装甲悪鬼村正 番外編 略奪騎 (D')
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BLADE ARTS Ⅲ

 自身の劔冑(ツルギ)が告げる。あの劔冑は奇妙だと。

 快晴を翔る。

 まず有利を取った。敵は後方。このまま旋回し初手を打ち込む。高度的有利を確保したまま双輪懸(ふたわがかり)に持ち込むが理想。

 

 旋回。敵を正面に据え降下。太刀を右肩に背負い、打ち合いに備える。

 ふと劔冑の言葉を反芻する。奇妙、とは。

 ふむ、確かに。

 

 正面にある敵を見れば、その奇妙さは見て取れる。

 光沢を持った灰色の装甲。美しい流線型を中心とした飾りをした上半身。それとは逆に群青色、直線的な下半身。腰から肩に掛けて、その飾りは交差し伸びている。

 いや、奇妙なのは飾りではない。それよりも――背面。

 

合当理(がったり)が異様に小さい。あれでは十分な推力を得られるとは考えにくい。現に上昇すら苦しそうな様だ」

 自らの劔冑、村正と比べる。

 村正の合当理は背面いっぱいに背負う大きさ、熱量変換型単発火筒推進と呼ばれる一般的大きさの合当理である。

 

 だが相対する敵の劔冑はどうだ。見たところ分類は同じ。熱量変換型単発火筒推進。しかし、その大きさは村正のよりも二周り小さい。

 それは、そこから吐き出す推進力を大きく差を別ける。あの大きさならば双発式であるべき。

 見れば、母衣(ほろ)も同じく小さい。腰から伸びた二枚の羽は、分厚く、しかし短い。

 

 腿にも母衣のようなものが見えるが、どうにも違う。

 例えば、機動性に特化した形であるのなら、その翼幅は小さくあるべきである。

 翼は大きければ長時間の騎航に優れているが、機動性、旋回速度には大きく障害となる。

 

 転じて、翼が小さければ旋回速度に優れ、しかし効率的な揚力を得られぬが為に、必要以上に合当理を吹かす必要があり、非効率となる。

 母衣の大きさだけで言うのなら、旋回性に重きを置いた劔冑、というだけですむ。だが、それでは小さな合当理を使う理由とは一致しない。

 旋回で勝ったとしても、あれほど上昇に苦しむ速度では、その理を殺している。そも、その非効率な揚力を得る為に推力は増して必要なのだ。

 

 小さな合当理を使う理由は、熱量の温存。それに照らすと、大きな母衣を使い小さな合当理を使う。それがもっとも、長時間の騎航に適した形である。

 長所を重ねる。長所で短所を補う。そのような形ならばあるだろう。

 しかしあれでは、短所に短所を重ねている理に合わぬ歪な形だ。

 

 あれを打った刀鍛冶は何を思ったのだろうか。それを思えば、村正が奇妙と言った理由も当然である。

 村正の金打声が脳内に響く。

 

《違う。確かにあの母衣と合当理は奇妙だけど、それよりも、あの劔冑からは妙な感じがする。二人いるような……》

「? どういう事だ」

《分からない。一つの劔冑なのに、二つ、重なっている感覚がする》

 

 疑うべきは、感覚の欺瞞。脳裏に過ぎるは、苦戦を強いられた月山従三位の名を持つ劔冑。劔冑の目と耳を欺き、見えざる刺客となった強敵。

 つまりは――陰義。

「それはあの時の、ステルスと同じ感覚か?」

《それも違う。陰義ではない。目も耳も正常。それは保証する》

 

 ……保証。 

 劔冑の語るその言葉に意味があるか、考える必要もない。

「それは道具のお前が口にする言葉ではない」

 

 敵が迫る。

 太刀を握り直す。

 圧倒的有利。降下による加速に加え、敵の速度不足。打ち負ける可能性は限りなく無きに等しい。

 

 ここは最大限の力を当てる。相手の下に潜りこんでからの、振り下ろし。

 迎撃の構えを取る敵を見る。抜いた獲物は太刀。否、母衣も合当理も、獲物すらも一様に小さい。

 それは太刀よりも短く、脇差よりは長い。大脇差などとも呼ばれ、およそ実戦で使われる事がない代物。

 

「――小太刀か!」

 取り回しに特化した刀の形。威力を捨てた、およそ武者の主武装には適さない武器。

 わざわざそんな物を振り回すからには、それだけの理由がある。だろうが――。

 

 検討がつかない。

 ついに、敵が目の前に差し掛かる。

 仮に何をしてこようとも、この時点ではもう、構えを変える事などできない。

 

 否、そんな必要もない。有利は変わらず、不利は覆る事はない。

 予定通りに相手の下へ潜りこむ。敵に妙な動きなし。後は渾身の一撃を見舞うだけ。

 一刀。重力による加速を載せた理想的な振り下ろしは、しかし。

 

 ガチリ。刃金を打ち合う音を響かせ、妙なてごたえに終わった。

 敵の位置を確認する。

 後方。変わらず四苦八苦という様子で天に昇る様が見れる。

 

 妙だ。おかしい。

 あの威力ならば、受けた小太刀ごと断ち切る事ができたはず。しかし、敵の獲物は健在。

 仮に無事、受け太刀できたとしても、あの威力を受けたのならば、あの敵の鈍間な速度。武者ごと叩き落とす事すら可能だったはず。

 

 いや、それ以前に、獲物がぶつかる音を響かせながらも、てごたえがまるでなかった。

 空を斬るよう、とは言いすぎだ。だがしかし、暖簾を押した様である、というのはしっくりと来る。

 確かに何かを打った感触こそあるが、そこから先がまるでない。押した実感がまるでない。

 

 つまり、渾身の一撃は容易く、受け流されたという事。

 しかしどうだ。地に足つけての戦いと今は違う。これは武者同士の、騎航による双輪懸に他ならない。

 受け流すという行為は、腕を引くだけでは三流以下。体を引いてこそ十全な受け流し。

 

 だが、それを空中でするならば、そのまま体勢を崩しかねない危険な行為。

 当て推量で出来る業ではない。

 油断があったか、と己を恥じる。否、ここは相手の業に感服すべき所か。

 

 降下の勢いは上々。そのままの勢いに上昇する。敵を見れば、ゆっくりと速度を落としながらも、推力を得ようと下降する様が見れるだろう。

 これが双輪懸。∞を画きながら交差点で斬りあう、劔冑を纏う武者の戦い。

 一度取った有利は簡単に覆りはしない。次に打ち合う瞬間も、相手は下から突き上げ、自分は上から払い落とす。

 

 次こそ決める。敵の様子が変わらないのであれば、次で決める事ができる。

 下に潜った一撃を上に流れて受け流すならば、次は上から切り上げ、敵を下に泳がせる。

 そしてそのまま、体で叩き落とす。

 

「やれるな、村正」

《ええ、可能よ、御堂》

 敵の様は極めて薄い装甲。転じて村正は重圧なそれをしている。

 

 ぶつかり合いで負ける訳がない。

 不意に、金打声が脳を叩いた。

《さすがのさすが。赤い武者と呼ばれるからにはお強いことで。六波羅の数打とは訳が違う》

 

 敵の武者の声。名を芹沢弥刑部(せりざわ やぎょうぶ)。

《だがこちらも数打とは訳が違う。そも真打ならば。執らせてもらうぞ。悪鬼!》

 互いに上昇から下降へ切り替える。

 

 その時、敵の装甲が青く淡く光りを纏った。装甲に走る文様。あれは真打ならではの現象。

 

《御堂! 陰義が来る!》

「――諒解!」

 警戒。相手の動き全てを見る。

 

 陰義(シノギ)とは、数打にはない、真打だけに備わる力。この世の理を曲げる力。

 その力は千差万別。故に相手の手札を予測はできない。村正とて、磁力操作という陰義を持っている。

 相手の陰義を交わすか、防ぐか。こちらも陰義で迎え撃つか。

 

 しかし、陰義は多大な熱量、カロリーを消費する。劔冑を動かす事全てに熱量は関わる。

 劔冑の維持にも、傷の治癒にも、合当理を吹かすのにも。

 何をするにも熱量は居る。それが切れれば体は凍り、劔冑は落ちる。

 

 そのため莫大な熱量を仕手から奪う陰義は乱用ができない。最後の切り札。

「村正、相手の銘を鑑る事はできるか」

《……どことなく豊後の作に見えるけれど。もし豊後の作であるなら、千鳥。でも、あれは……》

 機体が加速する。重力に引かれ、合当理に押され、加速する。

 

 高度計がぐんぐんと目盛を減らしていく。太刀を右肩に背負う。

 千鳥。雷を斬ったとされる名物に数えられる一つ。その逸話より雷切と呼ばれる劔冑。しかし村正が口を濁した理由も分かる。

 折れず、曲がらず、よく斬れる。戦使いを主眼に置いたその作風こそが豊後の売り。

 

 しかし、敵の劔冑はどうだ。不釣合いな母衣と合当理。実践的とはいえない小太刀。まるで豊後の作には見えようもない。

(もし、逸話にあるままの千鳥、雷切であるのならば、やはり雷が関わる陰義となるか……)

 詮無き事。当たって見れば分かるという物。

 

 相手の顔が見えてきた。青白い光りを纏いながら昇りくる姿はやはり遅い。

 瞬間、身の毛が逆立った。首がすくむ。顔が冷える。心が凍る。

 光りが瞬いた。

 

《御堂――!》

 切羽詰った村正の金打声。しかし、その声を聞いたときには既に、斬られていた。

 今更と、ピシャリ、と雷が嘶いた。

 

 鼓膜を叩く震えに耐える。

「――損傷は!?」

《――左肩から背後甲鉄が大破、幸いにも合当理は無事!》

 

 言われて、左腕を見る。

 大丈夫。繋がっている。しかし、持ち上げられない。

「敵の位置は」

《午の上!》

 

「上だと?!」

 敵に視線を向ける。遥か上空。如何様にしてそこまで昇ったのか甚だ疑問であるが、確かに米粒ほどの大きさの武者が空を舞っている。大きな母衣を広げ、風に乗って舞っている。

「……母衣が大きくなった?」

 

《恐らく、折りたたんでいた、と考えていいでしょうね。でも、母衣よりも、あの劔冑、合当理が止まっているほうが大事じゃない?》

 言われて気づく。合当理が火を噴いていない。

「陰義による熱量不足か?」

 

《あり得ない、訳じゃないでしょうね。

 たぶん、相手の陰義は雷化、とでも言うべきか、ともかく音よりも速く加速する事が敵の陰義。

 そんな大技、ほとんど刹那に近い形でしか使えないでしょうけど、それでも熱量は相当喰らうと予想できる》

 

 音よりも速い加速。なるほど、それならば一瞬で斬られた事も、その後に雷の音が響いたのも納得できる。

 ならば、どうだ。熱量を騎航戦闘中に回復するなど不可能だ。

 熱量の回復には食事は欠かせず休憩も必要。あの一撃で仕留められなかった段階で、こちらの負けはなくなる事となる。

 

 ――だが、本当にそうだろうか。

「なぜ、あれは落ちない。熱量不足ならばコントロールを失うはずだ」

《恐らく、凧なんでしょうね。広げた大きな母衣で風を捕まえて、緩やかに滞空する。高度は次第に落ちていくでしょうけど、あれなら即墜落という事はなくなる》

 

「つまり、あれは合当理が止まる事を想定した作りをしている、という事か」

《そうなるわね》

 ……ならば、敵はまた息を吹き返す!

 

 それまでにこちらも取り戻さねばならない!

「高度を稼ぐ!」

《諒解》

 

 視界が回る。ゆっくりと、体がばらばらに飛散しないよう気を使いながら旋回。落ちてきた勢いを上昇へと変える。

《御堂、敵に動き有り。合当理が再点灯したわ》

「予想通りだ。敵も甘くはない」

 

《熱量不足というより、あの陰義自体に定められたリスクのようね》 

「あれだけの加速だ。いくら仕手といえど、無事ですむ筈がない」

《意識を失っていたと?》

 

「その可能性は大きい。あれだけの加速、急上昇。劔冑は無事でも血は無事ではすまない。その危険も、あれだけの高度で離されてしまってはすぐに追撃する事は出来ない」

《つまり、最初、高度の有利を私たちに渡したのは》

「それを餌にした罠だったという事だ。もしあの加速を使って、上手から攻撃したならば、打たれた側は重力に従って追撃すればいいだけの事。

 

 あの陰義は、下から突き上げる時でしか使えない。故に」

《今は相手のほうが高度は上。陰義が使われる事はない。でも――》

「分かっている。この一刺しは高くついた」

 

 先ほどは渾身の一撃を不意にされた。だのに右だけからの一撃は通るだろうか。

 敵の劔冑が――雷に似た陰義であったのだからやはり、千鳥だろう――まっすぐこちらへ向かって降下してくるのが見える。

 弥刑部は左手に小太刀を一本、逆手に構えている。

 

 逆手ならば、相手はこちらの上を取ろうと動くだろう。

 逆に、こちらが上を取れば往なす事も許さない。

 下段からの切り上げ。それが最良。

 

 ……いや、待て。先ほどの太刀打はともかく、あれはどうだ。さすがに露骨ではないだろうか。

 先ほどの受け流しは驚嘆に値する一合いだった。そこから力量も測れるというもの。

 ならば、あのような分かりやすい弱点を晒す構えがあるだろうか。

 

 もしあるとするならば――上を取らせる事こそが本命。

 何か返し技があるのか。逆手である意味は?

 ……もし。

 

 もし脇差であるならば。

 まだ相手の業を予想できようものがある。流派によって変わるが、脇差による業もあるにはある。

 しかし、相手は小太刀。

 

 特殊だ。普通の流派では扱わない代物。

 相手にした事がない。

 業を学んだ事がない。

 

「――ぐっ――!」

 敵は構えを変える事無し。もはや交差も目前。

 右手に持った刀を真っ直ぐと敵へ向け構える。

 

 右手一本しかない事に思い至った。

 斬り上げはダメだ。

 斬り下ろしよりも筋力の必要な打ち込みを片腕で行うなど片腹痛い。

 

 力ではダメなのは先で証明されている。ならば――。

 

 交差。

 

 こちらが上。相手が下。相手の背筋に沿って刃を突き入れる。又は合当理を突く。それがこちらの狙い。

 だが、その試みも無駄に終わった。

「――何だと!」

 

 回転(ロール)。母衣が砕けるかという速度で急激な横回転。上を飛んだ俺に腹を見せる形となった相手は、しかし回転の勢いのまま左手一本で小太刀を振り、俺の突きを払った。

 だが、それでは終わらない。

 右手が襲う。右手が、二本目の小太刀を持った右手が襲う。

 小太刀二刀流。

 

 武者の武器としてこれほど利に沿わぬものがあるだろうか。

 武者の甲鉄は厚い。双輪懸は、そんな厚い甲鉄を割く為に必要な立ち回り。

 片手で振るう刃では早々、甲鉄を割く事など出来はしない。

 

 無論、現状のように怪我でそれを余儀なくされる事もあるだろう。

 しかし、初めからそれを選ぶとは何ぞ理あってのことか。

 そも二刀流とは防御の型。攻撃には向かぬ型。

 

 地に足つけたままならともかくも、騎航した武者にはあまりにも――。

 ――しかし。しかし、甲鉄を身に纏う武者としても弱い場所はある。

「はっ!――ぐっ――っ!!」

 

 ここは左手で払いたいところ。しかし、左手はあいにく先の一合いで動かなくなった。

 凶刃が首をめがけ振るわれる。

 首。甲鉄は関節周りこそが弱い。そこを突くのは当然。

 

 それが小太刀であるのなら、なおさら。

 体を翻し肩で刃を防ぐ。甲鉄を打つ音が響く。凌いだ!

 これで二度目の、いや、三度目の交差が終わる。

 

《左肩に目立った傷なし。力自体は弱いようよ》

「あんな無理な体勢から振ったのだ。太刀は払えても甲鉄を裂けるとは思っていない」

 しかし、肝は冷えた。

 

 慣れぬ武器相手に、やはりどこか侮りが抜けない。いわば一太刀一太刀が新鮮な心持。

 両腕で振るったのなら片腕の小太刀に刃を払わせはしなかった。

 ……知っていて、そう取ったのか。

 

 高度を得る。その一身で身を落とす。

《御堂、敵が!》

 視力を強化。敵を見やると、そこには未だ落ちている敵を見つけた。双輪懸の常識を照らせばあちらは上昇し、高度を得て、再び交差に向けて落ちる。

 

 しかし、相手に上昇の意思はない。

「――しまった! 馬鹿な、双輪懸において、より低い位置を取り合うなんて事が……!」

 今、現にあったのだ。

 

 常の双輪懸であるならば、敵よりも高く高度を取り合う。それこそが武者の騎航合戦の不文律。

 だが、今はどうだ。敵は低い位置を得んが為、上昇を放棄し下降を続けている。

 だがそれも当然。彼の陰義は相手よりも低い位置に居るときに真価を発揮する。

 

 ここはどうする。相手の思い通りにさせてやるか。それとも、チキンレースを始めるか――。

 

 

 

 

 ……ここは素直に有利をもらう。

 彼の劔冑は彼の理に乗っ取った作りをしていると見受けられる。

 つまり、それだけバランスを失いそうな瞬間からの復帰にも適した形をしているはず。

 

 チキンレースを行い、ぎりぎりまで粘った相手に置いていかれ、復帰できずにこちらが地に落とされるなど、笑い話にもなりはしない。

 例えば重量。例えば大きさ。例えば母衣の形状。

 又は仕手の力量によるだろうが、しかし特化した性能に汎用型が及ぶべくもない。

 

《……その思考は少し不愉快》

「黙っていろ」

 

 ならばここは、無理に付き合う必要もない。こちらはこちらの流儀を貫かせてもらうまで。

 兜角をあげる。上昇。こちらがしばらく昇ったと見れば、相手も上昇を始めるはず。

 来た。遥か下方。ようやくと重い腰を彼は上げた。

 

《掛かったよ》

《掛かったね》

 

 二つの金打声がした。

 一つは幼いころころとした少年の声。

 一つは幼い鈴のような少女の声。

 

《何? これは……つ、劔冑なの? まさか、あんな幼い……》

 

 村正の驚きが伝わる。

 劔冑とは刀鍛冶がその身を捧げ、作り上げる生涯にただ一つの、刀鍛冶における最終作品。

 それが幼い子どもであるなど、誰が思おう。

 それはつまり、幼い身で劔冑の鍛造を習得し終え、それを振るったという事。

 

 劔冑の鍛造は一夕のものではない。それを考えれば、村正の驚きも理解できる。

 だが、問題はなぜ、二つの声がするかという事。

《そんな、そんな劔冑があるなんて……》

 

 だが、今はどうでもいい。次の交差、相手は陰義を使ってくる。それだけを考えろ。あれとどう交わすか。それだけを。

 しかし答えなど決まっているようなものだ。相手が最強の一撃を振るうならば、こちらも最強の一撃を振るわねばならない。

《……捉えられるの?》

 

「やるしかあるまい! 磁気鍍装(エンチャント)――蒐窮(エンディング)!」

《ながれ――つどう》

 

 太刀を鞘に収める。左手を無理やりに鞘に当て、磁力によって固定。抜刀の構を取る。

 

 音を置き去りにした一撃。神速といって良い一撃だが、しかしその初動は陰義であるが故に容易く感知するところにある。

 そして、加速の間、相手は十分な認識を得られていないと推測される。もし、しっかりとした認識があるのならば、最初の一撃の折、その速度のまま無防備に固まった俺の首を落としていれば済む話。

 しかしそうならなかったのならば、首を落とす事が出来なかったと考えるが妥当。

 

 あの速度を知覚できないのは、相対する敵だけではない。振るう自身すら知覚できていないと考えられる。

 そこが、付け根。

 そこを、斬る!

 

 敵が迫る。

 二刀を両手に構え、昇り来る。敵の構は片手を逆手に、片手を正手に持った、二の構。

 

 後三百。後二百。後百――。

 

《陰義がこない!》

「――ならば好都合!」

 

 吉野御流合戦礼法「迅雷」が崩し――

 

 村正の陰義は磁力操作である。その力を一点に集中させた己最強の剣技。

 極限まで高めた磁力によりはじき出される剣速は誰の知覚に止まることもない。

 最速にして最強の抜刀術。

 

電磁抜刀(レールガン)――(マガツ)!!」

 

 交差の瞬間に必殺の一撃は放たれた。

 防ぐ事、かわす事、叶わず。

 

《――シャァアァアッァ!》

《その力》 

《断ち切る》

 

 必殺の抜刀は――

 

 ――小太刀一本にて、防がれた。

 

 それを呆然と仰ぎ見たのを、誰が責めることができると言うのか。

 太刀すら両断する一撃を、左手の、逆手にもった小太刀一本で太刀打した等と。

 無論、呆然としたのは自分だけではない。劔冑も、村正さえも思考を停止させただろう。

 

 だが、復帰は村正のほうが早かった。

《御堂! ――陰義よ!》

「――来るか!」

 

《違う!》

 途端、小太刀の刃先が目に映った。

「ぐっ――!」

 

 首の関節を狙った一撃は、大きく体をそらせ回避した。

 しかし、その刃先は止まらず、そのまま肩の関節から入り込み、肉を焼く。

「あっがあっ――!」

 

 右の肩を貫かれた。

 ――窮地。これでは太刀を振るえない!

 後退、の二文字がよぎる。

 

 敵が背後へ抜ける。四度目の交差が終わった。

 

 終わってから、先の一合いを検証する。なぜ、小太刀にて禍は防がれたのか。

《……陰義。敵の劔冑は、防ぐ瞬間、陰義を使っていたわ》

「だが、相手の陰義は音を置きさるあの加速。それをどう応用しようとも、防ぐことなど出来はしない。仮に小太刀のみを、腕のみをあの速度で振るったとしても、小太刀が持たん!」

 

《違う。加速の陰義ではない。いいえ、前提が違う。あの劔冑には、心鉄が二つある》

「心鉄が――二つ?」

 心鉄とは、劔冑の作成過程における最後の段階。刀鍛冶がその身魂を捧げ刀に打ち込む最後の仕上げ。真打劔冑は心鉄がなければ劔冑足りえない。

 

 だが、それは一つだ。

 劔冑を打った鍛冶師がその御霊を打ち込む。それがなぜ、どうすれば二つとなる。

《あれは、元々二つの劔冑なのよ。心鉄が二つ。陰義が二つ。されどその身は一つきり。二刀一対の劔冑。そんなものが……あるとは思っていなかったけど》

 

《お分かりかな。この劔冑の正体が。二刀一対。千鳥と雷切。姉弟劔冑がこの一領》

 こちらの話を聞いていたのか。否、気配を察して金打声が響いた。

《心鉄が二つ。陰義が二つ。つまり――》

 

《え? ――御堂! 午の上、敵機反転!》

「な、なに?!」

《刀が二つ。合当理が二つ! 母衣が二つ! それがこの劔冑、千鳥と雷切の本領よ! ッシャアアァァ!》

 

 急な旋回。歪な騎航。えもすれば母衣は砕け、その身は落ちる危険な旋回。

 腰から吹いた新たな合当理による急激な方向転換。母衣を一時折りたたみ、しかる後に広げ直す。

《あ、あんなのずるい!》

 

 二門の合当理に火を吹かせ敵はこちらへ追いすがる。その速度は先ほどまでとは雲泥の差。今の姿こそが本来の姿なのだろう。

 名物といえる力量が煌いている。

 しかし。関心している場合ではない。

 

 この状況は、あまりにもまずい!

 現状、こちらは降下中。そして相手もそれを追う形で降下している。

 しかし、それは。武者の斬りあいには本来ありえない形。

 

《さあさあさあさあ!、ドッグファイトの経験は有や、否や!》

「……っぐ……否!」

 

 ある訳がない。

 武者にとって、尻傷は切腹を持って雪ぐ恥辱。追われながら戦うなどありえる筈もない。

 しかし、しかし。

 

 現状こそがまさにそれ。こちらが逃げる訳でもなく。無理やりにこの形にされるとは夢にも思わなかった。

 

 

《――御堂!》

「――どの道、このままでは戦えない! ここは、退くぞ!」

《――諒解。悔しいけど。あんな子どもに負けるなんて……》

 

「まだ卵は問題ないな」

《大丈夫。孵化する気配すらない》

「……よし!」

 

《逃がすと思うてか!》

 

 

 敵が、追いつく。その一刀が、合当理を捉えた。

「村正ァ! 合当理を止めろ!」

《――諒解!》

 ガチリ、と甲鉄は引き裂かれた。

 突き。

 如何な小太刀といえども、こればかりは太刀と変わらぬ。降下の勢いそのままに、そのエネルギーを余すことなく突きへと変える。

 

 がくりと身が沈む。

 合当理を止めたおかげでそのまま爆散することこそなくなった。

 しかし。

 しかし――。

《落ちる! 御堂、どうする気!?》

「――歯を食いしばれ!」

《――い、嫌あああぁぁ! こ、この考え無しぃぃぃ!》

 

 目下は森林。運がよければ。

 いや、運が悪ければ死ぬかも知れない。

 両手をぶら下げたまま武者合戦するよりも勝機がある。

 

 

 

 そして森が。そして地面が、近づいた。

 

 その後の記憶はない。木々に触れた段階で、俺は意識を失った。




コンセプトは原作プレイした人間の耳にBLADE ARTS Ⅲが幻聴してくるような物を書く事。

やはり見切り発車。元より短編のつもりだから十万文字行く前に終わるかなーと言ったところ。


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冬空

 ――時は戻る。

 

「……吉原ですか」

「そう、吉原だ」

「そう、吉原や」

 

 鎌倉の中心、八幡宮境内、ひっそりと深部に佇む小殿。名を奥舞殿。

 紆余の経緯を経て八幡宮祭祀長職につかれた皇位継承第二位を関する、舞殿宮春熙親王。

 簾に隠れた殿下の近く、簾の手前には鎌倉市警察署署長、菊池明堯殿。

 

「以前から話していた、GHQが武者による事件を引き起こそうと画作しているというのは覚えているな、景明」

「はっ」

 

 和泉守国貞、真改という真打劔冑を用いられた、教師、鈴川令法による連続殺人。

 そも、劔冑はGHQ、大和進駐軍の大掛りな劔冑狩りが行われた事をもって、現大和政府、六波羅に属する者以外が劔冑を持つ事など凡そありえない事態。

 一介の教師が劔冑を手にする事など、如何な経緯あっての事か。

 

 次には、山村を舞台としたある一幕。そこではGHQに劔冑を取り上げられた者が、ある人物を介し取り戻していたという事があった。

 GHQとのパイプを持ち、劔冑を調達する事ができた人物、雪車町一蔵。

 木端なヤクザ然とした人物であったが、その背景は不明。劔冑を提供した理由も不明。

 

 だが、想像はできる。

 工作員、雪車町一蔵を介し、劔冑を適した人物に与え、凶事を起こさせる。

 GHQの狙いは大和国民こそがGHQに助けを求める事。つまり――この国、大和を完全掌握、完全支配する為の大義名分。

 

 この国の武者こそ頼りにならず、ばかりか民へ刃を向けるとなったのなら、民はGHQへ心を求める事となる。

 元より、六波羅の圧政に民は疲れているのだ。

 あと一押しで、事は済む。

 

「まさか、吉原において、何某かの武者が現れた、そういうお話でしょうか」

「察しがええ子で助かるなぁ、うん、まあ簡単に言ってそういう話やね」

「……それは、六波羅の者、という可能性が大きいのでは?」

 

 吉原。関東に存在する一番大きな遊郭だ。時代によって幾度か場所を変えているが、今は浅草寺裏に存在する。

 だが今、吉原へ足げなく通うのは六波羅の者か、一部の富豪のみくらいだろう。

 GHQですら、あそこはあまり触れない土地だ。無論、そこは進駐軍将兵が問題を起こす可能性の為でもあるのだが。

 

 つまり、武者といえるものこそ集まる場所でもある。

 そして、何より。今の吉原は治安が悪い。

 昔こそ客の管理を取ることのできた吉原であるが、今は違う。

 

 六波羅という名前は、吉原の格式を崩すのに一役買ってしまったのだ。

 元々、吉原は女を抱く為の場所ではない。無論、その側面も有った事だが、それよりも格調高い女と遊ぶ為の場所。

 ただ抱くだけならば別の場所のほうが良い仕事をする。吉原はただ女を売る為の場所ではない。

 

 しかし、今は違う。

 今は正しく、女を売る為の場所となっていた。

 人の欲を刺激する街は、問題も多い。

 

 そして、大半の客は六波羅の者。

 できるべくもないのだ。客同士の諍いがあろうとも、騒ぎ立てる事など。

 それに女が巻き込まれようとも、同じ事。

 

「六波羅武者が私闘の末、六波羅武者を斬る。そんな事もあの地では珍しい事ではありません」

「そうだな。まったく、嘆かわしい事だ。だがな、景明。それがこちらにまで聞こえてくる事がおかしいとは思わないか」

「……なるほど。吉原の問題は外に漏れない。しかし、今回は違う」

 

「その六波羅が吉原で武者を探している、という情報もある。

 今までの件を鑑みるに、これも一連の事件の一環であると考えるのが妥当だと、私も、舞殿宮殿下も考えている」

「……それは、銀星号にさえ」

 

「繋がるかもしれない。鈴川令法も、山村の事件も、共にGHQの陰があり、銀星号の卵があった」

「さすがのわしらも、直接のGHQと銀星号が繋がっているとまでは、まだ考えてはいない。でもな、もしかしたらっちゅうのもある」

「……」

 

 銀星号。人を狂わし殺し合わせる最悪の劔冑。あれの通った道には死しか残らず、あれが出現した地点は全てが皆殺しにあった。

 そんなものを、GHQが御せるとは俺も、署長も、舞殿宮殿下も考えてはいない。

 銀星号は劔冑に卵を植える事ができる。放置し卵がかえれば、新たな銀星号が出来上がる。

 

 銀星号の討伐に、卵の孵化の阻止。この二つが、俺の、湊斗景明の定め。

 僅かな可能性を見逃すわけにはいかない。

「武者が関わるのなら、おまさんにしか頼めん。でも、そぉ的外れやないと、思うえ」

 

「……委細承知、宮殿下、保釈の密旨の程、お下しあれ」

「うんむ。よろしく頼むえ」

 

 奥殿を辞する。

 向かうはまず、署長役宅。そこで準備を整える。

《御堂》

 

 縁側のある部屋にて、鎌倉署の警官制服に袖を通す。

 パート警察、鎌倉警察署所属員。これが銀星号を追う間、宮殿下と署長によって用意して頂いた未決囚である自分が動ける為の身分。厳密には警察ではないし、明言する事もできないが、重宝する。

 天井を見ると、そこには鋼鉄の赤い蜘蛛があった。待騎状態の村正である。少し泥を付着させている事から、鎌倉市内を捜索してきた帰りだというのが分かる。

 

 村正の金打声(メタルエコー)が脳を叩く。

《近辺に銀星号(カカ様)香気(におい)はなし。何か情報はあった?》

「吉原に向かう。真改の時と同じ、卵を持った武者がいる可能性がある」

 

《吉原? ……聞いたことがない地名だけども》

「地名、という訳ではない。遊郭の名だ」

《……遊郭?》

 

「ああ。場所は浅草。卵を抱えた武者、寄生体がいる、可能性がある」

《……遊郭って……それ、私もいくの?》

「当然だ。劔冑のお前がいなければ卵の有無が分からない。何を言っているんだ?」

 

《私がその……遊郭を、探索するの?》

「肯定」

《…………》

 

「……なんだ?」

 無言の圧力を感じる。

《遊びに行く訳じゃないのよね?》

 

「肯定」

《遊女に興味がある訳じゃないのよね?》

「ある」

 

《………………》

 村正の八個の単眼が何かを言わんと突き刺さる。

「健康な男である以上興味があるのは至極当然。だが、目的は捜査だ。遊びにいくのではない」

 

《……ええ、分かっているわ、御堂。ところで》

 村正の視線が、壁を向いた。その先には、大鳥香奈枝が滞在している一室がある。――なるほど。言わんとする所は理解した。

「今回の件に彼女らを連れて行く事はできない」

 

「あら、それは聞き捨てなりませんこと、景明さま」

「このさよめの耳には吉原へ向かうと、聞こえましたよお嬢さま」

「よ、吉原ってあ、あの!? 湊斗さん! そんな所に一体何をしにいくんですか!?」

 

「何ってナニをしにいくに決まってるじゃないですか。フフフ、さしもの私も暗い気持ちが溢れてきちゃいます。私と言うものがありながらー!!」

「何変な事口走ってんだでか女!!」

「殿方の夜遊びを生暖かく見守ってあげますのも、大事な事でございますよお嬢さま。ぶっちゃけ旦那の浮気を放置すると調子のって妻には見向きもしなくなるのが殿方の常ですが、まああんた妻でも何でもないですから関係ございませんでしょう」

 

「違います」

 部屋を仕切っていた(ふすま)が開かれていた。そこにいるのは私服姿の長身の女性、進駐軍資料管理課所属、大鳥香奈枝大尉、そして従者服を纏った老女、永倉さよ。その後ろにはセーラー服姿の綾弥一条がいた。

「銀星号事件の一環として、親王殿下より下知されました。吉原で噂となっている武者の調査、それが吉原へ赴く理由です」

「また、卵に寄生されている可能性があると?」

 

「はい」

「出発はいつですか、湊斗さん」

「明日の昼にはここを発つ心算だ」

 

「分かりました! 私も準備してきます!」

「待て、一条」

 足早に部屋を飛び出そうとする一条を呼び止める。

 

 何事にも真っ直ぐに、決断も早いのは彼女の美徳であるが、今回の場合、それは無用。

 大鳥主従のほうを見れば、永倉殿がお茶を入れ、大尉殿がそれを飲んでいる。こちらには、理解して頂いているようだ。

「今回の件、お前も、大尉殿も連れて行く事はできない」

 

「ど、どうしてですか湊斗さん!」

「綾弥ちゃん? 景明さまが向かう場所をちゃんと理解しましょうね?」

「苗字にちゃんづけすんな!! ――あっ」

 

 思い至ったように、一条は少し顔を染めた。

「――吉原に女人を連れて行く事はできない。昔ほど格式に縛られた地では最早ないが、それでも、無用な騒動の種になる可能性が大。一条、お前は大尉殿と共に留守番だ」

「……っ」

 

 連れて行ったとして、見目麗しい二人に声をかける連中は多いだろう。遊女として。

 そうでなくても、店の利益に繋がらない女性を連れていれば、店側から睨まれる事にもなりかねない。

 仮に連れて行くと過程した場合……。

 

 ――声をかけた男どもを片っ端から張り倒す一条の姿がよくよく浮かぶ。

 ――やはり駄目だ。無用な騒動は避けたい。

「いいな、一条」

 

「――は、い」

 理解を得られて何より。明白な理由さえあれば、一条も無理くりついてくる事はあるまい。

「所で景明さま?」

 

「はい」

「吉原へ行くにあたって、あちらの常識(ルール)はご存知?」

「いいえ。そういった場所へ足を運ぶ機会は、ついにありませんでしたので」

 

「私もよく存じている訳ではありませんが、何でも、大和にあって別の国、といわれるほど、その中は理を異にしているとか」

「はい。伝え聞く限り。しかし、それも今は昔の事。今と至ってはそのような話は聞きません」

「そうなのですか? ふふ、お帰りになりましたらあちらのお話、聞かせて頂きますね?」

 

「土産話にできる事が、あれば良いのですが」

「お嬢さま、これは湊斗さまの趣向を知るチャンスですぞ。あちらでうっかり好みの女を引っ掛ける事もあろうかと思います」

「湊斗さんがそんな事するわけねえだろばばあ!」

 

 ……。

 またぞろ話が面倒な方向へ転がっていく。

 天井を見上げれば、まだそこには村正がいた。

 

 その八つ目は、今だ俺を見据えている。

 …………………。

 

 

 

 

 そこは、想像していた華やかな世界とは一転して、閑散とした空気を漂わせていた。

 そも、女を売る場、売られる女の陰鬱な空気が漂う。

 否、元々は売られる女でさえも、その運命を受け入れ、強く(つよ)く光り輝くまさに現世とは理を異にした異界の地であった。

 

 大通りには大勢の客が往路し、着飾り、妖美な笑みを浮かべた女郎が男を転がさんと躍起に走る。

 それが吉原。天下の吉原。

 

 だが、今はどうだ。

 大通りに面した屋号の戸は閉じられている。

 一部開かれた店も、そこには活気はない。

 

 女郎を商品として、木枠でできた格子のかかった窓から覗けるようにしてあるのが通りに面した屋号。

 そこから覗く男、俺がいるとしても、そこに関心を持つ女はいない。

 この場合、男の見てくれは対して重要ではない。金があれば、それでいい。

 

 しかし、それでも興味を見せないのは、もはやその気概もないのだろう。

 

(村正、どうだ)

 仕手と劔冑は、どれだけ離れていようと、繋がっている。

 口の中で転がす俺の言葉は村正に届き、村正の金打声は俺に届く。

《……香気はする。場所は不明。揺らぎはほぼなし。孵化する気配はないわ》

 

 それは重畳。時間的余裕があるのは幸いだ。

 だが、おっとりと腰を据える訳にもいかない。

 聞き込みを続ける。

 

 だが、返ってくるのは予想通りの言葉だろう。

 ここに至るまで、いくつかの場所で聞き込んだがその答えは一律だ。

「所属不明の武者? 知らんわんなもん。余計な揉め事もってくんなよ警察風情が」

 

 武者と聞けば、=で六波羅が想起される。そこに関わろうとするものが、いる訳がない。

 目に付いた戸の開かれた店に入る。亭主を見つけ、声をかける。

 成果が見込めないからと、止める訳にもいかない。一体どこから有益な情報に繋がるか、分かるべくもない。只管に、無駄な行動を取る。

 

 しかし、ここで得られたのはまた、趣きを変えた言葉であった。

「……そういう面倒事は、今年はあそこの店の管轄だろうが。失せな失せな」

「失礼、あそこの店、というのは」

「るせえ! 通りの端にある桜屋だよ。そっちいけ馬鹿野郎」

「ありがとうございます。そちらへ向かわせて頂きます」

 

 かくして、俺は桜屋の敷居を跨いだ。

 実の所、桜屋の名前を聞くのは初めてではない。署長に頂いた資料にも、その名は書かれていた。

 故に、後ほど伺うつもりではあった。が、こうなってしまえば詮無きこと。

 

 腰の低い亭主との会話をそこそこに俺は移動させられている。

 何故か、はわからない。俺としては亭主にまずはお話を、と思っていのだが、話は転々と進み、主導を握る前に案内しますと連れられてしまった。

 禿(かむろ)と呼ばれる女郎見習いの幼い女の子に先導され、桜屋の廊下を歩く。

 

「……もし、失礼ながら、自分は湊斗景明と申します。所で自分は一体、どこへ向かっているのでしょう」

 歩きながら、一度止まり少女がこちらを振り向く。

 少女は小さく、(つばめ)、と言うとその後、続けた。

 

「今年の巫女である小鶴姉さまの所でありんす」

「……」

 巫女。

 

 古くから遊郭はそういった祭儀といった面にも深く関わっている。なるほど、それに当たっての巫女。

 ……ふと、自らの家を思い出した。

 湊斗家も、祭儀に携わり代々巫女を立てた家。感慨深い物がある。

 

 少女、燕殿が足を止めた。目の前には豪奢な衾。

 燕殿が膝をつき、一言かけると、中より返答が返された。そのままそろえた指先で衾を開き、俺に道を譲る。

「……ありがとうございます」

 

 俺が中に入ると、後ろから燕殿も続き、衾を閉じた。

 柄の良い着物が広げて壁際に置かれている。誰からかの贈り物か、色々な品がそこかしこに、整然とそろえてあった。

 ここが、太夫と称される人物の部屋であると思い至る。

 

 正面には、豪奢な着物と飾りをつけた、美しく妖美な女性が肘掛に身をゆだねて煙管をくゆらせていた。

 長く伸びた金糸の髪が肌蹴た胸元に落ちている。すらりと伸びた足を見れば品のある紅に染められた足爪が目に映った。

「あらあら、今日のお客は不躾なお方でありんすねぇ」

 

 しまった、とすぐに顔を上げて、女性を見据える。

「大変失礼致しました。自分は鎌倉警察署属員、湊斗景明と申します」

「ご丁寧にどうも。わっちゃ小鶴。今年の巫女でありんす」

 

「重ねて失礼を。巫女、というのは一体」

 女性、小鶴殿が煙管を咥えて、一息。鼻腔を突く煙が部屋に広がる。

「三日後に祭りがありんして。巫女というのはそこで主役を張る人の事。

 祭りも終わる四日後には新しい巫女が決まり、そうしたら、その巫女が一年、来年の祭りまで、この吉原の顔をやる事になりんす。

 ぬしのように、面倒事を持ってくる人間の相手をする、まあ、人身御供のようなものでありんしょう。

 わっちも去年、そうして巫女に納まり、こうしてぬしの相手をしている――」

 

 小鶴殿は、ぷわっと煙を吐き出した。

「このような身分を名乗りこの場に参じている事、ご迷惑の事と重々承知しております。

 当方としては頭を下げる事意外にできる事はございませんが、その都度でしたら、如何様にもさせて頂きます。

 真に、申し訳ありません」

 

 正座のまま、深く、畳に額をこすり付けるように頭を下げる。

「――はっ、殿方がそう易々と(こうべ)を垂れるもんじゃありんせん。それじゃ価値も薄れるというもの。

 しかし、ぬしの人となりは、なんとなくわかりんす。ご用向きのほどは?」

 

「はっ。最近になって起こった、謎の武者による殺人事件を追って、ここに」

「――。ああ、ならぬしがここに来たのは正解」

「……は?」

 

「最近の人死にの件でしたら、わっちの旦那が三人。立て続けに死んでますよって」

「……それは……何とも」

 まさか、いきなり進展するとは。

 

 口の中で、自分以外に聞こえないように言葉を転がす。

(村正、ここ近辺に劔冑の反応は?)

《――目にも耳にも反応なし》

 

(わかった)

「不躾な事をお聞きしてもよろしいでしょうか」

「どうーぞ」

 

「亡くなられた方に共通点は。もし、亡くなられた理由など、思い至る件がありましたら、憶測であってもお教え願いたい」

「共通点はわっちの客である事。死んだ理由はわかりんせん。みーんな悪い人じゃありんせんでしたゆえ」

「――どんなお方だったのでしょう」

 

「わっちの胸でお涙流す坊ばかりでありんした。世の歪みを憂い、人の生まれに憂い……」

「――なるほど」

 小鶴殿の胸を見る。確かに、男性が顔を埋めても足りぬ大きさをしている。

 

「うふ。わっちの体にご興味が?」

「はい」

「くふふ、ぬしは面白い人だこと。祭り前のわっちが、ぬしに体を触れさせる訳にもいきんせん。

 

 ――ぬしはしじみは御好き?」

 なぜ、いきなり貝類の話になったのか。

「しじみ、ですか。嫌いではありません。体に良い事もあって、好ましくさえあります」

 

「そうでありんすか? うふふ。よかったなあ(えん)。こういうお方に水揚げしてもらえれば、わっちも安心なんだけどねえ」

 俺の背後、衾の傍にいた燕殿が、慌てた。

 燕殿は、ツバメと名乗ったが、小鶴殿はエン、と呼ぶようだ。

「お、お姉! いきなり何を言うの! そ、それに勝手にそんな事決められる訳ないでしょ! まだ未熟者なのに――」

 

「あーら、巫女であるわっちならそのくらい、無理くり押せない事もないのよ? それにこんな時代、芸なんて望まれず、それこそ非道な形で水揚げされるなんてのも、珍しくありんせん。わっちも、随分な目にあいましたからなぁ」

 ……話が見えない。

 

「あの。一体なんのお話をしていらっしゃるのですか」

「あら? あらあら、ぬしは郭言葉に詳しくありんせん?」

「は、寡聞に。このような場所へ足を運ぶ機会がありませんでしたので」

 

「あははは。そーりゃもったいない事。まあ、でもこの御時勢なら仕方もない事でありんすか」

 煙が吹かれる。

「しじみ、っていうのは、まだおぼこい子どものおまんこの事でありんす」

 

「……………………………………は?」

「まだ燕は禿でありんすから、未通女(おとめ)でありんす。水揚げというのは、初めて未通女が旦那、お客を取る事を差す言葉。

 本当なら経験豊富なお方に頼むのが筋というものでありんすが、わっちはそれでそれはもう手酷い水揚げになりんしてね。とあるお偉い破戒のお坊だったでありんすが。

 

 こんな時代だから、燕も無事に済むかも分からない。なら、わっちが巫女であるうちに、と思っていんしたが……ま、考えても詮無い事でありんしたね」

《……御堂》

(真に受けるな。からかわれただけだ)

 

 そのような趣味はない。ましてや、どう考えて俺を見たのか定かではないが、女の抱き方など俺は一つしか知らず、それは決して未通女、処女を抱くには適していない。

「うふふ、まあ冗談でありんす。気にしないでおくんなんし」

「はい」

 

「まだお聞きになりたい事はありんしますか? そろそろ、祭りの会合がありんすが」

「――いいえ、また明日にでも、伺ってもよろしいでしょうか」

「どーうぞ。燕、外までお見送りなんし」

 

「はい、お姉」

 立ち上がり、衾を燕殿が明けられるのを見ると、一礼してから廊下へ。燕殿がぴしゃりと衾を閉めた。

「燕殿と小鶴殿は、随分と仲のよろしいご様子ですが。どのような?」

 

「実の姉でありんす。小鶴姉様と、あと、もういなくなってしまったそうですが、兄様も」

「いなくなってしまった?」

「はい。私が物心つく前に、吉原を出て行ってしまったようで」

 

 ――それは。

 遊女や、店の下働きの男は、売られて吉原に入る事となる。買うのは店の亭主。

 出て行った、というのは気に掛かる。

 

 借金の方として売られてくるのだ。男だろうと女だろうと、簡単に吉原を出る事などできるはずもない。

 考えられるのは――。

 生きていない事。

 

 そも、買われた人間が吉原を出るには、三つの方法しか存在しない。

 一つ、稼いだ金で、自分を自分で買い上げる事。

 つまる所、店側に借金を返済し、自由を買うという事だ。

 

 二つ、誰かに嫁として、若しくは妾として買い上げられる事。

 この場合、借金の貸し主が店から旦那に移るだけ。

 三つ、死体となる事。

 

 遊女は手厚く葬られる。その者たちの墓があり、供養もされる。

 場合によって、例えば、店の下男が遊女に手を出したり、遊女が不義を働いたりした場合、供養もされずただ、寺へ放り投げられる事となる。

 三つ目は考慮せずとも、一つ目、二つ目、これはどの場合も、女でなければ成立しない。

 

 二つ目はともかく、一つ目も女のみというのは、(ひとえ)に金を稼ぐ手段の問題だ。

 こういった遊郭では、男の価値は限りなく低い。それこそ、亭主でさえも。

 一応の建前はあるものの、所詮は建前。太夫と呼ばれる格式の高い女郎も、建前によって亭主を立てているにすぎない。

 

 無論、その関係は個々人より異なるのだろうが。

 感謝によって亭主を見るか、

 恨みによって亭主を見るか、

 

 それで全ては入れ替わる。

 

 しかし。姉、といったか。

 

 小鶴殿はよく成熟した女性だ。

 俺よりは年下。二十代の初頭と言った所だろう。

 だが、目の前をちろちろと歩く燕殿は、十代の初頭。それこそ十か十一か。

 

 吉原へ買われて入り、太夫としているのなら小鶴殿は更に下くらいで入ったはず。

 その場合、燕殿は赤子の時に買われたか、又は――。

《……御堂》

 

 思考を、村正の金打声が遮った。

(なんだ、村正)

《センサーに反応。何者かがこっちを見ている》

 

(……、目を寄越せ)

《諒解》

 自分の視界が、村正の視界と繋がる。

 

 移った場所は、恐らく、どこかの屋根の上からの視界。見据える先には吉原ではなく、吉原の奥に広がる山の中。

 視線が合う。

 木々に隠れて、劔冑が、こちらを見据えていた。

 

《あれ、間違いなく寄生体よ。それも、野太刀を含んだ卵じゃない。純粋な卵》

(あの時作った七つの卵以外のもの、か。珍しいな)

《ええ、でも、そんなのは関係ない。卵を植えられた劔冑があるのなら、それを始末するのも私たちの役目》

 

(ああ、見失うな。すぐに向かう)

 視界を切ると、話の途中で急に立ち止まった自分を不審に見上げる燕殿が目に映った。

「あの、どうかされんしたか」

 

「――はい。急用を思い出しました。急ぎ、外へ出ましょう」

「え、はあ。わかりんした」

 さすがに、彼女を置いて走り去る事はできない。

 

 そうすれば、俺はよくとも彼女が困る。さもあれば彼女が叱られる事となるだろう。

 逸る足を押さえつけて何とか外へ出ると、ようやく走りだす。

(村正! どこにいる!)

 

《そこを左に曲がって。路地裏に入るの》

(諒解!)

 路地裏に入ると、上から良く知る大蜘蛛が飛来した。

 

《乗って、御堂!》

 飛び乗る。村正の単騎形態は隠密に長けた劔冑である。そのまま、人々の視界を予測し、気配を把握し、人目につかぬように疾走する。

 屋根を飛ぶ。塀を乗り越える。舗装されていない土を踏みつけて、ようやく全速で寄生体を追う。

 

「あの劔冑、こちらを誘っていたな」

《ええ。たぶん。罠だと思う?》

「どうだか。何を目的としているかは定かではないが、単純に邪魔をするな、と言った所だろう」

 

《寄生体に動きなし。……見えた!》

 木々を足場に飛びかう村正に縋りつき、ようやくと目的地へ到着した。

 どさりと重い音を落として村正は着地する。相手を見据えて、地に足を下ろす。

 

 そこにいたのは鳥だった。

 甲鉄の身で出来た、雀。一本の木の枝に止まり、こちらを見据えている。

 無論、小さくはない。劔冑の単騎形態としては聊か小型ではあるものの、成人男性の上半身くらいはある。

 

 あの大きさでは、最早、(ワシ)(タカ)だ。

「その制服、警察の者と見受けるが如何に」

 男の声が響いた。雀の止まった木の裏、そこに人の気配がある。

 

「如何にも。自分は鎌倉警察署属員。湊斗景明。吉原にて起こった、武者による殺人事件を追って、ここにきました。

 犯人とお見受けしますが、如何に」

「如何にも。

 名乗らせてもらう。

 芹沢(せりざわ)弥刑部(やぎょうぶ)。それが、俺の名だ。

 俺を、逮捕しに来た、という訳ですかな? 湊斗殿」

 

 男が、芹沢弥刑部が姿を現した。

 金糸の、流れるような髪を後ろで纏めた、えもすれば陰間(売春をする男性の事)にもなれる見目の長身の男だった。

 歳の頃は十代終わりか、二十の頭か。その顔は麗しくも、その眸の奥に携える何某かの炎が雄雄しさを現している。

 

「いいえ。警察であるのなら逮捕する、というのが正しい形でありましょうが、自分がここに立つのは警察としてではありません」

「ほう。では如何様に」

「言葉によって表現するのならば、通り魔、といった形が適切かと、最近学びました。一身上の都合により、貴方を討たせていただく」

 

「ほほう。ほーほー。うん。話に聞いた通りで何より」

「……話?」

「おう。湊斗景明。村正を振るい人を殺す悪鬼武者。民に噂の正義の味方、その名も紅い武者。話の種にはつきぬ事よ」

 

 ……。

 赤い武者の話は俺の耳にも入っている。無論、それは許容できる話ではなかったが、しかし。所詮は噂。否定して回るのもできる訳もない事。

 だが、もう一つのほうは聞き捨てならない。そちらは、噂にすらなっていない事であり、そして、まさに真実である。

 

 それを知る者は親王殿下に署長の二人のみしか居ない筈。捜査を共にした大尉殿、一条すらも知らぬ事。ならば――誰に聞いたのか。

「話の出所に疑問って顔だな。まあ、でも、それも予想できる事ではないのかい。あちらさんも、何とも知己という雰囲気であったしなあ」

「……銀星号か!」

 

「キッシシ。当たりよ。頼まれ事でね。こちらもあれよ。一身上の都合によりって奴さ。俺としては祭りまでにあんたを始末できりゃ、文句もない」

 男が。芹沢弥刑部が、一歩、前へ踏み込んだ。手を伸ばすと、そこに雀が。奴の劔冑が腕にとまる。

「千の声で喝采せよ。万雷の喝采を上げろ。絆を胸に、愛は胸に。一つで逝かず二つで歩み、二つで在らず一つとなりて! 如何な愛もここに在り」

 

 それは、誓約の口上。

 仕手が、劔冑を身に纏う、装甲乃儀(そうこうのぎ)

 腕の雀がばらばらに分離する。それは仕手、芹沢弥刑部の周囲を回る。

 

 装甲。

 そこには、武者がいた。

 普通の武者とはいくらか小さい、しかし力強い威を放つ、まさに真打。

 

 光沢を持った灰色の装甲。美しい流線型を中心とした飾りをした上半身。

 それとは逆に群青色、直線的な下半身。腰から肩に掛けて、その飾りは交差し伸びている。

《御堂!》

 

 村正が敵劔冑と俺との間に入った。確かに、このままずんばらりんと斬られる訳にもいかない。

「応!」

 誓約の口上。

 

「鬼に逢うては鬼を斬る。仏に逢うては仏を斬る。ツルギの理ここに在り!」

 紅い大蜘蛛であった村正がばらばらに分離し、俺の身を包む。

 装甲。

 

 そうして、俺は紅い武者、村正となった。

 金打声が響く。

《飛べぃ村正! 武者が会ったなら、空で臨め!》

 

 弥刑部が飛んだ。

「いくぞ村正!」

《ええ、御堂》

 

 合当理に火を入れる。足で蹴りだし、木々を抜け、そうして空へ至る。

 

 

 

 

 そして、俺は落とされたのだ。

 

 

 

 




以下、オマケ。

一幕から。

 常の双輪懸であるならば、敵よりも高く高度を取り合う。それこそが武者の騎航合戦の不文律。
 だが、今はどうだ。敵は低い位置を得んが為、上昇を放棄し下降を続けている。
 だがそれも当然。彼の陰義は相手よりも低い位置に居るときに真価を発揮する。

 ここはどうする。相手の思い通りにさせてやるか。それとも、チキンレースを始めるか――。

《  追う  》

《 追わない 》


 ここは追う。
 相手の望む位置をわざわざ与えるなど愚の骨頂。
 そも下から攻めるでなければ陰義を使えないというのなら、相手を上に据えるだけのこと。
《御堂、まさか追う気?!》
「当然だ! あの陰義は危険。使わせないに越した事はない!」
 合当理に火を入れる。重力と合わさり加速を続ける。
《み、御堂、減速して! これじゃ追いつく前にばらばらになる!》
「耐えろ村正! もうすぐ追いつく!」
 高度計の示す数字が、弥刑部と並んだ。
「よし!」
 合当理の火を落とし速度を相手に合わせる。
 これで、身を壊す事もなくなった。
《高度千を切った! 御堂、上昇を!》
「まだだ! 相手はまだ降下している!」
《無茶よ御堂! このままじゃ地表に激突する! こんな速度じゃ落ちたら命なんてないわよ!》
「それは相手も同じ事だ!」
 九百。
 八百。
 七百。
 六百。
《御堂、限界よ! 速度を落として上昇するの!》
「まだだ……まだ……」
《御堂!》
 四百。
 三百。――! 敵機上昇!
「今だ、上昇するぞ村正!」
《……》
 兜角をあげる。真下を向いてた頭を上へ。そして、真上をむいたら合当理を吹かして上昇。相手よりも高度を取らないように、気をつけながら上昇しなくてならない。
 が、バキンという音が思考を止めた。
「――なに?」
《無理。無理だから。こんな低空でそんな急激な方向転換。無理だから。私はそんな事ができるようには作られていないの》
 両方の母衣が。(ウィング)が。根元より割れていた。
 速度は、落下の時のまま。
 地表が、近づく。
「――しまっ――」




 武者脱落(ゲームオーバー)


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望郷

 こんな時の目覚めは悪い。

 空から墜ちた時は、古い夢を垣間見る。

 

 

 色は匂えど 散りぬるを

 我が世 誰れぞ 常ならん

 有為の奥山 今日越えて

 浅き夢見し 酔いもせず

 

 いつか、いつかもこうして、歌に起こされた。

 ――いつか、手に掛けた姉妹を思い出す。

 ああ、そうだ。

 あの時と同じ――。

 

 

 額に乗せられた濡れた布巾に心地よさを感じながら、目は覚めた。

「――起きんしたか」

 いまだ脳が正常に働かないまま、声に視線を向ける。

 幼い少女が、そこにいる。

「――大丈夫でありんすか?」

 幼い少女の、声がする。

 

 思い出す。否、脳裏を離れぬ、あのままの姿が浮かぶ。

「……ふき……ふな?」

「――ふき?」

 少女が返す。

 えもすれば、耳元に声が反芻する。

 

 にーや。

 にーや。

 お武家様。

 お武家様。

 

 ああ、ああ。

 ああ――――。

 

 ぱたりと、脳は覚醒した。

 目の前の少女は、蝦夷ではない。髪色こそ蝦夷の名残が見えるが、大和人。

 禿(かむろ)と呼ばれるまま、小鶴殿によく似た美しい金糸の髪を首元で揃えた、名を。

「……燕、殿」

 

 視界に映る人物を、正確に把握した。

「はい。しっかりしておくんなんし。湊斗様」

 見慣れぬ部屋だった。天井はいささか低く、周囲の調度も物少ない。

 いや、ここがどこなのかは、理解できている。

 ここは桜屋。

 燕殿がいるからして、そうなのだろう。

 

 そして、小鶴殿の部屋とは違う内装。

 恐らく、燕殿の自室。

 一度目を閉じ、己の肉体を知覚する。

 両肩を中心に包帯を巻かれている。手足の確認。胴体の損傷確認。

 骨折なし。内臓に損傷もない。肩の傷も、武者の治癒力ならばすぐに癒えるだろう。打撲が精々、出血に至らなかった事は幸運だった。

 

「燕殿……お見苦しい姿を晒しております。御迷惑をおかけしたようで、申し訳ありません」

「――いーえ。姉さまがお店の人と一緒に、湊斗様を負ぶって来たので、あちきは何も」

「――しかし、こうして面倒を掛けている事は事実。お礼を言わせてください。額の布巾も、心地よくありました」

「……はい」

 

 燕殿は水桶を持って、そのまま部屋の外へ向かった。

 俺が目覚めた事を、恐らくはあの方、小鶴殿に伝えにいったのだろう。

 今のうちに、状況を確認しておく。

(村正)

 口の中で言葉を転ばす。

 

《御堂。よかった。目が覚めたのね》

(あの時よりも外傷は軽い。二度目となれば、そう心配する事もないだろう)

月山(がっさん)に堕とされた時はあなた、三、四時間で目覚めたじゃない。

 あの時より外傷が軽い癖に、一日も寝ていれば変な心配もしちゃうのが道理でしょう?》

(……一日も寝ていたのか)

《ええ、堕ちたのは昨日の事。今はもう夜よ》

 

(村正、お前のほうはどうだ)

《幸い、合戦での甲鉄部分の損傷は少なかったから。どちらかと言うと、墜落した時のほうが酷い目にあったくらい。ほんの少し、機能不全になってたから。合当理も修復は完了。すぐに飛べるわ》

(そうか。俺の傷のほうはどうだ)

《明日の朝には完治している筈。今は、ゆっくり体を休めて》

(……そうさせてもらう。所で、お前は今どこにいるんだ)

 

《………………………………》

(――村正?)

《あなたと同じ建物の中に隠れてる。……至る所から変な声が聞こえてきて、全然落ち着かないのだけれど》

(……そうか)

 恐らく、天井裏かどこかに潜んでいるのだろう。村正の単騎形態は蜘蛛。隠密に優れた姿をしている。

 しかし、ここは遊女屋であるからして。致し方ない事である。その責を俺に求められても筋違いだ。

 

 村正との会話が止まると、丁度よく(ふすま)が開かれた。

「ああ、ああ、お目覚めになられたと聞きんしたが?」

 目を開ける。肩を出し、豪奢な着物を着おり引きずる、小鶴殿がそこにいる。

「はい。意識は回復しております。小鶴殿にも、ご迷惑の程をお掛けしまして」

「まさか出て行ってすぐ、襤褸(ぼろ)になって帰って来るとは思っていんせんでしたよ」

 くつくつと、小鶴殿は笑う。

 

 確かに傍目から見れば、さぞ奇妙な姿だろう。

「面目次第も御座いません」

「まだ動いちゃ……」

 体を起こし礼を、と思ったが、小鶴殿の背後に控えた燕殿に制されてしまった。

「そのままで構いんせん。寝てなさい」

「はっ」

「さて、ま。何があったか、聞いてもよろしいでありんしょうか」

 

「……はい。桜屋を出た後、犯人と思わしき人物と接触。交戦の折、お恥ずかしながら、敗北致しました」

 騎航して、という形は省略させてもらう。六波羅に属さない一介の警察が、武者である等と、広まってしまうと今後に関わる事となる。

 ぷかり、と煙が舞った。

「姉様、怪我人の前で煙草は……」

(えん)、そねえな事はどうでもよろし。ぬしよ、犯人とやらの事、お聞かせ願えんすか」

 

「それは――」

 しばし思考する。捜査上の事を話してもいいものか。

 ――。

 いや、むしろ話すべきだろう。警察の捜査はなるべく、市民に開示されるべきであると考える。それに、彼女は元より、この事件に関与している。

 この吉原で起こった今回の殺人事件。武者による殺人。その被害者は、彼女の旦那、お客である。つまり――。

 犯人、芹沢弥刑部は、彼女に何某かの関連性を持つと考えられる。

 

「犯人は名を、芹沢弥刑部と名乗りました。小鶴殿の、旦那を殺害した理由については不明。もし、この名に何か、思い至るものはありませんか」

 俺の発言に、まず最初に反応を示したのは、小鶴殿ではなく、燕殿であった。

「芹沢――弥刑部?」

「燕、ちょっと外へ出ていておくんなんし」

「――姉様?」

「ほうら、はやく」

「……はい」

 小鶴殿の後ろに控えていた燕殿が立ち上がり、そろそろと衾を開ける。その表情は、どこか暗い。

 

「ふう。さて、ぬしよ」

「はい」

「一つ、提案なんだけどね」

「なんでしょうか」

「――ぬし、このまま何もせずに、傷が癒えたら帰ってはもらえんせんか」

 

「――それは」

「警察のお方に、こんな事を言うのは怪しい事だとわかっていんす。でも――今の警察なら、それもおかしな事ではないでありんしょう」

「……小鶴殿、それは」

「もう、人死にも起こらないと思いんす。

 明後日の祭りが過ぎたら、その犯人も、二度と吉原に近づく事はないでありんしょう。

 ――どうか、聞いてはもらえないでありんすか」

 

「小鶴殿。自分は、警察の立場でここに居ります。しかし、武者を追っているのはまた、個人的な理由を多分に含んでおります。

 故に、放置して置く訳にはいきません」

「――そうですか」

「申し訳ありません。――その、お聞きしても?」

「こんな事を言った理由? まあ、別に構いんせん。

 芹沢鶴子。わっちの、本当の名前でありんす」

 

 ――芹沢、鶴子。

 小鶴、という名は源氏名であるのは理解していた事だった。しかし、芹沢――。

 思い出してみれば、芹沢弥刑部は小鶴殿とよく似ている。顔立ちも、金糸のような髪も。

「弟御で在られましたか」

「ふふ、燕の奴に聞いてありんしたか。そう、弥刑部はわっちの弟」

 

 苦いものを含んだ笑み。しかし、それは嫌悪や忌諱からのものではない。

 後悔、若しくは追慕。

 複雑な感情を絡ませたまま、小鶴殿は続ける。

「弥刑部はただ、わっちに会いに来ただけ、でありんしょう。事件はまあ、旦那たちには悪いけれども、言わばついで。

 わっちはもう、祭りまで旦那を取る事はありんせん。故に、もう事件は起こらない」

 

 小鶴殿は、殺害動機に心当たりがあるように、そういった。

 いや、正しく理解しているのだろう。

 姉弟。

 そこには、恐らく他者の介入できぬ過去があり、介入できぬ何かがある。

 湊斗景明(おれ)と、湊斗光(あいつ)のように。

 ぷかりと煙が漂った。

 

「お話難い事をお聞きしました。失礼を」

「構いんせん。――今のを聞いた後でもう一度お聞きしんすが、そのまま帰っては貰えんすか。ぬしは――

 ――弥刑部を殺すんでありんしょう?」

 

「っ!」

 

 ――それは。

 殺す。殺す事になるだろう。

 劔冑だけを鋳潰す事が出来たのなら、その限りではない。

 だが、それは夢想にすぎない。

 そも、劔冑と仕手は繋がっている。劔冑だけを仕手に知られず、しとめるなど不可能な事だろう。

 何より、弥刑部本人についても、何やら俺を害する目的を持っているよう。

 互いに装甲した状態での、武者合戦と相成るだろう。

 つまり、どうなっても殺す事となる。

 

 だが、それを。

 それを、弥刑部の姉御である小鶴殿に語るのは――。

 余りにも。

 ――悪徳。

 ――悪逆の所業。

 

「そう硬くならなくても。ぬしが武者で、弥刑部も武者なのは昨日、見ていんした故」

 煙草を咥えて、小鶴殿は言う。

「誰か。もし、誰かぬしの大事な人でも、弥刑部に殺められましたか?」

 

 違う。そうではない。

 俺が彼を追うのは、単に銀星号に関わるが故。

 銀星号の卵を植えられた武者であるが故。

 至極、手前勝手な行為からだ。

 そんな。その感情は、俺が弥刑部へ向けられるものではなく。

 俺が、名も知らぬ方々から向けられるべき感情。

 

「違います。そのような事は決して」

「ならえば、何故?」

「……一身上の都合により、としか」

 ぷわ、と煙と共に、そうか、と一言吐き出した。

「なら、今の話は忘れておくんなんし」

「はっ」

 

「それと、燕の奴に、弥刑部の事、あんま話してやらないでおくなんしね」

「それは如何様にして」

「あの子と弥刑部が会うのは、あまりよい事になりんせんからに」

「……はっ」

 弥刑部からしてみれば、燕殿は妹御となる筈だが。

 己が考えた所で詮無き事、か。

 

「所でぬしよ」

「はい」

「警察と聞きんしたが、どうして武者が警察なんてやっていんす?」

「自分の本来の形は正規の警察官ではなく、所謂パート警察官というべきものです」

「ほう、パート?」

「はい。自分の活動は、鎌倉警察署署長の私費によって賄われています。現在の警察は六波羅政府の指示なくして行動する事は出来ません。

 故に、本来存在しない形で、自分は動いています」

「へー。それは立派な事でありんすねえ。ふーん、署長。その署長はどんなお人? やっぱり、私費でそんな事をするという事は、それだけ出来た人なんでありんしょうか?」

 

「はい。立派な方と言って遜色はありません。自分も返しきれない恩を多分に受けている身です」

「なーるほどなあ。さて、腹は空いていんすか?」

「はい。それなりには」

「それじゃ、燕にでももって来させんすから」

「お気遣いの程、痛み入ります」

 重そうな着物を纏ったまま、彼女はそれを感じさせずに立ち上がると部屋の外へ向かった。

 

 

 

 

 

 男が男女の営みを初めて眼にしたのは、自身の情事ではなく、姉のそれであった。

 姉弟そろって吉原へ買われ、姉は遊女に。弟は下男となった。

 男にとって、姉はそれだけでなく、母とも呼べる存在であった。

 幼くして自らを売り飛ばした女など、母ではない。

 

 手を繋ぎ、愚図る幼かった自分をあやしてくれた姉こそが、母。

 そこに、男は確かな愛を感じていた。

 まだ幼かった姉は、しかし上客の希望によって常の歳より聊か早く水揚げされる事となった。

 水揚げの日。

 

 男は普段通り、下男としての仕事を勤めていた。

 その最中、一人の体の大きな坊主に声を掛けられる。

 その髪、おぬしはあれの弟御かな

 あれ、というのが姉であるとすぐに理解した。自分と、姉の髪は艶のある美しい、自慢の金糸。

 恐らく、生粋の大和人、という訳ではない。蝦夷の血が混じっていたのだろう。

 いつか父であった男も、母であった女も蝦夷ではない。遠い祖先の事だ。

 

 はい。

 男はそう答えると、坊主は続ける。

 

 おぬし、姉御は好きかな?

 はい。

 

 どんな所が好きなのだ?

 母のように優しく、僕の手を握ってくれる所が。

 

 坊主は豪快な笑いを上げた。

 そうかそうか! それは良い。仲睦まじきは真に美しきかな。

 うむ、良き事を思いついた! おぬし、姉が犯される様をとくと見ておれ!

 

 男は、一瞬何を言っているのか、と考えた。

 が、答えが出る前に男は坊主に手を引かれ、連れられた。

 向かう先は遊女の待つ座敷。

 坊主が衾を開いた先には、布団が一組敷かれ、そこには男の姉がいた。

 

 姉は男の姿をみるや、何事かと坊主に問うた。

 しかし、坊主は答えない。ごつごつとした坊主の手は、男の手を離し、開いたその手は姉の着物へと向かった。

 一息に、姉は裸に剥かれてしまった。

 男の目を嫌がり、姉が体を隠す。

 

 そも、男が姉の裸を見るのは初めてではない。共に風呂に入る事もあれば、もっと幼い頃、水川で遊んだ覚えもある。

 いまだ幼かった男は、姉を見るその目に情欲は存在しなかった。

 体を男の目から隠す姉を見て、思った事は一つ。

 姉が変わってしまった、という事。

 

 姉は嫌がった。

 しかし、体の大きな坊主はそれを容易く組み伏せ、潤滑油を手に姉を貫いた。

 姉の、悲鳴が響いた。

 叫び、泣いた。男の名を呼び、見るなと言った。

 

 男は、それを呆然と見る事しかできない。

 見るなと、目を閉じろと、出て行けと、涙ながらに姉は言う。

 男は動かない。

 坊主に犯される姉を前に、男は座り込んだまま動けない。

 

 どうして――。

 どうして、どうして。

 どうして姉は、助けてと言わないのか。

 

 坊主は笑う。

 その声を聞いて、男はようやく立ち上がった。

 男は坊主に立ち向かう。やめろ、姉を泣かすな。

 しかし、それは無謀だ。

 男は坊主に殴りかかるが、その幼子の拳は届かず、坊主の腕に叩き潰され、そのまま片腕で押さえつけられてしまった。

 

 姉がやめてと叫んだ。

 頬に、つめたい畳を張り付けて、尚も男は暴れる。

 坊主は笑う。

 

 姉が好きだと申したな。良い事よ。真お前は姉に愛されておる。

 しかし、どうだ。お前は姉に何をしてやれる。

 愛してくれる姉に、一体何をしてやれる。

 何も出来んだろう! ほうら、お前の姉が泣いておるぞ。

 

 この坊主めに処女を散らされ、泣いておるぞ!

 姉の愛はお前を確かに守っておるよ!

 一度もお前に助けを呼ばない健気な姉は、理不尽を一身に受け、尚もお前を守ると必死よ!

 どうだ! お前は姉に何をしてやれる。

 

 お前は姉が好きだと申したが、その好きで一体何が出来ようものか!

 ふはっ。そこで這い蹲って見ておるが良い。

 

 押さえつけられたまま、無我夢中で男は手を伸ばす。

 男の手が、姉の手に触れた。

 ぎゅっと握る。姉が、ぎゅっと握り返してくれる。

 

 まっこと、これはお前の母よ! どうだ、母のように手を握ってくれるのが好きだと申したな!

 手を握って満足か! お前はそれで満足か! だが姉は助からぬ! 手を握ろうともこのわしは消え去らぬ故!

 一体姉は何で満足すれば良いのだろうなあ!

 お前は姉の一体何を満足させてやれるのだろうなあ!

 

 目を瞑れば終わるだろうよ! ほうれ、もうすぐ子種をくれてやろうぞ。

 それで終わりよ。もうすぐ終わりよ!

 何も出来ぬまま、もはや終わりよ!

 そうれ孕めい孕めい。

 お前の母を本当の母としてくれようぞ!

 さすればこれは、お前の母ではなくなるな!

 これより生まれる子の為だけの母よ!

 

 ふあっはっはっはっはっはっはっはっは!

 

 

 そうして姉は、子を産んだ。

 

 あの時の笑い声は今も耳に張り付いたままであった。

 子を産んだ姉を見て、男は吉原を飛び出した。

 警備の牛太郎を張り倒し。

 壁を飛び越え山を掛けた。

 

 しかして今はあの時とは違う。

 今は力がある。

 あの時なかった姉を守れる力がある。

 そうであるのなら。

 

 姉は、己に助けを求めてくれるだろう。

 何も出来ないあの時とは、今は違うのだから。

 身に付けた武芸がある。

 劔冑がある。

 武者となった今ならば――。

 

 

 

「弥刑部、わっちはここを離れる気はありんせん」

「――何故……」

「わっちは巫女でありんす。祭りが終わるまで、わっちはここを離れんせん」

「――何故……」

 

「弥刑部こそ、ここを離れなんし。あの警察官が、あんたの命を狙ってる」

「――俺は……」

「わっちが離れれば、誰かが変わりに巫女になってしまう。それに――燕だっている」

「――姉様……」

「いいね、弥刑部? お行き」

 

 

 山の中で夜を明かしていると、そこに姉は現れて、そう言った。

 山の中をいくらか探したのか、姉の足は土にまみれている。

 吉原を出よう、そう告げた自分に、姉様はそう答えたのだ。

 

 ――ああ。

 また助けを求めてはくれないのか。

 もう姉様は、俺の姉様ではなくなったのか。

 あの坊主の言う儘に、俺の母ではなくなったのだ。

 あれは正しく、燕という忌み子の母となってしまった。

 あれが居る限り、俺の母は戻ってこないのだ。

 

「待て、姉様」

「なぁに弥刑部」

「それは嘘だ。貴方は想い違いをしている」

「なぁにが?」

 

「忌み子の為に貴方の命を散らそう等と、それは明らかな想い違いだ!」

「……忌み子、ね。わっちにとっちゃ大事な子よ。子を想うのは母として、当然の事でありんしょう?」

「違う、それは本当の幸せではなかろうが! 貴方は母であろうとしているだけだ!」

「わっちゃ、幸せよ。あの子が幸せになってくれるなら、それだけで」

 

「違う、違うだろうよ! 貴方はただ、母であるという義務を全うして、その義務を果たせる事に満足しているだけの事!

 それが想い違いと言わず何とするよ! 俺は――、俺は!」

「弥刑部……わっちゃ、あんたの姉よ。母ではない。

 でもね、わっちゃ燕の姉ではない。燕の母よ。

 水揚げで子をもうけたなんて、縁起の悪い話だから、妹として育ててきたけど、あれはまさしく、わっちの娘。

 弥刑部――始まりからして、違うのよ」

 

「俺が認めん! あれが貴方の娘である等、俺が認めん! あんな腐れ坊主の血をひいた奴等……まさしく忌み子であろうが!」

「でも、あの子を初めて抱き上げた時、わっちゃ幸せでありんしたよ?」

「――それが勘違いと言うに」

「まったく。あの子を身受けてくれると言った人を、あんたが片っ端から切っちまうお陰で、わっちの計画は台無しでありんす。

 弥刑部、わっちを母にしておくれ。母で在らせておくれ。お願いよ」

 

「姉様が死んで、あれが生きて、一体なんの意味があるというに……。そんなのは俺が認めん。絶対に認めん……」

「死ぬと決まった訳ではありんせん」

「死ぬだろうが。今の代官はそういう趣味よ。ここ近年生きて帰った巫女などいないのを知ってるだろうに」

「……」

 

「巫女になれば願いを一つ言える。そんな餌に釣られて、そんな餌で忌み子なんかを生かして。くだらないにも程があろうが!」

「――母なんて、そんなものよ、弥刑部」

「――頑固者がぁ……」

「あんたもね。折角うまく外へ逃げたんだから、わっちの事なんて忘れて、好きに生きればよかったのに」

「できる訳ないだろう……そんな事」

 

「ふふふ、弥刑部。そういう事よ」

「……は?」

「わっちも、できる訳ないだろうって、思ってるって事」

「……あ……」

「ほら、立派な武者様になったなら、涙なんて流すんじゃありんせん。もうすぐ見回りの牛太郎が来るよって。わっちは行くよ」

 

「……待って、くれ。姉様」

「ほら弥刑部。……おさらばえ」

「ああ……ああ……」

 

 姉様が行ってしまう。

 大好きな姉様が行かれてしまう。

 側に佇む甲鉄で出来た二羽の鳥を見る。

 劔冑はあるのに。

 

 このまま、姉を攫ってしまえれば話は簡単なのに。

 だが、それではダメだ。体は攫えても心は攫えない。

 あの二羽が、あの二羽が羨ましい。

 劔冑となっても姉弟で寄り添う。あの劔冑のようでありたかった。

 千鳥……雷切……。

 

《何、御堂》

《なぁに、御堂》

 

「お前たちは幸せか?」

 

《分からないよ御堂》

《分かりません御堂》

 

「……はは、そうさな。お前たちは劔冑だものなあ」

 

《でもね、御堂》

《僕たちはね、御堂》

 

 劔冑となった経緯はろくでもないものだったけれど。

 こうありたいと望んだのは覚えている。

 望んでこうなったのだから。

 望みを叶えられたなら、きっとそれは幸せなんだと思うよ。

 

 

 

 




ちょっと短いですが。
今回のお楽しみポイントはもう全部、いかにもッ! の登場シーン。
極力濁したんでR-15のまま。
されてる姉様の具体描写ないからどうかご寛恕の程を。

例えば童心坊に尻掘られたりとか考えたりもしたけども。
だってあの人坊主だし。吉清いるし。
例えば姉様の裸に反応した愚息に腹立てて自分で切り取っちゃう話とかも考えたけども。

カットカット。


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夕闇の陽炎

 小鶴殿が席を立ちしばらくすると、小さな体を目いっぱいに使い、配膳を手にした燕殿が部屋へ訪れた。

「お食事をお持ちしんした」

 ゆっくりと歩を進め、布団の脇へと配膳を下ろす。

 体を起こし、燕殿に向き直り、座ったままに頭を下げる。

 

「有難う御座います」

 燕殿が、くりくりとした眸を細めていいえ、と笑った。

「あちき達が食べているものと同じものでありんすから、お口に合うか分かりんせんが」

「いいえ、見るにとても立派なものとお見受けします。刺身等は、自分のようなものが口にするには、聊か贅沢に感じてしまいます」

 

「旦那様へお出しするお食事の余りものでありんす。御気になさらずお召し上がりおくんなんし。あ、でもお体は大丈夫でありんすか?」

「ご心配なく。この程度の傷でしたら、明日には完治致します。食事についても、何の問題もなかろうかと」

「よかった。では、お食事になさいんしょう」

「はい」

 

 配膳に目を落とす。

 白米にお漬け物。そして、刺身が器に盛られている。刺身など食べたのはいつ以来か。本当に、これが余り物であるのか疑いを得てしまう。

 しかし、よく見ると肉の厚さが違う。包丁を入れた角度にバラつきが見られる。

 なるほど、お客に出せないものを賄いに回しているのか、と理解した。

 

 ふと、気づく。

 箸が配膳には見当たらなかった。

 ――。

 

 なるほど。

 

 自分が招かれてここにいる訳ではない事を思い出した。

 ここは燕殿の部屋。そこを自分が占拠しているとなれば、燕殿のお心を騒がせるのも無理はない。

 

 ――――。

 

 もう一度、配膳の上を確認する。

 やはり、箸はない。

 ここで、箸はないのか、等と聞くのは聊か、面の皮が厚い話。

 燕殿が箸を忘れている、という可能性は捨て切れないが、もし。

 

 彼女が故意に箸を用意しなかった場合、箸はどこかと聞くのは具合が悪い。

 燕殿を見ると、小鶴殿によく似た大きく無垢な黒目が俺を映している。

 

 ――。

 

 親指と人差し指で刺身を一切れ摘みあげる。

「わ、わ、待って待って湊斗様!」

 

 動きを止める。

 

「はい」

「お、お箸も使わずに食べるなんていけんせん!」

「はい。しかし、箸が見当たらず、考えてみれば自分の置かれる状況は、燕殿には大層ご不快な筈。

 箸を隠された自分が手で食事を食べる様を見て、燕殿の心の何某かが満たされる事もあるかと思い至りました」

「あ、ありんせん! そんな事これっぽっちも思っていんせん!」

「そうですか。失礼な事を言いました」

 

 ――そうか。間違いだとは思ったがやはり間違いだったか。

「して、燕殿」

「はい」

「お箸のほうは、どちらに」

「あちきが持っていんす」

 燕殿が右手を掲げる。手には一膳の箸が握られている。

 

 ――。

 ――――。

 ――――――――――――――――。

 

「あ! 湊斗様、素手で食べようとしないで! 駄目ー!」

「――」

 

 ここは、自分が間違っているのだろうか。

 

「ふう。――あの、湊斗様」

「はい。なんでしょうか」

「お願いがありんす!」

「はっ。如何様な」

 

「旦那様とのお食事の、練習をさせてもらえんせんか!」

「はい。お引き受けします」

「はあ! ありがとうござんす!」

《即答ね、御堂》

(聞いていたのか)

 

 脳に村正の金打声が響く。劔冑の放つ金打声は、向けた個人にしか聞こえない。

 こちらの返答も、目の前の燕殿に気取られる事のないように、口腔内で転がす。

(こちらは世話になっている身だ。断る理由はない)

《ええ、そうね。ちょっと面白そうだから、聞いてるだけじゃなくて見させてもらうけど》

 

 見る、というからには距離は近くにいるのか。天井に目を走らせると、板と板を張り合わせた天井に、小さな隙間を見つけた。その奥には鈍い光が見える。村正だ。

 ……隙間から覗き見るそれはなんだか怪しい。

 

「では。旦那様、何からお食べになりんすか?」

 視線を天井から燕殿に移す。

「では、お刺身から」

「はぁい。旦那様、あ~ん」

「あーん」

 

 燕殿が箸で摘んだ一切れの刺身を俺の口元に進める。刺身が口内に入る、が位置が妙に浅い。口を閉じると、刺身が半分、外へ飛び出している。

 気にせず、唇の動きだけで口内に取り込み咀嚼。刺身は妙に暖かかった。

 

「ふふ、旦那様ぁ?」

 燕殿の猫のような声。

「はい」

「お刺身のお肉って、女の人の唇に似ていんせん?」

「……聊か女性の唇と称するには生臭いような気がしますが、ぬるいお刺身の感触としては、多少」

「昔は海が遠いここでは、冷えたお刺身を出せなかったんでありんす。だから、ぬるいお刺身をさして、吉原では接吻の事、お刺身って言うんですよ?」

「そうですか」

 

「……」

「……」

 

「つ、次は何にしんす?」

「では、ご飯を」

「はぁい。旦那様、あ~ん」

「あーん」

 

 今度は何事もなく、うまく口の中へ。

 

「どうですか? 旦那様」

「はい。とても美味しいお米です」

「……」

「……」

 

 会話が弾まない。

 

《……御堂》

(……なんだ)

《その、もう少し、楽しそうにしてあげたらどうかしら。何だか可哀想……》

(……)

 

 楽しそうに。

 さて。楽しそうに食事をする、とはどうしたものか。

 一考。 

 結論。

 

 笑顔でも浮かべてみるか。

 口角を出来るだけ上げる。まなじりを出来るだけ落とす。笑顔の大事なところはこの二つ。

 ……。

《み、御堂! その顔は駄目――!》

 

「――」

「……」

 

「――だ、旦那様、そのー。素敵な笑顔でありんすね」

「――有難う御座います。思えば、生涯に置いて初めて褒められた気さえします」

《…………………………》

「うふふ、またまた。はい、旦那様、お漬け物をどうぞ。あ~ん」

「あーん」

 

 ぽり、ぽり。

 

《――きっと出世するわ。その子。本当に――なんか、本当すごい》

(……)

 よく分からないが、遠まわしに劔冑に貶されている気がする。

 

 

 食事を終えて一息。彼女が練習の一環でお茶を入れたい、と言うので頂いた。

 湯飲みの中には緑茶。

 

「あの、お茶のほうは如何でありんすか?」

「そうですね。浅学の身で言わせて頂けるのなら、お湯の温度が少し、低いかと思います」

「え? あれ、でも湯気が揺れるくらいで淹れるものと聞いておりんすが」

 

「はい。その知識は正しいものです。しかし、それは沸かす段階の話ではありません。

 お湯を沸かす時は、完全に沸騰させるのが正しい形です。

 沸騰させたお湯をまず湯飲みに注ぎ、そこでお湯が冷めるのを待ちます。

 

 この時に、湯気が揺れる程度の温度まで冷ます、というのが正確なものです。

 お湯を沸かす時に湯気が揺れる温度だと、湯飲みに注いだ時には正しい形よりも冷めてしまいます。

 そして、湯飲みのお湯を急須に戻し、一分ほど、葉が開くのを待ちます。

 

 この時、急須は決して揺すらず、じっと待ちます。揺すった場合、葉の苦味がでてしまいますので。

 後は燕殿の行った通り、人数分の湯飲みに少しずつ、均等に注いでまわします」

 

「はあ~。すごい、お詳しいんでありんすね!」

「学生の頃、茶道部に所属していた事がありますので。こういったお茶の淹れ方や、お茶の点て方等は一通りに」

「もう一度、お淹れしていいでありんすか? もっと教えてほしいでありんす」

「はい。頂きます」

 

「でも、湊斗様の学生時代でありんすか。どんな感じであったんでありんしょう。そういえば、湊斗様は今おいくつでありんすか?」

「二十九になります」

「え? ……わ、わあ。小鶴姉様のほうがお上かと思っていんした」

「中々歳相応の貫禄というものが出ず。お恥ずかしい限りです」

 

「そんな事ありんせん。いつまでもお若い方は素敵だと思いんす」

「有難う御座います」

「あ~ら。なにやら随分仲良しになりんしたなあ」

 そういって、部屋にやってきたのは小鶴殿だった。

「姉様。ご用事はお済みになったのでありんすか?」

「ええ、ありがとうね燕。ぬしも燕に付き合ってくださって、どうも」

「いいえ。楽しいひと時でした」

 

 見れば、着物の裾に少し、土がついている。

 もう遅い時間だというのに、用事とは、外へ出ていたのだろうか。

 いや、遊女とは夜に働くもの。おかしな事は何もないか。

 

「そりゃあようござんした。燕、お布団はあるかい」

「はい、押入れに」

「ん。じゃあ、もう遅いから、お早くお休み。ぬしも怪我人なんでありんすから、お早く」

「お気遣いの程、痛み入ります。そうさせてもらいます」

 

「はい、姉様」

 燕殿が立ち上がり、押入れに向かう。そして、布団を俺の隣へ敷いた。

「ぬしよ」

「はい」

 

「二人っきりだからって、勝手に手をだしちゃあ駄目でありんすよ?」

「そのような事は決して」

「よろしい。ではね燕。お休み」

「お休みなさい、姉様」

 

 小鶴殿は去り際に明かりを消し、部屋を退出した。

 互いに布団へ入ると、部屋の中の物音が消える。

 だが、この建物の人間はまだ、眠らない。

 階下では人の声が聞こえ、外からも人の気配は消えない。

 

 季節柄、風の強くなる日でもある。

 窓を打ち付ける風ががたがたと音を鳴らす。

 しかし、それらは不快ではない。

 良い、子守唄代わりになるだろう。

 

 恐らく、生まれてからこの部屋で過ごしただろう燕殿は、慣れたもので早くも寝息を立てている。

 ――寝よう。

 風の音に揺られ。人の音に導かれ。

 意識を引いていく。

 

 ――――。

 ――。

 

 

 

 森を駆ける。

 木々を鋼鉄の糸で繋ぎ、その上を奔る。

 糸の範囲はどんどんと広がっていく。

 村正の、蜘蛛としての理に沿った狩りを行う。

 

 目覚めてから、方針を相談したときに決まった結論だ。

 共有した視界からその仕事ぶりを拝見する。

 木々に張り巡らされた蜘蛛の巣は、動物には害のない、大雑把な作りだろう。

 しかし芹沢弥刑部の劔冑は、鳥である。

 

 少々小型であったが、劔冑であるのなら、森から飛び立とうとすれば糸に接触する事となるだろう。

 故に、山の森に蓋をしてしまえば、何らかの行動が見受けられるか、という思いからだった。

 無論、吉原内部に隠れ潜んでいる可能性も否定できない。

 そちらは、俺の仕事だ。

 

 視界を自分のものへと戻す。

 祭り前日という事もあって昼間であるが人通りの多い吉原を歩く。

 金糸の髪はよく目立つ。よく注視していれば見つけられる事だろう。

 問題があるとするならば。

 

《御堂、まだ一緒にいるの?》

(……小鶴殿に頼まれた以上、無碍にする訳にもいくまい。頼み事の形から、撒いて置き去る事もできまい)

《でも御堂、それって連れて寄生体を探すのも同じだと思うけれど》

(……)

 

「どうかしんしたか?」

「いえ、何事も」

「そうでありんすか」

「……」

 

 弥刑部を探す事の間、なぜか俺の隣には探し人と同じ、金髪の少女がそこにいた。

 本日一日、彼女の護衛を頼む。

 今朝方、小鶴殿に俺はそう頼まれてしまった。

「弥刑部の奴が燕に変な事しないよう、ようく見て置いておくんなんしね」

 

 小鶴殿の話では、芹沢弥刑部は燕殿を害す可能性がある、との事だった。

 同時に、それは片手間の事でしかなく、彼が本来の目的に動く時は祭りの当日であるとの事も。

(明日に賭ける。そういう判断もできるだろうが)

《今日、孵化する事もなさそうだから、それでもいいけどね》

 

 祭り当日という人の目の集まる場で大立ち回りをするのは気が引けるというのが本音だ。

 人知れず早々に済ませる事ができれば、と思うのは間違ってはいないだろう。

 芹沢弥刑部。

 一方で今日、彼と相対する事のないように、祈る気持ちもあった。

 

 隣に、燕殿を見る。

「何でありんすか?」

「いえ、何事も」

「ふふふ、変な湊斗様でありんすねえ」

 

 この少女の前で兄を殺すのは、避けたい事だった。

 燕殿の案内で吉原を隅から隅まで歩いて回る。

 大門から時計回りにぐるぐると回る。

 仲之町通りは現在、祭りの準備もあって人でごった返している。

 

 細い道を潰すように歩き、最後に仲之町通りを歩く。

 

 段々と日も暮れて、今日の成果を諦め始めた頃、通りの途中、金髪の女性が視界に映った。

 小鶴殿だ。

 行き交う人間に指示を飛ばし場を纏めている。

 なるほど、あれも巫女として祭事に関わる者の業務か。

 

 燕殿とその様子を眺めていると、小鶴殿と視線が合った。

 ゆっくりと歩いて、彼女に近づく。

「御疲れ様です、小鶴殿」

「おやまあ、そちらもご苦労様。今日一日、燕はどうでありんした?」

 

「吉原を案内して頂きました。慣れない土地ですので随分と助けになりました」

「そう、それはよかった。燕」

「はい、姉様」

「ちょーっと、わっちはこの人に御話がありんす。先に戻っていてくれんせん?」

 

「分かりました。姉様、御食事は?」

「お願い」

「はぁい」

 ぱたぱたと、燕殿は雑踏を縫うように走っていった。

「ぬしはこっち。ついて来ておくんなんし」

 

 小鶴殿の背中を追って歩く。大通りを南下。大門を潜りぬけ、吉原の外に出ると、そこには神社があった。

 小鶴殿の目的地はどうやらここのようだった。鳥居を潜り、適当な石階段を見つけると、そこに腰を落とした。ぽんぽん、と横の石畳を手で叩いている。そこに座れ、という事だろう。

 失礼します、と声をかけて自分も腰を落とす。

「――」

 

 小鶴殿は何かを言いたげにしたまま、しばし沈黙している。

「なあぬしよ」

「はい」

「ぬしは、結婚とかしていんすか?」

 

「いいえ、しておりません」

「予定とかはありんせん?」

「ありません。そのような相手もおりません故に」

「ふーむ。そうでありんすか」

 

「はい」

「実は、折り入って頼みがあるんでありんすけどね?」

「はっ。何でしょうか」

「……うん。まあ。燕をね、身請けてはもらえんせんか?」

 

「――身請け?」

「ええ。ああ、金銭のほうはわっちが用意しんす。ただ、信頼して燕を預けられるお方がいなかったんでありんす。と、いうかこの話を持ちかけた旦那たちは弥刑部に斬られちゃってね」

 ……なるほど。それが弥刑部の凶行の理由、か。

「小鶴殿、しかし自分は、その信頼に値する人間では決してありません。小鶴殿の目に自分が、どのように映ったかは定かではありません。ですが、自分の傍にいる、という事は非常に、危険な事です」

 

「それはぬしの業務上の事?」

「……そうですね。そのように解釈して頂いて構いません。危険な事です。燕殿を大事に思われるのなら、自分を遠ざける事こそが正当」

「ふぅん。なら、署長さんならどう?」

「……署長?」

 

「ぬしの嫁でも、娘でもよかったでありんすが、それが駄目なら署長さんの愛人でも、娘でも。まだまだ勉強は教えたりないけど、自慢の――本当に、自慢の妹だから」

「――署長は」

「うん?」

「署長は、明堯様は自分の養父でもあります。故に、その件に付きまして自分が肯定する事も、否定する事も出来る立場ではありません」

 

「……へえ~。うふふ、ならもし、燕が署長さんの娘になったら、ぬしの妹になるんでありんすね」

「――」

 妹。

 燕殿が妹?

 

 自分が、光以外の兄になる。

 なんだ、それは。

 なんだ――――それは!

 嫌ではない。

 

 きっと、それは微笑ましい光景だろう。

 だが。

 それを、俺が望んで良い訳がない。

 ――だが、俺が勝手に否定して良い事でもない。

 

「ぬしよ。御話を署長さんに持っていくだけで良い。どうか、お願いできんせんか」

「――――御話を、持っていくだけならば」

「――ありがとう。これで私も一安心。うふふ」

 これで、いいのだろうか。

 

 署長ははたして、この話を受けるだろうか。

 危険なのは署長の立場とて同じ事。倒幕派の一つでもある親王殿下の御傍にいるのだ。その家族に累が及ぶ可能性も考えられる。

 だが詳しい話を聞けば、どのような形であれ手を貸してくださるだろう。

 しかし――。

 

 恐らく、芹沢弥刑部を斬れば――。

 小鶴殿を斬る事になるだろう。

 善悪相殺。悪を斬ったのなら善も斬らねばならない、村正一門に科せられた呪い。

 姉を、斬る。

 

 そして、のうのうと兄として接する?

 ――なんだそれは。

 冗談ではない。

 そんなおぞましい真似が出来よう筈がない。

 

 自分の居場所は署長宅の縁側ではない。

 暗く狭い、冷たい拘置所こそがお似合いだ。

 鳥の嘶きが響いている。

 小鶴殿はすでに、吉原へ戻っていた。日は落ちている。村正の報告もない。

 

 肌寒さを感じながら、月を見上げる。

 今日は、このまま夜を明けてしまいたい、そんな気分だった。




次回でようやく戦闘入ります


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一ノ太刀

 吉原を飛び出した後、力を求めて武芸を学んだ。

 だが足りない。

 どれだけ剣理を学ぼうとも世には覆せぬ力がある。

 劔冑。

 千鳥と雷切。

 

 俺がこの劔冑を手にしたのは、ある人物の気まぐれのようなものからだった。

 それがどこで自身の事を聞きつけたかは定かではない。

  

 唐突に現れたそいつが言う。

 

 お兄さん、馬鹿やるんだろう?

 いいよいいよ、いっちょあてが足長お姉さんをやってやろうじゃないか。

 うちの蔵にある劔冑を一領くれてやるよ。

 ただし、ルールが一つ。

 この劔冑を使えば必ず、お兄さんの前に紅い武者が現れる。

 それとね、戦うんだ。

 もし破ったら劔冑はドカン。

 そのちょっとした爆弾こそが紅い武者を呼び寄せるみたいなんだけどね。

 まあ、これはあての願いって訳じゃなく、うちのお姫の願いなんだどさ。

 うんうん、家族の愛を求めて世と戦うなんて無茶、中々カッコイイじゃないか。

 うちのお姫と気が合いそうだ。お姫もお兄さんと同じ、家族の愛を求めて戦う。でも無茶苦茶ぶりで言ったらお姫のほうが断トツだけど。

 

 

 俺は聞いた。

 その姫とやらも家族の愛の為に戦うというが、俺より無茶苦茶とは一体何と戦うんだ?

 

 ふふふ、気になる? 気になっちゃう?

 お姫はね、人類全てと戦うんだとさ。

 

 ……正気か、それは。

 

 正気も正気。本気も本気。すごいだろう?

 本当にすごいんだから。だって――。

 勝つよ? うちのお姫は。

 人類全てと戦って、勝っちゃうよ。お姫ならね。

 ――銀星号、っていうんだけどさ。

 お兄さんなら、気が合うかもね。うん、あても気に入った。ドカンといってなかったら、勝っても負けても、あての所きなよ。

 お姫に合わせてあげるからさ。

 

 

 

 そして、俺は手にした。

 千鳥と雷切。姉弟劔冑。

 俺の理想。俺の夢そのもの。

 

 劔冑は山の中にいる蜘蛛の元へ行かせている。

 騎航しての合戦でも、無論のこと負けるつもりは一切ないが、明日を控えて、消耗する事は何としても避ける。

 明日、祭りがあるのだ。

 その祭りで、姉は代官に抱かれる事になる。

 極度の嗜虐趣味の、代官に。

 今度こそ、助けるのだ。

 助けを求めなくても構わない。代官を殺し、姉を連れ出す。

 

 ――若しくは。

 

 

 

 湊斗景明と別れた後の事。

 姉に言われ、一階の台所にて食事の仕度を済ませ、自室に戻ると、そこに一人の男がいた。

 小太刀を片手にぶら下げたまま、開かれた窓枠に腰掛けた、金糸の美丈夫。

 自身と同じ髪色の、若い男。

 小鶴よりも若い、一人の男性。

 自身、芹沢燕には、兄がいる。

 姉である小鶴よりいつしか、聞かされた言葉だった。

 一度もあった事のない兄。

 吉原を飛び出した兄。

 目の前の男は、きっと兄だ。

 帰ってきた。

 兄が帰ってきた。

 

 

 ――何をしに?

 

 先ほどまで共にいた警官の顔を思い出した。

 警官が、言った言葉を思い出した。

 吉原を騒がせていた殺人犯の名前。

 芹沢弥刑部。

 自身の、兄の名前。

「お初にお目にかかる。俺の名前ゃ、弥刑部。芹沢弥刑部」

「あ……燕、燕……です、兄様。貴方の、妹の」

 燕の言葉に、ぴくりと弥刑部の眉が動いた。

「そいつは違う。俺は、お前の兄ではない」

 否定。

 だが、燕は知っている。

 小鶴が弥刑部の事を気にかけている事。

 小鶴には弟がいる事。

 自身に兄がいるという事。

 それを、否定された。

 何故か。

 それが果たして、燕の身を案じた事からであったなら、なんと血に塗れながらも美しい事だろうか。

 殺人犯の妹にしては置けない。そんな思いからであったならば。

 否、否である。

「俺はお前の兄ではない。あえて言うのなら、叔父よ」

「…………え?」

「そりゃ、そうか。子がいる、なんて話になりゃケチがつくもんだ」

「一体、何のお話を――」

「忌み子よ、お前は。姉様が無理やりに孕まされた餓鬼、それがお前よ。忌々しい、まったくもってな!」

「忌み子……?」

「おうよ。お前が姉様を苦しめる。お前が姉様を縛り付ける。それも――終わりだ。俺が断ち切る。忌み子の呪いから、俺が!」

 するりと、片手にぶら下げていた小太刀が抜かれた。その切っ先は、真っ直ぐに燕に向いている。

「ひっ……!」

「さようなら、燕」

 振り落ろされた刃は、ガチリと音を響かせた。

 

 

 

 

 間に合った!

 腰が抜け座り込んだ燕殿を背に、小太刀を太刀にて受けとめた。

 目の前の男、芹沢弥刑部の顔が醜悪に歪む。

「湊斗ォォォ……!」

 小太刀を払うと弥刑部は飛び退り、間を空けた。

 村正の知らせを受け、寺より走り、なんとか間に合った。ほんの少し遅ければ燕殿が切り殺されていただろう。

「芹沢弥刑部。なぜ、燕殿を狙う」

「貴様には与り知らぬ事よ! そこをどけぇ!」

「断る。小鶴殿より、燕殿を守るように頼まれている。何より、現在進行形で御迷惑もかけている。助けない訳にはいかない」

「チッ。……明日も邪魔されちゃ敵わねぇ。ここで死ね、湊斗景明」

「事態の早期終結はこちらも望む所。燕殿、外へ」

「……は、はい」

 燕殿が部屋を出たのを横目で確認し、正面に対する芹沢弥刑部を見据える。先ほどまで一刀だったものが、開いた片手にもう一刀増えている。

 

 ――強い。

 相対した芹沢弥刑部。その構えを見るだけで、そう思わされた。

 一刀で言うところの脇構(わきがまえ)。半身を、左肩と左足を前に出し、抱えるように刀を後ろへ回す。

 相手の持つ獲物は小太刀。その小ささ故に、二本の小太刀は、体を死角として綺麗に隠されている。無手にさえ見えるだろう。

 それだけ、熟達した構えである証左。一朝一夕の構えでは決して無い。

 ただでさえ間合いに慣れないというのに、この構え。

 相手は、こちらが戸惑う事を理解し、狙っている。

 表情にはおくびにも出さない。しかし、自身の動揺は伝わっているだろう。

 それを知ってか、弥刑部の足がじわりと前に進んだ。

 

 重心を崩さぬ摺り足。畳を足裏で摩る音も立てず、弥刑部がゆっくりと近づく。

 亀の歩法。いつか相手となった六波羅新陰流の女性が脳裏をよぎった。

 重心を崩さず、体勢を崩さず、ゆっくりと進む。それは、至難の業と言って良い。

 そしてその歩みの速度は、自らの間合いに達した瞬間を見違える事はない。

 間合いに触れたその刹那に斬られる事となるだろう。恐らく、その一瞬を見逃す事を奴はしない。

 

 元より相手は脇構。不用意に相手が近づくのを待つものと思っていた。

 間合いを隠し、相手の焦燥と恐怖を掻き立てつつ、焦り不恰好な形で刀を振った相手を一刀で受け一刀で斬る。

 それならば二刀流という理念にも、脇構の理念にも則る。

 それに加えての小太刀という間合いを掴ませぬ特殊性。云わば二重の罠。

 

 だが、弥刑部の剣には三重の罠がある。

 間合いを自ら詰める圧力。

 二重では飽き足らず、更に焦燥を掻き立ててくる。

 生半な人間ならば平静を保つ事など不可能だ。自らの剣を忘れ、不用意な一撃を振ってしまうだろう。

 

 自分とて非常に危うい。まだ、間合いは遠い。得もすれば早足で駆ける事もできる距離。

 以前の、劔冑同士の騎航合戦を思い出す。

 

 一合い目の受け流し。

 騎航中だというのに驚嘆に値する、見事な流しであった。

 当然、地に足つけた今できぬ理由等ない。考慮するべき身業だ。

 

 二合い目は陰義による一撃。考慮せず。

 

 三合い目は逆手による下段の誘い。

 返し業による罠を張り、危うくそのまま首を落とされるところであった。

 

 あの時の弥刑部の攻撃には、積極性が見受けられない。

 

 だが、今は違う。積極的に間合いを詰めるあの姿勢は、新たな奴の一面。

 考慮するべき点はもう一つ。獲物の差。

 

 もし同じ太刀であるのなら、相手が振るその瞬間をこちらも掴まねば摺り足で近づく相手に拮抗する事はできない。

 しかし相手は小太刀。脇構にて間合いを隠そうとも、太刀を握る自分より間合いが長い事はありえない。

 そこをどう生かす。

 相手の手を、考えろ。

 

 月夜に照らされた自身の太刀が鈍い光を放つ。

 目が夜に慣れている事は僥倖だった。もし、目が慣れていなかったらすぐに切り伏せられているだろう。

 

 距離が縮まり、交差の瞬間が近づいていく。

 脳裏に取れる行動とその結果を想定する。

 

 下段の構えからの刺突、これは駄目だ。いつかの様に払われて胴を斬られる。よしんば払われずとも、逸らされる可能性が大。そうなれば返しの刃は圧倒的に、あちらのほうが速いだろう。

 相手は半身に構えている。そこから出る刃の軌道は、│右薙《みぎなぎ》か、袈裟斬りか、右切り上げか。意をついて刺突か、逆風という可能性もある。

 

 しかし、どのような形であれ、先手を譲る訳にはいかない。

 間合いはこちらが有利。そして懐に入られてしまえば、立場が逆転する。太刀よりも取り回しの良い小太刀の独壇場。それこそ腹部を裂かれるか、股間から逆風に斬られるか。

 相手の業を想像するは不毛。

 

 

 対手が、ついに俺の間合いに達したその瞬間に、空気は豹変した。

 

 対手に動きはない。構えを変えず、その歩みの遅さも変わらず。

 ここは――。

 

 

 打たない。先の合戦が脳裏から離れていないからだ。

 対手のほうから間合いを詰める。

 俺はそれを好戦的と言ったが、しかし。

 

 自分で思考した言葉を思い出せ。

 

(三重の罠。小太刀を使い、打ち間を隠し、加えての歩法にて間合いを詰める威圧。俺自身がそれを罠と言った筈)

 

 相手の狙いは今、この瞬間にあったのだろう。

 ここまでお膳立てが整っていれば、まず間違いなく敵が自らの間合いに入り込んだ瞬間に刀を振る。

 

 そう、振りたくなるのだ。

 

 明らかな間合いの優勢。対手の手札の不明。打ち間を隠される不安。残された有利に飛びつきたくなるのは人間である限り当然の事。

 だが、見方を変えると。

 

 それは、振る瞬間を相手に気取られていると言える。

 間合いに入るその瞬間。その時に振られると分かっているならば、いくらでも合わせる事が可能といえる。

 敵手は三重の罠を張り、用意、ドンの掛け声を作っていたのだ。

 

 敵手の顔がほんの少し、歪む。 

 俺の考えは中っている。その確信が生まれた。

 そして、その思惑を破った事で、形勢は逆転している。

 如何な小太刀と言えど。取り回しの良さが在ろうとも。

 互いの間合いに入った時に、それが現れる。

 

 上段からの振り下ろしか、脇構からの一閃か。

 剣速という不確定要素はあれども、まず。

 

 まず、振り下ろしのほうが速い。

 右肩上、八双に構えた俺は、腕を振り下ろすのみ。

 転じて脇構の対手は体を捻り腕を振る。

 

 一工程(シングルアクション)か、二工程(ダブルアクション)か。

 

 その差は僅かなれど、その僅かが勝敗を決する。

 だからこそ、ここを見送り、接近を待つ。

 

 まだ選ばねばならない選択肢は存在する。

 俺の優越距離である今、打つか。双方の打ち間(レンジ)に入った後に打つか。最後に、相手の後に打つか。

 

 一、今打ちこめば、合図こそ無くなったものの、その時の手段、勝利を確信した一刀の為に用意された返し業が繰り出されるだろう。

 無論、こちらの攻撃の機先を悟られなければ、そのまま勝てる。しかし、一度悟られたならば、それは先への巻き戻しに他ならない。

 恐らく、体を横にずらすと同時に左手で受け流され、右手により命を断たれる。

 右手よりも速く太刀を返そうとも、左の小太刀がそれを抑えつけるのだろう。

 

 二、両者の打ち間に入った後に斬る。これも先と同じ。しかし、距離が狭まる分、先よりも合わせづらくなっている筈。

 その理由は振り下ろす時に進める足にある。

 大きく出すか、小さく出すか。

 当然、大きく出したほうが動きの初と動きの終までに差が生まれる。それは対手にとって、動きの合図に他ならない。

 

 呼気を読まれる、業を読まれる。それと一体何が違うといえるのか。

 距離が狭まった分、足は小さく進めるだけでいい。

 それだけで、相手へ与える猶予が違う。

 それでも完璧とはいえない。

 完璧など、何事の勝負の世界にも存在はしない。

 問題は相手の打ち間が不明だという事。言葉にしてみれば単純ではあるが致命といえる。

 ある程度の想像はつく。構えを取る直前、一瞬だがその長さは目視している。

 それを完璧に捉える事ができるか、否か。

 

 三、敵手の打ち込みにこちらが合わせる。

 これは否だ。二刀という性質上、打ち合う事は相手も避けたい筈。

 返し業の予想はついた。だが、攻勢に転じた時の動きは今だ想像の外にある。

 片手で防いだのならそのまま一刀の元に断ち切る。

 

 打潮。名前を変えて各流派に存在する、相手の攻撃を切り伏せ、そのまま体を断つ、攻防一体の剣技。

 無論、先に言った通りこちらの振り下ろしのほうが速い。

 しかしそれも、同時に動いた場合の事。

 その有利を引き出すには俺が、相手に動きを見切られない事が必要となる。

 だが無用の危険と言えるだろう。

 

 打潮を使うには、相手の剣筋を読む必要がある。

 機先を読む。剣筋を見切る。そこまでは良い。

 だが、相手は二刀流。そこから更に、左右どちらを制すかの二択が現れる。

 両方の剣筋を見るなど到底不可能。もはや博打の領域だ。

 単純に考えるならば、先に出る手は左。しかし、それは向こうも承知の事だ。

 相手の気分次第に如何様にも出来る事。左手を潜るように右手を出し、右手を跨ぐように左の小太刀を浴びせる。

 

 相手の隠された間合いを恐れ、一を選ぶか。返し業こそを恐れ、二を選ぶか。三はその両方を恐れた場合だ。

 一を選ぶのなら今しかない。しかし、それは見送る。

 三は博打といったが、ここまで来ると全てが博打だ。

 先の切れた見えない橋を渡るように。足の裏で地面の有無を確認するように。

 

 対手の接近を許す。

 ――まだ。

 ――――まだだ。

 ――――――まだ。

 

 間合いが狭まる。必要な踏み込みが半歩となった。

 ここまでくれば、向こうの打ち間に入り込んでいるのは明白。

 打つか、待つか。

 相手の動きに変化はなし。

 

 ――――!

 変化。

 対手の足が止まった。

 構えは変えず、ただ止まる。

 動きはない。ただ殺気だけが濃密となっていく。

(ここまで来て、こちらの先手を待つ、よもや――)

 呼気を読まれている、のかもしれない。

 筋肉の動きに呼吸は密接に関わっている。

 吐く時こそ強く力を引き出せると云われ、吸う時はその逆と云われている。

 このような状況となれば、呼吸は何よりも静かに行う。肩を揺すらず、胸の膨らみを筋肉で固める。

 一呼吸に何秒もかけてゆっくりと。相手に呼気を覚られては相手の手のひらの上に置かれる事となる。

 疑念が湧いて出る。

 この位置にあっても返し業を狙うのは、それほどの自信に裏打ちされた行為なのだろう。

 必ず、こちらの打ち込みを見切る事ができる、という自信。

 それは自らの(つちか)った鍛錬から生まれたものなのか。それともこの立ち合いにて得たものなのか。

 躊躇いは――。

 不安は――。

 

 

 断ち切る。

 

 

 

 それは同時であった。

 振り落とす太刀と、受けようとする小太刀。

 まったく、同時の初動。

 ――故に。

 刃は、肩口深くに食い込んだ。

 鮮血が舞う。

「グッァ!」

 呻いたのは――――芹沢、弥刑部。

 受けるのであれば、弥刑部は俺よりも速く動かなければならなかった。

 しかし、同時。

 機先を読まれてはいなかった。

 呼気を読まれてはいなかった。

 故の、勝利。

 後は、太刀を捻り、首に刃を向けなぎ払うだけ。

 だが、それは叶わず。

 刀を捻り、傷口が広がった瞬間に、弥刑部は飛び退いた。

 如何な強靭な肉体を持つ武者と言えど、痛みには逆らえない。

 刃を体内で無理やりに捻られる痛みはどれ程のものか。その痛みを受けて尚、己を保ち活路を見出すのはどれ程の難儀か。

「芹沢、弥刑部」

 定まらぬ視線。しかし、深手を負っていながら明瞭な足取り。

 上半身を血で染めながら、弥刑部は窓枠に飛び乗った。

「……お前は……邪魔だ。悪鬼、湊斗。カッ……カカッ。今日は退く。だがな、退けぬ時がある。そのときこそ……」

 弥刑部はそのまま窓枠から消えた。

 金属で出来た鳥に掴まり、空へと。

 

 まんまと逃げられた、しかし。

 明日こそ、決着がつく。

 不可避の決着が。

 




術理解説の人不在。

最後近辺ちょっと加筆。


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陵辱

前話ラスト加筆したのでまだの方はお先そちらどうぞ。


 金の為に子を売った。

 吉原にいる人間にとって、珍しくもない事だった。

 周りを探せば似たような境遇の子はたくさんといる。

 だが、それでも。

 悲しくないといえば。

 嘘になる。

 憎くないかと問われれば。

 憎いのだ。

 

 娘は、母を駄目な人だと教わった。

 母はろくでなしであると教わった。

 娘は、そこに疑問はなかった。

 顔も見た事のない人間に、幻想を抱ける程、身を置いている環境は楽な場所ではない。

 

 

 顔も見た事のない人間に。

 

 

 生まれて初めて刀を突きつけられた夜の後、娘は一人、膝を抱えて震えていた。

 もはや物音は途絶えている。駆け込んだ警察官はどうなったのだろうか。

 板張りの廊下が冷たい。しかし、今はそれも気にならない。 

 刀を向けられた恐怖と、混乱。

 犯人、芹沢弥刑部に告げられた言葉が娘の脳裏を離れなかった。

 

 姉ではない。

 大好きな姉は、憎んでいた母だった。

 

 心では理解している筈だ。

 顔のない母を憎んでいても、姉と偽っていた母を憎む必要はないと。

 しかし。

 頭では、理解ができないでいた。

 

 

 そもそも、なぜ母である事を隠したのか。

 なぜ、忌み子であるのか。

 

 そう、忌み子。

 

「燕!」

 

 大好きな声が聞こえた。

 大好きな人に、抱きしめられた。

 

「弥刑部が来たって! あんた、無事かい? 怪我はどこにもありんせんか!?」

 

 嗅ぎ慣れた香炉と、煙管の匂いが香る。心の底が暖かくなる匂い。生まれた時から包まれていた匂い。

 

「……姉様」

「――よかった、どこも怪我はなさそう」

 

「姉様――」

 ぎゅっと、抱きしめる力が増した。

 

「良かった、本当に……」

「――姉様は、母様なんですか?」

 

 

 抱きしめた腕が、弱まった。

 

 

「あんた……弥刑部が言ったの?」

 

「……私が、姉様の子だって」

「……」

 

「私が……望まぬ忌み子だって」

「……」 

 

「……姉、様?」

 

「――そうよ。あんたは無理やり孕まされた、望まぬ子」

 

「――――ッ!」

 体を包むぬくもりが、消えていく。

 姉妹という間柄が親子に変わった瞬間に、何かが崩れた。

 娘はくしゃりと顔を歪ませ、母は何を思ったか、苦笑を浮かべる。

 

「わっちが水揚げのとき、中っちまった子。あんたも吉原にいるならわかるだろ。わっち等にとって、子が出来るのは価値を下げる事。だからあんたを、妹として育ててきた。

 でもね、それも明日で終わり。巫女を勤め上げた者は願いをひとつ言える。わっちはそれで、ここを出る。あんたともそれで――」

 

 娘が母を苦しめる。娘が母を縛り付ける。

 刀を持った、叔父と名乗った男の言葉がぶり返す。

 

 母の言葉が、脳を叩き揺らすたび、何が何だか分からなくなった。

 大好きな、姉様。

 ずっと一緒だった、姉様。

 この吉原で、ずっと自分を守ってくれていた筈の、姉様。

 

 分からない。

 今思えば、正に母のよう。

 

 やさしく見守り、時に厳しく。子にとって、なくてはならない人。

 

 知らず、涙が流れた。

 

 大好きな人に、裏切られた事。

 大好きな人を、苦しめていた事。

 

 どちらが涙の原因か。

 

「わっ、わっ、わっち、わっちは」

 

 言葉が、うまく出ない。嗚咽がこみ上げ、押さえ込むだけで必死だった。

 

「――おさらばえ、燕」

 

 それは、ただの別れの言葉ではなく。

 捨てられた、という意味の言葉。

 そして、娘の背中を押す言葉。

 

「っ、く、う、ああぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁああぁ!」

 

 力の限り、小鶴を突き飛ばし、燕は駆け出した。

 何が本当かも分からずに。

 

 

 

 

 

「御堂」

「――なんだ」

 

 弥刑部が逃げた後、一応、と旅館を出て一体を回っている最中の事。

 

「ごめんなさい。私があの鳥に(かま)けていなかったら」

「済んだ事だ。装甲ならあの場でも出来た。それをせず、生身で戦ったのは俺の判断だ」

 

 そう。劔冑と仕手に、物理的な距離は意味を成さない。

 特別な処置をされた場合を除いて、どれだけ離れていても仕手が呼べば、劔冑は来る事が出来る。

 弥刑部自身が生身であった事。旅館の中であった事。燕殿が傍にいた事。

 要因は様々にあったが、それでも選択したのは自分だ。

 

「卵の様子はどうだった」

「……微妙な所ね。明日一日もつか持たないか、という所」

「……十分だ」

 

 明日、確実に決着がつく。

 それは弥刑部の様子から伺い知れる。

 明日の祭り。弥刑部には避け得ない何かがあり、そこで必ず、ぶつかる事となる。

 

「……あの子の傍にいなくていいの?」

「燕殿の事か? 小鶴殿がいる。俺の役割は護衛。今日はもうお役ごめんだろう。もっとも、危うい場面に遭わせしまったのだから、護衛役失格もいい所だったが」

「怪我がなければよかったじゃない」

「そういう問題ではない」

 

 危機に遭うというのなら、その場に居合わせなければ護衛として意味がないのだ。

 

 そのまま夜の吉原を回り旅館へ戻ると、慌てた人間が多く目に付いた。

 武者による襲撃があったのだから無理もない、と思ったが、どうにもそれだけではなさそうだ。

 

「お、おいあんた!」

 

 声を掛けてきたのは旅館の大旦那であった。

 

「燕を見なかったか?!」

「燕殿? 小鶴殿が傍にいた筈では?」

「出ていっちまったんだよ! 見たのか、見なかったのか?!」

「いえ、見ておりません」

「糞っ。明日は六波羅の連中が多く来るっていうのに……あいつ等に見つかっちまったら大変な事になるぞ……」

「自分もお手伝いします」

「頼んだ!」

(……小鶴さんと何かあったのかしら)

(分からない。だが、弥刑部と対面した事で何かあったのは間違いないだろうな)

 

 姉弟。血縁。家族。

 他人が踏み込むには無粋な所であり。

 本人たちにとっても繊細で複雑な部分。

 事情はどうあれ、まずは燕殿を探す事を優先する事にした。

 

 しかし、無常にも。

 その日、その夜のうちに燕殿を発見する事は、ついになかった。

 

 

 

 祭り当日。朝。

 

 

「――何で俺たちがこんな事する破目に遭うんだ。せっかくの祭りだぞ?」

「諦めろ藤高。大尉殿のご命令だ。俺等兵卒が逆らえる訳もない」

 

 祭りで賑わう吉原傍の山中に、草を踏み分け行進する二人の武者がいた。

 九〇式竜騎兵。六波羅陸軍主力の武者であった。

 鬱陶しげに草をけり払いながら、山中を進む。

 

 口の悪い男を藤高。諌めた男を高須といった。

 

「蔵持大尉殿はいいさ。専用の女を宛がわれるんだからよ。今日に限って女遊びもできないなんて何の懲罰だ」

「まったく。誰かに聞かれたらただでは済まないぞ。山中だからいいものの」

「このむっつり野郎。お前だって女抱きてえだろうが。女が死ぬまで遊び倒す大尉より俺等が遊んだほうが吉原の連中も喜ぶさ。去年の女郎、見たか? あそこが針山になってたぜ」

「大尉も困ったお方だからな。真に怖い人よ」

「ただの気違いっていうんだよあれは」

「おい。口を慎め。俺まで処罰されるだろうが」

「ハア。……吉原を騒がす武者の捜索なんてよ。どう思う」

「さて、な。蔵持大尉の失脚を狙う者か、GHQの差し金か。大穴で討幕派というのもあるな」

「見つけたらただじゃおかねえ。そいつのせいで女食い損ねたんだからな」

「女は関係なしに見つけたら処断するのが任務だ」

 

 軽口を交わしながら進んでいくと、二人は人を見かけた。

 木の幹に寄り添うように、少女が寝転んでいた。

 年頃は十歳前後。目を泣き腫らした様子だった。

 

「……」

「……」

 

 二人はしばし、それを見つめると、高須が零した。

 

「まさかあれが例の武者、なんて事は……ないよな」

「……ああ、ない」

 

 ならばこの娘は何ものなのか。

 この場が、吉原近くの山中という事が鍵であると二人は思い至った。

 

「脱走した禿(かぶろ)って所か」

「だろうな。着物からしてそうだろう」

 

 武者が見付かれば吉原に繰り出せるというのに、見つけたのが唯の脱走者とは。徒労だな。

 そう思ったのは藤高だけであった。

 

「丁度いい。これで我慢するか」

 

 そういって、高須は劔冑を除装した。武者姿から人の姿に戻った高須の傍らに、九四式が待騎形態であるモノバイクに変わり鎮座していた。

 

「お、おい高須。任務中だぞ?! それにまだ子どもだ」

 

「だからなんだ? 少しくらい遊んでたって誰もばれやしねえよ。別の隊の連中に見られたらそいつも混ぜてやればいいのさ。ここにいる連中はみんな非番組が羨ましくてしょうがないやつばかりさ。

 それに知らねえのか? 吉原で脱走は重いんだぜ? 仮に死んじまっても文句はでねえよ。ある意味、吉原の不手際を隠蔽してやろうってんだから感謝もされるさ」

 

「しかしな……」

 

「別にお前は見てるだけでも構わないさ。俺は勝手に楽しむからよ」

「ハア」

 

「何だよ、まだ文句あるのか?」

「……いいや、もう構わん。……その前に一ついいか?」

「何だ」

「……俺もいいか?」

 

「はん、むっつり野郎め。俺の後なら好きにしろ」

 高須が少女に近づいた。蝦夷に良く見るの金糸の髪が陽光を反射しているのが何とも惹かれた。

 手を伸ばすと、少女に触れるか、という時に、少女は目を覚ました。

「……ひッ!」

 

 目を見開き、一番に飛び込む六波羅武者が自身に手を伸ばす姿。体を起こし、後ずさるも、男たちは余裕を崩す事はない。どうあったとて逃げられない事を理解しているからだ。

 

「お嬢ちゃん。駄目だよねえ。勝手に吉原飛び出しちゃあ。脱走はいけない事だよねえ。いけない子はお仕置きしなくちゃあな」

「……高須、顔がゲスになってるぞ」

「うるせぇ! 何テメェは違うみたいな立場とってんだ!」

 

 そんなやり取りを隙と思ったのか、少女は立ち上がり駆け出そうとした。しかし。

 

「おっと、更に逃げようなんて駄目だ駄目だ。お仕置き追加だなこりゃ」

 

 俊敏に近づいた男に後ろから手首を掴まれ、捻り上げられた。

 

「いッ、いやッ、嫌アアァァアァア――」

 

 少女の声が響いた。

 

 

 

 

 

 

 その声は、男にもはっきりと聞こえていた。

 女の悲鳴。それも子ども。

 

 関係などない。関わるべきではない。

 

 しかし、それでも、そこに足を運んだのは、ただの気まぐれからであった。

 山の中、六波羅の装束を纏った男が、少女を組み伏せている。

 片手で頭を掴み、地面に押さえつけ、片手で衣服を引き千切りに掛かる。

 

 今の世の中、こんな光景は珍しくもない。

 ましてや、すぐ傍にある吉原はそれを売って飯を食う世界。

 

 珍しくもないのだ。

 

 手足をバタつかせ、必死に叫ぶ少女を見やる。

 男は、その少女を知っていた。

 その邂逅は、男にとって歓迎できるものではなかった。

 昨夜、自分の手で殺してしまおうと考えた少女。殺し損ねた少女。

 殺し損ねたものの、言いたい事は言ってやれた。

 自分の姪。

 

 それが今、目の前で犯されようとしている。

 良い様だ。忌み子には丁度よい。

 

 自分に良く似た金糸の髪を土に塗れさせながら、少女は言った。

 

 助けて。助けて。助けて。助けて。

 

 嫌。嫌。嫌。嫌。

 

 助けて。助けて。助けて。助けて。

 

 

 自分に良く似た少女が、助けを求める。

 

 

 ――姉に良く似た少女が、助けを求めている。

 

 

 そう考えたときには。

 衣服を脱ぎ捨てだらしなく逸物をぶら下げた男の首を、跳ね飛ばしていた。

 血花が舞い散る。

 

 

「――え?」

 

 間抜けな声を上げたのは、装甲したままの、もう一人の六波羅武者。振りぬいた小太刀を捨て、手を腰に引き戻す。そこには、もう一本の小太刀。

 

「て、敵!」

 

 果たして、何故もこんな事をしたのだろうか。

 

 

 ――この餓鬼は憎い忌み子で。

 

 ――この餓鬼のせいで姉は命を落とそうというに。

 

 ――この餓鬼を自らの手で殺めようともしたのというに。

 

 

 何も考えず、装甲もせずに飛び出した自分は、一体どれだけの大馬鹿者か。

 

 男が小太刀を抜くのと、武者が太刀を抜くのは、同時だった。

 凶刃の行く先は武者の首。刃は、滑るように厚い装甲の隙間に落ちていく。

 

「――がッ……」

 

 ドサリと、重い音を立てて武者が地に転がった。

 

 今日の夜には、祭りが始まる。

 大事な日だ。

 姉を救う、大事な日。 

 こんな危ない橋を渡る必要などなかったのだ。

 何故、自分はこの娘を助けたのだ。

 

 馬鹿馬鹿しい。

 

 地に臥した武者から視線を離し、後ろを向くと、男を驚愕の視線で捉えた少女がいた。

 六波羅に剥かれたまま、全裸でこちらを見据える少女。

 先ほどまでの恐怖か。男を見た恐怖か。はたまた肌を曝す寒さからか。少女は体を震わせている。少女の視線は、男の顔と、血塗れの小太刀を往復していた。

 

 

「こんな所でお前、なぁにしてるよ」

 

 男が問うと、少女の恐怖に彩られた瞳から、涙が零れた。

 

「――捨てられた。小鶴姉様に、捨てられた」

「捨てられたぁン? ハッハ、そりゃ愉快よ、っと言いたい所だがな」

 

 違和感しかなかった。娘を捨てるという事に、嘘しか感じられない。

 それも当然。ほんの少し、姉の考えを予測してみれば分かる事だった。

 

「ふん。姉様は本当――往生際の悪いこって」

 

 その言葉に疑問符を浮かべる少女に、男は続けた。

 

「姉様の思惑なんぞ、何一つ守ってやるものか。大方、お前を捨てて、お前に嫌われ、憎まれておいて、後々悲しまないように、なんて考えてるに違いない。あの人はそういう馬鹿なお人よ。

 お前に良い事を教えてやる。あれはずぅっと、お前を身受けする人間を探していた。お前が、吉原の外に出た後の身寄りとしてな。今日の祭り、姉様は願いを一つ言うのさ。娘を外に、ってな」

「――外?」

「おうよ。金は取らない、娘を良しなに。その代償が自らの命であるとも厭わずにな」

「待って、待ってください。姉様が死ぬって、どういう事でありんすか!?」

「――だから、お前は忌み子なのよ。だが、そんな事は俺が! ――ガッ!?」

 

 血が舞った。

 男の背後、地に臥した武者が、刀を手にしていた。

 武者は死に体。否、たったまま死んでいる。男の腹に刀を突き立てたままに、死んでいた。

 

 馬鹿な。こんな馬鹿な事がありえようか。

 

「……あ、ああ……あ、兄様、兄様?」

「――ガ、アッ。なんと、いう」

 

 膝つき、地に臥せた。

 男はまだ死ぬ事の出来ない訳がある。

 死ぬ訳には、いかないのだ。

 それでも。瞼が落ちる。血は流れる。

 視界が狭まり、暗く落ちていく。

 

 どれだけ、時が過ぎたのか。

 

 男が目覚めると、そこには未だ、裸の少女がいた。

 

「――お目覚めになりんしたか」

「……お、前? ぐォ――!」

 

 未だにはっきりとしない脳を抱えて、体を起こそうと身じろぐと腹に激痛が走った。

 そこには男が着ていた服の上からきつく布が巻かれていた。目をやると、それは少女が着ていた六波羅武者に剥がされた衣服だと分かった。出血を抑える為にそうしたのだろう。

 

「――まだ。まだ兄様には。いえ、叔父様には聞かなければならない事が、たくさん、あるんでありんす」

 

 なんと情けない。

 忌み子に(かま)けて手傷を負って、その忌み子に助けられた。

 いつだって。結局、誰かに助けられる。

 

「……姉様は、昔。俺の前で糞坊主に犯されたよ。俺がまだ、情事なんて知らない時だった。そう、俺は目の前にいたんだ。

 それでも、姉様は助けてと、一言も言わなかった。そりゃ、言われた所で、あの時は何一つできなかったさ。だが……それでも、助けを求めてほしかった(・・・・・・・・・・・)

 俺は強い。今なら、助けてやれる。やれるんだ……」

 

 男の、誰にあてたものでもない独白。頭に霞が掛かっていたせいだろう。本来なら、そんな事をする筈もない。

 少女はそれを黙って聞き、男はただ話す。

 

「助けてくれと一言あればいい。それだけで俺は動ける。あの餓鬼を助ける為に命を差し出すなんて知った時にゃ腹がたった。あの人は俺の母だった。それを、あの餓鬼が奪ったんだ。俺は、母を取り戻す」

 

 情けない独白。男はぼんやりと夕焼けを眺めながら、己の不甲斐無さを呪った。

 

 

 

 ――――夕焼け(・・・)を眺めながら。

 

 

 

「――――――ッッッ――!」

 

 一瞬にして、霧掛かった頭がすっきりと晴れ渡った。

 うっかりと腰を浮かした。激痛が背筋を駆け回るが、そんなものは意にも返さない。

 

「まだ、動いちゃ――」

「――黙れェ! 今はお前と問答している暇などないッ!」

「きゃッ」

 

 少女を手で払いのけ、周囲を見渡す。木の上に自らの劔冑を見つけた。

 

「来い! 千鳥、雷切!」

 

 ふわりと、鋼鉄の鳥が二羽、現れる。

 

《御堂》

《ここに》

 

 幼い少女と、男児の声が、金打声(メタルエコー)と呼ばれる独特な音で響いた。

 

「そんな傷でどこへ向かうんでありんすか!」

「姉様を助けに。今度こそ。今度こそな」

「……叔父様」

「馴れ馴れしく叔父などと呼ぶんじゃねえ!」

 

 

「姉様を、お助けください」

 

 

「――あン?」

 

 

「姉様をお助けください!」

「――――」

 

 少女の言葉は、驚くほど、すとんと心に落ちた。

 無論、不満はある。

 言われるまでもない、という事と、お前に言われたい訳じゃない、という事。

 だが、それは瑣末な事ではないだろうか。

 

「――おう」

 

 男は一言返すと、少女から視線をはずし、自らの劔冑に向かった。

 

「千の声で喝采せよ。万雷の喝采を上げろ。絆を胸に、愛は胸に。一つで逝かず二つで歩み、二つで在らず一つとなりて。如何な愛もここに在り」

 

 装甲乃儀(ソウコウノギ)。身に纏うは世にも珍しい、姉弟劔冑。他の劔冑より体躯は少し小さく、しかし決して弱々しい訳ではなく、力強い。

 腹の傷は治って等いない。

 昨夜、警察官につけられた傷も治って等いない。

 疲労もある。

 顔は白く、唇は青い。指先やら足先が細かく震え、呼吸すらも不安定。

 

 

 しかし、絶好調(ベストコンディション)なのだ。

 

 

 体の中で、何かが燃えるように熱を発していた。

 ともすれば、体から湯気が立ち上りそうな程だ。

 抑えが利かない。気を抜けば内より弾けてしまいそう。

 

 折りたたまれた母衣(ほろ)を展開。合当理(がったり)に火を入れる。

 

 

 

 英雄はかくして出陣す。

 

 愛を纏った英雄は、かくして出陣す。

 

 如何な愛もここに在り。

 

 



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英雄襲来

 山中より飛翔。五分も飛べばすぐに吉原上空が見えた。

 熱量は十分。血が沸騰しているかのように体は熱くたぎっている。

 しかし不安はある。

 空は黄金色に輝き、吉原を緋色に染めている。その太陽もすぐに落ち掛けているのだ。

 

(間に合うか。間に合うか。間に合うか。間に合うのか)

 

 時間との勝負。姉は今日、嗜虐趣味の代官に抱かれる事になっている。

 間に合うのか?

 分からない。分からないこそ、奔る。

 千鳥が言う。

 

《報告。前方、劔冑六機襲来。全部数打》

 

 雷切が言う。

 

《退却を提案。戦力差は明らか。御堂の負傷から見ても危険》

「却下だ。悪いが今日は何が起ころうとも引けぬ。お前たちにゃ悪いがな」

 

 前方を見やると太刀を構えた竜騎兵が次々と飛び上がるのが見えた。六機どころの騒ぎじゃない。一部隊すべてを敵に回したも同然だ。

 戦力差は明白。一対六。訂正、一対十。訂正、一対十六。次々と増える敵影に嫌気が差す。挽回の手段は一つだけ。一つだけはある。

 真打に在り、数打には無いもの。名を、陰義。

 

「――やるぞ、千鳥」

《反対。千鳥の陰義を御堂は使いこなせていない。十六の敵機相手に無謀》

「反対を却下だ。任せろ、今の俺ならやれるさ」

《再度反対。万全ですらない御堂に出来る可能性は――》

 

「うるせえよ雷切。――んま、分かってるからよ。お前が千鳥を心配してんのは分かってるからよ。機械的な反応の奥にお前らの感情があるのは分かってるからよ。だから……任せろ」

《……》

「いくぞ千鳥。母衣は畳んどけ。良いというまで広げるな。陰義の後もだ。良いというまで広げるんじゃない」

 

《諒解》

 

 甲鉄に青白い文様が浮かぶ。チリチリと陰義の力が音を立てる。千鳥の陰義。音を超えた光の加速。今までは使いこなせなかった。一度使えば気を失っていた。直進しか出来なかった。

 

 今は――違う。

 

「嘶け千鳥」

《その声》

《音を超える》

 

 

 空気が爆ぜた。音速の壁を砕いて突き進む。世界の色が褪せていく。視界が正面のみに狭まっていく。体中の血液が足に集まり始めた証拠だ。

 灰色の世界の中を疾走する。視界には敵の姿しかない。正面に据えた敵しか見えない。それでいい。それでいいのだ。これこそが千鳥の陰義、その真価。

 一本の小太刀を両手で握り、体当たりをするように敵に突貫。刃が敵を貫くと同時に両足で敵の腹へ着地した。

 

《御堂!》

「つ、ぎぃぃぃぃぃ!」

 

 敵の腹を足場にし、跳躍。新たな敵を眼前に据えて突撃する。これこそが真価。千鳥の本来の陰義。青白い軌跡を引っ張りながら空を縦横無尽に翔る。千鳥の飛んだ後に敵はいない。一騎残らず打ち滅ぼす。まさに雷だ。白い軌跡は雷の如くジグザグに空を切り裂く。本来、劔冑にそんな騎航は不可能だ。しかし、この劔冑は母衣を畳める。急激な騎航によって母衣を破壊する心配がない。故に、可能。雷になる事が出来る。それこそがこの陰義の本懐。

 

「ッ――ハ、ハカッ――ァ――」

 

 すべての敵を落とした後、血液の急激な逆流が始まる。脳に、臓器に、手に。足に溜まった血が一気に循環を始める。これが堪える。意識など底から刈り取られるような気分になる。じくじくと全身に痒みを感じる。脳の中までだ。気が狂いそうになる。視界は黒く染まり、闇に閉ざされた中で何かがグルグルと周っている。

 

 ――しかし。ここで狂ってる暇はない。目の見えないまま、分からないが恐らく、地に向かって落ちている。

 目指すは本堂。この祭りの巫女が居わす場所。ならばこのまま落ちていても問題は無い。綺麗に着地できれば、問題ない。

 視界が晴れてくるとやはり地面は近づいていた。母衣を広げて減速。そのまま地を滑るように吉原の大通りを突っ切る。人の悲鳴が聞こえた。女も男も蹴散らしながら地を滑る。ようやくと体が止まった。

 

《御堂、陰義を使いこなしたね》

《すごい、よく出来たね》

 

 当たり前だ。こんなにも調子が良いのだ。出来ない訳がない。腸が飛び出そうと、目ん玉がひっくり返ろうと今なら何でもできるだろう。最高の状態だ。

 呼吸を整える。

 我先にと衆愚が逃げる様子の最中、こちらへ視線を向ける一人の男が居た。

 真正面に立つその男は警官の装いをままに、静かに佇んでいる。周囲の熱源探知から、これ以上の武者はいない。

 つまり、俺とこいつとの一騎討ち。

 言葉は最早不要。こいつとは今まで散々と交わしてきている。

 

「鬼に逢うては鬼を斬る。仏に逢うては仏を斬る。ツルギの理ここに在り!」

 装甲乃儀。赤い大蜘蛛がバラバラになり警官の身に纏っていく。やがてそこに、赤い武者が出来上がった。

「芹沢弥刑部。一身上の都合により、御命頂戴仕る」

 

 赤い武者、村正と呼ばれる劔冑を纏った湊斗は言う。鯉口を切り太刀を上段に構える。母衣を広げてはいるが、合当理を吹かしてはいない。地に足を着けたまま昨夜の焼き回しを演じるつもりのようだ。

 

 俺の纏う劔冑は全てが特殊だ。千鳥と雷切、二つの名称を持つ事も然り、それだけに留まらず、二領一対のこの劔冑は母衣も合当理も陰義さえも二つ存在する。

 そこから編み出したこの姉弟劔冑の戦い方は、双輪懸において、下にいる時こそが有利という根底を覆す物である。

 湊斗が母衣を広げつつも騎航に移らないのは、そこに理由がある。俺よりも先に空へ飛び出すまいとしているのだ。俺が飛べば、奴も意気揚々と付いてくるだろう。陰義を封じ込めたと思い込んで。

 

 確かに二つある陰義の一、千鳥の陰義である雷光加速は昇りで使わなければならない。でなければ先ほどのように、地面に激突する危険があり、そうでなくともしとめ切れなかった場合、容易に追撃される可能性があるからだ。

 

 だが湊斗は気づいているだろうか。俺の劔冑にはもう一つ陰義がある。

 いつか、湊斗の陰義を使った抜刀術を無効化した雷切の陰義だ。

 果たして、一度見せた陰義であるが、見抜く事は出来ているのだろうか。

 否、知られていたとしても問題はない。俺の劔冑は、下を取っても陰義があり、上を取れば従来通りの有利を得る、一騎討ちにこそ真価を発揮する劔冑。騎航に持ち込み、討ち取る!

 

「飛ばんのか? 湊斗ォ」

「……こちらよりも後に飛びたがっているのは理解している」

「はぁん、なら先を取らせて貰うぞ!」

 

 湊斗の顔が苦虫を潰すように歪んだ。どちらを取っても湊斗は不利なのだ。先を取ろうが後を取ろうが不利。何より機動性はこちらが上。途中で上下を入れ替える事もたやすい。唯一、地に足つけて斬り合って五分。湊斗はそれを狙った事だろう。だが、その手には乗ってやらない。背面と腰部、二つの合当理に火を入れる。小型であるが、大型のそれに負けない推力で一気に上昇。振り返ってみれば湊斗も追いつかんと迫っている。

 戦局は双輪懸に移行。上昇から下降へ。視線がゆっくりと下を向いていき、視界の中心に湊斗の駆る村正を据える。

 

 村正の上昇速度が伸び切り、失速し始めた瞬間を打ち据える。その一瞬の見極めは困難であるが、俺には出来る。

 母衣を畳む。合当理を吹かす。陰義を使わず実現できる最大最速のままに、突貫する。両手には小太刀。上段でも下段に構える訳でもなく、だらりと両手を力なくぶら下げた構えは、次の一手がどう来るか、相手に予想をさせないだろう。湊斗の構えに迷いが見える。上段に構えているが、下段からの攻撃を警戒している。

 

 村正の姿が近づいていく。後数秒で接触。相手の速度は――伸びきっている。

 小太刀を構える。上段でも下段でもない。二本を交差させ、鋏のように前方で構えた。

 

《――何だと!》

 

 湊斗の狼狽の声が金打声として聞こえた。それも当然。上段でも下段でも、すれ違い様に斬り合うのが双輪懸の鉄則。出なければ、接触でもしようものなら両者激突の末、爆散だ。双輪懸はそれだけの速度で正面から打ち合う小胆者には出来ない戦いなのだ。

 しかし、俺の取った行動は――体当たりと変わらない、無謀な行動。

 交差した小太刀で湊斗の首を取らんと正面から突っ込む。当然、ぶつかり合う訳にいかんと湊斗は回避するだろう。だが逃がさない。下に逃れようとする湊斗を更に追う。

 

《クッ、貴様、正気か!》

「臆したか湊斗ォ! 武者の牛突きは臆したほうの負けぞ!」

 

 衝突。交差した小太刀を、湊斗は上段から振り下ろした太刀で受け止めた。

 だが、衝突は獲物同士だけではすまない。そのまま膝を湊斗の頭部に打ち付けた。

 

《ガあっっ!》

 

 上昇する湊斗が失速する瞬間を狙ったのはこの為だ。全速力でぶつかり合ったなら如何な劔冑と言えども四散は免れないが、片方が遅いのであれば話は違ってくる。普通の劔冑ならそれでも、騎航中の接触は母衣が砕けるのを恐れて出来ぬ行為であるが、俺にはそんな物は関係のない話だった。母衣は依然、折りたたまれたまま。砕ける要素などありはしない。

 

 一方、双輪懸の運動エネルギーそのままの膝蹴りを頭部に食らった湊斗はたまったものではない筈だ。いくら装甲に身を守られようとも。武者の身体能力があろうとも。強力な衝撃に脳を揺さぶられた筈だ。ゆっくりと力なく落下している。

 気を失っていたのは一瞬の事だったようで、落下の最中、合当理が点火し体制を立て直した。しかし、一合い目は俺の勝利と言って良いだろう。

 湊斗が四苦八苦と上昇する様を見ながら、そのまま下降。双輪懸の下を取る。以前の合戦の焼き回しだ。

 

《……下を取るか、弥刑部》

「おうよ。怖いか、湊斗」

《――いいや。一度見た技に屈するつもりはない》

「そいつは重畳!」

 

 兜角(ピッチ)を上げる。敵機を中心に捕らえながら上昇。

「いけるな、千鳥」

《問題なし》

 

 必殺の意。装甲に青白い文様が浮かぶ。

 同時に、村正の装甲にも文様が浮かんだ。陰義で対抗する気だろう。

「ちんたらやってる暇はねぇんだよ。……啼け千鳥!」

《その声》

《音を超える》

 

 バチバチと装甲表面を流れている雷が――弾けた。加速の一撃が村正に喰らいつく。

 

 

磁気鍍装(エンチャント)負極(マイナス)!》

《――ながれ・かえる》

 

 

 一瞬の交差。音速を超えた速度で振るった刃は、村正の装甲に触れる事なく、通り抜けた。

 血の気が減った脳で思考する。何が起こった?

 

《――磁力の反発作用で小太刀を反らしただけに過ぎん。しかし、もはやその陰義は恐れるに足らず》

 

 湊斗の冷めた声が聞こえた。何だそれは。陰義の一つを対処したからと言って、だから何だと言うのだ!

 視界が黒く染まっていく。まだだ。気を失う訳にはいかない。視界が戻ったら反転し、攻撃を――!

 

 千鳥と雷切の補助で、自動で母衣が展開される。次第に減速し、凧のように穏やかに滞空する。

 視界が晴れた。敵機を確認すると、こちらを撃たんと上昇している途中だった。

 

 そのまま、背中から雲間に飛び込むように降下。再び小太刀を鋏のように交差した。

 

 

《芹沢弥刑部。ここで決めさせてもらう》

 

 

 湊斗は太刀を鞘に収め、抜刀の構えを取った。以前にも見た、必殺の抜刀。小太刀一本にて防いでみせた技。

 前回の焼き回しだ。まったくもって同じ。ならば、同じように防ぎ、確実にカウンターを決めるまで。

 

《吉野御流合戦礼法「迅雷」が崩し――》

 

 距離が縮まる。射程距離に迫る。

 

 

《――電磁抜刀(レールガン)(マガツ)!!》

 

 

「雷切ィィィ!」

《その力》

《断ち切る》

 

 湊斗景明の必殺の一撃は――。

 

 以前と同じく、小太刀一本にて防がれた。

 

 

 雷切の陰義、陰義切りによって、陰義の起こした奇跡とも呼べる現象を、切り倒したのだ。

 勝った。もう一刀で切り伏せれば終わりだ。軟い喉元を貫けば、終わりだ。

 

 そう確信した瞬間、再び、湊斗景明の冷めた金打声が響いた。

 

 

《一度見た技に屈するつもりはないと言った筈だ》

 

 

「――何?」

 

 

 抜刀術。右手は刀に、左手は鞘に。両手を使うその技に、二の太刀は振るえない筈。しかし――。

 見ると、村正の左手は太刀の鞘ではなく、脇差の鞘を握っていた。

 

 

《吉野御流合戦礼法「飛煌」が崩し》

 

 

 村正の陰義が脇差に集まっていく。湊斗は必殺の抜刀が防がれる事を想定した上で、合えて防がせたのか!

 

 

電磁抜刀(レールガン)――(カシリ)!!》

 

 

 親指で脇差の鍔を弾くだけの所作。しかし、脇差は知覚不能な速度で射出された。

 

《腹部の装甲に被弾》

《装甲損壊、大破》

 

 見ると脇差の柄が腹に突き刺さっていた。それだけではない。尋常ではない速度で撃ち出された脇差は、突き刺さった後もその速度を緩めない。

 

「ヌオオおおおおおぉぉぉォォおおオォォォァアァァァアァァァァァァ――――!!」

 

 脇差の運動エネルギーに引きづられて吹き飛ばされていく。体勢を整える事も出来ない。母衣を広げれば確実に砕ける。地表が近づく。吉原の町に落ちる。屋台や家屋を吹き飛ばしながら墜落。そのまま本道を滑り、転がり、滑り、祭りという祭典の中心、祭儀場である寺に突っ込んだ。

 

 瓦礫の中で折れた手足を引きずって立ち上がる。四散こそしなかったがすでに死に体。騎航どころか戦闘行為が不可能。俺の敗北だった。千鳥の雷切の悲鳴のような損害報告が響くが、俺はそれに答えられない。ぼんやりと、寺の中を見渡す。

 

 

 立ち込めた埃が晴れた先に、天井から吊るされた一人の女が見えた。

 

 

 



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