ソードアート・オンライン ~天翔る竜騎士~ (ふとっちょマックス)
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prologue

お初にお目に掛かります。U.Tです。

あらすじに在ります様に、この~天翔る竜騎士~は以前にじファンで連載していた小説で御座います。大まかな内容は連載していた頃と殆ど変わりませんが、一話一話加筆修正、追加の話を書いて行こうと意気込んでおります。

では、本編スタートです。


――――《アインクラッド》の何処かに存在するある特別な場所。其処に条件を満たして立つと、不意に謎の声が響きプレイヤーに問い掛けてくる。その問いの答え方次第で、プレイヤーは謎の声の主と闘う事が出来、勝利を得た暁には"地に縛られぬ強き力"が与えられる。しかしその声の求める答えを出せなかった者は声の主の怒りを買い闘えず、絶望を味わう事となる―――

 

 

 2023年5月頃、丁度最前線・第25層で《軍》の精鋭が大被害を受けた頃と同時期に、数多くのNPCがこの様な"噂"を喋り始めた。そしてこの話を聞いたプレイヤー達は一瞬にして理解する。「これはクエストだ」と。

 

 プレイヤー達の行動は驚く程に迅速だった。様々な場所で検証が行われ、多くのプレイヤー達がその検証に加わった。フィールドの奥地、山の頂上、ダンジョンに配置された洞窟の奥底等々………有志あるプレイヤー達は数週間に渡っても尚諦めずに検証し続けた。

 HPバーが尽きる事が"死"であるこの世界ゲーム―――《ソードアート・オンライン》においての力とは、即ち生きる為の力と同義。強き力に飢えるのも無理はなかった。

 

 しかし遂にその場所が発見される事は無く、一時期毎日の様に噂していたNPCも普通通りの会話に戻った。クエストの発生期間が終了したのだとプレイヤー達は理解し、大いに賑わった検証は静かに終わりを告げた。

 

 

 

 だがそれから数日が経った時、ある一人の青年が二十三階層に存在する《忌々しき峡谷》でその謎の声の問い掛けを受け、正しき答えを返答、そして見事勝利する事に人知れず成功していた。

 勝利によって齎された肝心の"地に縛られぬ強き力"とは《ユニークスキル》の事であり、彼が得たスキルの名は《飛翔(ジャンプ)》。超人的な跳躍力で空を跳び、死角となる上空から襲撃する姿は、高く跳び上がり敵を突き刺していく『竜騎士』の様さまを髣髴とさせた。

 

 彼は確かな情報を持って《忌々しき峡谷》に向かった訳ではない。モンスターの遭遇エンカウント率が高いこの場所でレベル上げをしていた彼は、深夜に峡谷の奥地に位置する広く平たった台地の上に立っていた時に噂の中心であった"謎の声"を耳にしたのだ。

 丁度青年が立っていた場所がダンジョンの奥地であり、時刻は夜中12:00丁度。

 恐らくこの場所・この時間帯が条件だったと思われるが、それを知らずに満たしてしまった青年はかなりの幸運の持ち主だと言わざるを得ないだろう。

 

 青年が出会った謎の声の主は――――(ドラゴン)だった。

 しかしその躯体は迷宮区のボスモンスターで出現してもおかしくはない程巨大で、相当な威圧感を放っていた。

 彼は問い掛けに答えたのは良いものの、現れた飛竜の余りのレベルの高さに一度は逃亡の選択肢を選ぼうとしたが、意を決してその竜に闘いを臨んだ。

 

 しかしそれは、無謀にも等しい行為。

 当時最前線に立つプレイヤーと同等のレベルだった彼でも巨大な竜、付け加えパーティを組んで挑むのが基本なフラグMobに対してたった一人で闘うのだ。余りにも危険過ぎている。

 自慢のソードスキルも飛竜の抜群の回避力には敵わず、また一定時間経つと共にHPが僅かに回復する《バトルヒーリング》も持ち合わせていた為、青年の方が圧倒的に不利なのは当然の事実だった。

 

 竜が放つ攻撃も容赦なく、広範囲のブレス攻撃や突風、両翼での突撃等、苛烈な猛攻が彼のHPバーを奪い続ける。一歩油断すれば死に至る激闘を前に、ダメージを受ければ惜しみなく回復結晶を使い、相手の攻撃は避けれるものならば極力避け、反撃カウンターを狙う戦法を続けた。例え飛竜のHPが数分毎に回復しても、彼は決して諦めなかった。

 何が彼を其処まで突き動かしたのは分からない。それは彼と神のみぞが信じる"真実"――――。

 

 しかしその闘いの結末は、意外な形で幕を閉じる。

 回復結晶も底を尽き、HPバーも赤の危険域にあり死を覚悟したその時――――峡谷に差し込む一筋の太陽の光が、彼と竜を包んだ。気付けば彼の死闘は、夜が明けるまで続いていたのだ。

 と同時に、竜からセリフが放たれた。「何と……永き時に渡り我と対峙して尚、夜明けの時まで立ち続けるとは。その業、見事なり」と。

 その言葉から察するに飛竜の撃破が達成条件ではなく、『逃亡する事無く、夜明けの時間まで敵の攻撃に耐え続ける』のが条件だったのだろう。

 

 竜はその言葉と共に数え切れぬ程の小さなポリゴンの大群に姿を変え、青年の身体へと吸い込まれた。

 フラグMpb撃破と言う名誉と同時に彼に齎せたのは、全ステータスの異常な上昇とスキルウィンドウの最後の一つに与えられた、《飛翔》だけであった。

 

 

 それ以降、彼は様々な場面で出し惜しみする事無く《飛翔》を使い、立ち塞がるモンスターを屠り続けた。

 華麗に宙へと跳び、流星の如く飛来してモンスターにダメージを与えるその姿は、他プレイヤーを魅了させると同時に羨望の眼差しを浴びていた。

 

 だからこそだろう。彼の異名が深く知れ渡ったのは。

 その名は――――《竜騎士カイン》。天高く飛翔する彼を止める術(すべ)は、何もありはしないと語られた。

 

 

 これは、その彼が世界初のVRMMO――――《ソードアート・オンライン》で紡いだ物語である。




遅筆であはありますが、これから頑張って執筆して行こうと思っております。


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episode1:始まりの時(前編)

 

 

 咆哮が、大地と空に響き渡る。

 だがそれは闘いの始まりを告げる雄叫びではない、その真逆……敗北した者が上げる断末魔だ。

 その声の主は飛竜(ワイバーン)。魚の様にぬめりとした鱗を持ち、言葉ではとても形容し難い尾を持った飛竜は断末魔を上げながら地面へと崩れ去る。

 

 倒れた《Wivern of avarice》――――"貪欲の飛竜"の名前の下に表示されていたHPバーは、その時既に空。口から大量の涎を地面に巻き散らしながら伏していたその飛竜はやがて、微小なポリゴンの塊となりて消滅した。

 

「―――って、何も落とさないのかよ! 折角ポップするまで一時間も待ったってのによぉ~……チッ、これも物欲センサーの所為か……」

 

 紫色のフォントで浮かび上がる獲得経験値とドロップリストを見ながら、怒鳴り声を上げたり急に冷静な面持ちとなったり忙しいのは、一人の青年だった。

 防御は低いが身軽である革鎧―――しかし一部一部が紫色の金属板で補強されている―――身に纏う青年。また彼の背に《槍》が着けられている所から察すれば、彼は一人の《槍使い》であり、同時に先程の飛竜を倒したのも彼に違いない。

 

「《アンノウンモンスター》でも出ない時には出ない………まぁ、MMORPGじゃそんな事は当たり前か」

 

 彼以外誰もその場に存在していないのに彼は呟き、やれやれと手を振る。

 《アンノウンモンスター》とは、固有の名前を持つ「未知なる(unknown)」モンスターの事を示す。略称として『UM』と他プレイヤーから言われ、先程の飛竜もその一個体であった。 

 通常のMob以上のステータスを持つUMは一撃一撃が強烈であり、中にはその階層以上のレベルのモンスターが存在するとさえ言われている。故に低下層でもレベルが高い場合がある為、ソロや低レベルで討伐するのは大変危険な行為である。

 しかしそのモンスターと闘う見返りは大きい。

 ドロップ率に左右されるが、フラグMob並みの固有ドロップアイテムを持っており、それを目当てに幾度も闘いに臨む者も多いのは確かだ。現にこの青年も、それを目当てに赴いたのだから。

 だがUMにはフラグMob同様、出現条件・出現場所が決まっている。

 出現場所はその出現する階層に存在するNPCや目撃情報等で大体は分かる。がしかし、条件を満たさない限りそのモンスターは出現しない。

 出現条件は様々だ。

 あるモンスターを一定数倒して決められた場所へ向かうと出現する場合や、決められた場所に身を置き、時間を掛ける―――数時間、最長で数日間に及ぶ事も―――事により出現する場合等、条件を満たすだけでも一苦労と噂されている。

 また、姿は同じでもステータスが異常に高いUMも存在する。それ等は《ハイレベルアンノウンモンスター(HUM)》と呼ばれ湧出(ポップ)する確率は極僅かだが、ソロで討伐するのはほぼ不可能と言われている。

 

「……しゃーない。帰るか」

 

 時は既に午後五時。やがて夜の闇がこの峡谷の地に訪れ、昼時よりも多くのモンスターが徘徊する事だろう。

 そうなる前に彼は街に戻るべく、踵を返して足早に駆け始めた。

 

 とその時、一羽の鳥が彼の視界に映った。

 優雅に空を舞う姿。しかし所詮はプログラムで設定された物。

 だがその姿はかつて――――二年前に初めてこの"世界"、《ソードアート・オンライン》で見た鳥の姿を甦らせた。地に縛られぬ事無く空を舞うその姿は現実(リアル)の鳥と何ら変わりはせず、美しい事もまた同じであると、以前と同じ感想を彼は再び胸に抱いた。

 

 だがもう一つ、思い出す事もあった。

 それは――――全ての始まりと全ての終わり。

 

 この世界に閉じ込められた自分と妹の、この世界での全てが始まった、あの日の事を――――。

 

 

 

*

 

 

 

 2022年 十一月六日 日曜日。

 『S(ソード)A(アート・)O(オンライン)』正式サービス開始。

 

 この日が迫るその時までのメディアの殆どが、この話題で埋め尽くされていたのは記憶に新しい。

 真の仮想世界を構築する『ナーヴギア』。その性能を最大限まで生かしたとも言える世界初のVR(仮想大規模)MMO(オンラインロ)RPG (ールプレイングゲーム)の発売。

 戦闘システムや構造とは従来のMMORPGにと通ずる部分があるが、最も違う所が一つある。

 ナーヴギアによる仮想空間(VR)への接続――――即ち、『完全(フル)ダイブ』だ。

 

 それは現実との完全なる隔離を示す。ユーザーは仮想の五感を与えられ、脳から自身の身体へ向けて放たれる命令を遮断・回収する事も可能となる。

 簡単言ってしまえば、『仮想の世界(ゲーム)の中に行ける』と言う事だ。

 この事実が発表された瞬間、ゲームの世界に憧れを持つ人、或いは世間から『ゲーマー』と呼ばれる人間達を一瞬にして虜にした。

 

 平凡な日常を生きて来た俺と妹も、例外ではなかった―――――。

 

 

 

 

「てい! やぁ!」

 

 掛け声と共に放たれる短剣の連撃は、確実に青い肉体の猪の身体に喰らい付く。それと同時に《フレンジーボア》の名の下に表示されるHPバーも着実に減っていた。

 しかし相手もそのままやられる気は無い様で、時折彼女の剣撃の間に反撃の突進を繰り出そうとするが、彼女の方は華麗なバックステップでそれを回避。そして再び一方的な攻撃を繰り返す。

 

「おー……中々やるなぁ。全然当たらずにダメージばかり喰らってたさっきまでとは、まるで別人だぜ」

 

 俊敏な動きに適する革鎧に身を包んだ金色のツインテールの少女――――シリカは、俺の賞賛の言葉にも耳を貸す無く、ただ目の前のモンスターに集中している。どうやらこの世界での、闘いのコツを掴んだ様だ。

 

 シリカ――――もとい、綾野 珪子(けいこ)は俺の妹だ。

 フリーのルポライターである親父が俺達の為に買って来た二台の《ナーヴギア》とこのVRMMORPG《ソードアート・オンライン》。後者の方は並んで―――しかも徹夜通しで―――買って来たらしく、現実(リアル)では今も尚疲労を癒す為に眠っている事だろう……。

 

 だけど俺と珪子はテレビやゲーム雑誌で大々的に報じられていたゲームが何日、何週間も待つ事無く発売直ぐにプレイ出来る事に大喜びしていた。珪子なんかペットの猫の『ピナ』を抱いて跳び回っていた程だ。

 昼食をほんの数分で平らげた俺達は、サービス開始となる午後一時を今か今かと待ち続け、時計の針が一時を指した瞬間にログインしたのだった――――。

 

 

「やああああっ!」

 

 数分前の過去を思い出していた時、シリカの放った短剣基本技 《スティング》が猪の躯体に直撃した。

 放った際に発生したと思われる白き閃光の残光が俺の視界に映り、同時に3分の1程であった《フレンジーボア》のHPバーを一気にゼロとさせた。

 ぶひぃと微かな声を上げた直後に猪の身体はポリゴンの塊に変換され、やがて砕け散った。

 そして「やった!」と喜びの余り加算経験値に目も暮れず、満面の笑顔でジャンプするシリカの姿が其処にあった。

 

「良くやったなぁシリカ。最初は如何なるかと心配したけど、無事に一人で倒せて良かった良かった」

「そ、そんな事ないよ。お兄ちゃんの方が凄いよ」

「おっ? そう言ってくれるのは嬉しいねぇ~。まぁでも実際、俺はMMORPG経験者だけどな」

 

 シリカはこのSAOが人生初のMMORPGになるのだが、俺はそうではない。数年程前にあるゲームシリーズから発売された一つのMMORPGをやり込んでいた経験があるからだ。

 典型的なレベル制MMORPGだったのだが、ストーリーを追う要素が非常に充実しており、他のゲームとは似ても似つかぬ幻想的な世界観を創り上げていた。まだ幼かった俺は一瞬にしてそのゲームの虜になり、寝る時間も惜しんでプレイしたのは記憶に新しい。

 今回のSAOはストーリー性は無い様だが、恐らく従来のMMORPGで存在した設定・要素は含まれているだに違いない。幾ら世界初のVRMMORPGとは言え、現存するMMORPGから色々と要素を取っている筈だ。現にこのゲームの中枢的存在である《剣技(ソードスキル)》も他のMMORPGで似た様な物があったのを覚えている。

 

「と……そろそろ落ちないと不味いかも」

「え? 如何して?」

「あぁいや、だって時間時間。見たいアニメが始まる時間までもう直ぐだからさ~」

 

 このゲームでは視界の右側に、現在時刻が表示される様に設定されている。今現在の時刻は五時半頃。もう直ぐしたら母親が夕食の準備を始める頃だろう。

 「そんなの録画すれば良いのに……」シリカは不満そうに頬を膨らめ、「私一人じゃ、心細いよ」

 

「って言われてもなぁ……今まで一話も見逃さずに見てるし、しかも物語の最終章だから楽し――――」

 

 と言い終わろうした時、チラっとシリカを見つめる。俯く表情に光は無い。余程俺と一緒にまだまだ遊びたいと思っている様だ。

 最近はシリカ―――珪子と一緒に遊ぶ事は少なくなっている。小さい頃は珪子の手を握って色んな所に遊びに連れていたが、今となっては俺は15で珪子は12。高校入学等で色々と忙しくなっているこの時期、俺は余った時間をゲームに潰していた。珪子が時折俺と一緒に何かやろうと言い掛けても、俺は彼女の気も知らずにゲームを優先していた。

 けど、このゲーム……SAOは違う。現実では違う部屋でPCの目の前に居るが、ゲームの中で俺と珪子は一緒に居るのだ。きっと珪子がSAOを買って貰って以上に喜んでいた理由は、俺と一緒にゲームが出来ると思ったからかもしれない。

 

 そう思うと、たかがアニメの一話を見逃す事等ほんとの些細な事で、妹と一緒に居られる時間を無駄にしてまで見る物ではないと思えてしまった。

「……わーったよ」フッと柄にも無く微笑を浮かべた俺は、俯く珪子―――シリカの頭の上に手を置きクシャクシャと乱暴に撫でる。「夕食の時間まで、付き合ってやる」

 

「………良いの?」

「まぁな。俺もログアウト寸前には1レベルぐらい上げたいと思ってた所だし、それにシリカ一人だと心配だからな。直ぐ泣くし」

「そ、そんな事ないよ! 私泣かないもん!」

「大丈夫大丈夫。強がり言わなくても大丈夫」

「強がりじゃないもん! 本当の事だもん!」

 

 まるで現実の様に会話する俺とシリカ。こう言うゲームの中でも他人と他愛の無い会話が出来ると言う事も、MMORPGの魅力の一つだ。

 このゲームを通して、もっと珪子と"絆"が深められたら良いな………そんな平和な未来を案じていた時、

 

 

 リンゴーン、リンゴーン――――――

 

 

 突如として、巨大な鐘の音が大地に響き渡る。

  

 それが全ての幕開けだと知るのは、それから数分後の事であった。



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episode2:始まりの時(後編)

 

 

 

 突如として周囲に木霊する鐘の音のサウンドに、俺とシリカは表情を驚愕の色に染める。

 

「……ッ!?」

「な、何……? 何かのイベント……?」

 

 突然の出来事に困惑する最中、現実は更に進んで行く。

 今度は俺とシリカの身体を、蒼の光の柱が包み込んだのだ。この現象は恐らくRPGで言う《転移(テレポート)》に違いない。その証拠に、蒼の壁の向こうの景色が段々と薄れて行っている。

 だが――――これは明らかにおかしい現象だ。

 ゲーム雑誌で紹介されていたこのSAOには大概のRPGに存在する《魔法》は存在しない。故にこの様な現象を起こす為には転移用のアイテムを使用しなくてはならない筈。

 しかし俺はそのアイテムを持っていないし、そもそもコマンドを選択すらしていない。だとしたらこの現象の元凶は運営なのだろうか? だが何のアナウンスもなしに、何故プレイヤーを強制転移せるのだろうか?

 

 疑問を膨らんでいた矢先、何の前触れも無く身体を包む光がより一層輝き始めた。

 やがてその光が消えて行くと共に、視界が取り戻される。しかし眼前に映るのは夕暮れの草原ではなく、街の風景だった。

 街路樹が整然と並び、綺麗に敷き詰められた石畳の上で他のNPCが行き交い、眼前の向こうに聳え立つ漆黒の光を放つ宮殿――――。

 間違い無い、此処は全てのプレイヤーのスタート地点となる街――――《はじまりの街》だ。

 

「お、お兄ちゃん、何であたしたち……此処に?」

「俺にも分からないよ。それに、転移された(・・・・・)のは俺達だけじゃなさそうだしな……」

 

 視界を動かし、周囲に立つプレイヤーを見回す。現実とはかけ離れた姿、装備をその身に宿す者達(プレイヤー)が所狭しと、この場所に佇んでいる。彼等も俺達と同じく、此処へと転移されたのだろう。

 だがその数は異常だ。この広場全体が埋め尽くされる程の人数となると……一万は必要となる筈。

 

(まさか、全プレイヤーが此処に……?)

 

 他の人達も同じ様な事を考えていたのだろう。僅か数秒間だけは全員押し黙り周囲を見渡していたが、やがて困惑と不安と怒りの声が聞こえ始める。隣に居るシリカも不安なのか、俺に寄り添い腕を握っている。

 とその時――――上を見ろ、と何処からか声が放たれた。それまでざわついてたプレイヤーの視線は一気に上空に向けられる。

 だが其処には、異様な存在が浮かんでいた。

 

 真っ赤なフォントで文字が表示された後、身長20m程はある真紅のローブを纏った顔無しの人の姿が突如出現したのだ。

 あれが此処のGMなのだろうか、だがこの風貌がGMの姿とはとてもではないが思えない。明らかに俺達の不安感を煽る様な姿にしか、俺には思えなかった。

 

 

『プレイヤーの諸君、私の世界へようこそ』

 

 

 低く、周囲に響き渡る男の声が、頭上から放たれる。

 "私の世界"――――GMであれば確かに、この世界(ゲーム)を意のままに操る事は容易い事。しかし運営側の人間が全プレイヤーにその様な言葉を言って良いものだろうか。あのローブの男は仮にも運営側の人間――――即ち社員だと言うのに。

 しかし俺が其処まで考えた推論は、次の言葉で一気に頭の中から消滅する。

 

 

『私の名前は茅場晶彦。今やこの世界をコントロールできる唯一の人間だ』

 

「!? 茅場晶彦だって……!?」

 

 俺はその名を知っている。いや、このゲームをやる人間に彼を知らない人間は居ない筈。何故ならこのナーヴギアを設計し、このSAOをも創り上げた人物なのだから。

 彼の名はメディアや雑誌で姿を見せる事は極稀だった。彼は極力人前に出ることを嫌っていたからだ。しかし彼に憧れる人間が居ない筈がなく、ネットでは彼の事に関する記事が幾つも存在していた。

 だからこそ分からなかった。何故彼がこうして俺達の眼前に立ち、この様な言葉を吐いているのかを。

 

 

『プレイヤー諸君は、すでにメインメニューからログアウトボタンが消滅していることに気付いていると思う。しかしゲームの不具合ではない。繰り返す。これは不具合ではなく、《ソードアート・オンライン》本来の仕様である。

 故に、諸君は今後この城の頂を極めるまで、ゲームから自発的にログアウトすることはできない』

 

 

 頂と言うと……此処の頂上と言う事なのだろうか。それともまた別の意味が込められているのだろうか。

 その疑問に没頭するよりも先に、茅場の声が俺の思考を途切らす。  

 

 

『……また、外部の人間の手による、ナーヴギアの停止あるいは解除も有り得ない。もしそれが試みられた場合――――』

 

 

 僅かな間。それがより一層俺の不安感を攫う。

 そして放たれる――――"死の宣告"。

 

 

『―──ナーヴギアの信号素子が発する高出力マイクロウェーブが、諸君の脳を破壊し、生命活動を停止させる』

 

 

 生命活動の停止――――即ち、"死"。全ての終わり、人生の終わりがこのナーヴギアによって齎される。

 電源を切っても、ロックを解除し外そうとした場合、その者(ユーザー)は殺される………。

 

「う……嘘だよね、お兄ちゃん。本当に死ぬ訳、ないよね?」

「………」

 

 俺の腕を握り締めるシリカの力が強まり、今にも泣きそうな表情で俺を見上げて問い掛けて来ても、俺には答える事が出来なかった。只々歯を食い縛り、拳を握り締める。

 以前ナーヴギアをネットで調べた時に知った事だが、稼働する為に大容量のバッテリーが内部に埋め込んでいるらしい。もしそれが一気に出力された場合、人間の脳を焼き尽くす事等容易い事だ。

 

(くそっ、全部本当の事なのかよ……!)

 

 とその時ふと、一つの考えが頭を過った。

 もし……もし、このゲームの中でHPが尽きたら、その時は一体どうなるのだろうかを。

 大概のMMORPGであればHPが尽きた瞬間に転送が始まり、設定された場所・街に戻って来るのがセオリーだ。このゲームも例外では無い筈。

 けど如何してか、俺にはその概念がこのゲームでは無い様に感じた。

 考えが至る一つの答えは、もっと現実的な"答え"――――。

 

 

『しかし、充分に留意してもらいたい。諸君にとって《ソードアート・オンライン》は、既にただのゲームではない。もう一つの現実と言うべき存在だ。……今後、ゲームにおいて、あらゆる蘇生手段は機能しない。ヒットポイントがゼロになった瞬間、諸君のアバターは永久に消滅し、同時に――――諸君らの脳は、ナーヴギアによって破壊される』

 

 

 茅場と言葉によって、導かされた答えは――――"死"。真の"死"。

 この頭上に表示されているHPが左端まで到達し0になった瞬間、俺はこの世界(ゲーム)から、同時に現実(リアル)に存在する命の灯火も消える。

 そして理解する。決してリトライ出来ないRPGの中に俺は居る、と。

 モンスターと遭遇(エンカウント)し、戦闘になれば決して敗北は出来ない。即死級のトラップにも引っ掛かってもいけない。誰かにPKされてもいけない――――その極限の世界の中で、生きろと言うのか?

 

「………冗談だろ」

 

 その様な状況下で俺達は如何するだろうか。態々フィールドに出てモンスターと闘うだろうか?

 答えは簡単だ。全員がこの安全でモンスターも襲って来ない街の中に居続けるだろう。

 しかし―――次に放たれた言葉が、再び俺の思考を崩した。

 

 

『諸君がゲームから解放される条件は、たった一つ。先に述べたとおり、アインクラッドの最上部、第百層まで辿り着き、そこに待つ最終ボスを倒してゲームをクリアすればよい。その瞬間、生き残ったプレイヤー全員が安全にログアウトされることを保証しよう』

 

 

 ……つまり此処から生きて帰るには、"ゲーム内で死亡せず、100層までクリアしなくてはならない"と言う事か。

 無理だ、頭を埋め尽くすはその三文字。

 普通のRPGであれば数日間でクリアする事は可能だ。しかし此処はMMORPG。たった数日、数週間でクリア出来るとは到底思えない。恐らくそれ以上……数か月・数年程の時間が掛かるだろう。

 

「そんな……そんな事、信じたくないよ……」

 

 隣でとうとう瞳から一筋の涙を溢しながら呟くシリカ。

 彼女も俺も信じたくはない。ログアウトは決して出来ず、100層まで誰かが到達しクリアしなければ戻れない。そしてHPが尽きれば――――"死ぬ"。

 

「……珪子」

「もうお母さんやお父さんに会えないの……? ピナと遊ぶ事も出来ないの……?

 そんなの……嫌だ……よ……」

「ッ――――!!」

 

 茅場によって齎された真実の言葉を聞き絶望したのか、ゆっくりと瞳を閉じながら地面に崩れ落ちそうになるシリカ。俺は彼女の身体が地面に落ちる直前に抱き止め、突如として何の前触れも無くその場から走り出した。

 何で走り出したのかは俺でも分からなかった。

 茅場の言葉を否定したかったのか。アイツの言葉を聞きたくなかったのか。

 いや……俺は多分、"これ以上、珪子(シリカ)を悲しませたくなかった"のだろう。プレイヤーの間を縫う様に走り続け、妹の身体を決して離す事無くこの場を後にする。

 例え、未だに茅場の言葉が続いていようと………。

 

 

 

 

 

 

 あたしがもう一度目を見開いた時には、其処は知らない天井だった。何時も自分が一日の始まりと終わりの時に見上げていた天井とは違う、時代を感じる古びた天井。

 同時に、自分がベッドの上で寝ていた事もあたしは知った。あの茅場とか言う人の言葉を聞いていたら意識が遠退いた事までは覚えているので、恐らくあたしは何処かのベット―――恐らく宿屋―――に寝かされていたのだろう。

 

(……。現実じゃ、ないんだ……)

 

 先程自分の目の前で告げられた真実。此処が、もう一つの"現実"となった真実。

 信じたくない……現実に戻りたい……。

 再び瞳の奥から涙が込み上げ、一筋の涙が頬を伝う――――けど。

 

「もう泣くなよ、珪子」

 

 耳に響き渡る優しい声。

 この"現実(ゲーム)"に居るたった一人の家族――――お兄ちゃんが伝う涙を拭い取った。視線を右に向けると、其処には本当の顔を(・・・・・)したお兄ちゃんが、微笑を浮かべて座っていた。

 

「お兄ちゃん……? でも、此処はゲームの中なのに、え……?」

「そうおろおろすんなって。ほら」

 

 困惑するあたしに向かって差し出したのは、小さな《手鏡》。

 何でこんな物を渡すのだろうと思いつつも、あたしはそれを手に取り自分の顔を見た瞬間――――驚愕した。

 

 其処に映っていたのはキャラクターメイキングで創り上げた"仮想のあたしの顔"ではなく、"現実のあたしの顔"だったからだ。

 

「え……えぇっ!? 何であたし、本当の顔に……!?」

「さっき宿屋に来た他の人から聞いた。茅場の一つのプレゼントで、"此処がもう一つの現実である事の証拠"、だそうだ」

「証……拠……」

 

 淡々と告げるお兄ちゃんの声を聞きながら、あたしの心は"絶望"と"悲しみ"の色に染まって行く。

 あの人が如何してこの様な事をしたのか、何が目的なのか。その本人しか分からない様な疑問は持たず、今後の"未来"を真っ先に案じた。

 クリアしなければこの現実からは脱出出来ない――――しかし自分が強大なモンスターと闘い打ち勝つ姿等、到底想像出来ない。いいや、何も自ら闘いの道に進む必要は無い筈。自分よりも強い人―――今目の前に居るお兄ちゃんの様な―――が集まり、一層一層順調にクリアしていき、何時の日かクリアする時が来る。自分は安全な街の片隅でその時を待っていれば良い――――。

 それがあたしの導き出した、これからの道。

 

「―――お兄ちゃんは、これからどうするの?」

 

 だからこそ知りたかった。この現実(ゲーム)での唯一の家族で、あたしの大好きなお兄ちゃんの、答えを。

 お兄ちゃんは直ぐには答えず、暫くの間沈黙を続けた。けど不意に、あたしの頭に手を置くと共に告げる。

 

「俺は……行くよ。俺はこの現実(せかい)で、生きて行く」

 

 ―――やっぱり、そうなんだね……。

 お兄ちゃんは小さい頃から何時もこうだった。どんなに難しい事でも挑戦し、どんなに悲しい事があっても決して悔やまず、何時も悩んだり悲しんだりするあたしを励ましてくれた。

 その意思はこの現実でも変わらない。"死"を恐れるあたしとは正反対で、自らの力を信じて突き進んで行く意思が、今のお兄ちゃんの心にはある。

 

「そっか……。強いんだね、お兄ちゃんは」

「強くなんかないさ。ただ、目の前の現実から目を背けたくないだけ。此処から出られるのが何時になるか分からないけど、その時が来るまで俺は精一杯生きてみせる。勿論、絶対死なずにな」

 

 ニッと笑顔を浮かべ、クシャクシャとお兄ちゃんはあたしの頭を撫でた。現実(リアル)でのこの撫で方は余り好きじゃないけど、今だけはとても心暖かい感じがした。

「さて……と」撫でるのを止め、私の頭から手を離したお兄ちゃんは「そろそろ、行くかな」

 

「え……? もう行っちゃうの……?」

「……。暫く留まるのも手だが、此処には余りにも人が多過ぎる。モンスターも十分に狩れない状況が続くはずだ。だったら次の村に行った方が良いんだ、なるべく早くな。もう他の誰かは自身のレベルや拠点を確保する為に次の村に向かってる筈………βテスト経験者ならそれも有り得るからな」

 

 βテスト経験者……このSAOが発売される前に、このゲームを試験的にプレイした人達の事だ。確かにあたしたちの様に初めてこのSAOをプレイし始めた人たちよりも、いち早くプレイした人の方があたしたちよりもこのゲームの地形やモンスター、ノウハウを知っているのは間違いない。

 お兄ちゃんはそれを理解した上で、この答えを出したのかな……。

 

「夜時の今にフィールドに出るのは少々危険だと思うけど、なるべく早い方が良いからな……。

 シリカは、如何する? 危険だけど一緒に……来るか?」

「……私、は……」

 

 此処に残る、とは直ぐには言えなかった。先程出した"答え"と『お兄ちゃんと離れたくない』と言う"願望"が心の中で複雑に絡み合っていた。

 このままお兄ちゃんに付いて行く事も出来ない訳じゃない。だけどそれに伴い、危険なモンスターの徘徊するフィールドに足を踏み入れるのは怖い。先程の様な青い猪のモンスターならば倒せる自身はあるが、もしもっと強いモンスターが出て太刀打ち出来なかったらと考えると、恐怖が心の底から這い上がって来る。

 それにあたしはこのSAOが人生初のMMORPG。行く先々で分からない事・仕様に幾度もぶつかってしまうかもしれない。それに戦闘でもし私がしくじって、お兄ちゃんを傷付けたり……死なせたりしたら……私は――。

 

 だからこそ、私はシーツを握る手により一層力を込めて、答えた。

 

「あたし――――此処に、残るよ」

 

 お兄ちゃんは一瞬驚いた様な表情をしたが、直ぐに何時もの優しい表情に戻って「そうか」と言ってくれた。何も理由を聞かないのはきっと、あたしが"死"を恐れている事を分かっていたのかもしれない……。

 

「ごめんね、お兄ちゃん。あたし……」

「謝る必要なんてないさ、シリカ。それがお前の出した答えならそれに従うと良い。……本当は俺もお前と一緒に行きたいけど、お前を無理やり連れて、危険な目なんかに合わせたくないからな……」

「お兄ちゃん……」

 

 俯くお兄ちゃんに手を伸ばそうとした同タイミングでお兄ちゃんは立ち上がり、あたしに背を向けて部屋の唯一の出入り口である木製の扉へと向かって行く。

 視界に映る去って行くお兄ちゃんの背は酷く悲しそうで、何時もの様な明るさは見られない。

 それに……あたしとお兄ちゃんは離れ離れになってしまう。メールでしかやり取り出来ず、互いの身の安全も知る事も出来ない。そう思い続けると、去って行くお兄ちゃんに声を掛けずにはいられなかった。

 

「お兄ちゃん!」

 

 ドアノブに手を置こうとしていたお兄ちゃんの動きが止まるが、直ぐには此方を振り返ろうとはしない。それでもあたしは、言葉を続けた。

 

「また……会えるよね……?」

 

 本当はもっと言いたかった。『行かないで』や『傍にいて欲しい』と。

 でも私の我儘でお兄ちゃんに迷惑を掛けたくない。お兄ちゃんの意思を止められる事なんてあたしには今も昔も出来なかった。だからこそ、唯一出た言葉がこれだった。

 お兄ちゃんはゆっくりと此方を振り返り、何時もの笑顔を見せてくれた。

 

「勿論。シリカがメールしてくれれば飛んで来るよ、どんな時だったとしてもね」

「本当……? 本当に本当……?」

「あぁ、本当さ。約束するよ」

 

 その言葉と共に、お兄ちゃんは扉を開けた。

 木製の扉が軋んだ音を立てるのを聞きながら、お兄ちゃんは扉の向こう―――部屋の外へと出た。私を部屋に一人残して。

 でも扉が閉まる瞬間まで、お兄ちゃんはずっとこっちを見続けていた。あたしも閉まる直前までお兄ちゃんを見続けていた。

 

 そして閉まる直前、お兄ちゃんは小さく告げた。『またな、珪子』と――――。

 

(うん……。またね、空(そら)お兄ちゃん――――)

 

 口に出さず心の中で、あたしは答える。 

 そして扉が閉まると共に、頬に再び一筋の涙が伝った―――――。

 

 

 

 

 

 

 走る。走る。走る。

 夜の闇に包まれた街の中を、俺は風の如く駆け抜ける。行き交うNPCやプレイヤーに目も暮れず、俺は街の北西に位置するゲートに向かって走り続けた。

 その先には先程俺とシリカが戦闘をしていたフィールド――――広大な草原と鬱蒼と茂る森がある。その何処かに村がある筈だ、βテスターもきっと其処に向かっている事だろう。

 

「さてと。んじゃまぁ、行くとするか……!」

 

 心の中で揺るぐ事の無い"意思"を携えながら、俺は走り続ける。

 サバイバルと化した、今まで経験したこのないRPGの物語(ストーリー)を、一歩一歩踏み締めながら―――。



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episode3:彷徨いと邂逅

 

 

 

 大概のMMORPGにおいて、《夜間》は危険な時間帯だ。

 

 光源が無ければ(まさ)しく一寸先は闇、真っ暗闇の中を進む事になる。洞窟系・地下系統のダンジョンであれば松明等を手に持っていれば何とかなるが、平原や森ではそうはいかない。

 自身と壁が近い状態が続く前者であれば例えポップしたモンスターと言えど前方や後方と限られる。この場合は遭遇しても冷静に判断出来るが、360度全てがフィールドの上に立ち一つの光源の無い後者だと何時何処でどの方角から襲われるか分かりはしない。(無論索敵スキルがあればそれなりに対処は出来るが)

 

 どちらにせよ、夜間のフィールドをたった一人(ソロ)で進んで行くのは危険な行為――――なのだが、

 

「そんな悠長な事、今は言ってられないっての」

 

 そう、視界の殆どが闇に包まれていると言うのに、俺はそんな事は御構い無く走り続けていた。と言っても其処は独自のVR空間。薄い青い光が足下まで照らしてくれるのが唯一の救いだった。

 シリカの前でカッコ付けて勢い良く出たのは良かったものの………こうも直ぐに村に辿り着けず、森の中を駆け巡る事になろうとは。

 

「全くついてないぜ……せめて場所ぐらい知っとけば良かウボァ!!」

 

 独り言をぼやきながら走っていたのが仇になった……のかもしれない。

 俺は足を思いっ切り木の根元に引っ掛かけ、前のめりに古い"あのゲーム"の奇妙な断末魔を上げながら盛大に倒れた。正直現実(リアル)と同じくらい痛い。

 

「痛つつつ………くそ、やっぱ朝まで待っとけば良かったかも」

 

 心の中は後悔で一杯だった。《はじまりの街》に残って暫く身を固めていれば良かった事や、何も焦らずシリカの隣に居るべきだったのかもと、頭の中に過っては消え逝く後悔の念。

 

 そして最後に過った後悔は、『何も直ぐにこのゲームを始めなければ』と言う後悔。

 

(……いや、それはこの世界に存在する全プレイヤーが持つ"後悔"だ、俺個人の問題じゃない)

 

 俺は立ち上がらずそのままゴロンと地面を寝転がり、空を仰いだ。しかしその視線の先には満天の夜空が広がってはいない。次層の底が見えるだけだ。月や太陽は朝と夕方にしか見えない。

 

 "本当の"現実ではこの先には確かに夜空がある筈だ。だけどそれが無く代わりに空の大半を埋め尽くすのは次の層の底。かと言ってその次の層に上がって空を見上げても同じ景色が広がるだけ。これが99層まで続き、ラストの100層目で漸く大いなる空を拝められるのだろう。

 

 それがこの"現実(ゲーム)"と本当の"現実(リアル)"の相違点の一つ――――。

 

(……行くか)

 

 このまま物思いに耽っていたらきっと、現実の事が走馬灯の如く頭を駆け巡り、心は悲しみと後悔に包まれる………そうなる前に俺は立ち上がり、思考を切り替えて再び走り続けた。

 

 無論その真実から逃げている訳ではない。俺はただ、立ち止まりたくない(・・・・・・・・・)だけなのだ。

 

 家族・友人・日々の生活・学校・行事………今まで俺の"生活"を構成していた物はこのゲームを始めた瞬間と同時に崩れ去り、この世界が俺の新たな"現実"となった。これから構成されていく殆どの要素が、"この世界で生きて行く為"となるだろう。

 

 それを受け止めるか否かは個人の自由だ。HPバーがゼロになる事を恐れ街に籠るも良し、それを受け止めて真正面からこの世界の条理に向かって行くのも良し。自分自身の道は自分自身の選択と力で切り開いていくしかないのだ、この世界では。

 

 そして珪子――――シリカは前者を選び、俺は後者を選んだ。

 後悔していない……と言えば嘘になるが、何時までも同じ場所に立ち止まってまるで自分の殻に閉じ籠る様な行為はしたくなかったのだ。

 だからこそ俺はこうしてフィールドを駆け巡っている。心の奥底に、"死の恐怖"を抱きながら………。

 

 とその時――――視界に映る、異形な生物の姿。俺は慌てて傍に立つ木の陰に隠れた。

 そっと頭を出してその生物の姿を改めて視認する。大きさは約1mで、一言で容姿を言えば、《蠢き回る植物》だろうか。まるで現実に存在する植物《ウツボカズラ》を髣髴とさせる口を持ち、そこから涎―――恐らく粘液だと思うが―――を垂らしながらウロウロしている。

 

「……漸く猪とかじゃなくて、ファンタジー染みたモンスターとの邂逅だな」

 

 "この様な植物は現実には存在しない。しかし此処には―――この世界(ゲーム)には存在する"。

 俺は本当の"怪物"と初めて出会えた事に意気揚々になりつつも、内心では"死の恐怖"が段々と心の奥底から這い上がって来ていた。

 だけどそうなる前に、()られる前に――――

 

()ってやらァ……!!」

 

 威力も取り柄も無い平凡な両手槍――――《スピア》を背から引き抜き、木の陰から躍り出た。それに気付いた植物は高々に二つのツルを上げる。恐らくあれがヤツの威嚇行為なのだろう。

 

「シュアアアア!!!」

 

 口から大量の涎を撒き散らしながら、植物は咆哮する。しかしその咆哮に耳を傾ける事も無く怖気づく事もなく、ヤツの下へと俺は地を蹴り駆け出していた。

 

「うぉぉぉぉおおおおっっっ!!!」

 

 野獣の如き雄叫びを上げながら、俺は槍の先端を植物目掛けて突き出した。

 

 

 

*

 

 

 

「ふぅ……」

 

 二匹目の《リトルネぺント》を撃破した俺は、安堵の溜息を吐く。眼前には加算経験値が浮かび上がるがそれには目も暮れず、俺は再度周囲を見渡した。

 リトルネペントのカーソルは未だに索敵範囲圏内ギリギリに複数存在している。後数十分もあれば十匹以上は狩れる筈。他のプレイヤーが此処に来る前に片付けなくては――――

 

「――――!」

 

 その思考を途切らせたのは、視界に浮かび上がった一つのカーソル。明らかにリトルネペントとは違うそのカーソルの正体は――――"プレイヤー"のカーソル。

 

「チッ………」

 

 俺は無意識の内に舌打ちしていた。俺はこのまま他人が此処に来る前に可能な限り数を稼ぎ、一刻も早く《花付き》のリトルネペントを撃破する心算だったのだが………まさかこれからと言う所でもう追いつかれたとは。

 だが不可解な事にそのカーソルが動くと同時に、一匹のリトルネペントも動いている。後者の方を先頭に両方のカーソルが一直線上に並び動いているのだ。それも、此方側に。

 

「………?」

 

 木々の向こうで一体何が如何なっているのか理解出来ないが、剣の柄を強く握り締め何が来ても良い様に戦闘態勢を取った。

 そして段々とカーソルが近づき始め、そして先に姿を現したのは――――HPを赤の危険域まで減らしたリトルネベントだった。その背後に、

 

「おおおおおおおっっっ!!!」

 

 リトルネペントの胴体に槍を突き刺したまま、全力疾走しているプレイヤーの姿があった。

 その光景に俺は愕然とするしかなかった。今の俺でさえレベルは一桁。あのリトルネペントにすら及ばないレベルなのだ。下手に行動すれば思わぬ痛手を受け、最悪の場合"死"に至る。

 しかしこの男――――いや、少年は危険なモンスターに対して冷静に判断して闘わず、ゴリ押しで倒そうとしている。レベルもスキルも、きっと俺と大差無い筈だ、なのに………。

 

 そんな俺の考えを余所に、少年は俺を通り過ぎてリトルネペントを突き刺したまま直進して行く。彼と彼に突き刺されたリトルネペントが行く先には――――古びた一本の大木。

 直後、ズゥンと小さく響く音を立てたと共に、彼等は停止した。槍の先端は衝撃によってより一層深々と突き刺さり、リトルネペントのHPもまた減少しゼロになった。

 「ふぃー」と息絶え青く凍り付き爆散したリトルネペントを視認し、溜息を着く少年。

 

「試しに突撃してみたけど………これ危険だな。思い付きで実践するのは危険過ぎるな、うん」

 

 と訳の分からない独り言を呟くと不意に、少年は俺の方向へと顔を向けた。

 俺と同じくらいの身長で金髪の少年。歳は俺と変わらない様だが………防具ははじまりの街で売っていた革鎧と安価の両手槍を携えていた。

 

「おっと、見苦しい所見せて悪かったな。俺、結構思い付きで無茶な事ばっかする性分でさ」

「あ、あぁ……」

 

 俺に対して警戒も驚愕もせずにニカッと笑い気さくに話し掛けて来た少年に対し、俺は剣を鞘に収め空になった両手をコートに手を入れる。

 

 この時の俺は知る由も無かっただろう。

 俺とこの少年――――《カイン》が大切な"友達"になる事を、背を預ける"戦友"になる事を、この時からずっと、現実と仮想空間(ゲーム)の両方で長い付き合いになる事を。

 俺はまだ、知る事は無かった。

 

 

 

 

*

 

 

 

 ―――やっぱ、近くに村があるんだな……。

 

 俺は眼前に佇む黒髪の少年を視認して心中で呟く。やはり《はじまりの街》で予想していた事は的中した。

 少年の背中に装着されているのは片手剣の鞘。彼の手に携える剣から察するにあれは初期武器の《スモールソード》の様だが、防具面では《はじまりの街》の防具屋では見掛けなかったコートを着用している。恐らく近くの村で購入したに違いない。

 

 眼前に立つ少年が浮かべていた表情(かお)は、呆気に取られたかの様であった。……無理も無いだろう、あの植物を突き刺したまま直進して来て、現れたのだから。

 このまま沈黙し続けるとこの場の空気が一層重くなるだろうから、取り敢えず俺はニカッと笑い、声を掛けた。

 

「―――おっと、見苦しい所見せて悪かったな。俺、結構思い付きで無茶な事ばっかする性分でさ」

「あ、あぁ……」

 

 少年は俺に対して警戒を解いたのか、片手剣を鞘に納めると両手をコートのポケットに突っこんで俺から視線を逸らす。

 しかし改めて少年の顔を見つめると………何だか女の子みたいな顔だな、と思ってしまった。モジモジと動く所もなんか女の子っぽい。

「………」と物思いに耽っていると、少年の視線が此方の方へ向けられた。

 

「え、えーと、如何したんだ?」

「あ、あぁいや………此処に来るのが早いなと思ってさ。他の誰かが此処に来るのは数時間後だろうと踏んでたんだが」

「あー………まぁ、な。けど最初から此処が目的地だった訳じゃないぜ? 早くレベル上げたり装備を充実させたいと思って、《はじまりの街》から行く先決めずに飛び出した結果――――」

「………迷って、それで偶然此処に辿り着いたと?」

「そー言う事。ホント俺って、馬鹿だよねぇ」

 

 嘘はついていない。俺はこの付近に存在するであろう村には寄ってないし、そもそも最初から此処に辿り着くのが目的だった訳ではない。ただ単に、"走り回って迷った挙句"此処に辿り着いた。ただそれだけなのだ。

 

 しかし俺が来る以前に先に居た彼はきっと、《βテスター》なのだろう。

 正式サービスが始まったのはこの日、十一月六日だ。しかしその三か月前に、抽選によって選ばれた千人の人間が俺達に先立ってこのゲームをプレイしている。それ即ち、稼働試験―――βテストなのだ。

 申し込みは数十万以上にも及んだと聞いている。ナーヴギアを持っていなかった俺は応募しなかったが、購入したゲーム雑誌では見事βテスターとなった人のインタビュー記事が掲載されているのを覚えている。

 

 今俺の眼前に立つ少年も同じ筈。俺よりも先にこのゲームをプレイし、経験と知識と技術を得ているに違いない。

 ダンジョンの構造、武器屋・防具屋等の焦点の品揃え、クエストの発生条件・場所・人物、モンスターのポップ場所・弱点………まるで全ての情報を網羅している攻略本の様に様々な知識が、彼の頭の中に幾つも存在するのだろう。

 だからこそその知識を動力源として、誰よりも先に街を飛び出し、誰よりも先に此処へ辿り着いた――――そう考えるのが妥当だ。

 

「何だ、そうだったのか。俺はてっきり、俺と同じ元βテスターなのかと思ってたよ」

「ははは。生憎、宝くじに当選する程の強運は持ち合わせて無いんでね。精々、割った卵の中から黄身が二つ出てくるのが数回続く程の運しかないよ」

「………それはそれで強運だろ」

 

 補足された言葉に俺は「確かにな」と再びニカッと笑う。

 だがそれを最後に会話が途切れてしまう。何か話題をと考えるがβテスターの彼が興味を示す様な話題なんかとても見つからない。しかし不思議なことに、俺は自然に言葉を放っていた。

 

「な、なぁ。ちょっと言いにくいんだけど………着いて行っても良いかな?」

「え………?」

 

 しまった、と俺は不意に出てしまった言葉を何の躊躇いも無く出してしまったことを後悔してしまう。ほんの数分前に出会ったばかりの人間がパーティーを組もうと持ち掛けるのは余りにもおかしい。案の定、彼はポカンとした表情を上げている。

 俺は慌てて次の言葉を頭の中で模索する。

 

「い、いやさ、こんな夜時に森の中に居るって事は何かのクエでもしてんのかなーと思ってさ。あの植物倒してたみたいだったし」

「……確かにクエやってるけど、一人用だぞ」

「あー………それってもしかして、キーアイテム取得系?」

「あぁ。さっきの植物―――《リトルネペント》からドロップする《リトルネペントの胚珠》を手に入れなくちゃならない。けどノーマルからは絶対にドロップしない。ドロップするのは口の上に花を咲かせたヤツのみ。まぁ、出現確率は……ざっと1%って所だろ」

「成程……だったら尚更だ。エリア内のノーマルのリトルネペントを狩り続けば、いつか必ずその花の付いたヤツがポップする。一人よりも二人の方が効率は良くなる筈だぜ」

 

 《確率ポップ》。数あるMMORPGの中で広く流通している、ポップ条件の一つ。殆どのレアモンスターがポップする条件は大抵これだ。

 彼が受けているクエはどうやら"指定されたモンスターからドロップするアイテムを取得しクエスト依頼主に届ける"内容の様だ。その上指定されたモンスターはポップ率1%のレアモンスター。目当てのモンスターを簡単に出現させたいのであれば、そのエリア内のモンスターを虱潰しに撃破しポップ確率を上げる方法が最も効率が良い。恐らくこの少年もその方法を取っているのだろう。

 問いに対し少年は直ぐには返答しなかった。何か戸惑っているのか、或いは俺を警戒しているのか………まぁこの提案自体、少し強引過ぎたと自分でも感じていたが。

 「別にパーティーを組もうって訳じゃないんだ。ただ一緒に行きたいだけなんだ」付け加えて、俺は言葉を続ける。

 

「俺は単にレベルを上げたいだけさ。でも一人じゃ心細いから元βテスターであるアンタと行動したいんだ。その代わりに俺はアンタのクエストを手伝う。《花つき》が出て胚珠をドロップしたらアンタの物。二人でノーマルを狩り続ければ俺とアンタのレベルは上がり、運が良ければ《花つき》と遭遇し胚珠をゲット出来る。一石二鳥、悪くは無いと思うんだが………駄目か?」

「………」

 

 やはり直ぐには返答は返って来ない。やはり、こんな上手い話を持ち掛けた事に警戒しているのかもしれない。MMORPGでは"都合の良い話の裏には、大抵裏がある"のが常識。このSAOも例外では無い筈。彼の様な元βテスターが警戒するのも、当たり前なのかもしれない。

 俺は疑いを晴らさなくてはと決断し、決して疾しい事は考えていないと告げようとした瞬間、

 

「……分かった」

「―――へ? 良いの……か? ホントに、良いのか?」

「あぁ………パーティーじゃないなら、俺はそれで……」

「そうか……有難う」

 

 パーティーでなくとも、一緒に行動してくれる事を決断してくれたのは、心の底から嬉しかった。移動中にこのSAOの事についての情報を貰えるかもしれない。自分勝手で自己中心的な考え方だが、始まってしまったこの世界(SAO)の中で元βテスターの様に迅速に行動する為には、知識や情報・ノウハウを彼から得なければならない。

 俺はニカッと笑うと共に右手を差し出した。

 

「《カイン》だ。ホント、俺の我儘聞いてくれてサンキューな」

「あぁ、宜しく。俺は……《キリト》」

 

 静かに握手した直後、直ぐに少年―――キリトの視線は九時の方向に向けられる。俺も反射的にその方向を見ると、ゆっくり動き回る二つのカーソルが点在していた。恐らくあれは、リトルネペントだ。

 

「おっと、早速標的発見だなキリト」

「あれはノーマルだよ。さぁ、他のプレイヤーが来る前に《花つき》を倒して胚珠を出さないとな」

「了解! んじゃ、ガンガン行きますか!!」

 

 互いに握手していた手を握り拳に変え互いに合わせた後、俺とキリトは二体のリトルネペントを標的にし、駆け始めた。

 

 

 

 

 

 最初は、俺と大差無く此処へとたどり着いたカインが俺と同じ―――元βテスターだと思っていた。しかしカインはただ迷って来ただけで、βテストを受けていない普通のプレイヤーだったのだ。何の情報も無く走り続け道が分かり難い此処に辿り着いたのは、強運による恩恵なのかもしれない。

 

 あの時カインが持ち掛けて来た提案に対し、俺は直ぐに返答は出来なかった。

 あの初めての友達を――――クラインをはじまりの街で見捨てて此処へ辿り着いた俺に、彼と共に行動する資格などあるのだろうかと思い至ったのだ。

 しかしカインは俺の考えを読み取っていたのか、俺とパーティーを組もうとした訳ではなくただ単に、俺と共にリトルネペント狩りをしたいと言って来たのだ。

 ソロでは一体の孤立しているモンスターにしか相手に出来ないが、二人もいれば同時に二体のモンスターと闘える。孤立しているモンスターを探す時間も減り一回の戦闘で倒せるモンスターの数も増える。《花つき》が現れる確率もまた、上昇する筈。

 最初は彼が何か悪巧みをしているのかとも考えたが、彼が時折見せたあの"笑顔"は如何しても"演技"には見えない――――俺は知らずに、そう悟っていた。だからこそ彼と共にリトルネペントを狩りをしようと思い立ったのかもしれない………。

 

 元βテスターではないと言うのに、彼は戦闘馴れしている部分があった。恐らくかつてこのSAOと似たMMORPGをプレイしていたのだろう。

 リトルネペントのツタによる攻撃や緑色の腐蝕液も紙一重で避け、弱点部位のウツボ部分と茎の接合部分に槍を突き刺しては後退すると言うヒット&アウェイを行っていた。そして俺はカインが後退した直後に接近し、再び弱点部位を猛攻撃して撃破する行動を取っていた。気付けば自然にそれらの一連の行動が一つの連携パターンとなり、大した被弾も無くリトルネペントを次々に撃破していく。

 

 しかしカインと出会って共にリトルネペント狩りを始めて約三十分が経ったが、未だに《花つき》は姿を現さない。通算十二匹目となるリトルネペントを倒しても尚、だ。

 とその時、俺の耳に軽快でこの森のとは不釣り合いなファンファーレのBGMが響く。それと共に金色のライトエフェクトが身体全体を包み込んだ。

 カインの方に視線を向けると、彼もまた俺と同じく身体全体をライトエフェクトが包んでいる。どうやら俺達二人は同タイミングで、初のレベル上げを成し遂げた様だ。

 

「漸くレベルアップか………一上げるのにこれだけ狩らなきゃいけないとは、先が辛そうだぜ」

「MMORPGで数体のモンスターを倒しただけでレベルが上がるなんて、得られる経験値が膨大でない限り有り得ないさ。それはそうと、おめでとうカイン」

「ん……あぁ、アリガトな。それにそっちこそ初のレベル上昇、おめでとう」

 

 ニカッと笑うと共に言葉を放つカインに真面目に答えるのが恥ずかしくなった俺は視線を逸らし、紛らわす様に剣を納めてそさくさとメインメニュー・ウィンドウ眼前に出した。レベルアップと共に加算されたステータスアップポイントを振ろうとした瞬間――――

 

 不意にパンパンと、まるで手を叩いた様な音が響いた。

 

「ッ………!!」

「ん?」

 

 反射的に俺はその場から大きく飛び退き、剣の柄に手を掛けた。だがカインは呆けた声を出すだけで動く事はせず、音が放たれた方向に視線を向けるだけだった。

 背後の警戒を怠っていた自分を呪うと共に、未だステータス・ウィンドウを触り続けるカインに後退しろと警告の言葉を放とうした時に――――気付いた。

 

 俺の視線の先に存在するのはモンスターでは無く、"人"である事に。

 

 それはNPCではない。俺とカインと同じ、"プレイヤー"であった。




カインが話中に使った突撃ですが、勿論ソードスキルでは無い為、ダメージは低いです。
カインは『良く無茶をやらかし、思い付きで行動する事が多々ある』ヤツと思ってください^^;


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episode4:闇夜の森(前編)

 

 

 

 ―――さぁってと、どれに振り分けるとするかなぁ~♪

 

 青猪(フレンジー・ボア)食虫植物もどき(リトルネペント)を数十体程撃破した所で漸くレベルが上昇―――と言ってもたったの1レベルだが―――した事に歓喜し、俺は逸る気持ちを押さえながら早速メインメニュー・ウィンドウを眼前に映し出した。

 普通のRPGではキャラのレベルが上昇すると、同時にステータスも上昇する。がしかしMMORPGの殆どがレベル上昇の際に《ステータスアップポイント》が与えられる。そして与えられたポイントの行先はプレイヤー自身が判断し決断しなければならないのだ。このシステムだとプレイヤーは自分好みのキャラを創造出来る。例えば"パワー重視"なキャラを作りたいのであれば筋力を中心に振り分ければ良いし、"スピード重視"であれば敏捷力に振り分け続けて行けば良い。尤も俺の場合は片方のステータスだけを上げると言う極端な方法は好まない為、両方のステータスをなるべく均等に上げて行く事を以前のMMORPGから心掛けている。

 幸い今現在振り分けられるステータスは《筋力》と《敏捷力》しかない。だが俺が良く購読しているゲーム情報誌によって得た情報によれば、このSAOには戦闘系・生産系のスキルがそれはもう大量にあるらしい。今は悩む必要は無いが、近い未来の俺はきっとどのステータスにポイントを振り分けるか悩んで一人唸り続けるだろう。

 この先どんなスキルがあるのだろうか、と心中で呟きながら俺は与えられた3のポイントを筋力に2、敏捷力に1に振り分けた。

 

 とその瞬間――――パンパン、と何かを叩く様な音が突如として響き渡る。

 

「ッ………!!」

「ん?」

 

 即座に反応したのはキリトの方だった。一瞬にして大きく後退し、警戒の為剣の柄に手を掛けている。それに対し俺はその彼の行動で何かあったと漸く気付き、恐る恐る背後を振り返った。

 

 ―――人型モンスターだろうか? それとも………

 

 様々な思案が頭の中を過る最中、眼前に映し出されたのはモンスターでは無く――――"人間"だった。

 しかもNPCではない。俺やキリトと同じ、"プレイヤー"だ。

 

 剣を抜いてはおらず、身体の前に二つの手を合わせたまま硬直する"少年"。ポカンと口を開けている所から察するに、先程の音に即座に対応したキリトの反応に驚いているのだろう。

 俺とほぼ変わらぬ身長で防具は《はじまりの街》では見なかった革鎧。しかし武器はキリトと変わらずスモールソードの様だが………キリトの話によれば、この森の付近にある村にはスモールソードよりも威力の高い《ブロンズソード》が売っているらしい。何故それを買わなかったんだと問うと彼は冷静に、『威力はあっても、耐久度が低いからな』と当然の様に返していた。

 もし彼がそれを知っており、尚且つ付近の村の存在を知っていたのであればきっと彼もまた――――《元βテスター》なのかもしれない。迷って此処に辿り着いた俺とは違う、特別な人間の内の一人。

 

 暫くの間三人の間には沈黙が支配していたが、キリトが警戒を解いたのか腕を下した。それと同時に硬直していた少年が俺達に頭を下げて来た。

 

「ご、ごめん………脅かしたみたいで。最初に声を掛けるべきだったよ」

「………。いや、俺こそごめん。反応が大袈裟過ぎた」

「俺は別に気にしてないぜ。ちょっとは驚いたけどな」

 

 もじもじと俺と出会った時と同じ様にキリトは応じると、両手をコートのポケットに突っ込み視線を逸らした。至って普通の顔立ちをしている少年は俺達の返答にほっとしたのか笑顔を浮かべる。

 

「と、取り敢えず、レベルアップおめでとう。二人共随分と早いね」

 

 賞賛の言葉を贈られた事に対し、俺は微笑を浮かべる。たった一レベル上昇しただけでも人から褒められるのは、やはり嬉しいものだ。

 

「それ程でもない……ってね。まぁこれまでお互い、結構ネベント狩ってたし。なぁキリト」

「あ、あぁ……。けどそれを言うなら、そっちも早いんだな。迷って此処に来たコイツとは違う誰かが此処に来るのは、まだ数時間後だと思ってた」

「いや、僕の方も一番乗りだと思ってたよ。此処の道、結構分かり辛いから」

 

 キリトに"迷って此処に来たコイツ"と言われるのは無性に腹が立つが、実際事実であり、他人が目の前に居るこの場で言い争う気にもならない。

 だがそれよりもやはり、眼前に立つ少年も《元βテスター》だった事は間違いなさそうだ。分かり辛いこの森の迷路を容易く看破した部分や、《ブロンズソード》ではなく初期武器のスモールソードを選択している部分からその真実を察する事が出来る。

 

「君も受けているんだろう? 《森の秘薬》クエ」

 

 少年の言葉にキリトは首をゆっくりと縦に振る。

 これも先程、リトルネペント狩りをしていた時にキリトから聞いた話だが、キリトはこの《森の秘薬》と呼ばれるクエを受けているそうだ。そのクエの詳細な内容は教えてくれなかったが、キーアイテムである《リトルネペントの胚珠》を手に入れて依頼主に届けるのが目的。その為に《花つき》のリトルネペントをポップさせるべく、俺とキリトは先程までノーマルの方のリトルネペントを狩り続けていたのだ。

 

「あれは片手剣使いにとっての必須クエだからね。報酬の《アーニルブレード》は三層の迷宮区まで使える」

「……それゃ凄いな。最初の第一層でも、そんな強力な片手剣が手に入るのか」

「まぁな。けど、見た目がイマイチなのが難点だが」

 

 キリトの言葉の真意を知っているのか、少年は明るく笑い声を出した。実物を見ていないのだが、二人の脳裏にはその《アーニルブレード》の姿が浮かび上がっているのだろう。

 俺がどんな形状・色をしているのだろうと想像していた時、再び少年は口を開いた。

 

「―――折角だから、クエ、協力してやらない?」

 

 開いた言葉は俺がキリトに持ち掛けた言葉とほぼ同じ言葉。だが彼は俺とは違う。片手剣使いであり、ちゃんとクエの内容も知っている。逆に俺はキリトのリトルネペント狩りを手伝っているだけの存在。

 チラっとキリトは視線を俺に向ける。俺にとってその視線は『如何する?』と俺に問い掛けて来ている様にしか思えなかった。俺はその視線に対しニッと笑うと、彼の代わりに口を開いた。

 

「なぁ、それってパーティーを組もうって事なのか?」

「いや、別にパーティーを組みたい訳じゃないんだ。此処までやっていたのは君達二人なんだから、一つ目のキーアイテムは勿論譲る。そのまま狩り続ければ直ぐに二体目が出ると思うから、その時まで付き合ってくれたら良いんだけど………」

「―――だそうだ。如何する? キリト」

「あ……あぁ、分かった。それなら、構わない……」

 

 歯切れ悪く答えるが、キリトは承諾してくれた。

 その言葉を聞いた少年は直ぐに笑顔を浮かべ、まず俺の方へ右手を差し伸べて来た。

 

「有難う。じゃあ、暫く宜しく。僕は《コペル》」

「あぁ、宜しく。俺は《カイン》」

 

 俺は差し伸べられた手に快く応じ、即座に左手を出して固く握手した。

 続けて少年―――コペルはキリトの方にも手を差し伸べる。最初は戸惑った様子を垣間見せたキリトだったが、直ぐに左手を出した。

 

「……よろしく。俺は《キリト》」

「キリト………。あれ、どっかで聞き覚えが………」

 

 元βテスターであるコペルは、彼と同じく元βテスターである《キリト》の名を微かにだが知っている様だ。俺にとっては別に気にしない事だが、キリトにとってはそれが不味いと思ったのだろう。即座に出していた手を引っ込み視線を右方向へと移す。その方向に居るのは約三体ほど動いているリトルネペントのカーソル。

 

「きっと人違いだよ。さぁ、さっさと狩り尽くそうぜ。他のプレイヤーが来る前に、《胚珠》を入手しないと」

「う………うん。そうだね。頑張ろうか」

「うっし! んじゃまた、ガンガン狩るとするか!!」

 

 三人とも静かに頷き合い、俺とキリトとコペルの三人組は付近に存在していたリトルネペント向かって、猛然と駆け出した。

 

 

 

 

 たった一人プレイヤーが増えただけなのに、リトルネペント狩りのスピードは二人の時以上に加速した。元βテスターであり、リトルネペントの挙動・攻撃パターンを知り尽くしているコペルとキリトが居れば当然の事なのだろうと感じてしまうが。

 コペルが最初にネベントのタゲを取り、俺とキリトが弱点部位を全力で攻める連携パターンが何時の間にか生まれ、三人で続々と現れるネベントの群れを着実に撃破して行く。

 

 狩り自体は何ら無駄なく進行して行くが、"普通の"会話は全く行われなかった。

 誰かが口を開いてもそれはアイテムの話やクエストの概要等。誰一人として、この"現実"の話をしなかった。あの茅場の言葉をコペルやキリトも耳にし、"此処で死ねば現実の自分も死ぬ"事に疑問を持っている筈だ。なのに何故、俺達はそれを口にしないのか………。

 

 思考しながらリトルネペント向けて駆ける俺の脳裏に浮かぶ答えは、"現実逃避"の四文字。

 

 こうして闘い続けレベルを上げたり、《花つき》のリトルネペントが早くポップしないかと思考する全てが、現実逃避の一つ。HPバーがゼロになった瞬間にナーヴギアから発せられる電磁波によって脳が焼かれる終末に、俺達は目を逸らしているのだ。その終わりを紛らわすかの様に、その終わりから逃げる様にただ只管に、眼前に敷かれたレールの上を俺達は走り続けている。脱線したら最後、俺達を待つのは――――"死"。

 

 はじまりの街に残ったプレイヤーが通るレールの殆どは安全で安心出来る道。その場に踏み止まれば決して脱線する事は無く、時の流れに身を任せるだけで済む。

 しかし――――しかし、俺達はそれの真逆のレールを走り続けている。何時脱線するか分からない道を、恐れる事無く歩み続けている。眼前に映る死神(モンスター)に対し槍を突き出し撃破しようとする俺は、本当の《死》から目を逸らして闘い続けている。

 ………いや、これは今だけの話ではない。きっと将来、この世界で俺は常にこの道を歩み続けて行くのだろう。何時来るか分からない、死の"脱線"に恐れを抱きながら。

 

 思考の波が一段落した時、眼前に映っていたキリトのアバターの姿が一瞬、ほんの一瞬だけ止まった。スタンになった訳でもなく、ぴたりと身体が硬直したのだ。その時の状態はリトルネペントに対し剣を振り上げている状態。俺は即座に、動きを停止した彼に襲い掛かるネベントに対し、両手槍単発剣技《スラスト》を発動させ、茎の部分を貫いた。途端にネベントの身体はポリゴンへと姿を変え、破砕音と共に爆散する。

 

「どうしたよ、キリト。動きが止まってたぞ」

「………あぁ、少し考え事してたんだ」

「おいおい余裕だな、そう言うのは余裕がある時にやってくれよ」

 

 バツが悪そうに俯くキリトに対し、俺は苦笑の表情を浮かべる。

 丁度その時、俺とキリトの背後で再びポリゴンの破砕音が響く。もう一匹のネベントをコペルが撃破したのだろう。俺とキリトが振り返ると、ふぅと疲労の溜息を吐くコペルの姿が其処にあった。

 

「………出ないね」

「全くだな。ったく、何時になったら出るのやら」

 

 既に俺とキリト、そしてコペルがリトルネペント狩りを始めて既に一時間は過ぎている。もう百体以上は倒したと言うのに、《花つき》は一向に姿を現さない。それに加え三人ともかなり疲労の色が見える。武器の耐久力の関係もある為、これ以上戦闘を続けるのは肉体的にも武器的にも厳しい。

 

「さっすがはレアモンスター、って訳だな。MMORPGだけに当て嵌まる訳じゃないけど、もしかしたら知らぬ間に物欲センサーが働いてるのかも」

「それが本当なのかどうか知らないが……多分βの時の出現率が多少変更されているのかもしれないな。レアのドロップレートとかは、正式サービスで修正されるのはMMOじゃ良くある話だし」

「そうかもしれないね……。如何しようか? 武器も結構消耗してるし、三人ともレベルはそれなりに上がったし、一度村に戻るのも手かなと――――」

 

 とコペルが言い掛けた時、俺達から数十m程離れた大木に、一つ集束し始める赤い光。

 四角のポリゴンブロックが幾つも生まれ、それ等が組み合わせって一つの形を形成し始める。俺やキリト達の見慣れた光景の一つ――――モンスターが湧出(ポップ)する際の一連の光景だ。

 

「「「………」」」

 

 三人はその場に立ち尽くし、ただ黙ってその光景を眺め続ける。また普通のリトルネペントだろうと予想していたが――――現れたモンスターは、その予想を悉く打ち破る事になる。

 大まかなリトルネペントの姿を形成させていたポリゴンブロックは徐々に繊細な姿となって行く。無数のツルが蠢かせながら動き始めるリトルネペント。汚らしい涎を獲物を捕らえ喰らう捕食器から垂らしている姿は、何度見ても好きにはなれない。

 だが、その口の上にある物体が存在した。闇夜の森では一際目立つ"紅"の色をした何か。毒々しい紅の光を放つそれの正体は――――《花》だった。

 

(わお……噂をすれば何とやら。標的のご登場じゃねぇの)

 

 間違いない。あれが《花つき》だ。その真実は、元βテスターである二人の表情から容易に察する事が出来た。キリトとコペルが求める《リトルネペントの胚珠》を持つ唯一の個体、《花つき》のリトルネペントが、俺達の視線の向こうに存在している。

 行動は素早かった。まるで獲物を見つけた鷹が空中から地面向けて急降下するかの如く、俺達はそれぞれの得物を握り締めると共に躍り掛かろうとするが―――――

 

 だがその行動を、キリトが制止させた。突然身体を急停止させ彼の左に居たコペルに対し左手を挙げ、右に居た俺に対しては剣で止めて来た。

 当然疑問の表情が俺とコペルに浮かぶが、キリトは冷静に左手の人差し指で段々と遠退いて行く《花つき》の背後を指す。しかしその場所には何もなく如何言う事だと詰め寄ろうとした時――――俺にも見えた(・・・)。ゆらゆらと口の上に大きな物体を動かしているリトルネペントが。

 

 それがもし、二匹目の《花つき》であれば二人は大いに歓喜しただろう。唯でさえ湧出率の低い《花つき》が二体同時にポップするれば、大いに時間を短縮出来楽出来たからだ。

 だが現実はそう甘くない。口の上に物体があっても、それが《花》であれば意味が無いのだ。

 そのリトルネペントの口の上にあるのは――――《実》だ。限界まで膨らませた風船の如く膨れ上がっているその《実》を攻撃すれば、一瞬にして実は破裂し独特な臭いを解き放つ。その臭い自体は俺達に何かのステータス異常を与える事は無いが、エリア中のネベントが集結し襲い掛かってくると言う――――キリトはそう、先程俺にレクチャーしてくれた。

 

 俺達が協力すれば《実》を破裂させる事無く《花つき》を撃破する事も出来なくは無いだろう。だがそれは大きな博打と同義。もし《花つき》との戦闘中に《実つき》が参戦(リンク)した場合、無暗に攻撃する事は不可能だ。

 

「……どうする……」

 

 苦悩した様に呟いたのは俺では無く、キリトの方だった。真っ直ぐに一対となって佇む《花つき》と《実つき》の二つの個体に視線を向け、苦虫を噛み潰した様な表情を浮かべている。

 此処で立ち止まっていては標的が遠ざかってしまう。そう危惧した俺は打開策を考えようと持ち掛けようとした時、黙り続けていたコペルが不意に口を開いた。

 

「―――行こう。僕が《実つき》のタゲを取る。その間にキリトとカインは《花つき》を倒してくれ」

 

 言葉だけを告げて俺達の返答を聞く事無く、コペルは駆け出した。

 残されたキリトと俺は視線を合わせ、俺がしっかりと頷く。

 

「………解った」「……頼んだぜ、コペル」

 

 同タイミングで率先して動き出したコペルに、俺達は答えた。

 コペルが上手く《実つき》の方を相手してくれれば、その間に俺達が《花つき》を撃破出来る。尤も、"上手く行けば"の話だが――――。

 最悪の結果を否定し、俺とキリトはコペルの後を追った。まず接近するコペルを《花つき》が察知し、涎を垂らしながら咆哮する。だがコペルはそれに怯む事無く右へ迂回し、《実つき》の方へと駆ける。

 無視されても尚《花つき》はコペルを標的(ターゲット)としている。徐々に近づく、俺達の存在も気付かずに。

 初手はキリトだった。右手に握り締めた片手剣を振り上げ、彼の存在に気付いていなかったネベントの茎の部分に直撃させる。不意打ちを食らったネベントのHPバーは当然減少し、同時にネベントはキリトの存在に気づき威嚇行為である二本のツルを高々と掲げた。この時点でネベントのターゲットはコペルからキリトへと変わった。

 

 《花つき》と言っても、攻撃方法はノーマルの方と何ら変わりは無い様だ。繰り出されるツタの猛攻を、キリトは回避したり弾いたりして直撃を免れる。そして反撃の一撃を与えた直ぐにバックステップ、後方に待機していた俺が、怯むネベントに全力の突きを繰り出す。

 既にヤツのHPは黄色の域まで達している。この一撃で、ヤツは地に伏せる。自分自身に喝を入れ、俺はこのネベント狩りに最も多用し続け来た単発突き《スラスト》を放つ。ギュインと耳に響く効果音と目に見える漆黒の黒い線が虚空に刻まれると共に、槍の先端が茎を貫いた。

 

 ノーマルとは違った断末魔を上げ、地面に落ちるネベントの捕食器。涎を撒き散らしながらごろりと転がり、東部に存在していた花がはらりと散る。その花から一つの球状の物体が転がって来る。それは地面に落としてバウンドするボールの如く何度も地面を跳ねて、横に佇んでいたキリトの足元で停止した。

 直後にネベントはポリゴンの塊と化し爆砕。キリトは足下に転がっている球状の物体を拾い上げる。あれこそがキリトとコペルが求めるキーアイテム――――《リトルネペントの胚珠》なのだろう。俺はもっと、小さい物だと思っていたが………。

 だがこれで終わった訳ではない。俺達よりも離れた場所でただ一人、《実つき》のタゲを取り続け闘っているコペルが居る。援護に行かなくては彼の身が危ない。

 

「キリト! 早くコペルの所へ!」

「あぁ、分かってる!」

 

 キリトに声を掛けると共に、俺はコペルの方へ視線を向けた。《実つき》の攻撃を剣と円盾(バックラー)であしらい続けるコペルの姿が視界に映る。βテストの時から防御が上手かったのか、此方に顔を向けている。

 だがその表情に苦痛の色は見えない。攻撃を繰り出すネベントに対して余裕なのか如何かは分からないが………彼の"視線"だけは、普通じゃなかった。

 その視線はきっと俺だけじゃなくキリトにも向けられている。必死で闘う俺達を哀れむかの様な視線は、知らずに俺の心を震わせた。

 

 ―――コペル………まさか、お前………!

 

 最悪の予想が頭を過った瞬間と、コペルがネベントから繰り出されたツルを円盾で弾いた瞬間は重なった。そして彼の言葉から静かに発せられる、たった一言の言葉。

 

「――――ごめん、キリト、カイン」

 

 告げた瞬間、彼は再び視線をネベントへ向けた。そして剣を大きく振り上げた。刀身が薄い蒼に包まれた所から察するにあれは―――ソードスキル。しかも振り下ろす先には、決して攻撃してはならぬ《実》。

 

「いや……だめだろ、それ……」

「やめろ……やめろよ、コペル………!」

 

 キリトの言葉と共に、俺も動き出した彼を止めようと声を上げる。

 だが彼は動きを止めない。地面を蹴って繰り出すソードスキルを、ネベントの口の上にある《実》に、大打撃を与えた。

 

 ―――パァァァン!

 

 突如、虚空に響く巨大風船が割れた様な音。それと共に実から放たれる、薄い緑色の煙。

 それと俺は知る。これが事故では無く意図的に引き起こした事であり、同時に、短い時の中で共に闘い続けて来た一人の少年が、俺達を裏切った(・・・・)のだと。

 

 



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episode5:闇夜の森(後編)

 

 

「――――ごめん」

 

ほんのさっきまで、《実》を叩き割る瞬間まで仲間(・・)だと信じていたコペルは、俺達の方向に振り向きもせずただ一言だけ呟いた。

 如何してこんな事を! と俺は直ぐに疑問と怒りが複雑に混じった糾弾の声を上げたかった。隣に居るキリトだって、少なくともそう思った筈だ。

 だけど、今眼前に広がる現実が、俺の精神を狂わせる。

 

 コペルの向こう側から幾つも幾つも現れる、カラー・カーソル。キリトとコペルの情報が正しければ、あれは先程周囲に放たれた独特な煙によって集結しようとしている、リトルネペントの大群だ。エリア中のリトルネペントの大半が此処へ向かって来ている。視界から判断するにその数、約三十体。

 安全を確保するなら此処で逃走の選択肢を選ぶのが常套手段。しかし奴等の速度(スピード)は侮れない。もし此処から逃走したとしても、直ぐに追いつかれる可能性が高い。

 

 コペルなら《実》を割ればこうなると、理解していた筈だ。なら如何して?

 元βテスターとしての知識が、彼の頭の中にはあった筈だ。なら何故こんな事を?

 

 様々な憶測と疑惑が頭の中を幾度も過っては消失する。だけど本当に分からない。さっきまで共に闘い続けて来た仲間が、如何して俺達を裏切ったのか理解出来ない。一体何故………。

 悩み続ける俺や隣に立ちぼんやりとコペルを見つめるキリトにも視線を向ける事無く、コペルは直ぐ近くの藪へと飛び込んだ。その時一瞬だけ見えた表情の色に、絶望と恐怖の色は無かった。恐怖の波に呑み込まれる事無く、彼はまだ生きようと抗いている。

 

「―――無駄だよ……」

 

 不意に呟いたのはキリトだ。意味を聞かなくともその言葉の真意は分かる。周囲を見渡せばありとあらゆる方向からリトルネペントが徐々に徐々に迫っている。この包囲網を抜けようと、敵と敵の隙間を潜り抜く事や県で押し切って行くのは―――今現在のレベルでは―――無理に等しい。しかしそれを知っている筈であろうコペルは立ち止まる素振りも無く進んで行く。まるで、確定的な自信があるかの様に。

 

 とそう考えていた矢先、コペルのカーソルが突如として―――――消えた(・・・)

 

「なっ……消えた!?」

 

 流石の俺でも、疑問の声を上げずにはいられなかった。

 何かのアイテムを使い転移(テレポート)したのか、或いは何らかのスキルを行使しその恩恵を受けているのだろうか?

 

「――――《隠蔽(ハイデイング)》スキルの特殊効果だ」

「特殊、効果?」

 

 冷静に俺の疑問に答えるキリト。聞き返すと彼は静かに頷き言葉を続ける。

 

「プレイヤーからはカーソルを消し、モンスターからはターゲットにされない効果。コペルは二つ目のスキルスロットを空けてたんじゃない。俺とカインに会う以前に、既にスキルを習得してたんだ。だからあの時背後に居たコペルに気付けなかったんだ………」

「じ……じゃあ、コペルが《実》を割ったのはただの事故じゃなくて、まさか………」

 

 元βテスターではない俺でも、MMORPGはこれまで幾度プレイしている。だからこそ《隠蔽》スキルを知って漸く理解出来た。コペルが如何して《実》を割り、俺達を置いて此処から逃亡したのかを。それは単純明快な事実。

 

 

「俺達を、《MPK》で殺す気なのか(・・・・・・)……?」

 

 

 《MPK》―――――通称、"モンスター・プレイヤー・キル"。モンスターを使用して、自身の手を汚す事無く他プレイヤーを故意に殺害する行為を指す。

 元来《PK》には二つの種類がある。一つは直接的に他者が他者を殺す場合。もう一つはモンスターを利用して他者を殺すこのMPKだ。このSAOに限定した事では無く、古いMMORPGからこの手段は存在していた。

 人が集まれば社会ができる。それMMORPFGでも同じ事。そしてその中での実利を求めて、あるいは感情的な理由から、他人を害する行為を行おうとする動機は常に、昔から存在している。コペルも例外ではなかった。

 動機はキリトの持つ《胚珠》。今キリトは胚珠をポーチの中に入れている為、もし死ねばその場でドロップするのは明白な事実。コペルはそれを手に入れて村に戻り、クエストをクリアする……。

 

「………馬っ鹿野郎がッ」

 

 遂に姿を現し始めたリトルネペントの大群が刻一刻と迫る中、俺は表情を強張らせ呟く。

 ―――コペル………お前は最初から自分の事だけを考えたんだな。生きる為に、生き延びる為に俺達を利用した。最初から協力する気なんて、一片も無かったんだな。

 心中は怒りと憎悪で膨らんでいた。俺達を裏切り利用し、自分だけが生きようなどと………許せる筈も無かった。

 けど、隣に立つキリトは冷静な表情をしていた。まんまと"罠"に嵌められたと言うのに、静かに佇んでいる。

 

「コペル……知らないんだな」

 

 不意にキリトは小声で呟いた。まるで、語り掛けるような口調で。

 

「《隠蔽》スキルは確かに便利だ。だけど万能じゃない。一つだけ大きな《穴》があるんだ。あれは視覚以外の感覚を持つ(・・・・・・・・・・)モンスターには(・・・・・・・)効果が薄い(・・・・・)んだよ……リトルネペントが、良い例だ」

「………!」

 

 彼の言葉に偽りはない。その証拠に、リトルネペントの大群の一部がコペルが飛び込んだ藪の中へと進んで行く。その速度は凄まじい。幾らコペルでも引き離す事は不可能だ。

 無言のままキリトは後方へと振り返った。前方のリトルネペントの大半はコペルの方へと進んで行くので数は前方程多くは無い。だがそれでも、此方に進むリトルネペントが存在するのもまた事実。

 

「――――カイン」

 

 キリトは振り向く事無く俺の名を呼ぶ。それが何を意味するか、馬鹿な俺にだって直ぐに理解出来た。

 

「分かってる。――――後ろは任せな」

「あぁ………助かる」

 

 互いに背中合わせの状態のまま、俺とキリトは迫り来るリトルネペントを真っ直ぐ見据える。

 しっかりと握りしめるスピアの刃は購入した時よりも随分と汚れ、刃こぼれしている。長い柄の部分も傷が目立つ。この状態で大雑把な扱いをすれば、その瞬間にボキッと折れる事は確定的に明らかだ。

 故に放つ一撃は確実に弱点部位を狙い、その一撃で仕留めなくてはならない。もし出来なければ手痛いカウンターを受け――――終了(ゲームオーバー)

 最初の一匹が前方まで辿り着くと同時に、コペルが飛び込んだ藪の方向からリトルネペントの咆哮とコペルの咆哮が轟いた。きっと、あちらでも闘いが始まったのだろう。

 

 しかしもう、思い止まる事は出来ない。俺は再び槍を握りしめ、眼前に迫り来るリトルネペントの大群に全神経を集中させた。

 

 

 

 

 あれから何体のリトルネペントを撃破したのか、何回 《スラスト》を発動させたか、相手の繰り出す攻撃を何回避けたか………この戦闘全ての詳細はきっと、後から思い出そうとしても決して思いだす事は無いだろう。

 無駄な思考は決して抱えない。ただ只管に突き続き、ただ只管に攻撃を避ける。脳からアバターに送る命令はそれだけしかない。

 ネペントの攻撃モーションを視認すればそれが何処に繰り出されるかを予測し、放たれる攻撃を最小限に避け、カウンターの《スラスト》で弱点部位を穿つ。

 だがそれでも、完全に避け続ける事は不可能だ。ツルがジッと掠る時もあり、巨大な口から放たれる腐蝕液が地面に着弾すると共に飛沫が舞い、その一部が身体の至る部分に直撃する。それと同時にじわりじわりと減る、俺の(HP)

 

 ――――死にたくはない。

 

 そう、死にたくはない。いや、死ぬ訳にはいかない(・・・・・・・・・)

 "本当の現実"に還らずにこの"偽りの現実(SAO)"で死ぬ事は真っ平御免だ。それに大切な家族……珪子(シリカ)を残して、此処から《ログアウト》するなど考えられない。

 だから俺は闘っている。生きる為に、此処から絶対に生き延びて還る為に、槍を握りしめて精一杯の力を込めて突きを放ち続ける。躊躇や迷い等、一切ありはしない。

 

 だが………"これ"は何だ? 心の奥底からじわじわと溢れて来る、"この感情"は。この様な絶体絶命の状況下で、一体何の"感情"を抱くのだろうか?

 これは……"恐怖"? "絶望"? 違う……これはもっと単純な………楽観的な"感情"……。

 

 まさか、"幸福感"?

 

 このゲームを始めた事に後悔しながら、先程まで"現実逃避"の如くネペントを狩り続けていた俺は、この様な生と死の淵で、"幸福"を感じているのか?

 いや、違う。俺は――――"満足"しているのだ。

 握る槍は"偽りの現実"の中では本物。身体は偽りの姿でも此処ではそれが真の姿。この身体は現実(リアル)とは違う、この世界での"現身(うつしみ)"。闘う毎に学習し、武器も強化すれば敵も屠れる。そして――――もっともっと強くなれる(・・・・・)

 

 その時に気が付いた。俺はただ我武者羅にこの世界で"生きよう"とした訳じゃないと。

 俺はこの世界で"生きて"、そして"強くなりたい"んだと。更なる高みを、己の限界を超えたいと。

 知らぬ間に俺は、一種の強迫観念に囚われていた。だけど嫌な気分じゃない。確かにレールを脱線すればその先に待つのは"死"だが、脱線しなければ、レールが続く限り突き進んでいく。

 その道が終わるのはきっと―――――"この現実が終わる時(ゲームクリア)"となった瞬間だろう。

 

「だ……ぁぁぁあああああ!!!」

 

 "必ず生きて、そして強くなる"。

 ただ"生きる事"から昇華した新たな思いを抱きながら、俺は全力の《スラスト》を放つ。

 漆黒の線が虚空に刻まれる直前にはもう、ネペントの捕食器は地面に崩れ落ちていた。そして殺気立ちながら新たなネペントを視認しようと索敵を開始した瞬間――――突如耳に響く、ポリゴンの破砕音。

 しかしモンスターの破砕音とは違う、鋭い破砕音だった。モンスターではないとしたら、考えられるのはただ一つ――――

 

「………」

 

 声を上げなければ、その破砕音があった場所へ駆け寄る事もしない。

 破砕音を耳にした直後に、眼前現れたネペントを撃破した所で漸く俺は構えを解き、その破砕音があった場所へ視線を向ける。

 藪の中から現れる七対のネペント。それ以外のモンスターの姿は無い。当然、プレイヤー(・・・・・)の姿も。

 

「―――――お疲れ」

 

 俺の隣に佇み、俺が向けていた場所に視線を向けたキリトは小さく呟いた。その言葉は俺に向けてではなく、一人のプレイヤー――――コペルに向けての言葉だと理解するのは、ほんの一瞬で充分だった。

 そう、彼は生き残る為に俺達を騙し利用し、そしてネペントと闘い、"死んだ"。同時に彼を操っていた一人の人間もまた、ナーヴギアによって脳を焼き切られる"処刑"を受けたのだろう。尤も、それを確かめる術等ありはしないが。

 

 最初に比べてネペントの大群は、大分個数が減っていた。このまま逃走を図る事も不可能ではないが、隣に立つキリトはその様な素振りを見せはしない。かく言う俺も、このまま逃げるのは惜しい(・・・)と感じ、その場に踏み止まった。

 俺とキリトの視界の先に映る物はきっと同じだ。頭の上に真っ赤な《花》を咲かすネペントを、俺達は見ている。

 二体目の《花つき》のネペント―――――裏切りなどせず、俺達と共に地道に乱獲を続けていたらきっと、コペルも自身の《胚珠》を得たに違いないだろう。しかし今更俺が如何思っても、それを選んだのは彼自身。全ては彼が選んだ事なのだ。

 

 HPは二人とも少ない。カウンターを受ければ即死のHPだ。

 しかし俺とキリトの表情に焦りや恐怖の色で染まる事は無い。腐蝕液を放とうとしている二体のネペントを前に俺達は駆け出し、ほぼ同時に二体を撃破。

 そして僅か数十秒で残る五体を撃破し、戦闘を終えた。

 

 

 

 

 

 コペルが《ログアウト》した場所にはまるで遺品の如く、スモールソードと円盾が転がっていた。ほんの数分前までコペルと言うキャラクターはこれを装備し闘っていた。最後の時まで、"生きる事を諦めずに"。

 キリトと俺はその剣と円盾を運び、周囲の木々の中で最も大きな樹木の根元に突き刺した。そしてその剣の近くに、彼が欲していた《胚珠》を置いた。

 

「お前のだ、コペル」

「……お疲れさん、コペル」

 

 告げると共に、キリトは屈んでいた身体を起こし踵を返す。

 そのぼろぼろになった背を目にしながら、俺は黙って後を追った。

 

 

 

 

 

 

 

「凄いな………それが報酬武器か」

「あぁ……」

 

 あれから数十分後。モンスターとも遭遇(エンカウント)する事無く、俺とキリトは村―――ホルンカの村と言うらしい―――に辿り着いた。村の中央には既に他のプレイヤー達―――恐らく元βテスターが大多数だろう―――もおり、俺とキリトは気付かれない様に依頼主の居る家へと向かった。

 家には一人の女性が何かをグツグツと煮込んでおり、キリトはその女性に《リトルネペントの胚珠》を差し出した。何度も何度も女性は頭を下げた後、彼女は報酬武器である片手剣をキリトに授けたのだ。

 その剣は見るからに重量がありそうだった。紅の鞘に包まれたそれは見事な存在感を醸し出していた。片手剣にはあまり興味のない俺だが、一瞬欲しいと思ってしまった程だ。

 そのままキリトはこの家を飛び出して行くのかと予想していたが、彼は直ぐ近くにあった椅子に座りこんだ。恐らく先程の戦闘で、かなりの気力を削ってしまったのだろう………俺も彼の隣の椅子に座り、疲労に支配された身体を休める。眼前では今も尚、この家の主である一人の女性が何かをグツグツ煮込んでいる。

 

「………なぁキリト。あれ何を煮込んでるんだ?」

「確か………市販の薬草を煎じてるらしい。何でも、娘を病気から治す為に。だけどそれでも治らなかったから、あの《胚珠》が必要だったそうだ」

「……成程ね」

 

 俺と同じく疲労困憊の状態であるキリトに、先程彼が受けていたクエ《森の秘薬》の概要を教えて貰っうと、視線の先で薬を煎じていた女性の挙動が変わった。木製のコップを取り出し、それに鍋の中身をおたまで注いだのだ。

 ほのかに湯気が立つそれを女性は大事にそうに持つと、奥のドアへと向かって行った。

 するとキリトは無言のまま立ち上がり、その方向へと歩き始めた。如何してあの女性の後を着いて行こうと彼が思ったのかは理解出来ないが、一人此処に残るのも何だか疎外された気分になる為、俺も立ち上がりキリトの後を追った。

 

 女性が開いたドアの向こうにあったのは、一つの小部屋だった。壁際にはタンス、窓際にはベッドしかない。誰かの寝室である事には間違いなさそうだ。

 そのベッドに横たわるのは、顔色の悪い少女ただ一人。あの子がこの女性の娘で、病気を患っている本人だろう。母である女性の手によってゆっくりと起き上る少女。キリトはベッドの傍に立っているが、クエをクリアしていない俺はキリトよりもやや距離を置いて、壁に凭れ掛って腕を組み、事の行く末を見届ける。

 

「アガサ。ほら、旅の剣士様が森から薬を取って来て下さったわよ。これを飲めば、きっと良くなるわ」

「………うん」

 

 年相応の可愛らしい声と共に差し出されたコップを受け取り、両手でそれを支えながらゆっくりと飲み干す。飲み干した瞬間に彼女の顔は一気に太陽の如く輝き、病気だったのが嘘の様に元気溌剌になる――――等と言う、まるで童話のオチの様な展開にはならなかった。だけど僅かだが、彼女の顔には輝きが戻っている様にも見えた。

 そして少女はコップを女性に渡すと、キリトの方へと視線を向け、小さな口で感謝の言葉を紡いだ。

 

「ありがとう、お兄ちゃん………」

「………あ………」

 

 彼女の感謝の言葉に対しキリトは何の言葉も返さず、それどころか大きく両目を見開いた。

 お礼の一言ぐらい言ったら如何なんだ、と言おうとした瞬間、彼の身体は大きくよろけ、ベッドに両手を置くとそのまま床に膝を着いたのだ。慌てて俺はキリトに駆け寄る。

 

「ど、如何したんだキリト。いきなりお前………」

 

 問いには答えない。代わりにただ低い声を漏らし、全身を震わせ続けるだけだ。

 コペルの裏切りにも慌てる事無く冷静に対処した彼が、突如として悲しみの感情に包まれたのか―――――それはきっと、先程のアガサの言葉が原因だ。あの『お兄ちゃん』と言う言葉………。

 これは憶測だが、もしかしたらリアルのキリトには弟か妹が居るのだろう。でなければ、先程の言葉に対してこの様な反応を見せる事は無い。そして思ったのだ、その子に"会いたい"のだと。俺も珪子(シリカ)が居るから、その衝動は痛い程良く分かる。"大切な人に会いたい"と言う衝動は、この世界に閉じ込められた人間ならば誰だって思う筈だろう……。

 

「………どうしたの、お兄ちゃん?」

 

 無垢なる声でアガサは呟き、小さな掌でキリトの頭を撫で始めた。何度も何度も。俺はその光景をすぐ傍で見守り続けた。キリトが泣き止むまで、ずっと―――――。

 

 

 

 

 

 

「――――気は済んだか?」

「あぁ………えっと……」

「心配しなくても、お前が泣いてた理由を問い詰めるつもりはないよ。大体予想はつくからさ」

「………すまない」

「謝るなって。誰だって、悲しい時には泣くもんだ。それが人間の本質だからな」

 

 アガサの家から出た俺とキリトは、村のはずれの野原に佇んでいた。

 キリトは暗い表情のまま、体育座りで俯いている。対し俺は大の字で横たわり、上空を見上げていた。

 

「……お前も会いたいんだな、家族に」

「……あぁ、会いたい。今直ぐ……会いたい」

「俺も会いたい。母さんに、親父に。妹と一緒に本当の家に帰りたい」

「……妹………?」

 

 首を傾げ疑問の表情を浮かべるキリト。

 「実はさ」俺は起き上り、キリトの方に顔を向ける。「このゲーム、妹と一緒にダイブしてるんだ」

 

「妹………妹さんと、一緒に?」

「あぁ。二人で喜んでこのゲームをプレイした直後にこれだ。もう帰れないって言われてアイツ、泣き出すからさ………凄い後悔してんだ。こんなに妹を悲しませるなら買わなきゃ良かった、って」

「………」

 

 今の俺の気持ちを吐露し、遣る瀬無い気持ちを紛らかす様に俺はまた上空を仰いだ。

 すると「……俺も」と、キリトは不意に言葉を紡いだ。

 

「俺も、妹が居るんだ。まぁ、従妹なんだけど………」

「成程ね。じゃあさっきのあれは、あの子の言葉を前に言われたんだな。その妹さんに」

「………」

 

 キリトは答える事はせず黙り込んでしまった。もしかしたら心中でその妹さんの姿を、思い浮かべているのかもしれない。だとしたらこのままこの話題を続けると、更に彼を悲しませてしまうと感じた。

 何か話題を変えようと必死に模索した結果――――一つの言葉が、勝手に口から飛び出した。

 

「―――なぁキリト。もし良かったら……"友達"にならないか?」

 

 またしても俺はしまった、と心の中で後悔した。初めてキリトと出会い彼に着いて行く事になったのも、口から出てしまった突拍子も無い言葉が原因だった。それを二度も繰り返すとは………。

 当然キリトは俺の方を向いて怪訝そうな表情を浮かべた。俺は慌てながら言葉を続ける。

 

「い、いや、此処でお別れってのはあまりにも寂しいし、せめて相互でフレ登録しようかーと思ったんだが………駄目か?」

「………」

 

 やはり直ぐに答えは返っては来ない。あの時は一人でも多い方が効率が良かった為に承諾してくれたが、今回に限ってはそう上手くはいかないだろう。

 心中で諦め始めた時、キリトは小さく笑うと共に口を開いた。

 

「……良いよ。色々とカインには世話になったし、その………お前と居ると楽しそうだな、って思えたから」

「……マジで?」

「あぁ、嘘なんかじゃない。マジ、だ」

 

 そう言ってキリトは、右手を差し出して来る。それが握手を求める合図だと理解した俺はすぐさま左手を差し伸ばし、固く握り合った。

 

「へへっ……お互いに妹を持つ同士、これからも宜しくな。キリト」

「いや、だからこっちは従妹だって……まぁ、宜しく。カイン」

 

 こうして俺とキリトは、"友達"になった。

 だけど俺はこの時から薄々と感じていた。この関係が何れ、"親友"にまで発展する事を。

 

 

 こうして俺の、この"世界(SAO)"での最初の一日は、衝撃的な出来事の連続で始まり、最後は静かに幕を閉じた。

 明日も始まる。俺の、この世界での"物語"が――――。



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episode6:一時の安息

 この世界(ゲーム)の始まりが告げられた日から、翌日。窓の外から差し込む太陽の光に眩しさを感じた俺は、ゆっくりと瞼を開けた。今現在の時刻は七時丁度。

 死の狭間に立たされながら死闘を繰り広げた結果、昨日までは身体には想像を絶する程の疲労感が圧し掛かっていた。しかし今は如何だろう。昨日の出来事が嘘の様に疲労は吹っ飛び、代わりに安心する程に心地よい。

 立ち上がり、固まった体を解す為に一度大きく伸びをした後に俺はふと、視界を背後に移した。其処にはベッドに凭れ掛って寝ていた俺とは違い、古びたベッドに横たわり静かな寝息を漏らす少年――――キリトの姿。

 

 俺とキリトが"友達"になった後、俺達は身体に溜まった疲労を癒す為にこの村 《ホルンカ》に唯一存在する小さな宿屋へと向かった。本当はそれぞれ個室で一夜を過ごす心算だったのだが、生憎先客のプレイヤーが居る為に空いている部屋が一つしかなかったのだ。この現状に対してキリトは冷静に『俺は外で寝るよ』と言って来た為、『それなら一緒に寝ようぜ』とすぐさま俺は提案した。だがキリトは最初は遠慮していた。きっと俺の為を思って言っているのだろうが、彼自身も疲れているのだ。彼を外に追い出して俺だけ部屋を独占して一夜を過ごす気等、更々無かった。最終的には半ば無理やり、彼を部屋に引き摺り込んだ。

 

 しかし部屋に入っても肝心のベットは一つ。此処でもまたキリトは『カインが寝て良いよ』と言い出すので反射的に『いや、キリトが寝ろよ』とまたもや返してしまった。最初はまるで古いコントの如く互いに譲り合いを繰り返していたが、最後は昔から伝わる平等に決める方法の一つ、『じゃんけん』を行使。結果キリトが勝ち俺は負けてしまった為キリトは一人ベットを独占し、俺はベットに凭れ掛る様にして寝た訳なのだ。

 

「………」

 

 今俺の目の前には無防備に眠り続けるキリトの姿がある。朝日の光が差し込んでいると言うのに、その瞼が開く気配は一向にない。もし此処に油性ペンがあれば額に『肉』と書き込んでやりたい所だ。

 しかしずっと彼の顔を見続けていると………一つの感想が心中で生まれた。

 

(………もしキリトがロングヘアーとかしたら、絶対"女"って思われそうだな………)

 

 今の彼の髪型は短髪だ。しかし頭の中で彼のロングヘアーを想像してみると………ホント女性にしか思えない。その理由の殆どは、顔立ちが女性に似ているからか。所謂………"男の()"と言うヤツだな。

 余談だが、俺はその"系統"に関しては興味が無い。絶対に、絶対にだ。

 

「ん……」

 

 俺が絶対本人の目の前では言えそうに無い事を妄想していると、その本人がゆっくりと瞼を開く。幾度か瞬きをすると、ゆっくりと俺の方へ視線を向けた。

 

「……おはよう」

「おぅ、おはよう」

 

 未だに眠たそうな表情を浮かべるキリトに、俺は笑顔で口を開いた。

 

 

 

 

 

「さて、と。今日も一日頑張ろうぜキリト!」

「それは構わないけど………カイン、お前の槍の耐久値、大丈夫なのか?」

「へ?………あ」

 

 宿屋から出ていざレベル上げへ! と一人で昂っていた時、キリトの冷静な言葉が俺の昂っていた精神を一気に消沈させた。そう、俺の両手槍 《スピア》の耐久値は依然減っていたままなのだ。

 

 宿屋で一夜を過ごすと携える武器の耐久値も回復する―――――なんて上手い事は無い。耐久値を回復する為には態々鍛冶屋に赴き、(コル)を払って研磨して貰わなければならない。と言ってもこれはMMORPGでは良くある仕様だ。此処の所、ただストーリーに沿って街や村を転々とするだけの家庭用RPGばかりやっていたから忘れていたが。

 まだ初期武器のままの俺だが、キリトは違う。昨日受けたクエ《森の秘薬》の報酬武器として一本の顔を片手剣 《アーニルブレード》を手に入れている。先祖伝来の長剣らしいが、耐久値は全く減ってはいない。逆に俺の両手槍(あいぼう)の耐久値は既に半分を切っている。

 

「すっかり忘れてたぜ………武器屋に行けば大丈夫かな?」

「あぁ。まぁ鍛冶屋なら《はじまりの街》にもあるけど………如何する?」

「そっか。なら……」

 

 手っ取り早く此処の武器屋で研磨して貰うかと考えていた時、不意に《はじまりの街》と言う言葉が頭に引っ掛かった。そしてその言葉から連想される一人の人物の姿。蹲ってすすり泣く、あの子は――――

 

「――――珪子………」

「………カイン?」

「へっ? あ、あぁいや………」

 

 言葉でそう返しても、心中にはシリカの姿が浮かび続けて消える事は無い。

 今アイツは何をしているのか。今も尚《はじまりの街》の中に居るのか。ちゃんと――――"生きているのか"。様々な不安が頭の中に浮かんでは消え、その度に俺の心は締め付けられる。

 まだ……あれから一日しか経っていない。だけどアイツはこの世界でのたった一人の"家族"。あの子を失えば俺は――――

 

「……悪いキリト。俺一旦、街に戻るよ」

 

 またしても俺の口は勝手に、言葉を紡いでいた。

 "何か思えば直ぐ口に出す"――――俺の昔からの悪い癖だ。キリトと初めて会って同行した際も、キリトと"友達"になろうと言い出したのはこの癖が発端だ。尤も、その癖があるからこそ俺は今此処に居るのだが。

 俺の言葉にキリトは疑問の表情を浮かべる。恐らく、俺の性格から察して直ぐに村の武器屋に向かうだろうと踏んでいたのだろう。

 

「別に此処で―――――いや、別に良いか。俺が如何こう言う訳にもいかないし」

「………!」

 

 意外だった。俺は理由を問われるとだけ思っていたのに、キリトが返した言葉は承諾の言葉。

 何故彼は問い詰めなかったのか………何の確信も無いただの憶測だが、キリトは理解して(・・・・)くれたのかもしれない。俺の、『珪子』と言う呟きから、俺の考えを………。

 

「ほら、さっさと行って来いよ。此処から街まで結構距離あるんだからな」

「あ、あぁ! 終わったら直ぐ戻るよ!」

 

 不自然なまでに急かすキリトの言葉は、『早く妹に会いに行って来い』と言う一つの暗示なのかどうかは定かではない。だけど今は、素直にその言葉に甘えよう。俺はキリトに背を向け猛然と村の出入り口の門へ向けて走り出した。

 出入り口の門に辿り着き鬱蒼と茂る森を前にした時、背後を振り返った。視線の先には微笑を浮かべながら小さく手を振るキリトの姿。

 

「――――有難う、キリト」

 

 俺の為に気遣ってくれた"友人"に一言だけ呟くと、俺は視線を戻して森の中へと飛び込んだ――――。

 

 

 

 

 

 

「………行ったか」

 

 カインを見送った後、一人残された俺はポツリと呟く。

 あの時カインが言った《珪子》と言う名前――――あの名はきっと、昨日の夜カインが話していたアイツの"妹"の名前に違いない。だから俺の《はじまりの街》に反応して言葉を止め、街へ戻ると言ったのだ。

 兄が妹を思う………それは当たり前の事だろう。母が子を心配するように、兄が妹を心配するのは何ら不思議な事ではない。"血の繋がった"仲ならば。

 

「俺は………どうだろ……」

 

 妹………直葉は本当の"妹"ではない。"従妹"なのだ。生まれた時から共に育って来たが、それでも血は繋がっていない。けど彼女はその事実を知らない。それを良い事に俺は知らぬ内に、距離を作っていた。顔を合わせるのも避けていたぐらいに。

 もし………もし、俺もカインと同じ様に妹と共にこのゲームをプレイしていたら、妹が居る場所にのこのこと会いに行けるだろうか?

 いや、それは絶対に出来ない。妹と距離を置き続けた俺にそんな資格は無い。手の平返したように接する事なんて、出来ない………。

 

「―――色んな意味で、お前が羨ましいよ。カイン………」

 

 自分の事よりも"家族"の事を考え行動するカインに、俺は敬意を称しなくてはならない。

 本来俺も彼の様にしなくてはいけないのだ。彼の様に妹の事を考え、しっかりと向き合う事が出来なければならないのだ。でも今までの俺は真逆だった。"血が繋がっていない"――――それを理由として避け続けていた。

 だからこそ俺は、

 

「きちんと………向き合わなきゃな」

 

 生きて還って、ちゃんと向き合って妹の名を――――《スグ》と呼ばなくては。静かに決意し、俺は出入り口の門へと進み始めた。

 

 

 

 

 

*

 

 

 

 

 《はじまりの街》―――――それは全てのはじまりとなる街。この世界に降り立った全てのプレイヤーが此処から自身の物語を始める。だが皮肉にも、この街は俺達に"絶望"を送り届けた。一人の天才プログラマー――――茅場晶彦を現出させて。

 キリトに街へ戻ると告げ此処まで来るのに然程時間は掛からなかった。ただ珪子に会いに行く事だけを抱き無我夢中で走り続けていたら、直ぐに辿り着いてしまったのだ。"思い"とは意外と恐ろしい物だと改めて実感してしまう。

 ゲートを潜り抜けると其処には大量のプレイヤーが溢れ返り街は活気付いてる――――事は無かった。街の軽快なBGMが鳴り響き人も行き交いしているが、それは所詮"偽りの存在"に過ぎない。BGMはシステムによって設定されたものであり、行き交う人もプログラムされた存在(ひと)、《NPC》に過ぎないのだ。意思を持ち行動し、生きようとする《プレイヤー》の姿は………殆ど無い。

 

「―――まぁ、あれからたった一日しか経って無いから、当たり前か」

 

 この世界の創造主、茅場のはじまりと絶望の言葉が言い放たれてまだ一日。この世界から脱出しようと決意し行動する者達は、今現在だとこの世界の知識を多少なり得ている《元βテスター》だろう。(俺の様な例外も存在してると思うが)

 きっと殆どのプレイヤーが茅場の言葉を信じていないのだ。"待っていれば何時かは助かる"――――そう信じ続けているに違いない。

 そんな人達がのこのことフィールドに出て行くとは思えない。幾ら弱いモンスターでもそれは自身の命を奪う"死神"。少しでも焦り、恐慌状態に陥れば死神(モンスター)の容赦ない攻撃が降り注ぎ、HPバーを奪い去る。殆どのプレイヤー達はその結末を迎える事を恐れているのだ。この世界の知識と技術を知る、元βテスターを除いて………。

 

 なら此処に居ないプレイヤー達は一体何処に居るのか。それは至極簡単な事だ。きっと安い宿屋で何時か還れる事を夢見ながら、同時に死の恐怖に怯えながら部屋に籠っているのだろう。幸いこの街は意外と広い。宿屋も幾つか点在する為、一万にも及ぶプレイヤーを収納出来るのは容易い事だろう。

 そして妹も………珪子も、その宿屋の一室で信じ続けているのだろう。何時か還れるその時を――――

 

「………」

 

 大切な妹の姿を思い浮かべながらゲートの前に立ち其処から見える街を見据えながら俺は、再び《はじまりの街》へ足を踏み入れようとする――――のだが、

 

 

「どいたどいたぁぁぁぁ!!」

「…ん? 何だ――――うぉあ!?」

 

 突如背後から響く怒号に気付き、振り返ろうとした瞬間にアバターの身体全体に伝わる衝撃。背後から一方的に加えられた衝撃によって俺の身体は一瞬宙へと浮き、そして一瞬にして地面へとうつ伏せのままダイブする。地面が石畳の所為か、森で転んだ時以上に痛い。

 だがそんな事は如何でも良い。俺は誰かにぶつかられ(・・・・・・・・)、こうなったのだ。その誰かを知る権利が、今の俺にはある筈だ……!

 

「痛つつつ………おい誰だよ! ぶつかったのは!」

「うっせーなぁ……ただぶつかっただけだろ~」

 

 倒れたまま背後に視線を向けると、其処には面倒臭そうな表情を浮かべる"少女"が居た。

 口調から男だと一瞬思ったが、男性とは思えない高い声でやや褐色の肌に茶色の髪色をしたセミロングの人間を、"男性"と思う事等到底出来ない。防具は《はじまりの街》で購入出来る革鎧で見た目はシリカと同じくらいの、12歳程に見える。

「ぶつかっただけって……」彼女の言葉に多少憤りを感じた俺は、顔に伝う痛みも忘れて立ち上がり少女の方へ顔を向けた。視線の向こうに映る少女は偉そうに仁王立ちのまま俺を睨み付けている。……ぶつかって来たのはそっちだと言うのに。

 

「……謝ろうって意思は、君には無いのか?」

「だからぶつかっただけだろ? 別にそんなカッカする事じゃないじゃんか」

「別にカッカしてないけどさ………俺としては、一言でも謝ってくれたらそれで……」

 

 本当は勢い良く吹っ飛ばされて石畳に顔面をぶつけた事により結構憤りを感じているのだが、自身よりも年下に"見える"子にキレる程短気ではない。あくまでも冷静に言葉投げ掛ける。

 少女はうーんと、可愛く首を傾げたまま俺の隣を横切って行く。そして少女は暫く歩き続けた後、クルッと一回転して此方を見つめるとニカッと笑い、

 

「面倒だからまた今度な。じゃあな! ガリ(・・)の兄ちゃん!!」

「ガッ………?!」

 

 衝撃的な言葉を言い残した彼女は再び視線を前方へと向けると、そのまま一目散に駆け出していった。その速度は凄まじく、行き交うNPCの間をアメフト選手の如く避け続け、一瞬にして俺の視界から消え去ってしまった。

 

 しかし、しかしそれよりも衝撃だったのはやはり、

 

「ガリ………。ガリの、兄ちゃん……」

 

 妹にですら言われた事の無かった言葉をポツポツと呟きながら、俺は暫くその場に立ち尽くしていた。大切な妹に会いに行く事も忘れて――――。

 

 

 

 

*

 

 

 

 あの天衣無縫な女の子と遭遇し衝撃を受けまくった後、気を取り直して俺は再び歩き始めた。向かう先は一つ、妹の居る宿屋だ。

 場所が何処は良く覚えている。街の中央にあった広場から直ぐ南――――二階建ての小さな宿屋だ。あの時、茅場晶彦の放った絶望の言葉を聞いて意識を手放した俺は無我夢中で走り出し、人混みを掻き分けながら突き進んだ際に目に入ったのが、その宿屋だった。アイツが落ち着ける場所を確保する為にも俺は一片の迷いなく其処へ突っ込んだ。

 外では未だに茅場の絶望の演説が続いていた為、客は一人として居なかったのが幸いだった。すぐさま二階の小部屋を選び、古びたベットにシリカを寝かせたのだった。

 

「……今頃、何してんのかな。シリカ」

 

 外で宿屋代の(コル)を稼いでいる、とは思えなかった。アイツは気の強い部分もあるが、同時に寂しがり屋な部分もある。その性格がSAO(此処)に来て変わる訳がない。いや、もっと悪化しているのではないかと思う。この先の未来、自身の歩む事となるこれからの道………多くの様々な"不安"がアイツに圧し掛かっている筈だ。それに耐えられる程の精神をアイツは、持ってはいない筈だ。

 

「………」

 

 もしそうならば俺は如何する? 俺はアイツの為に、何が出来る? 俺は――――如何すれば良い?

 大切な妹(珪子)に対して兄である俺は何をすれば良いのか――――悩みながら俺は、静かに歩き続けた。

 

 

 

 中央広場にもやはり、プレイヤーの姿は殆ど無い。初めてログインした際にはまるでお祭りの様にプレイヤー達が集まり、歓喜の表情を浮かべたり他のプレイヤーと嬉しそうに話していた光景は既に夢幻と消えている。広場の所々にNPCが経営する露店の様な店が幾つか点在していたが、俺は何処にも寄る事無く南の宿屋へと向かった。

 

 宿屋に入ると「いらっしゃいませ」とカウンターに立つNPCが丁寧な言葉で挨拶してくる。言葉と声だけでは人と同じだか、中身はプログラムされたデータの塊………そう心中で考えながら、俺は此処に泊まっている人に会いに来たと返した。

 シリカが泊まっている部屋は二階の一室だ。特に障害物も無い為、窓から広場を一望出来る良い部屋。尤も、今は"偽りの現実"の風景を見て感傷に浸る程の余裕はないのだが……。

 古びた階段を上り、廊下の突き当りに位置する木製のドアをノックする。本来ならば部屋の向こうに居る人の承諾があってから入るのがマナーなのだが、俺は答えを待たずに部屋を開けた。

 西洋映画のワンシーンで映し出される様な古びて質素な部屋。家具はベットと傍らにある椅子とライトだけ。そしてそのベットの上に妹が―――――シリカが、静かな寝息を立てながら眠っていた。

 

「………まーだ寝てるなんて、とんだお寝坊さんだな」

 

 呟いて、俺は椅子に腰掛けた。眼前には現実(リアル)と全く変わらない顔つきのまま眠り続ける妹の姿がある。だが、この世界でシリカの寝顔を見たのはこれが初めてではない。

 

 あの茅場の演説の最中に抜け出し此処へシリカを連れて来た俺は、シリカをベットに寝かせた後窓から広場の様子を見続けていた。話が暫く続くと、突如プレイヤー達が下を向き始めた。一体その視線の先には何があるのだろうと目を凝らすと、その先にあったのは《手鏡》だった。

 茅場の言葉の最中に何故《手鏡》が必要だったのか――――その瞬間には理解出来なかった。だがシリカの顔を見た瞬間、俺にも漸く理解出来た。何故ならその時、シリカの顔は最初にアイツが自分自身で創り上げたアバターとは違う顔――――現実の(・・・)顔だったのだ。

 その瞬間に俺の心を支配したのは"驚愕"と"理解"。二つの事実を、俺は改めて知った。

 

 これが紛れも無い、もう一つの"現実"だと言う事を――――。

 

「辛いよな、珪子………」

 

 ほんの、ほんの数日前までのシリカは、何処にでもいる普通の女の子だった。ドジで泣き虫だけど優しいアイツの存在は、小さい頃からかけがえのないものだった。一度も鬱陶しく感じた事も無いし煩いと思った事も無い。近所の人からは"仲良し兄妹"と昔から良く言われていた。

 だけど今となっては………それも儚い"過去"。テレビや雑誌でこれでもかと言う程に掲載されていた"SAO"に二人揃って興味を持ち、親父に無理言って買って貰って来て、プレイした直ぐに――――俺とシリカは、この現実(SAO)の"囚人"となってしまった。今現在の本当の"現実"では社会全体が大騒ぎになり様々なメディアが注目しているだろう。何故なら一つのMMORPGにより、一万人にも及ぶ人間が眠り続けているのだから。

 それに……今頃親父や母さんはどうしているだろう。意識の無い蛻の殻の状態である俺やシリカの身体を揺さぶり、名前を呼び続けているのだろうか。それとも悲しみの余り泣いているのだろうか………。

 

「ッ………!!」

 

 途端に込み上げてくる、後悔と悲しみの念。それから逃げる様に俺は二つの拳を力強く握り締める。

 

「親父……母さん……ごめん、俺の我儘の所為でこんな事になって。本当なら珪子までプレイさせるべきじゃなかったんだ。だけど俺は、それを強引に――――!」

 

 目を瞑り、ポツリと謝罪の言葉を呟く。でも今更後悔しても遅いし、過去の事を悔やんでも後の祭りなのは理解している。だけど俺は呟くしか出来なかった。そうしなければ、俺は後悔の念に押し潰されそうになっていだろうから――――。

 とその時力一杯に握り締めていた手の上に、もう一つの手の感触があった。ハッと目を開きその手の先を見つめる。其処にはベットに横たわったまま、顔を此方に向けるシリカの姿があった。

 

「珪、子………」

「お兄ちゃん………?」

 

 目を見開いたまま俺はシリカを見据える。シリカは心配げな表情で俺を見つめていた。

 自分の都合で彼女を悲しませてはいけない。俺は笑顔を彼女に向け普段通りに振る舞う。

 

「は、はは。漸くお目覚めみたいだな珪子。相変わらずお前は「大丈夫だよ」――――え?」

 

 俺の言葉を遮ったシリカは上掛けを剥いで身体を起こし、俺の手を両手でしっかりと握り締める。

 

「確かに、お父さんやお母さん、ピナや友達とも会えないのは凄く悲しい………。この世界で"死ぬ"のも怖い。だけどあの後、お兄ちゃんが一人で出て行った後、あたし―――――思ったんだ。"お兄ちゃんは、強いな"って。あたしは目の前にある現実から目を逸らして"生きよう"としてるのに、お兄ちゃんはそれを受け入れて"生きよう"としてる。だからあたしも、ちゃんと受け入れなきゃって感じてるんだ」

「珪子………お前……」

 

 その言葉に一切の迷いが無いのは俺にも分かった。だけど彼女の心にもきっとある筈だ、耐え難い"死の恐怖"が。だけど先程のの言葉を聞いて、その恐怖に打ちひしがれている様子は全く無かった。俺はその恐怖に怯えているのだと踏んでいた為、驚きの表情を隠せなかった。

「それにね」付け加える様にシリカは呟く。「"友達"と一緒だから、頑張れる気がするんだ」

 

「"友達"………? まさか、友達でも出来たのか?」

「うん。私と同い年くらいの――――」

 

 シリカが言い掛けた瞬間、バンッ!と後方の扉が開かれる。突然の出来事に俺とシリカはギョッとなり、すぐさま扉の方向に視線を向ける。

 其処に立っていたのは――――

 

「おーいシリカー、戻ったぞー………ってあっ! あん時のガリの兄ちゃん!!」

 

 ………先程会ったばかり、豪快且つ天衣無縫な女の子であった。

 

 

 

*

 

 

 この豪快且つ天衣無縫なこの子の名は、《リベカ》。ばっちりとした丸い目と褐色肌が特徴的な女の子だ。因みに俺の予想通り、シリカと同い年だそうだ。

 シリカとリベカが出会ったのはつい先日の事。昼時に突如言い放たれた"この現実(ゲーム)()幕開け(スタート)"により多くのプレイヤー達が絶望していた広場に、シリカは深夜一人で出向いたらしい。そして中央の噴水で一人落ち込んでいた際、とびっきりの笑顔でリベカが話し掛けて来たのだ。

 当然最初は驚き同時に警戒したのだが、リベカは自分と同い年ぐらいでしかも自身と同じ"女"であるプレイヤーに会えて至上の喜びを感じたのか、次から次へと話題を繰り出し話して来た様だ。それにより警戒や恐れも緩み始め、別れる時には既に"友達"になっていたそうだ。

 話を聞き終わった直後、俺は直ぐに口を開く。

 

「でも何か……ちょっと強引じゃないか? リベカさんよ」

「強引だぁ? オレは別に女の子同士が直ぐに友達同士になるのは普通だと思うぜ? まぁそれに、その場に居なかったガリの兄ちゃんには関係無ェだろ?」

「………それはそうだけどさ。ってか『ガリ』って何度も言うんじゃねぇ」

「お、お兄ちゃん落ち着いて………リベカちゃんもそう言わないで、普通に呼んであげてよ」

 

 リベカの言葉に少々憤りを感じる俺を、シリカは優しく諭す。

 しかし………まさか自分自身を"オレ"と呼称する"女の子"が現実(リアル)に居るとは。この様な性格をしている人物は大抵ゲーム内か、空想上の物語に居るか居ないと思っていたのだが。

 

「……まぁ性格が天衣無縫でがさつで豪快なのは置いといて、この世界で"友達"が出来て良かったな、シリカ」

「うん。最初はびっくりしたけど、リベカちゃん………意外と優しいから」

「意外ってのは余計だぜ。でもそう言って貰えると、何か嬉しいな」

 

 鼻の部分を人差し指で擦りながら、ニカッと笑顔を浮かべるリベカ。恐らくシリカが彼女と友達となった理由には、このまるで太陽の様に明るい彼女の性格も一つの要因として存在するだろう。この様に男の子の様に明るく元気な少女は、現実(リアル)でも結構珍しい。絶望と不安に押し潰されそうだったシリカにとって彼女との出会いは衝撃的であり、同時に一つの"救い"だったのかもしれない。

 

 だが、一つだけ妙に思う事があった。

 リベカがまるで太陽の様に明るい性格なのは認めるが………彼女は"絶望"していないのだろうか? この"偽りの現実"に閉じ込められた事に恐怖と絶望を覚えたり、現実(リアル)に残した大切な"家族"と会えない事に深い悲しみを持ってはいないのだろうか。もしそれ等を抱えているのならば、この明るく振る舞っているのは、その絶望と悲しみを紛らわす為の一つの"強がり"ではないのだろうか。彼女の言葉を聞き続ける内に、俺は自然とそう思い至る様になっていた。

 そして話が途切れた瞬間、俺はさり気無くその疑問をぶつけてみた。

 

「……所で、さ。如何してリベカはこの世界――――SAOに閉じ込められても尚、そんなに明るく居られるんだ? 動揺したり絶望したりするのが普通だと思うんだが」

「ん? あぁそんな事(・・・・)か。そりゃ最初は驚いたぜ? 『クリアするのにすんげー時間が掛かるゲームをクリアしなけれゃ出られない』ってどんなクソゲーだよ! とか考えてたし」

 

 此処に、この世界(ゲーム)に捕われた事を"そんな事(・・・・)"の言葉で済ませたのは少々納得いかないが、恐らく彼女にはこの重大な事実をその言葉で片付けられる程の"理由"があるのだろう。俺はそう決め付け、彼女の言葉に一切の口を挟まず聞き続けた。

 

「でもホントは、凄く嬉しかったんだ。現実とは違うゲームの世界でも、また………思いっ切り走れる(・・・)事が出来るんだって」

「走……れる……?」

 

 不可解な言葉に対し、シリカは言葉の真意を尋ねる。

 「あぁ、そうさ」腰掛けていたベットから立ち上がり、大きく伸びをした後にリベカは言葉を紡ぐ。

 

「オレ、さ。現実じゃ………両足義足なんだ(・・・・・・・)、小っせぇ頃事故っちまって」

 

 ――――"思いっ切り走れる"。その言葉の真意は、残酷で悲しい物。問い掛けたシリカは目を見開き、両手を口に当てる。俺も険しい表情で彼女の顔を見つめた。

 

「そんな……リベカちゃん、義足だなんて………!」

「ははっ、そんなに驚く事も無ェだろ? オレ以外にも義足して生きてる人なんて、オレの通ってる病院に一杯居るからな。それに別に義足でも普通に生活出来るし、生きて行ける。だけど………小さい頃の様に思いっ切り走れないのが、何時も辛くてさ」

 

 今まで自身に存在した足が消え、代わりに偽りの足が着けられる事は――――とても辛かったのだろう。やや顔を俯かせるリベカの表情に、光は無い。

 「だけど!」しかし突如として、顔を上げ先程までの明るい表情に戻ったリベカは、

 

「このゲーム――――SAOには、ちゃんとオレの"足"がある。そりゃアバターの身体なんだけどさ、小さい頃外に出て走り回った感覚が………無性に伝わってくるんだ。だからオレはゲームクリアの時までに一杯冒険して、楽しんで還ろうって考えてんだ!」

「リベカちゃん………」

 

 ――――この子は、強い。強い"心"を持っている。

 彼女は絶望や恐怖に押し潰される事無く、寧ろそれを跳ね除けて生きている。

 ただ"思いっ切り走れる"――――その思いが、彼女の心の強さ。

 

「――――強いんだな、リベカは」

 

 自然と、俺は彼女に向けて賞賛の言葉を贈っていた。

 彼女も俺に視線を向けて、ニカッと笑い返す。

 

「強くなんか無ェよ。オレはただ、嬉しい(・・・)だけさ!」

 

 その言葉に苦悩も迷いも無い。あるのは純粋な"感情"。

 その感情を支えとしてこの世界(ゲーム)を生きて行ける彼女を、俺は多少――――羨ましいと感じた。

 

 

 

 

 

 

「それじゃ、此処でお別れだな」

「うん………」

 

 あれから数時間後。オレとシリカ、そしてリベカを加えた三人は、数時間にも及び様々な事を語らい続けた。その時のシリカは、満面の笑みを浮かべ続けていた。この世界に閉じ込められて常に悲しみの表情しか浮かべていなかったシリカに再び笑みが戻った事に、俺は心底喜びを感じた。これも全てリベカの御蔭だと、心中で感謝している。

 そして今現在、俺達は街の北西ゲートの前に立っている。ゲートを背にシリカとリベカに身体を向けたまま、言葉を告げる。

 

「また暫くしたら来るよ。そん時は何かお土産でも持って来るから、楽しみにしとけよ」

「うん。だけど無理して持って来なくていいよ。あたしは、お兄ちゃんが来てくれるだけで充分だから………」

「おっ、嬉しい事言ってくれるねぇ」

 

 恥ずかしげに俯き呟く妹に対し、俺はクシャクシャとその頭を撫でる。現実ではこれをすると嫌がられたが、今は嫌がっている素振りが無い。恐らく現実を思い出し、懐かしく考えているかもしれない。

 シリカの頭をクシャクシャしながら、俺は視線を横に向けた。其処には暇そうな表情を此方に向けている豪快且つ天衣無縫な少女――――リベカが立っていた。

 

「――――リベカ。シリカの事、頼んでも良いか?」

「んぁ? あぁ良いぜ、カインの代わりに傍に居てやるよ」

「………有難う、本当に、助かるよ」

「気にすんなって。オレとシリカは友達だし、友達が友達を支えるのは普通の事だからな。………ってかさ、ちょっと心配し過ぎじゃねぇか?」

「うっせ。兄が妹の身を心配する事に、何か問題があるかよ」

「ふーん。ま、良いけどさー」

 

 何だか怪しく思われているが、兄が妹を心配する事は普通の筈だ。うん、きっとそうだ。そうに違いない。

 一人心中で暗示を続けながら俺は、シリカの頭から手を離した。俯いた顔が上げられ、シリカの瞳が俺の視界に映る。それを捉えながら俺は、静かに言葉を告げた。

 

「………じゃ、元気でなシリカ。リベカと一緒に、これから頑張れよ」

「うん………。あたし、頑張ってみる。リベカちゃんと一緒に、この世界で――――"生きてみる"ね」

「あぁ、それで良い。それで良いよ、珪子(シリカ)………」

 

 言って、俺は彼女達に背を向け歩き始めた。このゲートを通り森を越えれば小さな村《ホルンカ》があり、その付近の森では俺の友人が――――キリトが、一人で"生きている"。この数時間でキリトのレベルも1つや2つは上昇している筈だ。だったらすぐさま戻って、追い越してやる。

 

 暫く歩き続けた後、ふと背後を振り返ってみる。視線の先にはゲートの前に立ち小さく手を振るシリカと、大きく手を振るリベカの姿。二人の手に連れられて俺自身も手を振った。

 ほんの数時間だけだったが、シリカやリベカと過ごした時間は俺にとって"安息の時"であった。だが俺が行く先に待つのは"生と死の狭間"。自身のHPを削る死神(モンスター)が徘徊する大地(フィールド)に、俺は向かおうとしている。

 

 だけど後悔は無い。迷いも無い。逃げた心算も無い。

 何故ならこれが俺の決めた(レール)。何時脱線してもおかしくないレールの上を歩き続け、この世界で――――"生き続ける"。

 

 心に誓い、俺は再び視線を前方に戻すと共に走り出した。

 まだまだ、俺の道は始まったばかりだ―――――。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「――――あ、鍛冶屋行くの忘れてたわ」

 

 それを思い出したのはキリトと再び合流した直後。

 無論、キリトからと盛大に突っ込まれたのは言うまでもない………。




新キャラのリベカ登場です。
彼女はリアルでは両足義足と言う設定になっております。……原作内でアバターが両足義足の部分を如何するのか、それについては私自身もちょっと不安です(汗


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episode7;アベル

仕事やリアルに阻まれ執筆する時間と気力が全く無くなっていました………申し訳御座いません。


 

 

《誰かを助けるのに、理由はいらない》。

 

 アニメの主人公が言いそうなセリフを現実で聞いたのは、まだまだガキンチョだった八歳の頃だった。

 家族で山にキャンプに行った際、やんちゃだった俺は両親に何も告げず、自分一人で森の奥へと足を踏み入れた。鬱蒼と茂る森には鳥の囀りが響き渡り、木の葉から差し込む太陽の光が身体を照らす。そんな自然の美しさに興奮し、時が経つのも忘れ奥へ奥へと走り続けた。

 しかし段々と空の色が紅に染まり始めた頃。その瞬間まで俺を魅了していた森が突如として一変した。まるで侵入者を拒むかの様に木々が揺れ、耳に入るのは風の音と葉の揺れる音。興奮の熱は一気に冷め代わりに不安と恐怖が芽生え始める。すぐさま家族の下へ戻ろうとした時―――――気付く。今自分が何処に居るのか、分からない事に。

 其処からはもう必死だった。吹く風によって妖しく揺れる木々を幾度も避けながらただ走り続ける。走る方向が正しい道なのかどうか等分かる筈も無く、ただ只管に走り続けた。

 しかし走っても走っても景色は変わらず、太陽は着々と沈んで行くばかり。体力も精神も限界だった俺は、一本の巨木の根元に座り込み、そのまま蹲って泣き喚いた。

 如何して自分一人で森の中に入って行こうと思ったのか。如何して後先考えず森の中を進んでしまったのか……心中に浮かぶのは数々の後悔の念。それが一つ一つ浮かぶ度に心が締め付けられ、涙が止まらなかった。

 

 そんな時だ、誰かの足音が耳に入ったのは。

 その音に気が付きふと顔を上げると目の前に、一人の黒髪の少女(・・)が立っていた。もう記憶が曖昧で服装などは思い出せないが、長い髪で白い肌の少女だった事は覚えている。

 その少女は何も告げず、ただ此方に手を差し伸ばしていた。最初は如何してこんな所に女の子が? と思っていた……のだが、精神的に限界だった俺はこれで助かると思い込み、戸惑う事無くその手を握った。少女はそれを確認した後、ゆっくりと森の中を進み始めた。

 俺の手を引き歩き続ける少女は道中自分から喋る事は無く、俺自身も不安で心が一杯だった為、話し掛ける事も無かった。だが最初に見た森の出入り口が見えたその時に俺は心から安堵し、それによって心に余裕が出来た為静かに問い掛けた。「どうして助けたの?」と。

 問いに対し少女は歩みを止め、ゆっくりと振り返ると共に呟いた一言が―――――

 

 

『誰かを助けるのに、理由はいらない』

 

 

 この言葉と一字一句とも違わない言葉を、俺はまた耳にする。

 それは現実では無く、VRが創り出す夢幻の奥底………《SAO》の中でだった。

 

 

 

 

 

* 

 

 

 

 

 

 この世界(SAO)が産声を上げてから既に三週間が経とうとしていた頃。第一層の迷宮区に俺は立っていた。荒い息遣いのまま眼前に立ち塞がる二体の《ルインコボルト・ウォーリアー》を睨み付ける。

 レベル上昇の為に迷宮区に潜り込んだのは良いものの、運悪くコボルトの集団とエンカウントしたのが事の始まりだった。一対一の状況ならまだしも、一対複数の戦闘は困難且つ厳しいものだ。無駄な攻撃を仕掛け痛烈な反撃を喰らうのは不味いと判断した俺は、コボルトの攻撃を躱し反撃を狙う基本的な戦法を取った。時折ダメージを喰らう事もあったが、HPが危険域に達するギリギリの所で複数のコボルトの撃退に成功したのだった。

 無事勝負を着けられた事に安堵し、一旦安全地帯へと引き返そうとした矢先―――――眼前に湧出(ポップ)する二体のコボルト。相手は無論全快のHP、だが此方はHP危険域に達するギリギリの所。加え回復アイテムのポーションはポーチには無くストレージの中だ。態々戦闘中にストレージを開いて取り出す行為は無謀であり危険過ぎる。

 このままHP危険域ギリギリの状態を維持したまま闘う事も可能だ………しかし、そいつは危険な賭けだ。反撃(カウンター)を受けたら最後、その先に待つのは『死』のみ。後戻り等出来る筈も無い。

 

 ならば如何するか、選択肢は一つ。

 安全を期す為に最も最良の選択―――――『撤退』だ。

 

 コボルト二体を見据えながらジリジリと後方へ足を進ませ………コボルト達が動き始めた瞬間、一気に身を翻し地面を蹴った。

 其処からはもう必死で、決して振り向かずただ走り続ける。

 このSAOは《もう一つの現実》。HPがゼロになれば自身の命の灯もまた消える。あと残り僅かとなってしまったHPに舌打ちながらも俺は走るのを止めない。安全地帯まで逃げ込み其処でHPを回復させてから闘ってやる………直ぐに訪れるであろう未来を想像しながら、コボルト達から逃げ続ける。

 

 撤退を始めてからものの数分後。漸く安全地帯付近に辿り着く。

 あと少しだ、と荒い息遣いのまま思考する。安全地帯まで撤退すれば、体勢を立て直すと共にHPも回復出来る。其処から再び挑めば良いだけの話………そうなる筈だった。

 突如視界に、一つのカーソルが浮かぶ。モンスターでは無い、プレイヤーのカーソルだ。

 俺と同じ様に此処へレベル上げにしに赴いたプレイヤーなのだろうか………徐々にそのプレイヤーと俺の距離は縮まって行き、やがてその姿を視認する事が出来た。

 細身で茶色のマントで顔と身を隠すプレイヤーは武器を携える事無く、此方を見たまま何故か微動だにしない。ただ此方をじっと見つめるだけであり、まるで俺の身を案じているかの様な気がした。

 何故動かない? 何故此方を見る? 何故―――?

 地面を駆けると共に、数多の疑問が心中でも幾度ととなく駆け続ける。そしてやがて俺の身体はそのプレイヤーの直ぐ近くにまで達し、やがて擦れ違った。

 

 擦れ違った刹那、俺はそのプレイヤーに視線を向けた。

 フードを被っていた為プレイヤーの顔全てを見る事は出来なかったが、代わりに少しだけ見えていた口が動いたのを視認する。その声を聞く事は出来なかったが、口の動きで何を言ったのかは分かった。

 ただ一言。"任せろ"と言う言葉だ。

 

 そのプレイヤーと擦れ違った直ぐ後俺は足を止め、撤退してから初めて背後を振り返った。

 眼前に見えるのは先程のプレイヤーとそのプレイヤーの前方から猛然と迫り来る二体のコボルト。その距離はほぼ零と言っても過言では無い。このまま何時までも突っ立ていたら確実に二匹の攻撃を喰らってしまう。

 避けろ、と俺が叫ぼうとするが――――その直前、マントのプレイヤーは動き出していた。

 

 その手には何時の間にか武器が握られている。刃渡りが使用者の身長近くもある大型の剣………《両手用大剣》を携えるプレイヤーは、迫り来るコボルトとぶつかり合う形で突撃する。

 SAO内で両手用大剣の使用者の闘いぶりを未だに見た事が無かった為、そのプレイヤーの闘い方が大剣使いとして相応しいのかどうか分からないが、その大剣使いの闘いぶりに戦慄を感じられずにはいられなかった。

 

 まず片方のコボルトに接近し、振り下ろされる手斧を紙一重で回避。攻撃が外れた事により隙の出来たコボルトに対し、大剣使いは擦れ違いざまにコボルトの首を叩っ切っる。赤色のライトエフェクトが宙に浮かんでいる事から、先程の一撃が両手用大剣のソードスキルだと把握出来た。唯一武装していない喉元に直撃を喰らったコボルトの首は生々しい音を立てると共に宙へと舞い、やがてポリゴンの塊となりて、残された胴体と共に消え去った。

 しかし一匹を屠ったばかりの大剣使いの背後から、残されたもう一体のコボルトが手斧を振り上げて猛然と襲い掛かろうとしていた。

 だが大剣使いはそれを予測していたかの様に、僅かに右に身体を逸らして手斧を回避。身を翻し、続くコボルトの二連撃を紙一重で回避した直後、がら空きとなったコボルトの首を先程と同様にソードスキルで叩っ切り、戦闘を終了した。

 

「―――スゲェ……」

 

 二体を屠るのに要した時間は僅か一分程度。威力の高い大剣のソードスキルでクリティカルポイントを一点集中で攻撃したとはいえ………此処まで優雅且つ華麗に撃破するとは。まるでアクション映画の様な動きに、俺は知らぬ間に感嘆の声を上げていた。

 大剣使いは二体のコボルトを屠った剣を肩に担ぎ、大きな溜息を着くと、

 

 

「大丈夫か? 少年」

 

 

 振り向くと共に大剣使いは告げる。

 そして同時に知る。この大剣使いが、女性プレイヤー(・・・・・・・)である事に。

 

 

 

 

*

 

 

 

「しかし驚いたよ、休憩を終えた直後に君と君を追うコボルトが視界に入ったのだからね。一瞬如何したら良いのかと、戸惑ってしまった」

 

 安全地帯に辿り着き漸くポーションを取り出した所で、俺を助けてくれた女性は小さく呟いた。

 彼女の事も気になるが、今は自身のHPを回復するのが先決だ。そう悟りポーションの蓋を開きながら言葉を返す。

 

「―――けど、それでも俺を助けてくれた。感謝してるよ」

 

 『例え些細な危機でも油断すれば、命を失う』。

 やり直しのきかないこの世界において、小さな危機でも蔑ろにしてはいけない。油断大敵と言う言葉がある様に小さな危険でも大きな事故に繋がる可能性があり、最悪の場合『死』も有り得る。

 そう教わった。今此処にはいない――――親友(・・)から。

 

「気にする必要などないさ。誰かを助けるのに理由はいらない。私が勝手に、自分の意思でやった事なのだからな」

 

 だから恩を感じなくて良い、と女性は言葉を続ける。

 ………驚きを隠せなかった。このSAOに彼女の様な女性が居るとは、想像もしていなかった。

 その立ち振る舞いはまるで物語の主人公そのもの。そして幼い頃に聞いた見返りを求めはせず冷静に佇む彼女の姿に、多少の羨望と驚きの念を心中に抱く。

 「しかし」その念を遮るかのように女性は不意に呟き、俺に問い掛ける。

 

「君もレベル上げなのかな? 此処に居ると言う事は」

「御名答。一層で一番EXPが稼げる所って、俺が知る限り此処ぐらいだからなぁ」

「成程………しかし先程見た限りでは、無茶してる様な感じに見えたよ。ソロでの戦闘で無茶するのは大変危険だと私は思うのだが」

「――――まぁちょっと前までは、あんなに肝を冷やす事は無かったんだけどね」

 

 二週間前まで、俺の隣には一人の"相棒"である親友が居た。共闘してモンスターと対峙したり、彼から情報を貰ったり、共に現実での話をしたりして、この世界を共に生きていた。

 そんな彼が隣からいきなり姿を消したのが、最初は理解出来なかった。

 無論この世界からログアウト(死んだ)訳では無い。ある日宿屋で一泊し、夜が明けた時には彼の姿は無く、代わりに『俺とお前は、違う道を歩んだ方が良い』と言う短いメッセージだけが残されていた。

 彼が何故俺と別れたのか、それを知る理由は彼に聞かなければ分かりはしないだろう。だけどあのメッセージ………あれから察するに、彼は俺の為を思って別れたのかもしれない。"違う道"とは恐らく彼の歩む道が普通のプレイヤーが歩む道と違う事なのかもしれない、と勝手に自分の中で解釈している。

 そうでもしなければ受け止められなかったのだ。彼が、《キリト》が、自分の隣から居なくなってしまった事実を。

 

「………どうやら、訳ありの様だな」

「そーいう事。つーかそんな事言うアンタも、一人じゃないか。しかも立派な女の人だってのに」

「ソロプレイに男も女も関係ないさ。性別よりも求められるのは力――――即ちレベル。それだけが優劣を競う。レベル制MMORPGは、それが基本だと思うが?」

「そりゃあ……そうかもしんねーけど」

 

 確かにこの世界―――レベル制MMOでは、性別とその者の強さは直接関係はしない。

 性別以前に、レベルの数字だけが優劣を競う。数字が増えただけでも差が生まれる。1ならまだしも、20や30も増えたら正しく天と地の差とも言える。その様な理不尽な壁が、この世界には存在してる。

 けど、

 

「でも……違うと思う」

 

 俺は短く、だけど強く答えた。

 

「この世界においてレベルは大切だって事は分かるさ。けど大切な物もあると思うんだ」

「ほう………大切な物か。例えば?」

「え、それは、えっーと………」

 

 まさか逆に問い返されるとは思いもしなかった為、慌てふためきながらその"大切な物"に該当する存在を思い浮かべる。

 真っ先に浮かんだのは、一人の妹の姿。

 

「――――大切な人、とか?」

「ふむ、大切な人か………生憎ながら今の私には、その"大切な人"に該当する人は、まだ居ないかな」

「ありゃ、さいですか」

 

 フードから覗かせる漆黒の瞳が静かに伏せられると同時に、彼女は呟く。

 

「まぁ尤も、私にとって大切な人は………もう居ないのだがな」

 

 彼女は凭れていた壁から身を離すと、視線を出口がある方向へと移し、何の別れの挨拶も無く彼女はゆっくりと歩き始めた。

 

 もしかして此処から出るつもりなのだろうか。しかし此処からだと出口まで一時間以上は掛かる筈。しかも其処から近くの町まで多少距離がある。それに彼女は俺と同じ、ソロプレイヤーだ。小さなミスも命取りになる………先程の俺の様に。

 

「――――今から戻るのか?」

 

 気付けば俺は何の戸惑いもなく、彼女に問い掛けていた。

 彼女は立ち止まり此方に視線を向けて来る。フードの下から除かせる漆黒の瞳が俺を貫く。答えはしないがどうやら今から戻ると言う事は確かなようだ。

 

 しかし……昔からの"世話焼きでお節介"な性分はSAOでもしっかり反映されてるらしい。困ってる人を見過ごせない、何か手助けになればと、良く見知らぬ人でも問い掛けてしまう事が多々あった。それでトラブルに発展した事もしばしば………全く後先考えない馬鹿だよ、俺は。

 だが問い掛け彼女の歩みを止めてしまった以上、このまま何も告げない訳にもいかない。意を決し、口を開く。

 

「ひ、一人で………大丈夫か?」

「………」

 

 彼女は答える事無く無言を貫く。視線を此方に向いたまま微動だにしない。

 てっきり何かしら反応するかと思った俺は彼女の無反応さに慌てふためき、更に言葉続ける。

 

「えーっと……こ、此処から迷宮区の出口まで結構掛かるし……それに最寄りの町までも時間掛かるし……それにもう夕方時。夜まで街に着いとかないと色々面倒だ。アンタはソロだし余計に注意を――――」

 

 此処まで口を動かした時、漸く彼女は反応を見せた。手を口元に抑えククッと笑い肩を震わせる………こっちは結構真面目に話してるのだが。

 

「ふふっ………つまり君はこう言いたいのかな?『君が心配だから一緒に行こうか?』と」

「い、いや、そう言う訳じゃ」

「ほう? ならどう言う訳なのかな? まさか道中で私にあーんな事やこーんな事でもさせようと言う魂胆でも?」

「そ、それは違う! 断じて違う!!」

「ならどう言う訳なのか………きっちり説明させてくれるかな?」

「うっ………」

 

 怒涛の質問にこれ以上言い逃れする事は出来ない。今は彼女のターンだ、下手な言い逃れは更なる誤解を招くかもしれない。単なるナンパ野郎と思われない為にも、此処はしっかり答えなくては。

 

「―――――心配なんだよ、やっぱり」

 

 そっぽを向き、彼女を視界から外すと共に告げる。

 

「変な理由は無いよ。ただ単に心配だから言っただけ……勿論余計なお世話って言うなら、これ以上は何も言わな「では頼もうかな」………え?」

 

 言葉の最中に入って来た彼女の言葉に疑問を浮かべ、視線を戻した時――――彼女は俺の直ぐ隣に屈み、至近距離でじっと俺の顔を見つめていた。

 突然の展開に驚き硬直する俺を気にする事も無く、彼女は苦笑する。

 

「恥ずかしい話だが、実は買い込んでいたボーションが後僅かで無くなりそうでね………帰りの事を考えると多少厳しいなと感じていた。モンスターと遭遇せず、無傷の状態で街に戻るのは不可能だからね。だから――――」

 

 彼女は其処で一旦言葉を止めると、ゆっくりと手を差し伸ばしてきた。

 その行動が意味するのはたった一つ。  

 

「最寄りの街まで、共に来てくれないだろうか?」

 

 その言葉に、俺は迷う事無く深く頷く。

 彼女は俺を助けてくれた。見ず知らずの他者だった俺を、彼女は何の見返りも求める事無く助けてくれた。その礼を、今此処で返さなくては。

 差し出された手を握り、彼女の瞳を見据えながら静かに答える。

 

「勿論―――――いいですとも」

 

 

 

 

 

 

 

 

 彼女と二人で迷宮区を出た時には既に、世界は紅色に染まっていた。ただ只管に紅い太陽に眩しさを覚えながら、俺は歩き続ける。その直ぐ隣で歩くのは他の誰でも無い、先程の彼女だ。

 彼女は言葉を発する事無く無言のまま歩き続け、俺もまた無言を貫き続ける――――が、

 

(……何か、気まずい……)

 

 隣に居るのは一人の女性。しかも互いに無言で、空気は何処となく重い。何か話題を振るべきか否か。しかし下手に話したら更に空気が重くなる可能性もある。

 「心配だから一緒に行こう」と先程は言ったものの……こうも空気が重いと息苦しくて堪らない。何か話題をと頭の中で模索し始めた――――その瞬間。

 

「『神は天にいまし、全て世は事もなし』」

「………へ?」

 

 風の音と共に聞こえた彼女の突然の言葉に、俺の思考は動きを止めた。

 

「『世の中の出来事は全て神の予定に従って動いており、そして今の所全て神の予定どおりに進み、何ら神の予定に狂いはなく、進行している』と言う意味だ。………今のSAOの現状を見ているとこの言葉が似合うと思っている。尤も、この言葉には他にも様々な解釈があるのだが」

「………」

 

 "神"と言う言葉から察するに、何処ぞの宗教の言葉だと思われるが………中々に考えさせる言葉だ。

 この世界での"神"として該当する者は唯一人――――『茅場晶彦』。この世界の創造主であり、この世界をもう一つの"現実"へと変えさせた存在。

 今茅場が何処に居るか等、誰も知らない。神として俺達を何処からか見ているのか、或いは俺達と同じく一人のプレイヤーとして居るのか。どちらにせよ、今の現状の最大の原因は彼に違いない。一層が未だにクリアされず、更には千八百人もの人間が死んだのも………彼の《予定》していた事なのだろうか……?

 だけど俺は、

 

「あんまそう思いたくは無いなー……」

「? 君はそう考えるのか?」

「だってよ、『未来』ってのは何が起こるか分からないんだぜ? 一寸先は真っ暗闇とも言うし」

「……真っ暗は要らないと思うが」

「細かい事は良いんだよ。とにかく未来ってのは多少の《予測》は出来ても、《予測外》の事だって起こるかもしれない。だから茅場の思惑通りに世界が進むとは思えない………と個人的には思うね」

 

 『未来を完全に予測する事は出来ない』。

 だから気を付けなさい、とよく親父はまだ小さかった俺と珪子(シリカ)に口癖のように言い聞かせていた。怪我とか事故とかしないように気を付けなさいとその時は簡単に解釈していたのだが………今となってはその言葉を痛感している。

 先の未来を《予測》し回避出来る出来事ならば問題無いだろう。しかし今回の様な――――『SAOに閉じ込められた出来事』等、誰が予測出来たであろうか。世界初のVRMMORPGが二万人ものプレイヤーを幽閉した出来事を予測出来る術等、当然ありはしない。

 今の現状が茅場の思惑通りに進んでいたとしても、いつか必ずその思惑は崩れるのではないだろうか。所謂不確定因子(イレギュラー)的な存在によって。でもまぁ………そんなヤツが現れるとは思えないけど。

 

「何が起こるか分からない………か、確かにそうかもしれないな。今私がこうして君と共に居る事も、迷宮区に入る直前までは思いもしなかった」

「……えーと、まぁそれも予測出来なかった未来と言う事でお願いします」

「ふふっ、そういう事にしておくよ」

 

 クスクスと笑う彼女から視線を外し、空を仰ぐ。

 紅色に染まった空の半分は蒼へと変化しつつあり、夜が近付いている事を感じさせる。このままのペースで行けばあと数十分と言った所で最寄りの町である《トールバーナ》に辿り着く。まぁそう上手く行くとは限らないだろう、《モンスター》と言う行く手を阻む障害がある限り。

 

「――――そう言えばまだ、君の名を聞いていないな」

「え? あぁそう言えば、確かに」

 

 ふと、隣の彼女は思い出したかの様に問い掛ける。

 確かに出会ってから一度も、互いに自分の名を明かしてはいない。パーティを組めば名を知る事も出来たが、今の俺達はパーティを組まずにただ共に行動しているだけだ。口頭で名を言わない限り名を知る事は出来やしない。

 ゴホンと咳払いし、

 

「えと、俺は《カイン》。しがない槍使いだ」

「《カイン》――――か。そうか《カイン》か……ふふっ」

 

 彼女は《カイン》と言う名に対し何か納得した様な感じで復唱する。《カイン》と言う名が気に入ったのか、或いは俺のネーミングセンスの無さに失望して笑っているのかは分からない。

 では私も名乗らなくては、そう彼女が告げたのはそれから少し時間の経った後だった。

 

「《アベル》――――それが私の名だ」

 

 

 

 《カイン》と《アベル》。

 《竜騎士カイン》と《撃剣士アベル》と他の者から呼ばれるのは、まだまだ先の事。

 

 そしてその二つの名が意味する、真実を知るのは―――――遠い未来の事だ。

 



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