東方界縫伝 (織葉 黎旺)
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始の一。境界を越えて幻想入り
無慈悲に降り注ぐ鋭い直射日光と、絶え間なく聞こえてくる蝉時雨に少し眉を顰めた。なんだなんだ、聞いていた情報と違うじゃないか。不満を込めて、思わず足元の木の枝を踏み潰す。
「……はあ」
行けども行けども、見えるのは木々ばかり。同じ場所を回り続けているような、そんな不安すら湧いてくる。直線的に進んでるはずなんだけどなー、そろそろこう……人だとか動物だとか、虫と木以外の物を見たい。まあカブトムシだとかオオクワガタだとか、普通ではなかなかお目にかかれなさそうな虫も沢山いるあたり、たとえデマだったとしても、なかなかにいい穴場なのかもしれない。
「今のところ何の辺鄙もない山だけどなあ……こんな場所が本当に、」
言いかけたところで、何かとても嫌な予感がした。心なしか辺りの温度が下がったような――まずいことが起きるような、形容し難い不安に襲われる。
「ねえ」
後ろから聞こえてきた、可愛らしい声に足を磔にされた。無邪気そうな、小さな女の子と思しき声。振り返りたい衝動を、頭にガンガンと響く嫌なシグナルが抑えつける。
「ねえ」
あくまで溌剌と、好奇と興味の声音で少女はパーカーの袖を引く。大きなリボンに短く揃えられた金髪、一見可愛らしそうな少女。しかし、何処かおかしかった。
「あなたは、食べてもいい人間?」
きっと――普通じゃないっ!
その予想は当たっていたようで、袖を掴む手を振り払い、ガクガクと情けなく震える足で駆け出す。掴まれていた部分が丸ごと裂けて左腕付近の風通しが相当良くなってしまったが、それがより一層不安を掻き立てた。
当然のことながら舗装など全くされておらず、滑るわ柔らかいわで足場の悪い、鋭く尖った枝が邪魔をする獣道を無理やり突き進んでいく。走って走って、ただ走り続けた。息が上がり、思わずへたりこんだ。その頃にはいつの間にか、陽は傾き始めていた。少し橙を帯びてきた空を見上げ、大きく溜め息を吐く。
「はぁ、ちゃんと下調べしてから来るべきだったかなあ……」
行ってしまえば宿も食事もどうにでもなるような気がしていたが、そんな都合のいい展開はなかった。自然は綺麗だし心なしか空気も美味しかったが、そんなことよりも今はお風呂に入りたかった。
「んんー、んあー……」
大きく伸びをして、軽くストレッチ。立派な大木に手を伸ばし体重を預け、アキレス腱を伸ばす。
「…………」
先程の少女。アレが、アノ娘が
「妖怪というからもっとこう、江戸時代の絵巻か何かに描かれてるようなおどろおどろしいイメージがあったけど……」
角の生えた巨大な鬼とかー、顔がツルツルで不気味なのっぺらぼうだとかー、後はこう……化け狐とか化け猫とか、化け狼とか?
自分で考えておいてクスっ、と思わず微笑む。
「化け狼ってなんだそれ。そんなの聞いたことないや。でもいるとしたらあんな感じなのかなあ」
いつの間にか木々すら橙に染まり、少し冷えた風が吹き始めるような夕刻になっていた。木々の隙間から見える沈む夕陽の方から、数匹の馬鹿でかい狼(?)が、こちらに向かっていた。
「……ん、んん……?」
野生の狼って、確か絶滅したんじゃなかったっけ? っていうかアレは、狼にしては目付きやら体つきやらそのゴツゴツと角張った骨がおかしいような……
「ガルルルルル……」
舌なめずりしながら、まるで獲物を発見したかのように嬉しそうにこちらに近づいてきているような……
「う、うわあああああああ!!!」
もうそこまでくれば、向こうがこちらを狙っていることには流石に気づいた。再び走る、走る、走る。しかしまあ、ただの人間が野生の動物――もとい妖怪の脚力に勝ることなど、あるはずがないわけで。
「くっ……」
反り立った崖の下へと追い詰められ、囲まれる。とてもじゃないが登れそうな崖ではないし、登れるとしても既にこの距離だ。崖に飛びついた途端、僕自身がこの子達に飛びつかれてしまうだろう。
――絶望、という二文字が思考に浮かぶ。何が何だかわからないまま、目的も何も果たせないまま、よくわからない妖怪に食べられて死ぬというのか。
「……それは……やだなあ」
死にたくない。生きたい。生と死の境界線に立っているという緊張を、震える息を吐くことで無理やり殺す。大事を喫しているのか、妖怪はゆっくりと、円を狭めるようにこちらに近づいてきている。――チャンスは一度切り、失敗したら確実に死ぬ。トントン、と靴の爪先で地面を軽く蹴った。
「――よしっ!」
素早くくるりと振り返る。向かう先は崖。全力で駆け出す。獲物を逃がすまいと敵も向かってきているだろうが、数秒。数秒あれば、それでいいのだ。
「ぐっ……! うぉおおおぉりゃぁああぁぁぁああぁあ!!」
イメージする。何度も見ている、気持ち悪い目玉だらけの空間を。
イメージする。壁に現れたそれを、ぶち破って越えていく自分を。
「やっ!」
崖の壁に小さく開いた異空間――空間の裂け目に、手を突っ込む。無理やり広げる。体を押し込む。相変わらず、何かに見られているような気がして好きではない空間だが、今はこれに頼るしか――ッ!?
「っ!!」
脹脛から脳へと、鋭い痛みが伝達される。痛みの中でどこか冷静に、ああ噛まれたんだななんて静かに思った。思わず集中は途切れ、裂け目は無慈悲に閉じ、体は重力に従い地へと落下。ぐえっ、と情けない声が出た。肺が圧迫されて、呼吸がままならない。嗚咽を漏らしながら、ああ今度こそ死ぬんだな、とギラギラした目でこちらを囲む奴等を見て思った。
「…………」
死を覚悟し、諦めて瞳を閉じる。走馬灯というやつが瞼の裏で廻り始めた。生まれてからのどうでもいいような人生が超高速で流れて、他人事のように通り過ぎた。数秒だか数十秒に渡る走馬灯試写会の後、自分がまだ死んでいないらしいことに気づき、恐る恐る目を開ける。目の前に妖怪の鋭い牙が迫っていたら嫌だが、よくよく考えると目を閉じて何が何だかわからないまま死ぬのも嫌だったから似たようなものだった。
「…………?」
妖怪たちは、何故か僕から少しずつ離れていた。それもどこか怯えた様子で。恐らく先程の僕が彼らに抱いていた
「…………」
一匹が駆け出すと、全員が我先にと飛び出し、走り去っていく。今の奴らよりも上位の、もっと恐ろしい妖怪でも来たのだろうか。だとするとその妖怪に、僕は殺されるのだろうか。
「…………」
まだ脹脛にも体全体にも痛みは残っていたが、死ぬというのなら四の五の言ってはいられなかった。体に鞭打ち、起き上がって、いたであろう
「出てきましょうか?」
風の音と、蝉の声だけが小さく響く夜の中。その声は何処からか、はっきりと聞こえてきた。まるで心の中にでも聞こえてくるような、そんな感覚があった。
「はい、出てきました」
次に声が聞こえてきたのは背後。先程何もなかったはずの空間に、何かがいる。不気味だ。恐怖を覚えて、その場から走り去ってもおかしくないくらい。だけど昼間とは違い、不思議とその声には。敵意も何も感じず、むしろどこか惹かれるものがあった。
深呼吸したところで、ゆっくりと振り返る。
月光に照らされ輝き、風を受けて靡く金糸のようなロングヘアー。胸元の少し空いた、紫色のドレス。中心に大きく細いリボンのついた、ナイトキャップのような帽子。雨でも日中でもないというのに、何故か刺された大きな傘。
「全く、困ったものね」
鈴を転がしたような美しい声。何処か親しげな――否、胡散臭げな笑みを浮かべて、彼女は言った。
「人間がまさか自力で結界を越えてくるなんて、思いもよらなかったわ。しかもその力は――」
話は全く、頭には入ってこなかった。頭に入ったのは声と、まるで絵画のようなこの光景だった。思わず、息を呑んだ。
「色々と聞かせてもらいたいのだけれど、構わないかしら?」
「……え、ええ。構わないです。むしろこちらもいくつか聞きたいことがありますし……でも、いいんですか?お姉さん、妖怪――なんでしょう? まあ、話し終わった後で食べるんならそれはそれで構わないんですけど」
「…………」
数秒の沈黙。あれ、不味いこと言ったかな。と冷や汗をかく。しかしすぐに、クスクスと笑い声が聞こえてきた。
「フフフ、別に取って食おうというつもりはありません」
何処からか扇子で口元を隠し、ひとしきり笑った後のその笑顔は。先程までの胡散臭い笑顔とは違って、純粋に楽しくて笑っているように見えた。
「何も知らない弱き者に、訳も分からないまま命を捨てさせるほどに理不尽ではない、というだけよ。尤も、貴方は何も知らないというわけではなさそうだけれど」
「ははは、まあ……そのへんは、後々」
肩の荷が降りて、力がひょろひょろと抜けてきた。張り詰めた糸が切れて、人生で最高と言っていいほどの安らいだ気持ちがやってきた。同時に、脹脛の痛みもどっとやってきた。
「いたたたた……」
「あら、大丈夫?」
「まあ、何とか立てるくらいには大丈夫です……」
「その傷の手当もしてあげるから、取り敢えず場所を移しましょうか――その前に、そういえば名前を聞いてなかったわね。私は八雲紫、ここ幻想郷の管理者よ」
「八雲――紫さん」
やくもゆかり、と小さく口の中で復唱した。綺麗な良い名だと、素直にそう思った。
「初めまして。よろしくお願いします、八雲さん。僕は名雲――名雲、玲亞といいます」
風が何処か騒がしげに、夏草を撫でていった。
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始の二。説明書とか読むのはめちゃくちゃ大事
「ひゃあああっ!?」
唐突に眩い光が見えた。その中に落下して、尻餅をつく。痛い。
「ここは……?」
小さな和室のようだ。壁にはよく分からない掛け軸や絵がかかっており、畳特有の香りがする。
「っていうかさっきの空間とか能力だとかもうわけわかんないなあ……頭痛くなりそう」
しかし痛くなるのは頭ではなく腰だった。突然宙に開いた空間の裂け目から、何かが落下してきた。僕の体に向かって。
「はぅっ!?」
「あら失礼」
僕の体の上に着地した八雲さんは、全く悪びれる様子もなく立ち上がった。痛いんですが。まさかとは思うが狙ってやったのだろうか。
「さて、説明だったかしら?」
「そうですそうです」
「どちらの説明から行う?」
「どちら、って?」
「私と貴方よ。能力を持っているとはいえ、普通の人間が何処で幻想郷の話を耳にしたのか気になるわ」
言い方は軽かったが、どことなく圧を感じた。或いはそれは、殺気――とも呼ばれる何かだったのかもしれない。
八雲さんの胡散臭い笑みに、爽やかなスマイルで答える。
「まあそれはおいおい……」
「ふうん」
笑顔がむしろ不気味ではあったが、「この人何度見ても美人さんだなー」と思うことで誤魔化すことにした。美人の顔が合法で拝めると思えば、不気味な笑みくらいモナリザみたいなものだ。
「まあいいでしょう」
とりあえず諦めてくれたようで、八雲さんは普通に幻想郷の説明を始めた。
「どのくらい知っているのか知らないから、まるごと説明させてもらうわね。ここは幻想郷、忘れられたものが集う素敵な楽園よ」
「ほうほう」
本当に素敵そうな場所だ。思わず僕の目も輝く。
「外の世界で力を失った妖怪や、持ち主に捨てられ忘れられてしまった物々。世捨て人となった人間などなど、それはそれは多種多様なモノがひしめき合って暮らしているわ」
「それはそれは素敵な楽園ですね」
「それはそれは素敵な話ですわ」
なるほど、聞いていた通りである。その通りであるならば、きっと僕にピッタリの場所ではなかろうか。
「ちなみに、このまま幻想郷にいたい? 帰りたい?」
「見て回ってから決めても?」
「結構よ。ただ、ここから出るなら記憶は全て消させてもらうからそのつもりで」
幻想に綻びが生まれてはいけないものね――と八雲さん。綻び揺らぐから幻想なのではなかろうかと思ったが、余計なことは言わず黙っておいた。
「構いませんよ。えーっと、じゃあちょっと質問させてもらっていいですか?」
「どうぞ」
「基本的に力では人間が妖怪に勝つことは不可能だと思うんですけど、その辺で不公平が生まれてたりしないんですか?」
「人間と妖怪のパワーバランスに関しては、
「はえー、なるほど」
つまりさっきの僕は、堂々と『食べても怒られませんよ!!』ってアピールしてた感じなのか。それは襲われますわ。
八雲さんは話を続ける。
「更に最近、スペルカードルールというものが開発されたのよ」
「スペルカード……ルール……?」
「早くも弾幕ごっこ、なんて俗称が出来てたわね」
「カードゲームなのかシューティングなのかどっちなんですか」
「その二択ならシューティングですわ」
ただし的は相手の心だけれど、と、そんなキザなことを言って八雲さんは笑った。キザってよりは胡散臭いなと考え直した。
「はあ、そうですか」
「信じてなさそうな目ね」
「いえいえ、信じてますよ。対戦ゲームか何かですよね?」
「現代っ子ね」
「二十一世紀生まれなもので」
対戦ゲームでないとすれば何なのだろう。そう思いながら紫さんを見ると、彼女の背後にツー、と見覚えのある空間の裂け目が開いた。そして、そこから色とりどりの光弾が飛び出した。こちらに向かって。
「はあっ!?!? うわあああ!?!?!?」
規則性なく向かってくる光弾を避けるため、咄嗟に仰け反った。視界がスローモーションのようにゆっくりしてきたかと思えば、バランスを崩してそのまま転けて腰を打ってしまった。痛い。けど、見上げる光弾は、自分の身に迫って危ないはずなのに何処か綺麗に見えた。一個、軌道を逸れた光弾が、ぽよんとお腹にぶつかって跳ね返った。
「――と、こんな感じで繰り広げられるのが弾幕ごっこなのよ。ちなみに今のは私の勝ちね」
パチン、と手を叩く音が聞こえたかと思えば、弾幕(?)は空間の裂け目の向こうへと消えていった。一体どういうことなんだ。
「スペルカードルールは各自の弾幕で相手を魅了する勝負。つまり、
なるほど、今のは僕が被弾していたものな。しかもしっかり見蕩れて。そういうことなのか、スペルカードルール。弾幕とかいう不思議物質が出せない僕には、縁がなさそうだけれど。
「スペルカードルールには、もっと細かくて面白いアレコレがあるのだけど、今日はとりあえずこの辺りにして、これからの話をしましょうか」
「これから……? あ、なるほど」
そういえば、もうすっかり夜更けである。まだ宿を決めていないというのに。
「宿の候補が二つあるのだけれど、判断は貴方に委ねるわ」
「聞きましょう」
「オススメなのは妖怪の山にキャンプを張ることね。恐らく、朝を迎えることなく幻想郷の肥やしとなるでしょう」
「いやいやいや絶対却下です!!!!」
「えー」
というか何でそんなものを選択肢に入れているのだろう。実は僕のことがそんなに好きじゃないのだろうか。いや、初対面で好きも嫌いもないか。
「二つ目は、うちに泊まることよ」
「えっ。うちって、ここですか?」
「ええ、そうだけれど。不服かしら?」
「不服っていうか……いいんですか? 僕一応男の子な訳ですが、家に泊めちゃって」
「そうね、男の娘ね」
「なんか変な含みを感じたんですけど」
「いえいえ、含みなんてありませんわ」
八雲さんは紫色の高そうな扇子で口元を隠して言った。表情は窺えなかったが、絶対笑ってると思う。例の何処か胡散臭い感じで。
「私は別に気にしないから大丈夫よ。勿論、貴方が嫌っていうなら別だけれど――」
「いやいや何の問題もないですこんな素敵な家に泊まらせてもらえるなんて最高です!!!!」
二択のもう片方を思い出して、食い気味に言った。わざわざ僕を泊めさせてくれることに親切心だけではない何かを感じないでもないが、まあ、悪い人ではなさそうだし、喜んでお受けしよう。
「そう。なら、今日はひとまず寛いでくださいな。歩き通しで疲れたでしょう?」
「う、言われてみると一気に疲労が……」
今まで意識していなかったが、筋肉痛とか色々すごい。よくよく考えるとあと一歩で死ぬところだったんだよなー、とぼんやり思った。
「お言葉に甘えて寛がせてもらいます。ありがとうございます、八雲さん」
「紫でいいわ。八雲だと紛らわしいし」
「わかりました。改めて、よろしくお願いします――紫さん」
呼び方を変えるだけで距離が近づいたような気がして、少し嬉しくなる僕なのだった。
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始の三。美味いものを食えば大体の悩みは吹っ飛ぶ。
八雲邸は純日本家屋で、軽く案内された感じ、広すぎず狭すぎない長屋という印象だった。とりあえず今日は、先程使用した畳の部屋で寛いでくれていい、とのことだ。遠慮も礼儀も持ち合わせていない人間なので、大の字で畳に寝っ転がって、シミひとつない天井を眺める。
「……これからどうなるんだろう」
落ち着いた途端、急に不安になってきた。先程の傷が痛む。この知らない土地で──魑魅魍魎跋扈するという幻想郷で。生きていけるのかと。大人しく帰るべきなんじゃないかと。
「──まあいいか」
まだ悩むときじゃない。紫さんの言っていたように、今はお試し期間だ。まだほとんど何も見てないのに、多少死にかけたくらいでめげてたまるか。そう思って、跳ね起きた。すると丁度、襖の向こうから声が聞こえた。
「失礼します」
すーっと襖が開くと、その向こうに金髪のお姉さんが正座していた。凛とした表情でこちらを見つめる、ショートカットの美人さんだ。
「紫様の式の八雲藍と申します。お食事の準備が出来ましたので、お呼びに上がりました」
「は、はあ。ご丁寧にどうも……名雲玲亞です」
「僕は別に畏まられるような立場でもないので、普通にしていただいて大丈夫ですよ。その方が楽ですし」
「そうか? ならそのようにしよう」
物のついでに、気になっていたことを一つ質問してみる。藍さんの背後で揺れる九本の立派な尻尾のことだ。
「もしかして、妖怪さんですか?」
「ああ、九尾の狐だ」
「わあ、マジですか」
見れば察しがつくものを、間抜けな質問をしたものである。というか、九尾の狐? 狐の尾の数だか大きさだかって力の大きさだとか生きた年月だとかを表して、それ即ち力の象徴では?
「藍さんってもしかして、大妖怪ですか?」
「只の式だよ」
そういって藍さんは、少し困ったように笑った。謙虚な姿勢すぎる。紫さんに対して、大妖怪を従えるとはあの人何者なんだ……? という畏敬と底知れなさの念が強まってきたが、空腹には勝てないので食卓まで案内して頂く。
「さっきぶりね」
「どうもどうも。何かめっちゃいい匂いがしますね」
「口に合うかはわからないがね」
「いやいや、絶対美味い奴じゃないですか」
鼻腔をくすぐるのは香ばしい焼き魚の匂い。川魚みたいだが、鮎とかだろうか。膳を見ればザ・和食といった様相で、ホカホカのご飯に味噌汁、脇に添えられた漬物がいい感じだ。席につく。
「それじゃ、頂きましょうか」
紫さんの号令に合わせて「いただきます」と三人手を合わせた。白身魚の身はホクホクで程よい塩味が効いてて食指が進むし、味噌汁の濃さは丁度よく僕好みだし、漬物はよく染みてるしでもうあっという間に食べきってしまった。
「ふう、ご馳走様でした──めちゃくちゃ美味しかったです!」
「お粗末様でした。そういってくれると嬉しいが、少々量が少なかったか? もう少し持ってこようか?」
「いえ、大丈夫です。少食なので! お腹空いてたのと美味しいのとで早かっただけです!」
「そうか。それならいいのだけれど」
「食べ終わったなら、少し話しましょうか?」
ごちそうさまでした、と一言付け足して、紫さんは手ぬぐいで口元を拭いた。
「貴方の能力について聞かせてもらってもいいかしら?」
「ええ、いいですよ。とはいっても、僕も全部を分かっているわけじゃないんですけど」
能力というのは例の、空間の裂け目を開く力だろう。遠い記憶を呼び起こしながら言葉を紡ぐ。
「瞬間移動とか空間移動とか、そういう能力だと思います。多分。少なくとも僕はそういう風に使ってきました。物心ついた時にはアレを開けるようになってて、嫌なこととか泣きたいこととかが会った時に、逃げたい!! って強く思ったら開いてるんです。そこを越えたら知らない場所とか行きたかった場所とかにいて、移動に便利だなって」
「認識が軽すぎるわね」
紫さんが苦笑する。
「その能力について、他に誰か知っている人は?」
「いえ、いませんよ。急に捕まって解剖されたり実験体にされたりとかは絶対嫌なので、頑なに隠してきてました」
「ふうん。それならいいのだけれど」
扇子で口元を隠して、紫さんはこちらを見つめた。見透かされているような気もするけど、まあ、何も言わない。
「貴方の能力、その程度のものじゃないわよ」
「え?」
「その程度の認識で済むものではないわよ。それを肝に銘じておいて」
「移動以外の使い道もある、ってことですか?」
「ええ。貴方の力は瞬間移動するだけのものではない。貴方が越えているのは空間ではなく、境界」
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