もしもあの時…… (匿名作者Mr.ハチマソ)
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1話

初めまして。
こちらは、巷でよく耳にする『八幡って奉仕部に入んない(入れられない)方が幸せな高校生活送れたよね』を実際にやってみたら本当に幸せなのかどうかという、いわゆる八幡に救いの手を差し伸べるSSとなります。
よろしくお願いします。




 

「なぁ、比企谷。私が授業で出した課題はなんだったかな?」

 

 しん、と静まり返った職員室に、静かながらも怒気を孕んだ女教師の声が響き渡る。どうやら授業で言い渡された課題の出来がこの女教師の共感を得られなかったようだ。

 そんなわけで晴れて放課後に呼び出しを食らっている目の腐ったこの男子生徒の名は比企谷八幡……つまり俺である。

 

 やれやれ……と、目の前で頭を抱える推定三十路な美人教師平塚の目尻の皺をこっそり数えていると、殺気の籠もった目でギロリと睨まれてハッとする。

 や、やべぇ、目尻を注視していた事がバレたのかな?

 

「……はぁ、『高校生活を振り返って』というテーマの作文でしたが」

 

 バレてませんようにとビクビクしながらも、彼女からの問いに対しこう答える以外に選択肢を見いだせなかった俺は、嘘偽りなく正直に返事をお返しした。

 

「そうだな。それでなぜ君は犯行声明を書き上げてるんだ? テロリストなのか? それともバカなのか?」

 

 しかし返ってきた言葉はこれである。解せん。

 おかしいな。素直に答えただけなのに犯行声明とな? あまつさえバカとは失礼な。

 

 まぁそりゃ確かに高校生活を振り返る作文の文末の締めが『爆発しろ』では乱暴だよね。せめて謙譲語で記入すれば呼び出されずにすんだかな?

 わたくしのような下賤の者と違い青春を謳歌していらっしゃるリア充の皆々様方、どうか爆発なさって下さいませ。……うん。無理だな。むしろ余計青筋立てて呼び出されるまである。

 

「まぁ……国語学年三位なんでバカではないかと。それに爆発すればいいとは思ってますが、実際に奴らに対して爆破テロを執り行う気など毛頭ないのでテロリストでもないかと。ま、野党がやれテロ準備罪だ共謀罪だとあることないこと騒いでる組織犯罪処罰法改正案が適用されればなにかの間違いで連行される可能性はなきにしもあらずではありますが、そもそも計画を話し合う仲間(笑)が皆無ですのでその可能性も限りなくゼロに近いかと」

 

 アホか、そんな可能性ねーよ、バカ野党と市民団体(笑)とマスゴミが! などと内心鼻で嗤いつつも、今まさに目の前で三十路女教師に問題提起されている事柄と駄々っ子政治問題は特に関係はないので、必要事項のみをそう真摯に述べると──

 

「はぁぁ……。よく分かった。つまりやはり君はバカなのだな」

 

 やはり解せん。

 

「それともうひとつ分かった。君は友達が居ないという事がな。まぁわざわざ言われなくとも、そうなんだろうなぁとは薄々気付いてはいたがね」

 

 ですよねー。

 

「……なぁ、比企谷」

 

 呆れ果てた表情と弛緩した空気から一転、平塚先生は暖かさを帯びたとても真剣な表情で俺の目を真っ直ぐに見つめる。

 

「な、なんでしゅか」

 

 ちょ、いくら推定三十路とはいえ、そんな綺麗な顔で見つめないでいただけないでしょうか……? 女慣れしてないんで、すげぇ緊張しちゃいますってば。

 女どころか人に慣れてませんけど☆

 

「部活に入れ」

「……は?」

 

 この人、急になに言うてるん? まだアルツハイマーには早すぎませんかね。

 

「この歳でこんなふざけた作文を書いてそんなふざけた受け答えをしているようでは、君はこの先ろくな人生を歩めないだろう。君には更正が必要だ。私が受け持っている部活ならば、君のその荒んだ思考回路を良い方向へと成長させてくれるかもしれん。悪いようにはしないぞ、どうだ?」

 

 そう謎の台詞を吐いて、俺の目の前にすっと手を差し出す独神教師。

 

「……」

 

 寝耳に水とはこの事だろう。まさか現国の授業で作文を書いて、そこからの流れで部活に勧誘されるとは夢にも思わなかった。

 つーか余計なお世話だ。俺のこの思考回路は俺だけのもんだ。それを『この先ろくな人生を歩めない』だの『更正が必要』だのと勝手に決めんなよ。

 成長? アホか、マジで余計なお世話だ。成長ってのは他人から言われてするもんじゃねぇだろ。

 

 俺はその手を冷め切った目で一瞥し、無いモノとして無視するかのように口を開く。

 

「……その言い方だとまるで強制のように聞こえるんですけど」

「ああ。私はそのつもりだが?」

 

 俺からの返答に差し出した手を引っ込めると、拳をバキボキ鳴らせて世紀末覇者の如く凄む三十路。

 マジかよ……生徒に部活動を強要するとかどういう理屈だよ。

 

「……お断わりします」

 

 だが残念だったな。今はハート様やヒャッハー群が野生にごろごろ生息しているカオスな世紀末ではないのだ。

 

「だから言ったろう、これは強制だと。異論反論抗議質問口応えは一切認めんぞ」

「ならば先生にではなくもっと上に異論をとなえます。教頭でも校長でも教育委員会でもどこにだって抗議しますよ」

「……」

「教師が生徒に部活動を強要するのなんて認められるはずがないですからね。これ、完全に責任問題になりますよ? それで構いませんか?」

 

 どうよこの見事な正論。完全に論破したった。

 フッ、たかだか社会の戌に過ぎない一教師が、こうも責任問題を表沙汰にされては言葉もあるまいて!

 

 俺からのぐうの音も出せない反撃に遭った平塚先生は、途端に青ざめ……る事など一切なく────ただ、とても哀しそうな顔をしていた。

 そう。とてもとても哀しそうな顔を。

 

「……そう、か」

 

 右手で頭を押さえて軽くかぶりを振り、もう一度俺の顔を見た先生の瞳は、なんというか、先程までの暖かみなどとうに消え失せた、ただつまらないものを見るかのような冷え冷えとした彩の無い瞳。

 

「……残念だ。……ある程度の屁理屈をぬかすくらいであれば、首根っこを押さえ付けてでも無理矢理連れていくつもりだったが……まさかそんな下らない弁を述べる程にどうしようもない奴だったとは……。残念だが、もう手遅れなのかもしれんな……。……せめて、せめて私だけでも匙を投げずにいようとは思っていたのだが、本当に残念だ……」

「……」

 

 

 ──匙を投げずに、か。

 これはあれだ。諦められたというやつだろう。

 

 俺は確かに成績は悪くない。むしろいい方だ。理数系以外は。

 しかし授業態度はすこぶる悪く(ほぼ睡眠時間)遅刻もとても多い。

 そんな俺を教師達がどういう目で見ているのかくらいは理解しているつもりだ。

 

 要はこの県内有数の進学校においてのお荷物。これといった問題は起こさなくとも、だからといって学校にとってなんら利にもならない、どうでもいい、関心の無い生徒。

 

 教師達だって教師である前に一人の人間である。

 いくら頭では生徒には平等にと考えていたって、やる気皆無の生徒、学校生活などどうでもいいと思っている生徒に対して関心が無くなるというのは仕方の無い事だろう。

 こちらから見限っているのに、教師ならばそんな生徒でも平等に扱えよ、なんてのは、あまりにも身勝手なガキの戯言だ。

 

 そんな中にあって、この先生は今まで何度も俺を気にしてくれていた。

 こんな舐めた課題を提出しても、他の教師ならばそのまま流していただろう。でもこの人はこうしてわざわざ呼び出して注意を促した。

 そりゃ生徒指導の任を全うしているだけなのかもしれないが、でもやはりそういった責務とは違う何かもこの人からは感じていた。

 

 

 そんな平塚先生にも、今の発言と態度でついに諦められたって事だ。これはあれだ。よく言う『怒られている内が華だ』ってやつか。

 

「……比企谷。後悔しても、もう取り戻す事は出来ないからな。……いや、哀しいことだが後悔した事にも気付かんのだろうな。……もう、行っていい」

 

 

 ──後悔、か。

 ま、俺は今まで散々後悔する人生を送ってきた。山のような黒歴史をこさえてな。

 だったらま、その新入荷予定の後悔とやらも、気付かないままでいられるっつーんならまだいい方なんじゃねーの? 知らんけど。

 

「……はい。失礼します」

 

 退出を促された以上、もう本当に後戻りは出来ない。

 俺は平塚先生に背を向け、その場から逃げるように立ち去るのだった。

 

 

 ……頭にこびりついてしまったあの顔。先生の哀しそうな表情という鋭い嘴に、胸の中を乱暴についばまれるような感覚に襲われながら。

 

 




ほんの暇潰しに書いてみた作品なので不定期更新となりますが三話くらいで終わると思います。


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2話

前回投稿後にいただいた感想で、翌日に返信したら返信内容が気に入らなかったのか、一時間と経たずに0評価を入れられるということがありました。

今後もそういった酷いマナー違反、というよりは規約違反ですかね。そういった事を極力回避できるよう、感想はログイン状態からのみ、評価は一言必須に変更させていただきました。




 

 平塚先生との邂逅から幾日か過ぎたが、俺は相も変わらず平和なぼっち生活を優雅に過ごしている。

 

 いやー、マジで全力で拒否しといて良かったわー。

 結局なんの部活かは一切聞かなかったが、あの教師が管轄する部活が碌な部活であるわけがない。

 せいぜい世紀末を拳で乗り切る為のサバイバル術を指導してくれる部活とか、そういったところだろう。そんな部活動ねぇよ。

 まぁなんにせよ、もしもその部活とやらに放り込まれていたとしたら、こうして毎日担任のホームルーム終了の合図をレッドシグナルにして、スタートダッシュ(帰宅)を決める事なんか出来なかったわけだもん。あぶねぇあぶねぇ。

 と、そんなわけで今日も今日とてホームルームという名のフォーメーションラップを終えスターティンググリッドに着いた俺は、エキゾーストノートを響かせスタートの合図と共にポールポジションから得意のロケットスタートで飛び足した。

 八幡早い八幡速い! 今日も誰も追い付けない! まだ人気もまばらなリノリウムの直線をキュキュッっと鳴らし、二位以下をぶっちぎりだー!

 なんぴとたりとも俺の前は走らせねぇ!

 

 そんな、楽しくもちょっぴり虚しい一人脳内フォーミュラに興じすぎていて気が付かなかったのだ。いつもと違い、今日は単独でのレースではなかったという事に。

 

「ま、待ってよ、ヒッキー……!」

 

 それは不意に起こった。

 

 最終コーナ……いや、もうレース設定は面倒くさいからいいか。

 靴を履き替え駐輪場へと向けて角を曲がった辺りで、背中から突然そう声をかけられたのだ。

 

 ※

 

 いやぁ、ちょっとビックリしましたわ。まさか後ろに人が居るなんて、想像もしてなかったですもん。

 だってあれじゃないの? 青春を謳歌している学生諸君は、ホームルームが終わったからといって即座に教室を飛び出したりはしない生き物じゃないの? うぇいうぇい騒いで青春の一ページを刻むんじゃないのん?

 ま、部活に青春を賭けている学生であればアリっちゃアリなのかもな、こうやって終業と共に校舎外に飛び出すのも。

 

 一瞬だけ驚いて多少キモめにビクゥってしちゃったものの、そうと分かれば問題ない。うん。俺には関係ないことだ。

 どこぞのヒッキーさんとやらー、なんか女の子が呼んでますよー? と心の中で呼び掛けつつ、何事もなかったようにトップスピードで最終コーナーを果敢に攻め──

 

「ちょ!? ま、待ってってば!」

 

 ようとしたら肩を掴まれてしまいました。

 ……えぇぇ……俺ー?

 

 いや、生憎俺にはこの学校内において女子の知り合いは居ない。なんなら学校外においても女子どころか家族以外に知り合いが居ないまである。

 だからこれはあれだ。人違いだ。振り向いたら、うわぁ……って顔されるやつだ。

 

 なんで呼び止められて肩まで掴まれた上に、振り向いて嫌〜な顔されにゃならんのだ。

 どう考えても報われない未来に辟易としつつも、この状況ではどう足掻いても振り向かざるを得ないわけで、嫌々ながらも嫌な顔されるのを覚悟してくるりと振り返る。

 

 するとそこには、ふわりとした肩までの明るめの茶髪にお団子を乗せ、三つほどボタンが開けられた胸元にハートのチャームのネックレスをキラリと光らせた、今時の女子高生そのものな少女が、緊張で強ばる顔を真っ赤に染め上げてモジモジと立っていた。

 ……はい。人違い人違い。

 

「も、もー、呼んでんのになんで行っちゃうし……!」

 

 もー? 牛さんかな?

 確かにホルスタインみたいな立派な乳をお持ちですけれどグヘヘ。

 

 つか、え? なんで俺の顔をしっかりと見たのに嫌な顔しないで話進めんの? 人違いのはずなんだが。

 

「……や、ひ、人違いだと思ったにょで」

 

 壮絶に噛み倒した上にもちろん安定の敬語だった。

 

 そりゃね? 普段女子どころか人と話さない俺が、こんなビッチ臭い美少女に突然話し掛けられて、普通に対応できるわけがないじゃないですかやだー。

 てか人違いでしょ?

 

「人違いじゃないし! だってあたし、ヒッキーに用があるんだから」

「……いやだからなんだよそのヒッキーってのは」

 

 そ、そんな恥ずかしい名前の人はしらないっ!

 

「だからヒッキーはヒッ…………あ……」

 

 そう言って両手で慌てて口元を隠す乳牛ビッチは、あわあわと恥ずかしそうに口籠もる。

 

 ああ、あれですか。つい引きこもりのヒッキー君とかいう陰口で呼んじゃったってヤツですかそうですか。なんで初対面の女に引きこもり扱いされなきゃなんねーんだよ。

 ていうか本当に初対面なのか? いくらなんでも初対面の女に俺が引きこもりだとバレてるはずは無いんだが。

 なんなの? 俺ってば引きこもりですってオーラでも纏っちゃってんのかな?

 

 いやちょっと待て、俺別に引きこもりじゃないから。ただちょっと自宅警護が好きすぎて通学以外は極力外に出たくないだけだから!

 

 

「ご、こめん! ……そ、そのぉ……比企谷君だから……ヒッキーって勝手に呼んでただけ……なんだ、ケドぉ……」

 

 どうやら引きこもりだからヒッキーってわけじゃなく、単にこいつのあだ名センスが壊滅的だけだったようです。

 ふぅ、良かった。マジで裏で引きこもりのヒッキー君とか呼ばれてんのかと思っちゃったよ。

 ……ん?

 

「……ん?」

 

 あれ、今こいつ比企谷君って言ったか? この学校で俺を認識してる生徒なんてアレ以外に居たんだな、超意外。

 

「……つかなんで俺の名前知ってんだよ、あんた誰?」

 

 最初こそ突然のビッチ美少女の来襲に戸惑いはしたものの、なんというか……あだ名センスといいアホの子っぽい対応といい、別にこいつ、見た目ほど緊張するようなもんでもなさそうな女だなと認識した俺は、ようやく冷静になってふと浮かんだ疑問を返した。

 

「そりゃ同じクラスだもん、当たり前じゃん! ……てか今あんた誰って言った!?」

 

 げ、どうやら同じクラスだったらしい。

 こう、なんていうか、こんな奴にも覚えられてないんだー、ってショックを与えるのはさすがに忍びないよね。だって俺でさえどうやらこいつに覚えられてんのに。

 

「すまん噛んだだけだ」

 

 失礼、かみまみた。

 

「どう考えたって噛んだとかの言い間違いじゃなくない!?」

 

 ……チッ、誤魔化せなかったか。

 

「由比ヶ浜結衣! ヒッキ……比企谷君と同じ2-Fだから!」

「そ、そうか、そりゃはじめまして」

「う、うん、はじめまして……って違うからね!? はじめましてじゃないからね!?」

「お、おう」

 

 なんつーか、テンションたけー女だなこいつ。ツッコミの勢いについていけないよ。これだからリア充って生き物はぼっちに優しくないんだよ……

 

 ……ん? リア充?

 ああ、そういやよくよく見たらこいつなんか見覚えあんな。

 アレか。なんかキラキラしてるプレイスに集まってる連中の中に、ヘラヘラと愛想笑い浮かべてるこいつが居たような記憶がある。

 

「……あぁ、サッカー部の茶髪イケメンとか金髪うぇ〜い勢とか、金髪ドリルのお蝶夫人みたいなのといつもつるんでる奴か」

「う、うぇ〜い……? ドリルのオチョー……? な、なんかよく分かんないけど、覚えてんならまぁいーや」

 

 なんか納得がいってないようではあるが、取り敢えずこれで初顔合わせは済んだようだ。

 そんなこと言うと、初顔合わせじゃないからね!? とか始まっちゃいそうだから言わんけど。

 

「で、なんか用か?」

 

 そしてここでようやく本題に入る。

 呼び止められてからとてもとても無駄なやりとりをした感が否めないが、あまりの事(ぼっちがビッチに話し掛けられる)にテンパってたんだから仕方ないよね。

 

「っ……! あのっ……やー……あ、あはは」

 

 するとここで乳牛こと由比ヶ浜? さんは、先程までの無駄テンションがまるで嘘であったかのように、急に緊張の面持ちでたはは〜、と引きつった笑顔を見せた。

 その表情は恥ずかしがっているようでもあり、また、動揺しているようでもあり。

 

「……やー、そのぉ、なんと言いますか……ってカンジなんだけど〜……」

 

 右手で頭上のお団子をくしくしと弄り、目は絶賛遊泳中である。

 なんだろう。なんかの罰ゲーム?

 中学時代の甘く苦い想い出(罰ゲームの嘘告白)が脳内を駆け巡り、危うく昇天しかけちゃうぜ。どこにも甘い要素なんてなかった。

 

「そ、そのっ」

 

 分かりやすいくらいにゴクリと咽を鳴らした由比ヶ浜さんとやらは、誰にも聞こえないくらいの小さな声で「が、頑張れあたし〜……」とぽしょり呟き、(生憎難聴系ではない俺にはギリギリ聞こえてしまったが)リュックサックからごそごそと何かを取り出した。

 

「……こっ、これ! う、受け取って下さい……!」

 

 真っ赤な顔を俯かせ、両手でぐぐっと突き出してきたモノ。それは、とても可愛らしいラッピングが施された小さな袋に入った、一山のクッキーだった。

 

 ※

 

 ピンクのリボンできゅっと結ばれた袋に入った、多少不恰好ではあるものの普通に美味しそうなクッキー。

 そんな分かりやすいくらいの手作り感丸出しな贈り物を、なぜプロぼっちたる俺が、こんなクラスの中心たるリア充美少女に渡されようとしているのだろうか。

 

 一見謎だらけに見えるこの不可思議な光景も、なんのことはない、その答えはあまりに簡単だ。

 

「なんの罰ゲームだ」

「罰ゲームじゃないし!?」

 

 いやいや、罰ゲーム以外にこんな状況が生まれるはずが無かろうに。

 オレ、ボッチ、オマエ、リアジュウ、オッケー?

 俺は、こんな状況に勘違いしてしまう蒼く甘酸っぱい時期などとうに卒業したのだ。残念だが他の童貞は騙せても俺は騙されんぞ。大方あれだろ。金髪ドリルの女王様あたりにやらされてんだろ。

 

「うぅ……あたしにクッキー貰うのって、そんなに罰ゲームなレベルで嫌なのかなぁ……」

 

 そっちじゃねぇよ。いくらビッチっぽいとはいえ、美少女JKに手作りクッキー貰うのが罰ゲームな男なんて居ないから。

 そんなに落ち込まれると、なんか俺が悪いんじゃないかなって錯覚しちゃうだろうが。

 

「は? いやちげぇから。お前が誰かに罰ゲームさせられてんじゃねーのか? って話なんだが。あーしなんか面白いもん見たいんだけどぉ。あ、そうだ、あんたあの超キモいヤツにクッキーあげてこいし! とかって」

「違うよ!? 優美子そんな事しないし! あとなんでそんなに優美子の物真似うまいの!?」

 

 へぇ、あの金髪ドリル、優美子って名前なのか。超どうでもいい知識が増えました。

 あとあいつクラスで一番目立つし騒がしい存在だから、人間観察が趣味の俺には物真似くらいお手の物です。

 

「……じゃあなんでそんなもん俺に寄越そうとしてんだ? お前とは一切の関わりが無いんだが。むしろ俺と関わりを持つ人間を探す方が難しいレベル」

「なんか悲しい話はじまっちゃった!?」

 

 すっごく可哀想な物を見る目で見られちゃいました。

 

 まぁ実際この学校で俺と関わった事のある人間って言ったら、体育で相方になる厨二デブくらいなもんだからな。うぜぇけど。あとうざい。

 

「か、関わりなら……あるよ……」

 

 つい数時間前の、ぬるっとべちょっとした汗にまみれたデブの手を思い出して身震いしていると、もう一度ゴクリと咽を鳴らしたこいつは、そう言って俺の目を真っ直ぐに見つめる。

 

「いや、お前と関わりなんて──」

「一年前、入学式の朝に、ヒッキーがサブレを助けてくれたから……。だから、これはそのお礼の気持ちなの……」

「…………」

 

 ──ああ、そういう事か。こいつ、あの時の女の子なのか。

 

 

 一年前、高校での新生活を無駄に夢見ていた俺は、張り切って早朝に登校しようとした挙げ句、車にひかれて約三週間の入院──つまりGW突入を考えると約一ヶ月遅れの登校──を余儀なくされた。高校ぼっちデビュー決定の瞬間である。

 その事故の関係者が、この由比ヶ浜とやらというわけか。

 

「……そうか、お前あの時の」

「……うん」

 

 確かあのとき犬のリードを放してしまったドジっ子は、もっとこう……地味? だったというか、黒髪にパジャマ姿の垢抜けない女の子だった記憶があったから、言われるまで全く気付かなかった。

 

「……あの時は本当にありがとうございました! 比企谷くんのおかげでサブレが助かりましたっ……。あとお礼がめっちゃ遅くなっちゃってごめんなさい!」

 

 深々と頭を下げた由比ヶ浜は、今度こそはとずずいとクッキーを突き出してくる。

 

 ……別に、本当に別にお礼を言われるような事をした覚えは無い。自分でもなんで飛び出したのか、未だに分からないのだから。

 それは、目の前で可愛い犬の悲惨な事故現場を見たくなかっただけかもしれない。もしくは目の前で悲惨な事故現場を目撃した女の子の悲痛な顔を見たくなかっただけなのかもしれない。

 でもそれはどちらにせよ俺の、俺自身の心の安寧の為の行動でしかなく、第三者に礼を言われるような行動ではないのだ。

 

 だからお礼の品を貰う謂われもなければお礼が遅れたからと謝罪を受ける謂われもない。ないのだが、……一つだけどうしても気になってしまったことがある事に気付いた俺は、差し出されたクッキーを受け取ることもなく、こう疑問を口にする。

 

「いや、別に謝意も謝罪も要らねぇんだけどさ、……なんで今なんだ?」

 

 そう。これだけがよく分からない。

 別に助けたつもりのない俺からしたら不必要と思われるお礼だとしても、助けられた側のこいつにとっては必要なんだろう。それは分かる。

 だがなぜ今なのだろうか。だってあれから一年だぞ?

 

 するとこいつは申し訳なさそうに表情を曇らせ、ぽつりぽつりとその理由を語りだす。

 

「……うん、だよね。……ホントはね、一年前、入院先の病院にお見舞いにいくつもりだったの」

 

 つもりだった。つまり実際にその思いは叶わなかったというわけだ。

 それもそのはずだ。だってあの入院中に見舞いに来たのは家族だけなのだから。

 ま、実際コミュ障の俺にとって、見ず知らずの女の子に見舞いに来られたら迷惑もいいとこだけれど。

 

「……でも、なんでか分かんないんだけど……病院行ったらお見舞いは家族だけだって断られちゃって」

「……は?」

「やー、なんかね? 都築さん、だっけ、あの事故で車運転してた人。その人のたっての希望? だかなんだかで、お見舞いは家族だけにして欲しいんだって言われちゃって……」

「……」

 

 ああ、成る程な。それで合点がいったわ。

 ちょっとおかしいと思ってたんだよな、なんで見舞いが家族だけなんだろうって。

 だって普通担任くらい来そうなもんじゃね? なにせ入学から一ヶ月も学校行けないんだもん。色々とあるはずでしょ? この四月から担任になる○○です。初日から大変な目に合っちゃったけどこれから宜しくね、的な連絡事項的なあれが。

 

 

 あの事故の相手は多分相当な金持ちとか権力者っぽかった。

 なにせたかが事故、しかも高校生が突然道路に飛び出すという、言わば被害者的な加害者だ。

 たまたま道路交通法上加害者と呼ばれているだけで、もしもこれが電車だったら、JRに多大な賠償金を支払わなければならなかったのはむしろ比企谷家側だったってくらいに、落ち度は全面的にこちらにある。

 にも関わらず、弁護士を寄越したあの事故での賠償金はかなりの額だったっぽいし、金持ちしか入れないようなあんな個室まで用意してくれた。

 

 それはつまり口止め料と隔離……までは行かないにしても、事故を起こしたという事実が公になるとなにかと面倒な人物という事になる。

 別にこれといった過失があるわけではなく、わざわざ世間に隠すほどの必要はないから──なにせ突然道路に飛び出された被害者でもあるわけだし──、おおっぴらになったらなったでそこまで問題はないのだろうが、なるべくなら穏便に済ませたかったのだろう。

 

 と考えたら、あまり目立った行動、つまり友達とかが大勢で連れ立って来る見舞いとかはして欲しくない立場だったんだろうな。ならば個室をあてがうと同時に面会謝絶扱いにしたってなんら不思議ではない。

 残念ながらわざわざそんな事してくれなくても、大勢で押し寄せてくる友達など皆無だったがな! でも加害者側は被害者側のぼっち事情なんて知らないもんね。

 

「……で、病院にはお見舞い行けなかったから、退院してからヒッキーんちにお菓子持ってお礼に行ったんだ」

「……へ?」

「あ、あはは、でもあたし間が悪いってゆーか、ちょうどヒッキー寝てたみたいだから、妹さん……小町ちゃんにお菓子だけ渡して帰ってきたの。同じ学校だし、今度学校でお礼言いますって」

「なにそれ初耳」

「……え!? うそ!? まじ!?」

 

 え、なにこの子、うちに来てたのん? やだ、女の子が実家に訪ねて来るなんてちょっと恥ずかしい!

 

 頭上に『ガーン!』とオノマトペを浮かべて「ひどいよ小町ちゃ〜ん……!」と小声で喚いている由比ヶ浜を見て思う。

 そりゃこっちのセリフだあのバカ妹め。あんにゃろう、まさかお菓子を独り占めしやがったな?

 

「と、とにかくね……!?」

 

 なんか涙目になりながらも、まだ何か言い足りないらしい由比ヶ浜が話を続ける。

 

「GW明けにヒッキーにお礼言おうって思って探したんだけど、なんか全然見付かんなくて、誰に聞いても知らないって言われるし──」

 

 ああ、そりゃね。だって俺の存在自体が認識されてないもん。

 よし、ここに命名しよう。俺の固有アビリティーはステルスヒッキーと。

 

「先生に聞いてようやくクラスは分かったんだけど、いつ行っても居なくって──」

 

 ああ、そりゃね。だってクラスに居場所ないんだもの。授業以外は即座に撤退余裕ですわ。

 

「……で、ようやく発見できた時には……なんかちょっと、声、掛けづらくなっちゃって……。でもそれはあたしが勇気無かったから、だよね……ごめん」

「謝るような事じゃねぇだろ……」

 

 お礼なんてのは、機会を逃せばしづらくなるのは当然だ。その機会を与えなかったのは他でもない、俺が誰とも関わろうとしなかったからだし。

 

 あの事故のせいでぼっちデビュー決定? アホか、そんなわけあるか。あの事故があろうがなかろうが、俺のぼっちデビューなんて遥か前から決まってただろうが。

 それは、義務教育の九年間の毎日が如実に証明している。

 

 そもそも入学式に車にはねられたとか、話題性だけならピカイチじゃん。そんなん退院後の自己紹介で誰よりも目立てるわ。

 入学が一ヶ月遅れでぼっちになりましたなんて、そんなのただの言い訳だ。やり方次第で、人次第で、いくらでもぼっちにはならずに済んだだろう。

 それをしなかったのは、それをする努力をしなかったのは、他でもない俺自身。

 

 そして完全なるぼっち、完全なる陰キャと化した俺に、どこからどう見てもリア充丸出しの別クラスの女子が話しかける難易度ってのは、果たしていかほどだろうか。

 しかもこいつはクラスでの様子を見るにいかにもなキョロ充だ。まわりの、特に女王の顔色を窺い、空気を読んで薄っぺらな笑顔を浮かべて自分を殺す。

 そんな奴が、別クラスの俺に話し掛けるなんて高難度な真似、出来るわけがない。逆に考えれば、俺みたいな最底辺カーストのぼっちが別クラスの金髪ドリル女王に自分から話し掛けに行くようなもんだろ? なに、それって自殺しろってことかな?

 

 こいつは勇気が無かったとか言ってるが、それはちょっとやそっとの勇気でなんとかなるもんじゃない。

 だから今なんだ。

 

「……で、二年で同じクラスになって、話し掛けるきっかけが出来たから、ってとこか」

「……うん。そうなんだ」

 たははと居心地悪そうに笑う由比ヶ浜を見て俺は確信する。

 こいつは、俺が嫌いなタイプの女の子なんだ、と。

 

「……あたし料理とか全然だから、美味しいって思ってもらえるか分かんないけど、ゆきのんに教えてもらって、ようやく満足出来るクッキーが出来たの。超スパルタ過ぎて死ぬかと思ったけど……てかゆきのんが死んじゃいそうだったけど。色んな意味で」

 

 誰だよゆきのん。てか色んな意味で死んじゃいそうって、一体こいつになにされたんだよゆきのん。

 

「……だから、受け取って下さい」

 

 ……はぁ〜、仕方ねぇな。

 お礼を言われる謂われも施しを受ける謂われも無いけれど、こんな必死な顔しちゃってる女の子からこれを受け取らなければ、どうにも寝覚めが悪そうだ。

 可愛い女子の手作りクッキーなんて一生味わう機会もないだろうし、ここは大人しく受け取っておきますかね。

 

「……ま、あんがとさん」

 そうして俺は、由比ヶ浜の手には決して触れないよう、恐る恐るクッキーの包みを受け取る。

 やっべぇ、なんかちょっとワクドキもんだぜ、女子の手作りクッキー! こんなに女子と話したのもすげぇ久しぶり(むしろ初体験まである)だし、ほんのちょっとだけ口角が上がってしまうのを感じる。

 

 

 ──ただし、あくまでも礼として受け取るだけだ。それ以上は、一切の関わりは持たない。

 だってこいつは……

 

 ※

 

 緊張感の張り詰めた先ほどまでの空気とは一転、この場は弛緩した空気に包まれる。まぁそれは由比ヶ浜の回りの空気だけなのだが。

 良かったぁ、と、ふにゃっと弛みきった笑顔を浮かべる由比ヶ浜。しかし俺は、次にこいつが言いそうであろう言葉に対して身構えている。

 多分これは自意識過剰とかではなく、こいつなら、俺の嫌いなタイプの女の子のこいつなら、おそらく言ってくるであろう言葉。

 だから俺は気を緩めず身構える。少しでも気を緩めたら、すぐにでも揺らいでしまいそうなほど、今の俺は意外にもこの一時を楽しいと感じてしまっているから。

 

「……で、あのね?」

 

 果たして由比ヶ浜は口を開く。

 そしてそのぷるつやな唇から発せられた言葉は、おおよそ予想に違わぬ言葉だった。

 

「も、もし良かったらなんだけど、これからも仲良くしよーよ……!」

 

 ……ああ、やはりか。

 やはりこいつは俺が嫌いな女の子だ。

 由比ヶ浜からの問いに、俺は無言のまま目を細める。そんな俺の態度に慌てたのか、由比ヶ浜は焦った様子で両手をぱたぱたと振った。

 

「ち、違くて、ななななんちゅーか、ほ、ほら、ヒッキーっていつも一人で居るし、クラスでも居心地悪そうじゃん……っ? だ、だからもし良かったら、あたしと……そのぉ」

 

 耳まで真っ赤に染め上げ、慌てた様子で身振り手振り理由を説明する少女。

 やはりこいつは、……優しい女の子なんだな。

 

「その……とも──」

「なぁ」

 

 とも……

 その先を口に出させてしまう前に、俺はこいつの言葉を遮った。

 

「な、なに?」

「あれだな。お前ってパッと見ただのビッチにしか見えないのに、案外優しい奴なんだな」

「は、はぁ!? 誰がビッチだし! あたしまだ処じ……、う、うわわわ! な、なんでもないなんでもない! ……て、てか、べべべ別に優しいとかそんなんでもないし……!」

 

 こいつ今とんでもねぇこと口走りそうになってやがったな。

 ほぅ、こいつこう見えてまだ処……いや、その件は夜まで置いておこう。

 

「……いや、お前は優しい奴だ」

 

 未だ男性経験が無い事を口走りかけたからか、はたまた優しいと言われたからか、照れくさそうに手をぶんぶんする真っ赤な由比ヶ浜に、念を押すようにもう一度言う。お前は優しい奴だと。

 

 だってそうだろう。例えどんな事情があろうとも、今さら一年前の事故のお礼なんかに来られるものか?

 

 俺は恩を売りたいから犬を助けたわけではない。しかしそれがもしも恩着せがましい奴だったら、一年後のお礼をふざけんなと罵る奴だっているだろう。

 事情を考えようともせず、恩着せがましく「犬を『助けてやった』のに、一年もお礼に来ないとかお前常識あんのかよ」とかって、せっかく犬が助かったのに、その自らの善意を台無しにしてしまう奴だって居るかもしれない。ていうか『助けてやった』とか、それ最早善意でもなんでもねぇわ。

 

 そんな嫌な思いをする可能性だって少なからずあるにも関わらず、こいつはお礼に来てくれた。わざわざ苦手だという料理を練習してまでも。

 

 そしてさらにこいつは言う。友達になろう、と。

 

 どうせあれだろ? 自分のせいで入学が遅れたからぼっちになったんじゃないかって、気を遣ってくれてんだろ?

 アホかこいつ。トップカーストの女の子が、教室内で陰キャぼっちなんかと仲良くしてみろ。どんな薄汚い目に晒されるかなんて、キョロ充のお前にならよく分かんだろ。

 それでもこいつは気を遣ってこう言うのだ。友達に、と。

 

「あのさ、別に俺の事なら気にする必要ないぞ。お前んちの犬を助けたのは偶然だし、それにあの事故がなくても、俺たぶんぼっちだったし。お前が気に病む必要まったくなし」

「……え、待って、違うよ、……あ、あたしそんなつもりじゃ──」

「悪いな、逆に変な気を遣わせたみたいで。まぁ、でもこれからはもう気にしなくていい」

 

 

 ──俺は、優しい女の子が嫌いだ。

 俺に優しい人間は、分け隔てなく他の人にも平等に優しい。でも人間関係に不慣れな俺は、ついそんな当たり前の事も忘れて、勘違いして、そして期待してしまう。

 

 そして裏切られるのだ。

 いや、それを裏切りと言うのはあまりにも傲慢だ。だって、こっちが勝手に期待しただけなのだから。

 

 だから俺は、裏切られるのが嫌なわけじゃない。裏切られたと思ってしまう自分が、どうしようもなく嫌なのだ。

 

「負い目に感じる必要も同情する必要もない。……気にして優しくしてんなら、そんなのはやめろ」

「違う……よ。あたし、同情とか、気を遣うとか、……そんな風に思ってたわけじゃ……」

 

 ああ、そうなんだろう。でもそれは、お前が優しい奴だからだ。優しい行動をとるのが当たり前過ぎるから、自分で気付いていないだけなのだ。

 でもいつかきっと後悔するに決まっている。俺に優しくした事を。

 そして俺はまた裏切られる……、違う。

 ……勝手に裏切られたと感じて、そして自己嫌悪するのだ。

 

「俺はな、好きでぼっちやってんだ。心からお一人様をエンジョイしてるまである。だからぶっちゃけ、こういうの結構迷惑なんだわ」

「ヒッ、キー……」

 

 いつだって期待して、いつも勘違いして、いつからか希望を持つのはやめた。

 だから俺は由比ヶ浜を……他人からの優しさを拒絶する。

 他の誰の為でもない。自分の為に。

 

「つーわけだ。ま、犬を助けたのは、このクッキーでチャラって事にしといてくれると助かる。……だからまぁ、これで終わりだ。もう、俺に関わらないでくれ」

 

 

 大きな瞳に涙をたっぷり貯めた女の子に背を向け、俺は愛する我が家へ向けて歩を進める。

 早くここから逃げ出そう。俺には耐え切れそうにない、この重く苦しい空気から。

 

 ※

 

「は? え、ちょ、なになに? なんかさー、ユイこないだもそんなん言って放課後ばっくれなかった? ちょっと最近付き合い悪くない?」

「やー、それはなんて言うか、やむにやまれぬというか私事で恐縮ですというか……」

 

 あれからしばらく経ったとある昼休みのこと。

 普段ならベストプレイスで優雅にぼっち飯を楽しむ俺だが、生憎今日は朝から雨模様。雨の日ばかりはさすがの俺でも教室で食う事にしているわけだが、もしゃもしゃとコンビニパンを咀嚼している時、それは起きた。

 ……チッ、そんな日に限ってこの騒ぎかよ。

 

「それじゃ分かんないから。言いたい事あんならはっきり言いなよ、あーしら友達じゃん。そういうさー、隠し事? とかよくなくない?」

「ごめん……」

 

 あー、うるせー。せっかくのパンが不味くなるっつの。

 

 このクラス最高派閥の女子同士が言い争いを始めてしまったが為に、教室内は不穏な空気に包まれている。

 いや訂正、これは言い争いとかそういう優しい世界のお話ではなく、ただただ女王が侍女を一方的に責めているって構図だ。

 

 責めている女王の名は優美子? とかいう金髪ドリルのお蝶夫人。

 そして責められている侍女の名は……よりにもよってあのクッキーの女だ。確かなんとかガハマとか言ってたっけ。

 まぁ実際忘れられるわけもない名前だが、精神衛生上忘れた事にしたい為、ここは敢えてガハマさんという事にしておこう。

 

 どうやら昼飯を一緒に食うだの食わないだので女王がひどくおかんむりのご様子なのだが、実に下らない。

 なぜリア充はたかだかメシごときでさえも群れないと食えないのか。一人で食った方が早く食い終わるし、昼寝の時間だってしっかり確保できんだろうが。やはりぼっちって最強。

 

 

 ……正直な話、こう見えてかなりイライラしている。なんつうか、なんか気に入らない。

 

 別に、ついこないだ中々美味しいクッキーをくれた女の子が、一方的に責められて泣きそうな顔をしてるから気に入らないってわけではない。違うったら違う。

 ただ、女王の機嫌の上下ごときでクラスが騒がしくなったり萎縮したり、そんな風にクラスメイトから気を遣われてまでも、周りを一切気にせず嫌な雰囲気を出しまくっている何様な態度が気に食わないだけの話なんだから!

 

 ……もしあのとき由比ヶ浜を受け入れていたのであれば、もしかしたら女王に文句の一言でも浴びせたのかもしれない。てかやっぱり名前覚えてんじゃねぇか。

 しかし俺は拒絶した。そして拒絶されたガハマさんは俺と関わらないという事を受け入れ、あれ以来一切近づいてくる事はなかった。

 

 であれば、どんなにイラつこうがどんなに気に入らなかろうが、この事態は俺にとってなんら関係のない出来事。

 しかしたった一時とはいえ、関わりを持った女の子が責められている様子を好き好んで見ているような趣味は俺にはない。

 だから、俺はそのまま教室をあとにした。関係もなく見たくもないのであれば、おのずと導きだされる答えは一つしかない。そう、嫌な事から逃げ出すのだ。あの日由比ヶ浜の優しさから逃げ出したように。

 

 

 

 昼休みが始まったばかりの廊下はまだ人気もまばら。

 ベストプレイスは雨で無理だし、もちろん屋上も同じ理由で無理だ。

 ならば仕方ない、中学以来の便所飯とでも洒落込みましょうかね、と人影少ない廊下を歩いていると、なんと前方から見慣れない女子生徒が歩いてくるではないか。

 

 いや、見慣れないのではない。見慣れないどころか、その人物はぼっちの俺でさえも知っている、我が校の超有名人。

 見慣れないのではなく、その人物がここを歩いている事が珍しいのだ。

 

 ──雪ノ下雪乃。

 我が校で一番の有名人。

 県内有数の進学校の我が校で、さらにもう一段階上のレベル、国際教養科。そんな中でさえさらに異彩を放っている少女。

 成績優秀容姿端麗文武両道。この学校内において、彼女を褒めそやす言葉は数知れず。

 そんな雪ノ下雪乃が、なぜこちらに向かって歩いてくるのか。

 

 確かJ組の教室は、我が教室とは階段を隔てた向こう側に鎮座していたはずだ。

 だからこそ異質なのだ。彼女がその階段を越えて、こちら側……普通科側の廊下に足を踏み入れるだなんて。

 

 今まで遠目からは何度か見た事はあるのだが、こんなにも近い距離で雪ノ下雪乃の姿を見るのは初めてだ。

 まるで絵画から抜け出してきたかような美しい面差しで、絹のごとき艶やかな黒髪をふわりなびかせる。

 やっべぇ……マジですげぇ美人だな。

 あとこの他者を寄せ付けない極寒のオーラもすげぇな。なんと自信に満ち溢れている事か。

 

 

 

 とはいうものの、やはり俺にはまったく関係のない存在だ。

 由比ヶ浜みたいな普通のリア充でさえ、俺にとっては別世界の住人。

 そういった意味では、雪ノ下雪乃は俺にとっては別次元の住人にも等しい。一生関わる事などない、高嶺の花の中のさらにまた特別な最高級品。

 

 彼女が普通科側になんの用があって来たのかは知らないが、俺がその理由を知る事は無いのだろう。

 

 そして俺と雪ノ下雪乃は、まるで見えない壁でも存在するかのように、一生交わる事のない道をただ静かにすれ違うのだった。




ちょっと長くなってしまいましたが、これにて奉仕部仲間フラグ折りは終了です。

あと何件か「由比ヶ浜奉仕部入りは微妙」との感想いただいたのですが、由比ヶ浜は普通に奉仕部に入部しました。理由としては、

八幡が居ようが居まいが由比ヶ浜は雪乃の自分には無い強さに憧れたから。

八幡が居なかった分スパルタでクッキー作りを教わるという結果となり、その間に仲良くなったから。(唯一の親友になれるレベルで馬が合うことは原作で確定済みなので、教えてもらっている間に確実に懐くでしょう。由比ヶ浜が)

という感じですかね。
ちなみにバレンタインで雪乃監修のもとでならお菓子が作れる事も確定してるので、今回のクッキーはちゃんと美味しく出来たという設定です。



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3話

 

 ゴールデンウィークも過ぎ、臨海部特有の心地良い風に吹かれながら、今日も今日とて優雅にぼっち飯を楽しむ俺。

 購買で買ったウインナーロールとツナおにぎり、ナポリタンロールをむぐむぐ咀嚼しながら口に含む練乳ドリンク・弱コーヒー風味(通称マッ缶)の美味さは異常。

 

「……あー、ねみぃ」

 

 パンと米と麺とコーヒーを同時に味わいつつ、俺はそんな優雅さとは相反する苦々しげな独り言をぽしょりと呟く。

 

 クッソ……、せっかく学校生活における唯一の安らぎと癒しの時間だってのに、頭の中は昨夜ほぼ徹夜で読まされたゴミみたいなラノベがグルグルしてやがる。グルグルしすぎて危うくキタキタ踊りをダンシングしちゃいそうなレベル。

 

 これは、ゴールデンウィーク前に体育で嫌々相方をやっている厨二デブのラノベ批評をしてしまった事がそもそもの原因。

 そのデブ──ざい、ざい……財テク屋? の、あまりにもつまらなすぎて読むのに苦痛を伴うほどのチラシの裏の落書きを、なんの気まぐれか読んで批評(Q.フハハハハ! どうであった八幡、我の魂の詩はッ(ドヤァ) A.で、あれって何のパクリ?)してやったら、あの野郎なんか俺に懐いちゃいやがって、それ以来ちょくちょく俺の所にラノベを持ってくるようになってしまったのだ。

 

 まぁこの学校で唯一俺と会話するのは材木座くらいなものなので、奴との低レベルで下らない会話も、そんなに不快ってほど悪い物ではないのだけれど。

 そう、体育の授業中なんかに取り留めのない会話をする分には意外にも楽しんでしまっているのだ。とても悔しいし、調子に乗ると死ぬほどウザイから絶対に言わんけど。

 しかしつまらなすぎるラノベ批評だけは本気でキツい。

 だってマジでつまらないからね、アレ。つまらない作品を読まされる事のつらさは、読書家ならいくらでも察しはつくだろう。しかもお願いを聞いてやってる以上、男として途中で投げ出すわけにもいかないしね。

 

 そんなこんなで、俺は昨夜読んだナイトメアスラッシャーの悪夢に胸焼けしつつ、少しでも癒しを下さい! とばかりに、ぱこんぱこんと一生懸命自主練に励むテニス部の可愛い女の子を視姦しています。

 

 ※

 

 ここベストプレイスは、俺が一年生の頃から愛用しているベストなプレイス。

 特別棟の一階。保健室横、購買斜め後ろに位置するこの場所は、往来する生徒達の目からいい具合に死角になっていて、昼飯を一人で食べるのに持ってこいの素敵な場所なのである。

 その上ここ最近は近くにあるテニスコートで可愛い女テニの子が一人額に汗して練習するようになり、お腹と心、ダブルで癒してくれるという最高のプレイスなのだ。

 惜しむらくはあの練習着がジャージではなくスコートとアンスコだったらなぁ……と、癒しどころか欲望まみれなどうも俺です。

 

 いやぁ、しかしあの子も毎日毎日真面目だよね。

 あんなに可愛いのに化粧っ気ひとつなく、ああしていつも黙々と壁打ちをこなしている。

 たまに飛んでっちゃったボールをとててっと必死に追い掛けていく姿なんかがなんとも庇護欲をそそりまくり、思わず拾いにいってあげたくなってしまう。実際に拾いに行ったらキモがられて逃げられるの必至だから行かないけどね。

 

 言っちゃなんだがあんまり上手くないから、青春を謳歌しちゃってます軍団がうぇいうぇいと無駄に時間を浪費しているであろうこの昼休みという時間を有効活用して、こうして一人一生懸命練習しているのだろう。

 今どきの女子高生にしてはなんていい子なのだろうか。あの輝く汗と真剣な瞳はまるで天使。いくらぼっち大好き捻くれ者の俺とはいえ、ああいう子であればさすがに好感を持たざるを得ないし、ちょっと仲良くしてみたいかも♪なんて思わないこともない。

 

『いくよー! はいっ!』

『なんのっ』

『わっ、すごいリターン! えへへ! 八幡ってテニス上手くて格好良いよねっ』

『……そ、そんなことねぇよ。ただお前にいいとこ見せたかったから、ちょっと頑張っただけだっつーの』

『も、もう、八幡はいつもそうやってからかうんだから……!』

 

 

 ……おっと、やべぇやべぇ、眠気が深刻過ぎて、頭が本格的にギップリャーしてきちゃったぜ。何お寒い妄想しちゃってんだよ、マジでキモいわ俺。

 

「……ハッ、馬鹿馬鹿しい」

 

 マジでなんという馬鹿馬鹿しさだろうか。俺とあのテニス女子の人生が交わる事なんて、一生あるはずないだろうが。

 あの子は日向で生きる存在。俺は日陰者。そもそも生きる場所が違うのだ。分不相応も甚だしい。こうして遠くから眺めるくらいが俺にはちょうどいいのだ。

 

『違う……よ。あたし、同情とか、気を遣うとか、……そんな風に思ってたわけじゃ……』

 

 なにがちょっと仲良くしてみたいかも♪なんて思わないこともない、だ。一体どの口がそんな事を言えるんだか。

 好きでぼっちやってるんじゃねぇのかよ。そう言って由比ヶ浜の優しさを足蹴にしたんじゃないのかよ、俺は。

 

「……チッ、あーアホらし。寝るか」

 

 誰が聞いているわけでもないのに、誰かに語り掛けるようにそう独りごちると、俺は横になってゆっくりと目を閉じた。

 

 

 ──誰が聞いているわけでもない、か。アホか、一人だけ確実に聞いてんじゃねーか。……そう、俺は自分自身に言い聞かせたのだろう。こんな下らない妄想にふけるのはもうやめろ、と。

 だってあの時由比ヶ浜の優しさを拒絶した時点で、俺にはこんなことを思う資格すらないのだから。

 

 ※

 

 なんて思っていたのがほんの一週間そこら前。

 そんなことを思っていたはずなのに、現在俺は絶賛そいつを……いや、そいつらを毎日のように眺める日々を送っています。

 

 なんとあの女テニの子、どうやら俺の因縁の相手でもあるガハマさんと友達かなんかだったらしく、あのふて寝をした何日か後から一緒に練習を始めてしまったのだ。てかガハマさんてテニス部だったの?

 ボールを追い掛けてコートを縦横無尽に走り回っている様は、さぞや壮観なのだろう。ぼよんぼよん。

 

 俺はもうガハマさんとは関わりたくはないし、なんならあの日の事は忘れたいとまで思っている。

 なぜそうまでして関わりたくないのか。忘れたいと思っているのか。それは多分、あの日を後悔したくないからなんだろうな。あの時素直に受け入れていれば良かったかも、なんて。

 

 そして、もしかしたらまたああやって俺に声を掛けてくるかもしれないなどと、気色の悪い期待をしてしまいたくないからなんだと思う。……そんな事を少しでも考えてしまっている時点で、それはもしかしたらすでに後悔……、いや、やめておけ比企谷八幡。それ以上は考えるな。

 

 だから女テニの子がガハマさんを連れてきた時点で、俺はこのベストプレイスを放棄するつもりでいた。だって眺めてるところを見つかっちゃったら気まずいじゃん? 多分あいつも気まずいだろうし、なんなら変な誤解をされちゃうかもしれない。八幡が仲間になりたそうな目でこちらを見ている……なんて思われちゃったら一大事!

 だから翌日からは別の場所で昼を過ごすつもりでいたのだが、神はそれを許してはくれなかった。なぜなら女テニの子が連れてきた友達は、ガハマさん一人ではなかったのだから。

 

 ……まさか女テニの子がガハマさんと、さらにはあの雪ノ下雪乃と友達だったとは。

 いくら見たくない、関わりたくない、忘れたいとは言ってはみても、さすがにそこに雪ノ下雪乃が絡んでくるとなると、人間観察が趣味の俺にはどうしても目が離せなくなってしまう。

 なにせあの雪ノ下雪乃だ。ぼっちの俺でさえ知っている雪ノ下雪乃の情報の内のひとつ、それは孤高。

 あまりにも優秀すぎてあまりにも美しすぎて、故にあまりにも異端である彼女は常に一人で居るとか居ないとか。

 

 そんな彼女がテニス部に所属しているなんて聞いた事もないし、ましてやあんな風に進んで人と関わるなんて、しかも相手があの明るくて騒がしくてリア充の由比ヶ浜だなんて、なんとも不可思議な光景ではないか。

 だから俺はつい魅入ってしまった。この場所から離れる事なくあれから数日間、ただただその不可思議な光景を眺め続けている。

 単に美少女三人がキャッキャウフフしている姿に見惚れているわけじゃないよ? ホントだよ?

 そもそもキャッキャウフフな甘い空間というより、どっちかっていうとギャーギャーヒェェな阿鼻叫喚の図だしね。

 なにあれ、女テニの子は虎の穴の門の門でも叩いちゃったのん? あとよくよく見たらやっぱり雪ノ下雪乃とガハマさんはテニス部ではないっぽい。どんな経緯かは知らんけど、どっちかというと女テニの子の練習に付き合ってあげてるだけみたいだ。だって女テニの子が一方的にしごかれてるだけだし。

 にしても……おいおい、いくらなんでも女テニの子が心配になっちゃうよ。まさかあの雪ノ下雪乃が鬼教官だったとは……

 

 あ、もちろん向こうからは発見されないくらいの場所からこっそり見てるのでご安心を。猫に飛び付かれるフリスキーさんもびっくりなほどストーカーまっしぐらじゃねぇか。

 

 

 そして、そんなストーキングな日々がしばらく続いた日の事だった。

 

 何日間か掛けて基礎練から壁打ちへ移行した練習は、さらに次なるフェーズへと移行していた。

 雪ノ下雪乃の指示のもとガハマさんが不規則にポンポンと球出しをして、それを女テニが走り回ってなんとか食らい付くという、下手したら姑が嫁をいびっているようにも見える恐ろしい特訓。

 

 そんな嫁いびりの最中に事件は起きた。特訓中のテニスコートに思わぬ珍客が現われたのだ。

 その珍客とはうちのクラスのカーストトップ、金髪のあーしさんこと……三浦……、だっけか。まぁ優美子ね。そしていつも優美子と一緒にキラキラしてるイケメン葉山とその取り巻き。

 

 ここからではどのような会話が成されているのか全く聞こえないが、フッ、人間観察が趣味の俺を舐めるなよ? お前らのような単純思考生物の行動パターンなどお見通しだ、バカめ。

 あの横柄な態度と嗜虐的な表情から察するに、昼休みにテニスをして遊んでいる侍女を見て、羨ましくなっちゃった女王様が「ねー隼人ぉ、あーしもテニスやりたーい」とでもぬかしてるってとこだろう。

 そしてガハマさんはあの女王様の忠実なるイエスマンだという事は、先刻の昼休みに露呈している。誠に残念ではあるが、どうやら天使な女テニ部員の特訓は、この招かれざる客のおかげで終了ってとこ──

 

「なん……だと?」

 

 しかし、これで終わりかと思われた地獄の特訓は、ここからまさかの展開に見舞われる。

 なんとあのキョロ充で周りの空気ばかり読んでいるような由比ヶ浜が、グループの目を気にして目が泳いでいるものの、真っ向から女王様に拒否を示しているのだ。

 

 これにはさすがの俺も驚いた。だってあの日は優美子に言いたい事も言えず、ただ俯いていただけではないか。

 グループの……いやさクラスの女王に逆らうという事は、それはつまりクラスでの立ち位置をも捨てる覚悟があるという事。下手すりゃクラスで村八分になんだろ、あれ。

 ……すげぇな、あいつってあんな奴だったのかよ。

 

 

 ──そして隣でそれを見ていた雪ノ下雪乃は、とても温かく優しい微笑みを浮かべる。それは、とても先ほどまでの鬼軍曹と同じ人物とは思えぬ優しい笑顔。

 

 そこからは、怒涛の勢いで事態の終息を迎えた。

 ここまで声は届かないから何を言ったか分からんが、ものの数分で我がクラスの女王様が泣き出してしまったのだ。あの雪ノ下雪乃との言い合いに惨敗して。

 ちなみになんとか抵抗を試みつつ三浦を庇おうとしていた葉山は、そんな雪ノ下雪乃の一言と一睨みに瞬殺余裕でした。爽やかな苦笑いを浮かべ、「は、ははっ……」と黙りこくるイケメンのなんと憐れな事よ。

 メシウマだぜ、ふひっ!

 

 しっかし本当に凄いんだな、雪ノ下雪乃って女は。

 いや、凄いってか恐い。もう恐さを通り越して寒気さえ憶えちゃうレベル。あの獄炎の女王様をあんなに容易く泣かせちゃうのん?

 そしてあのザ・ゾーンの使い手葉山は相手にもならず。これはもうヤバ過ぎる。何がヤバイってマジヤバイ。

 

 

 どんな関係かは知らないが、そんなヤバすぎる雪ノ下雪乃と関わる事によって、あのキョロ充な由比ヶ浜にもなにかしらの変化があったのだろうか。

 

 人間なんてそう簡単には変われない。そんなに簡単に変わってしまうようならば、そんなのは元々大した自分ではないのだろう。

 

 そう信じていた俺でさえ、さっきの由比ヶ浜の抵抗には、なにか眩しいものを感じてしまった。

 

 そんな由比ヶ浜に、申し訳なさそうでもあり、でも嬉しそうな微笑みを向ける女テニの子の笑顔も俺にとってはまた眩しくて。

 

 そして何よりも、本当は女王に楯突く事が不安で仕方なかったのであろう由比ヶ浜に抱き付かれ、鬱陶しそうに顔を歪めながらもどこか嬉しそうな雪ノ下雪乃のもどかしそうな表情も、俺にはとてもとても眩しかった。

 

「……ごっそさん」

 

 菓子パンとおにぎりの包みをくしゃっと丸めた俺は、そんな眩しい光景に背を向けてゆっくりと席を立つ。

 

 ──もし由比ヶ浜の優しさを受け入れていたら、あの眩しい光景の中に自分が居た未来もあったのだろうか……?

 

 そんな馬鹿丸出しの妄想を振り払うよう、丸めた紙屑と一緒に、その妄想もゴミ箱に投げ捨てよう。俺には俺の人生があるし、俺はそれを心から楽しんでいるのだから。

 

 

 さしあたっては……そうだな。ラノベ批評のお礼に、今日の帰りに材木座にラーメンでも奢らせるとしようか。

 

 

 俺は、他人の金で食べるラーメンの美味さに心躍らせつつ、数少ないスマホの情報から材木座のアドレスを引っ張り上げるのだった。

 




ありがとうございました。

今回はテニス編となりましたが、大方の予想通り八幡と戸塚が仲良くなる事は無かったです。というよりはクラスメイトだと認識出来る事もないでしょう。
一年生の一年間で存在さえ認識しようとしなかった戸塚が、二年生になったからといって都合よく話し掛けてきてくれるはず無いですからね。

戸塚とファーストコンタクトが取れたのは、あくまでも結衣が友達の戸塚を呼んでくれたから、そして戸塚が緊張しながらも八幡と話せたのも、あくまでも友達の結衣が居たからでしょう。


あと原作との相違点として、雪乃が居た時に三浦達が乗り込んで来た…という事にしました。
それは、ちょうど雪乃が居ない時にタイミングよく三浦達が来るというシチュエーション自体がある意味主人公補正ですし、仮にこの作品で同じタイミングで三浦が来たとしても、結衣が「部長が居ないから勝手に判断出来ない」と雪乃を呼びに行けば結局は同じ結果にしかならず、意味もなく字数がかさんでしまうだけなので、まぁいいかな、と。

そしてテニス対決が起きなかったのは、まぁ当然でしょう。なにせテニス対決をしても戸塚側になんらメリットがなく、対決を持ち掛けられても「こちらになんのメリットがあるのか提示しなさい」とあっさり論破されて三浦が泣いて終わりですので。
仮に「負けるのが恐いんだぁ?」との挑発に乗ったとしても八幡が居ないので男女混合ダブルスにはなり得ず、葉山と三浦のダブルスだったからこそシングルスの雪乃となんとか勝負になったものの、雪乃と三浦のサシでは相手にもならずやっぱり泣かされて終了でしょうから、こちらもカットしました。



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4話

今までちょっと重めの話ばかりだったので今回はコメディ要素多めでお贈りします。


 

 総武高等学校 2年 F組 比企谷八幡

 

 1.希望する職業

 専業主夫

 

 2.希望する職場

 自宅

 

 3.理由を以下に記せ

 古人曰く、働いたら負けである。

 労働とはリスクを払い、リターンを得る行為であ──

 

 

 どうやらここから先は破れていて読めないようだ。

 

 とはいえ別にこの先に『かゆうま』とか書いてあったわけではない。あくまでも自身の労働という行為に対しての熱き思いをつらつらと書き述べただけの、なんてことないただの職場見学希望調査票である。

 余談だが、アレはかゆうま日記で有名ではあるが、実際のところは『かゆい うま』である。壮絶にどうでもいい余談だった。

 

 ではなぜそんなただの調査票が破られているかというと、どうやらなぜかこの調査票が担任の逆鱗に触れたらしく、読んでいる最中怒りのままに破り捨てられたようだ。ぐしゃぐしゃに丸められたような跡がある事から、ぷちっとキレて一度はそこら辺に投げ捨てたんだろう。どうやら本気で激おこだったご様子。いや、そんな冗談めかして言うレベルじゃなかったんだろうね、てへ♪

 

 そして俺の手元に返ってきたのが、担任のやるせない怒りを顕にしたかのようなこの調査票の切れ端と、殴り書きで再提出と記された紙が一枚。

 もちろん担任が直接俺に言ってきたわけではなく、帰りのホームルームが終わって目が覚めたら、投げ捨てられたかのように机の上に乱雑に置かれていた。

 

 俺の問題行動は担任の手には負えない為、通常であれば生徒指導へと回される案件となるであろうところなのだが、生憎俺はすでに生徒指導からも見放された危険物として認識されたようで、こうやってふざけたレポートやら調査票を提出しても、各教科担当の教師はおろか、担任さえも何も言ってこないようになった。つまりはなにをしても不戦勝である。勝ったなガハハ! 負けを知りたい。

 いや、無言で再提出させられるわけだから俺の不戦敗ですよね分かります。

 

「つったって、書くことなんかねぇんだよなぁ……」

 

 職場見学。

 我が校では二年生のこの時期、中間試験の直後にこの誰特イベントが用意されている。

 

 確かにこんなイベントは要らないし行きたくもない。だが問題はそのイベント自体ではないのである。そのイベントへは「好きなヤツ三人で組んで行け」という、あまりにも無慈悲な制約が成されている事こそが問題なのだ。

 

 好きなヤツと組め──ぼっちには決して言ってはならない禁句中の禁句。ぼっちは誰のことも好きではないし、もちろん誰もぼっちのことを好きではない。

 そんな分かり切った状況のただ中に置かれている人間に対し、好きなヤツと組めとは何事か。完全にただの虐めだぞ。

 

 さらに三人組となるとこれがまた厄介なのだ。

 通常ぼっちは「好きなヤツと組め」イベントでは、組決めの順番は最後に回ってくる。主役は遅れてやってくるものだ! ってヤツだ。違うかな、違うね。

 つまり最後まで売れ残り必至だから、余った者同士で組まされるか、または三人組になれなかった仲良し二人組の中に押し込まれるか……という形になる。

 

 しかし前者にせよ後者にせよ、売れ残りの中の売れ残り、キングオブデッドストックの俺クラスともなると、どうしたって三人組ではなく二人組+おまけ一人という構図になってしまい、発言権など皆無なのである。

 つまり希望職場なんか書こうが書くまいが、どっちにしろ他のメンバーが行きたい所に決まる為、どんなに俺が真面目にこの調査票に何かを書いたところで、そこに何ら意味はない。

 

「はぁ〜……」

 

 深く溜め息を吐きながら、俺はこの調査票にマイドリームを記入した時の記憶に想いを馳せる。ああ、あの頃は良かったなぁ……。つい先日の事だけど。

 あれはそう、普段はそうそう足を運ぶことのない屋上での一幕である。俺は暑さから少しでも逃れようと、涼しさを求め屋上での調査票記載を選んだのだ。

 そして、そこで俺の前に突如として現れた素晴らしき奇跡。

 

 そう、あの美しき黒レースとの夢のような出会い。

 

 はっきり言って俺には一生あるかないかのラッキースケベである。どこかのよくTo Loveるに巻き込まれる男とは違うのだ。

 だから俺の記憶に残っている光景は、はっきり言って黒レースの一点のみ。どういった状況で、どういった流れで、どういった人物と(美人だったのは覚えてる)どういった会話を成したのかもなんら覚えちゃいない。

 ただはっきりとこの脳裏に焼き付いているのだ。スラッと美しく引き締まった太ももの先にある黒のレースが。

 

「うむ、あれはいいものだ」

 

 あの光景を思い出してそうぽしょりと独りごちると、先ほどまでの陰鬱とした気持ちが不思議とどこかへ消えていく。ふぅ……

 

 

 ──さて、黒レースのおかげでなんとか気持ちも晴れやかになった事だし、面倒くさくて意味も見いだせないこの職場見学希望調査票再提出という作業も、とっとと片付けてやりましょうかね。

 

「……ワコール、っと」

 

 ※

 

 さすがはあの業界で日本最大手企業。調査票二度目の提出に関しては、なんの文句もなく無事担任審査を通過したらしい。

 もう再提出を要求するのも面倒くさくなって投げ出された可能性は僅かだと思いたい。

 

 結局グループ決めは当然のように順調に進み、俺も順調に売れ残りの中にすっぽり収まった。

 ちなみにそのメンバーはというと、青みがかった黒髪ロングをシュシュでひとつに束ねたポニーテールが特徴の美人ヤンキーが一人と、なぜか我がクラスのリア充グループから選出された(落選した)、ガタイのいいラグビー部員が一人。

 

 ヤンキーの方は確か……川……川……川島……? だよね。

 こんな美人ヤンキーが同じクラスに居たこと自体知らなかったのだが……、なーんかどっかで見たことある気がしたんだよね。ま、向こうも俺には一切の興味も無さそうだったからどうでもいいが。

 

 なぜこんなに美人なのに売れ残ったのか。それはひとえに恐いから。あと恐い。

 基本群れずに孤独を愛するロンリーウルフのようで、ぼっちで居る事を一切気にしていないご様子の彼女とは、なかなかに気が合いそうである。しかし残念ながら気が合う=仲良くなれるというわけでは決してなく、お互い干渉しないで済みそうだ、という意味合いでの“気が合う”である。

 

 ラグビー部員の方は、確か……大和とか言ったっけか。なんかよく葉山達とうぇいうぇい騒いでるから、悔しいけど名前覚えちゃったよ。

 

 こいつが三人グループからあぶれた理由はまぁ分かる。なにせ決められたグループ人数は三人なのだから。

 だから誰か一人があぶれる理由は分かるのだが、よく理解出来ないのが、なぜかこいつが葉山達と同じ職場への見学を選ばなかった、というところだ。

 

 というのも、実はこのグループ分けには裏があった。なにが裏かというと、実際はグループ分けにはなんの意味もなかったのだ。

 だってさ、せっかくグループ分けしたというのに、黒板に葉山が名前と「行きたい職場」を書いた瞬間に──

 

「あ、あーし、隼人と同じとこにするわ」

「うそ、葉山くんそこいくの? あ、うちも変える変えるぅ〜!」

「あたしもそこにしようかなー」

「隼人ぱないわ。超隼人ぱないわ」

 

 と、クラスの連中が一斉に葉山と同じ「行きたい職場」に書き替えてしまったのだ。

 結局、職場見学希望調査票とはなんだったのか? というくらい、まったくもって無駄に終わったグループ分け&行きたい職場選び。ほらー、だから八幡言ったじゃーん、意味ないってさぁ。専業主夫のままでも良かったっしょー?

 

 というわけでクラスの大半が同一職場見学に決まったわけなのだが、なぜかラガーマン大和はそこを選ばなかった。

 あいつは一言も発さず、黙って黒板の隅っこに自分の名前を書き上げたのだ。

 

 もしかしたらこのグループ分けの際に、連中の間でなにか亀裂が入るような出来事があったのかもしれない。

 いつも四人で居るところに三人グループ編成でとのお達しは、なにかしら難しい事情が生まれてしまっても致し方ない事なのだろう。今までグループとやらに属した経験が無い俺にはどうでもいいけれど。

 

 結局、そうやって売れ残りグループは一言の意志疎通も無いままグループ分けが決まったのだが、三人が三人とも行きたい職場を希望しなかった為、俺らの調査票の中からババ抜きよろしく適当に一枚選び、その職場へ出向する事が決まったのだった。

 

 『大和・川崎・比企谷 行きたい職場 ワコール浅草橋』

 

 どうしてこうなった(白目)

 

 ※

 

 

 そんなこんなで時は過ぎ、気が付けば中間が目と鼻の先にまで迫っていた。

 優秀な学生たる俺は、いつまでも美人ヤンキーと一緒に女性用下着企業に職場見学へ行く事になってしまったことを嘆いてばかりもいられないのである。

 今夜も常と変わらず夜の勉強に励み続けていると、時計の短針がいつの間にか真上近くの位置に踏ん反り返っていた。

 

 ──おうふ、いつの間にこんな時間に……

 

 ぼっちは基本的にあまり時間を気にしないものなのである。なにせ他人に合わせる必要がないからね! それにしても我ながら恐ろしい程の集中力だぜ。もう少し集中力を鍛えたら、操気弾くらいなら撃てるようになるかもしれん。

 

「ふぁ〜……コーヒーでも飲むか」

 

 んんーっと伸びをしてからトントンと小気味よく階段を鳴らしていざリビングへ。

 

 

 リビングに入ると、そこには人類史上誰も見たことのないような超絶美少女が、いつの間にか自室のタンスから姿を消していた俺のTシャツと、世の二次元好きチェリーボーイ達の憧れ、縞パン一丁という無防備過ぎる姿でソファーに横たわっていた。なにを隠そう妹の小町である。誰も見たことないもなにも毎日見慣れてんじゃねーか。

 もちろんいくら見慣れたと言っても、決して見飽きる事などはない。なぜなら超絶可愛い愛する妹だから。

 

 あ、今の八幡的にポイントたっかーい! と心の中でばちこーんとウインクを決めつつキッチンにコーヒーを淹れにいくと、俺の気配に気付いたのか小町がもぞもぞと起き始める。

 

「おう、悪いな、起こしちゃったか」

「……んー、おにいちゃん、おはよー……いまなんじー……?」

 

 おはやくはねーよ。今深夜だから。あとこいつ寝呆け過ぎて、ぜったいセリフが全部平仮名になってんだろ……なんて益体もない事を考えつつも、優しく現在時刻を教えてあげる兄の鑑たる優しい俺。

 すると時間を聞いた小町は、どうやら一発で目が覚めたようだ。

 

「しまったぁ! 寝すぎたぁ! 一時間だけ寝るつもりが……、五時間寝てたぁ!」

 

 いやお前ホントに寝すぎだろ。つまり七時くらいから寝ちゃってたって事だよね、それ。ちょっとだけうたた寝しよっかな☆ってレベルじゃねーぞ。

 

「うぅ……小町、せっかく今日は試験勉強するつもりで気合い入れてたのに。もうこんなんじゃ台無しだよ! やってらんないよ!」

 

 知らねーよ……。つか気合い入れてたんなら、帰ってきて、まず寝ようと思うなよ……

 

「……およ? そういえばお兄ちゃんはこんな時間にどったの?」

 

 つい今しがたまで「よよよ」と泣いたフリをしていた妹の変わり身の早さに若干引きつつも、質問を受けたら返すのが言葉のキャッチボールというもの。ちなみに俺のキャッチボール相手は小町だけだから、いざという時の練習の為にもこいつとのやり取りは欠かすことは出来ない。

 材木座? ありゃダメだ。あいつは暴投が酷すぎてキャッチボールにはならない。いつも俺が球拾いに走ってばっかりですよ!

 

 

「試験勉強やってたらいつの間にかこんな時間になっててな。ちょっと休憩しようと思って下りてきた」

「へー、休憩って事はまだやるつもりなんだ。お兄ちゃんは相変わらず変なとこだけ真面目だねぇ」

「ばっかお前、変なとこ以外も超真面目だっつの。あれだぞ、こないだなんか職場見学調査票に日本が誇る大手企業を書き込んでな、今度そこに行くことに決まったんだぞ」

「おお! 専業主夫志望のお兄ちゃんもなかなかやりますなぁ。……で、どこ行くの?」

「……あ、や、……わ……コー……」

「へ?」

「……ワ、ワコール……っつってだな……?」

「うわぁ……」

 

 やめて! 我が身を守るように抱き締める最愛の妹にそんなゴミを見るような目で見られたら、お兄ちゃん自決を選んじゃいそうだよ!

 

「……まぁ小町は今更お兄ちゃんのそんな性癖くらいじゃ驚かないよ。でもね、妹のを被るのだけはやめたほうがいいと思うんだ、小町」

「被ってねぇわ。なんでもう被っちゃった経験者みたいな言われようなんだよ」

 

 高坂さんとこの兄貴だってなかなか被んねぇぞ! ……多分。

 

「……え? じゃ、じゃあもしかして……。お、お兄ちゃん……いくら主夫目指してるからと言ったってさすがにそれは……」

「付けないからな? いい加減にしろよこのガキ、そのアホ毛ひっこ抜くぞ」

 

 おいマジやめろ、そんな目で兄を見るんじゃありません。どうしよう、このままじゃ家族に変態兄貴の烙印を押されちゃうよぅ……と愕然としていると──

 

「まぁそんな事よりもさー、」

「そんな事で片付けられるような軽い問題ではないでしょ小町ちゃん!?」

 

 いやホントマジで。

 なに? 小町ちゃんの中では兄が妹のパンツ被ってるかどうか、もしくは兄が女性用下着着用者かどうかという事案はそんな事レベルの軽い問題なのん? 兄としての沽券に関わる大問題だろうが。

 ……はい、今更ですよねー。

 

 まぁ兄の痴態を軽く流してくれるというのなら、そのお気持ちは有り難くお受けしましょうじゃありませんか。もちろん後で誤解はちゃんと解いておくんだからね!

 誤解もなにも黒レースを思い出しながら調査票書いてたら、気が付いたら記入が終わってただけだけど。うん、どうやら誤解は永遠に溶けそうもないね。

 

 おっと、今はそんな先の不幸な未来よりも、目の前の妹の言葉を大切にしようではないか。

 そして俺は、小町の言葉に大人しく耳を傾ける。

 

「んで?」

「んー、小町結構寝ちゃったし、お兄ちゃんがまだ勉強するって言うなら小町も一緒に試験勉強しよっかな」

「おう、やるか」

 

 こうして八幡と小町、妹と夜のお勉強会が始まるのだった。

 

 ※

 

「……なんだよ」

 

 勉強スタート当初は二人して黙々とやっていたのだが、粗方の作業を一段落させてからふっと気を抜いた時、小町がぼーっと俺を見ていることに気が付いた。

 なーに小町ちゃん、もう飽きちゃったのかな?

 

「んー? いやー、お兄ちゃん真面目だなーと思って」

「んなことねぇだろ。普通だ普通」

「いやいや、仮にも専業主夫を目指すとか言ってるダメ男は、普通こんなに真面目に勉強に取り組まないよ」

 

 余計なお世話だった。うるせーな、その夢を叶える為にはまず土台を固めなくちゃなんねーんだよ。

 

「うっせ、別に真面目ってわけじゃねぇよ。これは夢への投資だ。まずそこそこの大学入って、優秀な奥さんに拾ってもらわなきゃならんだろ」

「言ってること最低だよお兄ちゃん……」

 

 げんなりと俺を蔑む妹の表情を見て思う。

 ですよねー。

 

「んなことより勉強しろ勉強」

 

 まぁ最低なのは今に始まった事ではない。なんなら始まり(生まれたとき)から最低だったまである。

 とりあえずはそんなことよりも勉強勉強っと、と、飽きてしまったらしい小町に勉強の再開を焚き付けると、呆れ果てたムカつく顔から一転、妹はふっと表情を緩め、くすりと優しく笑う。

 

「そういうところが真面目だよ」

「……さいですか」

 

 なんだよ照れんじゃねぇか。もしかしてそれが言いたくて話題を振ってきたのかな? なんなの? お兄ちゃんのこと好きなの? なんなら小町がお兄ちゃんの面倒を一生みてくれてもいいのよ? むしろ推奨。

 

「やー、世の中にはいろんなタイプの兄や姉がいるよねー。小町が行ってる塾の友達はね、お姉さんが不良化したんだって。夜とか全然帰ってこないらしいよ」

 

 なんて、愛妹の兄妹愛にちょっと感動していたら、小町はとっとと次の話題へと切り替えやがった。どうやら俺を養ってくれる為に振った話題ではなく、次の話題へ移るための単なる布石だったらしい。お兄ちゃんがっかりだよ。

 それにしても危うく妹に惚れてしまうところだった。あぶねぇよ千葉。

 

「ほー」

「でもねでもね、お姉さんは総武高通ってて超真面目さんだったんだって。何があったんだろうねー」

「へー、なんだろうね」

 

 こいつにとっては重要な話題なのかもしれないが、俺にとってはどうでもいい雑談タイムに突入してしまった為、小町の言葉を右から左へ聞き流す。

 妹の友達の家族の話とか、昨夜見た夢の話を聞かされちゃうくらいどうでもいいよね。

 

「まぁ、その子のお家の事だからなんとも言えないけど。最近仲良くなって相談されたんだけどさー」

「ほーん」

「あ、その子、川崎大志君っていってね、四月から塾に通い始めたんだけど──」

「小町、その大志クンとやらとはどういう関係だ。仲良しとはどういう仲良しだ」

 

 全然どうでもいい話じゃなかった。

 おいおい妹よ、なにシレッと男友達なんて作っちゃった上に相談とか乗っちゃってんのよ。それ、八割がた相談は口実だからね?

 

「なんか、お兄ちゃん目が怖いんだけど……」

 

 おっと、どうやら目がマジだったらしい。

 いかんいかん、こういうのってあんまり詮索するとウザがられちゃうんでしょ? 可愛い妹にウザがられる人生なんて真っ平な俺は、あくまでも平常心で対応するのさ。

 

「よし小町、今度その大志クンとかいう毒虫を家に連れてきなさい。お兄ちゃん、その虫と色々とお話がありそうだ」

「……うわぁウッザい。絶対連れてこないよ……」

 

 速攻でウザがられました。

 解せん。かなり平常心でマイルドな言い方だったのに。

 

「大丈夫だよお兄ちゃん、小町と大志君は、どこまで行っても永久的にお友達だから☆」

 

 そう言ってぱちりとウインクをかます妹の素敵スマイルを見て思うのです。

 やっぱり女ってすげー残酷だよね。つい今しがたまで殺意を覚えていた大志クンに、ちょっぴり同情してしまいました。まる。

 

「でさ、どうやらお兄ちゃんと同じ二年生らしいんだけど、お兄ちゃんなんか知んない? 川崎沙希さんっていうんだってー」

「川……崎?」

 

 あれ? どっかで聞いた事があるような無いような。……あー、アレ、か?

 

「悪いな、川口さんなら聞いた事あるんだが、そいつは知らん」

 

 ん? 川越さんだったっけ?

 

「だよねー。ま、そもそもお兄ちゃんに学校の人の事で期待なんてしてないから大丈夫大丈夫」

「おいひでぇな」

「小町がお兄ちゃんに望んでるのは学校の事なんかじゃなくって、いつも小町に元気な笑顔を向けていてくれる事だけだよ! あ、今の小町的にポイント高い!」

 

 う、うぜぇ……

 しかも笑顔さえあれば他にはなにも期待されてないとか、俺ってどんだけ期待値が低いんだよ。笑うなんて誰だってできるもん!

 

「ま、あれだ」

「んー?」

「友達の相談に乗ってやるってのは悪い事じゃない。だがあまり人様の家庭の事情に踏み込むのだけはやめておけよ。変に干渉しすぎると、嫌な思いするのは小町の方かもしれんからな」

 

 そう言ってぽんぽんと頭を撫でてやる。

 

 相談してきたのが性欲まみれの男子中学生だという事はこの際置いておくとしても、やはり他人が家庭の事情に入り込みすぎるのは良いことではない。

 不良化した……夜帰ってこなくなった……。でもそれは残念ながら当人の問題でしかないし、もしかしたら何かしら事情があるのかもしれないし。

 

「夜帰ってこないのだって、もしかしたらバイトとかしてるのかもしんねーし、そしたらそれこそ家庭の事情だ。そしたらそれは当人達の問題でしかないんだから、小町にはどうする事も出来ないし、どうする権利もない。他人の家の台所事情の話とかになっても、ただただ嫌な思いをするだけだろ」

「……うん」

「だからまぁ、あれだ。相談はあくまでも聞くだけにしとけよ。その大志クンとやらだって本気で姉ちゃんを心配してんなら、ちゃんと自分で自分の思いをぶつけんだろ」

 

 俺だってもしも小町に対してそういった心配事が出来たら、ウザがられようが嫌われようが、ちゃんと思いをぶつけて話し合うだろうしね。

 もっともいつも心配ばっかりかけてんのは俺の方ですけども!

 

 すると、ぐしゃぐしゃと乱暴に頭を撫でられながら、小町はニヤリと笑いこう言うのだ。

 

「だーいじょーぶ。小町を誰の妹だと思ってんの? あのお兄ちゃんの妹が、人に踏み込み過ぎて自分が嫌な思いをしようとするわけないじゃん!」

 

 どうも、あのお兄ちゃんです。

 

 ったく、ホント可愛くない可愛すぎる妹だな、こいつは。

 でも確かに小町はこのお兄ちゃんの妹なのである。見た目は可愛くて性格も明るく、誰とでもすぐに仲良くなれる社交的な妹。……あれ? ホントに俺の妹かな?

 そんな一見兄とは似ても似つかぬ完璧な妹なのだが、そこはやはり比企谷家の一員。群れていても燦然と輝けるのに、群れていなくても一人で立派に生きていけるハイブリッドぼっちなのだ。

 そんな小町だ。だから他人に踏み込み過ぎて失敗するようなヘマはしないだろう。

 

 そして俺はもう一度乱暴に頭をぐりぐりしてやると、最後にこう言って会話を終わらせる。全然心配なんかしてないんだからね! という、兄のありったけの思いを伝える言葉を。

 

「よし、相談に乗ってやるのだけは許してやろう。だがそれは人が居る塾内だけだ。帰りに二人きりでどっか寄ってくるとかは絶対に許さん! そう、絶対にだ!」

「……ウザ」

 

 やはり解せん。

 

 ※

 

 あれから特に何事もないまま季節は流れていった。

 無事中間を終えて、無事職場見学も済ませた。当然誰一人会話する事もなく気まずいままに終了した職場見学ではあるが、早く終えられることのみに重点を置いていた俺としては、まぁ上出来な内容だっただろう。

 

 小町の友達の姉問題はどうなったのかは知らない。

 でもあれ以来、小町が大志クンの話題を出してくることが一度も無かった事を考えると、川崎家には川崎家なりの決着が付いたのだろう。その結果に俺が介在する余地などどこにもないのである。

 

 その後は特にこれといったイベントも無く、優雅なぼっちライフらしく静かに季節は巡りゆき、気付けば本日はもう一学期の終業式。本当になんのイベントも無かった。

 ああ、そういや後輩に馬鹿にされたとかいって泣き付いてきた材木座に、遊戯部とかいうわけのわからん部活に連れていかれたような記憶があるようなないような。まぁただただ材木座が泣かされただけのイベントだったから割愛でいいだろう。

 いや、どうでもいいイベントだったから割愛だと誤用だな。割愛ではなく、単なるカットという事でオナシャス。

 

「ふぁ〜……」

 

 校長の無駄で下らない長話を子守唄にしつつ生欠伸を噛み殺した俺は、明日からの悠々自適な毎日を夢見て思うのだ。二年生になってからのこの約四ヶ月は、なんと有意義な毎日だったのだろう、と。

 

 材木座と体育でペアを組み、材木座のラノベを批評する日々。

 そして材木座とラーメンを食いに行ったり、果ては材木座に泣き付かれて遊戯部に赴いたりと、本当に毎日が有意義だった。

 

 

 ……ん? あっれー? よくよく考えたら材木座だらけの毎日じゃねぇか。

 

 

 

 ──やはり俺の青春ラブコメは、材木座さえ居ればいい。

 

 

 

 え、これで終わっちゃうのん!?

 

 大丈夫、もうちっとだけ続くんじゃ。

 




材木座ルート一直線になってしまったかに見えるこの作品も、多分次回で最終回になると思いますので、もしよろしければ最後までお付き合いいただけたらと思います。


今回の原作との相違点。

まずチェーンメールですが、もちろん八幡は知らないままです。そして犯人はラガーマン大和という設定にしておきました。
理由としましては『男子高校生にとって三股という噂はただのモテ自慢だろ』という理由ですね。
某いろはすSSの有名作品の中でも語られていたのですが(もっともそちらでは大和の件ではなくて八幡に三股の噂が出回ったのですが)、三股出来るほどモテるという噂が流れるのは、男子高校生にとってはむしろ勲章ですから。あくまでも根も葉もない噂ですし。


そしてこちらが最大の相違点。やはり八幡と川崎は(人間関係において)関わりませんでした。
こちらはよく「小町から話が来るんだから関わるでしょ」と誤解されがちですが、実際は多分こんなところでしょう。

原作にはこうあります。「まぁあれだ。困ったことになったら言えよ。前に話したろ、奉仕部とかいうわけわからん部活やってるから、なんとかしてやれることもあるかもしれないし」と。

つまり八幡が小町に相談を持ち掛けさせたのは奉仕部ありきの話であり、また、小町が八幡に相談したのもそんな兄の姿(部活に入った事で少しずつ変わってきた姿)を見てきたからこそだと思います。
奉仕部にも入らず、一年の頃と同様毎日誰とも関わらずすぐ帰宅する兄の姿を見ていたら、兄の学校生活を心配している小町が、学校の人の相談を持ちかけてなんとかしてもらおうと思うとは到底思えません。なぜなら小中時代、学校でたくさん傷付いてきた兄を一番近くで見てきた妹なんですから。

ちなみにカフェで小町&大志に遭遇→そのまま相談会というイベントももちろん発生しません。
あれは学校帰りにマリンピアの書店に寄った八幡が、偶然カフェで雪乃、由比ヶ浜と一緒に居た戸塚を発見した事により発生したイベントなので、平塚先生にも呼び出されず戸塚も知らない八幡では、あのイベントは起こり得ないからです。



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最終回前編

最終回は前編と後編(エピローグ)に分かれますが、もしもこの前編までで八幡が原作よりも幸せになった……八幡に救いの手が差し伸べられた、と感じられた方は、後書き及びエピローグは読まない事をオススメします。





 

 ごーん、ごーん、と、もう幾つ突くとお正月? ってくらいには、すでにこれが何発目の鐘か分からないほど聞き続けている除夜の鐘をBGMに、可愛い愛妹が作ってくれている年越し蕎麦が出てくるのをぬくぬくと炬燵布団に包まって今か今かと待ちわびている大晦日の夜。

 やー、至高の時間だにゃー。

 

「はーい、お兄ちゃんお待たせ。お蕎麦出来たよー」

「おう、さんきゅー、いつもすまないねぇ」

「お兄ちゃん、それは言わない約束よ?」

 

 ほかほかと温かい湯気が立ちのぼる天ぷら蕎麦。

 まぁ忙しい年末に加えて小町が受験生ということもあり、残念ながらこの天ぷらはさっき俺がスーパーで買ってきて出来合いだけど。

 

 それでも、この年の瀬に妹お手製の年越し蕎麦を妹と二人で頂く幸せは何物にも代えがたい。いわゆるプライスレス。

 ちなみに父ちゃん母ちゃんは昨日まで師走の忙しさに殺されかけていたうえ、明日は朝から小町の為に亀戸天神に合格祈願のお詣りに行くとの事で、今夜は年越しを待たずご就寝という社畜と親の鑑っぷり。

 まぁ本当は徹夜でお詣りに行くつもりだったらしい親の鑑な親父は、母ちゃんにバカなの? と叱られ小町からは気持ち悪いと言われ、泣きながら寝室に向かいましたがね。

 

 それにしてもこんなに平和な年越しが過ごせるのも、そんな素晴らしい両親のおかげですねと心の中だけで感謝の意を表明しつつ、さてと、お蕎麦を頂きましょうかね。

 

「いただ──」

「じゃあお兄ちゃん適当に食べたらどんぶり流しに置いといて。んじゃ小町は友達と年跨ぎ初詣行ってくるからねー」

 

 ……なん、だと?

 

「え、小町行っちゃうのん? 蕎麦は?」

「うん、一人で食べてねっ」

 

 い、いや、そんなむごいことをそんな可愛い顔で言われましてもー……

 

「つーかお前、結構余裕あんな、受験。合格祈願なんか親父にまかせときゃよくないか?」

 

 確かに小町はここんとこ勉強を頑張っている。にしてもマジで余裕たっぷりなんだよなぁ。

 小町ってどっちかっていうとアホの子だったはずだよね? なんでこんなに余裕あんの? この子。

 

「ま、そりゃね。最近小町にしては勉強頑張ってるし、たまにはこうやって友達と会って気分転換するのも、受験生には必要なことだと小町は思うのです」

 

 へー、そういうもんかねぇ。友達居たことがないからよく分からん。俺にはむしろ拷問のような気さえしてしまうわ。この時期に知り合いと合格祈願だなんて。

 なにせ一緒にお詣りに行って、どちらかだけ受かってどちらかだけ受からなかったりしたら、それこそ人間関係が壊れてしまいそうで。

 

「それにさ」

 

 そう言って、小町はぴこっと人差し指を立てる。

 

「小町、受験ランク落としたじゃん? ま、もともと小町には総武は壁が高過ぎだっただけだけど、でも……やっぱ無理してまで総武を狙おうって自分を追い詰めなくなったぶん、かなーり気持ちが楽になっちゃったのさ」

 

 にへへっと笑う小町の笑顔は、ちょっと前までストレスに押し潰されそうになっていた小町のそれとは全くの別物だ。

 受験生のこの時期にそんな顔が出来る妹を見たら、安心しない千葉の兄貴なんてこの世にいるだろうか? いやいない(反語)

 

「そうか」

 

 

 

 小町は、もともとは総武高校を狙うつもりだったらしい。

 ぶっちゃけ小町の学力を考えると余りにも無謀な挑戦だし、それにより精神に過負荷が掛かってしまうくらいなら、辞めるという選択肢を選んでくれて良かったと思わなくもない。まぁ総武の話を聞いたの自体が、やっぱやーめたと決意した後のことなのだけれど。

 

 小町曰く──

 

『小町ね、総武狙おうかどうしようかずっと迷ってたんだ。でも判定はいつも最悪レベルだし、先生にも「かなり無理して無理して、それでも本気で厳しいぞ」って言われてたの。だから一生懸命勉強したんだけど、それでもなかなか成績上がんなくって、今度はそれが余計ストレスになっちゃって逆に成績落ちちゃって……。だから、やめる事にしたんだー』

 

 との事。しかし一念発起して断念してからというもの(一念発起して断念っておかしくね?)一気にストレスから解放されたからか、今まで一生懸命勉強してきた事がすんなり頭に入るようになってきたらしく、総武を諦めて次に目標にしていた海浜総合高校へはわりとすんなり行ける予定らしい。

 

 可愛い妹を持つ身としては、同じ高校に通えるというのはとても嬉しい事だし、それを諦めたゆえに、二度とその夢が叶わなくなってしまったというのは正直ちょっぴり寂しくなくもないけれど、それでも無理な学校を狙うあまりに毎日辛い顔を見なくちゃならないのかと考えたら、それはそれで良かったような気もする。

 どちらにせよ小町が望む形が一番なわけだが。

 

 ああ、あとこの子こんなアホな事も言ってたっけな。

 

『ま、それでもさ、もしもお兄ちゃんが総武で充実した高校生活を送っててさ? んでんで、素敵なお義姉ちゃん候補なんかが誕生してー、そんでもってそんなお義姉ちゃん候補と小町がお友達になれてたりしたら、もっともっと頑張って総武受けてたんだろーなぁ、小町。だってお兄ちゃんとお義姉ちゃん候補とワイワイ過ごす高校生活とか超楽しそうじゃん。でも残念ながら現実は こ・ん・な だし、そんなに無理したり今の友達関係を切り捨ててまで総武にこだわる魅力を感じなくなっちゃったんだよね♪』

 

 なんだよお義姉ちゃん候補って。アホかそんなもんが簡単に出来てたら苦労してねぇわ。あと兄のライフを削りにくるそんな酷い台詞の後に音符つけんな音符。

 

 ……それでも諦める決意を話してくれた小町は、どこか悔しそうで、どこか後悔していて。

 でもそんな心のモヤモヤを家族に見せまいと、無理に笑っていた顔をとてもよく覚えている。

 

 当たり前の事ではあるが、総武受験を頑張った未来が良かったのか、早々に見切りをつけて必要以上のストレスを抱えずに済んだ現在か、どちらが良かったのかなんて俺にも小町にも分からない。

 どんなに大変でも、それを乗り越えた先の希望校合格という歓びを選ぶか、はたまた身の丈に合った学校で今までの友達と一緒に歓び合うか、そんなのはどちらがいいだなんて一概に言える事ではない。

 受験前のセーブデータから何度も最適解を探せないからこその、一度きりの人生なのだ。もしもあの時なんてタラレバな世界は、どこにも存在はしないのだから。

 

 

 ──もしもあの時……か。

 なぜだろうか。なぜかそのワードは、俺の胸を酷くざわつかせる。

 

「小町さ」

 

 そんな意味の分からないざわつきになんとなくモヤモヤしていると、そんなモヤついた表情が顔にでも出ていたのだろう、小町は俺を心配させまいとそっと言葉を紡ぐ。

 

「……もしかしたら選択間違えたかな? って思う時期が無かったと言ったら嘘になるけど……、でも、小町総武を諦めた事、今はそんなに後悔してないよ? だってもし無理して総武なんて受けようとしてたら、こうして友達と一緒に合格祈願なんて行けなかっただろうしね。あぁ……小町だけ落ちちゃったらどうしよう、あぁ……だから総武なんて無理に決まってんじゃーん、とかって笑われてたらどうしよう、とかウジウジ悩んで、絶対友達とお詣りなんか行けなかったと思うもん」

「……そうか」

「うん。へへー、だからこそ小町はこうして楽しい年末年始が過ごせるのです」

「……ねぇ、その小町の楽しい年末年始にお兄ちゃんも入れてくんない?」

「んー……しょーがないなぁ、んじゃ次の年末年始は可愛い小町が一緒に過ごしてあげるよ」

「……さいですか」

「あ、高校入って彼氏とか出来なきゃね☆」

「なん……だと?」

 

 あ、そういや違う学校に入られたら、小町の花のJK生活が俺の目に届かなくなっちまうじゃねーか……!

 ちくしょうっ、やっぱ総武にしてェ!?

 

 

 小町の先行き不透明なJK生活に血の涙を流していると、なぜだかふうっと空気が変わる。

 小町が不意に意味ありげな表情を見せたのだ。

 

「……でも、ね……、やっぱ総武を選んだ自分の選択の先がどうなっちゃうのかなってのも、見てみたい気がしない事もないんだよ、正直な気持ちを言っちゃうとね。……だからさ、お兄ちゃんはもう、選択を間違えないでね」

「……え?」

 

 なんだろう。今の小町の台詞には、なにか引っ掛かりを感じてしまった。

 なぜ小町はそんな事を言ったんだ? 小町は俺がどこかで選択を間違えたと、どこかで後悔していると思っているのだろうか……?

 

「な、なぁ小町、それってどういう──」

「やっば! お兄ちゃんなんかと無駄話してたらもうこんな時間じゃん! もう小町行くからね」

 

「おいちょっと……」

 

 と、謎の台詞とモヤモヤを残し、小町はエプロンをそこら辺にぽいっと放り投げるとキッチンに用意していたのであろうバッグを小脇に抱え、パタパタと玄関へ走っていく。

 なんかゴメンね? 時間が迫ってんのにごみいちゃんなんかの為に蕎麦なんて用意してもらっちゃって。

 

「あ、そだ、お兄ちゃん」

 

 そんな様子を炬燵からぼーっと見守っていると、小町は急に振り返る。はて、なんか忘れもん?

 

「おう」

「んん! お世話になりました。へへー、よいお年をー」

 

 そう言って優しく微笑む俺の可愛い妹。

 なんだよ、何事かと思ったらそんな事かよ。さっきの意味ありげな台詞の解答かと思ったわ。どうせ数時間後には新年の挨拶しに帰ってくんだからどうでもいいだろ、なんて思いつつも、……なぜだか、なぜだかは分からないのだけれど、ここでちゃんと小町に返事を返しておかないとこの先ずっと後悔してしまいそうな、そんな気がした。

 

 ──アホか。生まれた時からずっと一緒に過ごしている妹に、今更お世話になりましたなんて畏まった言葉を返さなくたって後悔なんかするわけないだろ。

 ……そうは思いながらも、それでも何故だかざわつく胸を抑えきれないでいる俺は、この一年の思いを込めて小町へとこう言葉を告げるのだった。

 

「おう。ま、なんだ、こちらこそ……お世話になりました、だな」

「うんっ」

 

 そして小町は出ていった。最後にぽしょりとこんな言葉を玄関に残して。

 

「……頑張ってね」

 

 ※

 

 小町の背中を見送ると、そこに訪れたのは THE.静寂。

 たまに響く鐘の音以外はなにも聞こえてこない、まさにキングオブぼっちにお似合いの、一人っきりの寂しい年の暮れ。

 

 

 そんな静寂と鐘の音をBGMに一人ズルズルと蕎麦を啜りながら、俺は夏休みが開けてからの二学期の思い出に思いを馳せていた。 ま、思い出と呼べるような物は何一つ無い、優雅で平坦で平和そのものなぼっちライフだったのだけれど。

 

 

 何事もない平々凡々な夏休みが明けると、まず俺を待っていたのはぼっちにはなにかと辛いイベントの一つ、文化祭だった。

 もうね、文化祭とかマジで要らんから。文化祭準備期間から文化祭当日まで、ぼっちにはどこにも居場所なんてないんですよ!

 

 もちろん今年の文化祭も、中学時代から数えて例年に洩れず居場所の無い日々を過ごしたっけ。

 

 なかなか決まらなかった文化祭実行委員のクラス担当者も、最終的には我がクラスで最も真面目で地味な、名も知らぬ男女が選ばれた。いや、選ばれたというよりは選ばざるを得なかったのだろう。なにせ誰もやりたがらなかったのだから。

 なんかああいうのって、誰もやりたがらないクラスだとなぜか最終的に地味で真面目な生徒にお鉢が回ってくるもんですよね。その点俺は地味だけど真面目さは皆無だし、そもそも地味過ぎて認識すらされてないからこういう時って超便利。

 

 そしてクラスの出し物がなんかよく分からんミュージカル(笑)に決まった時点で、俺は当然のように即座に裏方へと回った。いいよね裏方。教室の隅で一人で釘でも打ってりゃ、真面目に仕事してるように見える上にいつの間にか下校時間になってるんだから。

 

 

 しかしあの準備期間中で唯一驚いた事があった。いつぞやの女テニの子が、なんと同じクラスだったらしいのだ。……なんてことだ、全然気が付かなかったぜ……

 ちくしょう! そうと知ってりゃお近づきになれるように超積極的に動いたってのに! はい、嘘でーす。

 そしてその子が『王子さま』役、葉山が『ぼく』役という配役にて進んでいった我がクラスの出し物、星の王子さまミュージカル、略して星ミュ。どこにもミュージカル要素は無かったけど。

 まぁあれだ。一言で言うなら砕け散れ葉山。

 

 その後も特にこれといった問題もないまま、特段盛り上がったわけでも特段ダメな部分があったわけでもなく、文化祭は例年通りに幕を閉じたのだった。

 え? 文化祭当日はなにしてたかって? そんなの材木座と二人で漫研とか遊戯部の出し物見て回ってたに決まってんだろうが! 言わせんな恥ずかしい。

 

 

 そして次は十月の体育祭。

 これに関しては運動部員でもなければ執行部でもない俺には何一つ関係がなく、ただただ工場で仕分けされる荷物の如く、言われるがままに与えられた業務(余った種目)を誰の目に留まる事もなく遂行しただけでした。

 特筆すべき点としては、なんか知らんが去年よりはずっと盛り上がっていたように感じた……ってくらいか。特に団体種目なんかは執行部がかなり気合いを入れて計画を立てたらしい。

 なにゆえたかだか棒倒しであそこまで盛り上がってたのかは分からないし、俺は材木座と一緒に適当にふらふらしてただけだけど。

 

 

 さらに十一月は、三年間に渡る学生生活最大のイベントと言っても過言ではない修学旅行である。てかウチの学校って二学期にイベント積み込みすぎじゃね?

 

 こちらも勿論の事ながらぼっちには辛い辛いイベント。

 まず班決めから始まる地獄は、当然の事ながらひっそりとしている内に班が決まり、どこにも入れて貰えなかった比企谷君は、クラス内でもっとも地味なオタクグループの中に交ざる事となった。その班には、職場見学以来ぼっちライフを堪能している例の大和も入る事となったが。

 

 そして始まった修学旅行ではあるが、なんというか……既視感を感じたというかなんというか……まぁ端的に言うと小学校と中学校の修学旅行……あと加えて言うなら去年の林間学校とほぼ一緒だった。

 全体行動の一日目と班行動の二日目は、一言も発する事なく背景と同化してたよね。なんなら集合写真でも背景の一部と化してたんじゃねーの? ってくらい超背景。

 

 唯一自由行動だった三日目だけは楽しかった。自由だけに誰とどこへ行くかもフリーダム。

 材木座とはクラスは違えど、自由を手にした俺達は京都のアニメイトに行ったり土産物屋で買った木刀持って歴史ある仏閣で剣豪ごっこしたりととても自由なフリーダムっぷり。

 おいマジ材木座ふざけんなてめぇ。旅先のノリってやつでついつい付き合ってしまったが、剣豪ごっことか後日ベッドで布団に包まって悶えまくったぞこの野郎。

 ちなみに木刀を持って帰ったら小町にどん引きされました。

 

 と、そんなこんなで特筆する事もなく、修学旅行も何事もなく終了したのだった。

 

 ああ、そういえば修学旅行自体には特に何事もなかったが、修学旅行の数日前に教室でおかしな事があったっけ。

 なんか知らんが、普段教室で恋バナとかしないリア充グループが、わざとらしいくらい大きな声で唐突に恋バナを始めてクラス内を騒つかせた事があった。

 

『あ、そーいや海老名ってさぁ、彼氏とか作ったりしないん?』

『ねっ、姫菜ってそーゆー噂とか全然聞かないよねー』

『あー、私今そういうの全然興味なくってさ、多分誰であろうと付き合う事はないと思うんだ』

 

 とかなんとか。

 知らねーよ。リア充の恋愛事情なんて帰りにクレープ屋にでも寄ってキャッキャウフフと喋ってろよ。

 ま、大方修学旅行が近いから気が弛んで、つい教室内で羽目を外しちゃった♪みたいなところだろうけども。

 だってアレでしょ? 青春を謳歌しちゃってる方達って「修旅で決めちゃうしかないでしょー! っべー!」とかって騒ぐことも青春の一ページなんでしょ? 一辺死ね。

 

 

 

 そうして惜しまれつつも学生三大イベントが過ぎ去っていった十一月末、普段であれば俺達一般生徒にはほとんど関係が無いし興味もないはずであろうプチイベントで我が校に激震が走った。そのイベントとは生徒会役員選挙。うん、字面だけ見ても、まったくこれっぽっちも興味が湧かないイベントですよね。

 しかしそんなイベントで文字通り激震が走ったのだ。

 

 生徒会長に一年生女子が立候補した事もそれなりに話題となったのだが、その生徒会長を補佐する役目でもある副会長に立候補したのが、なんとあの雪ノ下雪乃だったのだ。

 どちらかと言ったら彼女こそが生徒会長に立候補するものなんじゃないの? と、学内はしばらく話題に事欠かなかった。

 さらには会計に立候補したのが学内トップカーストグループの一人でもある由比ヶ浜だった事も、この常ならば誰も興味を示さない生徒会役員選挙というイベントに注目が集まった要因の一つと言えただろう。

 

 もちろん雪ノ下雪乃と由比ヶ浜は圧倒的大差での当選。立候補者が一人だった生徒会長も、信任投票で一年女子が当選。

 どういった経緯でそういう結果となったのかは知らないが、こうして十二月より、新生徒会の活動が華々しく始まった……らしい。

 なぜ「らしい」かと言えば、確かに雪ノ下雪乃と由比ヶ浜の一件には多少驚きはしたが、驚きはしただけで俺にはなんら関係のない事だしね。

 

 

 こうして、俺の二学期は静かに終幕した。

 え? クリスマス? なにそれ美味しいの?

 

「いやぁ、この九ヶ月も色々あったなぁ」

 

 一人ズルズルと蕎麦を啜りながら、そう心にもない事をぼそりと溢す。

 色々あったってなんだよ。去年となんら変わらない、無味乾燥な平和で退屈な毎日だったっつーの。

 どれくらい無味乾燥だったかといえば、楽しみにしてた夕飯がドッグフード(ドライ)だったってくらい無味乾燥。いや、少なくとも目から大量の塩味の潤いが投入されるから、無味でも乾燥でもないかも☆

 去年と唯一違う事と言えば、ヤバい厨二デブにやたらめったら懐かれたって事くらい。超どうでもよかった。

 

 本当に平和で優雅で退屈な、一年の時と同じくこの先の人生でなんら記憶にも残らなそうな、なんにもないぼっち生活だった。

 

「……あ」

 

 ああ、そうか。確かになんにもない九ヶ月だったかも知れないけれど、そういえば新年度の始まりは、いつもとちょっと違う始まりがあったっけ。

 

 あれはそう、まだ俺が平塚先生に愛想を尽かされていなかった時、あの熱血教師に職員室へと呼び出されたのが事の始まりだった。そういや変な部活の勧誘されて冷たく突っぱねたっけね。

 さらにはそれから数日後、普段の俺なら絶対に関われないリア充美少女から声を掛けられた事だってあった。

 

 なんだよ、意外と色々あったんじゃねーか、俺の二年生生活。

 

 そんな時、俺はふと思ってしまった。あまりにも退屈で無味乾燥だった毎日を一人年の瀬に振り返ってしまったからこそ、つい思ってしまったのだろう。本当は考えたくもない、考えてはいけないこの思いを。

 

 

 

 ──もしもあの時。

 

 もしもあの時、平塚先生の手を取っていたとしたら……もしもあの時、由比ヶ浜の優しさを素直に受け入れていたとしたら、俺のこの九ヶ月は違う毎日になっていたのだろうか?

 

 

 

「……くっだらね」

 

 ああ、本当に下らないな。なにをセンチメンタルになってんだ俺は。ひとりぼっちの大晦日にやられちゃったのか?

 アホらしい。せっかくの小町の蕎麦が不味くなる。もうやめよう、こんなしょうもない思考に頭を使うのは。

 

 でもそんな時、俺の脳裏をあの人のあの言葉が過ってしまう。

 

『いや、哀しいことだが後悔した事にも気付かんのだろうな』

 

 

 

 ──後悔? ふざけるな。そんなもん、するわけがないだろう。

 確かに退屈だったかもしれない。なんにもなかったかもしれない。でもなんだ? 平穏最高退屈最高。それのなにが悪いんだ。

 

 ぼっちで居れば決して人間関係で傷付く事もなければ苦しい思いをしなくたっていい。なによりもめんどくさくもない。

 だから俺のこの生き方は自分で選んだ生き方だし、自分で好きでやってんだよ。この生き方に誇りを持っているまである。

 これはそう、単純な興味なのだろう。さっき小町も言ってたろ、その選択を選んだ先の自分を少しだけ見てみたいってだけの、ただそれだけのお話だ。

 

 

 つまらない思考を振り払って、今度こそ目の前の蕎麦を夢中ですする。そこにはもう先ほどの迷いなど微塵もない。うむ、やはり美味い。

 せっかくの年越し蕎麦だ。この退屈だった一年をさっぱり洗い流せるよう、出汁まで全部飲み干してやろうか。

 

 

 遠くに響く除夜の鐘を聞きながら黙々と蕎麦を食べ続ける事いかほどか。気が付けばどんぶりはすっかり空っぽになっていた。

 こうなると、人間ってヤツはどうしたって恐るべき敵と対峙しなければならなくなる生き物だよね。満足した腹と容赦の無い炬燵の温もりに、どうやら俺の瞼は閉店寸前ガラガラポン。んー、幸せだにゃー。

 

 満腹と炬燵というダブルコンボで襲ってくる睡魔にあらがえる人間など、果たしてこの世界に居るのだろうか? いやいやそんな人間居るわけないじゃないですかー?

 というわけで、俺は人間らしく、ここで無駄な抵抗を試みるのはやめようと思う。自然に生かされている我々が、自然の摂理に逆らっちゃダメですよね!

 

 

 そのまま炬燵に突っ伏して睡魔様に降伏宣言しようとした俺の目に、ほぼ十二時を指している壁掛け時計の姿が映る。……おお、もう年明けか。

 よし、なんとか年越しまでは起きてることが出来たぞー! と満足気な表情をたたえつつ、俺はそのまま深い眠りにつくのだった。

 

 

「……あーあ、高校……あと一年以上も残ってん、のか……よー……、あーめんどくせぇ、なぁ……。早く……終わっ、て……くんね……か、な」

 

 

 

 ──微睡みという現実と夢の狭間に、そんな本音だけを置き去りにして……

 

 

 

 了 (そして後編『エピローグ』へ)

 




さて、五話に渡ってあらすじや一話の前書きに記載した「八幡がもしも奉仕部に入れられなかったら?」という、一部の人達の間では「それこそが救い」と囁かれているifを本当にやってみたら、果たして八幡は本当に幸せなのか?を検証してみましたが、まぁご覧の通りとてもじゃないですが幸せになれるとは思えませんでした。
もちろんこれが八幡にとっては幸せだろうという人も居るのかもしれませんし、考え方は人それぞれなのでそういった考え方もあるんだなぁ程度で、そこまで否定はしません。

でも自分的には、これが八幡の幸せだと思えるのならば、それはとても残酷な事だなって思いました。
傷つかない代わりに何も手に入らない青春って、それって幸せなんですかね?
奉仕部に入らず嫌な思いをせずに済んだ代わりに八幡が失うのは、これから先一生付き合っていけるかもしれない大切な人達との出会い。そして自宅以外で初めて大切だと思えた場所。そして何物にも替え難い大切な経験の数々。
正直天秤にかけるのも馬鹿らしいくらい、傷つかない事と傷ついてでも守りたいと思える物、どちらが大切かは一目瞭然な気がします。

さて、この世界の八幡のままでは救いが無さすぎなので、エピローグにてあらすじの予告通りに彼に救いの手を差し伸べたいと思います。
エピローグはごくごく短く、さらにすでにほぼ書き上がっているので、明日か明後日くらいには更新できると思います。もしよろしければ最後までお付き合いくださいませ。



今回の原作との相違点。


・小町が総武をやめた→小町が無理してまでも総武を狙っているのは、雪乃や結衣や平塚先生の存在がかなり大きいと思うんです。
なんで無理してまでも総武を選んだのかは、あのごみいちゃんをこんなにも変えてくれた彼女達に、そしてそんな学校にとても興味が湧いたから…だと思うんで、それが一切無い状態では絶望的な合格率と友人関係のドロッとしたプレッシャーを抱えてまで無理に受けないかな?と。


・文化祭→ここもよく勘違いされる方がいらっしゃいますが、実はそもそも八幡が居なければ相模が文実になる確率が超低いんですよ。
なぜなら、なぜ相模が文実に…という話が持ち上がったのかと言えば、それは八幡が文実に決まっちゃった(平塚プレゼンツ)から。それによりクラス長の馬鹿発言で女子が余計やりたくなくなったから。さらには花火大会で八幡と結衣を目撃したからです。

あの場面で結衣を陥れたいから騒いだ相模と、それによりおかしな空気となったクラスの空気を整える為に葉山が動い事によりあの事態が起きたのであって、アレがなければ葉山が相模を(戸部を使って)わざわざ推薦するとは思えませんし、葉山に推薦されなきゃ相模が文実になるはずがありませんので。
陽乃さん次第の側面もありますが、相模が委員長ではないため必然的に文化祭は何事もなく進んだ事でしょう。


修学旅行→これは一番分かりやすい落としどころに落としておきました。
海老名が三浦と結衣に相談すれば一番話が早いので。


生徒会選挙→これに関してはただの妄想ですが、奉仕部の関係がギクシャクしていなければ、こういう選択もあったのかなぁ、と。

雪乃が代わりに生徒会長になっちゃったら「魚をあげちゃって」ますし、結局いろはが落選したら立候補させた連中からは余計笑い者になるはずなんですよね。
なのでサポートとしていろはに成長を促し、やらせっぱなしにもせず、立候補させた連中を見返す(あの雪乃を部下に従えて仲良くしてたら、連中にとってはなによりも「ぐぬぬ」ですもんね)としたら、これがベストなのかなー?と。



千葉村に関しては八幡のあずかり知らない部分なので謎のままです。
でもよく言われるような状況(葉山のせいで虐めが悪化)にはならないと思います。
というよりは、なぜ八幡が居ないと留美の状況が悪化するという考えに至るのかが分かりません。だって雪乃が葉山にそれをさせるわけ無いですから。葉山も三浦も瞬殺して、雪乃の思う行動を取るのではと思います。

そしてあの強い留美ですし、せいぜい雪乃が自身の経験を語り聞かせて『一人でも強く美しく生きていける雪乃二号』が誕生するくらいではないでしょうか?



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最終回後編(エピローグ)

 

 炬燵の幸福な魔性に降伏し、まどろみのなか年を越した瞬間の出来事である。

 遠くで、俺の鼓膜を否応なしにくすぐってくる、女性の声が聞こえたような気がした──

 

 

 青春とは嘘であり、悪である。

 青春を謳歌せし者たちは常に自己と周囲を欺く。

 自らを取り巻く環境のすべてを肯定的に捉える。

 

 

 ──ん? なんだ?

 なんかアホみたいな主張を声高々に読み上げる声が……

 

 

 彼らは青春の二文字の前ならばどんな一般的な解釈も社会通念もねじ曲げて見せる。彼らにかかれば嘘も秘密も、罪科も失敗さえも青春のスパイスでしかないのだ。

 

 

 ──あっれー? おかしいな。俺テレビ点けっぱなしで寝ちゃったっけ?

 ん? いやいやいや、確かテレビなんか点けてなかったよな。だって俺の耳には除夜の鐘が響く音と、ズルズルと蕎麦をすする音しか届いてなかったのだから。

 

 

 自分たちの失敗は遍く青春の一部であるが、他者の失敗は青春でなくただの失敗にして敗北であると断じるのだ。

 

 

 ──うむ。まだ炬燵ちゃんのぬくもりにぬくぬくし過ぎて思うように頭が働らかないが、とはいえ……ぷっ、なんだよこの主張。小難しい単語を並べれば頭が良さそうにみえるとか思ってる上に、捻くれた物の見方をする俺かっけー! ってな具合の、典型的な高二病患者の作文じゃねぇか。

 

 

 それは欺瞞だろう。嘘も欺瞞も秘密も詐術も糾弾されるべきものだ。彼らは悪だ。

 

 

 ──いやー、聞けば聞くほど顔から火が出そうになるくらいの患いっぷりですこと。

 胸張ってこの主張を垂れ流してる奴、このあとベッドで悶えまくるんだろうな。ざまぁ! プークスクス。

 

 

 ということは、逆説的に青春を謳歌していない者のほうが正しく真の正義である。

 

 

 ──あれ? でもこのフレーズ、どっかで聞いたことなかったっけ。

 てかさっきからどっかで聞いたことあるフレーズばっかだったわ。……ん? え? ちょっ……待て待て待て、これって──

 

 

 結論を言おう。リア充爆発しろ。

 

 

「俺の作文じゃねーか!」

「あん? 小僧、ふざけているのか……? 当たり前だろうが。私がこうして君のアホな作文をわざわざ読み上げてやっているのだから」

「……は?」

 

 え、えーと……なんだこれ? 全く理解が追い付かないんだけど。

 

 まぁそりゃそうだろう。こんな状況、一体どこの誰がすぐさま理解出来るというのか。

 

 だって俺、つい今しがたまで炬燵のぬくもりの中でうたた寝してたんだよ? それなのになんで目が覚めたら急に麗らかな春の日差しのぬくもりの中、三十路教師に説教食らってんだよ。わけが分からないよ。

 

「おい、どうした比企谷、君がおかしいのはいつもの事だが、今は特別おかしいぞ?」

 

 ………………あ、あぁ、あれか。そうだよな、お約束なテンプレとはいえ、これはあれだ、あれに決まっている。

 

「なんだ夢かイダダダダダダぁぁぁ!」

「貴様、その度胸は褒めてやるが感心はせんな。下らん課題を提出して説教を受けている最中に、なにを夢オチで誤魔化そうとしてるんだね。それともあれか? まさか私が君のしょーもない作文を朗読してやっている最中に、本当に居眠りしてしまったとでも言うつもりかね。だとしたら余計由々しき自体なのだが?」

「ま、待って先生! ギブギブギブ!」

 

 まるで万力のような強さで俺の額をギリギリと締め付けてくる三十路教師のアイアンクローの激痛に、恐ろしい事にこれが夢ではなく現実なのだという事実を思い知らされてしまう。あまりの強力な攻撃に、その現実からもどこかへ逝ってしまいそうになったけども。

 

「……はぁ、君は本当にどうしようもないヤツだな。やれやれ、まぁいい、今回だけは見逃してやろう。…………なぁ、比企谷。私が授業で出した課題は何だったかな?」

「っ!?」

 

 今の先生の台詞に、全身がびくんとひと揺れした直後、緊張により硬直してしまう。

 だってこれはあの時の……始まりの台詞ではないか。

 

 嘘、だろ……? なんかよく分からないまま、力ずくでコレが現実であると認めさせられてしまったが、本当に、本気で現実なのか……?

 だとしたらアレこそが夢だったという事なのか……? 進級してからの、あの、九ヶ月間が……?

 

 

 いやいや待て待て、そんなわけあるか。だって、ついさっきまでの年末を、ついさっきまでの九ヶ月を、俺はこの肌に生々しく感じたままなんだぞ? あんな夢、あるわけないだろうが。

 

「……おい比企谷、二度言わすなよ?」

「は、はひっ、た、確か高校生活を振り返ってというテーマだったような気がっ……」

「確か……? だった気が……?」

「い、いえ! 高校生活を振り返って、でしゅ」

「うむ」

 

 だって仕方ないだろ! なにせその課題が出されたのは、俺にとっちゃ九ヶ月前の話なんだから!

 

 

 ──マジ、かよ……、これはもうマジのヤツだ。

 という事はアレは本当に夢、だったのか?

 

 いや、夢だとしたら些かおかしな点がある。それは先ほどの平塚先生の台詞「私が授業で出した課題は何だったかな?」だ。

 なぜなら“それ”は夢で聞いたあとにこうして現実でも聞いたという事になる。つまりあれが夢であったと仮定するのであれば、それは予知夢という事になる。

 という事はあれは夢ではなく、俺がこの時間に逆行したという可能性だってなきにしもあらず、だよな。

 アホか、なんだよ逆行って。なろう系とかの見すぎだろ。

 

「そうだな。それでなぜ君は犯行声明を書き上げてるんだ? テロリストなのか? それともバカなのか?」

 

 ……ま、この際そんな事どうだっていいか。今更そんな事を考えるの自体がなんかもう馬鹿馬鹿しい。

 こうして目の前で未だ非現実的な現実が繰り広げられているのだ。夢だろうが逆行だろうが、そんなのはもうどっちだっていい。

 

「はぁぁ……。よく分かった。つまりやはり君はバカなのだな」

 

 今俺が考えなくてはいけないのは、この状況をどうやって乗り切るかのみ。

 未だ混乱冷めやらぬ頭ではあるが、俺はまるであの日をなぞるように、先生との会話を紡いでいく。

 

「それともうひとつ分かった。君は友達が居ないという事がな。まぁわざわざ言われなくとも、そうなんだろうなぁとは薄々気付いてはいたがね」

 

 ああ、やはりそうか。俺が返したら、平塚先生がそう返してくることは知っていた。なぜなら、俺はこのやり取りを一度経験しているのだから。

 だから分かってしまう。このあとに続く展開が。

 

「……なぁ、比企谷」

 

 呆れ果てた表情と弛緩した空気から一転、平塚先生は暖かさを帯びたとても真剣な表情で俺の目を真っ直ぐに見つめる。

 でも、この思考だってこの表情だって、俺はすでに経験済みだ。

 

「……はい」

 

「部活に入れ」

 

 ですよね、やっぱりそう来ますよね。

 九ヶ月前にも思った事だが、やはり今でも分からない。なぜこの人が突然こんなことを言い出したのか。

 ……いや、今なら少しだけ分かるのかも知れないけれど。

 

「この歳でこんなふざけた作文を書いてそんなふざけた受け答えをしているようでは、君はこの先ろくな人生を歩めないだろう。君には更正が必要だ。私が受け持っている部活ならば、君のその荒んだ思考回路を良い方向へと成長させてくれるかもしれん。悪いようにはしないぞ、どうだ?」

 

 そうあの時と同じ言葉を口にして、平塚先生は俺の目の前にすっと手を差し出した。

 だとしたらここから俺が取るべき行動は簡単だ。なぜなら俺は九ヶ月前、ここですでに模範解答を出しているのだから。

 さぁ、あの時と同じようにこの手を振り払え。そうすればもう一度あの平和で退屈で最高の日々が手に入るのだから。自分の好きで選んだ誇らしくさえ思えるあの安寧の日々が、もう一度楽しめるのだから。

 

 そして俺は口にするのだ。自分の意志で考えて、自分の好きに選んだこの言葉を。

 

 

 

「……よ、よろしゅくお願いしましゅ」

 

 噛みまくりの末にようやく絞りだした情けない台詞と共に、なにを思ったか、俺は平塚先生が差し出してくれていた手をそっと握ってしまった。まるで、救いの手にすがる子供のように。

 

「はぁぁ……まったく君というヤツは、どうしてこう下らん理屈を捏ねてまで…………って、えぇぇえぇぇ!? ちょ、ちょっと待て比企谷、今お前、よ、よろしくお願いしますって言ったのか!? てててていうか、しょ、職員室で女性の手をいきなり握ってくるとか、それはちょっと恥ずかし……こ、困るぞ……っ!」

 

 いやなんでだよ、あんたが手を差し伸べてくれたんだろうが。

 

「す、すみましぇん」

 

 とは言うものの、なんかつい勢いで女性の手を握ってしまった俺も超恥ずかしいです。なので即座に離しました。

 にしてもなんだよこの人、ちょっと手を握っちゃったくらいでこんなに真っ赤になってモジモジしちゃうとか可愛いな。三十路だけど。

 

「げ、げふんごふん! あぁ〜……ビ、ビックリしたぁ……」

 

 なにその咳払い、材木座かよ。

 この人こんなに美人で可愛らしいのに、なんで結婚出来ないんだろうな〜とか思ってたけど、この残念なところが原因か。てかよくよく見ると残念オーラが湧きだしているまであるな。

 

「おい、なにか失礼な事を考えてないだろうな」

「滅相もございません」

 

 怖え〜よ……なんで分かるんだよ……

 

「……し、しかしだな」

 

 未だ頬をほんのり染めたまま、この三十路美女は疑問を投げ掛け……い、いえ、まだまだ若手の美女です、はい。

 

「私はてっきり下らんごたくを並べて断ると思っていたぞ? まぁなにをぬかそうが首根っこ捉まえて引きずってでも連れて行くつもりだったがね」

 

 だからなんで力ずくなの? やっぱり世紀末覇者なのん?

 

 

 ──九ヶ月前には下らない妄言に愛想を尽かした平塚先生。

 でもあれはやはりただの夢まぼろしだったのかも知れない。だってこの先生なら、俺がどんなに下らない事を吐き出してもぶん殴ってでも調教してくれそうだしな。

 やだ! ぶん殴ってでも調教してくれそうとか、完全にMに目覚めちゃったみたい!

 

「……まぁ、あれですよ」

 

 なんにせよ平塚先生の疑問がもっともな以上、少しでもその疑問を解消してあげましょうかね。

 だって俺自身だって、自分でその理由を口にでも出さないと、なんでこんな行動を取ってしまったのかよく分からないのだから。

 

「先生が思っていたよりは、俺が人生経験を重ねてたっつーことで」

「フッ、成る程よく分からんな」

「ですよねー」

 

 しかもその人生経験は今まさに繰り返しちゃってる経験なんだから、まったくもって手に負えないっすよ。ゼロから始めちゃったって説明した方が分かりやすかったかな?

 

「でもまぁ、君が乗り気であるのなら私も楽でいいよ。では着いてきたまえ」

「……うっす」

 

 そして俺は平塚先生の背中に着いていく。

 繰り返しではない、未知なる先の未来へと。

 

 ※

 

 

 かつかつとヒールを響かせながら先を行く先生の背中を追うと、そこは普段あまり足を踏み入れない特別棟の廊下。

 俺は、教室棟と違いひっそりと静まり返った特別棟の冷たいリノリウムを踏み締めながら、ゆっくりと思考を巡らせる。

 

 

 ──なぜ俺は九ヶ月前に拒否したわけの分からない部活勧誘を受けてしまったのだろうか? なぜ俺は平塚先生の手を……差し伸べてくれたあの手を取ってしまったのだろうか。

 黙って九ヶ月前と同じようにしていれば、あの安寧の日々を同じように過ごせていたのかもしれないというのに、なぜ俺は俺らしくもなく、自ら面倒ごとに足を突っ込んでしまったのだろうか。

 

 安寧の日々──か。

 そうだな。確かにあれは楽だった。平和だった。傷付きもしなかった。なによりも俺が大好きな安心で退屈な日々だった。

 

 でも俺は思ってしまったのだ。ついさっき……いや、九ヶ月後に訪れるのであろう大晦日に、俺は確かに思ってしまった。

 

『もしもあの時、平塚先生の手を取っていたとしたら……もしもあの時、由比ヶ浜の優しさを素直に受け入れていたとしたら、俺のこの八ヶ月は違う毎日になっていたのだろうか?』

 

 なんて、ありもしない……いや、ありもしないはずだったタラレバのお話を。

 それにそれだけじゃないだろ。素直になっちまえよ、俺。

 いつぞやのテニスコートでの一幕だってそうだったろ。俺は雪ノ下雪乃と由比ヶ浜と女テニの子が笑い合う姿を見て、密かに羨ましいと思ってしまった。あの中に自分が交ざっている姿を想像してしまったりもした。そして眩しすぎてそこから逃げ出した。

 

 さっきはそれは認めたくなかったから気付かないフリをしたけれど、でも本当は気付いていた。そう思ってしまった時点で、それは後悔なんだろう、と。

 

 一人で居るのは楽しい? 一人で居るのは楽だから好き? 一人で居るのは最高?

 アホか。心の底から本気でそう思っているようなヤツは、新生活に期待を膨らませて、張り切って誰よりも早く登校しちゃおうなんてこと思わねぇよ。

 

 俺は本当は一人じゃなくなる事をどこかで期待していたのだ。……いや、今だってどこかで期待している。

 でも世界がそれを許してくれないから、期待して傷付くのが恐いから、だから一人が楽しいんだと思い込もうと捻くれていただけの、ただのしょうもない高二病患者なのだ、俺は。

 

『……だからさ、お兄ちゃんはもう、選択を間違えないでね』

 

 だからなんだよな小町。だからお前はさっきあんな事を言ったんだよな。

 

 もしもあれがただの夢だったのなら、さっきの小町もさっきの台詞も深層心理の中で俺が勝手に作り出しただけの幻影に過ぎないし、もしもこれが逆行とかいうフィクションじみたふざけた現象だったのだとしても、それは俺がこの場面に後悔という感情を置き忘れてきてしまったが故に起きた現象。

 つまりどちらにせよ、ここでのこの選択が誤りだったと、俺自身が深く思っているからこそ起きたこと。

 

 そう、俺はどこかで後悔していたんだ。あの時先生の手を取っていれば、あの時由比ヶ浜の優しさを受け入れていれば良かったと。

 そしてもう一つ。確かに平和だった。確かに傷付かなかった。

 でも、そんな楽で楽で仕方がなかったこの九ヶ月を、もう一度同じように繰り返すのはまっぴらだと思ってしまったのだ。だって、もう一度あのなんにも無かった一年生の学生生活をそのままやり直せとか言われたら、冗談じゃねーよって思うもん。

 

 だから俺は平塚先生の手を取ったのだ。この手を取れば、期待する事を諦めていた自分に、別に無理して諦める事はないんじゃねーの? と言ってやれそうで。

 

「……そう、か」

 

 そこで俺はある事に気付いてしまい、すぐ前を歩く平塚先生の耳にも届かないくらいの小さな声で呟いてしまった。

 

 ──ああ、だからさっき、小町にお世話になりましたってちゃんと言っとかないと後悔するって思ったのか。

 だって、あの小町とは……あの九ヶ月を共に過ごしたあの小町とは、あれで永遠のお別れだったのだから。

 

 だからかよ小町、だからお前はあんな最高の笑顔でお世話になりましたって言ってくれたのか。

 だからお前は最後に「……頑張ってね」って、こんなダメダメなごみいちゃんの背中を押してくれたのか。

 分かってたんだな、これで一旦お別れだよ、って。

 

 夢だろうが幻だろうがもうどうだっていいわ。夢でも幻でも、そうやって余計なお節介を焼いてくれてサンキューな小町。

 今の小町には意味は分からないだろうけれど、帰ったらめっちゃくちゃに頭撫で回してやるぜ! どんなにウザがられようが、どんなにキモがられようが……

 

 

「着いたぞ」

 

 

 平塚先生の声にハッとする。色んな事を考えている間に、いつの間にか目的地に到着していたようだ。

 

 そこは、元よりあまり人気のないこの特別棟においても、より一層人の気配を一切感じない、とてもとても静かな場所だった。

 そしてその先にある一つの教室が本日の……いや、違うのか。これからの俺の目的地となるらしい。

 

 そこは何の変哲もない教室。プレートには何も書かれていない。

 この扉の先には、一体なにが待ち受けているのやら。

 

 がらり。

 

 え、ちょっと?

 先生はなんの躊躇もなくその扉を開けた。おいちょっと待て、少しは気持ちの整理をさせてくれませんかね。てかノックとか一声かけるとかねぇのかよ、この女教師。男らし過ぎだろ。

 

「平塚先生。入る時にはノックを、とお願いしていたはずですが」

 

 やはりその部屋の主も同じ感想のようで、とても不機嫌そうな、でもとても美しく凛とした声を不躾な教師へと投げつける。

 ……なんだろう、どこかで聞いた事があるような声だ。例えば、そうだな……ちょうどひと月くらい前、体育館の壇上で公約を訴えていたとんでもない美女のような、そんな声に似ている気がした。

 ま、ひと月前っつっても夢の中のひと月前だから、そんなのはただの勘違いなんだろうけれど。

 

 すると、そんな思考に耽っている俺に、不躾で男らし過ぎる女教師からお声が掛かるのだった。

 

「ノックをしても君は返事をした試しがないじゃないか。……ん? おい比企谷、いつまでもそんな所につったってないで早く入りたまえ」

 

 

 

 ──さてと、この扉を潜ると、この先俺の安寧な高校生活にどんな試練が待ち受けているのやら。

 そしてそれは間違いなく大変で、間違いなく面倒なものになるのだろう。もしかしたらまた嫌な目に合うかもしれないし、深く傷付いてしまう事だってあるかもしれない。

 ……ああ、めんどくせぇなぁ。

 

 

 しかし、俺はそれでも臆せずに一歩を踏み出すのだ。

 後悔に気付いてしまったから。タラレバを妄想してしまったから。そしてなによりも、小町に応援されてしまったから。

 

 だから俺は臆せずその扉を潜る。いや、ホントは超臆しまくってるけどね。なんならとっとと逃げ出したいまである。

 でもそれは出来ないから、せめて神様に祈ろう。ここまできて他力本願とか、俺ってば超男前!

 

 

 

 

 シリアスの神様でもラブコメの神様でもトイレの神様でもこの際なんでもいいや。めんどくさい事も傷付く事も、ある程度は我慢してやるよ。

 だからせめて九ヶ月後の大晦日の夜、まだ一年以上も高校生活残ってんのかよ……なんて、早く終わってくんねぇかな……なんて、そんな事を思わないでいられるような、そんな日々を送っていけますように。

 

 

 了

 

 




というわけで安易な夢オチ(もしくは逆行?)という結末となりまして、誠に申し訳ないです。
でもこれは別にただ安易なオチに逃げたというわけでは決してなく、こうする事によって『俺ガイル』という物語の中で、一体なにが八幡にとっての救いの手なのかを分かりやすくしたかったからです。

最終回前編を八幡の幸せと捉えた人はもう後編は読んでないだろうとの判断で言っちゃいますが、変な悪意を持った一部の方を除いて普通に俺ガイルを青春ラブコメとして楽しんでいる原作読者なら普通に分かる事だとは思いますが、八幡にとっての救いの手って、他でもない平塚先生なんですよね。
さらには奉仕部での経験や出会いであり小町のお節介だと思うんです。

だって期待して傷付くのが嫌だからと、他人に一切興味を持たず関わりもせず信じもせず見下したままの比企谷八幡という人物のままでは、今はまだ良くても、将来的には本当に大変な人生になってしまいますもん。

なぜなら八幡のこの先の人生で、平塚先生や奉仕部のような出会いと成長があるとは限らないし、当然都合のいいオリジナルヒロインが都合のいい救いの手を差し伸べてくれもしないのですから。

それでは最後までありがとうございました。



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