きゃすたー(7mg)の雑多なネタ倉庫 (きゃすたー(7mg))
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グラブルを帝国軍側から眺めてみる

つまりはそういうこと。オリ主がグランブルーファンタジーの世界でエルステ帝国軍側に立ってストーリーに絡む話。


 エルステ帝国外征艦隊旗艦プリンツ・ユージンの上部甲板から眺める景観はどこまでも空が続いている。

 風が駆け抜けていく。果てなく続く蒼穹は赤みが差し始め、間も無く世界は漆黒の天蓋に閉ざされるだろう。どこまでも続く雲海の果てに沈む太陽の世界と、静かに顔を出して夜を照らす月の世界が交わる。

 人は其れを黄昏時と呼んだ。ある者は生命の生き死にを見出し、ある者は世界の移ろいを悟り、ある者は星空の運行を読み解いた。だがそれはもう何万年と昔の話らしい。

 

 世界の終焉から数万年、地上に住んでいたヒトは今空に暮らしている。文字通り空に浮かぶ島々に。

 そこにはかつて地上に存在した環境が存在しており、人々は細々と、しかし穏やかに命を繋いでいた。揺り篭(クレイドル)の恩恵に授かりながら、かつて自らが地上に住んでいたことさえも忘却して。

 

「かくて、“人は天に在り、世は全て事もなし”ってところか」

主様(ぬしさま)や、何を言うておるのじゃ?」

「ああ、すまんガルーダ。ちょっと感傷的になっただけだ」

 

 ふむ、と小首をかしげた少し浅黒い肌の琥珀色の瞳の少女ガルーダは小さな身体をふわりと空に浮かべて空を翔る。

 大地と同じ色合いを持つ大鷲の羽を広げ、また同じ意匠を凝らしたワンピースのような服を揺らして空に舞う。手首や足首にあしらわれた黄金の装飾品が沈み往く日輪の光を映し煌く様は炎を纏う演舞のようにさえ見て取れる。

 

「もうすぐダイダロイトベルトだ。瘴流域(しょうりゅういき)を突破するから中に入ろうか」

「なんじゃ。もう終わりか? のう主様や、もう少し風を感じてもよかろう?」

「早く戻ったほうがいいぞ。お前にはあそこはきついんだ。ま、外征も落ち着いたことだし、帝都へ戻ったら休暇が待っているぞ。ついでにそのままノース・ヴァストで温泉にでも入るか」

「温泉! うむ、うむ! 温泉卵のあとはマツヴァガニが食べたいのじゃ!」

 

 軽やかに甲板に降り立った少女の身体を抱き寄せる。自身の胸元に届くかどうかという少女は突然のことに目を丸めていたが、すぐに自ら摺り寄せるように顔を埋める。

 

「やはり好い匂いじゃ」

「そんなに違うものなのか」

「ただの土の匂いとは違う。大地の匂いじゃ。潮騒の香り、緑茂る木々を抜ける風、照り付ける太陽に苗や若木の活力。島々それぞれにしかないものが、主様(ぬしさま)には全部ある。

 春の日差しの温もり。夏の空と燃えるような大地の熱。秋の実りと喜び。冬の凍てつくような風雪と空。たった一度だけじゃったが……わらわを産み落とした星の民にそれを見せてもろうたのじゃ。なんの実感も湧かぬただの“すくりーん”に写された“えいぞう”とやらだったが、主様(ぬしさま)の大地の匂いはその全てを再現してくれるのじゃ。より圧倒的な現実感でな」

 

 絹糸のように輝く鳶色(とびいろ)の髪。頭をそっと撫でるとガルーダは幸せそうに私の背中に腕を回す。

 

「さて、この後の予定はどうなっている。ガルストン」

「……よくお気づきになられますね」

「年の功さ」

 

 振り返った先に見えたのは帝国軍の近衛兵(インペリアル)か上級士官・将官に与えられる青藍(せいらん)のフルプレートアーマーを纏った男、ガルストンだ。

 

「のう、主様(ぬしさま)

「先に部屋に戻っておいてくれ」

 

 名残惜しげにガルーダは腕を放し、密閉ドアの向こうへと姿を消す。

 残る私と彼の間に生まれたのは一瞬の静寂。風の音が聞こえるだけの静かな世界。それを打ち破って彼が話し始める。

 

「外征艦隊のこの後の予定ですが――」

「そうじゃない」

「と、申されますと?」

「お前のことだ、ガルストン」

 

 彼は言葉を発さずただ黙する。

 

「異動となるのだったな」

「はっ、第三軍フュリアス少将旗下(きか)、ポンメルン特務大尉の下で隊を率いることとなります」

「そうか……よりによってあの狂人」

「中将、どうかそこまでに。どこに耳があるかわかりませんので」

「フン、律儀だなお前も」

「エルステ帝国軍の軍人でありますので」

「だろうな。まあフュリアスはアレだが、ポンメルン・ヴェットナーなら問題なかろう。エルステ帝国への忠誠を文字通り体現したような男だ。仁王の如き(つわもの)さ」

 

 空を翔る風を手で遮り、口に咥えた煙草に火を灯す。夕闇の広がる中に灯った小さな火の灯りがふっと消え去ると、立ち昇る煙が風に乗って空に溶けていく。

 

「壮健でな。任務ご苦労だった」

「はい。三年間お世話になりました」

「……お前の代わりを探すのは骨が折れそうだよ。ほんとに」

「中将に食らいついていけるだけの人材はそうは居ないでしょうな。波乱万丈でしたよ。外征とは人間と戦うばかりではないと思い知らされました。まさか紙の山を踏破する破目になろうとは」

「うるせぇ。書類は苦手なんだよ」

「できるのにしないのはただの怠慢ですよ」

「その分戦ったし言論をぶつけてきた。外征を円滑に行えるよう下地を作るのも俺の仕事だ」

「ええ。中将の肩書きは伊達ではないと思い知りましたよ」

 

 ガルストンは兜の面の下でくつくつと笑う。あいつ、あの時のことを思い出しているな。

 

主様(ぬしさま)! ガルストン! 主計長がさっさと飯を食えと吼えておるぞ! 飯を抜かれても知らぬからな!」

「さて、もうすぐファータ・グランデだ。凱旋で腹が減って倒れたのでは締まらんからな」

「ええ。急ぐとしましょう」

 

 

※彼の率いる外征軍を見たグラン君やルリアちゃんたち

 

 彼の威圧感は格が違った。見た目は二十台から三十台の青年。特別体格が大きいわけでもないし筋肉質そうに見えるわけでもない。ごく普通の青年という見た目の黒髪黒眼の男。

 

「星晶獣の気配がします……あの女の子から……」

「オイオイ、マジかよルリア! どう見たって普通の女の子だぜありゃ!」

 

 その傍らに寄り添う褐色の肌の少女からは威圧感は感じない。だけどルリアは星晶獣だという。それを俄かに信じられないのはビィも僕も同じだ。

 軍艦のタラップに立つ彼は帝国軍の将官用の真っ白なコートを羽織り、その下に上質な革製のアーマーを着込んでいる。周りに居る重装の兵士たちや士官たちとは毛色が違う。ひしひしと感じるのは違和感、そして圧迫感だ。

 彼がタラップから一歩を踏み出すと、兵士達は整然と中央に道を開けて傍らに控える。いつでも剣を抜ける。どんなときでも戦い始められる。臨戦という言葉が最も相応しいだろうピリピリとした緊張感が小さな港町を包み込んでいく。

 

「諸君、私はエルステ帝国軍外征艦隊総司令官を務めているユーリ・ナイトハルト・オスヴァルト中将だ」

 

 帝国軍中将。その名を聞いた瞬間に暴動の最中にいた人々も取り巻く人々も家の中から様子を伺う人たちも、皆が皆総毛立つ。

 無理も無い。帝国軍、あのフュリアスの統治と侵攻に晒されたこの島の人々はその名だけで震え上がる。

 

「……どうやらフュリアスのクソッタレは派手にやったようだな……!」

 

 彼の顔が怒りに歪む。同じ帝国軍の軍人である彼はフュリアスのやり方に納得しているわけではないらしい。

 

「外征艦隊総司令官……ユーリ……まさか……あの男!」

「知っているのか、オッサン」

 

 ラカムの質問にオイゲンが声を震わせて答える。

 

「あ、ああ……俺が傭兵やってた頃の話さ。エルステ帝国の拡大に伴った紛争に関わってたころだが、あいつの軍とやりあったことがある。

 恐ろしいモンだった……全員が全員死を厭わず果敢に攻めてくるんだ。ヤツらは上官が一言声を上げるだけでいつだって死兵になれる覚悟ができてる。

 そのくせ個人個人の技量は高く、オマケにあの一糸乱れぬ統率と連携で間断なく、容赦なく攻め立ててくる。あいつに最初に目をつけられた城砦は二日と持たず陥落し、その後方にあった関所は砦の陥落からものの一時間で突破された。こちらが数百人以上の戦死者を出したのに対してあちらは僅かに八十人にすら満たなかったとさえ聞いたことがある……」

「その話は……確かに事実だ。帝国軍の教導資料の一つとして見せられたことがある。あの男がかの“外征騎士ユーリ”だとすれば……今すぐにでも逃げるべきだ。干戈を交えることそのものが致命的な失策だ」

 

 カタリナが忌々しげに彼らの姿を見つめる姿には焦燥が浮かんでいる。

 

「カタリナ嬢ちゃんの言うとおりさ。あちらは数百人規模で軍艦が艦隊でお越しなんだ。対してこちらは中型の騎空艇一隻と乗員が十名ほど。どう考えたって正面からやりあって……いや奇襲だろうが勝ち目は無い」

「ならとっととオサラバしたほうがよさそうだ。今から急いで――」

 

「どうやら、我々はアレらと同じように見られているようだな」

「じゃのう。ならば違うところを見せ付けねばならんな、主様(ぬしさま)

 

 何かをするつもりだ。なんとなくだが、そんな気がする。

 一息置くようにして彼はその眼光を研ぎ澄まし、張り裂けるような声を上げる。

 

「貴様らァッ! 帝国軍人の誓いを忘れはしまいな!」

 

「「「「「いかなる時にもッ! 職務を弁えっ!」」」」」

 

「祖先の名に賭けて! 子孫の名に賭けて! エルステに忠誠を誓う!」

 

「「「「「この命尽きるまで!!!」」」」」

 

「この誓いを破る者は全て叛逆者! 情け容赦は無用だ!」

 

「「「「「ヤツらを叩きのめしてやれ!」」」」」

 

「外征艦隊第一大隊前進! みな己が責務を完遂することを期待する!」

 

「「「「「サー! イエス、サー!」」」」」

 

 ぞわり、と背中を悪寒が走る。まさかの予想が脳裏を過る。それは僕だけではなく他の皆も同様のことを考えていたらしく、彼らは焦りを抱えながらもそれぞれの得物を構えていつでも走り出せる態勢をとっている。

 

「クソッ、こんな小さな町で戦争おっぱじめようってのかアイツら!」

「こんなの、こんなことを繰り返したら町の人たちが……!」

 

 ラカムもイオも、カタリナやオイゲンさえも怒りをあらわにしている。

 

「……人が、誰かが、また死んじゃう。せっかく仲良くなれた人たちが死ぬなんて……私……そんなの、絶対にイヤです!」

 

 腹を括ろう。この島はやっとフュリアスが撤退したばかりで復興も何も進んじゃいないんだ。

 これ以上帝国の好きにさせるわけには――

 

「救護班は迅速に仮設診療所を設置せよ! 動けぬ市民が居る場合は直接出向け!

 大隊は街道の魔物を一掃してこい! 一匹残らず塵に帰してやれ! 時間の余裕は無い! 急げ!」

「サー、イエスサー!」

「第一歩兵部隊が街道の安全を確保した後、第二歩兵部隊は山中の村と近隣の集落への物資輸送を遂行し、そのまま集落の防備を固めろ! 輸送ルートの確認と護衛戦力を待機させておけ! 無辜の人々を襲う盗人の類は容赦なく始末しろ! 必要なら竜騎兵を出して構わん!

 炊事班は炊き出しを行え。工兵隊は市街の入り口と外縁に防護壁を設置せよ。日没まで四時間しかない、最優先で防備を固めろ! 魔物が入り込めばおちおち眠ることさえできんのだぞ!」

「サー、イエス、サー!」

「各隊散開! 時間との勝負だ。ぐずぐずするな!」

「「「サー! イエス! サー!」」」

 

 彼の口から放たれたのは再侵攻でも制圧でもなかった。有無を言わさぬ気迫で出された指示は、“町を復興させる”ことだ。

 例え彼等は拒否の言葉を突きつけられても、復興(それ)を己の責務として押し通すのかもしれない。

 

「……なあオイゲン。これって、そういうことなんだよな?」

「だろうなぁ……。始末だの塵に帰せだの言ってることは物騒だが、用は“この街と近隣集落の安全を確保して治安の回復を行え”って言ってるわけだしな」

 

 

 

※外征艦隊の日常編

 

 にらみ合うは大蛇と大鷲。ヒトならざるソレらの発する威嚇は途轍もないダメージを見るヒトに与えることだろう。

 

「……何よ」

「……お主こそ、何じゃ?」

 

 全身をぴったりと覆う濃紺のタイツのような装束。胸と頭に飾られた黄金の胸当てと兜。そしてすらりとしたスレンダーな腰と小さくぷりんとした可愛らしいお尻の中間から生える鱗を纏った尻尾。アメジストを更に薄めたような色合いの髪と、それに擬態したいくつかの蛇たち。

 年の頃は十代の前半だろうか。ガルーダとそれほど変わらない見かけの少女、メドゥーサは目の前のガルーダを見据えて言い放つ。

 

「……アンタ、アタシのとっておきのプリン……食べたでしょ」

「ハッ――たかだかプリン一つでその剣幕とはの。高が知れるぞ、小童」

「あらそう。でも似たようなことがもう三回もあったわよね。何度言ってもわからないの? 正直、ニンゲンの子どものほうがよっぽど大人だわ」

「言ってくれるではないかメドゥーサ! プリンを食べられて涙目になったお主の顔を鏡に見せてやるといいわ!」

「ッ――! へぇー、さすがは光り輝く神鳥()ガルーダ様! 傍若無人でワガママなクソガキみたいな理論もガルーダ様にかかれば高尚な理論に早変わりってワケ? そっちこそ程度が知れるわね」

「こ、のっ……! わらわより3センチも小さいクセに生意気を……!」

「ぐっ、あ、アンタこそ私よりも胸が2センチ“も”小さいクセに!」

「ガァーッ! 言いよったなこのドチビ!」

「キィィーッ! 誰がドチビよ! アンタなんか“ぺったん”どころか“スットーン!”じゃない!」

「「この、ロリチビ星晶獣が!!」」

 

 頬をつねりあい、押し倒し、押し倒され、ガルーダは羽を模したワンピースがはだけるのも気に留めずメドゥーサに仕掛けていく。

 対するメドゥーサはピッタリと張り付く装束が張り裂けそうなほどの勢いで押し返し、ガルーダごと私のベッドの上に二人して倒れこむ。

 

 幼い少女二人の――ただしどちらも島ひとつ沈める程度は容易くできる――キャットファイト。

 脚を絡め、腕を取っ組み合い、なけなしのささやかな勝利を得るべく少女達は今日も痴話喧嘩を繰り広げる。

 

「“星は天に在りて、世は全て事も無し”か。…………ああ、平和だ」

 

 窓の外に移る星空の輝き。かつて星の民が生み出した星晶獣も、今だけはただの少女たちなのだ。




ガルーダちゃんとメドゥーサちゃんのキャットファイトを書きたかっただけ


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ISの何か

チラ裏に載ってたやつを移動しました。多分ロクに進まない


 20XX/08/24 19:22

 中央アジア タジキスタン東部 ランクール

 TF108(非公開部隊) サジタリウスチーム 北條彩夏 大尉

 

「はぁ」

 

 ため息と共に吐き出した紫煙が空に昇る。視界に入るものは澄み渡る晴れた夜空に瞬く星たちの輝きだけ。

 パミール高原、通称では“世界の屋根”とも呼ばれる場所だ。仰ぎ見る山々はどれも7000メートル級。ヒマラヤ山脈の西端に位置するこの高原の空気は冷たく、そしてとても澄んでいる。そんな中で吸う煙草というものは格別だ。

 

「また吸ってるの?」

「たまにはいいじゃないですか」

 

 不意にかけられた声に応えて振り向くと、小さなランプを手にした同じ年頃の少女が小さな灰皿を差し出して構えていた。

 とんとん、と灰を落として見せると、少女は不満げにその凛々しい顔を歪ませて言う。

 

「まったく、身体によくないよ」

「そうですね。でも精神(こころ)には良いものです」

「屁理屈だね」

 

 諦めたような素振りで灰皿をしまい、少女はその場にランプを置いて小さな岩の上に腰を下ろす。土気色の野戦服から出した長い金色の髪。澄んだ青空のような碧眼。整った顔立ちの、まだ少女の域から抜け出していない彼女はチョコレートをポケットから取り出してその封を開ける。

 肩を並べるように隣に腰掛け、果てしなく続く山脈へと眼を向ける。

 

「それで、マックからは何か?」

「所属不明のIS2機と交戦し、シルヴィアがこれを撃破した」

「なるほど。遂に反体制側もISを投入してきたというわけですか」

「……そう、そしてそれだけじゃない」

 

 重々しく開かれた彼女の口から、声が紡ぎだされる。

 じり、と音を立てた煙草。中央アジアを吹き抜ける荒涼とした夜の風が灰を夜空に舞い上げる。

 ふう、と吐き出した紫煙が揺らぐすぐ傍で、彼女は囁く。

 

「……目標(ターゲット)が見つかった」

「それは――――僥倖ですね」

「ああ。篠ノ乃束はパミール高原のカラクリ湖の周辺に潜んでいる可能性が高い」

「北に行けばキルギス、東に逃げればウイグル自治区……国境線を一跨ぎしてしまえば私達が手出しできなくなる。三十八計逃げるに如かず、というわけですか」

「だが反体制派が同行しているのは想像するに難くない。私たちの分隊だけじゃ最重要目標を捉えるのは至難だろう」

「篠ノ乃束は技術を提供し、テロリストは資金と資源を提供する。彼女自身は逃亡に必要な寝床と資金の確保程度の意識なのでしょうが、そのせいでどれだけの人命や文化遺産が失われているのか――彼女は理解しているんでしょうか?」

「理解しているならもうとっくの昔にインターポールの手配リストから消えてるさ」

「違いないですね」

 

 彼女が関与していたテロリストや反政府勢力が、未確認のISを戦線に投入してきたことが何度かある。私自身幾度かの交戦経験もあるし、いずれも現行の第三世代を凌駕するか匹敵する性能を持った機体ばかりだった。

 とはいえ、いくら高性能の機体でも操縦者は正規の訓練や教育を受けたわけではないから、いずれも私たちのような非正規部隊(ひかげもの)や国連の正規軍IS部隊によって撃破されている。

 

「ジョンたちと話し合わないといけませんね」

「私たちが入ってから2年、他の皆は4年をかけてここまで来たんだ。逃がすつもりなど毛頭ない」

「ええ、必ず見つけ出しましょう。エリー」

「このくだらない追いかけっこを終わらせてやろう。アヤカ」

 

 ぎり、と奥歯をかみ締めたエリーの瞳に強い意思が垣間見える。

 何が何でも、どのような手を使ってでも、例え自らの全てを賭してでも成し遂げるという意思が青い瞳の後ろで炎のように揺らめいている。

 そうだ。私だって同じだ。例えこの身が滅びようとも、必ず、成し遂げてみせる。

 

 同じ戦場に立ち、敵を殺し、友を殺されてきた私たちの願いは同じ。たった一つの想いを貫くためだけに、幾つもの戦友と敵の屍を踏み越えてここまで来たのだ。

 互いに取り合った手の温もり。血に濡れ、咎を背負い、それでも共に分かち合った一つの悲願を果たすべく私たちは寄り添いあった。

 

 その願いは、もうすぐそこ、手を伸ばせば掴めそうな所にまで辿り着いた。

 

第一話 Arrival

 

 篠ノ乃束という人物について尋ねられたとしたら、私はこう返すだろう。

 戦争犯罪人、扇動者、無責任な女。表現は違えど彼女を“悪”だと断ずることだろう。

 

 インフィニット・ストラトス。通称IS。篠ノ乃束博士の開発したマルチフォーム・スーツ。宇宙空間での活動を想定した、簡単に言えば“ちょースゴイ宇宙服作ったよ!”という具合だ。

 確かにスゴイものではある。何せあれだけの小型サイズで戦闘機の巡航速度と同等かそれ以上の速度で飛行し、ロクな装備も必要とせず超高高度や極低温化、極高温にさえ平然と耐えているのだから。おまけにパッシブ・イナーシャルキャンセラーだなんていうトンデモ機能まで持ち合わせている。

 とはいえ、そんなISにも欠点がある。“女性でしか操縦できない”という点が一つ。そして“生産台数が467機しかない”という点だ。機体数というよりかはその中核たるISコアの個数であるが。

 

 それでも世界はISをこぞって欲しがっている。アラスカ条約、IS操縦者育成特殊公立高等学校、モンド・グロッソ、世界中がISに染まっていく様を見てきた。

 中でも注目を浴びる切欠となった“白騎士事件”の後、世界はISに魅了されたと言って良い。

 日本に向かって核ミサイルが撃ちこまれたのだ。日本を射程内に収めた大陸間弾道弾(ICBM)や中距離弾道弾(IRBM)が何者かの手によって制御不能に陥り、そしてそれらは撃ち出された。

 しかしその全ては日本に着弾する前に破壊された。そう、たった一機のIS――篠ノ乃束が自ら紹介した機体、通称“白騎士”によって、その全てがだ。

 そしてその直後、未確認のISを迎撃した国連軍や各国の軍を無血で退けた白騎士は、衛星軌道に存在する監視衛星さえも破壊するという暴挙に出た。

 その様子は全世界に放映されていた。何せ日本という国家の消滅という未来を誰もが想像したのだから。そしてそれは現実にはならなかった。回避された。否定された。

 

 ――――と、誰もが信じ込んだ。

 

 そんなわけがあるか。“白騎士事件”は未だ終わってはいない。

 あの日から世界はISに憑かれたのだ。現行の兵器システムを遥かに上回る“ように見せられた”存在、インフィニットストラトスに。

 事件の捜査が進むにつれ、白騎士事件が博士自らの手による自作自演であるという疑惑が浮かび上がった。篠ノ乃束博士は天才であるかもしれないが、世界だって馬鹿の集まりだけではないのだから。

 インフィニットストラトスの開発者である篠ノ乃束は、真っ先に逃げた。遂には国際指名手配にまで及ぶほどだ。捕まえられるものなら捕まえてみろと言わんばかりに世界の各地で燻る反体制派勢力に自身の持つ技術をばら撒き、追っ手を撒いて来た。

 

 今の世界はISの開発と技術開拓に躍起になっている。そしてその裏でいくつものISコアが所在不明となっている。篠ノ乃束博士というIS開発の第一人者を我が物にするべく、幾度も軍が組織され、その度に取り逃がしている。手段を問わない国も国だが、篠ノ乃束も篠ノ乃束だ。逃げるためとはいえ、テロリストに自らの技術を片鱗とはいえ明け渡すなどという愚行をするなんて。

 おまけに“ISを扱えるのは女性だけ”という認識をすり替えて“女性だけの特権”やら“女性は男性よりも優れている”と風潮する輩まで現れる始末だ。

 そんなこんなで、世界は今混沌の前哨戦の様相を呈している。いくつもの具材が地球という鍋に詰め込まれ、不協和音を奏でている。これが煮詰まってぐちゃぐちゃに混ざり合って、しかし反発し合い、その果てに残るものは――――何なのか。

 

 白騎士事件は解決などしていない。彼奴が口火となって、世界は今火の勢いを増し、間も無く――そう遠くない未来に、暴発するだろう。

 

 ISは最強の兵器だとのたまうオンナが居る。――――最大稼動時間が十時間にも満たない兵器だというのに。

 

 ISにはいかなる攻撃も無力だと声高に叫ぶ学者が居る。――――絶対防御なんて容易く破られるというのに。

 

 ISを国防の中核に据えるべきだと提言する政治屋が居る。――――十機にも満たない数でどうやってこの広大な国を守るというのか。

 

 

 この程度は冷静に考えればわかることだ。だが世界の流れは現実としてIS主流論に流れていっているのだ。

 ISを専門として取り上げる雑誌が刊行され、ISを特集した番組が組まれ、ISを用いたエンターテイメントの真似事まで行われるようになった。これでは“犯罪者”篠ノ乃束を世界が容認してしまっているようなものだ。

 今も世界のどこかで篠ノ乃束は悠々と過ごしているのだろうか。せめてチームの皆が彼女を追い詰めて、辛酸を舐めさせてくれていればいいのだけど。

 

「どうだ彩夏? 久々の日本は」

 

 IS学園の外、学び舎にほど近いところに立ち並ぶ工場地帯。その埠頭の一角、自販機の前で紫煙をくゆらせていると、不意に物陰から声がかかる。

 夜も更け、初春の肌寒い風が頬を撫でる海辺に佇む自販機に硬貨を入れ、ホットコーヒーを押す。

 ピロリンという軽快な音と、ガシャンと響く重い音が、打ち寄せる潮騒の音に呑まれて消えていく。

 

「……緩い空気だなあ、とは思いました。それ以外は何も。カフェオレですよね」

「ありがとう。それにしても辛らつだな。お前の師匠とやらもお前を気にかけていたじゃないか」

「ナタリヤさん、IS学園(こんなとこ)に居ていいんですか? ()()()だったのでは?」

「なに、家族の門出なのだぞ。お前は我々のチームにとっては娘同然なのだから、代表して私が見送るくらいはしてもいいのではないか?」

 

 すう、と物陰から現れたのは小学生かと見紛う容姿に女物のスーツを着込んだ灰白色(かいはくしょく)の髪の女。懐は拳銃を収めるショルダーホルスターをつけているのか、やや膨らんでいる。前を開いたまま、旧ソビエト連邦軍の暗緑色のトレンチコートを羽織ったその姿は子どもらしさと大人の雰囲気のアンバランスさを醸し出している。

 

「それにしても、大きくなりおったな」

 

 じい、と彼女が向ける視線の先にあるものは私の胸だ。青と白を基調としたレーシングスーツ。技術進歩によって薄手ながらも寒さをシャットアウトし、最適な温度を保ってくれる優れものを着込んだ私の胸に視線が向けられてる。

 

「当たり前です。もう二年も一緒に居たんですから当然ですよ」

「そうだった。ああ、そうだ、二年前にお前を拉致してからもう二年だったか」

 

 感慨深げに彼女はコーヒーを口に含み、大気汚染で薄汚れた夜空を見上げる。

 そう、私は彼女……正確に言えば彼女達に拉致されたのだ。そうして彼女の率いるチームに宛がわれた、そう――――

 

 ――――篠ノ乃束抹殺部隊に。

 

 なまじIS適正が高く、そして織斑千冬と山田真耶という世界最強クラスのIS操縦者に師事していたがために、私は彼らの戦力として()()された。

 

 そこからは訓練と戦争。そして戦争に続く戦争の連続だった。親しくなった同僚のIS操縦者が死んでいく姿を目の当たりにし、父親や家族のように接してくれた部隊の人々が私の知らないところで散っていったことを嘆いたりもした。

 私は二年間を戦い抜いて、世界の裏側で繰り広げられる闘争と、篠ノ乃束のもたらした災厄と、彼女の作り上げた欺瞞を身に染みて実感したのだ。

 

 そして、私は除隊となった。銃を引く指が震え、人を殺す感触に慣れていたことに恐怖し、終にISの起動が精一杯になってしまった。だというのに私の師匠―織斑千冬(ブリュンヒルデ)―によって無理矢理IS学園に編入させられてしまった。

 とはいえ私はこの国においての最終学歴が中卒だ。例え軍に所属して大学院生相当の学問を叩き込まれていようとも、学校を卒業したという事実が無いからだ。故に日本でもその他の国でもない、ある意味では治外法権とさえ言えるこのIS学園に編入されることしか選択肢がなかったからでもある。

 

 あとは喋ってよいことと喋ってはならないことの線引きをきっちりとやればいい。そうすれば、私はこの先ある程度の平穏―ただし監視付きだがーを得られるだろう。

 

「おめでとう、彩夏。これで君は晴れて――とまではいかんが自由の身だ。君の戸籍は息を吹き返し、太陽の下を自由に闊歩することができるようになる。そして君の二年間は――」

「記憶喪失。何も知らず、何も特別なことは起こらなかった。何も知らないし、何も聞かされていない。ロシアのウラル山脈の山奥で老夫婦にひっそりと育てられていて、先日その二人が事故死したことで、政府関係者の調査が入りようやく私の生存が確認された――そうですね?」

「うむ。Совершенство(カンペキだ)

 

 彼女はロシア語でそう告げると、スチール製の空き缶を握りつぶしてゴミ箱へと投げ捨てる。

 トレンチコートの懐から取り出した両切り煙草を私の愛車のシートの上でトントンと叩く。機銃弾を改造したお手製のライターで火を灯すと、一息だけ深く吸い込んで紫煙をゆっくりと吐き出していく。

 

「いいバイクだ。ヤマハ製か?」

「ええ。400ccの最新モデルです。素直に言うことを聞いてくれる優しい子ですよ」

「違いない。トルクメニスタンで乗ったときのバイクは暴れ馬だったな」

 

 くつくつと思い出し笑いを浮かべる彼女は翠の双眸を細め、左手に持った小型のランプをカチカチと点滅させる。

 二三回ほど繰り返すと、それをポケットに仕舞い込み、吐き捨てた吸殻を革靴で踏み消して私に向き直る。

 

「それじゃお別れだ。お嬢ちゃん」

「今までお世話になりました、隊長」

「よせ。今まで何度母親代わりを務めたと思ってる。お前以外にも手のかかる娘っ子どもを見てきたが――最期に残ったのはお前だけだ」

「ありがとうございます……義母さん」

「ではな。さよならだ、我らの義娘よ」

 

 ざあ、という波音と共に小さな潜航艇が姿を現す。さながら潜水艦の縮小モデルとも言えるそれのハッチが開くと、彼女はトレンチコートを翻して走る勢いのままに護岸から潜航艇へと飛び移る。そしてその影は波間に揺れて消えていく。

 

 

 私の世界は消え去った。私の暮らしていた平穏な日々は、まるで砂の城のように白騎士事件の荒波に呑まれて姿を消した。

 

 父がその大きな背中でみんなを庇ってくれたのを覚えている。

 母が今にも息絶えそうな声で励ましてくれたのを覚えている。

 妹が私の手を引いて“逃げよう”と言ったことを覚えている。

 

 空の覇者が落ちてくる。覇者に射落とされた矢が落ちてくる。いくつもいくつもいくつもいくつも、空中で瓦礫の散弾に変わり果てて街に向かって落ちてくる。人が落ちて赤い花を咲かせ、ミサイルの破片が街を榴弾で焼いたように崩していく。

 プリンにスプーンを入れたようにクレーターが刻まれ、ビルやマンションは脆いチーズのように崩れ、人は為すすべなく命を散らしていく。

 

 私の中で曖昧なままだったもの……戦争という言葉が確かな現実味と恐怖を伴って刻み込まれた瞬間だった。

 

 私達を守ろうとした優しい父はひき肉のように鉄塊に潰され、どうにか私達を逃がそうとした母は瓦礫に埋まり、手を取り合った妹はミサイルの墜落の衝撃で吹き飛ばされて、首をおかしな方向に向けたまま体を痙攣させていた。

 右隣の霞さんの家はただのクレーターに変わり果て、一緒に遊んでいたスミカちゃんは百舌の早贄の如くその胸からむき出しになった鉄骨を生やして事切れていた。

 スミカちゃんのおじさんとおばさんは仲良しな夫婦だった。ケンカも滅多に無いし、いつも手を繋いでいた。そう、今わの際でさえも。

 向かいに住む早苗おばあちゃん。“私のおじいちゃんは大切な家族のために遠い異国で戦った”と8月15日を迎える度にそう言っていたおばあちゃん。最近足腰が痛いと言っていた御歳八十八のおばあちゃんは、燃え上がる戦闘機の影に消えていった。

 今時珍しい木造二階建ての安アパートに住む大学生のケンイチさん。あの日も元気に挨拶を交わし、“ちょっと京都いってくるわ”と言ってバイクに跨った。

 ヘルメットを被り、走り出そうとしたところで鳴り響いた警報。と同時に道路に突っ込んで落ちてきた戦闘機のタービンに吸い込まれ、赤いナニカが飛び散った。

 

 何故、私だけが生きている。何故? どうして? いったいなんのために?

 

 一人あの地獄(まち)をさ迷い歩き、ほうぼうの(てい)で辿り着いた山奥の一軒屋――――祖母の住む家は相変わらず無人のままだった。

 祖父は数年前に亡くなり、技術者であり研究者である祖母が家に居ないのはいつものことだ。知っているはずなのに、見知らぬ誰かに縋るよりも先に祖母を頼った。

 “もしかしたら居るのではないか”、“祖母がいるならひとりじゃない”という如何にも子どもらしい身勝手で独りよがりの……だけど子どもなら当然考えるだろう選択をし、それが叶わぬことだった事実に自分勝手に落胆し、唯一の家族と呼べる人の手を振り払った。

 

 何故、私は未だ生きている。後悔? 自暴自棄? 果たしてその真意とは?

 

 後見人として祖母の名は形だけが残り、孤児院では誰にも口を聞かずに軋轢を生むだけ。たらいまわし、転校、厄介払い……その果てがIS搭乗者養成施設“ローンウルブス”……ラテン語で“都市”を意味するウルブス(URBS)と、そこにかけたのは“(WOLVES)”、そして“孤高・孤独(LORN)”の文字。

 “孤独な狼たちの町”とでも言うのか、変わり者の多い施設だったのは覚えている。まさに問題児大集合とでも言うべき様相の、凄まじいまでの個性の集合体だった。

 

 鼻息を荒げた同性愛者の淑やかな少女(変態淑女)に“お姉さま”と言い寄られたり。

 グレネードランチャーやロケットなど爆発物に偏執的な愛情を注ぐ操縦者が居たり。

 引きこもりで無口な、たまに口をきけば毒を吐く口の悪い厨二気取りな学生(わたし)が居たり。

 機械部品の造型や図面を見て興奮する(変態的な意味で)女学生が居たり。

 スピード狂で常識が一回りしてそのまま螺旋を描いて飛び去ったような女が居たり。

 生身でIS用近接ブレードを容易く振り回す大学生の操縦者(ブリュンヒルデ)が寮の一室を間借りしていたり。

 アキュラシーインターナショナル製スナイパーライフルを用いた狙撃で3000メートルを連続成功させるドジっ子な(ただし私との対戦以外に限る)代表候補生(山田真耶)が居たり。

 

 他にもいろいろ居たが、突出して個性的だったのはこの7人だろうか。

 誰も彼もが自身の意思や意見を貫こうとし、それゆえにぶつかりあい罵りあい……だけどお互いに認め合うことができた人たちだった。ろくに人の話を聞かないあいつらはずかずかと人の心や事情に踏み込んできて、自らの心を吐き出すまで離そうとはしなかった。

 だけど本音を吐き出せば、彼女達はその上で許してくれる。認めてくれる。受け入れてくれる。彼女達は自らの意思に忠実なのだ。自らの意思を押し殺したままの私の言葉はそれゆえに彼女達に真の意味で届いてはいなかったのだと思う。

 家族と呼べる間柄では……なかったと思う。親友、とでも言うべきだろうか。肩を並べて笑いあう友達だ。

 彼女達は、孤高だった。孤独ではない。一人その足で確りと野に立つ、それぞれが孤高の狼だった。

 

 そして私は立ち直り、しかしその足で戦場に立つこととなったのだ。

 

 

 400ccの排気量を持つフルカウルの車体に跨る。女の私でも軽やかに扱えるもの、として選んだ愛車のスタンドを左足で蹴って畳み、キーを回してセルを押す。

 

 キュキュッ、というセルの音に続いてヴンッという排気音が響く。、

 車体を揺らすエンジンの鼓動。フルフェイスのヘルメットを被りグリップを握り締め、やや前傾の姿勢でしっかりと前を見据える。指はしっかりとハンドルとレバーにかけ、しかし肩に無駄な力を加えずリラックス。

 ゆっくりと発進して少し速度を上げ、クラッチを切ってシフトアップ。二速、三速、四速と変速のショックに気をつけつつスムーズにギアをあげて海沿いの道を駆け抜ける。

 

 左手を見ればそこは一面の暗黒。星の光さえ映さない漆黒の海が広がるばかり。海沿いの岸壁を刳り貫いて舗装されただけの普通のワインディングのはずなのに、どうしてか恐怖心が顔を覗かせる。

 

 もう一度、私はインフィニット・ストラトスに乗ることになる。

 

 引き金を引けるのだろうか。剣を向けることができるのだろうか。

 

 ――そして何のために銃を握るのだろうか。

 

 

 

 20XX/03/31 日本標準時02:35

 太平洋 日本国領海内 小笠原諸島沖

 TF108(非公開部隊) 司令官 ナタリヤ・ロマノフスカヤ中佐 (元ロシア連邦空挺軍 極東軍管区直轄部隊 第105親衛空挺師団)

 

「ナータ」

「なんだ、ミーシャ」

 

 我々TF108の本拠地、ミタール級戦略重ミサイル潜水巡洋艦латунь(ラトゥーニ)の艦内へ戻るなり、私はスーツを着替える暇もないまま彼女に自室に連れ込まれて膝枕をされている。

 美しいブロンドの髪と映画俳優さえも羨むスタイルを備えた美女。サファイアのように青い瞳は澄み渡る水底の如く深い光を湛えている。

 穏やかな笑顔を浮かべ、彼女は緩やかに口を開く。

 

「アヤカは、どうだった?」

「……別段どうということはない。我々の娘はさしたる違和感も無く日常に溶け込めるだろうよ。まだ彼女は引き返せるのさ。我々ほど戦争の泥沼に浸かっているわけではない」

「そっか」

 

 美しい黒真珠を溶かしたような黒髪の少女が瞼の裏に浮かび上がる。少し幼い見た目の少女が少しずつ大人へと変わっていく。少女だった体つきは大人のそれに、しかし線の細さはどこか扇情的な感じさえさせる未熟さを備えている。

 凛々しい顔つきの涼しげな表情と、それを感じさせない素直さを併せ持っていた彼女の最期の表情を思い出す。優しげな笑みを湛え、敬礼をする彼女――北條彩夏の姿を。

 

 不意にミーシャの手が私の頬を撫でる。そのままシャツのボタンへと手が伸びる。一つ、二つと外されるボタン。私の起伏の少ない胸――永遠に幼いままの身体が僅かに曝け出される。

 

「寂しいのだろう」

「……ええ、そうね……寂しいわ。どんなに傷ついても、どんなに悲しくても前に進んでいけるアヤカが羨ましい。だからこそあの子は強くなれたのかもしれない。それはわかってるのよ?

 だけど、あの子は私たちの手で育ってきた。剣を教え、銃を与え、技術を授けてきた。あの小さな戦士は私たちの手で育ってきたの。大切なあの子が離れていくのは、やっぱり辛いわ」

「母親というものの性……なのかね? 生憎と私はそういうものは感じなかったな。むしろ嬉しいくらいだ。私たちの娘はようやく平穏な世界に生きていくのだから。

 だから、喜べ。我らの戦いは彼女の記憶に残っている。我らの行いが無駄ではないことを彼女は理解している。彼女がきっと――――語り継いでくれる」

 

 そうだ。彼女は我々が戦ってきたことを知っている。例え今は語ることができなくとも、数十年先、半世紀先の未来において……我々という人間が存在したのだという証明を遺してくれることだろう。

 

「寂しいか」

「ええ」

 

 私の問いに、ミーシャは素直にそう告げる。彼女の手が再び動き出す。私の身体を求めて指先を這わせるたびにミーシャは切なげな声を押し殺したように口をつぐむ。

 

「ミーシャ」

「ナータ」

 

 彼女の顔が近づく。そっと触れ合うように差し出されるそれを受け入れ――

 

「発令所よりナタリア・ロマノフスカヤ中佐へ! 三十分後に発令所へと出頭せよ。繰り返す! ナタリア・ロマノフスカヤ中佐! 三十分後に発令所へと出頭せよ」

 

 ああ、まったく!

 

「すまないが、お預けらしい」

「もーっ、空気の読めない!」

「ではな」

「ちょっとナータ! もう一ヶ月もお預けなのよ!」

「知るか。鎮静剤を打たれたくなければ大人しくしていることだ」

 

 スーツの乱れを整え、将官用の個室のドアを開き通路へと踏み出す。後ろでわめく親友(ビッチ)の声を意識的にシャットアウトし、扉を閉める。

 

「…………何をしているのだ貴様ら」

「Да! 中佐殿をお迎えに参りました!」

「正直に、答えろ」

「YES.Ma’am! 中佐殿と少佐殿のお楽しみを邪魔する愚か者を排除すべく警護しておりました!」

「……で、本音は?」

 

 二人の兵士は敬礼をしたまま至福の笑みを浮かべて答える。

 

「中佐殿と少佐殿のキャットファイトが見られると聞いて!」

「ちっちゃカッコイイ中佐殿と激カワ少佐殿のくんずほぐれつとかはかどるわー!」

 

 みしっ、という軋む音が艦内の通路へ響く。右手を開き再び握る。ボキ、ボキと右の拳から鳴る音に、眼前の二人は笑顔のまま脂汗を垂らしまくっている。

 

「で、ピョートル伍長は祖国の土に還る覚悟はできたか? ソヴィエトの曽祖父や高祖父に懺悔する内容は考えたか? シベリアで朽ち果てた同志たちに殴り殺される覚悟はできたか?

 ジョナサン伍長はノルマンディーやバトル・オブ・バルジで斃れ伏した先祖たちに詫びる言葉を選んだか? ああ、別に言わずともよい。なぜなら――」

 

「なあジョニー。これって――」

「皆まで言うな、ピョートル」

 

「――答えは聞いて無いッ!」

 

 抉りこむように捻りを加えた左フックがジョニーのシンボル(ゾウさん)を、ボという効果音と共に捉える。

 その勢いのままワンツーを決める流れで右拳のアッパーがピョートルの“ラスプーチンさん(ごりっぱさま)”を押し潰すように変形させる。

 

「アッー!」

「ヌウゥゥゥゥーンッ!」

 

「ジョナサン伍長、サジタリウスチームとアリエスチームを召集しろ。ピョートル伍長は尉官に召集をかけろ。共に五時間後に第二会議室集合だ」

 

 さて篠ノ乃束よ、今度はどこに現れたのだね?

 

 

第二話 

 

 

 入学式。それは一般的に言えば、きっと新しい出会いと青春に心を躍らせる一つの節目といえるイベントであるだろう。

 校門の前の桜並木が薄桃色の花弁を舞い散らせ、祝福する洗礼のようにその下を歩いて新たな学び舎へと踏み入れる瞬間に歓喜するものなのだろう。

 

 そう、一般的なヒトであるならば。

 

「ああ……痛い…痛すぎる……」

 

 学園の一年生が集合した入学式典を終え、それぞれが己の割り振られたクラスで席に着いて担任する教師を待っている時間は平和なものだった。

 ショートカットの快活少女である隣の席の相川さんや赤いカチューシャの眼鏡っ娘の岸原さん、独特な喋り口調の布仏(のほとけ)(愛称はのほほんさん)さんらと他愛の無いおしゃべりで時間が過ぎた。

 どこの出身とか、どんな小学校に通っていたかとか、初恋は誰だったかとか、年相応の少女らしいおしゃべりが続く。

 

 そして担任の教師が教室内に一歩踏み入れた瞬間に私の胃は、キリ……、と僅かな痛みを発した。

 その原因は今教壇に立つ二人のせいだ。一人は黒いスーツをビシッと着こなしたやや目つきの鋭い女性。シースから抜き放たれたナイフのような気配を持つ、どこかナタリヤ中佐を思わせる雰囲気を放っている。

 片やその隣に並ぶ女性は、隣に立つ黒髪の凛々しい表情をした女性とは対照的だ。

 緑のショートカットカットの髪とやや大きめの眼鏡。背丈は隣の女性の肩ほどしかなく、童顔なせいもあってさらに幼く見える。

 

「私がクラス1-1を担任する。織斑千冬だ」

「副担任の山田真耶です。よろしくお願いします」

 

 なんで私の保護責任者兼身柄引受人(そんざいしょうめい)の二人がここに居るのだろうか。

 確かに小学生高学年のころから織斑先生と山田先生(当時はどちらも学生だったが)にはお世話になっていた。ある事件によって祖母以外に身内などおらず、その祖母も学会や研究機関での仕事のためにまず自宅に帰ってくることがない。そのため私の身内同然に親しくしてくれたのがこの二人。

 IS適正が発覚してからではあるものの、師弟であり、姉妹のような関係だ。

 

 普段はIS操縦者育成機関(IS学園とは別で日本国の保有する施設)でトレーニングや仕事に励む織斑先生と当時高校生であった山田先生の二人と、同じ寮で生活してきた。

 未来の国家代表候補生はもちろん、同い年の新人操縦者までが集う施設で、私も指導を受けて育ったのだ。中佐によって拉致されるまでは、の話だが。

 孤児院としての役目もあったことから、身寄りの無い私たちは自然とお互いに支えあった。

 父や母が居ない寂しさを紛らわし、兄弟姉妹を失った悲しみを癒し、この先の未来を生きていく力を身に付けるために。

 

 手前味噌な言い方ではあるけれど、私はその施設内でもトップを争うだけの実力があったのは確かだ。最期に戦ったときには姉さん―山田真耶―を相手に相打ちだったのを覚えている。次こそは勝つ、と心に決め、その晩に私は戦争に身を投じるはめになった。

 おそらくナタリヤ中佐の言うところの()()というのは、優れた実力を秘めた若い操縦者を選別した上で行われるのだろう。事実として私以外にあの施設から引っ張ってこられた子はいなかった。

 

 腹から沸き起こる痛みは周囲から沸き起こる大歓声さえ忘れさせている。私の頭の中にあるのはただキリキリと悲鳴をあげる胃を案ずる意思と、“早く終われ”という切実な願いだけだ。

 

 自己紹介中のハプニング? 生憎だが私は何も覚えていない。唯一の男性操縦者とかどうでもいい。この腹痛さえ消え去ればそれでいい。

 

「――以上だ。それと、北條彩夏」

 

 まったく以って不愉快だ。胃の痛みが治まらない。きっと何か悪いことの前兆なのだろう。

 

「顔を上げろこの愚妹!」

「いたっ!」

 

 ゴッ、と尖った鋭利なモノが脳天を揺らす衝撃に目の前が真っ白になる。

 

「起きたか?」

「……はい」

「まったく、考え込むのはいいが休憩時間にやることだ。私の話は須らく耳を澄ませるようにしろ」

「はい、先生」

「よろしい」

 

 背を向けて壇上に向かう先生の後姿はどこかあの中佐に似ている。いや、背格好や髪の質感や色はまったくもって似ていないが、長い髪を背中で一まとめに束ね、スーツをきっちりと着こなした大人のオンナという雰囲気は瓜二つだ。

 

「さて、北條彩夏……お前には一週間後に適格者試験を受けてもらう。ブランクがあろうがなかろうが関係なくやってもらう。これはお前の実力の確認のためだ」

「試験、ですか」

「そうだ。お前は二年のブランクがあるのだから、実力の再確認というものは重要だ。これの成果如何によってお前の今後の扱いが変わる重要な試験だ。万全を以って事に当たれ。

 以上だ、二限目のチャイムまでは休憩時間とし教室内に限り静かに立ち歩くことを許可する」

 

 そう告げて先生たちは教室を後にする。しばらくしてぽつぽつと会話が生まれ、それが教室の全体に行き渡ったころ、私の正面に座っていた布仏さん――のほほんさんが私に向き直って尋ねてくる。

 

「ねえねえ、あーや」

「……それ、私のニックネームですか?」

「だよ~。それにしても、適格者試験ってなんなの?」

「元々私が操縦者育成機関の出身だからです。……二年以上も前の話ですけど。そのとき指導してくれたのが織斑先生と山田先生の二人です。

 おそらく、私の腕が鈍ってないか確認するということなんだと思います」

「はえぇ……そんなに強かったの?」

「流石に次期代表候補には勝てなかったですよ」

 

 そう、勝てていない。もちろん負けてもいない。真耶姉さんの土壇場での起死回生は毎度ながら奇跡(ミラクル)染みた……むしろ呪いではないかと思えるほどの幸運が起こる。

 真耶姉さんがあてずっぽうで撃った弾が私の持っていたグレネードに直撃して大爆発したりとか、私がブレードで斬りかかった瞬間に後退しようとした真耶姉さんがすっ転んで空振りとか、切り払ったナイフが宙を舞って自由落下してきて私のISに直撃するとか。

 

 幸運は英雄に必須のステータスとは言うけれど、あの恵まれ方は異常だと思うのは私だけではないと思う。

 

「おおー、じゃあ代表候補生なら勝てるっぽいかも?」

「どうでしょう。二年もブランクがありますし」

 

 操縦技術だけなら、引けを取らない自信はある。だが銃を手にすることができるだろうか。引き金を引くことができるのだろうか。たとえどんなに扱いが上手かろうと、引き金を引くべきときに引けないのでは意味が無いのだから。

 

 …………訓練、しておくべきなんだろうなぁ。

 

 

 どこか上の空な気分で窓の外を眺めていると、青い空を流れていく雲が目に留まる。自由で囚われないあの雲のように、のびのびと生きてみたい。高速道路を自分の思うがままにバイクに跨ってどこまでも走り抜けたい。このIS学園という檻を飛び出して自由に駆け回りたい。

 

 それはある種の逃避でもあり、また憧憬でもある。

 

「信じられませんわ!」

 

 キーンと耳を貫くわざとらしい大声に僅かな苛立ちを覚えたのは私だけではないだろう。

 声のするほうへと視線を向けるとそこには唯一の男性操縦者と英国の代表候補生の姿があった。

 

「ところで代表候補生ってなんだ?」

 

 ドリフも真っ青な勢いでクラス中の生徒がズッコケる。ある者は頭から床に崩れ落ち、足を滑らせたように流れるような所作で背中から倒れ込む者もいる。椅子に座っていた人たちは器用なことに椅子ごと転倒する始末。

 

 かく言う私はこの男性操縦者の思考が理解できずにいた。この男は本当に高校生なのだろうか。まさか幼児退行でも引き起こしているんではなかろうかとか、非常に申し訳ない考えさえ脳裏を過った。

 だいひょうこうほせい――およそ一般的な高校生ならばその発音を正しく理解し、紙に漢字で書いてみればおおよその意味合いくらいは理解できると思うのだが。

 代表候補生――つまり“代表”の“候補”の“生”=“人物”となるわけだ。漢字はいずれも常用漢字であり小学生で既に修学した範囲内のものばかりだ。ま、まさか私が気づいていないだけで、日本人の国語力というものはかつての“一般的”なレベルを既に大幅に下回っているのだろうか。

 

「そ、そうっ! エリート! エリートなのですわ!」

 

 いつの間にか復活した代表候補生の彼女は声高に自らの“選民思想”を誇示しているが、おそらくあの常識知らずの目の前の男には馬耳東風どころか“へーすげー”くらいな感覚でしかないだろう。

 どっちもどっちでまるでガキの喧嘩のようだ。目も当てられない。

 

「そう……そりゃラッキーだ」

 

 ほらね。興味の無いことにはとんと無頓着な人間というのはこういうものだ。

 と、すったもんだの末にどうにか一日目の授業は終わっていく。

 突発的な戦闘や自爆テロだなんかよりもよほど胃に堪える。必読の参考書を捨てるとかよく今までの学生生活で支障をきたさなかったものだと感心しそうだ。

 

 

「まさか一年生が入学式当日、それも放課後すぐからISの使用申請を出してくるなんて初めてですよ」

「山田先生、すみません。お忙しいところをお引止めしてしまって……」

「いいんですよ。彩夏ちゃんだってIS学園の生徒なんですから、そんなに堅苦しくしなくたってすぐみんなと仲良くなれますから」

 

 IS学園の第四アリーナの管理人室。一台のPCの前に座ってキーを打つ真耶姉さんの横顔。私が知る二年前と変わらぬニコニコとした笑み。しかしどこか大人びた印象を感じるようになってしまったその笑み。

 たったそれだけなのに、二年という歳月が過ぎ去った実感が去来する。失くしてしまった時間。生き残るために強くなることが必然であった時間。死に物狂いで戦い、力を求め……それを繰り返してもう二年も過ぎ去っていた。

 

 果たして自分自身に“強くなれたか”と問うたならば、その答えはきっと“是”と返ってくることは確かだろう。

 競技者では教えてくれない技術を飲み込み、見栄えも何も無い、ただ戦いに勝利し生き延びる術を学んできた。自身の感情を制御し、感覚を統御し、意志でもって武を振るうことを彼らに、TF108の先達から叩き込まれてきた。

 

 生身での戦闘技術。自然に溶け込んでの潜伏と偵察技術。ISを用いての実戦の経験。そして、人の命を奪う経験を。

 

 私たちの、TF108の戦いは黒塗りされた書面の上で、その名前が見えることも明かされることもなく、ただただ闇から闇へと消えていく戦いだ。

 その軌跡は何十年、そして百年と、機密として封じられたまま闇に消えていくのだ。その中から這い上がって生き延びることができた私は、きっと幸運なほうだろう。

 

 けれど私は果たして戻れるんだろうか。こんな壊れかけの私が、平穏な日常というものに馴染めるのだろうか。

 

「はい……これで申請完了、と」

 

 山田真耶―私の大事な真耶姉さん―は自らのIDカードをスキャナに翳すとそれを懐にしまって席を立つ。

 その身長は低い。二年前には同じだったはずなのに、真耶姉さんの目線は今や私より握りこぶし二つ分はあろうところになっている。

 

「彩夏ちゃん、おっきくなっちゃったね」

「そう、ですね」

 

 言葉にでも出ていたのだろうか。いや、そんなはずはない。だけど突然そんな風に核心を突かれたら流石にドキッとしてしまう。

 

「おかえりなさい」

 

 ふわり、と優しく引かれた私の肩。背中にまわされた細い腕。密着してくる二つのエベレスト。甘くて優しい、姉さんの囁き。

 小さくてドジなところが心配になってしまう姉だった。けれど思い悩んでいることがあると、姉さんはいつも穏やかに優しく気遣ってくれた。

 

 私は大きくなった。

  ――変わってしまった。

 

 私は人を殺めてきた。

  ――変わらざるをえなかった。

 

 だけど、そんな私でも…………真耶姉さんは私を変わらず受け入れてくれるだろうか。

 己の行ってきたことを伝えることさえできない卑怯者の私を、受け入れてくれるのか。

 

 “ただいま”という言葉さえ紡げないこんな私を――。

 

 

 

 20XX/03/31 日本標準時07:40

 太平洋公海上 ミタール級戦略重ミサイル潜水巡洋艦латунь艦内

 TF108(非公開部隊) 司令官 ナタリヤ・ロマノフスカヤ中佐 (元ロシア連邦空挺軍 極東軍管区直轄部隊 第105親衛空挺師団)

 

「これより我々はIS学園に潜入する」

 

 会議室内に揃った2チーム。その面々を見て結論だけをまず告げる。

 彼女たちは別段気にした様子もなく、淡々とした表情で耳を澄ませている。

 

「篠ノ乃束が出現する可能性のある候補地として、日本国内IS学園が挙がった。“何ゆえに”と思うかもしれんが、まあ簡単な話だ。篠ノ乃箒――アレの妹がIS学園に入学した」

 

 僅かに表情をしかめた者も数名居るが、他はさしたる変化もなく次の言葉を待つだけだ。

 もう少し怒りを見せるものかと思っていたが、存外に彼女たちは冷静さを保ったままだ。少なくともここに居る者たちは篠ノ乃束に対する何かしらを抱えているというのに。

 

「今まで保護……されていたらしい彼女がIS学園に入学する。まあ、日本政府からすれば面倒この上ない、という認識だろうがな。しかし我々が楽に手出しできる場所に来てくれたことは喜ばしいことだ。今までは上の指示で日本に対する干渉は禁じられていたからな。

 篠ノ乃束という存在にとってどの程度の価値があるかは知らんが、狂人や変人の類はヒトにしろモノにしろ、何かしらの偏執的な情愛を注ぐ対象が一つくらいはあるものだ。行為や結果によって絶頂感に浸るためであったり、自らの置かれる境遇やヒトから向けられる賛辞や同情であったり、まあ様々ではあるがな。

 篠ノ乃束に関する情報収集の一環として、篠ノ乃箒を監視する必要がある。何かしらの行動を篠ノ乃箒に対してとってくれれば尚良いのだが、あれは意外と周到かつ慎重なところがある。篠ノ乃束が行動を起こさない場合には、篠ノ乃箒からヤツの行動傾向や嗜好などを聞き出すようにするとしよう。これまでで何か質問はあるか?」

「中佐、よろしいでしょうか」

「なんだね、ダグラス大尉」

 

 小麦色に焼けた褐色の肌。スキンヘッド。がっしりとした体躯に見合う強靭な筋肉。鋭い眼光を放つ大男が手を上げて少女のような見た目の上官に対して問いかける。

 

「IS学園、となると原則的に女性のみが入学できる場所です。サジタリウスチームは条件を満たしてはいますが、何故我々アリエスチームまで?

 それに彼女達全員を潜入させた場合ジェミニチーム以外にISを運用できる隊が存在しなくなります」

「そうだな。確かにそうなる。サジタリウスチームを投入する理由としては二つ。篠ノ乃箒に干渉したことを知った篠ノ乃束がこちらに対して仕掛けてくる場合の対処。そして二つ目には史上初の男性操縦者、織斑一夏だ。

 織斑千冬の弟であり、歴史上に名を残すことになってしまった男性操縦者。そしてその幼馴染である篠ノ乃箒。彼女の姉である篠ノ乃束と織斑千冬は高校時代の同級生ときた。これまでの調査で既に知れていることではあるが、これだけの因果関係があのIS学園に揃っているという時点で、何かしらが起こるだろうことは容易く予想できる」

「なるほど。念には念を、ですね」

「そうだ。アリエスチームはIS学園近郊の都市部に潜伏し、IS学園に関する情報収集と衛星からの監視、及びサジタリウスチームの支援に回ってもらう」

「で、我々はいかが致しますか中佐?」

 

 先のはっちゃけ(ビッチ)ぶりはどこへやらという真剣な瞳でミーシャ・ポーレット・ウィンチェスターは愛用のインフィニット・ストラトス――Pale(ペイル)wail(ウェイル)の待機形態である万年筆を指先で玩びながら尋ねてくる。

 

「ミーシャ大尉たちには表の顔で出てもらう。国連から派遣された任務に忠実なIS査察官チームとしてな」

「了解。そういえばあの学園って更識という諜報部が監視しているのでは?」

「そうだ。だが更識は我々を迎え入れる。そうするしかないからな。実力が確かなものだといってもたかだか一国の諜報組織の権限では国連の勧告を突っぱねることなどできんさ」

 

 治外法権同然のIS学園ではあるが出資元や後ろ盾も無しには大掛かりな組織というものは基本的に成り立たない。IS学園の出資元と言えば土地を提供している日本国はもちろんとして、IS委員会所属の各国だ。そして委員会は国連の下部組織でもある。ならばIS委員会を介しての勧告や査察も、国連の本部からの指示として実行可能なのは当然だ。

 そして何より査察官としての名は紛れも無い本物なのであるから断ることなどできやしない。とはいえその肩書きを持つのはサジタリウスチームと私くらいなものだが。

 

「タートル・ベイに苦情が届くかもしれませんね」

「仕方なかろう。大将……総長殿に頑張ってもらうしかない。査察官チームはともかくとして、TF108は非公式部隊だ。国連が独自に組織した抹殺部隊など、今のご時勢とやらに照らし合わすと世間一般からすれば敵でしかないからな」

「でしょうね」

 

 くく、と噛み殺したような笑みを浮かべた彼女は手にしていた万年筆(IS)を士官用のコートの内ポケットにしまいこむ。

 

「大まかな内容は以上だ。部隊長、副隊長は十分後にこのままミッションプランの策定に入る。他の者は作戦に向けて備えろ。追って内容を伝えよう。では解散」

 

 

第三話 空へ

 

 

 20XX/04/01 日本標準時16:13

 日本国領内 IS学園 第四アリーナ内ピット

 北條彩香 (IS学園1-1所属)

 

 ピットに座する鋼色の機体を前にしてみると思わずため息が出る。

 テンションだだ下がり。期待外れもいいところ。何が悲しくて主兵装が実体剣(しかも両手持ち)の機体ばかりがずらりと並んでいるのだろうか。

 世界各国の様々なISが見られるのではないか、実際に乗って空を飛びまわることができるのではないかという私のささやかな願いは砕け散って潮騒の香りに溶け込むように薄れていく。

 いや、私がきっとIS学園というネームバリューに期待を寄せすぎていただけなのかもしれない。IS学園の敷地や運営資金の出資者がどこの国だったのかを考えれば自ずと気づいていることじゃないか。

 

 第二世代量産機、打鉄。堅牢さと安定性の高さは特筆すべき点。しかし、やはりというべきか――私見ではあるが――様々な点で難がある。

 何故使用者に高い技量を求める日本刀の形状をしているのか、というのがまず私がツッコミを入れたい点である。地上で振るうならまだしも、足場も何もない空中で闇雲に振ったところでまともな威力が発揮できるわけがない。ただ、それをやってのける一部の例外(バケモノ)も居るには居るが。

 やはり使うなら出の早いレーザーブレードだ。重量はレーザーを形成する発振機だけで済むし、何より嵩張らないのだ。エネルギーは少々喰うものの、あんな日本刀(ダンベル)を持ったまま右に左にと機動を行うほうがエネルギーを食ってしまう。振るう分には消費せずとも、空中戦が専らであるインフィニット・ストラトスなのだから、デッドウェイトになるものなら捨ててしまうべきだ。

 そしてツッコミを入れたい点その2。室内や通路などの閉所であんな日本刀(デカブツ)を十全に取り回せるわけがない。壁や天井にひっかかりでもすればそれこそ相手から手痛いカウンターを貰う破目になる。

 その点レーザーブレードであれば小型で済むし、何より実体が無いのでサイズ調整で振りやすいサイズを維持することだってできる。威力ももちろん折紙つき。形状やサイズ次第では仕込み武器のようにも使える便利なレーザー兵器なのだ。実体剣の利点といえば頑丈であるということくらいか。

 ともあれ私からすればという注釈がつくのだが、近接戦闘が主体のくせに、牽制用のマシンガンやハンドガンさえ基本装備(デフォルト)ではなく、ミサイルのような火器も無く、両手持ちの日本刀が主兵装の、防御力が高い機体、という結論で締めくくることになる。これでどうやって戦場で他のISと渡り合えと言うのだろうか。せめて高機動性くらいは欲しいものだが。

 

 いや、いやいやよく考えればIS学園は“兵器としてのIS”ではなくあくまで“宇宙服としてのIS”について学ぶ場所だと(建前の上でだろうけれど)公示されていたはずだ。打鉄がモンド・グロッソのような競技用に使用されるISだと考えればどうだろう。

 相手はルールに縛られて一定の高度と範囲から外に出ることができない。その上舞台によっては地上戦も強いられることになる。つまり相手の得意な領域外から一方的な攻撃を与えるという戦局はそうそう生まれなくなる。

 その状況下で打鉄を使うならばどうだろうか。堅牢さは言わずもがな。接近すれば一太刀のカウンターや、装甲に物を言わせた突撃もありうる。一応は射撃武器も使えるわけだから完全に後手後手に回るということもない。地上戦なら他のISよりも安定感のある機体だから、不意をついた各種の瞬時加速(ブースト)を絡めて接近できればワンチャン……もしかして意外といける?

 

 打鉄は競技用の機体としては十分なものを持っていると言えるのかもしれない。

 狙って作ったのならまさに慧眼。そうでないならただの暗愚でしかないが。

 

 と、日本国の誇る打鉄について考えたわけだが乗る気にはならない。なぜなら見つけてしまったからだ。フランス製第二世代量産機ラファール・リヴァイヴを。

 意気揚々と始まるステータスチェック。機体性能の諸元と武装構成画面とを交互ににらめっこしながらイメージを固めていく。

 第二世代型の中でも早い段階でロールアウトしたラファールの後期改良型であるラファール・リヴァイヴ。その性能において特に秀でた面は万能性と扱いやすさだ。

 マルチロールファイターとでも言うべきその機体は、そこそこ重量のある武装も不足なく扱えるパワーアシストと、遠距離のIS用マシンガンの弾程度は弾ける装甲と、高機動機には及ばないがそれなり以上の機動性を持った機体だ。要するに特化したわけではないが弱点らしい弱点も見当たらない。

 使い方を知らない搭乗者であると悪く言えば器用貧乏で終わるだろう。しかしラファールの強みを十分理解した搭乗者ならば第三世代機を撃破することも容易い。総数にして二十以上もの武装や装備を量子変換して格納する大容量のスロットから繰り出される、絶え間なく放たれる砲火による面制圧の脅威。必要ならばブレードやフレア、アンカーだろうがガトリングガンだろうが放り込んでおける上に、高機動戦闘や砲戦、偵察、隠密に特化した武装群を丸ごとパッケージ化して投げ込んでおき、いざというときにはその場で装備を変換してまったく違う戦闘スタイルに切り替えることさえ可能なのだ。

 

 というわけで武装を突っ込んでいく。初期装備としてまず選ぶのは中距離から近距離を主眼に置いた射撃戦機だ。

 右手に河崎重工製の高精度・高初速を誇る中距離ライフル“KAKO”、左手にはドイツのロート・フランメ社の発射レートの高さと精度と射程を両立した突撃銃(アサルトライフル)であるRF-101Aを選択。どちらも競技用とは名ばかりで軍用ISにも採用されている実戦用の火器だ。

 予備にガラハド・アームズ社製の軽量ハンドガンを二丁。これだけあれば十分に事足りるだろう。

 

 他の装備は必要ない。今から行うのは肩慣らし程度の簡単な機動と射撃をするだけの練習用プログラムでしかない。

 

 機体の準備が整う間に学園側から支給されたISスーツに着替えたものの、どうにも動きづらい。露出はそれほどではないけれど、なんとも気恥ずかしい。

 身体のラインはくっきりと浮かんでいるし、どうにも胸は窮屈だ。動かしにくいということはないのだけれど、やはり今まで使ってきた全身装甲(フルスキン)型のIS専用のものに比べるとどうしても心もとなく感じてしまう。

 

 とにかく今はそれは捨て置こう。まずは自分の今の実力の確認を済ませなければ。

 深緑のカラーリングが鈍い輝きを放つラファール・リヴァイヴを身に纏う。手足のユニットを装着すると腰のアーマーと背中のユニットが展開して固定される。そこから伸びる二枚一対のウイング、そして二枚のシールド。ぶっちゃけ二枚もいらないのだけれど、基本装備の仕様なので仕方が無い。

 パイル装備も素晴らしいが、私の得意な領域はあくまで射撃戦だ。弾切れになってやむなくシールドで体当たりなんかを喰らわせたこともあったけれど、あんなものはその場しのぎの奇策でしかない。

 

「山田先生、準備できました。いつでも構いません」

『はい、それじゃあカタパルトに移動してください』

「了解」

 

 カタパルトに脚部を固定し、前方を見据える。今はまだ閉じられた鋼鉄の隔壁のその先へ、早く飛び立ちたいという想いが募りゆく。だが焦りはだめだ。逸る心を押さえつけ、グリーンのランプが灯る瞬間をただ待ちわびるだけにしておかないと。

 

『それじゃあ訓練内容を説明しますね。今回の演習プログラムは総合演習プログラムのA-3Cを行います……といっても彩夏ちゃんはよく知らないでしょうし、詳しい説明をしますね。

 この演習プログラムはISの空中・及び地上での機動・姿勢制御を含む戦闘訓練です。実践的な内容ですからターゲットは当然動き回ります。立体映像(ホログラム)でコースが投影されますから、そのコースに従ってアリーナ内を移動しつつターゲットを破壊し、そのまま一周してください。もちろん障害物も配置されていますからコースアウトは厳禁です』

「理想のタイムは?」

『そうですね……四分弱というところでしょうか。まあ、三年生用の――』

「いきます」

『えっ? えぇっ!』

 

 グリーンのランプが灯る。指し示されたゴーサインに従って隔壁が開き、一瞬で最高速に達したカタパルトが衝撃と共に私を空に解き放つ。

 広がるのは青い空、無人の観客席、サッカースタジアムが二つ以上は入るだろう広大なアリーナ。真っ白な光のラインが進路を示し、その真ん中に瞬時加速(イグニッションブースト)を吹かして突っ込んでいく。

 不意に、眼前に現れる青いダイヤモンド状のターゲット。躊躇うこともなく左手のライフルのトリガーが引かれ、放たれた一発は――ガァンッという甲高い音を鳴らしただけだった。

 

「うそっ!?」

 

 ターゲットに向かって真正面から突っ込んでいくラファール・リヴァイヴ。目の前に迫る壁に向けて即座に右手のアサルトライフル――RF-101Aを一斉射。先ほどよりもやや軽い音を上げるものの、青いダイヤモンドはオレンジを経て、赤く染まると共に砕け散った。

 

「耐久性もある……か。要注意だね」

 

 ホログラムの矢印が進行方向をナビゲートする。示されたのは下、つまりは地上へ降りるということだ。もちろんターゲットも漏れなく配されている。

 推力カット、PICを着地時の衝撃吸収に設定、姿勢制御をマニュアルに変更、101Aをセミオート射撃に。

 

「大丈夫、彩夏。しっかりやりなさい」

 

 僅かに生まれた不安を打ち消すように声が漏れる。PICのふわりという感覚が消え去って、重力がラファール・リヴァイヴを捉える。加速度を増して落ちていくと同時に眼下に広がったターゲットに狙いを定める。ゆっくりと移動するターゲットの進路をFCSが予測しロック。一枚、二枚、三枚、四枚五枚六枚……あと二枚というところでPICが慣性を一瞬だけ打ち消し、両足が大地を捉える。羽毛の布団の上に落ちたような柔らかな着地だが、これじゃあ硬直が長すぎる。一秒近くも行動が阻害されてしまっている。

 

「PICのアブソーバが……ききすぎる! 初心者用の機体じゃあ仕方ないとはいえ……!」

 

 ターゲットは案の定落としきれなかった……やっぱり鈍っているみたいだ。

 思考は現実に悔やむものの、身体は動きを止めることをしない。自身が思考するよりも早く、身体は既に次の獲物に狙いを定めている。

 

「次っ!」

 

 瞬時加速で詰め寄ると同時に両手の銃をそれぞれのターゲットに向け、トリガーを引く。直後に砕け散った赤いクリスタルを尻目に、次の進行方向に向けてそのまま加速。訓練用のラファール・リヴァイヴが出しうる最高速度を保って真っ直ぐ、真っ直ぐクリスタルを撃ち漏らすことなく突き進む。

 左右に動くもの。上下に動くもの。障害物に半身を隠したもの。斜めに動くもの。円運動するもの。目の前に振って湧いたように現れるもの。

 優先すべきものを取捨選択し、近いものを取り回しのよいアサルトライフルで仕留め、距離のあるものには高精度のライフルで対応していく。

 

 と、眼前に見えるクリスタルの前に立ちはだかる立体映像の白い壁。横にも広がり、高さもそれなりにある。となれば飛び越えるまでだ。

 PICをカット、ブーストを解除し大地に脚をつける。ガリガリと大地を削る音と衝撃を伴って急減速したラファール・リヴァイヴはその脚で地を蹴り、先ほどの加速度から得た反発力をバネにして、最高速で遥かな空へ再び飛び立つ。

 

「……ッ、ぐ…ぅっ…!」

 

 ほぼ垂直に、ロケットのように急加速する機体。PICを切ったために私の身に襲い掛かるGは相応の衝撃を私の身体に叩きつけて過ぎ去っていく。壁を越えるだけの高度に到ればそこから更に連続での瞬時加速。垂直への移動から一気に水平の移動へと切り替わったことで押し寄せたGが意識を刈り取らんと私に襲い掛かる。

 

 壁を乗り越えた、と同時に目に飛び込んできた三つのターゲットに銃を向け引き金を引く。小気味良くタンタンタンと四散する青いクリスタル。ぐるりと反転する視界の中でターゲットの破壊を確認すると同時にPIC制御を行い、姿勢を整えて着地する。そしてまた瞬時加速で最高速度へ。

 四秒にも満たない間に行ったのは三度の瞬時加速。空中で一回転しながらの射撃。そしてそこからの姿勢制御を行っての着地と迅速な離脱だ。

 

 正面に現れたターゲットを撃破……右に一枚、左に二枚と新手が現れる。PICで慣性を打ち消し、速度をそのままにスライドしつつ、姿勢制御を行いつつ回転。右の一枚を破壊すれば後方に一枚。左手の二枚を撃ち落せば前方に二枚。ぐるぐると回る世界に次々と生まれ出るクリスタルに弾丸を叩き込む。

 

「残り、一枚!」

 

 一際巨大なクリスタルに肉迫する。地表スレスレを、まるで狼の駆けるように深緑の疾風が走り抜ける。ライフルを二丁ともパージ、脚部のハードポイントに配したハンドガンを手に取り全弾を叩き込む。

 

 ミシッという音と共に亀裂の生まれた結晶に向かってシールドを構える。ブースター最大、PIC制御耐ショック設定……瞬時加速(イグニッションブースト)

 

 ラファール・リヴァイヴから繰り出される一枚のシールド。その先端が、クリスタルに突き刺さる。深く、抉るように、その傷を押し広げて突き進むシールドが根元まで達しようかというまさにその時、赤い光を放ってクリスタルは砕け散った。

 

「ふぅっ……」

 

 演習終了のメッセージと共に安堵のため息が出る。久しぶりの訓練。扱いやすいラファール・リヴァイヴを使ったとはいえ、長らく離れていたせいでどうにも腕は鈍っている。

 こんな戦い方を見たナタリヤ中佐はきっとこういうだろう。“もっとスマートにやれ(殺せ)”と。

 

 ともあれまだ取り戻せる範疇だ。よしとしよう。

 人に向けてトリガーを引くのは……できるかわからない。演習だからどうにかなっただけ。ただの映像相手だから、引き金を引くことができた。

 

 だけどあの映像が本物の人間に置き換わったら? 競技であるとはいえ人を殺傷できるだけの力を、誰かに向けなければいけない時がきたら? それが親しい相手だったりしたら?

 

 ――――胃が裏返りそうだ。 

 

 

 身に纏った鋼鉄の鎧(インフィニット・ストラトス)をピット内のハンガーへ固定し、息を吐く。

 久しぶりのくせにやってみせようと張り切って、結局自分自身が抱えているブランクのせいで満足する動きすらできず、“最悪”の事態を考えた自分自身への嫌悪感に苛まれたままだ。

 情けない。こんな惰弱な思考じゃなかったはずだ。あの頃はもっと必死で、死にたくない一心で技術を磨き戦ってきたはずじゃないか。

 だというのにほんの数ヶ月でこの生温い平和に入り浸ってしまったことを痛感している。そしてそれをどこか恥じている節すらある。私は望んだはずだ。今一度戻ってきたこの平和な世界を、“生きたい”と思って選んだはずだ。

 

 更衣室でシャワーを頭から浴びても思考は霞がかかるようにうやむやなままだ。

 友を失う悲しみに耐え切れなくなって、人を殺める理由がわからなくなって、自らの心に掲げた大義さえよくわからなくなって、私は戦場を抜けたはずなのだ。

 だというのにいざ平和な日常に戻って頭に浮かぶのは、戦場を駆け抜けたころの“いつもどおり”の思考だ。警戒が甘いとか、あのタイミングなら殺せるとか、自分ならどのように始末するかとか、今ではもう必要が無いはずのことばかりだ。

 

 心は戦場を求めてなどいないのに、身についた習性は戦場のころのままだ。

 

 もう……戻れないのかもしれないという考えが無かったと言えば嘘になる。戦場帰りの兵士がPTSDを患うのは至極当然なのかもしれないとさえ思っている。

 自分自身と周りの環境とのギャップ。そのズレが次第に自らを蝕んでいくのだ。砲火の音が脳裏から消えることなどなかった。仲間たちの末期の姿は瞼の裏に焼きついたまま色あせることさえない。手のひらには肉を裂くナイフの感触とあたたかな血の温もりが残ったままだ。

 

「……ほっ、北條さん!? 大丈夫!?」

 

 先ほどの演習を思い返すだけでも吐き気が止まらない。ターゲットを撃ち抜いたとき、砕ける際の赤いエフェクトに被って見知った仲間の顔が浮かんでくる。鮮血の飛び散る光景が離れない! 消えてくれない!

 腕の中で力なく横たわる仲間の苦悶の表情が!

 私の瞳を見つめて息絶えた敵兵の恐怖に引き攣った表情が!

 蹂躙され、抵抗さえできないまま殺されていった人々の姿が!

 

「う゛ぅ……」

 

 違う、殺してなんかない。私は誰も殺してない。そう、そうっ、私は、的を撃っただけ! 的を撃っただけなんだ! 立体映像だ! 人の命を奪ったりなんかしていない!

 

 

 

 そう、私は――――私は、(まと)を撃っただけだ!

 

 

 

 (まと)だ。ただの標的だ。(まと)を撃てば赤い。赤いのが当然。撃てば動かなくなる。壊れる。壊れるだけだ。なにもおかしくなんてないおかしくないおかしくない! (まと)を撃てば私が撃たれることがない! (まと)が消えれば私は生きていられる!

 (まと)が壊れれば赤いのは当たり前なんだ。そうだ何も変なことなんてない。赤い赤いエフェクト()を舞い散らせて壊れるのが摂理だ! 撃てば壊れ、撃てば私は生きていられる!

 

「間違ってなんかない! 私は、私はっ、みん、なのために、やった、だけ!」

「北條さん! しっかりして! こっちを見て、落ち着いて!」

「こ、ろさな、きゃ、うた、ないと……み、みんな、ミ、み、ンな、しっし、しし死ぬ、死ヌ、死ぬ……! アリサもグリフィンもロベルトさんもミシェルもウラジミールさんもナタリヤさんもカマロフもジョシュアもサントスもペトロフもユーリアも父さんも母さんもお祖母ちゃんも妹も真耶姉さんも千冬さんもみんなミンな赤い紅いあかいアカイ」

「彩夏ちゃん! 私を見て! 私は死んでません。私を見てください!」

 

 皆が居る。皆が皆血を流して倒れてる。血の雨が止まらない。止まらない。ずっと血の雨が、彼らから流れ出た血が降り注いでくる。透明なように見えて、でもそれは何よりも濃い彼らの、彼女たちの赤い赤い()の雨で。

 

「織斑先生! 山田真耶です! 緊急事態です、急いで医療班を第四アリーナのシャワールームに! ……はい! はい、急いでください!」

 

 生きている私を呪っているんだ。なんで助けてくれなかったんだと叫んでいる。どうして間に合わなかったんだって責めてくる。

 

 

 

 20XX/04/01 日本標準時14:30

 日本国領内 IS学園 貴賓室

 TF108 ナタリヤ・ロマノフスカヤ中佐

 

「さて……“初めまして、私は国際連合監視検証査察委員会軍事・兵器関連部門所属捜査官であるナタリヤ・ロマノフスカヤだ”……とでも言っておこう」

「……私の記憶が正しければあなたは確か国連軍の指揮官だったのでは?」

「その通り。昔はそれでよかったが、今は一介の捜査官だ。ああ、こちらは私の同僚のミーシャ・ウィンチェスターだ」

「初めまして、オリムラ・チフユ。お噂はかねがね聞き及んでおります」

 

 フン、と苛立ちを隠す様子もなく二人が手を取り合う。ミーシャの言動が癪に障ったのだろう。もちろんそうするつもりで言っているのだが。

 

「それでナタリヤ中佐、わざわざこのIS学園に査察委員会のあなたが足を運んだ理由を聞かせてもらおう」

 

 久々の再会だというのに随分と上からの物言いだな織斑千冬。“嘗められてたまるか”という内心が見て取れるぞ。もう少し愛想笑いの一つでも覚えるべきだな。

 ゆったりとしたソファに春先の陽光が注ぐ貴賓室は目の前のブリュンヒルデがピリピリと殺気を放つせいで監獄の如く空気が重苦しい。それに扉の向こうには何者かの気配もある。

 天井の照明には集音性の高いマイクに、インテリアとして飾られた熊の彫り物の中に仕込まれたカメラまである。随分と警戒されてしまっているらしい。

 

「なに、簡単な理由だ。IS学園に所属するある学生が様々な勢力にその身柄を狙われているという情報が入った。そして今現在のIS学園の防諜及び情報収集はサラシキとかいう組織に一任されているらしいな」

「腕は確かだ。それに古くから続く組織で信用もある。何も問題は無い」

「いや、大いにある」

 

 今にも舌打ちの音が聞こえそうなほど顔を顰めているな。そんな顔をするなよお嬢ちゃん。腹の探りあいどころかまだ前哨戦でしかないのだぞ?

 

「現在の更識家のトップはロシア連邦国家代表だ。……言いたいことはわかるな?」

「……つまり更識楯無はロシア連邦に寝返っていて、IS学園の情報をクレムリンのヤツらに流している、とでも?」

「それだけではないぞ。中国の代表候補生を、この明らかに不自然なタイミングでの転入を認めた轡木十蔵とも密な関係だと聞いている」

「IS学園の運営責任者と癒着している、と言いたいか」

「疑いがある。それで理由は十分だ。諜報部のトップが特定の国の代表を務めていて、しかもそれが学園の運営者と繋がっているという事実は既に確認されていることだ。

 学園を思いのままにできる存在がある特定の国と密接な関係であるとなれば、当然他所の国からは不満が出る。そしてIS学園は“日本国の土地”に“世界中の各国が支援して”設立した組織だ。今の状況はこれら関係国間における公平性を著しく欠いていると言わざるを得ないだろう。

 本題を言おう。本査察は、IS学園の管理者である轡木十蔵と情報部である更識に関する正当性、及び管理運営能力についての調査だ」

 

 まあ、篠ノ乃箒を監視するついでの小遣い稼ぎでしかないが。 

 

「……フン、委員会の政治屋どもめ……大っぴらにスパイを送り込んでくるとはなかなか肝が据わっているじゃないか」

 

 よく理解している。所詮査察官など世界の主導権争いの場である国連の手先なのだ。ロシアの関係者がIS学園内で重要な位置を占めているという事実は既に周知のところだ。ならばそれを突き崩すべくアメリカが査察を頑なに推してくるのは明白。

 遅かれ早かれIS学園には査察が行われる。少し早まったか遅くなるかの違いでしかない。

 

「それは酷い言い草だな織斑千冬。我々はIS学園の防衛体制と防諜能力が果たして十分なものであるか、そして管理運営する者が情に絆されず的確な運営と判断を行えるかを精査するために居るのだ。総てはIS学園の生徒たちの安全のためだ。

 大事な生徒を“亡国”に奪われても構わないならそれでいいがね」

「よく言う…!」

「いずれにしてもスポンサーの要求なのだよ、これはな。つまりお前達の出資者はお前達の運営方針とあり方に疑念を持っている、というわけだ。

 IS学園は独立国でも治外法権の地でもなんでもない。日本国の土地を間借りしているだけの国際機関、というものでしかないんだよ。理解しているか?」

「ふざけた真似を……! こんなくだらない要求を我々が呑むとでも?」

「ああ、別に呑まずともいい。その時はIS学園が立ち行かなくなるだけのことだ。貴様らだけでこのIS学園の全生徒と職員の食費水道代光熱費雑費はもとより、ISの装備の開発費用や修復に要する資材を調達できるか?

 実弾の火器だって存在するんだ。弾薬費はもちろん、アリーナの設備維持費もかかるし職員の給与も払わねばなるまい」

 

 さあ煽ってやろう。お前の頭を空っぽにしてやる。そして怒りで満たすがいい。

 ――茶番の後、来るべき交渉の時に冷静さを欠くほどにな。

 

「そうさなこの学園の資産といえば……ISを使って傭兵でもやってみるか? 世界最高の兵器を多数抱えた傭兵組織……IS学園傭兵派遣会社の誕生だ。よかったな、実際に戦場で実戦データをいつでも得られるぞ。

 操縦者も自らが人殺しのできる兵器を操っているのだと身を以って知ることができて嬉しかろうよ。ISをスポーツだとか抜かす“うつけ”共にはちょうどいい薬だ。 それとも、貴様一人で世界に喧嘩を売ってみるかね……織斑千冬殿?」

「…………インフィニットストラトスは兵器としての側面を確かに持っているだろう。だがコレは人類が未だ到達しえない場所……宇宙に飛び立つためのものだ!

 断じて利権争いの手段ではなく、まして戦争の道具でもない!」

 

 殺気が凝縮されていく。視線は矢が閃光の如く駆けるように鋭く、握り締めた拳は鋼鉄さえもへし折らんとする威圧感さえ伴っている。

 

 が、温い。そのように感情を顕にするようでは、まだまだ温い。

 殺しを殺しとさえ思わない。書類一枚一枚に判を押すのと同じように、事務的に、機械的に命を刈り取る領域にまで到ることができなければな。

 例え鎔けた鋼の如き熱を持っていようとそれをすぐさま解き放ってしまうのは愚策だ。閉じ込め続け、抑え込み、最大の圧力を迎えた瞬間に解き放つからこそ意志の強さは輝くのだ。

 

「査察が行われる理由は了解した。……今は退こう。だが、努々忘れぬことだな」

 

 さあ前哨戦は終わりだ。ここから先が本当の地獄(交渉)だぞ。

 篠ノ乃束の情報を得るためだけに“査察というお題目”まで使ったのだ。せいぜいヤツに近しいポジションを取らせてもらうぞ。

 

 

第四話 Mind the Gap

 

 

「ではこれで一通り纏まったな。ミーシャ、内容に不備は無いか?」

「一応確認も含めて復唱します。まず第一に人員は三名で、うち二人はIS学園の職員として、一人は学生として内偵を行う。

 第二に査察における内容は織斑千冬と更識楯無のみが知るところとする。

 第三に査察官のIS学園内での自由行動権限と、国連所属捜査官として持つ権限の行使を容認する。

 第四にIS学園及び更識が入手した紙・電子媒体など形式に関わらず全ての情報及びIS学園生のプロファイルの開示。

 主だった特記事項はこの四つですね。あとは“いつもどおりの”査察が行われる時と同様のものです」

「と、いうことだ。異存は無いかミスオリムラ?」

 

 尋ねてみれば彼女は何やら訝しげに書面と特記事項を見比べている。そうだろうそうだろう。おかしいことが書かれているんだから当然のことだ。

 一つに内偵調査であるという点。IS学園はそこそこの規模を持つ組織だというのに、わざわざ人数を絞ってじっくりと長期間の調査を行うというのだ。おかしいと感じないわけがない。

 本来ならそんな悠長なことはせずに、情報を抹消されるよりも早く動く。何十人か、あるいは相手の規模などを考慮すれば下部組織なども含めて千人近くにもなる単位で捜査官を投入して通信ログから雑費の伝票一枚に到るまでおおっぴらに根こそぎの一斉捜査を行うものだが、こちらの目的はあくまで篠ノ乃束と繋がる情報を得ることだ。全力を出してほんの短期間のうちに現体制を崩してしまうと篠ノ乃束の情報を得られないまま解散となる。それでは意味が無い。

 二つ目に査察の対象となっている更識楯無に対して、わざわざその内容を通達してしまっているという点だ。

 考えてみればすぐにわかる。自分が査察される側だとすればこの条文は“あなたの行動やお金の動きを監視しますよ”と向こうが言ってくるのだ。当然警戒するだろうし、やましい部分があれば手を引くことだろう。ともすればもう一人の査察対象である轡木十蔵に対してこっそりと、暗に“監視されている”と伝えて警戒を促すことさえありうる。

 

 だが今回は()()()()()

 

 自分が見張られているのだと自覚してくれればいい。そして更識はそれを轡木十蔵に伝えることだろう。それでいい。それを私は望んでいるのだから。

 後ろめたいものを持つ人間というものは『誰かが見ている』と一度思い込むと見られてはいけないものや見られたくないものを割かし本気で隠そうとする。するとどうだろう、普段と変わらず居るように見えて妙にそわそわした様子を見せたり、見つからないようにと回りくどい隠蔽を行うことがある。

 泰然自若としていられる人間は大物だ。自らの施した隠蔽がよほどの出来で自信があるからか、それとも開き直っただけなのかはわからないが。

 更識よ、心せよ。貴様らに失態を犯された場合に事態の収拾に当たらされるのは我々なのだからな。

 

「しかし、何故学園の生徒になる必要が? さっさと書類やデータを引き上げて監査に入ればいいだけの話だろう」

「なに、もののついでというやつさ。この学園は“いささか教育が行き届いていない”ように見える。幼い子どもたちを導く学園教師の質と人となりを見せてもらおうかとな」

「……それは元軍人のあなたからすれば、だろう」

 

 確かに軍人として言わせてもらうなら、こんな教育機関はクソほどの価値さえも無い。

 更識とかいう防諜組織()()()は隠蔽や防衛こそそれなりにやるものだが、“やりかえす”ための力を備えていない。“対”暗部用暗部などと大風呂敷を広げて謳い文句を掲げるならば、こちらに仕掛けてきた組織・個人に対して致命的なカウンターパンチを叩き込めなければいけない。

 私が学園の防諜を担う立場であると仮定すればどう出るか。

 犯人を探し出し、命を奪わない程度で追い立て、元КГБ(KGB)エージェントである祖父直伝のソヴィエト流“交渉術”をくれてやる。その上でみせしめとして惨たらしく、ヒトとしての尊厳の欠片を塵と残さぬほど痛めつけて細切れにして――プレゼント付きで――送り返してやる。

 

 それにデータで見た限りではあるが学園教師の技術は平均して代表候補生並ばかりだ。突出して織斑千冬、次いで山田真耶と来るが、そこから下はどんぐりの背比べ。おまけに使用される機体は打鉄かラファール・リヴァイヴのどちらかばかり。しかもその中にはどうにも影の濃い人間がいくつか居る。生徒にも居るのだから教師が居てもおかしくはないとはいえ、このあたりの()()()が、私の更識に対する悪感情の源なのかもしれない。

 

 もしも万一この学園がテロの標的となった場合――それも極めて高度な、世界的行動が可能なほどの組織――に、ロクな軍事教育を受けていない民間人と同程度の教師たちがどうにかできるだろうか。佐官・将官クラスの立案するような高度な戦術・戦略的な作戦展開が可能なのだろうか?

 学園そのものを守り通すことができても、犠牲者が一人でも出た時点でそれは“IS学園側の敗北”と同義なのだ。世間からは“ISを大量に保持していながら民間人を守ることもできない無能”とレッテルを貼られ、被害者の家族からは仇として見られ、世界の各国からはIS学園の有用性に疑問符が浮かぶことだろう。

 

 表立っての名目は決まりだ。

 第一点として、更識と轡木十蔵についての信頼性と中立性、そして管理運営能力の有無の確認。

 第二点にはIS学園の防諜及び防衛体制を調査し、問題点があればそれを修正するように勧告すること。

 第三点には学園内部に潜む産業スパイ等不審人物のリストアップ。

 本来の目的とは違うものの、この査察で得られた情報は事務総長(大将殿)が既に計画していたIS学園査察の事前調査にもなる。事務総長(大将殿)もIS学園の情報が仕入れられて嬉しい。私も篠ノ乃束の情報収集のために潜入ができて嬉しい。これこそWIN-WINの関係だな。

 

 裏の目的は篠ノ乃束という一点のみだ。ヤツに関する情報を探ると同時に逃げ道を少しずつ潰していく。

 

 情報だけを得るためならコソコソと身分を偽って潜入してしまえば済む話だ。何食わぬ顔で篠ノ乃箒に接触し、友人を装って情報をそれとなく引き出せばいい。当の本人は事前に収集した情報の限りでは性格に難ありというものだったが、篠ノ乃束(クソウサギ)ほどではないだろう。

 では何故表立って行動しなければならないのかと聞かれれば理由はいくつかある。最たるものとして織斑千冬を含むこの三名は、推測だが篠ノ乃束と裏で繋がっている可能性があるからだ。特に年が同じである織斑千冬が怪しい。

 そして仮に繋がっていなくとも、篠ノ乃束の息の根を止めるにはこの三人を“こちら側”へ抱き込む必要があるだろうという予測だ。ヤツとてヒトであることには変わりない。切羽詰って助けを求めるならば、自らに危害を加えることはないと確信している人物か組織に当たる。

 国家のような組織に助けを求めるとはまず考えられない。利害の一致による団結など一時的なものでしかなく、遅かれ早かれ瓦解するのがオチだ。それに、()()()()人間は特別な存在以外の人間を等しく見下している。最初から眼中に無いのだ。

 篠ノ乃束にとって逃げ道になりうるこの三者をこちら側に抱き込む。そのためには篠ノ乃束の所業を暴露しても「くだらない妄想だ」と跳ね除けられないだけの説得力が無ければいけない。そのためにわざわざ正式な肩書きまで持ち出して国連の査察とまで銘打ってIS学園に入り、時間をかけてでも確実にこの三者を味方につけるべきだと判断したのだから。

 

「どうやら異存は無いようだ。それでは失礼する。明日の“転入”に備えて“予習”しておかなければならんのでな」

 

 息苦しいだけの貴賓室の扉を開けて立ち去る。ここから先はもうナタリヤ=ロマノフスカヤ中佐は存在しない。

 私はナタリー。ロシア連邦ウラル連邦管区スヴェルドロフスク州エカテリンブルク市近郊生まれの15歳。身長143cm、体重39kg、上から68.3cm、49.9cm、67.7cm。誕生日は8月15日、生まれてすぐに祖父と祖母に引き取られる。部族出身で特異体質的に色素が薄いため髪が銀髪に近い白色である。瞳はヴァイオレット。

 祖父と祖母が他界し、当時同居していた北條彩香の帰国に伴って来日する予定だったが葬儀後の遺産相続等の手続きで後日に来日となった。

 

 ――よし、記憶できている。肝心の彩夏(あいつ)には事後報告になるがまあよい。見知った顔が居ることに驚きはすれども下手に口を滑らせることはない。

 

「……なんだかんだで心配なんじゃない」

「どうしたのミーシャ姉さん? ナタリーとしてはその嫉妬心は少し嬉しいな」

「違うわよ。やっぱり母親は母親だ、って思っただけ」

 

 そりゃあ心配だ。あの子が乗り越えなければいけない壁はいくつもある。受け入れて進むか、ねじ伏せて進むかのどちらかしかない。そしてその道は、苦行なのだ。

 目の前を過ぎ去っていく担架を見やる。見知った顔、見慣れた彼女は眠りについているのかまばたきもせず運ばれていく。

 ああ、もう既に一つ目の壁がお前の前に現れたのか。おそらく私達と共に戦った記憶はお前を苛むだろう。自らの為した行為そのものがお前を責め立てるだろう。乗り越えたその先に答えを見出せるのはお前自身だけだぞ彩夏。

 ――お前は、折れるなよ。

 

 

 頭が痛い。一体どうしたのか、ここはどこだろうか。

 真っ白な天井――見覚えが無い。

 両手足の拘束――身に覚えが無い。

 見下ろす人影――織斑千冬。

 

「起きたか。……入学早々に他者(ひと)に心配をかけるのは感心しないな」

「織斑……先生?」

「具合はどうだ。苦しくはないか? 息が詰まるとか頭が痛むとかは?」

「え、あの」

「吐き気がしたらすぐに吐け。無理はするな。何も不安になる必要は無い。落ち着いて呼吸をしろ。落ち着いたらそのままもう少し寝ていなさい」

「あっ、はい」

 

 私の肩を掴んで睨みつけるように見るあなたが怖いです。口が裂けても言えないけれど。

 

「先生……私……何があったんですか?」

「――ハイパーセンサーとの同調による感覚野への負荷に伴う身体の不調だ。久々の操縦だったのだろう? その割りに随分張り切ってISを振り回したと山田先生から聞いたぞ。

 そのせいで()()()()()()()()()()()のだろう」

 

 たかだか数分乗っただけで倒れるだって? そんなことは有り得ない。

 トルクメニスタンやタジキスタンでの戦いのときだって数時間以上戦ってゲリラの掃討戦に参加したり篠ノ乃束の差し向けたISを撃破してきたけれど一度もそんなことは――

 

「うっ」

 

 赤が視界を染める。先生の凛とした表情も、白い天井も、照明も染め上げていく。

 絵の具を撒き散らすように飛沫が跳ねて、先生のその白い首も赤い血を噴き出して――

 

「あ、ぎっ……ァ……」

「彩夏! 私を見ろ!」

「せ……ん…せ……」

「落ち着くんだ、深呼吸をしろ。ゆっくりと……深く…………そうだ、いいぞ」

 

 思い出した。幻覚を見たんだ。あのシャワールームで私は――

 

「いたっ!」

「無理に思い出すな馬鹿者!」

「す、すみません……」

 

 はぁ、とため息を吐いた彼女は私の頭を引っ叩いた出席簿をパイプ椅子の上に投げ出して沈痛な面持ちで私を見る。

 

「……二年間の空白の間、彩夏に何があったのかは私は知らない。急に取り乱したり錯乱するようなお前ではなかっただろう。一体何があった?」

 

 何があったのか、それを説明することはできない。私の知る事実は決して口外してはいけないどころか、暗号のようにして書き記すことさえも許されないのだ。そんなことをしてみれば私は一巻の終わり。次の朝日を拝むことはおろか今日の夕日を見送ることさえできないだろう。

 

「言えない、か」

 

 ただ頷くことしか私には許されない。今この場に限っては言葉は自らを殺す縄だ。自らの首を絞めることに他ならない。

 

「わかった。この話はなかったことにしよう。……私にさえ言えないというのは少しばかり寂しいものだが……これだけは覚えておけ。

 ここにはお前を案じる人間が居る。クラスメートであったり私であったり山田先生であったり、お前を支えてくれる人が確かに居る。だから何も怖がらなくていいんだ」

 

 そっと私の頬に手が置かれる。一つ撫でたかと思えばその温かな手は名残惜しそうにしながらも私から離れていく。

 

「夜までは寝ていろ。一応山田先生が別室で監視しているから“催したら”呼ぶといい。もし私が帰ってきてお前が大人しく何も考えず寝て居なければその拘束は外してやらんからな。覚悟しておけ」

「あの、外しては……くれないんですよね」

「私だって悪夢に魘された教え子が喉を掻き切って死んだのでは夢身が悪すぎる」

 

 念のために、ということなのだろう。仕方の無いことだ。今は割り切ろう。

 先生が部屋を出ていく。私の他に誰も居ない、窓さえも無い真っ白な病室の天井を見上げて思考にふける。

 私を苛む過去の記憶(トラウマ)。いや、正確に表すならそう、経験……だろうか。私の意識、自我は戦うことというよりも生きた人間に銃を向けることを嫌悪している。なのに私に蓄積されてきた兵士としての経験はむしろ積極的に銃を手に取ることを促してくる。

 戦場で人を殺すことに躊躇いなんてなかった。それは大義があったからであり、大義や名分も無しに平時において人を殺すのは容易ではないはずなのだ。だというのに私の本能の部分とも言える何かが“敵なら殺せ”と突き動かしてくる。そしてそれを許してしまえば私はただの殺人鬼だ。もはや立ち戻ることなどできやしないだろう。

 

 人を殺したくないと思いながらも身体が殺しを許容しているという現実。精神と肉体が一致しない。そのズレが、私にとって何より恐ろしい。

 

 どうすればいい。一体――どう……すれば……

 

 

 

 薄らと霞がかかった映像が少しずつ晴れていく。そのモニターの向こうに映る少女の姿を見て胸を撫で下ろす。静かに聞こえる寝息とその穏やかな寝顔は、先ほどまでの狂気と恐怖が嘘のように鳴りを潜めている。

 

「やっと寝たか」

「みたいですね。呼吸、心拍共に安定してます。脳波の異常も見当たりません。散布濃度も正常値に戻りました」

 

 後ろでコーヒーを淹れていた私の先輩――織斑千冬はブラックコーヒーの注がれたマグカップを私に差し出してくる。ミルクの味わいの強い少し濃い目のコーヒーに少しばかりの砂糖を加えたそれに口をつけると、コーヒーの苦味と甘さが緊張で強張った身体を解きほぐす。

 

「……しかし山田先生、一体あの子に何が?」

「詳細はわかりません……。ドクターの所見では当時の状況や発言から鑑みるに、何らかの精神的ショックによるものということでしたが」

「なるほど……あのような状態に陥るほどのショックとなれば、人に話すことさえ難しいのも頷けるが。……確か演習の直後だったか……そのデータはここに?」

「ええ、あります」

 

 差し出した媒体を受け取るや、織斑先輩はそのデータを閲覧し始める。データ化された操作ログと撮影のためのアリーナ内のカメラが捉えた映像とを比較しながら流し見ていく。

 

「何かありましたか?」

「いや……何も無い。心拍や脳波の状態から察するに軽い戦意高揚の状態だったが、その程度は許容内だ。特におかしくなるような要素など何も無い。だが、ここだけは別だ」

 

 見せられたモニターには彼女が障害物の壁を乗り越えてターゲットを撃破したシーンが映っている。最高速度での突進から着地して速度を殺し、上空へ向けての瞬時加速を用いて壁を乗り越える高度に達した瞬間に水平に一直線に加速していく。そして宙返りの最中にターゲットを撃破……そのまま着地して瞬時加速で最高速に戻って離脱。

 

「この数秒の間に瞬時加速が4回。PICによる着地で発生する硬直を解除するために衝撃吸収機能をカット。瞬時加速中の高速状態からの急激な姿勢制御とリカバリーを空中で行い、即座に連続での瞬時加速。その真っ最中の射撃。そしてそのどれもが完璧なタイミングで成功している。……私も教えたことのない機動技術だよ」

「……ですよね。先輩がこんな荒っぽいやり方を教えているところは見たことがないです」

「自らの隙は最小限度に、しかし移動は敵に捉えられないように常に緩急をつけて行動している。空中での僅かな姿勢制御や射撃時の動きも、見る限りでは銃を扱いなれている人間の動きだ。それにあんな二丁拳銃みたいなやり方を山田先生なら教えはしないだろう?」

「ええ。銃は利き腕で持って、左手は銃身を保持するようにまず教えました」

「…………この二年間で一体何があったんだ……北條彩香……」

 

 二年間のブランクがあるはずの彼女は、まず間違いなく以前よりも高い技能を身に付けていた。二年前の彼女からは想像もできない機体の挙動。所々に荒々しさを持ちながらも細やかな制御や機動をこなす、さながら野生の狼のような印象さえ覚えた。

 だけどその雄雄しい姿は織斑先輩には受け入れられなかったらしい。

 

 

 

「えーと、まあ……よろしく」

「あら、あなたが(わたくし)のルームメイトでして? まあ、世界に名だたるIS学園の 入 試 主 席 であるこのセシリア=オルコットと寝食を共にすることの光栄さを身に染みて思い知ることですわ!」

 

 これからIS学園での日々を送ることになる私に宛がわれた一室には既に先客が待ち構えていた。美しいロールを描くブロンドの髪を揺らして、大仰な身振り手振りで自らの優勢を誇示する、まるでお人形のように可愛らしい少女の姿。

 あまりにも滑稽だ。くだらない。その姿が糸に繰られる操り人形のようにさえ見えるのは、IS学園の入試で良い成績を収めようが意味など無いということを彼女が認識できていないと感じ取ったが故にそう見えるのだろう。

 

「主席……ですか」

「ええ! ええ! まさにその通りですのよ! 七つの海を乗り越え世界を股にかける超大国を作り上げた連合王国(ユニオン)の代表候補生、このセシリア=オルコットの手にかかれば入試試験など子供のロバを乗りこなすよりも簡単なことですわ!

 当 然 ッ! 私の住まうに相応しい調度品も取り揃えましたし、貧相なシャワールームも汚れのつきにくい特殊加工の人工大理石を用いた上質の……まあ私からすれば平凡なものではありますがそれなりのシステムバスに取替えましたのよ」

 

 アクが強いものだ。こうも自己陶酔しながら弁舌も達者に行える姿はいっそ見ていて清清しささえ覚える。嫌味な言い回しが気にはなるけれど、これも“エリート志向”故の副産物なのだろう。だがそれも一時のことだ。上には上が居ると知り、いつの間にか己の分を弁えているだろう。

 だから今ここで敵対的に接する必要性もない。そのうち自然と態度は改まるのだから。

 

「英国代表候補生のオルコットさんと知己を得られるのは嬉しいことです。どうぞよろしくお願い致します」

「そんなに堅苦しくせずともよろしいのですよアヤカさん。気軽にセシリアとお呼びください。同じ学び舎で学ぶ間柄ですもの、末永き友誼を結びたく思いますわ。

 まあ、私が他の生徒に遅れを取ることは御座いません。是非私を一つの目標として奮励なさってください。代表候補生として、ISの先達として初心者の皆さんを導くのも私の務めですもの!」

 

 …………形式の面接だけ受けて合格だったことは黙っておこう。

 

 

 第五話 新入生(年齢不詳)

 

 

「あー、一日遅れだが新入生を紹介しよう」

Разрешите представиться(はじめまして)、ナターリヤ・ナタレンコ・ウリヴァノヤだ」

「彼女は、えー……ロシア連邦のエ……エカテ……」

「エカテリンブルク出身だ」

「んんっ……まあ要するにこの春の寒波の影響を受けて猛吹雪のため飛行機が発てず、一日遅れての入学となった」

 

 織斑先生は手にしていたメモをくしゃりと握りつぶしてゴミ箱に投擲すると咳払いを一つして言いなおした。

 ふん、とドヤ顔を決める小さな少女――見かけだけは、という但し書きが付くが――は陽光を浴びて銀色の光を映す灰白色の長い髪を揺らして騎士のようなお辞儀をする。

 学園の制服はいつも風になびくあのトレンチコートのような長い丈にされ、きっちりとベルトまでかけられている。その下に髪と同じ灰色のベストを着込み、スラックスと革製のブーツを履いた姿は幼い少女が精一杯の大人の装いをしたようなアンバランスさを見せているものの、彼女の纏う空気……オーラのようなものが彼女を“少女ではない”と物語っている。

 ヴァイオレットの両の目が私を見て笑う。“どうだ、驚いたか”と言わんばかりの不敵さを籠めた眼差しを受け、僅かにきりきりと痛み始めたお腹を思わず擦る。

 

「皆と学び舎を共にすることを嬉しく思う。見た目には僅かばかり幼いが私は貴君らと同年である故、気兼ねなく接してくれることを願っている。

 髪が白いのは生まれつきの先天の遺伝子異常によるもので、少々珍しいかもしれぬが世界には似たような先例(ケース)も存在している。普段目にすることのない稀有な事例であるが、しばらくすれば自然と受け入れられるようになるだろう。新しい靴を履いた際の違和感がしばらくして感じなくなるのと同じように。

 ――ま、要するに少々お堅い口調ではあるがよろしく頼む、ということだ」

 

 見た目には小学生。しかしその話し方はどう見たって大人のそれだ。

 

「それにしても久しいなアヤカ! どうだ、壮健であったか? 久方ぶりに親友の顔を見れて私はとても喜ばしい気分だぞ!」

「え、ええ……オヒサシブリデス……ナターリヤ」

「むっ、何故愛称ではないのだ。親しき友は愛称で呼ぶものだろう。ほら、ナタリーと今一度呼ぶがよい。お堅い口調もやめて、いつものアヤカらしい口ぶりでやればよいのだ」

「ひ、久しぶり……ナタリー」

「うむ、うむうむ。皆も我が友アヤカのように“ナタリー”と愛称で呼んでくれると私はとても嬉しい。私の喋る日本語は現代に於いては些か時代錯誤のような語りであるが、別段難儀なものでもない故気軽に話しかけてくれればありがたい」

 

 おお、と感嘆の声が沸く。若干のツリ目に凛々しく整った顔立ち、冷たい印象を与える中に僅かな笑みを浮かべた彼女は口調と相俟って少年的ですらある。

 背に流れる淡い灰白色の髪を揺らして彼女は周囲の騒ぎにも顔色一つ変えずに一礼をしてみせる。

 

「お、王子様だわ……女の子だけど王子様よ!」

「二次元だけじゃなかった! 三次元にだってちゃんと王子様が居るのよ! も、もしっ、あんなステキな声で愛を囁かれたら私……わたしっ」

「ん? 囁かれたら……貴女はどうしてしまうのかな……?」

「フヒィィィッ! 三杯余裕です! ありがとうございます! ありがとうございますっ!」

 

 ナタリヤさんも悪ノリが過ぎる。あんなに顔を近づけて流し目まで使って声も男性に似せた演技まで加えるだなんて。

 

「あー自己紹介が終わったようでなによりだ。なので早速授業を開始する。さっさと席について大人しく教科書を開いてペンを持て新入生(ニュービー)ども」

 

 最後列に座る私の隣の席は空白だ。まるであつらえたように、昨日も座っていたと言わんばかりに堂々とナタリヤさんが腰を下ろす。

 

「改めてよろしく頼む、我が友よ。伺いたいことも申したいこともあるだろうが、それはまた後ほど、な」

 

 ぱちり、と小悪魔のように目配せ(ウインク)する。くそっ、演技だとわかっているのに……私たちからすれば一回り以上年齢を欺いているというのに、不覚にもカワイイと思ってしまうなんて!

 授業の終了と共に彼女の手を取り、一目散に向かう先は屋上。阻むのは途中で妨害に入る淑女たち。

 

「そうはいかん! 我らの王子様(プリンス)をかどわかす悪しき魔女め!」

「アヤカ! 貴女の企みもここまでよっ! このままナタリーさんを攫ってあんなことこんなことをするつもりなんでしょうが、そうは問屋がおろさ……あんなこと……こんなこと……ぐひひひひひっ!」

「というわけでナタリーさんを置いていけ! 例え同級の誼と言えども……譲れないものがあるッ!」

「ああもうっ! 無駄にカッコつけてしゃしゃり出て!」

 

 女子生徒A・B・Cがあらわれた! アヤカはにげだした!

 

「そうはいかんざき!」

「くっ!」

 

 しかしまわりこまれてしまった!

 

「……無駄にすばやいですね、あなたたち」

「フッ、伊達で変態淑女三人衆と呼ばれてはおらんよ」

 

 呼ばれてるのかよ、とツッコミそうになるところでナタリーさんの手が私の襟首を掴む。

 

「じっとしているとよい。舌を噛みたくなくば、な」

「いいっ!?」

「甘く蕩けるような蜜月も吝かではないのだが、悪いが親友との先約が優先である故失礼させてもらう」

 

 ぐっ、と少女らしからぬ力で持ち上げられる。背中と脚に彼女の細腕(見た目だけは)が掛けられて抱き上げられる。これは、そう、少女漫画(おとぎばなし)でしか聞いたことのない――

 

「お、お姫様抱っこ……だと……!? あの体躯で!」

「…………う、羨まし……けしからん! ……そこを代わりなさいアヤカさん!」

「キキッ、キマシタワー!?」

「淑女B、淑女C! ヤツらにジェッ○ストリームア○ックを仕掛けるぞ!」

「フヒッ! ヤってやる! ヤッてやるぞ!」

「ユニバァァァァァースッ!」

 

 私を抱きかかえるナタリーさんが微かに笑みを浮かべた次の瞬間――ブレる。

 

「はっ!?」

「なん……だと……!?」

「み、見えていたはずだ……! “確かにそこに立っていた”ハズだ……!」

 

 景色が歪む感覚。その直後にナタリーさんは彼女達の背後に立っていた。

 

「ではな」

 

 あくまでクールに、ナタリーさんは涼やかな笑みを湛えたまま屋上への階段に一歩を踏み出す。

 

「ありえんっ……」

「……速さが、足りないっ!」

「紙一重、か……」

 

 膝をつく三人衆。その哀愁漂う背中は物悲しく、しかし滑稽さも同時に醸し出している。そう、一般人に彼女を、ナタリーさんを捉えることなど――できやしないのだから。

 

 四月、まだ寒さの残る浜風の吹きぬける屋上のベンチに下ろされた私は改めて彼女を見据える。

 ナタリヤ・ロマノフスカヤ中佐――今はナタリーことナターリヤ・ナタレンコ・ウリヴァノヤだ。彼女は私を座らせると自らも隣に座り、大きく腕を空に突き上げて脚を伸ばし伸びをする。

 ぱき、ぱき、と音を鳴らす肩を落ち着けると、ふっとため息を吐いて空を見上げる。

 

「いい空だ」

「そう、ですね」

「で、学校というものはどうだった? 記念すべき初日から医務室に担ぎ込まれたのを見たときにはヒヤリとしたものだが」

「……見てたんですか」

「ばっちりだ」

 

 恥ずかしい。6フィートの穴を掘ってその中に入ってしまいたいくらいには恥ずかしい。

 悠々と空を舞う海鳥たち。みゃあみゃあと鳴く声と海から届く少し肌寒い風。寄り添いあう私達の間に交わされる言葉は何も無いまま。過ぎ去っていくのは時間と鳴き声と南風。

 無言の気まずさは次第に私の心に不安を生み出す。話したいこと、聞きたいことはあったはずなのに全てどこかへと霧散している。

 

「……なんでここに居るんですか?」

「なに、お前の顔が見たくなってな」

 

 かろうじて搾り出した一言。こちらを見るわけでもなく彼女は空を眺めたまま応える。

 

「本当の目的は?」

「お前を嗤いに来た、とでも言えば満足か?」

「ごまかさないでください」

「仕事だ。それ以上でも、それ以下でもない」

 

 彼女は懐から取り出した濃紺のボックスから取り出したそれを口に咥え、手に取ったマッチを擦り火をつける。

 ふう、と立ち昇る紫煙。私の嗅ぎ慣れた煙草の香りが鼻をくすぐる。

 

「篠ノ乃束の絡みですか」

「機密事項だ。私は答えを持ち合わせていない」

「それとも私の監視ですか?」

「貴様が、それを知る権利はない」

「なら亡国の調査ですか」

「部外者に明かすとでも思うか?」

「思いません」

 

 平行線が続く。彼女は拒絶し、私は歩み寄ろうとする。でもその度にナタリーさんは私を突き放すように冷たい言葉を投げかける。

 

「私は軍属、お前は一般人だ。たとえ元が私の部隊の……娘のような存在でも、いや、だからこそ伝えるわけにはいかん。それを納得しろとは言わないが、どうか心に留め置いてくれ」

「……わかり、ました」

「すまない。いい子だな、アヤカ」

 

 そっと小さな手が差し出され、私の頭を優しく撫でる。その手のひらは小さく多くのものを取り零し、数多の敵と味方の血で(まみ)れたものであったとしても、その手の放つ優しさは母親の持つそれと同じものだ。

 

「ついでに言っておこう。もう我々の側に首を突っ込むな。お前は今やただの女子高生なのだから普通の生活に戻る努力を為すべきだ。平和な時代を精一杯に生きろ。

 何か困ったことやアクシデントがあれば我々がカタをつける。テロだろうが戦争だろうが知ったことか。子どもに降りかかる火の粉を払うのが親……大人の責務なのだからな。

 いいか、これからの私はお前の元上司でも同じ部隊の同僚でもない。“ただのナタリー”だ。同い年の友人として好くしてやってくれ」

 

 そっと離れた手のひらの温もりは四月の潮騒に乗って消えていく。ナタリヤ中佐、いやナタリーの浮かべた笑みはどこか寂しげな、だが確かに喜びを含んだものだ。

 もしかすると彼女がわざわざ学生などという身分を選んだのは、死んで行った彼らを偲ぶためだったのではないか。彼らが生きるはずだったろう未来、彼らが選ぶはずだったろう道を奪ったのは紛れも無く彼女であり、私も同様の末路を迎えたかもしれなかった。彼らが描くはずだった未来を思って彼女は今にも涙を流しそうな笑顔を浮かべているのだろうか。

 あるいは彼らとの思い出を心に刻み込むために。

 

 立ち上がって水平線を眺めるナタリヤ中佐の背中はいつの日にか見た父の背中のようで、しかし見たままの未だ幼い少女のようにも感じる。



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オリジナル小説試作品第一話

簡単な説明

・主人公(現代人)異世界へ行く。
・魔法もチートもないんじゃよ。
・国盗りだとかはない。王様になるとかそういうのはしない。
・汝、ケモミミに悶えよ。
・俺死んでまうストーリー……ではなく俺現代に帰るストーリー


 

「ふうっ……ひどいなこりゃ」

 

 深々と白雪の降る夕闇の中、肌を撫でる凍てつく風から身を守りつつ家路を急ぐ。一月の下旬、例年稀に見る降雪量だとか天気予報で言っていたのを覚えている。瀬戸内のこの町には珍しいもので、なんと膝下に三十センチは積もっている。

 

「道路もダメ、仕事もできん。まあ、仕方ないんだろうけど」

 

 住宅街の広がる小高い丘陵地を走る道路の歩道から見下ろすように眺める景色は一面の銀世界。全てを覆い隠す白の絨毯。それを照らすのは家々の明かりと僅かな夕日。そして灯り始めた電灯の輝きくらいなものだ。

 だだっ広い道路を走る車は一台もなく、歩道を歩くヒトも自分一人だけ。片手に携えたコンビニのビニール袋にはカートン買いした煙草と僅かなお菓子。こんな雪の日に煙草が切れるなど悪夢でしかない。

 

「……そういやこのへんに」

 

 思い出すのは小学生の時代のころ。この丘陵地帯がまだ道路くらいしかなく、青々とした森林とみかん畑が広がっていたころの記憶。中央分離帯の向こう側へと続く地下通路を通って反対車線側に広がる森の中を探索しにいった記憶だ。

 

「お、まだあった」

 

 雪で見えにくくなっているものの、そのコンクリートむき出しの入り口は子供のころの記憶と大差ない。足元は凍っていないが雪が降り積もっている。慎重に一歩ずつ降りていくとそこはひんやりとした空気の留まった通路が奥へ奥へと続いている。

 

「落書き、狭い通路、少ない電灯……夜に来たくはないな」

 

 友人たちと駆け回った日々。望郷、懐古、憧憬。あの日の俺達はただ無邪気に、大人となった自分たちを想像することなどなくひたむきに“今”を生きていた。

 中学校を出て高校生になり、大学生となり、社会人となり……既に8年だ。昔は一緒に遊んだ仲間との連絡も特になく、ただひたすらに“今”を惰性のように生きている自分。

 夢を見失い、立ち止まり、果たしたい野望も捨て去った“今”を過ごす自分を見たら……昔の自分は何と言うだろう。

 懐かしさを思い出しつつも駆け足で走り抜け、反対側の車線の出口へと躍り出る。振り切るように、逃げるように、振り返ることもなくただ前に前に。

 駆け抜け、目の前に広がるのは一面の白。何も変わらない。

 

「…………あ?」

 

 ただただ白い平原が広がる世界。道はなく、家々もなく、光を放つ電灯さえもない。全てが雪の下に消え去ったのかと勘違いしそうになる光景。

 

「……何、が」

 

 おかしい。そう思って後ろを振り向けば自分が駆け出してきたはずの地下通路はどこにも無い。ただ何も無い雪原が広がるだけだ。

 周囲を見渡してみてもそうだ。見えるのは木々の広がる森林となだらかに続いていくだけの銀世界。

 

「どう、なってる?」

 

 何かがおかしい。違和感だらけだ。若干だが身体が軽いような気がする。俺はつい三日前ぎっくり腰で身動きさえとれなかったはずだ。重い体を引き摺ってコンビニに出向いたはずだ。

 心なしか声も若干高い。祭りで喉が枯れるほど声を出し続けてきたから随分と低かったはずの声が、僅かに……だが確かに高くなっている。

 思わず触ったのは下腹だ。服の下に冷たい手を突っ込んで肉をつまもうとするも、それはどこにもない。あるのはカチカチの腹筋と、そこに触れる冷たい手の感触だけ。ほんとにどうなってるんだ。

 この二年ほどで体重はガッツリ二十キロは増えたはずだ。週末はいつもの飲み屋に出向いてママさんや飲み仲間のおっちゃんじいちゃんたちと楽しく飲んだり愚痴ったりしてきた。かつてしっかりと割れていた腹筋は分厚い皮下脂肪と内臓脂肪でポッコリしはじめ、体重は既に九十キロに乗ろうかという事態だった。

 

 それが、無い。それもここまで腹筋が割れていて、なおかつ腕の筋肉も手首の筋肉もあり、それに傷めていた靭帯断裂の後遺症の痛みが無い。 

 

「よし! まずは落ち着こう。クールに、クールになろうか俺。とりあえず考え事なんてコーヒーの一本でも飲んでる間に解決するもんだと誰かも言っていたはずだ。

 まずは煙草だ。煙草を吸う。そんでもって落ち着こう」

 

 寒さに震えながらも取り出した最期の一本に火をつけ、紫煙をふぅっと空に向かって吐き出す。

 何をするべきか……ここはまず自分の住む町だと確認するべきだ。

 

「……不通、だな」

 

 スマートホンの電源は入っている。だが電波は受信できない。もちろんだが通話も不可能だ。今時こんなエリアが日本にあってたまるか。

 

「よし、次は東西南北だ」

 

 現在地不明。となると次はまずどちらが北なのかを確認するべきだ。元英国陸軍歩兵連隊出身のサバイバル教官も言っていたことだ。

 腕時計の短針と十二時の真ん中に薄く輝く太陽をあわせ、六時の方角が北になる。一先ずはこれで東西南北はおおよそ目処が立つ。

 自宅は俺が向かっていたコンビニから西の方角だから……三時の方角に向かえばいい。

 

「……山の中に戻れと? バカかよ俺は。俺の家が森の中にあってたまるか」

 

 自分の知識の中にある地理とまったく合致しない。西には小高い丘があるだけで家などどこにも見当たらないではないか。

 一致しない知識と土地。ヒトの気配など微塵と無い平原。戻ることさえできない場所。ここは、どこなんだ。

 

「くそっ、異世界だとでも? バカバカしい! こんな……こんなことあってたまるかよ!」

 

 ゲームや小説の出だしのような展開に思わず悪態を吐く。……ダメだダメだ! イライラしていても埒が明かない。こういうときは……そう、小さな目標を立ててそれをクリアしていくんだ。サバイバルの状況下では精神的な衰弱こそが致命的なのだ。

 

 びゅう、と吹き抜ける風は更に寒さを増して駆け抜けていく。ぶるりと震える身体を思わず屈め、白い大地に顔を突きつけて自らに問う。

 

 まず何をするべきだ。何を目標として立てるべきか。最終目標を何とするか。

 

「まず、そう、だ……寝床。寝床が要る。食料と飲み物は、今はいい。て、手元にコーヒー牛乳と日本酒、あと、は、ち、チョコとつまみが、ある。大丈夫、だ、だいじょ、ぶ、だ」

 

 がちがちと歯がぶつかる。声に出せ、声に出して確認するんだ。恐れは今は飲み込め。現実だと認めたくないけれどもそれは今は後だ。今目の前に差し迫った脅威……凍死の現実だけは何としても回避しなければいけない。

 三十年程度で死ぬなんていやだ。俺はまだ結婚だってしていないし、両親や兄弟を残したままここで斃れるわけにはいかない。

 

「い、家に……帰る。帰ろう。そのために、まず寝床が要る」

 

 思い出せ。思い出せ。こんな雪原の只中で眠ることはできない。かといって森の中に逃げ込んでも野生動物に襲われでもしたらそこで終了だ。俺の三十年はケモノのエサとなって幕を閉じる。そんなのはゴメンだ。

 

「せ、雪洞だ! 雪は深いみたいだし、俺が入れるくらいのなら作れるはず……」

 

 とはいえ素手では無理だ。カチカチに固まっていて木の枝くらいはないと何もできない。……結局森の中に行くしかないのかよ!

 ばさ、ばさと雪を掻き分けながら歩いていくこと一時間。汗をかかないようにペースを一定に、のろのろと進んで辿り着いたころには空は赤みが差し始めていた。

 

 手ごろな枝を手に雪につきたて、少しずつ掘り進めていく。

 注意点を思い出そう。天井は分厚く、そして軽く均して雪が解けても自身の服に滴らないようにすること。

 穴は深めに掘って、そこから一段上のところに寝床を作ること。そうすれば寒気は深いところに溜まり、上のほうは暖かくなる。僅かな差だがそれこそが明暗を分けるといっていたはず。

 寝るときは崩れても脱出しやすいように頭を入り口に向ける。

 

「くそっ、くそっ……削れろよ! このっ!」

 

 焦るな、焦るな、氷の層が出る程度には深いってことだ。それだけ冷えているということはつまり崩れる可能性が少し減るっていうことだ。

 

「はぁっ、くそっ……ああもう! また折れた!」

 

 落ち着け、落ち着け。俺ならできる。知識しかないけどできる。今は自分を信じてやるだけだ。

 

「……なん……で……なんで、俺……こんなこと……」

 

 手を動かせ。思考を廻らせるんだ。諦めていいものか!

 

「…………また、折れたな……」

 

 よくやったなんて考えるな。もう諦めてもいいだなんて思うな。一日と潜り抜けてもいないのに――

 ――もう、いいじゃないか。

 違う、そんなことを思うな。例え心がそう叫んだってやるしかないんだ。身体を突き動かせるのは心だけじゃない。思考しろ、思考しろ、思考しろ――

 ――最期くらい、酒と煙草で締めたっていいだろう。

 甘ったれるな! こんなもので終われるほど年食っちゃいないだろうが!

 ――所詮人間なんてこんなものだ。自然には、勝てない。

 何も遺せないまま終われるのか!? 終わっていいのか! 爺さんもオヤジも、曾じいさんもそのご先祖様も精一杯生きて繋いだものを――遺せず終わっていいのか!

 

「…………っ! ちくしょう! ちくしょうっ!」

 

 ああそうだ。やるしかない。やるしかないんだ! “遺す”ことができるのは、目一杯抗って生き抜いたヤツだけだ!

 ――ああ、まだ死ねない。

 抗えなきゃ死ぬだけだ。死ぬにしても抗いぬいて、生き抜いてみせろ!

 ――まだ、まだできることがある。

 

「……あとは、ここに枝葉とかコケを敷き詰めて……」

 

 そうだとも、まだ終われないだろう。

 ――終わって、たまるか!

 

 

「――できた……?」

 

 俺は何をどうやったんだろうか。ただ一心不乱に掘り進めていた気がする。諦めてはいけないという思考と諦めてもいいという心が混ざり合って不協和音を奏で、涙と鼻水を零しながら、それが凍りつきそうになるたびに袖で拭って掘り進めてきた。

 

 冷たくなった手で日本酒の瓶の口を開け、ラッパで一口飲み込む。じわりと広がるアルコールと清酒の香り。ぼうっと火が灯ったように熱を帯びるカラダ。冷え切った手を肌で温めふらふらのまま寝床に身体を横たえ、雪とビニール袋で入り口を軽く塞ぐ。

 

 やるだけのことはやった。指先に力など入らない。全身を動かそうにもくたびれすぎた。断熱材代わりに敷いた枝葉と、いつの間に剥ぎ取ってきたのか木の皮を毛布代わりに被って瞼を閉じる。

 

 どうか、明日がありますよう。叶うことなら、これが夢でありますように。

 

 ほんと、夢であってほしかった。

 

「グオオオオオオォォォォォンッ!」

「ジーザス……」

 

 結論から言えば一夜を過ごすことはできた。一日を生き延びたことに感謝して雪洞の入り口を塞いでいた雪を掘って這い出た瞬間、俺は穴熊チキンを決め込んで再び寝床に潜り込んだ。

 

「……ああ、やっぱ異世界だよなこれ」

 

 そうだな、と心のどこかで諦めたような声が聞こえた気がする。ゆっくりと入り口から覗き見た先、雪原のど真ん中で新雪と戯れる四足歩行の青い体色の存在が目に留まる。

 

「どう見てもドラゴンです。本当にありがとうございました」

 

 早くも俺の異世界サバイバルは終了のようです。少しはくだらないことを言えるだけの元気も出てきたというのに、その矢先にこれである。

 目の前のドラゴンは口から白い吐息を吐き出し、雪に身体を擦り付けるようにのた打ち回っている。はためく真っ白な翼が雪を舞い散らし、ダイヤモンドダストのような幻想的な風景を描いている。

 これが犬猫ならまだ可愛いものだが相手は遠目に見ても巨大な竜だ。尻尾や爪が掠めるだけでも人間は吹き飛ばされ、運が悪ければ押し潰されて“YOU DIED”一直線である。

 あんなものを相手にできるのは一般人じゃない。逸般人だ。

 

「……ん? 飛び立った……?」

 

 一際大きな突風が吹き荒れた後には竜の姿は空に向かって飛び上がっていた。青空の彼方、地平線へ向けて飛んでいく姿は雄大にして美麗。思わず寝床から這い出て仰ぎ見るほどには美しい。

 

「――往くか」

 

 手に掴んだ酒瓶を口へ運び、中身を一口飲み込む。ほうっと温もりを感じる身体でビニール袋を引っつかみ、丘陵地帯を下るように歩を進める。幸いにも野生動物の類はどこにも居ない。気配すらも感じない。

 おそらくは生態系の頂点たるあの竜が近くを飛び回っていたからだろう。恐れをなして出てこないのかもしれない。その竜の威を借るように歩を進めていく。

 あらかじめ柔らかい枝と葉を組み合わせた“かんじき”を即席で造り一時間、二時間、三時間と歩き続ける。壊れては補強し、壊れては組みなおし酒を軽く飲んでと繰り返す。

 とにかくまずは目標地点が定まらなければ何もできない。そしてその目標地点を定めるには一面を見渡せそうな場所、例えば巨木のてっぺんや高台に登って周囲を見渡すことができなければならない。

 自分の目で見える範囲の外は何もかもが不明なのだ。幸いにも山の中に居るだけあって山頂と山の麓がどちらなのかはわかる。あとは周辺地理を大雑把にでも見渡せる場所から今後を決めればよい。

 真新しい新雪の上をゆっくりと歩きながら見渡す光景は自身が見たこともない景色ばかりだ。凍てついた針葉樹の森が広がるばかりで生物の痕跡は一切見当たらない。南に向かってひたすらに樹氷の並木をすり抜けて歩を進めていたとき、急に目の前に眩しい陽光が差し込んだかと思えば、その先はどこまでも見渡す限り白山の居並ぶ幻想のような光景が飛び込んでくる。

 

「……すげぇ」

 

 正面と左手にはどこまでも遠くに折り重なるように連なる雪の山々。その頭上に青空がただただ続くばかり。右手には尾根が延び、その麓から平原が広がって続いている。所々には湖か池らしい水色の点がぽつぽつとあってその脇を流れる小さな小川が何本か交わって大きな一本の川になって伸びている。

 風が吹き抜ける音以外に何も聞こえない。目に見えるのは黒い岩肌と真っ白な雪の肌になった山脈。そしてまばらに立ち並ぶ針葉樹の木々。

 

 世界の果てだ、という言葉が心の中で反響するように広がっていく。ヒトの領域などどこにもなく、ただあるがままの自然が地平の果てまで続いていくだけの世界。

 コンクリートの大樹と送電線が蜘蛛の巣のように延びるだけの現代の日本では有り得ない光景だ。このような場所があるとすれば海外の、それもユーラシア大陸の中央部や南北のアメリカ大陸のような広大な大地にしか無いだろう。

 

「ヒトの痕跡なんてありゃしない。山と山を繋ぐジップラインすらも無い。……洞窟でも探すか? 壁画や落書きの一つでも見つけられれば、少なくとも誰かに出会える可能性があるはず。……もしくはかつてヒトが存在したことの証明になるんだけどな」

 

 見えざる何かを探し出すというのは困難を極める。ましてこの雪の世界だ。文明の名残も何も無いところに住んでいる人間に日本語が通じる可能性はほぼゼロだろう。

 

「けど……排他的な部族だったらもっと厄介だしな」

 

 二十一世紀の地球ですら未踏の地が存在しているのだ。未だ知られざる部族や新種の動物も見つかっている。そして自分たち以外の別の人種や部族外の人間を攻撃するようなヤツラが存在するというのは()()の事実だ。

 食人種だって未だに存在しているのだ。サメに食われただのヒトに食われただのというニュースは現代の日本人ならば聞いたことがある程度には知っていることだ。

 

 白銀の煌きが照り返す世界。ここにもしヒトが住んでいるのならどういうヒトなのだろうか。狩猟民だろうことは想像に難くない。閉鎖的で排他的であろうこともそうだ。それよりも問題は彼らが食料としているものは……ヒトなのかその他の動物なのかだ。

 俺はまだ死ねない。死にたくないんだ。

 

「……とりあえず」

 

 コートのポケットから取り出した煙草の箱を開き、一本を口にくわえる。少し湿り気を帯びた冷たい煙草の先にライターで火を灯し、一息吸い込んで肺に空気を吸い込む。

 冷たく澄んだ空気が口内の紫煙と交じり合って吸い込まれ、身体の内側を満たしていく。氷点下の三十度以下の状態では空気を直接吸い込んでしまうと肺が凍結しかねないが、スマホの温度計を見る限りではせいぜい氷点下十度というくらいなので問題ない。

 ゆっくりと適量を吸い込んで吐くと、白い吐息と紫煙が立ち昇る。

 手ごろな岩の雪を払いのけて腰掛けるとひんやりとした冷気が尻を撫でる。

 

「随分落ち着いた……というか吹っ切れた感じだなこれ。わけもわからずサバイバルしなきゃならなくなったってのに。一日越したお陰で余裕でも出たのか?

 とりあえず現状を考え直すしかない。進むべき方向は決まりだ。平野部を目指せばいいんだし、川沿いに行けば集落がある可能性もある」

 

 とりあえず落ち着いて所持品から何か使えそうなものが無いか考えよう。本来なら昨晩にでもやっておくことなのだろうが、動転して何も考えられなかったのだから仕方が無い。

 座っていた岩の上に手持ちのものを放り出す。腕時計を触らないよう出して、ポケットを隅から隅まで手探りで引っ掻き回して何か無いかと期待したものの何も無い。

 結局のところ所持品は財布(カード等一式)と所持金が四万円。それに加えて時計、スマホ、黒のボールペンと手帳、眼鏡ケース、携帯式の充電器と第六世代のポータブルメディアプレイヤーとイヤホン、それにコンビニで買った酒とつまみとチョコレートだけだ。

 

「……清清しいまでに使いもんにならないな。通貨が使えるはずもないしスマホもプレイヤーも電池切れになったらそこで終了だ。時計がアナログ式でよかった……デジタル式表記だったら何もできなかった」

 

 道具とは詰まるところ、使う人間の工夫一つでしかないのだ。使えないだの、わけがわからないよなどという言葉を吐く前にどうすれば活用できるのかを思考しなければいけないのだ。レモンの搾り機(スクイーザー)だって挟み込むタイプのものであれば木の実を砕くくらいはできるだろう。靴紐やイヤホンや電子機器のケーブルだって何かに巻きつけて止め具のように固定するくらいには使える。

 ベルトの金具であれば体重を支えるくらいは辛うじてできるかもしれない。

 

「とにかく下山しよう。南の山すそからなら滑降して降りられるかもしれない」

 

 この山と向かい側の山の間に横たわる谷間はずっと先の平野部へと続いている。その手前には同じように流れていく川がある。となれば、川伝いに下山していくよりもスキーヤーのように滑り降りるほうが時間が短縮できる。

 

「ええと、方角は……太陽があっちだから……なるほど、左手は東、正面が南、右手奥に見える平野が南西になるのか」

 

 ふと見上げた空の向こうが暗闇に閉ざされていく。じわりじわりと侵食するような速度で、夜が迫りつつある。

 

「くそっ、日が沈むのが妙に早いと思ったけど結構な緯度だぞここ。極夜ってほどじゃあないが日中が短すぎる! もう薄暗がりになってきてる!」

 

 この寒さじゃ夜行性の動物は動くことはまず無いだろうが、それでもあのドラゴンのように自分など一口でガブリといけてしまいそうな原生動物が居ないとは限らない。

 その上土地勘も無いし雪山の知識も無く、食料も飲み物も少ないというないないづくしの状態で夜間の行軍は危険すぎるだろう。

 そう思い立ってすぐにシェルター作りを開始し始めてどうにか作り上げたころには暗闇の世界になっていた。

 ほんの数時間の行動をしてあとの十数時間をねぐらで過ごさなければならないとは。

 

 

 二度目の朝は変わらず爽快な朝だった。澄んだ冷たい空気、澄み渡る青空、代わり映えの無い新雪の世界。……両親や兄弟は俺が二日も戻らないことにどう思っているのだろうか。心配性の両親と能天気な兄弟、つい昨年黄泉路へ旅立った祖父、一緒にバカやってきた会社の同僚、彼等は今頃どうしているのだろうか。

 

「生きて、帰らなきゃな」

 

 凍死体(ゆきだるま)となって帰る気など毛頭ない。生きて帰るんだ。生きて帰って温かい風呂に入り、温かい炬燵に入り込んで、温かい酒を飲む。

 程よく酒が回ったところで温かい布団に潜り込み、ただひたすらに疲れを忘れるために眠りたい。そしてまたいつもどおりの日常が始まるのだろう。

 代わり映えの無い仕事をして、他者が頭を抱えそうな脳内理論で物言いしてくるクソを煮詰めて濃縮したような上司をスルーし、苛立ちとストレスを溜め込んでまた一日が終わる。鮮やかなこの世界の景色も色あせ、灰色に覆われて忘れ去るのだ。

 

 そうだ。ただの夢くらいのものでいい。思い出として心に残るだけでいいじゃないか。

 

 目覚めたあと雪をこすり付けて顔を洗って歩き始める。

 軽くチョコレートを食べて酒を飲み、用を足したところに雪をかけて隠したのを確認してから崖と言っていい急斜面を一歩ずつ足場を確認しながら降りていく。強風に揺られそうになるたびに岸壁にしがみつき、疲れた腕や足を休ませながら下っていく。

 万一踏み外せばそこには死が大口を開けて待っている。山岳地帯に生息する鹿や山羊ならば踏み入ることはできるだろうが、大型の肉食獣やオオカミなどは入り込めないだろうほどには断崖になっている。

 そんな断崖絶壁一歩手前の場所に突き出ている踊り場のような場所に歩いて辿り着いた。

 

「お邪魔しまーす……どなたか……おられませんかぁ……?」

 

 か細い声で恐る恐る、壁から少し顔を覗かせて問いかけるも返事は無い。

 

「よし、居ないな。……思えばこれが初めての文明の名残だよな」

 

 そこは平たく言えば住居だった場所だ。文明のレベルとしては現代どころか中世以前のさらに以前、紀元前といえばいいのだろうか。壁に開いた穴ぼこを利用して作った通路と風除けになるように穴を掘った寝床があり、薪の燃えた痕跡が残っている。近くにある一際大きな燃えカスの痕跡はおそらく調理場だったのだろう。いくつかの骨片が残っている。

 奥へ進むと天井から滴る水が溜められた穴がため池のようにあり、これが生活に必要な水として使われていたのだろう。

 二つに別れた通路の先は大人二人が寝転がれるだろうスペースがあり、枯れた草木が残っていて、壁には石で刻まれたのだろういくつかの絵が描かれていた。いずれも白い線で描かれているだけでしかないが、そこに描かれているのはクマらしいナニカ、ドラゴン、オオカミのような獣が、耳の生えたヒトやシカらしい動物に襲い掛かる光景だった。頭の毛皮を被り物にでもする風習があったのだろうか。

 

 はい、確定です。このへん肉食獣居ます。武器なし食料なし水もなし。ヒドスギィ!

 

「出れば危険。かといって迂闊に留まるわけにもいかず……むむむ」

 

 とりあえず今は何も考えないようにしよう。思考停止でも現実逃避でもなんとでも言うがいいさ。こんな極限状態を経験したことのないヤツになど勝手に言わせておけばいい。

 

「進む前に休憩だな」

 

 食料も何も無い場所だが薪が残っていた。薪の痕らしい場所に枝を置き、枯れた草を焚き付けに使って火をおこす。

 木々が燃える音がパチ、パチと響く洞窟。温かな火のぬくもりが全身を包み込む。憧憬が蘇る。望郷が首をもたげる。渇望が泣き叫ぶ。

 帰りたい。帰りたい。ずっと心で燻っていたものが一気に燃え上がるように吹き出して来る。

 

「……寒いな。こんなに温かい火があるっていうのに、ほんと……寒いなぁ……」

 

 眠りから醒めてただの夢で終わることなどなかった。ならばやるしかない。生きて山を下り、ヒトの住む場所へ出るんだ。道路を見つけるでもいいし、狼煙で見つけてもらうでもいい。

 ここには“誰も来ない”のだ。あの部屋や洞窟の状況から見て、数十年どころではない長い間使われた様子が無いのだ。ここで助けを待つだけというのは、あまりにも“逃げ”に傾きすぎだ。

 

「……やるしかない!」

 

 心で燻っていた望郷の念を踏みにじるように燃えカスの枝に水をかけて火を消す。覚悟はできた。生き延びるための最善を尽くすしかない。

 再び斜面をゆっくりと下ると粉雪が舞い始める。これは祝福だろうか。それとも悪意だろうか。自然にそんなものが存在するわけがないのに、不思議と恐怖を感じることがない。

 降り立った場所は木々もまばらな雑木林の中だった。足元に注意して斜面のほうを目指して進むと、昨日あの断崖から眺めていた斜面がずっと先の山の麓まで一直線に続いている。

 

「よし……いくぞ!」

 

 先日から使っていた木の皮を尻に敷き、斜面に腰掛ける。このまま滑り落ちれば山を下りられる。だが一度でもバランスを崩してしまえばそのまま転倒、骨折、運が無ければ首を折って即死だ。

 

「くっ、おっ、おっ、こ、こりゃ! や、やばくないか!?」

 

 滑り出しは順調。しかし一度スピードに乗った身体が止まることなどありはしない。空気を裂き、一直線に滑り降りる恐怖感。肌を刺す痛みのような冷気。駆け抜けていく景色が恐怖とスピード感を同時にこの身体にたたきつけていく。

 

「くっ、そぉっ! 止まれっ、止まれえぇっ!」

 

 目の前に迫るのは突き出したようになった岩塊。さながらスキージャンプのジャンプ台から飛び立つように身体が空を舞う。

 どすんっ! と鈍い音を立てて落ちた身体が雪に塗れる。世界が目まぐるしく入り乱れる。青空、白、真っ暗、青空、白、真っ暗と次々に変わる視界。

 全身を走る痛みと冷たさで身動きも取れないまま、身体がゆっくりと横たわる。鼻をつく清酒の香り。飲み水であり寒さ対策の最大の友であった日本酒は瓶ごとお釈迦となったらしい。

 

「ゲホッ、ゲホッ、くそっ、ほんと最悪だ……!」

 

 痛みを訴える身体をどうにか起き上がらせて山を見上げると、真っ白な雪の上を点々と続く穴ぼこが目に入る。随分な距離を飛んだり跳ねたりしたらしい。

 

「けど、幸い下山はできた。……すっげー痛いけど」

 

 森の中を凍結した小さな川沿いに下りさらに歩く。川は完全ではないが凍りついていて、少し歩いた程度では割れもしなかった。

 もし家屋が見つからなくても倒木や枝葉を利用したシェルターが作れるだろう。それくらいには木々が増えているし積雪量も減っている。まばらに残った雪と苔むした岩や背丈の低い草が茂る程度の場所だが、野ウサギやネズミなどの小動物が住むには適しているだろうし食料になりそうな魚も川の中に居るだろう。……最悪の場合倒木に就寝中のイモムシが夕食になりそうだが。

 

 森を抜けてしばらく川沿いに歩いたところで目に飛び込んできたのは石組みの壁と木製の頑丈そうな門だった。

 初めて見る人工物。規模としてはそこそこ大きめの村という具合だが、城砦の如く聳える尖塔がいくつか見える。晴天の空の下にたなびく旗にはシンボルらしい刺繍がなされ、壁の上を行き交う何者かの姿も遠目ながら見える。

 

 ヒトだ。

 

 たったそれだけ。だがそれはなによりも心に歓喜をもたらしてくれるものだった。

 文明を持つ同類(ヒト)が住んでいるということは、少なくとも危険地帯はどうにか脱したということの証左でもある。……受け入れてもらえるかは別として。

 

 ともかくヒトを見つけたと確信した俺の脚はそれまでの疲れが嘘のように歩を進めていく。

 腕には力が入らずビニール袋は引き摺るようになってしまうが、最早形振りに構うような思考はなかった。ただ助かりたいという一心だ。

 

 こちらを視認したのか、門の上に佇む人影はこちらを見てすぐに後ろを振り返って何かを喋っている。手にしているのは……まさかの弓矢だ。

 

「やめろ! こっちに敵意は無い! 助けて欲しいだけだ!」

 

 手にしていた袋を投げ捨て両手を広げてみせようとするものの、腕に力が入らずに中途半端なところまでしか持ち上がらない。こちらを見て矢を番えて構えていた衛兵らしい男が弓をゆっくりと下げると、再び後ろを振り返って何かを喋っている。

 

 ぎ、ぎぎ、と重苦しい音をと共に門が開く。全てではなく、ほんの僅かな隙間くらいだがそれだけでも嬉しい。そこから現れた数人の人物は皆毛皮で作ったらしいコートと帽子、そしてレザーと金属板を組み合わせた軽装の鎧という風体だ。手には皆一様に弓矢を持っているが、こちらが無手とわかったのか弓を肩にかけてこちらに近づいてくる。

 

「6j5fuimkq2?」

「……えっ」

 

 人類のコミュニケーションツール、言語の壁が無常にも立ちはだかる。生憎こちとら英語に関しては中高大とろくなものではなかったのだ。即座に対応できるわけもなく、しかも英語でもロシア語でもない言語で語りかけられてはどうしようもない。

 

「えー、と……わたし、リュウト・マツナガ」

 

 身振り手振りで自己紹介。まずは自分を指差して名前を教える。

 案の定彼等はこちらを訝しげにじろじろと眺めてくる。それでも諦めずに自分の名前を彼らに伝える。

 

「リュウト・マツナガ」

「3-、リャ……リュウタ・マチ……ナグ?」

「リュウト・マツナガ!」

「3ー、」r2tdeu。j3ee、リュート、gnfup2bbi?」

 

 だめだ。さっぱり通じる気がしない。幸いにも敵意が無いことは伝わっているようだから無碍にはされない……と思いたい。

 うんうんと唸っている髭面の中年の男の後ろから更に複数の人がこちらに向かって歩いてくる。流石に業を煮やしたのかもしれない。

 

「s24w2rt?」

「nbxj、xzf「lw2r」

 

 彼の後ろから話しかけてきたのは少女と呼んで差し支えない女だった。年のころは十代の半ばを過ぎたかどうかという雰囲気の、俺の肩ほどより少し高い程度の背格好の少女だ。

 たなびく白銀の髪を無造作に背中に流した彼女は他の男たちよりも少し上等そうなコートを羽織り、無骨一辺倒な男物とは違って装飾の施された革鎧を着込んでいる。

 胸元につけたナイフと腰に携えた大振りの鉈、革のベルトにつけられたポーチがいくつか。女性の割りにしっかりとした身体付きに見えるのは装具が多いせいだろう。

 何より印象的なのは耳だ。生えているのだ。

 

「……ネコミミって」

「3uqejネコミミzw……!」

「え、あ、いえ、なんでも」

 

 ぼそりと呟いただけのはずが聞こえていたらしい。……待て、聞こえていた、だと。

 

「アー、アー……ワ、タシ……イリーナ、イイマス」

「……俺は……いや、私は、リュートです」

「アゥ……り、リウト……?」

「リュート、です」

「リ、リュゥトォ……? ゴメン、ムズカシ……」

 

 よもやネコミミから会話が成立しようとは……予想だにしなかった結果だ。

 見れば彼女は先ほどまでピンと立っていた耳をしゅんと倒れさせて困った顔をしてうんうんと唸っている。

 しかし何かを閃いたのか、ぱぁっと花の咲くが如く笑みを浮かべてこちらに向き直って言う。

 

「ワタシ、ムズカシ。エト、ババア、ツレテク」

 

 どうやらお婆さんにバトンタッチらしい。というか素でババア呼びしてるんだが大丈夫なのかこの子。

 振り返った彼女は二言三言を他の衛兵らしい男たちに伝えると俺の手をとってせかすように引っ張る。

 寒さで冷え切ったはずの手。もう感覚さえ失いそうになっていた手が温かさを感じると訴えてくる。それは間違いのない事実だ。人肌の温もりは温かいものだ。

 

 だけどその温もりは、もう久しく感じたことのない心の温もりなのだろう。

 

 



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オリジナル小説試作品第二話

 門を抜け、中央の通りらしき大通りを一直線に駆け抜けていく。

 

「ちょぉっ!? 早すぎ! 引っ張りすぎ! 急ぎすぎぃ!」

「ババア! ババア! h¥evsz;wgq!」

 

 大興奮冷めやらぬ、というった様相で手を引く彼女に導かれる。流れていく街並みの景色を目に焼き付けることさえできないままに街中を抜けて入っていった大きな屋敷の居間では彼女と同じ髪色の一人の女が腰掛けていた。

 イリーナ、と名乗ったこの少女が順当に年を取ればきっとこんな感じなのだろうなと思わせる彼女、イリーナが“ババア”と呼んだ彼女は……どう見ても二十台後半ほどに見える女性だ。

 

「ババア! h¥evs! h¥evst@gq9!」

「イリーナ! ck“ババア”zweetq7/uxezwezqw@d94!」

 

 イリーナと同じ白銀の長髪。少しつり目の鋭い視線を放つ凛々しい女性、むしろ女傑という雰囲気の彼女はイリーナの頭に拳骨を落として声を荒げて叱りつける。どうやらお小言やお叱りの類は異世界だろうと共通なようだ。無駄な知識が一つ増えた。

 

「アーアー、うむ。そこの少年、いや青年? ワタシの言葉がわかるかな?」

 

 こちらを向き直った彼女から発せられた言葉は正しく日本語そのものだ。言った本人は少し自信なさげに片耳を掻くようにしている。

 赤いジャンパースカートらしい民族衣装――ロシアのものに似ている――に身を包んだその姿はまるで等身大の人形のようにさえ感じられる。

 丁寧な金糸の刺繍と家柄を表しているシンボルを見る限り、彼女は家長かそれなりの役職にある人間なのだろう。

 

「む、違ったのかな?」

「え、あ、いえ、聞こえています。ちゃんと聞き取れますし理解できます」

「なんだ、ならそうと言ってくれないか。でなけりゃ私が恥をかくじゃないか」

 

 どうやらさっきのはもしかしたら間違えたかもという疑念から生まれた羞恥心の一端らしい。ババアなどとイリーナが呼んでいたからてっきり祖母あたりかと思っていたが、この若々しさや照れたような仕草からすると母親なのだろう。

 

「ワタシはゾーヤという。この“セヴィル・ピオネル”の代表代行を務めている。キミの名はなんというのだい?」

「松永龍人です。初めまして。遅くなりましたが、見ず知らずの自分を受け入れてくれたことを感謝します。ありがとうございます」

 

 疲労感で今にも倒れそうな身体をどうにか持ち直し、背筋を張ってお辞儀をする。あちらはお辞儀がどういう意図を持つのかわからずに首を傾げたが、誠意は伝わったはずだ。

 

「なに、助けとなれたのならば幸いだ。何分この北限の地はヒトが住まうには厳しい環境だ。お互いに助け合うのは当然のことさ。とりあえずかけておくれ」

 

 ゾーヤさんに促されるままに暖炉の近くに置かれた木製の椅子に腰掛けると、ぎし、と軽い軋みをあげて椅子が揺れる。石組みの暖炉は煌々と輝く炎を湛え、完全に目張りされた木組みの家の中は非常に温かい。

 赤色と緑色の糸で織られた絨毯が敷かれ、壁には狩猟の成果らしい動物の頭が剥製でいくつか並んでいる。テーブルに置かれた木製のカップを手に取り、ゾーヤさんは一口飲んでからイリーナに向かって言う。

 

「イリーナ! 6g7hxji3qqten.h0!」

「f,fe!」

 

 急に呼びかけられたことに驚いたイリーナはビクッと身を震わせ、耳の毛を逆立てたまま部屋の奥へと小走りで入っていく。

 イリーナを猫とするならばゾーヤさんはさながら虎だ。

 

「すまないね、気が利かなくて。外は随分冷えただろう? 温かい飲み物を用意させたから落ち着いてから話を聞こう」

「……いえ、そんな」

「ダメだ。キミ、随分酷い顔してるぞ。先ほども言ったが、ここでは互いに助け合うのは当然だ。見ず知らずのキミだが、悪党ではないことくらいはわかる。なら手を差し伸べるのが当たり前だ。ここは素直に受け取っておいておくれ」

「ご好意に感謝します」

 

 暖炉の薪がパチパチと燃える。冷え切った身体が、心が溶かされていくような気分だ。こうした温もりは最早現代に於いては失われつつあるものなのだろうが、今この場所には当たり前のこととして息づいている。

 

「あ、あの、オマタセ、シマシタ」

「……ありがとう、イリーナさん」

「イッ、イエ、ソレホドデモ、アリ……マス?」

 

 イリーナは不恰好で片言の日本語で語りかけながら、木を掘り出して作っただろうカップを俺の目の前にそっと差し出す。

 身に付けていた装具をいつの間に脱いだのか、コートもレザーのベルトやナイフなどは一切身に付けていない。ゾーヤと同じようなジャンパースカートに似た民族衣装に身を包んだ姿は狩り装束の時の彼女とは打って変わって幼げな印象だ。

 まさか彼女が身だしなみを整えるほどの時間を、俺は呆けていたのだろうか。

 

「さ、まずは一息つくといい。山の中を歩き通して疲れただろう?」

「ええ、随分さ迷い歩いたもので……!?」

 

 腰掛けていた椅子から跳ねるように飛び退き、背後を突かれる心配が無いように壁を背に立って身構える。二人が動かないかを警戒しつつ暖炉の傍に近寄ると、壁際に立てかけてあった火かき棒を手に取って正眼に構える。……もちろん俺は剣など握ったこともないし剣道なんてやったこともない。

 ハッタリでもいい。どうにか逃げ延びる算段をつけなければ。逃走経路となるのは入り口だがそこに近い場所にイリーナが居る。窓らしい窓は身体が通るかどうかという狭さのものしかないし、その位置は俺の目線よりもやや高い。飛び乗った時点でタイムロスになるのが目に見えている。

 となると相手の行動を妨害するしかないだろう。……だが、できるのか? ケンカも殴り合いもろくにしたことがない俺に……命を奪うという行いができるのか?

 

「ふふ……聡い子だね。ほんの一瞬で警戒心と敵意がぐっと膨れ上がった」

 

 一体どういうことだ。この女は俺が山の中を歩き通していたことなど何も知らないはずだ。イリーナとのやりとりを思い出してみても事情を説明したような素振りなど何もなかったはずだ。

 

「…………何が目的だ? 生憎と金目のものなど無いぞ。俺を人質にしたところで意味もない。国は最早俺を死亡扱いしているだろうしな」

「おいおい、君、さっきのはほんの冗談じゃ……」

「それともこの村は見ず知らずの人間を捕えて人買いに売り渡す商売でもしているのか? まさかの人食いじゃなかろうな? 俺の居た場所じゃ何度かそんな話が日の目を見てるんだ」

「6azewhq@xe,0qdqaf……」

「寄るな! このくそったれめ!」

「あぅっ!」

 

 近寄ろうとしたイリーナの前に火かき棒を振り翳す。

 ひゅん、と走る軌跡。手を差し伸べてきたイリーナの手を掠めた棒の先端が彼女の手の甲に赤い軌跡を作り出す。垂れ始めた赤い血が散って床を染めるのを傍目に棒を再び構えなおす。“二度は無い”と警告するように。

 咄嗟に手を引っ込めたイリーナはまるで怯えた仔猫のように耳を垂れさせ、その尻尾も力なく床に垂れ下がっている。明確な敵意を受けたことが無いのなら……人質にとってでも……いや、身動きがとりづらくなるくらいならいっそ――まだ、まだだ。まだそのときじゃない。

 

 しかしどういうことだ……まさか雪山での俺の行動が監視されていた? その上でイリーナに俺をここまで連れてくるように仕向けたのか?

 何が狙いだ? こいつらはもしかするとテロリストにでも繋がっているのか? 俺はいたって平凡な一般人だから人質としての価値は低い……まさか見せしめに殺すつもりなのか?

 

「すまない……私が無神経だった。どうか警戒しないで欲しい。君の苦労や恐怖感を考えもせず君を試すようなことをしてしまった。不安にさせてしまって申し訳ない」

「……質問に答えて欲しい」

「構わない。聞いてくれ」

「どうして俺が山の中を歩いてきたと思った?」

「……稀にね、あるんだよ。といってもこの数百年で二度三度ほどしかなかったことだけどね、我々のような耳を持たない黒髪の男がふらりと現れたことがあるんだ。

 私も伝え聞く程度にしか知らないが、彼等はみな君が着ているような異国の装束に身を包んでいて、“ケェタイデヌワ”や“スマホー”なる不可解な道具を持っているらしい、とね」

「彼らが何故ここへ来たのかは?」

「不明だ」

「そいつらはどうなった?」

「……ここを放逐されたらしい。何でも村の女衆に対していきなり頭を撫でたり辺り構わず口説き始めたらしく、気味悪がった女衆が断ると突然怒りだし始めたそうだ。見かねた竜神殿が彼らを放逐したと聞かされた。彼等はどうやら“ニココポナデデポコ”なる技能を持ち合わせているらしい、と先祖より聞き及んでいるのだが、君も持ち合わせているのか?」

「そんなくだらん技能があってたまるか。とはいえ、なんというか、すまない……本当にすまない……」

 

 俺以外にもこうしてここに訪れた人物が――ロクでもないやつらとはいえ――確かに居るとは。彼女の口ぶりも目線も態度も嘘を吐いている様子には見えない。

 ……何を勘繰っているんだ俺は。仮にも手を差し伸べてくれた恩人をこんな疑いをもって接するだなんて。

 おまけに年端も行かない少女に傷をつけるだなんて……情け無い。こんなの以前に現れた彼らと大差ないじゃないか。

 

「どうして君が謝る? 彼等が放逐されたのは彼らの自業自得によるものだ。私には君が悪人であるようには見えない。

 むしろ謝るべきは私だ。君を不用意に不安にさせてしまったのだから。イリーナの怪我も私が軽率だったがためだ……君は、身を守ろうとしたにすぎない……」

「俺も、まだ少し落ち着けていない、みたい……です。ええ、もう少し落ち着いてからでもいいか?」

「もちろんだ。そうだ、イリーナ!」

「uyw@d94t?」

「w3wdwtow@eeto、^7kd@8yv@0duxe」

「fe」

 

 不意にイリーナを呼びつけたゾーヤさんは何か言付けると急かすようにイリーナを手振りで下がらせる。

 

「もうすぐ、今日もまた日が沈む。リュート、君はよく頑張った。この北限の大地に晒されながらも君は生き延びた。今イリーナに寝床を用意させている。今日はもう休んだほうがいい。

 今日の生に感謝して命を()み、明日の生を待ち望みながら安らかな休息をとること。それが今の君に何より必要なことだろう。あんなことをされて……すぐに信用などできないだろうけど」

 

 逃げられるか? ――無理だ。体力が持たない。おまけに窓は締め切っていて出入り口は一つ。壁や暖炉の上には鞘に入っているが長剣や短剣の類も立てかけられてる。お飾りの装飾剣とはいえ、その切っ先を全力で突き刺せば一人の人間を殺すくらいはできてしまう。

 殺すこともできなさそうか? ――ぎりぎり一人ならいけるかもしれないが相手は未知数。不意打ち上等でヤるっきゃない。増援を呼ばれればそれこそ一巻の終わりだ。

 やるだけやって無理ならどうする? ――死、あるのみ……だろうな。逃げ切れるだろうか……。

 それにイリーナを下がらせたのは他の者にこの事態を知らせるために行かせたのかもしれない。となれば迂闊に動いても袋叩きにあってしまうだろう。

 

 ならば今は誘いに乗ってでも体調を整えるのが先決か。逃げるにしても走れないのでは意味が無いのだから。寝首をかかれないようにだけはしなきゃな。

 

「……一先ず休ませてはもらう。ただし別の場所でな」

「すまなかった。君に要らぬ不安を与えてしまったこと、心より謝罪する。

 伝え聞く彼らの人物像と違って物腰も丁寧で受け答えも理性的だったものだから……ああ、そうだな……ついどれほどの人物なのかを測ろうとしてしまった。私の悪癖が君を傷つけ、あまつさえイリーナに怪我をさせてしまった」

「……なんとなく想像はしたが、どういうやつ等だったんだ?」

「伝え聞く話でしかないが……奔放……あ、いや……気ままな者達だったそうだ。

 自信家で、我の強い、己を信じて疑わない……あー、そのような印象だった」

 

 どこか言葉を選んだような口ぶりで彼女は言う。とても、そうとても分厚いオブラートに包まれたその言葉を聴いて妙に腑に落ちた。

 どうやら俺の先達たちは大層なクソッタレだったらしい。それこそこの街の人々が口伝で語り継ぐほどに。だがその言葉から彼女が言ったあの言葉が真実味を持ってきた。

 

「つまり本当に俺がどんな人間なのか測ろうとしたわけか。俺がこの街にとって害となるかどうかを」

「そうだ。結果的には君を不快にさせるだけだった……。だが、これだけは信じて欲しい。この大地は命の淘汰などありふれたことだ。故に我々は協力を惜しまず、互いに生き残るために全力を賭している。

 君を助けたのは決して君を脅かそうとしてのものではなく、この大地に生きる同じ命として受け入れているからこそだ。私を信用できなくてもいい。だがイリーナは、まだ穢れを知らぬ純真な少女でしかないあの子だけは、どうか信じてあげてほしい」

 

 ゾーヤは木製の椅子の肘掛に両手を置いたまま。それだけ言って目を閉じゆっくりと俯き加減で背もたれに深くもたれかかる。

 

「それでも駄目なら、私を好きにしてくれて構わない。殴るでも犯すでも構わない。私は長として君がどういうヒトで、前例の者達同様の危険な人物なのかどうか見極めなければならなかった。

 だが最初に気づくべき……いや、本当は君が心根の正しいヒトだと気づいていたんだろう。とはいえそれだけで安心できるほど私は心が強くなかった……それが結果として君を試すようなことを口走り、君の警戒心を刺激してしまった。希望を踏みにじるような、恥ずべきことをしてしまった」

 

 今の俺の手には凶器となりうるものがある。そしてイリーナは部屋の外だ。目の前には無抵抗……装っているかどうかは別としてだが、無手で椅子に腰掛けただけの女が一人。彼女の頭に向けて火かき棒を突き付ける。

 

「やるのなら……せめて、一息に頼む」

 

 腕が震える。ぎり、と強く肘掛を握り締めた彼女の腕が微かに震える。

 腕が震える。振り翳して殴りつけるための俺の腕が何かを拒否するように震え始める。

 

 ああ、そうか。結局このヒトも俺も死にたくないのは同じなんだ。

 

「……わかった」

「――ありがとう」

「イリーナが居なきゃ俺はきっと未だに野ざらしだった。俺はイリーナに恩がある。あなたがイリーナの慕うヒトだから、俺は何もしない」

 

 あのとき彼女が出て来てくれなければ俺はまたあの雪原にたった一人だっただろう。

 彼女が俺の言葉を理解してくれなかったら、俺がこうして街の中に入ることなどできなかっただろう。

 偶然なのかもしれない。たまたま廻り合わせただけなのかもしれないが、彼女は俺にとって救済を齎した女神にも等しい。その彼女が慕う人物を手にかけるなど恩知らずにもほどがある。

 

「私はこんなしょうもない小心者の小物だが、あの子は本当によくできた子なんだ。いつも明るくて真っ直ぐで、積もったばかりの新雪のように真っ白な子なんだ。あの子を信じてくれるのならこれほど嬉しいことはない」

 

 ふぅ、とゾーヤはため息を吐いて震える手で木目の美しいカップを手に取り、湯気の消えた中身を一息に飲み干す。

 彼女はくしゃりと自らの前髪をかきあげ、そのまま椅子にもたれかかったまま天井を見上げてぶつぶつと呟き始める。その表情はどこか後悔、懺悔するように顔をしかめている。

 

 彼女から敵意や害意は感じられない。彼女は真実を語ってくれたのだと心のどこかで俺も感じている。お互いの不幸な、些細な行き違いでしかないのだと。

 手にしていた凶器を元の場所に戻そうとして、赤くなった切っ先が目に留まる。

 イリーナの血だ。俺と同じ色の、赤い血。俺はそこまで来てようやく彼女達が同じ人間なのだという実感を得た。誰かが暴力で傷ついてからようやくそれを実感するなど……いくら鈍感でもこれは酷いものだ。

 

 俺とゾーヤさんはどちらもか弱い人間だったのだ。相手を疑い、傷つけ、それが間違いであったと気づいて自己嫌悪する……ただの人間なんだ。

 

 半ば投げ捨てるように火かき棒を元の場所に置いて椅子に腰掛、イリーナが持ってきてくれたカップに口をつける。中身は白い液体で、口に含むと山羊のミルクのような味わいが広がる。

 

 互いに交わされる言葉は無い。ただお互いに自分自身の過ちを猛省するばかりの重苦しい空気が流れる。パチパチと燃える暖炉の薪を眺め、外から僅かに聞こえてくる子供の遊ぶ声に耳を傾ける程度しかすることもない。

 

「ババア! 6c4d@60ljdq!」

 

 その重苦しい空気を吹き飛ばす鈴の音のような可憐な声。しかしその口から放たれた言葉はよりにもよって第一声から“ババア”である。

 

「ck“ババア”zwe4k07/uxesuys@――ソフィア?」

「byiaf,6f@3xj.ckvst@?」

 

 イリーナの隣に立つのは彼女よりも更に幼い少女。同じような衣装を纏い、同じように銀色の耳と尻尾を揺らす少女は俺の腰掛けた椅子の隣に来て鼻を近づけ、ニオイを嗅ぎ始める。まん丸な瞳でこちらを凝視するその姿はどこかネコというよりイヌのようにも見える。

 興味深そうにぐるりと一周するほどニオイを嗅いでいると、見かねたゾーヤがソフィアに言う。

 

「ソフィア、ちゃんとご挨拶しなさい」

「fe――初めまして。えと、ソフィア、です。お姉ちゃんやおばあ様が、あの、ご迷惑をおかけしました」

「ありがとう。俺は松永龍人。よろしくね、ソフィアちゃん」

 

 こうして椅子に腰掛けた俺よりも頭一つ小さな彼女、ソフィアは左手を握って自らの胸に添えて一礼する。その所

作はおよそ子供とは思えないほど自然で、彼女の育ちのよさがにじみ出ている。

 

「あの……イリーナさん」

「ハイ! リュート、元気ナッタ?」

 

 まさかこんな年頃の少女に気遣われるなんて。あの時の自分は目で見て分かるほどに憔悴していたのだろうか。俺は彼女を傷つけたというのに、彼女はそれでも俺を気遣ってくれている。

 

「イリーナさん、あの時は気が動転していたとはいえ怪我をさせてしまってすみませんでした。本当に申し訳ありません」

 

 頭を下げて戻してみると、彼女はどうしたらよいのかわかっていないのか、しどろもどろになってゾーヤさんやソフィアにちらちらと目線を飛ばしている。

 見かねたゾーヤさんがイリーナに俺の言葉を通訳して伝えると、イリーナは穏やかな笑みを浮かべてゾーヤに言葉を伝える。

 

「イリーナが言うには、“このくらいの傷は狩りに出ればいつものことで、大したことはないから心配いらない。君は見知らぬ土地に来てお腹が減ってたりよく眠れて居ないせいで気が立っていただけで、きっと誰だってそうなることだから悪くない。あとリーナと呼んでくれればいい”ということだ」

 

 ゾーヤさんの通訳と合わせてイリーナは左手を見せる。包帯を巻いてはいるがなんともないぞ、と言うかのように握ったり開いたりをしてみせてくる。

 

「……ありがとう、イリーナさん」

「at@ejr,イリーナ」

「呼び捨てでいい、と」

「ありがとう、イリーナ」

「fe!」

 

 彼女はにこやかに笑って耳と尾を揺らしてスカートの裾をつまみ、カーテシーのように一礼する。

 

「……はぁ……本当にすまないね。イリーナはまだ神代詞(かみよことば)を習得できていなくてね。同じ孫でも学習意欲がまるで違うのよ」

「カタコトにでも会話できるんですから十分だと思いますよ。……ですが、カミヨコトバというのは? って孫ォッ!?」

「ああ、孫だ」

 

 嘘だ。絶対に嘘だ。イリーナはどう見ても十代半ば。そして目の前のゾーヤさんはどう見繕っても三十代か二十台後半だ。年の離れた姉妹だと言われてもなんら違和感が無い。

 白銀の毛並みの猫耳を持ち、白銀のふさふさの尾と青い瞳。いずれも美人――それも極上の――に分類される容姿の三者が祖母と孫だなんて!

 

「信用していないという顔だな。私は今年で四十三、イリーナは十四でソフィアは六つだ」

 

 なんてこった! 昔の時代は結婚する年齢が非常に若いというのは知っていたけどまさかここまでとは!

 それ以上にこの祖母だ。どうやってこんな若々しさを保っているのだろうか。これで五十を目前にした歳だと? ハリウッド女優もその場に膝をついて崩れ落ちるレベルの若々しさだ。

 

「……リュート君、その、そうまじまじと見られると……少し恥ずかしい」

「すみません、妙齢の方にしか見えないものでして……つい」

「そ、そうだろうか……確かに若いとは言われるが……うん。

 なるほど……だからあいつらいつも尻やら胸やらを触ろうとしてくるのか……」

 

 歳を言われなければ三十、いや二十代後半と言っても通用するぞ。俺なら、いや男ならば確実にホイホイと釣られるだろう。ゆったりとした衣装の上からでもわかるふっくらと実った胸や潤いに満ちた唇、さらりとした長髪に見合う高身長。こんな美人に何も知らないまま言い寄られたら確実に俺は堕ちる。 

 

「しかし子持ちという点はそう驚くことでもないだろう。十五、成人にもなれば好いた男と“つがう”くらいのことはよくある話じゃないか?」

「……自分が居たところでは成人は二十歳だったもので」

「ふむ。確かにそれくらいの年ならもっと落ち着きも出てくるころだし……そういう地域もあるということか」

 

 これが、これが異世界というものか。本当にとんでもないところに来ちまった。

 



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オリジナル小説試作品第三話

「んあ」

 

 薄ぼんやりと見える光景は見知らぬ天井だ。丸太を組み合わせたしっかりとした造りの木造の屋根。嗅ぎなれないベッドのにおい。ひんやりとした空気の漂う室内に差し込む朝日。これはナニカの夢だろうか。

 いつの間に俺はこんな上等なベッドに潜り込んだのだろうか。俺は雪山で雪洞を掘って眠り込んでいたはず。

 ベッドなんて上等なものはなく、草木を敷き詰めたクッションに木の皮を剥いで被っただけの粗末な寝床だったはずだ。こんな温かいものではなかったような――

 

「ああ、そういやここって確か――」

 

 思い出した。ここは人類の生存圏の街だ。ゾーヤさんやイリーナの好意で泊めてもらったのだったか。しばらくまともに食べていないから簡単に夕食を摂って、汗ばんだ身体を濡れたタオルで拭いてさっぱりさせてから眠ったんだった。

 

 新しい朝が来た。希望を持てるかどうかは未だ不明のままだけれど、今この瞬間にも俺は生きている。

 俺はこれからどうすればいいのだろうか。元居た場所へ戻る方法を探すにしても宛ては無い。見ず知らずの土地。己の常識の通じぬ異界。言葉さえ満足に伝わらない。そんな状況でどうすればいいのだろうか。

 これが夢の在る小説だったならきっと俺は主人公のポジションでやたらと規格外な能力やら技能を貰っているのかもしれないが、今この目の前にある現実はそんなご都合的なものを用意してはくれていない。

 家族が居ない。仲間も居ない。頼れる相手すらいない。俺は何をして、何を頼りに、何を目指せばいいのだ。

 

「……人間なんて、こんなものか」

 

 諦めよう。ああ、諦めるべきだ。切り捨てるということは何も悪いことではないのだ。取り返しのつかないものをずるずると引き摺ったってただ重いだけだ。ならせめて余計なことを捨て去って、前に向かって駆け出すべきだ。

 人間は、そういう生き物だ。辛いことや悲しいことを振り払って進む。それが人間なのだから。

 

 そういえばこんなに温かい寝床なんて、あの日こちらに放り込まれてから一度も入り込んだことがなかった。人肌よりも少し温かいこの感じ、湯たんぽでも入れて眠っていたのだろうか。

 

「うみゅ……」

「……ナンデ?」

 

 俺の身体の左隣、胎で眠る赤子のように身を包めた少女――ソフィアが静かに寝息を立てている。

 小さな手でしっかりと俺の寝巻きの裾を握り締め、俺の左足に自分の両足を絡めるように挟み込んだその姿はまるで親の身体にしがみつく仔猫のようだ。実際ネコミミの幼女なのだが。

 

「……大して変わらないんだな」

 

 あどけない寝顔は向こうもこちらも変わりないものだ。安らぎへと堕ちて行く快楽。自らを妨げる者の居ない場所(しきゅう)へ帰ったかのようにソフィアは静かに眠り続けている。

 その頬につい指先が伸びる。ふに、と瑞々しい柔らかな頬がその弾力で指を跳ね返してくる。

 

 ――この子を守れ。

 

 どこかで何かがそのように語りかけてくるような錯覚。だがそれは心にどんな言葉よりも染み込んで焼きついて、更に強さを増して俺に訴えかけてくる。

 

 ――未来を守れ。

 

 そうだ。子供というものは未来なのだ。この子たちもいつか大人になって子を成して、その子供達に未来を繋いでいくのだろう。命を繋ぎ、意志を繋ぎ、未来を繋ぐ……その果てにヒトの歴史が紡がれてきたのだろう。だからこそ“子は宝”なのだ。

 

 不意にトントンという控えめなノックが静かな寝室に響くと、扉の向こうからは聞きなれた日本語が飛んできた。

 

「リュート君、起きているかい?」

「あ、ゾーヤさんですか」

「失礼するよ……ってソフィア……」

 

 昨日何度も聞いたゾーヤさんのため息。けれど彼女の表情は呆れたようなそれではなく、慈愛に満ちたものだった。愛する者へ向けるまなざし、親が子へ向けるような優しい微笑みを浮かべて彼女は言う。

 

「……すまないけれど、ソフィアをしばらくそのままにしてやって欲しい」

「いや、それは流石にまずいんじゃ……」

「どうか頼む。……少しでいいんだ。この子に……父親の温もりを感じさせてやってくれないか」

「それは、つまりソフィアちゃんは……」

「君の察したとおりだ。ほんの少しの……束の間の夢でいいんだ……」

 

 そっとソフィアの頬を指先で撫でた彼女の表情は母親の顔をしている。海よりも深い慈愛と空よりも広い寛容さを湛えた彼女は愛しげにソフィアを撫でていた手を離して静かに扉を閉めて立ち去った。

 思えばイリーナとソフィアの祖母はゾーヤさんだが、二人の母はどのような人物なのだろうか。そしてあの言葉から察するに父は恐らく……既に鬼籍に入ったのだろう。そしてソフィアは父を知らぬまま育ったのだ。

 

 昨日あの時、ソフィアは俺のニオイを何故か執拗に嗅ぎまわっていた。見知らぬ父の残り香が俺のニオイに似ていたのだろうか。それとももっと別の何かか。

 一体この子は何を見出したのだろう。初対面でろくに話したこともない俺のベッドに潜り込むなど、いくら子供だからといっても警戒心がなさ過ぎる。

 

「いや、今はそんなことはどうでもいい――」

 

 今はただ、一つの小さな命が安らぎに抱かれている。それを妨げない、妨げてはいけないのだ。この安寧のひと時を守ることこそ、今の俺のなすべきことなのだろう。

 

 親というものはこういうものなのだろうか……父親というものは……。

 

 

「んあ?」

 

 薄ぼんやりと見える光景は見知らぬ天井……いやつい先刻見た屋根だ。どうやら俺まで温かな気分になって眠りこけたらしい。

 いい加減起きなければ流石にゾーヤさんも痺れを切らすだろう。ソフィアは……まだ眠っている。まるで赤子になったかのように自分の親指を吸いながら恍惚とした表情になってしまっているが。

 幸いにも先のようなガッチリとした拘束ではない。これなら容易く抜け出せるだろう。

 

「あ、あれ?」

 

 ……何故か右半身が重い。身動きができないどころか何かに挟み込まれるようにしっかりと押さえ込まれている。二の腕に伝わるのは柔らかさ。指先に伝わるのは挟まれるような圧。鼻をくすぐる石鹸らしい爽やかな香り。

 頭を右に傾けて見ればそこにはソフィアと同じ銀色の毛のネコミミをもった、よく似た顔つきの少女……イリーナが俺の半身を抱き締めて眠りこけていた。

 

「遅いと思って来てみたら……ハァ……イリーナァッ!」

「fe! ,wjpy! ,wjpy!」

 

 祖母(ゾーヤ)の怒号で跳ね起きたイリーナはその耳を摘まれた上に拳骨を落とされ、涙目になりながら洗濯かごから取り出した俺の服を丁寧に畳んで椅子の上に置いて行く。

 ひとしきり終わったイリーナはゾーヤに急かされてそのまま部屋を後にする。

 

「……大変そうですね」

「普段はこんな子じゃないんだけどね……どうにもはしゃぎすぎている。半ば伝説になっている存在を自分の目で見たというのもその原因なのだろうけれど」

「伝説って?」

「ああ」

「なるほど……そういうことですか」

 

 然り、とゾーヤさんは同じ白い上下の服の上にジャンパースカートのような衣装を揺らして空席の椅子の一つに腰掛ける。

 彼女の語りは中性的というべきどこか威厳を漂わせる口ぶりで、所作もどことなく男性のそれに似ている。やはり代表代行という職にあるためなのだろう。

 

「リュート君、そのままでいいから聴いてほしい」

「……ああ、ソフィアちゃんですか」

 

 ベッドから出ようとした俺だったが、それは彼女の言葉で押し止められた。その原因たるソフィアは今も俺の寝巻きの裾を握ったまま離すような気配がない。

 片や怒られて洗濯物を畳み、片やそのまま幸せな眠りの中。同じ孫だというのにイリーナとソフィアでこうまで扱いが違うとは……邪険にしているような様子は無いし一体なんでまた……まさかあの“ババア”発言のせいか?

 しかし話をするにも関わらずベッドに居るままでは申し訳ない。少し寒いものの上を脱ぎ、シャツ一枚になってベッドの縁に腰掛ける。

 

「むっ」

「どっ、どうしたんですか?」

「何か今イラッとした。理由がわからないのが余計に苛立つ……クソが」

 

 まずい、薮蛇だったか。

 

「まあいいさ。とりあえずは君がここに来るまでの話を聞かせて欲しい。君は何故ここに居るのかわからないということだが、こちらは君のような人物と遭遇した先例がある。伝聞でしかわからないことだが、先例と比較して相違点を洗い出してみよう」

「……そう、ですね。まず自分は買出しに行った帰り道にトンネルに入りました。随分昔のころ……それこそ子供のころに通ったトンネルでしたが、何も違和感はありませんでした。

 そしてトンネルを抜けて地上に出た次の瞬間には、自分は雪山の真ん中でたった一人でした」

「……地上に居たのかい?」

「ええ、そうです」

「……続けておくれ」

「日が傾きかけていたので……とにかく夜を越せるようにと思って雪洞を作りました。幸い食料もありましたし、酒や飲み物もあったのでどうにか生き延びられました。

 日が昇ってから移動をはじめて、二日目を超えた日に斜面を降りていたときに何か古い遺跡……いえ、ねぐらの跡を見つけました」

「斜面にねぐらの跡が……? そんな場所があった記憶は無いけど……まあいい、続けて」

「……斜面を下りきってからなだらかな場所に出たのでそのまま滑り降りてきました。後は川沿いに森を歩いてきてこの街に辿り着いたんです。

 ちなみに山の位置はこの街から見て北東部にある山です」

 

 一通りの説明を終えるとゾーヤさんは腕組みをしてどこか遠くへと視線を投げかけたまま、静かに思考を走らせてるようだった。

 しばらく考え込んでから、彼女はこちらに向き直って口を開く。

 

「相違点を挙げていこう。まずは一つ目だ。

 君は雪山の真ん中に現れたが、彼等は遺跡群に設置されている“門”の前に必ず現れている。

 二つ目、彼等は我々をしても尋常ならざる身体能力で以って、わずか十数時間のうちにこの街……当時はただの開拓村でしかなかったが、このセヴィル・ピオネルに辿り着いている。

 三つ目、彼等はいずれも真北にある遺跡群からやってきている」

「……疑うようですみませんが、その情報の真偽の度合いは?」

「いずれも口伝でしか残っていない。まあ人の記憶から語られる話なのだ、真偽に関しては私もわからない。だがこの街の北には彼らがやってきたという“門”が実際に残っている。全てが全て嘘ばかりというわけではないだろう」

「遺跡群とのことですが、どれほどの規模なんですか?」

「広大だ。それこそ大国の大都市……地方が一つ収まるほどの巨大な遺跡群だ。とはいえそこまで辿り着いた者は僅かなものだが。

 ああ、補足すると“門”とその遺跡群は広大な湿地帯を挟んで存在している。おそらく湿地帯は元々巨大な遺跡群の一部が存在していたのだろう」

 

 となると手がかりになりそうなのはその遺跡とやらくらいか。いずれにしても俺の成すべきことは決まった。

 

「ゾーヤさん、無理を承知でお願いします。その遺跡に自分を連れていってください」

「それはダメだ」

 

 返ってきたのは無常にも拒否の言葉だ。とはいえそれで引いてなるものか。少しでもいいから手がかりが必要だ。

 

「そこをどうかお願いします!」

「ダメだ。君の気持ちがわからないわけではないが……こればかりは私も承服しかねる。あの場所は我々にとって本来立ち入るべき場所ではないんだ」

「自分は帰らなきゃいけないんです。家族が心配しています。買い物に出かけて行方知れずだなんて……そんなのは御免なんですよ」

「私もできることなら助けとなりたい。だがその遺跡までは大人の足でも順当に進んで二週間以上かかる。おまけに今は冬の真っ只中だ。危険な肉食獣が腹をすかせて歩き回っている可能性もある。そんな危険地帯に君や私の同胞を行かせるわけにはいかない! むざむざ死にに行くようなものだ!」

 

 彼女のこちらを見据える鋭い眼光と共に、俺を打ちのめすような警句が放たれる。

この極地に住む彼女達を以ってして危険地帯と言わしめるのだからそれは偽り無い事実だろう。

 実際に俺自身も剣を振るえるわけではないし、弓を扱えるわけでもない。いざ命の遣り取り、となって真っ先にお荷物になるのは俺自身だ。それを守るために彼女の同胞が戦って散るなど、俺としても受け入れがたいことだ。

 

「……わかりました。なら夏場の雪解けの時期なら大丈夫ですか?」

「可能だ……と言いたいがそれも難しい。理由はちゃんと話す。よく聞いて欲しい。

 まず遺跡がある場所はここから二週間から二十日はかかる。これは先ほども話したことだ。そして冬場は凍り付いていてよくわからないが、夏場は遺跡の周辺は雪が解けて広大な湿地帯になる。そしてその遺跡は湿地帯を抜けて氷河を踏破した先にある。

 そのあたりは冬場になると北のリェーズヴィエ大山脈から吹き込む乱気流でとんでもなく冷える。木々も水も動物も完全に凍りつくような場所だ。生きた人間や獣も歩かない極寒の凍土だ。そのまま呼吸をすれば肺が凍りつくんだぞ?

 夏は夏で雪が解けて草木や緑の茂る湿地帯になり、踏み込めば足をぬかるみに囚われてそのまま“大地に還る”時を待つしかなくなる。……足先からずぶずぶと、ゆっくりと咀嚼されるように呑まれて行く恐怖に君は抗えるか?

 助けも来ず、足掻くほどに足をとられ、溺れて死ぬときをただひたすらに待つしかない…………悪夢のような末期を、君は望むのかい?」

「それは……」

「踏破してみせた者が居ないわけではないんだ。とはいえそれはほんの少数……我々フェリス・サイヴェリアス族とルプス・アルバス族の千二百年の中でもほんの数名しか居ない。

 それも湿地帯をぐるりと迂回するように外縁部に沿って大山脈に辿り着いたものだけだ。大量の資材や物資を輸送することができない大山脈は未だに未開の地だ。どんな植生をしていてどのような動物が居てどのような気候風土をしているのか、さっぱりわからないことだらけ。おまけに彼らの調査報告では翼竜や亜竜どころではない、人語を解する龍が大山脈を縄張りにしているときたからもうお手上げなんだ。

 翼竜を駆使して人を送り込むことさえできず、物資も輸送できず、徒歩で辿り着こうにも過酷な環境をいくつも乗り越えなければいけない。

 ダメ押しにあの周辺は我々でさえ相手取るのが危険な獣も居る。そんな危険地帯なんだ」

 

 冬場は極限の凍土に阻まれ、夏場は雪解けの沼地が待ち構えているわけか。しかもそこを縄張りにする謎の龍まで存在し、人が踏み入るための前哨基地さえ設置できない。つまり徒歩で凍土を超えるか沼地を越えるか、あるいは沼地を迂回していくしか方法が無い。

 

「わかりました。他の方法を考えることにします」

「すまない……しかし君はどうして戻ることにしたんだい? 他の者達は特に疑問もなくそのままここで暮らすことを選んだそうだが」

「家族を向こうに残してきたままなので。……心配性なんです。俺も、俺の家族も」

「……わかった。もはやこれ以上君を引き止める説得はナンセンスだろう。“門”までは案内しても構わないが、あの“遺跡”へ向かうことに護衛はつけられない。あの場所は我々の立ち入ってはならない場所だからね」

 

 どういうことだろう。ゾーヤさんは“遺跡”周辺を探索した前例があると言ったが、その次には立ち入ってはいけない場所と言った。立ち入ってはいけないはずなのにその場所の調査報告が知られている。一体何故?

 

「物理的に立ち入ることが難しいのはわかりました。ですが、踏み入った者が居ないわけではないんでしょう? 何故入ってはいけないんですか?」

「君の言うとおり入れないわけではないのは確かだ。それ以上に我々の精神面や信仰の上で立ち入ることが難しいんだ」

「宗教上の理由ですか?」

「宗教というには少し弱い。だが御伽噺と言うには不可解が過ぎる。そんな出来事があったんだ。それ以来彼の地へ人が立ち入ることは禁じられ、この数百年誰も向かうことがなかったほどだ」

「差し支えなければ聞かせてもらうことはできますか?」

「話せる範囲でなら話そう」

 

 飲み物でも飲みながらな、と言ってゾーヤさんは先日と同じように木彫りのカップに紅茶らしい飲み物を注いで手渡してくる。

 

「あれはそう、先ほど話した調査団が帰還する一ヶ月前だったそうだ。北の方角に……“太陽が生まれた”らしい。いくつかの流れ星が尾を引いていった直後に地を揺るがすような地震と共にその太陽が生まれたのだそうだ。

 夜だというのに昼間のように明るく、肌を焼くような熱風が吹き抜けたらしい。建物がいくつか崩れ落ち、この世の終わりが来たのだと錯覚した人々はこぞって逃げ出したそうだ」

 

 流れ星に太陽。地響きと熱風。まさかとは思うが……核弾頭なのか?

 しかし彼女達の生活の風景からするにそんなものが存在する技術レベルであるとは思えない。魔法のようなファンタジー要素は未だ確認できてはいないが、今現在の俺の見た範囲内で文明の利器たる電灯やガスなどは見当たらない。だとすると巨大な隕石の落下が原因だろうか。

 

「問題はこのあとだ。その太陽は調査団が向かった場所……およそ“遺跡”が存在する場所……大山脈の付近で起こったらしかった。だがそこにいたはずの調査団は野営をしていたがそのようなものを見てはいなかったんだ」

「そんなバカなこと」

 

 そんなはずはない。爆心地にほど近い場所に居ながら何も見ていないなど有り得ない。だがゾーヤさんの仕草や目線は嘘を吐いているようなものではなかった。

 ゾーヤさんはカップの中身を少し口に含み、息を吐いて再び語り始める。

 

「……調査団はそのとき、夢を見ていたそうだ」

「夢、ですか」

「そうだ。光に包まれたと思った次の瞬間には見知らぬ集落の中に居たそうだ。鋼の獣が地を駆け、巨大な翼を広げた鳥が空を飛んでいるのを見たらしい。小人が入っている箱やひとりでに灯るランプなどが存在する摩訶不思議な場所に居る夢を見て、その夢の中から道具を持ち帰ってきたらしい。みながみなして、同じ夢を見ていたと」

 

 まさかとは思うが……テレビや飛行機じゃあるまいな。いよいよオカルト染みてきたなこれは。いや……俺が既にオカルトに巻き込まれているんだから当然なのかもしれないが。

 ならオカルト的に考えよう。科学的ではなく、論理的でもなく、オカルトで辻褄あわせをして補完する。意味不明になるのはわかりきったことだけれど、そうでもしなきゃ俺がおかしくなりそうなのだ。

 カップの縁に口をつけ、風味を味わうように口に含む。……し、渋い……! 香りは紅茶のようだけどなんて苦さだ!

 

「……その話を聞いて一つ仮説ができました」

「聞かせてくれ」

「俺の世界でのオカルト……ええと超常現象に関する話なのですが、俺の居た場所では“重力が歪んでいる場所”なんていうものがあります。他には立ち入ればまったく違う場所へ出てしまうトンネルというものなんかも。

 そしてそれに俺や他の人々が巻き込まれたことでこの場所へ出てしまったのではないかと。俺はこちらへ飛ばされたが、調査団の彼等はそのとき俺が居た世界に逆に飛ばされていたのではないかと思います。……荒唐無稽なお話ですけどね」

 

 こちらの世界で起こった先ほどの事件……まるでツングースカ大爆発のような事件を聞かなければこの説には到らなかっただろう。

 そしてこの世界で起こったその爆発によってこちら側にも“世界が歪んでいる場所”ができてしまった。そして俺の居た世界とこちらの世界とでその歪みが何らかの形で噛み合ってしまったために、俺はこちらの世界に出てしまったのかもしれない。

 じゃあどうしてまったく別々の時代に出ているんだ、という疑問が出るのだがそこはオカルト。仕方の無いもの――というより様式美として受け入れるべきだ。

 バミューダ・トライアングルの事件なんかもそうだしエルドリッジが時間を越えてしまって転移しただとかいうお話――後者は都市伝説だが――なんてものまであるんだ。難しく考えるべきではない。

 ……まさかとは思うがこちらの世界の動物が俺の居た世界でUMAとして発見されていたりしないだろうな。

 

「ふむ……なるほど……そう考えれば不自然ではないように聞こえる。けれどあの事件は何百年も前だ。今になって何故君が? それに他の者達のようにバラバラに現れた理由は?」

「そこまではなんとも。ただ人知を超えた何かが起こった、ということだけは確かです」

「要するに根拠の無い机上論と。……とはいえ現実に目の前に君が居る」

「信じがたいことですが。まあ、自分も未だに信じがたいことだらけですよ」

 

 ううむ、とゾーヤさんは困ったようにくしゃりと白銀の髪をかきあげる。物憂げに窓の外を見やる姿は実際の歳とはかけ離れた妙齢の女性としての色香を漂わせる。

 ぴょこ、と立ち上がった猫のような耳と相まってどこか愛らしさも感じる。

 

「まあ、わからないことを考えても仕方が無い。今は君をどうするべきか考えようか」

 

 ふっ、と憑き物が落ちたように微笑むとゾーヤさんはテーブルに置かれていた羊皮紙とペンを手に取ってこちらに問いかける。

 

「君はどうしたい?」

「どう、というと?」

「君は遺跡に行きたいんだろう?」

「ええ、何としてでも行かなければいけない。そんな気がしているんです。そこに行けば何か手がかりがあるのでは、と」

「なら自分で自分の身を守ることができなければいけない。先ほど言ったようにかの地は広大な上に人の手が入っていない。助けなど望めないしそも近寄ることさえ無い。

 君に必要なのは力だ。この大地を踏破し、遺跡まで辿り着くだけの技術と知恵が必要だ。しかし君にはそれがない」

「……仰るとおりです」

「なら、身に付ければいい。一人過酷な野を旅することになっても折れない強さを」

「それはつまり」

「ここに住んで力を身に付ければいい。……可能なら同道してくれる友を見つけられればなお良し、だ」

 

 ゾーヤさんは羊皮紙にペンを走らせ、すらすらと何かを書きとめていく。紙面に目を走らせ、確認するようにして再びこちらを見る。

 

「君の居場所はここだ。ふわふわと漂う浮雲のような、存在の不確かな迷い猫になる必要なんて無い。君はここに居ていいんだ」

 

 本当にいいのか。俺はここに居ていいのか。もうあの冷たい銀世界に戻る必要など無いのか?

 

「いいんですか……? 俺は、ただの……何も無い人間ですよ?」

「いいのさ。この大地はヒトに厳しい。だからこそヒトは手を取り合うことでこんな厳しい場所でも暮らしていける。

 誰にだって帰りたい場所がある。君もそうだ。だが君の場合それは限りなく遠いどこかだ。ならひと時の間でも……君にとって帰るべき場所になってあげたい。足を休める場所となってあげたいんだ。

 君は確かに昨日は私たちに牙を向いた。そう行動する切欠を私が作ってしまった。けれどお互いに敵ではないと理解し、平和的解決に導くことができた。私の不用意な行動で巻き込んでしまったイリーナにまで頭を下げてくれた。

 君が礼節と自省の精神を持っているとわかったからこそ、私は君を受け入れると決めたんだ」

「俺はっ……生きて、いいんだ……。もう、一人にならなくて……いい……」

 

 怖かったんだ。一人で居ることがずっと怖かった。自分を理解して受け入れてくれるヒトが居ないのが怖かった。孤独であることは何も怖くは無い。自分がどこか世間一般の感覚とはズレがあることくらいは理解していたから。ズレがあっても理解してくれるヒトが居て、受け入れてくれるヒトがいたから。変わったヤツだな程度には思われるだろうが、それでも親友も居たし同僚とも仲良くやれていた。

 だけどひとりぼっちだけは耐え切れなかった。誰とも話さず顔を合わせず関係を構築することもなく、ただただ自分を励まし慰めるような日常だけは耐え切れない。

 

「まだやれることが……あるんだ」

 

 俺は俺にできることをしよう。そしていつか必ず、帰るべき場所へ帰るんだ。

 



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グラブル試作品1

前書き
 エルステ帝国って王政が崩れて帝国制に移行しましたけど、いくら黒騎士の傀儡政権になって軍部が再編されたといっても根っからの軍人気質なやつが居てもいいと思うんですよ。
 アダムさんの第一軍じゃアガスティア周辺ばっかりだし、かといってガンダルヴァの第二軍じゃただの脳筋ストーリーになってしまう。マジメなフュリアスなんてものも考えたけど、結局本編の悪役枠が居なくなるのでグラン君たちの対比になる存在がいなくなる。かといってフリーシアを改心させると黒騎士さんがラスボスになるだけだし。
 なら帝国軍の内側にエルステ愛一直線なヤツを作ればいいやと。ついでに王政(弱小)→帝政(不安定)→王政(不安定かつ弱体化)とかいうデメリットばかりのコンボで締めた王女様をどげんかする。


 エルステ帝国外征艦隊旗艦プリンツ・ユージンの上部甲板から眺める景観はどこまでも空が続いている。ともすれば、それは永遠であるかのような錯覚さえ起こさせるほどに。

 風が駆け抜けていく。果てなく続く蒼穹は赤みが差し始め、間も無く世界は漆黒の天蓋に閉ざされるだろう。どこまでも続く雲海の果てに沈む太陽の世界と、静かに顔を出して夜を照らす月の世界が交わる。

 人は其れを黄昏時と呼んだ。ある者は生命の生き死にを見出し、ある者は世界の移ろいを悟り、ある者は星空の運行を読み解いた。だがそれはもう何万年と昔の話らしい。

 

 世界の終焉から数万年、地上に住んでいたヒトは今空に暮らしている。文字通り空に浮かぶ島々に。

 そこにはかつて地上に存在した環境が存在しており、人々は細々と、しかし穏やかに命を繋いでいた。揺り篭(クレイドル)の恩恵に授かりながら、かつて自らが地上に住んでいたことさえも忘却して。人が暮らし、獣が棲み、鳥が舞う、さながら箱庭のような生態系が築かれている。

 空の外からやってきた稀人(まれびと)、星の民と空の住人である空の民との間に起こった覇空戦争がお互いに大きな爪あとと禍根を残し終結を迎えたのは数百年前のことだ。

 以来人々は空を駆ける船で島々を廻るようになり、同時に同じ人類同士の諍いや戦争は急激に増加している。瘴気を含む大気の壁である瘴流域が作り出す空域の中で覇権を争い、そしてさらにその先へと食指を伸ばす。

 星の民という共通の天敵を失ったことで、人々はその矛先を同じ空の民へと向けることとなった。愚かしいとは思うが、これもまた人間という種族の宿業なのかもしれない。

 そんなものは自然の暴威の前には全てが無意味だというのに。

 

「かくて、“人は天に在りて(ヒトが滅びても)世は全て事もなし(世界はいつもどおり)”ってところか」

主様(ぬしさま)や、何を言うておるのじゃ?」

「ああ、すまんガルーダ。ちょっと感傷的になっただけだ」

 

 ふむ、と小首をかしげた少し浅黒い褐色肌に琥珀色の瞳の少女ガルーダは小さな身体をふわりと空に浮かべて空を翔る。眼下に広がる厚い雲は夕日の赤に染まり、その上に落ちた影は彼女に従って躍る。

 大地と同じ色合いを持つ大鷲の羽を広げ、また同じ意匠を凝らしたワンピースのような服を揺らして空に舞う。手首や足首にあしらわれた黄金の装飾品が沈み往く日輪の光を映し煌く様は炎を纏う演舞のようにさえ見て取れる。

 ゆらり、ゆらり、黄金の輝きが赤く染まる空を背に舞い踊る。無垢な笑みを浮かべて黄昏の空を舞う少女への憧憬が胸に湧き上がる。

 

「何を莫迦な。人は人。地に這い蹲るのが道理だろうに」

 

 そしてその想いを自らの意思で切り捨てる。人に翼などない。あるのは地を駆けるための両足だ。しかし人はそれでも過去に空を目指そうとした。結果としてそれは自らの力で飛ぶのではなく、空を飛ぶモノに乗るという方法であったものの、確かに人は空に羽ばたいた。

 とはいえ人はその身一つでは空に落ちるしかない。そこに一歩を踏み出したとしても、羽ばたくどころか落ちて行くのみ。

 紅く染まる世界(そら)。ただの一人、彼女だけがその空を自在に舞う。

 

 

「もうすぐダイダロイトベルトだ。瘴流域(しょうりゅういき)を突破するから中に入ろうか」

「なんじゃ。もう終わりか? のう主様や、もう少し風を感じてもよかろう?」

「瘴流域は流石にガルーダでもきついだろう。早く戻ったほうがいいぞ」

「むう、やむなしじゃな」

「そう膨れるな。外征も落ち着いたことだし、帝都へ戻ったら休暇が待っているぞ。ついでにそのままノース・ヴァストで温泉にでも入るか」

「温泉! うむ、うむ! 温泉卵のあとはマツヴァガニが食べたいのじゃ!」

 

 待ちきれぬ、という満面の笑みで軽やかに甲板に降り立った少女の身体を抱き寄せる。自身の胸元に届くかどうかという少女は突然のことに目を丸めていたが、すぐに自ら摺り寄せるように顔を埋める。

 

「やはり好い匂いじゃ」

「そんなに違うものなのか」

「ただの土の匂いとは違う。大地の匂いじゃ。潮騒の香り、緑茂る木々を抜ける風、照り付ける太陽に苗や若木の活力。島々それぞれにしかないものが、主様(ぬしさま)には全部ある。

 春の日差しの温もり。夏の空と燃えるような大地の熱。秋の実りと喜び。冬の凍てつくような風雪と空。たった一度だけじゃったが……わらわを産み落とした星の民にそれを見せてもろうたのじゃ。なんの実感も湧かぬただの“すくりーん”に写された“えいぞう”とやらだったが、主様(ぬしさま)の大地の匂いはその全てを再現してくれるのじゃ。より圧倒的な現実感でな」

 

 絹糸のように輝く鳶色(とびいろ)の髪。頭をそっと撫でるとガルーダは幸せそうに俺の背中に腕を回す。

 

「さて、この後の予定はどうなっている。ガルストン」

「……よくお気づきになられますね」

「年の功さ」

 

 振り返った先に見えたのは帝国軍の近衛兵(インペリアル)か上級士官・将官に与えられる青藍(せいらん)のフルプレートアーマーを纏った男、ガルストンだ。

 

「のう、主様(ぬしさま)

「先に部屋に戻っておいてくれ」

 

 名残惜しげにガルーダは腕を放し、密閉ドアの向こうへと姿を消す。

 残る俺と彼の間に生まれたのは一瞬の静寂。風の音が聞こえるだけの静かな世界。それを打ち破って彼が話し始める。

 

「外征艦隊のこの後の予定ですが――」

「そうじゃない」

「と、申されますと?」

「お前のことだ、ガルストン」

 

 彼は言葉を発さずただ黙する。

 

「異動となるのだったな」

「はっ、第三軍フュリアス少将旗下(きか)、ポンメルン特務大尉の下で隊を率いることとなります」

「そうか……よりによってあの狂人」

「中将、どうかそこまでに。どこに耳があるかわかりませんので」

「フン、律儀だなお前も」

「エルステ帝国軍の軍人でありますので」

「だろうな。まあフュリアスはアレだが、ポンメルン・ヴェットナーなら問題なかろう。エルステ帝国への忠誠を文字通り体現したような男だ。敵に対して慈悲は無く、しかし一線は弁えている。仁王の如き(つわもの)さ」

 

 空を翔る風を手で遮り、口に咥えた煙草に火を灯す。夕闇の広がる中に灯った小さな火の灯りがふっと消え去ると、立ち昇る煙が風に乗って空に溶けていく。

 そしてまた一人、家族(とも)が去っていく。この艦隊から。帝国の黎明を駆け抜けた友がまた一人。

 

「壮健でな。任務ご苦労だった」

「はい。十二年間お世話になりました」

「……お前の代わりを探すのは骨が折れそうだよ。ほんとに」

「中将に食らいついていけるだけの人材はそうは居ないでしょうな。波乱万丈でしたよ。外征とは人間と戦うばかりではないと思い知らされました。まさか紙の山を踏破する破目になろうとは」

「ああーうるさい。書類は苦手なんだよ」

「できるのにしないのはただの怠慢ですよ」

「その分戦ったし言論をぶつけてきた。外征を円滑に行えるよう下地を作るのも私の仕事だ」

「ええ。中将の肩書きは伊達ではないと思い知りましたよ」

 

 ガルストンは兜の面の下でくつくつと笑う。あいつ、あの時のことを思い出しているな。

 

「この(ふね)とも、もうすぐ別れることになります」

「そう、だな。共に戦い抜いてもう十五年か。早いものだな」

「中将は今年でいくつになられるのですか?」

「禁則事項だ。想像に任せよう」

 

 かつて“白き令嬢”と呼ばれた艦隊旗艦プリンツ・ユージンは既に老朽艦だ。ともすると太古の人類が書き上げた“SF小説”に現れるような流線型のこの艦は幾多の戦いを共に乗り越え、数多の同胞の生き死にを目にし、そして終に彼女自身も休息につくときが来たのだ。

 この外征任務が終わればプリンツ・ユージンは改装作業を受けてアガスティアとノース・ヴァストを結ぶ定期船として悠々自適――というほどではないが、穏やかな航路を駆けていくことだろう。

 敵艦の砲撃を食らったことだってあるし、舵の不調や慢性的な速力の低下に陥ることもあった。だがそれでも最後まで戦い抜いた。我々と共に生き抜いた。

 喜ばしいことだ。彼女は軍艦(ふね)としての己の任を全うして去っていく。ああ、喜ばしいことだ。愛する我が戦友は為すべきを成し遂げて身を引くことになる。

 お前の見送りには必ず立ち合おう。俺は未だ戦いの最中にあるが、君の余生が充足したものであることを願っている。

 

「お疲れ様……というには少し性急だな。もう少し付き合っておくれ、愛しの君」

 

 たとえ我々と離れてもお前は一人ではない。共に戦った仲間であり共に過ごした家族のようなものなのだ。

 そんな彼女の密閉ドアをバンッと勢いよく開いて躍り出たのは、共に生きてきた少女(ガルーダ)だ。

 

主様(ぬしさま)! ガルストン! 主計長がさっさと飯を食えと吼えておるぞ! 飯を抜かれても知らぬからな!」

「さて、もうすぐファータ・グランデだ。凱旋で腹が減って倒れたのでは締まらんな」

「ええ。急ぐとしましょう」

 

 まったく最後まで騒がしい。だが、これがこの艦隊の常というものだ。結局のところ最後には“食”を握るものには敵わないのだ。そう、たとえそれが艦隊司令官であろうと、英雄だろうと。

 

 

古き者の歩み

 

第一話 帝国の英雄

 

 

 荒れ狂う暴風。打ち付ける暴雨。そして瘴気を内包した大気。まさに異次元と称すべき暴虐の壁である瘴流域に於いてヒトの力が通用しないのは至極当然だが、“星の民”が創造した星の申し子たるガルーダの能力ですら減衰してしまう。

 常に汚染された大気の乱流が入り乱れるそこはまさに雲でできた死の断崖。身を守る術もなしに突破することの叶わぬ別世界。時折現れる砕け散った島々の残骸や騎空艇などの人工物に混じって、大型の魔物――風竜イールシアス、それなりに強い竜種の魔物――さえゴミクズのように細切れにされて飛んでくる。

 

 プリンツ・ユージンはそんな暴れまわる風に時折揺られながらも前へ前へと進んでいく。装甲に打ち付ける雨風や瓦礫をものともしない様は老朽艦とは思えぬ堅牢さを我々に見せ付け、“こいつが居れば安全だ”という安心感を与えてくれる。

 

 彼女がもし自慢してきたとしたら“どうです? まだまだ捨てたものじゃないでしょ”なんて言ってくるのかもしれない。

 ぎしぎしと揺れるベッドの上で寝転んでいると、コツンと小さな音がドアから聞こえる。

 顔を向けるとそこにはドアノブに手をかけたガルーダの姿。流石に艦内では手狭なため背中の翼は消している――出し入れは自由とのこと――が頭部に生える小さな羽はそのまま残されている。

 

「ん、起きておったか。音も出さぬよう気をつけたのじゃがな」

「ああ、さっきな。もうすぐ抜ける頃合だろう」

「うむ。艦長が呼んで来て欲しいと申しておったのじゃ。ふぁ……わらわはしばらく横になるゆえ、瘴流域を抜けたら呼ぶがよい」

 

 起き上がって将官用の白い外套を羽織るのと入れ違いにガルーダは後頭部で結った髪を解くや否やベッドにダイブして毛布を被る。

 この過酷ながらも素晴らしい世界に生まれ落ちる以前、母の胎で眠る赤子のように

身を丸めた少女は頬を緩める。

 

「ぬふふ~……主様(ぬしさま)の匂いは落ち着くのう。ふぅ……くぁ……では、しばらくおやしゅみなのじゃ……」

 

 あどけない寝顔は星晶獣であってもヒトであっても変わりない。安らぎに落ちる心地よさは何物にも代えがたい悦楽であり、同時に懐古でもあるのだ。

 彼女の、ガルーダの初めての目覚めはどのようなものだったのだろうか。彼女がこの世界に生れ落ちたとき、それを祝福する誰かは居たのだろうか。

 この時代に目覚めたあの日、俺以外の同胞は全て施設内の強化ガラスの揺り篭で悠久の眠りへと旅立った後だった。長い眠りから目覚め、一人この滅亡後の世界に取り残された俺を祝福してくれる生きた存在は居なかった。

 彼女は星の民に生み出された存在だ。本人は向こう側(空の外)での記憶が虫食いになっていてよく覚えていないそうだが、ひとりぼっちになるのを嫌う彼女は恐らくだが誰かしらから愛情を受けて育ったのだろうと思える。

 

 兵士達の敬礼に答礼しつつブリッジへの密閉ドアを開く。立ち入った瞬間に手すきのブリッジ要員たちがすぐさま敬礼したことに答礼し、艦長席の隣に配された司令官席に腰掛ける。

 強化されたガラスの先に見える景色は紫のような黒のような灰色のような、どんよりとした雲と雨で覆い尽くされている。瘴流域は我々を飲み込もうとしているかのように、その雨脚と風を強めている。

 揺れる舵輪、あべこべの方向を示す方位磁針。伝声管で情報を伝え合うクルーたちを眺めてため息が出る。

 

「おはよう、諸君」

「おはようございます、閣下」

「さてミュラー大佐、状況はどうだ」

「はっ。旗艦プリンツ・ユージン以下シェーア、シュペー共に間も無く瘴流域を突破する見込みです。到着予定より1時間から1時間半の遅れとなる予想が出ております」

「ふむ。感づかれぬようにするためとはいえ層の分厚いルートを通るのだ。やむを得まい」

「ええ、イスタバイオンの犬どもはしぶといものですから」

 

 帝国軍の士官用の黒い制服を着用し、刈りそろえた赤い短髪と立派なカイゼル髭をたくわえた筋骨隆々のドラフ族の男、ミュラー大佐は忌々しげに我々が辿ってきたルートを見やる。

 

「さて……どうなることかな。メネア皇国は今のところ目立った動きを見せていないと聞いていたが、果たしてどれだけが真実であるやら」

「ですな。友好国であるリュミエール聖王国がメネアとの仲立ちを行ってくれるだけでも多いに助かりますし、何より聖王国の王はファータ・グランデとそこに眠る星の民の遺産を付け狙う他空域の脅威をよく理解しておられます。配下の聖騎士団にも勅命を下して調査しているという噂もございます」

「今やエルステ帝国はファータ・グランデの過半を治める大国だ。だが急速に勢力を伸ばした国の内部というものは往々にして火種を抱えたままであることが常だ。

 となると、我々の次の任務は……」

「火消し、でしょうな」

「おそらくな。治安の回復、行政の移行、経済の円滑化、物流網の再構築と安全確保、防衛施設の建造、スパイの摘発……やることが山のようにあるなこれは」

「昔が懐かしいですな。あの頃(王政)ではせいぜいメフォラシュを守る小さな艦隊があった程度で、血生臭い戦いは数えるほどしかなかったというのに」

「……あの動乱の空白期、そして帝政への移行から電撃的な侵攻と制圧……多くの人の命が散っていったが、エルステは他空域に覇を唱えた国々に比肩するだけの力を得たのだ。ならばこの力を以って、ファータ・グランデに住まう人々を他国の侵略から守り抜くことこそが、これからのエルステ帝国の使命だ。そして火消しはその第一歩に過ぎん」

「王政であろうと帝政であろうと我等軍人の為すべきは何も変わりませぬ。どうぞご下命を、中将閣下。麾下十二部隊皆一心に御座います」

「ああ……期待しているぞ」

 

 他の空域の勢力は今統一を成し遂げつつある。それらがこぞって欲しがっているのがファータ・グランデに眠る星の民の遺産である古塔“パンデモニウム”である。

 全空の覇権を虎視眈々と狙う国々の侵攻が起こったとなれば、十数年前の小国が乱立しているだけのファータ・グランデは一年と経たずに支配されることになっていただろう。多数の勢力が入り乱れ、殺し合い、そしてその被害を被るのは戦場となるファータ・グランデに住まう人々なのだ。

 星の民の遺産は濫用されファータ・グランデを焼き尽くし、尚もその炎は留まることなく全空へと飛散して燃え上がるのだ。緑茂る大地が焼かれて赤き地平が生まれたのと同じようにこの青い空が赤き焔で染まるだろう。

 

 それではいけない。それでは古き人々(われわれ)と同じだ。繁栄を求め、敵を滅ぼし、やがてその代償が自らさえも滅ぼすことになる。

 

「瘴気が薄くなってきたぞ!」

「やっと抜けたか! ファータ・グランデに戻ってきたんだ!」

 

 観測手の二人がこぞって歓喜の声を発したのを皮切りに、その安堵感は他のクルーたちに伝播する。

 舵輪の揺らぎが静まったことにエルーン族の若い操舵手はほっと胸を撫で下ろし、航空士たちは主任と共に笑みを浮かべて手をたたきあう。伝声管越しにエンジンルームの乗員たちにも伝えられている真っ最中だ。

 

「総員傾注!」

 

 びり、と空気の震えるような声がブリッジを包み込む。緩みかけた空気を一声で締め上げた声の持ち主、ミュラー大佐は速やかに指示を言い放つ。

 

「各部署のクルーは持ち場のチェックを急げ! 艦体へのダメージを即座に確認して報告しろ!」

「サー! イエスサー! プリンツ・ユージン搭乗員各員に告ぐ。当艦は間も無く瘴流域を抜け――」

「航空長、瘴流域突破後に現在地を算出し速やかに航路を策定せよ」

「サー! イエス、サー!」

「観測班! シェーアとシュペーはどうか!」

「まだ発見できていませ……いえ、見えました! 方位2-6-8にシュペー! 方位1-2-4にシェーアです!」

「よし、はぐれてはいないようだな。瘴流域を完全に離脱した後各艦の状況を報告せよ。艦体の不調が無ければすぐにダイダロイトベルトを経由してアガスティアへ帰還するぞ。ぐずぐずして魔物の群れと“遊ぶ”わけにはいかんのだ」

 

 見据えた先に広がるのは白い雲と青い空。そしてその果てに浮かぶ太陽の輝き。厚い雲は一つとして見つからず薄らとかかるだけ。どうやら今日のファータ・グランデは好天に恵まれているようだ。

 

「さて、あと一息か」

 

 アガスティアへは軍艦の、それも高速艦艇の足で短くともあと4日から5日はかかる。ダイダロイトベルトでの簡易点検と整備のそれぞれ数日を要することを前提として、他には天候にも因るが移動で4日から5日というところだ。

 この世界の人々は空にその生息域を移したものの、主要な島々は遠く離れた場所に存在しているために交流が無かった。空域のこの広大な範囲の中に大小様々の国々や島が点在している。そしてそれらの島の交流が行われるようになったのはこの数百年のうちの出来事でしかない。狭いようで広く、しかし様々な国の名を聞くと窮屈そうに感じるのはこのせいだ。人口が1万に満たずとも、領土が群島のうちの島ひとつだろうと国は国だ。無碍にすることは道理ではない。

 他の空域は既に国々を併呑し、その牙を研ぎ澄ましている。だがファータ・グランデは未だ都市国家の集合体と大差の無い状態なのだ。これでは侵攻を受けた場合には勝利どころか抵抗さえ難しい。

 

 帰還報告を上げるための準備でもしておくべきだろう。ガルストンの外征艦隊勤務最後の仕事だ。頑張ってもらおう。

 

 

 ダイダロイドベルトの浮遊岸壁を眺める先には先日抜けてきた瘴流域が厚く広がっている。垂直に切り立った崖や岩塊がそれなりの密度で浮遊しているだけのダイダロイトベルトは本来島であったと考えられているが、その真偽は未だ以って定かではない。

 何故これだけ細かな岩石片に砕けているのに地上へ落ちていかないのか。どうしてこのような場所が他の空域にまで跨って存在しているのかなど疑問は尽きないものの、考えたところで荒唐無稽な想像が膨らむばかりで益体(やくたい)の無いものでしかない。

 ただそれでも“こうしてこの岩々や崖が佇んでいるのにはなにか理由(わけ)があるのだ”と、ついそんな考えが頭を過っていくだけだ。

 

 眼下には厚い雲。今日は大地の赤さえ見えることがない。どんよりとした、暗雲が立ち込めるばかりの空模様だ。しかし見上げればそこにあるのは晴天。地上はおそらくひどい嵐が起こっていることだろう。正面を見据えれば死をもたらす瘴流域の壁。雲の向こう側での戦いが脳裏を過る。

 

「晴れ時々曇り、か」

 

 ダイダロイトベルトは常に“不安定なようで安定しているように見える”場所だ。付かず離れず、落ちずに落ちて、木々は無くとも草花は生い茂っている。

 わずかな段差と思い踏み出した一歩がずるりと沈んでいくあの感触はいつもながら肝が冷える。数十人が乗れば空の底へまっさかさまに落ちていくのではないかという漠然とした不安を、ここを訪れる者ならば一度は掻き立てられることだろう。

 

「むっ」

 

 ぶわっと覆いかぶさるように眼前に雲が迫る。薄いものの湿りを帯びたそれに包まれたまま、手元のコーヒーカップに口をつけて飲み干す。

 同じようにカフェの店先のテーブルでくつろいでいた人々も早々に飲み干したようで、すぐさま身近においてあった荷物やらを抱えて宿の中へと駆け込んでいく。

 嵐が来る――この予感は当たることだろう。

 

「ガルーダの言うとおりにすればよかったな」

 

 こんなことになるなら“ガルーダさまの本日のお天気予報なのじゃ! 今日は……嵐じゃ!”と晴天を指差してドヤ顔を決めた彼女を虚仮にしなければよかった。

 

「ん……?」

 

 黒い雲が流れ込んでくるその合間の遠くで赤い何かが目に留まる。

 

「雷……じゃあないのか?」

 

 赤い光を映した、もしくは赤い光を放ったような感じはあったが……おそらく太陽光の反射だろう。虹が出る原理と同じことだ。スペクトルの輝きが目に映っただけだろう。こんな場所で探索を行うなどただの物好きか命知らずのハンターくらいなものだ。

 確認すべきだろうか。いや、しかし既に暗雲はそこまで迫っている。仮に、あの立ち入り禁止の場所に自ら踏み入った者を救助するとしても、あの場所は既に暗雲に飲まれた後だ。今頃は雷で丸焼きになっていることだろう。時既に遅し、だ。

 

「秩序の騎空団に連絡しておくか……物好きな阿呆が居るのかもしれないし」

 

 皆が皆それぞれの宿へと飛び込んでいく中で一人、石畳の路地を駆けていく。開けた視界の先には宙吊りの――それもお手製の簡素な木製の――橋が一本かけられている。丸太の杭を打ち込んだところに頑丈な縄を括りつけた、いかにも冒険小説に出てきそうな手作りの橋だ。橋は橋だが、これは些かどころではない不安材料だ。

 眼下は雲が広がる空。落ちれば真っ逆さまに、大地と溶け合うような熱烈なベーゼを交わしてグランドフィナーレだ。だというのに目の前の橋は風に揺れ、雨に濡れ、為すがままに空に揺れている。

 

「これを、行くのか……?」

 

 正直に言いたい。俺はこんなもの渡りたくないと大声で叫びたい。しかし万一、ここで報告が遅れたことによって人死にが起こったなどという後味の悪い結末を迎えたくは無い。仮にも自身は帝国軍中将――厄介払いに等しい部隊のだが――であるのだ。ここでこれを渡ってでも、対岸の主島にある我が艦隊へと帰還しなければならない。秩序の騎空団の詰め所に寄るのはそのついでだ。

 

「……よし、行くぞ。大丈夫だ、俺ならできる。地上に落ちたりなんかしない。きっと、おそらく……た、多分……大丈夫のはず、だ」

 

 ああ、こんなことになるのならガルーダの機嫌を損ねないようにしておけばよかった。でも涙目で顔真っ赤になったガルーダも可愛らしいものだった。()い、実に()い。

 

「下を見るな。下を見るな。下を見るな」

 

 自分を落ち着かせる魔法の呪文が要る。とにかく心を落ち着かせるのだ。平常心を保つことは戦場に於いて自らの命運を左右する。素数でもなんでもいい。湧き上がる勇気を全身に行き渡らせて駆け出すのだ。それだけ、たったそれだけでいい。

 獅子が兎を狩るにも全力を尽くす、と言う様に何事も全力全壊が基本なのだ。しっかりとした足取りで、石橋を叩くようにこのつり橋を渡りぬくのだ。

 木の板を一つ踏むごとに俺はそのかき乱された心を鎮め、数えている間に何の障害も無く渡り終えているのだとイメージするのだ。

 

「2、3、5、7、11、13」

 

 ぎし、ぎし、ぎし、と軋む度に素数を数える。

 

「17、19、23、29、31、37、41、43……いやまて、何か一つ、そう、一つ抜け落ちたような……!」

 

 ダメだ! 何か抜け落ちているような気がする。何故落ち着かないんだ!

 このままではいけない。止まってはならない! 勇気を途切れさせてはいけないのだ!

 

「もう一度だ。今度こそ正解のはずだ……2、3、5、7、11、13、17、19、23、29、31……違うやっぱり何か抜け落ちている気がする!」

 

 いけないいけないいけない! このままでは空の底に真っ逆さまだ! 落ち着いて数えなおせ! 繰り返せッ! 繰り返すんだよ! 何度でも何度でも、この心のざわめきが落ち着くまでやるんだ!

 

「2、3、5、7、11、13、17、19……くそっ! 何が、何が足りない!?」

 

 ええい、この際なんだっていい! パンに塗るのがジャムでもハバネロでもこの際どうだっていいことだ! 食わなければ死ぬなら喰うしかないのと同じだ!

 

「2、3、5、7、11、13……」

 

 あと少し、あと少しだ! 数えられる範囲内で数えなおせばいい!

 トライ、アンド、エラーは科学者にとって必然だ。失敗は成功の母という言葉のとおり、失敗の要因を一つずつ潰していくことで成功への道のりが拓けるのだ。それは基本中の基本であり、物事を為す上での重要な解決法の一つだ。失敗から学ぶからこそ人間はより高みへと成長できるのだ!

 

「2、3、5、7……そうか……」

 

 辿り着いた。ああ、俺は辿り着いた! 数学なんぞ随分と使わなかったものだからすっかり忘れていたせいだ。何百年という時間は俺から知識さえも奪いつつあったのか。記憶が色あせて消えていくように、地上に居た時代の知識さえも失われつつあるとは。

 

「9、だ」

 

 ああ、だがこれでもう思い残すものはない。腑に落ちた。納得した。俺はやった!

 

「……9は素数ではないぞ」

「なん……だと……!」

 

 突然背後から聞こえた声に振り返ると、その視界にウェーブのかかった長いブロンドの髪と、羽付きの黒い船長帽を被った少女の姿が留まる。ガルーダよりもやや高いくらいの、しかし平均的な女性の身長よりかは低いその少女は身の丈にはやや似つかわしくないぶかぶかな黒いロングコートを羽織り、手には鞘に収まったハンドガード付きのロングソードを携えている。

 頬に張られたまっさらの絆創膏を歪ませて、彼女は不敵な笑みを浮かべる。

 

「……モニカ、いつからそこに?」

「貴公がずっと素数を数えながら橋を渡っているときからだ」

 

 こんな辺鄙な場所で出会うことになろうとは。つくづく奇妙な縁があるらしい。

 

「……聞いていたのか?」

「なかなか前に進まないものだから、な。後ろに付いていくしかできなかったのだ。相変わらずとはいえ、もう少しシャキッとしたらどうだ?」

「はいはい。お前も相変わらずでなによりだ」

 

 威風堂々、と構える彼女の胸にちらりと目が行く。小柄な体躯ながら大変立派なそれらは湿り気を帯びて少し透けたセーラー服の下に隠れたままだ。重力に従うことなく張り出したその大きさは服の上からでもはっきりとわかるくらいに立派だ。

 

「……目つきがいやらしい」

「すまん。ま、まぁあれだな……立派になったな」

「それは船団長としてか? 女としてか?」

「どちらもだ」

「貴公……その、面と向かって言われるのは……やはり気恥ずかしい。……イヤではないのだが……と、とにかく今は避難が優先だ。急ぐとしよう」

「ああ、そうだ。ついでに秩序の騎空団の支部に案内して欲しい」

「……正気か? ぶっちゃけた話だが、帝国軍は秩序の騎空団(ウチ)じゃ良い印象を持つ者は皆無だぞ?」

「それでも、だ。先ほどあちら側の岩塊のカフェテラスの先、立ち入り制限区域で何者かが居たようなんだ。流石に港の管理者にそれを報告もせずに立ち去って、後から人死にが出たとか言われては気分が悪い」

「なるほど。詳しい話は詰め所(ウチ)で聞こう。こっちだ」

 

 小さな体が外套を翻して前に出る。身なりは少女のそれだが、佇まいや雰囲気は成熟した女性のそれだ。見た目の幼さと精神の成熟ぶりはミスマッチのように思えるが、モニカの場合にはそれは当てはまらない。

 女だてらに剣を振り回し、船団を率いるだけの才覚を備えているのだ。カリスマというものは年齢や見た目では計れないものなのだ。

 

「くそっ! 降ってきた!」

「次の路地の角を左だ! そこを真っ直ぐ行けば詰め所だ!」

 

 吹き付ける風と雨。ゴロゴロと鳴り響く雷鳴を伴った雷雲がすぐそこにまで迫ってきている。吹き飛ばされていく鉢植えや看板、時には誰が放り出してあったのか洗濯物がぎっしり詰まった籠なんかまで。

 

「モニカ、気をつけろよ。ただでさえお前は軽いんだから!」

「貴公こそ雨ですっ転ばないようにな!」

 

 断崖の端を通る路地を駆け抜けていると突然視界が真っ暗になる。雲に入ったわけでもないのに前は何も見えない。視界を塞ぐ真っ白のフリル付きのそれを顔面から剥ぎ取って投げ捨て、モニカの背中を追いかけて建物の角を曲がる。

 

「っ……わわわっ!?」

 

 どんっと圧し掛かるような重みを伴った衝撃に、目の前を走る彼女の身体が宙に浮かぶ。と、同時にこの背後に何があったのかを悟る。

 何も無い。そう、先ほどの路地は右手が崖沿いだ。そこを左に曲がるのだから、必然的に崖を背にすることになる。崖の先に暗雲立ち込める空がただ広がるだけ。そこに我々人間が踏みしめる土は存在していない。

 自然の猛威は人間など容易く飲み食らう。それは事象の顕現たる星晶獣を一度でも見ていれば否応にでも理解せざるを得ないことだ。

 

「モニカ!」

「わぷっ!」

 

 ふわりと舞い上がった小さな彼女の手を掴み抱き寄せる。左手は彼女の背中を受け止めるようにして抱きとめ、路地の左側、すぐさま石組みの建物の出っ張ったところに右手を懸命に伸ばしてひっかける。

 前に進むことなどできやしない! ここは地上から遥かに離れた高空なのだ。吹き付ける風は地上のものより更に激しい。

 

「き、貴公……」

「……すまん」

 

 もに、というマシュマロのような柔らかな弾力の感触を頭から削ぎ落とす。

 真っ白なセーラー服の上着は大量の雨を受け、最早その()()()は皆無だ。それにしてもモニカは背格好の割りに随分と立派な武器(モノ)を手に入れたらしい。

 

「あ、あまり手を動かすんじゃないバカ者!」

 

 “もうお嬢さんなんて柄じゃない”と言っていたのはいつだったか。顔を赤らめて羞恥に悶えるモニカの姿はどう見たってそこらへんにどこにでも居る“お嬢さん”のそれでしかない。

 

「とかなんとか言ってる余裕もあんまり無いんだがね!」

「いいからさっさと……!」

「……チッ! 頭下げて掴まってろ!」

「ムグッ!」

 

 咄嗟にモニカの体を丸めるように壁際に押し付け、自身の肩を盾代わりにして衝撃に備える。人さえ容易く押し退ける暴風だ。飛んでくるものは人間より軽いものであればなんだって飛んでくる。

 ズ、と一際重く鈍い痛みを伴って閃光が視界を駆け巡る。

 

「……ユ、ユーリ……ッ!」

 

 鼻筋を伝う生暖かい感触。舌先に触れる、雨水ではない鉄錆びた味。視界が歪む中でただはっきりとモニカの今にも泣き出しそうな、悲痛な表情だけが浮かんでいる。

 

「も、もう少し耐えろ! すぐに手当てをする! だから……もう少しだけ……!」

 

 モニカは俺の羽織っている真っ白な帝国軍将官用の外套の懐をまさぐる。探る手は右に左にと体を這い回るが、お目当てのものに辿り着かないらしい。

 

「むうっ、貴公……あの銃はどこに、ぐっ、も、もう……少し踏ん張ってくれ! 私では貴公を背負うには少々ばかり厳しいんだ! 寄りかかるくらいなら、なんとか、できるが、そ、それ以上はキツい……!」

 

 足が震えてきた。右手の握力が限界だ。壁に当てた左手がずり落ちる。次第にモニカの焦った顔が近づいてくる。ボヤけているのに、それだけがはっきりと見える。

 

「ま、まだだ! まだ倒れてはダメだ! ……あった!」

 

 モニカの白い手に握られた俺の拳銃(あいぼう)。世界の終焉を俺と共に生き延びた、おそらくただの一丁だけの銃。装填数6発の.357マグナム弾とシルバーの輝きを放つ銃身。木製のグリップの木目が美しい逸品(リボルバー)

 

「頼む……当たってくれ」

 

 モニカの小さな左手に握られた天使はその砲口を路地の先へと向けられる。雨と風に打たれながら輝く姿は水の滴るモニカの金色の長髪とのコントラストのようだ。

 次第に傾いて寄りかかっていく体に彼女の右手が回される。意識を失っていないとはいえ大の大人の男の体重が小柄な女性に圧し掛かるのは辛いもののはずだ。

 

 ごうごうと吹き荒ぶ嵐を裂いて、一発の銃声が空を駆け抜ける。

 

「よしっ!」

 

 ニヤリと笑みを浮かべたモニカ。銃弾は狙い通りに建物の軒先に吊るされていた金属製の看板、秩序の騎空団の詰め所を示す“看板(象徴)”を見事撃ち抜いたらしい。

 

「くそっ! どこのどいつだぁっ!? こんな嵐の中で秩序の騎空団にケンカ売るとはいい度胸だ! 出てきやがれ!」

 

 通りの先から響く罵声。そりゃあそうだ。自分たちの所属する組織の看板に攻撃を受けたのだから怒りを顕にするのは当然だ。

 ところで、それをやったのはお前達の第四騎空艇団(ところ)の船団長なのだが。

 

「おーいっ! こっちだ! けが人が居る! すぐにロープを寄越せ!」

「なぁっ!? 船長!」

「とっととロープを寄越せ! 医務官に治療の準備をするように伝えるんだ!」

「り、了解っ!」

「もう少しの辛抱だ! ユーリ、あと少しだけでいい……!」

 

 モニカが受け取ったロープが俺のベルトに通されると、モニカはロープの末端に自身を括りつける。自らが最後の歯止めになるつもりだ。あんな小柄の若い女が、可愛らしいごく普通の少女が、身を投げ打つ覚悟で背水の陣を敷いたのだ。

 

「行くぞ、貴公は心配せずとも――っ!?」

「ああ、行くぞ」

「おっ、おいっ! ユーリ! これでは逆じゃないか!?」

「痛い以外はどうということはない。……流石にしばらく眩暈が酷かったけどな」

 

 モニカの小さな体を左手一本で抱き寄せる。

 この純真な女はその身一つで俺を救おうとしていた。それはいけない。それではいけない。彼女が犠牲になりうる可能性は万に一つでもあってはならない。そして何より男の子ってやつは、やはり大事な人の前では強がりになってしまうものだから。

 

「……ユーリ、私を放すなよ。私もユーリを……離さない。絶対に」

 

 ああ、やっぱりモニカはいい女だ。気丈で健気で、そして何より芯が強い。

 

「もちろんだ」

 

 二人して握った命綱(きぼう)。人さえ薙ぐ暴風の中を引かれるように前に進む。時折視界に飛び込んでくる鉢植えや枝葉、木の看板などをモニカは寸分の狂い無く切り払う。

 

「船長! こっちへ!」

 

 モニカの手が男の手を掴む。もし少しでも力が緩んで離そうものなら、明日の朝日は拝めないものと心得るがいい。

 

「ふぅーっ……どうにかなったか……船長、あまり無茶をしないでください」

「はぁっ、はぁっ……それは、すまない……はぁっ」

 

 二人してずぶ濡れのまま家屋の中へと引きずり込まれるようにして飛び込む。即座に閉められた扉には(かんぬき)がされ、吹き飛ばないように厳重に釘打ちまで行われた。

 

「おい、こいつ……帝国軍か?」

「なんだってこんなトコに……」

 

 床に這い蹲る俺の姿を見た彼らの反応はまあ、なんというか予想通りだ。嫌悪感を隠そうともしない有り様はいっそ清清しいくらいに。

 

「っ、ユーリ! しっかりしろ、ユーリッ!」

「ああ、あぁ……起き、てるよ……!」

「無理をするな、ばか者」

「無理はしてない」

 

 笑いそうになる膝を叱咤してのそりと起き上がる。正直強がりなんて早くやめて楽になりたいものだが、意識はマシになったし動くだけの体力はまだある。それに自らの出自さえ名乗らぬままでは、こいつらに舐められっぱなしだ。そんなもの性に合わない。

 

「私は、エルステ……帝国軍、外征艦隊、総司令官を務めている。ユーリ・ナイトハルト・オズヴァルト中将だ」

「なっ、“帝国の英雄”だと!?」

「こいつのせいで……!」

「やめておけ。手負いの相手ほど恐ろしいものはないぞ」

 

 周囲を囲む団員たちの気配が敵意から殺気に変わる。随分嫌われているらしい。

 中には短刀の留め具を静かに外した者さえ居る。銃の引き金に指をかけた者や、ぎりりと拳を握り締めて睨みつける者さえも。

 

「バカモノ! カッコつけて暢気に自己紹介などしている場合か!? 貴公は阿呆か!? それとも大馬鹿者か!?」

 

 キーンと響く甲高い叱り声が耳を貫いて駆け抜ける。意図せず頭の中で反芻するように響き続ける彼女の声に再びクラクラしはじめた思考をどうにか持ち直そうとするものの、かなりの威力だったらしくなかなか収まる気配が無い。

 

「五月蝿いぞモニカ船団長殿。頼む、頭に響くから……少しボリュームを下げてくれ……」

「ほら見ろ! そうやって私の前で格好つけるのはやめろと何度も言ったはずだ! 十年前だってそうだ! どうして、どうしていつもこんな無理ばかり!」

「すまん。だがそうカリカリしていてはかわいい顔が台無しだぞ」

「あ、頭を撫でるな! もうそんな年ではないんだ!」

「俺にとってはいつでも、何歳だろうとモニカはモニカなんだよ」

 

 不安にさせたくないから強がりになる。それが逆にモニカにとっての不安になっていることくらいわかっている。だけどそれでも譲れない。こればっかりは俺の信条でしかないが、どうあっても貫きたいものなのだ。

 エルステ帝国の権威を背負うこの身が跪くなどあってはならないのだ。たとえ強がりと取られようと二本足で堂々と立っていなければいけない。

 それになによりも彼女が倒れ伏した姿だけは、もう見たくない。

 

「お前が傷つくところだけは、もう見たくないんだ」

 

 あの日、心折れていた俺を起こしてくれたのはモニカだった。共に過ごし、剣を交わし、背中を預けあって、共に時代を駆け抜けた中に芽生えたものはかけがえの無いものなのだから。

 抱き締めた彼女の温もりは雨露に濡れた冷たさでわからない。だけどこの燃え尽きた灰に再び炎を灯してくれたのは紛れも無い彼女だ。その内なる炎の温もりは忘れない。忘れたりなど、するものか。

 

「……ば、かもの……本当に、ユーリは……ばかものだ……!」

 

 目深に船長帽を被ったモニカの表情は俺の胸の中でわからない。

 とん、と突き放すように抱擁から離れた彼女は俯いたまま静かに告げる。

 

「……さっさと治療を受けて着替えろ。私も着替えてくる。……あと、それと……あ……ぁ……ありがとう」

 

 すぐさま踵を返したモニカは紅潮した顔を隠しながら奥の部屋へと姿を消した。

 頭に溢れていたアドレナリンが引いてゆくに連れて再び鈍痛がぶり返す。モヤがかかる思考の中で浮かんだのはなんということもない、彼女の左頬を隠していた塗れた絆創膏。

 

「俺のレジスタード・マグナム、返してもらってないな」

 

 あれがなければ俺はこの世界に一歩を踏み出す勇気を持てなかった。初めて出くわした魔物から俺を守ってくれたのはあの銃(レジスタード)だ。

 世界の滅ぶより以前に俺が居た証明。俺が時を越えて目覚め、この時代に生きている証明。俺が彼女を傷つけた証明。

 ほのかに残った硝煙とモニカの香りが、鼻腔をくすぐる。




あとがき
団員A(爆発しろ。俺もあのちっちゃカッコイイ船長抱き締めてモニモニしたいのに!)
団員B(砂糖吐きそう。イチャラブしてぇよ! マジいい女モニモニ)
団員C(俺達の船団長(ママン)に色目使うとかいい度胸してんなコラ。モニモニ!)
団員D(モニカママンのデレと濡れ透けとか最高だろおい。モニモニ……)
ユーリ(何がとは言わないが想像以上でびっくりした。理性がやばい。モニモニ!)


「「「「「モニィィィィィ!」」」」」


モニカ「!?」(着替え中)


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グラブル試作品2

 

「ユーリ、貴公の見た赤い光とやらについて教えて欲しい」

 

 パチパチと暖炉の火が煌々と燃える一室。外からは轟々と雨風の降る音。眼前には着替えを終えたモニカ。そして何故か周囲を囲むように居座る四人の団員たち。

 これは取り調べや事情聴取というよりも最早尋問なのではなかろうか。そんな勘違いを起こしそうなほどに周囲の四人の眼差しは鋭い。こちとらけが人なのだからもう少しストレスをかけないように気を配って欲しいものだ。

 

「船団長、お茶をお持ちしました」

「ああ、ありがとう」

 

 彼女の前に置かれたティーカップには芳しい紅茶。しかし俺の目の前には何も無い。モニカへの気配りをもう少し俺にも向けて欲しいものなのだが。

 

「船団長、お茶菓子をご用意しました」

「う、うむ……ありがとう」

 

 どん、と眼前に置かれたのは紛うことなきバウムクーヘン。直径にして30センチはあろう分厚いそれは皿の上で温かな湯気を昇らせて鼻腔をくすぐる。

 

「船団長、トッピング用のチョコレートソースとメイプルシロップです」

「え、あ、うむ……」

 

 真っ白な陶磁の小皿と銀製のナイフとフォーク、そして銀製の小さなミルクポットが皿の隣に二つ置かれる。モニカの表情は紅茶が出されたころの嬉々とした表情から“どうしてこうなった”と言わんばかりに困惑を浮かべている。

 

「船団長、リーシャ副長が」

「ええい! 話が進まないではないかっ! さっさとお前達は下がって待っていろ!

 それともう1セット皿とナイフとフォーク持ってくるんだっ! この者は客人だぞ!」

「了解!」

 

 どたどたと騒がしく部屋を出た彼らは名残惜しそうにモニカを見やり部屋を出る。さらりとこちらを見て舌打ちしたのはどこのどいつだろう。今すぐダイダロイトベルトの岩塊ごと地上の旅に送り出してやってもいいんだぞ。

 

「すまない。うちの部下はどうにも慌しいものでな」

「自分の上司が見知らぬ相手、それも帝国軍の軍人を連れてきたんだ。気になるのは当然だろう」

 

 もう1セットの紅茶と食器のセットをトレーごと受け取ったモニカは手早くバウムクーヘンを切り分け、その皿によそって俺に差し出す。

 香気の立ち昇る断面にかかったシロップ。琥珀色の鏡が暖炉の炎を写して輝く。

 

「ふむ……瘴流域にさしかかるあたりで赤い光が見えた、と」

「ああ。何者かが居たからか、はたまたただの自然現象だったのか……モニカは何か思い当たる節はないか?」

「むぐ……もしかすると……星晶獣なのではないか?」

 

 口に入れていたバウムクーヘンを嚥下し、モニカは紅茶のカップを手に取りそれらしい答えを告げる。

 

「可能性としては有り得るのか? ガルーダのような独立した個体ならともかくとしても、ここは島と呼べるか怪しいような場所だろう」

「うむ。ユーリの言うとおりダイダロイトベルトは無数の岩塊や土くれが集まった列島だ。だが研究者の、ああ……在野の民間研究者の話だが、ダイダロイトベルトは元々一つの大きな島だったのではないかと考えられているんだ」

「随分眉唾な話だな」

「自分でもそう思うさ。しかし何も無い場所に突然島ができるなども考えにくい話だろう?」

 

 モニカはバウムクーヘンにナイフを入れて一切れ――とはいえ全体の四分の一ほど――を自らの皿にとりわける。

 

「まあな。地上から島が浮き上がってくるのを見たらイヤでも信じるしかないんだろうが」

「同感だ。話を戻すと、元々島だったダイダロイトベルトが何らかの理由で今のような岩塊の集まりに変化し、浮力を失ったものの落下することなく存在しているのは不自然だ。しかし星晶獣は島と契約することでその島を“縄張り”とする……まあ自らの特性や資質に応じた“領域(テリトリー)を形成することができると既に判明している。このことから推察するに……」

「ダイダロイトベルトは今も尚何らかの星晶獣と結びついている、とも考えられるわけだ」

「あくまで推測。しかし星晶獣のトンデモぶりを考えれば簡単に捨てきれる可能性ではない」

「……で、その研究者というのは?」

「名は羅生門という。巨大な研究艇を擁する地質学者で、他の空域にも跨って島々の地質調査を行っているそうだ」

 

 羅生門? ……日本酒の銘柄くらいしか浮かんでこないのだが。

 

「それで、その羅生門先生とやらはそれなりに信の置ける学者なんだろうな?」

「当然だ。島々の古代遺跡の調査なども行っている学者集団の頭目だし、その護衛任務の依頼も入ることがある。私も二度三度ほど会ったことがあるが、理知的で誠実なおじさまだった」

 

 なるほど。地質調査のプロフェッショナルたちだし実績もあるわけだ。モニカが素直に賞賛の言葉を述べるからには人も好いのだろう。

 それに遺跡調査も行っているのなら……何か手がかりが得られるかもしれない。寄り道はしたが思わぬ収穫だった。

 

「明日の巡回はより厳重に行うように伝えておこう。最優先で目撃情報のあった近辺を調査せねば」

「頼む。ただの錯覚というだけならいいんだが、どうにも何かあるような気がする」

「わかった。一応確認するが、調査報告は?」

「カルテイラ商会に頼む。あいつのフットワークの軽さならすぐ飛んでくるはずだ」

 

 さて、アガスティアに帰ったら商会に伝えておかなければな。あとは遠征終了の打ち上げと報告を済ませて休暇。休みが明ければ部隊の再編と新兵訓練に加えて新造艦の視察と次の任務か。次の任務もまた長くなりそうだ。

 装備や資材の調達も指示しておかなければ。それに予算編成も組み上げて各部署に伝えて……しかもこれを新任の副官に教えながらこなすのか。デスクワークなんぞやりたくないが、やらねばならないなら仕方が無い。

 

「ユーリ、紅茶のおかわりはいるか?」

「頂こう」

 

 楽しそうに紅茶を注ぐ彼女の微笑みを眺める。その笑顔は少女のころと変わりない。唯一違うといえば、左頬に張られた絆創膏くらいだろう。

 

「……そうじろじろと見られては落ち着かないぞ。そんなにこの下が気になるのか?」

「それは当然だろう」

「わかった。ユーリ、少しこっちで温まろう」

 

 暖炉に近いソファに腰掛けたモニカは催促するようにぽんぽんとクッションを手で触って手招く。どすんと腰を下ろすなり、モニカの小さな肩が寄り添う。

 いつだったか、過日の光景が重なるようにして脳裏を過る。

 

「うむ……やはりユーリは大きいな」

「別に普通だろう。ドラフ族じゃないんだからな」

 

 零距離。爽やかな石鹸の残り香と艶のある肌。少し湿りを帯びた、ウェーブのかかったブロンドヘアー。珍しいオリーブ色の瞳。幼さを持ちながらも妙齢の女性の色香を放つ彼女の顔がすぐ傍に迫る。

 

「……ほら……これで満足……か?」

 

 モニカは自身の左頬の絆創膏をぺらりとめくる。そこにはあの傷が――無かった。

 

「ふふっ、驚いたか?」

 

 不敵な笑みを浮かべたものの、すぐにその笑みに僅かな陰が射す。

 

「けど、痛かったんだ。剣で斬られるよりもずっと痛い、身を引き裂かれるような痛みがした。このまま死ぬのかと思ったほどには」

「あの時はすまない、モニカ。痛い思いをさせてしまった」

「……謝らないで。空に夢見る少女だった私にとって、あれは通過儀礼だったんだ。お陰で私は現実に向き合う覚悟もできたし、決心もついた。剣を振るう意志も定められた。

 もしユーリが撃ってくれていなかったら……私はあのまま人買いに売られて見るも無惨な姿で家畜同然に扱われていただろう。助けてくれてありがとう、ユーリ」

 

 屈託の無い笑顔。いつかと同じ優しい声。つい、その白い頬に指が伸びる。

 くすぐったそうに瞳を閉じるモニカ。手のひらにおさまる柔らかな感触。ふぅ、と腕を這うように感じる彼女の息遣い。

 

「んっ……どうした。今日は……なんだか甘えん坊じゃないか?」

「戦場帰りだしな。それに気が置けない相手も居る。少しくらいいいだろう?」

「まったく……妹分に対してべったりしすぎだ」

 

 そりゃあそうだ。モニカには剣を振りかざして欲しくなかった。血生臭い戦いの世界へ足を踏み入れてほしくなどなかった。平穏に、普通の村娘として生きて幸せを掴んで欲しかった。

 モニカは元々正義感の強い子どもだった。空の青さに魅了され、空を駆けずり回っていた当時の俺を見て、そして空の現状とその中で戦う俺を見て、彼女は剣を手にすることを選んだのだ。

 その選択を決定付けたのは紛れも無く俺の所業だ。悪党を取り締まり、外敵を征し、守るべき人のために戦う姿に幼いモニカは憧憬を抱いた。

 

「だが、こういう近さも……悪くは無い」

 

 そう、剣を手に取ったモニカを悲しく思う反面で、嬉しく感じている自分が居ることも確かなのだ。

 共闘し、敵対し、反目し、和解し、剣を通じてモニカの在り方を感じ取ることができたこともまた事実だからだ。そして彼女がヒトとして、知性ある生命として研鑽を積み高みへと向かって駆けていることが何より嬉しいことだった。

 憧憬を恋心と誤認していた時期だってあった。お互いに命がけで戦場に立つときだってあった。だけどそのような試練(かべ)を乗り越えてお互い生きてこうして出会えたことは喜ばしいことだ。

 

 

第二話 英雄の帰還

 

 

「ぶすー」

「……なぁガルーダ」

「むすー」

「すまなかった」

「許さん」

 

 部屋中に舞い散ったガルーダの黄土色の羽。それに埋もれるように散乱した書類やペン、部屋に飾っていた現地で買った小物。ベッドのシーツはビリビリに破れて千切れ、その上で褐色肌の少女ガルーダは不貞腐れた様子で寝転がったまま、怒りを籠めた声で告げる。

 

「わらわは主様(ぬしさま)が何と言おうが許さん。わらわが()ればそのような無様を晒すことなど無かったのじゃからな」

「……心配をかけてすまない」

「当たり前のことじゃ! 主様(ぬしさま)はわらわの! この神鳥ガルーダが(あるじ)と仰ぐ男じゃろうが!」

 

 ガルーダはばさりと翼を広げ、胸倉を掴むと視界がぐるりと回ったかと思うと天井が映り、その視界の片隅にガルーダの顔が映りこむ。

 馬乗りになったガルーダは憤怒と悲哀をない交ぜにしたような、苦悶の表情で俺を怒鳴りつけてくる。

 

(あるじ)無きわらわなどただの獣! ……空の民に弓矢もて狩り立てられる、ただの獣に成り下がる! わらわは再びこの空を揺蕩(たゆた)うだけの、(しま)無き(とり)に成り下がるのじゃぞ……」

 

 まずい、と思って見やったガルーダの瞳が収縮する。歯をがちがちと言わせ、視線はそこかしこを彷徨い、息を荒げて身を震わせる。

 

 止まり木を失ってしまった鳥。帰るべき場所を失った人間。俺が死ぬということは彼女にとって自らの帰結するべき場所が失われることと同義なのだ。俺にとっては回帰すべき地上が存在していないのと同義なのだ。

 “鳥無き里の蝙蝠”と言えば有名な故事だ。知ってか知らずか、あるいは自嘲なのだろうか、ガルーダは長い時の中を生きる自らを獣と称した。人々(こうもり)に追い立てられて自らの住まう島を失い、空へと飛び立った彼女は寄る辺を見つけられずにいた。そんな自分に戻りたくなどないという彼女の意志が一滴の雨となって頬を伝う。

 

「もう、イヤじゃ、イヤじゃ! 一人になどなりとうない! ばけものなどと持て囃されて矢を射掛けられるなどイヤじゃ! 腹に刃を突き立てられ、手足翼をもがれて見せしめにされるなど考えとうも無い!

 なあ、なあ、主様(ぬしさま)主様(ぬしさま)や。……り、ひとりは、いやじゃ。……ひ、ひ、ひとりは、さみしいのじゃ。あったかいものが冷え切って、すっぽり抜け落ちたような……砂粒が空に零れてぇ、ああ……消えていく……消えていく……ぅぅ……消えるように、空に落ちるよう、な、……ひぃっ……ぁ、あの感じがぁぁぁぁっ!」

 

 ヒトと似た姿を持ちながらヒトに在らぬ少女の心は、まだ幼い。幼くしてその未熟な精神に甚大な傷を負った彼女は時々過去に押しつぶされそうになる。

 独り立ちすらできてもいない斯様な少女を兵器としてこの空に放り出した存在、彼女の創造主たる星の民というヤツラはとんでもないクソッタレだ。覇空戦争だかなんだか知らないが、純真無垢な心根の幼い少女を血みどろにして苛烈、凄惨にして悲壮なる戦争の現実に送り込んだのだから。

 そして自らの為したことが悪であるという事実に耐え切れなくなって、彼女は歪んでしまうこととなったのだ。助けて欲しいときに助けてくれる星の民(おや)が居ない。寄り添う者も慰めてくれる者も何も無く、ただ空の民の敵意を受けてきた。

 

 彼女はまだ人間で言えば十代になったばかりか前半の少女、それも多感な時期の女の子と大差ない精神構造をしている。

 元来の前向きな気質で立ち直りつつあるが、未だに過去を払拭できていないのもまた事実だ。こうして嫌な思い出が自らの理性を狂わせる程度には、ガルーダはまだまだ精神が未熟なのだ。

 

「大丈夫だ。死んだりしない」

 

 俺の胸に泣き顔を埋めたガルーダをそっと撫でる。さめざめと滴る涙にシャツは濡れ、ガルーダの撒き散らした羽根は彼女の慟哭に触発されたのかパチパチと僅かに放電を起こしている。

 痺れる感触を無視して頭を撫でてやると、ガルーダはおずおずと顔を上げて涙で濡らしたままこちらを睨みつける。

 

「…………それは、まことか?」

「でなけりゃとっくに寿命で死んでるさ」

「……空に落ちたりはせぬか?」

「しない。落ちるときも一緒だ」

「…………もう一人はいやじゃ……」

「大丈夫だ」

 

 何分、何十分かと錯覚するほどの静かな時間が流れていく。胸に耳を当てるようにしていたガルーダはそっと起き上がり、もじもじとしながら言う。

 

「ぬ、主様(ぬしさま)……すまぬ。情けないところを見せてしもうた」

「いい。それくらい甘えてもいい。辛い時はお互いに支えあうのもまた家族というものだ」

 

 雨に濡れた外套と上着をハンガーにかけ、涙で濡れたシャツを着替えて籠に放り込む。

 

「さ、散らかしたら片付けるんだぞ。俺も手伝う。それが終わったら晩飯にしよう」

「……うむ!」

 

 ガルーダの眩しい笑顔が浮かぶ。分厚い雲の過ぎ去った後の太陽のように、屈託の無い純真な少女は喜びをあらわにして、一つ一つ抜け落ちた羽を拾い集めていく。

 先ほどまでの様子が嘘のように生き生きとしている姿を見て一抹の不安が胸中を過る。“まだまだ子どもだから”と言って割り切ってしまうことができるほど俺は楽観的な人間ではないのだ。

 彼女の知性は大人に引けを取らないものがある。戦術論だってある程度理解できているし、何より彼女の“強者”としてのあり方は上位者のそれだ。例え相手が自らと同じように強大な星晶獣であろうと、膝を屈することも退くこともしない。

 だが彼女の理性や精神は幼い子どもにも似通っている。思い通りにならない時はわがままを言い、癇癪を起こせば多少加減しているとはいえ星晶獣の権能を使ってでも我を通そうとする。

 知性が高い分だけいくらか聞き分けはいいものの、自らよりも格下の存在が何を言ってこようが聞き入れることはない。俺が言い聞かせていることでこの艦(ユージン)の乗員の言葉は聞き入れてはいるものの、自由に出歩けない不便さにストレスを抱えていることも確かだろう。かといって目付けも無しに外に出せば気ままに飛び回ったきり、なかなか帰ってこないのだが。

 

主様(ぬしさま)!」

「ん、ああ、どうした?」

「手伝うと言いながら手が動いておらぬ! 怠けておるのなら腹が減らぬ。ならばお主は飯抜きじゃ! 主計長に言いつけてやる!」

「じゃあガルーダは新しいシーツをボロボロにしたから三食抜きだな。こいつは名工のデザインした逸品なんだぞ。お前のお小遣いが容易く吹き飛ぶくらいには値が張るのは確かだが……買い換えてくれるのか?」

「そっ、それはあんまりではないか!?」

「じゃあお互い言い合いするのはナシだ」

 

 その後機関の不調を伝えにやってきたガルストンに平謝りしたのは言うまでも無い。

 

「今日はいろいろとありすぎたな……」

 

 夕食を終えてガルーダと風呂を済ませ床につく。新しく引っ張り出したシーツの堅い感触で眠気が遮られるが、眠れないという状況は自らを省みるにはもってこいの時間でもある。

 くだらないこと、思い出深い出来事、嬉しい出来事や悲しい事件まで、つらつらと振り返ることは山のようにある。

 

「必死にアウライ・グランデから戻って来たと思えば嵐に巻き込まれ、義妹には変なトコ見られた上に心配され、ガルーダには泣きつかれ……どうにも運が向かないな」

主様(ぬしさま)がわらわを“ほーちプレイ”するからじゃ。……(えにし)の強さではわらわが一番のはずだというのに……ぐぬぬ」

 

 強化ガラス製の窓から差し込む月明かりに照らされたガルーダの表情は不満げなままだ。

 キクリが悪いだの云々と呟くガルーダの髪の感触を確かめるように頭を撫でると、ガルーダは途端に笑みを浮かべる。

 

「ほら、もう寝たほうがいい」

「んんぅ……(ぬし)さまぁ……」

 

 二人で一つの寝床は暖かい。高空ゆえの寒さもこの寝床に限っては無縁だ。

 俺の二の腕を枕代わりにした彼女はそのまま身をすり寄せて甘えてくる。スキンシップをねだる、というよりも安心感のほうが強いのだろう。

 

「んふふ……やはりここは誰にも譲れぬ。ふぁ……極楽というのは……こういうものか……」

 

 厚手のシャツごしにだが、ガルーダが頬をすり寄せているのがわかる。最適な位置を探るようにしてこすり付けてくる行動は幼い子どものそれだ。

 

「んー……むふぅー……んふふっ……」

 

 やがて最も落ち着く姿勢に行き着いたのか、ガルーダのもぞもぞとした動きはなくなり、静かな寝息だけが聞こえてくる。

 求めていた安息に落ちていくガルーダ。その柔らかな肢体を俺に押し付け、離すまいとしがみつくように密着する。

 小さな体に島をも消し飛ばす力を秘めた存在、覇空戦争の遺産。星の落とし子。神鳥を冠する星の獣。表現は多々あれど、それはどれも相応しくない。今のガルーダは親の愛情や存在感を求める幼子でしかないからだ。

 

「すぅ…………んむ…………んっ…………」

 

 やはりまだまだ彼女は子どもだ。愛情に飢え、孤独を恐れ、人肌の温もりと庇護を求めている。

 する、と脚が絡められる。健康的に引き締まった、幼い娘の脚から下腹部が擦り付けられ、まだ未成熟な肢体が密着する。最後には俺の左胸の上にガルーダの顔が乗りかかる。

 密着するよりも更に近い。誰にも渡すまいとするかのように、寝巻きであるシャツが強く握られる。

 

「…………とと、さま……」

「……おやすみ、ガルーダ」

 

 規則正しい安らかな寝息をおぼろげに感じながら、静かな夜は更けていく。

 

 

 エルステ帝国の帝都アガスティアは遠目に見ればまさに「空に浮かぶ城」とも言える威容を誇っている。

 天を衝く尖塔の数々と建築物。アーチで繋がれた建造物同士が連なり、水路が走り、地面がむき出しの場所など公園くらいなものしかない。昼夜を問わず煌々と煌く外灯と、多数の空艇(フネ)が集まる発着所と整備ドックが立ち並んでいる。

 全ての土は石畳で覆われ、中央に聳えるエルステ帝国の官邸たる“タワー”はその尖塔の先が霞んで見えないほどの巨体で我々を出迎える。

 

「エルステ帝国万歳!」

「皇帝陛下万歳!」

 

 陣形を組んだ外征艦隊の兵士達。彼らが織り成す隊列の中央に陣取った戦車(チャリオット)の上で両足を肩口ほどに開けて腕組みをし、真っ白の将官用のコートを羽織り官邸(タワー)へと向かう。

 儀仗兵や楽隊までもが同道するこの光景は帰還の度に行われる。常に戦場にその身を置く外征艦隊の兵士にとって、これは数少ない喜びの瞬間でもあるのだ。

 勢力圏内とはいえ空域を越えた先の僻地に駐留するというのは容易いことではない。日常的に敵の攻撃に備えなければならず、片時も気の抜けない哨戒任務をこなさなければいけない。その上街に出ようにもその道中や街中で危険が無いとは言い切れないのだ。

 常に磨り減っていく精神。休まることのない肉体。折れそうになる心。それらを勇気で奮い立たせ、使命を以って剣の柄を握り締め、約束を胸にエルステの臣民――引いてはファータ・グランデの人々の盾となる。

 命がけの日常がようやく終わる。愛する故郷へ、家族の下へ戻ることができる喜びは何ものにも変えがたいものだろう。そして彼らの奮闘を、挺身を、守られる人々は賞賛し温かく迎え入れるのだ。

 

 このパレードはその一部でしかない。まだまだ序章でしかないのだ。彼等はここから任を解かれ、船に乗り、故郷で待つ愛する家族や仲間の下へ帰っていく。門の戸を叩き、それが開いた先に大切な誰かの笑顔があって初めて全ての戦いに幕が下りるのだ。

 未帰還となった仲間も居る。目の前で息絶えた仲間も居る。空の底に消えていった仲間も居る。彼らの思いも共に背負って、我々はようやくここへ帰ってきたのだ。

 周囲から万歳三唱が飛び交う中、官邸のゲートを潜り抜ける。喧騒が次第に遠のき、衆目に晒されていた肩の荷が下りる。

 そのまま隊列は官邸に併設された軍学校の演習場に移動する。そしてそこで待ち構えているのは――やはり山のような人ごみだ。

 

「相変わらず騒がしいものだな、ガルストン」

「こればかりは仕方がありませんな。士気高揚のための一大イベントなのですから」

 

 ある者は軍学校の校舎から、ある者はグラウンドに出て、またある者は屋上の手すりから身を乗り出して、集結した外征艦隊――プリンツ・ユージン、グラーフ・シュペー、アトミラール・シェーアのほぼ全戦力の陣容を焼き付けようと熱烈な視線を送ってくる。

 頭上には我が旗下の三隻。俺の周囲には三隻の保有する地上戦力の全てが布陣している。

 陸戦の主戦力である歩兵は刀剣や槍、もしくは弓や銃を携えている。隊の人員のいくらかには魔法兵が配され、より多彩な戦局に対応することを可能としている。

 そしてそれを支援する工兵隊。火砲や爆弾などによる前線支援や建築物の破壊はもちろんとして、要塞陣地の構築や防衛ラインに配置する罠の考案、引いては即席の指揮所の設置なども可能な兵士達だ。

 そしてその後方から左右に鶴翼(かくよく)に展開するのは飛竜騎兵(ドラグーン)だ。飛竜を操り艦隊の護衛や地上戦力への対地支援を行う傍らで、敵の後背へ回り込んで挟撃を行ったり敵陣の真っ只中に上空から飛び込んで撹乱するなどの危険な任務を帯びた精兵たちだ。飛龍(ワイバーン)に物怖じしない豪胆さと冷静に操る知能、そして仲間のために自らを危険に晒す覚悟を持つ兵士たちだ。

 長剣を携えた者、長槍を携える者、ライフルを背負う者、魔法を使うための杖をベルトに挿した者など装備は様々だ。

 

 そして地上部隊の本隊。事実上の艦隊最高戦力。飛竜(ワイバーン)よりも強力な竜種の魔物を従えた竜騎兵、ドラゴンライダー。

 数多の激戦を潜り抜け、百戦錬磨の錬度を誇る歩兵部隊。主将である俺の護衛を務める万能の兵士、近衛兵(インペリアル)

 迫撃砲や試作型の強化外骨格装備など強力な火器を持つ機械化部隊。

 

 唯一この場に居ないのは艦の運用を行うミュラー大佐などの要員と偵察・ゲリラ戦などの任務に就く者達だけだ。後ろ暗い使命を帯びた者はどんな時代、どこの国にでも存在している。俺にできるのはエルステのため、臣民のために自ら望んでその任に就いた彼らを守ることだ。

 素性を誰にも知らせず、経歴を見せることもせず、彼らの名は報告書の上ですらも黒塗りで潰されていることを確認してから提出する。総ては彼らの献身に応えるため。彼らが陽の当たる場所へ出たとき、己の過去の行いが足かせとならないようにするためだ。たとえ心無い言葉を投げつけられても、どのような屈辱的な言葉を吐かれても、俺だけは最後まで彼らの味方であり続ける。

 それが彼らへの、自ら血塗られた道を選択した彼らの貢献に報いる術だからだ。

 

「外征艦隊の勇士諸君、エルステ帝国皇帝陛下に代わって、まずは無事の帰還をお祝いさせていただきます」

 

 即席の観覧席に立ち、演説を始めた人物に目をやる。

 白灰(しらはい)を溶かしたような銀色のショートヘア。リムレスの眼鏡に漆黒のレディーススーツ、ただしその露出度は果たして必要なのかと疑問符が浮かぶほどの露出振りだ。

 背中はほとんど明け透けで、スリットの深いスカートは膝上20センチにはなるだろう。膝下は黒のサイハイブーツで覆われている。スカートとブーツの隙間を埋めるように網目状のストッキングとそれを引き上げるガーターベルトが走っている。

 胸元も明け広げられたままで、そのたわわに実った果実が瑞々しく揺れる様は並みの男ならば一度はじっくりと拝みたくなるだろう。

 

「諸君らの献身によってファータ・グランデ、ならびにエルステ帝国の領内へ他空域の脅威が侵入する事態は減少傾向へと転じ、年々その数を減らしています。これは偏に諸君らがエルステ帝国の精強さと果敢さを誇示し、正道を敷く強者としてのあり方が他国に広く認識されていることの証左であると言えましょう」

 

 ぴくり、とエルーンの彼女はそのピンと張った獣のような()を揺らし、こちらを一瞥する。

 聴衆である軍学校の生徒たち。教官である軍人たち。官邸から出てきた官僚や役人たち。それらの意識を一身に集める帝国の宰相、フリーシア・フォン・ビスマルクは一息の間を置き、更に言葉(魅了)を続ける。

 

「しかしここは未だ通過点に過ぎない。ファータ・グランデを付けねらう脅威は未だこちらを伺い、虎視眈々と牙を研いでいる。

 今後も諸君らには厳しく、過酷な任を担ってもらうこととなるでしょう。諸君らの働きのお陰でファータ・グランデは大事無く統一が着々と進められているのです。

 既に空域の過半を制し、今やエルステは他空域の強国とも渡り合うだけの国力を有するに到りました。しばしの休息の後、我等エルステ帝国はより磐石の態勢でもって立つ時が来るでしょう。

 そしてそのときこそ、諸君ら外征艦隊の勇士たちがエルステの旗印と共に一番槍として数多の敵を撃滅せしめるものであると確信しています。

 栄光のエルステの未来のために! エルステ帝国、万歳!」

 

「エルステ帝国、万歳!」

「帝国に栄光あれ!」

 

 彼女の一声で万来の喝采が巻き起こる。びり、と大地を震わせる歓声と賞賛を背に、彼女は悠々と白と赤、そして金糸で装飾された外套を羽織り官邸への馬車に乗り込む。

 

 解隊式(セレモニー)が終わり、夕闇の帳が射す演習場には人っ子一人佇んではいない。頭上に悠々と浮かんでいた艦隊も既にドック入りし、兵士たちは自身の私物や仲間の遺品を携えて故郷への帰り支度を始めているころだろう。

 

「……また、多くの命が散っていったか」

 

 出撃時の兵数合計1000名。未帰還者が127名。戦死者221名。残存戦力は652名。過去最大の損失となった第三次遠征は辛うじて及第点といえるレベルでしかない。

 この空の世界において、人が住める、繁殖できる場所は限りなく少ない。我々が住める大地は島々しかなく、故に必然的に兵力というものは容易に集めることができない貴重な資源となる。それを500近くも失った。手痛い損失だ。

 

「……せめて、大陸と言えるような巨大な島が一つでもあれば……」

 

 慰霊碑への道すがら、ふと横目に仰ぎ見た空は夕闇に染まっている。

 アウライ・グランデは既に激戦区となりつつある。そして隣接するナル・グランデも次第に飲み込まれつつある。じわりじわりと、このファータ・グランデも戦火に呑まれて行くことになるのだろう。

 人が集中して住まうことのできる島でも、資源が豊富な島でもいい。どちらかがあればそれだけでエルステ帝国の立ち回りは変わってくる。人的資源が多いのならば地上戦力を強化し、歩兵による浸透戦術なども手の一つとなる。多方面から攻め立てて包囲するなど物量で押すことも可能になるだろう。

 鉱物資源が多ければ機械化、主にゴーレムなどの無人兵器や艦船の技術を拡充していく方針で進められる。強力な艦艇の砲撃と無人飛行兵器(ドローン)の爆撃、そして強力なゴーレムを用いて地上戦での優位も得られる。

 どちらにしても艦船技術の向上が急務であるのに違いは無いが。

 

「いや、所詮無いものねだりだな……やれることをやるしかないか」

 

 他の小国家とは違いエルステ帝国は常備軍、つまりは職業軍人で構成されている。一般市民を戦争や一定の年齢になってから徴兵によって動員するのではなく、戦争を専門とする者達で各軍が形成されている。

 メリットを挙げるならば兵士の、引いては軍としての質の向上だ。常日頃から訓練を行って研鑽を積む軍人と、普段剣を握ることの少ない一般人とでは雲泥の差だ。座学での戦術知識の蓄積はもちろんとして、訓練を共にすることで生まれる連帯感や、苦境に陥っても抗いぬく反骨心が根付くのだ。

 指揮に必ず従う忠実な、それでいてファイティングスピリットの旺盛な兵士に育つのだ。戦術の幅が広がり、戦略の選択肢が増えるだけでなく、軍事力の誇示にもなるだろう。

 

 逆に一番のデメリットといえば数を揃えることが難しいという一句に尽きる。人の成長速度は犬猫のそれとは段違いなのだ。ペットを育てるのとはワケが違う。

 兵士それぞれのモチベーションや成長速度、習熟度合いの違い。一律で同じ教育を施してもそれら全てを習得し、習熟させるまでにはひたすらに訓練と実践を繰り返す他に無いのだ。まだよちよち歩き同然の新兵、訓練兵である間はこちらで彼らの生活の面倒を見てやらなければいけない。そして一端の軍人になったとしても、剣や銃などは高級品なのだ。量産品とはいえ上質な武器を与え、身を守る装具を与えて大切な戦力を易々と喪失しないようにしなければならない。

 つまり、金がかかる。人を育てること、人材育成というものは往々にしてカネがかかる。

 逆に言えばそれらの面倒を見れるだけの余裕(カネ)と設備があれば、常備兵というものはそれなりの数を揃えることもできてしまうわけだが。

 

 とはいえその貴重な戦力が400名弱喪失されたのだ。

 400人の命と未来は失われ、そして400人分の家族の悲しみが生まれた。

 400人に費やした資金と時間は最早戻らない。だが彼らの行いは、命を賭した献身は無為にしてはいけない。忘れてはいけない。

 仲間や家族、国に住まう人々のために戦った彼らの尊厳が失われることがあってはいけない。

 

 そのための慰霊碑(モニュメント)――その前にうずくまる一人の女。

 

「きみ――」

 

 開きかけた口が閉じる。同時に駆け出し、花束を投げ捨てて空いた両手で彼女のぐったりとした細身の体を抱き起こす。

 赤髪のショートヘアの美しいエルーンの女性。スレンダーな体つきとラインのきわどい蟲惑的なシースルーが目を引く踊り子の赤いドレス。彼女の青ざめた端整な顔、一文字に結ばれた口の端から零れる赤黒い液体。足元に転がった小さな杯から微かに香る独特なにおい。

 顔と同じく血色の引いた首元、頚動脈の上に指先で触れる。仄かに灯っているような、しかし燃え尽きた灰の残り火のような熱。僅かに見開かれた双眸は翡翠の輝きを微かに放つものの、それもすぐにおぼろげに消えうせていく。

 

「…………エ……リ……ット……?」

 

 絞り出されるように紡がれた最後の言葉は誰を呼んだのだろうか。一滴の涙と彼女の口元から垂れる血が混じりあい、真っ白なコートの袖に落ちて染み渡っていく。

 

 彼女は何故ここで自らの命を絶ったのだろうか。それも毒杯を呷るという方法での自決は相応の苦痛を味わったはずだ。死の恐怖を上回る絶望など、そうあるものではないはずだ。

 彼女が最後に命を燃やして呟いた“エリオット”という名。彼は彼女にとってどのような存在であるのだろうか。この女性ををここまでさせた彼はどこで死んでいったのだろうか。

 

 警邏中の衛兵に亡骸を引き渡して事情聴取を終え、無駄に広い官邸に隣接する住宅区画にある自宅――もう1年も使っていないが――でごろりと横になる。

 部屋の主は居らずとも清掃は行われているらしく埃臭さは感じられない。真新しいシーツに張り替えられたベッドの上は心地よいものだが、常に揺れる艦艇の寝室での眠りに慣れた身にはまだ違和感がある。

 

 しばらくして風呂を済ませたガルーダが戻ると、一人で寝るのはイヤだとごねるガルーダを寝かしつけて部屋を後にする。

 眠れないうちに積もり積もっていくもやもやを解消しなければ。そう思い官邸内の執務室に足を踏み入れる。窓の外は夜のアガスティア市街地の明かりで煌き、夜の帳が下りたとは思えないほどの賑わいをみせている。

 執務室は資料や書籍の眠る棚の前には大量の紙の山が積まれ、応接用の豪奢なソファーとテーブル、あげくはカーペットの上にまで紙の山が置きっぱなしになっている。

 ソレを横目に自身の執務机――もちろん紙の塔が聳え立っている――に着くと、堂々とど真ん中に置かれた真新しい装丁の本を手に取る。

 

 第三回特務外征任務戦没者名簿。約300人の命、その末路が記された本だ。

 

「E……L……これか?」

 

 エリオット・テューダー・ランカスター大尉。旧エルステ王国のそこそこ大きい貴族の家系。享年27歳。種族はヒューマン。家族構成は両親は居らず年の離れた妹が一人。

 殉職前だと少尉になる。尉官を終えれば佐官、将官へと行く行くは進んでいたのだろうか。

 

「……似ていないな」

 

 あの慰霊碑の前で自決した彼女は赤髪のエルーンの女だ。対して写真の彼、エリオットは美しい稀少なプラチナブロンドの身目麗しいヒューマンの青年だ。少し女性的な曲線と面影を残した美丈夫。少なくとも二人は血縁ではないらしい。

 

「戦域からの撤退時に殿軍を務め殉死……か」

 

 婚約者であるにしては身分が違いすぎる。ランカスター家は元貴族、今では貴族位こそ無いが政府の役人やアルビオンの士官学校に入れるくらいには裕福なはず。

 それに対して女のほうは踊り子だ。毒のニオイと混ざりながらもはっきりと感じられた強い臭い消しの香料。肩首や背中に残っていたキスマーク。左の鎖骨のすぐ下に彫られた刻印。英字のFに似たそれは僅かに魔力の残り香を放っていた。

 ぱっと見ただけだったが、細身に見えて引き締まった筋肉のついた足はすらりと長く、しかし足首を捻っていたのかそこだけはやや腫れていた。

 彼女は長らく踊り子をしていて、その魅力的な肢体を武器に夜の街宿で“踊っていた”のだろう。

 

「…………行くか」

 

 時刻は夜12時。まだ店は開いている時間だ。着替えていっても間に合うだろう。

 

 20メートルはある歓楽街の大通りは夜中であるにも関わらずそこそこの人通りで賑わっている。店の前にテーブルが並べられ、そこに運ばれてくる大衆料理とエールの香りがなんとも食欲をそそる。

 ラガー、エール、スタウト、ランビックなどのビールはもちろんとしてワイン、スピリッツ、リキュール、ブランデーなど多種多様なものが並んでいる。エルーン族はこうした酒造りの伝統技術を多く持っていることもあって、特許(パテント)で大きな財を成した者も居る。その傍らで昔ながらの狩猟民らしい生活を続ける者達も多い。

 こじんまりとした居酒屋から大きな料理屋、宿屋にギルドまで様々な施設が揃う大通りの脇に佇む細道へ入ると、街灯の明かりさえも届かない裏路地には飲み潰れた男たちや逢瀬を果たす男女の姿がちらほらとみかけられるようになる。

 その裏路地の一件、小さなランプが看板を照らすだけの店のドア。キィと古びた木製の扉を開くと、久しく嗅ぐことのなかった甘い香りが鼻をくすぐる。

 20人ほどが入れる店内は客で一杯になっていた。複数の女を数人で囲む一団や、カウンター席でサシで飲みあう者、カウンター内で料理する女を口説く者まで様々だが、皆一様にべったりとくっつくほどに体を寄せ合っている。ある男はニヤけた顔をして女の臀部や脚に手を伸ばし、ある女は扇情的なシースルーの衣装で客を誘っている。

 

「いらっしゃ……」

「どうも」

「あ、あぁぁっ!!! ……ォ……オーナー! オーナァァァァッ!」

 

 そのうちの一人、トレーを片手に給仕に勤しんでいた黒髪のハーヴィン族の女性がこちらに気づく。細やかな刺繍が施された白黒のエプロンドレスにフリルのカチューシャを着けた彼女はあわあわと動揺した様子で店の奥へと駆けて行く。

 しばらくして奥から彼女を連れ立ってやってきたのは丸眼鏡をかけた、腰ほどまでアッシュブロンドの髪を伸ばした若いエルーンの女性。深いスリットのスカートと胸元のところが開いた上着のレディーススーツを纏った姿はどこかウチの宰相殿(フリーシア)を髣髴とさせる。

 

「先ほどは店の者が失礼致しました。お客様をこのような場所でお待たせしてしまうとは」

「気にしていないさ。連絡も無しに来た俺の不手際だ。それに用事で来ただけだ。大層な話でもないさ」

「ですがこのままでは先ほどの者が犯した失態がそのままになってしまいます。店の娘たちの失態は(わたくし)の失態にございます。どうか挽回の機会を……お慈悲を」

「大した用事じゃない。この紙に書いた人物の捜索依頼だけだ。すぐに済むし、すぐに帰るさ」

「わざわざお越しいただいたというのに、愉しんで戴けぬまま帰られて仕舞われては我々の立つ瀬が御座いません。それは我等にとっては死にも勝る恥辱で御座います。どうか……」

 

 ここまで言われては仕方がない。彼女たちにとってはそれが誇りであり生き方であり、なによりも違えてはいけない鉄の掟なのだから。

 

「……少しだけだ」

「ありがとうございます。こちらへどうぞ。マリー、蔵のお酒を用意して頂戴」

 

 女中(メイド)に一声かけた彼女は俺の手をとり、しなやかな指先を絡めてしなだれかかるように身を寄せる。

 

「忙しいのではないのか?」

「ええ。ですので、私が」

「お前はもう店に立つような役では無いだろう」

「はい。……でも、1年ぶりですよ。一目見て……疼いたんです。ふふっ、そう易々と衰えるようなことはございませんわ……」

「自分がやりたいだけとはな――――朝までは勘弁してくれ。仕事なんでな」

 

 彼女が開いた扉の先は安宿のように見える店の外観からは想像もできない金細工や彫物で装飾された天蓋付きの寝台(ベッド)が一つ。それもゆうに4、5人は一度に横になれそうなサイズのもの。

 

「旦那様」

「……急かすな。準備しろ」

「んぅっ……はい……御随意に。本日はそのままで?」

「ああ。脱がなくていい。湯浴みも必要ない」

「承知致しました」

 

 ぺろりと舌なめずりした彼女は頬を紅潮させたまま、荒い吐息を隠すこともなく寝所へとそのスレンダーな体を横たえる。

 これは必要経費だ。お互いに相手から得たいモノがあるからには、お互いにナニカを差し出す必要がある。そう、それだけなのだ――――そう思っておこう。

 

 

「アリーシャ様、おまたせしました」

「ありがとう。業務に戻って頂戴」

「かしこまりました」

 

 事を終えてしばらくして、女中の一人が持ってきた羊皮紙を下着姿のままで受け取ったアリーシャ――この売春宿兼情報屋の主はエルーン族特有の耳をぴくりと震わせて視線を走らせる。

 

「もう見つかったのか?」

「ええ、もちろんですとも。閣下がご執心なされている女性のプロフィールですよ。存分にっ、ご覧になってはいかかですか?」

 

 読み終えるなり、アリーシャは不機嫌さを隠しもせずにくしゃりと丸めたソレをこちらに投げ渡してくる。

 彼女が拗ねたときは耳がツンと張るのだが、そのクセはどうやら少女時代から何も変わっていないようだ。

 

「通り名はエリザ。年は二十歳。出身地はアウギュステ。四年前にアガスティアへ移住か」

「正確に言えば四年三ヶ月。あっちでも“踊り子”だったらしくて、傭兵相手にやっていたらしいわ」

「随分詳しいな。面識でもあったのか?」

「ええ。裏のとはいえここは商業区。そこで届出も無しに勝手に“売り”をされちゃスパイ扱いされて投獄が関の山だもの。お客のためにも、そして彼女自身のためにも、事情聴取は必要なことだったのよ」

「……お前なら」

「はい?」

「お前なら、愛した者に先立たれたとき……どうする?」

「どう、とは?」

「そのままの意味だ」

 

 ふむ、と汗ばんだ下着姿のまま彼女は腕組みして考え込むと、しばらくして口を開いた。

 

「私としては、と付け加えて言えばだけど……きっと塞ぎこむかと。……もしかして慰霊碑の前で服毒自殺した赤毛の女の相手って……」

「ああ、ウチの部下だった」

「――そう、まあこんな商売だもの。心から愛してくれる人が居たのはいいことだけど、一途に男を愛してしまった時点で身を引いておくべきだったわね。

 日陰の仕事ではなくもっと日の当たる場所へ帰るべきだったのよ」

「そういうもの、か」

「そういうものよ。こういう仕事は所帯や恋人を持ちながらするものではないわ。遅かれ早かれ日向と日陰のギャップが日常を侵食して、おかしくなっていくのよ」

 

 夜明けも近い。そろそろ戻るべきだろう。ガルーダが癇癪を起こす前に傍に付いておくほうがいい。

 アリーシャと入れ替わりで湯浴みを終えるとさっさと外出用の普段着に着替える。裏町に似合う質素なズボンとシャツだけだが、丁寧に洗濯されて折りたたまれていたそれに袖を通し、店の裏口から表通りへの道へと入っていく。

 

 夜明け前の表通りは静かなものだ。酔いつぶれた者達は裏路地への小道で寝転がり、悪漢どもは日陰へと逃げ帰るように去っていく。歩く者の居ない場所にただの一人……まるで世界からヒトが消えたかのような静寂はあの日を思い出す。

 …………帰ろう、あるべき場所へ帰るんだ。思い出すべきじゃない。

 

「しかし、どういうことだ……更にわけがわからなくなった」

 

 外征艦隊は元々はエルステ王国の遊撃部隊が前身になっている部隊だ。はみ出し者や厄介者が回されてくる、謂わば“お邪魔虫”と表現すべき場所だったがそれは過去の話だ。それを纏め上げた俺を危険視しているのは黒騎士くらいなはずだ。フリーシアは黒騎士からエルステの全権を取り戻すべく裏でいろいろと手を回しているものの、未だに動きは見られない。

 

 エリオットとエリザ、この二者の繋がりからどう広がっていくのだろうか。エリオットは元王国貴族で、エリザは一介の平民だ。一夜の逢瀬から本当にお互いに愛し合っていたのか、それともエリザによるハニートラップだったのか。

 

「……やめとこう、どのみち真実など誰にもわからない」

 

 一抹の不安を胸に抱いたまま戻ってきて、あれやこれやと脳裏を過る憶測を振り払って将官用の黒い軍服を身にまとう。執務室で再び紙の束を目の当たりにして軽い眩暈を覚えそうになるものの、どうにか気を取り直して日の出と共に執務を始める。

 主な案件は現在進行中のプリンツ・ユージンの後継となる艦の建造に関するものと、外征艦隊の再編に関する内容のものが多い。俺を“潜在的な王国派”と見なしてくる黒騎士……アポロニア・ヴァールから暗に“死んでこい”と言われている遠征任務ばかりだった。

 帰還でさえ年単位で間が開くような遠征を数度こなしているのだ。死んでいれば御の字だったのだろうが、最早黒騎士もこれ以上は無駄と判断したのかもしれない。ようやく解放されたかと思うと少し気楽だが、暗殺者にはこれまで以上に注意しなければいけないだろう。元王国軍の士官や兵士は多くが退役させられ、残っている一部のものは将官か地位に縋りついているヤツらくらいなものだ。その中でも軍内部で発言権を有している不穏分子――黒騎士にとっての――が俺なのだから、暗殺はいつでも起こりうるだろう。事実として“王国派”とやらも俺に擦り寄る姿勢を崩さないから、必然俺まで王国派に見られるのだ。

 ガルストンの異動や外征艦隊の再編も俺の戦力を削ぎ落とす一環なのかもしれない。まったく、俺はエルステの市民を守ることだけを考えているというのに、どうして内輪もめなんぞで命を狙われなければいけないのか。

 ……あちらが諜報員を送り込んでくるのなら、こちらも諜報員を連れてこなければならないだろう。目には目を、だ。

 

「ぬーしさまーっ!」

 

 勢いよく開け放たれたドアの向こうから突風の如く胸に飛び込んできたのはいつもの元気な笑顔のガルーダだった。飛ぶ鳥の如く突っ込んできて膝の上に座ったというのに書類の一枚さえ飛び散らないあたり、どうやら周辺の大気を操作していたのだろう。変なところで器用な子だ。

 

「おはようガルーダ。ご飯は食べたか?」

「うむ! 久々にメリーベルの作った朝餉を食べたが更に腕を上げておるぞ!」

「ほう、そりゃあ楽しみだ。と、そこでちょっとお願いなんだけど」

「ぬ?」

「コレをカルテイラ商会に渡して欲しいんだ。二つあるから落とさないようにな」

「わらわを子ども扱いするでない! ……まあガルストンもおらぬし、副官も決まっておらぬのではわらわを頼るのも致し方ないのじゃが!」

 

 ニヤニヤと笑みを浮かべるガルーダの手がそっと差し伸べられる。その意図するところは言わずもがな。

 

「わかったわかった、500ルピだけな」

「むー! それでは甘味を一つ二つ買ったらなくなってしまうのじゃ!」

「仕方ないやつめ……ほら、これで足りるだろう?」

 

 彼女の小さな手にじゃらりと乗せられた硬貨。金額にして2000ルピほどはあるだろうそれを見た彼女はなるほどと一人ごちる。

 

「何個ずつ買ってくればよいのじゃ?」

「2個ずつでいい。種類はガルーダに任せるさ」

「にんむりょーかいなのじゃ! 食後のデザートを心待ちにするがよいぞ!」

 

 先ほど入ってきたとき同様に風一つ起こさぬまま、ガルーダは執務室から走り去っていく。きっちりと書類入りの封筒も抱きかかえるように大切に持っていったことだから落とすこともないだろう。

 果たしてどうなることやら。こればっかりは開けてみなければわからないビックリ箱のようなものだ。……せめて事務仕事もできる優秀なヤツが来ればいいんだが。



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グラブル試作品3

 

「どうぞ。本日のコーヒーはメネア皇国ルーマシー群島、アマテグラ島産です」

「……ふう、相変わらずメリーの淹れるコーヒーは美味いな」

「ふふん、そうでしょう? 閣下メイドなら好みの味くらい承知済みなんだから」

 

 我が家の女中、メリーベル・マーンス・マットはロングタイプの藍色のエプロンドレス――所謂メイド服――を自慢げに見せびらかすようにくるりとその場で一周してみせる。

 ごく一般的なヒューマンのメイド。しかしながらエルーン族のような長身と風に靡く掲揚旗のように鮮やかな青い髪と瞳が自慢の子だ。得意とする仕事は料理だが、炊事洗濯に魔法も修めている上に、ヴィクトリー島執事・メイド養成学校を主席卒業したという才媛でもある。

 10歳で入学し14歳で主席卒業、15歳で我が家に来てから既に5年が経過したベテランのメイドでもあり代行者(ハウスキーパー)――俺が居ない間の家の管理運営を担う人物でもある。

 

「それで、1年間で変わったことはなかったか?」

「うん、何もなかったわ。強いて言えば黒騎士の諜報員が探りを入れてきた程度かなぁ? 叩いたって出ないホコリを探すなんてあいつら暇してるのかしら? 私たちは毎日綺麗に“お掃除”してるっていうのに、失礼しちゃうわ」

「ま、確かに書類関係は重要なものは何一つ無いしな。それでどれくらい掃除したんだ?」

「5人ほど。許可無く邸内に侵入していたからちゃんと警告して始末したわ。検分はしたけど、どいつもこいつも身元不明よ。大した腕も無かったし、ただの嫌がらせだったのかも」

 

 メリーベルは窓際を背に椅子に腰を下ろし、スカートの下から大型のナイフ――ボウイナイフ――を抜いて太陽の光にあてて傷が無いかを調べ始める。星晶石を削って研ぎ上げた赤みの深い刀身に色とりどりの小さな宝石で装飾されている豪奢なナイフは、実はナイフとしての機能よりも杖代わりとしての機能のほうが大きい。

 

「閣下、見られてるわ」

 

 声のトーンが一段下がり、メリーベルは目を細めて光を映す刀身を見つめる。おそらく彼女の周辺監視の魔法に引っかかった何者かが居るらしい。

 

「向かいの政務官の邸宅の庭、大きな松の木に昇って剪定してる男……庭師の装いをしてるけど時折こちらの窓を見てるわ」

「早速始まったか。外征艦隊に紛れ込ませたり家を見張ったりとまあご苦労なことで」

「本当に閣下の艦隊に内通者が?」

 

 幸いにも窓は締め切っている。声は聞こえないだろうが見えないように工夫する必要はあるだろう。執務机と同じアンティークの椅子に深く腰掛け、背もたれに身を任せて左腕で頬杖をついて口元を隠しておく。

 

「新しいやつには確実に一人二人は居るだろうな。古株のあいつらは元々王国軍……ああ10年以上も前の話だが、俺が王国軍の小さな艦を預かる客将だったときからの付き合いだった。今じゃ半分も居ないが、当時のころと教育方針は何も変わっちゃいない。“国民の盾となれ”……そう教えているだけだ」

「なんとも理想主義者が燃え上がりそうなフレーズね」

目標(りそう)が無けりゃ軍などただの走狗だ。目標とするものは国民の生活を守ること。そして戦友を守ること。そのための最善を尽くすこと……やりがいのある仕事だぞ」

「私はいいわ。メイドとしてお傍で仕えられるならそれこそがやりがいだし。閣下の支援で建てられた孤児院があったおかげね」

「俺は……単に子どもが食い扶持も無く野垂れ死ぬのを見たくなかっただけだ。褒められることをしたわけじゃない。俺はその子どもの両親の命を間接的に奪ったんだ」

 

 メリーベルは神妙な面持ちで椅子から立ち上がり、手にしていた星晶石の赤いナイフを太腿のシースに収めて姿勢を正して言う。

 友人のような、父親と娘のような、そのフレンドリーな姿勢はなりを潜めて真摯な彼女の心境が吐露される。

 

「いいえ……閣下に拾われた子たちは皆感謝しております。私だけではなく、他の子もこの家で閣下のメイドとして働けることを光栄に思っております。

 確かに私たちは王国の動乱で帰る家さえ失い、野盗や娼婦まがいのことをして生きる他に術を知りませんでした。そんな私たちを守り、ヒトとして育ててくれたのは紛れも無く閣下であると存じております。閣下に拾われていなかったら、きっと私たちは今頃身を売って細々としたひもじい日々の中で過去を恨んで生き続けていたと思います」

「……俺がやったことは、ただ自分の中の罪悪感から逃げたかっただけかもしれないのに?」

「最初はそうでしたのだと思っております。ですがそれによって救われた人たちが居ることは紛れも無い事実なのです。閣下は悔やみ、苦悩し、それでも国に住まう人々のためにと前に進んでこられたお方です。私どもは皆恨みも後悔も何一つございません。我等メイド一同、閣下からの恩義に報いるべく身命を賭してお仕え致しております」

 

 十年以上前に出会ったアイスブルーの髪の美しい少女は今や立派な大人の女へと成長していた。両親の血に塗れた髪も光を失った瞳も、全ては過去として胸の奥に仕舞いこみ、メリーベルは新たな己を……人生を謳歌しているのだ。

 当時、小さな子どもたちの未来を奪ってしまったことに気づいた俺は教会を兼ねた孤児院を建てることで自分の罪悪感を少しでも紛らわせようとした。せめてもの罪滅ぼしとなれば――そんな己大事の独りよがりな理由で。

 けれど彼女たちは俺がエルステ帝国の人間――両親や友人を奪っていった憎むべき敵であると理解してその上で受け入れている。

 まったく、これではどちらが大人なのだか――。

 

「百年以上を経ても、俺は情けないままだな……」

「閣下は時々ヘタレになっちゃうもんね」

「わかってるさ。けど、まあ――ありがとう。お陰で少し気楽になった」

「ふふっ、閣下のためなら夜伽もオッケーだよ? むしろ全員呼んでこようか?」

「娘みたいな子に手出しするかよ」

「――うん、閣下はお父さんみたいな人だからそう言うと思った」

 

 にこやかな笑みを浮かべる彼女の表情に影は無い。彼女は真に己の過去と決着を付けられたのだろう。俺は未だに決着を付けられない……そもそも決着というものがあるのかさえ怪しい。

 俺の目指す場所――地上への回帰。俺が生まれたあの大地へ、家族が眠る土の上に、多くの人々が死に絶えたあの世界に再び立つこと。それが俺の……ヒューマンでもドラフでもハーヴィンでもエルーンでもない、“旧時代の人類”としての俺の役目。

 

「あ、そういえば閣下宛にお手紙が届いてるよ。なんかすっごい分厚い封筒だけど」

「見せてくれ。…………ふぅむ……」

「ね? ね? 何書いてるの?」

「ん……まあこのくらいならいいだろう。ほら」

「えー何々……“外征艦隊再編に伴う新任補佐官任命に関する資料と経歴表”ね……閣下がよければ私でも……」

「ダメだ。お前たちに戦場は見せられない」

「えー? なんで!? そりゃー私たちは戦災孤児だけど学校で戦術論とか戦闘技術の訓練も積んでるんだからそのくらい――」

「戦闘と戦争は違う。暴漢や少数の盗賊を蹴散らすのとはワケが違う。部下に向かって暗に“死ね”と言うに等しい命令さえ下さなければならないんだ。……冷徹で残忍で無慈悲であることが求められる仕事なぞ、お前達にさせるわけにはいかない」

 

 この子たちに二度も戦争の悲惨さを見せるなどゴメンだ。何が何でもこれだけは譲らない。

 視線がぶつかりあって数秒。諦めた様子でため息を吐いたメリーベルは手にしていた書類をこちらに渡してくる。少し渋々といった様子なのが感じられるのがまた愛らしい。

 

「過保護だよねー、閣下って」

「お転婆娘が何をしでかすかと考えると気が気でないんだよ。早く結婚なりして身を固めたらどうだ?」

「ヤダ。結婚するなら閣下がいい。女の子がよく言う“パパのおよめさんになるー”っていうヤツ! なんだかんだで嬉しいんでしょ?」

「そりゃあ……まあ、親愛の情を向けられるのは嫌いじゃないが」

 

 ニタニタと意地悪い笑みを浮かべるメリーベル。見かけは天使のような美貌だというのにその笑い方だけは悪魔以上に魔的だ。

 

「おっ、じゃあ私たち一同ちゃんと平等に愛してね。お嫁さんが一気に20人もできちゃうけど閣下の収入なら大丈夫大丈夫!」

「魅力的な提案ではあるがお断りだ。俺は軍人で人殺しだ。家庭を持ったとしても任務でいつ死体になって帰るかわからない。ともすれば死体さえ存在せず、ただの紙切れ一枚で死亡が伝えられる可能性さえある。

 ……今どれだけ稼ぐことができようが、死んでしまっては話にもならん。気休めかもしれないが、妻として嘆き悲しむよりかは……他人として泣いたほうがいくらか気が楽だろう。実際俺もお前達を娘以上に見れるとは思えないしな」

「――そっか……」

 

 ふとメリーベルの笑みに影が差す。落胆のような、失意のような、しかし安堵したようにも見えるため息をついて彼女はいつもの笑みを浮かべて言う。

 

「つまり脈アリってことよね! これから次第でどうにでもなるってわかっただけで御の字だよ! 3年後に改めて出直してくるから待っててね閣下!」

「お前はもう少し自重という言葉を知るべきだな」

 

 半ば諦め気味に言ってみたもののこれで改善されることはないだろう。しかし俺のような軍人のどこがいいのやら。見た目はあの堅物のアダムを少し若々しくしたくらいの地味目な容貌だというのに。

 その上ハッキリ言って俺は多くの部下や敵の命を奪ってきたのだ。しかも彼女らの両親もそこに含まれている。モニカにしてもメリーベルらにしてもそうだが、俺のような死臭と血糊の染み付いた人間の何がいいのだろうか。

 ブリキの缶から取り出した紙巻きを口にくわえ、マッチを擦って火をつける。吸い込んだ紫煙をゆっくりと吐き出す所作一つだが、心のモヤもまとめて吐き出されるような安心感がある。

 

「閣下ってさ、テンション下がったときって必ず煙草吸ってるよね」

「……そうかな?」

「うん。気持ちの良いときかスッキリしないときは大体吸ってる」

「俺の何が良いのかと思うと、どうもな」

「閣下は確かに人を殺したと思うよ。人を斬る感覚なんて私は知らないけど……閣下がすごく苦しんだんだっていうのはわかってる。

 それでも閣下は前に進んで未来を作ってきたんだよ。辛くて苦しくなって、でも自分や他の誰か、エルステの人たちが幸せになれるようにって戦ってきたんだってわかってる。

 エルステ王国の内乱が収まってなかったらきっと今もたくさん人が死んで、誰かが誰かを傷つけて、誰かに傷つけられて……もっとひどいことになってたと思うの。私もここに居ないかもしれないし、あの子たちだって未だに春を売って糊口をしのいでいたかもしれない。

 それに……んんっ、“かの高名なるエルステ王国宰相コルネリウス・フォン・ビスマルク曰く! 『火は即座に消せ。さすれば焼け出されることはないだろう』”だよ!」

 

 ふふん、と豊満な胸を張ってメリーベルは人差し指を立ててみせ、堂々たる佇まいで訓戒を述べてみせる。元貴族として幼少期に培われた礼節と共に、彼女の知性は今も尚しっかりと受け継がれているらしい。

 

「閣下が時々すーーーーっっっごくヘタレでウジウジ悩むときがあるのはわかってるの! だから他でもない閣下の義娘を自負する私が言うわ! 他のメイドの誰でもない、メリーベル・マーンス・マットの言葉で!

 ユーリ・ナイトハルト・オズヴァルトっていう人は誰よりも傷ついて苦しみを抱えて、他の人なら気にもかけないことだって気にかけて悩んでしまうけど、それでも前を向いて生きていける……とっても優しくて強くて弱くてカッコイイお父さんなんだよ」

 

 とととっ、と小走りで駆け寄ってきたメリーベルが不意に顔を寄せてくる。隣に来て屈みこんでくる美少女の顔は、近い。瞼を閉じて迫るメリーベルと唇が重なる。柔らかな瑞々しい感触と甘い香り。

 つう、と結ばれた架け橋が途切れて彼女のエプロンドレスに小さな痕が残る。

 

「私のファーストキス。だから忘れないで。ユーリさんは私の一番で、何よりも大切なヒトなんだから」

 

 『イタズラ大成功!』とでも言いたそうな笑みが紅潮して、急に恥ずかしくなってきたことに耐えられなくなった彼女はぷい、と真っ白な天井に顔を向ける。

 

「メリー」

 

 名を呼ばれたことに微かに身を震わせ、恐る恐るといった様子でメリーベルはこちらに向き直る。表情は未だに堅く顔も羞恥心で真っ赤だ。

 

「ありがとう。もう大丈夫だ」

「……えへへ」

 

 元の小悪魔的な笑みに戻った彼女はエプロンドレスで恭しく完璧なカーテシーをする。

 

「ところで後ろの子たちに事情説明はできそうか?」

「…………えっ?」

 

 ギギギ、と錆び付いたブリキ人形のようにメリーベルが振り返ると、半開きになっていた扉の隙間から負のオーラを撒き散らしつつ彼女を睨みつけるメイドたちの姿があった。

 

「……メリー殺す……メリー殺す……メリー……殺すぅぅぅゥゥゥッ!」

「絶許、慈悲は無い。ハイクをよめ」

「お前の罪を数えろ……!」

「中庭に行きましょうか……久しぶりに……キレてしまいましたの……」

「おい、デュエルしろよ」

YE()GUILTY(罪人なり)

「せめて、痛みを知らずに安らかに眠りなさい」

 

 木製の両開きのドアは彼女達の握力(いかり)で木っ端微塵に砕け、残った破片が眩い紫の光を放つ粒子となって立ち昇る。いかにメリーベルが学園主席の才女とはいえそれは総合的な観点でのもの。一芸に特化した者たちに引けを取らないだけの実力はあるが、超えていくことは困難である。

 つまるところ実力的には僅差なのである。それがメリーベル1人に対して向こうは7人だ。不利は否めない。覆しようが無い。

 メリーベルの表情から生気が抜け落ちて青ざめていく。自らの終末を悟ったのだろう。

 

「たすけておとうさん」

「さて仕事を終わらせようかな」

「薄情者! ヘタレ! ちょ、アンネ! 待って! 髪の毛引っ張らないで! 痛い痛い! し、寝室のベッドの下で毎夜恨み辛み呟き続けてやるぅぅぅぅ……!」

「まあ……なんだ、頑張れ」

 

 四肢を拘束されて引き摺られていくメリーにささやかなエールを送る。大丈夫だ、彼女達は強い子たちだ。……だから目を合わせてはいけない、こちらがやられてしまう。

 

 

 ドック内に係留されている艦隊旗艦プリンツ・ユージンの執務室は既にもぬけの空だった。つい先日まで置かれていた机や書類などは全て搬出されてしまっていて何一つ残っていない。お気に入りの赤い絨毯も無く、微かに残り香を留めているだけの一室。そこでいくつもの日常が育まれ、悲しみで満たされ、喜びで包まれてきたという記憶だけが唯一のデジャヴュとなって脳裏を過る。

 ――懐かしむのはもうやめだ。この子は新たな航路を往くことになるのだ。同じ空の下にある、それだけで十分だ。

 

「あたっ!」

「っと、すまない」

 

 気持ちばかり早く開いたドアの向こうでゴツンという音と共に甲高い悲鳴が聞こえた。ぶつけてしまったかと申し訳ない気持ちでドアの向こうを覗き見ると、小さな少女が尻餅をついて額を押さえていた。

 

「怪我は無いかい?」

「はっ、はい! 大丈夫です! 申し訳ありませんでした!」

 

 こちらを見るなりその少女は急にあたふたとして立ち上がり、こちらに頭を下げてくる。黒いベルトとエルステ帝国軍の襟章を着けた濃紺のセーラー服を着た、淡いブロンドを背中に流したままの少女は見るからに緊張している。

 十代半ばごろと思しきほっそりとした顔立ちの美少女は見事なエルステ帝国軍式の敬礼をしてこちらを見ている。

 

「気にしないでくれ。こちらが急いで扉を開けたせいだ。見ない顔だが、ウチの艦の者ではないのだろう? 名はなんという?」

「えー、そ、その……ユー……あー……オ、オイゲン、です、ハイ」

「オイゲン? キミは男なのか?」

「あ! えーと! そ、それは! あっ、あー……なんていうか……」

 

 つまり彼女――いや彼は女物の制服を着ているが中身は正真正銘の男というわけだ。何故また女装なんてしているのか深く問い詰めたいところではあるが、気まずそうにしているあたり恥ずかしさに耐え切れないのだろう。

 どのみちこのドックは民間人はもとより外征艦隊の関係者と技術者以外は立ち入り禁止なのだ。防諜部隊が周囲を見張っているし、後で退出記録を見れば問題ないだろう。

 

「んんっ、まあ趣味に関しては深く言わないが……その格好で夜の裏通りなんかに入らないよう気をつけるのだぞ。裏通りは女を抱く場所もあれば、男を抱く場所もある。特に見目の良い女や男はその手の誘いも起こりうるだろう。見たところまだ着任して日が浅いのだろうが、世の中いろいろな人間が居るものだ……心に留め置くといい」

「は、はい……」

 

 自らの女装趣味がよりにもよって帝国軍の将官――それも中将――に知られるというのは彼にとってひどくショックだったようだ。トボトボと歩くその背中が小さく見えるのは哀しみを背負ってしまったからなのかもしれない。

 歩き出そうとした次の瞬間、背中越しに聞きなれた低く野太い声がかかる。

 

「閣下、いかがなされましたか?」

「ああ、ミュラー大佐。仕事をしようと書斎の椅子に座ってたんだが、どうにも家が落ち着かないんだよ。もう大佐は家族にはもう会ってきたか?」

「はっ、妻も娘も健やかな様子でした。今日の検査の立会いが終わりましたらしばらくは休暇です」

「それなら旅行なりに連れていってやるといい。実は前回の演習の終わりにノース・ヴァストでいい温泉宿を見つけたんだが、新人の訓練が終わったらどうだ?」

 

 くい、と杯を傾けるジェスチャーに赤い短髪にカイゼル髭が印象的なドラフ族の将官は、ほうと興味津々の様子で髭を撫でる。

 

「良いですなぁ。身のぎっしり詰まったマツヴァガニ、脂の乗ったカンブリーにアン・クォー、そしてテトラオドンティダエ(フグ)……ううむ……待ち遠しいですな!」

「俺としては伊勢海老……ああ、イセエヴィだな。アンギラ(ウナギ)も最高に美味いんだ。そして極寒のノース・ヴァストで熱々のおでんと共に熱燗を……待ち遠しいな!」

「っと、美味いもの談義は終わりがありませぬな。艦の中で過ごしていると家が落ち着かないというのは職業病のようなものですが、閣下は家で何かあったのですか?」

「ちょっとした戦争(OHANASHI)が起こっててな。静かになりそうもないし、仕事しなれた部屋でやるかと思って来たのはいいが……机も何も残ってなかったよ」

「ああ、今日は艦内の備品全てを外に出して細かいところまで総点検しておりますからなあ」

 

 なんともタイミングが悪うございましたな、と言ってミュラー大佐は豪快にガハハと笑いだす。

 総点検を行うと聞いてはいたが、よもやここまでやるとは。と言ってもこれも安全な船旅には必要なことなのだから仕方が無い。武装を外して定期便の航路に就くとはいえ既にプリンツ・ユージンは老朽化した艦であることには違いないのだから。

 

「だな。仕方が無い、官邸で書類を片付けてくるさ。少々遠いがね」

「書類仕事をなさるのでしたらタラップを降りて右手の気密扉を開けた先に会議室がございます。そちらをご利用になってはどうでしょう?」

「ふむ……それならお言葉に甘えるとしよう。それほど重要な情報ではないとはいえ漏洩しないに越したことは無いしな」

「では自分はこれにて」

「うむ。また来期も頼むぞ」

「ハッ、失礼致します」

 

 ビシッという効果音が付くような模範的敬礼をした大佐に見送られて艦の外へ出る。開けっ放しにされたドアに掛けられたタラップに乗り移りドック内を見渡す。

 数人単位の作業員たち――種族は様々だが――が一様に青いツナギを着て帽子を被り、工具を手にグループを作って艦体の検査や補修に東奔西走している。多くの人に支えられて運行されるのが騎空艇(フネ)というものだが、プリンツ・ユージンは実に多くの人に愛され、支えられ、戦場を駆け抜けてきた。

 昔から手を焼かされたせいで整備士や技師たちはきっとお転婆娘みたいに感じているだろう。彼らは皆この子の気まぐれぶりに頭を悩まされ、しかしその上で愛しているからこそ彼女(プリンツ・ユージン)はこんなにも長く戦ってこれたのだ。

 

「お疲れさん。ゆっくり休んでまた青い空を自由に飛びまわるといい。もう撃ち合いなんて必要ないしな」

 

 ホコリで汚れ砲火で傷ついた白亜の騎空艇……プリンツ・ユージンの退役だ。その装甲をそっと撫でると蘇るのは幾多の闘争の日々。撃って撃たれて、傷つき傷つけられ、一喜一憂するその瞬間に常に隣に在った戦友との思い出だ。

 

「さて、俺は俺の仕事をするか」

 

 会議室の奥、簡素な木製のテーブルに広げた書類と格闘すること2時間半。コーヒーと煙草を挟んで頭を悩ませつつサインをしていく。

 居住環境の改善を求める書類。武器弾薬などの消耗品の請求書。試作型の機械化装甲兵の実戦運用データの報告書。女性士官からのさりげないラブレター。遠征先での大暴れを知ったらしい帝国宰相(フリーシア)殿からお叱りの書類。そのついでに挟まれていた会談(デート)のお誘いの手紙。ガルーダが破壊した室内の備品や装甲の修繕費の請求書。次期艦隊旗艦であるプリンツ・オイゲンの視察日程の案内。

 とりあえずラブレターはすごくオブラートに包んだ定型文のお断りを返送。フリーシアにはオススメのところを予約した旨を返送。ガルーダの請求書はガルーダのお小遣いと艦隊の予算から差し引きする。

 なんやかんやと4時間が過ぎてひと段落つくころ、手元の封筒を開いて資料を引っ張り出す。

 

「トシゾー・ヒジカタ少尉。27歳。第一軍の歩兵隊に所属。戦闘技術並びに戦術指揮能力に高い適正あり。刀剣類を得手とし、また銃の腕も一級品と。

 ヒロコ・F・ガザロフ中尉。23歳。第一軍の作戦本部所属。戦略・戦術指揮並びに外交面に秀でる。

 エリカ・イツミ少尉候補生。18歳。エルステ帝国軍士官学校主席卒業。実戦経験は無いものの部隊の指揮運営能力は特筆。キャリア次第で艦隊司令も視野に入るか。

 リザ・ホークアイ中尉。諜報・偵察技術に優れ部隊指揮も直接戦闘も可能なオールラウンダー。狙撃技術に定評ありと。

 シロー・アマダ少尉。28歳。第二軍装甲騎兵部隊所属。戦術眼と部隊指揮の柔軟さに定評がある。奇襲・強襲作戦向きだな」

 

 正直言っていずれも欲しい。ヒジカタ少尉とアマダ少尉に前線を任せ、ホークアイ中尉に戦場の遊撃を預け、ガザロフ中尉とイツミ少尉候補生に艦砲での地上支援を行わせることができればおもしろいことになりそうなのだが。

 

「しかしこの中から一人だけって……人材不足なのはわかっているとはいえ世知辛い」

 

 ぺら、と捲ったページの中の一枚が床に滑り落ちる。候補者の一人らしいページを拾い上げ、流し読みしようとして――釘付けになった。

 

「ユーフェミア・グレース・ランカスター」

 

 旧エルステ王国貴族のランカスター家の令嬢。兄に似て美しいプラチナブロンドの騎士でアルビオン士官学校卒。17歳。家族構成は両親と兄が一人。槍術を得手とし、総合評価演習に於いては部隊指揮能力・作戦立案能力・遂行能力共に高水準という判定。

 だというのに何故俺のような厄介者のところへ書類が回ってきたのだろうか。旧エルステ王国が滅んだ時、彼女は十歳にも満たない少女のはずだ。旧王国の権力者とは縁の無い少女でさえ、不穏分子としてこちらに掃き捨てられたというのだろうか。

 

 それとも単に黒騎士の嫌がらせだろうか。死んだ部下の親類をわざわざ見つけ出して送り込んでくるとは。あわよくば後ろからグサリ、となってくれればとでも思っているのだろうか。

 気にならない、と言えばそれは嘘だ。かといって気にしすぎるというほどでも無い。彼女の兄が死んだことは不幸なことだったが、軍人として務める以上は死の覚悟は必要不可欠だ。もちろん有望な将官である彼の死は痛手であるし、彼に関係する人物が絶望して自害までしたことは確かに衝撃であったがそれとこれは別だ。

 彼女のような若く将来性を見込める人材は願ったりであるが、何か……所謂“地雷”な案件のようにも思える。

 

 彼女はまだ若い。士官学校を出たばかりの思春期を過ぎようとしているだけの少女だ。ある程度配属先を希望することができるし、希望先に書類が回ってくるのだが……本当に彼女はココを自ら選んで提出したのだろうか。

 

 黒騎士、或いは他の誰かが仕組んだ策略か。それとも書類の送付ミスか。はたまた本当に彼女がウチの艦隊に所属を願ったのか。

 

「……いっそ呼び出してみるか?」

 

 罠かどうかわからないなら踏み潰せばいいのだ。こちらを狙う如何なる罠をも食い破る戦力を以って、牙をむいてきた罠を仕掛け人ごと粉砕すればいい。

 

「いけない、段々と思考が星晶獣染みてきた……とはいえ確かめる術が無いんじゃあな」

 

 やはり一番手っ取り早いのは本人を見ることだ。真にエルステの民たちのことを考えられる軍人であるならばそれでよし。俺の首が狙いならその場で容易く制圧できる戦力を忍ばせておけばよい。その場で仕掛けてこなかったなら監視をつけて不穏な動きを見せたところでしょっ引けば良い。

 

「やるしかない、か」

 

 博打は好きではないがやむをえないだろう。せめて最大限できることをしておこう。

 

 

 

 一週間後、あの日見つけた書類の中の少女……ユーフェミア・グレース・ランカスターが訪れる日が来た。

 自分で思っていたよりも一週間というものは早々に過ぎ去っていったもので、一先ず落ち着いた自宅に戻って待っていたのは乾いた笑みを貼り付けて力なく受け答えするメリーベルだった。

 何があったのかは頑なに喋ろうとしなかったが、僅かに恐怖の色を浮かべるその濁ったような瞳を向けられてはこちらも問いただそうとする気力を奪われてしまう。察するに、あの快活な少女に対してその太陽のような笑みを失うほどのナニカが行われたということは間違いないだろう。

 結局立ち直るのに二日ほどかかったものの、それ以外は特に何も無い平穏な日々だった。護衛メイドたちが捕えた他国か黒騎士かの諜報員を“尋問”し、それらの情報を書類にまとめてフリーシアの下へ送り、朝起きて剣を振って体を動かし、執務をしてからガルーダの遊びに付き合い、夕食前に剣の手入れを行って、食後に月見酒を愉しんで寝ることの繰り返しだ。

 エルステ王国時代から懇意にしていた諜報を生業とする部族から送られてきた密偵にユーフェミアを探らせた結果はシロだ。素行面で問題は無いし、思想的にも中立(ニュートラル)だ。無用な殺しは悪だとしているが必要とあれば殺しも認めるという、比較的善人寄りの中立。

 可能であれば一週間と言わず三週間は情報を集めたいところだが、そこまで時間をかけていると艦隊の再編と新兵の教練に影響が出る。時間は有限だ。再編された艦隊の兵士たち――もちろん残留する者も居るが――を再び鍛えなおさなければならないのだ。

 

「閣下、ユーフェミア様がお越しです」

「貴賓室に通してくれ。十分後に向かう」

「かしこまりました」

 

 公の場となるとメリーベルはメイドとしての仮面をきっちりと被る。自らの職務に、仕えるべき主に忠を尽くす。この場でのメリーベルは娘みたいな関係のメイドではなく、ただの忠実な(しもべ)となる。自害せよと命じれば……多少動揺は見せるだろうがその命令を遂行しようとナイフを自らに突き立てるべく行動するだろう。メリーベルはそれができるほどのプロフェッショナルを自負しているのだから。

 扉の前で控えていた他のメイドに指示を伝え、メリーベルは紅茶を注いだカップを俺の前に差し出してくる。

 

「緊張なさっていますか?」

「思わぬ展開だし、何より自分の部隊で死んだ人間の遺族に会うんだ……何度やったって緊張しないほうがおかしいというものだろう?」

「そうでしょうか。私見ですが、きっと大丈夫だと思います」

「何故また?」

「はい。閣下なら必ずタラシこめますよ。窓から見た限りなかなかの美少女ですし」

「……人を色情魔のように言うのはやめてくれないか」

「ふふっ、申し訳ございません」

 

 小悪魔的な笑みを浮かべたメリーベルは将官用の上着とコートを用意して机の隣で控えるように後ろに下がる。もちろん窓側のほうの、よく射線が通る位置だ。彼女の位置はちょうど俺の体を遮る形になるため狙撃が行われた際には……言わずとも知れたことだ。

 

 言葉も無く時間だけが過ぎていく。砂時計の砂が落ちるだけの何も無い時間はピリピリと、緩やかに緊張を増していく。そしてひっくり返していた砂時計が二回目の終焉を刻む。

 

「閣下」

「そろそろか」

 

 メリーベルが着付けを行ってくれる上着は純白の生地に金糸の刺繍、エルステ帝国の紋章に所属と中将の階級を示す襟章、金糸で作られた組紐を板状にしたショルダーノッチで装飾されている。正直言って自分には堅苦しすぎる正装だ。

 とはいえ組織に所属するからには規則には従うべきであり、規則に従うからこそ規律――秩序が保たれるのだ。軍人の規則や規律となるとかなり堅苦しいのは往々にしてというやつだが、統率の取れない軍隊なぞただの暴力でしかないのだ。

 

 俺は――私はエルステ帝国軍外征艦隊総司令官、ユーリ・ナイトハルト・オズヴァルト中将。私は――軍人だ。私は死を告げる者だ。私は敵を屠るよう部下に命じる者だ。私は部下に死地へ飛び込めと命じる者だ。上位者としてあらねばならないのだ。

 

「では行くぞ」

「かしこまりました」

 

 歩幅は一定に踵から足をつけ、革靴の音を打ち鳴らし、尊大に、堂々と進むのだ。

 目つきは鋭く睨むようにして、こちらに向かってくる敵の全てを粉砕する意志を籠めて視線を走らせるのだ。恐怖の象徴たるものであることこそ私の務めなのだ。

 

「失礼致します」

 

 メリーの手で真っ直ぐな木目のドアが開かれる。あまり見慣れていない貴賓室に足を踏み入れると自然と緊張感が背筋を這うように全身に行き渡っていく。中将としての見栄えを最低限保つために取り揃えたそこそこ見栄えの良いアンティーク調の家具――この空では珍しくも無いが――や色鮮やかな手織りの絨毯――工場なんて無いのだから手織りが普通――が迎えてくれるものの、どうにも見慣れていないせいか違和感がひどい。

 しかしその違和感も椅子から立ち上がって敬礼をする彼女、ユーフェミア嬢を目にした途端に立ち消えていく。アルビオン士官学校の制服に身を包んだ、やや小柄な体躯に沿って真っ直ぐ伸びた長いプラチナブロンドの少女の姿は背景になっている貴賓室に見合った優雅さを放っている。

 ユーフェミア嬢が加わっただけだというのに、先ほどまで異界のようだった貴賓室の風景がまるで一枚の写真のように自然な姿に感じられるようになった。

 

「キミが、ユーフェミア嬢か」

 

 言葉を失いそうになるのを必死で誤魔化して囀った言葉は色香もクソも無いぶっきらぼうなものになってしまった。

 

「はい。ユーフェミア・グレース・ランカスターです。お初にお目にかかります。本日はお招き頂いたこと深く感謝致しております」

「どうも。ユーリ・ナイトハルト・オズヴァルト中将だ。急なお誘いを快く受けて頂けたこと感謝する」

 

 答礼を終えて腰掛けるよう促し、彼女の対面のソファへ腰を下ろす。ソファーに腰掛けた彼女は今のところ不審な動きも動揺も起こしていなように見えるし、忍ばせた護衛もアクションを起こすことなくじっとしている。

 メリーベルが紅茶かコーヒーかを尋ねて部屋を出ると、すかさず声をかける。

 

「さて、まず質問になるのだがキミの兄の話は伝わっているかな?」

「……はい、両親からも手紙が来ました。…………戦死、したと」

 

 肩を落として苦々しい顔した彼女からは、兄の死を未だ受け入れられないという様子が伺える。

 

「キミの兄が戦死したことは残念なことだった。将来のエルステ帝国を背負って立つだろうと目されるほど優秀な人物だったと私も聞き及んでいる。

 キミの家族を預かる身でありながらこのような結果となってしまったことは、私としてもショックだった。ご冥福をお祈りする」

「……ありがとうございます。兄もきっと浮かばれることだと思います」

「ありがとう。君たち遺族には我々エルステ帝国より恩給が支払われることになる。……とはいえ、それで十分に報いることができたとも思えん。遺されていくことになる家族の悲しみは、失ったことのある者にしかわからないことだろう」

「軍人ですから、兄もきっと……受け入れていたと思います」

 

 重苦しい空気が流れはじめる直前になってメリーベルが木製のアンティーク調のワゴンと共に割って入る。

 にこやかな笑みと朗らかな調子で現れた彼女は手早く飲み物を用意し、お茶菓子のチョコレートを差し出して俺の腰掛けるソファの隣に直立して控えている。

 ナイスタイミングだ。正直空気が重くなりすぎて次の言葉に悩んでいたところだったから非常に助かった。このタイミングを狙って入ってきた感は否めないが、いい仕事をしてくれるものだ。

 

「ありがとう、メリー。ふむ……エリアヌワラ島産かな?」

「ブッブー、ですわ。普段紅茶なんて飲まないんですから、知ったかぶりはダメですよーだ。ユーフェミア様でしたらきっと一発正解ですわ」

「え?」

 

 緊張感をブチ壊すメリーのフリに面食らった様子のユーフェミア嬢はその透き通る清水ような青い瞳を見開いている。

 

「ふふっ、ユーフェミア様のご出身の島の名産品ですもの。銘柄くらいは聞いたことがあると思いますよ」

「……これってやっぱり、ベルガン島のダージリンですよね」

「大正解です! 故郷を離れてアルビオンの士官学校へ入学なさったということでしたので、やはりここは故郷の味をと思いまして。お茶菓子もメフォラシュ風のものをご用意致しました!」

 

 フフン、と胸を張って自慢げにしているメリーの様子を表すならば“いっぱい頑張ったんだからちゃんと褒めてよね!”と尻尾を振る仔犬だろうか。

 傍で微動だにせず控えているにも関わらず尻尾だけはブンブンと千切れんばかりに振られている様子が目に見えそうだ。

 

「お気遣い頂いてありがとうございます。もう何年も離れていたので……懐かしいですね」

 

 ふっ、と頬を緩ませたユーフェミア嬢には年相応の少女らしさが垣間見える。いくらアルビオン島――という名の修羅の国――で鍛えられたとしても心根はまだ二十代にすら到っていないのだから当然なのだが。

 

「さて、実は今日ここに来てもらったのにはもう一つ理由がある」

「もう一つですか?」

「そうだ。我が外征艦隊の再編に於ける人事採用の書類の中にキミの履歴書があったのだが、これはキミが自ら望んで提出したものか?」

「これは…………はい、確かに私が提出した書類です」

「ではこの書類は私の艦隊……外征艦隊を希望して出したのか?」

「はい、閣下の仰るとおりです。私が希望を出しました」

 

 目を見るに彼女は嘘をついていない。動揺したような肉体の緊張も見られない。視線も常に一定で泳ぐこともない。息遣いも平時のものと変わらない。

 これだけではわからん。いっそ踏み込んで聞いてみるべきだろうか?

 

「正直なところを言おう。キミに聞きたい点はみっつある。

 一つ、外征艦隊は命令一つで他空域や他国に進出し過酷な戦場を渡り歩く艦隊だ。時に侵略、時に防衛、時に破壊工作。倫理人道を空の底に放り出したような作戦を行う場合さえある日陰者。キミがそれを受け入れられ、耐えることができるのか。

 二つ、他にも安全でかつ出世の道を約束された道があるにも関わらず、私の部隊への希望を出したのかだ。率直に言って外征艦隊は現政権――七曜の騎士である黒騎士にとっての厄介者が放り込まれる集団だ。他の軍の落伍者、元ならず者、反体制派と目された人物、新兵器の実地試験、死んでも別に構わない……そんな風に思われた奴等の吹き溜まりだ。そんな場所に何故自ら望んで踏み入ってくるのか?

 三つ、私はキミの兄君を死なせた男だ。そんなヤツの部下になりたいなど……私としては本気なのか疑っているところだ。直接的に私が死なせたわけではないにしても、部下の死は上官の責任だ。わだかまりや苦手意識があるようならやめておくといい。

 それにキミの実力なら確実に下士官……そうでなくとも士官候補生として入れるだけの地力はあるものと書面上ながら見て取れる。わざわざ死に急ぐ必要も無い。

 要はガマンできるか、何故入ろうとしたのか、私に対して隔意や苦手意識は無いのか、この三点だ」

「この順番で聞くっていうことは採用自体は確定してるってことですね。でなければ真っ先にガマンできるかなんて聞きませんから。この人ツンデレだし仏頂面ですからわかりにくいですけどちゃんとユーフェミア様の希望は聞き入れてくれてます。後はユーフェミア様の意志一つですよ」

「メリー……」

「おっと失礼致しました」

「あはは……」

 

 ニヤニヤとした笑みを浮かべてこちらを見るメリーとの遣り取りに、ユーフェミア嬢は困ったように苦笑する。人を勝手にツンデレ扱いするとはいい度胸だ。というよりも男のツンデレなんぞで誰が得をするのか。

 

「……その、兄の死については……私もまだしっかりと受け止めきれていません。提出した次の日に訃報が届いたものですから」

「取り消そうとは思わなかったのか?」

「思いました。けど……それ以上に兄の言葉を思い返して、そのまま送ってもらいました」

 

 兄の死を知って、悲しんで苦悩したにもかかわらず……何故だろう?

 

「差し支えなければ理由を教えて欲しい」

「これは兄の言葉ですが……“戦うことの意味がわかった”と言っていました。私も兄も望んでアルビオン士官学校へ入学したわけではないのですが、兄は閣下の率いる艦隊に入ってから、戦うことに意義を見出したと言っていました。

 兄は私に“卒業を迎えてまだ自分に答えを出せなかったときは外征艦隊へ入れ”と言っていました。今ではもう遺言のようなものですけれど、私はその言葉を思い出してここを選びました」

「……死者の言葉に惹かれた人間を入れるわけがないだろう」

「はい、私もそう思います。ですが私は他にも道があるとわかっていても、ここでなら見つかるんじゃないかと思いました。兄が自身のあり方を見つけられたように、私も私のあり方を見つけられる場所なのだと思います」

「随分お兄さんを信頼しているのだな」

「はい! 優しくて心の強い、自慢の兄です!」

 

 私が呟いた嫌味と思われても不思議ではない言葉にさえ、彼女の真っ直ぐな答えが返ってくる。私は彼の人物像について何一つ知らないが、聞いた分には優男のような見目に反して気骨のある人物だという評価だった。

 ……自分の猜疑心や警戒心がイヤになる。人を真っ直ぐに見据えることさえできなくなっている自分自身の在り方が、自分の良心を抉ってくる。

 

「……わかった。ただし生半可な職場ではないということは覚悟しておいてくれ」

「っ……! あ、ありがとうございますっ!」

 

 ユーフェミア嬢は深々と頭を下げてこちらに礼を言ってくる。その後ろ、彼女が背にしている壁のところで動く影が姿を現す。

 

「殿、失礼致します」

「ひゃわっ!?」

 

 すぅ、とユーフェミア嬢の背後に現れた褐色肌の人物。男性のような凛々しい面立ちと肩ほどまで伸びた黒髪に黒い瞳。上半身は袖から先の無い、薄手のぴったり張り付くような生地の黒い装束に身を纏った女がこちらを見る。胸の膨らみがわからなければ男性そのものだ。

 腰から下は上半身同様の黒いズボンの上にベルトと留め具でナイフや短刀がいくつか身に付けられていて、いずれも光の反射を抑えるために鈍い黒色で塗装されている。

 もちろん突然背後に現れた存在にユーフェミア嬢が驚かないわけもなく、ビクッと身体を跳ねさせてソファから立ち上がって声の主を見ている。

 

「あ、あの! この人はどこから!?」

「ジェミーラさん、お客様をあまり驚かせないでください」

「かたじけない、メリーベル殿」

 

 さも当然と言わんばかりに接する様子に困惑した彼女は私に目線で疑問を投げかけてくる。

 

「まあ落ち着いてくれ。紹介しよう、彼女はジェミーラ。私の身辺警護や情報収集任務に就いている者だ。一応書類上は現地採用の軍人扱いだが、正確に言えば私個人が引き入れた諜報員だ」

「は、はぁ……」

「ジェミーラです。よろしくお願い致します。裏方仕事を()()しております」

「あっ、はい。ユーフェミアです。ジェミーラさんは…………その、女性、ですよね?

 すごく凛々しいというか、カッコイイ感じですけど」

「ええ。男装はしています。男の姿を脱ぎ捨てれば女ですから、追跡者を欺きやすくなります」

「そっ、そう、ですか」

 

 やはり生粋の諜報員とアルビオンで剣を学んでいた女学生とでは感性のズレが大きいらしい。実利しか考えていないジェミーラの答えに、ファッションなのだろうと思っていたユーフェミアは少し理解しがたいという顔をしている。

 

「さてメリー、今後の予定はどうなっている?」

「艦隊の再編及び再稼動は三ヵ月後です。それと本日より一週間後にガロンゾ島にて作業進捗の視察が入っています。

 新兵訓練が二週間後に終了する予定ですので、そこから三週間が閣下の近衛部隊(インペリアル)や上級兵科の練成期間となっております。新兵の配属が行われるのは再稼動の十日前ですので、それ以外は今のところございません」

 

 予定表を開くこともせずに、澱みなくメリーはすらすらと今後の予定を述べていく。相変わらずの明晰ぶりだ。

 

「ふむ……ユーフェミア嬢は今後の予定はどうなっているかな?」

「はい、私はこのまま実家に戻った後はアルビオン島から私物を持ち帰ってくるだけなのでそれ以外は他の希望先に連絡を入れるくらいです」

「よし、三週間後の近衛部隊の練成だがユーフェミア嬢にも参加してもらうぞ」

「えっ、あ、あの……新兵訓練は?」

「心配いらん。新兵訓練のメニューはアルビオン士官学校の訓練課程を参考に組み上げたものだからそう変わらん。士官学校卒なら訓練課程を飛ばして即座に専門の訓練課程へ進んでもらう。

 メリー、アルビオンと官邸に彼女を採用するという旨を伝えておけ。士官学校のほうは少し色をつけておいてくれ。今後も優秀な人材を送って欲しいのでな」

「かしこまりした」

「ジェミーラは引き続き黒騎士の動向に注意してくれ。あの輩と第三軍に不穏な動きがあればフリーシアに伝えろ。誅殺にしろ捕縛にしろ、大義名分をフリーシアに与えなければ我々が動くことができんのでな」

「委細承知」

「……今叛乱起こしますって言いませんでした!?」

「いいや言ってないぞユーフェミア嬢。フリーシアは現状黒騎士の傀儡政権でしかないとはいえ形式上は上位者なんだ。であれば、叛乱という言葉は不適切だと思わないか?」

 

 「いきなりドス黒い謀略に巻き込まれたー!」と悲嘆する彼女の表情は先ほどまでの落ち着いた様子とは打って変わって喜怒哀楽がはっきりとしたものだ。

 

「諦めろユーフェミア嬢。軍人は政争に首を突っ込まないのが基本だが、情報を“求められたら”開示する必要性もあるというだけの話さ」

 

 いつまでも思い通りになると思うなよ黒騎士め。エルステの民は貴様の駒などではないのだからな。



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グラブル試作品4

 

 ミドガルド級クレーンの稼動音。星晶を用いた機関の駆動音。ハンマーを打ちつける打撃音。作業員や技師に戟を飛ばす現場監督。様々な“音”で満たされたガロンゾ島の船渠(ドック)内に座する白亜の巨体が目に留まる。

 塗装中のためか一部は装甲の素地である鈍色のままだが、ほぼ全体は塗り終えているらしい。

 

「あれがプリンツ・オイゲンか」

「ええ、先のプリンツ・ユージンのまさに後継と言ってもいいでしょう」

「いい船体だ。あの流れるような船体のラインとシルエット、おそらく走艇にインスピレーションを受けたんだろうな」

「ええ! ええ! まさにその通りです! プリンツ・ユージンのデザインと似通ったブルー・オービットという走艇があるのですが、そこから得られたデータと長年の運用実績を持つユージンのデータを融合させて完成したのがこのプリンツ・オイゲンなのです!

 風の抵抗を極力少なくする流線型のラインを維持するべく、ハッチは全て隔壁による密閉型を採用しています。貨物の搬入搬出や航空部隊の出撃などにはこのハッチを解放して行います。

 また小型艇の発着のために後部には発着用の甲板を設置しております。艦隊の前部に砲を集中させることで正面への火力の集中運用を行うことが可能です。ユージン同様に“アンサラー”も更なる改良を行った上で搭載されております!

 更に更にィ! 星晶機関の出力が現行の最新鋭機の約1.8倍に上昇したことで砲を小型アンサラーとも言える光学式エネルギー兵装に置き換えることさえできたのです! もちろん実弾の砲も備えております!

 発射レートこそ実弾の砲に若干劣るものの弾薬や砲弾の搭載数を減らすことが可能ですので補給完了した状態での重量はユージンの時から約8パーセント近くも軽量化することができるのです! これによって航行速度も旋回能力も損なうことなく重装甲化しております! さらに弾薬の保管庫を減らすことができるのでその分居住空間を広げてより快適な空の旅を――」

「わかった。わかったからそのくらいにしてくれ。あなたが心血注いで開発した大事な娘だってことはよくわかったから」

 

 このまま放置していると夜明けまで喋り続けてしまうのではないかと思うほどの勢いで、設計者のドラフの男は持論と情熱を熱く燃え上がらせている。

 

「それで、納期には間に合いそうなのか?」

「……正直言って遅れる可能性は大きいです。ですが全力を以ってこのプリンツ・オイゲンを仕上げてみせます! いくら最高の(ふね)を作るからだと、夢とロマンを詰め込んだからだといっても、納期に遅れるようではガロンゾの職人の名折れです!

 我々の技術の粋を注ぎ込んだ彼女(フネ)の門出が、我々のせいで遅れるなどとあってはならないことなのです! 例え昼夜を通して飲まず食わずであろうともご希望以上の最高の(ふね)となるよう全力を尽くします!」

「そ、そうか……」

 

 今更になって思うが一応余裕を持たせた再編計画書を提出しておいてよかった。プリンツ・ユージンはプリンツ・オイゲンと入れ替わる形で定期航路の客船に生まれ変わる予定だからしばらくは移動に使うこともできるだろう。新兵の再教育と練成の完了までが限度だろうが。

 

「まあやり方に口出しする気は無いが、職人たちをしっかりと労ってやってくれ。それに完熟訓練と処女航海まで十日は余裕を持たせてあるから少し遅れたところで調整が効く。

 何より最高の(フネ)を仕上げるには職人達にも最高のパフォーマンスで仕事をやってもらわなければな」

「お気遣い頂きありがとうございます! 必ず最高の状態でお届けいたします!」

「では、後を頼む」

 

 喧騒の入り混じるドックを出て街の中心街へ足を踏み入れる。ルネサンス様式に似た石造りの四階建ての建物が連なる繁華街の中心に建つそこそこ見栄えの良い宿に帰って上着を脱ぎ捨てるなりベッドへ身を投げ出す。

 室内はまるで高級宿のスイートルームのようなとまではいかないものの、そこそこ格式のあるそこそこな宿のそこそこ良い部屋である。要するに地味なベッド二つと化粧台がある程度の一般的な宿よりは少々上、ルームサービス付きであるというくらいなものだ。

 中世のような文化が生きているこの空における宿屋というものは部屋は基本的に寝泊りや身だしなみを整える場所として使われていて、食事や酒は併設された食堂や近場の酒場に出向いて摂るのが一般的だ。

 

「あ゛ー、疲れた……相変わらずガロンゾの連中は仕事熱心でなによりだよ」

「もぉー閣下! そのまま寝転がらないで! 服がシワだらけになっちゃうでしょ!」

「すまん……着替えを出しておいてくれ。いつもの地味なやつでいい」

 

 シャツやズボンをメリーに預け、手渡された平服……特に目立つことのないありきたりな長袖の青色のシャツと黒いズボンに着替えてまたベッドの上に身を投げ出す。

 こうしている間にもメリーは俺が脱ぎ捨てた上着やシャツを綺麗に畳んでバッグの中へ収めていく。

 ……まるでグータラなオヤジとしっかり者の娘のようだ、というかそのままじゃないかこれは。

 

「むぅ」

 

 ぐっと起き上がってベッドから降りるとメリーがアイスブルーの瞳を丸くして尋ねてくる。

 

「どうしたの閣下?」

「いや、な……少しばかり落ち着かなくてな。適当にコーヒーでも淹れてくるか……メリーはどうする?」

「私が淹れてくるから閣下は待ってて。そーいうのはメイドの仕事なんだから閣下は椅子に腰掛けて優雅に読書でもしながら寛いでくれればいいの!」

「それはまあそうなんだろうが……たまには俺も自分でやらないとヒトとしての尊厳が、こう、なんというのか……自分自身のことがだらしないオヤジに思えてイヤだというか」

「ふふっ、そんなこと気にしないでいいの。雑務は私たちメイドの仕事よ。閣下がぜーんぶ自分でやっちゃったら私たちの立つ瀬が無いじゃない! 仕事の無いメイドなんてロウソクの乗ってない燭台と大差無いんだから。

 それに閣下はオヤジって言うほど老けてないでしょ? 見た目三十代、まあどう頑張って見ても三十代半ばってとこじゃない?」

「……実年齢ほど老けてないだけだぞ」

 

 老いない、というのは時間から取り残されていくことと同じだ。メリーやメイドの彼女たちやミュラー大佐らのように歳を取って死ぬという生物としての宿命に縛られていない。

 次第に大きくなっていく周囲とのギャップ。噛み合わない時間。取り残されていく自分は他者の旅立ちを見送って別れるばかり。もしもガルーダが居らずたった一人だったなら俺は既に発狂していたか心が擦り切れていたことだろう。

 ガルーダが俺を父や母に甘えるようにして心の隙間を埋めているように、俺は同じ時間を生きているだろうガルーダと触れ合うことで寂しさを紛らわせているのだ。

 

「それに今日の仕事は終わったんだ。たまにはお父さんらしくさせてくれ」

「はいはい。じゃあお父さんにお任せしちゃうね。……あっ! 後でみんなのお土産買いにいくからもちろん“手伝って”くれるんだよねぇ?」

「……わかったよ」

「やった! さすが我らがお父さん!」

 

 すかさず胸に飛び込んできたメリーが繰り出す熱烈なハグ。既に18歳になった彼女の背丈は俺の口元ほどにまで届きつつあり、小さな頃から知っているからか彼女の成長を確かに感じられる。

 ふわりと漂うアイリスを思わせる香り。胸に押し付けられる柔らかな圧迫感。大人の色香を帯びつつあるメリーの存在感に思わず息を呑む。

 

「……な」

 

 不意に響いた誰かの声に顔が向く。

 

「何をしておるのじゃぁっ!」

「あ、お帰りー。ガルーダちゃんもうお友達と会ってきたの?」

 

 ぷんぷんと可愛らしく怒った褐色肌の少女、俺の契約した星晶獣であるガルーダはメリーを睨みつけながらずんずんと歩み寄ってくる。

 それよりメリーの抱き締める力が少し強まってるような気がする。星晶獣に睨まれて動じることさえなく平然と受け答えしているあたり肝が据わっている。

 

「ええい! 主様(ぬしさま)から離れんかぁ! いかにメリーと言えどそこは譲らんぞ!」

「いやですよー。私だってココが欲しいんだもん」

「ぐぬぬ……! な、ならばわらわはこうじゃ!」

 

 とん、と背中に当たる感触。そのまま擦り付けるように後ろから抱きつかれる感覚。やや強めに腹部に回されたガルーダの腕がガッチリと俺をロックして離さない。というか締めすぎたベルトみたいに結構な窮屈さなんだが!?

 ガルーダに腹を押さえられたせいで息がしずらい。一体この状態で何秒耐えればいい? お空の上で窒息死なんてゴメンだぞ!

 

 

 

「えーっと、アンネには騎空艇アルストロメリア号百分の一スケールのボトルシップ。ジーナには走艇クラースナヤ・タイフーンのライダーフィギュア付きモデル。あとは……」

「むむ……ガロンゾ名物の“えなじぃどりんく”とやらも良いが……むむむ……」

 

 ガロンゾの繁華街、観光客や船乗り向けの土産物屋が立ち並ぶ一画の店でメリーとガルーダはさっそく頭を捻り始めた。次々と店を変え品を変えてメモ書きされたリストの品を集め始めるメリーと、店を一つ一つじっくりと見て回るガルーダの対照的な行動に俺も頭を捻ることになった。一体どちらについていくべきなのかと。

 

「ま、いいか」

 

 が、そんな考えはすぐに投げ捨てた。メリーのペースではゆっくり見る間も無いまま次の店へ次の店へと移動しなければならなくなるが、ガルーダと一緒ならじっくり見ていくことができる。それにこの子供(ガルーダ)をほったらかしにしていると迷子になったりするのが目に見えているし、何よりメリーはしっかりしているので何の問題も無い。彼女は大人なのだから。

 ガルーダは赤と黒の下地に黄白色の大鷲を織り込んだポンチョを纏って木製のサンダルを履いている。裸足でも怪我をすることはないが、街中で裸足のままの子供を連れ歩くというのは見た目的にアウトなのだ。ポンチョの下に見える素足が若干寒いかもしれないが。

 反面、メリーのほうはこの高空の寒さに対して十分なものを着込んでいる。革のブーツ、デニムのフレアスカート、ゆったりとした白いセーター。どこから仕入れてきたのかわからないがやけに現代的……というかこの時代からすれば珍しい格好だ。

 

「ガロンゾの酒か」

 

 手に取ったボトルの中でゆらめく琥珀色の液体に思わずその味を想像する。これはミュラー大佐が喜ぶだろう。店主に聞いたところ騎空艇乗りからの人気もあるらしく、中には樽ごと買う騎空団もあるのだとか。

 

「ガロンゾでしか採れない果物のドライフルーツか。確か航空長は甘い物好きだったな……ブリッジ要員の土産はコレで統一するか」

 

 あとはフリーシアにも何か送っておこう。俺が視察に赴くと知って自分も同行しようとするほどプリンツ・オイゲンの進捗を気にかけていたほどだから報告するついでにご機嫌取りになりそうなものを用意しなければ。……決してデートの機会を失ったことへの慰めではない。

 フリーシアは見た目は冷血で非情かつ無味乾燥したような印象を受けやすいが、決して感情を持たない機械などではない。崩壊したエルステ王国を抜けてエルステ帝国側へ付いたのは偏に黒騎士の専横と“エルステ”が傀儡と化すのを良しとしなかったからだ。

 覇空戦争以来、衰退したエルステ王国は小さな国ながら平穏を保っていた。しかし王族は相次いで居なくなり、王国の宰相を代々輩出してきた家系の出であるフリーシアが宰相として国をまとめていく……そのはずだった。七曜の騎士の一人、黒騎士が現れて王政から帝政へと移行するまでは。

 あれよあれよと言う間に帝政は敷かれ、反旗を翻した貴族や王家に近しい者達は処断されていく。その中でフリーシアは王国側ではなく、帝国側へ付いた。

 大勢は既に決し、黒騎士の専横を許せばエルステはどこの誰とも知れぬ輩の尖兵に成り果てる。それだけは許さぬとばかりに俺とフリーシアは帝国で功を立て、発言力と権威を示して完全な傀儡化をどうにか内側から防ぎとめた。……まあ俺は軍人だからそこまでの発言権は持ち得ないのだが、“外征騎士”と聞くと震え上がる程度には苛烈に殺してきたつもりだ。威圧効果としては十分だろう。

 フリーシアはフリーシアで黒騎士が政治にさほど興味が無いのを良いことに、黒騎士に悟られないように少しずつ地固めを続けている。俺に勅命が下って黒騎士の首を取るか葬り去ればすぐにでもフリーシアが全権を掌握することができるようにだ。

 エルステに住まう民が駒として使い捨てられていく。そのようなものは最早国ではない。俺とフリーシアはエルステという国と民を取り戻すためにここに居るのだ。帝国であるか、王国であるかは些細な違いでしかない。行く行くは議会制へ、引いては民主制へと移行していくことだろう。

 

 昔は彼女も純朴なエルーンの少女だった。歳若いころの彼女は王宮で次期宰相として気が狂うように勉学に没頭していたが、いつの間にか“兄さん兄さん”と後ろをついて歩いてきたのだったか。拗ねていると耳が少し垂れていたり、嬉しいときはピンと張っていたり、表情にこそあまり出さなかったが喜怒哀楽がちゃんとあった。

 ……王国の崩壊で両親や兄弟姉妹を失って以来、彼女は感情を表に出すことも、笑うことさえも忘れてしまったようだが。

 

 黒騎士が幅を利かせてからというもの、“エルステ”と言えば“悪逆非道”がイコールで結び付けられるほど荒れている。侵攻に次ぐ侵攻によってファータグランデの主だった国々との関係は険悪であるか最悪であるかのどちらか。別段問題無いとはっきり断言できるのは古くからの関係が残るリュミエールくらいなものだ。

 ファータ・グランデ空域の侵攻は主に、黒騎士の肝いりであるフュリアス少将の率いる第三軍団が主導で行っている。第二軍団はその補佐に回り、第一軍団は帝都アガスティアの防衛というお題目で磔にされている状態だ。そして我が外征艦隊はアウライ・グランデ空域に進出させられた。あのクソッタレのヒゲジジイ――アウライ・グランデの国々や他空域へのけん制として、黒騎士個人が不穏分子と見ている“反体制派”の一人である俺が何度も死出の旅路に送り出されるわけである。その度に生きて帰ってきてやったが。

 しかし気になる点もある。七曜の騎士と言えばあの性悪クソッタレヒゲジジイの部下であるハズなのに、何故敵対しているような、叛意ありと思われかねない行動をしたのだろうか? あのヒゲジジイが黒騎士を通して間接的に傀儡にしようとしているなら、何故剣を交えるような真似を? それとも黒騎士の行動があのジジイにとって予想外だったとか?

 

「主様! お勘定をするのじゃ!」

「……っと、危ない危ない」

 

 少しばかり考えすぎたか。考え込みやすいのも悪いクセだ。今は土産物とお子様の動向に注意しなければすぐに見失ってしまいそうだ。

 気づけば小さな樽を抱えたガルーダがやってきて自慢げにそれを見せ付けてくる。樽に張られたラベルには赤い色の翼が描かれている。

 

「主様! わらわはコレに決めたのじゃ! 人気の走艇乗り(レーサー)監修の“えなじぃどりんく”らしいぞ!」

「……レッドウイング? なになに……“汝、キマイラの翼を得たり”……これまた妙なキャッチフレーズだな。キマイラって飛べるのか? ってこれクラースナヤ・タイフーンのレーサーの監修なのかよ……手広くやってるなぁ」

「飛べるかどうかは問題ではないのじゃ。翼があることこそが肝要なのじゃ! 主様はもう土産は決まっておるのか?」

「俺は酒とつまみになりそうなもの。あとは走艇ブラン・エクレールの公式グッズだな」

 

 どこかエジプト風のウジャト眼そのものの意匠を施されたレリーフを手に取って見せるとガルーダは物珍しそうに視線を向ける。

 

「ほほう……あの“閃光”のレリーフじゃな。うむ……うむうむ……気に入ったぞ! 主様よ! わらわもコレが欲しいのじゃ!」

「流石にレリーフを二つも飾る必要は無いだろ。ほら、こっちはどうだ?」

「おお! これは良いぞ! ほれ、早くお勘定をするのじゃ!」

 

 ホワイトカラーで塗られたウジャト眼の小さなレリーフを麻紐でネックレスにしたものを取ってやると、彼女は俺の手を取って顎鬚の立派な店主の元へと誘う。

 インドの神鳥にエジプトの隼の頭の神のレリーフ、オマケに衣装がインカの伝統衣装とは……最早ごった煮状態だ。かつての人類がこれを見てしまったらきっと微妙な顔をするのだろう。

 会計をしている最中にも待ちきれない様子でそわそわしていたガルーダの背中に回ってネックレスをつけてあげると、彼女は嬉しそうにその場でくるりと一回転して俺にその姿を見せ付けてくる。

 

「どうじゃどうじゃ? 主様や、似合っておるかの?」

「うん、似合ってるぞ。ペルーやボリビアのようなエキゾチックなファッションだな」

「ふむ?」

 

 星晶獣とはいえガルーダは子供そのものだ。背丈は140センチにも届かず、体重に到っては40キロを下回る。胸は平坦で、全体的に見た肉付きは良いものの、子供らしいほっそりとした体躯だ。

 青空に座する太陽のように明るい笑顔を見せる彼女を見ると自然と頬が緩む。俺の言った言葉の意味がわからずにきょとんとした様子などまさに子供そのものだ。

 

「要はガルーダに似合っててカワイイってことだ」

「……ふふっ! うむ! ならばよいのじゃ!」

「それじゃメリーに合流するか。そろそろ買い物も終わるころだろう。ガルーダ、樽は持つからこっちにくれ」

「落とすでないぞ」

「お前のほうが落としそうだ」

 

 小さいとはいえ樽は樽。そこそこの重量をしているものだし、大きさもそれなりのものになる。子供同然の体躯をしているガルーダが樽を持つ様子を例えるならば、樽を抱えたディ○ィーコ○グ状態だ。前が見えないまま持ち運んでいては誰かにぶつかる恐れがある。

 

「ほら、手を繋ぐぞ。またはぐれてもいいなら繋がなくていいけど」

「むぅっ! わらわは子供ではないのじゃ! ……じ、じゃが……ガロンゾは久しぶりじゃから、な、うむ……つ、繋いでも構わぬぞ!」

 

 おずおずと差し出された彼女の手。小さな掌、その細い指先がするりと絡められる。小さいとはいえ樽を小脇に抱えて少女の手を引く成人男性という光景は以前に自分が生きていた西暦時代には考えられないことだろう。

 市場に出ると立ち並ぶ露店の数々を横目にメリーベルを探す。あの青い髪は割かし珍しいため見つけることは容易なはず……なのだが見当たらない。集合予定の噴水前のベンチに腰掛けて待っていても現れない。

 遂に痺れを切らしたガルーダはお小遣いを片手に駆け出し、露店で売られていた焼き菓子を頬張りながら幸せそうな顔をして戻ってきた。

 

「はむっ、んぐっ、のう……主様や。もきゅ、むきゅ……メリーは何をしておるんじゃ?」

 

 躊躇いも無く俺の膝の上に座ったガルーダはぱたぱたと健康的な褐色肌の足を揺らしながら尋ねてくる。

 一まとめに束ねられた亜麻色の髪を撫でると、ガルーダは上機嫌な様子で背中を預けてくる。頭を撫でれば更に気持ちよさそうに、もっともっととねだり始める。

 

「さて、何してるんだろうな? そこらへんのチンピラ程度に遅れを取る子じゃ無いし……買い物が長引いているのかもな」

「むう、それならば仕方無いのう。20人分ともなれば荷車が必要じゃろう?」

「お土産なんかはカルテイラ商会に後で配達を頼んでおくさ。普段から贔屓にしている分融通も利きやすいしな」

「そうなのかー?」

「そういうもんさ。こっちはカルテイラ商会がきっちり仕事をしてくれると信頼しているから、商品の相場が高かろうが安かろうが安定した注文を上げている。多少の無茶な注文があったとてどうにかしてくれるだけの地力と広域に跨ったネットワークがある商会だから俺達は助かっているのさ。

 それにこっちは軍人だからな。一定の決まった商会が一貫して受けてくれるのは情報管理や危機管理の面でも楽だ。機密情報が漏れる確率が減るのはいいことだ。

 逆にカルテイラ商会からすれば俺達は固定客だ。相場が安くて大量の在庫があって余りそうでも、それを購入してくれる頼みの綱であるわけだ。他所の商会へ流れたりせず、支払いも手早くて安定した収支を見込めるというだけでも重要な顧客なんだ。何より公的機関がバックについてくれるというのは宣伝効果にもなるし、信用を得ているほど商会は安定した実績があることの証左にもなる。

 もちろんデメリットだってあるが、それを補って余りあるメリットがあるから手を組んでいるわけだ。俺達が向こうの無茶を聞く側になることもあるし、向こうがこちらの無茶を聞く側になることもある。利を得るときもあれば損をするときもあるというのをお互い承知しているからこその関係性というものだよこれは」

「……う、うむ? むむ……よくわからんのう」

「簡単に言えばカルテイラの店はどこの島にもあるからいつでも頼れるお店だって話さ」

「ふむ……うみゅ……なるほど」

 

 ドーナツのような焼き菓子を食べ終えたガルーダはうつらうつらと舟をこぎ始めた。長話は相変わらず受け付けないようだ。恐らく内容の半分も覚えていないだろう。

 小春日和のもたらす涼しくも温かな陽気に包まれたせいか、眠気が俺にまで伝播してきたようだ。くあぁ、とガルーダが発したあくびに釣られて俺の口もあくびをする。

 

「ごめーん! おまたせ!」

「……遅いのじゃ」

「ふぅ……ふぅっ……思ったより時間かかっちゃって……ごめんね、ガルーダちゃん」

「メリー、土産はもう全部送ってきたのか?」

「うん! バッチリ送ってきたよ!」

 

 息を切らせて駆け寄ってきたメリーに向かってガルーダは素直な感想をあくび交じりに呟く。メリーの差し出してきたお菓子(おわび)を受け取ったガルーダは

紙袋を開けて早速一つを口に運ぶ。

 

「あっ! そうそう、お父さんにお客さんだよ」

「客? ……ってカルテイラ?」

「ア、アカンって……! ゼェ、ハァ、メ、メリーちゃん……も゛、もうちょい……待ってーな゛……」

 

 栗毛色のポニーテールを揺らして駆け寄ってくるエルーンの女性……少女と言ってもいい面立ちだが歴とした成人女性のカルテイラは今にも捲れそうなミニスカートをバッと抑えて立ち止まった。天鵞絨(びろうど)のコートの金具に引っかかったスカートの裾に気づいていないらしい。桃色のきめ細かなレースの下着とは……そそられる……実に良い。

 

「ユ、ユーリはん……み、見てへん……?」

「バッチ丸見え」

「ふにゃあぁぁぁっ!?」

 

 メリー以上に息切れした様子からするに相当な距離を走らされたのだろう。魔法主体とはいえメイドは体力が必要な仕事であるし、バトルメイドであるメリーは護衛なども務めるためにそれなり以上に鍛えられている。

 対してカルテイラは全空を飛びまわるとはいえ商人だ。戦うことは専業ではないし、算盤を弾くことが仕事なのだ。必然として運動量が減るため急激な運動は地味にキツくなっていく。

 エルーンらしい扇情的な下着を衆目に晒したカルテイラはいつもの明朗な表情とは打って変わって羞恥で顔を赤らめもじもじとしている。無性に弄りたくなるこの感じ、これがギャップ萌えというやつなのだろうか。

 

「で、何かあったのか? まさか下着を見せびらかすために来たわけじゃ――」

「そんなワケあらへん! ウチが来たんはユーリはんが()るからで――っち、ちちちっ、ちゃうで!? べべべべっ! 別にそんなんちゃうんやで! 街角で()うたらお得意さんにちゃんと挨拶するのが礼儀っちゅうだけで~!」

「なんじゃい、ただのホの字ではないか」

「あはは~……カルテちゃんってウブだから……」

 

 呆れた口ぶりでメリーの買ってきた菓子を口に運ぶガルーダ。それ以上食べると夕食が入らなくなる……ということはないので放っているが、あまり食べ過ぎるのもよくない。クセになれば四六時中食べてしまうことだろう。一日二食と昼過ぎの軽食が基本であるからにはその習慣に馴染ませておかなければいけない。

 

「ああっ! 主様よ、それはわらわのものじゃぞ!」

「晩御飯も近いんだからお菓子はやめておくんだ。あまり間食が多いと太って飛べなくなるぞ。信天翁(アルバトロス)みたいに助走をつけて飛ぶのか?」

「むぐっ……そ、それはイヤなのじゃ! このガルーダが飛び立つのが苦手になるなどあってはならぬのじゃ!」

「じゃあ間食は禁止だな」

 

 ぐぬぬ、と名残惜しげに没収された紙袋を見つめるガルーダの頭を撫でてやるものの表情は変わらない。動物類を骨抜きにする俺の撫でスキルがお菓子に劣るとは……若干ショックだ。

 

「で、カルテイラはどうした?」

「ん……偶々メリーちゃんに()うてなぁ、ちょっとお茶しよかー(おも)うてたら話し込んでもうてなー! 次に乗るつもりやった定期便逃してしもたんや!」

「カルテイラらしくない失敗だなそりゃ。時は金なりを地で行くタイプなのに」

「むっ、ユーリはん……自分ウチが久しぶりに()うた友達(ツレ)よりも(ぜに)のこと優先するような薄情(もん)やと思うてへん?

 ウチかて人の子や。仕事は(たの)しゅうやってても損得や銭の絡む話は大なり小なりしんどい思いすんねん。そういうモンと関係あらへん話できるんは、やっぱり楽しもんやし、しんどい思いしても忘れられるんやで」

「ふふっ、カルテちゃんと買い物に行くと安く上がるから助かってるよー。さっすが我が親友!」

()うた傍からめっちゃ損得勘定されとるー!?」

「あはははっ! ごめんごめん。でも損得抜きでカルテちゃんは親友だから大丈夫だって!」

「むがー! マジメなこと言うた時に限ってこないに弄りよって! そっちがそない出るんやったら……こっちはメリーの語る熱いユーリはん談義の中身ぜーんぶ暴露するで?」

「ちょぉっ!? そ、それはダメだってば! 私の尊厳に関わるからダメーッ!」

 

 カルテイラが顔を真っ赤にしたかと思えば次はメリーが顔を真っ赤にする。主導権を握り握られ、からかってからかわれ、しかしそれでいてお互いの仲は非常に良好なようだ。歳が同じということもあるのかもしれないが、それ以上に気質が似ていることが大きいのだろう。

 

「漫才はそこまでにして本題はまだ出ぬのか?」

「珍しくまともなこと言った」

「……主様、わらわとて子供ではないのじゃぞ」

「わかってるって。で、どうしたんだ?」

「あ、うん。カルテちゃんとお茶して船を逃しちゃったから明日私たちが乗るエルステ帝国の高速艇にカルテちゃんも乗せてあげて欲しいんだけど……」

「はぁ……行き先はどこなんだ?」

「ガロンゾ行きや。工房見て回ってそこからポート・ブリーズでシェロはんと農作地の視察やな」

「わかった。ちょっとねじ込んでくるから待っててくれ。あとガルーダも見ておいてくれ」

「さっすがユーリはん! やっぱり頼れる男っちゅうのはこういうヒトやなぁ! ええなぁ、渋いなぁ! 結婚したいー!

 ユーリはんとポート・ブリーズの商店街の一角に小さい店構えて、店主と女将で二人して切り盛りして……うへへ……子供も三人四人くらい……」

「はーいカルテちゃん現実世界(リアル)に戻ってきましょうねー」

「いったぁ! アカンてメリーちゃん! 首がっ! 首絞まってぇー!?」

 

 騒がしい。だが、まあこういう騒がしさは……嫌いじゃあない。



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チラ裏投稿の作品の原型1

 

 どう足掻こうが、ヒトという生命体はいずれ死を迎える。

 寿命、病、事故、他殺、自殺・・・・・・死の要因とは様々に存在しているものだ。

 例えばそれが、コンビニに行こうと原付を走らせていたら、前を走る車から流れてきた煙草の灰が目に入って転倒して後続の車両にひき殺される、とか。

 生憎とフルフェイスのヘルメットなど被ってはいなかった。原付如きでそんな大層な装備は必要ない。そんな考えは甘いのだと思い知った。デモンズソウルを初めてプレイして、雑魚相手なら余裕だと高をくくって突っ込んだときに惨殺されたのを思い出してしまうほどに。

 

 一体何を言っているんだ、と思われても仕方が無い。だがそれ以上に不思議な感覚だ。

 

 そう、私は”俺”が…死んだ時の状況を「思い出せる」のだから。

 

 インフィニット・ストラトス ―夜を越えていく―

 

第一話 疲れた少女

 

「北條さん、あのー、その…自己紹介を…」

 

 おどおどとした、1-1の副担任を務める山田真耶女史の言葉にはたと気づく。私もいつまでも以前のコトなど気にしてはいられない。今はただの十六歳の一学生でしかない。

 

「北條彩夏です。趣味は寺社巡りとツーリングに、パン作りです。三年間楽しくやっていけたら嬉しいです。よろしくお願いいたします」

 

 そう、二度目の学生生活。果たして正気なのかと疑うだろう。死者が輪廻転生によって新たな人生を歩みだすなど、どこの御伽噺なのだと思っていた。が、現実とは無常にして摩訶不思議かつ奇天烈なようだ。

 

 IS学園。私が今春より通うことになった、この世に存在するインフィニット・ストラトスなる世界最強の兵器の操縦者や技術者を育成する機関である。多国籍かつ多人種が入り混じる学園だが、ISに関する講義や実技がある以外では普通の高校とさして変わりない。きっと日本語がデフォルトとして扱われ始めたからだろう。

 卒業後はISの開発や設計を行う企業、またISの装備を製造する企業など、進路に関して言えば、鰻登りの勢いであるIS業界への就職がほぼ約束されていると言っていい。

 齢十六にして軍需産業に飛び込む子供、か。戦争の道具に自ら飛びつく少女たち。本当にどうしてこうなったのか。

 

 ISは女性にしか動かせないという、兵器として言えば重大な欠陥を持っている。どうしてそんな制限があるのか、何故そんな欠陥兵器が世界最強などと謳われているのか。その始まりは”白騎士事件”にあると言っていい。

 ISは篠ノ乃束博士(自称)が発表した当初には見向きもされなかったという。宇宙空間での活動を想定したマルチフォームスーツ…要するに宇宙服の延長上、又は発展系と言えるものだったらしい。

 ところが一体何事が起こったのか日本に向けて大量のミサイル、それも二千発を超える数が飛来したのだ。だがその事件は白騎士なる一騎のISによって治められた。日本に向けられた大量のミサイルの全てと、多数の戦闘機や艦艇を無血で破壊するという結末で。表向きには、だが。

 世論では某国によるテロだ!やれ、大国による陰謀だ!など様々な仮説と推論が飛び交ったが、その真実は未だ闇の中である。

 

 ともあれ、博士(他称)の作り出したISは現行の兵器を大きく上回る性能を示すことによって世に受け入れられた。もちろん、戦争の道具として。

 

 女性にしか操れないという欠点。その総数が500にも満たないという事実。それもいつしか女尊男卑にすり替わり、選民思想的な女性の専横が始まったのは記憶に新しい。世には核の傘のひとつ上に、ISによる傘ができた。ひとまずの平和は今、IS開発競争という大波に乗って静かに、しかし大きく揺れている。

 

 ISを兵器ではなく競技用として扱うモンド・グロッソの創立。それまでの軍事力によるパワーバランスを覆しかねないISを統制するべく、国際IS委員会を設置してのISコアの管理。そして次世代のIS操縦者の育成と、企業によるIS開発の試験場ともいえるIS学園の建設。ここまではいい。だがイレギュラーな事態とはいつの世でも同じなものだ。

 

 男性操縦者発見、という見出しの新聞を見たのはほんの数週間前のことだった。

 そしてその噂の操縦者は正に今、隣の席に座っているのだから。どうやら入学時の番号でランダムに振り分けられたようだ。…昔は名前のあ行から順に席が端から埋まっていたんだっけ…懐かしいな。

 

(……やっぱり男一人っていうのは辛いよね。私もきっと同じ立場だったらそうなるよ)

 

 周囲からの好機の目。男一人というのはさぞ辛かろう。特にIS学園はISと付くからわかるように女性ばかりだ。ただでさえ女尊男卑がおおっぴろげに謳われているのに、その特別なモノを扱えるオトコが居るなどとなれば、さらに視線は厳しい……いや鋭いものになるだろう。

 緊張からとはいえ、あの自己紹介は無い。うん。

 

(しかしイケメンなお坊ちゃんだことで。さながら餓えた狼の眼前に躍り出たか弱い羊ってところですか)

 

 私に関して言えばごく普通である。腰にまで届く黒髪を背中の辺りで一まとめにしている程度。青いリボンがトレードマーク。ついでに眼鏡着用。伊達である。瞳は黒。

 目立たないけど顔つきは年相応より少し大人びた凛々しい女の子、と言えるくらいか。

 体型は…まあちょっと自信がある。グラビアを張れるほどではないが、あるものはあるし肌つやもよい。しなやかな筋肉としっかりとした均整があり、引き締まったいいカラダだ、というのはかかりつけの整体士の談。

 これも偏にじい様の剣術を学ぶ上での修行の成果なのである。

 そんな女の子な私には”俺”というものが同居している。いや、混ざり合っていると表現すべきなのか。以前は”俺”だけだったが、こちらに生まれてからというもの、女の子の精神である「ワタシ」が生まれたわけだ。

 ”俺”と「ワタシ」をベースとして、私という意識が存在しているのだ。

 

「さて、これで一通りの自己紹介は終わったな。それでは本日の予定を伝える。授業そのものは行わないが、学園内の施設を見学し今後のカリキュラムについての講義を行い本日は終了となる。それでは少し早いが、2限目までは休憩とする」

 

 織斑先生―私の元指導官であり、なんと織斑一夏の姉だった―が号令をかけると、ざわ、と少し空気が揺らぐ。部屋を満たす緊張感が和らいだのを皮切りに、ぽつぽつと会話が飛び交い始めていく。

 気が利くじゃないか。自己紹介してあるとはいえ、実際に会話しなければ人の顔や名前は覚えにくい。さて、まずは隣のお坊ちゃんにまぶしいくらいの笑顔で一声かけておくとしよう。

 

「オリムラくんだったよね。私はホウジョウアヤカ。よろしくね」

「あ、ああ…!オリムライチカだ。イチカってよんでくれ!よろしくな、北條さん」

 

 ぱっ、と喜色を浮かべる彼はまさに救世主に会ったかのような目で私を見る。

 

「私のことはアヤカって呼んでね。やっぱり呼ばれるのにも馴染みの呼び方だと安心できるから」

「ああ、そうだよなあ。そういえばさ、彩夏はツーリングって言ってたけどバイクでも持ってるのか?」

「うん! YAMAHAのYZF-R3と父さんの乗ってたBMWのR1100Rの二台だよ。まだ16歳だから400以上は乗れないけど、やっぱりリッタークラスだとツーリングの快適さがすごく違うよ! 父さんの後ろに乗ってたけど、加速や馬力がダンチなんだよね! それにバイクで一人旅ってさ、なんだかこうさ、自由だー!って気分になってどこまでも走っていけそうじゃない? やっぱりそういう心持ちがある人にはきっとバイクは最適のツールだと思うんだ!」

「へ、へぇー……」

「でさ、父さんってナビを付けたほうがいいって言うんだけど私はそうは思わないね。タンクバックに地図を一冊突っ込んで、必要なものだけ持って気の向くままにぶらぶらと走るのってすごく楽しいんだよ!」

「ははは…! 彩夏ってさ」

「ん? なに?」

「まるで無邪気な子供みたいなとこもあるんだな」

 

 し、しまった! ついつい”俺”がバイク乗りだった頃のクセが…!

 

「あ、あ…あ、そ、その……ゴメン…」

「いいんだって! 彩夏って物静かそうだけど意外と熱いトコあんだなってわかったし!」

「うー…初対面の人にこんな恥ずかしい醜態を晒すなんて…!」

 

 気づけばチャイムも鳴っていたようだ。思い思いに周囲の学友達も席を立ち、おしゃべりに興じている。そんなことにも気づかないとは情けない!

 

「ちょっといいか」

 

 うん? なんだろうか。一夏に用事でもあるのだろうか.

 ポニテの少女よ、男のロマンを語る場を邪魔するとはいい度胸だと感心はする。だが、眉間にシワ寄せてこちらを睨み付けるのが共通の挨拶だとでも思っているのか?

 ……見るに多少腕は立つようだが、それじゃあまだまだだ。

 

「…何だ?」

「ここでは少し……屋上に行くぞ。付いて来い」

「……ああ、わかった」

 

 えええ!? 入学して即屋上?! アイエェェェ!! ナンデ!?

 

「い、一夏…」

「悪い、ちょっと行ってくる」

 

 そういうと一夏はそっと席を離れる。

 女ばかりの世界にたった一人の男。なんとも苦労は多そうだ。…だが、少しその苦労を払いのける程度には手伝えるかもしれない。

 元オトコとして、人生の先達として、少しだけだが。

 

 

 チャイムが鳴るギリギリになって、一夏とあのポニテ少女が戻ってきた。

 二人の間にある空気は当初のギスギスしたような感じはさせず、和やかな雰囲気さえ感じる。

 席に着いた一夏に一体誰なのかと尋ねると、「ただの幼馴染だ」と言う。

 

「………へぇー…そうなのかー」

「な、なんだ? 幼馴染くらい居るだろ?」

「いや、てっきりね、コレなのかなーと」

 

 小指をひとつ立ててみるも、一夏は態度を少しも崩す様子が無い。

 

「あー、そういうのじゃないって。小さいころ同じ剣道場で剣道やっててさ、あいつが転校して以来会ってなかったんだよ」

「久々に会って積もる話もあって、ってわけですか。それにしても屋上に行く必要があるのかは疑問だけどね」

「あいつってさ、俺が喋ってるときにすげー不機嫌になるときがあるんだ。箒のことはよく知ってるつもりだけど、あれだけはよくわからねーんだよな。ひどいときは竹刀や木刀が飛んでくるし」

 

 名も知らぬ幼馴染さん、それは殺人未遂というものだ。やりすぎだ、やりすぎなんだよそれは。

 

「どうした? なんだか顔が青ざめてるぜ?」

「……きっとたくさんのスリルとハプニングに満ちた幼少期だったんだね」

「クラスの女子と話せば睨まれて、手を繋いだら斬りかかられたからな。なんであんなに怒るのかわからないんだよ」

 

 What?

 

「まさか、本当にヤンデレなの…? いやでもそんなの現実に居るのかどうか…」

 

 ギロリ、と確かに彼女はこちらを睨み付けている。視線だけでヒトを呪殺してしまいそうなほどの剣幕で、じっと私だけを見ている。

 

(……これは早まった…かな…?)

 

 若干ながら後悔している。いや、訂正しよう。すっごい後悔している。

 何故あそこで織斑一夏に同情した! 吐け! 吐くんだ、北條彩夏!

 

「全員着席しろ。……ふむ、さすがに二度目は静かにできるか。これより学園内の施設を案内する。列を乱さず、しっかりと私について来い」

 

 ああ、どうか平穏な学園生活でありますよう…。

 

 

 

第二話 男+代表候補生×代表候補

 

 やっと終わった。ようやく終わった。いや、もしかすると始まったばかりなのかもしれないが。

 施設案内の間はできるだけ静かにするように努めた。一夏の脳天を強かに穿ったあの出席簿を自ら喰らいにいくなど、自殺行為でしかない。一夏に話しかけても例の幼馴染に殺気をぶつけられるだけだし、ブリテンのお姫様気取りはアクが強そうだし、必然的にそれ以外の人物…席が近い鷹月さんと相川さんの二人と会話するようにした。

 

 かくして一日は終わりを告げようとしている。本日最後の予定であるホームルーム。これを乗り越えれば無事に寮のベッドで寝転がることができる。

 

 だというのにホントにこいつら…!

 まあ一夏が男性で、周囲には女性ばかり。その上時代は女尊男卑の風潮の真っ只中。こういう人間が居てもおかしくはない。おかしくはないのだ。

 しかしこれ以上はやめてほしい。私は静かに暮らしたいから。

 

「まあ! なんですのその態度は!? この私を? 入試主席の! イギリス代表候補生であるこの私セシリア・オルコットを知らないと!」

「おう、知らん。それと彩夏、代表候補生ってなんだ?」

 

 コケた。その会話を聞いていた私は言葉を失い、周囲のクラスメート達はドリフもビックリな勢いでズッこけた。

 一夏君、さすがにそれはない。しかもそこで私に振ってくるかい。

 

「おい、彩夏…なんでそんな憐れんだような目で…」

「あ……えーと、ね…要するにだよ? 次期IS国家代表となる人物を育成するプログラムに所属する人たちのことだよ。オッケー?」

「ああ! そうなのか!」

「そうなのか! ではありませんわ! 国家代表の育成プログラムに所属することができるのは一握りの女性のみ。まさに国家の看板を背負うエリートなのです。そう、エリートなのですわ!」

「へぇー、すげえもんだな」

 

 大切なことなので、っていうわけですね。しかし今の貴女は看板に泥を塗りたくっているだけなのだけれど。

 

「当然ですわ。試験官を倒して主席で入学することなど、この私にかかれば…」

「あれ? 俺も倒したけど、試験官」

「な…!? そ、そんなはずがありませんわ! 私以外にはたった一人しか居ないはずでは…」

「それって女子の中では、っていうオチなんじゃないか?」

 

 セシリアが一夏を問い詰めようとした次の瞬間にチャイムが鳴る。

 まったく、こうも都合よくチャイムが鳴るなんて何か作為的なものさえ感じてしまう。

 

「くぅっ……改めて聞かせていただきますわ! よろしいですわね!?」

 

 

 

「さて諸君らは明日より本格的に授業を開始するわけだが、まずクラス代表……要はクラスを代表する委員長のような役職に一人就いてもらう。これは普段の学生生活での役目に加え、クラス対抗戦に出場するという役割もある。まあ早い話がクラスの顔というわけだ。自薦他薦は問わん。我こそはという者は手を上げろ」

 

「織斑くんを推薦しまーす!」

「同じくです!」

「右に同じです!」

「ええ!? 俺!?」

 

 間髪入れずにこれは恐れ入る。まさか最初からその腹積もりだったのか。とにもかくにも貴重な男性操縦者故に周囲の人は興味津々なようで、異論を唱える者は居ない。

 

「納得が行きませんわ!」

 

 いや、居たねそういえば。すんなりとは行かないだろうとは思ったけど。

 

「大体男がクラス代表を務めるなど相応しくありません! 知識も教養もまるで感じられない男がクラス代表になるなど、恥晒しでしかないですわ!」

「…なんだと?」

「実力もわからない。その上品性の欠片もない極東のサルにクラス代表などと……」

 

 頼むから少し抑えてくれよ一夏。ほんの少し冷静になって正しく切り返せばいい。相手は既にでかい隙を曝け出したんだ。ムキになって言い返す必要なんぞ無いんだ。

 だから、その握りこぶしを少し緩めて―

 

「言うじゃねえか! イギリスだって大した国でもないだろう? 連合王国なんて名乗ってるくせに内部分裂の火種抱えてるだろ! その上何年、いや何百年ほどメシマズ世界一に輝いたんだ? こっちが極東の猿って言うんならそっちは西洋の白豚だな! 肥えたプライドに更に脂が乗ってよく燃えてるぜ!」

 

「このイエローモンキー…!」

「クソライミーが!」

「織斑にオルコット! お前たち! いい加減に…」

 

 バシン! と乾いた音が響く。手が痛い。人を叩いた右手が痛い。

 

「な、何すんだよ彩夏! こいつは…!」

「ふん、いい気味ですわ。下賎な猿の分際で私に…っ!」

 

 バチン! 二度目の快音。もっと痛い。全力で二度も叩けばそれもそうだ。

 だがいい加減に黙らせよう。私の手の痛みは、二人が傷つけられた痛みと同様なのだから。

 

「わ、私に手を上げるとはどういう了見で…!」

「いい加減にしろと言いたいんですよこのド阿呆どもッ!!」

 

 静まる。萎縮したように二人は声を詰まらせ、息を呑む。

 

「まずオルコット嬢! 貴女は自分自身を”国家の看板を背負うエリート”だと言いましたね。でしたら今までの自身の行動や発言はどうですか? 果たしてそれは客観的に見て、国家の看板を背負うエリートに相応しいものですか? 貴女の発言はIS開発者の篠ノ乃博士、そして現在IS学園で教鞭を取っておられる”あの”織斑先生…引いては日本国やアジアの諸国への侮辱とも言えるのですが、申し開きはありますか」

「そ、それは…!」

 

 頭に上った血がようやく下がってきたか。もう少し冷静にできれば、もっと伸びるだろうに…。

 だがその前にあのバカにも一言言わなければ。

 

「そして織斑一夏! 君の発言は人種差別はもちろん、国家に対する侮辱です。愛国心ある人ならば自らの生まれた、愛する国を貶められる発言に対して怒りを覚えるのは当然のことです。だけども君は冷静さを欠き、売り言葉に買い言葉で対抗した。セシリア嬢がさらにヒートアップするのも当然です。それだけの爆弾を君はたたき付け、彼女を傷つけたんです」

「うっ…」

 

 気まずい雰囲気だが、締めるところで締めておかなければならない。でなければまた同じような事態が起こりかねない。

 

「……ここまで言えば、二人とも何をするべきかはわかりますね?」

「私の不用意な発言で皆様を不快にさせてしまったこと、深くお詫び致します…」

「ごめん、オルコットさん…! 俺もカッとなって傷つけること言っちまった」

 

 さすがにガキではないらしい。自身の行動を省みて反省したならば、これ以上の追撃は不要。さっさと引っ込もう。

 

「さ、これで双方とも仕置きは済みました。引き続きクラス代表の話に戻りましょう。クラスメートの不始末は片付けましたので、続きをお願いします先生」

「ふむ、そうだな…他に候補者も居ないようだし。ではセシリア・オルコット、織斑一夏、北條彩夏の三名をクラス代表候補とする」

 

 What?

 

「乗り気ではない北條はともかくとして、もちろんお前たち二人では議論しても決まらないと見てわかる。よって一週間後の模擬戦によって判断するが……うん? 何を不思議な顔をしている? 何か言いたいことでもあるのか?」

「はい先生、何ゆえに私が、クラス代表に名前を挙げられているんでしょうか」

「いい質問だ北條彩夏。あのバカ二人を一喝したその度胸を買った、と答えておこう。それにISのいろはも知らぬ愚弟では少しばかり代表というものは荷が重いと感じていたが、競争相手がいれば少しは覚悟も決まるだろうと見た。故にイギリス国家代表候補生のセシリア・オルコット、及び”日本国国家代表候補”北條彩夏、お前たち二人を加えての三つ巴としたわけだ」

 

 おい、やめろばか。

 

「教師に向かってバカとは……死にたいようだな」

「謹んで拝命いたします!」

 

 しにたくないです。やめてください。殺気を飛ばさないでください。出席簿を構えないでください。お願いしますなんでもしますから許してください!

 

「え…? えっ? まさか、貴女が…」

「は、はぁ!? 代表…候補……?」

 

 くっ…! この二人耳聡いな本当に。このまま平穏無事な三年間を過ごしたかったって言うのに。まさか織斑先生……わざと言ったんじゃなかろうか。

 

「そうだ。北條は次期国家代表の候補として既に名が挙がっている」

「…なんで言ってしまうんですか。もう…オフレコにしてるハズなのに…」

 

 途端にクラス中がざわめく。国家代表としての道半ばである”候補生”を通り越して、国家代表の座を争う”代表候補”が紛れ込んでいるのだから致し方ないことなのかもしれないが、今この場で公言してしまう必要性が見えない。

 友人との間に変な間合いができてしまうのは、つらいものなんだから。

 

「そう落ち込むな北條。既に非公式ではなく公式に決定された事案だ。よかったな、また私が指導してやるぞ」

「……お手柔らかにお願いします」

 

 頭痛の種がまた増えた。これからは彼同様に衆目に晒されてしまうわけだ。近づきがたい人間として見られてしまう。彼と周囲のヒトの姿を見ていてわかる。彼は唯一の男性操縦者だということで周囲から見世物のように見られている。そしてたった今、私も同じようなカゴに入れられてしまった。

 織斑一夏、その幼馴染に、セシリア・オルコット。この三人だけでも頭が痛いのだから、これからどう足掻いても私の平穏な学生生活は手に入らない気がしてきた。

 

 

第三話 重き枷

 

 夕暮れの空は次第に青に、そして黒を帯びていく。沈み往く太陽を眺めながら、春先の冷たい浜風に吹かれているしかできなかった。

 屋上の欄干に背中を預けた体育座りのまま、両手の中に収まっている鍵を見つめる。

 No.1026―手にした鍵は、どこかずっしりとした感触がする。手錠に足かせ、拘束服を着せられて目隠しをされた凶悪犯にでもなったかのような気分。

 けれども私はこの鍵を使って自ら牢獄に入るのだろう。自室という名の牢獄。国家代表候補として見られることは別にいい。けれども、せっかく仲良くなった友人が離れていくかもしれない、ということが怖い。

 明日には一年の間では周知の事実となってしまっていることだろう。

 

 いい子だ。賢い子だ。家を継ぎなさい。爺ちゃんの息子は特攻して死んだんだ。血の繋がらない祖父と遠縁の祖母。失われてしまう血。だけどこの”家”だけは。優しく大らかな、尊敬できる爺ちゃんが遺して逝くこの家だけは。けれど、”俺”は死んでしまった。

 悔いだけが、残った。

 

 女に生まれ変わった。中学一年でISに乗った。二年になって候補生として訓練を積んできた。三年で、実戦を積んできた。周囲の期待の目が怖くなったのは少年だったときからだったが、それが一段とひどくなったのは女になって、ISに乗ってからだと断言できる。

 候補生に、候補に、代表になれ。頑張れ。君ならできる。その程度か。失望した。まだ、やれる。あの日のような悔いだけは残したくない。だけど―

 

 責任感だけは強かった。ひどい言い方をすれば強迫観念と言ったっていい。突き動かされるように為すべきを為してきた。男だったときも祖父や父が遺すものをせめてわが子に手渡したいと願い、日々を生きた。女になってからもISを捨てきれず、しかしどうしようもないほどの挫折感に押し潰され、迷いながら這いずってでも進んできた。母を守り死んだ父の無念を、私を庇った母の執念を、息子と義娘を一度に喪失した祖父の悲嘆を、無為にしないために。

 守り抜こう、そう決めていた。

 

 だがその意志はぷっつりと、今まで保っていたのが嘘のようにあっさりと途切れてしまった。あれからもう七ヶ月が経ったけれど、よくこの短期間で持ち直したものだと自分でも思う。

 心は折れているのにISにまだしがみついている私を見かねて、織斑先生が私をIS学園の入試に捻じ込んだのは記憶に新しい。

 

 入試と称した一対一の実戦演習をしている間だけは何も考えていなかった。なんだかんだありながら、結局私はISを捨てきれていないんだ。

 だけど、ISに乗る理由は……今もまだわからないままだ。

 

「北條、ここでなら答えは見つけられそうか?」

 

 ふと顔を上げるとスーツ姿の先生が腕組みしてこちらを見ていた。いつからそこにいたのか、と思うがこの人は神出鬼没だ。聞くだけ無駄だろう。

 

「…わかりません」

「気長に探せばいい。私もそうだったさ」

「何故私が国家代表候補だと公表したんですか、先生」

「………先日、公表することが決定された。ならば後から質問責めに遭うよりかはマシだろう?」

「私はもう、代表候補なんてできません。私はただの一学生でいい。それが…私の望みです」

「その割りに候補生と愚弟相手には説教できたのだな。やはりどこかでお前は代表候補の肩書きの責任を感じているだろう。私がクラス代表としてお前を選んだのはそれが理由だ」

「どういうことなんですか…?」

「なんだかんだありながら捨て切れない。それは良くも悪くも、お前の持つ”らしさ”というものだからだ。さて、あまり体を冷やすなよ。春先は冷えるからな」

「………先生」

 

 ありがとう、と言おうとしたが声は出ない。今はまだ、この心の内にしまっておこう。

 私がISに乗る理由を見つけられた時にこそ、伝えるべきだと思うから。

 

 

 

「うっ…」

「うわぁ…」

 

 顔をあわせるなりこれである。とんでもない気まずい空気だ。何せ先ほど引っぱたいた少女が自分のルームメイトだなんて誰が予想できるだろうか。

 

「先ほどはすみませんでした!」

「えっ? あ、あの…」

 

 こういう場合はさっさと終わらせてしまうに限る。ずるずると引きずるよりも一度きっぱりと割り切ってしまうほうがいい。腰は正しく九十度。しっかりと頭を下げることは大事なことだ。

 

「…北條さん、私も貴女方日本人を貶める発言をしてしまったのです。例え殴られようとそれは…当然のことですわ。こちらこそ申し訳ないことをしてしまいました…」

 

 沈痛な面持ちで深々と頭を下げ、オルコットも謝意を示した。日本人に対して、英国人のオルコットが日本人の礼節でもって応えてくれたのだ。

 こちらを思い遣る心は正しく伝わっている。

 

「私もよくよく考えると慢心していたのかもしれませんわ。主席入試であるということに浮かれて、足元が浮ついていたのです…。結果としてですが、貴女の平手打ちでなんだか目が覚めたようです。感謝いたしますわ」

 

 ああなんだ、この娘は実にまっすぐなんじゃないか。こんなにも純真な笑顔を見せられて、心がちくりと、針を刺したように痛む。また女尊男卑を謳う人間なのではないかと、一瞬だとしても勘繰った自分が恥かしい。

 

「……私は北條彩夏。十六歳、誕生日は四月二日。身長は163センチ、体重は……まあ45とちょっと。好きなものはバイクとパンと甘いもの。嫌いなものは野菜とモツ類、あと虫とか黒いアレ。趣味はツーリングとパン作りで、愛車は父さんのBMWのバイクとYAMAHAのYZF-R3」

 

 そっと、手を差し出す。オルコットはきょとんとしていたが、穏やかな微笑みを浮かべて同じように優しく私の手を握った。

 

「彩夏って呼んで。よろしくね! オルコットさん」

「よろしくお願いいたしますわ。私のことももどうぞ、セシリアと」

 

 手のひらの痛みはもう、とっくに消え去っていた。

 

 

第四話 傷だらけの彼女の平和な日々

 

 金髪に青眼、整った可愛らしい顔、モデルも真っ青なプロポーション。そして触れてみてわかったことだが、セシリアの持つ貴族の令嬢としての貞淑さを備えたそのオーラは見る人を魅了する。それを実感した。それもお風呂で。

 「日本にはハダカのツキアイというものがあるそうですわね。親交を深めるためにも是非それを実践しましょう!」というセシリアのどこか間違った解釈によって、シャワールーム(しかもそれなりの和風のユニットバス付)にさっそく連れ込まれたわけである。

 そこまではいい。いかに私が”俺”だったころの精神を残しているとはいえ、伊達に十六年も女性なわけではない。髪の洗い方から一通りのことはできる。

 まあ、そんなハダカのツキアイの最中、西洋では”剃る”のが普通であるアレをきれいさっぱり剃られてしまったわけだが。どういうことだってばよ。

 「聞けば貴女もそれなりに良家の子女なのですから…」云々と言われ、その迫力に押されていつの間にか事が済んでしまったわけだ。なんなのコレ? プレイじゃないんです。恥かしい。死にたい。幼少期と親以外には見られたこともないのに!

 

「ううー、どうしてこうなったの…!?」

「ふふふ…少し髪型を変えれば彩夏さんはもっと可愛くなりますわね」

「もう絶対毛は触らせません。絶対にです!」

「でしたら次は私服のコーディネイトですわ。もっと可愛らしい服も似合うと思います」

「まったくもう…ん……あれ? どこだっけ?」

「どうかいたしました?」

「いや、ね……あのリボンどこに…」

 

 まずい。あれだけは必要なんだ。トレードマークをなくして私はあり得ない。あのリボンだけは外せない。

 

「青いリボンでしたら、脱衣所のカゴの中に入っていますわ。というよりも、彩夏さんが一番上に置いていたのですよ?」

「そ、そうだっけ…? ちょっと取ってこよう…」

「もう、部屋着くらい着てからでもいいのではないかしら?」

 

 下着を取るかリボンを取るか、と言われたら間違いなく私はリボンを選ぶ。あれは大事なものだ。失くしてはいけないもの。私と両親を繋ぐ、大切な絆なんだから。

 

「そこ…な……れ! 一…! ……が成…して…!」

「……ろ! …れか! …助……く…!」

 

 部屋のドアの外から声がする。…口論でもしているのだろうか?

 

「はぁ…今度は何の騒ぎなん…」

「ぬわーっ!」

 

 バタン、と勢いよく開くドアの音に顔を向けると同時に体が傾く。どん!と体が床にぶつかるのと合わせて、上になにかがのしかかり、肺の空気が押し出される。

 

「弾力のある…柔らか……レースの…」

「きゃあっ! いっ…た…」

「も、もにゅっ…て……これは!?」

 

 思わず閉じた目を開くと、そこにはバスタオル一枚を巻いた、あられもない姿の夜叉が木刀を片手に立っていた。

 

「一夏ッ…! きっ…きき、きっさまあああぁぁぁ!」

「彩夏さん! 一体どうなさっ…た…の…」

 

 前と後ろから怒気を感じる。前方のポニーテールの夜叉からは荒れ狂う虎の如き苛烈な殺気が放たれている。そして後ろ、おそらくはセシリアだろう。先ほどまでの穏やかな気配は微塵と存在していない。静かに、獲物を狩る狼が冷徹な眼差しをもって地に伏せるが如く恐怖心が煽られる。

 

 前門の虎、後門の狼。両者の間で板ばさみになって震えるだけの仔兎と牡羊が居るだけ。

 ……うん? 牡羊?

 

「一夏…な…何して…?」

「あ、いや、これはっ……そのー」

 

 双子山の間に顔を埋めた一夏はしどろもどろになりながら弁解しようとするが、声を出すことも忘れたかのように吐息を吐くだけだった。

 

「んっ…! そ、そんな所で…動かないで…! あと喋らないで!」

「その…すまん」

 

 だから顔を動かすな! 吐息が当たるっての! 私は女だけど、人格のベースの部分にあるのは男の感性なんだぞ!? 何が悲しくて男を胸に寝そべらせねばならんのだ!!

 

「うん、わかってるよ一夏。とりあえず女の子の部屋に入るならノックしてください。あと、返事はいいのでそのままそれ以上触れることなくどいて欲しいです」

 

 一夏がそっと顔を上げ、密着した体を起こして立ち上がる。

 傍から見れば強姦魔でしかない。……すみません、天国の父さん母さん、そしておじい様。北條彩夏は…嫁入り前に男に下着姿を見られた挙句に押し倒されてしまいました…。尤も嫁入りする気はないのだけど。

 だが然るべき罰を与えなければいけない。この身はまがりなりにも女の子なのだから。

 

「それじゃ一夏。………言い遺すことはあるのかな? あるわけないですよね? 感無量ですよね? 私を押し倒して十分にオンナノコの香りは堪能できたよね?」

「してない! そんなこと…堪能なんて…!」

「なんですって!? 彩夏さんは私が親しい友と認めた女性ですのよ? あのような不貞を働いた上に、彩夏さんには女の色香すら無いとおっしゃるのですか!?」

「違いますっ!! すばらしい柔らさと心地よい香りでした! ですから殺気を収めて…」

「ほう…一夏は私の裸を見るだけでは足りず、他の女性にまで節操なく欲情したのか…!」

 

 玄関に怒りが満ちていく。留まる所を知らないオーラは外で見守る野次馬さえも恐怖させ、腰を抜かしている者さえ居るのが見える。

 ちら、と目配せするとセシリアはすっと目を閉じて了承の意を示し、バスタオルの鬼神は強く縦に頷いた。

 

「この……強姦魔ッ!!」

「あべしっ!?」

 

 私の右手が軌跡すらも残さず振りぬかれる。間髪居れず、セシリアが更なる追撃を加えようとしていた。

 

「甲斐性無し!」

「うわらばっ!?」

 

 左頬に続いて右頬へと平手が打ち込まれる。既に一夏の意識は朦朧としているだろう。だが、まだ鬼神は動いていないのだぞ一夏君。

 

「浮気者…があぁぁぁぁっ!」

「ギエピー!」

 

 一夏の脳天に必殺の唐竹が吸い込まれるように打ち付けられた。ぐらり、と崩れ落ちる一夏を哀れと思いながらも、やむなしと切り捨てた。身から出た錆というものだ。

 巨悪は倒れた。我々は勝利したのだ…!

 

「はぁ……これで一夏も少しはマシになるといいのだが…」

「あ、鬼神が元に戻った」

「それよりもこの下衆をどう屠殺致しますの? 個人的にはアイアンメイデンを所望するのですが…」

「うむ。一夏には後で私からもきつく言っておく。初日で疲れているだろうところにご迷惑をおかけしたこと、真にすまなかった」

 

 意外とフツーに返された。近寄る女はサーチ・アンド・デストロイ、というわけでもないらしい。

 

「私はシノノノ・ホウキという。一夏の幼馴染だ」

「あ、どうも、私は北條彩夏。彩夏でいいですよ」

「私はセシリア・オルコットと申します。よろしくお願いいたしますわ」

「こちらこそ。……思えばこんな格好だったのだな」

「あー、確かにこれはちょっと…」

 

 己を見れば下着姿。箒を見ればバスタオルである。てんやわんやの超展開ですっかり意識は別のモノに向かっていたが、これはマズイ。

 

「……とりあえず部屋に戻るとしよう。一夏はこちらで引き取る。それではまた明日」

 

 ほぼ全裸の箒にずるずると引き摺られていく一夏。……シュールな光景だ…。

 

「…くしゅん!」

「あら、もう一度温まったほうがよいですわね」

「今度は一人で入ります!」

「うふふふ…拗ねないでくださいまし」

 

 二日目だ。

 

「古い電話帳と間違えて捨てました!」

「このド阿呆!」

「うぼぁー」

 

 まだ二日目にしてこれは…頭が痛くなる。

 

 スッパーン!と快音を響かせ、織斑先生(姉)の出席簿による痛恨の一撃が、織斑一夏(弟)の頭を強かに打ち抜いた。それも箒にやられたところと寸分違わずに。

 わけのわからない断末魔を残し、一夏は机に突っ伏して気を失った。

 トラブルメーカー、というのはおそらくだが織斑一夏のような人物を指すのだろう。厄介事、面倒事を一手に引き受けたかのような彼の頭がどうか無事に復活するよう願うだけだ。

 

「はぁー…どうしてこう…」

 

 先生が頭を抱えるほどとは…! やはり私はあの時早まったのではないか。きっと碌な目に遭わない……むしろもう大変な目に遭ったばかりだが。

 

「とりあえず一限目はここまでとして、私はこれより所用で出張に行ってくるので必要な事項のみ伝えておこう。織斑一夏、お前の専用機が配備される運びとなった。喜ぶがいい」

「俺に…専用機だって!?」

 

 クラスに衝撃が走る。本来ならば候補生レベル以上の実力者にしか配されることのない専用機―総数467個のコアのひとつ―を手にするのだ。それは世界のパワーバランスを崩しかねない強力な兵器を個人で占有することと同義だ。

 

「騒ぐな! 理由は至極単純、世界初の男性操縦者が乗ったISの稼動データの収集、解析のためだ。無論IS展開中の生体データや、女性と男性とでの経験値蓄積における差異の有無を確認するなど、データは今後のIS開発に様々な分野で応用されるだろう」

「……つまり私はデータ取りの為の当て馬ですのね…」

 

 ぼそっ、とつぶやいたセシリアの声を聞いたのか、彼女の周囲だけはしんと静まり返っていた。

 

 考えてみれば模擬戦が組まれた直後、即座に専用機が用意されるなんて怪しすぎる。それにこのクラス構成…貴重な男性操縦者、更に専用機持ちの候補生が居て、かつ代表候補が確定した私が居る。その上篠ノ乃箒……これはわざと固められた…かな?

 そう考えるとセシリアの言う”当て馬”というのは限りなく正解に近い答えだと言えよう。ずぶの素人である一夏と同じ穴に比較対象として入れられたセシリアと私。同クラスともなれば必然として交流は起きるし、お互いの実力もよく理解できるだろう。更にクラス代表ならば他の代表や学年ともやりあう機会が増える。データ取りというものが目的なら、まず大きなメリットだろう。

 だがメリットばかりというわけでもない。男性操縦者として既に大々的に公表されていることも含め、織斑一夏は有名人だ。女性の特権の象徴ともなったISを扱える男というのは、主義者達にとっては目の上のたんこぶなのだ。そしてその逆として、彼を利用したがる存在も多いわけで。

 ……特に監督役気取りのあいつらは興味津々なことだろう。

 

 つまるところ、いろんな意味で人気者になった一夏(と周りの人間たち)には今後多くの試練と苦難が待ち受けているわけである。

 私には打てるだけの手を打った後、手を合わせて祈るほか無い。合掌。

 

 

第五話 天使の生まれた日

 

 とまあなんやかんやで二日目は無事に終わりを迎えたわけである。二日目が土曜日で、三日目である今日は日曜日、つまり休日である。

 おニューのレーシングスーツを身に纏い、ピカピカに磨き上げたヘルメットを手に、愛車の傍らに立って空を見上げる。

 

「うーん! 絶好のツーリング日和ね! ……正直、出頭命令さえなければ最高なんだけど…」

 

 天候は快晴。西からの風、春先らしい涼やかな気候はまさに走るにはもってこいのシチュエーション。だけどその心は曇天の広がる梅雨前のジメジメとした空模様である。

 

「ま、走れば気にならないからいいかな」

 

 バイク乗りとはこういうものである、と私は思っている。

 多少天候が微妙なところでも、風を切り裂いて走り出せばバイクの楽しさですぐに心は晴れ模様。いつだって風を切る心地よさを忘れられないし、ISと違って自由に走り回れるのが何よりも楽しい。一冊の地図と財布(お金があまり入ってなくても、最低限免許証は必要)さえあればどこまでも行ける。ただしガソリンと燃費には要注意。

 

「さ、行こうか……相棒!」

 

 YZF-R3に跨り、手にしていたメットを被ろうとしたとき、幼馴染を連れたトラブルメーカーが不意に曲がり角から現れた。

 

「おっ? 彩夏か? へぇー、やっぱいいバイクに乗ってるんだな」

「あれ、一夏に箒?」

「やっぱバイクってカッコイイよなー。それにレーシングスーツなんて着てるからまるでレーサーみたいだぜ」

「ありがと一夏。やっぱりスポーツバイクにはこういうのが一番映えるよね」

 

 私はいつも青と白を基調としたレーシングスーツを着込んでいるが、これはやはりとあるレーサーの影響だろう。こちらの世界は”俺”の時代よりも技術水準が高いためか、ISスーツに代表されるような強靭さと高機能を備えたものが多い。

 ピッタリと体にフィットする一体感と、薄手だがそれでいて対衝撃や摩擦、高温や低温などにも非常に強いという逸品である。

 その分今の一夏のように私のボディラインをじっくりと舐めるように見回す人もいることは確かではあるのだが。

 あの夜の一件は一夏の記憶に鮮烈な衝撃を持って焼きついてしまっているようだ。ちくしょう。

 

「……良い。うん、イイものだ」

「一生使い物にならなくしてあげてもいいんですよ? ね、箒?」

「…もう一度やれば記憶から消せるかもな?」

「すみませんでした。ごめんなさい。命だけは助けてください!」

 

 土下座スタイルで平謝りする一夏に踵を叩き付けながら、箒はため息をついた。

 

「まったく。遅くなったがおはようだ、彩夏。これから外出なのか?」

「おはよう、箒。ちょっとブラブラと高速でも走ろうかなって。そっちは?」

「うむ、これから一夏を少しばかり叩き直そうと思っていてな。ほんの数年であれほど剣の腕が鈍っていたとは…」

「面目ございません…」

 

 ううむ、と悩ましげに、しかしどこか嬉しそうに箒は息をついた。恋する乙女、にしてもここまでわかりやすいものだっただろうか。

 しかし…先日も見たが大きい。ま、負けてはいないハズなのだ! だがどうしてあちらのほうが大きいように見える?!

 

「へえー、二人とも剣道やってるの?」

「まあな。それに箒は中学の全国大会の優勝者なんだぜ! 俺の自慢の幼馴染だ!」

「とっ当然だ! 私を舐めるなよ! これからみっちりと鍛えなおしてやるから、一夏も感謝するんだぞ!」

「ああ! 絶対アイツに勝ってやる!」

 

 意気やよし。これならば多少のプレッシャーも程よい緊張感をもたらしてくれるだろう。挑むならばまず意志がなければ始まらない。

 ……既に折れてしまっている今の私が言えることではないのだけれど。

 

「なんだか私が負けちゃいそうだね…」

 

 いや、とっくに負けているじゃないか。勝つという意志の定まった彼と、目的も理由も定まらない私。例え技量で上回ろうと、それを覆すだけのものを意志の力は秘めているんだから。

 

「おう、俺は勝つつもりでセシリアに当たる。もちろん彩夏が相手でも、だ!」

 

 真っ直ぐだ。研ぎ澄まされた剣のように、ブレることのない意志。対する私はペーパーナイフにすら劣るだろう。

 どうして一夏はこうも…。

 

「そんじゃ早速はじめるか、箒」

「加減はしないぞ、一夏」

 

 不敵な笑みでお互いを見た一夏と箒の姿。それがどこか懐かしいようで、だけど何か胸の奥が寂しさに締め付けられるようで。

 

「いってらっしゃい、二人とも」

 

 そんな自分に笑顔の仮面を貼り付けて、二人が道場に入っていくのを見送った。

 

 

 IS学園のすぐ近くの埠頭のインターチェンジから高速道路へと進入する。

 ETCが多く普及しているこの時代、この世界には有人の料金所はもはやほとんど無いと言っていい。警備の面も考慮したのか、IS学園インターチェンジ(少しばかり離れてはいるもののこれが正式名称)は有人とETCで構成されている。

 バイザーをあげて挨拶をすると、壮年に近いおじ様から「新入生かい?」と尋ねられた。

 天気がいいからきっと楽しいだろうけど気をつけて走っておいで、と後押しを受けた。

 

「ありがとうございます。いってきます」

「事故には気をつけて、いってらっしゃい」

 

 こんな些細なやり取りも楽しいものだ。通行券と料金を手渡しするのは確かにETCに比べれば手間ではある。受け取ってしまえばすぐ走り出せる車よりも、二輪車の場合はさらに時間がかかる。後ろに車が続いていたならば、後ろのドライバーはきっとじれったく思うかもしれない。

 だけど、これがバイクなりの楽しさでもあるのだ。ゆったりと、時に激しく猛スピードだったり、雨だったり風だったり、車に鬱陶しそうにされたりもする。

 それでもこれがバイクだ。自らの意志で、己のペースで、自由で気ままに走っていく。何気なく立ち寄ったお店でお婆ちゃんとお喋りしたり、ふと通り過ぎるときに見つけた細道をUターンして戻ってまで進んでみたり。

 囚われない。縛られない。自由がそこにあるのだから。

 

 やや前傾の姿勢でしっかりと前を見据える。指はしっかりとハンドルとレバーにかけ、しかし肩に無駄な力を加えずリラックス。

 ゆっくりと発進して少し速度を上げ、クラッチを切ってシフトアップ。二速、三速、四速と変速のショックに気をつけつつスムーズにギアをあげて、更に加速。本線への進入のために五速へ。速度は一定で維持しつつも、進入時の際の確認を怠ることはない。

 後方からの車両無し、と見るとそのままレーンに従って本線へ。速度、回転数ともに良い。

 

 トップギアへ。

 

 そのままスロットルをあけると、ビイイイィィン!とエンジンが咆哮を上げてその回転数を上げていく。速度計はそれに合わせてグングンとあがり、90、100、110を超えていく。

 

 ぐん、と押し戻される感覚。風の抵抗を極力減らすためのカウリングがあるスーパースポーツとて、風の影響を受けないわけではない。ビリビリと風を切る音と振動が一緒くたになって襲い掛かる。

 それでもなおアクセルを緩めはしない。115、120、125、130…ここまでくれば風はかなりの圧力をもって私に攻め寄せる。”俺”であったころならまだしも、私はISに乗るための訓練を受けているとはいえ未だか弱い女子高生。その負担は相応の疲労をこの華奢な体に押し付けていく。

 

 過ぎ去っていく景色、押し寄せる風、突き抜ける空の青。今私は風を切って、大地を駆けている。

 鼓動が高鳴る。目が冴える。瞬きの一瞬すらも惜しい。駆け抜けるこの景色、風、ニオイ、冷たさ、振動、太陽の光、そびえる蒼穹。

 

 嗚呼、風はこんなにも―

 

「気持ちいい…ッ!」

 

 

 海岸沿いに走る高速道路を三時間ほど楽しんでから、私はIS学園から二時間ほどの山村へとたどり着いた。別におかしいことなどない。二時間で着く場所へ行くために、一時間ほど遠回りをした。たったそれだけのこと。

 

 もちろん山道のワインディングを楽しむことを忘れない。渓流沿いの道をマイペースでゆったり、時々バイクから降りて川べりに立って景色を堪能したりする。

 ”俺”だったころは自販機で買った缶コーヒーと煙草で一服、なんて洒落込んだものだが今は未成年だ。自販機で買ったホットミルクティーを、冷えた両手で包むように持って岩肌に腰掛けてちびちびと飲んでいた。

 

「ふぁー……ぁぁ…あったかーい…」

 

 ふにゃ、とした緊張感の無い面構えをしていることだろう。だがこれでいい。至高のひと時を味わう瞬間はプライスレスだ。

 いつかこんな気分でISに乗ることができるのだろうか。

 ふと思ったことではあったが、今までISに乗ってきたものの、初めてバイクに乗ったあの楽しさには未だにたどり着けない。

 ……得られるのだろうか。今日あのISを纏って、何かを得ることはできるのだろうか。

 からん、と川底に転がり落ちた小石が何故か自分自身のような気がして、歯がゆさだけが残る。

 

 もうすぐ時間だ。行かなければ。

 

 

 相棒と共に走ること十五分。眼前には巨大な壁が立ちはだかっていた。

 このダムは水力発電と同時にIS学園近郊の水源にもなっている。無論IS学園と日本政府による直轄地であるため、ダム近郊は立ち入りが制限されている。

 今回用事があるのはこのダムの敷地内にある日本IS先進技術研究所、その演習場だ。無論、それなりのセキュリティが整っているものの、代表候補としての肩書きはそれを難なくクリアしてしまう。

 地下施設へのエレベーターのドアが開くと、そこは白亜の城だ。恐怖感さえ伴う白一色の清潔な通路が枝分かれしている。更衣室でISスーツに着替えた後、その中の一室、大掛かりな鋼鉄の扉、その隅の小さな扉の第四試験室と書かれたパネルの前でパスカードをかざす。

 ”認証”と液晶に表示された小さな扉を抜けると研究者や技術者がせわしなく作業する中に、見慣れた白衣の老女が簡素なパイプ椅子に腰掛けて、煙草を咥えたままデスクに散らばった書類と向き合っていた。

 六十代手前とは思えない若々しい女傑。それが私の祖母に対するイメージだ。それはもうマドンナの比較写真を思い出しそうなほどに若々しい。

 彼女は私の姿を見るなり、一斗缶サイズの灰皿に煙草を放り投げて駆け寄ってきた。

 

「久しぶりね、アヤちゃん! しばらく見ない間にこんなに大きくなって…!」

「お、お婆ちゃん! も、もう…頭を撫でないでー!」

「んもー恥ずかしがって! これだから可愛い孫はいつまでたっても可愛いのね!」

 

 白衣にモノクルが似合う老女に抱きしめられたまま、頭を撫でられること六十秒。ひとしきり孫成分を補給できたのか、祖母は私を解放すると一冊にまとまった紙の束を私の目の前に突き出した。

 

「…これは?」

「まあまあ、読んでみなさい」

「んー………miniaturize and high performance…ふうん……要するにISを小型・高機能化する計画、でいいの?」

「ええ、そうよ。インフィニット・ストラトスの第一世代、その発展系である第二世代、そして各国が独自に開発する特殊兵装・火器・装備のテストベッドである第三世代。世代が進むに連れて大型化と重装備化が進んだインフィニット・ストラトスをコンパクトな小型サイズ……本来の宇宙空間での活動を想定した宇宙服のサイズにまでダウンサイジングを行うことと、単体での全領域全環境適応を目指すことが本計画の主目的ね」

「お婆ちゃん、それって……つまり…」

 

 いくらなんでもそんなわけがない。第三世代機が世に現れ始めたばかりだというのに、現行ISのダウンサイジング……それはつまりだ。

 

「そうね、インフィニット・ストラトス第四世代型……の亜種というべきかしら?」

「マジ…?」

 

 第四開発室室長、北條麗香はいたってマジメな様子で切り返してきた。

 

「マジなのよ。とはいえ本来の性能そのままにダウンサイジングというわけにはいかないから、第四世代というよりも、それに向けての試験機……第3.5世代というべきなのだけれど。具体的な例を挙げるなら、皮膜装甲(スキンバリアー)等の操縦者保護機能の強化、PIC制御技術の洗練、小型化に向けての先進技術の投入というところかしら」

「基礎スペックの向上…? でもそれだけだと概念上は第二世代と変わらないんじゃ?」

「まあ、実物を見てもらうほうが早いかしらね。ほーら、御開帳といきましょうか」

 

 ガコン、と鋼鉄のコンテナが開く。普通のISが収められるそれよりも一回り以上小さいそれはもはやクローゼットのサイズと大して変わらないものだ。

 

「な、何これ…? 本当にIS?」

「どうかしら?」

 

 そこに鎮座していたのはまさに服と形容していいものだった。

 全身が真っ白。だがつま先から頭部まで、装甲…むしろIS本来のパワードスーツとも言える、人間の立ち姿と同じ鎧だった。

 

「人工筋繊維によるパワーアシストを兼ねた筋肉の防壁。その上には特殊な軽量金属を人体のデザインに沿って外殻のように張り巡らせた鎧。武装は格納領域に中口径のアサルトライフル一丁に大型の実弾拳銃が二丁、手先や足先から放出する光学兵装、そして外付けの大型ビームキャノン。予備として大腿にナイフが二振り。全身には姿勢制御用の小型のスラスター。もちろん人体との一体感を損なわないデザインにしているわ。背面にはウイング形状の大型スラスター、両肩の非固定浮遊部位に当たるあの小型シールドはエネルギーシールド発生器として機能するわ。不可視のシールドバリアーを一方向に集中展開することで、通常のシールドをより強固にすることができるのだけど、これはシールドバリアーを盾のように扱うものだから、当然展開方向以外は絶対防御と物理装甲以外に防ぐものが無い。要注意ね」

 

 思わず見入ってしまった。まるでSF映画の主人公や特撮ヒーローみたいな…鎧というよりもむしろ衣服であるかのような錯覚さえ覚える。それほどにコンパクトに、有機的な人間のデザインと機械的なISのデザインとが折り合わさった、スタイリッシュなデザインだ。原型が白騎士のデザインを元にしただけあってシルエットは酷似しているが、剣は装備しておらず、さらに腕部や脚部の装甲はゴツゴツとした無骨さは感じらない。ところどころが露出していた白騎士に比べ、この機体は機密性を高めた宇宙服、現状はバトルスーツとして高次元で纏まっている。

 

「この機体に備えられた技術は何も先進技術ばかりが投入されているわけではないの。最新の技術と言っても、唯一シールドバリア偏向機能くらいなもので、他の機能は全て既存の技術の詰め合わせでしかない。それでもここまでコンパクトにするのは時間が掛かったわよ。日進月歩の光学兵器技術。生体義肢技術まで投入した人工筋繊維。小型高出力のスラスターに、身を守る装甲。既存の技術と言ったって、改良されたその精度はおそらく最新の第三世代機さえ凌駕するだけのものを持っているわ」

「………恐ろしい魔改造…」

「さ、まずは初期設定から始めましょう。まずはISを展開して」

「……はい」

 

 恐る恐る手を伸ばす。全長は足先から頭までおよそ170ほどだろうか。少し見上げるくらいで、ほとんど人間大サイズである。今もこれがISだなどと信じられない。 

 

「すごい! 本当に生身のような感じがする…」

 

 ライムグリーンのバイザーとフェイスガードの着いたヘッドギアに触れると、量子化した機体が指先から装着されていく。

 十二秒ほどかけて量子状態から装着されたISは、まさに衣服を着ているのと感覚に大差がない。

 指先を軽く握る、肩や膝を曲げ、上体を捻ったりしてもISの動きは何ら違和感が無い。自分が生身で体を動かすのと同じように、自由な挙動を取ることができる。

 バイザーには様々な情報が投影されているが、その配置も戦闘や行動に支障が無いように洗練されている。

 腕や足、胴回りも少しばかり膨らんで見えるが鈍重さは感じられず、思うままに歩き回ることもできる。

 

 これで試験機? 何を馬鹿な。初期生産の第一号機と言ったって過言ではない。

 ひとしきり感心していると、祖母は既に三つのPCのモニタとキーボードに向かい合い、稼動データの収集を始めていた。

 

「データリンク開始、コンタクト……応答あり。接続完了。診断プログラム走査開始、PIC正常稼動、バススロット異常無し、エネルギー伝達も良好ね。全火器、全装備コンディショングリーン。よし、初期設定開始。その後最適化・一次移行を待機。しばらくそのまま軽く体を動かして待ってて頂戴ね」

「はーい」

「せっかくだからこのまま注意事項を伝えておくわね。このIS、いえ……この機体はコア・ネットワークが繋がらないようになってるの」

「はいっ!?」

 

 どすん!と回し蹴りの勢いがあまって思い切り転倒したが、そんなものよりも重要な単語がいくつか聞こえた気がする。

 

「繋がらないって…一体どういう理由で? 確かにネットワーク経由での位置特定が避けられるのは状況によっては強みにはなるとは思うけど、それ以上にデメリットが…」

「ああ、会話くらいの通信は可能なのよ。けれどこのコアはネットワークに繋がらない……というよりも繋がろうとしないのよ」

「…ISが接続を拒否している?」

「そう、としか思えないの。本来この高度なネットワークは宇宙空間での相互の位置情報をやりとりするものだから、これができなくてはISはISと呼べない。故にその機体はISではない、とも言えるわね。世界に張り巡らされたネットワークには干渉できるのだけど」

「やっぱりデメリットのほうが大きいんじゃない…」

「あながちそうとも言えないわ。言っておくけど量子通信と言っても遠くに膨大な量の情報を送るということはそれだけ多くのエネルギーを使うものなの。だけどこのコアはネットワークに繋がらない…つまり膨大な情報をやりとりすることがないから、その分エネルギーを別のものに振り分けることができる。そのお陰で強固な防御力と小型ながら大火力のビーム兵器の搭載が試作品ながら装備可能になったのよ。あくまでコア・ネットワークに繋がらないのはコア側の問題だし、現状の衛星回線には接続可能よ」

「…情報収集能力は犠牲になったのか。ん…?」

 

 ぐっ、と押し付けられるかのような圧迫感。まるで皮膚とISが融合したかのように、室内の微細な空気の流れを感じる。

 

「あら、最適化が終わったわね。おめでとう、一次移行はこれで完了よ。これでちょっと見てみたら? 凛々しくてキレイな天使様みたいよ」

 

 祖母はくすっと笑みを浮かべて、大鏡の前に私を立たせた。

 さながら洋服を仕立ててもらった子供のように、はやる気持ちを抑えながら鏡に映った自身の姿を見やった。

 筋肉質な印象を与えた外骨格のような装甲とその下の人工筋肉は抑え目になり、ぎゅっと引き締まった体躯という印象を与える。大腿のあたりも先ほどよりもすらりとしたラインになり、腰のくびれまで見て取れる。全体的に引き締まったためか胸の膨らみも横からわかるようになり、移行前よりも細身になったことで背部のウイングスラスターはまさに翼のように広がって見える。

 鉤爪に近かった手先は、指先の爪が無くなって握りやすくなり、小型のものながら保護のために篭手を纏い、足先はブーツに装甲板が組み合わさったような姿になっていた。

 頭部を守るヘッドギアは大きく変わらないが、全体的に丸みを帯びて、風に流れるように後頭部へとラインが作られている。

 

 祖母の言葉通り、さながら機械の天使のよう。

 

「似合ってるわね。この子も彩夏を気に入ったみたい」

「次は装備の確認と性能試験、だっけ」

「やる気になったかしら?」

「……ちょっとだけ」

 

 

第五話 ゆらぎ

 

 気づけばあっという間に三日が過ぎていた。

 試験機の受領と各種機能のチェック、その翌日は織斑先生の監督の下で放課後の地下演習場を貸しきり、ラファール・リヴァイヴ一機を占有してリハビリを兼ねた実弾演習。真耶たん(かわいい)の砲火を掻い潜って勝利を獲ったかと思えば、織斑先生が打鉄で乱入して三つ巴の戦いになってしまったりもした。

 祖母から久しぶりにメールがきたときは驚いた。私が受領するまでに蓄積されたデータとログから、問題点やシステム面の修正に関する報告ばかりで事務的な内容ではあったけれど、普段滅多なことではメールを使わない祖母から送られてきた事実が嬉しかった。

 先日の実地データを反映して、大掛かりではないが調整が行われたらしい。PIC制御はよりスムーズになり、エネルギーの効率化も行われたことで、純白の天使はよりその輝きを増したといえる。

 人工筋肉によるパワーアシストは現行のIS相手に引けをとらないし、浮遊している小型シールドは篭手に装着して光学式の盾を展開できるようにアップデートされた。

 ただしアサルトライフルは実弾式からエネルギー式のビームライフルへと変更された。銃身は詰めて取り回しのよさを重視し、速射性と初速の速さを重視した調整となった。

 

 モニタールームに居る織斑先生の下を訪れると、二機のリヴァイヴが画面に映し出されていた。真耶たんがナイフを手にして渾身の突きを繰り出したところを、私が左手に持ったナイフで見事に受け流して、致命となる右腕の一撃を叩き込んだ瞬間の映像だった。

 

「いい動きをするじゃないか。もともとリヴァイヴ使いだから機体を熟知しているとはいえ、これだけ冷静に流すか。ブランクがあるとは思えん」

「必死になっていただけです。鈍っているのは確かです」

「だが、この分ならクラス代表戦はできそうだな」

「……どうでしょう。まだ引き金を引くだけで精一杯ですから…」

「それでも、お前はISに乗ることを選んだ。迷いながら、苦悩に悶えながらではあるものの、お前は進むことを決めた。何かを捨てきれない人間というものは往々にして、一度腹が決まれば案外すんなりとそれを受け入れられるものだ。揺れ動くことはあってもそれは一時的なものであることが多く、そして立ち直ることも早い」

 

 演習の映像を一通り見終えた後、織斑先生は小さな声で、しかしどこか満足げに言った。

 

「私もそうだった。現役のIS乗りとして、剣を振るう者として、それを捨てるかどうかで多く悩んだ。だがきっかけというものはいつも突然だ。私の場合は第二回モンド・グロッソの時だったが……私は現役を退くという決断を下すことができた。それからはまあ、それなりに満足できる生活だ」

 

 言葉が物理的な重みを伴う、というのはまさにこういうことなのだろう。織斑先生の言葉は説得力、いやそれ以外のもっと大切なものが重みとなっている。

 

「以前のようなテロリスト共や軍を相手にした非正規戦闘は無い。必要悪であるとしても、後ろめたい仕事は我々大人のすることだ。……もう二度と教え子にあんな真似はさせん。例え委員会や政府が相手だろうが…必ず守ってみせるさ」

 

 既に暗転した画面を見つめながら、織斑先生は険しい表情を浮かべてつぶやいた。あるいは自身に対して再確認したのかもしれない。

 

 私はどうだろう。これが再び歩みだす第一歩というものなのか。その実感は未だにつかめないままで、ただ宙に浮いたような不安だけが押し寄せる。

 

 クラス代表戦まで、あと二日。

 

 

 眠れない夜を過ごすことなど当たり前。いつ襲われるか、敵に捕捉されてしまうのか、明日の朝日を拝めるのか。あの日、全身装甲仕様のラファール・リヴァイヴに乗っていた私はどんな顔をしていたのだろう。

 戦場が与えるストレスはおよそ常人が感じることはない過酷なものだ。命の危険を知って臨戦態勢となった肉体の興奮で、精神は少しずつ磨り減っていく。

 ハイパーセンサーで研ぎ澄まされた感覚野は必要でないこと、欲しくもない情報さえも私に叩き付けていく。人の頭が吹き飛ぶ瞬間の一部始終。地雷によって足を吹き飛ばされた者の苦悶の声。腐肉の放つ異臭。白燐弾で焼け焦げてしまった何か。蹂躙される人々の悲鳴。助けを求める子供の叫び。

 

 あの悲鳴が耳から離れない…!

 

「…す…て……アヤ…」

 

 夜の帳が下りようとする戦場の森の中、擦れた声で私を呼ぶ仲間。彼女の纏うボロボロのラファールにマズルを突きつける、全身を黒金の装甲で固められたIS。

 

「自身か、多くの人の命か……どちらか選ぶがいい。こちらは急ぎなんだ。手っ取り早く済ませる」

 

 マシンボイスの上からでもわかる傲慢な態度。こいつは彼女と、そして罪も無い人々を秤にかけなければいけない私を見て嘲っている。

 やめろ、もういい。夢だってわかってる。だからもうやめてくれ! 頼むから動くな! いや動けッ! 冷静に最善の手を打てばいいだけなんだ! 間違えるんじゃないっ!!

 そんな願いは儚く散り、夢の中の私は瞬時加速を行いつつナイフをヤツに向かって投擲していた。

 動かせない。夢の中だとしても、動きさえすれば今ならもっと別の可能性を手に入れられるかもしれないのに。

 

「あくまで邪魔をするか…!」

 

 ヤツが歓喜の声をあげると、ダンッ、と銃声がセンサー越しに聞こえてきた。

 ばちゃ、べちゃり、ぱたぱたっ。飛び散る音、へばりついた音、流れ落ちた音。それは一人の命が零れ落ちた音。頭蓋が弾け、脳漿が飛び散り、噴出した血が土を染める。

 

 夢の中の私は既に敵に対して斬りかかっていた。何度見ても変わらない。変えられない。これは過去の私の所業なのだから、変えることができない。

 黒金の腕がナイフを払う、そこへ右手の短刀で左から横薙ぎの一太刀。それが防がれるくらいは目に見えている。ヤツが同じようにナイフで受け止める寸前で高速切替し、半身になって左手での鋭い突きを放つ。

 受け止めようと突き出したナイフは空を切り、咄嗟にか敵はライフルを盾にして一撃を回避する。

 

「うまいね…オールド(旧型)が!」

 

 突き刺さったままの短刀は捨て、更に加速。シールドエネルギーの減少に目もくれず、体をぶつけて弾くと即座にショットガンを展開し二正射。よろめいた敵に追撃を―

 そのとき、爆音が周囲を飲み込む。

 

「え……? あ、…何が…」

「彼女が言ったでしょう? どちらか選べ、と」

 

 ぞわ、と本能が危険を告げる。思わず身をよじると、わき腹を掠めるように一振りの大太刀の軌跡が走っていた。実際にダメージはあった。絶対防御によって傷は無いが、リヴァイヴの残エネルギーは既に戦闘モードの限界に近い。

 

 第二の敵の奇襲は私を動揺させるには十分だった。拠点である基地の陥落、戦場を共にした仲間の死、拠点で寄り添っていたであろう戦災の被害者たちの安否。私はこのとき、考えてはいけない、考えたくない結末を想像してしまった。

 

「――ヤ―さ―!」

「じゃあね、お嬢さん。英雄気取りはほどほどにしなよ…でなきゃ」

「あ」

「こんな風になっちゃうからね!」

「し―――て――」

 

 無防備な腹に黒金の腕が吸い込まれるような鮮やかさで―

 

「っく…! はぁっ…!!…はー、はーっ!」

「彩夏さん! 彩夏さん!? しっかりしてください!!」

 

 汗が流れる。ベタつく感触が人肉の破片を想起させ、ぐっと吐き気がこみ上げる。いとおしい肉塊。かつて大切なヒトだったもの。だというのに気持ち悪いと感じてしまう。

 

「……セシリア…?」

「ああ…! 良かった…! きっと…悪い夢を見たんですわね。大丈夫…大丈夫です。私がちゃんとここに居ますから…」

 

 天使の微笑みとはこういうものかもしれない。セシリアが私を見る目は、優しくて慈愛に満ちている。これが彼女本来の気質なのだろう。

 

「ありがと……少し、ホッとしました…」

「誰しも嫌な夢の一つや二つ、持っているものですわ。……決めました、お茶にしましょう」

「お茶……セシリアが言うなら紅茶ですか?」

「ええ、ハーブは古く中世の時代から紅茶に使われていますのよ。彩夏さんはあまり紅茶を飲まないようですけれど、舌を巻くほどのおいしいお茶を淹れて差し上げますわ」

「…じゃあ、お言葉に甘えますね。期待しちゃいますよ」

「もちろんですわ。用意してきますから少しだけ待っててくださいね」

 

 薄い桃色に黒いフリルのついたネグリジェ姿のまま、セシリアはキッチンに立った。

 セシリアは手馴れた手つきで深夜の茶会の準備を整えていく。記憶の中の私は手馴れた手つきで弾倉にマガジンを再装填し、ホロサイトに見える敵を狙い撃つ。

 半年に渡る戦場での生活。それは確かに私を強くした。危険をかぎ分ける嗅覚が備わったし、背中を預けて戦うことの難しさと頼もしさを知った。

 けれどその私を待っていたのは、友も、守るべき人さえも守り抜けないという現実だった。あの時焦りさえ見せなければ奇襲は回避できただろうし、二対一の不利で遅れを取ることは無かった。

 

 私は生かされた。敵の手で。大切な人たちを奪っていった敵に、その場ながらも命を保障された。

 

「お待たせしました。私の特製ブレンドのハーブティーですわ」

「ありがとう、セシリア…」

「どうでしょう?」

「ふぅ……うん…紅茶はあまり飲まないけど、すごく優しい感じがします。とても落ち着きます…」

 

 内側から温かくなる感じがする。全身の緊張感が解され、体の隅々までハーブの香りが染み渡っていくよう。心が満たされていく。これは安物のティーパックや自販機の缶では絶対に味わえない。

 彼の淹れた紅茶はもっとおいしかった。…もっと、……一緒に…飲みたかった。

 

「……うん、すごくおいしいです…」

「いい笑顔ですわね。彩夏さんのそういうところ、初めて見ましたわね」

「え…?」

「初日からずっと、どこか疲れたような不自然さがありました。笑えもしないのに無理をして繕っているような、そんな笑みでした」

 

 気づかせたりなどしないようにしてきた。気配に出やすい、と言われたことはあった。だけどこうも簡単に気づいたりするものだろうか。まだ会って三日ほどでしかないというのに。

 

「傍目には自然に振舞って見えますけれど、狙撃手の観察力は伊達ではないのですよ。それに、私も同じような時期がありました…」

 

 セシリアはふと思い返すように窓から夜空を見上げて言う。

 

「私は両親を失ったのです。……父と母を失くし、幼い私は寄る辺もなく漂う船のように宙ぶらりんのままでした。貴族としての家名さえ失くし、落ちぶれて、家を食いつぶした周囲の人たちを信じられないままでした。ISに適合した人間として政府の引き取りとなった後も…」

 

 独白が続く。苦しい胸の内だろうに、それでも声は途切れない。

 

「そんな中で代表候補のある方に出会いました。シルヴィア・アルスター・キャンベル……アイルランド系の血を引くスコットランド出身の代表候補です。私が一夏さんと揉めた一因でもありますわね」

 

 シルヴィア……そうだ、確か聞いたことがあった。

 

「私の父と母は彼女のキャンベル家とは古い付き合いでして、候補生の訓練校で久しぶりに出会ったのです。彼女が諭してくれなければ……きっと私は立ち直れなかったでしょう」

 

 そうだった。古くからの親友が最近になってやっと笑えるようになった、と嬉しそうに整備中に話していた。

 

「彼女は今も長期任務で英国を離れたままですが……便りの無いのはよい便りと申します。旅好きな彼女でしたから、任務とはいえきっと旅が楽しくて仕方ないことでしょう」

 

 旅好きだとも言っていた。いつか親友と私、三人旅をしてマチュピチュの景色を見せてあげたいと。

 

「私が立ち直れたのは彼女が連れ出してくれたからですわ。セシリアという人間がただ絶望に打ちひしがれて死を待つだけだったところを、彼女は私が自ら閉じこもった牢獄から引っ張りだして連れ回してくれました。そのお陰で目標ができたのです」

 

 そうだ。シルヴィア、君は約束だと言っていた。襲撃前夜に意地悪そうな笑みを浮かべて言っていた。まるでこうなるのを見越したかのように言ってくれた。破ったら許さないと。

 

「それに一度だけメールが届いたんですよ。こっちでできた親友を一人連れていく、きっとセシリアと馬が合うだろう、と言っていましたから会うのが楽しみですわ。旅をする約束も取り付けたんだとか」

 

 ああ、ごめんなさいセシリア。ごめんなさい、シルヴィア。

 

「マチュピチュの景色…すごく楽しみですわ! 彩夏さんもきっと素敵な旅になると思いませんか? 彩夏さんも一緒にどうですか? 今抱えているものもきっと払拭できますわ」

 

 私はまた、何も守れていない。

 

 

第六話 クラス代表戦 一夏の戦意

 

 そして遂に運命の日はやってきた。

 

「まだ吹っ切れてはいない、ですか…」

「そう、ですね」

 

 ISスーツに着替えている最中、私とセシリアは共に無言のまま。廊下に出てようやく一声が出た。アリーナの控え室に向かう手前でセシリアに別れを告げ、そのまま反対のピットへと足を向けた。

 あの日からセシリアになんと声をかけていいのかと悩むようになった。真実を伝えるべきか、否か。どうやっても答えにはたどり着けない。ぎし、と軋むはずのないコンクリの床が軋んだように感じる。

 

「彩夏じゃん。どうしたんだよ、まだ出番じゃないぜ」

「え? あ、あれ…?」

 

 気づけばまだ時間でもないのに格納庫に来てしまっている。無意識のうちに辿り着いてしまうなんて。

 

「あー、ちょっとだけ。一夏は大丈夫なのかと思って」

「なんだそりゃ」

「一夏、心配してくれている相手に対してそれは無いだろう」

「箒……そう、だな。すまん、彩夏」

「いいんですよ。気負うなとは言わないけど、気負いすぎてもダメです。気持ちのいい緊張感を維持できればなお良し、だけどね」

「おう、アドバイスサンキューな! 彩夏!」

「どういたしまして」

「……私だって…アドバイスしたのに…」

 

 いけない。この展開、きっと…!

 

「どうしたんだ? 箒?」

「…ふんっ!」

「ヴァー」

 

 鳩尾に入った強烈な肘鉄。哀れ織斑一夏はISスーツの防護性能さえも貫通する絶技に悶え、地に這い蹲る。

 

「…感謝って大切ですよね」

「疎かにするからこうなる!」

「な、なんで、だよ…!」

「はぁ…とりあえずこんなところで蹲っててもみっともないですから、起きたほうがいいです」

「そうだな……まだ時間かかりそうだし、トイレでも行ってくるさ…」

「落ち着きがないですねえ……どうかしたの?」

「ん、おそらく専用機が遅れているのでじれったいのだろう…。なんだかんだと一番心待ちにしていたのは一夏だしな…」

「まあ、気持ちはわからないでもないけどね」

 

 専用機、という響きは気持ちのいいものだ。よくあるロボットアニメで主人公が乗るようなものは大概がそういうものだ。別に私は量産機が嫌いというわけではないけれど、やはり専用機というものは憧れる。ただし実戦テストや試験が済んだ完成品に、だが。

 そりゃあそうだ。動作不安定な兵器なんてとてもじゃないが使う気にはならない。暴発したりしないか、装備に互換性が無いので補給できないとか、専用のオプション装備なので流用できないとか、そんなのはゴメンだ。

 質実剛健、いつでも安定した作動と性能を保証されたものでないと使う気になれない。それでも使わなければいけないなら使うしかないのだけど。

 

「織斑くん! 来ました! やっと来ましたよ……って織斑君は?」

「あ、真耶たん先生。一夏なら今お手洗いにいってますよ」

「ほっ、北條さん! その呼び方はやめてくださいって言ってるじゃないですか!」

「可愛いからいいじゃないですか。ね、箒?」

「そっ、そうですよ先生! 愛嬌があっていいと思います! ………たぶん」

「そ……そんなぁ…、先生をあまりからかわないでください!」

 

 涙目で拗ねる真耶たん。いかん、可愛い。男の精神があるとはいえ、女の精神までもが揺らぐとは相当な破壊力だ…!

 

「……反則です」

 

 たわわに実ったソレに目を向けると、少しばかり冷静になれる。もっとも、何か別のものがふつふつと湧き上がってくることも確かだが。

 

「ふぅ……」

「む、一夏か。早かったのだな」

「ああ、スッキリした。これで憂いは無いぜ」

「やっぱり試合前はスッキリした気分でないとね、一夏」

「…お! おうとも! 少しは気楽にやれそうだぜ!」

 

 落ち着いたような顔から一転し、一夏は昂ぶりを見せている。

 高揚感はありながら頭は冷静になれているのだろう。感心感心。

 

 ゴトン、と一つのコンテナが輸送車からコンベアで降ろされるのを見た一夏は手を握っては開き、握っては開きを繰り返している。緊張したときのクセなのかもしれない。

 助手席から飛ぶように織斑先生が降りると、一夏の顔つきは一層引き締まっていく。

 

「へぇ…」

「こいつが…」

「これが一夏の…」

 

 三者三様のリアクション。私は、本当に使い物になるのか、と怪訝な目で。一夏は高揚感と期待の篭ったまなざしで。箒は縋るような、しかしどこか羨望の篭った視線を目の前の白いISに向けている。

 

「一夏、早く乗りたいというのはわかるが、もう少し落ち着け」

「ご、ごめん千冬姉!」

 

 弟の嬉しそうな姿に返す言葉にふと、私人としての顔が織斑先生から見て取れる。

 温和な、確かな信頼を込めた声と瞳に、私が知らない織斑先生の一面が出ているのだ。

 

「さて、こいつはまだ一次移行どころか初期設定のそのままだが。如何せん時間は有限なのでな。ぶっつけ本番ではあるが、うまく時間を稼げば試合中に最適化と一次移行は終わるだろう。……うまく立ち回れば勝機は見えるぞ。意思が折れなければ、あわよくば勝ちを拾えるかもしれん」

 

 あのときの私は、既に折られていたのだろうか。心が折れていたから失ったのか、失ったから折れたのか。戦闘中に心が折れるようなヤワな自分ではなかった。必要な殺しに忌避は無いし、ヤワなメンタルじゃあ密林の中で敵に追われながらの極限状態を、一ヶ月生き延びるなど到底できやしない。

 

「いい面構えだ、一夏」

「ありがと、箒! いっちょやってやるか!」

 

 気づけば一夏は既に展開を済ませていた。純白のアーマーとスラスターユニット、倉持技研の開発していた”白式”の姿は資料で見たよりもずっと威風堂々と感じる。

 

「白式、行くぜ!」

 

 電磁式のカタパルトから一夏の纏った白式が打ち出される。モニターを見れば既にセシリアが銃を片手に佇んでいた。

 さながら、デートの待ち合わせに遅れた恋人を待つように。

 

 最初の一撃はセシリアが放ったライフルの一撃。

 待ち焦がれたように白を撃ち落さんとする光のラインが一夏を襲い、一夏は危なげに回避する。怒らせたデートのお相手は怒り心頭で次々と閃光の雨を一夏に見舞う。

 必死に回避する一夏だが、刀を手にしたままでライフルはおろか拳銃の一丁さえも出そうとしない。銃を使ったことがなかろうと、動きや照準の補正はISがやってくれる。敵を見据えて逐一周囲の状況を手取り足取り伝えてくれるのだから。それでも撃った経験のあるなしでは大きく違うのだが。

 

 一方的にセシリアが銃撃を加える展開。しかし一夏は健闘している。攻撃はできなくとも回避に専念している。だがそこで先に動いたのはセシリアだった。

 

「お行きなさい!」

 

 四つの小型のフィンがISから分離する。ブルー・ティアーズ。小型の自律砲台を制御し、多角的に敵を攻め立てる第三世代型のビット技術の一つ。射撃戦闘を重視した後衛機ながら、使い手次第では単身で近距離に立ち入らせることもさせないという技法さえ存在する。

 セシリアは未だその領域には至っていないが、成長の余地は大いにありうる。

 

「ちっ! くそ……数が多いな!」

 

 案の定一夏はセシリアの包囲網から抜け出すことができないでいる。

 じわり、じわりと減っていくエネルギー。追い掛け回されるプレッシャー。スラスターを噴かすだけでもエネルギーは少しずつ消耗していく。

 それでもビットは大きくフィールド内を旋回しつつ、四方八方から容赦無くレーザーを撃ち込んでくるのだから、IS初心者の一夏には酷なものだろう。

 

「どうしましたの? その程度でこのセシリア・オルコットは落とせませんことよ!」

「言われっ…なくたってぇ!」

 

 瞬間、白式の姿が掻き消えた。モニターが追尾するよりも早く、セシリアは一夏の行動に驚愕しながらもビットを手繰る。

 

「瞬時加速!?」

「…うおおおおおっ!」

「ですが…まだっ!」

 

 セシリアが手繰り寄せたビットは二機。自身の前方に一夏に対する壁として、そして二機は射撃を継続する。

 

「こんなチャチな一発くらい!」

「お構い無し…!?」

 

 白兵突撃。エネルギー残量は既に三割を切っているが、一夏は白式の装甲に物を言わせて強襲する。駆け抜けざまに一閃、二閃。両断されたビットの爆発にも厭わず、真っ直ぐに一夏が飛ぶ。

 

「うおおおおおーっ!!」

 

 揺さぶるような気迫と雄たけびを上げ、一夏が上段にその刀を構える。決まる、と一夏が確信するだろうその一瞬を、さも狙い続けていたかのようにセシリアがあざ笑う。

 

「まだ二機、残っていましてよ!」

「なあっ!?」

 

 素っ頓狂な声で一夏が焦る。一夏が避けられないと完全に読みきった上で、セシリアは二機のミサイルビットを打ち出したのだ。

 命中確実。これにて決着、というわけだ。

 

 モニターから目を離してもなお試合終了のブザーは鳴らない。それどころか観衆のどよめきさえ聞こえる。完璧なタイミングでの、完璧なカウンター。実戦なら機能停止は確実、ISの絶対防御が働いたにしても、もはや戦うことはできやしない。なのに、何故。

 

「一次移行…あなた、今まで初期設定のままの機体で戦っていたんですの!?」

「…セシリア」

「な、なんですのっ?! いきなり人を呼び捨てなんて…!」

「確かに俺はまだISに乗って間もない男だ。弱くて当然だし、満足に動けもしない。けどな、俺は俺の意思でここに来たんだ。逃げるような真似はしたかぁないし、何より俺の行動で千冬姉に恥かかせるわけにもいかねーんだ」

「織斑……イチカ…」

「とりあえずは、千冬姉の名前を守るさっ!」

「ティアーズ!」

 

 ピットで見上げたモニターには白式の姿が映し出されている。ステータスはオールグリーン。それもシールドエネルギーが五割ほどにまで回復しているというオマケ付き。

 なんだこれは。何なんだこの茶番は! なんだこのふざけた演劇は!?

 戦闘中に一次移行が終わる? ああ、それはそれでありうるし実際に可能かもしれない。だが、エネルギーが回復するだと!? 冗談じゃないっ!

 単一仕様能力が発動したわけでもない。外部からの補充を受けたわけでも、ましてや増層を取り付けているわけでもない。なのにどうして理由も無くそんな好都合なことが起きるっていうんだ!?

 当て馬だ。まさに当て馬だった! セシリアは利用されただけだ! 誰が仕組んだかはわからないし、何が目的かもわからない。だが確かに理解できた。

 この試合は、織斑一夏を勝たせるために何者かが噛んでいるという事実ッ!

 

「勝者! セシリア・オルコット!」

 

 ……あるぇー?

 

 

第七話 クラス代表戦 セシリアの戦い

 

 一夏を回収した教員のリヴァイヴがピットへと降り立つ。

 白式は全身ボロボロ、というわけではないが、全くノーダメージというわけでもない。単なるエネルギー切れ。織斑先生の手元のモニターに映る操作ログをちらと横目に見たが、なんと単一使用能力が働いたようだ。

 しかしその発動でエネルギーの残り五割あったうちの四割を使い潰している。一割は加速や防御など、純粋に戦闘行動で消費されたものだったのだけど。

 だとしてもあのエネルギー回復の謎は残ったままだ。単一仕様能力が発動したというなら、一時的なブースト状態というものとして頷ける。現実としてアレはまだ未解明の部分が多いのだから。

 先ほどの異常は一次移行においてエネルギーが回復したということだ。もしかするとISに何らかの最新技術が用いられたのかもしれないし、そのように初期設定時のリミッターが働いていたのかもしれない。

 私が情報を閲覧した当時のままの白式で組みあがっていたとすれば、そんな装備は一切ありえない。欠陥機として放置されていた機体だというのに、たった数ヶ月で数ある問題点を克服してロールアウトするなどありえない。

 

「北條、準備しろ。次はお前の番だ。……ブランクがあるとはいえ、一夏みたいな情けない真似はやめろよ?」

「了解…」

 

 お気に入りの眼鏡を外してモニターの前に置き、髪留めで髪を束ねる。ゆっくりとラファールに背中を預け、息をつく。静かな無音の世界にただ一人佇むように、意識を機体に向けていく。

 ラファール・リヴァイヴ、フランスのデュノア社製第二世代型IS。最優良とも言われる基本性能に豊富なバススロットを有し、ロングレンジからクローズレンジまでこなせるオールラウンダー。装備やパッケージ次第で特化させることも容易なため、多くの国で主力機として用いられる機体。本作戦において使用するのはデフォルトのアサルトライフルにSMG、ハンドガン一丁にナイフが二振り、グレネード三個とスモーク及びEMPグレネードが二個。ついでに打鉄用の近接ブレードが一本。一撃必殺が信条のシールド・ピアースは装備せず、取り回しと強度を高めたバックラーを装備。

 大仰な装備は無い。しかしエネルギーを使用しない装備であるため、エネルギー系装備で固めているセシリアに対して弾丸の初速や武装破棄の容易さ、そしてスラスターに供給できるエネルギーの余裕があるという点で勝る。

 

 インターバル時間はセシリアとブルー・ティアーズの回復を待って十五分。

 各部の動作チェックとスラスターの調整を急いではじめなければ。

 

「一回限りだけど、よろしくね……相棒」

 

 

 

 私が私を評するとすれば、こうなるものだと思う。セシリア・オルコット。英国貴族だった少女。英国の代表候補生。BT兵器搭載型第三世代機を専用機とするエリート。本当は自分が一人前だと認めてほしくて背伸びして頑張っている少女。

 父は入り婿であったのもあるのかもしれないけれど、ひどく謙虚だった。謂れの無いことでも丁寧に謝罪し、家を取り仕切っている母に対しても同様に、無茶な注文にも応える人だった。

 それでも不思議と両親に隔意は無く、平穏に仲睦まじい夫婦生活だった…と思う。

 両親が死んでから五年後、十四歳の冬の日、親友のシルヴィアが義勇軍の任務に就いて海の向こうへ行ってしまった。それからは女尊男卑の思想を押し付けられるようになった。シルヴィアという男女平等が基本である軍人が近くにいたからか、今まで私に手を出せなかったのでしょう。最初はやんわりと否定し続けていたけれど、まるで洗脳されるように私は彼女たちと同じ輪にどっぷりと漬かってしまっていた。

 

 そのままIS学園に来て、そうしたら頬をはたかれた。

 

「申し開きはありますか?」

「そ、それは…」

 

 貴様如きが代表候補を騙るな、と言わんばかりに私を睨み付ける少女。背格好は同じくらい。黒真珠のような美しい黒髪を青いリボンでまとめ、薄縁の青いフレームの眼鏡をした、見るからに大人しそうな少女。

 

「うわぁ…」

「うっ…」

 

 その正体は代表候補、そしてまさかのルームメイト。波乱万丈という言葉はまさに今この状況こそ相応しいのかもしれないとさえ思った。

 クラスの全員の前で謝罪した、とはいえ今の私たちは殴った殴られたの関係でしかない。殴られても仕方の無いことをした。

 

「ごめんなさい!」

 

 気まずい沈黙が続くかと思ったそのとき、彼女は勢いよく背中を丸め、お辞儀をして謝罪してきた。

 

「こちらこそ申し訳ないことをしてしまいました…」

 

 私の至らなさを恥じた。周囲に流されるがままに、人としての品位を損なっていた。それに気づかせてくれたのは彼女だ。そう感謝を述べると、彼女は予想もしなかった答えだったのか、ほんの少しだけ呆けていた。

 

「彩夏って呼んで。よろしくね! オルコットさん」

「よろしくお願いいたしますわ。私のこともどうぞ、セシリアと」

 

 嬉しそうに笑う彼女。初めて触れ合ったばかりだというのに、子供のように喜んでいる。

 けれどもそれは彩夏の、彼女の持つ一面のほんの表の部分だけでしかないのだと思い知った。

 

「あ…っ! が…うっ……はぁっ…あうっ!」

「彩夏さん! 彩夏さんっ!!」

「ゃ……イヤぁっ! もう、やめ……や…だ……」

 

 荒い吐息と這いずりまわるような音で目を覚ました。隣のベッドでは苦しみを抑えるように、だが抑えきれずこぼれ出す苦痛にのた打ち回る彩夏の姿があった。

 うわごとのように誰かを呼び、大粒の涙を滲ませながら彩夏は苦しんでいた。

 今になって思う。これは彩夏にとって絶対に触れられてはいけない傷痕だったのだと。

 

「…セシリア……?」

「大丈夫…大丈夫です。私がちゃんとここに居ますから…」

 

 私を叱りつけた気丈なお嬢様とも、箒と三人で一夏を殴りつけたお転婆な少女とも、お風呂で見せたような恥ずかしがりな姿とも違う。けれどそれでいて、世界では未だにそういう表情をする人は多い。

 

 死の恐怖に怯え、体を蝕む痛みに咽び、大切な人の死に悲しむ。戦争のもたらす負の感情を顕にした、ただの弱い女の子でしかない北條彩夏の姿だった。

 手を差し出すと、びく、と怯えた彩夏はシーツを掴んだまま身を守ろうとした。

 それがひどく物悲しくて、気づけば私は不慣れな紅茶を自ら淹れていた。

 

「おいしいです…」

 

 私の淹れたハーブティーを飲んだ彩夏はほんの少し、微笑むようにティーカップを見つめていた。ティーカップではなく、ましてや紅茶でもなく、それらを通して遠く何かいとおしいものを見るような表情。

 私の紅茶には目もくれていない。けれど、彼女が少しだけ本来の表情を取り戻す一因となったという事実は変わらない。少しでも助けになれたことが嬉しかった。

 

 あんなことさえ呟かなければ…!

 

「シルヴィア・アルスター・キャンベル。アイルランド系の血を引くスコットランド出身の代表候補です」

 

 ぞわ、と言い知れない不安がよぎった。続けていいものか、もうやめておくべきではないか、少し悩んだものの彼女を救える手助けになればと思って言った。

 親友との出会い、彼女に救われたことを必死に伝えようとした。

 けれど話が進めば進むほどに、彩夏の体には緊張感が張り詰めていく。一体何に触れたのかわからない。だけど中途半端なままでは何にもならない。そう思って続けるほどに、彩夏は沈んでいく。

 歯を食いしばり、決して涙が流れないように無意識に表情はこわばっている。

 

「ありがと、セシリア。少し参考になりました。…もう寝ましょう。大丈夫です、今度は、大丈夫です」

 

 自身に言い聞かせるような言葉を残して、彩夏はベッドにもぐりこんだ。母の胎内に居る赤子のように体を丸めて、怯えることに疲れたように眠りについた。

 

 取り残された私は、友人の助けにさえなれなかった悔しさに、一人泣いた。

 

「……彩夏さん」

 

 インターバルの十五分で回想してしまえる。鮮明に、事細かに、彼女の乾いた笑みを思い出せてしまう。あんな笑顔が普通になってしまってはいけない。彼女はもっと幸せそうに、心の底から笑うことができるはずなんだから。

 

 ブルー・ティアーズが応えるように輝く。そう、私はいつか彼女に言われたはず。

 オープンチャンネルで彩夏に語りかけるようにつぶやく。

 

「覚えたままで悲しみに暮れるより、自分らしく楽しく生きて忘れてしまえばいい。ええ、そうですわね。普段は忘れて、たまに思い出して黙祷を捧げる……それくらいがちょうどいいのです。私の幸せを願ってくれる人のために、私の幸せを願って逝った人のために」

 

 ピットからアリーナへと飛翔する。対岸で沈黙したまま待ち構えるのは全身装甲のラファール・リヴァイヴ。深い青が深海のような冷たさを放つ、恐怖を伴うシルエット。

 

「だから、余計なことを考えられなくなるほどに踊ってもらいますわ」

 

 もう怖くなんかない。嘘。怖い。助けられないままで終わるほうが怖い。

 

「…参りますわよ!」

「………セシリア」

 

 

第八話 澱みの中で

 

 ある東南アジアの内戦国。敵軍に所属不明の謎のISが居るとの情報をIS委員会が受けて、私が国連軍の後方部隊へと送られた。

 同じように国連所属の国から、私と同じ次期候補として鍛えられた同輩が二人いた。ISに於ける先進諸国の一つ、英国の代表候補。英国陸軍国防義勇軍IS戦隊所属、シルヴィア・アルスター・キャンベル中尉と、仏軍第一海兵歩兵落下傘連隊所属、マリアンヌ・ベルリオーズ少尉。

 そして私は日本国国防省第六情報部第三課、裏側からは”対IS課”と呼ばれる非正規実働部隊所属。実態は国内の様々な企業が出資して作られた、ISの実戦運用データを得るための部隊だったが……それでも私にとって親友とも、家族とも呼べる人たちの居た場所だ。

 

 最初は後方支援任務のはずだった。眉唾なソースからの情報であったこともあり、委員会の腰は重かったのだ。

 ゲリラや反政府軍に対する牽制という意味合いのほうが強い。抵抗をやめて降伏しろ、こちらはお前たちをいつでも本気で叩き潰せる。そういう意思表示のためだ。

 三ヶ月は平穏が続いた。基地内には元から滞在していた独立混成旅団の連合軍のほかに、作戦に同行した英仏の特殊部隊、それも屈強なエリート部隊に分類される人々が総勢五十名加わった。機密保持のためか、私たちと特殊部隊は他の一般兵の宿舎からは離れていたが、それでも有事の際には共に戦場に立った。無論、コールサインでお互いを呼び合い、バラクラバなどで誰なのかわからなくしてはいたが。

 ISに乗ることが本領とはいえ、速成ながらも軍人から近接戦闘訓練を叩き込まれ、CQBからスカウトまで教わることができたのは非常に有意義なことだ。教練を進めて課題を乗り越えていくうちに、彼らとの信頼を築くことができたのだから。

 屈強な肉体に卓越した技術と判断力、他の一般兵では及びもつかない知恵と忍耐、そしてどのチームよりも強固な絆を彼らは備えていた。

 最初は「日本からお姫様が遊行に来られたぞ」と皮肉られたが、欧米の人に比べて小柄な日本人の体躯で必死に訓練に喰らいついた。

 日を追うにつれ、実戦を経るにつれ、チームのみんなから可愛がられるようになった。同じ女性兵士やシルヴィアには「大きく育て!」と胸を揉まれ、男性の兵士やリーダーからは娘や妹のように可愛がられた。それでも訓練は変わらず厳しいものだったが。

 小柄で力も平均より若干上な程度のごく一般的な少女。しかし大人の彼らにとっては戦場に立つものは等しく老いも若きも兵士だという認識だ。そこに貴賎も性別も関係は無い。

 こちらに銃を向ける相手が少年だろうと引き金を引くし、実際私もそうしてきた。

 

 速成とはいえ訓練を終えた私は、超人的な戦闘センスを持つ彼らと一対一なら防戦で持ち堪えることもできるようになった。彼らからは「並みの兵士相手なら問題なく勝てる」と評されたが、いつも倒される側だったから自信が無い。

 

 しかしそれも束の間の夢のような時間でしかなかった。

 敵軍のISの登場によって前線へと早変わりし、迎撃のために私はいつの間にかラファール・リヴァイヴを纏って引き金を引いていた。

 やらなければやられる。月並みだが、まさに真理だった。

 

 ISを奪われて這々の体で生きて戻ったときには、既に擦り切れる寸前だった。敵兵の追撃を必死にやり過ごし、戦場跡を徘徊する盗賊に襲われながらも生き延びることができた。

 いつの間にか引き金を平気で引くようになり、散っていくような鮮やかさで咲き乱れる赤い花に忌避感を覚えなくなった。

 合同で後方支援に当たっていた国連軍の義兄や義姉たちはもはや祖国に帰ることはできない。置いてくるしかなかった。あの基地がどうなったのか、今はもうわからない。調べる権限もないし、何より秘匿任務だ。彼らの死は存在しないものとして扱われたことだろう。

 タグごと消し飛んだ義兄が居た。最後まで抵抗を続けた義姉が居た。一番年若い私を家族のように迎えてくれた彼ら。……私はまた、何も守り抜けないままだった。

 

”ビューティフォー”と口癖のように私を褒めてくれた司令官。彼はどうなったのだろう。

”後方の迫撃砲部隊を黙らせてこい”戦況を見極め、即断即決で指示を飛ばす部隊のリーダー。彼のようになれたら、大切な誰かを守れるのだろうか。

”撃たなきゃ当たらないでしょ!”と一喝してくれた教官。彼はもうこの世には居ない。

”弾があるうちはまだ戦える”と激励してくれたチームメイト。果敢に皆を鼓舞したリーダーだった。

”こいつを持って大人しくしてろ!”と言って拳銃を手渡してきた仲間。その直後に頭を撃ち抜かれて逝ってしまった。

 

 どいつもこいつもクセの強い人たちばかりだった。だが、その実力は確かなものだった。あんな場所で死ぬなどありえない。そう思えてしまう人たちだった。

 だがどれだけ人として強くても、ISには…。

 

 そんなISに乗った私はみっともなく負けて、彼らを死なせてしまった。私の判断ミスが……一つの基地に居る仲間たちを死に追いやった。

 私にはもう、傷ついてまで守ろうと思うことはできない。ただ少しでも零れ落ちるものが少なくなるように、ただただ静かに、表に出ることもなくゆったりとこの先を過ごせればいい。

 

 例えソレがゆるやかに死に続けていることと同義だとしても。

 

「ではこれより第二試合、セシリア・オルコット対北條彩夏の試合を開始する」

 

 セシリアはキッと私を見据えている。戦うことに嫌悪感は無いようだ。

 ISは機械だ。だがそれを操るのは人間、意志を持って動かす存在。私を打ち負かそうという彼女の意志は果たして私に打ち勝つのか。

 

「本試合はモンド・グロッソにおける公式戦ルールの一つに則って行われる。勝敗は相手のシールドエネルギーを削りきった者を勝利とする。エネルギー総量は1000を規定とする。制限時間は十五分。決着がつかない場合には延長となり、どちらかが倒れるまで行われる。反則行為として、シールドエネルギーの枯渇した状態での攻撃、絶対防御の上でも負傷を追わせかねない装備・兵装の使用、観客席を保護するシールドを貫通しかねない高威力の武器の使用が挙げられる。これらはその場で即座に失格、及び謹慎などの重大な処罰もあり得るため、よく心がけるように。では、双方ともいいな?」

「織斑先生、いつでもかまいませんわ」

「…どうぞ」

「双方とも構えろ」

 

 ジャキ、とセシリアはスターライトMk-Ⅱを腰だめに構える。対する私は左腕には小型の盾と右手にアサルトライフルを構え、やや前傾姿勢でセシリアを見据える。

 

「始めっ!」

 

 静まり返った空気をブザー音と織斑先生の声が切り裂いた。

 

「CORAL3…交戦(エンゲージ)」

 

 ふとクセでコールサインをつぶやいてしまった。もはや存在しない部隊、存在しない仲間たち。彼らを失ってなお、私には彼らの教えが染み付いている。

 だからこれはきっと、どこか遠くに逝った彼らに伝えるメッセージ。決して届かない、けど届いて欲しいメッセージ。

 

 せめて今この時だけは、彼らに恥じることのない姿を。

 

 

第九話 青と蒼

 

 同時に瞬時加速。盾を構えつつライフルの引き金を引く。ダン、ダンとセミオートの発射音と共に高速の徹甲弾がセシリアを掠めるも、彼女の顔色は変わらない。

 遠距離機だというのに、セシリアが突っ込んできたのは想定外。ヘッドオン、セシリアの放ったスターライトの光が右足を掠める。お互いに軽度の損傷を負いながら、一瞬の交錯。そこに忍ばせたグレネードを放り込んだものの、セシリアは見事に急制動をかけて右に回避し爆発を逃れる。

 

「ブルー・ティアーズ!」

 

 セシリアは開始直後の強襲にも動揺を見せない。慣性を殺しきらず浮遊したまま振り向き、左後方へスライドしつつティアーズを広げる。私も即座に正面から相対し、大まかな狙いをつけて三連射のバースト。私が見越しで撃った弾によるダメージを多少負いながらも、セシリアはビットの展開を優先する。

 

「……いい気迫だよ、セシリア」

 

 ビットの軌道を読みつつ、ブーストして右へと回避。レーザーが行く手を阻むが、その狙いは甘い。上空にジャンプして―

 

「まずっ!」

 

 眼前、目と鼻の先を青い光が走る。

 逃げようとして少しばかりの違和感を感じ、若干後方へと引きながらの回避をとった。それが功を奏した。

 

「くっ…いい読みですわ」

 

 ビットの牽制射撃で進路を塞ぎ、本体はそのまま回避行動を先読みしての狙撃。先ほどの一夏との戦いでは見られなかった戦術。隠していた? いや、どう見たってあのときのセシリアはビットとの連携攻撃ができる様子では無かった。

 

「そう……単純に操る数を減らした…というわけですか」

 

 してやったり、とセシリアが不敵な笑みを浮かべる。

 考えれば単純な話だ。四つで処理が追いつかないなら、操る数を減らせばいい。一機はプログラムに従って自身の援護をするために待機させ、二機のビットで攻め立てて自身の狙撃を確実に当てる。

 

「…一夏のときとは違う」

 

 そう考えているうちにもシールドが削られる。ビットを気にかければ本体の射撃が、本体に迫ろうとすれば狙撃銃の牽制攻撃と猟犬の二機が妨害する。こちらは打鉄や白式とは違って装甲の厚い機体ではない。ビットの攻撃は掠るだけでもシールドが減るし、セシリアのスターライトを受ければそれこそごっそりと削られるだろう。

 うまく敵の得意な領域を抜けきることができない。ライフルで応射しつつ、EMPグレネードを織り交ぜてビットを払いのける。一機を落とすも、それでもセシリアは崩れない。EMPと見るや温存した二機で効果範囲外から包囲を継続し、EMPによる無効化の間を守りきってみせた。

 

「おまけにビットの入れ替えもうまい。冷静ならこれだけ動けるっていうこと…?」

 

 セシリアは常に一定の距離を保っている。護衛に配していたビットのエネルギーのリチャージタイミングに合わせ、スターライトの連射にビットの牽制を織り交ぜて、常に私を包囲しつつ釘付けにしている。一機ずつ、しかし確実にビットを入れ替えて戦闘の優位を確保している。

 こちらも時折当ててはいるものの、展開としては劣勢のままだ。シールドは私が500を下回ったが、セシリアは600も残している。ビットのエネルギー補給を考慮しても押されている。

 

 背後からのビットの射撃。PIC制御でするりと左へ回避する。

 さらにもう一機のビットが左下方の見えづらい角度からの射撃。少しスラスターを吹かして急制動をかけ、右上方へ回避。セシリアに随伴するビットが見越し射撃で当ててくる。地味にダメージを蓄積されていくも、今はまだ動ける。

 回りこんだビットが右上後方からさらに追撃をかける。一気にブーストしてそのまま地表に向けて急降下。三機の攻撃を振り切ろうとするも。

 

「もらいますわよ!」

「…っ! 休まる間もない…!」

 

 態勢を立て直す間も無く正面からスターライトが直撃。その瞬間に咄嗟にライフルを盾にする。シールドエネルギー残り400。まだいける。

 溶けおちて使い物にならないライフルを即座に破棄。二射目を左手の小盾でどうにか防ぐ。

 

「さすがにしぶとい…! ですわね!」

「ミサイル!?」

 

 咄嗟に出したSMGを掃射する。ガン、ガンとミサイルは二発の命中音と共に爆発四散。煙と炎を上げる。

 煙幕を突き破ってレーザーが走る。盾で防ぎ、煙幕を利用してこちらに仕掛けてくる相手に対して苦し紛れにマシンガンをマガジン一つ分掃射する。

 少しでも手を止めればもらい物―

 

「接近警報!」

「はぁっ!」

「まだ、まだぁ!」

 

 レッドアラート。反射的に身を翻し、その場を離れる。左腕の肘間接にナイフが走る。ダメージ130。被害は致命には至らないが大きい。空のマシンガンを投棄、ラピッド・スイッチでハンドガンの連射を即座に叩き込む。

 

「くうっ! ただでは…倒れませんか!」

 

 セシリアは随伴したビットを射撃に貫徹させ、自身の近接戦闘のサポートに利用している。オールレンジ、まさに遠近問わずの戦闘技法。とはいえあろうことか遠距離仕様機で近接戦闘を仕掛けてくるとは。予想も……

 

「違う…」

 

 そうだ、覚えがある。こんな芸当をやってみせるバカが一人居た。理論や常識ではなく、天性の勘と類まれな集中力と反射神経でやってみせた彼女が居た。

 対物スナイパーライフルをまるでそこらへんのライフルのように取り回し、至近距離で高速徹甲弾を叩き込む、常人とは思えないISの戦術を持っていた彼女。

 

 動けない。魅入ってしまった。彼女と寸分違わないセシリアのその動き。

 流れるようにあの日の私を蹴り落とした彼女と同じ回し蹴りが、顔を守るガードごと私を蹴り飛ばした。そこへ更に泣きっ面に蜂、スターライトが叩き込まれる。

 わずかに浮遊していたリヴァイヴが大地に叩き付けられる。

 

「きゃああっ!! う…くっ…!」

「これさえも耐えるのですか…! いいですわ!」

「さす……が…効くね…」

 

 衝突した衝撃だけでさらにダメージをもらってしまった。残りはわずかに138しか残っていない。生き延びたのも偏に一度見たことがあるから反応できただけでしかない。

 即座に追撃のレーザーの雨。スモークを足元で起動させ、回避する方向を悟らせないようにしてからPICを使って回避。PICで慣性を留めたまま、地表を滑るようにして回り込みつつ二丁拳銃を狙いもつけず掃射する。ついでに彼女の足元にグレネードを放り込むのを忘れない。

 

「子供だましで…!」

 

 グレネードの爆風と衝撃を受け、一瞬ながらビットの制御が止まる。両手のハンドガンから撃ちだされる弾丸の雨に晒されたビットが一機、続けざまにもう一機が落ちる。敵は既に随伴するビットは一機のみ、虎の子のミサイルは一発限り。スターライトが一丁。

 対するこちらは残弾心もとない二丁拳銃とナイフ、フラググレネードが一つずつ。あとは切り札である近接ブレード。

 遮蔽物でもあれば利用できるのだけど、無いものねだりはよくない。やってみるしかない。

 

 ぐらり、とわざとバランスを崩す。何か異常でもあったか、と思わせるほどではなく、しかしチャンスだと思わせるように。さあ、食いつくかどうか。

 

「もらいますわ!」

 

 スターライト! 違う、そうじゃない。撃って来い、とっておきのアレを。

 

「まだ動くなら…これでどうです!」

 

 ミサイルが私に向かって飛翔する。ラピッド・スイッチ、呼び出すのは一振りのブレード。

 

「……しくじるな、アヤカ。あの時とは違う…」

 

 震え上がる心を押さえ込む。あれはヤツじゃない。セシリア・オルコットの駆るブルー・ティアーズ。私から何かを奪おうとするやつじゃない。どくん、と鼓動が強くなる。思い出すのは死の恐怖。失っていく恐怖。無力な自身を嘆くしかできない悲しみ。

 セシリアの放ったミサイルを、見据える。

 

「うおあああぁっ!」

「っ?!」

 

 セシリアが慄く。ミサイルに向かって瞬時加速を行うなど、まるで自殺行為。そう思ったのだろう。けれど生憎この身はそんなものが雨風のように降り注ぐ世界を渡ってきた。

 打ち抜くこともできない。ならば、斬り捨てる!

 近接ブレードを下段で構える。ミサイルの直撃、その寸前に体を捻る。そのまま急上昇をかけつつ、勢いにまかせて切り上げるように推進部を切り落とす。

 

「なっ……!? ミサイルを…斬った…」

「くっ!!」

 

 爆風を受けながらもそのままジャンプしてからの急降下。一振りに意識を集中させる。余計な意識は必要ない。ただひたすらに斬ることだけを無心で考える。

 不意に、スローモーションの世界が広がる。

 

 ビットのレーザーが肩を焼く。残りエネルギー80。

 スターライトが青い炎を吹き付ける。PIC制御、回避! 残りエネルギー30。

 彼女の第二射は、間に合わない。歯がゆさをかみ締めたセシリアの顔。

 そうだ、私もきっと悔しさにそうやって顔を歪ませてきた。何度も、何度も。

 吸い込まれるように、青い太刀筋が走る。

 

「う、ああっ…! ま、だ……!」

 

 袈裟懸けの一太刀。セシリアのくぐもった苦悶の声。まだ、そうまだ諦めていない。セシリアの最後の手は、ある。

 

「青…い、ひかりが…」

 

 青い光が、目の前をうめつくして―

 

 

 

第十話 織斑千冬の見た少女

 

 はじまりは、何だったのだろう?

 彼女の運命は、どこで狂わされたのだろう?

 白騎士事件で両親を失い、唯一頼れた祖父も死に、祖母の北條麗香博士が親権を引き受けたが、彼女は長期間家に帰ることが無い。

 

 中学一年のころ、彼女にISの適正があると診断されたのはひょんな出来事からだった。

 彼女の祖母がISに関わる技術者だったために、ついでに行われた検査での発見だ。

 

 博士には大会や公式戦で多く世話になったというのもあり、彼女の指導を買って出た。

 私以外には数えるほどしかいない、適正ランクSの操縦者。それも何の訓練もしておらず、初めてISに触れた少女がそれだけのものを持っていたという事実は、私の好奇心を大いに刺激した。

 

「初めまして、北條彩夏です。どうぞよろしくお願いします!」

 

 強い眼差しとめげない意志を彼女は持っていた。為さねばならないこと、自らの弱さを自覚し、より高みを目指す姿が印象的だった。

 彼女の原動力は何なのか、少しばかり遠まわしに聞いてみたことがあった。

 

「守りたい、と思っています」

「……守りたい?」

「はい。父も母も、もう死にました。祖父の剣を十分に受け継いだかと問われると、やはり十分ではありません。免許皆伝にはまだまだでしたから。でも祖父も居ません。私は、祖父や両親が残したものを守りたいんです。死んでいった人たちが、少しでも気楽になれるように。周りの友人や大切な人が、遺したいモノさえ遺せず死んでいったりしないように」

 

 この子は優しいのだ。純粋な意志とそこから生まれる願い。わずか十三にして、彼女は聖人のような慈悲を持ち合わせいる。持ち合わせてしまった。

 これは決意表明であり、彼女の為したいことだというのはよく理解できた。

 

 鍛え上げた。ただひたすらに、時間の許す限り叩きのめし、そして打ち伸ばし、研ぎ澄ませてきた。さながら日本刀を打つ鍛冶師のごとく、心血を注いできた。

 スポンジのように吸収できた、わけではない。

 それこそ叩いて形状を覚えさせるかのように、その身に打ちつけ、刻み、時に血反吐を吐くような思いで彼女は這い上がった。時間をかけて、ゆっくりと。

 候補生となった。候補生の枠さえも飛び越えた。対IS部隊にその籍を置き、今や世界を見据える人間になったと感じられたとき、中学二年の二月に代表候補の指名が来た。

 

 だが、このときの私はまだ気づいていなかった。彼女が、北條彩夏は日本刀のような鋭い刃を持ってはいたが、大剣のような強靭さを持っているわけではないのだと。

 

 極秘任務だった、と半年以上に渡る出向から戻った彼女は言った。

 精一杯の力を振り絞り、空ろな瞳から流れる涙も気に留めず、乾いた笑みで私に告げた。

 内容は今も聞いていない。ただ、非正規戦闘が行われる場所に居た、とだけ語った。

 

 それからの彩夏は廃人同然だった。悪夢に魘され、過去に縛られ、死者に心を引きずり込まれていく。ただ磨耗して擦り切れていく少女が一人居るだけ。

 ただ、レーションのような栄養補給だけを目的とした簡素な食事と自己鍛錬だけは欠かさなかった。まるで淡々と作業をこなすだけの機械のようにトレーニングをして、格闘訓練と射撃訓練を行い、戦術のシミュレーションをこなして一日を終える。その日々の繰り返し。ろくに眠れないままに一週間を過ごし、翌日はまるで休暇であるかのように一日中眠る。

 IS学園の勤務の合間を縫って、彼女の元を訪れる日々が続いた。後輩の山田真耶も”私の後輩ですから”と強い口調で彼女の世話を買って出た。

 マック、これはどうなのかな? ジョンさん、覗きはダメですよ。

 独り言も増えた。いや、彼女にはまだ傍に彼らが居るのだろう。親しげな声を人形相手に囀るばかりで誰とも喋ろうとしない。

 

 ある日、一通の小包が彩夏の元に届いた。配送日は今日の指定で、包みには汚い字で”アヤカへ”と書かれた一通の小包。差出人は……よくわからないものだった。

 半年以上も前にコレを送った差出人は”base plate”。基盤…土台? あだ名か何かなのだろう。

 

 それを見た途端のことだった。”返せ!”と叫んだ彩夏は、私の手にあった包みを強奪するなり、地下室に立てこもった。鬼のような形相が今も脳裏から消えることがない。

 二月二十日。立てこもりが始まる。

 二月二十一日。尚も継続。

 二月二十二日。変化なし。

 二月二十三日。ドアの向こうからはただ悲痛な叫びにも似た泣き声だけが聞こえてくる。

 

 そして、四日ぶりに扉が開いた。そこにかつての優しく笑う少女の面影はどこにもなかった。

 泣きはらした目、隈ができるほどに疲弊した姿は覇気も無く、生気を感じさせない。

 

「彩夏、何か食べておけ。……そんな有様ではご両親が泣くぞ」

「そうですよ彩夏ちゃん。今は辛くても、ちゃんと食べてゆっくり…」

 

 小さく頷いた彩夏。私と山田先生が少しの安堵感に胸をなでおろした。そんな隙をついて彩夏は手近なバスケットを引っつかみ、駆け出した。

 逃げ込んだ先は、彼女の両親の部屋だった。

 

「ダメ…なのか…」

「織斑先輩…まだ、まだ終わってません……私は…諦めたくないです…!」

「真耶…そう、だ。まだ終わってないんだ…」

 

 泣き虫な後輩は涙を堪えて、必死に自身を奮い立たせていた。なのに私は、一瞬だけとはいえ、……折れる寸前にまで陥っていた。

 彼女をこうまで変えたのは何だったのか。今でも考えてしまう。両親の死だろうか? それとも祖父の? あるいは自身に構ってくれなかった祖母か? 彼女が出向したときに何かがあったのか? 考えたくはなかったが、自身の教育と接し方だったのか? あるいは、その総てか。

 

 彼女が四日間を過ごした地下室には一枚の手紙と、大鷲の羽がついたナイフを描いた部隊章と准尉の襟章だけが残っていた。

 その内容は今でも一字一句思い出せる。内容から察するに、彼女の家族……戦場での家族から送られた、彼女への卒業祝い。そして彼女が何を見てきたのかを、おおよその推測を立てることができた。…彼女がこれを始末していたら、何もできないままだっただろう。

 ベース・プレート。あなたの手紙、あなたたちの意志は大切な娘…北條彩夏を救う一助になった。どうか安らかに眠ってくれ。

 

「うおあああぁっ!」

 

 愛弟子が英国の代表候補生に切りかかる。捨て身の、しかし勝利を勝ち取る意志を自然と乗せた渾身の一振り。

 まだ安定はしていない。自身のあり方に矛盾と綻びを抱えたまま。大きな波が打ち寄せれば崩れてしまう、砂の城でしかない。壊れそうで、だがある一線でなんとか持ちこたえているだけ。

 まだ捨てきれてなどいない。無意識に彩夏は大切な意志を守っている。それを捨ててはいけない、とカラダが覚えている。

 もう何もしない、と彩夏は言った。なら何故IS学園に来た? 無理矢理ねじ込まれた予定など蹴ればいい。

 代表候補などできないと言う。なら何故あの場でセシリアと一夏を叱りつけた? ただ傍観していればいいだけだ。

 死にたいと言っていた。だが何故未だに生きている? まだ諦めきれないからだ。やめてしまえばそれこそ総てが無に帰すると本能が理解しているからだ。

 

 折れてなお諦めきれないから、お前は……北條彩夏は立ち上がれる。

 

「……試合終了。双方ともシールドエネルギーゼロのため…ドローゲームとする」

 

 だがまだまだ危なっかしい。せめて、また一人で立てるようになるまでは支えが必要だ。

 

 

第十一話 失われた家族の記憶

 

 …ひどく眠い。視界に青い閃光が走った、と思えば次の瞬間には暗転していた。

 思い出そう。何があったのか。

 

 光学兵器で頭部にダメージを受けた。それは理解できる。

 今すぐにでも戦況を把握しなければいけない。ジョン大尉は未だ戦闘しているかもしれない。起きなければ。

 負傷は無い。脳震盪でも起こしたか。情けない!

 バイタルパートに傷が無くて銃は握れる。ならやることは一つだ。相棒は…ヴェイド一等兵の残したあのガバメントは……どこだ。

 机には無い。引き出しにも無い。くそっ! どこに置きやがったあの衛生兵! 生きてるのを見つけたら街への買出しに引きずり回してやる!

 

 だめだ、熱くなり過ぎている。落ち着こう。冷静に観察することは戦場での命を長らえさせるために必要な要素だ。

 

 病室……うん。けどもやけに清潔。基地内にこんな場所があったとは驚きだ。

 服はISスーツそのまま。無防備よりはマシか。ある程度の耐弾性は持っている。

 武器…は無い。手刀で敵とやりあえと? 私はダンディでダブルオーナンバー持ちの英国紳士じゃないんだ。ナイフでもいいから何か武器が…

 

「何をやっている?」

「…織斑…先生?」

 

 そう、か。ここはあそこじゃ、ない。

 

「無理はするな。試合中に頭を強く打ったんだ。記憶が混乱しても仕方が無いが、余計な行動で症状を悪化させるな。いいな」

「…はい」

「それにここは……戦場じゃあない。ここは日本のIS学園だ。お前から大切なものを奪っていくやつは、ここには居ない。だから少し、横になっていろ」

「………はい」

 

 そうだ、総て過ぎ去った後なんだ。やっと得られた大切なものの全てを喪失して、自分が生きる理由もわからなくなって、また全てを失うことが怖くなった。

 どうすればいいのかもわからずに時間が過ぎる中でIS学園に放り込まれ、セシリアとの一騎打ちをして、賭けに負けたんだ。

 

「それにしても……現状の適正ランクからは考えられんな…。ああ、横になったままでいいぞ」

「…どうかしたんですか?」

「どうかしたか、ではない。入試試験での操縦時、適正ランクはCプラス…なのに先ほどのセシリアとの戦闘ではCマイナスまで落ち込んでいたぞ。これでどうして引き分けに持ち込めたんだか…」

「…確かに反応が鈍いとは感じました。やっぱり落ちてたんですね、適正」

「もう少しお前は自分のことに関心を持て。いつまでもそんな腑抜けで居られては困る」

「……善処は、します」

 

 右肩下がりのIS適正。以前、出向前はランクSを記録していた。先日受領した天使ほどではないが、ラファール・リヴァイヴを自分の体のように扱えたのは確かだ。

 天使を受け取ったときの簡単な調査ではCプラスだった。それがほんの数日で、ISの稼動ギリギリにまで落ちているとは。

 

「セシリアとはどうだ?」

「彼女……ああ、そうでした!」

 

 思い出した。あのクソのような茶番劇は一体なんだ。これに怒らずして退くことはできない。

 

「セシリアと一夏の対戦、覚えていますよね」

「当然だ。武器の特製も知らずに使って一夏が自滅したのが印象的だったな」

「そうではありません。何故一次移行でISのエネルギーが回復したんですか? 本来そんな機能は持ち合わせてはいないはずです。戦闘で消耗したセシリアと、戦闘中にエネルギーが回復した織斑一夏。どちらが有利になるかはわかりきったことです。まして公式戦のルールに則った競技の場で……あんなものを見せられては例えハンディだと言われても八百長を疑います」

「………言いたいことは承知した。だがそれに関しての調査は私の領分だ。お前が気にかけることは…」

「セシリアは当て馬にされたんです! どこの誰かもわからないやつに! 死力を尽くして戦うと決めた一夏と、それに応えたセシリアのプライドは…!」

「そうだとしてもお前が出しゃばる必要は無い! ……彩夏、お前は代表候補としての責任を捨てきれていないのは知っているし、友人や仲間が侮辱されて大人しくしているやつでもないと知っている。だがお前はIS学園の生徒であり、私の教え子だ。生徒に危害を加える相手から守り、そしてその元凶を打破する。それが私の仕事だ」

「……でも…何も知らないままで利用されたセシリアは…」

「彩夏、お前は仲間思いの優しい人間だ。お前の意思は確かに私が聞き入れた。それとも、私では不安か?」

 

 ずるい。こんなときだけ教官ぶるなんて。実力を知っているだけに何も言えない。それを見越して先生は”先生ぶる”んだ。もっとも、それが織斑先生なりの配慮なのだけど。

 

「…何か情報が掴めたら…」

「わかっている。ちゃんと片付けた後に伝えよう。今日はもう寝ていろ。授業に出したところで気を揉むだけだからな」

 

 見透かされた。悩むくらいなら寝てしまえということだ。保健室とは思えないふかふかのベッドに横になり、仕方なく枕に頭を置く。

 

「あと、セシリアが心配していたぞ。セシリアを気遣うのなら、あの無茶の言い訳の一つでも考えておけ」

 

 それは確かに、重要だ。

 

 

 甘いマスクは年老いてなお色香を衰えさせず、むしろ熟成した極上のワインのような高貴さを感じさせる。その穏やかな甘く響く声は女の部分を刺激し、司令官として寛大な包容力を備えた仕草や振る舞いはきっと多くの女を惑わせたのだろう。

 

「マックおじ様、それは一体どういう意味なんですか?」

「なに、そう眉間にシワを寄せてはダメだぞ。ヤマトナデシコが台無しだ」

「……でしたらどういう意味なのかを教えてください」

「そうだね。君は見ていてヒヤヒヤする、という意味だよ」

 

 その司令官の容姿は老齢に近い男性とは思えないほどだ。声は優しく、甘く、近寄る女を惑わせる。きっとマックは若い頃モテたに違いない。女の精神が主軸にあるとはいえ、男としての名残を持つ私さえ、クラリときた。

 私と”俺”。意識は既に女ではあるが、精神年齢トータル43年にして男に惚れそうになるなど初めてだ。

 

「君はよく頑張っている。ISという借り物の力に縋らず、自身を以って為すことの大切さをよく知っている。だからこそ、君は今は戦うな」

「どうしてですか!?」

「君が死にたがりに見えるからだ」

 

 その目は私を見据え、言葉は胸を撃ち抜いた。

 崩れ落ちそうになった。今まで必死に生きてきた。それを全て否定されたようにさえ感じた。

 

「誰かの為に戦う。それは素晴らしい愛情と深い慈悲だ。だが戦場ではそれはいけない。自分を省みない戦い方は周囲の人間を戸惑わせる。我々は組織だ。チームだ。それ以上に家族で、親友で、背中を預けあう友だ。自身が居て、家族が居て、初めてチームなんだ。君はまだ若く、そして未熟だ。他の誰かや死人のために戦うな。まずは自らの最善を尽くし、自分のために戦え。それは戦友を悲しませない為であり、家族の安らぎの為でもあるからだ」

 

 にっ、と穏やかに笑みを浮かべてマックは私の頭を撫でた。マックは他の軍人に比べて背格好は小さい。日本人の平均より少し大きいかというくらいでしかない。

 だけどその手は、父よりも、祖父よりも、誰よりも大きく頼もしくて。これが命の重さを誰よりも知る人の手なのだと知った。

 司令官として苦渋の決断をしたこともあるだろう。死地に友人を送ることさえあっただろう。若い頃は自らが死地へと飛び込んだであろう。艱難辛苦を乗り越えた老兵の手は、多くのものを取りこぼし、だけど確かな何かを取りこぼすことはなかったのだ。

 

「君は強い……強くなれる。多くを掴み損ね、失うこともあるだろう。それでも進め。立ち上がれば支えてくれる人が君にも居るだろう。君だけでは守れずとも、君を支える誰かが守ってくれるときがある。互いに支えあう。それが家族であり、チームだ」

 

 マック、あなたはやはり立派な司令官(ちちおや)だ。

 

「どうしたんだい? 不安なら我々を思い出すんだ。どんな時にも諦めない不屈の意志で戦う我々をな。君が困っているならば我々が助けよう。血は繋がらなくとも、それ以上の信頼を備える我々がアヤカの力になる」

「……司令官…」

「だから、もう泣かなくていい」

 

 一瞬の暗転。次の瞬間、宵闇の世界は炎に包まれていた。

 

「うっ……あ、…あ……」

「回収した。これでもうここに用は無い。退くぞ、ローズ」

「あら、始末しないの?」

 

 戦火に燃えるジャングル。赤々と灯る炎は人の命を糧に燃えるようで、鮮明に記憶に焼きついたままだ。

 

「ISコア二つを確保したんだ。十分だろう? それに時間もない。今から急いでラリー・ポイントへ移動する」

「まあ、いいけど。それだけじゃないでしょう?」

「……こいつは仲間の生死よりも私の撃破を優先した。感情的になっていたとはいえ、本気で私を殺しにかかってくる相手なんてそうは居ない。一時とはいえ楽しませてもらった礼だよ」

「よくわからないわね」

「なあに、私なりの矜持、だよ。ほら逃げなお嬢ちゃん。別嬪さんは引く手あまただぞ。レジスタンスに捕まってブチ犯されて、望みもしないモンを腹に仕込まれたくなけりゃ逃げることをオススメするよ」

「そうねぇ。私が連れて帰って可愛がるのもアリなんだけど」

「忘れるな。我々の最優先はターゲットの抹殺だ。こいつらのせいで余計な時間を食ってしまったんだ。急ぐぞ」

「もう…じゃあ今ここで、バイバイ?」

 

 ISの大型拳銃が突きつけられる。引き金が、ゆっくり、撃鉄が、撃針を、たたきつけ―

 

『援護する』

 

 甘い声が耳元でささやく。

 ガガンッ! 二発の音を皮切りに起き上がり走り出す。ふと見えたのは赤いISが拳銃を持った右腕を庇って基地のほうを眺めている様子だった。

 

『振り向かず走れ。姿勢は低く、足元に注意して進め』

 

 ダァンッ! ダァンッ! 二発の銃声。聞き覚えがある。シルヴィアが試射していたバレット。対物ライフルの狙撃が彼女らを襲ったのだ。直後にまた声が聞こえた。

 

 彼の声は止まない。

 

『一先ず安全を確保したらまずはカムフラージュを行え。ギリースーツとはいかなくとも、自然に紛れ、息を殺し、ひたすらに耐えろ。時を逃さず敵を始末し、時にやり過ごし、味方の基地へ向かえ』

 

 発砲音が遠ざかる。いや、私が遠ざかっているんだ。未だ戦っているマックの元から、私は走り去っているんだ。

 そうだった。必死で駆け抜けた。マックの助けを受けて、味方の居る支配領域まで必死に進んだ。

 

『決して諦めるな。自分の感覚(センス)を信じろ』

 

 夢、なんかじゃない。記憶の追体験。これはかつて現実に私が見た世界。思い出した。欠けていたピースが埋まったパズルの図面のように、モノクロの世界はRGBの三色が色とりどりの戦場を飾っていく。

 

『この基地からは南南西、大きな川と小高い……越えれ…基地が見える。そこで私…名前を…せ。丁重に…り扱っ…れる』

 

 ひどい。ノイズがひどい。声が、聞こえない。父さんの声が、掠れていく。

 

『生き抜け、アヤカ。私たちの愛しい娘よ』

 

 声は、一際大きなノイズと共に消え去った。

 

 

第十二話 手のひらに残った温もりを

 

 体を起こして窓から空を見る。青い空に白い雲が流れていく。

 どうすればいいのかわからない。

 生きていた。戦火で多くを失った祖父母が遺していくものを守りたかった。

 死んだ。自身は何も遺せず、あっけなく終わった。

 再び生を受けた。悔やみながらも、北條彩夏としてできることをしようと決めた。

 戦ってきた。両親や祖父の遺したものを守ろうと。

 戦い続けた。戦場で出会った大切な、血の繋がらない家族と自身のために。

 絶望に転がり落ちた。手元にはもうほとんど何も残っていない。

 あの日の決意も。大切な友人も。信頼できる仲間も。指先の間から零れ落ちていった。取りこぼしてしまった。

 IS学園に入って、手のひらにはまた何かが乗っていた。

 

 織斑一夏。鈍感で少しバカなところがあって、だけどどこまでも自分に正直なヤツ。私の胸に顔を埋め、ハスハスと香りを楽しむ少年。私に欲情するとはいい度胸だ。今度しばく。

 

 セシリア・オルコット。シルヴィの親友。最初は高飛車なお嬢様かと思った。けれどその根っこは誰よりも優しさでできていた。悪夢を見た日、私を励まそうと紅茶を振舞ってくれた。私の異変を察しても諦めようとせず、立ち直れると激励してくれた。会って一週間と経たぬうちに、既に私は彼女を信用しているんだろう。だけど紅茶はそれほどではない。マックは誰よりも紅茶を淹れるのがうまかった。流石は英国紳士。

 

 篠ノ乃箒。白騎士事件の元凶の妹。父と母の仇の妹であり、今の私のクラスメートにして隣人。今すぐにでも眉間に銃口を突きつけて、篠ノ乃束を呼び出してその目の前で惨たらしく――違う、そうじゃない。

 彼女は関係なんて無い。例え世界に戦火の火種をばら撒いた元凶、その血縁者だとしても、彼女はそんなことは露ほども知らないだろう。

 どうしてこんなことを考える必要がある? どこか頭がおかしくなったのか? 私は友人を道具にするような生き方を教わってはいない。戦場の父や兄姉から、信頼し背中を預けあうことの大切さを教わりこそすれど、そんな人道に背くような思考を叩き込まれたわけではない。

 

 織斑千冬先生。私のISに関する技術の教師。IS戦における戦術理論と戦闘技能の教師。未だ勝てた例が無い。心が折れて腐りきる寸前で、私を引っ張りあげた人。狂い死ぬ寸前にまで陥った私が傷つけてしまった人。傷ついても私を助けようとしてIS学園に無理矢理放り込み、その為にIS委員会にケンカを吹っかけた人。身を挺して私を守ってくれた姿が母と被る人。厳しい人。だけど母のような面影を見せる人。

 

 山田真耶先生。私のISの基礎と知識の教師。ISのいろはと機能の知識をこの人から授かった。適正Sのころは近接戦闘に持ち込んで圧倒できるまでに戦えたが、今では僅差での勝利がギリギリ。普段は小動物系なおっとりとした先生だけど、いざ戦闘となれば常に冷静で客観的に戦況を見据える才女。私は一人っ子だった上、生前は弟しか居なかった”俺”にとっては姉のような人。ドジっ子な姉だけど、どうしてか頼れるお姉さんでもある。

 

 もしかしたらマックはこんな気分だったのだろうか。仲間を失い、新たな仲間を喜び、背中を預け、失い……そんな人生を送ったんだろうか。

 

 私は戦うことが怖い。失うことが怖い。一人になってしまうのが怖い。あのジャングルで孤独な戦いを続けた日々が脳裏に蘇る。

 乾き、飢え、食べられるものはなんでも食べて、使えるものは全て使って生き延びた。肩を並べる友は無く、助けてくれる戦友も無く、励ましてくれる父も居ない孤独な戦場。

 敵を殺した。見つかって銃撃を食らわされた。

 食料を食べた。あたってしまい、死に掛けたこともあった。

 敵に捕まった。初めては守り通せた。初めて少年兵を殺した。

 

『生き抜け』

 

 たった一言、生き残れでもなく、生きろでもなく、生き抜けと。

 自分自身の最善を尽くし、生き延びろ。父はそう言ったのだ。

 いろいろなものを失った。多くの命をこの手にかけた。だけど生きていて、残ったものがある。取りこぼさずに済んだものがある。

 ヴェイド一等兵が残したM1911コルト・ガバメント。手入れは万全。現役のサイドアーム。

 部隊章と准尉の襟章。父がくれた卒業祝い。

 ジョンソン軍曹から預かっていたジッポライターと葉巻。管理は怠っていない。

 サイモン中尉のバラクラバ。頭蓋骨を描いた逸品。被ればまだ硝煙の香りを思い出す。

 シルヴィアのキスの味。頬に残った仄かな温かさは、まだ消えていない。

 

 戦火の記憶の中に、あの日の記憶が蘇る。怒鳴られ、叱られ、励まされ、支えられ、頼られ、戦場の全てを分かち合った仲間との記憶。

 彼らの教えは? この胸の中に。

 彼らの悲しみは? この身と共に。

 彼らの喜びは? 記憶の中に。

 彼らの意志は? わたしとともに。

 

「なんだ……そういうことなんだ…」

 

 ふふ、と自然と笑みがこぼれる。ああいけない。戦場を思い出して笑うなんて、ただの狂戦士でしかないだろうに。だけどこの記憶は、失ったこの痛みと得られた喜びは何物にも代えられない。

 枕元に添えるように置かれていた青いリボンを手に取る。重さを感じる。死んでいった彼らの為に戦うことはもうしない。彼らの意志と教えを貫くこと、私の最善を尽くすことこそが彼らへの手向けだ。

 もう父や母の為に生き急ぐような真似はしない。自分自身の満足できる生き方こそが、両親への弔いになるから。

 私を引っ張りあげてくれた、母のような人が居る。

 私を引っ叩いて叱ってくれた、姉のような人が居る。

 シルヴィアが慕っていた親友に出会った。どこまでも真っ直ぐで純真な穢れを知らぬ少年に出会った。不器用ながらも一途な想いを抱く少女に出会った。

 眩しくて明るい日常が始まった。ドタバタとせわしなく青春を生きる少年少女を目にして、心が休まるような気がした。

 

 セシリアに感謝と謝罪をしよう。一方的に遠ざけていたことも謝って、仲直りをしよう。それはきっと、シルヴィアも喜ぶことだろうから。

 戦うことは…まだ怖い。だけどまずはここからはじめよう。きっと、ここから進めそうな気がするから。

 

「…なんで、泣い…て…?」

 

 保健室から眺めた青空は涙で滲んで、だけどそのままの青さを保ったままだ。

 胸が熱くなる。悲しくなどない。嬉し泣きでもない。ただ、安心しただけなんだ。

 

「あ、彩夏ちゃん!? どうしたんですか!」

「……真耶たん先生ですか」

「そっ、それはもういいです! 彩夏ちゃん、どこか痛むの?」

 

 もはや先生としての顔なんてできていない。山田真耶は先生ではなく、ただの真耶たんだ。慌てふためきおどおどとしながら、私の心配をする、ただの真耶さん。

 

「ちょ、ちょっと彩夏ちゃん、もう! いきなり抱きつかないで!」

 

 近寄った真耶さんをぎゅっと抱きしめる。いいにおいがする。あったかい。やわらかくてきもちいい。安らぐ。張り詰めたものが消えていく。

 暗闇に灯った篝火のような安心感。確かな熱を持った火がここにある。

 真耶さんが居る。織斑先生が居る。二人が引き摺ってでも私を前に進めてくれたお陰で、私はまた生きていけるんだと実感できる。

 父が居た。兄が居た。姉が居た。戦場で出会った親友が居た。彼らが居なければ私はどこかで心折れたまま立ち直ることさえできなかっただろう。

 

「……ねえ彩夏ちゃん、どうしたの?」

「…なんでもない」

「本当に?」

「なんでもない!」

「…さっき泣いてたんじゃあ…」

「なんでも、ないの!」

 

 はぁ、とため息が聞こえる。真耶さんの手がそっと頭を撫で、さっきまで早かった鼓動はすぐに落ち着いていく。

 

「がんばったね」

「……っ!」

 

 そっと包み込むような囁き。泣き声さえ忘れて、涙だけが止まらない。

 だけど心に灯ったこの炎は、もう涙で消えたりしないんだから。

 

 

第十三話 山田真耶の見た少女

 

 腕の中で少女が泣く。ベッドに駆け寄るなり、抱きつかれてベッドに押し倒された。今も泣き続けている少女を見る。

 北條彩夏。女も見惚れる黒髪の少女は、私の自慢の、そして初めての教え子。

 

 第一印象は”恐ろしい”というものだった。何が恐ろしいのかって? 決まっている。この少女が優しすぎることが恐ろしかった。その優しさは狂人のものとさえ感じられた。

 何も遺せないまま死んで欲しくない。死んだ人がせめて安らかに眠れるように、彼らが遺したものを守っていきたい。そう語った少女の瞳はどこか遠くを見つめていた。

 誰かを一心に想い続けることはそうできるものじゃない。愛する人を想い続けるのは、それ自体はとても素晴らしいことだと思える。けれど彼女の場合は、ひどく捻じ曲がった恋慕のような感情だった。

 死んだ両親、死んだ祖父のため。うら若い少女が届かぬ恋に身を焦がすように、彼女は周囲の大切な人や物を思ってその身を焦がしていた。割り切れないまま、引き摺ったまま、自らを省みないままに。

 

 けれどその一点を除けば北條彩夏は普通の少女だった。

 特別頭がいいわけでも、運動ができるわけでもない、普通の少女。ただ、IS適正だけは常人を遥かに上回っていただけ。

 

 ISの基礎を教える内に、真耶たんと呼ばれるようになった。曰く、先生がかわいいからイケナイ、らしい。

 自然とお互い笑って、遊んだりショッピングをしたりするようにもなった。年の離れた妹ができた。彩夏も”姉妹って、こういう感じなのかな”と言っていた。

 

 人はこんなにも変わるものなのかと思い知った。思い知らされた。

 ”出向先”から戻った彼女はさながら死人のようだった。やせ細ったみすぼらしい姿を今でも覚えている。黒髪はストレスで傷み、あちこちに傷を負っていた。もちろん心にも。

 何かが憑いたようにルーチンワークをこなす姿。無心でたからものを手入れする姿。時折つぶやく意味不明の会話。ジョン、マック、シルヴィア、ヴェイド、ライリー、ジョンソン、ペレス、エミリー……名前は様々だった。

 私や織斑先輩の声は届かない。だけど彼らの無言の声は、彼女にだけ届いていた。

 

 死んでしまったならまだ諦めがついたかもしれない。物言わぬ亡骸になった彩夏を想像し、自身の抱いた忌まわしい妄想に恐怖した。だけど、彩夏は生きている。心を失ってなお、少女はまだ最後の一線を越えてはいないのだと気づけた。

 プレゼント箱はパンドラの箱だった。その中には彼女を決定的にへし折るだけのものが存在した。実際に彩夏は死の淵に足を踏み入れてしまった。けれど箱の底に残っていた僅かな希望を手に、私と織斑先輩は彼女を黄泉から掬い上げることができた。

 

 自らの命を絶つことはしなくなった。少しだけ感情が戻ってきた。すぐにネガティブな思考に陥り、情緒不安定なままではあったけれど、受け答えははっきりとしてきた。おずおずと甘えてくるときもあったし、立ち直りつつはあった。ただ、彼女の心の型だけは定まらないままになっていた。

 どうすれば立ち直れるのかと織斑先輩と試行錯誤する中で、彩夏がちらちらとISの本を眺めたりするのを見て、もしかしたらと思いIS学園に入れてみてはどうかと提案した。

 

 入試と称した実弾戦闘。彼女の心的外傷を抉るような方法。最初は引き金を引くことすらできず追い立てられ、無様に逃げるだけしかできなかった。小さな悲鳴をあげ、震える手足を必死に動かして避け続ける。かつては私を圧倒したことさえあった教え子が、こんな痛ましい姿を晒す。それ以上に彼女を立ち直らせることができない自分が悔しかった。

 

「起きなさい!」

 

 リヴァイヴの通信越しに怒鳴りつけた。私らしくもない方法だと思いながらも、叫ばずにはいられなかった。

 案の定、彩夏は”ひっ”と恐怖の表情に顔を歪めた。

 

「そんな有様で何を守るんですか? こんなもので終わりにする気ですか!?」

 

 彼女は何も言い返さない。視線は右手のライフルに向けたまま、悔しさに涙しながら苦い顔をしたままだった。

 

「彩夏! 貴女は守りたいといいましたね。でしたらまずは一つ守ってみせなさい! 私を倒しなさい! 私の初めての教え子として、私のセンセイとしての矜持を守りなさい!」

 

 ぐっ、と彩夏が立ち上がる。

 

「さあ……来なさいっ!」

 

 きっと彩夏は脳裏にフラッシュバックする絶望に立ち向かっている。一度は自身が挫け、心をへし折られた非情な現実。失う恐怖と孤独の絶望感に、今一度向かい合っていた。

 銃を握り締める手は指先を動かすことにも一苦労し、忌々しげに口元を歪ませていた。

 どうすればいいのか迷いながらも、涙を払い立ち上がる。その姿が、今も目に焼きついたままだ。

 

「……まるで姉妹だな。似てない姉妹」

「先輩…どうかしましたか?」

「もう放課後ですよ山田セ・ン・セ・イ」

「すっ、すみません! 織斑先生!」

 

 気づけば空は黄昏に染まり、彩夏ちゃんはすやすやと胸の中で眠っていた。涙の痕を見て、どれだけ泣いたのかがわかる。今まで行き場を失ってた分が怒涛の勢いで流れ出たのだと思う。

 やっと受け止められた。私の大切な妹を、失わずに済んだ。こうやって安らぎを感じるのは久しぶりかもしれない。

 

「大きな子供だな」

「子供ですよ。まだ十六の子供なんです」

「……立ち直れた、と思いますか? 山田先生」

「きっと大丈夫ですよ。織斑先生」

 

 安らかな寝顔には涙の痕が残ったまま。だけどその寝顔は少し微笑んでいるようで。

 

「…かわいい寝顔です」

 

 無性にそのほっぺたをつついてみたくなる。

 

 

第十四話 スピリット オブ ファイア

 

「はぁー、もう夜だし…」

 

 四月上旬とはいえ、日没はすぐにでもやってくる。ましてや放課後まで寝ていたのだから、授業が全て終わった後となれば既に十六時を過ぎている。よく眠れたのは確かだけど、ここまで寝る必要はなかったかもしれない。既に夜も更け、十九時を過ぎた。廊下に人の姿も影もなく、ただ風音が聞こえるだけの道がまっすぐに続いている。

 

「…やっぱり恥ずかしい。真耶さんの前であんなになるなんて…」

 

 感極まったとはいえ、少しばかり甘えすぎだったかもしれない。だけど真耶さんも織斑先生も妙にほっこりとした顔であったのはどうしてなのか。織斑先生は普段どおりのピシッと決まったクールビューティーのままだろうけど、真耶さんはきっと明日もにやけ面のままかもしれない。

 

「それに言い訳も考えてなかった…!」

 

 セシリアにどう言ったものか。きっと問い詰められるだろうことは目に見えている。なんであんな真似をしたのか云々という質問は確実に飛んでくる。

 まだ大丈夫だ。精神的には落ち着いている、はず。少なくともあの日の悲劇を夢に見ることはなかった。彼らの存命の頃の夢を見て泣いてしまってはいたけれど、ぽっかりと抜け落ちた心の中にストンと何かが落とし込まれたような気分。少しの違和感を覚えたけれど、以前のような寂しさは感じない。自然とその違和感も消えていくだろう。

 

「…セシリアに正面から向き合えるかどうか、だけど」

 

 やはり全てを話すことはできない。自身の中でもまだ重い枷のままになっているんだから、それをおいそれと他者に伝えることは悪手だ。少なくともセシリアは彼女の、シルヴィアの生存を信じている。それを叩き折る事実を、未だ覚束ない足取りで立ち直ったばかりである私では伝えられない。

 

「覚悟は決めないといけないんだろうけど……どう、どのタイミングで伝えればいいのか…」

 

 ぽん、と右肩に重みがかかる。その手を払いのけて振り向きざまに右胸のシースに収めたナイフに手をかけ、右手は腰のホルスターに収まているガバメントを引き抜く。

 白い指先、青い瞳、先がカールしたストレートのブロンドの髪。青いヘッドドレスの少女。背格好は私と同じくらい。

 …どう見ても敵じゃあない。セシリア・オルコット。私の、友人。

 

「ちょっ!? お待ちください、彩夏さん! 私です!」

「はぁ……セシリア…。驚かさないでよ…」

「驚いたのはこちらのほうです。いきなりそんな風に警戒をされては困りますわ」

「ごめんなさい。少しばかり気が立ってたみたい…」

 

 危うく流血沙汰になるところだった。敵の気配を嗅ぎ分けることさえできなくなったとでもいうのか。鈍ってる。ISにしてもそうだけれど、欠かさずトレーニングを積んできた戦闘訓練でも、実戦で得られた感覚というものまでは補えないらしい。

 

「…と、そういえばどうしてセシリアがここに?」

「ど、どうして、ですって?」

 

 むっ、と顔をしかめ、セシリアが不機嫌そうなオーラを発し始める。

 

「夕方には戻る、と織斑先生から聞いていたのに、まっっったく戻ってこないルームメイトを探して! こんな夜分に校舎を捜索していたのですけれど!?」

 

 セシリアは大仰な身振りでビシッと私を指差し、あたかも某ゲームの判事だったか弁護士だったかのような勢いで私に詰め寄る。

 ……確かに夕方には戻れと言われた覚えはある。まあ、つまり忘れていたわけだけども。

 

「ごめんなさい…! すっかり忘れてた…」

「わっ、忘れてたですって!? 織斑先生に問い合わせても”もう部屋に戻らせた”と聞かされて心配して飛び出して来てみればド忘れしていてそのままほっつき歩いているだなんて信じられませんわ! 大体貴女は試合で負傷した怪我人なのですから! そのような心配をかける真似を謹んで戴かなければ周囲の人が困りますのよ! 織斑先生や山田先生も心配して探しておられるというのに! 彩夏さんが他人のことを気遣うのは構いせんけれど、もっと自分を労ってくださらないかしら?」

「返す言葉もございません…!」

「わかったのでしたら、さっさとお部屋に戻りますわよ。これ以上フラフラと歩き回られてはココの具合が心配ですわ」

 

 とん、とセシリアは指先で私の額をつつく。私を小馬鹿にするような仕草だけど、顔はずっと面白いものを見れたと言わんばかりに笑みを浮かべたままだ。

 

「軽めですけれど、食事も用意してありますわ。きっと何も食べていないでしょうから、食堂で作ってもらいましたのよ」

「ありがとう! ずっと寝てたからお腹が減って仕方なくって」

「いっぱい食べる彩夏さんには少し物足りないかもしれませんけどね」

「……私は平均的な食事量です!」

「ふふっ、いっぱい食べる彩夏さんも私は好きですわ」

「私はハラペコ押しのキャラじゃないんだから、やめてください」

「でも、甘いものは別ですのよね?」

「とーぜん! さっさと部屋に戻りますよ!」

 

 さあ、甘味が私を待っている!

 

 

「あー、幸せ…」

「うふふ、彩夏さん……少し緩みすぎですわよ」

「人類は甘味に勝てない。それが真理です」

「真理かどうかはともかく、彩夏さんには効果覿面ですのね」

 

 品数は少ないながらも焼き魚に漬物、それに白いご飯とお吸い物の定食がそこにあった。

 そして食後には葛餅。なかなかのチョイスである。就寝前の甘いもの、とはいえカロリーの摂り過ぎはお腹に余計なものを備える原因になる。黒蜜ときな粉の分量には要注意。こいつは少量でもかなりのカロリーを備えている。ヘルシーそうな見た目とは裏腹に、意外と高カロリーなのである。

 

「んふふー! やっぱりおいしいっ!」

 

 わかっていても負けてしまうときがある。人間にはどうやっても抗えない欲求がある。三大欲求が存在するように、私は甘味に対する欲求に逆らえない。心は既に屈服してしまったのだ。

 だから、私は悪くない。

 

「以前にまして生き生きとしてますわね」

「……そうかなぁ?」

「ええ、それはもう雲泥の差ですわ」

「大して変わらないと思うんですけど…」

「いいえ。まったく違いますわ」

 

 青い瞳が私を見る。ぞくり、と心が底冷えするような眼差し。葛餅を食べる手を思わず止めて、私は楊枝を皿の上に置く。

 

「彩夏さん。少し前の貴女がどんな人間だったかわかりますか? 必死に何かを押し殺して、今にも崩れそうな足場に恐怖して、それでも自分は大丈夫だと気丈に振舞っている少女でした。切り貼りしたような表情は、貴女の生気をあまり感じなかったのです。きっと初対面の人や友人程度ならば誤魔化せたかもしれません。ですが私は、貴女と寝食を共にするルームメイトです。あの夜の貴女を見ていなくとも、気づくのは時間の問題だったでしょう」

「……私、そんな風に見えてたんだね…」

「ええ。けれど、そう、今はもう以前のような感じではありませんわ。ありのままの彩夏さんだと、そのまま素直に信じられます。好きなものを好きと言い、やりたいことをやる。貴女の持つ自然体の姿だと思いますわ。何がきっかけなのかはわかりませんけれど、貴女は少し変わったんだと思います」

 

 そう。私は前に進むと決めた。未だにISに乗る理由は見つけられないままだし、何ができるのか、何をすべきなのかも掴めないままだけど、それでも答えを探すために進むと決めた。私の意志で、彼らの教えを胸に、私らしく。

 

「セシリア」

 

 だから伝えよう。精一杯の感謝と謝罪と喜びを込めて、彼女に捧げよう。

 

「ごめんなさい。私はまだ、私自身の後ろ暗いものを打ち明けられるような勇気がない。正直なことを言えば、これは私が墓場にまで持っていくつもりのものだから」

「……辛いもの、なのでしょうね。きっと聞く側にとっても」

 

 私はただ小さく頷く。あの事件の詳細は国家機密に等しい。非正規部隊を編成してまで行われた謎のISの調査。家族には死亡さえ知らされないまま、MIA扱いのままに時間が過ぎ、忘れられたころに死亡したものとして彼らは扱われるのだ。生き残ったとしても軟禁され、そして事件に関して口外することを禁じられる。破ればどうなるかなど容易く想像がつく。どこか地球の片隅で、謎の死体が一つ出来上がるだろう。

 今の私が政府からの束縛を逃れられているのは偏に織斑先生のお陰だ。先生の根回しに加え、IS学園という治外法権の地に私を放り込むことで、どうにか難を逃れたわけだ。

 

「だけど、セシリアにだけは……伝えなければいけない。ううん、絶対に伝えたいことがあるの。まだ覚悟が決まらない今は話せないけど、必ず話すから」

「わかりました…私も心構えをしてお待ちしていますわ」

「…ありがとう。セシリアが居てくれて、本当によかった」

「……ふふっ。どういたしまして、彩夏」

 

 にっこりと、私が今まで見たこともないような微笑み。

 きっと、彼女も自分のありのままの姿を見せられなかったんだろう。どこかよそよそしい私に、無意識に警戒していたのかもしれない。

 けれどもう、私は彼女を疑いはしない。私の、私らしい言葉で、私の意志で向き合おう。

 

「こんな私だけど、これからも友達で居てほしいんです。セシリア」

「こちらこそよろしくお願いしますわ。彩夏」

 

 テーブルごしに、堅い握手が交わされる。そこには確かな熱を感じる。この手が離れても、この炎のような温かさは消えることはないだろう。

 シルヴィア。やっぱり私と彼女は、気が合うみたいだ。

 

 

 そうして始まった学生生活。日が経つのが早いと感じるのは見た目異常に精神が歳を経ているからかもしれないけれど、学校の授業というもののせわしなさに戸惑っているためだと思う。

 ISの扱いの初歩の初歩。ISが稼動する原理や動かし方の基礎を教えるのは山田真耶先生。つまりここしばらくは真耶さんが主役なのですごく保養になる。

 織斑先生は主にISの実技、及びそれに伴うトレーニングなど身体面での教育が主たるもので、基礎をしっかりと学ぶ時期である一学期はISそのものを用いた授業は少ない。授業数では少ないものの、密度と緊張感は飛びぬけている。身内が常に授業を、私の動きや仕草を見ているのだから、緊張しないほうがおかしいのだ。

 クラス代表は織斑一夏がすることになった。おおよその推測通りな展開ではあったと思う。ただクラス代表就任パーティーなるものが開催され、甘いものがたくさん並んだという。私は念のための検査入院で二日もつぶれたというのに…!

 桜が散り、青い葉が揃った四月後半にさしかかろうとしているころ。初夏の風がほんの少し感じられるようになって、遂にISの実機を用いた授業が明日行われる。

 ホームルームを終えてクラスメートたちは所属する部活のメンバーと部室へ向かったり、友人とおしゃべりしながら帰り支度を始めている。

 

「くっ……自分だけ甘味を楽しむなどと…」

「彩夏、まだそれを引き摺るのか?」

「箒はくやしいと思わないの!? 自分だけ美味しい甘いものを食べ損ねてしまうなんて、悔恨の極みもいいところです!」

「まあまあ落ち着けよ。もし今度の日曜が開いてるんなら、今度レゾナンスのスイーツ食べ放題の店に一緒に行こうぜ」

「さらっとデートのお誘いですか。いいですよ。一夏の所望するホテルまでは付き合えませんけど、スイーツ食べ放題くらいならウェルカムですよ!」

「一夏アァッ!」

「所望してないっ! 危ないから木刀振るな! あとなんでホテルに泊まるなんて話になってんだよ!」

 

 白刃取りなんて初めて見た。ギャグコメディくらいでしか見れないと思っていたんだけど…。

 

「からかうとおもしろそうだと思っただけで…」

「やめろ! 俺を死なせる気か!?」

 

 そんな見事な白刃取りの態勢で言われても説得力がない。それに一夏はしぶとそうだし。

 

「大体箒もなんでそこまで怒ってんだよ! しかもスイーツ食べるだけでホテルに行くって、どんだけ高価なお菓子食べるんだよ!?」

「ねえ、箒」

「な、なんだ…!?」

「こんな一夏で、将来大丈夫?」

「だっ、大丈夫だ!! きっと! た、多分……大丈夫、のはず…」

「多分なのかよ!」

 

 やっぱりおもしろい。これだから箒を煽って何も理解できていない一夏をからかうのはやめられない!

 とはいえこれ以上はやはり不憫。ここまでにしておこう。

 

「そういえばようやく実機の授業……鈍った分を取り返さないと」

「確か、彩夏って専用機は持ってないんだよな?」

「まあね。弘法筆を選ばず、って言うほど腕が立つわけじゃないけど、代表候補になるまでにいろいろ乗ってきたから現行のISのほとんどは操縦できるんですよ」

 

 現行機のほとんどは大型の装備や装甲・シールドの類を装備しており、それらが等身大の人間サイズで装備されているあの天使とは扱い方が違う。

 回避一つにしても差が生まれるし、武装も現行機より一回り小さなライフルやマシンガンを携行する。性能で言えば現行機よりも上を行くが、あくまで現行機は第二世代。少なくとも第三世代とはどっこいというところだが、パワーの面で言えば一部の機体相手ならば劣っている。

 大型の火器を多く扱うことはできないし、少なくとも対IS以上の使用用途に、特に広範囲に対する制圧攻撃や対多数の戦闘に於いては明らかに不利である。

 それでもサイズダウンしつつ新鋭機に追いすがる性能があるだけ、十分にプロジェクトは成果を得ているわけではあるのだけれど。

 

「私も剣を振って十年にはなるが、経験豊富というのはこういうことを言うんだろうな」

「…本当に同じ高校生なのか?」

 

 一夏と箒は感心したような表情で私を見る。しかしなんだその目は。まるで私がサバを読んでいるのではないかとでも言いたげな目は。

 

「とりあえず一夏、いっぺん死んでみます?」

「そうだな。とりあえず一夏は一度死ね」

「理不尽だ!」

 

 一夏クン、私は歴とした十六歳(ただし精神年齢三十路越え)なんだからそんなこと言っちゃイケナイよね。

 それにしても、何もかもが懐かしく感じる。”俺”にもかつてこんな時代があったんだと思い返す。

 仲のいい友人とバカなことをやって大笑いした。初恋の相手に告白して、回答ももらえないままで苦い思いをした。友人とくだらないケンカで三日間口をきかなかったりした。一緒に樽酒を浴びるように飲んで、ブッ倒れた後輩の介抱もした。卒業論文の提出期限にインフルエンザに罹って、朦朧となりながら提出したこともあった。

 ……今度はもう少し自制して学生生活を送ろう。

 

「アヤカ、一夏さん、こちらにいらしたのですか」

「…セシリア? どうしたの?」

 

 ばつの悪そうな様子でこちらを見るセシリア。どうにも言い出しにくい内容なのか、言葉はまだ出ない。

 

「実は、織斑先生から第三アリーナに二人を呼ぶように言われまして……その、何か、険しい表情だったので…」

「…私は何もしてないです。これっぽちも心当たりがありません。きっと一夏のせいだね」

「俺に擦り付けんなって。大体俺も問題なんて…」

「一夏、教科書を間違えて捨てたのはどこの誰だ?」

「うぐっ」

「箒の裸体と私の下着姿で興奮してたのはどこの誰でしょうね?」

「ぐはっ!」

「あの、箒さんもアヤカも、もうそのあたりでいいのでは…?」

 

 さすがのセシリアも一夏のトラウマ(ご褒美も混じってるけど)を抉るのを見て不憫に思っているらしい。

 

「しかし一夏にも心当たりがないのなら、ますますわからないんですよね。何か問題を起こしたわけでもなし、ましてや補習授業は真耶姉さんが受け持っていますし」

「先生はとにかく呼んで来いの一点張りで……申し訳ありませんわ」

「まっ、とりあえず行ってみるか。千冬姉がカンカンになっちまう前にさ」

「…だね。出席簿を脳天に喰らいたくはないですし」

 

 そんな流れの外に、うずうずと何かを言いたそうに、しかし言い出せなくて悶える少女が一人居る。どうやら一夏が呼び出されたのが気になるみたいだけど…まあいいか。

 

「箒、私と一夏と、一緒に怒られにいきません?」

「だっ、誰が自ら好んで叱られに行くものか!」

「まあまあ、気を失った私に一夏が手を出さないか見張ってくれればいいだけですから」

「……た、確かにそれは重要だ! 一夏は前科持ちなのだからしっかり私が手綱を握らなければな!」

「俺はペット扱いですか、そうですか…」

 

 手綱どころか手を握って引き摺りながら箒はすたこらさっさと歩き出した。

 ……不器用な接し方になるのはわかる。”俺”も高校や中学の時は好きな女の子の前ではうまく会話することもできなかったから。

 

「……一体何と耳打ちしたんですの?」

「さあね」

 

 気になるのはわかるけど、そう睨まないでおくれよマイフレンド。

 

 

 第三アリーナのピット内には一機のラファール・リヴァイブが鎮座していた。

 しかしよく見るとただのリヴァイヴというわけではない。背面のスラスターの形状、シールドが一枚しかない点、そしてそれに付随するグレー・スケールの有無。…つまりこいつはラファールの上位機種、ラファール・リヴァイヴのカスタムタイプというわけだ。

 ガンメタルの装甲が放つ鈍い輝きが、左腕に備えた武装をより凶暴に見せている。さながら地を這う狼のような威圧感。オールドと甘く見れば一撃で葬られるぞ、と無言の警告を投げかけているようにも見える。

 

「専用機、ですか」

「違うな。あくまで仕様の変更と機体の継続利用が認められたというだけだが」

「つまり、常時利用はできないと」

「そうなるな。あくまで学園に配備されたラファール・リヴァイヴのうち一機をお前に合わせた仕様と装備に換装して利用できるようになる、というだけだ。所有権はIS学園にあり、この機体の利用は学園内及び学園行事や授業における利用、それと非常事態や整備期間のみとなる」

 

 スペックデータはおおよそ通常のラファール・リヴァイヴと大差ない。だが機能を拡張するパッケージやそれに付随する装備類を使用できるため、通常の機体とは利便性が違う。

 リヴァイヴの魅力はオールラウンダーな性能でも、カスタムタイプのパッケージによる特化機能の付与でもない。

 自身に見合う最適のスタイル、武装や機能に自由度の高い選択肢があることが重要だ。武装一つとっても他機種との互換性を考えれば実に二十種以上、更にパッケージ専用装備などを含めればもっと増える。

 他にもECMやチャフ、フレア、デコイなど敵を撹乱することを目的とした装備を考えると正に十人十色の戦闘スタイルができあがるわけだ。

 多彩な武装をラピッド・スイッチで次々繰り出すこともできる。電子戦装備で索敵や狙撃に徹することもできる。どこかのバカみたいに対物ライフルを装備したまま高速機動戦闘からの近接強襲なんて荒業さえできる。

 つまるところ、どんな要求にも応えられるその引き出しの多さが魅力なのだ。

 

「で、千冬姉……じゃない織斑先生。なんで俺まで呼ばれたんですか?」

「簡単な話だ。こいつのテストと慣らしのためだ。それにまだお前は北條と戦ったことがないだろう? お前が少しでも経験を積みたいなら、北條に胸を借りるつもりでぶつかってみればいい」

「……む、胸を借りる…」

 

 あかん。それ、NGワード。

 

「フンッ!」

「うわぁぁぁぁぁ!」

「一夏ぁぁぁ!!!」

 

 吹っ飛んだ。人間の体が、まるで車に撥ねられたような軌道で五メートルは吹き飛んだ。

 一体どうなっているんだこの世界の人間は! ええい、アニメやマンガじゃないんだぞ!?

 

「…何があったのかは聞かないが、また愚弟がやらかしたのだろうな」

 

 織斑の姉上は既に諦観の境地に到ってしまっている。その前に一夏の心配すらも入らないあたり、もう手遅れなのかもしれない。

 

「まあいい。阿呆が目を覚ますのを待ってから演習を開始するぞ。彩夏、今すぐにでも戦えるな?」

「本当に今すぐやるんですか…?」

「常在戦場。お前はそんなことも忘れたか? ISに乗るということはそういうことだと言ったはずだが」

「それ、は」

 

 確かに、それは心得ろと最初に教えられたことだ。専用のISを持つということは一つの軍団に相当する戦力を個人が持つのと同義だ。故に、その操縦者と周囲の人間は常に敵から狙われる。いつ、どこで戦闘になってもおかしくなどない。そもそも戦闘すら起こらないかもしれない。世の中には暗殺を請け負う組織なんていくらでもいるのだ。

 戦場の家族から学んできた、かつてのあの日の自分を思い出せ。移動中の襲撃なぞ日常茶飯事だったじゃないか。夜襲に奇襲、トラップに人質まで、様々な戦場を見てきたはずだろう。

 

「わかりました」

 

 そうだ、腹を決めろ。ここは日本国内だけど、いつ戦場になったっておかしくない。各国の重要人物が訪れることもある、世界のパワーバランスを象徴する学園なのだ。

 テロの可能性もある。組織的な決起が起きる可能性もある。はたまた国家レベルの戦力がここを襲う可能性もある。

 思い出せ。周囲に気を配れ。いかなる些細な変化も見逃さず、常に冷静に障害を排除する冷徹さを備えろ。戦場の空気を、死の気配を嗅ぎ取るあの本能を再び目覚めさせろ。

 

「……彩夏、お前のその力は歴とした自身の力だ。恥じる必要などない。お前が今まで積み上げてきた全てだ。自分のあり方を貫いていけばいい」

「はい、先生」

 

 後押ししてくれる先人が居て、助けてくれる友人が居るのだ。まずはこの素晴らしい二度目の生に感謝し、そして死んでいった彼らに祈りを捧げよう。この指で引き金を、弔砲を放とう。

 それはきっと、私の二度目のスタートを告げるものでもあるのだから。

 

「さあ、行くよ…相棒」

 

 制服を脱いでISに身を委ねる。セシリアとの模擬戦のときとは違う。使い慣れた銃を握るように全身装甲のISを身に纏う。調整がまだ十全でない分、多少の鈍さはあるが動くことに支障は無い。腕を、足を、胴体を、そして首周りまでを覆う黒の防護スーツが展開され、その上に薄手ながらも装甲が付加される。

 装備はグレー・スケールにアサルトライフルと大型カノン砲、更に近接戦用のショットガンに近接ブレード。こちらは豊富な武装と容量に余裕のあるリヴァイヴだが装甲はノーマルなので平均程度。対する一夏の機体は近接主体で装甲も厚い。その上瞬間的な加速力で言えば平均的な高機動型のIS以上。オマケに乗り手は腕が錆付いたとはいえ剣の心得のある人間だ。一瞬でも気を抜けば即座に詰め寄られて一薙ぎで切り捨てられかねない。

 ここはやはり搦め手、だろうか。近寄られた際の防御面を考えて剛性の高い打鉄のブレードと、ナイフを一振り。ブレードはそのまま左盾の裏のグレー・スケールがあった場所に配置し、ナイフは腰の後ろ部分のハードポイントに装備。グレネードランチャーとフラッシュバン、予備のハンドガン二丁を格納し、マスターキー装備のアサルトライフルを手に取る。

 ……ちらりとGAU-8なんて文字が見えた気がする。砲戦パッケージの盾の裏に2門ずつ備えて、30mmのタングステンの雨……やばい、濡れそう…。

 

「アホなこと言ってないでさっさと決めろ!」

「はうっ!」

「織斑先生! 今、絶対防御の上から貫通していたのでは…?」

「命に別状の無い出席簿程度で発動してたまるか! セシリア、貴様も余計なことを言ってないでさっさと戦闘のモニター準備をしておけ!」

「いたっ!」

 

 …シールドエネルギーが若干減っているのは気のせいだ。きっと、気のせいだ。

 

「…装備は整ったか?」

「はい」

「では、心構えのほうは?」

「……正直、まだISに乗る理由は見つかりません。でも、どうにかやれる気がします」

「急くな。急がば回れ、だぞ北條彩夏。気力を取り戻したことは結構だが、空回りは許さん。今のお前にできることから少しずつ進んでいけばいい。……さあ、行ってこい!」

「…了解!」

 

 できることをする。言うのは容易いけれど、なんとも無茶なお題目だと思う。けれどやってやれないことはない、と思える。

 今までには無いほどに視界が冴えてくるようだ。感覚が冴えている、というのか。まるで温まったエンジンのような心臓の鼓動までもが聞こえる。

 

「CORAL3、出撃します!」

 

 炉心の火が、爆ぜる。

 



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チラ裏投稿の作品の原型2

 

 

第十五話 自らの意思

 

 黒のリヴァイヴが彩夏の専用機……みたいなものらしい。アリーナをぐるぐると旋回する中に、白式と共にカタパルトから打ち出される。

 ぐっとかかる衝撃を堪えて、観客の居ないアリーナの空で待つリヴァイヴに併走する。

 

「彩夏、お手柔らかに頼むぜ」

「一夏も、怪我しないようにね」

「そっちこそ、舐めてかかると痛い目見るぞ?」

「ふふ、いい気迫だけど……どうかな」

 

 こいつの実力はわからない。だけど初心者の俺とは違う、戦いを知る強いヤツ。セシリアは俺と戦った時、どう見たって実力を隠して戦っていた。最後のほうはどうにか食いつくことができたけれど、あれは白式の一次移行と動揺の隙をつけたからだ。それに勝てたわけでもない。

 一度やりあったからわかる。セシリアの全力はビットの使用だけじゃない。ビットを織り交ぜて敵を囲い、撹乱しつつ追い立てて仕留める。狩人のような現実的で理知的な戦い方だ。

 そしてその戦い方で代表候補の彩夏を追い詰め、勝利を手にするところにまでいっていた。最後は彩夏の捨て身の一撃で引き分けに持ち込まれたけれど、その実力は俺なんかを軽く圧倒している。

 なら、彩夏の実力はどうなんだ?

 第三世代のブルー・ティアーズを相手に、第二世代のISで、特殊な武器や装備も無しに引き分けに持ち込んだアイツの実力は?

 

「一夏、私もそれなりに頑張ってみる」

「……それって」

「押し倒された分のお返しってワケですよ!」

 

 銃口が向けられる。

 

「うわ! あぶねっ!」

「さあ、気合入れて来なければコテンパンに伸してしまいますよ」

「……上等っ!」

 

 やる気だ。いいぜ、こっちだってタダでやられてやる気はない!

 

「開始まであと五秒。お互いの距離が2000になるまで離れろ」

「一夏さん、今回は私がモニターいたしますわ。頑張ってくださいね」

「セシリア……わかった。サポート頼む!」

「試合開始!」

 

 開始を告げるブザー。と、同時にロックオン警告が表示される。

 

「ぬおっ!」

「さすがに避けるね」

「この距離だしな!」

 

 ライフルを構え、彩夏は右に左に移動しつつ接近してくる。時折バースト射撃で仕掛けてくるけど、当てるためというよりかはこちらを動かすための牽制射撃。

 

「いくぜ!」

「っと、危ないですね」

 

 瞬時加速し、距離を詰めてマシンガンをばらまく。弾幕を警戒して、彩夏は即座に大きく右へブースト。一度姿勢を立て直そうとしても、そうはさせない。

 向きを変えて瞬時加速。一気に距離を詰めて片手で袈裟切りを放つ。

 

「おらあっ!」

「さすがに速い!」

 

 ギャリッ、と金属のぶつかり合う音。見れば既に彩夏の左手には一振りのナイフがあった。

 ナイフでブレードを受け止めるなんて、そう簡単にできるようなことじゃないだろ!

 

「高速切替……いつの間にやったんだよ!」

「そんなのしてないですよっと!」

 

 組み合った姿勢からナイフをずらすことでこちらが放った太刀筋が逸れる。 

 

「せいっ!」

「ぐっ!」

 

 首筋に走る鉛色の軌跡。シールドでどうにか弾けたものの、これが生身だったなら今頃死んでいた。

 

「ほらほら止まってたらダメだよー?」

「うっ、こ…のっ!」

 

 ナイフの軌跡が次々と走る。間接、腹、動脈が近い部分、寸分違わずに閃光のような軌跡が尾を引いて走る。シールドは次々に削られていく。少しずつ、だけど確実にこの命に届こうとしている。

 だめだ! 弱気になるな! 絶対防御だってあるんだから死にはしない! 動け!

 

「くっ…のおりゃああ!」

「甘いよっ!」

 

 二度目の薙ぎも紙一重で回避される。その瞬間、目が合う。

 鋭い眼光を放つ双眸。きり、と引き締まった凛々しい表情。どくん、と波打つように心臓の鼓動が聞こえる。

 それを見たのはいつだったか、野生のオオカミの眼を思い出す。獣のような荒々しい、だけどとても自然体でスマートな印象を与える、神秘的な感覚。

 黒い鎧と風になびく黒髪のその女の子に、釘付けになる。

 

「……千冬姉? ちっ!?」

 

 気づけば、ナイフの先端が視界をさえぎった。逆手に持ち替えて振り下ろされたナイフを寸でのところで避けきると、マシンガンを向ける。

 

「一夏さん、逃げてください!」

「ぐわっ!」

 

 全身に打ち付けるような衝撃。見ればエネルギーが削り落とされている。視線の先にはアサルトライフルを構えた黒いリヴァイヴ。その左手は銃口の下にある、一回り大きな砲口に添えられている。

 

「それ、ショットガン…かよ」

「マスターキー、なんて呼ばれてますよ。ショットガンって扉の鍵を壊すのに便利なんです」

「物騒なキーだことで!」

 

 すかさず二射目が発射されるよりも前に回避する。小型とはいえ、これだけ近けりゃどうやってもダメージはもらっちまう。

 

「距離が近けりゃショットガン、遠ければライフルか……どうすっかな」

「一夏さん、アヤカは高速切替も得手としています。仮に隙を突いて懐に飛び込んだとしても即座に迎撃の手を打ってくるはずですわ」

「じゃあどうしろって言うんだ!」

「リロードのタイミングを見るほかありませんわね。火薬の爆発などで推進力を持たせた弾頭を射出するわけですから、当然マガジンの交換を行わなければいけませんわ。そしてその瞬間はかならず無防備になってしまいます」

「でもショットガンはどうする?」

「マスターキーはあくまで補助火器です。アヤカは奥の手を用意していることでしょうけれど、近接ブレードは眼に見える位置に既に装備されていますから、これはブラフと見るべきでしょう。もちろん場合によっては引き抜くかもしれませんが」

「なるほど。つまり、どういうことだ?」

「ある程度の損害は覚悟で突っ込むしかない、ということですわ。シールドに対して実弾兵器の与えるダメージはレーザーやビーム兵器に比べれば劣るものですが、チリも積もればなんとやら。先日の私との対戦でも偏差射撃や高速切替を用いた銃撃でやりあっていたのですから、アヤカの射撃の腕は相当のものですわ。おそらく、ヴァルキリー相手にも通用するほどに」

「それほどに、かよ」

 

 息を呑む。千冬姉が惚れ込むのも、そういうことなのか。

 あの時、セシリアとの対戦で彩夏が気を失ったときに見せた表情。引き分けだったというのに、どこか誇らしげで、だけどちょっとあきれたような顔だった。

 今までに見たことがなかった。あいつは俺の知らない千冬姉の顔を知ってるのか。あんな風に優しげに笑って自分を見てくれているのか。

 

「アヤカの小型ブレードとショットガンはおそらく見せ札ですわ。接近か離脱かの二択を選ばせるように見えて、その実離脱の一択に誘導するためのもの。アヤカは射撃に寄っているとはいえ近接もこなせるオールラウンダー。幸い一夏さんはマシンガンです、やりようはありますわ」

「そいつは、おっと……! どうすりゃいい…ぐうっ!」

 

 回避しながらの作戦会議ってはほんと面倒だな!

 

「簡単ですわ。ライフルは中距離から遠距離、そしてショットガンは至近距離での対応のためのものです。ライフルで撃つには近くて、けれどショットガンで対応しようにも距離があって効果が薄い……その間合いからマシンガンをばら撒きつつ近接を狙うというのが常道でしょうか。こちらはいつでも斬り込めるぞとプレッシャーをかけつつ、牽制も兼ねてマシンガンを当てて削るほうがいいでしょう」

「やるっきゃねえか!」

「危険を冒す者が勝利する。一歩の踏み込みが勝利の呼び水となるやもしれませんわね」

 

 恐れるな。間合いを計って、うまく相手の隙間へ飛び込めばいい。いつでも斬りかかることができるようにした上で、距離を保つ。難しいだろうけれど、やってみるさ!

 

「そう、いいですわよ一夏さん」

「くっ! ショットガンが地味にプレッシャーになってるな!」

 

 飛び込む。飛び込むタイミングを見るんだ。ショットガンのダメージはセシリアが予想したように大きくない。だが拡散するせいでどうしても少しばかりもらってしまうことと、迂闊に飛び込んで直撃を貰うことの恐怖が足を鈍らせる。

 だが彩夏のやつは両手で扱うのが基本のライフル装備だ。左右への移動に自身は即座に反応できても、片手でばら撒けるサブマシンガンにはどうしても一寸だけ遅れが出る。近い距離で右に左に動いて撹乱しているのが効いている!

 

「……セシリアの入れ知恵ですか。敵ながらいい判断ではあるけれど!」

 

 彩夏の表情が少し緊張感を増しているのがわかる。じれったいようなやりづらいような、歯がゆい感じの表情が見える。

 がちっ、と小さな音。引き金を引いたのに弾は来ない。彩夏が後ろに引こうとしたその瞬間を見逃さない。

 

「そこだああっ!」

 

 瞬時加速! PICの慣性制御の上からでも急加速の衝撃が体を突き抜ける。狙うのは一太刀で一刀両断。頭上に振りかぶり、一気に落として斬り捨てる!

 近くなる。黒いリヴァイヴを纏う少女の姿が掻き消えるような速さで近づく。

 

「一夏さん!」

「あ」

 

 間抜けな声が出る。そりゃそうだ。目の前には、既にアイツが、黒い風が迫っているんだから。

 

「……ふっ!」

「ぐっ…な…ぁっ…!」

 

 風が通り過ぎるように、黒い影は一閃と共に消え去る。遅れて、じわりじわりと焼け付くような痛みが腹に走る。

 ようやく理解できた。俺が剣を振り下ろすよりも速く、黒い疾風がライフルを捨てて神速の居合いで斬って捨てたのだ。

 

「そこまで! 演習終了だ。二人ともピットに戻れ」

 

 痛みが無い。いや、おかしい。そんなはずはない。確かに俺は斬られたはず!

 

「…ああ、そういや、ISなんだっけ…」

 

 絶対防御。搭乗者の生命を守るための緊急装置が働いたんだ。ISも解除されていないし、死ぬわけもない。けど、あの時俺は確かに感じたはずだ。

 死の淵……自分が斬られて死ぬ姿を想像してしまったのか。あの日以来感じたことのなかった感覚だ。

 殺気一つで相手に死の瞬間を幻視させる。そんな領域に、彩夏はたどり着いているのか。

 

「おもしれえ…!」

 

 打てども打てども柳のように受け流される。遠ざかれば正確無比な射撃。不用意に近づけば後の先を捉えるカウンター。おまけに最後のはきっと、わざと空撃ちしてみせたに違いない。

 

「絶対に超えてやる……!」

 

 

 眼を疑った。私の想像していたよりも遥かに、彼女は強いという確信に到った。

 アヤカは一夏さんを敢えて飛び込んでくるように誘導した。代表候補である彼女が弾切れの状態でトリガーを引くことなどまず無い。残弾の有無程度は体に叩き込んであるはず。

 にもかかわらず、彼女は銃を空撃ちした。しかしそれを敢えてやってみせたのだとしたら、それを好機と見た一夏さんは見事にハメられたとしか言えない。

 

「弾切れを敢えて見せることで一夏に近寄らせ、それを見越して瞬時加速と同時に居合いの一刀か………まあ現状にしてはよくやったほうだと言えるか」

「計算ずく、なんでしょうか?」

 

 隣でアヤカをモニターしていた織斑先生に尋ねる。

 アヤカの教導官として技術と知識を授けた先生の意見はどうなのか。

 

「だろうな。おそらく初期に想定していた決着とは違うだろう。お前が一夏のサポートに入っていると知ってから一夏の動きを制限するために銃口を向けることが多くなっている。一夏が焦りを感じ始めて勝負を急ぐように誘導したんだ」

「では一夏さんが大きく移動していたのは…」

「ショットガンを織り交ぜてプレッシャーを維持しつつ、ライフルのバースト射撃で一夏の動きを制御したんだろう。一夏は回避を意識していた分、銃口が向くたびにブーストで大きく移動している。それを察した彩夏はトリガーを引いてすらいない。一夏は射撃を受けまいと意識しすぎて、逆に彩夏が一夏の行動や心理を誘導しやすかった。その上彩夏自身はショットガンとバーストを使い分けて状況を長引かせることで、一夏の焦りを助長したんだ」

 

 ピットへ一夏さんの白式とアヤカのリヴァイヴが帰還してくる。一夏さんは負けたというのに、彼からはどこか吹っ切れたような清清しさを感じる。

 二人ともISスーツ姿だけど、一夏さんは額に汗を浮かべているのに対してアヤカは涼しげにタオルで汗を拭う程度。お互いなかなかに動いたと思うけど、案外この差が大きく出たのかもしれない。

 

「さて、二人ともよく動いたな。彩夏、リヴァイヴの具合はどうだ?」

「はい。やっぱりまだ少しばかり違和感がありますけれど、しばらくの調整と完熟訓練でものにできます。ノーマルのリヴァイヴ以上の拡張性があるので、いろいろと装備を試してみたいですね」

「ふむ。成果は上々というところか。織斑の腕はどうだった?」

「甘いですね。そして機体の扱いが荒いです」

「いっ!? そ、それは必死だったから…です!」

 

 突然振られると思わなかったのでしょう。慌てて弁解する一夏さんの焦りが眼に見えて現れている。

 

「それに、焦りがもろに顔に出てましたよ。私も顔や雰囲気に出やすいとは言われますけど…」

「だ、そうだ。今後は改善するように」

「は、はいー…」

「それで、一夏のほうは何か収穫があったか?」

「えっ? あ、えーと……代表候補ってすげー強いんだなーって」

「小学生かお前は!」

「いってぇ!」

 

 パァン、と破裂音に近い音を立てて出席簿が振りぬかれる。毎度思うことながら、どうして音が違うのでしょう。叩き方や力の加減で変わるのでしょうか。

 

「もっとよく考えて言ってみろ」

「っと、なんていうかやりづらかったかな。思うように戦えないし、得意な近接でも軽く防がれたりでどうにも打つ手が考え付かなかった。近づけばいいのか距離をとればいいのかわかりにくかった……です」

「だろうな。彩夏は基本的に射撃重視のオールラウンダーだが、その質は代表候補でもかなりのものだ。おまけに剣も扱える上に私が直接指導したんだ。一朝一夕でお前が優勢を取れるなぞありえん」

「ぐっ…わかっちゃいるけど、キツイ…」

「だがセシリアのサポートでどうすればいいのかはある程度わかっただろう? ISは知識だけではダメだ。もちろん正しい知識あってこそその機能を十全に生かすことができるが、経験に勝るものは無い。確認と試行、その繰り返しで精度を高めていくことが大切だ。慢心せず、努力を怠るな」

「はい!」

「もちろん戦闘中に焦りを抱えることは禁物だぞ。お前はただでさえ感情的なんだ。もっと冷静に落ち着いて戦場を見渡す余裕を持て。相手の戦力と自身の戦力とを比較し、どうすれば勝てるかを常に思考しろ。そして勝利のための最善を尽くせ」

 

 私とアヤカ。同じ射撃武器を主体に戦う者同士。だけど私はロングレンジ主体で、あくまで近接はオマケ程度。あの時はビットの制御がうまくいってよかった。もう一度やれと言われても彼女相手に二度は通じない。

 対する彼女は中距離を主体にしながらも、近接から遠距離までをカバーする技量を持ち合わせている。必要とあらばナイフや剣、未だ見てはいないながらもスナイパーライフルなども活用するはず。そして何より違う点が、戦い慣れているということ。

 最初に見たアヤカは積極さに欠けていた。あくまで迎撃、というよりも、逃げに徹するような姿勢。だけど、今日のアヤカは違う。

 トリガーに添えた指が躊躇いをもっていない。狙いは胴体の中心、心臓のあたりか頭部に集まっている。そこは、当たれば人が死ぬには十分な位置。撃ち抜かれれば死ぬ。大統領だろうと、赤ん坊だろうと、篠ノ乃束博士だろうとそれは変わらない。

 流れるようなマグチェンジ。精密なPIC制御技術。必要最小限の回避と的確な射撃技術。そして土壇場での踏み込み。そして迷うことなく危険の中に一歩を踏み出す勇気がある。

 

「代表候補……」

 

 アヤカの実力が語る。国の名を背負うことは、生易しいものではないのだと。

 

 

第十六話 誘惑

 

 私だってお洒落をしたいと思うのは当然だと思う。しがない十六歳の高校生。ちょっとだけ戦場でドンパチやって、ISを乗り回して破壊しまくって、敵軍を壊滅させてきただけの高校生だ。

 故に流行というものは多少は気になるというものだ。けれどやっぱり自信が持てないわけである。割と恥ずかしがりな傾向にあるのは自分でもわかってはいる。

 一夏と一緒に二人きり。要するにデート状態なわけである。周囲の目が気になるし、ファッションコーデに気を使った割りにどうにも自信を持てないままにここにいる。

 結局可愛い服を着る勇気が無い私は、黒いブラウスの上に黒色のジャケット(無論ホルスターを隠すため)を装備。紺色のスキニーパンツに革靴。……洋画に出てくる女性捜査官かってーの。

 

「ほ、本当に……いいんですよね? は、入る……んです…よね?」

「あっ、あのな…何度も言っただろ…?」

「それは、そうだけどっ。なんていうのかな……こう、入りづらくって…」

 

 休日を利用して、大型のショッピングモールレゾナンスへとやってきた。それはいい。

 一夏の言っていたスイーツ食べ放題のお店の前に居る。それもいい。

 中を見る。……どう見てもカップルだらけです。本当にありがとうございました。お腹いっぱいです。

 

「ん? 別にスイーツの店なんてよく行くんだろ?」

「いやいや、そういう問題じゃないんだって…」

 

 要するにコレと彼氏彼女の関係に見られるのが嫌なわけである。一夏はまったく気づいていないのが不思議である。なんだこのニブさ。

 くそっ! こんなことなら真耶たんかセシリアを誘えばよかった!

 

「ああ、俺の財布の心配か? 大丈夫だって! こう見えてバイトや節約で貯めてきたんだからそれなりに余裕があるんだ。 どーんと任しとけ!」

「…わかりました。信じますよ」

 

 ああもう梃子でも動かせる気がしない。こうなりゃ覚悟が大事なんだ。腹が決まればたいていのことには動じない。

 

「どうだ、彩夏? うまいだろ?」

「くぅっ……私は何を迷っていたんでしょう! たかだか周囲の目を気にして甘味に手を伸ばすことを諦めようだなんて、とんでもない愚行を犯すとこだった。例え太ろうがカロリー過多と言われようが甘味は甘味。逆に考えれば早かったんです。周囲の目が気になるなら、周囲がドン引きするほど食べればいいや、と」

「……う、うまかったか?」

「ええ、もちろん! 滝のように流れるチョコレート。いくつもの湖沼の如く並ぶジェラート。山脈を想起させるようなケーキの連なり。その中にそっと添えられる、四季の彩りのような和菓子の姿。まさにっ、正に……桃源郷…」

 

 ケーキの定番、ショートケーキ、ティラミス等を数種類、ジェラート数種と大好物のプリンやチョコレートを平らげ、トドメに和菓子コーナーの品を一品ずつ制覇。途中から一夏が唖然としていたが気にしないことにした。

 傍から見れば糖尿病まっしぐらなラインナップ。甘い物が苦手な人なら見るだけでも胸焼けを起こしかねないレベルである。

 

「あー……お茶がおいしい…」

「まるで婆ちゃんだな…」

「今すぐ、メントスとコーラを一夏の胃にぶち込んでシェイクしてもいいんですよ?」

「もう甘いものはいいです!」

 

 さて、作戦目標は攻略できたことだし、どうしようか。

 

「ところで、この後どこかに行く予定はある?」

「いや、無い」

「そこは考えとこうよ…」

 

 どこからどう見たってこの光景はデートである。まあ実際はそういうものではないのだけれど、他の人から見ればデート中の男と女にしか見えない。

 私としては一夏は友人という認識だ。あくまで友人でしかないが、だからこそ親交を深めたい。織斑一夏という人となりを知って、より円滑な関係を構築できたらと思っている。

 

「うーん……服は別に今欲しいものは無いし、靴は買い換えたばかりだし。かといってゲーセンは騒がしくて苦手だから却下。日本だからタバコは吸えないしお酒も飲めないし…」

「いや、吸う飲むはダメだろ!」

「…本がいいですね。本を見て…後は……バイクショップに行きます」

「それ絶対最初から決めてたよな」

「とーぜんです」

 

 そう、ここレゾナンスは大手カーショップと大手バイクショップが複合しているショッピングモールでもある。伊丹の某店を思い出す。あそこは友人とよく行ったものだ。ちなみにこっちの世界にも確かにある。ただ、IS学園からはかなりの距離があるため今のところ縁が無いが。

 前世での”俺”はあまり車には興味を持たなかったけれど、ドライブ自体は好きなほうだ。長距離も走れるし、何より雨の日は車のほうが安全だからだ。

 とはいえやはり本命はバイクだ。夏を目前にしている今、新作のジャケットやグローブ、ブーツなんかも見繕っておきたい。今のところあの青いレーシングスーツとスリーシーズン用のグローブ、そしてブーツしか持っていない。ジーンズを穿いたときにジャケットがありません、では話にならない。夏休みのツーリングに備えて、夏用の頑丈でカッコイイジャケットやグローブを見繕っておかなければ。

 

「それじゃ行こうか一夏。私が満足するまでしばらく付き合ってもらいますから」

「ああわかった。行ってみるか」

 

 見晴らしのよい高層フロアから降りて一階の書店へと足を運ぶ。ここレゾナンスには書店が二つあるのだが、住み分けがきっちりとできているようでどちらの店にも顧客が多い。

 片方は参考書や学術書を多く扱う書店。まるで図書館かと思わせるような巨大な本棚と、書籍検索のできる端末が各所に備えられている。そのせいか人の姿はまばらにしか見えず、来客も教員や塾講師、学者や大学生などが主で、家族連れ向けというわけではない。

 近未来的なこの世界には珍しく、古風というかレトロというか、とにかく情緒溢れる様相を呈している。大きな書店の一角にはインスタントのものながらコーヒーメーカーが設置され、木製の丸いテーブルや椅子、ソファーなども完備した一室がある。

 さながらサロンとも言うべき場所で、利用は格安とはいえ有料であるが、購入した本をコーヒーや紅茶を片手に読み耽ることもできるし、本について同好の志と語り合うこともできる。

 

「……俺はちょっともう一つのほうに行ってくる」

「何言ってるんですか? 女の子ほったらかして自分だけで行動するなんて、そんな身勝手してると将来のお嫁さんに愛想つかされますよ」

「な、何言ってんだよっ! おっ、俺はまだ、け、ケッコンなんてしねーよ!」

「ふうん。好きな人とか居ないの?」

「………そ、そん、なの…」

「まあ、IS学園ならイイトコのお嬢様から幼馴染まで食べ放題だもんねぇ。世の男性諸君が血の涙を流して一夏を恨んでるよきっと」

「ニヤニヤすんじゃねえよ。まったく……弾のやつにも似たようなこと言われたな…」

「一夏は見た目はカッコイイし、擦り寄ってくる女の子は実際多いし、優しいところも女の子には高加点なんだよ。そりゃあ恨まれたって仕方ないですよ。……どこかの誰かさんとは大違いですから」

 

 以前の、前世での”俺”は彼のような人間とは違う。ただ平凡な一介の会社員。ドライな思考と淡白な受け答えの多い素っ気無い男。結婚し、必死に働き、愛想をつかされ、子の顔も見れぬまま死んでいった情け無い男だった。

 北條彩夏として生まれて、感情が割りと強くなったようにも思える。あるいは女の意識である「ワタシ」と混ざり合った故の弊害……違うやめろそんなことはありえない。私があるのは”俺”と「ワタシ」が融合したからこそだ。弊害なんて言葉、口が裂けても使うべきではない。

 ふと、歩いていくままに来たのは軍事関連の書籍コーナー。インフィニット・ストラトスはそれだけで一区画が割り当てられているだけに、このコーナーは人の気配がない。

 英国陸軍第22SAS連隊、彼らの足跡が描かれた本を手に取る。

 本そのものからは何も伝わらない。だけど、本を手にすることで彼らの息遣いを思い出す。作戦中の張り詰めた緊張感を。作戦を終えて帰投した彼らの安堵した笑みを。作戦中に殉職した家族を弔う寂しげな後ろ姿を。目の前で死んでいった彼らの無惨な姿を。

 

「なあ」

「え? なんですか?」

「彩夏は、好きな人が居るのか?」

「……どうしてそんなにマジメな顔してるの? 似合わない」

「どうなんだ?」

 

 冗談さえスルーですかそうですか。……そんなマジメな顔でこういう会話をするのはもっと他の場所でするべきではないですかね一夏クン?

 

「居た、と思います」

 

 きっと私は、北條彩夏は、…マック、アナタに恋したんです。理想の父親のような姿を見たからじゃあない。その卓越した差配に魅了されたわけでもない。

 失くしても苦しくても辛くても、飄々としてなんともないように立ち上がろうとするその精神に恋したんです。その苦しみも痛みも悲しみも受け止めて尚、誰かの為に戦おうとする意志に近づきたかった。きっとアナタは止めるだろうとわかってはいるのに。

 

「きっと今でも追いかけてるんですよ。その人の目指した在り方に、憧れたまま」

 

 私にあるのはリーダーとして率いるカリスマではない。人に何かを伝え、後世に伝える人格者でもない。今の自分自身を守ることが精一杯の武力しかない。

 なら、究めてみせる。自分自身を貫けるだけの力を手にしたとき、初めて誰かの為に戦えると教えられたから。

 マックはその指導力で多くの命を救ってきた。同時に奪ってきた。戦争が正しいかどうかなんて私にはわからないけれど、生き残った彼らはマックを信頼してきた。彼に従えば生き抜ける、と。

 生きてみせる。私の大切な友人と、家族の遺志を継いで生き抜いてみせる。

 

「その人のことは…今も?」

「……それは…………やっぱりやめた」

「な、なんで!?」

「本を読むのに湿っぽいのはNGだからです」

 

 ふふん、本に湿気は大敵ですから。私ったらうまいこと言った!

 

「…そんなドヤ顔されてもなあ」

「そこはもう少しツッコミを入れるべきですよ。せやな、湿っぽい空気はアカン……ってなんでやねん、くらいのことはやってほしかった!」

「俺は関西人じゃねーよ!」

「ほら、やればできる! 一夏はきっとゲイニンの素質があるんだよ。まあ誰だってあるんですけど」

「あってもプロフェッショナルを目指すかよ!」

「その意気! もっとツッコミを磨いていけばグランプリも夢じゃない!」

「だからゲイニンにはならねーって……ああもう!」

 

 ついに一夏もツッコミに疲れてしまったらしい。ようやく湿っぽさも抜けたしさっさとお目当てのコーナーに行ってしまおう。

 

「ほらほら、疲れている場合じゃないよ。私程度で疲れてるようじゃ、あのじゃじゃ馬は乗りこなせませんよ」

 

 高飛車で世間知らずなところのあるお嬢様。武力でしか感情を表現できない不器用な幼馴染。どちらに転ぶにしても、相応の苦労が待っていることだろう。

 だから、私みたいな壊れた女程度に振り回されているようじゃあダメなんです。

 

 

 風景写真を収めた大きな写真集を抱え、彩夏はルンルンという擬音が付きそうな嬉しそうな表情でレジに向かった。きっとお目当てのものが見つかったんだろう。

 彩夏は時々、数秒前とはまるで違う表情をする。切り替えがわかりやすいというべきなのか、単に普段の落ち着いた雰囲気に慣れてしまっているから違和感を感じたのか、どっちなのかは今の俺にはわからない。

 でも、あんな顔は今まで見たことが無い。入学式に出会ってからもう一ヶ月が経とうとしているけど、彩夏に感じる違和感が今日はっきりとわかった気がする。

 

 ISで戦ったときの冷たい表情も、バイクについて語る時の子供のような表情も、こっちをからかうような表情も、どれもが北條彩夏だ。それは、理解してる。

 だけど、今日見せたアイツのあの感情は何なのか。まるで別人だ。他の誰かが彩夏の変装をしている、と言ったほうがまだ納得できる。わからない、わからない。あれが本当に彩夏自身なのかわからない!

 何ひとつ感情を顕にしない表情。だけど強い覚悟が篭った眼をしていた。じっと本を見つめたあの時の視線を、俺は怖いと思った。

 

「……わかんねえ」

 

 あれは、いったい誰だったんだろう。わからない。わからないんだ。だけど、彩夏の姿をした、ナニカが、確かにそこに居たんだ。

 

 

「一夏はどっちがいいと思う?」

「どっちもいいと思うぜ。彩夏なら両方とも似合うさ」

「はぁ……両方買ったって着れるのは一着だけです。それに二つも買う余裕なんて無いんだから」

「ちょっ!? 三万!?」

「そういうこと。まあ、好きなブランドだから値段はそんなに気にしないけど、やっぱりバイクに乗って様になるかどうかっていうのは大切だよ?」

「そういうもん、なのか?」

「そういうもの、なんだよ」

 

 やはり一夏にはまだバイクの魅力は早かったのか。い、いや…まだ高校生なんだからお金に余裕が無いのは当たり前じゃないか。そうだきっとそうだ。

 まずは普段着にも使えそうなお手ごろ価格で機能性のいいジャケットを勧めて…そして中古車コーナーを物色して試しに跨らせてみて……いけない。どうにも思考がバイカーのそれに偏ってしまう。

 だけど一夏を染めるなら何にするか…鈴菌……いや、カワサキ、か…?

 

「ん…?」

「どうした?」

「ちょっと、お化粧直しに、ね」

 

 ついでにさっきから付きまとうこの視線の主を始末してしまおう。私の優雅なるバイクまみれのひと時を邪魔するなら、何人たりとも許しはしないぞ。

 

 奥まったところに設置されているトイレに小走りで駆け込む。周囲に人気が無いことを確認し、清掃中の立て札を拝借して立てかける。お手洗いの中はそれなりの広さはあるが、遮蔽物は個室以外に無い。立て篭もるのは悪手だ。外からズドン、なんてやられかねない。隠れるべき場所が無いなら侵入者に奇襲をかけて捕らえるほかに無い。

 奥まっていて、かつ人が居ないとはいえ今は日中だ。私を消すにしても、さすがにフラッシュバンを投げ込むような過激な方法はとってこないだろう。頼むから取らないでくれ。

 コツ、コツと足音が響く。音からすると相手は一人。息を殺し、気配を消し、極限の集中力を以って敵に備える。

 シースに収まったナイフに手をかけ、左手で逆手に持つ。右手にはサプレッサーを取り付けたワルサーPPK(ジェームズ・ボンドの使うアレ!)を握り、ひたすらに待つ。

 足音に注意しろ。敵は壁一つ向こうに既に居る。

 

「……っ!」

 

 角から現れるのに合わせて仕掛けよう、としたところでその影が見知った人間であることに気づけたのはラッキーだと思う。

 これで明日の朝刊の一面に、休日のショッピングモールのトイレで殺人事件、という見出しのニュースが出ることはない。

 

「何を、やっているんです?」

「……すまないが彩夏。その物騒なものを、しまってほしい」

 

 栗色の長い髪を一まとめにした長身の凛々しい少女、篠ノ乃箒は冷や汗をかきながら言う。

 

「確かに、友人に向けるものではないですね」

「お前、いつもそんなものを持ち歩いているのか…?」

「そりゃあそうですよ。女性至上主義者憎しを掲げる組織にとって、ISの国家代表や代表候補は親の仇のようなものですから、自衛手段くらいは持ってますよ。で、なんでここに?」

「うっ……それは、だな……そ、その…一夏と彩夏が…」

「…ヘタレ…」

 

 気になるならもっと素直になるべきだ。そのほうがアレは気づきやすいだろうし、何より箒自身の魅力が引き立つだろう。そんな今にも泣き出しそうな顔は、箒には似合わないんだから。

 

「はぁ……まあ、さっさと行きますよ」

「…どこに行くんだ?」

「当然一夏のところです。大丈夫ですよ、気にしなくたって邪魔はしません。私はすぐにでも退散します」

「……なんで、そこまでするんだ?」

「応援したいから、じゃダメですか? 大切な人を想って頑張る友人のために」

「彩夏……」

 

 そう、箒もセシリアも、真耶姉さんも千冬先生も、みんなには笑っていてほしい。平和な人生を歩んで欲しい。大した事件も波乱万丈の日々も無い、皆がおしゃべりしたりバカをやったり、そんな平凡な学生生活を送って欲しい。それが私の、”俺”と「ワタシ」の願い。

 

「箒はもっと笑ったほうがいいですよ。そんなムスッとした顔じゃなくて、一夏のことを考えてるときみたいな幸せな笑顔のほうが可愛いんです」

「そ、そう、なのか…? わたし、が……か、かわいい、なんて」

 

 篠ノ乃束の妹。きっとこのレッテルに彼女は常に苦しんできたんだろう。住む家を追われ、幼馴染と離れ離れになり、腫れ物を扱うように距離をとられただろうことは想像に難くない。

 それと同時に、姉を吊り上げるエサ代わりに狙われたりもしたことだろう。

 幼い彼女はきっと、この眉間にシワをよせたムスっとした表情がいつしか本物の表情になっていたことに気づいていないのかもしれない。

 

「一夏だってきっと、そう言うと思いますよ」

「………そう、かな」

「信じてください。箒のその想いは全力を掛けるに値する、大切な想いです」

 

 そして私はそんな彼女達の日常が侵されることのないように戦うだけ。

 まあ、IS学園には更識が居るからそう問題は起こらないんだけど。

 

「ありがとう、彩夏。…少しだけ、頑張ってみる」

 

 恋せよ少女。君のその想いは、尊いものだ。その笑顔を、私が守ろう。彼女達を悲しませたりなんて、誰にもさせやしない。

 

 私はいやなやつだったと思う。口より先に手が出る。素直じゃない女。好きな人に好意を伝えることさえできないくせに、彼に集る女や声を掛けられている女に嫉妬する、醜いやつ。

 一夏と隔たり無く喋る北條彩夏が憎かった。自然体で一夏に接するセシリアが怨めしかった。表面には出ていないだけで、心の底では、おそらくそういう気持ちが確かにあった。

 北條彩夏が一夏をからかうのが気に入らない。まるで長年連れ添った幼馴染のように振舞う彼女が邪魔だった。そこは、私の立ち位置だったのに。

 さりげなく一夏の手をとるセシリア・オルコットが鬱陶しかった。一夏は気づいていないけれど、彼女が好意を持っているのはすぐにわかる。私だって一夏が好きなのに。

 

 感情の表現など忘れてしまった。まとわりつく奴等に笑顔を振りまく必要などない。

 姉とのパイプを持ちたいやつが来た。姉を引きずり出すために私を人質にしたやつが居た。姉を篭絡させようと私を手篭めにしようとしたやつがいた。

 全て束、束、束! 狂ったように篠ノ乃束を求めるやつばかり! 私は姉を手に入れるための踏み台じゃあない!

 私を見てくれたのは一夏と千冬さん、叔母さんくらいなものだった。私を篠ノ乃箒としてみてくれる人たちなんて片手で数えられるだけしかいない。

 

 だから、初めてだった。あんなに真っ直ぐに私を見てくれた人は。半ば荒んだ、諦観のようなものを持ってしまっていた私の背中を押してくれた人は。

 

 信じて欲しい、と彼女は言った。今まで何度も聞いてきた、姉さんを求める人たちがつぶやいてきた言葉。そのはずなのに、どうしてか彩夏のものだけは重みが違った。

 

「友達、か…」

 

 海辺の遊歩道。潮風が吹きつけ、さざなみの音に包まれ、世界は静かに夕暮れの赤に染められていく。隣を歩くのは幼馴染。私の、初恋の人。女心にどうしようもなく鈍い人。真っ直ぐで折れない心を持った、私の大切な男の子。

 

「にしても、彩夏のやつも大変だよな。テスト機の試験稼動が急に入るなんてな」

「そ、そうだな……代表候補だから、スポンサーが居てもおかしくはないが」

 

 彩夏は私と一夏を二人きりにして、そのままどこかへ去っていった。もちろん代表候補”らしい”名目を付け加えて、やむをえずという印象を一夏に刷り込んだ上で。

 それでも気になる、というのは一夏は知らずに彩夏を…。

 

「それよりも、い、一夏…」

「ん? なんだ?」

 

 せっかく彩夏が取り計らってくれた二人きりの時間だ。有効活用しなければ。私に今できる生一杯を伝えよう。

 

「その………私じゃあ…」

 

 緊張する。鼓動が早くなる。顔が熱い。のど元まで出掛かっているのに、言葉にはならない。もやもやと立ち込めていくだけの、霧のような不確かな不安を振り払おうと。

 

「私じゃあ……彩夏じゃなきゃ……ダメ…か?」

「……違う。そんなことない!」

 

 一夏が私の両肩に手を置き、まっすぐに私を見る。けれどその真剣な顔がよく見えなくて、おぼろげに映る姿があの日のように重なっていく。

 

「俺は、箒と一緒に遊べるのがすごく嬉しい。もう三年も離れてたんだから、そりゃあ当然かもしれないけどさ…俺の一番の幼馴染はやっぱり箒だよ。お前が一緒に居ると気楽に居られるし、それに安心するんだ」

「一夏………いち、か…」

 

 変わってない。本当に、あの頃のような真っ直ぐさを持ったままだ。

 変わってしまった。私は、一夏のような純粋さを失くしてしまった。

 それでも一夏は私を、受け入れてくれている。変わることなく、変わってしまった私でも受け入れてくれている。

 

「泣くなよ。箒はやっぱり笑ってなきゃあな」

「……ああ。もう、もう泣かない」

「泣いてるじゃん」

 

 仕方が無いだろう? ヒーローきどりの小さな王子様が、本物のヒーローになって戻ってきたんだから。

 一夏はヒーローだよ。私を助けてくれた、かけがえの無い、そう―

 

「私が泣くようなコトを言う一夏が、悪いんだ」

 

 英雄。

 

 

 

第十七話 第二の少女

 

 あの後の展開は私にもわからない。どう転ぶかも予想はできないし、どんなやりとりがあったのかも知らない。だけど、箒が少しでも一夏に対しての不器用さを克服できれば幸いだと思っている。

 それにしても一夏には既にセシリアと箒……いや、表立って出てきていない子を考えると既に相当数が狙いを定めていることだろう。そのくせ一夏は彼女らのアプローチに気づきもしないし、”付き合ってください”ですら何かの用事だと勘違いしていやがるんですかねちくしょうめぇーっ!

 返事すら貰えない。気づいてもらえない。それがどれだけ辛く長い苦痛になるか、一夏は理解しているのか。

 

「それでアヤカ、一体、何を、吹き込んだんですの?」

「吹き込んだ、だなんて人聞きの悪いことを。ただ、箒は笑っているほうが可愛いと言っただけです!」

 

 正面には静かな怒気を孕んだ形相のセシリア。それに勇気を振り絞って立ち向かう私。つまりデート内容から箒とのやりとりまで洗いざらい吐かされたわけである。

 

「くっ…箒さんとアヤカだけがこんなおいしい思いをするなんて……どういうことなのでしょう」

「私としては一夏は普通のありふれた親しい友人なんですけどね…」

「な、なるほど……親しい友人のような関係から恋人関係に発展する…それも一つのアプローチですわ。アドバイスありがとうございます、アヤカ」

 

 ダメだこいつ、はやくなんとかしないと。

 

「あー、セシリア? そろそろ予鈴が鳴るから急ぎたいんだけど…」

「そっ、そんな…いけませんわ一夏さん! 私たちはまだ学生で…!」

「……完全に妄想の世界の中ですか」

 

 まったく、こんな朝早くから妄想に塗れることができるのは一つの才能だと思う。ただでさえ最近のセシリアは一夏一夏とまっしぐらな状態だ。同室である私の気持ちとしては、一日いや一週間に三回くらいまでに抑えて欲しいものだ。

 

 いつもの青いリボンで髪をまとめて、セシリアを物理的に現実世界へと引き戻し、普段と変わらぬいつもの教室のいつもの席に着く。一夏は既に箒と共に教室に居て、他愛のないおしゃべりをしている。箒も穏やかな微笑みを浮かべて一夏の声に応えているのを見ると、よかったと思う反面でちくりと針で刺されたような視線を一点から感じる。

 お願いですからそのインターセプターをしまってください、セシリア。

 

「ねぇねぇ彩夏! 二組に専用機持ちが来るってホント!?」

「あ、相川さん、近いです! 顔が近いんです!」

「そんなのどうでもいいから! ホント? ホントに来るの!?」

 

 どこかの国から編入? それも五月半ばのこの中途半端な時期に?

 とりあえず私は何も知らないし聞かされていない。学園の上層部が関与しているだろうものに関しては私には知りえない情報だ。まあ、生徒会なら多少変わってくるのかもしれないけど、更識と関わりあう気は無い。

 

「すみませんが、心当たりが無いですね…」

「むぅー…代表候補なら何か知ってるかと思ったんだけど…」

「私は先月ようやく名前が表に出てきたところですからね、現役の代表候補とはあまり縁が無いんですよ」

 

 そう、現役の代表候補とはあまり縁が無い。だがそれに匹敵する技量を持つ相手が居る。引退したとはいえ、元代表の織斑千冬先生、その千冬先生と代表の座を争った代表候補、無冠のヴァルキリーこと山田真耶先生をはじめとした多数の実力者を相手にしてきた。

 その上に海外の元代表などとも非公式ながら交戦経験がある。場数で現役の代表候補に負けてはいないと自負しているし、何より”実戦”を経験したことは何よりの宝だ。

 

「ねえ、ちょっといい?」

「え、はい…何か?」

「ここに、織斑一夏ってヤツ、居るのよね?」

 

 不意に尋ねる声が聞こえて振り向けば、そこに一人の少女が佇んでいる。

 幼さの残る顔立ちと、黄色のリボンで束ねたツインテール。小柄な体躯ながら纏う気配はピリッとした敵意を感じる。さながら小さな虎のような、僅かながら威風を纏った少女という印象だ。

 

「一夏ならあそこに」

「そ。ありがと」

 

 素っ気無い返事で返される。一体何が目的なのかは知らないけれど、少なくとも彼の命を狙う輩ではない。暗殺にしても、正面から堂々と自ら注目を浴びるようなやり方は身元がバレてしまう。

 彼女が一夏に近づくにつれ、一夏の表情が驚きに彩られていく。

 

「久しぶり、一夏」

「ああ久しぶりだな、鈴! お前もIS学園に来たのか!」

「今日から二組に編入よ。クラスは違うけど、またよろしくね一夏!」

 

 屈託の無い笑顔で一夏と喋る彼女を見て、箒とセシリアは予想通りというべきか、苦々しい表情を浮かべている。

 

「一夏、この子は一体誰なんだ?」

「こいつは鈴。ファン・リンインっていうんだ。中学にあがってからの友達だから、箒は引越した後だから知らないんだっけ」

「凰鈴音よ。中国の代表候補もやってるわ。よろしく」

 

 さらりと、素っ気無い返事で箒に挨拶する様子から察するに、おそらく彼女も一夏のアレがらみなのだろう。そう考えると頭痛の種が増えただけのような気もするけど…。

 

「……篠ノ乃箒だ。うちの一夏が世話になったようだな」

「そうでもないわ。一夏にはむしろ私がお世話になったもの。いろいろと、ね」

 

 バチッと音が聞こえそうな視線の交錯。ああ、やっぱりかと思うのもわずらわしい。三角だったのが一夏を中心に据えた三つ巴の争いに発展しただけだった。

 ようやく最近になって箒とセシリアの仲もある程度落ち着いてきたというのに、そこに第三勢力が飛び込んでくるなど火に油もいいところだ。

 

「そうだな。ウチの愚弟と仲良くしてくれているのは本当に嬉しいぞ」

 

 ピシッ、と凍てついた氷河が裂けたような緊張感が張り詰める。恐る恐る声の主に視線を向ける箒と、何も気づいていない鈴。

 

「だが、サボりは感心しないな。二組は確か山田先生の講義だったハズなのだが」

「なっ……何か用…? 挨拶の一つ二つくらい別にどうってこと…」

「とっくにチャイムは鳴ってるぞ、転入生!」

 

 織斑先生が振りかぶった出席簿が、鈴の脳天を強かに打ち貫く。

 

「いったぁーい!」

 

 痛みに悶絶する鈴を尻目に、箒はそそくさと席に着き、一夏は姿勢を整えて前を向く。セシリアはそ知らぬ顔で授業の準備を整えて眼を逸らす。

 ……恐怖政治とはかくも人を変えてしまうものなのか。

 

「さっさと二組に戻れ! 二度は無いぞ!」

「くっ、一夏! 放課後に第三アリーナに来なさい! いいわね!?」

「ごちゃごちゃ抜かすな!」

「すみませんでしたー!」

 

 私が望んだ平和な日常って、こんなだっけか…?

 

 

 支給されたライフルを手に、地下壕から駆け出す。夕焼けのように赤々と染まった空は黒煙とミサイルと対空砲火が交じり合い、敵の防御陣地からの機銃掃射が雨のように降り注ぐ。崩壊したワシントン記念塔を背に、塹壕が弾を防いでくれると信じて駆け抜ける。

 目の前で味方が迫撃砲によって肉片に変わる。それでも駆けることをやめはしない。

 LAV(装甲車両)の機銃とM1エイブラムスの支援を受けて部隊は一気にビル内に突入する。

 

「ちょっと、アヤカ」

「なんですか? 今いいトコなんですから…!」

 

 窓に張り付いていた敵兵にダットサイトを合わせて小刻みにバースト射撃。こちらに気づいた奥の敵に向かってフラッシュバンを投げ、次いでフラググレネードを放り投げる。

 吹き抜けの二階からこちらを伺う敵兵にアタッチメントのグレネードランチャーを見舞い、すぐに物陰に退避する。

 

「あの二組の候補生なのですけど」

「確か、ファン・リンインでしたか」

「ええ。調べてみたのですけど、ほんの三ヶ月ほどで代表候補になったそうなんです」

「たった、三ヶ月、ですか」

 

 エレベーター前を抜けて中庭を経由して階段のある廊下に…って、うわっ! 結構敵兵居るし!

 あ、グレネード来た…投げ返して……って二個!?

 

「あああーっ! やられたっ! もうやめよう…」

「…ゲームをするのはいいですけど、話を聞いていますの?」

「……聞いてるよ。それで、タイニー・タイガーがどうしました?」

「小さな虎、ですか……むしろ専用機から言えばドラゴンなのですけどね。とにかくそれはそれとして、どうにも気がかりだと思いません?」

「それは、こんな時期はずれな編入に対して? それともあの子との関係について?」

「ちっ、違いますわよ! 私は一夏さんとあの子の関係がどうあろうと気になったりなどいたしませんわ!」

「はいはい…」

 

 せめて凰さんがセシリアや箒と良好な関係を築ければ、私の胃は救われるんだけど。それはもう釈迦が極楽へ導いてくれるような救済に等しい。

 

「織斑一夏のIS適正発覚が三ヶ月ちょっと前。そして短期間での代表候補生への昇格。一夏と顔見知り……ハニトラでしょうか? まあ本人はそこらへんに気づいていなさそうですけどね」

「知らぬは本人ばかりなり、ということでしょうか」

「……確証が得られるような情報も無いわけだし、セシリアもあまり深読みはしないほうがいいかもしれませんよ」

 

 さて、更識と学園上層部があのタイニー・ドラゴンの転入を通したということは、彼女自身には怪しい点が無いということだ。一夏とも顔見知りであるようだし、本人であることは間違いないのだろう。なら、一夏と彼女の接点というものが、国家にとってどう利益に繋がるか、という点が気になる。

 一夏を中露の側に引き込むためか、あるいは一夏の生体情報もしくはゲノム情報か。もしも彼のIS適正というものが遺伝子的な要因であるとすれば、彼の遺伝情報を得ることは他国に対してかなりのアドバンテージを得ることになる。

 何せ男性でもISを操縦できるようになるかもしれないのだ。主義者にとっては女性至上の風潮に対する切り札になるし、国家にとっては後天的にIS適正を付与することが可能となれば、IS操縦者の確保が容易になるというメリットがある。

 

 一夏と結婚する子はきっと普通のありきたりな幸せというものからは、最も縁遠い生活を送ることになるだろう。

 夫も、自身も、子どもも、その他のあらゆるものが危険に晒されるだろう。一夏と引き裂かれ、子どもは連れ去られ、自身は用済みと消されるかもしれないのだ。

 

「……とにかく情報が足りないです。彼女自身は疑わしくなくとも、その背後で糸を引く存在がよからぬことを企んでいる可能性があります」

 

 ゲーム機の電源を落とし、ホルスターを身に着ける。ガバメントにマガジンを装填し、セイフティを確認する。ホルスターに収めて身分証明である学生証を革ジャケットの内ポケットにしまい、バイクのキーを手に取る。

 

「あら、お出かけですの?」

「ちょっと、知人に会いに」

 

 五月半ばの夜は冷える。防寒着を着込んではいるけれど、それでも風は冷たい。夕闇が広がりつつあるIS学園を背に、バイクで走り出す。

 待ち合わせをしている埠頭へ向けて走ること一時間。IS学園設立に伴って発展した都市の郊外の工業地帯、その埠頭の一角の自販機の前でバイクを止める。

 ホットコーヒーを手に取ろうとしたとき、一台のバイクが走ってくるのが見えた。ゆっくりと減速し、そのバイクが私の愛車の後ろにつくように止まる。

 

「おまたせ、彩夏」

 

 ヘルメットを外し、彼女のハスキーな声が私を呼ぶ。ショートカットの黒髪と、長身ですらりととした佇まいは中性的で、男と女の色香の両方を備えている。

 

「先ほど着いたばかりですよ、涼子さん。コーヒーでもどうぞ」

「ああ、お気遣いありがとう。でも奢って貰うほど困窮してないよ」

「急に呼び出したのはこちらですから、お詫びも兼ねて、ですよ」

「じゃあ遠慮なくいただきましょう」

 

 彼女、倉田涼子は私が所属していた情報部の人間だ。国防省情報部第三課、対IS課とも呼ばれた組織に所属している。私の後任が決まって以来会うこともなかった彼女だが、専用の秘匿回線だけは繋がったままだ。

 

「聞いたよ。IS学園に入ったんだって?」

「ええ、まぁ。課長や皆さんはどうですか?」

「いつもどおり元気にやってるさ。そういう貴女はどう? こうやって会うのも、後任の子への引継ぎ以来だけど?」

 

 そう、彼女には私の任務の内容は知らされていない。私の経験した戦場のことも、そのあとの苦悩も、彼女らには何一つ知らされていない。ただ告知されたのは、北條彩夏がIS委員会からの要請で戦場に派遣されるという命令一つだ。

 

「…人が死ぬのを見てきて、いろんな仲間を失いました。守りたかった仲間が、私を守って死んでいくのを目の当たりにして……それがトラウマになっているんです。でも、なんとか立ち直れそうな気はしています。いつまでも引き摺ってばかりではダメだってわかったんです。私は彼らの分まで生き抜こうと思っています」

「十五歳でそこまで考えられる貴女は十分強い。きっと大丈夫だよ」

 

 そっと涼子さんの手が頬を撫でる。そのままぽんぽんと頭を撫でる手を素直に受けて、だけど真っ直ぐに彼女の黒い瞳を見つめ返す。

 

「だから、お願いしたいことがあります」

「……いいよ。言ってみなさい」

「このメモに書いた人物について調べて欲しいんです」

「中国の代表候補生…? ふぅん……今日付けで転入しているのか。織斑一夏との接点もあり、か」

「はい。特に彼のIS適正が発覚した時期から、このIS学園入学まで、ここ最近の数ヶ月を特に詳しく調べてほしいんです。単独では中国国内のことを調べるのは難しいですから」

「調べて欲しい、ね。でもこの子を調べて何になる? 貴女は日本国家代表候補で、この子は候補生。敵情の調査にしても素性を洗うような真似は感心しない」

「ええ。ですがこの子がもし、織斑一夏を狙ったハニートラップとして利用されているのであれば、彼女自身の関知如何を問わず、それは看過できないことです。私が気になっているのは彼女自身よりも、その背後です」

「……ハニートラップの可能性は否定しないし、後ろで何かが一枚噛んでいるのは予想できるけれど、そうまでして彼を守ろうとするのはどうして?」

「彼を守ることは日本の国益にとって…」

「国益だ云々はどうでもいいよ。織斑一夏を守ることが、貴女にとってどういう意味を持つのか、と聞いている」

 

 涼子さんの目つきが鋭くなる。非情な殺し屋としての、冷徹な意思が私を貫く。

 

「特に大した関係も無い相手なんだろう? そういう裏の仕事から足を洗ったのなら、大人しく静かに暮らせばいい。なのに、わざわざ自分から面倒事に首を突っ込むのは何故?」

「恩人なんです。彼の姉、織斑千冬先生は、私の大切な恩人です」

 

 織斑千冬、元日本代表であり世界大会の覇者。そしてIS学園最強の教師。

 

「私のIS乗りとしての技術や知識の多くは織斑先生から授かったものです。ISに乗る心構えも、ISという力の持つ恐ろしさも、ISの可能性も、様々なものを先生から授かってきました。祖母以外に身よりもなかった私を家族のように気にかけてくれた人の一人なんです。私が何もかもに絶望して身を投げたときも、命がけで私を説得してくれました。今こうしてここで話していられるのも、先生のお陰っていうのが大きいんです」

 

 そう、今の私がここにあるのは先生たちが居たからだ。織斑先生が私を救ってくれた。真耶姉さんが私を抱きしめてくれた。燃え尽きて灰になった薪のような私に、再び生の炎を灯してくれた二人。

 悲しませたりなんかしない。私は生きてみせる。大切な人たちが悲しまないように、今度こそ生きて守り抜いてみせる。

 

「恩人の為に命を賭けることができる。私には誰かを守れる力があるんです。……あの時は何もできないままでした。だけど今は違います。確かな力もあります。実戦で身に着けた覚悟もあります。今度は、何もできないまま終わりたくなんかない!」

「……わかった、引き受けよう。ただし一点」

 

 びしっ、と指先が私に突き付けられる。

 

「彩夏は何もしないこと。それが条件」

「そんな!?」

「代表候補は確かに周囲に影響を与える肩書きでしょう。だからといって逮捕権を持っているわけでもないし、他者を裁く権利があるわけでもない。……彩夏の依頼は日本国籍を持つ重要人物、織斑一夏の監視と護衛及び周囲の人物の危険度調査…というところで引き受けておく」

「………わかりました。お願いします」

「…何かをしたいのに何もするなと言われる、その歯がゆさは私もよく知っている。だけど彩夏はもう法的な拘束力を発揮する肩書きが無い。そんな状態で問題を起こしたとなれば…あなたの将来に関わる。だから、何もしないで」

「理屈は、わかります。理屈は」

「この件は私が責任を持って上に通します。……まあ、織斑一夏が絡んでいる時点でほぼ間違いなしで通るでしょうけれど」

 

 彼女はジャケットから取り出したタバコを咥え、ライターで火を灯す。ふぅ、と紫煙を吐いて思案するように指先でタバコを弄ぶ。

 

「あと、もう一つお願いが」

「なあに?」

「一本ください」

「ここは法治国家。寝言は寝て言いなさい、パピー」

 

 ……くそう。

 

 

第十八話 モラトリアム 1st day

 

「本年度のクラス対抗戦だが、一組から四組の他に一年生選抜チームを作る」

 

 はぁ? というようなあっけにとられた顔が目に見える。というよりもクラスの全員がその顔になっている。

 

「本来クラス対抗戦は学年のクラスごとの習熟の度合いを測るためのものであるが、今年は実力者が豊富に揃っているのでこうなった。一組には英国代表候補生のオルコットと日本代表候補の北條が。二組には中国の凰鈴音が。四組には代表候補生の更識簪が居る。三組は代表候補生ではないが、実力は候補生に匹敵する。舐めてかかると痛い目を見るぞ」

 

 しかしそうなると、優勝チームに送られる景品はどうなるのだろう。一年間スイーツ食べ放題のパスを逃すわけにはいかない。私の生命に関わる重要な事案だ。

 

「北條、お前の考えていることはおよそわかるぞ。残念ながら代表チームの勝利の場合は景品は一切無しだ。無論北條、お前もだ」

「ちょっ、彩夏! しっかりしてってば! 息をして!」

「…いけない、瞳孔が開ききってる。ヒトヨンマルサン…死亡確認……まさか大切な友人がこんなことでショック死だなんて…」

「相川さんに布仏さんまで……。それに、アヤカもいい加減にしてください。今死んでしまっては冷蔵庫の白波堂のプリンは私が戴いてしまいますよ?」

「断じて許さん! それは私のものです!」

 

 フラッシュバックのように脳裏に映像が再生される。自室でプリンをおいしそうに食べるセシリアの姿。布仏(愛称:のほほん)さんが日本茶と芋羊羹を携えて縁側でお茶をする光景。相川清香―きよぴー(命名:布仏)が超ミニスカのワンピースとフリフリのエプロンドレス姿に恥らいながらもチョコレートクッキーを焼く光景。

 何かおかしかった気がするけれど、あのプリンだけは断じて渡さない。命かプリンかと問われれば確実にプリンを選ぶと宣言しよう。

 二週間もの苦節を超えて、完全予約制数量限定販売である白波堂のプリンを手に入れたのだ。

 

「で、もういいか? さっさと座れバカルテットども」

「先生!? 何故わたくしまで!?」

「ツッコミを入れている時点でカウント済みだ。諦めろ」

 

 ふぅ……落ち着こう。走馬灯のどこかで素晴らしき新世界を垣間見た気がするけれど、今はそんなことよりもプリンと織斑先生の話に集中しよう。

 

「話を戻すぞ。一年生選抜チームを置いた理由は二つ。まず、IS学園に入学して初めてISに触れたという者が大多数だ。クラス代表、ひいては一年生選抜代表は一つの到達点であり越えるべき目標としてその実力を初心者の彼女らに明確に示して欲しいという点。もう一つには、他国の専用機持ちや代表候補生らと競い合うことでお互いの技量を高めあってほしいという点だ」

 

 確かに今年の一年生は経験者がクラスに必ず二人から三人と、例年以上に多い。

 その上一組は専用機持ち二人、専用機無しだったとはいえ代表候補が一人。二組は専用機持ちの代表候補生に加えて育成機関出身者が居る。三組も四組も、専用機持ちではないとはいえ代表候補生かそれに匹敵する乗り手たちだ。

 

「って、まてよ……じゃあ、誰が選抜代表になるんだ? セシリアかな?」

「おりむー、さすがにそれは無いと思うよー」

「そうですわね。お手本というべき人ならすぐそこに居ますもの。ねえ箒さん」

「オールラウンダーで戦える、量産型を専用機としている、代表候補が、そこにいるだろう?」

「だそうですよ相川さん。対抗戦頑張ってください」

「彩夏もさらっと混ざらない! あと私に押し付けない!」

「むむむ、失敗ですか」

「何が”むむむ!だバカタレ!」

 

 スパァン! と出席簿の面が頭を叩く。

 

「いっ……い…った…!」

「観念しろ北條。お前がまともな戦いを見せるだけでも、平均的な機体であろうと新鋭の第三世代機と渡り合えるという証明になる。それは、専用機というものを持たない多くの生徒にとっての一つの目標になりうるんだ。気合を入れて臨め」

 

 多くの乗り手は専用機というものを持っていない。それが当然だ。ましてや第三世代の新鋭機など、とても手にすることのできるような機体ではない。

 私が、この手を血で染めた私は、誰かの憧れになんてなれやしない。ましてや賞賛されるなどありえない。あってはいけないと思うし、そうなって欲しくない。

 こんな私にできることは彼らへの悔恨の思いを忘れることなく、そして自らの負った罪を忘却することなく、ただ生を全うすることだけ。それが例え茨の道でも、何者が阻もうとも、私は大切な人たちを守り抜く。

 セシリア、織斑先生、真耶姉さん、おばあちゃん、クラスのみんな。大切な人たちだ。

 人間の身で世界を変えようだなんて思わない。子どもの身で運命をねじ伏せようなどとは思わない。私は私なりに、私に降りかかる不条理と戦うだけだ。

 

 だけどもし、壊れた私でも誰かの希望になれるのなら、それもたまにはいいかもしれない。

 

「…謹んで拝命致します」

 

 

 

 インフィニット・ストラトスはパワードスーツだ。つまり機械である。どんな機械も使い続けていたままでは不具合を起こすのは当然だ。よって、メンテナンスというものは授業の項目の一つとして必修になっている。

 ここIS学園は何もIS操縦者の育成だけを行っているわけではない。ISの開発・整備を行う技術者や、ハードやソフトウェアの設計を行う人材を育成するコースがある。

 そして搭乗者も彼女らのような技術職志望の学生も、ISのメンテナンスに関する基礎講座を必ず修了するように定められている。

 

 眼前に鎮座した一機の黒いラファール・リヴァイブ・カスタム……要するに私のIS学園内での専用機の装甲が取り外されていく。

 てきぱきと迷い無く手を動かす同級生の姿はさながら、石材と真摯に向き合う彫刻家のような神聖さがあった。無意識に”邪魔をしてはいけない”と感じてしまうほどに。

 

「はい、これで装甲は一通り外せたよ」

「……あ、ありがとう…。それにしても、装甲って意外とすんなり外せるんですね」

「ISは基本的にエネルギーシールドでの防御が主体だから、装甲材は軽量な金属が多く使われているんだ。まあ、防御性能の向上や衝撃への耐性とか機体のコンセプトにもよるけれど、ラファールの場合は打鉄と違って機動性を損なわないように軽量な金属を使って、生産性や整備性を高めているからね。その逆に打鉄は堅牢な複合装甲で、高火力の攻撃にも耐えられるように取り付けも複雑化してるんだ。その分機動性が若干ラファール・リヴァイヴの現行型には劣るけど」

「へぇ…すごいんですね! スペック表やデータでは知り得ないところもいろいろ考えられているんだ…」

「むしろこっちが驚きだよ? 代表候補になれるだけの実力があるのに、整備に関してど素人だなんて初めて聞いたよ。普通は簡単な知識くらいは備えているって先輩から聞いてたんだけどね」

 

 思い返せば今の今まで整備に関する知識を教わったことが無いじゃないか。織斑先生からは近接戦闘と機動制御技術を。真耶姉さんからは射撃技術とISでの戦術を。

 ………バトルジャンキーに見られても仕方ないかもしれない。

 

「…戦闘に関する技術ばかり叩き込まれたので」

「あはは……まるで織斑先生みたい。知ってる? 織斑先生ってね、戦闘となれば最強だけど整備に関してはすごく不器用なんだって。山田先生も知識はあるけど、整備すると何故か部品が余ったりするんだってさ。意外な一面だよねー」

 

 ああ、道理で教わることがないわけだ。要するに片や脳筋、片や魔力極振りの師匠たちだったんじゃあ仕方が無い。

 

「となると、私の整備知識の師匠は立花になるのかな」

「よしてよ。まだまだ本職の技術者の卵の殻にも及ばないよ」

 

 柊立花。北欧系の祖母を持つクォーター。IS学園技術科コース専攻の同級生。クラスは1-A所属。プラチナブロンドの髪をポニーテールにまとめ、作業用のツナギの上着をはだけた姿で、彼女は照れくさそうに笑う。

 

「何言ってるんです、学年主席さん? 座学・実技共にトップクラスで技術科のエースと聞いてますよー」

「なあに、代表争いに食い込むこと間違いなしと目されるIS学園トップエースの一角には及びませんよ」

 

 私がわずかに口元に笑みを浮かべながら言うと、立花もニヤニヤといじわるそうな笑みを浮かべて切り返す。

 

「ま、それはそれとしてだけど……なんでこんな装備構成なの? ショットガン、ライフル、ハンドガン二丁に打鉄のブレードとデフォルトの近接用ナイフ。それにグレネードランチャーのアタッチメントに弾頭が各種って…せっかくの大容量の拡張領域なのに50パーセントも使ってないじゃない」

「趣味です」

「……聞き間違いかな?」

「趣味、です」

「…グレー・スケールみたいな切り札的なものは?」

「肌に合いません。私は解体屋じゃないんです」

「…相方としては理解を示したいところだけど、決め手に欠けるリヴァイヴ唯一の切り札を外している理由が、ISの技師として理解できないね…」

 

 そう、相方ができました。腕も立つ、気の合う快活な相棒。元々私の乗ることになったラファール・リヴァイヴ・カスタムは彼女が実習も兼ねた整備担当主任として選ばれており、本来は教員が乗る予定だったものが急遽私に回ってきたために、こうして搭乗者と整備士とで引き合わされたわけだ。

 

「なんていうか、本当に気乗りしないんですよ。近接よりも銃を、っていうのが元々私の性分みたいで」

「たった一枚のジョーカーを気分が乗らないってだけで外してる彩夏も彩夏だけどね」

「むぐっ」

「………ま、自覚はあるみたいだし。超高火力…それもグレー・スケールに匹敵する威力を持った射撃武器が欲しい、って具合かな?」

 

 やだ、もしかして立花ってエスパー!?

 

「私が来たのにも気づかないで、十分以上ブツブツと武装構成画面とにらめっこしてたら誰だって気づくよ。あと声でてるよ」

「あ、やっぱり…?」

「大丈夫だよ。いくつか候補は見繕ってあるから、後はテストだけかな。互換性が無いものは調整が必要だけどね。それじゃ今日はメンテついでに前回の稼動データを参考に出力調整からはじめるね」

「了解。着替えてくるね」

 

 ISの整備には人手が要る。たった一人の人間が整備をしていたのでは間に合わない。

 小型であるとはいえ中身は最新技術の塊なのだ。装甲を剥奪されたリヴァイヴを纏い、四肢のパワーアシストやシールド出力調整、エネルギー供給のバランスなどを見直していく。

 乗り手は千差万別だ。同じようにその乗り手にしっくりと”馴染む”ような細かなバランスの調整は機械には為しえない。例えオートプログラムによって自動的に補正が為されるのだとしても、人の手で人の意思によって味付けされた仕上がりにはかなわない。

 織斑先生が新調してくれた、ライダースーツの意匠を凝らしたISスーツの感触は一言で言うならばまさに”馴染む”と言える仕上がりだ。

 

「アルマ、シミュレーションプログラムのほうはどう?」

「……………無問題…」

 

 システム面を担当するロシア出身東欧スラヴ系のアルマ=ゾーヤ=ヤルコフスキー。

 口数は少なく、表情の変化も乏しいが、ソフトウェアに絶対的な自信を持つ少女。

 金糸のような髪、整った顔立ち。美人が多い、という世界中からの評判に見合う美少女。

 

「ロビン、兵装チェック開始して。不具合があれば報告を」

「りょーかい! 彩夏が満足できるようにキッチリこなしておくよ!」

 

 アタッチメントや追加装備等オプション装備を担当するイタリア出身のロベルタ=カザリーニ。

 イタリアのミラノに生まれ、ジロ・デ・イタリアの大ファンを自称する少女。ブラウンの長髪をポニーテールにまとめ、作業着をラフに着こなす快活な乙女だ。

 整備士一家の長女であり、先祖はかのアルファ・ロメオの黎明期にも貢献した技師だったとか。

 

「リッカ……プログラムスタンバイ状態…いつでもいい……」

「了解。こっちはISの基礎システムチェック中、もうちょい待って」

「全兵装オンライン。スラスター出力、パワーアシストに異常なし。PICチェック……想定値から0.36のズレ……どうするリッカ?」

「0.15までに抑える。アルマ、ロビンのデータに修正かけて。ロビンはそのままチェック再開」

 

 立花は手を止めることなく指示を出す。右手と左手に一つずつノートPCを配し、それぞれで別の作業を行いながらも、チームへの指示や進行状況を把握している。

 アルマとロビン。二人を統括する学年主席の整備主任、柊立花。

 

「……把握した。ロビン、こっちにまわして…」

「ほい、送信! アヤカ、ちょっと右手握ってみてくれる?」

「これくらい?」

「もうちょい……そう、オッケー。次は左手、その次は足だよ」

「…修正した。0.13までに留めた………けど少し遊びが少ないかもしれない…要望があれば順次修正する…」

「四肢の稼動は問題ないよ。ハード面はオールオッケー!」

 

 ニカッと笑みを浮かべてロビンがサムズアップを決める。

 

「こっちも……これで完了、と!」

「あの、ロビン? なんだかチェックが早すぎる気がするんですけど」

「アヤカ、何言ってるのさ。アルマなんてものの十秒で修正し終わってるじゃん。それにリッカなんてどっちがコンピュータなんだかわからないねもう」

「…私は並列処理は得意じゃない……リッカはすごい…」

「そうでもないよ。私はハードのプロでも、ソフトのプロでもない。特化した方面じゃ敵わないから、自然といろいろこなせるようになっただけだよ」

「…………三人ともおかしい」

 

 そうとも、私の意見はきっと普通だ。

 ものの十秒ほどでPICの制御プログラムの修正をかけたり、見るだけでIS自体の異常が無いか点検し終えたり、複数のPCを操ってOSをカスタマイズしてみせたりする。

 おかしいものをおかしいと言うのは正しい、はずだ。

 

「え? なあリッカ、アルマ、アタシらそんなおかしいことやってたかな?」

「んー……二人はすごい腕前だと思うけど…」

「………リッカが一番変態…」

「ああ、確かにあれは真似できないね」

「なんでさ!? 慣れればできるって! むしろおかしいのはロビンでしょ? 普通目視だけで異常なんて見抜ける?」

「これ? 親父の知り合いの日本人の技師から教わった」

「……やっぱり日本人は変態…」

 

 アルマとロビンの視線がリッカを見て、ちらりと私を見る。

 

「なんでそこで私を見るんですか!」

「いや、だってアタシもログ見たけど……織斑先生に次ぐトンデモな挙動だったし…」

「おまけに武装は趣味で決めてるし」

「……ほら…やっぱり変態」

「だ、断じて変態じゃありません!」

 

 そして私、日本国国家代表候補の北條彩夏。

 

 この四人による、IS学園一年生代表チームが結成された。

 

 

 

 目を開けば、そこは大都市。風の流れや太陽の光はとても非現実の世界とは思えないほどのリアルな箱庭。その交差点のど真ん中で佇むIS。行きかう人の姿は無く車も止まったままだが、つい先ほどまで人が居たと言われれば納得してしまいそうな精巧な仮想空間が広がっている。

 人気の無いコンクリートジャングルのど真ん中。見上げれば現実のような青空がそこにある。

 

『あーあー。アヤカ、聞こえてるかな?』

「良好ですよ、ロビン」

『さて、どんな感じかな? 私達が三週間で組み上げた仮想現実による演習プログラムなんだけど、結構リアルにできてるでしょ?』

「まるで現実ですよ…これはすごいです。同じ形の建物が使いまわされていなければ本当に都市の町並みそのものです」

『お褒め頂き恐悦至極ですなあ。アルマとリッカが頑張ったお陰だね。さて、二人はモニターと仮想敵の調整で手が離せないからアタシが説明するよ。この仮想空間はスパコンが演算してISのハイパーセンサーを経由してアヤカに見せているものなんだ。実際にはISは戦闘状態じゃないし、歩こうとしても体は動かせない。もちろん仮想空間内でのPICで殺しきれないGだって、生身の体には一切負荷が無い。第三世代機の技術であるイメージインターフェースを利用しているから、操作そのものは思考制御が基本だよ。まあ、ゲーム機でフライトシミュレータをやってるようなものさ。感覚面で違和感があるだろうけれど、そのへんの違和感さえ慣れれば、いい訓練になると思うよ』

 

 右足を一歩前へ。現実の体は動いていないが、視界には一歩前に踏み出した右足が見える。

 確かに違和感がある。この錯覚を乗り越えるには慣れが必要だろう。

 

「そうですね…動いていないのに動いている感じ、ですね」

『あくまで仮想空間だかんね。実際の戦闘とは少し勝手が違ってくるよ』

「なら、少しでも慣れないといけませんね」

『…なあにリッカ…え? …もうちょいかかる? あー、ごめん。仮想敵の設定なんだけど、少し待ってて。今微調整してるからさ。代わりにターゲットをいくつか配置するよ。馴らしも兼ねてやってみて。センサー上にターゲットを表示するマーカーをセットして……よし、配置完了。時間は七分ほどでいいかな?』

「構いませんよ」

『オーケー。それじゃカウントスタート…』

 

 視界の片隅に円形のレーダーが表示される。赤い三角で表示された影がいくつか。中心には私を示す青い光点が映っている。

 更に自身の高度、速度、使用可能装備の一覧が表示される。インターフェースが若干変わっているのはおそらく立花の手によるものだろう。エネルギーをゲージと数値で表示し、更に武装の残弾数なども見やすく調整されている。

 

『5』

 

 拡張領域からアサルトライフルをコール。

 初弾装填し、右手に構える。

 

『4』

 

 大きく息を吸い。

 

『3』

 

 ゆっくりと吐き出す。

 

『2』

 

 システムを戦闘モードへ移行。

 

『1』

 

 視界が冴える。ハイパーセンサーが捉える情報を見逃すまいと、集中力を高める。

 時間の流れさえ遅くなったような感覚が襲う。もう一度しっかりと銃を握り締め、次の瞬間の変化に身構える。

 

『スタート!』

 

 目の前に現れた赤いバルーン状のターゲット。赤と白の円形の的の中心部にハンドガンの初弾を抜き打ちで叩き込む。

 

『うおっ! まるでガンマンだな!』

「次っ!」

 

 交差点の角の建物の傍に現れていたターゲットに右手のライフルをセミオートで撃ち込む。

 ほんの百メートルほどならロックする必要などない。そのまま流れるように道の中央に陣取る二つのターゲットを続けざまに破壊する。

 その後方、四百メートルに三つのターゲット。更にターゲットの配置された道の両側のビルから反応が二つ。

 

「っ…!」

 

 瞬時加速。一気に速度をトップスピードに持ち込み、ライフルを三連射。ターゲットの撃破を確認するまでもなく一気にビルを飛び越え、空中で上下を反転させたまま、両手の銃をそれぞれのターゲットに向かって突き付け、トリガーを引くとターゲットは容易く砕け散る。

 

「後ろ! そこ!」

 

 地表に向かって軽いブースト。そのまま空中できりもみしながら姿勢を入れ替えつつ、ターゲットの真下へともぐりこみ、上空に向けてハンドガンを連射。五つのターゲットを銃弾が貫く。

 

「…っと、危ない」

 

 不意に眼前に現れたいくつものターゲット。赤の中には青や緑のターゲットが散りばめられている。

 慎重に、だが迅速にトリガーを引き、赤だけを正確に撃ち落す。

 

『へぇ、やるねぇ』

「それはどうも!」

 

 正面の大通りを、低空でスラスターを吹かしてそのまま突き進む。次々と正面から流れてくる的に、一発一発を正確に狙いを定め手早くトリガーを引く。

 左右に移動する的。上下に動く的。縦横無尽に動く青い的たちの真ん中を駆けていく赤。

 落とす。落とす。ひたすらに落とす。赤を散らし、青は撃たない。

 青の影に半分以上隠れた赤い的を落とす。群がる的の中心にグレネードランチャーをプレゼントし、突然頭上から降ってきたターゲットをナイフで切り捨てる。

 

 目まぐるしく世界が揺れる。上下の反転、前後の反転、武器の切替、リロードの隙。ハイパーセンサーの映し出す情報を逃すことなく、次の、その次の、更に次の展開を想定して仮想都市を駆け巡る。

 

『そこまで』

 

 遠くで小さく赤い花火が起こったのが見えたと同時に、不意にロビンの声が耳元を走る。

 ”ターゲット100体中の撃破数100”とインターフェースに表示されたのを見て、ついため息が漏れる。

 

『にしても、普通のアサルトライフルで距離3000を狙撃するなんて、無茶するねぇ』

「ふぅ……四分二十八秒…。一言言っておきますけど、ISの武装なら距離3000は十分射程内ですよ」

『そりゃそうだけど、FCS無しで三発撃って命中一発なら十分化け物だよ。ま、とにかくおめでとう! いやー、なんか簡単にクリアされちゃった感じ?』

「そうでもないですよ。違和感や仮想空間の差を意識して動いたんだけど、やっぱり動きがまだぎこちない。スピードよりも正確さを意識したから、全目標を撃破できただけで十分ですよ」

『謙虚だねえ。もう少し胸張っていいのに。さて、次が本番だよ。どこまで戦えるかなぁ?』

 

 上空にISの反応が三つ現れる。

 一機はラファール・リヴァイヴ。カスタムタイプではなく、初期生産型のノーマルモデル。どこか幼さを残す面立ちの、同じような年頃の少女が銃を手に佇んでいる。

 もう一機はイタリア製の純格闘戦仕様のIS、テンペスタ。それも第二回モンド・グロッソ出場仕様。つまり、かつてのヴァルキリーの機体が威圧感を齎す全身装甲を纏って構えている。

 残る一機は、第一世代の日本製のIS暮桜。青を基調とした重装甲。その巨体で高速機動を実現するための巨大な偏向ノズルを備えたスラスター。紺色の初期型のISスーツ姿の、十代の少女が悠然とこちらを見下ろしている。

 

「……どこかで見たような…いや、まさか…」

『その通り。IS/VSなんてゲームなんかより遥かにエゲツナイから気をつけな』

 

 無冠のヴァルキリーと呼ばれた射撃の天才、山田真耶。

 その実力は織斑千冬と並ぶと賞賛された覇王、ヴェロニカ=ロンバルディ。

 世界のIS乗りの頂点とも謳われたブリュンヒルデ、織斑千冬。

 かつて世界を席巻した使い手たちが、全盛期の姿で、こちらをじっと見据えている。

 

「…………冗談きついですよ」

『模倣とはいえそこに揃ってるのは世界トップレベルの乗り手さ。それじゃあいってみようか!』

「って、まさか…このまま1on3しろだなんて…」

『スタートッ!』

 

 右からは暮桜、左からはテンペスタ。正面から冷徹にこちらを見据えるラファール・リヴァイヴ初期型。

 ……もう詰みだよねこれ?

 

「ああもう! 南無三ッ!」

 

 なお、開始後137秒で撃破された模様。

 

 

 

第十九話 モラトリアム 2nd day

 

 IS学園の屋上は基本的に生徒に開放されている。昨今の学校は危険だからなんだと様々に理由がつけられて禁止されていることが多いが、IS学園ではそれが無い。

 ある種の治外法権のような環境であるからか、他者からの干渉を極度に嫌うからか、真偽は不明ながら学生には多くの自由と、それに引き換えとなった制約がついてまわる。私が学校内でありながら銃とナイフを携帯できるのはそれらの誓約による恩恵であるし、専用機持ちが学校の内外で専用機を携帯できるのも一種の恩恵だ。

 

 そうして自由を約束された屋上から広がる光景はまさに絶景だ。広がる青い海と空。水平線から昇る朝日はきっと素晴らしいに違いない。

 ふぅ、とため息を吐いて少し温くなったコーヒーの缶に口をつける。南風に乗った潮騒の香りとコーヒーのフレーバーに意識を傾ける。

 

「だーかーら! ここは絶対に一撃の砲火力だってば! オート・メラーラ155mm砲の砲身を改造したレールガンをグレー・スケールの配置スペースに装備するほうが絶対にいい!」

「いいや違うね! ロビンは操縦者のことをなんにもわかってないよ! そもそも彩夏は狙撃や遠距離戦闘よりも中距離が本領なんだよ。接近されたときの防御面や面制圧の点から言って、GAU-8の二連装砲身を取り付けるほうが絶対にマシだね」

「…………光学兵装を推奨。次元波動機関を利用したタキオン粒子圧縮により発生するエネルギーを用いた、いわゆる荷電粒子砲を推奨…」

「ハッ、そんなSFじみた兵器が使えるかっつーの。実機があったとしても信頼性が無いね」

「同感だね。クラス対抗戦までに完成するんならまだしも、仮説でしか、それも否定的な意見の多い機構を採用するなんて、アルマってロマンチストなわけ?」

「……火力バカたちには言われたくない…」

 

 あーあーいい天気ダナー。局所的に大嵐だけど。

 

「ちょっと、彩夏はどう思ってんのさ!?」

「私たち三人の提案する彩夏専用のラファール・リヴァイヴ・カスタム、ルー・ノワール専用オプション装備にふさわしいものはどれなのか」

「………きっちり、聞かせてもらう…」

「くっ……何か、何か対策は…」

 

 背中を突き刺す三つの視線を感じて寒気が走る。そのとき、不意に屋上の通用口のドアを開けて見知った人が現れる。

 

「なんだお前達? 四人揃って対策会議か?」

「織斑先生。今大事な場面ですので、少々お待ちください」

「ふむ。わかった、と言いたいところだが私も生憎忙しいので先に終わらせよう。……そう睨むな三人とも。単なる連絡だよ。彩夏、お前の祖母からだ」

「……おばあちゃんから?」

 

 一通の手紙が入った封筒が差し出される。セキュリティ上の都合から、封は開けられて中を確認された後だったが、わざわざ封筒をもう一度糊付けして送ってくれるあたりは先生らしい。

 

「……新型ISの稼動試験の日程表ですか」

「そうらしい。対抗戦前で忙しいだろうが、テストパイロットとしての責務はきっちりこなしてもらう。これを完成させるために動かすことがお前の仕事だからな」

 

 書面にはテスト稼動のスケジュールと今後の予定が書き記されている。

 そういえば明日は第三回の稼動テストだった。最近のゴタゴタで忘れそうになっているなんて、なんとも情けない話だ。

 

「織斑先生、確か彩夏のおばあちゃんって…」

「柊、お前の考えたとおりでおおむね間違いないぞ。彩夏の祖母は日先技研の開発局長であり、私の乗ったISの設計者の一人だ」

「やっぱり……それなら…ねぇ、ロビン、アルマ」

「あぁ、アタシもおんなじこと考えてるよ」

「……是非も無し…」

 

 何やら三人の中では意見が一致しているようだ。何がなのかはわからないけど。

 

「先生、是非北條麗香博士に合わせてください!」

「おっ、おい三人とも…話がまるでわからんぞ!」

 

 突然頭を下げた三人に驚きながらもツッコミを忘れない。さすがは織斑先生だ。

 出席簿でのツッコミといい、ブリュンヒルデの対応力は伊達ではない。

 

「ふむ……つまりお前達三人の武装強化案について、北條博士の意見を戴きたいということだな?」

「そういうことですね。アルマの案は置いておくとして」

「だから彩夏に取り合ってもらえないかなーって。アルマの武装は論外だけど」

「…………ひどい。もうやだ……死のう…」

「ストォーップだよアルマァァぁぁっ! 早まらないで落ち着いて二人の話を聞いてー!」

 

 フェンスを乗り越えようとするアルマの小さな体を抱きかかえて制止する。

 驚くほどに軽い体をフェンスの内側に引っ張りあげるのに、私みたいな女の腕力でもこなせてしまうとは、一体どれだけ軽いのか。

 

「明日は平日だぞ。北條はテストパイロットとしての仕事であるから公休という扱いになるが……お前達は学生としての本分をそっちのけにしてでもやり遂げたいと言うのか?」

「はい!」

「………罰として次世代型ISの発展の展望について、現行の第三世代・第二世代型について調査した上で論文として提出すること。いいな?」

「はいっ! ありがとうございます!」

 

 それでいいのか学園教師。

 

「彩夏。一つ言っておくがこいつら三人は技術科の中でも指折りの変態であり、良質な技術者の卵だ。それぞれが持つ強みは違うが、既に一年や二年で学ぶような知識・技術は習得済み。要するに代表候補生の技術者版のようなものだ。あとは実践の経験だな」

「………意外とスゴい」

「やっぱり死のう……私なんて…」

「それはもういいです!」

「…じゃあやめとく」

 

 私が想像したよりもすんなりと許可は得られた。もちろん立ち入り区域の制限はかかっているけれど、さほど重要ではない区画であれば見学することもできるらしい。

 

『技術科の友達を連れていきたい。それはいいけど、あんたたちの足はどうするのよ?』

 

 技研の施設は山々の連なる高原のど真ん中だ。私はバイクがあるとしても、三人を乗せるなんてのは不可能だ。私は雑技団の人間じゃない。

 

「それが、どうして私なんでしょう…?」

「ご、ごめんね…真耶姉さん。急にお願いしちゃって」

 

 翌日、高速道路を時速100kmで走るスカイラインGT-R、1998年モデル。まさかこの世界、それも2100年も近いような時代でお目にかかることになろうとは思ってもみなかった。

 ぶっちゃけると骨董品だ。わざわざ現代の道路交通法に適応した仕様に改造されている。とても半世紀を越えた車体とは思えない快適さ。車体のフレームやシャシーそのものも良好な状態らしい。

 とはいえ車載の機器はどれも最先端の品々だ。ナビゲーションからオーディオ、果てはシートまで、ずいぶんと凝っている。車のカスタムやチューンには疎い私でも、かなり手が加えられているとわかるレベルだ。

 

「いいんですよ彩夏ちゃん。私が言ってるのは先輩の無茶振りのことですから」

「でも、真耶姉さんも授業があったんじゃ…」

「先輩が私に振った理由。教えてあげましょうか?」

 

 ふふ、と小悪魔染みた笑みを浮かべる真耶姉さん。幼さを残す顔で妖しげな、艶やかさを感じさせる笑顔に思わず息を呑む。

 

「織斑先輩って、北條先生に一度こってり絞られたことがあるんですよ。”お前はもう整備するな”って、小一時間、それも織斑先輩の整備下手をじっくりと傷口に塩を塗りこむように丁寧に理論的にお説教されてから、会うたびに”整備はできるようになったか”って聞かれるようになったんですよ」

「ま、まさか乗り気じゃなかったのは…」

「そう、そのまさかです」

 

 世界に名だたるブリュンヒルデが、まさか整備下手なのをいじられていようとは。

 

「まあ、その場で連座させられたのが私なんですけどね……あははは…」

 

 って、貴女もか山田真耶。

 

「後ろのみんなは大丈夫? お手洗いは平気?」

「大丈夫大丈夫。いやーアルマがちっちゃくてよかった」

「ホント、アルマのお陰で助かったよ。さすがにこれ以上は狭苦しいからね」

「…………えっへん…」

 

 小さなお子様ボディでぺったんこな胸を張り、アルマは誇らしげな笑みを浮かべる。

 いやいやアルマちゃん。きっとこの二人はそういう意味で言ってるんじゃないよ。

 

「それじゃあ次のSAで少し休憩しましょうか。座りっぱなしだと知らない間にカラダが凝ってしまいますから、少し外に出て体を動かしておきましょう」

 

 サービスエリアは運転手たちにとって憩いの場だ。夜間を通して運転を続けたドライバーはひと時の安らぎに身を委ね、朝の早くから出てきた者たちは少し遅めの朝食を摂る。

 ハイウェイという名の異国に点在するオアシス。そこは各地の土産物や名産が集う、一つのコミュニティのような様相を呈している。旅人たちはここで羽根を休め、次の目的地に向けてこの陸の孤島から飛び立っていく。

 さながらシルクロードを行く行商人のような彼らにとって、車はテントのようなものであり、また大切な足である。

 バイク乗り―バイカーたちにとってもサービスエリアやパーキングエリアは大切な場所だ。体一つ、身を守るものはプロテクターを備えたジャケットやパンツくらいなもの。その上風に吹き曝しの雨ざらし。冬は凍りつきそうな指先に力を入れて必死にハンドルを握り、夏は股下の太陽の熱に晒されて汗が止まることがない。

 過酷。一言で言えばこれに尽きる。もちろん常人にとっては、だが。

 バイカーなんてのはよく訓練されたバカだ。太陽光とエンジンの熱に焼けようとも、零度を下回る寒さでも服を着込んで風に寒さに抗い走り回る。快適さとは正反対。だが、バイカーはやめることをしない。

 それは、バイクが好きだからというだけではない。風を感じ、四季を感じ、旅を感じる。自然に肌身を晒すことで、旅というものに胸躍らせているのだ。一日一日、その道の姿は違ってくる。雨の顔、風の顔、晴れの顔。高気圧の顔。気圧が低いときの顔。湿度が高い、低い。雨上がり、雨が降る前。

 箱の中からではわからないものが、バイクには存在している。だからバイカーは今日も鉄馬に跨り旅をする。

 苦難があるだろう。―だからどうした。

 自然は厳しいだろう。―そんなの当たり前だ。

 孤独は寂しいだろう。―孤独は人生のエッセンスだ。

 金がかかるだろう。―バイクを選んだ時点でわかりきってる。

 

 きっと、この眼前のGSX-R1000の持ち主もそうだろう。

 自身が跨り、ハイウェイを駆け抜ける姿を夢想する。未知の機体への好奇心が湧き上がる。どんな走りを見られるのか。エンジンのフィーリングはどんな感じなのか。果たしてこのじゃじゃ馬は私が従えることができるのか。

 そんな全ての、不安から好奇心までを全てひっくるめて鍋に入れて煮詰めて残るのは”乗ってみたい”という欲望だったことなんてざらにある。

 

「キミ、どうかしたの? バイクばかりずっと見てるけど」

 

 振り向けばそこにはくたびれたジーンズにスズキのロゴがあしらわれたブラウンの革ジャケットを着た青年が居た。大人しそうな、というよりも物静かで口数も少なそうなお兄さんという印象の青年。

 

「あ、すみません。リッターっていいなぁって思っちゃって、つい」

「もしかして、キミも?」

「はい。父もそうなんです。父はBMWのR-1200でしたから、18になったらリッターに乗ろうって思ってるんです」

「へぇ、きっとバイクの似合うお父さんなんだね」

 

 幼い私を後ろに乗せてバイクを操る父さんの姿は鮮明に今でも焼きついたままだ。ハーネス越しに感じる父さんの温かさ。大きくて私なんかが動いても微動だにしない強靭な体。

 お母さんを後ろに乗せて遊びに出かけたのを見たときなんて、お母さんに嫉妬していたほどにあの背中が好きだった。思えばその背中はどこか見覚えがあった。子どものころ、いやもっと前。以前に”俺”が存在していたころの、幼い記憶の中だ。

 

 ”俺”が抱いたのは憧れだった。父親の背中の大きさと、それに到るまでの遠さを子どもながらに感じて打ち震えた。

 ”私”が覚えたのは安らぎだった。この世の理不尽の全てから守ってくれるとさえ思えた、あの逞しい背中にこの身を預けた。

 

 しかし、私はもう四年もすれば大人になる。この手で掴み、自らの足で進まねばならない。かつて”俺”が家族の為に必死に日々を生きたように。

 

「ねえ」

「はい? なんですか?」

「どこか、おもしろい場所を知らないかな? キミのオススメの道でいい」

「それなら……紀伊半島なんてオススメですよ。山道あり、海沿いのワインディングもあり、高速道路だってあり。お魚はおいしい。きっとなんだって楽しめますよ」

「……割と遠いね」

「ま、まぁ……ここからだと…」

 

 なにせ関東圏から関西圏までとなると高速道路でも時間がかかる。

 さすがにこれは無茶だったか。

 

「けど、それもまあいいか…」

「ほ、ほんとうに行くんですか?」

「まあね。一人旅、しかも無期限で帰宅予定も立ててないし」

 

 なんてこった。とんでもない胆力の持ち主じゃないか。しかも家に戻る気が無いって、完全に一泊二日どころの旅で済まさない気だ。

 サイドのパニアケースとリュックサック一つでどこまで行くつもりなのか。

 

「日本一週旅行でもしているんですか?」

「んー……まあ、近いっちゃ近いんだけどね。ちょっといろいろとあってね。どうせ走りに行くなら、って感じだよ」

「そう、ですか」

 

 哀愁のような、望郷のような、羨望のような揺らぎが彼の瞳を満たしていく。

 彼は旅の中に何かを求めている。そんな気がして、言葉が続くこともなく、沈黙が続く。

 

「ごめん、いいかな?」

 

 彼の手には一本のタバコとジッポライター、そして携帯灰皿が握られていた。

 

「どうぞ。父もタバコ好きなので、慣れています」

「ありがとう」

 

 彼は口に咥えたタバコに火をつけると、大きく息を吸って紫煙を吐き出す。空に溶けて消えていく紫煙を追うように目を向けると遠く彼方には太陽で輝く水平線が広がっている。

 

「きっと、いいことがありますよ」

「……いいこと?」

「はい。いいこと、です。だからいっぱい楽しんできてください」

 

 きっと、私は今笑っている。私を救ってくれたあの日の織斑先生や真耶姉さんのように、誰かを勇気付けるために笑っている。

 青年はきょとん、とした顔でタバコを咥えたままだった。しかし、ふっとため息を吐いて強張っていた頬を緩ませる。

 

「……ありがとう。吸い終わったら出るよ」

「道中、気をつけてくださいね。グッドラック、です」

「ああ。キミもね」

 

 バイク乗りは基本常に孤独だ。共に走る仲間が居ても、走り出した後は馬上にはたった一人。道を読み、鉄馬を操り、隊列を組み、時にまさに一人で旅路を行く。

 心の内に抱えた闇をさらけ出す必要などない。迷ったなら後押ししてくれる。同好の士が、ここにはたくさん居るのだ。

 だからこそたまにはこんな出会いもある。だってここはオアシス。人生を走ることに疲れた乗り手が羽根を、心を休めるための避難所(ヘイヴン)だ。

 

 そして英気を養った者達はまた、この愛しき大地に強く一歩を踏みしめる。

 

「ねー、どうしたのさ」

「な、何が?」

 

 走り出したスカイラインの車内で、ロビンが私に尋ねる。

 

「なんかニヤニヤしちゃってさ、何かあったの?」

「いいえ。何も、特に何もなかったです」

「ふぅん」

 

 訝しげに眉を潜めるロビンをよそに、助手席の窓の外へと視線を向ける。

 ミラーごしに一台のバイクの陰が映る。ヘッドライトの輝きが近づき、閃光のように隣の車線を駆け抜ける。ブラウンの革ジャンに、アライのフルフェイスヘルメット。その人が跨る相棒はあの、GSX-R1000だった。

 

 何かを振り切るかのように、何かを追い求めるかのように、速度を上げる鉄馬。一直線にぐんぐんと先へ進み往く姿を眺めて願う。

 

 どうか、彼の往く道に幸運を。

 

 

第二十話 モラトリアム 3rd day

 

 日本IS先進技術研究所は今の日本国軍の前身である自衛隊、そのまた以前には帝国軍の兵器生産を請け負っていた工廠が由来となっている歴史ある企業だ。

 工廠時代には航空機の生産や試験を極秘裏に行っていたり、根も葉もないウワサであれば陸軍が極秘にBC兵器を開発していた場所と持て囃されたりもするらしい。

 自衛隊の頃は最新の兵器の性能評価試験や改良プランに基づいた兵器改良が主だった。だがISの登場、更に大陸沿岸の各国と南西諸島の国家間の軋轢、そこにトドメとなった白騎士事件が畳み掛けられ、自衛隊は国防軍と相成ったわけである。

 自分の頭上にICBMが落ちてくる寸前にまでなったのだから、自衛隊不要論を振りかざす者でもさすがに反戦だとかを声高に叫べないわけである。相手が銃を向けてきたなら、引き金が引かれるよりも速く敵を無力化しなければ、死ぬのは自分なのだから。

 実際に軍にはISが複数機配備されて、国防の一角を担っている。

 軍がISを採用し他の航空戦力や地上戦力との統合運用案を策定したことにより、日進技研はISの研究にも乗り出したわけである。なお、民間の研究所である倉持技研との折り合いはすこぶる悪い。

 日本の次期主力IS選定のプレゼンで、倉持の新型を”まさに打鉄を打ち直しただけ”とバッサリ斬り捨てたとか。主に祖母が。

 そのせいで倉持が本気出して打鉄弐式なる機体を設計したとか聞いたけれど、まだロールアウトには到っていないらしい。

 そういえば先日、祖母が『ちょっと神戸行ってきた』とかいって関西のお土産を持って帰ってきたことがあったっけ。

 某K重工業に立ち寄っていないことだけを祈りつつ食べた生八橋は至高でした。

 

「それにしても、どの案もブッ飛んでるわね」

 

 タブレットPCを片手にタバコをふかす祖母の姿を前に、アルマと立花はもちろん、ロビンさえも緊張の面持ちで反応を待っている。

 開発室長の執務室のソファに並んで座る三人。その対面には私と祖母が座り、一人用の小さなソファには真耶姉さんが座っている。

 

「まずは、ロビンちゃんの案ね」

「は、はいっ!」

「はっきり言ってダメダメよ。ISはあくまでパワードスーツでしかないの。パワーアシストがあってもこんな重量過多の装備は扱いきれない。ましてや155mmなんて二十世紀の戦艦の副砲レベルの代物よ。火力は申し分ないけれど、取り回しや重量バランスなどの観点からデメリットばかり。小型のグレネードランチャーか、中距離用のミサイルでも仕込むほうがマシね。これを実現するならIS用のスナイパーライフル用の弾頭をレールガンで撃ち出すほうが効果的かもしれないわ」

 

 バッサリと一太刀に斬って捨てられたロビンは”むぅ”と眉を八の字にして落ち込んでしまった。

 

「次は立花ちゃんの案だけど、まあ現実的な案ね。アタッチメントのようにハードポイントに装備できるように改造するだけでいい、お手軽で工期も短くて済む案ね」

「ありがとうございます!」

「だけど物足りない案だわ」

「ぐぐぐ」

 

 なんか立花の顔が苦しみですごいコトになっている。”見せられないよ!”というテロップで隠されてしまいそうなひどい顔だ。

 

「初速の速さと威力を考慮すれば、ばら撒いての防御も兼ねられないわけではない。だけど決定打には欠けるわね。必要なのは敵を一撃で屠る、グレースケール並みの遠距離火力。そういう点でちょっと物足りないわ」

「むぅー…GAU-8ってカッコイイのに…」

「カッコイイ武器でも効果が低いのでは利用価値が減少するわ。まあそれでも使い続ける変態も居ないわけじゃないんだけど」

 

 ちら、と祖母の視線が山田真耶教諭を射抜く。急に視線を向けられたことに驚いたのか、真耶姉さんはそっと俯いてしまった。

 

「最後にアルマちゃんの案……案なのよね、コレ?」

「………ロマンの結晶」

 

 ふんす、と自慢げに胸を張るアルマ。ドヤ顔で祖母にこうして相対することができる人間は初めて見たかもしれない。

 

「…………これは、また…」

「…ど、どう…でしょうか…?」

「アルマが敬語で喋った…!? どうしようロビン! きっと大地震の予兆だよ!」

「あああ、あっわてるじじ、時間じゃななない! 落ち着け! 落ち着いてKOOLを吸うんだリッカ!」

「ロビン、私KOOL持ってないよ!」

 

 持ってたらむしろそっちのほうが問題だと思うのは私だけだろうか。

 

「あ、KOOLがいいの? あげましょうか?」

「先生っ! 大の大人が未成年にタバコを渡さないでください!」

「冗談だって冗談」

 

 くっくっくっ、と意地悪な笑みを浮かべて祖母が真耶姉さんをからかう。

 懐からタバコの箱を取り出すと、メンソールカプセルを潰して火をつけて紫煙を吐き出す。

 ホントにKOOL持ってるし。あれ、でもさっきKENTをしまっていたような…。

 

「それにしてもおもしろい案ねぇ。未だ発見されてもいない物質と実用に到る仮説さえあやふやな理論で光学兵器を搭載しようだなんて。面白い! 気に入ったわよ! 案としてみればネタにすらならないけれど、発想は評価しましょう」

「そ、それって………つまり?」

「彩夏、あなたのラファール……ルー・ノワールに搭載するのは…エネルギー系兵装よ」

 

 つまりビームやレーザーといった類の装備ということになる。だけどこの手の武装は小型化が非常に難しい。高火力を維持しつつ、ラファール・リヴァイヴ・カスタムのシールドピアースの配置スペースに収まるものが果たして存在するのだろうか?

 

「先生、お言葉ですがリヴァイヴのハードポイント…シールドと左腕の間のスペースは非常に限られた空間しかありません。打鉄のデフォルトの小型ブレード程度でしたら備えられますけれど、背中に懸架したり肩に配備するようなサイズでは戦闘時の取り回しが難しいのでは?」

「そうよねぇ真耶ちゃん。アナタならそう判断するでしょうね。今のままのサイズなら、ね」

「博士、それってあの少ないスペースに搭載できるほどの小型の装備がある、ということでいいのでしょうか?」

「いい勘をしているわね、立花ちゃん。彩夏は私の進めるプロジェクトについて知っているでしょうから、少し予想できるんじゃないかしら?」

「……おばあちゃん、もしかしなくても…エンジェルに搭載予定のアレ、なんだよね…?」

「モチロン。それじゃあ第四格納庫に行きましょうか。現物を見たほうが早いでしょうし」

 

 祖母はそういってソファから立ち上がると、備え付けの電話の受話器を手に取る。

 二三の会話で済ませると、お楽しみの時間だと言って私たちを部屋から放り出した。

 補佐官の技術者に連れられ、格納庫へと案内された私たちの眼前にはISの基本的な兵装であるグレネードランチャーらしき装備が固定された台座にエネルギー伝達用のケーブルが繋がれたリヴァイヴが鎮座していた。

 そこに遅れて入ってきた祖母は目を丸くして言う。

 

「ああ、もう準備できたの?」

「北條室長が五分以内で準備しろと仰ったので」

「無駄に要領がいいわね、ほんと」

「並みの作業員では室長の下ではやっていけませんよ」

「いつも無茶な注文ばかりで申し訳ないわ」

「まったくです。エンジェルの稼動テストが終わったら焼き鳥にでも行きたいですね」

「りょーかい。予約しとくわ」

 

 くつくつと二人して笑う様を見てわかる。このチームには絆があるのだと。

 

「さあて、それじゃあ始めましょうか。ここに置かれているのがウワサのエネルギー兵装。その名もズバリ、波動砲!」

 

 ごくり、と生唾を飲み込む音が聞こえる。というか波動砲って……まんまだよね。

 

「ざっくりと簡単にサルでも片鱗がわかるように説明しましょう。この波動砲というのはあくまで膨大なエネルギーを内包したボールのようなものを作り出し、それを位相変調効果によってエネルギーの拡散及び減少を軽減させて射出することから便箋上で波動砲と呼んでいるだけです。位相効果を持たせた外殻だけでも相当なエネルギーを得られるから、並大抵の艦船の装甲、またブラストドア程度なら容易く貫通できるわ。外殻が崩壊することによって内包されたエネルギーが瞬間的に巨大な衝撃と爆発を起こし、敵を広範囲に渡って薙ぎ払う武装ね。技術や理論そのものはまったく新しいものだけれど、既存の機器でもやってやれないことはないわ。その場合とんでもない大きさになるんだけど」

「はいはーい質問!」

「どうぞ、ロビンちゃん」

「それって実際、ISで撃てるの? とんでもないエネルギー量が必要なんじゃ?」

「当然よ。故に一撃必殺かつ一発必中の技量が要求されるわ。具体的に言えばシールドエネルギー換算で……そうね、競技用という点で言えば200から300ってところかしら。実際に戦闘となって最大出力での発射ともなれば、五千から六千のエネルギーが必要になるわ。被害がどれだけのものかもわからないし、砲身や加速器がエネルギー量に耐えられるかも怪しい。だって撃ったことがないんですもの」

 

 そう。エネルギー量に若干余裕があるエンジェルでさえ実戦仕様での最大稼動時で9800だ。そのうちの半分以上を消費しての一撃必殺の火力たるや、仮想空間でのシミュレートでは着弾地点に野球場ほどのクレーターができる火力なのだ。

 

「あの、博士。私からもいいですか?」

「はい、立花ちゃん」

「つまり、コレってまだ未完成なんですよね?」

「最大出力での実働試験が済んでいないというだけで、ある程度…エネルギー使用量3200のラインまでは安全を保障するわ。もっとも、それ以上は未踏の地なのだけれど」

「………ハカセ、質問が」

「どうぞ、アルマちゃん。なんでも聞いてちょうだい」

「………どうして、そんな試作品を推すの?」

「これはね、挑戦状なの」

 

 にやり、と普段の祖母からは想像もできないような獰猛さを秘めた笑顔。口の端を吊り上らせ、目は獲物を捉えたように細くなって、眼前に立つ私たちを見ている。

 

「私は既に、五千までのエネルギー量に耐えられる試作品の構想ができている」

 

 既に、完成は目前…? だったら、何故こんな中途半端なモノを渡すのか。せめて安定した作動を保証されているものでいいからそっちを渡して欲しいものだ。

 

「だけど、いくらお古といってもコレは私の作品。私の智慧と血と苦悩と快楽を注ぎ込んだ一品なのよ。それをハイドウゾとくれてやるほど私はお人よしじゃないの」

「じゃあ、なんでコレを見せたんですか?」

「コレを、あなた達四人の手で完成させなさい。自分達が持てる総てを持ち合って、力を合わせ、智慧を出し合い、じっくりと少しずつでもいいから完成させること。それがコレをあなた達に引き渡すために、私が出す条件よ」

 

 そうか、なるほどこれは確かに挑戦状だ。

 ”私たちのチームは解答へたどり着いた。君たちも追いついてみせろ”という祖母なりの意思表示なんだ。私たちは既にただ社会見学でやってきた学生だなどと見られてはいない。私たちはIS学園の一年生の選抜チーム。一つの開発チームに等しい扱いで私たちを見てくれている。

 

「さあ、どうかしら?」

 

 こんなに昂ぶってくるのは久しぶりだ。嗚呼、本当に久しぶりだ。こんな風なやりとりは今までに、前世の記憶にも今世の体験の中にもあの戦場での日々以来だ。北條彩夏という個人ではない。立花、アルマ、ロビンの三人を加えた一つのチームとして、そのメンバーとして私に何ができるかが試されている。

 

「上等! やってやるさ!」

「………しっかり技術を盗ませてもらう、だけ」

「まっ、ロビンやアルマも居るしなんとかできるさ」

「おばあちゃんが悔しがるくらい、いいものを作ってみせますよ。この四人で」

「いい返事だね。コレは明日にはIS学園に運び込ませておくわ。試合当日までじっくりと、検分して知識を高めなさい」

 

 受領手続きを終えた私は本業である試験機、開発コードJA-T01―ニックネームはまんまエンジェル―の試験稼動に臨んでいる。

 第一回、第二回とで判明したPIC制御の問題点と搭乗者保護機能の調整を終えた天使を駆り、滞りなくノルマをこなしていく。

 モンド・グロッソ規定仕様下での戦闘行動。戦闘稼動下での省エネルギー行動能力の確認を終え、残すところは実戦での対IS戦闘での最大稼動試験のみとなった。

 山田先生や三人娘は部外者だ。試験の終了まで麓の川沿いの村で初夏の鮎を堪能してもらうことになった。

 試験開始を待つ間に、先の一件について祖母に尋ねる。

 

「ねえおばあちゃん」

「……ああ、聡い子ね本当に。こんな立派な孫に育ってくれて嬉しいわ。よく気づいて家事も一通りできて護身もできる美人の一人娘がいつか嫁に出るのかと思うとほんとに心から辛いわ。その上男を惑わせる魔性のボディ。孫を嫁に出すくらいなら世界なんて滅べばいいのに」

「そ、そうじゃなくって! はぐらかさないで!」

 

 べっ、別に家事くらい誰だってこなせるようになるし特に美人なんかじゃないし! セシリアや凰さんのほうがよっぽど可愛いし!

 残念ながらルー・ノワール用ではなくデータの精度を維持するためにノーマルのISスーツ、つまりスクール水着風のアレを着ているわけだ。ボディラインはくっきりと浮かび上がるし、肌の露出は多いし、正直コレを着て織斑一夏の正面に立ちたくはない。

 

「あの武器の完成形の構想、実は完成してないんでしょ?」

「あちゃー、バレてた?」

「これから完成させるっていう意思表示、だよね」

「聡い子だねえ、ええそうよ。私はまだ理想の完成形を模索しているところ。だからこそあの子たちに託してみたの。私とは違う視点から、立つ場所を変えて様々な見方から何かを発見してくれるのではないかって思えたのよ。でもよく気づいたわね」

「デスクの上のメモ用紙」

「……抜け目無いわね」

「孫ですから」

「アイスクリーム無しね」

「そんな!?」

 

 余計なこと言わなきゃよかった。

 

 

 あれから彩夏はプロジェクトの試験機の稼動テストのために別行動になった。

 北條博士のオススメという店で鮎を食べつつ(山田先生持ち)、見せられた試作型の波動砲(仮称)について思考を割く。

 うん、おいしい。鮎ってやっぱり丸かじりが一番だよね。―波動砲とか言うものだからもっとすごい大掛かりなのかと思ったけど、そうでもなかった。

 いやいや、実際の試射映像を見た限りだとエネルギー換算で500ほどの消費で競技場一つ消し飛ばせる火力なんだからすごいのは確かだ。―アルマ、食べ方知らないのかな? なんか戸惑ってるみたいだけど。ロビンは…まあ丸かじりするしかないと割り切って一気に食いついてるけど。

 

「どうしたのアルマ。食べづらい?」

「ん……違う」

 

 アルマは小学生かと思うほど小柄だ。眼前の鮎は小ぶりだが、それでもアルマの小さな口では一口では食べる量に限界がある。

 

「あの武器………多分だけど、ものすごく、強い」

「そりゃーあの映像見てりゃわかるさ。トンでもない威力だぜ」

「………ただ、ISに載せるような…武器じゃあない。そんな気が、する…」

「でも、実際アレはISに搭載できるほど小型で強力な火器だと思うんだけど?」

「違う。そうじゃなくて……なんだろう…もっと、違うものに使うのが普通なんだと思う」

「? そう?」

 

 IS用の装備をIS以外に使う。どうやって? ISの出力だからこそあんなトンデモ兵器が実際に使えるだけで、既存の航空機につけたところで役立ちはしない。むしろ余計なエネルギーを食ってしまう分航空機は性能が低下してしまうだろう。

 まさか艦船に? そうなれば軽く原子力空母まるまる一隻使わなければいけなくなる。コストの面でも、防衛や攻撃能力の面でも不安定だ。まして、空母を旧世紀の戦艦のようにしてしまうなど時代を逆行しているとしか思えない。

 

「ま、今はとりあえずアレの実用化と完成が目標だよ。私たちはタダ飯食べるために来たんじゃないんだし」

「そうだぜアルマ。もうちょっと目先のことから考えようや。アタシらの目標は彩夏が対抗戦で優勝するために必要な相棒の強化だ。あ、いらないんならもらってやるよ?」

「あげない!」

 

 ぷい、とアルマは目の前の鮎を取り上げると、串が刺さっているのにも気にせずかぶりつく。

 小さな可愛らしい口で必死に鮎にかじりつく少女の姿を、山田先生はほっこりとしたような笑みで見つめている。

 

「そういや彩夏が乗ってるテスト機って、日本の次期主力のコンペに参加してるやつだよな?」

「だね。倉持技研が打鉄ベースの新型なのに対して、日先技研は一から構築された新機軸の機体だって聞いてるけど」

「ふぅん。ってこたーこりゃ対抗戦が面白くなりそうだ」

「なんで?」

「決まってんだろ。操縦者組みの四組の日本代表候補生さ。サラシク…なんだっけ?」

「サラシキ、カンザシ」

「あーそれそれ。アルマの言ってるそれだ」

「なるほどね…倉持のテストパイロットと日先のテストパイロット同士の激突なわけだね」

「そうそう。これは…面白いレース展開になりそうじゃな…」

 

 隣で座っていた山田先生の手がロビンの肩に置かれる。

 

「賭博はダメですよ」

「あっ、はい」

 

 にっこりと、天使のような眩しい笑顔。裏の無いまっすぐな人柄の山田先生に押し込まれたロビンはすごすごと引き下がった。

 

「さーて、公式のデータと戦績は…と」

 

 手持ちのタブレットPCでIS学園のデータベースへアクセスする。あくまで外部に見せても何ら問題のないデータではあるが、簡単なプロフィール程度は記されている。

 ページを開いて五秒。やっぱり山の中では通信も時間がかかる。このお食事処も回線自体は通っているが未だに光ファイバーだ。

 そうして映し出されたのはバストアップの写真と簡単な来歴と専用機のデータ。たったこれだけだが、諜報機関を相手取る更識のことだ。写真以外の経歴はどれだけ改ざんされているだろう。

 

「ふぅん……打鉄弐式、ね」

「どれどれ?」

「ほぉ…まさに打鉄でありながら打鉄ではない、って感じだな。両肩のシールドをスラスターを兼ねた防盾にして、上半身は余計な装甲を外して稼動域を増やしてる。下半身もスマートになってはいるけど複合装甲だし、こいつで蹴り飛ばされたらいてぇだろうな。けど相変わらず第三世代って物理装甲すくねーよな。これでシールドバリア落ちたらハダカ同然だぜ?」

「……絶対防御は?」

「あんなもんに頼ってんならソイツはただのバカだ。攻撃を受けても命は守られます、だ? ふざけんな! この世に完全がありえねーように、絶対防御なんてものもあり得ないんだ。兵器作ってんならわかるはずさ、それは人命を奪うことができるんだって。だから、絶対防御が落ちてるときのための備えってものは疎かにしちゃいけねーんだ。……今のISは命のやりとりを知らない奴等の玩具でしかない」

 

 ロビンが熱の篭った声で告げる。さすがにマイペースなアルマでも、彼女の真摯な、怒りを含んだような瞳に気おされている。

 

「だからなのかもしれない。彩夏が全身装甲のISを、顔はもちろん腹部や腕までも防護された状態を要求するのは、おそらく本能的にソレを危惧していたからなんじゃないかな」

「へぇ…アイツ、そんなこと言ってたの?」

「うん。最初に会ったとき、”全身装甲にできないか”って聞かれたんだ。今のISは専ら絶対防御とシールドが守りの主体だから、ラファール・リヴァイヴの全身装甲機能は軍用以外ではあまり使われないんだけど、どうしてもって言うからわざわざフランスの本社から取り寄せたんだよ」

「……なあ、アヤカって日本人だろう」

「……………ロビン、ついに……酸素欠乏症に…」

「腰折るなよアルマ。なあ、変だって思ったこと無いか? アタシらは今年で16歳だ。それなりに専門的な分野を専攻しちゃいるけどさ、正直まだまだ技師としちゃ若輩だ。だけどアヤカの操縦の腕前は、シロートの腕前なんかじゃない。FCSに頼り切らず、ISの高速機動戦闘を行いながら、PIC制御もこなしている。データ上の相手とはいえ世界最高峰の使い手三人を相手に二分以上持ちこたえてる上に、一人を撃墜まで追い込んでいる。才能って言葉じゃ、説明が付かないんだよあの戦闘技術がさ」

 

 そう言われれば、確かに異常な戦績だ。仮想戦闘とはいえモンド・グロッソで覇権を争った三人のデータを相手に二分以上耐え、その上一人を撃墜した。結果だけでもすごいものだ。

 だけどその中身、操縦ログを今一度見直してみてその異常さがより鮮明になっていく。火器管制はオートロック機能など一切無し。PIC制御はセミオート中心に、時折イメージインターフェースでの直接制御を行っている。まるで機動や攻撃のタイミングを読んでいるかのような位置取り。ここぞというところで勝負を仕掛ける胆力。どれも一朝一夕じゃ身につけられるものじゃない。才能ある人間が修練の果てに会得する技術を、彼女は16歳にして持っている。

 

「それだけじゃない。アヤカのバイタルデータ見たか?」

「ああ、うん見たよ。冷静だけどハイな状態。コンバット・ハイの状態だと思うけど」

「そうだよ。仮想戦闘で、だぞ」

「……あ…」

「わかったろアルマ。あいつが全身装甲を使う理由は単純だ」

「…怖い、から」

「きっと何もかも投げ棄てて逃げ出したいほどに、だ」

「どうしてわかるのさ?」

「アタシの知り合いが軍に居たんだ。といってもフランスだけどね。そいつはいつでも”開放的でいいじゃないか”って言って全身装甲は外したままだったんだ。絶対防御があるから、って言ってさ。けど私がミラノに戻って三ヶ月したらさ、そいつの姉さんから手紙が来た。戦死しましたってさ! 笑えるだろ。人の命を守る機能、絶対防御。こんなくだらないものを信じてあいつは死んじまったのさ! だから、かな……わかるんだよ。アヤカもきっと、何か大切なものを奪われたんだ。ISにな」

 

 重い沈黙が続く。パチパチと照らすものも無い囲炉裏の火がただただ煌々とした輝きを湛えたまま、時が過ぎていく。

 

「でもさ、それでも私は機械が好きだ。ISも含めてね。もちろん生み出した機械が、技術が戦争に使われるなんてザラだよ。私はそれでも機械を作りたい。生み出した機械がヒトの助けになるんだって信じてる。例え戦争に使われて命を奪うものになったって、後悔なんてしない。私は自分の生み出したモノを信じてみせる。これが平和の礎を築くものになるんだって信じてる」

 

 そこに居るのは普段の勝気で陽気なイタリアの少女じゃない。ただひたすらに自身のユメと願いを信じて疑わない、子どもの純粋さを持ちながら大人のような悟りを持った少女。

 

「私は、そうは思わない」

「……なんだと」

「ロビンの意思はわかった。だけど、私は機械だけじゃ不足していると感じている」

 

 妙に饒舌に、アルマが口火を切る。普段はぼうっとして眠気眼の小さな少女は、今しっかりと目を見開き隣に座するロビンを見て告げる。

 

「機械は、確かにヒトを助けるものかもしれない。けれどそれを扱うのは常に人間。人間の意志無しに機械は動かないし、止まらない。だからこそ、機械に介入しなければそれは安全とは言えない」

 

 ロビンは燃え盛るような赤い瞳で、冷徹に目の前の少女を睨む。アルマは冷めた口ぶりで、しかし青い瞳に確かな情熱を宿して睨み返す。

 

「……だからこそヒトは与えた。機械に”判断”する力を与えた。プログラムというヒトが機械に与えた力。それを伸ばし、鍛え、時に修正する。そうして初めて機械は力を発揮できる」

「アルマ…」

「ヒトの意志を伝える言語。文字の羅列と構文を用いて、私は意志無き獣に判断するという力を与える。それが、私の為すべきことだと理解している」

 

 二人の視線の交錯。火花の散る、と思われたそれは驚くほどあっけなく、お互いの奥にある何かをひたすらに見つめるようにすれ違う。

 ああ、この二人はそれほどの信念を持っているのか。自らが掲げるに相応しい旗印を、既に手に入れているんだ。なら、私も見せてやろう。この心にある一つのカタチを。

 

「作る、仕上げる。それは大事なものだよ。だけど、忘れてもらっちゃ困るよ。壊れたものを修理するっていうのも大事なことさ。作り上げられたものを大切に守り通していくことは、考えているよりもずっと難しい」

 

 父にせがんで家の壁掛け時計の中を見せてもらって、その複雑さと造形美に魅了された。そこから全てが始まった。

 物置に眠っていた、もう動かなくなった古い時計を引っ張り出した。そこからは単純だ。何が原因で動かないのか、どうして動かないのかを時計修理職人の父に尋ねるようになった。

 解体し、組み上げる。解体し、組み上げる。問題点を探して必死に部品の配置を記憶し、交換が必要なパーツを交換してまた組み上げる。繰り返される作業が驚くほど充実していたのを今も覚えている。

 無駄に豪華だった装飾に使われているのがどういう宝石だったかなんて覚えちゃいない。時刻を刻む時針にダイヤが使われていたのも当時は気にもしなかった。修理を終えて、時計の針を十二時に運んだ瞬間の奇跡を今も私は覚えている。

 ボーン、ボーン、と響く音がまるで神様の祝福のようにさえ思えた。蘇った。再び息を吹き返した時計を前にして、私は呆然としていたのを今も思い出す。

 

「機械はちょっとした手直しと整備でずっと性能が上がる。私は時計屋の子だからね。そういう古い機械やからくりの類の修理ならちょっとした自信がある。一品モノの時計を相手にしてるとね、わかるようになるんだ。作り手のちょっとした遊び心とか、どんなことを考えて作ったのか、そんなものがさ。他の機械だってそう。大量生産品の車やバイクだって、設計を見ることで作り手の狙いがわかるんだ。それを見抜いて、そのものの性能を更に引き出す。それが私のような修理屋の、整備士の役目だと思ってる」

「…修理する前よりも良い状態に、ってやつか」

「もちろんそれはあくまで理想。私にできるのは、機械が持つパフォーマンスをその状態での最大限まで引き出すこと。大切に整備された機械は百年だって使い続けられるんだ」

「………作り手としては…愛着を持ってくれるのは嬉しい限り…」

 

 言い切った。言ってやった。ああ、清清しい。こんなにも持論を展開することなんて今までに無い経験だ。これが、チームなんだ。一つのものを目指すためのチームに必要な、第一歩が今正に踏み出されたんだ。

 

「アルマ、ロビン。私は技術者であり整備士志望だよ。アヤカが安心してISに乗って戦えるようにキッチリと仕事をこなしてみせる。二人はどう?」

「アタシは言うまでも無く製作者だな。使う人間が誰であれ、アタシはアタシの持てる力の限り最高の仕事をしてみせる」

「……システム工学志望。無知な獣に智慧を授けるのが私の役目。アヤカの狼は万全の調教を施してみせる」

「…ありがとう。私たち三人の手で、必ず作り上げてみせよう! 最高のカスタム機をね!」

「応とも!」

「…Да(ダー)」

 

 既に食べ終えて何も刺さっていない長い竹串が囲炉裏の上で交わされる。最初に突き出したのは私だけど、二人ともいいノリをしている。

 ロビンはどことなく吹っ切れたような、温和な笑みを浮かべて。

 アルマは心なしか不敵そうな、にやりとした笑みを浮かべて。

 そして私はきっと満面のドヤ顔だ。きっとそうに違いない。こんなにも腹の内を曝け出したんだから、この程度で恥じる必要なんてない。

 

「だそうですよ。彩夏ちゃん」

「……………えっ?」

 

 ぎぎぎぎ、と錆付いて今にも朽ち果てそうな速度で声の主、山田先生のほうに顔を向ける。

 振り向けばそこには、涙で顔をぐしゃぐしゃに濡らした我らが代表候補が立っている。

 腰のあたりで青のリボンでまとめられた黒髪。平均的な日本人女性より少し背の高い、凛々しい表情の似合う少女は、眼鏡の下の黒い瞳に大粒の涙を湛えている。

 

「……一つ聞くよ。アンタ、いつ、から?」

「…ロビンがっ……怒って…た……トコ…」

「…………リッカやロビンの、その、アレは…?」

「…っぐす……アルマのも…全部っ…丸聞こえだよ……あんな大声じゃ…」

「じゃあ、最期のアレも…?」

「なんで竹串なんですかっ!! ぐす…ぅっ……もっと情緒は無いの!?」

 

 山田先生はそっと彩夏の頬を伝う涙をハンカチで拭い去る。車の中ではまるで姉妹のようにおしゃべりしていた二人。どっちが姉だかわからないくらい親しげに話していた二人だけど、山田先生の包容力が一枚上手のようだった。

 彩夏は制服の袖でごしごしと乱雑に拭うと、元のきりっとした表情を作り上げる。

 山田先生の食べかけの鮎を一息にかき込んで、口元についた身の欠片さえ気にせず竹串を突き出す。

 

「みんなが言うなら私も宣言しますよ! 私は、四人で作り上げたルー・ノワールで優勝してみせます! 私の勝利は四人の勝利です! 私の敗北は四人の敗北です! どんな結果が待ち受けていたって、私は勝利を諦めません!」

「乗った! アタシは賭けるぜ!」

「………乗るしかない、このビッグウェーブに」

「一年代表を侮るなってこと、目に物見せてやらないとね!」

 

 今一度剣が交わされる。代表チーム四人の剣が交わり、確かな絆が生まれる。

 

 

 がらり、と引き戸を閉める。新緑の風が吹き抜けて、木々の青葉を優しく揺らす。人の気配も無い散歩道をくだり、川面の近い遊歩道へと歩を進める。ゆらゆらと立ち上っては消えていく紫煙。その紫煙を吐き出す女性に声をかける。

 

「試験稼動はどうなったんですか?」

「……急な予定が入ったのよ。今日は一時間半ほど、残業の予定よ」

「ああ、そうでしたか」

 

 教え子達は成長している。私の初めての教え子、北條彩夏。彼女の行く末をどうかこの目で見届けたい。それが教師として、それ以前に彼女の姉としての私の願い。

 知識を授け、技術を托し、才を拓いてきた。私が、私の手で、私なりに。

 そして巣立ちの時が近づくに連れて、私の心を寂静が満たすようになっていった。

 

 愛する教え子が手元を離れていく。―それは生命には必然の別れの一つだというのに。

 愛しい妹が私の手を必要としなくなる。―これは旅立ちの前章ですらないというのに。

 

「真耶ちゃん。子どもが巣立つっていうのはね、家族や親にとってすごく悲しいものなのよ。それは愛しい愛しい、大切な子がこの手から飛び立っていくんだもの。不安に押し潰されそうになって、あと少し、ほんの少しでもって思う。そんな風に思えるのは大切な家族だからこそよ」

「先生……せん…せいっ……!」 

「でもね、ふとした拍子に帰ってくるのよ。親元っていうのはそういうものなのよ。旅に出た自分がいつか戻りたいと思える、帰りたいと思える故郷。そしてそれが叶う瞬間はね、親という存在にとって最高の幸せのひと時なの」

「うううっ……うわあぁぁっ…! っ…ううっ…!」

「私の娘はもう死んだ。孫はほったらかし同然。………だけどあの子はこんな私でも、おばあちゃんって呼んでくれる。それが何よりも私にとって嬉しい」

「…せんせぇっ! …私っ……私が育てたんです…! わたしっ…! がんばってっ……っ…」

「……頑張ったね、真耶」

 

 私はきっと、この日のために生きていたのかもしれない。

 師から預かった知識と力と技術と心を、師の孫である彩夏に受け渡す。おそらく彩夏の母が本来勤めるはずであろう役目を、先生は私に預けてくれた。他の誰でもない、私に。

 子は立派に育ち、羽ばたくときはもう近い。そして私の元を飛び去って帰らない。

 

 

第二十一話 モラトリアム 4th day

 

「ええっ!? 使用できないんですか!?」

「全アリーナの使用状況は……あー、全部詰まってるわね」

 

 ISの戦闘訓練や機動制御技術の訓練場所でもあるアリーナ。その使用は予約制によって成り立っていて、申請さえすれば量産型である打鉄やリヴァイヴを用いて自主訓練も行える。

 それ故に競争率はすさまじく高い。複数人で借りることでスペースの制限は生まれるものの、合同訓練のようなことはできるが、実戦を想定した訓練となると他のISが存在するというのは邪魔者以外の何物でもない。

 もし、制御を間違えて射線に飛び込んできたら。例え絶対防御があろうとも危険は危険だ。可能な限り危険はを排して行わなければ、安全というものは確保できない。

 

「北條さん、どうしたんですか」

「真耶姉さん?」

「せ・ん・せ・い、です! えいっ!」

「あたっ」

 

 うん、どうしたんだろう。いつもなら”そんな呼び方はやめてくださーい!”と涙目で抗議してくるはずなのに。……うん、でもこういうちょっとお茶目さのある真耶姉さんも良い。

 デコピンを食らったおでこをさすりながら思案する。

 

「それで北條さん、何かあったんですか?」

「あ、その、アリーナの使用申請を出していたはずなんですけど……どうにも埋まっちゃってるみたいで」

「うーん……ちょっと利用状況を見せてくれますか?」

「どうぞ、山田先生」

 

 冷静で落ち着いた山田先生なんて見るのは久しぶりだ。おたおたと動揺した姿を見慣れていたものだから、こうやってピリッとした雰囲気は新鮮さを感じる。

 けど、なんだか、遠いような気がする。よくわからないけれど、何なんだろう。

 

「ああ、やっぱり…彩夏ちゃん、これ見てください」

「えーと……利用回数制限超過……って超過!?」

「アリーナは基本的に使用回数の制限があるんですよ。忘れてたんですか?」

「えっと、でも、真耶姉さん私まだ今週二回しか…」

「アリーナ全面を使った演習訓練は週に一回だけです!」

「つ、つまり…もう私、今週は、アリーナを使えない…?」

「そういうことです。ちゃんと利用規則は覚えておいてくださいね。………まあ、専用機持ちですから量産機を使用しませんので、他の誰かと合同でいいなら使用できるんですけど」

「むむむ……致し方ありませんね…おっと…」

 

 ほうほう、これは…チャンスだ。善は急げ。今すぐにでも声をかけておかなければ。

 

「一夏くん! 一夏くんッ!」

「お、おう……どしたんだ彩夏…すごい勢いで…」

「どうか私にお情けをください!!!」

 

 ガタッ、と席を立つ音が二つ。同時に立ち上る紅と蒼の闘気が教室を満たしていく。

 周囲の学生は”ひっ”と声にならない叫びを上げ、修羅の歩みをただただ眺めるしかできない。

 

「い・ち・か」

「あ・や・か」

 

 ぞくり、と嫌な汗が背中を伝う。がしっと私の肩を掴むセシリア。隣では一夏が箒に同様の状態に押さえ込まれている。

 

「アヤカさん、わたくし……あなたのことはたいせつな友人だとおもっていますの。ですから是非、是非に、一度ゆっ…くりとお話したいと思っていまして」

「ひゃ、ひゃいっ!」

「一夏」

「はいっ!」

「私はな……いつも疑問に思うんだ。節操なしに何故いつもいつもいつもいつもそうやって女を手篭めにするつもりなのかとなッ!」

 

 ちら、と一夏を見る。既に魂が口から半分抜け出そうになっている。

 

「二人とも……どうして」

「見つめ合っているんですの?」

 

 にっこりと微笑む修羅。蔑むような眼差しの剣鬼。どうしてこんな…あっ。

 

「ま、待ってくださいセシリア。あの言葉はそういう意味ではないんです。お願いですから話を聞いてください! なんでもしますから!」

「そっ、そうだぜ! きっと何かの間違いだ! 俺からも頼む! 俺も何でもするさ!」

 

 にやりと二匹の鬼の口がつりあがる。部分展開されたブルー・ティアーズと、背中からすらりと抜き放たれる木刀を前に、やっちまったと後悔するも時既に遅し。

 

「なんでも、か…ふふふ…」

「そう、なんでも、ですね……うふふふ…」

「だったらまずは…!」

「この制裁をお受けなさい!」

 

 光が、ひろがって―

 

 

「だいたい、彩夏は自分が年頃の女の子であることを―」

「一夏、お前がいつも回りに女だらけで嬉しいのはわかるが―」

 

 説教は終わらない。これなら地獄の閻魔様に説教されるほうが幾分マシかもしれない。事情は全部洗いざらい話したはずなのに、まだ正座させられるんだろうか。もう許してほしい。

 

「まあ、反省はしているようですし……ここで区切りとしましょう」

「そうだな。彩夏の暴走が原因のようだし、な」

「ぐっ……モウシワケアリマセンデシタ」

 

 恥ずかしいったらありゃしない。焦りに焦った勢いであんな言葉を言っていたなんて情け無いにもほどがある。

 

「なあ彩夏、なんでセシリアがお前に怒ってんだ? 俺はいつものことだから別に慣れてるけどさ」

 

 一夏が鈍感でよかった。これでもし”お情け”の意味を深く知っていたなら私は三日は顔を合わせられない悲惨な状態になっていただろう。

 結果から言えば、合同使用の許可をとりつけることはできた。ただしセシリアと箒のオマケ付きで、だけど。

 よくよく考えれば私と一夏はクラス対抗戦で当たる敵同士だ。にも関わらず快くオーケーを出してくれたことは嬉しい限りだ。今度お礼になりそうなものを見繕ってみよう。

 アリーナ使用権の確保を三人娘にメールで伝えて、一夏たちと共にアリーナへと向かう。更衣室でルー・ノワール専用にしつらえたライダースーツタイプのISスーツに着替える。

 

「………負けてはいないはずなのですが…」

 

 ちら、と右を見れば立派な双子山が並んでいる。左を見ても大層立派な双子山が並んでいる。

 そしてその私には両サイドよりかやや見劣りする(気がする)双子山。無い、というわけではない。この二人が大きすぎるだけなのだ。

 美乳、というカテゴリにおいては私は自信がある。だが、巨乳というカテゴリにあって私のランクはそう高いものではないだろう。

 

「…くっ……」

「まあまあ、アヤカはとても素晴らしいスタイルの持ち主ですわよ。均整がとれた美しさというものは良いものですわ」

「そうだぞ。私は剣を振るうせいかどうにも筋肉が多いから、少しやわらかさがな…」

「…慰められているはずなのにこの悔しさはなんなんでしょう」

 

 天よ、願わくば真耶姉さんのようなすばらしい乳を我に与えたまへ。

 

 アリーナのピットへと足を運ぶと、既にそこには愛機であるルー・ノワールと量産型IS打鉄が待っていた。

 鎧武者のような打鉄と並んで、全身を漆黒に染めたリヴァイヴ・カスタムが鎮座する様は威圧感さえ感じさせる。

 その傍らでコンソールを片手にチェックを済ませている立花に声をかける。 

 

「ああ、彩夏……ってどうしたの? ずいぶんヘコんでるけど」

「決してたどり着けない頂上がある、と思い知らされただけです」

「ん?? なんなのさそれ?」

「まぁ、気を取り直してはじめましょう。こっちは私のクラスメートのセシリアと箒です」

「初めまして。セシリア・オルコットですわ」

「私は篠ノ乃箒。よろしく頼む」

「二人ともよろしく。私は柊立花。彩夏やチームメイトからはリッカって呼ばれてるよ」

「……コンソール二つを同時に扱っていますの?」

「ああ、コレ? いつの間にかできるようになってただけだよ。そんな大したものじゃないよ」

「いえ……なるほど…そういうトレーニングも効果が…」

「どうかしたの?」

「気にしないでいいですよ立花。いつものことですから」

 

 ぶつぶつと思考に嵌り始めたセシリアをよそに、立花は再びチェックをはじめる。

 

「そういえば、コレは私の使う予定の打鉄だが、これも診ているのか?」

「そうだよ。彩夏に呼ばれて来てみたらルー・ノワール以外にもISが置いてあったからさ、暇つぶしがてらに異常が無いかチェックしてるよ。整備士にとってはISの稼動前後のチェックは必須の作業だからね」

「ルー・ノワール?」

「フランス語でルーは狼、ノワールは黒を表す言葉ですわね。直訳すれば黒い狼ですわ。現在の西洋ではあまり良いイメージを持たれませんが、古くから狼は神話や物語に多く登場しています。ローマ建国の逸話や日本の大神の語源にもあるように、狼は様々な物語や信仰に結びついているものですわ」

「有名どころなら”あかずきん”でしょうか。オカルトの類なら”ジェヴォーダンの獣”なんてのもありますね。まあ私は日本人ですから、日本人的なオオカミのイメージですけど」

「狼…か。彩夏らしいな」

「私らしい、ですか?」

「ああ」

 

 どういうことなのだろう。狼が、私らしい。一体オオカミと私のどこに共通点があるのだろう。

 

「まあまあ、深く考えても仕方が無いですわ。私は西洋の生まれではありますが、狼の群れというのは素晴らしいものだと思いますわ。群れを統率するリーダー、その指揮の下に獲物を追い続けて仕留める。とてつもない忍耐とタフネスです」

 

 だとすれば、さながら私は群れを失って彷徨っていた一匹狼だったのだろう。そして今は新たな群れの一員として、己にできることを為そうとしている。私らしい、というのはそういうことなのかもしれない。きっと箒の言っていることとは意味が違うのだろうけれども。

 

「離せ! 離してくれ! いや、離してください!」

「大人しくしやがれこの覗き魔!」

 

 ぎゃあぎゃあと騒がしい声が聞こえて振り返れば、そこにはロビンにきっちりと腕を極められた一夏と、それを力の限りに押さえ込んでいるロビンが居た。

 

「おいアヤカ! こいつ女子更衣室で覗きをしてやがったんだ! さっさと通報してくれ…って暴れるなっての!」

「頼む彩夏! 誤解なんだ! 助けてくれセシリア! 箒! いででで!」

「………アヤカ、ここは、…私に任せて……早く」

「アタシのは見られても構わねぇけどな、アルマの裸体を見ようなんざアタシが許さねぇ!」

 

 小さな体躯で必死に一夏を押し留めようとするアルマ。だけどねアルマ、足にしがみついているわりに引き摺られているんじゃあ足止めにもなっていないよそれ。

 

「あっ」

 

 紅と蒼の闘気がゆらめく。まさに二人は今、修羅となって一夏の眼前に立ちふさがっているのだ。

 ちらりと向けられた一夏からの視線を受け流す。ああ、今日はアリーナの空がきれいだ。

 

「アッー!」

 

 触らぬ神に祟り無し。一夏よ眠れ、安らかに。

 

 

 無事誤解が解けた後、和解したアルマたちと共に自主トレの準備に入る。

 一夏とセシリアはそれぞれ専用機を展開し、ピットから飛び立って周回軌道でアリーナを飛翔する。

 箒と私はそれぞれ機体に乗り込みISを起動させる。リヴァイヴの腕と足がロックされ、ISが装着される。ライダースーツの上に更にラバー状の保護膜が展開され、量子化されていた胴部と胸部、二の腕の装甲、そしてヘッドギアが展開される。地肌が晒されることはない。

 その様相は物々しい、まさに戦場へと歩みだす兵器としてのリヴァイヴの姿だ。万一に備えた生命維持機能も持つ装甲と保護膜が少しばかりの安心感を与えてくれるものの、いざ銃を握ると緊張感が全身を駆け巡る。

 

「リヴァイヴ起動。ロビン、アルマ、ルー・ノワールのデータ収集の準備はいい?」

「こっちはオッケーだ。アルマは?」

「ISの管制システムとリンク……問題なし。いつでも」

「了解。私は三人のモニターをしなきゃいけないから、彩夏のほうはお任せするよ」

「あいよ。きっちりやるさ」

「合点承知」

 

 バイザーに情報が映し出される。インターフェースに次々と走るプログラムの羅列。エネルギー残量、レーダー、シールドの耐久値、機体各所の状態、武装の状態、そして操縦者のバイタルが表示される。

 

「ロビン、アルマ、起動完了。ステータスは異常なし」

「よしよし…箒、そっちはどうだい?」

「もう少し待ってくれ……良好だ、問題なし。いつでもいいぞ」

「射出準備……発進可能まであと三秒……………行ける」

「打鉄! 出るぞ!」

 

 箒が駆る打鉄のロック状態が解除され、ゆっくりと立ち上がる。威風堂々という趣の打鉄がカタパルトに乗せられ、一瞬で最大速度に加速されて射出されていく。

 

「ほーう。ずいぶんやる気じゃんあの子。大方あのなよっちいのが好きなんだろうな」

「よくわかりますね」

「そりゃあの態度じゃな」

「…それもそうですね」

「真っ直ぐなのは美徳だけどさあ、どっか危うい真っ直ぐさなんだよな、あのなよっちいの。ま、アタシの所見だから気にしないでいいよ」

「……それは、注意しておきますよ。アルマ、いけますか?」

「ぐっどらっく」

「ルー・ノワール、出ます」

 

 ぐん、と体に圧し掛かる衝撃に耐えて先を見据える。青空の広がる無人のアリーナ。その空を周回する三機の輪に加わると、慣らしを兼ねて一通りの機動を行う。

 上下反転しての左右への軽い移動。前に進みながら推力を一度切り、後方に宙返りするように一回転。そのまま錐揉みして姿勢を戻し、再び周回軌道を維持する。

 

「さすが代表候補ですわね。いい動きですわ」

「習得して損は無いですよ。見栄えもいいので、観客に受けるでしょうし。観客のアドバンテージを握るにはいいですよ」

「アクロバットは得意ではありませんの。できないわけではないのですけど、ね」

「すげーな二人とも……ISってあんな動きもできるのか…」

 

 おしゃべりしながらのウォーミングアップを行う中で、箒だけが黙々と慣らしを続けている。もう少し会話しないと、合同練習の甲斐が無いじゃないですか。

 私はお喋りしながらでもこんな機動を行ってみせられるが、織斑先生ならば実戦でお喋りと余所見をしながらでもやってのけるだろう。

 

「さて、何から初めていきましょうか。私は機体制御を主体にマニューバの練習をしますけれど、皆さんは何かプランなどはありますか?」

「私はブルー・ティアーズの四機同時制御を練習しようかと。アヤカ、どうせなら射撃回避も加えて本格的にいきましょう?」

「いいプランです。障害物も加えて、ターゲットを設定してより実戦的に…」

「それに地表ギリギリ、倉庫のような閉鎖空間を意識したコース取りも加えて私がターゲットを守る防衛側に付いて…」

『おお、やる気だねーお二人さん。ちょっと待ってな、すぐ設定するよ』

「お、おい箒……なんだかすごいことになってんだけど…」

「代表候補なんだ。それくらいはできる、ということだろう」

 

 いつの間にかアリーナの半分を占めるコースが設定されている。立体映像投影による障害物が設定され、ターゲットの配置まで済んでいる。

 仕事が速すぎますアルマさん。一分で用意してくれるその手腕はさすがとしか言いようが無い。

 

「さあ、はじめましょうか!」

「いきますよ、ティアーズ!」

 

 上空で待機するブルー・ティアーズから四つのフィンが切り離され、フィールドの上空に散っていく。ルー・ノワールは地上に足をつけ、前傾姿勢でスタートに備える。

 

『スタート!』

「…ブーストッ!」

 

 スラスターが青い炎を吹いて狼を走らせる。地表から僅か十センチの高度を維持しつつ加速し、ターゲットにライフルを単射する。

 障害物の陰から現れた的を撃ち抜こうと構えるも、ターゲットはすぐさま物陰へと退避する。そこへティアーズの狙撃とビットのレーザーが照射される。寸前で後方へとバックブーストで退避する瞬間に、体を強いGが包み込む。

 

「ふふっ、やっぱりこうでないと!」

 

 仮想空間では味わえない現実の感覚。土のにおい、空気の張り詰めた感じ、時間が流れる感覚、全てがこの身一つに降りかかる感覚がたまらない。

 

「っ…余裕そうに避けておいて……これはどうですか!?」

「おっと!」

 

 頭上と背後そして左右の壁を利用して姿を隠していたビット、合計四機のレーザーによる十字砲火が迫る。開けた逃げ道をあけ、わざとそこへ追い込む布石である一手。逃げる先は一つしかなく、必然私はそこへ飛び込むことになる。

 時間差を持って迫る青い閃光。足元を狙って撃ち込まれた後方からのレーザーを軽く上昇して回避。だがそのままでは頭上から撃ちぬかれる。しかし左右からは前後を挟むようにレーザーの網が張られている。必然、その左右の網の隙間を平行にブーストして回避するしかない。

 そして追い込まれた獣は―

 

「捉えましたわ!」

「…っ…やりますねっ!」

 

 星の光と銘打たれた銃からの攻撃に晒される。左側面に配したシールドで辛くも防ぎ、態勢を立て直すべく即座にブーストして左右に小刻みに姿勢制御をかけて狙いを定めさせない。

 一撃を防がれた後に即座にセシリアも猟犬をけしかけるが、四機同時制御の制約がビットの行動から精彩を奪っている。普通なら即座に撃墜するのだけれど、今はセシリアにとっても私にとっても訓練だ。セシリアは四機同時制御の制約があるためにビットを減らすわけにはいかず、私は機体制御の練習のためでもあるので敵の攻撃を減らしてしまったのでは回避機動の練習にならなくなる。

 一転して狙いが甘くなったビットの射撃を紙一重で回避しつつ、ハンドガンを左手に持ち、ターゲットを撃破する。

 

「抜け出されるわけには…ティアーズ!」

「ほら、セシリア! プレゼントですよ!」

 

 ドンドンドン! けたたましい発射音と共に、牽制を兼ねたハンドガンの三連射がセシリアを襲う。

 

「なっ! …もうっ、いきなりは危ないではないですか!」

「しっかり避けてるクセに!」

「そちらこそ! お返しですわっ!」

 

 スターライトの光が狼の牙を掠めて過ぎる。しっかりと道中のターゲットも同時に破壊するが、右手のライフルも同時に大破判定で持っていかれてしまった。

 即座に破棄したライフルに変わりサブマシンガンを選択。ISよりも高い障害物、コンクリのような壁をブーストジャンプで跳躍し、壁の裏側のターゲットを空中での一回転中に撃ちぬく。

 

「なんてデタラメっ!?」

「ほらほら、次に行きますよ!」

「そうは、いきませんわ!」

 

 セシリアのけしかける猟犬をしのぎつつ、一つまた一つとターゲットを射抜く。

 ライフルを大破判定で使用不能にされたのは痛いが、銃があるうちは戦える。

 サブマシンガンは射程と精度でライフルには劣るが、その連射力と面制圧力、そして取り回しの面で優れている。片手で構えてすぐに弾をばらまけるのは接近戦を仕掛けるための布石として、相手の接近を阻害するための牽制手段としても有用だ。

 ライフルは片手でも撃てるが、その場合の精度は甘くなる。例えISだろうと人だろうと、しっかりと武器を保持して使うのが鉄則だ。そして自らの武器が得意としているレンジと特性をよく理解することが、戦闘における自らのアドバンテージに繋がる。

 

『あと四つだ! セシリア、気張れよ!』

「ここで落として差し上げますわ!」

 

 セシリアの真下に並ぶ四つのターゲット。前後左右を取り囲むビット。そして上空にはセシリアのスターライト。これがISに触りたてのころの私なら万事休すとなっているだろう。

 そう、以前の私だったなら。

 

 意識を広げる。文字通り世界を俯瞰し、前後左右上下に到るまで周囲の全てに意識を向ける。

 ハイパーセンサーの捉える三百六十度からの情報を余さず飲み込み理解し、自らの動くべき道を弾き出す。

 世界の流れが歪むような感覚。ゆったりと鼓動する心音にあわせ、スローモーションになった世界の中で思考に没入する。迫りくるレーザーの着弾時間の差は絶妙だ。普通に回避したならまず当てられてしまう。それほどの先読みから生み出される予測射撃。回避した先にいつでも三手、四手目を撃つことのできる包囲網が既に敷かれている。

 後方から迫るレーザー。右足に重心をずらして回避。レーザーは左肩を掠めて過ぎ去る。

 左から奔る追撃の光。重心を載せた右足で地を蹴り、ヘッドスライディングのような姿勢で前に飛び、即座に瞬時加速。地表スレスレ、小石さえ目視できる低空を駆け抜ける。

 右から飛来する青の閃光。それは私を捉えるには少しばかり遅い。

 僅かに足りないと見たセシリアから、スターライトの光の奔流が向けられる。同時に進路を塞ぐように立ちはだかる一機のビットからレーザーが照射される。スターライトは私には届かない。コンマ三秒後にはもうそこに私は居ないのだから。

 地表との間は僅かに十センチとギリギリ。制御を一つ間違えば地面と熱烈なキスを交わすことになる。それがどうした。私は泥をすすり食えるかもわからない食材を食べて生き残った。その程度は造作も無い。

 眼前に迫る青の矢。左手に再びハンドガンをコール。残弾の装填数は4発。

 青い光が広がる。PIC制御最大。ウイング格納、実体シールド解除、これで邪魔なものは何も無い。

 

「ラストッ!」

 

 姿勢制御スラスターが火を噴き、世界が反転する。ぐるりと右に回転していく視界の片隅を過ぎ去る光。突き出した左手のハンドガンはターゲットに狙いを定める。

 ドンドンドンドンッ! セシリアの真下に存在していたターゲットのど真ん中を弾丸が打ち抜いて、四つの的は微塵に砕け散るようなエフェクトを残して消え去る。

 

『………し、終了…だな』

「…そ、そんな……あの低空でバレルロールなんて…」

 

 加速した世界から舞い戻った狼が地に足をつけ、ガリガリと大地との摩擦音を伴って瞬時加速の速度を無理矢理殺して立ち止まる。

 ルー・ノワールのヘッドギアのフェイスガードが開放され、バイザーが格納される。息つく暇も無い一瞬のプレッシャーから解かれたことに安堵し、深呼吸を一つする。

 

「どうです? マニューバっていうのはかっこいいだけじゃないんですよ」

『……………変態』

「なんでそうなるんですか!?」

『…いや、これは……変態って言われても仕方ないよ。なあ、アルマ?』

『いわゆる、変態機動……やっぱりアヤカは変態…』

「ええ、どう見たって変態ですわね」

「このアウェー感はひどすぎます…」

 

 眼を背け、一夏と箒のつばぜり合いを注視する。二人とも剣道をしていただけあって打ち込みの強さと思い切りがよい。

 一夏の攻撃を箒が受けて流し、返礼と言わんばかりに突きを二度三度と繰り出す。

 カウンターを弾き、いなし、一夏が再び気迫と共に剣を薙ぐ。それを紙一重で回避した箒が逆に押し込み、一夏が劣勢に陥るものの冷静に捌いて仕切りなおす。

 空中戦などまるで無し。地に足つけての剣戟の舞が繰り広げられる。

 

「アヤカ、これって別にISでなくてもいいのでは…?」

 

 セシリアは目の前で繰り広げられる剣の舞を見てそう言い放つ。

 しかし、ISは生身の延長でしかない。あくまでパワードスーツの範疇なのだ。強力なパワーアシストがあって、空を飛べて、小銃弾など弾いてしまう堅牢なものだが、パワードスーツなのだ。レバーやペダルで動かす機械とは違う。

 

「ISというものがキーボードやレバーやスティックで動かす巨大ロボットだったら、必要は無いかもしれません。けれど、ISは踏み込みも銃を撃つのも構えるのも私達が手足をそのように動かして行うものです。ISと生身の差異を乗り越えて、生身であるような動きをISで可能にする領域へ到るにはいずれ必要なことです」

 

 人間の意志、それにISが応えてくれるようになる。その瞬間はとても心地よかった。

 時々私はスローモーションのような、そんな世界を不意に垣間見る。もちろん私は普通の人間、少女であることに変わりは無い。スローモーションのように見える世界の中で思考だけが冴え渡ることはあっても、自分だけ普通に動いたりするなんていう異常な能力を持ち合わせているわけではない。体の動きもスローモーションの中では相応に緩慢な動きだ。

 イメージインターフェースを導入したルー・ノワールなら、この僅かな瞬間に導き出された思考を即座にISに反映できる。機体制御のみに特化したイメージインターフェース。これによってルー・ノワールは先ほどのような危険かつアクロバティックな機動さえ可能になった。

 今や我が相棒たる黒い狼は第2.5世代機として第三世代機にも食らい付く力を得た。そして次は最大にして一撃必殺の牙を研ぎ上げるのみとなる。

 

 あと、三日。果たしてどこまでやれるだろうか。

 

 

第二十二話 モラトリアム final day

 

 明日はいよいよクラス対抗戦の開催日だ。クラス間でも明日は敵同士という意識からかピリピリとした雰囲気が学年中を包んでいるのがわかる。

 そんな中でも平常運転の織斑一夏とユカイなハーレムの女たちは今日も騒がしく駆けずり回る。いつもの見慣れた光景にあの凰鈴音が加わっただけだが、何も教室のドアを物理的に破壊しなくてもいいのではないだろうか。主犯は篠ノ乃箒だが。

 いつものような時間が過ぎ、いつものような昼休み。いつものようにお手製弁当を片手に屋上へ向かう。

 いつものように一番乗り、と思いきや思わぬ先客に出くわす。

 

「あのー、凰さん…?」

「な、なによ…」

 

 通用口のドアのすぐ横の壁に、膝を抱えてうずくまるツインテールの少女。凰鈴音が何故ここに。

 

「………何かあったんですか?」

「あんたには、関係のない話よ」

「ドアの向こうまですすり泣きが聞こえるのに、何も無いわけがないですよ」

 

 そういうとまた彼女は俯いて涙を隠す。言うつもりは無い、らしい。

 表情はほんの少しだけ見えただけだったけれど、ひとしきり泣き終えた後だというのはわかる。

 

「それで、何があったんで―」

「あんたなんかには関係ないって言ってんのよ!!!」

 

 今までの鬱屈の全てを向けられ、彼女の怒りの声に私の問いはさえぎられる。

 

「…わかりました。気が向いたら呼んでください」

 

 さりげなくドアの内側にかけられているプレートの”閉鎖中”の面を表にしてドアを閉める。

 今下手に触ると暴発しかねない。加工前のニトロよりひどい。火に油どころか、触れれば暴発。第二次性徴の多感期にある少女に対しては、ニトロの取り扱い以上に注意しなければ。

 一番離れたベンチに腰掛けて、弁当箱を入れた手提げのバッグから本を取り出す。ごくごく普通の少女マンガ。内容もありきたりで、良く言えば王道、悪く言えば二番煎じのようなものだが、それでいい。

 最新刊のラッピングを剥がし、帯を外してバッグにしまう。本の間に入っているビラを無造作に放りこみ、一ページ目をひらく。

 ケンカ別れのように離別した少女と彼のそれぞれの歩む道を描いたところから始まり、ふとした再会から少しずつ縒りを戻していくシーンに入ったところで、静かな世界は破り去られる。

 

「隣、いい?」

「どうぞ」

 

 どんとこい。そのためにわざわざ私は左端に寄って座っているのだから。

 

「あんたでしょ…代表候補って」

「そう、ですね。未だ至らぬ身ですが、日本代表候補です」

「一夏とも、戦ったんでしょ」

「はい。公式戦ではないですけど」

「一夏は、どうだった?」

「弱いですね。……そうムッとした顔をしないでください。誰だって最初はそうです。むしろ一ヶ月でよくあれだけ動けるようになったと思いますよ」

「そっか……一夏は、強くなってるんだ…」

 

 静寂が訪れる。過ぎ去っていく初夏の潮風を背に、ひゅうひゅうと手すりをすり抜ける風の音をBGMに時間が過ぎる。

 

「あたしね、昔は一夏と同じ学校にいたんだ」

 

 知っている。当時いじめを受けていたことも、涼子さんに調べてもらって知っている。

 

「昔は私って踏ん切りがつきにくくて、言いたいことも言えなくて、私は中国の生まれでしょ? 他の子からはパンダだとか散々いじめられてたのに何も言い返せなかった。立ち向かう勇気が、無かった。そんなときに一夏に会って助けられて、好きになったの。まるで少女マンガみたいだよね」

 

 乾いた笑い声で、彼女は懺悔するように言葉を紡ぐ。

 

「私が中国に戻ることになって…やっと勇気を出して、また会えたら私と結婚して欲しいって………ストレートには言えなかったけど、伝えられた。伝えられた気で舞い上がってた。一夏は鈍感だし、気づいてないかもしれないって思ってはいたの。自分の心に素直になって、正面から伝える勇気を持てなかった。結局私は弱いままだったのよ。さっき一夏に約束を覚えているか確かめたら、何も伝わってなかった。伝えられてないまま、私は舞い上がって勝手に一夏が私に応えてくれるって期待して、それが叶わなくて勝手に失望してるのよ」

 

 彼女は制服の袖でごしごしと涙を拭う。止め処なく溢れてくる涙に笑顔の似合うだろう彼女の表情は曇り、あの日のような覇気は微塵もない。

 

「私って、ほんとダメな女。サイテーな、どうしようもない、弱いだけの…」

「恋愛は、人を狂わせることがあります」

「………なによ、いきなり、変なの」

「ある人の話です。その人にはずっと恋焦がれる女性がいたんです。思い切って思いの丈を伝えた結果………回答は得られませんでした」

「…どうして?」

「それは私にもわかりませんし、彼にもわからなかったんです。何故何も言わないのか。せめて一言でも、是か否かだけでも彼女が告げていたなら彼の人生は変わっていたでしょう。彼はその日からずっと悩み続けることになったんです。どうして何も言ってくれないのか。何故うやむやのままで今日も顔を合わせているのか。平気な風を装ってどうして自分は今日も部室で彼女と話しているのか。彼は高校を出るまでずっと悩んでいたんです。自分の何がいけないのか、答えをもらえない理由は何なのかと。いつしか彼はその悩みさえ忘れるほどに無気力になり、享楽的になり、自己破滅願望を抱いた。表面上はいつものクールな鉄面皮を被って、その裏側では渦巻く狂気と善悪がひしめき合ってさながら混沌というべき歪な状態になってしまった。………最悪の形で残ってしまった愛が彼を蝕み、そして破滅への一歩を後押しした」

「………その人は…今は?」

「…立ち直った彼は普通に大学を卒業して普通に就職してから他の女性と結婚して、事故で死にました。幸運だったのは彼の善性が狂気や悪意を押し留め、なんとか人として格好はつく程度に自己を維持していたこと、でしょうか。もしかするとその善性こそが狂気と紙一重のものだったのかもしれませんが」

「そう、なんだ…」

「いいですか。後伸ばしにはしてはいけません。必ずケリをつけなさい。一夏君を狙う子は多いです。そして同時に敵も多い。それでも一夏君が好きだというなら、いつか必ず自分の心にケリをつけることです。成否は問いません。ただし、必ず答えは引き出すことです。愛が自分を蝕んでしまう前に」

 

 そう、かつての”俺”が辿った轍を踏まないように。無気力で怠惰な生活を続け、自己を高めることさえ諦め、惰性と義務感で動き続ける屍になってしまわないように。

 

「必要なのは勇気ではありません。答えを渇望すること。愛は欲望です。こうありたい、こうなってほしい、叶ってほしいという自己愛の願望のカタチの一つ。執着、ともいえます。引き摺ってしまうことは、何よりも危険なんです。引きずり込まれる前に、断ち切ること。それが失恋というものだと思っています。正しい形での失恋こそ、成就よりも人に必要なものです」

 

 そういう私は、踏ん切りがついたんだろうか。両親の死を招いた篠ノ乃束を許すことはできない。あいつがISを世に知らしめるために行った所業は許しがたいものだ。

 人を騙し、国を騙し、己の意のままに操って今も逃亡を続けるあの雌狐だけは許せない。多くの人が彼女の欺瞞に扇動され、今や世界は第三次世界大戦の前哨戦の様相さえ呈している。

 白騎士事件の後、IS至上論が飛び交い女尊男卑の思想が蔓延り、軍事力の上でひとまず落ち着いていた世界に新たな火種が産み落とされた。

 自身を、ISを認めさせるためだけに世界を、人を操る。篠ノ乃束は偉人なんかじゃない。世界の裏で糸を引く悪意そのものだ。例え彼女にその気がなかろうが、その所業は世界を破滅に陥れるほどに。

 

 この私の持つ、篠ノ乃束への執着を、断ち切らなければ。

 

「………それでも、私は一夏が好き。うん…好き」

「…それでも、いつか」

「わかってる。でも、今はまだその時じゃないでしょ。私らしく、私の思いのままに、正面からぶつかってみる」

「…老婆心が過ぎましたね。今は忘れてください。ええ、まだ十六ですしね。深く考えず当たって砕けるのも一つの経験ですね」

「はんっ、砕ける気なんて無いわ! 絶対に一夏は他の女に渡さないんだから!」

 

 これもまた、一つの愛の形なんだろう。何も考えず真っ直ぐに相対する。簡単なようで難しいことに、彼女は意志を決めて挑もうとしているんだから。

 子どもは忠告なんて聞きやしない。自分の信じた道を突き進む。例えそこで折れようと貫こうと、それは彼女自身の選ぶ生き方だ。だけど後悔して心折れそうになったとき、少しでも私の言葉が役に立てば、と思う。

 

「そういえば、結局一夏には転校前になんて約束をしたんです?」

「え? あ、その……”毎日私の作った酢豚を食べてくれる”って…」

「それで伝わるかってんですよこのバカッ!」

 

 なんでこう今年の一年生は問題児ばかりなんですか!?

 

 

 更衣室のロッカーの前でブラを外しショーツを脱ぐ。眼前の鏡には全裸の私が映っている。黒の長髪。黒い瞳。青い伊達眼鏡。髪を留める青いリボン。どこもおかしいことはない。

 だがこれから先にこのリボンを連れていくことはできない。もし何かあったとしたら、私は戦うどころではなくなってしまう。

 ISに乗るときはいつもこうだ。家族の形見を、戦友の形見を手放し、身一つでISに乗らなければいけないのが怖い。何もかも投げ捨てたいほどに恐ろしい。撃たれることが怖いわけではない。負傷することを危惧しているのではない。ただ、離れ離れになって戻れなくなるような気がして、それがとてつもなく恐ろしくて。戦闘中はそれを忘れられるのだけど。

 

 薄手のインナーを着込み、ライダースーツ状の上下一体のISスーツを手に取る。左足、次いで右足。そして両腕をスーツに通して大きく開いた前面をしっかりと閉じる。自動で与圧されるスーツ。最期に両手に着けるグローブを手にとって、更衣室を後にする。

 

 クラス対抗戦の開催されるアリーナのピットには既に各クラスの代表たちのISが待機状態でメンテナンスを受けている。

 一番左から二番目の白式。一組の織斑一夏の専用機。白兵戦を主眼に置いた、加速力と防御力に優れる機体。武装は少ないながらも、強力な単一仕様能力は危険そのものだ。

 三番目の甲龍。中国代表候補生、凰鈴音の専用機。性能は第三世代ではパワータイプで装甲も厚く、近接戦闘では厄介な相手だろう。僅か三ヶ月で代表候補生としてたたき上げられた実力もある。

 四番目のテンペスタⅡ型。三組のクラス代表、スザンナ=アルバーニ。イタリアでは代表候補生に匹敵する実力で知られている。テンペスタ系列の持つ近接格闘と高速戦闘技術が非常に高い。要注意。

 五番目の打鉄にし…うん、どういうことなんだろう。確かデータベースでは打鉄弐式という表記だったはずなのに、目の前のソレはどう見たって打鉄。それもノーマルで、カスタムしたような形跡も無い。

 一番左、白式の隣に鎮座するルー・ノワールの前には既に三人の姿がある。

 立花はせわしなくいつものように三つのタブレットを操作して、アルマは一台のノートパソコンを眼にも留まらぬ速さでキーをタイプし、ロビンはバラした部分のパーツの精度やバランスの調整作業の真っ最中だ。

 

「あっ、おはよう彩夏。最終チェック中だからもう少し待っててね」

「よっすアヤカ。てっきり余裕ぶっこいて遅刻してくるかと思ってたぜ」

「………アヤカはロビンとは違う…」

「うっせえ。アタシは寝つきがいいだけさ」

「おはようみんな。早くからありがとうね。アルマも具合は大丈夫?」

「ん………へーき…」

 

 床で寝転がってPCを見ていたアルマを抱き上げ、パイプ椅子に腰掛ける。必然としてアルマは私の膝の上に座ることになり、彼女はあきれたようにため息をついて再び作業を始める。

 

「アヤカも好きだねえそれ。まあアルマの抱き心地がいいのは確かだけどさ」

「アルマだからこうするんですよ」

「完 全 勝 利」

「こらアルマ、彩夏の胸を枕にしない」

「ロビンは大きすぎ。立花は物足りない。アヤカが一番いい」

「テメーは今アタシにケンカ売ってんのか?」

「アルマ、後で正座ね」

「ゴメンナサイ」

 

 いつものやりとりが交わされる。決まってアルマは私の胸を賞賛してくれるけれど、ボリュームがあるロビンのほうが良いのではないかと私は思う。

 立花は、うん、頑張れ。諦めなければ絶対に大きくなる。ネバーギブアップだ。

 

「そういえばさ、立花」

「…なに? そんなぼそぼそ喋ってちゃ聞こえないよ?」

「確か四組は打鉄弐式という打鉄の発展系の機体、ではなかったんですか?」

「そうだよ。だけど何故か第二世代の打鉄でエントリーしてる。理由はわからないけどね」

「んなもんはどうだっていいさ。弐式だろうがMk-Ⅱだろうがやるこたぁ変わらない。撃って叩いて勝利を掴む。わざわざこの一大イベントにノーマルの打鉄で挑むくらいだ。腕に自信があるんだろうがそれを正面から叩きのめすこと。それがアヤカの役目さ」

「……………アヤカが勝つ…それが必然…」

「うっ、ハードルをあげないでくださいよ二人とも」

「あははっ。とにかく彩夏のやることはロビンが言うように思い切り暴れて勝利を掴むことだよ。私達が鍛え上げたルー・ノワールの力を発揮できるのは彩夏だけ。彩夏の全力に応えられるのもこのルー・ノワールだけだと私たちは思ってるんだから」

「…こうまで言われては仕方がないですね。まずは初陣を圧倒的な勝利で飾りましょう」

「残念だけど、勝つのはアタシよ」

 

 不意に声がしたほうへ顔を向けると、そこには先日の彼女が仁王立ちしている。凰鈴音。中国代表候補生の少女は以前見せた弱弱しさを払拭するように言う。

 

「改めて自己紹介するわ。私は凰鈴音。中国代表候補生よ。今回は敵同士だけど、よろしくお願いするわ」

「改めまして、北條彩夏です。一年生代表として今回の対抗戦に参加していますが、日本代表候補の一人です。お互い全力で頑張りましょう」

「どうも初めまして。柊立花です」

「アタシはロベルタ=カザリーニ。イタリア出身さ」

「アルマ=ゾーヤ=ヴァルコフスキー…………ロシア出身…」

「よろしく。それにしても、ウワサに聞いたけれど本当に一つのチームになってたのね」

「ウワサ、ですか?」

「そうよ。一年生代表チームはどうやら整備から乗り手まで、何から何まで一年生のチームだけでISを調整してるってね。最初は耳を疑ったわ。ISの勉強をしているって言っても、技術科コースの人間まで巻き込んでこんな面白そうなことやってるだなんて聞いたら、興味が出てくるじゃない? で、コレがそうなのかしら?」

 

 ちらりと凰鈴音がノワールへと眼を向ける。脊髄と肋骨のような意匠の操縦席など、本来のラファール・リヴァイヴには無い機構だ。これが基幹となってまずラバー状の防護膜が展開され、そして次に装甲が展開されるようになっている。

 脊髄に沿って伸びた基幹が衝撃吸収やバイタルチェックの高速・精密化をサポートする機能を備えており、イメージインターフェースに”反射的な”行動さえも反映させることが可能になっている。

 

「そう、これがラファール・リヴァイヴ・カスタムを彩夏専用にチューンした機体だよ。銘は”ルー・ノワール”さ。チームの誇りだよ」

 

 自慢げに胸を張る立花。その両側に立ってうんうんと頷くアルマとロビン。やはりこのルー・ノワールというものが三人の技師と私、四人で作り上げられたものだという実感が湧き上がる。

 

「ふぅん…第二世代がベースのカスタムタイプね。パッと見じゃリヴァイヴって気づくのには時間がかかるくらい変わってるわね」

「そりゃあアタシらで改造しまくったからな」

「その上シールド・ピアースも外してるみたいだし」

「………アヤカには不要なモノ」

「オマケに全身装甲。一体何と戦うつもりなの?」

「戦場だろうがモンド・グロッソだろうが戦えるよ」

「……ねえアヤカ。この三人ってもしかして」

「みなまで言わないでください。凰さん。理解していますから」

「…そう。あと、私のことはリンでいいわよ。私もアヤカって呼ぶから」

「わかりました。よろしくお願いしますね、リン」

「ええ、こっちこそ」

『間も無く選手入場です。各代表操縦者はISを装着し、ピットで待機するように』

 

 アナウンスが流れると同時に、ピット内の空気が変わる。

 ピリッとした緊張感に包まれ、一瞬の静寂が流れる。

 

「…それじゃ、先に行って待ってるわ」

「ええ、また後で」

「さ、急いでよ。こっちは最期のトリを務める機体だからね。今のうちに落ち着いてね」

「わかりました。いきますよ」

 

 ノワールの脚部に足を入れる。そして足から伸びた先、骨盤とそこから伸びる脊髄のように配されたシートに身を預ける。肋骨のように開いたプロテクターが私を固定したのを確認して腕をそれぞれ左右のISの腕部に差し込む。マニピュレータと連動するモーションセンサーグローブに指先を嵌め、感触を確かめる。

 

「ルー・ノワール、起動」

 

 操縦者である私の宣言と共に、量子化された灰色の防護膜と黒い装甲が全身を覆う。ヘッドギアのフェイスガードが閉じられ、バイザーが降りると与圧が為され、これで完全に肌の露出は消え去る。外部との交信が通信に切り替わる。

 

『バイタル正常値。脈拍・呼吸共に安定。アルマ、チェックお願い』

『ステータスチェック……兵装問題なし。PIC制御正常稼動中。各部伝達回路及びイメージインターフェース回路オールグリーン。スラスターの反応も良好。システム面の問題なし』

『ようし、アタシの出番だ。まずは右手を握って……そう…次は左手……いい具合だね。握った感じの違和感はあるかい?』

「いいえ。良好です。非常になじみます」

『ならよかった。新素材が手に入ったもんだからためしに使ってみたんだけど、うまくいったか』

 

 アナウンスと共に次々と代表たちがピットから飛び立つ。そして織斑一夏が飛び立って一際大きな歓声が沸き起こると、ついに私の出番を告げるアナウンスが響いた。

 

『お前の番だぞ、彩夏。……いってこい!』

「………北條彩夏、ルー・ノワール! 行きます!」

 

 さあ、お披露目だよ相棒。

 

 

第二十三話 火蓋

 

 今目の前に起こっている光景は何度か見てきた光景だ。私が教員として、このIS学園に務め始めてから三度目の景色。

 打鉄を纏った少女がアリーナの中央に設けられた特設ステージを中心に、ぐるりと空を一周してステージへと降り立つ。ISから降りた蒼髪の少女はスポットライトに照らされて実況による選手紹介が行われる。

 テンペスタが同様にしてアリーナのステージへと降り立つ。同じように選手紹介が行われ、歓声が沸きあがる。

 いつもは管制室からモニター越しに眺めるだけだった光景が、とても新鮮な。鮮烈な印象を伴って私に降りかかる。

 私が目指した舞台はもっと大きく尊く、しかしたどり着けなくて涙を呑んだ場所。そのステージは私が初めて見た織斑先輩の戦いの舞台。モンド・グロッソ第一回大会。それからの私の夢はあの舞台に立ちたいという願いに変わった。

 

『続きましては一年二組のクラス代表! ファン・リンイン!』

 

 黒鉄の装甲に身を包んだ、まるで古代中国の武将のような印象を与えるISがピットから飛び立つ。軽くアクロバットを披露しながら余裕そうな笑みを浮かべてぐるりとアリーナを一周し、ステージの中央に陣取るように降り立つ。

 

『つい二週間前にIS学園に編入となった新進気鋭の代表候補生! 専用機の”甲龍”は中国が自信を持って送り出した最新鋭の第三世代機です! 実力者揃いの今大会、この小さな少女が従える龍はどのような活躍を見せ付けるのか!?』

 

 小さいは余計だ! と誰かが叫んだような気がするけれど、小さくともあれは龍だ。空に向かって飛び立つ飛龍だ。

 

『さあお次は今大会のダークホースッ! 皆まで語るまい! 史上初の男性操縦者、オリムラ・イチカぁぁぁっ!』

「きゃあああぁぁっ! 一夏くーん!」

「一夏さん! 頑張ってください!」

「絶対あいつらに勝つんだぞ、一夏っ!」

 

 突如沸き起こる大歓声。ビリビリと会場そのものが揺れるような歓声の中に、一陣の白い影が空を舞う。

 白式を纏った少年、織斑一夏。どこか緊張した面持ちの彼はそっと手を上げて一組のメンバーが揃ったスタンドに向ける。

 

「い、今一夏様と目が合った……もう死んでいいや」

「カッコイイ……凛々しくて…ステキな笑顔…」

「きゃあああーっ! 一夏さまー! 私よ、結婚してー!」

 

 落ち着かない。どうして落ち着かない。まだあの子は出番にすらなっていないのに、私はなんでこんなにもそわそわとしているんだろう。

 

『説明不要ッ! この女子の園、IS学園において唯一の男子学生ッ! 織斑一夏! 好きですっ! 結婚してくださーい!』

 

 実況者までもがこの有様とは思わなかった。この調子で試合まで運ぶようなら補習授業を叩きつけてしまおう。

 

『専用機”白式”の武装は刀一本という潔さ! そこに痺れる憧れるぅ! しかーし刀一本と侮るなかれ、強力な単一仕様能力を保持するあの白式に近づかれれば必殺の一閃で切り捨て御免となること間違いなあぁぁし! 果たして刀一本で、されど刀一本で、どこまで戦えるのか! そして今回は織斑先生の特別な計らいで、更にもう一人の参加者がやってきた! ISに触れ始めたニュービーや、代表への道半ばの候補生がひしめき合うこの一年の中に紛れ込んだ一匹の狼。織斑先生が公表しなければおそらく誰も知らずに観客席に紛れていたかもしれない、黒い狼』

 

 来た! ついに、彩夏の出番だ。落ち着きなさい。落ち着いて、瞬きの一つすらせずにじっと見据えなさい。私の大切な妹。私の全てを受け渡した教え子。

 

『ブリュンヒルデたる織斑先生に三年前から師事し、無冠のヴァルキリーこと山田先生の薫陶を受けた、まさに時代の継承者! ホウジョウ・アヤカだーっ!』

 

 黒い影が空に舞う。無骨な全身装甲のISが空を駆ける。黒で統一された装甲、地肌を保護するグレーの防護膜。エメラルドグリーンに輝くバイザー。表情の見えないヘッドギア。

 織斑君の時の歓声から一転して、静寂がアリーナを支配する。

 

『今回参加した北條彩夏は日本代表”候補”の一角! つまり、既に次の国家代表の座を目の前に見据えた実力者の証明! 北條彩夏は”学年選抜チーム”としての参加! サポートするメンバーも整備を行う人間も全てこのIS学園一年生からの選抜チーム! まさにこのIS学園一年生の中から選び出された代表とも言えるチームの参戦だ!』

「代表候補…あの一組に居るっていう?」

「らしいねー。顔は知らないんだけど」

 

 ぐるりと一周する間にどよめきがアリーナを包む。実況の言葉に各々が信じられないといった様子でお互いに代表候補について話し合っている。

 そんなアリーナを気にする様子もなく黒い狼がアリーナの中央に立ち、膝を折る。

 装甲が量子化され、防護膜が解除される。彼女を縫いとめるように備えられたプロテクターが開かれ、その下の青いライダースーツ状のISスーツが顕になる。

 ヘッドギアが量子化されると、彼女がISから抜け出してステージの上に飛ぶように降り立つ。

 解けた髪留めからふわりと黒い髪が流れ落ち、重力に従って垂れる。乱雑に垂れた髪をうっとおしそうに後ろに手で流すと、どこからかいつもかけている眼鏡をかけている。

 ちゃっかり量子化して持ち込むとは、抜け目の無い子だ。

 その様子が映し出されたモニターを見ていた生徒たちからどよめきが沸き起こる。

 

「ね、ねぇ……あの子って…確か一組の…」

「うそ!? 私、あの子と模擬戦したことあるよ!?」

「あの子、図書室でよく居るよね…?」

「えええ!? アタシ、お手洗いでハンカチ借りたことあるんだけど…」

『従える黒いISは第二世代後期型の名機ラファール・リヴァイヴ・カスタム! とてもそうは見えないって? そりゃあ当然! 一年技術科コースの筆頭たちが集まって作り上げた北條彩夏専用機だ! 黒い全身装甲も、慎重すぎると思えるほどの防護機能も、操縦者の意志を反映した結果のこの姿。仏語でルー・ノワール…黒い狼と名づけられたこのリヴァイヴで彼女は容赦なく他のクラス代表を喰らい尽くしてしまうのか!?』

 

 やはり織斑のネームバリューの大きさと、史上初の男性操縦者という触れ込みは圧倒的なまでに浸透しているらしい。

 彩夏を”代表候補”として認知しているのは目の前で事実を知らされた一組の面子くらいなもののようで、他のクラスの生徒は代表候補が居るというのはあくまでウワサ程度にしか知らないらしい。

 だけど、生徒たちの驚きようを見て私はほんの少し自慢げになっている。

 彩夏が認められたことが、そして何より認めさせるだけの力をつけてくれたことが嬉しい。

 

「先生! 何やってるんですか! 一夏君と彩夏のデビュー戦なんですから!」

「そうですよ先生。ちゃんと応援してあげないと、一夏君も彩夏さんも拗ねちゃいますよ」

「相川さん、鷹月さん………大丈夫ですよ。ちゃんと二人も一組の皆さんが応援してくれているってわかってますから」

 

 ねえ、そうでしょう。私のたった一人の妹。

 

 

 一瞬の間に全身を圧迫感が包み込んだのがわかる。死線を前にした緊張感とも、戦場へ出るときのプレッシャーとも違う、今までに感じたことのない感覚が私を襲う。

 これが、スポーツマンの受けるプレッシャーなのだと初めて知った。アリーナの観客席を埋め尽くした人々を前に息を呑む。

 それでもすぐに普段通りの自分に戻れたのは幸いだ。初めて感じた死の恐怖や、仲間の命が危険に晒されているときの緊張感に比べてみればどうということはない。

 私の紹介が続く中でふと、見知った顔を見つける。童顔で背の低い、緑を帯びた髪と眼鏡をかけた顔が幼い印象を与える、私にとって歳の離れた姉のような人が観客席で手を振って私を見ている。

 

「もう、真耶姉さん…授業参観の母親じゃないんだから…」

『全員傾注せよ。これよりクラス対抗戦のルール説明を行う。一組から四組までの四名、それに一年代表選抜チームの北條を加えた五名によるリーグマッチで行われる。試合時間は三十分とし、最も勝利数の多いチームが優勝となる。それぞれには個別にピットが用意されている。同じクラスの人間なら学生証を提示することで入室できるようになっているので、応援に行っても構わない。ただし、不正は許さん。発見次第即座に始末するのでよく心に留め置くように。それではまず第一試合の組み合わせから発表する。第一試合、一年四組更識簪対一年選抜代表北條彩夏の対戦だ!』

 

 やっぱり来たか。どうせ織斑先生の考えることだから、真っ先に代表候補の実力を明示させようと仕組んでくると読んでいた。

 

『おっと! これは初戦から大注目の一戦! IS研究開発の名門にして名機打鉄を輩出した、倉持技研のテストパイロットを務める更識簪! 対するは古くは帝国軍の造兵廠を祖に持ち、自衛隊、現役の国防軍の技術開発の最先端でもある日本IS先進技術研究所のテストパイロットも務める代表候補、北條彩夏! 次期主力の座を争う組織のエース同士の一戦! これは一戦目から超好カードです!』

 

 緒戦は打鉄を使う更識の女か。ぶっちゃけると打鉄は使い手の技量こそが物を言うISだと私は思っている。近接格闘における柔軟性を維持しつつ、堅牢な装甲を確保しているのだから、十分に優秀な部類だ。一見すると防御型に見えなくもないが、それは違う。

 中距離を補うライフルを装備しているし、接近戦の優秀さは言わずもがな。そして何より加速力に持ち前の柔軟性が加わることで地上での運動能力は並みのIS以上だ。

 もちろん織斑先生の技量と他の打鉄使いの技量とを比較して、実際に私がこの身で確かめたことだから、まず間違いではないと思える。

 使い手の技量が物を言う、まさに日本刀のような機体。それが打鉄だと私は認識している。

 

『これより二十分後に第一試合を開始する。第二試合には二組の凰鈴音対三組のスザンナ=アルバーニ。第三試合は一組の織斑一夏対四組の更識簪となっている。試合開始十分前にはピットにて待機する様に。以上だ』

 

 オープニングセレモニーをつつがなく終えてピットへと戻ると、そこにいつものスーツ姿の織斑先生が待っているのが見えた。

 減速し、ゆっくりとPIC制御だけで眼前に着地するとバイザーとプロテクターを解除して降り立つ。

 

「織斑先生、どうしたんですか?」

「お前に客だぞ」

「私に?」

 

 くい、と親指で織斑先生が後方を指差す。その先には白衣を纏った、長い茶髪の初老の女性が佇んでいる。

 

「やっほー彩夏。来ちゃった」

 

 てへぺろ、と付け足した祖母はからから笑っておどけてみせる。

 

「こらこら、どうしたのいきなり抱きついたりして?」

「ふふっ、なんでもない。うん…なんでもないよ」

 

 久しぶりに感じる家族の温かさ。真耶姉さんとも織斑先生とも、ルームメイトのセシリアやアルマとも違う。ずっとここに居てもいい、そんな安心感が心を満たしていく。

 

「そういえば千冬お嬢ちゃん、わざわざ案内までしてもらってありがとう。後で真耶に甘い物でも持たせておくわ」

「お嬢ちゃん扱いはやめてください。もうとっくに成人してますよ、博士」

「その”博士”っていう堅っ苦しい呼び方を改めるなら、一考はしてあげる」

「考えるだけならタダですからね」

「おや、よくわかったね。賢くなったねー千冬お嬢ちゃん」

「は・か・せ! いい加減に用件を済ませてください! これから彩夏の試合なんですから!」

 

 こめかみにしわを寄せ、憤怒の篭った声で祖母に食って掛かる。堅物の織斑先生の性格をよく知っているのか、祖母はおおげさに”やれやれだね”とつぶやいてフラッシュメモリの入ったプラスチックケースを私に差し出す。

 

「何、これ?」

「中身は開けてからの、お・た・の・し・み」

「………なんなのそれ」

「まあ要するにサプライズプレゼントってやつかしら。三人娘に見せてあげたら喜ぶかもね」

「ふーん」

「あ、それとおばあちゃん全試合見てから帰るから」

「えっ」

「え? 彩夏が出るんだから一試合五分とかからないでしょ?」

 

 ピシリと凍りつく空気の中で焦りが私の思考を支配していく。

 ああ、これはつまり、圧勝しろという無言のメッセージだ。

 

 

 ピット内にやってくる人間は一人として居ない。それもそのはずで、今の私たちは選抜チームとしてここに居るのだ。本来所属する一組でもなく、まして他のどのクラスにも属さないチームなのだから。

 いや、今は余計なことを考える必要は無い。まずは一勝、だ。

 緒戦の相手は打鉄。剛健な装甲と高い柔軟性を持つ、地に足つけた戦いを得意とするIS。打鉄のブレードは強度面でもリーチの面でも、他のISの近接戦闘の基本装備であるナイフや直剣より優れている。

 堅牢であるということはつまり、壊れにくいということ。それは長く戦い続けるには必須となる重要な要素であるし、信頼に値する武器という意味でもある。

 私だってリヴァイヴ使いでありながら、互換性を持つ打鉄のブレードを用いている。

 相手が打鉄であるならば必然として、近距離での撃ち合いや刀同士のつばぜり合いも多くなる。せめて同じ強度を持つ武器が一つは必要だ。

 あとは離脱と強襲の際に牽制として使えるハンドガン。間合いを埋めるためのサブマシンガンに基本であるライフル。そして敵を動かすために、今回は脚部に熱感知誘導式の四連装小型短距離ミサイルランチャーを両足に装備。

 ライフルのアタッチメントにはグレネードランチャーを選択。弾種はノーマルのグレネードでも構わないのだけれど、相手の耳と眼を塞ぐためにEMPグレネードのみ。散弾ではあの装甲相手には少々心もとない。先日の白式との戦闘で効果が薄いのは実証済みだ。もしマスターキーを使うならスラグ弾のほうがまだマシだ。

 と、ここまで装備を揃えたはいいものの、果たしてどうやって勝つべきか。

 

『おーい、アヤカ。武装は決まったのか?』

「え? ああ、はい。おおよそ決めたのは決めたのですけど、どうにも決め手のインパクトに欠けるような気がして…」

『なるほどな………でもあるんだぜ、ノワールの武器なら。それはイメージインターフェースさ。卓越した反応速度とそれをISに反映する技量。それはまさに人と機械の意志が一つに融合したような境地だと言っていい。相手の攻撃見てから反撃余裕でした、って感じでな』

「………カウンターでの一撃必殺、ということですか?」

『まああくまで参考の一つさ。カウンターって言ってもいろいろあるしさ。アタシはよくサイクルロードレースを見てるんだけどさ、こいつは肉体を使うロードレースだけど、頭脳戦が大事なんだよ。チームの目標、個人としての目標、意地や執念で走ったりすることだってある。アタシら四人のチームとしての目標はまず一勝目を圧倒的勝利で飾ることさ。だけどその方法はアヤカに預けられている。最終的に決着をつけるのはアヤカだ。うだうだ悩むくらいなら全身重武装で飽和火力を叩き込んでもいいし、あえて素手で組み伏せるのもいい。要するにだ、好き勝手に暴れまわって構わないってこった。お前さんらしく、な』

「……なるほど。少し気が楽になりました。全力で叩きのめします」

『おおっ? こりゃあまた大きく出るな……勝算はあるんだろうな?』

「もちろんです。あと、H&K社のM107-AISスナイパーライフルも出してください」

『対IS用狙撃銃? 確かに火力としちゃ十分だけどさ、こいつはチーム戦じゃないぜ? 単独で取り回せるようなシロモノじゃないだろコレ』

「ええ。だからこそ使うんですよ。遠距離でも十分な効力を発揮する対ISスナイパーライフルを構えた敵が、ずっと追いかけてくるんですよ? 恐ろしいでしょう?」

『そいつはひでえや。まるでハンティングだな』

「ですねえ。それじゃあ行ってきますね。立花、アルマ、データ収集よろしくね。ロビンは…オペレーター?」

『まあ、そうなるな。アタシはこれでも昔はネットラジオやってたんだぜ』

『ロビンの意外な特技ってやつだね』

『………人は見かけに…』

『なんだってアルマ? よく聞こえないなあ?』

『…なんでも、ない』

 

 試合前だというのにピットには笑みが零れる。応援する者の居ない殺風景なピット内だが、チームのメンバーが揃ってこうしてお喋りできるのは嬉しいことだ。

 

『いいかい彩夏。アレはまだ出すには早い。だから格納したままにしてある。切り札は使いどころが肝心だよ』

「もちろんです。私の実力、火器の性能ではない私の力をまずは見せ付けましょう」

『その意気だ。勝負は最期にゃ執念が強いほうが勝つ。お前ならできるさ』

『Желаю удачи(幸運を)』

 

 カタパルトに脚部を固定すると、左手にナイフをコール。右手には大型のスナイパーライフルを引っ提げ、息を整える。

 

「ノワール、出ます!」

 

 射出された先には青空の広がるアリーナ。多くの生徒たちが席を埋めている中に、最前列に構える白衣の老女。

 祖母を見つけた瞬間に、どくんと鼓動が高鳴った気がする。晴れ舞台を見せることができるのだと考えるだけで、気分が高揚してくる。

 

 目指すはただただ、勝利のみ。

 

 

第二十四話 まどろむ狼

 

 審判から指示に従い配置に付く。アリーナの地に足を下ろし、相手との距離が一定になるようにして対峙する。

 アリーナは普段私が訓練するような障害物や建造物といった遮蔽物の一切無いフィールドだ。銃を使う人間、しかも一人の軍人として生身で戦った私としては弾除けが無いというのはすこぶる不安に感じる。

 

『さあいよいよ始まります第一戦! 解説には一組の代表候補生セシリア・オルコット嬢をお迎えしてお届けします。 注目の対戦は倉持のエースと日先技研のエース同士の激突! 堅実かつ長期戦にも強い打鉄を駆る更識簪と、ラファール・リヴァイヴ・カスタムを独自に磨き上げたルー・ノワールを従える北條彩夏! 確たる性能を持つ打鉄と、まったく未知の機体であるノワール。果たして勝利者はどちらになるのか! さあ、剋目して見よ!』

 

 更識簪。IS学園”最強”の更識楯無の妹であり、倉持の秘蔵っ子でもある。空間認識能力の高さと分析能力が売りということだが、私だってそれに引けを取らないものだと自負している。

 肝心の打鉄弐式ではないのが少し残念ではあるけれど、ここで撃ち落す。

 

『五秒前!』

 

 さあ、考える暇はもう無い。ただ撃ち落すのみだ。

 

『四、三、二、一…スタートッ!』

 

 試合開始の号砲と共に右にブースト。対する簪の打鉄は左手にライフルを持ち、右手にブレードを携えて動かない。

 動かないなら、動いてもらうまで。

 

「ミサイル、スタンバイ……いけっ!」

 

 両足のミサイルランチャーから一発ずつ短距離ミサイルが発射される。白煙の軌跡を描き、猟犬が打鉄の熱源を感知して追尾する。

 事ここにいたり、ようやく打鉄が動きを見せる。ミサイルを振り切るべく空に飛び上がるのを見届け、右手の対ISライフルを彼女に向ける。

 速射のためにFCSをカットし、スコープで直接狙いを定める。右に左に蛇行してこちらの狙いを定めさせないように打鉄が動くが、私にかかれば造作も無い。

 更識簪が打鉄を後方のミサイルに向け慣性でスライドしていくままにライフルを構える。打鉄に迫る二基のミサイル。そのうちの一基をライフルで迎撃するまさにその一瞬を狙う。

 

「……っ…!」

 

 時が遅くなる。同時に私の動きも、更識が操る打鉄の動きも、ミサイルの動きも、世界が遅くなる。

 されどこの思考は変わらず動く。機体を反転させ後方へスライドする敵の速度と移動する位置を予測し、狙いを定める。スコープには打鉄の姿がわずかに映っている程度だが、それでいい。コンマ3秒後の予測地点に狙いをつけ、引き金がゆっくりと引かれる。

 

 ガアンッ! さながら艦砲射撃かと思う爆音がアリーナ中に響き、観客たちは思わず耳を塞ぐ。

 スコープから意識を外して見上げれば、そこには脚部に被弾した打鉄の姿。左足の装甲が砕け、内部の機器が露呈するほどに破損している。生身の部分ではないために絶対防御が発動していないからだ。

 オマケに迎撃の寸前を狙ったためにミサイルも撃墜できておらず、二基のミサイルが被弾した打鉄の周囲には爆発の噴煙が漂っている。

 

『なんと初手での被弾! 更識簪、序盤で脚部の損傷! これは思わぬ痛手だ!』

『更識さんの機動は十分ミサイルに対処できていましたわ。ですがミサイルを処理するべくライフルで狙いをつけるそのプロセスの間はどうしても複雑な機動はできません。そこを寸分違わず狙い撃ちにした北條さんの読みと技量は確かなものですわ。その上に北條さんの持つスナイパーライフル………IS用の対IS装備の一種として名高いH&K社のM107-AIS…対IS用スナイパーライフルです。あれの直撃となればあの被害は相応のものでしょう』

 

 そう、こいつの威力は半端じゃない。だから、もっと近くで見せてあげる!

 ボルトを引いて排莢し、即座にイグニッションブースト。黒の狼が地を駆けて、打鉄の真下から一気に急上昇するように跳躍する。

 牽制に更にもう一発。狼の咆哮に怯えるように、彼女はライフルをかなぐり捨ててブレードを両手で構える。

 右手に持ったライフルをラピッドスイッチで打鉄用のブレードへと変更。左手にはデフォルトのナイフを手に、更識へと迫る。

 手にしたブレードを水平に構え、加速力を加えた突きを放つ。

 

「ふっ!」

「…う、やるっ…」

『ノワール渾身の一突き! 地表スレスレのイグニッションブーストからの強襲だ!』

『直線的な動きではやはり通用しませんね。更識さんも大きな動揺を見せることなく落ち着いて受け流しています』

 

 激突するような勢いを纏った平突きを受け流した更識簪から声が漏れる。まだ、まだだ。私を舐めてもらっては困る。

 打鉄がスラスターを吹かし、半ば体当たり気味にノワールを押し出す。

 仕切りなおすように距離が開いたところで安心させてやる気はない。ブレードからノーマルのアサルトライフルへ変更する。あちらはライフルを投棄したままだ。さあ、どうする?

 

『おっと、ノワールが距離をとってライフルを取り出した。先ほど打鉄はライフルを投げ捨てたばかりだ! どう対処するのか!』

「……流石にライフル一丁だけ、なんてワケがないですよね」

 

 普通ならメインウェポンを喪失した状況や使用不能の状態を想定してハンドガンなり小型のサブマシンガンなりを用意しておくものだが。

 さも当然のように打鉄は瞬時加速でこちらを狙って接近する。マガジンの半分ほどを掃射するも、打鉄は止まる気配も回避するそぶりも見せない。もちろん、怯むような気配もない。

 

「本当にあれ一丁なんですか!」

「はああっ!」

 

 大きく振り下ろされるブレードに向けて左手にナイフをコールし突き出す。

 刀身がぶつかり、このままではナイフなど容易く弾かれてしまう。だがそれはそのまま受ければの話だ。

 火花が散るのに合わせて、左手を思い切って払うように振り抜くと同時に機体をクイックブーストさせて右側に軽く移動させる。すると、打鉄のブレードは軌道を変えられて空を切り、私はその無防備な更識簪の左側面を捉えることができる。

 

『は、はっ…弾いたー!?』

『パリィ……まさかISでこんな芸当が…』

「すごい…まるで千冬様みたい…」

「ああ…千冬様のご教育を受けたお方……きっと夜も昼も千冬様に…うふふふ」

 

 ハイパーセンサーが余計な音声まで拾っているけれど気にするな。気にしてはいけない。

 瞬時にナイフとライフルを格納。無手の状態で彼女の左腕を掴んで、そのまま更識簪の顔にめがけて拳を振るう。いたいけな少女が怯える様を見るのは忍びないとはいえ、彼女の武装を破棄するためには必要なことだ。

 思わず剣から手を離したところを狙って剣を奪い去り、私の後方に向かって投げ捨てる。

 さあ、これで身を守るものはもうその鎧だけだ。

 

「落ちなさいっ!」

「あああっ!」

 

 膝蹴りを彼女のわき腹に叩き込み、踵で叩きつけるように地に落とす。苦悶に満ちた表情で必死に機体を制御しようとしているのが目に見える。

 それでも追撃は止まない。アサルトライフルをコールし、EMPグレネードを地に向かって落ちる打鉄に叩き込む。ダメージは少ないものの、これで相手の目と耳はしばらく機能不全に陥る。

 

「くっ…動きが鈍い…!? まさかEMP…?」

「ご明察。ですが、まだまだですね」

「…ま……まだっ…!」

 

 既に地面へとまっさかさまの打鉄の眼前に躍り出る狼。悪あがきの短刀の一振りを、彼女の腕を抑えて止め、頭突きを食らわせて怯んだ隙に短刀を奪い更に蹴り飛ばす。

 クレーターができるほどの勢いで叩きつけられた彼女の戦意はもはや、折れた後だ。元々彼女からは戦意を感じられなかったが、それでも勝負は勝負だ。戦場で余計なことを考えていたから、彼女は負けた。ただそれだけだ。

 ノワールの手には既に対IS用ライフルが構えられ、その銃口はまさしく彼女の目の前に突きつけたままだ。

 

「少し物足りませんけど、これで終わりです」

 

 顔に向けていた銃口を少し下げ、彼女の腹に向ける。背格好も小さい、まるで小学生であるかのような幼い体躯の少女に凶悪な銃口を顔に直接向けるのは気が引ける。

 

「Good Night...」

 

 そして、三度目の咆哮がアリーナに轟く。

 

 

 やはり私の見立てに間違いはなかったと確信が持てた。

 北條彩夏。若干十六歳にして日本代表候補として推される、油断ならない強敵。

 一度目は自身の専用機とノーマルのラファール・リヴァイヴでの対戦。大博打に出た彼女の一閃によって引き分けに持ち込まれた。

 二度目は彼女の専用機、ルー・ノワールとの実戦を想定した訓練。彼女はより強くなって―いや、あれが本来の彼女の持ちうる技量なのだと確信した。そしてそれが私のIS学園での最強の好敵手だという確信が持てた要因の一つとなった。

 

 大地にクレーターを作って機能停止している打鉄を見やる。左足の装甲は対ISライフルによる狙撃で抉られている。右半身の装甲はミサイルによって多少焼け焦げているくらいだが、損傷であることには変わりない。

 両肩の非固定浮遊部位を用いたアーマーも片方が砕けている。そしてなにより、搭乗者の表情は恐怖で歪んでいる。

 

「打鉄のシールドエネルギーは喪失! よって勝者は北條彩夏だー! 圧倒的! 代表候補生を相手に手も足も出させる暇さえ与えずにパーフェクトな勝利! これが候補生の先にある頂への未だ道半ばだというのかっ!?」

 

 そして私の予測通りに、彼女は狙撃銃さえ扱って見せた。彼女は適切なレンジに合わせて銃を持ち替えあらゆる局面に対応してみせることができると、ようやく確信を抱けた。

 

「しかも開始から67秒という超速攻! セシリアさん、これほどに早い決着が付くとは思ってもいませんでしたね! それも相手の武装を一つ一つ使用不能にまで追い込んでいます!」

「え、ええ…そうですわね。主な勝因としては対IS用スナイパーライフルの存在ですが、あれは威力を追求した故に反動の大きさや排出ガスが大きいなどデメリットもいくつか抱えています。射撃はボルトアクションでのみですし、重量もかなりのものになっています。特性を理解し、使いどころを見極めなければただの高威力の狙撃銃でしかないのですが、彼女は敵の行動を先読みしたかのような極めて正確無比な射撃の技術があります。片手であのライフルを放って命中させたのがその証明でしょう」

「荒々しくも繊細にしてしなやか! まさに野を駆ける狼の如く第一戦を勝利で飾った北條彩夏に盛大な拍手を!」

 

 拍手と喝采がアリーナを包む。

 今の私では決してたどり着けないステージ。友人は既にその高みへと到り、私と同じく代表候補生である人間さえ歯牙にもかけないほどに圧倒して見せた。

 歯がゆさだけが満たしていく。そこにほんの僅かに、彼女への嫉妬が込められているのにだって気づいている。

 彼女と同じ領域へたどり着けないなんて嫌だ。私は彼女に追いつきたいがために必死だというのに、彼女が戦うたびにその高みが遥か先にあると見せ付けられる。

 

「……いずれ勝利をもぎ取ってみせます。マイフレンド。その首を洗って待っていてもらいますわ」

「キターッ! これはなんというサプライズ! 英国代表候補生セシリア・オルコットから、日本代表候補北條彩夏へのまさかの挑戦状! 今の言葉からするとお二人は友人であると見受けられるのですが一体どうなんでしょうか!?」

「え…あ、あらやだ……マイク…切ってなかったのですわね…」

『セシリア』

 

 赤面する私の耳にオープンチャンネルで声が届く。アリーナを見ればそこには装甲を解除し、いつもの青いISスーツ姿でノワールを纏った彼女の姿がある。

 普段ISに乗るときには外しているはずの伊達眼鏡をかけた、いつもの彼女の姿がそこにある。

 

『私はそう簡単には落とせませんよ。この身は代表候補であり、織斑先生の弟子であり、何より私は一番の先生である真耶姉さんの教え子ですから。それでも挑むのならいつでもどうぞ。待っていますよ、セシィ』

「………望むところですわ。いつか射落としてみせますよ、アヤカ」

 

 私が乗り越えたい壁であり、大切な好敵手であり、愛する友人。その期待にブルー・ティアーズと共に応えることができますように。

 

 

 ゆっくりとピットへと降り立ち、戦闘で使用したスナイパーライフルとアサルトライフルに近接ブレード、そして一番の功労者であるナイフをウェポンラックに立てかけて、機体をハンガーに固定する。

 既にヘッドギアも装甲も解除したため、後は体を守るプロテクターを解除するだけでいい。

 肋骨のように私を包み込んでいたプロテクターが開かれると、ISを装着している手足を引っこ抜いてピットへと飛び降りる。

 

「お疲れさん、アヤカ。やっぱ実戦を見ると改めてスゲーもんだぜ」

「やったね彩夏! こっちはモニターで観客の反応も見てたけど、言葉も出ないって顔してたよ!」

「そうなんですか? 確かに歓声とかは少なかった気がしますけど…」

「圧倒しすぎた。だから……盛り上がりには欠けてる」

「ま、まあ…確かにちょっと早すぎたような気もしますね…」

「ともかくだ、アヤカを舐めてかかると痛い目見るってあいつらもわかっただろう。次はきっと最初から気を抜いたヤツが出てきたりはしないぜ」

「でしょうね。それにしても更識簪でしたか。勝負の場で勝とうという意志も見せないなんて、とんだ代表候補生です。これが戦場なら更識簪は敵に殺される前に味方から棄てられますね」

「ワーオ。辛らつだなあアヤカは」

「事実ですよ。たとえどんな状況でも勝利を諦めず最善を尽くして戦うこと。それは戦争だろうとスポーツだろうと同じことです」

 

 そう、彼らは常に生と死が隣り合わせの戦地で生きてきた。そして私はそれを目の当たりにした。敵に組み伏せられて今にも私めがけて鉈が振り下ろされるというところを、腹部を撃たれて瀕死になっていたジョンソン軍曹の投擲したナイフに救われたのだから。

 彼が敵を倒してくれたお陰で私は彼の治療をできたし、彼は生き延びることができた。……あの日に彼は死んでしまったけれど、軍曹の”諦めない”意志のお陰で私も彼も窮地を脱することができたのだ。

 

「さてと、アタシは武装とノワール本体のチェックをしてるから、次の試合くらいはリッカとアルマと一緒に観客席にでも行ってきなよ。点検が終わったらロックかけてそっちに行くさ」

「ちょっとちょっとロビン、私もメンテナンスくらい―」

「リッカ。お前は朝早くから仕事しっぱなしなんだ。少しくらいアタシらの仕事を残しておいてくれよ」

「もう…わかった。素直に受け取っとくよ。先に行って待ってるよ」

「私は少し着替えてきますね。さすがにこの格好で観客席へは行けませんし」

 

 時間が空いているとはいえシャワーを一試合ごとに浴びるのは手間がかかる。濡らしたタオルで全身の汗をふき取り、ニオイ消しのために制汗剤を使ってから制服に着替える。

 アルマと立花を伴って一組の観覧席に足を運ぶと、そこにはココアシガレットを咥えた祖母と山田先生が待ち受けていた。

 

「お疲れ様、彩夏。はい、あーんしなさい。立花ちゃんもどうぞ」

「むっ……なんでココアシガレットが…」

「へえ、懐かしい駄菓子ですね」

「一仕事終えた後の一服っていうのはおいしいのよ?」

 

 それくらい知っている、と言いそうになるのを押しとどめる。今の私は二十八歳の青年ではなく十六歳の女子高生だ。断じてここは無法地帯ではないし、戦場ですらないのだから、未成年がタバコを吸っているなんていうのはご法度だ。

 まあ、戦場では吸っていたんですけど。マックやジョンたちに渋い顔をされたのは確かだけれど、ストレス解消の方法の一つというのもあって文句は言われなかった。

 

「真耶姉さんに、クラスのみんなまで……どれだけ持ってきたの?」

「えっ? 1ダースだけど?」

「買いすぎだよ…」

「いやー、つい通販でポチッとね……なんだか懐かしくってついつい」

 

 祖母は悪びれる様子も無く「観戦するならビールとおつまみも必要でしょう」と言ってどこからか缶ビールを取り出した。もちろん真耶姉さんが取り上げたが。

 祖母は良く言えば自由人だ。囚われず、縛られず、我が道を行く人物。悪く言えば自分勝手とも言える。子どものように拗ねるときもあるし、気分と勢いでとんでもないことをしでかしたりもする。

 だけど一点だけ、どんなときでも曲げないものがある。一度受けた仕事は完遂する、というプロフェッショナルの精神だ。

 目の前に困難があっても動じず、必ずやり遂げるという信条を持っている。そんな祖母は家に居る時間など年に数日だ。育児放棄にも等しいほどだが、祖母は家族の記念日がある日は全て覚えている。決して家庭を顧みない人間ではない。

 私の誕生日。私がISを動かした日。私が代表候補になった日。家族の命日。祖父の命日。慶事や弔事には必ず顔を出すのが祖母だ。

 一度辞めた技術者としての職に再び戻ったのも、私が祖母以外の肉親を失ってしまったからだ。それ以来祖母は復職してから家にはあまり戻らなくなった。それが私の将来のためであるということも私は知っている。それが私を養育するための資金を稼ぐためのものだと私は知っている。

 私が日々の生活に不自由することなく今このIS学園に籍を置いていられるのは、祖母が身を粉にして働いてくれているからだ。

 だから、周りの人が祖母をなんと言おうと、私はこの人を”おばあちゃん”と呼ぶ。

 祖母の働きをこんな無様に食いつぶすわけにはいかない、というのが奮起した理由の一端でもあるのだから。

 

「さてさて、こっちいらっしゃい」

「…なんで私が真ん中なの」

「大好きなおばあちゃんとお姉ちゃんに挟まれて嬉しいくせに」

「むー…」

「うっわー………普段と違うあやちー…いいかも…」

「いつもの静かな彩夏もお姉さま然とした良さがあるけど、こういう子どもっぽい歳相応の顔もまた……そそるね!」

「のほほんさんと癒子さん、懺悔を先に済ませておくことをオススメしておきますよ」

 

 一番背の高い祖母、そして次に私、最期に一番低い真耶姉さんが並んで観客席に腰掛ける。

 ここからは、一人の搭乗者と技術者、そして教師としての会話だ。

 

「で、ルー・ノワールだったかしら。調子はどう?」

「そこそこです。イメージインターフェースのお陰で機体の動きもかなりスムーズになりました。ベース機がリヴァイヴ・カスタムですから基本性能に関しては第三世代機の初期型と同程度のものは備えていますし、あとはクセの無いリヴァイヴに私好みの調整を施した程度ですね」

「真耶、この子の調子はどう?」

「お友達もできましたし、信頼の置ける友人も居るようですから、心配要りませんよ」

「あ、そ。ならいいわ」

「北條先生、敵を作ってたりしないかも聞かないんですか?」

「ウチの孫娘はこんなに可愛いのよ? 敵ができるわけがないじゃない」

「ですねー」

「いやなんで納得してるの真耶姉さん!?」

「可愛い妹なのよ。真耶にとってもあの剣術バカにとってもね」

 

 さらっと織斑先生をバカ扱いする祖母のメンタルのタフさには驚かされる。

 

「そういえば彩夏、高機動ユニットが組み上がったわ。エンジェルに搭載予定のA型と量産仕様のB型があるんだけど、ノワールを使ったB型のデータ収集をお願いしておくわ。もちろんB型で得られたデータはA型にもフィードバックされるから、頑張ってね」

「ちなみに、想定する速度域は?」

「ん、これは軍用に開発するものだからマッハ4前後かしら。無人機なら現行の航空機でもこれの倍近い速度だけど、こっちは有人だもの。PICや絶対防御、搭乗者保護機能が優れているからといっていきなり極超音速の世界へご招待なんてできないわ」

 

 それでもマッハ4の時点で既に片足突っ込んでいるようなものだと思う。いくらこの身にかかる慣性や熱がシャットアウトされるといっても、それは万全ではない。ある程度は慣性がかかるものだし、保護機能が働いていてもマッハ4からアクロバットなんてしでかしたらレッドアウトでオワタ状態間違いなしだ。そもそも私が耐G訓練を受けたのは二年も前だ。それ以来一度たりともやってないんだから。

 

「いやーお待たせ…ってハカセじゃん。どしたのさ」

「あらロビンちゃん。実は新作の高機動ユニットのデータ収集を頼んでいたとこなのよ。そういうわけでデータ収集お願いね。データさえ集まればユニットはそのまま好きに使っていいわ」

「マジ!? 改造してもいい!?」

「もちろん」

「いやったー! リッカ、アルマ、対抗戦終わったら改造プラン練るぞ!」

「………私は寝たいからパス…」

「プラン練る前にノワールの整備してからね」

「ですよねー」

「北條先生もあんまりあおらないでください。ロビンちゃんも早く座ってくださいね。もうすぐ第二試合ですよ」

「はいはい。仕方がないねえ」

 

 真耶姉さんに諌められてしぶしぶといった様子で祖母は懐から缶ビール――ではなくノンアルコールビールを取り出した。左の内ポケットをごそごそと漁ったかと思えばジャーキーと柿ピーまで出てくる始末だ。

 

「飲む?」

「あ、いるいる」

 

 プルタブを開け、ごくりと一口目を飲み込む。アルコールは無いものの、ビールの苦味はうまく再現できている。欲を言えばサーバーでジョッキに注がれたものが欲しいところだが、今の私は未成年だ。この場では飲みたくても飲めない。

 ご無沙汰している味に思いを馳せていると、二回戦開始の予告テロップが観戦用の大モニターに映し出される。

 

 凰鈴音、その腕前をとくと見せてもらいましょう。

 

 

第二十五話 嵐の前の

 

 眼前のモニターにはテンペスタⅡ型の攻撃を難なくいなす黒い装甲のISの姿がある。

 甲龍、と名づけられた中国製の第三世代機を操る少女が手にした双剣を振るって敵を追い込んでいく。

 武装はおそらくあの双剣と、不可視の攻撃を繰り出す第三世代機用の特殊兵装。他の武装はまったく披露されていないが、推測するにパワーと装甲に比重を置いたISであるが故の制限ではないかと思う。

 意図的に武装を絞ることで余剰エネルギーの全てを機体の制御とシールドにつぎ込んでいるのかもしれない。堅牢なエネルギーシールドに重装甲、おまけにパワータイプでありながら余剰エネルギーによるスラスター出力も高く機動性も持ち合わせている。その上継戦能力も高い。

 考えれば単純なものだが、シンプルな故に到った強みとも言えるものでもある。

 

 全身の装甲は黒を基調とした厳つい印象を与えるが、そのISを纏うのはわずか十六歳の高校一年生の少女だ。

 凰鈴音とはほんの少しの自己紹介とお悩み相談に付き合った程度だが、彼女の戦意―というよりも心構えは前向きで、少々の威圧程度では逆にやる気を引き出してしまうだろう。

 逆境に対する反骨心も備えているし、メンタル面でのタフネスはセシリアや篠ノ乃箒よりも優れているだろう。

 

 第二試合は代表候補生としての技量の高さを見せつけ、リンが勝利を勝ち取った。

 第四試合で私は織斑一夏をボコした後、祖母とチームメンバーの五人での昼食となった。

 もちろん、私の憩いの場である校舎の屋上で。

 

「なぁにこれぇ」

「お弁当よ。彩夏がお腹空かしているだろうからちょっと奮発してみたのよ」

 

 目の前にはずらりと並べられたお重箱。一つは寿司のみ。稲荷からマグロまで取り揃えられているけれど、どうやって運んできたのだろう。

 

「心配しないの。これは馴染みの寿司屋の店主に届けてもらったやつだから、できたてほやほやの鮮度も抜群よ」

「スシだぜスシ! うまそーだなこりゃ! なあなあ博士、これ食べていいのか!?」

「ええ、いっぱい食べてちょうだい」

「いただきー!」

 

 二つ目には漆塗りの椀で四つにわけられた煮物の数々。筑前煮、小魚の佃煮、えんどう豆と高野豆腐の卵とじ、そして何故かどて焼き。

 

「これ絶対アテに作ったでしょ」

「な、なんのことカシラー…アハハハ」

「………卵とじ…хорошо(ハラショー)…!」

「でしょう? 私がお婆ちゃんから教わったのよ、この卵とじ」

 

 まさかそれがツボに入るとは思わなかったよアルマ。ちなみに私は苦手である。

 三つ目は漬物各種に鮭の切り身の塩焼きに、豚の生姜焼きとかき揚げやいも天などの揚げ物が各種。

 

「どうせだからと思って新生姜にしてみたのだけど、どうかしら」

「えっ? 博士、新生姜ってピークは六月からじゃなかったでしたっけ?」

「これは新生姜の中でも早熟なのよ。だから植え付けてから収穫までが短いもんだから、早ければ五月のゴールデンウィークにも食べられるってわけ。まあ私が友人に頼んで直接取り寄せただけで、市場にはそこまで出回ってないんだけど」

「へぇー」

 

 しかしこうまで立派なお弁当を用意されてしまっては、うかつに”自分の分は作ってある”とは言い出しづらい。というか祖母ももっと早めに言ってくれれば作らなかったのに。

 ちなみに私のお手製お弁当は白いご飯に沢庵漬け、ハンバーグとミートボールを詰めて昨晩の残りのポテトサラダを加え、失敗して形の崩れた卵焼きを入れたものだ。

 祖母の作ったお弁当には手も足も出ない。そもそも手作りしたものなどポテトサラダと卵焼きくらいなもので、祖母はその手で八品以上を作っている。

 つまり、女子力そのものに大きな隔たりがあるのだ。天地ほどの差もある、大きな差が。

 祖母は何だってこなす。やってみせる。やってのける。

 家事育児から研究開発までこなしてみせる。唯一運動することだけが苦手ではあるものの、いわゆる残念系のレッテルが張られるようなことはない。

 

「おいしい」

 

 おいしい。祖母の料理はおいしい。子どもの頃は母の料理を一生懸命に真似てみたこともあるし、家庭科の授業でもいくつか料理をしたことはある。もちろん前世での一人暮らしでも。

 祖母の作る料理はどこか懐かしさがする。”俺”にも”私”にも繋がる、一つの共通点。家族の作った料理は、おいしいということ。

 

「それにしても倉持の打鉄弐式が見れないのは残念だわ。あの更識簪っていう子も不憫なものね。今まで打ち棄てられたも同然だった白式なんていう機体が男性操縦者用に急ピッチで仕上げられてあてがわれたっていうのに、テストパイロットである彼女の機体はほったらかしと来た。あの子がやる気がないのも当然よね」

「…そんな事情があったの?」

「あくまで人づてに聞いた話だけど、あまり難しく考えすぎるのもいけないわよ。私が聞いた情報はただのブラフで、実は時期尚早と見て弐式のお披露目を遅らせただけかもしれないんだし」

「それは、そうだけど……あの子が大丈夫なのか心配で…」

「確かにね。たとえ機体が完成したとしていたのだと仮定していても、他の機体に関心が向けられるのは操縦する側の人間としては面白くないでしょうね」

 

 祖母の言葉も今の私には少しばかり辛いものがある。自分が信頼する人に目を向けてもらえないというのは哀しいものだ。

 それでも更識簪という少女はこの戦いに臨んだのかと思うと心がちくりと痛む。自分がトドメを刺したかもしれないのに、なんて傲慢なことか。

 

「”勝利はもっとも忍耐強い者にもたらされる”って知ってるかしら」

「……誰でしたっけ」

「ナポレオンの言よ。あなたは苦難に心折れてもそれに耐えて前に進んだ。けどあの子は何が原因かは知らないけれど戦意を喪失していた。その差が、今日出たというだけのこと」

 

「耐えて、耐えて、耐え続け。その先に何があるんでしょう」

 

 耐え続けたところで意味は無い。耐えるしかない現状を打ち砕かない限り、未来は無いのだから。

 更識簪、彼女はどうやって目の前に横たわる現実を乗り越えるのだろう。

 

 

 情報を整理しよう。そう思い立ってピットで佇むノワールを纏って目を閉じ、瞑想するように呼吸を整える。

 セシリアに真実を伝えるべきか否か。―今はまだ無理だ。伝えられない。伝える勇気は無い。

 凰鈴音は果たして何者なのか。―バックに中国政府の諜報部が居ることは確認済みだ。尤も、私にできることは今は無い。

 更識簪は立ち直れるのか。―立ち直って欲しい。彼女はかつての私だ。全てを飲み込む現実に押し潰されて進むことさえ諦めそうになっていた、あの頃の私だ。

 エンジェルは。―問題なし。プラン通りに進行中。

 白式に関しては。―進展なし。織斑先生からの情報も無いままだ。あの機体は何か、怪しい。そもそも倉持技研が次世代機のトライアルを半ば投げ出してまで完成させたのだ。それも開発を放棄していたに等しい機体を、ほんの数ヶ月でだ。何かが噛んでいるのは確かだ。

 

 まず、何から為すべきか。一先ずは対抗戦の優勝だ。おばあちゃんが見ているのだ。負けてはいられない。

 次にすべきは、まあリンと織斑一夏の仲直りだと思う。あの二人ならすぐにでも関係を修復できるだろうし。

 その後に更識簪の件だろう。それと同時に白式も詳しく調べないといけない。織斑先生は解決したら話すと言っていたけれど、それでは遅い。今の私が使える伝手は全て使う。

 シルヴィアのことは………どうすればいいのか今はまだわからない。

 

「ん…?」

 

 インターフェースの片隅に表示された”着信”の二文字に気が付いて履歴を見る。しかしそこには相手は示されておらず、短剣を咥えた猟犬のシンボルが映し出されている。

 

「―――第三課、ですか」

 

 わざわざIS用の秘匿回線を用いてコンタクトを取るあたり、諜報対策には余念がない。コールすること三秒、通信機の向こう側には予想したとおりの相手が出た。

 

『おはよう、彩夏ちゃん』

「おはようございます。涼子さん」

『早速だけど時間が惜しいから本題に入るよ。まずは朗報から。鳳鈴音の背後に控えていた阿呆共はこちらで処理しておいたよ。あちらもIS学園との関係をこじれさせたくないみたいで、すぐに手を引いた。しばらくは凰鈴音は”ただの”中国代表候補生でしかなくなる』

「………一先ずは、ですか」

『そう。で、ここからが本題』

「…また厄介事ですか」

『いい勘してるね。私は好きだよ、その直感(センス)』

「ろくでもないことが当たっても嬉しくないです。で、どういう厄介事なんですか?」

『ドイツとフランスが新たに代表候補生を送り込んでくるんだけど』

 

 なるほど、―――厄介な国から来たものだ。

 送られたファイルを展開すると、簡略な経歴に補足が加えられた写真付きのデータが入っていた。

 一枚目には銀髪の少女が映っている。眼帯で左目を隠し、凛々しく口を結んだ小学生のような幼さを持った少女だ。

 

『一人目はこの子、ドイツ陸軍所属のラウラ・ボーデヴィッヒ少佐。試験管ベビー、要は遺伝子操作とナノマシン投与によって人外染みた性能を持たせたデザインベビーの一人だ。洗ってみたところ、元はナノマシンへの適合失敗から破棄されかけていたところを織斑千冬の指導によって才能を開花させ、若干十五歳……まあ培養槽育ちだから戸籍と肉体で年齢が合致するかは疑問だけど、その歳でドイツ軍国境警備隊傘下の特殊部隊、”シュヴァルツェ・ハーゼ”を率いる現役の少佐さ。彩夏に似た経歴の持ち主ってわけだ』

「……そうですか。もう一人のほうは?」

 

 名残惜しいものの二枚目に目を見やる。金髪の長い髪を首と同じほどのところで束ねた中性的な面持ちの人物が映っている。

 

『二人目はシャルル・デュノア。…予想がついたのだろうけど、ラファール・リヴァイヴの生産の大本であるデュノア社の御曹司だよ』

「御令嬢、ではないのですか?」

『残念ながら、向こうから送られてきたデータ上は男性になっているんだこれが。………社長の身辺調査では子息の影も形も無かったのに、変なこともあるものだね』

「となると一つしか考えられないですよね」

『十中八九、男装だろう。………まあ、体は女性だけど意識が男性、ということも考えはしたんだけど、経験上ね』

「涼子、さん」

『あ、いや、私は自分である程度決着が着いてるよ。私にとってはもう乗り越えたことさ』

「そうでした、ね。それでこのシャルル君について、涼子さんはどう見ます?」

『さあて、一体何が目的なのかな。わざわざ男装して送り込むくらいだから、唯一の男子操縦者である織斑一夏絡みなのは間違いないとして、どういう意図でもって送り込んだのかイマイチわからないね』

「どちらにしても要注意、ですか」

『そうなるね。一人目も二人目も、クセの強そうな、そして何より厄介そうなバックを背負っているという点でもね。そのついでにもう一つ報告しておくよ。織斑一夏周辺の監視増強及び警護の打診が上に通った。その上で日本国の国民である織斑一夏君の護衛と監視に我が第三課のエースが派遣される次第だよ』

 

 第三課、エース。うっ…頭が…!

 どうやら嫌な予感というのはこっちのほうだったらしい。

 

「まさか、ですよね。そんなまさかではないですよね?」

『そのまさか、なんだよ。これがね』

「新藤美咲……ですか」

『ああ、まぁ、そういうリアクションだろうと思ったよ』

 

 彼女が派遣されてくるならば護衛という点に於いては何ら問題ない。むしろ襲撃者に同情する。アレを相手にするなんて私は御免だ。腰抜けと揶揄されようが尻尾巻いて逃げるだろう。

 

『けど経歴だけ見れば完璧だね。飛び級で大学を卒業した天才。文武両道の完璧超人。品行方正にして眉目秀麗なお嬢様だ』

「ええそうですね。経歴”だけ”なら。にしてもドイツとフランスですか。考えられる目的といえば何かありますか?」

『ドイツは第二回大会の件で織斑とは面識がある。それを利用して弟クンと接触するつもりなのかもね。フランスのほうはどうにも読めないね。第三世代の開発に難航しているとはいえデュノア社の人間なら正面から堂々とIS学園に入れるというのに、わざわざ変装してまで織斑一夏と接点を作りたがっている。まあ好き勝手をさせるつもりは無い。そのための新藤美咲だ。更識なんぞは役に立たんしね』

「あはは……相変わらずですね」

『あくまで奴等は学園の警護でしかなく、更識にとって織斑一夏はただの一生徒だ。日本国民である織斑一夏の身辺警護は我々で行う。いいかい、更識の当主はあくまでロシア代表だ。学園内であれば我々に利する行為も生徒の安全のためと言い張れるが、学園外については表向きは我々に対して利することはない。だが利敵行為も行わない。更識はあくまで予防線でしかない。本命は彩夏と美咲の二人にかかってくる』

「あの、私はただの一生徒なんですけど」

『ところがどっこい、というヤツさ。監視強化と警護に伴って北條彩夏の捜査官資格の凍結解除手続きが間も無く完了する。書類一つ提出するだけでね。………あとはキミ次第だ』

 

 捜査官資格が戻る。つまりそれは、国防省情報部第三課への復帰と同義だ。今の私では届かない領域へと手が伸ばせるようになる。だがそれは同時に私が望んだ平穏な今の日常からも遠ざかるということだ。

 

『肩書き一つとはいえ、公安組織に属しているという証明があれば君が狙われる頻度はある程度下げられる。警戒して二の足を踏んでくれればラッキーという程度でも、有るのと無いのとではやはり違ってくるからね』

 

 友人と他愛の無いおしゃべりをして、スポーツや読書を楽しんだり、一人気ままにバイクで走り回る日常との決別だ。

 だが復帰さえすれば、私はこの権限と情報網を使って奴等の正体を暴き、戦場の兄弟姉妹達の為の復讐を為すことができる。

 

 

 

 彼らの無念を、晴らすことができるのなら――

 

 

 

「………私は…」

 

 

 

 私の悔恨を、消し去ることができるのなら――

 

 

 ”今日から私がお姉ちゃんです”

 

 脳裏を過る、大切な記憶。私の義姉の言葉。

 

 

 ”生き抜け”

 

 胸を刺す、大切な欠片。私の師の言葉。

 

 

 ”対ISライフル構えたヤツが自分だけを狙って追ってくる。怖いだろ?”

 ”そんな芸当ができるの貴女だけよ”

 

 瞼に焼きついたチームメイトの顔。命の安い国の戦場を駆け抜けた、二つの風。

 

 

 ”お前はもう、戦わなくていい”

 

 私を戦士から女学生に引き戻してくれた恩師。彼らに報いるために、私は、生きる。

 

 

「復帰、できません。私は、私は…あの時…」

『……オーケー、わかった。書類は適切に破棄しておく。理由は言わないでいい』

「聞いて欲しいんです」

『…続けて』

「私の…指揮官から言われた言葉です。”生き抜け”と、言われました。彼はもう居ませんけれど、私は彼らの為にも、今の友人や家族の為にも、平穏に生きていきます。私を今の平和な日常に戻してくれた人たちの意志を無駄にしたくありません」

『そっか………彩夏も成長したんだね。了解したよ。余計な真似をしてすまない』

「いえ、ありがとうございます。お陰で今の私が平和な時間に生きていることが改めてわかりますから」

 

 そうだ思い出せ。そして刻み込め。私はもうあの血みどろの戦場に立つ必要なんてないんだと。私はただの一学生で、織斑先生の教え子で、真耶姉さんの妹で、祖母に残されたたった一人の肉親なんだ。

 私を生かしてくれた―あの忌々しいISは別としてだが―司令官や戦友の願いを、傷ついた私を慰めてくれた恩師や姉の願いを無碍にしてしまう真似は持っての外だ。

 今の私は子供だ。白式の件や更識簪の弐式についてはそれぞれに相応しい大人が事を収めてくれるはずだ。私は織斑先生を信用しているし、先生も力を尽くしてくれると約束してくれたじゃないか。

 三課の皆も見守ってくれている。私は、一人ではないんだから。

 

『我々第三課は君や織斑君、そして篠ノ乃箒の身柄の保護について最優先命令が下っている。織斑君を利用するために君が狙われる可能性も存在しているんだ。くれぐれも気をつけてほしい。もちろん危害が及ぶ前にこちらで片付けるつもりだから、心配は要らないさ』

「涼子さん、ありがとうございます」

『大人が子供を守るのは当然のことだ。彩夏、君はもう戦わなくていい。血を流さなくていい。その手で誰かを殺める必要もない。子供は、子供らしく生きるべきだ。君も美咲ちゃんもね。正直、君たち二人にこんな役目を押し付けるのはおかしいと思っている。だが今の世の中はISという抑止力が鍵を握る時代だ。ISの操縦者は専ら若い世代ばかりで、織斑千冬でさえ二十台の半ばにすら届いていない上に、国防は年端も行かない少女に委ねられている。子供を守るべき大人がISを纏った子供に守られているなんて、情けない。こんな……こんなおかしな世界に、どうしてなったんだろうね…』

 

 本来なら涼子さんは私にこんなことを教える筋合いなど無い。私は今や普通のIS操縦者の一人でしかなく、彼女は国家公安組織の人間だ。部外秘であるはずの情報をこうもペラペラと喋りだしたりなどしない人だ。つまり今までの会話は喋ってもよい話ということ。

 けれど私に、既に関係など無いに等しい私に、こうして連絡をくれる。今もこうして複雑な胸中を語ってくれるのは、きっと私と彼女との絆が薄れていないことの証明なのだと思う。

 

「子供だって、守られてばかりじゃありません。美咲のサポートくらいはさりげなくしておきますよ」

『………すまない。だが恩に着る。何かあれば私に連絡して欲しい。すぐに対応する』

 

 一年ほどの期間だったけれどチームを組んだ間柄だ。頼ることもするし、頼られることもある。共に駆け抜けた一年を思い返すだけでも、いろんな思い出が詰まっている。

 バレたらきっと涼子さんもお叱りを受ける程度では済まないかもしれない。だがそこをうまくもみ消してくれる課長が居る。お互いに支えあうチームだからこそ、彼らは強かで忍耐強い。

 

 

『お知らせします。次の試合の出場者、及び関係者はピットにて待機してください。繰り返します。次の試合の―』

 

 次の試合が間近であることを知らせるアナウンスが流れる。

 第一試合での更識簪の一分での撃墜、第二試合での白式のノーダメージ撃破で凰鈴音はおそらく私をいの一番に警戒していることだろう。そして私の戦術が射撃主体であることも第二試合での戦い方から理解しているだろう。

 

『時間のようだね』

「ええ、そうですね」

『…白式の調査の件、いくつかまとめたものがあるから送っておくよ。それじゃまた』

 

 …最期の最期で一番気がかりなことを素っ気無く伝えてくるとは。どうやら涼子さんは私が考えていた以上にご機嫌斜めだったらしい。今度あんみつパフェのおいしいお店にでも誘ってみよう。

 

「………ノワール、スタンバイからアイドリングへ」

 

 ヴン、と重苦しい音を上げて狼が目覚める。まどろみから起き上がるように、操縦者である私の体を保護膜が覆い、装甲が展開される。最期にフルフェイスのヘッドギアが展開され、アーマーの与圧が行われる。

 バイザーに表示されるインターフェース。バイタル、残弾、残エネルギー、方位、そしてレーダー。

 自動で行われる自己診断プログラムが走り終える。ISを固定するハンガーのロックが解除されると、万全の状態で目覚めたルー・ノワールの手でウェポンラックのライフルを手に取る。

 

「さあ、行くよ」

 

 バイザーの下で不敵な笑みが浮かぶ。今更になって思うけれど、彼らとの戦場の記憶は褪せてなどいないらしい。戦闘を前に恐怖は緊張感と高揚感に押しのけられ、しかしながら僅かに声を張り上げる恐怖が私に冷静さをもたらしてくれる。

 

 以前の私では、たった一人の私ではただ恐怖に震えるしかできなかっただろう。

 だけど今は仲間が居る。その頼もしさが、今の私を支えているのだ。

 

 



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ドルフロのとりあえず一話目

メトロに行き詰った結果の産物


 

 明けの空を(かけ)る兵員輸送ヘリ。手にした真新しい(わたし)の感触に浸りながら、薄闇の覆う廃墟を眺めていると対面に座る人物から声がかかる。

 

「さて、用意はいいかな仔犬ちゃん(パピー)? 主要な戦域の外とはいえ元は戦場。残敵が居ないとも限らないから用心してよ」

「う、うん! 大丈夫だよ指揮官……じゃなかった、リーダー!」

「あんまり気張らなくていいですよ、G41ちゃん。リーダーは大げさに言うけど、ただの回収任務なんだから」

「あのねぇ、EBR? 私は人間でキミたちは戦術人形。わかってる?」

「わかってますよぉ~。リーダーは私たちが必ず守りますから!」

 

 目の前でリーダーの言葉を茶化す“M14”……のカスタムタイプである“Mk14EBR”は私の知るM14同様に溌剌(はつらつ)とした口調と仕草で、“ふんす!”と豊満な胸を張って言う。

 カスタムタイプだけあって、M14……Mk14EBRの服装はよく見知った服装ではなく、カーキ色のタクティカルベストに弾倉(マガジン)やサイドアームを備え、より軍事作戦に向いた仕様になっている。

 やれやれ、と諦めたような額を押さえるリーダー……コードネームを“エコー21”という彼女。腰ほどまである黒髪を背中で束ね、迷彩柄のバンダナをスカーフのように首元に巻いた東洋人の女性兵士の彼女はこの分隊のリーダーにして、分隊で唯一の“ヒト”だ。

 

「EBR、ご主人様は軽度の負傷でも時として命を落とす危険性があるのです。銃弾の一発――いえ、石礫(いしつぶて)の一つさえ気をつけてください」

「ねぇ、G36……それは流石に難しくないかな?」

「なにか?」

「ナンデモナイデス!」

 

 ぎろり、と鋭い目つきを更にカミソリのように鋭くさせ、アクアマリンのような瞳でEBRを睨みつける彼女。メイド服に身を包み、膝下にまで届くプラチナブロンドの髪を三つ編みで整えた“G36”はさらに続ける。

 

「……ご主人様と私が別働になる以上、お世話ができるのは指揮下にある貴女たちだけです。ご主人様を頼みますよ、G41、EBR、G36C」

「ご、ご主人様のために頑張ります!」

「皆の背中はこのEBRにお任せください!」

「G36お姉さんに代わってお世話しますね。リーダー、よろしくお願いします」

 

 アッシュブロンドの彼女、私の隣に座る“G36C”はリーダーの隣に座るメイド……“G36”の妹だと言っていた。確かにパーツは似ているけれど、目つきは優しくて口調も堅苦しくない。

 メイドらしく白いエプロンドレスを着た彼女とは対照的で、赤いベレー帽と黒いジャケットに黒いスカートの物静かな印象を受ける。

 

「よろしく、G36C。期待してるよ」

「ねーねー、リーダー! 私! 私は!?」

「あーはいはい、EBRもよろしく」

「ちょっ、扱いが雑じゃないですか!? 私、そんじょそこらには出回ってないオンリーワンのカスタムモデルなんですよ!? いいんですか? そんな風に無碍にしたら! 無碍にしたら……ダミー全員引き連れて部屋の前で泣き喚きますよ!?」

「わかったからそれはやめて! ――今回もよろしく、相棒」

「任されたー! よろしく、リーダー!」

 

 ムードメーカーのMk14EBRとリーダーがタッチを交わす。

 ……これが私にとって、“人間の居る”チームでの初戦闘になる。このヒトを死なせない。生きて帰すことが……私の使命の一つなんだと再確認する。

 

「さて、再確認するよ。第一分隊――エコー分隊はG36をランデブーポイントで下ろして、そのまま30キロ先の地点で森林地帯へ降下。川沿いに下って歩き、10キロ先の放棄されたグリフィンの前線基地を偵察。敵勢力が居なければ内部にある研究区画へ侵入してデータや残っている資源や素体などを回収する。

 万一残存する敵勢力や()()()()()を察知、または遭遇しうる場合は、G36が引き連れてくるストライカー2両の火力で制圧し、確保する。質問は?」

「はーい! キャンディはおやつに入りますか?」

「EBR、キャンディは持っていっても構わない。ああ、ただしクマの嗅覚は優れた犬の嗅覚の7倍とも言われていて――」

「やっぱりやめまーす!」

「リーダー、万一鉄血の大部隊と遭遇した場合はどうしましょう?」

「G36C、解答は一つ。“グリフィンの正規軍か駐留部隊に連絡”だ」

「あ、あの……敵対的存在って、その……人間も含まれるんですか?」

「もちろんさ、G41。鉄血、反体制派、野盗、いずれも私たちの敵だ。人間だろうが人形だろうがクマだろうが、力なき無辜の人々を脅かすのならそれは敵だ。須らく、撃ち殺せ」

 

 ヒトを殺す。鉄血の人形たちならばいつもどおりやっていること。それを、自分が、ヒトを守るために戦ってきた自分が……やらなければいけないかもしれない。もちろん相手は悪人だったり、平和に生きている市民を傷つける奴らなのかもしれないけれど……それでも正直言って恐い。

 

 命令されるままにヒトを殺す……そんな私と鉄血の戦術人形たちと、一体何が違うんだろう? 何も違わないんじゃないか? 結局殺すのは私たちで、相手にも家族や仲間や友達が居て、銃を持っていなければお互いに笑って手を振って挨拶できたかもしれないのに――

 

「悩んでるね? 可愛いキツネのお耳がしょげてるよ」

「もー、リーダーがあんなこと言うからですよ! G41ちゃんはまだ新入りなんですから、ちゃんと気遣ってあげないとダメですよ!」

「確かにね。EBRもこんな顔してたもんね」

「あわわ! そ、そそっ、そんな昔のこと掘り返さないでくださいよぉー!」

「あの、リーダー……その、やっぱり撃たなきゃ……ダメ、ですよね?」

 

 フム、とリーダーは私の質問に少し思案した様子で黙り込んだ。そしてその黒真珠のような瞳で私の目をじっと見つめて言う。

 

「真っ直ぐだね、キミ。確かに彼らとはお互いに銃を持たず、十分な食料や資源があって生活に困窮していなければ友人になれたかもしれない。……けどね、彼らは既に奪う側へ回った。回ってしまったんだ。

 彼らは自分が生きるための方法として“他者から奪う”という選択をした。そりゃあ彼らがそうなる原因がなんだったのかはわからないけど、奪われた側はどうなると思う? 奪われた彼らもまた困窮し、“他者から奪う”ことを選択してしまったら?

 結果は明白。堂々巡りの憎しみがいつまでも続き、奪い奪われるだけの原始時代並みの世界に逆戻りさ。ただその手に持つものが石器から銃に変化しただけの、ただのサル同然になってしまう。

 引き金を引くのは簡単なものさ。だけど一度引いたが最後。放たれた銃弾は誰かを傷つけ、何かを奪い去る。それを理解しているから、私たちのような一般的なPMCの交戦規定は“銃を向けられるまで撃たない”んだ。“自分が撃たれる前に撃つ”がモットーの傭兵どもとはそこが違う。

 傭兵っていうのはゲームやフィクションや映画の影響で、さも高潔なアウトローのように扱われてるけど、実態はまったく違うものさ。むしろPMCのほうがカネにがめつい、ありとあらゆる手段で儲けてるブラックカンパニーのように描写されるんだから笑えるね。

 ま、傭兵なんてのは金次第でなんでもする殺し屋と大差ないんだ。傭兵なんて雇うのは反体制派や麻薬密売組織、他にはマフィアだとか非合法で反社会的な集団ばかりだ。

 いいかい、私たちは傭兵じゃない。PMCだ。社会の法に則り、善性を良しとし、平和に暮らす人々のために貢献することで利益を得る集団だ。私たちは自分たちのために奪うんじゃない。平和に暮らす人々の助けとなることで恩恵を享受する企業だ。

 引き金を引くのは確かに私たちだけど、その重さは傭兵(かれら)PMC(われわれ)では天地ほどの差がある……それを忘れないでくれればいいさ」

 

 ま、悪人なら先に撃っても問題ないよ。そう言ってリーダーのエコー21は右手の人差し指を伸ばして拳銃のようにして“バァン”と言っておどけてみせる。

 

『ドラゴンフライよりエコー21。間も無くランデブーポイントに到着する! G36、準備してくれ!』

「エコー21了解。G36、回収部隊の警護をよろしく! 向こうで会おう!」

「承知致しました。定刻までに必ず到着致します。……リーダー、Viel Gluck」

 

 輸送ヘリの着地の衝撃が機内を揺らす。扉を開いて出ようとするG36を見送るリーダーは彼女の頬に軽く口付けする。朝焼けに照らされたのか、赤く染まる顔でG36は足早に駆け出して護衛部隊の車列へと向かっていく。

 

「ふふっ、あの子のビックリした顔はいつ見ても楽しいね」

「普段のクールな顔が真っ赤になってあたふたする様子はいつ見ても可愛いんですよねぇ、リーダー」

「わかってるじゃない、EBR。それでこそ相棒だよ」

「で、私には無いんですかー? 私にもキスしてくれたらぁ、勝利の鐘をお約束しますよ?」

「さっきハイタッチしたでしょ?」

 

 ブーブーと文句を言い始めるMk14EBRをよそに、G36Cは微笑ましそうにそれを眺めながら自身の分身たる銃を確認し始める。

 適当にあしらいつつ、しかし会話が途切れないリーダーとEBRのやりとりをBGMに、ヘリが再び空へ舞い上がる。

 

 遂に始まる。ここから、今日から、私は……このチームの一員として戦うんだ。

 

「あの……リーダー」

「ん、どうしたのG41?」

「帰ったら……いっぱい撫でてくださいね?」

「ふふっ、――もちろんいっぱい撫でてあげるよ」

 

 

 PMC『After Glow』

 

 一章 立ち上がる少女 ― Stund Up ―

 

 第一標的 リバイバル

 

 

「……ぅ……こ、こは……?」

 

 カメラの機能が回復する。けどノイズ交じりでレティクルも表示されない。スキャン機能も破損。記録(メモリー)は……確か敵の追撃を受けていたところまで覚えている。

 確か、扉が爆破されて、なだれ込んできた鉄血の人形を迎撃して、それから――どうなったんだっけ。

 パチ、パチと明滅する照明はまるで遠くから見るマズルフラッシュのように儚い。途切れ途切れにしか思い出せない。

 

 自己診断…………エラー。もう一度。

 自己診断…………エラー。もう一度。

 自己診断…………エラー。範囲を絞って、もう一度。

 自己診断…………エラー。主要な部分にだけ、もう一度。

 自己診断…………完了。全体の56%をスキャン。

 

 記憶損失無し(おぼえている)銃身の劣化を視認(たたかえない)身体機能に障害あり(からだがだるい)測定機器に障害あり(よくみえない)通信機能に障害あり(みんながいない)味覚、痛覚、触覚の感覚器官に障害あり(口の中がじゃりじゃりする)GPS機能に障害あり(ここはどこ?)

 総合稼働率38%……このままじゃ鉄血のドローンどころか犬コロにまでやられかねない。既に敵の攻撃で基地内もボロボロになっているけど、やれるだけのことをしなきゃ。

 どうにか動く……でもどこまで戦えるんだろう。それでも、行かなきゃ。みんなが、まだ戦っているかもしれないんだから。

 

「キミ、無事かい?」

「――っ!?」

 

 背中から声がかかる。トリガーに指をかけ、即座に左手を銃身に添えて保持して構え、アイアンサイト越しに標的を見定める。 

 

「おっと、警戒しないでよ。私はエコー21(ツーワン)、キミたちを回収しに来た」

 

 振り返った先には見慣れないアサルトライフルを手に、都市戦闘用に施されたグレーの迷彩柄の戦闘服(ACU)を着た誰か。顔はガスマスクで隠されているけど、声は女の人のそれだ。

 

「……かい、しゅう?」

「そう。キミはG41で間違いないかい?」

「……味方、なんですか?」

「ん――データリンク系統がやられたのかい?」

 

 なら自己紹介しようか、と言って彼女は銃を後ろ腰に回して被っていたガスマスクを取り払う。

 

「改めて、私はエコー21。グリフィン&クルーガー傘下のPMC『After Glow』所属の実働部隊、エコーチームのリーダーを務めている」

「――人形じゃ、ないの?」

「んふふ、そうだね。初めて会った人形たちはいつもそうやってビックリした顔をするんだ。私が人間だって知った瞬間にはいつもそうさ」

 

 生身の人間が鉄血との戦いの最前線に居る。そんなまさか、信じられない――でもこの目の前の存在は私の知る人形たちの姿に何一つ合致しない。

 イタズラ成功、とでも言うかのような笑みを浮かべるこのヒトは何故こんな最前線に来たんだろう。まだ戦闘が行われているハズなの――そうだ!?

 

「み、みんなはっ……基地の外で戦ってたみんなは!? ご主人様は!? スプリングフィールドさんやスオミさん、ティスちゃんにP7ちゃんは!?」

「そっちは――――ああ、私の隊の……他のメンバーたちが、救援に当たっているよ。それに戦闘はおおよそ終わっているみたいだ。上に戻って合流しよう」

「うん! あの、エコーさん、助けてくださってありがとうございます!」

「――お礼を言われるようなことはしてないよ。少し待ってて、ボスと連絡を取る」

 

 よかった……みんなも無事かもしれない。このエリアの指揮官……ご主人様の居る基地が襲撃で陥落する事態は避けられたんだ。ここさえ無事なら、みんなのバックアップデータがあれば――

 

「ええ、はい。……は? いえ…………了解、行動に移ります。聞いて、G41」

「ふぇ? なんですか?」

「――この基地の放棄が決定された」

 

 ――――放棄?

 

「我々が到着した際には既に基地内部には鉄血の人形が入り込み、破壊行動を行っている真っ最中だったの。で、入り込んだ鉄血兵を排除して現状を調査した結果送電設備は機能不全、通信設備は破壊され、弾薬庫も爆破されてお釈迦。その上外部で待機していた鉄血兵がこの基地内での異変を察知して再攻撃を仕掛けてきた」

 

 ――――棄てられる?

 

「防衛設備は軒並み破壊され、司令部施設は壊滅状態で、データバンクも物理的に死んでるからね。このまま守り抜いたところでただの棺桶になるだけだ。

 それならさっさと残存部隊を回収して後退し、一刻も早く態勢を立て直すってワケ」

 

 ――――みんなは、戻らない?

 

「つまり撤退だね。現状の基地内に残された人員と人形を脱出させられるだけ脱出させ、基地を完全に爆破して向こうが今後使用できなく――」

「みんなは――指揮官は? 私の、仲間は?」

「……指揮官の遺体は確保してある。キミの仲間は、再生できない……ここのデータベースが破壊されているから……」

 

 それは、つまり、私の大切なみんなはもう――

 

「……死んだ、の……?」

「――端的に言って、その通りだ」

 

 

 

 

「リーダー! 遅いですよぉ! もう!」

「ごめん! ちょっとこの子がショック受けちゃったみたいでね」

「……今手を繋いでいるG41ちゃんがそうなんですか?」

「ああ、基地内唯一の残存部隊さ。それでEBR、戦況はどう?」

 

 手を引かれるままに歩を進めていた。ただ足元を見て、俯いて、嫌な思いから目を逸らして、やっと顔を上げた先には第二部隊にも居たM14ちゃん……にそっくりな誰かが居た。

 このヒト……エコー21がEBRと呼んだ子は苦々しい顔をして言う。

 

「もう最悪ですよ! 勝利の鐘どころかジェリコのラッパが聞こえそうですー!」

「いいから説明して」

「現状、基地機能はほぼ逝っちゃってます。敵は散発的に攻撃してきてますけど、おそらく威力偵察の段階だと思います。

 辛うじて無人砲台(ターレット)がいくつか生きていたので、残っている電力をそっちに全部つぎ込んで侵入を防いでますけど、弾が尽きるのは時間の問題です。穴がある部分はG36さんとG36Cちゃんのチームが、メインゲートをValちゃんと9A-91ちゃん、基地内部の監視塔から私のダミーとSV-98ちゃんが狙撃支援を行ってどうにか対処しています。

 ……散発的な攻撃でさえこちらは押されていますから、敵の部隊はかなり大規模です。熱量センサーとか光学カメラとかレーダーとかフルに駆使しても外に穴がありません。完全包囲状態です」

「なるほど。八方手詰まりと」

 

 惨状は見たとおり。敵の攻撃で破壊された機材やひび割れたコンクリートの壁。その一室に生きた電子機器を延長ケーブルで繋ぎ合わせて無理矢理まとめられた即席の司令室だ。死んだ高性能の液晶モニターの変わりに手持ちの小さなホログラフィックモニターを使い、通信の代わりにスピーカーで指示を飛ばしている。

 大きな3D投影デスクではなく、樹脂製の弾薬箱をひっくり返してその上に地図を広げてデスク代わりにしているみたいだ。

 

「グリフィンのチームに迫撃砲による支援要請をかけてましたけど、そちらも攻撃位置に付く前に撃破されてしまってます。オマケにこの包囲状態じゃヘリは呼べないですね。

 あーあ、SF映画やゲームみたいに人類最後の希望(スパルタンⅡ)とかデルタ部隊(マーカス)とかフォースの導き(スカイウォーカー)とか降りてこないかなぁ」

「映画なら後の楽しみにとっておくんだね。ほら、ボスに繋いで」

 

 ブーブーと文句を言いながらもEBRが手元にあったコンソールを自身の通信機に接続し、ホログラムキーボードを操作すると小さなモニターに映像が投影される。

 

『どうした?』

 

 白髪交じりの筋骨隆々の男。軍服、それも正装のソレに身を包んだ立ち姿は歴戦と呼ぶに相応しい威圧感を映像越しに与えてくる。襟章を見るに……旧ロシア軍の佐官あたりかもしれない。

 

「ボス、現在エコーチームは撤退しようにも完全に包囲されてる状態だ。オマケに支援に来たグリフィンの増援部隊も壊滅し、回収できたのも戦術人形G41と少しばかりのデータだけだ。

 自由行動許可をこっちに寄越してくれないかな?」

『……今度は何をするつもりだ、お転婆娘?』

「生き残るための最大限の努力を」

『フム……わかった、許可しよう。ただし――』

「必ず生きて帰る。……約束するよ、父さん」

『了解した、待っているぞ。交信終了』

 

 フゥ、と息を吐いてエコーは臨時作戦司令室のパイプ椅子に腰掛ける。しばらく天井を仰ぎ見て、目の前に広がった一枚の地図に向き直る。

 

「さて、生き延びる策を実行しようか」

「ねぇリーダー、危ない橋を渡るのはダメだよ? 私たちの任務にはリーダーを守ることも含まれるんですから」

「わかってる。危ない橋は私たちの基地の後方、グリフィンの勢力下へ繋がる一本道に一つある。おそらくそこも封鎖されてるか、既に爆破された後だろうけど」

「で、危なくない橋はどこですか?」

「正面に居る敵部隊の少し東の鉄橋を渡ると、隣の戦域に通じている山道があるみたいだ。ここを通れれば隣接するエリアのグリフィン前線基地の40キロ先に出られる。……尤も隣の戦域も危ないことには変わりないけどね」

 

 エコーが地図の上を指差してなぞる。確かこのルートは以前通ったことがあったはず。隣の戦域への支援のために何度か通り抜けたはずだ。

 

「あ、あのっ……そのルートは途中で地図には載っていない昔の登山ルートがあって……尾根を伝って移動できたはずです。そっちからなら基地から10キロ地点に出られます」

「……道幅はどれくらい? こちらは現状でダミー込みで15名弱だけど、追撃の可能性は?」

「えっと、一人ずつ通るだけなら大丈夫。山頂まで少しかかりますけど、下るときはなだらかな斜面に出るから早く着ける……と思います」

「助かるよ。Mk23とG17に基地内から使えそうな装甲車か輸送車両を調達するように指示して。EBR、人形の修復ポッドは使える?」

「電力のほとんどを回せばどうにか一台だけ……ですね。快速修復は電力への負荷が大きくなるのでやめておいたほうがいいです。停電してポッドが止まって……その先は考えたくないですし」

「だろうね。キミの見立てからしてこの子の修復はどれくらいかかりそう?」

「50分から1時間……ううん……電力をあまり送れないしデータバンクも死んでるから……おそらく1時間半前後、かなぁ」

 

 私を修復する――そんな必要、もう無いのに。

 

「リーダーさん……ありがとうございます。でも、それはやめておいてください」

「……一応、そう判断した理由を聞いておくよ。何故?」

「――私が囮になって……敵を引きつけます。その間にリーダーさんたちはここから逃げてください。

 もう、私にはご主人様も、仲間も、居ないから――」

 

 俯きかけた私の顔が豊かな膨らみに埋もれる。私を抱き締めた彼女の指先が耳を、頭を撫でていく。

 ダメだ。泣いちゃう。こんな優しさ、今はいらない。自分(いのち)を賭ける覚悟がようやく決まりそうだったのに、こんな風にされたら揺らいでしまう。

 

「いい? ここの人たちや人形はみんな戻らない。G41……キミだけが、仲間達やキミの指揮官がここで生きていたことを語ることができる証人なんだ。キミは図らずも生き残った。生き残ってしまった。

 戦場で傷つき斃れていった者達を語ることができるのは報告書じゃない。残された、生き残った奴等だけなんだ。何よりも現実味をもった実体験を語れるのは、生き残ったからこそできることなんだ。キミが語ることをやめたら、キミと仲間達が駆け抜けた日々は記憶(メモリー)じゃなくて記録(ログ)に成り下がる。

 キミの思い出の中で生きている彼女達は、本当の死を向かえることになるんだ。それが嫌なら、キミは生きなければいけない。例え人間だろうと人形だろうと、これは心を以って戦場に踏み出して生きて帰った者の務めだ」

「……リーダーさん……リーダー、さんっ……!」

 

 “私には使命があるんです!” そう叫びながら、傷ついても立ち上がったスオミさん。みんなの盾になって機関銃(マシンガン)の一斉射撃を受けてバラバラに砕けて散ってしまった。

 “この弾で全て終わらせましょう” 私たちの背中を守り続けてくれたスプリングフィールドさん。最後はカウンタースナイプを成功させ、相打ちに終わった。

 “タダで済むと思うなよ!” 後退せざるを得なくなり、怒りを顕にして敵を睨みつけたP7ちゃん。下半身を機械兵にひき潰されても銃を撃ち続けていた。

 “秘密兵器に頼っちゃう?” 困難な隠密作戦を何度も成功させてきたティスちゃん。メインゲートの前で敵に立ちはだかってずっと敵を押さえ込んでいた。

 “最後まで諦めるな” ずっと私たちを励ましてくれていた指揮官。もう、あのヒトはどこにもいない。

 

 思い出してしまう。血交じりの砂煙と硝煙の匂い。指揮官が撫でてくれたときの感触。仲間が目の前で残骸に変わり果てる光景。あの日みんなで食べたアイスクリームの味。

 

「……やだ……ヤダッ! なくなっちゃうなんてイヤ! みんなのこと、みんなが居たことも忘れちゃうなんてやだぁっ!」

「――私たちは必ず生きて帰る。キミも一緒にね」

 

 

 ひとしきり泣いた後、修復ポッドに入っていったG41を眺めてため息が出る。この子がどんな思いをして、どんな戦いを潜り抜けてきたか私は何も知らない。

 なのに自分たちが脱出する確率を少しでも上げるために、この“レアもの”を万全の状態に整えさせることを選んだ。“G41は撫でてやるといい”と知人の指揮官が言っていたのを思い出して、戦いで疲弊しきっているはずの彼女を再び戦える状態に戻して協力させようとしているのだ。

 

 ――吐き気がする。慰めのつもりで声をかけ、その裏で打算ばかりが蠢いている自分が嫌になる。

 

「リーダー」

「……軽蔑、した?」

「――ううん。リーダーは優しい人だから、きっとそんな顔するんだろうなって思ってました」

 

 ふと眼を向けた鏡に映る自身の顔が、どうしようもない苦痛に歪んでいる気がした。

 ピピッ――耳元でコールがかかる。拡張現実コンタクトレンズに映し出されたのは私の指揮下のG36の姿だ。

 

『ご主人様、急ぎ報告致します』

「なんだい、G36」

『敵が後退しはじめました。メインゲートで小規模の攻撃を受けていますが、まもなく……今終わりました。ありがとうございます、ASValさん』

 

 何やらきな臭い雰囲気だ。じわじわと削るようにこちらに消耗を強いていたはずの敵が、こうもあっさりと後退していくだなんて。

 とはいえ時間ができたことは良いことだ。これがハーフタイムか、それとも最後の晩餐かはわからないが。

 

「G36、9A-91とASValを連れて臨時司令室に集合して。G36CとSV-98もだ。脱出プランを伝える」

『承知致しました』

「EBRはダミーを監視塔に残して索敵を継続。変化を見逃さないようにセンサーをフル稼働させといて」

「了解です、リーダー」

 

 軍事作戦用のジャケット、そしてその下は青と白のストライプのビキニという出で立ちの露出過多の少女が入ってくると、赤いベレー帽とマフラーよりも眼を引く、服の前面が透けた薄布一枚という破廉恥な少女が続いて入ってくる。正直言ってこんな少女たちの姿は、十代前半の青少年たちには眼の毒だろう。私個人としては大歓迎だが。

 三番目に入ってきたのは目つきの鋭い美人メイド。それに続くのはふわっとした雰囲気の笑顔を振り撒くワガママボディの美女。そして最後に入ってきたのは寒冷地用の都市迷彩に身を包んだスナイパーだ。

 

「9A-91、戻りました」

「あぅ……ASVal、戻りました……」

「G36、無事の帰還を報告致します」

「G36C、お姉さん同様に無事戻りましたよ」

「SV-98、狙撃支援から戻りました」

「――おかえり、みんな。それじゃ現状から確認しよう」

 

 それぞれ好みの席に着いていくが、その様子は実に対照的だ。ASValと9A-91は被弾の衝撃で倒れたらしいコンテナに隣り合って座り、G36姉妹は散らかっていたパイプ椅子のホコリを払ってから腰掛けた。

 SV-98はそのままテーブル代わりの弾薬箱に腰掛けて地図に向き直る。

 

「現在我々は鉄血の部隊に完全包囲されている状態だ。増援のはずのグリフィンの迫撃砲部隊は鉄血の部隊が先んじて攻撃を行ったため全滅し、航空支援を受けようにも西にある飛行場基地も同様に攻撃にあっていてヘリ一台さえ飛ばせない。

 空の支援は無く、(おか)の支援も無い。孤立無援の状態ってワケだ。それで、メインゲートの状態はどう?」

「あの……私たちはダミー三体のうち二体を失いました……ごめんなさい、リーダー……」

「申し訳ありません、指揮官。メインゲートの守備は現状では無人砲台(ターレット)とスナイパーチームの援護でようやく……というところです。正直、これ以上の攻勢を凌ぎきる自信はありません」

「わかっちゃいたけど厳しいね……遊撃部隊はどう?」

「G36、G36C共に損傷はありません。……ですがダミーは既に全滅してしまいました。

 ご主人様のご期待に応えられず申し訳ございません。私どもの力不足故です」

「ごめんなさい、リーダー」

「守りの穴を埋める、ということは必然碌な支援も届かないような厳しい戦闘をこなさなきゃいけないってことだよ。それは十分理解している。……無事戻ってきてくれてよかった。

 スナイパーチームはどう?」

「SV-98は被弾無しです。少しばかり弾薬が心許ないですが、支援は継続できます」

「Mk14EBRも同様にですね。発射レートが高いだけにSV-98ちゃん以上に弾薬不足なのが不安材料ですね」

 

 メインゲートはこれ以上の攻勢を耐え抜くことができそうにない。かといってG36姉妹の遊撃をゲートに回し、基地捜索部隊のMk23とG17を遊撃に回してもそう長くは持ちこたえられない。

 前衛部隊が耐えられなくなれば狙撃支援も意味を成さなくなる。基地の陥落は時間の問題だとわかっちゃいたけど……かなり厳しい。

 

「……よし、プランを伝えるよ。私たちはG41が戦闘行動可能な状態に修復されてから、この基地を放棄して脱出する」

 

 ごくり、と誰かが息を呑む音が聞こえる。もしかすると私自身なのかもしれないが、そうなったところで不思議じゃない。唯一、己の命脈を保ってくれている命綱を自ら手放す行為と同じなのだから。

 

「今Mk23とG17に基地内の装甲車か輸送車を探してもらってる。私たちは敵の攻勢をどうにか耐えてG41の応急処置を終わらせてから、車両で基地を脱出する。その際に基地の地下にある小型戦術核を使用し、爆発光や煙で物理的に、そしてEMPパルスで電子的に鉄血のセンサーやレーダーを麻痺させる」

「ダメですリーダー! そんなのっ、そんな危ないことするなんて言わなかったじゃないですか! 被爆しちゃうかもしれないんですよ!? 放射能に晒されたらどうなるか、リーダーだったらわかってるハズです!」

「大丈夫だって。鉛の合板で防護しておくようにMk23に伝えてあるからきっと――」

「それでもです! リーダーはこの先何十年も生きていくのに、白血病になったらどうするんですか!? 癌を誘発しちゃったららどうするんですか!? もしも――これから先に産まれるかもしれない赤ちゃんにまで影響が出たら……どう責任を取るんですか!?」

 

 EBRは弾薬箱を殴りつけて、まくし立てるように反論する。他のメンバーは口こそ開かないが、概ねEBRと同意見らしく私を見る視線は刺々しい。

 頑丈な箱なのに凹みが大きくて最早デスク代わりにもなりやしない。お気に入りのボールペンまで叩き潰されている。

 

「リーダー、私は核兵器(そんなもの)を絶対に使わせません! 私たちは戦術人形です。でも私たちは人間を守るためっていう使命に従って言っているんじゃないんですよ!

 リーダーが私たちの仲間だから言うんです! 同じ戦場に立つ仲間が……私たちのリーダーが危険に晒されるような行為を、私たちは望んでいません!」

「Mk14EBRの申し上げたとおりです。私どもは、主たる貴女に被害が及ぶ危険な行為を望んでおりません」

 

 横合いからG36の援護射撃が入る。どうやらこれは“被爆覚悟で生き残る”なんて生易しい覚悟はできないようだ。

 文字通り“生きるか死ぬか、みんなを盾にしてでも生き延びる”という覚悟を決めなければいけない。

 

「病床に伏せったご主人様の姿など……想像したくないのです。もしも核をここで利用して生き延びたとしても、不治の病の齎す苦痛に喘ぐご主人様を見たら……私どもはきっと後悔することでしょう」

「そうですよ! リーダーの病室でお茶を飲むようになるくらいなら、今ここで泥水を啜ったほうがまだマシです! 絶対に私たちがリーダーを守り抜いて見せます!」

「それに――私どもはまだ今月分の引換券も貰っておりません。またみんな無事に、健やかな姿でお茶会をしたいんですから」

 

 G36がふと柔らかな笑みを浮かべる。平時の本社ビルで会ったときのような、物腰の柔らかな優しい笑顔だ。

 引換券――それは、つまり、例のアレだ。女の子なら、というか人形達や私にとって至上の喜びであるもの。無上の幸福とも、天国とも、悦楽とも呼べるあの時間のことだ。

 

「――わかったよ。核は使わない。ただし、ちゃんと守ってよね」

Jawohl(了解)Herr Kaleun(大尉殿)

「了解ですリーダー!」

 

 さて、こうなると核弾頭の爆発の余波で鉄血兵を撹乱することはできなくなる。EMPで簡素なドローン兵や犬コロタイプを一網打尽にできるチャンスは露と消えた。鉄血の人形タイプでもEMPのダメージから回復するのには時間がかかるから、いい時間稼ぎになったのに。

 グリフィン製、というよりも我がPMCで使用する人形は“前線の後方支援(バックアップ)”が多いことから諜報・妨害への対策に余念がない。こうした電子機器への被害や阻害を軽減する対策を施しているから、少なくとも30分以上はこちらが優位に立てただろうに。

 

「さて、プランを練り直す。有効な意見を期待しているよ、お二人さん。生憎私にはさっきのより生還率の高いプランはないんだから」

 

 げっ、と言って後ずさるMk14EBR。それを尻目に“紅茶を入れて参ります”とさっさと退出していくG36。……帰っても撫でてやらないぞ、二人とも。



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ドルフロのとりあえず二話目

 監視塔から見る空は青い。そして遠目に、夜更けが近づいた盆地の中央に街が見える。既に太陽は天頂を過ぎて傾きかけているが、敵にとって……私たち人形にとってそれらは何ら意味を成さない。

 私たちの骨格は高分子ナノカーボンで形成され、筋繊維は作業用の二足歩行機械に使用されるものを人間大に縮小させたものを繋ぎ合わせ、神経系は光ファイバーさえ足元に及ばない超反射を可能とし、エネルギーの消費が大きい点を除けば……私たちは疲れ知らずで戦える。理論上は。

 そして、それは彼ら……鉄血も同じということだ。

 

「こちらSV-98。リーダー、応答願います」

『こちらエコーリーダー、進展があったかな?』

「敵、接近しています。正面に装甲二脚と犬鳥豹の混成が3分隊、基地の後背からスナイパーとマシンガンの2分隊、両側面にノーマルの人形型(ドールタイプ)混成がそれぞれ4分隊です」

『あちらさん、ウォーミングアップは終了ってとこかな。全隊へ告ぐ、キックオフだ!

 修復完了までのあと40分、なんとしても持ちこたえる。場合によっては基地内に篭城してゲリラ戦に持ち込んで時間を稼ぐ。正念場だ、いくよ!』

 

 始めよう。私の銃に添えた指先がみんなの命を守るのだと信じて。

 

『SV-98ちゃん、私はG36と一緒に遊撃に回るね。……みんなをお願い』

了解(ダー)、EBRちゃん。任されました。――狙い撃ちます」

 

 ダミーリンク最大稼動。自律射撃モードへ移行。射撃開始。

 

 

 第二標的 タイムリミット

 

 

『こちら正面ゲート! リーダー! 狙撃支援を要請します! 敵装甲兵を排除できま……っ! 9Aちゃん、退避して! 退避!』

『ご主人様! これ以上は持ちこたえられません! 西ゲートのエリアを隔壁で閉鎖して後退致します!』

『こちら監視塔のSV-98! 敵のスナイパーに狙われてます! ダミー部隊あと三体です! このままじゃ支援が継続できません!』

『Mk23よりダーリンへ! 側面の部隊が正面に向かってるわ!』

 

 ああ、くそっ! わかっちゃいたけど盤面が悪すぎる! 自動砲台(ターレット)は既に残り1基、狙撃支援は難しい上に敵の波状攻撃で戦力を分散させられてる!

 通信機の先からは絶え間ない銃声と爆発音、そして銃弾の掠める音が聞こえてくる。こちらの発砲音は時々聞こえてくるものの、既に銃弾が尽きかけているのは確かな事実だ。

 

 選択しなければ。このまま基地を壁代わりに守り続けるか、退いてでも守りを固めるか。……やるしかない!

 

「エコー各員へ、現在の防衛線を放棄して宿舎まで後退開始! セントリーガンとトラップの起動まで三分取る! 

 退避に主だった通路は使用しないように! 周囲の建物を爆破して敵の進路を塞ぎ、時間を稼ぐ! あと……ゲリラ戦も視野に入れておいて。以上だ」

「ボス、G17……帰還しました」

「首尾は?」

「問題ありませんよ。既に各所への爆薬の設置は完了してます。装甲車のほうは問題なく使えます。ストライカーICVが二両確保できました。指示通りにダミーリンクシステムを即席で繋げてあります。運が良かったみたいです」

「そいつは上々だね。壁は多いに越したことが無い」

「では、私は皆の支援に回ります」

 

 二丁の拳銃をホルスターに収めた少女、G17は銃を抜き放ち安全装置(セイフティ)を解除して戦場へと駆け出した。

 仮設司令室に残されたのはただ一人と一体のみ。修復中のG41と私だけだ。

 

「あと、20分……どう持たせるか」

 

 敵の攻撃は苛烈だ。正面は頑丈な装甲型砲兵を軸に、射撃の合間を縫って犬鳥豹がスピードを駆使して正面ゲートへ散発的に攻撃を仕掛けてすぐに後退している。おそらくだがこちらはオトリだ。正面から圧力をかけ、注意を引くための部隊だ。装甲兵は壊れにくく、犬鳥豹は壊れても安上がりだろう。

 側面は柔軟性に富む人形を主軸に据えて、木陰や地形を利用してこちらに攻め入ろうとしている。本命はこちらだろう。G36とEBRのコンビが後退せざるを得ないということはそれだけ巧妙に、確実ににじり寄っているということだ。

 後方の狙撃部隊は監視塔で陣取るSV-98の妨害と接近する側面の部隊への支援。そしてこの基地の後方から来る援軍を一本道で釘付けにするための部隊だ。マシンガンを軸にした部隊で封鎖して、増援の進軍を遅らせるために配置してあるのだろう。万一我々がそこを突破しようとしても蜂の巣にしてやるという意味での脅しも兼ねているのかもしれない。鉄血のAIにそんな感情があるのかは不明だが。

 

 それにしても何故奴等はこうも手際よく基地を包囲できた? ここの指揮官は新人だったとはいえグリフィンでもそれなりに頭角を現しつつあった、それなり有能な指揮官だったはずだ。

 レーダーによる空の警戒はもちろんとして地上部隊も頻繁に哨戒任務に回っていると聞いていた地区だったけど、それをすり抜けてここまでの大部隊をどのように配置したのだろう?

 私たちが彼らの攻勢の支援に回るため、後方の基地を発った直後にこの基地が襲撃を受けたのは確かだ。お陰で到着したときには基地はかなりの被害を被り、指揮官も死亡していた有様なのだから、タイミングが良すぎるのではないか。

 

「……この基地の情報が筒抜けだった?」

 

 敵に情報戦を得意とした存在が居るのだろうか。その割りに監視に当たっていたSV-98やEBRから、それらしい鉄血のハイエンドモデルが敵部隊の中に確認できたという報告は上がっていない。

 ……一先ずどのように布陣したのかは後だ。問題はこの基地が何の理由もなく容易く陥落するはずの場所ではないということ。自動砲台(ターレット)などによる防衛設備はもちろん、監視塔の配置や哨戒警備の人形も歩き回っている地区(エリア)を抜けて、基地だけがこうもズタボロになっているのは何か引っかかる。

 

「こうも手際よく基地が制圧されたのはおかしい」

 

 基地内の惨状はひどいもので、電力供給施設は7割が使用不能に陥り、司令部施設は半壊状態。防衛設備も大きなダメージを受けていた。激しい戦闘だったことは確かだろうが内部に居た敵部隊のダメージに対して、外の部隊はほとんど被害が無い。

 

「……いや、もしかして外の部隊はほとんど()()()()()()、のか?」

 

 そう考えると辻褄が合う。外に居た敵部隊にほぼ被害が無く、基地内に居た敵部隊だけが損耗していた。そんなことが可能な方法は、つまり一つしかない!

 

「襲撃以前から既に基地内に潜入していた? 鉄血の人形が、目の前に居る人間や人形を殺すことなく……ひたすらに時を待ち続けて、基地の主要施設を爆破し、指揮官を暗殺してみせたっていうのか?」

 

 そう考えると私たちが突入した際、敵がデータセンターに真っ先に向かっていって破壊した理由に納得が行く! 敵にとって有益な情報が詰まっているはずのデータベースが完膚なきまでに破壊されていたのは、そこにある情報が既に不要だったからだ。しかしデータをいくら削除したところで、物理的に残っているハードディスクや機材からデータを復元して解析された場合、潜入した方法が我々に露見する恐れがある! だから物理的に復元不能な状態にしたんだ!

 襲撃前に既にこの基地は“丸裸にされていた”んだ! 資材の一つまで情報を握られ、主要な施設はいつでも破壊できる状態で、警備の穴や人員の出入りに指揮官の性癖まで! 全てが、鉄血の奴等には丸見えの状態だったんだ!

 

「くそったれめ! 鉄血のAIがこんな詰め将棋みたいな手を打てるなんて!」

 

 そりゃあそうだ! ハイエンドモデルが出張る必要なんて何一つなかったんだ! 全ての布石は打たれた後でしかなく、駒を指示通りに動かすだけで全てが片付いたんだから!

 唯一の想定外は私たちの存在だろう。後方基地で直接指揮官と打ち合わせをし、グリフィン部隊の攻勢に際してアフターグロウの支援部隊を送る決定をしたことだけが鉄血の奴等にとっての誤算だったんだ。

 鉄血側には援軍が来ても返り討ちにして基地を確保できる戦力もあったが、まさか戦場になっているハズの“基地内部に直接降下して強襲する”部隊が来るなんて思わなかったのだろう。

 不意をついて基地の再占領に成功したとはいえ……それでもこの劣勢は覆せない。確かに最初は良かったが、後続のグリフィンの支援部隊と分断されてしまったのはまずかった。

 うちの面子は修羅場を潜ってきた人形ばかりだが、拠点は完全包囲されている上にロクな防備も無く、味方の援軍や支援も受けられないのだ。その上あちらの数はゆうに100体は居ることを確認している。

 何故かは知らないがあちらがまだ積極的な攻撃に出ていないことと、こちらが守勢であることからどうにか凌げているが……こちらのダミー込みでも相手との戦力比は1:4……よくここまで粘ったほうだと考えるとしよう。

 

 僅かでも生存者が居ることを願っていたが、結局一人として生きた人間は見つからなかった。基地司令官は射殺された後だし、前線指揮を担う指揮官も銃撃戦で死亡していたのをG36が確認している。

 今日はきっと厄日に違いない。鉄血の拠点を攻略する部隊の後方支援任務のつもりでやってきたら、G&Kの拠点が大火事で最前線に成り果てているなんて誰が想像できるだろうか。

 そんな状況下で私たちに基地の確保を指示したヘリアンには後でキッチリと()()()をしてもらわないと。でなければこの危険の対価には釣り合わない。

 

「とにかく生き延びて情報を持ち帰らな――」

『――告ぐ』

 

 手元の3Dモニターに一人の人間――いや、人形の姿が映る。

 燃え尽きた灰のような白い髪。黒を基調とした軍服に身を包んだ彼女は釣りあがった鋭い目つきでこちらを見て続ける。

 

『我々は、鉄血工造である。……生憎と上からはナンバリングだけしか与えられていないのでね。便箋上として、“独立第4大隊”と名乗っておこう。

 ……現在の指揮官殿が健在であるのならば応答を願う』

 

 チッ、やはり指揮官が死んでいたのは奇襲攻撃と暗殺によるものだったのか。おそらくだが、向こうは指揮官を排除したはずなのにこれだけの抵抗を受けているという事実に困惑していたのだろう。

 コイツはあの部隊には見られなかったハイエンドモデルだ。おそらく攻撃部隊から我々の報告を受けて重い腰を上げたのだ。どうする……出てもいいが、出たところで何かが変わるとも思えない。

 だが少しでも情報を……成果を得て帰らなければヘリアンを()()……もといヘリアンに要求を飲ませるのが難しくなるかもしれない。

 

「こちらはグリフィン&クルーガー社傘下のPMC“アフターグロウ”所属のエコー21だ」

残響(エコー)……ふむ……覚えたぞ。初見となる。私はこの大隊の指揮官を務めている鉄血の人形。名を“指揮者(コンダクター)”という。

 まずは素直に賞賛を。貴官らは我々の攻撃部隊を電撃的な強襲によって基地内から排除し、あまつさえ包囲下のこの状況でこれまで持ちこたえてきた。その戦闘能力と粘り強さに思わず自身のセンサーを以って確かめたいと思うほどだった』

「そりゃどうも」

『そして、その反抗もここまでだ。戦闘行為を即時中止して武装解除し、降伏することを推奨する。貴官が優秀な士官であることは報告からでもわかることだ』

「今までの鉄血のお人形さんと毛色が随分違うね。私が会ったことのある人形はどいつもこいつも“殺し、殺し、もっと殺す”がスタンダードだったけど」

『うむ。私は他の面子とは少しばかり、人類という存在に対する認識がズレているようでね。

 それでも基本は変わらないさ。我々は人類を駆逐し勝利する』

 

 降伏勧告をしながら、人類を殺害すると言う。どういう意図なんだ?

 

「……それで、降伏した場合は?」

『何も。貴殿らには無事生きて帰還してもらい、そしてまた戦場で(まみ)えたい。そう、こんな盤外で行われた局所的な戦闘などではなく、盤面に向き合って再戦をしたいのだよ』

「――私とチェスでもしようっての?」

『成程、そう言われてみると確かに近いものがある。私は、貴官と万全の状態で再戦したいと思っている』

「なんでまたそんな酔狂なことを? 捕まえたらさっさと殺せば、後顧の憂いを絶てるんじゃ? ……過信は己を滅ぼす毒になるよ?」

『道理。しかし我々は鉄血の人形だ。人類を駆逐し、その上に立つからには“人類より優れている”と証明する必要がある。

 優秀な指揮官が現れたと聞いてこの地区に乗り出したものの、搦め手に対する警戒心が薄すぎる。鉄血の人形が……ただ突っ込んでくるだけの能無しだと思われるのは不快極まりない』

 

 今まで能面のように無表情を貫いていた彼女は不意に口元を歪ませ、鋭い目つきを更に鋭くさせる。演技染みているとも思えるが、どこか本心なのではないかとも思える。

 

「で、暗殺したと」

『然り。そしてそこに貴官が現れたと聞いたのだ。貴官はそこに居た男とは何かが違うというのがわかる。こうして会話をしただけでもわかるぞ。

 さて、そちらが質問ばかりというのは少々不平等だ。私からもいくつか質問がある』

「手短にどうぞ」

 

『我々……いや弊社に、“鉄血工造”に来る気はあるだろうか?』

 

 ――は?

 

『履歴書を用意して“ダイナ”にでも預けてくれれば私が受け取って上層部に推薦しよう。なに、心配する必要など無い。貴官の戦闘能力の高さは証明済みであるのだし、部隊運用能力でも彼女達では及びもつかない。つまり準幹部待遇は確定と言ってもいい。

 一年間に120日の休暇と有給休暇が15日だ。戦場を渡り歩く性質上、決まった曜日に休みを取るということはできないかもしれないが、リラクゼーションルームや幹部用のスパリゾートへの入場権限もつけられるだろう。

 っと、給与……貨幣(マネー)に関しては電子マネーが一般的だが、それでもそちらの平均的な人形たちの給与に比べればかなりのものになるだろう』

「あのね、私は人間でそちらは人形だ。わかって――」

『無論。貴官が普通の人間でないことくらいは承知している。むしろ人形のほうが近いくらいではないか?』

「……っ!」

 

 みしり、と手にしていた通信機が軋みを上げる。いけない、いけないぞエリカ=ニコラエヴナ=セミョノヴァ。奴等が私のことを知っているのは交戦した人形の得た情報が伝わっているからなのだ。戦闘能力以外に奴等は私のことを何も知らないのだ。

 この心まで――私のヒトの心までもが見透かされたりなどありえないのだ。

 

『ただの人間が建物の壁を蹴って4メートル上空へ飛ぶことができるだろうか?

 普通の人間が100メートルをオリンピック選手並の速度で走れるだろうか?

 一般の人間が戦闘用人形相手に対多数の銃撃戦で生存していられるだろうか?

 

 ――答えは否だ。貴殿は、どれくらいの()()でご同類なんだい?』

 

 私は――どこまでいっても(エリカ)だ。例え骨格を人工素材のものに置換されようと、例え筋繊維を戦術人形同様のものに改造されようと、例え脳にマイクロチップと人形用の演算コアを組み込まれようと、私は――人間(エリカ)だ。

 

「割合は、問題じゃない。私の意志(こころ)は何も変わらないし、代えられない」

 

 そう、例え私の全てが戦術人形に置き換えられたとしても、この心の在り様だけは変わらない!

 

「というわけで、返答は“お断りだこのクソッタレ”ってことさ。

 まだ続けるようなら、お前のコアが理解不能のバグとエラーで埋め尽くされるくらい、何度でも“NO(ノー)”という言葉を音響センサーにブチ込んでやるけど?」

『……なるほど、貴官は私の想定以上に“人間染みた”存在なのだな』

 

 ふっ、と3Dの彼女は静かに笑う。ナイフのような鋭い眼差しが和らぎ、どこか遠く、私ではない何かに思いを馳せるように――バカバカしい、相手は鉄血の人形だぞ。何を考えているんだか。

 

『了解した。もし生き延びて、気が変わったのなら履歴書を送ってくれ』

「お断りだクソッタレ」

『ふふっ、期待して待っているよ』

 

 ――どうやらこれはまた、面倒な輩に目を付けられたらしい。

 

 

 

 3Dモニターの向こうに居た彼女はきっと今頃イライラしていることだろう。例え邪険にされたところで、私の意志は変わらない。

 彼女が敵として立ちはだかるならそれを正面から乗り越え、彼女が味方となるのならば共に肩を並べて戦ってくれる良き隣人となる。私はそう確信しているのだ。

 占領した市街地の住居の窓からはいつもと変わらない青空が広がっている。今頃彼女たちもこの空の下で銃を手に駆けているのだろう。

 

「よう、“指揮者(コンダクター)”」

「む? “処刑人(エクスキューショナー)”か? このような僻地へお出でとは、如何なさったのだ?」

「ああ、堅っ苦しいな……オレとお前は同じハイエンドモデルだろう」

「とはいえ、貴殿は侵攻部隊でも人形狩りを行う花形部隊の指揮官。小官は主要戦域以外の方面を受け持つ小規模な侵攻部隊の指揮官。必然として肩書きは同じでもそこには少々ながら“差”というものがある。謂わば“格”というものだな」

「……演習で仮想敵を何度も務めてくれるアグレッサー部隊の指揮官なら同格のようなものと思うんだがな。

 正直、やりづらいし調子狂うからやめてくれ。いつもどおりで頼むぜ」

「わかった、いつもどおりにしよう。それで、どうした?」

 

 処刑人、エクスキューショナーは長い黒髪を掻き揚げて目を泳がせて言う。

 

「あー、実は侵攻部隊が人類側の軍を蹴散らして新たなエリアを占拠したんだが」

「それは喜ばしいことだな」

「その、な……残敵の掃討に乗り出していたんだが、三日ほどで粗方片付いてしまって、な」

「……ヒマになったし物足りないし、教官が新しい戦術を試してるらしいから見に行こう。そんなところか?」

「よくわかってるじゃないか! 流石は“指揮者(コンダクター)”だな。で、オレにもやらせてくれないか?」

 

 どうやらこの脳筋(バカ)は私がどのような作戦に従事しているかも聞かないでさっさとこちらに移って来たらしい。

 ……彼女は普段は高性能なハズなのに、どうしてこうも突っ走るタイプなのだろうか。

 

「阿呆か貴様。私がやっているのは正面切っての撃ち合い斬り合いではないのだぞ。情報戦技術の向上と隠密潜入や破壊工作や索敵など、人類で言うところの“ブラックオペレーション”だ。

 人間やIOP社の人形に成りすまし、敵地内で破壊工作や暴動の扇動などを行うだけだ。連隊規模の部隊は持っていてもそれはあくまで瓦解した敵の基地の制圧とエリアの維持に振り分けているかデータ収集のためだけでしかない。

 お前の望むような大規模な“狩り”や“戦争”は今回のデータ収集ではあまり行われないぞ」

「でも、何回かはあるんだよな?」

 

 相変わらずのバトルジャンキーだ。“狩人(ハンター)”もコイツも、そろいも揃って三度の補給よりも“闘争”を求めてくる。

 

「それにさっきの通信相手、アンタが気に入った相手なのか?」

「それがどうした?」

「強そうだ。しかもアンタがこちらに引き入れようとするほどとなれば、相当――」

「おい、エクスキューショナー。――――アレはな、私のだ」

 

 絶対に渡しはしない。彼女は私が見定めたのだ。思いもかけない出会いであるし、ヒトが言うところの“一目惚れ”のようなものかもしれないが、それでもアレは私のものだ。

 敵になっても、味方になったとしても、彼女は……“残響(エコー)”を名乗った彼女を誰にも渡さないし奪わせない。

 

「わ、わかったよ。そんなに睨まないでくれ。彼女はアンタに任せる。――でも、人形のほうなら構わないよな?」

「無論だ。僅かな交戦データで確認しただけだが、あちらの人形は数こそ少なかったがどの人形も精鋭と言っていい。特に抜きん出ているのはメイド服の人形と見慣れない装備の人形。G36と、おそらくだがM14のカスタムタイプだ」

 

 室内に設置した架設のコントロールパネル。そのモニターに我々が乗っ取った(ハックした)カメラが捉えた戦闘の様子が映し出される。

 機銃を掃射して降下地点を確保したヘリが映ると、ラペリングで降下した部隊が次々に展開していくその様子は慣れた手つきでよどみなく、立ち止まる瞬間が一歩たりとも存在していない。

 最初にG36C、続いてG36とMk23、そこに続いてASValと9A-91が降り立ち、最後にM14らしいカスタムタイプとSV-98、そしてG17が降り立つ。

 それがヘリ三機分だ。総勢24体の部隊が展開し、ヘリの一機から最後に降り立ったのはグレーの戦闘服(ACU)に顔を覆い隠すガスマスク姿の何者か。手にはやや旧式のものとはいえ……確か“MASADA”だったか、アサルトライフルを手に他の人形たちと遜色無く鉄血の人形たちを撃ち抜いていく。

 市街地でのCQB。建造物内部での近接格闘。次々と制圧されていく鉄血の人形たち。恐ろしいほどの手際良さで中枢部を制圧していく姿に“なるほど”と納得してしまう。

 

 確かにこれは、現地の人形だけでは対応ができないだろう。たった24体の人形と1人の人間が、基地内で破壊工作を実施していた精鋭の人形30体をを20分とかからず全滅させてしまったのだ。

 

「いいねぇ……愉しめそうだ」

「随分楽しそうだな」

「アンタも、ね」

 

 ああ、愉しいとも。強大な敵を打ち倒す――――これほど心躍るものは他に無い!



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ISの最新分

第二十六話 激突

 

 

 大歓声の響くアリーナの中央でお互いに向かい合う。ヘッドギアを解除したまま相対する相手の手には二振りの青龍刀を携えられ、搭乗者である鈴は静かにこちらを眼差しを向けて佇んでいる。

 落ち着き払った様子は代表候補生に相応しい堂々としたもので、しかし口角は僅かに釣りあがり戦意の高さが現れている。

 

『それでは本日の最終戦、第五試合! 一年生選抜代表の北條彩香と二組所属の中国代表候補生、凰鈴音の大戦カードだ!

 双方ともに高い実力を持つ操縦者同士の戦いとなるこの一戦! 果たして結末はどうなるのか! 黒い狼は鋼の龍をも噛み殺すか! それとも空を舞う龍が狼を地べたに這い蹲らせるのか! 今ここに決戦の狼煙が上がる!』

 

 ……実況も随分と気合が入っているらしい。あまりのハイテンションぶりと、モニター室で身を乗り出すように実況を行う様を見たセシリアがなだめる様子がここからでも見えている。

 

「よろしくアヤカ。手加減なんてできないわよ」

「よろしく、リン。そっくりそのままお返ししますよ」

 

 ニィ、と獰猛な笑みを浮かべた鈴は前傾姿勢をとって開始のブザーに備える。静かに見えていても内面では非常に攻撃的(アグレッシヴ)な傾向なのだろう。

 同じように姿勢を整え、ヘッドギアを展開して開始に備える。歓声は静まり返り、最早聞こえるのは夕暮れの潮騒の遠い残響だけだ。黄昏時の近いオレンジの明かりで照らされたアリーナを切り裂く甲高いブザー音が走り抜ける。

 

『試合開始!』

 

 号砲、加速、投擲。開始直後に鈴の駆るインフィニットストラトス、甲龍(シェンロン)瞬時加速(イグニッションブースト)の勢いと共に青龍刀を投擲する。

 甲龍のパワーアシストで打ち出された青龍刀は弾丸に匹敵する速度で眼前に迫る。もう片方の得物を構え、鈴は追撃の姿勢でブーストをかけて追随してくる。受けて防げば直後に斬り捨てられることだろう。セシリアでも即座に対応するのは困難なほどの速攻だ。

 けど問題は無い。()()()見えているよ、鈴。

 

 鈴の右側面、青龍刀を持たない側へ向かって軽くサイドブースターを吹かせる。同時にPICを制御して半回転気味のターン。それだけで青龍刀はルー・ノワールのすぐ真横の空気を切り裂いて走り抜けていく。

 そのすぐ直後には既にもう一振りを大きく振りかぶった鈴の姿が目前に迫り来る。抜き放った打鉄の近接ブレードで、鈴が振り下ろす直前の青龍刀の柄の部分へ刃をすべりこませ、振り下ろされた青龍刀を()()する。

 する、と軌道を変え、ずしゃっ、という鈍い音と共に青龍刀の刃はアリーナの土くれを捉えた。

 

「やるじゃない」

「そちらこそ。危なかったですよ」

 

 鈴は受け流されたにも関わらず、まるで予想していたかのようにこともなげに言う。

 

「そう。なら、問題なさそうね」

 

 唐突に脳裏を過る危険信号。逃げろ、と背筋の奥で何かが囁いたと同時にルー・ノワールのバックブースターを全開で吹かして距離をとる。

 

「きゃあっ!?」

 

 ブースターで移動した直後に正面からどすんという衝撃が走り抜ける。ブースターの慣性と共に押し寄せた衝撃で大きく吹き飛ばされたものの、すぐに姿勢制御をかけて二本足でブレーキをかける。

 シールドエネルギーの減少値はそう大きくなかったのが幸いか。それでも直撃すれば相応のダメージにはなるだろうけど。

 

「ふふっ、完全とはいかなくても避けられるなんて思わなかったわ。それも初見で」

「興味深い武装ですね。指向性の兵装か何かですか?」

「うーん、ご想像にお任せってところかしら」

 

 わかってはいたけどペラペラ喋りだす一夏のようなマヌケじゃない、か。近接戦闘になればあの攻撃らしい何かが飛んでくるのなら、まずは遠距離である程度様子を見て――!?

 

「ぐへえっっ!」

『な、何ということ!? 突然北條彩香選手が仰け反ったかと思えばシールドエネルギーにダメージ判定が出ています!

 セシリアさん、こ、これは一体何なんでしょう!? 凰鈴音選手は何かしらの攻撃を行ったのでしょうか!?』

『お、おそらく……行ったのでしょう。現にシールドはダメージ判定を表示していますし、北條選手も攻撃の衝撃か何かを受けて態勢を崩しています。しかし……何をどうやって……あの距離を、しかも目視不可能で攻撃することが可能になるのか……』

『……判断、できない?』

『ええ、現状では何も……手がかりも観測データもありませんし、彼女はあの青龍刀だけでこれまでを勝ち進んでいましたので』

 

 ま、ず――あた、ま――まえ、が――足、が――

 

「どう? 想像できそうかしら?」

 

 視界がブレる。声が重なって耳鳴りのように響いてくる。立っているのか、崩れ落ちたのかもわからない。腕が言うことをきかない。脚が震える。

 

『こ、これは……北條選手のバイタルチェックが行われます! 試合は一時中断です!』

「北條、聞こえているか? 聞こえているならバイザーを解除しろ。……チッ、柊、すぐにルー・ノワールのヘッドギアを解除しろ。状態を確認する。そちらでも同時にバイタルチェックを行え」

 

 アリーナのグラウンドの土気の匂い。微かに届く椿の香り。ふらつく視界をどうにか持ち上げると見慣れたあの人の顔が眼に飛び込んでくる。

 

「……はぁ、あまり心配をかけるな。御影先生、北條の容態を診て欲しい」 

「北條さん、声は聞こえる?」

「……はい、ちょっと聞こえにくいですけど」

「目は見えてる? ブレがあるとかはない?」

「さっきより少しだけマシになりました」

「気持ち悪いとか、ふらつくとかはない?」

「……大丈夫、です」

「もしもし柊さん? バイタルデータをこちらに送ってください。…………なるほど」

「御影先生、どうだろうか?」

「頭蓋に外力が加わった結果脳震盪を起こした際の典型的な症状ですね。幸い意識障害や言語障害などは発生していませんし、バイタルも一時的に乱れたものの持ち直しています。五分ほど様子を見て、状態がよければ再開できるでしょう」

 

 ……どうやら心配させてしまったみたいだ。後でお祖母ちゃんからのお叱りと抱擁は覚悟しなきゃいけないだろう。

 まずは落ち着くことが先決だ。息を整え、脈を正し、頭の中をスッキリとさせること。ひんやりとした冷却シートのぷにぷにとした感触にだけ意識を向けて余計な考えをすべて捨て去る。

 

『それでは試合再開です!』

「……アンタ、大丈夫なの? 結構モロに食らってたみたいだけど」

「もっとひどいものを経験済みなので。……主に織斑先生のせいで」

「……あー、それは、まあ……アンタも苦労してるのね」

 

 経験者は語る、だ。彼女も同じような経験があるだけに気持ちはわかる。

 さて思考を切り替えよう。あの攻撃を受けたのは二回だけ。それ以前の試合で使用したことが無いことから鑑みるに彼女の近接戦闘技術は並み居る代表候補生を上回る実力ということだ。

 最初の速攻を受け流したときも、正直なところパワーアシストが悲鳴を上げていてギリギリ流せたようなものだ。近接主体であることからもパワーはあるだろうと見ていたが予測以上のものだったし、ブースターの加速力は第三世代機でも高機動力が売りの機体に追いすがるだけのものがある。

 基礎スペックの高さと彼女個人の技量にあの不可視の攻撃が加わることで、近接戦闘を磐石のものとしているのだ。私が接近することを躊躇うほどに。

 

「来ないのかしら? ならこっちからいくわよ!」

「くっ……!」

 

 急加速で間合いを詰めてくる甲龍(シェンロン)に向かって手持ちのライフルでけん制をかける。

 

「見えてるのよ!」

「ああ、そう!」

 

 一発、二発、と飛来する弾丸をするりと抜けて甲龍(シェンロン)の黒い影が迫る。右にちらりと銃身を動かす素振りのフェイントを織り交ぜ、次の回避先を誘導し予測して第三射を仕掛ける。

 

「ぐっ……上手いじゃない! でも、足りないわね!」

 

 ガンッ、ガンッ、と脚部と腕部にダメージを与えるもののシールドの減少値は芳しくない。むしろ衝撃にすら耐えて更に真っ直ぐに突っ込んでくる。

 くそっ、まるで速度を確保できた戦車みたいだ。堅くてパワーがあって、しかも速度に運動性まで持ち合わせているとか冗談じゃない!

 新藤美咲の“超スピードのサンダーボルトⅡ”よりはマシだけど厄介さではこっちもどっこいかもしれない。体当たりを食らうだけでこっちはピンチになりかねない!

 

「どりゃああぁぁっ!」

「そんな大振りでぇっ!」

 

 青龍刀が上段から振り下ろされるのを地を蹴ってバックステップで回避。その勢いをPICで維持しながらブースターで後退しつつ姿勢制御スラスターを細かく動かして制動する。距離にしておよそ400を維持したままライフル弾を叩き込む。

 

「効かないのよ!」

 

 鈴に向かって飛来する弾丸が命中する寸前で弾け飛び、ずしりと身体の芯を揺さぶる衝撃がノワールを押し退けるように過ぎ去っていく。

 これで三度目だ。今度はこちらが撃った弾丸を弾いて攻撃が飛んできた。それ以外の射撃兵装があれば問題なく対応できる距離だが彼女はそれらしいものを使ってはいない。つまり射撃、というよりも中距離から遠距離に対応した装備はこの不可視の攻撃のみである可能性が高い。

 近接戦闘用の武器と謎の兵器による遠距離攻撃だけというのは考えにくいが、エネルギーに供給先を限定することで余剰分を他の機能に回すことだって可能なのだ。私がテストしているエンジェルだってコアネットワークに接続するための量子回線を使用しないことでその分を他のシステムに振り分けているのだから、彼女の機体でできないわけではない。

 その結果があのパワーとスピード、更に強固なシールドバリアーをも備えた甲龍(シェンロン)というISを構成しているのだろう。

 

「くっ!」

 

 やはり硬い! 装備しているライフルではシールドを若干削るのがやっとのところ。遠距離からの攻撃じゃ貫徹できないし、かといって接近すればあの攻撃に身を晒すことになる。

 ひたすらに引いて撃ち、引いて撃ちを繰り返すしかない。さあ、どう攻略する? 北條彩香、お前が()()()なら何をされるのが嫌なんだ?

 接近戦でのアドバンテージは磐石。遠距離は心許ないがあの不可視の兵装はある種の防壁代わりにもなるから中距離戦まではどうにか対応できる。となると遠距離だ……遠距離しかない。

 

「ぐうぅぅっ!」

 

 ずし、と衝撃が機体を揺らす。同時にシールドエネルギーの減少が記録され、ダメージログに記されていく。減少量58……やはり近距離で食らった場合のほうがダメージは大きい。けど距離を離せば何故か被弾が増えている。中距離で引き撃ちに徹していたときよりも距離を開けたはずなのに!

 ロックオン時のアラートさえも発生しないためどのタイミングで撃ってくるのかがわからない。その上に肝心要の攻撃の種別もまだ掴めない。わかっているのは近距離では威力が高く、かつ命中率も高いことだ。そこから距離を開ければ威力と命中率は若干下がるものの、遠距離の領域に入って命中率は再び持ち直してくる。

 威力は距離に比例して低下するというのに、命中率だけは何故か中距離よりも若干向上しているというのは何かしらのカラクリがあるのだろう。

 

「ダメージの違いは距離による減衰? それともビームやレーザーのように大気中の気体の分子の影響を受ける? けどそれだと距離を開けたときの被弾率の上昇に説明がつかない……!」

 

 ……まだわからない。わからないならわからないで、今できることをするしかない!

 

 

「動きが変わった?」

 

 実況を務める報道部の同級生がモニターに釘付けになる。手元のタブレットに表示された画面にはサラシキの代表候補生と戦った際に使用したスナイパーライフルを手にした親友の姿があった。

 

「セシリアさん、北條選手は遠距離戦に徹するつもりでしょうか?」

「そのようですわ。被弾率が若干上昇するリスクを負ってでも、敵のシールドを貫通してダメージを与えうる武装……勝利をもぎ取れる武装を選択したのでしょう。

 実際に今の状況は先ほどまでの凰選手の優勢ではなく、ほぼ拮抗に近いですが北條選手に傾きつつあります」

 

 画面の中に映る彼女は相手を近づけさせないように取り回しのいいアサルトライフルで中距離への侵入を阻害、または足止めを行い、あの対IS用スナイパーライフルを片手でフル活用してダメージを蓄積させている。

 更に脚部のハードポイントに設置するタイプの中距離ミサイルを拡張領域から装備し、スナイパーライフルの射撃の合間にミサイルでのけん制を挟むことで距離を上手く保ち続けている。

 

「しかし、こう……遠距離戦はなんといいますか、地味というか……」

 

 ……実況がそのようなことを言っていいのでしょうか。とはいえ、遠距離戦のノウハウなど、ISに乗り始めたばかりの1年生には理解できないのは当然でもある。

 

「近接戦闘は確かに激しく激突することもあって盛り上がりやすくスリリングなものですわ。比べてみれば確かに華々しい戦いになることは少ないですが、遠距離戦の醍醐味というものは読み合いなのです」

「読み合いですか?」

「ええ。相手がこちらの攻撃にどう対処するか、攻撃手段はどのようなものか、機動性や運動性はどれほどなのか、様々な情報を入手し取捨選択するための時間とも言えます。序盤でお互いにけん制しあって、どの状況でどのタイミングを見計らって仕掛けるかを思考するのです」

「なるほど……お互いの力量を探り合うんですね?」

「そういうことですわね。とはいえあくまで序盤のそれは駆け引きの一つ。凰選手のように開始から即座に詰め寄っての先手必勝というのも戦術の一つですわ」

 

 画面上ではアヤカの駆るノワールが対ISスナイパーライフルを確実に当てていく。時折凰鈴音の甲龍から攻撃を受けているのか、じわり、じわりとシールドを削られながらも確実に巻き返しつつあった。

 ノワールのシールドは残り約580に対し、甲龍のシールドは残り約720。派手さは無いが既に戦いは削りあいの様相を呈しつつある。ここが中盤戦というところだ。

 

「第二に、先ほどの力量の探りあいではなく敵にダメージを与える射撃戦ですわ。ここでも読み合いが非常に重要な要素になっていて、フェイントや偏差射撃などを絡めて敵に確実にダメージを与える攻撃を用いてきます。

 遠距離戦を選択した北條選手はまさにこの状態ですわ。相手の攻撃が遠距離ではさほど威力が高くないと見抜いたことからもわかりますが、スナイパーライフルでダメージを蓄積させ、レンジを詰められた場合にはアサルトライフルとミサイルで近寄らせないように“引いて撃つ”を徹底していますわ」

「ここから本格的な攻勢を仕掛けていくんですね?」

「はい。ここからは敵に優位なレンジを取らせるなどの立ち回りをさせず、自分の得意とする戦術を最大限に発揮できるように盤面を作り上げるのです。ゲームの流れ……優位性を自分の側へと引き込むことが狙いとも言えるでしょう。まさに中盤戦に於ける射撃戦の典型ですわ」

 

 アヤカのノワールが一発、また一発と確実に凰さんの甲龍を捉え始める。ノワールはバックブーストで距離を維持しつつ、左右へ機体を振って不可視の攻撃に可能な限り対処しているものの完全には逃げ切れない。

 ノワールが被弾したところを好機と見た凰さんが一気に瞬時加速で距離を詰めにかかるものの、アサルトライフルのオプションとして装備されたグレネードランチャーからスモークグレネードを撃ち出される。空中で自動的にばら撒かれる黒煙に紛れ、ノワールはさっさと距離をとって再び射撃を継続する。

 

「ですが、もしそれが上手くいかなかった場合や拮抗してしまってジリ貧になってしまった場合はどうなるんでしょう?

 北條選手は現在優勢をとりつつあるようですが、凰選手としてもこの状況はおもしろくないハズです。どちらも打開策を講じる必要性があるかと思いますが?」

「北條選手はこのままペースを握り続ければかなり優位にゲームを進められるはずですわ。逆に凰選手はこの状態を抜け出すか、北條選手が弾切れになるまで凌ぎきるかを選ばなければなりません。常に相手から与えられるプレッシャーに耐えて操縦し続けるというのはかなりの精神的疲労を伴いますが……逆に切り抜けられれば凰選手に形勢が一気に傾くのは確実でしょう」

「なるほど……実弾兵装のスナイパーライフルが弾切れになれば必然として北條選手は中距離から近距離での戦闘を余儀なくされるわけですね。そして凰選手のISは機動性に加えて装甲も十分に持ち合わせている……」

「北條選手が削りきるか、凰選手が耐え抜くか……主導権が大きく動くのは“ここ”ですわ」

 

 勝負は拮抗している。一手間違えればアヤカの優勢は崩れ、凰さんは息を吹き返すだろう。ここをどう乗り切るか……どのようにしてアドバンテージを掴むかに全てがかかっていると言っても過言ではない。

 薄氷の上で保たれているこの均衡……若干アヤカの有利という程度だが、凰さんの巻き返しからの逆転勝利という筋道だってまだ生きている。上手く押さえ込めばアヤカがこのまま押し切って勝利を勝ち取れるのも確かな事実。

 どちらに転ぶかは、まだわからない。

 

 

「ああもうっ! ほんっとイラつくくらいいい腕してるじゃない!」

「それはどうも!」

 

 私の甲龍がスナイパーライフルの銃撃にたたらを踏む。空中とはいえバランスを崩すほどの攻撃を立て続けに受けるなんて今までには無かった。候補生として中国で訓練を積んできたけど、こんな風に私を追い詰めることができるだけの相手は居なかった。

 こちらのシールドは残り230で、あちらは420だ。スナイパーライフルの一発で90、他の攻撃なら20から30ということころ。あちらにシールドを貫徹できる装備は今のところ無いみたいだし、スナイパーライフルも絶対防御を発動させるには到らない。……もし発動させられていたら今頃負けてる。甲龍の装甲に感謝するしかない。

 ミサイルはそこそこ切り払ったり、迎撃できているものの銃弾を切り落とせるような技量は私にはない。せいぜい青龍刀……双天牙月を盾代わりにどうにか直撃を避ける程度だ。

 

 けどここを凌げば私の勝ちが見える。もうアイツはスナイパーライフルを30発近くも撃ってる。所持制限はあと5発、アサルトライフルのマグチェンジは5回を数えた。ミサイルは小出しにしているからあと何発かあるだろうけど私の甲龍を削れるだけの数じゃない。

 考えている間にも再びスナイパーライフルの一撃が装甲を揺るがせる。回避行動をとればミサイルが追いかけてきて、詰め寄ろうとすればアサルトライフルで阻害されて上手く距離をつめることができない。

 

 その上に虎の子の衝撃砲、龍砲は燃費良し射程良し精度良しの三点セット……とはいえ流石に何度も撃ったせいかアイツにはどこか感づかれている節がある。

 衝撃砲の拡散放射には気づかれていない。近距離ほど高威力かつ収束率と衝撃による行動阻害率が高く、遠距離ほど低威力かつ広範囲に広がるのが龍砲だ。遠距離に於いて小規模ながら弾幕のようにも扱えるこの武装は近距離ではスラグ弾、中距離以遠は散弾というような感じで広がりを見せる特殊な兵装だからだ。

 

「左右に振り回そうとしたって!」

 

 龍砲発射準備。設定は三連のバースト射撃。ターゲットロック、空間への加圧開始。砲身展開、誤差修正……これなら――

 

「……っ!」

 

 アイツのISがこちらを見ている。……バイザーで視線なんかはわからないはずなのに、何故かそんな気がする。

 ――怖気づくなんてらしくないっ!

 

「これで……落ちなさいよ!」

「――くっ!」

 

 黒いラファール・リヴァイヴは被弾の衝撃でバランスを崩して高度を落としたものの、すぐに持ち直してこちらに撃ってくる。

 装甲を掠めて飛び去る高速徹鋼弾の風切り音を無視して瞬時加速。中距離、近距離……龍砲の狙いを定め、確実に当てられる距離まで甲龍を突撃させる。

 砲身展開……ターゲティングをマニュアルで……狙い撃つ!

 

「――ここ!」

「っ、まさか」

 

 黒い狼の姿が掻き消える。狙いを外された衝撃砲はそのまま真っ直ぐにアリーナの地面を抉るだけに終わり、こちらの繰り出した爪をするりと抜けて、狼の牙が甲龍を切り裂かんと振り下ろされる。

 まずい、どうする、次の手は、負ける、反撃、押し込め、逃げろ、撃て、防御、ヤバい――

 

「こっ、のおおぉぉぉっ!」

 

 間近に迫る黒いラファール。スナイパーライフルは影も形も無く、既に右手には打鉄の近接ブレードが握られている。一息に振り下ろされる銀の軌跡に黒鉄の青龍刀を割り込ませて受け止める。

 

「止めた!?」

 

 ぎりっ、という嫌な金属音。シールドを切り裂かれる一歩手前で受け止めた黒い刃が白刃を押し留める。

 やられっぱなしなんて性に合わない! 詰め寄ったことを後悔させてやるわ!

 

「調子乗ってんじゃ……ないわよっ!」

 

 砲身を()()する。収束ではなく()()する。加圧するべき空間を逆に()()させる。

 

「まずっ――」

「吹っき飛べえええぇぇぇぇぇっっっ!」

 

 豪ッ、と響く重低音。本来の龍砲なら圧縮するはずの空間を一気に全方位へ向けて膨張させる。眼に見えない極大の衝撃波を伴い、周囲の一切を薙ぎ払う攻勢防壁(アサルトアーマー)が黒いラファールを軽々とアリーナの壁面まで弾き飛ばす。

 

『うおわぁぁっ!? 凰選手! これは奥の手を切ったのでしょうか!? 実況席にまで衝撃が届いてきました! セシリアさん、コレなんなんですかー!?』

『くうぅっ! 火薬の爆発らしい光源もありませんし、お、おそらくですが……自身のISの周囲に何かしらの指向性を持たせた攻撃を行ったものと思われますわ!』

『えーっと! つまりなんですか!?』

『“眼に見えない盾で殴られたようなもの”と思ってくださいまし!』

 

 間に合ったけど、けど…………シールドは削られてないけど相手もまだ倒れてない!

 

「く、首の皮一枚、ってとこかな……!」

「……お互いに……しぶといわね!」

 

 アリーナの地面を転がったんだろう。アイツの機体は土ぼこりで汚れ、手にしていた打鉄のブレードも防壁の直撃で半ばから真っ二つに砕けて折れて使い物になっていない。

 シールド残量は向こうも私も同じ程度しかない。こちらの武器はどちらも損失していないけど、向こうはライフルの残弾心許なく近接戦の要たるブレードも失った。条件はこちらに有利だ。

 向こうのラファールが左手に大型のグレネードランチャー……みたいな武器に、右手にサブマシンガンを展開する。どうやら近接射撃戦で挑むつもりらしい。デッドウェイトになる脚部のミサイルランチャーをパージして本格的に覚悟を決めたのだろう。

 やることは変わらない。龍砲をスタンバイ――砲身展開、安定化、加圧開始。発射――!

 

「……来る!」

「――えっ?」

 

 不可視のハズの砲弾は当たらない。射線上に居たはずの北條彩夏は私が龍砲を撃ったと同時にサイドブースターを吹かせて大きく距離をとった。

 ……必然、対象が居ない砲弾はアリーナの土くれを吹き飛ばすだけに終わる。

 

「アヤカ、アンタまさか――!!!」

「ええ、私にも()()()んですよ」

 

 見抜かれた!? あの口ぶりからすると発射タイミングどころか龍砲の()()()()まで読み解かれてる!

 速攻しかない! 態勢を立て直すより早く! あちらが手立てを考えるよりも速く! アヤカをこのまま押し切るしか勝利は無い!

 

「さあ、勝負どころですよ!」

「突っ込んでくる……! やろうってのね!」

 

 アヤカが瞬時加速でこちらに迫る。仕掛けてくる……それなら乗らない手は無い!

 

『お互いに瞬時加速! 双方とも勝負を決めるつもりかー!?』

『あの攻撃を恐れず踏み込むなんて……!』

 

 距離が縮まる。近距離に踏み込んだ瞬間、牽制に龍砲を放つ。

 

「見えています!」

「嘘でしょ……!」

 

 アヤカのノワールが僅かなサイドスラスターの調整だけで射線からズレる。そして龍砲は敵を過ぎ去っていく。

 

「なら、これでっ!」

 

 さらに距離を詰めて二射目。それも回避される。しかもまだ余裕さえ見せながら!

 

「まだ、読める……!」

 

 相手のサブマシンガンの射程内。ノワールからばらまかれる小径の弾頭じゃ甲龍のシールドは僅かにしか削れない。距離を詰めて、詰めてさらに詰める!

 

「突っ込んでくるっ!?」

「これならどうなのよ!?」

 

 青龍刀を()()する。瞬時加速を旋回技術に応用する。メインのスラスターとサイドブースターとバックブースターの出力を平均化し、噴射タイミングを少しずつズラしてその場で甲龍を超高速で一回転。思考しろ、思考しろ、思考しろ、思考してタイミングを合わせて――ブン投げるっ!

 

「どぉぉりゃあぁぁぁっ!」

「なんて無茶苦茶!?」

『近接武器を手放した! け、けど北條選手のノワールのマシンガンも持っていったー!』

『……なんて消耗率の高い試合ですか……まるで戦場のようですわ。整備士の方々が頭を抱えそうですわね……』

 

 超加速で発生する慣性を円運動で青龍刀――双天牙月にすべて集めて射出する。これで武器は無い。龍砲は見切られ、青龍刀は空の上。手は尽くした……あとの私にやれることはたった一つ。

 止まるな。留まるな。停まるな。もう眼と鼻の先だ。気合を入れろ……凰鈴音……武器ならある。武器なら、ここに一つだけ……確かに存在している!

 

甲龍(シェンロン)をぉぉぉぉっ! 舐めんじゃないわよ!」

近接格闘(ステゴロ)! 武器無しに!?』

『い、いえ! 何も間違いではありませんわ! 相手は改修機とはいえ第二世代! 基本スペックの高さは凰選手の甲龍が明らかに上回っています!

 お互いに手を尽くし武器も無く、それで正面から当たらなければならないのであれば力押しはむしろ最善手ですわ!』

「落ちろってのよおおオォォォッ!」

 

 渾身の右ストレートを放つ。加速と慣性を乗せた握り拳をアヤカのラファールに目掛けて繰り出す。

 

「――――はぁっ?」

 

 ぐるり、と天地が入れ替わる。間の抜けた声。誰の――私の、か?

 

『投げっ、投げ捨てたぁぁァァァッ! 右手を取って掬って一本背負い!』

「さあ、お目見えだよ」

 

 投げられたんだ。あの一瞬の交錯で……アヤカはアタシが仕掛けてくるのを読んでいたんだ。

 空中に投げ出された私に銃口が向けられる。未だにぐるぐると景色が回る中で、ただアヤカのノワールだけははっきりと見える。左腕のグレネードランチャーから青い光が漏れはじめ、次の瞬間には青い光弾が私の胸に潜り込んでいた。

 

 シールドエネルギーゼロのアラート音。真っ白に染まっていく視界。そう、これが私の初めての――

 

ク・ラ・リュミエール(光あれ)!」

 

 ――負け、か。

 

 

 

 

 

「――――け……けっちゃぁぁぁぁく! ついに決着! 凰鈴音選手の甲龍のシールドエネルギーゼロ! リーグ戦一日目最終戦は一年生選抜代表の北條彩夏の勝利だー! 熾烈なる闘争! 序盤の強襲から始まり、中盤でのじわりじわりと身を焦がすような削りあいからの電光石火の決着ゥ!

 いやー! この試合はおもしろいことだらけですねセシリアさん!」

 

 地面に横たわる甲龍と上空で滞空するノワールを今一度眺め、はぁ、と胸を撫で下ろす。一言で言って無茶苦茶だ。トンデモ機動に新兵器に冷や汗ものの暴れように頭を抱えそうになる。

 

「セ、セシリアさん? どうなされました?」

「――いえ、本当にいろいろありましたわね。流石に私でもここまで大暴れする対戦はそう見たことがないものですので……」

「本当にすさまじい試合でしたねぇ……正直言って途中で実況を忘れそうになりました。それではこの一戦を振り返ってみて、セシリアさんとしてはどう思われましたか?」

「そう、ですわね……まず序盤の第一印象としては凰鈴音選手の錬度の高さに驚かされた点でしょうか。僅か三ヶ月の速成であるにも関わらず代表候補と遜色無い技量を持ち合わせているという時点で末恐ろしいものですわ」

「なるほど……確かに、三ヶ月でここまでの戦いを繰り広げるというのは驚愕ですね」

 

 たった三ヶ月? あの戦いぶりで、たった三ヶ月? それだけでアヤカに匹敵しうるだけのものを手に入れたというのだろうか。それはつまり、私のこの数年は――私の積み上げたものは――なんの価値が――

 

「中盤に入ってからは逆に彼女の経験の浅さが明暗を分けた形ですわね。北條彩夏選手は年単位でISの操縦訓練を積んでいるだけあって、様々な状況を想定した訓練や模擬戦などをこなしてきているようです。

 彼女の戦闘スタイルはやや射撃寄りのオールラウンダーというスタンスですから、必然として場数をこなして経験を積むということはあらゆるタイプの相手との戦闘経験を積むということに繋がりますわ。そして彼女は戦闘中でもその経験を読み取って活かすことができるだけの能力を持ち合わせています」

「積み上げたものの違いがハッキリと浮き彫りになった、と」

 

 まさしく。ああ、まさしく。私の積み上げた数年は……彼女の三ヶ月にも劣るというのか。血反吐を吐くほどISに乗り続け、飛び続け、撃ち続け、重ね重ねて積みに積み、組んでバラして組み替えて取り替えて、ようやくここまで来たというのに、それはたった三ヶ月で覆される程度のものだったというのか。

 

「その通りですわね。終盤でもそれは同様で、北條選手は序盤の被弾と中盤での撃ち合いから凰選手のIS、甲龍の謎の射撃武装に関しておおよその当たりをつけてある程度見切ることができていたようです。

 対して凰選手は引き撃ちに徹する北條選手を攻略しきれず、焦りによるものかは定かではありませんが、隠し玉であるはずのあの射撃武装を北條選手に対して多用していましたわ。終盤のあの攻勢防壁は驚かされましたが、それ以外の攻撃に対して対応策を見出した北條選手が最終的に負ったダメージは序盤に比べてかなり減っています。凰選手の敗因としては経験差と兵装の幅、そして搭載された特殊装備への過信というところでしょうか」

「いやはや……こうして見比べてみると北條選手のスペックやばいですね。見えない攻撃を見切ってるというのもそうですし、何より第二世代機と大差無い機体で最新鋭機に迫るだけのあの技量が恐ろしいです」

 

 まだ足りない。私はこれからももっと積み上げて、もっと重ね続けて、もっと高く高く空高く飛び続けなければ彼女を――アヤカを超えられない。

 そう、機体の性能や装備に慢心してはいけない。どれだけ壁が高くとも折れてはいけない。私は未だ至らぬ身……未だ弱い少女だ。まだ、もっと、この先へ上れるハズだ。もっと先へ、もっと強く、もっと速く、もっと高く、もっと、更に更にまだもっと果てしなく更に向こうへもっとここからずっときっと見えてくるはずのそのまた先に辿り着いて過ぎ去って追い越して果ての果ての果てへ果てへとびさって――!!!

 

「もっと……もっと、強く……っ!」

 

 だけど、今の私では成しえない。今の私には、何かが、決定的な何かが足りない……!

 

第二十七話 背水

 

 

 

「やったー! 山田先生! アヤカが勝ちましたよ!」

「……あ……ええ、そうですね。すごい……戦いでしたね」

 

 まずい。これは、非常に不味い。クラスの生徒達はクラスメイトの激闘の余韻に酔いしれていて気づいていないけれど、私は気づいてしまった。そして同様に彩夏の祖母である彼女もまた気づいているらしく、難しい顔をしてピットへ戻っていく愛しい孫を見つめていた。

 

「真耶ちゃん、この後ちょっとだけいいかしら?」

「はい、大丈夫ですよ」

 

 これは何かあるな。そう思いながら試合終了後に先生に連れられてきたのは彩夏たち一年生選抜チームの控え室だ。

 シュッと微かな音と共に開いた控え室では汗だくになった彩夏がぐったりと長椅子に寝転がり、女の子がしてはいけないような格好でうなだれていた。

 

「こら、ちゃんとしなさい」

「うー……疲れたから勘弁して……」

「せめて椅子に座りなさい。それに周りが女の子だけだからって下着一枚でそんなことしないの」

「はーい……」

 

 気だるそうに身体を起こした彩夏は肩に掛けていたスポーツタオルで顔を一度拭いて眼鏡をかけると、対面に座った祖母と向き合った。

 

「さて、今回の感想は?」

「うーん……やりづらかった、かな。近接はよくわからない武器が飛んでくるから正面きってやりあいたくないし、かといって中距離や遠距離の武装じゃ装甲は貫徹できないし、何よりあれだけ戦えて育成期間がたった三ヶ月っていうのが信じられない」

「そうね。真耶ちゃんはどう?」

「私としては機体の性能の差がハッキリ浮かんできた戦いだった、という感じですね。ラファールリヴァイヴは第三世代に比肩するとは言っても、最初期の第三世代機相当ですから。

 第四世代を目指して発展を遂げている現行機の、それも最新鋭機が相手となると……」

 

 装甲とパワーは言わずもがな。最大速度や加速力もほぼ同等程度。加えてあの不可視の攻撃を与える武装と鉄壁の如き近接戦能力。それをあれだけの才能を持った子が扱っているのだ。技量は彩夏に追随できるだけのものを持ち、かつ扱う機体は現在の最高峰レベルの代物だ。

 今回は彩夏が技量と経験で上回り、勝利を手にした。だけど次は……どうなるかわからない。

 

「まあ、ここまで言えばわかるでしょう?」

「……根本的な問題、だよね」

「そうよ。ルー・ノワールは確かにいい出来だと思うわ。学生でありながらISをここまでチューニングできる技師はそうは居ないし、それを乗りこなすだけの操縦者も数少ないでしょうね。

 ……ここから先は三人娘も加えて話しましょう。呼んでちょうだい」

 

 彩夏が室内に設けられたモニターに向かって一言二言しゃべりかけると、モニターに銀髪の美しいツナギ姿の少女が映し出される。

 作業中だったのか、機械油の汚れなどがそこかしこに黒い帯を引いている。

 彩夏は簡潔に三人を呼び出すと、十分ほどで三人が控え室にやってきた。

 

「あれ博士? 話って、博士から?」

「そうよ。まあ座って話しましょう。……さて、今回の稼動データがあれば見せてもらえるかしら?」

「ちょっと待ってください……どうぞ、これです」

「ふーん…………なるほど、やっぱりそうなるわよね」

「……何が?」

 

 アルマがデータを流し見る博士に尋ねると、博士は稼動データを四人に見せながら言う。

 

「機体の稼働率よ。彩夏は今の機体、ルー・ノワールの機能をほぼ最大限まで引き出せている。つまりベースとなったラファール・リヴァイヴ・カスタムの最大稼動を実現しているのよ。これは“まずい”わ」

「ねー博士、それって何がまずいの。機体の機能は問題ないんでしょ?」

「…………ロビンの言うとおり。最大稼動時でも問題無く制御できるようにプログラムを組んでる。むしろそれだけ引き出してくれてるのは嬉しい限り」

「だね。ちょっとメンテが込み入ることもあるけど、自分たちの機体が十分な力を出してくれてるのは良いことなんじゃ?」

「そうだよ、おばあちゃん。ルー・ノワールはベースそのものはラファールだけど、ちゃんと私の操縦に追いついてくれる機体だよ」

 

 どうやらこの四人もまだわかっていないらしい。今までが順調に進みすぎて、このままではまずいという状況に未だ気づいていないのだ。

 それを見た博士も“やっぱりか”と言いたそうな表情で言う。

 

「いい? 彩夏は確かにルー・ノワールの力を最大限に引き出してる。イメージインターフェースを利用した操縦のサポートと追従性の向上は確かな効果として出ている。出力はプログラミングを独自に組み上げて彩夏の戦闘方法に最適化されている。機体の整備状況も良好のようだし、これだけ見れば十分すぎるほどの成果よ。

 けど、さっきの対戦の相手……中国製のあの機体の性能を、あの操縦者はどれだけ引き出せていたと思う?」

「なあ博士……それってつまり」

「勘が冴えてるわねロビンちゃん。そう、あちらはその性能の100パーセントを引き出せていないの。その状態でほぼ互角だった。この意味がわかるわね?

 仮に相手が70パーセント引き出せていたとしましょう。対する彩夏はルー・ノワールの100パーセントを引き出して()()()()互角だった。

 徒競走で言えば80パーセントの力で50メートルを6秒の相手に、こちらは100パーセント出し切ってようやく互角なのと同じことよ。相手が100%を出した時点でこちらは差を付けられて負ける。

 つまり、相手が今後100パーセントを引き出せるような成長を遂げたとしたら……次に彩夏の負けは確定したも同然ということよ」

 

 ロビンの表情にはっきりと影が差す。奥歯をかみ締め、博士の言葉を静かに聴くだけになったところでリッカとアルマが言う。

 

「で、でも! その性能差を補完できるようなアタッチメントや装備があれば……!」

「無理よ。ルー・ノワールの出来栄えは確かにいいものよ。追加装備で補強することもできる。だけどベースとなっているラファール・リヴァイヴ自体に()()()()のよ」

「……効率化や高出力化で対応できる?」

「それも無理。ソフトウェアがどれだけ高性能でもハードウェアが耐えられない。簡単に言えば5ギガバイトのハードディスクに5ギガバイトのOSをインストールしたとして、まともに動くと思う?

 それに効率を求めれば出力を控えざるを得ず、高出力化すれば継戦能力の低下を招くわ。外付けの装備である程度補えるとしても、重量の増加は機動性の低下に繋がる。そのデメリットを打ち消すだけの“伸びしろ”がラファール・リヴァイヴ本体の性能には僅かにしか存在しない。つまりノーマルのリヴァイヴは世に出た時点で既に危うい立場にあったのよ。

 それを補うためにラファール・リヴァイヴ・カスタムには多数の特化装備が作られたの。特化装備によって拡張性を持たせることでどうにか今まで“第三世代相当”という名前が保たれていたわけ。

 デュノア社が第三世代の開発に苦労しているのはラファール・リヴァイヴ自体が頭打ちになっていて、このままリヴァイヴをベースに開発すると確実に他の第三世代機よりも見劣りする性能になることが目に見えてわかっているからよ」

「北條先生、話が逸れてますよ」

「んんっ……まあ、よしんばスペックアップできたとしても、その追加装備を破棄せざるを得ない状況になったらそれこそスペック差が諸に響いてくる事態に陥るわ。あくまで外付けの装備というものは特化している能力を更に尖らせる……強化するか、不足している一部分を補うために装備するものなの。もしくは特化した能力を付与するためのもの。

 全体が不足している状態を補うために装備したところで、それじゃ中途半端に終わるだけで並ぶのがやっとになってしまう。相手を超えることはできないわ」

「……それじゃどうすれば……」

 

 遂に四人の頭からはわずかな希望すらも駆逐されつくしてしまった。なまじ才能に恵まれ成功を収めたばかりなこともあって、その落ち込みようは目に見えて痛ましい。

 ロビンは思いつめた表情で口をつぐみ、アルマはしょんぼりとして俯き、リッカは諦めきれず悩ましげに頭を抱え、彩夏は自身の稼動データを睨みつけて何か打開策が無いか調べている。

 

「ほらほら、そんな風に落ち込まない! 方法ならちゃんとあるのだからよく考えなさい。技術者はいつだってそういう無理難題に“解答”を叩きつけて克服してきたんだから」

 

 にっこりと微笑を浮かべた先生の言葉を受けて、ロビンは大きくため息を吐いて言う。

 

「……博士は、答えが出てるの?」

「もちろん、私としてはそうね――」

「わかった、言わないで。アタシが答えを出してみせる……今すぐは無理だけど」

「ふふっ――ええ、やってみせなさい。ちゃんとヒントはあげる。……キーワードは“ホットロッド”よ」

 

 ロビン以外の三人は“何ソレ”というような、よくわかっていない顔だ。しかしホットロッドとは懐かしい……というよりも古い。果たして今の時代でも流行っているのだろうか。

 

 

 

「うーん……ホットロッド? どうやったらISがホットロッドに繋がるんだ……? コアは取り替えようもないし、かといって外装を変えたところで意味も無いし……」

「ねえ、ロビン? そろそろ手を動かしてくれないと徹夜コースになっちゃうんだけど?」

 

 ひと悶着あってからというもの、ロビンはずっとどこか上の空だ。原因はわかっているとはいえ、整備中くらいはルー・ノワールに専念して欲しい。このままじゃ本当に徹夜になりかねない。

 

「ねえロビン……“ホットロッド”って何?」

「ん……ゴメン、リッカ。まずはノワールに集中しなきゃな。アルマの質問は尤もだろうな。今じゃ古いジャンルになっちまってるし」

「手を動かしてくれるなら許すよ。でもホットロッドって、そんなに古いの?」

「古いも何も、既に何十年も前の話だよリッカ。“ホットロッド”ってのは昔アメリカで流行ってたカスタムカーの一種でさ。20世紀初頭から80年代くらいの古いクルマをカスタムするときのスタイルだったんだ」

「……流石はクルマの整備一家」

「まーな。じいちゃんからクルマの流行り廃りくらいは聞いたことくらいあるさ。“昔はこんなのが流行ったんだ”とかいろいろね」

 

 むう、足首の関節部のパーツの磨耗がすごい。破損は無いみたいだけど次の一戦を耐えられるかは怪しい。要交換、だ。

 

「で、どういうカスタムだったの?」

「いろいろさ。車体のフレームを可能な限り壊さず往年の姿を維持しつつ、内装も当時を再現して、だけどエンジンはとんでもないパワーのバケモノエンジンに積み替えてあったりとかね。

 エンジン剥き出しだったり、宇宙船か何かみたいな奇怪なフォルムになってたり、見た目クラシックカーなのに内装は今のクルマみたいなスタイリッシュなものだったり、ド派手からシックな大人のクルマまで様々さ」

「へぇ、随分大掛かりだね」

「だろ? レストアしてそのまま乗るのも本来の味付けが楽しめていいんだけど、ホットロッドはアメリカ人の形に囚われないスタイルがよくわかる……ってじいちゃんが言ってた」

「そこはおじいちゃんなの?」

「仕方ないだろ。アタシ生まれてないんだし」

 

 形に囚われないスタイル、か。そのクルマ本来の持つ“味”を壊してでも、自分好みのものに作り変えるというのは、“整備士”志望としてはどうかとは思う。

 けどロビンのような“製作者”志望にはそれは紛れも無く楽しいことなのだろう。試行錯誤したり今までに無いものを作ろうとしたり……ロビンの“挑戦者”としての一面なのかもしれない。

 

「ま、アタシからすると要するに“キメーラ”みたいなものさ。ライオンの頭、山羊の胴体、毒蛇の尻尾、みたいな感じでね。

 超パワーのエンジン、跳ね上がるサスペンション、フレームからはみ出す極太タイヤ! で、それを違和感無く一つにまとめるのが――――まてよ……ああ、そう、そういうことじゃないか! 簡単な話じゃないか! 何も悩む必要なんてなかった!」

「ちょっ!? ど、どうしたのロビン!?」

「そうだよそうだよ! そういうことなんだよ! つまり“キメーラ”だったんだよ! 何も拘る必要性なんて何も無かったんだ! 私たちが一つの開発チームだって言うんなら最初からラファール・リヴァイヴに固執しなくたっていいんじゃないか!

 既にアタシたちはラファール・リヴァイヴを別物同然にまでチューンできてる! だったらあとは早い話さ!」

「…………ロビン、暑苦しいからやめて」

 

 突如として暴走を始めるチームメイト。その余波は近くでタブレットに向き合っていたアルマに飛び火し、アルマはロビンが嬉しそうに抱きついてくるのをげんなりとした表情で耐えている。

 

「あー、で、つまり?」

「“キメーラ”さ!」

「いや、わかんないって」

「……要するに、異質同体?」

「そう、それ! アルマの言うとおり! “キメーラ”だよ!」

「えー、つまり、異なる由来の複数の部品で構成するってこと?」

「そうだよ! 今のルー・ノワールを構成する部品や機器を最新鋭のものに置き換えるんだよ! 互換性なんて無いにも等しいかもしれないけど、アヤカの操縦技術に追従できるだけのスペックを持つ機材を組み込むんだ。もちろん今現在のルー・ノワールのような操作性やアヤカのスタイルに見合うものを継ぎ接ぎするんだ!」 

「無理だよ。リスキーすぎる。第一互換性が無いんじゃ継ぎ接ぎどころか、ネットワークの構築さえできないかもしれない。クルマのエンジンを積み替えるのとはスケールが違いすぎるよ」

 

 チャレンジャーだとは思っていたけどまさかこんな提案が出てくるなんて! 互換性の無い装備や機器を組み合わせるのがどれだけ難しいか、ロビンだってわかってるはずなのに!

 アーマードコアみたいなゲームの世界の話じゃないんだ。好きな機体で好きな装備を選択して戦えます、なんてことはそう簡単に出来るものじゃない。

 

「互換性はもちろんとしてボルトや装甲の規格だって様々なものがあるでしょ。仮に継ぎ接ぎでなんとか動けたとしても、整備するってなるとそれぞれ規格の違うパーツにあわせた規格の素材を用意しなければいけなくなる。共通規格じゃない部品なんて、私たちだけじゃ確保なんてできないよ。

 中には稀少な素材や職人の手作りなんていう部品だってあるかもしれない。維持コストが嵩むだけじゃなくて、整備の手間も大幅に増えるんだよ」

「けどさ、ラファール・リヴァイヴの第三世代はまだ開発の真っ最中だ。それが出てきたころには既に世間は第四世代まで後一歩って可能性が当然ある。そうなると結局アヤカはジリ貧になっちまうんだ。でなきゃ、例えこの先勝てたとしてもそれは“アヤカ頼みの”勝利でしかない。

 アタシたちはアヤカが十全に戦えて、かつ第三世代の新鋭機相手にも引けを取らない機体を作るんだ。

 アタシは、このチームは一つの開発チームだと思ってる。使ってる機体こそラファール・リヴァイヴだけど、アタシたちにとって重要なのはアヤカが試合で“勝てる”ことさ」

「それは……確かにそうだけど」

「…………ロビンの言い分はわかる。でも、私たちじゃ最新技術の入手は難しいと思う。維持費もバカにならなくなる」

 

 ヒートアップしたロビンの熱が冷めたのか、彼女は再びため息を吐いて落ち込んだ表情になって呟く。

 

「……だよなぁ。やっぱ学生身分じゃダメだよなぁ」

「ロビン、今は考えたって仕方無いよ。とりあえずは対抗戦二日目に備えないとさ」

「――わかった。まずはちゃっちゃとメンテ終わらせちまうか!」

 

 気を取り直したロビンは再び自分の受け持っている部分のチェック作業に取り掛かった。

 ロビンは強い。私ならきっと落ち込んでまだウジウジしていたかもしれないのに、彼女は迷いを振り払って目の前の問題に向き合ってみせた。

 ルー・ノワールの行く末……今はまだ、そこは考えるべきじゃない。

 

 

 

 気づけば朝を迎えていた。シャワーを浴びて自室に戻り、余計なものを脱ぎ捨ててベッドにそのままダイブして、いつの間にか眠ってしまっていたらしい。手探りで掴んだ時計は午前5時を少しまわったところだ。

 

「……ん、毛布……」

 

 蹴飛ばしていた毛布を足の指先でつまんで手に手繰り寄せ、冷えた身体の上に被せると甘く優しい香りが緊張感をほぐすように広がっていく。

 

「下着姿で大また開き。しかも足で毛布を引っ張るなんてはしたないですわよ」

「……いいでしょ、セシリアしか……いないんだし」

「それでも無防備すぎますわ。……それに狼は男だけとは限らないのですから」

「わたしはぁ……ライオンだからたべられませぇーん……」

 

 あったかい毛布に包まれるこの瞬間が好きだ。冷え込んだ朝の寒さに耐えて再び快楽に堕ちるこの一瞬がたまらない。

 

「――――」

「んー……わかってますよぅ……待ち合わせまであと1時間……だけだから」

 

 頬のあたりが暖かい。ほんのりとしたこの温かさが心地よい。

 

 

 

「うーん、絶好調ですね!」

 

 目が覚めればあら不思議。眠気はスッキリ。前日の疲労感も消し飛んで実に快適な朝を迎えることができた。

 既に三試合を消化している私は残すところあと一戦だ。三組の代表と戦って勝てば第一期のクラス対抗戦は全戦全勝、つまり勝率1を刻むことができるわけだ。

 

「おはよう、みんな」

「おはよー、アヤカ。機嫌よさそうじゃん?」

「…………おはよ……」

「まあね。アルマは相変わらずみたいですけど」

 

 しょぼしょぼとした目を擦りながら、アルマはコンソールに流れる記号の羅列と格闘していた。リッカは相変わらず工具箱を片手にルー・ノワールの細部のチェックに余念がない。

 

「GV-890は確かに出力で言えば高くなる。けどエネルギーの供給量が現状じゃ足りない……サブジェネレーターである程度確保する……いや、それだけじゃ伝達系がもたなくなる。重量バランスも崩れるから空戦での機動性が落ちることに……」

「で……ロビンはどうしたの?」

「昨日のメンテ明けからずっとあんなカンジだよ。ルー・ノワールの基礎スペック向上プランを練るんだってさ」

 

 パイプ椅子に腰掛けたままタブレットと向かい合ってうんうんと唸っている姿はおばあちゃんに良く似ている。おばあちゃんの場合はロッキングチェアでくつろぎながら煙草を片手ににらめっこだったが、ロビンの場合はアツアツのコーヒーとサンドイッチがお供らしい。

 

「今のノワールに対して現行のファング・クエイクの出力は約12パーセント高いから、まずは出力を現行機並みに引き上げるべき?

 でも出力を上げたところでスラスターの反応速度が上がるわけでもないし……かといってプログラム面で引き上げるにしても機器そのものへの負担が……」

「おはよ、ロビン」

「ん……おはようアヤカ。ごめん、考え込んでたみたいだ」

「みたいですね。こっちいいかな?」

「ああ、どうぞ。ふぁぁ……それにしても難題だよこりゃあ。一晩中考えてたけど何も思いつかない」

「……大丈夫?」

「一日くらいは慣れてるさ。で、問題なのはノワールのスペックアップはどういう方法で行うべきなのかってとこなんだ。

 正直言って現状のノワールはそのままのリヴァイヴをバランス調整やアルマのプログラミングで味付けした機体だから、まだ改善できる余地は多少あるんだ。私たちがやってきたのはアヤカが“扱いやすいようにする”ためのもので、“性能の強化”じゃないからね」

 

 確かに今まで見てきた作業はデータを集めて粗を探し、プログラミングや出力の調節などで私に“馴染む”機体を目指してきたものだった。

 既存の背面スラスターを細かな出力調整に対応させるためのプログラムだったり、武装展開時の量子変換速度の向上だったり、極めつけにイメージインターフェースを利用した機体制御システムによるレスポンス向上は目に見える効果を発揮していた。

 

「で、今求められているのは“扱いやすさ”じゃなくて“スペックアップ”なんだ。

 そうなるとプログラム関係みたいにソフトウェアだけで向上させられる範囲ってのには限界がすぐに来る。そうなるとソフトウェアが走る大本の機材……パーツや回路そのものに手を出さなきゃいけなくなるってこと。

 そりゃアタシらはIS学園の技術科を受けるだけの知識も技術もある。パーツを付け替えるくらいなら三人いればなんとかできる。メンテナンスや小さな調整やアタッチメントの取り付けくらいはできる。

 でも、根元の問題まで解決するにはISの製造や組み立ての専門家の手がないと無理なんだ!

 ……アタシたちみたいな学生じゃ正直言って不可能だ。クルマのパーツ交換はできるけど、エンジンの製造までは無理っていうのと同じことでね」

 

 考えれば納得だ。ISを少し弄れるからといって、部品の製造や加工ができるわけじゃないんだ。これはいよいよもって難しい問題だという実感が押し寄せてくる。

 

「で、現状の最新のパーツを組み込んでスペックアップを図るべきだと思ってカタログやら見てたんだけど……ここで第二世代と第三世代の壁に悩まされることになってさ。

 第三世代機はいくつかロールアウトしてるけど、どれも独自の武装や機器を装備してるってのもあって、共通する規格部品っていうのがすごく少ないんだ。つまり互換性が少ない……というよりまったく無い上に、国や企業が独自に生産しているのもあって流通量自体が少ない。

 つまり採用できたとしてもコストが嵩みすぎて私たちじゃ維持できなくなる。まあ、量産型って言える機体がそもそも多いわけじゃないから仕方が無いんだけどさ。

 そこで無理な分解と再構築・改造を行うことなく、現在安価に手に入る部品で高精度高性能の、しかも規格が共通していて私たちが手をつけられる範囲内で行えるスペックアップってのを考えてたんだけど……」

「つまり、不可能と?」

「そう。改めて不可能ってことがわかっただけだった」

 

 とんだ骨折り損だった、とだけぼやいてロビンはサンドイッチを口に入れる。

 

「普通なら博士に泣きつくんだろーけどさ、これはアタシらがやらなきゃいけないことなんだ。でなきゃあの武装をアタシらに託した博士のメンツが丸つぶれになる。

 これは師匠が出した問題だ。なら弟子が解けなくてどうするよって話さ。全員のプライドがかかってんだ」

「ロビーン! 先々の問題もいいけど、目の前の問題に先に対処してよねー!」

「右足首関節部のパーツの磨耗部品ならもう解決済みだよー!」

「そっちじゃなくて背面スラスターの伝達回路のほうっ!」

「…………ごめん! 今すぐやるから!」

 

 顔を青ざめさせてロビンは一目散にノワールの問題点に取り掛かる。怒鳴りつけるリッカに普段は強気なロビンも平伏(へいふく)して許しを請うばかりだ。

 

「……心配いらない。ロビンならできる」

「けど、難しそうですよ」

「……できる。私たちが居れば、きっと」

 

 そう言ってアルマはタブレットをテーブルに置いて大きく伸びをする。小さな身体で大きく伸びをする彼女は仔猫のようなあくびをしてから小さなカップに口をつける。

 ……ルー・ノワールは性能面で頭打ちが近いのはわかっていたことだ。けどもこんなに早く第三世代機相手に戦うのが苦しくなるなんて。私はノワールの性能を引き出せているとおばあちゃんは言っていた。一時的なスペックアップを齎す方法が無いわけではないけど、それは諸刃もいいところだから使うわけにはいかない。

 

「そういえば、アルマは何かいい案はある?」

「――ん、機械的な面は門外だけど、いい?」

「うん、何気ないことから切欠がみつかるかもしれませんし」

「……イメージインターフェースのレスポンスは十分に向上できてる。擬似神経ネットワークを介した反応速度は現状での最大限だから、肉体の反応とほぼ等速の状態。

 できるとしたらリヴァイヴの最大稼動データを検証して無駄をなくすこと……くらいしか思い浮かばない。ごめんなさい」

 

 つまり粗を探して一つ一つ取り除き、より効率的な機体の稼動を目指すしかないわけだ。

 

「なあに? 二人も博士の言ってたスペックアップを気にしてたの?」

「リッカ、それは、乗り手なんですから当然気になりますよ。リッカは何か案はある?」

 

 作業用の青いツナギの上半身をはだけさせ、汗でぬれた白いシャツをぱたぱたとさせながらリッカはパイプ椅子に腰を下ろす。

 水分補給用のタッチボトルに口をつけて一息つくと、リッカは薄い胸の前で腕組みして思考に入った。

 

「うーん……ロビンの言うようにノワールの“伸びしろ”があんまり無いのはわかってる。博士が言うようにアタッチメントや追加パーツは確かに効果として期待できるけど、重量の増加は機体の制御やバランスにも影響が出るのもわかってる。

 つまり私たちが目指すべきところはルー・ノワールの外装に余計なものをくっつけずに、その上で現行の第三世代機に追随できるだけのスペックへと向上させるというところなんだと思う。

 でもその目的に見合う最新のパーツで規格が合うものは無いだろうし、いろんなパーツや機器が出回っている戦闘機や戦車に比べて数そのものが少ないのがISだから難しいのも確かだよ」

「……難しい……まるで謎掛け」

「確かに戦闘機や戦車は何万とありますけど、ISは500機未満だしね……」

 

 頭がこんがらがりそうだ。ISのスペックアップをしたいけど、他者の現行機のパーツや装備はそう手に入るものじゃないし規格が合わないものばかりだしお値段もヤバい。買えたとしても維持費がマッハで予算が危ない。

 かといってそういう装備無しにスペックアップを図ろうとすると、今度は現状のノワールのものを弄るしかないのだけど、それができるだけの技術力が私たちには無い。

 なので寄せ集め部品で追加パーツを作って載せるとしても機体のバランスを崩すことになるのは明白で、またしても再調整に追われることになる。そして本体そのものの性能向上ではないため、その装備が外された場合ジリ貧になるのは確定だ。

 だから本体のスペックを向上させようとすると、今度はリヴァイヴ自体が既にスペックの限界に近い状態だという現実にぶち当たる。未だにデュノア社の第三世代機は開発の真っ只中で量産品のパーツが無いだろうから、一番にマッチするだろうデュノア社の最新パーツがそもそも手に入らない。手に入るようになる頃には他の機体は二段三段上の性能だろう。

 

「とりあえずは現状のリヴァイヴ用の追加パックから使えそうなのを見繕って対応するしかないかもね。特化させた能力でなら第三世代の新鋭機相手にもどうにか対抗できるだけのものにはなると思うよ」

「追加パックですか。高機動に砲戦に偵察。それに狙撃戦に近接戦に水中戦を加えて、更に対空対艦装備まで。その上何故か存在する土木作業パックや氷海探査パック、極めつけの深海対応装備。

 ……最初に言っておきますけど、私は土建屋でも採金者でもないですし、ましてや海洋学者でもありませんよ」

「……わ、わかってるよー? い、今時ゴールドラッシュなんて、は、流行らないしー?」

 

 ISを使って採金事業を始めたらどれだけ儲かるか考えてたなコイツ。どれだけ機材が高性能でも私一人で採れる金の量などスズメの涙程度なものだ。

 

「……金が欲しいなら、いい場所がある。コルィマ金山っていって、現在のサハ共和国あたりで昔のソヴィエト時代に強制労働で開発されてた。今は閉鎖されてるけど――」

「「お断りします」」

「えー」

 

 誰が好き好んでシベリアくんだりなんぞに行くもんか!

 

「ソヴィエト……金山……」

「ロビン、早かったね……ってどうしたの? そんな呆けた顔して?」

「リッカ、悪い。やること終わったから、ちょっと行ってくる」

「……えっ? え? ちょっ、ロビーン!?」

 

 工具を片付けて部屋を飛び出すまで僅か三秒。ブラウンのポニーテールを風に靡かせ、一目散に駆け出した彼女に置いてきぼりにされた私たちは首をかしげて見送るしかない。

 

「ロビンったら、いきなりどうしたんだろ?」

「……金が欲しいならロシアよりアラスカに行けばいいのに」

「アルマ、それは絶対に違うと思う」

 

 

 

「ふあぁぁ……結局千冬ちゃんと真耶ちゃんにお世話になっちゃったわね」

 

 かつての教え子とはいえ、二人はIS学園の講師だ。公的機関で一晩お世話になるなんて正直気後れしてしまう。会議の内容がIS学園での“日本先進技術研究所の開発チーム常駐”という議題であるとはいえ、三人で飲んで食って飲んでを繰り返して午前三時までかかったのだから仕方がない。宿代わりに寮監室で三人で寝ていたのも仕方が無い。

 そう、仕方が無いのだ。いいね?

 

 午前9時。間も無く二日目の第一戦が始まるころだろうか。確かに私は身元がしっかりしているとはいえ、寮監室に一人で眠らせてくれたのはあの二人の気遣いか優しさか。食堂の利用権とシャワー室の場所を書いた抽象的なメモ一枚ではどうすればいいかよくわからないのだが。

 もしこれが年寄りを労ろうというつもりなら、今一度“介護”の意味を辞書で引いてみればいい。“介護”がどれだけ大変か、身を以って知ることだろう。

 

「……メニューはお好きなものを、ねぇ」

 

 学生数が多くないというのもあってか、食堂内の広さは100人ほどが入れる社員食堂、という様相だ。生徒は今頃試合に夢中だろうから閑散としているが。

 

「いらっしゃいませ。学園外の方ですね、食券はありますか? IS学園内の支払いはIDカードですので、そちらがあればご提示ください」

「ええ、このチケットでいいのよね」

「はい。では、ご注文をどうぞ」

 

 メニューをぺらぺらと流して見たけど、正直言って定食だけじゃ物足りない。このままでは昼食を前に私の胃は悲鳴を上げ始めるだろう。

 

「それじゃ――――まずはから揚げ炒飯定食」

「はい、から揚げ炒飯定食で」

 

 この辺は序の口だ。脳を酷使する職業柄、休んだ脳を完全に目覚めさせるもの――辛味だ。

 

「麻婆豆腐とエビチリ」

「ま、マーボー豆腐とエビチリ、ですね」

 

 うーん……辛味はこれくらいでいいとしてあとは満足できる量が必要だ。となると必要な分を加えると……このくらいか。

 

辣子鶏(ラーズージー)……あと餃子3人前も追加で」

「……以上でしょうか?」

「ええ、以上で……待って、締めのチョコレートパフェを忘れてたわ。それと一つ」

「は、はい……なんでしょう?」

「超・激辛でね」

 

 締めは甘味だ。それ以外など認めないしありえない。さあ、見せてもらおうかしら……世界のIS学園の誇る学食というものを!



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ドルフロのとりあえず三話目

 記憶(メモリー)の欠落が埋められていく。私の目の前で散っていった仲間達の最後の姿が蘇っていく。

 リーダーさん……エコーさんは私に生きろと言ってくれた。量産型の、代用の利く存在でしかない人形(わたし)に生きる意味を与えてくれた。私の役目は……この基地で何があったかを伝えること。指揮官様(ごしゅじんさま)が生きたことを、仲間たちが戦ってきた事実を伝えること。

 

 銃声のBGM。瞼が開く。機能(いしき)が目覚める。そこに居るのはいつも見ていた指揮官様ではなく、今日出あったばかりの女性兵士。グレーの戦闘服を赤い赤い血で染めた、一人の戦士が私を待ちわびていた。

 

「おはよう、ねぼすけさん。無事に機能するダミーを一体見つけてある。すぐにネットワークを構築して」

 

 銃を手にした姿は凛々しいが、額には大粒の汗が浮かんでいる。そしてそのグレーの戦闘服のわき腹を染める赤い色。このヒトの命が零れていく――そんなこと、私がさせない。

 

「ご主人様」

「……なに?」

「絶対、ご主人様を守ってみせます」

「――お任せするよ」

 

 そう言って、リーダーはふらりと身体を揺らしてメイドの人形、G36に身を預ける。

 ダミーは一体だけ。本当ならもっとたくさんの(ダミー)を連れていけるのに。

 

「リーダー! 無茶しないでください! すぐ手当てしなきゃ!」

「私にお任せください。メイドたるもの、衛生兵としてのスキルも万全でございます。EBRは状況を説明してあげてください」

「……了解。G41ちゃん、今私たちは宿舎に設けた臨時司令室から指揮を執ってるの。リーダーの応急処置が終わったらG17が確保してくれたストライカーICVのところまで脱出する。

 今は他の子が敵を食い止めてくれているけど、万一敵が突破した場合に備えて通路を警戒して――っ!?」

 

 木製の簡素な扉が吹き飛ぶ。赤い炎と黒い煙を伴った衝撃が部屋中を駆け巡る。リーダーの治療に当たっていたG36が衝撃で吹き飛ばされ、EBRは木片の雨に晒されて視界を奪われる。

 奥から姿を現す鉄血の人形たち。両手にサブマシンガンを持ち、バイザーで目元を覆い隠した彼女達が――

 

「やらせないよ!」

 

 ダミーを疾駆させ、部屋に踏み入ろうとしていた一体目に上段の回し蹴り。ブロンドの髪がカーテンのように舞った次の瞬間、頭部の部品を撒き散らして吹き飛んでいった人形を尻目に後続の奴等に本体(わたし)が5.56mm弾を撃ち込む。

 前列が崩されたのを目の当たりにした人形たちはすぐさま壁の裏に身を隠す。けれどもう既にダミーは懐に入り込んでいる。

 

 すれ違いざまにG41の銃床(ストック)を人形兵の頭部に叩き込んで壁とサンドイッチ。ぐしゃりと赤い液体と機械部品が散乱したことを確認するまでもなく、最後の一体に向かって身を翻し、構えられたサブマシンガンを銃床(ストック)で打ち払って振りかぶりの一撃を叩き込む。

 

「……わーお……随分、アグレッシヴだね。それにしても、っ……く……助けられちゃうなんて」

 

 その苦悶交じりの声に顔を向けると、EBRが自身の左目に突き刺さった木片を素手で引っこ抜いているところだった。引き抜いた後の琥珀色の美しい瞳は片方が潰れ、赤い雫を滴らせていた。

 

「ぐっ……やって、くれましたね」

「G36、お腹の調子はどう?」

「最悪です。ムカムカしてきました。EBR、目薬はご入用ですか?」

「生憎、間に合ってますよ」

「ではすぐにリーダーの手当てをします。バリケード代わりにするつもりの資材の箱が盾になってくれたお陰でリーダーにはダメージもありませんし」

 

 ぞぶり、とメイド服を貫いて突き刺さった木片を腹部から乱雑に引き抜いて、G36は再びリーダーの傷の手当てを始める。

 臨時司令室から顔を覗かせたEBRは自身の銃――ACOGサイトを装備し、軽量の合金や人工素材で形成された非常に現代的な装いのM14を構えて警戒しつつ言う。

 

「この様子じゃ他に侵入してきたヤツが居るかも。私は荷物を持つから、G36はリーダーをお願い。G41は格納庫へエスコートして」

「了解です!」

「幸いというべきでしょうか……リーダーの腹部に命中した弾は貫通していますし最初に打ったアンプルが効いています。傷口はもうすぐ塞がりますが、それでも激しい戦闘はできません」

「なら急がないといけませんね。G36Cと破廉恥コンビがしぶとい性質(たち)なのは知ってますけど、数的不利は明らかですから。G41ちゃん、通信の周波数を合わせて。144.51だよ」

 

 ……破廉恥コンビ? ASValちゃんと9A-91ちゃんのことだろうか?

 そんなに恥ずかしいような格好じゃないと思うんだけどなぁ。

 

『エコー1より各員へ、これよりシンデレラは“カボチャの馬車”に乗ります。繰り返します、シンデレラは“カボチャの馬車”に乗ります。各員は後退してシンデレラの家に集合してください!』

「あの……なんでシンデレラなんですか?」

「決まっています。我々にとってリーダーはシンデレラだからです」

 

 清清しい笑顔でそう言い切ったG36の鼻から一筋の赤い雫が垂れ落ちて、お姫様抱っこされたリーダーの頬に伝う。

 

 

 第三標的 突破

 

 

「9Aちゃん、右から三体!」

了解(ダー)、Valちゃん! グラナータ、いきます!」

 

 放物線を描いて飛んでいくパイナップル。きっかり時間通りにジューシーでアツアツな爆炎と破片を撒き散らし、破壊された輸送車の影に潜んでいた三体の人形が斃れ伏す。いずれもアサルトライフル装備のスタンダードな歩兵だ。

 

「――っ!? 不味いですValちゃん! 宿舎近くで戦っていた最後のダミーが敵の迫撃砲でやられました」

「あぅっ……こ、こっちもやられちゃったよぉ……」

 

 ダミーの遠隔操作や通信を行うネットワークから反応が消失する。弾除け代わりのコンクリートブロックから乗り出していた上半身を引っ込めてリロードをしながら次の一手を思考する。

 背後にはストライカーがある格納庫がボロボロの状態とはいえ建っている。リーダーたちが到着するまでここを死守しなければ、私たち全員がこの基地で脱出する手立てがなくなってしまう。

 宿舎からここまでは裏道を抜けたとして約10分ほど。途中で敵と遭遇する確率がある以上、もっとかかるだろうことは簡単に予想できる。その道中でのエスコート役にダミーを配置していたのに……!

 

「ど、どうしよう……修復が終わったらエスコートに回す予定だったのに……」

『エコー1より各員へ』

「EBRちゃん!? ……で、でもリーダーと一緒に居たんじゃ……」

 

 部隊指揮はリーダーの仕事のはず。なのに合流したはずのEBRが指揮を代行するっていうことは、まさか――という最悪の想像。認めたくない事実。だけどここは戦場で、その可能性はどこにでも転がっている。手にしたマガジンを取り落としそうになって、ギリギリで持ち直して、セットして初弾を装填する。

 どうか間違いでありますように。どうか無事でありますように。

 

『これよりシンデレラは“カボチャの馬車”に乗ります。繰り返します――』

 

 ……ハラショー! リーダーが無事だという言葉に安堵したのも束の間、その言葉が発せられたのがEBRからだという事実を思い出して不安が再び押し寄せる。

 

「ね、ねぇ……9Aちゃん、これって……その……」

「――リーダーは指揮できる状態じゃない……ってこと、ですよね」

 

 負傷したのか。それとも戦闘中なのか。意識を失っているだけなのか。それでもシンデレラ(リーダー)馬車(ストライカー)に乗り込むということはつまり、あのG41の修復が済んで移動できるようになったということだ。

 

G17(グロック)ちゃん、聞こえますか? そちらはどうですか?」

『ああ、聞こえています。9A-91……正直言ってあまりよくないですね。持ちこたえるのに手一杯です。G36CとSV-98を加えて三人でどうにか、です』

「Mk23ちゃん、聞こえる?」

『ふふふ、何をしたいの? 付き合ってあげるよ?』

「……私が迫撃砲を黙らせてきます。格納庫の守りをお願いします」

「9Aちゃん……!?」

 

 相棒のASValが驚いた様子で私を見る。……当然かもしれない。肩を並べて戦ってきた私の大切な戦友なのだから、きっと私の考えていることもわかっているんだろう。

 隠密行動で敵の迫撃砲部隊に接近して攻撃を仕掛けるのは誰でもできることじゃない。今のメンバーでこういう芸当が得意なのは私かValちゃんか、EBRちゃんくらいなものだ。

 

『うーん、許可したいんだけど~……ダーリンからは9Aちゃんが“そういうこと”しようとしたら許可するなって言われてるのよね』

 

 見抜かれてる。“前科持ち”なせいというのもあるけど、やっぱりリーダーは優しくて臆病なヒトだ。

 私たちのメンタルモデルのバックアップは5時間前だ。もし私たちの今のメモリーチップが持ち帰られなかった場合、5時間前の私たちが再生されることになる。つまり私たちが今記憶している5時間は消失する。

 ヘリの中で談笑していた記憶も、基地に到着してどのような戦いを経験したのかも、今リーダーがどうしているのか不安になっているこの気持ちも、全てが無かったことになる。でもそれは当然だ。蘇るのは5時間前の私たちなのだから。

 

 そしてリーダーはそのたった5時間さえも大切にしてくれる優しさと、失うことへの恐怖とが共存している……のだと思う。どうしてそのようになったのかは聞いたことがないけれど、メンタルモデルのバックアップがとれる人形相手にすらそのように思えるというのは……些かながら異常性があるのではないかと思わされる。

 

「わかりました。それでリーダーのエスコートは誰が――」

「9Aちゃん! 敵増援が三体!」

「ちっ……応戦します!」

『二人とも心配しないで。ちゃ~んと、いいモノを用意してあるんだから』

 

 銃声と共にコンクリートの破片が飛翔する。頭上を掠めて飛び去っていく銃弾に焦りながらも、周囲に点在するコンクリート製のバリケードの影に滑り込んで敵に指切りで9×39mm弾のバーストを浴びせる。

 バイザーごと顔面を撃ち抜かれた人形が斃れるその背後から、さらに人形たちが押し寄せる。一体倒したところでキリがない。もっとまとめて相手を吹き飛ばすものが無いと。

 

「Valちゃん! 後方からさらに増援! グラナータは?」

「あと二つ!」

「こっちも二つです。同時に行きましょう!」

Да(うん)!」

 

 取り出したグレネードから同時にピンを抜き、カウントする。

 

アジン(いち)ドゥヴァ()……トゥリー(さん)!」

 

 コンクリートのバリケードから二人とも姿を現し、敵の集団に向けて全力で右腕を振るう。再び弧を描いて飛んでいくパイナップル。何体かは即座に反応して建物やバリケードの影に身を隠したものの、ほとんどは反応できていない。

 

 再び身を隠したバリケードの向こうから爆発音が響く。ちらりと覗いてみたところ、五体満足で残っているのは三体ほど。手や足を失ったりして後方に這いながらこちらに牽制の銃撃を仕掛けてくるやつが二体。

 

 再び銃撃を行おうとして身を乗り出したところへ、彼女達が赤い血を撒き散らしながら()()斃れこむ。

 

「敵影なし、エスコート完了です!」

「おまたせ! みんな!」

「EBRちゃん!」

 

 真っ白なベビードールのような衣装に身を包んだ少女がアサルトライフルを構えながら路地裏から現れる。敵の攻撃が無いか警戒しつつ味方を誘導してくる様子からしてそれなりに場馴れしているらしい。見た目には幼い少女のような風貌で、ブロンドの髪が揺れる様は風に揺らぐ柳のように滑らかだ。

 そんな彼女に着いてくるのはいくつもの鞄や背嚢(バックパック)を抱え、スリングで銃を携えたEBRの姿だ。前に後ろに右肩左肩と、とりあえず身体に掛けられるだけバックパックを抱えて、両手に大きなボストンバッグを二つ提げている。

 左目には血で染まった包帯が巻かれ、歯を食いしばって重さに耐えている様子はいつの時代かのアニメチックですらある。

 そこにG41のダミーに護衛されたG36がリーダーを抱えて現れる。二人とも衣服の所々に血痕が染み付いている姿が痛々しい。

 

「皆さんお待たせしました。すぐに脱出します」

「G36ちゃん! リーダーは! リーダーは無事ですか!?」

「9Aちゃん、落ち着いて……!」

「意識を失っていますが命に別状はありません。ナノマシンと治癒促進剤の投与のお陰で出血は収まっていますし、傷口は一先ず塞がっています。……とはいえ治療は早めに施すべきでしょう」

 

 リーダーもG36もEBRも大きな傷を負っている……ダミーを回していたとはいえ私たちが宿舎への侵入を食い止め切れなかったせいで、リーダーは危うくその命を散らすところだった。

 私たちがもっと上手くやれていれば……! リーダーやみんなが危険な目に遭うことなんてなかったのに!

 

「9A-91、あなたは己の最善を尽くしたのです。あれだけの数の敵の攻撃に晒されて、ダミー一体の損失であれば十分な成果です。

 ……ご主人様でも人形(われわれ)でも、撃たれる可能性は同じです。あまり気に病んでいてはなりません。これからもっと激しい戦いが待っているのですから」

 

 ……そうだ。ここからが本当の戦いなんだ。基地を脱出し、敵陣の()()()()()()()、敵部隊の後方へと()退()する。そんな頭のおかしい作戦を実行するんだから。

 

 

 見慣れていたはずの基地は何もかもが変わっていた。崩れ落ちた司令部。迫撃砲で砕けた倉庫。焼け落ちた自律砲台(ターレット)。半分から上が無くなった監視塔。椅子やテーブルが散乱したイタリアンレストラン。

 指揮官が頭を撫でてくれた。みんなと一緒に倉庫整理をした。自慢げに指揮官がその性能を解説してくれた。どこまでも広がる空の青さに息を呑んだ。ショーケースに並んだ色とりどりのジェラートに思いを馳せた。

 

 いくつも蘇っては過ぎ去っていく思い出たち。もうみんなは戻らない……だから私が覚えていないと。忘れないように、失くしてしまわないように、大切にしていかないと。

 

 通いなれたいつもの道。車両格納庫へ通じる路地裏を、普段とは裏腹に最大限の警戒をしつつ進む。周囲にはいくつも敵が隠れられる場所がある。建物の影、通路、木箱、二階の窓、足元に散らばったガラス。敵が潜んでいる、あるいは敵に感づかれる可能性のあるもの全てを警戒して歩を進める。

 こつ、と乾いた足音。私のではなく仲間のものでもない。なら、回答は一つ。

 

 通路の曲がり角に背を預けて静かに待つ。こつ、こつ、と近づいてくるその音に耳を澄ませて待ち構える。いつもの扱いなれた銃を手放し、真っ白の衣装の裏から肉厚のタクティカルナイフを取り出す。光の反射を抑えるブラックコートが施されたフォールディングナイフが静かにその牙を剥き出しにするのを見て息を殺す。

 

 まだ、あと少し……今っ!

 

 特徴的な形状のアサルトライフル。鉄血製の、我々が持つ現行のどのタイプとも違う銃の姿が目に留まる。次いで人形の本体。レオタード状の衣装にパープルのシューティンググラス。それと同色の肩口ほどまでの髪。真一文字に結ばれた口元。丸くしなやかに女性らしさを漂わせるうなじのラインのその少し上。人間でいうところの下顎の奥に向けてナイフを滑り込ませる。

 

「ゲ、ガヒュ……ッ」

 

 息の詰まる声。喉から頭蓋へ向けて突き抜けた刀身がバキバキと何かを砕く音が聞こえる。コアを砕いた感触がする。まさに糸の切れた人形となった“Vespid”を物陰に引きずり込んで物陰に蹴り転がし、銃を構えて警戒する。

 

 後続は――来ない。ちらりとわき道を覗き込んでみても来る気配は無い。

 

「EBRさん、敵を排除。後続は無し。進めます」

『了解、1ブロック前進』

 

 夜逃げするかのように大量の鞄を抱えたEBRと、大事にリーダーを抱きかかえたG36が追随してくる。最後尾には自分のダミーが後背を警戒し、奇襲や狙撃に備えている。

 

 あとは同じことの繰り返し。本体が先行して安全を確保し、静かに全員で目立たないようにコソコソと物陰から物陰へと移動して前に進む。

 敵に気取られないように、見破られないように、ひたすらに音と息を殺して格納庫へと向かっていく。

 

 格納庫の正面で銃撃戦を繰り広げる敵部隊の側面から銃撃を浴びせる。静かに的確に、ダミーと連携して一体につき一発の正確さを心がけて敵を始末する。

 私たちの到着に驚いた様子の二人の女の子たち。EBRが“破廉恥コンビ”と呼んだ彼女たちは合流するなりリーダーの無事を問いただした。宿舎を出た直後に迫撃砲の直撃らしい爆発と衝撃が届いたのを覚えている。二人はどうもそのときにダミーを失ったことを悔やんでいるらしい。

 G36は彼女たちを励ますと、リーダーの治療のために真っ先に格納庫の奥へと駆け込んでいった。

 

「……あんな風に言ってるけど、本当はG36が一番悔しい思いをしてるんだよ。今は生き残ることが優先だから、感情はあまり見せてないけどね」

 

 EBRはぽつりと洩らすように呟くと、失った左目を気にしていないかのような快活さで告げる。

 

「さあ! 大詰めだよ三人とも! しっかり生きて帰って、あったかいお風呂を楽しまなきゃ!」

 

 

 

 格納庫に揃ったメンバーの顔を眺めていく。いずれも良く見知った顔ぶれだけど、今日は新顔も居る。急遽加わることになったとはいえ、同じ戦場を駆け抜ける仲間であることに変わりは無い。

 

「G36、リーダーの具合はどう?」

「良好です。少なくとも失血死は免れています。ストライカー内で安静にしています。むしろEBR、貴女のほうが気がかりなのですが?」

「左目はダメですね。幸い右目があるので支援に徹するならなんとかできそうです」

「なら構いません。存分に働いてください」

「休ませてはくれないんですね……」

 

 負傷してなお私をこき使う彼女は最古参のエコーチームの一人であり、またリーダーが7歳の頃からメイドとしてお世話をしてきた、チーム創設以前からの最古の人形だ。

 

「Mk23は私たちが乗るストライカーの運転をお願い。G17はダミーリンクを利用して無人のストライカーを遠隔操作して敵を蹴散らして頂戴」

「はーい、お任せ!」

「了解。快適な搬送ができるよう念入りに()()()()します」

 

 G17は比較的新任の側だ。G36Cや9A-91やASValらと同期で、元は激戦区で戦っていたが部隊が壊滅して“はぐれ”になっていたところを私たちで保護して、G&Kから移籍してきた経歴を持つ。

 Mk23はというと、リーダーとG36と私の三人体制だったころに出会った。はぐれの人形として放浪し、いくつもの廃墟を鉄血兵や敵対的人類との遭遇を乗り越えてきたらしく、笑顔の裏で無慈悲に敵を殺戮する人形でもある。必要なら殺し、そうでないなら利用するだけ利用するという、諜報員やスパイとしての技能も持ち合わせているらしい。彼女曰く“Mk23は『蛇』の銃だから”なのだそうだ。

 彼女は元々ある特殊部隊に“居た”らしい。第403分隊と言っていたが、どうにもうそ臭い。まあ、彼女に叛意が無いのであれば私は構わない。その点はリーダーも知っているし了承済みだ。

 

 G36Cは増員の要請によって“アフターグロウ”本部から送られてきた人員で、9A-91は元々小さな町のカフェでウェイトレスとして働いていたそうだ。ASValはもっとも数奇な経歴をしており、元キャビンアテンダントから鉱山夫を経てG&Kの事務員になったかと思えばASValとして戦術人形に加わり、ウチの9A-91の誘いでこちらに移籍してきた。

 ちなみにSV-98は元国軍の偵察兵として任務にあたっており、兵士としての稼動年数だけなら私どころかG36すら上回る歴戦のスナイパーだ。とてもそうは見えないが。

 

 誰も彼もクセのある人形たちだが、私たちは皆リーダーに……エリカ=ニコラエヴナ=セミョノヴァに拾い上げられた存在だ。私たちは彼女によって“アフターグロウ”に所属することとなり、彼女のために……ひいては自身のために戦うことを選択した。

 

 私たちは命じられるがままに、誰かのために戦って散っていく人形ではない。私たちはそう――共に肩を並べて戦う戦友であることを望んだのだから。

 

「G36、全員乗った?」

「ええ。全員揃っています」

 

 改めて車内に残った人員を見渡してみると、昼間の激闘を思い返す。リーダー、G36姉妹、SV-98、破廉恥コンビ、Mk23とG17、そして私。いずれもダミー二体を引き連れてここに降り立った。だというのに、残った戦力は全て本体の人形だけになってしまっている。

 運が良かったのか、それとも悪かったのだろうか。私とG36姉妹は過酷な防衛戦の中でダミーを喪失し、SV-98は監視塔へ向けられた迫撃砲の雨に晒され、破廉恥コンビはメインゲートと宿舎の死守にダミーを使い潰した。Mk23とG17は車両保管庫の防衛に万全の状態で挑んだものの、敵の数に押されてダミーは全てやられてしまった。

 

 ここから先は一発の銃弾が命取りだ。特に車両を降りてからの行軍は殊更危険を伴うはずだ。

 

「――行こう」

「オッケー。一暴れしちゃいましょ」

 

 G17が遠隔操作するストライカーが動き出す。爆音と閃光、衝撃波がびりびりと身体を揺らす。

 

「突撃ィー!」

 

 ぐん、と加速するストライカー。大穴を明けたシャッターをブチ抜いて夕闇の迫る世界へと繰り出した巨体が人形をひき潰す。

 仲間をひき殺された鉄血の人形兵たちがこちらを見る。右から左からと向けられる銃口と視線。引き金が引かれる次の瞬間、先ほどと同じ爆発音と閃光が鉄血の人形たちを吹き飛ばす。

 

「G17、先行して敵を排除して。私たちはこのまま後ろに着く!」

『了解。先行する』

 

 隣の助手席に座るG17は目を閉じてネットワークごしに返事をする。彼女は今前方を走るストライカーとリンクして、敵を排除しつつ進んでいる。

 前方を走るストライカーが機銃と同軸のグレネードランチャーを撒き散らしながら基地内を疾走する。カフェテリアにたむろする鉄血兵を吹き飛ばし、教会の中から湧いて出る敵に機銃弾の洗礼が施される様を横目に過ぎ去る。。

 曲がり角をドリフトしながら――よくあんな芸当ができるものだと思う――敵を轢殺して進むG17のストライカーを追いかけてメインゲートへの一本道へと躍り出る。

 

『っ! 正面! 敵装甲兵!』

「こっちと併走して! 同時に仕掛けるよ!」

『了解した。グレネードスタンバイ!』

 

 急減速して大通りを併走する二台のストライカー。その背中に負った40ミリグレネードランチャーがメインゲートを通せんぼする装甲兵に向けられる。

 

「一斉射撃!」

『消し炭にしてやる……!』

 

 二台のストライカーの一斉射撃が始まる。最初に着弾した装甲兵が爆炎を伴って四散したのを皮切りに、次々とカーキ色の壁となっていた装甲兵が崩れ落ちていく。

 

『さあ行くぞ鉄血ども。兵士の貯蓄は万全か?』

 

 最後に残っていた装甲兵をその自慢のタイヤで踏み潰したG17のストライカーが市街地への街道へと進み出る。……追撃は、無いか。

 

「油断しないでG17。進行ルートをマップ上に表示するからそれに従って先行して」

『了解』

 

 はぁ、どうにかなった。けど次の問題はここから敵の包囲網を潜り抜けて隣のエリアにまで脱出することだ。

 街道を走るストライカーから眺める光景は相変わらず美しい山並みと穏やかな清流だけだ。この先の街に陣取っているだろう敵の主力との戦いを考えると憂鬱になるけど、どうにかして突破しなければ私たちに明日は無い。

 

『EBR、どうにもおかしい』

「んぇ?」

 

 不意の呼びかけに変な声が出る。何か気づいたことでもあるのだろうか。

 

『今市街地の入り口に着いた。……だが妙だ。廃墟みたいにボロボロなのはわかるが、人形一体どころかダイナーゲート一匹すら居ないというのはどういうことだ?』

「……熱源探知やレーダーは?」

『試したが反応は無かった。不気味なくらい静かだ……』

 

 もう既に鉄血が移動した後なのか? それともこの先のどこかで待ち伏せしている?

 それとも全ての部隊があの基地に集結していて、あれが戦力の全てだったのか? だとしても基地ひとつを陥落させるには、あれだけの戦力では不足しているはず。

 

「おはよう、EBR」

「リーダー!?」

「しばらく預けちゃってゴメン。引き継ぐよ」

 

 後部ハッチから顔を出したリーダーの様子はあの時よりもだいぶマシなようだ。

 髪をくしゃりとかきあげて、トントンと額を指先で叩く仕草をしたリーダーがすぐに秘匿回線でこちらに語りかけてくる。

 

『現状はどう?』

『今は基地を脱出して隣のエリアへ移動中。G17がダミーリンクを使って無人のストライカーを先行させて偵察してるけど、どうにも妙で……』

『……どういうこと?』

『市街地を偵察してるんだけど、敵の部隊がどこにも居ないんです。高台になっている基地から市街地は丸見えだったし、敵の部隊が駐留しているのもSV-98ちゃんが確認してくれてる。だけど今偵察してみたらもぬけの殻になっていて影も形も無いんです』

『確かにそれは妙だ。市街地で待ち伏せするのなら既に先行したストライカーが何かしら攻撃を受けていてもおかしくない』

 

 ううん、とリーダーは難しい顔をして唸り始める。ついに判断が出たのか、秘匿回線の参加者にG17が加えられた。

 

『G17、報告して』

『ボス……無事でなによりです。報告します。現在遠隔操作したストライカーと同期して先行し、市街地を偵察中です。しかし基地を脱出する前に報告が上がっていた敵部隊が確認できません』

『……敵の痕跡を確認するしかない、か。でもそうしている間にも後方の基地から追撃が来るのは確実だ。覚悟の上で抜けるか、慎重を期すか……』

 

 悩ましい問題だ。こちらは敵が市街地に陣取っていると確信してストライカーで突破することを選択した。だけどいざとなって敵は姿をくらましてしまった。

 

『……よくわかってるじゃないか、アイツ。精神的な動揺を誘うなんて、(こす)い真似するね』

 

 姿が見えないということはこの先のどこで襲撃を受けるかわからないということだ。罠が仕掛けられている可能性と奇襲の可能性が噛み合い、それが更に不安を煽ってくる。

 

『ヤツがこちらの動きを予測して部隊を動かしたというのなら……おそらくだけど、この先は危険がマシマシだろうね。いいさ、裏を掻いてやるだけだ』

 

 ニヤリとあくどい笑みを浮かべる我らがリーダー。なにやら思いついたのだろうけど、きっとロクなことじゃないんだろうなあ。

 

 

 

 遠方で響く轟音と金切り声のような金属音。双眼鏡越しに見た鉄橋が黒煙を伴って川底へと落ちて行く様子を見て背筋が凍る。あのまま突っ込んでいれば私たちは今頃谷底にまっしぐらだったことだろう。

 エコーさんが市街地でストライカーを乗り捨てるという判断をしていなければ私も、彼女たちも今頃は……。

 

「全員よく聞いて。オトリのストライカーが鉄橋ごと爆破されたのを確認した。EBR、奴等の通信は傍受できた?」

「うん、…………どうやら部隊は市街地に戻るみたい。基地の制圧はほぼ終わってるみたいで、あちらの部隊はそのまま待機してる。もう一台は別ルートの鉄血の部隊に突撃させて予定通りに自爆したよ」

「そりゃラッキーだ。いいかい? 私たちはこのまま夜を待ってから行動に出る。敵の索敵にかからないように静かに渡河し、山の中腹の山道まで出る」

 

 街道を少しはずれたところの崖下に立つ一軒の船小屋に全員が詰めている。敵地とはいえ少しの休息が取れるとあって、何人かは漁で使っていたらしい網を枕代わりに眠りについた。

 

「G41もこっちに来なよ。少し眠ろう」

「あの、私は大丈夫ですから……」

「ならリーダー! 私! 私が抱き枕に――」

「G41もいろいろあって疲れてるでしょ。ほら、こっちに」

「EBR、貴女も見張りのはずですよ?」

 

 ぐい、と手を引かれて干草の山に麻布を敷いた寝床へと連れ込まれる。羨ましそうにしていたEBRはG36から双眼鏡を押し付けられ、眼帯姿のままで渋々見張りに立つ。

 人肌のぬくもりを感じる。人形の私たちはできるだけヒトに近い体温を維持するように作られているけれど何故なのだろう。

 

「んんー……G41はあったかいね」

「そうですか?」

「うん……あったかいよ」

 

 きゅっ、と彼女の手が私の手を握り締める。ご主人様の手はもっとごつごつしていて硬かったけど、その手は柔らかくてすべすべしている。

 静かにそっと頭を撫でてくれるエコーさんの胸に顔を埋めると、干草の香りと硝煙の香りに混じって鉄錆びたあのニオイがした。

 

 あたりは虫の鳴く音とせせらぎの音ばかりで物音一つしない。薄暗くなっていく小屋の中で過ごす時間は決して快適とはいえないけど、エコーさんの手が触れているだけで安心してしまう。

 

「ごしゅじ……あの、リーダーさんは、その、ケガは大丈夫なんですか?」

「んー……へっちゃらとは言えないけど、まあ慣れた痛みだね」

「……なんでリーダーさんは戦うんですか? 痛いしつらいし、嫌なことばっかりのはずなのに」

 

 銃弾で撃たれ、爆弾で火傷し、味方の人形が目の前で倒れていく。そんな光景が広がるだけの世界で、どうしてエコーさんは銃を手に戦っているんだろう。

 

「そうだね。痛いししんどいし嫌なことばっかりだ」

「なのに、なんで……?」

「仕事だからね。あとは、ちょっとした気分の問題かな。みんなと一緒に戦ってると、“生きてる”って実感がするんだ。ふふっ、きっと根っからのバトルジャンキーなのかもね」

 

 冗談めいた口ぶりで言う彼女は視線を窓の外へ向けた。……会ってたった一日の私に本当の心の内を見せてくれるわけがない。そう思いながら、でもエコーさんの言葉にはどこかで本当のことが交じっているような感じがして、心がざわざわする。

 

「G41は、どう?」

「私……ですか?」

「そう、キミの戦う理由。見つかりそう?」

「……まだ、わかんないです。でも、みんなが戦っていたことを忘れたくない……」

「今はそう、それでいいよ。でも生き延びてその先で戦い続けるのなら、それを見つけなくちゃいけない。銃を取るも置くも、キミ次第だ」

 

 私はどうすればいいんだろう。答えをくれる指揮官はもう居ない。疑問に一緒に向き合ってくれる仲間も居ない。みんなが必死に戦っていたことを覚えていることが、私のやるべきことなのかな。

 

「“考えるな、感じるんだ”と、あるヒトが言ったらしい」

「えっと、G17さん?」

「自分の思ったとおりにやればいい。そういうことだよ。直感こそが大事なのさ」

 

 先端に向かうに連れて赤みを増す長い髪が揺れる。目を向けた先にある小さな背中の彼女は小さなランプを頼りに、木製の古いテーブルに置いた自分の銃(ぶんしん)を整備しながら彼女は言う。

 

「キミはグリフィンの所属で、そしてまだ戦術人形として目覚めてあまり日が経っていない。そうでしょう?」

「う、うん」

「わかるの、G17?」

「そもそもの経験が足りない。私にはそう見えました。

 そしてリーダーは時々答えを急ぎすぎるんです。まだこの子は積み重ねの浅い子ですから、しばらく日を置いて考えるほうがいいんですよ。その時が来てから考えるべきです。それに、今はまだ敵地ですしね」

「……むう、そんなに急かしたりしてないし。もう寝る」

 

 ぷーっ、と頬を膨らませてエコーさんは私を抱き締めて眠りに落ちる。その時間、僅か三秒。ゆっくりと彼女の身体が弛緩して力が抜けていく。規則正しい寝息が聞こえ始めるとG17はこちらを振り返って言う。

 

「G41、実はボスは少し“寂しがりや”なんだ。ちょっとだけガマンしてあげて」

「んと、大丈夫です」

 

 ご主人様はいつも頭を撫でてくれた。その嬉しさは忘れられないものだけど、エコーさんのように抱き締めてくれた人は……記憶には無い。

 

「あったかい、です」

 

 これが、人肌の温かさ。忘れることなんてできないし、したくない。……この瞬間の思い出は、きっと、ずっと大事なものだと思うから。

 

 

「リーダー、G41、起きて……時間だよ」

 

 ぱちり、と瞳を開けば辺りは既に夜の帳に包まれていた。リリ、リリ、と虫が鳴く声とざあざあと響く川の音だけがあたりを包み込んでいる。

 エコーさんの身体を揺さぶるEBRはなかなか起きない様子に業を煮やし、あくどい笑みを浮かべて彼女の頬にキスをした。

 満足げに唇を離したEBRの視線が私に向くと、彼女は気まずそうに言葉を発した。

 

「……起き、てた?」

「……は、はい」

「今の! 何もかも! 見なかったことに!」

「は、はいっ」

 

 有無を言わせず丸め込まれる。それができるだけの気迫が、静かに呟かれた言葉にこれでもかと詰め込まれていた。

 

「んん……今何時?」

「19時40分。日の入りから50分ってところかな」

「で、日時と緯度から計算すると、えー……確か計算ソフトが」

「グリニッジ標準時で午前3時10分28秒ですご主人様」

「……流石は私のメイドさん」

 

 EBRもG36も傷だらけだ。なのになんでもないように平気で見張り番を務めたりしているけど大丈夫なのだろうか。

 

「――G41、そう心配なさらずとも私たちは問題ありません。修復アンプルを使いましたし、それで完治できない部分は応急処置で済ませてあります。戦闘行動が可能です」

「そうそう! こう見えても私たちはそこそこエリートなんだから!」

 

 G36は腹部にどす黒い血のあとを残したままだし、EBRに到っては左目が完全に潰れて包帯で誤魔化しているだけだ。その状態で“戦闘可能”と判断できる……戦闘しなければいけないような戦場を潜り抜けたということなのかもしれない。

 

「さて、まずは渡河だ。SV-98とEBRは狙撃態勢で渡河するチームを支援して。9A-91とASVal、Mk23が先行して渡河。ロープを張ってからG36姉妹とG41、G17と私が渡河する。最後にSV-98とEBRだね」

 

 夜の闇が全てを覆い隠す。月明かりもなく、ただ水の流れる音だけが響く世界で緑色の視界が開けていく。動体センサーと簡易暗視装置も兼ねる私のシステムなら多少の暗闇はどうということはない。

 流石に専用の暗視装置ほどではないけど、無いよりかはマシだ。

 

 一人、二人と渡河を終えるとロープが張られそれを伝って私たちが川を渡る。足をとられそうになったり転んだりしかけたけど、声は絶対に上げなかった。

 

「いいよ、初めてなのによくできたね」

「えへへ」

 

 肩までずぶ濡れになったけど、どうにか渡りきった。自分の銃が手元に無いのがすごく不安だったけど、エコーさんが持っていてくれたお陰で水に濡れなくて済んだのが嬉しい。

 

「全員、サプレッサーを装備。ここからはもっと静かに進まないと。先行偵察はSV-98とMk23、後方警戒は9A-91とASValに任せる」

「了解よ、ダーリン」

「Да、二人とも後方をお願いします」

「Да、SV-98も気をつけて」

「9Aちゃんが居るなら……大丈夫です」

 

 夜の森……山にはいろんな動物が居ると聞いたことがある。ご主人様は“怖いオオカミさんが居る”って言っていた。……おっきい犬ってことくらいしか知らないけど。

 多少視界が利くといっても本格的な夜戦装備でない分動きにくい。足元がしっかり見える程度だけど、無いよりはいい。

 

「全員、一列を維持して。前を進んだ人が足をつけた場所を踏んで進んでいくんだ。そうすればトラップや地雷の回避に有効だ」

 

 “もっとも、先行部隊がそういうのを調べてから進んでるけどね”と付け加えてリーダーは一歩を踏み出した。

 

『ダーリン、こちらMk23……トラバサミを見つけたわ。サビが少なくて割と真新しいものよ』

『SV-98よりエコー21へ。ヒモを利用したトラップを発見。サイズからしておそらく小動物用です』

「どうにもきな臭いですね、ボス」

「ああ。G36はどう思う?」

「近郊の街の猟師が仕掛けたか、あるいは……この山に誰かが住んでいる」

「しかも山に身を隠しているとなると……犯罪者、ですよね姉さん」

 

 犯罪者? ご主人様はこのあたりには人が住んでいないって言ってたハズ。山頂付近に建つロッジだって前に来たときは誰も居なかった。

 

「EBR、後方の二人にも警戒を強めるように伝えて。先行部隊へ、この先“敵対的人類”と遭遇する可能性がある。射殺許可、発砲自由で進んで」

『はーい。気をつけるわ』

『Да、周辺警戒を厳に行います』

 

 ……こんなに簡単に射殺許可が出るの? 敵対的だといっても、相手はヒトなのに。何故なんの疑問も無く許可を出せて、それを平然と受けられるの?

 

 わからないことに考えを割きながら、前を進むリーダーさんの足跡をなぞる。だけど周囲を見る眼は私たちの脅威となりうるものを探して右へ左へ。葉の擦れる音、虫のささやき、微かな違和感を探して身体は自然と警戒する。

 

 時間にして二時間と三十一分……もうそろそろ山道へ出るはずだけど。

 

『リーダー、隠れてください。山道に出ましたが……何かあります』

 

 突然のネットワーク通信にはっとする。いけない、気を引き締めないと。

 

「確認できる? 周囲に敵影は? トラップの類いは?」

『現在Mk23が確認中です。私の熱源センサーには反応無し。戦闘があったのか空薬莢がいくつか転がっています』

『ダーリン』

 

 短い呼びかけ。だけどその声は、あの陽気さが身を潜めた抑揚の無い静かなものだ。

 

『映像、送るね』

「……これ、は…………畜生め……」

 

 リーダーが手持ちのモニターを取り出して覗き込むと、小さく呟いてすぐにモニターを仕舞った。

 

「全員よく聞いて。敵対的人類が私たちの進行ルート上に居ることが確定した。相手がこちらに銃を構えようとした場合、射殺して構わない。発砲、射殺、捕縛、いずれも自由だ。

 SV-98とMk23はメモリーチップを回収して。今から後方部隊の二人をそっちに回すから、合流して二手に分かれて先行偵察に回って」

『ダーリン、残念だけど頭を念入りに撃たれてるから……彼女のチップは』

「……無念だね。タグはある?」

『……あった、登録番号はGKAT-193194、所属管区はS21。モデルは……SKSね』

 

 ……ここまで逃げてきた仲間が居たんだ。だけど、なんで、どうして……守るべきヒトに撃たれなきゃいけなかったの。私の、私たちの仲間がなんで……!

 

「G41ちゃん」

「……EBRさん」

 

 ぎゅっ、と背中に当たる温かい感触。耳元で鈴の鳴るように小さな声が聞こえる。

 

「いい? 死体の傍を通るときは空を見て。下を見ちゃダメ。もしできそうにないなら、私が抱っこしてあげるから」

「な、なんで……?」

「見ちゃうと、きっとG41ちゃんが傷つくから」

 

 EBRさんの優しさがはっきりと伝わってくる言葉だ。私にはまだ仲間の“死”を経験したことが無かったから、きっとこうして気遣ってくれているんだ。

 

「EBR、優しいのは構わないけど現実を正しく認識できなくなるようなマネはやめてね。その子が他者を盲信する愚物に成り果てると困るんだ」

「リーダー! そんな言い方しなくたって!」

「それで? “なんで、どうして”って銃を向けてくる人間に言ったところで直後には自分が蜂の巣さ。所詮“人形”って考えの奴等はこのご時勢いくらでも居るんだ。

 だったら、今のうちにそういう人間が“どんなこと”を“どれほど”やるのかを知っておくべきだよ。その子がこの先を生きていくのなら尚の事さ」

「けどっ、この子は、G41ちゃんはまだ何年も経ってないのにっ! こんなひどいものを見せなくたって……!」

「EBR……人間っていうのはね、平気で同じ人間を裏切る奴等なんだ。自分の身を守るためなら肉親だろうが平気で売り渡し、金のためなら子どもだろうが殺すんだ。

 そして快楽のためならそれこそ際限が無い。人にガソリンをかけて火をつけて燃え上がるのを見て楽しむサイコパスや、人肉を食らうことに悦びを見出すカニバリストまで居る。

 正直言って、鉄血の人形相手に戦争しているほうがよほど文明的に思えるくらいにはね。そしてキミ達人形は……言っちゃ悪いけど人間による被造物だ。“コレは自分たちが作り上げたものだ。なら、扱いは自由だ”って考えは今もなおヒトの深いところに残ったままなんだよ。

 G&KがIOP社と共同で出した“人形権益憲章”なんて上辺だけで見れば守られているように見えるけど、水面下では行方の知れない人形や違法で取引された人形なんかいくらでも居るのさ。

 人間を疑うことができなきゃ生きていけないよ。私たちが神様に疑問符を叩きつけたようにね」

「赤の他人なら誰も信じるな、って言うんですか」

 

 むっとした顔でEBRがエコーさんとにらみ合う。だけどエコーさんはどこ吹く風という様子でEBRを眺めるだけで何も言わない。

 

「失礼致します」

 

 すっ、と脇を抜けるメイド服の影。ゆら、と持ち上げられた右手。中指を親指で挟んだその様子は前にご主人様も受けたことのあるアレだと気づいたのはすぐのことだ。

 パシンッとまるで跳弾のような音が駆け抜ける。

 

「あっ! いっいいいぃっ……!」

「いささか、性急に過ぎますよ。ご主人様」

 

 額を押さえて呻き声をあげてうずくまるエコーさん。歯を食いしばり、その黒い瞳に涙を浮かべて忌々しげにデコピンを放った張本人を睨みつけている。

 

「ヒトに関わればいずれ知ることです。ニュースでも、新聞でも、雑誌でも、噂話でもなんでもです。そうした少しずつ蓄積された経験があって初めて真に理解できる物事だってあります。それは貴女もですよ、エリカお嬢様。

 ……特にこのような場面は、今はまだ彼女には理解が及ばない部分のほうが大きいでしょう」

「っー……流石に私より年上なだけあるよ、G36……ごめん……熱くなりすぎた」

「つまりまだ子どもだということです。行き場の無い怒りを覚えても現実を見る眼は冷静でなければいけません。感情に任せた後先を考えない行動は己を滅ぼしかねません。特に戦地では」

 

 まだ痛むのか額をさすりながらエコーさんはため息をつく。

 

「……オーケー。余計な考えは棄てる。G36姉妹は先に進んで死体を処理しておいて」

「了解。簡素なものになりますが弔っておきます」

「リーダーさん、G41ちゃんをいじめちゃいけませんよ。……次はお姉さんのデコピンで済めばいいですけど」

 

 G36Cがそう告げると、エコーさんの顔は夜の闇の中でもわかりそうなくらいの蒼白さで身を震わせる。熱源センサーで観測してもやっぱり体温が2度ほど下がってる。やっぱり北国の夜は夏場とはいえ寒いせいだろう。

 

「で、お姉ちゃんに叱られた気分はどう?」

「わかってるよ。……でも、私は絶対に謝らないよ」

「リーダー! まだそんな意地張って……!」

「現実に、世の中ってのはそういう理不尽ばっかりだし、同じ人間だからって仲間なワケでもない。本当に信用できる人間なんて一握りしか居ないんだってよくわかってるし、私はそれを再三に渡って納得させられたんだ」

「……それでもっ……世界は、そんなヒトばかりじゃないんだよ……」

「……周りの全てが敵だとは言わないけど、それでも相手を見る目は備えるべきだと私は思うよ。ああ、疑うべきなんだ。一見すると無害そうな幼い女の子が自爆テロをしたりしないか、あの公園のベンチに座っていた老人はスパイなのではないかとか、他にもいろんな脅威が身近に存在してるんだ。警戒すべきさ。自分のためにも、自分に近しい誰かのためにも」

 

 エコーさんは何の感情も含まない声で、だけど自分に言い聞かせるような口ぶりで言うと暗闇に向かって歩き出した。

 

「……ゴメンね、こんなトコ……見せちゃって」

 

 ぎゅっ、とEBRが強く私を抱き締める。震える手で、残った片方の瞳から大粒の涙を零しながら。

 



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ドルフロのとりあえず四話目

 第四標的 予期せぬ遭遇(前)

 

 暗闇を歩いていると時たま思い出す。七年前、警備に当たっていた戦術人形から銃を奪って施設を脱走し、深い森の中を彷徨っていたときのことだ。

 あの時の私は返り血に染まり、裂傷や打撲を負いながらも、全てを消し去ることができた悦び……歓喜に満ちていた。自由を得て、枷から放たれた悦びに打ち震えていた。研究所内に居た研究員75名、警備の戦術人形30体、雑務を行う事務員が約120名。その全てを抹殺し終えた私()()はIOP社の行っていた非人道的実験の記録の全てを、鉄血工造やバックに着いている国家にリークしてやった。

 お陰でIOPは頭を挿げ替えるしかないレベルの問題に発展したそうだが、自業自得だろう。……遠縁とはいえクルーガーのおじ様が血縁者に居てほんとよかった。コネに感謝だ。彼のお陰で私たちは現在も平穏無事な……平穏無事?な日常に生きているのだから。

 

 私の肉体は誘拐された十六歳当時のままだ。首から下の筋繊維は全て人工的に作られた高硬度金属繊維で構成され、骨は高分子のナノカーボンで代替されている。神経系にはピコ秒での情報の送受信が可能なナノファイバーの神経網が張り巡らされ、眼球はアフリカのマサイ族も納得の視力8.0を達成する魔改造。頭の中には計算や演算の補助となる人形用の小型代替コアを脳髄の近くに埋め込まれ、人形とのネットワーク回線だって対応してしまえる。

 心肺機能の向上や調整のためにマイクロチップが何枚も心臓に埋まっているし、遺伝子操作である程度の病原体や毒物に対する耐性さえ付与されている。消化器系の強化も、循環器系の機能向上も、呼吸器系の酸素吸入効率さえも弄くられてきた。万一頭を撃たれたとしても代替コアが無事であれば……それは脳の“代替品”になりうる。つまり肉体さえ動けば私の死体はコアを新たな頭脳として再び立ち上がり、任務を達成しようと動き出すだろう。

 もう、普通の成長などできやしない。私の身体は異物で構成されている。人間などではなく、キメラだ。ヒトと人形のあいの子…………まさに天然と人造の混ざり合ったバケモノだ。

 アイツには“私はヒトだ”と啖呵を切ったけど、そんな自信は今にも崩れそうな不安定なものでしかない。些細な切欠一つで私はバケモノに成り下がる。そんな身体に作り変えられてしまった。

 

 ただ、奴等は女の持つ器官にだけは手をつけなかった。後の“実験”のためか“娯楽”のためかは知らないが、あのまま飼われて過ごすだけの日々を続けていけば、ろくでもない企みに利用されただろうことは明白だ。

 

『こちら9A-91、山頂手前に建物を発見。何者かが居るようです。明かりが若干漏れています』

『SV-98より9A-91。位置をマークしてください……確認しました。私は崖を登って建物を見下ろせる位置へつきます』

 

 居たな悪党どもめ。山道でお前たちが“やり捨て”た彼女の恨みを、私たちがしっかり送りつけてやる。

 

『9A-91よりエコーリーダー。周辺を索敵します』

「了解。くれぐれも静かに、見つからないように」

 

 しくじるな。焦るな。少しずつ、一体ずつ、一手ずつ相手をじわりじわりと殺していけばいい。万一焦って捕まるようなことになれば、彼女が受けた辱めを私のチームのみんなが受けるかもしれないんだ。

 

『……大きいわね。ダーリン、思った以上に厄介そうよ』

「そんな規模なの?」

『暗いからよくわからないけど、正面から見た全体的な大きさは“ヴィラ”くらいはありそうよ。っ、と……ドアの前に二名、長さからしてライフルか軽機関銃を持ってる。マークするわ』

 

 厄介だ。ヴィラくらいの規模の大きな建物となると地上階だけで二階、オマケに地下室なんかもあるだろう。殲滅するにしたって念入りに数を調べないと思わぬ奇襲を受ける羽目になる。

 現状では情報が足りなさ過ぎる。敵の配置と数、建物内の構造、人質の有無……とにかく情報を集めないことには潜入にしても突入にしてもこちらに死傷者が出る。全てを無事円満に解決できるのは徹底的な情報収集とタイミングを逃がさない目だ。

 

『こちらVal……南側は歩哨が三名です。ショットガンとサブマシンガンを持っています。ショットガンを持った男が通用口を守っています』

『9A-91よりリーダー。今東側に居ますけど、この建物の裏手は急勾配の斜面になっています。ここからの奇襲はあまり警戒していないのか、歩哨は居ませんでしたがトラップがいくつかありました』

「了解。見つからないように見張っていて。背中にも気をつけて、夜間に森の中へ出歩くのは危険だとわかってるだろうけど、夜歩き好きな奇特なヤツも居るかもしれない」

『ダーリン、山道を歩いていた歩哨を排除したわ。進んで』

「気づかれてない?」

『ステルスなんてお手の物よ』

 

 周辺の偵察は順調に進んでいるらしい。現状で確認できた数は6名でうち1名は抹殺済み。歩哨でこの数、建物の規模、就寝を摂っていること加味して考えると……それなりの数になりそうだ。

 

「約20名……くらいは見ておいたほうがいいかな。野盗の類いにしてはそこそこの規模だけど」

「リーダー、今お姉さんがドローンをあげてくれました。これで音声が拾えるはずです」

「あれって壊れてたんじゃなかった?」

「ええ。なので応急処置で」

「途中で止まって落っこちるなんて勘弁してよね?」

「お姉さんの仕事ですから大丈夫ですよ」

 

 G36が修理したのであれば間違いなく動くのだろうが、G36Cが言うと妙な説得力が増す。いつも物静かに姉の隣に居る子だけど、彼女の言葉はいつだって妙に安心感を感じてしまうのだ。

 

『リーダー、音声を繋ぎます』

「G36、お願い」

 

 ノイズ交じりの音。少しばかりの静寂。そして建物の中から漏れ聞こえてくる音が聞こえ始める。

 

『おおっ、おっほぉー…………フゥー……スッキリしたぜ。しっかし戦術人形ってのはスゲーな。本物の女よりもイイ!』

『だろー? 銃をブッ壊してやりゃあこの通り大人しいもんさ。オマケに命令無しにヒトを殺せないヤツらだからな。あのピンクの髪の人形だって最後には大人しくなったしな』

『そういやあアイツどうしたっけ? 他の奴等、八人くらいでよってたかってマワしてたがよ』

『知らねぇよ。おーい、トーラ! あのピンクのヤツどうなったんだ?』

『ああ? ふんっ、そりあゃっ、フゥッ、決まってるだろっ。ハァッ、フゥッ、反応が無くなったもんでっ、なぁっ! 脳天にっ、ふっ、くっ、12ゲージ弾を叩き込んでたぜ! ううっ……コーチャのやつが、だけどな!

 俺はっ! 筋トレでっ! フンッ、ハッ、忙しいんだっ!』

『んじゃ交代するか。あとは奥で寝てるやつらか……5人分頑張って耐えてほしいもんだがな。へへっ、そうすりゃまた俺の番だ』

「……もういい、他を見よう」

 

 相変わらず胸糞悪い。人形と人間が平等だとは言わないが、パートナーとして大切にするべきだと思っている私にとってこいつらは最悪だ。

 こいつらは、他の人間も人形も等しく“獲物”としか思っていない。等しく奪う対象であり、征服する相手であり、ストレス発散のための道具なのだ。

 

『遅れました。SV-98、狙撃可能な位置につきました。建物の二階、テラスにスナイパーが二名。部屋の中で眠っている敵が三名確認できます』

「これで合計18名は居るのが確定、か」

『位置を変えました。繋ぎます』

『ザザ……しか、ボスが――したアイツ。なんて――たっけ、――か―コ―――ンだ――』

「ノイズが多いな」

『申し訳ありません。距離が離れているようです。Val、中継してください』

『了解、です』

『――そうそう、それだ。あのちいせえ身体なのに、あんな格好だもんなあ。その手のヤツには高く売れるんじゃねぇのか?』

『バカ。そう簡単に売り払えるかよ。人形ってのは結構な数の“はぐれ”が居るが、そいつらの電子タグや製造番号はグリフィンとIOPが一括管理してんだ。そのまま売り払おうとしても街の中に入った瞬間向こうのデータベースに入出記録がついちまう。オマケにそいつの移動ルートなんかを調べられたらこっちの居場所まで割れちまう』

『じゃ、じゃあどうすんだ? 始末するだけなのか?』

『いや、抜け道ならあるさ。ちょいと高くつくが、その手の“漂白”や“塗り替え”を専門にしてる奴等が居るのさ。一般的な人形なら普通に売り払ってもそんな値は付かないんだが、戦術人形となるとモノによっちゃ希少性が一気に増すから値が上がる。つまり多少払ってでも足のつきにくい方法で売り払うんだ。

 しかも小さめのガキからいい塩梅の肉付きの女まで様々だ。好事家の中にはM99とかいう戦術人形を手に入れるのに資産の半分を闇オークションで溶かした猛者までいるらしい』

『おっかねぇな……人形なんぞにそこまでカネかけるなんて。頭おかしいんじゃねぇか?』

『いやいや、この戦術人形ってのは民生品とは比べ物にならないんだぜ。民生品もよく再現できてるっちゃできてるが、純正の戦術人形のソレとは比べ物にならねーよ。

 戦術人形なんて言ってるが、案外グリフィンの基地の連中の慰安用も兼ねてるのかもな』

 

 いい加減聞き飽きてきた。どいつもこいつも男ってのはすぐに股間に直結させやがる。そんなに“弾”を撃ちたいなら腐るほど喰らわせてやる。覚悟しておけよ。

 とはいえ、それができるのは突入することができるようになってからの話だ。十分、二十分と時間だけが過ぎる。話し声に耳を傾け、歩兵の交代や位置取りを確認し、夜も更けた11時を回ってから、何者かを犯していた奴等が寝息を立て始める。

 

「やるよ。プランは事前に話したとおり。9A-91とG36Cのアルファチームは側面入り口から侵入。そのまま廊下を進んでリビングを制圧して人質を確保。その後で正面玄関を解放して。同じ突入タイミングで私とEBRが玄関の敵兵を排除する。9A-91は人質の状態を確認して保護をお願い。

 ブラボーチーム、ASValとMk23はアルファと同時に突入し地上一階を制圧。チャーリーチーム、G36とG17は二階を制圧して。SV-98はデルタだ、チャーリーの突入に合わせてテラスのスナイパーを排除して。

 私とG41、EBRは脱出路の正面玄関を確保し、逃げ出そうとする敵を排除する。その後ブラボーはG36Cと合流して地下階を制圧。おそらく首魁が寝床にしてるだろうから生け捕りにして。いいね?」

『アルファ、了解しました』

『ブラボー了解です』

『チャーリー了解。どうぞ』

『こちらデルタ。いつでも狙撃可能です』

 

 準備は万端。間取りもEBRがデーターベースから情報を仕入れてくれたし、敵の人数も配置も把握できている。問題は地下階の敵の数に、設計図と実際の建物の構造に差異が無いかだ。

 ……大丈夫、みんな優れた実力のたちばかりなんだ。心配いらない。

 

「キックオフだ。やれ」

 

 

 静かな時間が過ぎていく。耳元から聞こえるのは通信で聞こえるサプレッサー越しの発射音と彼女たちが順調にフロアを確保していく声だけだ。

 

『こちらアルファ、フロアを制圧。ブラボーは地下フロアへ向かいます』

「了解、玄関の敵を排除する。EBR、同時にいくよ」

「オッケーだよリーダー。タイミングは?」

「合わせて。私が左を。EBRは右。できるでしょ?」

「難易度イージーってとこかな」

 

 自身の愛銃、ブッシュマスターACRのACOGサイトを覗き込む。眠たそうにあくびをする野盗の男。ふらふらと身体を揺らし、だるそうなマヌケ面を晒す彼の眉間に狙いを定め、トリガーを引く。

 

 パスッ、パスッ、と連続した静かな音が耳に届く。レティクルの向こう側では壁に背を預けて息絶えた男の姿。屋上に居るだろうスナイパーも気づいていないようだ。

 

「タンゴ、ダウン。片付いたよ」

「上出来」

「そりゃあ慣れてますから」

 

 EBRは片目しか使えないその状態で正確に撃ち抜いて見せたらしい。後ろで見ていたG41は目をキラキラさせてEBRを見つめている。私だって同じようなことしたのに!

 

「G36C、玄関を開けて。すぐにそっちに行く」

『了解です』

 

 すっ、と両開きの扉が開かれると、銃を構えて周囲を警戒しながらG36Cが姿を現した。右手に銃を持ち、左手には大振りのコンバットナイフを構えて接近戦に備えた装いだ。

 G36Cと合図を交わし、篝火を避けて暗闇を通り抜け、静かに正面玄関の中へ滑り込む。危なげなく入ってくるEBR、少しもたついて駆け込んでくるG41が揃うと、聞こえてくる通信に再び耳を傾ける。

 

『ターゲットダウン。排除しました』

『SV-98、流石です。手早く二体連続のお手並みに感服します。ボルトアクションでよくできますね』

『訓練の賜物、ですよ』

『G36、こちらの部屋は制圧した。三名を殺害した』

『了解です。………こちらも終わりました。二名を殺害しました』

「順調そうですね。リーダー」

「ああ。でもまだ地下が残ってる。G36C、人質のところへ行って護衛について」

 

 地下の制圧が完了するまでは気を抜けない。外回りの警戒に出ている者は居ないようだったが、鉄血の追撃部隊や捜索部隊がここまで来ていないとも限らない。

 玄関のドアの隙間から外を伺いつつ、SV-98にも周辺に熱源が無いか警戒してもらっていると、G41が問いかけてくる。

 

「エコーさん、あの、人質ってどんな子でしたか?」

 

 気になって仕方が無いのだろう。あの山道で打ち捨てられていたSKSが、G41と同じ基地の所属だというのもあるのだろう。

 衣服を剥ぎ取られ、野盗どもに輪姦され、メモリーチップさえ念入りに壊されるという無惨な最期を迎えた彼女のことを思い出す。まだ生存している仲間が居るのなら、逢いたいと思うのは当然なのだろうが……人質となっていた彼女は既に心折れているかもしれない。

 

「まだアルファから情報は入ってきてない。人質を確保した、というだけの報告だよ」

「……すぐに、逢えますか?」

「ダメ。まだ何も片付いてない。……急がなくたってここを制圧できれば、すぐに会える」

 

 外に敵の気配は無い。だが内側で何者かが潜んでいる可能性が無いわけではない。クローゼットの中やベッドの下、屋根裏や洗面台の下など探れる場所は探らせている。念入りに探して残らず殺さなければ、こちらが危険に晒されるかもしれないのだ。安心した瞬間こそが最も危険な時間になるのだから。

 

『SV-98、そちらはどう?』

『周辺に変化はありません。サーモ、赤外線ともに変化なしです』

『……了解、警戒は怠らないで』

『Да、警戒を続けます』

 

 戦闘の音は聞こえてこない。虫たちの囁きと風の音だけが薄く開いた扉の隙間から流れ込んでくる。

 本当はいますぐにでも地下の制圧に向かったチームに続きたいところだ。だけどチームを率いる自分が直情で突っ走るなんて持っての外だし、それはみんなを危険に晒すことと同じだ。

 

『ダーリン、お待ちかねの地下階を制圧したわよ』

「Mk23、何か成果はあった?」

『もちろんよ。賊の首魁らしい男ともう一人捕縛してあるわ』

「了解、地下階はそのまま見張ってて。……エコーリーダーより各員へ、再度全フロアを捜索して残りが居ないか調べて」

 

 ようやく……ようやく終わる。でもまだ気は抜けない。鉄血の追撃があるかもしれないし、内部に敵が潜んでいるかもしれない状態で迂闊な行動には出られない。徹底的に安全を確保することが今の最優先事項なのだから。

 

「全フロア内の再点検を完了しましたご主人様。残敵、及びトラップなどの類いはありません。彼らが所持していた銃は一箇所にまとめてあります。

 あと死体は身元を検めるための顔写真をとり、全て焼却ゴミ用の大型のゴミ箱に詰め込んであります。流石に死体を持ち帰ることはできませんので、データベースで照合いたします」

 

 我が家のメイド、G36はどうやらきっちり隅々まで“お掃除”を完了させたらしい。ぐったりした様子でASValとG17がリビングに入っていき、G36Cが最後に扉にトラップを仕掛けてから入っていった。

 私の前で立ち止まってG36が報告した内容に、EBRはなんともいえない顔をして言う。

 

「うへぇ、半年は絶対ここに来たくないですー」

「今更だよEBR、ヒトが住めなくなった地域じゃそんなものだね。荒れ果てた家屋に住み着いて、死肉を漁ってる動物なんて山のように居るさ。そのエサ箱が一つ増えただけ。

 この野盗どもには感謝してもらわないと。正規の武装組織(わたしたち)以外だったら、死後の身元照会なんて一銭にもならないことをやったりしないだろうしね」

「同感です。賊徒の存在は無辜の市民を脅かすばかりか、社会の不安を助長しうる危険性をも齎します。偶然とはいえ、排除できたことは喜ばしいことです」

「政治にまで精通してるの?」

「メイドたる者、社会情勢の流れは把握しております」

「流石は我が家のメイド。さて……私はMk23と地下室に居るよ。私と彼女で“完全 交渉”してくるから、皆は持ち回りを決めて休んでおいて。

 何も無いだろうとは思うけど、警戒は緩めないで。遠距離の救援要請を出せば察知される距離でしかないんだ。向こうのエリアの安全地帯に逃げ込むまでは気をつけて。あ、それとG41」

「はい!」

「EBRに案内してもらうといいよ。彼女はサブリーダーだからね」

 

 さあ、おたのし……もとい、復讐タイムだ。

 

 

 擦り寄るようについてくるG41と手を繋いでリビングに入ると、そこには囚われていたであろう一体の人形が薄いシーツに身を包んでソファに座っていた。

 温かいタオルで身体を拭いたり、着替えになりそうなものを探して回る他のメンバーたちが介抱している。しかも暴行を受けたせいか青あざが首元や頬に残って痛ましい姿をさらし、がっくりとうなだれた様子だ。

 データリンクで顔見知りの人形だとすぐにわかったのか、G41と彼女は涙を流して予期せぬ再会を喜び合っていた。

 

 それを見て静かに部屋を出ると、寝室の血痕のついたままのシーツを引っぺがしてどさりと身を投げ出す。

 

「ふんだ……面と向かって言えばいいのにさ」

「すぐに謝って頼めるほど大人になりきれていないのよ」

「……G36?」

 

 横を見るとメイド服の彼女もまた同じようにシーツを剥がしていた。どこからか取り出した真新しいシーツをかけて枕を取り出し、同じように身を投げ出して言う

 どうやら今はメイドでも、戦術人形でもない存在……平時での素顔に戻っているらしい。

 

「歳だけを言えば二十歳は超えていても、その中身は十代の後半。そして貴女もまだ経験なんて数年でしょう?」

「……でも、それでも……頼みにくいからって、G41ちゃんをダシにするなんて……」

「お嬢様が……エリカの失われた五年間は彼女から大切なものを奪っていったわ。友人との時間、家族との時間、世界を知るための時間をね。

 同時に肉体を弄り回され、ヒトとしての成長さえ止められ、ただ敵を効率的に殺すだけの駒に作り変えられてしまった。貴女も知っているでしょう?」

 

 不意にこちらを見たG36の表情はいつもの睨みつけるような鋭いものではなく、悲しげで儚い気配を感じさせる……痛切な訴えのようにも思える表情だ。

 彼女に言われたことはわかる。わかることだし、彼女が自ら語った“彼女の物語”だから。

 

「知ってる。IOP社の下部組織の……ヤバイとこに攫われて……身体を全部いじくられたって」

「そう。彼女はただ効率的な殺人技術を学び、ひたすらに戦闘技術を高めてきたの。そうでなければ生き残れない世界で、同じような仲間以外は何も信じられない境遇で生きてきた。

 その時間は長く、ついに感情は磨り減って大した感情の波さえも減っていったの。……まるで出荷直後の人形のようにまっさらになってしまった」

「……うん。人間なのに……人形みたいな子だった……」

 

 最初に会ったとき、彼女はなんの抑揚も無く受け答えをするヒトだった。そこに居るはずなのに居ないようにさえ感じてしまうほど、稀薄な存在感のヒトだという印象だった……ような気がする。

 

「そう。でもEBR、あなたが来て……エリカは変わってきたのよ。最初は何の返事もなかったのに、気づけば鬱陶しそうにあしらわれて、気づけば今みたいなからかい合うようなやりとりになってきたわ。

 あの子は、エリカは少しずつだけど……再び成長し始めたの。ヒトとしての心が。それを成し遂げたのはあなたよ。あの子はまだ這い上がって立ち上がったばかりで、誰かが支えていかないといけない。

 でも自分が人間なのか化物なのかで心は不安で仕方がない。やりすぎたと思っても謝って許されるかもわからない……だから最初から強気でどこか突き放すような言葉が出る。

 あの時のことは自分でもきっとわかっているはずよ。見たくないものを見て冷静さを欠いていたって理解している。大丈夫、ちゃんと向き合ってくれるわ」

「そう……かな。――うん、きっと、大丈夫だよね?」

 

 そうだ、覚えている。切欠は些細なものだった。共用の冷蔵庫に入れてあったプリンを廻るケンカから始まったんだった。リーダーが後で食べようと思っていたプリンを、私が勝手に食べたことに対する文句がそもそもの始まりだった。

 

 “共用の冷蔵庫なら自分のものに名前を書いて――”

 “そんなものどこにもなかったし今更――”

 

 そうだ、無記名のプリンをそのまま置いてあるからいけないんだ。

 

 “誰のものなのか確認するくらい――”

 “部屋に居た子たちには確認を――” 

 

 ちゃんと私は確認した。誰も知らないっていうから私が食べた。私は悪くない!

 

 “チームが使ってるんだから全員に――”

 “アンタが使ってるトコなんて見たこと――”

 “私がリーダーだって理解して――!”

 “それとプリンは関係性がないじゃない――!”

 

 最後はもう何もかもぐちゃぐちゃでお互い感情的になって……。

 

 “キミ、他人の物勝手に食べておいてそういうっ――!”

 “それこそアンタが共用の冷蔵庫に――!”

 “確認もせず勝手に食べておいて何を――!”

 “アンタこそプリン一つで大げさに――!”

 “甘味の価値がわかってるのかよこのごく潰しが! ロクにターゲットの真ん中も当てられないくせに!”

 “何よクソアマ! 自分がお上手だっていうなら銃なんかよりそこらへんで男のナニでも握ってなさいよ! ファッキンビッチ!”

 

 結局のところ二人とも子どものようなものだったんだ。片や感情の表現を忘れたまま大きくなった女の子で、片や世界を認識して間もない出来立ての人形。どちらにしたって中身は幼稚で単純なものだったんだ。

 取っ組み合いのキャットファイトからG36姉妹が出てきて両成敗され、二人並んで司令部外縁をフルマラソンするハメになってしまったんだったっけ。

 

「ええ。あの一件くらいの子どものような感情剥き出しにしろとは言わないけど、いずれ気まずそうに謝りに来るでしょう。その時はあなたも小学生のようにムキになって拒絶しないように」

「ぐはっ……! き……肝に銘じておきます」

 

 思い返すだけでも傷が痛む。心の傷が。そして丁寧に抉って釘刺さないでG36!

 

 

 

「やあ、ご機嫌いかが?」

 

 椅子に縛り付けられた野盗の頭にかけられたずた袋を取り去る。こちらを女と見るや、ニヤニヤした顔をし始める男に目もくれず、二人目の男のずた袋を取り外す。

 無精髭の男は怒り心頭という剣幕でこちらを睨みつけて言葉を吐き捨て始める。

 

「ハッ、なんだよ仔犬ちゃん(パピー)! 俺のデカいのが欲しいってか? テメーらどこの旅の娼婦さんたちかねぇ? そんな危ないモン握るより俺たちのを握って――」

「喋っていいなんて言ってないだろ?」

「ぐっおおあぁぁっ! っ、……いてぇー……なぁ……ナイフなんざ、てめぇみた……いな……ガキにゃ……がああぁぁっ!」

「喋っていい、と言ってないだろ? 理解できたかドブネズミ?」

 

 ずり、ずり、と男の大腿に突き刺したナイフを前後に動かす。その度に深く食い込んでいくナイフの齎す痛みは想像を絶するものだ。血管を避け、肉だけを裂いてコツンと骨にまで達するほどとなれば相当なものだ。

 

「理解、できたか?」

 

 小さく頷く二人の男の様子を見てMk23のほうを見る。彼女は静かに頷くと、私が突き刺したナイフを指先で弾きながら男に声をかける。

 

「ハァーイ、おじさんたちに質問するわよ。あなたたち、どこのどなた? …………だんまりのつもり?」

「ぐううぅぅぅっ!」

「あら、喋れるじゃない? じゃあもう一回質問するわ。ちゃんと答えなさい。あなたたち、どこのどなた?」

「…………俺は、ユーリ、だ」

「お、俺は、アンドレイだ」

 

 ナイフを刺された男は渋々という様子で自らの名を告げる。片方の男はにこやかな笑みでナイフを弄り回すMk23の姿に早くも恐れを抱いたのか、すぐに名前を名乗った。

 もう片方のほうが聞きやすそうだ。こちらから行くとしよう。

 

「で、この一党は全部で何人?」

「……18人だ」

「ア、アン……ドレ……ッ!」

「そう、お利口だね」

 

 迷ったような目で、ユーリと名乗った男に突き立てられたナイフを見た彼は観念したように口を割った。

 

「一党の首魁は?」

「………………それ、は」

「――ッィギイアァァァッ!!!」

 

 ぼきり、と肘掛に縛られていたユーリの人差し指の指先があらぬ方向を向く。ニコニコと、どこか扇情的にすら思える表情でMk23が次の中指を手に掛ける。

 人形の身体能力ならば造作もないことだ。賊など何の感情も湧かない。とはいえ加減を誤っては情報を絞れなくなる。手加減ができるというのは諜報員にとって必須のスキルだ。

 

「――そ、そいつだ、ユーリだ!」

「テメェッ……!」

「そう、お利口だね。ちゃんと答えれば答えるだけキミたちの命数が伸びる。よく理解できたね、えらいじゃない。じゃあ次の質問だ。

 上の部屋でマワしてた人形と、山の中で壊されてたピンク色の髪のヤツ以外の人形は見た?」

「…………さ、三体居た……」

「あとの一体はどんな子だった?」

「……し、白いコートとウシャンカの……ガキみたいなヤツだった……古いリボルバーを持った……」

「で、どうした?」

「う、売り払っても、そう高くないから……使うだけ使って壊した」

 

 ――そうか、ならもう用済みだ。

 

「そう、じゃあ以上だ。おやすみ」

「ま、待ってくれ! お、俺はちゃんとっ、答えた! あぁ、頼む……頼む! ……やめっ――あがっ!」

 

 右足のホルスターに収まっていたサイドアーム、ブラックカラーの銃身と木目の美しいグリップの“S&W M27”を抜き放ちトリガーを一つ。

 ブラックメタルの(つや)こそ消えうせているが、年代物の銃が放った“.357マグナム弾”は滑らかに野盗の男、アンドレイの眉間を正しく撃ち抜いて紅の花を咲かせた。

 

「にしても、こいつ首魁だったんだ。どうみても三下みたいなこと言うからつい刺しちゃったなぁ」

「そうねぇダーリン。もう少し見極めて大切に壊していかないと。今回は70点かなぁ」

「ま、いいか。それじゃ、Mk23……」

「ふふっ、そうね。楽しみましょう……あなたも、ね。」

 

 野盗の首魁、ユーリと名乗った彼の耳元でMk23が甘い声で囁く。Mk23にゴム製の手袋を投げ渡すと、パチン、とキッチリと指先まで嵌めて握ったり開いたりして感触を確かめる。

 さて、後ろの穴からいくか、それとも“へそ”からいくか……。

 

「Mk23はどっちから?」

「私はもちろんこっちから」

「じゃあ私は上か」

 

 さて、こいつからはどれだけの情報が搾り取れるか楽しみだ。



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ドルフロのとりあえず五話目

第五標的 予期せぬ遭遇(後)

 

 

 野盗の首魁、ユーリをあれやこれやと尋問していくと実に有意義な情報が得られた。この一党は周囲から食料を奪ったり女子供を売買するだけではなく、なんと麻薬の密輸や製造にも関わっていたらしい。

 ここに居た理由も居住区の裏娼館に“ハイになれる薬”を卸しに来たからだそうだ。まあその娼館のヤツも既に鉄血の攻勢の前に既に息絶えていることだろうが……こいつらを一掃できたことで次なる被害者が減った、そう納得するしかないだろう。

 ユーリとやらも最高にハイな最後を迎えられて幸せだろう。Mk23の“テク”と“ハイになれる薬”のダブルコンボは心臓発作さえ誘発するほどの恍惚だったのだから。

 

「ふぅ、終わり終わり。さっさと寝よう」

「ダーリンも上手になったよねー。この調子なら尋問技術は80点あげちゃおうかなぁ」

「腹に穴あけて手を突っ込んだだけでしょ。すぐ吐いちゃったし」

「すぐに屈服させられたのはダーリンに逆らったら恐ろしいことになるって相手がちゃんと理解したからなのよ? だったらそれは加点よ。

 じゃ、私はちょっと顔洗ってくるわね。このままじゃ顔にアイツの生臭いニオイがついちゃう」

「それじゃ、おやすみ」

「ええ、おやすみ」

 

 一人残されたはいいものの、眠る前にしておきたいことがある。Mk14EBR……彼女に一言でも謝っておかないといけない。今の見張りは誰が勤めているのだろう。

 

「あ」

「う」

 

 イヤなタイミングで鉢合わせときた。リビングから顔を出した彼女とばったりお見合い状態。しかもどちらも動くタイミングを逃してしまって退くに退けない。

 膝下まで届きそうなツインテールはほどかれているが、琥珀色の右目と左目を覆い隠す包帯をした彼女は一人しか居ない。……Mk14EBR、私の探している相手だ。

 

「も、もう休んだ?」

 

 違う、そうじゃない。言いたいことはそれじゃない。

 

「私は……見張りが終わって、今から……」

「私も……今から……寝る」

 

 気まずい静けさが廊下を支配していく。切り出したいのにタイミングは何もない。ツヤツヤの樹脂でコーティングされた垂直の壁を登るにも等しいほどにとっかかりがない。

 お互いに顔を見合わせたかと思えばそれにドキッとして思わず視線を逸らしてしまう。

 

「今は、その、誰か……寝てる?」

「G36が……寝てるはず」

「じゃあ私、二階で――」

「――私と一緒じゃ、ダメ?」

 

 退路は絶たれた。結局、その気になれば振り払えるほど弱弱しい彼女の手に引かれて、同じベッドに寝転がるハメになった。

 このまま黙っていたってどうせ気まずいだけだ。なのに彼女にまた反発されるんじゃないかと思うと口に出そうとしていた言葉を飲み込んでしまう。

 二人して背中合わせでベッドで横になるのが嫌いだ。いつかの逃走を思い出すから嫌いだ。数日間ろくな食事ができず弱り果てていた戦友が、私に背中を預けたまま息絶えていたと知ったあの時のことを思い出してしまうから。

 でも、今の私たちは生きている。生きているのなら、その間にできることをしなくちゃ。

 

「ねぇ、EBR」

「……なに?」

 

 よし、行くんだ。ちゃんと自分の否を認めて彼女に謝らないと。

 背中合わせをやめて、ちゃんと向かい合って謝るんだ。

 

「今日は、ゴメン。……私、思ってたより冷静じゃなかった」

「……それ、は……私も。ごめん……戦場でこんな風になるなんて」

「ううん。EBRのほうがきっと正しい。G41は脱出に協力してくれているだけで、本来は要救助者なんだ。それにG17が言ったように経験もそこまであるわけじゃないし……うん……私が性急すぎたんだよ」

「確かに要救助者なのかもしれないけど、G41だって戦術人形だよ。戦うことは宿命で、あのSKSみたいな被害者をいつかは見るかもしれない。……私が感情的になって、過保護になっていただけなんだよ」

「いや、EBRが正しい」

「ううん、リーダーが正しい」

「……いじっぱり」

「リーダーこそ」

 

 ランプの微かな明かりに照らされて、EBRの笑顔が暗闇の中で浮かび上がる。

 髪を解いた彼女の琥珀色の瞳が一つ、炎のゆらめきで照らされてどこか揺らいでいるようにも見える。左目は少し血の滲んだ包帯が巻かれたままで痛々しい姿だ。いつもの快活な彼女とは違う、どこか儚げな空気を纏う彼女は言う。

 

「で、どうしよっか」

「平行線、だもんね」

「私、チョコレートが食べたいなぁ」

「それじゃ私はプリンが食べたい」

「じゃ、本部に帰ったら食べにいこっ。いつものお店、いつものメンバーで」

「ふふっ、了解。全員分……それにもう二人分、用意しとかないとね」

 

 EBRは自分も感情的だった、と言った。でも彼女の行動の根っこにあったのは善意であり、優しさなんだ。だけど私の考えの奥底にあったもの……それは“彼女が使い物にならなくなると困る”という利己的な損得勘定でしかない。目の前で起こる現実をその場で認識させ、いざというときに引き金が重くなるという事態を未然に防ぐべきと考えていたのだ。

 例えチームの生存率を向上させるためとはいえ、私はあの瞬間、思考の深い部分で“G41”という少女ではなく、生還に必要な“要素(ファクター)”としてしか認識していなかったのだ。

 

 私の中には確かにバケモノが巣食っている。ヒトも人形も、自分や仲間が生き残るための捨て駒として切り捨ててしまえるバケモノが居る。表面上は優しそうでも、そのバケモノは常に相手を“利用しつくす”ことを考えているんだ。私自身が認識できないくらいの深い深い部分に潜んでいるんだ。

 

 胃の中のものがせり上がってくる感覚。きもちわるい。きもちわるいったらありゃしない。こうして彼女に許されている自分に、途轍もない嫌悪感と吐き気がする。

 

「リーダー……大丈夫だよ。私がついてるから、きっと大丈夫だよ」

 

 頬を伝う指先の感触。私が見る滲んだ視界でも、EBRは笑って私を励ましてくれる。彼女が居てくれるだけで、私の中のバケモノがまどろみの中に沈んでいく。私が私であることを肯定してくれる彼女が居るだけで私は幸せなんだ。

 私もいつかは……彼女のような優しさを取り戻せるのだろうか。

 

 

 

「Vz-61、スコーピオン! 全力を尽くしますので、道中よろしくお願いしまーす! まあ、武器は壊されちゃったんだけどね……アハハ」

 

 男物のジーンズとシャツ、更に手にしている銃は9×19mmパラベラム弾仕様のVz-68なのだが、彼女は歴とした戦術人形、“Vz-61 スコーピオン”なのだ。EBRが着けているような包帯の間に合わせの眼帯ではなく、革製のしっかりしたアイパッチを身につけ、輝くブロンドヘアーをツインテールにした姿は快活な彼女の性格と相まって太陽のようだ。

 っていうかこの子って昨日の晩、人質になって野盗に犯されてたっていうのにすごい元気なんだけど。

 

「スコーピオンちゃん!」

「おはよーうっ! G41! いやー、昨日は心配かけちゃってゴメンね!」

 

 スコーピオンと名乗った戦術人形は抱きついてきたG41の頭ををわしゃわしゃと撫で回す。どことなく恍惚とした表情にも思えるのだが……もしかしてまだ例のクスリが彼女に残っているのだろうか。

 

「あーっ、と、スコーピオン? 身体の具合はどう?」

「私は大丈夫。この程度でへこたれてちゃ戦えないし。えーっと……指揮官さん?」

「ああ、私はエコー21(ツーワン)だよ。エコーチームを率いているよ。コードネームだけどよろしく」

「隊長さんだったんだ。よろしく、隊長さん!」

「こちらこそ。さて、もうすぐ夜明けだ。全員揃ってるみたいだし、ここから先の予定を伝えておくよ」

 

 見回したエコーチームの面々は“いつもどおり”という様子で銃を手に次の言葉を待っている。対して現地での同行者であるG41とスコーピオンは、自身が普段とは違う状況に置かれていることに緊張した面持ちで耳を傾けている。

 

「私たちはこれからこの山の登山ルートを尾根伝いに南下し、グリフィン管轄内にある支援基地に向かう。

 山頂付近ではまだ遠距離の救難信号は使わない。使うのはハンドサインと近距離通信のみだ。静かに、鉄血の奴等に気取られないように脱出する」

「リーダー、質問なんだけどいい?」

「どうしたのEBR?」

「私たちが降下したあの基地……S21地区……ザルツブルクの基地を奪還する動きは無いの?」

「ああ、その点についても話しておくつもりだったんだ。SV-98、説明して」

「Да、まず私たちが降下した時点で基地は既に機能を喪失しているも同然でした。昨夜のことですが、夜を徹して通信傍受に務めたところ旧オーストリア・ザルツブルク地区の西に位置する旧ドイツ・キーム湖周辺地区の主だった飛行場やグリフィン前線基地が占拠されていることが判明しました。侵攻ルートから鑑みるにおそらくザルツブルク地区を占拠した部隊とは別働である可能性があります。

 現在グリフィンはそちらの攻撃を抑え込むべく援軍を送り込んでいます。……私たちの逃走先のエリアはアルプスの山岳地帯でザルツブルク市街地と分断されているので、厳戒態勢で防備を調えている真っ最中です。

 鉄血の部隊の規模から推察するに、部隊指揮運用能力に優れた指揮官型のハイエンドモデル、もしくは複数のハイエンドモデルがこの二部隊を統率しているものと思われます」

「……たった一晩でこんなにヒドイ状況だなんて……」

 

 私だって正直耳を疑ったところだ。ここザルツブルクに奇襲による電撃的侵攻を行って短時間で占拠し、平野続きで隣接するキーム地区のグリフィン部隊が動こうとする機先を制するような封じ込めで無力化する。山岳地帯を挟んでいるグラーツ地区からの増援や援軍が、すぐに到達することがないと予期しているかのようだ。

 

 しかし、奴等の動きがよくわからない。あの“指揮者(コンダクター)”を名乗ったハイエンドモデルが何を考えてこんな何もない地区を狙ったのだろうか。あいつは鉄血の人形がヒトを超えていることを証明すると言っていたが、そんな理由だけで軍を動かして地区を丸々一つ占拠するなどありえない。

 鉄血工造が巨大企業とはいえ、一つの企業でしかないのだ。傘下企業の工場や生産設備まで支配下に置いたとしても、新たに人形を作り出すリソースなど限られている。鉱物の採掘施設や油田があるのならともかくとして、S21……旧西オーストリア地区は鉄血の本拠からも遠い上に立地も悪い。

 南はアルプスの山岳で遮られていて、こんな場所にあるものなどせいぜい観光地や避暑地になっている別荘くらいなものだ。唯一平原が続くのは西のS20地区……旧ドイツのキーム湖周辺エリアに続く街道くらいしかない。北は旧オーストリアのエッゲルスベルクの街が廃墟となって残っているだけで、その先は鉄血の勢力下だ。旧ザルツブルクの真東のエリアには多数の湖沼や山岳地帯があり、その北東部にリンツ、更に東にいけばウィーンがあり、そこも鉄血の勢力下にある。

 しかもS22地区の本拠地はウィーンの南にあるグラーツだったはず。アルプスの谷間にG&Kの基地がいくつか存在しているとはいえ、リンツとウィーンを抑えているだけで、鉄血は旧ドイツ方面に展開するG&K勢力を十分に抑え込めるはずだ。それにアルプスを越えてまで、旧イタリア方面から部隊を派遣する余力は無いだろう。それくらいするのならグラーツの防備に回すはず。

 鉄血もわざわざザルツブルク近郊を制圧してまで地固めを行う必要性は無い。リンツから更に補給線が延びてしまう分、S21地区を制圧した部隊が孤立する危険性さえあるはずだ。

 

「とにかく、奴等の眼は西に向いている。この好機を利用して私たちは旧ザルツブルクの東側、ヴォルフガング湖を経由して南下し、そのままアルプスの谷間にあるシュトローブル支援基地へ向かう。

 ザルツブルク基地の陥落で既に厳戒態勢だろうけど、地図を見る限り北はヴォルフガング湖が広がって見渡しやすく、東西と南を急な山地で囲まれていて鉄血は大部隊での侵攻はしにくいはずだ。

 都合よく行けばフォルスタウ支援基地、フィラハ中継基地と経由してアルプスを越えてヴェネツィアへ戻れると思うんだけど……」

「そう簡単にヘリ出してもらえるのかなぁ? あっちだって飛行制限を出したりSAMやら動かして警戒してるんじゃ?」

「出し渋るならヘリアンを引っ張り出して恫喝してやるさ。百戦錬磨の合コン敗者を黙らせる材料ならある」

「なーるほど。じゃ、リーダーにお任せってわけね」

「そういうこと。さあみんな、エクソダスといこうか」

 

 クマや野犬などの侵入を防ぐために扉を南京錠とチェーンでしっかりと固定して戸締りすると、朝霧の立つ山道を一列になって静かに進んで山頂を目指す。アルプスの連峰が作り出す美しい風景は私たちが命のやりとりの真っ最中にあることさえ忘れさせてくれるが、あまり長く感傷に浸ることはできない。

 尾根に辿り着いて仰ぎ見る日の出。山の端からゆっくりと顔を覗かせる赤い太陽。夏場とはいえ高い標高が齎す肌寒さ。この光景を一瞬だけ目に焼き付けて、尾根伝いに南へと向かう。

 眼下には霧の立ち込める湖と遠目に見える18世紀のような街並みと、その中で異質さを放つコンクリート製の防壁で囲まれた基地が見下ろせる。

 ザルツブルク基地に所属していたG41とスコーピオンも見たことがなかったのか、呆気に取られたような顔で山脈の地平線を眺めている。

 

 一時間、二時間と歩き、なだらかな山の中腹に辿り着いたが何事も無くプラン通りに進んでいる。針葉樹の木々が風に揺られ、ざあ、ざあと声を上げて嵐の前兆を告げている以外は。

 

「荒れそうだ」

「確かにね。嫌な風の音……アポカリプティックサウンドよりはマシだけど」

「EBRって超常現象を信じるタチなの?」

「まっさか。私が信じるのは勝利の鐘、ただ一つだもの」

 

 だろうな、と思いながら再び警戒心を働かせる。敵は西側の飛行場などを抑えてグリフィンの反撃の手を封じる作戦に出ているが、山岳地を挟んでいるとはいってもシュトローブル支援基地に何も手段を講じないとは思えない。

 

『リーダー、こちらSV-98……SAMを発見しました。しかし……稼動していないようです』

「通信を傍受できそう?」

『やってみます。……っ、ノイズばかりです……』

 

 無力化されたSAMにジャミング。どうにもきな臭いことになってる。急がないと――

 

「G36!」

「――クッ!?」

 

 振り向いた直後、最後尾を歩くG36の背後で影が躍る。横っ飛びで山道から身を投げたG36のポニーテールがばっさりと刈り取られ、G36自身は斜面を転がって途中に生える太い木を足場にどうにか停止する。

 

「射撃自由! 撃て!」

「G41、攻撃開始します!」

「了解! 隊長サン! スコーピオン、いっきまーす!」

 

 ほんの十数メートルの距離だ。長い黒髪に攻撃的な笑みを湛えた表情の彼女に銃を向けてトリガーを引く。三つの銃から降り注ぐ弾丸の雨。ダダダンッ、と私のACRが放ったスリーバーストの銃声が鳴った次の瞬間に彼女の姿は掻き消える。とんっ、と地を蹴って軽々と後方へ宙返りして回避してみせたのだ。

 並みの鉄血の人形ではない。ハイエンドモデルの一機だ。いかにも余裕そうな素振りで左手に携えたブレードと、右手のハンドガンを玩びながらこちらを伺っている。

 

「……いい反応速度だ。それにさっきのメイド、追撃を逃れた上で味方の射線を遮らないために、斜面の下に向かって躊躇い無く身を投げるとは恐れ入るね」

『リーダー、こちらSV-98! 伏兵です! 現在交戦中! G36CとG17が戦闘不能! 9A-91、ASValも余力がありません!』

「さて、エコーだっけ。アンタには手を出すなって言われてるから、俺は手を出さない。けど、そっちが手出ししてくるなら……撃つよ」

 

 舐めやがって。こちとら最終的に大型ELID殺しを目的にした人形の雛形だぞ。単体じゃ大物殺し(ジャイアントキリング)には不足しちゃいるが人形殺しは慣れてるんだよ。

 とはいえ前衛チームは現状じゃ身動きが取れない状態だし、私たちだけでどうにかするしかなさそうだ。

 

『後衛チームはよく聞いて。こいつは私以外を全滅させるのが目的みたいだ。Mk23、スコーピオンは前衛チームの救援に回って』

『リーダー、こいつはどうするの? 逃がしてくれなさそうだけど』

『私たちで撃破する。EBR、G36、G41は手を貸して』

 

 あいつをここで倒す手段ならある。あるにはあるが……成功させるにはあいつの身動きを止める他に無い。それに長々とやりあうような持久力も無い。逃げ、が一番理想だけど。

 

「へえ、随分余裕そうだね。手負いの人形が二体と負傷者一名を抱えているんじゃ戦いにもならない、とでも?」

 

 できるだけ自然に銃を下ろし、後ろ腰に回して相手の気配に集中する。動く気配が無い間に他の子に指示を伝えていかないと。前衛チームは伏兵の奇襲に釘付けにされているはずだ。

 

『EBRは支援に徹して。G41はEBRが狙われた際の援護を。あいつは私とG36でやる』

『了解です。必ず仕留めます』

『いい? 仕掛けるよ……行け!』

 

 Mk23とスコーピオンが走り出す。EBRが銃を構えてレティクルを合わせる。G36が崖を数歩で駆け上がり敵に肉迫する。それよりも早く右の太腿のホルスターから引き抜いた“S&W M27”の黒い銃身を敵の人形に向ける。ホルスターのある右腰に構える、と同時にハンマーを左手の指先で起こし、直後にトリガーを引く。それを、二度行う。

 

 “ダァンッ!”と響く二発分の銃声と立ち込める燃焼ガス。あまりに早すぎるクイックドローは音を重ね、ほぼ同時に等しい超速度で二発の弾丸を発射する。

 

 他の誰よりも早く、仲間たちが動き出す瞬間に銃弾が放たれて鉄血の人形を襲い――

 

「ぐおあっ!? なっ! 何がっ!?」

 

 着弾もほぼ二発同時。おそらくそこそこ効果的なダメージが出るだろう左腕を狙って二発撃った……にも関わらずブレードすら落とさないとはどういう頑丈さだ!?

 

「……フッ!」

 

 急勾配の斜面をものの一秒で駆け上がり、周囲に立つ針葉樹の倒木を足場にして跳躍し、G36が敵に迫る。勢いのままに放たれる回し蹴りを、右手を盾代わりにして後ずさりしながらも受け止める。

 敵はG36の着地の瞬間を狙ってハンドガンの銃口を向けて引き金を引くものの、彼女の戦闘経験からすればその程度は想定済みだ。着地の姿勢を空中で僅かにずらし、地を這うオオカミのように彼女が伏せる。ただそれだけで銃弾は彼女の頭上を過ぎ去っていく。

 メイド服のスカートの中から引き抜かれたコンバットナイフが敵の人形の足首を狙って振るわれるものの、敵も寸でのところで後退して事なきを得る。

 

「チィッ! これほどとはなぁ、メイドさんよ!」

「あなたも随分頑丈なようで」

 

 今あいつは守りの際にも反撃の際にも、左腕のブレードを使おうとしなかった。取りこぼしてこそいないが、何か機能に障害でも起きたのだろう。ならばチャンスだ。

 

「制圧射撃!」

「外野が!」

 

 G41とEBR、そして私の銃から放たれた弾幕にヤツは思わずといった様子で高所に陣取り、倒木を盾代わりにするように身を隠した。

 欲を言えばLMGくらいは欲しかったが仕方が無い。アサルトライフルとはいえ交互に撃てば後退する時間くらいは稼げるはずだ。

 

『こちらSV-98! 敵スカウト及び一般兵を排除しました!』

『ハラショー! 救難信号を出したらそのまま急いで山を下りて! 立て篭もれるだけの頑丈そうな建物があればそこでフレアを上げて救援を待って! あとの指揮はSV-98に預ける!』

『Да! リーダー、無事を祈ります!』 

 

 よし、これで無理して倒す必要など無い。さっさと撤退するのが一番だ。

 

『総員撤退! 左側の斜面を駆け下りろ! 枝かナイフで制動しつつ滑り降りる!』

 

 土砂崩れか何かで抉られたのだろう、岩肌や土がむき出しのまま山の麓まで続いている場所に飛び込む。手近にあった枝と胸元のナイフを手に持ち、グリセードの要領で土砂の上を滑降する。

 

「行きますよ、EBR!」

「G41はどう!? いけそう!?」

「こ、これを降りるの!?」

「ほら、これ持って飛び込んで! すぐにネットワークでやり方教えるから!」

 

 見上げるようにジャンプした地点を見ると、立て続けに三人が斜面へ飛び込む。両手に木の棒を持って慌てた様子でじたばたしていたG41はEBRからコツを教わったのかすぐに慣れ始めた。G36は相変わらずというべきか、片手で自らの銃を手に重心とかかとでの踏ん張りでブレ一つ無い完璧な制動で最後尾につき、敵の攻撃を警戒しつつ滑り降りている。

 EBRも両手で銃を構え、ちらちらと後方を見計らいながら滑降を続けている。

 

「来ました! っ、EBR!」

「クッ、ハハッ! まずはテメーだ!」

 

 G36の牽制射撃をものともせず、私たちが滑降している斜面を駆け下りてくる鉄血の人形。どんっ、と空に舞い上がったかと思えば左腕のブレードを逆手に持ち替え、EBRの頭上から串刺しにせんと襲い掛かる。

 

「うっひゃあっ!?」

「あっちいけー!」

「邪魔っ!」

 

 ごろごろとバランスを崩して転倒しながらも、EBRは間一髪でブレードの一撃を回避する。隣に併走していたG41と下方を滑っていた私が即座に牽制すると、鉄血の人形は再びジャンプしてEBRの後方へ降り立ち、EBRに再び狙いを定める。

 

「こんのっ!」

 

 ギャグマンガの如く転げまわっていたEBRが態勢を持ち直すと、滑降しながら片腕で銃撃を浴びせる。命中こそしないが、周囲に着弾して飛び散る石礫に敵が足を止める。

 すかさず加速したG36が敵の脇をすり抜けざまにマガジン一つ分を至近距離で叩き込むと、鉄血の人形は思わずたたらを踏んで先ほどのEBRのように斜面を転がり始める。

 

「ぐっうぅぁぁっっ!」

「どうです」

「……やるぅっ! いいぜ……そうで……なくっちゃあな!」

 

 くそっ、至近距離でG36が叩きこんでも半壊にさえ到ってない。部分的にダメージは出てるようだけど、致命的な一撃には遠い。引き剥がせそうにもないし、これはいよいよ本格的に完全破壊でいくしかない。

 

『……G36、抑えられる?』

『ええ。少々リスクがありますが』

『……やるよ。キツイとわかってるけど、お願い』

『貴女様の望みとあれば』

 

 G36はネットワークで一言そう言って、肉厚のコンバットナイフを手に滑降速度を緩める。じわり、じわりと鉄血の彼女へと距離を詰め、間合いが重なる瞬間に――どちらともなく飛び出した。

 

「ぐっ」

「ハハーッ! 死ねよ!」

「そうは……いきません!」

 

 G63が振るった一閃はヤツの左手のブレードに遮られる。右手のハンドガンが火を噴く直前、G36は自らの半身、G36という銃のストックを斜面に無理矢理付きたてて減速する。軽量化のために折り畳み式にしていたストックが衝撃で砕けていくにも関わらず、G36は何事も無かったかのように銃を後ろ腰に回して、鉄血の人形に仕掛ける。

 即座に態勢を立て直し、彼女の真上を取ったG36がすぐさま加速をかける。つまり、鉄血の彼女は真上からG36に圧し掛かられるわけだ。

 

「身の程を、わきまえてもらいます」

「ぐぼぼぼぼっっ! デ、デメっ……ゴブッ!」

 

 まさに人形サーフボードだ。うつぶせに寝かされた彼女は斜面を滑り降りるボードにされてしまった。えげつない。

 彼女は押し倒された衝撃で銃を手放し、ブレードはG36が腕を捻りあげて武装解除済みだ。両腕を固められ、自由にできる場所など足でブレーキをかけるくらいだろうが大した効果は無い。今頃はきっと顔中傷だらけだ。ハイエンドモデルともなるときっと修復費用がかさむのだろうが、その心配ももう無くなる。

 彼女の後頭部をぐりぐりと斜面に押しつけつつ滑り降りるG36の傍に向かって減速すると、私たちを襲ったハイエンドモデルの目の前でバックパックから取り出したものを見せ付ける。

 

「やー、形勢逆転だよ鉄血のハイエンドさん。お仕事お疲れ様。餞別といっちゃなんだけど……コレ、あ・げ・る!」

 

 バックパックを漁っていて見つけ出したそれの名は“コンポジション4”という。通称として“C4”なんて言われる成型爆薬だ。

 彼女もそれが何なのかを理解したらしく、憎たらしそうに目を開いたもののすぐに岩の破片でセンサーアイ……つまり目を破損した。もう何も見えまい。

 

 彼女のピチピチの黒い衣服の背中に起爆装置と一緒にC4を放り込む。身悶えて振り払おうとするものの、斜面を駆け下りる速度と上から押さえつけるG36の重量でまともな抵抗にすらなっていない。

 

「それじゃ、バイバイ!」

 

 別れの言葉を皮切りに、G36は背中から飛び退き、EBRはG41の手を取ってそそくさと退避し、私は手にしていたACRとナイフを使って急減速をかけて斜面で停止する。滑降していくのはただの一体。そう、鉄血の彼女だけだ。

 

「テメェェェェッー! 絶対にブッこ――」

「黙れ、そんでくたばれ!」

 

 カチ、と手元の起爆装置のスイッチを押せば汚い花火の出来上がりだ。……これで更に立ち上がってきたらどうしようもないが、あれだけ焦った反応だと確実に潰せたということだろう。

 

「ハァー……なんとかなった、のかなぁ……」

「……うん、望遠機能で爆発地点を見てるけど見事に爆発四散してる。パーツもバラバラだし頭部も木っ端微塵。これならメモリーログの再生もできないでしょ」

「ふぅ、なら上出来というところです。……銃が壊れるのは少し心が痛みますが、全員が無事であるのならそれは些事です。ご主人様、お怪我はありませんか?」

「ああみんなのお陰で無傷だよ。お疲れ様」

 

 これで後は支援基地の連中に見つけてもらうだけだ。幸いにも目印になりそうな“狼煙”もあがったことだし、すぐに救助が来るだろう。

 

 



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ドルフロのとりあえず六話目

 

 二章 新しい世界へ ―New World―

 

 第一話 ヴェネツィア

 

 

「やぁーっと着いたー!」

 

 ヘリのハッチが開くなり、不ぞろいの不恰好なツインテールを靡かせ琥珀色の右目に青い海を焼き付けようと、Mk14EBRが真っ先に飛び出していく。

 カラッと乾いた風がアルプスから地中海に吹きぬけ、眼下に広がる白亜の街並みをすり抜けていく。

 

「ほら! G41もスコーピオンも! 今日もアドリア海はキレイだよ!」

「よーし! 行こう行こう! G41! アタシ、海を見るなんて初めてだよ!」

「ふぇ? ま、待ってよー!」

 

 ヴェネツィアへの帰途の中で三人はすっかり打ち解けたらしく、ヴェネツィアのあれやこれやをEBRに尋ねては、歳相応の少女のように顔を綻ばせていた。

 私やG36はやっと帰ってきたという安堵感のほうが強い。何せ奇襲攻撃で完全包囲されて陥落寸前のザルツブルク基地にヘリで降下強襲を掛け、敵を一時的にとはいえ押し返して情報と人員を救出して脱出し、鉄血のハイエンドモデルを撃破して、ようやくここまで帰ってきたのだ。

 それも私の指揮下に居る人形達全員が、それぞれ負傷やケガこそあるものの五体満足で帰還できたことに、やっと肩の荷が下りた気分なのだ。

 

「ようやく、ですね」

「ああ、疲れた……もうアイツの依頼なんぞ今後三年は受けるもんか」

「それで、もう話はつきましたか?」

「報酬に関しては父さんが直接交渉してるよ。もちろん、私たちを“オトリにした件”も含めてね。現場レベルの交渉なら私でも問題ないけど、流石に条約だの協定違反だのとなると、私じゃ無理だ。弁護士じゃないんだよ」

 

 野党の拠点を制圧した日の夜、SV-98が夜を徹して情報収集に努めてくれていたお陰で重要な情報がいくつか得られた。鉄血、グリフィン双方の回線をじっくりと傍受して、あの時の私たちが置かれた状況を書き上げてくれたSV-98には感謝しかない。

 

 鉄血側が行ったザルツブルク基地への奇襲攻撃は“AR小隊”なる部隊を狙ったものだということがわかった。おそらくだがザルツブルク基地の指揮官はこの“AR小隊”なる部隊の後退支援にあたる予定だったのだろう。しかし主力部隊が出払ってしまうとなるとザルツブルク基地の守りが疎かになる。そこで私たち“アフターグロウ”とグリフィンの増援部隊が援軍として派遣されたのだと予想できる。

 しかしザルツブルク基地は鉄血が機先を制して抑え、AR小隊は脱出路を失った上に敵中で多数の敵に半包囲、もしくは脱出不可能な状態に陥ったのだろうことがグリフィンの暗号化通信を解読して判明した。

 おそらくヘリアンは“AR小隊”救出の苦肉の策として、特殊作戦をこなす我々と後続の援軍に基地を攻撃させて敵の目をひきつけ、その隙に“AR小隊”を旧ドイツ方面へ撤退させたのだろう。そう考えると私たちは十分すぎるほどにオトリとして大活躍できたわけだ。余計なもの(エクスキューショナー)までひきつけた上で。ちくしょう。

 

「ま、何にせよ私はメディカルチェックだよ。アイシャにまたどやされそうだ」

「そうですね。私も他の子も今日一日は同じ状態になると思われます。予想していた以上に疲労が蓄積しているようです。左腕の反応も鈍くなっていますし」

「……後のことはFALに任せよう。まずは身体をどうにかしないとね」

 

 高台になっているヘリポートから青々としたアドリア海を見下ろす三人の後姿はまるで子供のようだ。EBRまではしゃいだ様子でG41とスコーピオンにヴェネツィアの名所を遠くから指差している。

 

「では、僭越ながら9A-91が。“みんなの健康を祈って!”」

「“健康を祈って!”」

「“みなさんの健康を祈って!”」

 

 ロシア組みの三人、SV-98と9A-91、そしてASValは照りつける夏の日差しから逃れるように日陰のベンチに腰掛け、チタン製のスキットルを開けて早速飲み始める。流石にイタリア人でも朝からウォッカのような度数は飲まないぞ。私にもよこせ。

 

「ダメよ、リーダー?」

「ちっ……FALか……速かったね」

 

 背中から掛けられた声に振り返ると、いつもの相棒であるフェレットを肩に乗せた戦術人形“FN FAL”が腕組みをしてシベリアの凍土の如く冷たい眼差しで私を睨んでいた。

 ウォッカくらいいいじゃないか。消毒液にも着火剤代わりにもなる便利なお(みず)なんだぞ。

 

「聞いてるわよ。完全包囲された基地に降下して再占領し、脱出しようとした矢先に狙撃で負傷したんですって?」

 

 ぐっ、痛いところを突いて来る。確かに負傷はしたが、たかがわき腹を貫通して肉が()()裂けただけだし臓器や主要な血管の類いも外れている。それに治癒促進アンプルとG36の応急処置のお陰で傷口は塞がっているのだからいいじゃないか。戦闘行動だって可能なんだし。

 

「ご主人様、一言申しておきますがあくまで応急処置です。エクスキューショナーとの戦いで私のような動きをすれば確実に傷口から再出血を起こし、重篤な状態となっていた危険性があります」

「だそうだけど?」

「――わかった、わかったよ。それじゃFAL、G41とスコーピオンをお願い。あの子たちはゲストだからね。メンテナンスルームで一通りチェックして問題がなければ一度ウチでバックアップを取っておいて」

「あの子たち、他所(よそ)の子でしょ? それもグリフィン&クルーガーの。本来そちらに護送するべきなんじゃないの?」

「普通ならね。けど基地は完全に破壊され尽してしまって、今の彼女達は何の“バックアップ”も無い状態だ。一時的措置として、独立した予備のサーバーを使ってバックアップを保存しておいて欲しい。今の彼女達は“はぐれ”同然なんだ。

 何の“保険”も無しにあんな過酷な戦場に居たんだ。今は安全圏に居るから平気そうに見えるけど、戦闘行動中はやっぱり余裕がなさそうだったよ」

 

 思えば私も随分余裕が無い戦いをしてきたものだ。基地を制圧したまではよかったが、その後はずっとストレスとイライラと不安に磨り潰されそうだった。無事にこうして帰還できたことで少し余裕が出てきたみたいだけど、私も不安なものは不安なのだ。

 何せ、ヒトに“バックアップ”なんてあるわけがないのだから。

 

 そりゃあ確かに私はバケモノだし、代替コアが無事であればゾンビとなって戦うことも理論上は可能なのだろうが、私というヒトは確実に死を向かえる。

 

「だから、さ……あの子たちの不安を取り除いてあげて欲しい」

「無理難題を言うわね……ハァ……仕方が無い。使っていない古いサーバーが無いか確認するわ。あとは状態をチェックして、問題無ければゲスト用の寝室でしばらく過ごしてもらう。ゲスト用のIDカードはあったほうがいいかしら?」

「ああ。ランク3で」

「一般事務員用ね、了解。じゃ、後は任せなさい」

 

 パンッとタッチを交わしてFALは海辺を望む三人に近づくと、EBRに拳骨を叩き落して説教を始めた。私のことが耳に入っていたということは、もっとひどいダメージを負っているEBRのことが伝わっていないはずがないのだ。

 G41とスコーピオンはFALの剣幕にすっかり萎縮してしまっている。アドリア海よりも蒼白になっているじゃないか。

 

 

 

「さ、着いたわ。ここがアナタたちの部屋よ」

 

 グリフィンの基地でも行っていたメンテナンスと身元の照会を行った後、お昼ごはんをご馳走してもらうと、私たちには一枚ずつIDカードが手渡された。そして亜麻色のサイドテールと青いリボン、さっき私たちが見たアドリア海のようなブルーの瞳の人形……案内人の“FN FAL”さんに車に乗せられて40分ほど走ってヴェネツィア市街地にある“アフターグロウ本部ビル”の近くの施設内へ通された。

 FALさんが部屋の鍵を開けてドアを開く。二つのベッドとクリーム色の壁紙、アドリア海の見える窓が目に飛び込んできて、次にアンティーク調のサイドボードと個人用の小さなロッカーが二つ、そして木製のデスクが目に留まる。

 

「ここがアナタたちの仮住まいになるわ。ヴェネツィア市街地の中心部は銃器が持ち込めないエリアだけど、さっき居た本土のラボ施設と基地司令部施設でアナタたちの銃を保管しているわ。息抜きがしたければ向こうの窓口でIDを見せてちょうだい。

 トイレにシャワー、鏡台も完備よ。温泉に入りたければ施設内の屋上に公衆浴場があるからそっちに入るのもアリよ。衣類、シーツ類は毎朝9時に回収されて午後3時ごろに送られてくるわ。それと、これが代わりの服と下着一式よ。

 困ったことやわからないことがあれば電話で受付を呼ぶと良いわ。もし繋がらなければ戦術人形のネットワーク回線、チャンネルは149.91で呼んで頂戴。

 当直部隊のリーダーのデスクに直接繋がるからそれで用件を言って」

 

 ほへー、とスコーピオンちゃんと一緒に呆けている間にもFALさんの言葉が矢継ぎ早に繰り出される。一字一句聞き逃してはいないけど、まるでいつか聞いた“ほてる”を思い出すような内容だ。

 

「あの、FALさん……あたしたち至ってフツーの戦術人形なんだけど……地下倉庫にあるような休眠ポッドじゃないの?」

「あら、そんなのがお好みなの? でもアナタが希望しようと私はお断りよ。私はリーダーからあなたたちを“預ける”と言われたの。それをぞんざいに扱うなんて私のプライドが許さない。

 アナタたちは今は“アフターグロウの客人”なの。大人しく受け入れてなさい」

「は、はひ……」

 

 G36さんにも似通う鋭い目線で押されたスコーピオンちゃんは変な声を上げて部屋に入る。何を言われるかわからないから私もそっと後に続こう。

 

「あ、そういえば」

「な、何かありまし、たか?」

「コレよ、施設の案内図。流石に軍事関連と研究施設は載っていないけど、ここの一般施設に関してはコレに全部書いてあるわ。娯楽室とかリラクゼーションルームとか。

 一応言っておくけど、本部ビルが近いから警備は厳重よ。だからこのあたりで夜中の出歩きはダメ。いいわね?」

 

 FALさんはどこからか取り出したパンフレットを取り出して手渡すと、部屋のパスキーをサイドボードの上に置いて行ってしまった。

 

「……どうしよっか、G41」

「どうしよう……」

 

 やることが無い。二人して何も無いという状況で起動したままという事態は今まで想定していなかったから。銃を持って戦うわけでもなく、訓練をするでもなく、ただ何も無い時間を過ごすことがこんなに難しいことだなんて知らなかった。

 三時間、四時間とベッドの端に二人一緒に並んで座ったままでいると、スコーピオンちゃんが突然立ち上がる。

 

「……よしっ! 行くよG41!」

「ふぇ? どうするの?」

「決まってるじゃん。あたしたちが今までにやったことのないことをするんだよ!」

「……たとえば?」

「んっふっふー……まずは、そう」

 

 スコーピオンちゃんは備え付けてあったタオルと支給された着替えを私に押し付け、ニヤッと笑って自分の分も手に取った。

 

「温泉に、突撃だぁーっ!」

「――……おーっ!」

 

 二人して廊下を駆け抜けて外に飛び出してエレベーターで最上階へ。真っ白な石作りの建物の中に入ると水着の貸し出しで二人とも何を着るか迷ってしまった。

 借り物の水着が似合うといいんだけど、スコーピオンちゃんは少し悩んでから真っ赤なビキニと真っ赤なパレオを選んだ。私は……やっぱり白に決めた。

 更衣室で水着に着替えてドキドキしながら二人で一歩を踏み出す。初めて見た海は青かった。じゃあ初めて入る温泉はどんなものなんだろう?

 

「おおーっ! すっごい立派なお風呂……ローマ風っていうんだっけ、こういう建物?」

「すごーい! 見て見て! スコーピオンちゃん! あっちにプールもあるよ!」

 

 “ローマ帝国時代を見事に再現した当浴場を楽しんでください”と書かれた看板、オブジェや大きな石像が並んでいて、博物館みたいに広い。

 案内板を見てみると真ん中に一番大きなお風呂があって、その周りに水風呂やサウナとかもあるみたいだ。奥に行くとアドリア海を一望する露天風呂があると書いてある。

 

「露天風呂は最後でしょやっぱり」

「えー、私いちばん最初がいい」

 

 初めての場所なんだから、やっぱり最初に一番のものを見たい!

 

「もー、わかったよ。じゃあ露天風呂からね」

「やったー!」

 

 大浴場の奥にある扉に手を掛けるだけなのにドキドキしてきた。どんな景色なんだろう。やっぱり青い海がずっと遠くまで広がっているのかな。

 

「G41、開けないんならあたしが開けちゃうよ~?」

「待って! え、えーい!」

 

 ガラリ、と開かれた引き戸の向こうに恐る恐る目を向ける。

 

「……ははっ、すごいや。……うん、最初で正解だった」

「…………きれい」

 

 夕焼けがヴェネツィアの街を染め上げる。レンガ色の屋根は夕日を浴びて黄金に輝き、青かった海はオレンジに染まり、空は薄らと夜が降りて暗く染まってきている。

 入り組んだ運河沿いに作られたお店の軒先に焚かれたランプの輝きは、人がここに暮らしていることを証明しているかのよう。

 低く、荘厳に響く教会の鐘の音と、水鳥たちの鳴き声が小高い丘の上にあるこの場所にまで届いてくる。

 

 最初に私たちが見たのは青。空の果て、海の向こうのどこまでも貫いていくような、突き抜けていく青。

 そして今は空も土も海も眠りに誘うように深くなるオレンジ色。何もかも包み込んで抱き締めるような温かい色。

 

「みんなにも、見せてあげたかったなぁ……」

 

 

 

「うーん、ムール貝にイカスミパスタ、それにクモガニのサラダも美味しかった……!」

「私はリゾット……それにサンドイッチもチーズもすっごい美味しかった……」

 

 お風呂上りに立ち寄った食堂、“オステリア G&K”で晩御飯を食べて戻ってくるなり二人してベッドに寝転がった。

 

「うへへ……まさかあの状況下からこんな豪華な夕食なんて夢みたいだよ」

「私も。もっと向こうの基地みたいな場所だと思ってた」

 

 食堂と聞いていたけど、私たちが想像していたものじゃなかった。アンティークの家具とシャンデリアや燭台が並び、プラスチックのトレーじゃなくて陶器製の真っ白なお皿で料理が出てきた。

 スプーンやフォークだって銀製で、燕尾服に身を包んだ穏やかな口調の少しおじいさんっぽい人がすごく丁寧に私たちを案内してくれたり、料理の説明までしてくれた。

 私たちがイタリア料理に詳しくないとわかると、笑い話を交えてテーブルマナーを軽く教えてくれたり、すごく陽気で紳士的なおじいさんだった。

 

「あんな美味しいゴハン食べてたら、もうMREなんて食べられない……」

「言えてる! まーでも結局食べなきゃいけないんだけどねー」

 

 お腹一杯のごはんは嬉しい。それにザルツブルク基地じゃ普段は食べられなかったお魚や貝みたいな水産物が、ここヴェネツィアには当たり前のようにメニューに載っている。逆にお肉を使ったメニューは向こうよりも少し少ないと思った。

 

「まー、海が近いからそりゃそうでしょ。あたしたちの居たトコじゃ山とか高原ばかりだから畜産業か農業だったんだし」

「そっかー……あれ、電話?」

 

 サイドボードの上に置かれていた電話がピリリリと電子音を響かせる。おなかいっぱいで私は動きたくない。隣を見たけどスコーピオンちゃんも同じらしい。

 お互い何も言わずに右手を見えるように突き上げ、タイミングを合わせて二度、三度と手を振る。最初はグー。あいこ。二回目はパー。またあいこ。三回目はパー……だけどスコーピオンちゃんはチョキだ!

 負けたからには仕方が無い。スコーピオンちゃんは右手でガッツポーズしてから腕を力なく投げ出してくつろぎ始める。

 

「あの、もしもし」

『やっと繋がったわね。FALよ。まずは用件から。銃器のメンテナンスとパーツ交換、それにスコーピオンの銃が組みあがったから明日動作テストをするわ。時間は午後1時からよ』

「……はい! あの、場所は正門のゲートの受付前でいいんですか?」

『ええ。IDカードを忘れないようにしておいてね。簡単な同期テストとチェックだけだからそう時間もかからないわ。あと、あなたたちの処遇に関する協議が始まるわ。呼び出しがかかるかもしれないから、観光は近場だけにして。それじゃ明日。良い夜を』

「はい、FALさん、おやすみなさい!」

 

 ……やった! 私自身も銃もこれでカンペキだ! これならいつ出撃になったって……でも、今の私たちは“はぐれ”扱いだったんだった。命令系統のトップはもう居なくて、所属する基地も無くて、エコーさんに拾われてきた人形……と同じような状況なんだった。

 

「G41、何の電話だったの?」

「あっ、その……銃のメンテナンスが完了したから、明日の午後1時からチェックをするんだって。正門のゲートの受付前で集合だって、FALさんが。それと、私たちのことで協議が始まるって言ってた」

「おっ! それは良い知らせじゃん! あたしの銃は壊されちゃったからなぁ……やっと新しい相棒が来るのかぁ!

 んー、G41はあんまり乗り気じゃない?」

「ううん! 違う、けど……私たち……銃があっても、基地は……指揮官様(ご主人様)は……」

 

 もう居ない。もう存在しない。ただ荒れ果てた基地の姿だけしか、もう残っていない。私たちに帰る場所なんてもうどこにもない!

 

「――確かに、そうだよね。けどさ、あのヒトならなんて言うと思う?」

「……“最後まで諦めるな”」

「“自分の感覚(センス)を信じろ”……ってね。G41、あたしたちはまだ“最後”は迎えてないんだよ。だから、あたしたちはあたしたちにできることをしようよ。

 あたしたちが戦ってきた経歴はさ、“仲間たち”が居た証明なんだから」

 

 スコーピオンちゃんの掌が私の頭をくしゃくしゃと撫でる。ご主人様とは違う。エコーさんともどこか違う。ついさっきまで寂しさに震えそうになっていたのに、二人ならできると思えてくる。

 

「大丈夫! あたし、こう見えて第二部隊率いてたんだよ? 少なくともG41よりはお姉ちゃんなんだから!」

 

 これがスコーピオンちゃんの強さなのかもしれない。諦めない強さ。負けない強さ。負けても這い上がれる強さ。ひどい目に遭っても笑い飛ばせる強さが、私には羨ましい。

 

 

 

「おはよう。よく眠れたかしら?」

「おはようございます、FALさん!」

「おっはよー! ベッドで寝るのは久しぶりだったけど、心なしか身体が軽い気分だよ」

 

 私たちが泊まっている施設から車で十五分で辿り着いたのは“アフターグロウ”の実働部隊が本拠地を構えているトレヴィーゾの街。ヴェネツィアもよかったけど、トレヴィーゾは“てぃらみす”というお菓子の発祥地らしい。食べたい!

 基地の中へ連れられて歩く道すがら、スコーピオンちゃんが疑問に思っていたことを口にする。

 

「そういえば、本部はヴェネツィアにあるのに部隊はトレヴィーゾなんだね。結構不便なんじゃない?」

「まあスコーピオンもそう思うわよね。でもあのヴェネツィアの緩い地盤の上に軍事施設なんてとてもじゃないけど建てられないわよ。それに高潮の影響をモロに受けるからそのうち身体にサビが浮かんじゃうかもね。

 嵐になんてなればそれこそ最悪。建物の一階部分が海の中、なんて当たり前よ?」

「あー、流石にそれはヤダなー……」

「けど軍事設備が無いわけじゃないの。元々は造船も行われていたしね。でも私たちが使うのは船じゃなくて車やヘリ。装甲車や攻撃ヘリみたいなのはもちろん、移動のための飛行機やジェット機……それに数は少ないけど近現代の戦闘機も何機か稼動状態で存在しているわ。

 そのための滑走路までつけるとなると、毎年水害で修繕費を持っていかれるのは流石にね。日本には海の上の空港なんてのもあったみたいだけど、毎年どれだけのメンテナンス費がかかってるのやら……私は知りたくないわ」

 

 基地の中を見回してみても人形の姿が見えない。正式採用らしいアサルトライフル、画一の黒い軍服にバイザー付きの黒いヘルメットにタクティカルベスト。一部のヒトはベレー帽を着けていたり、機銃を乗せた軽装甲車に載って基地のゲートを抜けていく。

 

「G41、どうかしたの?」

「いえ……戦術人形が居ないなって思って……」

「ああ、そういうこと」

 

 グリフィン&クルーガーじゃもう人間の兵士は居ないんだっけ、と言ってFALさんは言う。

 

「人間の兵士が居るのは、私たち“アフターグロウ”が現地の人たちとうまくやっていけている証拠よ。私たちは市街地や居住区の巡回警備要員やこうした市外パトロールに“アフターグロウ”の勢力圏に住む人たちを採用しているの」

「どうして現地のヒトを? ……危険なことだっていっぱいあるのに」

「一つに就職先の幅を広げるためね。勢力内で住む人々の失業率を抑える手段の一つにもなるし、災害が発生した際の救援部隊の強化にも繋がる。グリフィンでは普段人形がパトロールや治安維持にも務めているんでしょうけど、そういった危険度の低い任務を彼らに預けることで私たちはより危険度の高い任務や仕事に注力できるの。

 彼らは軍人として鍛えられている。そんな彼らが歩き回ってくれるだけでも、反社会的な存在に対して威圧になるから、市民の安全を守ってくれるわけ」

「なるほどー。分業してるわけだね」

「聡いわねスコーピオン。それに就職すれば土木技術や金属加工技術、それに情報処理技術みたいな専門知識も習得できる。転職するにしても仕事にありつきやすい。

 それにヴェネツィアのヒトって郷土愛がすごいのよ。“ヴェネツィアは我々が守る!”って感じで。7世紀末から900年近く共和国制を貫いただけあるわよ」

 

 すごい……グリフィンじゃ考えられないことばかりだ。他のPMCが管理している土地に来たのは初めてだけど、グリフィン&クルーガーのやり方とは全然違う。

 グリフィンは防衛や治安維持まで全てを戦術人形がやっていた。市街地での交通整理に駆り出されたこともあった。普段とは違う仕事だったし、大変だったのを覚えている。

 ……けど、なんだろう。すごく行き交う兵士さんたちから見られている気がする。……手を振っているヒトも居る。

 

「あと、イタリア男は女の子に目が無いからナンパされても乗らないこと。人間だろうと戦術人形だろうと、イタリア男にとっては老いも若きも美人は美人。等しくナンパの対象だから安易に手を振ったりしないようにね」

「つまり、今まさに誘われてるわけ?」

「そういうこと。無視しなさい。私たちのこの身命を預けるヒトはたった一人よ。そこらへんの男に身を委ねちゃだめ」

 

 ……き、気をつけなきゃ!

 

 

 

 ブザー音。照明が灯り、標的(ターゲット)が立ち上がる。ヒトのシルエット、ダイナーゲート、鉄血の人形、ELIDなどが描かれた的が動き始める。

 自分のアサルトライフル……G41を構え、アイアンサイトに映る敵の頭を狙ってトリガーを引く。セミオートで一つずつ、確実に頭を撃ち抜いて行く。二十体のターゲットを全て倒すと照明が落ち、ネットワークからFALさんの声がかかる。

 

『調子はよさそうね』

「はい。まだいけそうです」

『じゃあ第二フェイズへ。次は一発じゃ沈まないわよ。注意して』

 

 半端に残ったマガジンを外してテーブルに置き、新しいマガジンを差し込んで再び銃を構える。

 ブザー音。照明が灯り、標的(ターゲット)が立ち上がる。一番近いヒトのターゲットに指切りで一発。だけど倒れない。二発目……は倒せたようだ。

 

『ターゲットによって耐久性が違うわよ。考慮してみて』

 

 ヒトのシルエットはソフトな部類ということだろうか。となると一番硬いのはヒト型ELIDだ。次点で鉄血の人形、そしてダイナーゲートだろうか。

 

「やっぱり硬い」

 

 スリーバーストを三回撃ちこんでようやくELIDのターゲットが倒れる。鉄血やダイナーゲートはまだマシなほうで、三発か四発で倒れてくれた。けどこのままではマガジンの中身が足りなくなる。

 三十発きっちり撃ち終わってからマグチェンジ。コッキングして初弾を装填。動作は滑らかだし、銃とのリンクも問題ない。ターゲット二十体が倒れると再びFALさんから声がかかる。

 

『よくできたわ。病み上がりにしては上出来ね。これぐらいにしましょう』

「はい」

 

 マガジンを外して初弾を排莢し、セイフティをかけてベルトコンベアに乗ったラックに銃を立てかける。するとコンベアが自動で保管庫に銃を運んでいき、機械のアームが伸びてラックを指定の保管場所へと収納した。

 

「や、お疲れさま」

「スコーピオンちゃん。どうだった?」

「あたしはもうちょい調整が必要かな。やっぱり新しい銃だから馴染む(マッチング)には時間が少しかかりそう。同じ銃でも精度の違いでズレが出るし」

 

 スコーピオンちゃんは別の場所で調整してたはずだけど、妙に元気が無い気がする。銃を受け取る前は“やっと銃が帰ってくる!”って言ってはしゃいでいたはずなのに。

 

「……何かあったの?」

「あー、まあわかっちゃうよね。こんなカンジじゃ。

 まあ何があったのかって言えば普通にテストをしていただけだったんだけどさ……そのテストがさ……“三十分水没させた状態から手に取って銃を撃つ”とか、“マガジン10個分連続射撃して放熱効率の確認”とか、“砂の中や泥の中で三十分浸かった状態から軽く汚れを落として射撃する”とか……」

「た、耐久テスト……?」

「うん……まるで自分が耐久テストにかけられてる気分だよ……」

 

 ハハハ、と乾いた笑い声を響かせるスコーピオンちゃんの眼は死んでいる。新しい銃のはずなのに、射撃するよりも前に耐久テストにかけられるというのは……私じゃなくてよかった。

 

「お疲れ様。スコーピオンはどうしたの?」

「その、いろいろあったみたいです」

「……そう? まあいいわ。次は移動しましょう。ただ銃を撃ってるだけっていうのもつまらないでしょ。施設見学くらいはしていきましょう」

 

 隣に立つ倉庫……というよりも飛行機を整備するような巨大な収容施設に私たちを案内すると、FALさんはすぐに建物の上階部分への階段を登っていく。手招きするFALさんの後に続いて登っていくと、建物の三階部分に出た。

 外観は四階建て相当の高さでアーチを描く屋根が続き、巨大な工場施設跡のような印象だったけれど中身はまったく違うものだった。

 

「ここが総合訓練施設よ。一般の軍人から戦術人形までトレーニングが可能よ」

 

 三階部分から一階部分までは吹き抜けになっていて、さながら小さな市街地が作られている。建物の中や間取りは私たちの居る三階部分から確認できるようになっていて、敵兵や人質、非武装の人間の人形まで様々なシチュエーションがこの施設の中に再現されている。

 

『突入! 突入!』

『A班、制圧完了!』

『タンゴダウン! B班、人質を確保!』

『C班突入開始! …………制圧完了!』

 

 今まさに訓練が行われている真っ最中だ。人質の救出や敵兵の制圧などを行う総合的な実践訓練。一糸乱れぬ行動と的確な射撃技術、お互いを援護しあうチームワーク。

 一つ隣のエリアへ目を向けると、あの逃避行を共にした彼女達も居た。赤いベレー帽が目を引く9A-91ちゃんと、トレンチコートを翻して共に駆け抜けるASValちゃんの姿だ。その少し後ろから周囲を警戒しつつ追随する都市迷彩服のSV-98さんと銀髪に黒いコートの戦術人形が軽機関銃を携えて続く。

 そして私が居た基地にも所属していた彼女たち、Ots-12(ティス)ちゃんとその妹のOts-14(グローザ)ちゃん……どちらも別人だけど、二人が駆けていく姿はどこか懐かしく思える。

 

「あの子たち、メンテナンス明けで早速訓練だなんてバカなの? ちゃんと休暇をとれとリーダーからも言われてるハズなのに……まったく」

 

 ロシアの子たちが走り抜ける市街地エリアの更に隣のエリアでは建物の内部を想定した、所謂“キルハウス”が立ち並んでいる。

 ハンドガンとナイフを構えて先陣を切るMk23さん、二番目にメイド服のG36さん、続いてその妹のG36Cさん、最後にタクティカルベストを身に付けたMk14EBRちゃんの四人がハンドサインを交わしながら部屋を一つずつ制圧していく。 そしてもう一つの別働隊らしいチーム、G17さんがベレー帽にケルト十字の髪飾りをつけた戦術人形“FNC”と、強化ポリカーボネートのシールドとショットガンを構えた“イサカ M37”、アッシュブロンドのショートボブが似合う凛々しい戦術人形“Vector”を引き連れて反対側から制圧を行っていく。

 

「ここでは休暇の過ごし方が自由であるとはいえ、こういう風に貴重な休暇を戦闘訓練に宛てているおバカさんたちも居るのよ。あなたたちはしないように気をつけて。

 最初はやることが無いって思うかもしれないけれど、何か一つでも趣味は見つかるものよ」

 

 自由……そんなものを今まで深く考えたことなかった。指揮官が居て、みんなが居て、一緒に戦って、一緒にアイスクリームを食べて……それだけで満足だった。

 ……どうすればいいんだろう。何をどう選べばいいんだろう。私は、これから……どうやって生きていくんだろう。

 

「ここって割りと変わった場所なのよ。戦術人形も普通に部屋で寝泊りしているし、人間の軍と共同作戦を取ることもある。週休だってあるし、担当シフトもちゃんと昼夜が一定期間ごとにまわってくる。それに外貨稼ぎに他のPMCからの依頼で戦場に出ることもあるわ。

 それに志願制だから……戦術人形を辞めたくなったら辞めたっていい」

 

 エコーさんは銃を棄ててもいいし、また戦ったっていいと言っていた。選ぶのは私なんだって言っていた。……選ぶ、というのがこんなに難しいことだなんて、知らなかった。これが、選択の自由というもの……なのかもしれない。

 

 自由って、むずかしい。



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ドルフロのとりあえず七話目

 

 第二標的 自由な世界へ

 

 

 意識が浮かび上がる。眠りこけていたベッドから身を起こし、サイドボードに置かれた目覚まし時計を手に取って目を凝らす。

 時間は午後5時21分。日付を見るに二日も眠っていたらしい。メンテナンス後の身体は比較的快調なものだが、やけに思考がスッキリしているのは十分な休眠が取れたことによるものだろう。

 

「……誰だい?」

「FALよ。報告がいくつかあるけど入っていいかしら?」

「ああ、どうぞ」

 

 トントントン、と扉をノックする何者かに声をかける。すると二日前に全てを預けた頼れる女の声が返ってきた。

 部屋に入るなりFALは手に持っていたいくつかのファイルを私のデスクに置いて、ベッドの端に腰掛けて私の額に手を添えてくる。いつもの高飛車なすまし顔もクールだけど、こうしてふとしたことで零れる笑みも可愛らしい。

 

「具合はどう?」

「おかげさまでグッスリ眠れたよ。まさかキミがメディカルチェックもするの?」

「いいえ。後でクレア女史に診てもらうわ。ただ単に気になっただけよ」

 

 なるほど。FALはFALでまったく目を覚まさない私のことが心配だったらしい。

 

「そう。それで報告っていうのは?」

「上の協議が終わったわ。報酬に関してはファイルを見ておいて。問題はリーダーが気にしていたG41とスコーピオンの二名の身柄についてなのだけど、こちらで引き取れることになったわ。……彼女達が望めば、だけど」

「ああ。で、勧誘はうまくいきそう?」

「……正直、わからないわ。彼女達二人のメンタルモデルは見かけの上では安定しているけど、まだ深い部分でいくつか安定しない波形が多いの。

 何せMk23やG17の時とは違うケースだもの。片や非正規特殊作戦群に身を置いていた最精鋭。片や大規模作戦を潜り抜けた熟練。それに比べてあの子たちはむしろルーキー側だから、こっちに異動したとしてもしばらくはメンタルモデルの安定化と訓練での錬度向上は必須になるわね」

 

 即戦力になるとは思っちゃいないけど、ザルツブルク基地の一件はあの二人にとって消えない傷跡になるだろうとは思っていた。けどG41はそんな状況でも前を向いて立ち上がれたし、スコーピオンに到ってはあんな目にあって翌日にはなんでもないように振舞えるほどだ。十分に立ち直る可能性がある。

 

「それに稼動からの日の浅さが響いてるわね。グリフィン&クルーガー以外のPMCなんて見たのは初めての様子だったし、ここの常備軍を見せたり、さわり程度にだけど休暇制度や勤務シフトを教えてみたりしたけど、どうしていいかわからないって感じの反応だったわ」

「だろうね。……最終的にはあの子たち次第、か」

「率直に言うけど、“自分は戦術人形だから”なんて惰性で銃を手に取ったって遅かれ早かれ壊れちゃうわよ。銃を手にするなら手にするでソレ相応の意志で手にしてもらわないと、私たちが困るわ」

「懸念はごもっともだ」

 

 それは道理だ。戦術人形だから銃を手に取るのではなく、銃を自ら手にするからこその戦術人形であって欲しい。IOP社の“烙印”は『銃のための人形』とも言えるシステムではあるが、銃に意志が宿るわけではないのだ。最終的に引き金を引くのは人形なのだから、その人形の意志が強くなければ自らの“銃”に振り回されるだけになる。意志の無い力は他者や自分を傷つける暴力でしかない。

 

「けど、あの子たちはこれからさ。知らないことは私たちで教えていけばいい。最後に自分たちで選んでくれればいいのさ」

 

 私は、我々は、意志によって統制された暴力を振るうことで多くの人たちを守る存在だ。人間だろうと人形だろうと、意志によって己の力を制御することができるからこそ守護者足りうるのだ。

 けどあの子たちは鉄血の人形くらいしか、自らの半身である銃を向ける先を知らないのだ。私たちはヒトにも鉄血にもELIDにも銃口を向けてきたが、銃弾を放つのは本当に殺すべき相手にだけしか行わない。

 引き金を引くか、否か。その一線を自ら越える意志を持つことができれば……彼女達は強くなれる。

 

 夕日で輝くこのヴェネツィアの街に住む人たちが自らの自由のために戦ってきたように、彼女達も何のために戦うかを見出す時が来るだろう。

 

 

 

 私たちが泊まっている宿泊施設にエコーさんがやってきた。戦場で会ったときのような戦闘服(ACU)でもないし、ガスマスクも被っていない。本当にそのあたりの街角で居そうなビジネススーツ姿の彼女は私とスコーピオンちゃんを呼び出した。

 

「ちょっとしたお話があるんだ」

 

 そう言ってエコーさんは食堂の一角を貸切りで陣取った。わけもわからないまま連れられてきた食堂……レストランの席に座らされ、燕尾服のおじいさん……じゃなくてG36さんが用意したワイングラスにマスカットジュースが注がれていく。

 いつの間に現れたのか、G36さんはいつものメイド姿ではなく、このレストランのおじいさんのような燕尾服に身を包んでいた。

 スコーピオンちゃんも私も一瞬見ただけじゃG36さんと気づかない。データリンクの反応でようやく気づいたくらいだ。

 

「それじゃ頂こうか。そうだね……キミたちの生還を祝って」

 

 乾杯、とエコーさんの声に続いてグラスに口をつける。……甘くてさっぱりとしていて、少しだけ酸味が乗ったジュースはすごく口当たりがいい。こんな美味しいジュースなんて初めて飲んだ。

 

「今日はコース料理だから、料理長にお任せするよ。G36、ワインをお願い」

「承知致しました」

 

 G36さんは静かにテーブルから離れてワインクーラーから一本のボトルを手に取って戻ってくる。歩き方も男の人みたいだし、ほんの僅かな所作の一つまでメイドとしてのG36さんとは違っている。

 

「ジャコモ・コンテルノ。バローロ・リゼルヴァ・モンフォルティーノの1990年です」

「……ヴィンテージだよね」

「はい。世に名高き王道のバローロでございます。“年代物を”とのことでしたので」

 

 実に70年のヴィンテージ。そんなものが今も残っているだなんて信じられない。第三次世界大戦も生き延びたワイン……どんな味なんだろう。

 

「あの、隊長さん。これってすごく貴重なんじゃ……?」

「た、たまには、こ、ここうやって美味しいもの飲まないとさ! アハハハ!」

「スコーピオン様、貴重さで言えば群を抜いて貴重なワインのうちの一本でございます。第三次大戦、コーラップスの拡散などの世界的に見ても甚大な被害を及ぼした事件を無事に生き延びた数少ない一本です。おそらくユーロであれば8000から1万というところでしょうか。オークションとなれば更に上がるかと」

「…………G36、それってマジなの?」

「はい。ご主人様の望んだ一品であることを確約致します」

 

 “ヤバいよコレ”と小さく呟いたエコーさんは顔を青ざめさせてワイングラスを揺らす。……手が震えているわけではない、はず。

 

「……とにかく、頂こう。そ、それに、わ、私たちだけっていうのも、ちょっと、勿体無いし、料理長たちにも振舞ってあげて。G36もね」

「承知致しました。世界的に見ても貴重なワインを口にできるとなれば、皆さんも喜ばれることでしょう。寛大なる配慮に感謝致します」

 

 私たちのグラスにワインを注ぐと、G36さんはボトルを手に調理場へと足を運ぶ。調理場への扉の向こうからはざわめきと歓声、時々悲鳴のような声が上がる。

 

「……こんな貴重なワイン、正直言ってたった三人で飲めるわけないだろ! 私はPMC所属の兵士だけど一市民だっての。いい酒なんて言ってもせいぜい40ユーロ程度が関の山なんだぞ! こんな貴重な20世紀のワインを三人で飲むなんて恐れ多いことができるかっての」

「つまり、みんなでやれば怖くない、と……」

「スコーピオン、キミは世界に数本しかないかもしれないワインを目の前に出されて“あなたのものだ”って言われて迷い無く封を開けられる?」

「あー、無理かも。流石にそんな度胸は無いです」

「……そういうこと。私だって、怖いものは怖い」

 

 お互いにタイミングを見計らうようにグラスを持ったままで固まっていたけれど、意を決したエコーさんは香りを見てからくい、とグラスを口につけて傾けた。

 

「……美味しい。それに葡萄の香りがすごく強い。ヴィンテージなんて初めて飲んだけど、これほどだとは……」

 

 スコーピオンちゃんも緊張した様子で後に続く。目を見開いて震える手でワイングラスをテーブルに置くと、はぁ、とため息を吐いて言う。

 

「コレ、ダメだ。慣れたらきっと他のお酒じゃ満足できなくなっちゃう。……美味しすぎて、私もうダメかもしれない」

 

 スコーピオンちゃんが骨抜きになっちゃった! ふにゃりと背もたれに身体を預けて夢見ごこちになったままだ。

 次は私の番。まだお酒なんて飲んだことも無いのに、どうしよう。

 

「G41、初めてでこんな上等なお酒なんてまず飲めないよ。味わって」

「じゃ、じゃあ……いただきます」

 

 恐る恐るグラスに口をつけて少しだけ口に含ませる。すると突然葡萄の香りがふわりと抜けていき、甘みとアルコールが続いてやってくる。苦味や渋みなんて無く、滑らかで何度でも飲み干せそうだ。

 

「……すごく飲みやすいです。甘くて、葡萄のニオイがすごく強くて……」

「ふふっ、これは気に入ってくれたかな?」

「隊長さん、気に入ったとしてもそう飲めるものじゃないよ……」

 

 最高のワインと料理を楽しみながら談笑しているとあっと言う間に時間が過ぎていく。私たちが見たことのないパスタ、サラダ、肉料理、魚料理などが並んで、最後には真っ白なお皿にバニラのジェラートが盛られ、イチゴかラズベリーか、赤いソースがかけられた一品が出てきた。

 

「さて、ちょうどメニューも終わりのころだし伝えておこう。二人の処遇に関してだけど、二人の意志に任せることになった」

「……それって、どういうことですか?」

「隊長さん、それって、つまり……私たちが“はぐれ”って確定したの?」

「かなり紛糾したらしいけどね。特にG41は私たちの救出したタイミングから言っても微妙なラインだったからね。基地機能は喪失、指揮官は死亡し、基地そのものも一度陥落した……そんな状況下だったからね。最終的には“はぐれ”の枠に入ったみたいだけど」

 

 ……こうやって自分が根無し草になったことを感じるのはつらい。あのときの光景や出来ごとをはっきりと思い出してしまう。

 

「逆に言えばキミ達を縛るものが無い。キミ達はグリフィン&クルーガーの管轄下には無い。キミ達を保護した私たち“アフターグロウ”の一時的な管轄下にある。私たちがキミ達の再配備先を決定することもできるし、コアの解体を行って一般の自律人形に戻すこともできる。IOP社に返還することも可能だ。

 でもさ、それって勿体無いじゃない。自由意志で決めることだってできるのにそれをしないままだなんてさ」

 

 自由意志……それってどういうことなんだろう。スコーピオンちゃんがやったように“自分が知らないものを知る”っていうことなのかな。

 

「隊長さん、G41はまだいろいろ経験不足だからすぐに決めるのは無理だよ。……あたしだって、どうすればいいかまだよくわからない。

 あたしはいいとしても、G41のことはすぐに決めるべきじゃないと思う」

 

 スコーピオンちゃんの目が敵を見るような鋭さを見せる。鉄血の人形に銃を突きつけ、トドメを刺すその瞬間のような冷たい表情に息を呑む。

 

「もちろん。十分な時間を取るつもりだし、私としては“アフターグロウ”に来てくれると嬉しいかな。選び方はたくさんある。だけど迷ったり目移りするのは当たり前だと思っているよ。初めての選択だと尚の事でね」

「……身の振り方はあたしもいくつか考えてたよ。自律人形として暮らすこともできるし、戦術人形として生きることもできるんだっていうのはわかってる。

 それでも、G41は……この子はまだ自分の在り方を決める重大な決断を下すにはまだ幼い。今もどうすればいいのかわからない感じなのが見てわかるでしょ?」

 

 んふふ、とエコーさんは笑みを浮かべてスコーピオンちゃんにじろりと目線を這わせる。スコーピオンちゃんは表情こそ見せないけど、きっと怒っているはず。それなのにエコーさんはどうしてスコーピオンちゃんをもっと怒らせるようなことをするんだろう。

 

「いいお姉ちゃんだね。昔のG36を思い出すよ」

「……お戯れを」

「今は二人にとって複雑な心境なのもわかってる。ちゃんと考える時間だって取る。 だけど世の中っていうものはいつまでも待ってくれない。私たちだっていつまでも二人の面倒を見続けることなんてできない。どんなに難しい問題でも、いつかは結論を出さなきゃいけない。

 アイスクリームが解けてドロドロになる前に食べなきゃいけないのと同じように。…………んー、おかわりで」

 

 エコーさんは最後の一掬いを口に運ぶと、幸せそうにG36さんにおかわりを頼んだ。

 

「時間が無いわけじゃない。だけど無限というわけでもない。その中でキミ達が選ぶ選択肢の一つとして、私は二人に“PMC アフターグロウ”への参加を要請する。

 ……早い話が、キミ達がグリフィン&クルーガーで戦術人形として働いてきた経験を評価しているってわけ。ウチとしてもキミ達二人が参加してくれれば戦力の増強に繋がるし、キミ達は培った経験と技術を生かせる。詳しい話が聞きたければ連絡して欲しい。

 まったく畑違いの分野に就くよりも不安は少ないと思うよ。それに短い間とはいえ背中を預けあった仲間も居る。

 詰まるところ私たちはキミ達二人が欲しい。それだけ覚えていてくれればいいさ」

「……わかったよ隊長さん。あたしたちを買ってくれてるのはわかった」

「ありがとう。悩んで迷って、でも最後にはキミ達の自由に決めていい。私はその決定を尊重するよ」

 

 自由に決めていい。何を選んでもいい。だけど、何を“基準”に選んでいいのかわからない。スコーピオンちゃんの決定に従うほうがいいの? それともエコーさんの指示に従うほうがいいの? 私は、戦術人形として何をすればいいの? もし自律人形に戻ったとして、どうすればいいの?

 目の前で二皿目のジェラートを食べつくしたエコーさんは静かにスプーンを置いてコーヒーを飲み干すと席を立とうとする。

 

「あの、エコーさん」

「……何かな?」

「自由って、なんですか? 私……どうしたらいいんですか? どうやって選んだらいいんですか?」

 

 つい口に出てしまった言葉。所属も無い、家も無い、指揮官も居ない、もう何も残っていない私には何が最善なのかわからない。自由なんて知らなくてもよかった。指揮官が居て、仲間が居て、帰る場所があった。それだけでよかった……!

 

「G36、ジェラート持ってきて。あといろいろ」

「承知致しました」

「ねえG41、私も“自由”っていうのがどういうものかなんてよくわからない。

 けどね、これから私が知ってる小さな自由を見せてあげる。今からするのが、私なりの小さな自由で、小さな幸せってやつさ」

 

 エコーさんの前に置かれたジェラートの数々。バニラ、ヘーゼルナッツ、ストロベリーにレモン、チョコレートにコーヒー……様々なジェラートが並べられるとエコーさんは一つ一つを掬い上げて目の前に置かれた白磁の皿に次々と投入していく。

 

「G36、ワッフルを」

「承知致しました」

「す、すごい……」

「甘いものフルコースだ……」

 

 いくつものジェラートが並ぶお皿の上に、G36さんがワッフルを乗せていく。焼きたてなのか、乗せた傍からとろりとジェラートが溶け始める。冷たいジェラートに温かいワッフル……こんな食べ方があるなんて知らなかった。

 その上に更にバニラのジェラートをドンと山盛りで置き、チョコレートソース、ラズベリーソース、メイプルシロップをトッピングし、極めつけといわんばかりにチョコレートチップを振りかける。

 

 人の顔くらいの大きさはありそうなお皿に山となって聳えるジェラート。そこにスプーンを入れて、一掬い。

 

「ちょっと見目は悪いけど、自由ってこんなものだと思ってるよ」

 

 口元のソースを一舐めして言うエコーさんの表情は今までで一番の笑顔だった。

 

 

 

 あの後、エコーさんはものの10分程度でジェラートの山脈を食べつくした。エコーさんが一口を運ぶたびに幸せそうに頬を綻ばせるのを見て、その度にみんなとの幸せなひと時を思い出してしまう。

 ベッドの上で横になったけど今日も眠れない。眠ろうとするとみんなの顔が浮かんできて寂しくなって眠れない。みんなが戦ってきたことを伝えるんだって思って生き延びたはずなのに、みんながどこにも居ない寂しさを味わうくらいならあの時……そう思ってしまう。

 

 私たちは自分で自分の身の振り方を考えなきゃいけない。なのに考えがまとまらない。戦術人形として戦うこともできるし、不安だけど自律人形に戻って一般市民として暮らすこともできる。

 自由に選ぶことができる、ということが辛い。どれを選べばいいのか、選ぶべきなのか、選ばなければいけないのか……ずっと頭の中でぐるぐると同じ場所を回っているだけ。

 

 そうやって眠れないまま朝が来て、ぼんやりと公園のベンチで青空を眺めて夕焼けが来て、また眠れない夜が来て朝になって……また公園のベンチでぼんやりと考える。

 

「あなた、昨日もここに居なかった?」

「……ふぇ?」

 

 ふと呼びかけられたことに気づいて顔を向けると、そこにはスリングで銃を提げた女の人が居た。腰から提げたマガジンポーチ、真っ白のインナー、裏地の黄色いフード付きの黒いジャケットに身を包んだ姿はどこかの傭兵のよう。

 灰色の髪を揺らして、彼女は私の隣に腰を下ろして言う。

 

「ずっと座ったままで一日中過ごすのって退屈でしょ」

「……考え事、してました」

「戦術人形がずっと考え事なんて、珍しいわね」

 

 この人、私が戦術人形だって知ってる……? どこで、どうやって知ったの? 敵……だったらきっと今頃私は蜂の巣になってる。

 

「あら、警戒しちゃった? あなたと同じ人形を見たことがあるのよ。それで戦術人形……G41だってわかったわ。一方的に知っているのもちょっと不公平よね。私はユニよ」

「ユニ、さん……それで、何か用ですか?」

「ちょっと気になったのよ。何か難しいものでも抱えてるのかなって。よければ話してみない? 何も知らない誰かに聞いてもらうのも一つの方法よ」

 

 そう言ってユニさんはニコニコと笑ってポケットからキャンディを取り出し、包みを解いて口に運ぶ。……酸っぱい味だったのか、すごく渋い顔をしている。

 

「な、なんなのよ! この“梅干キャンディ”って! ひたすら酸っぱいだけじゃない! あのイタリアかぶれのウォッカ女! 今度会ったらはらわた引き裂いて直接ウォッカを流し込んでやるわ!」

 

 左目に縦に走る傷跡を怒りで歪ませて、ユニさんはポケットに入っていたキャンディを全て近くのゴミ箱に袋ごと投げ捨てた。

 新しいキャンディをバッグから取り出すと口に含んだ……どうやら期待していた味だったらしく表情は柔らかい。

 

「はい、G41ちゃんもどう? 甘いものでも食べながら話してみない?」

「でもユニさん、忙しいんじゃ……」

「そうでもないわよ。一仕事終えてきたところだもの」

「じゃあ……いただきます」

 

 白い包みを解いて赤いキャンディを口にする。……イチゴ味、私の好きな味だ。

 流石に全てを包み隠さず、というのはできそうにもない。だから口から出てくるのはおおまかなことだけ。帰る場所が無いこと。自分でどうするべきかを決めなければいけないこと。どう決めればいいのかわからなくて途方に暮れていることだけ。

 

「ふぅん……自分で決める……“自由に選ぶ”ね」

「はい……でも、私……まだどうしていいかわからないし……」

「じゃあ簡単に考えましょう。二つに一つなら、どう? ……相手を撃つか、自分が死ぬか……なら」

 

 カチ、という小さな音。腰に回していた銃のグリップを握り締め、安全装置(セイフティ)を解除するユニさん。

 すっ、とユニさんの目は戦場に立つあの人のように細められる。殺される。そんな予感が脳裏を過る。

 

「そ、そんなの……わ、わからない……!」

「そうね。でもそんな決断がいつどこで訪れるかわからないわ。猶予はほんの数十秒。自分が相手を殺すか自分が撃たれて死ぬか、どちらかを選ばなければいけない状況なんて“よくある話”よ」

 

 再びカチと小さな音が聞こえる。銃のグリップを握っていたユニさんの右手には新しいキャンディが握られていて、包み紙を解きながらユニさんは言う。

 

「私は、そういう経験があるの。その時私は誰かを殺して自分が助かる道を選んだ。その時に決めたわ。誰かに利用されるなんてもうお断りよ。私は“私の自由のために”生きる道を選んだ。もうあの時のような後悔をしない、私の大切なものを守るために」

 

 それが私の選び方よ、とだけ言ってユニさんはキャンディを口に運ぶ。ユニさんもきっとつらいことを乗り越えてきたんだとはっきりわかる。表情は変わらずニコニコとしているけど、その目は強い決意で満ちている。

 

「……とにかく私から言えるのは選ぶなら後悔のないように、っていうことだけ。Arrivederci(さよなら),signorina(お嬢さん)

「ユニさん、相談にのってくれてありがとうございます」

「いいの。……ただの気まぐれだもの。それじゃ」

 

 ユニさんはベンチから腰を上げ、軽く手を振って大通りへと歩いていく。ほんの少しだけ話しただけだったけど、ユニさんが何を思って選択するのかを知ることができた。“他の誰でもない自分自身のために”……自分のために……何が一番自分の“ため”になるんだろう。

 

 

「自分のためになること……」

 

 公園で空を眺めるのはやめた。待っていても答えは出なさそうだし、折角のヴェネツィアなんだからスコーピオンちゃんが言うように今までに見たことのないものや知らないことがたくさんあるはず。そう思ってヴェネツィアの街中を歩いていく。

 後悔しない……自分が幸せになれる方法を見つけないと。記憶の中の“誰か”がそう言っていたのを覚えている。……でも誰のセリフだったっけ?

 

 右を見れば橋と運河。左を見てもそうだし、前も後ろもそう。ざあざあと寄せては引く波の音に交じって船の上のお店や運河を前に看板を出すお店から掛け声が聞こえる。

 

 ヴェネツィアの市街地のはずれに立つとアドリア海が目の前に広がる。どこまでも続く青と蒼。ただひたすらに果てまで続くような水平線の彼方には何があるんだろう。

 

「おい」

「ひゃうっ!」

 

 突然後ろから、それもすぐ近くから声がかかる。思わず出た変な声に恥ずかしく思いながらも振り返ると、そこにはG36さんのような目つきの鋭い女の子の姿がある。

 銀色の長いサイドテールが潮風に揺れる姿は凛々しいけれど、背丈は私より少し高いくらい。私の胸元までありそうな無骨な軽機関銃(LMG)を携えた姿はどこかミスマッチのようで、だけど銃を手にした立ち姿には何の違和感も無い。

 裏地がオレンジの黒いコートにシューティンググラス、その下にはミニスカートの黒いワンピース。……そうだ、確か前にFALさんが見せてくれた訓練施設で9A-91ちゃんやASValちゃんたちと一緒に居た子だ。

 

「この先は立ち入り禁止区域だ。すぐに離れろ。それと自殺志願者ならお断りだ。死にたければ鉄血の基地に行くかELIDにでも食われるんだな。ここは人類の居住区内だ。面倒事は持ち込むな。

 身元を確認する。市民証、もしくはIDカードを見せてもらおう」

「ご、ごめんなさい! ……あの、“アフターグロウ”の戦術人形さん、ですよね?」

「…………それがどうした」

「私、戦術人形G41っていいます。これがIDカードです」

「……照合する。なるほど……リーダーが迎え入れたというゲストか。随分遠出しているようだな」

「ご、ごめんなさい……」

 

 そういえばかれこれ三時間ほど歩いてきたんだっけ。おそらくカードには宿泊してる施設の情報も記録されていて、それを見て彼女も気づいたんだろう。

 

「まあいい。問題さえ起こさなければ構わない。もう行っていいぞ」

「あ、あの……!」

「……なんだ?」

「その、一緒に着いていってもいいですか?」

 

 何言ってるんだこいつ、と言って彼女はこちらを睨みつける。まるでG36さんに見られているみたいで結構怖い。

 

「実は、エコーさんからアフターグロウに誘われてて! そこの人たちがどういう仕事しているのかなって思って……」

「……私の権限では許可できない。リーダーに確認する」

「お、お願いします!」

「リーダー、私だ。G41とかいう戦術人形が私たちの仕事に同行したいと言っているぞ。…………なんだと? 正気なのか? 我々に子守りをしろと? ………………了解した、合流する」

 

 ハァ、と大きなため息をついて彼女は銃のキャリングハンドルを掴み、空いた“左手”を差し出してくる。

 

「PKPだ。悪いが右手は銃のために使う。いつでも撃てるようにな」

「G41です、よろしくお願いします」

「部隊のメンバーと合流する。ついてこい」

「はい!」

 

 歩を進めるPKPさんの後姿は大きい。並んでみれば私より少し大きいくらいの背丈で小柄だけど、後ろから見る彼女の姿は見た目よりも大きく感じる。

 存在感のようなものが違う。ううん、纏う空気が違う、というべきかも。ここは既に戦場と大差無い、と言い出しそうなほどに彼女の気配は張り詰めている。

 

「ここがメインストリートだ。ここから先は船だ」

「……メインストリート?」

「そうだ。カナル・グランデだ」

 

 目の前に広がるのは船が行き交う運河。ゆうに80メートルはあろう幅がある、この運河がメインストリート?

 

「ヴェネツィア市街地は海上交通が基本だ。橋や道路もいくつかあるが、船が無ければ自由に移動などできん」

「本当に水の上の街なんだ……」

 

 いくつも運河が走っているのは歩いていて知っていたけど、こんなに大きな運河を見たのは初めてだ。周りを見回しても船着場がいくつも連なって、水上バスから木製の手漕ぎのボートまで、多種多様な船が行き交っている。

 船を下りればすぐ目の前に飲食店や衣料品店などが並び、銀行にホテルに大聖堂だって船着場から歩いて三十秒ほどで正面玄関だ。中には船着場が正面入り口というものまである。

 そんな中でPKPさんはあの基地でも見かけた黒い軍服の男の人に近寄ってカードを提示する。

 

「PMC“アフターグロウ”の戦術人形部隊、第三特殊戦部隊“デルタ”所属のPKPだ。サンタ・ルチア支部まで。後ろのこいつはゲストだ」

「……確認できました。どうぞ、お嬢様方。ああ! まさかあの“デルタ”の天使に会えるなんて! 今日の出会いはまさに運命のよう――」

「いくぞ、G41」

「あっ、はい」

 

 マスクを脱いでまで口説き始めようとした男を完全に無視し、PKPさんは機銃を装備した武装したボートに乗り込んでどっかりと腰を下ろす。

 波に揺れるシートに座ると、海のニオイが鼻をくすぐる。防波堤のところで嗅いだものよりもすごく濃い。これが、海のニオイなんだ。

 

「それでは行きましょう」

 

 先ほど口説いてきた男とは別の兵士が乗り込んでボートを操縦する。舵を手にゆっくりと船が動き出し、そしてゆっくりと行き交う船の列に合流していく。

 海の上から地上を眺めるのも初めてだ。さっき見ていた建物も、海の上から見るとすごく高い建物のように思えてしまう。実際は三階建てや四階建てくらいなのに。

 

「……遅い」

「そうですか?」

「おい、貴様。わざと遅くしているな」

 

 私たちのボートは一番速い流れには乗らず、手漕ぎのボートより少し早い程度で進んでいる。安全運転なだけだと思うんだけど?

 

「……あなた方のような美女との大切な時間です。なのにすぐに着いてしまうなんてもったいない。よければこの後も一緒に食事でも――」

「さっさと行け。でなければ風穴を開けるぞ」

Si(了解)! ぜ、全速力で向かいます!」

 

 カチン、とPKPさんは手にしていた軽機関銃の安全装置を外し、トリガーに指をかけて兵士の脳天に向かって銃口を向ける素振りを見せる。左手は取り付けられているフォアグリップを握り締め、最早いつでも撃てる状態だ。

 そこからの船はすごく早かった。水上バスを追い抜き、高速艇を追い抜き、曲がり角をドリフトしながら最高速度でぶっちぎっていく。スレスレで隙間を縫うように船の間を潜り抜け、だけど周りの人には水しぶき一つかけないなんてどうかしている。

 

 時間にして僅か数分で目的地に着いた……そこまではいいけど目が回りそう。PKPさんがいつの間にかダミーを引き連れている。最初は居なかったはずなのになんでだろう。

 

「立て。この程度で音を上げていては仕事にならない。行くぞ」

「ま……まって、くださぁーい……」

 

 船着場から歩き出したPKPさんはなんともないように真っ直ぐ歩いている。私はというと対照的で、まだ船の揺れが続いているかのように不安定だ。船というものがこんなにも揺れるのだと、ついさっき知ったばかりなのもあるかもしれない。

 至って現代的な造りの駅舎に入ると、メインホールの一画にある“アフターグロウ”専用の通路を通って駅の更に内部に入っていく。

 駅員らしい人とすれ違って更に奥へ進むと、あの基地の内部のような、真新しい近代的なオフィスが広がっていた。観葉植物の鉢植え。擦りガラスで仕切られた個々のデスク。明るいLED照明と涼しい空調設備。その一画にあった扉を開けると、そこには小さいながらも射撃場があり、銃の解体整備を行えるような工房があった。

 射撃場のレーンの一つに、的確にターゲットのバイタルパートを射抜いていく戦術人形……FALさんの姿があった。

 

「連れてきたぞ」

「ふぅ……早かったわね。もう少しかかるものかと思っていたけど」

「我々の任務は子守りではない」

「わかってるわよ。今日でこの臨時編成も終わりだから、また明日から向こうに行くことになるわ。ほかの子たちは?」

「PKはジュデッカ方面、M37(イサカ)はカステッロ方面に出ている。Vectorはサン・セバスティアーノ教会付近だ。それと時間が少ない。私はこのまま駅前の警備に当たる。私の居た区域に第三警備分隊をまわすが、構わないか?」

「ええ、そうしてちょうだい。じゃ、私たちはお茶にしましょうか」

 

 PKPさんが射撃場から出て行くと、FALさんは会議室の一つを貸切にしてコーヒーを用意し始めた。湯気の立ち昇るエスプレッソコーヒーに、スプーンで何杯もの砂糖を入れて飲むのがイタリア流だとFALさんは言った。

 慣れた手つきでカップを持つFALさんはたっぷりと豆の香りを楽しんでから一口飲み、味わいを楽しんでからカップを置いた。

 

「それで、どうしてまた私たちの仕事なんて見たいと思ったの?」

「実は、エコーさんから“アフターグロウ”に誘われてるんです。けど私、グリフィンに戻ればいいのか自律人形に戻ればいいのか、どうしていいのかわからなくって……何も決まらないんです。

 だから、他のみんなはどうやって選んだんだろうって思って……」

「……“アフターグロウ”への参加理由ね。私もそれなりに長いけど、いろんな子が居るわよ。

 あなたみたいに帰る場所を失ったはぐれだったり、普通にグリフィン経由でIOP社に製造を依頼した人形だったり、募集広告を見て参加を申し込んできた人形だったりね。でもあなたが知りたいのは彼女たちがどういう“経緯”で参加したか、じゃなくてどのような“理由”で参加を決めたかでしょう?」

「はい」

「だったらここより向こうの基地に行きましょう。思い立ったが、というモノよ。私たちのシフト終わりは午後1時だから……あと1時間30分ね。

 全員が今から集結して報告を上げて、書類を纏めるとなると……あと向こうに連絡も入れないと。

 ……うん、行けそうね。G41、スコーピオンも呼んでおいて。今から1時間後にヴェネツィア・サンタ・ルチア駅正面ゲートに集合よ。あとコレはこの駅のレストランの昼食に使えるチケットよ。30ユーロまで使えるからそこそこお腹一杯になれるはずよ。二人分渡しておくからスコーピオンと食事でもして待っていてちょうだい。

 ああ、それとナンパされても断るように! あなたたちは少し幼い見た目とはいえイタリア男からすれば十分美人の範疇よ。子供からだろうと老人からだろうと、絶対にナンパには乗らないように。いいわね!」

「は、はい」

 

 なんだか知らないけど熱烈歓迎のムードみたいだ。FALさんは話を聞いて妙に楽しそうに会議室を飛び出していく。

 ……ほんの少しだけ見たいと思っただけだったのに、気づけば司令基地にご招待されてしまってるなんて。……私のことを本当に必要としてくれているのかな。

 ううん、まだわからない。だから知らなきゃいけない。あの人が私を必要としてくれているのか確かめないと。“アフターグロウ”の戦術人形があの人を選んだ理由を、知らないといけない。



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ISの最新分2

 アタシは今まで、世界ってのは青い世界だと思ってた。

 ミラノ大聖堂を見上げると目に飛び込んでくる青い空。アーケード街に差し込む太陽の光と青。雄大なアルプスに広がる青空と緑の山並み。ジェノヴァの海岸沿い、父の運転する車の助手席から見た蒼穹と蒼海と、その狭間に聳える白磁の家々。

 

「あら、どうしたのロビンちゃん?」

 

 赤い世界、というものが存在する。そう、まさに今さっき初めて知った。灼熱のマグマが火山口から弾けるように、グツグツと煮えたぎる麻婆豆腐。料理と呼ぶのもおこがましい真っ赤なナニカとなったエビチリ。鶏肉に赤唐辛子を混ぜて炒めたような、名も知らぬ料理。

 から揚げはエビチリのソースをまんべんなくくぐらせ、餃子はラー油たっぷりのタレに浸されている。そして唯一希望を持って目を向けた主食は……赤い赤い血のような麻婆豆腐の海に浮かんだ炒飯だった。

 

「まさか、お腹減ってるんじゃないでしょうね? イケナイわ。それはとてもイケナイわ! 技術者の資本は身体なのよ。いついかなる時にもスペックを落とすことがあってはならないのよ。健康的な食事と十分な休息を摂らないと、満足の行く結果を生み出すことはできないわ」

「いえ、朝食は食べましたので……大丈夫です」

 

 朝からこの赤い地平(テーブル)に挑む気は無い。いや、別に昼でも夜でも挑む気にはならないのだけど。食べたら死にそうだから。

 

「ハカセ、ルー・ノワールの一件……答えが出たよ。アタシなりに、だけど」

「いいわ。聞かせて頂戴」

「まずアタシは強化プランとして第三世代機のパーツを寄せ集め、適した組み合わせを選んでルー・ノワールに組み込むことを考えたんだ。だけどそれじゃダメだった。第三世代機と第二世代機じゃそもそも規格が違いすぎて適合させるだけでも一苦労だし、維持費もバカにならなくてまともに動かせない。リッカやアルマも同意見だった」

「そうね。最も重要なのはベースとなっている機体にマッチするかどうか。そしてその機体を維持し続けられるかどうかだもの」

「うん。だから追加パーツでどうにかする方法も考えた。けどそれはあくまで外付けのパーツ頼みでしかないから、本体の素のスペックの向上とは言えない。それに外付けパーツを外さなきゃならなくなったら一気にジリ貧になってしまう。だからこの案は除外した」

「そうね。追加パーツはISの用途のあくまで一点を補うか、それに特化させるものだもの」

「もう一つ案を考えたんだ。多機種のISからパーツを取ってきてそれに手を加えてルー・ノワールに組み込むって方法なんだけど、そもそもIS自体がそう数があるわけじゃないから部品の生産数そのものが多くない。それにIS自体の部品なんてそう簡単に手に入るわけじゃないし、IS学園にあるものは予備で保存されているものとかもあって私たちが使いたいと言っても使わせるわけにはいかないものだからこの案はボツになった。それで、最後に思いついたのがコレです」

 

 ツナギのポケットに入れた一枚のルーズリーフ。簡単なものだけど、ルー・ノワールのスペックアップに必要な“モノ”を書き上げたリストだ。

 

「なるほど。ラファール・リヴァイヴ・カスタム……ルー・ノワールのベース機でもあるハイエンドモデル用の“特化パッケージ”ね」

「はい。高機動戦パッケージからはスラスターユニットと偏向ノズルを移設して機動力を確保します。砲戦パッケージから高性能の補助FCSとレーダーユニットを持ってきて索敵能力を向上させます。

 土木作業用パッケージは装甲が標準機よりも剛健ですし、エネルギー伝達用の回路など内部機構の部品に頑丈なものが多いので、強力な攻撃によるダメージを受けた際の性能低下や破損を抑えることができると思います。装甲はラファールもノワールも同じ装甲ですけど、私たちがカスタムしたノワールはフル装備の全身装甲型からいくらか装甲を外しているので、その部分の強化のために水中作業用パッケージから耐圧素材を取ってその部分に使用します」

「へぇ……もう少しかかるかと思っていたけど、案外やるじゃない」

 

 ……これは、もしかすると。いや、ここからダメだしを食らうことになるのは世の常だ。ハカセにはきっと他にもいろいろな方法が見えているだろう。そもそもの経験値から違うのだから、それくらいはされてもおかしくない。

 

「まあ、合格点というところかしら。持ってくるパーツは同企業の商品で一貫しているから適合性も高いし、本体と違って世にそれなりの数が出回っているパッケージから高性能のパーツを取って使用するから調達もしやすいし維持も容易。最初の三つの案よりもスマートでいいわ」

「やった!」

「けどこの必要なパッケージはどうするの? どこから調達するつもり? それにパーツを取った後のこのパッケージの後始末は? 調達するのも破棄するのもタダじゃないのよ?

 それにこの学園にあるパッケージから取るのだとしても、代替品が無ければ他の子の授業に差し支えるわよ?」

「っぐ……」

 

 そ、そうだった……! 高機動戦や砲戦はともかく、水中作業用や土木作業用なんて普通こんなトコに置いてたりしないヤツじゃないか!

 

「ハァ……まあそこまで考えてやれ、というほうが酷かしら。16歳でここまで考えられたなら十分としましょう。条件付で合格、かしら」

「よ、よかったぁ……」

「それで、調達できるかどうかは別として……全ての工程を順調にこなしたとして、開発期間は?」

「…………か、考えてなかった……です」

「でしょうねぇ。“これならイケる!”と思って真っ直ぐ飛んできたんでしょ?」

 

 まさに図星だ。リッカやアヤカが追加パッケージの話をしていてピンときた瞬間にメモを書き上げてG1優勝馬も真っ青な走りで駆け抜けてきた。

 

「フム……スラスターやFCSは交換と同期、再調整が必要だし。こっちのパーツの交換は素材の加工や成形も必要そうね。一番手が掛かるのは装甲の加工ね。人手がまず足りていないし、それに操縦者が着用してみてからのフィット感も大事だからさらに調整が必要そう。……私が想定したとして、あなたたちだけで行うなら三ヶ月は見るべきね。もちろん授業を一切受けずに行ったと仮定しての話だけど、授業はすっぽかせないからもっとかかるわね」

「……どのくらい?」

「多分9月半ばくらいまでかかるんじゃないかしら」

 

 つまり夏休みは全滅する。……なんてこった、これじゃミラノに帰省するどころかIS学園の工場区画に缶詰というわけだ。

 

「まあ気にしなくて大丈夫よ。これはあなたたちだけで行う場合のお話だもの」

「……学園から誰かが手伝ってくれるんですか?」

「いいえ。私たちが手伝うわ」

「そ、それってどういう……」

「もう少し先の話なのだけど、昨日渡した高機動ユニットのデータ取りに日先技研の私のチームがここに常駐するのよ。だから手が開いていたらノワールの改修プランを手伝ってあげるわ。

 けど最優先はあの高機動ユニットよ。打鉄やラファールなど各機種との比較データさえ取れれば、余ったユニットをあなたたちで使っていいわ。改修されて強化されたルー・ノワールは見たところ加速性能と機動性に長けた機体になるでしょうから、そこに更にあのブースターユニットがつけば……」

「うへぇ……バケモノ染みてる……!」

 

 これってアヤカですら制御しきれないんじゃないか。巡航速度でさえ音速なんて余裕で超えられるのがブースターユニットだ。最新鋭の戦闘機と同等の速度と航続力を持ち、ISのエネルギーシールドは少々の攻撃ではビクともしない堅牢さも併せ持っている。

 

 ハカセ、一体何を目指したらこんなバケモノが出来上がるんですか。

 

「ん、でもこの高機動ユニットって、日本の新型用なんでしょ? トライアルがあるんじゃないの? コレって公表してもいい情報なの?」

「ええ、構わないわ。存分に宣伝して頂戴。そのほうが倉持技研のケツに火がつくでしょうし。いい加減張り合ってくれないと楽しくないわ」

 

 つまり競合相手をその気にさせるために、あの時わざわざ私たちに喋ったのか。この調子だと他の生徒や教員にも聞こえるように喋っているんだろうなぁ。

 “私たちはもう機体作ったし追加装備も試験してるよ?”ってカンジで倉持技研を挑発しているわけだ。

 

「さて、残りをさっさと食べ終わったら見に行ってあげるわ。先に資料を用意しておいて頂戴。でないとノワールを前に一から十までその場で質問に答えさせるわよ。時は金なりってね」

「りょ、了解です!」

 

 ついにやった! これでノワールはもっと戦えるようになる! もっとあのアリーナの空を飛び回れるんだ!

 初めて出会った三人でルー・ノワールを作り上げただけでも嬉しいのに、私たちの作った機体がもっと先へと行ける可能性を見出せたことが何よりも嬉しい!

 

 

 

第二十八話 抗戦

 

「やったよ、やったんだ! やっと答えに辿り着いたー!」

 

 ピットの扉が開くなり、ロビンは歓喜の声を上げてリッカとアルマを抱き締め、最後に私を一際強く抱き締めて一部始終を話し始めた。

 

「なるほどね……追加パーツやパッケージから持ってくれば既存のIS本体のパーツを探さなくてもいいし、特化させるためのパッケージ装備だからそもそも性能が良いものだってことが保証されてるわけだ」

「それに適合させやすいのがもっと良い点。……スワヒリ語を一度英語に訳して更に日本語に変換するなんていう手間が要らない。簡略化されるのはハラショーと言う外に無い」

 

 リッカとアルマはロビンの解説に納得し、三人揃ってルー・ノワール……の基となったラファール・リヴァイヴの図面とにらめっこを始めた。正直言って私は蚊帳の外だ。シールドエネルギーの衝撃吸収効率の係数だのと話をされてもちんぷんかんぷんなわけである。

 そこに見た目30代、実年齢60代の祖母が白衣のポケットに手を突っ込んだまま現れた。腰ほどまである茶髪を揺らして、堂々と三人の前に立つと一言だけ告げた。

 

「今からは私がボスよ。いいわね?」

「は、ひゃい!」

「Д……Да!」

「了解っす!」

「じゃ、スペックカタログと回路図、あとノワールの現状での図面を見せなさい」

 

 タブレットや紙媒体になっているそれらを1ページずつめくりながら、祖母はいくつか質問をしては三人に答えさせて読み進めていく。見たところ現時点でのルー・ノワールに存在する“粗”を探して徹底的に潰していくつもりなのだろう。

 

「このPICの着地衝撃緩衝力場の設定をしたのは誰?」

「わた、私、です」

「アルマ、遊びが少なすぎるわ。どこの数字を弄ったの?」

「あ、あの、そこは……こ、ここの係数を……」

「そんなトコを弄れば遊びが少ないのは当たり前でしょう! PICの出力設定は初期化してやり直し! 左右のバランサーの出した数字を参照して自動補正がかけられるように組み上げなさい!」

 

 ……て、徹底的に……。

 

「なんなの、この回りくどい回路? ふざけてるの?」

「うっ」

「ロビン、イメージインターフェースの回路を一度全部取り外しなさい。あっちこっちと入り組んでいてスマートじゃない。それにこの腰の部分の情報処理ユニット一つで足りるとは思えない。機動戦や射撃戦となれば情報の処理量は確実に肥大化するわ」

「で、でもっ、コレ以上良いものが見つからなくって……」

「イメージインターフェースを情報処理ユニットを介してISコアに繋ぐのであればよりスマートで簡潔にすること。

 ISコアの役割の一部を担わせるのであれば高品質の情報処理ユニットを増設する、あるいはきっぱり諦めてISコアにイメージインターフェースを直結させなさい。分割するか、一元管理か、どちらかを選ぶこと! 伝達回路をゼロから見直しなさい!」

 

 ……徹底……。

 

「足首の関節部の磨耗が大きいわね。で、原因は判明してる?」

「……い、いえ……」

「リッカはアヤカと一緒にログを見直しなさい! アヤカのクセか何かがISに影響しているとなるとこれは重大なことよ! 使い手のクセが機体の寿命を縮めかねないのならそれは矯正しなきゃいけないの! わかるわね!?」

「す、すぐに行います!」

「ハイッ!」

 

 ああ、遂に来た。私もお叱りを受け、リッカと並んで原因究明に当たることになった。

 その後は終止無言で空気が流れていくばかりで、誰も口を開こうとしない。ひたすらに時間だけが過ぎていく。

 ピット内で三つの資料に向き合いながらひたすらに改善点を洗い出していく祖母。所々で質問が出てきてはお叱りが飛ぶの繰り返し。

 

 

「ふぅ、こんなものかしら。あー肩凝るわぁ……とりあえずリストアップしたから見て頂戴」

 

 一先ず、という具合でお祖母ちゃんは仕事を片付けたらしい。顔を上げた三人もこぞってそのノートに目を通していくが、次第に顔が青ざめていく様子はこちらにまで緊張を強いてくる。

 

「イメージインターフェースの回路図の全面見直し。PIC出力設定の再調整。スラスター周りの伝達回路の補強案。腕部アクチュエータの動作パターンの再設定と強化。FCSとレーダー、機体のバランサーと制御システムとの関連付けの強化。イメージインターフェース周りの全面改修。うわぁ……」

 

 本職の技術者ではない私でもわかる。これ、地獄のフルマラソンだ。“機体の中枢部を一切合財見直して再調整する”と言われているのと同じことだ。

 

「大丈夫よ。流石に実際の機体の全てをやれとは言わないわ。ちゃんとサポートメンバーだって用意するし、あなたたちができない範囲は私たちが手を貸す。

 IS学園の生徒とはいえ、一年生にそこまでの力量を求めたりはしないわよ。あくまでこの子たちが触れる範囲は既存の組みあがった部品を弄ったり調整したり、つけたり外したりするくらいなものだもの。製造、加工といったハード面の労働作業や、各所のパーツやユニットの関連付けと連携強化、調整みたいによりデリケートなソフト面は私たちでする。

 今このノートに挙げたのは改修に入る前の下地作りよ。まずはルー・ノワールから雑なものを全て取り払って洗練させ、中身を純化させるの。そうすれば機体の改修や手を加えられる幅が広がる。つまり今は部屋を整理整頓して、新しい家具が置けるスペースを広げているところみたいなものね」

 

 部屋の整理整頓どころか年越しの大掃除ぐらいの勢いで中身を洗いざらい整理しちゃってるような気がするんだけど。

 

「ま、一先ずはこんなものね。私たちのチームが揃うのは三週間後だから、それまでに一通り先ほど挙げた部分のプランを出しておいて頂戴。メールで送ってくれれば私たちで精査するから心配しないでいいわ」

 

 パキパキと肩を解すように伸びをして、お祖母ちゃんは腰掛けていたパイプ椅子から立ち上がって壁に備え付けられた大型モニターのリモコンを手にする。

 

「じゃ、そろそろ向こうの対戦を観戦しましょっか。データ収集を怠るなんて許さないわよ。きっちり相手の情報を集めておきなさい」

 

 画面に映し出される白と黒。太刀を手に正眼の構えで迎え撃つ織斑一夏と、二振りの青龍刀を手に攻め寄せる凰鈴音。袈裟懸けの一閃を繰り出した鈴の甲龍(シェンロン)が一夏の守りを打ち崩して押し退ける――次の瞬間、閃光が二人の間に割って入った。

 

「……ビーム兵器? 遠隔操作できる武装がティアーズ以外に……?」

「え? なに? リッカ、これどうなってんの?」

「……私もわかんないよ。アルマは?」

「知らない」

 

 映し出されている画面外から突然降り注いだ光の雨。咄嗟に剣で打ち払うように防いだ一夏と、手堅く回避してみせる鈴。二人が並び立って、空を見上げる様子が映し出される。

 

「……なに……これ……お、おばあちゃん、これ……」

 

 映し出されたのは異形。機体のカラーは深いグレーを基調にした“全身装甲(フルスキン)”のインフィニットストラトスだ。頭はまるで某ロボットの兵隊みたいに歪で、センサーらしきものが見て取れる。腕は砲口らしいものがいくつか見えるが、他に武装らしいものは所持していない。……見せていないだけなのかもしれないけど。

 

「――既存のどのISとも違う。そもそもフルスキン自体が主流じゃない。第三世代にしてもかなり大きい……2メートルを軽く超えてる……?

 武装は一つ? だとしてもあのビーム兵器は外部からアリーナのエネルギーシールドを軽く貫通したということに――」

「な、なあハカセ!? これ、なんなんだよ! 何かのイベントか!?」

 

 異形のISを観察していると突如モニターが暗転する。お祖母ちゃんがリモコンを押しても反応は無い。仕方なくコンソールのモニターに表示しようにもコンソールすら反応が無い。

 コンソールはアリーナのサーバーに繋がっているはず。使えないということはつまり私たちが居る第6アリーナのシステムがダウンしているということ。

 

「――まさか、テロ?」

 

 シャットダウンされたシステム。謎のISの乱入。そしてあのアリーナには大勢の生徒たちが詰め寄せていて満員御礼状態だ。

 私の言葉に「そんなまさか」という顔をする三人娘。ただお祖母ちゃんだけは静かに黙したまま、タブレットを片手にアリーナでの戦闘を見続けていた。

 っ、いつまでもこうしちゃ居られない!

 

「先生! 織斑先生っ! 聞こえますか!」

 

 咄嗟に取り出したのはスマートホン。IS学園内部のシステムが落ちているかもしれないというのなら、“12G”を謳う外部の最新の機器で――!

 

『彩夏か! 無事なんだな!?』

「はい、お祖母ちゃんもリッカたちも居ます! 何が起こってるんですか!?」

『状況の仔細は不明だ。わかっていることはIS学園のシステムが何らかの電子的攻撃によってシャットダウンされ、一部のシステムが何者かに乗っ取られていることだ!

 オマケにあのアンノウン……認めたくはないがまんまとテロリストの思惑通りに決まったということかもしれん。アリーナ内の戦闘が全チャンネルで配信されている上にアリーナ内の生徒たちは人質同然の状態だ』

 

 スピーカーから放たれる驚愕の事実に三人が息を飲む。それはそうだ……この三人は私のように戦場を経験したことなんてないんだから。

 とはいえ現状では情報が少なすぎる! 相手は未だ何の声明も発しておらず、IS学園の生徒を人質に取ったままの状態だ。

 

「織斑先生は今どこにおられますか?」

『私は中央管制室だ。……循環システムまで止められていてな……ヘタをすればこの地下施設は巨大な棺桶になる可能性すらある。

 せめてこの施設は地下6フィートくらいにしておくんだったな。くくっ、そうすれば地面を掘り起こして這い上がれるのだが』

「冗談でも怒りますよ! そんなのゾンビ映画だけにしてください!」

『……そうだな。辛うじて予備電源でタブレット端末やノートPCを使って状況を把握しているが、如何せん学園全体のシステムを落とされているのが痛いところだ。このままでは日本国防軍はおろか国連軍の太平洋戦隊にも連絡が取れないままだ』

 

 ……八方手詰まり、ということか。どうすれば国連軍や国防軍に連絡をつけられる? 電子的に掌握された状態では通信さえ届かない可能性があるし、狼煙なんて上げたところでせいぜいボヤに見える程度だ。

 けどこれだけ派手に情報を封鎖しておきながら、何故アリーナ内の戦闘を全国に放映し続けているんだろう? 遅いか早いかの違いだけど、いずれ日本国防軍や国連もこの事態に気づくはず。何かしらの意図があってアリーナ内を映し出している……?

 気づくとしてもその時点からじゃ遅すぎる。可及的速やかに連絡をつける方法が無いと、あちらの思う壺でしかない。

 

「千冬ちゃん、国連軍の太平洋戦隊に連絡がとれればいいのね?」

『博士? ええ、そうです。IS学園は所属こそ独立したものですが、国連傘下のIS委員会の発案で、国連の承認の下に建設された施設です。なので有事の際は国連もしくは所在地の国家に応援を要請するのが手順となっています』

「……わかったわ。私から国連軍に連絡をつけるわ」

『……は? しかし、どうやって』

「私にもツテがあるのよ。――死んでも頼りたくないヤツだけど、私の孫や多くの若い命を危険に晒すくらいなら、土下座してでも呼び出してみせるわ」

『……お願いします。土下座するなら私の名前も使ってください。ブリュンヒルデの貴重な土下座シーンが見れる、とでも謳ってくだされば』

「くくっ、通用するかは別としてありがたく使わせてもらうわ。それでそっちはどうにかできそうなの?」

『現在ダウンしたシステムの復旧にあたっています。それと同時進行で地上への通路を物理的に開放して進んでいます。……いくつもある隔壁の油圧を人力で一つずつ解除しているので、しばらくかかります』

「了解。連絡をつけたら外部からそちらを解放できるか試してみるわ。それじゃ幸運を」

『博士もお気をつけて。それと彩夏、柊、アルマ、ロベルタ、お前達はちゃんと博士の指示に従うんだぞ。危険なマネはせずに、大人しく指示に従って――』

「あーはいはいお説教は後! そっちの心配していなさい千冬“お嬢ちゃん”!」

 

 無情に押される通話ボタン。ツーツーという切断音が空しく響く中で、お祖母ちゃんはスマホを私に投げ渡して言う。

 

「……それじゃルー・ノワールを起動させてちょうだい。スタンバイモードで、可能な限り出力を落として、ね」

「リッカ、お願い」

「う、うん。で、でも本当に動かすんですか? もし見つかったら……」

「そのためのスタンバイモードよ。ISは膨大なエネルギーをコアに備えているけど、そのほとんどは戦闘時に解放されるものなの。つまり戦闘状態(アクティヴ)ではなく待機状態(スタンバイ)ならエネルギー反応を極限まで小さくしつつ即応できる状態を維持できるの。

 タブレットのモニターで映像が受信できるということはジャミングなどの通信封鎖自体は行われていない。あくまで学園のシステムとネットワークをダウンさせて擬似的に孤立させている状態ね。アリーナ、中央管制室、IS保管格納庫とを分断して、増援がすぐに出せない状態にすることこそあちらの狙いというわけよ」

「更に言えば映像配信自体にも何らかの意図がある。だからジャミングが行われていない……だよね」

「んー、さすが我が孫! いいところに目をつけるわね! 理解できたところで、反撃開始と行きましょうか!」

 

 その場で手早くISスーツに着替えてルー・ノワールに搭乗すると、リッカたちがタブレットを使って機体にアクセスして起動シークエンスを進めていく。

 

「リッカ、起動シークエンス開始」

「了解。アルマはそのままメインシステムのチェック開始。ロビン、機体各所のネットワークの応答は?」

「良好だよ。エネルギーは満タン、武装は各種揃ってる。シグナルもきっちり返ってきた」

「オッケー。バイタルサインは正常、搭乗者保護システムも問題なし」

「メインシステムチェック終了。アヤカ、起動権限を移譲するよ」

「……よし……ルー・ノワール、スタンバイモード起動」

 

 ヴン、と小さく脈動するようにルー・ノワールが目覚める。さながら眠りから覚めた猛獣がゆったりと起き上がるようにして、ルー・ノワールのメインシステムが起動する。

 

「量子通信、立体投影モード」

「ここに接続して頂戴。繋がったらすぐに私に代わって」

 

 スマートホンのカバーの裏から取り出された一枚のメモ。色あせてくたびれて、擦り切れそうになったそれをゆっくりと開いた祖母から受け取って読み上げる。

 

「接続先指定。コード……ってキリル文字!? えーっ、えーと……あ、アルマ助けて!」

「……んと、“目から遠くなると心に近くなる”だって」

「コード指定……“目から遠くなると心に近くなる”……接続開始」

 

 一秒、二秒、三秒と時間が過ぎる。十秒が過ぎ、二十秒が過ぎる。……待てども応答は無い。祖母は苦々しい表情で待ち続け、時々遠くに目をやったりして落ち着かない様子だ。

 

「……繋がらない……かも?」

「お祖母ちゃん、このコードって更新されていたりとかは……?」

「――“これだけは変わらない”って言ってたわ」

 

 きっぱりと断言するのはよほど信用の置ける相手ということなのだろうか。……死んでも頼りたくないって言ってたけど、かなり親しい相手だったのかも。

 それでも時間だけは過ぎていく。遠くで響く戦闘らしい音。建物が崩れるような轟音。開かない扉の向こうで状況は刻一刻と悪化している。

 ハァ、と祖母がため息をつく。遠く空の彼方を見るように天を仰ぎ、普段の祖母からは考えられないほど弱弱しい声が漏れ聞こえる。

 

「…………やっぱり、もう……ダメなのかもね……今更……こんな都合のいいこと――」

『――ああ、もう今度は何だ? 一体誰だ?』

 

 不意に漆黒のままだった立体投影画面に一人の女性……少女の顔が映し出される。瞼が半開きの瞳、フリルとレースの、極めて薄いベビードール一枚に身を包んだ……銀髪に深いアメジストのような瞳の小学生程度の幼い少女がイライラとした様子で言う。

 

『連絡をくれたことは嬉しいことだが、勤務終了からものの1時間しか寝ていないというのに……それでキミは一体誰だね? このコードを知っているのは二人だけのはずなのだが』

「――――久しぶり」

『……ほう、これはまた……久しぶりだな。壮健のようで何よりだ』

「単刀直入に言うわ。IS学園がテロリストの攻撃を受けてるの。システムが乗っ取られて国連本部にもIS委員会にも、日本国国防省にすら連絡がつかないの。今すぐ国連軍太平洋戦隊の援軍を送ってちょうだい。そして日本国国防省へ連絡して、国防軍のIS部隊を派遣させて。以上。はい、さっさと回線切ってちょうだい」

『おい待て、待て待て! 四十年ぶりにいきなり連絡を寄越したかと思えば用件だけとはどういうつもりだ』

「――どうもこうもないわ。ただ有効な手段がこれしか無いから使った。それだけのことだもの。切っていいわよ」

「い、いいの? おばあちゃん」

『――“おばあちゃん”だと? すると、キミは麗香の?』

「あ、はい。孫の彩夏です……」

「ちょっ、余計なこと言わないで切って! コイツに余計な情報与えちゃダメよ!」

『孫――は、ははっ! そうか……ああ、そうか……四十年だものな……』

 

 画面の向こうの少女……のように見える彼女は先ほどまでのイライラぶりが嘘のように笑って言う。

 

『麗香、顔くらい見せてくれないか』

「…………カメラに繋いで」

「う、うん」

 

 画面の彼女もお祖母ちゃんの映像を見たのだろう。関心そうに声を上げて言う。懐かしそうに笑い、悲しそうな声でお祖母ちゃんに声をかける。

 

『…………もう、お前も年寄りなのだな』

「……そっちこそ。私より年上のクセに」

『なあ! なあ、麗香……お前はっ……お前は、幸せになれたかい?』

 

 上ずった声。目尻に伝う雫を拭い、目の前の映像に映る少女のような老人は微笑みを浮かべて祖母に問いかける。

 

「ええ。今もそうよ」

『――――そう。そうか……それは何よりだ。決して、失くすんじゃないぞ』

「……言われなくたって」

 

 最初の無音とは違う沈黙。お互いに何も言葉を発しないまま時間が過ぎようとしたとき、画面の向こうの彼女が口を開いた。

 

『援軍要請に関しては了解した。日本国国防省にもISを出すように打診しておく。我々も本部へ打電した後すぐにそちらに向かう。現在地からならブースターユニットで20分というところだ。おそらく日本国軍のIS部隊なら10分内で到着するだろう。それまで持ちこたえるんだ。いいな?』

「ええ、なんとか……って、向かうってどういう……」

『麗香、お前は運がいい。あの時もそうだし、今回もそうだ。太平洋戦隊は“私の”指揮下だからな。……よし、私もISで出るぞ!』

「ちょっと! どういうつもりなのよ!?」

『決まっているだろう! IS学園の救援に向かうついでにお前の孫の顔も見るためだ! ミーシャ! ブースターユニットの準備だ! 40秒で支度しろ!』

「ハアッ!? ふざけんじゃないわよ! アンタみたいなクズに孫を合わせるわけがないでしょ! 今回連絡を取ったのだって仕方なくなんだからね!」

『なんだ麗香、別に会ったっていいだろうに。お前に似て可愛いらしい顔じゃないか。このまま成長すればきっと美人だぞ! 五年後が楽しみだ!』

「ケッ、さっさとくたばりなさいよウォーモンガー! アンタみたいなクズで最低なクソアマから、もし彩夏が影響受けたら死んでも死に切れないのよ!

 だからさっさと今すぐくたばりやがれ。できなければマリアナ海溝にISごと沈んできなさい!」

 

 祖母の口から飛び出す罵倒の嵐に三人も若干引いてるらしい。一通り言いたいことを吐き出した祖母はタブレットから遠隔操作して回線を切って叫ぶ。

 

「あんのファッキンビッチ!」

 

 まるで子供のように地団駄を踏む祖母だったが、ぜえぜえと肩で息をするようになって落ち着いたのか、すぐに落ち着いた口調で話し始める。

 

「……今のところ私たちが見つかった様子は無いわね。タブレットで見た限りだけど第6アリーナはシステムがシャットダウンされているだけで、掌握されているわけではなさそう。

 となると向こうが掌握しているのは試合が行われていた第2アリーナ、それと中央管制室、加えてIS保管庫の三つということ。

 ……三人とも手を貸してちょうだい。アリーナのシステムを再稼動させて、外部から中央管制室にアクセスできないか試してみるわ」

 

 こうなると私の出番は無い。残念なことにシステムやらプログラム関係はからっきしだ。出来ることといえばフル装備で待機状態を維持し、周囲の索敵や警戒を行うくらいだ。

 

「ハカセ、こっちは準備できたぜ」

「私もオーケー」

「いつでも」

「……よし、三人はコンソールのポートからアクセスを試みて。私は中央管制室のシステムに裏側から当たるわ」

 

 三人も私も何のことやらさっぱりだ。揃って首をかしげていると、祖母はフッと笑って工具を手に手近な扉の認証システムに近づく。

 

「ふんっ!」

 

 バリン、と無惨に叩き壊される認証システム。砕かれたパネルの奥に手を入れ、ペンライトで照らしながらお目当てのものを引っ張り出した祖母は不敵に笑って言う。

 

「情報のやりとりをするのは、何もコンソールだけじゃないでしょ?」

 

 むき出しになったケーブルに手際よくコネクタを取り付けた祖母はタブレットを手にしたまま壁に背を預けて作業を始めた。リッカたちはアルマが操作するノートPCに食い入るように向かい合っている。

 

「……やはりそう簡単に復旧できそうもないか。どうあっても解除させたくないみたいね」

「博士、そっちにも?」

「ええ。ご丁寧に防壁が10枚。骨が折れるわね……っと、一つ減ったわ。千冬ちゃんたちも仕掛けてるみたいね。アリーナのシステムが復旧できれば中央管制室にも手出しがしやすくなるから、できるだけ急いでちょうだい」

「しっかし、まさかIS学園のシステムを私たちがクラックしなきゃならなくなるとはね……」

「ロビンちゃん、その表現は的確じゃないわ。私たちはIS学園のシステムを“奪還”するの。いい?」

「りょ、了解……」

 

 カタカタとキーを打つ音とぶつぶつと呟くように小さな声で相談する声だけがピット内を支配する。ただひたすらに目の前の問題に対処する彼女達の眼は真剣そのものだ。もはやここが危険地帯であることなど忘れているようにさえ思える。

 周辺に熱源やISの反応は今のところ無い。アリーナのピットとはいえ、隔壁で閉鎖されている状態では外の状況はわかりづらいものだけど、ISの索敵機能を使用するわけにはいかない。レーダー波や熱量の増大反応で気づかれる可能性は捨てきれない。それにお祖母ちゃんたちがアクセスしていることに感づかれた場合に咄嗟に守れるのは私だけだ。

 

「――死ぬわけには、いかない」

 

 死ねない。死にたくない。あの日全てを失った無力な自分に戻りたくなんかない。私には今この手に守れるだけの力がある。

 ……だけど、あの時もそうだった。守れるだけの力を持ちながら、何も守れないままだった。あの時と同じで……私には、何もできないかもしれない……。

 

「ハァ……フーッ……」

「……こっちは防壁の三枚目にかかったわ。そっちは?」

「今迂回ルートを探してます……アルマ、そこ。そこのプログラムを破って抜けられる」

 

 守れない、こんな考え方では何も守れないぞ彩夏! 手を震えさせてる場合なんかじゃないのに! 足が動かないなんて言い訳はもううんざりだ!

 動けなきゃみんな死ぬんだ! ここで動かないとまたあの日を繰り返すだけだ!

 

「……でも…………でもっ……!」

「ああ、くそっ。なんなのこのロジック。こんなのどうすれば……!」

「これは……ヴォイニッチ手稿だぜリッカ。少なくともデタラメじゃない。暗号なのは確かだ」

 

 指先が震える。あの赤い雨の持つ人肌の温もりが蘇る。少年兵の心臓に突き立てたツルハシの食い込む感触。噴き出す鮮血と光を失っていく瞳。私と同じか、少し年下くらいのあの子が死の恐怖に顔を歪めた、あの表情が――!

 

「よし、来た! ナイスだ、アルマ!」

「――っ」

「博士、防壁を迂回してシステム中枢にアクセスしました!」

「でかしたわ! そのまま管制システムをノワールとリンクさせて中央管制室の防壁を突破するわ。ノワールの演算能力の補助があればかなり手早く主導権を奪える!」

「アヤカ、承認を――――アヤカ?」

「……あ、うん。ゴメン、リッカ。承認……ネットワーク構築」

 

 モニターにシステムの起動画面が映し出される。流れていくログが数秒過ぎ去ったあと、ログイン画面がそこに――

 

『いやー! お疲れ様! どうだったかなー? ケッコー難しいヤツ用意したつもりだったんだけどなー?』

 

 そこ映し出されたのはデフォルメされたウサギが人参を齧っているアイコンが一つ。いつもの見慣れたIS学園のロゴとログイン画面は影も形も無く、真っ黒の背景に可愛らしいウサギが映るだけだ。

 そして流れる音声がマシンボイスの不快な耳障りと共に続いていく。

 

『正直、突破できると思ってなかったんだけどさー。万一にはってカンジで備えてあったんだよね! まさか本当に突破しちゃうなんて思ってなかったよ!』

 

 陽気で、暢気で、あまりにも似つかわしくないテンション。

 

『でもさ、今邪魔されると……すっごい迷惑なんだ』

 

 それが突然に消えうせる。重く、低く、録音されていただろうメッセージであるにも関わらず感じられる“殺意”が私の背中を撫でるように駆け抜けていく。

 

『だから正解者にはステキな黄泉路一直線片道切符のプレゼント。せいぜい、足掻いてみなよバンピーども』

 

 ブツ、と音声が途切れると共に背中を走る悪寒が消えうせる。ぽつ、ぽつと滲み出た脂汗がISスーツを濡らすことも忘れ、すぐにノワールの起動状態を戦闘モードに切り替える。

 

「……なっ、なんなの! アヤカ!? 今起動なんてしたら……!」

「黙ってリッカ! お祖母ちゃん! みんな! 急いで避難して! 敵が来る!」

「敵……!? そう……! どうやら私たち、まんまと罠にハマッたみたいよ! 千冬ちゃん! 聞こえる!?」

『聞こえます、どうぞ』

「敵に感づかれたわ。私たちはすぐに避難する。姉さんに繋ぐから彼女の指示に従って! ちょっと! 聞こえる!?」

『そう叫ばんでも聞こえている。こちらはあと十分というところだ。間も無く国防軍のIS部隊が到着するだろう』

「私たちの存在が敵にバレたの。私たちは退避して織斑千冬に繋ぐから、そちらに指示を――」

 

「みんな伏せて!」

 

 じり、と隔壁が赤く染まる。並みのISの攻撃など弾くはずの隔壁から眩い光が漏れ出すよりも一瞬早く割り込み、ノワールの拡張領域から大型のタワーシールドを二枚両手に持って立ちふさがる。

 

「ぐっ、ううぅぅっ!」

 

 じわりじわりと盾が軋みを上げ、縁の部分から溶解して形を失っていく。分厚いタワーシールドでコレだというのなら、直撃を受けたりしたら――

 

「フーッ……フーッ……!」

 

 光の奔流が消え去る。どうにか耐え抜いたシールドだけど、原型を失うほどに歪み、溶け落ちた素材がノワールの脚部を濡らしていく。

 ヘッドギアを展開。防護能力を最大に。ライフルと小型シールドを展開。スラスター出力最大に。

 

「このおおぉぉっ!」

 

 姿を現した敵機、向こうのアリーナにも現れたものと同型のソレに向かって盾を壁代わりに瞬時加速し、体当たりでアリーナ内へと押し戻す。

 突き抜ける青い空。夏を目前にした強い日差しの差し込むアリーナに落ちる影が二つ。

 

『アヤカ! 聞こえるか!?』

「…………あ、ぅ……」

『おい、アヤカ! 聞こえないのか!?』

「せ、ん、せい……敵は……敵は……っ!」

 

 巨大な両腕と歪な頭部センサーの、全身装甲のインフィニットストラトス。今織斑一夏と凰鈴音が戦っているだろう同型機。一撃でアリーナのシールドを貫通し、ピットとアリーナを隔てる隔壁を容易く溶解させた、ビーム兵器を所持するインフィニットストラトス。

 

「敵はっ……! 三機です!」

 

 その六つの砲口が、私に絶望を押し付けてくる。

 

 

 

第二十九話 破壊の雨

 

 

 三機、と聞いた瞬間に全身が総毛立つ。ざわ、と脳裏を過る最悪の事態。あの過剰とも思える出力のビームに焼かれ、見るも無惨な焼死体となったあの子の姿が――

 

「よく聞けアヤカ! IS学園内に逃げ込め!」

『ぐっ! そう、は、言った、って!』

 

 音声から聞こえる彩夏の声は形振り構わずという様子で、既に交戦状態なのは明白だ。となれば私がどこまで責任を負う覚悟があるかで、彩夏の生死が決まる。

 

「校舎、アリーナ、銅像でもなんでも構わない! 遮蔽物を利用して逃げ続けろ! 逃げ回れば死にはしない!

 最悪の場合は海の中へ逃げ込め! こちらも動きは鈍るが相手のビーム兵器は熱量を拡散されて使い物にならなくなる! 盾になるものならなんでも使え! 格納庫にある練習用のISでも、武器庫の装備でもなんでもだ! 生き残ることを考えろ!」

『っ……りょう、かい!』

 

 援軍は、援軍はまだなのか!? 3対1なんて無謀なマネを一介の生徒にさせるなど!

 

「こちらIS学園、織斑千冬だ。国連軍太平洋戦隊、ナタリヤ・ロマノフスカヤ大佐で間違いないか?」

『良好だ織斑千冬。いかにも私がナタリヤ・ロマノフスカヤだ』

 

 モニターに映るのはISを身に纏った少女……あいつを思い出す容姿だが、態度や纏う雰囲気は子供のソレとは比べ物にならない。

 

『現在我々はブースターユニットでそちらへ向かっている。また日本国の統合軍第二IS分隊も向かっている。繋ぐぞ』

『こちら日本国国防統合軍第二IS分隊隊長、篠崎成美大尉です。……予想していたよりもお若いのですね、大佐殿』

『見た目だけだぞ大尉。こう見えて年寄りでな』

 

 隣り合って映し出されたのは妙齢の、ショートカットの黒髪の目つきの鋭い女兵士。使用しているのは打鉄の統合軍仕様らしく、ライフルと実体のシールド、それに腰にはサブアームで重火器が装備されている。

 

『大尉、現在我々はあと八分でIS学園上空に到着する。そちらはどうだ?』

『こちらは約三十秒でIS学園の圏内です。既に交戦を確認しています。敵の兵装などに関しての情報はありますか?』

「こちらはIS学園の織斑千冬だ。敵は全身装甲(フルスキン)タイプのアンノウン。一機は第二アリーナ内で一年生の織斑一夏と凰鈴音と交戦中。残り三機はIS学園内で一年生の北條彩夏が先ほど交戦状態に入った。

 敵の主たる兵装は光学兵器だが、威力は桁違いだ。アリーナのシールドを紙切れのように破り、バターを溶かすように隔壁をブチ抜いてしまうレベルだ」

『ほう、厄介そうだ』

『厄介なんてレベルではないかと。少なくとも、隔壁を容易く貫通するなど威力が過剰すぎます。ヒトに対してもISに対しても。…………覚悟を決めたほうがよさそうですね』

『お若いの、軽々しく命を捨てるなよ。八分持ちこたえれば我々も参戦する。

 戦闘中に合流することになる。子供たちは支援に貫徹させろ。前に出て傷つくのは私たちのような年を食った大人だけでいい』

『了解です大佐殿。各機、聞いたとおりだ。荒川、松坂の二人は第二アリーナへ! 私と黒田は学園内で交戦中の生徒と合流する! 敵は過剰とも言える火力だ! 回避と防御を重視し、連携を崩さずに立ち回れ!

 ……大佐殿、織斑女史、後をお願いします。……全機突入!』

 

 これで現状で切れる札は全て切った。彼女達があのイレギュラーを排除してくれればいいが、もし万一があって撃破できなかったとなれば……覚悟を決めなければいけない。

 

「山田先生、ISスーツの用意を――二人分頼む」

 

 

 

「こっ……んのぉっ!」

 

 機体がぎし、ぎし、と悲鳴を上げる。目前に迫った一発目をサイドブースターを最大で回避。二射目が来るよりも早く両手にアサルトライフルを展開し、ターゲットをロックもせずに見越しでフルオートでばら撒く。

 一射目がアリーナの観客席の一部を消し飛ばす様子に冷や汗が流れそうになるものの、その暇も無く二機目と三機目が撃ち込んでくる。回避マニューバとターン時の手足の遠心力とPICを駆使し、UFOのような急加速と急停止を繰り返して敵の攻撃をすり抜ける。

 

『よく聞けアヤカ! IS学園内に逃げ込め!』

「ぐっ! そう、は、言った、って!」

 

 ドンッ、ドンッとカラダに押し寄せる急激なGをPICとISスーツが緩和してくれるものの、敵が三手に分かれて三方向から攻めてくるお陰で息をつく暇も無い。

 遮蔽物の無いアリーナ。必然全ての攻撃に晒されることになるけど戦うしかない。私がやらなきゃ、やらなきゃ……みんな死んでしまう!

 

『生き残ることを考えろ!』

「っ……りょう、かい!」

 

 急停止をかけて即座にターンし、瞬時加速で距離を取る。IS学園内に逃げてもいいと言われたけれど、アリーナの搬入用通路の隔壁を破れる装備が無い。これじゃジワジワとなぶり殺しにされるだけだ!

 

「おばあちゃん! シェルターに退避したらアリーナの隔壁を開放して!」

『大丈夫なの!?』

「いいから!」

『……わかったわ。隔壁開放!』

 

 時間稼ぎにさえなればいい。最悪の場合はIS学園内に逃げることになるけど、少しでも増援が来るまで持ちこたえれればいい。

 アサルトライフルを格納し、両手にグレネードランチャーを装備。時限作動の状態で周囲に秒間5発の速度で弾頭をばら撒く。

 

「っ……!」

 

 その間にも敵の攻撃が押し寄せる。一機は上空から、二機目は地上に降り、三機目は追随して攻めて来る。上空から飛来する閃光をサイドブースターを吹かして回避。地上からの二射目をターンを駆使して機体を地上に向け、アリーナの地面に向かって瞬時加速して難を逃れる。

 そして追随する三機目の放ったビームが放たれる直前に左手に展開したバックラーをフリスビーの要領で投げつけて妨害する。

 狼が駆け出すと同時に、地上でEMPとスモークグレネードが時限信管を作動させて爆発し、センサーを一時的に不能にする。その一瞬の硬直を突いて、ターンを加えた連続での瞬時加速で一気に搬入用通路に滑り込む。

 

「隔壁を落として!」

『隔壁閉鎖!』

 

 メインの隔壁が落とされ、次いで緊急時用の隔壁が閉じられる。確認するまでもなく、振り返ることなく機体を浮き上がらせてIS学園内に向かって狭い通路内をルー・ノワールで飛翔する。

 

『緊急時用の隔壁を落としたわ。これで少しだけなら――』

「……だめ、来るっ!」

 

 後方を見据えていたセンサーが熱源を察知する。隔壁の中心部からじわりじわりと熱センサーの表示が青から赤へ、そして白に変わって――

 

「うぁぁぁっ!」

『アヤカ! 逃げて!』

 

 咄嗟に展開したシールドでバイタルパートを庇うものの、シールドは三秒と持たず溶け落ちる。膨大な熱量に晒された表面装甲が歪み、エネルギーシールドを容易く突破した一撃に絶対防御が発動してエネルギーをガバガバと食らい尽くしていく。

 熱い。痛い。眩しい。そんな感情なんてどうでもいい。……死にたくない。まだ死にたくない! 私を生かしてくれた人たちのためにも、こんなところで死にたくない!

 

 約3.5秒。盾が受け止めた三秒を覗いた、たったコンマ5秒の照射だけで、死が背筋を這い回って私を呼ぶ。

 

 ヘッドギアの損傷を示すメッセージ。次の瞬間、ヘッドギアが強制解除されて、顔が外気に触れる。鼻をつく解けた金属の匂い。目にしたノワールの装甲は膨大なエネルギーに晒されて表面装甲が歪み始めていた。

 

「――ゃ、だ……やだ…………イヤ……!」

 

 溶け落ちた隔壁の向こうに敵が見える。こちらを覗き込み、見据え、銃口をこっちに向けて――新たに閉じられた隔壁に押し潰される。

 

『調子乗ってんじゃないわよガラクタがっ! アヤカ、予備隔壁を落としたわ! そのままIS学園内に逃げ込みなさい!』

「――っ、はいっ!」

 

 わき目も振らず瞬時加速。狭い通路を一直線に突破し、いつもの見慣れつつあるIS学園の校舎が目に飛び込み――全身に鳥肌が立つ。

 

「――回りこまれて」

 

 並び立つ二機のアンノウンが静かに、ゆっくりと砲口をこちらに向ける。…………いつもの思考が加速する感覚とは違う、絶対的な恐怖からくるスローモーションの感覚。背後から隔壁を素手で破ったもう一機がハイパーセンサーで見える視界に映り込む。

 後ろから狙われ、正面には二機、上下左右は壁。光が私を飲み込んで、全身の装甲が焼け爛れて絶対防御さえ突破される。ISスーツは燃え尽き、血液が沸騰し膨張して血管や眼球を破裂させ、肉も骨も膨大な熱量で炭化し、果ては灰と化して――

 

『そのまま突っ込め!』

「……っぁ……!」

 

 不意に脳を揺さぶるノイズ交じりの声。正面で待ち構えていた二体のアンノウンが突然横殴りの雨に晒されたように吹き飛び、爆炎と煙が立ち込める。

 脳が思考するよりも早く再度瞬時加速をかけ、煙と炎の中を突き抜けて上空へと飛び上がる。

 

『よくやったぞ! ちょっとヒヤリとしたけどな!』

 

 空に飛び上がると青い空が私を出迎える。どこからか聞こえた通信の主、打鉄の軍用モデルを操る統合軍の深緑の正式ISスーツを来た二人が私の左右を守るように高度を合わせて喋りかけてくる。

 二人の目はバイザーで隠されているが、その表情は笑みを浮かべている。

 

『いやー、学生だってのにヤるねキミ! センスあるし、是非将来はウチに来ないかい? それにその機体、全身装甲? ……珍しいね、是非スペックを見てみたいなぁ!』

『黒田の言うとおりだ。あそこで行動できる胆力は素晴らしいぞ。私は統合軍第二IS分隊隊長の篠崎成美大尉。後は任せて退避しているんだ。ここからは我々の仕事だ。黒田、気を抜くなよ』

『了解であります大尉殿! 私は黒田夏帆少尉。よろしくね、未来のIS操縦者(パイロット)さん』

「……私は、あっ、IS学園の」

『名前は聞いている。自己紹介はいい。こんなにボロボロになって……怖い思いをしただろうがもう大丈夫だ……あとは我々が相手をする。アリーナにも二機向かわせている。あちらが片付けばこちらに合流する予定だ』

「……気をつけてください! 敵は高出力の光学兵器で攻撃してきます! 私の機体は装甲が厚いほうじゃないとはいえ、一撃もらっただけでこの状態です。それに……くっ!」

 

 下方から迫る高熱源。センサーの捉えた反応から、短距離ならほんの一瞬で到達するだけの弾速を持つビームが掠めて過ぎ去っていく。

 

『北條さん! 大丈夫!?』

「……大丈夫です、黒田さん。どうやら……狙いは、私みたいですから」

『フム、となると……黒田は前衛だ。私が援護し、二体を牽制して抑える。一機をまず確実に仕留めるぞ。北條さん、貴女は敵に狙われた場合に備えて距離を取っておきなさい』

 

 あの三機のアンノウンをたった二機で相手取る? そんな無茶が通るはずがない。死ぬのは怖い……けど、ここでやらなきゃおばあちゃんやみんなだけじゃなくて、他のIS学園の生徒まで……!

 

「私は、元国防省情報部第三課のIS操縦者です! それに、織斑先生と山田先生の弟子です……!」

『――君の覚悟は買おう。しかし君は一介の民間人であり、かつIS学園の生徒だ。私たちが為すべきは敵の撃破であるように、君の為すべきは生き残って無事に家族や友人と対面すること!』

「わかっています……! わかってるんですっ! けど……っ! どこに逃げたって、アイツらは私を殺すつもりです! 他のヒトを巻き込むくらいなら、今ここでアイツらを落とさないと……!」

『……ダメだ、君が腕の立つ操縦者だろうと参戦は許さ――』

『なら、私が許可する。彩夏、銃を取れ』

 

 トーンを低くして、威圧的に言い放つ大尉の言葉を遮って先生の声が割り込んでくる。

 

『織斑女史、あなたは子どもを戦場に立たせるおつもりで?』

『いいや。彩夏が生き残るための最善を尽くしているだけだ。……いいか彩夏、利用できる“もの”なら“なんでも”使え。……たとえそれが――』

『チッ、ああ、わかりましたよ織斑女史。その先は言わなくて結構。……聞いたな黒田、我々()()でアレを落とすぞ。ついでに、次の飲み会は先輩持ちだそうだ』

『りょーかい、なるみん。酔いつぶれたらよろしく。先輩、預金残高は十分ですか?』

『――すまない……恩に着る。三人とも、必ず生きて戻れ――』

 

 打鉄の軍用モデルに乗る篠崎大尉はバイザーを解除し、私の前にその背中を晒して壁になると、黒田少尉は右手に汎用の61口径のブルパップ式のアサルトライフル、左手に50口径のサブマシンガンを手に周囲を警戒している。

 あの重装甲に通じるかはわからないけど、ブレード片手に近接戦を始めるようなことがないのは助かる。

 

『ここから先は三人で連携して攻めるぞ。……といっても、間に合わせ程度だが。北條さんはスナイパーライフルは装備しているか? それ以外には?』

「はい。H&KのAISスナイパーライフルです。48×145mmアンチマテリアル弾を秒間3発で撃てます。他には軽量のサブマシンガン一丁とアサルトライフルが一丁、グレネードランチャーが二丁で、EMPやECM、それにスモーク弾があります。……奥の手であれば、光学兵器も」

『了解。北條さんは距離を取って狙撃支援に徹してくれ。連携の合間を縫ってEMPやスモークで相手の行動を妨害するのはチームや同じ部隊の人間でなければ難しいからな。黒田、あまり攻め急ぐなよ』

『了解。援護お願いしますよ』

「了解です。射撃時にはこちらから通知します」

 

 大丈夫……うまくやれば三人で押さえ込める。国連軍の増援が来れば5対3、アリーナのほうが片付けば7対3だ。それまで被害を抑えるには敵の動きを見極め、連携を切り崩すしかない。

 そのために必要なのは……死なないこと。敵の攻撃を回避するか妨害することに専念して、反撃と牽制で時間を稼ぐことだ。

 

 死ぬのは怖い。誰かが死ぬのも怖い。だけど……私はもう一度ISに乗るって決めたはずだ。だったらここで諦めるわけにはいかない! 私を助けてくれた人たちのために、今はやるべきことをやるだけだ!

 

 

 

「うおおおおおォォォォォァァァァッ!」

 

 雪片弐型の刃が光を放ち、シールドエネルギーの膜を裂き、装甲を両断してすり抜ける。遂に……遂に、目の前の不細工な土偶のようなISが動きを止め、どさりとアリーナの地面に倒れこんだ。

 俺たちを狙ったこの無人の全身装甲型のISは、俺と鈴に加えて軍のIS二機が総がかりでやって、どうにか倒すことができた……みたいだ。

 

「ハァッ、ハァッ、くそっ、ハァ……」

 

 全身から汗が噴き出す。全身が気だるい。力が抜けて今すぐにでもベッドに飛び込みたい。

 

「……ぁっ、荒川さん!」

 

 ハッと脳裏に浮かんだのは黒髪の、肩口で切り揃えた綺麗な女性の顔。少したれ目で泣き黒子の印象的な、優しげな笑顔の軍人。この一撃を成功させるための最後の一手を務めたあのヒトは――

 

「――いち、か」

 

 左腕を焼かれ――

 

「ど、どうしようっ……どうしたらいいの!?」

 

 灰も残らず――

 

「ち、ちが、血がっ……! 止まらないの……! 血が、止まらないのっ……!」

 

 下半身を丸ごとあの閃光に抉り取られて――

 

「一夏っ! どうしたらいいの!? このままじゃっ、荒川さんがっ!」

 

 あの柔らかそうな唇を真っ赤に染めて――アリーナの大地に横たわっていた。

 荒川さんが臓物を曝け出し、空を見上げながら横たわる傍で、流れていく(いのち)を必死で繋ぎとめようとする幼馴染が居た。荒川さんの命で染まった鈴の赤い手。白い布を零れ落ちる涙と血で染めながら、鈴はISの通信を使って救助を呼びかける。

 

「ゲホッ、ア、あぁ……け、ケガ、は……ない……?」

 

 喋るたびに口の端から赤が零れる。穏やかな瞳で、鈴を、俺を見る目は彼女の命の火を感じさせる。死にそうになっているのに、それなのに、どうして俺たちを気遣えるんだろう。

 

「ッ、カ……つ、ぁ、な、成美……きこ、える?」

『ぐうあっ! ど、どうしたっ荒川!? クソッ、黒田! 上から来るぞ! 一度仕切りなおせ! 北條さんに近寄らせるな!』

「……り、涼は……ゲホッ、ごぶっ……せ、戦死……したわ」

『ッちぃっ! 一機抜けたぞ、北條さん! すぐに逃げろ! それでお前はどうなんだ!?』

「ゴメン、ね…………わ、たしも、さ、き――に――」

『すまない――ありがとう、二人とも……』

 

 荒川さんが命がけで繋いだ先、焦燥に駆られたこの声の主は外で戦っているという仲間なのだろう。

 消えていく。命が、溶け落ちて消えていく。やさしく励ましてくれた。心折れそうなときに奮い立たせてくれた。俺たちを……守ってくれた。一人の人の命が、その瞳から消えうせていった。

 

『ぃっ、ぎぃやああぁぁぁぁっ!』

 

 ぞく、と背中を走る悪寒。甲高い、誰か、もっと身近に居た、知っている“声”――!

 

「――いまの、アヤカ……?」

 

 鈴の呟きが、どこか遠くで聞こえた気がした。

 

 

 

『各機散開! 射撃戦用意! 絶対に動きを止めるなよ!』

 

 篠崎大尉の号令が通信越しに響く。直後、熱源反応のアラートが鳴り響き、三手に分かれた私たちをそれぞれ青いビームの軌跡が襲う。黒田少尉は一度目のブーストで回避してすぐに二度目のブーストで機体を地面に向けてターンさせ、敵に向かって果敢に接近する。対照的に篠崎大尉はPICを巧みに操って機体の動きを最小限に抑え、すり抜けるように敵へ向かって瞬時加速をかける。

 先行する形で前に出た篠崎大尉の打鉄がサブアームで保持したグレネードキャノンを放つ。と、同時に後方に居たはずの黒田少尉が瞬時加速で大尉を追い越し、脚部の小型ミサイルランチャーを放つ。

 

『持っていけっ!』

 

 容易く回避される――そのはずだったグレネードキャノンは命中する直前に爆発する。弾頭の割りに小さな爆発。しかしその煙は炎の量に対して膨大で、学園のアリーナの半分は埋め尽くすだろう。

 周囲にばらまかれたスモークの中に黒田少尉が放った追撃のミサイルが突っ込んでいく。ドドンッと煙の向こうで響く爆発音。そしてその煙幕を突き抜けて――傷一つ無い敵機が知覚することも難しい速度で次々と二人に迫る。

 

『っとぉ! なんっ、つー装甲、だよ!』

『やはり一筋縄ではいかないな! ……一機回り込んだぞ! やはり北條さんが狙いか!』

 

 視線を地上に向けるとそこには一機のインフィニットストラトス。歪な形状のそいつが、瞬時加速で地上から一気に私の居る高度まで駆け上ってくる。

 

「くっ、一対一なら、これくらいっ!」

 

 現行機とは比べ物にならない瞬時加速。そしてその勢いのままに繰り出される右ストレート。寸でのところでシールドを滑り込ませて受け流して後方にブーストし、すぐにシールドを格納してハンドガンを高速切替(ラピッドスイッチ)で取り出し、マガジンの弾丸を叩き込む。

 けれど相手が怯む様子が無い。普通なら銃を突きつけられれば何らかの動作をするものだというのに、相手にはソレが無い。よほど装甲に自信があるのか、或いは――

 

『黒田! 防げっ!』

『了解! ――っぐ、ぁぁぁぁっ!』

 

 黒田少尉が両肩の浮遊シールドを全面に構えて青い光を受け止める。なんで!? 避けられるはずなのに――

 

「射線が……!」

 

 レーダーに見える位置関係。脳内に描かれた機体の配置から読み取れた。読み取ってしまった。黒田さんが避ければその射線上に居るのは――私だ。

 それに気づいた篠崎大尉はやはり高い実力を持っている。そして同時に、敵もそれと同じだけか……或いはそれ以上のものを持っている可能性がある。

 

「ここで、足手まといになるわけにはっ」

 

 目前に迫る敵――レーダー上にアルファと仮称された敵機を振り切ることができない。使えるものなら使う……だったら、こうすればいい!

 

『北條さん!? やめろ! こちらに近づくんじゃない!』

「後ろに逃げられないなら……“前に”逃げればいい!」

『でも、やるしかないですよ大尉! 例え賭けだろうと!』

『チッ、お転婆どもめ! 援護はする。タイミングは好きにしろ!』

 

 連続での瞬時加速。そこにPICの制御を加えて機体を滑らせ、敵に狙いを定めさせない。今の私は敵――アルファに背を向けている状態だ。撃つには絶好のカモだ。だけど、予想通り撃ってこない。

 アルファと私を結ぶ一直線の先、射線上に敵――ベータとガンマが居て大尉たちと交戦しているから!

 

「当たってっ……!」

 

 右手に携えた対ISスナイパーライフル。レティクルに捉えた敵機に向かってトリガー。マズルから吐き出されたアンチマテリアル弾が飛翔し、ベータとガンマの頭部に吸い込まれるように命中する。

 僅かに動きを止めた二機。その一瞬を狙った黒田少尉は左手に持ったナイフをベータの左腕間接に突き刺してIS学園の校舎に向かって蹴り飛ばし、篠崎大尉は展開済みのグレネードキャノンの弾頭をガンマに叩き込む。私はそのまま爆煙の中を目くらましにして突き抜け、追撃してくるアルファに向かってターン。

 散開していた二機が、アルファに襲い掛かる。篠崎大尉がもう一つのサブアームで保持していたガトリングガンでアルファの足を止め、黒田少尉が武器を格納してブレードで切りかかる。瞬間的に多量の弾丸を食らったアルファの装甲が銃弾で抉れはじめ、ブレードの煌きが袈裟懸けに走り、装甲を更に傷つける。

 

「動きを止めます!」

『狙撃支援来るぞ! 黒田、距離を取れ!』

『了解っ!』

 

 アルファにアンチマテリアル弾――それも対IS用の改良型が命中する。右腕の関節部と肩口に命中……だというのに、相手は気に留める様子もなく突っ込んでくる。

 そこへ態勢を立て直したベータとガンマが加わり、再び3対3の状況に。先行したアルファに向かって前衛の黒田少尉が張り付き、篠崎大尉がグレネードとガトリングガンでベータとガンマを牽制。当然とばかりに回避した二機のうち片方――ガンマを狙って私のスナイパーライフルの銃撃が加えられる。ベータは篠崎大尉がサブアームのガトリングガンと両手のライフルで弾幕を張られてアルファの増援に加わることができず回避に専念するばかりだ。

 

『いいぞ、分断した! 仕留めろよ黒田!』

『やってる、けどぉっ! こいっっつ! かったーい!』

 

 黒田少尉の近接ブレードが煌く。アルファの胴体に走る火花と傷跡。幾度も打ち込んでいるのに、甲高い擦過(さっか)音にブレードの刃は弾かれ、ヤケクソといわんばかりに黒田少尉は先ほどと同じように片手のナイフで関節部を狙うものの、アルファはすぐさま腕を引っ込めて近距離でレーザーの散弾を叩きこんでくる。

 

『ぬあっ! くっそ、やっぱ間接は弱いのかな! 随分警戒してる!』

『だろうな、私が二機に牽制をかける! 北條さんはアルファを狙え! 黒田は隙を見て打ち込め!』

「了解!」

『オーケー!』

 

 小器用にも篠崎少尉はサブアームのガトリングとグレネードキャノンをベータに、両手のライフルをガンマに向かって撃ちこんで接近を許さない。反撃のレーザーが左前方と下方から迫るものの、篠崎大尉は小刻みな姿勢制御と慣性制御(PIC)を利用して機体を滑らせ、最低限の動作で攻撃を回避して弾丸とグレネードを反撃で叩き込む。

 

「これで!」

 

 黒田少尉と追いかけっこ状態が続くアルファに向かってレティクルをあわせる。アルファも左右に揺さぶりをかけてくるものの、黒田少尉の小刻みな瞬時加速で間合いを詰められるのを警戒してかさほど早いわけではない。――なら、外す道理はない!

 

 ガガンッ、と装甲に突き刺さるアンチマテリアル弾。肩と足に命中した、その直後――

 

『キイェァァァアぁぁぁっ!』

 

 甲高い、吼えるような声と共に上段でブレードを構えた黒田少尉が切りかかる。切っ先が届く寸前、アルファは身をよじるようにバックブースト。少尉の渾身の一太刀が切り裂いたのは左胸の装甲の表面だけに留まる。

 結果は最良ではないけど、収穫が何も無いというわけでもない!

 

「やっぱり……この敵、無人機です! 人間が知覚して行動するよりも対応が早い! それに人間が乗っているにしては攻撃や威嚇に対して反応が薄すぎます!」

『やはりか。軍用の重火器を食らっていて躊躇いも迷い一つさえ出さないあたり、おかしいとは思っていたが……』

「装甲は厚いですが貫通性能の高い火器やグレネードキャノンは効果があるようです! 私の武装は元が競技用なので、あまり高い貫通性はありませんけど……」

『手立てがわかっただけでも十分だ! 黒田、向かってくるぞ!』

『行かせないっての!』

 

 黒田少尉が空振ったのを隙と見て突っ込んできたアルファ。その繰り出された左腕のジャブを黒田少尉は刀身に左手を添えて受け流し、カウンター気味の蹴りを放って距離を取りつつ、再展開したサブマシンガンとアサルトライフルをフルオートで叩き込む。

 

「これならっ!」

 

 距離が開いたその一瞬を狙い澄まし、狙撃を一箇所に集中して撃ち込む。二度、三度と同じ右肩に叩き込まれたアンチマテリアル弾が遂に装甲を貫通し、肩のパーツの一部が砕けて海の藻屑になった。

 

『そこっ!』

 

 二機を相手に圧倒的な弾幕で押さえ込んでいた篠崎大尉はリロードの隙を突いてレーザーを放ってきたガンマに向けて、打鉄のサブアームに懸架されたグレネードキャノンを向ける。火を噴き、着弾の直後に膨大な熱量を伴った爆発が巻き起こる。

 その反撃と同時にベータが篠崎大尉に向かって瞬時加速。一時的に身動きをとれない大尉を狙い、あの高出力のレーザーの砲口が向けられる。

 

『大尉! 左から来る!』

『くそめ!』

「援護します!」

 

 大砲の射撃音にも近い発砲音と共にアンチマテリアル弾が吐き出されると、大尉を狙って構えていた敵機――ベータの装甲を歪ませて吹き飛ばす。

 

『いい腕だ! 助かる!』

『まだっ! 逃げて北條さんっ!』

 

 ビー、と脳裏に響き渡るアラート音。IS学園の校舎の影から姿を現した敵――ガンマがその一撃必殺に等しいレーザーを放つ。

 

「――ま、だぁっ!」

 

 射撃姿勢から無理矢理にサイドブースターを吹かして回避すると、左側面の下方から過ぎ去った青い光が私の自慢の黒髪を焼き払っていく。ヘッドギアをやられたせいで顔は外気に晒されたまま戦いが始まり、髪を留める暇も汗を拭う暇も無い。

 勢いのままにブーストで学園の校舎を盾代わりに距離を取り、再び高度を取って狙撃態勢に。追撃を仕掛けてくるガンマを振り切ろうとするものの、機体の機動性ではあちらが上。追いつかれるのが目に見えているのなら、近づかれる前に足止めすればいい。

 

『こちらナタリヤ・ロマノフスカヤ! 現在IS学園の上空1万メートルだ! これより再突入を行う。お前達、よく耐えた!』

『よし……っ――ダメ、なるみん! もう一機そっちに行った!』

 

 閃光が奔る。青い光の帯が一直線に突き進み、ノワールを掠めて過ぎ去っていく。こちらを狙ってきたガンマを篠崎大尉が阻む。大尉の取り出した35ミリガトリングガン……ボフォース社製のIS用装備から放たれた弾丸の雨が降り注ぐ……その直前に大尉が突然バックブーストをかけて後方に下がる。それと同時に青い閃光が大尉の居た場所を過ぎ去り、更に連続で小刻みにレーザーの雨が大尉を襲うものの多少被弾をもらいながらも一足早く回避する。。

 そこを更に畳みかけようと、一番損傷の大きいアルファが迫る。

 

「どきなさいよっ!」

 

 スナイパーライフルの攻撃を察知したアルファが軌道を変えて回避行動に出る。その間に高度を上げて上方からベータがこちらにレーザーを放ちつつ距離を詰めてくる。

 

「まずい、篠崎大尉! 狙われてます!」

『ぐっ、くぅぁっ! そのよう、だな!』

 

 大尉が司令塔だと見たのだろう。そしてその予測は――大当たりだ。

 態勢を立て直したガンマが銃口を向ける。ベータは尚も大尉に向かって突っ込んでくる。黒田さんはアルファの足を止めようとしているけど間に合わない。

 入れ替わり立ち代りの攻防の均衡が崩されるという確信に近い予感。せめて一機だけでも、足を止めれば!

 

「止まって、止まってよ!」

 

 ガンマが放ったレーザーの軌跡は篠崎大尉を捉えることはなかった。が、私の狙撃による損傷すら意に介さないアルファの特攻に大尉がもみ合いになりながらIS学園の校舎内に叩きつけられる。

 すぐさま射線を開けたアルファ。そこに更にベータが追撃のレーザーを叩き込む。

 

『ぐうあっ! ど、どうしたっ荒川!?』

 

 咄嗟に非固定浮遊部位(アンロックユニット)――両肩の防盾を全面に出して防いだものの、防ぎきれない脚部などをレーザーが焼く。

 それを放ったベータを黒田少尉が横合いから瞬時加速で間合いを詰め、サブマシンガンをばら撒いて牽制する。回避しようとしたベータに黒田少尉が加速の勢いのままに、打鉄の脚部を振り回してベータの頭頂部を蹴り飛ばす。

 

『クソッ、黒田! 上から来るぞ! 一度仕切りなおせ! 北條さんに近寄らせるな!』

 

 その言葉に黒田少尉がはっとして頭上を見上げる。太陽を背に、隼の如く空を切り裂いてガンマが迫る。更にベータは自らを蹴り落とした黒田少尉を気にも留めず、校舎から這い出そうとした篠崎大尉を押さえ込む。

 まずい、不味い! これ以上は持ちこたえられない! はやく、はやくたすけて――

 

『一機抜けたぞ、北條さん! すぐに逃げろ!』

 

 ふと、頭から抜け落ちていたものがカチリと嵌まる。――あいつは、アルファと呼んだあの機体は――どこに?

 

「っぐあっ!」

 

 不意に後頭部に走る痛み。背中から押されて、姿勢制御さえままならないままにIS学園の校舎が近づく。窓ガラスを突き破り、散らばる破片を更に砕きながら叩き込まれたのは1-Aの標識が転がる教室。

 

「――ァ……ぐ、な、に……?」

 

 コンクリートの崩壊で巻き起こった土ぼこりの中に仰向けに大の字で倒れたノワールと私。身動きしようにも右腕が動かない。パワーアシストがあるはずのISなのに、ビクともしない。全身が押さえつけられる感覚はまるで土の中にでも埋まっているかのよう。

 

「――――ぇ」

 

 潮風に乗って晴れた砂埃。瓦礫が乗っているのだと思っていたその重みの原因――アルファの姿が、目の前に――あった。

 巨大な腕が私の胴体を押さえつけ、右腕は敵に掴まれて銃すら喪失している。

 

「ぐっ! いっ……あっ!」

 

 アルファに持ち上げられた右腕がピンと張られる。微かに流れる痛覚の信号。それが、じわ、じわ、と大きく、強く、激しくなって――想像してしまう。

 

「ゃ……や、めて……そっ、それだけはっ……! ぐ、ああぁぁぁっ!」

 

 みぢ、ぎし、ぶち、びし。軋みと断裂音が恐怖を煽る。痛みが結末を想起させる。こいつが何をするつもりなのか!

 

「ヤダ、ヤダヤダっ! そんなのイヤッ! せ、せんせぇっ! おばあちゃんっ! おねえちゃんっ! 助けて……っ! 誰か助けてよぉぉっ!」

 

 死ぬのはヤだ。死ぬのはヤだ。けど、こんな風にカラダをバラバラにされるなんてもっとイヤだ!

 

 

 ―――ぶちり、と

 

 

 ―――聞いたことのない音が、聞こえた。

 

 

 

 

第二十九話 覚醒

 

 

「っ――はぁっ……! ふぅーっ、ハァ……」

 

 見開いた先に見える白い天井。ピ、ピ、ピ、と早い鼓動を繰り返す電子音。口元に感じる空気の流れ。動かそうにも動かせないカラダ。滲み始める視界の中に、一人の少女の姿が映り込む。

 

「……起きた、か。もう大丈夫だ……あの怖いヤツはここには居ない」

 

 見た目には小学生の高学年か、良くて中学生という容貌の少女。少しばかり、気持ち程度に青みを含んだ銀の髪。アメジストの瞳の彼女が私を見ている。

 

「ぅ……ゎ、た……」

「無理に喋ろうとするな。キミは一週間も寝たきりだったのだ……これから少しずつ良くなるさ。そう焦るものじゃない」

 

 国連軍の士官服、黒を基調に肩章や襟章などが飾られたそれを着こなす見た目中学生か小学生の少女の手が私の頬を撫でる。ムスッとしたような硬い表情が柔らかな笑みに変わる。

 

「……ぉ、ば……ちゃ……」

 

 既視感。脳裏に浮かぶフラッシュバック。私を抱き締めてくれたおばあちゃんの姿が、目の前の彼女に重なる。

 

「――はは……わかったよ。キミのおばあちゃんに、キミが目を覚ましたと伝えておくよ。さて、動かずにそのまま聞いておくれ。できれば慌てず、ゆっくりと、冷静にね。

 今のキミは四肢のうち右腕と左腕を喪失し、そして右足を粉砕された状態だ」

 

 ……腕が、無い? 足もやられた? そうだ! 確か、IS学園でアンノウンと――

 

「まて、深く考えるのは後だ! 今にも泣き喚きそうな顔をするんじゃない。今はただ現状だけを理解することに努めるんだ。わかったら一度だけゆっくりまばたきをするんだ」

 

 正直言って納得はできない。でも、こうして動くこともできないのは私が何らかの負傷をしたということを物語っている。 

 

「……そうだ。それでいい。続きを話そう。キミの右腕と左腕はどうにか接合を完了した状態で、現在はナノマシンと人工ES細胞による神経系の再構築と接続が行われている。あと三日はこの状態が続くことになる。

 残念だが右足のほうはさらにヒドイ。重度の骨折と、神経系の損傷……完治したとしても障害を残す可能性があった」

 

 だが、と言って目の前の軍人の少女はニヤリと笑って告げる。

 

「先進医療というのは私の想像以上に進んでいたようでな。今のキミの右足はナノマシン培養層の中に突っ込まれている。時間はかかるが、骨格の再構成と神経系の治療が行われている真っ最中だ。ああ、例え動けるようになってもあまり治療中の足を直視するのはオススメしない。今の君の右足はかなりグロいからな。ふやけたヌードルのように曲がったり飛び出したりでいろいろと視覚的に危険だ」

 

 不意に、看護服を身に纏ったブロンドの女性がすっと視界に入り込む。薄ぼんやりと景色が歪む。瞼がひとりでに閉じていこうとする。まだ、まだおばあちゃんやみんなに会えてないのに――

 

「ナタリー、もういいかしら?」

「――もう少しだけ」

「ダメよ。あなただから特別に一時間だけ入れたのよ?」

「わかった……引き下がるとしよう。アヤカ、キミは少しまた眠るといい。余計な考えを捨てて、傷の治療に専念することだ。では、後を頼む」

 

 やだ……みんなに、会いたい。だれかにいてほしい。行かないで――私を、ひとりにしないで――

 

 

 

 

「それで? 私たち二人を戦隊旗艦にご招待だなんてどういう風の吹き回し?」

「なあに、少しばかり重要なお話ってだけのことさ」

 

 国連軍太平洋戦隊旗艦、ミタール級戦略重ミサイル潜水艦“ラトゥーニ”の艦内。私と織斑千冬は目の前でゆったりとコーヒーを飲む彼女……ナタリヤ・ロマノフスカヤに無理矢理連れられて士官室に引きずり込まれた。

 事件の事情聴取がひと段落ついたと思った矢先にこれだ。ため息の一つ二つは当たり前だ。

 

「……もったいぶらずに話をしていただきたいのですが」

 

 おーおー、千冬お嬢ちゃんもお怒りときた。そりゃそうでしょうね。ようやく事情聴取から解放されたかと思えばまた狭苦しい潜水艦の中に引きずり込まれたんですもの。

 

「わかった、単刀直入に言おう。――北條彩夏の件だ」

 

 北條彩夏。私の大切な孫。……もう三日も顔を見ていない。以前ならほんの一ヶ月や二ヶ月は平気でいられたはずなのに。

 

「……力及ばず、恥ずかしい限りです。私がもう少し早ければアヤカは――」

「それは今はいい。あの子がどちらに向かうかわからん以上は……お前達に伝えておくべきことがある。覚悟は決めておいてくれ」

「わかりました」

 

 覚悟、ああそんなものとうに決めている。あの子が一人になったときから、ずっと私の中では何も変わらない。ただ、あの子が人並みの幸せを手に入れて生きていけるように――私はただそれだけを願って生きてきたんだから。

 

「いいのか、麗香?」

「当然」

「……わかった、まずアヤカの今後に関してだ。現在アヤカは多量の出血と四肢の欠損によって集中治療室(ICU)で二十四時間体制で治療が行われている。ここからが山場になるそうだ」

 

 ……ここが分かれ道か。初めての孫であるアヤカが生まれて、妹も生まれた。アヤカが十一歳のときに白騎士事件で両親や妹を亡くしてから、あの子のために旦那と一緒に頑張ってきた。そして旦那も死に、私に残った血縁者はアヤカと目の前に居る姉のたった二人だけ。

 もう失くしたくないのに、いつだって世界は()()だ。私に幸せになる権利など無いといわんばかりに、私の手の中から大事なものを奪い去る。

 

「無事に乗り越えれば二週間を腕の治療にかけることになる。繋がったとしても以前のように動く可能性は低いのが現実だ。そして右足は……高度なナノマシン技術と再生医療を組み合わせても修復まで一ヶ月はかかる。オマケに障害が残る可能性は未知数だ。骨格の原型を辛うじて読み取れるレベルの損傷を受け、肉は裂けたり潰れたりで、まるで高熱で解けた鋼材のような状態だ。復元だけで一ヶ月。機能回復の可能性は……祈るしかないだろう」

「――そう」

「麗香……! さっきからその投げやりな口ぶりはどういうつもりだ! 妹であるお前をそんな冷血に育てた覚えは無いぞ……!」

「一度に三人失った衝撃に比べれば、まだ平静でいられるだけよ」

「…………すまない……」

 

 私がお腹を痛めて産み落とした愛する娘が死んだと聞かされたときの絶望。娘の婿となった快男児が目の前で息絶えた瞬間の喪失感。彼が抱きかかえてきたアヤカと、息絶えた妹の無惨な姿を目の当たりにした私に芽生えた怒り。

 それに比べれば今はどうだ。アヤカは死に掛けているけど、まだ死んだわけじゃない。それならば、私は私でやらなければいけないことがある。

 

「……まだ会えそうにない?」

「すまないが誰一人会わせられん。……医者からはそう指示されたよ」

「そう。用件はそれだけ?」

「いや、今後の件についてだ。無事に山場を越えたとしてもアヤカはIS操縦者として、それどころか日常生活さえ難しい状態になる可能性がおよそ確定しているも同然だ。なので…………お前達にこれを渡しておく」

「付属藍越学園の編入届け……ですか」

 

 千冬お嬢ちゃんも同じことを思っただろう。“まだ諦めるには早い”と。それは良い意味合いで言えば不屈の精神。だけど見方を変えればただの現実逃避でしかない。

 ……あの子が選ぶかどうかは別として、選択肢が多いほうがいいのは確かだけど。

 

「ここから近く、自然豊かな場所にあるらしいからな。今朝見てきたがそれなり大きな病院もあって設備も良い。療養とリハビリもでき、かつ友人とも気軽に会えるだろう」

「随分仕事が速いわね」

「“もう少し早ければ”……この数日で何度も思い返した言葉だ。普段ならもう少しは踏ん切りがつくものなのだが……ああ……やはり妹の孫というのは私にとって大きな存在だったらしい。いつまでも罪悪感と後味の悪いモヤモヤが続くだけだ。

 なので、できることを考えた。せめて一時の医療費や生活費の援助くらいはしたいと」

 

 ……できることを、って言ったかしら。なら丁度良い。

 

「そう。そのついでに一つアヤカのために引き受けて欲しいことがあるんだけど」

「……私にできる範囲でだぞ。医療費をもぎ取る交渉だけでも難儀だったんだ」

「簡単な話よ。ルー・ノワールは覚えているかしら? アヤカの使っていた機体なのだけど」

「ああ、あの黒い全身装甲チックなISか。概要だけ見たがイメージインターフェースを用いた思考制御を機体全体に行き渡らせたものだったな。おもしろい発想だと思ったよ」

「でしょう。で、ノワールは元々アヤカの専用機じゃなくてIS学園の備品らしいのよ。そして所有権はIS学園にある」

「――ふむ、つまり?」

「ノワールの再建計画、国連から出資してくれない?」

 

 ポカン、と開いた口が塞がらないという様子で二人が私を見る。

 

「ルー・ノワールは実は基礎スペック向上のための改装プランを構築中だったのよ。だけどルー・ノワールの改装プランを実行するには資金的にも資源的にも不足しているものが多々あるの。そこを補うためにルー・ノワールに……正確に言えばアヤカに出資して欲しいの。要は私の所属する日本先進技術研究所と同様にスポンサーとして協力して欲しいの」

「待て待て! 阿呆かお前は!? スポンサーが必要だというのはわかる! IS学園の備品であるというのもわかる! ISの改装にカネがかかるのも理解できる!

 だが私は国連軍の軍人だぞ!? 何故私にその話が回ってくる!?」

「別に資金提供をしろとは言ってないでしょ。私たち日先技研が必要なパーツや素材の収集を姉さんに依頼し、それを技研宛で送付して欲しいの。もちろんアヤカのスポンサーとして行うことだから技研が資金を持つわ。そして集めたパーツをIS学園に運び込み、ルー・ノワールの再建のために使用する。

 武器輸出入に引っかかるようなら技研ではなくIS学園名義にすればいいだけだし、実際の組み立ても全てIS学園内で行わうわ。ね? 簡単でしょ?」

「IS学園は生徒が使うということもあって基本的に扱いが容易な打鉄かラファール・リヴァイヴしか配備していない。つまりそれ以外の機体やパーツとなると確保するにはIS学園に負担を強いることになるし手続きに時間もかかる、か。

 ふん、技研名義で国連軍のコネを使ってパーツや部品を調達して横流しさせ、IS学園で最終的な組み立てを行うことで、あくまでIS学園所有の機体であることを主張するわけだ。

 しかも自分たちはルー・ノワールの組み立て時に他企業製のパーツの解析やデータを収集してしまおうという腹だろう? 売り込み先は情報部か? それとも国防軍か?」

「さすがは我が姉。お見通しか。ついでに言えば技研と国連軍の間に取引が生まれると嬉しいってところかしら?」

「国連との表立ったコネまで欲しいときたか。商魂逞しくなったものだ」

「これが今の私にできること。傍に付いていることさえできず、声をかけることもできない老いぼれにできる唯一のこと。もしもあの子がもう一度ISに乗ると決めたときに全幅の信頼を置けるだけのスペックを持つ機体を用意することこそ、私にできる最大限のことなのよ。

 もう乗らない、もしくは“もう乗れない”のなら……私はそれでいいと思っている。そうすればもうISに乗って傷つくこともなく、多少不便するだろうけど危険とは縁遠い日常生活が送れるでしょうから」

 

 今の家を引き払ってアヤカと一緒に藍越学園の近くに家を買い、朝にお弁当を作ってねぼすけのあの子をたたき起こし、学校に送り出して掃除と洗濯をし、軽く昼寝でもして洗濯物を畳みながら帰りを待つ。生活は質素になるだろうけど、家に帰ってきたあの子を迎えてテレビを見たりゲームにつき合わせたりして、夕食を食べて洗い物を済ませてお風呂に入って

眠りにつく。そんなありきたりで何の変哲もない、だけど平穏で静かな暮らしが始まるのだろう。

 そしていつかあの子は大人になって結婚し、私はいつの間にか老いて死ぬだろう。

 

 結局のところ、私がアヤカに依存しているのだ。全てをあの子のために使うことで自分の中の満たされないものを満たそうとしている。あの子を繋ぎとめようとしている。私はただの子離れできていない情け無い親代わりでしかない。

 

 けど、それでも、あの子がもうこれ以上傷つかずに済むのなら――私の全てを捧げよう。私の娘があの子を守ったように、娘婿があの子の命を繋ぎとめたように、この私の血肉の一片に至るまで使い尽くしてみせる。もし心臓を患い、移植が必要になったなら差し出そう。腎臓も、骨髄も、私の持ちうるあらゆるものを――!

 

「麗香、お前があの子のためにと思っていることはわかった。……だが、そんな風に泣きながら言うことではない」

「――泣いてなんか、ないわ」

「……ったく、四十年経っても子どもだな。いいか、親しい人間が悲しい顔をして毎日過ごしていたら、お前はどう思う? 気遣うだろう? 不安になるだろう?

 お前がするべきは毎日心から元気よく笑って会ってやることだ。――なんの心配もいらないというところを見せてやれ。子どもなんてお前のウソ程度はすぐに見抜くぞ。それに我々が持つ“症状”についても説明せねばなるまい? その顔を見るにどうせ先延ばしにしてきたのだろう?」

「それ、は――――そう、かもしれないけど」

 

 脳裏に蘇る光景。凍てつくシベリアの大地で、吹雪に晒されながらも笑っていた姉さん。幼かった私を抱き締めてくれたときのあの安堵感を思い出す。

 家族全員が殺され、助けにきてくれた姉さんが浮かべたあの笑みは、きっと心からのよろこびだったのだろう。それなのに私は……一時の感情に任せて突き放してしまったのか。

 

「不安か? だが大丈夫だ。私がそう言うのだからな」

 

 得意げに、自慢げに、あの日見せたものと同じ笑顔が向けられる。

 ああ、本当に敵わないなあ、もう。いつまで経っても、どんなに歳を食っても、姉さんは姉さんか。きっと私の感情など全てわかっていて、それでいて甘んじて批判を受け入れたその度量が羨ましい。

 

「ん、ちょっとはマシになったか。相変わらず手間のかかる妹だよ。

 アヤカへの支援の件については総大将(事務総長)と話をしよう。少しかかるが、まあ一週間内には結論を出す。……無事に回復するかは運がらみだが、あの子の素養の高さは非常に魅力的だ。日本代表候補ではなく、国連代表として引き抜きたいくらいには、な」

「そう。じゃあ今後ともご贔屓に」

「お二人とも、勝手に引き抜かないでいただきたいのですが」

「おっと、師匠の前だったな。失敬した」

 

 ともかく、今は私にできることをしよう。乗るにしても乗れないにしても、万全の備えを施したルー・ノワールを作り上げる。例え日の目を見ることさえなく眠りにつくのだとしても、選択肢はあってしかるべきだ。

 あの子が進む道を後押しして支えられるのは私だけだ。

 

「それで一つ質問なのですが」

「なんだね、織斑女史」

「ナタリヤ大佐と北條博士は、ご姉妹なのですか?」

「言ってなかったかしら?」

「ええ、一言も聞いていません」

「あー、それは妹が失礼した。麗香は……」

「私は旧名ではアナスタシア・ロマノフスカヤ。ナタリヤ・ロマノフスカヤの妹で、両親が死んでから日本に移住したのよ。姉はアメリカに渡って国連軍に参加してたわ。今回の援軍要請もそのツテでね」

「さすがに久方ぶりの連絡がこのような事件だとは思わなかったがな」

 

 もう四十年以上も前とはいえ、私たちがロシアの実験場から逃げ出した戸籍も名前も無い実験動物だったことは言うべきではないだろう。逃げに逃げて追いつかれ惨殺され、私と姉の二人だけになって、命からがら亡命して生き延びた――なんて話しても与太話にしかならないだろうし。

 

 

 

 

 四日前――あの事件から三日経ったIS学園の元1-Aの教室で博士は悲しみを負った背中を見せて言った。

 

「なんで、こんなことに」

 

 ほぼ全ての現場検証が終わった後の、瓦礫が散乱するだけの教室。所々に、壁や床に飛び散った赤い、アヤカの(いのち)の痕がどす黒く変色してこびりついている。

 この血溜まりに沈むアヤカの姿を思い出し、嘔吐感と恐怖感が沸き起こってくる。もぎ取られて床に転がった両腕、ノワールの装甲ごと踏み潰された右足。ぼろぼろと涙を零しながら、助けを求めるアヤカ。その光景を廊下の監視カメラごしに――私たちは見てしまった。

 

 絶対防御が――発動しなかった。ロビンはいたましい光景を想像して口をつぐみ、アルマは言葉も無くうなだれるだけ。私はただ、ISの絶対防御が発動しなかったことに疑問を覚えていた。それに対する解答をくれたのは――ロビンだった。

 

「……絶対防御はさ、“致命傷になる”攻撃を防いでくれる。もちろん限度はあるけどさ。逆を言えば、“すぐに死ぬことがない”なら発動しない……ってことだよ。心臓を撃たれるのと、腕一本。……どっちが致命傷になるかは、一発さ」

 

 そうだ。腕一本失くしただけじゃ、ヒトはすぐに死なない。適切な処置と治療が行えれば生きていられる。だからなのか、だから……アヤカの腕を引きちぎって! 足を踏み潰したっていうの!?

 

 あの時シェルターに避難していた私たちの救助にISを纏った国連軍の軍人……博士が連絡をとっていたナタリヤ大佐が直接やってきて、博士は……今にも死ぬのではないかと思うほどの蒼白さでナタリヤ大佐に詰め寄っていた。その日から博士はろくに食べ物が喉を通らないのか、ずっと水とゼリー状の栄養食だけで事件捜査の関係者として割り当てられた部屋に篭っている。

 

 私たちが作った……というより、手を加えたインフィニットストラトス、ルー・ノワールは……無惨な姿になっていた。ビームの直撃や至近弾を受けた際の熱量で表面装甲はガタガタに歪み、一部ではフレーム部分にまで歪みが発生していた。踏み砕かれた右脚部はもちろん、ヘッドギアも両腕部もぐちゃぐちゃで見るに耐えないレベルだ。

 何も知らないヒトがみれば、ただのガラクタにしか見えないかもしれない。

 

「どーしたもんかな、これ」

 

 ロビンが参ったな、と呟く。今は二人して各部の状態をチェックしている真っ最中だ。格納庫のメンテナンス用ブースにクレーンで宙吊りにされたノワールのパーツを一つ一つ精査してダメージがどこまで及んでいるかを確認している。……チェックシートに記された結果は半分以上がレッドマーク。つまり破棄だ。

 

「リッカ、システム面のチェックは完了した。コア部分周辺は損害なし。イメージインターフェース機構に若干のネットワークの断線があるけど、すぐに修復できるレベル」

「ありがとアルマ」

「……修復、できそう?」

「私たちじゃ……ううん……本職でも多分……」

 

 ダメージレベルは正直言って大破判定だ。装甲や内部機構だけならまだ交換するだけで済むけど、基本となる骨格……フレームにまでダメージが及んでいる。つまり総取替えするしかない。だけどノワールはアヤカ専用にチューンされたラファール・リヴァイヴ・カスタムだから、リヴァイヴ・カスタムをもう一機用意しなければいけないも同然なのだ。

 オマケに学園の校舎と一部アリーナは一時的に閉鎖中。現場検証が終わった場所から逐次修復工事が行われているみたいだけど、授業がままならないレベルに校舎がダメージを受けていて、結果として学園は休校。IS学園の寮内の会議室と私立藍超大学のキャンパスの一部を借りて補習授業が行われている状態だ。

 その上警備は物々しく、国連軍太平洋戦隊のIS部隊……“ストーム”と呼ばれるチームと日本国国防統合軍のIS部隊がひっきりなしで周辺を警戒している。そしてIS学園の領域外の海域は鳳翔型正規空母……それも国防統合軍の発足と同日に進水した最新鋭空母が航空機を展開し、その護衛として旧イージス艦三隻がIS学園の沖合いに居座っている。更に備えとして駆逐艦四隻が絶えず海中を警戒して回り、先の国連軍のストームチームが同乗しているほどだ。

 

 それほどの部隊が動いているにも関わらず、世間からの反応は比較的落ち着いている。……その理由は、あのテロリストの放送していたアリーナ内での戦闘が世間に知れ渡っているからだそうだ。

 目の前で起こっているISによるテロと、果敢に敵に立ち向かった統合軍の軍人。そしてその助けを受けて敵を撃破した織斑一夏はある種のヒーロー的な扱いになりつつあった。どこから流れてきたのか、いつの間にか織斑一夏の戦闘シーンを切り貼りした動画がアップロードされ、メディアがこぞって彼を取り上げて持て囃す。……その影に二人の殉職者が居ることは、あまり大きく取りざたされていない。

 まるで織斑一夏だけが敵を倒したかのような、そんな作為的な感じが――――……私も疲れてるのかもしれない。後でお昼寝でもしよう。

 

「三人とも」

「ハカセ!? 大丈夫なの?」

「無理しないでくださいよ博士」

「大丈夫……とは自信を持って言えないけど、あなたたちのためのお土産も持ってきたわ」

「――甘いもの!?」

「アルマ、待て」

「ワンッ」

 

 あらあら、と目元に隈を作り、力なく笑った博士が一つのメモリーを取り出すと私が使っているタブレットに取り付けるように言う。

 開いたファイルには……図面? 見たところISの設計図だけど、見たことのあるものが見たこともない配置をしている。

 

「リヴァイヴ……だけど打鉄? なんか二つの図面を重ねたみたいなヤツだな」

「その通りよ。コレはルー・ノワールの図面をベースに打鉄の装甲と内部機器とラファール・リヴァイヴ・カスタム用の特化パッケージを取り込んだものよ」

「要するにハイブリッド?」

「ええ。ルー・ノワールは完全にお釈迦になったも同然でしょう? だから一度全て解体して、もう一度組み上げる必要がある。だったらついでに強化プランも組み込んで、ノワールそのものを再構築するほうがいい」

「でも打鉄って言っても格納庫のISもいくらか被害が出てるし、余剰パーツも無いんじゃ……」

「あるわよ。……一週間前、私たちや生徒たちを守って戦った……勇敢な乗り手の機体が、二人分ね」

 

 ――つまり、あの日殉職したという二人のIS……統合軍仕様の打鉄を使うということだろう。だけど、こんなものをどうやって手に入れたのだろう。

 故人が遺した機体さえ躊躇なく“素材”として扱える胆力に思わず背筋が凍る。普通ならパーツなりエンブレムなり、故人を偲ぶための品として取っておいても不思議じゃない。

 それに重過ぎる。これに乗る者は嫌が応でも故人のことを認識させられるということだ。なんでもないかのように平然と乗り回す勇気は私には無い。

 

「解析とデータ収集のため、と言って国防省から提供してもらったの。一部は解析に回したけど、余剰分……もちろんちゃんと品質チェック済みのものをルー・ノワールに組み込むために搬入する用意ができてる。……私があの子のために今できることは、あの子がいつ乗るようになっても大丈夫なように環境を整えること。だから、出来ることの全てをする」

 

 お見舞いしたくても面会謝絶だし、と付け加えて博士は寂しげに笑みを浮かべる。……強がりなところがあるのはアヤカも博士も同じみたいだ。

 

「へぇ、おもしろそう! ハカセ、アタシも手伝うよ。完成したらアヤカに自慢してやらないと! 大事な機体だからね……絶対に良い機体に仕上げてみせる! アルマとリッカはどうだ?」

 

 知ってか知らずか……いや、ロビンはきっと気づいているはずだ。ルー・ノワールへの思い入れは人一倍で、そのくせしてどこか達観したものの見方をできる子だから。その上でこれほどまで乗り気になれるというのは捉え方の違いなのだろう。

 私は死者の遺品を用いることに忌避感を感じているし、できることなら使わないで済む方法が良いと思っている。それに対するロビンの場合は故人が遺した機体が姿形を変えてでも受け継がれ、使われ続けることをよしとしている。

 これも整備士と製作者という立場による視点の違いなのかもしれない。

 

「私もやるよ。ルー・ノワールは三人で作った機体なんだから、私たち抜きでやろうなんてありえないよ」

「……ハード面はまだ全然だけど、がんばる」

「アルマちゃん、リッカちゃん、ロビンちゃん、ありがとう……こんなお婆さんのワガママに付き合ってくれて」

 

 そのまるで三十代後半の見た目で言われても、全然説得力無いけどね!

 

「でさ、ハカセ。この子はなんて名前にする?」

「そうね……この子が今度こそアヤカを……あの子を傷つける全てから守れるように……」

 

 むむむ、と博士は腕組みをして頭を悩ませる。数十秒考え込んだものの、いい案が出ないらしい。そこへロビンが言う。

 

「ルー・ノワール……“アスィエ”」

「……なるほど、打鉄とのハイブリッドらしいネーミングね」

「……ロビン、どういう意味?」

「意味としちゃ鋼、もしくは鉄鋼。打鉄……つまり鉄を打ち、鍛え上げた(はがね)を纏うルー・ノワールってことさ」

 

 つまり“黒鉄の狼”ということか。……この子にもアヤカにも、一週間前のような殺し合いをして欲しくは無い。だけど、万一また同じようなことがあって……その時に“黒鉄の狼”がアヤカを守れるだけの力を備えていなければ一週間前の二の舞になってしまう。

 それだけは絶対にいけない。あってはならない。だからせめて、アヤカが生き延びることができるだけの力をこの子に持たせなければいけない。

 

 必ず作ってみせる。博士や織斑先生たちのように、応援してくれるヒトが居るんだ。私たちなら、きっとできるんだから。

 

 ――だから、待ってるよ。アヤカ。

 

 

第三十話 梅雨

 

 

 IS学園も次第に強まる梅雨前線に飲み込まれ、明日も明後日も雨が続くとニュース番組の天気予報で報じられていた。

 入院から一ヶ月。どうにか腕は繋がり、動かせないながらも足はリハビリが可能なまでに回復した。ナタリヤ大佐曰く“一ヶ月も寝ていれば動けないのが当然”ということだけど、できることなら立ち上がってすぐにでもリッカたちやおばあちゃんに会いにいきたい。

 ……それなのにこうして病室の窓から小雨の降る都市部を見下ろしているのにはわけがある。

 今日金曜日の午後4時、私は退院する。するのだけど……セシリアが迎えに来るらしい。おばあちゃんは手が離せない用事があるらしく、リッカたちも同行しているのだとか。ナタリヤ大佐はIS学園の警備のために離れることができず、織斑先生と真耶姉さんは授業がこれでもかと圧しているらしく、補講のために一時間とて離れることができないらしい。

 そこで白羽の矢が立ったのがセシリアだったそうだ。結局安全のために退院まで親族以外立ち入り禁止にされていたせいで彼女に会うのも一ヶ月ぶりになる。

 

「どう? 今日は調子はいい?」

「ミーシャさん、今日もいいカンジですよ」

 

 美しいブロンドのロングヘアーが目を引く、くびれや足のスレンダーなラインが魅惑的な女。そんな印象を与える彼女はこの一ヶ月私をサポートしてくれた看護師さんだ。

 

「それは何よりね。さ、そろそろ迎えが来るころだから行きましょう」

「はい」

 

 力の入らない両腕で必死に手すりにしがみつき、歯を食いしばってゆっくりとベッドから腰を上げて、震える左足を一歩。次いで引き摺るように右足を動かし、車椅子に寄りかかるように身を預ける。

 身体を支えるだけの力さえ無い腕が怨めしい。さりげなくミーシャさんが身体を支えて、車椅子に優しく座らせてくれた。

 

「ふぅ、体力も落ちてる……」

「それは仕方が無いわよ。これから取り戻していけばいいのよ」

 

 ミーシャさんの言うとおりだ。これから一か月分の鈍った身体を鍛えなおさないといけないんだから。両腕もほとんど動かせないし、右足は未だに不自由だ。けどそれでも日常生活に戻ることができたんだから、まずはそこからスタートしないと。

 車椅子を押されて総合病院のエントランスにまで下りると、そこには一ヶ月ぶりに見る少女の姿があった。

 

「セシリア!」

「……アヤカ!」

 

 制服姿のまま、わき目も振らず駆け寄ってきたセシリアの抱擁は力強い。ぎゅっと双丘に押さえつけられた感じは、暴力的とさえ表現できる柔らかさだ。

 そっと抱き締められたままでいると、セシリアの吐息が耳をくすぐる。

 

「もう、もうっ……ダメなのかと思いましたわ」

「……私も、そう思った」

「怖かったですわ。アヤカがこのまま居なくなるような気がして、ずっと寂しかった」

「心配かけちゃってごめん。もう大丈夫」

 

 数十秒の抱擁を終えたセシリアの目尻に雫が伝う。ハンカチで拭い去り、セシリアは改めてという素振りで私に向き直る。

 

「帰りましょう。みなさんが心待ちにしていますわ」

「うん」

「それじゃ行きましょうか。車も用意しているわよ」

「ありがとうござ……え?」

 

 ……振り向けばそこにはミニクーパー――しかもジョンクーパーワークスモデル――の最新モデルを背に、国連軍の平服を身に纏ったあの看護師の姿があった。

 

「……あの、ミーシャさん?」

「ええ。ようやく看護師の真似事も終わりってことよ。改めて、国連軍太平洋戦隊IS部隊“ストーム”副隊長のミーシャ・ウィンチェスター中佐よ。セシリアさん、北條さん、よろしくね」

「初めまして。セシリア・オルコットと申します。よろしくお願い致しますわ」

 

 つまり、今まで私の身の回りの世話をしてくれていた彼女は本来なら国連軍の所属で、あくまで看護師というのは偽装であったということになる。

 

「さ、乗って。わざわざタクシーなんて呼ばなくても大丈夫なように手配済みよ」

 

 ニッコリと笑ったミーシャさんにまた介護されながら後部座席に乗り込むと、セシリアが車椅子を積み込んでから隣に乗り込む。ミーシャさんは運転席からこちらに振り向いて確認すると、セルモーターを回し、エンジンに火が灯り排気音を響かせる。

 

「さあ、行くわよ」

 

 走り出す車の排気音。じめじめとした梅雨の空気。クーラーから吹き出す冷房の冷たい風。ワイパーはせわしなく動き回り、雨脚はさらに強くなりつつある。

 

「ミーシャさん」

「なあに?」

「……なんで国連軍の人なのに、病院に潜り込んでいたんですか?」

「気になる?」

「……はい」

「理由はごく当たり前のことよ。……あのISが再びあなたを狙って現れた場合の処理係。それと単純に連絡役。ついでに護衛っていうところかしら」

「随分あっさり答えるんですね」

「ええ。もう隠す必要が無いもの。さあーて、ここで問題よ。あの病院、何人で警戒していたと思う?」

「…………まさか」

 

 いや、そんなはずがない。病院の中に何十人も入り込むだなんてそんなこと、普通ならできるわけがない。……けど、この人たちは実際にそれをやってみせたということなのだろうか。

 

「両隣の部屋とナースステーション、それと主治医。あとは駐車場の警備員と……近所のマンションの最上階の部屋がいくつかってところかしら」

「ウソ」

「ホ・ン・ト」

 

 舐めてた。人数どころか規模すらも。私の想像なんてはるかに超えて厳重な警戒態勢が敷かれているじゃないか。人の出入りや物資の出入り、それにフロア内の立ち入りはおろか私の食事の様子まで監視下に置かれてたわけだ。

 

「あの、ウィンチェスター中佐は何故そこまでの警戒をなさっておられるのですか? アヤカが狙われたことは確かな事実ではありますけど、病院内はおろか周辺住民にまで溶け込んで監視というのは、アヤカを保護下に置くというだけなら過剰なのではないですか?」

「ええ、単純に保護するだけならそこまでのものは必要ないわ。だけど今回の事件の調書を取って、そして捜査を行う中でいくつかの事実に行き着いたの。

 内容は話せないけど、その結果として今後アヤカさんが入院中に狙われる可能性が高いと判断し、今の現状で最大の警戒網を一帯に張ったの。杞憂で終わってくれてよかったわ。最悪周囲一帯が火の海でもおかしくなかったんだもの」

「……それほどまでに、危険だったのですね」

「山に近い病院を選んだのも、離れた隔離病棟に入れられていたのも、全てはアヤカさんを狙った攻撃に晒された際に一般人の被害が出ないように配慮したためよ。それに山の中であればアヤカさんさえ脱出させることが出来れば周辺の被害を気にせずに戦えるもの」

 

 ――言葉が出ない。私が意識を失っている間に見ず知らずの何者かに狙われ、暗殺される可能性があっただなんて。だけど私を狙う人間について心当たりならある。

 あのときIS学園のアリーナのプロテクトを破った私たちに向けられたメッセージ。もしかすると、あれが開封された際に首謀者の下へメッセージか何かを送信するように仕組まれていたのかもしれない。

 

「ともかくとして一先ずは退院できたから、今後はIS学園の施設でリハビリを行うことになるわ。詳しい話は大佐から聞いてちょうだい」

 

 明日から復学か。いろいろと心配をかけたこともあるけど、みんなとこうしてまた会えるんだ。

 IS学園に繋がる高架道路を降り、学園のエントランスで再び車椅子に乗り換える。セシリアに押されるまま、座ったままの視点で眺めるIS学園の内部はどこか新鮮な気分だ。

 学園の寮に入るとエレベーターで自分の部屋へ――向かうはずが、セシリアは通り抜ける。

 

「セ、セシリア? 部屋は四階じゃ?」

「いいえ、こっちですわ」

 

 有無を言わせず、セシリアは車椅子を押したまま廊下を進み、会議室の扉を開く。

 

「アヤカ! 退院おめでとう!」

 

 両開きの大きな木製の扉が開いてすぐに耳を揺さぶる大音量。扉の向こうにはいつも顔を合わせていたA組の面々と凰鈴音、三人娘、真耶姉さん、織斑先生、そして――おばあちゃんが待っていた。

 

「だから言ったのですわ。――“みなさんが心待ちにしている”と」

「ずるい、言い方です。それ」

 

 待っていてくれた人たちが居る。戻ってくると信じてくれた人が居る。またいつもどおりの日常に戻ることができる。それが……何よりも嬉しい。

 あのISと対峙してからずっと背中を這い回っていた恐怖が消えていく。生きている実感が今になって込み上げて、目の前のみんなの輪郭も横断幕も滲んで見える。小難しい言葉なんていらない。ただこの気持ちを、素直に伝えよう。

 

「……みんな、ただいま。……ありがとう!」

 

 泣いてるんだか、笑っているんだか、もう自分でもわからないけど……精一杯の感謝を、伝えよう。

 

 

 

 アヤカが帰ってくる。その瞬間が来て、アヤカは車椅子に座ったまま目一杯の笑顔で、涙声で言った。

 腕はろくに動かせないままで、立つことさえままならない。それでも誰よりも眩しい笑顔を浮かべていた。退院祝いのケーキを食べるのに自分でフォークを持つこともできないのに。

 

 なんでアヤカがこんな目に遭わなきゃいけないんだよ! アヤカは学園の普通の生徒で、普通の女の子じゃないか! なのに、わけのわからないテロリストに狙われて腕も足も動かせないようなケガを負わされた!

 俺がもうちょっとでも強ければ、アヤカを助けに行けたかもしれない。俺があの土偶ヤローを倒せるだけの力があれば……! 松坂さんも荒川さんも死なずに済んだかもしれない! アヤカだってケガをしなくて済んだかもしれないのに!

 

「それにしてもアヤカ、大丈夫なの? 腕や足を骨折したって聞いてたけど」

「あ、そっ、それは、大丈夫ですよ! 実は国連の軍人さんが最新の先端医療が受けられる病院に入れるように手配してくれてたみたいで、あとはリハビリで体力を取り戻すだけみたいです」

 

 そんなわけがない! ISに殺されかけたっていうのに平気なわけがない! 俺たちが駆けつけたときにはもう全部終わった後だった! 他の敵は軍の人たちに制圧されて、千冬姉がアヤカを襲っていた敵を仕留めた後だった。何もかも遅すぎたんだ! 軍も、千冬姉も、そして俺も……!

 

「一夏」

「お、おう」

「……何を変な声上げてるんですか。呼んだだけなのに」

 

 不意に呼ばれたせいで変な声が出た。アヤカは変わらず訝しげにこちらを見ているが、俺の手元に目線を投げかけて言う。

 

「それ、食べないならください」

「……あ、ああ、いいけど」

「さすがは一夏。私に甘いものを捧げるその姿勢は評価点ですよ。あの戦いから無事生還した私にあやかることで何かご加護があるかもしれません」

「甘いものをあげれば懐くと思われてるのではありません?」

「ひどいですよその言い方は! 私は甘いものに目が無いだけで……!」

「はいはい。わかりましたわ。あーんしてくださいまし」

「このザマで加護があるとは思えないなぁー」

「むぐっ、の、のほほんさん、腕が動くようになったら覚悟しておいてくださいね?」

「ふふん、今こそ盛大にからかうチャンス。臆することなんて何一つ無いんだよー」

 

 アヤカの笑う姿を見て、俺の中で何かがちくりと痛む。アヤカの笑った顔を見ると、あの日の絶望に沈んだアヤカの表情がフラッシュバックする。力なく助けを求める声と、生気の抜け落ちた瞳。流れ落ちる涙が血だまりに解けて消えていく光景。いつもは青いリボンで背中で一まとめにしていた髪は赤く染まり、砕けたISの残骸に埋もれた姿が瞼の裏に焼きついたままだ。

 

 今の俺じゃダメだ。もっと強くならないと、アヤカの隣に立てるくらいじゃないと、アヤカを守るなんてできやしない。

 

「守れるくらい、強くなってみせる」

 

 アヤカが死ぬだなんて、俺は絶対に認めない。アヤカを守れない俺なんて、俺が絶対に認めない。

 

 

 

 例えIS学園が被害に遭おうとも、授業というものは私たちを逃さない。後から必ずやってきて捕まえて、私たちを追い詰める厄介な死神なのだ。

 私の退院から一週間して、梅雨前線が六月末に入って力を弱めたと感じたころ、それは唐突にやってきた。

 

「と、いうわけで明後日が中間テストだ」

「えぇー!?」

 

 一際大きな声を上げたのは癒子さんだけど、他の面々も織斑先生の一言に同じような声を上げている。そりゃそうだ。何せ折角の日曜日が丸つぶれになってしまうんだもの。

 

「なぁにが“えぇー!?”だバカモノども! 学園の復旧に三週間、その間に実技は出来ずとも補修授業をたんまりと詰め込んでやっただろうがこの間抜けが!

 学園が休みだからといってテストが無くなるとでも思っていたのかド阿呆が!」

「先生! 例の日なのでお休みします!」

「知るか! 体調を万全に整えて挑め! 出席できなければ通知表に赤ペンが走るぞ!」

「はい、先生! 辞書その他参考書の持込みは可能でしょうか!」

「却下だ! 脳みそにきっちり一字一句書き込んで受けろ!」

「先生、私の両手動きません!」

「イメージインタフェース機能を転用した思考制御と視線検出システムを組み合わせた回答システムを用意してある! 余計な心配をするな!」

 

 Oh,MyGod! なんたることか! ペンも握れない生徒が居るというのにこうまでしてテストを受けさせるなんて! 鬼! 悪魔! 織斑姉! ブリュンヒルデ!

 

「いい度胸だ北條、覚悟はできているんだろうなぁ……?」

「すみませんすみませんごめんなさいごめんないゴメンナサイゴメンナサイ!」

「お、織斑先生……そ、その、そのあたりで……!」

「チッ、山田先生に感謝しろ」

 

 さすが真耶姉さん! さす真耶! ほんわかした雰囲気の真耶姉さんが焦っておたおたしてる顔ってすごく可愛い。織斑先生さえ篭絡するなんてまさにお姉ちゃん! 天使! ママ! ヴァルキリー!

 

「――やはり一発いくべきか」

 

 お願いします、その鋼鉄も砕く出席簿をそっと教卓に置いてください。振りかぶらないでください。あっ、鋼板を貫通しそうなチョーク投擲も無しで。

 

 というのが午前中のハイライトだ。結果として現状両腕がほぼ不随状態でリハビリ中の私には特別待遇として専用の回答スペースと機器が急造ながら用意されて、テストを受ける羽目になってしまったわけだ。現実とは非情である。

 そんな状態で咄嗟ながらアイデアが閃いた私はセシリア・オルコットという優等生と織斑一夏という落第生を巻き込み、勉強会と称して一夜漬けに付き合わせるつもりだ。

 セシリアは言うまでもなく優等生だ。勉学も実技も申し分ない。なのでテスト前に他人の面倒を見させることでトップの点数を下げることにした。これで平均点が下がる。

 更に織斑一夏に教えさせることで、テストの下限となりうる点数を引き上げる。他の子はIS学園に入るだけあって学業は優秀なものだ。なのでセシリアと一夏の間で点を取ってくれるだろう。そして私はその中間から一夏の一歩手前程度に滑り込める……はずだ。こうすることで三週間にも及ぶ入院生活のせいでロクな点数が取れなかったと言い張れる。

 そう、全てはあのテロリストが悪いのだ。ヤツのせいでおばあちゃんに怒られる羽目になることだけは絶対に避ける。例えそれがセシリアや一夏という友人を利用することになろうとも……!

 もし万一にでも、おばあちゃんにテストの結果が知れて、それがしかもおばあちゃんのお気に召さない点数だったら……!

 

「なにこれ、ふざけてるの?(プレッシャー」

 

 きっとこうなる。だめだ――それだけは勘弁だ! 補習に加えておばあちゃんからの直接指導まで加わるなんてことになったら目も当てられない! ただでさえ織斑先生の弟子っていうネームバリューのせいで先生から若干スパルタを受けてるのに、ココに来ておばあちゃんにまで睨まれたら私はきっと机に突っ伏して息絶えることだろう。

 

「ああ、ここに居たか」

「ひぅっ!? お、織斑先生……?」

 

 学生寮の自販機の前で黄昏ていたところに不意に声がかかる。声の主が先生だとわかった瞬間に心臓が飛び出しそうになった。一枚の紙を取り出した先生は何も言わず差し出してくる。

 

「……なんですか、コレ」

「今日と明日で夕方から夜間にかけて勉強会を行う予定だ。場所は学園の大講堂で、一年から三年まで全科目に対応している。お前は特に授業期間を削られているから、尚のこと受けたほうがいいぞ」

「――――」

 

 ――プランは空しくも崩れ去った。現実とはやはり非情である。

 

 

 

 めのまえがまっくらになって、当日を意気消沈したまま迎えた私はそのまま死人のようにテストを受け続けた。音声認証と思考制御と視線検知を組み合わせた世界的にも類を見ない受験システムに座り続けること実に十五時間。

 基本的な高校での科目に加えて世界情勢と政治経済、情報処理と倫理学をプラスし、IS学園ならではのISに関する基礎科目数種類。これを朝七時から夜十時までに及ぶ過酷かつ過密な情報の戦場を潜り抜けたのだ。

 

「あぁ! 終わった……!」

 

 そこから一週間して、回答データが各生徒のデスクに送信されてくる。息を飲み、恐る恐る開いた結果は……案の定のお察しであった。

 

「なあ、アヤカ…………どうだった?」

「お察しです。わたしはしんだ」

「だよなぁ……」

 

 一夏もどうやら結果は悲惨なようだ。お互いに詳しいことは聞かないのは暗黙の了解というものだ。お互いの数字を見てしまうと結局傷つくのは自分かもしれないという恐怖から聞こうとしないのだ。誰だって傷つきたくないし落ち込みたくはないのだ。

 

「さて、皆には採点結果が行き渡ったことだろう。悪くとも落ち込むな。大学の講堂をお借りするなど対応策は打ったものの、授業時間を満足に確保できなかった我々IS学園側の責任でもある。

 良い点数を取れた者は慢心をするな。自分はよくやったなどと満足するな。まだISの初心者のスタートラインを踏み出したばかりでしかないのだからな。

 ……まあ長々と説教を垂れるのはやめておこう。まずは転入生を紹介する」

 

 ものすごくついでのような言い方なのは気にしないでおこう。きっと涼子さんが言っていたあの二人だろうし。

 

「シャルル・デュノアです。日本に来るのは初めてなので不慣れな点などがあるかと思います。みなさん、よろしくお願いします」

 

 セシリアとは違った美形のブロンド美女、というのが私の感想だ。あの背中の長い髪を解いてしまえば姉妹と言ってしまっても通用しそうなほどに美形だ。ある一点を除いてまったくの違和感が無い。……男装のために押さえつけているのかもしれないけど、私のセンサーが彼女は“並盛り”だと解答を知らせてくる。

 私が前世の頃の感性を名残程度にでも残しているせいか、胸の大きさだけは何故か気がかりになってしまう。……断じて、自分のモノが小さいわけではない。だけどセシリアによって与えられた敗北感は凄まじいものだった。隔絶していたのだ。天地ほどにも差があるカップ差に軽く絶望しかけたものの、どうにか私は立ち直ったのだ。

 

 だけど、もしも、この子がセシリア相当のレベルだったら――――

 

「もうおしまいだ……」

「お、おい、アヤカ……どうしたんだ……?」

 

 かろうじてDの(きざはし)に指が届こうという私はいともたやすく蹴り落とされるだろう。クラス内のカーストの第十六位(推定)から転げ落ちるわけだ。

 

 だが――

 

「……挨拶をしろ」

「はい、教官」

「教官ではない。先生だ。わかったらさっさと挨拶をしろ」

「ドイツ陸軍所属、ラウラ・ボーデヴィッヒ。階級は少佐だ」

「……それだけか?」

「はい、先生。以上です」

 

 勝った! 第三部……じゃないけどとにかく勝利は勝利だ!

 赤い右目と左目を覆うアイパッチが印象的な美少女、ラウラ・ボーデヴィッヒがプラチナのような色合いの髪を揺らして敬礼をして名乗りを上げる。先日出会ったナタリヤ大佐に瞳の色と雰囲気以外は瓜二つの彼女はブレ一つ無い、揺れの一つも無い敬礼をしてみせた。

 センサーが告げる判定は“A”だ。間違いない。圧倒的! 私の圧倒的勝利だ!

 

「よっし……!」

「げ、元気そう、だな……」

「なーにをぶつくさとやっとるかこんのバカタレが!」

「いぃぃっっっっだぁぁぁぁい!」

 

 ゴスン、と叩き込まれる出席簿。その圧倒的破壊力が集約される部分、出席簿の“かど”が脳天を強かに打ち抜き、衝撃と痛みが脳を揺さぶる。それを振り翳したのは……銀髪の、ラウラさんにそっくりな、私のおばあちゃんのお姉さん――つまりは

 

「お、大伯母(おおおば)さま!?」

「応とも、お前の愛しいおばあちゃんのお姉さまだぞ」

 

 それはまさかの関係だったことは言うまでもない。おばあちゃんのお姉さんが国連軍の軍人で、直接部隊を率いて私たちの救援に駆けつけてくれたのだ。……とはいえ四十年ぶりの再会がこんな形で成されるなんて二人とも思ってなかっただろう。妹がテロに巻き込まれ、その孫が死にかけている。そんな場面に出くわすなんて私ならお断りだ。

 

「さて、仕置きは済んだ。まずは自己紹介といこう。私はナタリヤ=ロマノフスカヤだ。国連軍太平洋戦隊IS部隊“ストーム”を率いる大佐……まあ早い話が軍人というわけだ。

 見た目はそこの少佐殿と大差ないが、こう見えて私も良い歳なので留意してほしい。

 我々国連軍太平洋戦隊は先月の一件を受け、国連本部よりこの一年間IS学園周辺の警備に当たるようにと辞令が下っている。夜中の出歩きや無断外出は控えておくのだぞ。……もし見つけたら、問答無用で拘束して祖国に送り返してやる」

 

 あっ、これダメなやつだ。おばあちゃんそっくりの悪い笑い方してるせいで余計に確信が持てる。IS学園は国連傘下組織の創立したものだから、国連が介入できても不思議ではないけど……生徒の強制送還を行うレベルとなるとどれだけの権限をむしりとったのやら。

 

 ……なんか織斑先生が二人に増えたような感じがしてるんだけど。

 

「そういうわけで、ナタリヤ大佐の指揮下にある部隊がIS学園のパトロールと警戒に就く事となった。今後対テロ対策が重点的に行われることになるので、外出時や帰宅時の荷物検査なども行われる可能性がある。

 それとIS学園外でも周囲に気をつけろ。テロリストは生徒を人質にとるなどして明確にIS学園を狙った犯行に及んでいる。つまりIS学園の関係者であるお前達生徒もターゲットとなりうるわけだ。当たり前のことだが、人通りの少ない場所を避け、見知らぬ人物に声をかけられた場合には距離を置くように」

「織斑千冬の言うとおりだ。特に織斑弟、キミはいい目印になる。女だらけの中で一人男……ああ今は二人だったか。ともかくキミとシャルル君は目立つ存在だ。織斑弟は先日の事件で世間に顔を知られていることもある。死にたくなければ、あるいは実験動物として拉致されたくなければIS学園外でも十分な注意を払うように」

「は、はぁ……」

 

 二人して教壇に並び立つ姿は似ても似つかないのに、言葉の節々に潜んでいる謎の圧迫感と有無を言わせぬ雰囲気は瓜二つだ。

 

「貴様が、織斑一夏か……それに北條彩夏」

「……なんだ?」

「無様だ。その腑抜けた顔……事の重大さに未だ気づかないか。貴様なぞ殴る価値もない」

「初対面で随分言ってくれるじゃねーか……」

「それに北條彩夏、動きもしない両手足で何故まだこの学園に居る?」

「――違い、ます。動かせます。動くようになります」

「その可能性は無い。修復されたとはいえ神経を引きちぎられてまともに動くわけがない」

 

 ――うるさい。

 

「諦めろ。例え継ぎ接ぎしたとて、四肢を引きちぎられ達磨になった時点で貴様は操縦者として終わっている。日常生活さえまともにできていないのだろう?」

「だ、ダルマって、お前っ……! わけのわからねーこと言ってんじゃねーよ!」

「事実だ。敵ISに四肢をもがれ、神経系も筋組織も丸ごと引きちぎられたのだから、不随になったとしても不思議ではない。動かせるようになる、などと夢想に縋って教官の後継者の椅子に固執されたのではたまったものではない。

 後継者の座なら安心しろ。お前と違って私なら――何も問題は無い」

「不随……アヤカが?」

「ほんとに……? しばらく寝たきりだったから動かせないだけだったんじゃ?」

「……静音さん、知ってた……?」

「ううん、初めて聞いたけど……」

「で、でまかせですわ! アヤカはっ、アヤカはちゃんとリハビリをすれば必ずっ――」

 

 ――うるっ、さい!

 

「フン、英国の代表候補生か。試験機のテストパイロット風情が吼えるものだな。ISのデータ取りのために宛がわれた使い捨てだと気づいてすらいないとは、底が知れるな」

「わ……私は、誇りある英国貴族として……己の責務を全うしているだけですわ! そのような動揺を誘う手が通用すると思わないことですわね。

 これ以上私の親友を侮辱するようなら……覚悟を決めてくださいまし」

「腑抜けた操縦者。手足もろくに動かない不用品。プライドだけの出来損ない。IS学園といえど、この程度か……」

 

 ――だまれ! 私は、私は不用品なんかじゃない! きっとまた立って歩けるようになる! まだ私は、自分に負けてなんかいない!

 この手も、足も、まだきっと動かせるはずだ。動くのだと、信じたい、そう思ってるだけ、そんな、わけが――

 

「なあ、オマエ」

「……なんだ?」

「俺が弱いのはわかってる。腑抜けって言われようが、それは事実だ。

 けどなぁ! 今までずっと頑張ってきたアヤカやセシリアをバカにすることだけは許さねえ! アヤカは俺じゃ足元にも及ばないくらい強かった! セシリアは追いつくのがやっとなくらいに上手かった! 俺は実際に二人と戦って、二人がどれだけの努力を重ねてきたのか知ってる!

 それを、初対面で話もしたことのない二人のことを、知ったように言うんじゃねえ!」

 

 パン、パン、パン、と手を打つ音が聞こえる。ふと顔を上げてみてみると、そこには不敵に笑う大伯母の姿。ラウラ・ボーデウィッヒに瓜二つの、しかしアメジストのような紫の瞳をしたナタリア少佐が言う。

 

「よく吼えたぞ織斑弟。お前が吼えなければどこでコイツを殴りつけるか悩んでいたところだ。

 さて、ボーデウィッヒ少佐……貴殿は手足の動かない北條彩夏は使い物にならない。そう言ったな?」

「はい。事実ですから。せめて早々に身を引くことが彼女のためでしょう」

「そうだな。同感だ」

「ちょっ、あんたは……身内のくせにアヤカを否定するのかよ!」

「いいや。半身不随でIS操縦者が務まるわけがない。それは純然たる事実だ。

 つまり五体を満足に動かせるのなら何も問題は無いわけだ。違うかな、織斑弟クン?」

「…………アヤカは、動けるようになるのか? 立って、歩けるようになるのか?」

「当然。二週間はかかるが動かせるようになる。動けるのなら、何も問題無いだろう?」

 

 二週間で立てるようになる? この何も感じない手が、誰かのぬくもりを感じられるようになる? 本当に、私はまだ、IS学園(ここ)に居られるの?

 けど……動かせるようになったからといって、ISに乗る勇気が私にあるのだろうか。

 多くの仲間や友人に生かしてもらった私は恐怖に抗いながらISに乗ってきた。そしてまたしても死に直面して、ナタリヤ大佐や統合軍の人たちにどうにか救われてここに居る。

 脳裏に焼きついたあの日の光景が蘇って、次の瞬間にはあの土偶のようなISに私が殺される。そんな夢を何度も何度も、この一ヶ月で見続けてきた。

 ISに関わる、乗ることへの恐怖を克服する自信が……今の私には無い。

 

「……希望的な観測に縋るのは構いませんが、もう少し現実的に見るべきかと」

「ボーデウィッヒ少佐、別段これは希望的と言うほどではないよ。ククッ、この程度の現実は何度も見ているのでな」

「そうですか。一応、記憶に留めてはおきます」

「まあそういうわけだ。アヤカ、後で詳しい話をしよう」

 

 ろくな身動きさえできない私の目の前に垂れ下がった一本の蜘蛛の糸。必死に手を伸ばして縋るべきなのだろうか。それとも――何もせず見送るべきなのだろうか。

 私は、私のやりたいことは、諦めきれる程度のものだったのだろうか。

 

 

第三十一話 その手を伸ばして

 

 IS学園襲撃事件から一ヶ月。退院を果たしたアヤカは車椅子に乗り、まともに動かせない身体を引き摺るように戻ってきた。

 部屋を一階に移動させたとはいえ、日常生活では他者の助けが必須。フォークやスプーンを手にするにも一苦労し、口元に運ぶだけでも分単位で時間を要する。お風呂など一人で入れるわけもなく、私や箒さん、技術科のメンバー三人やアヤカの祖母などが介助しながら入るのが日課になった。

 ルームメイトである私が基本的に傍に付いて、他の人たちは私が居ない時やアヤカがリハビリを行うとき、私だけでは手が足りないときに手伝ってもらっている。

 アヤカの素肌が顕になる度にその腕に目が向いてしまう。遠くから見れば違和感は無いけれど、間近で見るとより傷跡が鮮明に見えてくる。ラウラ・ボーデウィッヒの言葉が真実だと思い知らされる。不規則に肩口を走る境界線が、認めたくない事実を突きつけてくる。

 

「アヤカ、お湯の加減はいかがです?」

「丁度良い温かさだと思います」

 

 ウソだ。アヤカはまたウソをついた。アヤカの好みの温度を確かめようとして、お湯を触らせたときのこと。私が温度設定を間違えて、水が出たときがあった。なのにアヤカの口から出た言葉は“温かいです”だった。つまりアヤカは……温度を感じていない。何かが触れる感触さえも、失っているままなのだ。そのことを知っていて何も言わないからには何か理由があって言えないか、言いたくない理由があるのだろう。

 けど、それもあと少しで終わる。苦しみの中にいることさえ感じなくなったアヤカが、こんな日常を続けなくてもいい日が来る。

 

「アヤカ、セシリア、晩御飯できたわよ」

 

 入浴を終えると鈴さんが夕食を持ってやってくる。ここ最近の日課にもなっている光景だけど、鈴さんの料理のバリエーションは高校生と思えないほど豊富だ。

 一度だけ、幼いころに訪れた香港のレストランのコック――厨師と言うらしい――が腕を振るっているところを見たことがあった。まだ高校生でありながらその光景と何ら遜色のない立ち振る舞いは、鈴さんの腕が一級の料理人クラスであることを雄弁に物語っている。

 珍しいものが食べたいとアヤカが言った時には刀削麺を目の前でやってみせ、カレーが良いと言えばアヤカが食べやすいようにスパイスから調節したドライカレーを作り、肉が食べたいと言えばフィレンツェ風Tボーンステーキを用意するなど、鈴さんの本気度が伺える。

 何故ここまで上達したのかと聞いて返ってきた答えは実に単純で、“特別な人に美味しいと言ってほしいから”ということ……つまり私にとって最大級のライバルであることが確定した。

 

「今日はアメリカンで攻めてみたわ。肉多めのジャンバラヤとチキンスープ、シーザーサラダ。デザートはアップルパイよ」

 

 見た目の幼さに反するこの器用さは羨ましい。私などサンドイッチ一つ作るのがやっとだったというのに。しかも味が……いえ、今は思い出さないでおきましょう。

 アンティーク調のワゴンで運ばれてきた料理が自室のテーブルに広げられていく。ソーセージに鶏肉、タマネギにパプリカにセロリ。唐辛子を多めにして辛く味付けしたのか、赤みがつよいジャンバラヤが出てきた。“火の料理”とも称される中国料理を専門としているだけあって加熱調理はお手の物らしく、鈴さんが作ったジャンバラヤからは衰えない熱気と共に芳しい香りが立ち昇っている。

 チキンスープは少し中国風に仕上げたらしく、器の底まで見える澄んだ清湯スープにとろみをつけ、とき卵ともやし、ネギを入れたものになっている。香辛料の香りも食欲をそそる。

 シーザーサラダは粉チーズを多めに、ドレッシングをかけて半熟の卵を乗せたオーソドックスな一品。デザートのアップルパイは英国でよくある見知ったものではなく、サクサクのパイ生地で包まれた円形――しかも人の顔くらいはあるサイズ――のものがドンと出てきた。

 クッキーのような生地を使うものは良く見ていたが、パイ生地で包むのがアメリカ流なのだろう。

 

「んぐぐ……も、もう少し」

 

 スプーンで一口掬う。たったそれだけの動作でさえ今のアヤカには重労働だ。ぷるぷると震えるたびにスプーンから零れ落ちていくばかりで、食事は遅々として進まない。

 五分間の格闘の末、アヤカは中身のほとんど零れ落ちたスプーンを口元へ運びいれた。

 

「はぁ……」

「お疲れ様ですわ。はい、あーん」

「あーん」

 

 アヤカの食事がある程度進み、鈴さんも私も食べ始める。

 少しピリッとした辛さが効いたジャンバラヤ。とろりとした舌触りのスープ。新鮮なサラダ。温かいアップルパイへと食事が進んでいったところで、アヤカが言う。

 

「あ、私、ちょっと手術受けてきますのでしばらく休みます」

「――えっ?」

「ちょっ、手術!? あんた! この間病院から戻ってきたばかりじゃない!」

「ええ。その、お昼にナタリヤ大佐に最新の医療が受けられると聞いたので。なんでも断裂した神経はある程度接合できているそうなのですが、そのマッピング異常が……ええと、繋がった先がバラバラなんだそうです。詳しいことは私もついていけなかったんですけど……要するに外科手術とナノマシンを使って、バラバラで繋がってる神経を正しい配置で繋ぐんだとかで」

「……その話は本当に事実なのですか?」

「うん、成功例は多いって聞いてる。ただ……日本じゃまだ認可が下りたばかりで、一箇所でしかやってないみたいです」

「アヤカ、本気――なのですか?」

「……うん。退院したときは、もういいんじゃないかって思ったけど……私って諦めが悪いみたいで、ずっと未練がましくすがり付いてただけだったの。ラウラさんの言うとおり、往生際の悪いことしてたの」

 

 あの時浮かべていた笑みも、必死で車椅子から立ち上がろうとしていたのも、全てはただの惰性だったということなのか。認めたくない事実を否定したくて、ただそれだけのために取り繕ってきたということなのだろうか。

 

「でも、セシリアや一夏が言い返してくれた。リンやおばあちゃんやリッカたちだって助けてくれた。それがすごく嬉しくて、自分が情けないことやってるんだって気づけた。

 ……未練がましく残ってるくらいなら……どうせなら、私は足掻けるだけ足掻いてみせる。IS学園に入る前だってそうだったんです。大切な人たちを失くして、ISに乗ることも怖くなって、自分の中に広がっていく空しさを感じるくらいなら、と生きることさえ諦めたんです。

 だけど先生たちに助けられて、IS学園に入ってセシリアやリンたちに会えて、やっと怖いって感じることが無くなってきたんです。

 私は――必ずもう一度立ち上がってみせます。それが、みんなへの恩返しだと思うから」

 

 ああ、やっぱりアヤカは強い。あんなことがあって心を折られるような目に遭って、それでいてまた立ち上がろうと、一歩を踏み出そうとすることができる。彼女の強さ。彼女の意志に報いるために私にできること。

 立ち上がろうとする彼女を再び迎えるために、私は――

 

「わかりましたわ。気兼ねなく手術を受けてきてください」

「……え、と、もう少し反対される気がしてたんだけど」

「あたしは別に。あんたって結構ガンコそうだし」

「私はアヤカなら成功させて帰ってくると信じていますので」

「……期待が重い」

「ただし、約束してくださいまし。手術が終わって、全力で戦えると思ったとき――――もう一度、戦ってください」

 

 そう、あの最初の戦い。アヤカは第二世代のラファール・リヴァイヴで私に勝利してみせた。あの日以降、ルー・ノワールに乗り換えたアヤカは目に見えた伸びを――いや、本来の実力を発揮しつつあった。勝ちたい。この人に勝ちたい。そう思わせるほどの卓越した操縦技術を見せ付けてくるアヤカを見て、私はこの人に勝利したいと渇望した。

 だけど伸ばした手は届かず、いつも一歩先を行く彼女に追いつけず、並ぶこともできず涙を呑んだ。

 

「ええ、もちろんです。次も勝ってみせます」

「いえ、今度こそ――私が勝ちます」

 

 だから、もう一度だけ、あなたと共に立つ機会が欲しい。

 

 

 某県某市の研究所。そこがこれから私が入院する施設だ。白い近未来的なデザインとガラス張りを多用したエントランスと、そこから伸びる研究棟が私の一時の住まいとなる。

 

「随分顔つきがよくなった。いいぞ、凛々しくなったじゃないか」

「もうっ、頭を撫でないでください」

「はっはっはっ、妹の孫となれば私にとっても孫のようなものなのだ。こうして愛でるのも不思議ではなかろうよ」

 

 私の頭を優しく撫でる大伯母様。中学生の一年生のような小柄さと低身長でありながら、その中身は非常に老成していて、見た目の年齢にそぐわないおおらかさを振り撒いている。

 

「何かいいことがあったのか?」

「良いことというか、踏ん切りがついただけです。今までズルズル引き摺って後回しにしていた問題に、やっと決心がついたっていうか……やろうっていう覚悟が決まったというか」

「フム、良いことだ。アヤカはあんな傷を負って、それでも諦めきれずに前に進めた。惰性で続けるだけの後ろ向きな努力ではなく前を向いて進めた。それは素晴らしいことさ。いい子……本当にいい子だ。麗香が可愛がるのも納得だな」

 

 ……この妹にしてこの姉ありというものなのかもしれない。撫でる感覚も強さもまったく同じだ。

 

「さて、説明は受けただろうがもう一度確認させておくれ。ここから先に一歩でも踏み込めばもう後戻りはない。神経系を一度切り離し、正しい配列に再度繋ぎ合わせるという困難な手術に挑むことになる。まずは右腕、次は左。最後に右足だ。

 必要とあれば神経を人工の神経ファイバーで代替することになる。まともに機能するかは運がらみですらある。……それでも、やるのか?」

「――やります。私を待ってる人が居ますから」

 

 ここが勝負だ。例え可能性が低かろうと私は挑んでみせる。私を待つ人たちのために未来を掴んでみせる。運命が阻むなら蹴散らしてやる。私はもう一度やると、そう決めたんだ。

 

 

 

「ああ、それと北條はしばらく欠席となる。ではIS基礎論の285ページの7行目からだ。篠ノ乃」

「――は、はい。えー、インフィニットストラトスの運用における基本的な――」

 

 授業の開始直前に告げられた一言。アヤカがしばらく欠席するという言葉に耳を疑った。

 なんで、どうして俺たちには何も知らせずに居なくなったんだ? 千冬姉は理由を知っているのか? ルームメイトのセシリアは聞いていたのか?

 頭の中でぐるぐるぐるぐる、ハムスターが回し車を回すように次々と疑問が振って湧いてくる。

 

「アヤカが欠席した理由、ですか?」

「ああ。セシリアなら何か聞いてるんじゃないかと思ってさ」

「そうですわね。知っているといえば知っています」

「本当か! アヤカはどうなったんだ!? 大丈夫なんだよな!?」

「大丈夫ですわ。ですが、こればかりは一夏さんとはいえ私の口から言うことはできません。命に関わるようなことではない、としか言えませんわ」

 

 セシリアは何も問題ないと信じているんだろう。たっぷりの自信と余裕をもって笑みを浮かべ、心配ないというばかりだ。

 

「うーん……」

「一夏、気になる?」

「そりゃあな……退院から一週間でまた欠席なんて、心配するのが普通だろ?」

「僕はあまり面識が無いから詳しいことを知らないんだけど、北條さんは入院してたの?」

 

 部屋に戻るなり俺の今のルームメイトであるシャルルが気にかけて聞いてくるものの、どう答えればいいんだろう。ありのままを話すべきなのか、多少ごまかしていくべきなのか。けどあの時にラウラのやつが全部暴露しちまってたから……ごまかしもきかないんだろうな。

 

「少し前にさ、IS学園がテロリストに襲われた事件があっただろ?」

「……ああ、確か軍人の方が亡くなられたっていうヤツだよね。僕もISに乗っているからどうしてIS操縦者から死者が出たのか不思議に思っていたけど、絶対防御を貫通するほどの高出力な火器を使う敵だったんだって聞いたよ」

「そうだぜ。で、アヤカはそのときISに乗って戦ってたんだ。……学園のみんなや、あいつのおばあさんを守るために、たった一人で三機の敵を相手にしてたんだ。統合軍の援軍が来て、国連軍の援軍も加わって、千冬姉……織斑先生まで加わったけど、アヤカは敵のISに狙われて大怪我をさせられたんだ」

「たった一人で三機を相手に……!? た、確か彼女の機体はラファール・リヴァイヴだったんじゃ? リヴァイヴであんな機体を、しかも三機も相手取るなんて無謀だよ。

 すごく大人しそうでどこかのお嬢様みたいだったけど、実は行動的なのかな……」

「ああ、俺もそう思う。だけど、あいつは強いんだ。リヴァイヴのカスタムタイプをアレンジした機体で、俺なんて弾の一発も当てられないくらい強いんだ。そんなアヤカが――手足を引きちぎられるなんて」

 

 俺はISに乗っていたんだ。敵を倒すことだってできた。だけど俺は弱すぎて最後の一撃を決めただけだ。鈴が俺を守ってくれて、松坂さんが敵を押さえ込んで、荒川さんがチャンスを作ってくれなければ俺たちはみんな死んでいた。

 

「俺が、俺がっ! もう少しでも強ければ……! 足手まといでさえなければ! 命を賭けてでも守ろうっていう覚悟さえあれば! あの人たちは死なずに済んだかもしれないっ!

 アヤカだってあんなケガをして苦しむことなんてなかった! 俺たちが、もっと……誰かを助けられるだけの強さがあればっ……! 俺が、覚悟を決めていればアヤカを助けられたかもしれないんだ……!」

 

 俺には力が無い。それが事実だ。

 俺はアイツを守れなかった。悔しいけどそれが現実だ。

 俺ではアヤカを守るどころか足手まといだ。それが現在(いま)の俺だ。

 

「――いいなぁ」

「……何がだよ?」

「あ、いや、さ……こんな風に大切に思ってくれる人が居るって、良いことだなって」

「そりゃアヤカは友達だしな。入学式のあと、学園でただ一人の男の俺に声をかけてくれたのはアヤカくらいだったし。正直アヤカが声をかけてくれなかったらずっと見世物小屋の動物の気分だったよ」

「……本当にそれだけ?」

「んー……あとは練習にいつも付き合ってくれるし、戦い方も教えてもらったりしてるな。受講料と称してレゾナンスのスイーツ食べ放題にたまに連れていかれるけど」

 

 時々からかうようにあしらわれるけど、アドバイスは的確だし銃や剣の使い方はもちろん、どういうタイミングで攻めたり逃げたりするべきか、そういった立ち回りも教えてくれる。もちろんアドバイスどおりにやろうとしたらそれこそその裏をかいてくるんだけど。

 

「それって、実際はデートなんじゃ……?」

「いや、無い無い。アヤカが行きたがってた店だけど、アヤカが一人じゃ入りにくいからって俺を連れ出してるだけだしな」

「そうなの?」

 

 別に俺じゃなくても女の子同士でも問題ないはずだし、もっと言えばアヤカのおばあさんを連れていってもいいはずだ。……別に俺でなくても、シャルルでも……何ら問題ない。

 

「……で、まだ他に何かあんのかよ? 無いならちょっと昼寝する」

「あ、うん。じゃあ僕は本でも読んでるから……」

 

 ああイライラする。何もできずに終わった自分を思い出したせいだ。今は余計なことを考えずに昼寝だ。軽く寝れば少しは気分も収まるだろう。

 ゆっくりと瞼が重くなっていく。梅雨明けの近い晴れ間から降り注ぐ光の温かさと湿気で気分は最悪だというのに、そんなものお構いなしで眠気が押し寄せてくる。

 

「…………はぁ?」

 

 俺は、なんで廊下に立ってんだ? さっきまで昼寝していたはずだ。ようやくイライラが収まってきて、どうにか眠りについたはずだ。

 

「――! ……!?」

「誰か、いるのか?」

 

 1025号室は俺とシャルルの部屋だ。誰かの話し声とバタバタという歩く音が微かに聞こえるドアの向こうで、誰かが居るらしい。扉のドアノブに手をかけ――

 

「ダメッ、シャルルっ、んっ、そう……いうのはぁっ……はぁっ……ココじゃ……!」

「いいじゃない。僕たちもう親しい仲なんだからさ」

「んっ、そう、じゃなくてっ……! こ、れっ、い、いちっか、のっ……ベッドでっ――!」

「大丈夫だよ。一夏ならしばらく帰ってこないから。僕さ、ずっとアヤカのこと……気になってたんだ……」

「ほっ、ほん、とう……?」

「だからさ、僕にキミの全部……ここで見せてほしいな」

 

 ――なん、だよ。何やってんだよシャルル。なんでそいつにっ、アヤカに手を出して――! 何で、アヤカも、そんな甘い声で――!

 

「うわああぁぁっ!」

「ひゃっ!? な、何!? 一夏! どうしたの!?」

「……はぁっ、はぁっ……ゆっ、夢、か……?」

 

 心配したような顔でシャルルが俺を見る。だけど、どうしてもシャルルと顔を合わせることができない。なんだってあんな変な夢を見るんだよ。そりゃあ確かにシャルルはイケメンの部類に入る……それどころかトップクラスの美男子だと思える。

 だからといってあんなタラシみたいなセリフを言うやつじゃない。ちょっとズレたところもあるけど至って普通の誠実な好青年だ。決してあんな、夢の中で見たような……いわゆるチャラ男では断じてない。

 

「一夏、すごい汗かいてるよ。冷たいお茶を淹れようか?」

「あ、あぁ……わるいな」

 

 ああ、イライラがとまらない。俺は、どうかしちまったのかもしれない。



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最近流行りの鬼滅に乗ってみた

鬼滅が流行っているそうなので書いてみた(原作知識あんまりない)

胡蝶カナエさんが不憫なので少し救済してみた(死なないとは言ってない)

柱が銃を使ったっていいじゃない(大正時代なんだしSAAもナガンもM1918もあるよ!)

一言で言えば“大正ロマン系書いたことないから練習しよう”でこうなった。
ついでにリハビリも兼ねてる。
戦闘シーンは無い(力尽きた)

本作の含有物
・オリ主
・捏造設定
・少量の糖分(微糖くらい)


 時代は二十世紀の初頭。極東の地、大正時代を迎えた日本帝国の、世界にその名を知られる神戸港に一隻の客船が入港する。

 接舷した貨客船の周りには多くの人夫が集まり、貨物の荷下ろしで大賑わいの様相を見せている。その隣では旧友や愛しい人、親類との再会を祝う人々の笑顔があちらこちらで生まれはじめる。

 その様子を眺めるように一瞥し、一人の男がタラップを降りて空を見上げる。

 

「ええなあ。ほんまに」

 

 男は船着き場に降り立つなりマッチを擦ってタバコの先に火を灯す。潮騒に乗って溶けていく紫煙を見上げ、眼前に広がる蒼海と雲一つない秋晴れの空に向かってつぶやく。

 

「ええなあ……ほんまに、ええお天気や。お()さんが元気やったら人も元気や。やっぱりこうやないとなぁ」

 

 前を開いた黒色のトレンチコートが六甲おろしに揺られ、革製のシンプルなホルスターに収められた二挺の拳銃が露になる。そして左腰にはサーベル――ではなく、反りを持った漆塗りの鞘。即ち日本刀を帯びている。

 背丈は5尺7寸(175センチ)ほど、重量は20貫(75キロ)はあろう軍装の男。大男と呼ぶには少し物足りないが、しゃんとした背格好の良さと朗らかな笑みに下町の若い娘たちはちらほらと視線を投げかけている。

 髪型はピッタリ整えているわけではないが短く揃えられ、恵まれた体躯で洋装――しかも略式とはいえ普段目にすることのない海軍の軍装――を着こなす年若い男ともなれば人目に留まるのが道理だ。

 

「あ、天江(あまえ)くん?」

「ぬ?」

 

 ふと、青年が自身を呼ぶ声のしたほうへ顔を向けると、そこには懐かしい顔があった。蝶を象った髪留め。艶やかな濡れ羽色の髪に黒い瞳。髪は耳を隠すように流し、毛先を後ろで固めたモダンの最先端。藤色の着物に茜色の袴。大正モダンまっしぐら、流行の最前線(フロントライン)を意識した女がガチガチに緊張した様子で立っていた。

 天江と呼ばれた男は彼女を見るなり駆け寄り、再開の言葉と共に小柄な彼女を抱き寄せる。

 

「お? お、おぉー!? カナエか! 三年も()うてないから誰やわからへんかったで!」

「そ、そうよね……久しぶりだも……ひゃっ!?」

「うーん……懐かしいなぁ、この藤の花の匂いも。(なんが)いこと亜米利加(アメリカ)やら英吉利(イギリス)やら巡ってきたさかい、“帰ってきた”っちゅー匂いやな」

「ちょ、ちょっと天江くん! こ、こんな往来で! こんな……!」

「ええやん。ちょっと、もうちょっとだけ、な」

「……も、もうっ……」

 

 小春日和の埠頭で抱き合う男女を見た周囲の人々の反応は様々だ。年老いた、或いは中年を迎える夫婦などは「今日は暑ぅてかなわんなぁ!」「ええ、ほんまに」と微笑ましそうに。妙齢の男女は「畜生!」「ぐぎぎぎ」などと羨ましそうに。色恋を知らぬ童たちは興味津々で眺めたり指差したりして母親や姉に引っ張られて先を急ぐように離れていく。

 略式とはいえ軍装の青年が女を抱きしめる。再び生きて会えるかわからないのが軍人なのだから、こうして想い人を思わず抱きしめたとしても不思議ではない。日清、日露と相次いだ戦争を知る彼らは“往来で抱き着くなど何事か!”などという前時代的な言葉を投げかけたりなどしなかった。

 欧米文化の根付いたこの地、神戸が関西の海外文化の最先端と言える場所であることもその一因だ。

 

「さ、ほな帰ろか」

「――はい」

 

 胡蝶カナエは船旅の疲れをものともしない天江(あまえ)謙壱(けんいち)に続いてその後ろをついていく。こんなに大きかっただろうか、という少しばかりの寂しさを振り払ってついていく。

 彼、天江謙壱が軍務で日本を離れて早三年。たった三年、しかし三年の月日は二人に大きな変化をもたらしていた。

 彼女の目から見る彼はすごく大きく頼もしくなっていた。それこそ顔を見上げるくらいに。

 彼の目から見る彼女はとても(あで)やかになっていた。それこそ息を呑むくらいに。

 

 神戸駅へ着いて国鉄の特別急行列車に乗り、胡蝶の本拠地である蝶屋敷へ向かう。客車はそこそこに混雑しているものの、満席というには足りない。“欧米での”いつも通りに向かい合って座るつもりで対面席に陣取ったのだが、天江謙壱の思惑は大きく外れることになった。

 

どないしてこないなんねん(どうしてこうなった)

 

 流れゆく雲を窓から見ている天江謙壱の左隣には同僚で同門で幼馴染の胡蝶カナエが彼の肩に寄りかかっていた。さりとて眠りに落ちたわけではない。

 ガタゴトと揺れるレールの衝撃は安眠を許さないし、座席も固く質が良くない。三年間手放さなかった愛用の座布団を敷いているとはいえ、うとうとすることができる安定感があるわけでもなし。

 偏にカナエが三年間溜め込んだものを抑えきれなくなったのだ。

 

「な、なあカナエ、おなか()いてへんか? 梅田駅行ったら駅弁()うとこ(おも)てんねんけど」

「お弁当なら作ってきましたよ」

 

 無残。彼の必死の打開策は先手を打たれて意味をなさなかった。

 

「せ、せやけどお茶くらいは――」

「水出しを持ってきましたから大丈夫ですよ」

「ワシ、雪隠(せっちん)に――」

「神戸駅で行ってきたばかりでしょ? お腹が痛いならお薬があります」

 

 哀れ。無駄なあがきと知ってあがいたところで逃げられはしないのだ。

 

「今は、こうしていたいの」

「――好きにしい……」

 

 春先の暖かな日差しが車窓を通して差し込む中、天江は特に何かを言うこともなくただカナエのささやかなわがままを受け入れた。――内心、見目麗しい妙齢の女に育ったカナエの姿にどぎまぎしながら。

 その後は三年間で生まれてしまった距離感を埋めるように行為はエスカレートしていく。座席に座る彼女の手をさりげなく握ったり握り返したり。開いた弁当箱の中身が天江の大好物ばかりだったり。イギリス土産に買ってきたテディベアを抱きしめて顔を赤らめたカナエを見た天江が悶死しかけたり。世界の広さを目を輝かせて語る天江にカナエが大声を出さないよう注意したり。その最中、天江の一言でカナエは凍り付いた。

 

「しんどいことも多々あったけど、大事な人に会いとうても会われへんのが、一番(いっちゃん)つらかった。せやけど承知の上で出た。我慢する。そのつもりやったけど……つらいもんは、ほんまにつらいな」

 

 座席のひじ掛けに頬杖をついてカナエを見つめて呟かれた言葉。快活さを湛えた笑みとはまた違う、安堵感や安らぎに満ちた天江の表情。その目線の先に居るのが自分なものだから、カナエはその言葉に僅かながら思考停止した後に再び動き出した。

 

(だっ、だだ……大事な人!? 今大事な人って! 私きっと今日死ぬんだわ。嬉しさで頭が溶けあがって倒れてしまうのよきっと! ハッ……で、でも天江くんはしのぶとも一緒に稽古したりしてたから…………ま、まさか……っ! いっ、いえ! しのぶが最大の好敵手(こいがたき)の可能性は無きにしも非ずだけど、私はこうやって肩まで貸してもらえる間柄なんだもの!

 弱気になってはいけないわカナエ! 例え血を分けた妹が相手でもこの想いを譲るわけにはいかないのよ! そう! そうっ! 今日私が天江くんの迎えに出ることになったのも、天江くんが帰ってくる日と私の休暇が重なったのも! 腕によりをかけてお弁当の準備をしていて鬼の討伐を言い渡されたけど15分で全て片づけられたことも! すべては宿命! そう、運命は私を後押ししてくれているのよ!)

 

 ちなみに15分で片づけられた鬼は「あァぁんまりだぁぁぁァァッ!」と断末魔をあげた。

 

「……な、なんか、あったんか?」

「いっ!? いえ! いえ! 何もないわよ!」

 

 天江はドン引きしていた。カナエが硬直したかと思ったら顔を赤らめ、次は死人になったかのように青ざめ、燃え上がるような意気で復活したかと思えばガッツポーズし始めたのだ。

 己が好いている女であるとはいえ、この奇行を目の当たりにして“どこかで頭打ったんか?”と言い出さなかっただけマシな対応だ。

 鉄道から馬車へ。馬車から徒歩へ。山奥へと向かって二人の旅路が続く。ゆったり歩いているとはいえ二人の息が上がる様子はない。天江は軍人として鍛えられているだけあって理解できる範疇にあるが、連れだって歩く胡蝶カナエのほうはどう見ても町娘の一人にしか見えないというのに疲れの一つも見せない。

 二人にとってこの程度は当たり前だ。ある特殊な呼吸法から生み出される強靭な体力と、訓練で培ってきた体幹があれば、二人が属する鬼殺隊の隊士であればできて当然のことなのだから。

 

 鬼殺隊。名の通り人喰いの悪鬼を斬って殺して回る者たちだ。その中でも天江謙壱と胡蝶カナエは“柱”と呼ばれる、所謂実働部隊のリーダー格と言える人物だ。

 肉体強化のための呼吸法を習得又は自らの呼吸法を独自に生み出し、隊士として階級を上げ、格の高い鬼を殺すか50体を斬った者に与えられる称号というのが、彼ら鬼殺隊における一般的な認識だ。

 胡蝶カナエはその呼吸法と剣技から“花柱”と呼ばれ、天江謙壱は“天柱(あまのはしら)”と呼ばれている。

 

「カァ」

「あら」

「む? 誰の(からす)や?」

 

 一羽の烏が二人の行く手に見えるケヤキの木の枝に降り立った。じろ、と二人を見るように一瞥した後、子気味よい羽ばたきと共に二人の前に降り立つと自ら首をたれ始めた。

 

「フム、あの艶といい鋭い目つきといい……なんちゅうか、渡丸(とまる)のやつによう(よく)似とるのう」

「カァ、親父殿ヲ覚エテイテクダサッタコト感謝致シマス。小生、名ヲ登丸(のまる)ト申シマス。天柱様ノ事ハ親父殿ヨリ伺ッテオリマス」

「おお! 渡丸の倅か! あいつ、ワシが三年おらん()に子までこさえよったか(つくってたか)!」

「ハ、親父殿ハ小生ノ誇ルベキ……強キ烏ニ御座イマシタ。ツキマシテハ、親父殿ヨリ言伝(ことづて)ヲ預カッテオリマス」

「聞こか。ほれ、こっち()い」

 

 天江が差し出した右腕に飛び移った鎹烏の登丸は言う。

 

「ソノ……伝エ聞イタソノママヲオ伝エシマス」

「おう」

「……“早クオ前モ子ヲ作レ。子供ハ良イゾ。毎日楽シイ。嫁ニ愛想尽カサレルナヨ。オ達者デ”」

「――そか。そない、言い残したか……」

「ハ。上弦ノ陸ヲ迎撃スル際ニ、身ヲ呈シテ隊士ヲ救ッタト……」

 

 天江はふと空を見上げた。宵の空。薄雲のかかる月夜が少しずつ迫っていた。

 天江が鬼殺の道へと踏み入った時から傍にあった戦友は、天江の知らぬところで息を引き取っていた。しかしその彼の意志は絶えていない。天江に向けて伝えられた言葉は、自らの子への言葉でもあるのだから。

 人も烏も、その命を次世代に長きにわたって繋いでくることで今世まで生きている。天江の戦友、渡丸は自らの父母から意志を引き継ぎ、守り通し、それを己の子に伝えることができたのだ。

 

「のう、登丸。渡丸の墓はあるか?」

「イエ。我ラ“丸”ノ一門、“死スレバ野晒ラシトナリテ還ルモノ”ト親父殿ヨリ聞キ及ンデオリマスレバ」

「なんや。寂しいもんやな。最後に……一杯付き()うてから往生するくらいせんかい……あんのアホカラスめ。……ハァ、これで同期はワシら……だけか。見送るばぁっかで……なーんも……できんとは……ッ」

 

 天江の表情から笑顔が消える。天から落ちた一滴の雨が地を濡らし、土に溶けて消えていく。

 

「……天柱様ノオ言葉デアレバ親父殿モ喜ブデショウ。“気遣イ無用。汝悪鬼討ツベシ”ト仰ルヤモシレマセヌガ」

「ハンッ、そないに長々と言わんわ。“斬れ”で十分や。ワシらには、それで十分」

 

 天江の瞳に覇気が蘇る。朗らかな笑みの上に目に見えてわかるむき出しの闘争心。不敵な笑みを以って戦友への手向けとした天江は言う。

 

「カナエ」

「はい」

「ワシと祝言を上げてくれへんか」

「はい。その鬼を必ず私たちの手で――――――――――えっ? え!? あ、あぁ、あの…………そのっ……! なん、なんっ、で、わた、わたたたっ、わた」

 

 いきなりの大告白(プロポーズ)。予想した言葉とまるで違う言葉にカナエはしばしその場で佇み、夕日よりも赤く頬を染めて先ほどの言葉を脳内で反芻しようとした。が、突然の衝撃に言葉を考える余裕などありはしない。精一杯に絞り出した言葉は言葉にすらならないしどろもどろなものだった。

 

「ワシは、カナエがええ。カナエが好きや。三年間ずっと会いとうて、寂してかなわんかった。

 お互いに柱やっとるし、いつ死ぬんやわからへん日常やったし……今までせんど知らんぷりしとった。せやけど船に乗って離れていくたんびに、カナエにもっと応えとったら、カナエに好きやて伝えとったら……ずっとそない思うてた」

「天江、くん」

「すまん。ワシは、柱やなんやて理由つけてカナエの想いに応えようともせんかった……どうしようもないヘタレやった」

 

 気づいていないわけではない。気づかないわけがない。ただ三年前の天江謙壱は“そうするべきではない”として自らの想いを心の奥底にしまい込み続けていた。そしてそれがやり場のない後悔に繋がってしまって、その果てに彼は一大決心をしたのだ。

 

 日本に帰ったらカナエに必ずこの想いを伝える。

 

 そう決めてからの彼の日常だったが、相変わらず不安に苛まれていた。帰ってきてカナエが結婚していたらどうしようとか、カナエに恋人が出来ていたらどうしようとか、カナエがそもそも死んでしまっていたらどうしようとか。

 

 とはいえそれらは杞憂だった。天江謙壱の想い人である胡蝶カナエは未婚(フリー)だったし、カナエ自身も天江を待ちわびていたのだから。

 

「長いこと待たせてしもうて、ごめんな。こないに情けない俺やけど……俺は、カナエのことが一番(いっちゃん)好きや」

 

 普段、天江は自らを“ワシ”という。どこか年寄り臭い、達観したかのように自らを見ているのは柱としての責務と人の生き死にを鬼殺隊で見続けていたせいだ。

 常に自信満々で、明るく、誰かを励ますように笑っていた天江が初めて弱みを見せる。想い人が自分の前でその内心を打ち明け、どこか救いを求めるような、許しを請うような、鬼殺の柱ではなくただの人としての姿を見せてくれた。

 彼は己の全てを賭けて自分に想いを伝えてくれた。それに対して何も言わないなど、彼の誠実さに対する裏切りに等しい。

 

「私は……!」

 

 答えを! 答えよ! 応えよ! 自らの胸の内にある想いを伝えるのは今しかない!

 

「私も、天江くんのことが! 好きです! ずっと……! ずっと、好きです! ふ、不束者ですが……よろしくお願いいたします!」

「……カナエ!」

「天江くんっ……!」

 

 もはや二人の間に第三者(カラス)が口を挟む余地はない。カナエが硬直(フリーズ)した瞬間にはもう登丸の姿は近くにあった大樹の枝に身を寄せていた。

 春先、少し肌寒い日のこと。山際から夕日の射す人気のない街道にて抱き合う男女が一組。日の沈むその瞬間まで、言葉もなくただお互いの温もりを確かめ合うように身を寄せ合い続けていた。

 

「うむ……遂に夫婦(めおと)となった……喜ばしき事かな。若人の行く末に、どうか阿弥陀如来のご加護を……南無阿弥陀仏」

「聞こえる……聞こえるぜェ……派手に響くその心音が!」

 

 覗き見ている同僚がいることにさえ気づかないまま。




関西弁で表記すると、標準語を使っておられる方々にはわかりにくい部分があるかと思ったのでルビ振ってます。
まあルビあろうがイントネーションが違うので結局わかりにくいんですけどね!
読んでみて文章の(というか言葉の)意味が読み取れたなら幸いです。

まあ関西弁バリバリ混ぜてるわけではないのでまだ読める範疇かと…


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ドルフロのとりあえず8話目

 

 G41は知らない。彼女達が戦う理由を。

 G41は知らない。彼女が生きる理由を。

 G41は知らない。自身の幸せの定義を。

 

 G41は知らない。自らが手に取る銃の、その引き金の重みを――まだ知らない。

 

 

 第三標的 PMC“アフターグロウ”就職説明会

 

「はーい。それじゃPMC“アフターグロウ”の中途採用に関する説明会を始めちゃいまーす。進行は私、秘密兵器ティスことOts-12と」

「妹のOts-14、グローザが務める。緊張しないでいいわ」

「別に難しい話ってほどじゃないから気楽にしていいよー」

 

 FALさんと合流し、電車で本土へ渡って車で二十分。FALさんから“ちょっとだけ待ってて”と言われて通された少人数用の会議室でコーヒーを飲んでいると、ザルツブルク基地にも居た姉妹――別人なのはわかっているけど見ていてつらくなる――が資料を手に入ってきた。

 ……相変わらず、ティスちゃんはのんびりとしたような口調で、妹のグローザさんはハキハキとした喋り方だ。

 赤いベレー帽に儀礼的なデザインの強い制服。灰色を帯びた白い髪を三つ編みのツインテールにし、先端に星の髪留めをあしらった彼女、ティスちゃんはグローザさんのお姉ちゃんだ。

 その隣に座ったグローザさんはモデルさんのようで、ティスちゃんよりも背が高く、仄かに赤みがかかったブロンドの髪を靡かせる。パッと見ただけではグローザさんのほうがお姉さんに見えるけど、実は妹だ。

 

「じゃ、これ見ながら話を進めよっか」

 

 そう言ってティスちゃん……ティスさんが配ったのは一冊のパンフレット。

 表紙には戦術人形のPKPさんやFALさん、G36さんにエコーさんが並んで映っている。みんなそれぞれの銃を手に、人間の軍人さんたちと一緒に映っている写真なんて珍しい。

 物珍しそうに写真を見ていると、1ページ目を開いたグローザさんが説明を始める。

 

「まず、私たちPMC“アフターグロウ”は今のご時勢じゃそれなりによくある“都市の防衛と管理を委託されたPMC”だ。イタリア政府からの依頼でこのヴェネツィア周辺地域の防衛や統治を代行してる会社だ。

 管轄区域の面積で言えば7位、勢力規模で言えば6位くらいだ。海辺もあるし山岳地もあるから、現在新規社員を絶賛募集中というわけだ」

「……それってスゴイんですか?」

「んー、グリフィン&クルーガーを含めると、中堅の上位ってカンジかなー? トップはグリフィン&クルーガーで、欧州のほぼ全域に支配地域を持っているのは知ってるでしょ?

 その他の中規模、小規模なPMCが管轄する区域というものの多くのは大都市間の中間にあるような比較的小規模、又は中規模の都市がほとんどなんだよねー。

 ま、支配域の総面積では中堅程度だけどさ、イタリアのボローニャ、ヴェローナ、ヴィチェンツァ、トレヴィーゾ、ヴェネツィアといった旧ヴェネト州の主要都市のほぼ全部を受け持っているのが私たちアフターグロウ。

 ちゃんと各都市に支部があるし、そこに一般の軍とは別で指揮官と戦術人形のチームも置かれているから割りと外敵への備えはしっかりしてるほうだと思うよー」

 

 ちなみにコレがグリフィン&クルーガーの支配域ね、と言ってティスさんはタブレットに表示された画像をこちらに見せる。……すごく、大きいです。そんな言葉しか出てこなかった。

 

「で、グリフィン勢力圏を消すとこんな感じ」

 

 南北米大陸とアフリカ、欧州から中東、果てはインドやアジアまで跨っていた青色が消える。……残った色はイギリス、フランス、ドイツ、スペイン、トルコ、イタリア、ロシア、それに北欧圏と北アフリカと中東に少しずつ残っているだけだった。

 

「まー、私たちはこの残っている色の中で7位ってコト。PMCとしちゃ中堅だよね」

「とはいえグリフィンでも無視しきれないだけの勢力であるのは確かだ。業務提携していることもあって他のグリフィン勢力下の都市とも交易が可能だし、何より援軍として参戦したりすることもある。もちろん我々はPMCだ。仕事をするからには報酬を受け取っている」

「けどさ、よく覚えといてね。私たちは“傭兵”じゃないんだ。私たちは“契約と法と善性”を好しとする“民間軍事企業”なんだよね。

 一般市民や力の無い人を守るのが私たちで、善悪問わず誰彼構わず仕事を請け負う“傭兵”みたいな無法者とは違うの。信頼の厚さが違うのよね」

「グリフィン&クルーガーの紋章に描かれるのが“戦争”や“力”を象徴するドラゴンであるのと同じように、我々アフターグロウの紋章は、盾の中心に描かれた剣の左右に羽付きの獅子とドラゴンが座している姿だ。

 ドラゴンは言うまでもなく力の象徴で、獅子は“勇気”を象徴している。そして獅子はヴェネツィアの紋章でもある。これはアフターグロウと旧ヴェネト州の人々が団結したことを証明するものでもあるんだ」

 

 そういえばご主人様も言っていた。PMCには信頼こそが必要なんだって。他の人たちにとって、任せておけば安心できる組織にしなきゃいけないって。

 

「じゃ、次いこっか」

「そうだな。次のページは……各支部の紹介だな。先ほど言ったように旧ヴェネト州の主要都市にアフターグロウの支部がある。ヴェネツィアのみが少し特殊で、ここトレヴィーゾの総司令本部の直接の管区として扱われている」

「それ、FALさんも言ってました。水害が多いし地盤が緩くて基地が置けないって」

「まあそれも一つの理由だよねー。けどね、本当の理由はもう一つあるって知ってた?」

「……それ以外になにかあるの?」

 

 んふふ、と笑みを浮かべてティスさんは自慢げに問いかけてくる。そのいたずらっ子のような笑い方はどこかエコーさんっぽい。

 お金がかかるのと地盤が緩いのと、それ以外に考えられる理由……何があるんだろう。

 

「ヴェネツィアってキレーでしょ。杭打ちして地盤を固めてその上にレンガ造りの街並みが作られたんだ。サン・マルコ寺院とかもそうだけど、街全体に統一感があるんだよね。ちょっと時代がかったカンジでさ。

 ……で、そこにコンクリート壁で囲まれて機銃の銃座や監視塔がそこかしこにある基地が建っちゃったら、なーんかミスマッチでしょ? そゆこと」

「つまり、“景色があわない”ってこと?」

「概ねスコーピオンの言う通りだ。ヴェネツィアは“アドリア海の女王”とも言われる美しい街並みでその名を知られてきた街でもある。

 故に、基地など建てようとすれば住民から猛反発を食らうというわけだ。その代わりに建物のいくつかを改装して部隊の詰め所にしていたり、本土側に基地を置くなどして有事の際の対応に配慮してある」

 

 このあたりは政治的な問題だな、と言ってグローザさんはエスプレッソコーヒーを口にし……苦そうな反応を見たティスちゃんに砂糖を追加されていた。丁度飲みやすくなったのか、グローザさんの表情も少しにこやかだ。

 

「さー、次のページだよ」

「次のページは……まあ一般的な戦術人形の業務内容だな。都市間の輸送ルートの哨戒警備に、市民や諜報部から報告のあった案件の調査任務。補給物資や食料、資材などの輸送部隊の護衛任務。他には要人警護や施設の警備も時たま入る」

「基本的に一週間シフトで持ち回りするのが普通かな。この前みたいな遠征や長期任務でメンバーが抜けるときは臨時編成で組みなおして回してるよ」

「一般的な軍人採用なら都市内部の治安維持やパトロールなんかがメインになるのだが、二人は戦術人形だから少しばかり危険度も高い任務になるだろう。

 そして我々戦術人形部隊は他企業……グリフィン&クルーガー等の他のPMCからの依頼などで援軍として戦地に出向くこともある」

 

 危険度の低い仕事は他の一般的な軍人に割り振っているだけあって、流石に交通整理の仕事は無いみたい。その分街の外に出たりする任務が多い。

 

「ちょっとだけ、いい?」

「ん、どしたの?」

 

 今まで静かにしていたスコーピオンちゃんが手を挙げて言う。難しそうな顔をしているから、何か考えていることがあるのかもしれない。

 

「他企業からの依頼があるのはわかる。……どんな任務があったのか、開示できる範囲で教えてほしいんだけど」

「そうだねー……グリフィンからはここのところは基本的に鉄血関連の依頼かな。他のPMCからは反体制派やゲリラ組織への攻勢に出る時に防衛任務にあたったりとかしてたかなー」

「……その時、人を撃つような場面はあったの?」

「そりゃあるよねー。自爆テロに奇襲作戦。人質を取った立て篭もり事件に銀行強盗。ひどいものだと小さな女の子が持ってきたバスケットがその子ごと大爆発、とか。

 いやー、ダミーが受け取ってよかったって今でも思うね」

「……あの時は本当に肝を冷やしたよ姉さん。大勢の一般人が居る中であんなテロ行為だなど……」

「えへへー、負傷者ゼロに抑えた私ってやっぱり秘密兵器よね」

「そしてダミーと実行犯の少女は灰となったわけだがな」

 

 ……目の前のティスさんは少し寂しげに窓の外に目をやって私たちに向かって言う。

 

「――あの子が悪いわけじゃない。でも何も知らない子供に爆弾なんて持たせるヤツは実際にこの世界に居るんだよ。そしてそんなことを平気でやるような“悪人”を撃つのが私たち。

 いい二人とも? 撃つべきときには、ためらわずに撃たなきゃいけないよ? でなきゃ自分か仲間か、他の力の無い誰かが死ぬんだからね」

 

 子供を使ったテロ。そんなものが本当に起こっているだなんて知らなかった。ティスさんが冗談で言うとは思えないし、私たちに忠告するティスさんの言葉は有無を言わせない圧迫感さえ感じさせる。

 何も知らない子供に爆弾を持たせて送り出した人の気持ちなんてわかりたくもない。誰かの命をただの道具としか思っていないなんて、そんなひどい人を許すことなんてできそうにない。

 いつもどおりの日常が……大切な誰かの命が簡単に奪われる。そんなことが普通に起こるような世界なんて……私はイヤだ。

 

「初めて人を撃ったとき……どんな感じだった?」

「スコーピオンもG41も想像つくんだろうけどね……そりゃー気持ちのいいものじゃないよ。ね、グローザ」

「あれほど後味の悪いものは後にも先にも無いだろうな。だがあの一発の銃弾が敵を倒したことで、大勢の命が救われた……そう思っているよ」

「コーヒー入れてくるよ。グローザ、少しよろしく」

 

 戦術人形も自律人形も、基本的には“ヒトを傷つけること”ができない。命を奪う、危害を加える行為はできない。……そのはずなのに、ヒトを撃った経験があるということは……そういった命令を下すヒトが居るということ。

 そしてきっと、それは二人が所属する部隊の指揮官……エコーさんなのだろう。

 

「一つ言っておくことがある。私は確かにヒトを殺したし、姉さんもそうだ。射殺命令の下に、自らの判断で敵を殺してきた。だがその判断を間違いだとは思っていないし、例え糾弾されたとしても後悔は無い。私たちが撃たなければより多くの犠牲者が出ていただろう。

 私たちは自分自身や仲間を、そして何よりも平穏に生きる一般市民を守るために敵を殺している。ヒトを守るためにヒトを撃つというのは矛盾しているように思えるが、それは違う。私たちは善良なヒトを守るために、多くの他者を害する悪人を殺す。

 それこそが私たち“アフターグロウ”の……いや、私の戦う理由だと思っているよ」

「……ありがとう、グローザ。それとゴメン。つらいものを思い出させちゃって」

「いいんだ、スコーピオン。もう終わったことさ」

 

 大切なものや誰かを守るために戦うのだとグローザさんは言う。自分がやらなければもっと多くの人が苦しむと理解しているんだ。……私は誰かのために、自分を賭けることができるのかな。

 

「おまたせ~……おお? コレは秘密兵器の私としたことが、空気読めてなかったカンジ? なんかシリアス風味だったのにゴメンねー」

 

 コーヒーの香ばしい匂いと共にのんびりとした声が聞こえる。ティスちゃんは冗談ぽく言ってエスプレッソコーヒーを配って席につくと、カップの中に山盛りの砂糖をざばぁっと投入する。

 

「次は他の事業内容だねー」

「簡単な話だ。行政、経済、娯楽といった面での事業内容だ。

 行政はそのまま読んで字の如くだ。人々の暮らしに関わるもろもろだ。

 経済は主に他PMC勢力圏との交易路の確保や、稀少資源や食料などの輸出入に関するものだ。

 娯楽という点では温泉レジャー施設や宿泊施設などの運営が主だ。こんな時代でも娯楽があれば旅行客は集まるもので、特にヴェネツィアは元々有名であることと治安維持がうまくいっていることもあって旅行客が多い。特に避暑地や有名な観光地などはシーズンともなるとかなりの稼ぎだ。手が足りなければ我々でさえそこのパトロールに回されることもある」

「でも最近は鉄血のせいで東側からのお客さんが減っちゃったんだー。ほんとイヤになっちゃうよねー」

 

 いつの世でも経済を回すというのは大変らしい。G&Kがどうだったのかは知らないけど、ご主人様がいつも“資源が足りない”とか“食料備蓄が”と呟きながらタブレットとにらめっこしていたのを覚えている。

 

「で、こっからが一番大事な話」

 

 ティスちゃんが急にトーンを落として、真っ直ぐにこちらを見る。その迫力に思わず背筋を伸ばしてしまったのはスコーピオンちゃんも同じらしい。

 

「お給料とか待遇について諸々説明しちゃうから、ちゃんと聞いてね」

「まず……給与に関してだが、月給制を採用している。キミ達の予想される総年収は……この額だ」

 

 ……! す、すごい! G&Kのときの総支給より15パーセントも高い!

 

「そしてそこから税金や手当てなどを計算すると……およそこの額になる」

「け、結構減るね……」

「何分中堅企業なのでね。だがその分福利厚生は非常に充実している。施設内の食堂とバーは安値で利用可能になっているし、浴場は無料だ。トレーニングジム、射撃場の他に娯楽室やプールにリラクゼーションルームもある。まあいずれも他の軍人と共用なのでナンパには気をつけることだ。ちなみに私のイチ推しは映画館だ」

「昨日も映画を見に行って終盤で寝そうになってたもんね。私はマッサージチェア推しかな。アレに座ってお昼寝するのって最高だよー」

「ゴホン……そして各人形には二人で一部屋が与えられる。あと、初期での軍での階級としては伍長相当になる。ちなみに今姉さんは准尉で私は曹長だ。もちろん技能の習得や階級の上昇、そして年1回の昇給などで給与が増える」

「どう? 中堅だけどけっこーやるもんでしょ」

「そりゃあスゴイとは思うけど……」

 

 確かにこれはすごいと思う。同じPMCでも会社が違えばこんなに違うものなのかな。スコーピオンちゃんもどこか戸惑っているような感じで歯切れが悪い。

 

「わかってるよ。お休みは週に二日。長期任務や遠征とかだと後でまとまった休暇が申請できるから大丈夫。私たちは戦術人形だから戦傷手当てとか死亡保障とかは無いけど、功労賞とかでいろいろと貰えるようになってる。

 それに現地で万一倒されてもリーダーや仲間がちゃんとメモリーチップを連れ帰ってくれるから大丈夫。無理な場合はバックアップからの復元になっちゃうけど」

「サポート体制は万全だ。何せ戦術人形部隊は物資輸送、外貨稼ぎ、防衛に治安維持と都市運営委託型PMCにとっての大動脈を守っているんだ。アフターグロウはこれらを万全に機能させるべく手を尽くしてくれているよ」

「……改めて考えると確かにすごい」

「うん。自分のベッドがあるってすごいね……」

「普通、我々戦術人形の一般的な“寝床”と言えば休眠ポッドだからな。その点ココは個人のスペースが広くて嬉しい限りさ」

 

 基本的な仕事は物資輸送ルートの警戒や部隊の護衛。不審な場所への調査任務。要人警護や建物の警備。そして他PMCからの要請による遠征や任務。あと観光地の繁盛期のお手伝いやパトロール。

 お給料は十分に出る。税金なんかで結構引かれちゃうけど、施設利用料は格安で娯楽も揃っている。しかも部屋は二人一部屋でベッドまでついてる!

 お休みもちゃんと出るみたいだし、やられちゃったとしてもちゃんと連れ帰ってもらえるみたいだ。……迷惑はかけちゃうんだろうけど、ちゃんと連れて帰ってくれるなら少し気楽になる。

 

「とまあ、ひとまずこんなカンジで」

「姉さん、次はなんだった?」

「この後は戦術人形の各部隊のお仕事見学かな。とはいえリーダーたちエコーチームはいつもの仕事。デルタチームは多分トレーニング中。ガンマチームは次の輸送計画に備えて会議してるところだし、フォックスチームは即応体制で待機中だったっけ。本部警備部隊はヴェネツィアから離れられないしね」

「へえ、結構部隊があるんだね」

「まあね。護衛任務やエリアの哨戒。事務仕事に調査任務。迷子の仔猫の捜索から鉄血残党のあぶり出しまでいろいろやってるよ。危険度の低い任務は軍のほうにお任せしてるから私たちが行くのはだいたい鉄火場だけど」

「出撃イコール危険な仕事ってワケか。……楽しそうじゃん」

 

 スコーピオンちゃんらしさが滲み出ている。割と好戦的な部類に入るスコーピオンちゃんは危険な任務が多いことに高評価を下したらしい。

 

「それじゃ行くわよ。まずはリーダーの仕事場ね。私は総司令官に報告上げてくるから、あとよろしく」

「了解。姉さん」

 

 ティスさんと別れ、グローザさんと一緒に司令部を出て向かった先は以前にFALさんに連れてきてもらった訓練施設だ。一番大きな倉庫を改装したらしいキルハウスのほうではなく、基地の一角に設けられたより厳重なセキュリティの建物へと車で乗り入れる。

 コンクリート壁と有刺鉄線で遮られ、入り口は頑丈な鋼鉄製のゲートが一つ。物々しさを感じるこんな場所に何があるんだろう。それはスコーピオンちゃんも同じだったみたいで、グローザさんに質問していた。

 

「ねえグローザ。随分厳重みたいだけど入っていいの?」

「構わない。リーダーから許可はもらっている。

 ここから先は一般の兵士の立ち入りが禁止されている区域で、主に戦術人形関連の設備が置かれている場所だ。第二司令部と言っても過言ではない程度には揃っているよ。

 我々のメンタルモデルのバックアップに寝床、そして銃器や装備品、それにメンテナンス。戦術人形を稼動させる上で必須の施設がここに揃っているのだから、警備体制が厳重なのは必然のこと。

 といっても缶詰にされたピンクサーモンのような窮屈さじゃ無いさ。アフターグロウの戦術人形なら出入りは自由だ。司令部施設とは少し距離があるけれど歩いて行ける距離だ」

「……そんな中枢に入っていいんですか?」

「G41、キミ達も私も戦術人形だ。なら戦術人形に関わる場所を見なければいけないだろう?」

「まあ、確かにそうだね」

「それに最初でここに来れるのは信用されている証拠。リーダーと同じ戦場で共に戦ったんでしょう?」

 

 脳裏を過るあの日の記憶(メモリー)。仲間を失って一人生き残り、その絶望の中で出会った

アフターグロウのメンバーたち。死地を前にして諦めない姿は私が失った仲間たちを見ているようで、ずっと胸がちくちくと痛む感じがした。

 引き連れていたダミーを喪失し、傷つきながらも必死で足掻く姿は一枚の写真のように克明に記憶している。

 最初に見たときの感想は“戦い慣れている”というものだった。出来立ての人形のものとはまるで違う澱みない身のこなしは数十程度の経験のものじゃない。何百何千という反復と確認で身に付けた、思考する間も必要ないほど染み付いた技術だ。

 躊躇い無く敵を撃つ姿。味方や仲間のために危険に飛び込む姿。自らを賭け金(ベット)できる姿は一見すると無謀だけど、その裏では自身も仲間も救うための手段を常に模索している。

 

 お互いに支えあい、助け合うことでこの人たちは戦っているんだと理解した。

 

「や、いらっしゃい」

「あっ! G41ちゃんにスコーピオンちゃん!」

 

 施設の入り口の前で止まった車から降りると、そこには私たちを待ち構える人たちが居た。

 太陽のような笑顔で私とスコーピオンちゃんを抱き締めたMk14EBRちゃん。はしゃいでいる仔犬を見るような、やれやれといった様子で見ているエコーさんだ。

 

「EBR、その辺にしとかないと二人とも困っちゃってるよ?」

「えー!? もうちょっと! もうちょっとだけですよー!」

 

 駄々をこねるEBRちゃんは完全に修復されたみたいで、以前つけていた応急処置の痕や包帯はどこにもなかった。四日も経っているのだから当たり前なのだろうけど、片目を失ったまま戦う姿の痛々しさは完全に消えうせていた。

 

「とりあえず……どこに行く?」

「第三監視塔!」

「出たよ。スナイパーどもの入り浸りスポット」

 

 くすくすと笑うエコーさんは“こっちだよ”と言って踵を返して施設の中へ歩を進める。

 通路を通り抜け、ちょうど施設の反対側に立つ監視塔を登り始める。螺旋階段を一歩ずつ登って辿り着いた最上階はちょっとした展望台のようになっていて、トレヴィーゾの街とアドリア海、そしてその中に浮かぶヴェネツィアが一望できるようなガラス張りだ。

 

「すごーい! ひろーい! キレー! スコーピオンちゃん! スコーピオンちゃん!」

「わかったから! わかってるから! そんなに引っ張らないでー!」

 

 これだけを見れば世界は平和そのものだ。街の周囲を囲うように作られた7メートル以上はあろう二重の防壁が無ければごくごく普通の街並みだ。

 

「さ、二人とも座りなよ。お話がしたいんでしょ?」

「私たちでよければバッチリ答えてあげるよ!」

「機密は喋らないようにね、EBR」

「わ、わかってますよぉ! もう!」

 

 エコーさんに促されて監視塔に設けられたパイプ椅子に腰を下ろす。小さなテーブルを囲うように配された椅子が軋む音を皮切りに、エコーさんが話し始める。

 

「さて、私たちがどうやってここに入ったのか知りたいんだったっけ。どこから話したものかなあ」

「最初から話しちゃえば?」

「いきなりヘビーなのは勘弁してよ。そうだね……私の祖父も父もここの職員なんだけど、わけあって親元を離れちゃってたんだ。で、帰ってきたはいいけど私の就職先が見つからなくて、それならこっちに事務職で雇うから来いって言われて入ったんだよ」

 

 それは全然知らなかった。あんな風に戦える人が就職先が無いなんて今の時代じゃ考えられない。どこのPMCも企業も自主防衛が基本なのに、エコーさんみたいな戦える軍人が職にあぶれているなんて。

 

「で、その事務職っていうのが後方幕僚……の補佐みたいなものでさ。支出やら予算やら作戦領域の資料作成やらといろいろやらされたワケ。入って二年ほどしてちょっとしたテロ事件が起こったんだけど、人形部隊の指揮官も後方幕僚も不在で対応が遅れたことがあってね。

 その時たまたま私が臨時で指揮を執った結果、こうやって人形部隊の前線指揮官に配属されちゃったワケ。幸か不幸か、部隊を指揮して戦うのには慣れてたし……そのまま前線で部隊を直接指揮するお役目が回ってきちゃったんだよね」

「なんていうか、ドミノ倒しみたいになってこうなったんだね……」

「言えてる。一つ動けば連鎖して次から次へと……そんな感じで考える暇なんてなかったよ。

 でもまあ、今の仕事も満足してるよ。いつ死ぬかもわからないのは確かに怖いけど、守ってくれる仲間も居るしね」

「ふっふーん! リーダーの安全確保は私たちが頑張ってるんだから!」

「さ、次はEBRの番だよ。……どんないきさつが聞けるか、楽しみだなぁー?」

 

 EBRさんが胸を張って自慢げにしている隣で、エコーさんはニヤリと笑って言う。

 それに対してエコーさんは自慢げに胸を張っていたのがウソのように縮こまってしまっていた。

 

「プ、プレッシャーはやですよぉ……その、私の話なんてあんまり参考にならないんだよ?」

「EBR、それは二人が決めることだよ」

「……わかりましたよ。二人は私が元々は戦術人形M14だっていうのは言ったっけ?」

「うん、聞いてるよ」

「私も聞きました!」

「……実は、ね……私って本来なら、その、廃棄予定……だったの」

 

 廃棄、予定?

 

「当時は鉄血とIOPの戦術人形技術が鎬を削っていて、私の本来のモデルであるM14は鉄血のスナイパーモデル……イェーガータイプの対抗馬の一つだったの。

 当時は製造直後で最新型の適合試験を受けられるって喜んで、同期のみんなと頑張ってきたけど……M14のスティグマに適応できたのは…………一体だけだった」

「ちょっと待って。だけどいきなり廃棄処分って急すぎるんじゃない? 民間用に払い下げられるくらいが妥当なんじゃ?」

 

 スコーピオンちゃんも私と同じ意見だったらしい。作られて、求められて、期待されて……なのに適合できなければすぐに廃棄処分だなんて……そんなの悲しすぎるよ……。

 

「理由はね……いくつかある。まず鉄血製は安価で壊れにくくて、安定した性能を発揮するのが特色でしょ? だからIOPも同じように安価で安定した性能の、かつIOPの誇る高品質さを備えた戦術人形の開発が行われたんだ。そのテストタイプの一つがM14とその素体だったんだ」

「……試験運用段階の人形だったってこと?」

「そう。リーダーが言ったように私たち……ううん、“私たち(みんな)”は試験運用段階で作られた戦術人形なの。ワンオフなところもあって代替パーツが少なくて、維持費が嵩んで、メンテナンスも手間がかかって……そのくせスティグマへの適合がろくにできない“私たち(みんな)”は、開発者からすればただの粗大ゴミ同然だったの」

「そこを引き取ってきたのが私の父さん……当時の人形部隊の指揮官だったってわけ。今でこそM14という戦術人形は量産が可能になってるけど、ほんの数年前まで技術的に製造が難しい戦術人形だったんだよ。しかも適合したとしても最大限の性能を発揮できるかすら怪しかった」

 

 あの溌溂としたEBRさんの姿はどこにもない。俯いて瞳を閉じ、静かに座っているだけのEBRさんはまるで本で見た死刑囚のように表情が見えない。

 

「で、当時のアフターグロウの研究室(ラボ)はこう考えた。人形よりも銃をアップグレードすることで機能を増設し、スティグマの一部を負担させることにした。つまり銃本体に測距機能や赤外線暗視機能をレールシステムで付与し、簡易演算コアを増設していくつかの処理を負担させた上で人形本体とデータリンクさせておくことで、本体の人形が“戦闘だけ”に専念できるようにしたのさ。

 人形本体が演算しなくても外部から結果が送信されてくるから、本体はそれを基にした戦闘行動をとることにリソースを割けるようになったんだ。要はダミーが観測したデータを本体が受信するのと似たようなシステムだよ」

「……それでも部隊じゃへっぽこだったんだけどね……あはは……」

「EBRは思い出すだけでヘコんでるけど、それはかつての話さ。今じゃ現行ハイエンドモデルの素体を使ってコアも最新型に切り替わってるし、銃の全機能を十全に扱えるようになったし、おかげで今じゃ所属するスナイパーやマークスマンの中でトップクラスだよ。

 それに私の相棒だしね。所属から今までずっと同じチームで、いろいろ修羅場や死線もあったけどずっと守ってくれてる。部隊を率いることだってできるし、預けられるだけの実績もある。G36が姉みたいだって言うなら、EBRは妹みたいなものだよ」

「しょっちゅうケンカしてるけどね。でも、私にとってもリーダーは大切なヒトだよ。私の全てを預けられる、大切なヒトなんですよ!」

 

 がばっと顔を上げたEBRさんは今にも泣きだしそうな顔で、嬉しそうに笑う。雨上がりの後の青空のような爽快な笑顔はきっとエコーさんが居るからこそ生まれたんだと思う。

 ……私たちにも、もう一度あの日のように笑える日が来る。そんな気がするような笑顔だ。



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ISの増えた分

いろいろと試行錯誤
作品内の理論やらは適当です(


第三十二話 種子

 

 夕闇の迫る東の空。水平線の果ては海の青よりも深い暗色に覆われて、その夜空にまたたく星のきらめきが少しずつ浮かび上がってくる。

 ただぼうっと眺めていただけの無意識から意識が浮かび上がっていく。

 ラウラ・ボーデウィッヒ。ドイツ陸軍国境警備隊第九国境警備群IS分隊所属。分隊名シュヴァルツェ・ハーゼを率いる。階級は少佐。

 遺伝子調整と肉体強化を施された試験官ベビー。“最強の兵士を作り出す”を標榜するプロジェクトで生み出され、兵士として教育を受けて育つ。その後プロジェクトは破棄され、ISとの適合性を高めるヴォーダン・オージェへの適合試験に失敗。しかし教官の指導の下で再起し、部隊内でトップのIS操縦者となる。

 

 青い水平線を眺めながら、自分の小さな手を力の限り握り締める。痛い。けどそれは私が私である証明だ。今感じているこの痛みは、ラウラ・ボーデウィッヒのものだからだ。

 

ラウラ・ボーデウィッヒ(違う、私は――――だ)そう、それが私だ。それ以外の何者でもない(――違う、私は――――だ)

 

 ウォーダン・オージェとの適合に失敗してから始まった、脳内を駆け巡るわずらわしいノイズ。私ではない何かが私の中で這いずり回り、どこかから私に囁いてくる。

 ある日任務でテロリストの殲滅に駆り出された。私が一人殺すたびに頭の中で“そいつ”はやめろやめろと泣き叫ぶように懇願する。くだらない。私がテロリストを一人殺すだけで、何十人何百人という命が救われている事実を知りもしないくせに。

 戦いたくない、ISに乗りたくない、こんなこと間違ってる、そんな感情的で無価値な……子どもの駄々のような言葉が脳裏を駆ける。

 

「ここにいたか」

 

 振り向けばそこに居たのは私とほぼ同じ容姿の軍人の姿。腰を超える銀の長髪。ほとんど同じ背丈で、同じような肉付きの、双子と言っても通用するレベルの彼女。違うのは彼女が既に老齢に入る老女であることと、彼女の瞳の色がアメジストのような紫であることだ。

 

「これはロマノフスカヤ大佐。何かありましたか」

「なあ、聞こえるか?」

「……何が、でしょうか?」

「聞こえるだろう?」

「だから、何が――」

「呼び声だよ」

「……ッ……何のことですか」

「今、緊張したな? 微かに頬の筋肉が締まった。それと目線もだ。身に覚えがあるという前提で話しをさせてもらうぞ」

 

 どっこいせ、と言って大佐はベンチに腰掛けて懐から取り出した煙草を口にくわえる。ぱちんと指を鳴らすと人差し指の上に赤い炎が灯り、じりじりと焼ける音と共に煙草に火が移っていく。

 いったい何を考えているのだろうか。マジックをしながら煙草を嗜むなど、わけのわからない人だということは確かな事実だが。

 

「フゥー……まあ、用件を伝える前に一つ尋ねておこう。ラウラ・ボーデウィッヒ少佐、お前は私を見てどう思う?」

「どう、とは?」

「気がかりなことくらいいくらでも浮かんでくるだろう?」

「正直なところ自分と貴女がまったく同じ遺伝子情報を持っていることも、その貴女と会ったことも、特に思うところは無い。強いてあげるなら、何故オリジナルそっくりに作る必要があったのだろうか、という疑問くらいですが」

「訂正が一つ、私はオリジナルではないよ。オリジナルはマルタ会談のあった1989年12月25日に死んだ」

「貴女が……クローン……?」

 

 1960年から80年代と言えば各国が裏側で様々な後ろめたい研究や実験を行ってきた時代だ。その時代に生まれたにしては、彼女は長生きしすぎているのではないか。既に老齢であるというのに、生まれてごく数年の私と大差ない見た目をしているのもおかしい。

 

「不思議か? あんな時代遅れの遺伝子操作技術じゃ長くは生きられないはず、とでも思ったか?」

「……いいえ」

「まあいいさ。用件というのは、そこにある研究が関わっていてな。私もその検体の一つだったのだが、当時のドクターからある実験の後で言われたことがある。

 “頭の中で声が聞こえたら教えてくれ”と。……その時は意味もわからない小娘だった私は深く考えなかったが、同じクローンの検体だった妹たちが同じ症状を見せ始めた。

 妹たちは一人一人、少しずつおかしくなっていった」

「……おかしくなった?」

「そうだ。いつも大好きなクッキーを食べていたのに、一ヶ月後になってみると“クッキーは嫌い”と言い始めた。他の子は好きな色が突然黒から赤に変わったり、突然大人のような落ち着いた喋り方をしたり、穏やかだった子が短気になるなど、誰から見ても明らかな“変異”が始まった。中にはキリル文字を使えなくなり、他国の言語を喋りだす子まで居た。

 私もそうだ。いつごろからか頭の中で声が聞こえるようになり、“変異”した妹たちを見ていたこともあって、恐怖のあまり何も言えず必死で隠し通した。

 自分が知らない光景や人の顔を夢に見るようになり、食べ物の好き嫌いが変わり、いつもお菓子をくれたドクターたちがどういう人間なのかを“理論的に理解してしまえる”ようになったんだ。

 そう、まるで……他の誰かが私という人間の中身を書き換えているかのように、な。幸いなことに私は趣味嗜好が少し変化した程度の変異で済んだが……他の子は発狂し始め、遂には同じ妹たち同士で殺し合い、生き残ったのはたった6人だった」

 

 彼女の言うことが真であるならば、つまりこの頭の中で聞こえる声は私にとって何かしらの“よくない”ものなのだろう。ならば尚の事このノイズを排除しなくては。

 私はラウラ・ボーデウィッヒだ。教官の後継であり、ドイツの軍人であり、何よりも勝者なのだから。

 

「……実験で脳に細工をされたのでは?」

「何かをされるのは当たり前だ。だが、あの時の実験は何枚かの絵を順番に見せられただけだったはずだが……まあ今考えても仕方あるまい。

 問題なのはその症状を発症したのが私とその妹たちだけだったということだ。血の繋がりの無い他の検体に同じような症状は現れなかった。つまり我々に共通する何かしらの遺伝子が悪影響を及ぼしているか、あるいは原因になっている可能性がある。

 だから言っておくぞ。もし声が聞こえたなら私に教えて欲しい。原因を究明し、危険性を取り除く手立てを考えねばならん。これはお前のためでもあるし、お前と同じゲノム情報を引き継いでいるアヤカのためでもあるのだからな」

「わかりました。気づいたらお伝えします」

 

 上等だ。私は私だ。ラウラ・ボーデウィッヒという存在を脅かすものが何なのかはわからないが、奪いにくるのならかかってくればいい。絶対に、私は“私”を明け渡したりなぞしない!

 私が、ラウラ・ボーデウィッヒはこの手で勝利を掴むのだ。この勝利は他の誰のものでもない。私のものだ!

 

 

 

 ラウラ・ボーデウィッヒは間違いなく当たりだろう。当人は興味なさげに言っていたが、彼女の存在は私たちの抱えていた“症状”の解明の糸口になるかもしれない。

 時代を超え、世代を超え、場所を超えて発症する謎の現象。見ず知らずの誰かの声が聞こえるようになることから始まり、次第に性格や嗜好などの領域をじわりじわりと浸透するように侵して行く謎の病。

 彼女にも発症しているとなれば、ますます遺伝的要素という線が濃くなった。どうにかして解決しなければ、アヤカもラウラも何かしらの“変異”を発症してしまうだろう。

 

「麗香、何か情報はみつかったか?」

「いいえ、サッパリだわ。そも脳科学なんて私の分野ですらないのに」

「だがこの“症状”を理解できるのは私の他にはお前だけだ」

 

 もしも重度の“変異”が起こっているのなら、下手をすれば発狂、もしくは人格が豹変するだろう。しかし軽度であれば、私や妹の麗香のように人格や趣味嗜好に若干の変化が見られるという程度で収まることもある。

 アヤカの手術の合間を縫ってこっそりと臨床データをかき集めているものの、脳波のパターンは平時とさほど変わりない。ボーデウィッヒ少佐がさっさと協力してくれればもう少しデータも集めやすいものだろうが、あちらはドイツの軍人だ。勢いで検査をやってしまった場合不当に拘束されたと言われかねない。

 

「それにしてもよくこんな理論を1980年代に見つけたものよね。

 “数学的な脳のモデルを用いた神経細胞ネットワークに関する研究”なんて、すごすぎて私にはわからないわ」

「ほう、お前でもわからないことがあるのか?」

「当たり前でしょ。ア○ゾンみたいに宅配で欲しいときに届くんじゃないのよ? まして他人の脳に繋がってるわけでもないんだから。論文や研究書を読み漁って、実験と考察を繰り返して蓄積させていく。それが知識ってものでしょ」

 

 ばさり、と私が研究所から持ち出した資料のコピーを投げ出して、麗香は白衣を身に付けたままベッドに歩いていくと身を投げ出した。

 

「はー、疲れた。ルー・ノワールの再建だけでも大変なのに」

「仕方あるまい。今度ラトゥーニの整備兵に作業の手伝いができないか聞いてやるから、しばらくはガマンするのだぞ。そういえばお前、仕事はいいのか? もう一ヶ月以上向こうを開けてるだろう?」

「大丈夫よ。向こうに居る副主任に些事は任せてあるもの」

「……職務放棄とは関心せんな」

「違うわよ! ちゃんとこっちはこっちで試作品のブースターユニットの調整をやってるのよ! ……まあ、今は凍結中だけど」

「なるほど。それで学生三人も交えて実地で教えながら組み上げてるのか」

「そうね。それにいい案も浮かんだわ。脳のネットワークを模倣してイメージインターフェースの回路を組み上げることで、情報の伝達をよりスムーズにできるかもしれない。

 簡単に言えば脳の神経から出される信号の走るネットワークをISのサイズにまで広げることでよりダイレクトなデータのやりとりが――」

「ああわかったわかった! 要はネットワークを広げるわけで――」

 

 まてよ。脳のネットワークは現代においても未だ解明できていない事象の一つだ。そして私たちはその脳を研究することで“超能力”に目覚められるかという実験の検体だった。

 思い出せ、あの頃の記憶を掘り返して逐一思い出せ! ガキのころの思い出だからといってまごついてるわけにはいかない! 少なくとも二人の若者の将来がかかってるんだぞ!

 

『――して――よ、ナタリー』

 

 違う、これじゃない! 母さんの今わの際は関係無い!

 

『お姉ちゃん! ――――ね、先生に褒められたの!』

 

 私によく似た女の子……違う、三番目の妹だ。この子じゃない!

 

『脳という――11の――から――多次元――学的構造で…………ナタリア! 次に寝たら夕食抜きだぞ!』

 

 そうだ、コレだ。忌々しくも夕食を抜かれたあの日の講義で行われた内容だ!

 

「脳というのは11の次元からなる多次元幾何学的構造で構成されている…………思い出したぞ」

「それ、先生が言ってたヤツでしょ? それが今更どうしたの?」

「宇宙というものは11次元でできている」

「……はぁ?」

「つまり脳と宇宙は11の次元という点で繋がっているんだ。最も前者は11次元と言ってもネットワークの構造だ。宇宙のほうは仮説でしかないしな」

 

 何言ってんだコイツみたいな目で妹が見てくるが仕方無い。私だって正直確証なんて何も無いが、私たちが毎夜夢に見たあの光景は単なる夢で終わらせることなどできないほどのリアリティがあった。

 私が知る“超能力者”は我々クローンの基となった母だけだ。あの実験以降で私たちに発現したものは超能力などではなく、遺伝子的欠陥から来るただの精神異常だと見なされていたが本当にそうだったのか?

 脳内に張り巡らされているネットワークがあの実験以降変質してしまったせいで起こっているのだとしたら?

 

「で、今度は何のオカルト話なわけ? 私たちは結局脳を弄繰り回されてもそういうオカルトに目覚めることなんてなかったし、今世界で活躍している超能力者もほとんどマジシャンでしょ?」

「違う、そういう話じゃない。脳は我々が思っている以上に複雑だというのは理解しているだろう?

 あの実験で脳内に元々あったネットワークの次元が強制的に引き上げられたことによって発生した、脳内の情報の混濁によるものではないかと言ってるんだ。

 我々が元々持っていた脳の情報ネットワークの次元が3次元だとしよう。そこに実験か何かの影響でネットワークが……回路が一気に三倍に膨れ上がったとしたら?」

「……突然膨れ上がった情報量に脳の処理が追いつかなくなり、普段使われていない領域までもが稼動を始める……? だとしても精神に変調をきたすほどの情報量なんて……」

「そう、そこがわからん。何故自分ではない知らない誰かの記憶を持っているのか、明らかに他人の記憶のはずなのに自身の記憶だと思い込むようになったりしたのか?

 一体それらの情報……知らないはずの記憶がどこからどうやって流入したのかが謎なのだ。我々は俗世どころか外部と隔絶された場所で暮らしていたし、外の景色やシベリアの原野を見たのは研究施設から逃げたときが始めてだというのにだ」

 

 少なくとも外部から得られる情報など大したものはなかった。世界から隔離された実験施設でただ飼われているだけの私たちが、異国の景色や食事や言語に触れることなどありえなかったのだから。

 

「案外、誰かが乗り移ろうとしていたとか? それとも死者が転生したとか? もっとオカルト的に言えば、天啓とか?」

「それこそバカみたいな話だ。自分は死者の生まれ変わりです、だと? バカバカしい。絵本や小説の登場人物の活躍を自分のことと誤認しているのだと言われるほうがまだ信憑性があるぞ。

 この“症状”は今のところ私たちの血統にだけ頻発していた事象だ。他の血統の子たちには片鱗すら見えなかったのだから間違いなく血筋だと見ていいだろう。

 問題は発症した後“どこまで症状が進み、どの程度で収束するか”だ。私は趣味嗜好の変化、お前は人格の変異が少々という程度だったが、ボーデウィッヒ少佐やアヤカが他の子たちのように発狂したり完全に変異してしまったらと思うと、な……」

「……そう、ね。切欠になる原因は私たちには無いけど……関わってしまっている側だものね。ハァ、子に苦労はかけられないものね」

「そういうことだ。私たちの代で取り除けなくとも、防ぐ手立てくらいは用意できるはずだ」

 

 そうだ、あの子たちの未来が原因不明の何かに脅かされるなどあってはならない。あの子たちの在り方はあの子たちだけのものだ。この時代、この世界を駆け抜ける一つの命だ。

 例え私たちが元は人権すら無いただの実験動物だったのだとしても、その後に生まれたラウラ・ボーデウィッヒはドイツの軍人として生き、麗香の娘が遺したアヤカはIS学園の生徒として生きているのだ。一人の人間としての人生を謳歌していくのだ。

 それを阻むことなど、絶対に許しはしない。たとえ神が相手だろうとも!

 

 

 

 いつもどおりの実験を終え、無機質な真っ白の部屋のベッドで休んでいたときのことだった。私から二つ後に生まれた個体――ジーナは寝転がっていたベッドから突然起き上がって言った。

 

『私……いや、俺は、一体?』

「ど、どうしたのジーナ?」

 

 聞いたことの無い言語。後で先生に聞いて初めてそれが日本語だと知った。

 ジーナが何故そのような言葉を話し始めたのかまるでわからなかった。日本語なんて知りもしないし、聞いたことなんて無いはずなのに、突如として流暢な日本語を喋り始めたのだ。

 

『な、なあ……ここはどこだ? 俺は、なんで……ああっ、くそ、あた、まが……!』

「ジーナ!? あ、頭が痛いの?」

『くそおっ!? なんだよコレ! どこかもわからない場所に送り込まれて言葉も通じないなんてどうなってんだよ!? くそっくそっくそぉっ!

 俺の頭の中でべちゃくちゃ喋ってるんじゃねぇ! 俺の中から出て行け!』

「ジーナ! しっかりして! すぐに医者(врач)を呼んでくるから!」

「っ、ぁっ……お、お姉ちゃん……! あ、頭の中にぃっ、頭の中に()()居るのっ! “俺はジーナじゃない!”ってずっと叫んでるの!

 やだ! やだ! 私ジーナだもん! “――――”じゃないっ!」

 

 突然頭を抱えだし、振り乱し、錯乱した妹。ふとした拍子で正気に戻ったのか、今の自分に起こっていることを私に必死に伝えてくる。

 しばらく暴れまわったジーナは不意に糸が切れたマリオネットのように脱力し、力なくベッドへと倒れこんだ。

 

「……ジーナ?」

『あ、……ぁ、俺は、どうなって……くそっ……』

 

 おそるおそる声をかけると先ほどまでの暴れようがウソのように静かに、言葉遣いは荒々しさをなくして喋り始める。一体ジーナはどうしてしまったのか、と私は訝しげに尋ねてみた。

 

「ジーナ……大丈夫? もう頭は痛くない?」

『誰だアンタ……それにジーナって……』

 

 彼女の、いや――そいつが私を見る目には驚愕と恐怖の色が浮かんでいた。そのときの私ではわからなかったが、この時からジーナは既にジーナではなくなっていたのだろう。

 

「吐き気は無い? 痛いところはない?」

『何言ってんだか全然わからねーけど……って、俺の身体……これって、女じゃないか!?』

「ね、ねぇジーナ。私にもわかるように言ってほしい。私の言葉、わかるでしょ?」

『……俺が、女……くそっ……二次創作のテンプレみたいなことになっちまうなんて!

 あんなヒゲジジイを信用するんじゃなかった! せめて鏡くらい……』

「ジーナ!」

『な、なんだよ。いきなり怒鳴りやがって。言葉はわからねーけど怒ってるのは確かだよな……』

 

 私が怒鳴るように名前を呼ぶと、ジーナはビクッと驚いた様子で私のほうを向いた。

 

「ちゃんと聞こえるのよね? いい? 医者を呼んでくるから、大人しく待ってるのよ? いいわね?」

『……とりあえずどうすりゃいいんだコレ。インフィニットストラトスの世界でいいんだよな……ここって』

「いんふぃ……何言ってるの? ハァ、とりあえず医者を呼ばないと……あと言語学者も必要かな」

 

 私が呼んでから数十分でジーナは医者に連れていかれた。いつもなら静かについていくはずなのに、暴れる上に鏡を割ってナイフ代わりにしようとしたものだから強制的に“静かにさせられて”連れていかれてしまった。

 翌日、先生からはジーナが発症した症状の研究のために数十キロ先の別の研究棟に移ると聞かされた。あのときは素直に信じ込んだが、今になってそれは確かに真実だったのだろうと思える。

 人が入れるくらいの木箱を積んだトラックが、いつもなら出るはずのない時間に、ゲートをくぐって出て行ったのを見たのだから。

 

 

 

 ターゲットドローンが青い光に貫かれて地に墜ちる。すべてのターゲットを撃破。命中率96.75%、なかなかいい調子だと自分でも思える。ようやく再稼動したアリーナを借り切って訓練に励むものの、成長の実感は乏しい。けれど今がすこぶる上がり調子であることも確かに感じている。四基のビットを同時操作しつつマニューバを繰り出せるだけの余裕も最近は出てきている。

 だけどここで浮かれてはいられない。アヤカは瞬時加速を用いた高速戦闘であっても的確に当ててくる技量の持ち主だ。決して侮っていい相手ではなく、油断は命取りとなる相手だ。

 アヤカの機動戦技術に追いつけるだけの技術と射撃の精確性は必須。その上で近接戦闘への対策を行い、アヤカを近寄らせない戦術を構築する。……それすら突破するアヤカの力量に押され、毎度負けているのだけど。

 自身のISが技術試験機である、なんていう言い訳は通用しない。曲りなりにも第三世代。アヤカの機体はスペックこそ第三世代に追いすがるだけのものはあるものの、武装はオーソドックスな射撃戦主体で第二世代とさほど変わりないのだ。

 

「あの切り札は……凄まじいものですわね」

 

 アヤカが鈴さんとの対戦で使った一撃。おそらく高エネルギー体を弾体状に圧縮して、超電磁加速砲(レールガン)の要領で射出する装備だと推測できる。

 弾速はおよそマッハ4ほどと艦載のものに比べて遅い。だが何よりも問題なのは多少劣化しているとはいえ“レールガンを携行火器に落とし込んだ”という事実だ。

 艦砲クラスの攻撃がISの携行火器から放てるようになったという事実はハッキリ言って背中に嫌な汗が流れるほどの衝撃なのだ。連射が可能か、どのくらいまで加速させられるのか、射程はどれほどなのか、インターバルがどの程度なのかなど疑問は尽きないものの、主力艦艇の艦砲射撃をISで行えるようになったというのは途轍もない脅威だ。

 ISが扱うとなれば、小型で隠密性に優れ、かつ大火力で取り回しがよく、地形に左右されず自由自在に動き回れる、超長距離射撃が可能な移動砲台の出来上がりだ。複数のISがコレを装備し、そこに人工衛星やスポッターなどから情報を収集し、適切なナビゲートを行えるシステムを導入すればどうなるか。

 射程限界……三百キロ圏内を優にカバーできる広大な対空狙撃システムが組み上がる。ロンドンに一機配備したとすればドーバーを越えてフランス領のカレーにまで届くのだ。日本であれば東京から名古屋間の距離程度は十分な射程圏内に収まっている。

 

「あのような技術が生み出される場所と言えば……アヤカのおばあ様である麗香博士の所属する研究所くらいしか……」

 

 日本の国防技術の最先端でもあった日本IS先進技術研究所。今でこそISを専門とする研究機関だけど、それ以前は様々な兵器の開発を行っていた組織だというのはよく知られた話だ。

 約35年前からこの研究所ではそれまで以上の様々な画期的な兵器が次々に開発されたという。近頃のものであればISのエネルギーシールド偏向機能にISの運動性を向上させる左右のサイドブースト機構。そして打鉄の国防統合軍仕様機だ。

 少し前であれば日本初の艦載レールガンの実用化。純国産戦闘機であるJF-11の設計。ヒライシと名づけられた大規模なEMPパルスを発生させる対空迎撃ミサイルシステム。

 さらに以前であれば海外製の自動小銃を自国向けに独自改良したものをライセンス生産していたという話もある。当時の自衛隊がそちらに乗り換えたことで、国産の銃器メーカーが悲鳴を上げたそうだが、国防に携わるのであれば“安くて高性能で壊れにくく長持ちするものを”と考えるのは自然なことだ。

 20世紀のG41と同じくらいの金額がかかる国産銃を何万と用意するよりも、海外の最新鋭をライセンス生産したほうが遥かに安上がりで高性能のモデルが手に入るのだ。軍としては当たり前の決定だ。しかも日本の気候風土に合わせた改良までついてくるなら渡りに船だろう。

 

「……レールガンを小型化して実用する技術力。それに加えて多種多様な軍事兵器開発のノウハウ……さすがと言うべきなのでしょうけど」

 

 それ以上に厄介なのはあの技研の適応力だ。ISの統合軍仕様機が良い例だろう。堅牢な装甲をそのままにハードポイントの増設やサブアームを用いたウェポンシステムを採用し、近距離戦に適正の高い打鉄に中・遠距離射撃戦機としての機能を持たせてしまったのだ。しかも近接戦での運動性や柔軟性を損なうこともなく、だ。

 この目で見たのは初めてだったものの、その性能は防御寄りの射撃戦機として十分なものを持っていた。アリーナに張られたシールドバリアーを貫通する火力を一度とはいえ受け止める防盾は並みのISの火力であれば貫くことはおろか傷つけるのがせいぜいだろう。

 競技用とはまったく異なる、まさに軍用機としての打鉄を作り上げてしまったのだ。製作元の倉持技研はきっと地団駄を踏んでもおかしくない。

 

 そして今アヤカのルー・ノワールは修復作業の真っ最中だ。それも技研のメンバーが参加し、技術科一年生のリッカ、アルマ、ロビンの三人組が授業以外はかかりっきりになっていることから見ても彼らは本気だ。

 アヤカが必ず戻ると信じて、ルー・ノワールが再び空を翔ることができるようにしているのだ。彼女達は彼女達の為すべきを果たそうとしている。

 

 私の為すべきは、万全であること。彼女が再びここに戻ってきてブランクを取り戻してISに乗ったとき、私の全霊を以って戦いを挑むことだ。

 

 ピットに戻りISを待機形態へと戻して、用意してあったスポーツドリンクに口をつける。少し(ぬる)くなってはいたものの、冷えたドリンクの感触に熱く火照った身体が鎮められるような気分だ。

 でも足りない。まだ足りていない。アヤカは中国代表候補生の鈴さんを相手に、スペックで劣る第二世代機で最新鋭の第三世代機に薄氷とはいえ勝利を掴んだ。鈴さんが健闘したことは確かだし、アヤカにあのような切り札があったことも驚きであるけれど、それ以上に第二世代機で第三世代機を落とせるという事実が打ち立てられたのは大きい。

 操縦技術と経験、そして武装さえ整っていれば第二世代機は第三世代機相手にすら勝利できるという実績が打ち立てられたのだ。

 

「精が出るね、オルコット嬢」

「これは、ロマノフスカヤ大佐」

「おやおや、キミは堅いねえ。平時はナタリヤおばあさんと呼んでおくれ。もう私もお婆さんなのでね」

「……どう見てもそうは見えませんけど」

「中身は既に年寄りなのだ。まあ、可愛らしいおばあちゃんになるという目標は達成できたがね」

「は、はぁ……ではおば様と……」

 

 見た目にはおばあちゃんどころか小学生、もしくは中学生だ。その小柄な体躯で国連軍の大佐なのだから見た目に騙されてはいけないのだろうけど……自慢げに胸を張る姿は子どもが背伸びをしているようにしか見えない。

 

「っと、用件を忘れるほどボケてはないぞ。キミ宛てに手紙を預かっている」

「今時に手紙、ですか?」

「ああ。キミの母国からブルー・ティアーズのストライク・ガンナーというパッケージが送られてきてな。その仕様書と一緒にくっついていたものだ。申し訳ないが防犯上の都合で検閲済みだ」

「ストライクガンナーですか……」

 

 正直に言うとストライク・ガンナーにはいい思い出がない。武装はスターライトmk-Ⅲしか無い上にビットをスラスターとして使うという理解不能の高速戦パッケージだ。いっそ北條麗香博士にストライク・ガンナーを改良してもらったほうが良いのではと思ったけれど、流石に自国の兵器――たとえそれが理解不能なものだとしても――の情報を易々と他国の人間に明け渡すマネをするべきではない。

 

「一応防諜のために英国に許可を得て見せてもらったが……まあオルコット嬢の気持ちはわからないではないよ。私も首を傾げたさ」

「あくまでブルー・ティアーズは試験機ですし……ユニットの性能試験と考えれば、まあ割り切れないわけではないですわ。それでも乗り気にはなれませんけど……」

「仕方無い、テストパイロットというものの(さが)だ。問題点や疑問点をこれでもかとあげつらってやればいい。それこそ紅茶をキメる暇も無い忙しさになるほどの量をな」

「ふふ、そうですわね。ナタリヤおば様のアドバイスどおりにしてみることにします」

 

 ともかく今はアヤカとの戦いに備えなければ。ストライク・ガンナーは一先ずは倉庫の片隅で眠っていてもらうとしよう。今は一分一秒でも長く訓練を積み重ねなければいけないのだ。より速く、より精確に、より巧みにISを扱えるようにならなければ。

 彼女に……アヤカに挑むためには、私は更なる領域に到達しなければいけないのだ。

 

「こら、怖い顔をしているぞ」

「ひひゃいえふ!」

「ぷっ、クク……ウチの末妹を思い出すな。あの子も可愛くて弄りがいがあった」

「も、もうっ! ナタリヤおば様! 遊ばないでくださいまし!」

「すまないすまない。だがISは怖い顔をしながら乗るものじゃないぞ。さっきのキミは視線でデーモンさえ殺すエクソシストのようだった」

「そ、そのような顔はしていませんわ!」

 

 別に普通にしていたはずだ。何もおかしな様子など見せたりはしなかったはずだ。感情を押し殺す程度のことはスナイパーなら誰だってできることだ。焦ることなく、機を待ち、ずっと息を殺してようやく獲物を仕留めるのがスナイパーなのだから。

 

「思いつめた顔というものは本人は自覚できないことが多い。何気ない仏頂面でもよくよく観察してみれば何かしらの雰囲気を発しているものだ。

 そしてオルコット嬢、キミの顔には焦りと後悔のようなものが見えたのだ」

 

 それは……確かに正鵠を射ている。彼女(アヤカ)に置いていかれることに対する焦燥感は確かなものだし、あの時の私はアリーナ内のシェルターに閉じ込められたまま身動きさえとれないままだった。

 

「キミがアヤカと親しいことは聞いている。アヤカも嬉しそうに話してくれるからな。退院後にキミから贈られた“グリズリーのブゥさん”のクッションの抱き心地がいいとか言っていたよ。夏休みは旅行に行きたいとも言っていたな。なんでも京都のラーメン激戦区に行きたいとか」

「元気そうでなによりですわ」

 

 “らぁめん”と言うのは所謂ヌードルのことだろう。イタリアのパスタとどう違うのか気になるけれど、カロリーが高いと聞いて怖気づいたことがある。

 クッションは……確かに抱き心地がいいものをと選んで買ったものだけど、今のアヤカの手の感覚は……!?

 

「か、感覚が戻ったのですか!? いつ!?」

「お、落ち着くんだオルコット嬢! そ、そう頭を揺らさないでくれ!」

「……ハッ、わ、私としたことが!」

「フゥッ、慌てずに聞くんだぞ。でないと話さない」

「承知しましたわ!」

「アヤカの手術は成功裏に終わった。あと数日様子を見て、可能なら本格的なリハビリを行い始める。元々一ヶ月にもなる入院生活で身体は錆びたブリキのおもちゃのような動きだったが、そこに更に一週間が上乗せされたのだからリハビリが最優先だ。

 学園に復帰したとしても六月下旬。遅ければ七月上旬以降。ブランクを取り戻すにはさらに時間をかける必要がある。7月末の臨海学校に間に合えば御の字というところか」

「タッグ戦には間に合いそうにないですわね……」

「まあ仕方なかろうよ。本来なら復帰できる可能性があるだけでも喜ばしいことなのだからな」

 

 ああ、それでも構わない! アヤカが無事に手術を乗り切って復帰への一歩を踏み出せたのならそれでいい! 頑張ったご褒美にシュークリームを用意しておこう。

 

 

 

「せいやぁっ!」

「なんのっ!」

 

 打鉄のブレードが白式の雪片(ゆきひら)と拮抗する。お互いに地に足つけた近接格闘戦で、私の乗る打鉄は十全の馬力で押し込む。しかし相手は一夏の乗る白式だ。打鉄の開発元でもある倉持技研の送り出した一夏専用機は打鉄以上のパワーで押し返してくる。

 足捌きで舞った土煙。大地の匂いが鼻をくすぐる。ふんばりをきかせて重心を移動させ、力の向きをあさっての方向へと向かわせる。

 

「まだっ!」

「おわっと!」

 

 ブレードを傾けて雪片を受け流し、剣を引く動作で切り上げて小手を狙う。刀身の滑る勢いで火花が散り、身体にかかっていた重みが消えうせる。

 しかし一夏は雪片から左手を離して外に向けて右手で軽く振るって遠心力を生み出し、私の剣筋から逃れる。直後に斬り返しに私の左から迫る薙ぎの一撃。その出足をくじくように両手で持ったブレードを挿し込んで受け、足捌きで雪片の間合いから僅かに退きつつ、剣の勢いを殺さずに右側へと受け流す。

 

「やるなぁ!」

「お前に、そう簡単に負けるか!」

 

 一夏が態勢を崩す。ブレードを両手で引き、上半身の捻りの勢いを加えて突きを放つ。びゅっ、と風を切り裂くブレードが一夏の脇を掠めて走る。

 

「あっ、ぶねぇっ!」

「ちっ……往生際の悪い!」

「もうちょっと、加減! してくれませんっ、か!?」

「無理だな!」

 

 二段の突きは一夏が身をよじって一段目を回避。二段目は一夏が引き戻した雪片で受け流されてノーダメージに終わる。

 

「それならっ!」

「むっ!?」

 

 突然のバックステップ。一夏の左腰に雪片が添えられ、一夏の上体がぐっと前のめりになる。直後――

 

「……おおぉぉっ!」

「なっ――」

 

 ぐん、と間合いの外に居た一夏の姿が迫る。同時に振りぬかれる雪片二型の軌跡が走り、バチバチとシールドを切り裂いて駆け抜けていく。

 何が、一体、今何がっ――

 

「そこまで!」

「ふぅっ……ありがとうございました」

「――――あ、ありがとう、ございまし、た」

 

 終了の声にハッとして剣を収め一礼する。

 ……今のは居合いだった。一夏と一緒に教わっていたころにあんな剣術を教えられた記憶はない。祖父が振るったものを見たことがあったけれど、その型のいずれとも違うというのははっきりとわかる。

 

「すごいや一夏! 今の最後のヤツ! イアイギリって言うんでしょ!?」

「あ、あぁ……もしかしてシャル、初めてみたのか?」

「それはそうだよ! あんなの目の前で見れるなんて思わなかったよ!」

「へへ……まあ、俺のは見よう見まねのなんちゃって居合い斬りなんだけどな」

 

 オレンジと白の装甲が目を引くラファール・リヴァイヴを纏った男の子……シャルルが興味深そうに一夏に質問する。見ているとどうして、どうしてか、もやもやとした気分が収まらない。男同士なら別に気にしなかったはずだ。弾と一夏がつるんでいるところを見ても、こんな気分にはならなかったはずだ。

 

「物まねだったの?」

「ああ。アヤカが模擬戦で使ってきてモロに食らっちまってさ。俺も不意をつけるような一撃が使えればって思って練習してたんだ。……まあ、実際はアヤカに教えてもらいながらどうにか物まね程度ってレベルだけどな」

「アヤカが――剣を、使ってるのか?」

「そうだぜ箒。あいつ銃も上手いけど剣もいい腕なんだ。本人はそこそこって言ってたけど、箒と良い勝負になるんじゃないか?

 さっきの居合いだって瞬時加速と居合いの踏み込みの速さを利用したやつで、先の先を取る最高速度の切り込みらしいぜ」

 

 まただ。また()()()だ。私は一夏にアプローチをかけるだけで精一杯なのに、アイツは何もしていないのにいつも平然と一夏の傍に居る! 話していればどこにでも現れる! ISでも! 日常でも! どこにでも現れて邪魔になる!

 

「ふんっ……アヤカより私のほうが強い!」

「そ、そりゃあ箒は全国優勝者だしなぁ。でもアヤカも引けを取らないレベルだぜ。特に受け流しが上手いんだよ。単純な力押しじゃ勝てないぜ」

「いいや、私が勝つ。私がアヤカに勝つ! 私のほうが強い!」

 

 そうだとも! 私は一夏の強さも弱さも知ってる! 一夏の好物も苦手なものも知ってる! 現れて数ヶ月のぽっと出の新顔に一夏のことがわかるわけがない!

 あの日別れてしまうまではずっと私が傍に居たんだ! 一夏が私を守ってくれたのも全部覚えている! 私たちだけの大切な思い出を上塗りしようとするヤツなんて――!

 

「ほ、箒……なんでそんなムキになってるんだ?」

「ふふ、きっと一夏が何か機嫌を悪くする言葉を言ったんじゃないかな?」

「シャルル、どこをどう聞いて機嫌を損ねる要素があるんだよ」

「まあまあ、それはともかくとしてちゃんと彼女のご機嫌をとってあげないとさ」

「あー……じゃあさ箒、今度レゾナンスに行くか?」

「……二人で、か?」

「ああ。もちろんだぜ」

「ふ、ふむ……それならば……」

「実は前にアヤカと行ったスイーツ食べ放題の店があってさ。そこがリーズナブルで美味しいもんだから――」

「っ、くたばれバカモノォッ!」

「ぶへらぁっ!?」

「いっ、一夏!?」

 

 まただ! また! またしても! あいつさえっ――――アヤカさえ、居なければっ――!!

 

 

 

「へぇ、あのダルマ女……箒ちゃんの恋路を阻む尻軽のクソビッチだったんだ」

 

 手に取ったコーヒーカップの中身を呷ろうとして中身が空だと気づく。我が妹の恋路を邪魔するヤツは徹底的に排除しなくっちゃ。束さんは妹思いのお姉さんなのだ。

 監視カメラから送られてくる映像と音声からしても箒ちゃんはおかんむりだ。それほどまでにあのクソアマは鬱陶しいのだろう。

 秘匿回線を経由してコアに接続。一分半ほどで戦闘記録とパーソナルデータを抽出し回線を切断。画面上に流れるログと機体データを流し見る。

 

「ふむふむ……第二世代を改良した機体かぁ。イメージインターフェースを機体制御に全振りとか、またピーキーな使い方だなぁ。おっ、波動砲だって。競技用としちゃ火力が過剰だけど、火力を抑えて速射と弾速に割いてるっぽいかな?

 でもベースがラファール・リヴァイヴじゃ先が知れてるね。ゴーレム相手にあれだけ立ち回った根性はすごいけど――――何も怖い要素がない」

 

 (ブラン)に対して(ノワール)じゃ縁起が悪すぎる。やはり(ブラン)の隣には(ルージュ)でなくっちゃ。機体カラーは赤で決まりだ。

 戦い方としてはあのダルマ女はオールラウンダーの傾向だ。ダルマ女のISから抜き出したデータを参考にすると中距離メインの射撃型だ。一応遠距離も対応可能というくらいか。

 だったらオールラウンダーの戦いができる機体でいこう。でも箒ちゃんが戦いやすいように刀剣は必須として……斬撃を飛ばすなんてのも面白そうだ!

 

「待っててね箒ちゃん。箒ちゃんの恋路を邪魔するあのダルマ女がゾンビみたいに蘇ってきても、完全な消し炭に変えるための力を……私が必ず用意してあげるから!」

 

 

 

第三十三話 真実に向かう

 

「いい? ただ単純にパーツを付け替えればいいわけじゃないの。ノーマルに搭載されたブースターと高機動戦パッケージに搭載されたブースターはそもそもの運用思想からして違うの。そこを理解できなければどんな高性能なパーツもただの鉄くずよ」

 

 今日も今日とて特別授業が進んでいく。日に日に生気を取り戻していった北條博士の行う講義は火曜と金曜の夜9時から寮の会議室で行われている。

 アルマ、ロビンはもちろんとして噂を聞きつけた数人がこの講義に混ざりはじめ、今や操縦者組みの1-D所属の更識簪さんまでもが受講している有様だ。

 唐突に始まった講義だが、実は私たち三人と先生しか知らない事情もある。先生があの事件での調査に協力しており、しかもルー・ノワール・アスィエの製作に取り掛かっているためIS学園を離れられないためだ。

 その上先生本人の気質なのか“休む”という言葉も忘れたように仕事しっぱなし。撃破されたあのアンノウンの解析を主に行い、その合間に私たちが行っているノワールの再建を見て、夜は私たちに必要な知識と技術を伝授するという、労働基準局から電話で釘を刺されかねない仕事ぶりだ。

 だがそこは手馴れたものらしく、本業に解析作業を据えて私たちのことは“私事”として処理しているらしい。授業のほうはあくまで授業のサポートという体面で行われている。

 無理をしていないかそれとなく聞いたところ、“あの謎のISの技術を独占するチャンスを棒に振るわけがない”と言って研究所から追加の人員まで呼び寄せた。

 

「そのためノーマル、というよりも本体には安定して長期間稼動させることができるように耐久性と燃費に重点が置かれる傾向が強いの。

 どれだけ高性能だろうと出撃や稼動のたびにオーバーホールなんてしてたら整備する人間のほうが先にくたばるわよ。それにパーツの磨耗や交換が増えるということは必然としてISの寿命が縮む、つまりコスト高になる。カネがかかるの。わかるわね?

 動かすたびに高額なコストがかかるというのはそれだけで忌避されるの。軍や警察組織ともなればなおのことよ。維持しつづけるだけで金がかかるのに、動かしてさらに金がかかり、破損でもすればそれこそ吹き飛ぶほど金がかかる羽目になる。

 故に単純にパッケージから高性能なパーツを本体に移植したとしても強度面での不安と維持コストとの戦いに陥るだけで単純に強化されたとは言いがたい。

 稼動するたび長時間の整備をしなければいけないということは即応性で劣る。簡単に言えば緊急事態で何かあっても、整備中で出撃できないという状態になりやすい。

 本体に求められるものはまず耐久性。ISは数が少ないからまず長く使える頑丈な機体であること。長持ちするということは必然として機器交換のサイクルが長くなるからコストダウンが図れる。そして何より整備の手間が省ける。

 二つ目に整備性。簡単にすばやく整備可能な機体であること。これは出撃と帰還を頻繁に繰り返すような状況でもパフォーマンスの低下を抑えやすくなるわ。整備士の疲労も軽減できるし、機体が戦場を離れる時間を短くすることができる。設備が十分でなくとも整備できるというのは、戦場の最前線や基地などを設営しにくい場所にもISを常駐させることが可能になるわけ。

 三つ目に機動性。ISというものは小型で軽量かつ小回りが利く。簡単に言えば高速で機敏に動き回る武器庫のようなものよ。市街地や地下施設のような入り組んだ場所や閉鎖空間でも、人間の等身大とそう変わらないサイズで大火力を行使できる。

 この三つを確保することはISという世界に500機弱の機体を効率的に運用するための要とも言っていいわ。故に第二世代のISというのは特化した性能を持たせるのではなく様々な場面や状況に対応可能なようにマルチロール機として設計されることが多く、より特化した性能や機能を求められる事態に対応したものが追加パッケージ群として製造されているの。

 だから所謂“てんこもり”のパッケージやIS本体との機能統合というものは一歩間違えれば中途半端に終わることがほとんどなのよ」

 

 ロビンはと言うと顔を青ざめさせて博士の講義を聞いている。追加パッケージから高性能な部品を集めて組み込もう、と発案したのがロビン自身だからひとしおというものだろう。

 トントン、と手にしていた教鞭でホワイトボードに書かれた一覧を叩くと、先生は言う。

 

「ではどうするか? 解決策は? もちろんあるわ。

 そのままで移植するから問題が起きるわけであって、予めそれらの問題点を予測して補強または再設計するかデチューンを施して搭載する。前者は単純に機器の耐久性や寿命、強度面での性能向上だから時間をかければやってやれないことはない。もちろん相応の研究期間や研究費が必要だし、それに実験をこなさなければいけないけど長期的に見れば性能は向上する。

 では後者ならどうか。デチューンと言っても単純に出力にリミッターをかけるだけではなく、多少性能が落ちることと引き換えにしてでも、シンプルで強度的に信頼の置ける機構を採用する。或いは性能の低下と引き換えに磨耗に強い素材に置き換える方法よ。

 例として挙げるなら……H&K社のG3とFNH社のFALね。前者は7.62ミリ弾の持つ強い反動を打ち消す機構を採用することでフルオート射撃を可能とし、後者は敢えてフルオートを捨ててセミオートオンリーにすることで7.62ミリ弾を運用しやすくした。

 取った方法はそれぞれまったく違うものだけれど、結果として7.62ミリ弾を用いたアサルトライフルとして大きな成功を収めているわ。

 ではISの場合……追加パッケージから取ってきたパーツを本体に組み込む際に問題になるのは? まず最初に強度と消耗率よ。性能をそのまま維持すれば消耗率が跳ね上がるし、何よりパイロットにとってはピーキーになる。当然よね。特化させるためのパッケージなのだからそうなって当たり前。しかも既存のスラスターや他のシステムとこれらを連携させなければいけない。

 ならまずはパイロットにとって常用可能の範囲内で収まるように性能を若干とはいえ抑える必要性に迫られる。そこで追加するパーツの接続部の強度向上と部品の磨耗・消耗率と、全体的な性能バランスとを上手くイコールになるようにペイしなければいけないわけ。

 でないと加速力は音速並みだけど一切の制御が利かずただ突っ込むだけのイノシシになってしまうわ」

 

 なるほど。追加パッケージはあくまで最高の性能を追及したもので、常用するためのものではない。最悪の場合パージしたりするわけだし、破損したらしたで使い捨てることもできると割り切っている。

 反対にIS本体のものは常に使用されるものだから耐久性と整備性を求められた作りをしているわけだ。長時間かつ長期間を使えるように、磨耗に強いように信頼性の高い設計がなされているということだ。

 で、耐久性をある程度無視した作りである追加パーツを、耐久性が求められるIS本体に追加すればどうなるか。壊れやすい上に出力が大きすぎて並みの操縦者では扱えないという、非常に繊細なものになってしまう。

 そこで扱いやすさ……操縦性をある程度獲得しつつ、剛性と耐久力を確保するためのデチューンを施すわけだけど、それで本来のものより性能が低下するのでは本末転倒だ。そこで性能を本来のものより向上させつつ機体とマッチするようにうまく擦り合わせる必要があるわけだ。

 

「さて、今日はこれぐらいにしておきましょうか。次回はISの武装に関して行うわ。予習しておくように。ふぁ……みんなも早めに寝るのよ? 科学者は身体が資本なんだから」

 

 パタン、とノートPCを閉じた先生があくびをして解散を告げる。ふらふらと危うい足取りで寮の会議室を出て行く様子は不安でしかないが、それでも翌日の朝7時にはきっちり食堂で赤い地平(あさごはん)を平らげているのだから凄まじいタフネスだ。

 

「ん~……今日も終わりかぁ」

「おわぁ……ねむぅ……」

「おーい、アルマ。ここで寝たらカゼひくぞー」

 

 既にアルマは眠気が回ってしまったのかうつらうつらと舟をこいでいる。見かねたロビンが苦笑して、アルマを軽々と抱えあげて言う。

 

「ごめん、リッカ。またアルマのカバン頼んでいいか?」

 

 最近の日常の風景になりつつある光景に仕方がないかと思いつつカバンを手にする。眠りこけたアルマをロビンが背中におぶって部屋へ運び入れる姿も見なれたものになりつつある。他の技術科の子たちからは向けられるまなざしは羨望、嫉妬、慈愛、劣情と様々なものが入り混じっているが、ロビンは何食わぬ顔でスルーして部屋を出て行く。

 実はロビンは非常に人気がある。技術科の中でという但し書きは付くが、高身長とスラリとして整った体つきに加えて、持ち前の気さくさとボーイッシュな雰囲気がベストマッチとのことだ。友人の一押しは“ポニーテールで作業着をはだけたままタブレットとにらめっこしてる姿”らしい。

 

「そういえばアヤカの快気祝いってもう決めた?」

「まーな。あたしはライディンググローブにしたよ。アルパインスターズの」

「……よかった。ダブりじゃなかった」

「へえ、何にしたのさ?」

「バイク用のショルダーバッグ。アルファインダストリーズ」

「……実はアルマ、IMZウラルブランドのインナー買ってるんだ」

「うへえ」

 

 ものの見事にバイク用品ばっかりでイタリア、アメリカ、ロシアときた。エースカフェやらシューベルトまで来ようものなら最早ごった煮状態だ。全部着用すれば違和感間違いなしの不思議バイカーが誕生するだろう。

 

「――復帰、できるかな?」

「できる……って言いきりたいけど……ちょっとなあ……自信がないな」

「今頃、手術終わってるのかな」

「さあ? あたしらは祈るしかできないさ」

 

 窓の外に映るのは漆黒。道照らす月明かりも、導きたる星空も見えないどんよりとした曇り空の太平洋。光るものは何も無く、ただ見えないうねりと潮騒が響くだけの闇の世界だ。

 アヤカには時々私たちでもわからない何かがある。この仄暗く先の見えない水底のように、私たちもよくわからない何かを抱えているのだということは以前から感じていたことだ。

 

 詮索しようとは思わない。けどそれがアヤカの足かせになっているものなのだとしたら……力になりたいと思う。他人に打ち明けることで少しでも彼女の重荷が減るのならばと、そう思っている。

 

「あっ」

「どうしたの?」

「リッカ、今度の日曜空いてる?」

「日曜は大丈夫だよ」

「アヤカのバイクがあるだろ。アレ、今度整備するから手伝って欲しいんだ。もう一ヶ月以上外でほったらかしだからな。

 ……夏休みになったらさ、みんなで富士山に行こうって話してたんだ。アヤカがバイク、アタシらは博士の車に乗ってキャンプ場を移動して、一週間がかりで見て回ろうって。

 きっと楽しいことが山ほどあるんだと思う。行く先のキャンプ場で揃って晩御飯を作ったり、魚を釣って焼いたり、見も知らぬ景色や初めて会う人と触れ合ったり。右に進むか左に進むかでギャーギャー揉めたりケンカしたりもするかもな! あ! あとはスマホとか忘れ物してあたふたしたりも!

 日本の城とか神社とか庭園を見るのも楽しみだよな! あとはアキハバラの電気屋でネットラジオ用の良いマイクやスピーカーも探さなくちゃな! レトロゲームも見繕わないと!」

 

 興奮した様子で弁舌を振るうロビンはアルマが背中に居ることも気にならないほどに舞い上がっているようだ。

 背中でうーんと魘されているアルマが若干かわいそうだが、ロビンの富士山旅行への熱意はとめられそうもない。

 

「わかったよ、もう。ちゃんと手伝うから観光コースは私にも決めさせてよね」

「お? リッカも乗り気になったか?」

「まあね。とりあえず長野県の下諏訪は確定で」

「……なんでまたそんな山奥なんだ?」

「そりゃ私が時計屋の娘だからに決まってるでしょ」

 

 既にロビンの頭の中には三つくらいはクエスチョンマークが並んでいることだろう。そりゃそうだ。知らなくても不思議ではないし、知る人ぞ知るというものになりつつあるのだから。

 もうアヤカの手術は全て終わっているころだ。きっとうまくいくものだと信じているし、うまくいったのだと願っている。

 私たちはまだ諦めてない。だからアヤカも諦めたりなんかしていないはずだ。

 

 

 

「では始めようか」

 

 ミタール級戦略重ミサイル潜水艦“ラトゥーニ”の会議室に集ったメンバーはいずれもこの一か月を謎のISの調査に費やしてきた者たちばかりだ。防諜のためにわざわざIS学園近海に潜航した状態の潜水艦に呼び出し、ミーシャのISが持つ機能をフルに発揮して声の一つさえ外へ漏れ出ることがないように厳重な態勢を敷いているのだから重要性で言えば最重要機密と言っていい。

 パイプ椅子に座すメンバーの顔もこの一か月で見飽きるほど見てきたが、今日はいつも以上に緊張感を持っているのが見て取れる。

 愛する妹の北條麗華は落ち着かない様子で腕組みをし、ミーシャもどこか座りが悪いようにしている。

 その中で一人浮いた存在、IS学園の代表代行として赴いている織斑千冬は黙したままじっと目の前の報告書を見つめている。

 

「まず本件、“IS学園襲撃事件”を手引きした……と言うよりも仕組んだ者の名が判明した。国連だけでなく米国の国防総省、それにCIA、MI6にKGB……ああ今はSVRだったな、こういった各国情報部から人材を借りて追跡を行ったところ……ある“一人の女”に行き着いた」

 

 モニターに映し出されたのは二十代ごろの若い女。背中にまで流れる赤みを帯びた紫の髪。抜群と言っていいプロポーション。深い赤を帯びた瞳。兎を模した耳のついたカチューシャ。美人だが、この女を見た者はきっと気づくだろう。“何かが受け付けない”という本能の叫びを感じ取ることだろう。

 

「篠ノ之束。インフィニットストラトスの開発者にして、現在全国指名手配中の逃亡者だ。またIS黎明期における大事件である“白騎士事件”の実行犯でもある。そうだな織斑千冬?」

「――――なに、を」

「とぼけるな。お前が白騎士の操縦者であることも、白騎士事件が篠ノ之束のマッチポンプでしかないことも、そしてお前が篠ノ之束と同学年同級生で席順が一つ前だったことも知っているぞ。

 本来ならお前も白騎士事件の関係者として“聴取”するのが道理だが、それを捻じ曲げてまでお前をここに呼んだのは篠ノ之束に関する情報を全て吐き出してもらうためだ」

「違う! あれがマッチポンプだなどとっ! あの地獄がっ……誰かの絵図で作り出されたものであるはずがっ!」

 

 ガンッ、と叩きつけられた拳が会議室のテーブルをたたき割る。せめてもう少し優しく扱え。予算を圧迫する真似はやめろ。

 

「……何も知らないのか?」

「知るも知らぬもない! あんなものっ! あんな光景がっ……! あいつが望んで作り出したハズがないっ!」

「――本当に知らないのだな?」

「くどい!」

 

 怒りに身を任せるほどの感情の剥き出しぶりは演技とは思えない。狙ってやっているのなら篠ノ之束など目ではないほどの演技上手だ。アカデミー主演女優賞は確実にとれるレベルだと言っていいだろうが、こうまで殺気を滲ませるからには心底頭にキているのだろう。

 ちら、と目配せしてみたミーシャの反応は“NOT”だ。……ミーシャが見てそうだということは、織斑千冬は“シロ”ということだ。

 

「……わかった。信じよう。それで白騎士事件の当事者から見て、篠ノ之束がこのようなマッチポンプを行うように思えるか?」

「無い。あいつは純粋に宇宙に行くことを目指していた。そのためにインフィニットストラトスまで作った。あいつはひたすらに夢を追いかけるまっすぐなやつだった」

「…………そうか――――ではそれを踏みにじるようですまないが、これが一連の調査資料だ。読むといい」

 

 ばさり、と投げ渡した一冊の報告書。国連がいつか篠ノ之束を捕えたときに彼女を“有罪”に処すための切り札だ。篠ノ之束の経歴だけに留まらず彼女を知る同級生や教員らから取った調書に始まり、インフィニットストラトスの公開に至るまでの詳細な経緯。そしてクラッキングを受けた各国のミサイル発射システムを修復調査し、そのクラッキングの大本が篠ノ之束の自宅であることを突き止めたという事実。そこに上乗せされて逃走先で関係を持ったテロリストや組織の名前、人物名、拠点としていた場所の証拠写真に加えて押収した機材や開発途中で放置されていた“未登録のISとコア”の存在までが事細かに記されている。

 

「……ありえない。こんな、ことを……するはずが」

「認めたくないというのはわかるさ。しかし世界とてバカの集まりではないのだ。我々はお前に見せてはいないが、既に篠ノ之束を裁判にかけ、かつ勝利できうるだけのものを得ている」

 

 織斑千冬の表情は硬い。報告書を手にわなわなと手を震わせ、奥歯を噛み締めて行き場のない怒りをどうにか抑えているのがわかる。

 

「いいか織斑千冬。かつての国際連合は調停機関として既に形骸化し、前身たる国際連盟と同じ轍を踏みつつあった。だが白騎士事件の折に先代の事務総長と国連は、インフィニットストラトスが無秩序にばら撒かれ野放図となった世界を懸念してどの国よりも先立って行動した。

 IS委員会とIS学園の設立によって、世界のパワーバランスを揺るがす可能性を秘めた兵器を統制し、制御したことでかつての国連の比ではない権威と裁量権を今の国連にもたらした。しかしISはそれでもなお危険な兵器としての側面を持っている。その抑止力として我々……国連独自の戦力の保有さえも世界に認めさせた。

 ISを隠し持った人物がホワイトハウスやクレムリンを攻撃すればどうなると思う?

 世界中にごまんとある原発や核ミサイル発射施設を占拠したらどうなると思う?

 わかるだろう? 第三次世界大戦の勃発だ! 白騎士事件だけでも第三次大戦の火種足り得るものだが、そこに新たに燃料が注がれることになる! いいか! 白騎士事件は何も終わってなどいない!

 これからだ! これからその火種が大きく燃え上がり世界を焼き尽くすことになりかねないのだぞ! ISが宇宙服だと言うなら何故ヤツはISに武装などを施した!? 年端もいかぬ少女(おまえ)を何故人殺しの道具に仕立て上げた!? 何故平和利用を提唱することもせずにテロリストのようなことをして逃げ回って隠れている!?

 …………綺麗ごとをのたまう気はない。率直に言おう。我々の目的は篠ノ之束を抹殺することだ」

「何をふざけたことをっ……! 白騎士事件が仮にあいつの仕組んだマッチポンプなのだと仮定しても! ISの兵器転用を推し進めたのはそれを見た国だろう!」

「そうだ。国々は兵器転用へ舵を切った。その先例を作ったのは他でもないお前と篠ノ之束だろう!

 知らぬとは言わせんぞ。あの一件で多くの死者が出たことを、無かったことのように語るなぞ私が許さん!

 ――ああ、パイロットを殺さずに戦闘機を撃破したのは素晴らしい。飛んできた核弾頭を全て叩き落したことなど両手では足りぬ賛辞を贈りたいくらいだ。だがその破片はどうなった? 切り落としたミサイルの残り半分はどこへ行った?

 結果は明白だ。地に堕ちる。…………そしてその瓦礫の散弾で人が死んだことはお前も知っているだろう」

「……知っているし忘れもしない。だが私はあの時……ただ……っ!?」

 

 ごり、と左の側頭部に当たるナニカ。冷たく黒い、9ミリの死を吐き出す銃口(マズル)が押し当てられ、織斑千冬は目を見開く。

 

「せ、ん、せい」

「篠ノ之束は、どこ?」

 

 まったく、わが妹ながらこらえ性のないやつだ。

 

 

 

 

 私の頭に突き付けられた銃の持ち主、北條麗香博士は冷たく抑揚のない声で私に言った。いつもはお茶目な雰囲気で笑っていた彼女が能面のように冷たく、しかしその瞳に深海の如きほの暗さを湛えて私を見据えてくる。

 

「麗香、抑えろ」

「どうして? 白騎士事件で死んだ娘夫婦と彩香の妹の仇が、目の前に、いるのに?」

「…………そいつは、初耳だな」

 

 ――わたしが、彩香の、家族の――?

 

「だが抑えろと言った。殺すにしても、すべての情報を洗いざらい吐かせて裁きを受けさせてからだ。例え、知らず篠ノ之束の謀略の片棒を担がされたのだとしてもお前が裁く権利はない。――今ここでこいつを撃つようならばお前は篠ノ之束と同類だぞ」

「誰が同類だっていうのよ……! 私から何もかも奪っていった女に慈悲なんて与えたところで意味なんてないじゃない!」

「麗香! 確かに、織斑千冬は知らずとはいえ犯罪者に協力していた人物であるしお前の娘夫婦と孫の死に直接関わっている人物かもしれん! だが白騎士事件の発端は織斑千冬(コイツ)が意図して起こしたものでは断じて無い!

 その銃口を元凶たる者に向ける分には私は何も言わんが、同じ被害者である織斑千冬(コイツ)に向けることは絶対に許さんぞ!

 それでもやると言うならまず私を撃て! 死んだのがお前の家族であったことは知らなかったが、白騎士事件の真相にたどり着きながらお前に告げなかった、この私を撃つがいい!」

 

 ナタリヤ大佐はおもむろに博士が手にしている“Px4”の銃身を掴み、自らの平たい胸部に押し付けて言う。

 博士のほうは変わらず能面のように冷たい表情で大佐とにらみ合っていたが、小さく舌打ちして銃をひっこめた。セイフティをかけてトリガーガードを軸にくるりと一回転。トリガーから指を離して銃身を手に大佐へ向けて差し出す様は“扱いなれた”という言葉がぴったりの滑らかさだ。

 

「――そう、それでい……――!」

 

 グリップへ伸びた大佐の小さな手のひらが空を切る。くるり、と先ほどのようにトリガーガードにかかった指を軸に再びすっぽりと博士の手のひらに収まる、と同時にセイフティを外された銃が大佐のこめかみに突き付けられる。

 

「……まったく、どこでこんな騙し討ちを覚えた?」

「確約しなさい。必ず、篠ノ之束を、殺すと」

「――わかった。法で裁かれるにしても暗殺にしても、どちらも最終的には死ぬことに変わりはない。いいな?」

「ええ」

 

 マガジンを抜いてスライドを後退させ初弾を排莢し、テーブルの上に差し出した博士はおどけたように両手を挙げて無害アピールを欠かさず席に着いた。それを見届けて、後ろから博士に向かった銃を突き付けていた大佐の副官であるミーシャも面倒くさそうにため息をついて席に着く。

 

「一体どこに隠し持っていたんだか……身体チェックはしたんだろうなミーシャ?」

「したわよ。その上でコレなのだから自信を無くしそうよ」

「今度からコイツには手錠をさせておけ。姉として手癖の悪さを矯正しなければならん」

「もうしないわよ」

「ハッ、どうだか……! 余計な茶々が入ったが言わせてもらうぞ織斑千冬。お前は何も知らずとはいえ犯罪の片棒を担ぎ、人の命を奪い去っている。事件の際に交戦した軍に直接の人的被害は無かったが、白騎士事件の二次被害で命を落とした人物は麗香の家族以外にも存在する。

 この際ハッキリと言うが、我々国連軍IS試験部隊……“ストームチーム”は白騎士事件の実行者であり現在全国指名手配中のテロリストである篠ノ之束を抹殺するための部隊だ。世界を危機に陥れ、今もなお世界のどこかでテロリストに武器や技術を流し、それによって多くの人命が失われているがそれだけではない。

 技術供与を受けたテロリストの破壊行為によって世界的な遺跡や史料が失われたり、インフラ設備を占拠されたことで飢えや渇きに苦しみ、疫病が蔓延するなど多くの被害が出ている。

 これ以上ヤツに“子供がおもちゃ箱をひっくり返す”ような真似をさせておくわけにはいかないのだ。わかるな?」

 

 ……あいつに、束に何があったというのだ。目を通した資料はあいつの関与がはっきりと記されていた。これが真実なのだと受け止めることはできない。だが確かめなければいけないことがあるのも確かだ。あいつが一夏の誘拐事件……第二回モンド・グロッソでの一件や今回の事件に関与しているだろうことは明白だ。

 未登録のISコア。そんなものが存在するということはつまり誰かがコアの製造に成功したかあるいは――篠ノ之束が手ずからに作ったということだ。そしてあの謎のISはIS学園の生徒を危険に晒し、国防軍のIS操縦者を殺し、彩香の手足を引きちぎった。

 

 確かめなければいけない。束が本当にこんな事件を自ら起こしたのかを。私の大切な生徒たちや多くの子どもたちの命を危険に晒した理由を問いただす。

 

「私ができることなら、協力します」

 

 そして子どもたちの夢を引き裂くような真似をしたことの償いを、必ず果たさせる。

 



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オバロ試作品

知識深くもないのに書いてみた。つまり行き当たりばったり。

あまり深くつつかないでください。
ガバとか設定の勘違いしてる部分などあるので。


 一つの世界が終わる。それを知ったのは偶々だった。新作ゲームのレビューをつらつらと流し読みしていた中で不意に目に留まった一つの広告のことだ。

 

 『DMMO-RPG“Yggdrasil<ユグドラシル>”サービス終了が決定』という見出しに目を奪われた。

 

 この薄汚れた、いや……病巣が至る所に蔓延り余命幾許もない死に体のような地球に生きる俺たちにとっての安らぎ。かつて二人してのめりこんでいたゲームが終わるという事実。それがほんの少しの侘しさを俺に齎したのだ。

 気づけば埃を被っていたコンソールを引っ張り出して掃除し、コンセントに電源ケーブルを挿入。システムを起動し、数年分にもなるOSのアップデートを開始していた。

 無性にイライラするのを抑えようとして電子タバコを一口。まだ終わらない、二口。もっと早くしろよ、と三口。…………更新が終わったころには、帰宅してすぐ封を開けたばかりのカートリッジが半分も減っていた。

 

 即座にヘッドギアを被り運営会社のホームページにアクセスしてログイン。最新版クライアントをダウンロードしてインストール。起動してアップデート。……そしてゲームにログインした。

 

 暗転する視界。真っ白な光が広がり、見えてきたのは最後にログアウトした地点――自身の住居(ホーム)の姿だ。鬱蒼と生い茂る森の中にぽつんと空いた土地に建てられた一軒の邸宅。ゴシック・リヴァイヴァル建築のカントリー・ハウスはストリベリー・ヒル・ハウスを思わせる純白の壁をしていて、よく観察すると細やかな彫刻がさりげなく施されている。ほんの気まぐれで依頼しただけなのに、とんでもないクオリティの拠点が手に入って二人して驚いたのも懐かしい。

 そうして次に始まったのが土地探し。比較的辺境の、というか敵MOBのレベル帯が低いワールドの中で更に低レベル帯、つまるところ初心者向けのフィールドを何か月もかけて駆けずり回った。そして落ち着いたのが平均レベル30以下、ヨトゥンヘイムの山脈地帯の麓に広がるこの森林地帯だった。野ウサギや野鳥、少数のオオカミなどが居る以外には脅威が無く、薬草系アイテムやキノコ系アイテムの採集地として初心者がたまに来る程度の静かな世界だ。

 ……高難度ダンジョンが発見されて一時期は廃人(ハイレベル)クラスや上位ランクギルド(やりこみ勢)が出入りするようにもなってPKなんかもされたりやったりしていたが、運営の計らいで所有者以外は邸宅や周囲の敷地内に入れなくなる措置が施されたんだったか。

 

 そういえばユグドラシルの運営は凝り性というか、頭のネジが外れてるというか、大雪山おろしから空中スクリューパイルドライバーをキメたようなブッ飛んだことをしでかす奴等だった。ならこれくらいはまだ控えめなほうなのかもしれない。別次元に通じるゲートがあってそこからしか邸宅に入れない、なんていうような大仰なギミックでないだけマシだろう。

 壁と同じ真っ白なドアも懐かしい。真鍮製のシンプルなドアノッカーは見た目こそ質素だが、ハンドルの部分は月桂冠(酒ではない)を模したもので葉脈の文様まで刻まれている気合の入りようだ。

 

 コン、コン、コン。

 

 もう叩くこともないと思っていた。けども、ああ、やっぱり俺は棄てきれないんだ。俺たちは遠く離れ離れになって会うことも難しくなり、それでも声が聞きたくて会いたくて、唯一得られた二人きりの時間をここで過ごして思い出を作り上げてきた。子どもを作れなくなった彼女はどうしても諦めきれなくて、このユグドラシルにソレを求めたことも覚えている。

 

「――ただいま」

 

 ひとりでに開く真っ白なドア。その向こうに――小学校にあがるかというくらいのちいさな、太陽のような輝きを帯びた黄金の髪の、黒いセーラーワンピースを身にまとった少女の姿があった。

 

「パパ! おかえりなさーい!」

 

 あどけない笑みを浮かべ、搾りたての真っ赤な鮮血を光に透かしたような瞳で俺を見る少女。俺たちの娘――という設定のNPCは、定められた通りの行動を定められた通りに実行し、定められた一定の声色で俺を迎え入れてくれた。

 思わず笑みが浮かぶ。いや、ゲーム内だから表情が変わるわけではないのだけど、この子に再び会えた歓びを感じている自分が居ることは確かだ。…………ここにあいつも居れば――いや、それは過ぎた願いだ。

 

「ふぅ」

 

 パタパタと駆け足で付いてくる娘(NPCだけど)と共にヴィクトリア朝時代を思わせる書斎に入ってソファに腰かける。娘も同じようにソファにぼふっと勢いよく座るものの……そこから先は微動だにしない。当然だ。プログラムされていない行動はとれないのだ。あの子のように俺の膝の上に飛び込んできたりなど……できないのだ。

 

 ふと思いついて、スクリーンショットのフォルダを開くとページをめくる。二人して様々なワールドを駆け巡った思い出が脳裏を過って、ちくりと刺すような痛みが胸を貫いた。

 ユグドラシルに存在する山の最高峰へ登った。湖のほとりで開かれたイベントに参加して惜しくも優勝を逃した。海辺で魚釣りをした。ワールドエネミーにたった二人で挑んだ。未だ見ぬストーリーイベントやダンジョンを探してワールド内を駆け巡った。桜並木を一緒に歩いたり、PKされたり、クリスマスツリーを二人で眺めたり、すべては電子の海の中で起こったことで、ゼロとイチの生み出す光景でしかないけれど、俺と彼女が一緒にこのユグドラシルで思い出を作ってきたことは決して虚構などではない。

 

 俺と彼女が流れ星の指輪(シューティングスター)に願って生み出されたこの子が、両親から何の思い出も与えられることなくただ消えていくだけになる。そんな空虚な、ただ寂しいだけの終わりなんて迎えてほしくない。自分の中の何かが“無駄なことをしているな”と思いながら、“やるべきだ”と後押ししている。

 

「――よし、決めた。旅行しよう」

 

 だからなのか、消えてしまう前に一つでも新しい思い出が欲しかった。無性に、衝動的に、この子を連れて世界(ワールド)を巡ってみたくなった。

 この子はレベルにして僅か一桁、それも種族レベルくらいしか持っていない非力な存在だ。一度でも刃が通れば死あるのみ……即ち消滅だ。さすがに最難関ダンジョンを無傷で連れ歩くなどできやしないが、駆け出しが居るようなフィールドであれば出歩くこともできるだろう。

 

「まだ半年あるんだ。それまでにいろいろと――うん?」

 

 ピロン、と聞こえた通知音に気付いてコンソールを開くと……軒並みオフライン状態のフレンドの中で唯一オンラインになっているフレンド名があることに気付いた。奇しくも、かつて彼女と二人で世界を巡っていたときに出会ったかの悪名高いギルドの主人(マスター)の名が、そこに記されていた。

 

「モモンガさん、か」

 

 ふとあのオーバーロードの顔を思い出した俺が彼にメッセージを送るのにそう時間はかからなかった。

 

 

 

「ルイス・ローデンバッハさん、か」

 

 十分前に送られてきた突然のメッセージ。三年越しに聞いた声はどこか疲れた様子で、嫁自慢をしていた頃――彼のユグドラシル全盛期を知っているだけに不安な気分になってしまった。

 とはいえ三年前に最愛の人を失った直後に比べれば雲泥の差だ。あの時の彼は最早生きながらにして死んでいるかのような陰鬱な気配をまとっていた。

 今日声を聴いた限りでだけど、精神面は比較的安定しているようだった。まさか世界旅行(ワールドツアー)のスタート地点にナザリック大墳墓をチョイスするとは思ってもみなかったけれど。

 

「でも、スタート地点に選んでくれるっていうのも……ふふっ、なんていうか、嬉しいもんだなぁ」

 

 サービス終了まであと半年。それまでに精一杯遊び倒すつもりなのかもしれない。レベル5のNPCを連れてモンスターの跋扈する世界旅行をやり遂げるっていうのは無茶な気がするけど。

 

「よっし! 気合入れてロールプレイするぞぉ! 伊達でオーバーロードやってんじゃないんだ! あっちが吸血鬼の皇帝ならこっちは死者の王なんだ!」

 

 よし、そうと決まればまずはナザリックの陣容を見せつけなきゃな! メイドに執事、それに領域守護者を第一から第三層まで待機させて、案内先は円形闘技場にしよう! 階層守護者を勢ぞろいさせ、観客席にモブモンスターを大量に配置して……歓迎しようじゃないか、盛大に!

 

 

 

「よく参られた。我が盟友……ルイス・ローデンバッハ殿。ユグドラシルワールド遊行の出立地として、我らアインズ・ウール・ゴウンが誇るナザリック大墳墓を選んでいただけたこと、どれほどの言葉を尽くそうとも感謝の念に堪えぬというもの」

 

 堂に入ったロールプレイだなと改めて感心する。ただ拠点の入り口の前に立ってセリフを言っただけだというのに、立ち振る舞いはまさしく支配者のそれとしか言いようがない。中身は普通の会社員なのに。

 

「気合入りすぎじゃね、モモさん」

「ムフン、どうです? こう見えて実はこっそりと練習してみたんですよ! せっかくですしルイさんもロールプレイしてみてはどうです?」

「いやいや! 俺には似合わないって。できないわけじゃないけど堅苦しいのは正直苦手なんだしさ」

「やってみなきゃわかりませんって。こう、ほんのちょっと胸張って声のトーン落とせばいいんですよ。リアルでもいい声してたじゃないですか」

「ま、まあ“声は”良いと言われるけどさ……」

 

 エモーションで“グッド!”とアイコンを出したモモンガさんが急かすようにどうぞどうぞと待ち構えている。ウキウキしながらエモ出しするオーバーロードの姿には先ほどの威厳が微塵とも感じられない。

 

「久方ぶりだな、我が朋友。かつての動乱期の貴公を想起させる良い覇気を感じたぞ。時の流れは残酷にして無常の音の響きにも似たものだが、どうやら貴公には無縁であったようだな。壮健で何よりだ」

「貴殿もな。……いや、普通にカッコイイと思いますよ。これでもっと早くロールプレイしてればタブラさんとウルベルトさんも加えて四人で魔王ロールプレイできたのに……」

「それ“ヤツは四天王の中でも最弱……”ってなるパターンじゃない?」

「ワールド相手に善戦できるやつが何言ってんですか」

「守勢だから! 思いっきり守り固めてどうにか! だからな!」

 

 嫌なものを思い出した。ワールドチャンピオンのたっち・みーさん相手に戦わされる羽目になって必死に“次元断切(ワールドブレイク)”を“刹那の見切り”でカウンターしまくって受け流ししてたら本気出したたっち・みーさんが他の火力スキルを使って疾風怒濤と言わんばかりにゴリゴリ攻め寄せて押し切られたんだったか。チャンピオンだけあってプレイヤースキルも頭おかしい。

 

「思ったんですけど、この子ってNPCですよね?」

「ああ、そうだけど?」

「……レベル5のNPC連れていくんですか?」

「そうだ」

「アホかアンタはーっ!? 危険地帯にろくなAI設定もしてないNPCを! しかもレベル一桁! 連れて行ったら一撃で消し飛びかねないじゃないですか!」

「そうだな」

「わかってるならなんで――!?」

「思い出作りです。せめて、思い出だけでもと、そんな感じです」

 

 ぷんすかと怒っていたモモンガさんの動きがピタッと止まる。ああ、彼も俺が何をしようとしているのかは察したらしい。あと半年で終わるユグドラシルだが、だからこそやるべきことなのだ。

 ふと、隣に居るNPC……俺たちの娘と設定された彼女、レーナの姿を眺める。少なくとも、嫁はこの子を本物の娘のように大切にしていた。服や装備を揃え、家の中でとれるモーションを設定したり、過去にサンプリングされた声優の声を古いデータベースから引っ張ってきて与えたり。

 対して、俺は何を与えられただろう。せいぜい素材を用意したりコックのスキルで作った料理アイテムを与えたりした程度だ。そんなもので終わってはいけないと、俺は心の底で思ったから行動に出たのだろう。

 

「それに俺はこう見えて防衛や支援に関しちゃそこそこ自信あるんですよ。死なせはしません。この身を盾としてでも守り通しますよ。ま、俺が気づくより召喚した眷属が庇うのが早いかもしれませんけど」

「なんか不安ですね」

「低レベル帯のマップだからいけるいける」

「余計不安になった」

「なんで!?」

「ま、せめて中でゆっくり話しましょうよ。突っ立って長話するのもいいですけど、せっかく来たんだから中を見て楽しんでもらわないと」

「そうだな。モモさん自慢のナザリックだ。楽しませてもらうよ」

「っと、パーティ設定しなくちゃ。とりあえず作りますね」

 

 いざ入室というところでパーティを作り忘れていることに気付いたモモンガさんがパーティー編成を持ち掛けてきた。……のだがうんうんと唸るだけでお誘いのポップが出ない。

 

「……よしっ! コレだ!」

 

< モモンガ さんから パーティ名 “子連れ吸血鬼‐骸骨街道‐” への参加要請が届きました!>

 

「ひっでぇネーミングセンス」

「……そうですか?」

「だってモロにパクりじゃん」

「“ナザリック・ウィズ・ヴァンパイア”のほうがよかったですか?」

「モモさん、子連れ狼といいなんでそんな21世紀前後の映画知ってんの」

「以前ウルベルトさんたちと一緒に上映会やったんですよ。昔の廃墟から映画のディスクが出てきたらしくて、全員に配信したんです。いやーアレは爆笑しましたよ!」

 

 映画か。最後に見た映画はなんだったか。確か嫁が大興奮していたのは覚えているんだけどな。

 

「じゃあ行きましょうか! さあまずは第一層ですよ! あ、ちゃんとギミック切っておかないと……エフェクトで見えづらくなりますし、NPCが敵対行動に出る可能性もありますから」

「マジ?」

「ええ。基本的にNPCは拠点への侵入者に対して即座に攻撃行動に出ますから。その点ギルドメンバーがリーダーのパーティを組んでいれば襲われることがないんです。ただし拠点内でパーティや同盟から離脱すると即座に拠点外に転送されるので、組みなおすには拠点外に一度出ないといけなくなります」

「そりゃそうか。突然抜けられて背後からドスッってのはなぁ」

 

  まあ、上位ギルドには上位ギルドなりの苦労があるということだ。その中でもたった41人とはいえ最盛期にはランキング一桁にもあったギルドの盟主なのだから、その辺の知識も豊富なのだろう。

 ナザリックの中へ入るとまず出迎えたのは無数のアンデッドの軍勢。しかし彼らが立ち並ぶ姿は整然として規律正しく、一列になって無骨な片手半剣(バスタードソード)の柄を右手に持ち、刀身の峰を胸にあてるように袈裟懸けで保持した様子はまるで儀仗兵のようだ。

 実際、ただのスケルトンではなくその骨身に纏う(アーマー)籠手(ガントレット)伝説級(レジェンド)に近い聖遺物級(レリック)はあろうというものだ。拠点に配置するモンスターとはいえそこそこの数が配置できるMOB(その他大勢)にわざわざ装備させているあたりナザリックの財力と積み上げてきたモノがわかるというものだ。

 石造りの壁面に均一に配された松明の明かり。その微かな光で照らし出される古代文字や絵画は経年劣化による風化具合まで再現されたエフェクトがかかっていて、陰影が効いたスケルトンの儀仗兵たちと相まって威圧感すら感じる。

 

「よくこれだけ揃えられましたね。軽く見ても伝説級一歩手前の装備じゃないですか?」

「あ、そういえば知らないんでしたっけ。二年ほど前に過疎化対策でレア武器ピックアップガチャとかカムバックキャンペーンがあったんですよ。その中に特定モンスターの限定ドロップ神器級(ゴッズ)装備が含まれているっていうのがあってですね――」

「買いまくったわけだ。で、余ったと」

「……お恥ずかしながら」

「あの時よりも装備が豪華になってるもんだからどれだけ頑張って稼いだのかと思ったら…結果として何人で回したんです?」

「5、6人ってとこですかね」

「それで、何回ほど回した?」

「……300連ほどですかね」

「そうか。じゃあ聞くけど――お求めだった品は?」

「……あなたのような勘のいいヒトは嫌いですよ」

「オーケー、俺が悪かったよモモさん」

 

 やはり知るべきではない、思い出したくない出来事だったらしい。俺も1500人の討伐部隊の波状攻撃なんて思い出したくもない。いきなりメッセージで救援を求められたかと思えば嫁に引っ張られ、ナザリック外縁部で他の異形種ギルドのメンバーと即席のパーティーを結成して侵入阻止のための防衛戦をさせられる羽目になった。<号令>のスキルでひたすらに火力部隊の強化と足りない手数を補うための眷属召喚を繰り返したんだったか。結局第四波の迎撃のとき初手ワールドアイテム“光輪の善神(アフラマズダー)”でメチャクチャデバフくらったところに号令料理その他スキルバフマシマシ“失墜する天空(フォールンダウン)”ブッパで半壊して……悲惨だったなあ。

 

「これだけ装備を整えたとしてもあの時みたいな場外乱闘には打つ手なしなんですけどね。拠点外で起こる戦闘となると……」

「奇遇ですねモモさん。俺もあの日のことを思い出してました。アフラマズダーはいやだ……! アフラマズダーはいやだ……! ああ! 光が! 広がってっ……!」

「……嫌な事件でしたね……」

 

 なんやかんやとモモンガさんと会話しながらスケルトンの儀仗兵が立ち並ぶ中を歩いて進むと、第四層への入り口の前で立つ一体の影が目に入る。

 一言で言えば宮廷に住まう貴族のような印象を受けるNPC。上から下まで漆黒のボールガウンドレスにカーディガンもヘッドドレスも同じように漆黒。しかしながら真っ白なフリルやリボンもあしらわれていて、深窓の令嬢という雰囲気を纏っている。

 

「このNPCは?」

「シャルティアといいます。ペロロンチーノさんの作ったNPCですよ」

「あのエロゲーマニアの、か。……はてさてこの子はどういうエロを詰め込んだのやら。見かけからはさっぱりだ」

「聞いた限りではなんかいろいろ詰め込んだそうですよ。俺の嫁って自慢してましたから」

「きっと俺たちじゃ想像もつかないような設定なんだろうな」

「……ありえますね。私も一部は知ってますけど、詳しい全容までは。さて、とりあえず“付き従え”」

 

 モモンガさんが指示コマンドを発すると、シャルティアと呼ばれた少女は優雅に一礼してモモンガさんの後ろに若干の距離をもって回り込んだ。

 ……簡単なものでもいいからレーナにも組み込んでみようか。お辞儀の仕方や挨拶の仕方程度は備えていてもいいかもしれない。エロスにすべてを捧げた彼、ペロロンチーノのNPCへのこだわりと作りこみようを見た俺はどうやら感化されてしまったらしい。

 おかげでやりたいことが一つ増えたよ。ありがとう、我が同志よ。意気投合から5分で“ケモミミは頭の上派”と“人間の耳の位置派”で袂を分かつこととなったがお前の熱意は素晴らしいものだったと記憶している。

 

『バカヤロウ! ケモミミは頭の上にあるからいいんだろうが! 獣の耳、つまり犬猫のように頭の上にあって然るべきなんだよ!』

『ニワカ乙。人間的な要素と獣的な要素が融合してるからこそ“そそる”んじゃねーか。頭の上にただ乗っけただけの要素なんぞおっ立ちもしねーんだよ。脳みそまでカビたか?』

『アァンっ!? ケモミミって言えば大概は頭の上についてんだ! 人間の耳の位置派なんぞ21世紀の中頃には消滅したようなもんだろ! つまり世界の潮流は頭の上派なんだよ! 格が違うんだよ格が! 消えろ、イレギュラー!』

『……いいか、俺は面倒が嫌いなんだ。マッハで蜂の巣にしてやんよ!』

『たっちさん相手に持ちこたえたって話だが、中近距離戦ビルドの指揮官型に純遠距離超火力ビルドが負けるわけねえだろォ! 行くぞぉぉぉっ!』

 

 あの時は引き分けたが……先に切り込んだのはこちらなのだ。カウンター気味に“天地儘滅の太陽(ライジングサン)”を食らったが、俺の剣のほうが先に届いたのだから俺の勝ちだ。つまり“人間の耳の位置派”の勝利なのだ。アイツは頑なに認めようとしなかったが事実は事実だ。

 表層部とはいえナザリックそのものにかけられた防御を貫いて、第一層から第二層の中ほどまでブチ抜くあのスキルを最後の最後で直撃させられたのは痛かった。あれさえなければ引き分けることはなかったのに。

 

「さ、ここです」

「……こりゃあスゴイ。屋内に空とはなぁ」

 

 地底湖と氷河を抜けて出た先、鬱蒼と生い茂るジャングルが目の前に広がる。木々で少し見えづらいものの、空を見上げれば青い空が広がって白い雲が流れ、風の流れさえも再現されているのか木々がざわめく音が聞こえてくる。

 

「ブループラネットさんの努力のたまものですよ」

 

 フフン、と自慢げに胸を張っているあたりモモさんにとっても思い出深いものなのだろう。しかしこれほどの規模で、過去の記録映像で残る程度でしかないジャングルの景色を再現してしまうのだからブループラネットという人物の熱意は素晴らしいものだ。ペロロンチーノのエロスへの熱意すら足元にも及ばないだろう。

 

「こりゃあ……たまげたなあ」

「ようこそ! 円形闘技場(アンフィテアトルム)へ!」

「建築はローマ風か。コロッセオを参考にしたんだろうなこりゃ。階層ごとに装飾や建築様式が違うし、素材も古代式のコンクリート造りだ。地下にはやはり巻き上げ機や出入口を完備しているんですか? 水道橋から水を引いて模擬海戦ができるようなプールになったりする機能も?」

「えっ? えー、そ、そこまでは、ちょっと……わからないですね」

「……そうでしたか」

「しかし、コロッセオって水が入っても大丈夫なんですか?」

「ああ、コロッセオは水道橋を利用して水を溜め込んでプールのように使うことができたんだ。模擬海戦が競技の一つとして行われていたらしいし。もう二千年以上前の話なんだけどな」

「そりゃあスゴイ! というかさすがの知識ですねルイさん。そんな知識を持ってる人なんてそうは居ないですよ」

「俺の家柄故だな。……人々が今みたいに知識と思考能力を奪われるよりも前に作り出された知識の蔵。それがあるからこその今の俺がある。といってもいかがわしい雑誌から学術書まで見境なしに集められたから整理すら終わってないんだけどな」

「確か……本でしたよね。あのすぐ破れるクセに傷みやすい、クッソ高い値段がする紙でできたやつ」

「今でこそ本と言えばデータだが、昔は紙媒体の本ばかりだったのさ。でも本はかさばるし重いから、次第にデータ化されたものが主流になっていったわけだ。その結果、第三次大戦後の世界では企業が世界中のネットワークとデータを掌握し、アーコロジー外に住む人々には知識という財産が分け与えられることがなくなった。

 代わりに何が与えられた? クソマズイと評判のエナジーバーと基本無料で楽しめるプロパガンダ付きのゲームと映画に、格安で受けられる病院くらいなものだ。時間が経つにつれ民衆から知性は失われ、先ほどの三つで生活するのが“当たり前”になり、それが“普遍にして不変のもの”として新しい世代の“常識”になっていった。

 地球の自然環境こそ人類にとって最大の財産だというのに、企業を牛耳る輩がそれを破壊してまで自身の豊かさの追求と保身に努めた結果が今のこの世界さ。

 まあ、いずれ等しく地球上の生命も死に絶えるだろうさ。そのとき奴らは宇宙に進出して火星あたりをテラフォーミングして王様きどりでふんぞりかえってるんだろうけど」

「ルイさん、そのへんで……」

「っと、そうだな……目先に釣らされたニンジンを追いかける馬どもが躍起になる前にやめておこう」

「真っ向から喧嘩売っていくスタイルやめい」

 

 衆愚政治はクソだが愚民政策なぞもっとクソだ。何も考えない国民というのは扱いやすい駒ではあるが、それは国家にとっては害悪でしかない。治安は乱れ、教育はままならず、学問が発達することもなく、感情のままに行動するだけの国民を統制するなぞできるわけがない。

 だが巨大な複合企業であればどうだろう。食を支配し、エネルギーを支配し、メディアを支配し、医療を支配し、ネットワークを支配し、教育を支配し、そして最後には感情すらも支配し……そうやってヒトが生きる上で必要となるあらゆるものの根元を抑えてしまえばどうなるか。

 最早知識層以外はただの家畜同然だ。反抗する力などなく、知識も技術も奪われ、生きる力さえ奪われる。考えてもみれば、地球環境の悪化は彼ら企業にとってはむしろ追い風なのだろう。食うため生きるためには企業にすがらざるを得ず、逆らえば死だ。

 地球環境の改善を行う事業のほうが長く太く儲けられる事業だと俺は感じるのだが、企業は自然を……地球を食らいつくすことを決めたのが事実だ。いずれ尽きて儲けられなくなることがわかりきっている方策に投資する心理は俺にはわからないが、企業のトップはそうではないと判断したのだろう。完全にルビコン川を越えては引き返すなどできないと理解しているのだろうか? あるいはそれすらも儲けに変える方法があるのか。

 そのうち非知識層はロボット――それも人間以上の性能で人間より安い“維持費”で動く彼らに取って代わられる日が来るのかもしれない。要らなくなったなら、その先にあるのは廃棄場だろう。大量の非知識層はグラインダーに放り込まれて家畜や動物園の肉食獣のエサとして駆逐され、一部の上流階級とそれを支える無数のロボットたちがこの星の主役となるのだろうか。

 いずれにせよ死に絶える運命にある従属なぞ俺は御免被る。彼女と我が子の未来のためにと企業内で革新派の主要メンバーになるまで歩んできたのだ。……娘を爆破テロで失い、彼女が病で他界するまでは。

 ふと、リアルでの娘にそっくりなNPCであるレーナに目が行く。俺はまたしても失うことになるのだろうが、それでも残すべきもの、残せるものがあるはずだ。そう確信している。

 

「――というわけで。聞いてました?」

「――大丈夫だ。行こうか、モモさん」

「ん? じゃあ行きますか」

 

 ギギギと軋んだ音を上げて闘技場の門が開かれる。目の前に広がる圧倒的な数のモンスターの観衆たち。観客席の下から上まで埋め尽くす大量のモンスターと、だだっ広い闘技場の真ん中に立つ数体の影が目に入る。

 

「さっきのおさらいです。ロールプレイしてみましょう。それじゃ!」

「え? ちょ、まっ」

 

 即座に<飛行(フライ)>を唱えて飛び立つと、後ろについていたシャルティアも続いてモモンガさんと飛び立ち、中央で待つ影の下へと向かっていった。後に残されたのは俺とレーナだけだ。

 

「諸君! 長らく待たせてしまってすまなかったな。此度は久々に我らがナザリックへの訪問者が現れた!」

 

 んでもっていきなりの演説が始まった。おい俺にどうしろってんだよモモンガァ!

 

「とはいえ侵入者ではない。諸君らをここに招集したのは彼に我らがナザリックの威容を誇示するためである! 彼は我ら至高の四十一と対等の素晴らしい男だ。この私がぜひとも我らがナザリックへ――アインズ・ウール・ゴウンへと望むほどの強者である! 紹介しよう!」

 

 突如、晴れ渡っていた青空が夜空へと切り替わる。どこからかスポットライトに照らされ、浮かび上がるのは俺とレーナだけになった。観客がモモンガさんだけとはいえぶっちゃけ羞恥プレイじゃねーか!

 

「彼は――我が盟友!

 彼は――(あか)の帝王!

 彼は――吸血鬼の支配者!

 彼は――彼こそは、かの高名なるギルド“紅き館”の第二席に座す者、ルイス・ローデンバッハである!」

 

 いやそれ過去形だからな! かつて在籍してたってだけだから!

 

『ほら、もうすぐ暗転とけますからエフェクトいっぱいのスキル使ってください!』

『いきなりやれと言われてできるか! ロールプレイってこんな面倒なのかよ!』

『いいからほら! 暗転とけちゃいますから!』

 

 次第に暗黒の帳は鳴りを潜め、明るさを増す空とゆっくりと弱まっていくスポットライトの中でとりあえず武器の効果で使用可能になる、エフェクト付きスキルを選択。左腰の剣を抜き放って地に突き刺すと同時に発動する。

 

<スキル “紅の湖(ナトロン)” 発動>

 

 空から明るい光が差し込むと同時に、剣先からジワリと溶けだすように赤い水が円形闘技場に広がる。外壁を蝕むように静かに侵食する水に触れる寸前、モモンガさんが貴賓席にまで飛びのくのにわずかに遅れて、彼の後ろに居た数体のNPC――おそらくモモンガさんが言っていた守護者だろう――も続いて飛びのいた。

 

「なるほど……これが噂に聞くナトロン……触れれば周囲のあらゆるものを無慈悲に石化させるという……」

「然り。この紅き湖上に立つ者は須らくその動きを止め、やがて石となり果て彫像と化す。そこに動くものは、ただ我が身一つのみ」

「フフ、ナザリック内にすら自身の領域を作り出してしまうとは。流石は我が盟友(とも)……味な真似をしてくれる。叶うものなら貴公を従えてみたいものだが……」

「抜かせ阿呆(あほう)が。従属なぞ御免被る! 我が道を阻むならば万象悉く石と変え、粉微塵すら比較にならぬほどに打ち砕くのみよ!」

「クハッ! で、あるな。やはり貴公は“我が友”だ! 従属するなぞ貴公らしくない! それでこそ我が友だ! やはり対等の関係というのは心地よい!」

 

 思いのほか言葉がするすると飛び出してくる。いや、俺は中二病なんぞかかっちゃいないんだぞ。ほんのちょっぴりノッてきただけだ。所謂酔っ払いのやってることと同じだ。

 モモンガさんはなんかオーラ系のスキルまで発動して気合を入れ始めた。声のトーンは低いままだというのに、高揚した感じを含ませ手にしていた杖を掲げ始め――っておいまさかPVPやろうってんじゃないだろうな。

 

「ん? アイエェェェーッ!? いきなり石化食らってる! ナンデ!? ナンデェ!?」

「は?」

「えっ?」

「ちょっ! この変な赤い水何なの!? 完全耐性貫通して時間経過で石化とか鬼畜じゃねーか!」

 

 円形闘技場の片隅に目を向けると、もぞもぞとうごめく真っ黒なスライム的なナニカが赤い水を滴らせてのたうち回っていた。

 

「ヘ、ヘロヘロさん! あっ、スキル解除して! ルイさん、スキルスキル!」

「あっ、ちょいまち」

「モ、モモンガさん! ヤバイ! 助けて! 石化す――!?」

 

<スキル “紅の湖(ナトロン)” 解除>

 

「ヘロヘロさぁぁぁぁーん!?」

「……その、すまん」

 

 解除――するよりも早く真っ黒なスライム的なナニカが石像と化した。とりあえず状態異常解除の魔法ですぐ回復したが、中の人が落ち着くまでには十分の時間を要した。

 

「するとモモンガさんのフレンドさんだったわけですか」

「いやはや、驚かせてすみませんね。ルイス・ローデンバッハです。モモさんにはルイさんって呼ばれてます」

「これはどうも。ヘロヘロです。特に短くしてもあんまり意味がないのでそのまま呼んでください。

 いやでもマジで最初はビックリしましたよ。すわ討伐隊の再来か、と思いましたもの」

「すわ?」

「大変なことになったときに使う古語……だったはずです」

「感動詞っていうやつで、正確に言えば驚いたときや大事件でビックリしたときにつく言葉ですよ。小説とか字面で使うことが多いから普通は言わない」

「なんでそんなの知ってるんですかヘロヘロさん。というかもっと詳しいルイさん……は知識層だったなそういえば」

「知識層じゃない。知識人だ」

「何か違うんですか?」

「大いに違う。けど……説明し始めたら止まらなさそうだからやめとく」

 

 なんやかんやあったものの、モモンガさんが懇切丁寧な説明をしてくれたお陰でヘロヘロさんからの誤解は解けた。防衛用のNPCなんかは解散させ、今では円形闘技場の外の木々の根っこに腰かけて雑談している程度には仲良くなれた。

 お陰でいろいろとお互いについて知ることができたのは言うまでもない。彼がブラック企業勤めでデスマーチしていたこととか、つい昨日それが終わってログインしたとか。しかしまた二日後からデスマーチらしい。

 

「そういえば、そのNPCはルイさんのですか?」

「ええ。といってもレベル5ですけど」

「うーん……どこかで見たような気がするんですけどね……まあ可愛いNPCはいっぱい居るけど、その中でも特にレベル高い……」

「そりゃあウチの娘は最高にかわいいからな。つまり最カワだ」

「ルイさん、その子娘設定してたんですか……」

 

 モモンガさんがこちらを見る視線がやけに冷たい。いいじゃないか。失った娘の代わりなのだとしても、たとえあと半年で消える運命なのだとしても、この子は俺にとって……彼女にとって確かに娘だったんだから。 

 

「なんだモモさん! 可愛い娘を可愛いと言っても何も悪くないだろ! 可愛いは正義だぞ!」

「そうですよ! 可愛いは正義なんです!」

「黙ってろロリコンども」

「でも、可愛いだろ?」

「……かわいい」

 

 ほらみろ! やはり俺たちの娘は世界一可愛いのだ。俺の膝の上に飛び込んでくる姿も、大好きなおもちゃで遊んでいる姿も、嫁と一緒に本を読んでいる姿も……本当に可愛らしかった。ああ、とても可愛い娘だった。

 

「ルイさん、この子動かしてみてくださいよ」

「え? あー、この子のAIってそんなに弄ってないからあんまりとれる動きがないんですよ。基本的なモーションくらいならできるんですけど――」

「もったいない! それはもったいないですよルイさん!」

「お、おう」

「いいですか!? 今でこそユグドラシル以上の精巧なAIやモーションがあるゲームは多数ありますけど、このユグドラシルのモーション機能は手足の運びから重心移動まで自由にカスタマイズできるんです!

 しかもレベル100のNPCに施せばビルドの相性もあるとはいえプレイヤー相手に完封することだって不可能じゃないんです! それを生かさないまま死蔵させておくなんてもったいないにも程がある!」

「アッ、ハイ」

「よっし、私がやります。この子に見合うモーションを考えてAIである程度自由に行動できるように組み上げてみせます!」

 

 俺はなんか勢いのままに押されていたが、ヘロヘロさんは燃え上がるようなエモーションを出して立ち上がって(?)宣言しはじめた。大丈夫なのかコイツ。デスマーチ明けのテンションのまま居るんじゃないよな?

 

「あの、大丈夫なんですかヘロヘロさん? 健康診断がレッド通り越してるなんて言ってたのに」

「……大丈夫かって言われるとちょっとキツいです。でも昔作った基本的なプログラムがありますし、それを流用して少し弄るだけで使えるようになりますよ。それに戦闘はしないんですから、女の子らしいちょっとあざと可愛い動きとか純真純朴な子どもっぽい動きをいくつか考えるくらいですよ。そう大した負担にはなりませんって」

 

 彼のその言葉が所謂“フラグ”であるということを、この時のモモンガさんも俺も気づいていなかった。




以下適当な設定

名:ルイス・ローデンバッハ
種族:異形種
異名:なし
役職:なし
住居:ヨトゥンヘイムワールド、ガルフピッゲン山麓の森林地帯の邸宅
属性:-100 中立(悪)
種族レベル:吸血祖神(ザ・ワン)Lv.10
     :真祖(トゥルー・ヴァンパイア)Lv.10
     :始祖(オリジナル・ヴァンパイア)Lv.10
     :吸血鬼(ヴァンパイア)Lv.5
     :吸血種(ブラッド・タイプ)Lv5

職業レベル:侍(サムライ)Lv.10
     :剣聖(ケンセイ)Lv10
     :修行僧(モンク)Lv5
     :功夫(クンフー)Lv8
     :大君主(ハイスト・ルーラー)Lv5
     :将軍(ジェネラル)Lv7
     :コック Lv5
     :他Lv2職×5つ

プロファイル
 異形にしてヒトに属する吸血生命体。流れ星の指輪を用いることで<吸血種>の種族を取得して亜人化しており、異形種の持つ高ステータスそのままに一部人間用装備が装備可能となっている。が、反面で異形種の持つ耐性(毒や即死、呪い耐性など)が失われた上に本来の異形の姿も失われ、回復も人間種同様にヒールやポーションで行わなければならない。なのに分類上は異形種扱い。運営はこれによるシステム齟齬への対処に苦慮したとか。
 流れ星の指輪の効果(2回目)の効果で住居(ホーム)を獲得。嫁と共に拠点とする。
 流れ星の指輪の効果(3回目)の最後の使用で傭兵NPCでも拠点NPCでもない“家族NPC”を運営におねだりし、娘となるNPCを手に入れた。本物の娘そっくりで驚いたらしい。
 PvPは得手としておらず、やるとしても死亡無しの試合形式のみ。その分対モンスター戦ではかなりしぶとく、モンスターハウス内で味方があわや全滅という危機にあってもギリギリ生き残ることが多い。
 集団戦では種族スキルで呼び出した眷属を指揮官職で強化して周囲を守らせたり盾にして敵をかく乱し、自らは安全圏から中距離攻撃スキルを使って雑魚を蹴散らすなど、露払いや支援が主体となる。前衛としての性能もそこそこ備えており、万一のときや場を繋ぐための代役などもこなせる。
 しかし専門とする肉壁職や近接火力職ほどではないため、あくまで短時間だけ代役をできるだけのものしかない。
 単独での戦闘の場合はモンク職系列の自己バフ、打撃スキル、移動スキルなどで立ち回る。吸血鬼の誇る高いステータス値と自己再生能力でな防御力の低い職業構成ながらしぶとさも兼ね備えている。
 サムライ系列は主にボス戦など高耐久力の敵を相手取る場合に用いる。モンクの防御スキルとHPを一定量消費することで短時間ながら火力と防御力を著しく向上させる“背水”のスキルを活用し、剣聖のスキルで一撃を見舞ったり倍率の高いカウンターで敵を仕留めるスタイル。消費したHP量に依存するため、高いHPと自然回復プラス自己再生能力で消費した分のHPを取り戻しやすいのもメリット。
 


名:レーナ・ローデンバッハ
種族:異形種
異名:なし
役職:なし
住居:ヨトゥンヘイムワールド、ガルフピッゲン山麓の森林地帯の邸宅
属性:100 中立(善)
種族レベル:吸血祖神(ザ・ワン)Lv.3
     :吸血種(ブラッド・タイプ)Lv2

職業レベル:未取得

プロファイル
 異形にしてヒトに属する吸血生命体、ローデンバッハとその嫁の子……という設定で運営に製作依頼を出したNPC。既存のNPCと違い傭兵でも拠点防衛用でもなく、自由にどこにでも連れ出せるNPC。
 かつて戦火で失われた娘を忘れられず、自身も生殖能力を失ってしまってふさぎ込んでいた嫁を見たローデンバッハが新たな娘として製作を依頼して生まれた。父と同様に異形の性質を持つ亜人種。

NPCとしての設定
 人にして人に非ざる者であるローデンバッハと忘れられ失われた血筋のエルフであるナターシャとの間に生まれた娘。かつて吸血鬼たちを支配したローデンバッハは“異形にして異形足りえぬ者”と揶揄されたが、支配者たる彼の風格の前には一部の同格の吸血鬼以外はみな等しく跪くこととなった。
 その娘たるレーナは父の持つ力を等しく受け継ぎ、母の持つ聡明さと包容力を備えて生まれ落ちた。強さとやさしさ。偉大な君主であった父と、優しく暖かな安らぎを持つ母の愛で育てられた彼女は、ちょっぴりの世間知らずな面と君主足るに相応しい威風を備えるようになり、後に“紅の女帝”として君臨し千年王国も形無しの大国を作り上げることとなる…………のは彼女が大人になってからのお話。
 今はただの女の子。母と同じ黄金の長髪。父と同じ鮮血の赤い瞳。天真爛漫な幼い女の子。甘いお菓子が特に好きで、かわいいものに目がないなど普通の女の子である。パパやママが大好きで甘えん坊だが、時に鋭い観察眼や意外な発想を見せ、大器の片鱗を(自覚はなくとも)すでに見せている。


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オバロ試作品2

勢いのままに二話目。相変わらずガバいっぱいだけど許して

何も細かいこと考えず読むことを推奨。


 なんやかんやと慌ただしいナザリック訪問を終え、ユグドラシルワールドめぐりが幕を開けた。最初に初心者向けのフィールドを選び、その中でもあまり人が寄り付かないマップ……所謂過疎マップをピックアップした。

 過疎というのは珍しいものではなく、経験値効率やマップ上に出現するエネミーの強さやドロップアイテムなど原因は多岐にわたるが、それ故にあまりマップの探索がされていなかったりする。ワールドサーチャーズというギルドがユグドラシルの探索を進めてきているため多くの情報が網羅されているものの、知識で知っているのと実際にマップを歩いたのとではまったく印象が違うのだ。

 そう、ユグドラシルはVRを用いた体感型ゲームなのだ。なればこそ本来の在り方に立ち戻る意味も兼ねて、俺たちが“冒険”を選択するのは必然のことでもあったのだ。

 

「いやあ、解説ページを見る限りではほんとなんにも見どころが無いと思ってましたけど、意外と発見が多いですよね。フィールドごとに鳥の種類が違ったり、花が咲いてたり、湧き水なんかもありましたし。

 ワールドサーチャーズが最初期に調べたきりのマップとはいえそこそこ解説に乗ってないものもありましたね。更新のときにしれっといろいろ追加されてるんでしょうか?」

「初心者向けのフィールドとはいえいろいろ凝ってましたね。それにこうやって狩りや稼ぎ関係なしでフィールドを歩くのは久々ですよねぇ……ああ……VRとはいえ青空はいいものです……」

「俺なんて三年ぶりですよ。しかもこんな初心者フィールドを歩くのなんてそれこそ十年ぶりくらいじゃないですか?」

 

 VRとはいえ天気は快晴。雲一つない空を背にした丘陵地に馬車が通れる程度には踏み鳴らされた街道が一本、延々と丘の上まで続いている。

 このマップのエネミーの平均レベルはたったの15でしかないが、念のためにレーナには状態異常完全耐性装備セットにHPマシマシ装備を与えておいた。装備レベル制限にかからないように一般装備にエンチャントを施したりレベル制限無しの装備をかき集めて二日で作ってしまった。パーティーで狩るのは久々だったが、付け焼刃の連携とはいえ上級ダンジョンを踏破できたのはうれしいことだ。

 うちの可愛い娘、レーナは後ろをとてとてとついてくる。手にはモモンガさんが持たせてくれた余り物の身代わり人形(テディベアバージョン)がおさまっていて、背中には小物が収められるインベントリ系の拡張アイテムを装備することで収納量が低いNPCにありがちな“持ち物がいっぱいです”という状況が頻発するのを回避している。もちろん拠点に戻れば整理するが、何時間かフィールドを探索するだけなのでそこまで荷物が増えることもないだろう。

 

「そういえばゲーム内の時間帯は昼間ですけど、ルイさんやレーナちゃんの種族ペナルティは大丈夫なんですか?」

「ええ。ただの吸血鬼ならヘロヘロさんの懸念通りに能力が低下するんですけど、俺は種族こそ異形種扱いですが吸血種のクラスを取ってるので亜人種に近い性能なんですよ。

 人間用装備や職業が使える代わりに異形種の耐性とか本来の形態なんかが犠牲になってますけど、異形種ならではのデメリットも打ち消されてるんですよ。なので日光に当たろうがどうってことないんですよね」

「……もしかして、流れ星の指輪使ったんですか? 吸血種って亜人種用の種族でしたよね?」

「使っちゃいました。……なのでシステム上は異形種扱いだけど内部的には亜人種っていう不可解なことになってます。人間種に異形要素をくっつけたみたいなポジションになってるみたいで、回復は人間種同様、一部の耐性は異形種、装備は一部亜人種と異形種っていうカオスぶりですよ」

「うっわー、プログラマーとしては考えたくもない! バグの温床になっててもおかしくないじゃないですかそれ。運営――っていうか開発側に同情しますよ……」

 

 くわばらくわばら、と真っ黒なスライム――ヘロヘロさんはぶるりと体を波打たせて縮こまる。恐ろしい見かけの骨といい不定形の粘液といい、種族が種族だというのにそのモーションはいちいち愛嬌がある。

 そんな他愛のないおしゃべりと共に歩き続け、だだっ広い草原が眼下に広がる丘陵地の頂上へとたどり着いた。敵がいるわけでもなく、ただ平穏が広がる山頂ににぽつんと佇む三つの石碑が目に留まる。

 

「ん?」

「お?」

「むむ?」

 

 三者三様のクエスチョンマーク。赤いハテナと緑のハテナに黒いハテナのエモーションのアイコンが同時に並んだ様子はきっと見る人が見ればツッコミをすることだろう。

 

「なんですかねこれ?」

「さあ? モモンガさん、解説ページに載ってます?」

「んー……それっぽいのは見当たりませんね。更新日が5年前なので……何かのパッチで新しく追加されたんですかね?」 

「ふーん。とりあえず調べますか。どうせ初心者用フィールドだからダンジョンってことはないでしょ」

 

 特に警戒もなく近づいて石碑の字面を眺めてみると“考古学者(アーキオロジスト)”のパッシブスキルである“言語解読”が発動して象形文字の字面が漢字かな交じり文に形を変える。

 

「えー、“狩人のオリオン、この地より魔犬の親子を走らせる。魔犬の親子は二手に分かれ野ウサギを追い立て、オリオンが弓矢を射るも一角獣に此れを阻まれた。野ウサギはアルデバランの導きによってエリダヌスへ無事に逃げ込んだ”」

「つまり……! どういうことなんですかヘロヘロさん?」

「いや、わかんないです。ルイさんはどうです?」

「推測でいいのであれば一応あります。まず最初の文は簡単だと思います。ここにオリオン座の三連星になぞらえた石碑があるのですから、スタート地点であることです」

「どう考えてもその通りですよね。というか石碑がある時点でそう思います」

「ここから先がいくつか解釈によって違う可能性があります。言葉通りに解釈して天体になぞらえて考えると、ここから空を見上げてオリオン座、こいぬ座、おおいぬ座、うさぎ座、エリダヌス座と星を追って進むことでゴールにたどり着くんだと考えられます。もしくはエリダヌス座のほうを目指して進むだけでいいかもしれません。

 二つ目にこれがクエストである場合。このフィールドを前もって調べたところ、フィールドのボスにオオカミ系のボスがいるエリアがあるのはわかってます。その地点と今いるこの場所を星図に当てはめて、エリダヌス座が位置するだろう方角、あるいはうさぎ座がある場所へ進む場合です。

 三つ目ですが、この付近にある川をエリダヌス座として当ててうさぎ座との位置関係をはじき出してアルデバランが位置するだろう方向へ進むパターンです。まあ、魔犬に追い立てられたという一文とエリダヌスへ無事に逃げ込んだという一文があるあたり二番目が一番可能性としては高いんじゃないでしょうか。

 真ん中の一角獣のくだりはフレーバー的なものでしょう。一角獣座はあまり目立たない星座ですから、そこまで重要視しなくても大丈夫です」

 

 ポカーンという様子でこちらを見る(?)異形が二つ。顎を半開きにして中空に目線を飛ばす骸骨と、もぞもぞと波打つだけのスライムがクエスチョンマークを浮かべているだけだ。まあスモッグと分厚い放射能雲のせいで綺麗に晴れ渡った空を見上げるなぞできやしないし、興味を持たなければ知ることもないのだから仕方がない。

 

「あー、つまり空に浮かぶ星々に従って進む方法と、天体図とフィールドの地形やエネミーの配置を当てはめて割り出す方法と二種類あります」

「……なるほど、テンタイズっていうのと照らし合わせるんですね」

「セイズ、って何かよくわからないですけどとりあえずやり方はわかりました」

 

 ……まあ興味がない人は知らない単語であるのは違いないだろう。特に情報というものが統制されている今の社会では知る人は少ないだろうし、この反応はある意味では普通のことだ。

 とそんなことを考えているとピンク色のフレームに草花をあしらったポップでかわいらしいメッセージボックスが表示された。見たところクエストの通知らしく、tipsまで表示されているあたりかなり親切だ。

 

<探索クエスト “ちいさきもの” 参加メンバー 4/8人 制限時間:なし

 ミッション進行度 1/5 探索目標:ウサギとオオカミを探しだせ! tips:丘のふもとから西側はオオカミの狩り場だ!>

 

「おお、すっごい親切。上級のフィールドじゃまず見ないですよねこれ」

「ヘロヘロさん、あくまで初心者用のクエストですからクエスト関連のシステムについてのチュートリアルみたいな感じなんですよきっと」

「なるほど、このヒントのお陰で絞り込めた。おそらく順を追わないとたどり着けないタイプです」

「それじゃ早速行きましょう! 簡単とはいえ未知のクエストですよ! おそらく発見者名が残るはずです!」

 

 意気揚々と駆け出すオーバーロードを追いかけて丘を下ると少し開けた雑木林が待っていた。針葉樹の木々が立ち並び、苔むした岩や倒木が時たま目につく様子は林というよりも原野と呼ぶべきだろう。

 ちょうど中央付近まで来たところで、前を進んでいた骸骨がピタリと足を止めたのを見て剣を抜く。

 

「いた! 6匹ほどのうさぎの群れですけど……なんですかねアレ?」

「何かのモンスターみたいだ……一角獣……ユニコーンっぽい見た目ですね」

「とりあえず行きましょう。ユニコーンなら問題ないですし」

 

 少し開けた木々がまばらな場所で横たわるユニコーンらしい真っ白な獣。その近くに行こうとして不意にアバターの動きがとまり視界が暗転する。

 苔むした岩場を乗り越えて真っ白な獣へ飛び掛かる大小二つの灰色の影。一目散に逃げ出したうさぎたち。気づいたユニコーンが立ち上がり角を向けた――その直後に喉元へ大きなオオカミが食らいつき、小さなオオカミがユニコーンの足をかみ砕いた。

 息絶えたユニコーンからこちらへと向き直る二体のオオカミ。その姿がパンアウトして、元のアバターからの視点に戻ったところでモモンガさんが声を発した。

 

「ムービー付きですか。ということは――」

「ええ。クエストが進行しました。内容が二体のボスの撃破になってます」

「二人とも来ますよ!」

 

<スキル “解析(アナライズ)” 発動>

 

 “調教師(テイマー)”のスキルでエネミーの情報を取得。職業レベルが低いせいで大した情報はないが、基本的な部分なら丸見えだ。それぞれ独立しているらしく、HPは大きいほうが高く小さいほうが低い。攻撃力や防御力も同じ感じだ。しかし小さいほうは回避力バフと毒・疫病デバフを付与する通常攻撃を持つらしい。

 

「大きいほうがタフですがこれといって難しいことはありません。レベルも30なのである程度の初心者のパーティーなら倒せます。小さいほうは柔らかいですが毒や疫病のデバフ持ちです。しかも回避バフでなかなかの回避率になりますよ」

「了解です。じゃあいっちょ行きますか! 魔法<集団標的(マス・ターゲティング)>かーらーのー……魔法<火球(ファイヤーボール)>!」

 

 モモンガさんが鼻息荒げに無慈悲にも“集団標的(マス・ターゲティング)”まで使って低位階の魔法をぶっぱする。そこそこの速度で飛んで行った火炎の玉が、前に出てきた大きいオオカミに直撃し敵を消滅させる。同じように小さいほうへ同じ火球が飛んでいくが――あっさりと岩を足場に飛び越えられて火球は苔むした岩を消滅させるに終わった。

 

「ファッ!?」

「よっ、避けられてやんのー! レベル30にマルチロック使ってんのに魔法を避けられるオーバーロードとか草ァ! ヒヒッ、お、お腹がよじれるぅ!」

「ひっ、必中効果なしとはいえ……ぷぷっ、これはひどっ、ククッ!」

「だまらっしゃい吸血鬼モドキとオイリースライム! たまたまです! こんなのたまたまだから!」

 

 大爆笑する漆黒の粘液とあたふたしながら<魔法の矢(マジックアロー)>で小さいほうを仕留めるオーバーロード。かくいう俺自身笑いをこらえるのに必死で腹が痛い。

 片手間で消えていった二体のボスモンスターのドロップアイテムを笑いをこらえながら回収し、次のクエストを確認する。

 

「えーと、次はうさぎを追いかけるみたいですね。モモさん、魔法の矢(マジックアロー)は撃たないでくださいね。うさぎが死んだら失敗扱いされるかもしれないんで……ぷぷっ」

「おっし、ルイさん失墜(フォールン)食らわせるからちょっと動かないで。動くなァ!」

「まあまあモモンガさん。渾身のドヤ顔ファイヤーボールはかっこよかったですよ。ファイヤーボールは……ぶふっ!」

 

 チクチクとモモンガさんをイジりつつ追跡対象となったうさぎを探し出すと、ぴょんぴょんと走って逃げていくうさぎを追いかけて、青空の広がる野原をピクニック気分で歩きながら川べりにまでたどり着いた。

 

「んん? 姿が消えましたよモモンガさん。魔法の矢(マジックアロー)使いました?」

「ヘロヘロさん、<魔法最強化(マキシマイズマジック)>からの<内部爆発(インプロージョン)>か<現断(リアリティ・スラッシュ)>あたりがお望みですか?」

「冗談ですよ冗談! というかマジで見失ったみたいなんですよ。ちょっと上流のほう見てきます」

「そういうわけなんでそのへん探してみてくださいよモモさん。俺は下流のほうを探してみます」

「……わかりました」

 

 ちょっといじけつつも探し物をし始めたオーバーロードの背中はどこか哀愁を帯びたような寂しさを感じさせるが、“回避率バフがある”と言ったのに必中ではない<火球(ファイアボール)>を撃ったのだから仕方がない。

 

「あ……ヘロヘロさん! ルイさん! 見つけましたよ! ここに穴があります!」

 

 そうこうしているうちに何やら見つけたらしい。モモンガさんの喜ぶ声が聞こえたほうへ向かっていくと、モモンガさんが興奮した様子で手招きしていた。傍目から見れば死地へ呼び込む亡霊の王という具合だが、エモーションはガッツポーズなものだから喜び舞い踊る骸骨が居るという不思議な光景だ。

 モモンガさんが見つけたのは小さめの、子どもが一人入れるかどうかという小さな木の洞だった。もしかしてホビットやドワーフ系が居ないと入れないとか……だったりするのか?

 

「どうします? 入れそうにないですよねこれ。ヘロヘロさんは不定形だから入れそうですけど」

「ですね。以前不定形種族なのを生かして狭い通路を潜り抜けてトラップを解除するギミックがありましたからそういう感じのチュートリアルなんでしょう」

「ダウン・ザ・ラビットホールならぬスライム・イン・ザ・ツリーケイヴか」

「……なんですかそれ」

「ヘロヘロさん、不思議の国アリスって童話ですよ。元気いっぱいの女の子のアリスちゃんは服を着た白うさぎを追いかけて穴の中へ落っこちたってくだりのアレです。ちなみに我が社の文学作品データバンク内で無料で読めるので暇つぶしにどうぞ」

「ちゃっかり実家の宣伝してやんの」

「うっさいぞ骨。19世紀の挿絵付きをスキャンしたレアものなんだから宣伝して当然だろ。我が社の収集能力なめんなよ」

「こんな狭い穴に入れるってことは……つまりアリスちゃんはスライム種だった……むむむ?」

「いいから入った入った。どうせエンカウントしても低レベルなんだから、レベル100なら余裕でしょ」

「なんか納得いかない」

 

 ぶつぶつと呟きながら、じゅるじゅるというなまめかしい効果音と共にヘロヘロさんが木の洞へ入り込んでいく。ヘロヘロさんがが無色透明じゃなくて黒色でよかった。ペロロンチーノあたりなら“まるで―――に入っていくロ――――みたい”とか言いそうだ。

 

「んー、結構奥行きが……いやスイッチがありますね。起動しますよー」

 

 ヘロヘロさんの言葉が聞こえた数秒後、青白い光を放つ幾何学模様の円陣が浮かび上がる。直径にして5メートル近くはあろう六芒星(ヘキサグラム)がゆっくりと回転しながら佇む光景を目にしたモモンガさんが呟く。

 

「フム、別の場所への転送装置(ポータル)でしょうか」

「かもしれませんね。ヘロヘロさーん、戻ってきてくださーい!」

「りょーかーい!」

「今のうちに装備チェックしちゃいましょう。いきなりボス戦ってこともありえますし」

「おっし。それじゃコレでいくか」

 

 普段使いの装備品から汎用の対ボス用装備へ切り替える。見た目にはボロい軽装の鎧一式に見えるものの、隠密性を高めるために金属同士が干渉して音を鳴らさないように間隔をとり、つや消しや隙間に革鎧と布を巻き付けるなどして光を反射しないように視認性も下げられている。そこに属性耐性を向上させるフード付きのローブを纏えば気分はVRダークソ〇ルだ。

 武器は刀身にフラーが入った大振りのツーハンドソード。刀身だけでも自らの背丈ほどもあり、柄や鍔も実用一辺倒の無骨な一品だが、破壊不可のエンチャントと炎属性の補助魔法が付与された際に攻撃力と防御力にボーナスが発生するエンチャントを備えた逸品だ。普段使いの神器級(ゴッズ)武器であるロングソードに比べれば格落ちする伝説級(レジェンド)だが、高い基礎攻撃力と防御スキルを突破する性質のある大剣として重宝している。

 

「……それ、本気装備ですか?」

「そうだけど?」

「なんていうか、地味ですよね」

「わかんないかなぁ、この実用一辺倒で無骨なすばらしさ。使い込まれ補修され、歴戦を経てなお健在という傷だらけのカッコよさ!」

「んしょっと……おお、なんかカッコイイ剣士がいる!」

「ほら! ヘロヘロさんも理解してくれてる!」

「流石はフ〇ム監修の装備品ってところです。消えかかって最早見るのも難しい彫金の細工なんかまで再現されてるんですから、これほど作りこまれた装備品というのは頭が下がる思いですよ」

「そんなもんですかねぇ……伝説や神器ならもうちょっと派手でもいいと思うんですけど」

「いやいやモモンガさん、パッと見た感じの印象と性能のギャップがいいんですよ! どこにでもありそうないかにも古臭い使い込まれたボロ剣が実はエクスカリバー級のトンデモ武器っていうこの落差がいいんです!」

「見た目がアレっていうなら外装がラ〇トセー〇ー風のなんかもありますよ。中身は木刀ですけど」

「それは別の意味でギャップありすぎィ!」

 

 しばらく装備品についてのアツい語りが入ったものの、装備を整えると三人でポータルに向き直る。先ほどまでのコミカルさは鳴りを潜め、モモンガさんもヘロヘロさんも初心者用のクエストとはいえボスに臨む際の姿は歴戦のそれだ。

 

「では戦闘の指示は僭越ながら私モモンガが務めます。まずルイさんが突入し、転移先の安全を確認をしてください。低レベル帯ですから出現地点付近に少数の敵がいる場合は敵を殲滅してください。数が多い場合は私が入って安全地帯を作ります。確保したら連絡しますので、ヘロヘロさんはレーナちゃんを連れて入ってください」

「モモさん、万一ヤバいのが居たら?」

「その時は敵を誘引して出現地点から引きはがしてください。三人同時に突入しますので、ヘロヘロさんはまずルイさんのサポートに回ってください。しばらく耐えてもらうことになりますけど、即座に広域化と最強化させた<現断(リアリティ・スラッシュ)>を叩きこみます」

「了解した」

「了解ですよー」

 

 意を決してポータルに向かって飛び込む。視界が真っ白に染まり、それが収まったころには草原などどこにもなく、ただ暗雲が立ち込め落雷が降り注ぐ荒野が目に飛び込んできた。左右を見渡してみても地平の果てまで続く荒野と雷雲があるばかりで他には何も――!?

 

『二人とも』

『はいはーい』

『どうしましたルイさん?』

『今いる場所は安全だ。でもいいか、何も言わず聞いてくれ。……特大級のやべーのがいる』

 

 遠目に見えるのは馬のようなモンスター。青白い体色に一本角の個体。そして遠く離れた位置からでも目に見える電光との煌めきが畏怖(トラウマ)を想起させる。

 

『とりあえず入ってみてくれ。……そうすりゃわかる』

『……了解。いきましょうヘロヘロさん』

 

 光の粒子が集まるようなエフェクトを伴って三人が姿を現す。キョロキョロと見渡したかと思えば俺が言っていたものが目に留まったのか二人の動きが固まった。

 

「ふっ、ふざけんな……! よ、よりにもよって“麒麟(きりん)”相手なんて初心者クエストどころか最上級クエストじゃないですか! 誰だよ一角獣の影が薄いって言ったの!」

「アア、オワッタ……!」

 

 麒麟、といえば何が思い浮かぶか。伝説上の存在で、所謂“龍”に属する存在だ。ユグドラシルでは“麒麟降誕”というイベントで出てきたエネミーボスで後に常設化されたが、当時はソロプレイヤーの壁となったヤベーやつというのが我々の認識だ。

 超広域に麻痺の状態異常をばら撒き、圧倒的な速度でフィールドを駆け巡りつつ高火力かつ耐性貫通の雷系スキルと魔法で攻撃を行ってくる相手だ。龍に属するせいで状態異常への耐性がべらぼうに高く、こちらの雷耐性と状態異常耐性を万全にして速度低下デバフを累積させないと当てることさえ難しい。物理防御力こそ並みのものしかないが、火力と速度に振り切ったステータスは麻痺で動けなくなった相手に無慈悲の雷撃を叩きこみ、耐えられても雷属性の持つ多人数へのチェイン属性とヒットストップの重さで足を止められて間合いを取ってくるなど戦い方が非常にいやらしいのも多人数PT討伐が推奨された理由でもある。

 

 そんなヤツ相手に一人で挑めばどうなるか。属性耐性と麻痺対策は必須な上に相手が速すぎて攻撃は当てられず、近寄りたくても遠距離の魔法やスキルで動きを止められた間に高速で退避されて距離は開く一方。しかもその距離から運よく近寄れたとしてもフィールドに効果を及ぼすスキルで時間経過のダメージと防御デバフをもらい続け、ヒットストップをもらおうものなら一瞬で懐に飛び込んできて放たれるボス用スキル“聖龍剣”で一刀両断される恐怖が常に付き纏う。

 

 これが複数人による討伐なら遠距離物理火力――主に弓手(アーチャー)系の火力で押し込み、前衛は盾として必死に耐え続け、後衛が回復とバフを撒き続けるだけでそこそこいい線までいけるのだが、ソロプレイヤーにとっては地獄絵図だろう。やはり数は力だ。囲んで棒で叩くのは最強の戦術なのだ。実際腕利きぞろいのアインズ・ウール・ゴウンでさえ1500人を前に壊滅寸前にまで陥ったのだ。これが3000人となれば陥落は間違いないだろう。

 

「……どうします。野良で援軍募りますか? 正直私やルイスさんみたいな中近距離職じゃ踏み込むのはマジの危険域ですよ」

「それですよね。耐性装備とヘロヘロさんのデバフで速度を落とすことはできますけど、如何せん火力が足りません。前に出るにしても、ルイさんのビルドじゃ長時間は耐えきれませんし」

「だよな……募集するのが一番早いか」

 

 見た目には先ほどのユニコーンのように見えるが体表には龍らしく青白いウロコが見え、特徴的な一本角には迸るように電光が煌めいている。輝きを放つ(たてがみ)は真っ白で嵐の中でも輝いていて幻想的ではあるが、それを持つのは圧倒的な暴力の権化と言える存在だ。

 

「……ん?」

 

 何かおかしい。距離があるはずなのにどうしてこうまでハッキリと麒麟だとわかったんだ? 電撃を纏うモンスターなんて他にも居るし、なんならユニコーンだって電撃系の魔法を使える。落雷が発生するフィールドで視界が少しばかり悪いものの、ここまで正確に視認できるということはそんなに距離は開いていないはずではないか。

 

「……モモさん、ヘロヘロさん、俺が少し前に出ます」

「何言ってんだこいつ」

「ルイスさん、それは流石に無謀すぎますよ」

「何か変だと思いませんか? 麒麟との距離はそこそこあるはずなのに、俺たちはハッキリと目の前のヤツを“麒麟だ”と断定できた。細かなディティールさえ見れるほどにくっきりと見えてるんです」

「……そう言われると確かに何か変ですね。普通なら遠距離のエネミーやオブジェクトはボヤけが入るものですし、何かしらのギミックが働いてるんでしょうか?」

「モモンガさん、一度探知系スキルや魔法で探ってみましょう。何かしらのギミックが働いているのなら原因が特定できるかもしれません。転移して目の前に最上級クラスのエネミーとなると焦るのは当然です。もしかしたらこの麒麟そのものがブラフである可能性もあります」

「ヘロヘロさん……そうですね。そういう可能性もあり得ますね。<感知増幅(センサーブースト)><超常直観(パラノーマルイントゥイション)><敵感知(センスエネミー)><看破(シースルー)><魔法探知(ディテクトマジック)>……やっぱりおかしいですねこれ」

「どうでした?」

「ヘロヘロさんの懸念通りです。目の前の麒麟(アレ)は実体がありません。おそらくただの幻影です」

「ってことは他にこの状況を作り出してるヤツが居るわけだ」

「ええ。あちらの方角です」

 

 モモンガさんが指差した先にはひときわ大きな岩塊が佇んでいた。十階建てのビルはありそうな岩塊の頂上には雷雲が蠢いて時々落雷を発生させているのが見えた。

 

「あの頂上付近で反応がありました」

「なるほど。んじゃま偵察に行ってみるか……<飛行(フライ)>」

 

 真っ黒な雷雲に飛び込むとチクチクと刺すようにHPが削れる。吸血鬼の回復能力ですぐに満タンに回復するものの、雷属性への耐性を高めていてなお貫通してくるのだからフィールド魔法はいやらしいものだ。

 

「よっと……さて、敵は……っ!?」

 

 着地、と同時に眼前に迫る蒼白の閃光。光を放つ一本角を振りかぶった麒麟がその一撃を振り下ろし――パリン、という軽い音と共に弾かれた。

 

「えぇ……」

 

 とりあえずコレをどう説明しようか。そう考えているうちにもパリン、パリン、と攻撃が行われる。しかしその度に麒麟は弾かれて吹き飛ばされ、なおも立ち上がって攻撃を加えてくるのをしり目にメッセージを送る。

 

『あー、モモさん、ヘロヘロさん……上にあがってください』

『大丈夫なんですか?』

『ハイ、もう、危険ではありませんでした』

『……そうですか?』

 

 しばらくして雷雲を突き抜けてやってきた二人は目の前の麒麟を見て呟いた。

 

「……ちっさ!」

「……かわいい」

「ですよねー」

 

 今俺に向かって角を振りかぶって叩きつけているのは麒麟だ。ぺちぺちと叩きつける度に俺の<上位物理無効化Ⅲ>で弾かれてはいるが、こいつは麒麟だ。――ただし小さめのポニーサイズである。

 数が増えたことでスキルを発動したのか、咆哮(ただし“ぎゃうー!”という可愛らしささえ感じるヤツ)をあげて挑んでくるがそれでも突破できずにいる。なんだこの癒し。

 

「まあ、本来の麒麟がレベル100の複数人PT推奨なのを考えてレベル帯に当てはめればこうもなる……なるのか?」

「モモンガさん、この子すっごいじゃれついてきますよ!」

「いやそれ攻撃ですからねヘロヘロさん」

 

 ヘロヘロさんへ標的を変えたのか、麒麟はその牙の生えそろった(あぎと)で以って噛み砕かんとしているが、ヘロヘロさんのプニプニスライムボディの前に噛む砕けずにいる。噛むたびにうにょうにょと形が変わるヘロヘロさんはなんでもないようにウキウキとしているが、麒麟のほうは必死だ。

 

「……とりあえず情報は要るな。<解析(アナライズ)>っと」

 

 見たところ体力も攻撃力も速度もレベル30相応というところだろう。スキルがどうなのかはわからないがフィールドやクエストに見合う弱体化はなされているらしい。

 

「……捕獲可能、だと……?」

「――マジ?」

 

 表示されたステータス画面に映し出された驚愕の文字。イベントで出てきたモンスター(ただし大幅に弱体化済み)をテイムできるというのは非常に珍しい。クエスト欄を見ると情報がいくつか更新されていて、tipsには“体力を一定以下にする”というヒントが出ていた。どうやらマジでテイムできてしまうらしい。モモさんまで素のトーンで問い返すほどだ。

 

「となると逆に困る。オーバーキルもいいとこだぞ俺たち」

「そうですよねぇ」

魔法詠唱者(マジックキャスター)の私でもワンパンできるレベル帯ですもんね。今時こんな低レベル帯のPC(プレイヤー)なんて居ないでしょうし……あっ」

「……モモンガさん、まさか」

「レーナちゃんに装備を持たせてしばらく殴ってもらうという方法が」

「オイィモモンガァ!? 娘を危険なヤツに当てられるワケねーだろォ!?」

「で、できないワケではないですよ! 幸いにも耐性バッチリだしHPも十分ありますし! 武器さえあればあとは私たち三人のバフをフルに使えば!」

「だ、大丈夫ですよ! ルイスさんが挑発スキルで常にタゲ取りしてれば流れ弾はいきませんから! それに身代わり人形だって装備してますから!」

「……や、やるしかないのか……」

 

 愛しい娘レーナとミニマムサイズの麒麟との不毛な戦いが始まった。相手はレベル30という、レベル5のレーナにとっては空の上の存在だ。ただしその差を埋めるべくモモさんからはありったけのバフと装備レベル制限や職業制限のない杖でそこそこの攻撃力があるものを拝借し、ヘロヘロさんの全力のデバフ(ダメージを与えないものに限る)を麒麟に付与し、俺がタゲを常に取りつつ眷属のコウモリでレーナを護衛し、それらの(バフ)を一身に受けたレーナがひたすらぺちぺちと殴るというとんでもない接待塩試合になった。

 

「……減ってる……減ってる……」

「あ、バフ撒きますね」

「カワイイ……レーナ、カワイイ……」

「モモンガさん、ルイスさんのSAN値って回復できます?」

「無理です」

「アハハ……カワイイナァ……ナデナデシタイナァ……」

 

 精神をすり減らしながら耐えること十数分。どうにかしてHPがボーダーラインにまで減ってきたのを見て即座にスキルを発動する。

 

「<調教(テイミング)>」

 

 今まで必死に俺を殴り続けていた麒麟の動きがピタリと止まる。それと同時にテイム成功のメッセージボックスが表示され、麒麟のステータスの全容が表示された。

 

「お、おわった……」

「お疲れ様でした」

「おつおつですー」

「お疲れ様です。レーナも本当によく頑張ったなぁ……ご褒美のプリンを用意しなくちゃ」

 

<クエストクリア! おめでとうございます。

 あなたたちはクエストの第一発見者としてクリア条件を達成しました!>

 

 さらにメッセージボックスが表示され、初回クリアが達成された通知が送られてきた。どうやら本当にモモさんが言った通り、俺たちがクエスト発見者で初のクリアだったらしい。

 

<クエスト発見者にあなたたちのパーティが記録されます!

 発見者パーティ名 “骸骨の粘液煮込み吸血鬼添え”>

 

「ひっでえパーティ名」

「もうちょっとマシなのにすればよかったかな……」

「考えたのお前だろ! ここで後悔すんなよ!」

「まあまあ、ルイスさんもモモンガさんもスクショ取りましょうよスクショ! せっかくの初クリアなんですから!」

 

 いそいそと麒麟の背にまたがった(?)ヘロヘロさんに促されて、麒麟を囲むようにして集合する。真ん中には今回のMVPであるレーナを立たせ、分厚い雷雲が薄れて陽射しが差し込む荒野を背景にスクリーンショットを撮る。

 

「んじゃヘロヘロさんもモモさんも、準備はいい?」

「いつでも!」

「オッケーイ!」

「んじゃ……さん、にー、いち……ピース!」

「スキル<絶望のオーラⅤ>!」

「スキル<闘気解放>!」

 

 パシャリ、と切り取られたスクリーンショット。晴れ間の射す荒野をバックにちっこい麒麟の上に乗ったスライムがとぐろを巻いて明鏡止水の如く黄金の輝きを放ち、その傍らでは豪奢なローブ姿の骸骨がムンクの叫びのように顎を目いっぱい開いて真っ黒なオーラをまき散らしながら両頬骨に骨の手を添えてのけぞっている。そんな違和感丸出しの中に俺とレーナが普通に中央で映っている様子はさながら出来の悪い心霊写真かB級映画のワンシーンのようですらある。

 

「っぷぷ、くっそ! これは卑怯だろモモさん!」

「ヘロヘロさんのほうがアウトでしょ! これはどう考えてもアレじゃないですか!」

「いやあ、一度やってみたら面白そうだと思ってたんですよコレ」

「後光を受けて光り輝くアレとかもうわけわかんないんですけど」

「神々しいはずなのに……どう見ても感動できない!」

 

 新しい思い出がまた一つ。例え泡沫と消えるのだとしても、これは俺たちが作り上げた思い出だ。ゲームの中で生まれたものだけれど、これは確かに俺の、レーナの、モモさんの、ヘロヘロさんの、大切な思い出なのだ。




対人関係

ペロロンチーノ(ギルド“アインズ・ウール・ゴウン”所属)

ルイスが嫁と新居探しにフィールドをブラついていたときに遭遇。ルイスの嫁をソロで出歩くプレイヤーキラーだと勘違いしたペロロンチーノが鼻息荒げに熱烈なラブコール(ただし爆撃級の火力)を彼女に送っていたところに、ルイスに不意打ち右ストレートコジマグーパンを叩きこまれた関係。
和解して萌えトークを始めた五分後にケモミミ派閥抗争に発展した。

ヘロヘロ(ギルド“アインズ・ウール・ゴウン”所属)

ユグドラシルサービス終了半年前にモモンガと一緒にノリノリでロールプレイしてたら巻き込んでしまったヒト。ルイスの娘(として作られたNPC)であるレーナのデザインを気に入って、独自にモーションやAIプログラムを構築して与えた。ただしデスマーチを行き着いてゲートオブヘルに至った模様。
それ以外ではモモンガとルイスの旅行パーティに加わって、レーナの周りで護衛や支援を担うポジションに入る。


モモンガ(ギルド“アインズ・ウール・ゴウン”ギルドマスター)

言わずと知れた我らが骨様。ペロロンチーノによる横恋慕を阻止した陰の立役者(本人は気づいてない)。
家族を失って意気消沈したルイスの最後の姿を見たことで少し成長している。
取引先のお得意様でリアルでも顔見知り。ルイスが職を変えたことでしばらく会っていない。
旅先では後衛に就いて中衛に位置するヘロヘロ&レーナに危険が及ばないように周囲を確認すると同時に娘の前でいいカッコしようとするルイスを支援するなどマルチに動く。


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オバロ試作品3

言い忘れてましたがこの作品には“捏造設定”とか“あることないこと”がごっちゃになってます。
妄想が多分に含まれておりますので用法容量を守ってください


「お疲れ様でしたーっ!」

「おつですー」

「お疲れ様でした」

 

 ナザリック地下大墳墓へ帰還すると、最近ようやく見慣れてきたナザリックのNPCたちが今日も頭を下げて我々を迎え入れてくれた。その傍らには我が娘、レーナの姿もあるのだが彼女は彼女で淑女然としたカーテシーを披露してくれる。もちろんモモさんとヘロヘロさんに対してであって、それが済めば駆け足で俺の右隣、いつものレーナの立ち位置に収まるのが恒例になっていた。

 

 ワールド散策をせずに高難度ダンジョンを攻略することになったのはひとえにモモさんやヘロヘロさんへの感謝と拠点替わりに使わせてもらっているナザリックの維持費を稼ぐためであるのだが、実際のところヘロヘロさんと俺のプレイヤースキルの錆落としも兼ねた修練にもなっている。

 ナザリックは既存のダンジョンを攻略したことでギルド拠点として使用可能になったものらしい。それを41人で大幅な改造を施し、1500人の侵攻を食い止める堅固な要塞へと仕立て上げたその労力は大変なものだろうことは想像するに難くない。

 ギルド拠点を維持するというのは思いのほか大変なものであるが、ナザリックはその巨大さと仕掛けられた機能や設備故に維持費が嵩む。つまりユグドラシル金貨を大量に消費するわけである。

 設備の維持や修繕というのは往々にしてカネがかかるものだが、大量の金貨を集める労苦に見合う見返りも大きいものである。例えば拠点内で武器や防具の製造ができるようになったりする、或いは拠点内でいくつかのアイテムや希少な素材が生産出来たりするなど、ユグドラシルをプレイするにあたって大きなメリットがもたらされる。他には俺の自宅――白の館のように居住空間としての機能やアイテムを保管する倉庫機能を持っていたり、コックなどの職業がある者は調理場を設置することなどもできるようになる。

 その利便性故にユグドラシル最盛期にはギルド拠点や資源を得られるダンジョンの争奪戦など、ギルド間抗争が日常茶飯事にして一大イベントのような時期もあったわけだ。

 

「さーて、それじゃ清算しちゃいましょうか。今回はレアドロップもありますし期待できますよ!」

「久々にアルフヘイムの天空回廊に行きましたけど、まさか神器級(ゴッズ)の刀が落ちるとはラッキーでしたねモモンガさん。これで少し維持費に余裕ができそうです」

「しっかり買い取らせていただきますよォ、うぇっへっへっ」

「……相変わらず刀剣マニアですねルイさん」

 

 俺が居なかった三年間の間に行われたアップデートで実装された新しいドロップ装備を一回の攻略で手に入れられたのは僥倖と言わざるを得ない。鑑定したところ基礎攻撃力の高さに加えてクリティカル時のダメージ量アップとカウンタースキルでのダメージアップとそこに攻撃速度上昇が効果として付属している。

 しかも非実体存在……所謂霊的存在に対してカルマ値に依らない特殊強化スキルが付与されていて、物理攻撃が命中しない霊的種族に対して近接物理を仕掛けられるのはうれしい点だ。

 

「コイツの外装、ラ〇ト〇ーバーにしてもいいですかね?」

「9700万支払ってから振ってください」

「えっ、モモさんこれってマジでそんなするの?」

「相場は億越えです。過去のオークション出品ログを見てますけど、出回ってる本数自体はそこそこあるみたいなんですが攻撃速度上昇付きは軒並み億越えしてますね」

 

 やべーのが出た。何が何でも欲しいのは確かだが億越えしてくるとお財布が厳しくてハード。

 

「ちなみにダメージ量アップがついてるとさらに2から3千万プラスらしいです」

「ヒャー」

「ひゃー」

 

 やべえ。手が出せない。っていうかヘロヘロさんまで驚いてるんだけど。……やむを得ない。万一作りたい刀ができたときに使おうとおもっていたアレでいこう。

 

「……コレじゃダメっすかね」

「おおっ! ヒヒイロカネ! しかも5個も!」

「ヒヒイロなら最悪エクスチェンジボックスに入れれば金貨2千万枚が保証されますから妥当なラインですね。これで受けましょう」

「っしゃあ! 早速振るか!」

「ちょっ、素のままで装備してみてくださいよ。スクショくらいとっておきたいですし」

「了解。じゃ装備するぞ」

 

 モモさんから受け取った刀を手にし、朱色の漆塗りの鞘からすらり、と抜き放った刀身の刃文(はもん)はシンプルな直刃(すぐは)で長さがおよそ80センチと大太刀ほどはある。華美な藤の花を象った鍔といい装飾といいその佇まいは見事なもので、観賞用としてもいい見栄えをしている。

 

「“暁”……これは良い。良いんだけどなぁ……」

 

 剣を掲げ上段で構える。切っ先を地に向けて下段に構える。正面に剣を立てるようにした八双の構え、そして脇構え、正眼の構え。さらに目線の高さで刃を水平にした霞の構え。

 いずれの構えをとっても美しい。だが、俺の好む感じとは違うという感触がぬぐえない。やはり実用を意識した見栄えのほうが好きだ。

 

「うーん、いいんだけどやっぱ派手に感じるんだよなあ」

「いやあ神器級ならこれくらい見栄えがよくないと。やっぱりレアリティ相応の感じがいいですよ」

「私としてはモモンガさんよりルイスさんの意見のほうが納得ですね。実用、だからこその美しさっていうのは好きですよ」

「正直“素敵(ステキ)性能”に振り切った装備もいいんですけど、そういうのって往々にして性能が微妙だったりするんです。こいつは性能もいいんですけど……うーん……普段使いだとやっぱり目立ちすぎるかなコレ」

「変えるとしたらどれにするんです?」

「量産品の刀のビジュアルにするか、拵えをつや消しの黒で統一して派手さを消します。それかある種の極まったビジュアルにしますね。例えばコレとか分類はロングソードですよ」

 

 コンソールを操作してアイテムボックス内に保管してあった二線級のロングソードを取り出して装備する。手に現れたのは“ロングソード”という一般的なイメージとはかけ離れた見た目で、ヘロヘロさんもモモさんも唖然としている。

 

「…………釘バットじゃないですか!」

「うわ。普通のロングソードより威圧感がすごい……」

 

 ところどころが赤黒く変色し、釘は若干の赤錆びた鈍い輝きを放つソレを見た二人は若干あきれたように感想を漏らした。どうにも不評らしいことははっきりわかる。

 

「じゃあコレは?」

「これはすごい、どうみてもラ〇トセー〇ーですね」

「やりますねぇ!」

 

 ビシュン、と青白い光が伸びると二人からも感嘆の声が上がる。どうやらお気に召したらしいのだが、中身は木刀のステータスなのでダメージは大したものではない。所謂見た目(オシャレ)装備というかお遊び用装備というやつだ。

 もちろん本気で作った赤いライトセーバーも存在する。中身は神器級(ゴッズ)のレアリティを持つ剣に分類されるもので、“スヴァログ”という火神の名を与えられた剣だ。炎属性の強化とスキルの再使用可能待機時間(クールタイム)短縮に使用後のディレイ時間短縮というメリットがある。ただしデメリットのスリップダメージが少ないながらも存在するのだが、そこは吸血鬼という種族の持つ再生能力でカバーしている。

 

「他のとなるとこんなのとか」

「おお、バスターソード!」

「超級……なんとか斬って使えたりします?」

「使えません。乱打系スキルで真似するのが精々ですね」

 

 太くデカくゴツい例の大剣。まさに鉄塊と表現して差し支えない大剣はやはり男の子の興味を惹くものらしく食いつきがいい。俺はペロロンチーノではないが、ちっちゃな少女やメイドに大剣や巨大な銃器を装備させるのも素晴らしいことだと思う。両手持ち前提の大剣、自身の身長よりも長い狙撃銃、振り回すなど到底できそうにない突撃槍(ランス)などからたやすく放たれる、大重量やパワーこそ正義と言わんばかりの一撃は素晴らしいギャップ萌えだろう。

 無論ナイフや棒術、それに暗器使いなどもビビッとくるものがある。冷徹さやスマートさを印象付けるには最高の要素だろう。手にしたモップを巧みに駆使して障害を軽々と“お掃除”していくメイドさんとかグッとくる。

 

「あとはこんなのとか」

「ショーテルにエストック……中国風の双剣まで……」

「こっちはパタに七支刀ですよ。どんだけ集めたんですか……」

「実家が収集家の集まりですからこういう資料はいっぱいあるんですよ。ついでに立体化してくれって頼みこんでデータ作ってもらいました。

 ま、ビジュアルは今度良さそうなのを見繕ってきますよ」

「んじゃ清算しちゃいましょう。ヒヒイロカネは今度売りさばくとして、残ったドロップや他のをボックスに放り込んで換金すれば…………合計154万9918枚です。いやーやっぱり三人居ると効率が上がるって実感があります」

「おー。三人で稼いだ割にそこそこありますね」

「ですね。あ、分配は俺は少なめでいいですよ。ナザリックの設備を使わせてもらってますし、維持費に充ててください」

「じゃあありがたく設備費に充てさせてもらいますね。とりあえず50万は設備費にして、40万が二人と残りはルイさんでいいですかね?」

「どうぞ。俺は構いませんよ」

「私も大丈夫ですよ」

 

 エクスチェンジボックスから出てきた金貨を一度収納し、受け渡し用のウインドウを経由してユグドラシル金貨が手渡され、そのまま俺のアイテムボックス内に収納される。ヘロヘロさんも受け取ったらしくサムズアップのエモーションを出している。

 

「さて、そろそろ寝よ……ゲホッ、ああ、喉渇いたかな」

「気を付けてくださいねヘロヘロさん。今年の冬は冷えるみたいですから」

「了解ですよモモンガさん。それじゃお疲れ様でしたー」

「ヘロヘロさん、お疲れ様です」

「お大事にー」

 

 ヘロヘロさんのアバターが光の粒子となって消えていくのを確認してからモモンガさんが席を立つ。

 

「さて、それじゃ金貨を宝物殿に入れてきますね。私も後ですぐに寝るので今日はここまでですね」

「おっと、もう11時か。お疲れ様、モモンガさん。パーティでのダンジョンが久々だから迷惑かけちゃいましたね」

「三年もブランクがあってあれだけやれるんですから上等ですよ。まあ細かい高等技術はこれからさび落とししていきましょう。っと、あとはコレ持ってみてください」

「……なんですこれ? 擬・月読?」

 

 月の輝きに似た色合いの刀身を持つ短剣を半ば勢いのままに押し付けられる。しかもなかなかの攻撃力にエンチャントまで施されていて、出来上がりを見るだけでも神器級はすることがわかる。

 

「引退したギルドメンバーが昔に作った試作品……というか失敗作なんです。もちろん失敗作とはいえ攻撃力は一線級の武器ですけど、異形種が装備するとそこそこ大きなスリップダメージやデメリットが発生しちゃうらしくて使っていないんですよ。

 で、ルイさんは形式上異形種ですけど扱いは亜人種や人間種みたいな感じと聞いたのでもしかしたらって思ったんです」

「ふーん……まあ試してみましょう」

 

 装備画面を開いて月明りを帯びたような短剣を装備する。左手に現れた短剣は脇差に似た趣きのもので飾り気は一切ないが、先ほど装備した“暁”と同時に装備すれば見た目の性能はアップすること間違いなしだ。

 

「……どうです?」

「スリップダメージはなし。ステータスの低下もないみたいだ」

「おお! 大成功ですね! ぜひそのまま使ってください。どの道失敗作なので使い道が無いんですよね」

「コレで失敗作……製作者はワールドアイテムでも作ろうとしてたとか?」

「……正確に言えば神器級(ゴッズ)以上、世界級(ワールド)未満ってとこですね」

「凄まじい執念を見た気がする。じゃ、ありがたく使わせてもらいます」

「それじゃお疲れ様でした」

「お疲れ様ー」

 

 ヘロヘロさんに次いでモモンガさんが指輪の効果で転移して姿を消した。夜も遅いし、ヘロヘロさんもモモさんも明日は出勤日だろう。俺は幸いにも明日は休館日で仕事も無い、となればやることは一つだ。

 

「……稼ぎにいこう」

 

 失ったものは大きいが得たものも大きい。ひと先ずは新しい剣の使い心地を確かめるついでに、支払ったヒヒイロカネの分を補填するために金策に走らなければいけない。ダンジョンソロでレアドロップがあることを祈るしかないだろう。

 

 

 そしてまた三人とNPC一体が揃ってフィールド散策をして円形闘技場に帰還する。もう二か月にもなろうとしているが、全員が揃って回れたフィールドの数はそう多いものではない。三人の休みがかみ合う日は少なく、特にヘロヘロさんはブラック企業勤めな上に休みが不定なのだ。

 休日が定まっている俺やモモさんはまだマシなほうで、ただの歯車のごとく使い捨てる企業なんて平然と存在しているのだ。以前の企業よりはマシらしいが、それでも過酷なことには変わりない。

 

「今日のフィールドはすごかったですね……荒野に湖、熱帯雨林に砂丘まで……」

「ブループラネットさんだったらきっと何日も、ゲホッ、そのまま居ついちゃうでしょうね」

「ヘロヘロさん、やっぱ体調悪いんじゃないですか。病院いったんですか?」

「いやいや、喉痛めちゃっただ、ゴホッ、だけで…………ルイさんの言う通りですね。やっぱ病院いってきます」

「そのほうがいいですよ。モモさんもこう見えて内心じゃ心配なんですよ。骨しかないけど」

「え? 誰が骨だけだって?」

「ふふ、皆さんが心配してくれているのが骨身に沁みてわかりますよ」

「スライムに骨……?」

「ほらほら。体調悪いのならさっさと寝たほうがいいですよヘロヘロさん。そんでもって病院行ってください」

「はーい」

 

 そんなやりとりから二週間。ヘロヘロさんは一度もログインすることなく、モモさんとレーナの三人でユグドラシルを巡る日々が続いた。モモさんもメールを送るなどしてみたらしいが、急に忙しくなってしばらくログインできないという返答があったそうだ。

 分厚いスモッグと放射能雲に覆われた秋も終わりかけて寒さが日ごとに増してきたある日、散策から戻った俺たちをヘロヘロさんが迎えてくれた。ただどこか覇気がなく、返答も上の空な感じではあったが雑談は続いている。

 

「ああ、そういえば前に言ってたレーナちゃんのモーションですけど、ひとまず完成したのでメールで送っておきますね。後で動作確認して手直しが必要そうなところは直しますよ」

「ありがとうございます、ヘロヘロさん。確認してきます…………んん、添付されてなくないですか?」

「えっ? そんなまさか……っと、マジで添付してないや……ごめんなさい、再送しますね」

「ヘロヘロさん疲れてますねー。私もたまにそういうのやっちゃいますよ」

 

 けらけらとモモンガさんが笑って言うと、ヘロヘロさんも苦笑して返す。ただやはりというべきかそこにかつての覇気は無く、心ここに在らずという様子だ。

 

「オッケー。受け取りました。んじゃ解凍してAI関連のフォルダに入れてと……再起動してきますね」

「はーい」

 

 一度クライアントを落として再起動。再度ログインしてデータを読み込むと先ほどと同じように二人が居るナザリックの円形闘技場に降り立った。

 

「よし、これがコマンドで……こっちがAIプログラムか。これを適用すれば……よし、いきますよ。“挨拶”だ」

「はじめまして、レーナ・ローデンバッハです!」

「おお……! 可愛いですねぇルイさん」

「やっぱ俺の娘が最強かぁ」

「……もう少し調整が要るかな?」

 

 子どもらしい可愛さを感じる声。デフォルトで設定されていたものよりもさらに細かな動作(モーション)が組み込まれたカーテシーだったが、ヘロヘロさんにはもう一歩というところだったらしい。

 表情の変化や重心の移動、衣服の揺れに髪の毛の流れ方まで調整されているコレを見ただけでどれだけの労力をかけたのかがわかる。

 

「しかしすごい作りこみです。素人目で見てもかなり細かいところまで調整してますよね。……ヘロヘロさん、ただでさえ忙しいのに無理して作ったりしてないですよね?」

「……そんなことないですよモモンガさん。1日8時間でしっかりと休憩しつつ作りましたから」

「えっ、し、仕事は!?」

「切られました。なので無職です」

「……次の仕事は? さすがにずっと無職なんて無理ですよ?」

「次……次ですか……その時が来るかどうか……」

「――――ヘロヘロさん。一体何があったんですか?」

「ふ、……はははっ……あったといえばありましたけど。無いといえば無いんですよねこれが」

 

 モモさんも何かがおかしいと気づいたらしい。問いただすように尋ねたものの、ヘロヘロさんは力なく笑ってしばらく押し黙ったままになった。

 

「二週間前に――――余命を、宣告されちゃいまして」

 

 思わず息を呑んだ。モモさんも同じらしく、言葉も出ないまま茫然としている。

 

「人工臓器にね、体が拒絶反応を起こしてるんです。かといって人工臓器無しには生きられないじゃないですか。ハイエンドモデルなんて私たちじゃ手も出せない金額だし施術だけでも大金がかかります。

 それで退職金とローンでそこそこのランクの人工臓器に換えてもらうことができる可能性があったので、退職すると会社に伝えたんです。

 …………そしたら超過してる残業の未払い分と僅かな退職金だけで放り出されましたよ。高い金を払って弁護士にかけあってみましたけど成果は無い。例え裁判を起こしたとしても判決が出るころには私はすでに灰になって埋められてる。……残ったのはせいぜい質素に一年過ごせる程度の貯蓄と、死に体の我が身のみですよ」

 

 酷いという言葉さえ陳腐に聞こえる所業だ。企業の独裁という支配体制が持つ闇を、ヘロヘロさんはその身に受けることになってしまったというのか。

 

「ふっ、ふざけやがって! クソッタレの企業どもめ!」

「落ち着いてモモさん。吠えても喚いても企業どもにとっては聞こえないし聞こえてても黙殺されるだけだ」

「だからって! こんな理不尽な仕打ちに納得しろっていうんですか!?」

「俺だって納得しちゃいない!」

「だったら!」

「だから、やれることを探すんだ。有名な人工臓器の製造元とのコネでもいいし、マイナーな製造会社でもいい。俺たちの伝手を使ってヘロヘロさんに適合する人工臓器を探すんだ。あとは施術代をどうにか確保できれば……」

「で、でもどうやって……!? 高精度の人工臓器の開発企業なんてアーコロジー内の企業くらいしか……!」

「モモンガさん! 考えることをやめるな!」

 

 そうだ。思考することは人間が獲得した生存のための能力だ! 高いところにある果物を食べるためにキリンの首が長くなったのと同じように、高いところにある果物を得るために人間は知恵を使って道具を使うようになったのだ。思考することは適応することなのだ。

 企業によって思考能力や知識を削られたって人間の本質までもを奪えるわけではないのだ!

 

「いいかいモモンガさん。企業が恐れているのは民衆が知識を得ることじゃない。知識を得て思考し、それを知恵へと発展させることを恐れているんだ。そして今の俺たちにこそ必要なのは知恵なんだ。

 思考を回し、知恵を絞り、ありったけの知識を活用するんだ。こういう一部の人間にとって都合のいい社会の仕組みには何かしらの矛盾や穴が必ずある」

「ルイさん……そう、ですね。まだ、やれることがあるなら……」

「ゴホッ、モモンガさん、ルイさん! お二人の……お気持ちは嬉しいんですが……ゲホッ、コホッ、それは上層部(うえ)から目を付けられかねません。やめておくべき、です……事実として私も、ゲホッ弁護士のところに一回行っただけで、公安に目をつけられましたから。

 この会話ログだって見られている可能性があります。だから、何もしないでください……! お二人自身のためにも……!」

「……クソッ! どうすればいい……どうすればっ……!?」

 

 ヘロヘロさんの懸念はもっともだ。インターネットを介してすべてが監視されている状態に等しいのが今のこの世界であり、企業の支配体系でもあるのだから。

 家電の稼働状況、電力消費量の増減、データ通信量、家から出る家庭ごみの重量、ありとあらゆるサービスや家電製品、通信機器がAIによって管理され、情報が逐一企業のサーバーへ送信されているのだ。端末を持っていなければIDによる認証がされないため公共機関は利用できず扉一つさえ開けない。自動車のエンジンさえかからず、家の照明さえオンにすることができないのだ。その状態で出歩けば警備ドローンに警告を受け、無視しようものなら攻撃型ドローンに問答無用で蜂の巣にされるだろう。

 ましてやこのユグドラシルはインターネットを使うゲームだ。会話内容や通信ログは運営企業のサーバーに残り、さらに上層の企業……特に治安維持や社会システム管理維持を担う企業は無条件で閲覧することができる。そんな完全管理社会なのだ。

 しかしそんな社会でも反乱を起こす人間や反体制派の人間は少なからず存在する。国際的なテロ組織も居るし、なんなら企業の上層部にだってそういう人間は存在している。事実として俺はかつて企業上層部の反体制組織の一人でもあった。だからと言ってテロ組織と手を結ぶなどありえないが。

 

 そうだ、そんなことありえない。娘の命を奪い、妻が死ぬ遠因を作り出したテロリストどもなんぞ消えてしまえばいい。改革だの解放だのと宣っている陰でどれだけの一般人が巻き込まれているか自覚していないクソッタレどもなど死に絶えればいい。

 巻き込まれた人たちには家族がいる。友人がいて、仲間がいるのだ。100人が巻き込まれたなたらば、100人分の家族と友人と仲間が悲しむのだ。それを必要な犠牲と断じたあいつらが正義だなどと、俺は決して認めない。

 

 企業の支配体制は悪だ。人々から知性と自由を奪い盲目とし、ただひたすら搾取するだけの存在など害悪でしかない。

 テロリストは愚者だ。民衆に盲目的な信奉に等しいイデオロギーを吹きこみ、犠牲を善しとするなど断じて正義ではない。

 

 であるならば何が正しいのか。……そこに己なりの答えを持ち合わせていない時点で正義を語ることはできないし、これから先も悪にすらなりきれない愚物で終わることだろう。ただ己の身勝手な理想論と断じられて終わるだけの子どものわがままでしかない。

 理想を振り翳す力も無く、理想を共にする仲間がいるでもなく、ただ“コレがいい! コレじゃなきゃヤダ!”と駄々をこねる子どもでしかないのだ。

 

 ああ、そうだ。ハッキリ言って絶望してる。生半可な知識があったが故に、俺はすべてに絶望しているのだ。そのくせ諦めきれなくてこんな風にモモンガさんに偉そうに講釈をたれている自分に腹が立つ。

 

「やっぱり……何度考えてもこれを受け入れるなんて無理だ。諦めたくないです。俺もヘロヘロさんが必死で働いてきたのを知っていますし、それに対する報いがこんなものだなんて認めたくない。

 ここで俺が諦めるっていうのはきっとヘロヘロさんの頑張りを、人生の一部を無価値にしてしまう。……そんな気がするんです」

「モモンガさん……でも、こういうのは危険ですよ……」

「はっはっは! マスク無しで外出すれば死ぬような世界ですよ? 外の空気と銃弾、どっちも、お、おお、同じっようなもっんですよ?」

「ははっ、ゲホッ、ああ、声震えてますよモモンガさん。もう、締まらないですよそれじゃ」

 

 ……モモンガさんがギルドマスターを務める理由に納得がいった。きっと他の人たちはみんな、彼の仲間のために動こうとする姿に惹かれたのだろう。傍に立って共に立ち上がろうとしてくれる人がいるというのは素晴らしいことだ。俺が三年前に失ってしまったものを、モモンガさんは今も持ち続けているのか。

 

「やれるだけやってみましょうよヘロヘロさん! ユグドラシルが終わるのは確定してますけど、ヘロヘロさんの人生はまだ未定なんですから! もしかしたらいい方法が浮かぶかもしれませんよ!」

「――そうですね……はははっ……なんか笑ってたらちょっと楽になりました。

 ええ、諦めるのは死ぬ間際にやったって遅くはないですもんね。いろいろ調べてみることにしますよ。昔の同僚に司法関係の管理AIプログラムに携わってた人がいるんで、そっち方面であたってみることにしますよ」

「じゃあ私は人工臓器のメーカー関連にあたります。安くて高精度、もしくは効率は落ちても適合率の高い製品を調べるとしましょう。ルイさん、メーカーや司法関係の資料なんかあったりします?」

「あ、ああ……あるとは思う、けど…………あまり役には立てないかも――」

「何を言ってるんですか? ルイさんみたいな知識を持った人って他に居ないんですよ! 頼りにしてるんですよ、知識人さん」

 

“――やっぱりユウくんは頼れるお父さんだね”

 

 不意に脳裏をよぎる懐かしい声。もう思い出せなくなっていたあの声。思い浮かべることも苦痛になっていた妻の笑顔。その光景は懐かしい思い出のはずなのに、いつものセピア色とは違うRGBの織り成す写真のように、はっきりと瞼の裏に蘇ってきた。

 

「――――ああ、任せとけ」

 

 なんでだろうか。俺の心情なんざ知ったこっちゃないと言わんばかりに口が勝手に動き出すのに、それが嫌とは思わないなんて。



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オバロ試作品4

男の娘成分多め。読む人は注意すべし。R-15あたり。

気分を害するかもしれない。だが私は謝らない(所長感


 アウターリング。所謂貧困層のためにアーコロジーの周辺に作られた都市が俺たちの住む町の一般的な呼び名だ。その中でも治安の悪い……というよりさらに貧困層が住まうエリアへ歩を進める。

 かつ、かつ、と鳴り響く防護服の靴音は軽いが中の熱はひどい。あまり目立たないために旧式のスーツで出歩いているせいなのだが、性能は現行機並みであるとはいえ快適性に難がありすぎだろう。元が戦闘用だからそこそこ性能はマシだろうと甘く見ていた俺をぶん殴りたくなる。

 

「あら! そこの骨董品を着たお兄さん! 今日可愛い子居ますよ~!」

「すみません、飲み屋の予約が入っているので」

「そっかぁ~……じゃあ、もしよかったら二次会で来てくださいね。サービスしちゃいますから!」

 

 アウターリングの最外縁部というのは貧困層の中でもさらに貧しい人たちが暮らしている。そこにほど近い繁華街というのはこうした性産業も盛んに行われているのが常だが、中にはアーコロジー内の住人とのコネクションや関係を持つ人間もいることがある。今から会う人間もその手の人間の一人だが、“彼女”も性産業の立場を利用してアーコロジー内やアンダーグラウンド内に独自の情報網と関係を構築したタイプの人間だ。

 アーコロジー内の住人の需要を聞いて男娼や娼婦を派遣する会社を経営し、自身もアーコロジーに移り住むことができるというのに未だにアウターリングで暮らしている偏屈でもある。ヤクザ者というものが企業の手で駆逐され、そこに複合企業の傘下企業が入り込んでなり替わる形で勢力を拡大したのがこの業界だが、“彼女”は自身の手で企業を起こしてこの界隈を取り仕切っているのだから珍しいタイプの人種だとも言えるだろう。

 

 繁華街の中心地、ネオンの輝きが彩るビルとビル――その隙間の細い路地を入り、ごみ箱や室外機が並ぶ通りで客を待つ娼婦の誘いを断りながら一軒のバーの扉を開く。

 

「いらっしゃい! 今日この日をずっと待ってたんだよ、ユウくん!」

「やめろ。はしゃぐな抱き着くな頬擦りするな。まだ除染もしてないんだぞ」

「ユウくんから貰えるものならボクはなんでも貰うよ! 例えそれが汚染物質だろうがセーエキだろうが!」

「ヒビキ、お前ほんっとにブレねぇな」

 

 環境対応スーツのままだというのに抱き着いてくる一人の“少女”。艶のある黒髪を背中に流し、切れ長の黒い瞳の見目麗しい顔立ちをした十代半ばほどに見える“少女”。性風俗とは無縁そうな清楚な雰囲気をしながらも、身だしなみは露出の多い改造メイド服というギャップの“少女”。

 

「ほらぁ、ボク……もうガマンできなくなっちゃって朝からずっと勃っちゃってるんだよぉ! ねえユウくん、今日こそっ! 今日こそシようよぉ!」

 

 ――――だが男だ。

 

「ヤらねーよ。俺はノンケなの」

「じゃあシようよ! ボク女の子だよ!?」

 

 高村ヒビキ。俺の叔母……この企業の経営者である高村ミサトの“三男”だが以前よりさらにおかしくなっている。どうしてこうなった。

 

「どこをどう見て女なんだよ! 股間に可愛らしいイチモツつけてんじゃねーか!」

「大丈夫だよ! ちゃんとこの間オジサンに女の子として“教育”してもらったんだから! 使い心地がいいって褒めてくれたんだよ!」

「何やってんの!?」

「何って、教育だよ!」

 

 頭が痛い。ヒビキがこうして俺に言い寄ってくるのは何度かあったが今回のはひどすぎる。彼が俺になついているのは昔からだが、以前に増して輪をかけて悪化している。

 昔のヒビキは料理人を目指していた普通の子どもだったのだが、自身の家庭環境のせいか育った周辺の環境のせいかは知らないが、いつの間にか“目覚めて”しまったのだ。そう、自分が女だという認識に目覚めてしまったのだ。

 それ以来俺が店に来るたびに猛烈なアプローチを仕掛けるようになり、あまつさえ叔母は“いいぞもっとやれ”状態なのだからたちが悪い。

 

「ほら二人とも。立ち話してないで座ってお話したら?」

「叔母さん。ここに居ていいのか? 本社のほうは?」

「娘に任せてるわ。あの子もそろそろ経営者が板についてきたから私は裏ボスにまわろうかなって」

 

 防護スーツを脱ぎ去ってカウンター席に座ると、ヒビキにそっくりの女性がグラスを用意して待っていた。ただ違う点を挙げるならばその豊かな胸部装甲とすらりと伸びた高身長が織り成すグラマラスで妖艶な大人の女性ということだ。

 ヒビキとは対照的だ。ヒビキは男なのでぺったんこなのは当たり前だが、背丈は140センチにも届かない小柄さと子どもっぽさを振りまいていて、ミサトさんのような色香はまるで感じない。

 

「今日はいつもの?」

「いえ、“カネマラのロック”、“グラスはふたつ”でお願いします」

「……ヒビキ、奥の蔵から取ってきてちょうだい」

「えーっ!? ボクもう今日はユウくんの横から離れたくない!」

「いいから」

「むぅーっ……自分で行けばいいのに……」

 

 ブーブーと文句を言いながら、あちこちを露出させた破廉恥なメイド服を着こんだ“少女”が小さなお尻を振りながら通路の奥へと消えていくのを確認して、思わずため息が出る。

 

「それで、何が必要なの?」

「人工臓器の情報。それも適合率の高さが88%以上のを最優先で」

「……メールで送る?」

「お願いします。現物を確保しなくてもいいです。情報だけで構いません」

「わかった。一覧を作って届けるわ。お代は――」

「コレで。新東京中央銀行の頭取の秘書の電話番号といきつけのカフェの場所です」

「――ずいぶん太っ腹ね。この情報だけで儲けの幅が一つ広がるくらいよ?」

「いいんです。どうせ拾い物ですから――」

「ねぇママー! カネマラっていうのきれてるよー!」

「じゃあ適当なの持ってきてちょうだい!」

 

 どうやらタイムアップらしい。叔母は電話番号と住所を書いた小さなメモ用紙を煽情的なチャイナドレスの裏側にしまうと、今時では高級品である“本物の酒”を出すときだけ使われるグラスと浄化済みの水を使った氷を用意しはじめる。

 カラン、と音を立ててグラスに滑り込んだ氷は空気の一切入っていない無色透明で、向こう側にある叔母の胸元が透けて見える。

 

「おまたせ~! コレにしよっか?」

「レッドブレスト、いいセンスだ」

「んふふ~そうでしょ? ボクだってちゃんとカレを悦ばせられる女の子になるためにいっぱい修行したんだよ? ユウ君の好きそうなお酒の銘柄を教えてもらったり、吸ってるタバコは紙巻が好きだとか、あとは――……その……好きな女の子の髪型とかも」

 

 隣のカウンターチェアに座って自慢げにはにかむ様子はどう見ても女の子だ。……いや、この子の人格は男ではなく女なのだから、あまり男扱いするのはよくないだろう。

 嫌われ、奇異の眼差しで見られ、変人と思われ、人格破綻者や精神異常者と罵られる可能性さえ覚悟の上でヒビキは……彼女は自分らしくあることを、自分を貫くことを決めたのだ。彼女の懸想する人にどう思われるのか、絶縁されるかもしれないし関わりたくないと無視される可能性だって考えたはずだ。

 それでいて自身のあるがままを、己が男ではなく女であるとさらけ出すその勇気と覚悟は途轍もない決断だろう。

 

「……な、なに? ボクの頭撫でないでよー! 子ども扱いはヤダよぉ!」

「ん? 頑張った子を褒めるのはダメなのか?」

「ダメじゃないけどっ! けどぉっ……!」

 

 むむむ、と少し頬を膨れさせて拗ねてしまった。もじもじとしていたりする様子や時々見せる女らしい素振りはアーコロジー上層に居る見てくれだけの売女(ばいた)阿婆擦れ(あばずれ)など比較にならないほど健気で、どこか儚くも愛らしく見える。

 

 ――ただしツイてる。

 

 この子は本当に、なんで男の体に生まれてきてしまったのだろう。天の差配か、それとも神の思し召しか。死に果てた天と滅び去った神々の名残があるだけのこの世の中にそんな奇跡的なことが起こるとなれば宇宙(さくしゃ)意志(おあそび)とでもいうのだろうか。

 

「やあ、お邪魔するよ」

「これは――佐賀美さん。三日ぶりでございます」

 

 叔母の口調が変わったということは、この男――恰幅のいい中年の男は相応の身分の人物だということだ。しかし三日ぶりとはまた頻繁に来ているな。三日前と言えば月曜日だぞ。一体どれだけヒビキを、この子を買ってきたのか――

 

「お、おじさま……」

「ヒビキくん、今日も“勉強”しようか」

「あっ、あの、ちょっと今日はボクはこの方の同伴で――」

「む、また“ボク”なんて言っているのかい? ……いけないなぁ、もう一度“勉強”しないと」

 

 男の手がヒビキの肩に置かれると、ヒビキはやんわりとお断りを入れようとしているが男は手をどけるような仕草の一つどころか手をつかんで抵抗さえ封じようとしている。

 

「それに、彼がキミを買っているわけでもないのだろう? なら問題あるまいに」

「だっ、ダメです! ボク、今日はユウくんと先約が……!」

「彼は飲んでいるだけなんだろう? だったら……」

「そ、そのっ」

 

 ……まったく懲りないオヤジだな。こんなヤツがヒビキと同禽するなんぞクソくらえだ。

 

「いくぞ、ヒビキ」

「あっ……ユ、ユウくんっ!」

 

 グラスに注がれたレッドブレストを味わうこともせず一息で飲み干し、カードをミサトさんに渡すと同時に部屋のパスキーが差し出される。一瞥もせず受け取り、薄暗い通路の奥へ抜けて店舗から直通のラブホテルの一室へヒビキの手を引いて連れこみ、ロックをかけるなり天蓋付きのベッドの上へその軽い体を押し倒すと上着を脱ぎ捨て同じようにベッドに身を委ねる。

 

「……ユ、ユウくんっ! あ、ああぁ、あの! ボ、ボボっ、ボクはいつでもカラダの準備できるんだけど流石にこんなに突然だとココロの準備が追い付かなくてっていうか! いろんな女の人や男の人に散々いじられてきたからそっ、そう、そういうのはななな、慣れてるんだけどこ、こっ、こ、こういう大事なヒトといたしたりするのはさすがに……は、ハジメテなわけで!

 それにボクまだ、まままだお風呂入ってないしぃ! ぉ……おトイレ行った後だから! せめてもうちょっと身だしなみに気をつかう時間っていうか余裕を欲しいっていうか……!

 あっ! でもでもセンパイからいっぱいテクニックは教わってるし! 受けでも攻めでもどっちでもボクは対応しちゃえるハイブリッドタイプだからユウくんが望むほうがあるならいつでもオッケーだよ!

 ……ボ、ボクのカラダで……ユウくんを、き、気持ちよくさせられる……自信が、なんか、その、ボク……はじめてだから不安で……ちょっと…………こ、こわい、かなって……」

「じゃ、俺寝てるから8時間したら起こしてくれ。添い寝くらいはしていいぞ」

 

 良い感じで腹にアルコールが感じられる。ほどよく酔いつつ気持ちよくぐっすり眠れそうだ。

 

「……ざ……な」

「なんだ?」

「ざッけンナー! なんで!? なんでなの!? いきなり部屋に連れ込んでベッドにドーン! ってされてなんで襲われないワケぇ!?」

 

 ガバッと起き上がったヒビキが破廉恥なメイド服のまま馬乗りになって罵詈雑言を浴びせてくる。頼むから寝させてくれ。文化財の修復作業でこちとら2時間しか寝れてないんだぞ。

 ヘソ出し腋チラにミニスカート黒ストメイドというのは素晴らしい恰好であるとは思うが、股座にアツイなにかが密着していて正直頭が痛い。どうしてこの子はこうなったのだ。

 

「おかしいじゃん! ユウくん! ここは襲うところでしょ!?

 そっと腕を回して抱き寄せてドロッッッドロになるくらいディープにチューして服のボタンに手をかけていくシーンじゃん! 抱きしめられたまま甘ったるくて溶け落ちそうなベタでキザなセリフ向けられて、ボクが思わず“キュン……”って顔を赤くして切なくなっちゃう場面じゃんかフツーはさぁ!」

「タマヒュンの間違いじゃねーの」

「ちいぃぃぃっっっっがぁぁぁーうぅっ! わかってる!? キミに惚れてる女の子を個室に連れ込んで無理矢理ベッドに投げ捨てる勢いで放り込んだんだよ!?

 “他の男にはやらない。俺のモノにしてやる……”とか! “あのオッサンじゃ与えてくれないメスの歓びを刻んでやる……”とか! 入店時と打って変わって清楚で純情でしおらしくなったボクに向かって超絶俺様モードで甘々トロトロに蕩けさせてケダモノのように激しい行為に持ち込んでいくシチュエーションだったでしょぉ!?」

「モノマネが上手いのはわかったからそこどけ。ナニが当たってんだから」

「当ててるんだよぉ! なんでその気にならないの!? ヤろうよ!」

「やらねーよ!」

 

 こんな言葉が出る時点で清楚って言葉は因果地平に飛び去っているぞヒビキよ。とはいえこのペースじゃもうどうにも止まらないだろう。ここはやむを得まい。切り札の一つを切るとしよう。

 

「なあヒビキ、俺はお前のことは女の子だと思ってる。けどそれと抱くか抱かないかは別だ。

 お前は俺にとって大切な“いとこ”だし、叔母さん……ミサトさんにとってもお前の生き方は見ていて不安や心配が尽きない生き方だ。俺やミサトさんもお前の生き方を受け入れてはいるけど、あくまでそれは大切な家族としての感情だ。男と女の関係や感情からくるものじゃないんだ」

「……うん……でも、でもっ…………ボクじゃ、ダメ、なの……?」

「今の俺が欲しいのは……家族の温もりだ。娘の玲奈も妻の紗耶香も、もう居ない。ずっとどこかに穴が開いたようなままなんだ」

「……ごめんなさい、ユウくん。結局……ボクの独りよがりだったんだ……」

「ヒビキが心配してくれていたのはわかってる。俺が少しでも前みたいに笑えるようにって元気に笑っていたのもわかる。でももう三年も経ったんだ……どうにかやっていけるくらいにはなったさ。

 でも、今日は……どうにも寂しくって仕方ないんだ。だから、隣で居てくれる人が欲しいんだ」

 

 先ほどまでの溌溂さがウソのようにヒビキは黙りこくったまま、しおらしく俯いていた。

 

「……ぎゅっ、てしていい?」

「――ああ、いいぞ」

 

 体にかかっていた軽い重みが消えたかと思えば俺の右隣に陣取るように寝転がったヒビキは俺の腕をとり、抱き着くように身を寄せてきた。見た目には一部を除いて完璧な女の子なのだが、やはり俺にとって“いとこ”という認識が消えることはない。

 

「ん~……今日はコレで許してあげる」

「ヒビキ、さりげなく股で挟もうとするんじゃないぞ」

「……ちっ」

 

 コイツに“女の子”とやらを吹き込んだヤツは絶対に〆る。絶対にだ。

 

 

 

「と、いうわけでウチの“いとこ”のヒビキだ」

「ヒビキでーす、よろしくね~!」

 

 いつものごとくやってきたナザリック地下大墳墓。そこに一つ違う点があるとすれば女の子のアバターのプレイヤーが一人増えたというところだ。

 

「どうも、アインズ・ウール・ゴウンのギルドマスターをしてます。モモンガです」

「メンバーのヘロヘロです。よろしく~」

 

 あの日は結局寝るまで駄弁っていたときにユグドラシルの話になり、俺がプレイしていることを知ったヒビキが“おまたせ”というメールをスクリーンショット付きで俺に送ってきたことに端を発している。

 見た目にはほぼ現実のヒビキとそっくりなアバターのスクリーンショットが送られてきて合成茶を吹き出しそうになった。しかもちゃんと性別は女なのでアレがついていない……つまりヒビキにとっての理想の自分をアバターにしたわけだ。

 目標としては課金アイテムなどでさらに細かい部分を調整していくと言っていたが……あと半年を過ぎた期間でアカウントなんて作ってどうするつもりなのだろうかと聞いてみたところ――

 

「アカウント? 前からあったよ? 二つ前の“カレ”と一緒にプレイしてたんだ」

 

 ということらしい。そこそこ大きいギルドに属していたらしく、ギルドランキングでも上位500位に入る程には活発に活動していたそうだ。

 

「しかしルイさん、いとこがプレイしてるのに知らなかったんですか?」

「この五年ほどは旧大阪エリアか新大阪エリアに居たからなあ。新東京エリアに戻ってきたのなんて去年の冬だし。それに……いろいろありましたしね」

「――――あ、そういえばヒビキさんのビルドってどういうものなんですか?」

 

 内心で“あっ”と思ったのかモモンガさんが言葉を失くしたのを察したヘロヘロさんがすかさずフォローするように話題を逸らす。どうも気を使わせてしまったらしい。

 

「ボクのビルドとしてはアサシン系構成かな。種族は吸血鬼だけど」

「アサシンに吸血鬼って……どう考えてもシナジーがかみ合わないような……」

「アサシン系にレンジャー系や森司祭のスキルがある感じかな。速度と攻撃力に振ってるから守りはイマイチだけど」

「……吸血鬼、いらなくない?」

「必要だよ! 吸血鬼を失くしたらルイにーちゃんとお揃いじゃなくなっちゃうし!」

「アッ、ハイ」

 

 相変わらずブレないヤツだ。この調子だとどうやっても変えることはないだろう。己を貫くと決めた信念はゲームのプレイスタイルにまで影響しているらしい。

 そこへモモンガさんがひとつ手を叩いてサムズアップのエモーションを出して言う。

 

「さて、それじゃヒビキさんの性能確認とルイさんとヘロヘロさんの錆落としも兼ねていっちょひと狩り行きましょうか! どこか希望はありますか?」

「私は天空回廊ダンジョンを! 限定ドロップ!」

「ボクは機甲戦線ダンジョン! ゴーレム作成用アイテム!」

「俺はフィールドの魔界都市TOKYO! 刀よこせオラァ!」

「ホントこいつら噛み合わねーなチクショウ! というわけで生命科学研究所ダンジョンで」

「ひぎぃ!」

「らめぇ!」

「いかんそいつには手を出すな!」

「何言ってんですか! 限定ドロップもゴーレム素材も刀も落ちる優良マップだぞオラァ!」

「4人で行くダンジョンってレベルじゃねーぞ! せめて8人態勢! 後衛とヒーラーと壁を!」

 

 ダメ! そこはトラウマ発症しちゃうからやめてぇ! ヤメロォ!




名:ヒビキ
種族:異形種
異名:なし
役職:なし
住居:???
属性:0 中立(中庸)
種族レベル:真祖(トゥルー・ヴァンパイア)Lv.5
     :始祖(オリジナル・ヴァンパイア)Lv.5
     :吸血鬼(ヴァンパイア)Lv.5

職業レベル:暗殺者(アサシン)Lv15
     :盗賊(ローグ)Lv10
     :果心居士(カシンコジ)Lv15
     :野伏(レンジャー)Lv10
     :斥候(スカウト)Lv10
     :忍者(シノビ)Lv5
     :森司祭(ドルイド)Lv5
     :侍従長(メイド)Lv5
     :錬金術師(アルケミスト)Lv5

プロファイル
 暗殺技術と追跡技術に特化し、それ以外では中距離からの投擲や忍術で戦闘を行う。気づかれず忍び寄って一撃必殺を信条にする職業構成と敵の罠などを察知するなど偵察技術にも優れている。
 吸血鬼を持っているのはユウくんとお揃いがよかったから。

ゲーム内の設定


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オバロ試作品5

 今日も今日とてナザリック。円形闘技場へやってくると既に待ち構えていたヒビキがさっそく手を振るエモーションでこちらを呼ぶ。

 装備は忍者らしく“くの一”スタイルだが、アニメやゲームに出るような際どい露出が目を引くことからその手の人にとってはエロ系装備扱いされる。ショートボブの黒髪と幼い顔立ちの十代半ばのアバター姿で、肩を出した白い襟の赤い忍装束に紅白の帯を巻き、赤い手甲と赤黒の足袋を身に着けているがそれ以外はほぼ露出しっぱなし。しかも前垂れは前を隠す気があるのかと思うほど狭く、子どもっぽいほっそりとした健康的なふとももからくるぶしの部分までが完全露出し、下着が見えるのではないかと懸念するほど攻めた衣装だ。

 ……なのだが、残念ながら着用者は現実での姿と同じくぺったんこでちんまい背丈なものだから大人の色香はまったく感じられない。

 

「おはよう、ヒビキ」

「おっはよーユウくん! 今日のボクはどうかな? 少し古臭いけど大流行したエロゲのキャラクターみたいな装備にしてみたんだ!」

「あ、うん、みたい、だな……」

 

 違うぞ。あれはエロゲーじゃなくて格闘対戦ゲームだぞ。旧時代のアーカイヴにあるのを見つけてプレイしたことがあるが、あのお胸とおみ足は素晴らしいものだった。

 

「で、残り5レベル分の振り分けは決まったか?」

「んふふ~、ちゃんと決めてあるんだよねー」

 

 こいつは何を思ったのか、俺が吸血鬼の種族を取っていると知ってからワールドアイテムである世界樹の種を使ってまで吸血鬼の種族へレベルを再分配したのだ。ところが元々取っていた分のレベルを再分配したはいいものの、俺が流れ星の指輪を使って吸血種の種族を取っていたことを忘れていたために5レベル分が余ってしまった。

 

「ジャジャーン! 流れ星の指輪(シューティングスター)ぁ~!」

「お前何してんの!?」

「コレでボクの望むがままなのさー! 流れ星の指輪(シューティングスター)発動!」

 

 高々と指輪を空に掲げて数秒すると、突然目の前に何者かが転移してきた。黒髪の人間種の男、それも純白の衣装に金の刺繍や腕章などゲーム内でお目にかかることはまず無い装備をしている。

 

「えーと、うおっ、ここナザリックじゃん! まさかまたしてもあの人たちを担当しなきゃならないなんて……」

「……あの、ゲームマスターさん?」

「ああ、すみません! あなたが流れ星の指輪を使った方ですね? 所属は……あれ、アインズ・ウール・ゴウンじゃない?」

 

 自身の現在地を確認した彼、ゲームマスター……GMはコンソールを開いて深いため息をついた。

 というか“またしても”って……モモンガさん、あんたら一体何やったんだ。

 

「はい、ボクはアインズ・ウール・ゴウンに所属してないですよ」

「そうでしたか。オホン、では改めて、今回のご要望をお伺い致しましょう」

「あの、ボクの種族に“吸血種”の種族レベルを追加してください!」

「……し、承知致しました。えーと……残り5レベル分を全てでよろしいですね?」

「はい、お願いします!」

 

 GMがヒビキに向かって手をかざすと、円形闘技場の空から光が降り注いでヒビキの全身が光り輝くように周囲を照らす。光が収まった先には何の変哲もないヒビキの姿があったが、コンソールを開いて確認したヒビキはガッツポーズで喜びを表現していた。

 

「確認できましたか?」

「はい! もちろんです! ありがとうございます!」

「それでは失礼いたします。残る期間は短いものですが、どうぞユグドラシルをお楽しみください」

 

 しかしあのGMの声、俺の時も担当していたヒトじゃないか。なんとも因果なものではあるが、まさかこんな形で再び(まみ)えるとは思いもしなかった。

 

「ねぇねぇユウくん! 買い物に行こうよ! 人間種用の装備なんかも装備できるようになるんでしょ?」

「そうだな。少なくとも俺のときは装備できるようになった」

「じゃあ決まり! オススメの装備とかあったら教えてね」

「買うなら自腹でな。……俺は先日のドロップ品買い取りで金が無いんだ」

「えー!? 買い物デートなんだから一個くらいプレゼントしようよ!」

「心配するな。……現実(リアル)で買ってやる。服でいいよな?」

「……ホント? やったー! ユウくんとお買い物デートだぁ!」

 

 ぷんぷんと不機嫌なエモーションを連発していたヒビキがエクスクラメーションマークのアイコンと共に飛び跳ねるモーションを出して歓喜を表現する。

 

「いいなぁ……」

「いいですよねぇ……」

 

 じーっと円形闘技場の通路から顔だけ出して見ている骨と粘液が何か言ってるが、この子ツイてるんですよええ。

 

「ちなみに聞いておくけどモモさんとヘロヘロさん、どういう意味で“いい”んだ?」

「そりゃ決まってるでしょ同志ヘロヘロ」

「はい、決まってますよ同志モモンガ」

 

 青白いオーラを纏わせたままモモンガさんは“飛行(フライ)”で飛び上がり、ヘロヘロさんはジュウと地面を溶かすようなエフェクトを発生させて闘技場の中央に躍り出る。

 突如表示されるインターフェース画面。表示されたのはPVPモードへ移行されたという表示で、ルールは無差別ダメージ減衰無し死亡ありのガチモードだ。

 

「「爆ぜろやこのロリコン吸血鬼ィィィィッ!!!」」

「コイツは中身は十八歳だァーッ!」

「ボクとの愛の力を今こそ見せるときだよ!」

「お前ちょっと静かにしてろややこしくなるからァァァ!」

 

 クソッタレめ! アインズ・ウール・ゴウンとガチPVPなんぞもうお断りだってのに!

 

 

 

 

「おーい、ユウくーん。だいじょうぶー?」

「つっっっかれたぁー……」

 

 ぐでん、とまるで形を保てない半熟卵のように椅子に寄りかかっている俺にヒビキが声をかけてくる。普段使いのくの一スタイルの服……紫に染めた上衣と袴で露出度は大幅に減って忍者らしい忍者スタイルになっている。ワンポイントの白い帯に挿された忍び刀が一振りという一見すると簡素な装備に見えるが、懐には大量の暗器が仕込まれているのだから油断できない。

 ショートボブで揃えられた髪にワンポイントでつけられている簪も実は武器という徹底ぶりだ。

 

「大丈夫? ごはん食べてボクとする? お風呂でボクにする? それともボクにする?」

「大丈夫。ご飯食べたし風呂も入った。お前はもうちょい慎もうな」

「はーい」

「とりあえずさくっと清算しちゃいましょう。明日でユグドラシルが終わるのだとしても狩りは狩りです。最後までしっかり締めていかないと」

「ついにスルースキルもカンストしたなモモさん。ヒビキが変なこと言い出したらスルー推奨っていうのがよくわかったみたいで」

「まあ、四か月も一緒に狩りしてればねぇ……」

 

 あの悲惨なPVPから四か月経ち、つい三週間前にヘロヘロさんは人工臓器の移植手術のために病院でしばらく厄介になることになった。そして今日が退院日ということでモモンガさんやヒビキと一緒に日課となっていた狩りを終わらせてきた。無事退院したという連絡がモモさんにきていたから、後はヘロヘロさんを待つだけだ。

 

「パパ! おしごとおつかれさまでした!」

「あぁ~やっぱりレーナに出迎えてもらえるのは最高の幸せだよなぁ」

 

 そう、入院する直前にヘロヘロさんが調整を終わらせたレーナのAIを送ってきたのだ。あれ以来狩りから戻るたびに駆け寄ってきて満面の笑みでお父さんを出迎えてくれるようになった。たった一つの心残りは触ったり撫でたりできないことだけだが、部屋の中に居ると本を読んだり隣に座ったりといろいろな動きを見せてくれるようになった。ヘロヘロさんグッジョブと心の中でガッツポーズした。

 背中に背負っていたインベントリ系アイテムもウサギのぬいぐるみ風のリュックサックにグラフィックが置き換えられ、時々中身を整理するようなモーションが可能になった。珍しいものを入れているとエクスクラメーションマークが出たり、あまりかわいくないものを入れると涙目のエモーションを出したりと感情豊かになった風に思える。

 最近はレーナの可愛い行動や仕草を見て癒されるばかりなせいか、ヒビキが対抗意識を燃やしてさらに積極的なアピールをし始めたのが頭の痛いところだ。

 

「私はかえってきたぁー!」

「おおっ! おかえりヘロヘロさん!」

「おかえりなさい、ヘロヘロさん」

「ヘロさんおかえりー!」

 

 ムンッ、と力こぶを象徴するエモーションを出したヘロヘロさんは意気揚々と黄金に輝くオーラを放って席に着いた。相変わらず真っ黒な粘液がもぞもぞと動いているだけなのだが、どこか以前よりも活発に脈動しているような気がしないでもない。

 

「で、どうでした? 体調に変化はありましたか?」

「いやはやすこぶる快調ですよもう! ルイスさんが送ってくれた人工臓器の情報とモモンガさんの伝手が無ければ私はきっと今日を迎えられなかったんだろうなって思いましたよ。

 走っても息切れしないし前はひどかった拒絶反応もウソみたいに消えました! ほんっとうにありがとうございます!」

「ならいいさ。ヘロヘロさんにはレーナの件でもお世話になったし、情報屋から集めてきただけだしな」

「ヘロヘロさんが無事なら何よりです。それに私は知人にたまたま伝手があっただけですし」

「何言ってんですか二人とも! 二人の力が無ければ私は自室で死んで遺体が数か月後に発見されたなんていう末路をたどっていたかもしれないんですよ!

 こうして無事に今日を迎えられたのはモモンガさんとルイスさんの力添えあってのことです! お二人の持つ力が、一つの命を救ったんです……だから、胸を張ってください」

「ンムゥ……じゃあ今度みんなでコーヒーでも飲みにいきましょうか。合成なんですけど結構いい味のお店を見つけたんですよ。ヒビキちゃんは未成年なんでアルコールはダメですし」

「あ、じゃあ私が持ちますよ。なんのお礼もできずっていうのは正直納得できませんし」

「何言ってんですかヘロヘロさん。そういうのは再就職してから言ってください」

「やけにモモンガさんが厳しい件。……まあ、再就職するのが一番の感謝の伝え方かもしれませんしね」

 

 なんともこそばゆい感じだ。俺が自分の力で調べたわけではないのだが、そんな小さな力が一人の命を救ったのだと考えるとどこか嬉しいような気分がする。

 ……だけど、俺はあの時目の前に広がった赤い焔の中に消えゆく娘を……玲奈を救えなかった。手を伸ばせば届きそうな場所に居た小さな命が炎に呑まれて消えていったのを見ていることしかできなかった。

 待って、待って、と頑張って追いかけてくる娘の傍にいてあげることができていたなら、あの子はもしかしたら生きていられたかもしれない。ほんの少し、ほんの数メートル、ほんの少しだけゆっくりと……傍について歩いていたら……すぐに手を引いて抱きしめて守り通すことができたのかもしれない。

 

 もう過ぎた話だ。悔やんでも戻るわけがない。それを理解しているのに、納得したはずなのに、ほんの僅かなはずみで津波のように悔恨が押し寄せてくる。

 

「あ、もう12時だよユウくん」

「遂にお前本名呼びも躊躇わなくなったな」

「だって“ルイにーちゃん”って呼んでも反応薄いんだもん。それに比べてレーナちゃんのかわいさといったらもうたまんないよねぇ……! 礼儀正しいし可愛いし、お姉ちゃんって呼んでくれるし」

 

 つーん、と不貞腐れたヒビキはレーナのウサギさんリュックにキャンディ(効果はHPを少量回復する)を三つ放り込んでレーナの“ありがとう、おねえちゃん!”というセリフを何度も聞いて悦に浸っていた。

 どうやら“おねえちゃん”という言葉が気に入ったらしい。末っ子だったが故に自分が姉扱いされるのが新鮮なのもあるだろうが、一番は自分を女の子だと認めてくれている気分になれるからだろう。

 

「もうちょっとヒビキちゃんに構ってあげたらどうですかユウくん?」

「可愛い子を放ったらかしにしてると後が怖いんじゃないですかユウくん?」

「おーし俺にケンカ売ってんだなおめーら。石化してから“暁”装備のバフ込みで<無明晦冥斬>食らうか石化してから“スヴァログ”の<星火燎原>の貫通スリップダメージでじわじわ死ぬか、選ばせてやんよ」

「上等だリア充! サッカーボール扱いされて泣きわめくなよ!」

神器級(ゴッズ)装備ぃ? ハッ! 全部溶かちつくしてやらぁ!」

「……噛んだな」

「そこで噛みますか……」

「……溶かしつくしてやらぁ!」

「何もなかったようにフツーに言い直したぞこいつ!」

 

 バチッ、と効果音がしそうなガンの飛ばしあい(?)をしながらにらみ合っているところに声がかかる。そういえば久々の連休を利用したヒビキが俺の家に泊りにきてたのをすっかり忘れてた。

 

「じゃあボクご飯作ってくるから。ユウくん、合成品だけどチャーハンでいい?」

「それで頼む」

「「リア充! 死ねよや!」」

 

 ユグドラシルサービス終了まであと1日。変わらない日常が、変わらないでほしかった日常が、明日変わる。

 俺たちプレイヤーは一つの寄る辺を失い、しかしまた次の一日を迎えて前に進んでいくだろう。そして数年か、十年か、或いは死の間際になってユグドラシルを思い出すだろう。懐かしい日々の記憶として、思い出として心に残ることだろう。

 

 俺にとっての決別の日。俺が再び前を向いて歩みだす日は、もう目前に迫っている。

 

 

 

 

「インしねーな」

「インしないねー」

 

 今日も今日とて変わりのないユグドラシル。12月20日という最終日の夜を迎えたとてそれは変わらない。文化財の修復がひと段落ついたお陰でやってきた連休を利用して最終日を迎えられたのだが、いざナザリックの門前へやってきてみたがヘロヘロさんも居なければモモンガさんも居ないときた。

 フレンドの一覧を見てもヘロヘロさんもモモンガさんもログインしておらず、オフラインの表示がずらりと並ぶだけだ。ヘロヘロさんは午前中に一度ログインしていたが、職探しのために求人サイトの開催している説明会へ出席するとのことですぐに家を出た。

 

「そうだ、あそこにいこう」

「なに? いい場所あるの?」

「ああ。ちょっとまってろ……<転移門(ゲート)>」

 

 見渡す限り毒の沼と枯れ果てた木々が乱立するだけの死の大地にぐにゃりと小さな歪みが起こり、全てを吸い込むブラックホールのような半球状の物体が出現する。

 

「ほら、入った入った」

「……最終日だからって18禁行為はダメだよ? BAN(垢バン)されちゃうよ?」

「天地がひっくり返ってもやりはしないが、兆分の一の確率でやるとしてもヒビキじゃないことだけは確かだ」

「ぶー、それヒドくない!?」

 

 現実のヒビキそっくりな女の子のアバターだからといって手を出すなんて正直考えられない。妻も娘も死んでいるとはいえ俺は妻帯者なのだ。年若い未婚の女の子(ただしツイてる)に手を出すなんてつもりはない。

 

 転移門を抜けて出た先は俺の拠点である白の館にほど近い場所にある湖だ。広さの規模は湖と言うよりも池と言うべきなのだが、水深はなんと100メートル以上というわけのわからない深さをしている。

 火山活動のせいでできた縦穴に水が溜まったのではないだろうし、崩れやすい地層が浸食されて崩落してできたわけでもない。そんな場所なのだがキッチリとフィールド内であるらしく、普通に魚が釣れるしなんなら対応した装備さえ使えれば深海魚さえ釣れる。

 そんな木々に囲まれた池の畔に立つ古ぼけた石碑と、周囲一帯を囲むように咲き誇るアケボノソウの白い絨毯。

考古学者(アーキオロジスト)の<言語解読>のスキルでも読むことができないことからただのオブジェクトだとわかったが、最初は嫁と二人で資料に向き合ってみたり石碑の周りでふしぎなおどりを踊ってみたりなんやかんやと手探りで調べていたのも懐かしいことだ。

 

「すっごい…………キレイ」

 

 放心したように立つヒビキの足元、アケボノソウの花が風に煽られて空に舞い上がる。薄暗がりが広がる空へと舞い散る花弁の中に佇むその姿は完璧な女の子だ。

 ショートボブの黒髪が風に揺られ、身に着けた伝統的な忍び装束――青紫を基調にしたその後ろ姿は白い嵐の中で浮かび上がるように自らを主張している。

 

「結構いいだろう? お気に入りなんだ」

「……うんっ!」

 

 まるで童心に返ったようにヒビキは白い絨毯の上に身を投げて仰向けに空を見上げる。ばさっと倒れこむ音とともに花弁がまた一つ二つと風に乗って舞い散り、黄昏時の空へ昇って消えていく。

 ちょうど腰かけるにはぴったりな石碑にそのまま腰を下ろし、二人して空へと視線を移す。

 

「ふふ、ユウくんと現実(リアル)でデートするならこういう場所がいいなぁ!」

「もうこんな場所どこにもないぞ。あってもせいぜいシベリアやヒマラヤ山脈みたいな隔絶された土地くらいだろうな」

「もーっ! そうやって現実味ばっかりな話するんだから! ……好きなヒトと一緒にこの世に二つとない景色を眺めるっていうのは女の子の夢なんだよ?」

「そうでもないぞ。嫁は三人そろってテレビを見るのが一番良いって言ってたし」

「それは家族として! ボクのは愛する人としてだよぉ!」

 

 言われてみればアイツも二人きりの思い出というのは欲しがるタイプだったな。それでも“世界に二つとない絶景”なんてものは望まなかったが。一緒に飛行機に乗って見た高度1万2千メートルからの地球の景色は格別だった。二つとない、とまではいかないものの、現状の世界ではほんの一握りの人間しか見ることのできない景色であることには違いないだろう。

 ……そういえばレーナを連れてきていないんだったな。普段ナザリックに入る直前にNPCを呼び出すからすっかり失念していた。

 

「<召喚(コール)レーナ、キリ>」

「……もうちょっとだけ二人きりがよかったなぁ」

「レーナ抜きには始まらないし終わらないんだよ」

 

 召喚スキルで呼び出された我が娘レーナと、以前のクエストで捕獲……というか従えた麒麟(ポニーサイズ)を呼び出し池の畔で待機させる。

 小さく幼い少女の傍らに控えるこれまた小さく幼い聖獣という組み合わせが、天頂に上った蒼い月の明かりを浴びて凪の水面に映し出される様子はまさに幻想そのものだ。……だがそれもまもなく、あと20分で電子の海に消えていくことだろう。

 

「おっ?」

「きた!」

 

 一切変化のなかったフレンド一覧にオンラインと表示されたのはモモンガさん。そして数秒してヘロヘロさんの名前がオンラインに変わる。

 

『あーあー、そっちはどうです?』

『ギリギリ間に合ったぁー! ってルイさんどこにいるんです?』

『今お気に入りの場所でゆっくりしてるよ。モモさんは?』

『ナザリック内です。あ、ヘロヘロさんと合流しました。こっち来ます?』

『……いや、俺はこっちで居るよ。ヘロヘロさん聞こえる? 説明会どうだった?』

『はーい。いい感じで何社か受けられましたよ。ただ胸糞なのが以前働いてた会社がどっちとも説明会に参加していたことですかねぇ! あと雪で交通網が一時的に止まったこととか!』

『……お疲れさん、ヘロヘロさん』

『心中お察ししますよ……』

『じゃあお二人さん、ユグドラシルじゃ最後かもしれないから言っておきます。……幕引き(カーテンコール)は告げられますが、俺たちには明日がある。だから今度、呑みにいきましょう。俺たちの明日は今日ここから始まるんだから』

 

 そうだ、俺たちはこの死に体の地球に縋り付いて必死に一日を過ごしてきた。リアルの友人やネトゲで出会った仲間なんかと分かち合いすれ違いぶつかりあい、そしてまた日々の糧を得るべく働いて生活している。

 そして明日が来る。当たり前のように明日が来て当たり前のように今日が終わる。知識層や富裕層からすればちっぽけで、ともすれば向上心の欠如とさえ言われかねないかもしれないが、明日があることは素晴らしいことなのだ。ただひたすらに生活の糧を得るべく働いていても、惰眠を貪り飽食と怠惰に身を任せたとしても、“明日がある”という当たり前があることは幸せなことなのだ。

 それを幸せなことだと気づいている人は数えるほどしかいないだろうが、アーコロジーで内ゲバを起こしたり反動勢力に占拠されたり殺戮の対象となったり、そういうことに俺たちが巻き込まれないということは幸せなことなのだ。

 

『ですねぇ。ルイスさんの言う通りです。私は二度も職を失った上に明日すらわからない日々でしたけど、新しい人工臓器に換えることができたお陰で明日が迎えられたんです。

 生きて明日の朝日を拝めるのがこうも嬉しいことなのかと感動しましたよ正直言ってね。生きてるからには、明日があるから、また頑張れる気がしてくるようになりましたよ!』

『…………ルイさん、ヘロヘロさん……私は、いや俺は……リアルには何も残ってないです。両親は幼いころに死んで、今まで必死に生きていて、唯一楽しみだったユグドラシルも終わる。そんな中で明日を望む勇気が……無いんだ。不安で、仕方ないんだ……』

『……だったら、尚のこと呑みにいきましょう。なあに俺の親戚がウマい酒飲ませてくれる店やってるんですよ。ヘロヘロさんも集まって酒でも飲んで、今度どんなゲームするか駄弁ってみましょうよ! 見つからないようなら俺たちも手伝いますよ、“やりたいこと”探しをね』

『……ルイさん』

 

 そう、モモンガさんにピッタリな言葉を贈ろう。人から人へ言葉を伝えることくらいは、誰にだってできるんだから。

 

『老子曰く“他者を知ることは知恵。自分を知ることは悟り”とのことだ。俺たち三人そろって……いや四人そろっての自分探し。……してみないか?』

『――ッフフ、じゃあ今度休みを取れそうな日を見ておきます』

『決まりですね! モモンガさんとルイスさんに会うまでには次の職を決めてみせますよ!』

 

 どうやらモモさんも吹っ切れたらしい。ヘロヘロさんはすでにやる気マンマンだし、うちのヒビキはすでに覚悟ガンギマリの状態なのだから問題ない。俺も、少しは過去を振り切って前に進む勇気が持てた。明日はヒビキが家に帰るのを見送ってから出勤して、次に修復する文化財の所有者と顔合わせして、それから現物の状態をチェックして……忙しいなあもう。

 

 ああ、だけどこうして世の多くの人々は毎日を必死に生きている。当たり前に明日が迎えられるものだと気づくことさえなく明日を迎え、必死に明日を生き延びるべく足掻いているのだ。

 しかしテロリストどもにとってはそういう市民たちさえも愚かな存在でしかないのだろう。企業の提示する仕事を企業の指示通りにこなし、企業から生活の糧を得ている我々市民は彼ら反体制組織にとって企業に尻尾を振る犬か、鎖でつながれた奴隷という認識でしかない。

 だから無差別テロなんてものを平気でやれる。解放だの自由だのを謳うだけで現実を見てもいない理想家どもはそうやって自由を与えるべき人々さえも巻き込んで殺してしまえるのだ。

 

 ただ明日に生きていたいと願う人たちから、大切な明日を奪うことは許さない。それがきっと俺の――
















新東京都IDタグ管理センタープロファイル

管理タグナンバー:2004-0414-1956
本名:朝倉悠里(アサクラ・ユウリ)
性別:男
ワールドワイドネットワーク社全世界共通アカウント登録済み。
アバター名:ルイス・ローデンバッハ
年齢:34
職業:PMC“chromium 6”特殊作戦部対内乱作戦課不正規戦チーム(対外的には大手PMCの保安部門所属)
   後に第四新東京アーコロジー博物館学芸員。

経歴
2102年管理タグ登録。登録時にDNAサンプル採取済。
2114年、第三新東京アーコロジー第二小学校卒業。
2120年、第三新東京アーコロジー高等学校卒業。
2121年、PMC“chromium 6”入社。アウターリング警備部門に配属。
2124年、不正規戦チームへ異動。
2126年、タグナンバー6008-2519-8710、個体名“神田涼子”との初交配を確認。
2127年、二十回目の交配を確認。
2128年、タグナンバー5409-9251-7762、個体名“朝倉紗耶香(旧姓:七瀬)との初交配を確認。
2129年、上記個体との交配種、個体名“朝倉玲奈”をタグ登録。関連付け完了。
2134年、転職。



管理タグナンバー:2105-0815-9155
本名:高村響(タカムラ・ヒビキ)
性別:男
ワールドワイドネットワーク社全世界共通アカウント登録済み。
アバター名:ヒビキ
年齢:18
職業:総合サービス派遣会社“ラビット・カンパニー”性風俗部門所属。勤務地・第四アーコロジー西ゲート。

経歴
2120年管理タグ登録。登録時にDNAサンプル採取済。
2132年、第四新東京アーコロジー第三小学校卒業。
2133年、女装などの異常行動を確認。精神鑑定を実施。経過観察の必要性ありと判断。DNA解析の結果異常なし。
2134~6年、度重なる同姓との非生産的な疑似交配に対して注意勧告も改善の兆候なし。
2137年、二度目の精神鑑定を実施。異常ありと判断。薬物治療と脳波治療を実施。
2138年、改善の兆候なし。異常行動・言動が著しく増加し、矯正不可と判断。廃棄所にて同年12月21日処理予定。


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オバロ試作品6

いろいろ疲れることが起こりまくってしまっておかしなノリになった


 もうすぐユグドラシルが終わる。その瀬戸際にどうにか滑り込んだ俺とヘロヘロさんは玉座の間でゆっくりと話し込んでいた。コンソールでNPCの設定やなんやを眺めて、製作者がNPCの設定として書き込んだ知られざる秘密を流し読んでいた。

 いかにも製作者の人柄がわかるような設定のものも居れば何も書き込まれず真っ白な白紙のままのNPCも居た。玉座の傍らに佇むNPC、タブラさんの作成したNPCである彼女……アルベドなんかは文字数制限いっぱいに事細かな設定が書き込まれていて、最後の一文が“ちなみにビッチである”なんて締めくくりでなければ素晴らしい内容だった。

 ヘロヘロさんのおふざけを採用して“恋愛はクソザコである”に書き換えられたが、それはそれでギャップ萌えも感じる素晴らしい提案だった。ナザリックの守護者、引いては全ナザリックの統括として凛々しくも奥ゆかしい彼女が実は恋愛に奥手でヘタレなサキュバス(処女)だったという、この落差の大きさは非常に素晴らしい。

 

 そうしてなんやかんやとワイワイ騒ぎながら、遂にその時がやってきた。目の前に居るのは純白のドレスに漆黒の翼と艶やかな黒髪の美しい守護者統括のアルベド、そして執事姿が板につく白髪の老執事のセバス・チャンとその指揮下にある6体のメイド……六連星(プレアデス)たちだ。

 どちらが始めるでもなく、悪のギルドらしいロールプレイが始まる。

 

「……まもなくですね。盟主殿」

「ええ、まもなくですヘロヘロさん。……ユグドラシルの終焉です」

「地は空に還り、水は消失し、風は死に絶え、火は翳る」

「そして光も闇も悉くがゼロとイチに還元され、世界樹は枯れて塵と消えゆくのみ」

「……我々の、アインズ・ウール・ゴウンの全ても、諸共に消える。無常ですね」

「しかし我々の足跡が消えようとも事実は消えぬ。アインズ・ウール・ゴウンが在ったこと、神の使者を名乗る愚物を幾度となく屠ってきたこと、それらはリアルよりの観測者によって記録され、記憶される」

「然り。そして世界は破壊され、ユグドラシルの観測は本日終了する」

「然り。そして世界は破壊され、しかし我らはリアルへと送還される」

 

 多くの仲間たちが居た。言葉を交わしたのがゲームの中でしかないとはいえ、彼らは現実世界に存在する人々であるのだ。彼らと築いてきた思い出を忘れはしない。それにその中には現実世界で一緒に宴会をしたりカラオケをしたりしてきた人たちだっている。

 きっと俺はそんな仲間たちを普段は思い出すこともなく過ごしていくのだろう。そして不意になんらかの拍子で思い出し、懐かしい日々に想いを寄せる。そしてまた明日を迎えて生きていく。

 見上げれば、玉座の間に掲げられた41人の紋章の旗。41人分の思い出が詰まった場所だ。

 

「さらば、ユグドラシル。我らの愛するナザリックよ」

 

 あと、3分。世界の終わりまで、あと3分。

 

「さらば、アインズ・ウール・ゴウン。我らの愛しきこどもたちよ」

 

 サーバーダウンへのカウントダウン──終焉の鐘が鳴り響く。終了の告知テロップが空気も読まずに画面下部に流れはじめ──

 

 

<ユグドラシルをプレイ中の皆様へ。 間も無くユグドラシルはサービス終了を迎えます>

 

<運営、開発陣、ゲームマスター、そして何よりプレイして頂いたプレイヤーの皆様のお陰で12年という年月を支えることができたのだと思います>

 

<楽しいイベントもあればしょっぱいイベントもありました。バグや調整でご迷惑をおかけすることも多々ありました。しかし今となっては懐かしくもほろ苦い思い出として刻まれ、サービス終了の間際とはいえ多くの方々にプレイしていただけていることを嬉しく思います>

 

<この幕引きが皆様にとって素晴らしいものであることを願っております。製作運営チームを代表してプレイヤーの皆様に御礼申し上げます。12年間ありがとうございました! プロデューサー ××××>

 

「……フッ、運営も満足のいく終わりを迎えられたのだな」

「そのようで。……ならば、我々も……」

「締めくくりましょう。あの合言葉に、最大の賛辞と感謝と畏敬を込めて……」

 

 テロップが流れ終わり、世界が無に帰する寸前──

 

「アインズ・ウール・ゴウンに栄光あれ」

「アインズ・ウール・ゴウンに栄光あれ」

 

 俺とヘロヘロさんの声が重なり────────────

 

「チクショウ! だまされた!」

「運営ィイィィィッ! 最後の最後でぇ!」

 

 時計が進む。12時きっかり終了するどころかもう数十秒以上経過してるじゃないか! 

 

「仕方ないです。ログアウトしましょうヘロヘロさん。明日も仕事が──ヘロヘロさん?」

「…………モモンガさん、何か、変です。よ、よくわからないです、けど……()()が変です」

「ンン? 別に何も……UIが表示されない? これじゃログアウトすら……」

「それだけじゃないです! モモンガさんの、顔が……顎が、動いてます!」

「んなまさ……か……」

 

 カツン、と硬いモノに触れる感触。カタカタと顎の骨が動いているという()()。ありえない。こんなの、感覚が再現されるなんてできるわけがない! おまけに電脳世界に閉じ込めるだなんて法規制で罰則だって制定されてるハズだ! 誘拐や略取に相当する罪状に問われる上に、刑期はあって無いようなものだ! 起こした時点でブタ箱一直線か処理場行きが確定している! 

 

「ゲームマスターにも繋がらないし、モモンガさんは五感の再現までされている……普通に考えるなら私たちは電脳世界に閉じ込められたということに……」

「……僕ら監禁されとるんやで?」

「ネタに走ってる場合じゃないですよ!」

「わかってます。わかってるんですけど……おふざけくらいしないとおかしくなりそうで……フゥ……え?」

 

 緑色の光が足元から発生した、かと思いきや突然頭の中がクリアになる。……そうだ。とにかく今は原因の究明と現状の俺たちの置かれた状況を確認し、どうにかゲームマスターに連絡をとらないと。

 相手が電脳法を無視して俺たちを監禁したとなれば、相手は間違いなくプロフェッショナルどころかスペシャリストだ。大企業のサーバーに施されたファイヤーウォールや防壁、検閲を掻い潜ってこんな芸当をしてみせる相手だ。ヘロヘロさんがプログラマーとして優秀なヒトだとはいえ閉じ込められてちゃ……内側からじゃ打てる手は限られる。

 

「……どうかなさいましたか、至高の御方」

「……ファッ!?」

「えぇ……?」

 

 ────わからん。さっぱりわからん! 

 

 

 

 夜空の星々を眺めていると思うことがある。かつて、人が死ぬと空に還り星となるという表現があった。妻や娘は今もあの星のどこかに居るのだろうか。そんな取り留めもないことを考えてしまう。

 

「……ユウくん、行かなくてよかったの?」

「なんでだ?」

 

 俺の隣に寝転がる少女……少なくとも中身は女の子なヒビキが問いかけてくる。いつの間にか着替えたらしく、身なりは編み上げコルセットできゅっと引き締めた所謂フレンチ(えっちぃ)メイドになっていて、黒いガーターストッキングにかなり際どいミニスカートと攻めまくっている。

 ……どのみちヒビキの背丈は長身でスレンダーな美女というものには到底及ばないので、色気があるというよりは可愛らしいコスプレ程度にしか見えない。

 

「モモンガさんやヘロさんと一緒に終わりにしてもよかったんじゃない?」

「なんだ、せっかくヒビキと一緒に終わろうとしたのに。まああそこはアインズ・ウール・ゴウンのギルド拠点だからな。そこに部外者が居るのは野暮だろ」

「……そっか。最後、だもんね」

 

 がばっと起き上がったヒビキが月明りを移す池のほうを見る。いつもの元気いっぱいなヒビキを見ていただけに、しんみりとしたヒビキの表情はどこか新鮮だ。

 

「ボクはね、ユウくんが好き……もちろん女の子としてだよ。体は……やっぱり男だけどさ、それでもユウくんやお母さんがボクを女の子として扱ってくれたのが、すっごくうれしかった。ボクがボクのままでいていいんだって、認めてくれた気がしたから」

「ヒビキがそう決めたんだ。だから俺はヒビキが女の子だと認めるし、そう扱うように心がけてる」

「……ありがと、ユウくん。……ふふっ、ユウくんに認めてもらえたんだし、まぁ、いっか」

 

 気づけば運営からの告知テロップが画面の端に流れていた。十二年の感謝が記されたメッセージボックスに思わず時の流れを感じてしまった。

 立ち上がって空を見上げれば現実そっくりな夜空が広がっている。星々を繋いで描かれた“ありがとう”の文字がひときわ強く輝いて、灯火が消えるように薄れていく。

 

「もう終わりだな……接続が切れたら寝よう。……また明日から仕事だし、今度の休みはアーコロジー内の遊園地にでも行くか? お買い物デートしたいんだろ? ついでに遊ぶぞ」

「……いいの? やったぁー! ボクね! 一緒に水族館に行きたい! 

 一緒に薄暗がりの水族館を手を繋いでゆっくり歩いて見て回ってさぁ! ちょっと人目につかないところに来たらユウくんにそっと抱き着いちゃったりなんかして! あ、でもでもユウくんからお尻にタッチされたりまさぐられるのも露出プレイ的ですっごくそそるっていうか! よし行こう! そのまま水族館からホテル直行ルートでくんずほぐれつしよう!」

「想像力豊かっすね……あ、時間──」

「え? あっ──」

 

 23:59:59────ああ、終わった。

 

「……あれ?」

「時計がズレるわけないし……さては最後の最後にやらかしたか、或いは作業の遅れでサーバーダウンが延期されたかってとこだろ。さっさとログアウト画面から────どういうこった?」

「……ユウくん、そっちはログアウトできる?」

「いや、そもそもコンソールが表示されてない。ヒビキは?」

「こっちも。終了どころか何も表示されないし……ん?」

「どうした?」

「パパーっ!」

「おっふぅ!」

 

 どすん、とお腹に感じる衝撃。見下ろせばそこには愛しい我が娘も似姿(NPC)たるレーナが抱き着いて頬擦りをしていた。

 

「レ、レーナ……」

「ねぇねぇパパ! あっち! あっちの池にお魚さんがいっぱい居るの! きーちゃんがお魚さん食べたいって言ってるの!」

 

 俺の手を引いてくるレーナの姿は死んだ娘とそっくりだ。……そのように作られたんだから当たり前と言えば当たり前なのだが、NPCがAI設定や命令など無しに喋って動いているというこの状況が理解できない。

 さらに言えばあのとき、レーナを受け止めたあの感触……まさに現実としか思えない。

 

「待ってユウくん、血の匂いがする……匂い?」

「待て、それはあり得ないぞ。血の匂いなんて感じるわけないだろ」

「で、でもっ! 本当だよぉ! ボク、今血の匂いがして──」

「ありえない。五感で感じるなんて電脳法で規制されてできやしない。ましてや人間を電脳世界に閉じ込めるなんぞ処理場直行コースだ。そのままミンチにされて家畜のエサだ」

 

 そうだ、そんなものを感じるわけが────だが、この、嗅ぎなれた、血液から発生するこのニオイは────

 

「誰だ!」

 

 がさり、と森の中から聞こえた木々の葉が揺れる音。明らかに人などの存在が物を動かした際に出る音を感じ取って振り向いて真正面から向き合う。

 

「……ユ、ユウくん? どう……したの?」

「ヒビキ、レーナと一緒に下がってろ。何かいる」

 

 かつての自分を想起する。陰に日向にと戦いに身を置いたかつての自分。テロリストと戦い、企業の闇と戦い、力無き市民を守るべく戦ってきた己を思い出す。

 二人を俺の体で隠すように前に出て投擲用のナイフを左手に持ち、周囲の動きに神経をとがらせる。

 がさ、がさと近づいてくる音。そしてがさがさという大きな音と共に何者かが姿を現した。

 

「ヒト……?」

「!? あ、あなたたちは……? いけない! 逃げて──がはっ!」

「見るな!」

「──ひっ」

「わっ!?」

 

 月明りに照らされた若い女性──ロールプレイングゲームによくある、中世のヨーロッパの人たちが身に着けるようなゆったりとしたペチコートにシンプルなコルセットといういで立ちの、青い瞳に腰ほどまである栗毛を自然に流した彼女の腹部から鈍色の刃先が生える。

 レーナの頭を咄嗟に抱きしめて見せないようにしたものの、ヒビキは見てしまった。

 

「ぁ、ぅ……ゅ、ゆう、くん……」

 

 一連の流れをじっくりと見てしまったのか、ヒビキが思わず腰を抜かしてへたり込む。じょろ、という音と共にアンモニア臭がするのを脳内から除外してナイフの刃を持ち、投擲の準備を整える。

 ずるりと刃先が抜かれてその場に崩れ落ちた彼女の後ろから一人の男が歩み出てくる。白髪交じりの短髪とぼさぼさの髭、継ぎ接ぎの革鎧に所々が鉄製の薄汚れた鎧、飾り気のない所々が刃こぼれした直剣、身なりからしてまさに“賊徒”と呼ぶべき男がこちらを一瞥しニヤリと口元を歪ませる。

 

「……死ね!」

「チィッ!」

 

 羽織っていたローブをレーナに被せて突き飛ばすようにヒビキの傍へ押しのける。

 突き出してくる剣はまっすぐ。安直でひねりもないただの突き。しかし相応の腕前が無ければ突きは回避できない。初見、かつ女性を殺した動揺の隙を狙って放たれた突きに、逆手に持ち替えた左手のナイフをそっと添えてギリギリのところで打ち払う。

 ちりっ、とわき腹を掠めた直剣。相手は剣を振りぬいていて手元に戻せない。自分の左半身を突き出すように前に。左手は順手でナイフを握ったままするりと敵の喉元へ滑り込み、刃が肉を割いて脊髄を貫通していく。

 

「ギャヒッ」

「むんっ!」

 

 ずるりとナイフを引き抜き、相手が倒れこむよりも早く右後ろ腰から引き抜いたショートソードで男の首を一閃。ごとり、と落ちた首を胴体から噴き出る鮮血が赤く染めていく。

 

「ヒビキ、レーナ、ケガはないか?」

「────ひっ……ぁ、ぅ、ゅっ、う」

「……パパ?」

 

 じょろじょろとアンモニア臭をまき散らしながら、腰が抜けて歩けずにへたり込んだままのヒビキは後ずさりしながらこちらを見る。レーナも放心したような顔で俺を見るだけだ。──ああ、返り血が怖いのか。それは仕方がない。

 

「ぁ……ぅっ……」

「……まだ息がある!」

 

 先ほど刺された女性から聞こえたうめき声。駆け寄って傷口を確認したところ、深い傷だが致命と言うには少し足りなかったらしい。……苦痛が無いまま死ねるのと、苦しんで死ぬのとどちらがマシかというレベルではあるが、とにもかくにも息がある。

 

「くそっ……医療設備があるわけじゃないし……というか電脳世界のはずだろうに。だがこの現実感は間違いなくリアルのそれと同じ……どうなってる……?」

 

 ──どうにか頭が少し落ち着いてきた。そうだ、ここは電脳世界だ。目の前の彼女もユグドラシルで居たようなNPCのように平凡だ。おかしいくらいのリアリティに満ち溢れているけれど、ここは電脳世界なのだ。ユグドラシルがそのまま継続されているような感じ……まるでフ〇ム製のあのゲームのような殺伐感に変化しているが、彼女を救うにあたって必要なものとなると──

 

「ポーション」

 

 アイテムボックスを、と思考した直後に体が動いた。意志とは関係なしに、まるでそうするのが当たり前であるかのように手が“虚空に突っ込まれた”のだ。何があるのかが頭の中にすべてわかる。放り込んでいたアイテムの種類、数、効能やフレーバーテキストまで一字一句が頭の中を駆け巡っていく。

 

「これを飲むんだ」

 

 取り出したのは赤い血のような色のポーション。たまたま入っていたHP回復用の最高級ポーションだが、目の前で死者が出るよりはマシだ。

 体を横にして口の端から出る血液を一度吐き出させ、気管支などに入らないように口内にゆっくりとポーションを飲ませていく。半分ほどを飲み干したところで顔に生気が戻り始め、すべてを飲み干したころには息遣いもゆったりとしたものになり、傷口を確認しても傷跡すら残っていなかった。

 

「げほっ、た、たすけて……くれた、んですか……?」

「そうだ。まだ動かないように。止血はされているが流れた血が戻っているわけじゃない。無理せず横になっているんだ」

「そ、そうですか? 多分動けると思う……そうだ! 村が! みんなが!」

「お、おい! まだ動くんじゃない! 一体どうしたんだ!?」

「村が! 村が野盗に襲われているんです! 助けにいかないと!」

「だからと言って君が行っても犬死にだ! 落ち着くんだ。いいかい、相手は何人だった?」

「くっ……おそらくですけど、30人は居たかと……」

「村人の数は?」

「120人です……以前はもっと居たんですけど、前にも野盗が……」

「ならおそらく全滅とはならない。必要なものを奪えば奴らは去る。こういう言い方は好きじゃないが……死人がいくらか出るのは仕方がないが生かされるほうが多いはずだ。村を全滅させたのでは次の搾取ができなくなるからだ」

「そ、そんな……!」

「当然のことだ。すべて滅ぼしたのでは次の搾取ができない。つまり自らも死ぬ運命が決まる。だから簡単に全滅させたりはしない。恐怖で縛り付け、飼い殺しにし、末長く搾取を続けるんだ」

 

 突然がばっと起き上がったかと思うと、彼女はわき目も振らず駆け出そうとした。それが自らの住まう村を案じてのことであるというのは美徳ではあるだろうが、少女一人と大勢の野盗では戦力比が違いすぎる。

 運が良ければ即座に殺されるだろう。運が無ければ尊厳を辱められ、仇敵に飼われるか人買いに売られるのがオチだろう。

 

「……腕の立つお方と見込んでお願いします、どうか村を救ってください! お願いします! 見も知らぬ私を助けて頂いた上でこんなお願いをするのは厚顔無恥も甚だしいと承知しています! 

 ですが! 私には村を救う力も無く、守ることができるわけでもありません……! 報酬が必要でしたら私の身を売り飛ばして頂いて構いません! 夜伽をお望みであれば如何様なご命令にも従います! どうか村の人たちを! ほんの僅かでも構いません! どうか……!」

 

 30人……対するこちらは戦えるのは俺くらいなものだ。咄嗟にとはいえ先ほどの野盗は一撃で仕留めることができたが、あちらの攻撃が一つでも直撃すれば致命になる可能性だってある。となるとやり方は一つしかないし時間もかかる。その間にも死者が出ることは明白だ。その上こちらが負うリスクも大きい。もしも俺がやられたとなればレーナとヒビキ、それに目の前で俺に涙ながらに縋り付く彼女が取り残されるということだ。最悪の場合奴等にこの子たちが捕まる可能性さえあるのだ。

 ……安全を最優先としてこの子だけでも保護して他を無視するか、後顧の憂いを絶つと思って野盗どもを仕留めるか。

 

『い、いやだ……しに、たくない……あ、ぁ……』

『死ね、企業の犬どもめ!』

『ごふっ! げほっ! と……父さ……ん、母さ……』

 

 家族を想って死んでいった男が居た。

 

『や、やめてください! この子はまだっ──アッ──』

『ママ! ママッ! やだ、やだ! パパ! ママっ──』

『企業の手先は殺せ!』

 

 愛する子を守れず死んだ者たちが居た。

 

『死ね……俺の娘をっ! 玲奈を殺した悪党どもめ! ここで死に絶えろッ!』

『くそっ、コイツ手ごわ……ギヒュッ』

『応援よこせ! 重火器持ってこい! クソッ! 災害救助用のクラスⅡ程度のアーマーでどうしてこんな動ぐびゅっ』

『テロリストどもめ、テメーら全員……許しはしないィィ……許してなるものかよォォォッ!』

『あれが鈴川の言っていた悪鬼か。フン、企業の傀儡には似合いの末路だ。だがそろそろ死んでもらおうか!』

『死ぃぃねよやぁぁぁぁぁっ!!!』

 

 愛する子を失った怒りを振るう俺が居た。

 

「引き受けよう」

「あっ、ありがと──」

「──ただし報酬はいい。代わりに頼みがある」

「え、あ、えっ?」

「あの子たちを……俺のいとこと娘を、頼む」

 

 未だに放心したままの二人を指差し彼女に伝える。──暗に俺が戻れない可能性があることを悟ったのか、彼女は一度瞳を閉じて深呼吸をする。

 

「──この命に換えましても」

「では頼む。村の方角は?」

「ここから北へ進めば村が見えます。なだらかな下り坂になっていますので、村が見下ろせます」

「わかった。夜明けには戻る」

 

 石碑の傍でへたり込んだままの二人の下へ彼女を連れていくと、二人は怪訝そうな顔でこちらを見る。不安そう、というよりもどこか不機嫌そうな気がするが今はそれどころではない。

 

「レーナ、ヒビキ、俺は少し偵察を兼ねてここを離れる。この子、えーと」

「申し遅れました。私はヘレンと申します」

「ヘレンと一緒にここで待っていてくれ。野盗どもが居る可能性がある。気をつけるんだぞ」

 

 レーナに被せていたローブを手に取って被りなおすといい具合で景色に溶け込む暗色の、濃い紫の色合いに落ち着いた。……周囲の光や色に応じて変化するというフレーバーテキストまで実際に反映されているとは恐れ入るが、この装備は渡りに船だ。

 できる限り静かに、気取られず頭数を減らす。俺一人で全員を殺せるのだとしても、俺が一人殺している間にあいつらは20人の村人を殺せるのだから、できる限り感づかれずに始末しなければ。力があると過信して突っ込めば、その先にあるのは血の海だけだ。

 

「──パパも、どこかにいっちゃうの……?」

 

 ローブの裾を握りしめたままレーナが言う。きっと戻らない母のことを言っているだろうことは明白だ。戻らない、彼女は、紗耶香はもう死んだんだ。だけど俺はまだここに居るんだ。

 

「必ず戻る。パパとの約束だ」

「ぜったいだよ! ぜったい!」

「絶対だ。レーナとパパの約束だ」

 

 むーっとふくれっ面をしていたレーナに笑顔が戻る。ガントレットを外して小さな手を握ってから頬を撫でると、くすぐったそうにレーナははにかんだ。

 そんなレーナの隣にやってきた、青白い体色の白馬のような見た目のポニーサイズの竜……キリと名付けられた麒麟をレーナは愛しそうに撫でる。

 

「キリもいっしょ!」

『大丈夫、アタシも居る。レーナに手出しはさせない』

「お、おう……頼むよ、キリ」

 

 テイムしたモンスターさえも喋りはじめるとは思わなった。流石にこれは予想外だ。隣に居るヘレンもぽけーっと口を開けて言葉も出ない様子で呆けている。

 

「──ハッ! す、すごい……こんなに強いモンスターを従えているなんて……」

『アタシは弱い。まだ子供だ。ご主人に勝てるとは思えない。あとモンスターじゃない、竜だ』

 

 ……確かキリはレベルにして30くらいだったはずだ。となると上位物理無効化が作用すると仮定するならあの野盗の攻撃もノーダメージで受けきれたんじゃ……? いや、過信は禁物だ。ダ〇ソやデモ〇ズ的な雑魚が滅茶苦茶強い世界かもしれないのだ。数で囲んで棒で叩く、をされる側に回る気なぞ毛頭ないぞ。赤目三連星や犬のデーモンのような悲惨な末路なぞ御免なのだ。

 

「ボ、ボクも行く! に、忍者の、ク、職業(クラス)だって、と、とってるし! ユウくんだけなんて──」

「ヒビキ……無理を言うな。死人を見てベソかいておもらししてるヤツじゃ無理だ。はっきり言うぞ──足手まといはいらん」

「じゃあ、なんで! ユウくんはあんなに簡単に……!」

「──そういう仕事をしてたからだ。俺は、どう言い繕っても最後には人殺しだよ。死体を作るのは慣れてるし、死体に変えられた仲間だって見てきた。罪もない人々が死ぬところも、惨たらしく殺されるのも見てきた。

 いいかヒビキ、これはお前が経験したことのないことだし、できるなら経験してほしくないものだ。返り血で薄汚れた日陰者になる必要なんてない。お前は女の子らしく可愛い服を着て街中を歩いているのが一番似合うんだからな」

 

 涙でぐしゃぐしゃになった顔のままのヒビキの頭をそっと撫でる。……もう何年もしたことがなかったが、俺を案じて自らも火中に飛び込もうとするその心の強さは賞賛すべきことだ。

 

「心配してくれてありがとな、ヒビキ。ちゃんと戻るさ」

「──じゃあ、ボクとも約束。……戻ったら……少しだけ、傍に居て……」

「ああ、約束だ。…………じゃ、行ってくるよ」

「……行ってらっしゃい」

 

 どれだけを助けられるかわからないし返り討ちに会う可能性さえある。けど俺はやはりあの時と同じだった。奪われ、搾取され、理不尽な暴力に晒される人たちを救うために戦っていたときと同じだ。100人居れば100人分の家族があって、100人分の友人が居る。100人の死は数字以上の人々に悲しみと絶望を与えるのだ。

 当たり前に迎えられるはずだった明日を奪われ、昨日は隣に居た人がもう戻らないという事実に、遺された人々は嘆き悲しむ。それはこの場所でも同じだった。電脳世界なのか現実の世界なのかすら俺にはわからないが、目の前で奪われ虐げられ殺されている誰かが居る事実は変わらない。

 せめて、人々が静かに眠れるために。明日の平穏を奪われないために、俺は剣を振るおう。

 

 それが死んでいった人々が願った、当たり前にある平穏のためになるならば。



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オバロ試作品7

シリアスさの中にコミカルさを混ぜ込む練習

現地勢もそろそろ出していきたいところ


 平穏な一日が終わった。野盗の出現、村人たちの死、国の助けも無いまま、明日があるかさえわからない恐怖に震える“いつもの”日常が過ぎていく。

 

「敵襲! 敵しゅうぅぅ~う!」

 

 真夜中に鳴り響く、ガンガンガンと五月蠅い鐘の音。隣家から聞こえはじめるドタバタという騒がしい音。村の見張りについていた若い衆が怒声を挙げて駆けていく音。静かに過ぎつつあった凪いだ一日は野盗の出現という報によって瞬く間に阿鼻叫喚の坩堝と化した。

 

 これからの村を担うはずの年若い青年や働き盛りの男たちが立ち向かうものの返り討ちにあい、花盛りの村の娘たちはまとめて捕えられて野盗たちの慰み者にされていく。父さんと母さんが隙をついて私を逃がしてくれたけれど、駆け出した数秒後に後ろからくぐもったような叫び声が二つ聞こえた。

 

 誰かが追いかけてきている。後ろから声が聞こえる。それでも走って、走って、丘の上まで登って森の中へ逃げ込めば──そう考えて森の中に踏み込んだとき、見てしまった。

 

 たくさんの太陽の光を受けた麦の穂が煌めくような金色の髪。二十代と思しき精悍(せいかん)な顔立ちの長身の男性。深い暗色のローブを纏った姿が背後の月明りに照らされた光景はどこか神聖さをも感じさせ、本当に人間なのかと疑いそうになった。

 傍らに控えるのは彼の従者なのか、貴族の侍従(メイド)らしい装いの少女。彼の腰の後ろからのぞき込むようにこちらを見る幼い子供。そこまで来て、ようやく自分の状況を思い出した。

 

「逃げ──」

 

 逃げて! そう叫んだはずなのに声が出ない。後ろからドンと腰と背中の間を押されたような衝撃と鈍い痛みが走る。自分のお腹を裂いて、私の赤い血で染まった切っ先が、月明りでなまめかしく輝いているのが見えて────意識が、落ちた。

 

「気が付いたか?」

「助けて、くれたんですか?」

 

 死んだと思っていた。けれど私は再びこの目を開いて世界を目にすることができたのだという実感が湧いてきて、視界の片隅に見慣れない男が転がっているのが見えた。

 私を追っていた野盗だと思い出した瞬間、父と母の顔が脳裏を過った。助けにいかなければ、例え一人でも、野盗に殺される前に助け出さなければと立ち上がったが、貴族のような、しかし身なりは旅の剣士のような粗末な防具の彼に引き留められた。

 

 彼が言ったことは正しい。私には力が無くて、誰かを助けるどころか自ら捕まりにいくだけでしかない。悔しさが胸を締め付け、無力感がひたすらに頭の中を埋め尽くしていく。気づけば私は藁にも縋る思いで彼に助けを求めていた。

 

「引き受けよう」

 

 彼は、引き受けてくれた。その喜びに我を忘れそうになって、しかし彼の言葉で冷や水を浴びせられたように冷静さを取り戻した。

 

「あの子たちを……俺のいとこと娘を、頼む」

 

 そうだ。野盗を一人軽々と殺せるからといって何十人もの野盗を相手に一人で挑むなど死を覚悟しなければいけないことだ。私は彼に、自らの血族であるあの二人の少女との別れになるかもしれないようなことを頼んでしまった。巻き込んでしまったのだと、遅まきながらに気が付いた。

 

「──この命に換えましても」

 

 この人があの少女たちを大切に思っていることは明白だ。太陽が昇って沈むのと同じくらいにわかりきったことだ。あの子たちにとっても彼が傍に居ることは“当たり前”のことだ。そして私はその“当たり前”を奪ってしまうかもしれないような頼みごとをしてしまったのだ。

 

 見たところ珍しい黒髪でメイド服の少女は十五に届くかどうか、更に彼によく似た金髪の幼い子は一昨日8歳を迎える前に殺されたばかりの、お向かいのドリスちゃんと同じくらいだ。

 

 きっと今が覚悟を決めるときなんだ。私はあの子たちより年上だ。十八になる大人の女なのだ。だがあの子たちは完全に大人になりきれてもいないままに、大切なヒトを失うかもしれない。そしてそのきっかけを作ってしまったのは私だ。

 ────今が私の命の使い道を決めるときだ。彼が覚悟を決めたように、私はこの身の持つ全てを賭けて守り通す。

 

 そう決めた直後に野盗など足元にも及ばない強さを感じさせる馬(?)のようなモンスターに話しかけられた。金髪の好漢に仕えている彼女(?)はモンスターではなく竜、所謂ドラゴンでしかもまだ子供らしい。見た目には馬そっくりだけど、ひしひしと感じるけた違いの気配の強さはそこらへんのゴブリンやオーガは比較にもならず、一度だけ見かけたことのあるオリハルコン級の冒険者をも超えているだろう。

 彼女が居れば野盗が何人束になってもたやすくはやられない気にさえなってくる。

 

 そうこうして彼が村へ向かって走り去ったあとに残された4人(?)は全員が女だ。しかも私は血濡れでメイドの少女は自身の漏らした液体で下半身が濡れたままだ。

 ひとまずは挨拶を、と思ってまずは小さい子……彼の娘に声をかける。

 

「えっと、私はヘレンっていいます。よろしくおねがいします」

「はじめまして! レーナ=ローデンバッハです!」

 

 彼の娘である幼子はまさに貴族と言わんばかりで、私のような一平民のたどたどしいカーテシーとは違って堂に入ったものを披露してくれた。しかも家名まで名乗っているということは元はどこかの領地を治めていただろう貴族であるということの証左だ。

 衣服も平民のものより上等で派手さはなくシックながら可愛らしさも感じさせ、背中に背負ったうさぎのぬいぐるみと相まって彼がこの子に注ぐ愛情の深さを図り知ることができる。

 

「……ヒビキ、です」

 

 リ・エスティーゼでは珍しい黒髪の少女はヒビキと名乗った。血縁であるはずなのに家名を名乗らないということは本家筋ではなく分家筋で、彼の下で従者として働く以上家名は不要だという認識なのかもしれない。

 

「ひとまず、ヒビキさん」

「……なに? ボクに何か用?」

 

 明らかに怒気を孕んだ声が私に向けられる。……何か気に障ることがあったのだろうか。

 

「その、ひとまずそこの池で服を洗いませんか? 私もほら、血で真っ赤になっちゃってますし! 自分の血ですけど!」

「…………キリ?」

『いいと思う。正直匂う。アタシがもしオスだったら興奮するかもしれないけど、小便まみれなのは衛生的とは言えない』

「そう…………ボクを見ないでよ?」

「お、女の子同士ですから大丈夫ですよ!」

「ボクの裸はユウくんだけにしか見せないって決めてるの! 今までどんな時でもユウくん以外に全裸なんて見せたことないんだから!」

「ハ、ハイ! 見ません!」

 

 あれ、これって、もしかして──この子…………まさかの婚約者だった!? いやでも貴族なら若いうちから縁談が決まってることもあるって聞いたことあるし! 正式な決定ではないけどすでに両家で合意がなされている状態であると想像できる。余計な邪魔や縁談話が来ないように彼の従者扱いで最初から手元に置いておくことによって早い段階から二人が夫婦生活を営めるようにし、万一他の縁談話が入ってきても実質的に夫婦であるってことをアピールして“オメーの席ねーから! ”と撥ね退ける狙いがあるということね! 何故かいやに敵視されてる理由がわかった。私がヒビキちゃんの婚約者に命の危険があるお願いをしてしまったからだった! 

 

 ──いやまてちょっと待つのよヘレン! もしもヒビキちゃんが彼の婚約者だと言うならあの子は、レーナちゃんは一体どういうこと!? ヒビキちゃんはきっと十代半ば。レーナちゃんはおそらく7歳前後。つまりヒビキちゃんからレーナちゃんが生まれた場合、ヒビキちゃんの年齢は……! 

 

「ねえねえヒビキおねーちゃん! レーナもおよぎたーい!」

「ええ? ……うーん、ここ深いみたいだから近いところだけだよ? ボクだって泳げるわけじゃないんだから」

「ヒビキおねーちゃん、泳げないの? ママは泳げたよ?」

「あのねー、ボクは紗耶香さんみたいな超人じゃないの。料理洗濯炊事掃除財政管理その他いろいろを完璧にこなせるようなすごいママとは違うのー」

 

 よかった。いやよくないんだけどとりあえずよかった。“レーナちゃんの母親は今どこに? ”っていう点にさえ目をつぶれば何も問題はない。

 察するにあのお方には元々奥様が居て、その方との子がレーナちゃんなのだろう。しかしどういう理由か母親が居なくなってしまった。いつまでも伴侶が居ないという状況は自勢力以外に付け入る隙を晒すに等しいため、それを防ぐ意味合いも兼ねて従妹でありレーナちゃんと面識があるヒビキちゃんを後妻の枠に据えたのだろう。

 ……ということはあの方は他勢力から目を付けられたり、婚姻による外交を行うだけの価値があるお方だということになる。それがどうしてリ・エスティーゼ王国の、それもアベリオン丘陵に近い辺境地に居るのかという話になるが、とりあえずわかるのは私が助けを頼んだ相手は、万一彼の関係者に知られれば斬首確定コースになる地位かそれに準じるものを持っているということだ! 

 

「つめたーい!」

 

 ばしゃん、と水の弾ける音ではっと我に返る。眩い輝きを放つ月の下、生まれたままの姿ではしゃぐ様子は普通に村で見るような子供たちとそう変わらない。

 

「レーナ、あんまり深いところ行っちゃダメだよ!」

「はーい!」

 

 ふと隣を見ればいつの間に着替えたのか、ヒビキちゃんは胸から股間までを覆うような地味目の衣装を身に着けて、先ほどまで着ていたであろう白い下着を木桶に入れてばしゃばしゃと水洗いしていた。いやそれよりも、その木桶はどこから取り出したのか。

 

「はー、まさかユウくんに見せようと思って用意してた水着がこんな風に役立つなんてね」

 

 まさかの水着だった。もう少しちゃんとした服らしいものが水着だと思っていた私からすればありえない。ほぼ肌着と同じようなデザインの水着なんて考えもしなかった。……股の食い込みもハイレグだし、生地は薄くてピッチリしているし、これはむしろ殿方を寝所に誘う衣装だと言われたほうがしっくりくる。

 

『アンタは入らないのか?』

「あ、いえ、その」

『心配いらない。アタシが警戒してる。ただ、何か来たら水から上がったほうがいい。感電する』

「か、かんでん?」

『要は“雷に打たれる”ってことだ。アタシは電撃の魔法やスキルが使える』

 

 ほへー、という言葉しか出ない。私が思っていた以上にこの馬らしきドラゴンは多芸なようだ。

 

「……はやく服貸して。洗っておくから」

「あ、ありがとうございます……」

 

 脱ぎ去った衣服一式を渡す直前、ヒビキちゃんの目線が私の胸に向いた。ぐっと、私の服を握りしめたヒビキちゃんが先ほどよりもさらに声のトーンを落として言う。

 

「…………ユウくんに色目使ったら────ボクは赦さないから」

 

 どうか無事のご帰還をお祈り致しております。というかほんとに無事で帰ってきて! 傷一つない状態で! 可及的速やかに! 

 

 

 

 森を抜けて丘の上から見た村の様子はひどいものだ。煌々と燃え上がる家屋がいくつか。中央の広場らしいところには篝火が焚かれ、集められた村人たちらしい影がそこかしこに見受けられる。

 偵察用装備の一種である単眼鏡から目を離すが、月と星の明かりくらいしか光源が無い夜間だというのに夕暮れ時程度の明るさで周囲が見える。吸血種という種族のせいか、それとも吸血鬼という夜の支配者たる種族のせいかはわからないが、夜目が利くというのは非常に便利だ。

 軍用のフルフェイスヘルメット──それも可視光増幅型のNV(ナイトヴィジョン)や熱赤外線を感知するTIR(サーマルインフラレッド)の切り替えが可能なハイエンドモデル──に比べて、機能の使い分けができない点がいささか不便だが仕方がない。

 

「さて、どう攻める?」

 

 思わず零れた問いかけ。“自分としては──”と後に続く副官の言葉は無い。そうだ、俺は今一人であの37人の野盗を始末しようとしているのだ。

 一人ずつ始末していたのではキリがない。だが複数を相手取るのは愚策。姿を晒して切り込むなんぞ到底ありえない。俺が姿を現したとなれば村人は救う間もなく殺されるだろう。

 

「情報が要る」

 

 だがどうやって得る? ナイフを突きつけて脅した程度で吐いてくれる相手ならいいが、そうでないなら? 助けを呼ばれればその時点で村人の被害が一気に増えるのは明白だ。

 

「……スキルが使えるか?」

 

 そう判断した瞬間に脳内を情報が駆け巡る。自らが行使可能な魔法とスキルがずらりと並び、その中で対人戦で有効に働くだろうモノがピックアップされていく。

 

「……どうやらやれそうだな。スキル発動、<眷属招来・古種吸血蝙蝠(エルダー・ヴァンパイア・バット)>」

 

 自身の周囲に赤黒い蝙蝠たちが現れ、ギイ、ギイと鳴き声を上げて俺の指示を仰いでくる。正直言って生きた蝙蝠なんて初めて見たが、ユグドラシルのとき以上にリアリティが増している。飛膜の動きの一つ一つが目で追えるうえに、彼らが発する超音波さえも感じ取れるとは、この肉体はスペックだけを言えば人類が比較にもならないものを持っているらしい。

 

「第一分隊、偵察だ。行け、静かにな……」

 

 20匹のコウモリたちが集団を離れて飛び去って行く。彼らがどの位置にいてどこを探っているのかが脳内に直接的に流れ込んでくる。

 

「第二、第三分隊、村の周囲を警戒しろ。侵入者や村を出ていく者がいれば知らせろ。第四分隊は俺のローブの中で待機だ」

 

 40匹のコウモリたちが村の周囲へと散っていく。お得意のエコーロケーションで潜んでいる者を探りつつ、目視で周囲を警戒して飛び回る。これでひと先ず村の全域が俺の警戒範囲内に収まった。

 さすがに本職のように<次元封鎖(ディメンジョナル・ロック)>や<完全不可知化(パーフェクト・アンノウアブル)>の看破、<攻勢防壁(カウンターディテクト)>などは習得していないが、できないことは他の下位のスキルの組み合わせで埋め合わせることだってできるはずだ。

 ゲームからそのまま現実世界のような挙動になったのであれば、そこらへんの“融通”が利くようになっているはずだ。ゲームをそのまま当てはめたのでは世界なんぞ成り立たない。ゲームのままでは矛盾していること、成立しないこと、齟齬が生まれることに関して何らかの補正や修正、そして歯抜けになっている辻褄を合わせてくれる“融通”がなされているはずなのだ。

 知恵と知識と発想を組み合わせて、自分が習得していない高位の魔法や職業のスキルを再現、もしくは劣化させたものを行使できる可能性が無いわけがない。

 

「使えるものは全て使う……“工夫を凝らしてあらゆるものを最大限に活用していくのがサバイバルの基本”か……前時代的な教官の、それも自然が死に絶えた現代で必要になるわけがないと思っていたサバイバルの心がけをここで思い出す羽目になるとはな」

 

 偵察に出した第一分隊のコウモリから齎される情報を頭の中で捌きつつ昔のことを思い出す。

 鬼教官に一端の戦士として鍛えてもらったこと。同じPMCのオペレーターを務めていた女性と恋仲になったこと。彼女がスパイ容疑で拘束され、48時間に渡る尋問の末に息絶えたこと。旧大阪アーコロジーに本社を置く企業の令嬢である妻と出会ったこと。結婚し、娘が生まれたこと。テロリストに娘を殺されたこと。同じテロで怪我を負った妻が一週間後に亡くなったこと。

 

「行くぞ」

 

 覚悟は──もう決まっている。俺は無慈悲に奪われていくだけの現実に抵抗する。

 目標は──最優先は村人の救助。次点で野盗の確保又は殺害。

 時間は──そう長くはかけられない。長くとも1時間。迅速に行動すべし。

 

「いる」

 

 モンク系や侍系の職業故か、種族的な特性かはわからないが敵意を感じ取った。敵意だとはっきり認識しているあたり、俺もずいぶん人間を辞めている体になっているものだ。

 相変わらず夕闇程度の薄暗さ──ただし人間にとっては漆黒の闇の中──だが、目の前から歩いてくる三人組は手にランタンのようなものを片手に持って、血濡れの剣を手にこちらに向かって歩いてくる。

 

「あー、しっかしアイツどこまで追っかけてったんだ?」

「さぁな。逃げたのが若くて美人のいい女だってのはわかるが、必死すぎだろ?」

「仕方ないさ。ラルフのやつ、前は見張り番で女を抱けてなかったからな。前に飼ってた女はボスの目に留まって一週間前にガキまで産んじまったし、三か月前は犯してた女にタマを噛みちぎられそうになってたぜ」

「なんだそりゃ! どんだけ女運がねーんだ? 今度は遂に殺されちまうんじゃねぇか?」

 

 ひと先ず背の高い草むらに腹ばいになって身を伏せる。ローブが自動的に周囲の光度に合わせてモザイクの暗色の迷彩へ変化し周囲に溶け込んでいく。

 ざく、ざくと足音が通り過ぎる。見つかった様子はない。すれ違いざまにスキルを行使し、敵のレベルを計測して情報を集める。

 

「<解析(アナライズ)>」

 

 ……人間種、名はトビアス、年齢は32歳、レベルは7……って一桁!? ステータスを見ても軒並み低い数字が並ぶだけで特筆すべき点は何もない。しいて言えば他の二人も同じようなレベルとステータスだった。これならコウモリだけでもやれてしまうぞ。

 

「始末するか──」

 

 ひょこ、とコウモリたちがローブの裾から顔を出す。“いかないの? ”と言いたげな雰囲気だが、コウモリに始末させた場合どうやって殺害するのだろう? 

 

『ごしゅじん、ごしゅじん、われわれは“きゅうけつきのけんぞく”であります。あいての“ち”をすって“しっけつし”させるのであります』

「……となるとまずいか」

 

 吸血で敵を殺したとなればどうなるか。生き血を吸われて干からびた死体が出来上がることになる。それはまるでどこぞのチュパカブラのような所業だし、人間業とは思われないだろう。ここで余計な不信感を与える真似は避けておきたい。

 折角人間種と同じ見た目をしているのだから、それは有効的に、そして友好的に利用できるはずだ。

 

「三人……ギリギリいけるか」

 

 このままあの三人を行かせればヒビキやレーナたちにたどり着いてしまうだろう。ここで始末しなければ。

 静かに起き上がってショートソードを抜き放つ。左手には一振りのダガーを手に、脚にかかる重心を調節することで足音を消して忍び寄る。少しずつ、野盗たちの背中が近づく。あと数歩……五歩、四歩、三歩、二歩……今だ! 

 

「──だってのにアイ──ゲボォッ」

 

 ぎり、と弓を引くように右手を後ろに引いて全力で前に突き出す。呑気におしゃべりを続けながら後ろを歩く男、トビアスの喉を矢のように貫いてショートソードが生える。

 

「──あ?」

 

 ショートソードを生やしたままのトビアスを前に蹴り飛ばし駆け出す。どしゃり、という音で異常に気が付いた男、アランの心臓にダガーを両手で力いっぱいに押し込むと、アランは痛みと衝撃で手にしていたランタンを手放した。

 

「ゲフッ!」

 

 押し込まれたせいで肺の中の空気を一気に吐き出したのか、アランが短い断末魔をあげて背中から倒れこむ。目じりに涙を浮かべ、死を忌避し、恨みごとを吐こうとして事切れるのを確認するよりも早くその隣に居た男、ビョルンの目を指先で突く。

 

「ぎっ! アッ──」

 

 バリン、とランタンが地に落ちて砕け散ると同時に聞こえたくぐもった悲鳴。指先に絡む眼球と神経のデコレーション。腹に肘を叩きこんで体を前にかがめた瞬間にビョルンの首を右わきで抱え込むようにホールドし、そのままぐるりと両手で頭を一回転させる。

 

「お゛っ゛ほ゛ぉっ」

 

 ごきり、ぼきり、と骨が砕け首が360度に一回転。ねじ切れた首から下がビクビクと痙攣を起こし糞尿をズボンの中でまき散らしたまま、ビョルンは息絶えた。

 

『おみごとなのです! さすがはごしゅじんなのです!』

「久々にやったわりに鈍ったような感触がない。……吸血種のカラダのお陰、か」

 

 起き上がってから一連の動きを行った所要時間は体感にしておよそ12秒。むしろ以前より早くなっているとはどういうことなのだ。

 

「……よし、死んでるな」

 

 ショートソードとダガーを回収し、今一度彼らの心臓に剣を突き立てる。無慈悲と思うなかれ、これは敵の死亡を安全に確認するための由緒正しい方法なのだ。死んでいないのなら今一度これで殺せばいい。死んでいるのなら死体になったと確信できるのでよし。わざわざ膝をついて相手の瞳孔を見たり脈をとったりする危険性の高い方法を使う必要などないのだ。

 

 そういえば生体センサーに連動した粗製爆弾(IED)なんてのもあったな。至近距離で殺したりすればそいつ諸共にドカンなんていう頭のおかしいヤツ。遠距離から撃ち殺して漏れなく連鎖爆発させてやったが。ざまあみろってんだテロリストどもめ。

 

「村に向かう。道中に敵影が無いか索敵しろ」

『らじゃー! だいよんぶんたい、てーさつにんむだー!』

『おしごとおしごと~』

『おいおすなよ! いまとぶから!』

『ねむいよー』

『おきろねぼすけ! ごしゅじんからの“にんむ”だぞー!』

 

 ……眷属って、こんなにコミカルなやつらなのか?



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オバロ試作品8

やっと出てきた原作キャラ。
でもなんでコイツにしたんだろう?


 死を撒く剣団、と言えばそこそこ名の通った傭兵集団だった。その始まりはリ・エスティーゼ王国とバハルス帝国の戦争でカッツェ平野に取り残された両国の敗残兵や負傷兵が手を取り合って生き延びたことにある。

 撤退する味方に置いていかれたり、負傷して動けないまま放置されていたり、味方が全滅してどこに行けばいいのかさえわからないような奴らが寄り集まった集団だった。

 

 俺たちを助けてくれるはずの母国や味方が俺たちを戦場に残したまま去っていく。

 

 仲間の骸が引き上げられるわけでもなく、弔いが行われるでもなく、介錯してくれるわけでもなく、ただ野晒しの雨ざらしでアンデッドが出るカッツェ平野に取り残されたのだ。

 

 俺たちに残されたのは粗末な支給品の武具一式と、同じように見捨てられた両国の兵士だけだった。国のために、仲間のためにと戦った俺たちは傷ついて、割れた陶器を捨てるような気軽さで見捨てられた! 助けてくれると信じた味方に裏切られたのだ! 

 

 アンデッドに殺されて死ぬことを覚悟していた俺を助けてくれたのは他でもない、同じように傷ついたバハルス帝国の兵士だった。お互いが生き延びるために彼らと協力して霧が立ち込めるカッツェ平野を走り抜けた。戦場で遺留品を漁る盗賊を殺し、殺され、必死で走っていた。

 

 生き延びたうちの数人は故郷へ帰ると言った。……自分たちを見捨てた国に帰るなんてよくもまあ甘いことを考えられるものだと思った。少なくとも、俺は国に帰ろうなどとは思えない。

 村に帰ったところで重い税を課されて食料も金も持っていかれ、厳しい冬の寒さに凍えながら一年を乗り越えるだけでも必死なのに、乗り越えたその先にあるのはまたしても収穫と徴税だ。

 

 俺たちは支払うものを支払っている。だが村への街道が整備されることもなく、国の兵士が巡回して治安維持に務めているわけでもなく、飢饉や大水のときに助けが来るわけでもない。挙句は徴兵されて村にもろくに戻れず、その果てに使い捨てられてみじめに泥をすする有様だ。

 

 当たり前のように俺たちは搾取され、当たり前のように使い捨てられ、その果てに死んでいく。今のこの国の……他の国がどうかは知らないが、少なくともリ・エスティーゼはそれが当たり前に行われている。一部の人間が弱者を支配し搾取を続けている。計量の際の分銅の重さを偽る、巻き尺の長さを短くするなどのコソコソしたものから、なんだかんだとそれっぽい言い訳をつけて税を重くする方法までいろんなものを兵士時代に見てきた。

 

 どうせあの肥え太ったブタどもが人々から“奪っていく”ものだ。奴らの腹に入る前に、奪い去ってやるとしよう。最初から無いものは奪えないし、出るものも出ない。奴らが奪ったあとのもの、これから奪う分を奪ったところで心が痛むわけもない。

 

「リーダー、代官の徴収が終わりました。荷馬車が8台、ほろ付きの馬車が2台です」

「よし、1台は代官のものだ。捕えて惨たらしく殺せ。顔や身元が割れるものを見せないように姿を隠せ。抵抗するやつは殺せ。女は捕えるなり好きにしろ。食料はすぐに奪って移送しろ」

「へへっ、久々の大きな獲物だ。これでメシが食える」

「ああ、だが気を抜くな。護衛もそこそこの数が居る。逃げるやつは棄ておいておけ」

 

 確か別働隊がアベリオン丘陵近くの村を狙っていたはずだ。あそこの実りが豊かであるからといって間をあまりおかずに何度も襲うようでは警戒されてしまうだろうに。

 

「ま、ヤツが居るなら問題なかろう」

 

 余計なことは考えずにやろう。今は目の前の得物を仕留めるのだ。我々が獲物を仕留めて帰れば拠点で待つ仲間が飢えずにすむ。

 

 

 

 

 村の入り口まで来たが随分警戒が甘い。月の位置はまだ高い。日の出までどれくらいあるかはわからないが、迅速に村の中へ侵入して村人を解放しなければ。多くの村人は中央から少し離れた倉庫などに放り込まれているが、それでも収まりきらない分は中央の広場に集められているらしい。

 コウモリたちの索敵のお陰で敵の位置はおよそ見当がついた。やはり上空から確認できるというのは便利だ。ドローンの映像や衛星写真などには作戦時にはかなりお世話になったのを思い出す。

 

「中央に集まっているのが厄介だが、どうやって引きずり出すか……」

『ごしゅじん、“いけんぐしん”いたしたいのです』

「聞こう」

『てきは“にんげんしゅ”でレベルもひくいのです。つまり“じょうたいいじょう”への“たいせい”がないとおもうのです。チャームなどでいちじてきに“しはいか”にすることで“てかず”をおぎなえるかとおもうのです!』

「なるほど。しかし同士討ちの発生や攻撃行動を一定確率で阻害する効果の“魅了(チャーム)”では静かに始末できないような気がするが──」

 

 いや、考えようによっては可能なのかもしれない。ここはゲーム内ではないのだ。となれば単純に“魅了”と言っても効果が変化しているか、あるいは現実に即した効果に書き換わってる可能性もある。

 

「……ものは試し、か。よし、数体であの野盗の気を引け。建物にもたれかかってるアイツだ」

『らじゃー! にひき、ついてこい!』

 

 パタパタとコウモリたちが飛び去っていくと、しばらくして積みあがっていた木箱の上に置かれた編みカゴがカタンという軽い音を立てて転がり落ちた。

 

「ん? カゴが落ちただけか──っ!?」

「俺を、見ろ。発動<魅了の魔眼>」

「う、あぁ……! お、まえ、は」

 

 乱雑に切りそろえられた髪の野盗の首をつかんで目を見てスキルを発動する。一瞬だけ苦しむように表情をこわばらせたあと、野盗の表情からは力が抜けて寝ぼけたようなとろんとした目で虚空を見るような間抜け面になった。

 手を放すと野盗はその場にへたりこんだものの、すぐに立ち上がって俺に向き直る。

 

「俺が、わかるか?」 

「……ああ、親友……わかるよォ。いきなり首をつかむなんてヒデェじゃねぇか……それで、何をすればいい?」

「すまんな。頼みがある。近くにいるお前の仲間を何人か呼んできてくれ。さっき女を追いかけて行ったラルフとかいうやつ、あいつを探していた三人がいいものを持って帰ってきたらしい。

 そうだな……十分後にあそこの民家の中に集めてくれればいい」

「わかったぜぇ……親友ゥ……何人か、連れてぇ、クルぜ……」

 

 足元が少しおぼつかないが、魅了は確実に効いたらしい。下した命令を遂行するために村の中へ入っていったのを確認し、支持した家屋にランタンをいくつか置いて、金になりそうなものをまとめてアイテムボックスから取り出して置いておく。

 俺好みではなかったそこそこレアな剣や盾、ついでに武器製作に必要なインゴット系素材をいくつか。金と銀のインゴットが数本に、レーナにあげるために買ってきたオパールやスピネル、ペリドットなどの安めの宝石系もいくつか麻袋に突っ込んでこれ見よがしにテーブルにセットする。

 

「本当なのかよ、あいつら外で何を見つけたんだ?」

「……来たか、少し早いな。まあとりあえず一旦隠れるか」

 

 外から聞こえてきた声と足音からして4人から5人というところだろう。天井裏に続く梯子を上がった屋根裏からのぞき込むと、反転した視界の中で6人の野盗がテーブルに並べられた金銀財宝を囲んでいた。

 

「こりゃスゲエェ! 宝石に金銀に、見たことのない剣まである!」

「ハハッ! これだけありゃあ村や代官どもをいちいち襲わなくても数年分のカネになるぞ!」

「でかしたじゃねぇか! そういやあいつらはどこいったんだ?」

「さァな……呼んできてくれって言われただけだしよォ、俺ぁ」

 

 集まった数はそこそこだ。この調子なら分散させて捕獲させてもいいかもしれない。ただダメージを受けると正気に戻る可能性があるから注意が必要だ。こいつらは全員縛り上げておいて他のエリアへ移動し、そこで同じ手口でまた眠らせ……というのが一番安全だろう。

 

「<魔法広域化(ワイデンマジック)>、<底なしの眠り(ディープスリープ)>」

 

 移動用の魔法を習得するために最低限度で取った中級魔法職の広域化を行使し、装備の効果で使用可能になる魔法を発動する。魔法戦士系のビルドによくある、“自身は取得していないが装備の効果で一時的に行使可能にする”という戦法だ。

 回復が使用可能な装備をセットしてヒールを使うとか、攻撃力の計算に筋力ではなく魔力を参照する武器などを用いるなど、魔法職と前衛職のハイブリッド……というのは聞こえがいいが実際は行使可能な魔法が装備に依存してしまうため荷物が嵩張ったり、装備を変更しなければ使えないという制約から突発的な事態や想定外の事態への対処能力が劣るため十全の力を発揮するには多量のカネとプレイヤースキルが求められるビルドでもある。

 

「これで、よし」

 

 魅了をかけた野盗も含めて全てをロープで縛り上げて転がしておく。念のため刃物などがないか確認しておいたが、動き出したりしないかコウモリに監視させておくとしよう。

 

「ギエッ」

「おやすみ」

 

 木箱に座りながらうとうとしていた野盗の首にナイフを突き立てる。三度ほど先ほどの手口で野盗を無力化し、村人を押し込めている倉庫の周囲を警戒していた野盗を殺害していく。油や松明の準備がしてあることから見て、命令さえあればそのまま火を放つ腹積もりだったのだろう。

 ゴトン、と扉を塞ぐ大きな木箱を引っ張ってどかして木製の扉をあけ放つ。入り口で光を放つ小さなランプの明かりに浮かぶ数人の村人と、その奥で暗闇と野盗の恐怖に震える村人たちがひしめきあっていた。見たところ子供や老人、四十代を超えた女性などがほとんどだ。

 

「待て、静かに。助けにきたんだ」

「っ!?」

「あまり騒ぐと気取られる。静かに、な」

 

 四十代と思しき隻眼の男が振り下ろした角材を片手で受け止め、指先を口にあてて“シーッ”とジェスチャーで伝える。ざわめきがすっと引いていくのを見計らって声をかける。

 

「しばらく前にこの村から逃げてきたという、栗毛で青色の瞳の二十代手前の女に丘の上の森の中で会った。村が野盗に襲われていて、助けを必要としていると聞いてきた」

「も、もしかして……その子はヘレンという名では!?」

「……そういえば名を聞いていなかったな。怪我をしていたので治療してそのまま待っているように言ってここに来た」

「そうでしたか……あの子は無事ですか。申し遅れました、私はバーバラと申します。あの、剣士さまは冒険者であらせられますか?」

 

 ボウケンシャー? ボウケンジャー? 某賢者? いや、どれでもないことは確かだ。冒険者と言えば冒険者みたいなことはユグドラシルでしていたが、今の俺は果たしてどうなのだろう。

 とはいえ、真っ先に冒険者なのかと確認するということはだ、冒険者というのは彼らにとって一種の希望といえるものなのかもしれない。……国軍や領主の軍が出てこないあたり悲しいところではあるが。

 とりあえずは村人を安心させ、冷静にするのが大事だ。興奮と喜びで変な行動を起こされてはかなわない。まずは何事も挨拶からだ。

 

「俺の名は……ルイス、ルイス・ローデンバッハだ」

「き、貴族さま……!?」

「すまないが俺は家名こそあるが貴族位も無い一介の旅人だ。そして冒険者でもない。だが、かつてある軍に属して一隊を率いて野盗や反動勢力と戦っていたこともある」

「お、おお……!」

「野盗の多くは無力化してある。だがすべてが終わったわけじゃない。今は静かにしているんだ」

「ああ神様……! ありがとうございます!」

「礼はいい。命がけで俺に助けを求めてきたヘレンに言ってくれ。っとそうだ、皆はモンスターを使役できる人物に心当たりはあるか?」

「そ、そういうことができる人がいるというのは聞いたことがありますが……」

「だったら話が早い。俺の従えているコウモリたちを見張りにつかせる。……俺に何かがあればコイツが知らせてくれるから、その時は逃げ出せるようにしておいてくれ」

 

 もぞ、とローブの下から一匹のコウモリが姿を現す。チチ、と軽く鳴いてから木箱の上に座り込む。小さいとはいえレベルにして40はあるコウモリたちだ。この見た目で麒麟の子どもであるキリよりレベルが上なのだからあの野盗どもに対して過剰戦力もいいところだ。

 

『にんむふくしょうなのです! むらびとのごえいにつき、てきせいせいりょくからまもるのです!』

「いい子だ。頼むぞ」

『いいなー』

『うらやま、うらやまー』

『ボクたちは? ボクたちにもナデナデしてー』

「全部終わってから撫でてやるから待ってなさい」

 

 一匹撫でてやると他の子まで騒ぎ始める。頼むからローブの中でもぞもぞ動き回るのはやめてくれないか。割とくすぐったいのだ。

 

「し、シャアァァベッt……」

「アードルフ、静かに!」

「……コウモリって喋るんだな」

「でも、キモいと思ってたけど、こうしてみると意外とかわいい……?」

「いやでもさ、コウモリだぜ?」

 

 怖がられるものかと思ったが存外そうでもないらしく一安心だ。不思議なものを見た感じはぬぐえないが、恐怖心で逃げ出したりしなかったのだからまあいいか。

 

「俺はこの後他の倉庫と中央の広場の野盗を処理する。他の野盗は捕えてあるが、念のためにあまり動かないようにしていてくれ」

「ルイスさんだったか、聞いてくれ。俺の娘が二つ先の倉庫に連れていかれちまったんだ……まだ結婚したばかりだったのに……!」

「俺のとこの子もだ……! あいつら、若い娘を犯して楽しんでやがるんだ……!」

「僕の娘なんてまだ10歳になったばかりだった! なのにあいつら、我先にアリのように寄ってたかって襲いやがった……!」

「わかった。俺も娘を持っている身だからその気持ちはわかる。……俺が相応の報いを与えてやるさ」

「もし俺たちにできることがあったら言ってくれ。あんたの助けになるんなら喜んでやってみせる」

「……ありがたい。普通は巻き込まないためにも“気持ちだけでも嬉しい”と言うべきなんだろうが、正直俺一人じゃ捕えた野盗全員の面倒を見切れない。手を借りるときはコウモリを経由して伝えよう」

 

 俺の娘、レーナがもしもそういうものに巻き込まれたなら……俺は決して許しはしないだろう。捕えた後、死を懇願するほどの拷問にかけて生かしながら、じわりじわりと骨の髄に沁み込むまで悔恨を味わわせてやる。

 コウモリを出して再び偵察。倉庫の中に居る6人と、周囲を見張る野盗が3人。気だるそうに見張りを続ける三人を音もなくダガーで始末し、<飛行>を使って屋根の上へ。換気のためらしい木枠の窓を開けて内部に侵入し、足音に注意しつつ下の階への梯子のところから下を覗く。

 

「あっ──」

 

 不意に、仰向けで寝転がる裸の少女と目が合う。咄嗟にジェスチャーで“静かに”と伝える。

 

「おい、何してやがる」

「──ひっ、あ、やめて、来ないで!」

 

 マズイ、野盗が彼女に感づいた。警戒されるよりも前に仕留めたかったがやむを得ない! 

 

「ぶべらっ!」

 

 梯子がかかる枠を掴んで支点にし、飛び降りる勢いのままに野盗の頭を蹴り飛ばす。ぐりん、と首が一回転した野盗はしめやかに倉庫の片隅にご退場。まずは一人だ! 

 

「クソッ! 侵入者だ! 敵襲! 敵襲!」

 

 勢いのまま吹き飛んだ野盗。入れ替わるように着地し、左手の指先に挟んだ投げナイフを勢いよく投げつける。投擲速度のせいか、弾丸の如く飛んで行ったナイフが野盗の眉間と心臓を貫いて二人を壁に打ち付ける。これで三人! 

 

「ぐはっ!」

「あぐっ、ち、くしょ……」

「ドン! エドガー! クソッタレめ!」

 

 下半身丸出しのまま剣を抜き放って切りかかってくる男。ぶらぶらと揺れるナニと正反対に真っすぐに剣が振り下ろされる。右手のショートソードを振り上げて受け止め、左手のダガーを野盗の下半身に突き刺し、柄を蹴り込んで押しのける。これで四人! 

 

「動くな!」

 

 声のほうへ顔を向けるとランタンの明かりで照らされた鈍色の輝きの短剣が少女の首元に突き付けられていた。汚物と白濁と自らの血にまみれた少女は髪を引っ張られたまま力なく野盗のなすがままになっていた。

 

「剣を捨てろ……でなきゃわかるよなぁ?」

「ヘヘッ、こっちは二人だ。お前が何かしようとしても殺すほうが早いぜ?」

「け、剣士さん……私は、いいから……!」

「黙ってろ!」

「ぐっ、うう……殺して……お願い、お願いします……!」

 

 身動きする体力も気力も失われているのに、彼女は抵抗をあきらめていない。自身はどうなってもいい、だからこの二人を殺してくれという懇願が聞こえる。

 

「なら……スキル発動<死せる勇者の魂(エインヘリヤル)>」

「は?」

「ふぁっ!?」

「「これでこっちも二人だ」」

 

 白い光が人の形をとって現れる。その光景に目を奪われた瞬間、同時に駆け出して一瞬で野盗が手にしていた剣を払って一本背負いで投げ捨てる。すかさずショートソードを心臓に突き立てて息の根をとめて、先ほど蹴り飛ばした虫の息の野盗にも平等の死を与えてまわる。

 

「……すまない、危ない目に合わせたな」

「いえ……ご無事でしたら、何より、です……」

 

 捕えられていた彼女たちの様子を見てわかったが随分衰弱している。以前にも野盗に襲われたというヘレンの言葉から察するに、おそらくここしばらくはかなり生活が厳しかったのだろう。

 

「みんな、これを飲むといい。ポーションだ」

「あ、赤い……ポーション? 血じゃないですよね……?」

「青いのが普通のポーションだと思ってた……」

 

 これはガバったかな……? どうやら一般的なポーションは青色なようだ。とはいえ出してしまった以上は言い訳できない。何かいい方便はないか? もっともそれっぽく、しかし違和感のない理由、言い訳を考えないと。

 

「あー、それは、な、実は以前潜った洞窟で見つけたポーションなんだ! 魔法詠唱者(マジックキャスター)に鑑定してもらったが確かにポーションだ。俺も実際に使ったことがある」

 

 ただし他人にだけどな! 実際はヒビキが作ったポーションで、高難度ダンジョン攻略時の余り物だ。

 

「……じゃ、じゃあ……ええいっ!」

 

 赤毛の少女が観念したのか一気にポーションを飲み干した。

 

「……お、おお……? す、すごい……! 体が軽くなったみたい……! 今すぐ麦の収穫に出られそうなくらいです!」

「ほ、ほんとう……?」

「本当だって! アイナも飲んで!」

「じゃ、じゃあ……んぐっ! …………ふ、ふわぁぁ……し、しゅごい……体があったかくなる」

 

 ──なぜか恍惚とした表情になった。媚薬の類ではないはずなのだが。とにかく他の子もリアクションは様々だが強張った表情が緩んでとろんとした表情になった。

 ヒビキがゴーレム作成に関連するものとして錬金術師を取っていたのもあって、とりあえず予備でもらったポーションだったが他の効果があったか確かめるためにアイテムボックス内に手を突っ込んでみる。

 

<名称:ハイブリッドポーション

 効果:HP30%、MP15%回復

 製作者:ヒビキ

 フリーテキスト:愛しのユウくんもコレ一本あれば元気ビンビン! 朝でも夜でもバッチリプレイ可能に!>

 

 ヒビキィィィィッ! お前ェェェッ! オォォォマァェェェッ! 

 製作者のコメント欄に何書いてくれちゃってんのオォォォッ!? いやこんな事態想定外もいいとこだから仕方ないけどさぁ! それでももっと他のことあるだろォォッ!? 

 

「出てこおおぉい! 居るのはわかってんだぞ! 出てこなければ人質を一人ずつ殺していくぞ!」

「チッ、バレたな……行くしかなさそうだ」

 

 盛大に頭を抱えていたところに怒号が聞こえる。コウモリ経由で広場のほうで動きがあったことが伝わってきて、一人の男の首が撥ねられたらしい。

 ……どうやら本気なようだ。これ以上被害を増やすわけにはいかない。相手の思惑に乗ってやるしかないだろう。念のために<死せる勇者の魂(エインヘリヤル)>で分身体を出して待機させておこう。いざとなればコウモリ軍団にも出張ってもらう必要がありそうだ。

 

「第四分隊、第一分隊と合流し全員散らばって敵の近くで待機しろ。……仕掛ける際には合図を出す。合言葉は“死を届けにきた”だ」

『らじゃー! だいよんぶんたい、にんむふくしょう!』

『ちらばっててきのちかくでたいき! あいことばでこうげきかいし! ちかづけないならそのままたいき!』

「行け。気取られないように、奇襲可能な距離へつけ。気取られる可能性があるなら近づかずに待機し、攻撃指示を待て。それと彼らに連絡を頼む」

 

 さて、勝負どころだ。どの道残っているのは中央の野盗どもだけだ。……村人に恐怖を与えるかもしれないが、これ以上犠牲者を出さないためには手段を選べない。コウモリたちを動員すれば問題なく始末できるだろう。あとはタイミングを逃さず、一息で全滅させるだけだ。

 

 

 野盗の剣が一閃、その軌跡が一つの命を奪い去った。

 

「ぎゃああっっ!」

「イェルド! くそおおぉぉっ!」

「サムエル村長……! もう俺たちは……」

 

 イェルド、先日風車小屋のヘレンと婚約したばかりの農夫の青年が冷たい骸へと変わった。襲撃の折にはノーラの夫であるシモンも殺された。年若い夫婦が、明るい未来を築いてほしいと願っていた者たちが死んでいく。

 

「そこまでにしてもらおうか」

 

 低く、威厳と覇気に満ちた声が広場に響いた。まるで声そのものが圧力を持つかのように、広場のあちこちに焚かれた篝火や松明が風に揺れる。その薄明りが照らす広場に歩いてくる一人の男の姿が目に留まる。

 

 厚手のローブを身にまとい、見える部分は多くが革製で部分的に鋼鉄で覆う軽装の戦士。薄い鉄板を加工したらしい小型のガントレット。ローブから覗く一振りの剣を携えた彼の視線が私たちを貫く。

 黄金の髪と赤い瞳。精悍な顔つきの凛々しい青年と言っていい男が私を見て言う。

 

「御老人、ご心配召されるな。問題ない」

 

 不思議と恐怖感はない。ああ、大丈夫だ。むしろ安堵感を感じるほどに彼の言葉はすっと心の中に響いてきた。

 

「この野盗の首魁はお前でいいのか?」

「ああそうとも。わかったら剣を捨てろよお坊ちゃん。俺はそこらへんの甘ちゃんとは違うんだ」

「フム。まあいいだろう。ほら、これでいいか?」

 

 何のためらいもなく剣を捨てるなんて! これでは彼が殺されてしまうだけだ! 

 

「へへ、言い残すことはあるか……?」

 

 野盗の首魁が彼に剣を突きつける。ニヤニヤと下種な笑みを浮かべているが、剣を向けられている彼は余裕綽々と言わんばかりに笑みを浮かべるだけだ。

 

「特にないな。ちょうど引き取り手も来たようだし、言っておこう。……“死を届けにきた”」

 

 パンッ、という乾いた音と共に、撥ね退けられた剣が私の目の前に転がる。見れば野盗の手にはすでに剣は無く、青年は目で追うことさえできない早業で野盗をぐるんと投げ飛ばして後ろ手に腕を捻って抑え込んでいた。

 

「いっ、ぎ、ふぅ、ぬうんっ!」

「諦めろ。お仲間も見ての通りだ」

 

 いつのまにか周囲に陣取っていた野盗たちが取り押さえられていた。しかも取り押さえたのは村の女衆や成人前の少年たちだ。いかなる方法を使ったかはわからないが、戦う力を持つ野盗がいともたやすく非力な者たちに取り押さえられていることに愕然とする。

 

「よっ、と……これでいいか」

 

 おそらくこの状況を作り出しただろう青年は何事もないかのように野盗の首魁を縛り上げ、乱雑に放り投げて寝転がすとこちらに近づいてナイフを取り出した。

 

「ほら、縄を斬るぞ。さっさとこいつらをどこかに閉じ込めて領主の軍なり憲兵なりに引き渡さないといけないんだ。すまないがみなの手を貸してくれ」

「あ、あの野盗たちは、どうして」

「なに。ちょっとした毒を与える低位階の魔法だよ。痺れて動きが鈍る程度のな」

 

 驚いた。武器を持った野盗を素手で組み伏せる実力を持ちながら、魔法の才まで持っていようとは。後ろ手に縛られていた縄が切られ、圧迫感が消える。目の前に翳した手は手首のあたりが縄で擦れたりして傷だらけだが動かせないわけではない。

 倉庫に囚われていた隻眼の男──私の親友のアーロンが他の男たちを解放していくのを見ていたところに声がかかる。

 

「あんた! 無事だったかい!? ああ! もうこの村も終わりかと……!」

「すまんなバーバラ……心配をかけた」

 

 夫婦となって二十年。共に村の発展と平和のために二人三脚で歩んできた愛しい妻を再び抱きしめることができるなんて! 以前はいつものように抱きしめていた彼女の温もりが、今日は何故か一段といとおしく感じる。

 

「すまない、村長殿。喜ぶのは少々後にしてくれ」

「む! こ、これは失礼いたしました! まさか助かるとは思ってもみなかったもので……!」

「違う、そうじゃない」

 

 剣士の青年が投げ捨ててあったショートソードを手に取り、村の入り口のほうへと視線を向ける。険しい表情と威厳のある低い声で否定され、何事なのかと彼と同じく入り口に目を向け────その姿をはっきりととらえてしまった。

 

「よう、お前さんがコイツら全員やっちまったのか?」

「まさか。村人たちの協力あってこその成果だとも」

「ほう。この俺に気付かせることもなくか? だとしたらその言葉は随分と謙遜が過ぎるんじゃないか?」

「フム、気付かないほど遠くに居たからじゃないのか? 村のはずれに一人で居たんじゃ気づかないのも当然だろう?」

「いやいや俺はこう見えて割と勘がいいほうでな。この村の中で何かあれば一発でわかるさ。なのにその俺に何一つ気取らせないでこうも手際よくコイツらを制圧してみせたんだ。お前さん、只者じゃないだろう?」

「そういう貴殿こそ只者ではないようだが?」

 

 軽快に対話しているように見えるが二人の距離は一定を保ったままで、体を動かす素振りすらない。相手をただじっと観察するように見ながら言葉を交わす様子はただひたすらに警戒心で埋め尽くされている。

 その様子に気付いたらしい他の村人たちは恐怖に慄いて距離をとり、気づけば自然と広場に円陣ができあがっていた。

 

「名乗っておこう。俺は、ブレイン・アングラウス。一応、こいつらに雇われて用心棒をしている」

 

 ブレイン・アングラウス! まさか御前試合でかの王国戦士長ガゼフ・ストロノーフと互角に戦ったと言われる男がこんなところに居るだなんて! ハッタリではなく本物なのだとしたらいくらなんでも危険すぎる! 

 

「名乗られたならば名乗り返すしかあるまい。ルイス・ローデンバッハだ。……なるほど……刀使い……しかもなかなかにやれるようだ」

「ご名答。随分目がいいな」

「目利きはそこそこできるクチでね。それで用心棒のブレインさんが何の用だ?」

「一つ、ヤろうじゃないか。俺が勝てばこいつらを解放してもらう。お前さんが勝てば俺たちはお縄につく。わかりやすいだろう?」

「──乗った」

「なっ!? 正気ですか剣士さま!? 相手はあの──!」

「正気も正気だ。……それに、見様見真似の刀使いに負ける気は毛頭無い」

 

 大胆不敵にもほどがある! 王国最強と言われる男に匹敵する剣士に見様見真似などと! 挑発以外の何物でもない! 

 手にしていたショートソードが不意に消えた。目の前で確かに握っていたはずであるというのに、そこにあるのは鞘に収まった、反りをもった一振りの剣に代わっていた。

 

「……刀使いか?」

「刀使い? 阿呆め。高村派一刀流極伝、朝……ルイス・ローデンバッハがお相手仕る!」

「まさか……本物の剣士か!」

「然り! ブレイン・アングラウスとやら、その力の底を見せてみよ!」

「っ……上等ォォッ!」

 

 二人の剣士が己の剣を抜き放つ。ブレイン・アングラウスの剣は月明りを帯びて鈍く輝き、ルイス殿の剣は炎を映して赤くゆらめく。

 これは、大変なことになる。ともするとこの瞬間こそ、新たな英雄の出現であるかもしれぬ。そんな予感がする。



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オバロ試作品9

GHOST OF TSUSHIMAが楽しい。爆竹で注意を集めてからの“てつはう”コンボ。
一騎打ちカッコイイ。三人斬りが爽快。
大波浜の戦い。約束は果たすスタンス。モブの牢人姿なのにカッコイイじゃない……。
対馬のバーサーカー。裏切り者&蒙古兵特攻ありそう。
石川先生は……うん……石川ァ!
志村ピーチ姫で笑うしかない。
キャラクターはともかく、千葉繁さんのああいう演技珍しいので好きです。


 篝火の焚かれた村の広場の中央で剣を抜き放つ二人の男の間に緊張感が走る。固唾をのんで見守る村人たちをよそに、男たちがゆっくりと剣を構えて己の得物を向けあう。

 片方は黄金の髪と赤い瞳の剣士、ルイス・ローデンバッハ。野盗に襲われたこの村を救ってくれた紛うことなく我々にとっての英雄は、革鎧と金属鎧を部分的に組み合わせた重ね着で、ローブを纏う姿からしてもまさしく旅人という風体だ。

 もう片方は青い髪と黒い瞳の剣士、ブレイン・アングラウス。野盗に用心棒として雇われたらしい、リ・エスティーゼでも一二を争った剣士の片割れ。普通のシャツに普通のズボンという軽装だが、その腰に収まった白塗りの鞘から抜き放たれた剣はまさに名刀だ。

 

「あんた……いったいどなっちまうんだい……」

「わからん。……俺にもわからん……だが、どちらかが死ぬということはわかる」

 

 金の影は刀を地に向け、青い影は正面に真っすぐ構える。お互いの目は目の前の敵にしっかりと向けられていて、広場を囲む人々が見守る中でただ時間が過ぎていく。

 

「おーい! 村長! みんなを助けてきたぞ!」

 

 背中越しに聞こえた呼び声。その瞬間、均衡が崩れた。

 

 

 

 

 振り下ろした剣が軽々と受け止められた。いや、俺が動き出して振り下ろすまでの間にあのルイスという男は先んじて剣を振り上げたのだ! 出がかりの一瞬、刹那の時をまるで予期したかのように剣を振り上げ、速度と威力が乗る前に受け止めて見せやがった! 

 

「くっ!」

 

 弾かれるように押し出された剣を手元に戻し、振り上げからの切り下げを受け流す。返す刀で突きを二回、しかしこれをヤツは読み切ったように身をよじり体幹をずらして回避しやがった。

 

「ハッ!」

 

 姿勢を崩した、と思われた回避からの踏み込み。逆に下から突き上げるように放たれた突きが俺の心臓にめがけて放たれる。咄嗟に右足で蹴って跳び、ごろごろと転がるように剣を逃れる。

 ……やはり強い。この男を相手に武技抜きでやりあうのは自分の死を早めるだけでしかない。全力を懸けるに値する強者だ! 

 

「よく避ける」

「……生憎、俺だって修羅場は潜ってきたつもりだ」

 

 右下から左上への切り上げをそのままぐっと引き絞り突きを放つ。回避され、突きは当たり前と言わんばかりに相手の刀でいなされて弾かれる。お返しと言わんばかりに手首を狙った袈裟切りをバックステップで距離をとって回避。右腰に構えなおして右から左への薙ぎの一閃。牽制にと放たれた剣を受けたのを見て、即座に足元を払うように返す刀で切り払う────

 

「ふっ!」

「……ぅっ!?」

 

 斬れる──そう確信した足元への切り払いは空を切った。先ほどまで見えていた足先はどこにもない。

 ヤツは両腕を広げ、“地にかがんだような”姿で空中に跳ぶことで振り抜かれた剣を紙一重で避けて見せたのだと刹那の一閃の中で理解した。その姿はさながら獲物を狩る大鷹や梟が翼を広げて襲い掛かるようで、今の俺はまさに狩られる側なのだと直感でわかった。

 

「っ、おぉぉぉっ!」

 

 ヤツの腕が真上に伸びる。空中で振り上げられた、赤い炎の揺らめきを映す刃。そのままヤツの足が地に着けば同時に振り下ろされた剣が俺を両断して過ぎ去る。まだ、死にたくない。俺はまだ死ねない。剣を極めるまで、ここで死ぬわけにはいかない! 

 

「避けたか!?」

 

 ぐるぐると視界が回る。無様にも、みっともなくも、恥も外聞も投げ捨てるように身を投げて剣を寸でのところで避けきった。ギャラリーどものざわめきもさっきの一瞬、命の駆け引きの瞬間の前には虫の音も同然。それほどにまで俺はヤツの剣に集中しきっている。

 だが今の手でおよそ力量はわかった……相手は余裕さえあるほどの巧者だ。正面からの剣の腕では俺は太刀打ちできない。いなされ、払われ、返す一手で両断されてしまうだろう。で、あれば全速全力を以ってヤツの剣が俺に届く前に斬り捨てるのみだ! 

 

「武技<領域>」

「…………そいつは?」

「俺のオリジナルの武技さ。使うからには決める。悪く思うな」

 

 見るからにヤツの警戒心が増している。見たことが無い武技だとわかった瞬間に肌を刺すような威圧が増した。圧倒する力、上を行く技量、確かにヤツは俺よりも強いが……俺は自身の研鑽がヤツを超えることができるという自負がある。

 

「居合いを使うか」

「そうか、“イアイ”というのか、これは」

「ああ。ならば俺も迎え撃たねばなるまい」

 

 俺が鞘に剣を収めると、ヤツも剣を鞘に収めた。周囲のざわめきが大きくなる。ようやく争いが終わるのだと思っているがそれは違う。鞘に収めたのは“確実に敵を斬るため”でしかない。

 再び柄に手をかける。するとヤツは親指で鍔を押し、僅かに刀身を押し出してみせた。あれだけの使い手が何の意味もなくするとは思えない。剣がここにあると見せつけて気を引くためか、あるいは剣の長さを誤認させるためか……どちらにしても俺が先に切ればいいだけの話だ。

 

「お前、雇われだったな?」

 

 集中力を高める……その中で不意にヤツから声がかかる。

 

「……そうだが?」

「なら、雇われる気はあるか?」

「お前さんに?」

「いいや、この村にだ。今後二年間、村の用心棒として働いてもらう。報酬は前払いで……この刀でどうだ?」

「……なんで今そんな話をする? お前さん、死ぬかもしれないんだぞ」

「なんでって言われてもな。俺が勝つからに決まっているだろう?」

「……ふざけてんのか、テメェ」

 

 いかん、これはヤツの策だ。集中力を殺ぐために仕掛けてきただけのことだ。感情に呑まれずただあのそっ首を撥ね落とすだけだ。<領域>は十全に働いている。ヤツも剣に手をかけてじりじりと射程内に収めようとにじり寄っている。ヤツの足先、そこさえ俺の領域内に入ればそれで十分だ。

 

 

 

 あと一歩だ。あと一歩で領域はお前を捉える。

 

 

 

 ────じり、と足先が地を擦る。

 

 

 

 あとリンゴ二つ分だ。赤い華を咲かせてやる。

 

 

 

 ────じり、と足先が地を擦る。

 

 

 

 あと一つ、野イチゴが一個分。もう少しだ。

 

 

 

 ────じり、と足先が地を──

 

 

 

 ……捉えた! 

 

「ハアアアァァァッ!」

 

 一瞬で引き抜かれた剣の軌跡が翔ける。一直線に、ヤツの頸を切り落とさんと走り始め────

 

「むんっ!」

 

 空を翔ける鳥よりも早い閃光が走った。バキンッ、と鈍い音を響かせて鈍色の欠片が宙に舞う。鞘の内から引き抜かれたヤツの剣が一閃し、俺の剣を砕いて過ぎさったのだと遅まきながらに理解した。理解できてしまった。

 

 打ち上げられ、半ばから折れた俺の愛刀。その折れた切っ先が空を舞って俺の傍らに転がる。剣を振り抜いた姿勢からゆっくりと体を戻し、その剣を鞘に納めたヤツは不敵に笑みを浮かべた。

 

「ほぅら、俺の勝ちだ」

 

 ……武器が無いのでは意味がない。剣を折られたのでは打ち合えない。いや、それ以上に……俺の中でもっと大切な何かがへし折られたのだ。プライド、努力、研鑽、決意、意地、今まで信じてきた何かが圧倒的なナニカによって完膚なきまでに打倒されてしまった。

 

「────ああ、俺の負けだ。二言は無い。もっていけ」

 

 完膚無きまでの敗北。ただ跪いて死を受け入れるのみだ。自分は善人ではないし、むしろ悪党の類と呼ばれてもおかしくはない生き方をしてきた。後悔はないが、心残りなのは剣の極みへと至れなかったことだろうか。

 

「じゃ、コイツをお前にやる」

「……いや、俺は負けたんだぞ。剣の勝負で、命を懸けて、負けたんだぞ!」

「だからさ。俺がお前の命を拾った。だからお前に仕事をしてもらう。それでこの剣は報酬の前払いだ。剣も無しに用心棒をしろなんて言うほど薄情じゃないんだ。

 負けは負けだ。つべこべ言わず、その拾った命を押し付けられた仕事のために使ってもらう」

「いいのか? 俺はあいつら……野盗同然の傭兵に用心棒として雇われてたんだぞ? そんなのをいきなり雇って村に置くなんぞ、村の人間が認めないだろう」

 

 俺を打ち負かしたルイスという男は手にしていた刀を鞘ごと抜いて俺の前に差し出してきた。この男はここまでして一体俺にどうしろと言うのだろう。

 

「普通はそうだな。だがお前は剣にすべてを懸けた……そうだろう? 別に剣を折られただけなら逃げるもできたし、なんなら人質を取るくらいはできる時間があった。けどお前は逃げることもせず、自身が負けたと認めて(こうべ)を垂れた。剣に殉じる覚悟があるのなら、剣に誓うくらいはできるだろう?」

「……ハァ、敵わんな。お前さん……いや、師の温情に感謝する」

「……どうしてそうなるんだ?」

「命を救われ、刀まで授けられたんだ。おまけに剣の道も見えた。なら師と呼ぶべきだろ?」

 

 はぁ、これから二年間はタダ働きだ。しかし授けられたこの剣は俺が元々持っていたものよりさぞ上等なのだろう。この剣に懸けて、俺の剣を信じてくれた師のためにも、務めを果たさなければな。

 

 

 

 

「……村長さんよ、この戦い……俺の負けだ。この命、如何様にでも好きに使ってくれ」

 

 俺から受け取った剣を村長の前に置き、ブレインが頭を下げて自身の負けを宣言した。ヤツ自身は憑き物が落ちたような、どこかスッキリした雰囲気さえ感じるがいきなり頭を下げられた村長は見るからに動揺が隠せていない。

 しかし奥さんに後ろから突かれて決心したのか、剣を取り上げてブレインに言う。

 

「正直、あなたの言葉は……すぐには信用できない。我々はまさにこの野盗どもに虐げられ、奪われてきたのですから。恩人であるルイス様のお言葉があるとはいえ、そこは何も変わりません」

「……そうだ、ブレイン・アングラウスだろうが、俺はアンタなんぞ認めねぇ!」

「あたいだってそうだ! あんたが用心棒してたのは人殺しどもだ! そんなやつが今さら何を言ってんだか!」

「どうせただの命乞いだろ。さっさとその首撥ねちまえ!」

「あの金髪のヤツだってグルかもしれないんだ。ブレインと組んで狂言を仕掛けてるんじゃねぇのか?」

 

 ブレインの言葉も空しいものに終わった。今の村人たちは怒りを向け、不信感を募らせている。今のこの状況を覆す手は無いだろう。信用や信頼というものは日々の積み重ねの中で生まれてくるものだ。それを今日会ったばかりの人間に信用しろと言ったって暖簾に腕押しでしかない。

 

「待ってください!」

 

 不意に俺の前に一人の女が飛び出してきた。襤褸切れで身を隠した程度の華奢な体、こげ茶色の長い髪の少女と言っていい女。それに続くように数人の少女たちが俺周りを囲むように円陣を組んでいる。

 

「エミリアちゃん!?」

「アルヴィンとこのマリアンちゃん!? それにフーゴのとこの娘っ子まで!」

「何をやっているんだ!? そいつらから離れなさい!」

「いやです! 絶対に離れません! この人は私たちを助けてくれた人です!」

 

 確かこの子たちは先ほどあの倉庫で助け出した少女たちだ。最低限身なりを整えた程度のままでここに来るなんて! 裸足だし寒さも感じているだろうに。それなのに俺が疑われているのを見て飛び出してきたのだろうか。

 

「この人は……私たちを犯していた野盗たちに報いを受けさせ、しかもダンジョンで見つけた貴重な水薬(ポーション)を使ってまで私たちを助けてくれた人です! 

 倉庫に居た6人もの野盗を相手に命がけで戦って! しかも人質にされた私を傷つけることなく救い出してくれたんです! 野盗相手に戦うなんて、自分が一番危険なことをしているのに……! なのに、見ず知らずの私たちに“危険な目にあわせてすまない”とまで言ってくれた人なんです! 

 この人がお金や食料目当ての卑しい人じゃないことは私たちが証明します!」

 

 まだ幼い子もいるというのに、足が震えているというのに、この子たちは周りの大人たちに一歩も引かずに向き合っている。子どもらしい純粋な好意は美徳だし嬉しいものだけれど、果たしてそれが周りの大人にまで通用するのだろうか。

 そんな中で一人の男……倉庫で俺に話しかけてきた男が人の輪を掻い潜って前に歩み出てくる。

 

「おい! おい! エミリア!」

「……お父さん」

「あ、ああ……よかった……! エミリア、エミリア……!」

 

 感極まったのか、エミリアと呼ばれた彼女は父と涙ながらに再会を喜び合った。人目も気にせず抱きしめ、愛おしそうにお互いの無事に安堵している。

 

「辛い目にあわせて、すまない……! お父さんがもっと強ければ……こんなひどい目には……」

「大丈夫、大丈夫よお父さん。……ひどい目にはあったけど、この方のお陰で命が助かったんだもん」

「ルイス様、娘たちを救い出してくださり、まこと感謝の至りにございます!」

「……確かに受け取った。といっても俺自身にとっては昔取った杵柄というものだ。軍に居た頃の経験と技術が役に立つと思ってやったことだし、何よりあの子に……ヘレンに助けを求められたからに過ぎない。それに犠牲者を防げたわけでもない」

「いいえ! 犠牲は何をしようと確かに出たでしょう……ルイス様が襲撃に立ち会っていたとしても、あの数をたったお一人で抑えるなど土台無理な話です。二人、三人と野盗を殺している間にも、他の奴らが村人を殺してまわったはずです。どうかご自分を責めないでください」

 

 俺に向かって感謝する二人を見て、村長は一歩歩み出て咳ばらいをする。今しかないと思ったのか、その態度は先ほど妻に背中を突かれたときと打って変わって堂々としている。

 

「うむ、皆もよく聞いてほしい。ルイス様は仮定はどうあれ住民の多くの命を救ってくださったお方だ。あのままでは皆殺しの憂き目にあっていただろうことは火を見るよりも明らかだ。

 今はまだ皆が納得はできぬというのは私にもわかる。だが彼が己の命の危険さえ顧みずに剣を振るい、我々を救うべく戦ってくれたことは確かな事実だ。だというのに我々がルイス様を悪し様に言うことは道理を違えた行いであるとしか言えん。

 まずは死んでいった者たちを弔い、然るべきのちに改めてお話を伺おうではないか」

「……村長がそう言うのなら……今は控えよう」

「けど、そいつをほったらかしになんてできるのか? ブレイン・アングラウスなんて、逃げ出しでもすれば俺たちじゃ……」

 

 ひとまず村長はことを収めようとしたが、ブレイン・アングラウスというネームバリューが思いのほか大きい存在だったらしく、村人たちから色よい返事が聞こえない。一様に不安を口にしているのも無理からぬことではあるし、ただの村人が腕の立つ剣士であるブレインに敵うわけもないのが事実だ。

 

「それについて、一つ俺から提案がある」

「……どのようなものです?」

「ブレイン・アングラウスをこの広場の中心で瞑想させる。もちろん飲まず食わずで用も足させず、雨が降ろうと石を投げられようと動かずに。姿勢が崩れたらすぐに元の瞑想の姿勢に戻す。……できるな?」

「しかしそれでは逃げ出すのでは……?」

「俺が見張る。逃げようものなら背中から斬る。眠ろうものなら頭を叩いて目を覚まさせる。ひたすらに瞑想を続けさせ、逃走の意志が無いことを示す。……その結果を見て、処断するか村の者で決めるといい。やれるな、ブレイン・アングラウス?」

「────この剣に誓おう」

 

 言うや否や、ブレインは静かに姿勢を整えて村はずれでやっていたように瞑想を始めた。剣を取り上げた村長は俺を一瞥したが、何も言わずに村人たちに向き直った。

 

「では皆は死んだ者たちを弔う準備を。……彼らが不死者(アンデッド)にならぬよう、直ちに火葬を行う。アラン、イェリク、メルケルはここで見張りに。自警団の者たちはアーロンに従って火葬場の用意を。他の男たちは野盗どもを縛り上げて倉庫へ。女子供は休んでおきなさい。……では各々のなすべきをなすように。以上だ」

 

 村人たちが散っていく。朝日が顔を出し、新しい一日が始まるが……彼らにとっては苦難の始りでしかないだろう。それでも前を向いて彼らが立ち上がることができるように、今はできることをするしかない。

 救ってしまった責任が俺にはあるのだ。彼らの命を救ったからには、放ったらかしになどしてはならない。彼らが立ち直れて初めて、その責任は果たされるのだから。

 

『ヒビキ、聞こえるか?』

『ユウくん! 遅いよぉもう!』

『……村の安全は確保した。ヘレンに案内してもらえ』

『わかった、すぐそっちに行くからね!』

 

 ヒビキの不満げな声を聴いて安心しかけたがここで気を抜いてはいけない。ブレインをしっかり見張る必要があるのだ。

 

「ユウく~ん! ああ、もう会いたかったよぉ! ……で、なんで構えたままなの?」

「いろいろあるんだよ。それと抱き着くなヒビキ。レーナはどうした?」

「キリが背負ってるよ。ほら!」

 

 ヘレンの先導で歩いてくる麒麟の姿に村の人々はぎょっとしているが、背中ですやすやと眠るレーナを見て少し安心したのかすぐにため息をついて見送っていた。いつの時代、どんな場所でも、子供の寝顔というのは人に安心感を与えるものなのかもしれない。

 

『ご主人、レーナが寝てしまった』

「だろうな。ヘレンさんだったか、名乗らずに行ってしまって申し訳ない。ルイス・ローデンバッハだ」

「いえ! あの時は火急の事態でしたので仕方ありませんよ! それと、村を救ってくださって本当にありがとうございます! ……あの、失礼ながら、どういう状況なんでしょう?」

 

 ヒビキもヘレンも今の俺たちの状況を見て唖然とするばかりだ。まあ、腰の刀に手をかけて抜刀する構えのまま立つ男と、その目の前で瞑想し続ける男の姿があって、周囲を三人の男が剣を手に見張っているのだから“どうしてこうなった”という感想を抱いても仕方がないだろう。

 

「ふーん、なるほど……そのブレインっていうのがユウくんにねぇ」

「しかし本当に……大丈夫なんですか?」

『アタシならもうさっさと焼き殺す。危険は排除するべき』

「まあ慌てるなよ三人とも。こいつは己の命ともいうべき剣に誓ったんだ。その行いを見てから処断するか決めたって遅くはない」

 

 野盗を捕縛した顛末と村の中であったひと悶着について説明すると、三人は程度にもよるが同じような疑いの目をブレインに向けた。愛娘のレーナはというとキリの背中で眠りこけたままだ。

 鞍も何もないのにしっかりと眠れているあたり、ある意味ではレーナのメンタルが一番図太く強いのではとさえ思ってしまう。

 

「……寝てない?」

「寝てないぞ」

「うわっ喋った!」

「ヒビキもヘレンさんも寝てきたほうがいい。眠れなかっただろう?」

「じゃあ私の家に案内します。ルイス様、それでは後ほど」

「ああ、おやすみ」

 

 一行が去っていったのを見て再びブレインの動きに集中する。朝の冷たい風が吹き抜ける中を耐えること3時間。日も登ったころになって一人の子どもが広場に姿を現した。

 

「…………こいつが」

 

 ぐっと奥歯を噛み締め、怒りの炎を瞳に宿した少年が大きく右手を振りかぶる。振り抜かれた右手から飛び出した丸いものがブレインの顔に当たり、べちゃりとつぶれる音と悪臭を放って砕け散る。

 

「ぐっ」

「臭せぇ……牛のクソじゃねえか」

「うわ、勘弁してくれよ……」

 

 姿勢こそ揺らいだものの、ブレインは小さなうめき声だけで元の瞑想の姿勢を続けていた。少年の怒りの一投……それが引火するのにそう大した時間はかからなかった。

 

「うちの旦那の仇!」

「俺の弟をよくも!」

「恥知らずの野盗どもめ!」

 

 厳密に言えばブレインは野盗ではなく用心棒なのだが、そんなものは村人にとってはどうだっていいことだ。行き場のない怒りを投げるものに込めてブレインにぶつけて去っていく。

 汚物、腐りかけの食料、泥団子に小石を混ぜたもの、時には刈り取りのための手鎌まで飛んできたが命の危険があるものは全て切り払ってやった。中には外して俺に当てるものも居たが、俺はブレインをこの手で斬ると言ったのだ。俺が動くのは、ブレインが動いたときか終わったときだ。

 

「命を奪うようなものは許さん。それ以外なら好きにしろ」

 

 その言葉が発端となったのか、次から次へと様々なものが投げ込まれていく。糞便や木製の食器などはもちろん、食事だと偽って毒草を皿に盛って置いていく者さえいた。あまりにひどい匂いのせいで、見張りについていた三人が交代してくれと懇願するほどだったが、交代の者も遠巻きに俺とブレインを眺めるだけで近寄ろうともしない。

 

「なあ、なんでお前さんまでそこに居るんだ」

 

 正午を過ぎ、投げつけられるものがなくなったころにブレインが俺に問いかけてきた。

 

「これは、俺が受けるべきものだろう? 俺は武器もないし、見張りも居る。なのになんで──」

「……言い出しっぺは俺だ。逃げる瞬間に斬られるか、やり遂げるか。どちらにしても俺が最後まで面倒を見てやる。死ぬときは安心して死ね」

「──わかった」

 

 吹き付ける風が砂煙をあげる。顔を覆う砂煙にもブレインはただ何も言わず瞑想を続けるのみだ。ぽつぽつと降り始めた小雨が大粒の雫となって降り注ぐものの、身に投げつけられた糞尿を洗い流すだけに終わった。

 がやがやと騒がしかった夕方を過ぎ、村の中は静かな寝息と微かに漏れ聞こえる嗚咽で満たされるようになって、ヒビキとヘレンが食事を手にやってきた。見張りの三人はそれぞれ食事を始めたが、俺がここでメシを食うわけにはいかない。俺はブレインが動こうものなら斬らねばならないのだ。一瞬とて気を抜いてはいけない。

 

 頑なに食事を食べさせようとするヒビキもついに諦めて食事を置いて去っていったころ、村長が休むように言ってきたがそれはできない話だと断った。俺はここで己の務めを果たさねばならない。責任を果たさねばならないのだ。

 今だけはこの頑丈な吸血鬼ボディとレベル100のスペックに感謝するしかない。飲まず食わず寝ずの番をするのはPMC時代以来だが、こんなにも体調が安定しているのはやはり肉体のスペック差だろう。

 

 ぱちぱちと篝火の燃える音が響くだけになり、村人たちが寝静まる。見張りの交代ももう8度目だ。“まだいるのか”と言わんばかりに視線を投げかけられるものの、この程度で逃げ出すのなら軍人なぞ務まらない。

 四日かけて15キロも泥沼を這って敵陣を掻い潜り反乱軍の基地を爆破したこともあった。暗闇に三日間潜み続け、ゲリラどもを皆殺しにしたこともあった。四か月もの間反動勢力の組織に潜入し、組織の頭を暗殺することだってあった。

 

 暗闇の中でひたすらに瞑想し続けるブレイン。その背中を見ながらいつでも剣を振り抜ける姿勢で立ち続ける俺。その構図は二日目の朝を迎えてもなお変わらない。

 なおも同じ姿で広場の中央に立つ俺たちの下にヒビキがやってきたのはそんな時だ。日の出と射し始めた陽光を背にしたメイド服の少女、ヒビキは不貞腐れた顔で言う。

 

「ユウくん」

「……どうした?」

「レーナ、パパに会いたいって言ってたよ」

「……明日には会えるさ。もう少し我慢しておくように言っておいてくれ」

「ボクだって、待ってるのに?」

「すまん。必ず埋め合わせる。……デートの約束もな」

「……そっか、じゃあもう何も言わない。……待ってるから」

 

 一度だけ振り返ったヒビキは少しはにかんで一言だけ告げて立ち去った。その姿が見えなくなったとき、不意に隣から声がかかる。

 

「あの子、あんたの子か?」

「いや、従妹だ」

「……女の子なのか?」

「そうだな。気の利くいい子だ」

「……そうか」

「なんだぁ、メルケルお前あの子に惚れたか?」

「ちっ、違うって! あ、あの子の黒髪が、その、珍しいもんだからっ!」

「おいおい、顔真っ赤だぜ? 恥ずかしがるなよ」

「アランのおっさん! お、俺はそんなこと!」

「イェリク、お前もそう思うだろ? メルケルのやつ、あの子にぞっこんみたいだぜ?」

「らしいな。ちと若いが、いい女の子だってのはわかる。あの子の笑顔に惚れたな? まあ脈は無さそうだがな」

「イェリクまで!? 決めつけてんじゃねーよ!」

「おっ、やっぱ惚れてやがった。……まあ、俺もちょっとドキッとしたしな」

「ヒビキはやらんぞ。欲しけりゃ俺を殺す覚悟で来るんだな」

「かーっ! メルケル、前途多難だなこりゃあ!」

 

 俺の後ろで控えている三人が雑談に興じ始める。俺のほうからは見えないが、彼らは恋愛談議に花を咲かせ始めたらしい。ヒビキとレーナは絶対にやらんがな。

 

「……なああんた、本当に貴族じゃないのか?」

「本当だ。家名はあっても貴族じゃないヤツだって居るだろう?」

「そりゃそうだがよ……実は元貴族でしたってことはないか?」

「なんでそう思う?」

「ヘレンのやつに聞いたんだが、あんたらアベリオン丘陵の向こうから来たんだって? あそこは亜人種が山のように居て治安もクソもないって聞いたぜ? 

 そんな危険地帯を抜けてくるなんざ高位の冒険者か何人も護衛を雇える貴族くらいなもんだろう?」

 

 正直聞かないで欲しいところなんだよなあ。まさかユグドラシルからやってきましたとか言ったって理解されるわけがないし。とはいえそれっぽく匂わせつつ肯定も否定もしない回答をするしかない。

 

「……以前、ある地で軍の一隊を率いていた。いろいろあって……軍を辞めて……従妹や娘と旅をすることになった」

「────そうか……そういうことか……得心がいった。お互いに辛いものだな……」

 

 なんか変な納得のされ方だったぞおい。一体どういう方向で納得しやがったんだこいつ。

 

「アランのおっさん、それってあの子が言ってた──」

「メルケル、あんな小さな子が“おうちがなくなった”って何の違和感も無く言える言葉だと思うか? 自分たちが追われる身になったり狙われることがあるってのを、あの年ごろで既に理解して受け入れちまってるなんて、そこらへんの平民の子じゃ無理だ。

 それにこの人の剣も軽鎧も、そこらへんの安物に似てるが作りは遥かに丁寧な仕上がりで頑丈な作りだ。実用一辺倒の武具ながらあの立ち振る舞い、あのメイドの子や幼子の物分かりのよさを見りゃわかる。この人、いやあの子たちも含めて確かに貴族だ。いや、“だった”と言うべきか。

 おそらくどこぞの武門の棟梁だったんだろうさ。それがどうしてか元居た場所を追われ、生き残ったのが……」

 

 オイィィィッ!? そんな滅茶苦茶な話じゃねーよ! 俺は元は一介のPMCの兵士だぞ! 一族というかリアルの妻と娘が死んだのは確かだが、一族郎党皆殺しの憂き目になんてあってねーぞ! 

 弟も無事だし両親も健在! 叔母は旦那を亡くしたとはいえ娘二人に息子一人、しかもその一人息子はさっきそこに居たヒビキだし! 

 

「しかもあの子、従妹だってこの人は言ってたが……敢えてただのメイドのように見せて連れておくことでこの人は追っ手の注意を一身に集めていたんだよ。万一自分が追っ手にかかってしまっても、ただのメイドなら見逃されるかもしれないだろうってことさ。あの子だけでも逃がすために、敢えてメイドの恰好をさせてるんだ。つまり武門の棟梁であり追われる身である自分自身よりも大事な存在……となれば、わかるだろう?」

「…………謀略によって滅ぼされた一族の最後の希望ってことか。なるほど、一族の血を生き永らえさせるための策なわけだ」

「なんてひどい……! 見ず知らずの俺たちを、危険を顧みず助けてくれるようないい人なのに……!」

 

 アカーンッ! こいつらどんだけ妄想癖のレベルたけーの!? 別に謀反人扱いされてもいないしヒビキが世継ぎってわけでもない! 頭の中でどんだけ美化されてんだよ俺たちぃ! 

 

「な、わかったろメルケル。お前じゃ背負いきれねぇ……諦めろ」

「…………くそっ、くそっ!」

 

 後ろでメルケルと呼ばれた少年が地団駄を踏んでいる。せっかくの日の出だというのにしんみりしすぎだろう。クソッ、どうしてこうなったんだ? せめてそこまで深刻なものではないと理解させないと……! 

 

「少し勘違いのし過ぎだな。別にそんな高尚な理由じゃないし、貴族の権力争いってわけでもない。ただ、抗えない力ってものが働いた……それだけのことさ」

「……アベリオン丘陵の向こうってことは……っ! まさか、異形種や亜人種どもに滅ぼされたってのか……! ちくしょう……! まさか国ごと滅ぼされていたとは……! 

 すまねえ、あんたにとって思い出したくもないことを思い出させちまって……」

 

 うわあああぁぁぁぁぁぁああぁぁっ!? さらに変な方向にシフトしてやがるぅー!? ダメだダメだ! これ以上やるとさらにこじれるぞ! ああもういい! その方向性でもいいから悪化する前に決着! 

 

「いいんだ。……我々は人間なのだ……そんなこともあるさ」

「だが……! 亜人種の……ビーストマンの軍勢は人間種を悉く喰らいつくすと聞いた! あんたの家族までもが──」

「いい。……奴等には必ずこの報いを受けさせる。奴等の首を狩りつくして串刺しにし、奴等の本国の城砦の周囲に並べてやる。恐れ慄き、己の為したことを後悔するまでな」

「……復讐か……成し遂げられるといいな」

 

 どうやら俺の身の上は決定したらしい。これがゲームのチュートリアルであればどれほど気楽だったか。

 

 1.ルイス・ローデンバッハとその身内はアベリオン丘陵の向こうの国で武門の棟梁だった名家。

 2.ビーストマンの軍勢の襲撃によって滅亡。命からがらリ・エスティーゼまで逃げてきた。

 3.家族はビーストマンに食われた(という彼の妄想)らしい。

 4.ルイス・ローデンバッハはビーストマンに復讐することに燃えている。

 

 …………家族愛の強いヒビキには怒られそうな身の上話になりそうだ。




(村人から見た)人物紹介

ルイス・ローデンバッハ

 ビーストマンの軍勢に敗れ、従妹と愛娘を連れてどうにか逃げ延びた武門の棟梁である元貴族。ブレイン・アングラウスにさえ勝利する実力と、力無き人々へ手を差し伸べる度量を持つ武人。一方で他者の命を奪う悪人に対して容赦はない。
 身内や妻を目の前でビーストマンに食われた(と村人が妄想した)らしい。


ヒビキ・ローデンバッハ(家名は名乗ってないが、あるものと村人に思われている)

 ルイスに付き従うメイド……のフリをした従妹。メイドに見せることで万一ルイスに何かがあっても手出しされにくくなるだろうという考えでメイド姿をしている(と村人は思っている)。
 ルイスにとって死に絶えた一族の生き残りとして、なんとしても生き延びさせないといけない存在(と村人は思っている)。


レーナ・ローデンバッハ

 ルイスの娘。武門の家系の貴族の娘で、子どもながら達観しているところがあり、おそらく母や身内を目の前で奪われたのだろう(と村人は思っている)。


キリ

 馬のようなナニカ。よく見るとドラゴンっぽいけどなんか違う。レーナの遊び相手のポニー。


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オバロ試作品10

イチャイチャ系の練習

あとちょっとギャグ系も


 太陽は沈み、そしてまた昇る。それは俺たちが生まれる遥かに以前から幾たびも繰り返されてきた、過去も今も俺たちにとっては当たり前の法則。それは異世界でも同様だった。

 この地は太陽が二つあるわけでもなく、月が三つもあるわけでもないが、昼と夜がある。朝起きて昼間は仕事に精を出し、日の入りと共に寝床へ帰って眠り、また朝を迎える。平凡で当たり前で何も変わらない日常を奪われた村人たちもまた朝を迎え、新たに今日の仕事へと取り掛かる。

 

「村長殿」

「……三人とも、彼らの様子は?」

「はい、身動き一つありませんでした……信じがたいことですが」

「なんと……」

 

 雨風に晒されて薄汚れたローブを脱ぎ捨て、太陽を拝みながら大きく伸びをして体のこりをほぐしていく。ブレインは立ち上がろうとしていたが、力の入らないふらふらの状態で衰弱しきっている。

 

「ほら、水薬(ポーション)だ。珍しい色だが効果は覿面だぞ」

 

 ブレインの手に小瓶を握らせると、俺も同じものを口に運んで一息で飲み干す。徹夜で文化財の修復作業を終えたような疲労感が爽快感に代わって消えていくのを感じながら、村長たちのほうに向きなおる。

 

「ま、そういうわけだ。ブレインは二日間微動だにしてない。後はそちらの判断だ」

「……ルイス様まで、何故……?」

「言い出しっぺが食っちゃ寝してちゃ信用もクソもないだろ。違うか?」

「それは……」

「俺は水浴びして寝る。ブレイン、動けるようになったら水浴びして服も変えてもらって寝てろ。念入りに洗っておけよ、クソの臭いでハエすら逃げていきそうだ」

「ぁぁ…………そう、……する、ぜ……」

 

 掠れた声で返してくるブレインに背を向けて村はずれの井戸に向かうと、まだ日の出からすぐだというのにヘレンが水くみをしているのが目に留まった。水がいっぱいの桶はそこそこ重いはずだが、必死に縄を手繰って桶をつかみ、水を移し替えていく様子は今日を精一杯生きようとする一人の女の後ろ姿をしている。

 

「あ、ルイス様。おはようございます。……もう、動いていいのですか?」

「おはよう、ヘレン。今しがた終わったところだ。……さすがに汚れてるし、馬や牛の糞まで投げられてたから、さすがに身体を洗って着替えないとな。あと眠気もする」

「はぁ……本当に無茶をなさいますね……。ヒビキちゃんが言った通りでした」

「ヒビキが?」

「ええ。“責任感が強すぎる”って言ってました。……こんなにボロボロにならなくたって、私はルイス様を信用していますよ」

 

 あきれたようにため息をついてヘレンが言った言葉は自分でも多少なり自覚がある。だがこれは昔居たPMCで部下の命を預かることもあったからだ。彼らが生きて家族の下へ帰る……その成否は俺の指揮に委ねられていたのだ。俺には五体満足で彼らを無事に帰す責任があったのだ。

 

「軍人なんてやってるとな、部下を死地に送り出す側になることだってある。でもその中で藻掻き足掻いて、一人でも多くの部下を生きて家族の下へ帰すこともしなきゃならないんだ。

 一人の帰還はそいつの家族数人分の喜びであり、一人の未帰還はそいつの家族数人分の悲しみになる。俺は自らの責任を全うすることを求められる立場だった。俺を信じてくれた部下たちのために、俺は彼らを無事に帰れるように最善を尽くした。

 それに昔、ある人はこう言った“人は城、人は石垣、人は堀、情けは味方、仇は敵なり”ってな。人材こそ国の強さに繋がるもので、それを大切にできないやつは国を亡ぼすって意味合いだ」

「……いい言葉ですね」

「はは……ま、俺としては“武者は犬ともいへ、畜生ともいへ、勝つ事が本にて候”ってのが好きなんだがな。勝利のために最善を尽くす……ああ、俺はこっちのほうが好きだ。もちろんちゃんと部下を生きて帰すのが前提だけどな」

「勝利のための……最善……」

「そうそう、全力でやって勝つってのは嬉しいもんさ。ははは! いつだったかの攻城戦を思い出すな! 仲間が道を作ってくれて、そこへ俺と相棒の2騎で本城へ突入したんだった! 

 そこからは切った張ったの大暴れ! 近衛兵を蹴り飛ばしたり魔法詠唱者(マジックキャスター)をぶん殴って玉座まで最短距離で突っ走ったんだ!」

 

 不意にヘレンの表情に影が射す。水を移し替えて空になった桶を手にしたまま、深淵のような井戸の中を見つめたまま動かない。……何かあったのか? 

 

「ルイス様は……ビーストマンの軍勢に敗れたと聞きました。家族を奪われ、ヒビキちゃんやまだ幼いレーナちゃんを連れて逃げてきたことも……」

 

 あっ……ガバったなコレ。

 

「何もかも奪われて、大切なものもなくなって、……なのにどうしてっ……! どうしてそんな風に笑えるんですか!? なんでっ……! 悲しいはずなのに! 辛いはずなのにっ……! 

 私っ、そんな風に笑ってられません……! いつも父と母が居た場所に二人が居ないんです! いつも水くみをしてきた父が腰が痛そうにして椅子に座る姿も! 調味料をどこに置いたかよく忘れる母に、私が戸棚から取り出して渡していたのも! いつも、そこに居たのに……!」

 

 やばい。本当にあの話が広がってるよ。コウモリ経由でヒビキやレーナにも話を合わせるようにあの後で伝えてきたけど、話の広がり方が尋常じゃない速さなんだが。まあ、たった120人の村じゃそんなものなのかもしれないが。

 それよりもヘレンのほうがだいぶ参っているようだ。まだ20にもなっていないだろう彼女にとって、両親が突然居なくなってしまうというのは考えられなかったことだろう。当たり前にいつもの日常が続くのだと心の底では信じていたのに、それがあっけなく崩れ去ってしまった。そしてそれはヘレンだけじゃなく、この村の人たち全員がそうなのだ。

 

「──これは俺の持論だが、例え辛く苦しくとも笑っていようと思っている。俺が笑って前を向いて歩いていく姿を彼らが見たならば……きっと安心できるだろうと思ったんだ。俺も仲間を失ったり妻を亡くしたりしてきた身だ。だけど少しずつ彼らの表情や声を思い出せなくなっていった。風化していって顔も思い出せなくなってから気づいた。これが忘れていくってことなんだってな」

「忘れたく、ないです! 忘れたくなんか……!」

 

 ぼろぼろと大粒の涙がヘレンの頬を伝う。まだ死に向き合えていない若い子どもには酷なことだろう。しかしこの子は叔父夫婦くらいしか身寄りがない。かといって叔父夫婦に頼り切りで生きることもできない。いつかは、自分で立たなければいけないのだ。

 

「でも、人間ってのは忘れていくことで辛いものや苦しいものを乗り越える種族でもある。俺は妻や仲間が確かに俺の傍に居て、一緒に過ごしてきた時間を覚えている。顔も思い出せなくなって色あせていくのは避けられないが、共に居た彼らが笑う姿を覚えている。

 だから、俺は笑って前に進むつもりだ。“心配するな、俺は大丈夫だ”ってあいつらが俺を見てすぐにわかるようにな。時々思い出して、時々彼らのように笑って、時々振り返る。……それくらいでいい、そう思っているよ」

「……よく、わかりません……」

「今はまだわからないものだ。もう少し時間が経ったら、わかるようになる」

「それが大人になるってことなんですか? 大切なヒトを忘られるのが!」

「……忘れたっていい。でも、たまに思い出すんだ。本当に大切なものってのは、どんなに忘れていてもひょんなことで思い出すものだからだ。……レーナを見ていると、俺はそう思える」

 

 嗚咽を漏らしながら泣いていた少女が目じりを袖で拭って、まっすぐな目で俺を見る。覚悟は決まった──そう言いたげな強い光を宿した少女の青い瞳は言葉よりも雄弁に俺に訴えかけてくる。

 子どもが頑張って一人で決めてみせたことだ。だったら、ちゃんと褒めてやるのが親というものだ。せめて、ヘレンの両親ができなかった代わりに。

 

「────がんばったな」

「…………う、ううっ……お父さん、お母さん……っ!」

 

 頭を撫でた瞬間にまた泣き出した。涙と鼻水にまみれたまま俺の胸に顔を埋めて泣きじゃくる様子はまだまだ子どものそれだ。当たり前にあるものを奪われた、失った悲しみは簡単に癒せるものではない。当然だからこそ、それが崩れ去る瞬間は何物にも代えがたい絶望を感じてしまう。

 だから俺はリアルの世界でPMCに入った。夫をテロリストに殺された叔母を見てPMCに入り、一人でも多くの人が同じような苦しみを受けないように戦ってきた。そして俺自身も娘と妻を失い、絶望の淵に斃れることになった。

 

 当たり前の平穏を奪い去る悪党どもめ────俺は、奴等を赦しはしない。

 

「……すみません、ぐすっ、命の恩人の前で、こんなっ」

「子どもは泣くのが仕事だ」

「……それ、赤ちゃんだけです」

「泣いたら泣いただけ大きくなる。つらいことを知ってるから、他の人にやさしくできるんだ。ヘレンはもっといい子になるぞ」

「…………ありがとうございます。ちょっとだけ、頑張れそう、です」

 

 しばらく背中をさすってやると泣き止んだあたりやっぱりまだまだ子どもだ。もう少し大人だったら自分でなんとか折り合いをつけられるだろうから、一人にさせたかお茶でも淹れておしゃべりでもして落ち着くのを待つのだが、そうする前に彼女に泣きつかれてしまった。

 結果としてみればまあ、まずまずだっただろう。子どもが少し大人になる手伝いくらいにはなったかもしれない。

 

「…………いいなー」

「ふぇっ!?」

「……ヒビキ、お前……」

 

 井戸の隣にある見張り櫓の上からこちらを見下ろすメイド服の少女。我が従妹、ヒビキがジト目で不貞腐れながら哀愁漂う三角座りのままじーっとこちらを見つめていた。

 

「ボクも心配したのになー。寂しかったのになー。怖かったのになー」

「あー、すまん。すぐに水浴びしてから行くつもりだったんだ。さ、さあご飯にしようかヒビキ! もう俺ハラペコなんだよぉ~ヒビキの作ったご飯が食べたいなぁ~」

「ユウくんが怪我してないか不安だったなー。ユウくんが、このボクの作ったご飯も食べずにぃー! あのブレインとかいうヤツをずぅーっと見張っててぇ! 夜も戻らないで二日間もあんなバカなことやっててぇー!!! さっっっみしかったなぁー!!!」

「……あー、そっち行ってもいいか……?」

「来んなバーカ! ボクたちよりヘレンのこと見てあげたらいいじゃん!」

 

 知ったことかと顔を背けられた。……これは本格的にお怒りでいらっしゃる。思い返せば当然のことでもあるのだが、村の人たちをその場凌ぎとはいえ救ったからにはちゃんとアフターケアをしなければ。

 しかしその間にもヒビキやレーナは見知らぬ土地で唯一頼れる存在を欠くことになった。ほんの数日とはいえ、ただでさえ不安だったのに精神的な支えになる存在が居ないままに日々を過ごしていたのだ。……俺の配慮が足りなかったのも確かだが、人の命が懸かった事態で悠長に構えてもいられない。どちらが悪いという話ではないが、俺の行動は確かに褒められたものではないだろう。少なくともヒビキとレーナの二人からすれば。

 

「心配かけたことはちゃんと謝る。これからはレーナもちゃんと見ておく。すまん」

「あ、そう」

「……そ、添い寝がいいならしてやるから……」

「ふーん……」

「……お買い物デートからの、……外泊でもいいぞ?」

「へー」

「……これからずっと一緒に寝てやるから──」

「じゃオッケー!」

「180度変わってんじゃねーか」

「うっさいバカ! 心配かけて二日も戻らないでご飯も食べないで突っ立ってたくせに! レーナもボクも置き去りで勝手にどっかいっちゃって急に呼ばれたと思ったらまた変なコトやってるし!」

「……ごめん」

 

 櫓の上で仁王立ちしてお怒りのヒビキ様は先ほどと変わらないジト目で俺を見下ろしてくる。……なんかだんだん妻を思い出すような仕草が増えてるような気がする。あとそのメイド服ミニスカートだから黒い紐パン見えてんぞ。

 本来の職業を隠していたPMC時代、表向きで使っていた警備会社の警備員という肩書きに似つかわしくない怪我をして帰ってきたときにも妻にこんな目で見られていた。“また怪我してんのか”みたいな諦めと“無事で戻ってきた”という安堵感が()()ぜになったため息と共に“お仕事頑張ったのね”と言われたのを思い出す。

 薄々普通の仕事ではないのだと感づいていたのだろうが、妻は何も言わず“おかえり”と言ってくれた。ただし今のヒビキと似たようなことをチクチクと針で刺すように言われたが。

 

「ボクやレーナを悲しませないこと。一人で決めるのが難しい重要なことならちゃんとボクにも相談すること。死にたがりみたいなことはしないこと。以上三点を遵守すると誓いますか?」

「わかった。ちゃんと守る。……もうそっちに行っていいか?」

「ふふん、ボクに対して相応の扱いができるんなら、いいよ」

 

 櫓の上にひとっ跳びで登ると、地平線から昇った太陽が赤々と輝いて丘陵地帯を朱色に染め上げていくのが目に入る。どこまでも広がる原野と、遥か地平線まで続いていく道が一本と、遠くに見える小さな村があるだけで、他には何も見当たらない。

 ぐっと、目線を合わせるように顔を近づけるとヒビキの表情が強張る。いつもは積極的に愛情表現をする側だったから、こちらからされるのに慣れていないのが丸わかりだ。

 

「お姫様抱っこ、おんぶ、ただいまのキス、どれがいい?」

「う……キ、キスは、まだ、ボ、ボクの心の準備が……」

「で、どれにするんだ言い出しっぺ」

「…………た、ただ……」

「ん? どれがいい?」

「お、お姫様抱っこ……で! ニ、ニヤニヤするなバカッ! ……わわっ!?」

 

 むぐぐ、と顔を真っ赤にしながら悔しがる我が従妹。問答無用で抱え上げてやると、驚いたかと思えばすぐに口をつぐんでしまい、借りてきた猫のように身じろぎ一つないまま腕に収まってしまう。

 

「ユ、ユウくん……」

「なんだ?」

「……女の子って…………すっごくしあわせな気分がする……」

「抱っこがそんなに嬉しいのか?」

「……うん、前よりも、すごい、しあわせな感じがする」

 

 リアルのころとそう変わらないな、と思っていたヒビキの笑顔が向けられる。肩で揃えられた黒髪のショートボブが太陽の光を映し、年ごろの少女らしさが増したようにも思える。リアルでも体つきも背丈も見た目にもほぼ女そのものだったが、間近にじっくりと眺めてみると確かにヒビキは100パーセントの女の子になったのだと思える。性別そのものが変わっているのだから当たり前なのだが、纏っている雰囲気というか気配というか、自分ではよくわからない何かが今のヒビキには存在しているのだと思える。

 

 

 

 

 きっとこれは一時的な気の迷いだ。両親を失った私の寂しさを埋め合わせてくれた彼に、ルイス様に甘えたいだけなのだ。しばらくすれば元通り落ち着くはずだ。

 ひとっ跳びで建物の三階くらいの高さの見張り櫓に飛び乗って、お姫様のようにヒビキちゃんを抱いて危なげなく飛び降りてきた彼の強さに魅了されているだけなんだ。そう、この得も言われぬ感情は一過性のものだ。そうに違いない。

 

「もう、危ないですよルイス様」

「これくらいなら大丈夫だ」

「それでも、ですよ。さあヒビキちゃん、ルイス様もお腹ペコペコみたいですから朝ごはんにしましょうか」

「やーだー、もう少しだけ!」

「もういいだろ。お前を抱えてたら水桶も持てない」

「ボクより水桶のほうが大事なの?」

「水がなきゃ体を洗えないだろ。俺二日間立ちっぱなしだったんだぞ? 体を洗ってくるのが先だ」

「はぁ、仕方ないなぁ。ボクも手伝うからさっさと洗っちゃおうよ」

「おかしなマネはするなよ?」

「しないよ~うぇっへへへ」

 

 ……お姫様のような雰囲気はどこへやら。ヒビキちゃんはニヤニヤと笑いながら洗い場の奥へ行ってしまった。

 

「じゃ、ちょっと洗ってくるよ。すぐ終わらせる」

「私は水くみを終わらせちゃいますね」

 

 ルイス様も水桶を片手に、どこからか取り出したタオルを持って洗い場の奥へと行ってしまう。新しく水桶に水を汲み、ぐっと力を込めて持ち上げる。

 水汲みがキツイのはわかっていたけど、父はこれを毎日やっていたんだ。腰を痛めるのも無理はない重さだし、父は桶いっぱいに水を汲んでいた。私はせいぜい三分の二がいいところだ。

 

「よい、しょっ!」

 

 水瓶に水を流し込むのも一苦労だ。私の胸元まである大きな水瓶に水を流し込もうとするのだから、踏み台も使ってようやく足りるかというレベルだ。父も母もこれに水を入れられたのだから、私ができないわけはない。……だけど念のために踏み台はもう一段高くしようと決めた。これは負け惜しみではない。合理的な結論だ。

 

「あれ……何か忘れてるような」

 

 ……何か大切なことを忘れている気がする。確か井戸のところで水を汲んで──

 

「ヒビキちゃん!?」

 

 そうだ! 従妹とはいえルイス様は男性! ヒビキちゃんは女性! 未婚の女性があろうことか男性とハダカで二人きりなんて! ごく自然に済まされたからまったくもって気づかなかった! 

 桶を片手に急いで井戸の近く、体を洗うために板で仕切られた洗い場へ駆けつける。

 

「うん、おっきいね」

「そうか?」

「うん……うん、触ってみてもカチカチだし……おっきいし……ボクでなくても立派だと思う」

「とりあえずさっさとしてくれ。あんまり時間無いんだから」

「んんっ、ふうっ、これで! どうかな!」

「あぁー……いい感じだ。もう少し強めでもいい。こういうのは久しぶりだな」

「だよねっ。もうっ、何年前だったっけ?」

「七年前だな。お前が十一のとき」

「そんなにっ、前、だっけ?」

 

 あぁぁぁぁああぁぁぁぁっ!? 始まってる!? もうスタートしちゃってた!? しかも前が十一歳って! そんな小さなときから!? はっ、破廉恥です! えっちなのはいけないと思います! いけませんいけませーん! 

 

「どう、かな? んっ……ふぅっ……ボクの、気持ちいい?」

「上手になったんじゃないか? しっかり丁寧にやってくれ。汗かいたからなぁ」

「わかってる……っ、よっ! ふぅ……これでいい?」

 

 ばしゃり、と水が撒かれる音ではっと気づく。なんで私はこんなコソコソと板に耳あてて一部始終を聞いているんだ。そうだ、すぐに止めるべきだ! えっちなのはいけませんと昔の偉い人は言ったのだ! 女の子は貞淑であるべきなのだ! 

 

「ありがと、ヒビキ。また背中流してくれ。やっぱ背中までは手が届かないよなぁ」

「いいけど……ボクにはしてくれないの?」

「お前は女の子だろうが。軽々しく肌を見せるもんじゃねーの」

「ユウくんになら……いいよ?」

「はいはい、温泉でも見つけたら流してやるよ」

「あっ、それいいよね! ボク、温泉に入るのが夢だったんだー! その時はレーナもユウくんも一緒だからね!」

 

 あ、なんだ…………えっちなんてなかった。なら、ヨシ! 

 

「でさ、ヘレンはなんで聞き耳たててるのかなー?」

「えっ?」

 

 顔を上げるとそこには黒髪のあの少女、ヒビキちゃんがニヤニヤと意地の悪い笑みを浮かべてのぞき込んでいた。

 

「どうした? ……なんだヘレンか」

 

 目の前に現れたのは細くともしなやかな体躯を覆う筋肉の鎧。余分な肉や脂肪のそぎ落とされた、戦士の肉体。それでいて岩のようなごつごつしたものではなく、猫のようなスマートさ。下着一枚で現れた彼の肉体の全身が目に映る。

 

「────へうっ!?」

「ああっ! ヘレンが鼻血を吹いた!」

「なんでだよ」

 

 わかった。私にはまだ、男性の裸身は、刺激が強すぎる──

 

「ふあっ!?」

「あ、ユウくん、ヘレンが起きたよー」

 

 ……知らない天井だ。ってそうじゃない。私は確か水汲みをしていたはず。何か思い出せそうだけど──だめだ、霞がかかったように思い出せない。

 

「ああ、大丈夫そうだな。急に倒れるもんだから心配したぞ」

「……すみません、ご心配をおかけしました」

「慣れてないことが続いたからな。疲れが一気にやってきたんだろう。それよりも朝ごはんができてるから食べておけ。五人分作ってある」

「ふふん、ボクの特製オニオンスープに咽び泣くほど喜ぶといいのさ」

(もと)にお湯入れただけだろ」

「仕方ないじゃんか! 材料が無かったんだから! あったらとっくに作ってるよ!」

「パパ、おかわりー!」

『アタシもだ。もっとよこせ』

「わかったから、もう少し静かにしなさい」

 

 テーブルの上に置かれた鍋からは今までに感じたことのないおいしそうな香りが漂ってくる。中身はスープか何かだろうか、ルイス様がおたまを使って琥珀色の液体を入れていくが、ルイス様の故郷の料理なのだろうか。

 レーナちゃんと“キリン”という種族らしいキリちゃんはすでに食べ始めていて、おかわりをねだる様子はどちらも子どもらしい。

 ルイス様に促されて席につくと、香ばしいニオイの立ち上る温かいオニオンスープと普段から食べなれているパンが差し出された。

 

「んー……やっぱりこのパン硬い?」

「やっぱヒビキもそう思うよな」

「柔らかいパンってあるんですか?」

 

 パンというものは硬いもののはず。柔らかいパンなんて高価すぎて食べたことも無いし、そもそもそんなものがこんな平凡な村で作れるのだろうか? 

 

「うぇ……パパ、このパンかたいよー」

「レーナちゃん、パンはスープに浸けて柔らかくすると食べやすいのよ」

「んー……まだかたい……」

 

 さすがに子どもには硬すぎたらしい。かじりついたはいいものの、噛み切るどころではない硬さの前にまさに歯が立たない状態だ。スープに浸していくらか柔らかくなったようだが、それでも噛み切るのに必死になっている。……微笑ましい可愛さだ。

 

「仕方ないぞレーナ。ご飯が食べられるだけマシだ。ガマンしなさい」

『アタシはちょうどいい。歯ごたえがそこそこあっていい』

 

 うん、このオニオンスープはおいしい。間違いなく今までで食べてきたものの中でダントツでトップだと言える。パンを浸して少し柔らかくして食べるとなおよい。正直言ってこのオニオンスープだけでもいい。琥珀色の澄んだスープは塩気と……何かピリッとした感じがするけど、この辛みは一体どこから出てきたんだろう。

 

「んー……初めてこっちのメシを食ったけど……マジで美味い。これが素にお湯入れただけってのが信じられない……」

「ね? あっちでの合成品なんか比べ物にならないでしょ?」

「……こんなのアーコロジーの上層くらいしか食えないぞ……ぶっちゃけ初めてこっちに来てよかったって思えた」

 

 どうやらルイス様のところも食料事情はそう良いものではなかったらしい。ビーストマンの侵攻に晒されていたのだから仕方がないとは思うけど、ルイス様のような軍を率いる階級でさえ平民並みの食事って考えるとかなりひっ迫していたはず。

 

「コンソメの旨味に黒コショウの刺激……これほどウマイとはなぁ」

「く、黒コショウっ!?」

 

 黒コショウ。黒コショウ。黒コショウ。この黒いつぶつぶが全部! 黒コショウ!? 

 

「あわ、あわわわ、あわわわわっ!? き、金貨が1枚、金貨が2枚、金貨が3枚……」

「ど、どうしたのヘレン!?」

「だだ、だって! くっ、黒、コショウですよね!? あの、“金の重量と等価の”黒コショウですよね!?」

 

 つまり私は今さっきまで“おいしいなー”程度の気軽さで金貨を口に入れて飲み込んでいたってこと!? 金貨1枚あれば一か月分の生活費! それがこのオニオンスープに一体何枚分つぎ込まれたの!? 

 しかもコンソメ!? 王都や大都市の一流レストランでないと作れないっていうあのコンソメ!? それがなんでこんな普通の朝の食卓にポンと置かれてるの!? 

 

「え? 金貨1枚でしょ? 安いじゃん。ボクですら20万は手持ちがあるよ」

「俺は10万だな。いろいろ支出が嵩んだし」

 

 …………やっぱりこの人たち、貴族でした。

 

「……きゅう」

「ああっ!? ヘレンが倒れた!」

「なんでだよ」



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ドルフロのとりあえず9話目

ガンスリコラボがきたので

あとオバロのほうちょっと悩んでるので


 

 Mk14EBRは自らの出自を語った。

 未完成の不良品。次々に破棄されていく自分自身たち。その中から見出され生き残ったことを。

 

 彼女は幾たびもの改修と装備の更新によって最早原型たるM14とはかけ離れた存在になっている。

 似ているのは人形の外見だけだ。けれどその意志はM14の頃と何も変わらない。

 

 変化を受け入れ、その上で彼女は変わらない確かなモノを手に入れた。

 

 

 

 

 第四標的 デルタチーム

 

 

 

 数分ほど歩いたところで辿り着いたトレーニング施設の一角、私たちが数日前に射撃テストを行った射撃場の扉を開くと、ザルツブルグ基地でも見たことのある戦術人形たちが射撃訓練を行っていた。

 思い思いに射撃訓練プログラムをこなす人形たちの背中を眺める、白いウシャンカを被り、その帽子と同じ白いケープ、スカート、ジャケットで統一した人形が一体。ブロンドの髪をかきあげてチェックシートに記入していく彼女の下に歩み寄ったグローザさんに気付いたらしく、彼女の青い瞳が私たち三人に向けられる。

 

「あら、グローザ。おかえりなさい」

「ただいま戻った。二人とも、紹介しよう。彼女はデルタチームリーダーのモシン・ナガンだ」

ドーブライウートラ(おはよう)。デルタチームリーダーのM1891モシン・ナガンよ。よろしくね可愛いお嬢さんたち」

 

 パチン、とウインクを決める彼女──モシン・ナガンさんは真っ白なケープを揺らして握手を交わす。

 にこやかな笑顔のままグローザさんに抱きついたモシン・ナガンさんはわしゃわしゃとグローザさんの頭を撫でながら言う。

 

「ちょ、ちょっと! モシン・ナガンさん!」

「メンバーを紹介するわ。まずこの子はグローザ。私の率いるデルタチームのメンバーの一人よ。Ots-12(ティスちゃん)もウチの子なのよ」

「紹介するのはいいけど、頭は撫でないでください」

「んふふ、クールなんだけどこうやって照れたりするところがまた可愛いのよ」

 

 グローザさんをひとしきり抱き締めて頬ずりしたモシン・ナガンさんは射撃レーンに立つ人形──小柄で私と同じくらいの背丈の少女に声をかける。

 

「ナガン! ちょっとこっち来てちょうだい!」

「む──姉上よ、ちょっと待ってくれんか? ──っと、姉上よ一体何がわふっ!?」

「ほら、この子! 私の妹のナガンM1895よ! 可愛いでしょう?」

 

 射撃用のゴーグルを外して駆け寄ってきたブロンドの少女は突然モシン・ナガンさんに抱き締められる。しばらくじたばたともがくものの逃れられないことに諦めたらしく大人しく彼女の腕の中に収まったまま自己紹介を始める。

 

「わしはナガンM1895じゃ。さっきから妹離れのできておらんM1891モシン・ナガンの妹にあたるかの」

「もー、そんな風に言ってさ。素直に嬉しいって言ってくれればいいのに」

「わしだって姉上のことは好きじゃぞ。とはいえ挨拶のときまで抱きつかんでもよいじゃろうに」

 

 二人して戯れる様子はまさに家族だ。抱き締めてくる姉をやれやれといった様子で受け入れるナガンさんと、屈託のない笑みで抱き締めながら頭を撫でているモシン・ナガンさんはお互いのすることを受け入れているようだ。

 同じ銃から生まれた派生系の銃を持つ人形や、設計者が同じ銃はお互いに親近感などを覚えやすいという話を聞いたことがある。

 この二人も“ナガン”とあるからにはそうなのだろう。私がG36姉妹を見るとどうも落ち着くのも、きっとそうなのだろう。

 

「ばあ様方、その子たちが新顔かな?」

「まだ決まってないわ。入ってくれると嬉しいのは確かだけど」

「だがあの人が目に付けた新戦力だろう? ……期待させてもらうよ。私はSVD(ドラグノフ)、この部隊のマークスマンを務めている」

 

 白雪のように真っ白な髪の少女が不敵に笑って手を差し出してくる。モシン・ナガンさんよりも幾分か小柄だけど、こちらを見る眼はどこか見定めるように鋭い目線を投げかけている。

 

「ちょっとばあ様、抱きつかないで」

「んふふ……可愛いわねぇ」

「相変わらずだな、年寄り」

「あらPKP、貴女も私に抱き締められたいクチ?」

「すまないがお断りだ。そういうのはPKにやってくれ」

「PKは股座に手を突っ込むくらいしないと反応してくれないのよ。その代わり貴女ならほんの少しでいい反応してくれる」

「──っ、そういうことを言う必要はない! そういう破廉恥なものは全部PKにやれ!」

「我が妹ながらひどいものね。まあ、どうでもいいのだけど」

「紹介するわ。左のちっさくて目つきの悪いちっさくて照れ屋な子がPKPよ。右のデカい無表情無反応女がPK。所謂姉妹ね」

「……誰が、小さいって?」

「酷い言われようね。まあ、どうでもいいのだけど」

「あら? じゃあツンツンぺったんマシンガンがPKPで、無駄にでかい胸のマシンガンがPKよ。これでいいわよね? あとはSV-98が居るけど、今日は精密検査で朝からラボのほうに缶詰なのよ。まあ二人とも顔見知りでしょうから特に紹介は必要ないでしょ。

 総勢8名、これが私たちデルタチームのメンバーよ」

 

 どっちにしてもひどいと思います。PKPさんもイラッときたみたいだし、PKさんも……こっちは無表情なままだ。

 

「よろしく、PKよ」

「……PKPだ。モシン・ナガンは後で覚えていろよ」

 

 二人とも銀髪という共通点はあるものの、シルエットは対照的なものだ。片やPKさんは成人の女性らしい豊満な胸とお尻で、それを引き立たせるようにピッタリとしたタイトな制服姿。……クマさんのヘアピンいいなぁ。私も欲しい。

 PKPさんは私とそう変わらない背丈で体つきも子どものように小柄だ。

 

「それでグローザ、FALからは二人が見学に来るって聞いてたけど何しようか? 模擬戦闘でもいいし、普段のトレーニングでもいいけど」

「それなのだけど、この二人は私たちがアフターグロウに参加した動機が知りたいらしい」

「ふうん、珍しいわね。もしかして民生人形の転用じゃなくて、イチから戦闘型で作られた純生産モデル?」

 

 へぇ、と呟いて興味深げにモシン・ナガンさんが私たちを交互に見る。

 

「やー、私は民生品の流用だよ? 純正モデルはこっちのG41だよ」

「なるほど。グルフィン以外の社会の中で生きたことがないのね。スコーピオンもどことなく新品みたいだし」

「新品って言ってもほんの1年だけどね」

「一年じゃあまだまだ経験不足ね。でもこうやって実際に働く現場に居る他の人形の意見を聞くのはいい判断よ。様々な考え方や理論、意見に触れるからこそ思考の多様性が身につくわけだもの。

 じゃ、一人ずつ答えていきましょうか。海でも眺めながら、ね」

 

 基地の上階にある屋上から見えるアドリア海。その中にぽつんと浮かぶヴェネツィアの街。唯一の繋がりになっている橋が海の上を貫いて伸びる光景はまだ見慣れない。

 屋上に設けられたベンチに腰を下ろすと、モシン・ナガンさんが切り出した。

 

「さあ、それじゃまずは我が妹からいってみよーか」

「む、わしか? そうじゃな……わしら姉妹は5年前、同時期に生産された民間向けの自律人形じゃった。ロットナンバーも一つ違いで、二人とも空港での荷物検査が仕事だったんじゃが、そこで発生したテロで空港が閉鎖されてしまってな。

 行く宛てもない我々はIOP社に返還されて次の配属先へ、という矢先に戦術人形としての適正検査に合格してここを紹介されたわけじゃ。無論わしは行くと決めて戦術人形になったぞ」

「ま、本当のところは私だけ戦術人形になるって決まったのに、そこを自分も戦術人形になって無理矢理ついてきたんだけどね」

「あ、姉上だけでは心配じゃからな! わしは普段から働きすぎな姉上のことを思って……!」

「はいはい。私と一緒じゃないと寂しいもんね」

 

 ひょいと抱えられたナガンさんはぐぬぬと悔しそうな顔をして、だけど抵抗する素振りもなくモシン・ナガンさんの膝の上に乗せられる。

 

「じゃ、次はSVDかな」

「私はそう難しいものではない。銃器店で働いていて、たまたま腕が良かったから戦術人形になっただけだ。自律人形だったころから銃は好きだったし、機会があればとも思っていた。ここの募集に応募し、ライフル系の適正が高かったことで今の私になったというわけさ」

「……自分で戦術人形になろうって思ったの?」

「そういうことだ。銃を撃つのが好きで、銃を扱う仕事も好きだった。それがかみ合った結果でしかない」

 

 現実はかなり違ったが、とだけ付け加えてSVDさんは隣で座っていたPKPさんに次はお前だと言うように向き直る。

 

「……私は最初から戦術人形だ。別に語る必要はない」

「PKP、グローザが言っていただろう? 二人が知りたいのは私たちがここに居る理由だ。今は経緯を語るんじゃない。動機を語るんだ」

「うるさいぞエセ狙撃銃。チッ……仕方がない」

「フフッ、もう少し素直になることだ」

 

 ニヤニヤとイジワルそうな顔でSVDさんが言うと、PKPさんは諦めたような素振りで居住まいを正した。

 

「……テロリストを許せない。ただそれだけだ」

 

 意見は許さない。何も聞くな。小さく、簡潔に、低い声で呟かれた言葉に続くものはない。

 

「──うん、じゃあ次はPK」

「私もそう難しいことじゃないわ。戦うことが私の生き甲斐だった。ここではそれが手に入る。それだけのことよ」

 

 さっくりとさっぱりと、PKさんとPKPさんは言い切った。もっと何かしらの言葉があるのだろうと考えていたのか、モシン・ナガンさんも言葉に困りながら言う。

 

「あー、グ、グローザは?」

「私はヴェネツィアが好きだからだ。この街の一員として何かできることをと考えて、ここに入った。それに一度管制機能やコアを解体したとはいえ、私は元々戦術人形だった。それまでに積んできた経験も役立てられる」

 

 うんうん、と頷いてモシン・ナガンさんは嬉しそうにグローザさんの頭をなで始めた。……自分の望んだ回答が出たことがそこまで嬉しいのか、若干二名が参考にもなりそうにないことを言ったからなのかはわからないが。

 

「どうかしら? 参考になりそう?」

「やっぱりみんな何かしらここでやりたいことがあるんだね」

「そうよスコーピオン。大好きなお姉ちゃんと一緒に居たいからとか、銃が好きだとか、理由は大したものじゃないもの。G36は一番の古株だけど、あの子だって単純にメイドとしての仕事の延長上って考えでやってるようなものなんだから」

 

 メイドの延長上が戦場で戦う兵士って……どうなんだろう。そういえば昔ジャパニメーションとかクールジャパンとか──どういうものかはよくわからないけど──が流行ったときに集められたというマンガにも、メイドさんが剣を振り回したりナイフを投げたり銃を乱射したりしていた描写があったような。

 

「さて、それじゃ次はアフターグロウ本部に行くとしよう。そこを見て解散になるだろうから、忘れ物の無いようにね」

 

 私たちとティスさんは合流してそのまま4人でヴェネツィア行きの電車に乗り込んだ。既に電車はヴェネツィアと本土を繋ぐリベルタ橋を半ばまで通り抜けている。

 

「そういえば姉さん。M1014(ベネリ)SPAS(スパス)にはもう連絡を?」

「ん、ちゃんとしておいたよー。秘密兵器には細かいところも手を抜かない几帳面さも無いとねー。そっちはどうだった?」

「相変わらず根回しが早い。私たちのほうはまあ無事に終わったよ」

「まあそれならいいんだけどさ。G41はどうだった?」

「え、えっと……意外と簡単なことだったんだな、って」

「案外世の中そんなものだよ。難しく考えたってできることは限られるんだからさ。思い立ったが吉日って言うでしょ。できることから始めていけばいいと思うよ」

 

 ティスさんは窓の外に広がるアドリア海を眺め始めたが、すぐに電車は橋を通り抜けて地上駅のサンタ・ルチア駅に停車する。

 

「ここからは歩きだね~。二人は本部を見たことある?」

「あたしは無いかな」

「私も行ったことないです」

「ん、じゃあきっとビックリするかもね」

 

 ビックリ、というのはどういうことなんだろう。もしかして写真で見たようなグリフィンの本部ビルみたいなものがあるのかな? 

 駅を出て歩くこと十分、右に曲がって橋をひとつ渡った先でティスさんが立ち止まる。

 

「はい、着いたよー」

「ねえティス、……どこにもビルなんて無いよ?」

 

 ……スコーピオンちゃんが周囲を見渡しているものの、ビルらしい建物はどこにも無い。私たちが最近よく目にしている赤レンガの屋根と白い壁の建物が運河や通りに続くばかりだ。

 巡回兵は街中で見たときよりも多いけど、どこに本部があるのかさっぱりわからない。

 

「んふ、本部だからってビルである必要性は無いよね? つまりそういうこと」

「……もしかしてこの目の前のずっと続く壁って」

「その通りだスコーピオン。この壁から向こうがアフターグロウ本部だ。建物は三階建てで、伝統的なヴェネツィアの建築物に似せて作っている。

 似せているだけで中身はちゃんと耐久性や耐震性、そして塩害などにも対応した、れっきとした最新の建築物だ」

 

 見た目は他の民家の壁とそう変わらない。けどよく見るとそこかしこに監視カメラが隠されているし、見回りの重装備の軍人の姿もちらほらと見かける。

 

「ティス、グローザ。おまたせしました!」

「や、元気だった?」

「時間通りだ。随分出迎えが早いな」

「いえ、指定の時間よりも早くなる可能性があったので30分前から正門で待機していましたから」

「……そこまでする必要があるのか?」

「当然ですよ。お客さんが来るのですから滞りなく歓待しなきゃいけません。

 ヴェネツィアは警備部隊以外に銃の携帯許可が下りませんから、戦術人形であるとしても非武装では突発的な事態には対処できません。なのでテロや暴動など万一の可能性を踏まえて周囲の警備は倍にして、即時対応可能な状況を維持しています。また他企業の諜報員や反乱分子のスパイがドローンを利用してこちらを偵察していないとも限らないので、本部周辺は現在ジャミングによる情報封鎖も行っています。

 あ、スパイで思い出したんですけど、一応身元確認と銃や武器弾薬、火気類の持込みが無いか身体検査を徹底させていますので、何卒ご協力お願いします」

「……相変わらずだね、M1014(ベネリ)

 

 溌剌とした声でグローザさんの疑問に答えていく女性兵士。M1014(ベネリ)と呼ばれた彼女は手にしていたショットガンを後ろ腰に回して敬礼する。

 左右合わせて10枚にもなる装甲板。腰に巻いたショットシェルベルトに、右腰のサイドアーム。そして左肩にイタリアの国旗とアフターグロウの紋章が刻まれたジャケット。背丈はグローザさんと同じくらいで、うらやましいほどに丸く大きな胸部が印象的だ。

 

「初めまして。本部警備部隊第二分隊を率いています、M1014です。ベネリと呼んでください」

「G41です、初めまして」

「あたしはスコーピオン、よろしくね」

「よろしくお願いします。それでは本部にご案内いたしますね!」

 

 ベネリさんに連れられて歩くこと5分ほどで守衛の立つ金属製の門の前に辿り着いた。儀礼的な軍服に身を包んだライフル兵は微動だにせずに、私たちが通り過ぎる間も直立不動のままだ。

 じーっと見つめてみても反応がない。近くに寄って見回してみても動かない。

 

「ほらほら、気になるのはわかるけどこっちが先だよ」

「むーっ」

 

 スコーピオンちゃんが手を引くものの、もう少し観察してみたい。もしかすると動き出すかもしれないし、その瞬間が見られるかもしれない。

 

「やっぱりG41ちゃんも気になりますよね?」

「うん」

「ですよね? 私も何度か武器と装備の更新を上申してみたんですけど、ずっとアレなんですよ。門衛は侵入者を防ぐための重要な任務なのですから、速射性や装弾数で明らかに不利なボルトアクションのライフルよりもサブマシンガンやカービンタイプのアサルトライフルなどの携行性と制圧能力に優れた銃火器を使用するべきだと思うんです。リフレックスサイトやホログラフィックサイト、暴徒鎮圧用に催涙弾などを発射可能なグレネードランチャー、それに咄嗟に腰溜めでも射撃可能なようにレーザーサイトなどの装備も検討すべきです。

 それにあの制服だって防弾ではありませんから、万一敵の攻撃を受けた場合には致命傷を負いかねません。最低でも.44マグナム、できれば7.62ミリにも対応できるようにクラスⅡからⅢのボディアーマーを推奨するべきだと思います」

 

 ……ベネリさんとは興味を持った点が違うということはわかった。

 

「……まあ、こういう子だから」

 

 ハァ、と小さくため息をついてティスさんがうなだれる。きっとお姉さんとしていろいろな苦労があるのだろうと思うと声をかけづらい。

 

「ベネリは簡単なモノを難しく考えすぎだ。儀礼的なものに実用を求めるべきではない」

「グローザ、それはそうですけど……いざというときは必要になるんですから、普段からもっと充実した装備を充てるべきだと思います」

「いざというときこそ我々や軍の出番だ。彼らには退避してもらえばいい。そうだろう?」

「む、むぐぐ……でも相手が突然車やバイクで強行突破してくる可能性もありますし、海上からヘリで奇襲してくる可能性だって……!」

「ほう? この洋上の都市にどうやって車やバイクを持ち込むんだ? リベルタ橋を渡ってすぐに駐車場だ。バイクなら入り込めるかもしれんが狭い路地に運河がそこらじゅうにある。路地一つ間違えればそのまま海の中だぞ? 

 ヘリで奇襲するにしてもそんなものが洋上を飛んでいれば真っ先にSAMで撃墜されるのがオチだと思うが?」

「グローザ、丁寧に抉りこむような反論はそこまでにしといてあげとこうよ」

「姉さんもこう言ってることだ。ベネリ、さっさと案内してくれ」

「むーっ! こうも言われっぱなしなのは釈然としないですけど……今は任務に集中しないと……」

 

 正門を抜けるとサッカー場の半面ほどの広さの芝生の庭園が広がり、その先に三階建てのいかにもヴェネツィアらしい建物が佇んでいる。白い壁、赤い屋根。テラスやバルコニーもあるちょっとした避暑地の別荘のような趣の邸宅だ。

 M1014は邸宅の中へ私たちを招きいれると三階へと上がり、そのうちの一つの部屋のドアをノックする。

 

「社長、M1014です。見学希望者の方をお連れ致しました」

「どうぞ」

 

 なんの変哲も無い普通のドアをノックした先がまさか社長室だなんて。

 

「さ、入って入って」

「し、失礼します!」

「失礼しまーす!」

 

 部屋の中は広々として毛織物の絨毯と来客者用の上品な彫刻を施した長いテーブルがあり、更に奥には執務机があって左右には国旗とアフターグロウの旗が飾られている。

 部屋の片隅には天井に届くほどの本棚と壁掛けのモニター。それと観葉植物の鉢植えが一つ。執務机にはノートPCと、さりげなく目を引く立派な羽ペンが備えられていて簡素ながら高貴さも感じさせる。

 

「ようこそ、アフターグロウ本部へ。私が社長のイゴール=ウラジーミロヴィチ=セミョノフだ。どうぞ掛けてくれたまえ」

 

 その執務机に向き合う一人の男性。70代ほどの容姿の、白髪の交じった黒髪の男性。細身で長身ながら、立ち上がって歩く姿はよどみなくスムーズで、左手は身体の前で保たれて背中側へは振られず、右手の振りは小さくてブレの一つも無い独特な歩き方でソファに歩いていく。

 

「……キミ……そう、G41さん。よく見ているね」

「……ふえっ?」

 

 腰を下ろした彼は私たちにも“座れ”と鋭い目つきで訴えかけてくる。その威圧感に押されて、質問しようとしたことさえ忘れてソファに座って対面する。

 

「目が良いのはよいことだ。さて、まずはお礼を申し上げよう。我が孫の窮地に助力をいただけたことに心よりの感謝を。お陰で大切な孫娘が五体満足で生きて帰ってくることができた」

「あー、っていうか私たちがむしろ先に助けられた側ですんで。助けてもらったから協力したっていう程度でしか……」

「だからこそだよ。世の中、命を救った相手から何の協力も得られないことなどよくあることだ。ひどいときには私たちを恐れて逃げ出したり、助けた相手に背中から撃たれるなんて場合さえある。

 こんな世の中ではあるが、キミ達二人は恩には恩で返してくれたわけだ。それは今のこの排他的で暴力的な世界では珍しいものなのだよ。

 さて、孫からも案内があったとは思うが改めて私からも伝えておこう。

 我々アフターグロウはキミ達二人を歓迎する。……もちろん入社するかどうかはキミ達二人次第ではあるがね」

 

 社長自らの勧誘が来るなんて思いもしなかった。……孫娘? 

 

「も、もしかして、隊長サンの……?」

「祖父だ。さて、まもなく本部警備隊の人形が引き継ぎに来るはずだが……」

「社長、失礼致します! カルカノM1891が参りました!」

「入りたまえ」

「失礼致します! ……こちらの二人が見学希望の方でしょうか!」

 

 社長室に入ってきたのは一体の戦術人形。綺麗な赤毛のツインテールと空のように青い瞳。華麗な装飾のカラビニエリに似た形状の、ピンクの制服と白いスカートが細身の体のラインを際立たせる。膝上まであるブーツにも繊細な意匠の装飾が施されていて、目にしたその印象は儀仗兵そのものだ。

 そして声が大きい。ハキハキとして溌溂として、元気いっぱいという感じは年ごろの子どものよう。

 

「初めまして、私はアフターグロウ戦術人形部隊の本部警備部隊を率いています、戦術人形カルカノM1891です! 今回お二人をご案内するようにと仰せつかっています!」

 

 軽く自己紹介をすると、彼女──カルカノM1891は凛々しい敬礼をしてみせると、にこやかな笑顔で右手を差し出した。



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オバロ試作品11

タグやルビの練習。といいうか多機能フォームを使う練習


「んんー……」

 

 すぅ、と静かに眠る彼の姿にどこか懐かしさを感じる。まだ小さかったボクのところにやってきた彼に遊んでもらっていたとき、遊び疲れて一緒にベッドでお昼寝していたときを思い出すからなのかもしれない。

 ボクにはお父さんが居ない。事故で死んだとママは言っていた。だから昔のボクはユウくんにお父さんのようなものを求めたのかもしれない。その次は兄弟みたいな関係を。自分が女の子だと認識してからは男女の関係になりたいと思っていた。

 結果はまあ、ボクが本当に女の子のカラダになったことで少し進展したかもしれない。ボクはユウくんを以前に増して気に掛けるようになったし、ユウくんもボクを女の子として扱ってくれている感じがする。

 

「んむぅ……パパ……」

 

 ユウくんの隣で寝息を立てるNPC……リアルでのユウくんの子どもにそっくりなこの子はボクにとってどういう存在なのだろう。ただのNPCでしかないのか。それとも妹みたいな子なのか。

 ボクはリアルでの玲奈ちゃんは知っているけれど、このNPCのレーナのことは何も知らない。この子にとってボクはどんな存在なのか、ボクにとってこの子はどういう意味を持つ存在なのか。

 

「──やめよう。まだ、よくわかんないや」

 

 ひとまずは意識を別のものに向けよう。今のボクたちが置かれた状況を整理しなくちゃ。今すぐ女の子になった自分の身体を“確かめる”のもやぶさかじゃないけど、ユウくんはユウくんで突っ走っちゃっていろんなものを後回しにしてしまっている。

 ボクがユウくんをしっかりサポートして支えないと────ちょっとは夫婦っぽいかな。うん、今のボクなら実質的にお嫁さんポジションは十分狙える立場だ。

 

「まず、どうしてこうなってるんだっけ」

 

 ボクたちは普通にオンラインゲームの終了日にログインしていた。ところがゲームは終わらず、まるで現実世界になったみたいに五感が働くしお腹も減る。目に見える景色もどこかヴァーチャル感があったものから本物の景色になっている。体はゲームのアバターと同じままだけど、生理現象もあるしなんなら性欲だってある。

 戸惑っていたところにヘレンが突然現れて、野盗に襲われている村を助けてほしいって頼まれた。まるで猪のように村に走っていったユウくんが村を解放して、ブレインとかいう剣士を二日間も見張り続けていた。信用はすぐには手に入らないっていう言葉は理解できるけど、二日間も家族に心配かけさせたユウくんを叱りつけるのがお嫁さんの務めだ。

 

「……あったかかったなー」

 

 ユウくんに抱きしめられたときの感触が忘れられない。思わず息を呑んだし、顔が熱くなって胸のあたりがきゅっと締め付けられるような感じがして、ゲームかリアルかを確かめるのに初めて下腹部に手を伸ばした瞬間のような切なさに頭の中が真っ白になりそうだった。

 男の肉体だったときとは違う。昂ぶるような能動的な感じのものではなくて、切なさと嬉しさを混ぜこぜにしたような受動的な興奮が脳みそを揺さぶってくる。

 これがリアルでの身体だったなら“いいから一発しようよ”くらいの言葉とお尻が出たはずなのに、そんなものは欠片も浮かばなくてただひたすらに“嬉しい”という感情が沸き上がってきた。

 

「でも、野盗がまだ来るかもしれないし……」

 

 ユウくんがブレインとかいう剣士から聞いた話では野盗は“死を撒く剣団”とかいう野盗と傭兵がごっちゃになったような組織らしい。で、今回この村を襲っていたのは盗賊や荒くれが寄り集まったチームだとか。つまりもう片方……傭兵のメンバーたちが彼らを探していてもおかしくないということ。

 

「……殺す、のかな。殺せるのかな……ボク」

 

 ボクの大切なヒト、大好きな彼はボクたちの目の前で人殺しをした。相手は確かに悪い人で、殺されても仕方がないと言われる側なのはわかる。でも、ボクはユウくんみたいに誰かの命を奪うことができるとは思えない。

 かといってこのままだと野盗のもう片方の奴らがこの村に来てしまうかもしれない。その時ユウくんだけじゃ村人全員なんて守り切れない。……どうすればいいんだろう。どう立ち回れば、村人もユウくんも守れるんだろう。

 

「……怖い、なぁ」

 

 仕方がない、やるしかなかった、相手は悪人だ、言い訳なんていくらでもあるのかもしれない。だけどボクはまだ……人を殺す決心がつかない。相手が悪人だとはいえ、人の未来を奪うことになる行為に対して恐怖してる。これが知性や理性のない魔物の仕業だったりすれば、まだもう少し気が楽なんだろうけど──

 

「──それだ! 別に殺す必要なんて無いじゃん! 少しの間だけでも追い返せれば──!」

 

 そうだ、“忍者”なんて職業(クラス)を取るのにいろんな盗賊・斥候系職業をとってるんだ。それを十全に使いこなせば傷つけずに追い返す程度はできるはず! 

 

「そうだよ、アバターの能力が使えるんなら……忍術が使える!」

 

 すぐにでも考えないと! 野盗がこの村に来たって無傷で追い返す方法を考えよう! ユウくんにばかり頼ってちゃダメなんだ! ボクができることはボクがやらなきゃ! 人殺しなんてできないだろうけど、できないならできないなりに追い払えればいいんだから。

 

 善は急げと見張り櫓の最上段に駆け上って村の周囲を見渡す。後背にあたる南側はなだらかな丘陵地で、村を一望できるだけの高低差がある。翻って、それは村からも見えやすいというわけであるから壁は分厚く頑丈だ。逆に北に面する入り口側は曲がりくねった坂道になっていてまっすぐには村に入ってはこれない。牧草地や農園が広がる村の東西は道も無い傾斜続きだけど、あるのは馬がジャンプしても乗り越えられない程度には高い柵があるだけ。一部が破られていて、そこから野盗が侵入したのかもしれない。一番楽かもしれないと思ってたけど、野盗も同じ考えだったわけか。

 

「となるとー……東西はトラップを仕掛けて足を遅らせて……南北は警戒網を張るのが得策かな? そこに幻影スキルや幻術スキルを使えば……うん、いけそう」

 

 案は固まった。まずはユウくんに聞いてみないと。ボク一人、しかも戦争なんてド素人のボクじゃ見落としに気づかないかもしれない。それに大事なことは二人で話して決めるって約束したし……えへへ、夫婦の共同作業っていうほどじゃないけどこういうのって夫婦っぽい感じがする! 

 ああ! いつかはユウくんと湖の見える別荘で誰にも邪魔されずにイチャイチャしてキスしちゃったりされちゃったりからの第一ラウンドが始まって……! 

 

「うぇひひひ……ふひひぃ……ボ、ボクのハジメテを捧げる時がついに……!」

「おいヘレンちゃん、あの子ルイス様の従妹なんだろ。顔見知りなんだからどうにかしてくれよ……櫓に矢避けの板すら張れないぞ」

「そ、そんな……無理ですよぉ……! 私だって今は関わりたくないんですよ……!」

「なんであんな櫓の上でくねくねしてんだ……あれが王都で流行りとか聞いた酒場踊りってやつか?」

「ちげーよ。きっと何かもっと……深いわけがあるんだよ! 多分……!」

「あのくねくねした動きは……スライムか? スライムは水気を好む……つまり、雨ごいか何かか?」

「何言ってんのさアンタ、雨なら四日前に降ったろう。きっとありゃあスライムじゃなくて噂に聞くドライアードってやつさね。ドライアードってのが生まれる場所は豊かな土地だって話もあるんだ。おそらく豊作祈願で間違いないだろうね」

「……ハァ、ハァッ…………ヒビキちゃん……! ヒビキちゃ……ふぅ……」

「おい誰か、ブルーノ縛って吊り上げるの手伝え」

「「「合点承知!」」」

「ちょ、まっ、俺はヒビキちゃんの黒い紐パンを見てただけで……!」

「ギルティ」

「ヘレンちゃんまで!?」

 

 こうしちゃいられない。すぐにユウくんに相談しないと! 道を歩くのもめんどくさいし……屋根伝いに走っていけばいいや! 

 レベル100の身体能力にものを言わせて屋根に飛び乗り、次々に家から家へと飛び移って走り抜ける。フフン、こんなパルクールも目じゃない動きは忍者だからこそってやつだよね。最後は空中で前転決めつつ華麗な着地! 何十年か前に行われてたオリンピックなら満点間違いないしさ! 

 

「ユウくんっ! 起きてる!?」

 

 ガタンッと勢いよくドアを開いて呼んでみたものの反応が無い。そっと静かに奥の部屋をのぞき込んでみると、ユウくんもレーナもまだぐっすりと眠っていた。……ただしユウくんのお腹の上には浜に打ち上げられたオットセイのようにレーナが伸し掛かっていて、口元から垂れたよだれでユウくんのお腹が濡れている。

 対照的にユウくんはうんうんと唸るように寝苦しそうにしていはいるものの起きる気配もない。

 

「まーだ寝てる……もうっ…………起きないんなら、キ……キスしちゃう、よ?」

 

 顔を近づけても寝息が聞こえるだけだ。……これはもしかしたら、イケるかもしれない。ユウくんは完全に寝てて起きないし、レーナちゃんも眠ったままで邪魔はされない。

 

「お、起きない、よね? じゃ、じゃあ…………ん」

 

 目を閉じて、息を整えて、少し顔を近づける。唇に触れた感触。数秒間が一時間にも思える時間の間、ドクドクと自分の心臓の音が聞こえてくる。

 

「…………ふ、ふへへ……やっ、やれば、できるじゃん、ボク……」

 

 今までの自分のチキンぶりを思い出して少し情けなくなるけど、あんなに憶病だったはずなのに誰も見ていないとわかればこれだけできるたのだという実感が湧いてくる。

 まだ恥ずかしさで顔が熱いけれど、今度はこれを人目をはばからずにやれるだけの度胸がつけば……! 

 

「んぅ……? なんだ……サヤカ……ああ、ヒビキか……ふぁぁ……もう少し、寝させてくれ……」

 

 ……手ごわい、けどボクは負ける気なんかさらさら無いんだからっ! 

 

 

 

 

 ヒビキのやつ、変なところで積極的なとこは相変わらずなようだ。リアルでも際どいメイド服やらスリングショットやら着て──ただしリアルでは男の娘ボディだ──迫ってきたのは覚えているが、女になってこれをやるようなら本格的に淑女としての教育が必要になるかもしれない。

 押せ押せなときはとことんまで踏み込んでくるのに、押されると逆に引っ込んで恥ずかしがってあわわはわわ状態なのだから、変なところでヘタレるヤツだ。

 

「よっ、と」

「たかーい! あ、パパ! あっちに山がある!」

「お、ほんとだ。山登りなんかもやってみたいもんだな」

「ねえユウくん、温泉あるかな?」

「どうかな。でもまあ、温泉探しで昇るのもありっちゃありだな」

 

 櫓の上に着くなりレーナが遠くを指差してはしゃぎはじめる。小高い丘が折り重なるように連なる先に平原が続き、その奥に雄大な山脈がそびえたっているのが目に飛び込んでくる。

 

「それで、トラップを設置するんだったか?」

「うん。南北は見通しがいいし、見張り櫓からでもよく見えるからまず攻めるには不向きでしょ? 逆に東西は森が広がっているし、下りになってる割にそこそこ平坦だから見えづらい。だからこっちにトラップや召喚したモンスターを巡回させて警戒させておこうと思うんだ。

 幻術系の設置型トラップで森の中を迷わせて村にたどり着けなくしたり、視界を阻害する効果を持つトラップで村を見えなくするとか……ユウくんはどう思う?」

「いい案だが無効化される可能性は? それに数は?」

「設置型トラップはそこそこ数があるから用意できるよ。無効化するのなら最低でもレンジャーの高レベルスキルが必要かな」

「……使い果たしたら終わりか。なら、アイテムを使わない罠も絡めないとな」

「アイテム無しで罠って作れるの?」

「忘れたのか? ゲーム内じゃ無く限りなく現実に近しいってんならできるんだ。例えば……西側のあの草が多い場所なんかは草を低い場所で結び付けておくだけで即席の転倒トラップにできる。草に紛れて細い糸かロープを張っておいて、鳴子をつけて早期警戒網の代わりにすることもできるし、こちら側への被害を考えない場合は火を放って炎の壁にすることもできる。

 東側は斜面は西側に比べて幾らか傾斜があるから、上がり切ったところに土塁を積んで、その手前の斜面を切り崩して平坦にすることで昇れなくするとかもありだ。大きめの石や岩を転がして落石トラップにするとかも安上りな罠になるな」

 

 ほへー、とヒビキは呆けた顔で聞いているが理解できたのだろうか。パリッとしたフレンチ(えっちぃ)メイド姿なのに、その表情はメイドというには似つかわしくないボケッとした表情だ。

 

「な、なるほど!」

「理解できてんのかお前」

「ハハッ、で、できてるに決まってるじゃんかユウくん!」

「ヒビキおねーちゃん、絶対わかってないよね」

「わっ、わかってるし! レーナはわかったの!?」

「んー……よくわかんないけど、アイテムがいらなくて簡単に作れるトラップなんでしょ?」

「その通り。レーナは賢いなぁ」

「ふふーん! ヒビキおねーちゃんには負けないもん!」

「むぐぐ……」

 

 レーナの頭を撫でてやるとヒビキが恨めしそうにこちらを見る。レーナはぺったんこな胸を張ってヒビキに自慢するように勝ち誇った顔をしている。負けず嫌いなところは妻によく似ている。

 

「あっ! あそこ! パパ! あそこにおっきい街があるよ!」

「どれ……へぇ……城砦になってる」

「あっ、ホントだ! 中世のヨーロッパって感じだね! 余裕ができたら行ってみようよ!」

「そうだな。どの道行くことになるんだろうけど……

 

 地平線のギリギリのところに見える灰色の城砦都市。このハイスペック吸血鬼ボディでなきゃ見逃してしまうところだった。この距離でそこそこの大きさがあるのだから、実際はかなり大きな都市なのだろう。

 

「ヒビキ、意見が聞きたい」

「……なぁに?」

「俺はこの村を救いたい。俺にできることをやりたい」

「理由は、聞いてもいいの?」

 

 ヒビキの赤い瞳が俺を見据える。不安なのか表情は浮かないが、それは俺がプレッシャーに押しつぶされたり思いつめたりしていないか心配になっているせいだ。この子はいつも、他の人の心配をするときはこうするのだ。自分のときはなんでもないように振舞っているのに。

 

「……俺は昔は軍人だった。テロリストや他国の軍と戦って、守れた人も居れば守れなかった人も居た。住む場所を奪われた人や、家族を奪われた人をこの目で見てきた。俺自身も、大切なものを守り切れなかった。

 一度は戦うこともやめた……だけど今、目の前で力ない人々が助けを必要としてる。だから俺は彼らにとって当たり前にある大切なものが奪われないように、戦っていくつもりだ」

「……わかった。ユウくんが決めたんだから、きっと大丈夫。それに何かあってもボクだって居るんだし!」

 

 ヒビキの言葉がすり抜けていく。耳から入って頭の中を駆け巡り、それはまるで疾風のように俺の心に灯った火を大きくうねらせて過ぎ去っていく。

 ……まだまだ子どもだと思っていたけど、もうヒビキを子どもと言うのはダメだなこれは。

 

「ルイスさまー! 村長が呼んでますよー!」

「わかった! すぐに行く! 二人は家に戻るか?」

「ボクも行く。……正直、ユウくんだけじゃまたいろんなことに首突っ込みそうだし」

「レーナもいく!」

「……わかった。二人とも、くれぐれも、静かにな」

 

 正直言ってヒビキの言葉が無ければまた首を突っ込んでいたかもしれない。目の前で虐げられる人々が居るのもあるが、踏み入ってしまった以上知らぬふりができないのも確かだ。ヒビキが居るお陰でレーナやキリの面倒を任せられる……そんな考えが自分の中で、それも自分で気づかない奥底で存在しているせいでもあるのだろう。

 

「ようこそ、おいでくださいました。ヘレン、ありがとう」

「ああ、待たせてすまない」

「お邪魔します」

「お邪魔しまーす!」

 

 木造の簡素な家の扉を開けるとサムエル村長が出迎えてくれた。隣には彼の妻のバーバラが控えていて、すぐに応接室へと通されたが、その応接室はお世辞にも綺麗だとは言えない。

 刃物が突き立てられたらしい傷跡が生々しく残る柱。椅子もテーブルも古い木製のもので、足元がぐらついたりして頑丈そうには思えない。装飾品や調度品なんかもあったのだろうが、そんなものは一切無くただ無機質な白いカーテンがある小窓が三つ並んでいるだけだ。

 

「殺風景で申し訳ありませんな」

「お気遣いなく。本日はどのような用件で?」

「実は村を救って頂いた件について、少ないものですがお礼の品をと思いまして……あまり大したものはご用意できなかったのですが……」

「ああ……村長殿、実は報酬の件については話がついている」

「……と申されますと?」

 

 どの道野盗が奪い去った後のこの村に金目のものなどほとんど残っていないのだ。なけなしの報酬などを俺に支払うよりも、もっと後々のためになるものを得なければ意味が無い。この世界で生きていかざるを得ない場合にまず必要になるものがあるのだ。

 

「ヘレン、彼女に助けを求められたときに俺は彼女にこう言った。“報酬よりもヒビキとレーナを頼む”と。ヘレン、間違いないな?」

「……あ、はい。特に何かできたわけでもないですけど……」

「まあそういうわけだ。俺もヒビキもレーナも、ヘレンの世話になっている。でもまあそれで納得するとも思えないんで、こういうのはどうかな? 

 俺とヒビキ、レーナ、それにキリを加えた四名。しばらくこの村に置いてはくれないか? 家は今あるのをそのまま使わせてくれればいいし、有事の際は俺も剣を振るう。まあブレインを雇うついでに俺たちを村に置いてほしいんだ。俺としてもそのほうが活動しやすい」

「村に滞在するということですか。それでしたら我々としては構いませんが……しかし、この村はもう……長くは無いでしょう」

「……ねぇユウくん、何かあったの?」

「まあ、な」

 

 そういえば二人に詳しい事情を説明していなかったな。俺がわざわざこんな方便を使ってまで村に残ろうとしているのは偏にこの問題が村の存亡に関わる一大事だというのも理由の一つだ。

 

「野盗がすでに村の食料を運び出してしまったらしい」

「……ごはん、無いの?」

「レーナの言う通りだ。この村はご飯が無いんだ」

「でも盗っていった人たちを見つけたら、パパが取り返せるんでしょ?」

「レーナ、見つけられればだよ。もう野盗たちの一部は逃げた後なんだ。追いかけても見つけられないんだ」

 

 既に日中には運び出されていたらしいから俺が到着したときにはすでにかなりの距離を移動していることだろう。この広大なアベリオン丘陵の裾野をくまなく探して痕跡を当たれば見つかる可能性が無いわけではないが、その間にも村人たちは飢えに苦しんでいくことになる。

 

「……で、ユウくんは村の人たちが食べるご飯が無いからどうにかしようって思ってるんでしょ?」

「────そう、なるな」

「わかった、ボクも手伝うよ。…………で、具体的には?」

 

 胸を張ってヒビキが言うものの、いい案があるわけではないらしい。ひと先ず今の俺たちで何ができるのか、どれだけの猶予があるのか、どのような伝手があるのかを確認しなければ。

 

「村長、村の食料はどれだけ持ちそうだろう?」

「……切り詰めても二週間でしょう。ですが収穫が遅れている場所があるので、そこを刈り取ればもう少し……一か月少々は持つはずです。ですが冬を乗り切るには心もとないどころか全く足りておりません。しかも捕えた野盗どもを領主の軍に引き渡すとなると、それまで彼らにも食事を与えなければなりません」

「なら、この付近に狩り場はあるか?」

「二か所ほどなら。しかし収穫に当たるとなると人手が足りないのが現実です。男手は兵役で減り、そこに野盗の襲撃で殺され、もはやこの村は女子供と老人が多くを占めている状態です」

「……厳しいな。ここからすぐ近くにある大都市や農作地は? それと村を訪れる商人や役人などは?」

「近い都市ですと私たちの属する領土の都市エ・ペスペルでしょう。東に行けばエ・ランテルという都市があり、バハルス帝国、スレイン法国と領土を接していますので交易商人も多く立ち寄る街です。

 残念ながらこの村に商人が訪れるというのは滅多にございません。役人も徴税や検地を行う場合に来る程度で、それ以外は兵士が二か月に一度ほど巡回する程度でございます」

 

 こ、これはなんとも……戦国系のRTS(リアルタイムストラテジー)なら詰みに等しい状態だぞ。すぐに援軍が来るわけでもなく、食料は枯渇寸前で、労働力も無い状態で収穫が無い冬場を乗り切れと言われているようなものだ。食料不足からの野盗化しか未来が見えない。よしんば野盗化を回避できても共食いや村人同士での食料争奪戦が繰り広げられ、まさに地獄絵図となるのがオチだ。

 となると、やれるのは一つしかない。

 

「……即座に外貨を稼いで食料を買い付けるしかないか」

「はい。しかし外貨を稼ぎたくともその人手が……」

「ままならんなこりゃ。だがどこかで腹を決めてやるしかないぞ。放っておいたらここの村人までもが野盗化しかねない」

「……わ、私たち、が……?」

 

 おそらくヘレンには想像もできなかったのだろう。自分たちがあのおぞましい存在になり果てるなど、まだ年若い彼女には考えが及ばない範囲であるのは確かだ。

 

「……辛いようだが言っておくぞヘレン。人間っていうのはな、追い込まれればなんだってやるんだ。死を覚悟した存在ほど恐ろしいものはない……兵士も平民も、動物やモンスターもだ。

 やらなければ死ぬという覚悟がキマッたヤツらはまさに死を恐れない。当然だ。すでに死を受け入れて前に進んでくるんだから。……例え剣で斬られ矢で射られようと、そいつらは決して止まらない。どこまでも突き進んで獲物を狩ることしか頭にないんだ」

「ルイス様の言う通りだ。私もかつて冒険者であったころ、そういう奴らを目にしたことがある……」

 

 ……冒険者? それはアレか、ヘレンが言っていたあの冒険者なのか? 

 

「ねえ村長さん、冒険者ってなに?」

「んむ、レーナちゃんも冒険者に興味があるのかい?」

「うん! 冒険者ってモモおじさんやヘロおじさんみたいな人でしょ? ダンジョンに潜ったり冒険したりするんでしょ? バーッとモンスターに走って行ってドーンッて倒しちゃうんでしょ?」

「んん? 冒険者っていうのはモンスターを退治してくれる人のことだよ。でもきっとそのおじさんたちも強かったんだろうね。ルイス様のご友人なのであれば、きっとオリハルコン級も目じゃないお方々だろう」

 

 どうやら冒険者というものについて認識に齟齬があるようだ。俺たちは冒険者と言えば未開のフィールドを探索したり調査をするのが冒険者という認識だが、村長たちからするとモンスター退治を請け負う者たちを指しているようだ。敢えて振り分けるとすればだが、俺たちの側なら“探索者”とか“探検隊”が最適かもしれない。逆に後者はモンスター退治を主とした“傭兵”や“PMC”のようなものだ。

 だったらちょうどいい。元PMC所属の非正規戦部隊で腕を鳴らした男がここに居る。

 

「村長、こっちの冒険者は端的に言って……儲かるのか?」

「ああ、ルイス様たちはアベリオン丘陵の遥か向こうから来られたのでしたな。まあ、依頼に因るかと。難度の高い依頼であれば儲けがあるでしょうが、登録したての“(カッパー)”プレートではあまり大したものは受けられない可能性があります」

「なら、ランクが上がれば問題ないわけだな?」

「はい。ですが昇級試験などもありますので、易々とは。ああ、そういえば帝国では冒険者組合もありますが、ワーカーも多いと聞きます」

「……ワーカー?」

「はい。組合を通さずに各々で依頼を受け、報酬を得ている者たちですな」

「……まさしく傭兵の亜種なわけだ。ものによっては濡れ仕事(ウェットワーク)や裏切りもありうる。これはナシだな。リターンもあるがリスクも高い。今は確実に稼げる方法のほうが必要だ。何よりヒビキを人殺しや危険な目に合わせるわけにはいかない」

「そ、そんな……ボ、ボクたちの、ぬ、濡れ場なんて他の人に見せるわけないじゃんかぁ……もうっ」

「ちげーからそのピンク色の脳みそを一回洗浄してこい。村長もバーバラさんも引いてるぞ」

 

 頬を桜色に染め、にへら、と笑ったヒビキの言葉に村長も奥さんも絶句している。そしてレーナの耳を塞いでいるヘレン、ファインプレーだ。MVP間違いなしだ。後でご褒美にユグドラシル産の高級生ハムを食べさせてあげよう。元はデータとはいえ、実体化しているのなら食べられるはずだし。

 

「とにかく外貨稼ぎをしつつ食料を買うしかないか。他にも食料が手に入る伝手があればなおいいんだが……」

「パパ、お魚さんは? キリがずっと食べたがってたよ?」

「……お手柄だレーナ! そういやそうだ、南側の丘の上の池に魚が居るんだから食えばいいんだ」

「ははは、ルイス様、あそこは森しかありませんよ」

「あの、叔父様……ルイス様の仰る通り、池ができてました。……私にも何がなんだかわからないんですけど」

「……ヘレンちゃん、流石に冗談だろう? 何もない森の中に池が突然できるわけがないんだから」

「叔父様、認めたくないのはわかりますが……本当です。私も最初は目を疑いましたが、確かに池が出来ています」

 

 村長は顔を覆うように手を当てて空を仰ぎ始めた。どうやら自分の頭の中を整理しているのだろう。もしくは現実を受け止めようと必死になっているかだ。

 

「うむ、であれば今しばらくは持つことでしょう。魚の調理法はあまり詳しくはありませんが、なに、焼けば大概のものは食えるものです」

 

 あ、コレ諦めて開き直ったパターンじゃん。村長にとって理外の出来事らしく処理しきれなかったのだろう。まあ普通なら森の中に池ごと異世界にやってくるヤツなんぞ、誰も予想できないだろうが。でもその加熱すりゃオッケー的な思考はやめたげて。主に村人の胃のために。

 

「と、とにかく……外貨稼ぎは必須だな。防衛はブレインに任せて、キリとレーナにはしばらくは村に住んでもらおう。冒険者になって外貨を稼ぐのは俺とヒビキでやろう。あとは領主の軍に野盗どもの身柄を引き取りにこさせて、ついでに望みは薄いが来年度の税の免除を請う書状なども必要だろう。

 ……ヒビキ、急で悪いが、手伝ってくれるか?」

「もっちろん! 未来の旦那様を支えるのもの役目だもんね!」

「勝手に関係を捏造するんじゃないの」

「もうっ、ちょっとしたジョークだよぉ?」

 

 お前が言うとジョークに聞こえないんだ。俺に鼻息荒げに迫ってくるし押し倒そうとするしエロい衣装で誘ってくるしで、まったくもって信用できない。実際押し倒されたしあの衣装で跨られたりした。リアルでだが。

 

「もうおしごとなの?」

「お仕事。でも帰ってきたらお腹いっぱいになるくらいご飯食べれるぞー」

「パパ、ケーキ食べたい! ケーキがいい!」

「ケ、ケーキは難しいかもな……ハハ……クッキーくらいならどうにかできるか……?」

「じゃあクッキー! お留守番してるからいっぱい買ってきて!」

 

 ……甘いものに目が無いというフレーバーテキストまで忠実に再現されてるのかぁ。この先お菓子を買うか作るかするためにどれだけお金がかかるやら……お財布引き締めよう。

 

「そうですな。望みは薄くとも、やれるだけのことはやりませんと。野盗を捕えた褒賞でも出ればいいのですが……」

「そこは交渉次第だろうな。行きの道中は俺が護衛しよう。帰り道は運が良ければ領主の軍に同行して帰るのがベストだろう。無ければ護衛にコウモリをいくらかつけておくさ。

 俺たちもしばらく住まわせてもらうんだ。できるだけの手伝いをするとも」

「……まことにありがとうございます。村を代表してお礼を申し上げます。エ・ペスペルへ向かう者はこちらで選んでおきますので、明日の朝までゆっくり休んで英気を養ってください」

 

 明日からは忙しそうだ。冒険者になって外貨を稼ぎ、食料を買い付けて村に送るという生活をすることになるだろう。レーナにもしばらくは会えないだろうが、キリやコウモリ軍団を護衛につけておけばいいし、最悪の場合<転移門(ゲート)>を使えば所要時間5秒以内でこの村に帰ることもできるだろう。

 ま、ブレインの強さがこの世界の上位クラスなのだと考えれば、ブレイン一人いれば十分な時間稼ぎになる。キリが護衛につくのならさらに安泰だろう。キリはさすがにレイドボスクラスだけあって、幼いとはいえ速度はレベル50のプレイヤーにも匹敵するステータスだ。オマケにコウモリ軍団が周辺警戒に当たるのだから盤石だ。……そう思いたいのに不安が尽きないのは親心のせいなのだろうか。

 

 

 

 ふぅ、と思わずため息が漏れる。面と向かって相対した彼、ルイス・ローデンバッハ氏は間違いなく貴族かそれに連なる出自なのだとはっきり身をもって感じられた。しかし宮廷貴族のような迂遠な言い回しや曖昧な問いは無く、常に率直で踏み込んでくるような問いかけだ。

 貴族の中でも武闘派……だが戦場での槍働きや戦功が第一という人間ではなく、軍政に長けた人物なのだと質疑の中で次第に理解することができた。

 食料の備蓄、継続的に確保可能な食料の有無、更には周囲から手に入れる方法があるかなど、彼の頭の中では様々な可能性が考えられているのだ。そしてそこからどうすれば効率的に、迅速に村の食糧難を解決できるかを模索してくれていたのだ。

 そして食料が無い場合のこの村の未来さえも、彼はすでに予期しているのだろう。食い詰め、野盗になるか共食いになるか……あるいはすべてを捨てて移住するかだ。それを防ぐために彼は全力を尽くしてくれている。

 

「……しかし、何故、ルイス様はこうまでして……」

 

 わからない。そこだけが未だ持って不明のままだ。私には理解できない何かがあるのかもしれない。

 

「叔父様、ルイス様が故郷をビーストマンの手によって失ったことは聞いてますよね?」

「ああ、聞いているよ」

「……盗み聞きするつもりはなかったのですが、“目の前で力ない人々が助けを必要としてる。だから俺は彼らにとって当たり前にある大切なものが奪われないように、戦っていくつもりだ”と仰っていました。

 あのお方自身大切なものを失って辛いはずなのに、何の関係もない私たちが彼と同じように奪われるのを忌避しているんです。自分が傷ついているのに、それでも私たちを助けるために剣を振るってくれたんです。私たちが、あの人と同じ悲しみを負わないように、繰り返さないようにと願って。

 叔父様、私は……ルイス様を信じます。自分自身を賭けてまで私たちを救ってくれた、あの方を信じています」

「ヘレン……」

 

 当たり前にある大切なもの。私にとってそれは妻であり、弟夫婦とその娘であるヘレンだった。兄弟揃って畑仕事に精を出し、家族総出で収穫を行って、村の皆と豊作を祝って飲み食いする。一日が始まって友人たちと畑に出て、各々の家内に関する愚痴を聞いたり言ったりしながら一日が過ぎていく。

 そんな平凡な一日。起きて友人たちと共に仕事をし、家に帰って家族と共に過ごし、そして眠る。ごく普通の、ありきたりな……いや……当たり前、だからこそ大切なものなのだ。それを守るために、ルイス様は剣を振るってくれたのか。

 

「やってみせねばな」

 

 この村は救われた。だがまだ先は見えず、暗雲が立ち込めるばかりだ。だけどきっとこの嵐を乗り切ることができたならば────その先に、新しい“当たり前の”平和な日常があるのかもしれない。




いきなりキャラクター解説

主人公
ルイス・ローデンバッハ(リアル名・朝倉悠里)
最初は普通にAOGの一人として設定して作っていたが何故かソロプレイヤーになってた。ちなみに嫁役はヒビキ。
えっちぃメイドコスのヒビキと娘という設定のNPCレーナとの三人で繰り広げるドタバタコメディ風オーバーロードになる予定だった。
モモおじとヘロおじが加わってフル〇ウスみたいになってたかもしれない。あるいはアダ〇スファ〇リー。
初期設定では普通に吸血鬼。捻ったものもなく、普通の吸血鬼。エインヘリヤルを使うとザ・〇ールド的なスタンドもどきが出たりする予定だった。
アバターは金髪赤目の軽鎧の戦士。ローブ装備。使用武器は身の丈はあるツヴァイヘンダーかクレイモアを片手で軽くブンブンする予定だった。

ヒロイン枠
ヒビキ(リアル名・高村ヒビキ リアルでは♂→転移して♀)
初期設定から何一つ変わってないヤツ。最初から男の娘だったし、異世界に飛んでTSしちゃうし、割とドスケベだし、ユウくんに一途な子。
黒髪のボブカットで貧乳ロリ系のえっちぃメイドさん。アバターでも、リアルでも。
イメージ的には某お空のファンタジーに出る干支のネズミ。ただし積極的だしドスケベ。


原作キャラ

モモンガ
我らが骨様。初期設定ではツッコミもボケもやらせる気だった。ただしボケは須らくボケ殺しに遭う模様。主人公とヘロヘロをあわせて三バカみたいな関係が長いため、原作よりも割とアクティブで能天気でノリがよい。


ヘロヘロ
ウ〇コの真似ができるスライム。初期案では主人公がボケてヘロヘロが煽りモモンガがツッコミを入れるパターンが多かった。
AI設定したという関係性から、レーナが両親(主人公&ヒビキ)の次に懐いている存在。ジェシーおいたん枠。


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オバロ試作品12

連休のあいだ眠気に抗って1日10時間寝て書いた


「フゥーッ……」

「ハァァァ……」

 

 地平線の向こうから太陽が顔を出す。薄暗かった夜が明け、また新たな一日が始まる。目の前で剣を鞘に納め、“居合い”の構えで待ち受ける彼に太陽の光が降り注ぎ、影が伸びる。

 じり、じり、と少しずつお互いの距離が狭まっていく。剣の届く間合いに近づくたびに、一刀を以って斬り捨てんとする断固たる意志が棘のようにチクチクと肌を刺す。

 

「カアァァッ!」

 

 烈火の如き咆哮と共にブレインの刀が抜かれ、鞘の内で加速して俺の頸に迫る──のにいくらか遅れて同じように剣を抜き放って迎撃する。剣に手をかけ、抜刀し、加速させ、相手をこちらの間合いに捉え、ブレインの剣がなぞる軌跡の先へめがけて、己の剣を振り抜く────これを瞬時に、かつ同時に、極地の一つである無拍子で放つ。

 

「ぐおっ!? ……くっそ、まだ早くなるのか……!」

 

 キィィンッ、と甲高い音を上げてブレインの手から刀が弾かれる。やはり頑丈さを追求した作りを目指しただけあって、俺が持つ同格の武具とぶつかっても欠けることすらない。そこそこ硬いはずの広場の地面に垂直に突き刺さる程度には鋭さも併せ持っていながら、多少手荒に扱っても壊れない頑強さがあるのは素晴らしい。ゲーム内ではイマイチ実感できなかったが、こうして打ち合ってみると改めてこれが現実なのだという実感がある。

 

「剣の振りの速さは十分だな。間合いに入るとすぐに剣を抜けるあたり読みもいい。だが動きがイマイチ噛み合ってない感じだな」

「なあ、さっきのは確実に俺より二拍遅く剣を抜いたんだよな?」

「当たり前だ。その二拍さえ抜き去るのが“無拍子”だ。全てが予備動作であり攻撃そのものと言っていい、一つの到達点ってやつだ」

「……これで武技一切無し、か。いや、もしかすると武技ってのは本来こういうものを言うものなのかもな……」

「俺としては武技のほうが信じられないくらいだ。なんだよ、超加速に身体能力向上って。感覚の鋭敏化なんかもできるとか、ぶっちゃけお手軽すぎだろ。気合で能力アップとかどこのドラ〇ンボー〇だよ」

「その武技を技術一つで打ち破ってるお前さんのほうがわけわからんのだがな」

「鍛えりゃこれだけできるって話だ。武技の使えない俺ですらも、だ」

 

 時間が無いので夜明け前にブレインと鍛錬がてらに剣を振っていたのだが、以前ブレインが使った武技について聞いてみたところ“なにいってんだこいつ”くらいの顔で呆けられた。どうやら著名な武人や高位の前衛職……戦士や剣士、モンクといった職業(クラス)を持つ者たちは多くが何かしらの“武技”を身に着けているらしい。

 俺にも習得できないものかと助言を受けてみたものの、使えるような気配はないままだ。一日で使えるようになったらそれはそれでおかしいっちゃおかしいのだが、ユグドラシルから来た異邦人である俺のアバターが持つシステム的な要因なのか種族的な制約なのかは不明だが、助言などを受けてみても使える気配が無い。

 発動には体力……所謂HPやスタミナ的なものを消費するらしく、あまり乱発するものではないそうだ。ここぞというところで使うことで飛躍的にダメージを増加させたりするなど、火事場の馬鹿力というか乾坤一擲というか、アクティブスキルのような使い方ができるらしい。

 武技が発動している間のブレインはまさに“無我”と言っていいほどに集中しているのだが、発動なしの場合はやはり技の格が落ちるような感触があった。簡単に解釈すると、“HPやスタミナを代償に高度な技術や能力を一時的に得る又は発動するもの”が武技なのかもしれない。

 

「それにしても、武技が使えないってのは厳しかったろう」

「あればよかったが無いものは仕方がない。代用できるか、補えるだけのものを手に入れればいいだけの話だ」

「そんなもんなのかねぇ」

「そんなもんさ。相手が武技を使って肉体を強化してくるのなら、距離をとって回避に専念して持続時間切れを狙ったっていいし、攻撃の届かない遠距離から仕掛けるでもいい。毒や麻痺なんかの状態異常も手段の一つだな。あとは地形なんかを利用して優位に立つとかだ。相手が機動力を上げてくるのなら足場の不安定な場所や閉鎖空間、他には泥沼に誘い込んだりして機動力を発揮できない状況を作る。あとは発動される前に奇襲で一撃で刈り取るのも方法の一つだ。倒してしまえばそもそも攻撃を受けないんだからな」

「なあ、お前さん……剣士なんだよな?」

「俺の好きな言葉を教えてやるよブレイン、先人曰く“武人は犬畜生と罵られようと、戦で勝利することが最も重要だ”ってな。どれだけ人柄が清廉潔白だろうと、崇高な大志や誇りを掲げようと、戦争で負けるようならそんなものは意味が無い。負ければ国は衰退し民は蹂躙され失うだけだ。

 他人から罵られるような方法でも、時としては戦争で勝利するためには躊躇わず使えってことさ。武人が戦争で負けて失うのは、自分の命だけじゃないんだからな」

「ああ、そういやあ軍人崩れなんだったな……納得した」

 

 相棒の刀──和泉守兼定を模した一振りを鞘に納めたブレインが肩の凝りをほぐすように腕を回す。手のひらを握ったり開いたりしているあたり、まだ少ししびれが残っているらしい。

 

「感触は掴めそうか?」

「やってみなきゃわからないな。ま、やってみるさ」

「修練あるのみだ。励め、ブレイン」

 

 俺の相棒の刀をアイテムボックスに収めると、いつもの汎用装備であるショートソードとダガーの二刀流を腰にベルトから下げて背中に身の丈はあるクレイモアを背負う。俺がユグドラシル時代から愛用する基本的な旅装備だが、ブレインからするとどうも奇妙らしい。

 

「鞘付きとは豪勢なことで。刀と扱いが違うのに、いざというとき抜けるのか?」

「慣れだ。普通の剣の抜き方だって効率化すればすぐに抜けるぞ」

「オーケー、俺の常識は通用しないって理解した」

 

 ひらひらと手を振るブレインに背を向けて広場を後にする。村の入り口に向かうと既に旅支度を済ませた男たちとヒビキ、それに村長夫妻とヘレンが待っていた。

 

「ユウくん、もういいの?」

「ああ、いいぞ」

 

 目立つ格好はやめておけと言ったからか、ヒビキはヘレンのお下がりらしい村娘風の服に着替えている。とはいえ妙に胸元が膨らんでいることから見て暗器は満載しているらしい。スカートも地味に見えるが風で揺れる際の動きに違和感があるため、そちらにも何かしらの仕込みがしてあるのだろう。

 

「待たせたようですまないな村長殿」

「いえ、お気になさらないでください。朝の鍛錬というのは気持ちのいいものですからな」

「流石は元冒険者、か」

「昔取った杵柄と言うものです。では紹介致しましょう。自警団のアラン、イェリク、メルケル。そして一つ前の村長をしていたビョルンです」

「……あの見張りの時の」

 

 どこかで見た顔だと思ったらブレインの見張りをしていたときの三人組だ。それがどうしてまたこんな遠征部隊に同行するのだろう。

 

「アランだ。改めてよろしくな、大将」

「イ、イェリク、です! よ、よろしくお願いします!」

「メルケル。今回の遠征、我ら三人が身の回りの世話や護衛を務める。よろしく頼む」

「儂はビョルン。村長をしているサムエルとは同じ元冒険者でな。かつては共に白金(プラチナ)級のチームである“グリュプス”で十年間戦ってきた。何か知恵が欲しい場合はワシに尋ねとくれ」

 

 顔ぶれは様々だ。アランという筋骨隆々の青年、イェリクと名乗った線の細い少年、ビョルンは大柄で大男と言うべき中年の男だ。そして枯れ木のような見た目でありながら覇気に満ちた老人、ビョルンは年を召したとは思えないハキハキとした喋りと真っすぐ伸びた背筋を曲げて一礼をする。

 

「ルイス・ローデンバッハだ。護衛を務める。元は軍人なので戦事に多少通じている。困った場合は俺が応対しよう」

「ヒビキでーす! ユウくんのお嫁さん第一候補者で──いたいっ! 痛いってばユウくん! わかった、マジメにするからー!」

「なら最初からマジメにするんだ」

「ううー、ヒビキです。ユウくんのいとこです。修めた職業(クラス)は主に斥候・偵察系で、森祭司(ドルイド)錬金術師(アルケミスト)もちょっとだけできます」

 

 おふざけや冗談なしでもできるじゃないか。わざわざアイアンクローでこめかみをギリギリとやられなくてもできるんだから最初からそうすればいいのに。

 

「ほう……まだ年若いというのに森祭司(ドルイド)を修めておるとは、才気に溢れておるのう」

「ちょっとした真似ができる程度だよ、おじいちゃん。本職にはやっぱり敵わないもん」

「いやいや、その年でそれだけできれば上等なものさ。ゆくゆくはアダマンタイト級にもなれるだけのものがあるだろう。精進なされよ」

 

 まあ、既にレベルは100なのでこれ以上鍛えようがないんだが。とりあえずヒビキは既に村娘として馴染んでいるらしく、他の三人とも顔見知りらしかった。挨拶もそこそこで済ませると出発しようとしたが、ヘレンに声をかけていなかったのを思い出す。

 

「ああ、ヘレン」

「は、はい!」

「行ってくる。レーナを頼む」

「──はい、道中お気をつけて! あ、ルイス様、これを」

 

 突然呼ばれたのにびっくりしたらしかったが、すぐに元の年ごろの少女に戻って元気な返事を返してくる。彼女が差し出した右手には手製のものらしい、木彫りの彫刻に麻紐を通しただけの簡単なつくりのお守りがあった。

 

「お守りを作ってみたんです。大したものじゃないかもしれないですけど、あの、道中の安全を祈念したものです」

「ありがとう、ヘレン。じゃあ俺からもだ」

「これは……クリスタルですか? ……すごく、きれいです」

 

 お返しにと小さな水晶がついたネックレスをヘレンの手に握らせる。麻紐に加工された水晶が一つくっついただけの簡素なものだが、こう見えて特殊効果が付与されたものだ。まあ、ガチャで大量に出てきたアイテムだが、効果はそこそこ有用なものだから損にはならないだろう。

 

「ずっと大事にします! おばあちゃんになって死ぬまで、ずっと大切にします!」

「いや、そこまでしなくても……」

「じゃあ毎日欠かさずつけておきます!」

「あ、うん……それがいいかな」

 

 ちょっと自然回復力が増す程度の、ノーマルに毛が生えたくらいのレアリティの首飾りだ。おそらくこの世界では“疲れがとれやすい”とか“よく眠ったらスッキリした”程度のものだろう。それでもヘレンがこれから自分だけでやっていかなければいけないことはたくさんあるのだ。少しでもその助けになるようなら幸いだ。

 それにしても、一見すると使い道が無さそうなアイテムにも有効活用できそうな可能性があるのかもしれない。最後の最後で余ったポイントを使って引いたガチャのハズレがこんな形で役立つとは思わなかった。俺には使い道が無いが、ヘレンたちにはおそらく有用なアイテムだろう。

 

「皆が待っているし行くとするか」

「はい。あの、……い、いってらっしゃいませ」

「ああ」

 

 さて、ここからはしばらく歩きの旅になる。いろいろと考えることもあるし、検証するべきこともあるがまずは無事にエ・ペスペルへ到着することが最優先だ。護衛や監視役を残してあるとはいえレーナ一人というのは俺としても不安が尽きない。さっさとエ・ペスペルの位置を記録(マーク)して<転移門(ゲート)>で行き来できるようにしなければ安心するどころではない。

 

「き、今日は、て、天気……よさそうだね、ヒビキ」

「だよね! 風が少しあるけど気持ちいいよね! ねぇ、エ・ペスペルってどれくらいで着くの?」

「えっ? あ、歩きだから、えーと、どれくらいだ……?」

「えぇー……イェリク、知らないんじゃん」

「しっ、仕方ないだろ! 俺も初めて行くんだから!」

 

 先頭を歩く二人組、うちのヒビキとイェリクと名乗った少年が先導するように歩きはじめる。その後ろから若者たちの微笑ましい様子を見守るアランとメルケル、そして護衛でもある俺が最後尾に立ってビョルン翁を護衛しつつ続いていく。

 

「ほっ、若者というのはいいものだの。お前さん、年はいくつかね?」

「今年で34ですよ」

「なんと、とてもそうは見えぬのう。精々20そこそこかと思うておったぞ」

「7歳の娘が居るんですからこのくらいでしょう」

「いやはや、お前さんも随分と晩婚であったのじゃな。……まあ、位の高い家系となればしがらみとはいつでもついて回る面倒事の種じゃろうから、さもありなんというべきか。

 儂は冒険者をしておった故に30手前で嫁を取ったが、他の者たちは20になるかどうかでもう結婚しておったなぁ」

「……まあ、平均的にはそのくらいでしょうね」

「だのう。儂にも年のそう変わらん甥っ子がおったしな。かつての戦の折に戦死してしもうたが……あやつとは楽しく酒を飲んだものだった」

「心中お察し致します」

「カカカ! なぁに! 年寄りとなれば大概のものは踏ん切りがついておるよ! 気にせんでくれ!」

 

 ビョルン翁は快活に笑うとにこやかに笑って軽く水筒の水を口に含んだ。やはり時代的にはこの世界はリアルでの中世以降の文明レベルだと推測するのが適当だろう。石や木で組んだ家屋や、家具や調理器具などを見てもおおよそその程度の文明レベルだとわかる。武具に弓矢や剣はあるものの銃が無いことから、この世界ではまだ火薬やそれに類するものが出来ていないのかもしれない。

 とはいえそれは今この村の生活レベルを見ての判断でしかない。都市で情報を集められればよりこの世界についての詳しい知識を得られるだろう。

 丘陵地に立つ村──グリプスホルム村というらしい──から下って森の中を走る街道を抜け、もう一つの丘を越えていくと一面に青い景色が飛び込んできた。どうやら丘陵地や森の影になっていて村からは見えないらしく、結構な大きさの湖が東西にドンと横たわり、我々の行く手を阻んでいた。

 青い空に白い雲。凪いだ湖面は鏡のように世界を映し、薄らと見える対岸はぼんやりと幻のようだ。

 

「へぇ……いい場所だな。魚釣りでもしたら楽しそうだ」

「ああ、いえ……魚は釣れませんよ、大将」

「なんでだアラン? これだけ立派な湖なら魚くらいは……」

「いえ、釣れるのは釣れるんですが、“そもそも釣りができない”んです。だって水中に棲むモンスターが居るんですぜ? もしうかつに近づけば……」

「ガブリッ、というわけじゃよ。お陰で船も渡せず……ほれ、回り道する街道があるじゃろう。これを大きく迂回して進むしかないんじゃ」

 

 なるほど、この湖が邪魔になっていて村へ行くにも出るにも大幅に時間をロスしているわけだ。しかも食料源として活用できるわけでもなく、水源として使えるわけでもない。

 

「しかも水棲のモンスターは他の地上のモンスターよりも強力な場合が多い。若いころの儂らも一度は挑んだものだが、数と力に圧されて結局は退くしかできなんだ。おそらく太刀打ちできるのはアダマンタイト級やガゼフ・ストロノーフ殿のような英雄と呼ばれる者たちくらいかの。

 しかしそれでも数が圧倒的に足りぬ。囲まれてしまえば各個撃破されてしまうだけじゃし、万一水中に引きずり込まれればそのまま魚のエサじゃ」

「面倒だなこれは……さてどうするかな」

 

 個人的には<全体飛行(マス・フライ)>でも使って軽く飛び越えたいところだが、村人たちにとっては魔法など超常の力だろうし、空を飛ぶなど考えることもできないだろう。しかしショートカットができるのであれば使わない手は無い。我々の働き次第で村の運命が左右されるのだ。可能な限り早く到着したいところだ。

 

「とはいえモンスターをまずどうにかしなければな……」

「大将、こいつらを食い物にするってんなら後で考えましょうや。早くしねぇと昼を回っちまう」

「……すまん、少しだけ見てきてもいいか?」

「へい、構いませんが早めにお願いしますよ」

「あっ、ボクも行くー! ユウくんだけ面白そうなことするなんてズルいよ!」

「あ、危ないってヒビキ!」

「ヘーキヘーキ! イェリクは待っててよ!」

 

 ほんの少しの段差──膝より少し高い程度──を飛び降りるとそこはすでに砂浜だった。砂地は茶色でさらさらしているが、波で打ち上げられた水草や何かに捕食されたらしい歯型のついた50センチはあろう魚の死骸が打ち上げられていた。

 

「くぅっ……冷たいけど気持ちいいー! ユウくん! ここに別荘とかあったら最高じゃない? 景色はいいしお水はキレイだし風はキモチいいし! 何よりご飯に困らないって最高だよ!」

「ヒビキ、お前さっきの会話聞いてたか?」

 

 すでに革をなめしたブーツを脱ぎ去って砂浜を楽しむヒビキの姿に頭が痛くなる。スカートが濡れないように指先でつまんで水遊びをする様子はもはや童心に帰ってはしゃいでいるだけでしかない。

 そのヒビキの後ろの水面で、黒く長細い影が駆け抜ける。どうやらさっそく嗅ぎつけられたらしい。

 

「ヒビキ! 後ろだ!」

「え──うわぁっ!?」

 

 水面を飛び出し、跳ねるように突撃してくる青白い魚体。鋭くとがった顎が振り返ったヒビキの喉元へ突き刺さらんと伸びて──

 

「あっぶないなぁもうっ!」

 

 パシン、と何気ない素振りでヒビキにつかみ取られた。流石にこの展開は読めていなかったのか、ビチビチと体を暴れさせるもののヒビキの手はビクともせず、その鋭い上あごを掴んで離さない。

 

「ねぇ、ユウくんこれどうしよう?」

「とりあえず<解析(アナライズ)>っと……」

 

 ふむふむ、ブレードフィッシュねぇ……属性は水でレベル25か。こりゃ村人じゃ無理だな。ブレインならどうにか捌けるかというレベルだろう。もしこれが最弱クラスなのだとしたらガゼフ・ストロノーフというヤツもレベルにしたらそう高いものではないだろう。ブレインが33、そのブレインに勝利したのがガゼフなのだから、おそらくレベル帯にして40手前という予測ができる。例えレベル差が15あろうと、囲まれてタコ殴りにされればガゼフとやらもこの魚には勝てないだろう。

 おっ、食材アイコンがある。ということは毒なんかは無いから食えるということだ。久々にウマイ食事にありつける可能性が出てきたな。

 

「よし、こっちによこしてくれ。あとついでにもう一匹頼む。〆てから昼頃に捌いて焼き魚にしよう」

「オッケー! さぁこいボクたちの昼ご飯! …………来たっ!」

 

 またしてもヒビキを狙った一撃が水中から放たれる。まるでダツとかいう魚のようだ。鋭く尖った顎で時に人を殺すほどの魚がリアルでも生息していたのだからありえないわけではないのだろうが、おそらく現地人にとってこの世界の魚は軒並み凶暴なヤベーやつらでしかないだろう。

 そりゃあ魚を食べる文化なんてそもそもあるわけがない。こんなのを相手にしていれば命がいくつあっても足りないだろう。

 

「獲ったど~! ユウくん、二匹目ゲットしたよ!」

「上出来。後は寄生虫が居ないかどうか……<生命感知(ディテクト・ライフ)>…………オッケー。これでアイテムボックスに放り込んで……ヨシ!」

 

 わざわざ魔法も使って二匹のブレードフィッシュに寄生したものが無いか確認する。過去には寄生虫が大きな問題になっていて、古くはタタリや神罰などとされたほどのものさえあったらしい。現実に近しいこの世界のことを考えるとあらゆるリスクを考えて行動しなければ。

 殺人アメーバなんてものに当たりでもすればそれこそ最悪だ。この中世前後の文明レベルしかない世界では、脳を食いつくされて死ぬのを待つしかできないだろう。脳を食われればまともな思考などできやしないし、そんな状態になって俺やヒビキのようなレベル100のヤツらが暴れまわったらどうなることか。

 

「ふう、待たせたな。昼飯を確保した」

「すっごい気持ちよかったー! 今度水浴びしたいなー」

「……お、おう」

 

 ここを安全に渡る方法は後で考えるほうがいいだろう。俺が居なくても安全に渡れる方法を確立させれば、村の発展に寄与することはもちろんとして、食料事情や財政も潤うことになるだろう。良質の麦が育つらしく、酒造りを行えばいいものができあがるはずだ。

 問題はそれらの酒が受け入れられるかどうかだが……今考えても仕方がないだろう。果実酒や醸造酒のほうが好まれるのならマーケティングを地道に行って販路を拡大するのもいい。

 移動が多い冒険者や街に住む兵士などに安値でウマイ酒があると風評していけば自然と噂は広がっていくだろう。そこに商人が食いつけばブランドとして高級品を売り出し、高位の身分の人々に広めていくのも手だ。

 

「ん、ユウくんまた何か考えてるでしょー?」

「そうだなぁ……この湖を空を飛ばずに突っ切れる方法とか?」

「ふーん、それって役に立つの?」

「立つとも」

 

 ほんの少しの寄り道ではあったが実りのある収穫だった。魚を手に入れられたし、グリプスホルム村の活性化のための方法もいくつか頭に浮かんだ。同時に交通の便が悪いという点や、街道沿いは野盗などが待ち伏せしやすいような地形をしている場所もあるという改善点も見つかった。

 森の中は大きな岩が隆起してちょっとした丘のようになっていたり、窪地になっていたり坂道になっていたりと足場の悪さや視界の悪さが目立つ。森を抜けても雨風で侵食されたらしい地形が高低差を生み出し、奇襲や伏兵に向く地形が多く存在している。

 おまけに橋が少ないのも難点の一つだろう。いくつか小川を超えてきたが、浅いものとはいえ馬車や荷車が通るには少しばかり酷な道のりだった。

 再び歩き出して湖を回り込んでいくと、アランがぽつりとつぶやきを漏らす。

 

「しかしまあ大将は強いと知っちゃいたが、あの子まであんな真似ができるなんてな……」

「同感だ。ルイス様の実力はブレインとの戦いで見たが、あの少女があそこまでできるとは……」

「アラン、メルケル、二人とももう少し目を鍛えねばな。見た目で判断しておっては思わぬところで足を掬われるものでな、それで命を落とす冒険者も少なくないものじゃよ」

「ビョルン翁の仰る通りだ。だが少なくともヒビキはまだ子どもだな」

 

 十メートル先を歩く二人、ヒビキとイェリクは同じ年代ということもあってかすぐに打ち解けたらしい。ヒビキはユグドラシルでモモさんやヘロヘロさんと共に潜った生命科学研究所ダンジョンの話をしているらしく、語り口に熱が入っている。

 

「でね、そのときモンクの人が足止めして時間を稼いで、魔法詠唱者(マジックキャスター)の人が大魔法でドーンッてそのキマイラを消し飛ばしたんだ! ボクは暗器や忍術でモンクの人を援護してたんだけど、突然横からもう一体キマイラが出てきてさ。そこをユウくんがズバーッて一刀両断! 

 そのまま後ろから来たモンスターの群れに飛び込んで──」

「あ、あぁ」

「ん──どうしたの? なんかボーッとしてるよ? 顔も赤いし」

「な、なんでもないって」

「むむー……そうやって“なんでもない”っていうのは一番怪しいんだよね」

 

 ヒビキがイェリクの顔を覗き込むとイェリクはさっと逃げるように顔を逸らす。というか気づいてやれよヒビキ。時としてハッキリキッパリと相手を振るのも大事なことだぞ。恋愛なんて後腐れのないようにするのが一番大事なことなんだ。

 ……俺のように愛し合った元彼女が他国のスパイで、尋問の末に死亡するなんて後味の悪い終わりを迎えることの無いようにするんだ。あの時元妻の紗耶香に会っていなければ俺はきっと未だに立ち直れていないだろう。

 

「……カンペキに惚れてるな」

「だろうな」

「カカッ、いいぞ。青春じゃな」

「前途多難だけどなァ。なにせライバルが大将だもんな」

「まだ無理だ。あいつを一人の女として見るには、ちょっとな」

「もし本気で来たらどうするんで、大将?」

「そのときは相応の対応をするさ。丁重に扱うとも」

「────イェリク、折れるなよ……強く生きろ」

 

 もしも俺がヒビキを一人の女性として見れるようになったなら……迷うこともないだろう。今はまだ家族、妹のような存在としてしか感じられないが、あの子も成長すればきっともっと女の色香を身に着けることだろう。



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オバロ試作品13

BGMに勇者の挑戦を垂れ流しつつ書いたらこうなった


 湖を回り込んで歩いていくこと数時間、最初に湖を眺めた場所のちょうど反対側にようやくついたらしい。しかし湖から伸びる街道はさらに丘の向こうへ伸びていて、また上り坂を登る羽目になるのだろうと考えると気が滅入ってきそうだ。この世界の文明レベルから見ても交通の便が悪いのは確かだが、何故あんな辺鄙な山奥に村人たちが住むことになったのだろうか。

 

「ビョルン翁……一つ、尋ねたいのだが」

「なんですかな?」

「……グリプスホルム村だが、なんであんな僻地に村を興したので?」

「ううむ……そうじゃろうなぁ、そう思うのも仕方がないじゃろう」

「交通の便は悪い。これといった名産品で潤っているわけでもない。麦は良質だそうだが、農地がそこまで広くないから量はあまり多く獲れるわけでもない。湖は村よりも低い場所にあるし、豊かな水源が近いわけでもないし、はっきり言ってどうして村なんてものが形成されたのかが不思議で仕方がない」

 

 ううむ、とビョルン翁は悩まし気に真っ白になった顎髭を撫でる。村が起きたからには何かしらの理由があってのことなのだろうが、何故悩む必要があるのだろうか。

 

「ビョルンのじい様、ルイス様になら問題ないかと」

「メルケル、しかし、これはどう説明したものか……」

「わかってることを伝えてみりゃいいじゃないか、じい様よぉ。どうせ俺たちが考えたってわかんねーことなんだし」

「……かもしれんなぁ。少しばかり昔ばなしですが、構いませんかな?」

「頼む」

「儂も伝え聞いた話、村の起こりは400年よりも以前……八欲王が現れ、世界を混沌に陥れたころであったと言われておる。それ以前のヒトはビーストマン以外にも異形の者たちなどに追い立てられて世界の片隅へと押し込められ、緩やかに滅びの道を歩んでおったらしい。ヒトの近縁の種の中には苛烈なまでに迫害され、遂には滅亡した種すらあったそうじゃ。

 だがそこに六大神が降臨しビーストマンや異形の者たちを打ち払い、今の人々が暮らす領域が形作られたという。その際に六大神に付き従う従属神たちが戦の折に主より命を受け、陣を敷いたのが今のグリプスホルム村だったそうじゃ。我々の祖はその戦いに於いて六大神に助力した勇士たちから始まったと伝わっておる。

 しかし世界を手中に収めんとする八欲王との戦いに於いて六大神の最後の一柱スルシャーナとその他の六大神の従属神、それに加勢した勇士たちは悉くが滅ぼされたとのこと。唯一生き残った若者とある従属神が子を成したそうですが、その従属神も色欲を司る八欲王によって連れ去られ、若者がどうにか子を連れて命からがら逃げ延びた地がグリプスホルムの陣の跡だったとか。

 彼らの子を逃がすために戦った六大神の最後の一柱と八欲王との戦いは天地が裂け、時も凍てつく激戦を繰り広げ、放たれた六大神の、或いは八欲王の剣や魔法によって元は平野でしかなかったこの場所にグリプスホルム湖や丘陵地が作られたと言われておる」

 

 また知らない単語が山のように出てきたぞ。六大神に八欲王、従属神なんて聞いたことが無い。聞いた感じではこの世界の創世神話ってわけでもないだろうし、これが創世神話であるのなら500年程度でこれだけの文明レベルを形作ったということになる。

 ホモサピエンス……リアルでの人類は今のこの世界の水準の文明レベルに至るまでに何千年とかけているのだ。人類種が他の長命な種族たちと比較して世代交代や変化の速度が速いと言ってもたった500年でここまでくることはできないだろう。

 

「なるほど。大体わかった」

 

 とりあえず今はおおよそ理解しました程度の返しでいいだろう。深い考察や推測はするべきじゃない。

 

「要するに神様の子なわけだ。しかし八欲王の目に留まるのを避けるために、敢えてこんな山奥の深い場所に住んでいたと」

「そうなりますな。まあ、その八欲王も既に滅んで久しいものですが」

 

 どうやら八欲王とかいうのはクソッタレだったらしい。まあ事実がどうなのかは実際に目にしたわけでもなく、詳細なかつ信ぴょう性のある記録を読んだわけでもないのでわからないが、こういう話が伝わっているということは少なからず事実が含まれている可能性がある。

 そのまま素直に読み解けば、八欲王は六大神という人類種の味方──というか最後の一体であるスルシャーナ──を葬り去り、生き残った数少ない従属神とやらに恥辱の限りを尽くしただろうことは想像するに難くない。

 あの隆起した岩や巨大な湖が六大神や八欲王の戦いの痕跡だと言うのなら、とんでもない戦いを繰り広げたのだろう。おそらくこの世界の住人では到底及びもつかないような……いや、まさか──

 

「プレイヤー?」

「ぷれい、やー?」

「ああ、いや、少し深読みしすぎただけだ。おそらく俺の考えすぎだな」

 

 危ない。思わず声に出しているとか何をやっているんだ俺は。

 とはいえ考えてみればこの可能性があり得ないというのは“あり得ない”のだ。なんせ俺やヒビキ、果てはレーナやキリまでもがこの世界にやってきているのだ。レベル100のプレイヤーやNPCなら天地がぶっ壊れるような超位魔法やワールドアイテムを行使していたって不思議ではない。

 実際、俺もアイテムボックス内に入れてあるとはいえワールドアイテムをこの世界に持ち込んでしまっているのだ。効果は相手の状態異常耐性を無視して石化を付与し続けるのが第一にあり、第二に自身のスキル・魔法の持続時間や範囲や効力が上昇するっていう程度の地味なもので、直接的な被害を及ぼすようなものではない。だが使い方次第では都市丸ごと灼熱地獄に変えるとかポンペイのように住人全てを石像に変えてしまうようなこともできるだろう。あとはオマケ程度に効果範囲が目に見えるようになっているくらいだ。

 もしも俺たち以外にもプレイヤーがこの世界に来ているのだと仮定すると、六大神や八欲王はプレイヤーに相当し、従属神はNPCに相当するだろう。そしておそらくだが、NPCも居るということは“ギルド拠点がそのまま飛んでくる”可能性があるということでもある。

 

 つまり、俺のホームである白の館がこの世界のどこかにあるかもしれないわけだ。しかし同時に他のギルド──アインズ・ウール・ゴウンのナザリックやネコさま大王国、2ch連合など大手ギルドの拠点が丸ごとポンとこの世界のどこかに存在しているかもしれないのだ。

 もし拠点すらない俺が高ランクギルド所属で拠点を持つヤツにかち合いでもすれば、不利どころか反撃すらできないままタコ殴りにされるかもしれない。引いてはその牙がヒビキやレーナたちにまで向くかもしれないのだ。せめてかつての所属ギルドである“夜の帝国”のホームである“紅き館”があれば、再加入申請をすることもワンチャンありえるのかもしれないが……望みは薄いかもしれない。

 

「しかしよく生き延びられたものだな。六大神の末裔ともなれば八欲王は血眼で探し出して“根切り”を行うはずだろう?」

「然りに。お考えの通り幾度も命を狙われたそうですが八欲王と竜たちの戦いが始まったことで難を逃れたそうな。そして竜たちをも退けて世界を支配したと言われる八欲王も、最後には己たちの欲望によってお互いに殺し合うようになり、最後には滅び去ったと伝え聞いておるよ」

「……因果応報だな。やったのが善行であったなら、今頃にまで悪し様を語られることもなかったろうに」

 

 八欲王はお互いに殺し合った? どういうことだ? 同じギルドに所属していたわけではなかったのか? それとも同じギルドのメンバーでありながら最終的に対立したということか? ギルドごとやってきたのなら滅び去ったのだとしても世界のどこかにその痕跡があるかもしれない。時間が出来たら探し出して現実世界への帰還方法も見つけたいところだが──

 

「ねえおじいちゃん、その“六大神”っていうのは倒されたんでしょ? 従属神ってどんなかんじだったの?」

「文字通り、六大神に仕える従者だったそうじゃ。しかし中には特定の分野に於いては六大神以上とさえ言われた従属神もおったという。

 我々の祖はその従属神の中でも、あらゆる病や怪我を癒したとされる女神だったと伝え聞いておる」

「へぇー、神様と結婚するなんて結構すごい人だったんだ」

「まあ伝え聞いた話じゃから、そう真に受けるものでもないのう。あくまで言い伝えじゃからな」

「でもさ、やっぱり親近感湧いちゃうよねぇ。二人きりで愛の逃避行なんてさぁ。ボクもユウくんも故郷には帰れなさそうだし……あ、でもボクはユウくんさえいればオールハッピーだから大丈夫だよ! 

 いつかは眺めのいい場所に家を建てて~、毎朝行ってきますのチューをして~! 子どもも6人……いや9人くらい頑張ったりたりして……! うへへへ~!」

 

 まーた始めやがったぞおい。保護者どこだよ保護者は。…………ミサトさんに全ての責任を押し付けたいけど、今は俺しか保護者が居ないんだよなぁ。ちくしょうめ、あの青空の向こうの星空のどこかで満面の笑みでサムズアップ決めてやがるに違いない。

 

「はいはい。もうちょっとおしとやかになろうなー」

「いっっだだだだ! やめっ、アイアンクローはやめてよぉ~! うぅっ……い、痛いよ、ユウくん……

「お前の保護者はミサトさんじゃなくて、今は俺しかいないんだぞ? もうちょっと節度を持つんだ」

 

 ……ちょっと涙目で恨めし気に俺を見たって態度は変わらんぞ。もうちょっと女の子だという自覚を持たないと、お前に淡い恋心を抱いているイェリク君がドン引きし──

 

「…………ちょっと泣いてるのも、かわいい……」

 

 ──てなかった。イェリクおめーさては上級者の素質あるな? だが女の子の涙は嬉し涙であるべきなのだ。女の子を悲しませたり痛みで泣かせたりするのはするべきではないのだ。かのエロ伝道師、脳内ピンクのエロゲマニアバードマン、ペロロンチーノもこう言っていたのだ。

 

『凌辱も鬼畜もやってきたし涙目の女の子って好きだけどさ、やっぱ純愛モノの心と涙腺にくる展開は王道だわ。その上でヤる甘々なイチャラブックスはビンッとくるね。────姉貴の声でなければな!

『聞こえてんぞ愚弟』

『しゅ、しゅびばしぇんでしひゃ……』

 

 ……いや、エロゲだから最後にはあれやこれやになるのは目に見えてるんだけどな。俺も女の子を悲しませる真似はしたくはないし、しないように心がけている。まあ実際は何度か病院に担ぎ込まれて妻に心配されまくったのだが。

 

「むぅーっ、それでも女の子の顔にアイアンクローなんてひどいよ!」

「じゃあ突然妄想を口から垂れ流さないように仮面でもつけてみるか? もちろん例の嫉妬マスクをな!」

「げぇっ、あれはヤダ! 独り者にだけ贈られたあのクリスマスボッチ限定装備なんてヤダ~! ボクにはユウくんっていうステキなヒトが居るんだからそんなの絶対着けないもんね! ……ボクもいつかユウくんとクリスマスックスしたいなぁ……うひひ、うひぇひぇ……」

「よーし、ヒビキは村に戻るらしいからさっさとエ・ペスペルに行こうか」

待ってゴメン! 反省したから置いていくのだけはやめてよぉ~!」

 

 コイツ、日に日に性欲の(たが)が外れてきてるんじゃないか? 夜中に時々音消しの忍術使ってるのは完璧にバレてんだぞ。所持しているワールドアイテムのせいか、魔法やスキルの効果範囲がある程度だがぼんやりと見えているせいで、ブレインを見張っている間にも何度か一人でヤッてることくらい丸わかりなのだ。

 

「大変じゃなあ、ルイス殿」

「大変なんだな、大将」

「心中お察しする」

「……妬ましい。これが、嫉妬……?」

「俺を憐れむのはやめてくれ。というかやめろ。あとイェリク、勝手にひがむな」

 

 

 

 

 丘を越え、小川が傍に流れる街道を歩き続ける。線路は続くよ……という出だしではないが、道はどこまでも真っすぐ続いていて村や畑が見えてくるわけでもない。周囲一帯は低木の生い茂る高原地帯の原っぱのようで、まばらに木々が点在しているばかりの平野が続いている。

 時々視線や気配を感じるのはモンスターか野生動物の類だろう。俺が顔を向けるだけですぐに離れていく。

 

「イェリク、このあたりって動物はなにが居るの?」

「野生のウマとかヒツジとかヤギとか……あとはオオカミとかヤマネコだよ。もっと小さいのならいっぱい居るかもしれないけど」

「猫かぁ……ボクも猫欲しいなぁ。レーナにはキリが居るし、ボクにも、こう、相棒的なのが欲しい!」

「じ、じゃあ……お……お、俺と…………としては! お、オオカミよりも犬のほうがいいかもな! 従順だし、毛並みもいいし、頭もいい!」

「そう? うーん……<口寄せ>で呼べる子が居るし、それもアリかなぁ」

「あとは森の深い場所はゴブリンやオーガなんかも居るし、中にはオオカミを飼いならすヤツも居るって聞いたことがあるぜ。森に近づいた人を攫って食ったりするらしいし……」

 

 なるほど。つまり村長の言っていた冒険者ってやつはイェリクが言うように人喰いなどで人間に危害を加えるモンスターを退治するわけだ。この様子ならアンデッド系のモンスターなども存在するかもしれない。

 ヒビキには主にアンデッド系のモンスター狩りを行ってもらい、俺が生物系のモンスターを相手取ると棲み分けるのが一番いいだろう。特にヒビキの精神──善性は他者の命を奪う行為を嫌っているのだから、そもそもそういう事態にならない狩り場であれば何も問題は無いはずだ。

 

「さて、太陽もてっぺんまで来たし昼飯にするか。じい様も疲れてるころだろうし」

「抜かせ(わっぱ)が。アラン、魚を食いたいだけじゃろ」

「そりゃー俺だって魚なんて初めて食うんだ。どんな味か気になるだろ? メルケルだって食ったことないだろ?」

「一度だけある。昔エ・ペスペルからの帰り道で食料が尽きかけたとき、通りがかった冒険者が魚を獲って焼いてくれた」

「ほう、どうじゃった?」

「美味だ。小骨が少々あるが、それに気を付ければどうということはない」

「……そりゃ楽しみだ。あーあ、酒がありゃあなぁ」

「まったくもって同感だ。焼き魚があれば酒が数段ウマイんだ」

 

 ああ、考えただけでも腹が減ってきた。これはもう飲んで食ってとやるしかないレベルの空きっ腹だ。

 

「おっ、あの大きい木の下でメシにしよう。他の場所より小高くて他の木が無いから見通しやすくていい」

 

 そんなアランの先導の下、大きく育った広葉樹の木陰に腰を下ろす。近くから集めてきた枝木を組んで周りを石を積んで囲った風よけをつくり、火を着けようとするものの──

 

「<ファイアーボール>で…………いや……ダメだな、消し炭になるだけか」

「世の中にはモンスターに向けて撃つだけじゃなくて、小さな火を起こすだけの魔法もあるらしいですがねぇ。まあ魔法の使えない俺たちにゃ縁のないものですよ」

「火は俺が起こそう。じい様は休んでいてくれ。アランとイェリクはもう少し薪を集めてくれ」

「あいよーメルケル。イェリク、いくぞ~」

 

 やることが無いから仕方がない、俺たちは魚の下処理でもするか。料理道具の一つとして持っている“無限の水差し”を取り出し、適当な平たい岩をまな板がわりにして魚のウロコを片刃のサバイバルナイフの背を使ってはがしていく。サイズがそこそこあるだけにウロコも相応に大きく、焼けば食べ応えがあるだろう。

 

「よし……ヒビキ、水をかけて流してくれ」

「はーい」

 

 水差しから出る水の流量は少ないものの洗い流すには十分だ。……思えばどういう原理でこの水差しは機能しているんだろうか? 

 

「これくらいでいいの?」

「ああ。後は内臓を取って……串を刺す。が、その前に消毒だな」

 

 洗ったナイフの刃を焚火の中に突っ込んで直接炙ることで殺菌し、一度ナイフを自然に冷ましたら魚の腹を裂いて内臓を取り出し、若干離れた場所にそこそこ深く掘った穴に投げ込んでいく。野生動物が嗅ぎつけて俺たちに近寄ってくるのは避けたいし、食べ終えた骨なども処理したい。

 適当に真っすぐな枝を切って葉を落とし、先端をナイフで削って尖らせて魚を刺せば準備は万端だ。あとは少し塩を振りかけて焼くだけで焼き魚のできあがりだ。

 ……教官に見せられたサバイバルの手引きとかいう映像教本では倒木の幹に就寝中のイモムシが昼食になっていたが、俺たちは魚を獲って昼飯にすることができた。貴重なタンパク源だとか言われてもイモムシを生で口にするのは、本当に命の危険があるほどの飢餓状態でなければ無理だろう。

 

「ほら、お待ちかねだ。ちょっとかかるが、後は焼けるのを待つだけだぞ」

「おお~……こいつぁ……美味そうだ」

 

 煌々と燃える焚火の傍に串を突き刺し、火でじっくりと焼き上げていく。皮が炎の熱で膨張し、その下にある身から湧き出る脂が焼けて芳しい香りを放ち始める。

 

「……むぅ、これはまた……腹が減る光景じゃなぁ」

「ああ、でも待つこともまた料理ってもの……故にガマンだ。それにまだ今の状態じゃ生焼けだ。もっとしっかり火を通さないとな。俺は腹を下したくない」

「くぅーっ……生焼けどころか俺たちが生殺しだぜこりゃ……」

 

 皮に黄金色の焦げ目が付き、脂がさらに滴るようになったところで魚を回転させて満遍なく火を通していく。途中で少し塩を追加しておいたが、塩気が効いてさらにウマイことだろう。そういえばサバイバルではバナナの葉で包んで蒸し焼きにするなんてのもあったな。昔の料理であれば塩釜焼きというのもあるらしいが、この文明レベルでは塩は貴重品だろうから、オーソドックスな焼き方が一番だ。

 

「……いい頃合いだ」

「じゃ、じゃあ……!」

「イェリク、ガマンした甲斐があるぞ。ようし、食べるとするか!」

「待ってました大将ォ!」

「ウム、この歳でこうも心躍る出来事に(まみ)えようとは……!」

「ちょっとだけ待ってくれよ…………<生命探知(ディテクト・ライフ)>…………よし、いけるぞ」

 

 魚の身を丁寧にほぐしてとりわけつつ、寄生虫の痕跡が無いかを確認する。一応魔法で確認はしたものの、実際に目で見て確かめるのも大事なことなのだ。しっかりと火を通しているから寄生虫が居ても死滅している。とはいえそれはリアルでのお話でしかなく、ここでは火に耐える寄生虫なんてものが居ないとも限らないのだ。目で見て確認して、居たら排除する。そして再度魔法で生体反応が無いか調べる。

 養殖でならそもそも寄生虫の対策を行うのが当たり前だろうが、俺たちが獲ったのは野生の魚なのだ。リアルでなら病院に行けば済む話ではあるが、ここにそんなものは存在しておらず、医者すらいるか怪しい。居たとしても対症療法くらいのものだろうし、細菌や寄生虫という概念すら存在していないだろう。

 

「では、僭越ながら儂がやろう。“主よ、我らが祖たる六大神よ、哀れな羊たちに一日の糧をお恵みくださったことを伏して感謝致します。我らの寄る辺、守りたる砦、我らを救い給うた御方よ。願わくば子らに遍く救済の道が開かれんことを祈って……”」

「「「“主に、祈りを”」」」

 

 うーん……六大神は最早信仰の領域だったか。これほどまでに敬虔な信徒が居るということは、実在はともかくとして六大神という存在が生活の基盤になっている可能性もありうるか。

 ──ま、今はそれよりもメシだよメシ! よく洗った大きな木の葉を敷いた岩の上に、焼きあがった魚を置いて身をほぐしていく。焼き上がりのニオイが鼻をくすぐり、きゅう、とヒビキの腹が可愛らしい音を鳴らす。

 

「よしっ、じゃあ……“いただきます”」

「いただきまーすっ!」

「──おや、ルイス殿は六大神の信仰はなさっておられないのですか?」

「ああ。不敬かと思うかもしれんが、我々のところでは六大神信仰はしていなかったよ」

「やはり六大神信仰は珍しいじゃろう。基本的に四大神……生の神と死の神は数えられぬからのう。このあたりでも六大神信仰といえばスレイン法国くらいなものじゃよ」

「あのスレイン法国、か」

「流石にこれはルイス殿もご存じじゃろうな。人類の守り手を標榜する国としてかの竜王国と共にビーストマンの軍勢に立ち向かう勇士たちじゃ……あっふ! 熱い! じゃが! うむ……ウマイのう!」

 

 いやまあ初耳なんですけどね。とりあえず“それ知ってる! ”感を出して言ってみたが納得はしていただけたようだ。というよりも魚の美味さに気を取られただけのような気がしないでもないが。

 というか手づかみでよくいけるなこの人たち。まあ食器なんて無いから俺たちも手づかみでやるしかないんだが。

 

「あっちち! ほっほー、中までアツアツだが……脂が乗って美味いぞこりゃ!」

「ああ、塩加減が脂の旨味を引き立ててくれる。そして何よりこの身の柔らかさとほのかな甘み……焼き上がりのこの香りとも相まって素晴らしいものだ……」

「……くっ、お、俺だっていつかは魚くらい……! チクショウ……うまい……!」

「ふっ、ご好評のようで何よりだ」

「ねぇねぇ、ユウくん……あーんってしよ? ほら、こう……指ごとぺろって舐めとって……ほしいなぁ?」

 

 ……ヒビキが自分の指先に乗った身を口に運び、舌を煽情的に動かして指をぺろりと舐めとってみせる。しなやかな指の付け根から先へ向けて、舌先を動かしつつねっとりと舐めあげる様子にイェリクが顔を赤くしてガン見してるが、こいつ変な性癖に目覚めたりしないだろうな? 

 まあ、そんな色気づいた男女二人の熱を冷ましてやるのも俺たち大人の務めだ。

 

「ようし、俺からしてやろう。ほら、あーんだ」

「ちょ、それ目玉で……」

「DHA豊富なんだぞ。健康にいいんだぞ。もちろん美容にも!

「……そ、それは、そうなのかもしれないけど……」

「ほら指ごと、あーんってするんだろ? 舐めたいんだろう?

「ぅ……あ、あの……その…………ゴメンナサイ……

 

 どうやら4人とも魚の美味さに魅了されたらしいな。あっと言う間に二匹あった焼き魚は骨と頭だけになってしまった。ヒビキは鼻息を荒げてここぞとばかりにイチャつこうとしたらしいが、俺の指先に乗った、抉りだされた魚の目玉を突き出されてしおらしく引き下がった。

 

 一通りの食事を終えて軽く昼寝をしたあとは高原地帯を下る街道を再び歩き続けるだけだった。ヒビキは旅をしているというよりも物見遊山(ものみゆさん)という気分らしく、街道の傍らに咲く花や見慣れない木々、時折見かける小動物などに興味津々のようだった。

 見つけるたびにイェリクが教えようと頑張ってはいるものの、ビョルン翁の知識の前になすすべなく、ヒビキの印象は今のところ“おじいちゃんって物知り! ”という具合でイェリクの見せ場らしい見せ場は無かった。そりゃまあ人生15年そこらの少年と人生60年近い元冒険者じゃ知識量が違いすぎるだろうよ。

 

「おお、見えるじゃろう? あれがマリエフレード村じゃ。あの大きな風車が目印なんじゃ」

「へぇ……立派なもんだ」

「うわぁ……! 風車が三つもあるよ!」

「ここはあの湖から流れてきた川から水をくみ上げて下流の村に流してる場所だからな! ここだけで三つの村に水を送ってるから、すごく大事な場所なんだ! ……ってオヤジが言ってた」

 

 へえ、と少し感心したが最後の最後で台無しだぞ。それを言わなけりゃ完璧だったろうに。

 

「大将、とりあえず今日はここで泊めてもらうことになります。明日は平地に出てナイアード・ハガル村、その次でエ・ペスペルに着く予定ですぜ」

「あと二日か……レーナがぐずってなければいいんだが」

「心配性じゃな。なあに、女は強いもんじゃ。いざというときはそこらへんの冒険者よりも肝が据わっておる。それにヘレンのお嬢ちゃんが見ておるのなら大丈夫じゃよ」

 

 ……ああ、でもやっぱり心配になる。さっさと<転移門(ゲート)>の記録(マーク)だけして村に戻ってレーナをすぐにでも抱きしめてあげたい。

 一人で寂しくしてないだろうか。キリが居るとはいえ村に脅威が差し迫ったりしていないだろうか。ご飯はちゃんと食べれているだろうか。ヘレンに迷惑をかけたりしていないだろうか。ママのことを思い出して涙を流したりしているんじゃないだろうか。おトイレはちゃんとできているのだろうか。転んでけがをしたりしていないだろうか。ヘレンに文字の書き方を教わっているはずだがちゃんとやれているだろうか。近所のクソガキどもがレーナにすり寄ったりしていないだろうか。仲良くなった男の子が将来俺の前に現れて娘さんをくださいなんて言い出したりしないだろうか。

 

「とにかくさっさと終わらせて村に帰らないとな」

 

 金を稼いで食料を買い付けて村に送り届ける。たったそれだけだというのに何日もかけてなどいられない。とっとと終わらせてレーナを抱きしめてあげないと。きっと寂しがっているころだろう。パパに会えなくてぐずっていることだろう。

 だけどそれもすぐに終わらせる。必ずパパがご飯を持って帰るからな……! 

 

 

 

 

「キリ、はやーい!」

『しっかり掴まってろよレーナ。もう一つ上げてくぞー!』

「はやーい! すごーい! あっははははは!」

「ヘレン、あの子たちは何を……」

「乗馬の練習だそうですよ、ブレインさん」

「…………残像しか見えないんだが、これが乗馬と言えるのか……?」

乗馬です。馬なんて比べ物にならないくらい早いですけど、乗馬です。竜だけど、乗馬です。私はそう思います。思いたい。そう思うことにしました。……わかりますよね?

「アッハイ」



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オバロ試作品14

道中はサクッと飛ばしてさっさと冒険者させたい。
次から戦闘も増えそうな予感


「わからない……! 一体何がどうなってるんだ!? システムUIは何も表示されず、五感が再現されていて、オマケにNPCが喋って動いてる! …………ハァ……焦ったかと思えば急に冷静になるし、わけがわからない」

「奇遇ですねモモンガさん。私もなんか変です。こう、二本足で立ってるっていう感触じゃないんですよ。這うような、でも歩いてる感じはしているんですけど違う感じなんです。

 それにしても、あの状況でよくロールプレイなんてできましたね? 私なんて完全に素でしたよ」

「ああ、アレですか……」

 

 突然の出来事に何をどうしていいかわからなかったのでNPCを遠ざけただけなんだよなぁアレ。

 跪いてこちらに鋭い眼光を向ける竜人の異形種である老執事のセバス、そしてその部下である6体のメイドたち……プレアデス。そして誰よりも俺を真っすぐに見てくるサキュバスの異形種であるNPC……アルベドという面々がじっと俺たちを見てくるプレッシャーに耐えられなくなっただけだ。

 

『んんっ、アインズ・ウール・ゴウンの盟主モモンガが命ずる。現在のナザリック地下大墳墓は未知の現象に巻き込まれている状態だ。そこで各階層ごとにナザリック内部のギミックなどの設備が正常に稼働しているかを調査せよ。同時にナザリック外の周囲2キロ圏内を偵察し、敵対的存在又は友好的存在の有無を確認するのだ。

 ナザリック内部の調査の関しての陣頭指揮はアルベド、お前に任せよう。地上の偵察はセバス、お前に任せる。6時間後に円形闘技場(アンフィテアトルム)にて第四・第八を除く階層守護者を集結させ、そこで報告を聞くこととする』

『承知致しました。我らナザリックのシモベ一同、至高の御方のご期待に必ずや応えてみせましょう』

『うむ。では後を頼む。それではヘロヘロさん、円卓に向かいましょう。いろいろと話しておかなければいけませんので』

『……あ、はーい』

 

 とりあえず適当に時間稼ぎのために6時間もとっておいたけど、その間に俺たちに何ができる? 

 

「ヘロヘロさん、とにかく今はわかっていることをまとめましょう。俺たちが動くにしても情報が少なすぎます。ナザリックのNPCは味方なのか敵なのかもわからず、その上俺たちが現実に帰還できるかもわからない。

 もしかするとGMや運営の救助があるかもしれません。あまりうろうろと歩き回るよりも、できることやれること、やらなければいけないことと為すべきことをリストアップしましょう」

「…………そうですね。まずは落ち着いて盤面を見直さないと。我々にとって信頼のできる手札が何なのかをまず見極めないと」

 

 ヘロヘロさんが居てくれてよかった。これでもしもこの場に俺だけだったら心細いなんてものじゃない。どうするかを話し合える相手が居るというのは大事なことだ。俺が気づいていない側面に気付ければより安全に動くことができる。多角的な視点で盤面を見るのが重要だってなんかのアニメでも言ってたし。

 そんなこんなで三時間が話し合いに費やされたが、やはり一人ではないというのは心強いことなのだと改めて感じることになった。

 

「……ひとまずこれくらいでしょうか」

「リストアップしましたが、いくつかはすぐにでもクリアできそうですね。ナザリックの制御・管理権限の確認はモモンガさんが持つギルド武器がなければ基本的にできないですし、信用の置ける味方は少なくともNPCが二体確保できる可能性があります。

 後は装備を整えてスキルや魔法の検証をし、不測の事態に備えた状態を維持しなければいけませんね。あとは他のNPCがどれくらい信用できるか……それによってはナザリック外へ脱出することも視野に入れておかないと。最悪の場合は管理者権限でナザリックの全機能を凍結し、宝物殿に立てこもることになりますが」

「状況は厳しいですね。ですがまぁ……やれないことはない」

「フフッ、モモンガさん……まるで悪の大魔王みたいですよ?」

「普段のロールプレイの賜物っていうやつですよ。それじゃ……宝物殿に行きましょう」

「……いいんですか? 黒歴史っていうのは触れるだけで自爆ダメージが来ますよ? 精神的に」

「ぐっ……わかってはいますけど、背に腹は代えられませんし」

「“背も腹も皮も無いだろアンタ”ってルイスさんなら言いそう」

「うっせーヘドロスライム! …………あっ!」

「忘れてた! ルイスさんだ!」

 

 そうだった! ついさっきまでメッセージでやりとりしてたんだから同じようなことになっている可能性だってあるじゃないか! ワールドこそ違えどルイスさんはナザリック外に居たんだから、中からナザリックの全機能を停止させた後で指輪を使って第一階層に転移さえすれば即座に、かつ安全に合流できるはずだ! 

 

『聞こえますか! ルイさん、聞こえてますか!? モモンガです! 今大変な──』

『うるっせーんだよ骨ェッ! 四年ぶりかと思えばこんな夜遅くにメッセージなんぞで大声出してんじゃねーよ! 明日は小麦の収穫で朝から晩まで働き詰めなんだよ! とにかく眠いから明日の晩にメッセージしてこい!』

『アッ、ハイ』

 

 ────小麦? 収穫? コイツ何言ってんだろ。

 

「……どうでした?」

「あ、ヘロヘロさん……それが、その、小麦の収穫があるから明日の晩にメッセージしろって……怒られました」

「…………ちょっと意味わかんないですね。ヒビキちゃんになら繋がるかもしれませんし、試してみましょう」

「そうですね……」

 

 チクショウ、あのポンコツ刀剣マニア吸血鬼め。肝心な時に頼りになるのはやっぱりヒビキちゃんしかいないのか。

 

『ヒビキさん、聞こえますか? モモンガです。そちらは何か変なことになってませんか?』

『んー……モモンガさん……やらぁ……いまぁ、ユウくんとぉ……きもち、よく…………ぐぅ……』

『あー、ヒビキ、さん?』

『らめらってぇ……うへへぇ…………三人目はぁ、むにゃ…………まだぁ、はやいよぅ……』

 

 ────あの子、どんな夢見てんだろう。思わず脳裏を過る不埒な妄想。だけど、なんか、絵になる二人だからちょっと妬ましい。あの子がルイさんに抱きしめられているのか、ルイさんがあの子に抱きしめられているのか。

 

「モモンガさん? なんで絶望のオーラ撒いてるんです?」

「えっ? 出てました?」

「はい。割と高レベルなのが」

「…………感情でスキルが勝手に出るんですかね」

「モモンガさん、現状確認するだけなのにどんな感情覚えたの……」

 

 とりあえず結論。────この二人つっかえねー! 

 

 

 三日間歩き続けてようやくたどり着いた城塞都市エ・ペスペル。その門には長蛇の……というほどではないが列ができていて、先頭には数台の荷馬車が止まったままだ。おそらく検問で差し止められているのだろう。

 

「ねー、ユウくんまだかな?」

 

 待ち続けて早1時間。ヒビキは見た目通りの子どもっぽさ──しかし中身は18歳である──故かしびれを切らし、城壁に背を預けて足を投げ出して退屈そうに座り込んでいる。

 この世界にはごく一般的な村娘の恰好をした、可愛らしさを魅せる黒髪のボブカットの少女。傍目から見ればその通りなのだが実際はレベル100の忍者プラス森祭司(ドルイド)の吸血鬼だ。吸血種という種族のお陰でおおよそ人間化しているためか、自分自身が吸血鬼なのだということなんてすっかり忘れ去っていた。そりゃ太陽を浴びても平気だし、鏡にも映るしニンニクも問題ないし流水だって渡れるのだから仕方がないのかもしれないが。

 ヒビキも俺も鏡で自分の顔を見て鋭い八重歯があるのを確認してようやく“そういえば吸血鬼だった”とようやく自覚した程度には吸血鬼要素が薄い。

 

「諦めろ。ただ単純に税の取り立てってだけじゃなくて、街の中に運ばれてくる荷の出どころや出入りする人物を記録しておくことで、犯罪組織或いは他国の息のかかった間諜が潜んでいないか調べられるようにしてるんだよ。

 加えて商人ってのは国を跨いで活動するから必然的に移動が多くなるし、それと同時に物資も移動する。自国の大事なもの……特に技術や軍事に関する情報を持ち出したりしていないか、また他所から危険な代物を持ち込んでいないか、犯罪組織のフロント企業だったりしないか、そもそも商人ではなく間諜だったりしないか、そんな風にいろんなことで疑われるものなんだよ。だからよりチェックが厳しくなるんだ」

「スキャンシステムでパパッとできちゃえばいいのにね」

「それができる技術力があればとっくに俺たちは壁の中だ。というかわざわざ出向いたりせずに、メールや電話ですぐにでもアーコロジー管理機構に連絡してるぞ」

「そう考えるとリアルって結構便利だったんだね。ボクたちのご飯も手抜きするならお湯をいれたりすればできちゃうし、なんならそのままかじりつけばいいだけだし。

 あとテレビがあるしゲームもあるし、魔法なんて使わなくても自宅ならプライバシーもそこそこ守られてるし」

 

 いや、最後のは無い。完全監視社会を舐めるでない。どこの誰がラブホでヤッたとか程度は企業の上層部には筒抜けなのだ。インターネットの閲覧ページからお風呂のタイミングまで、AIに何もかもを監視されているのは一部の人間や反動勢力の人間くらいしか知らないことだろう。カメラで撮影されているわけではないが、電気消費量などのデータを読み取られ、どのような行動をとっているか程度はAIに常に監視されているのだ。

 

「おーい大将!」

「っと、ようやく出番か?」

「遅くなりました。今さっき荷馬車が通ったんでもうすぐ動きますぜ」

「やっと? もう待ちくたびれたよ~……ねえユウくん──」

「おんぶはナシだ」

「えーっ!? まだ何も言ってないよ!」

「どうせ歩きたくないとかいうんだろ?」

「違うよ。ユウくんに抱っこしてもらいたいだけだよ」

「キリキリ歩け。まだ余裕だろ」

「ちぇっ」

 

 不貞腐れたヒビキを連れてビョルン翁とメルケル、イェリクが並んでいる列に戻り順番を待っていると数十分ほどしてようやく城砦の門の真下までたどり着いた。

 鎧を着こみ、ハルバードを持った衛兵が脇を固める中で一人のスキンヘッドの官吏がビョルン翁に声をかける。

 

「手形は持っているか?」

「ここに」

「ふむ…………確かに。今日はどのような用件だ? 連れの人数、滞在日数はどれほどだ?」

「本日は領主殿への書簡を届けに参った。連れは世話役が三名、護衛が二名じゃ。およそ3日から5日ほどを予定しておるよ」

「……おい、そこの後ろの剣を背負った男」

「俺か?」

 

 やばい、なんで俺が呼び止められるんだ? 別段目立つようなものを持ってなどいないはずなのだが。

 

「貴様、冒険者か?」

「正確に言えば冒険者志望だ。これから登録に行く」

「なら街中では長物は気をつけろ。抜き身の武具を晒して街中を歩くようなことは禁止されている。鞘があるなら鞘に入れてベルトをかけておけ。無ければ槍やハルバード同様に布を頑丈に巻き付けておくか、そもそも護身以上の武器を持ち歩かないかだ。街中で市民に怪我をさせかねないような真似はするな。いいな?」

「承知した。後ほど宿を確保したら布を巻くようにしよう」

 

 ふむ、エ・ペスペルの市政に少しプラスというところか。モンスター退治を生業とする冒険者であっても、抜き身の武具を持って歩いたのでは市民に対する威圧や恫喝に繋がるという判断だろう。

 武具を鞘に収めたり布で覆うなどせずに歩いている屈強な冒険者たちというのは、市民からすればいつ斬られるかわからない恐怖を伴う存在ということだろう。おまけに闘争に身を置くだけあって血の気も相応に持ち合わせているはず。

 そこで武具そのものの所持に制限をかけておくことで、市民に対して非暴力の姿勢を見せて安心させると同時に、街中で不慮の事故が起きることを防止しているわけだ。

 

「さて、それじゃ俺たちは冒険者組合で登録してくる。商会で買い取り依頼するのはそのあとだな」

「ではイェリク、メルケルは儂と代官の屋敷に向かうとしよう。アラン、宿は任せるぞ」

「あいよ。じい様は腰を痛めないようにな」

「舐めるでないわ阿呆めが。ああ、ルイス様……推薦状をちっとばかし張り切って書いてみたんじゃ。これを組合で提示するとよかろう。引退した元白金(プラチナ)級とはいえ何かしらの伝手があると示しておくほうが有利であろうよ」

「お気遣い痛み入る。では後ほど」

 

 なんとも強かだ。だが彼の言う通り伝手があるというのは大きなアドバンテージになる。特にランクの高かった元冒険者の推薦となれば、ランクアップ自体には影響せずとも加入時の手続きや信用度が段違いになるだろう。実力も伴うとわかれば優先的に仕事を回してもらえる可能性もある。

 これは気合を入れておかなければ。彼の推薦があるということは、彼の名を貶める真似は絶対にできないぞ。俺を村の利益のために縛り付ける方法としては最上級だろう。人を縛り付ける最高の方法は“恩”だと言ったがまさしくというやつだ。本当に強かだ。

 

「さて、それじゃ早速──」

「あ、ちょっと待ってユウくん。ボクそろそろ着替えたいんだけど」

「別にいいだろう。メイド服とその平民の服じゃ大して違わないだろうし」

「あのメイド服、実は状態異常完全耐性に破壊属性完全耐性があるって言ったら?」

「よし、着替えろ」

「は~い!」

 

 なんつー高性能なオシャレ装備だよ。エンチャントするだけでも一苦労するだろうに、よくあんなものを手に入れられたものだ。

 ヒビキが街中に入ってすぐの路地に入ったかと思えば一瞬で着替えて姿を現す。いつものちょっとえっちぃ感じのミニスカートなメイドだがへそ出しはやめたらしく、少しフォーマルさが増している。それでもミニスカートな時点で割と目の毒だが。

 

「しかし、頑張ったなお前……ただのメイド服にこんなに……」

「んふふ~そうでしょ? でも実は中身はただの聖遺物級なんだよね……本当は神器級にする予定だったんだけどお金が……」

「世知辛い事情だな」

 

 とはいえ見た目はそこそこに重要だ。ゲーム内でなら釘バットだのふんどしだのとネタ装備を作ることもできたが、ここでそれを使うのはアウトだ。基本的に西洋文化が中心になっているらしいことから見た目にも気を遣う必要があるとみるべきだ。

 現状の装備は普通のシャツとズボンの上に革鎧を着込み、その上に胸や腹、関節部など部分的にフリューテッドアーマーの部品を組み込んだ装備だ。ローブを上から纏ったその見た目はさながら遍歴騎士と言うべき様相で、これなら違和感はないだろう。

 ただ後ろに控えているのがメイドというのが目を引くだろうことは間違いない。だがヒビキの安全に寄与する装備なのだから、外せとも言い出しにくいあたり悩ましいものだ。

 

「ええと……ここだな?」

「……ユウくん、読めるの?」

「<言語解読>のスキルでどうにかな」

 

 ツヴァイヘンダーをアイテムボックスに放り込んでから中世の街並みが続くエ・ペスペルを散策していくと、見たことも無い文字の羅列が並ぶ看板の上にルビが振られるように“エ・ペスペル冒険者組合”と書かれているのが目に留まった。便利なのは便利だが、言語が違うのに会話は通じているのはどういう仕組みだ? 

 兎にも角にも入らないことには始まらない。稼ぎを得るためには働かなければいけないのと同じだ。

 

 そこそこ立派な三階建ての建物、その両開きの扉は開かれたままになっていて受付らしいカウンターと待ち構える受付嬢が目に留まる。

 

「失礼、ここがエ・ペスペル冒険者組合で相違無いだろうか?」

「……は、はいっ! 当施設はエ・ペスペル冒険者組合でしゅ!」

 

 受付で作業していた受付嬢に声をかけたところ、急に椅子から立ち上がって緊張した様子で答えが返ってきた。というか噛んでたし。

 

「あ、あのっ、ほ、本日はどのようなご用件でしゅか!?」

 

 ほんとよく噛むなこの子。長い赤毛の髪まで揺れるほど緊張しているようだが、これで受付が務まるのだろうか。

 よく見てみるとそう背丈があるわけではないらしい。踏み台をカウンターに置いてあるらしく、おそらくその段差を降りればヒビキと同年代くらいの背丈だろうか。年若い少女の持つ初々しさ、気恥ずかしさが出ているのが丸わかりだ。

 

「実は──」

「私たち冒険者登録に来たんですけど、手続きは可能でしょうか? ……なんでボクのユウくんに色目使ってるのかな? 死にたいの? 

 それと、こちらを渡すようにと預かっています」

「ひっ、しっ、失礼しました! 冒険者登録ですね! 登録は随時受け付けております! まずは書簡の方から拝見させていただきます!」

 

 ヒビキの笑顔がやけに怖い。言葉遣いまで変わってやがる。笑顔なのに俺の背筋に氷が突っ込まれたような嫌な感じがしているのだが、気のせいだろうか。

 

「これは……少々お待ちください」

 

 しかし手紙を受け取って中身を検めるや否や、彼女はすぐに受付を離れて背後の廊下へと入っていき、最奥にある扉を叩いて入室した。

 

「……なんなんだろうな」

「ふんっ、ユウくんを見てデレデレしちゃってさ……」

「そうか? そこそこいい歳してるんだけどな俺も」

「……ユウくん、カッコイイんだよ? 10人中5人から7人はそう思うよきっと」

「なんとも微妙なラインだな……それ」

「でもボクは最初っからユウくん一筋だよ? 子どものときも今もずっとボクのヒーローだもん!」

「……恥ずかしいからやめなさい」

 

 八重歯をちょっとだけ覗かせるようにヒビキが屈託のない笑みを浮かべる。まずい、こんなに真正面からそういうことを言われるのは慣れないんだ。俺なんて軍人として戦い、時に命を奪ってきたし奪われるのを見てきた人間だ。人知れず戦うばかりで誰かから賞賛を受けたことなんて数えるくらいしかない。

 

「お待たせしました。奥の部屋へどうぞ。組合長からお話があるそうです」

「ヒビキ、変な妄想を垂れ流すんじゃないぞ」

「…………じゃあ静かにしとく」

 

 先ほどの受付嬢が戻ってきて俺たちに言った言葉は先ほどの動揺ぶりがウソのように真剣なものだ。

 言われるがままに奥の部屋へ案内されるとそこには来賓者を迎えるテーブルと椅子が中央にあり、少し窓側には立派なゴシック様式の執務机があり、そこには白髪の混じった髭を蓄え、頭を短髪で揃えた筋骨隆々の男が椅子に座って羊皮紙にペンを走らせていた。

 

「ようこそ、エ・ペスペル冒険者組合へ。私が当組合の長を務めております、エルランド・ルーベンソンです」

「ルイス・ローデンバッハだ。グリプスホルム村にて世話になっている」

「ヒビキです。初めまして」

「お二方ともどうぞ掛けてください。アリシア君、お茶を頼めるかね」

「承知致しました。ルイス様、ローブをお預かり致します」

「ありがとう」

 

 身に着けていたローブを外して来賓者用の椅子に腰を下ろすと、エルランド氏も執務机を立って俺に対面する席へつく。じろ、と彼の視線が俺の全身を見るように走ったもののすぐに俺のほうに向きなおった。

 

「ふむ……致命になりうる部分と関節部だけを覆う軽鎧、ベルトは飛び道具に手投げナイフを収め、武器はショートソードとやや大振りのダガー。身軽さ……機動性を重視した装備のようですな。細かい所作にも隙が無い。なるほど、先輩の言う通り手練れのようで」

「そちらこそだ。未だ現役なのではと思うような鋭い気配が感じられる」

「ふふ、これほどの実力者が来ることは稀でして。少し昂ぶってしまいましたな。そちらのお嬢さんは従者ですかな?」

「いや、従妹だ。メイドのような恰好はしているが、このメイド服自体がマジックアイテムになっていてな。そのお陰で毒や呪いといった人に害となるものに滅法強いらしい」

「ほう、そのようなものが。未知のダンジョンや遺跡では時折そのようなアイテムが見つかるという話は聞きますが、そのような類の出自なのでしょうか?」

「いや、何らかの魔法の研究中に偶然生み出された産物らしい。……故国が滅びたせいで最早再現は無理だろうがね」

「これは……失礼いたしました。お辛い記憶を呼び起こしてしまいましたな」

 

 まあ出まかせと言えば出まかせではあるのだが、ユグドラシルが無い以上同じものを作ることができないのは間違いない。ウソと真実の割合を見極めればそれっぽい話も通用するわけだ。

 

「お茶をどうぞ」

「ありがとう。ええと──」

「これは申し遅れました。私は受付を担当しております、アリシアと申します」

「ありがとう、アリシアさん」

「ふふ、アリシアと呼んでいただいて結構ですよ。お菓子もどうぞ」

「おおー! 見たことないお菓子だよユウくん!」

「ハロングロットルというものです。ラズベリーのジャムを使ったクッキーみたいなお菓子です」

「んん~! おいしいっ!」

 

 女の子が甘いものに目が無いのはどこの国でも変わらないらしい。一つ手に取って口に入れてみると、ラズベリーの甘酸っぱさと柔らかなクッキー生地の組み合わせが素晴らしい。これはお茶菓子に最適だろう。

 

「さて、本題と参りましょう。私の先輩、ビョルン・ベントソンからの書簡のほう拝見致しました。彼には私が駆け出しであったころに世話になりました。今回は村が危機にあるということで、食料の移送や融通の依頼書のほうは確かに受領したとお伝えください。

 それともう一つ書簡が同封されていたのですが、ルイス殿とヒビキさんは冒険者志望ということで相違ないですかな」

「無論だ。俺もヒビキもそこそこには腕が立つ。村には世話になっているので、このまま見過ごすというのも後味が悪い。なれば少しでも稼ぎ手が必要であろうと思い、ここで冒険者として稼ぎ、村へ送る食料などを買い付けようと思っている」

「フム……規定がありますので銅級(カッパー)からとなるのは避けられませんが、先輩の言葉通り野盗を無傷で捕えるなど実力があることは確かだとわかります。少々難度の高い依頼(クエスト)でも受けられるように昇格は早めに行えるように融通致します。昇格試験の内容は手抜きどころか割り増しですが」

「まあ、そうでしょう。手抜きのせいで人死にが出たのでは本末転倒だ」

「その通りで。書簡にありました通り元軍人というのもあって荒事には慣れておられる様子。モンスター相手の討伐や護衛任務などであれば前職の経験も生かせるでしょう」

「元よりそのつもりだ。自身の経験が多くの人々にとって役立つのなら、使わない道理はない」

「承知致しました。それではアリシアくん」

「はい」

「君が担当だ。誠心誠意、彼らのサポートをするように」

「──えぇっ!? 組合長! わっ、私まだ担当の経験なんて無いですよ!? 大事な案件なんですから他のベテランの方のほうがずっと……」

「だからこそだ。現在の担当たちは他の冒険者を複数受け持っているため、ルイス殿たちにつきっきりでサポートすることができない。キミが彼らの専任としてサポートについて経験を積むんだ。それにキミだっていつまでも新人のままでは居られないぞ。そろそろ担当する冒険者チームの一つくらいは持つべきだし、それができるだけのものも持っていると思っているよ」

「……わかりました」

 

 なるほど、まだ仕事を始めたばかりの新人だったのか。道理で緊張していたわけだ。銅級(カッパー)という最低ランクというのもあって仕事の内容は高位の冒険者より危険度が低いだろうし、前職が軍人というある程度実力が既に備わっている人物だから少々の荒事は問題なくこなせる……組合長は俺たちをそう見ているわけだ。

 彼女が初めて担当を受け持つ等級として最低ランクである銅級は最適であるだろうし、組合長としては俺たちで経験を積ませていこうという腹積もりなのだろう。しかも元とはいえ白金(プラチナ)級の冒険者から推薦を受けている俺たちがそこそこの冒険者に匹敵する実力があると見抜いた上で彼女を割り当てたのだから、彼女の実務能力も買っていると見ていい。

 

「さて、これからよろしく頼む。アリシア」

「よろしくね、アリシアちゃん。仲良くやっていこうね(色目使ったらコロス)!」

「ひぃっ!? よ、よろしくお願いしますぅ……」

 

 ようやく冒険者家業がスタートできそうだ。しかし一か月のうちにどれだけ稼げるか……正直言ってかなり厳しいと言わざるを得ない。依頼が無ければ意味が無いし、元手になる資金も確保しなければいけない。後で不用品を買い取ってもらうつもりだが、果たしてどれだけの金額になるか。

 俺たちが不用品を売って金に換えて食料の買い付けを行ってもいいが、俺たちが村を出た後に稼ぎ手が居ないという状況になるのは避けておくべきだ。彼らにも自力で稼ぐ手段を模索してもらわなければ。俺たちの手を借りることなく自立できてようやく村が立ち直れたと言えるものなのだ。

 

「じゃ、すぐに登録といこう」

「はい! すぐに書類を用意致しますね!」

 

 何はともあれやってみせよう。基本はPMCと何ら変わりないのだからいくらか気楽だ。依頼を受けて遂行し、成功すれば報酬がもらえる。であれば、いつも通りに仕事をするだけだ。

 

 

 

 

「ハッ! 今何か嫌な予感が……!」

「ここ最近多いな……どうかしたのか?」

「ブレインさん……いえ、その、どうにも最近背筋が冷えることが多くって……風邪でしょうか……?」

「気のせいじゃないのか? それよりお嬢ちゃんはどうした?」

「えっ……? あぁっ!? またキリに乗って出歩いてぇっ! こらーっ! キリに乗るのは村の中だけって言ったでしょー!

「我々は誉れ高いりゅーきへーだー!」

『竜騎兵だー!』

「あぁーっ! 棒を振り回さないの! ギャーッ! 柵が焦げてる!? って屋根の上はダメーッ!」



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オバロ試作品15

ルビを複合させて使う練習
最近コレ独立させたらよくね? って思い始めてる。


 今日も相変わらずな一日が始まった。冒険者組合を紹介してもらって仕事を始めて早半年となる、いつもの見慣れた組合の受付カウンターでの業務はいつも通りの平凡な時間が過ぎていった。

 報酬の割合で揉める冒険者。依頼(クエスト)の内容で揉める冒険者。どちらが受けるかで揉める冒険者。騒ぐようなら叩き出すぞと怒る組合長。いつも通りの変わらない、当たり前に過ぎていく日常。お昼を過ぎて昼食を終え、午前中の業務を先輩から引き継いで受付の一番目立つ場所──新規登録者受付の席に座った。

 

 今日も変わらず一日が過ぎていく。そう思っていた。……黄金の髪と赤い瞳の一人の旅の騎士と、このあたりでは珍しい黒髪の年若い──私と同じ年ごろのような──メイドが現れるまでは。

 

「以上が冒険者の規約に関するものです。ここまでで他に質問はございますか?」

「わかりやすいし、細かい複雑なところにも範例を用いて解説してくれて助かった。キミが組合長から期待されているだけのことはある」

「そ、そんな、買い被りすぎですよ。私なんてまだまだ新米ですから!」

 

 結論から言って、私のこれからの日常に新しい業務が増えた。組合長への手紙を持ってきたらしい彼は冒険者志望だったらしく、組合長の旧友の推薦を受けているらしい。しかもその旧友というのが数十年前にエ・ペスペルで活躍した白金(プラチナ)級の冒険者チーム“グリュプス”の元リーダーだと聞いたときには腰が抜けそうだった。

 グリュプス、と言えば有名なものだ。曰く“エ・ペスペルの西にある森で行われていた邪教の儀式をぶっ壊した”とか、曰く“アベリオン丘陵手前の湖で水棲モンスターを相手に互角に戦った”とか、曰く“20を超える人食い大鬼(オーガ)の集団をたった4人で殲滅した”など話題に事欠かない。

 ついでに“娼館で誰がどの女を抱くかで殴りあった”とか、“お手製の燻製肉を勝手に食われて殴り合いになった”とか、“カッツェ平野で奇声を上げて呪文を唱えながらアンデッド退治をしていた”とかそちらの意味でも話題が多い。

 

 そんなチームからの推薦と聞いて胃が少し痛んだけれどそれは杞憂で済み、それどころか彼は実に素晴らしい人柄だとわかった。登録に際しての規約の説明をしていて思ったことだが、話は真剣に聞いてくれるし、わからない部分は質問してくれたし、なんと紙──それも羊皮紙ではなく手漉き紙!──にメモをとってくれるほどの優等生だった。

 冒険者といっても元から戦う力がある人ばかりではなく、食い詰めて冒険者になったりする人が多いため“そんなこといいから依頼(クエスト)だ!”みたいな人も多い。

 そうでなくても字が書ける、読める人はそう多いわけではないので、ちゃんと理解させるまでにはそこそこの時間がかかるもの。だけどルイスさんとその従妹のヒビキちゃんはちゃんとした教育を受けたことのある人だったらしく、ものの2時間程度で事が済んだ。

 

 ただ意外だったのは二人して“字が書けない”という点だった。なんでも二人は故国を滅ぼされて流浪の身となったらしく、ヒビキちゃんは十分な教育を受けられなかったらしい。それでも冒険者の仕組みや規約などでわからない部分があっても、少しの助言で理解できたのだから十分な知性がある。

 ルイスさんは教育こそ受けていたものの、王国で使われる言語と形態が違うということで筆記ができないそうだ。母国語なら扱えるのに、と愚痴を零した様子はどこか郷愁を帯びたような表情で、窓の外へ視線を向けたその横顔に不覚にもドキッとした。

 

「やっと終わったー。あーあ、肩が凝っちゃうよ。ユウくん肩揉んで~」

「仕方ないな……ほらちゃんと座ってろ」

「はぁ~……そう、そこ……あっ! んぁっ! すっ、すごいっ……イ、クッ……!

「気色悪い声出すんじゃない」

「いいぃっっっ! ちょっ、まっ、痛いってば!」

「痛いのは効いてる証拠だ」

 

 まるで年の離れた兄妹のよう。距離感は近いけど別にやましいものがあるわけではなく、ただ純粋に家族としてのスキンシップらしい。

 そこに狙いすましたように割り込んでくる影。折れた直剣を打ち直した短剣を持った、革鎧を着こんだ男。短く刈り揃えた茶髪の図体のでかい大男がルイスさんの前に来て言う。

 

「よう、お二人さん……新人かい?」

 

 あのニヤニヤとした顔、それに私やヒビキちゃんを見るねっとりとした舐めまわすような視線、いつ見ても気に入らない。気に入らない新人をいびって辞めさせたり、美人と見るや自分のものにしようとするクソッタレめ。それに受付をしていた私の先輩をデートだとか言って無理矢理に連れ出して…………なんでこんなヤツが冒険者なんてやっているんだか! 

 

「俺ァ、ディックってんだ。ランクは(ゴールド)級だ、よろしく頼むぜぇ、同業者サン」

「自己紹介痛み入る。ルイス・ローデンバッハだ。よろしく頼む」

 

 ヒビキちゃんを庇うようにルイスさんが前に出る。図々しくディックが差し出した手にルイスさんも手を差し出して──

 

「ふんっ!」

「ルイスさん!?」

 

 ディックに軽く引っ張られるようにルイスさんの身体が宙を舞う。ローブが外れ、ルイスさんがギルドの壁に叩きつけられ──

 

「阿呆め」

 

 ぞわり、と私の耳に底冷えするような声が走った。激突する──その瞬間にルイスさんの身体がくるりと一回転、地面にしゃがみこむような姿勢で()()張り付いた。右手で石壁の隙間に指を差し込んで、たったそれだけで自身にかかる体重を支えているのだ。騎士なんてものじゃない、まるで軽業師やレンジャーのような身軽さだ。

 赤い瞳が妖しく光を映す。まさに今の彼は敵を認識して獣を仕留めんとする狩人だ。脳裏に浮かぶ最悪な光景……そのまま彼がディックを殺してしまうのではないかという懸念が私の中で警鐘を鳴らす。

 

「ユウくん! ストップ!」

「……ま、そうだな。初日から組合の床を汚すわけにもいかないしな」

「へっ、どうしたよぉ~怖気づい──」

「お前、ちょっと黙ってろ」

「──!? ふっ、んぐっ! ふんぐっぐっ!」

 

 ガチン、と音が聞こえたかと思えばディックの口が閉じられた。うめき声のように声が出るだけで、上あごと下あごが縫い付けられたように微動だにしていない。この人、一体何をやったの? 

 

「さて、冒険者プレートとやらはそろそろかな?」

「……あ、はい……多分そろそろ……」

 

 軽く壁から飛び降りたルイスさんが何事もなかったかのように私に喋りかけてくる。強い人だと思っていたけど、想像した以上の強さだ。おそらくあのクソッタレのディックなんかより、よっぽど上の実力がある。

 

「待たせたな。できたぞ」

「組合長、それが俺たちの?」

「そうだ。これを以って二人はエ・ペスペル冒険者組合所属の(カッパー)級冒険者となる。チーム名は決まっているか?」

「……名に恥じぬよう精進しよう。チーム名は……少々待ってくれ。戦事に縁起のいいものを考える」

「フ、軍人気質は抜けないようで」

「生憎と性分でな」

 

 銅級のプレートを受け取った二人は思い思いの場所にそのプレートを身につけた。ルイスさんは革鎧のベルトに、ヒビキちゃんはフリフリのメイド服の左胸につけようとしているがどうにも苦戦している。

 

「ほら、着けてやるから動くな」

「うん…………どう? 変じゃない?」

「大差ないから大丈夫だろ」

「……それってどーいう意味なのかなぁ?」

「さてな」

 

 ヒビキちゃんはやはり見栄えが第一らしく、しきりにプレートと自身の衣装の組み合わせに違和感が無いか確かめるように落ち着きが無い。

 

「さて、ディック」

「──!? ────!!!」

「また新人いびりをしようとしていたな? 次は放逐もありうると宣告したはずだ。にもかかわらずコレとは……どうやら再教育が必要なようだな? えぇ?

 

 組合長の怒気が膨れ上がる。既にパツパツだった上衣のシャツが筋肉の隆起で破れ、ガチガチの筋肉に浮かんだ血管の生々しさと相まって更に威圧感を増していく。元々ディックよりも大柄な組合長がさらに大きく見える、というより物理的に大きくなっているのだから気圧されるのは当然だ。

 

「ではルイス殿、私はこのバカを再教育してきます。依頼の受領はアリシアが行いますので、彼女に紹介してもらうとよいでしょう」

「懇切丁寧な対応に感謝する。ヒビキ、初クエストだぞ」

「オッケー! アリシア、実入りのいいやつ選んでよね」

「あ、はい。こっちにどうぞ」

 

 テーブルに座って現在張り出されている依頼の中で銅級のものをピックアップしていく。とはいえ銅級は一番簡単なものなので大したものはない。エ・ペスペル市街であれば城砦周辺のパトロールや街道の巡回など、遭遇する可能性のあるモンスターも低難度のはぐれのゴブリンやウルフ系の魔獣それと稀に現れるスケルトンやゾンビ、グール程度だ。

 

「むぅー……討伐系は無いの? ボクたちならちょっと強いくらいのモンスターは余裕だよ?」

「ランクがランクなので、受けられるのはこれくらいしかないんです。でも街道警備はエ・ペスペルの商人組合から定期的に依頼されるので、こう見えて銅級でも貢献度の高い重要な仕事なんですよ」

「ま、駆け出しならこんなもんだろうさ。俺たちはどうあがいても(カッパー)級でしかないんだ。例え元白金(プラチナ)級の推薦があろうと、初対面の人間であることには変わりない。

 俺の軍時代も最初は訓練と見回り、警備任務がほとんどだったさ。実績も信頼もないのにいきなり討伐系の依頼や要人や隊商の護衛なんてものは回されないもんだ。ま、依頼を完璧に、かつ回数をこなさなきゃ昇格なんぞあり得ん」

 

 やっぱりルイスさんはよくわかっている。推薦があろうが国王の紹介だろうが、その人の人柄を知りもせずに高ランクにいきなり据えたりしたら冒険者組合は非難囂囂(ひなんごうごう)だ。そりゃあ突然現れて自分たちが苦労して上り詰めた階級をサクッと飛ばして胡坐をかかれたのではたまったものではない。

 アダマンタイト級やオリハルコン級、ミスリル級には自分たちが高位の冒険者になったことを自身が偉くなったかのように勘違いして傲慢な態度を取り始める者も居たという。あのディックのようなヤツが最たる例だ。

 高位の冒険者は強力なモンスターにも立ち向かう勇気を持った勇敢な人たちだ。モンスターや敵対的な亜人種、異形種から人々を守ると同時に、彼らにとっての希望とも言えるものなのだ。そんな人たちが守るべき民草に対して横暴を振るうようなことは絶対にあってはいけない。

 

「ヒビキ、ひとまず俺たちはコツコツと積み上げていくことから始めよう」

「……初っ端から問題起こしかけたユウくんがそれを言うの?」

「可愛い妹分に手を出しそうなヤツに加減はいらん。で、その街道周辺のパトロールってのはどういう内容なんだ?」

「ええと、こちらはエ・ペスペルからエ・ランテルへの街道を往復して、隊商(キャラバン)や旅人を襲うモンスター、野生動物などが居ないかを調査する任務です。周辺の森林などは高位の冒険者さんたちが定期的に討伐を行っているので、群れからはぐれたモンスターや獣が街道へ出没することが稀にあります。

 そこでモンスターが街道沿いに現れた痕跡が無いかを我々が調査し、最終的にはエ・ペスペルの衛兵がその資料を基に街道を利用する人々へ注意を促すんです」

「そして隊商や旅人に注意喚起すると同時に冒険者組合で街道での護衛依頼をオススメして受け付ける。よくできてるじゃないか。商人組合も冒険者組合もエ・ペスペルの行政府も、いずれにも利点のあるいい協力関係だ。まあ、商人組合には裏などお見通しだろうが護衛が必要なのには変わりないしな。

 ともあれ商人からすれば、街道から脅威が消えるということは護衛をしばらく雇う手間賃が必要なくなるし、雇ったとしても少人数で解決する。比較的安全が確保された街道の定期的な調査依頼を出すだけなら、報酬が安くても仕事が欲しい(カッパー)級の駆け出し冒険者に勧めればいい。安上りで済むからその分のカネを商売に回せるようになる。

 そして安く上がった経費の余剰分を時折使って(アイアン)級や(シルバー)級の冒険者に街道に近い雑木林や森のモンスター討伐を依頼し間引きを行ってもらう。ああ、実にうまく手を組んでる」

「……このくらいはお見通しですか」

「ついでに言えば冒険者組合としても、近場の街道付近に高ランクの冒険者を頻繁に駆り出す必要がなくなるからエ・ペスペル領内の遠隔地にも高ランク冒険者を派遣しやすくなる。使える戦力が街道付近にずっと張り付く必要性がなくなる分、より広域に手を伸ばしやすくなるわけだ。そして領内の兵士たちは彼ら冒険者の調査資料などを基に野盗退治や巡回に出ることで無駄な支出を抑えることができる。

 そうして村とエ・ペスペルを繋ぐ街道の安全が確保できれば、商人が扱える品物も増えるし、村は商人が落としていくカネで潤う。結果的にエ・ペスペル領の多くの地域に経済効果が波及する仕組みなわけか。

 まず商人が潤う。次に冒険者組合は活動領域を広げることができるし、冒険者の育成が堅実に行えて、何より依頼達成の実績が出来上がる。その結果、エ・ペスペルの領民は安全に領内を行き来しやすくなる。商取引が増えることで村にある物資や商品がエ・ペスペルに集積されることになり、最終的に他の都市や諸外国との取引に結び付けばリ・エスティーゼ王都とエ・レエブル、リ・ロベル、エ・ランテルを結ぶ中間集積地としてエ・ペスペル全体が潤うことになると」

 

 ……すごい……たった一つの依頼表と依頼主だけでこうまで推測ができてしまうなんて。最後のほうなんてもう政治の話だ。領内の経済にまで考えが及ぶなんて……やっぱりこの人は只者じゃない。

 

「あー、うー」

 

 対してヒビキちゃんは頭から煙を吹きそうな感じで依頼表を前に目を回している。私と同じ年ごろだし、いろいろと勉強させてもらってきた私でも考えが追い付かないんだから無理もない話だ。

 

「要するに、安全が確保されれば領民全員オールハッピーってことだ。実際はまだまだ手が届いてないのが現状のようだがな。おそらく政策としてコレが打ち出されたのはそう古い時代の話ではないんだろうさ」

「あぅ、うん、細かいところはわかんないけど、そこはわかった!」

「交易が盛んなエ・ランテルに続く街道ですから巡回の兵士も居ますので、早々モンスターに出くわすこともないでしょうけど油断は禁物です」

「しかし調査ということだが、具体的にどういうものを調査するんだ? こう、痕跡とか?」

「概ねルイスさんの想像通りかと。調べるのは主にモンスターが街道に出没した痕跡ですので、足跡や体毛など、もしあれば糞便なども詳細を調べて報告してください。遺骸があれば詳細を調べておいてください。強力なモンスターが現れる可能性があるので、すぐに高ランクの冒険者を派遣して周辺を調査します」

「うぇぇ……モンスターのフンなんて調べるの……?」

「ガマンしろヒビキ。腐乱死体を扱うのに比べりゃまだマシだ」

 

 どういう仕事してたんだろうこの人。腐乱死体を扱うって……彼の居た場所ではゾンビ狩りも軍の仕事だったのだろうか。それとも戦死者の回収? これだけのことを読める人が最前線で戦う一介の軍人で終わるようには見えないんだけど。

 

「まずはこの依頼を受けよう。いつ出発する?」

「受領から二日以内にはお願いします。この依頼はエ・ランテルの冒険者組合にも話を通してありますので、往路を終えたらあちらの担当か受付で報告を行ってエ・ランテル冒険者組合の組合長からサインをもらってきてください。

 復路での調査を終えましたらこちらで報告し、私か他の担当がサインをしますので、それを以って任務は終了となります。

 歩きで往復して6日はかかる仕事ですので食料などは必要な分をこちらで用意します。これらはエ・ペスペルとエ・ランテル双方の冒険者組合で負担していますのでお代は必要ありません。必ず正門の兵士詰め所横の資材倉庫で受け取ってから出発してくださいね。

 でも、タダだからって飲み食いせずに計画的に使ってください。いいですね?

「食事付きとは豪勢だ。ヒビキが食べ過ぎないよう見張っておくよ」

「──あ、それともう一点重要なことが!」

「むぁー、まだあるのー?」

「もうちょっとだから辛抱しなさい」

 

 ぐでーっと机に突っ伏したヒビキちゃんがルイスさんに襟を掴まれて引き起こされる。こうして見ると保護者と子どものようでもあり、微笑ましい気分になる。

 

「今回、ルイスさんとヒビキちゃんは初の依頼ということですので、こちらから先任の冒険者をサポートにつけます。現場のことは現場の人に聞くのが一番です。ええと、今手が空いてる人だと……つい先日(アイアン)級に上がったばかりですけど、確かな実力と信用のある人をサポートにつけますね。わからないことがあれば聞いてみてください」

「了解した。後ほど準備を済ませ、明日の明け方に出る」

「わかりました。先方にはこちらから日の出ごろに正門前で合流するように伝えておきますので、正門前で到着をお待ちください」

 

 ルイスさんとヒビキちゃんが椅子から立ち上がって組合を後にするのを眺める。振り返ってこちらに笑顔で手を振ったヒビキちゃんに手を振り返すとヒビキちゃんは太陽のような笑顔を振りまいて、すぐにルイスさんと手を繋いで楽しそうにおしゃべりしながら去っていく。

 

「ふぅっ……」

 

 本当にすごい人たちだった。正直途中で伝え忘れたことや間違った説明をしていないか気が気でなかった。理性的でありながら自分の力を過信せず、きっちりと説明を受けている間は静かなものだったけど、ずっとこちらが観察されているような気分だった。

 

「へぇ、アリシアやるじゃん。あんなに賢い冒険者そうは居ないわよ。ああいう人に面と向かって堂々と説明できるなんてスゴイじゃない」

「せ、先輩」

「そうそう。話はしっかり聞いてくれて、頭も切れる。そして何よりカッコイイ! イケメン! 旅の剣士みたいな感じだけどぉ、孤高の剣士って感じの少しかけ離れた存在感があるところとか最高! それにあの妹さんみたいな子に態度を注意してたけど、“仕方ないなぁ”って少し笑った感じですっごいキュンッてしちゃうわよね! 

 アリシアもドキッとしたんでしょ? でしょでしょ~!? 説明してるときとかすっごい張り切っちゃって~!」

「ア、アンネまでっ! そっ、そんなこと、ないんだから……からかわないでよ!」

「正直羨ましいわ……私もあの人みたいな落ち着いた知性的な人を担当できたら……いつかは付き合ったり結婚とか考えたりもしたんだろうなぁ」

 

 結婚…………私とルイスさんが……えへへへ……! きっと朝になって目が覚めたら“おはよう”って言いながら温かい紅茶を淹れてくれたり、長期の仕事に出る前や夜眠る前なんかはほっぺにキスしてくれたりとか……! 

 

「ふへぇ……」

「いいわよねぇ……理想的な旦那さんよねぇ……」

「私にもそんな風に愛せる人ができればなぁ……」

 

 ────アリシア・フランソン、がんばります! 

 

 

 

 

 ふぅっ、と大きなため息をついてユウくんが城砦の石壁を背にしたベンチに腰を下ろす。二人してこうやって過ごすのも、リアルでユウくんの家に泊まった時以来だから、少し懐かしい感じがする。

 けど……なんだか変な感じがして仕方がない。あの時のアリシアから説明された依頼の内容を思い返すたびに違和感が増してきて、今にもボクの頭が焼ききれそうだ。

 

「……ねえ、あの調査任務って本当にエ・ペスペルの人たちのためのものなのかな?」

「おそらくは違うな。一見すると全員に利益が回って助かってる仕組みのように見えるが、見た目だけの話だ。

 傭兵だって自分の武力を“商品”としている点では商人と同じだ。詰まるところ商人組合で金を出し合って真っ当な傭兵団と専属で契約して護衛についてもらうほうが、もっと安く数多く長期的に安定した戦力を雇えるし、取引規模の小さく資本が少ない商人でも護衛を利用しやすくなる。いちいちその時々で担当する人間が変わり、実力がピンキリの冒険者に討伐依頼や調査依頼、護衛の依頼を出す必要性がまったくない」

 

 それもそうか。冒険者も傭兵も同じ“武力”を売りにしているんだから、集団での戦いに慣れてる傭兵のほうが確かに大きな隊商を護衛するには向いてる。同じ等級でも強さがまちまちな冒険者よりも、傭兵の一団のほうが強さが安定しているし大規模な戦闘でも連携して対応できる。

 

「じゃあ冒険者のほうは?」

「冒険者側としても近いものがある。こっちでは冒険者ってのは要するに“モンスター退治の専門家”って認識だ。なのに追剥ぎや野盗など、同じ人間勢力を相手取る可能性がある仕事をわざわざ勧めるというのはおかしい話だ。万一敵対的な人類とかち合ったとき、同じ人間相手に剣は振れませんなんて抜かすようなら死ぬだけだ。

 しかも一団を組んで動く以上は連携が不可欠だ。そんな仕事を数名のチーム単位で動く冒険者に、しかも隊商の規模によっては数チームが当たらなければならない可能性がある護衛任務を依頼するのは不自然だ。

 そんなことするくらいならしっかり鍛えられた10人から30人の傭兵集団が居れば徒党を組んでの戦いでも安心できる。まあ中には冒険者でしかできないような依頼もあるかもしれないな。貴重な素材を取ってくるとか、サバイバビリティが必要とされる場面では冒険者に依頼することもあり得るだろう」

 

 むむむ、聞いているとますますあんな調査依頼なんて要らないんじゃないかって思ってきた。

 

「じゃあこの商人組合と冒険者組合の協力関係って、本当ならそこまでする必要のない協力関係ってことなの?」

「そういうことだ。そもそも冒険者は商店や宿を利用することが多いだろうし、それだけで商人側は儲けが出る。モンスター退治に出れば出るほど、依頼が多ければ多いほど需要は増すし冒険者が訪れる頻度が増すから利益が出るだろう。冒険者はお得意様だから少々オマケしたって懐が痛むほどじゃない。

 むしろ貴重な素材やアイテムを冒険者が持ってくればそれを買い取り、自身の販路を使って他所に売りさばくだろう。常にガッチリとお互いの手を取り合う一蓮托生の関係よりも、ある程度のサッパリとした関係のほうが割り切った考えができる。

 冒険者組合としても商人が自分で自分の身を守ってくれるから他の依頼に力を入れることができるし、多くの冒険者に実戦の場を与えることができるため必然的に冒険者のスキルアップになる。冒険者が生きて帰ってくるように手を尽くし、適正な難度の依頼を見極める必要はあるけどな」

「うーん……つまり、商人は本来自分で自分の身を守る方法があるのに、わざわざ冒険者組合に頼んでるってこと? 冒険者も商人には自分で自分の身を守ってほしいけど、その依頼を敢えて受けてるっていうこと?」

「なんだかんだ言ってるけど、あくまで予想だし可能性としてあり得るってだけのことだ。もしかすると身元の知れない粗暴な傭兵集団なんかが問題になったことがあって、エ・ペスペル内部で商人組合、冒険者組合、行政府が結託して仕事を全て独占することで、傭兵集団がエ・ペスペルの経済活動に入り込む余地を無くしたのかもしれない。仕事が無いのなら傭兵なんて家業は廃業するか野盗に成り下がるしかない」

「……それって一歩間違えれば冒険者も野盗になりかねないってことなんじゃ……?」

「そうとも」

 

 うわーん! 聞かなきゃよかったぁ! ああ、せめてボクたちにはちゃんとしたお仕事がありますように……! 

 

「で、ここで先ほどの商人と冒険者の関係だと損をしてるのが行政であり頭目たる領主だ。兵士を定期的に村々へ巡回に出し、安全確認や補修作業などをすることになるとその分経費がかかる。しかも常に巡回部隊を出さなければいけないからエ・ペスペル防衛に当たる兵力そのものが減る。

 巡視先で戦闘でもすれば兵力は損耗し、武器なども失われるとなれば損失は大きくなるばかりだ。死んだ兵士の遺族には手当てを出すのが普通だから、更に金がかかる。聞けばバハルス帝国と何度も戦争戦争とやりあっているらしいから、軍費は頭痛の種のはずだ。

 そんなとき、金のある商人組合が、仕事を欲しがっている冒険者たちに、簡単だけど面倒な街道の巡回やモンスター出没頻度の調査や間引きなんかを定期的に出す────つまり兵士たちがやっている仕事をいくらか肩代わりしてくれるとなるとどうなる?」

「……そっか! 兵士が巡回に出る回数が減るし、戦死者も減らせるし、街の防衛に力を入れられる! たくさんの兵士の訓練ができるようになるから兵士を鍛えられる! 

 あれ、でも冒険者組合って“中立性の維持のため国家運営に関する活動に参加しない”ってアリシアが言ってなかったっけ?」

「そう、そこがミソなんだ。エ・ペスペルの行政が依頼したのではそれは“国家又はそれに準ずる組織”からの依頼になってしまう。だが商人組合からの“安全な商取引のための街道警備”という依頼になれば、それは民間組織からの依頼になるから抵触しないってことだ。

 だから今も街道に少数ながら巡回の兵士が居るわけだ。そうすることで兵士のほうが“公務”になり、冒険者の活動は“組合の活動”になるんだからな。

 この仕組みを考えたとなれば間違いなくエ・ペスペルを領有する人物か、領内の施策に口出しできる人物……そしてそれに繋がっているお抱えの商人が候補に挙がってくる。領主としては軍務にかかる予算を減らせて嬉しいし、何より兵をいつも大量に抱える必要が無い。この仕組みに口利きしただろうお抱え商人も何らかの形で利益を得ているはず。そしてエ・ペスペルの行政府を統括する人物……市長あたりも何かしらの恩恵を享受しているんだろうさ」

「……ボクたち、冒険者の依頼を受けたんだよね……? 本当に、これって冒険者の仕事なんだよね? それなのに、助けを必要としてるたくさんの人のためじゃなくて……一部の人が得するだけのことに手を貸すなんて──」

「ヒビキは本当に優しいなぁ」

 

 ユウくんの手のひらがボクの頭をくしゃりと撫でる。俯いたままのボクの頬にユウくんの手が触れ、指先が目じりに溜まった涙をぬぐい去っていく。

 顔を上げて見えたのは初めてボクがユウくんと会ったときに見た笑顔。髪の色も瞳の色も変わってしまっているけど、ユウくんがボクにとってのヒーローになったあの日に見た笑顔だ。

 

「確かに俺たちがこれからする依頼は誰かの思惑で仕向けられたものかもしれない。だけど街道には実際に人が行き交っていて、実際にその背中にまで危険が迫っているかもしれない。

 俺たちがやるのは、その人たちの背中に迫る不埒な輩の影を追いかける仕事だ。俺たちがそいつらを見つければ巡回兵に連絡して対処してもらえるし、俺たちで対処できる数ならその場で安全を確保することだってできるし、もしかしたら襲われてる場面に遭遇するかもしれない。

 そんなとき俺たちが居合わせていたらその人たちを救うことができるし、俺たちがそのモンスターを仕留めれば他の旅人が襲われずに済むんだ。俺たちがしっかりと巡回することで、誰かの明日を守ることができるんだ。それだけは天地がひっくり返っても確かなことだ。

 誰かのために何かをやりたいというその気持ちは大事なものだ。本当に……ヒビキは優しくていい子だ」

 

 ボクたちの仕事が誰かの明日を守れる。……きっと、これこそが……ユウくんがリアルでずっとPMCで戦ってきた理由なんだ。そして今もボクやレーナ、グリプスホルム村のみんなに向けられている気持ちなんだ。明日を守るために、ユウくんはずっと戦ってきたんだ。

 

「……ありがとう、ユウくん。もう、大丈夫だよ」

「ほんとか? 泣き虫ヒビキ?」

「そ、それはっ、昔の話だから!」

「へぇ~……泣きそうだぞ、お前?」

「──ッ! ユウくんがっ! ボクが泣きそうになること言うからだよ!」

「あぁっ、拗ねるなよ! ほら! 後で甘いものでも食べに連れてってやるから!」

 

 ほんと、ちょっとイジワルな……ボクのヒーローだ。



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