どうやら俺はテンプレ能力を持って転生したらしい (通りすがりの外典マン)
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イグナイト家の無能

一巻の部分はプロローグに近いです。何か不快になる表現等あるかもしれませんが、暖かい目で見守ってくれたらなと思います。
ちなみに原作知識割りとガバガバです。明らかにおかしい点などがあればご指摘して頂けたらなと。






 

 

 

 唐突だが、俺は正義と言う言葉が嫌いだ。正義の味方が嫌いだ。これはある種のコンプレックスと言ってもいいのかもしれないし、心的外傷(トラウマ)の一つですらあるのかもしれない。

 

 まあそのような些末なことは置いておくとして、取り敢えず"正義"というものが嫌いだと言っておこう。だが今ここで俺が言っている"正義"とは道徳的、或いは倫理的な良識のことを言っているのではない。ああいったものを正義と呼ぶのは些か堅苦しい。例えるなら、車道に飛び出た子供を咄嗟に引き戻す、その行為は果たして"正義"と声高に叫ばれるものなのだろうか? 大多数の人間は小首を傾げるに違いない。

 では俺が今糾弾している"正義"とは何か。それは自己正当化のために使われる"正義"だ。戦争の肯定に使われる正義だ。殺人の肯定に使われる正義だ。自らの信念をもってして道理に叶っていると判断する、極めて利己的かつ自己中心的な性質を持つ"正義"が──心の底から嫌いだ。

 

 言ってしまえば、そういった人々が口にする"正義"とはただの言い訳に過ぎないのだ。即ち自己正当化のための文句に過ぎず、童話に登場する正義の味方とやらも悪を──主人公が悪と断定する存在を裁く、或いは殺すことを正当化するためのレッテル張りなのである。だからこそ間違っている、と俺は言おう。

 人を殺すのに正義など要らない。そんな自分も信じていないような言い訳をするくらいなら、潔く「殺したいから殺した」と言ってしまえばいいのだ。万人が認める正義(言い訳)など有りはしない。この世界に正義など在るわけがない。

 

 だがそれでも正義はある、と言い張る輩がいるとしたら。仮に正義という概念が存在するのだとしたら、この世界の全てが正義だということになってしまう。道理で納得できることの全てが正義だとすれば、正義とは主観的判断の究極に他ならず、つまり無数の主観はその時点でそれ自身の正義を抱くに足るということなのだから。

 この世界は正義などない──若しくは正義しかない。二者択一、零か無限、ならばそこに正義という言葉の存在意義などありはしない。だからこそ、俺は安易に使われる正義という言葉に「馬鹿馬鹿しい」という反応を返すのだ──。

 

 

 

 

▲▽▲▽▲▽▲▽▲▽▲▽▲

 

 

 

 

「……っと、ちょっと! 聞いてるの!?」

「あぁ……?」

 

 聞き慣れた──真に不本意なことに聞き慣れてしまったクソ喧しい声に意識が浮上する。耳に刺さりやすい高音、机を叩く音とともに伝わる震動。

 

「システィ、きっとイグナイト君も疲れてるんだと思うよ? だからそっとしてあげといた方がいいんじゃあ……」

「そうは言ってもね、今日は臨時とはいえ新任の講師の方がいらっしゃるのよ? それを初っぱなから居眠りだなんて、私達まで悪く思われるでしょう!」

 

「……分かった、起きる。だから少し音量を下げろ、フィーベル」

 

 本当に喧しい。そして新たな講師……担任講師が来る、という新しい情報は初耳だ。そんなこと言っていただろうか──いや、寝てたからわかんねぇわ。

 

「ようやくお目覚めってわけ? 本当にいいご身分ね、シェロ=イグナイト」

「ちょ、ちょっとシスティ……」

 

 システィーナ=フィーベル。

 大貴族フィーベル家の令嬢であり、現時点で"学院で彼女にしたくない美少女ランキング"の第一位に燦然と輝く銀髪の少女を見上げ、俺は欠伸を噛み殺す。そろそろ学べばいいものの、毎度の如く説教をかましてくる辺りが"説教女神"の二つ名の所以だろう。見た目こそ悪くないくせして男子からの受けが非常に悪いのもこれが原因だ。

 

 そしてその横で件のフィーベルを諌めている金髪の美少女こそ、"彼女にしたい美少女ランキング"第一位ことルミア=ティンジェルだ。通称大天使ルミア様。いいぞもっと言え。そしてこれからもこの死ぬほど喧しい銀髪を抑えて欲しいものである。

 

「それで、何か言うことはないの?」

「……ふむ。確かに今のは俺が悪かった。授業中に居眠りするのは決して褒められたことじゃあないな、反省しよう」

「何だ、わかってるんじゃない。例えあなたが()()()()()であったとしてもこのクラスの一員であるからには」

 

「ああ。山より深く、海よりも高く反省した。だから寝てもいいか?」

「何もわかってないじゃない──!?」

 

 火に油を注いでしまったらしい。

 

 やっべー、っべーと呟きながら視線を逸らす。その先には苦笑いする大天使の姿があり、更に向こうで友人のカッシュと目が合う──あ、逸らしやがったあんにゃろ。後で追求しよう。

 

……しかし、本当に眠い。昨日少し夜更かしをしたのが祟ったのだろうか。

 

「って、あんた聞いてるの!?」

「聞いてますん」

「どっちよ!?」

 

 声枯れねぇのかなぁ、という感想を抱きつつこっそり欠伸する。だがしっかりバレていたようで、システィーナ=フィーベルはきゅっと唇を噛んで此方を睨み付けた。

 

「……どうして、そんな様になったのよ」

 

 か細く呟かれたその言葉。一瞬俺は言葉につまり、そして無理矢理口角を吊り上げる。

 

「そんなも何も俺は最初からこうだっただろ、"フィーベルさん"」

 

 おどけた風にそう言えば、フィーベルの視線が一層強まり──そして弱々しく目を伏せた。今まで見たことのないその態度に少しばかり驚いていると、そのまま背を向けて自分の席へと戻っていく。

 

……何だかなぁ、と思いながら揺れる銀髪を見つめ、俺は溜め息を吐いた。

 

「落ちこぼれ……落ちこぼれ、ねぇ」

 

 違いない、と一人ごちる。イグナイト公爵家に生まれながら、ろくに基礎的な魔術も扱えない欠陥品。唯一使い物になる錬成も人並みに毛が生えた程度のもの。確かに俺は"落ちこぼれ"だ。

 

 

……ああ、そう言えば自己紹介をしていなかったか。

 

 俺の名前はシェロ=イグナイト。得意なのは居眠り、好きなものも居眠り。

 ついでに言うと──転生者、というやつだ。







テンプレテンプレ。


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グレン=レーダスとかいう有能講師

 

 

 

 

 結論から言おう。新任の講師であるグレン=レーダス先生は近年稀に見るほど(あくまで俺にとってだが)優秀な先生だった。やったぜ。わざわざ自習、もとい昼寝の時間をくれるのだ、これを使わない手はない。

 ちなみにいつも喧しい銀髪は俺よりレーダス先生を説教対象として優先しているためこっちに来ることはない。俺の安眠を邪魔する者は誰もいないのだ、誰も......。

 

「......、............。あの、無言でこっち見るの止めてくれません?」

「あ、ごめん。起きてたんだ」

 

 ルミア=ティンジェル。テンプレ染みた金髪美少女大天使がじっとこちらを見ていては流石の俺でも居心地が悪い。

 

「今自習の時間でしょうに」

「それをイグナイト君が言っちゃいけないと思うんだけどね......」

 

 その言葉に肩を竦めて応える。自分が如何に不真面目かは理解している。理解はしているのだが──やはり眠いもんは眠い。そして、()()()()()()()()無駄なものは無駄なのだ。

 

 シェロ=イグナイトに普通の魔術をまともに扱うことは不可能だ。それはある種の呪いであり、先天的なもの。

 

「俺は"無能"ですからねぇ。一応魔術学院に預けられはしても、まあギリギリ卒業できれば御の字......ってとこかと」

「......だからと言って、最初から諦めるのは違うと思うけど」

 

 天使にしては珍しく、不快感を含む声色だ。やはり真面目なのだろうな、と俺は薄く笑った。真面目で、まともで──そして普通の才能がある。

 

「そーっすね。ま、落第しないためにも筆記の勉強でもすることにしますわ」

 

 適当に、軽薄に。へらりと笑ってそう受け流し、新品に近い教科書を机の上へと広げる。そうして理解することもなく文字列を目で追い始めると、何処か諦めたような溜め息が耳に届いた。

 そして、小さな呟きも。

 

「......これじゃ、システィがあんまりだよ」

 

 黙殺する。

 システィーナ=フィーベルなど俺は知らない。"イグナイト家の無能"は何も知らないのだから。

 

 

 

 

 

 

 グレン=レーダス臨時担任講師による適当極まりない授業が始まって一週間。最早授業をろくにするつもりもないその態度についにフィーベルがキレた......らしい。勿論俺はうたた寝をしていたため知らない。カッシュに肩を叩かれてようやく気が付いたくらいなのだ。

 

「どっちが勝つと思う?」

「そりゃレーダス先生じゃねぇの? 流石に学生に負けることはねーだろ......というかそうあって欲しい。俺の寝る時間を奪わないで」

「ほんっとブレねーよな、シェロって」

 

 カッシュ=ウィンガーはそう言って苦笑する。彼もそこまで魔術が得意というわけではないが、流石に俺よりはマシだ。

 たまに座学の宿題を俺が教え、実践的な魔術行使をカッシュが俺に教える──まあ俺が成長する傾向は欠片も見られないのだが──そんな感じの俺の数少ない友人だ。俺が本当にどうしようもなく魔術が使えないことを理解している数少ない人間、と言い換えることもできる。

 

「ほら、そろそろ始まるぞ」

「負けないよな......まさか負けないよな?」

 

 何となく感じた嫌な予感。まるでやる気の無さそうなレーダス先生の背中に漠然と抱いた不安感は──。

 

「ぎゃああああああ──っ!?」

 

「ウッソだろオイ」

 

 ものの見事に的中した。ついでにショックボルトも命中した。ぷすぷすと焦げたような黒い煙を上げる様は何とも滑稽だが、昼寝の時間がかかっているこちらとしては全く笑えない。

 

「え、ええー。これどうなんのよ」

「い、いや、これはオレも予想してなかったというか......」

 

 隣を見れば、カッシュも困惑している。仮にも講師、負けることは万が一にもないと考えていたはずなのだが。

 

「ふぐっ、不意打ちとは卑怯な……!」

「えっ!? いつでも掛かって来いとか言ってませんでしたっけ!?」

「だがしかぁし! 今のは先生からのハンデだ! 三本勝負のうち一本をくれてやったに過ぎない......次からは本気だかんな!」

「三本勝負とか初耳なんですけど!?」

 

 何かいちゃもんつけて三本勝負に引きずり込んでいた。いいぞもっとやれ。

 

 だがそんな俺の密かな応援とは裏腹にレーダス先生はろくに回避することも出来ず──というか仮にも雷速なため回避は不可能、必然的に速打ち勝負になるのだが、弁護のしようもなくフィーベルに滅多うちにされていた。これは酷い。というかフィーベル自身が困惑していた。みんな唖然としていた。俺は絶望していた。

 

「と、ともかく! 決闘は私の勝ちです。約束通り、先生には真面目に授業をしてもらいます!」

「は? なんのことでしたっけ? バカスカ電撃叩き込まれちゃったから記憶があやふやだなぁ〜」

「なっ、魔術師同士で交わした約束を反故にするつもりですか!? それでも魔術師の端くれなの!?」

 

......確かに、決闘前にしていた約束を反故にすることは言語道断だろう。魔術に対して壊滅的なほどやる気のない俺でもそう考えたが、そう言われた本人はケッ、と吐き捨てるように言った。

 

「だって俺、魔術師じゃねーし」

「はぁ!?」

 

 屁理屈ここに極まれり。流石に眉の根を寄せざるを得ないが、果たして反故にされた本人はどんな思いを抱いているのか。

 

「......っ、最っ低......!」

 

 逃げるように去っていく背中に、果たしてその罵倒は届いたのだろうか。

 何処か白けたような空気の中、俺は唖然としているカッシュの肩を叩き、帰ろうぜ、と校舎を示すのだった。

 

 

 

 

 

 

 それから、別段レーダス先生の態度が変わることはなかった。俺としては嬉しい限りなのだが、神聖な決闘──少なくともフィーベルはそう思っているであろう──による約束を反故にされたフィーベルを見ていると若干同情の念が沸かないこともない。が、それでも居眠りする辺りが俺が"イグナイト家の無能"である所以なのだろう。

 無駄な努力はしない主義、押して駄目なら諦めよう。やはり人間得意不得意があると思うし、魔術は俺以外の人間が頑張ってくれる。適材適所っていい言葉だよね!

 

 そんなことを考えながらぐっと伸びをする。今日はそこまで眠くはない。珍しいこともあったものだと我ながら思っていると。

 

「──そんなに偉大で崇高なもんかねぇ、魔術って」

 

 そんな言葉が教室に響いた。

 

「何を言うかと思えば......」

 

 ふとレーダス先生が溢したその言葉に反応し、まさしく立て板に水の如くフィーベルが魔術について語り出す。そのご高説にはほーん、と感心する部分がいくつかあった。というか真理を追求するために魔術ってあんのか、初めて知ったんだけど。単に楽したいためにあるんじゃなくて?

 

「世界の真理を追究した所でそれが何の役に立つんだ?」

 

 それ言っちゃ駄目なやつじゃねーの。

 思わず口をついて出そうになったその台詞を慌てて飲み込んだ。いや、でもそれ言っちゃ駄目でしょ。例えるなら理学部進んで数学者になった奴に対して「で、それ何の役に立つの?」って訊くようなもんだぞ。

 

「より高次元の存在って何だよ?神様か?」

「そ、れは......」

 

 それは俺も知らないから教えて欲しい。というか神様ってマジでいるのか。確かに神殺しを為した魔術師の話とかはたまに聞くが、あれお伽噺とかそんなんじゃなかったのか。

 

「例えば医術は人を病から救うよな。農耕技術、建築技術。人の役に立つ技術は多い。だが魔術は?何の役にも立たないってのは俺の気のせいか?」

「魔術は......人の役に立つとかそんな次元の低い話じゃなくて......!」

 

「あー、悪かった。嘘だよ。魔術はすげー役に立っているさ──」

 

 そこで一拍。まるで演劇の俳優のように教室全体を見回し、そしてグレン=レーダスは顔を歪めた。

 

「人殺しに、な」

 

 瞬間、教室内の空気が凍った。

 

「剣術で人を10人殺してる間に魔術は100人は殺せる。こんな単純で簡単な方法は無いぜ?だってこれは世界中でやってることだ。なんでこの国が魔術国家として未だに他国から滅ぼされないと思う?魔術の力、いわゆる軍事力があるからだよ。今も昔も魔術と人殺しは切っても切れない腐れ縁だ」

 

......確かにそれは決して否定することの出来ない側面だ。以前生きていた頃、まだこんなファンタジーな異世界に転生してしまう前には"科学は戦争によって発展してきた"と豪語されていたが、ここでは科学が魔術に入れ換わっただけだ。

 

 まぁ、それも魔術の側面の一つ。魔術の全てがそうだと言うには些か短絡的に過ぎる、とは思うのだが──。

 

「魔術は人を殺すことで発展してきたロクでもない技術だからな。まったくお前らの気が知れねぇよ。こんな人殺し以外何の役にもたたん術を勉強するなんてな!」

 

 最早極論に近い。魔術講師らしからぬ言葉を吐き捨て。

 

「お前もこんなくだらんことに人生費やすならもっとましな」

 

──パァン!と。乾いた音が教室中に響き渡った。一瞬何が起きたのかわからなかったが、フィーベルの体勢からようやく事態を察知する。

 

「──大っっ嫌い!」

 

 そう言い残し、銀髪を振り乱して教室を飛び出していく少女。頬を抑えた男は苦虫を噛み潰したかのような顔で同じように教室を出ていき、乱雑に閉められた扉の音を最後に静まりかえった。

 

......。

............。

 

......え、なにこの空気。

 

 結局硬化した空気は変わることなく、俺はどうしようもなくふて寝を決め込むのだった。ちなみに寝心地は久々に最悪だったと言っておこう。







はいはいテンプレテンプレ。


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開幕は謝罪安定

 

 

「昨日はすまんかった」

 

 

 開幕から謝罪で始まったが、久々に──というかレーダス先生による初めてのまともな授業が始まった。解せぬ。今日も自習じゃないのかよ。そう内心で文句を垂れ流してはいたのだが──。

 

 結論から言おう。割りと面白かった。

 今までの授業はなんというか、思いっきり教科書を朗読するようなそのまんまな授業であり、まさしく大学の授業に酷似していたのだが......グレン=レーダスによるショックボルトを例にした基礎的な魔術の応用はろくに魔術を扱えない俺からしても非常に興味深いものだった。久々に寝なかった授業である。

 

「まあ、結局俺はショックボルトすらろくに出ないんだけどな!」

「一応出はするだろ? ほら」

 

 詠唱すれば、そりゃ出るには出る。だが出力も精度も壊滅的というか、これでは十メートル先の的にすら当たりはしない。石でも投げた方が命中率高いぞこれ。

 

「カッシュ、その才能を俺に分けてくれ」

「いや、これは才能というか......むしろシェロの才能がマイナスに振りきれてるとしか思えないような......」

「うん、俺もそう思うわ」

 

 全くもって同意である。何をすればここまで壊滅的になるのかさっぱりわからない──いや、原因に関してはある程度目処がついているのではあるが。

 

「唯一使い物になるのが錬成系、それでもギイブルには負けるしな」

「ギイブルは明らかに天才肌だろ? あ、いや、天才と言えばフィーベルさんかな」

「............フィーベル、ねぇ」

 

 確かにあれは天才だろう。学生、それも二年次生の段階で第二階梯を取得するなど余程の才覚がない限り不可能。少し俺に分けて欲しいレベルだ。

 

「ま、俺に比べりゃ大体の奴が天才さ。つーわけでカッシュ、授業の時に言ってたやつ全部再現してみてくれよ。四節に区切るとこから、ほれ」

「地味に結構な数注文してくるな......!」

 

 それでも付き合ってくれるあたり、カッシュは本当に出来た人間である。

 

 

 

 

 

 

 それから数日。たった数日だが、グレン=レーダスという非常勤講師の株は鰻登りである。何より授業が他の講師に比べて面白い。他クラスからやって来て立ち見する生徒まで続出するほど、と言えばその凄まじさがわかるだろう。それでもわからない? ここ最近俺が居眠りしていない、と言えばわかるだろうか。奇跡に近い。

 

 だからだろうか。最近夜更かし+居眠りゼロという自然の摂理から逸脱した行為を為していたせいか、今日の俺は珍しくまんまと寝過ごしてしまったのだ。ガッデム昨日の俺、もうちょいはよ寝ろや。遅刻すると事務の方にいる教師に捕まった場合非常に面倒なのだが──致し方あるまい。今回は甘んじて受け入れよう。

 

 そうして遅刻の言い訳を五、六個考えながら道を駆ける。......だが学院の手前まで来ると同時に、何となく違和感を抱いた。決定的に何かが違う──そんな違和感を確信へと変えたのは、物陰から漂う鉄臭い空気だった。

 

「......おいおい、マジかよ」

 

 血溜まりに沈む守衛のおっさん──見慣れた顔のそれを見て思わず頬がひきつる。もうちょい平和な世界観じゃなかったのかよ、ここ。

 一体何が起きている──?

 

「っ、とぉ!?」

 

 加えて、校舎の壁を貫くようにして謎の光が飛び出す瞬間を目撃してしまう。何だあのビーム......てか何か人が墜ちていったような......?

 

「遅刻したと思ったらバトル漫画になってる......どういうことなの」

 

 困惑しかない。だがとりあえず戦っている人間がいるということは最低でも味方が一人以上いるということだ。現状を把握するべく、俺はいつもの教室が存在する、そして今しがたビームが飛び出てきた校舎へと駆け出した。

 

 

 

 

▲▽▲▽▲▽▲▽▲▽▲▽▲

 

 

 

 

 システィーナ=フィーベルは天才だ。それは万人が認める事実であったし、現に彼女は非常勤講師グレン=レーダスの要請に応じ、即興での魔術式の改変を行うことに成功している。これだけでも相当な難易度であることは確かであり、加えてグレンの意図を読んで陰からディスペルフォースを発動させたのだ。

 

 完璧だった。完全にレイク=フォーエンハイムという男を、五本の剣を自動操作する上で様々な魔術を駆使する男を封殺した──筈だったのに。

 

「か、ふ......っ」

「なに、悔いる必要はない。貴様の作戦は完璧だった。愚者の世界は現に発動し、私は魔術を使用できない」

 

 事実だ。

 レイク=フォーエンハイムは一歩としてそこから動いてはいないし、魔術を使用してはいない。

 少なくとも()は。

 

「ただ、私の慎重さが功を奏した、というだけの話だ。不運だったな、グレン=レーダス......いや、【愚者】のコードネームで呼んだ方がよかったか?」

「はっ......この、チキン野郎が......!」

 

 レイクが五本しか剣を操れないとは誰も言っていない。万が一を想定して屋外へと待機させておいた二本の剣──それはシスティーナ=フィーベルによるディスペルフォースの影響下にない。また起動済の魔術には対応不可能である"愚者の世界"の性質により封殺することも出来ず、グレン=レーダスは完全に"詰んだ"ことを理解した。

 

「臆病で結構。私がここまで生きてこれたのはこの生来の臆病さ故だ。貶される謂れはない」

 

 狡猾にして用意周到。テロリストの中でもかなり頭がキレるこの男を倒せるのは、学院の中ではあのセリカ=アルフォネアくらいのものではなかろうか。

......いや、そのセリカ=アルフォネアを警戒して彼らはこのタイミングを狙ったのだろう、とグレンは思い至る。後は自分さえ始末すれば邪魔する者は誰もいない。たかが生徒など障害にすらならない。

 

 ズルリ、と。自身の体から二本の剣が引き抜かれたのを自覚するのと共に、グレンの意識は闇へと落ちた。それも当然と言えば当然だろう──胴体に風穴を二つ開けているのだ、むしろ即死していないことを喜ぶべきだ。

 

......グレンのゴキブリ並の生命力をもってしても、この出血量では五分以内に処置を終えなければ為す術もなく死ぬ。そう判断したレイク=フォーエンハイムは唇を震わせて立ち尽くす少女へと向き直る。

 

「......さて、残りは君か。その年で即興の改変を行い、加えて優れた状況判断能力を持ち、土壇場でディスペルフォースを行使する胆力もある。本当に大したものだ──」

 

 絶対零度の瞳に呑まれ、システィーナの膝が笑う。かつてグレンの言っていた『魔術は人殺しの道具だ』という言葉が鮮明に再現される。同時に納得した。ああ、あれは人殺しの魔術師だと。

 自分が神聖視していた魔術を、道具として使い潰す存在なのだと。

 

「"だからこそ"死ね。貴様はこの先、必ずや我々の障害となるだろう。復讐の芽など摘んでおくに限る」

 

 第四階梯のテロリストはそう呟き、動かないシスティーナへと二本の剣を殺到させる。最早動けない。何も出来ない現実に打ちのめされ、魔術がまさに殺人の道具として行使されている事実に叩きのめされたシスティーナは絶望の底で瞑目し──。

 

 

 

「──っ、馬鹿かテメェはッ!」

 

 

 怒鳴り付けるその男を、驚愕を以て見つめた。

 

 

 

 

 

 

 あかん、死ぬ。マジで死ぬ。というかレーダス先生が現在進行形で死にかけてる......どうなってんのこれ?

 そして、何でこいつは全く動く気がないのだろうか。

 

「あの状態で動かないとか死ぬ気か!? ......本当、どうなってんだ......!」

「だ、だって──私、何も......先生もっ!」

 

 取り乱した様子でそう譫言のように言うフィーベルを見下ろし、「あぁ、これ駄目だな」と判断する。こいつは恐らくもう戦えない。まあ冷静に考えても、いくら天才とはいえ良家の子女が命張って戦える方がおかしいのだが。

 

「......わかった、落ち着けフィーベル。状況を整理しよう」

 

 ()()()()()()冷静な自分に嫌気が差しつつ、瓦礫の陰でフィーベルにゆっくりと話しかける。この状態では急かすと逆効果だ。

 

「簡単な話だ。あいつは敵で、レーダス先生は死にかけてる。そうだな?」

「ぇ、えぇ......私のせいで、グレン先生は」

「落ち着け。今はお前の責を問うとかそんな時間じゃない」

 

 酷く単純(シンプル)な話だ。難しいことなど一つとてない。

 

「俺がアレの気をひく。その間にお前がレーダス先生を助ける。それで万事解決だ、いいな?」

「は──ぇ、何で」

 

 基礎魔術──行使不可。まず俺の実力じゃ当たらないし、詠唱している間に死ぬ。ただの錬成などクソの役にも立たない。よって俺自身が生き残るためにも、忌々しいことだが選択肢は一つしかない。

 

「だ、駄目よ! 落ちこぼれのあんたに何が出来るって言うの!?」

「......ま、普通はそうだろうな」

「あんたまで、あんたまでグレン先生みたいになったら、私は......!」

 

 不味い。時間がないにも関わらず、フィーベルは錯乱している。目の前でレーダス先生が瀕死になったのだから当然かもしれない。だが今はそんなことで言い合ってる暇などない。

 

「っ!?」

 

 だからこそ、俺はフィーベルの頬を挟み込むようにして叩いた。そして目を白黒させるフィーベルを他所に言葉を紡ぐ。というかこいつの頬っぺたやわこいな。

 

「四の五の言ってる暇はねーんだよ、システィーナ=フィーベル。死にたくなくて死なせたくないならやれ、いいな?」

 

 鼻を突くような血の臭いに頭は酷く冷静になっている。オーケー、俺ならやれる。俺は瓦礫の陰から立ち上がり、その男の前へと姿を現した。

 

「......ふん。まだ学生がこんな所に残っていたとはな。作戦会議は終わったか?」

「ああ。そんでもって、何とか見逃して欲しいんだけど」

「却下だ。生かす理由がない」

「ですよねー......」

 

 ダークコートの男の周囲に漂う二本の剣。むしろ鉄塊と言うべきそれへと視線を向け──ズキリ、と脳が鈍痛を発する。

 

......怖い。別に死ぬことが怖いわけではない。だが、自分が他のナニカへと変貌してしまうのが酷く怖い。死なないために、今まで封じてきたそれへと手を伸ばさざるを得ないのが──これ以上なく恐ろしい。

 

「運がなかったな。恨むなら、己の間の悪さを怨んで死んでいけ」

 

 そう言い終わるが早いか、放たれた二振りの剣が此方へと迫る。陽光を反射しながら煌めく剣は柄にもなく美しいと思ってしまって。

 

──緩慢になった世界の中で、その言葉はいとも容易く滑り出る。

 

「《体は──》」

 

 ギチリ、と。歯車がどうしようもなく噛み合った。

 

「《剣で出来ている》......!」

 

 創造理念──鑑定。

 基本骨子──解明。

 構成材質──複製。

 製作技術──模倣。

 成長経験──共感、失敗。魔術の習熟に関する共感は不可能。

 蓄積年月──再現、失敗。未だこの領域には届かない。

 

 だが。ただ放たれる剣を叩き落とす程度、こんな半端な投影であろうと事足りる──!

 

「ハ──ッ!」

 

 その質量を中空で掴みとり、飛来したそれへ全く同質の剣を叩き付け、弾き飛ばす。片手で持つには僅かに過重ではあるが、振るえないほどではない。

 

「何だと......!?」

 

 驚愕に目を見開くダークコートの男。だがそれに目を向ける余裕などなく、俺は震える呼気を圧し殺す。

 

 ああ──気持ち悪い。ぐちゃぐちゃに魂が犯されていく感覚が気持ち悪い。自分が違うナニカへと置き換わっていく感覚が気持ち悪い。俺のものでない心象が流出するのが気持ち悪い。

 俺という存在が、シェロ=イグナ■トという男が■ミ■■■■に侵食されていくのが──吐き気がするほどおぞましかった。

 

「高速武器錬成......? いや、最早それはそんな領域にない。貴様、今何をした?」

「......さぁ、な。悪ぃが、この状態は維持したくないんでね」

 

 だからこそ早急に殺す。投影したばかりの巨大な双剣を投擲し、俺は吼える。

 

「《投影(トレース)──開始(オン)》!」

 

 魔術式など生温い。錬成を通り越した超速の投影で以て叩き潰す。再び投影した重みを確かめるように振るい、前へと飛び出す。

 

「......驚きはした。だが、その程度の手品で私を倒せると思うなよ!」

 

 投擲された剣を回避し、ダークコートの男は此方を睨み付ける。

 再び舞い上がる二振りの剣。そうして、剣撃の応酬が始まった。

 

 

 




漸く主人公のバトルシーン。そしてテロリスト三号が何か強化されてる。是非もないネ!


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だから俺は──。

 

 

「何、あれ」

 

 システィーナ=フィーベルは信じられない思いでその光景を見つめる。金属が軋みながら削りあう音の元凶、あの気に食わない男子生徒が高速で飛来する剣を叩き落としていく様は、まるでいつも居眠りをしてばかりのシェロ=イグナイトとは思えない。

 

 加えて先程の錬成も異常だ。たった一節──いや一節にすら満たないレベルの略式詠唱、単語に近い術式であの精度、あの速度の錬成を行うなど人間業ではない。とてもではないが、あの"落ちこぼれ"のシェロ=イグナイトがギイブルどころかあらゆる魔術師を遥かに上回るほど錬成に長けているなど信じられなかった。

 

 だが、事実として彼はあのダークコートの魔術師と互角に──端から見れば互角に見える程度には戦えている。

 

「あいつ、何者なの......?」

 

 剣を叩き落とし、時折挟まれる攻性術式(アサルトスペル)を剣の腹で受け止めることで防御し、瞬時の錬成によって破損した剣の代わりを生み出しながら迫っていく。

 

「......っ、それよりグレン先生は!」

 

 目の前の光景に呑まれていたシスティーナだったが、我に返ると同時に瀕死のグレン=レーダスを探す。そしてあのダークコートの男から少し離れた位置で血溜まりに沈む黒髪を見つけ、ぐっと唇を噛み締める。

 

「駄目......まだ近い」

 

 あのテロリストの男に近すぎる。どうにかシェロが引き離そうとしてはいるが、あの傷は一刻一秒を争う深さだ。悠長に待っている暇はない。

 

 つまり。あの男を倒す他に、グレンを助ける手立ては存在しないのだ。

 

「──無理よ、そんなの」

 

 みっともなく震える己の手を見つめ、システィーナ=フィーベルは自嘲する。これは恐怖だ。失敗したらどうするという恐怖。己が行動しなければ人が死ぬという重さに対する恐怖。唐突に戦場へと放り込まれたことへの恐怖。術式を考えるどころではない。過呼吸にすらなりそうな状態で、システィーナは何もかも放り出して耳を塞ぎたくなる衝動に駆られた。

 

 あまりに理不尽過ぎる。みんな知ったことか。私が何故こんな殺し合いに巻き込まれなければならないのか。ぐるぐると渦を巻くその思考に絡めとられ、やがて力無くその手は地面に落ち──。

 

「がッ......!?」

 

 聞こえたその悲鳴に、弾かれたように顔を上げた。

 

「終わりだな。時間にして36秒、まあ持った方だと言ってやろう」

「あ、ぐ......!」

 

 さらに追加された剣で足を縫い止められ、動けなくなった所で肩を穿たれる。想像を絶する激痛の中で、シェロ=イグナイトはここまでか、と思いつつ顔を上げる。

 そしてシスティーナと視線が交錯した瞬間、ふっと笑った。

 

(────あ)

 

 システィーナの脳裏に甦るのは幼い頃の記憶。彼は知らない振りをしていても覚えている、まだ彼が"イグナイト家の無能"と称される前の頃の邂逅──。

 

 唇が僅かに動く。システィーナに読心術の心得はないが、何と言ったのか直感的に理解する。

 

「『頼んだ』じゃないわよ──シェロ」

 

 "イグナイト"ではない。そこにいるのは"落ちこぼれ"などではなく、システィーナの幼馴染みであるシェロだ。

 

「《猛き雷帝よ》」

 

 詠唱するのはショックボルト、ではない。ショックボルトでは足りない。故に求められるのは軍用魔術クラスの攻性術式(アサルトスペル)。ショックボルトに酷似した構成のこの術式ならば模倣は可能だとシスティーナは判断する。

 

──無論、失敗すればシェロもグレンも死ぬだろう。だが不思議と今のシスティーナには失敗する気が欠片もしなかった。

 

「《極光の閃槍以て》」

 

 システィーナ=フィーベルは近年稀に見る天才だ。故に──。

 

「《刺し穿て》──っ!」

 

 精神的重圧を克服した彼女ならば、ライトニングピアス程度(・・)の魔術を模倣するなど造作もない。完全に再現された軍用術式は見事に発動し、文字通り雷速でレイク=フォーエンハイムを強襲した。

 

「くっ、ライトニングピアスだと......!?」

 

 何故扱えるのか、とは問うまい。ただ扱えるという事実がそこにあるのみ。視界の端に咄嗟に写った術式展開光から咄嗟に剣を盾にして防御したレイクはシスティーナへと殺意を向ける。そして同じライトニングピアスを一節で詠唱しようと口を開き、

 

「ナイスアシストだ、フィーベル......!」

「ご、ほッ」

 

 その口から血が溢れ出す。信じられない思いで下を見れば、そこには剣の切っ先がある。そして仄かに光るそれは術式が起動していることに他ならず。

 

「馬鹿な......貴様、まさか」

「悪ぃが、最初の剣に仕込ませて貰ったよ。投影だけだと思って油断したな?」

 

 シェロ=イグナイトは嗤う。だが有り得ない、とレイクはそれを否定する。

 

「有り得ん、これは私の術式だ......! 到底学生風情が知り得るはずのない魔術、詠唱も貴様の前では見せてないというのに」

 

 そこでレイクはとある仮説へと到達する。だがそれこそ有り得ない。そんなまさか、この学生は──。

 

「私の剣を......術式ごと模倣したとでもいうのか? それも、たった一節の詠唱で」

 

 習熟している、などという領域ではない。これは全く別の何かだ。魔術の根本を犯す別の何か、原理不明のその正体は。

 

「......は、ははは!そうか、わかったぞ。貴様は魔術師などではない。貴様の正体は、異能──」

「少し煩いぞ、お前」

 

 最後まで言わせることなく、もう一振りの剣が背後から更に貫く。それが止めとなったのか、レイク=フォーエンハイムの体は一際大きく痙攣し──死んだ。瞳孔が開き、呼吸が停止した体が音を立てて崩れ落ちる。

 

 その様子に溜め息を吐き、シェロは体を貫く剣もそのままに膝をついた。

 

「シェロっ!?」

「うるせぇ、というかこっちじゃなくてレーダス先生の方に行け。あっちの方が数倍ヤバい」

 

 システィーナに血溜まりを指し示し、激痛に耐えながらもこれは抜かない方がいいな、と判断する。恐らく抜けば失血死する。痛かろうが剣が栓の役割を果たしているのならば──。

 

「......ああ、いや。こりゃ抜いても問題ないな」

 

 シェロは思わず苦笑いする。傷口を覗いた瞬間、自分の状態を理解してしまったのだ。厳密に言えば傷口を"内側から"塞ぐ無数の剣がギチギチと軋むのを見て理解した。

 

「けどまぁ、これを見られるわけにゃいかねーか」

 

 少し休もう。そう思い、瞑目し......そこでシェロ=イグナイトの意識は途絶えた。

 

 

 

 

▲▽▲▽▲▽▲▽▲▽▲▽▲

 

 

 

 

 荒野に墓標の如く突き立つ剣群。不吉にも黄昏時のような色をした空では巨大な歯車がゆっくりと回転し、時折何処からか鉄を鍛つ音が聞こえてくる。呆としてそれを見ていれば、ふと遠間に赤い人影が見えた。

 

──体は剣で出来ている。

 

──血潮は鉄で、心は硝子。

 

 

「......ハ。またこれかよ」

 

 侵食していく心象。投影を使う度に幼い頃から見てきた光景だ。まるで呪いだ、と俺は呟く。

 

 

──幾度の戦場を越えて不敗。

 

──只の一度も敗走はなく。

 

──只の一度も勝利はなし。

 

──担い手は一人、剣の丘で鉄を鍛つ。

 

──ならば我が生涯に意味は要らず。

 

 

 聞こえてくる詠唱に顔を歪める。そして、俺は吐き捨てた。

 

「俺は、正義の味方じゃない。なってたまるものか」

 

 

──その体はきっと、無限の剣で出来ていた。

 

 

 

▲▽▲▽▲▽▲▽▲▽▲▽▲

 

 

 

 

「......知らない天井だ」

「おお、目が覚めたか......その、何だっけ?」

 

 開口一番で割りと失礼なことを言ってくる隣人へと目を向ければ、そこには包帯でぐるぐる巻きのレーダス先生がいた。......何あれ? そしてよく見たら俺も同じようなものだった。

 魔術による治癒も万能というわけではない。恐らく再生した部位が安定するまで固定しなければならないのだろう。冷静に考えたら骨が幾つか逝ってるのは確かだし、横のレーダス先生に至っては思いっきり内臓抉られてたし。よく生きてるもんだとつくづく思う。

 

「シェロ=イグナイト。イグナイトでいいっすよ」

「イグナイト......まさか、公爵家の?」

「ええ、そうですよ。あの"イグナイト家の無能"ってのは俺のことです」

 

 そう言って鼻を鳴らす。大貴族の一つ、フィーベルほどではなくとも魔術の名門から輩出された無能、それが俺ことシェロ=イグナイトだ。

 

「てことは、お前ってイヴの弟なのか」

「......腹違い、ですけどね。笑えるでしょう? 妾腹の姉は特務分室室長に上り詰めるほど優秀な反面、正妻の子はこの様だ」

 

 故に──"イグナイト家の無能"。

 

「俺のことも知ってる......のか」

「ええ。これでも不思議なことに、姉弟仲は悪くないんですよ」

 

 才能があり傲慢な姉と、無能で腐った弟。だがこの二人は不思議と衝突することはなく、今でも顔を合わせれば世間話程度はする仲だ。

 

「元帝国宮廷魔導士団特務分室所属、執行者ナンバー0《愚者》のグレン=レーダス。噂程度には聞いてましたから」

「......何か言ってたか?」

「別に、何も。俺だって暫くして思い出したくらいですし」

 

 そう言って体を横に向ける。らしくもなく自分語りをしてしまった。折角好きなだけ寝られるのだ、今寝なくていつ寝るのか。

 しかし次の一言で、俺の目は冴えてしまった。

 

「なぁ、シェロ。お前、無能ってのは嘘だろ」

 

「......イグナイトでいいです。それに、何の話です?」

「イグナイトだとイヴと区別がつかないだろ。......白猫に聞いたぞ。随分と珍しい錬金術を使うんだってな」

「......あんのお喋り説教魔」

 

 思わず歯噛みする。後で一応言っておこう。

 

「その年で固有魔術に近いものを持ってるんだろ? もうちょい誇ってもいいと思うんだが、何で使わないんだ?」

「何でって、そりゃ......」

 

 そこで口ごもる。これで馬鹿正直に「使えば使うほど別人になっていくんです」とか言ったら根掘り葉掘り聞かれるに違いない。

 

「......デメリットがあるんですよ。だから俺は使わない」

「そうか。じゃあ仕方ないな」

「......は?」

 

 目をぱちくりさせる。ここまで綺麗に引かれるとむしろ気持ち悪いのだが。

 

「固有魔術にはデメリットがあるのもある。それくらい判ってるつもりだ、嫌なら聞きはしないさ」

「......随分と物分かりがいいんですね」

「これでも一応、教師なんでな」

「大人げなく女子生徒を言い負かしてビンタされてた人が何言ってんだか」

「......あれはその、まぁ」

 

 ゴホン!と咳払いをして仕切り直される。一応反省はしているということなのだろうか。

 

「と、とりあえず。お前を認めてるやつはいるんだ、自分で無能とか言って腐るなよ。少なくとも、その土壇場での根性と体力は平均より上だ」

「そーっすか」

 

 適当に流す。俺は熱血タイプではないのだ、適当にやって適当に卒業できればそれでいい。

 

「少なくとも、白猫はお前のことを認めてたぞ」

「............」

「期待に応えろとは言わないが、せめて授業は真面目に受けとけ。お前も落第したいわけじゃないんだろ?」

「......わかってますよ」

 

 もう話す気にはなれない。今度こそ俺は瞑目し、眠りに落ちるのだった。

 

 

 

 

 

 

 数日後。医務室のセシリア何とか先生が予想以上に優秀だったのか、俺は何の問題もなく登校できるようになった。欲を言うともう少しだらけた生活を続けたかった。ちくせう。

 

「よっ。傷は治ったのか?」

「ひさしぶりだなカッシュ。たっぷり養生させて貰ったよ......お陰で今日は全く眠くない」

「ははは。お前らしいよ、本当」

 

 肩を叩き、「退院祝いに何か奢ってやるよ」と言ってカッシュが離れていく。時計を見るともう鐘の音が鳴る直前だった。ガッデム。

 いつも通りに自分の席へと鞄を置き、新品同然の教本を机の上に出す。今まで枕代わりにして来たが今日から使ってやるからな。よーしよしよし愛いやつめ。何か端から見たら教本を撫でている変態にしか見えないが、別に教本に興奮しているわけではないのであしからず。でもよく考えたらあの講師教科書全く使わないよね。グッバイ教本。

 

 そうして教本を出して撫でて再び収めるという一連のプロセスを流れるように行い、さて次はノートを撫でるかと考えていると、ふと机の上に影が差す。 

 

「......別に今日は寝てねーぞ?」

「そんなのわかってるわよ」

 

 むっとした様子で此方を見下ろすシスティーナ=フィーベル。なら何の用なのだろうか。

 

「その......あの時は助かったというか──」

「そろそろ鐘鳴るぞ」

 

 ぶったぎるようにしてそう告げる。フィーベルは何とも言えない顔で数秒間俺を見つめた後、盛大に溜め息を吐いた。......え、なに?

 

「何も変わらないのね、あんた」

「変わらねーよ。だから寝ていい?」

「ほんっと変わらないのね......」

 

 呆れた風に言って、フィーベルはくるりと背を向けて自分の席へと戻っていく。一体何がしたいのかさっぱりわからない。俺は小首を傾げてその姿を見送り──そして、突然振り返ったフィーベルと目が合う。

 

「今日は寝るんじゃないわよ、"シェロ"」

 

 その瞬間、教室中の視線が俺に殺到した。

 その殆どが好奇の視線であり、中にはいくつか生暖かい視線が──特に大天使ルミア様のものが混じっている。そこで俺は漸く今の言葉の違和感の正体を悟った。......あんの説教魔め。

 

 と、そこで鐘の音が鳴り響き、レーダス先生が伸びをしながら教室へと入ってくる。

 

「おーっす。......よし、全員揃ってるな」

 

 ぐるりと教室を見回す黒い瞳。そして俺と目が合った瞬間、レーダス先生はふっと笑った。

 

「んじゃ、今日も授業始めるぞ!」

 

 

 

 

 

──嗚呼。きっと、俺は彼女にかつて逢ったことがあるのだろう。決してそれは忘れたわけではない。忘れたのではなくて、きっと"奪われた"のだ。

 歯車が回る。剣が軋む。無限の剣の世界は、使う度に俺の記憶すら削り喰らっていく。

 

「......糞ったれが」

 

 だから俺は、正義の味方が心底嫌いだ。

 

 

 





システィ若干強化。そしてやっとプロローグ代わりの一巻相当が終了。わーいテンプレ展開だぁ!エミヤの能力でチート無双だぜ!(白目)


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働いたら負けな気がする。

わーい、何かいつのまにかお気に入りやたら増えてる。ついでにギイブル君の名前修正しました。ごめんよ眼鏡、原作読んでようやく気付きましたわ。
ちなみに主人公の見た目は思いっきり士郎です。赤っぽい茶髪な感じの。しかし段々と白髪が増えてきて......?







 

「《投影(トレース)開始(オン)》」

 

 たった一節。それだけで脳裏に三次元的理解を越えた完全なる設計図が描き出され、異能として備わった異形の結界から抽出された"剣の要素"──それと魔力を取り込みながら一振りの剣が錬成......否、投影される。通常の錬成とはまるでかけ離れた生成過程は異質の一言に尽きるが、しかしそれはただ異能であると断定するには魔術的要素が多すぎる。

 

 言ってしまえばそれは俺の魔術特性(パーソナリティ)──"剣の創造、解析"、そして魔導器としての役割すら負担する異能が奇跡的な配分で組合わさった結果だ。この世界においてこれは固有魔術(オリジナル)に限りなく近い投影、としか説明することは出来ないのである。

 

......話が逸れたか。それで結局、こうして久々に投影してみた結論なのだが──。

 

「明らかに精度が上がっている、か」

 

 解析能力も向上している。今までは剣の基本骨子ら構成材質を見抜くのが手一杯だったのが、魔剣の類に付与された術式まで解析可能となっている。下手をすれば成長経験、即ち使い手の技量すらも保存してしまうレベルであり、ある程度のスペックまでならば投影も可能だ。

 

「......これ以上"深化"させたら不味いな」

 

 ただ投影するだけならば恐らく問題はない。だが身の程を越えた投影を──現時点での限界を越える投影に手をかけた瞬間、あの心象は内側から俺を喰らい始める。始めに記憶を。次に人格を。喰らい尽くされたが最後、そこに立っているのはシェロ=イグナイトではなく無銘の正義の成れの果てだ。

 

「使わなければいいんだ。使いさえしなければ......」

 

 投影した剣を消失させ、そろそろ寝るかと思い窓の外を見る。

 

──朝日が見えた。

 

「マジかぁー......」

 

 一瞬で死んだ目になる。どうやら投影を色々試している間に数時間も経過していたらしい。ふぁっきゅー太陽。

 

 

 

 

 

 

「おっす、元気......じゃないみたいだな」

「眠い......マジで眠い......医務室でサボりたい......」

「セシリア先生に叱られるぞ」

「あの人に怒られるならありかもしれない」

 

 わかるわー、とカッシュが頷く。あの儚げな美人に説教されるならそれはそれでありだ。しかし儚げ......とは言ったが、あの人実際半端じゃないレベルで病弱だったりする。風邪で吐血するとか割りと洒落にならない。あれ本人が治癒魔術に特化してなかったら今頃ぽっくり死んでいたのではなかろうか。

 

「やっぱ美人はいいよなぁ......大天使ルミア様もいいけど、やっぱり大人のお姉さんは外せない」

「フィーベルはどうなんだ?」

「あ? あんなちんちくりんはどうでもいいんだよ」

「お、おう」

 

 わかってねぇな、と俺は肩を竦めて見せる。

 

「顔が良ければいいとか、そう言う問題じゃあないんだぜカッシュ。これはな──男のロマンだ」

「ロマン......」

「ロマン、或いは夢と言い換えてもいい。わかるか? フィーベルはその点で大天使に大敗を喫している。つまり奴は負け犬、いや負け猫なんだ。ぷぎゃーワロス」

「ここまで扱き下ろされるとフィーベルがちょっと可哀想になってくるぞ」

 

 何か微妙な顔をしていたカッシュだったが、突如としてその表情が凍る。......表情筋でも吊ったのだろうか。

 

「確かに、一定の層には需要があるのかもしれん──だがな、やはり夢も希望も大きい方がいいんだ。そして奴には可能性という名の希望もないんだ......絶壁、いや絶望という言葉が相応しい」

 

「へぇー、そうなの」

 

 背筋が凍った。見ればカッシュの顔は真っ青になっており、恐らく俺も同じような顔をしていることだろう。

 

「......結論を言うとだな。自分マジ調子こいてました許して下さい」

「永眠させて上げるからそこに直りなさい?」 

 

 こういう話は教室でするべきではなかったと思いました、まる。てかあいつチョークスリーパー何であんなに上手いの?

 

 

 

 

「飛行競争に出たい人ー。......じゃあ、変身の種目に出たい人は?」

 

 はっとして目覚めれば、既にもう授業──ではなくホームルームが始まった後だった。ふぅむ、これが本当のキングクリムゾンか......最後に覚えてるのが後頭部に感じるやわこい感触だったのが謎だが、まあそんなことはどうでもいい。

 

 肝心なのはこれが恐らく魔術競技祭の種目決めであり、そして去年も丸々サボった良イベだということだ。やったぜ今年も一日ダラダラできる。

 

「困ったなぁ......来週には競技祭なのに......」

「思いきってみんなで頑張ってみようよ」

 

 困った顔の大天使ルミア様もまた麗しい。だが俺は頑張らない。というか出来ることが何一つとしてない。

──しかし運が悪いことに、見事フィーベルと目が合ってしまった。ガッデム。

 

「あんた、飛行競争に出なさいよ」

「いや何いきなり無茶ぶりしてくれてんの? ひょっとして墜落死させたいの?」

 

 数メートル浮く程度なら出来るが、競技場を周回するとか夢のまた夢だ。あまり俺の雑魚っぷりを舐めない方がいい。投影にあらゆるリソースが奪われているため他はすっからかんなのだ。

 

「はぁ......じゃあどれなら出れるのよ」

「はい先生、何もやりたくないです」

「また締めるわよ?」

 

 怖い......にっこり笑顔で締め落とす宣言するフィーベルさんマジ怖い......。

 

「いや、でも真面目に考えてみ? 俺みたいなのが出たところでボッコボコにされて終わりだろ?」

 

「そこの落ちこぼれの言う通りだな」

 

 その言葉にぴくり、とフィーベルの眉が跳ねる。そのよく通る声に振り向けば、案の定ギイブルだった。

 

「女王陛下がご来賓されるのにわざわざ不様を晒す必要はないだろう。お情けで全員に出番を与えようとするからこうなるんだ」

「なっ......!?」

 

 鼻で笑いながら締めくくり、ついでにギイブルは眼鏡をクイッと上げる。ふむ......この煽り力、十点満点で八点か。流石本体が眼鏡なだけはある。

 

「あなた......本気で言ってるの?」

「勿論」

 

 再度眼鏡クイッを披露するギイブル。この殴りたくてたまらない仕草は本当に煽り力が高くて憧れるのだが、伊達眼鏡とかないのだろうか? 俺も煽りたい。煽り愛宇宙......!

 

 そうして僅かな憧れと共に彼を見上げる。と同時にばぁんっ!と、派手に音を立てて教室前方の扉が開かれた。

 

「話は聞いたッ! ここは俺に任せろ、このグレン=レーダス大先生様にな──ッ!」

 

......うん、まぁ。知ってたけど。

 

 人差し指を前に突き出し、不自然なほど胸を反らして、全身をねじり、流し目で見得を切る謎のポーズ──そう、全く以て謎である。気づけば漂っていた不穏な空気は欠片も残さず霧散し、誰もが何なんだコイツ的な目線をくれていた。

 

「......ややこしいのが来た」

「わー、レーダス先生マジかっこいいー」

 

 フィーベルは頭を抱えて溜め息を吐き、俺はぱちぱちと適当に拍手する。で、俺は寝ていいんすかね?

 

「まぁ、何だ。なかなか種目決めに難航してるようだな? おい白猫、リストよこせ」

「え、ちょ──というか猫扱いはしないで言ってるのに」

 

 今年の種目一覧の書かれたプリント──何とも面倒な話だが、一部の種目を覗いて毎年競技は適当に変更されているのだ──を引ったくり、ふんふんとレーダス先生が目を通す。そして数十秒後、珍しく真面目な顔をした黒髪の男はとうとう参加メンバーを発表した。

 

「心して聞けよ、お前ら──」

 

 そうして次々と連ねられていく名前とそれらが参加する競技名、そしてその根拠となった彼等の長所と短所。異論反論には正論で返し、得手不得手を適切に判別していく様はまるでまともな教師のようだ。否、一人一人の生徒の得意分野を逐一精確に把握しているなど、いくら担任講師とは言えこの学校の中で一握りいるかどうかだろう。

......おかしい。普段あのセリカ=アルフォネア教授に土下座して食費を捻出して貰おうとしているダメ人間とはとても思えない。給料日になればカジノに駆け込んでいく男にはとても見えない。

 

 だが、ふとその目を見て気付いた。

 あれは本気の目だと。遊びなど欠片もなく、本気で勝利を求めている者の目だ。昔見たことのある、あの目は──!

 

「餓死寸前の状態で、目の前に骨をちらつかされた野良犬の目......!」

 

 崖っぷち寸前の目だった。もう嫌な予感しかしない。

 

「──異論はないな! じゃあこれで決まりだ!」

 

 ギラついた目で教室中をグレンが見回す。しかしそんな餓えた野良犬めいた男に、唯一人反論する者がおた。

 そう、我等が煽り眼鏡ことギイブル君である。

 

「やれやれ......先生、いい加減にしてくださいませんかね? 何が全力で勝ちに行く、ですか。そんな編成で勝てるわけないじゃないですか」

「む......? ギイブル、ということはお前、俺が考えた以上に勝てる編成が出来るのか? よし、言ってみてくれ」

「......あの、先生、本気でそれ言ってるんですか?」

 

 苛立ち混じりにギイブルが言い放った。

 

「そんなの決まってるじゃないですか! 成績上位者だけで全種目固めるんですよ! それが毎年の恒例で、他の全クラスがやってることじゃないですか!」

「..............................え?」

 

──あ、こいつ知らなかったな。

 何故かは知らないが、最早勝ち筋を選んでなどいられないのだろう。重々しく頷いた。

 

「うむ......そうだな、そういうことなら......」

「何を言ってるの、ギイブル! せっかく先生が考えてくれた編成にケチつける気!?」

 

 えっ、という顔をしてレーダス先生が振り返ってフィーベルの顔を見る。二度見する。

 そして始まるフィーベル得意の説教──もとい演説だ。何だかんだ言ってこのクラスでの成績最上位者、面倒見もいい──というか良すぎるあまり説教魔と化しているフィーベルにギイブルまでもが、冷笑を浮かべながらも矛を納めた。

 

 ちなみにレーダス先生は「期待しててね、先生!」と満面の笑みで振り向くフィーベルに対して、ひきつった顔で「お、おぅ」と返していた。声震えてんぞ。

 

「あ、でも先生。シェロの名前が入ってませんでしたよ?」

 

 何で気付いてんのこの猫娘。わざわざ空気に徹していたというのに。

 

「あー、そういやそうだったなぁ......」

 

 どうする?と言いたげにレーダス先生は此方へと視線をやる。それに対し、俺はかぶりを振って応じた。

 

「俺はいいっすよ。あらゆる魔術の成績が並み以下な俺じゃどう考えても敗北は必至だ。勝ちに行くんでしょう?」

「......そりゃそうだけどなぁ」

 

 後ろのフィーベルの顔を見て、全力でやめろと目線で訴える俺を見て。最終的に結論が出たのか、大きく頷いた。

 

「よし! んじゃシェロ、お前はマネージャーな! 実際競技に参加するわけじゃないが、陰からクラスをサポートするのも立派な仕事だ。......やってくれるな?」

「マジっすか」

 

 全員に参加して貰いたい、というフィーベルの要望と働きたくないでござる、という俺の切望を折半したような内容だ。まあ実際競技に出るよりは幾分かマシだ──俺は渋々ながらも首肯する。

 

「わかりましたよ......マネージャーつっても、ちょっと練習時間調整するくらいのもんでしょう?」

「んー......後はそうだな、各自の進捗状況とか勝てる見込みとか、まあそんな感じのもんをてきとーに報告してくれたらそれでいいよ。俺は明日の食糧をかき集めるのに忙しいんでな」

 

 早速困窮してんのかこのロクでなし講師。生徒より金欠ってどういうこと?

 余りにも哀れすぎたため少しくらいなら融通してやってもいいかなぁ、とか思ったのだが当の本人が「あでゅー!つーか腹減って死ぬ......!」とか言いながら超スピードで去っていったため諦めた。もうちょっと未来のこと考えて金は使おうぜレーダス先生。少々刹那的に過ぎやしないだろうか。

 

「......じゃ、と言うわけで。俺も帰っていい?」

「帰らせると思う?」

 

 超笑顔でこちらを見るフィーベルに思わず頬をひきつらせる。ようしぼくがんばっちゃうぞー!だから一節詠唱でフィジカルブースト発動させてこっち見るのはやめて欲しいの。

 

「とりあえず、あんたは誰がどの競技に出るかまず覚えること。それに練習場所の確保、後は......他のクラスの情報収集?」

「Oh......」

 

 どうやら今年の俺は忙しいらしい。それが良い変化なのか悪い変化なのかはわからないが、敢えて言おう──働いたら負けだ。

 つまり俺はこの瞬間から敗北してしまったのである。......おうちかえりたい。

 





まあ投影しか出来ない無能が出場しても普通惨敗するよね、って感じでマネージャー扱いに。
ちなみに異能者だとバレたら教会の代行者ぽいのが殺しにくるらしい。恐ろしい世界やで......。


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シロッテの枝は甘いらしい。

 

 

 

 中庭の隅。そこで俺は紙束を片手にカッシュと顔を突き合わせていた。目を落とす先にあるのはあのロクでなし講師が徹夜で考えた戦略等である。

 

「えーっと......カッシュ、言っちゃ悪いがお前は俺よかマシとは言え、そこの本体が眼鏡な男(ギイブル)説教女神(フィーベル)に比べて数段格が落ちる。目下最大の障害となる一組だってトップスリーを切ってくるのも目に見えてるし、正直勝ちに行くのは難しいと考えている──レーダス先生がな!」

 

「お、おう......それで?」

 

 若干呆れた風ながらもカッシュは続きを促す。

 

「だから基本的な戦術は"敵を倒すこと"ではなく"倒されないこと"。先天的な身体能力の高さと格闘センスを活かすことを考えれば、カッシュに最適なのは"耐えて近付いてぶん殴る"戦術だわな」

 

 とは言え。

 

「いくら頑丈つっても、生身で耐えれるのは恐らく一発程度。常に【トライレジスト】を貼り続けるのにも限界があるし、回避を念頭に練習するべきだろうな」

「回避......回避かぁ」

「まあ相手だってそんなことは百も承知だろうし、だからこそ決闘戦はセオリー的にショックボルト、或いは面制圧型の魔術を選択してくることが多い」

 

 当然と言えば当然の話だ。ショックボルトは魔力によって擬似質量が付与されているとはいえ、その速度は基礎的な魔術の中でも最速に近い。見てから反応することはほぼ不可能であり──故に安易に選択してしまうその心理を逆に突く。

 

「だからカッシュに必要な練習は二つ。一つ目は単純な魔法の回避。そして二つ目は対ショックボルト用の防御だ」

「ショックボルトの対策ねぇ......でもどうするつもりなんだ?」

「別に奇抜なことでも何でもないさ。雷速に対応しきれないならそれまでにトライレジストを展開すればいい。一節詠唱なら、展開されるのを見た瞬間に此方も一節詠唱で対抗すればいいだけだ」

 

 うへぇ、とカッシュが顔を歪める。うん、そう反応するだろうと思った。

 

「要するに徹底的な反射訓練だよ。ぶっちゃけ今の時期から新しい呪文覚えようとしても無駄に近いし、それなら戦法を絞って基礎反復した方がいいだろ?」

 

 俺は自信満々に頷く。そう、名付けて──。

 

「『魔術に耐えて物理で殴れ』。実に単純(シンプル)な作戦......!」

「全く魔術師っぽくないような気がして微妙な気分なんだが」

「何言ってんだ、トライレジストだって立派な魔術だろうが」

 

 わかるか?と羽ペンをくるくると回しながら言う。

 

「錬金術で武器を錬成して殴ってもそれは魔術だし、フィジカルブーストを付与(エンチャント)して殴ってもそれは魔術だ。なんなら他人が錬成した武器をパクって殴っても魔術だろうよ」

「いくら何でも脳筋過ぎだろ!?」

 

 だって俺魔術ろくに使えないし。必然的に近接戦に特化してしまうのはしょうがあるまい。是非もないよネ!

 

「敵なんざ倒しちまえば脳筋もへったくれもねーんだよ。つまりカッシュ、お前の筋肉が勝敗を左右するんだ」

「ぐっ......まぁ、それしか勝つ方法なさそうだしなぁ」

「格上相手に引き分けに持ち込めるだけでも上出来、勝てて御の字だろうさ」

 

 本来の実力差を鑑みればそのレベルだ。俺は頷き、言うべきことは粗方言い終えたか、とレーダス先生の予想やら何やらが書き込まれた紙を一瞥する。

 

「こんなところかな。んじゃ、そう言うわけで。練習頑張れよ」

「おう。またアドバイスよろしくな」

「それはレーダス先生に言ってくれ」

 

 俺はメッセンジャーに過ぎない。激励の意味を込めてカッシュの肩を叩き、中庭から去る──ことが出来なかった。

 

「......何か用か?」

「ちょっと。私には何かないわけ?」

 

 ぐい、と制服を掴む先にいるのは不満そうに此方を睨む銀髪の少女だ。その言葉に僅かに眉をひそめる。

 

「ない」

「何よそれ、私には興味もないってこと?」

「いや、そうじゃなくてだな」

 

 先程シロッテの枝をくわえたままのレーダス先生とした会話を思い出し、そしてグレン=レーダス直筆アドバイス集へと視線を落とす。しかしそこにはシスティーナ=フィーベルへの助言は欠片も存在しなかった。

 だがそれはフィーベルに対してグレン=レーダスが関心がない、ということでは決してない。

 

「だってお前、口出しするようなこと何もねーんだもん」

「......え?」

 

 端的に言って、システィーナ=フィーベルは完成され過ぎているのだ。

 学生用の魔術のほぼ全てを網羅している彼女はあらゆる魔術に対策でき、加えてレーダス先生によって魔術に対する根幹的理解を深めていることから即興の改変魔術まで行使可能だ。単純な手の読み合いに関しても、フィーベルに追随できる二年次生など片手の指で十二分に事足りるだろう。

 

 グレン=レーダスのような突出した技能があるわけでもなく、俺のように何かに振り切れたピーキーな性能であるわけでもない。オーソドックスに満遍なくあらゆる技能が高水準で完成してしまっているフィーベルは、もうどうしようと勝てるんじゃね?という領域にある。二年次生トップに君臨する秀才は伊達ではない。

 

「敢えて言うなら......そうだな、精神鍛練でもしたらどうよ? 滝に打たれてきたら?」

「......本当に何もしなくていいの? 色々と不安が残るんだけど」

 

......やはり唯一の弱点は精神面か。そこは一朝一夕ではどうにもならないな、と思うも一応心の中でメモしておく。

 

「まぁ大丈夫だろ。いつも通りに、冷静になって戦えばフィーベルが負けるなんてことは有り得ない」

「そ、そう」

 

 そう断言する。というかお前が負けたらレーダス先生マジで餓死するぞ。愚痴を聞いてみれば完全に自業自得だし売り言葉に買い言葉で給料三ヶ月分勝手に賭け出すし、もうこいつ死ねばいいんじゃないかなとは思ったがあれでも優秀なのは優秀なのだ。流石に野垂れ死ぬのは可哀想である。

 というかその賭博癖をどうにかしろよ。ちなみに以前アルフォネア教授と廊下ですれ違った際にそれとなく『どうにかしろ』と言っておいたのだが、返答は死んだ目だった。第七階梯の人外魔術師が匙を投げるってどういうことなの......?

 

「ともかく、そんな感じで頑張ってくれ。期待してるぞ」

「え、あ......うん!」

 

 監督が選手に向かって言う風な感じで適当に応援しておく。ついでに木陰で本を読んでいるギイブルへと目を向けるが──一瞥し、鼻で笑われた。まあギイブルに関しては心配する必要はないだろう。いつも通りに冷笑を浮かべながら勝利してくれる筈だ。

 

「あー、次は飛行競争の奴等だっけ? 要はマラソンと同じようなもんか」

 

 そう独りごちながら、俺は飛行訓練場へと歩を進めるのだった。

 

 

 

 

 

「疲れた......おうちかえりたい......」

「腹減った......シロッテの枝飽きた......」

 

 歩き回って棒になった足を揉んでいると、横でぎゅるるる、と情けない音が鳴る。シロッテの枝と水以外何も摂取していない状態に突入してこれで三日目、運命の日まで残り四日である。

......流石に少しやつれてきたが、果たして生き残ることはできるのだろうか。まあ自業自得なんだけど。

 

「ま、これで勝てなかったらどうしようもないっすね。後は運を天に任せるしかない」

「あいつらも必死にやってるんだ、きっと勝てる......いや優勝してくれないと俺がマジで死ぬ。三ヶ月シロッテの枝は流石に死ぬ」

 

 まあ本当にそんな状態になったら何処かの大天使がせっせと養ってくれることだろう。その罪悪感に押し潰されて死ぬがよい。

 

「......なぁ、シェロ。言った俺がなんだが、良かったのか?」

「? ......ああ、そう言うことですか。別に構いませんよ、元から俺やる気ないですし」

 

 渡り廊下から中庭を眺めるレーダス先生の目には何処か郷愁が浮かんでいるように見える。確かここの卒業生だった筈だ。

 

「俺の頃から『クラスの成績上位者のみ魔術競技祭に出場させる』って傾向はあってなぁ......競技"祭"だってのに、辛気くせー空気が漂ってたもんだよ」

「ははは......先生もそのクチっすか?」

「ま、否定はせんよ」

 

 ろくな思い出がなかったのだろうか。一瞬昏い瞳になった男の背を見て、俺は苦笑する。

 

「心配ないですよ。俺は楽しくやってる奴等を見て内心妬んでる──何て、ありきたりな根暗ぼっちじゃない。周りが楽しけりゃそれでいい、どうせ俺は"無能"ですし」 

「それは──」

「違う、ですかね? 普段ロクでなしなくせして、妙に熱血な人だ」

 

 劣等感がない、とは言わない。とは言え友人を持ち、気軽に絡めるクラスメイトもいるのだ、これ以上何を望むと言うのか。

 

「俺は"無能"でいい。むしろそうでなければ俺じゃないんですよ」

 

 俺は肩を竦めて()う。

 

 "無能"である現状が最善なのだ。何もかも出来ない俺こそが最も俺らしい。

──力を求めれば、心象(アレ)は甘言を囁きながら俺の全てを持っていく。無能であるという事実こそがシェロ=イグナイトの存在証明に他ならない。

 

「お前、は」

 

 気付けば、レーダス先生は此方を見て絶句していた。何かおかしかっただろうか、と俺は首を傾げる。

 

「まあ魔術が全てってわけでもないですし、卒業しても食いっぱぐれるわけじゃあない。こんな俺でもどうにかなるでしょうよ」

 

 じゃ、と言ってその場を離れる。そろそろ下校時刻も近い──下の連中に言っとかないとな、と考えながら俺は階段を降りていった。

 

 

 

 

「......それは達観じゃない。諦感だぜ、シェロ」

 

 笑うと言うよりは嗤う、という方が正鵠を射ている笑み。それがかつての上司である紅蓮の少女の嗤い方と重なり、グレンは何とも言えない心地で夕空を見上げる。

 

 

 そして。

 とある悪意が帝国の頂点へ牙を剥く──魔術競技祭の日が、ついにやってくる。





短ァい!

何か上手いこと切れなかったので中途半端ですが投稿。やったぜ魔術競技祭が来る!原作リィエルアホ可愛い!そして強化される主人公!砕かれるメンタル!

おっと心は硝子だぞ(テンプレ)。


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タンポポは天ぷらにすると美味いとかなんとか。

 

 

 

 

『そして、さしかかった最終コーナーッ! 二組のロッド君がぁ、ロッド君がぁああ──ぬ、抜いた──ッ!? どういうことだッ!? まさかの二組が、まさかの二組が──これは一体、どういうだぁあああ──ッ!?』

 

 やかましい。俺は思わず顔をしかめた。

 競技祭実行委員による拡声音響術式による実況だが、興奮に呑まれているのか如何せん非常にやかましい。というか仮にも実況者なら一位、二位の奴等も言及してやれよ。ちょっと可哀想だろ。

 

 だが恒例の慣習を破り、クラスのほぼ全員を動員した二組がまさかここまで食い下がるとは思ってもいなかったのだろう。観衆──即ち競技祭に参加できなかった生徒達は軒並み二組を応援している。

 

『そのまま、ゴォオオオル──ッ!? なんとぉおおお!? 「飛行競争」は二組が三位! あの二組が三位だぁ──ッ! 誰が、誰がこの結果を予想したァアアアアア──ッ!? トップ争いの一角だった四組が最後の最後で抜かれる、大どんでん返し──ッ!』

 

 洪水のような歓声と拍手が巻き起こる。俺は若干げんなりとしながらレーダス先生の方へと振り返る。

 

「うそーん......」

「おいコラ担任講師」

 

 本音出てるぞ本音。おめーの采配だろうが。

......しかしその本音には全く以て同意だった。できる限りのことをしたとは言えここまで健闘するとは嬉しい想定外だ。その原因は恐らく予想以上に他のクラスがアホだったのが大きい。序盤から激化したトップ争いで疲弊した他のクラスは次々と脱落し、結果として我関せずを貫き堅実に距離を稼いでいた二組が三位に食い込む結果となったのだ。まさしく兎と亀である。

 

「ペース配分だけに注力するよう言っておいたのが功を奏した、ってことですかねぇ」

 

 一週間程度で飛行速度を上げることなど不可能だ。だからこそコンスタントに速度と距離を保つべくペース配分の練習ばかりを──まあ逆に言えばそれしか出きることがなかったのだが──していたのだ。

 どうやら努力をすればある程度運というものは此方に向いてくれるものらしい。

 

「幸先良いですね、先生!」

 

 横で興奮気味にフィーベルがレーダス先生へと話しかける。話しかけられた本人は空きっ腹に歓声が響くのか、少し辛そうな顔をしていたが。......これで少しは賭け事を自重するだろうか。しない気がする。

 

「飛行速度の向上は無視してペース配分だけ練習しろって、どういうことかと思ってましたけど......ひょっとして、この展開、先生の計算済みですか?」

「......と、当然だな」

 

 おい声震えてんぞ。 

 

 飛行競争に関しての講釈──十中八九結果を見た後の適当な後付けなのだろうが──を始めるレーダス先生を他所に、更に厚さが増した手元の紙へと視線を落とす。......次は魔術狙撃。これに関しては小細工抜きで本人の技量に賭けるしかあるまい。後は強いて言うなら発想の転換による作戦が何処までハマるかだ。

 

「......ちっ! たまたま勝ったからっていい気になりやがって......!」

「たまたまじゃない! これは全部、グレン先生の策略なんだ!」

「そうだそうだ! お前らはしょせん、先生の掌の上で踊っているに過ぎないんだよ!」

「な、なんだと!? くっ......おのれ二組、いきがりやがって! 俺達四組はこれから、お前達二組を率先して潰しにいくからな! 覚悟しろよッ!?」

「返り討ちにしてやるぜ! なんてったって俺達にはグレン先生がついているんだ!」

「ああ、先生がいる限り、俺達は負けない!」

 

「......だそうですよ、レーダス先生」

「やめろ。これ以上ハードルを上げてくれるな......!」

 

 死にそうな顔をしていた。それが空きっ腹のせいか、それとも過度な期待に押し潰されそうになっているかは本人以外わからないだろう。

 

 

 

 かくして、午前の部における競技は恙無く終了した。結果も上々と言えるだろう。「飛行競争」では三位、「魔術狙撃」も三位、「暗号解読」ではウェンディ=ナーブレスが驚異的な速度で竜言語とかいうさっぱりわからない神話級言語を解いて一位、そして「精神防御」においてルミア=ティンジェルが獲得した一位。総合して二位に落ち着いているが、一位である一組との差も十二分に午後の競技では逆転を狙える範囲だ。順調にいきすぎてむしろ怖いくらいである。

 

「さて......んじゃ、そろそろ俺も学食に行きますかね」

 

 他のクラスのデータとの比較──特に決闘戦を重点的に行っていた分析も大体終わり、俺はカッシュ達の元へ行こうかと腰を上げる。さて、今日は何をカレーにするか麺類にするか────ぁ?

 

「......、............」

 

 無言でぺたぺたと制服の内ポケットを上から叩くも反応なし。

 

「しまった......忘れた......!」

 

 下宿先の自分の部屋を思い返せば、よく考えたら布団の中に置き忘れてたなぁと気付く。しょうがあるまい、今日の所はカッシュにたかるとしよう。

 そうと決まれば最速で食堂に行く必要がある。安くて量が多いことで有名なうちの食堂はその分席が足らなくなることが多々あるのだ。

 

 そうして食堂への道をショートカットするべく、俺は駆け足で中庭の端の方へと向かい──そしてその足がふと止まった。

 

「......なにしてんだ? あいつ」

 

 見慣れた銀髪。聖銀(ミスリル)を溶かしたような、とは陳腐な表現だがまさしくその通りであり、午後の日差しに照らされて輝くそれは実に絵になる光景ではあったのだが──裏腹に本人の表情は非常に沈鬱なものだった。

 ベンチに腰掛けるその少女へと近付き、俺はからかうように話し掛けてみる。

 

「よおフィーベル。一人とは珍しいな、大天使ルミア様は何処行ったよ?」

「......別に。私だって一人になりたい時くらいあるわよ」

 

 あーこれ女子によくあるめんどくさいアレだわ。話し掛けたのが痛恨のミスである。一瞬でそう察知し、爽やかな笑みでその場を後にしようとする。

 

「そうか、邪魔したな! んじゃ──」

「待ちなさいよ。あんた、暇でしょう?」

 

 暇じゃねーよ。腹減ってんだよ。

 そう抗議するようにフィーベルを見れば、丁度よく腹が鳴った。これで説明は省けただろう。俺は今度こそその場を離れようとして、

 

「だから待ちなさいっての。......私の分けてあげるから、ほら」

 

......別にこれは餌付けされたわけではない。そ、そこんところ勘違いしないでよねうまうまうま。

 そんなわけで俺はまんまとフィーベルに取っ捕まり、サンドイッチを貪りながら愚痴を聞かされる羽目になるのだった。

 

 

 

「わかる? あの教師、ルミアの姿になって生徒の弁当を奪おうとしたのよ!? 本っっ当、信じられない......!」

「成る程、そうか。アフリカではよくある事だな」

 

 サンドイッチうめぇ。話半分にフィーベルの愚痴を聞き流しつつ俺は中庭の花壇を眺める。きれいなおはなだなぁ......天ぷらにしたら美味しいかしら。前世では菊に類する花は美味いと聞いていたが、果たしてどうなのだろうか。

 

「別にそんなことしなくたって、折角作って来てたのに......どうしてあのダメ人間は......」

「ま、ルミア様があのロクでなしのとこに持って行ったんだろう? 後でそれとなく感想でも聞いてみたらどうだ?」

 

 ルミアちゃんてばマジ天使。カッシュが時折小声で「結婚しよ」と呟いている気持ちがよくわかる。でも気持ち悪いぞカッシュ。わかるけど。

 だがこれでレーダス先生の食糧事情は一時的とはいえ改善された筈だ。恐らく俺の予想だとこれであと三日はもつはず。それ以降は死ぬ。多分。

 

「......ん? てことはこれ、フィーベルの分をパクったことになるのか。何か悪いな」

「別にいいわよ。私、元からそこまで食べる方じゃないし」

「......いや、サンドイッチ一片だけで足りる筈がない。これで決闘戦でフィーベルが『お腹が空いて力が出ない』状態になって負けたら俺のせいってことか......!」

 

 あかん。流石にそれは私刑(リンチ)不可避だ。恐怖の想像にぷるぷるしていると、フィーベルは呆れたように嘆息した。

 

「あのね......あんたがどう考えてるのか知らないけど、女子は基本少食なの。サンドイッチ一つか二つで大体足りるのよ?」

「......?」

「そこで首傾げられても困るんだけれど」

 

 健全な男子学生としては何でそれで足りるのかさっぱりわからない。牛丼がおやつレベルの年頃なのだ。

 まあ午後の競技どころか競技祭そのものに参加してるのかしてないのかわからない状態の俺ならそれでもいいのかもしれいが、フィーベルは競技祭でも花形と言える「決闘戦」に出場するのだ。倒れられても困る。

 

「......本当にいいのか?」

「しつこいわね、いいからさっさとそれ食べなさいよ」

 

 むすっとした表情でそっぽを向くその姿を見て、俺は苦笑する。やはりシスティーナ=フィーベルという人間は根本的に人が良いのだ。世話焼きかつ心配性であり、だからこそ説教魔と化すことも多い。

 

「ま、あんまレーダス先生のこと責めてやるなよ。......心配ないとは思うが」

「どういう意味よそれ」

 

 そのまんまの意味である。

 生暖かい視線をフィーベルを送れば、居心地悪そうに顔を背けられる。

 

──暫しの沈黙。それを破ったのは、フィーベルがぽつりと溢した言葉だった。

 

「......あんた、さっき私が"負けたら"って言ったわよね?」

「ん? あぁ、言ったな」

「ありもしない仮定をしても意味がないわ。......"私が負けるなんてことは有り得ない"んでしょう?」

 

 一瞬ぽかんとしてその横顔を見つめ、そして直後に俺はくくっと笑う。

 

「そういやそうだったな──ああ、お前は負けないよフィーベル。負ける筈がない」

「ふぅん。信じていいのね?」

「そうだ。俺が信じるお前を信じろ」

 

 数秒の空白。その後に、俺とフィーベルは同時に吹き出した。

 

「何よそれ。あんた、そういうこと言うタイプじゃないでしょ?」

「受け売りに決まってんだろうが。本当、俺らしくもない」

 

 そう言ってさて、と俺はベンチから立ち上がる。そろそろ次の競技に出場する生徒が集まり始めてる頃合いだろう。直前に最終確認をしなければならない。

 

「んじゃ。また後でな、フィーベル」

「ええ。また後でね、シェロ」

 

 若干物足りない気もするが、まあいい。俺はマネージャーとしての役割を果たすべく、二組の待機席へと再び戻っていくのだった。

 

 

 

 午後の競技が始まった。

 まず午後一番に始まるのは「遠隔重量挙げ」だ。白魔【レイ・テレキネシス】の呪文で鉛の詰まった袋を触れずに空中へ持ち上げる競技である。より重い袋を持ち上げた生徒が勝者という至極単純な競技だが、鉛の袋を持ち上げられる時点で全く大したものである。俺? 三節詠唱で箸くらいなら持ち上げられますけど何か?

 

「こりゃ心配いらねーかな」

 

 むすっとした様子ながらもレーダス先生に話しかけるフィーベルの姿を見て少し安心する。あの状態で決闘戦に挑まれては不安要素が残る。心理状態というは魔術師にとって想像以上に重要な要素(ファクター)なのだ。

 

......しかし今更だが、やはりサンドイッチのみでは少し小腹が空く。前から興味があったし、レーダス先生推薦のシロッテの枝とやらを味見してみるかな、と席を立った。

 向かう先は迷いの森と称される所の付近だ。恐らくそこら辺にシロッテは群生しているだろうと当たりをつけ、欠伸混じりに歩を進める。

 

──そして不運なことに、俺はそれを見つけてしまったのだ。

 

「何だ、あいつら」

 

 体の要所を守る軽甲冑に身を包み、緋色に染め上げられた陣羽織を羽織り、腰には細剣(レイピア)を差した重武装の騎士達。並木道に並び、まるで何かを守るように立つそれらを見て眉をひそめた。

 

「──何者だ、貴様」

 

 背後からかけられた言葉。それに応じて振り向いた瞬間、俺の全身が総毛立った。

 すでに初老の域にさしかかっている武人。やや白髪混じりの黒髪に髭、鋭い眼光、あちこち肌を走る古傷はその男が常人ではないことを物語っている。

 

 しかしなにより俺を震わせたのは、その雰囲気──殺気混じりの気配だった。

 

「ぁ、あ──」

 

 声が震える。唐突に迫る殺気に体は本能的に逃げ腰となっていた。

 

「......む、ただの学生か。すまないが、ここより先は我等王室親衛隊の任務に抵触する。速やかに引き返して貰いたい」

 

 ふっと殺気が薄れる。それによって気を抜いたお陰か、俺の視線がふと下へと落ちる。下へ下へ、そしてその腰に備えられた二振りの細剣(レイピア)を見た瞬間。

 

──激痛が脳へと走る。

 

「っっっ──ぐ、ガァ......!?」

 

 思わず膝をつく。流れ込む基本骨子、構成材質、創造理念──そして、成長経験。

 俺の体が悲鳴を上げる。この剣は、存在が"重過ぎる"。間違いなく一級品すら越えた魔剣──!

 

「どうした。......しまった、殺気が強すぎたか?」

 

 僅かに気遣う様子を滲ませるその騎士へ、俺は震える声で大丈夫だと返す。不味い──早く、早くこの場を離れなければ。

 

「......そうか。ならば早く競技祭へと戻るといい」

 

 言われなくともそのつもりだ。

 やらかしてしまった事実を自覚しながら、俺はよろよろとその場を離れて道を戻──らない。そのまま外れて別の木立へと入り、そして肩を抱きながら声を洩らした。

 

「っ──頼む、収まってくれ......!」

 

 心象世界が暴走する。肌の下で無数の剣が暴れ狂っていることを直感的に理解し、呻きながら抑え込む。恐らくあの魔剣の投影は不可能。いや、不可能ではないが為せば再び"喰われる"。そして何を喰われたのかさえ、恐らく俺には思い出せない。

 結界に登録しただけでこうなるとは、あの剣はどれだけの業物なのだろうか。或いは、あの男が尋常ではないのか──?

 

「畜生......下手に出歩くんじゃなかった......!」

 

 段々と収まっていく暴走に、俺は震える呼気を吐き出しながら悪態を吐く。

 そうして俺が戻る頃には、結局「変身」勝負が始まる寸前となっていた。

 

 

 





>>ゼーロス
 王室親衛隊総隊長を勤める怪物。奉神大戦において"剣聖"とすら互角に打ち合った、かつて帝国最強の一角を為した人物である。その能力は間違いなく英雄級、セリカ=アルフォネアと同様に仲良し人外組の一人として数えられている。



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決着と優勝と腐臭と。

 

 

 

 

「あら、何処行ってたの? えらく遅かったけど......もう「変身」の競技も始まるわよ?」

 

「あ、ああ......悪い、少しな」

 

 未だにギチギチと軋む音が幻聴のように聴こえてくる気すらする。まるでブリキ人形になってしまったようだと自嘲した。

──だが。このお人好しの少女の前で体調が悪いなどと言えば、どうせお節介を焼かれてしまう。だからこそ、俺は必死に笑みを取り繕った。

 

「全くもう......グレン先生とルミアは何処かにいって帰ってこないし」

「は? 帰って来てない?」

 

 思わず目を丸くする。そして脳裏に過るのは先程の王室親衛隊の面々だ。......まさか、また面倒なことに巻き込まれているのだろうか。

 

「ああ、でも安心して。グレン先生の友人って人が来てくれたから」

「......おいおい、いいのか? それ」

「大丈夫よ。正式な許可証も持ってるみたいだし、それに......」

 

 ちらりと。奥の方でリン=ティティスの肩を叩いている青年を見やり、ふっとフィーベルは笑った。

 

「今までずっと見てきたみたいに、私達のことをよく知ってるみたいだしね?」

「......はぁ、成る程ねぇ」

 

 そのさらに奥で壁に寄りかかる無表情な少女を見つけ、俺は嘆息する。

 大体の事情は飲み込めた。察知しているのは恐らく大天使ルミア様と家族同然に暮らしていたフィーベルくらいのものだろう。それとなく示唆されて何となく理解する。

 

「まぁいいさ。暫く空けてて悪かったな、ここからは仕事するわ」

「そうして頂戴。基礎魔術の成績はともかく、あんたのそういった能力はそれなりに役立ってるんだから」

 

 本当に、素直じゃない奴だ。

 

 競技場の中央に降臨する時の大天使ラ=ティリカの様子を見ながら、俺は小さく笑うのだった。

 

 

 

 それから「使い魔操作」、「探査&解錠」の競技でどうにか盛り返し、どうにか二組は優勝射程圏内へと盛り返した。次は魔術師の伝統競技「グランツィア」。そうして始まった、言わば結界構築による陣取り合戦とも言うべきものを手に汗を握りながら眺める。

 

「そうだ......それでいい。下手に勝ちを拾いに行こうとすれば負けるぞ。狙うとすれば土壇場の大逆転だ」

「......? どういうこと?」

 

 尋ねるフィーベルの向こう、同じようにグランツィアの様子を見守る黒髪の青年アルベルト──グレンの友人を名乗る彼へと視線を向ければ小さく頷かれる。もう盗聴などで作戦を悟られる心配もないのだろう。俺はフィーベルに説明してやることにした。

 

「一組と二組じゃまず根本からして地力が違う。これまでの競技と同じように真っ向勝負は狙わず、相手の結界構築の妨害に専念することで引き分けを俺達は狙っている──だなんて、向こうは思ってるんだろうな」

「え、違うの?」

「別に間違っちゃいないさ。別にそう転んだとしても構わない。だが見据えるのはあくまでも完全勝利だ」

 

 刺されば勝ち。相手が堅実にくれば負ける危険な一手だが、頭に血が登りやすいハーレイ講師の性格、そして講師の言いなりになるいい子ちゃんの多い一組の傾向を加味すれば──決して分の悪い賭けじゃあ、ない。

 

「"サイレント・フィールド・カウンター"。お前なら分かるだろ?」

「──う、嘘!? まさか──っ!?」

 

 数秒の間グランツィアのフィールドを見た後に、まるで信じられないアホでも見るかのような視線をフィーベルが向けてくる。いやこれ俺が考えたんじゃねーっての。大賛成はしたけど。

 

「......条件は一定領域におけるアブソリュート・フィールドの構築。そうよね?」

「正解だ、システィーナ=フィーベル君。グリフィンドールに20点あげよう」

「ぐりふぃんどーる......?」

 

 しかし流石だ。この数秒で味方とはいえ意図を読み切るとは、純粋に頭の回転が早いのだろう。

 

「ハーレイ先生の性格ではまどろっこしい方法は好まないだろう。あのプライドの高さからして、正攻法から圧殺してくる可能性が非常に高い。だからこそ──」

 

 構築されていたアブソリュート・フィールドの赤い光が砕け散る。俺とアルベルト(仮)は同時に笑った。

 

「──この作戦は刺さる。頭に血が登ったハゲの心理なんざ読みやすいことこの上ないわな」

 

 講師としては優秀なのだろう。だが魔術師であって競技者ではない。それに比べ、軍人として合理性を突き詰めたレーダス先生の思考法には脱帽する他なかった。

 

「凄い、本当に勝っちゃった......」

 

 唖然とするフィーベルの横で、アルベルトは僅かに眉をひそめた。

 

「十回やれば九回は負ける勝負だ。残り一回を最初に引いただけだがな」

「だとしても、アルベルトさんって本当に凄いんですねー」

 

 その黒い瞳を見やり、俺は薄く笑う。

 

「うちの選手に対する細かなサインによる指示出し。完璧でしたよ? 恐らく時間きっちりの正確無比な采配だ。......だよな? フィーベル」

「え、えぇ。測ってはいたけど......」

 

 見せてくれたそれに書いてあるのは試合の推移だ。見れば見るほどアルベルトの指示が完璧であることがよくわかる。

 まるで今まで何度も練習してきたかのように、だ。

 

「カウンターが決まったのも貴方のお陰だ、アルベルトさん」

「違うな。......カウンターを成立させるために、お前達のクラスは一丸となって協力して、選手達が少しでも使いやすいように結界構築の術式を調整したらしいな」

「ん? んんん? あっれー? 何でそれ知ってるんですかねー?」

 

 一瞬だが、アルベルト(仮)の顔に浮かんだ「しまった」という顔を視界の端に捉える。この表情、俺じゃなきゃ見逃しちゃうね!

 

「..................グレンの奴から聞いた。とにかく、お前達の勝利はお前達だけのものだ。俺は、ほんの少し後押ししただけに過ぎん」

「ほーん......ま、そう言うことにしときますかね」

 

 フィーベルと顔を見合わせて笑う。グレン=レーダスという男に腹芸は出来ないらしい。

 

「さて、競技祭もいよいよ大詰め! 次は注目の『決闘戦』、私の出番ね!」

 

 自分を奮い立たせるようにそう言うフィーベルに、アルベルトを名乗る青年はふっと笑った。

 

「そうか......期待しているぞ」

「......っ! はい、期待しててください」

 

 一瞬きょとんとした後に、フィーベルは不敵に笑った。そしてこちらを一瞥する。

 

「征ってくるわ」

「おう、勝つべくして勝ってこい」

 

 随分と男らしい勝利宣言に、俺は笑って返した。

 

 

 まあ結論から言えば、決闘戦は危なげなく勝ち上がった一組と二組の最終決戦へと突入した。先鋒のカッシュは惜しくも敗れ、しかし見事にその敗北をギイブルが取り返し差し引きゼロ。そして決着は大将同士の激突に委ねられたのだが──。

 

「《雷精の紫電よ》ッ!」

「《災禍霧散せり》!」

 

 最速の一節詠唱の【ショックボルト】。一組のハインケルのスペックは情報通りフィーベルのそれに匹敵する──が、すかさず唱えられた【トライ・バニッシュ】により打ち消される。両者は一定距離を保って円を描くように横へ駆け出す──。

 

「《大いなる風よ》──ッ!」

「《大気の壁よ》──ッ!」

 

 フィーベルが最も得意とする突風呪文【ゲイル・ブロウ】。それに対し即座に障壁を形成するハインケル。成る程、初手は互角だ。

 

「《紅蓮の炎陣よ》──ッ!」

「《守り人の加護あれ》──」

 

 放射状に広がる炎の壁は【トライ・レジスト】で凌ぐ。舌打ち混じりにハインケルは【ディスペル・フォース】の起動詠唱へ突入し。

 

「《力よ無に──」

「《光あれ》!」

 

 【フラッシュ・ライト】の閃光がその一歩先をいく。炎嵐をいなしきったフィーベルが笑う。

 

「《白き冬の嵐よ》」

「《大いなる風よ》──ッ!」

 

 しかし【ホワイト・アウト】は【ゲイル・ブロウ】によって迎撃され、体勢が傾いたフィーベルは慌てて【グラビティ・コントロール】により自身の体を大地へと縫い止める。

 そして即座に逆襲の牙を剥いた。

 

「《雷精の紫電よ》!」

「《災禍霧散せり》......!」

 

......何とも魔術師らしく。そして凄まじい勝負だ。攻守立ち回りの上手さは既にどちらも学生の領域ではない。

 攻性呪文(アサルトスペル)対抗呪文(カウンタースペル)による応酬が延々と繰り返される。正直フィーベルの圧勝かと思っていたが、一組のハインケルはほぼフィーベルと同格だ。これは俺の解析ミスだな、と内心歯噛みする。ここまで強いとは思いもよらなかった。

 

「《来たれ・翼持つ炎の下僕・契約を果たせ》」

「《還れ・在るべき場所へ・契約は棄却されたし》」

 

 使い魔召喚が即座に却下され、霧散する魔力が僅かな光を放つ。魔術師らしく、そして幻想的な光景だ。

 

──そしておよそ二十五分。互いの顔色からしてどちらも魔力が尽きかけている状況で、ついにフィーベルの切り札(ジョーカー)が表舞台へと姿を表した。

 

「《拒み阻めよ・嵐の壁よ・その下肢に安らぎを》──ッ!」

 

「改変呪文、だと......?」

 

 俺は思わず驚きに目を見開く。

 魔術師というものは魔術を行使すれば、例外なく多少なりともマナ・バイオリズム──言わば魔力平衡状態が崩れる。恐らくそのタイミングを完璧に見切ったのだろう、わかっていても魔術行使不可能な間隙をついて放たれた改変呪文はハインケルを焦らせるには十分だった。

 

「な──なんだこの呪文はッ!?」

 

 焦るハインケルは咄嗟に【エア・スクリーン】を張るが、それは悪手だと言わざるをえない。詠唱からもわかるようにこの改変呪文は攻撃ではなく妨害、敵に纏わりつき突風による空圧の檻によって封殺することを目的とした呪文だ。

 名付けるならば──黒魔改【ストーム・ウォール】。時間稼ぎを目的としたその呪文は見事にその役割を果たした。

 

「そこッ!《大いなる風よ》──ッ!」

 

 そこへ放たれる十八番の【ゲイル・ブロウ】。先程の【ストーム・ウォール】による風すら取り込みながら暴風は【エア・スクリーン】を砕き、ハインケルを場外へ吹き飛ばした。

 

......一瞬の静寂。そして──。

 

 

『き、決まった──ッ!? 場外だぁあああああああはああ──ッ! なんと、なんとぉおおおお──ッ!? 二組が、あの二組が優勝だぁああああああ──ッ!』

 

 次の瞬間、会場は総立ちで拍手と大歓声を送っていた。

 もはや敵も味方も、勝者も敗者も、学年次の違いすらない。凄まじい決闘を演じた両者に対する純粋な賛美の嵐だった。

 

 その最中、当の本人は疲労からか膝をついて呆然としている。しかしようやく自分が勝ったのだということを実感として受け止めたのだろうか──此方へと親指を立てて笑った。

 

 そしてそれと同時に、二組の生徒達が観客席から飛び出した。

 

「やったぁあああああ──!」

「え!? その、きゃあッ!?」

 

 そのまま即座に胴上げへ移行する辺りが何故か手慣れている。俺は苦笑混じりにその様子を眺め、そして横の青年へと視線を移した。

 

「......よくやった」

「ええ、本当によくやったもんですよ。まさかマジで優勝するなんて」

「お前は行かないのか?」

 

 指す先にあるのは揉みくちゃにされるフィーベルの姿。俺はかぶりを振った。

 

「流石にあの中に突っ込んでく勇気はありませんよ。それより、先に店の予約でもしておきましょうかね?」

「......それでは閉会式を欠席することになるぞ」

「構いませんよ。どうせ毎年恒例のもんだ。......まぁ、今年は少々勝手が違うかもしれませんけど」

 

 そう言って肩を竦めてみせれば、青年は「そうだな」と小さく笑う。その姿に満足した俺はくるりと背を向けて呟いた。

 

「じゃ、後は頼みましたよ──先生?」

「......!? な、お前......!」

 

 むしろバレていないと思っていた方が驚きだ。

 

 俺は笑いながら学生街へと繰り出すのだった──。

 

 

 

 

 

 

「────────っ、あ」

 

「おやぁ? 意識が戻りましたか」

 

 記憶が飛んでいる。目を開けば、そこにあるのは此方を見下す女の瞳であり。

 

「まぁ念のため、もう一度聞いておきましょうか。大丈夫ですわ、手の二本や三本なくなり半身不随になる程度──どうとでもなります」

 

 首が締まる。何処か腐臭のするその女はくつくつと笑った。

 

「私と共に来て下さらない? 我らが主は貴方の力に興味がおありだそうでしてよ」

 

 嗚呼、どうしてこうなったのだろうか。

 人払いの結界によって誰もいない路地裏で、骨が砕ける音が響いた。

 

 

 







無難に終わると思った? 残念!みんな大好きゾンビ系外道万能美少女ヒロイン★エレノアちゃんがいました!

次回、イグナイト死す(大嘘)。デュエルスタンバイ!


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ゾンビと英雄と喪失と。

 

 

 

 

「......へぇ。まだそんな余力があるとは思いませんでしたわ」

 

 ゴキリ、と。

 砕けたはずの手首を無理矢理捻って治し、ころころとその女は笑った。俺はぜいぜいと肩で息をしつつ距離を取る。火事場の馬鹿力、というよりは無意識下での無詠唱の身体強化だろうか。人間死にかけたら割と何でもできるものである。

......いや、今はそんなことを考えている場合ではない。突如として首を掴まれ民家の壁へと叩きつけられたことは覚えているが、それ以前と直後の記憶が混濁している。強く頭を打った影響だろうか。

 

「何者だ、お前......!」

「あら、私としたことがはしたない。名乗りを忘れるだなんてらしくありませんわね」

 

 にぃ、と嘲笑を浮かべてその女は名乗りを上げた。

 

「天の智慧研究会第二団《地位(アデプタス・オーダー)》のエレノア=シャーレットと申します。以後お見知り置きを、シェロ=イグナイト様」

 

「天の知慧研究会──」

 

 思わず息を飲んだ。

 言ってしまえば、帝国に巣食う最悪の癌細胞が天の智慧研究会だ。特務分室の役割は帝国民に害をもたらす外道魔術師の始末ではあるが、そのほとんどが天の智慧研究会に所属している者だ。つまり特務分室とは実質的に天の智慧研究会を潰すために創設された機密部隊ということであり──しかし依然して帝国はこの組織の情報がほぼ何も掴めていないのが現状だ。

 あの怪物じみた魔術師が二十人以上所属する特務分室でさえ翻弄する組織と言えば、いかに強大かつ闇の深い組織なのかがよくわかる。

 そしてこれが何とも最悪なことに、俺はその天の知慧研究会に追われているらしい。まるで意味がわからなかった。

 

「......丁重にお断りするから帰ってくれねぇか?」

「ああ、淑女がこんなにも求めているというのにいけずな方。ですがルミア=ティンジェルの殺害が失敗し女王の暗殺も阻まれた以上、私も手ぶらで帰るのは些か躊躇われますの」

 

 ですので──。

 

「行き掛けの駄賃程度に、貴方を回収させて戴こうかと。抵抗されなければ──」

「知るかこのアバズレが」

 

 投影した剣を投擲する。しかしそれをたった指二本で受け止め、エレノア=シャーレットを名乗る女は口許を三日月に歪めた。

 

「あらあら。あらあらあら────では、強制的に回収させて貰いますわね」

 

 直後、エレノアの姿が掻き消えた。だが見えずとも狙う場所の見当はついていた。

 

「くっ──!」

「ふ、ふふ。無駄な抵抗でしてよ?」

 

 化物かこの女は。

 跳ね上がる足の一撃は【フィジカル・ブースト】でも付与しているのだろうか、容易く俺の体を吹き飛ばした。不味い。もはや手段を選んでいる場合ではない。

 

「《投影開始(トレースオン)》......!」

 

 投影するのは、以前テロリストから得た自動制御術式付きの剣だ。合計三本、少なくとも足止めにはなるだろうとその場で迎撃を指示する。

 

「......成る程。固有魔術(オリジナル)とは、なかなか学生にしては優秀なようで」

 

──だが。エレノア=シャーレットには通用しない。

 滑るように剣撃を回避し、横薙ぎに剣を叩き落とす。常人を遥かに越えた力は【フィジカル・ブースト】によるものであり、女であろうとその力は容易く肉を抉り骨を砕く。

 

「《力よ無に帰せ》」

 

 加えて一節の詠唱により、付与されていた術式の悉くが無効化され地に堕ちる。しかしエレノアは僅かに眉をひそめた。

 

「......あら。これは錬金術によるものでしたのね。てっきり魔力だけで構成された張りぼてかと思っていたのですが......」

 

 転がった投影品を手に取り、そして俺の周辺の石畳を見つめる。そして禍々しく嗤った。

 

「俄然、興味が湧いてきましたわ。少々付き合って貰えませんこと?」

 

「《我・秘めたる力を・解放せん》──!」

 

 その言葉を最後まで言い切る前に、【フィジカル・ブースト】を発動すると共に投影した剣で斬りかかる。しかしエレノアは同じように剣を手に取り、いとも簡単に受け止める。

 

「く、ぅ──ッ!?」

「心外ですわね。近接戦ならば勝てる、等と思ったのですか?」

 

 俺とて素人というわけではない。元はと言えばイグナイト公爵家の出であり、剣の扱い方の基礎は学んでいる。そこから先は独学であり色々と歪んでいる部分はあるかもしれないが、それでも普通の魔術師相手に剣術で負ける気は毛頭ない。

 

──だが。エレノアの剣は俺を遥かに上回っていた。

 

「私、これでも天才の類だそうでして。剣ならばある程度は扱えるのですよ?」

「か、は」

 

 脇で一回転させた後に柄が鳩尾へと叩き込まれる。再び民家に叩きつけられた俺はろくに呼吸することすら出来ず崩れ落ち、必死に空気を吸い込みながら目の前の敵を睨み付けた。

 

......認めよう。この女は俺よりも強い。そして総合的な能力で言えば──これはあくまで俺の直感に過ぎないが、特務分室と同格の怪物だ。

 

「もうお分かりでしょう? 貴方には万に一つも勝ち目はない。今なら痛くせずに済みますが?」

「......は、言ってろ。"今は"ってことは、後々痛い目見るんだろうが」

「あら。存外に勘の良いお人なのですねぇ」

 

 まあ無駄ですけれど。

 

 冷めた目で投擲された剣をギリギリの所で叩き落とし、何とか逃げ出せないものかと可能性を模索する。勝つなどもっての外、せめて逃走の時間くらいは稼ぎたいが──。

 

「......無駄、か」

 

 そのすべての可能性において俺の力が足りない。エレノア=シャーレットとシェロ=イグナイトでは個体としての性能の格が違いすぎる。修練の先に至った天才と、たかが異能を持っているだけの餓鬼では勝負になる筈もない。

 

──そうだ。力が足りないのだ。

 

「は、はは......畜生、またこうなるのか」

 

 力が無ければ生き残れない。力が無ければ抵抗することもままならない。だが力は代償なくして得られない。いつだって何かを諦めなければ生きていけないのだ。

......恐怖に手が震える。もう使わないと決めていた筈なのに、俺はまた手を出そうとしている。次は何を喪うのだろうか。何を棄てなければいけないのだろうか。

 何かを犠牲にしなければ、自分すらも救えない。嗚呼、本当に──嫌になる。

 

「好きにしろよ......()()()()()

 

 心の何処かで何かが砕ける。致命的な音が響き渡る。いいだろう、代償はくれてやる。

 だからこそ──

 

「《体は剣で出来ている》」

 

 ──力を寄越せ。

 

 何かを手放した手で、生き延びるための力を掴みとる。既に保存されていた設計図に魔力を流し込み、今ここに体現するのは現状で俺が知りうる最強の武具。

 

 運が良いのか悪いのか。俺は人類最強の一人と邂逅していたのだ──。

 

「《投影(トレース)──開始(オン)》」

 

 創造理念──鑑定。

     基本骨子──解明。

 構成材質──複製。

     製作技術──模倣。

 成長経験──共感。

     蓄積年月──再現。

 

 完全とは言い難い。だがかろうじて投影としては完成する。右と左、黒白一対の細剣(レイピア)。投影した今だからこそ理解できるその魔剣の能力はたった一つ──ただひたすらに頑丈であれ。本当に単純(シンプル)で、使い手の技量がなければ何の意味もない。

 

 ならばこそ、使い手の技量すら投影してみせよう。その膂力を投影してみせよう。足りぬのなら他で補完する。補完するものが容量(キャパシティ)を越えるのなら、余計なモノなど棄てていけ。

 

「は───ッ!」

 

 投影(トレース)完了(オフ)。軋む身体は無限の剣製という極大の反則をもってしても、今の俺ではこれが限界であることを示している。精度は飛躍的に上昇した。それでも再現率は三割──。

 

「......あら。それはゼーロス様の剣ですわね」

 

 だが。目の前の女を殺すには、その三割で事足りよう。

 奉神大戦という地獄を駆け抜けた修羅、【双紫電】ゼーロス=ドラグハートの絶技。その三割ならば──十数回殺してもお釣りが来る。

 

「それで? 次はどのような手品を見せてくれるので──」

 

 瞬間、世界が緩慢になった。

 

 一瞬の意識の間隙を突いての踏み込み。瞬きの刹那、完全に視界が塞がれるその僅かな隙を狙うなどどれ程の修練を積めば可能になるというのか。

 しかし何より恐ろしいのは、その技術はゼーロス=ドラグハートにとって呼吸をするよりと容易いという事実だった。

 

「死ね」

 

 たった一呼吸。英雄ゼーロスからすれば、それすらも余裕で確殺に足る隙である。

 ただ最も効率良く踏み込み、最小の動作で細剣(レイピア)を突き出す。ただそれだけ。人を殺すのに最適化された動作は実に簡素な結果をもたらす。

 

「────ごっ」

 

 右目を潰し脳を粉砕し、頭蓋骨を貫くその感覚。刹那の交錯が終了したその瞬間、自覚することなくエレノア=シャーレットは即死した。

 

......緩慢となっていた世界が色と速度を取り戻す。血と脳奬を路地裏にぶちまけながら肉塊は転がり、俺は殺人に対する忌避を覚える暇もなく激痛に呻いた。

 

「くっそ......あのおっさん、どんだけ身体鍛えてんだよ......!」

 

 しまった、と胸中で呟く。肉体の強度までは投影出来ない。思わぬ誤算により全身の筋肉が悲鳴を上げていることを理解し、もう少し劣化模倣(ダウングレード)するべきだったかと考え──。

 

「ふ、ふふふ」

 

 聞こえる筈のないその声に、背筋を悪寒が這い上がった。

 

「ふふふふふふふふふふふ」

 

「......冗談だろ」

 

 肉塊が蘇生する。溢れ落ちた脳奬はそのままに、ぶちまけた血液は路地裏を濡らしている。しかしそれは蘇生していた。頭部から吹き出す黒い粒子は瞬く間に眼球を修復していく。

 

「ああ、ああ、ああ──素晴らしい! 素晴らしいですわシェロ様ぁ!」

 

 気色悪い。気持ち悪い。生理的な嫌悪感を抑えきれず、ぎょろぎょろと此方を探す眼に吐き気すら覚えた。何だこの生物は。いや──生物なのか?

 回復呪文や呪詛などではない。最早これはそんな生易しい領域にない。言うなれば不死身。生きた死体(リビングデッド)──。

 

「その剣技はまさしく【双紫電】のもの。まさか【ロード・エクスペリエンス】でしょうか? いえ違いましょう、かのセリカ=アルフォネアですら三節は必要とするものを一節で済ませられるなど有り得ません。わかりません。わかりませんわ、嗚呼──」

 

 人とは思えない淫靡さと怪物性を伴って、()()は焦がれるような笑みを浮かべた。

 

「──どうしようもなく貴方が欲しい。お慕い申し上げますわ、シェロ様」

「この、怪物が......!」

 

 まるで獲物を見る獣のような眼に思わず怯んだ。しかしこの状況は不味い。奴が本当に不死身なのだとしたら非常に面倒だ。俺にゼーロスの技量についていくだけの身体さえあれば、ひたすら殺し続けるだけで済むのだが──。

 

「......筋肉断裂が四ヶ所。無茶を重ねて殺せても一度や二度が限界か」

 

 体を半分ほど消滅させれば時間稼ぎ程度にはなるだろう。だが俺にそんな火力はない。これ以上心象(アレ)に食わせた所で都合良く高火力の魔剣が手に入る筈もない。俺が知らない剣は投影出来ないのだから。

 

「糞ったれが......」

 

「ああ、そんな目で見ないで下さいまし。体が火照ってしまうでしょう......?」

 

 死ね土に還れこのクソゾンビ女。がっとぅーざへう。

 内心でそう罵るも、最早どうしようもない。こうも満身創痍では腕や足を犠牲にしたとしても、逃げる時間も体力も足りないのは自明の理だ。俺はじわじわと迫り来る絶望に目を伏せ──。

 

 

「い、やぁあああああああああああっ!!」

 

 甲高い雄叫びと共に、疾風が死に損ないを吹き飛ばした。

 

「は......?」

 

 呆然と、一瞬にして目の前で振り撒かれた暴虐の嵐を眺める。民家の壁を粉砕しながら吹き飛ばされたエレノアは身体中から黒い粒子を撒き散らしながら乱入者を睨み付けた。

 

「私としたことが抜かりましたわね......案外帝国もぼんくらばかりではないということかしら?」

「ん。......敵なら、倒す」

 

 それは見たことのある──いや、厳密に言えば姿だけは見たことのある少女だった。乱雑に纏めた青い髪に人形の如く整った顔。そして身の丈を遥かに越える大剣。

 

「しょうがありません、今回は引きましょう。......ふふ、またの逢瀬を心待ちにしておいて下さいね?」 

「黙れ死ね土に還れ地獄に堕ちろ」

 

 遠方から六条の雷光が飛来するが、その悉くを回避しエレノアは懐から何らかの魔導具を取り出し──消えた。寸前で少女によって振り切られていた大剣が石畳を砕き、瓦礫がいくつか足元に転がってくる。どんな膂力をしていればこうなるのか。

 

「......ん。貴方も敵?」

「え"っ」

 

 此方へ振り向くが早いかそう尋ねてくる少女に思わず顔がひきつる。助かったと思ったのだが実は敵だったオチなのだろうか。

 

「待てリィエル。そこの少年はリストにはない。恐らくただの一般人だ」

「そう。わかった」

 

 全くの無表情で頷き、少女の手から大剣が霧散するように消え去った。俺もそう言えば、と思い返し投影を解除する。

 

──同時に、ぐらりと視界が歪んだ。

 

「......ちょっと、無茶し過ぎたか」

 

 体が熱を持っている。骨にひびは入り筋肉は断裂しているのだから無理もないが、少々軟弱に過ぎる気もする。

 

「ん。アルベルト」

「どうした......と、酷い熱だな。それにこの校章、二年次生......見覚えがあるが、もしやグレンの教え子か」

「......、............つまりグレンを殴ればいい?」

 

 その言葉を黙殺し、アルベルト──恐らく本物であろう黒髪の青年が俺の額に手を当て、数節詠唱する。

 

「よく持ちこたえた。少しの間休むといい──」

 

 遠ざかっていく言葉に暗くなっていく視界。俺は急速に襲ってきた睡魔に抗うことも出来ず、意識はそこで途切れたのだった。

 

 

 






【悲報】ついにヒロイン登場

 こ っ ち み ん な
  待 望 の ヒ ロ イ ン
  腐 っ て や が る (物理)

 ようやくヒロイン登場。ん......?タグについてるヒロイン何か違ったような......? うん、まあ細かいことは気にしちゃいけない。

次回、二巻エピローグ。もうちっとだけ続くんじゃよ。


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未成年の飲酒は法律で禁止されています。

感想が悉く「アルベルトさんがヒロインってマジっすか!」みたいな反応ばかり。どういうことなの......?(困惑)








 

 

 

 

 目が覚めると、そこにあったのは医務室の天井──ではなく、よくある木張りのものだった。ランプの灯りが幻想的な影を壁に投げ掛けている様を何とはなしに眺める。

 

 どうやら俺は生き残れたらしい。何か夢を見た気もするが、判然としていなかった。

 

「今度は何を忘れた?」

 

 そう自問自答する。日常生活に差し支えないものならば良いが。

 一つ一つ幼少期からの記憶を反芻し、欠落が増してないことを確認しながら思い出していく。自分の名前、そして──。

 

「............ああ、そうか」

 

 今世における両親の顔を思い出そうとした瞬間、その全てが黒く塗り潰されてしまっていることに気付いた。

 普通の忘却のようにぼやけた記憶、というわけではない。ピントがずれたようにぼやけているのではなく、まさしく"喰われた"としか形容の仕方が思い付かないほど綺麗に切り取られている。その記憶に辿り着くまでの過程が断絶され、ただ思い出せないという事象のみをくっきりと刻まれたような違和感。

 

 もう慣れてしまった感覚だった。

 

「俺......何歳になるんだったかな」

 

 自分が生まれた日の記憶も欠落している。誕生日も歳も親も最早思い出せやしない。だが不思議と悲哀も憤怒も浮かんではこない。ただそこにあるのは虚無感だけで。

 まるで心そのものが硬質化していくような──硝子に変わっていくような感覚すら覚えていた。

 

「まぁ、()()()()()()か」

 

 すっぱりと諦める。過ぎてしまったものは戻らない。欠けたものは埋められない。割り切って進むことしか俺には出来ないのだ。

 

 寝かされていたベッドから降り、体の調子を確かめるように屈伸する。何も問題はない。機能に異常はなし──。

 しかしふと壁にかかっていた姿見に映る自分の姿を見た瞬間、俺は違和感に気付いた。

 

「髪......」

 

 姉のような紅蓮ではないが、赤に近い茶髪の髪。その前髪の左側に違和感は紛れ込んでいる。摘まんでみせれば、それはより顕著となった。

 

「白髪、か」

 

 一房の、自然発生したとは思いにくい白髪。今まで気付かなかったのが不思議なくらいだ。俺は首を傾げ、そして直後に興味を無くした。まあそういうこともあるだろう。別に注意を払うべき事柄ではない。

 

──何か大事なことを忘れている。彼方で誰かが必死に叫んでいる気がしたが、ついぞ思い返すことはなかった。

 

 

 

 

「お、目が覚めたのかシェロ。心配したぜ?」

 

 階下に降りてみれば、そこにいたのはカッシュだった。状況が飲み込めず周囲を見渡せば、そこに広がっているのはまさに惨状だった。

 

「女王陛下を襲ったテロリストの残党に出くわしたんだって? 運び込まれたって聞いた時には腰抜かしたぞ」

「いや......まぁ、それは悪かったよ。んで──」

 

 けたけたと笑うギイブルにオクラホマミキサーを踊っているいつもの三人組。女子もなかなかに酷く、何故か脱ぎ出すテレサ=レイディをウェンディ=ナーブレスが必死に押し止めている。

 

「なんだこの混沌(カオス)

「いや、これには色々と事情があってだな」

 

 何故か冷や汗を流しているカッシュを見て嘆息する。一体今度は何をやらかしたというのか。

 

「まさかブランデーケーキでこんな事になるなんて思うわけないだろ!?」

「原因お前じゃねーか」

 

 白い目を向ければ違う違うオレは悪くない、と主犯格(カッシュ)が顔をぶんぶんと横に振る。

 

「違う、オレはやってないんだ! それでほろ酔いになったシスティーナがぶどうジュースと勘違いして高級ワイン頼んで、それでみんながぶ飲みしちまって......!」

「はぁぁああ!?」

 

 まさかの戦犯だった。というか、え? これ未成年が酒飲んでいいの? 法律的にアウトちゃうん?

 

「......ああ、いや、そうか。一応ここ中世ファンタジーって設定だもんな......十六で成人だもんな......」

 

 閑話休題(それはともかく)

 

 しかしこの惨状の切欠を作り出したのがカッシュであることは間違いない。

 

「いや、こういう打ち上げの時とか株上げたくなるじゃん? それで皆の分のケーキ頼んだんだよ」

「......わからんでもないが、一応聞いとくけどお前大天使ルミア様狙いじゃなかったっけ?」

「そうだ──だが可愛い女子にちやほやされたいのもオレの本音なんだよ!」

「アッハイ」

 

 正直なのはいいけど割とカスな発言をしていることにいい加減気付け。というかこいつも絶対酒入ってんだろ。

 酔っ払いで占拠された一階から逃れるべく、俺は再び二階へ戻ろうと階段へ足を向ける。何やらカッシュが喚いているが無視。ほとぼりが冷めるまでは寝ているのが最善だと判断し、

 

「シェェェェロォォォォォ!!」

「ぐんまけんっ!?」

 

 唐突に背後から突っ込んできた衝撃にたたらを踏んだ。非常に背中が痛い。いややわらかい。やわこい。──え?

 

「なぁんであんたはいっつもケガばっかしてんのよ!」

「は、いや、ちょ──待ってギブギブギブ! 締まってますから!」

 

 流れるようにチョークスリーパーへと移行し、軽く決まってしまっている細い腕をぺちぺちとタップする。というか背後から漂ってくる吐息が非常に酒臭い。この酔っ払いが......!

 

「く、苦し......かゆ、うま」

 

 意識が飛びかける。しかしいよいよ俺の口から魂が飛び去っていく寸前、突如として腕の力が緩んだ。咳き込みながら腕を振りほどき、俺は突然突っ込んできた酔っ払い(フィーベル)を睨んだ。

 

「テメェいきなり首締めるたぁいい度胸だなオイ──って、うぇ!?」

 

 無駄に隙のない動きでフィーベルが懐へと踏み込んでくる。もしやこいつ酔拳の使い手か。

 見事としか言えないその歩法に戦慄すら抱いて飛び退く。しかしフィーベルの速度は予想以上に早い。

 

 そして回避も出来ず、その拳は俺の鳩尾へと叩き込まれ──るなんてことはなく。

 

「............、..................Why?」

「えへへー」

 

 何故か首に手を回してぐりぐりと頭を擦り付けてくるフィーベルに目が点となった。......どういうことなの。

 

「もー、いつもいつもケガして帰ってきてぇ」

「......OK、落ち着こう。まずは俺から離れるんだフィーベル。この状態はお互い非常によろしくないと俺は思うんだ」

「んー、やだ」

「即答ゥ──!」

 

 何故か幼児退行し始めているフィーベルの顔を間近で見下ろし、俺は冷や汗を流しながらも高速で思考する。落ち着け......クールだ、クールに行こうシェロ=イグナイト。そう、落ち着いて思考すれば頭脳明晰なお前ならば打開策を見出だせるはず──!

 

「撫でて?」

 

 無理でした。というかこうも密着されて冷静に思考できるほど俺は賢者ではない。だれかたすけて。

 

 不満そうに此方を見上げ、酔っ払ったフィーベルは更に頭を擦り付けてくる。ついでに何やらやわこい物体も押し付けられている。擬音語にすればぎゅむ、とかそんな感じで。

 

......いや正直に言おう。俺はシスティーナ=フィーベルという少女を舐めていたのだ。普段はうるさいわ喧しいわで意識などしていないし、加えてカッシュと共にあれは断崖絶壁だ、つるぺただ、ぺったんこだと散々言いたい放題言っていたが──これはやばい。微妙な大きさだというのに割と容赦なく主張してくるし上から見ると形はわかるし完全に凶器と化している。というか密着状態だとよりやわこい感覚が伝わってきてやばい。何がやばいってナニがやばい。割と洒落にならないレベルでやばい......!

 

「カァァァァァ────ッシュ!」

 

 最早これは俺一人ではどうにもなるまい。大至急この危険物体を引き剥がすべく、俺は親友の名を叫んだ。奴ならきっと来てくれる......!

 

 そんな祈りが通じたのか──いや実際には俺の悲痛な叫びが聞こえたのだろうが──カッシュが振り向く。目が合い、そして俺の状態を見た瞬間に全てを悟ったのだろう。いつになく真剣な目をして、カッシュの口が動いた。

 

 

──がんばれ☆

 

 

「あいつ後でぶっ殺す」

 

 友情は崩壊した。シェロは激怒した。かの邪智暴虐の元友人を決して許してはならぬ。具体的には次に食堂に行った際には辛子丸ごとカレーにぶちこんでやろうと決意した。戦争勃発である。

 勿論宣戦布告などない。奇襲こそ最強なのだ。

 

「んぅ......シェロ、聞いてる?」

 

 妙に艶かしい声を洩らしながらフィーベルが上目遣いでそんなことを聞いてくる。聞いてる聞いてる超聞いてるからマジで動かないで下さいすいません。これ以上動かれたら色々ともう限界を迎えてしまう。

 がくがくと頷けば、フィーベルはにっこりと微笑んで囁いた。

 

「じゃあ、撫でて?」

 

 この時の俺は死んだ目をしていたことだろう。逆らうことなど出来るはずもなく、その聖銀(ミスリル)を溶かしたような銀糸へと指を沈める。

 

「ん......」

 

 心地良さそうに──まさしく猫のようにフィーベルが目を細める。丁寧に手入れされているであろう銀髪はまるで流水の如く指の間をすり抜けていく。

 気付けば俺は無心でフィーベルの髪を透いており、フィーベルは俺の首に腕を絡ませながら時折声を洩らす。

 

「ん、ぁ......」

「それ色々と不味いんで止めて貰えません?」

 

 もう既に何人かが此方を生暖かい目線で見ているが、これどうやって収拾つけるのだろうか。というかフィーベル、お前死ぬぞ......? 主に二日酔いと羞恥が死因で死ぬぞ......?

 

「というかこーゆー時こそルミア様の出番じゃねーのか? 何処行ったんだよ」

「んー......? ルミアならぁ、さっき先生と何処か行ったけどぉ......?」

 

 それを聞いた瞬間、カッシュを初めとした数人の男子が据わった目で立ち上がった。というかお前ら聞いてたのかよ助けろよ。処すぞ。

 

「けどまぁ......先生はへたれだしぃ......」

 

 座った。全員何もなかったかのように再び騒ぎだした。これはレーダス先生の人望なのだろうか。本人の名誉のためにもそういうことにしておこう。

 

「ばーかばーか、シェロのばーか」

「あーはいはいそーっすね、俺は馬鹿ですよっと」

 

 酒が入って気分が高揚しているのだろう。妙に上機嫌なフィーベルの頭を撫で、俺は嘆息した。これ以降絶対にフィーベルには酒を飲ませないようにしよう。抱きつき魔は危険すぎる。

 

「......ふぁ、ねむ......」

「さっさと寝ろ。ついでにお前の精神衛生のためにも忘れちまえ」

 

 しばらくして寝息を立て始めたフィーベルの腕をそっと首から外し、そこらへんの席に座らせるべく四苦八苦しながら運ぶ。そしてちょうど目があったナーブレスに顎で示し、手伝うように求めた瞬間──。

 

「シェロ......約束......覚えてる......?」

 

「────」

 

 

 

 頭が冷めた。真上から冷や水を被せられたかのように。

 

 

「いつか、二人で......メルガリウスの......お祖父様の......」

 

 寝言だったのだろう。再び寝息を立て始めたフィーベルの体温を肩に感じたまま、俺は俯いて立ち尽くす。

 

「イグナイト、どうしましたの?」

「......ああ、悪い。ちょっとこの馬鹿を頼む」

 

 そう言って、ナーブレスにフィーベルを預ける。茶髪のツインテールを揺らして了承の意を示すと、ナーブレスはゆっくりとフィーベルを受け止める。

 

「......貴方、随分と酷い顔をしてますわよ? 大丈夫ですの?」

「ああ、大丈夫だ。ちょっと、な」

 

 冷めきった意識は熱を求めている。浮かれていた頭はあの一言で残酷なまでに冷静になっていた。

 

──本当に、嫌になる。

 

「おっさん、酒まだ残ってる?」

「ん......? いや、お前さん学生だろう? そりゃ──」

「悪い、一本貰うぞ」

 

 棚から一本奪うように取り出すと、店の奥にある裏口の扉に手をかける。鍵はかかっていなかった。

 

「......やってらんねぇわ」

 

 自覚する。何が"どうでもいい"だ。確実に壊れてきてしまっているではないか。もしフィーベルの一言で"忘れてしまうことの恐怖"を思い出さなければ、俺は──。

 

「ははは」

 

 封を切って一口含む。かなり度数が高いのだろう、前世でもそう飲んだことのない熱さが喉を伝わっていく。ひょっとしたらこれもかなり高い酒なのかもしれないが、まあどうにかなるだろうと責任を彼方へとぶん投げた。

 

「......クソ不味いじゃねーか」

 

 久々の酒の味だった。しかし冷や水を浴びたような脳に再び熱を戻すための、ただの作業じみた酒だ──美味いはずがない。

 裏口から出てすぐの路地裏、そこで空を仰ぎながら淡々と酒を流し込む。今なら死んでもいい気分だった。勿論悪い意味で、だ。

 

 そうして適当に呑んでいると、ふと背後に出現した気配が酒瓶をかっさらった。見覚えのあるシャツに白手袋、黒い髪。

 

「はい没収。裏口でなに飲んでんだよ不良少年──っておおおおおい!? これ高いやつじゃねぇか!?」

「......レーダス先生」

 

 グレン=レーダス。ロクでなしなのか善人なのか、凡人なのか英雄なのか、或いは正義なのか悪なのかいまいち判然としない男。それを見て、俺はくつくつと笑った。

 特に意味はない。何となく笑えた──酒が入った人間に理由など求めても無駄である。

 

「病み上がりが酒飲んでんじゃねぇよこのアホ。というか飲むなら安酒にしとけよ......!」

「......そーっすね、すいません」

 

 しかし同じように一口煽り、「うわきっついなこれ」とグレン=レーダスは呟く。いや注意するなら飲んじゃダメじゃないのか。いや別にいいのか? いよいよ判断能力が怪しくなっている。

 

「先生」

「んだよ?」

「アルベルトさんに、礼言っといて下さい。お陰で生き残れました、って」

「......ああ、機会があればな」

 

 一瞬神妙な顔になり頷く。一応は教え子のくくりに入る俺が被害を受けたということで何か思うことでもあるのかもしれない。

 

「あと、酒返して下さい。今飲みたい気分なんすよ」

「はぁ? お前なぁ............ったく、今日だけだぞ」

 

 そこ返していいのかよ。まあ俺はいいけど。

 投げ渡された酒を再び煽り、視界を戻す。しかしそこには仏頂面でこちらに手を伸ばす教師がいて。

 

「......これ、何の手です?」

「んな高い酒お前にだけ飲ませられっかよ。あの白猫は二本も空けやがったし......ヤケ酒だ、付き合えシェロ」

「はははは」

 

 マジでロクでもねぇ。

 

「あんたそれでも教師かよ」

「不良学生に言われたかねぇな」

 

 ちびちびと回し飲みしながら、無駄に綺麗な空を何も考えずに馬鹿みたいに仰いだ。店内からは喧騒が伝わり、気付けばレーダス先生は聞いたこともない曲を鼻歌で歌っている。

 

 

──そして。体内からは、鍛鉄の音が響いていた。

 

 








飲まなきゃやってられない主人公。翌日、そこには二日酔いで呻く教師と学生の姿があったとか。


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アイアンクローはすこぶる痛いので年に三回までとする。

ようやく三巻がスタート。そして増えるお気に入り、逆に下がる評価。いつも通りすぎて安心したぜ......! やっぱりテンプレ無双転生主人公は大人気だな!わぁい!





 

 

 

 

「フッ──!」

 

 放たれる拳を寸前で回避し、頬を掠める大気の圧力を感じながら肘を軌道に置く。しかし相手は既に行動を変更済みだった。

 まるで蛇のように下段から強襲する拳をいなし、回転に巻き込みながら裏拳を叩き込む。しかしそれは肘に手を置くことで無効化され、膝の内側を巻き込むように払われる。

 

「なッ──あ?」

 

 くるりと見事に回転した俺は後頭部を地面に強打する──寸前、襟首を捕まれ停止する。後頭部が地面ギリギリを擦る感覚に肝を冷やしながらも息を吐いた。どくどくと心臓が脈打つ感覚。

 呼吸を整えて相手の顔を見上げれば、逆光でありながらも笑っているのがわかった。

 

「一本、だな」

「......徒手格闘に関しては、ほんと化け物レベルですね」

 

 相当な使い手でなければ対抗は難しいだろう。ぐいっと引っ張られたたらを踏むが、どうにか息を整えて目前の男を見つめる。

 

「おいおい、俺なんか下から数えた方が早いんだぞ? 【隠者】のおっさんなんてこの比じゃねぇよ」

「......やっぱ特務分室は化け物しかいないみたいっすね」

 

 元執行官ナンバー0【愚者】のグレン=レーダス。優れた魔導士であるほど固有魔術(オリジナル)である【愚者の世界】に封殺され、また手段を選ばないその無慈悲さによって数々の格上の魔導士を殺してきた──言わば格上殺し(ジャイアントキリング)に関してはプロフェッショナルなのがこのグレン=レーダスという男だ。

 

「お前も筋は悪くない。技術こそまだ拙いが、その勝負勘と攻守の流れの読み方はなかなか良い線いってるぞ?」

「勝負勘......ですか」

 

 曖昧なその言葉に怪訝な声が洩れる。そんな俺の様子に、レーダス先生は片眉を跳ね上げた。

 

「勝負勘──まあ言ってしまえば"経験則に基づく直感"だよ。敵が姿を眩ませたら大体背後を狙ってくる、とか。思考過程を破棄して結果だけを予測する直感力のことさ。戦ってる時に悠長に考え事なんてしてられるか? 無理だろ?」

 

 そしてこの勝負勘は魔術戦でも、それこそ剣術でも役に立つ。

 そう言ってレーダス先生は手袋についた土埃を払い落とし、にしても、と意外そうに続けた。

 

「お前がまさか俺に『特訓してくれ』だなんて言い出すとはな」

「そんなに意外ですかね?」

「そりゃ意外だろ。だってお前、それなりに剣で鍛えてんだろ?」

 

......やはり驚異的な観察眼だな、と俺は苦笑する。

 

「やっぱり、簡単にわかるもんなんですかね」

「そりゃあな。手をみりゃド素人でもなければ大体気付くだろうよ」

「......マジですか」

 

 『自分なんて雑魚だ』と普段卑下こそしているが、やはりこの男も怪物の一人だということを改めて再認識する。確かに【愚者の世界】は魔導士からすれば脅威だろう。だが、たかがその程度の固有魔術(オリジナル)だけで生き残れるほど帝国の暗部は甘くない。グレン=レーダスはあらゆる戦闘技術、そして演算思考を自身の限界点まで鍛えぬいているのだ。

 手段を選ばない冷徹さと敵を死角から殺す思考の柔軟性──そしてその手数の多さがグレン=レーダスをその若さで執行官足らしめていたのである。

 

 しかし、きっとそれは生半可な努力では到達不可能な境地だ。幾度も血反吐を吐きながら、時に死すら覚悟しながら進んできた筈だ。ならば、そんな男は何故そうも進めるのだろうか。その精神的支柱となっているのは何なのだろうか。

 

「お前がまさか拳闘の特訓に精を出すとはねぇ......まあ俺はそこまで剣使えねぇし、その方が有り難いけどな」

「......手段は多ければ多いほど良い。剣も格闘も使えるに越したことはないでしょうよ」

「ほーう?」

 

 そこで何かに気付いたかのようににんまりとレーダス先生が笑みを浮かべる。

 

「どうしてそんなに強くなりたいのかなー? ひょっとして誰かを守りたいとか、そういう青春的でロマンチックなあれなのかなー? 僕すっごく気になるー」

「心底うぜぇ......」

 

 ぶふ、と後ろで誰かが噴き出すような音がしたが黙殺する。相変わらず根性がひん曲がった講師だ、と俺は嘆息した。

 

「別にそんなんじゃないですよ。俺はいつだって俺のためにしか動かない」

 

 守りたいから、ではない。喪うことが怖いから──ただ恐怖から逃げるために強くなる。この上なく後ろ向きな理由だろう。

 

「自分すら守れないくせに、他人を守るなんて烏滸がましいにも程がありますからね」

 

 そう締め括り、俺は顔を上げ──思わず絶句した。そこにあったのはおちゃらけたいつものレーダス先生ではなく、何かを悔いるような男の顔だった。

 

「......そう、だな。自分すら救えない(守れない)癖に他人を救う(守る)なんてほざく奴は、ただの馬鹿だよ」

 

 自嘲でもするような口調。何か核心に触れてしまった気がして、俺は押し黙る。

 

「お前は正しいよ、シェロ。だから──決してその言葉を忘れるな」

 

 理屈抜きに理解する。これはグレン=レーダスの──執行官ナンバー0【愚者】としての言葉なのだと。教師としてではなく、一人の人間としての警告なのだと。

 

「人間には限界がある。人の手ってのは二本しかないんだ......何もかも掴もうとすれば、いずれ全てを取り零す」

 

 昏い瞳だ。

 俺はその様に息を飲み、深呼吸した後に口を開くと──。

 

 

「......あの。二人とも私がいること忘れてない?」

 

「「んんッ」」

 

 ジト目で此方を睨むフィーベルの言葉に、シリアス風味な空気が霧散する。同時に咳払いし、一旦もとの空気へとリセットされた。

 

「そうだな、うん。じゃあ次は白猫とシェロが組み手してみろ。案外いい勝負になるんじゃないか?」

「えっ」

「そうね......こんなのに負けてたら、ルミアを守るなんて夢のまた夢だもの」

「えっ」

 

 結局フィーベルとの組み手は俺の優勢で終わったが、ヒヤリとさせられる場面も多々あったとだけ言っておこう。実は案外才能があったりするのだろうか。

......何故か笑顔で首を絞められる俺の姿が幻視されたが、きっと気のせいだろう。気のせいな筈だ。あれ以上格闘性能が上がってたまるか。

 

 

 

 

 早朝の拳闘訓練が終われば、その後は普通に登校して授業が始まる。眠い。だが寝れば最近技のレパートリーが増えてきたフィーベルの餌食となってしまう。だが眠い。どうしたものだろうか。

 

「つまり半分寝て半分起きればいいんじゃないか、という発想に至ったんだよカッシュ」

「うん、悪いことは言わないから一回寝ろ。お前マジで今頭おかしくなってるから」

「失礼な。それは元からだ」

「......うん、やっぱ寝ろよお前」

 

 実は自分でも何言ってるかわかんなかったりする。とりあえず眠い。

 

「にしても、今日はグレン先生遅いな。また寝坊か? それとも徹夜で競馬の必勝法でも考えてたのか?」

 

 どちらも今まで実際にあったのだから笑えない。もう少し私生活をまともに送る気はないのだろうか。

 だがまあ、今日に限ってそれはない。流石にあの後家に戻って二度寝したとは考えにくいし、何かしら面倒事でも起きたのだろう。それはともかく眠いが。

 

 とか何とか考えていると、ようやくいつも通りに戸が開け放たれ、何やらどんよりとした空気を纏って黒髪の講師が教室に足を踏み入れた。

 

「......おー、全員揃ってんな。んじゃ授業を始める......前に、一人編入生を紹介する。お前らが散々ぱら噂してたあれだよ、わかんだろ?」

 

 そう言ってちょいちょいとレーダス先生が手招きする。そうしてクラスメイトに加わるのであろう人物が同じように足を踏み入れ──教室中から感嘆の声が洩れた。

 

「本日から、新しくお前らの学友となるリィエル=レイフォードだ。まぁ、仲良くしてやってくれ」

 

「おぉ......」

「......か、可憐だ」

「うわぁ、綺麗な髪......」

「なんだかお人形さんみたいな子ね......」

 

 教壇の横に立つ少女は、確かに"お人形"という言葉が最も似合うのかもしれない。

 見れば決して忘れることのない淡青色の髪に瑠璃色の瞳、そして実に端麗なその相貌。だがその体は微動だにすることなく直立しており、彫像のような静謐な佇まいは何処かミステリアスな雰囲気すら醸し出している。

 

──まぁ大剣ぶん回してたけど。

 

「あー、まぁ、とにかくだ」

 

 実に強引かつ雑なやり方で、レーダス先生が収拾がとれなくなりつつあった生徒達の注意を集める。

 

「お前らも新しい仲間のことは気になるだろうし、まずはリィエルに自己紹介でもしてもらおうか。つーわけで、リィエル」

 

 クラス中の衆目がリィエルへと集まる。そして、静まり返った中でその言葉に傾聴しようとするのだが──。

 

「....................................................」

 

 ガン無視だった。というかぼけっと空中を見ている。果たして聞いてるのだろうか。 

 

「......って、おい。聞こえなかったのか? それともわざとか?」

「......?」

 

 小突くレーダス先生を不思議そうに流し見し、リィエル=レイフォードと呼ばれる少女は首を傾げた。

 

「あの......頼むから自己紹介してくれませんか?」

「......なんで? わたしのことを紹介してどうするの?」

「いいからやれ! 頼むから! お決まりっつーか、定番っつーか、そういうもんなんだよ!こういう場合!」

「......そう、わかった」

 

 微かに頷き、蒼髪の少女が一歩前に出る。そして──。

 

「......リィエル=レイフォード」

 

 ぽつりと呟いて、ほんの少しだけ頭を下げた。

 

「......................................................」

 

「......おい、続きは?」

「......もう終わった」

 

──あー、キャラ濃いなぁ、と遠い目になる。

 もう既に天使と説教魔とドジっ娘お嬢様がいるのに加えて、天然系無口がついに参戦。キャラ被りしてないのが幸いだが、こんな調子でこれからも増えてくのだろうか。ラノベかよ。次はあれか、武人系美少女か。

 

「名前しか紹介してねえだろぉがッ!? てか、名前の紹介は最初に俺がやったッつーの!? ふざけてんのか!? どんな思春期真っ最中で『斜に構えまくったクールなオレかっけー』的なガキでも、もうちょっとマシな自己紹介するわ──ッ!?」

 

「おい眼鏡(ギイブル)のこと馬鹿にすんのやめろよ」

 

 後ろでカッシュが噴き出すのが聞こえた。ついでに何やら殺意が突き刺さってるが振り向くのが非常に恐ろしいので気にしないことにする。すまん......俺真実しか言えない純粋な少年なんだ......!

 

「でも、グレン。何を言えばいいかわからない」

「なんでもいいんだよ、趣味でも特技でも! とにかく皆がお前のことを知れるように、お前自身のことを適当に話せるだけ話しときゃいいんだよ!」

「......そう、わかった」

 

 微かに頷き、レイフォードは改めて一歩前に出て──。

 

「リィエル=レイフォード。帝国軍が一翼、帝国宮廷魔導士団、特務分室所属。軍階は従騎士長。コードネームは【戦車】、今回の任務は」

「だあぁああああああああああああ──ッ!」

 

 突如、レーダス先生が奇声を上げてレイフォードを横抱きにかっさらい、猛スピードで教室の外へと飛び出していく。

......というか何かもう色々と聞こえたけど、どうすればいいのだろうか。また特務分室かよ。しかし、任務......?

 ちらりと大天使ルミア様の方へと視線を向ける。十中八九彼女が原因なのだろう、が。もし護衛だとしても、あんな様子で大丈夫なのだろうか。

 

 そうして数分後、ようやく戻ってきたレイフォードは再び自己紹介を始めたのだが──。

 

「......将来、帝国軍への入隊を目指し、魔術を学ぶためにこの学院にやってきた、ことになった。出身地は......ええと、イテリア地方......? 年齢は多分、十五。趣味は......確か......読書。特技は......ええと、なんて言えばいいんだっけ? グレン」

「俺に聞くな」

 

 何というか、もう、色々とぐだぐだだった。

 

 その後はナーブレスが家族のことで質問したり、レーダス先生と禁断の関係なのが発覚したり、最終的に男子が血涙を流しながらレーダス先生に殴りかかったりしたのだが......まぁ、うん。いつも通りな気がしないでもない。

 

 何だか馴染めそうだな、と考えながら俺は眠りにつく──ことは出来ず、フィーベルによるアイアンクローの痛みに呻くのだった。あたまがいたひ。




Q.何でシスティーナは格闘技にやたら精通してるの?

A.母親がアレだからです。システィマッマ可愛い。


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目玉焼きは塩か醤油かソースなのか。

 

 

 

 

 

「《雷精よ・紫電の衝撃を以て・撃ち倒せ》」

 

 基礎魔術でも初歩の初歩、もうこれが使えなかったら『お前この学院に明日から来なくていいよ』と言われるレベルの基礎魔術──【ショック・ボルト】。投影に全リソース突っ込んでるとしか思えない俺でも三節詠唱すれば何とか使えるようなそれだったが、擬似質量を付与された電撃は的をギリギリかする。

 

「......六分の二。お前ほんっと魔術使えないんだなぁ」

「いや、いつもそう言ってるじゃないですか」

 

 あらぬ方向へ飛んでいったり手前で力尽きて消滅したり、もう習いたての一年次生に敗北するんじゃないかというレベルで惨々たる結果だ。うん、筆記で頑張るから許して。

 

「ま、要練習......ってことで。んじゃ、次はリンな」

 

 かすった程度だがどうにか命中判定を貰えたらしく、俺はほっと溜め息を吐いて後方へと下がる。肩を叩かれ、振り向けばカッシュが超笑顔でサムズアップしていた。ぶっ飛ばすぞ。

 というかお前ゼロだったろーが。どれも俺より惜しかったけど。

 

「......六分の二か。まぁ、落ちこぼれにしては頑張った方じゃないのかい? そこのデカブツよりはマシ、程度の成績だけどね」

「なっ......んだとテメェ!」

「落ち着けカッシュ、お前がデカブツで割と脳筋なのは否定できん」

「ちょ、ちょっとイグナイト君!?」

 

 ギイブルが俺をダシにしてカッシュを煽り、男の娘枠のセシルがおろおろし、俺がカッシュを宥める──振りをして煽る。まるで一歩間違えれば喧嘩になりそうな関係性だが、これが不思議なもので、別に仲が悪いわけでもないのだ。

 

「ったく......そういうお前はどうなんだ、ギイブル? ん? そういうからには自信があるんだろうな?」

「ふん。まぁ、黙って見ていればいいさ」

「おーい、次、ギイブル。お前だ、行け」

 

 丁度レーダス先生に呼ばれ、ギイブルは狙撃の定位置へと歩いていく。その気になる結果だが──。

 

「......ちっ。相変わらず嫌になるほど優秀だな」

「あ、あはは......ギイブル君は努力家だからね......」

「全部綺麗に中心に当たったな。あいつめっちゃ目が良いんじゃねぇの? あれひょっとして伊達眼鏡?」

 

 案の定六分の六。悠然と戻ってくる姿は"出来て当然"という雰囲気すら漂っており、嫌味なことこの上ない。これぞ煽り眼鏡(ギイブル)である。その眼鏡割るぞテメェ。

 

「さて......と。よし、リィエル。お前の番だ。やれ」

「......ん」

「いいか? 同じ的を狙ったらダメだぞ? 」

 

 ぐちぐちとレーダス先生が懇切丁寧に説明し、律儀にレイフォードが頷く。そして定位置に立ち、遥か二百メトラ先のゴーレムを眠たげな瞳で見据えたレイフォードは前方を指差し──。

 

「《雷精よ・紫電の衝撃を以て・撃ち倒せ》」

 

 普通に外れた。しかも、的どころかゴーレムに掠りもせずに。

 何とも微妙な空気が場を満たすが、当の本人は淡々と詠唱を繰り返す。しかしその悉くがものの見事に四方八方へ飛んでいき、俺は眉をひそめる。

 

「これが、【戦車】の執行官......?」

 

 俺にすら劣る制御能力。果たしてこれが本当に特務分室のメンバーなのか疑念を抱いたその瞬間、レイフォードは傍らのレーダス先生を見上げた。

 

「ねぇ、グレン。これって【ショック・ボルト】じゃないと駄目なの?」

「駄目とは言わねーが......この距離じゃ、他の攻性呪文(アサルトスペル)だとマトモに届かねーぞ?」

 

 【ショック・ボルト】じゃないと駄目だというより、この長距離を効果的に狙える学生用の呪文は【ショック・ボルト】くらいしかない。雷撃系の魔法は面制圧にそ向かないが、こういった長距離狙撃や着弾時間の速さに定評があるのである。

 しかし。レイフォードは小首を傾げて再度尋ねた。

 

「つまり、呪文自体は何でもいい?」

「まぁ、一応、そうだが......」

「わかった。なら、わたしの得意な呪文でやる」

「......は? おい、言っておくが、軍用魔術は禁止だからな?」

「大丈夫。問題ない」

 

 ぼそぼそとそんな声が聞こえてくる。というか今フラグ立った気がするんだけど。

 しかしレイフォードは二百メトラ先のゴーレムに対して、再び向き直る。そして、次の瞬間。

 

「《万象に請い願う・我が腕手に・十字の剣を》」

 

 紫電を撒き散らしながら、レイフォードが身を屈めて触れた地面に巨大な魔法陣が展開される。出現するのは身の丈を越える十字大剣(クレイモア)

 思わずその場にいた全員が絶句する中、レイフォードはその大剣を、あろうことか──。

 

「いぃぃぃやぁぁぁああ──ッ!」

 

 投げた。ぶん投げた。超投げていた。

 唖然としてその軌跡を見ていたが、しかも信じられないことに、二百メトラも先のゴーレムに見事命中。哀れゴーレムは爆発四散! 南無三、ハイクを詠む暇もなし!

 

......と、まぁ。冗談は置いておくとして。

 

「は、はは。何だそりゃ」

 

 戦慄する。その錬成速度に、ではない。あんなものは俺でも出来る。リィエル=レイフォードの怪物性はそこにはない。

 無詠唱による【フィジカル・ブースト】。確かにそれも驚異的だろう。しかしそうではない。そうではないのだ。

 

 あの華奢な身体では、本来あんな大剣を振るうなど土台不可能な話だ。しかし、リィエル=レイフォードはあろうことか、それを二百メトラ先の的に向けて正確に投擲すらしてのけたのだ。それはただ身体強化しただけでは不可能な芸当である。

 つまり。レイフォードは通常では一部にしか付与しない身体強化呪文を"全身に"付与し──そしてバネのようにその全運動エネルギーを大剣の一点へと注ぎ込んだのだ。

 

「すっげぇ......」

 

 思わず感嘆の声が洩れた。完成されている。無詠唱の【フィジカル・ブースト】、それを全身に張り巡らせる魔術展開、そしてともすれば容易く自壊するほどの暴力を完璧に制御しきる天賦の運動神経──認めよう、あれは確かに怪物だ。あの若さで執行官であることも納得がいく。

 例えるなら、あれは一瞬でトップスピードに到達するモンスターマシンのオンオフを自在に切り替えながら小回りがきくように操縦しているようなものだ。一瞬でもミスをすればあらぬ方向へ腕が曲がり、骨は砕け、肉は裂ける。肉体の速度に意識がまずついていけないはず。

 

......なのだが。

 

「天才......か」

 

 恐らくあれは直感だけで身体を動かしていた。そこに理屈などなく、ただ染み付いた動きを何も考えず為したのみ。本能だけであの領域に辿り着いている事実に驚愕する。

 生半可な技では受け流す前に押し潰される。ただの防御であればその上から叩き斬られる。パワーファイターの究極形......ただ強く速く、そして重いだけの単純な剣。故に最強。

 

 故に──【戦車】。

 

「......ん。六分の六」

 

 何処か自慢げに呟く少女の肢体は、よく見れば細くはあるが肉食獣のようにしなやかな筋肉が備わっていた。乱雑に纏めた蒼い髪を揺らし、常に眠たげなレイフォードは豹のようにすら見える。

 

「あ、あのなぁ、リィエル......攻性呪文(アサルトスペル)使えっつったろ......」

「ん、攻性呪文(アサルトスペル)。......だって、あれ、錬金術で錬成した剣だし」

「間違ってる......その解釈は絶対、間違ってる......」

 

 レーダス先生は呆れ果てたように空を仰ぎ、他の生徒は規格外の結果に怯んでいる。

 そんな何とも言えない雰囲気になってしまっている中で、俺は無言でその少女を見つめていた。

 

 

 

 

 少し経って昼休みの時間となった。未だに教室には妙な空気が漂っている。その原因は無論のこと、リィエル=レイフォードである。

 

「......んで? 何で俺は取っ捕まってるんですかね?」

「まぁ待て落ち着けシェロ。お前はちょーっとばかしリィエルに話しかけてくればいいだけなんだ。簡単な仕事だろ?」

 

 へへへ、と何故か揉み手をするレーダス先生を一瞥し、俺は額に手を当てて嘆息する。

 

「そんなに心配なら自分で話しかけりゃいいじゃないですか」

「いや、俺一応教師じゃん? そこは生徒の自主的な成長に任せてだな」

「自主的って言葉を辞書で引いてきやがれください」

 

 ばりばり俺を使おうとしてただろーが。

 

「いやそこを何とか頼むって。流石に見てられないというか......主に俺の昔を思い出してだな」

「レーダス先生......」

 

 あんたぼっちだったのか。

 哀れんだ目で見ていると、目潰しをかまそうとしてきたため慌てて避けた。カウンターに鳩尾へ拳を叩き込むもあっさりと受け止められて終わる。......ちっ。

 

「それで? 話しかけてどーしろと?」

「食堂にでも誘ってやってくれよ。簡単だろ?」

「地味にハードル高いっすよそれ」

 

 冷静に考えてみよう。編入初日の美少女に向かって『Hey、俺と一緒にお茶しない?』とかいう奴がいたら周囲はどう感じるだろうか。とりあえず俺は社会的に死ぬ。

 

「いやぁ大丈夫大丈夫! どうせお前、下がる株も無いんだし!」

「喧嘩売ってんのかテメェ......というか、俺の出る幕ないみたいっすよ?」

 

 ほれ、と指せばそこにはレイフォードを誘う二人の少女の姿がある。いつもの二人組、即ち大天使と説教魔のコンビである。

 

「お、おお......! 流石ルミア......って、うん? つっても護衛対象と接触してるってのは......うぅむ......」

「なにぶつくさ言ってるんですか」

 

 うーんうーんと首を傾げたり身を捩ったり気持ち悪い動きをしていたレーダス先生だったが、結論が出たようで「まぁいいか」と呟いて頷いた。俺は帰っていいのかしら。

 

「んじゃ、そう言うわけで俺は──」

「よぉし、あいつらを追うぞシェロ!」

「えっ」

 

 そうして鼻息荒く食堂へと突撃するレーダス先生に引き摺られ──。

 

 

 

「目玉焼きに醤油はねーわ」

「あ"? ソースの方が有り得んでしょうが」

 

 何故か俺たちは『目玉焼きに合う調味料』について議論、というか口喧嘩していた。というかレーダス先生、あんた本来の目的忘れてないか。

 

「というかおたくの娘さんどういう教育してるんすか。さっきから苺タルトしか食ってないように見えるんだけど」

「......あいつにとっちゃ食事はただの"補給"だったからな。ああいったのを食うこと自体が初めてかもしれん」

「はぁ?」

 

 思わず目を見開く。ということはまさか、今までレイフォードは軍用食しか食ってなかったと?

 

「そりゃまた何というか......」

 

 哀れむべきか怒るべきか。しかし事情もろくに知らず糾弾することも憚られ、俺は眉をひそめるに留めて目玉焼きを口に運ぶ。やはり半熟は至高。

 

「......にしても、あんなに食って大丈夫なんすかね? カロリーとか栄養バランスとかかなり心配になりません?」

「あー......そうだな。後で一応言っとくかねぇ」

 

 がりがりと後頭部を掻き、レーダス先生は溜め息を吐く。しかし俺はもうひとつ気になることがあった。

 

「フィーベルのやつ、何であれで足りるんですかね」

「スコーン二つって、あいつひょっとしてカジノで全財産すったのか? もしくは酔っぱらって大穴に全賭けしたとか。しょうがない、ここは俺の奥の手であるシロッテの木の位置を──」

「あんたと一緒にするんじゃねーよ」

 

 それはともかく。

 

「ま、年頃の女子として体重でも気にしてるんだろうよ。これ以上痩せてもどうかと思うけどな」

「そんなもんですかねぇ......あれだとぶっ倒れるんじゃないかって気もしますけど」

 

 余程燃費が良いのだろうか。或いは軽いから消費が少ないか。いや、むしろ空気抵抗の差が──。

 

「──ッ!」

「──ッ!」

 

 その瞬間、俺とレーダス先生は同時に何かを悟った顔になる。そう、俺達は世界の真実に気付いてしまったのだ。

 

「......そう、か。ルミアが実は相当なポテンシャルを秘めていたことは知っていたが、あれは日々の健啖によるものだったんだな......」

「ええ。そしてフィーベルは体重を気にするあまりに栄養が回らなかったのでしょう。この世界は......残酷だ......!」

 

 レーダス先生は悔しさに拳を握り締める。ぺたーん、ぺたーんと並んだ横でのエベレスト。その驚異的な──いや胸囲的な格差を生み出してしまった原因を知ってしまったが故の絶望だった。

 

「す、すまねぇリィエル......! 俺が、もっとお前の食事事情を知っていたら、今頃お前は!」

「レーダス先生......!」

 

 悔しさに歯を食い縛る男の肩に手を置き、俺は震える声で告げる。

 

「違うんだ......ッ! あなたは、あなたは悪くない......ッ!」

「違わないさッ! 俺が、リィエルをあんなにしちまったんだ......!」

 

 エベレスト、平原、焼け野原。

 何故かそんな言葉が思い浮かぶ程に、そこには圧倒的な戦闘力の差があった。これが世界の選択だと言うのだろうか。あまりに残酷な事実を前にして、俺達はただ打ち震えるしかなかった。

 

「神よ、何故我等を見捨てたのですかッ......!」

「こんなの......こんなの残酷過ぎるだろうよッ......!」

 

 

 

「いや、何やってんのあんたら」

「「......世界平和についての議論?」」

 

 呆れた様子のカッシュにつっこまれ、顔を見合わせた俺とレーダス先生は異口同音にそう答えるのだった。

 



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作戦は奇を以て良しとすべし、だ。

ひぐらし観てたら遅くなりました。そして日常回もういらねぇよ!と考えてる人はすいません、もう少しだけ待ってください。エレノアちゃんステンバーイ......ステンバーイ......







 

 

 リィエル=レイフォードがこの学院に来て一週間が経った。

その間何のトラブルもなかったと言えば嘘になるが、しかしあの常識の無さからすれば驚くほどまともな学校生活を彼女は送っている。それもこれもフィーベルと大天使ルミア様のサポートがあってのことなのだろうが──正直に言おう。レイフォードの存在による弊害を最も被っているのは俺だ。

 何しろレイフォードに対する心配が度を越しているレーダス先生に毎日毎日拉致られては尾行紛いの行動に同行させられているのだ。もうやだあのロクでなし講師。お前だけで行けよ俺連れてくなよ。もし交換条件に単位と昼食代がなかったらとっくにアルフォネア教授に報告してんぞ。

 

 まぁそんなわけで激動の──主に物理的な意味で──一週間だった。お陰で俺の眠気がマッハ。最近あまり夜更かししてないのにどゆことなの......?

 

「とまあ、そういうわけで......」

 

 放課後のホームルーム。さも面倒臭そうに、レーダス先生は教壇で告げた。

 

「これから、お前らが受講する『遠征学修』についてのガイダンスをするわけだが......ったく、なーにが『遠征学修』だよ?......どう考えてもこれ、クラスの皆で一緒に遊びに行く『お出かけ旅行』だろ......」

「もう、先生ったら! 真面目にやってください!」

 

 『遠征学修』──前世で言えば修学旅行ほどではないにしても、林間学校とかそんな感じに近いイベントだ。ちょっと遠出して施設とか見学して遊んで終わり、みたいなもんである......のだが。

 

「だいたい、『遠征学修』は遊びでも旅行でもありません! アルザーノ帝国が運営する各地の魔導研究所に赴き、研究所見学と最新の魔術研究に関する講義を受講することを目的とした、れっきとした必修講座の一つな訳で──」

「はいはい、そうでしたそうでした。ご丁寧な解説ありがとうございます」

 

 うんざりしたようにレーダス先生は頭を掻く。今日もブレることのないフィーベルの様子に欠伸が洩れた。寝ていいっすか。どうせ班決めやら馬車のメンバーもカッシュ及びいつもの四人組で組むのだから、考える必要もない。

 

「先方も忙しいところを私達のために予定を開けてくれるんですから、先生も私達の引率者としての自覚をきちんと持ってですね──」

「はいはいはいはい、わかりました、わかりました! もう勘弁してくれ!?」

 

 説教を受けるレーダス先生の様子に若干溜飲が下がる。それをぼけっと眺めつつ、うつらうつらとし始めたところで肩を叩かれた。

 

「よっす。それで、シェロはどうするんだ?」

「あん? どーするって、そりゃ......」

 

 話の流れが読めない。なので適当に答えることにした。

 

「釣り道具でも持っていくんじゃねーの?」

「いや、そういう事じゃなくてだな......ってか、釣り?」

 

 カッシュは驚きに目を丸くした。俺は欠伸混じりに説明する。

 

「今回行くあれ......そう、十八禁魔導何とか」

「いや、白金魔導研究所でしょ!?」

「そうそう、それそれ」

 

 セシルのツッコミに満足しつつ話を続ける。

 

「白金だか黄金だか知らんが、そこって確か海に面してたろ? だから釣りでもできそうかと思ってな」

 

 基本的にフィジテから離れる機会のない以上、釣りをすることもそうそうない。海と言えば釣り、釣りと言えば海──希少な機会なのだ、これを利用しない手はない。

 

「ほー、だから釣りって事か......実際にやったことないけどどうなんだろうな──」

 

「甘いッ! 甘いなぁシェロ=イグナイトッ!」

 

 なんだこのうざったい生き物。

 カッシュを押し退けて乱入してきたレーダス先生を見て顔をしかめる。というか後ろでまだフィーベルがなんか言ってんぞ。いいのかあれ。

 

「白金魔導研究所は地脈の関係上サイネリア島に位置している。そしてサイネリア島はリゾートビーチとして有名──だが、何故そこで釣りの発想しか出てこない!」

「ま、まさか......!」

 

 押し退けられて画面外に退場したカッシュが復帰し、何かもう作画が違う感じの顔になる。そしてそれは、セシルやギイブルを除いた男子も同様だった。怖ぇよ。

 

「ふっ......ようやく気付いたか、お前達。そして、この『遠征学修』は自由時間が結構、多めに取られており、まだ少々シーズンには早いが、サイネリア島周辺は霊脈(レイライン)の関係で年中通して気温が高く、海水浴は充分に可能ッ......!」

 

 こちらも作画が何か違う──というか何でジョ○ョ立ちしてんだこいつ。

 

「さらに、うちのクラスには、性格はともかく......そう、性格はともかァく! やたら! レベルの高い美少女が多いッ!」

 

「何故そこを強調した」

 

 背後でフィーベルが何か凄い顔になってたけど見なかったことにする。レーダス先生......あんた死ぬのか......?

 

「あとは、わかるな?」

「「「せ、先生......ッ!」」」

「みなまで言うな。黙って俺についてこい!」

「「「はい!」」」

 

 奇妙な共感と友情によって、教師と生徒が強固な絆で結ばれた瞬間であった。ちなみにその数秒後、レーダス先生は更なる説教祭りによって死んだ顔になっていたという。ざまぁ。

 

 

 

 

 そんなこんなで二日経ち、『遠征学修』当日となった。その間にカッシュがため込んでいた金を(なげう)ってボードゲームを購入したり、俺がその相手をしてやったりしていたのだが──。

 

「おいカッシュ、お前寝不足だろ」

「あー......わかるか?」

「誰でもわかるわ。テンションは高いけど死ぬほど眠そうだぞ」

 

 はぁ、と大袈裟に溜め息を吐いてみせる。駅馬車を待つ生徒達が諸々雑談する中で見回してみせれば、カッシュと同じような様子の生徒が幾人か見られる。

 

「ったく......旅行が楽しみで寝られないとかガキかっての」

「イグナイト君も相当楽しみにしてるように見えるけどね......」

 

 当然だろ、と俺はセシルに向かって頷いた。

 

「この日の為にちょっと奮発したんだよ。製作費だけで貯金の三分の一が消し飛んだからな」

「え、それ作ったの!?」

 

 投影とかも利用して大人げなく魔改造した釣竿である。本来この世界に存在しないリールも装備させた完全非合法なものだ。知識チートという程でもないがちょっとだけ見せられないよ!というものになっている。

 

「どうりでお前の荷物がやたら多いと思ったよ......俺も同じだけどな!」

 

 うぇーい、と馬鹿二人でハイタッチ。最早完全に修学旅行のノリである。

 

「......ふん。君達は本当に相変わらずだね。僕達は遊びに行くわけではないのだけれど?」

 

 いつも通りに少し離れた場所で冷笑を浮かべるギイブル。それに対して食ってかかろうとするカッシュを抑え、俺は口笛を吹いてみせる。

 

「ほーお? ギイブルくんは負けるのが怖いのかね?」

「......なに? どういう意味だ、それは」

「いやいや別にー? 今回カッシュが持ってきてるボードゲームの中に"ショーギ"っていう東方由来の対戦形式のやつがあるんだけどさぁ......勝ち抜き戦でもやろうかと思ってたんだけど、この調子じゃあギイブルは不戦敗かなぁと思ってね」

 

 その言葉にぴくり、とギイブルの眉が跳ね上がる。

 

「いやだがまあ仕方ない! 別に! ギイブルくんはカッシュに頭の回転で劣るということを実証されるのが怖くて! 勝負を避けている──なんて訳じゃないのは俺がよく知ってるから、な?」

 

 口の端がぷるぷると震えている。あと一押し。何やらセシルがうわぁ、みたいな顔をしているが気にしない気にしない。

 

「だから君は安心して不戦敗扱いされるといい! そう! 不戦敗ィ──!」

「ぐ、この......! 実に安くて陳腐な挑発だが乗ってやろうじゃあないか......!」

 

 流石にこうも煽られたら引っ込みがつかないのだろう。こめかみに青筋を立てながら睨んでくるギイブルににっこり微笑み、俺はカッシュの肩に手を置いた。

 

「じゃ、あとはよろしく☆」

「よろしくじゃねぇぇぇえ! あれマジモードじゃねぇか!」

「ちなみにセシルも参加確定だから」

「僕もなの!?」

 

 当たり前だ。逃げられると思うなよ?とその肩に手を置く。

 

「三人揃えばなんとやら。俺達三人であのギイブルで勝つぞ! ぶっちゃけ惨敗する未来しか見えないけど!」

「何でお前煽ったの!?」

 

 がっくんがっくんと揺さぶられながらHAHAHA☆と笑い声を洩らす。何でってそりゃあ、ノリに決まってんだろカッシュくん。

 

......と。そんないつもの感じで騒いでるところに、全く以てやる気のなさそうなレーダス先生の声が届いた。

 

「全員、いるかー? いるなー? じゃ、出発するぞー」

 

 

 その後、担任講師であるレーダス先生の引率の下、俺達は手配されていた駅馬車──都市間移動用の大型コーチ馬車数台に、いくつかの班に分かれて乗り、フェジテを出発した。フェジテの西市壁門から出発した駅馬車は、その南西に延びる街道を下っていく。行く手に広がるのはのほほんとした牧草地帯であり、羊がめーめー鳴いて犬がわんわん追いかけ回す様はなんとも牧歌的で───やたらと眠気を誘う。ボードゲームやカードに興じていた俺とカッシュ、そしてセシルとギイブルだったがいつの間にか睡魔に捕まってしまっていた。

 

......いたのだが。

 

「なぁ、まだ着かねぇの? そろそろケツ痛くなりそうだわ」

「しょうがないよ、それなりに遠出するんだし」

 

 早朝から出発し、昼も夜もカッポカッポ進み続けてなお着かない。今ほど自動車という存在がないことを恨んだことはなかった。

 

「このままだとケツが二つに割れちまう」

「その古典的なネタには突っ込んだ方がいいのか?」

「やだ......ケツに突っ込むとかカッシュくん不潔......!」

 

 頭をひっぱたいてくる手を回避し、死ぬほど下らない話をしながらげらげら笑う。しかしそれでも暇なためやはりボードゲームなどを利用して暇を潰し──。

 

「あれがシーホーク、か」

 

 正午になり、ようやく俺達はフェジテ南西に位置する港町"シーホーク"に到着した。しかしまだ目的地ではないというのだからげんなりとしてしまう。

 

 その後馬車の停車駅でいったん解散し、再びカッシュ達と共に近くで食事休憩をかねて自由時間を取り、船着場へ集合。そうして一人遅れているレーダス先生を待っている間にフィーベルやルミア様がナンパされる等のアクシンデントこそあったが、何の問題もなく出港したのだった。

 

 

 

 そんなわけで、俺達はサイネリア島に到着した。しかし既に太陽は沈みかけている。燃え上がるような太陽が水平線で輝く様は、いっそのこと背を向けて逆光になりながらフハハハハァー!とか言いたくなるほどであった。

 

「船に乗ってから数時間かかるとか......これ帰る時も同じくらいかかると思うとほんと鬱になるんだけど」

 

 近くにあった岩に腰掛け、ぬぼーっとしながら黄昏時の陽光に照らされる白いビーチラインを眺める。空から響くウミネコの声。うみねこの鳴く頃に......。

 

「......あれは嫌な事件だったな、うん」

 

 一瞬死んだ目になる。エンディングは読者が考えろってどゆことやねん。許さんぞ竜騎士......まあひぐらしが名作だから許すけど。赤坂はロリコンの鑑。

 

「大体な! 生来、人は大地と共に生きる生物なんだ! 人は大地の子なんだ! 大いなる大地から離れては人は生きていけないんだッ!...........あ、やべ。叫んだら気持ち悪くなってきた」

 

 謎の叫び声におんやぁ?と振り向いてみれば、そこには顔を青くして両脇を美少女に支えられる我等が担任講師の姿があった。爆ぜろや。

 

「先生......そんなに船がお辛いのでしたら、遠征学修先は別の場所にすればよかったんじゃ......例えば、イテリアの軍事魔導研究所なら、移動は全部馬車でしたのに」

 

 ロクでなしの心配をするルミア様マジ天使。見ろよ、カッシュなんてうっとりしながら見てるぞ。気持ち悪ィなおい。

 

「美少女達の水着姿はあらゆるものに優先する。決まっているだろう?」

 

 こっちも負けじと気持ち悪かった。だが恐ろしく真剣な顔であり、ついでに周囲の男子から感嘆の声が上がるあたりが実にアホっぽいクラスだなぁと思わせる。

 

──まあ俺もそのアホの一人だけど。是非もないよネ!

 

「たとえ、ここが三国間紛争の最前線だったとしても......俺はここを選んださ」

「せ、先生......アンタ、(オトコ)だよ......」

「俺、先生に一生ついていきます......ッ!」

 

 感極まった様子で一部の生徒が熱い涙をはらはらと流す。いや泣くなよカッシュ、率直に言ってめちゃんこ気持ち悪いぞ。

 しかしもう馴れたもの、フィーベルはそんな様子に呆れて嘆息しつつも適当にあしらうように言った。

 

「ほら、先生! 馬鹿なこと言ってないで、さっさと宿泊予定の旅籠へ行きますよ!」

 

 すたすた、とフィーベル及び生徒達が移動し始める。ここから宿泊予定の旅籠まで海岸沿いを道なりに一直線だ。迷う余地もない。

 

「おいおい、お前ら歩くの早ぇーよ。こっちは半死人なんだぞ、手加減してくれ......」

 

 そう愚痴を溢すレーダス先生を大天使ルミア様が支えながら歩き出す。俺も今日昨日と押し込められていたことによる疲れをほぐすように首を回し、欠伸混じりに歩を進め──前方のカッシュと目があった。

 

......僅かだが、同時に浅く頷く。交錯は一瞬、しかし考えは通じていた。他の班にも別動隊は待機している。何も問題はない。

 

 決行は21:00(フタヒトマルマル)

 

 "楽園(エデン)作戦"を──開始する。

 





 抜け出し☆鉄平


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そんな餌には釣られクマー!

 

 

 

 

「馬鹿な......何故当たらない」

 

 絶望が戦場を支配していく。少年は声を震わせて、ゆらゆらと雷光を避け続ける影を呆然としながら見ていた。

 

「有り得ない......」

 

 四方八方から飛来する電撃をこうも容易く回避するなど人間業ではない。最早見る前から何処を狙うかを読みきっている"それ"は、踊るようにステップを刻みながら、少年へと掌底を放ち──。

 

「──逃げろッ!」

 

 叩き落とされる。

 少年は息を飲み、自分と"それ"の間に割って入った兵士に声をかける。

 

「お、お前は──」

「早くしろ......! あと十秒も持たねえ!」

「く......すまない!」

 

 事実上の撤退。歯噛みしながらも目の前で繰り広げられる格闘戦を目に焼き付ける。高速での技の応酬は、やはり"それ"の方が分があるかのように見える。徐々にだが兵士に焦りが見え始め、もろに食らうことはないものの拳が掠り始めていた。

 

「早く......いけ......!」

 

 兵士は呻く。そしてその様を見た"それ"は口許を歪めた。

 

「終わりだ──沈むがいい」

 

 一瞬。僅か一瞬ではあるが影のように"それ"の体が沈み、夜闇に紛れる黒髪によって兵士は僅かに距離感がずれるのを感じ取る。そして同時に理解した。これは避けられないと。

 大気を切り裂きながら迫る拳。下段からアッパーの如く拳を放ちながら、"それ"は嗤う──。

 

「マジカル──キィィィック!」

「それパンチだろぉがッ!」

 

 先程の再現のように、その拳は叩き落とされる。兵士一人では回避不可能だったはずの拳を止めた同士は、ニッと笑みを浮かべる。

 

「悪ィな、遅くなった......シェロ」

「......ったく、遅ぇんだよ、カッシュ」

 

 お互いの様子を見て苦笑する。ぼろぼろだ。全身が泥に塗れ、【ショック・ボルト】の衝撃によって筋肉は痙攣している部分すらある。だが、まだ、それでも──。

 

「俺達はあんたを越えるッ!夢を棄てたあんたを、この拳で叩きのめすッ!」

楽園(エデン)を諦めたアンタなんざには負けてやれねぇんだよ──グレン先生ッ!」

 

 グレン=レーダスはふっと自嘲する。確かに己は夢を棄てた。男の風上にも置けないだろう。

 カッシュやシェロの感情は理解できる。出来ることなら通してやりたいというのが本音だ。しかし、彼にも譲れない想いというものがあるのだ──!

 

「俺はなぁ......! リィエルの度重なる破壊によって、給料が減らされまくってんだよ......! これ以上失態を重ねてみろ、最早マイナスに突入して俺が学院に給料を払うハメになっちまう!」

「......そう、か。あんた、そこまで困窮して......」

 

 シェロとカッシュは唇を噛み締めた。どちらにも譲れないものがある。男としての矜持、そして給料袋──。

 

「だがッ!俺達はあんたを越えていくッ!」

「一人なら無理だ──それでも、二人ならば届く!」

 

 連携してのコンボ。シェロとカッシュ、お互いをカバーしあった連撃ならば、或いは。

 

「......ふ、丁度良い。なら教えてやるよ」

 

 信念を棄て、給料を選んだ万年金欠講師は吠えた。

 

「教師より優れた生徒など存在しない、ということをなぁ────!」

 

 二人の少年と一人の男。かつて同じ道を進んでいた師弟が、ついに激突する──。

 

 

 

 

「......それで結局負け帰ってきたと。全く、このクラスには馬鹿しかいないのかい?」

「まあ頭は良くても使う方向性を全力で間違ってるのは否定しねぇよ......あ、あと十二手で詰むぞ」

「なにっ!?」

 

 ぐぬぬ、という顔をするギイブル。穴熊は確かに使いやすくはあるがその分崩し方もよく研究されている。前世で将棋を多少かじっていたこともあって、珍しくギイブルに頭を使うゲームで勝ち越しているのが新鮮だ。

 

......ほんと、このクラスの奴等は頭こそいいんだけどなぁ。巡回路を割り出し、女子側に潜ませた内偵を利用してレーダス先生の巡回時間と移動にかかる時間を擦り合わせ、どうやっても遭遇しない()()の時間を算出する──ここまでにかかったのが僅か三時間だというのだから恐れいる。しかしその目的が「リィエルちゃんと双六したい」「ルミアちゃんと王様ゲームしたい」「ウェンディ様に踏まれたい」といったものなのだから本当に世話がない話だった。

 ちなみにフィーベルに関しては全会一致で「アレはめんどくさいからいいや」ということで誰も取り合おうとしていなかった。フィーベルェ......!

 

「く......君、このショーギとやらをやったことがあるだろう!?」

「まあ少しな。馴れればすぐ追いつけるさ」

 

 ギイブルは天才の類だ。あの意味のわからない魔導理論を理解できるのであれば、将棋程度一日二日やれば初心者は脱せられるだろう。現に俺も既に数回負けているのだ。馬車内で延々とやっていたとはいえ、大したものである。

 

「そう言えば、ギイブルは明日どうするつもりなんだ?」

「......唐突だね。どういう風の吹き回しだい?」

「いや、別に変な意味とか含みはねぇよ。単なる興味本意の質問だ」

 

 明日は予備日。何をしようと自由な時間であり、カッシュ達はビーチに突撃するのだろうが──。

 

「僕は暇じゃない。遊んでいる暇があったら教本でも読んだ方がマシだ」

「ま、お前ならそう言うと思ったよ。......今現在進行形で遊んでるけどな」

「ぐ、ぬ」

 

 何とも言い難い顔になるギイブルを見てくつくつと笑う。こいつは皮肉屋で性格こそひねくれているが、別に悪い奴ではないのである。本人は否定するだろうが──それがわかっているからこそ、カッシュも何だかんだ言って仲良く出来ているのだろう。

 そんなことを思いながら、夜は更けていった。

 

 

 

 

 翌日。嵐が唐突にやってくることもなく燦々と太陽は輝き、何処か間の抜けた海鳥の声が海原に響く。砂の上で小さく欠伸をし、波間に反射する陽射しに目を細めながら──俺は釣糸を垂らしていた。

 

「サメかエイでも引っ掛からねーかなぁ......いや、引っ掛かっても釣れないけど」

 

 現在の戦績は黒鯛に似た何かが五匹程度。名前はさっぱりわからないが黒鯛っぽいとしか言えないのである。そろそろ他の釣れないかなあ、と引き上げてみれば何故か蛸がつぶらな瞳でこちらを見ていた。お前絶対生息地違うだろ。帰れ。

 

 とりあえず蛸を全力で沖へと投擲し、アジでも釣れないものかと再び釣糸を投げる。磯の薫りが鼻を擽った。

 そして同時に、背後で風が僅かに吹いた。

 

「あんた、こんな所で何してるの?」

「見りゃわかるだろ、釣りだよ釣、り──」

 

 声をかけてきた少女へと振り向いた瞬間、僅かな時間だが思考が停止する。予想だにしていなかった姿に、思わず反射的に口をつぐむ。

 

......控えめなカーブのラインが清楚な印象をもたらす、そのスレンダーな肢体。セパレート型の水着は花柄をあしらったパレオとなっており、控えめながらも主張している胸部装甲を羞恥で僅かに頬を染めながら隠す様は可憐の一言に尽きる。

 

「な、なによ......何か文句でもある?」

 

 ある筈がない。俺は感嘆の溜め息を吐き、そして震える声を絞り出した。

 

「フィーベル、お前......やれば出来る子だったんだな......!」

「あんたは一体誰視点なのよ!?」

 

 いやだってしょうがないじゃん。普段女子力とかそんなもの以前に説教が先行する系女子だぞ。あのカッシュが敬遠するようなやつだぞ。何というかもう、ギャップにときめくとかそういったもの以前に感動してしまった。

 

「いや俺は信じてたよ、お前はやれば出来るって。うん......あれ、何か目から塩水が......」

「本当に塩水ぶちこむわよあんた」

 

 口元を引きつらせながらフィーベルが魔力を蠢かせる。慌ててバケツに入った黒鯛五匹を献上すれば、胡乱げな目でこちらを見下ろしていた。

 

「......はぁ。それで、あんた何してるのよ」

「いや、だから釣りだって。魚食べる?」

「流石に生だといらないわよ......それに、小さめだから骨が多そうだし」

 

 割りと本気で食うことを想定していて驚いた。白猫と呼称されるだけあって魚好きなのだろうか。

 

「よく飽きもせず釣糸を垂らしていられるわね......まあ、少しくらいはこっちにも顔出しなさいよ。ギイブルだって参加してるのよ?」

「マジっすか」

「大マジよ」

 

 あのギイブルがビーチバレーに参加するなど想像も出来──るわ。普通に出来るわ。あいつ負けず嫌いだから煽ったら余裕で釣れそうだった。

 

「じゃあ後でちょっとそっち行ってみるわ。宿のすぐ近くのとこだろ?」

「ええ。全く、あんたくらいのものよ? 海に入るでもなく釣りばかりしてるなんて......」

 

 いつも通りぶつくさ言いながらフィーベルは歓声が僅かに響いてくる方へと戻っていく。俺はそんなフィーベルの背中へと目を向け、ふと声をかける。

 

「フィーベル」

「......なに?何か用?」

 

 いつもと変わらぬ仏頂面。だがいつもと違うのはその白磁のような肌を惜しみ無く晒しているところだろうか。

 

「言うの忘れてたけどさ、水着似合ってるぞ。率直に言って滅茶苦茶可愛い。もっと自分に自信持てよ」

 

 きょとんとした顔で一秒ほど固まっていたが、その顔が唐突にしゅぼっと赤くなる。そして気付けばそこには、口をぱくぱくさせながら声にならない声を洩らす謎の生命体が誕生していた。

 

「な、な、な............!」

 

 欠伸をしつつ目を逸らし、釣り竿へ意識を戻す。そうしてきっかり三秒たつと同時にフィーベルが爆発した。

 

「あ、う、あ──こ、この、馬鹿あぁぁぁぁぁあ!」

 

 猛スピードで去っていくその姿を見送り、もうひとつ欠伸を噛み殺す。

......柄にもないことを言った自覚はある。これはカッシュには言えないなぁと思いつつ、俺はいつの間にか餌だけ食われていた釣り針を再び投げるのだった。

 

 

 

 

 まあそんな感じでいつの間にか自由時間は終わり。就寝時間も過ぎてもう深夜に近くなってきた所で、俺はカッシュ達を起こさないようにしつつこっそりと部屋を抜け出した。その手に握られているのは無論のこと釣り道具である。

 

「夜釣りってのもなかなか乙なもんだよなぁ......」

 

 静寂が満ちる砂浜で、月明かりに照らされる海へと一人竿を振るう。ぽちゃりと言う音と共におもりが沈んでいく様を眺めながら、ひんやりとした大気を深く吸い込む。

 

──悪くない。

 早速竿がたわみ、必死に糸を引く魚との駆け引きを楽しみながらリールを巻く。海面下で蠢く影、そしてただ糸にかかる感覚だけを頼りに行う綱引きは俺に高揚感をもたらせる。この楽しみばかりはやったことがある人間でなければわかるまい。

 

「別にここの魚を取り尽くしてしまっても構わんのだろう......?」

 

 続け様にフィィィィッシュ!と思わずテンションが上がるが、叫ぶようなことはせず粛々と、しかし巧みに魚を釣り上げる。今度はカレイのようなやつだ。適当にバケツへと放り込み、俺は嬉々としながら再び竿をしならせて釣り針を投げる。

 釣る。

 投げる。

 釣る。

 投げる。

 釣る──。

 

「おい」

「!?」

 

 びくりと体が震える。振り向いて驚きに声をあげかけるが、慌てたその男は「しーっ!」と言って静かにするようジェスチャーをする。

 

「......没収ですか?」

「いや、そんだけ楽しそうに釣りをしてたらな......ってか、釣りすぎだろお前」

 

 下手人──レーダス先生はバケツの中身を見て呆れたような顔になった。「別に食う気はないんだろ?」と聞かれたため頷いて答えれば、ひっくり返して放流する。グッバイ魚ちゃん、また俺に釣られてください。

 

「ちょっといいものを見せてやるよ。......静かにしとけよ」

「いかがわしい店とかじゃないですよね」

「お前は俺を何だと思ってるんだ......?」

 

 そんなやり取りをしつつ、少しばかり場所を移動する。そうしてやって来たのは宿泊街どころか町の外にある砂浜だ。町の灯りも届かない中、海岸線はより一層幻想的な風景を演出していた。

 

 絶え間なく寄せては引いていく波。淡く青に輝くやうな白砂に沸き立つ泡は、まるで波に打ち上げられた大量の真珠が如く。

 ダークブルーに染まった海と、悠然と続く水平線。空には白銀に輝く三日月。

 月光が揺らめく波間を金剛石(ダイヤモンド)のように白く輝かせ、その光景はただただ幻想的で──。

 

「──────」

 

 そんな中で戯れる三人の少女の姿に、俺は知らず知らずのうちに呼吸すら忘れて見入っていた。

 

「な? 見に来てよかっただろ?」

「そう、ですね。確かにこれは......」

 

 妖精のよう、とは些か陳腐に過ぎるか。

 カメラがないことが惜しまれるな、と考えた直後にその考えを否定する。この光景は到底フィルムに収まるようなものではない──。

 

「少し付き合えよ」

 

 コツン、と。小突いたその手にはブランデーの瓶がある。俺は呆れてグレン=レーダスを見上げた。

 

「いつの間に買ったんすか......」

「元から飲むつもりだったんだよ。いいだろ? お前のことも黙っといてやるからさ」

 

 それを持ち出されれば黙らざるを得ない。俺は嘆息し、担任講師の晩酌に付き合ってやることにする。

 

 それに。この光景を肴に飲む酒ならば──。

 

「......美味い、ですね」

「だな。最高だよ、ほんと」

 

 以前飲んだ酒は確かに高いものだったのだろう。そして今この瓶に入っている酒は、銘柄もわからないほど安いものなのかもしれない。

 だが、それでも、確実に──。

 

「ええ。最高ですね」

 

 今この瞬間だけは、世界最高の美酒に違いなかった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「準備は出来たのだろうな?」

「万事滞りなく。あの感応増幅者が手に入るのも時間の問題でしょう」

 

 蒼い髪を揺らし、青年が胸に手を当てて答える。

 

「......ふん。しかし、本当にあの餓鬼がいれば『Project:Revive Life』は完成するのだろうな?」

 

「あら、まさか私をお疑いで?」

 

 女は僅かに目を細める。その様に男はたじろぎつつも、疑念を呈した。

 

「いや、疑っているわけではない。しかしあのような都合の良い存在がいるのかと不安になってな......」

「何も問題はありませんわ。あの少女は"本物"です」

 

 ばっさりと切り捨てる。しかしその直後、ふと思い至ったかのように女は呟いた。

 

「ああ、そう言えば。バークス様は異能者の収集が趣味でしたわね?」

「収集ではなく研究だ!」

 

 苛立ったような声に答えることなく、話を続ける。

 

「感応増幅者の他に一人興味深い──そう、実に興味深い異能の持ち主が生徒の中にいるのですが、興味はありませんこと?」

「......なに?」

 

 深く、深く。

 

 

「確か......"シェロ=イグナイト"という名前だったかしら?」

 

 光すら届かない深淵で、誰かが嗤った。

 

 







愉悦先輩がアップを始めました。


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別にシスコンではない。

 

 

 

 

 研究所見学の日がやってきた。よく考えたらこれが当初の目的である。ほぼ忘れてたけど。

 

 歩きにくいことこの上ない道を進むことで原生林を突っ切り、切り立った崖に面した道を蛇行し、谷間にかかった吊り橋を渡り、冷たく透き通った水の流れる渓谷沿いに進み──ようやく白金魔導研究所に到着する。というかこんな僻地に建ててんじゃねーよ。

 最早ほとんどの生徒が息も絶え絶えといった様子であり、あのレーダス先生ですら息を整えている。二時間以上も都会っ子に歩かせるとか拷問に近い。......実はこの遠征学修の目的って体力つけさせることなのではなかろうか。

 

「しっかし、ここまで浮世離れしてると研究所見学っつーより、古代遺跡調査にやって来たっていう気分だな......」

 

 そんなことを口走るレーダス先生に同意し、俺は頷く。原生林の奥地に座す神殿じみた建物は研究所という風情ではない。観光地としても十分やっていけそうなほどである。

 

「えーと、ひぃ、ふぅ、みぃ、......ちゃんと全員いるな? はぐれた奴はいねーな?」

 

 レーダス先生がそうして生徒達の数を確認していた、その時だった。

 

「ようこそ、アルザーノ帝国魔術学院の皆様。遠路はるばるご苦労様です」

 

 いつの間にかそこには、初老の男が一人立っていた。いかにも好々爺然としており、ついでに頭頂部は見事なまでに輝いていた。うむ、いい煌めきだ。

 

「私はバークス=ブラウモン。この白金魔導研究所の所長を務めさせていただいている者です」

「や、あんたがバークスさんか──」

 

 レーダス先生が背筋を正し、教師らしく......しかし微妙に丁寧じゃない物言いで挨拶を述べた。だが件のブラウモン氏は顔をしかめることもなく、終始一貫して柔らかい物腰で応対し、あろうことか自ら引率を申し出たのである。これには流石のレーダス先生も恐縮せざるを得なかったのか、ぺこぺこと頭を下げていた。

 

「..................」

 

 言動から受ける印象としては、研究職の魔術師らしからぬ人格者だというものだろう。しかし、俺は一瞬だが──何故か妙な雰囲気を感じた気がして、じっと観察するようにブラウモン氏を見つめるのだった。

 

 

 

 とは言え、見学そのものは恙無く進んだ。

 俺が感じたあの空気に関しては、まあ考えすぎというやつだったのだろう。まさしく水の神殿といった風情の研究所内を、そこかしこに群生している樹木や植物の間を潜り抜けながら見て回っていた。

 至るところにヒカリ苔が生えているため、窓もランプもないのに関わらず程よい明るさを保っているのは何処か不思議な感覚であり、所内環境を保つためにあるのであろう黒いモノリスもあいまって本当に神殿のようである。

 

 ちなみに白金魔導研究所という名前から察せられる通り、この研究所の研究対象は白金術である。とは言えそれは白金(プラチナ)を生み出すとかそんなのではなく、単に白魔術と錬金術の複合術だというだけのことだ。

 生命力に干渉する白魔術と、元素の配列変換や根源素(オリジン)への干渉を得意とする錬金術。この複合ということからわかる通り、白金術とは即ち生命そのものをいじくる学問なのだ。故にその特性上新鮮な生命マナが必要となるため所内にすら樹木が生い茂り、生命に干渉するという点から忌避感を覚える者も多い。

 俺とて巨大なガラスの円筒の中に浮かぶ魔造生命体(ホムンクルス)を見た時、あまりいい気はしなかった。流石に現在は凍結されているが、かつては人を殺すことだけを目的とした戦争用の合成魔獣(キメラ)兵器の研究も行われていたらしい。

 

「まあ......いい気はしないわな」

 

 何が正しいかなんてさらさら説く気はないが、本能的に忌避感はどうしても抱いてしまう。そしてそれは正常な反応なのだろう。

 魔術師というものは元来知的好奇心というものが酷く旺盛だ。故にこうした生物研究も、如何に人道を訴えようが停まることはないだろう。太古から魔術師というのはそういうものだと周知されているのだ。

 

 きっとこの研究は止まらない。そして、いつか必ず禁忌に手を出す人間も現れる。外道へと身を堕とす者が現れる。

 そしてそうした存在──人間性を捨て、好奇心だけに捕らわれ禁忌の道に邁進するものを処断するのが特務分室の役割だ。

 

「そういや姉貴、元気にしてんのかなぁ......」

 

 特務分室、ということでふと思い出す。

 

 見栄っ張りで名誉欲が強く、他人を蹴落とすことを何とも思わず、躊躇いなく人を駒のように使い捨てられる──しかしどうしようもなく有能な腹違いの姉。どうせ今も全方向に喧嘩を売りながらも、その有能さから切り捨てられずに美味い飯を食ってるのだろう。

 うちの姉は確かに天才だ。イグナイトの名に相応しい魔術を保有し、魔導学院を首席で卒業し、その才を見込まれて特務分室に入った才女。またその美貌は身内ながらも感心するほどではあるのだが──性格だけは何というか、もう論理的なクソ野郎としか言えない何かなのだ。

 

 傲慢だわ見下すわ嘲るわ陰口叩くわ──だが有能である。

 人を使い潰すしそれに対して罪悪感を欠片も抱かないし人間として色々と終わっている──しかしあらゆる分野において天才である。

 

 最早人としてここまで苛立たせるような存在は他にない。とは言え無駄なことで人を捨て石することはないし、彼女がそう考えたのであればそれが最善かつ最速なのだ。

 故に上層部は姉貴を切り捨てられない。まるで呼吸するように全方向に喧嘩を売りにいくアホではあるが、頭は良いのだ。

 

「......まあ、極悪人ってわけでもないんだが」

 

 どうせ職場でも嫌われてるんだろうなぁ......と考えると他人事ながら胃が痛くなってくる。たまに優しい時もあるにはあるし、人間である以上ずっと気を張りつめるわけにもいかないので甘えてきたりもするのだが──如何せんそういった人間的な所を外部で出すことがないため誤解......いや誤解じゃないけど真性のクソ野郎だと思われていることが多いのだ。いやクソ野郎ではあるんだけど。何というか、もうちょっとその才能を人心掌握の方面に伸ばして欲しいものである。

 

......どうせそう言えば「実力を示せば人はついてくるでしょう?」とかすっとぼけた顔で返してくるんだろうけど。少しは他人のことを気にかけてくれ頼むから。

 

「......ん?」

 

 そうして身内のことを思い返してげんなりとしている最中、ふとある説明が耳に飛び込んでくる。

 

「──仰るとおり。生物の構成要素は肉体たる『マテリアル体』、精神たる『アストラル体』、霊魂たる『エーテル体』の三要素なのですが......死を迎えた生物は、その三要素が分離し、それぞれがそれぞれの円環に還ります」

 

 すなわち、『マテリアル体』が自然の円環へ。

 『アストラル体』は集合無意識の第八世界──。

 

「" 阿頼耶識"......」

 

「──なんと! これは専門知識に近いものですが、まさかご存知だとは」

 

 ぽつりと呟いた言葉はしっかりと聞かれていたらしく、唐突にこちらへと向けられた言葉にぎょっとして振り向いた。

 

「先程彼が言ったように、『アストラル体』は集合無意識の第八世界である『阿頼耶識』......言ってしまえば意識の海へ、『エーテル体』は輪廻転生の円環、摂理の輪へと回帰します。ゆえに──」

 

 ちらりとこちらを見て、ブラウモン氏は言う。

 

「生物の死後、『アストラル体』が意識の海に溶け消え、『エーテル体』が次の命へと転生する以上、死者の蘇生は不可能──これがマーヴェルのコスモゾーン理論からの派生論、死の絶対不可逆性です。今のところ、この死の絶対不可逆性を覆す魔術はございません。それゆえに、この死者蘇生計画たる『Project:Revive Life』......通称『Re──」

 

「『Project:Revive Life』ってのはな、要するにさっきバークスさんが言ってた生物の三要素を別のもので置き換えて、死者を復活させようという試みなんだよ」

 

 突然、レーダス先生が何故か言葉尻を奪うように割って入る。フィーベルやルミア様が面食らう様子を見ながら、俺は訝しげな視線を担任講師へ向ける。

......続けてぺらぺらと彼の口から立て板に水のような説明が為される。しかしそこに焦りが見えたのは、果たして俺の気のせいなのだろうか。

 

「って、ちょっと、先生! 説明はありがたいんですけど、今、バークスさんがお話ししてるでしょ!? 横から割り込みなんて失礼です!」

「おっと、失礼。なーんか興味深い話してっから、つい......話の腰折っちゃってすんませんね、バークスさん」

「いえいえ、構いませんよ。それにしても流石は学院の現役講師殿。説明が理路整然としていて、私が説明するより早かったでしょうな──」

 

 いや、違う。言いたかったのではなく、何かをブラウモン氏に言わせたくなかった......?

 ふと辺りを見回せば、いつものようにぼうっとして合成獣(キメラ)を見上げるリィエル=レイフォードがいる。

 

「......いや、まさかな」

 

 かつて自分の生い立ちを、何故前世を背負って生まれてきたのかを知りたくて調べた時の知識が甦る。その全てが告げているのだ。死者蘇生など不可能。ましてや、アストラル体を保ったままでの転生など不可能なのだと。

 何の根拠もない憶測を振り払い、俺は研究所の奥へと歩を進めた。

 

 

 

 

 あらかた見終わり、気付けば夕方を回っていた。魔術に然程興味のない俺でも時を忘れて見入るほどに研究成果は興味深く、その手の研究が好きな人間には堪らないものだったことだろう。現に未だ名残惜しそうな顔をした生徒が何人かいる。

 

「ふぁ......」

 

 脳を使った疲労からか、またいつものように欠伸が洩れる。そしてカッシュ達を探そうと振り返った、のだが──。

 

「おい、シェロ! リィエルを見なかったか?」

「は!?」

 

 唐突に視界内に現れたレーダス先生の顔に目を白黒させる。てか何処から現れたねん。

 

「い、いや知らないっすけど」

「ちっ、こっちには来てないってか......しょうがねぇ、ちょっと手伝え!」

「え、えぇー......」

 

 なんでさ。

 そんな言葉を胸中で吐き、俺はうへぇ、という顔をしながら話を聞くことにする。

 

「で、俺はどうすりゃいいんです?」

「リィエルは路地裏を抜けていった。方向としちゃ裏通りと表の大通りがあるが、一人で探すにはちょいと広すぎる」

「俺はどちらを?」

「表を頼む。......悪ぃな、助かるぜ」

「その代わり、単位の方はよろしくお願いしますよ?」

 

 俺の実技は相変わらず壊滅的だ。単位の方を融通してもらうように頼むと、言われた通りに表通りを辿っていくことにする。

......夕方に差し掛かった表通りは混雑している。四苦八苦しながら人混みを抜けるが、レイフォードが通ったような痕跡はまるでない。いや、あのレイフォードに人混みを潜り抜けるような器用さはない気もするが。

 

「こっちじゃない気がするな......」

 

 十五分ほど探し回るが、やはり陰も形もない。それほど巨大な町でもないのだ、行けるところなどそう多くもない。これはレーダス先生の行った裏通り沿いの方向が当たりかな、と考えて方向を転換する。

 

「《我・秘めたる力を・解放せん》」

 

 一瞬だけ【フィジカル・ブースト】を脚部に行使し、裏技的に近道をするため屋根へと跳躍する。レイフォードのように全身に付与するようなことはできないが十分である。

 魔術師でないならば、余程身体能力が卓越していなければ駆け上がることは不可能な高さだ。こういった利便性も魔術師の特権の一つなのだろう。無論のこと、それに伴う責務なども存在するが。

 

「こっちか」

 

 裏通りの方へと屋根を駆けながら向かい、適当なところで再び地上に戻る。よくよく見れば真新しい靴の痕跡が残っており、この方向にレーダス先生が向かったことは容易に推測できた。

 しかし、この方向は。

 

「昨日の砂浜......か?」

 

 町外れ、というか外と言うべき砂浜。あの幻想的だった光景を見たあの場所である。

 

......早朝からの鍛練の成果が出ているのだろうか。以前より少し上がったスタミナのお陰でそんなに疲弊することなく足跡を辿って件の場所へと到着する。そうして沈みかけた夕陽に照らされる中、俺の視界に写ったのは。

 

「......っ!?」

 

 謎の蒼髪の青年から、レイフォードを庇うように立つレーダス先生の姿だった。既にレイフォードもあの大剣を錬成し終えており、いかに青年が強かろうと既に決着がついたも同然に思える──。

 

──瞬間。嫌な予感が背筋を貫いた。

 

 昏く虚ろな瞳を見てしまったからだろうか。それとも青年が嫌らしく嗤う様子を無意識のうちに捉えたからか。気付けば、既に俺は動いていた。

 

──ギィィィン! と、金属同士が激突する軋みが響き渡る。

 

「なっ......シェロ!?」

 

「おい」

 

 レーダス先生の言葉を無視し、俺は()()投影し直しながら睨み付ける。先程俺が全力で投擲した剣によって、幸運なことにそれの軌道はずれて砂浜を抉るに終わっている。

 

「何のつもりだ──リィエル=レイフォード」

「......だれ?」

 

 顔を覚えてすらいないとは。クラスメイトとして悲しむべきか、それとも。

 

「何故グレン=レーダスを殺そうとした? お前は【戦車】じゃないのか?」

「......そう。あなたも兄さんの邪魔をするんだ」

 

 虚ろな瞳に意思が宿る。それは──殺意。

 

「お、おい。どういう──」

「話は後です......今のレイフォードは、"敵"だッ!」

 

 状況が飲み込めず......いや、わかってはいるのだろう。だが納得出来ずにいるレーダス先生に向かって「あの男を頼みます」とだけ告げる。

 

「邪魔するなら、斬る!」

「斬らせねぇよ、誰もな!」

 

 状況がわからないのは俺も同じだ。だが確かな事実として、リィエル=レイフォードは牙を剥いている。

 俺は圧倒的格上を前にして、何処まで凌ぎきれるかを計算し始めるのだった。







ちなみに作者は妹キャラより姉の方が好きです。特に他意はない。


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これが昨今流行りのダイビングです。

 

 

 

 重い。一撃の重さが尋常ではない。

 

「ぐ──ッ」

 

 四肢を全て用いた、まるで獣のような独特な歩法。常人が相手ならば、そんな奇怪な移動法を用いたところでさして影響はない。しかしリィエル=レイフォードの全身に付与された身体強化術式がその真価を発揮させる。

 

「や、ぁああああ!」

 

 咆哮。まさに獣と化した【戦車】は最早目で追うことも出来はしない。縦横無尽、四肢の全てをバネのように利用した高速移動は上下左右あらゆる方向からの奇襲を可能としていた。

 

 重く速く、正道でありながら邪道の剣。人の身でありながら獣へと堕ちた剣とも呼べぬ剣技。言ってみればそれは、()()()()()()()()を可能とする、邪道極まりない暗殺剣──。

 

「......成る程。確かに強い」

 

 近接戦闘に心得のない魔術師であれば姿を見ることすら出来ず斬殺される。かといって半端に近接戦が可能であれば逆に術中に嵌まり(なます)斬りにされる。【戦車(ルーク)】の名が与えられたのも頷けた。これは文句なしに強い。

 

 だが。俺とて前回の敗北から何も学ばなかったわけではないのだ。

 

「──"心眼"」

「っ......!?」

 

 背後からの斬撃を回避し、反撃(カウンター)に剣を置く。驚愕に目を見開きながら猫のように身を屈めてそれを避けると、リィエル=レイフォードは警戒するように距離を取る。

 

「見えてる......?」

「どうだろうな」

 

 強がりをこめて薄く笑った。【双紫電】のゼーロス=ドラグハート、その技術の一片を習得したのが今の技である。呼吸を読む、等というまるで意味のわからない技術だが──なかなかどうして使えるものだ。馬鹿みたいな集中力を要するが、これを攻撃に転用すれば呼吸を盗み一方的に斬殺することが可能となる。

 

──まあまだ未完成ではあるが。何とか実戦レベルにはなった、程度のものだ。俺の身体能力(スペック)に合わせているためオリジナルと比べて大幅に劣化しているというのもある。

 

 それにしても、と手の中の剣へ目を落とした。今のところ数回あのウーツ鋼の大剣とかちあったが砕ける様子はなさそうだ。馬鹿みたいな硬度のウーツ鋼だが、この剣の素材もどうやら同等以上の硬度を誇っているらしい。

 

細剣(レイピア)じゃ扱い辛いからと基本骨子はそのままに弄くってみたが......やはりこの形が一番合っているか」

 

 ゼーロスの魔剣を改造し、最終的にこの二本の中華刀じみた武器になったわけだが──使いやすい。重ねればレイフォードの馬鹿力にも耐えきるし、やはりこれを選んで正解だったようだ。

 

「兄さんの......邪魔をするなぁぁあああ!」 

 

 数秒様子見するか迷ったようだったが、すぐに痺れを切らせて突っ込んでくる。まるで猪だなと思いつつ、双剣を用いて受け流す──なんてことはせずに全力で回避する。

 

「いやあぁぁぁあ!」

「チィッ......!」

 

 "心眼"を連続発動し、攻撃タイミングを察知することでどうにか回避する。しかし最後の一撃はどうしても間に合わないことを理解したため、受け流しながら防御する──しかし俺を襲ったのは、まるでダンプカーに撥ね飛ばされたかのような衝撃だった。

 

「ぐ、く──ッ」

 

 【フィジカル・ブースト】がなければ、受け流したとしても圧殺されていたかもしれない。吹き飛ばされながらも空中で姿勢を調え、剣を投擲して牽制する。化け物め、と胸中で呟いた。

 

「私は兄さんのために生きる......だから邪魔するなら斬る、殺す、兄さんのために......なのに、何で......!」

 

......何やら呟きながら虚ろな目で此方を睨んでくる。どうやら今は精神的に不安定らしい。だからこそ本来のスペックを引き出せていないのだろう。でなければ、俺がこうも呑気に立っていられるはずがない。

 

「《投影開始(トレース・オン)》」

 

 投影するのは例の如く遠隔制御可能な剣である。あの動きを封殺するためだけに空中へと置き、あの奇妙な歩法を少しでも制限する。幸い今の俺の目標はレイフォードの殺害ではなく時間稼ぎだ、レーダス先生があちらを片付けてさえくれれば──。

 

......いや、妙に遅い。俺はそこではたと思い当たり、別の方向へと声を飛ばした。

 

「先生! 【愚者の世界】をッ!」

 

「なっ......いいのか!?」

「やって下さい! 俺のは──」

 

──異能だから関係ない。その言葉を飲み込み、剣をレイフォードへ殺到させようと僅かに逸らしていた視線を戻し、

 

「............!?」

 

 背後で膨れ上がる殺気に戦慄し、咄嗟に身体強化を最大にして跳躍する。寸前で回避したことで大剣は虚しくも砂浜を切り裂くのみで終わる。

 

──俺はそこで最悪の選択肢を選ばされたことを自覚した。

 

「が、ァ──」

 

 更に出力を上げたことで、レイフォードは僅かに目を離した一瞬で俺の背後に迫った。ならば、そんな怪物的な膂力で砂を叩けばどうなるか。

 

 単純な話だ。飛び散る砂の塊は、それだけでショットガン級の破壊力を撒き散らす。

 

 空中とは人間の動きがもっとも制限される領域である。全身を砂に強打され、受け身を取ることも出来ずに落下し、叩きつけられる。恐らくどの方向に回避したとしても爆発的な砂の散弾は回避できなかっただろうが、それにしても距離を取るためとはいえ空中を選択したのは悪手だった。

 己の戦闘経験の拙さを悔やみ痛みに呻きながらも最速で起き上がる。しかしそれすらレイフォードからすれば欠伸が出るほどに遅い。

 

「避けろ、シェロ──!」

 

 遠くでレーダス先生が叫ぶ。だが既に遅い。特大級の警鐘が脳の奥で鳴り響くが、既にリィエル=レイフォードの構えは完成している。

 それは斬撃ではなく刺突。【戦車】としての彼女の奥の手であり、必殺。如何に攻撃のタイミングがわかろうと回避は不可能。片手を弓を引き絞るが如くしならせ、全身の運動エネルギーを一点に集約したその一撃は──。

 

「────」

 

 不壊のはずの剣を容易く砕く。胸骨を砕き肺を引き裂きながら身体を貫き、衝撃がぼろ雑巾のように俺を吹き飛ばした。

 

......不味いな、と他人事のように思う。一瞬の浮遊感の後に叩きつけられたのは恐らく波打ち際だろう。空恐ろしくなるほどの血液が胸から流れ、呼吸はできず右腕は動かない。口を開けば、肺から逆流した血液がごぽりと吐き出される。

 

 ああ。これは死んだか。

 

「てめぇ......リィエルッ......!」

「兄さん。手助けはいる?」

 

 グレン=レーダスの声も、もはやレイフォードには届かない。蒼髪の青年が笑う声が響いた。

 

「は、はは! ああ、助けてくれリィエル! この男を──殺してくれ!」

「............わかった。それが兄さんの望みなら」

 

 は、と笑えば口から血が溢れ落ちる。既に視界も奇妙に掠れている。血が足りない。一部は壊れたように動かない。

 

 だが、傷口はギチギチと軋むような音を放っている。見下ろせば、忌々しい剣が傷口を塞いでいる。まるで吐き気がするような光景だが、今だけはそれが有り難い。

 

「おい」

 

 な、とレイフォードが息を飲んでこちらへと振り向く。完全に予想外だったのだろう。俺だってこの状態で動けることに驚いている。

 なけなしの魔力を振り絞り、身体強化を発動した状態で血を撒き散らしながら踏み込み──。

 

 血塗れの左拳が完璧な形でその頬に炸裂した。

 

「っ、ぐ......!?」

 

「ざまぁみやがれ、このブラコン野郎」

 

 傷口を塞ぐ剣の間から血がばしゃ、とかべしゃ、という音を立てながら砂浜を濡らしていく。一矢報いたという満足感こそあれ、体力的には色々とヤバい。せせら笑いながら中指を立ててやるが、その口元からも血が伝っている。

 

「......ご、ふ」

 

 殴った反動で死にかけてるなんて笑えない。ついに膝に力が入らなくなり、まるでガキのように呆けた顔をしているレイフォードを睨みながら膝をつく。

 

「な──何をしているリィエル! そいつを始末して、早く僕を助けろォ!」

「......はい、兄さん」

 

 既に指一本すら動かない。流石に無理をし過ぎた。五感は既に遠く、白い靄が意識にかかり始めている。

 だが、それでも。震える声は、確かに届いていた。

 

「さようなら」

 

 浮遊感。そして全身を包む冷たい感覚。そこでようやく俺はレイフォードに海へ投げられたのだということを理解した。

......身体から熱を奪う海水は、まるで死神の抱擁のようで。辞世の句を考える暇もなく、俺の意識はぶつりと途切れた。

 

 

 

 

▲▽▲▽▲▽▲▽▲▽▲▽▲▽▲

 

 

 

 

「シェロ......くそ、俺は......ぐっ!?」

 

 脂汗を浮かべながら、グレンはざっくりと切り裂かれた腹を押さえる。シェロ=イグナイトが瀕死の重傷を負ったまま海へ棄てられた後に、グレンは一人であの二人と戦うこととなったのだ。そもそも【愚者の世界】とリィエルの能力は相性的に最悪、いかにグレンが卓越した技術を持っていようとろくに武器もない状態では勝てるはずもなかった。

 幸いにも向こうは何者からか指示を受けていたのか、時間切れだと言って撤退していった。無論のことリィエルを引き連れて、だ。何らかの目的があったのかもしれない。

 

──だが。それ以前に、グレンの精神は教え子を一人死なせてしまった事実に押し潰されかけていた。いや、まだ確定した訳ではない。しかしあの重傷でこれほどの長時間夜の海に沈んでいたのだ、生き残っている可能性などゼロに近い。

 

「ふ、ざけんな」

 

 だが認められない。理性がいかに無駄か囁いたとしても、グレン=レーダスはその死を肉眼で見るまでは認められない。こんな"裏側"の抗争で生徒を失ったなど認められるはずがない。

 それでも。絶望は確実に侵食していく。

 

「すまない......すまないシェロ、俺が、お前を」

 

 救えなかった。あろうことか死なせてしまった。そんな事実を受け入れかけ、黒くうねるような海を見た次の瞬間──。

 

「自分を責める暇があれば手伝え、グレン=レーダス。教え子を死なせたいのか?」

 

グレンはその目を大きく見開く。海水に全身を濡らして、アルベルト=フレイザーはそこに立っていた。

 

「な......ア、アルベルト!?」

「早くしろ。二度も言わせるな」

 

 そしてその背に背負われているのは、まさしく──。

 

「ッ、シェロ!」

「治癒魔術はもはや利かん。お前はさっさとその腹の傷を強引にでも塞いで、これを運べ」

 

 慌ててそのその身体を受け止めれば、ぞっとするような冷たさがグレンの手に伝わってくる。胸からは滴り落ちるほどの赤が広がっていた。

 

「手は尽くす。だが些か遅すぎたようだな──本当に死神に拐われる前に【リヴァイヴァー】を行使する必要があるぞ」

「【リヴァイヴァー】だと!?......いや、今はぐだぐだ言ってる場合じゃねぇか......!」

「その通りだ。無駄口を叩いている場合ではない」

 

 それに、と。アルベルトは呟いた。

 

「聞きたいことがある......山程な」

 

 その冷徹な目が見据える先には、傷口の間から覗く鋼が鈍く光を反射していた。

 

 

 





リィエル「牙突」
シェロ「男女平等パンチ!」

 というわけでサクッと戦闘回。当然のように主人公は敗北。そこそこ強くなってる癖にこいついっつも負けてんな......! そろそろ勝たせてあげたいけど格上相手しかいないからなぁ、うん。リベンジマッチを待て。


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最近天丼を食ってない気がする。


遅くなりますた。アガルタ普通に面白かったです。つまりグレンラガンってことやろ......?







 

 

 

「始末した......ですって?」

 

 その瞬間、エレノア=シャーレットから濃密な殺気が放たれる。普段真意を隠す彼女にしては珍しい感情の発露である。

 シオン──否、シオンの名を騙る青年は思わず頬をひきつらせた。

 

「お、落ち着いてくれ。あんな異能者の一人や二人程度、他で調達すればいいじゃないか」

「そんな掃いて捨てるような有象無象の能力とは違うのですよ、シェロ=イグナイトは!」

 

 歯噛みする。あの規格外の能力を取り逃がしたどころか殺したとあれば、大導師様に対して面目が立たない。

 直感的に理解しているのだ。あの能力は、使い方によればあのセリカ=アルフォネアにすら届く牙になりうると。

 

「......《天位》の方々であれば記憶改竄など容易いこと。生かして連れ帰れば如何様にもできるというのに、こんな所で殺したなど......!」

 

 第三団(ヘヴンス)天位(オーダー)》。天の智慧研究会において最高幹部に近い彼等であれば肉体の改造はおろかゼロからの人格改竄すらも可能だ。寝返らせる手などいくらでもあるというのに、この男は。

 

「......あなたの処罰は追って通告します。まあルミア=ティンジェルを回収出来たならば最低限の目標は達せられておりますし、ええ......」

 

 自分を納得させるように呟き、しかし爪を噛んだ。エレノア自身、異常に執着してしまっていることは理解していた。だが理屈など抜きにして本能の領域で察知していたのだ。

 

──あれはいずれ"英雄"の領域に届く。今は弱者であろうと、最終的な到達点は人の域を越える。人外と称される第七階梯(セプテンデ)と同じ、超越者(エクシード)と呼ばれる存在へ──。

 

「そんな駒を(どぶ)に捨てるなど......!」 

 

 苛立ち混じりに吐き捨てる。

 

 しかし。バークスはルミアという最高の素材を手に入れたことで狂喜乱舞し、シオンの姿を借りた青年が怯え、エレノアが激怒している混沌の最中──リィエル=レイフォードは、ただ無表情で立ち尽くしていた。

 

 否、それはいつもの無表情とは異なる。未だに痛みの残る頬を撫で、リィエルは僅かに眉を寄せて思案する。

 

「シェロ......」

 

 自分を殴り飛ばしてせせら笑った少年。血塗れで瀕死、しかしそれで尚戦意を失わなかった同級生。

 システィーナ=フィーベルは撃たなかった。グレン=レーダスでは届かなかった。そんな中で唯一自分を殴ってでも止めようとした少年の名を反芻する。

 

「......シェロ、イグナイト」

 

 自分は止めて欲しかったのだろうか。だが止まってしまえば意味を失う。兄のために生きると誓った自分にはこんな生き方しか出来ないというのに、止めて欲しかったのだろうか。

 

......答えは出ない。暗く濁った瞳を揺らして、リィエルは思案し続けた。

 

 

 

 

▲▽▲▽▲▽▲▽▲▽▲▽▲▽▲

 

 

 

 

 契約せよ。

 

 契約せよ契約せよ契約せよ契約せよ契約せよ。

 

 力ならばくれてやろう、とその声は謳う。

 

 全てを救わせてやろう、とその声は嗤う。

 

 故に寄越せ。その身体を寄越せ。その記憶を寄越せ。その魂を寄越せ。その血の一滴に至るまで全てを捧げよ。

 

 さらば与えよう。無限の剣を。

 一部のみではなく、真に英雄足り得る力を。

 

 

「......黙れよ」

 

 否定する。

 誰の記憶かは知らない。呪いのような声は歯車のようなシステムじみた何かだ。切り離されたそれに意味はない。

 

 

──狂い哭け、お前の末路は英雄だ。

 

 

 だというのに。嘲笑うようなその声は、嫌に耳についた。

 

 

 

 

 

 

......目覚める。

 

「............ぁ」

 

 小さく呻き声が洩れた。目を開けば、まず視界に入ってきたのはここ二三日で見慣れた旅籠の天井だ。状況を把握出来ず起き上がろうとするが──上半身が持ち上がらない。

 

「うん......?」

 

 首を傾げる。そして首をぐるりと巡らせた先にあったのは、何故か俺を枕にしてすやすやと寝息をたてるフィーベルだった。

 

「......、............どゆこと?」

 

 よくわからない。とりあえずフィーベルの頭をベッドサイドへとずらし、ひきつるような胸の痛みに顔をしかめつつ泥のように重い身体を起こす。体調は最悪。最低限動けはするようだが──。

 

「ようやく起きたか、シェロ=イグナイト」

 

「ッ!?」

 

 驚いて部屋を見回す。よく見ると、暗い部屋の壁に寄り掛かるようにして一人の男が立っていた。紺色の髪に鷹のように鋭い瞳の青年は、確か。

 

「アルベルト......フレイザー......?」

「こうして顔を合わせるのは二度目か。では手短に状況を説明しよう」

 

 黒い軍服に身を包んだ男は淡々とそう告げる。そうして一分とかからず簡潔に語られたのは、俺が右胸を貫かれ海にポイ捨てされた後のこと──即ちリィエル=レイフォードによってルミア=ティンジェルが拐われ、俺が白魔儀【リヴァイヴァー】によってかろうじて蘇生されたという事実である。

 

「そこの娘に感謝しておくがいい。私とあの間抜けでは到底蘇生させるには足りなかった。潜在魔力量(ポテンシャル)で言えば私すら上回る逸材だぞ、そのフィーベル家の娘は」

「......そう、ですか」

 

 助けられたこと、というよりは巻き込んでしまったことに対する罪悪感が湧く。俺のような壊れかけ──いや、壊れることが確定している人間ならばいい。ルミア=ティンジェルのように尋常でない精神力であれば耐えられる。だが、システィーナ=フィーベルにはそんな異常性も覚悟もない。才能が突出していたとしても精神面、人格面で言えば驚くほどに普通で正常なのである。

 

 だから恐らく、こうした帝国の闇に踏み込めばきっと彼女は"壊れる"。傷付いて、悔やんで、病んで、そして苦悩した果てに死ぬのだ。

 

──彼女はきっと、英雄にはなれない。

 

「......さて。状況が理解出来たようならば一つ問おう」

 

 フレイザーがそう発言した瞬間、ぐっと部屋の温度が低下したような錯覚に襲われる。冷徹に細められたその瞳がこちらを射抜いた。 

 

「シェロ=イグナイト。君は何者だ?」

 

「......質問の意図がわかりかねます」

「そうだな。なら簡潔に問おう。君の傷口の剣、あれはなんだ?」

「............、......それは」

 

 一瞬だが、表情が僅かに歪んでしまったことを自覚する。そして向こうもそれを把握していることだろう。どう言ったものかと思考し、正直に言ってしまうかと口を開いたが──寸前で閉じる。

 帝国において異能者に対する忌避感を覚える人間は少なくない。その中には過激派も存在している。もしアルベルト=フレイザーがそれだとしたら──?

 

「......イグナイト公爵家の眷属秘呪(シークレット)、というわけではあるまい。あれは一定範囲内の炎熱に対する絶対制御能力だ。かといって通常の魔術にあんな効果を発揮するものはない。そして固有魔術(オリジナル)かと思いもしたが、あくまで魔術の範疇にあるそれが無意識状態で発動する可能性は低い」

 

 一拍。

 

「シェロ=イグナイト。君は異能者だな?」

 

 無言で応じる。相手がどのような立場にあるのかすらわからないのだから、ここで下手に答えれば危険だ。沈黙は肯定と受け取られるだろうが、何か言う方が余程危険──

 

「っ、異能者ってのは本当なのか!?」

 

 と。そこで突然の声に驚いて俺は扉の方を見る。そこには真新しいシャツを着たレーダス先生の姿があった。やはり戦闘でぼろぼろになったから着替えたのだろうか。

 

「貴様は少し黙っていろ」

 

 鬱陶しげにフレイザーは眉を潜める。そして答えを促すように此方へ再び目を向けた。

 

「......ええ、そうですよ。俺は異能者です」

 

 諦めてそう答える。どうせほぼ確信しているのだ、隠し通せるものではない。

 

「じゃあ、前に固有魔術(オリジナル)だって言ってたのは......」

「いえ、あれは別に強ち間違いでもないですよ。俺の異能は多少魔力を食う......異能か魔術か未だによくわからない、奇怪な能力です」

 

 自分でも未だその全容は把握してないのだ。第一原典の【無限の剣製】とは似通っているようでいて全くの別物に近い。

 

「君の能力は剣を生成すること。それだけなのか?」

「......ええ。ただ剣を早く錬成することしか出来ない能力です」

「そうか。確かに素材を要求せずに一瞬で錬成することは確かに驚異的ではあるが......解せんな」

「何がです?」

 

 ちらりと此方を一瞥し、フレイザーは言った。

 

「何故あのエレノア=シャーレットが、君にそこまで執着するか──だ」

 

「ッ......!?」

 

 あいつが裏にいるのか。そう言えばまた会うことになる的な事を言っていた気がしないでもないが。

 

「......奴は君が瀕死となり海に落とされたと知った瞬間、明らかに狼狽していた。つまり君は奴等にとって相応の価値があるらしいな」

「......どう、でしょうね。単に珍しい異能だというだけの理由かもしれませんよ」

 

 正直なところ俺にもわからない。あのクソアマとは一度しか遭遇していないはず。そうまで狙われる理由などこの異能以外にないはずだ。

......ふむ。ひょっとして一目惚れというやつか。やだ、僕様ちゃんってば罪な男......うぇっ。

 

「どうした?」

「いや、ちょっと気持ち悪くなっただけですから......」

 

 正直自分の手でピンク色の脳獎を撒き散らして殺した女が笑顔で迫ってくるとか悪夢以外の何物でもない。思わず真顔になりながら次こそは殺し尽くすと誓い、身体機能を確かめつつ立ち上がる。

 

「それで、レイフォードの処断はどうなるんです?」

「......あれは元々こうなることを危惧されていた。こうまで明確に裏切ったのだ、最早擁護できる域にない」

「へぇ......それで"処分"しろと?」

 

 ぎり、とレーダス先生が歯を噛み締める音が響く。見れば、無言ながらもフレイザーの目も暗い火が灯っているのが見てとれた。何とも既視感のある光景であり、俺はうへぇ、という顔になった。

 

「......結果として不穏分子を処理し、かつ敵の拠点を洗い出すことに成功。ただし囮に利用されたのは本来護衛対象であるはずのルミア=ティンジェルで、まんまと誘きだされた天ぷら研究会とやらへの迎撃命令がようやくフレイザーさんに下された」

 

「っ──何故知っている」

「わかりますよ、そりゃ。うちの姉は控えめに言ってもクズですからね。護衛対象だろうが、天ぷら同好会をぶっ潰す手段になり得るなら喜んで捨て石にしますよ」

 

 あれは良くも悪くも"イグナイト"だ。代々特務分室の室長を受け継いできたのはイグナイト公爵家だが、同時にそれは百年以上続いてきた天の智慧研究会との因縁をも引き継いでいるということだ。

 大導師を殺すためならば如何なる犠牲をも払う。姉は──イヴ=イグナイトは眷属秘呪(シークレット)【第七圈】を継承すると同時にその殺意までも背負ったのである。

 

......それは長男である俺が無能であるが故に起きた悲劇だ。本来継ぐべきは俺だったのだ。しかしきっとそれを言えば容赦なく張り倒されるだろう。

 そして彼女は、燃え盛る業火のような瞳でこう言うのだ。「自惚れないで頂戴」──と。

 

「ですが、まあ。姉は合理的です。結果さえ見せればどうとでもなります」

「......なに?」

「わかりませんか? つまり──」

 

 長年の付き合いだ、異母姉弟とは言え性格くらいはわかっている。甘いことは好まず、ただ結果が全てだと割り切る冷徹さ。だが融通が利かないわけでは決してない。

 

「ルミア=ティンジェルを救出し、天ぷら同好会のアジトを潰し、そしてリィエル=レイフォードを正気に戻せさえすれば揉み消せるということですよ。例えば"潜入捜査"扱いにしてもらうとか、ね」

 

 手綱を握りきれていないとしても、レイフォードはそう簡単に切り捨てられるような性能ではない。可能ならば再び連れ帰ることが出来ればいいが、しかしルミア=ティンジェルが死亡した際の責任転嫁先として簡単に切り捨てられるようにしておきたい。そんな思考が透けて見えた。

 

「要するに、万事解決すればどうとでもなるってことですよ」

「......成る程、確かに君はあの女の血縁のようだな。その目は......よく似ている」

 

 その言葉にはぁ、と間の抜けた声で返す。いや他にどうしろと。俺と姉貴じゃ若干目の色違うんだけど。

 

「ま、どうせその事は俺が寝てる間に散々ぱらレーダス先生と話し合ったんでしょう? 行くならさっさと行きましょうよ」

「なっ──お前、まさか同行するつもりか!?」

「当たり前でしょう、それともここでエレノア(クソゾンビ女)の襲撃を手をこまねいて待てと?」

 

 そう言うと、複雑そうな顔で黙りこむ。俺がここにいれば生徒が巻き込まれる可能性は高く、かといって連れて行っても危険。数秒間迷った後に、レーダス先生はでかでかと溜め息を吐いた。

 

「気は進まんが......いいんだな?」

「ええ」

「死ぬかもしれないぞ?」

「死ぬ気なんて毛頭ありませんよ」

 

 まだ死ねない。そんな俺の返答を予想していたのか、アルベルト=フレイザーは頷いた。

 

「ならば行くぞ。ついてこれるな?」

「ええ。これでもそれなり程度には鍛えてるんで」

「そうか。では、一応これを持っていろ」

 

 ついでのように手渡されたそれを目にして息を呑む。内包されているのは膨大な魔力。即ち、魔導士にとって生命線とも言える貴重な道具たる魔石である。市場価格でウン十万はするそれを凝視する。

 

「いや、でもこれいいんですか......?」

「いい。そして返す必要もない。お守り代わりにでも携帯しておけ」

 

 唖然とする。そんな俺の肩を叩き、レーダス先生はこっそり耳打ちした。

 

「やけに気に入られたな、シェロ」

「えぇ......?」

 

 何処にそんな要素があったのだろうか。フラグ立てた覚えはないんだけど。

 そう困惑の表情を浮かべる俺だったが、真剣な顔で此方を見つめるレーダス先生に顔を引き締める。

 

「いざという時は自分の命を優先しろ。頼むから......死んでくれるなよ」

「......わかってますよ。それに、もうレイフォード相手に遅れを取るつもりはありません」

 

 そうか、とレーダス先生が頷く。俺を連れて行くのは彼の本意ではないのだろう。だが恐らく俺が目覚める前にフレイザーが話をつけていた。

 

「まあ、あとは何だ。白猫にちゃんと礼は言っておけよ?」

「そーっすね......どうやら、助けられたみたいですし」

 

 そう言うと、何故か微妙な表情で返された。え、なに?

 

「いや、助けられたついでにご褒美というか人生の墓場入り御愁傷様と言うべきか......」

「はい?」

「ああ、うん。とりあえず"御馳走様でした"とでも言っときゃいーんじゃねーの?」

「はい?」

 

 どーゆーことやねん。説明を求めてレーダス先生を見れば、そっと目を逸らされた。おい。

 そのまま足早に離れていく姿を半眼で見送り、俺は疑問符を浮かべながらもベッドに俯せになっている少女へと振り返った。

 

「よくわからんが......ありがとな。お陰で助かった」

 

 システィーナ=フィーベルの髪に僅かながらも俺の血がこびりついてしまっている様子を見て心苦しくなる。本当に優しい少女だ。だからこそ、もう巻き込みたくはないと強く思った。

 

「じゃあ──征ってくるよ」

 

 死ぬ気はない。ただこの少女の友人を殴り飛ばしてでも連れ帰る、それだけの話だ。

 そして俺はもう一度その横顔を一瞥し、レーダス先生を追うのだった。

 

 

 

 

 

 

 

 

「あの、馬鹿」

 

 誰もいない部屋の一室。粉砕されたベランダから射し込む月光が室内を照らす中で、少女は呟いた。








アラヤ「契約、しよ?」


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蟹とか最近食べてない気がする。

 

 

 

 

 

 やばい。あの二人ちょっとなめてたわ。

 

 惚れ惚れするような体捌きで先行するレーダス先生とフレイザーに必死でついていく。ここは未開の樹海だというのに、入り組んだ巨大樹の根や蔦などに引っ掛かるような素振りすらない。動作の一つをとっても洗練されている──勉強にはなるのだろうが、正直かなり辛い。比較的温暖な気候が仇となり、俺の全身は既に汗でずぶ濡れだ。

 

「どうした? 息が上がってるぞグレン」

「うっせえ! こちとら腹にでかいの食らったばっかなんだよ!」

 

......まあ、うん。仲が良さそうで何より。というかよく喋る余力があるものだ。

 何やらそのまま喋っていたようだが、ただでさえ体力を削られている俺としては身体強化を付与していても何とかついていくので精一杯である。

 

「はぁ......ふぅ......」

 

 そしてようやく樹海が尽き、少し開けた場所で湖に突き当たる。俺は息を整えながら樹に寄り掛かる。

 

「大丈夫か? 五分程度ならここで休息を取ってもいいが......」

「......大丈夫、です。それよりここに入るんですか?」

 

 レーダス先生にひらひらと手を振って尋ねる。すると、フレイザーが淡々と答えた。

 

「バークスの研究分野は特殊な環境を必要とする。その性質上研究室を設ける際には必ず地下水路が必要となり──」

 

「──大規模な水路を用意できる場所、土地の高低差、そして霊脈(レイライン)の条件から絞り込める......ってわけですか」

 

 確かに真正面から突っ込む必要性など何処にもない。俺は納得し、そして再び尋ねる。

 

「んで、どうやってこの湖に入るんです?」

「【エア・スクリーン】を使えばいいだろう」

「そうだな......って、お前まさか」

 

 真顔でサムズアップする。俺それ知らねーし使えねーもん。

 そうして結局アルベルト=フレイザーに頼ることとなり、俺は【エア・スクリーン】を付与して貰った後に湖に潜行するのだった。

 

 

 

 

 湖の底を探索し始めてから程なくして妙な流れの水流を発見し、出入口の横穴を三人で進んでいく。真っ暗闇の中を指先に灯す魔術の光を頼りに進んでいけば、やがて不自然に開けた場所に出た。

 四方には明らかに人工的に石垣を並べて作られた壁。頭上の揺らめく水面へと浮上し、二人の後を追って通路状の足場に飛び乗った。

 

「......ビンゴ、だな」

「ああ」

「見た限り貯水庫っぽいですね」

 

 そうして辺りを見回し──ふと嫌な感覚が背筋を上る。直感的に投影し、戦闘体勢へと移行する。

 

「......来る」

「え?」

 

 突然レーダス先生の目の前の水路から大量の水が巻き上げられ、盛大な水柱がそびえ立った。レーダス先生が驚きの声を上げながら身構え、フレイザーが素早い身のこなしでその場所から跳び下がる。

 水柱の中から現れる巨大なシルエット。それは人の倍以上の身の丈を持つ、冗談のように巨大な蟹で。

 

「ちッ......」

 

 直後、鈍い硬質の音が響き渡る。無論のこと、俺の投擲した双剣が弾かれた音である。

 

「あれ、かなり硬いみたいですよ。気をつけて下さい」

「いや、お前そんな簡単にぶん投げて......って、ええ?」

 

 即座に投影し直して見せれば、レーダス先生は目を丸くしてこちらを凝視していた。フレイザーも目を細め、しかしすぐに目の前の敵へと向き直る。

 

「《吠えよ炎獅子》!」

 

 一節詠唱が完了し、【ブレイズ・バースト】による火球が放たれるのとレーダス先生が咄嗟に飛び退いたのはほぼ同時だった。

 着弾すると同時に解放された熱量が業火として顕現し、炎が収まると共に姿を現したのは蟹の丸焼きである。実に美味そうだった。

 

「この距離でレーダス先生を巻き込まない......聞きしに勝る魔術制御精度っすね」

 

 純粋に感心する。姉から聞いてこそいたが、実際に見るのとはまた違う。自分とは別格の魔導士であることを痛感し、沸き上がる劣等感を抑え込んだ。

 

「にしても、こいつは一体、なんだ? 魔獣......にしちゃ、いくらなんでも生物構造を無視し過ぎだな......となると、やっぱり......」

「その昔、軍事用に研究されていた合成魔獣(キメラ)だろう。合成魔獣(キメラ)の兵器利用に関する研究は現在では凍結・禁止されているのだが......昔の研究成果が残っていたのか、或いはバークス=ブラウモンが禁じられた合成魔獣(キメラ)兵器の研究を続けていたのか......」

 

 フレイザーが何の感慨もない氷の瞳で、蟹の残骸を一瞥する。

 

「何れにせよ、どうやらこの区画、不要になった合成魔獣(キメラ)の廃棄場所なのだろう」

「つーことは、だ。バークスの野郎......予想以上にきな臭いやつだな」

 

「そりゃわかりきったことでしょうよ。ほら、団体様が来ますよ!」

 

 あちこちで水柱が上がる。這い上がってくる無数の異形を睨みながらレーダス先生は拳銃を抜き放ち、フレイザーは詠唱を開始する。勿論俺は既に双剣を構えていた。

 

「突破するぞ!」

「ったく、仕方ねぇなぁ! 遅れるなよ、シェロ!」

「はい......!」

 

 吹き飛ばされる合成魔獣(キメラ)の間を潜り抜け、時折こちらに牙を剥くそれらを切り捨てながら、俺は二人の背を追った。

 

 

 

 正直な話をしよう。あの二人やっぱり頭おかしい。

 

 まずはレーダス先生。あの照準の早さと抜き撃ちの速さは何なのだろうか。眼で追うことすら難しい速度の早撃ち(クイックドロウ)など見たことがない。加えてそれを呪文詠唱を重ねながら行うのだ。どれほどの鍛練を積んだのか想像もつかない。

 

 そして次はアルベルト=フレイザーだ。もうこちらは怪物としか言いようがない。軍用魔術を一節詠唱で発動している時点で普通なら優秀だと言われる範疇の筈なのだが、更に二反響唱(ダブルキャスト)まで重ねている。もうこの時点で頭おかしい。一応魔術をかじっている身としては本気でどういう頭の構造しているのか解剖してみたくなるほどだ。

......それだけではなく、よく見れば敵の位置などを緻密に調整してすらいるのだからお手上げだ。あらゆるステータスが超高水準で完成されている。

 これはもう言ってしまえばフィーベルの完全上位互換だ。天才が努力すればこんな領域にさえ至るというのだろうか。

 

「悪ぃシェロ! 一匹そっちに流れた!」

「ふん......鈍ったか?」

「言ってろ!」

 

 相変わらず仲が良いのか悪いのか。しかしその連携は完璧に近い。俺はたまに流れてくる敵を倒すだけだから楽と言えば楽なのだが──。

 

「《過密(オーバー)連刃(エッジ)》」

 

 基本骨子を限界まで拡張し、本来の用途を越えて注ぎ込まれた魔力が規格を越えた強度と大きさにまで双剣を強化する。そうして一時的に身の丈ほどとは言わずとも大剣の領域に踏み込んだ双剣を振るう。

 狩り殺すための剣技。獣の殺し方すらもこの剣には記録されている。自身のものへと最適化(フィッティング)出来たのは僅か一割二割に過ぎないが、幻獣級の怪物でもない限り遅れを取ることなど有り得ない。

 

「フッ──!」

 

 呼気を吐き出しながらの一閃。双剣は容易く表皮を食い破り、飛び掛かってきた合成魔獣(キメラ)を肉片へと還した。

 獣の血臭が撒き散らされる地下道は肉が焦げる臭いも混じって凄まじいものであり、もうこの制服着れないなぁと思いつつ投影を一旦解除する。

 

「......問題無さそうだな。先を急ぐぞ」

「了解です」

 

 首肯し、さらに地下道を進んでいく。道中でさらにブラウモンの手先であろう魔獣に襲われるが、危なげなく二人が蹴散らしていった──のだが。

 

 

「こ、こいつは......ちょっとヘヴィかなー?」

 

 思わずといった風にレーダス先生が頬をひきつらせる。通路を突破した先、大部屋に侵入した俺達を待ち構えていたのは──

 

「ゥォオオオオオオオオオン......」

 

 見上げるほど巨大な、大亀の怪物だった。その大部分が透き通る宝石のようなもので構成されている。

 

「宝石獣か。過去、帝国が密かに行っていた合成魔獣(キメラ)研究の最高傑作として、理論上の設計だけは為されていたとは聞いていたが......」

「こいつの性質は?」

「殆どの攻性呪文(アサルトスペル)が効かん。それに恐ろしく硬い」

「厄介の極みじゃねーか......!」

 

 そうレーダス先生が呻いた直後、大亀がその剛腕を振りかぶった。咄嗟に俺は後方へ、そして二人は左右へと散開する。そして直後に大亀の体に埋め込まれた宝石が帯電し始め──嫌な予感がした俺がフレイザーの元へと滑り込むと同時に、極大の雷撃か放たれた。

 

「《光の障壁よ》」

 

 一節詠唱。展開された六角形(ハニカム)が幾つも並んだような障壁が何とか雷撃を凌ぎきる。【ライトニング・ピアス】すら越える威力であろう攻撃を容易く防ぐ様は流石としか言えないが、それでも【フォース・シールド】は元から魔力を大量に食う。いくらフレイザーの内包魔力量が桁外れだとはいえ、そうそういつまでも防げるものではない。

 

「やれ、グレン」

「いや......わかっちゃいるが......」

 

 恐らく奥の手があるのだろう。だがレーダス先生は苦い顔で応じる。

 

「いや、大丈夫ですよ」

「何?」

「俺がやります」

 

 手元に投影したのは黒い大弓。消費魔力(コスト)は数倍嵩むが剣以外でもある程度ならば投影可能なのは確認済みだ。

 

「《投影開始(トレース・オン)》」

 

 投影するのはゼーロスの細剣(レイピア)。この魔剣は世界最硬金属の一つと吟われる真銀(ミスリル)、それをどうやったのかは不明だが更に合金として加工した規格外の代物だ。

 

「《我が骨子は捻れ狂う》」

 

 新たな詠唱と共に基本骨子を改造。本質を変えることなくその外枠を大きく変更し、質量はそのままに貫通に特化した形──即ち矢として変形させる。元より細剣(レイピア)とは刺突に特化しているのだ、その特性を最大限に引き出したこの武器ならば──。

 

 

「【穿・白麗剣(オートクレールⅡ)】」

 

 

 龍だろうが亀だろうが容易く貫く。

 

 暫定的に付けた名前を言い放つと同時に放たれた矢は、宝石獣を真正面から削り穿つ。大気すら巻き込みながら突き進むそれは宝石獣を即死させ、加えてさらに勢いを止めることなく大部屋の壁へ極大の穴を作り上げた。

 我ながら規格外の威力だなぁ、と思い──膝をつく。

 

「な、ん......って、おい!?」

「や、大丈夫です。一気に魔力を消費して目眩がしただけなんで......」

 

 ここまでの大技は初めてだ。明らかに対人向けのものではない。

 ゆっくりと立ち上がり、急激に消費した魔力を補給するために魔石からある程度魔力を吸収する。

 

「......行きましょう。廃棄王女を助けるんでしょう?」

「あ、ああ......!」

 

 まだ大丈夫だ。問題は、何一つとしてない。そう自分に言い聞かせて足を進める。

 

「..................」

 

 静かに此方を観察するフレイザーの事に気付かず、俺は進むのだった。

 






戦闘挟むと話が進まない☆


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炎と氷と雷が合わさって最強に見える。

 

 

 

 

「ここは......?」

 

 大亀を突破し、更に通路を進んだ先で声が響く。

 

 大広間のような室内は薄暗い。床や壁、高い天井の所々に設置された結晶型の光源──魔術の照明装置の光はかなり絞られており、足元がよく見えない。そして、辺りには謎の液体で満たされたガラス円筒が、無数に、延々と規則正しく立ち並んでいた。

 

 それらガラス円筒の一つ一つが、部屋のあちこちに設置されたガラクタの塊のような魔導装置にコードで繋がれ、その装置は現在進行形で低い音を立てて稼働している。

 

「ったく、何なんすかね、これは」

 

 何とはなしにその円筒へと目をやる。周囲が薄暗いため、そのガラス円筒の中身がよく見えない。俺は何気なくガラス円筒へ近付き、中を覗き込んで──

 

「......っ!?」

 

──瞬時に、止めておけばよかったと後悔した。

 背筋が凄まじい悪寒で総毛立ち、ぶわっと気持ち悪い脂汗が全身から噴き出した。隣を見れば、同じように中身の正体に気付いてしまったレーダス先生が口元を抑えている。

 

「人の......脳髄......」

 

 隣の円筒もそうだ。その隣もそう。その隣の隣もそうだ。

 

 延々と、標本のように──否、事実として標本にされている脳髄が陳列されていた。

 

「......『感応増幅者』......『生体発電能力者』......『発火能力者』......」

 

 フレイザーが読み上げていくのはガラス円筒につけられているラベルの文字だ。そう、標本の名前を示したラベル。

 

「......全ての円筒に異能力名がラベルされているな。後は被験体ナンバーと各種基礎能力値データが少々......つまり、これは『異能者』達の成れの果てか」

 

 そう言ってフレイザーは足を止め、立ち並ぶガラス円筒へ鋭い眼差しを送った。これはもはや人間に対する扱いではない。

 いや──本当にバークス=ブラウモンは異能者を人間と思っていないのだろう。

 

 異能。

 それはごく稀に、人が先天的に持って生まれる特殊な超能力を指す言葉だ。

 基本、学べば誰でも扱えるようになる魔術とは異なり、異能は生まれついての異能者でなければ使うことができず、現代の魔術では再現不可能な効果を持つ強力な異能も多い。

 その自分が決して持ち得ぬ卓越した力に対する羨望か、あるいは嫉妬か、異能嫌いの魔術師は少なくない。その無知さゆえに異能を忌避する人間も多い。

 

......いや、違うか。異能とは嫌悪の対象であり、常に差別と迫害にあってきたのだ──"この国では"。

 まるで誰かが仕向けたかのように、忌避されている。

 

「──私の貴重なサンプルの数々、お気に召されたかな?」

 

 唐突に、場違いに。声は聞こえた。

 

 その瞬間、フレイザーが詠唱済み(スペル・ストック)の【ライトニング・ピアス】を起動する。しかし暗闇を一閃する雷は同じようにストックされていた【トライ・バニッシュ】により消失する。

 

「バークス=ブラウモン......!」

 

 ぎりぎりと歯を食い縛りながら、レーダス先生が殺意を向ける。初老の男は薄く嗤うことで応じた。

 

「いやはや、遠路はるばるご苦労だったな。では──」

 

 す、と腕を此方へと伸ばす。同時に感じた嫌な予感に、俺はその場から飛び退いた。

 

「死んでくれ。なあに、頭部さえ残れば後は必要ない。その錬金術を越える異能、私の新たな研究材料とさせてもらうぞ」

 

「ぐっ......シェロ!」

 

 嗤いながら放たれたのは極低温の冷気だ。俺が先程までいた空間は瞬時に凍結され、巨大な氷柱がそこには鎮座していた。ぞっとするような出力に警戒を最大に引き上げる。

 

「俺のことはいい、早く行ってください!」

「おま、何を──」

「ルミア=ティンジェルが()()なってもいいんですか!?」

 

 レーダス先生が息を飲む。そうしてフレイザーを一瞥し、頷いたのを確認した後に、背を向けて出口へと走り出した。

 

「は、馬鹿が! 良い的だ──ぐっ!?」

 

 放たれた【ブレイズ・バースト】がブラウモンの体を焼き焦がす。更に炭化した左腕を投擲した剣が砕き、ほぼ無力化した......と思ったのだが。

 

「効かんなぁ......」

 

 再生する。見ているこちらが気持ち悪くなるほど鮮やかに、傷口が膨れ上がって再生する。エレノアとも違う驚異的な再生能力──しかしそれは再生するだけには止まらず、更に肥大化した筋繊維の束がブラウモンの全身から溢れだし、そのまま筋肉の塊のような醜悪な怪物へと変貌を遂げた。

 

「さて、では少し遊んでやろうかのぅ」

 

 巨人となったブラウモンがそう呟けば、左腕からは冷気が溢れだし、右腕からは圧倒的な熱量が噴出される。

 流石にこうも露骨に示されれば嫌でもわかる。詠唱なくこの威力の攻撃を──B級軍用魔術にすら届きうる威力のものを放てるのは異能者以外に存在しない。

 

「貴様、異能を取り込んだのか......!」

「ご名答。褒美をくれてやろう、王家の犬よ」

 

 周囲を巻き込みながら放たれる絶対零度の冷気とガラスを数秒で融かす焔。そしてさらにその口から漏れる蒼電を視認した瞬間──僅かだが意識が飛ぶ。

 

「ご、は......!?」

 

 気付けば俺は床に伏し、ガラス円筒が並べられていた研究室は煉獄のような様子へと変貌を遂げていた。

......衝撃で数秒間意識が飛んでいたらしい。慌ててフレイザーを探せば、マグマの如くどろどろに融けたガラスや氷柱が同時に乱立する不自然なフィールドの中央に立っていた。

 

「..................」

 

 無言。だがその瞳は明確にバークス=ブラウモンを脅威として認識していた。僅かに焼けた軍服の裾を揺らし、再び放たれる電撃を寸前で防ぐ。

 

「ふはははははは! これが"力"だァ! あのアルフォネア等と言うアバズレすらこのバークスは越えたのだ! 異能とはかくも素晴らしきものよ──魔術など馬鹿らしくなってくるわ!」

 

 巨人は哄笑を上げる。だがそれを見て、アルベルト=フレイザーは呟いた。

 

「......アルフォネアを越えた、か。笑える冗談だな、バークス=ブラウモン」

「何ィ......?」

 

 冷酷な嘲笑を浮かべて、フレイザーは告げる。

 

「お前は確かに人外だ。愚かにも人の範疇を越えた外道魔術師だ。だがな──その程度であの女を、"神殺しの怪物"を越えられるものか」

 

 元執行者ナンバー21【世界】のセリカ=アルフォネア。その能力はもはや対人規模にはない。あれは単騎にて一国を捻り潰す──生まれた時代を間違えたとしか思えない、理性を持った怪物である。

 例え相性が良かったとしても、例え下級邪神程度だったとしても、本来人の身で到底届くはずのない神格を完全殺害した現代の"神殺し(ゴッドスレイヤー)"。

 時間をも掌握し、星すら墜とす、不老不死たる金色の魔女。

 

「それをお前が越えただと? 笑わせるなよバークス。せめてそれは、腕の一振りで山を消し飛ばすくらい出来てから言って欲しいものだな」

 

「こ、の......戦争犬風情がァ!!」

 

 憤怒に染まった顔から──いや、口から極光が放たれる。増幅されたそれは生体発電能力によるもの。それを瞬時に作成した魔力障壁で防御するフレイザーも大したものだ。

 

 ちなみに俺は余波で死にかけている。プラズマとか初めて見たぞ。目が潰れそう。

 

「っ、おい!」

 

 恐らくこのままでは俺もフレイザーも死ぬ。そう判断し、俺は巨人へと呼び掛けた。

 

「テメェが欲しいのは俺の能力だろう? なら──」

 

 近くにまだ残っていた器具、無針注射器を掴みとった。そして魔術設定を操作し、左腕へと押し付けて()()する。走る痛みに顔をしかめるが、注射器の内部はきっちりとどす黒い赤に満たされる。

 

「くれてやるよ。だから俺達を見逃せ、バークス=ブラウモン」

 

 ぎょろりと巨人の眼球がこちらへと向く。俺は突きつけるように血液で満たされた注射器を掲げた。

 

「......ほう?」

「っ!正気か、イグナイト!」

 

 予想だにしていなかったのだろう。珍しく声を荒げるフレイザーを無視し、俺はブラウモンを睨んだ。

 

「良かろう。それを寄越せ」

「......ああ」

 

 注射器を投げ渡す。それを肥大化した手で掴みとり、そうしてしげしげと観察すると──あろうことかそのまま飲み込んだ。

 ばり、とかぐしゃ、という音の後に注射器ごと咀嚼する。そして巨人はにやりと笑い、俺へと手を翳した。

 

「馬鹿め、能力さえ手に入れれば貴様に用などないわ! 消し炭にしてくれる!」

 

 暴力的な熱量が収束する。そうして俺はなすすべもなく放たれた火炎に焼かれる──

 

「......何?」

 

──何てことはなかった。

 

 ブラウモンが怪訝な顔で自分の腕を見る。不意にぶちゅり、という音が響き渡った。

 

「は?」

 

 それは能力を使えないことに対する驚愕か、或いは"突如として眼球が潰れたこと"に対する驚愕か。俺にはわからなかったが、ただ一つ明確なことがあるとすれば、それはブラウモンの眼窩から剣が突き出しているという事実だ。

 

「な、何だこれは──」

 

 言葉を紡ぐ暇すらなく剣が肩から突き出す。内側から貫く。眼球を、腕を、背を、腹を、足を貫く。次々と溢れ出す。

 

「き、貴様何をしたァ!」

 

「俺は何もしていないさ」

 

 そもそも"それ"は俺ですら制御不可能なナニカなのだ。十数年付き合い続けてそれでも尚、完全駆動させることが出来ずにいる。

 本来の所有者が持て余すような異能。それを譲渡してしまえばどうなるか。

 

「あが、あぎゅ、ごふ」

 

 錬成される剣の素材は体内にあるもの。故にブラウモンが宿す異能を取り込んで具現化する剣は魔剣と化した。稲妻が、冷気が、炎熱がブラウモンの体を破壊しながら剣に宿って内側から貫く。再生能力すら剣に吸収されたのかもしれない。声帯さえも剣に貫かれ、怯えたような目を此方へ向けてくる。

 

「あびゃ──た、たす、たすけ」

 

「......さようなら、バークス=ブラウモン」

 

 地に伏したこの男を見下ろす俺はどのような目をしているだろうか。蔑んでいるのだろうか。哀れんでいるのだろうか。

 それとも、何の感情もない鋼のような目か。

 

「あびゃびゃびゃがぎゅッぎィ────ぁ」

 

 ぱぁん、という音を立てて。呆気なくそれは破裂した。

 血肉が辺り一面に撒き散らされ、剣に喰われた臓物が床に貼り付く。無論のこと俺にもその肉片は付着する。頬にこびりついたそれを拭いとると床に捨て、無造作に踏みにじった。

 

──魔力の消費もなし。効率の良い殺し方だったな、と胸中で呟く。血に塗れた無数の魔剣が肉片から生えている様は、人が見れば芸術のようだとでも言われそうだ。

 

 

「さあ、行きましょうか。大分時間をロスしてしまいましたし」

 

「......ああ、そうだな」

 

 視線が交錯する。詮索するような鷹の瞳に対し、俺は笑って返す。

 

 

 そう──皮肉げ(シニカル)な笑みを浮かべて、背を向けるのだった。

 

 






アっくん「ジー」
エっちゃん「まだかなー♪」

 そろそろ四巻の終わりも見えてきた。もうちっとだけ続くんじゃよ。


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奇々怪々!多重影分身の術!(大嘘)

これにて四巻は完結。特に盛り上がるところもない四巻分の最終話です。







 

 

 

 駆ける。

 延々と続く通路を、恐らくはレーダス先生が既に進んだであろう通路を駆けていく。時折走る頭痛を無視して突き進み──そして突然、二人同時に足を止めた。

 無論、言葉を交えずとも理由はわかっている。俺は口元を歪めて吐き捨てる。

 

「......臭ェな。腐った肉の臭いがしやがる」

 

「あら。淑女(レディ)に対してその言い種はどうかと思われますわよ?」

 

 本人の趣味なのだろうか。メイド服のスカートの裾を翻し、くすくすと笑いながらそれは立っていた。

 俺が数度殺した相手。生きた屍、第二団(アデプタス)地位(オーダー)》と呼ばれる準幹部格の死霊術師(ネクロマンサー)

 

「エレノアぁ......!」

「うふふ......そう熱い視線を送らないで下さいまし。興奮してしまうではないですかぁ......」

 

 気色悪い。死人のような肌を朱に染める様を見て純粋にそう思った。マジで殺してぇ。

 というか殺す。そう思った瞬間には剣を投擲していた。

 

「まぁ、乱暴なお方。ですがこの程度では──」

 

 エレノアは高速で迫る刃を指で受け止める怪力を遺憾無く発揮する。だがそれは予想していた行動であり、俺の口は既に詠唱を紡いでいた。

 

「《壊れた幻想(ブロークン・ファンタズム)》」

 

 瞬間、爆ぜる。

 基本骨子を強制的に自壊させ、構成に使われていた魔力をツァイザーの三属比及びレメディウスの魔力変換公式に基づいて純粋熱量へと変換する。変換効率は魔力を10とすれば約8.52──零距離で放たれたそれは人を丸焼きにし、ばらばらに引き裂いたとしても尚余りある火力だった。防がれたとしても頭部は確実に吹き飛ばしただろう。

 体勢を低くして爆風を凌ぎ、爆心地へと視線を送る。いくら広いとはいえ通路で爆破するなど自殺行為に等しく、先程の一回が限界なはずだ。これである程度時間を稼げればいいが──。

 

「流石ですわ。先程も拝見させて頂きましたが、この一ヶ月で随分とお強くなられたのですね」

「......ちィ」

 

 やはり死なない。いや、確実に一殺はした。だが再生速度がおかしすぎる。あの攻撃、余程タフな魔獣でも数秒は封殺できるはずだというのに。

 

「無駄だ、イグナイト。あの女は不死身だ。どこかに仕掛けはあるのだろうが......今の私達にはそれを見抜く術はない」

「面倒な......!」

 

 歯噛みする。ここで足止めを食らうとは思いもしなかった。

 

「......ふふ。何やら勘違いしていらっしゃるようですが、私としては邪魔する気などさらさらありませんよ?」

「なに?」

 

 予想外の一言に、フレイザーが片眉を跳ね上げる。無論俺も驚愕している。この女のことだ、嬉々として襲ってくると予想していたが。

 

「......信じられるか。お前、行き掛けの駄賃とかほざいて襲ってきたの忘れてんじゃねぇだろうな?」

「あら、本当ですのに。今回の目的は達成されていますからねぇ......貴方様一人であれば多少無理をしてでも捕らえようとしたかもしれませんが、アルベルト様がいらっしゃるもの」

 

......一人で来なくて良かった、と心底思う。今の俺ではこの女には勝てない。単純な地力に差がありすぎる。

 

「おわかりでしょう? 貴方様では私を殺せない。そして私も貴方様を奪えない。不毛な消耗になるばかりであれば、避けるのも当然でしょうに」

「..................」

 

 筋は通っている、気はする。だが到底信用に足るような女ではない。フレイザーを見上げれば、眉間に皺を寄せてエレノアを睨み付けている。

 

「......何を考えている、屍体遣い(ネクロマンサー)

「今の言葉以上には何も。ですが、一つ言えることがあるとすれば──良いのですか? グレン様は今頃なます斬りにされているかもしれませんよ?」

 

 嘲笑を浮かべながら、コツコツと靴音を響かせてエレノアがこちらへと近付いてくる。俺は妙な緊張感を紛らせるべく殺気を叩き付けた。少しでも妙な挙動をすればとりあえず殺す。

 そうして俺とフレイザーが警戒する中──すれ違う瞬間、不死身の魔導士は俺の耳元で囁いた。

 

「次は、もっと強くなっていて下さいね? 楽しみにしていますわ」

 

 中身に反し、息を飲むほどに美しい微笑。吐き気がするほど艶やかなそれに思わず一歩後ずさる。

......底の見えない怪物、という評価が妥当だろう。俺は苦虫を噛み潰したような顔でその後ろ姿を見つめる。

 

「行くぞ。ここで魔力を浪費しては奴の思う壺だ」

「......ええ。行きましょう」

 

 今はあの女よりも優先すべきことがある。通路の奥へと俺は駆け出した。

 

 

 

「レーダス先生! ......って、何だこれ......!?」

 

 唖然とする。壊れた扉の先にあったのは、何故か複数のレイフォードが殺し合っている様子だった。

......多重影分身の術?

 

「いつからNAR○TOの世界に......?」

「おい、なにぼけっとしてんだシェロ!」

 

 そう叫ぶレーダス先生もレイフォードと斬り合っている。......あ、足斬られた。

 

「ぐぅ......!?」

「本当に──」

 

 流石に見ていられないため、大剣の腹を剣で弾いて脇腹に蹴りを叩き込む。だが予想以上に柔らかいその感覚に怪訝な顔になる。

 

「どうなってんですかねぇ!」

 

 身体強化のかかりが甘い。レイフォードらしくもないその軽さにふむ、と少し考え込む。

 

「......やっぱ影分身だからかな?」

「何言ってんのかさっぱりわからんが、多分違うぞそれ」

 

 呆れた様子のレーダス先生に手を貸そうかと尋ねれば、首を横に振られる。

 

「あれはリィエルのクローン体だ。あの馬鹿が量産化しやがったのさ」

「色々ツッコミ所多いんですけど、とりあえずあれは敵ってことでいいんですかね?」

「そんなもんだ。オリジナルほどのスペックはないが如何せん数が多い。それに幸か不幸かやっこさんが思考能力を奪っている......というよりは脳自体を縮小してるらしいからな、あらかじめ刷り込まれた行動(アクション)しか出来ない」

「成る程。本当にただの肉人形ってことですか」

 

 その言葉にレーダス先生は顔をしかめる。だが否定はしなかった。

 

「......それで、その本体は何処に?」

「あっちだよ」

 

 半裸の量産型レイフォード──もはや趣味としか思えない下着を申し訳程度に身に纏っている──それらと剣を交えている、幾分かマシな格好をした方の蒼髪の少女へ目を向ける。やはりオリジナルというだけあってまさに鎧袖一触といった風だが、しかし数というのはそれだけで強い。いかにプログラミングされた"死んだ"剣技といえ、数人がかりで斬りかかればそれだけで脅威となる。

 

 数とは暴力だ。セリカ=アルフォネアのような個としての暴虐を極限まで突き詰めた理不尽でない限り、数の暴力は容易く個人を圧殺する。

 

「......それで? あれは味方なんですかね?」

「ああ。俺は何体か引き付ける──頼んだぞ、シェロ」

 

 その言葉に頷いて返すと、俺は複数のクローンに囲まれるレイフォードの方へと駆け出した。俺の弓はまだ必中の領域にはない。当たらない弓など邪魔にしかならない以上、剣に頼る他にない。

 

「ハ、ァ──ッ!」

 

 思考を持たない肉人形。ならばこそ、見た目が人間であろうと躊躇なく斬れる。全身とは言わないまでも身体強化を広範囲に付与し、大剣を弾き飛ばした後に籠手打ちの要領で手首を斬り落とす。そのまま当て身を食らわせた後に上体を反らして後方からの斬り上げを回避。

 更に加勢した三体目のクローンによる正面からの斬撃──が、後方からの的確な狙撃によりずれる。俺は薄く笑いながらその喉元へ中華刀を突き込んだ。

 

「何体いるんだっての」

 

 肉を裂き、偽りとは言え命を奪い去る感覚。だが不思議と嫌悪感は湧かなかった。

......ああ、いや、違うか。単にそんな贅沢な感覚は既に削ぎ落とされてしまっている、ただそれだけの話だ。

 

「あな、たは──」

「よう、久方ぶりだなレイフォード」

 

 肩を斬られたのだろうか。左腕をだらんと下げて、肩で息をしながらレイフォードがこちらへと視線を向ける。俺のお陰で包囲が解けたらか、右手一本で残る一人を既に斬り捨てていた。

 

「残りは幾つだ?」

「......たぶん、六。後は兄さ......ライネル、と一緒に地下に潜っていったから」

 

 唇を噛む少女の姿に尻目に溜め息を吐いた。どうやらまだ出入り口が存在していたらしい。まあどうせ罠とか満載なんだろうなぁ、と考えると追うのが馬鹿らしくなってくる。

 

「......宮廷魔導士団に連絡を入れておこう。小隊の一つか二つならば即座に動かせるよう手配してある」

 

 いつの間にか六体のクローンを始末していたフレイザーが暗がりから現れて告げる。もうこの場にいたクローンは掃討したのだろう。それにしてもやたら多かったなと血溜まりを見下ろし──あれ?と胸中で呟いた。

 

「あー、加減間違えちまったかぁ......」

 

 病み上がりで体力が限界に近かったというのに身体強化で無理矢理に動かしていたのだ。また筋肉がいくつか断裂したかなぁ、と思いながら膝をつく。疲労と痛みと魔力欠乏の三重苦がアドレナリンが切れたと同時に襲ってくる。

 

「あ......」

 

 闇に飲まれていく意識の中、血溜まりに倒れこむ寸前で誰かに受け止められたのを自覚する。だが瞼はもう開く気配もない。

 

「......ありがとう、シェロ」

 

 礼を言うくらいなら金を寄越せ。

 そう文句を言ってやる前に、俺の意識は闇の奥へと落ちていった。

 

 

 

 

▲▽▲▽▲▽▲▽▲▽▲▽▲

 

 

 

 

 と言うわけで、まぁ。後日談、というやつなのだろうか。

 俺は釣りをするでもなく海を──というより少年少女がキャッキャウフフしているビーチを眺めていた。ちなみに参加する気はまるでない。流石に疲れた。

 そう、参加する気はない──のだが。

 

「......おい。いつまで其処にいる気だ」

 

 呆れて背後へと目を向ければ、そこにはスク水としか言えないものを纏った少女の姿があった。

 つるーん、とかぺたーん、という表現がよく似合う容姿ではあるのだが、如何せんその幼い容姿とスク水が背徳的な方向性でマッチしてしまった結果、ルミア=ティンジェルやフィーベルとはまた別ベクトルでの蠱惑的な魅力を発揮してしまっている。

 

 名付けてロリコンホイホイ。そのまんまだった。

 

「いつまで......?」

 

 いつものように眠たげな目で、レイフォードはこてんと首を傾げた。あざとい。

 

「シェロが"お願い"してくれる、まで?」

「......あのなぁ。それはもういいって言ったろ」

 

 嘆息する。強情にレイフォードが言い張る"お願い"──それは二時間前のことが発端だった。

 

 俺は一晩寝ることである程度体力を回復し、こうして動き回ることができるようにはなった。そして目が覚めた直後、フィーベルとティンジェルを伴ってレイフォードが部屋にやってきたのだが──。

 

『......あの時は、ごめん。あと、止めてくれてありがとう』

『あー、まあいいよ。別に死んじゃいないんだし、もう終わったことだしな』

『でも......』

『じゃあ、貸し一つだ。それでいいだろ?』

『......ん。わかった』

 

『"何でも"するわ。シェロは私に何をして欲しいの?』

 

 

「どうしてそうなった」

 

 本当に、どうしてそうなったとしか言えない。何を履き違えたのかレイフォードはこうして俺に雛の如くくっついて回るし、フィーベルは顔真っ赤にして何処かに行くし、ティンジェルは苦笑混じりにこっちを見てくるし。

 

「......?」

 

 再び重々しく溜め息を吐いてレイフォードを睨む。きょとんとした様子で見つめ返してくる様に少しイラッとした。

 

「あのなぁ......! お前には貞操観念とかそういうのがねぇのかよ!? お陰で何か色々と誤解されたような節があるんですがそこんとこどう考えてるんですかねぇ──!」

 

「......つまり、シェロは"そういう事"をして欲しいの?」

「違う。断じて違うからとりあえずその危険な位置にかけた手を放そうか」

 

 本気で冷や汗が湧き出てくる。やばい。こいつマジでやばい。なまじ容姿が整ってるだけに絵面がやばい。

 

「と──とにかく! 俺はお前みたいに扁平な胸には興味ねぇし"そういう事"を頼むつもりは一切ない。わかったな?」

「......へんぺい......」

 

 心無しかしょんぼりとした様子でレイフォードは胸に手を当てる。同時に何処からか殺気が飛んできたため咄嗟に振り向けば、少し向こうの木に寄り掛かったレーダス先生が凄まじい形相でこちらを睨んできているのが見える。

 

──過保護すぎんだろテメェ......!

 

「ん"ん"っ......まあ、なんだ。別に魅力的じゃないと言いたい訳ではないからそこんところを考慮してくれると非常に助かる」

 

 鬼の形相の保護者にビビりながらフォローはしておく。とは言え、レイフォードが魅力的かそうでないかと問われれば当然前者ではある。

 一見して幼いという印象を受けるその小柄な身体だが、よくよく見れば全体的にアスリートのように鍛えられていることはよくわかる。単に未成熟というよりは、どちらかというと必要最低限の栄養を摂取してきたが為に未成熟な肉体になってしまったというのが真実だろう。

 故にその身体には一切の無駄がなく、純粋な機能美を追求したようなその肉体はむしろ好ましく──。

 

「......つまり、抱きたい?」

 

「「ブッフォ」」

 

 同時に俺とレーダス先生が吹いた。何言ってんだこの戦車ロリ。

 

「あのな? お前が何処からそんな知識を得たか知らんがそういうのは黙っておくべきで──」

「ん。イヴが教えてくれた」

「姉貴ィィィィィィィイ!」

 

 なに余計なことしてくれとんじゃワレ。いくら特務分室に同性が少ないからといって何も知らないホムンクルス同然の少女にいらん知識吹き込んでんじゃねーよ。

 今度あったら追求しよう。そう心の中でメモしておきつつ、こめかみを抑えながら言葉を紡ぐ。

 

「......とりあえずそっち系は禁止だ、レイフォード。OK?」

「おーけー」

 

 よーし、と頷く。だがレイフォードは不満そうな顔で──やはり無表情に限り無く近いが──袖を引っ張ってくる。

 

「何だよ?」

「......レイフォード、じゃない。リィエル」

「あー......まぁ、別にいいだろ?」

「ん。リィエル」

「......名字が嫌いなのか?」

 

 そう問えば、ふるふると首を横に振って否定される。

 

「リィエルって呼んで」

「......宗教上の理由があってな」

「リィエル」

「はい」

 

 よく考えれば別に拘るような話でもない。俺は諦めて両手を上げる。

 

「わかったよ、リィエル。これでいいんだろ?」

「ん」

 

 何処か満足げに頷く様を見て苦笑いをしていると、遠間からふと声が響いてくる。見ればフィーベルだった。手をメガホンのように利用して大声を送ってきている。

 

「ちょっとー! 二人とも、泳がないのー?」

 

「......行ってこいよ。呼んでるぞ」

「ん......シェロはどうするの?」

「俺はちょっと気分が悪くてな。少し部屋に戻っとくわ」

 

 そう言ってその場を離れる。どうした、と声をかけてくるレーダス先生に手で旅籠に戻っておくと示し、砂浜を抜けて部屋へと足を運ぶ。

 

 

 そうしてふぅ、と息を吐いて座り込み、

 

 

 

「さて......上手く()()()()()かねぇ」

 

 

 

 

 震える手を必死に抑え込む。違和感はなかったはずだ。受け答えは完璧だったはずだ。

 俺は俺であり続けた。その、はずなのに──震えは止まらない。

 

「そろそろ、限界か」

 

 上着とシャツを脱ぎ捨て、部屋に備え付けられた鏡で自分の上半身を観察する。同年代に比べ鍛えられているであろう身体付き、所々走る傷跡、そして──心臓から左半身にかけて伸びている()()

 

 

「ははは──畜、生」

 

 

 代償は大きい。

 増えた白髪と侵食する褐色を前にして、俺は歪んだ笑みを浮かべていた。

 

 

 

 






ヒロインが増えたぞ!やったねシェロくん!()


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それでも僕はやってない。

 

 

──風が唸る。

 

 正拳、肘打ち、裏拳、からの片足へ身体強化を施すことによる想定外の跳躍。上を取られたことにより防戦一方になるも、どうにか連撃を凌ぎきる。だがそこで終わることはなく、猫のように着地した直後に回転しながら下段の蹴りを繰り出してくる。

 だが慌てて後方に下がれば、それこそ誘導されたものだったらしい。地面に陥没痕(クレーター)を作り出しながら高速で突貫してくる様を見て防御するも、紙切れのように吹き飛ばされた。

 

「がッ──」

 

 身体強化魔術というのは魔力による概念的な強化だ。錬金術に属する生体強化系──即ち物質的に肉体を強化するのとは根幹からして異なる。だからこそそれは神経伝達、つまり反応速度そのものにも干渉可能だ。

 眼筋及びその他視神経を一時的に強化し、瞬間的に人間の限界を越えた反応速度を体現する。空中だというのに追い打ちの如く繰り出される拳撃をいなし、受け身を取りながら地面を転がる。

 

「ぐ、う......!?」

 

 上手く対処できたと自分では思っている。だが相手はその更に上を行った。

 着地と同時に放たれる震脚。身体の各所を連動させ全運動エネルギーを一点へと集中、放出する──彼女曰く『剄を練る』ことによってただの踏み込みは衝撃を発生させながら大地を揺らす。重心を揺さぶられた俺は思わずたたらを踏んだ。

 

 そしてそんな隙を見逃す彼女ではない。地面を砕く踏み込みの反動をものともせず、視認不可能な速度で掌底が放たれ──。

 

 

「......ん。一本」

 

 風圧だけで吹き飛びかける。しかし一応寸止めで留められているのを見て溜め息を吐いた。

......やはり勝てない。結局リィエルに対しての"お願い"はこうした彼女特有の体術の習得を目指しての組手をすること、で落ち着いたのだが──。

 

「やっぱ強ぇな、お前は」

 

 強い。戦う程にその強さは身に染みてわかる。搦め手を使わなければ同じ領域に立つこともままならないだろう。純粋な格闘戦においては英雄級に片足を突っ込んでいるのではなかろうか。

 

「でも、シェロも最初と比べて強くなってる」

「そうか?」

「ん。前より反応も速いし、無詠唱の【フィジカル・ブースト】も出力が上がってる」

 

 リィエルがそう言うのならそうなのだろう。確かに最初は数秒と持たなかった組手もそれなりに見れるものにはなってきた。......まあ元より解析と投影と強化にしか適性がないのだ、届かずとも足元には及ぶ程度出来なければ困る。

 服の砂埃を払い、息を整えて少女を見上げる。差し出された手を握れば、ぐいっと引き上げられた。明らかに俺より力が強い。

 

「にしても、その体術も独特だよなぁ。"剄"は東方由来のもんだけど、軍式格闘術も所々含まれてるし」

「......以前の私(イルシア)は研究会が独自に作り上げた暗殺格闘術を叩き込まれた、組織でも屈指の暗殺者だったから。この錬金術も、身体強化も......元は以前の私(イルシア)のものよ」

「......そうかい」

 

 何と言っていいのかわからない。だが今のリィエルは記憶封印処置も解かれ、機械じみた人間から前に進み始めているのだ。いつかこうした過去を笑って流せる時もくるだろう。

 友人として、そう願わざるを得ない。

 

「じゃ、そろそろ学院に行く準備するか。お前もティンジェルと合流するんだろう?」

「ん。ルミアとシスティーナは、私が守る」

 

 ふんす、と気合いを入れるリィエルを苦笑混じりに眺める。すると何を勘違いしたのか、目をぱちくりさせて彼女は言った。

 

「......シェロも守るよ?」

「いらんいらん」

 

 自衛程度の力はあるはずだ。丁重にお断りした後、俺は若干精神的に幼い友人と共に市街地の屋根を駆けていくのだった。

 

 

 

 

「んで、どーすんだ? 正直なところ」

「何がですか」

 

 朝礼が始まる前の教室で話し掛けてくる黒髪の男。帝国魔導学園一やる気の無さそうな講師こと、グレン=レーダスに胡乱げな視線を送る。

 

「おいおい、とぼけてんじゃねーよ。実は内心で腸煮えくり返ってたりするんだろ、うん?」

「マジで何の話ですかね」

 

 何故かニマニマと気色悪い笑みを浮かべるレーダス先生の姿に辟易としつつ、俺は購買で買ってきた朝食代わりのサンドイッチをちまちまとつまむ。少しばかり離れた席でリィエルが物欲しそうにこちらを見ているが知ったことではない。お前さっき食っただろーが。

 

「何ってそりゃ、アレに決まってんだろ?」

「はぁ......」

 

 顎で示す先。そこではクラス中の女子生徒が寄って集ってかしましくしている。そしてその中心であわあわとしている人物こそ、今回クラスを騒がせている事件の当事者たるシスティーナ=フィーベルだった。

 

「白猫に婚約者(フィアンセ)が現れたんだぜ? おいおいおい、どーするんだよシェロくゥん!?」

 

 うっぜぇ。心底そう思わせるその顔に拳を叩きこもうとして回避されるまでがテンプレである。

......というか、もう件の婚約者とやらが現れて三日も経つというのにまだ騒いでいるのに溜め息を吐きたくなる。

 

「別にどうするもこうするもないでしょうに。よくあることじゃないっすか」

「よくあること......?」

「ええ。よくあることですよ」

 

 むしろ大貴族のフィーベル家だ、今までそうした話がなかったこと事態が驚きだ。

 

「大戦を経て帝国の貴族は大きく目減りしましたからねぇ。王家の干渉を留めるためにも、少なくなった貴族達が結束して利権を得ようとする動きはここ数十年で顕著です。その際に最も便利なのはやはり血縁──政略結婚ですから」

「うわぁ、うちの国の闇深っ」

 

 そう言って嫌そうな顔をするが、あんたの元職場も相当な闇だからな?と言いたくなってしまう。特務分室は宮廷魔導士団に所属こそしているが、その実情はイグナイト公爵家の庇護下にある王家の懐刀のようなものだ。故に王家派ということであり、事実としてここ百年で何度も貴族派の秘密部隊と小競り合いを続けてきたのである。

 

「ま、そんなわけでそう珍しくもないことですよ。気にするだけアホらしい」

 

 他人の家の事情に首を突っ込むほど俺は暇ではない。だからこそ解せないことがある。

 

「というか、何でそれを俺に言って煽ってんですか」

「何でって、そりゃあ......なぁ?」

 

 そう言ってレーダス先生は席について此方へこっそり耳を傾けていた生徒達を見回す。その悉くがさっと視線を逸らす辺り、全員に心当たりがあるのだろうか。

 

......うん、まぁ。俺も馬鹿じゃないし何が言いたいのかは理解している。

 

 だがそれは"以前の俺がどうだったか"がわからない今の俺としてみれば、どう踏み込んでいいのかいまいちわからない問題だ。

 

「............」

 

 何が消されたかわからない。何処から綻びが生じるかわからない。何が奪われたのかわからない以上下手な行動は取るべきではなく、今こうして俺が俺自身に対して疑心暗鬼にならずに済んでいるのは周囲の人間の反応から以前の俺と擦り合わせているからであり──だからこそ正解となる行動のわからないこうした問題は、そのままの意味で反応に困るのだ。

 

 記憶が消されたのであれば、それに付随した想いも消されたも同然。だからこそ謎の焦燥感と恐怖が増していく。

 

──俺は、何を考えていたんだ?

 

「おいおい、お前今凄い眼になってんだけど......だいじょぶか?」

「......大丈夫っすよ」

 

 ならいいけど、と首を捻る。落ち着け、と俺は自己暗示のように内心で呟いた。

......OK、俺は冷静だ。俺はシェロ=イグナイトだ。それ以上それ以下でもない。

 

「そろそろ例の先生の授業でしょう? 先生も聴くんですか?」

「ん? あー、まあな。......もし適当な授業だったらそれにかこつけてボロカスに扱き下ろしてやるけどな!」

「それ、堂々と言っていいことじゃないでしょうに」

 

 別にいいじゃんあんな高学歴イケメンとか許せるわけねぇだろ、なぁ!と再び教室を見回した。そこで何人かが激しく頷いている辺り、汚染されてるなぁとも思う。

 

「んじゃまあ、若手秀才婚約者のお手並み拝見といきましょうかねぇ......!」

「何であんたが張り切ってるんですか」 

 

 溜め息を吐く。そして──。

 

 

 

 

「......完璧でしたね」

「......完璧だったな」

「......普通に面白かったっすね」

「......普通に面白かったな」

 

「............これ下手したらレーダス先生より上手いんじゃ」

「チェストォォォォォォォォォォォォオ!」

 

 奇声と共に放たれる手刀を防ぐ。だが割りとマジな感じの衝撃に受けた左手が痺れた。

 

「ちょ、あんた今本気でやったな!?」

「喧しい! 俺があんなイケメンに負けるわけがねぇぇぇぇぇえ!」

「うるせぇぇぇぇぇぇえ!」

 

 お互いに上半身だけ、高速で繰り広げられる机上の攻防。拳を払い巻き込みカウンターを放ち、延々と型の応酬が繰り返される。そうして何故か不毛な殴り合いを続けていると、ふとつんつんと肩をつつかれた。

 

「......呼んでる」

「うん? あー......じゃあ、ちょい休戦で」

「だな」

 

 休戦協定を結んだ後に振り向くと、そこには何故かルミア=ティンジェルの姿があった。どうやら用はレーダス先生にあるらしい。

 

「先生......あの、一つお願いがあるんです。その......大変、申し訳ないことなんですが......」

 

 いつになく思い詰めたようなその顔を見て、担任講師は不思議そうに目を瞬かせた。

 

 

 

 

「なーんで、俺が他人の恋路を覗き見せにゃならんのだ......」

「すいませーん、それ俺の台詞なんですけど。俺あんたに連れてこられたんですけど......ですけど!」

 

 頭に木の枝を括り付け、両手にも木の枝を持った似非ゲリラ戦のような格好のまま、レーダス先生はえ?と声を洩らす。

 

「いや、お前は当事者だろ」

「え?」

「え?」

「あ、あははは......」

 

 男二人が本気で首を傾げる横で苦笑を洩らす少女が一人。ちなみにもう一人は既に飽きてきたのか船を漕いでいる。

 

「ごめんなさい、変なことを頼んでしまって......でも、先生についていて欲しくて」

 

 俺はついてこなくて良かったじゃねーか、やっぱり。

 

「ま、親友に変な虫が迫ってるんだもんな。心配なのはわかるが......残念ながら、俺、そういうのに興味ねーんだよなぁ......」

 

 と。そんな事をほざいておきながら、舌の根も乾かぬうちに。

 

「おお──ッ!? あの男、やるなッ!? 今、いきなり結婚を申し込みやがった!? 見かけによらずなんて大胆なヤツ! これはシェロ君も内心穏やかではいられないはず、さぁ盛り上がって参りました──「テメェが一番乗り気じゃねぇかッ!」ぷげらっ!?」

 

 手刀を後頭部に叩き込む。いくら消音結界があるとはいえここまで喧しいと向こうに聴こえるのではと考えてしまう。

 

「......で、どうなってるんです?」

「お、気になる? 気になっちゃう?」

「表に出ろやコラ......!」

 

 こめかみに青筋を浮かべて締め上げる。今、フィーベル達の近くにはレーダス先生の召喚した鼠の使い魔が放たれている。その使い魔との聴覚同調を通して聴こえてくる会話を聞けるのはこの男だけであり──。

 

「おうおう、白猫のやつ、戸惑ってる戸惑ってる! 柄にもなく顔赤くしちゃって......初々しいねぇ......ぷっ、これでまた一つ、からかうネタが増えたわ......しかし」

 

 ひとしきり邪悪に笑い、ふとティンジェルに振り返る。

 

「ルミア......お前、何がそんなに不安なんだ?」

 

......確かに、と俺はレーダス先生の襟首から手を離して眉をひそめた。このストーキング自体、レーダス先生が自ら進んでやっているわけではないのだ。

 

「確かに、俺だって個人的に気に食わんしシェロの敵みたいな「おいコラ」やつだが......レオスはそれなりに信頼できる男だと思うぞ? 何か不名誉なことをやらかせば、家名に傷がつくわけだしな」

 

 レオス=クライトス。

 クライトス伯爵家の次代当主候補であり、クライトス家自身もアルザーノ帝国魔術学院に並ぶとまでは言わないもののそれなりに有名なクライトス魔術学院を運営している名家である。加えてレオス=クライトスは学会で今話題の期待の新星、クライトス魔術学院きっての名講師なのだ。

 こうして考えてもフィーベル公爵家にも見劣りしない肩書きの持ち主だろう。

 

「古参の貴族にとって家名は命同然だ。だから、あの野郎が白猫に対して力ずくで......とか、そういうことはするわけねぇって、正直、俺は思......」

 

「嫌な、予感がするんです」

 

 はっきりとそう言い放たれ、レーダス先生が押し黙る。俺はふむ、と腕を組んでティンジェルを眺めた。

 ちなみにリィエルは寝ている。おい。

 

「......やーれやれ、女の勘ってやつかな......ま、いーや」

 

 心細そうなティンジェルの頭を、安心させるように、レーダス先生がくしゃりと撫でた。

 

「どのみち、この覗きはもう止める気ねーしな! こぉーんな、面白いこと見逃してられっかよ、ぐっへっへ! さぁ明日、白猫になんて言ってやるか──」

 

 と。そこで、今まで寝ていたはずのリィエルの目がぱっちりと開いた。

 

「......わかった、ルミア」

 

 突如として無表情で立ち上がる。その手にはいつの間に錬成したのか、鉄塊のような大剣が提げられていて。

 

「斬ってくる」

待て(ステェイ)!」

 

 尻尾のような後ろ髪を咄嗟に掴み、すたすたと向こうへ歩いて行こうとする少女を茂みの中へと引っ張り戻す。リィエルは尻餅をつき、無表情ながらも不満そうにこちらを見上げていた。

 

「早まるなこのアホ」

「でも」

「でももへったくれもあるか。学院中で無闇に剣は振り回すんじゃねぇって昨日も言ったろーが」

「......むう」

「むくれても無駄だ」

 

 だが納得はしたのか、「シェロがそう言うなら」とギリギリで思い止まってくれたようだ。

 この狂犬どうにかしろよ、とレーダス先生へ目を向ければ、がんばれ、と目線で返される。お前が頑張れよ保護者......!

 

 何とも言えない疲労感の中、こっそりと茂みの隙間からフィーベル達を見つめるティンジェルの姿に溜め息を吐く。どうしてこうなってしまったのだろうか。

 

 

 

 

「ハッハァ──! 残念無念再来年! この白猫ちゃんは既に恋愛のABCまできっちりしっかり卒業しちまってんだよレオスさぁん! だから諦めな、このド振られ寝取られ野郎! ふっはははっは、ザマ見ろ!? お前が長年想い続けた女はとっくに別の男のモノになっていましたというわけだぁああっはっははははははははは!ねぇ今どんな気持ち!? ねぇどんな気持ち!?

 

──と、この少年は申しております。マジテラワロス」

 

「な、ぐ、ぬ......そ、そうよ! 私とシェロは将来を誓いあった仲なの。だから、私のことはもう諦めてレオス。私は貴方とは結婚できない......!」

 

 ヤケクソ気味に俺の腕に抱きつくフィーベル、背後でげらげら笑いながら煽るレーダス先生、そして怒りと殺意を込めて俺を睨むレオス=クライトス。

 

 

......いや、本当に、マジで。

 

「どうして、こうなった」

 

 完全に死んだ目で、俺はそう呟くのだった。




熱い風評被害がシェロを襲う......!


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うちの女子用制服は色々とヤバい。

 

 

 

「つーわけで、だ」

 

 何時ものように教壇に立ち、だが真剣な顔でグレン=レーダスは告げた。

 

「シェロが見事、白猫とくっついてヒモ......いや逆玉の輿......無職引きこもり......まあ何でもいいが、とりあえずあのレオスとかいういけすかねぇ高学歴イケメンをぎゃふんと言わせるために──今からお前らに魔導兵団戦の特別授業を行う!」

 

 そんな宣言に俺は目が死ぬのを自覚し、そして案の定教室中から非難が殺到する。

 

「清々しいほどに自分の欲求に素直......!」

「というかシェロはなにやらかしたんだ」

「NTR! NTR!」

「てか何で俺達が引きニートになる手伝いを」

「システィーナって......ああ、あいつついに人生の墓場に」

「産業廃棄物処理班......!」

 

 

「ちょっと最後のは誰? 怒らないから出てきなさい?」

 

 魔力を迸らせながらフィーベルが青筋を浮かべて立ち上がる。男子生徒のほとんどが顔を背けた。

 

「でもあの噂って本当だったんですわね......」

 

「そうそう、ABCまでやってるとか」

「ベッドの上だと子猫ちゃんだとか何とか」

「むしろイグナイトの方が猫だとか」

「実はガーターに黒ニーソが趣味らしいぞ」

 

 

「おい最後のやつ表に出ろ、何処からその情報入手したかキリキリ吐かせてやる」

 

 否定はしないのかよ、という声が何処からか聴こえてくるが黙殺する。別にうちの制服って思いっきりガーターベルトだよねとか考えてはないない。このデザイン考えた学院長マジグッジョブ。

 

──いや、そうじゃなくて。

 

「何で魔導兵団戦で、しかもクラス対抗で模擬戦することになってんですか!?」

「そりゃあお前が引きニートするためだろ」

「違ぇよ!!」

 

 引きニートも何も、一応はこれでも帝国の五指に入る大貴族の出なのだ。金くらいいくらでも捻出できる。うちの親父の年収をいくらだと思ってるのだ。

 

──いや、そうでもなくて。

 

「百歩譲って! テメェが煽って俺がフィーベルの恋人扱いにされたのは不問に処すとして──何でわざわざ白手袋叩きつけて自分からケンカ売ってんだよこのアホ講師ッッッ!」

 

 いつもなら「ああ、またやらかしたんだな」で済ませる。だが今回は俺が当事者......あれ、何で当事者何だろう......まあとにかく当事者に近い立ち位置にあるのだ。伯爵レベルの名家に決闘を申し込むなど何を考えているのか。

 

「いやぁ、やっちまったZE☆」

「やっちまったで済むかこの万年金欠ギャンブラー! しかも相手の土俵で戦うとかバカなの死ぬの!?」

「反省はしている......だが後悔はしていない!」

「しろよ!!」

 

 机に拳を叩きつけて嘆く。ひょっとしてこいつは本当に頭があっぱらぱーなのだろうか。そもそもレーダス先生は特務分室の出だ、魔導兵団戦に長けているはずもない。それに比べて向こうにとってこれは専門分野──そもそも勝率がおかしい。というか総合力で言えばうちより上の一組が使ってるし。

 

 しかもこの魔導兵団戦、多分俺は何の役にも立ちはしない。

 

「錬金術使えないしッ......! 殴る蹴るも出来ないとかどうしろと......!?」

「いや、うん......何というか、そこは正直すまんかった」

 

 これで俺とリィエルは晴れて戦力外である。つまりこの事件の渦中にあるというのに他の皆に結果を託すしかないのだ。

 

「しかもこの決闘、何故か俺名義になってるし......! 負けたらイグナイト家が負けたことになるし......! 絶対ロクなことにならねえ......!」

 

 仮にも公爵家が伯爵家に負けたとなれば大恥もいいところだ。いや俺の存在そのものが無能であり恥であるのは"既に聞いている"のだが、やはりそれでも負ければイグナイト本家に呼び出されることになる"気がする"。正直なところ認識はあやふやだ。

 

......そもそも記憶がちょくちょく欠落してるせいで「あれ? 俺本当にこいつと恋人だったの?」とかいう思考が挟まれ、あの場で否定する機会を失ったのだから呆れてしまう。

 結論、とりあえずどれもこれもレーダス先生が悪い。ちょっと殴ってもいいだろうか。

 

「というか恋人扱いにするならレーダス先生で良かったじゃないですか......何で俺なのさ......」

「......うちの天才少女は何だかんだで夢見る乙女らしくてな? ま、お前の役回りって事だよ」

「何の役ですか、それ」

「そりゃあ白馬の王子様に決まってんだろ?」

 

 その時の俺は相当に嫌そうな顔をしていたのだろう。げらげらとひとしきり笑った後に、レーダス先生は言った。

 

「よし。んじゃ、経緯はともかく──勝ちに行くぞ、お前ら!」

 

 まあしょうがないか、といった感じで生徒達は席に着いた。幸か不幸か、このクラスは既にこの講師による謎の無茶ぶりに大概慣れてきていたのである。

 

 

 

 

「..................なぁ」

「..................何よ」

 

 レーダス先生の特別授業から数日後。昼食を済ませた後、今回の魔導兵団戦演習に参加する生徒達は、駅馬車を使ってフェジテ東門から東へ延びる街道を進んでいた。無論のこと、俺もその中にいる。

 

......いるの、だが。

 

「......いや、何でもない」

「......あっそ」

 

 この駅馬車だけは、奇妙な空気に包まれていた。

 メンバーはそれぞれ俺、ルミア=ティンジェル、リィエル=レイフォード──そして、システィーナ=フィーベル。ちなみにこの状況を作り出した張本人のアホは御者に馬の手綱の取り方を教えて貰っている最中だ。

 まあそれはただの口実に過ぎず、実際はこの空気に耐えきれず逃げ出したのだろう。

 

「............どうしろっちゅーねん」

 

 詰んだ。というか、もう何から切り出せばいいのかわからない。フィーベルは黙って窓の外を眺めているし、ティンジェルは目を合わせようとしないし、リィエルは寝てるし。それにしてもマイペース過ぎるだろお前。

 

......さて、話すにしてもどう言ったものかさっぱりだ。

 

 謝ればいいのか? ......いや、逆にキレられそうだ。心の機微に長けているとはお世辞にも言い難い俺だが流石にそれはわかる。絶対めんどくさいことになる。

 じゃあ礼を言う......のも点で的外れだ。ならクライトス講師のことをどう考えているのか聞く......のも何か地雷踏みそうで駄目だ。かといって日常会話のように「今日もいい天気ですね!」とか切り出したらどう考えても空気読めない野郎である。

 

「..................」

 

 誤魔化すように欠伸をする。俺は結局どうすることも出来ず、この妙に居心地の悪い空気のまま演習場に到着するのだった。

 

 

 

 

「早速、これから魔導兵団戦を始めるが......まぁ、生徒諸君らはこの魔導兵団戦演習に参加するのは初めてだろうから、この私が改めてルールを説明してやろう──」

 

 そう尊大に告げたのは今回の演習において審判・運営を務める講師陣の一人、ハーレイ=アストレイ先生であり、曰く──。

 

 一つ、使用していいのは【ショック・ボルト】や【スタン・ボール】のような初等呪文のみ。

 

 二つ、既定エリアを超過した場合敵前逃亡と判定される。

 

 三つ、勝利条件は敵兵を撃破することではなく本陣の根拠地の制圧である。

 

「勤勉な生徒諸君は当然、理解していると思うが──もっとも早く敵拠点に到達出来るのは当然、中央平原ルートだ。だが、それはお互い様、力尽くでの突破は至難の業だろう」

 

 故に残された選択肢の一つは地図左上──北西回りの森ルートである。万が一敵に森を抑えられてしまえば、中央の平原部隊は横殴りに攻め込まれてしまう。たちどころに総崩れになるだろう。

 

 そしてもう一つは地図右下──東回りの丘ルートだ。この丘も重要な拠点となり、この高地を抑えられてしまえば、敵から遠距離魔術で狙撃され放題である。だが【ショック・ボルト】のような初等魔術では森まで届くことはなく、敵本拠地に辿り着くにはもっとも遠回りなルートだ。

 

「当然、攻めなければ勝てないし、かといって守りを疎かにしても敵に本陣を押さえられて敗けとなる。勝敗を握るのは、どこへ、どのタイミングで、どれだけの戦力を送るか......まるで魔導兵団戦術の教科書のような演習場であることは理解しただろう? もっとも、今回は担当講師の命令を聞いて行動するだけの生徒諸君にとっては栓無きことだがな」

 

「いやぁー、懇切ご丁寧なご解説、どうもあざっす! 先輩!」

 

 全く心の籠っていない拍手を送るレーダス先生を憎々しげに睨み、アストレイ先生は口を開くが──何故か俺を一瞥して口をつぐんだ。そしてそのまま何も言うことなく後方へと下がっていく。

 その様にいつもらしくないな、と首を傾げていると──。

 

「......まさか、君がこのような真似をするとは思いませんでしたよ」

「っ」

 

 振り返れば、そこには憎悪も殺意もなく、ただ倒すべき敵として俺を見据えるクライトス講師の姿がある。俺は乾いた笑いを浮かべて応じる。

 

「いやぁ......別にこんな大事にするつもりなんてさらさらなかったんですけどね......」

 

 俺がやったんじゃねぇけどな。いや本当マジで。

 

「ですが、そうですね。思い返せばそう意外な事でもなかったかもしれませんね」

「......はい?」

「昔から君はそうだった。何も考えていないようでいて、一番彼女のことを理解している──ええ、気に食わないことですが、今の彼女が君に惹かれているのは紛れもない事実でしょう。君ならば納得はいく。それを受け入れるかは別として、ね」

「え、ちょ、何を」

 

「だからこそ私は君を許せない。君は彼女に甘過ぎる──現実を、見せるべきだ」

 

 やっべえちょっと話がよくわからん。冷や汗が首筋を伝うが、どうやら俺は過去にこの男と面識があるらしい。ついでにフィーベルとも。

......だが。何もわからない俺だが、それでも一つだけ言っておかねばならないことがある、と。

 

 直感的に、そう思った。

 

「......それがアイツの為になると、本気で思ってるんですか」

「そうです。彼女にとって、それが最も幸せな──」

 

 

()()だって?」

 

 

 根本的にこの男は履き違えている。そう悟った瞬間、俺の口から言葉が紡がれていた。

 

「笑わせるなよ、レオス=クライトス。それはあんたにとっての"幸せ"だ」

「......なに?」

 

 秀麗な眉目がひそめられる。俺は口の端に僅かな嘲笑を浮かべながら告げる。

 

「そもそも幸福とは何だ? 莫大な富か? 溺れるほどの愛か? 己の名が歴史に刻まれることか? 人に感謝されることか?」

 

 否。断じて否──即ち、そこに答えなどない。全てが正解であり全てが間違いだ。

 

「幸福とは千差万別だ。あんたの言う幸せ(それ)はあんたの価値観、あんたの基準──レオス=クライトスの()()に準じたものに他ならない。嗚呼、虫酸が走るよ」

 

 吐き捨てる。今のレオス=クライトスは俺の最も嫌う人間に他ならない。

 つまり。自分こそを絶対正義と認めて疑わない、傲慢極まりない糞野郎だった。

 

「押し付けがましいんだよ、あんたは。自分(テメェ)価値観(正義)を強制するなど烏滸がましいにも程がある。神か、王か、英雄か──それとも正義の味方にでもなったつもりか? だとしたらあんたは教師としても人間としても失格だ」

 

「ちょ、ちょっとシェロ!?」

 

 慌てて制止しようとするフィーベルを無視──いや、その手を掴んで引き寄せた。「へぅあっ」と声が耳に届くが、黙殺してこの場に引きずり出す。

 

「体のいい理屈を捏ねて、思ってもない理論武装なんかしてんじゃねぇよ。ただ本人の意思など関係なく、この女を自分のものにしたい──そんな意思が透けて見えるぜ、三流講師」

「......言ってくれますね、シェロ=イグナイト」

 

 偽の恋人とか許嫁とか貴族だとか関係ない。ただこれは俺が許せないだけ。

 

「君はいつもそうだった。本質を見抜くことに長けていた......ええ、ならば言ってあげましょう」

 

 戦意と敵意、そして殺意が叩きつけられる。俺は嗤ってそれを受け流した。

 

「"私は君が気に入らない"。十年前から、ずっと。その在り方が、変わらぬ考え方が......!」

「奇遇だな。俺も今のあんたのような人種は死ぬほど嫌いでね」

 

 他者の夢を踏みにじっていい権利など、誰にもあるはずがないのだから。

 

「システィーナ=フィーベルは渡さない」 

 

 渡さない──いや、渡せない、が正しいのか。

 

 例え記憶が虫食いになっていたとしても。俺がこの少女の友人であることには変わりはない。

 俺は明確な当事者として、そうレオス=クライトスに宣言するのだった。



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それは残像だ……いやそれも残像だ。

評価バーが赤くなってわーい!って顔をしてたら速攻でオレンジに戻ったでござる。くっ、この読者に弄ばれてるような感覚......嫌いじゃないわっ!(京水ボイス)

あ、でも高評価くれると嬉しいからバシバシいれてね?ね?(露骨なステマ)





 

 

 

 基本的に、魔術を導入した戦術・戦法は、魔術が導入される以前の兵法の常識が全く通用しない。

 

 これは言ってしまえば銃や大砲という概念が存在しなかった中世と近代の格差のようなものだ。だが実際にはそれ以上のものだろう。

 適当に火や雷の呪文を使うだけで馬は恐れおののき、騎兵は全く機能しなくなる。隊伍を組んでの弓兵、銃兵の一斉掃射もごく簡単な対抗呪文(カウンタースペル)一つで防がれる。重装歩兵を並べて密集陣形でも組めば、広範囲破壊呪文を打ち込まれて呆気なく全滅する。

 

 そう。魔導兵とそうでない兵士との格差はここだ。今や一般兵は敵掃討後の拠点制圧、兵站活動や後方支援くらいにしか役に立たないのである。......まあたまに意味不明な跳躍進化を遂げた人外が魔導兵を切り捨てて回ったりしているが、あれは稀というか一般人でなく逸般人なので気にしたら負けだ。やはりYAMA育ちなのだろうか。

 

 まあそれはともかく。

 近代戦争においてもっとも重要な戦力兵種とはつまり『魔導兵』に他ならず、今回の演習において学ばされるのもその戦い方である。魔導兵は個としての能力が突出しているため従来のような歩幅を合わせての戦闘には余り向いてはいない。かといって単身で敵に突っ込むのもアレなため、基本的な運用は三人セットでのごく小規模な単位を用いたものである。

 

......また本来そうした戦術単位(ユニット)による魔術戦は目視可能範囲で撃ち合う『近距離戦』、また数キロ規模の超長距離射程魔術による『遠距離戦』に大別されるのだが──今回は『近距離戦』オンリーなため気にする必要性はない。

 

「『魔導戦力の比較優位性』、か」

 

 授業の内容を思い出しながら呟く。

 

 こと『近距離戦』において一戦術単位(ワンユニット)三人一組(スリーマンセル)が基本であり、攻撃前衛、防御前衛、支援後衛と三つのポジションがある。それぞれのポジションには役割が決まっており、攻撃前衛は攻性呪文(アサルト・スペル)による攻撃を担当し、防御前衛は対抗呪文(カウンター・スペル)による防御を担当し、支援後衛は状況に応じた呪文を行使して前衛二人の補佐を担当する。

 この三人一組(スリーマンセル)一戦術単位(ワンユニット)としてより集め、部隊を構成していく......現代の魔導兵戦術と部隊編成法の基礎がこれである。

 

 またこれは決して机上の空論というわけではなく、戦場における生存率、撃破数その他もろもろのデータで統計的に証明されている事実だ。これこそが『魔導戦力の比較優位性』という確立された法則だった。

 

 だからこそこの説明を聞いた当初、皆が三人一組(スリーマンセル)を組んで戦うのかと考えたのだが......よく考えれば、これには大きな欠点がある。

 それはあくまで理論的な欠点ではなく、それを体現する側──つまり俺達の側の問題であり、至極当然の話だった。

 

 

「な、なんで当たらないっ......!?」

 

「そりゃまあ、こんな短期間で三人の呼吸が合うようになれば現役の軍人も苦労しないわな」

 

 故に数日しか猶予のなかったこの演習においては三人一組(スリーマンセル)ではなく二人ー組(エレメント)が優位に立つ。丘の上からは他の場所での戦況が見えるが決して悪くはない。戦力比にして1.5倍の敵を中央の平原地帯で食い止めているカッシュ達は十二分に奮闘していると言っていい。

 

──まあこっちの場合、人数比だと六倍でも足りないけどな!

 

「くそ、ちょこまかと動きやがって......!?」

「《我に力を》」

 

 放たれる無数の【ショック・ボルト】を身体強化による高速移動で撹乱しながら回避し、時折同士討ちをするように誘導しながら立ち回る。正直なところ滅茶苦茶キツいが、ふともう一人へ目を向けて苦笑いした。

 うちのクラスは生徒を二人ー組(エレメント)一戦術単位(ワンユニット)で編成し、理論的な強さより実戦での連携を重視した。だが、こと俺と俺の相方においてはそんな連携は存在しない。

 

 下された命令はたった一つ。攻撃をすることなく、敵を撹乱しろというだけの話なのだから。

 

「ん。疲れた?」

「まだまだ」

 

 口数少なく言葉を交わす。一瞬で掻き消え、そして違う地点に亡霊の如く現れる──リィエル曰く"縮地"と呼ばれるこの歩法は近接戦闘において大きなアドバンテージになることは間違いない。原理としてはこれ以上ないほどに単純であり、ただ身体強化を用いて地を蹴って移動するだけだが......これが凄まじく難しい。

 

「あ、当たらねえ......!」

 

 敵の声は震えている。それもそうだろう、視認不可能な速度で攻性呪文を回避されているのだ。これは恐い。俺でも恐い。残像を【ショック・ボルト】が貫いたと思ったら何故か側に立っているのだから訳がわからないだろう。

 

 【フィジカル・ブースト】により何倍にも増幅された身体能力を用いて、一瞬で最高速に達して移動する。ただそれだけだというのに、それが果てしなく難しい。

 

「......違う。もっとこう、ばーんって感じで」

「成る程、全くわからん」

 

 わからないが、これは良い訓練になる。目の前にお手本があり、実戦に近い状況下で練習できるのだ──これ以上の環境はない。

 

「一切の攻撃をせず、同士討ちを狙って敵を倒せ......ね。ハードモード過ぎるんじゃねぇの?」

 

 まるで弾幕ゲーだな、と思いつつ──俺は数人からの集中砲火から逃れるべくステップを刻んだ。

 

 

 

「んで? あっちは尻尾巻いて退散したみたいですけど?」

『おー、よくやった。つってもまあお前はそこから動かなくていいけどな』

「あー......やっぱり?」

 

 同士討ちで三人ほど始末は出来たが、そう損耗させられた訳でもない。ここで俺とリィエルがこの丘を離れてしまえばすぐに此処は占拠されてしまうだろう。そうなれば本来個々の能力で負けているうちのクラスとしては敗北は必至だ。

 

『しょうがねーだろ。ま、こっちが片付くまでリィエルと二人でゆっくりデートしといてくれ』

「はいはい......どうせ森にも何か仕掛けてんでしょう?」

『ん、んんー!? ちょっとボク何言ってんのかわかんないなー!』

 

 直後に通信を切られ、俺は何とも言えない顔で敵の目前へ走っていくレーダス先生の姿を眺める。まあ卑怯も汚いもあったもんじゃないと理解はしているが、本当に何か仕掛けているのだろうか。

......うん、まあ。勝てばいいんじゃね? 絶対各方面から文句が飛んできそうだけど。主にフィーベルとかから。

 

「でーと、って何?」

「色々知ってるくせして常識はやっぱりないんだなぁ、お前......」

 

 もうちょっと教えるべきことがあったんじゃないか姉貴、と思いながら俺は暫くリィエルに常識をいくつか叩き込むのだった。

 

 

 

 

「んで、結局引き分けだと」

「はっはー。やっぱ強ぇわアイツ!」

 

 何となく腹パンを叩き込み、崩れ落ちるレーダス先生を前にして溜め息を吐く。

 

「......ま、大金星でしょうね。本来負けて当然の勝負を何とか引き分けに持ち込み、ついでにフィーベルはどちらとも結婚しない。みんな幸せ、ハッピーエンドで大満足っすよ」

「ちょ、じゃあ今なんで殴ったの......」

「日頃の恨みとか?」

 

 いぇーい、とピースしてみせれば恨めしげに睨まれる。割りといい所に入ってしまったらしい──ざまあ。内角低めのレバーブローは成功だったようだ。

......最近自分の性格が悪くなってる気がするが恐らく気のせいだろう。

 

「んで、どうします? 多分やっこさん諦める気がないと思うんですけど」

「......やっぱり? 俺もそう思う」

 

 真顔で顔を見合わせる。向こうから聞こえてくるのはらしくもないクライトスの怒号であり──まあ自分の得意分野で負け同然の試合を展開したのだから当然なのかもしれないが──うちのクラスの生徒まで所在なさげな顔をしている。

 

「あの無様な戦いはなんですか!? 貴方達が、もっと私の指示にきちんと従い、作戦行動を遂行していれば──」

 

「なんか......感じ悪ぃやつだな」

 

 ぼそり、とカッシュが呟く。だがそれはここにいる生徒の代弁でもあった。

 

「非の打ち所のない、完璧超人だと思ってたんだけど......どうも何か違うような」

「......ま、いるわけないわな。そんなヤツ」

 

 そう呟く。そしてひとしきり自分達の生徒を怒鳴りつけ終えたレオス=クライトスは肩を怒らせて、こちらへとやって来た。

 応じるようにレーダス先生は立ち上がり、呆れたような顔をして言う。

 

「おい、筋が違うんじゃねーか? 兵隊の失態は指揮官の責だろ?」

「うるさい、貴方ごときが私に意見するなッ!」

「それに、アンタ......よく見れば、随分と顔色が悪いな? ......風邪か? さっさと帰って寝た方がいいんじゃね?」

 

 確かに。クライトス講師の顔色は異常なまでに悪い。病気としか思えないほどの土気色であり──。

 

「誰のせいだと思っているんですか!? そんなことはどうでもいいんです! それよりも貴方、勝負はまだ付いていませんよ!?」

「いや......勝負が付いてねぇって、アンタ......もう引き分けたろ。これはシェロもアンタも白猫から身を引くってことでいいんじゃねーか? ほら、白猫もどうやらまだ結婚する気はねーみてーだし」

 

 その瞬間、クライトス講師が投げつけた手袋が、レーダス先生の胸を容赦なく叩いた。

 

「再戦ですッ! 今度は、私が貴方に決闘を申し込むッ!」

「お前、まだ白猫を諦めねぇのか......?」

「当然です! システィーナに魔導考古学を諦めさせ、私の妻とするまでは──」

 

「レオス! 先生! もう、やめてッ! いい加減にしてよッ!」

 

 悲鳴のような声が割り込んだ。

 そうして更にフィーベル本人まで交えてついに三人で論争し始めたのを尻目に、俺はふと違和感を覚えてある人物を探す。そして少し離れた辺りで眉を潜めているその少女の肩を叩いた。

 

「な、何ですの?」

「悪ぃな、ナーブレス。だが後で少し聞きたいことがあるんだ、時間はいいか?」

「え、ええ。別に構いませんけれど......」

 

 ついに売り言葉に買い言葉で一対一の決闘が約束される様を見ながら、俺は目を細める。

 

 レオス=クライトス。彼は少しおかしい気がする。

 

 

 

 

「ええ。確かにフィーベル家は我がナーブレスとも並ぶ上級貴族ですわ。流石にイグナイト家には及びませんが......」

「だからこそ、個人間の決闘でやり取り出来るほどその結婚は軽くない。下手をすれば政府すら介入してくる......そうだな?」

「その通りです。......妙ですわね。いくら許嫁同士とはいえ、決闘でいざこざを解消するとは些か短絡的に過ぎるような......」

「やっぱりそうか」

 

 腕を組み、階段の壁に寄りかかりながらウェンディ=ナーブレスは息を吐く。その栗色のツインテールを眺めつつ、しかしこれでは決定打には欠けるな、と思考する。

 

「短絡的ではあるが......恋は盲目、という言葉で片付けられる範疇なのか。俺の考えすぎかね」

「いえ。確かに貴方の言う通り、あの場でのレオス先生は正常とは言えないものでしたわ。疑ってしまうのも無理はないですもの」

「......かといって精神疾患を被っていると考えるのは些か大袈裟過ぎたか」

「まあ、それは......明日のレオス先生の様子にもよりますわね」

 

 実際にはレオス=クライトスは何らかの精神誘導を受けているのではないか──というのが俺の本音だったのだが、あまりにも突飛に過ぎるため一笑に付されて終わりだろう。しかし何となく嫌な予感がしたのだ。

 そう、ただの直感だ──。

 

「ま、ありがとな。貴族っぽいのは伊達じゃなかったみたいで安心したわ」

「ちょっと、その言い方は何ですの!?」

 

 くっくっと笑って見せれば、仏頂面でナーブレスがそっぽを向く。だが彼女はふと疑問を口にする。

 

「でも貴方、一応はイグナイト家の出身でしょう? こういった事は貴方もよく知っているのでは?」

「......いや、家とは昔から交流がなくてね。貴族のこととかすっかり忘れてたし、何か覚え違いがないかとも思ってな」

「そうなのですか......」

 

 少し同情的な目をしているナーブレスに改めて礼を言い、背を向けて階段を降りていく。心臓がばくばくと鳴っているのを感じていた。

 

──危なかった。前の俺は、こういったことも知っていたのだろうか。

 

「......ままならないもんだな」

 

 嘆息し、黄昏の空を見上げる。美しいそれは何故か不吉に見えて。

 

 

 

 

 翌日、レーダス先生は学校に来なかった。

 その翌日も。そしてその翌日も──。

 

 決闘の場にすら現れず。フィーベルが婚約を受け入れたという事実だけ残して、グレン=レーダスは失踪した。

 

 

 

 



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天使の塵

 

 

 

 

「どうなってんだ、リィエル!」

 

 怒鳴り付けまいと声を抑えても、やはり荒くなってしまうことは避けられない。そんな俺を無表情で──だが少し心配そうに見上げて、リィエルは告げた。

 

「グレン、三日前どっか行った。三日前、朝早くわたしの所にきて、わたしを叩き起こして......これから数日間、絶対にルミアから離れるなって......言い残して......それっきり」

 

「ルミア......ルミア=ティンジェルと何か関係があるのか?」

 

 唇を噛み、必死に頭を回す。ティンジェルと関係があるというのなら、それは十中八九"天の智慧研究会"絡みだろうが──。

 

「行動を起こすには、足りない」

 

 証拠など何処にもない。現に今のレオス=クライトスは至って正常だ。顔色もよく支離滅裂な言動もない。ただ気掛かりなのは常にクライトスと共にいるフィーベルの表情が暗いことだろう。それは決闘をすっぽかしたレーダス先生への怒りなのか、或いは。

 

「......ごめん」

「お前は謝らなくていい。『レオスを斬る』とか言わないだけで十分だ」

「ん。昨日、ルミアに止められたから」

「おい」

 

 マジでグッジョブ。だが、それはともかく。

 

「お前はどう思う?」

「嫌な感じ。多分、れおすは悪いやつ」

「......直感か」

 

 だが俺も同じ結論だ。数日前まではそうでもなかったが、今のレオス=クライトスからは()()()異常なまでに嫌な予感がする。それは例えるなら天の智慧研究会の連中と相対した時に似ていた。

 

「リィエルはルミアから離れられない。フィーベルの両親は長期の出張で戻ってこれない上に行方もわからない。アルフォネア教授も出張、残るはフィーベル家の家臣だが独断で動かせる筈もない」

 

 状況が詰んでいる。見事なまでにレーダス先生の味方が存在していなかった。誰かに頼ろうとも、異常だと言おうとしても誰にも届かない。

──果たしてこれは偶然なのだろうか。

 

「んなわけ、ねぇだろうがッ......!」

 

 だが空恐ろしくなってくる。ただの人間が、ここまで都合のいい状況を意図的に作り出せるものなのだろうか。いや、実際出来ているのではあるが。

 

 しかしそれが事実なら、これを演出した男は。

 

「神の視点でも、持ってるのかよ」

 

 間違いなく怪物だ。今こうしている俺の行動すら読んでいるのではないか──そう考えてしまい、得体の知れない不安感に鳥肌が立った。

 

「リィエル......レーダス先生の家は何処だ」

「......たぶん、無駄。いないと思う」

「くそッ!」

 

 何処で何をしているのだろうか。唯一動ける男は行方をくらましている。何も出来ない、何も──。

 

「どうしようも、ねぇってのかよ......!」

 

 俺は苛立ち混じりに唇を噛み、言い様のない焦燥感にかられて教室を出る。気付けばその足は校外に向かっており、正門を抜けると共に背後から午後の講義の開始を告げる鐘の音が聞こえてきた。

 

「......知ったことか」

 

 どうせこれでは講義に集中するなど不可能だ。俺は雑踏へと足を踏み入れ、あてもなく街を散策するのだった。

 

 

 

 

──気付けば日が暮れかけていた。

 何とも無駄な時間を過ごしたものだ、と自嘲する。レーダス先生の下宿先は何処かと調べてみたが何もわからず、フィーベル邸の前にまで足を運んでみたが何もない。俺は相変わらず無力で無能らしい。肝心な時に何も出来ないことに歯を噛み締める──。

 

 

「あら。こんな所で奇遇ですわねぇ、シェロ様」

「っ......!?」

 

 振り向けば、そこには張り付けたような笑みを浮かべたメイド服の女がいた。名前など問うまでもない、研究会に所属する死霊遣い(ネクロマンサー)

 

「エレノア......シャーレット」

「はい、何でしょう?」

 

 蝋のように白い肌を夕焼けが紅く染めていくのを眺めながら尋ねた。

 

「今回のこれは、お前達の企みか?」

「いいえ。これは()の独断専行です」

「お前は協力するために此処へ?」

「いいえ。貴方に協力するために此処へ参りました」

 

 眉をひそめる。それを見てくすくすと笑い、エレノアは告げた。

 

「貴方はどうやら招待状も受け取っていないらしいですし。場所もわからなくて困っていたのでしょう?」

 

 そう言って投げられたのは一枚のカードだ。裏に流麗な文字で綴られているのはとある場所を示している。

 

「友人の結婚式だそうで。祝って差し上げたらどうです?」

「......本当に性根が腐ってるな、お前」

「あら、手厳しい。......ですが一つだけ忠告を」

 

 くるりとターンを刻み、ロングスカートの裾を揺らしてエレノアは背を向ける。

 

「出し惜しみなどしていては負けてしまいますよ? それはそれで私としても都合がいいのですが」

「ッ......」

「後はお好きになさいませ。では、私はこれで」

 

 雑踏に紛れていく背中を睨み付けるが、ふと地図を照らし合わせてみる必要があることに気付いてカードを改めて眺める。部屋に地図はあっただろうか。いや、それより──俺はどうすべきなのだろうか。

 

「............」

 

 フェジテ東地区。学生街から何キロも離れた地点を指しているであろうその番地を記憶し、俺はカードを握り潰した。

 

 

 

 

▲▽▲▽▲▽▲▽▲▽▲▽▲

 

 

 

 

 システィーナ=フィーベルとレオス=クライトスの結婚式が執り行われる聖カタリナ聖堂。そこに上手く潜り込めたことを確認し、俺はいつも通りの学生服の袖で冷や汗を拭う。招かれてすらいない俺が参列席に並ぶことは許されない──だがこうして柱の影に身を潜めることが出来ているあたり、警備はガバガバである。

......一応は周囲にエレノアの気配がないか探ってみたりはしたが、影も形もない。どうやらこの騒ぎでは本当に天の智慧研究会は首を突っ込んでこないらしい。

 

「......くそ、まだ来ないのか」

 

 ティンジェルからも話は聞いた。きっとグレン=レーダスは動く──そう信じることしか、俺には出来ない。

 例え俺がこの結婚式をぶち壊した所で逃げ切れるはずもなく、この結婚を真に壊すことが出来るのはあの男しかいない。

 

 レオス=クライトスが少なからず研究会と繋がっているのはエレノアの出没からしても明らかだ。だが俺にはそれを証明する術など何処にもない。

......きっと、あの男はそれを持っている。何もせずに引きこもっている筈がない。いや、そう信じるしかないのだ。

 

 そして、確たる証拠を伴ってグレン=レーダスが真正面からレオス=クライトスをぶちのめす。最早それしか方法はない。だから──。

 

「頼むぞ、先生......!」

 

 既に司祭の聖書朗読は終わり、誓約の儀へと進んでいく。そうして遂にそれすらも終わり、司祭が締めの祝詞に入る。

 

「今日という佳き日、大いなる主と、愛する隣人の立ち会いの下、今、此処に二人の誓約は為された。神の祝福があらんことを──」

 

 その瞬間、突如上がった大音声が、厳かな場の空気を容赦なく引き裂いた。

 

「──異議ありッ!」

 

 パイプオルガンの音色が不意に止み、式に参列していた一同の視線が、一斉にその声の主に集まる。

 

......遅ぇんだよ、このロクでなし講師!

 

「はん? 聞こえなかったかい? 異議ありっつったのよ、異議あり。俺、この結婚に大・反・対。お前ごときに白猫は渡さねーよ」

 

 普段、だらしなく着崩している魔術学院の講師用ローブを、きっちりと着こなしたグレン=レーダスは鋭くレオス=クライトスを睨み付ける。相対するその男は目を見開き、そしてその口の端に浮かんだのは──。

 

「......笑った?」

 

 疑問が口から溢れる。笑ったのか、あいつは。

 

──まさか、この状況も手のひらの上だと?

 

「......ああくそ、知ったことか!」

 

 非殺傷系の攻性魔導具、閃光石を利用したのだろう。柱の影にいた俺は被害を受けることはなかったが、まともに食らったであろう参列者は残らず視界を奪われているはずだ。

 

「白猫、来いッ!」

「きゃあっ!?」

 

 そんな声が響き、フィーベルを横抱きにしたレーダス先生が飛び出していくのを確認して、二階から狙撃を行う。狙うのは警備として雇われていた数人の男であり、服を的確に射抜いた矢は鉄の重さで床に縫い止める。

 そしてそのまま油断なく次の矢をつがえ、花婿がいるであろう方へと向き、

 

「ッ──」

 

 

 全身が総毛立った。

 

 此方を見ながら薄く笑う男がそこに立っている。何故か此方が見えている。まるで意味がわからない。そして、気付けば俺は問いを投げ掛けていた。投げ掛けざるを、得なかった。

 

「お前は......()()

 

 それは心の奥底からの、本心の問いだった。"違う"。これはレオス=クライトスではない。まだあの青年は普通だった。目の前で嗤う化け物では、談じてない。

 

 蛇のような瞳が細められる。そうしてその男は指を鳴らし──。

 

「吹き飛ばせ、【爆焔霊(サラマンダー)(フェイク)】」

 

 瞬間、爆発的な衝撃が俺を貫いた。咄嗟に投影した大剣を挟み込んだ筈だが、それを砕いて余りある衝撃が背後の壁を粉砕して俺の身体を吹き飛ばす。もし事前に身体強化を付与していなければ即死していたとしか思えない衝撃──そして爆炎。

 

「な、に......?」

 

「おや。存外に丈夫なようだな、君は。だが悪いが、私は君程度にかまっていられるほど暇じゃあないんだ」

 

 炎に包まれた拳大の赤い結晶体に、一対の翼がついたような、謎の半霊体生物。レオス=クライトス──いや、それに扮した何者かの背後に浮かぶそれを見て瞠目する。

 

「タ......人工精霊(タルパ)......?」

「よく勉強しているね。褒美に"彼等"と戯れるといい」

 

 そうその男が言った直後、砕けた壁から四人程の影が飛び出してくる。それは先程俺が床に縫い止めたはずの警備員達だった。

 そして、それらは揃って土気色の肌をし、そして目は虚ろで──そしてよくよく見れば網目のような血管が模様の如く顔を這い回っている。

 

天使の塵(エンジェルダスト)......と言えば、後はわかるかな」

 

 エンジェル、ダスト?

 

 ふと記憶の、それも運良く消えずに残っている奥底の記憶にその単語が引っ掛かった。そう、あれは一年と少し前に起きたある凄惨な事件。帝都で引き起こされた中でも最悪のテロに数えられるそれを引き起こした原因こそ。

 

天使の塵(エンジェルダスト)......まさか、お前はッ!?」

「そういうことさ。それにしても、あのイヴの弟だからと少し見に来てみたが」

 

 苦痛に呻きながらも立ち上がる俺を見下ろし、その男は拍子抜けだと言わんばかりに鼻を鳴らした。

 

「これは無駄足だったかな。凡骨というわけでもないが、英雄と呼ぶほどでもない。本当につまらない男だよ」

「な、に──?」

 

 その言葉は、僅かながらも俺に苛立ちを覚えさせる。

 だが最早興味すら失せたのだろう。男は背を向け、事も無げに呟いた。

 

「そこの男を殺しておいてくれ。ああ、グレン達のように加減する必要もない。ただ邪魔なだけだ」

 

 それを認識出来たのだろうか。虚ろな瞳を揺らして四人の男は頷き、此方へと向き直る。そして身体を沈めると──

 

 直後、拳が俺の眼前へと迫っていた。

 

「ぐ、う......!?」

 

 やはり常人を遥かに越えている膂力だ。寸前で受け流しはしたが手が震えている。脳のリミッターでも外しているのだろうか、と考えた所で横殴りに吹き飛ばされる。

 

......ああ、そう言えば四人もいたのか。

 地面に叩き付けられ、衝撃で肋が砕けた音が体内で響く。

 

「ごふッ」

 

 血の味が口に広がる。それを無造作に吐き捨て、数本の魔剣を投影して両手に構えた。四人なら、或いは──。

 

「そう言えば、一つ言い忘れていたね」

 

 明確な嘲笑を浮かべ、男が再び指を鳴らす。するとぞろぞろと、壊れた壁の穴から更に何人か此方へ向かってくる。着ている服からして参列者だったのだろうが、同じように──そう、かつてのレオス=クライトスと同じように、揃って土気色の肌をしていた。

 

「君の相手は、僕が連れてきたクライトス家の参列者全員だよ」

 

「......この、屑が」

 

 麻薬など遥かに越える、最悪の魔導薬物"天使の塵(エンジェルダスト)"。それは投与された人間を異常に強化し痛覚を失わせるが、人形同然の廃人へと変貌させる禁忌の魔術だ。恐らくこの十数人の参列者もあれの奴隷となっているのだろう。

 そして、その全員が身体強化をしていなければ対抗不可能な膂力をもつ怪物と化している。加えて痛みを感じることもない。

 

 つまり、俺の勝率など絶無に近く。

 

 

「......来いッ!!」

 

 

 迫り来る死の予感をどうしようもなく感じながら、俺は魔剣を振り抜いた。








かなり駆け足気味ですが、ここ引き延ばしてもなぁ、ということで一気に五巻のラストへ。


 次回、イグナイト死す。デュエルスタンバイ!


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正義

 

 

 

 

 地獄を見た。

 

 

 紅い血が垂れていく。何処か夢でも見るような気分で眺めていたが、ふと気付く。

 これは、俺の血ではない。

 

 

 地獄を見た。

 

 

 脳奨が壁に叩き付けられて。脊髄ごと剣で貫かれ、死体が壁に打ち付けられていた。規則正しく並べられた死体は、数ミリの誤差もなく、等間隔に壁に縫い止められている。

 延々と。

 悪夢のように。

 

 紅い。

 

 

 頭がない。斬り落としたのだから当然だ。彼等は痛覚がない。意思もない。ただ命じられるままに殺す人形だ。

 だが──頭を潰せば、動きは止まる。

 

 転がった首が、俺を見て微笑んだ。

 

 

 赤く、紅く、赭く。

 

 

 心臓を潰せば。四肢を奪えば。目を抉れば喉を裂けば肺を焼けば、死ぬ。死なずとも、筋肉を断ち関節に剣を穿てば、動けなくなる。

 そうして頭を落とせばいい。断頭台のように。

 

 踏み潰した眼球の感触は、腐った果実によく似ていた。

 

 

 自分が創った地獄。

 

 

 殺された人間に罪はない。ただ利用されただけ。

 こうして俺が踏み潰した眼球も。斬り飛ばした首も。引きずり出した腸も。

 それらは全て、何の罪咎もない人間のものに間違いはない。

 

 

 其は、原初の地獄。

 

 

 だからどうした。俺は殺す。正義など口が裂けても言えない。言い訳がましくそんな事は口にしない。救えないから殺す。助けられないから殺す。俺が死ぬから殺す。死にたくないから殺す。殺したくなくても殺す。でないと、誰か()が死んでしまうから。

 

 

「いいじゃないか──(みなごろし)だ」

 

 嗤う。己を嗤う。限界を越えて尚剣を振るう、浅ましい自分を嗤う。

 

 殺戮は終わらない。知性を失って襲い来る人形(人間)を機械的に認識し、俺は双剣を淡々と振るった。

 

 

 

 

 

 

「これは......酷いな」

 

 思わずアルベルトがそう溢すほどに、そこには凄惨な光景が広がっていた。

 

 一面にバケツをひっくり返したがごとく血が撒き散らされ、路地裏に満ちる血臭は既に鴉を引き寄せている。そんな塗りたくられたような赤の中で点々と人の部品が散らばっている様は、何処か悪夢のようだった。

 

「血の匂いが濃くて構わんな。ここまで執拗に"解体"しているとなると、余程恨みがあったか......」

「単純に動けなくなるまで解体(バラ)したか。ですが、凄まじい技量ですね」

 

 壁に打ち付けられた首なしの死体を見据え、少年──【法皇】のクリストフは冷静にその傷跡を観察する。一刀で切り捨てられたその断面は恐ろしくなる程に綺麗なものであり、これをただの刀剣で成したとなれば相当の使い手であることは間違いなかった。

 

「......ですが、今一つ腑に落ちないのはこの大量の剣ですね」

 

 あまりに膨大な剣が壁に突き立てられている。恐らく数十、下手をすれば百を越える剣が死体を吊るす様はいっそ芸術的ですらある。だがクリストフに理解できなかったのは、これほどの剣を如何にして調達したのかという点だ。

 

「リィエルのように錬成したのなら、素材として地面や壁が用いられたはず。だが破壊痕のみで錬成の痕跡は何処にもない」

「......有り得んな。魔術は等価交換のはずじゃ。だがそうなれば、これを成した者はこの量の剣を携帯していたことになるぞ?」

 

 筋骨隆々の老人──【隠者】のバーナードが髭を撫でながら眉をひそめる。その横でクリストフは俯き加減で思案し、そして【星】のアルベルトはただ無表情でその剣をじっと見つめていた。

 

「どうした、アルベルト。何か気になる点でもあるかのう?」

「......いや。ともかく、これを引き起こした人間と、天使の塵(エンジェルダスト)をばら蒔いた元凶を追うべきだろう。結界に反応はあるか、クリストフ」

 

 その言葉にふるふると少年は首を横に振る。

 

「いえ。引っ掛かるのは此方へ近付いてくる中毒者ばかりです。恐らく中毒者を惨殺した輩は既にこの地区には......」

「......血は乾ききっていない。なら、いくら速くとも移動できる範囲には限界があるはずだ」 

 

 いくぞ、と声をかけようとして、ふとアルベルトは動きを止めた。その原因はクリストフの表情にあった。

 

「何かあったか」

「......おかしい。これは炎で焼けた痕です。ですが、その横にあるこれは恐らく電撃によるもの」

 

 更に指したのは、体の複数箇所に風穴が開けられた死体である。

 

「そしてこれは、貫通した物体が見当たらないことから氷柱か何かで殺されたのでしょう。つまり──」

 

「──剣を大量に保有し、近接戦闘に長け、加えて軍用魔術を使いこなす魔導師というわけか。まるでアルベルトじゃな」

「俺に剣の心得はないが」

「物の例えじゃわい」

 

 だがこれが真実であるとすれば、その魔導師は相当の手練れだ。下手をすれば特務分室にすら匹敵する可能性がある。

 クリストフとバーナードは顔を険しくし、血みどろの地獄を辿るようにして前に進み始める。

 

 そしてその後ろを進むアルベルトは、何かを思案するように目を細めるのだった。

 

 

 

 

 

 一方。東地区を抜け、システィーナと共に逃走していたグレン=レーダスは──。

 

「いやぁ、見事だ、グレン。よく、その小娘を最後まで守りきったね? やはり、君は僕が倒さねばならない最高の敵だ。......そうでなくては」

 

「れ、......レオス......?」

「......ウゼぇぞ、てめぇ。レオスの振りはもういい。とっととその変身解いて、正体現せ。いい加減バカ騒ぎも終いにしようぜ?」

 

「おや? やっぱり、君は僕の正体に気付いたか。......まああれも勘づいていたようだし、これは僕に責があるのかもしれないね」

「......何言ってんのかはわからねぇが、ここまであからさまにヒント出されりゃ馬鹿でもわかるだろうよ」

 

 舌打ちしながら、グレンが言葉を続ける。

 

「レオスの野郎も白猫も、誰も得しないこの状況。誰も俺に味方できないという偶然にしちゃ出来すぎた状況。失伝魔法(ロスト・ミスティック)になったはずの『天使の塵(エンジェルダスト)』。それを使った、とあるクソ野郎が引き起こした一年余前の事件の再現、しかもご丁寧に、セラの代役まで立てるその徹底ぶり、そして......あの人工精霊(タルパ)だ」

 

 にやり、とレオスを装う何者かが笑った。

 

 天使の塵、そして人工精霊召喚術。そのどちらもが禁術に近い超高等錬金術であるが──グレン=レーダスはその二つを極めた最悪の魔導士を知っている。

 即ち。それはかつてグレンが打倒した相手。グレンに恨みを持ってもおかしくはない相手。グレン=レーダス個人を狙い打ちしたこの状況を作り出すことが出来る、唯一の男──。

 

「一年余前、天使の塵(エンジェルダスト)を使って帝国政府の要人や軍の高位魔導士達を片端から殺しまくったあの最悪の事件の首魁にて......元・帝国宮廷魔導士団特務分室所属──執行官ナンバー11、【正義】のジャティス=ロウファンッ!」

 

 すると、レオスを装う男が一つ指を鳴らして......その身に纏っていた変身の魔術が解呪(ディスペル)される。

 水面に波紋が揺らぐように姿がぶれ──。

 

「御名答だ」

 

 山高帽を目深に被った青年がそこにいた。リボンタイに手袋、体格はグレンと同じく長身痩躯。フロックコートを羽織り、切れ長の目と色白の肌が構成する攻撃的な美貌が薄く笑った。

 

「久しぶりだね、グレン。こうして君と再び対峙するこの日を、僕がどんなに待ちわびていたか──」

 

「死ね」

 

 最後まで聞くことなく引き金が引かれる。その瞳は酷く昏く、濁っていた。

 

「ジャティス、テメェがどうやって墓場から甦ったかについては今は訊かない。俺がこの手で確かに殺したはずだが......」

 

 続けざまに全弾を撃ち尽くし、流れるように弾装を取り替える。次弾を装填し終えると同時に吐き捨てた。

 

「要は俺に対しての復讐だろ? 死人が大手を振って歩くなんざ世も末だな......また鉛弾を額で食わせてやるよ、たっぷりとな」

 

 

「......ふ、ふふふはははははは! そうか、僕が手を下すまでもなく君は昔に戻っていたんだな!...... だが一つ、訂正しておきたいことがある」

 

 

 防いだ弾丸がぱらぱらと地面に転がる。そしてジャティス=ロウファンは余裕の表情から一転、突如としてその顔を憤怒に染め、叫んだ。

 

「......復讐? 復讐だと? ふざけるなッ! 僕を侮辱する気か、グレン......ッ!」

 

 凄まじい憤怒の形相に、システィーナは喉を小さく鳴らして後ずさった。

 

「この僕が、そんな下劣で無意味で、下らない非生産的な真似をするものか......ッ!?」

「はっ......だったら、なんでわざわざこんな回りくどい真似をしやがった?」

 

 蔑むように舌打ちするグレンに、今度は穏やかな表情でジャティスが言う。

 

「正義のためさ」

「......は?」

 

 思わず、ぽかんと口を開いて忘我するグレン。

 

「ところで、グレン......僕がなぜ、一年余前、あんな事件を起こしたかわかるかい?」

 

 話に全くついていけない。だがグレンはどうしようもなく理解した。この、目の前で誇らしげな顔をしている男は──

 

「正義のためさ」

 

──狂人だ。

 

 しかもタチが悪いことに、この男は恐らく一切の虚偽を言っておらず、そこには何も含むところはない。個人としての利があるわけでもなく、特定の思想があるわけでもなし。いや、敢えて言うなら"正義"か。

 言い訳としての、方便としての、大義としての"正義"では断じてない。この男は、本当に純粋に"正義の味方"であろうとしているだけで。

 

 だからこそ、最悪の一言に尽きた。

 

「君は知らないだろうけどね。この帝国は......滅びなければならないんだ。この帝国は、とある邪悪な意思の元に創られた魔国なんだ。この世にあってはならない国なんだ。ある時、僕は気付いてしまったんだよ......この世界の真実に」

 

 まるで痛い妄想だ。だがこの男には実行するだけの力がある。才能がある。思想がある。加えて禁忌を躊躇なく踏破する精神を、ただ義務感や使命感で殺人を肯定してしまえる正義()がそこには在った。

 

「本当の悪がなんなのか......気付いてしまったからには、それを見て見ぬ振りをするのは偽善者だ。......そうだろう? それは僕の正義が許さない──」

 

 正義。

 故に殺人は肯定される。

 

「故に僕は一年余前、正義を執行した。この国を持ち上げ、与する偽善者達を、片端から始末することにした。やがて内部からこの国を滅ぼすために。まぁ焼け石に水だけど......善行とはまず、自分が出来ることから始めるべきだ。そうだろう?」

 

 正義。

 故に殺戮は肯定される。

 

「だが、そんな僕の前に、君が立ちはだかった。そして......僕の正義が、君の正義に敗れたんだ......ッ! 僕の完璧なる行動予測すら凌駕し、君は僕に勝利した......ッ!」

 

 正義。

 故にその行動は──。

 

「僕の正義はそんなものか!? 真の悪を知り、正しき正義に目覚め、正義のために己が魂を捧げることを誓ったのに......ッ! 何も知らない君の、【愚者】の正義に敗れる程度のものなのか......ッ!? 断じて否だ......ッ!」

 

──正義の為に、肯定される。

 

「だから、グレン。これは『復讐』じゃない。君への『挑戦』なんだ。僕の正義と君の正義、どちらが上か......あの時の僕の敗北が、何かの間違いだったことを......今回の君との戦いで証明する。僕の正義こそが、真心を伴った真実であることを証明する」

 

「........................」

 

「そう! 僕は君を打倒し......真の『正義の魔法使い』となる」

 

 

 

「僕は──『正義の味方』になるんだ」

 

 

 

 沈黙。困惑。静寂。

 そして、ふつふつとこみ上げてくる侮蔑と激情の中、グレンは呻いた。

 

「ふざけんなよ、テメェ......これが正義だと? レオスを魔薬(ドラッグ)漬けにして、殺すのが正義だと?」

 

「ああ、正義さ。彼は揺るぎない『正義』を証明する礎になれるんだ。痛ましいことだが......必要な犠牲だったんだ」

 

「俺達を襲った中毒者......連中は何の罪も関係もない一般市民だったはずだ。そんなやつらを魔薬(ドラッグ)漬けにして、利用して、使い殺すのが正義だと?」

 

「ああ、正義さ。例え、その歩む道がどんなに罪深く血に塗れていようとも、辿り着く先に理想が存在するなら、それは正しい道だ」

 

「......俺達とはまるで関係のない、白猫を狙わせたのも」

 

「ああ、正義さ」

 

 

 

「そんな正義があるかァァァァァアア!」

 

 

 

 吼える。この怪物に対しての殺意、何の関係もない人々を殺戮して尚、正義の為だと嘯く狂人への殺意で満ちた。

 

──それはまるで、グレン=レーダスの目指した"正義の魔法使い"を汚されているようで。土足で夢を踏みにじられたようで。

 

 かつて愛した女の顔を思い出した瞬間。グレンの脳の何処かが、ぷちりと切れた。

 

 

「......もう一度、殺してやるッ! 俺の手でッ!」

 

「この世全ての悪は、真の『絶対正義』なる僕の手によって裁かれ、滅殺されるんだッ! この僕がいる限り、この世界に『悪』という存在は一片たりとも許さないッ! 真っ白に漂白してやる──(みなごろし)だッ!」

 

 

「ジャティス、ロウファンッッッ!!」

「グレン、レーダスゥ──ッッッ!!」

 

 

 かつての同僚。そして今や天敵とすら言える二人の超級魔導士が、激突した。







次回と言ったな、あれは嘘だ──ああやめて石を投げないで!もっと!もっと激しく!ちょっと長くなったから話を区切ったんですぅ!

そんなわけで多分次こそは死ぬ。多分ね!


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無限の■製

 

 

 

 

 赤は嫌いだ。煉獄の色だから。

 

 

「は、ぐ......っ」

 

 全身が傷む。立っていられるのが不思議な程だ。体内から喰らうように生じている剣が、どうにか壊れかけの身体を支えている。

 

 血が滴り落ちた。最早自分か敵かすらわからない血が頬を伝う。目的地はまだ遠い。左腕の感覚は既にない。脳裏で光が明滅する。生と死の狭間、自分が既に死んでいる錯覚に囚われた。

 

「あ、あ......」

 

 何のために此処にいるのかが判然としない。だがそれでも、何故か進まなければならない気がした。

 

 

 

 

 

 

「はぁ......は......ッ、クソが......!」

「せ、先生っ! 動かないでっ!」

 

 呻く。だが既に勝敗は決していた。

 

「僕の勝ちだ、グレン。そこの娘との連携は素直に感心したよ。たかが小娘一人と侮っていたが......存外、僕の目は節穴だったようだ」

「こいつに......手ェ出すんじゃ、ねえ......!」

 

 確かに、グレン=レーダスは強かった。そしてシスティーナ=フィーベルとの即席の連携は一時的とは言えジャティス=ロウファンを確かに追い込む程だったのだ。

 

 そう──だからこれは、ただ純粋にジャティスが彼等を上回っていただけの話だ。もし運がグレンに向いていれば、運良く倒壊した瓦礫がジャティスの切り札である人工聖霊(イド)、ユスティーツァを押し潰していた未来もあったかもしれない。

 だがそれらは全て可能性の話。こうして彼等はジャティスに、怪物的な天才に敗北した。逆転劇も奇跡もなく、どうしようもなく負けたのだ。

 

 例え百戦して九十九負ける戦いで残る一回を最初に引き当てるグレンと言えども──百戦して百回確実に敗北する戦いにおいては、無力である。

 

「安心しなよ。そこの娘の心は既に折れている......脅威にはならない。それに君の最後の願いを無下にすることなどしないさ。......正真正銘、君は尊敬に値する人間だ。そこまでの無才で、凡人で、欠片も魔術の才能がないというのに──僕をここまで追い込んだのだからね」

「......そうかよ」

 

......考えてみれば、当然の話だ。

 そもそも天才中の天才とも言える錬金術の申し子、ジャティス=ロウファンとの純粋な実力差は天と地ほどもあるのだ。慢心を捨て、万策を講じ、未来予測等という規格外の固有魔術(オリジナル)を保有するジャティスに勝てる可能性などあるはずもない。

 

「だが惜しいな......もし、君が『イヴ・カイズルの玉薬』を入手できていれば、また結果も違ったかもしれないのに......まぁ、軍属じゃない今の君には無理か」

 

 全くの余裕の表情。まだ動けるとはいえ、対するグレンはもはや詰んでいる。彼が動くよりも、周囲に浮遊する人工精霊(タルパ)がマスケット銃の引き金を引く方が早い。

 

「それでも......僕の勝ちだ。魔導士として全力の君を......とうとう、僕の正義が打ち砕いた......僕の正義が証明された......ッ! やはり、僕には『禁忌教典(アカシックレコード)』を手にする資格がある......ッ! 何しろ、選ばれた人間である君を越えたわけだからな......ッ!」

 

 相変わらず、グレンにはジャティスが何を言っているのかさっぱりだ。

 どうして、こんな三流魔術師である自分に固執するのか、いまいち理解できない。

 だが、元より狂人の戯れ事。気に留めるだけ無駄というものだ。

 

「悪ぃな、システィーナ......帰ったら、ルミアとリィエルを誤魔化しといてくれ」

「嘘、嘘っ! 何でそんなこと言うのよ、何でっ......!」

 

 かつて好いた女がいた。そいつは己を庇って死んだ。ならば今度は、自分が代わりに──そう考えると同時に、やはりセラとシスティーナを重ねてしまっていたことに苦笑した。どうやっても自分は救われない類の人間らしい。未練がましく女の影を追って、結局何も出来ずに殺される。

 

「シェロと......仲直り、しとけよ」

 

 ここしばらく疎遠だったであろうことは、学院を休んでいた間に使い魔を放っていたことで理解している。グレンは目を見開くシスティーナを見てもう一度笑い、そしてジャティスを睨み付けた。

 

「ほら、早く()れよ」

「ああ、もちろんだ。だが、ずっと待ち焦がれていた勝利に、つい浮ついてしまう僕の気持ちも理解して欲しい」

 

 ジャティスは穏やかに微笑んだ。

 

「安心してくれ、グレン。そこの娘には手を出さない。そして君は苦しませずに一瞬で殺す。それが、かつて僕の正義を脅かした唯一無二の人間に対する、最大限の敬意と礼儀だ......」

 

「......ありがとうよ。地獄に落ちろ」

「あの世で......セラによろしく伝えてくれ」

 

 そう告げ、ジャティスが指を撃ち鳴らした。そして同時に、音が響く。

 

 

 

 

 

 

 

──千切れ飛んだ腕が、落ちる音が響く。

 

「..................は?」

 

 理解できない。そんな顔のまま、ジャティスは自分の腕を見つめる。血が溢れながら地面を汚す様も気にならず、ただ完全に予想外の出来事に思考が停止していた。

 

「嘘、だろ......?」

 

 グレンも驚愕に目を見開いていた。ジャティスの腕を切り落としたのは剣である。そして、暗い路地の向こうに、剣を投擲した男は立っていた。

 

「まさか──」

 

 息を呑む。光を失った紅い瞳。本来白黒の学生服は所々裂けながらどす黒い紅蓮に染まり、その本来は明るい赤髪も乾いた血でどちらかというと黒に近くなっている。

 おびただしいほどの血。隠すこともできない死の臭い。本能的に怯えと恐怖を抱きながらも、システィーナは呟いた。

 

「シェロ............なの?」

 

「......、ああ。そうか」

 

 べっとりと張り付いた、血で濡れた髪をかき上げて、シェロ=イグナイトはぽつりと溢す。

 

「俺は、このために此処に来たんだな」

 

「......っ! なにわけわかんねぇこと言ってんだ! この狂人がぼさっとしてるうちに、白猫連れて逃げろこの馬鹿がッ!」

 

 焦りを乗せてグレンは叫ぶ。シェロの姿ははっきり言って異常だが、今はそんな場合ではない。シェロでは決してジャティスに勝てない。そう確信しているからこそ、グレンは──。

 

「先生。歩けますか?」

 

「なに......?」

 

 コツコツと、ゆっくりシェロは歩を進める。よく見ればその体は正視に堪えないほどに損傷している。左腕は凄まじい力で掴まれたからか、枯れ木のごとく握りつぶされていた。噛み千切られたような跡すらある足には鈍く光る鋼が輝き、強制的に身体を維持していることを理解する。

 

「歩けるなら、あいつを連れて逃げて下さい」

「......お前、正気かッ!? あいつに勝てるわけがない......!」

 

 叫ぶ。確かにシスティーナを連れて歩けないこともない。だがシェロでは時間稼ぎにすらなるまい。ましてや、そのような体では。

 

「......先生、今までありがとうございました。ぶっちゃけて言いますけど、あんた教師に向いてますよ。人間的には普段あれですけど、天職なんじゃないですかね」

「待てよ......おい、シェロッ!」

 

 立ち上がろうとするも、貧血でふらつく体ではすぐに膝をついてしまう。グレンはくそ、と悪態を吐きながら必死に体を動かすが......彼を止めるには遠すぎる。

 

「シェ、ロ」

 

 弱々しくも、システィーナは手を伸ばした。元から身体能力的にもグレンほどもない彼女だ。もはやその場を動く体力は欠片も残ってはいない。

 だが、それでも手を伸ばす。嫌な予感がした。霞む背中へ必死に手を伸ばす。叫ぶ。

 

「待って、シェロ」

 

 お願い。行かないで。一人にしないで。

 

 一人に、ならないで。

 

「......ごめんな、"()()ティ()()()"」

 

 振り返ることはない。その背中を見て、システィーナの瞳から一滴の涙が零れ落ちた。

 

 

 

 

 

 やはり敵わないな、と。俺は思う。

 

 地獄を見た。

 己が創り出した地獄を見た。

 そして同時に狂ってしまった。鋼の心じゃない、ただの人間である俺にその事実は耐えきれなかった。歪んで軋んで狂って、狂ってしまえば楽だからそのまま殺し続けた。もっと苦しくなって更に狂った。痛みなど無く、ただ嗤いながら殺し続けるだけだった。

 だけだったのに──。

 

「......ほんと、敵わない」

 

 その銀髪を見た瞬間、俺は正気に引き戻されてしまった。シェロ=イグナイトに戻されてしまった。もう笑うしかない。

 どうやら俺は、地獄に堕ちようとも彼女の事が忘れられないらしい。それがどうにも可笑しくて──何故か、同じくらいに哀しかった。

 

 

「あ、ああ──君か。確かに予定外だ。想定外だ。だからこそ......だからこそ許さないッ! よくも、よくもあの成就の瞬間の邪魔を......ッ!」

 

「......悪いな。あの先生は、お前に殺させるわけにゃいかねぇんだわ」

 

 あの破天荒な教師が来てから全てが変わった。酷くつまらない生活が、音を立てて回り出したのだ。きっとそれはシスティーナ達にとっても同じだろう。

 それを奪わせるわけにはいかない。他の誰でもなく、俺がそう思ったのだ。

 

 

「は、ぁ────」

 

 息を吐き、己の状態を冷静に認識する。

......左手は動かず、足の感覚など疾うの昔になくなっている。聴覚は正常。記憶は混濁。霞む視界にはかろうじて討つべき敵が映っており、そして。

 

 

「ま、何だ。同じ屑同士、一緒に地獄に堕ちてくれよ」

 

 

 気付けば、右手は。とっくに握り拳になっていた。

 

 それだけで十二分に過ぎる。まるで最高の体調(コンディション)だな、と薄く笑った。

 覚悟など人を殺したあの瞬間に定まっている。故に残されたのはたった一つの工程のみ。

 

 己の心を、詠唱として出力するだけだった。

 

 

 

 

「 ──体は剣で出来ている 」

 

 

 瞬間、どくりと何かが脈動する。取り返しのつかない何かが目覚めていく。身体を熱が走り抜ける。焼けるような熱さが魂すら焦がす。

 同時に、致命的なモノが燃えていく感覚があった。

 

 

  血潮は鉄で、心は硝子。

 

 

「な、んだ......? 」

 

 

  幾度の戦場を越えて不敗。

 

 

 それはとある英雄の心象。それは決して俺のものではないが、長年癒着していたことから既に俺の心象と融け合ってしまっている。

......いや、違うか。ただ単に、俺がアイツに近くなり過ぎただけだ。借り物の力を使い続けた末路。だがそれでも、今だけは俺のものだと断言できる。

 

 

  ただ一度の敗北もなく。

 

 

 敗北など在るはずもない。これは己との戦いなのだから。

 

 

  ただ一度の勝利もなし。

 

 

 勝利など在るはずもない。過去に打ち勝った己は次の瞬間にはまた過去のもの。敵は更新され続ける。俺は投影の本質を見誤っていたのだ。

 

 己の心をカタチにする。ただそれだけだったというのに。

 

 

「その詠唱を......止めろォ!」

 

 

 マスケット銃が乱射される。だが体内に生成された鋼の剣は容易くそれを弾いた。元より既に終わっているような身だ......その程度で止まるようなら、疾うにくたばっている。

 そう、俺は最早死に体だ。今だけではない。昔から、ずっと──。

 

 

 

  炉心の火は既に尽き。

 

 

 

「何だ、お前は」

 

 人工精霊が振るう大剣は流石に回避する。酷く冷静で俯瞰的な意識で、淡々と最適解を砕けかけた足で踏む。

 

 さあ、始めよう。これが最終到達点。俺の全てをくれてやる。

 

 

 

  墓標の丘で灰が舞う。

 

 

 

「何なんだ、お前は────!」

 

 俺が何か、などどうでもいい。望むのはたった一つ。自分の全てが燃え尽きようと、俺は。

 

 

 

  しかし、この生涯は未だ朽ちず。

 

  偽りの体は、それでも──

 

 

 

 「 ──剣で出来ていた 」

 

 

 

 焔が大地に走ると共に世界が裏返され──"それ"は顕現した。

 

 

 

 

 

 

 

「こ、れは」

 

 昏い。ひどく昏い。暗雲に天は閉ざされ、所々射し込む斜陽も不吉極まりない紅蓮の光だった。

 

 そして何より、其処は──。

 

「......剣なのか。この全てが」

 

 果てしなく広がる荒野......否、砂漠。其処には何もない。生物の気配が何処にもない。在るのはただひたすらに、果てしなく、地平線の彼方まで続く剣群のみ。

 よくよく見れば砕けた巨大な歯車のようなものが転がっているが、それが何を意味するのかジャティスにはわからなかった。わかるのはたった一つ。

 

「何処だ、ここは。まさか君に空間転移が扱えるとはね」

「......空間転移? は、とんだお笑い草だな──ジャティス=ロウファン」

 

 嗤う男は一人、その世界の中心に立っていた。

 

「お前なら、この世界がどう見える?」

「............」

 

「俺にはこの全てが──墓標に見えるよ」

 

 風が、吹いた。

 

 吹き散らされたのは灰だ。これは砂漠ですらない。燃え尽きた後の灰だった。全てが焼けた後、ただ虚しく残る灰。火の気配は既に無い。ただ、焼き尽くされたという結果だけがそこにある。

 

「お前は俺を英雄ではない、と言ったな。確かにそうだ。俺は英雄じゃない」

 

 仄暗い瞳。それに気圧されたジャティスは一歩後ずさった。

 

「正真正銘、俺は"英雄の紛い物"だよ」

 

 その瞬間、ジャティスは本能的に錬金術を起動していた。あれは危険だと本能が警鐘を鳴らしていたのだ。

 起動した人工精霊(タルパ)が視認不可能な速度で、目の前の少年を蹂躙するべく突撃する。顕現したのは三体──。

 

「だが。そんな紛い物でも、お前は殺せる」

 

 その三体全てが、気付けば無数の剣によって貫かれ、粉微塵に砕かれていた。

 

「ば、馬鹿な......お前は」

 

「さあ、始めよう。だがこれは戦いじゃない......一方的な"処刑"だ」

 

 手を振り上げる。それと同時に、不吉な天に数百の剣が出現する。その様を見てジャティスはようやく己の勘違いを理解した。

 あれは通常の錬金術などではない。あの剣は、この世界は、そこの男は──!

 

「有り得ない......有り得ない有り得ない有り得ないッ! 貴様、自分が何を成しているのか理解しているのかッ!?」

 

 理解してしまった。なまじ天才であるが故に、如何にこれが狂っているのか理解出来てしまった。常人では一笑に付すであろう理屈。だが、こと錬金術においては極めたと言っても過言ではないジャティスだからこそ真実に辿り着く。

 

「.....疑似(パラ)霊素粒子(エテリオン)粉末(パウダー)も無しにッ! 貴様は、"ただの妄想を現実に昇華させた"とでも言うのか──!?」

 

 原理としては人工精霊に近い。"其処に在る"と思い込むことで妄想を現実に投影し、等価交換の法則を逆手に取ることで整合性を取る大禁術。だがこれはまるで規模が違った。

 シェロ=イグナイトは、世界そのものを創り出している。それも、何の小細工もなしに、ただ己の心象のみで成している。

 

「凡人と言ったことは撤回する。認めよう、シェロ=イグナイト。君は──」

 

 あのジャティスでさえ、粉末(パウダー)を利用し自分を酔わせることでしか人工精霊を創ることは出来ない。それを何の道具も無しに、世界すら創り出す心象を刻みつける存在があるとしたら、それは。

 

「──どうしようもなく狂っている」

 

「まさか狂人に狂人と言われるとは、な。だが否定はしない」

 

 風に吹かれ、燃え尽きた灰の如き白髪が舞った。まるで一本傷のように額から左頬にかけて褐色が刻まれた男は、魔力を迸らせて剣を握る。

 

「覚悟はいいか、"正義の味方"。此処から先は俺の世界──剣戟の極致だ」

 

 無限の剣を教えてやる。

 

 血と灰に彩られた男は、凄惨に──そして哀しそうに嗤った。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「何を......言っている、アルベルト」

 

 その胸ぐらを掴み上げ、包帯の下で疼く痛みすら無視して睨み付ける。だがそんなグレンの恫喝にまるで怯むこと無く、アルベルトは淡々と告げた。

 

「わからなかったか? ならもう一度言ってやろう」

 

「あの少年が学院に戻ることはない」

 

 

 

「シェロ=イグナイトは、死んだ。それが事実で、全てだ」



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Nameless

あの......感想たくさん来るのは嬉しい......嬉しいんだけど......1話で九ページぶん来るのは辛い......返信できないけど許して下さい(瀕死)







 

 フェジテ東地区の一部及び西地区は一時的に封鎖され、あの凄惨な事件から二週間が経った。だが重症を負ったグレンは未だ復帰できず、生徒たちは無事に帰ってきたことに胸を撫で下ろしながらもその帰還を待ちわびていた。

 

 いたのだが──。

 

 

「......シェロ、来ないね」

 

 いつも通りの無表情で窓の外をリィエルは見やる。だがその表情の裏で渦巻いている感情の大きさは、数ヵ月とは言え一緒に過ごしてきたシスティーナとルミアには理解できた。

 リィエルにとってシェロは友であり、そして唯一の弟子とも言える存在だ。そんな独特な立ち位置にある彼がいない日常は酷くつまらなくて。

 

「あの、馬鹿......」

 

 それはシスティーナにとっても同じだった。あの後、シェロを中心に放たれた膨大な魔力──無差別に暴れ狂う焔の如き魔力は衝撃という現象として自動的に具現化され、グレンとシスティーナは揃って気を失ってしまっていたのだ。気付けば既に全ては終わっており、シェロもジャティスも忽然と姿を消してしまっていた、というのが真相だ。

 

 だからこそ、システィーナはシェロが一体どうなったのかを知らない。彼の末路を知らない。

 

「さっさと、帰ってきなさいよ」

 

 幸か不幸か。彼女は、シェロと呼ばれた少年の末路をまだ知らなかったのだ──。

 

 

 

 

 

 

 

「どういう事だ......説明しろ、アルベルトォ!」

 

 胸ぐらを掴み上げ、壁に叩きつける。偽りなど許さない。そんな思いを込めて至近距離で睨み上げるグレンを見下ろし、アルベルトは言葉を紡ぐ。

 

「......シェロ=イグナイトは死んだ、とされている。公的にもほぼそれで確定した。厳密には行方不明という扱いだが、あの負傷では死んでいる可能性の方が高いだろう」

 

「そんな......嘘だ、あいつはッ!」

 

「宮廷魔導士団としての見解は、死亡。だが行方不明になる直前、戦闘したと思われるジャティスの死体もなかったことから何らかの関連性があるのではないかと疑われてはいるな。現にあの場には、お前達以外が争った形跡が何処にもない」

 

「んな、馬鹿な......ッ!?」

 

 その瞬間、はっとグレンは息を飲んだ。

 

「まさか、お前ら......シェロが天の智慧研究会だと......」

「さて、な。そういった嫌疑がかけられていることは否定しない」

「っ、有り得ねぇ。あいつが天の智慧研究会の一員だなんて──!」

 

 口元を戦慄かせながらそう溢す。気付けば胸元から手を放しており、アルベルトは無表情でそれを見つめていた。

 

「......あくまで行方不明だ。一応、捜索はしている」

「ぐっ......俺も捜す! 行方不明だなんて、俺は──」

 

「勘違いするなよ、グレン=レーダス」

 

 かちゃり、と。本来グレンの武器である銃、"ペネトレイター"をそのこめかみへと突き付けた。無論、ただの脅しなのだろう。だが頭に上りかけていた血は逆流し、瞠目するグレンの瞳に映るアルベルト=フレイザーは能面を張り付けたかのように無表情だった。

 

「今のお前は軍属ではない。教師だ。領分を履き違えれば、如何にお前と言えど加減は出来ん」

「......、クソッ!」

 

 どうすることもできず、力無くグレンはベッドサイドに腰を落とした。打つ手はない。それに今のグレンが捜索に加わったところで何か進展があるとも思えない。

 

「......頼む、アルベルト。あいつを見付けてくれ」

「手は尽くそう。だが、あまり過度な期待はするな」

 

 それがアルベルトに出来る最大限の譲歩なのだろう。グレンは黙って頷き、アルベルトは背を向けて病室を出る。

 

「............すまない、グレン。だが今のお前では──」

 

 

 続きの言葉を飲み込む。そして僅かに唇を噛み、振り返ることなくアルベルトは廊下を進んだ。

 

 

 

 

 

 

「──────」

 

 無言。

 ただ無言で男は其処に立っている。

 

 見下ろす先にあるのは無数の花が咲き誇る花壇だ。丁寧に手入れされているのだと言うことは容易に察せられる。

 男はそれを眺めていた。理由などない。黒い外套(コート)を揺らし、感情の読み取れない瞳でただ見下ろす。

 

「あら、気に入ったのかしら?」

「............ああ」

 

 いつの間にか男の背後に立っていた女が尋ね、男は頷いた。何故か目が離せない花だった。

 

「何処が気に入ったの?」

「わからない」

 

 あら、と女は目を見開く。

 

「珍しいこともあるものね。貴方らしくもない──貴方の言葉を使えば『合理的ではない』理由ね」

「......確かにな。オレらしくもない」

 

 冷笑。或いはシニカル、と形容されるべき笑みを浮かべる。打算と合理性で動くその男らしくもない理由だ。だが僅かなその人間らしさとも言うべきものの発露は、女としては好意的に受け取れるものであったらしい。

 

「らしくはない──でも、私はそう言うのって好きよ?」

「そうか」

「つれないわねぇ」

 

 ならば手折っていくか、と女が問う。しかし男はそれに否定の意を返した。

 

「一輪くらいなら構わないのだけれど」

「別段そこまでの価値を見出だしているわけでもない。時間が押しているのだろう? 貴様はそこまで暇でもない筈だ」

「......気にするような事でもないのに。まあ貴方がそう言うのなら、それでいいわ」

 

 それにしても、と。女は既に背を向けて歩き始めた男から視線を外し、花壇に目を落として呟く。

 

「彼岸花に惹かれるなんて......相変わらず、妙な人」

 

 燃えるように鮮やかな真紅。それを眺めながら、紅蓮の魔女はくすりと笑った。

 

 

 

 

「さて。此所に集まって貰ったのは他でもありません。ある人を紹介するためです」

 

「ある人......とうとう嬢ちゃんにも春が来たってことかのう?」

「焼かれたいのならそう言ったらどうかしら、バーナード?」

 

 怖い怖い、とバーナードは肩を竦めた。彼女が誇る眷属秘呪(シークレット)、【第七圈】で焼かれてはたまらない。傍らにいるクリストフは呆れた顔をしている。いつも通りのやり取りであった。

 

 だがこうも改まって特務分室のメンバーを召集するなどそうないことだ。

 今や五人......全盛期ならば二十一人いたはずの特務分室だったが、一年余前にその大半が当時のジャティス=ロウファンに虐殺され、影響は未だに残っている。加えて数少ない生き残りである【愚者】のグレン=レーダスはセラの死亡と共に行方をくらまし、同じように【世界】のセリカ=アルフォネアも去った。

 

......人員の不足による戦力低下は否めない。しかし特務分室に要求されるのは尖って余りあるが故に放逐されるような、ある種怪物的才能を誇る異端者のような者だ。求められるのはただ能力のみ。単騎にて一騎当千、英雄級に踏み込んだ存在のみがこの特務分室に所属することを許される。

 

 とは言え、そんな簡単に天賦の才を持つものが見つかるはずもなく。結局特務分室は現状五人で回っており、うち一人である【戦車】のリィエル=レイフォードは"廃棄王女"ルミア=ティンジェルの護衛を担当していることから、この部屋に集まっているのは四人のみであった。

 

「......あの、結局これはどういう集まりで?」

 

 そんなクリストフの問いに対してアルベルトは無言で視線を落とし、バーナードは首を傾げ、そして──【魔術師】のイヴ=()()()()()は毒々しく微笑んだ。

 

 

「言ったでしょう? 人物紹介よ」

「いや、ですからそれがどんな人なのかと──」

 

 少年がそう疑問を呈したその瞬間、扉が軋みながら開かれた。部屋の中にいた全員の視線が殺到し、うち二人が驚いたように瞠目する。

......残る二人の反応は全くの別物。一人は諦めたように瞳を暗くし、もう一人は唇を尖らせる。

 

「ちょっと、まだ呼んでないのだけれど?」

「貴様の話が悠長に過ぎるだけのことだ。一応は同僚ということになるのだろう? 自己紹介など後で組むときにでもすればいい」

「......本当、せっかちな男ね」

 

 紅蓮、というよりは茶に近い赤毛の短髪。それは一瞬イヴを連想させるが、それはすぐに髪の一部の強烈な印象によって霧散する。

 それは、白髪だった。

 脱色してしまったように左前髪が白く......まるで燃え尽きた後の灰のような白に染まり、加えて左右非対称(アシンメトリー)を演出するかのごとくその部分のみ後ろへ撫で付けてある。そうして次に目に止まるのは、その上げられた前髪の下。

 

──目の上を走り抜けるようにして首筋にまで届く、傷跡のような褐色。それはさながらスカーフェイスのようで。

 

 

「今日を以て帝国宮廷魔導士団特務分室に配属される。支給されるコードネームは......【正義】」

 

 【正義】──執行官ナンバー11。

 

 その言葉に、かつてのジャティス=ロウファンを想起させられたバーナードが僅かに眉をひそめる。それを知ってか知らずか、まるで鋼のような瞳をした男はくつくつと笑い声を溢す。

 

「名前は......ああ、そうだな。何でもいいが、あえて言うのなら」

 

 

 

「"()()"。オレの事はそう呼んでくれ、先輩方」

 

 

 新たに【正義】を背負う男は、そう言ってシニカルな笑みを浮かべるのだった。

 

 

 

 

 

 

▲▽▲▽▲▽▲▽▲▽▲▽▲

 

 

 

 

 

 深淵の底。黒い粒子を体中から撒き散らしながら、それは叫んだ。

 

「あ、ああ......許さない、許さない許さない許さない許さない許さないッ、シェロ=イグナイトォォォォオオオ!!!」

 

 まるで不定形。一度死んだ男は──いや、()()死んだ男は呻きながら怨唆の声を上げる。己の信じる正義を否定され、真正面から叩き潰された事実は想像以上にこの男にダメージを与えていたらしい。

 そんな墨をぶちまけたような黒の横で、エレノア=シャーレットはつまらなさそうに鼻を鳴らす。

 

「全く、一度ならず二度までも......大導師様のお手を煩わせるなど、羞恥の心を持ち合わせてはいらっしゃらないのですか?」

 

「黙れッ! この屑がァ......! お前らはただ利用しているだけだ、この僕が禁忌教典(アカシックレコード)手にした暁には、まずお前らから消去して──」

 

 ぶつぶつとただ狂人の戯れ言を吐くだけとなった物体を侮蔑混じりに見下ろし、エレノアはふと天を見上げた。

 

「......よろしいので? この男は大導師様に協力する気など欠片も存在しないように見受けられるのですが」

 

『良いよ。その男は何も出来ない......かつてはそこまで歪んでなかったようだけど、禁忌教典(アカシックレコード)に触れただけでああなるような程度の存在だ』

 

 何も出来はしない。狂人を甦らせた──黄泉帰らせた其は嗤う。

 

『反魂法で魂をサルベージするのは少しばかり骨が折れるから、そうそうする気はないんだけどね。虚数領域に沈んだ魂を穢土へ帰還させるのは──ああ、話が逸れたか』

 

 苦笑する。厳密には雰囲気のみしかエレノアにはわからなかったが。

 

『ま、そんな苦労をしてもいい程度には彼はいい仕事をしたということだ。ボクはこれでも信賞必罰はきっちりとするタイプでね。彼の情報はそれほどまでに価値があった』

 

「......と、言われますと」

 

『君が執着している"彼".....どうやら第八界の使徒らしくてね。ははは......奴等はようやくボクの存在を危険視し始めたらしい』

 

 第八界。言ってしまえばそれはヒトの世界。人類種による第八無意識。

 

──曰く、【阿頼耶識】。死後の精神が流転し、収束され、人類の庇護を成すにまで至った異形のシステム。いっそ神とすら呼称してもいいかもしれない、輪廻の歯車にして世界維持の根幹を成すモノ。

 

『驚いたよ。あれは異能ですらない。あれは王の因子にすら匹敵する──世界を隷属させる何かだ。第八界と繋がっているが故に彼は心象世界すら顕現させることが出来る。まさかあんな切り札を切ってくるとは......』

 

 愉しげに其は呟いた。

 

『造られた英雄とは恐れ入った。だが忘れないで欲しいな──今のボクの手には、過去の英雄の全てが収まっていることを』

 

 

 深淵の底。其処には無数のチューブが連結された、黒い棺がエレノアを囲むようにずらりと並べられている。

 

 そしてその中の一つには、【Redolph=Fievel】と刻まれていた。

 

 

 




オリジナル設定突っ込んであるので、原作の展開によれば改稿する可能性があるためご了承下さい。結局禁忌教典ってなんだよ......!

これにて第一部完(仮)。本当好き放題書きなぐった作品ですが、まさかここまでお気に入り等が伸びるとは思っていませんでした。全ての読者様に改めて感謝を。

ちなみに作品を通してのテーマ曲的なのは岸田教団の「nameless survivor」だったり。


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