧散せよ》!」

 

 未だ空中にいる身を無理矢理翻し、【トライ・バニッシュ】を起動。自分の体に大穴を開ける寸前の【ライトニング・ピアス】をギリギリのところで打ち消すことができた。

 

(なるほど……零様の近接攻撃とアルベルト様の魔術狙撃による隙の無い波状攻撃、まさに業火の如く。そんなに激しくされてしまったら……私………)

 

 着地したエレノアは再度自身の内から生まれる快楽に耐えるよう己が身をかき抱き、恍惚とした表情をさらに高めていく。

 

「《壊れてしまいますわあぁぁぁぁ》!」

 

 そして叫ぶと、地上にいるアルベルト周辺の土を何者かが這い破ってきた。それはかつて女()()()()()。爛れた肌や剥き出しの骨がそれらを死人だと言外に知らしめていた。








はい、いかがでしたか?エレノアさんってこんな感じでいいのかな?

昨日からモンハンワールドのベータ版が配信され、かなりテンションMAXです。使ってる武器はもちろん双剣。
剣は一本より二本の方がかっこいいから!!

次回は戦闘シーンがたくさん。最後の方に少し書きましたが、やっぱり戦闘シーンは楽しいですね!


目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

第29話 日常は終わりを迎えた

炬燵にやる気を吸い取られる今日この頃。外どころかトイレに行くのも面倒です。あ、もちろんちゃんと行きますよ?

今回は戦闘シーンてんこ盛り。やっぱり一万字超えちゃいますね。


 死者の群れが一斉にアルベルトへと迫る光景を眼下に映しながらも、零の顔に焦りはない。

 

「アル、手助けいるか?」

 

「いらん。《吠えよ炎獅子》」

 

 アルベルトはそれだけ短く応えてから一節詠唱で黒魔【ブレイズ・バースト】を起動。自身に押し寄せる死者を巨大な火柱で一掃する。

 

「さすが……!」

 

 同時。零は乗っている太い枝を刀で切り、重力に任せて自分ごと落下していく。そのまま空中で【迅雷】を時間差起動(ディレイ・ブート)して着地までの隙をカバーするように()()()()()で枝をエレノアへ向けて蹴り飛ばす。

 

 人が乗っても折れない程の太さを誇る枝を、しかも満足に力の入らない空中で蹴ったにも関わらず飛来してくるソレはよくて致命傷、当たりどころが悪ければ即死する威力を内包している。エレノアには避ける以外の選択肢がない。

 

「くっ!」

 

 エレノアは零から距離を取りつつ、さらに死者を召喚していく。1体、6体、19体———地面から次々と現れる死者達が主人を守るように零へと走る。

 

「零、屈め」

 

「あいよ……っと」

 

 距離を詰めようと踏み込んでいた零は背中から掛けられた声に従い———刹那、頭上を二閃の雷槍が追い越していった。

 アルベルトの二反響唱(ダブル・キャスト)による【ライトニング・ピアス】。しかも時間差起動(ディレイ・ブート)。さらにその狙いも完璧であり、19体いた死者がちょうど重なる場所を通して合計13体の頭を消失させる。

 

 頭部を無くした13体の死者がゆっくりと倒れる中———バッ! ババッ———空中に無造作な黄金の残像が奔った。直後、残り6体の首が宙を舞う。

 

(なんという連携……!?)

 

 一糸乱れず、無駄が無い。お互いが可能な限り最小限の魔力消費で済むように動いている。

 

(ですが……)

 

 ———ニヤリ。エレノアの口が歪んだ。

 

「っ!?」

 

 零がアルベルトの【ライトニング・ピアス】によって頭を失い、倒れていた死者の横を疾駆した瞬間腕に強い圧迫感を覚えた。見ると、腕を爛れた手に掴まれている。

 

「「「 …………………………ッ!! 」」」

 

 その手の主はアルベルトによって頭部を吹っ飛ばされた死者。発声器官を無くした死者達は素早く立ち上がり、あっという間に零を囲む。

 

「チッ……頭が無くなったら動いちゃダメってのは最低限のマナーだろ」

 

 舌打ち混じりに苦言を漏らし———それを言い終えた頃には19体全ての四肢が胴体から離れていた。ボトボトボトっと、腐った19の胴と76の手足が地面を叩き、その音が周囲に響く。

 

 簡単な話だ。首を刎ねてもまだ歩くのなら足を斬り飛ばせばいい。掴んでくるのなら腕を斬り飛ばせばいい。死んでも動く存在と言っても、そもそも動く為のモノ(手足)が無ければどうしようもない。

 それでも【迅雷】による潜在能力解放と、零自身の技量があってこそのものだが。

 

「……くす」

 

 そんなデタラメな光景を見てもまだエレノアの笑みは消えない。

 

 自分の目の前、零の間合いのギリギリ外。そこにはすでに線形結界の魔術罠(マジック・トラップ)が仕掛けられている。

 操死【デッド・ライン】———その線を無断で超えた者の生命活動を問答無用で停止させられるものだ。

 

「いいですわぁ……そのまま……そう……こちらへ」

 

 もはやエレノアが抵抗しないと見た零は最短距離で詰めてきている。そして、あと三歩。そこで体をグルンっと時計回りに一回転させる。猛スピードで走り込んでいた慣性を利用し、左足を軸にして。

 その回転の勢いを【迅雷】の膂力に足し、脇構えにした刀を全力で振り抜く。

 

「———『飛花落葉』———」

 

 

 

ドォォォォォッオオオオォォォォンッッッ——!!

 

 

 地鳴りのような低い轟音を響かせながら零の前方、扇形に60°ほどの空間が魔術罠(マジック・トラップ)ごと、エレノアごと、それこそ【ブレイズ・バースト】でも食らったかのように吹っ飛ばされていく。

 

「うぐ……くっ…!」

 

『飛花落葉』で上がった土煙の奥からエレノアの苦悶の声が聞こえていた。見えはしないが、【迅雷】を使っている零には音や微細な空気の流れから簡単にその位置を割り出すことができる。彼女は地面に仰向けで倒れている。

 

「終わりだ」

 

 振り上げられる左手。その手にはまるで手品のように、いつの間にか赤槍が握られていた。そして———グサッ!

 倒れたエレノアの心臓部分に突き刺す。

 

「ふぅ……」

 

 エレノアは第ニ団《地位》———天の智慧研究会においては内陣(インナー)と分類される高位階の者だ。組織の実態や内情にもそれなりに明るいはずなので、できれば殺したくはなかった。だが———どうもこの女は危険だと魔導士の直感が警鐘を鳴らしていた。情報は欲しいがこの女を生かしておいてはならない、と。

 

(まぁ、第ニ団《地位》はこいつだけじゃない。また別のチャンスが……)

 

「キシャアァァァァァァァァァアァァアッ!!」

 

「なっ!?」

 

 突如心臓を貫いたはずのエレノアが奇声を上げて体を起こした。槍で体を縫い付けるようにしてあるにも関わらず。槍の穂先から柄を体に通しながらも痛みを感じた様子は無く、滑るように起こしてくる。

 

 そして土煙の匂いで気付けなかった、このエレノアから漂う死臭。つまりこれは彼女が召喚していた死者。

 

(【セルフ・イリュージョン】を付呪(エンチャント)しての変わり身か!)

 

 素早く四肢と頭を落として周囲を見渡す。では、本物のエレノアはどこへ行ったのか。

 

「アル、後ろだ!」

 

「バレちゃいましたか!」

 

 空気の流れがそこだけ歪だった。根拠としてはそれだけだが、魔術師との戦闘では充分なものになる。

 エレノアはガサッと葉の擦れる音を鳴らしながらどこからともなく取り出したナイフでアルベルトの頭上からうなじにナイフを突き立てるところまで来ていた。

 

「ふ———」

 

 ———ガコォ!

 

 対してアルベルトを上体を落として魔導士礼服の裾を跳ね上げつつ後ろ蹴りを打ち上げる。その蹴りは見事エレノアの顎を捉え、脳震盪でナイフを手から取り溢させることに成功。だがそれだけでは終わらない。

 

「《()》ッ!」

 

 短い呼気と共に身を翻しての拳を全力で顔面へと叩き込む。刹那————パアァァァァン!インパクトの瞬間、魔力を直接炸裂させてエレノアの頭部を消し飛ばした。

 

 アルベルトとしても、零と同じ直感を得ていた。エレノアは危険だ、という。 何かが違う。今まで戦ってきた外道魔術師とは違う、禍々しい何かを持っている、と。

 

 だから殺した。

 

 

 

 ———そのはずだった。

 

「……っ!?」

 

 咄嗟に頭を傾けるアルベルト。直後、今まで彼の目があった位置に闇と黒い煙を切り裂いてナイフが通過していった。

 だが、それは牽制。本命は……

 

「アルベルト様、その端正なお顔をいただきますわ」

 

 魔力の炸裂を食らって仰け反った体を宙返りで戻したエレノアが新たなナイフをアルベルトの顔面に突き立てようとしていた。

 

「ウフフッ」

 

 避けられるタイミングではない。だからと言って時間差起動(ディレイ・ブート)で何らかの魔術を使って迎撃しようにも間に合わない。アルベルトにこの攻撃を対処する術は残されていなかった。

 

「………………」

 

 だというのに、アルベルトの鷹のように鋭い双眸に焦燥はない。先ほどのナイフは想定外過ぎて驚いたが、それだけだ。

 エレノアがまだ死んでいないのなら戦闘続行、自分の役目に従うまでという意思がありありと見て取れる。

 

「遅いな……いや、俺が速いのか」

 

 振り下ろされた凶刃。それはアルベルトの顔に突き立つ寸前で止まっていた。軽い自画自賛と共に割り込んできた零の()()に挟まれることで。お得意の白刃取りだ。

 

「おや?」

 

 思わずエレノアの口から漏れた驚愕は仕方のないものだ。

 零の右手には刀、左手には赤槍。両手が塞がっている状態での白刃取りなのだから。

 

 零は刀を親指、人差し指、中指の三指で支え、残った()()()()でナイフを止めていた。

 

「……フン」

 

 驚愕の時間は与えない。アルベルトが零の脇や股、肩の上スレスレを時間差起動(ディレイ・ブート)させた【ライトニング・ピアス】で掠めていき、その先のエレノアに穴を空けていった。

 

「んっ……」

 

「死ね、外道魔術師」

 

【ライトニング・ピアス】の勢いで体が浮いたエレノアの腹に追撃の蹴りを打ち込んでアルベルトから距離を離し、冷たい声を浴びせながら、零は彼女の体に黄金と赤の斬撃を奔らせる。その数は刹那の先に十を超え、五十を超え、百を超え———

 

(どういうことだ?)

 

 振るう腕は止めずに零は目を見開いて自身が斬り刻んでいるエレノアを見ていた。

 ———刃が通った先から傷が、黒い煙を上げて塞がっているのだ。

 

 エレノアの体が浮いたから地に着くまでの1秒にも満たない時間に浴びせた斬撃は372。それだけの数を浴びて尚、今のエレノアには傷一つない。纏っていた衣服はボロボロになっているところを見るに、攻撃は間違いなく当たっているはずなのだが。

 

 これ以上の攻撃は無駄と判断し、もう一度蹴り込んで自分からも離す。

 

「酷いですわ、零様。女性はもっと絹を触るように優しく扱ってくださいな」

 

「俺は男女差別しない主義なんでね」

 

 接近戦ではさすがに分が悪いと考えたエレノアも、距離を詰めるようなことはしてこない。妖艶な笑みを2人に向けて軽口を叩くだけだ。

 

 やはりおかしい。あの回復力は法医呪文(ヒーラー・スペル)などの回復系魔術を軽く凌駕している。

 

「アル、少し本気出す。援護頼めるか?」

 

「任せ———っ!?」

 

 零が魔導士礼服の上着を脱ぎ、鞘の留め具に指を掛けたその時だ。アルベルトの目に起動していた遠見の魔術がある光景を映し出した。

 それは、リィエルの握る大剣がグレンを後ろから深々と貫いたものだった。

 

「アル!どうした!」

 

 アルベルトの異変に気付き、思わずエレノアから視線を外してしまった零。その隙を逃さず、エレノアは呪文を詠唱する。

 

「潮時ですわ———《爆》ッ!」

 

 エレノアの周囲に爆炎が上がり、辺りの視界を封じる。だがそんなものは【迅雷】で知覚能力が上がっている零には関係無い。そのまま爆炎に赤槍を突き立てようとして———グサッ!

 

「またか」

 

 その手応えに落胆のため息を溢して、右の刀を3回ほど振るう。赤槍に貫かれても尚こちらに手を伸ばす死者の五体を綺麗に落とした。

 

 死者を斬る時に生まれた風圧で爆炎も吹き飛ばしたが、案の定エレノアの姿は無い。逃してしまったようだ。

 

「追うか?」

 

「いや、それより緊急事態だ」

 

 珍しく忌々しげに表情を歪めるアルベルトへ、零は上着を着ながら怪訝な目を向ける。

 

「リィエルが裏切り、グレンを手にかけた」

 

「なんだと!?」

 

「それだけじゃない。今リィエルは学院の生徒が宿泊している旅籠……恐らく王女の元へ向かっている」

 

「つまりエレノアは陽動だったわけか。クソ、やられた」

 

「反省は後だ」

 

 もはやこうして話してる時間すら惜しい。2人は頭の中でこれからの行動を整理し、自分が為すべき事の為に走り出した。

 

 

 

 

 

 

 ———コトン。カップの載ったソーサーがテーブルに置かれ、ソファに座るルミアの前で小さな音を鳴らす。琥珀色に輝く紅茶が揺れていた。

 

「ここのお茶、結構美味しいですよ」

 

「うん……」

 

 自分の分も淹れ、持っていたティーポットをテーブルに置いてルミアの隣に腰を下ろす信一。ルミアへにっこり笑いかけるが、彼女の表情は曇ったままだった。

 

 ここは本来ルミアとシスティーナ、そしてリィエルの部屋なのだが、今はソファに座る2人きりだ。

 

 リィエルがどこかへ行ってしまった後、信一は一旦荷物を部屋に置いてからこの部屋に来ていた。その時からずっとシスティーナは沈むルミアを励ましていたが、どうにもルミアの顔が晴れることは無く、この場を任されてしまったのだ。

 

(お嬢様も人が好いからなぁ)

 

 ルミアを上手く励ますことができない自分に嫌気が差したのだろう。だからここは信一に任せ、自分は頭を冷やすついでに夕食を買ってくると言っていた。

 通常そんな使い走りのような事は従者である信一の役目なのだが、システィーナのあの表情を見せられてしまうと断れない。

 

 あれはあれでシスティーナの美点なのだ。ルミアが楽しめないのなら自分も楽しめない。本当はこの後クラスメイトと食事に行く予定だったが、リィエルを待つルミアを置いていくなど頭にもよぎらなかったのだろう。

 

「ねぇ、シンくん」

 

 ルミアの声と突如肩に掛かった重さで信一は意識を彼女に向ける。そちらを見ると、ルミアが自分の肩にもたれかかっていた。特にそれを咎めることなく、信一は優しく微笑んでみせる。

 

「なんでしょう」

 

「やっぱり……リィエルには迷惑だったのかな?本当は鬱陶しかったのかな?」

 

 ポツポツと、小雨のように弱々しく問いかけてくる彼女に信一はなんと答えたら良いかわからなくなる。

 

 ルミアも信一が明確な答えをくれるとは思っていなかった。困らせるつもりはなかったが、それでも誰かに聞きたかったのだ。

 

「どうなんでしょう。原因は先生なんだから、ルミアさん達が悪いということはないと思いますが……」

 

「でも……」

 

「それだけじゃ無いと思う、と言いたげですね」

 

「うん」

 

 形の良い眉が八の字を作った。彼女の気持ちの整理を手伝おうと言った言葉だが、どうやら失敗らしい。

 気まずい空気を誤魔化すように自分の紅茶を一口。カップを置いて、その手でルミアの頰を痛くならない程度につまむ。

 

「シンくん?」

 

「昨夜、ルミアさんはお嬢様とリィエルの3人で海岸に行ってましたよね?」

 

「あれ……バレちゃってたの?」

 

「偶然カッシュが見たんですよ」

 

 海岸は光が少なく、星が綺麗に見られる。港町に住んでいた信一にとっては日常の1つでも、海に来る機会が無い彼女達には新鮮だったことだろう。

 夜に出歩くのはやめてもらいたいが、そのあたりはせっかくだからと大目に見て話を進める。

 

「あの時、リィエルとはどうだったんですか?俺が知ってるルミアさん達と仲違いする前のリィエルはそれが最後なんですけど」

 

「普通……だったと思う。でも、少し距離が縮まったような気がした」

 

「そう感じたのは何故?」

 

「私達と友達なのは嫌じゃないって……はっきり言ってくれたから」

 

 そう言ってルミアはハッとなる。

 

 そうだ。リィエルは感情表現に乏しく多くを語らないが、嘘はつかない。あの時の言葉がリィエルの本心であることなど、考えるまでもないのだ。

 

「何か気付けましたか?」

 

「うん……うん!」

 

 やっと輝きを灯し始めたルミアの顔を見て、信一も口元を綻ばせた。やはりルミアに似合うのは笑顔しかない。

 頰をつまんでいた手を離し、今度は信一がルミアに軽く体重を預ける。彼女の頭に自身の頰があたり、髪が跳ねた。

 

「じゃあ、まずは次リィエルと会った時になんて言うか考えましょう。たぶんグレン先生に叱られてしょぼくれてるでしょうから」

 

「う〜ん……そうだね!シンくん、一緒に考えてくれる?」

 

「もちろん」

 

 リィエルとの関係修復には利がある。護衛も機能し、ルミアの安全性が増すのだから。

 

 ———いや、そんな合理的な理由は無粋だろう。もはや信一もリィエルとルミア達が一刻も早く仲直りして欲しいと願っていた。確かに護衛として、という考えはある。だがそれだけじゃない。

 

 友達だから。友達なのだから、仲良しの方が良いに決まってる。何も不思議なことではないはずだ。

 

 信一はまだ直接口に出して言えてはいないので、リィエルが帰ってきたらそれを伝えるのも良いだろう。その時、リィエルはどんな顔をするだろうか。

 

「ふふっ」

 

「どうしたの?急に笑い出して」

 

「いえ、なんでも」

 

 表情が死滅したような無表情を驚きに変えるのか。それともただ無言で頷くだけか。想像すると自然に笑いが溢れた。

 

 未だ隣で言葉を探すルミアのカップに紅茶のおかわりを淹れた、その瞬間。

 

 ———ドゴオォォゥゥゥゥ……!

 

 突然部屋のバルコニー側から鳴るけたたましい音が鼓膜を震わせる。2人はビクリと肩を震わせてそちらを見た。

 そこには先ほどから話題の中心にいた人物が散乱した扉の残骸の中に無表情で立っている。どうやら今の音はバルコニーに続く扉を破壊した音のようだ。

 

「こらこらリィエル、そんな事したらまたグレン先生の———っ!?」

 

 自分か家族の物以外ならどう扱っても気にしない信一はやんわりと注意しようとするが、彼女の持つ大剣を見て言葉に詰まった。リィエルが大剣を持っていることに、ではない。

 

 その大剣には、まだ臭いも残るくらい新しい血がベッタリと付着しているからだ。

 

「……リィエル。その血、何?」

 

 信一は腰を落とし、ホルスターに収まるナイフへと手を当てながらきく。もちろんルミアを庇う位置に移動して。

 

 今、刀は無い。自分の部屋に置いてきた荷物には刀も含まれていた。旅籠の中なら持ち歩くのは迷惑になると判断してのことだが、それはリィエルの答え次第で後悔することになるだろう。

 

「……………………」

 

 無言でこちらを見つめるリィエルの双眸。まるで壊れた操り人形のように温度を感じない。

 

「……グレンの」

 

「………………」

 

「……これはグレンの血。殺した時に付いた」

 

 淡々と。まるで今の天気を報告してくるような口調で紡がれた言葉に、ルミアは足元が崩れるような感覚に陥る。鼓動が早まり、平衡感覚が失われていく。

 

 ———リィエルは感情表現に乏しく多くを語らないが、()()()()()()。先ほど理解したばかりの事であり、不幸なことに疑う余地もない。

 

 リィエルが殺したと言った以上、グレンは死んだということで間違いないはずだ。

 

「で?グレン先生を殺した後に、剣を持ったままここへ来たのはどうして?」

 

 悲嘆に暮れるルミアとは対照的に、信一はさらに質問。素直なリィエルはその質問にもしっかりと答えてくれる。

 

「……兄さんがルミアを呼んでるから。だから、連れて行く」

 

「兄さん?」

 

「そう。実はわたし———天の智え……なんだっけ?とにかくそういうのだから」

 

「……そっか」

 

 ルミアを守る位置取りを維持したまま、瞬きを1つ。目を開く頃にはリィエルに対する全ての感情が消えていた。

 仲直りしたいという気持ちも。一緒に魚を食べた時に感じた親愛も。護衛としてだけでなく、純粋に友達になりたいという思いも。

 全てが砂に沈む水のように消えていく。

 

 そして残ったものは1つだけ———排除すべき敵という認識のみ。

 

「《死ね》」

 

 バチイィィ———ッ!

 

 即興改変した【ショック・ボルト】を脳に撃ち込んで【迅雷】を起動。バキッ……バキバキ……という筋肉を引き絞る音を鳴らしながらナイフを抜いてリィエルへ肉薄する———否、していた。

 既に背後へと回り込んでいた信一は、リィエルが振り向くことを考慮した軌道で頸動脈へ斬撃を四閃。

 

「……んっ」

 

 対して、死角からの攻撃にも関わらずリィエルは最初の二撃を大剣で防ぎ、次の二撃を屈んで避ける。そして立ち上がりながら———ブオォン!竜巻の如く強烈な斬り上げを放ってきた。

 

 目前に恐ろしい速度で迫る大剣の刃。下半身、上半身までは下がることができたが、顎から顔面を割られそうになる。

 

「っと」

 

 カンッと甲高い音が響き、顔の左側ギリギリを大剣が擦過していった。右のナイフを逆手に持ち替え、柄頭で大剣の腹を殴って逸らしたのだ。

 

「ルミアさん!逃げて!」

 

 追撃の唐竹割りを横に飛んで避け、跳び二段蹴りを放ちつつルミアへと叫ぶ。

 

「あっ……あぁ……シン…くん……?」

 

 しかし、へたり込んだルミアの口からは錯乱した不明瞭な音が漏れるのみ。グレンが……想い人が殺されたことを受け入れることが出来ないようだ。

 いや、厳密には違う。以前起きた魔術学院自爆テロ未遂事件の時にも、ジンがグレンは死んだと言ったことがあった。その時のルミアはここまで錯乱していなかったはず。今彼女がこのような状態になった原因を正確に述べるのなら———リィ()()()()グレンを殺したからだ。

 

 自分の親しい人が親しい人を殺すというのは想像以上に精神へのダメージとなる。それが原因で信一の妹は昏睡状態に陥ってしまったほどなのだから間違いない。

 

(クソッ!)

 

 内心でこの状況に悪態を吐き、作戦を切り替える。ルミアがまともな精神状態ならば彼女が逃げるまでの時間稼ぎをしていれば良かったが、そうもいかなくなった。

 

 首を刈り取るような薙ぎ払いを伏せ、そのまま足払いをかける。しかしリィエルは軽く飛んだかわし、空中で一回転。膂力、重力、遠心力を乗せた稲妻の如き一撃を振り下ろしてきた。

 

「ふぅ……!」

 

 一旦床にナイフを刺し、空いた両手で白刃取り。そのまま後ろに転がり、足をリィエルの腹に当てて後ろへ———先ほどまで飲んでいた紅茶の乗っているテーブルを超えるように投げ飛ばす。

 

 リィエルの戦闘スタイルは錬成した大剣と身体能力強化の魔術である白魔【フィジカル・ブースト】を併用したゴリ押し。【迅雷】を使って近接戦を行う信一とかなり似ている。

 

 

 

 一見効果が同じように思える【迅雷】と【フィジカル・ブースト】だが、決定的な違いがある。【迅雷】は潜在能力の解放、【フィジカル・ブースト】は身体能力の強化という点だ。

【迅雷】は本来2%しか発揮されない人間の潜在能力を解放、リミッターを強制的に解除して2%以上に上げることで身体能力だけでなく知覚能力も上がる。対して【フィジカル・ブースト】は2%しかない身体能力を上げるだけのもの。言ってしまえば、【迅雷】は【フィジカル・ブースト】の上位互換なのだ。

 

 つまり、リィエルは勝てる相手———そのはずなのに……

 

(なんでだ?)

 

 確かにリィエルの剣術の腕は高いが、以前剣を合わせたゼーロスほどではない。信一との差は十分【迅雷】で埋め切れる程度のものだ。

 ゴリ押しという戦闘スタイルも、【迅雷】で受け流してカウンターを叩き込める絶好のもの。疑いようも無く相性が良い相手のはずなのに、どうしても殺し切れない。

 

 まるで左利き用の包丁を右手で使っているような、どうしようもないやり難さ。単純な強さだけじゃない、別の何かがリィエルにはある。

 

 

 

 投げ飛ばした勢いを使い、倒立後転の要領で立ち上がりつつナイフを抜いて———ズバゥッ!テーブルに右手を突いて片手逆立ち回転蹴りを放つ。

 

 この蹴り方は人体の中でも特に威力の出せるものの1つ。それに【迅雷】の膂力とバランス感覚を加えられ、全く無駄の無いものになった。

 

「……っ!?」

 

 ———パキイィィィ……! 信一の蹴りを防ぐ為に盾にした大剣が真っ二つに折れる。

 

(よし!)

 

 足を振り抜き、床に着地した信一は———ガチャンッ!自分とリィエルの間にあるテーブルを乗っているカップやティーポットごと蹴り上げた。

 90°回転したテーブルは今、視界を遮る壁となっている。つまり、2人は互いが何をしているか見ることができない。

 

(でも……俺には分かる)

 

 潜在能力を解放した人間の知覚能力で空気の流れからリィエルの態勢が手に取るように分かる。彼女は自身に迫るテーブルに驚き、間抜けにも手を伸ばしていた。

 

 信一はナイフを担ぐようにして体を仰け反らせる。使う技は『風刄(フウジン)』。超音速で得物を振るい、先端から発生した衝撃波で吹っ飛ばすという荒技だ。

『風刄』は技の性質上、威力は振るう武器の長さに依存する。今握っているナイフでは刀や剣のような威力は出せないが、それでも体重の軽いリィエルを外へ飛ばすくらいはできるだろう。まずはルミアの安全を確保することが先決なのだから。

 この技には一瞬の溜めがあるので、テーブルはその隙を作る為に蹴り上げたのだ。

 

 

(……ん?)

 

 蹴り上げた部分が頂点を超え、130°ほど回転したあたりで裏側にいるリィエルに違和感を覚える。顔……おそらく視線はテーブルに固定したままだが、右手をブンブン振り回しているようだ。乗っていたカップから溢れた熱い紅茶でもかかったのだろうか。

 

 さらに体を仰け反らせ、溜めを作る信一は眉を顰め———すぐにリィエルの狙いに気付いて目を見開く。

 彼女は熱がっているのでは無い。()()()()()のだ。

 

 瞬間、目の前で回転していたテーブルが消えた。視界には新しく錬成された大剣を握るリィエルの姿。

 

(やっぱりか……!)

 

 彼女が手を振っていたのは、テーブルを蹴り上げたことで宙を舞っていたティーポットやカップ、ソーサー、果ては溢れた紅茶を右手に集めるため。そして、最後に目の前のテーブルを使った。今手に持っている大剣を錬成する材料に。

 

 柄頭をこちらに向けた状態で迫ってくるリィエルに、信一は対処できる態勢ではない。『風刄』を撃つ為に仰け反った体は、相手から見れば隙だらけなのだ。

 

———ズッッッッッッッッッッッッッッン……!!

 

「ガ……ハァ………っ!?」

 

 大剣の柄頭が左胸……心臓部分に深く沈み込む。瞬間、止まった。

 完璧な角度と威力による非穿通性の衝撃が心臓を強制的に止めた———止められたのだ。

 

 血流が止まり、突然脳に酸素が行かなくなったことで信一の意識が遠のいていく。視界が斜めっていき、真横へ。

 バタンっと、倒れた衝撃すら信一には認識することができず……

 

「……ごめん」

 

 耳へと届いたリィエルの呟きを最後に聞き、信一は心肺停止———死亡した。





はい、いかがでしたか?信一死んじゃった☆

まぁ、フィーベル家の従者は殺されたくらいで終わってしまうような奴には務まらないんですけどね。


目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

第30話 そして非日常が始まる

あけおめ!ことよろ!謹賀新年! 今年はなんとかお年玉を貰えましたが、来年から貰えなくなるんじゃないかと恐れ慄いています。

信一、死んだまま年越しさせてごめんね。


 5人分の軽食を抱えて部屋へ帰ってきたシスティーナを出迎えたのは、虚ろな目で気絶したルミアを抱えたリィエルと口から一筋の鮮血を流してピクリとも動かない信一の姿だった。

 

「リィ……エル……?」

 

「安心していい。ルミア()殺してない」

 

 感情の一切篭っていない、声帯に息を通して出したような音を口から紡いだだけ。言葉にも関わらず、その形をした音のようにしか感じられない。

 

「ルミアは……って……」

 

「……信一は殺した。グレンも殺した」

 

「えっ……?」

 

「わたしが殺した。2人とも」

 

 リィエルは淡々とそれだけ告げてシスティーナに背中を向ける。警戒などしていない。する必要など無い。言外に伝わってくる、システィーナを脅威と思っていない、と。

 

「どうして……?貴女、なんでこんなことを……」

 

「実はわたし、あなた達の敵」

 

 ルミアを連れ去ろうとする存在をシスティーナは知っている。目的の為ならどんな犠牲も厭わず、むしろ不必要に人を殺す存在を。

 一度、自分もその連中が起こした事件の渦中にいたことがあるのだから。その時もルミアは連れ去られそうになっていた。

 

「う、動かないで!」

 

 何も言わなければそのまま去ろうとするリィエルへ、システィーナはなけなしの勇気を振り絞って叫んだ。自分でも分かるくらい声が震えている。

 

 怖い恐い怖い恐い怖い恐い怖い恐い怖い恐い!!

 

 恐怖だけが心を支配する中、それでも左手を———魔術を振るうのに最も適した手を向ける。

 

「……撃てばいい」

 

「……ぇ?」

 

「システィーナができる、一番強い魔術でわたしを撃てばいい。……わたしは、何もしないから」

 

 まさかの返しに、システィーナは戸惑うしかない。罠か、挑発か、もしくは舐めているだけか。

 いずれにしても、これはシスティーナにとって千載一遇のチャンスだ。どんな意図があるかはわからないが、この距離なら完全に優位なリィエルが待ってくれると言っている。

 

 酸素を吸い、非殺傷性の攻性呪文(アサルト・スペル)をリィエルが戦闘不能に追い込める程の威力まで高めようと呪文を紡ごうとして———

 

「くっ……ぁあ…………」

 

 口から出たのは掠れた吐息のみ。恐怖で震え、呪文など口にすることすらできなかった。

 

 やがて……

 

「……だめ。時間切れ」

 

 リィエルは何の感慨も持たずにシスティーナから視線を外し、ルミアを抱えて部屋を飛び出していった。

 あっ、と。小さな声と共に彼女の背中へ手を伸ばすが、当然届くはずもなく。気配はどんどん遠ざかっていく。

 

 ……不意に。がくんと膝をついて伸ばした手が力無く降りた瞬間、視界には死体のように転がる信一の姿が映る。否———死んだように、ではなく死んでいるのだ。

 

「しん……い…ち……?」

 

 赤ん坊のように床を這って信一の元へ。一握りの希望に縋る思いで彼の胸に耳を当てる。

 

 リィエルは殺したと言ったが、さすがに嘘だ。どうせ信一はいつものように自分をからかっているだけ。いきなり立ち上がって、驚かそうとしているだけ。絶対にそうだ!そうに違いない———

 

「あぁ……ぁああ…信一………」

 

 そんな希望は、鼓動の音が聞こえないという事実で簡単に打ち砕かれた。ルミアが連れ去られそうになった時は何も言えなかったクセに、嗚咽だけはしっかりと紡がれる。

 

 いつも優しく細められていた目は光を灯さず、安心させてくれる弧を描いていた口からは血が流れているだけ。

 

 もうお嬢様、と呼んでくれることもない。美味しい食事を作ってくれることも、寂しい時に手を握ってくれることもない。なにより……あの大好きな笑顔を向けてくれることすらない。

 

「しん…い…ち……ルミ…ア……ひっく……グス…」

 

 名前を呼んでも、応えてくれない。

 

 ルミアは天の智慧研究会に連れ去られた。信一はリィエルに殺された。一夜にして大好きな家族を2人も失ってしまったシスティーナは、それでも目の前の現実から目を背けたくて信一の体を抱きしめる。

 

 此の期に及んで、まだ自分は彼が抱き返してくれるという思いを捨て切れていない。

 

 ———その時だ。

 

 ばぁんっ!と。部屋の出入り口である扉が乱暴に蹴り開けられた。

 

「ひぅッ!?」

 

 自分でも情けないと思える声を上げ、信一の死体を抱く腕に力が入る。

 

「邪魔をするぞ」

 

 扉から男2人が入ってくる。

 1人は目つきの鋭い青年。もう1人は腰に刀を差した男性。2人ともその全身はずぶ濡れで、青年に関しては何かを背負っている。

 

「こんばんは、システィーナちゃん。5年ぶりだけど覚えてるか?」

 

 刀を腰に差した男性———零はさっさと部屋に入り、信一を抱えるシスティーナに視線を合わせて笑いかける。

 

「おじ…さま……?」

 

「お、良かった」

 

 にっこり優しげに笑って青年———アルベルトに手招き。彼は部屋の隅に担いでいる物を放った。

 

「せ、先生ッ!?」

 

 壊された窓から入る月明かりに照らされ、それの正体が露わになる。背中は真っ赤に染まり、全身は彼ら同様ずぶ濡れのグレンだった。呼吸は耳を澄ませなければわからないほど小さく、血色も失せている。

 

「力を貸せ、フィーベル。そいつは既に治癒魔術の効果を受け付かないところまで来ている。自身を癒すだけの生命力がもう残されていないからだ」

 

「うぁ……え……ッ」

 

「このままだとグレンは間違いなく死ぬ」

 

 死という言葉に、システィーナは縋るように信一を抱き締める。だが、彼はもう死んでいるのだ。徐々に冷たくなる信一の体温を肌で感じ、皮肉にもそれが引き金となってシスティーナの理性は臨界点を迎えた。

 

「もう嫌!なんで…さっきからぁ!!」

 

 叫び、信一の胸に顔を埋める。認めたくない現実ばかりが目の前に広がり、それを直視したくないというある種の我が儘がシスティーナを錯乱へと追い込んでいた。

 

「一体、私に何ができるっていうの!?もう嫌よ!誰か助けて……お願いだから助けてよぉ!!」

 

「落ち着け、フィーベル」

 

「うぅ……お父様ぁ……お母様ぁ……ッ!ルミア……信一……ぁあああ———」

 

 ついに全ての思考を放棄して泣き叫ぶ行為に逃げ込もうとした、その時。

 

「泣いて喚く事が、今お前が為すべき事なのか?」

 

「———っ!?」

 

 咎めるでもなく、叱咤するでもなく。ただただ冷たい声音で現実を告げるアルベルトの言葉に、システィーナはぎりぎりの一線で踏み留まる。

 

「ここで思考を放棄すれば、恐らくお前は一生後悔する事になる。それでもこの男を殺したいなら幾らでも泣き叫べ。俺は一向に構わん。後は葬儀屋の仕事だ」

 

「………………」

 

 思考が徐々に戻り始める。確かにアルベルトの言う通りだ。ここで自分がどれだけ泣き叫んでも状況が好転するわけじゃない。システィーナ1人なら泣こうが泣くまいが変わらなかったが、アルベルトは力を貸せと言った。

 それはつまり、何か自分にできることがあるという証左だ。状況を好転させられる何かが。

 

「システィーナちゃん」

 

 不意に、今まで2人のやり取りに構わず信一の体をペタペタ触ってなにやら確かめるような動作をしていた零が声をかけてくる。

 

「信一は死んでるが、ツイてる。これならこいつだけは救える」

 

「……ほ、本当ですか!?」

 

「あぁ。だけど俺たちはグレンも救いたいんだ。だから頼む。アルに力を貸してくれないか?」

 

 さすがは親子と言うべきか。笑いかけてそう言う零の笑顔にはどこか信一の面影が感じ取れる。優しく、安心させてくれる、自分の大好きな笑顔だ。

 

 ———コクン。システィーナの目に力が戻り始める。完全に思考が戻ったわけじゃない。動揺はある。衝撃も色濃く残っている。

 でも、ここで自身の今為すべき事が泣き叫ぶことじゃないのは理解できでいた。

 

 アルベルトへ視線を移し、言葉を紡ぐ。

 

「……わ、私は……何をすればいいんですか?」

 

 

 

 

 

 

(強い子だ)

 

 5年ぶりにあったシスティーナへの感想はまさにその一言に尽きる。

 信一をフィーベル家に預けたあの日の彼女は本当にどこにでもいる貴族の一人娘だった。

 修羅場など知らず、日向の暖かい世界で平和に暮らす守るべき帝国の一市民。

 

 それが今では、自分の元同僚を救う唯一の存在になるとは。

 

(良い家族を持ったな、信一)

 

 アルベルトとシスティーナが言葉を交わしている間にある程度の検分は済ませていた。

 

 どうやら口から流れる血は内臓が潰れてせり上がってきたものではなく、倒れた衝撃で口内を切っただけのもの。その証拠に、血は鮮やかな色をしている。内臓から来る出血はもっとどす黒いので、もしやと思ったが幸い予想は的中していたようだ。

 だが安心は出来ない。事実信一は心肺停止の状態。死んでいることに変わりはないのだから。

 

(正中線から左側に指2本分……ここだな)

 

 体を起こさせ、気道を確保する為にやや後ろ向きで支えて頭が上を向くように調整。信一の右横に移動して右拳で体の前面を、左拳で背面を挟むように当てる。

 

 自分の後ろでは、アルベルトが黒魔【ブラッド・キャタライズ】で床に法陣を描いている。その間、システィーナはグレンに人口呼吸をしろと言われ初々しい反応を示していた。

 

(お前の家族も頑張ってるんだ。だから休憩時間は終わり……)

 

 バチイィィ———ッ!!

 

 時間差起動(ディレイ・ブート)で【ショック・ボルト】を脳内に撃ち込み、【迅雷】を起動。

 震脚と呼ばれる東方ではわりとメジャーな踏み込みの技術を使って片足立ちのまま運動エネルギーを生み出し、その反作用を両拳へ均等に伝えて——————ズズッッッッッッン!!

 

 信一の心臓を前後から全力で———それこそ胸骨が粉砕骨折するような勢いで殴りつける。

 

(帰って来い、信一!!)

 

 両手に伝わる、体の中で心臓がボールのように跳ね回っている感触。

 

 零は知っていた。この死に方には、ちゃんと生き返り方があるということを。

 なにせ———自分は何度もこのやり方で生き返っているのだから。

 

 

 

 

 

 

 

 水の中から無理矢理引き上げられる錯覚と共に、目の前が一気に明るくなる。

 

「かはぁ……!? げほっ! 」

 

 一気に酸素を吸い込んだことで唾液が気管支に入り、咳が洩れた。ケホケホと生理反応に任せて水分を追い出す。

 

「起きたか、信一」

 

「ケホケホ……え? 父さん?」

 

 上体を起こした信一はキョロキョロと周囲を見回し、現状を確認。何故か自分はベッドに寝ていて、この部屋は爆発でも起きたかのようにボロボロだ。

 

「確か白金魔導研究所から帰ってきて……それでここでルミアさんとお茶を飲んで———ッ!?」

 

「おっと」

 

 意識があった最後の時まで記憶の糸を手繰り寄せた信一は必死の形相で立ち上がろうとするが、強い立ち眩みを覚えて倒れそうになる。零が首根っこを掴んで支えなければ、実際そうなっていただろう。

 

「落ち着け。病み上がり……というか死に上がりなんだから。まだ血が体に回り切ってない」

 

「いや、落ち着いてる場合じゃないよ!リィエルがルミアさんを……」

 

「———いいから座れ」

 

 零の有無を言わさない口調に気圧され、興奮気味の頭が急激に冷える。

 信一はおずおずとベッドに腰を下ろし、父親へと今の状況を説明するように目を向けた。コクリと頷き、零は口を開く。

 

「まず、お前はさっきまで死んでいた。比喩とかじゃなくて、確かに心臓と肺が止まった状態だった。なんでそうなったかは覚えてるか?」

 

「……うん。リィエルに剣の柄頭で胸を打たれて、そしたら急に目の前が真っ暗になった」

 

「やっぱりか」

 

 父親のやっぱりという言葉には引っ掛かるが、とりあえずは頷いて話の続きを促す。

 

「まぁ、だから蘇生させた。止まったなら動かせばいいからな。それほど難しくはないさ」

 

「どうやって?」

 

「心臓を体の前後から殴りつける。学院で習っただろ?心臓に【ショック・ボルト】撃ち込んで刺激するやつ。それの物理バージョンだよ」

 

「え、【迅雷】で?」

 

「あぁ」

 

 思わずペタペタと自分の胸部を触って無傷が確かめる信一。あの膂力で殴ったのなら『蘇生』どころか『トドメ』になるんじゃないだろうか。

 

「安心しろ。骨が折れないように衝撃は浸透させたから。心臓も破裂しないギリギリの威力で叩き込んだし」

 

「色々規格外だね……」

 

 限りなく必殺技寄りの蘇生術だ。結果的に生きてるので特に文句はないのだが。

 

「でも、どうしてそんなこと父さんできるの?」

 

「軍の隠し芸大会でやったんだよ。【サイ・テレキネシス】で自分の心臓止めて、それから今のやり方で生き返るって感じでな」

 

「………………………」

 

 命懸けの仕事をしている以上、死んだり生き返ったりすることはあるだろうと思っていたが、まさか自分で殺して自分で生き返るという一発芸がこの技の原点とは……。

 

 絶句する信一の頭をワシワシと乱暴に撫で、零の目つきが父親のものから一騎当千を誇る魔導士のものに変わる。

 

「さて———おしゃべりはもう良いだろう。そろそろ意識もはっきりしてきたんじゃないか?」

 

「そうだね。ありがとう」

 

 信一も意識を切り替え、家族に危害を加える者全てを無価値なものと考えて排除する従者の顔になった。

 

 別段、信一にとって生き返った方法などどうでもいいのだ。ただ血が十分に全身を巡り、思考を安定させる為の時間が欲しかった。だからどうでもいいけど、有益そうな情報を聞いていただけ。

 

 ベッドから立ち上がり、はだけていた服を整えながらもう一度部屋を見回す。

 

「お互い悪運が強いですね、先生」

 

「まったくだ」

 

 ちゃっかり生きてたグレンにも、信一はもう驚かない。しかしグレンのベッドにもたれかかるようにして眠るシスティーナの姿を見て眉を顰める。

 

「お嬢様が何故ここに?」

 

「白猫がアルベルトと協力して俺を助けてくれたらしい。やっぱお前の主は優秀だな」

 

「いえ、お嬢様が優秀なのは当然です。俺が聞いているのは、どうして先生が起きているにも関わらずお嬢様へベッドを譲らないのかということですよ」

 

「すいませんでした!!」

 

 病み上がりとは思えない速さで素早くシスティーナをベッドに寝かせるグレン。それを見て満足気に頷き、次に壁に背を預けて腕を組んでいるアルベルトへ視線を向ける。

 零も立ち上がり、グレンの肩にシャツを羽織らせてやりながらアルベルトを見る。同じようにグレンも。

 

 三対の視線をその身に受け、アルベルトは壁から背を離して口を開いた。

 

「グレン、1つ聞かせて貰う。何故リィエルは裏切った?」

 

「『あいつの兄貴が現れた』……と言ったら、お前ならわかるだろう?」

 

「成る程な。案の定、お前が後送りにしてきた事のツケが回ってきたということか」

 

 なにやら2人だけに分かる『何か』が今回のリィエルの凶行に繋がっているらしい。

 それから信一と零は黙って2人の会話を聞くことにする。

 

 それで分かったことは、このルミア誘拐の下手人が白金魔導研究所の所長であるバークスであること。

 元々リィエルの護衛は囮であり、圧倒的に護衛に向かないリィエルに油断して不用意に仕掛けてきた彼をアルベルトとリィエル二人掛かりで捕らえるのが本来の作戦であったこと。

 そしてこの作戦での誤算であるリィエルの裏切りは、元を辿ればグレンが軍属時代、彼女に関する『何か』を隠蔽したのが原因であること。

 

「なぜ止めなかった……アルベルト……ッ!?」

 

「言われなくとも、俺はこの作戦に従事する人員の変更を何度も提言した。だが、あの軍上層部が一度決定した事項を覆すと思うか?」

 

「……それは……ッ!」

 

「それに、俺とお前しか知らないリィエルの真実を上に暴露すれば……リィエルは無期封印刑か、魔術実験用のモルモットだ。それで良かったのか?」

 

「……そんなことは……ッ!」

 

 淡々とした口調で弾劾するアルベルト。それにグレンは頭を抱え、懊悩するしかない。

 

 そこで初めて零がアルベルトへ口を開いた。

 

「アル、この作戦は誰が考えた?……いや、違うな。この作戦は全容を包み隠さず女王陛下に聞かせてから認可を貰ったものか?」

 

 質問口調であるものの、零の目に疑いの色はない。

 

 なにせ女王であるアリシアはルミアに護衛を着けること自体は知っていた。そこに気を利かせ、自分を無理矢理割り込ませたのだ。ルミアと共に暮らす息子のそばに居られるように、と。

 

 だが、アリシアと個人的に親交のある零にはどうしてもこの作戦を彼女が認可するとは思えなかった。まるでルミアを撒き餌にするようなことを、実の母親であるアリシアが許すはずはない。

 

「答えてもらうぞ、アル」

 

 腰の刀に手を添える。だんまりを決め込むのなら抜刀も辞さないつもりだ。

 

「……貴様の考えている通り、この作戦は軍の独断だ」

 

「———ふっざけんなぁぁぁぁッ!!」

 

 アルベルトが肯定した瞬間、グレンが怒鳴りながら彼の胸倉を掴み上げる。

 

「お前らの都合に、あいつらを巻き込むんじゃねえよ!ゼロに限りなく近いけどその可能性がある、その情報一つ流してくれりゃ……っ!?」

 

「グレン先生の言う通りです。ですが、最初に可能性を隠蔽したのは先生でしょう?」

 

 グレンとアルベルトの間。ちょうど頸動脈のあたりにナイフを割り込ませた信一は目つきを鋭く変えてグレンを諭す。

 

「信一……てめぇ……」

 

「誤解しないで貰いたいのですが、別にアルベルトさんを庇うつもりはありません。俺からすれば、2人ともリィエルが危険分子であることを隠してたのは一緒ですから」

 

「……ふん」

 

 くだらないと言いたげに鼻を鳴らすアルベルト。彼を睨みながらも、首元に刃物があるとなっては離れるしかないグレン。

 2人を静かに見据えつつ、信一は続ける。

 

「リィエルが裏切った理由も、軍の意向も知ったことじゃない。今重要なのはルミアさんが誘拐されて、未だにそれが解決していないという現状です」

 

「「 …………………………… 」」

 

 信一から見れば、2人とも同罪だ。彼らがリィエルについて何を隠してるかは知らないが、話を聞く限りグレンにアルベルトを責める権利はないし、アルベルトにグレンからの糾弾を躱す資格があるとは思えない。

 

 そして、そんな2人のやり取りなど時間の無駄だ。状況の整理をするのならいざ知らず、くだらない喧嘩を聞いて居られるほど心に余裕などない。

 

「俺は一刻も早くルミアさんを奪還したい。そして父さんとアルベルトさんの任務もルミアさんの護衛。先生もその為の行動を起こすのでしょう?」

 

「お前は王女が今どこにいるか、分かっているのか?」

 

「わかりません。ですが貴方と父さんが、俺達が起きるのを待っていたということはある程度の目星がついているということなのでは?」

 

 父親はともかく、今までの言動からどこまでも職業軍人なアルベルトが、わざわざ自分達を待つとは考えにくい。命を繋ぎ止めたのなら、さっさとルミアの捜索に出る方が何倍も有益だ。しかしそれをしていない。つまり、する必要がないということだろう。

 

「……なるほど。頭は悪くないようだな」

 

「いえ、悪いですよ。ただ先生とアルベルトさんが、それだけの事を考えられるほど無駄な話をしていたというだけです」

 

 軽く皮肉を飛ばす信一にも特にアルベルトは気分を害した様子は無く———拳を固め、まるで写真が切り変わるような動きでおもむろにグレンを殴りつける。

 

 小さく声を上げて殴られた勢いのまま後方の壁に叩きつけられ、崩れ落ちるグレン。そんな彼を見下ろしてアルベルトは酷薄に告げる。

 

「さきほどの行動からお前が何も変わってないことがよく分かった。まったくもって忌々しいことにな。……だからこそ、俺はお前に期待するのかもしれないが」

 

 懐に手を入れ、何かを取り出して床で倒れ伏すグレンの傍らへ放る。ゴドンっと重い音を立てて転がるのは、幾つかのルーン文字が刻まれた一挺のパーカッション式リボルバー銃。

 

「この銃は……《ペネトレイター》……ッ!?」

 

 どうやらそれはグレンのよく知る物らしい。学院の講師に銃など必要ないので、彼が軍属時代に使っていた物だと信一は分析する。

 

「……ねぇ、父さん。もしかしてアルベルトさんってめちゃくちゃ良い人?」

 

「気付いたか。あんなナリをしてるけどな、アルはツンデレなんだ」

 

「そこ、黙れ」

 

 耳打ちでくだらない事を話し出す親子に苦言を呈し、アルベルトはそっぽを向く。

 

 なんだかんだ言って、アルベルトは甘い。敵に対しては一切容赦すること無く排除するが、一度仲間と認めた相手にはとことん義理堅い男なのだ。

 裏切ったリィエルすら……自分を刺した彼女すら、まだ助けたいというグレンの気持ちを察してチャンスを与えるようなお人好し。そんな彼だから、零もグレンも信頼できるのだ。

 

「信一、お前にもお土産持ってきたぞ」

 

「ん?俺に?」

 

「あぁ」

 

 アルベルトと同じように零は懐へ手を入れ———バサァ、と。なにやら至る所に革製の留め具紐が付いた黒いコートを取り出す。

 

「ごめん。どう考えても懐に入る大きさじゃないよね、それ」

 

「気にするな」

 

 さらに続けてブーツ……ではなく親指と他の4本指に分かれる二又状の黒い履物も出してくる。

 一体父親の懐はどこまで深いのか?物理的に。

 

「お、懐かしい。足袋(たび)だ」

 

「正確には地下足袋(じかたび)な。こっちのコートは纏黒(テンゴク)……防具だよ」

 

「天国?」

 

「違う、纏黒(テンゴク)だ。纏う黒と書く」

 

「なんか拗らせてるなぁ……」

 

 とりあえず“テンさん”でいいや、と心の中で勝手に改名しながら着てみる。

 

 丈は長く、足首まである。前はボタンで閉めるようになっていて、腰から上だけ閉じれば足の動きを阻害することもないだろう。

 なにより、ピッタリだ。まるで長年使い続けた包丁を握ってるかのように信一の体に馴染んでいる。

 

「サイズはぴったしだな。まぁ、お前のスリーサイズに合わせて作ったから当たり前だけど」

 

 どうして父親が自分のスリーサイズを知っているのか。ちょっと怖くて聞けない信一であった。

 渡された地下足袋も、今まで履いていなかったのが不思議なくらい馴染む。もうその辺りは考えないようにしよう。

 

「あと、ほら。お前の部屋から持ってきたぞ」

 

 その声と共に放られたのは刀の入った布袋。中にはちゃんと女王から貰った真銀(ミスリル)製の刀が二振り入っている。

 

「刀は背中でX字に背負うのがオススメだ。腰に差しておくと動きの邪魔になる時があるし、鞘が防具として働く。袖にホルスターも付けといたから、ナイフはそこにしまえ」

 

「了解」

 

 プラプラと“テンさん”にぶら下がる留め具紐で言われた通りに刀を留め、ナイフを納める。

 

 着てみて分かったが、この装備一式は完全に戦う為だけのものだ。今までは周囲の人達に威圧感を与えないように武器を見えないよう持ち歩いていたが、その必要性は一切感じない。武器を抜く効率がどこまでも重視されている。

 

「コートと地下足袋は防弾防刃製で【トライ・レジスト】も付呪(エンチャント)しておいたからある程度の基本三属呪文は防げるはずだ」

 

「それはありがたいんだけどさ……これ、すごく暑い」

 

「あぁ。防御力に重点を置き過ぎて通気性が皆無だからな」

 

 元々温暖な気候のサイネリア島。日が沈んでもそこそこ暖かいのだ。そんな場所でコートを着れば、単純に暑い。既に信一の額には汗が浮かんでいた。

 

「ハァ……」

 

 パタパタと襟から風を送る信一の姿を見て、アルベルトがため息を吐きながら“テンさん”の裾に人差し指でなにやらルーン文字を描く。すると、途端に暑さが引いて快適な温度になった。

 どうやら【エア・コンディショナー】を付呪(エンチャント)してくれたらしい。これは学院の制服にも付呪(エンチャント)されているもので、服の中を快適にする効果がある。

 

「あと耐圧性はない。だからさっきみたいな死に方はするけど……まぁ、大丈夫だろ」

 

「父さんが蘇生させてくれるもんね」

 

「こらこら。お前もそろそろ親に頼りっきりなんて年じゃないだろ?自分のことは自分でやる———自分が殺されたなら自分で生き返りなさい」

 

「それもそっか。さすが父さん、言う事が違うね」

 

「これでも宮廷魔導士団の一員だからな」

 

 グレンとアルベルトが心外そうな視線をぶつけてきているが、特に気にする事もなく零は言い切った。

 いくら宮廷魔導士団でも、止まった心臓を物理衝撃のみ使って自分で動かせるほど人間を辞めてはいない。そもそも、その発想自体が頭おかしいの一言に尽きる。

 

 説明を終えたことを流し目で伝え、信一の準備も完了。零が説明している間にグレンも準備は終わっていた。

 

 信一とグレンは示し合わせたわけでもなく、同時にベッドで眠るシスティーナへと目を向ける。

 

「行ってきます、お嬢様。朝食までには帰りますね」

 

 小さく寝息を立てるシスティーナの寝顔へ優しく笑いかけて言ってやる。

 

 すると、それは偶然なのか。

 

「……お願…い……ルミアを……助けて……」

 

 そんな寝言を呟いた。目尻に光るが見え、それが彼女の願いだと分かる。

 

「いついかなる時も、貴女の御心のままに」

 

 返す言葉など、決まっていた。

 

 魔導士が2人、魔術講師が1人、そして従者が1人。4人の影がその部屋を後にする。

 

 

 

 

 

(さぁ、リィエル———次は俺が殺す番だよ)







はい、いかがでしたか。死ぬとか殺すとか、ちょっと物騒な単語がたくさん出てきましたね。不快な思いをさせたようでしたらごめんなさい。

この話を書いてて分かりましたが、大抵の最強キャラは言動がおかしい。
自分の中では父親を最強にしたつもりなのですが、なんかやる事なす事を言葉で説明してたら完全にトチ狂っちゃいました♪
軍の隠し芸大会で自分の心臓止めたり← 一応伏線です。

というわけで、2018年も読者の方々に楽しんでもらえるよう頑張ります!!


目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

第31話 彼らの在り方

今回も一万字越え……。通勤通学中にゆっくり読むことをオススメします。

話をまとめる能力がマジで欲しいぜ☆


「……………」

 

「信一、前方注意だ」

 

 黄金一閃。瞬間、今にも信一が激突する寸前だった木が切り飛ばされて後方へ流れていく。

 

 零、グレン、信一、アルベルトは樹海を疾走していた。4つの黒い影は木々の間を吹き抜ける風の如く。速度を緩めること無く、卓越した体捌きをもって走破する。

 

「ありがとう、父さん」

 

「リィエルのことでも考えてたか?」

 

「……まぁね。みんなのアレを聞いちゃうと…ね」

 

 出発する前、旅籠でクラスメイトが言っていたことを思い出す。

 グレンのリィエルについてどう思うかという質問に対し、クラスメイト達は友達だと思っていたのだ。

 それ自体はさほど気にすることではない。クラスメイトがどう思おうが、信一自身は彼女に殺された身。リィエルを殺しても良いと考えている。

 

 問題は、システィーナとルミアがリィエルをどう思っているかだ。2人は優しい心の持ち主。

 もしリィエルに対してクラスメイトと同じような感情を持っているとしたら、彼女達はリィエルが死んだとき泣くかもしれない。それは信一が一番避けなければならないことだ。

 

 正解が分からない。家族に危害を加えたのだから信一はリィエルを殺したい。しかし、その結果が家族を悲しませることになるのは避けたい。

 この矛盾をどう解消するかが、従者の信一にとってはルミアを奪還した後の騒動解決の鍵となるだろう。

 

「ここだ」

 

 アルベルトの声で意識が思考から切り離される。

 

 目の前にあるのは視界いっぱいに広がる大きな湖。ここがルミアのいる場所に繋がっているらしい。

 

 零、グレン、アルベルトの3人は周囲に圧縮空気の膜を形成する黒魔【エア・スクリーン】を起動。一応学院で習ったのだが、劣等生の信一は使えないため父親のモノに入れてもらう。

 

 それからは湖の底を探索。不自然に開けた場所をグレンが見つけ、4人は進む。

 水面から顔を出せば、そこには通路があった。まるで貯水庫のような場所だ。

 

「……ビンゴ、だな」

 

「あぁ———っ!」

 

 周囲を見回し、明らかに人工物であることを確認したアルベルトが微かに目を見開いた。

 瞬間、目の前にあった水路から水柱が立ち、人間を優に超える影が現れる。

 

 それは一言で表現するのならば、蟹。しかし通常のモノとは異なり、ハサミは左右に三対。しかも武器として使うことが一目で分かるほど凶悪な形をしている。

 

 そんな巨大なクリーチャーが三対のハサミを一斉に振り上げ、こちらに飛びかかってきたところで、

 

 

 

 

「よいしょ……っと」

 

 ———ズウゥゥゥウゥゥゥンンンッ!!

 

 バキッ……バキバキ……と筋肉が引き絞られる音を鳴らす零から軍式の横蹴りを広い胴体へと叩き込まれ、蟹は轟音を立てて吹っ飛ばされていく。そして地面を滑り、止まった時には既に泡を吹いて絶命していた。蹴られた胴体には大きくヒビが入っている。

 

「「「 ………………… 」」」

 

「不味そうな外見しやがって。食べられる部分はハサミが多い分ありそうだけどな」

 

 えっ食うの!? みたいな目を向けられるが、零は気にせず水路の先を見据える。

 

「信一、油断するなよ。もうここは敵陣だ。俺達以外の動く『モノ』は全部敵と思え」

 

「わかった」

 

 父親としてではなく、あくまで肩を並べて戦う魔導士としての忠告に信一は頷き、X字に背負っている二刀を抜刀。蒼銀の刃が惜しみなく煌めきを返す。

 

合成魔獣(キメラ)……だな。合成魔獣(キメラ)の兵器利用に関する研究は現在では凍結・禁止されているが……昔の研究成果が残っていたのか、或いはバークス=ブラウモンが禁じられた合成魔獣(キメラ)兵器の研究を続けているのか……」

 

「てことは、バークスの野郎……予想以上にキナ臭いやつだな」

 

 その瞬間、目の前のあちこちで水柱が上がった。まるでグレンとアルベルトに答えを示すように。

 

 今倒した蟹と同じ形のものや、巨大な烏賊、半魚人のような醜悪な化け物にゼリーの塊。多種多様な怪物が次から次へと姿を現し始める。そのどれもが生物としてどこか歪な姿をしていた。

 

「うへぇ……団体様のお出ましだぁ……」

 

 うんざりボヤくグレンの眺める先には、自分たちを餌としてしか認識していない化け物共。

 

「突破するぞ」

 

 アルベルトの声に頷き、4人はそれぞれ呪文を唱えながら駆け出していく。

 

 

 

 

 

 

 蝙蝠の羽を持つ獅子が、壁や天井などを足場にして3次元的な動きで翻弄しながら迫ってくる。

 地を蹴り、三角飛びの要領で壁を蹴ろうとした時———既に獅子の前足は斬り飛ばされていた。

 

 それでも羽を使って態勢を立て直そうとするが、それを許すほど緩い者はこの中にはいない。雷閃が獅子の眉間を貫き、その命を刈り取る。

 

「今のは良かったぞ、朝比奈」

 

「………………」

 

 アルベルトの賞賛には応じず、さらにカマキリの怪物へと二刀を以って斬りかかる信一。【迅雷】の反応速度で全ての攻撃を躱しながら接近し、首を落とす。

 

 信一は元々集団で戦うようなことは想定していなかった。そもそも、フィーベル邸の庭で鍛錬する時はいつも1人。だからこそ一対一や一対多は考えていても、自分側が多になることは想定していなかった。

 

 だが今回は違う。グレンの他にも現役の宮廷魔導士が2人。しかも片方は父親ということで絶大な安心感がある。

 

「アルベルトさん、次は?」

 

「距離前方三十、後方三十。それぞれ数四。お前は後方を抑えろ。援護する」

 

 そしてなにより、このアルベルトという青年。的確な指示と正確無比の魔術狙撃は基本近接戦しかできない自分と相性が良い。リィエルのことを黙っていたという点では不快極まりないが、戦闘に限っていえば信頼できる。

 

 彼の警告通り、一発の弾丸のように進む4人の前方と後方———それぞれの壁が開き、葉と蔦で人型を形成した化け物がぞろぞろと現れた。

 

「《疾くあれ》」

 

【迅雷】を起動して素早く肉薄。蔦人間達は人間でいう腕の部分にある触手を伸ばし、鞭のように振るって迎撃してくる。

 

 ビシィッ!と空気を切り裂きながら迫る触手は全て信一の二刀に()()()()()、そのまま刀を地面に刺して逆に蔦人間達は動きを制限される。

 

「お願いします」

 

「あぁ」

 

 刹那、天井にまで昇る業火の壁が信一の前に生成され、ひと塊りにされていた蔦人間達を灰へと変えた。

 信一は二刀を地面から引き抜き、燃えずに残った触手を払ってアルベルトの横に並ぶ。

 

 ———対して零とグレン。

 

「グレン、準備!」

 

「おう!《紅蓮の獅子よ・———》……」

 

 呪文を唱え始めるグレンへ蔦人間が触手を伸ばすが……

 

「おっと」

 

 その全てを零は片手で当たり前のように掴み取る。

 

「《憤怒のままに・———》……」

 

 時間差起動(ディレイ・ブート)した【迅雷】の膂力をフルに発揮して綱引きのように引っ張り、四体全てを空中へと投げ飛ばした。

 触手を掴まれ、為す術のない蔦人間は足の部分をバタつかせるだけ。

 

「《吠え狂え》!!」

 

 そしてグレンの三節詠唱で起動した【ブレイズ・バースト】が頭上に放たれ、炎熱の波が蔦人間を呑み込んだ。パラパラと灰が2人に降り注ぐが、それは零の振るう刀の風圧で払われる。

 

「鈍ってなくて嬉しいぞ」

 

「アンタのパワハラ染みた訓練やらされてたら一生鈍らねぇよ」

 

「失礼な。軍の訓練課程にちょっと手を加えただけだろ、あんなの」

 

「そのちょっと手を加えただけの訓練で、どうして宮廷魔導士団のほとんどが死屍累々と地面に転がるような光景が出来上がっちゃうんだよ!?」

 

「運動不足だったんだろ」

 

「自分の失敗に気付けぇぇぇぇぇっ!!」

 

 グレンの叫びが木霊する中、信一とアルベルトが追いついて2人と合流。さらに加速する4人の前に、今度は通路を埋め尽くすほど巨大なゲル状の生物が、その体で壁を作って迫ってくる。

 

「信一、下がれ」

 

「うん」

 

 瞬時に刀などの物理攻撃が効かないと判断した零は信一と共にアルベルトの後ろへ。それと同時にアルベルトが黒魔【アイス・ブリザード】を起動。吹雪が猛然と吹き抜け、ゲル状生物を凍てつかせる。

 

 そして———ドウゥッ!

 

 銃を抜いたグレンが一発、凍りついたゲル状生物のちょうどど真ん中を撃ち抜いた。次の瞬間、蜘蛛の巣状にひびが入り、硝子のように砕け散っていく。

 

「凄い……」

 

 信一はその光景に感嘆の声を漏らしていた。個々の能力が突出してるのもさることながら、適材適所を瞬時に判断して前に出るか下がるかを決める。

 改めて理解させられる。彼らと自分では、そもそも潜ってきた修羅場の数が圧倒的に違う。それでも、未熟な自分に彼らが合わせることができるのは、ひとえに経験の差だろう。

 

「ん?」

 

 通路の先に重厚な扉が見えた。隙間から光が漏れ出しているので、恐らく何かの部屋。

 いかにも人力では壊せそうにないくらい堅そうな扉を零が普通に蹴破り、中へと入る。そこで待ち受けていたのは———亀だ。

 

 もちろん普通の亀ではない。見上げるほど大きく、全身が宝石のようなもので構成された大亀。

 

「宝石獣か。過去、帝国が密かに行っていた合成魔獣研究の最高傑作として、理論上の設計だけは為されていたとは聞いていたが……」

 

「こいつの性質は?」

 

「殆どの攻性呪文(アサルト・スペル)が効かん。それに恐ろしく硬い」

 

「……厄介の極みじゃねーか」

 

 と、その時。大亀が雄叫びを上げながら二足で立ち、4人目掛けて倒れ込むように豪腕を叩きつけてくる。

 4人は素早く散り、二手に分かれて左右から大亀を挟むように走り込んでいく。

 

「そらぁ!」

 

 零の蹴り上げが大亀の顎を捉えるが、質量の違いから軽くヨロけるだけに留まる。だが、亀は四足歩行なので反撃はされないのが救いだろう。それを良いことに、【迅雷】を用いた追撃の跳び後ろ回し蹴りで顔面を叩く。

 

「チッ、硬いな」

 

 呪文が効かないのなら物理技で、という脳筋な思考で数多の蹴り技を浴びせるが、宝石獣の大亀には羽虫が顔にたかる程度のもの。しかし、羽虫といえど顔の周りを飛ばれるのは鬱陶しい。

 それは大亀も同じらしく、その体にある宝石がバチバチと帯電を始めた。

 

「《光の障壁よ》」

 

 落ち着き払った声色でアルベルトは黒魔【フォース・シールド】の呪文を唱える。すると、彼の眼前に光の六角形が並ぶ魔力障壁が展開された。

 それと同時に、大部屋内を大亀から放たれる稲妻が幾条にも乱舞し、光で視界を埋め尽くされる。

 

 ———バチイィ! バツンッッッッッ!!

 

 鼓膜を震わせる雷音が本能的な恐怖を滲ませてくる中、他の3人は慌ててアルベルトの後ろへ避難。

 

「…………」

 

「お、おい……大丈夫か?」

 

「存外強い。このままでは押し切られるな」

 

 だが、言葉とは裏腹にアルベルトの表情には焦りがない。それがやせ我慢なのか、それとも本当に焦る必要がないからなのかは残念ながら今日会ったばかりの信一には判断がつかなかった。

 

「俺が行きましょうか?これ(纏黒)を着てるからある程度は大丈夫だと思いますが」

 

「やめておけ。【トライ・レジスト】で耐えられる威力じゃない。だが……」

 

 不意に、アルベルトは信一の握る刀へ目を向ける。

 

「朝比奈。その刀の刀身は真銀(ミスリル)か?」

 

「そうですけど」

 

「なら、それを零に渡せ。おそらく真銀(ミスリル)なら傷を負わせるくらいはできるはずだ」

 

「わかりました」

 

 彼がそう言うのならそれが打開策なのだろう。信一は左刀(はーちゃん)を父親に渡し、右刀(むーくん)を両手で握ってアルベルトの指示を見守る。

 

 続けて。

 

「グレン、やれ。魔力の消費は心配しなくていい」

 

「……了解だ」

 

 にやりと笑うグレン。ポケットから出した小ぶりの宝石を左手で掴み、ぱん、と右掌で覆う。

 

「《我は神を斬獲せし者・我は始原の祖と終を知る者・———》……」

 

 意識を集中させるように、魔力を高めるように、ゆっくりと一句一句を確実に紡ぐ。唱えた呪文に応じ、グレンの左拳を中心にリング状の円法陣が三つ、縦、横、水平に交わるよう形成され、それぞれが徐々に速度を上げながら回転していく。

 

「アル、信一に毛一筋の傷も負わせるなよ!最悪グレンの部分はちょっと手を抜いてもいいから」

 

「ふん、無論だ」

 

 零は右手に黄金の刀、左手に蒼銀の刀を握り、そんな軽口を叩いて未だ稲妻が荒れ狂う障壁の前へと踏み込んでいく。

 グレンの詠唱が始まってから、自身に危機が迫ることを感じ取ったらしい大亀はこちらへと向かって来ていた。

 

 大亀から放たれる稲妻は、当たれば儚く脆い人間の体など瞬時に消し飛ばしてしまうだろう。

 だが、それは当たればの話。

 

 襲い来る稲妻を全て、体を少し揺らす程度の小さな動きで回避してほぼ一直線に大亀へと進む。刀を構え、振りかぶり———

 

「そぉぉぉれえぇぇぇいい!!」

 

 ———渾身のドロップキックを、さらにジャイロ回転も加えて叩き込む。

 

 ズザアァァァっと物理衝撃で大きく後退を強いられた大亀は、矮小な人間にここまでされたことを怒り狂うように。先程と同じく、前足を零に向けて叩きつける。

 

「ハッ!」

 

 クルッと体を時計回りに回して難なく避け、その回転の勢いを使って左刀———真銀(ミスリル)の刀で右前足を横薙ぎに斬り飛ばす勢いで振るう。

 

 

 ———ギイィィィン!

 

 刀は金属と宝石が擦れる不快な音を鳴らして、食い込んだまま()()()()()()()()()()()

 

 動きを止めた足元の零に大亀は視線を向ける。元が爬虫類なので表情というものは無いが、それでも獲物を捕らえて舌舐めずりをしたように感じられたのは錯覚じゃないだろう。

 

「父さん!!」

 

「安心しろ。パパを舐めるな」

 

 瞬間———ガッッッ!! 鍔からすぐ先の前足に食い込んでない峰の部分を()()()()()

 

 本来刀が食い込んだ状態で無理に斬ろうとすれば、刀そのものが折れてしまう。これは刀を扱う者なら常識であり、誰もやろうなどとは考えないことだ。

 

 しかしそんな常識、【迅雷】を使う零には通用しない。

 

 折れてしまうのは、刃筋とは別の部分に力がかかるから。ならば、刃筋と()()()()角度に力を入れてやればいい。

 

 

 刀を振り抜くと、足を斬り離された大亀の体が右側に傾く。すぐさま、オマケの蹴り上げをもう一度顎に打ち込んで離脱。

【迅雷】の聴力が捉えていたのだ。グレンの詠唱が終わったことを。

 

「ぶっ飛べ、有象無象」

 

 次の瞬間、圧倒的な光の奔流が宝石獣を飲み込み、輪郭がボヤけていき……その光が消えた頃には、大亀の体が大きく抉り取られていた。

 

 黒魔改【イクスティンクション・レイ】———200年前、セリカ=アルフォネアが邪神の眷属を殺すために編み出した術。対象を問答無用で根源素にまで分解消滅させる神殺しの術だ。

 

 

 

 

 それからは特に怪物などが出てくることはなく、スムーズに進むことができた。【イクスティンクション・レイ】を使ったグレンはマナ欠乏症に陥ったが、アルベルトの魔晶石でなんとか動けるまでには回復していた。

 

 そして、不意に4人は開けた空間に足を踏み入れる。

 謎の液体で満たされたガラス円筒が並ぶ、不思議な部屋だ。円筒の中にはコードで繋がれた球体が浮いている。

 

 周囲が薄暗い為よく見えないが、進路上にあるので自然と中身も見えてきた。

 

「……っ!?」

 

 思わず、口元を手で抑える。円筒の中でプカプカと浮いていたのは脳髄だ。おそらく人間のもの。

 それがこの部屋に並ぶ円筒の全てに、まるで標本のように収まっている。

 

「……『感応増幅者』……」

 

「えっ……?」

 

 アルベルトの声に慌てて信一は振り返った。攫われたルミアも『感応増幅者』。背筋が凍りつき、心臓が止まるような思いで彼の視線の先を追う。

 

「……『生体発電能力者』……『発火能力者』……」

 

 幸いなことに、アルベルトはただ円筒に貼られたラベルを読んでいるだけであった。

 

「全ての円筒に異能力名がラベルされているな。……つまり、これは『異能者』達の成れの果てか」

 

「惨いことするな。見たところ、何かの実験みたいだが……たぶん非人道的な」

 

「恐らく、バークスは異能者を人間と思っていないのだろう」

 

「なんだと!?」

 

 零とアルベルトの淡々とした会話に、グレンが驚愕の声を挟む。

 

「内定調査によると、バークス=ブラウモンは相当の『異能嫌い』……典型的な異能差別主義者だった筈だ」

 

 異能は魔術と違い、先天的な超能力。それをアルザーノ帝国では古来から『嫌悪』の対象としてきた。

 今でこそアリシア七世———ルミアの母親が意識改善政策を敷いて若者の間ではそれほど気にすることでは無くなってきているが、それでもまだ帝国民にとっての認識は嫌悪が大多数を占めている。

 

「チッ……ッ!?」

 

 胸糞悪いと舌打ちを漏らすグレンは何かに縋るような表情で部屋を見回す。

 すると、まだ円筒の中で人の形をしたものを見つけた。部屋の奥にある円筒の中で吊るされている。グレンは衝動的に駆け出し……そして、その全容を見て愕然と膝をつく。

 

 円筒の中身は年端もいかない少女だ。しかしその手足を切除され、代わりに無数のチューブで繋がれた、『生きている』というよりは『生かされている』状態の少女。チューブを一本でも外せば、生命活動を停止してしまうほどの終わった存在。

 

 

 

 

 ———ガシャアァァァァッ!

 

 刹那、信一がおもむろに右刀でガラス円筒ごと少女の心臓を貫き、左刀で首を刎ね飛ばした。

 

「———っ!?」

 

「…………………」

 

 膝をついているせいで見上げる形になる信一の口元には———笑みが浮かんでいる。だが、それは感情から来る笑みではない。

 まるで感情を表さず、能面のようなもの。浮かべる表情が無いから口元を吊り上げてるだけの、そんな無表情な笑みだ。

 

「先を急ぎましょう、先生」

 

 そして、邪魔な落ち葉を掃除し終わったかのような平淡な口調。

 否———事実、信一にとってあの少女は()()だった。

 

 普段こそロクでもないが、グレンは心優しい男だ。理不尽を良しとせず、虐げられる者がいれば誰であろうと手を差し伸べられる。

 そんな男が、今の少女に対して何も思わないはずが無い。おそらく今の少女にとっての救い———死を与えていただろう。そして罪悪感に苛まれる。他に手はなかったのかと、頭を抱えて後悔する。

 

 それは父親とアルベルトも同じこと。精神力は別として、彼らも精神は常人のものだ。ただ異能を持って生まれ、下郎に人生を蝕まれた少女を殺せば大なり小なり心にシコリが残る。

 

 だが、信一は違う。人を殺すことに何の感慨も浮かばず、家族の幸福の為であれば、老若男女問わず殺すことができる。そこに疑問も躊躇も後悔もない。

 壊れていると思う。狂っているとも思う。だがルミアがああなる可能性が出てきた以上、自分は人間である必要など無いのだ。

 そんな信一が今の少女に掛けてやれる言葉は———運が悪かったね、の一言に尽きる。

 

 しかし、それはあくまで自分(狂人)の理屈。グレンに押し付けるつもりはない。

 

「軽蔑してくれて構いませんよ。俺はこういう人間です。それが世間から受け入れられないものという自覚もあります」

 

「……ナメんな。今のはお前が正しいよ」

 

「そうですか」

 

 だが、正しさが良い事とは限らない。あれが正しく合理的な判断であろうと、それを是としないのはグレンの美徳だろう。

 そんな彼の生徒でいられる事を誇らしく思いながら納刀しようとした……その時だ。

 

「貴様らぁ!私の貴重な実験材料になんてことをしてくれた!?」

 

 場違いで筋違いか罵声が、その部屋に響き渡った。

 

「おのれぇッ!今、貴様らが壊したサンプルがいかに魔術的に貴重なものか、それすらも理解できんのか!?この愚鈍な駄犬共ッ!絶対に許さんぞッ!」

 

 見れば部屋の奥、信一達が入ってきた出入り口とは逆の場所からバークスが姿を現していた。何故か彼の体は昼間見たときに比べて一回り大きくなっているように感じられる。

 

 たが今はそんなことどうでもいい。

 

 彼の姿が目に入った瞬間、信一の心臓が怒りで早鐘を奏でる。

 どうして、こんな下郎を一時でも大旦那様(レドルフ)と重ねてしまったのだろう。許されるのなら腹を切って詫びたいくらいだ。

 そして今の語り口から自分の大切な家族すら奴は実験サンプルとしてしか見ていない。罪悪感など無く、当たり前のようにルミアを消費して実験に使うことなど自明の理だ。

 

 自分に対して、そしてバークスに対しての怒りは静かな呪詛として口から漏れる。

 

 

 

「……《コロシテヤル》」

 

「「「 っ!? 」」」

 

 嵐の如き殺意に指先が、銃口が、切っ先が、それぞれグレン達3人の武器が魔導士の本能で抜かれ、瞬時に味方であるはずの信一へと向けられた。

 

 しかし———既に信一はその場にいない。

 

 

 

 

 

 

 

「———コロシテヤル。殺してやるコロしてやる殺してヤル殺しテやるコロシテヤルころしてやる殺しヤるコろしてヤル殺してやるコロシテヤルコロシテヤルコロシテヤルコロシテヤル殺してやる殺シテやルコロしてやル殺してやる殺してやる殺してヤル殺してやるコロしてやる殺してヤル殺しテやるコロシテヤルころしてやる殺しテヤるコろしてヤル殺してやるコロシテヤルコロシテヤル殺してやるコロしてやる殺してヤル殺しテやるコロシテヤルころしてやる殺しヤるコろしてヤル殺してやるテヤルコロシテヤル殺してやる殺シテやルコロしてやル殺してやる殺してやる殺してヤル殺してやるコロしてヤる」

 

 

 

「フハハハハハハハハハハハハハハハッ!」

 

 

【迅雷】を起動した信一は呪詛を溢しながら刀を振り続ける。

 斬撃、というほどの冴えは無い。ただ憎悪と憤怒を刀に乗せ、刃の部分を荒々しくバークスへと叩きつけているだけのもの。

 

 だが、異様なのは信一よりもバークスの方だろう。彼は両手を広げて哄笑を上げ、まるでシャワーのように信一の刀を浴び続けている。

 

「どうしたクソガキッ!?貴様のような東方の猿は棒を振る程度の能しか無いのか!?それすら真の魔術師たる私には届かぬがなぁ!!」

 

 いくら繊細さが無いとはいえ、刀の刃は鋭い。しかも真銀(ミスリル)となれば、世界最高峰の切れ味を持つ。それを無造作とはいえ、叩きつけられれば無傷では済まない。———にも関わらず。

 

「ふむ、もう飽きた」

 

 バークスは腕を伸ばし、未だ手を止めない信一の首を片手で掴んで持ち上げる。

 

「ガッ……グウゥ…」

 

「ふんっ、所詮はただの子猿だな。私の叡智で死ねることを光栄に思え」

 

 突如バークスの腕を、炎が蛇のように絡みながら掴まれた信一に向けて昇っていく。その熱量は触れればすぐさま消し炭に変えられるだろう。

 

「死ね、子猿———っ!?」

 

「俺の子どもに触るな、腐れ外道。バイキンが感染る」

 

 そして炎が信一の顔を焼こうとした瞬間、不意にバークスの視界が上下に分かれ、手に力が入らなくなった。

 

 零が眼球を斬り裂き、返す刀で握力を支える深指屈筋に突き立てたのだ。

 信一の攻撃を浴びたにも関わらず無傷でいたことから何か脅威的な再生能力を持っていると分かったが、さすがに異物()の入った状態では再生出来ないらしい。

 

「目的を忘れるな、信一!お前はルミアちゃんを連れ戻すんだろ!」

 

 着地してからもう一度仕掛けようとする信一へ叫び、零は手品のように取り出した赤槍でバークスの口腔から延髄を穿つ。

 本来なら即死のはずだが、案の定死んではくれない。

 

「こいつの相手は父さんがやる。走れ!」

 

「……うん!」

 

 頷き、納刀。

 

 そうだ。自分の目的はバークスを殺すことではなく、ルミアの奪還。それを忘れてはならない。

 

「グレン先生、行きましょう!」

 

「おう!」

 

 そして、信一は迷わずグレンに声を掛ける。ここまでの道程で集団で戦うことの有用性が理解できた。しかし、それを活かすにはお互いが息を合わせる必要がある。

 アルベルトも自分に合わせることができるが、信一自身は彼に合わせることはできない。

 

 グレンだけなのだ。自分もグレンになら合わせられる。共に守り合い、肩を並べて立ち向かったグレンならば。

 

「行かせるかぁ!」

 

「———《雷槍よ》」

 

 走り去る信一とグレンへ伸ばされたバークスのバチバチと帯電する右腕の肩部分に、アルベルトの【ライトニング・ピアス】が穴を空ける。それで筋肉が削がれ、腕がカクンと下がって2人に撃ち込まれるはずだった電撃が足元へと放たれた。

 

「死ねや」

 

 その隙を縫うように、零が斬撃を首と胴に奔らせようと振りかぶるが、

 

「ぬんっ」

 

 バークスは右肩を再生させながら炎を纏った左腕を払う。

 

 ———ブワアァァァァアァァアァアアッッ!

 

 扇形に広がる火炎。その閃光でアルベルトからは零が見えなくなる。

 

「危ねぇな」

 

 だが、零は【迅雷】の速度で炎が広がるより速く離脱していた。翻って炎を浴びた魔導士礼服の裾が燃えているが、それ以外は無傷だ。

 

「崇高な魔術を学びながらもそれを破壊にしか利用できぬ犬かと思っていたが、貴様はそれ以下だな。恥を知れ、東方の猿が!」

 

 人種差別的なことを叫びながら———ドス、とバークスは自身の首筋に金属製の注射器で何かを打ち込む。

 押し子が押し込まれ、中身がバークスの体に入ると……メキッ…メキメキと怪音を立てていた。

 

「……朝比奈の攻撃を受けても次の瞬間には無傷だった脅威の再生能力。C級を遥かに超える炎熱系の熱量……貴様、まさか……」

 

「ほう。そちらの犬はそれなりに知性があるようだな」

 

 得意げにバークスが言う。

 

「私はな……異能力を異能者から抽出し、己の能力として意図的に引き起こせる魔薬の合成に成功したのだよっ!」

 

 それを聞き、ただでさえ鋭いアルベルトの瞳がさらに鋭利さを増す。

 

「しょせん、異能といってもこんなものよ!真の魔術師にとってはやはり使われる道具の一つに過ぎぬ!貴様らがせせこましく鍛え練り上げたものを簡単に凌駕する完璧で最強の力、これが魔術師の真の力だ!」

 

「「……………」」

 

「どうした、戦争犬と東方の猿?怖気づいたか?」

 

 今が絶好調とでも言えそうなほど興奮状態のバークスに、零とアルベルトはただただ無言で冷たい目を向けるだけ。

 

「……しょーもな」

 

 しばらくして口を開いたのは零。どこまでも馬鹿にするような嘲笑混じりの一言を吐き捨てる。

 

「アル。あの腐れ外道はお前が今まで倒してきた魔術師や異能者と比べてどのくらいだ?」

 

「……考えるまでもない———最底辺に決まっているだろう」

 

「な……ッ!?」

 

 2人の容赦ない酷評がバークスの逆鱗に触れたらしい。彼はみるみる顔を真っ赤に染め、わなわなと怒りで肩を震わせる。

 

「わ、わた、私のこのこの、この力を……ッ!」

 

「聞いた俺が言うのもアレだが、あんまり挑発するなよ。脳内血管切れて死んじゃうだろ」

 

「このような外道、早々に死んだ方が良いと思うが?」

 

「ははっ。分かってないな〜、アルは」

 

 ニコニコと口調そのものは優しい。しかし、零から溢れ出る殺意は先程の信一を優に超えていた。もし今回が彼との初任務ならば、魔導士の本能に従って【ライトニング・ピアス】を撃ち込んでしまいそうなほどに。

 

 零は右の刀と左の赤槍を翼のように広げ、酷薄な笑みで一言。

 

「———こういうのは殺した方が面白いだろ?」

 

 






はい、いかがでしたか? パピー、信一がいなくなった途端教育に悪いことばっかり口走っちゃいますね。

書いてて思いましたが、4人の戦闘描写をまとめて書くのって難しい!?
次回からやっとリィエル戦。実は夏あたりから構想自体は練っていた……


目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

第32話 明かされるは彼女の真実

はい、お久しぶりです。いや〜、この1ヶ月は忙しかった。

モンハンをやったり、レポートを書いたり、またモンハンをやったり、テストがあったり、ボーダーブレイクのオープンβテストがあったり。本当に……忙しかったです!!

というわけで、VSリィエル編です。纏黒を着た信一の姿は中二病患者が大好きなコートに、暴走族が履く地下足袋をご想像ください。


 炎や電撃の音が後方から響いてくる中、グレンと信一は薄暗い通路を駆ける。

 

「なぁ、信一」

 

「なんですか?」

 

 視線は前に向けたまま、並ぶグレンの声に応える信一。その声には先ほどまでと違い、狂気の色は感じられない。

 

「お前は……リィエルを殺すつもりなのか?」

 

「…………」

 

「……おい」

 

 疑問に答えない信一に、グレンは訝しげな目を向ける。無視をしてるわけではないと思うが、ならば何故答えないのか。

 

「正直、迷ってます」

 

「迷う?」

 

「はい。俺としてはリィエルを殺すことが最善策だと考えてます。ですが、お嬢様やルミアさんはリィエルが死んだらどんな反応をするのか。たぶん……」

 

「……泣くだろうな」

 

「えぇ」

 

 長いこと彼女達と共に暮らしてきたので、どうしても分かってしまう。リィエルは自分達の日常に溶け込み過ぎたのだ。

 

  本来なら絶対に交わってはならないはずの道が何かの手違いで交わり、幸か不幸かその道の相性が良かった。

 その結果生まれたジレンマが、信一を悩ませる。

 

「おそらく従者としてなら、彼女達にどれだけ見下げ果てられようともリィエルを殺すのが正解なんです。危害を加えてきた時点でリィエルは敵であり、排除するべきものですから。でも———」

 

 自分が嫌われるのは良い。罵倒されるのも構わない。

 

「———家族が悲しむことだけは絶対に許容できない。だから迷ってます」

 

「そうか」

 

 何をおいても主の幸福を最優先にする姿はある意味従者としての完成形とも言えるが、その為なら道徳や倫理を度外視する信一は人として確実に壊れている。

 

 だがそれだけというわけではないのだ。

 

「なら、まずは殺さないようにしろ」

 

「はい?」

 

「もし白猫やルミアがリィエルを殺したい程恨んでるってなら、それに従えばいいさ。お前は従者なんだろ?」

 

「つまり……お嬢様達の意見を聞いてから決めるってことですか?」

 

「そういうことだ」

 

 眉間に皺を寄せ、顎に手を当てる。確かにそれが一番安全なものかもしれない。

 

 独断でリィエルを殺した場合、取り返しがつかない。だからまずは彼女達に意見を仰ぎ、もし死んでほしいということなら改めてその時に殺す。

 

「なるほど。それはナイスアイデアですね」

 

「まぁ……まずはあの猪娘を殺さず引っ捕らえなきゃならないんだけどな」

 

「それなら大丈夫です。次は絶対に負けませんから」

 

 実のところ、信一は既にリィエルと戦った時の敗因には見当がついていた。

 刀がなかったから、ではない。

 

 ———リィエルが自分より()()()からだ。

 

 信一が今まで戦ってきた敵———ジン、レイク、ゼーロス、果ては3年前ルミアを攫った外道魔術師から自身が殺した母親まで、全てが信一より大きかった。

 人種的な問題でアルザーノ帝国の男性としては小柄な信一にとって、大体の人間は大きい。だから鍛錬の時も、無意識に自分より背の高い相手を想定して刀を振るっていた。

 

 旅籠でリィエルと戦った時に感じた違和感はこれだ。全く想定していない相手というのは、考えている以上に厄介極まりない。だからこそ、相性が良いはずのリィエルに敗れた。

 

「絶対……か?」

 

「はい。絶対です」

 

 信じられないものを見るような目で見てくるグレンに頷きを返し、前方を見据える。

 

 扉が見えてきた。あの先にルミアがいる。

 

「だらっしゃぁあああッ!!」

 

 その扉をグレンが乱暴に蹴り開けた。部屋の中にはリィエル、ルミア、そして見知らぬ青髪の青年。3人の視線がこちらに集まる。

 

「せ、先生っ!?それに……シンくんも……っ!?」

 

 2人の姿を見たルミアの目が潤む。死んだと聞かされたグレン、目の前で殺された信一、どちらもちゃんと二本の足で立っていることに安堵の涙を禁じ得なかった。

 しかし、囚われたルミアの姿はひどいものだ。鎖で頭上に両手を繋がれ、服は破かれて瑞々しい柔肌が露出している。

 

 ひとまず体に傷がないことは確認できたので、そこは一安心だが……信一の殺意はもはや留まるところを知らない。

 それはグレンも同じことだ。

 

 2人は各々の得物に手を掛け、黒幕であろう青髪の青年を睨みつける。

 

「馬鹿な……お前らは確かにリィエルが……っ!?」

 

「お生憎様。殺されたくらいでいちいち終わってるようじゃフィーベル家の従者は務まらないんだよ」

 

 そしてX字に背負う刀を右、左……それぞれを羽ばたくように抜刀。天井からぶら下がる照明の光を真銀(ミスリル)の刃が美しく反射させる。

 その姿勢のまま、グレンと共に刀で威圧感を与えながら青年へ歩み寄ろうとした……その時。

 

「グレン、シンイチ……それ以上、兄さんに近づかないで」

 

 リィエルが錬成済みの大剣を構えて、2人の前に立ちはだかっていた。

 

「リィエル! さ、流石は僕の妹だ!例の素体の調整にはもう少し時間がかかる!それまでにそいつらを抑えておいてくれ!」

 

「……わかった」

 

 リィエルが立ち向かったを見て、青年は部屋の奥に描かれた儀式法陣へと駆けていき、作業を始める。

 

 今すぐにでも兄と呼ばれた青年の首を刎ね飛ばしてやりたいが、彼を庇うように立つリィエルが邪魔だ。まずは彼女を無力化したほうが建設的だろう。

 

「兄さんの邪魔をするなら———斬る!」

 

「………………」

 

 大剣を握る手から、梃子でも動かないことがよく分かる。

 

 リィエルは強い。戦法が【迅雷】を使う自分との相性が良くとも、油断するのは命取りだ。

 しかし、自分は1人ではない。

 

「先生、合わせてください」

 

「あぁ」

 

 刀身に反射する照明の光。手首を微調整してその光を操り、リィエルの両目に当てた瞬間———

 

「……っ…」

 

「《疾くあれ》」

 

 バチイィィ———ッ!!

 

 脳内へ【ショック・ボルト】を撃ち込み、【迅雷】を起動。バキッ……バキバキ……と筋肉が引き絞られる音を鳴らしながら人間の潜在能力を43%まで解放してリィエルへ走り込む。

 

 低く、深く———地を這うように飛ぶ燕が如く。全身を落としながら、二刀を大鋏のように構えてリィエルへ突進。

 リィエルは迎撃の構えを取るが———ドウゥ! ドウゥ!銃声と共に放たれた2発の弾丸が彼女の両肩を正確に狙い、幅広の大剣で防ぐことを余儀なくされる。

 

「———『刄鋏嶽(ジンキョウガク)』———」

 

 幅広というのが仇になり、弾丸を防いだ瞬間だけリィエルの視界が塞がれて信一が見えなくなった。その隙に大鋏に見立てた二刀を閉じ、足首の切断を狙う。

 

「———ッ!?」

 

 しかし、なんとリィエルは見えていない攻撃を動物的直感で軽く飛んで躱して見せた。だがこれでいい。意識は下に向けられた。

 

 突進の勢いそのままに、信一は前宙を切る。纏黒の裾を翻しながら片足を伸ばして胴回し、重力、遠心力を全て込めた踵落としをリィエルの脳天目掛けて叩き込む。

 

「……くっ…」

 

 ———パキイィン!

 

 頭上に掲げた大剣で防ごうとするが、当然のように甲高い音を立てて砕かれた。

 

(ここまでは想定通りだね)

 

 油断は出来ない。リィエルの大剣は魔力が切れない限り錬成可能な代物だ。一本折ったところで形成を傾かせる一手にはなり得ないのだから。

 

 信一は背中に納刀しながら空中で器用にリィエルの右腕へと両足を絡める。次いで両腕も。

 これで残った大剣の柄を握るリィエルの右腕に、信一の四肢が絡んだ状態になった。鍵固め(キーロック)———両手両足で相手の腕一本を極める関節技だ。

 片腕に全体重をかけられたことで右半身をガクンッと落とし、信一は背中を地面にぶつけるが構わず、ギリッ…ギリギリッ———リィエルの肘関節を壊しにかかる。

 

 43%———常人の21.5倍の膂力で極められればすぐに破壊できるだろう。しかし、リィエルをそのような常識に当てはめるのは少々心許ない。

 

「信一、そのままだ!」

 

 銃を収めながらグレンは拳を握り、関節を極められて動けないリィエルへ格闘戦を仕掛けにいく。

 これで終わり———そう思ったのも束の間、信一を軽い浮遊感が襲ってきた。

 

(マジか……ッ!?)

 

「んぅ……ぐぐ……っ!」

 

 リィエルが信一を右腕一本で持ち上げたのだ。

 

 それ自体はさほど驚くことじゃない。リィエルの人間離れした筋力なら可能だとは思っていた。だが、今は()()()()()()()()状態なのだ。

 激痛が走り、満足に力も入らないはず。

 

 そんな常識知らんと言わんばかりにリィエルは右腕を振りかぶり、迫るグレンを信一ごと殴りつけた。

 

「くっ……!?」

 

「チッ……!」

 

 信一はグレンにぶつかる寸前で関節技を解いたが、それでも2人はもつれ合うように地面を転がる。

 

「いいぃぃぃぃやぁぁぁぁぁぁ!!」

 

 気合一閃。再び錬成した大剣でもつれた2人をまとめて斬り潰すように振り下ろされる。

 喰らえば挽き肉になる。そんな未来が容易に想像できる勢いの凶刃へ向けて、下側になっていた信一は慌てて地下足袋を履いている片足を伸ばし———ガッ!

 

 取った。

 

 二又に分かれている()()()()()()()()()()。【迅雷】の膂力と防刃加工を施した地下足袋ならではの白刃取りだ。

 

 驚愕の時間は与えない。信一の上で難を逃れたグレンは、彼の瞳を鏡代わりにしてリィエルの右腿へと狙いを付け発砲。だが既に彼女は抑えられた大剣を離してその場から離脱していた。

 

「ふぅ……!」

 

 グレンを押し退け、両手と背筋で飛び上がるように立ち上がった信一はすぐさま取った大剣を回し蹴りの動作でリィエルに向けてスローイング。

 

 ———ギイィィィンッ!

 

 離脱してすぐ新たに大剣を錬成していたリィエルがこちらへ向けて投擲していたものと空中でぶつかり火花を散らす。

 だが、投擲と同時に走り込んできた彼女はぶつかった二本を掴み取って斬りかかってきた。

 

「《疾くあれ》」

 

 54%まで引き上げ、左手でナイフを抜いて腕を伸ばしながらその場で反時計回りに回る。ジジッジジジィ……と空気と摩擦を続ける刃の部分が赤熱化し、回転の勢いそのままにナイフを振り抜く。

 

 赤熱化した刃で相手の刀剣を融解させて斬り飛ばす———『殺刄(サツジン)』で大剣二本を無力化に成功。

 

「おらぁ!」

 

 またも得物を失くしたリィエルへ、グレンが横から足刀蹴りを放つ。だがリィエルは残った剣の柄を離して空いた両手をその蹴り足に着き、彼の足の上で逆立ちするように捌いた。

 

「死ね」

 

 未だ赤熱化するナイフを逆手に持ち替え、逆立ち態勢のリィエルへ三閃。言葉とは裏腹に手首、肩、腿へ向けて放たれた斬撃を、今度は木に絡まる蛇のようにグレンの足の上で避けて見せる。

 

 なんとデタラメな反射神経。なんとデタラメな動き。人と時間が長きに渡り洗練した剣術とは一線を画く邪法の極地。野良犬剣法とすら揶揄されそうな程の我流。リィエルの戦闘技法はそのように表現さえできる。

 しかし侮れない。邪法や我流であろうと、極められた技はなんであれ脅威なり得るのだから。

 

「このっ……降りろ!」

 

 リィエルの乗っていた足を下ろし、それでバランスを崩れたところへグレンは銃撃するが、難なく避けられてしまう。それを先読みして逃げてくるであろう軌道に信一がナイフを投げるが、結果は同じだ。

 

 距離を詰められないようにグレンはさらに牽制の銃撃をリィエルへ浴びせ、その隙に信一は彼女へと迫りながら抜刀。無数の斬撃を奔らせる。

 

「———っ!」

 

「……んっ」

 

 ガガガガガガッ!ギギギギギギンッ!と、大剣と二刀による剣戟の音が部屋中に響く。

 

「チッ!」

 

 思わず舌打ちを漏らす信一。彼は斬り結ぶことを極端に嫌っている。

 いくら世界最高峰の強度を誇る真銀(ミスリル)で作られていようと、所詮刀は消耗品。硬いものとぶつかれば刀身にダメージが残るし、いつかは折れる。

 魔力の許す限り錬成し放題なリィエルとは武器に対する考え方が根本から違うのだ。

 

「シィッ」

 

 信一は仕切り直そうと、不意を突いた飛び膝蹴りで顎を狙う。もちろん避けられるが、そのままリィエルを飛び越えてパーカッション式リボルバーに弾を再装填したグレンの横へ並んだ。

 

 睨み合う三者。一挙手一投足に意識を集中し、相手の動きに最大の注意を払う。

 

「先生、このままじゃジリ貧です。どうしましょう?」

 

「いや、お前……絶対に負けないんじゃなかったのかよ」

 

「予想以上にリィエルの動きが狂気染みてました」

 

 旅籠で戦った時とはまた違う。恐ろしいほどに型破りな剣法は【迅雷】の対処能力だけじゃ足りない。何かあと一手、決め手が欲しい。

 

「ったく、この手はあんまり使いたくなかったんだけどな……」

 

「何かあるんですか?」

 

「まぁな」

 

 グレンは迷う素ぶりを見せながらも、苦虫を噛み潰したような顔で頷く。よほど使いたくないものらしい。

 しかし、やってもらおう。それがルミアを助けることの近道となるのなら。

 

「……おい、リィエル」

 

 銃口を向けながらグレンが語りかける。その間に襲い掛かられては敵わないので、信一も二刀の構えを解かない。

 

「まぁ、そんなに必死になって戦っちゃって……お前、よっぽどお兄ちゃんが大好きなんだなぁ」

 

「ハッ!」

 

 理由はわからないが、グレンはいかにもリィエルの神経を逆撫でするような言動を取っている。ならば、と信一もそれに合わせて鼻で笑う。

 案の定、素直なリィエルはムッとした顔になった。

 

「……何が言いたいの?」

 

「そんなお兄ちゃん大好きリィエルさんや、少し紹介してくれませんかね?」

 

「……?」

 

 グレンの意図が読めず、リィエルの表情が疑問に染まっている。だがそれも仕方のない事だろう。味方である信一も表情にこそ出さないが同じ気持ちなのだ。

 この状況でリィエルの兄について知ったところでメリットがあるとは思えない。

 

「そう、例えば……まず、お兄様の『名前』……とかな?」

 

「……え?」

 

「名前だよ、名前。お前の大好きな兄貴の『名前』を教えてくれよ」

 

「意味がわからない。なんでそれを今聞くの?」

 

「いいから名前を言ってみろ。言えたら俺達は、この一件から手を引いてやるよ」

 

 流石にぎょっとする信一だが、こんなものはただの口約束だ。それ以前に敵であるリィエルとの約束など守ってやる義理は無い。

 適当に首肯を返し、リィエルにグレンの言ってることへ同意するという意思を伝える。

 

 元々そこまで考えて行動を起こすタイプでないリィエルは怪訝な顔をしつつもグレンの質問に答えようと口を開いた。

 

「兄さんの名前は……『名前』……? あれ? 兄さんの『名前』は…なんで……? ……うぅ…!?」

 

 何故か名前について答えないリィエル。否、頭を痛そうに抑える仕草から答えられないというのが正確か。

 

「今のお前の状態、俺が言い当ててやろうか?」

 

 グレンはそんな彼女に、淡々と言葉を連ねる。

 

「感覚としては当然のように兄の名前を知っているつもりだが、それを言葉として明確に思い浮かべようとすると、どうしても出てこない。無理矢理思い出そうとすると、今度は頭が痛いよ、助けてお兄ちゃん!……ドンピシャだろ?」

 

「……ッ!?な、なんで……?」

 

「リィエル!そいつの言うことに耳を貸すんじゃない!」

 

 あからさまに動揺するリィエルへ、突如今まで魔導装置を操作していた『兄』が口を挟んできた。

 

「に、兄さん……兄さんの『名前』は……『名前』は……なんだっけ?」

 

「そんなの今はどうでもいいじゃないか!僕は僕だ!君の唯一の無二の兄だ!」

 

 狼狽を露わにして視線を兄へと向けるリィエルを前に、グレンは不敵にほくそ笑んだ。まるでこの状況を待っていたかのように。

 そう、リィエルが視線を自分達から外したのだ。ならば———

 

「ふっ!」

 

「《疾くあれ》」

 

 66%まで解放した潜在能力を使い、グレンの銃撃を合図に踏み込んでいく。

 

 ———ビシィ!

 

 着弾音は地面から。不意打ちにも関わらず、足を狙ったグレンの弾丸は避けられた。

 だが、これはまだ彼の想定内。今のでリィエルの意識もこちらに向き、さらに狙いをつけてくるグレンへ大剣を盾にしながら突っ込んでくる。

 

「やらせないよ」

 

「シンイチ……!?」

 

 大上段に剣を構えて飛び上がるリィエルとグレンの間に割り込んできた信一は妙な構えを取っている。右刀は上に、左刀は下にそれぞれ切っ先を向けた状態。

 

(刀では受けたくない。けど、避けたらすぐに二撃目が飛んでくる。それなら……!)

 

 信一の頭に浮かぶのは、この島でリィエルと魚を食べながら交わした会話。そしてその日の夜に行ったギイブルとのチェス。

 いつか大人になった時笑いあえるであろう思い出が信一にこの構えを取らせていた。

 

「いいぃぃぃぃやぁぁぁぁぁぁ!!」

 

 熾烈、苛烈、強烈。自然災害とすら思えるような稲妻の如き唐竹割りが脳天に振り下ろされる。

 

「———『廻刄(カイジン)』———!」

 

 対して信一は、バッ———!

 あの夜チェスでギイブルが使ったように、上下の二刀を旋回(キャスリング)。その動きで生まれた()()が振り下ろされた大剣の軌道を逸らした。

 あの日リィエルが言っていたのとはまた違う使い方になったが、(空気)()を制したのだ。

 

 ガアァァンッ!と、顔の右側を擦過していった大剣が地面にクレーターを作る。

 しかし、リィエルからすれば一撃目を対処されただけに過ぎない。外したのなら返す刀で二撃目を放てばいい。その信条を元に、Vの字を描く切り返しで信一を両断しようとした……その時。

 

「あ、ぐっ———!?」

 

 リィエルのこめかみに激しい衝撃が弾け、目の前に星が散った。

 

(なっ、なに……?)

 

 視界の端で床を転がっていく拳銃を見て、すぐに事態を悟る。グレンが拳銃を投げたのだ。目の前の信一を回り込むように避け、その先のリィエルに当たるよう弧を描く軌道で。

 

 態勢を直そうとぐらついた体を起こそうとするが、そこには一瞬の隙がある。その隙を、【迅雷】を使っている信一は逃さない。

 

「———『刄鋏縛(ジンキョウバク)』———」

 

 先ほどとは上下が逆になった二刀を横向きに倒し、あえて峰側をリィエルに向けたX字のように構え———ガッ! 二刀の交点を彼女の細い顎に引っ掛けて押し下げ、仰向けに倒した。

 

「うぐっ……!?」

 

 リィエルが小さな悲鳴を上げるも———ザクンッ!二刀の先端が同時に地面を深々と刺す。彼女の首の直上には刀の交点があって立ち上がれない。さらにその逆側の交点は信一が防刃素材の地下足袋で踏みつけ、体重で抑えている。

 

「先生!」

 

「《・———理の天秤は右舷に傾くべし》!」

 

 黒魔【グラビティ・コントロール】。自身、もしくは触れている物体にかかる重力を操作する魔術。それをグレンは仰向けのリィエルに触れながら起動する。

 彼女の膂力は体重だけでは抑え切れないことを先ほど証明されていたので、重力を使おうという魂胆だ。

 

 なにはともあれ、これでリィエルは何もできない。いくら人間離れした膂力があろうと、結局のところ構造自体は人間なのだから。

 

 もう抑えておく必要は無いので、地面から引き抜いて納刀。すると、

 

「ぼ、僕の妹に何をする気だ! 離れろ!」

 

『兄』が金切り声を上げてきた。

 

「離れてほしかったらアンタも立ち向かってくれば?」

 

「うっ……ぐ…」

 

 見たところ戦闘能力はそれほど高くないであろう『兄』は悔しそうに歯噛みするだけだ。操作していた魔導装置から離れようとしない。

 

 そんな彼を見て、グレンは得心がいったように頷く。

 

「てめぇが何をやりたいかわかったぜ。その儀式は『Project:Revive Life』だな」

 

「なっ、なぜ貴様にそれがわかる!?」

 

「『Project:Revive Life』……通称『Re=L(リィエル)計画』。兄を標榜するくせに、こいつを『リィエル』なんて呼んでる時点でお前はニセモノだ」

 

「……え?」

 

 重力に戒められた状態のリィエルがグレンの言葉を聞いて呆けた声を上げた。

 その理由はわかる。『Project:Revive Life』の通称が自分の名前なのだから当然だろう。

 

「ねぇ、グレン……どういう……こと?」

 

「お前の兄貴の名前は『シオン』だ。これで多分思い出すんじゃねぇか」

 

「……『シオン』……?」

 

『シオン』という名前を反駁するように何度も呟くリィエル。彼女の目が、まるで何かを思い出すようにどんどん見開かれていく。

 それを確認したグレンは、やはり苦虫を噛み潰したような顔で驚愕の真実を告げた。

 

「リィエル。お前の正体は……世界初の『Project:Revive Life』の成功例なんだ」







はい、いかがでしたか?ちゃんと伏線回のやつを回収しましたぜ!新技として!!

本当はバークスおじさんと戦う父親&アルベルトの方も書きたかったのですが、長くなりそうだったので切らせていただきます。次回はそちらの方メインで書いていきますね。


目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

第33話 星と死神が導く先は

春休みに入り、書く時間が大量に確保できて嬉しい(*´꒳`*)

今回はバークスおじさんとパパ&アルちゃんのお話。こう書くとなんだか御伽噺みたいな感じがする……?


「ふははははッ!そうれ!そうれ!」

 

 バークスが魔薬によって得た『人体発電能力』をフル発動させ、左右に散開した零とアルベルトを狙う。

 無数の稲妻が部屋を四方八方に奔るが、2人は全て紙一重で躱し、あるいは脳髄の浮かぶガラス円筒を盾にしてしのいでいる。

 

「まったく、邪魔なゴミ共よなぁ!研究の役にも立たず、ここでも私の足を引っ張るとはッ!」

 

 思わず身を竦ませるような雷鳴が響く中、命をなんとも思っていないことが丸分かりなバークスの言葉を受けて2人はあからさまに不快な表情を浮かべていた。

 

「…………」

 

「…………」

 

 割れたガラスと共に地面に落ちる脳髄を申し訳無さそうに見る零とアルベルト。

 

 あれがどこの誰だったかは知らない。男だったのか、女だったのか。子どもだったのか、大人だったのか。他人に優しかったのか、厳しかったのか。

 

 しかし、分かることもある。

 

 ———生きたかった筈だ。今、自分達が野蛮に暴力を交えているこの時を。大切な人と笑い合えたかもしれない幸せな未来を。

 少なくとも、異能を持って生まれたというだけでこんなクズに喰いものにされて良い人生ではなかった。

 

 いくら世間に公表されていない特務分室であろうと、自分達も人間だ。死んだ彼らは戻らないが、仇を取ってやりたいと思う心はある。

 

「《氷狼は疾走す》」

 

「ふん、小癪な!」

 

 アルベルトの黒魔【アイス・ブリザード】に対して、バークスは『発火能力』を発動。氷獄と炎獄が空中でぶつかり、水蒸気を発生させた。

 

「さっさと死ねよ」

 

「む……ガァッ!?」

 

 刹那、渦巻く水蒸気からバークスに向けて赤と金が奔る。狙いは眼窩、首、延髄、心臓、気道、肺———突きと斬撃が人体の急所を正確に穿ち、血煙を上げさせる。

 しかしそれも一瞬。即時再生していくバークスの体を見て憎らしげに舌打ちを溢しながら零は未だ漂う水蒸気の中へと消えていく。

 

「逃がすかぁ———ぐぅ!?」

 

 追撃を掛けようと『発火能力』を発動しながら零が消えた方向に手を伸ばすバークスの喉に、トスッ! と。静かに……しかし深々とナイフが突き立つ。

 

「チィ、小賢しい!」

 

 やっと水蒸気が晴れ、視界の端で並んで立つ2人を捉えたバークスは———ブオォォォァァァァァ!!

 B級軍用攻性呪文(アサルト・スペル)に匹敵するであろう『発火能力』を使い、2人丸ごと灰に変える勢いの炎を放つ。

 

「おっと危ない」

 

 対して零が迫る炎へと右手の金刀を超音速で振るって真空を作り、弾けさせて対処。炎が視界を塞ぐ中、アルベルトがさらにナイフをバークスに投げつけて雀の涙程の出血を促す。

 

 バークスから見れば、まるで馬鹿の1つ覚えだ。最初から攻性呪文(アサルト・スペル)を一切使わず金刀と赤槍で斬りつけてくる零はともかく、アルベルトは魔術を使いこなして異能を捌いている。

 にも関わらず、彼すらほとんど攻性呪文(アサルト・スペル)を使わずナイフで攻撃してくる始末。

 

 眉を顰めてアルベルトの狙いへと思考を巡らすバークスを他所に、零が口を開いた。

 

「う〜ん……どうしよう、アル? アイツ殺しても全然死なないわ」

 

「……フン。お前も似たようなものだろう」

 

 軽口を叩く同僚へアルベルトはくだらないと言いたげに鼻を鳴らす。それを見て、バークスはほくそ笑む。彼らに作戦など無く、ただ手詰まりだから魔力の消費を抑えてるのだと確信できたからだ。

 

 ———だが、それは大きな勘違いである。

 

 そうとは気付かず、哄笑混じりに得意げな声音で彼は吠える。

 

「棒を振るしか能の無い東方の猿もやっと気付けたかッ!そうだ!真の魔術師たる私にとって、不死身など容易く手に入るのだよッ!」

 

「あぁ、いや……別にそれは構わないんだ。不死身の相手とか、今の職場に入ってから何度も戦ってるし」

 

「……?」

 

 不可思議な言動に眉を顰めるバークスの視線の先で、零はおもむろに宮廷魔導士礼服の上着を脱ぎ、腰の留め具を外して刀の鞘を地面に落とす。

 

「別に不死身と無敵って必ずしもイコールで結ばれるわけじゃないんだよ」

 

 そう続けながら零は左手の赤槍を、腕を伝わらせるように回す。すると赤槍はまるで生きているかのように零の腕を回りながら登っていき、胴をグルっと一周。さらに右腕へと伝っていき、また左腕に戻っていく。

 

 その動きが加速しながら何度も繰り返され、次第に———パンッ!パァン!!

 槍の両端から弾けるような音が鳴り出した。音速を超えたのだ。

 

 赤色の残像が零を中心にして球形を描く。それはさながら、1つの結界のように。前後、上下、左右、御構い無し。その範囲内に入れば問答無用で解体されるのは火を見るよりも明らか。

 防御でありながら攻撃。攻撃でありながら防御。赤槍———()()()の役割を果たしている。

 

 この一見手品のようにすら見える赤槍の動きにトリックは無い。ただただ全身の微細な筋肉の動きだけで槍を操っているだけだ。

 零が上着を脱ぎ、鞘を捨てたのは槍が引っ掛かる場所を減らす為である。

 

「殺しても死なない奴は山ほどいたよ。でもさ———()()()()()死なない奴はいなかったぜ?」

 

 よくよくバークスを観察すれば、彼が戦闘というものを理解してないことなど一目瞭然だった。

 それが顕著に表れたのは、零とアルベルトが左右に散開した時。バークスは1人に狙いを絞ればいいものを、わざわざ2人同時に狙っていた。

 

 敵が集団の場合は各個撃破する。そんな子どもでも知ってる喧嘩の基本を、彼は知らない。結局のところ、バークスは戦闘者ではなく研究者なのだから。

 

 彼は大きな勘違いをしていた。

 零とアルベルトは別に作戦が思いつかず手詰まりだから魔力の消費を抑えてるわけではない。

 ———作戦など立てる必要が無いほどに、彼は容易い相手というだけだ。

 

「ほざいたな、東方の猿……っ!」

 

「あぁ、ほざいたよ。だからほざいたついでに宣言しておく」

 

 怒りを露わにするバークスへ向けて空いた左手を使い、零は親指で喉笛をカッ切る仕草を見せた。

 

「今夜お前は、地獄で眠る」

 

 それはまさに彼のコードネーム、No.13『死神』を象徴するかのような言葉。魂を奪い、地獄へと運ぶ送り人の囁き。

 

「野蛮な猿風情がぁ!私を愚弄するかァッ!!」

 

 怒りに任せて『冷凍能力』を発動させるバークス。骨の髄まで凍らせる猛吹雪に、零は赤槍の結界を纏った状態でアルベルトを守るように正面から突っ込んでいく。

 

 ———バオォォウゥゥゥ!バオォォウゥゥゥ!!

 

 吹雪は風を斬り裂き纏う赤槍の結界に触れると瞬時に霧散していた。冷気は大気中に残るが、零からすればただ少し寒くなったように感じるだけ。

 

 そのまま突っ込み、結界の範囲内にバークスを収めようとした瞬間……消えた。

 ———ドスッ、ドスッ!

 

「んなぁ……ッ!?」

 

 柔らかい物に何かが刺さる音を最後に、バークスの視界が暗闇に染まる。触って分かったが、これは先ほどからアルベルトが投げていたナイフだ。

 それが2本。綺麗にバークスの両目を潰している。

 

「確かに俺は野蛮人だよ」

 

 ——ヒュンッ…バシュ……ザザザザザザァッ!!

 

 軽い風切り音が二。バークスの右側頭部と左腋の下から。激しい斬裂の音が六。うなじから。

 刹那、音の出どころから壊れた蛇口のように血が噴き出す。

 

 後ろに回った零が金刀で側頭動脈と腋窩動脈に切り目を入れ、纏う赤槍で7本ある頚椎の隙間を斬り裂いたのだ。

 

「魔術もロクに扱えず、理解不能な意地で200年も国交を断ってた島国出身のお猿さんさ」

 

 刀を両手で握り、三閃。全身を回り続ける赤槍に一切当たること無く、左外頭動脈と右外頭動脈、右椎骨動脈を斬る。

 その間に赤槍は地面と水平に零の胴を回りながら下がっていく。12本ある胸椎の隙間、11箇所を余さず斬り裂き、前脊髄動脈と後脊髄動脈の太い血管3本と多数の毛細血管から盛大に出血させる。

 

「でもな、その200年間をノホホンと過ごしてたわけじゃない。お猿さんらしく棒切れ(刃物)片手にどうやって効率良く相手を殺すか実践し続けてたんだ」

 

 赤の球形中で乱舞する金。それは美しく、しかしおぞましい。血風を巻き起こしながらも零の刀を振るう両手は止まらない。彼が纏う攻防一体の赤槍も止まらない。

 

「冥土の土産に教えといてやるよ。刃物を握った東方の猿はな———」

 

 やっと最初のナイフで負わされた傷が治り、戻った視界を頼りにしてその場を離脱しようとするバークスの足に———ガガガッ!再びアルベルトのナイフが突き刺さり、体の前面にある歩く為の筋肉———腸腰筋、大腿四頭筋を正確に断ち切る。

 

「———世界最強の首刈り民族なんだ」

 

「グハァ……ッ!?」

 

 そろそろか、と何かの頃合いに気付いた零はバークスを明後日の方向に蹴り飛ばす。

 老人にしては体格の良いバークスだが、まるで小石のように転がっていった。その間に体から煙を上げて傷が治っていくが、零とアルベルトは特に追撃を加えない。

 

「ふん、でかい口を叩く割には体力が先に底をついたか?その槍による曲芸はそこそこ見ものだったがのぉ」

 

 バークスは元気に立ち上がり、やはり彼らを見下したかのような言動を取る。しかし2人の表情は変わらない。アルベルトは氷のように冷たい無表情、零は害虫を見るような目と口元には酷薄な笑みを浮かべている。

 

「126回だ」

 

「……なに?」

 

 右の金刀を肩に担いだ零はおもむろにそんな事を言う。当然何のことかわからないバークスは眉を寄せるので、それに答えるよう続けていく。

 

「俺達はお前を126回殺した。俺が71回。アルが55回だな」

 

「ハッ!それがどうした?私には叡智の結晶たる魔薬から得た『再生能力』があるのだぞ?現に元気100倍だわい!」

 

「……突然だけどさ、槍にはこんな使い方もあるんだぜ」

 

 突如バークスの足が地面を離れ、弾かれたように後方へ飛ばされる。

 

「ガアァッ!?」

 

 背中を壁に強打してやっと止まったバークスは自身の胸から何かが生えていることに気付いた。

 ———槍だ。赤い槍が生えているように見えるくらい胸に深々と刺さり、壁に縫い付けられている。

 

 ジャベリックスロー(槍投げ)という極めて原始的な技術。それに【迅雷】の膂力が上乗せされれば、それはもはや必殺の一撃となる。

 

「これで127回……いや」

 

「…………ッ!」

 

「———っごぉおおおッ!?」

 

「128回か」

 

 アルベルトの投げたナイフがバークスの喉元に刺さり、訂正しながら零は壁に縫い付けられたバークスへと歩み寄って行く。ゆったりと、日常生活を送っている時と同じように。

 

「げほっ!ごほっ! ふん、何度繰り返そうと同じことよ」

 

「……忠告しておくが」

 

 自分が今どれだけの窮地にいるのか理解していない。それがバークスから見て取れたアルベルトは呆れの混ざった声色で告げる。

 

「死にたくなければ、そのナイフ……抜かない方が賢明だぞ」

 

「なにを、馬鹿な……ッ!」

 

「やめておけ、アルの言う通りだ。お前が128回死んだ時の死因、何が1番多かったか覚えてないのか?」

 

「げほっ! な、なんだと……?」

 

 苛立ち混じりにナイフを引き抜こうとするバークスに、零は制止を呼びかけた。彼も呆れた表情を隠そうとしない。

 

「考えてみろよ。俺達は刃物で攻撃し続けた。宮廷魔導士団のエリートとして名高いアルですらな」

 

「まっ…まさか……ッ!?」

 

「刃物で皮膚を斬れば出血する。お前の再生能力とかその他諸々は血液中に薬物を打ち込むことで初めて使うことができる。さて———ならその薬物が混ざった血を抜いてやればどうなるんだろうな?」

 

 血液に薬が溶けた場合、それが効果を発揮するのは血中薬物濃度がとある閾値に達している時のみだ。それを下回ると、当然ながら薬の効果を得ることはできなくなる。

 

 言われてやっと気付いたバークスは壁に縫い付けられている状態で慌ててポケットに手を突っ込み、件の魔薬が入った注射器を取り出す。

 それを首元に打ち込もうとして———グサッ!

 

「させると思うか?」

 

 冷酷な声と共にアルベルトがナイフを投擲し、注射器を握る腕の深指屈筋を切断した。金属製の注射器は割れることなく地面に落ち、カラカラと音を鳴らして転がっていく。

 

「今、お前にあの驚異的な再生能力は無い。じゃあ問題だ。———この喉に刺さったナイフを抜くとどうなるのかな?」

 

「ひ、ひいぃぃぃぃ———ッ!?」

 

 狂乱に陥るバークス。引き抜こうとしたことも忘れ、文字通り首の皮一枚となったナイフを歩み寄ってきた零に抜かれまいとジタバタ暴れながら必死に手で抑えて守ろうとする。

 死が目の前にあるということで彼は気付いていないらしい。暴れたことで自身を縫い付けている赤槍の傷口も徐々に開き、血が滴っていることに。

 

 どのみちバークスはここで死ぬ。もちろん【ライフ・アップ】などの法医呪文(ヒーラー・スペル)を使えば助かるが、2人にそれをしてやる義理は無い。

 

「よっ……と」

 

 縫い付けられたバークスに向けて零は2回刀を振った。途端にボトボト、と。ナイフを守っていた腕が呆気なく落ちる。

 

「あっ……うあぁ……っ…!」

 

 両腕を切断されたことで、出血量が増した。自身からこぼれ落ちる血を見てバークスの顔に絶望が色濃く表れている。

 そんな彼に、零は場違いなほど優しい笑顔で問いかける。

 

「死にたくないか?」

 

「———ッ!? し、死にたく……な……い」

 

「助けてほしい?」

 

「た、頼む……いや…お願い……だ……」

 

 無様に涙を流して見るに耐えない泣き顔を晒しながら必死に命乞いするバークスへ、零は聖人のように慈悲深い笑顔を向けて———

 

 

 

 

「ダメ」

 

 

 

 ———情け容赦無く喉元のナイフを引き抜いた。

 

 間欠泉のように喉から噴き出す血が掛からないよう、そっと横に逸れながら小さく呟く。

 

「土は土に。(チリ)は塵に。灰は灰に」

 

「あっ……が……この私が…」

 

「墓前は自分の血華で飾りな、腐れ外道」

 

 横薙ぎに金刀を構えた零の姿。それがバークスの今生最後に見た光景だった。

 赤槍で縫い付けられた彼の胴体を中心に、刎ね飛ばされて散った血液が花弁の如く壁を彩っている。

 

 

 

 

 

 

 赤槍も引き抜き、ブンッとこびり付いた血を払いながらアルベルトへと語りかける。

 

「ったく……血を抜いて無力化するなんてよく思いつくな?恐ろしいよ」

 

「む? お前も最初からそのつもりだったのだろう?」

 

「いや、途中で気付いた。ぶっちゃけどうしてアルが魔術を使わないのか不思議だったし」

 

「……………。……一つ聞くが、お前は俺の考えに気付く前はどうやって奴を倒すつもりだった?」

 

 アルベルトが顎をシャクって五体全て落とされたバークスの死体を一瞬だけ示す。視線を戻すと、いつの間にか赤槍は消えていた。

 上着を着直し、再び腰の留め具に鞘を着けながら零は質問に答える。

 

「殺し続けるって言ったはずだぞ。1回殺して死なないなら10回殺す。10回殺しても死なないようなら100回殺す。死ぬまで殺せばいつか死ぬだろ?」

 

「………………」

 

 脳筋と言えばいいのか、益荒男と言えばいいのか……。まともな返答を期待した自分に嫌気が刺すアルベルトであった。

 

 頭痛を堪えるように眉間を揉みほぐす彼は気付かなかった。零がバークスの死体の横に転がる注射器をそっとポケットに入れたことを。






はい、いかがでしたか?本気のパパは凄い!けど掲げる理屈は大抵頭がおかしい! それが伝わっていれば嬉しいです。

自分一応書き終えたら読み直すようにしてるんですけど、パパが槍と刀で71回殺す間に投げナイフだけで55回殺したアルベルトさんの方が凄い気がする……。

皆さん、チートキャラ2人にボコられたバークスおじさんのご冥福を祈りましょう。ラーメンƪ(˘⌣˘)ʃ


目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

第34話 彼女の答え

花粉症が……辛い(´༎ຶོρ༎ຶོ`)




「———リィエル。お前の正体は世界初の『Project:Revive Life』の成功例」

 

 忌々しげにグレンから告げられた真実は、リィエル自身のアイデンティティを揺るがすには充分だった。

 錯乱一歩手前なのが一目で分かるような顔をする彼女へ追い討ちをかけるように、しかしそれをどこまでも申し訳なさそうにグレンは続ける。

 

「2年前、俺とアルベルトは天の智慧研究会が運営するとある研究所支部を強襲した。その支部にいたシオンという名の内通者と突然、連絡が取れなくなったからだ。そしてその道中、イレッセの大雪林にてシオンの妹、イルシアを発見。だが、何者かに瀕死の重傷を負わされていたイルシアはすでに手遅れで……間もなく息を引き取った」

 

「………あ……ぁあ……」

 

「そして俺はその後、件の研究所支部でシオンの遺体を発見、同時にガラス円筒に収まったとある少女を密かに回収、保護した。その少女はイルシアの『アストラル・コード』……要は、イレッセの大雪林で事切れる直前までのイルシアの記憶を受け継いでいて……名前を『リィエル』と名乗った」

 

「う……嘘……そんなの……うそ……」

 

「嘘かどうか……もう、わかってんだろ?」

 

 リィエルの表情は語られた真実を疑ってはいない。ただ否定してほしい、と。そんなモノは夢物語だお言ってほしい、と。

 疑いようもない現実から目を逸らしたいが為に、『兄』へと縋る。

 

 しかし———その選択は間違いだった。

 

「やっぱり()の最大の失敗はさ、あの時安直にシオンを始末してしまったことだな」

 

 突如『兄』の口調が変わり、リィエルの視線とは対象的な———ゴミを見るような目で彼女を見ている。

 

「リィエル、知ってるか?人の記憶を完全に封じたり捏造するのは思った以上に困難でね。壊れかけの壺にひび割れた蓋をするようなもんで、ちょっとした切っ掛けがあれば簡単に中身が出てきちゃうんだよ」

 

「に……兄さん……?」

 

「白魔術の記憶操作術式には『キーワード封印』という手法があるんだ。とあるキーワードを基点に、それに関連付けられた周辺記憶を封印・捏造するという術なんだけどさ、俺はそれに『シオン』というワードを設定したわけだ」

 

 リィエルが兄の名前を思い出せなかったカラクリはこれらしい。いや、そもそもリィエルに本当の兄などいない。

 彼女の中にいる兄は彼女の元となったイルシアの兄であり、リィエルの兄ではないのだから。

 

「なるほど。お前……ライネルだな?」

 

 本性を現した『兄』の発言から、グレンは彼の正体を口にした。それが誰なのか。

 ライネルという名前を出した瞬間、リィエルの目が見開かられたことからイルシアという少女の関係者なのはなんとなく見当がつく。

 

「二年前のあの作戦で、あの外法研究所を俺とアルベルトでぶっ潰した時、シオンと共同研究していて……シオンからイルシアと共に救出を頼まれたライネルという男だけが行方不明だった。……お前がそのライネルだな?」

 

「やれやれ、流石は元宮廷魔導士団だな。そこまで見抜かれていたとは」

 

 しかしおかしい。先ほどまでの怯えようが嘘のように、ライネルは余裕綽々といった様子だ。

 

 良くない予感がする。黙って2人の話を聞いていた信一は、二刀を構えて口を開いた。

 

「先生。もう答え合わせは終わりでいいですよね?」

 

「……殺すのか?」

 

「早くルミアさんを降ろしてあげたいので」

 

 信一の目に、明かされた真実から必死に目をそらすリィエルの姿は映っていない。どれだけ悲惨な過去を持っていようと、彼女は自分の家族に危害を加えた。

 

 今信一の心にあるのはルミアを助けてリィエルを持ち帰る。そしてシスティーナとルミアにリィエルをどう思っているのか問い、その後どうするか決める。場合によっては殺す。これだけだ。

 リィエルの心の問題など、知ったことではない。

 

 殺意と二刀をライネルに向けるが、彼の態度が崩れることはなかった。やはり何かあるらしい。このまま生き長らえさせて良い事はないだろう。

 

「一応礼を言っておこうかな、リィエル。君は大切な『妹』だったからさ」

 

 特に慌てることは無く、縋るリィエルへライネルは無情に一言。

 

「でも、もう要らないや。この子たちがいるから」

 

「ライネル、てめえぇぇぇッ!」

 

「《疾くあれ》」

 

 グレンの怒声をBGMにして【迅雷】を起動。筋肉が引き絞られる音を上げながら右刀をライネルの首に奔らせようとして———ギイィィィィンッ!

 

 不意に割って入った影に刀が弾かれ、甲高い音を上げる。

 

「……っ!?」

 

「何———ッ!?」

 

 ライネルを庇うように現れたのは3体の影。その姿を視界に収めた瞬間、グレンは驚愕しながらも素早い身のこなしで即座に地面に転がる銃を拾う。

 

 3体の影———それは3人のリィエルだった。衣服こそ露出度の高いボンデージだが、3人が3人ともリィエルとまったく同じ姿、体格で、リィエルが得意とする錬金術で錬成された大剣を構えている。

 

 見る者が見れば悪夢にも等しい光景だ。そしてその『見る者』はすぐそこにいた。

 

「う、ぁああ……ああ……」

 

 自分とまったく同じ姿のレプリカ。今までのライネルの発言で既に壊れかけていたリィエルの精神は、ついに臨界点を迎えた。

 

「あぁぁぁぁぁぁあぁぁぁぁ———ッ!?」

 

 両膝を地面につき、悲鳴を上げるリィエル。それが追い討ちをかけることだと理解してるのかしてないのか、ライネルは哄笑混じりに続ける。

 

「どうだ、見たか!これが俺の力だ!俺はこの力で組織をのし上がる!このルミアとかいう部品があれば、俺はリィエルを幾らでも作れる!1匹作るのに結構な数の人間の魂が必要になるが、そんなの関係ない!作れば作るほど、俺は強くなる!無限に強くなれる!これを最強と言わずしてなんと言う!?」

 

 ギリッ、と。ライネルのバカ笑いの中でも聞こえるほどに大きな歯軋りがグレンから響いた。己が欲望のままに他者を踏み躙り、呼吸する度に犠牲を生み出すような真の邪悪に対する怒りは膨れ上がるばかりだ。

 

 だが、このままではマズイ。ライネルを守る3体のレプリカは『Project:Revive Life』で生み出されたコピー。そのコンセプトに沿っているとするならば、各々の実力がリィエルと同等ということになる。

 

「先生、俺がルミアさんを助けます。それを合図に父さん達のところまで逃げましょう」

 

 この状況での最善はこれだろう。ルミアを部品と言い切ったあの男は今すぐ血祭りに挙げたいが、あの3体がいては勝てる見込みがない。

 

「背中を見せたら速攻で斬り捨てられるぞ?」

 

「リィエルを肉壁に使います。なので逃げる時は先生にルミアさんを任せることになりますが……」

 

「却下だバカ野郎!そんなことできるか!!」

 

 信一の提案はどこまでも彼らしく、そしてグレンが絶対に容認できないもの。

 

「そもそも!下手にそんなことやったら白猫たちが泣くかもしれないだろ!」

 

「うっ、確かに……」

 

 信一の判断は実に合理的だが、それを覆すには感情論ではなくシスティーナやルミアのことを持ち出せばいい。彼女達が悲しむ結末だけは絶対に避けようとするからだ。

 

 この土壇場で意見が分かれたのを好機と見たライネルはレプリカ達に命令を飛ばす。

 

「逃がすな!俺の木偶人形ども!そいつらを始末しろッ!」

 

 主人の命令を受け、こちらに肉薄してくるレプリカ達。小柄な体格を活かした俊敏な動きでこちらに迫ってくる。

 狙いはリィエル。まずは行動を起こせる精神状態にない彼女から始末するという機械的な判断によるもの。

 

「チッ!」

 

 家族に危害を加えた者を守らなくてはならない事に苛立ちながら信一はレプリカとリィエルの間に割り込み、二刀を地面に刺して振り下ろされた大剣を白刃取り。半月に回した膝を横合いから大剣の腹に叩き込んで力任せにへし折ってやる。

 

 折った刃をグレンに襲い掛かってきた2体目のレプリカへと投げ、その隙に二刀を拾ってこちらに飛んできた3体目の斬撃を受け流す。

 

「ふっ———!」

 

 斬撃を流されてタタラを踏む3体目に【迅雷】の膂力で回し蹴りを打ち込んで吹っ飛ばしてやった。ベキャッ!という肋骨の折れる感触が地下足袋越しに伝わり、とりあえずは1人無力化できただろう。

 

「ちょっ……マジか……」

 

 しかし驚きで目を見開いたのは信一。

 確かに折った。折れた肋骨がそのまま内臓に突き刺さるように完璧な角度で入れたはずだ。

 

 そのはずなのに、3体目は平然と立ち上がっている。

 

「くっく、バカめ!その人形達に痛覚なんてないんだよ!加えて余計な人格や感情も削除してある!俺が……俺だけが操れる殺戮人形だ!」

 

 それはそれは気持ち良さそうに愉悦へと浸るライネルには目もくれず、信一はまっすぐ鎖で吊るされたルミアの元に向かう。

 それを見て、信一の行動の意図を察したらしいグレンは叫ぶ。

 

「信一!そのまま2人を連れてアルベルト達のところまで逃げろ!俺がこいつらを受け持つから!」

 

「わかりました。絶対に助けを呼んで来ますので、どうか死なないように」

 

 左刀を納め、右刀だけでルミアを戒める鎖を断ち切り、重力に従って落ちてくるルミアをキャッチ。

 

「すみません。失礼します」

 

「きゃ!」

 

 カッコよくお姫様抱っこをしてやりたいが、この状況で両手が塞がるのはマズイ。なので左腕をルミアの胴体に回して横抱きにし、右手で刀を握ったままレプリカを警戒しながら今度はリィエルの元へ走る。

 

「行くよリィエル。立って」

 

「シ……ン……イチ……」

 

「早く!」

 

 膝を突いたリィエルに見上げられる形の信一は焦燥に駆られて声を荒立たせた。

 自分たちを庇うように、今後ろではグレンが1人で3体のレプリカを必死に捌いている。だがそれも長くは保たない。

 

「どうして……グレンは……私を守ろうとしているの……?」

 

「…………」

 

「わたしは……ただの人形なのに……」

 

 つい先ほどまで豪快な剣技を振るっていた者とは思えないくらい弱々しい声でリィエルは尋ねてくる。悲しいことに、立ち上がる気配はまったくない。

 

「わたしは……作り物で……人間ですらないのに……」

 

「…………」

 

 そんなリィエルを見ていると、まるで古い鏡を見せられている気分になる。守りたかった家族を守れなかった5年前の自分を見せられてるような気分になる。

 

「グレンにも、シンイチにも……あんなにひどいことして……クラスのみんなに……ひどいこと言って……もう自分が誰かも……わからないのに……」

 

 フィーベル家の与えられた部屋で、ただうずくまって泣いていた自分を見せられているような気分になる。

 

 今、そんな感傷に浸っている場合ではない。早く逃げなければグレンが殺される。そうなれば芋づる式にあのレプリカ共に自分もリィエルも殺されるだろう。だから進むべきなのだ。

 

「わたしは……イルシア……リィエル……?この記憶も……他人のもので……じゃあわたしは誰なの……?」

 

 こんな彼女の質問になど答えず、蹴り転がしてでも進むべき。そう……進むべきだ。

 

「信一、何してんだっ!?早く行けぇ!」

 

 進むべき……なのに……。

 

「……わからないの?」

 

 信一は、リィエルの質問に答えようとしている。手を伸ばそうとしている。

 5年前のあの時、自分に手を伸ばしてくれたシスティーナのように。

 

 縋る目で見上げてくるリィエルへ信一は一瞥した後、ゆっくりと横抱きにしていたルミアを彼女のそばに降ろした。後ろ———自分たちの為にレプリカを引き受けてくれているグレンの方へと向き直る。

 そして踏み出して行く。グレンが逃げろと言った方向とは真逆のほうへ。

 

 一歩。

 

「君の名前はリィエル=レイフォード」

 

 どうしてだろうか。そんな疑問が頭をよぎりながら……二歩。

 

「ルミアさんの護衛として派遣されてきた宮廷魔導士団の1人で、」

 

 それでも迷わず歩を進めていき……三歩。

 

「無愛想で、一般常識を知らなくて、」

 

 左手を背中の刀に掛け、改めて抜刀して……四歩。

 

「イチゴタルトをバカ食いして周囲をドン引かせて、」

 

 ここまで踏み込んで、今までグレンだけを攻撃していたレプリカのうちの1体が斬りかかってきた。だが、構わず……五歩。

 

「新鮮な焼き魚をこれでもかと不味そうに表現する、」

 

 大上段から振り下ろされる大剣を左刀で弧を描いて受け流し……六歩。

 

「俺の———友達だよ」

 

 受け流した反動を使って右刀の平突きをレプリカの心臓に突き立てる。

 

 ルミアの手前、リィエルと同じ形のレプリカ達を殺すには気を遣わなければならない。首を落としたり、頭を潰したりとグロテスクな絵面にならないよう最大限の配慮が必要だ。

 

 ()()()()、その配慮ができた。つまりこのレプリカ達はその程度の相手という証左になったということ。

 

「友達……?」

 

「作り物だろうと関係ない。俺が出会ったのはリィエルで、俺が知ってるのはリィエルだけだよ」

 

 決して顔は見せず、信一はそれだけ言って【迅雷】を起動。刺した刀を抜くと大量に出血するので、それをルミアに見せないため突き立てたまま右刀を離し、グレンの前へと躍り出る。

 

「おい、信一……ッ!?」

 

「バトンタッチです、先生」

 

 信一は【迅雷】の反射神経で首を刈り取る勢いの薙ぎ払いを軽く屈んで躱し、空いた右手でレプリカの首を無造作に掴み取った。先ほどと同じく淀み無い動きで左刀を心臓へと突き立てて命を奪い、そのまま捨てる。

 

 二刀を自ら手離した信一の顔に焦りは無い。淡々と、友達だと言い切ったリィエルとまったく同じ姿のレプリカを殺している。

 それでも彼の目には珍しく、憐憫が浮かんでいた。

 

(不幸なものだね、君たちは)

 

 3体目———脇腹が青黒くなってるところから、さきほど蹴り飛ばした個体だということが見て取れる。

 骨が内臓に刺さった状態で体はすぐにでも治療を必要としているのに、痛覚を無くされたことでそれにすら気付かない。

 ゴミのように殺された2体は言ってしまえば姉妹だというのに、感情を奪われているせいで怒ることもできない。恐怖が無いから逃げるという選択肢も取ることができない。

 

 ただ主人の命のままに動き続けるだけの人形。ライネルのエゴ(悪意)によって生み出され、信一のエゴ(家族愛)によって殺される。これほど悲しい生命があるだろうか。

 

 それでも彼女達は敵だから。だから———殺す。

 

「…………ッ!」

 

 信一は左手を開手にして軽く前に出し、右手は拳にして大きく引いた構えを取る。

 

 武器を持った相手に徒手空拳で立ち向かう場合、間合いの関係でどうしても後手に回るしかない。なので前に出す左手は自由度の高い開いた状態にしておくのがセオリーだ。

 

(確か正中線から指2本分……だったよね)

 

 昔教わった心臓の位置、それを思い出しながら大剣を振りかぶるレプリカの姿を見据える。

 既に【迅雷】は起動しているので、振り下ろされる大剣の動きはひどくゆったりとしている。これならば仕損じることは無いだろう。

 

 脳天目掛けて降ってくる凶刃をまずは、ガッ!左手刀で外側へと払う。これでガラ空きになったレプリカの胴体……正確には体前面の心臓部に、

 

「———『吼獄(クゴク)』———」

 

 右拳を打ち込んだ。

 

 本来、拳で殴る時は踏み込んでから打ち込む。しかし信一の『吼獄(クゴク)』は違う。

 

 ()()()()()()()()()()()

 

 ———ガスウゥゥゥゥゥゥンッ!!

 

 震脚を使った踏み込みは地面に大きくヒビを入れ、その反作用で生まれた運動エネルギーを拳から直接レプリカの心臓へと伝えていく。

 

「……よし。成功」

 

 手応えを感じて一言そう呟いた瞬間、レプリカは糸の切れた人形のようにパタリと静かに絶命した。

 

吼獄(クゴク)』とは、父親がしてくれた頭のおかしい蘇生術とリィエルが自分の心臓を止めた技を原点とする必殺の()()()。一撃目の拳で対象に衝撃を通す(あな)を開け、震脚を用いた見えないニ撃目でそこに衝撃を通して心臓を破壊するというものだ。

 

 言葉にすれば簡単だが、実行するにはもちろんそれ相応の技術が必要。信一がぶっつけ本番で成功できたのはひとえに2回ほど同じようなものを受けていて、さらに【迅雷】を使って人間の潜在能力を開放していたからに過ぎない。

 

 ……とはいえ、だ。信一はレプリカ3体を全て殺した。いくら痛覚を無くしていようと、殺されればもう動けないらしい。このあたりは自分や父親と違って安心できる。

 

 そんな中、部屋中になんとも情けない悲鳴が木霊した。

 

「ば、馬鹿なあぁぁぁぁぁぁッ!?」

 

 ライネルだ。彼は自身の最高傑作であるレプリカがあっさりと倒された光景に頭を抱えて青ざめていた。

 

「あ、あ、あり得ない!? お前達はそこのガラクタ1匹にあれだけ苦戦したのに、どうして同じ性能を持つ3体がお前1人にこうも簡単に倒される!?おかしいだろッ!?」

 

 こちらを指差し恐慌に陥るライネルを信一は冷ややかな目で見つめ、なんで分からないんだと呆れのため息を一つ。

 転がるレプリカを一瞥した後、ライネルに向けて歩み寄りながら語る。

 

「同じじゃないよ」

 

「なにっ!?」

 

「よく考えてみれば簡単な話だったんだ。だって、あの子達の戦闘能力は2年前のリィエル……というかイルシアって女の子から取ったものでしょ?対してリィエルは先生に拾われてからの2年間は宮廷魔導士団で過ごしてた。アンタも天の智慧研究会に所属してるなら宮廷魔導士団の仕事内容は分かるよね?」

 

「まさか———ッ!?」

 

「人間は成長するんだよ。今のリィエルの実力がさ、2年前と同じなわけないでしょ?」

 

 大雑把な説明を終えるうちに目の前まで来ていたライネルの目の前まで来た信一。最後の武器であるナイフを袖から抜いて、軽く手元で弄びながらどう殺してやろうかと酷薄な笑みを浮かべていた。

 

「まぁ、その答えに辿り着いたのはあの子達を殺した瞬間なんだけどね。ルミアさんの鎖を壊した時になんとなく()()って思ったよ」

 

 彼我の身長差は頭1個分違うにも関わらず、ライネルはジリジリと後退することしかできないでいる。しかし、一歩下がっても信一は一歩しか詰めない。まるで獲物を追い込んで楽しんでいるようだ。

 

「ふ、ふざけるな!?お前はあの時、こっちを見ていなかっただろう!」

 

「別に見る必要なんてないさ。人間は身じろぎ1つするだけで色々な情報を拡散してるからね。呼吸による肺活量、足音による体重や歩幅、空気の流れで分かる腕の振り方。本当に同じ性能なら、そのすべてがリィエルと同じじゃなきゃおかしい。でも、あの子達はリィエルと比べて()だった。もちろん剣士としては一流レベルだけど」

 

【迅雷】による潜在能力開放はただ速度と膂力を増すだけではない。五感の鋭さも開放したパーセンテージに比例するのだ。

 信一がルミアを救出した際はリィエルを打倒した時と同じ数値まで開放していた。66%———常人の33倍の五感で感じ取ったその雑さに違和感を覚えたというわけだ。

 

「あり得ない……あり得ない!! 」

 

 ついに壁際まで追い詰められ、逃げ場を失ったライネルは必死の形相で叫ぶ。

 こんなの想定すらしていなかった。宮廷魔導士でもないただの学生が、そんな人間離れした根拠を元に自分の最高傑作をあっさり下すなど思い浮かぶはずもない。

 

 だからこそ、聞かずにはいられなかった。

 

「なっ、なんなんだよお前ぇ!?一体何者なんだ!?」

 

「“超速い慇懃無礼な従者”」

 

 そう答え、信一は弄んでいたナイフを握ってライネルへ向ける。懇切丁寧な説明はもう終わりだ。結局この男の敗因は、彼自身が成長していなかったことにある。

 

「先生、ルミアさんの目を塞いであげててください。血で汚さないように」

 

 信一はライネルを許す気にならない。

 確かに自分は狂っている。友達だと言い切ったリィエルと同じ姿のレプリカを殺すことに何も感じない程に壊れている。

 

 それでも———リィエル(友達)をガラクタと言い切り、ルミア(家族)を部品呼ばわりした奴を許せるほど腐った覚えはない。

 

「たっ……《猛き雷帝よ・極光の閃槍以て———ギャアァ!?」

 

「はい残念」

 

 往生際悪く【ライトニング・ピアス】を起動しようと向けられた指をナイフで斬り飛ばして呪文を中断させる。この距離ならばナイフを持つ信一の方が圧倒的に早い。

 

「あぁ……お、俺の指がぁ……」

 

「お黙り」

 

 悲鳴がうるさいので、上顎と下顎———ナイフを横に一振りして痛みで無様に空いた口へと一瞬通し、顎の筋肉を断つ。これでもう呪文を唱えることもできない。

 

「ゥアア……オアァアオ……ウゥ……」

 

「こんなもんかな」

 

「アァァァァァァァ———ッ!?」

 

 仕上げと言わんばかりにライネルの下半身へナイフを奔らせ、上から腸腰筋、大臀筋、中臀筋、大腿二頭筋、大腿四頭筋、前脛骨筋、下腿三頭筋を瞬時に斬り裂いた。もはや立っているのとすら出来なくなり、地面に崩れ落ちたライネルはそれでも虫のように這って逃げようとしている。

 

「先生、ルミアさんを後ろに向かせてから目を明けさせて結構ですよ。ありがとうございました」

 

「あぁ、それは構わないんだが……いいのか?」

 

 グレンの疑問は『ライネルを殺さないのか?』というもの。この状況ならもっともなものだろう。

 

「たぶん、そうしないほうが良いでしょう?」

 

 振り向いて———さりげなくライネルの顔面を蹴りながら———リィエルを流し目で見てそう言った彼に、グレンは安堵した。

 こんな外道でもリィエルの元となったイルシアの兄、シオンが助けたいと願った男。ならばイルシアの記憶を戻したリィエルが悲しむかもしれないという可能性は少なからずあった。

 

 それを信一は考慮した。家族に危害を加えるのならば誰であれ殺すと公言する信一が、だ。

 

「あとは任せます。先生が殺したいのなら好きにしてください」

 

「やらねぇよ。教師は聖職者だぞ?どんな時もラブ&ピースを忘れちゃいけねーの」

 

 おどけてみせるグレンに微笑み、纏黒を脱ぐ信一。それを未だボロボロの制服姿であるルミアに羽織らせて、背中の鞘を抜き取る。

 そしてレプリカの体に刺さったままの刀を回収し、地面に落ちたもう一本のナイフを拾った———その時だ。

 

「リィエル!」

 

 ルミアの鋭い声が響いた。見ると、リィエルが部屋の出入り口を駆け出していき、彼女の背中に手を伸ばしている。

 

「どうかしましたか、ルミア?」

 

「し、シンくん……リィエルが……」

 

 今にも泣き出してしまいそうな顔でこちらを見るルミア。まるで大切な友人に今生の別れを告げられたような悲壮に満ちた目は、それだけで何が起きたかを物語っていた。

 

「ハァ……」

 

 ため息が漏れる。此の期に及んでルミアを泣かせるとは、一体どういう了見なんだ。

 

「走りますね」

 

 回収したナイフと刀をポイと地面に放り、代わりに右腕を背中へ、左腕を膝裏に回すお姫様抱っこでルミアを抱え上げた。

 

「お、追いつけるかな?リィエル結構速いよ?」

 

「安心してください。俺の方が———速い」

 

 魔力的にも本日最後の【迅雷】を起動して駆け出す。早く、速く、疾い。あっという間にリィエルに追いつき、さらに追い越して足払いを掛けてやった。ゴロゴロと勢いそのままに転がる彼女が止まるであろう場所にルミアを下ろして、2人の様子を見守る。

 

 これから2人がどうなるか。一応は見守るが……優しいルミアのことだ。結果など、考える必要もない。







はい、いかがでしたか? 信一が良いところを全部持っていったせいでグレン先生の影が薄めでしたが、そのあたりはご了承ください。これだけは譲れないのです!!

次の話で長かった3、4巻のお話は終わり。その後タグを1つ追加します。たぶんどんなタグかはこの話を読み切った方なら分かるはず。


目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

第35話 それでも君は……

長かった3、4巻の話も今回で最終回。テストとか色々あったにせよ、半年近く書いてましたね……。確認してビックリです。


 日が昇り始め、空も白む明け方頃。ルミアとリィエルを連れ戻した2人が旅籠に帰ってきた。

 

 あまり仰々しいのは良くないと判断したらしい零とアルベルトは帰り道の途中でいつの間にか消えていたが、これも彼らの優しさだろう。命のやり取りを日常とする日陰者が、未来ある若者と多く接触するのは良くない。

 

 できればもう少し父親と話したかったが、そう推測した信一の尊敬の念は高まるばかりだった。

 

 そして、帰ってきた4人を誰よりも待っていたシスティーナ。彼女はリィエルを見つけるやいなや、即座に平手で張った。

 

「甘いですね、お嬢様。グーでいきましょうグーで……」

 

「シンくん、ちょっと黙ろう?ね?」

 

「ですがルミアさん……」

 

「———黙ろう?」

 

「はい。黙ります」

 

 確かに、慣れていない者が拳で骨の塊である顔面を殴ると手を痛めてしまうことがある。システィーナがケガするよりは良いだろう。

 

 そんな言い訳を心の中で呟き、いつもと変わらないのに何故か威圧感がすごい天使の微笑みを浮かべるルミアに負けておずおずと黙る。正直、今の瞬間だけはかのゼーロスがチワワに思えてしまうほど怖かった。

 

「ですがまぁ、ルミアさんはこれで良かったんですか?」

 

「もちろん。友達同士が仲良しなのは良いことでしょ?」

 

 言葉を交わす2人の視線の先では、システィーナがリィエルを固く抱きしめている。そんな彼女達を見守るルミアの目には、満足げな光と涙が浮かんでいた。

 

 ルミアとシスティーナ、2人が満足している。その結果さえあれば、信一にはもう何もいらなかった。

 

「……そうですね」

 

 そして、東の空から顔を出した朝日が長い夜の終わりを告げる。

 

 

 

 

 

 

 残念ながら、二組の遠征学修は白金魔導研究所の所長であるバークスが突然『失踪』したということで中止になってしまった。

 それと同時にサイネリア島内の全観光客、全研究員へ政府から退避命令が勧告。もはや遠征学修どころの話ではなかったのである。

 

 だが、島内にはそれなりに数多くの人間がいる。全員が本土に戻るにはそれなりに時間が掛かり、その結果二組が帰る順番待ちの都合で1日の空白を作った。

 

 予定のない丸1日の自由時間。当分来ることの無い海でクラスメイト達は全力を尽くして遊んでいる。

 

 いつかの日と同じように、信一は釣り糸を垂らす。少し左に視線を向ければ、これもまたいつもと同じように砂浜でビーチバレーに興じるクラスメイトと———父親の姿。

 

「なんでだ……?」

 

 熱中症だろうか。そう疑いたくなる光景だ。

 

 リィエルの放つやる気のない強烈なスパイクを逆にスパイクで返すという離れ業をやってのける父親。それで点が入り、同じチームのカッシュ&カイとハイタッチを交わしている。

 

 ……なんかメチャクチャ溶け込んでる。それはもうミルクティーに入れられたミルクのように。

 

「なんでだ……?」

 

 もう一度首を傾げ、それと同時に魚を釣り上げた。かなり大きいが、それよりもあっちが気になって仕方ない。今もスパイクのみでラリーというビーチバレーの名を借りた新しい何かでリィエルと対決してるし。

 それでも手馴れた動きで針を魚から外して魚籠に入れることは忘れない。

 

 ビーチパラソルの下で寝転がるグレンを見やれば、彼の隣には青い長髪の研究員が並んでいる。雰囲気は全然違うが、髪の色からしてあちらはアルベルトだろう。

 

 あの時の尊敬を返してほしい。

 

「ハァ……父さんとアルベルトさんもいるし、もうちょっと釣ったほうが良いかな?」

 

 既に旅籠から借りた魚籠は3つ目に突入していた。適当に買った日除け用の傘の下には満杯になった魚籠が2つ。今回は塩焼きと刺身以外にマリネあたりも作れそうだ。

 

「最初の魚籠にあるやつをマリネ……2つ目は塩焼きかな。いや、逆のほうが……」

 

 鮮度の問題で調理する順番を考えながら、さらにまた一尾。先ほどのものと比べれば小さいが、それでも充分大物が釣れた。

 

 パッパと針を外してまたエサを付けようと伸ばした手は———カチャン。傍らに置いてある刀の入った布袋を掴む。

 

「……何か用?」

 

 片手の指で素早く刀を取り出した信一は剣呑な声で背後に尋ねる。

 

「用がないならそれ以上近付かないで」

 

 振り返り、優しさなど欠片も感じさせない声音で言う信一。すぐさま抜刀できるよう柄も握っていた。

 

 対して、刀を握った信一の間合いにいるリィエルは無抵抗を示すように動かない。というか前が見えないくらい両手いっぱいに落ち葉を持っているので、何かしてくる気配はない。

 

「用なら……ある」

 

 端から見たらかなり間抜けな絵面だが、信一は構えを解かないでいる。彼女ならあの落ち葉から大剣を錬成することも可能なのだから。

 

「……シンイチに、謝りに来た」

 

「へぇ。誰かに言われて来たの?」

 

「違う。ルミアもシスティーナも、クラスのみんなも許してくれたけど……まだシンイチには許してもらってないから。……だから、そうしたほうがいいって思った」

 

「そう」

 

 とりあえずは刀を下ろしてもいいだろう。よくよく考えてみれば、今のリィエルに自分を襲う理由はない。だからと言って警戒まで解くつもりはないが。

 

「でもさ、別に俺には謝らなくていいよ。ルミアさんとお嬢様は許したんでしょ?」

 

「……でも……」

 

「俺は従者だから、2人が許したならそれでいいんだ。謝罪はいらないよ」

 

「じゃ、じゃあ……シンイチも許してくれるの?」

 

 落ち葉で顔は見えないが、少し前のめりになったところを見るとこれはリィエルが1番聞きたいことなのだろう。

 ならば早々に答えてやったほうがいいと信一は判断した。勘違いされても困る。

 

「イヤだ。俺、リィエルのこと嫌いだし」

 

「…ぅ……」

 

 信一の答えを聞いてリィエルは涙目になるが、想定はしていたらしい。

 

 特に不思議なことではないはず。自分を殺した相手のことを許すなど、常識的に考えてあり得ない。リィエルの境遇がどうであれ、やらざる負えない理由がなんであれ、被害者の信一には関係のない話だ。

 

「……どうしたら許してくれる?」

 

「いや、どうしても許す気はないよ?」

 

「……どうしても?」

 

「うん」

 

「絶対に……?」

 

「もちろん。絶対に許さない」

 

「ぅ……」

 

 かろうじて見えるリィエルの肩がプルプル震え出した。もはや泣く寸前らしい。

 しかし、そんな彼女を見ても信一にはなんの感慨も浮かばない。

 

  ただ正直に自分の思っていることを述べるのみ。

 

「でもね」

 

「……?」

 

「俺はリィエルのこと許さないし、嫌いだけど———」

 

 これは、別に泣きそうなリィエルが可哀想だからというわけではない。紛れもない信一の本心であり、心から思っていること。

 

 

 

 

 

「———それでも友達だとは思ってる」

 

「……え?」

 

 両手の落ち葉をバサァと落としポカン、と。口を開けて呆けた声を出すリィエルの姿に思わず吹き出しそうになる。

 

「何か変なこと言ったかな?」

 

「だって……許さないって……わたしのこと嫌いなのに……」

 

「別に嫌いな奴が友達だっていいでしょう」

 

 実際まだ母親が生きていた頃に住んでいた港町で毎日のようにいじめてきた悪童も信一は友達だと思っていた。

 フィーベル家に引き取られるこもが決まって町を去る時、その悪童達は別れを惜しんでくれたのを今でもよく覚えている。あの時は母親を殺した罪悪感でまともな言葉を交わせなかったのを少し後悔するくらいには自分も彼らが大切だったらしい。

 

 確かに嫌いだった。恨んだこともあった。それでも、友達だとは思っていた。

 

「ねぇ、リィエル」

 

「……なに?」

 

 散らばった落ち葉の中には案の定、それなりの長さの枝が混ざっていた。信一はそれを拾い、海水で洗いながら声をかける。

 

「もし本気で許してほしいならさ、これからも俺の家族を守ってよ」

 

「……ルミアとシスティーナ?」

 

「うん。天の智慧研究会の連中はこれからもルミアさんを狙い続けるだろうし、近くにいるお嬢様にも被害が行くかもしれない。だから2人を守ってほしいんだ」

 

 信一が望むのはいついかなる時も家族の幸福。その為なら卑怯と言われそうな交換条件だって平然と突きつける。

 

「……ん、わかった。わたしも、あの2人は守りたいって思ってたから」

 

「うん。お願いね」

 

 魚籠から取り出した二尾を枝に刺し、落ち葉を集めて【ファイア・トーチ】を起動。今回は2度目で成功した。

 

 犯した過ちを無くすことはできない。でも、償うことはできる。

 できれば来ないでほしいが、もしリィエルが自分の家族を命懸けで守る姿を見れば信一も彼女の評価を改めるかもしれないのだ。

 

(1人より2人のほうが良いなんて……意地や見栄を捨てれば誰にでも分かることだからね)

 

 パチパチと音を立てて燃える火の中に魚を入れ、焼けるのを待つ。その間は沈黙が流れるが、不思議と気まずさは感じない。

 

「ほら、これが欲しかったんでしょ」

 

「……ありがと」

 

 仕上げに塩を振って渡す。すると、リィエルは手に取るや目にも止まらぬ早さでかぶりついた。口の周りが油でギトギトになるのも構わず、恐ろしい食いっぷりを披露している。

 

「美味しい?」

 

「……ん」

 

「イチゴタルトとどっちが美味しい?」

 

「イチゴタルト」

 

「あっそ」

 

 そこは譲れないようだ。リィエルらしいというか、なんというか……。

 

 苦笑いを浮かべ、信一も背中側からかぶりついて釣りたてならではの味を堪能する。やはり美味い。

 

「……シンイチ」

 

「うん?」

 

 驚異の早さで食べ終わったリィエルがこちらを呼ぶ。おかわりだろうか?

 クラスメイトの分もあるので、あまり渡せないのだが。

 

「わたし、ルミアとシスティーナだけじゃなくてシンイチも守りたい」

 

「……言っとくけど、俺はリィエルの兄代わりになる気はないよ」

 

 理由を推察した信一はジト目で丁重にお断りさせていただく。さすがに友達を妹にしたいという面白可笑しい願望は持ち合わせていない。

 

 しかし、予想とは裏腹にリィエルは首を振って続ける。

 

「兄さんの代わりじゃない」

 

「……?」

 

「なんだろう……わたしはシンイチをすごく守りたい…兄さんの代わりとかじゃなくて、シンイチだから守りたい、て……よく分からないけど、すごくそう思う」

 

 語彙力が乏しいのか、それとも別の何かがあるのか。リィエルは首を傾げながら、それでもまっすぐこちらを見て言葉を紡ぐ。

 

「リィエル……?」

 

「ルミアとシスティーナも守る。そして、シンイチを守る剣にもなりたい。わたしがそうしたい……だめ?」

 

「いや別にダメじゃないけど……」

 

 さて、どうしたものか。何かよくわからないやる気に満ちているリィエルの扱いに難儀する信一であった。

 あまり依存されても困る。

 

「でも俺に剣は必要ないよ」

 

「………………」

 

 そう回答すると、リィエルの目が寂しげに揺れた。そんな捨てられる子犬みたいな目で見ないでほしいので続ける。

 

「俺の手は2本。刀も2本。もう剣を使える手が余ってないんだよね」

 

 気休めにそう言ってやると、リィエルは———目を丸くしていた。渾身のジョークが通じていないのか。スベったかもしれない、と戦々恐々しながらリアクションを待っていると……

 

「……ふっ」

 

「———ッ!?」

 

 小さく、リィエルが笑った。少しぎこちないが、それでもいつもの死滅した表情からは想像できないくらいはっきりと。

 

 ……可愛い。

 

 不覚にもそう思ってしまった信一は照れ隠しに再度釣り竿を握る。

 

「ま、まぁ……だからさ、2人を守ることを疎かにしない範囲で好きにしなよ。別に束縛するつもりもないから」

 

「……うん。じゃあとりあえず、シンイチも守る」

 

「話聞いてる!?」

 

 結構良いこと言ったつもりだったが……センチメンタル?なにそれ美味しいの?を地で行くリィエルには通じないようだ。

 

 しかし、そんな素直な彼女だからこその言葉が待っていた。

 

「……たぶんわたし、シンイチのことが好きだから」

 

「———っ!?」

 

「ルミアやシスティーナと同じくらい、好きだから。あの時……友達だって言ってくれたシンイチのこと」

 

「あ、そういうことね」

 

 友達としての好意を勘違いして一瞬ドキリとしてしまった自分にイラっとしていたら、竿から断続的な振動を感じた。また魚が食らいついたらしい。

 

 程良く魚の体力を奪いつつストレスは最小限に抑える巧みな竿捌きでまた1匹釣り上げる。

 

「そういうわけだから……死んですぐ火葬した魚、もう1個ちょうだい?」

 

「もはや会話としての文章構成がめちゃくちゃだね……。あと魚は1個じゃなくて一尾って数えるんだよ」

 

「……覚えとく」

 

 3歩くらい歩いたら忘れそうな『覚えとく』に呆れながら今釣った魚を【ショック・ボルト】で締めて血抜きを行う信一。その様子をリィエルは心なしかワクワクした様子で見守る。

 

 枝に刺し、程良く焼けた魚にさっきと同じ調子で食らいつく彼女の姿は……やはり妹を想起させられる。

 

 だが、以前と違って苛立ちはまったく感じない。一生懸命かぶりつき、口元をギトギトにするリィエルを微笑ましくさえ思えてしまう。

 

(俺は君が嫌いだし、当分は許さないと思う……けれどさ)

 

 信一が思い出すのは、旅籠で父親に蘇生された時の言葉。

 

『軍の隠し芸大会でやったんだよ。【サイ・テレキネシス】で自分の心臓止めて、それから今のやり方で生き返るって感じでな』っと父親は言っていた。その場合、1つの可能性が生まれる。

 

 リィエルがあの殺し方をしたのは———父親と同じく【迅雷】を使う自分は、心臓を止めても生き返ると考えたからではないのか?

 

 もちろん、こんなのは可能性に過ぎない。あの時はアレが1番自分を無力化するのに手っ取り早い方法だったからかもしれないし、そもそもその隠し芸大会にリィエルが出席してたかも怪しい。

 

 だけど、もしこの可能性が彼女の中にあったとすれば……

 

(———俺は君を信じることにしたよ、リィエル)

 

 “信じること一番”というのが、亡き母から聞いた自分の名前の由来らしい。

 

 家族を守る為なら誰であろう殺し、そこに疑問も躊躇も後悔を抱かない自分は確かに壊れているし狂っているのだろう。

 それでも、母親が付けてくれたこの名前に恥じない生き方をしたいという気持ちはちゃんと持ち合わせている。

 

 だから朝比奈信一は心に誓う。嫌いだし許せないけど、リィエル=レイフォードを信じると。友達を信じると。

 

 

 

 

 

 

 

 

「お〜い!シンく〜ん!リィエル〜!」

 

「もう、信一!みんなお腹空かせて待ってるわよ!」

 

 ルミアとシスティーナが声を上げて2人を呼ぶ声が、寄せては返す波の音をBGMにして響く。だが、少し遠くにいるので並んで座る2人には聞こえないらしい。

 

 正直、ルミアとシスティーナはあの2人が一緒にいて良いのか心配だった。なにせ一度は本気で殺し合っているのだ。もはや混ぜるな危険の領域だと言える。

 

 しかし、そんな心配は2人の姿をしっかりと視認できるところまで来て綺麗さっぱり消え去った。理由は簡単だ。

 

「すぅ……すぅ……」

 

「んむ………ふぅ……」

 

 暖かい日向の中、肩を寄せ合って居眠りしてしまった2人がそんなはずはないのだから。






はい、いかがでしたか? リィエルをヒロインにするのは難しいと不可能はイコールじゃない!そんな回でした。

いいですよね、アホ可愛い女の子。ラノベならではです。なにせリアルでいたら、それはただのぶりっ子なアホですからね……。

次回は5巻の内容に入る前に“幕間”を挟みます。同じロクアカを書いてる方からコラボの提案があったので、それを1話完結で書かせていただきますね。


目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

幕間 忍ばない暗殺者

今回は幕間、コラボ回です。

コラボの提案をしてくださったのは同じくロクアカの二次創作を書いている“おうどんたべたい”さん。そして彼(彼女?)が執筆する『ロクでなし魔術講師と忍ばない暗殺者』から。

それでは、お楽しみいただければ幸いです。


 夢というのは往々にして現実では不思議なことでも当たり前のように感じることがある。

 

「夢……か」

 

 朝比奈信一は一言そう呟きながら目の前の光景を眺めていた。

 

 グレンが授業中にロクでもないことを宣い、システィーナがそれに怒り、苦笑いを浮かべるルミアの膝ではリィエルが居眠りをしている。そんな日常の風景が信一には夢だということがすぐに分かった。

 

 明晰夢———夢であることを自覚しながら見る夢のことだ。何故信一が夢だと気付いたのか。それは頭に変な記憶があるから。

 

 “闇夜”や“ノーネーム”という二つ名を持つ都市伝説レベルで有名な暗殺者の記憶。

 正直暗殺者が都市伝説レベルで有名になっていいのか、とか色々ツッコミどころはあるが、それはつまり現実ではあり得ないということ。

 

 暗殺者と聞いてまず思い付いたのはルミアが狙われることだが、そこまで考えて信一は夢だと気付いた。こんな、それこそ夢のような話があってはたまらない。現実逃避ではなく、今自分が睡眠中なのだということを理解したのだ。

 

 心が壊れ、狂ったように家族を守ることを第一とする信一が、いちいち夢に翻弄されるわけもなく……もう少しこの風景を見ていようかと頬を緩める。夢であろうと、家族の笑顔はこの上ない幸福感を胸の奥に募らせてくれるから。

 

「シンくん、システィ。そろそろ帰ろう?」

 

「そうね」

 

 リィエルを起こしながら帰宅の準備を進める2人に促され、席を立つ。

 

「今日のおやつは何かな〜?」

 

「リクエストがあれば作りますよ?」

 

「……イチゴタルト」

 

「なにさり気なく食べようとしてるんだよ、リィエル」

 

 まぁ別に良いけど、と心の中で付け足して自分の鞄と刀の入った布袋を持った。

 この調子だとリィエルは夕飯もたかる気だろう。

 

「気を付けて帰れよ、お前ら〜」

 

 廊下ですれ違ったグレンにも挨拶を交わして学院を出ると、既に空は真っ暗だった。

 学院から帰る時間が真っ暗ということは通常あり得ない。ほら見ろ、やはりこれは夢なのだ。この闇夜を当たり前のように受け入れてる家族と友人の姿がこの考えにさらなる確信を生む。

 

(星空を見ながらの帰宅も案外良いものだなぁ……)

 

 せっかくの明晰夢なのだからと楽しむ程度の余裕があった。現実ではあり得ないことも、夢なら当たり前というのは面白い。

 

 しかし———どうやらこの夢は面白いだけでは終わってくれないらしい。

 

「———っ!?」

 

 ———ヒュン……ガガガッ!

 

 信一の足元、石畳の地面に3本のナイフが突き立つ。ルミアやシスティーナ、リィエルと自分を分断するように。

 だが、所詮は短いナイフ。ただ境界線を形取っただけで、特に意味は無い。

 

 むしろ問題は道の脇に立ち並ぶ薄暗いランプ式街路灯———その上。

 黒ずくめの格好をした男だ。手には地面に突き立つナイフと同じ物が握られている。疑う余地もなく、この男が投げたのだろう。

 

「刃物は投げちゃいけませんって習わなかった?誰だよ、アンタ」

 

 軽口を叩きながらも、信一は油断無くこちらを見下ろす男を見据えて布袋から二刀を取り出す。

 頭上からナイフを投擲することが友好的な行動とは思えない。とても特異な文化を持った少数民族の可能性も少しはあるが、そんなヤバい文化を持つ民族は即刻淘汰されるに違いない。

 

 ならば考えられるのは、敵であること。

 

 こちらを睥睨する男は、ニヒルに口元を歪めて問いかけに答える。

 

()()()()()

 

 不可思議な返答に眉を寄せるが、信一はすぐに男の正体を導き出せた。

 

 “誰でもない”ということは、個人を示す名前が無いということが連想できる。それはつまり、

 

「……ノーネーム(名無し)、か」

 

 今が夢と断定するきっかけの都市伝説だということに他ならない。

 

「お、正解。よく分かったな」

 

 意外と若く軽薄な声で褒めてくれるが、信一には伝わってくる。この男———ノーネームがレイクやゼーロス、リィエルに勝るとも劣らない強者であることが。

 

「それで、何か用?」

 

「惚けんなよ。俺の職業はご存知だろ?」

 

「……暗殺者」

 

「なら分かるよな」

 

 さらに口元を歪め、ノーネームは視線をルミアへと向けた。

 

 これは夢だ。この異常事態でも、ルミア達はノーネームに気付かず楽しくおしゃべりしながら帰路についている。

 今あそこにいるルミアが殺されたところで、現実のルミアにはなんら影響はない。だからこんな化け物染みた男と戦う必要なんて無い。

 

 

 

「———やらせると思う?」

 

 そして、そのようなくだらない思考を信一は即座に切り捨てて抜刀。

 

 夢ならば家族が死んでもいい?現実に影響が無いなら戦わない?

 そんな楽観的に解釈ができる程、信一の精神は健全では無い。

 

「そうこなくっちゃな」

 

 星明かりを煌めかせる真銀(ミスリル)の二刀を見ても、ノーネームに怯んだ様子は無い。むしろ喜んでいる節さえある。暗殺者のくせに戦闘狂でもあるらしい。

 

「今夜は星が綺麗だね。アンタにとっては今生最後になるわけだし、見といたほうがいいんじゃない?」

 

「今生最後ってのはいただけないが……あぁ、確かに。綺麗だな」

 

「……《疾くあれ》」

 

 バチイィィ———!!

 

 ノーネームの意識を星空に向かせたその隙に脳内へ【ショック・ボルト】を撃ち込み、【迅雷】を起動。

 

 潜在能力を開放して石畳に突き立つ彼のナイフを1本、足に引っ掛けて蹴り上げるようにノーネームへと飛ばす。

 さらに信一自身も【迅雷】の脚力を活かして距離を詰める。

 

「甘いな。狙いが露骨過ぎだ」

 

 パシッと。視線は空に向けたままのノーネームだが、難無くナイフを指に挟んで受け止めてみせた。だが構わない。これで片手は塞いでやったのだ。

 

「———っ!」

 

 既に街路灯の上に乗るノーネームと同じ高さまで飛んでいた信一は二刀を無尽に奔らせる。その数、十三。暗いフェジテの宙空で蒼銀が線を描く。

 

 しかしその斬撃がノーネームを刻むことはなく———スッと重力に従って街路灯から降りていった。

 

「《業火よ》」

 

 片手をついて着地したノーネームは、ナイフを持つ手を街路灯の上にいる信一に向けて呪文を詠唱。すると彼の目の前で次々と火球が生まれこちらに飛来してくる。その速度は……それほど速くない。

 

 今ノーネームが行ったように信一も街路灯から降りて火球を避けようとした、その時。火球は軌道を変え、こちらに追ってくる。どうやら追尾式のようだ。

 

(面倒な)

 

 バオオォォォォッオオォォォンン——ッ!!

 

 右刀(むーくん)を亜音速で振るい、火球に通して真空を作り散らせる。避けられないのなら消し飛ばしてしまえばいい。至極簡単な話だ。もちろんこのような物理技での打ち消し(バニッシュ)は【迅雷】を使用しなければできないが。

 

「ほら、まだまだ行くぜ!」

 

 信一も地面に降りたことで直線的に迫ってくる火球へ、何故同じ呪文を使うのかと呆れた目を向けて今度は左刀(はーちゃん)を振りかぶり……

 

「———か、廻刄(カイジン)ッ!」

 

 慌てて二刀を旋回させ、生み出した気流で相手の攻撃を逸らす防御技に切り替える。

 

 火球が服の裾を焦がしながら背後へ飛んでいく中———ジッ! 左頬に鋭く小さな痛みが走った。

 

(やっぱり……!)

 

 ノーネームの手を見れば、さきほど返したナイフが握られていない。やはり左頬に走った痛みの正体はナイフのようだ。

 もしあのまま普通に火球を消し飛ばしていたならば、その影になって投擲されたナイフが左目を貫いていたことだろう。

 

「———刄鋏嶽(ジンキョウガク)———」

 

 姿勢を低く落とし、二刀を大鋏のように構えて突進する。

【迅雷】で強化された触覚が、背中に当たる熱を感知していた。見るまでもない。追尾式の火球が近づいているのだ。

 

 ならばノーネームに突っ込み、ギリギリで避けて逆に当ててやろうというのは見え見えの魂胆だろう。

 

「そんなよくある手が通じると思ってんのか? 《透過よ》」

 

 瞬間、ノーネームの姿が消えた。

 

(とうか?……透過か。確かに見えないな……)

 

 火球に追われながら信一は目を閉じる。どうせ敵の姿は見えないのだ。ならば視覚を閉じ、他の感覚に集中させる。

 

 触覚で感じ取れる空気の流れ、聴覚で感じ取れる微かな衣擦れの音、嗅覚で感じ取れる自分以外の体臭———この3つの要因から導き出せるノーネームの位置は、

 

「ここだ……!」

 

 ———バサアアァァァァァッ!!

 

 今まで彼が立っていた場所から右に3歩。その位置へ信一の突進の勢いを乗せた後ろ回し蹴りが大気を斬り裂く轟音と共に放たれる。

 

「おっ?」

 

 流石にこれは予想外だったらしく、透明化が解けたノーネームは素っ頓狂な声を上げながらも上体を反らして避けてみせた。しかし信一には二刀がある。

 

「《氷結よ》」

 

「……遅い」

 

「お前がな」

 

 左手から顔面目掛けて放たれた氷塊を首を傾ける最小の動作で躱し、ノーネームを斬り刻もうと【迅雷】の速度を以て牽制を交えつつ二刀を振るう。狙いは腿、首、肩、膝、肘。

 

 ———ギギギギギギギギギギギギギギンッッ!

 

 しかしノーネームは、どこからともなく取り出した右手のナイフと美しさすら覚える踊るような体術でその全てを捌き切ってみせた。

 

(冗談でしょ……っ!?)

 

 信一の身体能力は【迅雷】を使用することで常人とは天と地ほどの差があるはず。にも関わらず、ノーネームは常人の身体能力でその攻撃を捌いたのだ。驚愕しなければ嘘というもの。

 

「驚いてていいのか?」

 

「———熱っ!?」

 

 突如、背中から高温の蒸気で包まれる信一。さきほど避けた氷塊が、追ってきていた火球とぶつかり蒸発したのだ。

 想定外の攻撃に信一の意識が逸れる。それを見逃すノーネームではない。

 

「《雷鳴よ》」

 

 呪文を詠唱しながら軍式の横蹴りを腹に叩き込んできた。信一は二刀の柄を十時にしてなんとか防ぐがノーネームの蹴りは重く、衝撃で後退を余儀なくされる。

 

 蒸気の中を突っ切るように下がりながらも、空中でノーネームの呪文による攻撃に対して構えるが……来ない。

 

(不発?いや、ブラフかな?)

 

 何も起きない事に眉を顰め、相手の狙いに思考を回す。だが、答えはどちらでも無かった。

 

 ———バチバチバチチチィィィィッ!!

 

 ザアァと地を滑って着地した信一の真上。その位置から雷鳴を猛らせて落雷が迫ってくる。

 

「……っ!?」

 

 信一は【迅雷】の思考力と反射神経で咄嗟に左刀(はーちゃん)を親指、人差し指、中指で支え、残った薬指と小指で腰のホルスターからナイフを取り出し頭上に放り投げる。

 

 ナイフは金属。そして魔術による電撃も一応金属に伝導する。

 その性質を活かし、信一はレイクから奪ったナイフを避雷針にしてなんとか難を逃れたのだ。

 もちろんナイフは粉々になったが、所詮は夢。どうなろうと構わない。

 

 追撃に備えて腰を落とす信一へ、ノーネームはヒュウと口笛を吹いて不敵な笑みを浮かべた。

 

「へぇ、【サンダガ】にも対応したか。今ので決められると思ってたんだけど」

 

「………………」

 

「ちぇ、だんまりかよ」

 

 つまらなそうに口を尖らせるノーネームの姿は、まるで少年が拗ねているかのような印象を受ける。声の高さといい、もしかしたらこの男は自分と年齢が近いのかもしれない。

 

「でもいいぜ。いい意味で期待を裏切ってくれてるよ、お前」

 

 嬉しそうに笑うノーネーム。さきほどは戦闘狂などと考えたが、少し違う。どちらかと言えば、欲しかった玩具を与えられた子どものような、稚気が多分に混ざった笑みだ。

 

 対して信一も、小さく口元を歪めて三日月を作る。戦闘時に浮かべる無表情な笑みではなく、頭を悩ませている難問の模範解答が見つかったようなもの。

 

「……なんだよ?」

 

「アンタさ、元からルミアさんを殺すつもりなんてなかったでしょ?」

 

「…………」

 

 今度はノーネームがだんまりを決め込む番であった。片眉をぴくりと上げ、口元を隠す。

 

「……どうしてそう思った?」

 

「アンタが()()()()()()

 

 戦闘中、どうしても引っ掛かっていた。そもそも、本当にルミアを殺したいのであれば自分に仕掛ける必要なんてない。

 ノーネームがナイフを投げた時、信一は彼に気付いていなかったのだ。ならばその時に殺してしまえば良かった。

 

 ———でも、しなかった。

 

「アンタは暗殺者にも関わらず、俺と戦うことを選んだんだ。どう考えても変でしょ?」

 

「俺が戦闘狂だから、とは思わなかったのか?」

 

「最初は思ったよ。だけど、戦いを楽しみたいならルミアさんを殺して怒り狂った俺を相手にしたほうが面白いんじゃないかな?」

 

 冷静なお前を相手にしたかった、と言われてしまえばそれまでだ。しかし、これなら彼の行動にも説明がつく。彼の本当の目的は———

 

「———俺と戦うこと。アンタがやりたかったのはそれでしょ?」

 

 落としていた腰を上げ、右刀(むーくん)を肩に担いであっさりと言ってのけた。

 

 もちろんこんなことは【迅雷】の思考力が無ければわからなかった。だが、1つ気付いてしまえばあとは芋づる式にズルズルと答えが出てくるもの。

 

「まぁアンタ自身、そこまで一生懸命隠してたわけじゃなさそうだけどね」

 

 “いい意味で期待を裏切ってくれた”など、相手のことを調べていなければ出てこない言葉だ。

 夢とはいえ、都市伝説レベルの暗殺者がそんな杜撰なミスをするとは思えない。ぶっちゃけ自分と戦える口実があればなんでも良かったのだろう。

 

「ちょっと楽しみ過ぎてボロが出ちまったか……失敗したな」

 

「じゃあ、やっぱり?」

 

「あぁ。お前の言う通りだよ」

 

 あっけからんと明かすノーネーム。それを見て信一は、さてどうしたものかと思考を巡らせる。

 

 ルミアが狙われていないのなら戦いたくないというのが本音だ。彼のやりたいことに付き合う義理はない。なので付き合ってやる気もない。

 しかしそれで納得してくれるだろうか。たぶんしない。

 

「一応聞くけどさ、ここで握手して『はい、仲直り』する気はないよね?」

 

「ない」

 

「ですよね〜」

 

 何がここまで彼をそうさせるのかわからないが、これは夢なのでさっさと覚めてほしい気分だ。

 

「でもまぁ、無理矢理付き合わせちまってるわけだし、次の一合で終わりにしてやるよ。止めてみせろよ?」

 

「うわぁ……すごいイヤだ」

 

 とはいえ、心はさきほどとは比べ物にならないほど軽い。家族の命が狙われていないのなら必死になって殺す必要もないので気楽だ。腕試し気分でいけばいい。

 

 お互い小さくも獰猛な笑みを浮かべ、足に力を込め———ダンッ!石畳にヒビを作りながら踏み出す。

 信一は前へ。ノーネームは()()()

 

「あっ、逃げるな!」

 

「《我が心に誓う・私は決める・———》……」

 

 呪文を唱えつつ、ノーネームは迫る二刀を正確無比に捌いていく。時にはナイフで、時には拳で。また時には蹴りで。

 

「《友の為に己を焼くと・私は決める・———》……」

 

 負けじと振るわれる真銀(ミスリル)の蒼銀は月明かりのない闇を駆ける。普通にやっていてはダメだ。ならば———バチイィィ!!

 

【迅雷】を起動して3秒ごとに開放する潜在能力のパーセンテージを上げていくしかない。ノーネームが対応できない、その先まで。

 

「66%ォ……!」

 

「《己が歩んできた道を振り返らないと・私は決める———》……」

 

 微かに、蒼銀の奔る空間に赤色が舞い始めている。さすがの都市伝説も、呪文を唱える傍らで徐々に速度を増す斬撃に対処するのは難しいらしい。

 

(でも、詠唱節数から考えてあの魔術はマズイね)

 

 先刻の攻防では、ノーネームが使う呪文は全て一節詠唱だった。それがこれで終わりになると言った直後にこれだけ長い節数の呪文。ならば起動される魔術は彼にとって切り札にも等しいと考えて然るべきだ。

 

「《己を敬い、誇る事を・此処に三大の決心が産まれた———》……」

 

 押し切れる。その確信が生まれた。

 

 信一は横薙ぎに二十八閃。間髪入れずに蹴りを30発。速度はとうに音速を超え、袖口から繊維の焦げた匂いを漂わせている。それでも、緩めるわけにはいかない。

 

「《誓約、義務、誇張を———》……」

 

 ノーネームに一瞬の隙。それを見逃さず、信一は彼の首に左刀(はーちゃん)を振るうが———それは誘い込み。ノーネームはニヤリと笑って交叉法(カウンター)のタイミングをしっかり合わせている。

 狙いは……左手首の大動脈と深指屈筋。

 

「くっ……!」

 

 驚愕と焦燥の混ざった息を呑みながら———ガッ!

 

 取った。さきほどの落雷を凌いだ時と同じように三指で刀を支え、薬指と小指の二指を使って。

 

 信一の左手とノーネームの右手は完全にお互いを抑えあっている。だが信一にはまだ右刀(むーくん)がある。

 

()った!)

 

 真銀(ミスリル)の蒼銀が夜闇の中に残滓を引き———バチンッッッ!!

 

 ()()()()

 

 ノーネームの左手人差し指と中指による白刃取りで。

 

「《これにて私は真価を放つ》」

 

 そして、ノーネームの呪文が完成。刀を挟んだ状態の彼の左手が彗星にも似た輝きを解き放ち、

 

「【アルテマ】」

 

 その言葉を最後に信一は放たれた光の奔流に呑まれていった。

 

 

 

 

 

 

 

 チュンチュンっと、小さな鳥の囁きが耳朶を打って意識が朝の空気を感じ取る。

 信一はフィーベル家で与えられた自分の部屋のベッドで体を起こし、微睡みに任せて下に駆けようとする瞼をこすった。

 

「ふぁ〜……」

 

 あくびを1つ。壁の時計を見れば、いつも通りの起床時間を示している。これから朝の鍛錬をして、郵便受けを覗き、家族の為に美味しい朝食を作るのだ。そして昏睡状態の妹に一言声をかけ、学院へと向かう。

 それに対して面倒という感情は一切無い。血の繋がりこそないが、それでも家族と過ごす日常は心に温かいものを募らせてくれる。

 

 ただまぁ、一言だけ言いたかった。何か壮大な夢を見ていた気がするが、内容までは覚えていない。だから一言だけ言いたい。

 

「……寝た気がしない」









はい、いかがでしたか?

『ロクでなし魔術講師と忍ばない暗殺者』はチート主人公による爽快感溢れる戦闘シーンが魅力的です。皆さまもぜひ読んでみることをオススメします。

では、“おうどん”でも買いに行きましょうか。ちなみに自分は“伊勢うどん”と“ひもかわうどん”が好きです。スーパーに売ってるかな……?


目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

第4章 そんな貴女に俺は……
第36話 猪娘の心と白猫娘の婚約者


はい、めっちゃお久しぶりです。今年度から去年とは比べ物にならないほど忙しくなり、投稿できませんでした(>_<)

今回から5巻の内容に入ります。やっとここまで来たか、という気持ちを隠せませんね。


 日も完全に落ち、フェジテの空には散りばめられた金剛石(ダイヤモンド)のような星と一際輝く大きな月、そしてメルガリウスの天空城が見て取れる。

 

 時刻は一般的な夕食時。フィーベル家の食卓にはたくさんの料理と、いつもより賑やかで穏やかな喧騒が響いていた。

 

「よく来てくれたね。たくさん食べるといい!」

 

 信一とは別の男性の声は弾んでいる。年齢は40ほどだが、それを感じさせないくらい張りのある声だ。ざっくり言うと、テンションが高い。

 

「あらあら貴方ったら……。ごめんなさいね、久し振りに帰ってきたものだからはしゃいじゃって」

 

 窘めるような口調ではあるものの、男性と同じく楽しそうな女性の声音。

 

 今夜は久々にシスティーナの両親———レナードとフィリアナが屋敷に帰ってきているのだ。それに加え、食卓を囲む椅子にはリィエルがちょこんと人形のように座っている。

 

 いつもより倍も多い食卓はとても賑やかだ。特にレナードが物静かなリィエルの分まではしゃいでいる。

 

「カップ、下げますね」

 

「おぉ、ありがとう信一」

 

「いつもありがとうね」

 

 食前茶の入っていたカップを片付ける信一も、いつも以上に穏やかな雰囲気を纏っている。

 システィーナとルミアは両親がいない間のことで話せる範囲のことを話し、和やかな笑いが絶えることはない。本当に幸せな日常だと胸が温かくなる。

 

「リィエル。片してもいいかな?」

 

「……これ、ちょっと苦かった」

 

「じゃあ食後のお茶、リィエルのには砂糖多めに入れとくよ」

 

「……ありがとう」

 

 システィーナの両親とはいえ、見知らぬ2人がいたことで少し緊張していたのかもしれない。信一が話しかけたことで八の字をしていたリィエルの眉が角度を緩やかにしていた。

 

 その様子を見て、レナードとフィリアナはお互いに顔を寄せてコソコソと話し出した。

 

「……ついに信一にも春が来たのかな、フィリアナ?」

 

「……そうね。あの子、恋愛には興味ないのかと思ってたけど。やっぱり年頃なのかしら?」

 

「お二人とも。聞こえてますよ」

 

 というか声量がほとんど変わってないところを鑑みるに、からかい半分なところがある。

 呆れたようにため息を吐きながらも、こんな会話は2人がいる時にしかできない。相好を崩し、全員分のカップをトレイに載せて信一はキッチンへと向かう。

 

 

 

 

 

「冷えますよ、お三方」

 

 食事も終わり、バルコニーでなにやらリィエルを中心にして抱き締め合っているシスティーナとルミアに声をかける。

 信一の持つトレイにはカップが4つ並び、中にはミルクティーのような色の飲み物が湯気を立ちのぼらせていた。

 

 3人にそれぞれ手渡し、自分もカップに口をつける。

 

「何を話していたんですか?」

 

「リィエルがね、改めてちゃんと謝りたいって」

 

「なるほど」

 

 “謝りたい”というのは誰かに言われたからではなく、彼女自身が出したものなのだろう。

 仕草は未だに人形のようだが、リィエルの心はとても人間らしくなってきている。少なくとも遠征学修前の彼女とは雲泥の差だ。

 

 にっこりと答えてくれたルミアに笑顔を返し、リィエルを見やる。フーフーと頑張って飲み物を冷ます姿はとても微笑ましい。

 

 システィーナはリィエルの温もりを名残惜しむようにカップの中身を啜る。すると、形の良い眉をピクリと上げた。

 

「信一、これなに?」

 

「お口に合いませんでしたか、お嬢様?」

 

「ううん。なんだか不思議な味だから」

 

 クリーミーな味わいだが、コーヒーとも言えるし紅茶とも言える不思議な渋み。仄かだが甘みもある。

 

「美味しくないわけじゃないけど、なんていうんだろう……? 知ってるようで知らない味かな」

 

「わりと的を得てるかもしれませんね。これは鴛鴦(えんおう)茶というものです。コーヒーと紅茶を混ぜて作るんですよ」

 

「あぁ、どおりで」

 

 チビチビと口に含み、吟味するシスティーナ。馴染みのない味なのでいまいち好みか判断できないのだろう。

 

「シンくんの国の飲み物なの?」

 

「いえ、東方ではありますが海を挟んで隣の国のものです。ルミアさんは気に入りましたか?」

 

「う〜ん……私はけっこう好きかも。リィエルはどう?」

 

「……たぶん美味しい……と思う」

 

 リィエルのは特に砂糖たっぷりで甘くしてある。少し味見したが、思わず鴛鴦茶を作った時に淹れて余ったコーヒーを【迅雷】の速度で飲み干したほど甘かった。飲めば飲むほど喉が乾くという、もはや飲み物としていかがなものかと考えてしまうレベルだ。

 

 まぁそれでも、彼女の口には合ったらしい。強靭過ぎる喉に脱帽&敬礼。

 

「喜んでもらえて良かった。練習した甲斐がありました」

 

「鴛鴦茶の?」

 

「はい。コーヒーと紅茶の比率とか、混ぜる練乳は無糖がいいのかとか、無糖の場合に入れる砂糖の配分とか」

 

「け、結構手間かかるのね……」

 

「案外やってみると楽しいですよ。それに、旦那様と奥様には是非飲んでいただきたかったので」

 

「どうして?」

 

「鴛鴦茶の“鴛鴦”はオシドリのことなんです」

 

 悪戯っぽく笑いながら説明する信一にルミアとシスティーナは揃って首を傾げ、ポン。すぐに得心がいったらしく、同じタイミングで手を打った。

 

「わかりましたか?」

 

「うん!オシドリ夫婦のお義父さまとお義母さまにはピッタリだね!」

 

「ちなみに今の話をお二人にしたらイチャつき始めました」

 

「「 あぁ…… 」」

 

 その様子が容易に想像できたらしく、ルミアとシスティーナは曖昧な苦笑いを浮かべるのみ。

 

 なんかもう、自分がここにいてもいなくても大して変わらないと判断した信一はさっさと逃げてきたというわけだ。確かにレナードもフィリアナも家族として慕ってはいるが、いや慕っているからこそあのイチャイチャぶりを見せられるのは耐えられなかった。

 

 リィエルの鴛鴦茶よりも甘い雰囲気を充満させていたと断言できる。非リア充の方々にとってはほとんど公害と言えるだろう。

 

「飲み終わったら戻りましょう。旦那様と奥様、また明日から帝都に行ってしまうらしいですよ」

 

 できる時にできるだけ接しておく。長い目で見れば必ず別れは訪れるので、後悔のないように行動するべきだ。

 

 まぁ、家族と接するのにそんな固い理由はいらない。ただ単純に今ある日常を享受すればいい。ここ数ヶ月は事件に巻き込まれっぱなしで忘れがちだが、自分達は本来“そちら側”の人間なのだから。

 

 屋敷へ戻る2人の背中へ、眩しく尊いものを見るように細めた目を向けていた信一の袖を……クイクイ。空のカップを片手に持つリィエルが引いてきた。

 

「シンイチ……どうしたの?」

 

「いや、『死んじゃったから生き返ろう』とか考えなくていい日常ってやっぱり素晴らしいと思ってね」

 

「ぅ……」

 

 ネチネチと嫌味ったらしく言われ、一度信一を殺しているリィエルの目に涙が浮かんだ。システィーナあたりに聞かれてたら怒られそうなので、ポンと小柄な彼女の頭に手を置き、

 

「冗談だよ」

 

 小さく笑いかける。

 

「……シンイチ、いじわる」

 

「そうかもね。おかわり、いる?」

 

「ん。もうちょっと甘くして」

 

「マジか……」

 

 もはや砂糖食わせとけばいいんじゃないだろうか。そんな考えが頭をよぎるが、ため息と共に吐き出して空のカップを受け取った。

 

 今夜は夜更かしする羽目になりそうだ。でも、友達が泊まりに来た時くらいは良いだろう。

 いつも通りの優しい微笑みを称え、フェジテの美しい夜空をリィエルと共に見上げる。

 

 慎ましくこちらを照らす月はとても綺麗だった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 翌日、学院の前庭にて。

 

「《何考えてるのよ・この・お馬鹿》———ッ!」

 

 システィーナの即興改変で放たれた黒魔【ゲイル・ブロウ】が轟音を立ててグレンを吹き飛ばす。

 

 視界を右から左へぶっ飛んでいく担任講師。それを尻目に信一は隣のルミアへと話しかける。

 

「今日もよく飛びますね」

 

「相変わらずだなぁ……2人とも」

 

 もはやシスティーナとグレンの騒ぎは学院において日常となっていた。周囲の生徒も轟音に驚くことには驚くが、2人を見た瞬間『あぁ今日もか』くらいにしか思わないほどに。

 

 ちなみに今回はグレンがリィエルに金を錬成させようとしたところをシスティーナが見咎めたといった流れだった。

 錬金術の歴史を遡ればどこまでも正しい使い方なのだが、残念ながら金の錬成は違法とされているのが実情。それでもなお決行するグレンの言い分を簡単に要約すると、『リィエルの起こす問題はグレンのお給料が差っ引かれることで解決している』とのことだ。

 

 どのような事態も解決する万能の免罪符はいつだってお金らしい。

 

「大体、先生が減給されるのはリィエルだけが原因じゃないでしょ!?魔術講師として自覚のない、職務怠慢な常日頃の態度が……」

 

「へーんだ、うっさいわい!」

 

「あっ、こら!《雷精の紫電よ》ッ!」

 

 子どもじみた言葉と共に俊敏な動きで説教から逃げ出すグレンへ、システィーナは【ショック・ボルト】を撃って取っ捕まえようとする。

 

 さすがは元宮廷魔導士と言うべきか。グレンは鋭い身のこなしで紫電を軽々躱す。

 しかし、システィーナも彼の特訓を受けてそれなりに魔術の腕を上げている。その結果、グレンは前方から迫るものへの対応が遅れてしまった。

 

「せ、先生!前!前!」

 

 信一が叫び、そこで初めてグレンは豪奢な馬車に繋がれた二頭の馬が目の前にいることに気付く。即座に止まり、ペタンと尻餅をついた。

 

 ここは学院の敷地内だ。そんな場所を堂々と馬車で走っているということは、十中八九招かれた来賓なのだろう。

 システィーナは御者台に座るフロックコートを纏い、山高帽を被った青年へと慌てて頭を下げる。

 

「すみません! この人には後できつく言っておきますので」

 

「…………」

 

 御者の青年はただ無言を返すのみ。表情は帽子のせいで窺えない。怒っているかなと戸惑うシスティーナはさらに謝罪の言葉を告げようとした……その時だ。

 

「これには流石に、私も運命というものを信じてしまうかもしれない。まさか学院に着いて早々、君に会えるなんてね」

 

 第三者の声が彼女へとかけられる。声の主は馬車の客室にいるようだ。扉が開き、優雅な所作で地面へと降り立つ二十歳過ぎくらいの男性。グレンより少し年上くらいだろうか。

 

「!?」

 

 その姿を見とめ、信一は目を見開いた。彼とは一度会っている。4、5年ほど前にたった1度だけ。

 緩やかなウェーブの金髪とトレードマークの片眼鏡は貴族然とした気品に満ち溢れ、それらが引き立たせる端麗で涼やかな容姿は彼を貴族であると周囲に知らしめている。少なくとも、平民出身の信一には一生掛けても真似できない。

 

「シンくん、知ってる人?」

 

「えぇ……まぁ……」

 

 ルミアの問いかけに苦い顔で応じ、2人の一挙手一投足に目を向ける。見てれば分かるという意味だと悟ったルミアは首を傾げながらも同じように見守ることにした。

 

「久しぶりですね、システィーナ。君は相変わらず元気がいい。……まぁ、そこが貴女という女性の魅力的なところでもあるのですが……」

 

「あ、貴女は……」

 

 聞いているだけでうすら寒くなるような台詞も、彼が口にすればそよ風が奏でたのかと錯覚してしまいそうなほど耳に優しい。

 

 男性の方は言うに及ばず、システィーナも(性格はともかく)美少女だ。この2人が見つめ合う姿は著名な芸術家の描く絵画がそのまま現実になったかのようである。

 

 なんか2人だけの世界が出来上がってる。それを瞬時に感じ取った信一は、不満顔を隠そうともせずドカドカと間に割り込んでいった。進路上に尻餅をついたままのグレンがいたが、一切躊躇せずに蹴り飛ばして。

 

「おや?君はもしかして信一くんですか?」

 

「……はい。お久しぶりです」

 

「えぇ。大きくなりましたね」

 

 ぶすくれた顔の信一とは対照的に、男性の表情には久々に会った弟を見るような温もりが宿っている。そんな余裕がさらにこちらの神経を逆撫でしてくるが、恐らく気付いていないだろう。

 

「それで、どうしてこんなところに貴方が?」

 

 願わくば、自分が考えていることを彼が言わないでくれ。別の理由でここに来たと言ってくれ。

 そんな信一の切実な願いを、男性は涼しい顔で踏み躙る。もちろん悪気など一切無い。

 

「公的な理由としてはこの学院に特別講師としてですが……そうですね。私個人の理由を言ってしまえば、彼女を———システィーナを我が伴侶として迎えに来ました」

 

「……っ……」

 

「私、レオス=クライトスは彼女の婚約者(フィアンセ)ですから」

 

 一瞬の沈黙。からの、

 

「「「「 ええええええええええ———っ!?」」」」

 

 周囲の素っ頓狂か叫びの中、信一は忌々しそうに男性———レオスを睨み続ける。








はい、いかがでしたか? せっかくヒロインも確定したので、アニメオリジナルのシーンを入れてみました。鴛鴦茶ってどこで飲めるんだろ?京都とか鎌倉まで行けば飲めそうですよね。

前書きでも触れましたが、自分、今年は信じられないくらい忙しくなります。なので、どうしようもなく投稿に間が空いてしまうでしょう。
それでも書き続けていくつもりです。だからこちらのお願いはただ1つ!





見捨てないでください!!(´༎ຶོρ༎ຶོ`) 以上ッ!!


目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

第37話 貴女の幸せ

5巻を回収してまいりました。2年ぶりの本編、再開です。


 魔導大国、アルザーノ帝国において魔術学院は『アルザーノ帝国魔術学院』だけではない。例えば湖水地方リリタリアには『聖リリィ魔術女学院』という女子校があり、霊脈(レイライン)やある程度の階梯を持つ魔術講師さえ揃えばわりとポンポン建設される。

 

 レオス=クライトスはそんな数ある魔術学院の中の1つ、『クライトス魔術学院』から特別講師として招かれた。レオスのファミリーネームと『クライトス魔術学院』の名はもちろん偶然の一致などではない。

 彼の家、クライトス伯爵家が40年前の『奉神戦争』において存続を危ぶまれたとき設立した学院であるというのは魔術に携わる者ならば誰でも知っていることだ。なにを隠そう、『クライトス魔術学院』は私立校でありながらアルザーノ帝国魔術学院に次ぐ知名度を誇っているのだから。

 

 帝国魔術学会でも期待の星として名高いレオス。特に彼が高い評価を得ている軍用魔術に関する研究は、他の追随を許さないレベルだ。

 

 

 

 

 

 

 

 鐘の音が学院中に鳴り響き、本日の講義時間が終了したことを告げる。

 

「時間ですね。それでは次回の講義では、風の魔術の利点とそれらの軍における運用法についての話から始めましょう……ご静聴、ありがとうございました」

 

 場所は魔術学院校舎西館、満員御礼の大講義室。

 教壇の上で閉じた教科書を小脇に抱え、優雅に一礼するレオスへ終鈴の音よりも大きな拍手が送られる。

 

 彼が今まで行っていた講義は『軍用魔術概論』。内容としては、なぜ現在の帝国軍の戦力を支える軍用魔術が今のような形へと進化してきたのか、一体どういうコンセプトの下で様々な軍用魔術が生まれたのかという軍用魔術の根本的な理屈と概念についてだ。

 

「……完璧だ」

 

 未だ教壇で拍手喝采を浴びるレオスに視線を向けたまま、グレンがポツリと呟く。それはもちろん、今の彼の講義に対して。

 

「………………」

 

 その横で信一は組んだ両手を使い口元を隠し、ものすごく厳格な空気を醸し出している。いつもの柔和さはどこへやら。触れるモノ全てを裁断するかのように研ぎ澄まされた刃の如く。

 

 そして、その空気を一切緩ませず一言。

 

「……何一つ理解できなかった」

 

「うん。お前、マジでもうちょっと勉強しろ」

 

「すみません」

 

 グレンは自分の担当する劣等生に頭を抱えたくなる。

 

 レオスの授業は確かに完璧だった。軍の魔導兵の半分以上がイマイチ理解していないことすら、元々何も知らない生徒達に理解させたのだ。賞賛の言葉は尽きない。

 逆に、それを一切理解できない信一の頭には落胆の言葉が尽きない。頼むからもう少し頑張ってほしい。

 

 信一は信一で、自分だけ理解出来てないことに負い目を感じ落ち込んでいる。

 

 頭を抱えて陰鬱な空気をこれでもかと振り撒く講師と生徒の姿が大講義室の後方にあった。

 

 そんな2人の袖を、リィエルが引く。

 

「……わたしも何一つわからなかった。シンイチ、おそろい」

 

 グッと。何故かちょっと嬉しそうに無表情でサムズアップするリィエルにグレンはチョップを入れ、再び教壇へと目を向けていた。

 

「リィエル、イチゴタルト食べに行こうか」

 

「ん」

 

 理解出来てないのが自分だけでは無いと知った信一の顔に輝きが戻る。こうした劣等生の仲間意識がダメだということにいつ気付くのか。

 いつもならすかさず突っ込みを入れるはずのシスティーナは、グレンの真後ろの席でボーとレオスを見ていた。

 

「システィ?」

 

「……え? あ、なに、ルミア?」

 

「ううん、なんかボーとしてたから」

 

「はは、将来の婿殿に早くも見惚れてたか白猫!」

 

「そ、そんなんじゃないです!」

 

 頰を赤く染め、からかってくるグレンへシスティーナは食ってかかる。しかし今回ばかりは反論しにくい内容だけにいつものような勢いはない。

 

「………………」

 

「……シンイチ?」

 

 そんな彼女を信一は憮然とした表情で見ていた。いつもなら便乗してからかいに行くのだが、レオスが来てからというもの、信一の様子が少しおかしい。

 

 なんかイジけてるみたい、とリィエルは動物的直感で感じ取った。

 

「やぁ、システィーナ」

 

 その時、自分たちに先ほどまで響いていた声が掛けられる。講義終了後、多くの生徒達に囲まれていたレオスが歩み寄って来ていた。

 

「私の講義はどうでしたか? 貴女の忌憚ない意見が聞きたいですね」

 

「え? その……とても素晴らしい講義だったわ。正直、文句のつけどころがない……」

 

「そうですか。ではまず第一関門突破……といったところでしょうか?将来の伴侶すら納得させられない授業しかできない者など、貴女の夫に相応しくないでしょうしね」

 

 特に恥ずかしがることも無く、当たり前のように愛を囁くレオス。それに対して困ったように言葉を詰まらせながら強く言い返さないシスティーナを見て、信一の頰はさらに膨らむ。

 

 その姿が目に付いたレオスは眉を八の字にして、どこか懐かしむような雰囲気で言葉を掛けてくる。

 

「君はどうでしたか、信一くん?何か分からない部分があれば遠慮なく聞いてください」

 

「……全部分かりませんでした」

 

「おや、それはいけない。それでは私がこちらにいる間に、マンツーマンで教える時間を設けましょうか?」

 

「結構です!」

 

 プイッとそっぽを向く信一に、しかしレオスは気分を害した様子はない。弟を見る兄のような優しい目のまま、やはり眉を八の字に曲げるだけ。

 そんな余裕に溢れた態度が、信一にはますます気に食わない。

 

 何か嫌味の一つでも言ってやろうかと思ったが、それはそれで負けた気がする。

 

 自分と話したくないということを察したらしいレオスはシスティーナに向き直る。

 

「システィーナ。少し、外を一緒に歩きませんか?貴女と話したいことがあります」

 

「うぅ……それは、今でないとダメなことなの……?」

 

「別に今でなくても構いません。でも、いずれ話さなければならない重要なことです」

 

 及び腰のシスティーナに威圧感を与えないように、しかし大切なことだと伝える声音。それだけで、この散歩先で上がるであろう話題が予想できてしまう。

 

「あの……ごめん、私……ちょっと行ってくるね?」

 

 そしてレオスに連れられてどこかへ行ってしまう。

 

「ねぇ、シンくん……」

 

「えぇ、もちろんです。行きましょう」

 

 ルミアの言いたいことは理解している。頷き、レオスと相対していた時の表情が嘘のようないつもの優しい微笑みを浮かべた。

 

「ふぁ……さて、俺はどっかその辺で昼寝でも……」

 

 興味無さそうに欠伸をしながらどこかへ行こうとするグレンの襟首を———ガシッ!

 

「行きますよ先生。それとも眠気が覚めるように【迅雷】でボコ殴りにしましょうか?」

 

「……最近お前がどんどん父親に似てきてる気がするのは俺の気のせいか?」

 

「親子ですからね」

 

 まず初めに武力を背景へと置くところとかソックリである。

 

 

 

 

 

 

 場所は変わって学院の遺跡跡地、『メルガリウスの都』の一部。遺跡跡地とは言うもののそれほど物々しい雰囲気はなく、木や花壇に飾り立てられた散策用の庭園となっている。

 

 風が吹き流れ木々の梢が耳に優しい音を鳴らす中、美男美女……いや、美男と美少女が並んで歩いていた。

 言うまでもなくレオスとシスティーナだ。

 

「こうして2人で歩いていると思い出しますね。昔のことを」

 

「そうね……」

 

 レオスの言葉で胸に去来するのはルミアに出会う以前———さらに信一がフィーベル家へ来る前。まだまだ恋愛の『れ』の字も知らない幼少期の思い出。

 馬車に揺られ、遠路はるばるクライトス伯爵領へ遊びに行っていたあの頃。

 

 当時の彼女にとって、レオスは『格好いいお兄様』であった。自分のわがままにも嫌な顔1つせず付き合ってくれて、社交場では共にダンスを踊ることもあった。

 

 おそらく同じ光景を思い浮かべていたのだろう。レオスは懐かしむ口調で言葉を紡ぐ。

 

「あの頃は楽しかった。君がクライトス領地に遊びに来る時が……少年時代の私の楽しみでした」

 

「そう……ね……私もそうだったわ」

 

 しかし、時間とは流れるものである。信一がフィーベル家に引き取られ、彼と共に遊びに来たのを最後に今までシスティーナがクライトス領地に足を踏み入れることはなかった。

 やがてルミアとも出会い、3人で学院へと通い、今は亡き祖父との約束を果たすことが夢となったシスティーナは魔術の勉強に夢中になっていた。

 

 レオスが彼女の心を占める割合は次第に減っていき、今回が本当に久しぶりの再会となったのである。

 

「時の流れというのは残酷ですね……あれほど、こんな関係がずっと続くんだと信じて疑わなかったのに……」

 

「そうね。そしていつかただの『思い出』となって、気にも留めないものになっていく……」

 

 それを風化と呼ぶのか、それとも忘却と呼ぶのか。レオスの言う通り、時間は残酷なほど平等に全てを洗い流してしまう。

 

「……『思い出』を、単なる『思い出』にせず済む方法もあると思います。システィーナ———」

 

 これから紡がれる言葉は、拍子抜けするほどシスティーナ自身にも予想ができた。しかし、予想していたからといって……世界中に響いてしまいそうなこの鼓動を抑えられるわけではない。

 

 レオスが向き直る。

 

「———私と結婚してください」

 

 2人の間を、緩やかで涼しげな風が優しく吹き抜ける。まるで、言葉の残滓を空へと攫ってしまうかのように。

 

 

 

 

 

 

 

 

「さてと……」

 

 システィーナ達から程よく離れた茂みの中で、2人の様子を見ていた一同の中の1人———信一は立ち上がろうと腰を浮かせた。

 

「いくか」

 

「はいストップシンくん!まず刀を置こう!ね! ね!?」

 

「安心してください、ルミアさん。別に乱暴なことをしようというわけではありません」

 

「……本当に?」

 

「もちろんです」

 

 いつも通りの優しい微笑みを向け、片手でルミアの手を握る。そんなに心配そうな顔をしないでほしい。美しい顔が台無しだ。

 

「そうですね……直接的な表現は控えますが、ちゃんとフィーベル家の従者らしく穏便で紳士的に———ブチ殺してきます」

 

「ダメーーー!!」

 

 爽やかな笑顔で元気良く二刀を構える信一をルミアは即座に羽交い締めにする。

 

 非力なルミアに羽交い締めにされたところで振り解くのは容易い。しかし勢い余ってケガをさせてしまいかねないので、信一は軽く手足を動かすだけに留まっていた。

 これがグレンやリィエルなら【迅雷】を使ってでも強引に振りほどき、そのままレオスとシスティーナの距離を離す為にぶん投げていただろう。図らずも、ここはルミアのファインプレーである。

 

「ええい!離してくださいルミアさん!」

 

「しっ!静かにしろ、信一。今いいところなのに白猫達にバレちまうだろ」

 

「知ったことかぁ!あの野郎、今すぐ血ィ祭りに上げてくれるわぁ!!」

 

「……シンイチ、うるさい」

 

 目を血走らせ、激しくキャラ崩壊しながら鬼の形相で叫ぶ信一。すんでのところでルミアが一瞬だけ黒魔【エア・スクリーン】を張り、なんとかあちらには声が届かないようにした。またしてもルミア、ファインプレー。

 

 どうあっても離してくれないので、信一は一旦斬りかかるのを諦めることにする。あくまで一旦、だが。

 

「だいたい、お嬢様もお嬢様ですよ……。なんで顔赤くしてんですか!なんですぐ断らないんですか!」

 

「そりゃあまぁ金持ちだから、とかじゃないのか?」

 

「フィーベル家もちゃんとお金持ちです!殺しますよ?」

 

「じゃあレオスがイケメンだから、とか?」

 

「俺のお嬢様は男を顔面だけで決めるような浅はかな尻軽じゃありません!殺しますよ?」

 

 こいつメンドくせぇ、と内心グレンは思ってしまう。

 

「そもそもどうしてルミアさんは止めるんですか?レオス様を人知れず解体(バラ)す為にわざわざこんな覗き見みたいな真似をしてるんでしょう?」

 

「違うよ!」

 

「違うんですか!?」

 

 心底心外そうに声を上げるルミア。彼女からすれば、どうしてその答えに辿り着いたのか問い質したい気分である。

 いや、実際のところルミアには分かっていた。どうして信一がレオスをこれほど目の敵にしているのか。

 

 結局信一は寂しいのだ。普段の態度こそ彼女をからかって遊んでいるが、それはシスティーナが好きで好きでたまらないから。もちろん家族的な意味で。

 

 それが分かってしまうと、途端にクスリと笑みが溢れる。自分がフィーベル家に来た時はシスティーナが信一を取られたと騒いでいたが、今は逆転しているところが可愛らしい。

 

「仕方ないですね。では俺自身は手を汚さない方法に変更しましょう」

 

「……というと?」

 

「まずダークネスな金貸し屋さんにお金を借りに行きます。グレン先生、今お金に困ってませんか?」

 

「年がら年中困ってるよ」

 

「だったら丁度いい。それで先生はお金を返さなくていいです。担保をレオス様の内臓にすれば、あら不思議。俺は手を汚さず、レオス様は……」

 

「アウト!色々ブラック過ぎてアウトだよシンくん!」

 

「でもそういう契約にも拇印はいるだろうし……。確か拇印って親指でしたよね?取ってきます」

 

「聞いて!?お願いだからシンくん私の話聞いて!?」

 

 刀を納め、親指程度ならナイフで充分だと言わんばかりに抜く信一を再度ルミアが羽交い締めにする。

 

「むぅ……かなりグッドアイデアだと思ったんですけど……【迅雷】使って考えたし」

 

「すっごく無駄使いだよね、それ……」

 

「何を言いますか。お嬢様とアイツの婚姻を阻止する為なら、俺はマナ欠乏症になっても【迅雷】を使いまくりますよ」

 

 むん!っとさりげなくレオスをアイツ呼ばわりしながら鼻息荒く決意表明する信一。やる気と殺る気に満ち溢れている。

 

 確かに可愛らしい。可愛らしいのだが……出来れば出血の無い方法を選択してほしいと思うルミアであった。

 

「おい、2人とも。白猫が返事するみたいだぞ」

 

「わかりました。ではお嬢様の返答がイエスならば、最初に俺とリィエルでレオス様へと斬りかかり、動きを止めたところでグレン先生は眉間と心臓に二発ずつ撃ち込んでください。返す刀でさらに首を刎ねます。リィエル、準備はいいかな?」

 

「……よく分からないけど大丈夫」

 

「落ち着けバカ共」

 

 ビシィ!っと2人の脳天にチョップを入れ、グレンはワクワクした様子でシスティーナとレオスを見やる。

 信一はまたもやムスっと頰を膨らませ、八つ当たり気味にリィエルのほっぺたをムニムニ弄びながら彼に倣う。

 

 

 

 

 

 

「わ、私は……」

 

 まず先立つ感情は嬉しい、であった。幼い頃憧れていた人からの求婚である。嬉しくないはずがない。

 

 ———しかし、だ。

 

「ごめんなさい、レオス……私にはその結婚の申し出は受けられないわ」

 

 彼女ははっきりとNOを口にした。その瞬間近くの茂みがガサリと動き、『よし!』という声が聞こえたような気がしたが、おそらく気のせいだろう。

 

「私、お祖父様と約束したの。メルガリウスの天空城の謎を解くって。お祖父様が憧れた、お空の城にいつか辿り着くって。だから……正直まだ誰かと家庭を築く気にはなれないのよ……」

 

 レオスのことが嫌いなわけでは決してない。それは誓って本当だ。だけど、それでも自分には叶えたい夢がある。

 

 誤解されないようしっかりと口にしたシスティーナへ、レオスは気遣うような口調で言葉をかける。

 

「相変わらずですね、システィーナ。まだそんな夢みたいなことを言って。貴女もそろそろ現実を直視しなければいけませんよ」

 

 馬鹿にしているわけでも、貶しているわけでもない。ただ事実を伝えるように続ける。

 

「貴女のお祖父様……レドルフ殿も魔導考古学になど傾倒しなければもっと多大な功績を魔術史に残していたでしょうに……私は貴女にレドルフ殿と同じ過ちを繰り返してほしくない」

 

「……ッ!」

 

「システィーナ。魔導考古学から手を引き、私の軍用魔術の研究を支えてください。貴女が支えてくれるなら……私はきっと大きなことを成せる。もちろん、貴女に不自由はさせません。私が絶対幸せにすると約束します」

 

 幸福の保証。それは万人が求婚をする上で欠かす事の出来ないものであろう。

 そしてレオスの場合は、かなり高い割合でそれを実行できる。

 

 だが、

 

「ごめん、レオス」

 

 システィーナの答えは変わらない。

 

「……私は、『メルガリウスの天空城』を諦めることなんてできない……」

 

「貴女はレドルフ殿に勝てるのですか?」

 

 間髪入れずに、レオスは言い放つ。やはり厳然とした事実を。

 

「貴女の祖父、レドルフ=フィーベル殿は真の天才、希代の魔術師でした。そんな彼ですら……『メルガリウスの天空城』にはまったく歯が立たなかったのです。貴女に……レドルフ殿を越えることが本当にできるのですか?」

 

 分かっている。祖父がどれだけ優秀だったのか。祖父がどれだけの高みに立っていたのか。

 だから毎日のように自問を繰り返していた。もしかしたら自分は何一つ成せないのではないか?ただ人生を無駄に消費してしまうのではないか?

 

 怖くて、不安で、はっきりと言い返せない自分が情けなくて。システィーナの目尻に涙が浮かぶ。

 

「私はただ、貴女に人生を無駄にしてほしくないんです。貴女には女性としての幸せをきちんと掴んでほしい」

 

 きっとレオスは正しい。間違っていない。

 

「……うぅ……ぅ……ッ…」

 

 そんな現実が辛くて、ついに嗚咽が漏れ出す。

 

 それでも残った僅かな意地で涙を隠そうと手を顔に当てようとして———その手を優しく握られる。

 

「詭弁を弄してんじゃねぇよ、このクソ野郎」

 

「………………」

 

 さらに目の前にはグレンが立ちはだかっていた。自身の手を握る手を上に辿れば、そこには信一がレオスを失望が混じった眼差しで睨み据えている。

 

「せ、先生ッ!?それに信一も……」

 

「お嬢様、失礼します」

 

 驚きに目を見開く彼女の涙を信一はそっと拭った。パッとシスティーナの悲しみの結晶を地面へ払う。

 

「一つ聞くぜ、白猫。お前の爺さんとやらは『メルガリウスの天空城』に挑んだことを後悔してたか?」

 

「そ、そんなことないわ……確かに謎を解き明かせなかったことを口惜しく思われていたようだけど……お祖父様はご自分の歩まれた道に後悔なんて微塵も……」

 

「なら、それが答えだ」

 

 珍しく大人らしいことを言うグレン。敵意のこもった目をレオスへ向ける。

 

「大体な、白猫が夢を追うか諦めるかの話と、てめーとくっつくかどうかの話はまた別次元の問題だろうが?なんだ?動揺させて正常な判断力を奪ってからら包容力を見せて丸め込むのがテメーの口説きの手口か?」

 

「また貴方ですか……。これは私とシスティーナの……そう、クライトス家とフィーベル家の問題なのですよ?関係ない部外者が口を出さないで欲しいのですが?」

 

「ちっ……」

 

 確かにグレンは部外者である。貴族主義が残るアルザーノ帝国では、親同士が決めた婚約はそれなりの法的な拘束力を持つ。ゆえに教師であろうと部外者。家同士の問題にされては口出しできない。

 

 一応そのあたりは理解しているグレン。舌打ちに留まり、何を言わずにレオスを睨み据えていた。

 

 そんな彼を尻目に、システィーナが意を決したように口を開く。

 

「……関係はあるわ」

 

 ぼそり、と。

 

「グレン先生は関係あるわ」

 

「それはどういうことですか?システィーナ」

 

 不思議そうに首を傾げるレオスを真っ直ぐ見つめ、今度ははっきりと言った。

 

「だって……先生と私は、将来を誓い合った恋人同士だから」

 

「なっ……!?」

 

「はい……………………!?」

 

 これには彼女の手を握って事の推移を見守っていた信一もビックリである。驚愕のあまり、立ったまま失神してしまうほどに。

 

「隠しててごめんなさい、レオス。でも、私はもう先生以外の人と一緒になるなんて考えられないの……」

 

「お、おい……白猫……?」

 

 突然の爆弾発言にギョッとなって振り返るグレンへ、システィーナは懇願の色を湛えた眼差しを送る。それを受け、彼の顔にレオスを煽り倒してブチギレさせようという悪意に満ち満ちまくった笑みが浮かべられた。

 

「そぉ〜いうことだぜ、レオスさぁん!だから諦めな、このド振られ寝取られ野郎!ふっはははっは、ザマァ見ろ!お前が長年想い続けた女は、とっくに別の男のモノになっていましたというわけだあぁぁぁぁぁ!!」

 

 グレンの煽りを受け、レオスの顔が屈辱と怒りで真っ赤に染め上がっていた。さすがにやり過ぎと判断し、グレンに非難の言葉を浴びせようとするが手を握ったまま失神している信一のせいでシスティーナは動けない。

 彼女から否定の言葉が無いことが信じられず、レオスは声を荒らげて叫ぶ。

 

「ふざけないでください!私はシスティーナの婚約者なんです!ずっと彼女だけを見続けてきた———今さら貴方のようなポッと出の男に奪われるなど、納得できない!」

 

「ふーん……つまり、お前は白猫から手を引くつもりはないと?これからも白猫に迫り続けると?」

 

「当然です!」

 

 それが当たり前。そんなレオスに、グレンは先ほどとは打って変わって落ち着いた声音で言葉を紡ぐ。

 

「見たところ…白猫はお前に対しちゃ満更でもねぇようだし、実際こいつを幸せにできるのは俺じゃなくてお前の方なのかもしれない。だがな、せめて白猫が納得できるまで待つくらいはいいんじゃねぇのか?」

 

「駄目ですね。女性の幸せは家庭の中にこそあります。魔導考古学になど関わっている限りシスティーナは幸せになれません。ゆえに、彼女には私と婚約をして魔導考古学からはすっぱり手を引いてもらいます。もちろん全てはシスティーナの為です」

 

 その言葉に、システィーナは悲しみのあまり手を震わせる。その振動で失神から目覚めた信一は、いつの間にかヒートアップしていたグレンとレオスを静かに、しかし確かな敵意を滲ませて見守っていた。

 

「そして今、確信しました。グレン=レーダス。あなたはシスティーナに相応しくない。あらゆる手段を尽くして…私はあなたから彼女を奪い返す。クライトスを敵に回したことを必ず後悔させてあげましょう」

 

「ふーん、それが……お前の本性か。なら———」

 

 ———ペシ。ゆっくりと外した左手の手袋をレオスに叩きつけるグレン。

 

「決闘だ。勝者が手にするものは……わかるよな?」

 

「ふっ…願ってもない好機をありがとうございます。望むところです」

 

「……ねぇ」

 

 まるでシスティーナを景品のように扱う2人へ、我慢できず信一はいつもの敬語を廃して口を挟む。それに対して、レオスは先ほどまでの鋭い目つきを緩めて対応してくる。

 

「おや、信一くん。もちろん君は私を応援してくれますよね。グレン先生のような下劣な方より、私の方がシスティーナを幸せにできる。君なら分かるでしょう?」

 

「えぇ、わかります」

 

 システィーナの手を離し、信一はレオスへと若干俯き加減で歩み寄って行く。その敵意と殺意を滲ませる目を後ろの家族に見せぬよう。

 

「おそらくレオス様なら、将来は安泰でしょう。少なくとも、グレン先生のように給料を全額ギャンブルですってお嬢様が養うような生活にはならないでしょう?」

 

「間違いありません」

 

「グレン先生のように毎日ロクでもない事をやらかして、お嬢様を怒らせるような事もないでしょう?」

 

「もちろんです」

 

「昔から家族絡みの仲です。誰もが2人の結婚を祝福し、家庭内でお嬢様がいびられるという事も無いはずです」

 

「保証します」

 

「きっと女性として、この上ない幸福をお嬢様に与えてくれる事でしょう」

 

「光栄です、信一くん。君がまさかそこまで私のことを理解してくれているとは」

 

 システィーナの身内である信一から手放しに将来のメリットを並べられ、レオスはこの場の趨勢が自分に傾きつつあることを確信する。

 逆に、後ろで殴りかからないかハラハラと見守っていたルミアやグレンは意外そうな顔をしていた。

 そして、システィーナはまるで見捨てられた子猫のような顔をしている。

 

「だけどそこに、()()()()幸福は含まれてない」

 

 ———ガッ!と、信一はレオスの胸ぐらを掴み、一言。

 

「———アンタが勝手に、お嬢様の幸せを決めるなよ」








はい、いかがでしたか?実は2年前にこの話はほぼ書き終えてたなんて言えない(ボソ)

この2年間、ロクアカの最新刊が出るたびに信一の行動を妄想しながら読んでいました。(だったら書けよ)
待ってくれていた方々、これからもなんとか更新を頑張っていきますのでよろしくお願い致しますm(*_ _)m


目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

第38話 彼の思惑

 フェジテ東地区市某所。女王アリシア7世からルミアの護衛を密命されていた朝比奈零は、1つの死体を見下ろし顎に手を当てていた。

 帝国宮廷魔導士団特務分室、執行官No.13《死神》を拝命する零にとって、死体自体は特に珍しくもない、ごく日常的なものだ。しかし、この死体は異常であった。

 生前の容姿が判別困難なほど全身が崩れ、周囲はバケツで撒き散らしたかのように血で溢れていた。よく見ると、それは死体の全身から噴水のごとく血が噴き出していたことが分かる。

 そして、この死に方に零は心当たりがあった。

 

「『天使の塵(エンジェル・ダスト)』……だよな」

 

 元々零はこの周囲で信じられないほど暴れ回っている人間がいるという噂を聞いて駆けつけた。ルミアの身を脅かす可能性がある以上、彼女や共に生活するシスティーナ、そして自分の息子である信一には悟られる前に排除したい。その一心で駆けつけ、その逃走したという者を追ってここまで辿り着いた。十中八九、暴れ回っていたという人間はこの死体になった者で間違いないだろう。

天使の塵(エンジェル・ダスト)』は錬金術を用いた魔薬だ。被投与者の思考と感情を完全に掌握し、脳のリミッターを外す。さらに、投与者の命令を忠実なまでにこなす無敵の兵士を作ることができる。だが当然、副作用は存在する。『天使の塵(エンジェル・ダスト)』を投与された人間は廃人となり、定期的に『天使の塵(エンジェル・ダスト)』を投与し続けなければ死に至るのだ。だが、投与を続けても末期中毒で死ぬ。

 一度投与されれば死のカウントダウンを刻み始める、そんな悪魔の魔薬であった。

 その魔薬の製法を知る者はただ1人。ならば、この事態の下手人は決まったもののようだが、事はそう単純ではない。

 

「だけどアイツは死んだはずだ」

 

 そう。1年余り前、この『天使の塵(エンジェル・ダスト)』を精製できる唯一の人間は死んだ。当然、死人に薬は作れない。

 そこから導き出される結論はただ一つ。

 

 流石にこれは自分1人の手に余ることを確信した零は、半割れの通信結晶に魔力を通そうとして———振り返る。

 

「なるほど。誘い込まれたわけか」

 

 そこには、暴れ回っていた人間がどこに逃げたかを教えてくれた者が立っていた。確か精肉店の店主だったか。その店主が、全身に網目模様の血管を浮き上がらせながら精肉用の肉切り包丁を片手にゆらゆらと近付いてきている。

 さらに、その背後にも一般に普及している刃物や鈍器を手に6人ほどの男女が続いていた。

 

「アァァァァぁアァァァァ!!」

 

 言語とも言えない呻き声を上げ、先頭の店主が斬り掛かってくる。

 

「チッ……!」

 

天使の塵(エンジェル・ダスト)』に犯された者は、もう元の生活に戻れない。それは理解できていても、やはりこの店主は一般人だ。守るべき帝国民を殺さなければならない事に強い嫌悪感を覚えながらも、零は即座に対応する。

 脳のリミッターが外れているという点では【迅雷】を使っているのと変わらないが、元が一般人なので素の身体能力でも零ならば問題なく対応可能だ。死体の処理もあるので、出血の少ない殺し方が良いだろう。

 間合いに入った瞬間、膝関節を正確に打ち抜く前蹴り。明らかに曲がらない方向まで曲がったところでバランスを崩した店主の首を抱え込み———ゴキュッ!自分の体を回して素早く頸椎を粉砕し即死させる。

 さらに死んだ事で力が抜けて宙を舞う肉切り包丁を指先で挟み、粉砕した動きのまま遠心力を使って、こちらに鎌で襲いかかってきた女の眉間へとぶん投げる。持ち手ギリギリまで刃が埋まり、出血はほとんど無い状態で殺した。

 

「あうあうあうあうぅぅゥうぅぅ!!!」

 

「おぉおああぉきゅぅぅぅぅぅうぅう!」

 

「だおぉぉぉぉおぉぉぉ!!」

 

 しかし、後続の連中はすかさず呻き声を上げて襲いかかってくる。恐れもなく、動揺も無い。どこまでも忠実に、この命令を下した投与者に従って()()()()()()

 

「腐れ外道が!」

 

 この胸くそ悪い状況を作り出した下手人に悪態を吐き。不愉快極まりない罪悪感を抱えて、零は彼等彼女等を殺すしかない。

 

 

 

 

 

 

「ねぇおバカ!本当におバカ!とってもおバカ!あなたって本当にバカ!」

 

「だって……」

 

「だってじゃない!あの場であんな事言ったら、ヒートアップするに決まってるじゃない!」

 

「まぁまぁシスティ。あんまりシンくんを責めないであげて」

 

「そうです。あんまり俺を責めないであげてください」

 

「反省しなさいって言ってるのよ!」

 

 昼休み。腕組みをするシスティーナに、正座をした信一は見下ろされていた。一応反省の姿勢を取ってはいるが、信一にその気持ちは一切ない。

 確かにあの状況で彼が取った行動は、事態の混乱を招く以外の何物でも無かった。だが、それでも我慢できなかったのだ。

 

「ハァ……。なんであんな事したの?」

 

「……怒りませんか?」

 

「言い分に寄るわ」

 

「むぅ…」

 

 頬を膨らませ、不満げに目を逸らす信一。そんな彼に、ルミアが助け船を出す。

 

「シンくん。私、たぶんシンくんの言い分はシスティを怒らせることないと思うよ。だから正直に伝えよう?ね?」

 

「ルミアさんがそう言うなら。……ただ、気に入らなかったんです」

 

「気に入らなかった……」

 

「…………………」

 

「……え?それだけ?」

 

「はい。以上です」

 

 ブチっと、システィーナのこめかみに青筋が浮かぶ。これはあまりにも浅慮過ぎないか。

 

「シンくん。その理由も言わないと」

 

 その姿を見て、ルミアが慌ててフォローをいれる。

 

「えっと……なんて言えばいいんでしょうか。口ではお嬢様を幸せにすると言っておきながら、レオス様はまるでお嬢様の自由を奪うような行動を取ろうとしていました。少なくとも、俺はあの場でグレン先生の『納得するまで夢を追わせる』という意見を支持しています」

 

「それで?」

 

「俺だってお嬢様の幸せを願っています。確かに、レオス様との婚姻は大半の女性が夢見るような生活を送ることができるでしょう。ですが、お嬢様の夢が『メルガリウスの天空城』の謎を解くことである以上、それを強制的に辞めさせるレオス様の行為はお嬢様の幸せを阻害するものだと判断しました」

 

「…………」

 

「それに、以前お嬢様は約束してくれました。魔術が人殺しの道具と言われても、世界中に響く声で『違う』と叫ぶと。もしお嬢様が魔術を嫌いになったならば、そんな事はしなくても構いません。ですが、魔術が好きなうちは、どうかお嬢様の進みたい道を邁進していただきたい。それを全て断とうとするレオス様が気に入らなかったのです」

 

 己の中にある行動理由をなんとか言語化して、信一は誠心誠意システィーナへ伝える。自分だってシスティーナの事を想って行動しているのだ。少々根幹まで染み込んでいるせいで、言葉にすることが難しいだけで。

 意見を聞き入れたシスティーナは掌を彼の頭に向ける。この状況では叩かれても仕方ないな、と信一は観念して目を閉じるが、予想に反して頭部に痛みは走らない。

 代わりにゆったりと掌を頭に乗せられ、スライドさせているのが分かる。どうやらシスティーナに撫でられているらしい。

 

「……お嬢様、怒らないのですか?」

 

「怒らないわ。怒鳴ったりしてごめんね、信一」

 

 信一は確かに自分を理解してくれていた。いつだって味方でいようとしてくれている。浅慮だったのは自分の方だったと、システィーナは反省した。

 

「あなた、私のこと大好き過ぎじゃない?」

 

「えぇ。それはもう狂おしい程に」

 

 心地良い感触に目を細め、彼女が笑ってくれたことに幸福を感じる信一。レオスが現れてから、どうにもシスティーナは感情と立場の板挟みになり愛想笑いしかしていなかった。1日たりとも家族が心から笑えない日などあってはならない。

 だからこそ、数日ぶりに見るシスティーナの笑顔は嬉しいものだ。

 

「……ねぇ、ルミア。私もシンイチを撫で撫でしたい」

 

「う〜ん、もう少し待っててあげようか」

 

 2人の独特な雰囲気に何か思うところがあるのか、リィエルが空気の読めない発言をするが、そこは空気の読めるルミア。やんわりと窘めておく。

 彼女も、どこか羨ましそうに2人を見ている。しかし幸か不幸か、それを知る者はこの場にいなかった。

 

 

 

 翌日、グレンとレオスがとある女生徒の伴侶の座を賭けて決闘する…そんな噂が学院中に流れる中、グレンは2年次生2組の教壇で決闘の内容を発表した。

 

「———俺が見事、白猫とくっついて逆玉の輿、夢の無職引きこもり生活をゲットするために……今からお前らに魔導兵団戦の特別授業を行う!」

 

「「「 ふっざけんなぁああああッ!! 」」」

 

 クラス一同、大ブーイングであった。

 

 魔導兵団戦とは魔術師個人の一対一の戦闘ではなく、魔術師の多対多の戦闘———つまり集団戦を指す。これはアルザーノ帝国が魔術師を諸外国に対する潜在的な戦力と捉えており、いざ戦争が起こった場合は学院の生徒すら戦場へ動員することを視野に入れていることから、カリキュラムにも組み込まれているものだ。

 剣で1人殺す間に魔術なら10人は殺せると言うが、その程度で趨勢が決まるほど国同士の戦争は甘くない。男子生徒の必修科目になるのは必然と言える。

 だが、それはそれ。今回この魔導兵団戦は授業として扱われるが、実質グレンの私情が発端だ。快く首を縦に振るほど、2組の生徒馬鹿ではない。

 

「俺達を巻き込まないでくださいよ⁉︎」

 

「そうだそうだ!ちゃんと授業なれ!」

 

 文句の嵐が吹き荒れる中、グレンはふてぶてしくふんぞり返って言い放つ。

 

「ええい、うっさい!各必修授業の進行は担当講師の裁量に任されてるんだぞ!」

 

 職権濫用ここに極まり。生徒たちの表情は呆れ果て、諦めきったものに染まっていた。

 しかし、2組の生徒はここで疑問に思う。『システィーナを景品にした決闘』などという、明らかにシスティーナ大好きな信一がブチ切れそうなものをここまで大々的に宣言して、何故グレンが無事なのか。

 まだグレンが非常勤講師だった頃、システィーナに向けて適当な挑発をした際、憚ることなく“お前を殺す”と言い切った信一だ。こんな事許さないだろうと推測できる。

 今にもグレンに斬りかかる為、布袋から刀を取り出しているのではないかと、恐る恐る2組の生徒は彼へ視線を向ける。

 

「やってやりましょう、先生!お嬢様を任せられる人はグレン先生しかいないと俺は信じています!」

 

「おう!」

 

「「「 えぇぇぇぇぇぇぇ⁉︎ 」」」

 

 クラス一同、驚愕であった。

 

 ありえない。ほぼ関係のない自分達ですら、正直付き合っていられないこの状況。信一が関わっていくのはまだ理解できるが、グレンを応援するなんて事はまさに天変地異に等しいものである。今日は【ショック・ボルト】でも振るのだろうか。

 しかしそんなやる気満々の信一に対して、いつものように彼を両側から挟むように座るルミアとシスティーナは苦笑いであった。リィエルはいつも通りボーっとしている。

 

 そんな3人は昨晩、フィーベル邸で信一が話したとある“作戦”を思い出していた。

 

『いいですか、お二人とも。ついでにリィエル。まずこの決闘、グレン先生に勝ってもらいます』

 

『えっ…ちょっ……なんでそうなるのよ!そしたら私、グレン先生と結婚することになっちゃうじゃない⁉︎』

 

『もちろん、お嬢様が嫌なのは理解しています。安心してください』

 

『いや別に…嫌ってわけじゃないけど……って、そうじゃなくて!』

 

『でもグレン先生が勝ったら、それこそレオス先生はクライトス家の力を使って無理矢理システィをお嫁さんにしようとするんじゃないかな?』

 

『その時はその時です。とりあえず、現状レオス様がグレン先生に勝つのはまずいのです。何故だかわかりますか?』

 

『えっと……レオス先生が魔術師的な理由でシスティをお嫁さんにできる大義名分を手に入れる…から?』

 

『概ねその通りです、ルミアさん。その結果、下手をしたら特別講師の期間が終了次第、お嬢様をクライトス領に連れて帰る可能性が出るわけです。そうなると旦那様や奥様ならともかく、俺達は手出しができません』

 

『そっか。私達は立場上フィーベル家の居候だもんね』

 

『はい。いくら貴族の家(フィーベル家)に居候していても、俺たちの立場は“平民”です。アルザーノ帝国が貴族社会である以上、本物の貴族(クライトス家)には抗議すらできません』

 

『で、でも!だからってグレン先生が勝ったら、それこそあのロクでなしに大義名分ができちゃうじゃない!』

 

『ですがお嬢様、先生が今住んでいるアルフォネア教授の家はフェジテにあります。加えてアルフォネア教授もグレン先生も貴族ではありません。つまりお嬢様が嫌と言えば、この約束は反故にできるんです』

 

『だから別に先生との結婚が嫌なわけじゃ……』

 

『まぁ、俺が全力で先生の粗を探しに探して旦那様に須く報告すれば婚約破棄くらいは余裕でしょう。……最悪殺せば、ね』

 

『なんか最後にチラッと怖い事が聞こえた気がするけど……とりあえず了解だよ、シンくん!』

 

『ありがとうございます、ルミアさん。お嬢様とリィエルもいいですか?』

 

『ま、まぁ、わかったわ』

 

『……ん。それよりシンイチ、お腹空いた。イチゴタルト食べたい』

 

『リィエル……さっき20個くらい食べてなかったっけ?』

 

『大丈夫。イチゴタルトは別腹だから』

 

『いや、別腹いくつあるのさ』

 

 少し余計な事も思い出したが、リィエルのおかげでピリピリしていた信一の雰囲気が少し和らいだので良しとする。

【迅雷】を用いて40%ほど開放した人間の頭脳で考えただけあり、一応の隙は埋めてある作戦であった。だいぶ信一個人の私情も介在しているが。

 そして意識はグレンへの怒号が9割を占める喧騒に戻る。そんな中、冷ややかな少年の声がざわめきに水を差した。

 

「ふん。先生の決闘の行方になど興味はありませんが……どうせ無駄ですよ」

 

 ギイブルだ。

 

「ほう……無理、とは?」

 

「だってこのクラス、僕とかシスティーナとか、ウェンディとか、戦力として使える魔術師が数えるほどしかいませんよね?この模擬戦で使用可能な呪文は決まっていますから、インチキ錬金術一辺倒のリィエルは戦力になりませんし」

 

 さらにチラッと、ギイブルは信一を一瞥して続ける。

 

「信一だって、こういった学院のカリキュラムで行う模擬戦じゃ使い物にならない」

 

 確かに、彼の言い分は最もだ。2組の生徒は、ギイブルの挙げた面々を除けばどんぐりの背比べ。

 一方、今回レオスが臨時で担当することになったクラスは成績優秀者が集まっており、ハーレイの担当クラスに次ぐとされている。

 いくら2組が魔術競技祭で優勝したとはいえ、あれはクラス単位の個人戦だ。今回の魔導兵団戦はクラス単位の集団戦なので、勝負にならないという彼の意見は2組の共通見解でもあった。

 

「なーに言ってんだ。現時点で、このクラスで使い物になる奴なんて1人もいねーよ。ぶっちゃけ、お前みてーなやつが1番使えん」

 

「なっ……」

 

 そんなグレンの切り返しに、クラス中がどよめく。ギイブルは2組において、システィーナに次ぐ第2位の成績優秀者で、学年全体から見ても相当上位に入るほどだ。

 そんな彼が1番使えないというのはどういうことなのか。

 明らかにグレンの発言ができてないクラス一同へ、グレンは一言。

 

「いいか、お前ら。魔術師の戦場に———英雄はいない」

 

 そして、グレンの特別授業が始まった。

 

 

 

 ———ふと、夢を見る。視線の先には、何年か前にフィーベル家で遊びに行ったクライトス領の光景が広がっていた。

 今よりも顔立ちはだいぶ幼いが、それでも見間違えようもない美しく長い銀髪の少女。そしてそんな彼女よりも年上の金髪を輝かせる美少年。

 2人はクライトス家の敷地内にある花園で芝に座り込み、なにやら作業をしている。

 そんな2人を自分は少し離れた木陰から眺めていた。その時の感情はどんなものだっただろうか。恐らく“面白くない”だった。

 

『ねぇレオス。ここからどうすればいいの?』

 

『この部分を下に回すんだ。そうそう、上手だね』

 

 いつもフィーベル家では一緒にいる銀髪の少女が、クライトス領に来てからは金髪の美少年にベッタリだ。年に数回しか会えない上、まるで絵本の王子様のような大人びた対応をしてくれるのだから無理もないのかもしれないが、それでも少しは自分に構ってくれても良いではないか。

 むすっ、と。頬を膨らませていると、銀髪の少女の利発的で嬉しそうな声が花園に響く。

 

『できた!』

 

 少女がまるで宝物のように掲げた物は、花園のものを使って作った花冠だった。どうやら金髪の美少年に教わりならがら作っていた物はそれらしい。

 どうせ隣の王子様にでも渡すんだ。そんな風に降り積もる負の感情が子どもながらに惨めに思え、この場から離れようと思った。

 すると、2人はこちらに手招きをしていた。少女は今できたばかりの花冠を見えないように後ろ手で隠している。

 そちらへ寄ると、少女はパッと勢いよく自分へ花冠を被せてきた。

 

『はい、信一!これあげるね!』

 

『……え?』

 

『レオスがね、信一がここに来てからずっと元気無いからって言っててね、だから教えてもらいながら作ってみたの』

 

 その言葉に驚き、金髪の美少年へと視線を向ける。

 

『妹によくせがまれるんだ。だから覚えてただけだよ』

 

 自分の視線を、男なのに花冠なんて作るのか、といった見当違いのものに受け取ったらしい少年は照れ笑いで教えてくれた。

 なんと答えれば良いものか。そもそも、フィーベル家の居候である自分がクライトス家の御曹司と普通に口を利いて良いのか。そんな疑問が頭の中で渦巻き、押し黙っていると———

 

『ねえ?元気出た?』

 

 少女が自分の顔を覗き込んでくる。とても心配そうだ。なのですぐさま頷くと、途端に少女の表情に利発さが戻った。

 少年の方にもう一度視線を向けると、木漏れ日のような優しい表情で手を差し伸べてくる。

 

『信一くん…だったよね。君も一緒に遊ぼう。1人より2人。2人より3人のほうがきっと楽しい』

 

 もし自分に兄がいたら。そんな“IF”を思い起こさせる彼の手へ、自分は———

 

 

 

 

 信一ゆっくりと目蓋を開く。随分と懐かしい夢を見ていたらしい。

 ふと、ベッド脇のサイドテーブルへ目を向ける。正確には、その上に置かれている枯れた花冠へ。

 

「どうして……あんなに変わっちゃったんだよ」

 

 どこか悲しげで、どこか寂しげに漏らしたその言葉を聞く者は、信一以外誰もいない。







はい、いかがでしたか。信一くん、面倒くさい奴ですね。

次回は魔導兵団戦。彼がどの配置に着くかは、たぶん想像がつくと思います。ここまでヒロインとイチャイチャしないのも珍しいですね。


目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

第39話 初めての共同作業

 夢で見たレオスの姿を忘れるように荒々しく、日課の素振りは鍛錬というよりもどこか八つ当たりのような勢いで振っていた。

 しかしルーティンを行うことで冷静さは取り戻すことができ、朝食の時間にルミアとシスティーナが自分を不審がることはなかった。

 リィエルは動物的な直感でどこか信一の変化に気付きかけてはいたが、イチゴタルトを与えたらそちらに夢中になってくれたようだ。

 

 そして、その日の午後。ついにグレンとレオスの決闘となる“魔導兵団戦”が始まる。

 

 場所はフェジテ東門から延びるイーサル街道を東へ。広大なアストリア湖南端付近の湖畔が今回魔導兵団戦演習の場所だ。

 ほとりに立ち並ぶ緑の木々や色とりどりの花。白化粧された山の稜線に冷たく澄んだ湖の水。せっかくならばここで昼食を摂りたかったと思わせてくるほど自然豊かで美しい場所である。

 そこに集まった生徒は綺麗に整列し、今回の演習におけるルールの説明をするハーレイへと視線を向けていた。

 

「まず、この魔導兵団戦で大きな怪我の心配はない。なにしろ、使用可能な魔術は初等呪文のみ。微弱な電気戦を飛ばして相手を感電させる【ショック・ボルト】、激しい音と振動で相手を無力化する【スタン・ボール】など、殺傷力が低い学生用の攻性呪文だけだ」

 

 授業の一環とは言え、魔術戦を行うことに不安のある生徒は多い。そんな生徒達を冷たく一瞥しながらハーレイは続ける。

 

「それらの呪文を、極めて殺傷能力が高い軍用魔術と見なし、我々立ち会いの審判員から致命的なダメージを負ったと判定された者を『戦死』とする。万が一の事態に備え、学院の法医師先生もこの演習に立ち会ってくれているので、遠慮なく競い合うがいい」

 

「はい。もし怪我をされた方は、遠慮なく申し出てくださいね?」

 

「「「 はーい!! 」」」

 

 おっとりとした、いかにも儚げな印象の年若い美女———セシリア先生の言葉に、男子生徒の大半は野太い声と共に元気よくお返事する。

 その光景を見る女生徒の視線は恐ろしく冷たい。

 

「ふあぁ〜」

 

 そして、信一は今周囲で起こっている全ての事象に興味が無いと言わんばかりの大あくびをかます。昼食後で眠い上に、基本こういった説明はあまり聞かない方なのだ。理解できないので。

 ついでに言えば、隣で立っていたリィエルは自分の左肩にもたれかかって寝ている。若干迷惑なので、軽く体を後ろに反らすと、顔面から地面に倒れ込んだ。

 

「……痛い」

 

「寝るのは構わないけど、せめて自分で立ってくれない?」

 

「無理」

 

 立ち上がり、今度は思い切り背中を預け出した。どうせ言っても無駄だと悟ったので、ため息を溢して放置する。

 既に寝息を立て始めたリィエルの寝顔を眺める。今回、彼女は自分にとってパートナーとなるのだ。

 

(普通、殺した奴相手にここまで無防備な姿晒せる?)

 

 少なくとも自分には絶対無理だ。確かに、サイネリア島では極上の陽気にお互いの肩を支えにしてうたた寝してしまったが、あれは例外とする。あの寸前、恥ずかしい勘違いもしてしまったので、それも含め黒歴史として忘却の彼方にぶん投げたい気持ちがいっぱいである。

 いつもボサボサの髪が、もたれかかったことでさらにボサボサになっていた。手櫛で優しく直してやると、リィエルの口から心地良さそうな声が漏れる。

 

「信一の奴…見せつけてくれるじゃねぇか……」

 

「おうおう…ナチュラルに女の子の髪直して慣れてるアピールかぁ?」

 

「グレン先生といい、信一といい…二組の女の子を侍らせやがって。俺達の希望が尽くなぁ…!」

 

 グレンとレオスとシスティーナの件で、色恋沙汰がちょっとブームなクラスメイト(主に男子)から冗談のような殺意と嫉妬の視線を感じるのは気のせいではないだろう。

 一応訂正しておくと、リィエルはともかく、ルミアとシスティーナに侍っているのは自分の方である。従者なので。グレンは知らん。

 

「ふん。まったく…みんな浮かれすぎだろう。この演習だって成績に入ること、忘れてるんじゃないか」

 

「そうだね。お嬢様の人生が懸かったものなんだから、もっと真剣にやってほしいよね」

 

「……君は僕の言葉を聞いていたのか?」

 

「もちろん」

 

 ガッシュと並んで立つギイブルが鼻を鳴らしながら吐き捨てたものには半分同意見だったので、嫉妬の眼差しから逃れるためにそちらへ意識を持っていく。

 こういう時、彼の冷たいとも思える態度がありがたい。

 

「でもよ、意外だったぜ?信一がまさかレオス先生よりグレン先生を応援するなんて」

 

「珍しく意見が合うじゃないか、カッシュ。あんなロクでなし、どこに応援する要素があるんだい?」

 

「う〜ん……まぁ、色々とね」

 

 一応、グレンの良いところを挙げろと言われれば、目玉の数と同じくらいは思い付く。

 それを言って、つまり嘘をついてはぐらかすという手もあるが……友人としてそこは極力誠意を持って受け答えしたい。だが部外者でもあるので、流石に詳しく言う気にもならない。

 そんな心境の下、笑って誤魔化すしかない信一であった。

 

「それよりギイブル。今回の先生の作戦、上手くいくと思う?」

 

「強引に話題を変えてきたな。……そうだね、まぁ僕たちのクラスがボロ負けするってことはないんじゃないか」

 

「そっか。でも勝ちたいんだよね。最悪引き分けまでは持ち越したい」

 

「愛しのお嬢様の為に、か?」

 

「当然」

 

 いつも通りの皮肉気な言葉に即答で返す。つまらなそうにそっぽを向いたギイブルへ微笑み、ハーレイへと視線を向ければ、もう説明は終わっていた。

 

「それでは生徒諸君、健闘を祈る」

 

 そう締めくくられ、生徒各々が各自の担当配置へと向かって行った。

 

「カッシュ、ギイブル。森は任せたよ」

 

「おう!」

 

「ふん」

 

 拳を掲げると、カッシュは力強く、ギイブルは慎ましく、それぞれぶつけてくれた。

 そして信一も、この期に及んで眠り続けるリィエルを猫のように掴んで自分の担当配置へ向かう。

 

 

 

 時間は遡り、二組の教室へ。

 教壇に立つグレンが、多くの図がまとめて描かれている黒板をチョークで叩く。

 

「今回の演習はいわゆる3レーン構造だ。平原を中心に、北西には森、東には丘。どう頑張ってもこの3つのルート以外から進軍はできない。さて、ここで問題だ。この構造上、明らかに平原を突破するのが1番早い。では、この平原を突破する為に抑えなければならない場所はどこだ?」

 

「森ですわ。平原を進軍されても、森を抑えておけば横殴りに攻撃ができます」

 

「正解だ、ウェンディ。なら丘は捨てても問題ないか?」

 

「いえ、丘も重要です。戦場において高所を取るというのは、それだけで大きなアドバンテージとなりますもの」

 

「良い答えだ、テレサ。そのアドバンテージを説明できる奴、いるか?」

 

「上からなら、少し体を出すだけで射線を通せる。逆に、下から見上げる方は的も小さく、少し下がられただけで見えなくなっちまう」

 

「そうだね。さらに加えて言えば、今回の演習場で使われる平原は、本当に隠れる場所がない。ほとんど一方的に撃ち下ろされるだけになります」

 

「その通りだ、カイ、セシル。じゃあまとめるぞ。この3レーンのうち、もっとも重要な場所は?」

 

「全てです。むしろ勝敗の肝は場所ではなく、どこへ、どのタイミングで、どれだけの戦力を送るか。違いますか、先生?」

 

 最後にシスティーナが自信満々に答え、その回答にグレンはニヤリと笑う。

 

「完璧だな、白猫。さすが俺の未来の花嫁だ」

 

「ちょっ…!?それは今関係ないでしょ!」

 

「いやいや、俺は乗るぜ。この逆玉の輿に!」

 

「そんな最低なことを最高のキメ顔で言わないでください‼︎」

 

「ガハッ!痛っ!」

 

 赤面するシスティーナの投げた教科書がグレンの額に当たり、さらに後頭部を黒板にぶつける。

 なんだかんだでいつも通りの光景に、教室には安堵と呆れの入り混じった空気が流れていた。

 

「いてて……話を続けるぞ。まず間違いなく、レオスが率いるクラスは3人1組(スリーマンセル)1戦術単位(ワンユニット)でくる。レオスの研究分野からみて絶対だ」

 

 3人1組(スリーマンセル)1戦術単位(ワンユニット)とは、防衛前衛、攻撃後衛、支援後衛の陣形を指す。

 これは現代の戦場で魔導兵を運用する上で、特に優れた陣形だ。敵兵撃破率、味方損耗率、他あらゆるスコアが統計的に優れている。これらの戦術や戦略は、軍用魔術の研究を専門的に行うレオスにとって、常識だ。

 

「ちなみに、さっき言った『魔術師の戦場に英雄はいない』ってのはここから来てる。いくら一騎当千の強さを持った魔術師1人がいても、そいつと組まされた2人は確実に死ぬからだ。そうなれば、なんの援護も受けられない残った1人も、いつか消耗して終わる。わかったか、ギイブル」

 

「ふん……えぇ、確かにその通りでした」

 

 グレンの述べる理論の有用性と論拠に、ギイブルはふて腐れたように言う。

 

「我を捨てて3人1組(スリーマンセル)を組め…周りと足並みを揃えろって言うんですね」

 

「……は?何言ってんの、お前」

 

 忌々しげだが、それでも素直に納得したギイブルへ、きょとんとした顔を向けるグレン」

 

「お前らに3人1組(スリーマンセル)1戦術単位(ワンユニット)編成なんか無理に決まってんだろ」

 

「はぁ?」

 

「だって、3人1組(スリーマンセル)1戦術単位(ワンユニット)編成なんてプロの魔導兵が長期的に十分な訓練を受けて初めてできるようになる代物だぜ?特に支援後衛の動きときたらもう……。少なくとも、たった数日そこそこで、お前らを使い物になる3人1組(スリーマンセル)1戦術単位(ワンユニット)に仕上げられる自信は俺にはねぇ。……レオスの野郎は知らんがな」

 

「じゃ、じゃあどうしろっていうんですか⁉︎ここまで偉そうに説明しておいて、一体なんなんですか、もう!」

 

 流石にこれには苛立ちを隠せないギイブル、怒声スレスレの声と共にグレンを睨みつける。

 しかし、ここまでは授業の予定通りと言わんばかりに不敵な笑みを返す。

 

「実に単純な話さ。3人1組(スリーマンセル)1戦術単位(ワンユニット)が無理なら———2人1組(エレメント)1戦術単位(ワンユニット)にすればいいだろ?」

 

「はっ!どうやってほとんど同じ実力を持った2人が、3人に勝つって言うんですか!」

 

「さっきも言っただろ?支援後衛は難しいんだぜ?むしろ、無理矢理3人で組まされてる連中よりも、無理なく2人で動けるお前らの方が戦術価値は高いんだ」

 

「ぐっ……」

 

「ついでに言えば、相手のクラスと俺たちのクラスは人数が同じ。だったら3人1組(スリーマンセル)1戦術単位(ワンユニット)の奴らより1.5倍の戦術単位(ユニット)数があることになる」

 

 そこまでの説明を全て黒板にまとめ、最後にもう一度グレンはチョークで叩いた。

 

「———ここに俺たち勝機があるってわけだ」

 

 反論の余地がない。そんな感嘆の空気が二組に流れる。

 それを察したグレンはニヤリと笑い、素早く生徒達を2組に分けて演習場の配置を決めていく。

 

「次、信一とリィエル。お前らは———」

 

 

 

 信一はリィエルと2人きりで、丘の上から【迅雷】で強化した視力を用いて演習場の真逆に位置する森ルートを眺めていた。

 

「ははっ、さすが先生。やる事なす事すべてがド汚い」

 

 そこでは、明らかに人為的な罠に引っ掛かる相手の生徒達がいた。

 どうやらグレンは、あらかじめ演習場に仕掛けていたらしい。

 父親が昔言っていたが、魔術師は魔術罠(マジック・トラップ)には敏感だが、魔術の絡まない罠には面白いほど引っ掛かるらしい。仕事で軽い落とし穴を仕掛けたら、敵の外道魔術師が足を捻挫したらしい。さらにそこをタコ殴りにしたであろうことは想像に難くない———閑話休題。

 

「これはルール的にセーフなのかな……?」

 

 一応、ハーレイなど他の講師が審判役を務めているので、演習を止めていないということはセーフなのだろう。確実に青筋を立てているだろうが。

 しかし、これもクラスの総合力を補う為、さらに言えばシスティーナとレオスが結ばれることを阻止する為。信一は心の中でグレンに礼を言い、同じく森ルートに配置されたルミアとシスティーナのペアに目を向ける。

 システィーナの表情はまるで鬼神のようであった。どうやら魔術師としての誇りを全て便所に捨てたかのようなグレンの所業に腹を立てているようだ。隣にいるルミアが珍しくオロオロしている。

 

「……今日の夕食はルミアさんの好物にしてあげよう」

 

 完全にとばっちりな彼女が可哀想で仕方なかった。

 そんなこんなで夕食の献立を考え始めた信一の袖を、ボケ〜と突っ立っていたリィエルがクイクイと引く。

 

「シンイチ。来た」

 

「ん?あぁ、本当だ」

 

 リィエルが指差す方向から相手クラスの生徒12名、4戦術単位(フォーユニット)がこちらに進軍してくる。

 

 二組の生徒で、丘に配置されたのは信一とリィエルの2人だけ。理由は単純で、この2人は学生用の呪文がほとんど上手く起動できないからだ。

 リィエルは言わずもがな、信一も【迅雷】と刃物を用いた肉弾戦が主体である。【迅雷】の正体が【ショック・ボルト】である以上、ルール的には使用しても問題ないのだが、それをすれば【迅雷】の術理が明るみに出てしまう。それは流石にまずいので、今回はグレン考案の特別な戦法を用意していた。

 

「リィエル。分かってると思うけど、俺達の役割は相手の足止め。わざわざ無理に撃破することはないからね」

 

 どこを見ているのか分からないリィエルにそう言いながら、信一は制服のローブだかケープだかマントだか未だによく分からない部分を外し、構える。

 これには、システィーナに基本三属の呪文に耐性を付与する【トライ・レジスト】を付呪(エンチャント)してもらった。

 今回の演習で戦死扱いを受ける呪文はこれである程度防げる。【スタン・ボール】など、これで対処できないものは頑張って避けるしかないが、十分戦いやすくなった。

 

「じゃあ、よろしく」

 

「ん」

 

 ダッ!瞬時に【フィジカル・ブースト】を自身へかけたリィエルは、恐ろしい速さで相手へと突っ込んでいく。まさに猪だ。

 

「ら、《雷精の紫電よ》!」

 

「…⁉︎《大いなる風よ》!」

 

 さすがは学年で2番目に優秀なクラス。慌てながらも、なんとか呪文を紡いで対応する。

 電気線、突風。最初にリィエルと当たる予定だったものは、

 

「……ん」

 

 当たり前のように避けられる。そのまま一直線に、拳を振りかぶって最前列の男子生徒へ向かうリィエル。ルール上、物理攻撃は禁止だと分かっていても、男子生徒は無表情で暴力を振るおうとしてくる彼女に恐怖を覚え、目を瞑ってしまう。

 

「う、うわぁ⁉︎」

 

「《雷精の紫電よ》」

 

「今……?」

 

 直後、後方から信一の呪文が聞こえ、リィエルは———ピョン!高々と慣性を無視して後方に背面飛び。彼女の背中スレスレを信一の放った【ショック・ボルト】が通過して男子生徒へとヒットした。

 

「ぎゃっ!」

 

 悲鳴を上げ、感電して倒れる男子生徒。1人撃破だ。

 

「こ、この!《白き冬の嵐よ》ッ!」

 

「《雷精の紫電よ!》ッ!」

 

「《雷精の紫電よ!》」

 

 前衛のリィエルを囮にして、その隙に後衛の信一が仕留めるという作戦を察した他の生徒が、今度は信一は向けて呪文を放ってくる。

 しかし、学生用の初等呪文は起動から相手に当たるまで軍用魔術と比べて大きな差がある。素の身体能力でも、最近立て続けに軍用魔術を目の当たりにした信一ならば問題無く対応可能だ。

 

「よっ…と」

 

 右手に持った制服を広げるように翻し、それに呪文を当てて防ぐ。その間に、リィエルがもう一度突っ込んでいった。

 しかし、相手もリィエルが撹乱要員である事は分かっただろう。そもそも、初見殺しに偏った単純な作戦だ。

 ならば———初見殺しを続けようではないか。

 

「こいつも⁉︎」

 

 信一もリィエルに続き走り込んでいく。左右から2人で敵部隊を挟み込む動きだ。

【フィジカル・ブースト】によって身体能力を上げているリィエルに比べて、素の身体能力で走る信一はかなり遅れるが、それも折り込み済み。このタイムラグが、どちらを優先的に迎撃するかという思考の迷いを生ませる。

 

「お、俺はこっちのチビをやる!お前はそっちだ!」

 

「わ、わかった!」

 

「《雷精よ・紫電の・———」

 

「《雷精の紫電よ》ッ!」

 

「———衝撃以て・打ち倒せ》」

 

 迎撃ならば、初等呪文では最大の射程がある【ショック・ボルト】だろうと読み、信一はわざわざ4節で詠唱。当然1節詠唱の相手の方が早く唱え終わるが、真っ直ぐにしか飛ばない【ショック・ボルト】は制服で払って防ぐ。

 そのまま信一も【ショック・ボルト】を迎撃してきた生徒に向けて放つが、それは当たる直前に———()()()()()()

 

「へ?」

 

「あばばばばばばッ!」

 

「よし、大成功」

 

 2度目の初見殺し、成功。リィエルへと意識を向けていた生徒を撃破した。

 これはグレンがまだ非常勤講師だった頃、初めて本気を出した授業で扱った内容だ。それ以降彼の授業は評判になり、他クラスからも聴講する生徒がいたが、これだけはあの時、あの場にいた二組の自分達しか知らない。

 もちろん、1節詠唱で済む呪文をわざわざ4節で唱えてみようなんて思う物好きなどいるはずも無く、この【ショック・ボルト】に対処できる者はいなかったのだ。

 結果、12人中2人を撃破できた。ここらが潮時だろう。

 信一はリィエルへウインクを2回する。これはあらかじめ決めておいた符丁で、『あとは自由に動け』という意味だ。

 

「ん」

 

 だが何を思ったか、リィエルはウインクを返してきた。両目を瞑ってしまい、できてないが。

 彼女は高々と太陽を背負うように飛び上がり、まだ残っている3人1組(スリーマンセル)1戦術単位(ワンユニット)のど真ん中に着地していった。一見自殺行為だが、友軍撃ち(フレンドリー・ファイア)を恐れて生徒の反応が一瞬遅れる。その隙にリィエルは1人の女生徒へ接近。

 

「ひっ!」

 

「えい」

 

 ———パン!怯んだ声を上げる女生徒の目の前で両手を打ってネコ騙し。突然のリィエルの奇行に、女生徒はヘナヘナと腰を抜かしてしまった。

 それが成功すると、心なしか満足した様子で別の生徒へ同じようにネコ騙しをかましにいく。

 まったくもって意味の無い行動だが、どこか楽しそうなのでまぁいいだろう。

 リィエルが謎の遊びをしてくれたおかげで、信一も相手の生徒に手が届くあと一歩の範囲まで接近できた。

 

「いつの間に…⁉︎《雷精の紫電———」

 

「ほら」

 

 ———パンッ!信一は信一で、反射的にこちらへ【ショック・ボルト】放とうとする生徒へ、制服をジャブを打つように扱って音を鳴らす。それに怯んだ隙を突いて、あと一歩を詰めることに成功。

 

「ら、《雷精の紫電よ》ッ!」

 

「し、《白き冬の嵐よ》ッ!」

 

「危な」

 

 この距離はもはや、信一の距離だ。

 まず改めて【ショック・ボルト】を放とうとする、すぐそばの生徒の左手をパシッ。払うようにして、【ホワイト・アウト】で攻撃してきた別の生徒へ向けさせる。

 キャンセル出来なかった【ショック・ボルト】の電気線は左手が指した方向へと飛んで行き、氷風を突っ切って生徒に当たった。

 

「きゃあ!」

 

 悲鳴を上げて感電するが、その生徒の【ホワイト・アウト】は既に起動してしまい、こちらに凍えるような風が吹いてくる。

 それを確認し、信一は制服で【ショック・ボルト】を放った生徒の首に巻き付け、さらに右手を押さえて盾にした。

 

「このっ…《大気の壁よ》ッ!」

 

 しかし、意地でなんとか起動したもっとも基本的な対抗呪文(カウンター・スペル)、【エア・スクリーン】でなんとか氷風を受け止める。

 正直これは予想外だったので、信一は最大限の感謝を相手に伝える。

 

「お、ありがとう。この状態で対抗呪文(カウンター・スペル)起動できるなんて凄いね」

 

「おい、これは反則じゃねぇのか……?」

 

「これ?」

 

 悲しいことに、お礼への返事は憎々しげな声音だった。当たり前だが。

 

「制服で首締めるのだよ」

 

「あれ?苦しい?」

 

「いや、別に苦しくはねぇけど」

 

「じゃあセーフだと思うよ。これはあくまで拘束。禁止されてるのは攻撃だから」

 

「屁理屈言いやがって……」

 

 反則であれば、すぐさま審判役の講師から退場のアナウンスが流れるだろう。それが無いということは、問題ないのだろう。恐らく反則スレスレではあるだろうが。

 残念だが、接近するまでに相手を撃破する為に用意していた初見殺しはネタ切れになってしまったのだ。もう打つて無しである以上、こうするしかない。

 こちらを狙ってくる他の生徒に牽制の為、拘束した生徒を振り回して盾であることをアピールする。

 

「正直卑怯だとは思ってるよ」

 

「だったら離せよ。魔術師の誇りはねぇのかよ」

 

「ごめんね。この演習に限って言えば、俺は誇りとか矜恃とかプライドとか、そういうの捨ててるんだ」

 

 システィーナの———家族の人生が懸かった演習なのだ。その時点で、信一は自分の名誉など捨て去っている。

 大切なのは家族の幸福のみ。レオスがシスティーナを確実に幸せにできる保証が無い以上、自分のやる事など一つしか無い。

 グレンの案で制服に【トライ・レジスト】を掛けて、リィエルを囮にして、【ショック・ボルト】を4節詠唱した場合のバグを使って、相手の魔術の起動を指ごと逸らす荒技をして、最後には人質を取る。

 そこまでやっても12人中3人しか撃破できない。そんな自分が嫌で嫌で仕方ない。結局自分は、暴力でしか物事を解決できないのだ。

 

(それでも…お嬢様が笑顔になれる結末を手に入れられるのなら……)

 

 やっぱり朝比奈信一は自分の名誉などかなぐり捨てて、どこまでも家族愛に狂っていられる。

 






はい、いかがでしたか?結局信一の落ち着くところはそこなんですψ(`∇´)ψ

今回はタイトル通り、ヒロインとの初めての共同作業でした。ほぼしゃべっていませんが(おい)
でも大丈夫です。無言でイチャつきましたから。個人的にリィエルちゃんはウインクできなさそうな印象なんですよね……。


目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

第40話 大好きな彼女

 男子生徒を拘束してる間、信一は何もできない。

 そう察した他の生徒達は、もしもの警戒要員として2人残し、他はリィエルだけを狙い出していた。

 

「このっ!」

 

「当たれ! 当たれっての!」

 

「……シンイチ。ずっとこのまま?」

 

「うん。そのままでお願い」

 

 激しく動き回り、長く青い髪が尾を引く中、リィエルに呪文が当たる気配は一切無い。グレンの作戦通りだ。

 しかし、この状況は恐らく既にレオスへと伝わっている。ならば、そろそろ丘を陣取る為に援軍か、もしくはこの部隊が撤退することも視野に入れなければならない。

 

(というと…揺さぶりが必要かな?)

 

 自分達の役目は丘を陣取りに来た部隊の足止め。ここでこの生徒達を退かせ、別の場所に援軍に行かせてはまずい。

 そう考えた信一は、拘束してる男子生徒へ提案する。

 

「ねぇ、君達の中で通信の魔導器を与えられてるのって誰?」

 

「あ? そんな事聞いてどうするんだよ」

 

「いや、そっちの指揮官とお話したくてさ。別に敵の指揮官としゃべる事はルール違反じゃないでしょ?」

 

「それをして、俺達になんのメリットがあるってんだ」

 

「う〜ん……じゃあ話が終わるまで待ってくれたら———丘を渡してあげる。それならいい?」

 

「っ⁉︎……嘘じゃねぇだろうな?」

 

「もちろん」

 

 一瞬悩む間を空けて、男子生徒は必死にリィエルを攻撃している1人に声を掛けた。

 

「おい、リト! こいつにレオス先生と繋がってる通信の魔導器を貸してやってくれ!」

 

「はぁ⁉︎なんで?」

 

「話終わったら、この丘を渡してくれるってよ」

 

「……本当なのか?」

 

「うん。本当だよー!」

 

 リトと呼ばれた男子生徒の声に、信一は大声で答える。拘束されてる男子生徒がうるさそうに顔を顰めてくるが、構うものか。

 リトも、このままリィエルを狙い続けても埒が明かないことは目に見えていた。ならば、ここは信一の交渉に乗るのもアリかと判断してしまう。

 

「わかった。ただし、変な素振りを見せたらすぐに呪文を撃ち込むからな?」

 

「どうぞご自由に」

 

 にこやかに答えると、少し迷いながらもリトが通信の魔導器を渡してくれた。信一は男子生徒の拘束は解かず、彼の肩に魔導器を乗せて起動。

 数秒の間を置いて、レオスの声が返ってくる。

 

『どうしましたか、リトくん。丘の制圧は完了しましたか?』

 

「こんにちは、レオス様。こちらの声、聞こえますね?」

 

『その声…まさか信一くんですか⁉︎何故君がその魔導器を持っているのです?』

 

「まぁ、ちょっとした交渉です。少し俺とお喋りしてくれませんか?」

 

『何をふざけたことを…コホン。いいですか、信一くん。今は演習中です。いくら私達が知己の間柄でも、時と場合を考えるべきですよ』

 

 一瞬怒りを滲ませながらも、優しい口調でレオスが諭してくる。そんな予想通りの返しに、信一はニヤリと笑う。

 

(———かかった)

 

 そう。レオスにとって、信一はシスティーナに1番近い存在だ。下手に嫌われるような行動は極力避けたいはず。少なくとも、システィーナとの婚約を望む今の彼に、信一の存在は無視できない程の影響力がある。

 ———今はそこを突く。

 

「申し訳ありません。ですが、どうしてもレオス様に提案したい事がありまして」

 

『提案……ですか?』

 

「はい。聞き入れてもらえますか?」

 

『内容を聞かないまま承諾はできません。どのようなものでしょう?』

 

「簡単なものですよ。この演習、もしもレオス様が勝利しても———システィーナお嬢様を花嫁にするのは無しにしていただきたいのです」

 

 信一の言葉に、魔導器の向こう側でレオスが息を呑む気配を悟る。あまりにも馬鹿げていると思ったのだろう。

 だが、信一は察しの悪い愚か者の演技を続ける。

 

「もし聞き入れてもらえるなら、この丘を無条件でそちらにお渡ししましょう。なんなら、丘を守っている二組の俺達を『戦死』扱いにしても構いませ……」

 

『何を馬鹿な!』

 

 普段の彼からは想像できない程の荒々しい声が信一の言葉を遮る。

 

『信一くん、いくら君でも冗談が過ぎます! 「丘を渡すからシスティーナとの婚約は無しにしろ」ですって? そんなあべこべな提案を聞き入れるわけがないでしょう!』

 

「…………」

 

『私はなんとしても彼女と婚約を果たし、幸せな家庭を築きます。絶対に!』

 

 ふと、信一はどこか違和感を覚える。なんだこの執念は。まるで、システィーナと婚約することが目的のようだ。

 いや、正確には『婚約()()』と言うべきか。

 言い分だけを聞けば、レオスはシスティーナを心から愛し、誰にも渡したくないというものだろう。しかし、いつも温和だったレオスからは想像もできない激昂に、拭いきれない違和感が鎌首をもたげている。

 

『何故わかってくれないのです! 何故君は……君も、あんなロクでもない最低な(グレン)の味方をするのですか⁉︎』

 

「……。俺はグレン先生の味方なんてしていませんよ」

 

『同じ事です! 私の邪魔をするという事は、グレン先生の味方をする事でしょう!』

 

 おかしい。一見、レオスの言葉は筋が通っている。

 確かに信一は現状、システィーナとレオスを婚約させないという意味ではグレンの味方とも言えるだろう。

 だが、レオスの言葉の端々から聞いて取れる感情的な部分には、どこか致命的な破綻が感じられる。

 表現することが絶妙に難しい。それでも敢えて表現するならば、『らしくない』と言うべきか。

 

「では、交渉決裂ということですね」

 

『当然です。あまりに馬鹿馬鹿しい提案でした』

 

「そうですね。確かに言われてみればそうです。大変な無礼を働き、申し訳ございません」

 

『……いえ。私も感情的になって怒鳴ってしまったことを謝罪します』

 

 冷静な声色。まるで先程までの激情が嘘のようだ。しかし、ヒステリックと呼ぶには明らかに婚約への執着が度を過ぎていた。

 ……とはいえ、信一の目的は果たした。どちらかと言えば、信一は交渉の内容は『叶うなら』程度のものでしかなかった。

 本来の目的は交渉すること———最初に言った()()()だ。レオスと自分が交渉している間、敵軍は指揮官へと指示を仰いでも返ってくることがない。ごく短時間ではあったが、それもグレンならば有効に活用してくれただろう。

 信一は通信の魔導器をリトに投げ返し、拘束していた男子生徒を解放する。

 

「へへっ。もしかしたら約束を破るんじゃないかと思ったぜ」

 

「そんな事はしないよ。俺さ、嘘は嫌いなんだ」

 

「はっ! よく言うぜ」

 

 拘束していた男子生徒は首を回し、肩をほぐしてから左手を信一に向けてくる。それなりに長い時間拘束したので、その仕返しに自分を打つつもりなのだろう。その様子に、仕方がないと肩をすくめる。

 

「あ、でも1つだけ言い残していいかな?」

 

「なんだよ」

 

「リィエル、作戦続行! 適度に攻性呪文(アサルト・スペル)を撃ちながらここで時間を稼ぎ続けて!」

 

「ん、了解」

 

「この野郎ッ⁉︎」

 

 あまりにも鮮やかな掌返しに、男子生徒が目を剥いた。

 確かに信一は嘘が嫌いだ。でも、先ほど自分は宣言している。『誇りとか矜恃とかプライドとか、そんなものは捨てている』と。

 だからこそ、そんな嫌いという感情も捨て去ることができる。

 

「《雷精の紫電よ》!』

 

 そうしてこの演習中本当にやる事が無くなった信一はしたり顔を浮かべ、男子生徒の【ショック・ボルト】を受けて『戦死』となった。

 

 

 

 結果から言ってしまえば、最終的に演習は泥仕合と化し、両陣営の戦力損耗率が80%を超えたことで引き分けに終わった。

 そして、参加生徒一同は湖のほとりに再び集う。そこでは、最後まで生き残った二組の仲間達が待っていた。その中にはカッシュやギイブル、リィエル、当然ながらシスティーナとルミアもいる。

 リィエルと何やらおしゃべりしていたルミアが、こちらに気付いて天使の微笑みと共に手を振ってくれていた。

 

「お疲れ様です、ルミアさん。お怪我はありませんか?」

 

「お疲れ様。システィが守ってくれたから大丈夫だよ。シンくんこそ、『戦死』しちゃったみたいだけど……」

 

「あはは…面目ない。なんとか頑張ったんですけどね。【ショック・ボルト】には慣れているので、脱落した後に休んだらすぐに回復しましたよ」

 

「そっか。それなら良かった」

 

 心からの安堵を浮かべた彼女の笑顔に、心が洗われる信一であった。

 そのまま、ルミアと共に戦っていたシスティーナに視線を移す。彼女は不機嫌丸出しで腕を組み、そっぽを向いていた。

 その雰囲気に話しかけるのも憚られ、信一はルミアの耳元に口を寄せる。

 

「……お嬢様は何かあったんですか? なんというか…話しかけるなオーラが凄まじいのですが」

 

「……グレン先生がね、あまりにも卑怯な手を使うから、それでご機嫌斜めみたい。しかもほら、逆玉の輿を連呼するから」

 

「なるほど」

 

 確かに年頃の少女としては、自分ではなく家柄が目当てであると大っぴらに言われるのは屈辱だろう。しかも、システィーナ自身が自分のグレンに対する想いを自覚できていないのだ。

 周囲から見れば憧れる展開でも、当人にとってはたまったものではない。

 信一がどうフォローしようかと頭を悩ませ始めたその時、怒声によってその思考は中断された。

 

「貴方達ッ! なんなんですかその体たらくはッ!」

 

 レオスだ。彼が自分の陣営を激しく叱りつけている。

 

「あの無様な戦いはなんですか⁉︎貴方達が、もっと私の指示にきちんと従い、作戦行動を遂行していれば———」

 

「で、ですが、途中でレオス先生からの指示がなくなって……」

 

「黙りなさい!」

 

 レオスの剣幕に、生徒達はしゅんと可哀想なくらい萎縮している。

 よく見ると、リトと拘束していた男子生徒が信一を睨みつけていた。まぁ、アレは作戦だったので罪悪感など微塵も感じないのだが。

 とはいえ、今までの超然とした雰囲気のレオスしか見ていなかった生徒は、失望の色を称えた目を彼に向けていた。ボソボソとレオスへの評価を改める声が上がる。

 そして、ひとしきり自分達の生徒を怒鳴りつけ終わったレオスはずかずかとこちらへやって来た。

 

「おい、筋が違うんじゃねーか? 兵隊の失態は指揮官の責だろ?」

 

「うるさい。貴方ごときが私に意見するなッ!」

 

「それに、アンタ…よく見れば随分と顔色が悪いな? ……風邪か? さっさと帰って寝たほうがいいんじゃね?」

 

 確かにグレンの指摘通り、レオスの顔は病気を疑うレベルの土気色となっていたが、それでも眉を吊り上げて、

 

「誰のせいだと思っているんですか⁉︎そんなことはどうでもいいんです! それよりも、勝負はまだついていませんよ!」

 

 グレンへと食らいついていく。

 

「いや…勝負がついてねぇって、……もう引き分けたろ? これはお互い、白猫から身を引くってことでいいんじゃねーか? ほら、白猫もまだ結婚する気はねーみてーだし……」

 

 もうこの話は終わり。そう伝えようする彼の胸に、レオスは手袋を叩きつけた。

 

「再戦ですッ! 今度は、私が貴方に決闘を申し込む! 引き分けなんてあり得ない……システィーナに魔導考古学を諦めさせ、必ず私の妻とするんです!」

 

「……オーケー、いいぜ。なんだかんだ逆玉は魅力的だしな。なら、今度の決闘は……」

 

「レオス! 先生! もうやめてッ! いい加減にしてよッ!」

 

 再戦を受けようとするグレンの言葉を遮って、システィーナが声を上げた。

 

「黙ってれば、2人で勝手に盛り上がって、人を物みたいに扱って———」

 

「すみません、システィーナ。その件については心から謝ります。ですが……」

 

「……色々言いたいことはあるけど、レオスはまだいいわ。一応、レオスなりに私のことを考えてのことだし……。でも、先生は一体なんなんですか! 逆玉の輿、逆玉の輿って言って、あんな卑怯な戦い方までして……それでもし先生が勝っても、先生の求婚を私が受けると本気で思う⁉︎」

 

「…………」

 

 ついに爆発したシスティーナの激情から溢れる慟哭に、しかしグレンは無言の半目を向けるだけ。そしてついには無視して———

 

「……今度は一対一で勝負だ、レオス。日時は明日の放課後、場所は学院の中庭。ルールは致死性の魔術は禁止で、それ以外の全手段を解禁。これで、決着をつける。———へっ、これで一生遊んで暮らせるぜ!」

 

 レオスの手袋を拾い上げ、投げ返してそう言った。

 瞬間———ぱぁん! 甲高い音が周囲に響き渡る。システィーナの平手打ちがグレンの頬を鳴らしたのだ。

 

「———嫌いよ、貴方なんか」

 

 冷たくそれだけ言い残し、彼女は帰還用の駅馬車へと走り去ってしまう。

 

「システィ⁉︎ちょっと待って!」

 

「システィーナ、すごく怒ってる……なんで?」

 

 ルミアとリィエルも、システィーナの後を追って駅馬車へと向かっていった。

 そんな少女達を見送ったレオスがグレンへと嘲笑を向け、自分の担当クラスへと歩き去っていく。

 なんとも気まずい雰囲気だけが、残された二組の生徒達へと蔓延していた。それを払拭するように、努めて明るい声でグレンは声をかける。

 

「さ、本日の魔導戦術演習はこれにて終了! お疲れさん! 撤収だ、お前ら」

 

 お疲れさんお疲れさんと、生徒達の肩を叩いて駅馬車へ促すグレン。後味の悪い表情を浮かべながら駅馬車へとぞろぞろ生徒達は向かっていく。

 

「お疲れさん、信一」

 

 敢えて最後尾になった信一にも、みんなと同じように肩を叩いて送り出すグレンへ、足を止めて向き直る。

 正直なところ、ぶん殴ってやりたい気持ちでいっぱいだ。それでも、グッと堪えて一言だけ絞り出した。

 

「いくらなんでもやり過ぎでは?」

 

「……なんの事だ?」

 

 あくまで惚けるグレン。

 信一も、さすがにグレンの言動には我慢の限界であった。会ったばかりならば、それこそ殺していただろう。

 それでも堪えていられるのは、彼がただの悪意だけで生徒を傷付けるような人間ではないという信頼があるからだ。学院に赴任したばかりの、非常勤だった頃とは違う。彼が不器用ながら、それでも自分達の教師であろうと、生徒を命懸けで守ろうとするお人好しだと知っているからだ。

 しかしそれでも、先程の発言は許容できる範囲を超えている。

 

「先生がお嬢様をただ悲しませる為だけに、ああいった事を言っているとは思っていません。ですが、それでも言い方というものがあるのではないですか?」

 

「………………」

 

「先生のことは信頼しています。信用もしています。俺の家族を何度も守ってくれた事に感謝もしています。でも、お嬢様にあんな表情(かお)をさせる必要までありましたか?」

 

 ポタポタと、信一の強く握り込んだ拳からは血が垂れていた。努めて冷静に言葉を紡いでいるが、これでも必死に感情を抑えているのだ。

 

「……白猫には悪いと思ってるよ」

 

「それだけ分かっていれば十分です。以後気を付けてください」

 

 それだけ言い残し、信一も駅馬車へと向かって行く。

 

 

 

 

 コトッ、と。フィーベル家のダイニングテーブルにティーカップが載せられる。

 ソファには、信一とルミアが並んで座っていた。

 

「申し訳ありません、ルミアさん。馬車の中では助かりました」

 

「ううん。だってシンくん、システィに強く言えないでしょ?」

 

「えぇ、まぁ……。えっと…ルミアさんと差別してるわけではないんですよ?」

 

「わかってるよ。私にも強く言わないもんね」

 

 演習場から学院に帰る馬車の中で、ルミアはシスティーナを諭してくれた。

 グレンがどんな人間か。グレンがレオスへと決闘をふっかけた経緯。そして、グレンとちゃんと話してみようという提案。

 信一には、そんな事できない。もしちゃんと話し合った結果、さらにシスティーナが傷付くことになったら。そんなゼロにも等しい可能性に怯えて、ならばグレンとの縁など切ってしまえばいいと言うだろう。

 だが、ルミアは違う。時には厳しいと思える事でも、相手のことを想って言える心優しい少女だ。

 そんなルミアの言葉が効いたらしく、今頃システィーナはグレンと話し合っていることだろう。

 

「あの場では言いませんでしたが、先生もお嬢様には悪い事をした自覚があったようです。きっと話し合いも上手くいくでしょう」

 

「あれ? どうして言わなかったの?」

 

「………………」

 

「どうしてなのかな〜? シンくん?」

 

 無言で目を逸らすと、ルミアが楽しそうに顔を寄せ、頬をツンツンと突いてくる。

 恐らく、自分の感情もお見通しなのだろう。

 

「……分かっているのに聞くんですか?」

 

「言わないと分からないよ〜」

 

「むぅ……」

 

 言葉を詰まらせる信一の頬を、さらにムニっと摘むルミア。見なくても分かる。彼女は小悪魔的な笑みを浮かべているに違いない。

 

「……お嬢様を取られるかもしれないって、そう思ってしまう自分がいます」

 

「ほっぺ赤くなってるよ」

 

「ルミアさんが摘むからです」

 

 絶対違うと分かっているが、わざわざその理由まで聞くほどルミアも鬼ではない。

 クスクスと笑い、距離を取ろうとソファの上をスライドした信一へ肩がくっつくほど詰め寄る。

 

「シンくんってさ、そういうところ本当に可愛いよね」

 

「いつも可愛いルミアさんに言われたくないです」

 

「ありがと♪」

 

 このままからかい倒される未来しか見えない信一であった。

 だって仕方ないではないか。5年前、母親を殺し、妹を昏睡状態に追い込んで自暴自棄になっていた自分を引っ張ってくれたのがシスティーナなのだ。あの時自分の手を引いてくれたシスティーナの後ろ姿は、今なお色褪せることがない。いや、恐らく一生色褪せるなんてことはありえない。

 そんな信一にとって、人生の指針のような彼女が誰かの下へと行ってしまう。それを想像するだけで、枕が川に投げ込んだようにびしょ濡れになる自信がある。なんならこれまでに何度かなった。

 

「本当に大好きなんだね」

 

「そうですね。めちゃくちゃ大好きです。お嬢様には内緒ですよ?」

 

「たぶんもうバレてるよ」

 

「バレてるなら仕方ないですね。お嬢様にも俺を大好きになってもらいましょう」

 

 もはやからかい倒される未来しか見えないので、もう雑にまとめることにした。今更、こんな分かり切ったことを議論する必要はない。

 信一は自分のお茶を飲み干し、ソファから立ち上がる。

 

「さっ! お嬢様が帰ってくる前に夕食の支度を済ませてしまいますね。今日はルミアさんの好物を作りますよ」  

 

「やった! 私も手伝うよ」

 

「味見をお願いします」

 

 間髪入れずに言い放たれ、ルミアは頬をぷくっと膨らます。しかしそれも一瞬。楽しそうに信一の後ろへ続き、2人はキッチンに向かうのであった。

 

 

 

 そして———帰宅したシスティーナはレオス=クライトスと結婚することを宣言した。

 悲嘆と恐怖を笑顔の下に忍ばせて。







はい、いかがでしたか?少し駆け足気味になってしまいましたね。
ヒロインよりルミアちゃんとの会話が多かった。
わりと今回は信一のグレンに対する信頼が感じ取れる話だったと思います。もしグレン以外が同じ事をしていたら、ぶっ殺ぶっ殺♪

次回は信一がフィーベル家に来てすぐのお話です。お楽しみに。


目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

第41話 フィーベル家の昔日 前編

だいぶ暗い雰囲気のお話になってしまいました。


「私……レオスと結婚するわ」

 

 帰宅して第一声に、システィーナはそう告げた。

 出迎えた信一とルミアは、先ほどまでの和気藹々と料理していたことも忘れ、硬直するしかない。

 先に我に帰ったのは、ルミアであった。

 

「ちょ、ちょっと待ってよシスティ!」

 

 夕食を断り、自室へ帰ろうとするシスティーナの肩を掴んで、無理矢理こちらへと振り向かせた。普段の彼女からは想像もできない乱暴な動きに呆気に取られた信一だが、そんな事は構わずルミアはシスティーナへ問い質す。

 

 一体何があったのか。本気なのか。話が急すぎる。両親に黙って結婚を決めるのはおかしい。祖父との約束や、システィーナ自身の夢はどうなるのか。学院はどうする。

 何度も平行線の口論が夜中まで続く。だが、結局システィーナは最後までレオスとの結婚を覆すことはなかった。

 しかし、その口論の中で分かったこともある。まず先刻、確かにシスティーナはグレンと和解するために話し合ったこと。そこにレオスがやってきたこと。そして、その場で確かに何かがあったこと。

 

「うるさいわね! 私のことは放っておいて! 別にいいでしょ⁉︎私、レオスのことずっと昔からすきだったんだから! レオスのお嫁さんになるのが私の子どもの頃からの夢だったの!」

 

 バッ! と。システィーナは逃すまいと肩に置かれたルミアの腕を振り払い、ついに自室へと走り去ってしまった。

 

「システィ……」

 

 深い悲しみと涙を溜めた目でその後ろ姿を見送るルミア。たまらず、信一の胸にしがみつく。

 

「おかしいよ…絶対おかしいよ! システィがレオス先生と結婚を決めるはずない! だってシスティは———」

 

「———えぇ。俺の目から見ても、そうだと思います」

 

「どうしよう…このままだとシスティと離れ離れになっちゃうよ! そんなの嫌だよぉ……」

 

 レオスと結婚することで訪れるフィーベル邸の未来を想像して、ルミアは肩を震わせる。彼女が泣いていることは、胸元が濡れるよりも早く理解できた。

 ……不甲斐ない。信一はただその一言を心の中で自分に浴びせかけ、ルミアを抱き締める。もし許されるのなら、腹を切って死にたいくらいだ。

 

「……もう、先生に頼るしかない……!」

 

「ルミアさん!」

 

 ルミアが胸から離れ、フィーベル邸を飛び出していった。あまりに唐突な行動と、深淵よりも深い自己嫌悪に陥っていた信一は反応が遅れ、声を上げることしかできない。

 向かう先は、恐らくグレンの住むアルフォネア邸だろう。

 信一は自身の頭が急速に冷えていることに気付いていた。もはや、怒りなどとうに通り越している。

 

「貴方は…いや、アンタは変わったんだね」

 

 ルミアを泣かせた。システィーナに、絶対にありえない選択を無理強いした。

 ただただ、信一の胸の内にはドス黒い感情が溢れる。もはやこの家族愛という名の狂気を留める方法は1つしかない。

 

「レオス=クライトス……アンタは生きていちゃいけないよ」

 

 フィーベル邸のエントランスに、信一の静かな怨嗟が響き渡った。

 そして思い出す。5年前、どこまでも眩しい、自身の道標となったシスティーナの笑顔を。

 

 

 

 

 ここまでどうやって来たのか。10歳の信一にはうまく思い出せない。彼の頭にあるのは、母親を殺めた罪悪感と喪失感。

 あれから何日経ったのかわからないが、それでも手には母親の首を斬り飛ばした感触が鮮明に残っている。

 

「先生。受け入れてくださり、本当にありがとうございます」

 

 ふと、父親の声に顔を上げる。目の前には豪邸が佇ずみ、その玄関前に自分は父親と手を繋いで立っている。

 そして、自分達の前に4人の人物が並んでいた。父親と同年代か、少し年上の男性。おそらくその男性の妻である女性。車椅子に乗った老人。そして、その車椅子の老人にくっついている長い銀髪の少女。

 誰だろうか。どうやら父親の知り合いのようだが。

 

「いや、気にすることはない。卒業から何年経とうと、君は私の生徒だ。久しぶりに連絡を寄越してきた生徒の頼みを断るほど、薄情になったつもりはない。それに…事情が事情ではあるしな」

 

「そう言って貰えると助かります」

 

「でも零、貴方こそいいの? もう少し傍にいてあげた方がいいんじゃない?」

 

「すまない、フィリアナ。でも仕事が立て込んでてな……」

 

「……そう。なんとなく、貴方の気持ちは分かったわ。だけど、整理がついたら会いに来てあげてね。できるだけ早く」

 

「あぁ……そのつもりだよ」

 

 なにやら難しい話をしているようだ。子どもの自分にはよく分からない。別にどうでもいいことだ。

 また俯くと、父親の手が離される。まるで父親まで居なくなってしまうのではないかと恐怖が鎌首をもたげ、思わず腰にしがみついた。

 

「……信一、ごめんな。もう父さんは行かないといけないんだ」

 

「イヤだ! 行かないで!」

 

「大丈夫だ。今日からは、この人達がお前の家族になってくれる。お前は1人じゃないし、信夏(しんか)ももうこの屋敷に来てる」

 

 妹の名前が出て、屋敷に目を向ける。あの日、妹は母親が首を撥ねられた瞬間悲鳴を上げて気絶してしまった。それからどこかの病院に運ばれたと聞いていたが、既にここに来ていたのか。

 すると、屋敷を見ていた信一の目線に合わせるように、父親がフィリアナと呼んでいた女性がしゃがみ込む。そして、おもむろに抱き締められた。

 

「辛い想いをたくさんしたのね。大丈夫。私達は、決して貴方と貴方の妹を傷つけるようなことはしないわ」

 

 そのまま数回頭を撫でられる。敵意は一切感じられないが、だからと言ってどう反応すればいいのかわからなかった。

 

「すみません。息子と娘を、どうかお願いします」

 

 横で父親が頭を下げる気配を感じ取り、振り向く。既に父親はこの屋敷の門へと向かって歩いていた。

 

「イヤだ! 父さん! 父さん!!」

 

 走り寄ろうとするが、女性に抱き締められて手を伸ばすことしかできない。それでも必死に声を上げるが、ついに父親は1度も振り向かずに行ってしまった。

 

「父さん……父さん…イヤだよぉ……」

 

 涙を止め処なく流して、信一はその場にへたれ込む。自分を抱き留めていた女性の悲痛な表情が一瞬だけ視界に映ったが、そんなものを気にしている余裕はなかった。

 

 ……捨てられた。その最悪とも言える想像が、不思議と信一の胸には落ち着いた。普通に考えれば当たり前だ。自分は母親を殺したのだから。

 

 嗚咽を漏らし続ける信一の前に、今度は『先生』と呼ばれていた男性がしゃがみ込んで目線を合わせてきた。

 

「信一くん、まずは中に入ろうか。少しお話しをしよう」

 

「…………」

 

 もう、全てがどうでもいい。母親を殺し、父親には捨てられた。先に屋敷に着いているという妹にも、どうせ嫌われている。

 父親はこの人達が家族になってくれると言ったが、自分の本当の家族はいなくなってしまった。もう1人ぼっちだ。

 

「システィ、彼と手を繋いであげなさい」

 

「うん、お祖父様!」

 

 突如、車椅子の老人が銀髪の少女へと声をかけた。どうやら少女は老人の事が大好きらしく、素直に自分の手を取ってくる。

 もはや振り払う気も起きず、おとなしく少女に手を取られて信一は屋敷へと入っていく。

 

「今から君の妹さんの部屋に行く。おそらく君にとって辛い現実を見ることになるだろうが、どうか落ち着いて受け入れてほしい」

 

「…………」

 

「ねぇ、お父様がお話してるのよ? 返事くらいしたらどうなの?」

 

「いいんだ、システィ」

 

 少女だけは事情を聞かされていないらしい。見たところ、同年代のようだ。

 そのまま廊下を歩き、ある個室の前へと辿り着く。

 

「父上。少しだけシスティの相手を頼めますか?」

 

「あぁ。おいで、システィ」

 

「はい!」

 

 少女はあっさりと手を離し、老人の車椅子を押す位置へと駆けて行く。そして明らかに身長が足りないにも関わらず、四苦八苦しつつも楽しそうに老人と会話しながら廊下の先へと消えていった。

 それを確認した男性は、個室の扉へと手を掛けた。

 

「しつこいようだが、どうか取り乱さないでほしい」

 

 扉が開かれ、まず目に入ったのは御伽話に出てくるような天蓋付きのベッドであった。

 そこに、あの日以来離れ離れとなっていた妹が寝かされている。

 

「信夏……っ!」

 

 妹の顔を見た信一は、弾かれるように駆け寄った。質の良い布団が載せられた胸は、規則正しく上下している。彼女の口からは、心地良さそうな寝息が聞こえている。

 1週間は経っていないだろうが、それでも信一は妹の無事が確認できたことに安堵の涙を流していた。

 

「良かった…。信夏、起きて。お兄ちゃんだよ」

 

 正直眠っているところを無理やり起こすのは気が引けたが、それよりもなにより声が聞きたかった。あの田舎町で聞いていた、信一の日常の象徴とも言える妹の声が。

 逸る気持ちもそのままに、何度も妹の体を揺するが、何故か起きる気配が無い。いつもならすぐに飛び起きるというのに。

 徐々に揺する手に力が入る。ギシギシと、ベッドの脚が軋む音だけが空々しく個室に響く。

 

「信一くん」

 

「……ん…っ」

 

 揺する手に、女性が手を重ねて強制的に止められた。そしてまたもや抱き締められる。

 

「単刀直入に言う———君の妹は昏睡状態だ。ここに来て1度も目を覚ましていない」

 

「……へ……?」

 

「医者が言うには、どうやら心因性のショックが引き金とのことらしい。いつ目が覚めるかもわからないとも言われたよ」

 

 まるで足元から床が崩れたかのようだった。

 ベッドに寝かされている妹以外の全てが暗闇に覆われる錯覚に陥る。

 それでも頭だけはしっかり機能していて、男性の言葉がどうしようもなく理解できてしまう。

 

「あぁ…、ああぁぁぁ……っ!!」

 

 もはやただ叫ぶことしか出来ない。

 

「なんでよ…っ! 何も悪い事なんてしてないじゃないか…ただ…普通に暮らしてただけなのに……なんで…なんでよぉ……」

 

 口から吐き出される慟哭。喉がはち切れそうなくらい痛い。それでも叫ぶ。叫ぶ。叫ぶ。このどうしようもない理不尽に、論理など一切通じない不条理に、そして変えようもない現実に、意味も無く抵抗していた。

 共にいた2人は耳を塞ぐことなく、悲痛な面持ちで信一から目を逸らす。娘と同い年のこの少年が晒されている現状は、あまりにも残酷だ。女性は抱き締める手に力を込め、男性も挟み込むように腕を背中へ回す。

 

「フィーベル家が責任を持って君の妹の面倒を見る。外科的にも魔術的にも、万全で最上のケアをすると約束する」

 

「私達が守るわ。もう、貴方にこんな想いをさせない」

 

 しかし2人のそんな優しい言葉は、信一の心に響くことなく残響となるだけであった。

 

 

 

 

 扉をノックする音に、蹲って床に向けていた目をほんの少し上げる。

 

「ねぇ、入るよ。……あっ、やっぱりまた食べてない」

 

 こちらの返事を待たず、銀髪の少女が扉を開けて無遠慮に入ってきて顔を顰めていた。

 

 信一がフィーベル家に来て3日が経過した。

 その間ずっと、与えられた部屋か妹の寝室で食事もしないで蹲っているばかりだ。自己嫌悪、喪失感、罪悪感。その他多くのマイナス感情が頭の中で渦を巻き、とても何か行動を起こす気になれない。

 一応最初に出された食事は口にしたが、それが苺のジャムを塗った丸いスコーンだったのが悪かった。床を転がる母親の生首が脳裏を過り、戻してしまったのだ。それ以降、食事にすら忌避感が湧くようになった。

 

「う〜ん…1つくらい食べたら? お母様のお料理、とっても美味しいのよ」

 

「…………」

 

「ちゃんと食べないと大きくなれないって、お祖父様も言ってたもの」

 

「…………」

 

「ほら。プディング美味しいよ?」

 

 出された物の中で、これなら食べやすいだろうと選んだプディングをスプーンで一口掬い、口元に持ってこられた。

 どうも、この銀髪の少女はお節介な性格らしい。毎回無視をしているのにも関わらず、自分の所に訪れる度話しかけてくる。

 冷めてもなお香ばしいミルクとバターの香りが鼻腔を満たす。少女の言葉通りならば、これは自分がこの屋敷に来てから2度も抱き締めてきた女性の手作りらしい。食べても良いが、恐らく自分はまた戻してしまうだろう。

 食べ物を無駄にするな、とはよく母親に言われていた。自分が口を付けていなければ誰か別の人が食べてくれるに違いない。少なくとも、吐瀉物に変えるよりずっと良い。

 

「…………」

 

 そう結論づけ、信一はまた無視をする。

 どうせこの少女も、自身の屋敷に来た異国の少年が珍しくて構っているだけだ。無視し続ければそのうち飽きるだろう。

 

「むぅ……。いらないならそう言えばいいのに」

 

 1分ほど待っても食べる気配を見せない信一に少女はため息を吐き、お盆を持って部屋を出て行ってくれた。

 少し悪い気はしたが、今はそれよりも自分を許せない気持ちに押し潰されている。母親を殺し、妹を昏睡状態に追い込み、父親に捨てられた。

 それは全て自分が原因だ。自分が1人ぼっちになったのは、あの時何も行動を起こさずもたついていたからだ。もっと別の良いやり方があったはずだ。

 

(ハァ……このまま死ねたら良いのに)

 

 3日間、水しか飲んでいない。確か水すら飲まなければ人は3日で死ぬのだったか。

 それを思い出し、信一は水を飲むことすらやめた。








はい、いかがでしたか?シリアス全開のお話ですが、5巻は色々な意味で1つの区切りなので入れました。
信一がシスティーナ大好きな理由が次の話で明かされます。まぁ、大体予想はつくと思いますが(苦笑)


目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

第42話 フィーベル家の昔日 後編

ずっと書きたかった場面が書けて嬉しいのです。


 信一がフィーベル家に預けられて1ヶ月が経過した。

 その間、彼の問題行動は10を超えている。それについてフィーベル家現当主、レナード=フィーベルは、父と妻————レドルフとフィリアナの2人と顔を突き合わせて頭を抱えていた。

 

「まさか()()しようとするなんて……」

 

「餓死、リストカットによる出血死、睡眠薬の過剰摂取……全て未遂にこそ終わってるけど、もしシスティが気付かなかったら今頃どうなっていたか……」

 

 そう。信一はここに来て1ヶ月、10回を超えるほどの自殺未遂を行なっていた。

 その度に食事を届けに来たシスティーナが悲鳴を上げ、レナードとフィリアナ、時にはレドルフが応急処置や法医呪文(ヒーラー・スペル)でなんとか未遂に終わらせているとも言える。

 

「やはり精神医にも診せるべきか……。いやしかし、未だ慣れない環境の中で下手に刺激するのは逆効果になるかもしれないな」

 

 魔術の名家に生まれ、現在は魔導省の高級官僚にまで上り詰めたレナードだが、そんな立場や権力はこの問題を解決する事になんの役にも立たない。そんな自分の無力さに、頭を抱えたくなった。

 どうにかしなければ。時間で解決するなど論外だ。仮に解決したとしても、これまで通り自殺未遂を繰り返せば、その頃には信一の体はボロボロになってしまう。いや、もしかしたら自分達の手が間に合わず、そのまま死んでしまう可能性だってある。

 

「父上。何か良い案はありませんか? さすがにこれ以上は見過ごせない」

 

 妙案が浮かばず、縋るような気持ちでレナードはレドルフへと目を向ける。

 彼は窓の外を見て、目を細めていた。その視線の先には、庭で蹲る信一と、彼にずっと話し掛けているシスティーナの姿がある。

 

「大丈夫。きっとあの子がなんとかしてくれる」

 

「そんな悠長な!」

 

 レナードがあまりに呑気な回答に声を荒らげるが、レドルフは穏やかな声音で続ける。

 

「儂ではなく、お前(レナード)でもなく、フィリアナ君でもない。システィが信一くんを立ち直らせる。老いぼれの勘だが、なんとなくそんな気がするんじゃよ」

 

 レドルフはどこか悟ったような表情で、庭の2人を眺めていた。

 

 

 

 

「ねぇ、一緒に本読みましょう? ほら! 『メルガリウスの魔法使い』持ってきたの!」

 

「イヤだ」

 

「なんでよ!」

 

 1ヶ月前の予想に反して、少女が自分に飽きる時が一向に来ない。

 それどころか、妹の寝室か自分の部屋を行き来しているという行動パターンが早々にバレたことで、待ち伏せまでされるようになった。

 あまりに鬱陶しいので、裏をかいて庭まで逃げているのだが、どうやらダメなようだ。信一はため息と共に、自身の心とは裏腹によく晴れた空を仰ぐ。

 

(そういえば、外に出るのはここに来たとき以来かな……)

 

 ずっと室内で塞ぎ込んでいた。出来ることならあのまま死んでしまいたかったが、この少女が毎回死のうとする自分を見つけて助けを呼んでしまうせいで、未だに生きている。

 どうしようもなく、この名前も知らない少女が鬱陶しい。今も聞いていないにも関わらず、『メルガリウスの魔法使い』という絵本について長々と解説してきている。

 

「だからね、この魔法使いは……って、ちゃんと聞いてる?」

 

「聞いてない」

 

「聞いてよ! ここからが面白いのに! それでね———」

 

 面倒くさい事この上ない。なんで人の話を聞かないんだ、この少女は。

 

「それでね、それでね! このタイトルにもある『メルガリウス』って言うのが、あそこに浮いてる『メルガリウスの天空城』で、お祖父様はあのお城の謎を一生懸けて解き明かそうとしたの! すごいでしょ!」

 

「あーうん、すごいすごい」

 

「でしょ! だからね、私もいつかお祖父様みたいにすごい魔術師になって……どうしたの?」

 

 魔術師という単語に、信一の肩がピクリと動く。

 魔術———それは信一にとって、忌むべきものだ。母親を奪い、妹を昏睡状態に追い込んだ。

 ……いや、それは全て自分が原因なのかもしれない。もしあの時、魔術を使って母親を殺さなければ、妹すら失っていた可能性もある。

 

(だからなんだって言うんだ……っ!)

 

 だから、母親を殺した事を『仕方ない』で済ますのか。冗談じゃない。

 

「……部屋に戻る」

 

 おもむろに立ち上がり、信一はそれだけ言うと歩き出した。

 すぐに少女も立ち上がり、後ろをついて来る

 

「あっ、じゃあ私も……」

 

「ついてこないで」

 

「なんでよ? もっとお話しましょ……」

 

 

 

「———ついてこないでっ!!」

 

 

 突然、信一が声を張り上げる。

 今まで少女が見てきた中で、信一は呟くような受け答えしかしてこなかった。少なくとも、こんな風に感情剥き出しで大声を出したことはなかった。あまりの衝撃に、硬直してしまう。

 そんな彼女の姿に目もくれず、信一はその場を歩き去っていった。

 

 

 

 

 

 その日は少女が食事を届けるだけで、自分に構うことなく過ぎ去った。

 ここ1ヶ月で、久し振りに静かな1日だったと思う。珍しいものに一通りちょっかいをかける子猫のような少女が、鬱陶しくて仕方なかった。

 

 

 ———本当に? 

 

 

 久し振りの静けさに、信一は何故か侘しさを感じていることに気付く。

 

「ハァ……」

 

 そういえば、この屋敷に来てから1ヶ月間、ほぼ1日中付き纏われていた気がする。ただただ小煩くて、鬱陶しくて、邪魔だった。

 でも———寂しさを感じることはなかった。

 

 最初は無視していたが、あまりの眩しいくらいの存在感に、いつの間にか細々とだが受け答えをしていた。

 

(なんなんだよ……クソ)

 

 想像してしまう。いつも楽しそうに話しかけてくるあの子が、自分に大声で拒絶されてどのような表情になったか。

 1ヶ月付き纏われたせいで無駄に増えたあの少女の情報量から、容易に推測できる。

 

 必死に涙を堪えようとしたに違いない。

 

 でも、結局泣き出したのだろう。大好きな祖父に泣きついている姿が想像できる。

 あの少女の泣き顔を想像すると、不思議と胸が痛んだ。

 バカな話だ。名前も知らない少女の泣き顔に胸を痛める余裕がどこにある。母親を殺した罪悪感から逃げている証拠ではないか。

 自身の罪悪を再認識するが、それでも胸の痛みは消えない。

 

「……嫌いなんだよ、君のことなんて」

 

 

 ———本当に? 

 

 彼女に対する気持ちを口に出して、なんとか自分の心を整理しようとするが、すぐにまた疑問が浮かんできた。

 

 違う。きっと違うのだ。これは嫌悪ではなく、嫉妬。

 

 祖父がいて、父親がいて、母親がいる少女。

 母親を殺し、妹を昏睡状態に追い込み、父親に捨てられた自分。

 家族に囲まれている少女と、家族を失った自分。

 魔術に憧れる少女と、魔術を忌避する自分。

 

 1人ぼっちじゃない少女と、1人ぼっちの自分。

 

 あの少女は、自分が無くしたものを全て持っている。

 優しい家族も。あのどうしようもなく当たり前だった日常の暖かさも。魔術への無邪気で盲目的な憧憬も。

 ほんの1ヶ月前まで、自分も持っていた全てを持っている。

 それが信一には、妬ましくて、嫉ましくて———そして羨ましい。

 

「明日……謝らないと。それでその後は———」

 

 ———本当に死のう。

 

 

 

 

 

 翌日。少女が信一の前に現れたのは、昼食を届けに来た時であった。

 体の後ろで手を組み、もじもじで体をむず痒そうに揺らしている。

 

「あの……昨日はごめんなさい」

 

 謝ることに慣れていないのか、とても居心地が悪そうだ。

 

「あのね、私ね、貴方を怒らせるつもりなんてなかったの。本当だよ。どうして怒ってるか分からなくて、でも私のせいだっていうのは分かったから……その……」

 

 辿々しくだが、意地らしく言葉を紡ぐ少女。勇気を振り絞るように両手を握り、頭を下げた。

 

「ごめんなさい」

 

「…………」

 

 その姿を、信一は無言で見つめる。何故この少女が謝るのか。

 勝手に怒鳴って、勝手に部屋へ閉じ籠ったのは自分だ。ただこの少女の語る魔術への無邪気さに苛立ったのは、それが母親を奪った手段になったからだ。

 謝罪するべきなのは自分のはずなのに、どうしてこの子が頭を下げているのか。

 信一には、およそ理解できなかった。

 

 無言で見つめられる状況が気まずいらしく、少女は垂れた前髪の間から信一をチラチラと見ていた。

 ここは何か言葉を掛けてやるべきなのだろう。

 

「……別に、気にしてない」

 

「ほんと?」

 

「うん」

 

 すると、少女は顔を上げて満面の笑みを浮かべた。こんな事の何が嬉しいのか信一には理解できないが、少女にとってはそれに値するらしい。

 その笑みを浮かべたまま、少女は後ろで組んでいた手を前に出した。

 どうやら組んでいたのではなく、何かを持っていたようだ。

 

「果物の……盛り合わせ?」

 

「うん! あなた、フルーツだけはちゃんと食べてたから、もしかしたら好きなのかなって思って持ってきたの。一緒に食べましょ?」

 

「……君はもうお昼ごはん食べたんじゃないの?」

 

「まだだよ。ほら、りんご剥いてあげるね」

 

 そう言って、フルーツバスケットから果物ナイフとりんごを取り出した少女は剥き始めようとするが……その手付きが明らかに慣れていない。

 

「よいしょ……あれ? 確かお母様はこうやって……あぁ! …割れちゃった……」

 

 たぶんかつら剥きをしようとしたのだろうか。何度も皮が途中で切れ、削り落としているようにしか見えない。それでも何とか切り分けるが、結局割れてしまった。

 あまりにも不格好なりんごを渡され、信一はため息と共に少女から果物ナイフを取り上げる。さすがに危なっかしくて見ていられない。

 

「かつら剥きは難しいよ。りんごの剥き方の基本はどんどん半分にして、最後に皮を取るの」

 

 別のりんごをバスケットから取り、手慣れた動きで信一は素早く剥いていく。その様子を彼女は興味深そうにしげしげと眺めていた。

 8等分されたりんごの皮にナイフをあて、ちょっとした工夫を加えて少女に渡す。

 

「ふあぁ! うさぎさんだ!」

 

 皮をうさぎの耳にして渡された一欠片のりんごに、少女は宝石を見つめるかのように目を輝かせた。

 

「すごい! どうやったの? 魔術? 魔術使ったの⁉︎」

 

「……使ってない。あんなもの、使うわけない」

 

「魔術じゃないの⁉︎だったらもっとすごい! ねえねえ! どうやるの? 教えて?」

 

「あっ、こら。ナイフ持ってるんだからくっつかないで」

 

「……ごめんなさい」

 

「あっ……」

 

 たったこれだけの事でここまで無邪気に喜べるこの少女が、やっぱりひどく羨ましかった。

 ちょっと注意しただけでシュン…と肩を落とす少女に、今度は信一が戸惑ってしまう。こんな顔をしてほしいわけではないのに。

 

「あのさ…僕の方こそ……昨日はごめん」

 

「え?」

 

「…急に怒鳴ったりして。その…君が僕のことを心配してくれてるのは、分かってるから」

 

「…………」

 

 自分は名前すらロクに覚えていないのに、彼女は1ヶ月間ずっと自分に構い続けた。ずっと、自分のそばにいてくれた。

 だからこれは、けじめだ。

 

 立つ鳥跡を濁さず———もう自分は、彼女と話せなくなるのだから。

 

「これ。君のお祖父さんやお父さんお母さんにも持っていってあげて。食後にでも食べてよ」

 

 信一はさらにバスケットから適当なものをいくつか選び、皮による造形を凝らして皿に乗せ少女に押し付ける。

 

「一緒に食べようよ? そのために持ってきたのよ?」

 

「ごめん。もうちょっとだけ、1人にさせてほしい」

 

「……わかった」

 

 今できる精一杯の作り笑いを信一は見せた。

 少女も昨日の今日でわざわざ踏み込んでくることはなく、おとなしくフルーツが乗った皿を持って部屋を出て行ってくれる。

 

 これで準備は整った。

 

(ごめんね。本当に…ごめん)

 

 心の中で信一はひたすら謝罪を述べ、持ったままだった果物ナイフを手首の大動脈に当てる。

 大動脈を深々と斬りつけ、さらに意識が遠退く前に頸動脈も斬る。

 普通の人間がやるには難しいが、母親を殺したあの魔術さえ使えば問題なく実行可能だ。

 

「……ごめん」

 

 最後に口でもう一度呟く。この『ごめん』が誰に宛てたものなのか、信一自身にも分からなかった。

 

 殺してしまった母親へのものか。

 昏睡状態に陥ってしまった妹へのものか。

 唯一元気な肉親である父親へのものか。

 自分を抱き締めてくれた少女の母親へのものか。

 自分を迎え入れてくれた少女の父親へのものか。

 優しい眼差しを向けてくれた少女の祖父へのものか。

 ———1ヶ月間自分に付き纏い続け、この屋敷に来てから1番長く同じ時間を過ごしたあの銀髪の少女へのものか。

 

 分からない。でも分かる必要も、もうない。

 

「《雷精の紫で……」

 

「———なにやってるの⁉︎」

 

 頭の中に【ショック・ボルト】を撃ち込んで母親を殺した魔術を起動させる寸前、飽きるほど聞いた声が暗い部屋の中に響いた。

 

「っ⁉︎」

 

 驚愕で呪文が途切れた隙に声の主はこちらに走り込み、手に持ったナイフをはたき落とされる。その弾みに少しだけ手首が切れたが、大動脈には届いていない。

 

「ナイフが……んっ」

 

「なにやってるのよ! あなた‼︎」

 

 床に転がったナイフへと手を伸ばすが、それよりも先に両肩を掴まれ声の主へと強制的に振り向かされる。

 声の主———銀髪の少女は、泣きそうな形相でこちらを凝視していた。

 

「……どうして戻ってきたの?」

 

「ナイフ持って帰るの忘れたから…だからよ! あなたに刃物渡しちゃダメって言われてたの!」

 

「そっか……」

 

 どうやら彼女の両親には見越されていたらしい。まぁ、あれだけ自殺未遂を行えば当たり前かと、信一は他人事のように納得していた。

 

「今、また自殺しようとしてたの?」

 

「……うん」

 

「どうしてよ! どうしてそんな簡単に自分のこと傷付けられるの⁉︎」

 

「…………」

 

 大声で喚く彼女から逃れようと身を捩るが、存外力が強い。もしくは火事場の馬鹿力なのか。

 

 ———なんの為の? 

 

 理由など、少女の顔を見れば明白だ。

 

「…なんで君が泣くんだよ……」

 

「泣いてない!」

 

「泣いてるよ」

 

「泣いてないもん‼︎」

 

 よく分からない見栄を張られ、それを隠すように肩をガクガクと揺すられる信一。

 もちろん理由は言わない。しかし、心の方針は決まっていた。

 

「君は知らなくていいんだよ……。こんな気持ち、君が知る必要なんて無い」

 

 1ヶ月間自分に寄り添い続けた心優しい少女に、この汚泥のような自己嫌悪は似合わない。

 知る必要なんて無い。理解するなんてもってのほかだ。この少女にはこれからも明るい未来を、家族からたくさん愛される未来を歩んでほしい。

 そう願ってしまうくらいに、信一はきっと感謝しているのだろう。

 

「僕はもういいんだよ。勝手なのはわかってるけど、妹のことお願い」

 

 初めて、信一は少女に笑いかけたと思う。これから死ぬ人間の願いだ。この子なら納得はしなくても尊重してくれるだろうという確信があった。

 

 だが、その見通しは甘かった。

 

「そんな悲しいこと…言わないでよぉ……」

 

 ついに少女は大声を張り上げて泣き出してしまったのだ。ギョッとする信一をよそに、少女は嗚咽混じりに言葉をかける。

 

「せっかく…家族が増えたと思ったのに……ひぐっ…まだ何もしてないじゃない……」

 

「…僕は……君の家族にはなれないよ」

 

「私は家族だと思ってるもん! 同じ家に住んでたら、もう家族でしょ!」

 

「そんな事……」

 

「あるもん! そんな事ないなんて言わせない!」

 

「っ⁉︎」

 

 自分の家族は3人だけだ。殺した母親。昏睡した妹。離れていった父親。

 だが、少女の中では違うらしい。

 

「家族がいなくなっちゃうのは…ぐすっ……悲しいよ」

 

「…………」

 

「怪我するのは悲しいよぉ……」

 

 どうしてだろう。少女の言葉を聞いていると、心のどこか凍ってしまった部分が融かされていく…。もう2度と温度など感じないと思っていた部分が、温まってしまう。

 それが———嬉しいと思えてしまう。

 

 しかし自分の罪深さを考えれば、そんな事は許されない。信一が自分を許すことなんてできないのだ。

 

「…君は……僕のこと何も知らないでしょ?」

 

「知らないわよ! 何も教えてくれないじゃない! ばか!」

 

「ばかって……」

 

 突然の暴言に面食らうが、少女の何かが決壊したらしく言葉は雨あられと浴びせかけられ始める。

 

「いつも話しかけてるのに無視するし! うじうじ下ばかり向いてるし! ごはんは食べないし! 何かすると思ったら妹の部屋ばっかり通ってるシスコンだし! お風呂にはほとんど入らないから臭いし! あとシスコンだし! シスコンだし! シスコンだし‼︎」

 

「…………」

 

 途中から雨あられどころか、罵詈雑言の嵐に変わったのは何故だろうか。甚だ疑問だがそれを差し込むことを、やはり彼女は許してくれない。

 

「だから教えなさいよ! あなたのこと教えなさいよ! あなたは何がしたいの⁉︎」

 

 そして、それがトドメとなった。

 

 

 ———何をしてほしいの? 

 

 

 何をしてほしいか。そんなもの決まっている。

 ここ1ヶ月の間ずっとぶつけられる事のなかった心からの言葉に、信一は思わず口は滑らせてしまう。

 

「……頭を、撫でてほしい」

 

「———っ⁉︎」

 

 その一言がきっかけとなった。信一は港町で母と妹も自分の3人で暮らしていた光景を頭によぎらせながら、口から次々と溢してしまっていた。

 

「……抱き締めてほしい」

 

「うん」

 

「…頑張ったねって言ってほしい」

 

「うん」

 

「よく我慢できたねって……褒めてほしい」

 

「うん」

 

 それは、いつも近所の悪童にいじめられて泣いて帰ってくる自分に母親がしてくれていたことだった。

 もはやこの暗い部屋に、意固地になって自分を責め続ける信一はいない。

 ただ、大好きな母親を亡くして傷付き涙を流す少年が1人。その少年の言葉を静かに聞き、涙を流しながら頷く少女が1人いるだけ。

 

「何も聞かずに———あなたは悪くなかったって……言ってほしい」

 

「うん……!」

 

 少女は少年を抱き締めた。強く。これでもかと強く。

 

「……っ…」

 

「頑張ったね」

 

「…あ…あぁ……」

 

 そして頭を撫でながら、少女は優しく少年へと語りかける。

 

「よく我慢できたね」

 

「ひぐっ…うぅ……」

 

 ポロポロと止めどなく流れる涙が、少女の肩に染みを作っていく。少年はいつの間にか、少女にしがみついていた。嗚咽を漏らし、ただただ今まで堪えていたものを外へと溢し続ける。

 

「———あなたは悪くなかったよ」

 

「あぁぁぁ……! うわぁぁぁぁん!」

 

 それが限界だった。少年は———信一は大声を張り上げて泣き叫ぶ。喉が裂けるような痛みを気にする余裕もなく、呼吸が上手くできなくても、それでも信一は同い年の少女に体を預けて声が枯れるまで泣き続けるのだった。

 

 

 

 

 それからどれくらいの時間が経ったのだろうか。未だ止まらない嗚咽に喘ぐ信一の背中をポンポンと優しく叩いてやりながら、少女は語りかける。

 

「私はあなたを1人にしないよ」

 

「…………?」

 

「ずっと傍にいるって約束する」

 

「…………」

 

 ぎゅっと。信一はいっそう強く少女へと抱き着く。

 

「どんなに辛くても、どんなに寂しくても、どんなに悲しくても……私はずっとあなたの傍にいるよ。あなたを1人になんてしない。1人になんてさせるもんか」

 

 信一を引き剥がし、にかっと歯を見せて笑う少女になんて言葉をかけようか。

 迷っていると、彼女の方から言葉をくれた。

 

「あなたの名前、教えて?」

 

「……知ってるでしょ?」

 

「あなたの口から聞きたいの。お願い」

 

 それになんの意図があるのか。考えは読めないが、今までのように抵抗する気は起きなかった。

 

「…信一。朝比奈信一」

 

「そっか。信一って呼べばいい?」

 

「うん」

 

 信一…信一……と、口の中で呟き続ける彼女の名前を、そういえば自分はまだ覚えていない。

 

「君の名前はなんていうの?」

 

 だから聞き返した。

 銀髪の少女は、胸を張っ応える。

 

「———システィーナ=フィーベル。仲の良い人はみんなシスティって呼ぶの。あなたもそう呼んでいいわよ」

 

「そっか」

 

 銀髪の少女———システィーナは信一の手を取り、部屋から連れ出そうとする。何かと思って首を傾げれば、こちらに振り返って教えてくれた。

 

「お昼ごはん、一緒に食べましょう?」

 

「……僕が行ってもいいの?」

 

「何言ってるのよ。ごはんはみんなで食べた方が美味しいに決まってるでしょ」

 

 この時、信一は幼いながらに確信した。

 なんてことのないように言って向けられた輝かしい笑顔を、手を引いてこの暗い部屋から連れ出してくれる彼女の背中を、きっと自分は生涯忘れる事はないだろう、と。

 

 

 

 

 目を開ければ、自分1人となったエントランスの光景が広がっていた。

 扉は開けっ放し。普段ならありえない事だが、ルミアは扉を閉めるのも忘れてグレンのいるアルフォネア邸へと飛び出してしまったらしい。

 

(迎えに行かないとね)

 

 ルミアの気持ちは、信一自身も痛いほど理解できる。

 システィーナが今のレオスと結婚したとしても、幸せになる未来など想像できない。彼は変わってしまったのだ。

 

「お嬢様が幸せになれない未来なんて必要ない」

 

 もしかしたら、自分はフィーベル家から追放されるかもしれない。

 それほどに、信一が今考えている事はリスクが高い。だかそれでも、やらなければならない。

 

 あの時欲しかったものを———同情ではなく愛情をくれた彼女が嘆き悲しむ結果など、断じて許容できるわけないのだから。







はい、いかがでしたか?信一がどのようにしてシスティーナ大好き人間になったか。この小説を書き始めた頃から、作者の頭のなかにはずっとこのような過去が前提にありました。

次回は久しぶりの戦闘です。オリジナル展開ばかりになってしまいましたが、楽しみにしていただければ幸いです。

ps.魔女の旅々の新作書き始めました。視聴している方は、良ければ覗いていってください。


目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

第43話 蠢く中毒者たち

どうもこんにちは。ちょくちょく失踪する作者のクズです。

すみませんでした!


 翌日。

 システィーナが正式にレオスの求婚を受け入れたことが発表され、学院中を震撼させた。

 さらに、結婚式は3日後に行うとも。あまりにも急なスケジュールである。

 どこか演劇的とすら思えるほどの展開。そんな中、学院中が注目しているのは最後の一勝負。グレンとレオスの決闘であった。

 

 しかし……

 

(どうして来ないんですか…グレン先生……ッ)

 

 場所は学院の中庭。その周囲には、彼らの決闘を一目見ようと多くの生徒達が集まっている。

 中庭の中心にはレオス。魔導兵団戦後のようなヒステリックさは鳴りを潜め、いつも通りの紳士然とした余裕のある表情を浮かべてグレンを待っている。

 

「グレン…来ない」

 

「先生……」

 

「…………」

 

 リィエルとルミアの沈んだ声音に、システィーナは俯いたまま応じない。いつもならば率先して元気づけようとする彼女なのだが、今はその気がないようだ。

 ……否。信一には、まるでその余裕が無いかのように見える。

 

 無為な時間は流れ、周囲の生徒らの心には1つの憶測が芽を出していた。すなわち『グレンは逃げた』と。

 その憶測は時間経過と共に推測へ。確信へ。坂を転がり落ちるかのように形を変えていく。

 そして約束の時間を大幅に過ぎた頃。中庭の中心に立つレオスが優雅にため息を一つ溢し、システィーナへと歩み寄りながら周囲へと語るように声を上げる。

 

「どうやらグレン先生は逃げてしまったようですね。これで分かったでしょう? 彼は貴女の夫となる器じゃない。少なくとも私なら、たとえ力では敵わないと分かっていても、システィーナの為ならばどんな強敵にも立ち向かうというのに」

 

 そのような口上に、周囲にいた女生徒達は黄色い悲鳴を上げていた。

 そんな悲鳴を一身に浴びながら、システィーナの目の前まで来たレオスは彼女へ手を差し伸べる。

 

「さぁシスティーナ。結婚式の打ち合わせをしましょう。あ、もちろん信一くんも一緒に。君には不在のレナード殿に代わって、彼女とバージンロードを歩いてもらいたいですから」

 

 いつも通り気安く、レオスは信一にも手を差し伸べてくる。昔から何度拒否しても優しくこちらへ向けられる手のひら。

 しかし今その手が、どうしようも無く汚らわしく見えてしまう。

 

「…………」

 

 もはや、やる事は決まっていた。

 

「レオス様」

 

「はい、なんでしょう?」

 

 信一は懐から出した手袋を、向けられたレオスの手のひらに投げつける。

 

「「「 ッ⁉︎ 」」」

 

 周囲の生徒らから上がるどよめき。

 信一が行ったのは、もはやこの騒動で見慣れてしまったもの————魔術決闘の儀礼。

 

「これは……なんの冗談ですか?」

 

「冗談などではありません」

 

「少しやんちゃが過ぎるでは無いですか? あまり君に上下関係を明言するような事は言いたくありませんが———これは従者としての仕事から逸脱しているでは?」

 

「そうかもしれませんね……」

 

 フィーベル家の従者ならば、信一はシスティーナの門出を喜ぶべきなのだろう。

 貴族の娘が嫁ぐともなれば政略結婚が常だ。しかし今回に限って言えば、以前から親交もある旧知の仲。お互い憎からず思っていない上に、嫁ぎ先は有力貴族。

 これほど良心的な条件は、貴族社会ならば異例中の異例だ。

 

 ただそれでも———

 

「俺が願うのは、お嬢様の幸福です」

 

 この婚姻が、本当にシスティーナの幸せに繋がるのか。信一にとって重要なのはそれだけだ。

 貴族社会やら、政略結婚やらはどうでもいい。そこに幸せがあるならば笑って送り出すが、それを彼女は望んでいない。

 

 いくら取り繕おうと、そんなものは見抜けてしまう。

 5年前のあの日から、信一はいついかなる時もシスティーナを見ていたのだから。

 

「……ふむ。まぁ、これも一興か」

 

 信一の返答に、レオスは一瞬俯いて誰にも聞こえない声量で呟いた。

 だがすぐに顔を上げ、幾度となく見た穏やかな微笑みで告げる。

 

「やはり君も男の子だったというわけですね。自分より弱い相手にシスティーナは任せられないと。ならばこの決闘、受けなければなりませんね」

 

 なにやら勝手に勘違いしてくれたようだが、それも好都合だ。決闘を受けてくれるならば、文句は無い。

 

「えぇ。ルールはどうしましょう?」

 

「グレン先生と行う予定だったものを流用してしまいましょう。致死性の魔術は禁止。あとはなんでもアリという野蛮なものになってしまいましたが、構いませんか?」

 

「はい」

 

 ちょうど良い。致死性の()()は無し。しかし体術による事故ならば、ある程度は許容されるだろう。

 なにより、クライトス家は魔術の名門。決闘による事故を挙げて非難すれば、逆にクライトス家の名に傷がつく。

 睾丸を潰してクライトス家の後継者候補から引きずり落としてしまえば、システィーナとの婚約話も自然と破棄されるだろう。

 

「信一…本気なの?」

 

「もちろんです。刀を預かっていてもらえますか?」

 

「う、うん……」

 

 システィーナを安心させる為に笑顔で答えて、刀の入った布袋を渡す。

 そして多くの生徒が見守る中、中庭の中心で信一とレオスは対峙する。

 

 信一の見立てでは、【迅雷】さえ使えば問題無くレオスを圧倒できるだろうと考えている。彼は魔術理論や戦術こそ脅威的だが、実戦ともなるとからっきし。それは先日の魔導兵団戦で露呈している。

 さらに、貴族というのならばレオス個人の実力も自衛ができる程度。少なくとも、今まで信一が戦ったレイクやゼーロス、リィエルと比べるまでも無い。なにより貴族は本来戦う存在では無く、守られる存在だ。実戦経験は信一が優っていると考えて良い。

 

(開始と同時に【迅雷】を起動。一気呵成に畳み掛ける…!)

 

「それではシスティーナ。開始の合図をお願いできますか?」

 

「わ、わかったわ。それじゃあ———始め!」

 

 システィーナの美声を合図に、信一は即呪文を唱える。

 

「《疾くあれ》」

 

 バチィ! 脳内に【ショック・ボルト】を放ち、人間の潜在能力を20%———常人の10倍まで開放。その踏み込みは地を抉り、観客の動体視力を置き去りにする。

 

「やっ!」

 

 レオスが呪文を唱えるより早く彼の目の前まで到達した信一は、すぐさま貫手を放った。狙いは喉。まずは魔術起動の要となる詠唱そのものを潰す。

 

「先手必勝というわけですか。なるほど」

 

「———っ⁉︎」

 

 しかし、想定外にもレオスは躱して見せた。魔術を使った様子は無い。完全な体捌きのみでの回避だ。

 しかし、所詮は最初の一撃。常人の10倍の膂力ゆえ、当たれば悶絶は免れないが牽制でしかない。

 すかさず信一は、手刀、掌底、拳、肘などを駆使した連撃でレオスを追い込んでいく。

 

(クソ……思ったよりできるな)

 

 拳闘術は貴族の嗜み。当然レオスもそれに沿っていると考えていたが、予想以上の練度だ。

 さらに、受ければタダでは済まないことも理解しているらしい。全て避けるか捌くかで対応されている。

 

「ハッ!」

 

 確実に入るであろうタイミングで鳩尾へ突き刺す前蹴りを放つが、それもまるで読んでいたかのように避けられる。

 そして、それを皮切りにレオスの反撃が始まった。

 貴族の拳闘術らしく、拳のみによる連打。さほど脅威的な威力があるわけでは無いが、その1つ1つが的確に信一を不利な態勢へと追い込んでいく。まるで詰めチェスのようだ。

 

「くっ……」

 

 堪らず距離を取る。【迅雷】を使っているにも関わらず、押されるとは思わなかった。

 

「それは悪手ですよ、信一くん」

 

 直後、レオスの左手から放たれる雷閃。予唱呪文(ストック・スペル)による【ショック・ボルト】が信一の頬を掠めた。

 

「その程度ですか? 君のシスティーナに対する()()は」

 

「《疾くあれ》」

 

 レオスの言葉には耳を貸さず、さらに【迅雷】によるパーセンテージを上げる。10倍では足りないのなら20倍———40%。

 6歩分の距離を1歩で詰め、二段蹴りでレオスの胴体と顎を同時に狙う。

 ———バスン! バスンッ! という砲弾のような2連撃は、しかしレオスには届かない。彼は必要最低限下がるだけで回避。蹴りの風圧が美しい金髪を揺らすだけに終わった。

 

「《光あれ》!」

 

 そんな彼の涼しい顔に向けて、信一は一節詠唱で黒魔【フラッシュ・ライト】を放つ。強烈な閃光を至近距離で目に叩きつけてやるが、レオスは片手を翳して遮った。

 しかし信一の狙い通り。この一瞬のみ、レオスは自身の手によって視界を塞がれている。その隙を逃すほど、【迅雷】の演算能力は甘くない。

 

 下段回し蹴り、中段後ろ回し蹴り、上段回し蹴り。時計回りに回転しながら、骨を砕く勢いの3連回し蹴り。

 

「へぇ。これはなかなか……っ!」

 

「ガッ……」

 

 ———まるで歯車が噛み合うかのように。レオスは信一の連続蹴りの合間を縫って下段後ろ回し蹴り、中段回し蹴り、上段後ろ回し蹴り。

 見事なカウンターが決まる。

 

 最初の下段蹴りで足払いを食らった信一は、そのまま中段回し蹴りをモロに貰ってしまった。最後の上段蹴りはなんとか外したが。

 素の身体能力で【迅雷】に対抗するなど、ゼーロスやリィエルのような並外れた剣士でなければ不可能なはず。優秀とはいえ、真っ当な魔術師のレオスがそれを可能にするなどあり得ない。

 なにより驚くべきは、

 

()()()使()()()……?)

 

 貴族の拳闘術は、優雅であることを求められる。そのため、実用性よりもステータスであるという点から意地汚さを連想させる足技は忌避されている。

 しかし、今のレオスの蹴り……速さも重さも明らかに訓練されたそれだ。

 

「くっ……はぁ…はぁ……」

 

「終わりにしますか? 恐らく肋骨にヒビくらいは入っていると思いますが」

 

 この程度の怪我、ここ最近の修羅場で慣れている。それよりも考えるべきは、レオスを打倒する方法だ。何故自分は手玉に取られるている……? 

 

「流石に拳闘術で君に対抗するのは難しいようなので、少し本気を出してしまいましたが」

 

 そう言うレオスの構えは、先ほどまでの貴族が嗜む拳闘術では無く、何度もグレンが振るうものを見た———

 

「———帝国式軍隊格闘術……」

 

 ここに来ての隠し玉。まさか彼がそんなものを修めていたとは。

 

 しかし、だ。それでも【フィジカル・ブースト】すら使わず【迅雷】を圧倒することなど出来るのだろうか。

 それこそ、数多の外道魔術師を帝国式軍隊格闘術で下してきたグレンでさえ出来ない。

 

(何か別の魔術を使ってる……?)

 

 何も魔術は、見てわかるモノだけでは無い。精神に作用するものもあれば、時間に関係するものもある。

 だが、現時点でその正体は分からない。こういう時、信一はもっと真面目に勉強をしておけばと顔を顰める。

 

 そんな信一へ、レオスは周囲の観客には聞こえない独り言程度の声量でそっと言葉を発する。

 

「存外期待外れですね。君の()()はその程度ですか?」

 

「———っ⁉︎」

 

 何故、レオスが自分の狂気を知っているのか。確かに彼の前でもシスティーナにべったりだったが、それは常識の範囲内だったはず。レオスが知るはずは無い。

 

「彼の息子なのだからと少し遊んでみたが……未熟も甚だしい」

 

「何の話しをしているのですか?」

 

「まぁ、そもそも君の狂気は他者に依存したモノだ。所詮自分だけでは自立すらできない稚拙な精神性。少々色眼鏡で見過ぎたかな?」

 

「……?」

 

「いや失礼。()()()()事情だ。———もう終わりにしましょう」

 

 今のレオスの独り言。人格が入れ替わったとさえ思えるほどに辛辣な物言い。なにより呟いていた時の目。

 網膜では確かに自分を映しているが、まるで別の何かを見ているかのような虚さであった。

 

 信一の脳裏に疑問が浮かぶ。レオスはあのような目をできる者だっただろうか? 

 少々ナルシストなところはあったが、彼は清廉潔白を絵に描いたような人物であったはずだ。権謀術数が渦巻く貴族社会にあっても、ついぞその輝きを曇らせることは無かったはず。

 なにより信一の知るレオス=クライトスは、相手を見ないで会話をするという不誠実な行為をできる人物では無い。

 

「《疾くあれ》》」

 

 ———バチバチバチィィ! 一気に80%———40倍まで開放。その身体能力に任せて瞬時にレオスの後方へ回り込んで脳天目掛けて踵落とし。当たれば頭蓋骨陥没で即死する威力だが、当たり前のように対応される。

 どうやら今のレオスにとって、視覚による情報はさほど重要では無いようだ。なんとなく感じていたが、未来予知に近い何かを行なっている。

 

 こちらの顔面目掛けて飛んできた振り返り様の裏拳……ブラフ。続くワンツーが本命。

 信一はそれを()()()()()()ながらも根性でレオスの懐へと潜り込む。

 

 そして、確信。

 

 

 

「———誰だアンタ」

 

 

 

 このレオスは、()()()じゃ()()()

 殴られたので分かりにくいが、それでも40倍の嗅覚で理解する。服や上品な香水はレオスのものだが、体臭がまったくの別人だ。

 

 思考とは別に、体は正確無比の動きで投げ技へ移行。レオスではない彼の片腕を抱え、重心を腰へと乗せてクルッと180°体を回す。

 グレン直伝、一本背負い。

 

 相手の体重、重力、【迅雷】の膂力。それらを組み合わせた最高の完成度を誇る一本背負いが彼の体を浮かせた瞬間———

 

「———()()()()()()

 

 取り繕うことすら無くなった口調で一言。そのまま……タン。

 なんと彼は、信一が掴んでいる腕の肩関節を外して静かに足で着地した。

 そして軟体動物かのようなしなやかさで信一から腕を引き抜き、パチン。指を鳴らす。

 

「左手……?」

 

 突如レオスと信一の間に現れたものは、そう表現するしかない。

 お互いを隔てるように、そこには“黄金の剣を握る左手”があった。

 

「ふん。避けてみせろよ?」

 

 つまらなそうに一言。彼の言葉が吐き捨てられると同時に、“左手”は信一の首を刈り取る軌道で振われる。

 

「ぐっ…《疾くあれ》」

 

 慌てて【迅雷】を使うが、

 

(……は?)

 

 起動しない。

 

 信一の胸元からは魔力の波動が揺らめいている。そこには呪文の起動を封じる【スペル・シール】がかけられていた。

 彼が信一の胸元に触れたのは一本背負いの時。あの刹那とも言える隙に付呪(エンチャント)されていた。

 

(まずい…斬られる……殺される……⁉︎)

 

 “起動しない魔術を起動しようとする”。その隙が、致命的であった。刃が首に迫る。迫る。迫る。

 ついに死を覚悟し、スローモーションになる視界の中———ゴッ! 

 硬い音が、自身の首から発せられた。

 

「カハ…ァァ……」

 

「一応、致死性の魔術は禁止というルールだったからね」

 

 “左手”の持つ剣は、刃を潰されたものだったらしい。それでも【迅雷】を使っていない“普通の人間”である信一にとっては、意識を刈り取られるのに十分な威力だ。

 

 バタン、と。力無く地面に倒れ伏す。

 

「———私の勝ちです。信一くん」

 

 遠のいていく意識の中、レオスの口調による勝利宣言が信一の鼓膜に残響した。

 

 

 

 

 

 フェジテ東地区市壁外、郊外。

 

 雑木林の中にひっそりと放置された豪奢な馬車の前で、4人の魔導士が顔を見合わせていた。

 

「———通信結晶で報告した通り、どうやらフェジテで『天使の塵(エンジェル・ダスト)』が流通しているらしい」

 

「まさかとは思ったが、これを見せられちまったら信じるしかないのう」

 

「噂には聞いていましたが、こんなにも酷くなるものとは……」

 

「そう言えば、クリストフ。お前はこの『天使の塵(エンジェル・ダスト)』絡みの案件に関わるのは初めてだったな」

 

 4人のうち、初めに口を開いたのは執行官No.13《死神》の零。どこか精神的に憔悴した様子ながらも、最低限の仕事として同僚達に報告の義務を果たしている。

 

 そんな彼に相槌を返したのは執行官No.9《隠者》のバーナード。老人と言って差し支えない年齢でありながら、どこかやんちゃ坊主のような印象を持たせる。40年前の奉神戦争では、あの『双紫電』ゼーロスと共に戦場を駆け抜けた古強者だ。

 

 さらに馬車の中を見て唖然とする、この4人の中では最年少である女顔の少年。執行官No.5《法皇》のクリストフ。結界系魔術の名門出身で、年若いながらも他のメンバーに引けを取らない実力を持っている。

 

 そして、クリストフを気遣うように執行官No.17《星》のアルベルトが確認を取る。

 

「つっても……零。お前さん大丈夫か? 2日酔いの呑んだくれよりも酷い顔色じゃぞ」

 

「あぁ…すまない。交戦した『天使の塵(エンジェル・ダスト)』中毒者の中に子どももいたんでな……」

 

「前までは敵なら女子供でも平然と殺しておったじゃろ」

 

「ふざけるな。あの子達は敵じゃない」

 

 以前までの零は、妻を失った悲しみを仕事に打ち込むことで忘れようとしていた。

 しかし、先の学院で行われた魔術競技祭の一件で向き合うと決めたのだ。それ以降、どうにも子どもを殺そうとすると良心の呵責が生まれてしまう。

 もしくは、今回殺した子ども達が悪人では無いからかもしれない。魔薬(マジック・ドラッグ)による影響でやむを得ず殺さなければならないというのが、どこか息子の境遇と被ってしまう。

 

「零は少し休め。……それよりクリストフ。この馬車の家紋はどこのものか分かるか?」

 

「僕の記憶が正しければクライトス家のものですね。ほら、クライトス魔術学院の」

 

「やはりか。となるとこの中の死体は……」

 

「あのような惨状なので絶対とは言えませんが、十中八九クライトス家の者。加えて、今現在フェジテに滞在しているクライトス家に連なる方は———」

 

 

 

 ———レオス=クライトス。

 

「ハァ……ひどい話だ」

 

「あ、零さんは休んでもらっていて結構ですよ。()()は僕たちが片付けますから」

 

「30秒も休めば問題ないさ。それより、クリスは『天使の塵(エンジェル・ダスト)』中毒者の相手は初めてだろう? 万が一があっても困るから手本を見せておくよ」

 

「クリスって呼ばないでください!」

 

 自身の女顔に自覚があるクリストフが、零からの明らかな女性名の愛称に憤慨する。

 本来ならここからクリストフが色々と文句を言うところだが、現在の状況がそれを許さない。

 

「既に囲まれていたか」

 

「かぁ〜〜〜っ! 面倒くさ!」

 

 4人が背中合わせでお互いを守るように立つと同時に、周囲からゾロゾロと現れる人々。服装自体は一般人そのものだが、頬は痩せこけ、顔色は土気色、目は虚ろ……常軌を逸している。

 

「こいつら、やたらしぶといから嫌なんじゃよなぁ〜」

 

「それでも命は1つだ。死ぬまで殺せばいずれ死ぬさ」

 

「あの……前々から思ってたんですけど、その教えって明らかにどこか間違ってる気がするんですよね……」

 

「無駄口は止めろ、と言いたいところだが……クリストフ、1つ忠告しておく。諦めろ」

 

 アルベルトの苦労人ぷりがよく分かる忠告にクリストフが憐れみの目を向けたところで、周囲の中毒者達は獣じみた動きで襲い掛かってくる。

 

 俊敏さは人の領域をとうに超えたもの。しかし、()()()()()

 

 その程度の相手、どれだけの数がいようと———宮廷魔導士団特務分室の面々には関係無い。




はい、いかがでしたか?バーナードお爺ちゃんとクリストフきゅんは今回初登場です。

久々に戦闘シーン書いてて、やっぱ楽しいと思えちゃいますね。
システィーナ大好き信一が彼と戦うなら、やはりここだと考えておりました。
リィエル戦もそうでしたが、刀持ってない=負けフラグになりそう……。


目次 感想へのリンク しおりを挟む




評価する
※目安 0:10の真逆 5:普通 10:(このサイトで)これ以上素晴らしい作品とは出会えない。
※評価値0,10についてはそれぞれ11個以上は投票できません。
評価する前に
評価する際のガイドライン
に違反していないか確認して下さい。