混沌ロード (剣禅一如)
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第一話 世界級

 12年の永きにわたり運営されてきたユグドラシルも、遂にサービスが終了される事が決定した。

 

 各プレイヤーに終了の通知が送られ残り日数が後2日しか無くなった頃、とある異形種プレイヤーが人間種族限定である筈の都市内を駆け回っていた。

 

 そのプレイヤーの名称はモモンガ、最盛期には41人しかメンバーがいないにも関わらず総合ギルドランキング9位まで昇り詰めた、アインズ・ウール・ゴウンのギルド長を勤めるプレイヤーである。

 

 しかし最盛期は兎も角として、ここ数年は殆ど1人での活動を余儀無くされていた。そして拠点を維持する為の費用を細々と稼ぐ寂しい境遇に身を置いていた。

 

 何故なら殆どのアインズ・ウール・ゴウンのメンバーは、最盛期を過ぎた7年目辺りから櫛の歯が欠ける様に引退していったからだ。10年目を迎えた段階では、登録しているメンバーが一桁代まで落ち込んでいた。

 

 モモンガもメンバー達が引退を口にする度に何とか翻意を促した。だが現実生活においての夢を追いかける為、又は夢を叶えた為、単純に仲の良いメンバーが引退し自分もと云う者や、他のゲームへ興味が移り引退する者等々。一つのゲームに拘る理由がなければ仕方がないと云える状況である。

 

 しかしモモンガこと鈴木悟は、ユグドラシルにしか楽しみをみいだせなかった。

 

 モモンガの現実での生活には友人や恋人、ましてや家族すらも存在せず自宅のアパートと会社を往復するだけの味気の無い物であった。アインズ・ウール・ゴウンの最盛期に、仲間と味わった刺激的な冒険の日々を忘れられなかったのは、仕方がない事であろう。

 

 それだけにユグドラシルに出逢う前のモモンガの生活が、どんな物であったのかが偲ばれた。モモンガが不器用ではなく、次の楽しみに移れる程に器用であれば良かったのかもしれない。

 

 兎も角モモンガが人間種族限定である筈の都市を駆け回っていられるのは、異形種狩りと呼ばれる悪質な PK行為が流行していた時期に、ユグドラシル運営が救済措置として配布していた人化の指輪のお陰である。

 

 モモンガは流れ星の指輪を課金ガチャで当てる為、ボーナスを全て注ぎ込み何とか当てた。だが仲間の一人が500円でアッサリと引き当て落ち込んだ事もあったのだ。その際にハズレ景品として多数の人化の指輪を入手していた。

 

 救済措置と銘打っていて課金ガチャ用のハズレ景品にする運営もどうかしている。だがこの指輪を使用すれば人間種族限定都市にも容易く侵入出来るのである。ただし装備中にはレベルダウンが発生し、自キャラがカンストレベルから80レベルまで下がってしまう事になる。

 

 そして骨だけで構成される躯のオーバーロードと呼ばれる上位種族が、本来のモモンガのアバターだ。

 

 だが現在モモンガの姿は、人化の指輪のお陰でゲームで最も基本的なアバターの容姿である金髪碧眼の若者にしか見えない。その為に種族の固有スキルにまで制限が掛かってしまっていた。

 

 万が一人間種族のプレイヤーに正体が露見すればPKされてしまう事に成りかねないが、モモンガにはモモンガの引くに退けない理由が存在する。

 

 モモンガが何故そんな事をしているかと言えば、全てはユグドラシル終了直前にゲームに対する意欲を失ったプレイヤー達が放出したアイテム目当てである。

 

 ゲームの終了間際になら勿体なくて使えなかったアイテム群も気負いなく使えると思いがちだが、幾ら派手な効果を起こし他のプレイヤーを圧倒出来ても所詮は最後の、そして終わったゲームでしか無いと本人が自覚してしまえば虚しさを感じるのが人情と云う事であろう。

 

 その為最後の祭りとばかりに派手に暴れる輩や、何かしらの感傷を満たそうとするプレイヤー以外は既にアカウントを削除していた。

 

 そしてその中でも何かしらの貴重なアイテムを譲ってやろうと考えたプレイヤーが、都市の青空広場と呼ばれるプレイヤー出品露店にアイテムを放出したのだ。

 

 それをゲーム内掲示板で知ったモモンガが、持ち前のコレクション魂を奮起させて全ての貴重なアイテムを我が物にせんと、燃えに燃えたと云う訳である。

 

 更にモモンガが1週間前にアインズ・ウール・ゴウンメンバー全員へと送ったメール、最終日にナザリックで集まって過ごしませんか?と云う内容も関係が無いとは言えない。

 

 モモンガにしてみれば仲間の皆に新たな神器級位は披露して少しは見栄を張りたいと云う想いもあり、2年間の間に只々一人で漫然と過ごして来たのでは無いのだと、これ程のアイテムを収集していたのだと思わせたかったのもある。

 

 そしてモモンガは都市中央にある青空広場に突撃し、東南アジア風の露店でプレイヤー放出アイテム群を眺めながら唸っていた。

 

(少し虫が良すぎたかも知れないな、此処まで困難だとは……諦めて帰るか)

 

 神器級アイテムや装備が放出されても直ぐに他のプレイヤーに買われてしまうのか一つも見当たらず、何軒かの店を廻った挙げ句にモモンガが諦めかけた時。丁度誰かが出品したアイテムが露店台の上に出現する。

 

(おっ、どれどれ)

 

 何気無くモモンガがアイテムを眺めると、出品された商品の詳細がポップアップして表示される。

 

 ◆◆◆

 

 混沌の渦(ジ カオス)

 

 プレイヤーの指定した地点に存在する半径5メートル内の全てのアイテムを融合させる。他のワールドアイテムすらをも飲み込むワールドアイテム。データ容量限界あり。消費型アイテム。

 

 ◆◆◆

 

 アイテムの見た目は、渦巻き状の形をした黒曜石と言った処だ。

 

 ◆◆◆

 

 刻の超越者(ジ クロノス)

 

 所有者の全てのアイテムと位階魔法やスキルのリキャスト時間を無くし、超位魔法の発動待機時間をも無くす、更に時間制限有りの全てのアイテムと位階魔法やスキルのバフ、デバフの効果切れ時間を無くして永続化が可能。なお所有者権利の譲渡及び死亡によるドロップにより全てがリセットされる。

 

 ◆◆◆

 

 アイテムの見た目は、螺回し式懐中時計と言った処。

 

 

 ◆◆◆

 

 天地創世(ジ ユニバース)

 

 1キロ四方の異次元空間に所属するギルド拠点を転移させ、絶対の防衛力を得られるワールドアイテム。ギルド長のコンソール操作でのみ異次元への出入りを制限出来るワールドアイテム。ユグドラシル時間で3日間有効(現実時間換算で1日)。リキャスト時間は一週間。

 

 ◆◆◆

 

 アイテムの見た目は、世界樹ユグドラシルの幼葉である。

 

 ◆◆◆

 

「ファッ!」

 

 モモンガは数秒程だが硬直し奇声を発した。慌てて自身の動かないアバターの口を抑えて辺りに視線を送る。まだ誰にも気付かれていない事を確認すると安堵の息を吐いた。

 

(マジか! ワールドアイテムが三つだと! 流石は終了間際だと驚けば良いのか分からないが、これは好機なんじゃないか? 値段は……一律5億ユグドラシル金貨か)

 

 ワールドアイテムには最低取引価格が設定されており、それは一つに付き5億ユグドラシル金貨である。

 

 従ってモモンガが見付けたワールドアイテム群は最低取引価格で販売されており、正に破格の値段設定になっていた。

 

(落ち着け俺、15億位なら今まで稼いできた金で足りる……よし! 買ってしまえ!)

 

 モモンガがワールドアイテムを購入すると即決した事は、別に可笑しな事では無い。

 

 ボッチプレイでユグドラシル金貨をコツコツと貯めていた事もあるが、それだけ貴重で効果的なアイテムなだけの事である。何しろゲーム内に200個しか存在せず、ゲーム終了間近の現在ですら詳細が判明しているのは50個と云う、運営の狂気と無駄骨の極みとも云うべきアイテムなのだ。

 

 効果音と共にモモンガの無限袋に収納されるワールドアイテム群と、桁が激減したモモンガのユグドラシル金貨。

 だがモモンガの心境は望外の幸運を掴んだ事で、興奮の坩堝に在った。

 

(神器級を自力で手に入れたとか見栄張って皆に自慢するつもりだったが、自力で複数のワールドアイテムを手に入れましたって言っても流石に無理があるな。ここは正直に経緯を話すか。まあ、それでも皆は充分に喜んでくれる筈だ)

 

 モモンガはひょっとしたら誰もこないかも知れないと云う不安を敢えて無視しながら、明日の最終日に仲間達と盛り上がった時の事を想像して動かないアバターの表情の中で微笑んだ。まだ仲間からの返信メールが一つも見当たらない事すらも意識的に無視して。

 

 

 

 



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第二話 融合

 その次の日のユグドラシル最終日深夜23時20分頃、モモンガはナザリック地下大墳墓の円卓の間で意気消沈し、頭蓋骨を手で覆い項垂れていた。

 

(誰もこないなんて……メールの返信すら……これは流石に想定してないぞ。そりゃ分かってるさ、現実のほうを選んだだけの事だってのは……けれどこりゃあ無いだろ。あれだけ皆で盛り上がったアインズ・ウール・ゴウンの最後にメールの返信すら無いなんて)

 

 モモンガも薄々は覚悟していた状況に対して只々感情を吐露し、曾ての仲間が何故こうも簡単にユグドラシルを捨てられるのかと自問自答していた。しかし理性でそれを抑えて仕方がない事なのだと、辛うじて己を納得させる事に成功する。

 

 モモンガには知り得ない事だが、実は他のメンバー達にもそれぞれに退っ引きならない事情で連絡すらも困難な状況に晒されていた。モモンガが、個々のメンバーの状況を知り得ていれば納得する程の状況である。

 

 しかも41人も居たのが仇となり、自分は無理だったが他のメンバーがモモンガと最後の花道を飾ってくれるだろうと期待してしまった。

 

 更に言えば無理をすればメールの返信が出来る位の状況になった者も居たが、行けない事に気後れし躊躇してしまい後日に御別れオフ会でも開こうと考えていたのが原因だ。

 

 そして円卓の間最奥、壁に掛けられ鎮座するギルド武器スタッフ・オブ・アインズ・ウール・ゴウンをモモンガは手に取り、苦悶の表情が吹き出るエフェクトに呆れながらも仲間との作成時の苦労を思い出し苦笑する。更に一張羅である神器装備品を身に纏うと悠然と歩き出す。

 

「逝こうか、ギルドの証よ。いや――我がギルドの証よ」

 

 敢えて我がギルドと声に出し鼓舞する事で己を叱咤し、アインズ・ウール・ゴウンの最初で最後のギルド長としての矜持で胸を張り背筋を伸ばす。

 

 様々な思い出がモモンガの記憶の水面に浮かび上がり、それに呼応する様に痛みを伴う哀愁が誇りで張った胸を衝つ。

 

 全ては泡沫の夢でしかないのだと心の何処かが囁き、伸ばした背筋を屈ませようとする。

 

 しかし悲喜こもごもの矜持を眼窩の燃え上がる焔目に焚べ、モモンガは焔の瞳を爛々と輝かせた。そしてモモンガは、全ての初まりの地である玉座の間へと歩を進める。

 

 通路の途中に佇むNPC家臣団を引き連れるかとモモンガは迷うも、孤高のギルド長として振る舞うと決意して遂に玉座の間に到着する。NPCのアルベドが天使と悪魔の彫刻の施された扉の前に佇み、守護者統括の名に相応しく玉座の間を護っていた。

 

(タブラさんの創ったNPCだったよな確か、設定厨の人だったよなあ。残念な程に……どんな設定だったろ)

 

 スタッフ・オブ・アインズ・ウール・ゴウンを用いてアルベドの設定画面を開くと、膨大な文章の羅列に圧倒される。

 

(長っ! あの人は何処まで逝こうとしてたんだ)

 

 ギルメンの変態さ加減に辟易しながらも斜めに流し読みして行くと、最後の文章に更に疲労を伴う程の脱力感を感じるモモンガ。

 

(ビッチって……ギャップ萌えの人の考える事は分からんな。本当に)

 

 これで最後なのだからと悪戯心を起こしたモモンガは己を愛すると文章を書き換えるが、流石に己を愛するなんて痛々しいと思い更に変更した。

 

(せめてこの位なら許されるよな、タブラさんなら多分きっと)

 

 モモンガは自問自答しながら曾ての仲間に言い訳を並べ立て、最後の文章を[モモンガに惚れている]と骨の指で打ち込んだ。

 

 何故か達成感を得てアルベドを満足そうに眺めるモモンガ。だがアルベドの手に握られた真なる無と云うワールドアイテムに気付き、メンバーの共有財産である筈の物を勝手に移動された事に不快感を覚え取り敢えず取り上げた。そして扉の前にアルベドを待機させたまま、モモンガは扉を開き中に入る。

 

 アルベドの外見はモモンガの理想に限り無く近く、それが故の己を愛する云々へと繋がるのだが痛さを自覚する事で打ち消した。だが惚れる云々くらいなら良いだろうと、モモンガの魔法使い間際の精神が働いてしまったのである。

 

 それによりアルベドはモモンガの理想の外装を持ち、更には愛する云々とかよりはソフトな表現の惚れていると云う状態へと変貌を遂げる。だが本性は荒々しくも業の深い淫魔の部分を残すと云う、矛盾を抱えた女性へと成ってしまっていた。

 

 だがこれが更にモモンガのストライクゾーンど真ん中な存在に変化しただけの事だとも言えるのは、モモンガも業が深い恋愛嗜好を持っている証左である。何故ならばモモンガは表向き恋愛に関しては奥手でM寄りでありながらも、その本性はS寄りでもあるのだから。ある意味では変わってしまったアルベドと似た者同士だとも言える。

 

 だから何の問題も無いのだろう多分きっと。それに女性が矛盾を抱えているのも現実を鑑みれば極めて普通の事なのである。このままゲームとして消えてしまえばだが。

 

 

 

 玉座の間には、諸王の玉座と云う蒼く透き通る水晶で構成されたワールドアイテムが鎮座されている。その桁外れの効果はナザリックの外壁や床の強度を高め転移すら遮断する事で、敵対ギルドのショートカット攻略を不可能としていた。

 

 ショートカット攻略は壁を砕いたり床を掘ったりと多大な時間は掛かるが、難所を避けられる有効な手段として知られていた。だがそれらを転移をも含めて完璧に防ぎ階層を順繰りに辿らせる事で、曾ての多人数攻勢をも凌いだのだ。

 

 その諸王の玉座の肘掛けには、人化の指輪が忘れ去られている。

 

 昨日モモンガが都市から帰還した際に、これで最後だからとナザリックを玉座から順に巡ろうとしたが当然ながら人化したままでは不便であり、取り敢えず外して玉座の肘掛けに放置したのだった。

 

 普段の几帳面なモモンガならばアイテムボックスへ即座に仕舞った筈だが、まんまとワールドアイテム群を購入した興奮が尾を引き仕舞うのを忘れてしまっている。

 

 モモンガは、人化の指輪に気付かないままに巨大な玉座に腰を降ろした。アルベドから取り上げた真なる無も幅広い肘掛けに置き、眩しく輝かしいギルドの日々を静かに独白する。

 

「楽しかったんだ……」

 

 そして一人一人との想い出を回想しながらメンバーの旗を眺め、その名を呟いていく。

 

 モモンガはそのまま想念に浸り時間の感覚を失い、深夜の24時を少し過ぎる頃まで呟きを続けてしまう。本来ならば強制的にログアウトされる筈のユグドラシルに、まだ自分が居ると云う異常事態を認識すら出来ないまま。

 

 モモンガは独白を終え、最後なのだからと流れ星の指輪を取り出す。この指輪は特殊な超位魔法を代償無しで使用出来る優れ物であると同時に、高額課金ガチャの当たり景品でもある。

 

(皆にも生きる為の生活があって来れないのなら、死後にでも構わないから一緒に冒険がしたいな。現実世界の環境なら、どうせ長生き出来そうも無いし)

 

 鈴木悟の居る世界は環境が最悪にまで悪化しており、余程の富裕層で無ければ長生きは出来無いのだ。そしてモモンガのこれは冗談の類いの願掛けでしか無い。ゲームでは発声してシステムに干渉しなければ何も起きはしないのだから。それでもモモンガは叶う筈の無い願いだと分かってはいても、願わずにはいられなかった。

 

(でも40人全員が返信すらしてくれなかったし無理か……死後の世界とかですら断られるとか流石に嫌だぞ。ならアインズ・ウール・ゴウンを死ぬ直前にですら懐かしんで還りたいとか思ってくれるメンバーなら来てくれるかもな。死ぬ直前って本当の気持ちとかが溢れて嘘が無いとか言うし……流れ星の指輪よ! 我は願う! 俺を除いた残りのメンバーの中で、死ぬ直前ですらアインズ・ウール・ゴウンを懐かしんで再び冒険がしたいと願う者が居れば連れて来るのだ! なんてな……阿呆くさ)

 

 この時モモンガは自分自身の痛い願いに呆れ果て、天井を仰いでいた為に気付かなかった。流れ星の指輪が輝き三つある筈の星が二つに減った事に。しかも現実に変わった世界で流れ星の指輪を使った事にも。それらをモモンガは見逃してしまったが、誰も居ない玉座の間にその事を教える者は居なかった。

 

 

(可笑しな妄想をしてしまうのも最後だからなのか、しかしこれだけ沢山の成果が消えて無くなるのは……虚しい)

 

 今までに頑張って貯めた物すら消えて無くなる事に喪失感をモモンガは感じる。ナザリックを維持する為の資金繰りの狩りに危険を承知で持って行き、経験値を吸わせたワールドアイテムの強欲と無欲を取り出して肘掛けに置き眺める。遂に貯まった100レベル分の経験値を死んだ子の歳を数える様に惜しみ、溜め息を吐いた。

 

 これは1レベルのキャラならば、一気に100レベルまで上げてしまえる程の経験値だ。それ故にモモンガの貧乏性が悲鳴を挙げるが、所詮は最終日なのだと諦めるしかモモンガには手は無い。

 

(はぁ~、何だかな。流れ星の指輪で運営に頼んでも其れなりの事しか出来ないだろうし止めておくか。それよりは昨日のワールドアイテムを弄った方が楽しそうだ)

 

 流れ星の指輪の効果は確かに有益な効果を齎してはくれるが、モモンガは運営の用意した選択肢の全てを調べて既に知っている為に、敢えて終了目前に行うには刺激が足りないと考えた。それならば誰も知らないであろうワールドアイテムの融合実験をして、後で掲示板に書き込むなどの自慢を楽しんだ方が良いと判断する。

 

 モモンガの体感時間ではそろそろ24時になるだろうかと勘違いしていた為に、さっそく実験を開始する。いや、開始してしまう。既にゲームでは無くなった世界で。

 

 流れ星の指輪をアイテムボックスに仕舞うと、いそいそと三つのワールドアイテムを取り出して膝上に並べるモモンガ。

 

(天地創造と刻の超越者を融合させれば、ひょっとしたら永続的にギルド拠点を守護するワールドアイテムとかに成るんじゃないか? そうなったら凄いかもな)

 

 それはゲーム終了間近だが、それでも一目で良いから見てみたいとモモンガに思わせる程の物だった。

 

 混沌の渦を己の眼前に掲げ、モモンガは叫ぶ。

 

「混沌の渦よ! その類い希なる力を我に示せ!」

 

 気分を出して魔法使いの雰囲気で叫ぶモモンガを、混沌の渦が飲み込んだ。多数のワールドアイテムと共に。

 

 

 

 



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第三話 混沌

 モモンガが叫ぶと、渦巻いた形の黒曜石にしか見えなかった塊がドロリと液状化した様に形を失い、渦を巻き始める。モモンガの膝の上で瞬く間に拡がり並べたアイテムを巻き込むと、モモンガと玉座をも呑み込もうとする。

 

 黒々とした渦は縦に伸び竜巻の様になり、玉座とモモンガを触れた端から細かい粒子へと変えていった。

 

「なっ! なんだこれは! 助けてくれ! 誰かぁ」

 

 モモンガは混沌の渦の持つ圧倒的禍々しさに本能的恐怖を覚えるも躯には痛みを感じる事が無く、それがモモンガの渦に対する不気味さを増す。しかし即座に精神の沈静化が起こり、また恐怖を感じて沈静化と云うサイクルを繰り返す。

 

 遂に完全にモモンガと玉座とを呑み込んだ混沌の渦は、その場の全ての要素を融合させる。

 

 天地創造、真なる無、刻の超越者、人化の指輪、強欲と無欲レベル100充填済、モモンガに埋め込まれているモモンガ玉と呼ばれる〇〇〇〇オブモモンガ、諸王の玉座、スタッフ・オブ・アインズ・ウール・ゴウン、モモンガが身に纏う神器級装備品。

 

 現実の世界となった事でゲーム上の設定であるアイテムのみの縛りですら完全に意味を失い、アンデットである筈のモモンガ本人ですら融合させ、全く新しい何かを産み出そうと轟音を響かせ脈動と明滅を繰り返す混沌の渦。

 

 そして誰も知らない内に混沌の狭間で、世界の為には産まれてはいけない程の力を持つ者が誕生する。

 

 唐突に収束し始めた混沌の渦は役目を終えて、その場に産み出した肉体を残し人知の及ばぬ領域へと還っていった。

 

 その場に残されたのは、一人の男性である。

 

 裸のその男性は色黒の皮膚に、獰猛とすら呼べる鋼の筋肉を纏い横たわる。178センチはある身長に、白銀の短髪の巻き毛と彫りの深い顔付きを持っている。

 

 兎角、凄まじいまでの覇気を放つ男性である。

 

 そしてその肉体が僅かに震える。意識が戻り始めたのか、呻き声を発して瞼が開く。その炯々とした眼光が辺りを探る様に動き、漆黒の瞳が何者にも屈しない威厳を秘めて瞬く。もしも誰かと視線を交わせれば、一目で人の上に立つ魂を宿す存在だと相手に認識させるだろう。

 

 そして男性は立ち上がり辺りを見渡した。

 

(うん? 俺は確か渦に飲み込まれてそれから……まあ何かのバグだったのかも知れんが。ここは玉座の間だよな? 躯の調子も大丈夫みたいだし。それにしても気絶する様な危険な物を造りやがって糞運営が! 流石に後で抗議するべきか? だがユグドラシルの続編の事を考えるとな、あまり悪印象を与えても後々に影響……あれ?)

 

 不意にモモンガは、自分の肉体が骨だけで構成されていない事に気付いた。

 

「どういう事だ」

 

 モモンガは、慌ててGMコール、コンソール、強制ログアウト等々を試したが、全く機能していない事に気が付く。そして口が動き、嗅覚が利くなどの事実から様々な推測を繰り返し、暫定的にだがユグドラシルが現実になったと判断する。

 

(まさか、こんな事が現実に起こり得るのか。どんな妄想展開なんだか。しかし現状を鑑みると、それが一番しっくり来るんだよな残念な事に。いや、本当に残念なのか? あんな環境の世界で暮らしていくのを逃れられたのなら、喜ぶべきか。それよりも思い返してみれば混沌の渦も現実感が満載だったような、まさか!?)

 

 そして想像するのも恐ろしく感じるが、自分が混沌の渦の中で様々なアイテムと融合したのでは? ともモモンガは思い至る。何しろモモンガが、自ら感覚として感じるのだから疑い様もない。自分の肉体から、膨大な程の【力】の感覚を感じるのだから。

 

(レベルキャップはどうしたんだろうか、100レベルを突破出来たのか? ……分からん)

 

 これは単純に現実の異世界において混沌の渦を使った事で、レベルキャップすらをも吹き飛ばしてしまっただけの事である。

 

 従ってモモンガの感覚が正しいのだ。だがもしも本来の100レベルでの現実化が成されても、どの程度に強く成るのかさえモモンガには判断が出来ないのでは比べようも無い。基準を確かめて実感する為の術を持っていない為に、モモンガも結局は保留にしてしまう。

 

(まさか、皆から預かったワールドアイテムすらも取り込んでしまったのか。したんだろうな多分。皆に申し訳無いな。でも誰にこんな事が予想出来る。いや、誰にも出来ないだろう。それに皆にとっては既にデータベース諸共に削除された数字の羅列でしかないか。そう考えればそれほど気に病む事でもないかな)

 

 残りの物品である諸々のワールドアイテム群や、諸王の玉座、スタッフ・オブ・アインズ・ウール・ゴウン、モモンガの一張羅である神器級装備品などについても、現実に成った場合にどういった具合に己に取り込まれたのか、当然モモンガには判断が付かない。

 

 そして玉座の間の鏡程に光沢を放つ大理石の柱に、今のモモンガの外見が映し出されている。それはモモンガにも覚えがある外装だった。ユグドラシルのクエストに登場する覇王キャラの外装である。実は運営が覇王キャラの持つ内部骨格をオーバーロードの外装に流用して手間を省いていただけの事であった。現実化した事に依ってデータとしては伏せていた覇王の外見が、人化の指輪の効果として顕在しているだけである。そればかりはモモンガにも何とか推測する事が出来た。

 

(まあ、格好いいって言えば格好いい外装だが、威圧感がなぁ)

 

 そしてモモンガは念じるだけで骨の躯に戻り、更には肉の躯へと戻る事も自由自在に行える事にも気付く。

 

 更には肉体の感覚が以前の鈴木悟の時と比べても人間として根本的に大差が無い事を、モモンガは確認する。寒さ、熱さ、呼吸などの感覚や三大欲求も普通に備えた人間だと。モモンガがまだ気が付かないでいるアンデット化による精神の沈静化も、この肉体には無い。

 

(アンデッドだけで無くて良かった。アンデッドだと飯も食えないみたいだし、更に眠りもしなさそうとかどんな拷問なんだかな。しかし一体どうしてこんな事に? あぁもぅ、分からんなぁ。取り敢えず考えるのを止めて現状は棚上げにするか。今はナザリックや世界自体の現状がどうなっているのかに注意した方が良いだろうしな)

 

 モモンガにはまだ知り得ない事だが、諸王の玉座はモモンガの体内に干渉し、ワールドアイテムで在った頃の桁違いの防御能力を余す処なく発揮させている。その為に今のモモンガにダメージを与える事は、非常に困難である。

 

 スタッフ・オブ・アインズ・ウール・ゴウンも、そのスペックでモモンガのステータスアップに貢献し、モモンガの総ステータスに対して10パーセント程の底上げを為している。

 

 強欲と無欲にあったレベル100充填済については、既にレベル100に達した為に上がり難いモモンガのレベルをレベルキャップ突破に伴い120まで上げていた。1から100まで一気に上げられる程の大量の経験値でも、100レベルからだと20レベル位にしかならない為である。

 

 そしてモモンガの一張羅である神器級装備品や決戦使用指輪群などは、単純に様々な耐性や無効化とステータスの爆上げに消費され、実質的にモモンガのステータスを更に10レベル分位はベースアップさせていたりもする。

 

 しかしモモンガはレベルに換算して40近くにもなるであろうスペックの圧倒的な爆上がりに、漠然としか気付けては居なかった。

 

 更には天地創造・真なる無・刻の超越者・モモンガに埋め込まれているモモンガ玉と呼ばれる〇〇〇〇オブモモンガなどのワールドアイテム群が、己にどの様な作用を引き起こしているのかも。

 

 流石に強くなったのでは? とは思ってはいるが元は一般のサラリーマンでしかないモモンガには判断が出来ず、然りとて現状のユグドラシルが現実になった場合の世界自体の強弱の基準値すらも霧の中では、仕方がないのかも知れないと云える。

 

 既にユグドラシルの世界ですら無いとは、モモンガには当然として知りようがない事でもある。

 

(取り敢えず、この玉座の間を調べる事からだ。それが終われば扉の向こう側か……確かアイツが立ってたよな)

 

 モモンガは玉座の間を調べて異常が無いと判断すると、扉の向こう側で待機しているであろう確率が最も高い、アルベドを確認する事にした。

 

 そして取り敢えず覇王染みた人間の姿でいるよりは、ナザリックの支配者であるモモンガの姿で接触した方が良さそうだと判断する。

 

 念じるとモモンガは、即座に骨のオーバーロードへと変化した。だが己が丸腰である事に不安を覚え、アイテムボックスが開ければと夢想すると目の前の空間に違和感を感じる。何となくその空間へ手を差し出すと、虚空に指先が呑まれアイテムボックスが棚の様に開かれた。

 

(これは! やったな。これで随分と楽になる。有るのと無いのじゃ天と地と程の差が出るからな)

 

 個人的にアイテムボックスに預かっていても良いと仲間に認められている本物並みの性能を持つレプリカのスタッフ・オブ・アインズ・ウール・ゴウンを取り出し、更に己に取り込み吸収してしまった神器級装備の代わりに予備の白を基調とした伝説級装備のローブをアイテムボックスから取り出して身に纏う。

 

(うわ~凄く恐い! あっ沈静化した。どうやら骨のモモンガの時はアンデットの特性で何かしらが働いて精神に作用するようだな。これは凄く助かるが、嬉しい時とかには損しそうではあるか。兎……兎に角、扉の向こうを確認しなきゃ何も始まらない訳だしな)

 

 恐怖で沈静化する事を繰り返して朱色の絨毯を進み、遂に扉の前まで辿り着くモモンガ。

 

(頑張れ俺、諦めるな。扉の向こうにはきっと明るい未来が待っている筈……だよな?)

 

 魔王染みた骸骨の外見で腰が引けている無様な格好なのだが、本人にしてみれば未知との遭遇であり、場合に依ってはナザリックの守護者の面々にタコ殴りの目に合う事すら想定しなければならないと覚悟してから、扉をそっと開く。

 

 オーバーロード改め、世界級をも越える混沌を意味するカオスロードの冒険は、この時を境にして始まろうとしていた。

 

 



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第四話 邂逅

 モモンガは重厚かつ荘厳な扉に手を掛け、少しだけ隙間を作る。

 

 何故なら単純に怖いからだ。いきなり大きく開けて気付かれるよりは、気分的に負担も少ないのではと思っただけの事である。

 

(現実になったなら、NPCとかはどうなっているんだ? 凶暴になって襲い掛かってくるとかか? まさか現実に変わった影響で消滅してたりするのか? 何でこんな事になったのかすら見当も付かなければ対処のしようがないな)

 

 モモンガが隙間を覗くと、向こうからも顔が覗いていて隙間を通して眼が合ってしまう。モモンガは仰け反りながら後退して扉を閉めてしまった。

 

(うおっ、今のはアルベドか? どうやら消滅した訳じゃ無いようだ。凄い美人だったが、今のはかなり悪印象を与えてしまったかも知れないな。拙いが、どうする? 扉を開けて丁寧に挨拶からか?)

 

 モモンガからすればほぼ初対面の遭遇であり、慎重に成らざる得ない。何しろデータでしかない存在が動き始めた訳である。

 

 不気味な事は勿論だがモモンガとてナザリックには愛着があり、仲間に託されたとも云える存在とは仲良くはしたいと感じていた。

 

 モモンガが躊躇っていると扉が開き、アルベドが中に入って来た。そして跪いて口上を述べる。

 

「モモンガ様、如何致しました? 何か御用でしょうか?」

 

(入って来ちゃったよ、コイツ。俺にどうしろと?)

 

 アルベドの表情や仕草は、とてもデータとは思えない程の現実味に溢れていた。モモンガへの敬愛に溢れる瞳は喜びに輝き、愛想の良い笑顔を浮かべる。そして主人の命を待つ為に畏まる。

 

 だが何よりも雄弁に心情を語っているのは、アルベドの背中下部に生えている黒い翼である。まるで機嫌の良い犬の尻尾の様に上下していた。しかしアルベドは澄ました顔でモモンガの下知を待っている。翼はアルベド本体の厳粛な雰囲気とは真逆の反応を示していた。

 

(流石はギャップ萌えのタブラさんが造っただけはあるか。それに狂暴化もしてなさそうだ。もしもゴリラに変化してたら、今頃は生きた心地がしないだろうな)

 

 アルベドはモモンガと相対した時、何時もの様に強い忠誠心を覚えたと同時に別の感情をも体験していた。それはモモンガがアルベドの設定を弄った際に、【モモンガに惚れている】と入力した事で、モモンガに恋心を抱いた為に生じた感情である。

 

 本来の淫魔としての荒々しくも業の深いアルベドの基本設定とタブラの設定した複雑怪奇な情動に愛すると云う出口を与えれば、淫獣の様に噴き出して危険で病んだ状態になる可能性があった。だが緩やかに本性を噴出する様に惚れると云う設定を盛り込んだ事で、良い具合に収まったと云う訳である。

 

 その影響でモモンガを見たアルベドは戸惑っていた。

 いつもはナザリックの守護者統括である事への誇りで胸が一杯になる筈が、同時に胸の奥が甘やかで苦しく感じる事に。何故なのかと自問自答し、モモンガを主人としてでは無く一人の男性として認識してしまった事にアルベドは気付く。

 

 そしてそんな不敬な考えは守護者統括として赦されない考えだと、即刻にも棄ててしまわなければと必死で己を律しようとする。だが、心の何処かで“くふー”と誰かが囁いた声に気付けてはいなかった。

 

(兎にも角にも何とかなりそうだ。NPCの全てとは言えんがアルベドはこの様子だと大丈夫そうだな。ならアルベドに命令して他のNPC達に指示を出させればいいか。そうすれば、NPCに会う度に危険な博打を打たなくても済むだろう。素直に指示に従って集合する様なら少しは忠誠心があると考えられるか。ついでに外の情報も欲しい。ならばだ)

 

 モモンガは、様になっている魔王ロールだと思いたい態度で命令を下してみる事にする。

 

「アルベドよ、セバスに連絡してくれ。大墳墓を出、周辺地理を確かめ、もし仮に知的生物がいた場合は交渉して友好的にここまで連れてこい。交渉の際は相手の言い分を殆ど聞いても構わない。行動範囲は周辺1キロだ。戦闘行為は極力避けろと伝えろ。後、メイドの一人も連れて行け。もしセバスが戦闘になった際は即座に撤退させ、情報を持って帰らせろとな」

 

「はっ、畏まりました」

 

 アルベドは一言も聞き漏らして堪るものかと集中力を発揮させて、モモンガの下知に応える。

 

「セバスについていく一人を除き、他のメイドたちは各階層の守護者に連絡を取れ。そしてここまで――いや第6階層、闘技場まで来るように伝言を伝えよ。時間は今から1時間後。それが終わり次第、メイド達は第9階層の警戒に入れとな。それとアウラに関しては私から伝えるので必要は無い」

 

「それでは、御命令の通りに致します」

 

 流石は守護者統括と呼ばれるだけは有るのだろう、一瞬で命令を整理し立ち上がると、モモンガに優雅に一礼をして去って行く。

 

(何とかなったが次が問題だ。アウラ達が駄目そうなら、時間短縮用課金アイテムを施した超位魔法で速攻潰す。更に移動中の他の守護者も奇襲して各個撃破と言った処かな。まあ大丈夫だとは思うが念には念をだ)

 

 モモンガは平凡な男であると言えるが、同時に慎重で用心深く思慮も深い。産まれた時代が違えば一廉の人物に成れた可能性すら持ち合わせている。だが今回の守護者達への警戒ばかりは全く不要な心配だったが。

 

 このあと闘技場に着いたモモンガは、アウラ達とほのぼのと歓談出来た事に安堵する。その際にフレンドリーファイヤーも解禁になった事が分かり、モモンガは更に気を引き締めた。

 

 そしてモモンガはアウラの用意した麦藁の案山子へ、さっそく魔法を試す事にする。自衛の手段は最優先事項だからだ。

 

(まずは、ファイヤーボールが良いか。でもカーソルもコンソールも無しに、どうやってやるんだ? 念じれば出来たりするのか?)

 

 試しにモモンガが念じてみれば、レプリカのスタッフの先に焔の玉が浮かび上がり射出された。焔の玉は瞬時に案山子へと向かう。そして、案山子に届くと爆炎を発して案山子を跡形もなく灰へと変えた。

 

(うむ、思ったよりも簡単じゃないか。これならゲームの時と大差なく使えるな)

 

 モモンガは暫く魔法の練習をすると、感覚的にはゲームの延長線上でしかない事を確信して安心した。更に混沌に巻き込まれたが為に以前の自分では出来なかった事が、今の自分なら出来る様になっているのではと考える。

 

 試しに今の自分に何が出来るのか意識の隅々まで探ってみると幾つかの異なる反応があり、では具体的に何が出来るのかをモモンガは自覚してみる。

 

 自分の現在の能力を確かめたモモンガは、余りの驚愕に沈静化のサイクルを繰り返して1分程だが固まった。

 

(ファッ?! 何だこれは?! こ、こんな事まで出来る様になったのか! 異常過ぎるだろうに……まあいいか出来れば色々と助かるのは確かだしな)

 

 確かにモモンガには色々と出来る事が増えてはいたが、己の余りにも非常識な能力に正直言うとかなり引いていた。しかし、これからの事を考えれば困る物ではないかと自分を納得させる。

 

 そしてレプリカのスタッフから炎の精霊を喚びアウラと闘わせて水を飲ませた。そして全守護者が揃った段階で忠誠の儀を受けると、その重さを感じて唖然とする事になる。

 

 そのあと現在のナザリック地下大墳墓の状況が、帰還したセバスの口から語られる。現在のナザリックは、広大な草原の真っ只中にいる事が報告された。近隣には精々が野生動物程度で脅威にすら成らない事も合わせて報告される。

 

 古参プレイヤーであるモモンガは、そんな地形はユグドラシルには存在しない事を知っている。ひょっとすると100年前に流行った異世界転移系の様な状況下かも知れないと思い。更に問題が増えたと頭を抱えたい処であった。

 

 兎にも角にも、それぞれの守護者にナザリック内部の異常を精査する事を命じる。

 

(分からない事ばかりだが、何とかコイツらとも上手くやっていけそうで良かった。後はもっとナザリック外の情報を集めないといけないか)



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第五話 決意

 モモンガは、まだ守護者達に言って措かなければならない事があるのを思い出す。それは覇王の肉体の事である。

 人間化して守護者達にモモンガだと認識されなければ、攻撃されてしまうかもしれないからだ。

 

 しかしモモンガは知り得ない事だが、ナザリックに属す者にはナザリックに所属する者の気配がお互いに分かる。特に至高の41人の気配ともなれば強力な物となり、ナザリックの者から見ればモモンガの気配などは一目瞭然で感知が可能になる。これは覇王の肉体に変化した場合でもである。

 

「お前達に伝えておかなければならない事がある。それは私が受肉する事で、人間形態に変化出来る様になった事だ。これは人間になったという訳では無く、あくまで擬態である事を肝に命じてほしい」

 

 擬態云々の科白は異形種族がモモンガの基本種族だよと主張した方が、守護者達には受けが良さそうだと判断した為である。実際はどちらもモモンガであるというのが本当のところであって、区別する意味は無い。その時々で、モモンガが便利だと思った方を選択すれば良いだけの事である。

 

「そしてこれが、その擬態だ」

 

 モモンガは、その場で覇王の肉体に変化してみせた。威圧感のある風貌を見て守護者達が驚愕する。

 

「「「これがっ!」」」

 

 守護者達にとっては、何故至高の御方が擬態とは云え好き好んで人間などにと不思議に思ってしまう。そこでデミウルゴスが即座に質問をした。

 

「モモンガ様、何故、人間に擬態が必要なのでしょうか? 私には分かりかねますが、何かしらの理由があるのでしたら私共にも御教え願えませんか?」

 

 現在のナザリックの不可思議な状況下で敢えてモモンガが人間に擬態すると言い出したのには、何かしらの関連性がある様にしかデミウルゴスには見えなかったのである。

 

「う、うむ、そうだな。今現在、我々が居るこの世界では人間が幅を利かせていると見ている。これは当然、私の勘でしかないがな。しかしこの世界の強さの基準が分からない現在において、我々が実は最弱の存在だったなどの事も予想される。その時に同じ人間種族であれば、友好的に事を進められるかも知れないからだ。分かるか?」

 

(そんな事は、俺にも分からんがな)

 

 モモンガはそれらしい理由を述べたが異世界に於いて人間が主流かどうかなど、勘だとて現段階では誰にも分かりはしない。単純にモモンガが人間形態で喰っちゃ寝をしたいだけの事だ。アンデットの特性である三大欲求を満たせない状況は、流石に人外初心者であるモモンガも勘弁して欲しいと思っていた為だ。

 

 それに気付かずに守護者達は至高の御方の叡知に触れて、感動を得ていた。

 

「流石は至高の御方の中でも、最後まで残った愛しき君でありんす」

 

 シャルティア・ブラッド・フォールンは何故か内股をモゾモゾと擦りながらも、赤く染めた頬で称賛した。

 

「御方ノ叡知トハ、コレ程ノ物トハ思イモ致シマセンデシタ。御方ヲ侮ッタ罪ハ私ノ命デ償ワセテ頂キマス」

 

 コキュートスが自害しようと刀を頸に当てるが、モモンガが即座に止めに入り事なきを得る。

 

「あたし達とは比べるのも烏滸がましい程に、モモンガ様は考えておられるのですね。あたし達も頑張らないとねマーレ?」

 

「う、うん、モモンガ様はヤッパリ凄いね。お姉ちゃん」

 

 アウラ・ベラ・フィオーラとマーレ・ベロ・フィオーレは、一人は瞳をキラキラと耀かせて自らの主を仰ぎ見てながら決意を新たにし、一人はオドオドとしながらも敬愛する主を上目遣いで盗み見る。

 

「モモンガ様は、実に慎重に行動されるのですね。私など其処まで警戒心を働かせては居ませんでした」

 

 セバスは、跪きながらも器用に背筋を真っ直ぐに伸ばして深く頷いている。

 

「私なども人間と親しくしなければならないのでしょうか? 難しいかも知れませんが、モモンガ様がそう仰るならば必ずや成し遂げますわ」

 

 人間を蔑視せよ設定されているアルベドは決意を固めていた。そうあれと設定されたならば仕方の無い事ではあるが、モモンガの為に設定を曲げると述べる。しかしモモンガとしては、単に自分の我儘でしかない事柄に反応されてもなといったところである。

 

「モモンガ様の御考え、理解致しました。成る程、我々が弱者かも知れないですか。後々、偵察部隊には確りとその辺りも確認させます」

 

 デミウルゴスもこの世界で最初に遭遇したのが人間ならば侮ってしまったのではと、自戒を込めた発言をした。

 

「うむ、そう云う事だ。くれぐれも慎重に行こうではないか、ナザリック地下大墳墓に敗北があってはいかん。だからと言って狂犬の様に噛み付くのも、それはそれで憂慮すべきではある。さて、そろそろ私が命じた作業に取り掛かってくれ」

 

「「「はっ!」」」

 

 守護者達が自分の階層を調べる為に散っていく。モモンガは見送りが終わると、早速第9階層の自室へリング・オブ・アインズ・ウール・ゴウンで転移した。

 

 自室に到着後、部屋に一緒に入って来ようとするセバスとメイドや護衛の昆虫騎士達を何とか退け、覇王の肉体のまま部屋の豪奢なベッドに倒れ込んだ。

 

(訳が分からない事だらけだ。ナザリックは現実になって異世界らしい場所に転移はするし、守護者達は凄い忠誠心なのは助かるが重いし、俺は単なる平凡な社会人なのにアイテム群と融合して凄く強くなるわ、滅茶苦茶じゃないか……でも嘆いてばかりも居られないか。この仲間達との絆の象徴であるナザリック地下大墳墓だけは、何者からだろうと護り抜いてみせなければ)

 

 この状況に対してモモンガは色々と考察や推測を試みるが、仮想現実続行誘拐説、植物人間夢想説、運営宇宙人説などの荒唐無稽な考えばかりが浮かび思考を放棄するに至る。そして結局の処は現状に沿った形でナザリックを維持するしかないとの結論を、モモンガは導き出した。

 

 ここでモモンガは薄々気付いては居たが、敢えて目を背けて考えない様にしていた事に向き合う決心をする。先程の魔法を確かめる際に、アイテムボックスも問題無く使える事を確認している。そこから流れ星の指輪を取り出すと星の数を確認し、それが一つ減っている事に驚愕した。

 

 本来は願う事で運営からの選択肢が表れる仕様の星が減っているのにも関わらず、モモンガにはそんな記憶は無い。ならばユグドラシルが現実に成ってから願ったと考えるのが、自然である。

 

 そう、あの願い。“もしギルメンが死ぬ直前にアインズ・ウール・ゴウンに還りたいと本心で願ったならば連れてこい”と願った事で星が減ったのならば本当にギルメンが来てくれるのではと、モモンガは祈りにも似た気持ちで期待に胸を膨らませる。

 

(もしも皆が死ぬ間際に還りたいと願ってくれたなら、此方に転移する事になるのかも知れないが、皆が死ぬ事を前提に考えなければいけないのは申し訳ないとは思う。でも寿命とかで死んだらどうなるんだ? 時間とかも超越して来る事になるんだろうか? まあ現在のこの状況を考えれば今更か。だが来てくれるのだろうか? まあ来てくれたのなら前世は既に終わってる訳だし、望んで来てくれたなら問題はないか。また仲間と思う存分冒険出来るかも知れないなんて夢みたいだ)

 

 思わず頬が弛むのをモモンガは止められないでいた。なにしろ、数年に渡りモモンガはたった一人で待っていたのだ。現実の生活を犠牲に拠点の維持費用を払い続け、仲間と再び冒険する事を夢みてコツコツとまるで修行僧の様に過ごしていたのだから。

 

(だが、いざ本当にギルメンが異世界に転移してくれた時にナザリックが蹂躙されていたなら、仲間に申し訳ない処か顔向けが出来ないな。よし! 頑張れ俺、負けるな俺)

 

 その為には現在の情報量では圧倒的に足りないし、更には己の新たな能力を活用してナザリックを護らなければいけないと、モモンガは静かに決意を固めた。

 

 明確な方針が決まるとモモンガの腹が据わる。そして守護者達の報告を待ちながら色々と想定をして、どうすればナザリック地下大墳墓を異世界の仮想敵対勢力から護り切れるのかと思案する。

 

 

 

 



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第六話 箱庭

 その後守護者達から各階層に異常無しとの報告をメッセージの魔法で受けたたモモンガは、ナザリックの入口である第1階層霊廟へと全員を集結させた。

 

(何これ……夜空ってこんなに綺麗なのか。知らなかったな、世界はこんなにも美しいって事を。ブループラネットさんはこの事を言っていたんだな)

 

 当然の如くモモンガは異世界の夜空に魅了されフライの魔法で飛び立ちたかったが、跪く守護者達を魔王ロールで睥睨すると厳かに語り出す。

 

「皆、御苦労。幸いにもナザリック地下大墳墓には目立った変化は見受けられなかった。だが、いまだ予断を許される状況ではない。いつ何時、我々ですら敵わない敵対者が現れて攻撃を開始するかも知れないのだ。そこでだ、私はナザリックを一時的に異次元に隔離する事にした」

 

 モモンガがそう言うと守護者達は当然意味が分からない為に首を傾げる。

 

「まあ分からないのも無理は無いが、私は体の中に異次元空間を創造して確保しているのだ。そこにナザリックを隔離し、敵対者の魔の手から護るつもりだと云う事だな」

 

 アルベドが、呆然としそうな思考を纏めて発言する。

 

「モモンガ様にその様な御力が有るとは、このアルベド誠に感服致しました。ですが大丈夫なのでしょうか? ナザリック地下大墳墓程の質量を御身体の中に収めるなど、御身体に何か御負担が掛かるのではと愚考致します。もし可能であれば私の身体の中にナザリックを隔離して頂ければ、例えこの身が滅びようとも些かも構いません」

 

「アルベドよ、心配する必要はない。詳しい仕組みの説明は省くが、異次元空間が私の身体に負担を与える事は無い。何しろ私が自ら創造した空間なのだ。それを制御化に置いて空間の座標軸を体内に指定しているに過ぎない」

 

 アルベドは己の主人の持つ神に比肩する程の能力に感嘆し、主人が大丈夫と言うならばと引き下がった。

 

「モモンガ様、頭脳明晰で在れと創造された私でも全く仕組みを想像出来そうに有りません。流石はモモンガ様です。己が無知蒙昧である事を恥じ入るばかりで御座います」

 

 宝石で形成された瞳を潤ませて、デミウルゴスが己の主人の偉業を称える。

 

 モモンガが当然の様に話をしている異次元空間だが、勿論モモンガにも仕組みなぞ欠片も理解出来ている訳がない。

 

 守護者達がナザリックの各階層調査をしているのを待っていた間に、自室で意識の隅に存在する感覚を更に詳しく把握してみようとして判明した能力の一つである。

 

 モモンガは、ワールドアイテムの天地創造が己と融合した結果発生した能力ではないかと思っている。それは己の身体の中に天地創造の設定通りの空間が出来ていると、確信出来る程の感覚をモモンガに与えていた為だ。

 

 そこでどうやったら行き来を出来るのかを探ってみた処、どうやらモモンガの左手を対象に添える事で吸収して異次元へと取り込める事が分かる。そして右手を念じる事で取り出す事が出来るとも伝わってくる。

 

 これは混沌の融合に依って、ワールドアイテムの強欲と無欲が変化したのである。そうなのかも知れないなどと、モモンガとしては想像するしかない事だ。

 

 兎も角として使用方法さえ分かれば、後は実践して仲間と造り上げたナザリックを護る為に使用出来さえすれば良く、理屈などは犬にでも喰わせてやれば良いとモモンガは判断した。

 

 試しにモモンガが己の胸に左手を添えて念じると、掌に漆黒の混沌の渦が発生しモモンガを瞬時に巻き込み吸収した。そして瞬間移動したかの様に、モモンガは何時の間にか馴染み深いユグドラシルの景色の中に立つ己を自覚する。

 

 しかしそれは確かにユグドラシルの景色ではあるが、それは現実に変わったユグドラシルであった。所々の草木などの細部のディテールがゲームでは無く現実に変わった事を告げ、辺りを跳ね回る兎の様なモンスター達の息づく様な躍動感が、最早それはゲームでは無いと確信させる。

 

 因みに兎の様なモンスターはユグドラシルで始まりの町で、初心者達が最初に降り立つ場所にしか出現しない低位のモンスターである。

 

 そこでモモンガはファイヤーボールの魔法を放って兎を仕留めてみたが、何とユグドラシル金貨2枚と最下級のデータクリスタルをドロップした。

 

 嬉しく思い更に仕留めてみればレアドロップの最下級羊皮紙をも落とす。更には暫く眺めて居ると、空間から自然にモンスターが湧く事も確認する事が出来た。

 

 モモンガがフライの魔法で飛んでみると四方は遠くの地平線まで見通せるのだが、暫く飛ぶと第六階層に拡がる空間の様に見えない壁に阻まれる事になる。モモンガのユグドラシルでの経験から算出した目算ではあるが、20キロ平方程の空間である事も知れた。

 

 しかし壁に阻まれるも、己が念じれば魔力を消費する事で空間を更に拡張出来る事が何故だか肌で感じられる。しかもモモンガの想念から情報を抽出して、それを元に世界拡張が出来る事すらも分かる。

 

 低級モンスターどころか中級、上級モンスターをも想念に依って好きな比率で出現させられる手応えも感じられ、モモンガの懸念であったナザリックの自給自足の目処がこれで立った事になり頬が緩みそうになる。何しろ安心して拠点を設置出来るのだから。

 

 モモンガには嬉しい誤算だが、今の処は充分な空間と雑魚モンスターからの消費アイテムの補充も得られる事さえ分かれば事足りる。空間拡張は後々にナザリックの体制が整ってからで充分に間に合うと、モモンガは判断した。

 

 モモンガには知り得ない事だがワールドアイテムの混沌の渦に巻き込まれた際に、まず真なる無が虚無を、天地創造が空間と様々なソースの塊である有を、刻の超越者が時間を、そして無、有、時を混ぜ合わせる事で本当の意味での天地創造を成したのだった。

 

 まあ、魔力というエネルギーをモモンガが消費しなければ拡がらないという世界ではある。

 

 惑星ですらなく、何処まで行ってもずっと大地が続き、何処まで掘っても地面が続き、何処まで飛んでも空が続き、海を発生させても極論すれば凄く広大な湖としてしか定義出来なくなってしまう事になる。何しろ他が無限の広さを誇るが故に自然とそうなってしまうのだ。

 

 惑星でもないのに何故か太陽は少しずつ移動するが、モモンガ自身が移動してから確認しても太陽の位置は相対的には変わらず、特に不便を感じない仕様でもある。

 

 不完全な世界だとモモンガの常識が悲鳴を上げるが、常識とは何なのかと世界毎に考えれば、その世界ではそれが当然だと認識すれば基本的にはどうでも良い事ではある。

 

 兎も角として、いつの間にか創造神に成った事も知らずにモモンガは上機嫌で右手に黒渦を発動してナザリックに帰還した。そして現在、守護者達に己の箱庭世界を自慢していると云う状況なのである。そしてデミウルゴスの賛辞にモモンガが応える。

 

「なに、ほんの戯れに世界を創造していた事が効を奏しただけの事。箱庭世界とでも名付けておこうか。さて、我が箱庭に誰が最初の歩を踏むのかな」

 

 モモンガは、覇王の笑みで守護者達に左手を差し出して箱庭世界への渡り方を説明する。

 

「はい! はい! わらわが、一番にモモンガ様の世界に行くでありんす!」

 

 シャルティアがピョンピョン跳躍しながら手を挙げて己が主人に訴えた。遅れて他の守護者達も主張するもモモンガがシャルティアに決めてしまう。特に淫魔は意気消沈して恨めしそうにシャルティアを眺めていた。

 

「シャルティアよ、痛くは無いのでな。心配は要らないぞ」

 

 モモンガが左手でシャルティアの左肩に触れると、吸血鬼は突然モモンガの左手の小指をしゃぶり倒す。

 

「モモンガヒァま、どうヒョ送ってくだヒァいで、ありんちゅぱっ」

 

 モモンガはシャルティアの唇から即座に小指を抜くと、シャルティアの頭部を渾身の力で鷲掴みにして叫ぶ。

 

「逝ってこい!」

 

 その瞬間にシャルティアの姿が歪み、漆黒の渦に飲み込まれていく。

 

「ありんちゅぅぅぅぅ」

 

 ありんす吸血鬼の悲鳴が響き渡り渦が収まると、その場の全員が何かに疲れた様に肩を落とす。だが、スルースキル全開でモモンガは話を続ける。

 

「半分の人数が箱庭に行ったら私が迎えに行って還ってこよう。更には残りも還って来たら、ナザリックを向こう側へ送る。楽しみにしておけ」

 

 全ての守護者とモモンガがナザリックを完全に離れる瞬間を作りたくは無い為に、半分づつの見学をモモンガが提案する。

 

「モモンガ様! アイツだけ別の空間か何かに隔離出来ませんか?」

 

 アウラが半分本気で提案してくるが、モモンガとしてはそう云う訳にも行かないのだ。シャルティアか阿呆の子なのは兎も角として、そのガチビルドの戦闘能力は切り札の一つと言って良いのだから、それにモモンガの仲間が残していったNPCでもある。モモンガが嘆きながらも容認するのは仕方のない事なのだ。

 

「まあ、シャルティアの創造者であるペロロンチーノさんに免じて許してやろうじゃないか、ペロロンチーノさんは私が一番親しくしていた仲間なのだしな」

 

「そ、そうだよ、お姉ちゃん。ペロロンチーノ様はぶくぶく茶釜様の弟君なんだし、僕達にはシャルティアさんは従姉に当たる筈だよ」

 

 マーレが、怒りでジト目の姉を宥める。まあモモンガに許してやろうと言われて怒り続けられる訳も無い。全員が箱庭へと一巡すると、遂にナザリックごと箱庭世界に送り出す事になった。

 

 モモンガだけがナザリックの外側に回り左手を翳そうとすると、アルベドが堪らずに飛び出して来る。続けて他の守護者達もアルベドの意図を理解して馳せ参じた。

 

「モモンガ様がナザリックを箱庭に送ると、短時間と云えども御一人で草原に取り残されます。ここは私が御供させて頂きます」

 

「有り難う、アルベド。私の背後を頼むぞ。だが能力の関係上、私はどうしても最後に自分自身を送る形に成らざる得ないのだ。だが少しでも無防備な時間を減らす様に考えてくれて助かる」

 

 覇王の笑みでアルベドを労うと、頬を染めてアルベドが俯く。他の守護者達にも労いの言葉を掛けてやる。

 

「モモンガ様の御役に立つのならば、それに勝る事は有りません。どうぞ、如何様にも御使い下さい」

 

 アルベドから強引に迫って来られるよりも控えめな態度の方が効果的であった様で、モモンガがアルベドの姿にグッと来てしまった。

 

(アルベドは綺麗だし、凄く俺に尽くしてくれる理想的な奴だが。食事とかに誘っても大丈夫だろうか。だが、俺が設定を弄って惚れさせてしまったんだったな。そんなんで本当の関係だと言えるのだろうか? これは殆ど、アルベドの心を無理矢理に犯した様な物だとも言えなくも無いんじゃないか。しかし、それで責任も取らずに後は放置とかすれば、その場合も逆にどんな外道だ。アルベドにも俺のした事を説明して、場合に依っては流れ星の指輪を使用する選択も視野に入れないとな。勿体無い事だが、それが俺の罰だと考えれば良いか)

 

 実際の処モモンガが設定を弄ってしまったのは、単純にアルベドの容姿に惹かれたからである。そして己に良く仕えてくれる健気な姿にも惹かれ始めた事で、モモンガの罪悪感が疼き始めたのだ。相手に偽りでは無く真から認めて欲しいとモモンガが考え始めたのは、何かの始まりであるのだと言えよう。

 

 

 

 



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第七話 奇跡

 モモンガがナザリックの外壁に左手を添え、能力を発動する。

 

「欲渦よ、全てを喰らい尽くせ!」

 

 モモンガの左手に発生した渦は、膨大な量の混沌を吐き出してナザリック地下大墳墓の地上表層部分を呑み込み、更に地下領域にすら侵食を開始し大墳墓全体を覆っていく。

 

 混沌の渦が大墳墓の全てを覆った感触がモモンガの左手に伝わる。大墳墓を端から粒子化し、左の掌の渦から箱庭世界へと送られている感覚がモモンガに分かる。その過程に於いて莫大な力が辺りに振り撒かれ、守護者達にも波動となって襲い掛かる。

 

「何と偉大な御方なのだろうね。モモンガ様に我々の如き矮小な存在がすがる事で御仕えさせて頂いているのだと、今まさに確信させて頂いた気持ちですよ」

 

 デミウルゴスは感動で止まらぬ涙を拭う事すら忘れて、主人の起こした奇跡とも言える光景に躯を震わせる。

 

「デミウルゴス言ウ通リダ、コレ程ノ御力ヲ見セテ頂ケレバ我ガ身ノ不甲斐ナサヲ実感スルナ」

 

 コキュートスは興奮を抑え切れずに顎をガチッガチッと噛み合わせ、己の主人の行う奇跡を複眼に灼き付け様と佇む。

 

 守護者達がそれぞれ主人の偉業に驚嘆している内に、次第に混沌の渦はその体積を減らしながらモモンガの左手に吸い込まれていった。

 

 モモンガは予め箱庭世界に目星を付けておいた、広々とした平野を思い浮かべる。するとそこに地面の土を押し退けて鎮座するナザリックの感触が、どういう理屈なのか集中するだけの事でモモンガにも伝わる。

 

(凄いな。事前に何となく出来るだろう感覚はあったが、出来て良かった。出来なかったら、恥を掻く処だったがな。しかし想像していたよりも凄過ぎだろう。随分と吃驚してしまったが、まあナザリック程の体積や質量を吸収させれば衝撃波とかが出ても当たり前だと考えるべきか)

 

 いざナザリックを吸収する際に渦に巻かれて霞の様に消えて無くなるのではと、モモンガは想像していた。変な力場が発生して波動が放出されるとは思ってはいなかったのだ。

 

 完全にナザリック地下大墳墓を吸収したモモンガは、守護者達に振り返る。

 

「まあ、私に掛かればこの程度の事は児戯に等しいと知れ。さて、次はお前達の番だ。そこに並んで立て、私が送ってやろう」

 

「「「はっ」」」

 

 モモンガの心配を続ける守護者達を順番に箱庭世界へ送ると、モモンガは誰も居ない夜の草原を振り返る。暫く眺める事で思う存分に夜空の星を満喫出来たが、不意に表情を引き締めると呟く。

 

「確かに俺のいた世界とは比べ物にならない程に美しい世界だ。だが待っていろ、どんな世界かは知らないが仲間の為にも未知のままにしては措けないからな。覚悟しておけ」

 

 覇王は炯々と底光りする瞳を異世界に向け、その身に左手を当てると漆黒の渦に呑まれて消え去った。

 

 モモンガは格好良い台詞を吐いたが、実は戦々恐々としている自分を鼓舞する為の儀式の様な物であり、あまり意味はなかったりもする。

 

 草原にはナザリック地下大墳墓があった場所に途轍も無い大きな穴が開いており、後に異世界人達に騒がれ後日【奈落の大穴】と呼ばれる事になる。

 

 

 

 

 箱庭世界へモモンガが移動すると守護者達が周辺の雑魚モンスターを狩っており、主人の姿を見付けて全員が駆け寄って来た。

 

「モモンガ様よくぞ御無事で、心配致しました」

 

 アルベドが泣きそうな顔で言うと、他の守護者達も安心したのか口々にモモンガの無事を喜ぶ。モモンガは守護者達が自分に対して過保護なのではとも思い、後で話し合いでもして緩和させねばと心のノートに記した。

 

「この雑魚モンスター達はいずれ計画的に狩ってナザリックの維持に費やされる予定だ。それよりも、お前達も疲れただろう。ナザリックに還って休もうじゃないか。4時間後に第9階層の円卓の間に集合してくれ、これからの事で会議を行う。良いか?」

 

「「「はっ、必ずや」」」

 

(今の気合い入れる処か? どうにも守護者達のテンションがおかしいな。なら俺の創ったNPCならどうなのだろうか? 俺の侘しさとかに付き合わせる為に、少し特殊な設定も盛り込んでいる筈だ。確か俺を愉しくさせて欲しいとか設定したのだったか。試して見るか)

 

 

 

 

 

 

 ナザリックに帰還したモモンガは早速宝物庫に向かい、パンドラズ・アクターに命令する。授けられた知恵を使いアルベドやデミウルゴスと協力する様にと。

 

 かなりモモンガの精神に亀裂を入れてくれる息子ではあったが、何処か他の守護者達と違って盲目的にモモンガに仕えると云う感じでは無く、モモンガの事を分かった上で仕えている風にモモンガには感じられた。やはり己を慰撫させる設定にしておいて正解だったとモモンガは思う。

 

(うん、台詞や仕草、ドイツ語以外は完璧だ。あれ? 中身以外の外面は全滅と云う事か、昔の俺は何を考えていたんだか。はぁ~何だか疲れた。休むか)

 

 そしてモモンガは自室で寛いでいた。セバスの淹れてくれた紅茶を飲み、以前の世界では高級品であろう味を満喫する。

 

(旨いな紅茶、合成物とは一味違う。次は贅沢に100パーセントの果汁とかで行くか)

 

 兎に角ナザリック地下大墳墓の安全性は確保されたのだから、モモンガが弛緩してしまうのも無理はない事であった。箱庭の入口であるモモンガがここに居るのだから、ワールドアイテムを使用してすら突破は不可能なのである。

 

 もしもの事だが異世界の特別な技術などの余程の事が無ければ、安泰と言って良いとモモンガは判断する。既にワールドアイテムすら弾き返す防備を施しているのだから、未知の異世界技術を使って侵略を開始出来る程の勢力まで想定していては切りがないとも言えるからでもある。

 

 モモンガの腹の虫が盛大に鳴り響く。モモンガは我ながら現金な物だなと苦笑して部屋の扉を開くと、セバスに命じる。

 

「セバスよ、人間の肉体ではやはり空腹を覚える様だ。夕食を用意させてくれるか」

 

「はっ、直ちに準備させて頂きます。暫しの御猶予を頂けますか? 献立に御要望が御有りならば必ずや揃えて御覧にいれます」

 

 セバスの張り切り様に若干気迫されるが、モモンガは何とか返事を返す。

 

「それほど気負うなセバス、献立はコース料理などの凝った物で無くて良いが肉類を中心に頼む」

 

 異世界以前のモモンガの食生活は合成食を用いて、必要な栄養素を摂取する為だけの作業でしかなかったが、ナザリックが現実化した今ならば仲間と第9階層に設置したネタ施設が福音となるのだ。

 

 特に天然の肉類を食べられるのは、モモンガにとって驚異的な事柄になる。大量の合成穀物や植物を餌に育つ牛や豚などは、高級品過ぎて鈴木悟には正に夢のまた夢であったのだから。

 

「はっ、直ちに」

 

 セバスがやっと主人の世話を出来ると内心で感激しながら、シクススと云うメイドに食堂への連絡をさせた。

 

 メイドのインクリメントに依ってモモンガの自室のテーブルにクロスが掛けられ、ナプキンを胸元に装備し、食器類が配置され、ワイングラスにセバスがデキャンタから深紅のワインを注ぐ。

 

「12年前にたっち・みー様が作成した、無限のワインデキャンタです。この状態で熟成が進み丁度良い味わいになれば品質が変わらなくなります。ワインの銘柄は【ナインス・オウン・ゴール】と申します」

 

 セバスは誇らしげに、自らの創造者の造ったデキャンタを撫でる。

 

「ほう! それは素晴らしいデキャンタだな。たっちさんがそんな物を造ったとは初耳だ。楽しませてもらおうか」

 

 モモンガもモモンガで、たっち・みーが12年前に造ったと聞いて当時の旗揚げ直後を思い出し、染々とワイングラスを傾け深紅に彩られたワイングラスを透して過去へと想いを馳せる。

 

(年月を経るごとに熟成か……俺達には出来なかった事だ。更には丁度良くなってから品質が変わらないだと……理想的な事だと言えるが困難な事この上ないな)

 

 モモンガの顔が苦渋を飲んだ様に歪み、それを見てセバスが発言した。

 

「モモンガ様……私などには至高の御方々の事情は察せませんが、気落ちされませぬ様に、御身に触ります。私達が微力ながら精一杯仕えさせて頂きます」

 

「うむ、セバスよすまないな。心配させた様だ。許せ」

 

「畏れ多い事です。私は何も見ては居ませんでした。モモンガ様はたっち・みー様のワインを楽しまれていただけに御座います。メイド達も何も見てはいないそうです」

 

 モモンガが見ると、メイド達も頷いている。

 

(配下に気を使わせるなんて良くないな。特に仲間がナザリックを去った事をシモベ達に突っ込まれると俺も返答に困ってしまうか……。よし、向こうじゃ食えなかった飯でも食べて元気を出さないとな)

 

 ワインを口に含むと、ワインのもつ渋みと濃厚な旨みが程好い酒精と絹の様に滑らかな喉ごしを伴いモモンガを陶然とさせた。

 

 セバスと他愛の無い雑談(ありんす吸血鬼ちゅぱ事件)で時間を潰していると、手押しワゴンに載せられた料理がメイドのシクススに運ばれる。大皿には1キロ程はあるステーキ肉、浅いボウル皿には黄色いスープ、深皿には新鮮な野菜、丼には白い粒々など、それらがテーブルに配膳される。

 

 この時点で先程のモモンガの心の憂いは吹き飛び、食事への期待で胸を高鳴らせていた。まあ、無理もない事ではある。モモンガの知っている食事は、粘体チューブ形や固形の塊の合成食でしかないのだから。

 

「本日は肉類をモモンガ様が御所望されましたので、ヨトゥンヘイムのフロスト・エンシェント・ドラゴンの霜降りステーキをメインにさせて頂きました。スープはニブルヘイム産の南瓜ポタージュスープを、サラダはアルフヘイム産のマンドラゴの葉と黄金マッシュポテトを、至高の御方様方の魂の穀物だと御伺いしましたヘルヘイム産の白米をパンの代わりに御用意させて頂きました。デザートにはエクスプロージョンメロンのシャーベットです」

 

 セバスが立て板に水の如く話す献立を何となくで聞き流し、モモンガは己の大好物でもある合成米の粘体チューブをテーブルの上から探すが見付からない。

 

(チューブが見当たらないぞセバス、でも究極執事でも間違える事くらいはあるか。ん? ……えっ、マジか! ひょっとしてあの白い粒々って噂に聞いた本物の米じゃないのか……よ、よし喰おう。喰っちゃおう)

 

 モモンガは、ナイフとフォークでステーキを一口分に切り取り口に運ぶ。

 

「モモンガ様、肉が上等ですと塩と胡椒だけで充分な味付けなのだと料理長が話しておりました」

 

「うむ」

 

 肉に夢中で、御座なりな返事をモモンガが返す。

 

 モモンガが肉を噛み締めると、霜降りと言うだけあって濃厚な脂の旨味と甘味が口内で溶ける。そして柔らかくも噛み応えのある肉は、内包された滋養溢れる肉汁を弾けさせた。だが弾力を感じさせながらも、肉でありながら口内でサラリと溶けて無くなる。

 

 この段階でモモンガは肉の余りの旨さに目尻から涙が零れそうになるが、配下の前で泣く訳にはいかないと必死で我慢した。

 

 肉の余韻が口内に残っている内に素早く白米を口内に運ぶと、肉の濃い味を米の淡白で仄かな甘味が中和して、肉と米が融け合う相乗効果がモモンガの口内を幸せの塊に変える。

 

 肉と米の渾然一体の流れをサラダで浄化すべく、青々としたレタスに酷似した葉野菜を口内に投入すると、シャキシャキとした新鮮な葉野菜が口内の旨味を昇華させ、マッシュポテトを続けて投入するとシットリとした味わいが暴れていた旨味達を落ち着かせる。

 

 モモンガが仕切り直しの南瓜のポタージュをスプーンで口に含むと、ポタージュに含まれた乳性が優しく舌を包み込んで、肉を再び噛み締める為の準備を整えた。

 

 肉から米、米から野菜、ポタージュから肉のローテーションを繰り返すと、モモンガはあっという間に完食してしまう。最後にメロンのシャーベットが、味の交響曲で疲れた舌を冷やし、後味の果物の甘味が舌に彩りを添えた。

 

 モモンガは感動していた。産まれてから食べた物の中でも一番の食事だと確信を持って言える程の美味だと。

 

(こんな食事を俺はこれからも続けて良いのか? 誰かに怒られやしないのか? 固形やチューブの食事には、もう戻れる気がしないな)

 

「モモンガ様が御満足頂けた様で何よりです。食後は珈琲か紅茶、どちらが宜しいでしょうか?」

 

 セバスが背筋を伸ばしたまま、会心の一礼をする。モモンガの執事として、主人に食事を堪能して貰えた事は正に執事冥利に尽きるといった処である。

 

「珈琲で頼む」

 

「畏まりました」

 

 セバスの淹れた珈琲を寛いで啜るモモンガを、誇りに満ちた立ち姿でセバスは見守る。主人が己の奉仕に依って寛いでくれる事がセバスの究極の幸せなのだ。

 

(あ~旨かった。幸せだ。やっぱり人間は飯喰ってなんぼだな。アンデッドのままなら喰えなかった事を考えると、人化の指輪と融合して良かったと言えるかも知れんな)

 



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第八話 鎖国

 食事の後は風呂にするかと、モモンガは大浴場へと向かった。

 

 二十畳程の広さの脱衣場でモモンガは神器級装備を脱ぐと、備え付けの籠に収め浴場への扉を開ける。

 

(随分と広いな、こんなだったか。確かリバーさんが設計したんだったか。凝り性だったからなあの人)

 

 大浴場は直径20メートル程の円形の湯船が出迎え、奥にはサウナや薬湯、打たせ湯や電気風呂などの色々な種類がある。

 

 モモンガは日本人のマナーを守って身体を湯で軽く流すと、畳んだ濡れタオルを頭に載せ円形の大湯船に漬かる。すると湯熱が肌に染み渡り、チクチクする感覚を覚えた。はぁ~とモモンガの口から吐息が漏れる。

 

 モモンガが鈴木悟であった時は、蒸気を立ったまま浴びるタイプの水分を再利用する循環式蒸気シャワーだった。それを考えれば随分と豪勢な風呂である。カビ臭い据えた匂いなども全くしない。するのは柑橘系の爽やかな芳香や清浄な水からのマイナスイオン、熱を帯びた水蒸気の暖かい薫りなど、モモンガにこれこそが真の風呂だと主張していた。

 

(やっぱり蒸気よりも湯船だよな。だって日本人だもの)

 

 ご機嫌なモモンガは鼻歌混じりでフンフンしながらも、これからのナザリックをどう導いて行くのかを色々と考えた。

 

 しかし風呂では裸になる所為なのか心まで開放的になり、いつか仲間の誰かに再会する事が出来るかも知れないとか、次第にモモンガは素の望みをつい考えてしまう。

 

(まあ結局の処、俺に出来る事なんてナザリックを維持して、仲間達が来てくれるのを待つだけだ)

 

 肩まで漬かりながら百まで確りと数え、モモンガは風呂から上がる。

 

 脱衣場に備え付けのフワフワの白いタオルに感動しながらもモモンガは身体を拭き。そして脱衣場の壁一面が鏡張りになっている面を向いた。

 

 フリチンの男性が鏡からモモンガを見ている。凄まじい迄の筋肉を纏う漢である。大胸筋の膨らみや上腕二頭筋の盛り上がり、後背筋の縄の様な寄り合わせ具合や僧帽筋の張り、6つに綺麗に割れた腹筋など、全ての調和と均整が取れている完璧な肉体だと言っても良いだろう。

 

(こういうのって、切れてる! 切れてる! とか音頭を取って褒めるんだよな。筋肉を愛しちゃってる人達は……)

 

 モモンガは何だか阿呆らしくなり、丈夫そうな肉体と厳つい顔だが格好良いと言える風貌な事に満足すると、脱衣場に備え付けのギルドの紋章付き黒色バスローブを羽織るとチラリと下の物を確認した。

 

(漢の物も何だかんだ言って、凄く大きく為ったのは嬉しいかも知れん)

 

 やはり漢には大きさは大事な事だと、モモンガは実感する。

 

 そして鏡面とは反対側の壁に設置された自販機を珍しがりボタンを何ともなしにモモンガが押すと、表面に汗を掻く程に冷えた500ミリリットルの缶ビールが排出される。ビールは排出されたのであって購入したのではないのは、ナザリックの維持費用の内訳、月額10000ユグドラシル金貨に含まれる為である。

 

(これが昔のビールか、ユグドラシルの備品として見たり昔話に聞いた事はある。だが実物として見るのは初めてだな。天然のホップだったか、ブループラネットさんが熱弁してたっけ。俺が飲んでたオイル臭い合成発泡酒とは違うらしいが、どう違うんだ? 昔は世のお父さん達を励ましていたらしいが……確かこの肉体なら精神耐性のオンオフも自由自在の筈、ちょっと酔いたいかもな)

 

 モモンガは、隣のフルーツ牛乳とコーヒー牛乳の瓶が並んだ自販機を眺めて迷う。風呂上がりのビールを止めてそちらにするかと。何故なら鈴木悟の呑んでいた合成酒とは、抽出した素のアルコールに添加物の味が付いた様な粗悪な物である。正に酔うだけの為に造られた、酩酊感を味わいたい人々の為の物である。

 

 モモンガは別に呑めない訳では無いが、酩酊感を得る為だけの酒は好きではない。ギルドの仲間とオフ会で呑むのならば話は別で、仲間と呑む酒は楽しみを増幅させる潤滑油の役割を果たしてくれると思っている。

 

(まあ、ナザリックで初めての風呂上がりのビールも乙な物だし、呑んでみるか)

 

 モモンガがプルトップを引くと、プシュッと泡が弾けて溢れそうになる。それを見てモモンガは慌てて口を付けて、一気に喉へと流し込んだ。

 

 モモンガは風呂上がりで喉が渇いていた。その為に最初に感じたのは、圧倒的な冷たさと泡が弾ける刺激が喉を灼きながらも潤す矛盾した感覚であった。

 

 だが、その矛盾が逆に心地よく息継ぎもせずにゴキュッゴキュッと一気に喉に流し込んで行く。息を止めたまま流れるビールの喉ごしだけがモモンガを満たし、キンキンに冷えたビールが弾けながら喉を通る感覚が堪らない。

 

 ビールの缶は傾いて底面を天井に向けた。

 

「プッハッ~この喉ごしは堪らんな」

 

 モモンガはすかさずビールの自販機から、2本目のビールを排出する。そして先程の様に勢いだけて呑まずに普通に味わいたく、ゆっくりと嚥下する。

 

(噂には聞いていたが、これ程の爽快感を味わえるとは思ってもみなかったな。今まで呑んでいた合成酒は何だったんだ)

 

 ビールを呑み終えたモモンガは、付属のマッサージチェアーに座るとスイッチを入れる。すると扇風機が自動的にモモンガに焦点を当てて風を送って来た。マッサージチェアーがモモンガの疲れて凝っているであろう部分を揉み解していく。モモンガの今の肉体には筋肉や筋などの凝りは無いのだが、これは多分に鈴木悟として疲弊していた部分への気分的な物である。

 

 リフレッシュ出来たモモンガは装備を整えると自室へと戻った。暫く経つと部屋の扉をノックされ応じると、全ての守護者達が円卓の間に集合した事をセバスによって報告される。

 

 円卓の間にモモンガが移動すると、守護者達は円卓に座らずに全員が床に跪いて待っていた。モモンガとしては、仲間の残していった守護者達に傅かれる事は、余り嬉しくは感じられない。守護者達はナザリックの身内であると云う意識もあるが、所詮は一般人でしかないモモンガの感性が悲鳴を上げるからでもある。

 

 モモンガが円卓の席に座る様に説得を試みるが、守護者達曰く畏れ多いとの事。ならばと一般メイド達の食堂の隣にある、至高の41人の専用ダイニングホールへ移動する様に指示を出した。

 

 ダイニングホールは100畳程の広さを持つ荘厳な部屋である。大理石の床に壁には精緻な彫刻が施され天井には水晶を磨き上げたシャンデリアが釣り下がる。部屋の中央部分には10メートル程の長テーブルが幾つも設置され食事を楽しめる様になっていた。ここですら守護者達は遠慮していたが、モモンガは敢えて命令する事で座らせる。

 

(面倒臭いな、もう少し砕けた態度に出来ないのかなコイツら)

 

 モモンガが上座に座り背後にはセバスとパンドラが左右に控える。左側にアルベド、アウラ、シャルティアと順に座らせ、右側にはデミウルゴス、コキュートス、マーレと続く。

 

 モモンガが、真剣な表情で集中する守護者達に向かって宣言する。

 

「それでは会議を始める。この箱庭世界が私の創造した世界である事は、お前達にも言った通りだ。そして箱庭世界はユグドラシルを見本として創造している。従ってモンスターが、自然にあちこちから涌き出ると云う仕様も遵守されている。現在は低級モンスターしか出現しない約20キロ四方の空間でしかないが、それを利用して狩りを行いナザリックの維持に必要な、ユグドラシル金貨、データクリスタル、珠にドロップするポーション作成に必須のゾリエ溶液の材料や低級の羊皮紙などを採取して貰うつもりだ。それらに依って資金が貯まれば、大図書館に納められた膨大な数の傭兵モンスター達をも戦力として投入出来る事になる。そして範囲が限定されている箱庭世界だが、私の魔力を注入する事で更なる拡張が可能だ。恐らくだが拡張ができた新たな空間には低級モンスターだけではなく、中級モンスターを出現させられるだろう。最終的には上級モンスターをも出現させられれば傭兵モンスター達をそれに宛がいナザリックの維持どころか戦力の充実が更に図れる事になる。ここまでは分かるな?」

 

 ここ迄の話の段階で守護者達は、先程の異次元転移も含めて己の主人がどれ程に規格外の存在なのかと、既に驚嘆を通り越して唖然としそうになり、正しく己達が崇拝する神以外には思えなかった。只でさえ崇拝する主人ではあるが、事ここに至っては己が主人の凄まじい力を信じきれて居なかったとさえ思えたのだ。だからこそ己は主人の力を見せられた時に驚嘆したのだと、ある意味主人の力を疑っていたとも取れる不敬なのだと守護者達は感じていた。

 

「「「はっ、理解しております」」」

 

「よし、続けるぞ。私の箱庭世界は、恐らくワールドアイテムすらも弾き返す性能を備えている。そしてナザリックの自給自足が可能ならば、今の処は異世界に打って出るのでは無くナザリックを鎖国しようと思っている。勿論、不可視や不可知の能力を持つ斥候は異世界へ放つがな。その間にアルベドとデミウルゴスに、ナザリックの緊急時に於ける防衛体制と情報の伝達網を構築して貰う。アウラ、マーレ、コキュートス、シャルティアには、箱庭世界の低級モンスターに対して狩りをする際に、モンスターが湧く場所に低級のシモベ達を配置し、湧く瞬間を待って即座に殲滅及びドロップの運搬と云う作業班を組織して貰う。その間のナザリックの防衛及び警戒は、私とセバスそしてパンドラで充分だ。各守護者は存分に己の責務を果たして欲しい。ここまで終了した段階で更に箱庭を拡張するか検討する予定ではある。そして最終的にはアインズ・ウール・ゴウンが本格的に異世界へと進出する事になる。これが大体の大まかな流れになる。さて、質問はあるか?」

 

「「「いえ、御座いません」」」

 

「よし、お前達。早速だが明朝に作業に取り掛かってくれ」

 

「「「はっ!」」」

 

 アルベドがここで発言をする。

 

「モモンガ様、御提案が御座います。明朝と言わず今すぐに我々が作業に取り掛かると云うのはいかがでしょう。ナザリック地下大墳墓の為でしたら、我々は不眠不休で働いて御覧に入れます」

 

「アルベドよ、確かにお前達の忠義ならかなりの無理でも可能だろうと私は信じている。なんなら私の所有する疲労無効の指輪を貸し与えても良いだろう。だが、それは許す訳にはいかんな。私はお前達にも、もっと生を謳歌して欲しいと思っている為だ。あまり仕事の事ばかりでは無く、もっと己の為にも時間を使って欲しいと思っている。それに先程も言った通りナザリックの安全は既に確保されている。焦る事はない。良いな」

 

 これはモモンガの本心である。守護者達の忠誠の重さを緩和する為の一手なのだ。

 

「はっ、差し出がましく口を挟んでしまい申し訳御座いません。我々の事をそれ程に考えて下さり、感謝致します」

 

「分かってくれて嬉しく思うぞアルベド。もう夜も随分と更けた、解散して明日に備えて休んでくれ」

 

「「「はっ、失礼致します」」」

 

(まあ、湧く敵も雑魚ばかりだし、倒してドロップを回収するだけの簡単な御仕事だ。人海戦術で何とかなるだろう。情報の伝達網とか防御体制とかは俺よりも優秀な奴らに任せた方が良いだろうしな。理想は誰が監督しても過不足なく運営出来る体制だが、優秀な知恵を設定された二人なら容易く成し遂げるだろうがな。今は力と異世界の情報を蓄えるべき時だ。んあぁ~何だか眠くなって来たな。今日程の激動の日は経験した事はないから、やはり疲れて居るのだろう。自室のフカフカのベッドで寝るのが楽しみだ)

 

 ナザリック地下大墳墓はこうして鎖国への道を歩み始めた。そして再び立ち上がり異世界へ進出する時に、どんな影響を異世界に及ぼすのかは神のみぞ知る。



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第九話 冒険者

 ナザリック地下大墳墓が存在していた草原から見ると、北にトブの大森林が拡がり更に北へアゼルリシア山脈が細長く縦に伸びている。そして草原の南にはスレイン法国があり、アゼルリシア山脈を挟んで西にリ・エスティーゼ王国が、東にバハルス帝国が存在する。

 

 山脈間を跨ぐ険しい行程を国家同士で行き来するには流石に困難を極める為、必然的にナザリックの存在した草原近辺が国家間の交易か盛んになる事になる。何しろ三國間の丁度中央部分に存在するのだから、これは当然だと言えよう。

 

 その草原の南南西側、法国と帝国の境目にリ・エスティーゼ王国に所属する城塞都市エ・ランテルはある。城塞都市と呼ばれるだけの事は有り、三重の城壁を備える巨大な都市である。

 

 そのエ・ランテルの一角、治安の良い富裕層が住まう地区に居を構える黄金の輝き亭と云う最高級と言える宿屋の一室で、木製のテーブルを挟み4人の男達が酒盛りを行っていた。

 

 彼等は王国全土に4組しか存在しないアダマンタイト級冒険者の内の1組だ。4組の内でエ・ランテルの冒険者組合に所属するのは2組、その一つがこの[変革の翼]である。

 

 酒盛りを行っているのは、[変革の翼]のメンバー達である。その内の一人の二つ名は六光のガゼフ、本名はガゼフ・ストロノーフ。そしてガゼフは随分と酒が入り、酩酊と言って良い状態になっていた。

 

「王国は既に腐り果てているんだ!  それもあの愚王が腐れ貴族共を御する事も出来ずに、放置してのさばらせているからだ!  そのせいで民は苦境に喘いでいる。何とかしなければ今に手遅れになると俺は思うが、どうだ?  お前らはどう思う?」

 

 怒号と共に、ガゼフが握った酒杯をテーブルに叩き付けた。中身の葡萄酒が衝撃で飛散して卓上を濡らす。

 

 端から聞けば酔っぱらいの戯言でしかないが、王国に4組だけしかいない人類最高峰のアダマンタイト級冒険者のリーダーの発言である事を鑑みれば、なかなかに危険な発言ではある。

 

 ガゼフと云う男は、民を慈しみ愛していた。その為ならば己の命すら喜んで投げ出す心意気すらも持ち合わせている事は、ガゼフの仲間もエ・ランテル所属の他の冒険者達や市民達にすらも周知されていた。

 

 従ってガゼフの人望は留まる事を知らず、エ・ランテルでは正しく英雄扱いされている。しかしエ・ランテルの上層部の重鎮達は王国とは敵対したい訳では無く、度々漏れ聞こえるガゼフの国家への不満の声を苦々しく思っていた。

 

 実際問題として王国の上層部の頂点に君臨する筈のランポッサ三世は、好き勝手に暴れる六大貴族と呼ばれる重鎮達の手綱を取れてはいない。これは200年前に、殊勲を立てた部下達に褒美として多大な領地と領地に於いての執政権を与えた初代が諸悪の根源だとは言えるのだが、だからと言って改革を巧く進められないランポッサ三世にも責任が無いとは言い切れないのである。

 

「分かってるよ、ガゼフ。こないだも六大貴族の威を借る狐が、何処ぞの農村で若く綺麗な村娘を手込めにしたって話を聞いたばかりだしな。誰かが何とかしなきゃならねえ……」

 

 男は唇を噛み締めて怒りを堪えていた。そして怒りを爆発させる代わりに、男の癖であるガリガリと頭を掻く動作を行った。男が悪逆な盗賊の遣いっ走りで風呂にもまともに入って居なければ周りに不潔だと思われたかも知れないが、アダマンタイト級冒険者であれば金に飽かせて当然の如く頭皮は清潔に保たれている。

 

 ガゼフの愚痴に返事をしたのは、同じアダマンタイト級冒険者である。パーティーでは主に斥候役を務め盗賊の技能を有する。二つ名を飛燕のザックと云う男である。ザックはまだ少年の時分に、幼馴染みのツアレニーニャ・ベイロンと云う女性を貴族の手で無理矢理に奪われている。

 

 それに奮起したザックは死に物狂いで習得した技能を用いて綿密な計画を立て、更には事が露見しない様に細心の注意を払い、件の貴族を闇から闇へ葬っていた。

 

 だが、問題は浚われたツアレの行方である。ザックは何とか彼女を見つけ出し、故郷でツアレの帰りを待ちながら魔法の修行を続けているツアレの妹にも会わせてやりたいと思っている。流行り病で既に妹を失い、ツアレの妹に己の妹を重ね合わせてしまうが故に。その為にアダマンタイト級冒険者の伝を色々と駆使して、ツアレを捜索している。

 

「お前らは、相変わらず過激だな。そんな事を他所で吹聴するんじゃないぞ。何と言っても俺達は良くも悪くもアダマンタイト級の冒険者だ。特にガゼフ、お前は自分の周りへの影響力を考えて発言しろ!  またエ・ランテルの偉いさん達の胃袋に孔を空けかねないぞ」

 

 2人を諫めたのは、二つ名を電光石火のブレイン。ブレイン・アングラウスと名乗る男で、ガゼフとは同村の幼馴染みだ。ブレインは幼い頃からガゼフと剣の腕を磨ぎ続けた。ガゼフは盾と剣を駆使する戦士タイプへ、ブレインは刀と呼ばれる南方の武器で戦う剣士へと、戦闘の方向性はお互いに別れたがガゼフとほぼ互角の腕を持った男である。

 

 ユグドラシルのレベル基準値では40レベル、異世界の難度と呼ばれる基準値では120程の腕前を誇る二人であり、正しく人類最高峰の英雄級を名乗るのに寸毫も不足の無い男達だ。

 

 ブレインは何時もこうして、ガゼフとザックが王国の現状について不満を洩らすのを諫める立場にある。それ程ブレインは王国の現状に不満が有る訳では無く、只々剣士としての己を極める為にしか興味を持てない自分を自覚していた。

 

 二人をブレインが諫めるのは、単純に二人の言動に煽られて周りの人間達が余計な事を考える事で、自分にも面倒が振り掛かるのを防ぎたいだけの事である。

 

「ブレイン。儂は王国の平民達の現状には興味を引かれんが、王国に儂達が何らかの動きを起こす事で王国が変わり、それが法国の教義の一助に成るのならば協力するのも吝かでは無いとは思っておるよ。だから、基本的には二人に賛成じゃ」

 

 最後の男は法国出身であり、幼い頃に母親が病を患った際に六大神の神官に救われた事で法国の六大神教に帰依した神官戦士である。二つ名を癒しのカジット、カジット・デイル・バダンテールと云う第4位階魔法まで扱える信仰系のマジックキャスターだ。

 

 因みにガゼフがタンク、ブレインがアタッカー、ザックがシーフ、カジットがヒーラー兼後衛遠距離アタッカーとして機能しているチームである。

 

 カジットはもし母親が死んでいれば、どんな暴走を始めていたのか分からない程の母親思いの男である。その分救ってくれた法国の教義に対しては、狂信者染みた面をも持ち合わせている。そしてこれまでの冒険者としての活動には、その宗教家としての顔を見せる事は無かった。ガゼフ達の王国への不満に我関せずの姿勢を取っていたのである。

 

 カジットは王国などは正直どうでも良いが、法国の人間至上主義の教義の邪魔になる様ならば、ガゼフ達に賛成する理由に成り得るのである。だがブレインにしてみれば、今までカジットが不干渉を貫いていた問題に首を突っ込んで来た事に仰天して声も出せない。

 

「それにスレイン法国から儂に接触があったと言ったらどうする?  法国は王国をこのまま帝国との戦争で弱体化させて帝国に喰わせる方針を固めておったが、儂達の事を小耳に挟んだ様で一度話を聞いてみたいそうじゃ」

 

 テーブルに凭れて物憂げにしていたガゼフが、カジットの言葉を聞いて身を乗り出す。

 

「本当か!  あの愚王を倒して、俺が構想している体制の国家に移行する事について法国は賛成出来るのか?  民の民による民の為の体制だと俺は信じている。だが、法国が目指す教義の為だけに踊らされるならば御免被るぞ。その辺りはどうなんだ?」

 

 ガゼフの構想とは、各分野を統括する長に依る合議制の事である。法国の宗教を軸とした物とは違いは有るが、極めて近い制度だと言える。カジットはガゼフの食い付き様に、辟易しながら答える。

 

「その辺りの擦り合わせを含めての接触じゃよ。焦るで無いわ。急いては事を仕損じると六大神も説いておるよ。なら話だけでも、通してみるか?  それならば仲介は儂に任せておけ、これも教義の為になるのならば正に本懐であるからの」

 

「頼む!  これも民の未来の為だ」

 

 嫌らしい笑みを浮かべるカジットが、ガゼフと法国の接触を請け負った。だが黙って居られないのが、ブレインである。法国との接触が合意に達して仕舞えば、王国は荒れる事になる。それも自分達を中心にだ。焦った顔で仲間の暴走を止めに入った。

 

「待て!  待て!  待て!  お前ら馬鹿な事を言ってんじゃないぞ!  王国を法国に売るつもりか?  売国奴に成ってどうするんだ」

 

 ザックが隣の席からブレインの肩を抱いて、焦る仲間を宥めた。

 

「まあブレインが心配するのは分かるが、まだ法国が王国を侵略する口実の為に接触して来たと決まった訳じゃ無いんじゃないか?  法国の話を聞いてみるだけの段階でしか無いぞ。それに法国は昔から侵略ってよりは、人間達で一致団結して亜人達に対抗しましょうって姿勢を崩して無いよな?  それ自体は考えてみりゃ可笑しな事じゃあ無いさ、3カ国の周りの国を見渡してみれば誰にだって分かる事だしな、だろ?  これは逆に王国を救う可能性がある話し合いになるとも限らないぜ」

 

「分かった。分かった。お前らが馬鹿な事を言い出さない様に、俺も祈っとくよ。頼むぜお前ら、俺は単純に剣士として刀を振ってりゃ満足な人間なんだよ。そこんとこを忘れんな、さもなきゃ俺にも考えがあるんだぞ」

 

「安心しろブレイン、俺達の未来は明るいさ」

 

 ガゼフは、民の為の国が朧気ながらも見えている様に微笑んだ。それを見てブレインは、幼馴染みと何処で道を違えたのか考えてしまう。願わくば法国との話し合いが穏便に成ります様にと祈る事しか出来なかった。

 

 部屋の隅に不自然な影が差している事に、メンバーの誰もが気付け無い儘に……。



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第十話 黄金

 リ・エスティーゼ王国王都には1400メートルもの城壁に囲まれたロ・レンテ城がある。城には12基もの巨大な円筒形の塔が聳え立ち更に内奥にはヴァランシア宮殿が存在する。宮殿は王族の住居として機能しており、幾つかの離宮を備えていた。

 

 その離宮の一つに住まうのが、その類稀なる美貌故に黄金と呼ばれた王女ラナー・ティエール・シャルドロン・ライル・ヴァイセルフである。彼女は自室の綺羅びやかな装飾の施されたテラスで紅茶に舌鼓を打ちながら、物憂げに睫毛を伏せた。

 

(遅すぎたんだわ、腐ってしまっているのね)

 

 ラナーが憂鬱な表情を浮かべるのには訳がある。ラナーには生まれつき狂人染みた頭脳が備わっている。その為に容易く分かってしまうのだ。王国が極めて危険な領域にまで踏み込んでしまっている事に。

 

 父親のランポッサ三世の偽善者面した愚鈍さや、第一王子である兄のバルブロ・アンドレアン・イエルド・ライル・ヴァイセルフの短慮な脳筋ぶり、第二王子ザナック・ヴァルレオン・イガナ・ライル・ヴァイセルフの策士気取りの国盗りへの野心など、国の舵取りを任せるには不安の残る親族達。

 

 初代の国王から褒美として賜った領地の権勢を背景に、上位である国王にすら慇懃ではあるが脅しとも取れる態度で接する六大貴族達。

 

 これらの愚物達の喜劇を端から眺めているだけならば、ラナーは声を上げて嗤って居られただろう。だがラナーの生活面を支える王族としての権勢に陰りを齎すのならば話は別だ。他人事だと嗤っている訳には居られない。

 

(嘆いていても仕方がないわね、打てる手を何でも使って私の利益だけは確保しないと、他の有象無象を巧く踊らせて操らないと駄目ね)

 

 ラナーは、他人に全く興味が持てない自分を自覚していた。他人など単に動く肉塊人形にしか認識する事が出来ない。その為に人と接しても情動を得る事もない。人との触れ合いに温もりを感じられなければ、ラナーの心に残るのは暗く冷たい虚無感である。

 

 ラナーがもしも王都の路地裏で子犬を拾っていたならば、彼女は執着と云う名の愛に生きる女性へと変貌を遂げられただろう。だが、そんな歪な救いは彼女には与えられなかった。今も孤独に虚無の虚空を漂うのみである。

 

 今ではラナーの人生に彩りを与えるのは、物理的な充足だけであった。それを支えるのが王族としての権勢から産み出される富が齎す、豪勢な食事や豪奢な住まい、艶やかな衣装などだ。

 

 それらを破滅へと導く親族や貴族達を何とか排除して、己に安定した富を供給してくれる庇護者を見付けなければならないと、ラナーは頭を悩ましていた。

 

 単純にこのままならば、何処ぞの有力貴族に降嫁して安泰だとラナーも思いたい処だ。だが王国自体が崩壊してしまうのならば破滅へと一直線の道を行く事になる。

 

 仮に帝国が王国を滅ぼしたとして、王国民の慰撫が目的の皇帝の子供を産みさえすれば、ラナーにも安泰の道が開ける。しかし帝国の戦略が後腐れの無い王族の殲滅を選択する場合も有り得る。

 

 それに元王女の姉が二人、六大貴族に嫁いでいる。そちらでも皇帝にはなんら支障は無いのだ。皇帝に必要なのはラナーでは無く、元王族としての血なのだから。それに噂では皇帝はラナーを気持ち悪く感じて嫌っているらしいとの話もあり、ラナーに予断を許さない。

 

 皇帝の思考は明晰な為にラナーには読みやすくはあるが、ラナーとしては読みだけで博打を打って全てを委ねたくはなかった。帝国に王国が支配される未来とは、ラナーの最後の手段と云うよりも手を打たねば自然に辿り着く帰結でしかない。ならば自分から働きかけて王国を復興させる道を模索した方が良いと、ラナーは判断していた。

 

 そうしてラナーが目を付けたのは、エリアス・ブラント・デイル・レエブンと呼ばれる六大貴族の一人だ。風体から蛇とも行動からは蝙蝠とも揶揄される野心家で、秘かに王位簒奪を狙っているのはラナーには明らかである。

 

 レエブンは有力貴族の娘を政略結婚の為に娶って妻としたが、石女だったのか子宝に恵まれず最近になって離縁した。レエブンならばラナーには劣るが充分に優秀であり、王国を建て直してくれるのではとラナーは期待している。

 

 レエブンの歳は30代後半だが、貴族の結婚であればラナーとの歳の差など問題にすら成りはすまい。レエブンに野心を満たす為の王家の血と云う餌を与える事で、ラナーの庇護者としてそして王配として頑張ってくれればラナーには言う事はない。

 

 不眠不休で王国の為に働く気などラナーには毛頭無いのだから。全てをレエブンに丸投げして自分は適当に儀礼だけ熟して奥に引っ込み過ごせれば充分であるとラナーは考えていた。

 

 そこまで思案を固めた段階で、ラナーは別の問題を思案する。現在エ・ランテルの冒険者組合に所属するアダマンタイト級パーティー変革の翼が、気になる思想を溢しているとの情報をラナーは得ていた。

 

 ラナーは、普段から出入りの商人などに情報屋に渡りを付けさせて情報を得ている。その情報を、持ち前の狂気の頭脳を駆使して精査する事でラナーは世情などを読んでいるのだ。女性ばかりのアダマンタイト級冒険者の友人がラナーに居たならば、こんな事はしていないのだろう。

 

 ラナーの聞いた処、変革の翼はどうやら民の為に動く制度とやらを目指しているらしい。これはラナーとは到底相容れない制度である。ラナーに充足感を与えてくれる物品は今の体制下だからこそ齎される物であり、民の為に動く制度下では望むべくも無いのだから。

 

(変革の翼の思想は危険ね。異端だと言えるわ、だけど民には輝いて見える筈)

 

 ラナーにとって民衆とは家畜の如く愚鈍であれば良いのであって、妙な思想に感化されて反抗的に成られては困るのである。熱し易く醒めやすい民意が民の為の思想とやらに触れる事で騒動か引き起こされると拙い事態になる予感がラナーにはした。

 

 相手は容易く捕縛出来ないであろうアダマンタイト級冒険者である。ラナーとしても王国側にも其れなりの被害を覚悟せねば成らない。それに随分と民衆に慕われているらしいとも。

 

 特にリーダーのガゼフとか名乗る男は義に熱く慈愛に溢れる好漢との事。それを王国が害したとなれば、一気に種火が猛火に変わる可能性すらあるのだ。ラナーとしては避けたい事態である。殺るならば巧くガゼフの品位を貶めて、民衆に愛想を尽かされる犯罪者にまで堕とし込んでからラナーが直接抹殺したい処である。だが貴族連中にはそんな繊細な誅殺手段は、望むべくも無い。

 

 ラナーは、自分の痕跡を辿らせない道筋で裏の稼業へ連絡出来る手段を幾つか把握している。その一つへ連絡して変革の翼を何とか出来ないか相談してみようと決意する。

 

 イジャニーヤと呼ばれる組織には、アダマンタイト級に匹敵する凄腕の輩が在席して居るともラナーは聞いていた。大枚を叩く事に成るが、騒動が本格化する前に民意の炎は消さねば為らないとラナーは思う。

 

 馬鹿な貴族連中には、所詮平民の火遊び位にしか映ってはいないのだろう。従ってラナーが裏で動くしかないのだ。ラナーからも宮殿に正式に働き掛けるが、事態が本格化しなければ誰も民の為の思想と云う毒に気付きはしない。民にとっては、さぞや甘く素晴らしい甘露に感じられる毒だろうとラナーは思う。

 

 上手く行けば変革の翼は冒険の途中で命を落とす事になる。麻薬の黒粉にまみれた姿でだ。民と王国との確執に挟まれた結果殺された訳ではなく、単純に冒険者として世界の脅威に敗けた敗残者として民衆の記憶に残る事になる。ラナーの危惧する民意の炎は種火の段階で消え失せ、民衆は元の愚鈍な家畜へと戻ると云う訳だ。

 

(さようなら民の希望、ガゼフ・ストロノーフ)

 

 思案のお蔭でスッカリ冷めてしまった紅茶をお付きのメイドに換えさせて、ラナーは祈る。己を満たす黄金の環境が離れていかない様にと。

 

 裏組織への手紙をラナーは己の手の者に託したのだが、不自然な影がそれを追跡する事にも気付かずに。

 



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第十一話 災厄

 西暦2140年の現在、冴木拓也は退っ引きならない事態に陥っていた。

 

 冴木拓也は幼い頃に危険で劣悪な環境の作業現場で両親を失い。そして両親の残してくれた僅かな遺産で何とか小学校を卒業する事が出来た。

 

 だが小学校を卒業した位では、アーコロジーと呼ばれる富裕層が実質上支配している世界で、決定的に学歴が不足していた。

 

 その為に冴木は己の事を敗け組だと思い、歪な社会構造を憎悪して行く事となる。だが小卒の若造が徒手空拳で幾ら憎悪しようが、当然の事だが社会構造は小揺るぎもしなかった。

 

 小学校卒業からは、冴木も程々に劣悪な環境の現場で就労する事となる。

 

(俺も最後は両親の様にボロボロに疲弊して朽ちて行くのか? 巫山戯るな!お前らと俺にどれ程の差が有るって言うんだよ! 他の連中みたいに俺も騙されて堪るか! 何時かは思い知らせてやるからな。待ってろよアーコロジー)

 

 そして西暦2126年に、満を持して発売されたユグドラシルと云うバーチャルゲームに冴木は出逢う。その中で冴木はウルベルト・アレイン・オードルと名乗り、最凶災厄の魔法詠唱者を悪玉ロールプレイする事で日々の鬱屈を慰めていた。

 

 しかし仲間の一人たっち・みーの善玉ロールが冴木には何故か勘に障り、度々たっち・みーと衝突を繰り返す事となる。冴木が聞く処によれば、たっち・みーはそこそこな富裕層の出身で警察官でもあり、国家公務員と云う誰もが羨む立場を得ているとか。

 

(俺はたっちの境遇を羨んで絡んでしまったのか? いや、違うな。俺が現実には存在しないと断じた正義を嬉々として語って、更にはそれを成そうとしやがる未だに純粋なたっちに嫉妬したんだ)

 

 少し考えれば現在の社会に正義など存在しないと誰もが分かる筈なのだが、選りにも選って勝ち組のたっちが現実に目を背け正義を語り敗け組である筈の己が現実を直視し悪を語る皮肉が、冴木に暗い嗤いを齎す。

 

 

 たっちとの確執の本質に冴木は正直愕然としていた。このまま仮想現実で善だの悪だの宣った処で、何時もの様に現実は何も変わりはしないと。己は現実を直視しているとは言っても実情はたっちと五十歩百歩。一体何が違うのかと冴木は自問自答を繰り返す事となる。

 

(このままじゃ、駄目だ。蓄えた憎悪を解き放つ時が来たんだよな。誰かそうだと言ってくれ! 頼むわ……)

 

 この時から冴木は現実の世界で少しずつ活動を始め、遂にとある非合法組織に接触する事になった。それに伴い優しい骸骨ギルド長や仲間の寂しげな顔を尻目に、ユグドラシルを引退する事になる。

 

 ゲームを引退して4年、様々なミッションと云う名の嫌がらせを体制側へ行ってきた。それには当然だが殺人すらも含まれている。それは気軽な語調で嫌がらせなどとは言えない凄惨な事だが、体制側にとっても所詮は微々たる被害でしかなかったが故の語調だ。

 

(今さら非合法活動を止める訳にはいかねぇな。血を浴びて命を奪っておいて、今更どの面下げて止めるなんて宣えんのかってんだ)

 

 そして、冴木の非合法な活動にも遂に終止符が打たれ様としている。今回のヤマは冴木にしてみれば何処か胡散臭かった。組織の上層部が爆弾の設置場所や爆破時刻を事細かく指定していたり、組織の中でも己の様な外様の人間が多数配置されたりと。

 

 案の定待ち受けていた公権側の人間と銃撃戦を繰り広げ、冴木は腹に一発の銃弾を喰らった。他の仲間は倒れた己を置いて逃走し、冴木は何とか這いずって近くの廃ビルに潜り込み漸く一息つく。

 

 どうやら組織の上層部と政府側とで何らかの取引が行われ、外様の人間は政府側に売られた様だと冴木は推測する。非合法組織と言っても所詮は人間の集まりでしかなく、長く活動すれば信念も腐り果てて欲に塗れて堕落して行くのだとも冴木は思う。

 

 だが冴木には後悔はない。遅かれ早かれ己は憎悪のままに何かしらの事を起こしていた筈だと、確信していた為だ。

 

(結局騙されて無様に廃ビルで終わりを迎えるとはな。俺にも流石に予測出来ちゃあ居なかったが、お似合いの最後か。神とやら満足か? お前の嫌いな俺が朽ちて逝くのは?)

 

「力なき正義は無力である。正義なき力は暴力であるか……」

 

 冴木は、実在した少林寺拳法開祖の宗道臣が残したと言われる言葉を呟く。

 

(正義を信じる気もなければ語りたくも無い俺には関係ない言葉だな。俺が語るのなら、それは悪でしか有り得ねぇだろ)

 

「覚悟の無い悪は無様である。美学の無い悪もまた無様である」

 

 冴木なりの解釈だが悪の定義を呟く。力の有無を問わないのは、悪には最初から力が備わっているのが大前提だからだ。

 

 悪の覚悟とは絶体絶命の状況に追い詰められた時、意図的に悪を成してきたのならば最後は無様に足掻かず潔く報いを承けて散る事だろうと冴木は思う。そして悪の美学とは、世間の取り決めた法を破ろうが己の決めた法だけは決して破らぬ矜持の事だとも冴木は考える。

 

 冴木は腹の銃創をまるで熱い塊の様に感じていたが、今では腹を中心に冷たい感覚が拡がり、冴木にもうすぐ命の灯が尽きる事を告げていた。

 

(どうやらここまでか、詰まらんねぇ)

 

 冴木は煙草を一本口に咥えると火を着け肺に深く煙を吸い込んだ。そして今までの己の何もかもを込めて吐き出す。結局何も変えられなかった己の弱さを嗤いながら人生を振り返ると、大して心残りと云える程の事柄が無いのだと気付かされる。

 

(ただ……ユグドラシルで悪玉ロールをしていた頃が無性に懐かしい。そしてあの頃が一番楽しかったかも知れねぇなぁ)

 

 紫煙が冴木の視界を霞まさせ、その向こうに懐かしいギルドの幻想を垣間見た気がした。寂しそうに別れを告げた骨のギルド長の顔も。

 

 ギルド長の最後のメールにすら応えられなかった事にも冴木は申し訳無く感じるが、当時は既に公安局に目を付けられており、もしもギルド長の誘いに冴木が返事をすると相手にも迷惑が掛かる為に仕方がなかったのだ。

 

 床に拡がる鮮血が畳一畳分位にはなった頃、次第に冴木の意識が大量の出血によって薄れて来た。階段を誰かが駆け上がる足音が冴木に聴こえる。多分だが警察が来たのだと冴木には推測出来た。

 

 冴木は公権側に己の無様な屍を晒す気は無い。今回の為に用意した煉瓦サイズのC4プラスチック爆弾を冴木は懐から取り出し、雷管に繋がるスイッチに手を掛けて押す。

 

(願わくば来世は悪の極みを歩み、今世の様な無様を晒さない様に。出来ればユグドラシルの様な世界で昔の仲間と……)

 

 破裂する爆弾に躯を吹き飛ばされる寸前、確かに冴木はアインズ・ウール・ゴウンに還りたいと願った。

 

 

 

 

 

 暑い日差しを己の肌に感じて、冴木の意識は覚醒する。仰向けに横たわる冴木の目に飛び込んで来たのは、蒼く覚める様な雲一つ無い空。驚き躯を起こしてみれば、眼前に拡がるのは地平線まで続く一面の砂漠であった。

 

 中天に輝く太陽が灼熱の日差しを降り注ぎ、地表の砂をジリジリと焼いている。砂漠の細かい粒子状の砂は、時折吹く風に浚われ何処かへと去って行く。

 

 冴木の知る劣悪な環境の地球とは全く違い、全く汚染されていない空と地表の砂。

 

(悪に拘る俺を神とやらが憐れんで、この清浄な世界にでも連れて来たのかよ? だが神とやらが、こんな粋な振る舞いを俺の様な悪に為す訳が無いか。それはもっと綺麗な心の持ち主に起こる奇跡だろうな。じゃ、何なんだこりゃあ)

 

 ならば死んだ筈の己は現在何処に居ると言うのか。冴木は考察を続ける。昔の地球? 別世界? 別の惑星? 様々な考察を続けるが、仮想現実だけは無いと冴木は確信している。

 

 何故なら現実味を感じる嗅覚や唾すら感じる事の出来る味覚、砂漠の粒子状の細かさの砂と熱く痛みすら覚えそうな日差しは、どれも現行の技術力では再現不可能だと冴木には断言出来た。

 

 ならば、これは現実であり汚染された地球では無く冴木の知らない惑星もしくは別世界だと現状は定義するしかない。

 

 そして己の躯の変化にも冴木は気付く。山羊の頭部に生える捻曲がった角、蹄の付いた脚部、鋭い鉤爪が伸びる五本指の手、それらの全身を覆う黒色の毛皮などの特徴は、ユグドラシルで冴木が使っていたアバターのウルベルト・アレイン・オードルの姿である。

 

(嘘だろ! なんで選りにも選ってウルベルトなんだよ!)

 

 今この時より、冴木拓也改めウルベルト・アレイン・オードルの伝説が始まった。

 

 



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第十二話 反逆者

 何故か昔に遊んだゲームのキャラであるウルベルト・アレイン・オードルに成っている事に、ウルベルトは困惑する。

 

(この現状は……異常過ぎないか? 爆死した筈だが何故 ゲームのキャラに俺は成っているんだ。廃ビルで吹き飛んで御陀仏した訳じゃねぇのか?)

 

 様々な仮説をウルベルトは立てたが仮想現実だけは否定していたにも関わらず、それを嘲笑うかの様に仮想現実にしか存在しないキャラに何故変化しているのかとウルベルトは訝しんだ。

 

(落ち着け俺、この状況にも何らかの筋道が立った説明が出来る筈だ)

 

 どうやってかは知らないか、あの爆散した状況から誰かが己をゲームの中に放り込んだとウルベルトは無理矢理に仮定して、GMコールやら全ての仮想現実を強制終了出来ると電脳法律上定められた動作を繰り返す。当然だが全てが時間の無駄と成ってしまい、考えてみればあの爆散した状況からどうやって己が助かったと思えるのかとウルベルトは己を笑う。

 

 次にウルベルトは仮説に仮説を掛け合わせて、現状を明確に説明しうる何らかの解答を求めて思考の迷路を彷徨う。そして結局何の取っ掛かりすらも得られず、幾ら考えてもこの異常事態を把握出来ないと断じた。

 

 兎にも角にも、死んだ筈の己は何らかの超常的な現象に依って廃ビルからこの砂漠に移動し、昔に遊んだゲームのキャラの肉体を得てここにいる。ウルベルトに分かるのは、精々それ位の事でしかなかったのだ。

 

(これからどうするか、このまま砂漠で黄昏ていても何かしらが起こる訳でもなさそうだ。だが砂漠を当てもなく彷徨うにも、其れなりの装備や物資が必要不可欠だろうな)

 

 幸い不思議な現象の付録なのか、ゲームで最終的に装備していた神器級装備の全てをウルベルトは身に纏っていた。

 

 主な神器級装備だが、まず囁く者(ウィスパーズ)と云うエンシェントオーガの革を加工した装備がウルベルトの両脇から二つ伸びている。見た目は先端部に掌を形作る帯と言った処。

 

 それと細緻極まる銀糸の刺繍が施された、真紅のロングコートを羽織っている。これは赤竜型のワールドエネミーがドロップした革を加工した物だ。魔力消費を極限にまで減らし、様々な各種耐性及び無効化を齎す装備である。他にも指輪やら何やらの超絶効果のある装備をコートの懐に潜ませていた。

 

 しかしこれら装備はゲームを引退する時にギルド長に譲渡してしまった筈の装備であり、現在都合良く身に纏っている事は助かると同時に現状に対する不気味さをウルベルトに刷り込んでくる。

 

(気味が悪いが装備の品質や肉体的スペックを試さないと、このままじゃ砂漠で干物に成るしかなくなるだろう。ひょっとしたらこれが地獄とやらなのか? 砂漠で渇き死ぬ事で罪を償えって事が神の御意志とやらなのかも知れないが、俺は神とやらが死ぬ程嫌いだ。無様に足掻くのは主義に反するが、相手がてめぇだってんなら話は別だ。見てろよ、てめぇが俺を苦しめ様としてんなら意地でも成ってやるものか!)

 

 気合いを入れたウルベルトは、何とか現状の窮地を打破しうる策がないかと思案する。何と言っても一番に思い浮かぶのは、ゲームでウルベルトをウルベルト足らしめていた魔法詠唱者としての技量である。

 

 肉体がアバターの姿になったこの状況なら、ひょっとするとそんな摩訶不思議な事も可能になるかも知れないと、ウルベルトは目を閉じ己の内に潜む魔力に、集中してみる事にした。

 

 するとユグドラシルの悪魔系魔法詠唱者のフレーバーテキストに記載されていた通りに、普通の生物とは違い心臓の代わりの魔核が脈動しているのが感じられ、魔核を中心として魔力が発生し、血管を伝って全身の隅々にまで供給されているのがウルベルトには感覚として分かった。ならばウルベルトのする事は只一つである。

 

「フライ!」

 

 ウルベルトがイメージしたのは、ユグドラシルで普段の移動に用いていた飛翔の魔法だ。ウルベルトが立っていた砂漠が爆発音を響かせて大きく陥没し、辺り一面の砂を放射状に撒き散らしながらクレーターを形成する。これは急激にウルベルトが上昇した為に、瞬間的に衝撃波が発生し砂漠を叩いた事で起きたのだ。

 

 それほどの勢いで上昇したウルベルトの姿は、現在高度数百メートル上空にあった。

 

「やった! やってやったぞ! これでてめぇの好きにはさせねぇ、ざまぁみろ! ククク案外、悪魔が俺をスカウトする為に誘ってくれたのか? なら正解だ同胞よ! 俺こそがユグドラシルに災厄を撒き散らした、最凶最悪の魔術詠唱者ウルベルト様だ! クククク……ハァッーハッハッハッハッハッ」

 

 興奮でテンションが振り切れたウルベルトは、誰もいない上空で結構痛い台詞を放ち高笑いを続けた。実際にウルベルトを間接的に召喚したのはモモンガなのだが、大元のユグドラシル現実化や異世界転移を為し遂げた存在がいる筈ではあるので、ウルベルトの台詞もあながち間違ってはいない事になる。

 

 ウルベルトは笑いの発作が収まると、おもむろに右手を掲げ人差し指を伸ばす。

 

「第八位階魔法、黒焔獄玉(ダークフレイムスフィア)

 

 ウルベルトの掲げた手の指先に、漆黒の炎が球体を形成する。球体はその体積を拡張し直径10メートル程にまで膨張した。そしてウルベルトが手を振り下ろすと、漆黒の炎球が眼下の砂漠へと落下する。

 

 砂漠に着弾した黒炎球は、砂塵を巻き上げながら数十メートルもの範囲に大爆発を起こした。着弾した中心部の温度は摂氏数千度に達し、砂に含まれた物質を融解して煌めくガラス質へと変化させる。

 

 それを確認したウルベルトは、上空からゆっくりと降下して変わり果てた砂漠へと着地した。ウルベルトに踏まれた事でガラス質の地面に亀裂が生じ、砕けたガラスが僅かに舞い上がる。そして薄気味悪い嗤いが、ウルベルトの顔から溢れた。

 

(魔法もユグドラシルに居た頃と、それ程の差違を感じずに使える。この分だと装備もちゃんと機能するのだろう。なら次は物資か、だが砂漠のど真ん中じゃどうにもならないか。ゲームで使っていたアイテムボックスとかは無くなってしまったんだろうな。うん? これは!)

 

 ウルベルトがアイテムボックスの事に意識を向けた瞬間、何となしに違和感を覚えて虚空に手を突っ込むと、ユグドラシル時代に溜め込んだ様々なアイテムが姿を現した。それも、以前と変わらずに複数の無限の背負い袋に詰められた状態でだ。さっそく己のトレードマークである、目元と口元に細見のスリットが入った仮面を取り出して装着する。

 

 次にウルベルトが取り出したのは、白色の丸テーブルやイスそして赤白が互い違いに配色された大きな日除けパラソルだ。

 

 昔、複数の企業がユグドラシルとのコラボレーション企画を行った際に、プレイヤーへ企業から様々な物品が配付された。ゲーム内では単なるネタにしかならないそれらも、現実になった現在では立派に使用に耐えうる物になっている。

 

 ウルベルトはイスに座りパラソルの影に隠れると、テーブル上に無限の果実水差しを取り出した。これはデキャンターから無限の果実水が供給される魔法のアイテムである。同じく取り出したタンブラーに金色の液体が注ぎ込まれ、周囲には柑橘系の甘い香りが漂いだした。それをウルベルトは一息に飲み干す。

 

(ふぅ~美味いな、酸味と甘みがちょうど良いところで調和している。特に喉越しが最高だし口の中にしつこい甘みが残らない。今まで俺が飲んできた合成飲料は一体何だったんだろうか。 それにしても蒼い空、渇いてはいるが清浄な大地、誰にも邪魔されない静謐で自由なそれでいて有意義な時間。最高だ……)

 

 ウルベルトは最低限のライフラインがアイテムボックスから供給される事を確認し、更には己がゲームと変わらず魔術詠唱者として魔法を駆使する事が出来ると分かり、現状を打破しうる目処が立った事で、爆死からの転移と悪魔への転生などで緊張を強いられた神経をようやく弛緩させる事が出来た。

 

 更に果実水をお代わりしながら、懐に潜ませていた煙管を取り出す。これは紫煙王の煙管(ヘビースモーカーズ ハイ)と云う伝説級のマジックアイテムである。効果は煙草を燻しても煙草が永久に減らず吸い続ける事が出来、更には吸収したニコチンがキャラの持つ毒耐性で阻害されないと云う事と、時代劇風に打撃武器として使用出来、煙から煙人と云うレベル20程のモンスターを短時間だけ召喚出来ると云う物だ。

 

 ウルベルトは煙管を口に咥えて指先に小さな灯火を着けると、火皿の煙草に近付けて火を点した。ウルベルトが煙管の吸い込み口から息を吸い込むと、最高級の煙草が燻されて香ばしい煙を吐き出しウルベルトの肺に紫煙を送り出す。

 

 紫煙に含まれたニコチンをウルベルトの肺が吸収し、体の隅々まで染み渡る。そして血管を経由し脳にまで達すると軽く痺れる様な酩酊感を齎した。ウルベルトは吸引した煙を吐き出し、煙で荒れた喉を果汁水で潤す。

 

(さてと……アイテムボックスにはまだまだ物資はある。飯もあるし、グリーンシークレットハウスもあるから居住食には困らんだろう。移動は飛翔の魔法で事足りるが、後は実際に脅威となる存在が居たとしても、果たして俺の魔法が通じるのかが問題だ。それより生き物が居るのかすらもまだ未確認だったか。居たとしても実はこの砂漠が子供の砂遊び用の物で馬鹿みたいに大きな子供が現れたらどうするか。それか永遠に砂漠がループするだけだったりしてな。何にしろそろそろ人心地ついた事だし、行くか)

 

 ウルベルトは物品を全てアイテムボックスへ仕舞うと飛翔の魔法を念じて、遥か彼方のまだ見ぬ何かに向かって飛び立った。



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第十三話 天空城

 ウルベルトが取り敢えず向かったのは、中天を越えて地平線の彼方へと沈まんとする太陽を西だろうとウルベルトが定義して割り出した北の方向である。

 

 灼熱の砂漠に付き物の朝夕の極端な気温差すらもウルベルトには効きはしないが、暑いよりも涼しげな方が良いとウルベルトは判断した。北が涼しげと云うのは地球上での話であり、異世界では何の保証もありはしないのだが幸いにしてウルベルトは正しく涼しげな方向へと向かえていた。

 

 途轍もない速度で飛行するウルベルトは、空気を切り裂き雲を絶ちながら北へ北へと進む。すると眼下の砂漠に、何かの生物らしき蠢きを発見する。

 

(不毛の地って訳じゃ、なさそうだ。なにせ生き物がいる。どれどれ)

 

 ウルベルトは飛行の高度を100メートル程度にまで落とし、その付近まで近付いた。すると其処には人間程の体躯をした蠍が、100匹程の群を為して行進する光景があった。しかし蠍はまるで何かから逃走する様に、慌ただしい様子を見せている。

 

(やっぱり地獄なのか……ここは。蠍の化物の行進なんぞ、全然嬉しくない)

 

 すると群の最後尾の辺りで砂漠が盛り上がり、突然爆発した。それは爆発ではなく、砂塵を纏って何かが地底から飛び出したのである。

 

 姿を現したのは、人間が数人輪に成って抱き付ける程の太さを有する胴体と、地底に隠れている部位もある為に全長は不明だが、地表に現れた部位だけでも数十メートルはある紫色の巨大なミミズの化け物であった。

 

 ミミズ処かここまで巨大化すると最早ジャイアントワームと呼んだ方が良いであろう化け物は、逃げ散る蠍達に先端部に空いた口で噛み付くと、蠍の硬い甲殻を諸ともせずに強靭な牙で咀嚼する。

 

 ワームは次々と蠍を捕らえては無数に生えた牙で粉々にまで分解し、上等な餌を得られた歓喜なのか時折船の汽笛にも似た呻きの様な咆哮を上げる。

 

 ウルベルトは前世ではまず見る事すら不可能な異世界の化け物に初めて遭遇し、その爛れた様な醜悪な見た目とワーム表面を覆う乾燥対策であろうヌラヌルとした粘液にまみれた姿に、生理的嫌悪感を覚えていた。

 

(こりゃ、色々と覚悟だけはした方がいいか。俺は既に死んでいるが流石にこれは……)

 

 元の地球では有り得ない程の強靭な生命力を感じさせる生物に畏怖を感じて、己はこの生物に対して敵対が可能なのかとウルベルトは不安に苛まれる。

 

(本気で凄いな、これが異世界の化け物って奴なのか。こんな奴に俺の魔法は本当に通用するのか。正直に言うと怖えぇな……兎に角俺の持つ魔法で強めの奴を放ってみるしかないか)

 

 ウルベルトは上空からの安全を確保された有利さに勇気付けられ、両腕を掲げ両掌を天空の太陽に向ける。

 

「第九位階魔法、大黒天(ブラック サンシャイン)

 

 ウルベルトの両掌から漆黒の螺旋が射出され天空に輝く太陽に直撃すると、その光輝をどす黒い汚泥の様な穢れに変化させ黒い太陽を現出させる。勿論飽くまでエフェクトであって本物の太陽に直撃した訳ではない。範囲内だけそんな風に見えるだけである。そして漆黒の太陽が急速に下降し、急にその場だけが陰って不審を覚えていたワームに直撃した。

 

 消滅を司る力がワームの肉体を触れた端から蒸発させていく。それは長大なワームの肉体の大半を跡形も無く消滅させた。ついでにごっそりと大地をも消失させ碗状のクレーターを形勢する。ワームの死骸は地表に僅かに欠片が散乱するのみで残りの地底部位は分かりようもないが、完全に目標が沈黙した事をウルベルトは確認する。

 

(思っていたより呆気なくはないか? 偶々強そうに見えただけで実は大した事がない奴だった? 分からんな……まあ、ミミズと蠍は雑魚って認識で良いか。後はミミズらとの強さの対比を他でも計れれば、この異世界の強弱の傾向と対策を多少は練る事が出来るだろうさ)

 

 ウルベルトは理解していない。最初の蠍のモンスター一匹で凄腕の冒険者と言われる金級冒険者と互角の戦いを繰り広げる事が出来る位である。更に蠍のモンスターの100匹の群ともなれば、町の命運を賭けて戦わなければならない規模の話になろうか。

 

 そして蠍の群を容易く狩る事が出来るミミズのモンスターは、この砂漠で会ったが最後絶対に助からない絶望的な存在だと認識されており、もはや小型都市の存亡を賭けて戦う程の災害と言っても過言ではない。従ってウルベルトが得たミミズが雑魚だと云う印象が、如何にこの異世界の常識と解離しているのかが分かろうと云う物である。

 

 しかしミミズのモンスターでも、ユグドラシルのレベルに換算すれば精々レベル60位でしかない。カンスト勢であるウルベルトには雑魚としか感じられないのも、また無理からぬ事でもあった。

 

 ウルベルトが更に飛行する事暫し、遂に前方に巨大な浮遊する城を発見する。この砂漠でやっと人口の建造物を発見し喜ぶのも束の間、ウルベルトにはその建造物に見覚えがあった。

 

 その建造物とは、大空に浮かぶ城である。まず土台と言うべき底部には、艶の有る黒曜石染みた石材が半球の形状で存在していた。その上に地表と言って良いのか土の層が見え、その上に更に城が展開されている。御飯を炊く鉄釜に土と城を盛った感じが、一番近いだろうか。

 

 地表部分の広さは野球場位はあり、その円形の敷地の縁には城壁が連なっている。城壁の要所には見張りの為か、幾つか尖塔が設けられ、そして城壁の向こうにはクリーム色の花崗岩らしき素材の城が重厚な佇まいで聳え立っていた。

 

(あれは…… まさか!? 2チャンネル連合のアースガルズ支部所属の天空城だ。以前に見た事がある。間違いない。チッ、あんな俗な連中も来てたのかよ。折角気分良くなって来たってのになぁ)

 

 2チャンネル連合とは、ユグドラシルのギルド中で最高の参加人数を誇ったギルドの名である。最盛期は最高で数千人を擁する事もあった程の化け物ギルドであると同時に、多人数の為に玉石混淆を地で行く俗な色が満載の集団であるとも言える。

 

 ウルベルトとしては全てを改め転生した己の人生を、存分に謳歌するつもりであったのだが、そこに俗の極みとも言える2チャンネル連合の橋頭堡である浮遊城を発見した事で、己の刷新された状態にケチを付けられた様な気がしたのだ。

 

 アースガルズ支部の評判はその素行の悪さから最低の評価を得ており、2チャンネル本部からも最低限のネットマナーだけは守る様にと警告を受ける程である。その為、ウルベルトの懸念も当然だと言える。そしてその素行の悪さこそが彼ら自身の命運すらをも左右してしまった事をウルベルトが知れば、失笑を禁じ得ないだろう。それ見た事かと。

 

 ウルベルトには分かろう筈もないが、浮遊城の主である八欲王と呼ばれた存在は、既に500年程前に仲間割れから殺し合って消滅しているのである。だがウルベルトにとってみれば浮遊城には2チャンネル連合のギルドメンバーは勿論の事、この規模の拠点に配されるレベルを振り分けられたNPC守護者達をも潜んでいると推測していた。

 

 ウルベルト達は、ナザリック地下墳墓に配されたポイントを特に守護者達に注ぎ込んでいた。それゆえ守護者達のレベルはカンストしているのである。だが浮遊城の場合、この規模で配されるレベルは其れほど多くはない。その事はウルベルトにも推測出来た。実際ウィキ情報でも積極的に課金している様ではなかった筈と、ウルベルトは思い出す。それでも侮れる存在ではないのだが。そもそもウルベルトとしてはNPCが現実になった世界で動けるのかどうかすら不明である。飽くまでウルベルトは、その可能性もあるかも知れないと推測しているだけだ。

 

(しかし拙いな。ユグドラシルが閉鎖されて俺も引退して何年も経っているとは言っても、俺は極悪ギルドと呼ばれた元アインズ・ウール・ゴウン所属の魔術詠唱者だ。ウィキにも俺の情報が掲載された事もあって、未だに覚えている野郎だっている筈だろう。さて、どうするか。折角見つけた人の気配のする場所何だがなぁ。 ……てぇ事は、もしかしたらナザリックも何処かにあるのか? ひょっとするとモモンガさんも来てたり? 分からねぇ……だが幾らゲームでいがみ合う間柄だったと言っても、こんな非常事態ならお互い情報交換位は可能な筈……)

 

 人間と云うのは普段の生活に於いて協力的ではなくても、非常事態の時には助け合いの精神が発揮される物である。何しろ同じ日本人なのだから。と普通は考える。ウルベルトも流石にこの常識に引っ張られていた。ウルベルトは今は悪魔で前世はテロリストだが、基本的には日本人である。途方に暮れている者同士なら会話位は出来ると判断したのだ。

 

 ウルベルトはそのまま飛行を続け、城壁の上部に設けられた尖塔の空いた空間に飛び込んだ。

 



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第十四話 エリュエンティウ

 ウルベルトは尖塔の最上階に有る見張り用の開口部らしき枠から進入すると、内部を観察した。円形の石造りの部屋である。部屋には塵一つとして落ちてはいない、有るのは下階への階段だけだ。

 

 この儘勝手に探索しては連中の気分を害してしまうとウルベルトは考え、挨拶がわりに声を掛けてみる事にした。

 

「お~い! 話がある! 誰か来てくれないか!?」

 

 ウルベルトの予想では、呼び掛けに気付いた連合のメンバーが続々と押し寄せ現在の不可思議な状況を尋ねてくると見ていた。連合のメンバー達が単純に浮遊城ごと今の状況に巻き込まれ、混乱している最中かも知れないとすら思っているからだ。

 

 ウルベルトも訳の分からない状況に巻き込まれ彷徨っているだけだと連中に説明し、一緒に打開策を練らないかと持ち掛ける積もりでいた。こうなるとウィキ情報で己の素性が相手に筒抜けである事も好材料であると、ウルベルトは考えている。怪しい悪魔としてではなく、単なるユグドラシルのアバターの姿に成ってしまった元日本人として接して貰えるからである。

 

(何とか交渉して、穏便に情報交換と行きたい処だが。もしも連中が混乱して自暴自棄に成り暴走していたら、最初の地点に転移して行方を眩ませるしかねぇが。其処まで連合の連中も馬鹿じゃねぇよな?……多分)

 

 だがウルベルトは知らない。この浮遊城の異世界での伝説を。八欲王亡き後、500年もの間に数多の魔法詠唱者が財宝目当てに飛行の魔法で城に近付き、30人程の謎の存在に撃退され続けている事を。

 

 既に城の宝物庫に有ったユグドラシル金貨は、拠点の維持費を払い続け底を尽き、その為に死んだ八欲王達の持っていた浮遊城の所有権すら長い年月を経て喪失している事も。ギルド武器すらも何処ぞのドラゴンに奪われ、浮遊城は既にギルド拠点ではなく単なる廃墟として存在する事も。

 

 ウルベルトの呼び掛ける声が尖塔から城に木霊する。すると突然ウルベルトの背筋に悪寒が走り、咄嗟に尖塔の窓枠から飛行の魔法で大空へと飛び出した。その直後に尖塔の最上階が、何処からか飛来した光線によって吹き飛ばされる。

 

 ウルベルトが辺りを見渡すと、茶色い配色を為され平たい手足に椎の実型の頭部を持つ、ずんぐりとした胴体をしたゴーレムらしき存在がいた。そして椎の実型の頭部に付随した装置から、ウルベルト目掛けて更に光線を放つ処だった。

 

 素早く後方に身を捻りながら、ウルベルトは光線を回避した。後方に身を捻った為に背面飛行の体勢に成り、逆転した視界で城を俯瞰すると、彼方此方から同型のゴーレムが四足で這い出て来ている。数は丁度30機程。

 

 このゴーレムは、浮遊城を侵入者から守る為に存在する。そしてギルド拠点から廃墟に変わった後もその仕様は継続していた。各ゴーレムは、60レベル位の強さを持つ。

 

 ウルベルトには雑魚でしかないが、倒して破壊しようが暫くすればゴーレムが再び湧き出る事が厄介である。それに頭部の光線にだけは強化を施された特別製で、ゲームで有った頃はノックバックが発生すると云う面倒な仕様が盛り込まれでいた。

 

 しかしゲームでは単なる面倒なだけな仕様でも、異世界の住民達にとっては正しく死神とも言える存在である為に、500年ものあいだ攻略されなかったのである。

 

(防御機構が発動した!? このゴーレムはウィキ情報じゃ嫌がらせ仕様の雑魚だった筈、ゲームではの話だが……チッ仕方ない)

 

 ウルベルトは瞬時に魔法を詠唱する。

 

「第7位階魔法、連鎖する黒龍炎(チェイン・ドラゴン・ブラックフレイム)

 

 ウルベルトが選んだ魔法は連鎖する龍雷の炎バージョンとも言うべき魔法だ。ウルベルトが胸元で合わせた両掌から漆黒の焔が噴き出した。少しづつ両掌を離していくと、両掌の間を荒れ狂う黒焔が行き交う。充分に練られた黒焔は次第に黒炎龍の形状に成り、ウルベルトから放たれる。

 

 唸りを上げる黒龍炎が30機のゴーレムへ向かって襲い掛かり、触れる傍から瞬時に蒸発させる。しかしゴーレム達は暫くすれば新たに生成され、城の地表部から湧き出てくるのだ。

 

(連中が俺に気付いた節がねえ。どうなってる!?)

 

 ウルベルトとしては、ゴーレムを殲滅し続けて拠点のソースを消耗させてしまうのは、連合のメンバーを怒らせてしまうのではと心配していた。飽くまで話し合いに来たのであって、争いに来たのではないと云うスタンスである。

 

 魔力量に不安をウルベルトは覚えたが、何とか気付いて貰えるまで粘って見ようと、ゴーレムを黒龍炎で撃破しながらも城へと近付いて行った。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 ブリタは鉄級の女性冒険者である。銅、鉄、銀、金、白金、ミスリル、オリハルコン、アダマンタイトと等級が冒険者組合に定められている事を鑑みれば、まだまだ駆け出しの部類に入る冒険者だ。しかしブリタの年齢は20才。駆け出しの冒険者としては少し歳を取っていると言って良いだろう。

 

 ブリタの髪型は鳥の巣の様な縮れた赤毛をしている。恐らく自分で節約の為に切っているのだろう。顔立ちは際立った処は無く、目つきは冒険者らしく油断は無いが農村育ちの所為なのか何処か長閑な雰囲気を残している。肌には女性なら何かしら塗りたがるが、小麦色に焼けた健康的な肌にはそれらの痕跡は見当たらない。

 

 着ている鎧は、皮鎧の上から金属板を貼り付け鋲で止めた物だ。だが貧乏なのか肝心要の金属板の数は少ない。そして腰には剣を下げている。ブリタの体から汗臭い匂いと体臭が交じり合った、独特のにおいが漂っている。

 

 今ブリタは南方砂漠地帯の都市エリュエンティウを訪れ、入街審査の為に門の前に並んでいた。本来ブリタの活動拠点は中原のラ・エンテルと呼ばれる交易の盛んな都市なのだが、とある事情から南方へと流れて来たのだった。

 

 エリュエンティウの巨大な城門の前に沢山の人々が並んで、兵士に都市に入る為の審査を受けている。手配中の犯罪者や余程に怪しげな風体でなければ、荷を改める位で通して貰える緩い物だ。

 

 遥か上空に浮遊する城からは断続的に水が滴り落ち、列に並んでいるブリタ達に到達する頃には立派な雨と成っていた。ブリタ達には鬱陶しい事この上ないが、この雨が砂漠に降り注ぐからこそ、この都市は水の補給地として潤っている。

 

 南方の砂漠地帯は古くから存在する部族ごとに、単なる集落から巨大な都市までの規模で管理されている。その中でも城塞都市エリュエンティウは、浮遊城から滴り落ちる豊富な水の御蔭で栄えていた。ブリタとしては、その繁栄から齎される景気に便乗したい処である。

 

 ブリタは何時の間にか誰かが己の後に並んでいる事に気付いた。ブリタが振り向くと、豪奢な真紅のコートを羽織った男が佇んでいた。男の身に付けている装備は、一目でブリタにも高級な装いであると分かる。

 

 男は色白の肌に肩まで届く漆黒の髪を靡かせ、黒い切れ長の目で興味深そうにブリタを見詰めていた。背丈はブリタよりも頭ひとつ高く、細身だが強靭さを感じさせる肉体が装いの上からでもブリタには伺えた。男の顔は確かに二枚目なのだが、世の全てを嘲る様な嗤いが口元に浮かんでいる。それがブリタからしてみれば男の魅力を台無しにしていた。

 

 とは言えブリタにとっては、男が二枚目だろうが三枚目だろうが、どうでも良い事であった。其れよりも男の実力や高級な装備の方が、ブリタには余程気になる。何故ならブリタには夢があるからだ。いつかは英雄と呼ばれたい、いや英雄でなくともせめて伝説的な出来事に関わりたいと云う夢だ。

 

 ブリタにも、英雄と呼ばれるアダマンタイト級冒険者達と己との圧倒的な差と云う物が、薄々とだが分かってしまう。己では幾ら研鑽を積んでも届く事のない高み。伝説的な出来事を日常茶飯事に経験し、人々の記憶に刻み込まれ吟遊詩人が酒場で彼らの冒険譚を朗々と謳いあげる。そんな存在には己は成る事が出来る訳がないと。

 

 ならばせめて彼らの経験する伝説的な出来事の欠片でも己が関われないのかと奮闘しては、何時も空振りに終わった。そして結局は流れ流れて南方の砂漠くんだりまで来てしまったのだ。そんなブリタの前に現れた只者ではない雰囲気を持つ凄腕であろう冒険者。

 

(冒険者のプレートを付けてないって事は、冒険者じゃない? それともワーカー? いえ、こんな奴の噂は聞いた事がないわね。余程の遠くから……それこそ冒険者組合の存在しない地域から来た奴よね。ならあたしの持ってる情報でも役に立つ筈)

 

「ねえ、あんた凄い装備してるのね。相当の凄腕なんでしょ? あっ、あたしはブリタ。只の鉄級冒険者だけど結構この稼業も長くてさ。見た処、あんたは冒険者のプレートも首に提げてないし、冒険者の先輩として色々と助言を出来ないかと思ってさ」

 

 

 

 

 

 



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第十五話 情報

 ブリタが声を掛けたのは、ウルベルトであった。あれから浮遊城のゴーレムを排除し探索を行ったが、城内は随分と昔に廃墟と化していた事がウルベルトにも察せられた。隅々まで城内を探索したが、何もかもが風化し何も残っては居なかったのだ。

 

 そんな中ウルベルトは、城の地下への通路を発見し降りていった。ウルベルトの降りた地下部分とは外観から言うと、丁度下部にある釜の様な部分である。その際に再度湧き出したゴーレム達を地下通路ごと蒸発させながらウルベルトは探索を行った。そして釜の丁度中心部の玉座の間に到達する事となる。そこには浮遊城の心臓部である玉座が鎮座していた。

 

 そして白骨化した人間の死体が玉座に座し、その胸に掻き抱いた無銘なる呪文書(ネームレス・スペルブック)がウルベルトを出迎える。そして白骨死体にウルベルトが触れると、長い年月が経過したからなのか音もなく白骨死体が粉になり崩れ落ちた。ウルベルトがひょっとしたらと試しに玉座に座ってみると、玉座が浮遊城を操る為の端末機である事がウルベルトに何故か伝わった。

 

 実はギルド武器を何処かのドラゴンに奪われた事を知った今は白骨死体に成っている者が、ギルド武器の効果範疇から浮遊城を除いたのだった。

 

 そして己が浮遊城の所有者に成った事をウルベルトは認識するに至る。白骨死体の者が、玉座に座った者を所有者とする様に設定したからである。当然ゴーレムもウルベルトを襲う事もなくなった。と同時に月間に付き五千ユグドラシル金貨も維持費として費やさねば成らない事も分かった。これにはウルベルトとも苦笑いするしかない。ウルベルトも多少は金貨を所持しているが、数万程度でしかないのだ。そしてゆっくりと釜の地下空間をウルベルトは探索し宝物庫を覗くと、多少の魔法具が散らばるだけで部屋は空っぽであった。長年の拠点維持費用により、既にユグドラシル金貨を使い果たしていたのだ。

 

 そしてウルベルトが新たに手に入れた無銘なる呪文書は、呪文書に記される魔法を負担無しに一日に一度だけ唱える事が出来るワールドアイテムである。ユグドラシルで使用されたあらゆる呪文を網羅し、更には八欲王が異世界にて世界改変を行った後に唱えられた呪文すらも、記載されていた。

 

 もしも白骨死体以外の者が手に入れ様とすれば、手痛い反撃を行う様にワールドアイテムには仕込まれていた。つまりは罠である。これは過去に連合のメンバーが殺し合いを始めた際に、一人のワールドディザスター職持ちが条件を書き換えたのだ。それは白骨死体の者の事である。

 

 自分しかワールドディザスター職が存在しない事を利用し、ワールドディザスター職のみが所有者であると書き換えたのだ。その為にワールドディザスター職持ちのウルベルトが、あっさりと手に入れる事が出来たのだ。勿論ウルベルトが狂喜乱舞したのは言うまでもない。

 

 そして探索が終了し結局ウルベルトに分かったのは、城内は廃墟であり連合メンバーも居ないと云う事だけだった。棚ぼたで貴重なワールドアイテムを手に入れたウルベルトは嬉しくもあったが、同時に途方にも暮れた。そして浮遊城を起動して移動を開始ししようとしたのだが、真下に都市がある事に気が付き慌てて降りて来たと云う訳だ。

 

「ブリタってのか、あんた。俺はウルベルト・アレイン・オードル。南方から砂漠に来たんだが、冒険者じゃあねえ。あんたの言ってる冒険者のプレートとかは何の事かは知らねえが、詳しく聞きてえな。それと俺が凄腕かどうかだって? まあ……その辺りは察しろよ。それと、あんたアインズ・ウール・ゴウンって名前に聞き覚えはねぇか? ナザリック地下大墳墓でもいい。俺の探している仲間とその場所の名前なんだがな」

 

 ウルベルトの返事を聞いたブリタは、素早く思考する。

 

(へえ、やっぱり砂漠の更に南方から来たんだ。冒険者プレートの事を知らないって事ならあたしでも色々世話を焼けるかしらね。凄腕なのかは察しろか……雰囲気や装備から考えると只者じゃないわよね。ナザリック? アインズ・ウール・ゴウン? 聞いた事は無いけれど、探す際の手助けなら出来る。食い込めるかも知れない、この英雄候補さんに)

 

 勿論ウルベルトとしては、己の異世界での実力に付いてはまだ未知数だと思っている。城でのゴーレム殲滅はユグドラシルの基準での話であり、ウルベルトとしてはあてには出来ない。連合の連中が不在な事と既に廃墟である事を考慮すると、ひょっとするとこの世界は途轍もなく拙いのではとウルベルトは心配していた。先程の蠍の群れや巨大なミミズの異世界での実力が確認出来れば、そこから異世界での己の実力が計れるのではとウルベルトは期待している。今はまだ、ブリタに察しろと言って誤魔化すのが精一杯のウルベルトである。

 

「御免なさい、ナザリックもアインズ・ウール・ゴウンも聞いた事が無いわね。でも冒険者組合で依頼すれば、中原地域全てから情報が集まるのよ。それなりに費用は必要だけど、ウルベルトさんなら大丈夫そうね」

 

 ブリタは精一杯の愛想笑いを浮かべて、ウルベルトの興味を引こうとしていた。

 

「へえ、冒険者ねえ。中々に浪漫が溢れる言葉じゃねえか。依頼を出せばいいのか? ああ、それと俺も冒険者に成れるのか? あと金か……宝石とかで代用出来るのか?」

 

 矢継ぎ早に質問してしまうウルベルトに閉口しながら、ブリタは満足感を味わった。どうやら己をウルベルトは必要としている様だと。

 

「ちょ……ちょっと待ってよウルベルトさん。順番にね。落ち着いて」

 

「済まん」

 

 ウルベルトは、焦ってしまった事を恥じ入る様に頭を掻いた。

 

 そしてブリタはウルベルトに順を追って説明していった。貨幣は銅貨、銀貨、金貨、白金貨がある事。大抵の国家が、王がいて貴族がいる封建制である事。宗教国家や竜の治める国家もある事。この砂漠と違い、四季折々が中原にはある事。時々だがタレントを持って産まれてくる人々がいる事。武技と云う物が鍛えれば身に付く事。勿論ウルベルトが余りに常識的な事すら訊いてくる度に、ブリタは違和感を覚えた。

 

 そしてウルベルトは、最も気になる事を訊いた。

 

「なあ、あの空の城なんだが何か知ってるか?」

 

 流石にブリタも、ウルベルトに違和感を拭えなかった。浮遊城の事すら知らないとは不自然過ぎると。

 

(でも私の知らない程遠くの土地だと、噂すら届いてないのかしら。それに常識にも色々と違いがあるのかな? 別の手段でタレントが発現するとか、武技も種類か系統が偏ってたり?)

 

「あれはね、五百年前に現れた八欲王の浮遊城よ。中原一帯を支配したり、六大神を殺したりしたの。最後には仲間割れで滅びちゃったけどね」

 

 ウルベルトはブリタの言葉に愕然とする。五百年もの時間差が八欲王と己の間に生じた事を認識したからだ。中原の支配だとか神殺しや仲間割れなどは、ウルベルトにとっては何となく状況が察せられた。異世界での八欲王と云う名で呼ばれる程の彼らの所業やユグドラシルでの態度からなら、ウルベルトには容易く頷ける事であった。

 

「へえ、五百年前ね。随分と昔の話なんだな。もっと八欲王とやらの事を聞かせてくれよ。あ、六大神のも頼まあ」

 

「ええ、いいわよ」

 

 唇をブリタは舌で湿らせてから深呼吸をする。お喋りは女の得意な分野であり、伝説の欠片の端にでも関わりたいブリタにとっては八欲王の伝説関係は詳しい事柄でもある。そしてウルベルトはブリタから六大神や八欲王、十三英雄などの伝説を粗方聞き出した。

 

 流石にウルベルトにも大体の事が飲み込めた。どうやらユグドラシルのプレーヤー達は、この異世界で随分と暴れ回って居たらしいと。そして己もこの異世界に骨を埋める事に成るだろうとも。そこで思い出すのは、砂漠の巨大なミミズの事である。

 

「なあ、ブリタ。砂漠で馬鹿みたいに大きなミミズを見たんだが、何か知ってるか?」

 

 ブリタは大きなミミズと聞いた途端に、背筋に悪寒が走ったのを自覚した。

 

「ウルベルトさん、それジャイアントワームというモンスターよ。砂漠で遭遇すれば殆ど誰も生きては還れない程の化け物の事よ。もしもこの街に現れれば皆一貫の終わりね。でも安心して、この街の地下は厚い岩盤に覆われているから流石にジャイアントワームでも潜っては来れないのよ」

 

 それを聞いたウルベルトの口元が歪んで、邪悪な笑みが浮かんだのをブリタは見逃した。



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第十六話 天武

 南方の砂漠にある都市エリュエンティウを上空から俯瞰すると正方形の形をしている。その正方形の各辺から道が伸び中央で十字に交わる箇所は、巨大な広場が設けられていた。住民の憩いの場所である市場や各種の重要な施設が軒を連ね、大変に賑やかである。その施設の内の一つ、冒険者組合エリュエンティウ支部ではその日を休日と定めた冒険者達が待合室兼酒場で管を巻いていた。広間には丸テーブルと椅子が並べられ、その最奥には受付が設置されている形式だ。

 

 入口近くの丸テーブルの一つに陣取る鉄級冒険者のパーティ[砂漠の風]のメンバーも既にかなりの量の酒を鯨飲していた。リーダーで戦士のフランツ、盗賊のスティーブ、軽戦士のマイクの三人しかいない未だに駆け出しの冒険者達である。しかしフランツは生来の恩恵であるタレント持ちでもある。そのタレントとは、視界に入った者の正確な脅威度をフランツ自身との差に応じ、寒気としてフランツの背筋へと発現させると云う物だ。このタレントのお陰でパーティーの危機を回避出来た事もあって重宝していた。

 

「どうする? また砂漠ゴブリンでも狩るか?」

 

 フランツが問い掛けると二人共に首を振った。

 

「俺達もそろそろ一つ上を目指して行動するべきだろ」

 

 マイクが拳を握り締めて力説する。それをフランツは諌めようと口を開いた時、組合の入口に一組の男女が現れた。組合の入口に向いて座るフランツの視界に男の姿が入った瞬間、フランツの背筋がこれ迄に感じた事のない程の寒気に包まれる。まるで背筋が氷柱に成ってしまったかの様な感覚をフランツは覚えた。その昔フランツはアダマンタイト冒険者を見た事があり、その時フランツはそれなりに強くタレント由来の寒気を感じた。だが入口の男の方と比べれば、春風に感じられる程に温かかったとフランツには断言出来た。その寒気はフランツの躯を芯から震えさせる。フランツは堪らずテーブルに肘を突き目を瞑った。尚も止まらない震えを手の指を組む事で耐え忍ぶ。

 

(何なんだ! あの男は! 化物? そんな言葉じゃ生温い。兎に角、俺のタレントがこんなに反応するのは初めてだ!)

 

 スティーブは、突然の異常なフランツの様子に心配して声を掛けた。

 

「どうした?  何かしらあったのか?」

 

 スティーブはフランツの肩を掴む。その瞬間フランツの異常な状態にスティーブは気付く。

 

「冷たい! フランツ、まさかお前!」

 

 二人共フランツのタレントを信頼していた。当然その効果が寒気として表れる事も熟知している。だが躯全体にまで寒気を纏う程の物ではなかったのだ。二人はフランツの向いていた方向を見ようと振り返ろうとした。

 

「ば、馬鹿……ふ、振り向くな」

 

 寒気で固まった舌を無理に動かして、フランツは二人に押し殺した声で警告する。

 

「あれを化物なんて言葉でかたずけるんじゃ、化物が可哀想になる位の玉だ。何者なのかは知らんが、関わり合うな。危険だ。いいか! そっとだ。刺激しない様にして遣り過ごすんだ」

 

 二人の仲間は共に唾を呑み込み、真剣に語るフランツの言葉に頷いた。フランツの様子から、予想を遥かに越えた領域に棲む化物と一つ屋根の下に居るのだと悟る。もしも善良な存在だとしても、桁が違えばそれは災厄と紙一重だと理解出来たからだ。しかし男が実際は人化の指輪で80レベルまで力を抑えている事を知れば、その状態にすら戦慄してしまったフランツ達はどう思うのだろう。10レベル差があれば次元が違うと言われるユグドラシルの基準を鑑みれば、男の現在の80レベルは弱すぎる程であると云うのに。そして入口から男女が広間の壁際を通って奥へと進み通り過ぎた。フランツ達はその間に殺していた息を安堵と共に吐く。男女の会話がフランツ達の耳に届く。

 

「ウルベルトさん、冒険者達に気を付けて。新人が登録しに来たって分かると絡んで来る馬鹿も居るのよ。刃傷沙汰は流石に御法度だけれども、殴り合う位はある程度組合も黙認しているの。それで冒険者に成れるのかどうかの適正を判断出来ると考える組合の職員もいるからかしらね。でも後衛職のウルベルトさんには殴り合いは難しいのは分かっているわ。だからもし負けても恥を感じる必要はないのよ。だけど気概だけは最後まで持っていて、それなら後衛職でも舐められないで周りにも認めて貰えるわ。後は……例えば軽快な話術で煙に巻けるのなら、それはそれで機転の利く奴だとも認めて貰える。兎に角、何でも良いから対処してみせる事ね」

 

 ウルベルトは煙管を吹かし、気楽に冒険者達を眺めて御満悦である。雑魚しかいないと確信を持てたからだ。

 

「そうか、俺が昔に所属していた団体にも洗礼はあったから多分大丈夫だ。それなりの戦闘訓練も受けている。しかし思っていた以上に冒険者は見窄らしい身なりで活動しているんだな。ユグドラシルなら即死確実と言った処だ」

 

 ウルベルトからしてみれば、冒険者達の装備はとても不憫に思えるレベルにあった。

 

「何だと! 聞いたぜ新人さん。誰の装備が見窄らしいってんだ。これは俺達エリュエンティウ支部への侮辱だと俺は受け止めた。これは落とし前を付けなけりゃいけねぇな」

 

「ん?」

 

 広間の端を中程までウルベルト達が進んだ時、体格の良い冒険者が立ち上がりウルベルトに絡んで来た。ウルベルト達に聞き耳を立てて居たのはフランツ達だけではなかったのだ。ブリタは相手の冒険者が銀級である事を確認すると流石に止めようとするが、ウルベルトは手を上げてブリタを制した。周りの冒険者も新人への洗礼が始まったのかと囃し立てる。

 

「銀級冒険者のボルカンか……あいつは遣り過ぎるからな。可哀想な金持ちのボンボンさんだ。ご立派な装備を狙われたか」

 

「まあ、これ位の窮地を捌けない様じゃ。どのみちモンスターに殺られちまうさ。ならボルカンに痛め付けられて冒険者に成るのを諦めた方が良いだろうよ。高い授業料に成るが」

 

 固唾を呑む冒険者達の期待を裏切る様に、ウルベルトは立ち上がったボルカンの頭を右手で無造作に掴む。

 

「な!? てめぇ、何を!」

 

 そしてボルカンの頭を無理矢理に側の壁へと押し付けた。

 

「お前ちょっと黙ってろ。な?」

 

 軋んで悲鳴を上げる壁の木材に、ボルカンの頭が捻り込まれていく。ボルカンはウルベルトの拘束から逃れようとして愕然とした。

 

(馬鹿な! なんて力なんだ! 全く頭が動かねぇ! こんな筈は……)

 

「痛えぇ、ちょっ、待っ、ぐげっ」

 

 蛙の様な鳴き声を上げたボルカンの頭は、壁板を突き破った。ボルカンは穴に頭を突っ込んだ儘で動かない。時折躯が痙攣している為、未だ生きてはいる様だった。予想を越えた展開に広間は静寂に包まれる。

 

「はっ?!  ボルカンが金で装備を整えただけのボンボンに捻られた?」

 

 ボルカンが新人相手に油断していたのかと、冒険者達は訝しんだ。とは言っても、仮にも銀級冒険者が急所である頭部を容易く相手に掴ませる筈がない。ウルベルトは只の金持ちのボンボンではないのだと、周りの冒険者達も気付く。

 

「何者だ。あの新人は……」

 

 そこで初めて冒険者達はウルベルトに注目し、ウルベルトと目が合うと皆が揃って顔を俯かせてしまう。下級冒険者はボルカンが遣られた事で格の違いが分かるからだが、上級冒険者はウルベルトの瞳の奥に何かを感じてだ。特に上級冒険者程であれば理屈で説明出来ない感覚を疎かにはしない。或いは瞳の奥にウルベルト本来の姿を幻視したのかも知れなかった。だがその感覚を全く読めない愚か者も存在する。男は壁際のウルベルトに近付くと周りに言い放った。

 

「情けない連中ですね。エリュエンティウの冒険者とはこの程度ですか。南方に予備の刀を仕入れに来たのですが、少しは骨の有る南方の冒険者に出逢えるかと期待していたのですよ。しかし、貴方達の臆病さ加減には呆れるしか有りませんね」

 

 その男の見た目は一見すると優男に見えた。しかし修練に依って鍛え上げられた故に絞り込まれた躯が優男に見えるだけである。その男の後には三人の女性のエルフが随分と怯えた様子で控えていた。彼女らの首には奴隷の証である首輪が付けられ、そこから伸びた鎖の先を男が握っている。当然エルフの誇りである長い耳も途中で切断されていた。しかもエルフらの躯には所々殴られた跡があり、男が普段彼女らをどの様に扱っているのかが察せられた。法国出身の男にとっては亜人などに価値はないのだ。何人かの冒険者が男の言葉に反応して睨み付けるが、男にとっては負け犬の遠吠えにしか感じられなかった。

 

「お前は? 俺と一緒で冒険者のタグを付けてないが、新人さんなのか?」

 

 ウルベルトが煙管を更に吹かして悠然と問い掛けた。

 

「新人ですか? このエルヤーウズルスを掴まえて、依りにも依って新人? 愚か者を通り越してもはや白痴の類いですね貴方は。救い様がないとは、この事です。……まあいいでしょう。喜びなさい! 今から私が貴方に躾を施して上げます。これで少しは人らしく振る舞える様に成るでしょう」

 

 冒険者達は突然しゃしゃり出て来たエルヤーに注目する。

 

「エルヤーウズルス? どっかで聞いた事がある様な気がする……そうか! 天武か! 昔に冒険者仲間を再起不能にして冒険者組合を追放された天武だな。偉そうな割には馬鹿やって冒険者資格を剥奪されたワーカーじゃねぇか! そもそも何でワーカーが冒険者組合直営の酒場に居やがる!」

 

 冒険者の一人がエルヤーを指差して糾弾する。エルヤーがその端正な顔を歪めて吐き捨てた。

 

「そこの雑魚! 生意気な新人君を懲らしめたら次は貴様の番です。私が追放などされる筈がある訳が無いでしょう。冒険者組合を私が見放しただけの事です。私程の大器を御する器がなかったのですよ、冒険者組合程度の組織ではね。さて、お待たせしましたね新人君。躾の御時間ですよ。まあ、私が刀を使ってしまえば後衛職らしい貴方に勝機は有りませんし、流石に衛兵を呼ばれてしまうのは避けたいので素手で躾て上げます」

 

 艶やかに捕食者の笑みを浮かべるエルヤーは、刀を鞘ごと後ろのエルフへ投げ付けた。そして右手で手刀を作ると、左手で作った輪の中に納める。重ねた両手を左の腰に付けて腰を落とし構えた。これは本来なら刀を使用して剣士がとる抜き打ちの構えだ。鞘の中で勝負が決すると言われる居合抜刀術程の物ではないが、抜き打ちでも充分に脅威的な加速を得られる。エルヤーは下手に拳を固めて構えをとるよりも、いつもの剣士としての構えの延長線上に位置する構えで闘った方が有利だと判断したのだ。実際にエルヤーが手刀を刀と模して振れば、その鋭さは他の追随を許さない。エルヤーの躯から妖炎が立ち上ったかの様な切迫感が迸り、寄れば即座に反応しそうな雰囲気を醸し出していた。

 

「さぁ……来なさい」

 

「ふむ、先手を譲ってくれるのか。気前が良いな。じゃあ遠慮なく……」

 

 ウルベルトが返事を言い終えた瞬間、広間に空気の破裂音が響き渡った。冒険者達が何事かと見れば、エルヤーの頭が仰け反り、その鼻から血が滴り落ちていた。ウルベルトが立った姿勢から軽く放った拳がエルヤーの顔面に炸裂したのだ。エルヤーが後退り鼻を押さえて喚く。

 

「な……何が起きた? 貴様! 私に何をした」

 

「何、拳を突き出したら当たっただけの事だ。騒ぐ程の事じゃない」

 

 冒険者達も今の一幕に驚愕していた。皆、ウルベルトの打撃が全く視認出来なかった為だ。

 

「おい、お前は見えたか? ウルベルトとか言う奴の拳」

 

「いや全く。何となく姿がブレて奴の右手が消えた様に思えたが」

 

 

 エルヤーはぶつぶつと呟く。

 

「こんな筈がない……こんな筈がない……こんな筈がない……私が認識出来ない程の拳速で撃ち抜かれたなんて事が……断じてあるものか!」

 

 固く握りしめた拳から血を吹き出しながら、エルヤーは先程の余裕をかなぐり捨てて、ウルベルトへ抜き打ちの手刀を掬い上げる様に放った。それをウルベルトは半歩だけ後退し半身になって避ける。そこからエルヤーの返す手刀での袈裟斬りがウルベルトを襲う。それも素早く屈んでウルベルトが避けると、エルヤーはエルフに預けていた刀へと走り刀を掴んだ。周りの冒険者やブリタがエルヤーの凶行で驚愕に陥る間に、エルヤーが稲妻の様な歩法でウルベルトの眼前まで迫ると言い放つ。

 

「私を本気にさせたのは失敗でしたね。そんな御馬鹿さんは後悔して逝きなさい。兎に角……死ね!」

 

 本気のエルヤーの太刀筋は、見惚れる程の軌跡を描きウルベルトの脳天から股ぐらまでを切り裂こうと唐竹割りに降り下ろされる。ウルベルトの脳天に剣先が触れる寸前、ウルベルトの両手が霞む様な動きを見せた。刹那の間に数十の打撃がエルヤーに叩き込まれ、エルヤーは全身を殴打され反対側の壁面まで吹き飛び、壁にぶち当たるとめり込む。ウルベルトの実力は桁が違い過ぎ、もはや広間には沈黙が漂うのみである。後から放った拳が、何故に着斬寸前の刀より疾いのか誰にも分からなかった。

 

「他に俺と円舞(ワルツ)を踊りたい奴は居るか?」

 

 

 



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