メールペットな僕たち (水城大地)
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モモンガの楽しい毎日

タイトルの通りの、【ユグドラシル】の頃のモモンガさんの楽しい毎日の話。




 

モモンガこと、鈴木悟は最近【ユグドラシル】以外に【リアル】で楽しみが出来ていた。

 

いや、正確に言えばこれも【ユグドラシル】の延長なのだと言ってもいいだろう。

簡単に言うなら、ギルメンとのメールのやり取りにあるソフトを導入してから、メールのやり取りが今まで以上に楽しくなったのだ。

そのソフトとは、ヘロヘロさんが百年以上前にあったと言うものを、身内のやり取りのみに限定して現代向けに組み直したメールペットソフトだ。

 

以前、ペットロスでログイン出来なくなったギルメンを見ていて、それならギルメン間でのみ使えるペットソフトはないか探した結果、見付かったのがこのソフトだったのである。

 

これなら、きちんと管理された電脳空間で飼育できるように手筈を組めば、餌のやり忘れや病気、寿命で死なせる心配なく飼えるだろうと言うのが、ヘロヘロの主張であった。

確かに、この方法なら全員が毎日メールのチェックをするこの時代で、餌を与え忘れたりする心配もなければ、病気や寿命も心配する必要はないだろう。

ヘロヘロの主張を、全面的に支持したのはかのペットロスのギルメンを中心にしたメンバーで、彼らの熱意によって他のギルメンからも支持を受けて受け入れられた。

そこから更に打ち合わせした結果、ギルメン全員で自分の作った(協力して作った場合は、話し合いで)それぞれのNPCがそのペットになる事になったのである。

 

ソフトウェアの容量の関係で、全員が二頭身のディフォルメキャラになったのだが。

 

当然、モモンガの手元に来たのは自分がデザインした宝物殿の領域守護者であり、卵頭に軍服のパンドラズ・アクターである。

最初こそ、割り当てられたそれを見て微妙な気持ちになった。

その頃には、自分が作り出したNPCがその場のノリと勢いで自分の理想を詰め込みすぎて、色々な意味でおかしくなっている事に、何と無く気付いていたからだ。

しかし……今は違う。

【ユグドラシル】を起動し、何らかの用事でナザリックの宝物殿に訪れた際に顔を合わせると、一定のコマンドで地雷が発動する事もあって色々と思う所がある相手なのだが、このメールソフトのパンドラズ・アクターは違ったのだ。

ヘロヘロの説明では、性格部分の基本設定はそのままだが、それ以外は赤ん坊と一緒で自分の手で育てて教育していく事が出来るらしい。

一種の育成ゲームとして捉えれば、そこから先は別の楽しみが出来たのである。

 

ナザリックのNPCであるパンドラズ・アクター本体とこのメールペットをリンクさせて、設定以外の部分で何かしらの変化をさせられないかと、何と無くそう考えたのだ。

 

何せ、目の前の相手は二頭身の可愛らしいディフォルメキャラなのだ。

くるりと黒く空いた二つの目と口だけしかない卵顔だが、その感触はもちもちとしていて柔らかそうだし、短い手と足を一生懸命動かし何かしている姿は、どこか微笑ましくて仕方がない。

とても、宝物殿に居るアレと同じ黒歴史だなんて思えなかった。

 

更に、その外見に似合った愛嬌のある仕種を見ていると、ついついほっこりとした気持ちになって、仕事でささくれだった心が癒されてしまうのである。

 

それに、この外見でなら多少の仰々しい言動も可愛らしく映って、許容できない範囲ではない。

もちろん、どう見てもやりすぎの場合はそれとなく叱るのだが、その時は凹んでいる姿がとても【可哀想で可愛いらしい】状態になり、暫く隅に移動したかと思うと身を丸めるように座り込んで、はっきりと見て解る様に落ち込んでいる状態を示すのだ。

しかも、時折こちらの様子を見て【ごめんなさい】と言わんばかりの仕種を繰り返していて。

赦しの言葉を告げつつ、出来るだけ優しく軽く頭を撫でてやれば、パッと嬉しそうな声を上げて立ち上がる様は、小さな子犬を思わせる仕種だった。

 

そんな姿を見たら、本当に小さな子供を相手にしている親のような気分になって、次第に愛着がわいてきたと言うべきだろうか。

 

一先ず、その一連の動きはモモンガの中では【パンドラズ・アクターが見せる可愛い仕種】の不動の第一位なのだが、見る機会は少なかったりする。

何故なら、その一連の動きは叱った時のみ見られるものだからだ。

あれで、パンドラズ・アクターは学習能力が高い。

元々、メールペットと言う育成ソフトだけあって、ちゃんとこちらの意図を学習する機能も付いている。

ある程度まで叱れば、叱った事に関してはちゃんと学習していて、繰り返したりしない素直ないい子だったりするのだ。

だが、それではあの【可哀想で可愛い】姿が見られないので、普段は行動の自由を少しばかり緩めて好きにさせている。

 

そうして、思い出したかのように別の事で羽目を外し過ぎた所で叱る事で、叱られた事に落ち込む姿を存分に楽しんでいる悪い親だった。

 

多分、この事を友人たちに話したら苦笑される可能性は高いだろう。

それ位の自覚は、モモンガにもある。

だが、これも仕方がないと思って欲しい。

【ユグドラシル】では、決まったルーチンでの行動しかしないNPCよりも、このメールペットたちの方が感情豊かに見えるのだ。

こんな風に、自分の言動に対して喜怒哀楽を見せられたら、構い倒したくなるのは当然だろう。

結婚どころか恋人もいない身の上で、子育て経験するのはと思わなくもないが、手持ちの端末に登録してあるのであちこちどこでもメールソフトを立ち上げて使える事も、こうして余計に構う要因だった。

 

それに、メールのやり取りも今まで以上に楽しい。

 

ギルメンにメールを送る時は、二頭身のパンドラズ・アクターが一生懸命に両手でメールの入った封筒を抱えて、目的の相手のメールサーバーまで駆けていくのである。

お出掛けする前に支度をする姿や、「行ってきます!」の挨拶をする姿、そして帰ってきた時に満面の笑みで「ただいま帰りました!」と告げる姿は、今まで家族が居なかったモモンガに……鈴木悟に、小さな家族が出来たように思えるのだ。

お使いから戻って来た所を出迎えるべく、自宅の仮想サーバー内に降りて三頭身になっている【ユグドラシル】の自分のキャラで撫でてやるか、出先で3Dタッチ専用グローブを付けて撫でてやれば、それは嬉しそうに笑う姿が小さな子供の様でとても可愛いと思う。

更に付け加えるなら、仮想サーバー内なら臭いや味覚はないが、その代わりに触覚はそのままであるので、頭や顔を撫でたりハグしたりしていれば、その見た目通りの柔らかさを感じられた。

 

ただし、自分達から彼らに対して出来るのは、あくまでもペットを愛でる意味での額や頬にキスまでらしいが。

 

家族に対して、親愛の情を示すだけの目的なら、ハグまででも十分だと俺は思うのだけれど、一部のギルメンはそれでは足りないと主張したらしい。

性的な意味を持たせそうな場所には、キスをしたり触れたり出来ないのは当然だと思うし、その話を聞いた時には本気で呆れたものだ。

まぁ、自分はパンドラズ・アクターを息子として育てているから、別に関係がない話なのだが。

 

それ以外でも、ギルメンたちからメールが来るのも楽しい。

 

まず、それぞれの手元にいるキャラたちが自分の元まで一生懸命にメールを届けてくれる姿が可愛くて、見ていてとても楽しいのだ。

何というのか、基本の性格設定はそのままに、育成されている部分が持ち主の性格の影響を受けているらしく、どこか似ていて見ていて楽しいし、小さな身体で一生懸命に動く仕種が微笑ましく思えて仕方がない。

ウルベルトさんの所のデミウルゴスは、そつなく自分に挨拶をしてから手紙を渡してくれるし、パンドラズ・アクターが居ればそのまま暫くチェスをしたりして遊んでから帰っていく。

もてなしにと、用意してあるストックからお茶やおやつを渡してやると、はにかんだようや笑みを浮かべながら受け取り、美味しそうに食べていく。

そして、来たときと同じ様に挨拶をしてから帰っていくのだ。

 

もしかしたら、【ナザリック】のデミウルゴスも、自分の意思で動けたらこんな感じなのだろうか?

 

建御雷さんの所のコキュートスの場合は、訪問の挨拶の仕方とかが何となく前に建御雷に見せて貰った【時代劇】に出てくる武士のような雰囲気だった。

もしかしたら、コキュートス用の礼儀作法の学習ソフトとして、建御雷さんが使っているのかもしれない。

その影響なのか、パンドラズ・アクターとの遊びもチェスから剣道の練習に変わるし、訪問時にこちらが提供するものも、昆虫種の影響からなのかお茶とおやつよりも甘い蜜の方を好むので、用意するのは蜂蜜やメープルシロップだったりする。

 

色々と堅苦しい物言いをする事もあるけど、それもコキュートスの個性だと思って楽しんでいる。

 

アウラとマーレの二人(茶釜さんのごり押しで双子揃って茶釜さんのメールペットだ)は、いつも二人揃ってやってきて、とても賑やかだと言っていいだろう。

元気いっぱいのアウラと控えめで大人しいマーレが来るだけで、何となくデミウルゴスやコキュートスが来た時よりも、賑やかな感じになった気がするのだ。

やはり、尋ねてくる人数が一人じゃなく二人だから、その分も賑やかなのだろうか?

二人はモモンガの所に来ると、最初にきちんと挨拶してから自分の仕事であるメールをモモンガに渡してくれるのだが、その後二人してこちらを見上げながら【褒めて?】とキラキラ目を輝かせるので、ついつい二人の頭を撫でてしまうのを止められない。

そうして、モモンガが頭を撫でてやると満足そうな顔をして、パンドラズ・アクターとささやかなお茶会をしてから帰っていく。

 

どうも、【ナザリック】のNPCの二人も子供の外見だからか、ついつい仕種が微笑ましくて仕方がないから甘やかしちゃうんだよな。

 

ペロロンチーノさんの所のシャルティアは、【ナザリック】のNPCとしてのその持ち前の性癖からなのか、必ず最初の挨拶の後にモモンガにハグをして行くのが通例だった。

最初にされた時こそ面食らったものの、彼女なりに親愛の情を示している事が判っているので、モモンガも悪い気はしていない。

それに、抱き付いてきた所をモモンガが頭を撫でてやれば、満面の笑みを浮かべながら満足して離れていくので、モモンガも彼女がメールを運んでくる際の恒例行事として受け入れている。

パンドラズ・アクターとも、まるで自分とペロロンチーノの様に仲が良い。

メールを運ぶ仕事の後、二人で並んでソファに座りながら楽しそうに話をしたり、遊んでいたりする姿はとても微笑ましくて、ついついまた頭を撫でてやりたくなる位だから、このまま仲良くして貰いたいものだ。

 

そして……そんな風に割と仲が良いメールペットの中で、唯一と言っていい位に問題行動をしているのが、タブラさんの所のアルベドだった。

 

彼女は、タブラさんからのメールを届けに来たらモモンガに引っ付いて離れなくなり、いつまでもモモンガの所に居座ろうとするので、追い返すように送り出すのが常なのである。

しかも、モモンガが不在の時にパンドラズ・アクターが居ると、何やら嫌みを言ったり意地の悪い事をしてきたりすらしい。

割と忙しい時期に、仕事の空き時間を見付けてメールサーバーを確認して、彼女が来た証拠として自分宛のタブラさんからのメールがあった場合、パンドラズ・アクターがたまに隅の方で涙目になっていじけているので、ほぼ間違いないと思う。

 

これに関しては、似たような案件が茶釜さんの所のマーレ相手で発生しているらしい。

 

なので、ギルメンを円卓の間に集めてお互いにメールペットのアルベドの行動を確認してみたところ、似たような話が幾つも上がってきた。

改めてタブラさんに問い詰めたところ、どうやらNPCとしての彼女の設定が暴走しているのではないかと言うのが、彼の推測である。

それで、改めて彼女の設定を確認してみたら……あの長文設定には参った。

まぁ、最後の【ちなみに、ビッチである】には呆れさせられたのだが。

そして、その設定こそが暴走の原因だろうと全員が思ったのだが……この部分を変える事にタブラさんが猛烈に反対した為、未だに改善の兆しが見えない。

 

まぁ、これ以外にも色々と問題がある部分はあるが、モモンガにとってはそれでも楽しい毎日を暮らしていた。

 

 




こんな感じで、ゆるゆるなギルメンとメールペットになっている守護者を筆頭にしたNPCたちの、のんびりほのぼのな話が浮かんだので書いてみました。
既に、pixivでは幾つか投稿済みなのですが、こちらはあちらから移動する際に加筆修正してあります。


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ペロロンチーノの至福の毎日

毎回視点が変わります。


ペロロンチーノの朝は、他のギルメンに比べて割とゆったりしている。

彼は、あらゆる年代やジャンルのエロゲ好きが高じて、気付けばエロゲ専門のシナリオライターになっていた。

もちろん、そこまで有名シナリオライターになっている訳ではない。

それこそまだ駆け出しの身ではあるのだが、それでもそれを仕事にして食べていける位には稼げている。

相変わらず、姉には仕事に絡んで苦労しているのだが。

 

そんなペロロンチーノの朝の日課は、端末でメールの立ち上げから始まる。

 

メールを立ち上げると、そこでは【ユグドラシル】において【己の嫁】と公言して憚らない可愛い可愛いシャルティアが、まだすやすやと眠っている。

なので、ペロロンチーノは彼女が目を覚ますまで見守るのを毎朝の楽しみにしていた。

特に、完全に覚醒する前の寝惚けているシャルティアは、とても可愛いからだ。

 

ペロロンチーノにとって、今は朝から至福の一時を過ごしている。

 

彼が、この至福の時間を得られたのは、ギルドメンバーの一人が、飼っていたペットが死んだ事によって、ログインしなくなった事が起因している。

そんな彼の為に、仲間たちが代わりになるようにと電脳空間で飼えるペットのような存在として作り上げたのが、このシャルティアたちメールペットなのだ。

今まで、ログインしてナザリックの第三階層の死蝋玄室まで赴かなければ、彼女に会う事は出来なかった。

だが、このメールペットは違う。

何時でも何処でも、端末などのきちんと必要なものを揃えれば、可愛いシャルティアに逢えるのだ。

 

ペロロンチーノにとって、これ程幸せな事は無いのだろうか?

 

朝のゆったりとした時間は、シャルティアの寝起きを待つ為にのんびりと過ごしているものの、ペロロンチーノが起きるのは特に遅い時間帯ではない。

自宅で仕事をするペロロンチーノは、出勤する時間がないのでそれほど早く起きる必要はないのだが、それでもそれなりに早いと言われる時間帯に起きる。

理由は、シャルティアの寝起きの姿を見る為もあるが、他にも理由があった。

わざわざこうして朝一番に起きる理由は、友達であり仲間である【アインズ・ウール・ゴウン】の面々から、ペロロンチーノへのメールが来るのが、この朝の早い出勤前の時間帯か夕方の終業後だからだ。

仕事柄、朝の時間帯は自由なペロロンチーノとは違い、彼らが起きて出勤する時間帯はかなり早い。

 

だからこそ、そんな彼らから来るメールを出来るだけ起きていて、彼らのメールペットを出迎えたいと思う訳で。

 

シャルティアも、その頃には目を覚まして身支度を終わらせているので、お出迎えには万全の態勢が出来ていた。

まず、朝一番にやって来るのが多いのは、モモンガさんの所のパンドラズ・アクターだ。

礼儀正しく、軽くノックすると扉を押し開いて軽く頭を下げると、いつものように笑顔で挨拶の言葉をのべる。

 

「おはようございます、ペロロンチーノ様。

朝早くからお邪魔いたします。

モモンガ様より、昨夜の件のお返事メールをお持ちいたしました。」

 

ペロロンチーノは、割とメールを夜のログアウト後に出すことが多く、律儀なモモンガさんはその返事を朝一番に返してくれるからだ。

だから、朝一番にメールを持ってくるのはパンドラズ・アクターが多かった。

シャルティアとも仲が良いパンドラズ・アクターは、毎朝のようにモモンガさんからのメールを持ってくると、シャルティアのリクエストがあれば、二重の影(ドッペルゲンガー)のスキルを使ってモモンガさんに姿を変えて見せてくれる。

それを見届けると、シャルティアは嬉しそうにパンドラズ・アクターと並んで座って本を読んだり、お喋りしたりしているのだ。

そんな二人の姿は、とても微笑ましい。

もちろん、変化しない日は遊ばない訳じゃない。

変化しない日は、二人でくるくると楽しそうに歌ったり踊ったりしている。

 

パンドラズ・アクターの姿の違いで、二人の遊び方が違う理由は教えてくれないが、まあ楽しそうだから構わないだろう。

 

次にメールを持ってくるのが早いのは、仲が良いウルベルトさんの所のデミウルゴスだろうか?

デミウルゴスも、パンドラズ・アクターと一緒で礼儀正しいと思う。

丁寧に頭を下げながら、訪問の挨拶を皮切りにご機嫌伺いまで、それこそ流れるように述べる姿をウルベルトさんが見たら、【流石は俺のデミウルゴスだ!】と、諸手を上げて喜びそうな気がする。

 

あの人、メールペットを含めて【デミウルゴス】に関しては、正直言ってかなり親バカだし。

 

シャルティアは、デミウルゴスがメールをもって来ると、何やら図鑑を片手に持って嬉々として出迎える事が多い。

ペロロンチーノは、そんなものを与えた記憶が無いのだが、いつの間にかシャルティアの所持品として、部屋の中にあった図鑑だ。

一体、どこから入手してきたのか良く判らないものの、それを処分する事は出来ない。

何故なら、それを広げてデミウルゴスと一緒に見ている姿は楽しそうだからだ。

 

その図鑑が、【世界の拷問大百科】と銘打たれているのは、俺の見間違いだと思いたいけど、間違いじゃないんだろうな……

 

他にも、何人かメールを持ってくると、朝の受け取り分は終わるので、今度は既に用意しておいた別の相手のメールのお使いを、シャルティアに頼む。

この時間帯にお使いを頼むのは、ホワイトブリムさんとか、死獣天朱雀さんなどの割と時間帯を問わずに忙しい人たち相手だ。

忙しいからこそ、この時間帯にメールを送ると、時間の合間を見てメールを読んで返事をくれるので、わざとこの時間帯にしている。

他にも、メールを出す時間帯を選ぶ人は何人かいるので、それなりに気を付けるのは手間が掛かるが、可愛いシャルティアの為だと思えば気にならなかった。

 

そう、メールを受取人であるギルメン達に直接渡す事が出来ず、手紙を置いて悲しそうに帰ってくるシャルティアの姿を見るくらいなら、この程度の手間など惜しくないからだ。

 

端から見て、呆れるくらいに俺はシャルティアを溺愛している自覚は、幾らでもある。

だって、可愛くて堪らない理想の嫁を更に自分の手で育成出来るんだぞ?

何か気になる事があった時に首を傾げる姿も、俺が教えた間違いだらけの郭言葉を使う姿も、俺を慕って顔を見せるとまずギュウギュウと甘えるように抱き着いてくる姿も、全部可愛くて愛しいんだから仕方がないだろ!

 

可愛いシャルティアには、いつも笑顔で居て欲しいんだから、その為の手間は惜しんじゃ駄目だよな。

 

夕方の時間帯が近付くと、今度は武御雷さんの所のコキュートスが良くやって来る。

これは、武御雷さんの仕事の終わり時間の都合らしい。

ログイン前に、俺にその日のクエストの協力を頼みたい事がある時に来る場合が多いから、彼の訪れはその前触れとして認識している。

 

コキュートスとシャルティアは、俺のメールサーバー内に設置した一番広い部屋で簡単な手合わせをしている事が多いから、お互いに手合わせ相手として認識しているんだろう。

 

意外に、時間帯を問わずに短いメールを持ってくるのは、姉ちゃんの所のアウラとマーレだ。

姉ちゃんの仕事も、それこそ分刻みの場合が多いから、俺に対して罵声に近い内容のショートメールばかり送り付けてくるのは、ストレスを発散しているんだと思う。

なんと言っても、姉ちゃんの仕事は人気商売だし、対人関係のストレスは半端ないのは知ってるから、それ位の事は甘んじて受け入れてる。

もちろん、俺は姉ちゃんに直接それを言うつもりはないし、姉ちゃんの方も俺に何も言ってこない。

 

こればかりは、姉弟ならではのやり取りだからな。

 

まぁ、それはさておき。

姉ちゃんと俺の付き合いはそんな感じだから、アウラとマーレとシャルティアも周囲が思うよりも割と仲が良い。

一生懸命、俺の所まで毎日何度も往復させているのは、ちょっとだけかわいそうな気もするけど、頑張って運んでくる二人の姿は可愛いので、つい頭を撫でちゃうのは仕方がないよな。

すると、シャルティアがやきもちを妬いて拗ねちゃうんだけど、これはお仕事頑張っている二人へのご褒美だから諦めて欲しい。

 

多分、同じことを姉ちゃんもシャルティアにしているだろうし。

 

どうも、俺が電脳空間に降りて居る前だと、設定を重視して仲が悪い振りをするみたいだ。

でも、実際に仲が悪い訳じゃない。

俺が電脳空間に降りなかったり、シナリオライターの仕事中で忙しかったりして、俺のメールサーバー内で三人だけの状態になると、姉弟みたいに仲良くわちゃわちゃとお茶会をしているんだ。

こっそり、そんな彼女たちの様子を覗いて見ていると、本当に仲が良くて三人とも可愛くて仕方がない。

 

三人が仲良くしている姿を、姉ちゃんも同じ様にこっそり見てるのかな?

 

さて……こんな風に仲が良いメールペット達なんだけど、ここで一人問題児が居るんだ。

多分、ギルメン全員のメールペットが何らかの被害を受けているだろう、問題児の名前はアルベドと言う。

彼女は、タブラさんの所のメールペットなんだけど、彼女の元になった【ナザリック】のNPCが創造主であるタブラさんの趣味に凝り固まった設定を文字数限界までの細かな部分まで書き込まれているせいで、色々とそれに振り回されているんだ。

いや、違うか。

彼女が振り回されているのは、タブラさんが設定文の中につけた最後の一文だ。

あの一文のせいで、彼女は周囲の迷惑や注意をものともせず、メールペットの役目としてギルメンたちにメールを届ける度に、届け先のギルメンに自分への愛を求め、こそこそと彼らのメールペットに地味な嫌がらせをして泣かせているらしい。

うちのシャルティアとは、正面切っていつも喧嘩してるけどな。

 

いつも、俺に抱き着いてくるアルベドを排除しようと頑張るシャルティアは、滅茶苦茶可愛い!

 

「ペロロンチーノ様に抱き付くなぁ!!」

 

って、必死に俺からアルベドを引き剥がそうとするシャルティアの姿を見たら、嬉しくて身悶えるね。

ただ、そこから暫くの間続く二人の喧嘩は、正直言っていただけない。

だけど、アルベドが帰った後にまるで「消毒」だと言わんばかりに抱き付いて離れない姿を見たら、あまりシャルティアを叱れないんだよね。

だって、本気で半泣きになりながら離れないんだもん。

 

姉ちゃんの所のマーレも、彼女の被害に遭っているらしいし……やっぱり、タブラさんにはきちんとアルベドの言動に対して、それ相応の対策を講じて貰わないと駄目かもしれない。

 

夜になると、【ユグドラシル】にログインして、ギルメンの皆とクエストやら何やら楽しんだ後、【ユグドラシル】で伝え忘れた事を思い出したらメールで送る。

忘れない内に連絡しないと、お互いにうっかり忘れちゃいそうだからね。

そうして、最後のお使いから帰ってきたシャルティアを出迎えてた後、寝間着に着替えた彼女にお休みの挨拶をして、ペロロンチーノは就寝する。

おはようからお休みまで、シャルティアと一緒なんて本当に嬉しくて仕方がないよね。

 

そんな感じて、ペロロンチーノは至福の毎日を過ごしている。

 

 




と言う訳で、第二弾はペロロンチーノさん視点でした。
ペロロンチーノさんは、思い描いた通りに動くシャルティアと過ごせて、文字通り至福の毎日を過ごしているんですよね。
そして、何気に仲が良い非課金同盟の僕たちです。


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ウルベルト・アレイン・オードルと理想の悪魔の穏やかな毎日

この話は、格好良いウルベルトさんはいません。


 

ウルベルト・アレイン・オードルの毎日は、己が細部にまで拘り手塩に掛けて作り上げた、【理想の悪魔】の端正な声で始まる。

 

彼の、至福とも言うべき環境が作られた背景には、彼にとって大切な仲間達が関わっていた。

アインズ・ウール・ゴウンの仲間であるギルメンのペットロスから始まった、ナザリックの僕をメールペットにする計画。

その計画に、ウルベルトは最初の段階から賛成し、協力していた一人である。

あまりにも、ウルベルトの賛同が素早かった事に対して、意外に思う者も居た。

だが、ウルベルトからすればむしろもっと早い段階で、この計画が持ち上がればよかったのにと、今でも本気で思っている。

 

何故なら、このメールペットの積み重ねた経験は、そのままナザリックのNPCにも反映可能な設定だと、ウルベルトは計画を聞いた時点で気付いていたからだ。

 

もちろん、それは自分達が住む【リアル】の世界の情報がNPC達に伝わる訳ではなく、メールをやり取りする為のサーバー内などの限定空間での経験に関してのみだが、それだけでも別に構わなかった。

ウルベルトなどの、NPCに深い愛情を注ぐ者にとっては、どんな形ででも己の愛するNPCに、【リアルの世界】でも同じ様に愛情を注げて、それが彼らに伝わる可能性があると言うことが、何よりも大切なのだから。

どんなものでも、ちゃんと大切にして愛情を注いでやれば、それに相応しいだけの愛情を返してくれるものだ。

 

現に、うちのデミウルゴスはその通りだからな。

 

毎朝の始まりだってそうだ。

そう……ウルベルトの朝は、メールサーバーの中にいるデミウルゴスからの、モーニングコールで始まる。

自分の理想の粋を集めた、文字通り最高傑作とも言うべきデミウルゴスの端正な声で、毎朝緩やかに目覚めを促されるのがどれだけ幸せな事なのか、実感出来ているのは自分だけだろう。

そう思うだけで、ウルベルトはひどく満たされた気持ちになるのだ。

 

まぁ、当然だろう。

自分にとって自慢の息子に、毎朝丁寧に起こされているようなものなのだから。

 

******

 

ウルベルトが、デミウルゴスからのモーニングコールを受ける状況に至るまで、実はそれなりに紆余曲折があった。

 

デミウルゴスが自分の元へやって来て、ウルベルトが最初に行ったのは、メールペットの彼に対する細かな設定だ。

基本設定として、与えられたメールサーバー内のデミウルゴスの部屋は、真っ先に改装しておく。

育成ソフトの人格は、普通の人間と同じ様に環境に影響されるからな。

自分の理想の結晶とも言うべきデミウルゴスに、粗末な環境で過ごさせたくはない。

 

可能な限り、使用できる素材をふんだんに使い、デミウルゴスにふさわしいへやをつくりだしたと言う自負がある。

 

次にしたのは、俺がデミウルゴスと共に暮らすために必要なこと。

元々、このメールペットソフトの機能には、メールが来ていることを知らせる為のコール音が有るのだが、俺は音声設定時にデミウルゴス声を選択した。

【リアル】で、擬似的な意識を持つあいつに呼び掛けられたら、それは幸せな気分になれそうな気がしたからだ。

そして、その俺の選択は間違いじゃなかったらしい。

 

ウルベルトの元にメールが来る度に、デミウルゴスからの声が聞こえてくると思うだけで、仲間とのメールのやり取りが今まで以上に楽しくなったのだから。

 

正直言って、こんな幸せな環境を得られた事に関して、仲間たちへの感謝の念が絶えない。

流石に、ここまでの機能を持ったデミウルゴスを【リアル】で再現するのは、幾ら望んだとしてもウルベルト一人では叶えらない案件だっただろう。

なので、それを叶える切っ掛けをくれた仲間に対して、それはもう丁寧にお礼をしたのは、ウルベルトとその仲間との秘密だったりする。

 

それはさておき。

本来なら、メールペットとしての限られた機能しか持たない筈のデミウルゴスが、どうしてモーニングコールまでしてくれるようになったのかと言うと、そこに至るまでには本当に色々とあったのだ。

 

主に、ウルベルトの身の危険と言う意味で。

 

そもそも、この話がギルメン全員に対して伝わる前から、この件に関わり開発チームにテスターとして協力していたウルベルトは、見返りにある事をして貰っていた。

何を頼んだのかと言うと、メールペットとしてデータの吸出しなど、様々なテスト段階から協力する代わりに、デミウルゴスの学習能力をそのフレーバーテキストに合った、高めのものに設定して貰ったのである。

その高い学習能力で、デミウルゴスが興味を持つだろう様々な知識を得られるように。

 

やはり、デミウルゴスは頭が一番良く在って欲しいからな。

 

その結果として、デミウルゴスはウルベルトの予想通り、様々な事を学習していってくれたらしい。

メールのやり取りだけではなく、自分が存在している場所に関する知識や、サーバー内からの【リアル】のメールソフトの起動方法まで、その知識は多彩なものだ。

一応、情報の収集先をウルベルトの個人端末の中に登録されたもので済ませていたので、そこまで【リアルに纏わる詳報】は伝わっていない筈だ。

ただし、確実にウルベルトの【リアルの姿】を覚えてしまったようだが、それはそれで問題ないと判断している。

そうして、ある程度の知識を蓄えた所で、デミウルゴスが最初に実践し始めたのは、ウルベルトへのモーニングコールだった。

 

初め、ウルベルトはそれが偶然だと思っていたのだ。

 

たまたま、端末の電源を落とし忘れていた為に、メールが届いた事で機能が立ち上がり、デミウルゴスの声がしたのだと。

ウルベルトも、非課金同盟の同士だったペロロンチーノと同じで、ゲームをログアウトした後でメールを送る事が多かったからだ。

だが……そんなウルベルトの考えを、すぐに打ち消す様な一件が、起きたのである。

 

深夜遅く、ゲームを終えて寝る準備をしていたウルベルトの部屋に、侵入しようとしていた不審者がいたのだが……その存在をメールペットでしかないデミウルゴスが気付き、警告ボイスで報せてくれたのだ。

 

そのお陰で、ウルベルトは侵入した不審者に襲われる事なく、寝室に備え付けてあった自前の防犯グッズで、きっちり返り討ちにする事が出来たのである。

もっとも、ウルベルトが撃退した不審者はそれなりに場数を踏んでいたらしい。

こちらが自衛手段を持っていると理解した途端、すぐにその場から逃げ出したので、流石に不審者を自分の手で取り押さえるのは出来なかった。

何せ、この末期の世界とも言うべき【リアル】では、デミウルゴスの警告で怪我もなく、盗られたものもない状況では、警察になにか言っても無駄な地域にウルベルトは住んでいる。

運良く、翌日が休みだったウルベルトは、その場で簡単に解除出来ない電子錠をネットで購入し、即配達して貰った。

 

鍵は、力任せに壊されたのではなく、少しの手間を掛けて開けられたらしい。

 

やはり、ウルベルトの部屋に侵入した不審者は、この手の行動に手慣れていたようだ。

そこまで確認した所で、注文した電子錠が届いたので、即受け取って取り付ける事にしたのだが……

そこで、またメールソフトのデミウルゴスから、痛烈な警告が発せられた。

わざわざ、デミウルゴスがメールソフト内から警告音を出しているからには、何か言いたい事があるのだろう。

そう考えて、携帯用端末を玄関先まで持ってくると、デミウルゴスはウルベルトの取り付けたばかりの電子錠の動作を、丁寧に確認し始めたのである。

 

いつの間に、そんなスキルを身に付けたのか、本音を言えばとても気にはなった。

 

だが、デミウルゴスが俺の役に立ちたいと思って発露した能力なら、それに文句を言うつもりはない。

可愛い一人息子のようなデミウルゴスが、【ウルベルトの為】と考え頑張って色々と学習しているのに、それを根底から否定するつもりなど、ウルベルトには欠片もないからだ。

それよりも、もっと出来る事が増えれば、もっとデミウルゴスとこの【リアル】で一緒に楽しく過ごす事が出来る。

そう考えた途端、ウルベルトは今までのように自重する事を止めた。

 

より正確に言うなら、色々な事を学習していくデミウルゴスに、自重を促すことを止めたのだ。

 

様々な事を覚えて、少しでもウルベルトの役に立てると考え、それは嬉しそうにしているデミウルゴスの姿を見たら、自重を促せる訳がないのである。

デミウルゴスの努力は、全部ウルベルトの為なのだ。

そのことを理解していながら、今更【止めろ】なんて言える筈がないだろう。

それこそ、その言葉を告げた途端、心の底からショックを受けて愕然とした後、悄々と青菜に塩を振ったかのように落ち込む姿が、手に取るように想像できてしまうのだ。

そんな、かわいそうなデミウルゴスの姿など、見たくは……無いとは言わないが、かわいそう過ぎるし笑っている顔の方が見たいので、そちらを優先したのである。

聞いた話しでは、モモンガさんはたまにパンドラズ・アクターの落ち込む姿を【かわいそうで可愛い】と見ているらしいが、少し悪趣味と言うか悪い親だと思う。

まぁ、それを凌駕するくらいにパンドラズ・アクターを可愛がっているので、今の時点では何も言ってないけどな。

 

とにかく、ウルベルトはデミウルゴスが好きに学習出来るように、自重を促すことなくそのまま放置していたのだが……どうやら最近はそのデミウルゴスの行動が、一部のメールペット達に伝達されているらしい。

 

主にその影響を受けているのは、メールペットの中でも仲の良いパンドラズ・アクターとシャルティアだった。

元々、NPCとして頭の良い設定を受け継いでいるパンドラズ・アクターは、デミウルゴスとやり取りをしていれば、学習していくのは解る。

しかし、設定ではあまり頭が良い方ではないシャルティアが、デミウルゴスの影響を受けるに至ったのは、色々な理由があるのだが……その事を詳しく語るのは、またの機会にするとして。

 

とにかく、デミウルゴスと一番仲が良いメールペットは、パンドラズ・アクターとシャルティアの二人だろう。

 

頭がとても良くて、性格は穏やかでモモンガさん似のパンドラズ・アクターとは、頭を使ったゲームをすることが多いらしい。

顔の作りの関係上、表情が読み難いパンドラズ・アクターが相手だと、ポーカーなどの心理戦ゲームが楽しくて仕方がないのだと、いつか話してくれた記憶がある。

 

たまに、何やら二人でひそひそ話をしている姿も見るが、どんな話をしているのやら。

 

逆に、脳筋ビルドで頭の良さはそれほどではないが、趣味の面では気が合うシャルティアとは、俺の所に来る度にかなりディープな話題もしているらしい。

先日、ペロロンチーノからシャルティアとデミウルゴスが二人で【世界の拷問大百科】を見てたと泣き付かれたが、その程度で済んでいるなら、そう設定した親として【諦めろ】と言いたい。

 

なにせ、俺の所に来ている時は、平気でその手の研究や実験の話をしているからな。

 

本を読んでいる程度なら、本の内容を覗き込んで見なきゃ問題ないだろうが、会話に関しちゃ丸聞こえなんだぞ!

それこそ、その程度で悲鳴を上げてたら、うちでの二人の会話を聞いただけでSAN値をごりごり削られるぞ、ホントに。

と、まぁ……仲はとても良いのだが、放置して良いものか迷う面々もいるが、割穏やかな日々を過ごしている。

デミウルゴス自身は、パンドラズ・アクターとシャルティアの二人以外だと、コキュートスとも仲が良いらしい。

何やら、二人でデミウルゴスの為に気合いを入れて似合うように作ったバー施設で飲んでいる姿が、たまに見られるからな。

 

どちらかと言うと、大人の友人としての付き合いをしている感じなのだろうか?

 

それ以外のメールペット達とは、割と一定の距離感を保ってしまっているらしく、見た感じ仲はよくも悪くもないといったところだろうか?

他の場所だと、色々と問題行動を起こしているらしいアルベドだが、ここではかなりおとなしくしているからな。

やはり、頭が良くて制限されていないデミウルゴスが相手では、同じ土俵にたった状態では自分に勝ち目がないのを理解していて、無理に喧嘩を売らないのだろう。

 

下手にデミウルゴスを怒らせても、アルベドには何のメリットもないのだから。

 

そう考えると、同じ様に頭が良い筈のパンドラズ・アクターが被害に遭っている原因は、その性格がモモンガさんに似ているからかもしれない。

モモンガさんは、どちらかと言うと押しに弱いからな。

話に聞いた感じだと、アルベドはかなり肉食系女子だし、パンドラズ・アクターでは押し負けてしまうのだろう。

 

それにしても……

やはり、うちのデミウルゴスは優秀で格好いいと、最近本気で思う。

こんな優秀な息子と、比較的穏やかな毎日が過ごせる事が、幸せなんだと本当に思うウルベルトだった。




と言うわけで、第三弾はウルベルトさんとデミウルゴスでした。
ある意味、親バカ全開のウルベルト氏が居ます。
デミウルゴスの優秀さを、とにかく自慢したくて仕方がないらしいです(笑)
メールペット組の無課金同盟も、どこに行っても仲良しさんです。

誤字報告ありがとうございます。
修正させていただきました!


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ぶくぶく茶釜と双子のエルフの賑やかな毎日

既に、活動報告で予告していたのですが、今回はこの方の話です。


私、【アインズ・ウール・ゴウン】のぶくぶく茶釜には、ここ数ヵ月の間、毎朝の楽しみにしている事がある。

 

【リアル】で声優の仕事をしている私は、基本的にそれ程早く朝起きる必要はない。

もちろん、握手会やサイン会などのイベントがある時や、一緒に仕事をする人のスケジュールの都合で、早朝の仕事を指定された場合は別だが、それ以外の時はそれ程早い時間帯に起きる必要はないのだ。

だが、それでも私は遠距離通学の学生と同じ位の時間帯に、毎朝起きるようにしている。

その理由は、実に簡単なものだ。

私にとって、楽しみにしている恒例行事と化した事が、朝の早い時間に発生するようになったからである。

それを、出来る限りこっそりと観察する為には、朝の早起きは欠かせない案件だった。

 

そう、私が必ず行う朝の日課になった恒例行事の観察は、端末でメールソフトを立ち上げてから開始されるのだから。

 

慣れた手付きで、素早く操作をしてメールソフトが立ち上がったのを確認すると、そっと私はその中にある仮想空間を覗き込む。

すると、そこでは私にとって可愛くて堪らない双子のエルフの姉弟による、朝の攻防戦が起きているのだ。

これが、私の毎朝の楽しみにしている恒例行事であり、観察の対象と言って良いだろう。

 

これ以外でも、この二人が繰り広げるやり取りなら、幾ら見ていても飽きないんだけどね。

 

元々、ちゃきちゃきとした元気のいい姉のアウラと、少し引っ込み思案な男の娘である弟のマーレは、それこそ性格も違えば行動パターンも違う。

それが顕著に表れるのが、この朝の攻防戦だった。

どちらかと言うと、大人しい性格で低血圧と言った感じがする弟のマーレはそれ程朝に強くないのか、それとも本が好きでついつい夜更かしして本を読んでしまう癖でもあるのか、あまり早く朝は起きない。

それでも、朝の七時になればちゃんと起き出してくるのだから、彼らの寝顔を楽しみたい私としてはそのままでも構わないのだが、どうやら朝の六時半には起きる姉のアウラは、それが納得いかないらしかった。

多分、その前に二人の寝顔を見たくて私が起きている事に、彼女は気付いてしまったのだろう。

だからこそ、アウラは必死にマーレの事を早く起こそうとする。

しかし、だ。

マーレは、お仕事が無ければ眠る事が大好きな、引き籠りタイプの男の娘である。

当然、主であるぶくぶく茶釜が【良いよ】と赦している事もあり、無理して起きようとはしない。

 

その結果、毎朝の様に二人の間で発生するのは、マーレを出来るだけ早く起こそうとするアウラと、そんな姉に逆らってまだ寝ていようとするマーレの攻防戦だった。

 

私にとって、その二人のやり取りがどうしても可愛らしくて仕方がない。

それこそ、前日の夜の仕事上がりが遅かったとしても、早朝の仕事が入っていたとしても、毎朝欠かさずそれを見ずにはいられない程には、私は双子たちの朝の攻防戦を観察するのを気に入っていた。

 

そう……私にとって、可愛くて仕方がない双子の姉弟たちは、今では掛け替えのない宝物の様な我が子たちだと言える存在なのだから。

 

*******

 

私が、この幸せ可愛らしい一時を得られたのは、ちゃんと理由がある。

【ユグドラシル】で、私が――ぶくぶく茶釜が所属するギルド【アインズ・ウール・ゴウン】のメンバーの一人が、飼っていたペットが死んだ事によってログインしなくなったのだ。

それによって、仲間の中で【ネット空間で安心して世話が出来るペットを、ギルドメンバー全員で飼おう】と言う計画が立ち上がった。

様々な情報を集めて回って、漸く使えそうなものとして見付けた古いソフトが、このメールペットである。

旧式すぎて、今のメール環境に合わなかった代物を、様々な機能を追加して問題なく使えるようにしたのは、ギルメンの中でもシステム担当のメンバーたちだ。

それこそ、彼らが必死に寝る時間を削ってまで努力し結果だと言っていいだろう。

 

この件に関しては、本当に仲間のソフト開発担当のシステムエンジニアとしてのスキルを持つギルメンと、そのデータ吸出しの為のテスターとなった仲間が、実にいい仕事をしたものだと、ぶくぶく茶釜は思っている。

 

今まで、ログインしてナザリックの第六階層にある巨大樹まで赴かなければ、この私自身が手掛けたNPCである可愛い双子たちに会う事は出来なかった。

だが、こうしてぶくぶく茶釜のメールペットになった双子たちは違う。

何時でも何処でも……そう、それが例え遠方に仕事に出た際でも、きちんと携帯可能な端末などの必要な道具一式を揃えれば、可愛いアウラとマーレに逢えるのだ。

 

ぶくぶく茶釜にとって、これ程嬉しい事はなかった。

 

さて……問題の毎朝の攻防戦は、大概アウラの勝利で終わる。

この兄弟、姉の方が弟よりも強い立場にあると言うのも理由なのだろうが、それ以上にアウラにとって最大の強みとなっているのが、双子の寝室が一緒だと言う事だった。

もし、これがナザリックの巨大樹の中にある彼らの住居なら、部屋はそれぞれ個室が与えられていると言う事もあって、部屋の中に引き籠られたらアウラには分がかなり悪い。

裏を返せば、メールサーバーの彼らの部屋の中には、マーレが引き籠れる場所がベッドの中しかないのだから、絶対的に不利なのはマーレの方なのだろう。

その結果、マーレは七時よりも前にアウラによって叩き起こされると言う状況を、毎朝のように繰り返していた。

 

まぁ、朝の攻防が終わるまでの二人のやり取りを楽しみにしているので、どちらが勝ってもぶくぶく茶釜にしてみれば構わないのだが。

 

それはさておき。

可愛い双子が揃って起きたら、まずは美味しい朝食を食べさせて彼女達に今日の服を選んでやるのが、今のぶくぶく茶釜の日課であり楽しみの一つである。

ナザリックの階層守護者である双子たちとは違って、この子達は外にメールのお使いに出す時も、その日の服として選んだままの姿で出歩けるのだ。

この辺りに関しては、メールペットを着飾らせたいと言う女性陣を中心にした仲間の要望によって、選んだ服のデザインを普段の装備に重ねて見せているだけなのらしいのだが、それでも十分可愛く着飾った姿を仲間に見せられるので、ぶくぶく茶釜にはそれに対して特に文句はない。

 

そんな風に、毎朝彼らが着る服を決めて二人の身支度が出来たら、今度こそアウラとマーレのお仕事開始である。

 

双子たちの朝一番のお仕事は、ぶくぶく茶釜の友人であるやまいこさんの所から来るメールを受け取る事だ。

教師である彼女は、学校で生徒たちの為に様々な仕事をする必要もあって、ぶくぶく茶釜よりもかなり早い時間に起きる。

そして、朝の支度の合間に手早くぶくぶく茶釜へのメールを書くと、自分のメールペットであるユリに持たせて送ってくるのだ。

ほぼ毎日、とりとめもないメールのやり取りしている事から、これがアウラたちの朝の一番の仕事だった。

 

何時も、ユリが来る前に彼女の為にお茶の準備をして待っているのだから、アウラたちも彼女がメールと携えて来るのを楽しみにしているのだろう。

 

他にも、色々なギルド関連の連絡事項があったり、何かのイベントで個人的に協力を頼みたいと前日に話してあったりした時は、モモンガさんからのメールをパンドラズ・アクターがこの時間帯に運んでくる。

モモンガさんは、とてもギルド長としても個人としても律儀だから、こういう連絡が必要な事がある時はスケジュールの確認をして、きちんと翌日に返事をくれるのだ。

ただ、二人ともかなり朝の早い時間帯にメールを送ってくるので、パンドラズ・アクターとユリは鉢合わせをする事が多い。

だが、ぶくぶく茶釜の元にパンドラズ・アクターが来る時は、先程上げたような理由がない限りほぼ一斉送信の場合が多く、長居をせずに急ぎ足で帰っていく事が多かった。

 

そんな事もあって、アウラとマーレの二人は私の前では、余りパンドラズ・アクターと仲良くしている姿を見せてくれなかったりする。

 

モモンガさんの話を聞く限り、彼の元ではのんびりとお茶会をしてる姿を見せてくれているらしいから、ちょっとだけ悔しいと思っているのはぶくぶく茶釜だけの秘密だった。

幾らなんでも、そんな事を誰かに言うのは筋違いからね。

それに、パンドラズ・アクターとアウラとマーレの二人が、仲が悪い訳じゃない。

 

何せ、いつも長居出来ずに帰るお詫びの品として、パンドラズ・アクターはアウラたちへのお菓子を手土産として持参して来てくれているのだから。

 

もう一人の女子メンバーである、餡ころもっちもちさんの所のエクレアが来るのは、いつもお昼の時間帯だ。

彼女の場合、朝は忙しすぎてメールをしている時間が無い分、お昼のちょっとだけ時間を長く取れる休憩時間に、メールを纏めて確認して返事をする事が多いらしい。

だから、いつも沢山のメールを一度に運ぶ必要があるエクレアも、パンドラズ・アクターと同じように割と滞在時間が短いタイプだ。

エクレアの外見は、見ているだけで可愛らしいイワトビペンギンだから、出来れば一度位は撫で回してみたいと考えているのだけど、どうも警戒されているらしくて今まで一度も実現していない。

ちょっとだけ、それが残念だとぶくぶく茶釜は思っている。

 

元々、ぶくぶく茶釜が所属しているギルド【アインズ・ウール・ゴウン】は、女性メンバーが三人しかいない。

そう……彼女とやまいこ、そして餡ころもっちもち以外は男性しかいない事もあって、男女比率が極端な構成になっていたりする。

こればかりは、異形種であることと社会人であることがギルドへの加入条件になっているから、仕方がないのかもしれない。

 

何せ、異形種の外見は余り可愛いと思えるものがないから、一部の種族を除いて自分から進んで異形種を取る女性は少ないのだ。

 

そんな事もあって、自動的にメールのやり取りをするメンバーは女性中心になってしまいがちなのだが、それでも割と小まめにメールをくれる人がいる。

我がギルドの最大火力を担う、魔法詠唱者であるウルベルトさんだ。

元々、普段の言動の割に細かい気遣いが出来る人なので、何かあると連絡をくれる優しい人だと思う。

 

その辺りを、本当の意味で正確に理解しているのは、少し前まで【非課金同盟】なんてものまで組んでいた、仲の良いモモンガさんと弟のペロロンチーノだけなのだろうが。

 

とにかく、そんな理由で彼の所のデミウルゴスもメールを運んでくることは多かった。

デミウルゴスは、とにかく礼儀正しい紳士だと思う。

毎回、こちらの事を気遣いながら丁寧な訪問の挨拶を皮切りにして、ぶくぶく茶釜へのご機嫌伺いからメールを持参した旨まで、それこそ流れるように述べるデミウルゴスの姿は、紳士としか言いようがないのだ。

そんな彼の姿をウルベルトさんが見たら、【流石は俺のデミウルゴスですね!】と、親バカ全開で褒めちぎりそうな気がするのは多分間違いじゃないだろう。

 

あの人、メールペットだけじゃなく【ナザリック】に居るNPCも含めた、【デミウルゴス】に関する事だけは、正直言ってかなり親バカだと思うから。

 

デミウルゴスが来ると、マーレが割と自分の方から寄っていって話し掛けている姿を良く見るのは、あの子も一応自分が【男の子】だと言う自覚があるからかもしれない。

やまいこさんから、ウルベルトさんはデミウルゴスのスペックを上げる為に、色々とこのメールペットの開発チームのギルメンたち相手に、事前のデータ吸出しなどに協力していたと言う話を聞いた事がある。

その結果なのか、他のメールペットよりもデミウルゴスはかなりハイスペックらしく、先日もウルベルトさんがそれをみんなに自慢していたから、その話は多分本当なんだろう。

そんなデミウルゴスから、少しでも何か学べる事があるなら、マーレにはぜひとも学んで強くなって欲しい。

 

少なくても、自分のホームでメールを受け取っているのにも拘らず、メールを持参して来たアルベドに泣かされるなんて状況から、脱却出来るようにはなって欲しい所だ。

 

そう、ぶくぶく茶釜の所にやって来て困るメールペットの筆頭は、間違いなく問題行動ばかりのアルベドだろう。

もちろん、外観的な事を言っていいのならば、少し前までは恐怖公をメールペットに持つるし☆ふぁーからのメール受け取るのも、ぶくぶく茶釜はとても苦労していたのだ。

どうしても、あの外観が苦手なぶくぶく茶釜としては、本音を言えば例えメールを運ぶためでも、ここに来て欲しくもない。

だが、るし☆ふぁーがそんなメールペットになる様な流れを作ったのは、ある意味ギルメン全員だと言う事もあって、今更文句を言う事なんて出来なかった。

 

本当に、あのメールペットを決める時のギルメンたちは、自分たちの希望を通す事を優先し過ぎていて、全員どうにかしていたんだと思う。

 

だから、最初の頃は恐怖公が来る度にぶくぶく茶釜は苦労してメールを受け取っていたのだが、マーレが恐怖公を相手にしてもごく普通に対応出来る事が判明してからは、彼に一切を任せる事で特に問題なく受け取れているので、そこまで困る事はなくなったのだ。

そんなマーレとは対照的に、アウラは恐怖公が来るだけで思わず腰が引けているから、多分自分と同じで恐怖公が苦手なんだろうと思う。

それが判っていて、アウラに恐怖公の相手なんてさせるつもりはなかったが。

 

とにかく、恐怖公と言う自分が苦手だった相手もマーレが請け負った時点で、ぶくぶく茶釜にとって問題児のメールペットの筆頭は、間違いなくアルベドになっていた。

 

と言うか、己の主からの仕事でメールを届けるべく人様のメールサーバーに来て、どうしてそこのメールペットを苛められるのか、そこの辺りを詳しく製作者のタブラさんを問い詰めてやりたいのが本音ではある。

あるのだが……タブラさん自身もまた、ある意味アクの強い困った人物だ。

ぶくぶく茶釜が一人で対峙しても、彼自身が持つ様々な知識からくる話題をこちらに振る事で、いつの間にか本題がうやむやのまま煙に巻かれそうな、面倒な人なのである。

なので、今度のギルド会議の議題として今回の一件は挙げてやると、ぶくぶく茶釜は心に決めていたりするのだが。

 

また、彼女が割とこちらから受け取り側の事を気にする事無く、それこそ一日何度でも頻繁にメールのやり取りしている相手が一人いた。

それは、ぶくぶく茶釜自身の弟であるペロロンチーノである。

あの弟は、エロゲをメインにしたシナリオライターなんて仕事をしていて、普通に会社勤めをしている面々よりも時間の都合が付く方だ。

だから、彼女は時間を気にせず仕事で溜めたストレスを発散する為に、彼に対してショートメールを送り付けるのは、元々昔から当たり前の様にしていた事だったのである。

だが、最近はストレス以外にも理由があって、わざと矢継ぎ早にメールを送ってやることが多い。

 

わざわざ、ぶくぶく茶釜が彼に対してそんな真似をする理由は、そうすると弟の所に行っていたアウラとマーレが帰ってくるとほぼ同時に、弟のシャルティアも返事を携えて訪ねて来るからだ。

 

正直、【ユグドラシル】でのシャルティアの設定には、本気で弟のあらゆる性癖が煮詰められていて、その設定を目の当たりにした時はかなりドン引いたものだが、このメールペットのシャルティアは弟だけじゃなく周囲の環境の影響も受けているからか、【ユグドラシル】のシャルティアとは違っているところが多く、とても可愛い。

多分、このメールペットが【本格的な育成ソフト】と言う事も、それなりに影響しているのだろう。

こんな風に、メールをもって色々所に出掛ける事で経験を積めば、シャルティアの雰囲気が変わるのも当たり前なのかもしれない。

 

何せ、モモンガさんの所のパンドラズ・アクターやウルベルトさんの所のデミウルゴスとも仲が良いと、前に彼らから話を聞いた事があるので、シャルティアはいい意味で成長しているのだろう。

 

実際に、弟のペロロンチーノが一から育成している筈のメールペットのシャルティアは、確かに可愛く賢く育っているとぶくぶく茶釜でも思うのだ。

だからこそ、彼女と自分の所のアウラとマーレが一緒に仲良くお茶会をしているところを見るのは、実に可愛くて仕方がないと思う。

外見だけなら、三人の中で一番年上なのはシャルティアなのだが、ここはアウラとマーレのホームだと言う事で、アウラが場を仕切っているのも悪くない構図なのだ。

 

それに、あの子たち三人が集まってお茶会をしている姿を見ると、それこそ女子会をしている少女たちにしか見えないのだから、目の保養にもなっていると言っていいだろう。

 

多分、弟も私が頻繁にメールを送る意図は何となく気付いているだろうと思うものの、止めるつもりはない。

あちらからも、多分この件に関しては何も言って来ないだろう。

こんな無茶な対応が通じるのも、また家族だからだ。

実際、ぶくぶく茶釜が仕事で感じている対人関係のストレスも凄いし、仕事の内容によってはプレッシャーが半端ない者だって沢山ある。

 

だからもし、この件で何か言ってくる奴がいたとしたら……【家族として仕事の愚痴を聞いて貰いつつ、同時に癒しとなる可愛いアウラたちのお茶会を楽しんで、何が悪いのか】と言ってやるつもりだった。

 

まぁ、そんな感じで仕事の合間に上手く時間を作ってメールをやり取りしつつ、ぶくぶく茶釜はこの状況を楽しんでいる。

夜の仕事の上りはその日によって違うものの、自宅に帰宅したらすぐに端末を立ち上げて【ユグドラシル】にログインするのも、ぶくぶく茶釜の日課だった。

もちろん、仕事の都合によってはログインするのが深夜に近い時間帯になる事もあるけど、そういう時は残っていた面々と話だけでもするように心掛けている。

 

幾ら、ギルメンたちと一緒にクエストが出来ないからと言って、【ユグドラシル】にログインしないままでいるのは勿体ないからだ。

 

そうやって、時間が合った時はギルメンの皆とクエストやら何やら楽しんだ後、【ユグドラシル】でやまいこさんたちに伝え忘れた事を思い出したらメールで送る。

これは、仕事の状況によっては翌日メールが送れなくて用件を忘れてしまわない為の、ぶくぶく茶釜なりの防止策だった。

そうして、夜の最後の仕事を終えて帰ってきたアウラとマーレを出迎えてた後、二人にお休みの挨拶をして彼らの為に一曲だけ子守唄を歌って聞かせてから、メールソフトを終了して私は就寝する。

 

そんな風に、賑やかで楽しい毎日をぶくぶく茶釜は過ごしているのだった。

 

 




と言う訳で、第四弾はぶくぶく茶釜さん視点でした。
正直、pixiv版に比べて、ここまで長くなるとは思わず……まぁ、メールペットが二人いますからね、茶釜さんの所は。


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ギルド会議


親バカたちによる、定例会議いう名の【ペット自慢】の筈が……


その日は、十日に一度の定例会議だった。

 

定例会議が、【十日に一度】と言う割と頻繁なペースで行われるのは、ちゃんと理由がある。

自分達、【アインズ・ウール・ゴウン】のギルドメンバーだけの間で使用しているメールペットソフトについて、何か異常や問題がないか定例報告会を兼ねた会議をする事が、このソフト導入時に決まったからだ。

この提案に、誰も反対するものは居なかった。

 

なんだかんだ言って、彼らは全員自分のメールペットが可愛くて仕方がない親バカだったので、自慢する場が欲しかったのだろう。

 

何せ、十日に一度開かれるこの定例会議の場では、メールペットの育成状況を報告し合うと言う名目での、各自のメールペット自慢の時間が一人三分設けられているのだ。

普段から、自分たちがどのようにメールペットたちと過ごしているのか、色々と仲間に対して自慢が出来る時間を貰って、ハッスルしない訳がない。

三分以内で話せないと、話が途中でも持ち時間終了でぶった切られる可能性がある事も考えると、その内容をきちんと纏め上げてもれなく自慢できる状態で来るだろう。

 

どう考えても、会議が終わった後は座談会の様に各グループで別れてメールペットたちの自慢大会の続きを話し合うだろうし、今日はこのまま会議の後に狩りに行くのは無理だろうと、議長役のモモンガは考えていた。

そうして、ギルメン全員が集まって会議が始まったのは、夜の八時。

そこから簡単な挨拶と、特に先にメールペット関連以外での報告する案件の有無を確認し、今回のメインとも言うべきメールペットに関する報告会が始まった。

 

一応、どれも本人的には押さえ気味だと言うことなのだが、それでもやはり彼らの大半が【自分のメールペットが可愛い】と言う、親バカ発言で終始していたと言っていいだろう。

もちろん、中にはウルベルトさんの所のデミウルゴスのように、学習力が半端なくて本来のメールペットの枠を越えているだろう、報告が本当に必要な特殊な例もあったものの、その殆どが親バカ満載のペット自慢だった。

と言うか、ウルベルトさんは報告の中にも親バカ振りを全開していたので、デミウルゴスの優秀さだけじゃなくウルベルトさんの親バカ振りも再認識されたんだけど。

まぁ、モモンガ自身も似たような話をした自覚はあるので、それ事態は悪い事じゃないとするとして、だ。

 

その後に、ぶくぶく茶釜さんから議題として出された【メールペットであるアルベドの、訪問先での目に余る行動について】についての内容は、かなり紛糾する事になった。

 

彼女がその話を切り出した途端、他のメンバーからも出るわ、出るわと言わんばかりの被害報告を見れば、流石に放置するのは拙いだろうと言う話の流れになってきたからである。

まぁ、流石に彼女のホームであるタブラさんの所だけはなく、他のギルメンのホームまで来た時でもやらかしているのが、彼らの怒りを買ったと言うべきだろうか。

しかも、彼女からの被害が出ていない一部のメンバーが、ウルベルトさんの所のデミウルゴスとるし☆ふぁーさんの所の恐怖公、たっちさんの所のセバスなんていう、アルベドが【敵に回すと面倒だ】と判断した者たち以外は全員だったのが、余計に問題だと言えただろう。

 

「……どう見ても、アルベドはちゃんと自分が勝てると思った相手にしか、問題行動を取っていないようですね。」

 

この件で、自分は全く被害を受けていないウルベルトさんが、茶釜さんがいつの間にか軽く纏めてきたらしい資料用の画面を指で弾きながら、溜息交じりにそう呟く。

多分、ウルベルトさんはデミウルゴスの事を溺愛しているから、もし今回の報告にあったような被害の内容のうちどれか一つでもデミウルゴスの身に振り掛かる様な状況になったら、間違いなくアルベドの事をメールサーバー内に出入り禁止にしかねないだろう。

もっとも、デミウルゴスの性格ならやられた事を倍にして返しそうな気もしなくもないが、それとは別の話なのである。

 

「まず、この件について話し合う前に、一つタブラさんに確認する事があります。

ちゃんと、アルベドの世話はしていますか?」

 

製作に関わったヘロヘロさんが、まずはここから聞くべきだろうと質問を口にする。

何故、そんな質問をするのかと言わんばかりにタブラさんは不思議そうに首を傾げつつ、ヘロヘロさんの質問の内容を考える。

そして、今までの育成状況を思い返せたのか、何度か頷く仕草を見せた。

 

「もちろん、アルベドにはきちんと食事やおやつは与えていますし、メールペットとしての仕事も与えてますよ。

衣服や住空間も、彼女が生活するのに問題がない程度に整えてあります。

……えぇ、間違いありませんので、なんの問題がないですね。」

 

タブラさんの口から出たその答えに、半数以上のギルメンが微妙な違和感を覚えて、不審そうな視線をタブラさんに向ける。

モモンガもその一人で、思わずタブラさんに対して胡乱な視線を向けてしまっていた。

いきなり、半数以上から不審な視線を向けられ、流石に気になったのか首をますます傾げるタブラさんに対して、溜め息を吐いたのはウルベルトさんだ。

本気で呆れたような視線を向けつつ、準備されていた比較用の【ナザリックのNPC】の資料の中からアルベドの設定文を引っ張り出し、軽く画面を叩きながら質問を口にした。

 

「……今の話でとても気になったんですが、タブラさんはちゃんとアルベドを相手にスキンシップは取ってますか?

メールペットは、メールをやり取りしつつペットを育てると言う、育成ソフトでもあります。

ただ単に、メールの配達の仕事を与えつつ食事や住空間と言った環境を整えてやるだけじゃなく、きちんと自分の愛情を注ぎながら、子供を育てる様に躾をして一人前になるまで世話をする必要があります。

ちゃんと、タブラさんはきちんとそれらをアルベドに対してしていますか?

特に、こちらの【ナザリックのNPC】としての資料を見る限り、アルベドはサキュバスで設定に【ただし、ビッチである】なんて文面がついてるんです。

人一倍気を付けて育てないと、仲間ときちんと交流が出来るまともなペットにならないと思うんですが、その辺りまで注意してますか?」

 

ウルベルトの質問に対して、タブラさんは不思議そうな様子で首を傾げる。

そして、こう宣った。

 

「え……必要なんですか、それ。

ちゃんと、成人女性として細かいところまで設定してある【ナザリックのNPC】のデータをベースにしてますし、人格構成はきちんとデータによって出来ているんですから、改めて育成とか面倒臭いじゃないですか。

もちろん、アルベドがこちらに甘えてきたら撫ではしてますけど、私の方からは特に触れてやる必要は感じませんでしたし。

あの子が欲しがっているものがあれば、出来る限り与えるようにはしてますし、それで問題ないですよね?」

 

つらつらと、彼の口から次から次へと溢れ出る内容は、最初の配布時にヘロヘロさんらメールペット作成側がきっちり説明した事を、きちんと聞いていなかったのが丸分かりな言葉ばかり。

そんなタブラさんの返答に、真っ先にブチ切れたのはメイン開発担当だったヘロヘロさんである。

ダンッと、円卓の間にあるラウンドテーブルを勢い良く叩くと、スライムの身体を最大限に膨張させながらタブラさんに向けて怒鳴り付ける。

 

「タブラさん、あなたは我々が最初にメールペットを渡した時の説明を、ちゃんと聞いてなかったんですか!

【育成ソフトで構築された彼らにとって、《ナザリックのNPC》の設定は、あくまでも種族を構成するのと人格構成の補助的な設定でしかありません。

ある程度は、組み込んだ設定が影響を与えますけど、無垢な小さな子供と一緒で親の育成手腕が問われますので、なのでちゃんと一から育ててください。】って言いましたよね!

それなのに、タブラさんがきちんと愛情をもって接したり、悪い事をした時は叱ったりするなどの育成していないから、アルベドは育児放棄によるスカスカの中身を補うべく、ある程度の影響しか与えない筈の【ナザリックのNPC】の設定が暴走しておかしくなってるんですよ!」

 

タブラさんの返答に、ヒートアップしていくヘロヘロさんの姿は、この場にいる面々の中にいる被害者達の気持ちを代弁していると言って良いものだった。

正直、タブラさんはペットを飼うのには向いていないタイプだと言っても良いかもしれない。

専用の電脳空間内で、自分が作ったNPCがモデルのメールペットなら、それ相応の愛着を持つだろうと考えていた分、こんな事になるとは予想していなかったのだ。

あの、自分のNPCに対して設定を三行で済ませたたっちさんですら、セバスの事を自分の息子を育てる感覚で色々と世話しているのに、あの設定に拘るタブラさんがこんな事になるなんて予想外過ぎたのである。

 

「……まぁ、タブラさんが認識違いをしていたせいで、アルベドの育成に完全に失敗したのは分かったけど、今後の対策はどうするんだ?」

 

その声が上がったのは、武御雷さんだ。

彼のところのコキュートスは、アルベドの行動による大きな被害にこそ遭っていないが、小さな嫌がらせは受けているようだし、それ以上に彼が仲の良い弐式さんの所のナーベラルがかなり大きな被害に遭っているからこそ、その辺りが気になったのだろう。

それに対して、返事をしたのはそれまで黙っていたぷにっと萌えさんだった。

 

「そうですね……一番手っ取り早いのはアルベド自身を初期化して育て直す事なんでしょうが、既に他のメールペットとの交流をしてしまっている以上、それは難しいですね。

次の手としては、設定の中の【ただし、ビッチである】と言う部分を抹消して、そこから修正を図ると言う方法もありますけど、それに関してはタブラさんが納得してくれなさそうな顔をしていますし。」

 

つらつらと、案を出しては自分で否定していくぷにっと萌えさんの言葉に、当たり前だと言わんばかりの顔をしているタブラさん。

特に、【ただし、ビッチである】と言う部分を抹消すると言った時の反応は、絶対だめだと言わんばかりのものだったので、多分この辺りは全員で説得しても了承するつもりはないだろう。

しかし、だ。

彼が受け入れないからと言って、このままアルベドの状況を放置という訳にはいかないのは、ぶくぶく茶釜さんなどの被害者たちの様子を見れば、すぐに判った。

正直、モモンガ自身もパンドラズ・アクターが受けた被害を考えれば、それ相応の対策を取って貰いたいのが本音である。

 

「ぷにっと萌えさんが出す案を全て蹴るなら、タブラさん自身が今からでも全力でアルベドを躾直すしかないでしょうね。

あそこまで自由奔放に育ってしまった以上、かなり修正は厳しいと思いますが。

これも親の……飼い主の責任として、人様に迷惑を掛けなくなるまできっちり面倒見るべきです。」

 

状況を見守っていたたっちさんが、タブラさんの事を見据えてそう言い切る。

リアルで娘がいる彼から見てみれば、タブラさんの所業は腹が据えかねたのかもしれない。

ある意味、タブラさんがしていたのは育児放棄に近いからね。

それに対して、ニヤリと口元を上げながら笑ったのは、ウルベルトさんだ。

 

「まぁ、今回はたっちさんが言うのが正論だし、それに関しては特に反論するつもりはありませんね。

たっちさんは、実際にセバスの事を娘と同様にきちんと世話をしているようですから。

ただ……たっちさんが言うように、タブラさんがアルベドを躾直している時間があると良いですね。

メールペットたちは、俺の所のデミウルゴスを筆頭にして、どの子も自分で色々な事を学習していく能力を持っている子たちです。

そんな子たちが、ただアルベドに泣かされたままでいるだけの存在だと思っていると、多分タブラさんを筆頭に俺たち全員仰天させられる状況になる可能性があると、そう思った方が良いですよ?

あの子たちには、【学習能力の限界】と言う制限は付いていないんですから。」

 

意味深な言葉を告げるウルベルトさんに、誰もが困惑した様子を見せる。

だが、彼はそれ以上の事をこの場では言うつもりはないらしい。

完全に、口を閉ざしてしまったウルベルトさんの様子を見ながら、それは確かにその通りだとモモンガも思う。

ここの所、パンドラズ・アクターの色々な知識を得ようとする意欲は、最初の頃よりも格段に上がっている。

それは、決して悪い事じゃないと思っていたからこそ、モモンガもパンドラズ・アクターがやりたい事をやれるようにと後押ししていた。

けれど、ウルベルトさんの意味深な言葉を聞いたら、もう少しだけきちんとパンドラズ・アクターと向かい合って対話を増やす方が良いような気がしてきたのだ。

 

アルベドじゃないけど、自分が関与しない所でパンドラズ・アクターが何かをしでかしてからじゃ、それこそ遅いからな。

 

結局、それからもギルメンたちから幾つもの案が出されたものの、当のタブラさんがそれを受け入れなかったので、【タブラさん自身がアルベドを躾直せるかどうか、しばらく様子を見る】と言う事で今回の話し合いは終了した。

正直言って、ウルベルトさんの言葉じゃないが、あそこまで歪んで育ったアルベドを育て直すのが可能なのか、モモンガから見ても疑問しか残らない内容で様子を見る事に、不満が無いと言えばうそになる。

それでも、ペットの育成方法は飼い主次第と言う主張をされてしまえば、反論出来ないのも事実で。

会議が終わった後、帰り際にウルベルトさんが小さく零した言葉が、モモンガはとても気になった。

 

「まぁ……こうなったら、確実に嵐が起きるだろうなぁ。」

 

それは、どうやらモモンガにしか聞こえなかったらしい。

とても気になったので、それを何もせずに放置する事は出来なかった。

 

『何か知っているなら、ギルド長である俺にだけでも教えてくださいよ、ウルベルトさん。』

 

まだ、残っていたウルベルトさんに対して、周囲に気付かれない様に伝言で尋ねたのだけれど、ウルベルトさんが教えてくれたのは一つだけ。

 

『うちのデミウルゴスをアドバイザーにして、色々とアルベドの被害に遭ったメールペットたちが集まって何かやっている事位しか知りませんよ。』

 

との事だった。

どうやら、ウルベルトさん自身もそこまで詳しい内容は知らないらしい。

だが、【アルベド被害者の会】と言ってもいい感じのメールペットたちが集まり、必死に何かをしている事だけは知っているので、あの発言に至ったそうである。

 

それを聞いて、モモンガは家に帰ったら早速パンドラズ・アクターと話し合ってみようと、強く心に決めたのだった。

 

 




という訳で、タブラさんによるアルベドの育成失敗が判明しました。
普通に考えて、四十一人もいれば【育成系ゲーム】が向いていない人間はいる訳ですよね。
それが、たまたまタブラさんだったと言う。

これにて、手持ちのストックはなくなりました。
現在、この次の話を書いていますが、もう暫くかかる予定です。
活動報告でお尋ねした件は、どなたの希望もなかったので予定通りに勧めようかと思案中です。
それでも、一応ご希望いただく場合の最終期限として、この次の話がアップされるまでは待ちたいと思います。
詳しくは活動報告をご覧ください。


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ヘロヘロの慌ただしい毎日

という訳で、次はこの方で。





ヘロヘロは、つい数ヶ月前までずっと死ぬほど忙しい日々を送っていた。

 

もちろん、それにはヘロヘロ自身が【リアルの仕事が多忙】と言う以外の理由がある。

その理由は、【アインズ・ウール・ゴウン】の仲間のギルメンの一人が【リアルで飼っていたペットが死んだ】事によるペットロスで、ログインしなくなったことだった。

正直、この末期な世界である【リアル】でペットを飼っている事自体が凄い話なのだが、それはさておき。

こんな風に、ペットが死んだ事でログインして来なくなる位ならば、彼の為に【電脳空間でも飼えるペットを作ろう】と考え、結果として膨大な過去のデータの中から見つけ出したのは、百年以上前に存在していたメールソフトに付属させる事が出来た、ペットの育成ソフトだった。

これなら、まずペットが死ぬ心配はない。

 

育成ソフトである以上、ペットの成長を促す意味で細かな世話をする必要はあるだろうが、それでも普通に【リアル】で生きているペットを飼うことよりは、余程簡単に育成できるだろう。

 

そう考えたヘロヘロが、まずこの件に関して相談を持ち掛けたのは、同じギルメンのウルベルトだった。

彼は、【ナザリックの第七階層守護者】であるデミウルゴスを作成した頃から、色々とNPCに対して色々と思い入れが強い部分があった様なので、今回の一件も相談すれば協力を得られそうな気がしたからだ。

元々、ヘロヘロはギルメンの為に作るメールペットのベースは【ナザリックのNPC】のデータを流用するつもりだったので、余計にそう考えたのである。

 

そして、そのヘロヘロの考えは当たっていた。

 

彼は、≪デミウルゴスと【リアル】で過ごす為と≫言う事で、色々とヘロヘロに手を貸してくれたのである。

それこそ、ヘロヘロが考えていたよりもウルベルトは色々な意見や要望、そしてその為に必要なデータの入手などまで手伝ってくれたのだ。

最終的には、メールペットの反応を確認する意味でのサンプルデータを取る為に、試作版のメールペットの【デミウルゴス】を彼に渡した上で、試作的にメールのやり取りをする事になった。

 

それ以外にも、初期の段階で細かな動作確認にも協力して貰っているので、ウルベルトには頭が上がらないと言っていいだろう。

 

これに関しては、ヘロヘロを中心にした今回の製作チームがほぼ似たような考えだった。

なので、彼へのお礼をどうするかと言う話は、作成に携わったメンバー全員一致ですぐに決まったのだ。

これから、メールペットが本格的に始動するまでの間、試作版から蓄積したデータも反映させる事で、他のメールペットよりも経験値と学習能力を向上させ、名実ともにデミウルゴスを【メールペット一の知恵者】にする事で、話が纏まっている。

 

なんと言っても、それが一番ウルベルトの喜ぶ事だろうと、誰もがすぐに判ったからだ。

 

もちろん、ウルベルトの所のデミウルゴスだけでは、メールペット同士のサンプルが取れないので、他の製作メンバーやヘロヘロ自身も、メールペットの試作版を試す事が決まっていた。

参加したメンバーと話し合い、自分なりに色々と考えた上で数多く手がけた自作のNPCの中から、ヘロヘロは自分のメールペットとする相手を選んだ。

彼が、自分のメールペットとして選んだのは、【戦闘メイドプレアデス】のソリュシャンである。

元々ヘロヘロは、彼女を筆頭にナザリックに居る様々NPCたちのAIを担当していた。

【戦闘メイドプレアデス】達は、他のギルメンも製作に関わっているが、彼女だけはヘロヘロが一から設定を請け負ったNPCである。

なんだかんだ言っても、ヘロヘロは彼女に対して愛着が一番強かったのだ。

もちろん、ソリュシャンの事を試作機のデータテストをする間だけのパートナーにするつもりは、ヘロヘロにはない。

本格的にメールペットを導入後も、自分が選ぶメールペットの枠は彼女のつもりだし、他人に譲るつもりはなかった。

 

先に、自分のメールペットになるNPCを選べるのは、制作者側の特権だと言っても良いだろう。

 

これは、他の製作メンバーも同じ意見なので、完成するまで苦労した分の見返りだと言えば、他のギルメンも反対できない筈だ。

なんと言っても、ヘロヘロ達がここまで自分の時間を費やして作製したからこそ、彼らはメールペットを受け取れるのである。

むしろ、この件に関しては譲るつもりはなかった。

 

ギルメンに対して、正式にメールペットのソフトが導入されるのは、それから数ヶ月後の話である。

 

*******

 

ヘロヘロの朝は、かなり早い。

彼の仕事先である会社が、傍から見てもかなりのブラック企業であり、一日の勤務時間が長いためだ。

一応、それでも【ユグドラシル】にログインして仲間とゲームを楽しむ時間は何とか確保しているが、それでも他のギルメンに比べてヘロヘロの拘束時間は長い。

そんな彼が、自分の自由になる僅かな時間を使ってまで、それ程数が多くないとはいえギルメンたちときちんと定期的にメールをやり取りするのは、自分のメールペットのソリュシャンの為だった。

 

ちゃんと、彼女にメールを運ぶ仕事を全く与えてあげられないのは、この【メールペット】と言うソフトのメイン制作者として、絶対にやってはいけない事だと考えているからだ。

 

******

 

ウルベルトさんや製作メンバーと共に、あらゆる事を協力しながらメールペット関連のデータ調整をしていた頃は、とても大変だった。

だが、その数ヵ月の苦労はギルメンが喜ぶ姿を見た事で、十分報われたと思っている。

それ位、ギルメン達はヘロヘロ達が必死になって完成させたメールペットの事を、本当に喜んでくれたのだ。

 

だからこそ、ヘロヘロは唯でさえ少ない睡眠時間を削ってまで頑張ったと言うのに、そこまで身を削っていたヘロヘロの苦労を、タブラさんは理解した上でアルベドをあんな状態で放置しているのだろうか?

 

先日のギルド会議を思い出すだけで、ヘロヘロは怒りが込み上げてきてしかたがない。

もちろん、他のギルメンからは随分と心配されたし、この一件で一番協力してくれていたウルベルトさんや他の製作メンバーなどは、メイン製作者のヘロヘロがどれだけ大変だったか理解しているだけに、同じ様に憤慨してくれた。

ウルベルトさんや他のメンバーも、今回のタブラさんの反応には思う所があったんだろう。

そもそも、アルベドをそのままタブラさんの設定通りに育てるのなんて、普通じゃできる訳が無いのだ。

 

彼が考えている理想を詰め込み、ギャップを盛り込んだあんな女性に育てようとしたら、それこそメールペットのAIの許容量を超えてしまうだろう。

 

冷静に考えれば、それ位の事など簡単に判りそうな物なのに、彼は自分でアルベドを選んだ。

他にも、タブラさんの作ったNPCはいる。

そう……アルベドの姉であるニグレドだって選べたのに、彼は最も育成が大変なアルベドを選んだのだ。

 

自分で選んでおきながら、設定通りに育てるのは面倒だからと育成は放棄とか……本当にあり得ないんですけど! 

 

正直、タブラさんの件を考えるだけで頭が痛くて仕方がない。

この件に関しては、メイン製作者であるヘロヘロにも打てる手は殆どなさそうだから、後はタブラさん自身がどうするか見ているしかないだろう。

と言うか、メールペットの初期化が出来ない以上、根底の設定を変えると言う選択肢を拒否するなら、こればかりはタブラさんが自分で何とかするしかない。

そんな風に、タブラさんのしでかした事を考えてイライラしていると、いつの間にかソリュシャンが心配そうに引っ付いてくる。

 

そう言えば、今は電脳空間に降りて彼女に癒しを求めている最中だったよ、うん。

 

多分、ソリュシャンはどうしてヘロヘロが苛立っているのかを理解はしていないだろう。

まだまだ、そこまでの細かな機微を理解出来るまでAIの方が成長していない筈だからだ。

それでも、自分の事を心配しているのか様子を伺ってくるソリュシャンの頭を優しく撫でながら、ヘロヘロは一先ずウルベルトさんへのメールを作成し始めた。

 

*****

 

話を元に戻すが、ヘロヘロの【リアル】の仕事は、長時間拘束型だ。

とは言え、常に仕事を詰め込まれて忙殺されているばかりかと言われると、微妙に違う。

一日の仕事の中で、少しゆとりがある時間がどこかで発生するので、それがそのまま彼の休息時間になるのだ。

ただ、その休息時間は仕事の進捗次第と言う事もあり、いつ休みに入れるかは誰にも読めない。

それこそ、ヘロヘロ自身を含めた自分の担当部署ごとに交代で休む為、それこそ休息時間に入れる時間帯は安定していないのだ。

特に、ヘロヘロのようなシステムエンジニア系の部署は、営業職よりも【納期の最終締め切り】と言う名の時間に追われる事も多く、本気で休息時間に入れる時間帯が安定していない。

それでも、一度休憩に入れば三十分ほどは纏めて休めるので、その間にヘロヘロはちゃっちゃと食事を取りつつメールのチェックをする。

朝の出勤前の時間は、とても余裕が無いのでメールの返信を書くどころかチェックすらしていられないからだ。

なので、こうして業務時間内に発生する休憩時間に纏めてチェックして、簡単な返信を作成するとそれをソリュシャンに託して配達して貰う。

主に、ヘロヘロの所にメールを送ってくるのは、メールペットの試作していた頃からの付き合いのウルベルトさんと作成メンバーなので、ざっくりと簡単な返信内容だったとしても向こうも慣れたものなので気にしていない。

むしろ、ヘロヘロの状況を理解しているので、この返信がソリュシャンに仕事を与える為に作られたものだと言う事も理解していくれているのだ。

更に、彼らは今でもメールペットに何か不具合が出た時のことを考えて、色々な対策を取れるようにとヘロヘロと小まめに連絡をくれている。

 

特に、定例会議でタブラさんの一件が判明してからは、育成がいい加減なアルベドの影響がメールペットに出ないか、それを心配してメールペットのメンタルデータを中心に取ってくれているらしい。

 

彼女の被害を受けていない、ウルベルトさんの所のデミウルゴスのメンタルデータと、ある程度の被害を受けている彼らのメールペットのメンタルデータの状態を比較するのは、確かに彼女たちの育成状況を図る意味で必要なデータ収集の一つだから、率先して協力して貰えるのはとても助かると言っていいだろう。

まだ、彼ら全体がメールペットとして生まれて数か月しかたっていない。

 

そんな彼らだからこそ、まだどこか行動に幼い部分が目立つのだ。

 

アルベドの行動は、その幼さが極端に出たと言っても良いだろう。

本当は、主であるタブラさんに愛されたいけど、ちゃんと自分の事を見てくれないから、他のメールペット達の主に愛されようとしただけ。

それと同時に、自分とは違って主に愛されている他のメールペットへ嫌がらせしたのは、彼らが羨ましかったから。

 

だから、今ならまだアルベドだって十分取り返しが付く筈なのだ。

 

それこそまだ幼いからこそ、今からでもタブラさんがアルベドに本当の意味で向き合い、きちんと愛情を注げばまだ育て直しは出来る筈。

ただ、【ナザリックのNPC】のアルベドがとても賢いと設定されているので、彼女の頭の回転もかなり良い事を考えれば、あまり時間は残されていないかもしれないのだが。

にも拘らず、アルベドを放置したままのタブラさんに、ヘロヘロは苛立ちを感じていた。

 

あれでは、流石にアルベドが可愛そうだと。

 

ヘロヘロと同じ様な事を、どうやらウルベルトさんも感じていたらしく、頻繁にメールをくれる。

むしろ、ウルベルトさんはアルベドによって虐められている他のメールペット達からの報復の方を心配していた。

どうやら、一部のメールペット達の中では、既に何らかの動きが見えるらしい。

ウルベルトさんがそれを知っているのは、デミウルゴスが一枚噛んでいるからだそうだ。

ただ、この件に関してはあまり詳しくは教えてくれないらしく、ウルベルトさんも手を拱いているらしい。

 

ソリュシャンなんて、そんな話がある事すら教えてもくれないのだから、教えて貰えるだけまだましじゃないだろうか?

 

こんな風に、ウルベルトさんとは頻繁にメールをやり取りしているお陰で、ソリュシャンとデミウルゴスはかなり仲が良い。

やっぱり、試作版の頃からの付き合いだから余計に仲が良いのかな?

 

製作者サイドの視点で見ると、ウルベルトさんの所のデミウルゴスの育成の仕上がり具合は、それこそ文句の付け所がない位完璧だと思う。

もちろん、デミウルゴス自身が試作版から起動している事や、学習能力が半端じゃないと言う事もあるだろうが、それ以上にウルベルトさんの愛情の注ぎ方が半端じゃないと思うのだ。

細かな動作や言動を含め、全てウルベルトさんが設定に書き上げた通りの理想を完全に再現していると言っていい位、デミウルゴスは完成度が高くて自然なんだよ。

仲間思いな部分も強く出ていて、友人としてソリュシャンの事もちゃんと気遣ってくれているし。

普段、仕事が忙しくてソリュシャンの事を構えないヘロヘロの代わりに、ウルベルトさんが色々と心遣いをしてくれているのも知っている。

なので、ヘロヘロは彼ら二人には頭が上がらないと言っていいだろう。

 

それ以外に、メールペットの中でソリュシャンと仲が良いのは、実はシャルティアだ。

 

ペロロンチーノさんの所のシャルティアは、【ナザリック】のNPCとしてのシャルティアと違った感じに可愛らしく成長している。

もちろん、彼女自身の中には根底の設定として【ナザリックのNPC】としての部分は残っているらしい。

らしいのだが、それでも沢山の仲間との積極的な交流と彼女自身のメールペットとしての学習能力によって、いい意味で違いが出来てきているらしいのだ。

そんなシャルティアを、ペロロンチーノさんも【これもシャルティアの可能性の一つ】として認識して、滅茶苦茶可愛がっている事も知っているので、彼らの事はヘロヘロとしても安心してみていられる。

何より、ソリュシャンとシャルティアの仲が良いのは、ペロロンチーノさんの気遣いの結果だ。

 

時間にかなり自由が利く彼は、ヘロヘロに対してメールをくれる際に色々と考えてくれている。

 

そう、休憩時間が安定していないヘロヘロの事を考え、いつも【時間がある時に連絡ください】と言ってくれている一人だ。

彼曰く、「シャルティアがヘロヘロさんにメールを渡せなくて、残念そうに帰ってくるのは嫌ですから」との事だが、裏を返せばメールを届けに来たシャルティアとソリュシャンが、楽しそうに二人で遊んでいる姿を、ヘロヘロも見れる事になる訳で。

多分、こちらからは頻繁にメールを出せる訳じゃない事も見越して、時間に自由が利く自分の方がヘロヘロに合わせる事を優先してくれているのだろう。

 

そう言う意味では、本当にソリュシャンの為にも有り難い相手だった。

 

他に、ヘロヘロが頻繁にメールをやり取りしている相手は、るし☆ふぁーさんだったりする。

ギルメンの半数以上が、恐怖公がメールペットとしてメールを運んでくる事にあまり良い顔をしていないらしいが、ヘロヘロはそこまで彼の事は気にならないし、このメールペットとしての彼とは、ソリュシャンも割と仲が良い。

恐怖公が、るし☆ふぁーさんのメールを持って来てくれるのは、昼前から昼過ぎの合間なのだが……信じられない事に、ヘロヘロの休憩時間に上手くエンカウントする事が多いのだ。

 

その理由を、少し前にるし☆ふぁーさんに聞いた所、「何となく、この時間だとすぐに返事が来る気がした」と言うものだから、本当に驚くしかないだろう。

 

そんな感じで、ヘロヘロの元へとメールを送って来るし☆ふぁーさんは凄いし、恐怖公の言動もどれもかなり紳士的で、外見もそんなに気にしない自分やソリュシャンは、上手く付き合っていると言えるだろう。

基本的に、ソリュシャンにはメールペットの仲間に対して偏見を持たない様に、気を付けて躾をしているつもりだからね。

普段は、あんな感じで【悪戯好き】で通っているし☆ふぁーさんだけど、【ユグドラシル】の中ならともかく日常では本当に必要なTPOは踏まえた、気遣いある行動を出来る人だ。

そうじゃなければ、それこそ末期である【リアル】で社会人として生き抜くのは難しいだろうし、そんなるし☆ふぁーさんが育てている恐怖公が紳士だっていう事位、きちんとメールのやり取りをすれば解るんだろうけど、恐怖公のあの外見が邪魔するからな。

 

ま、るし☆ふぁーさん本人がそれを判っていて、それでも彼を選んだ訳だし、周囲とはともかく彼らの関係はそれなりに上手くいっているのだから、これに関してヘロヘロが口を挟む事じゃないんだろう。

 

ヘロヘロとしても、ソリュシャンがそれなりに上手く仲良くやっているので、恐怖公の事は嫌いじゃない。

少なくとも、日に日に問題行動の多くなるアルベドと比べるなら、ヘロヘロは間違いなく恐怖公の方をとる。

彼の方は、本当に礼儀とかきちんとしているし。

 

そう……普段から少ない接触しかしない筈なのに、しっかりソリュシャンに対して問題行動を取る彼女よりは。

 

タブラさんとは、先日のギルド会議の一件まで、ヘロヘロは殆どメールのやり取りをする事もなかったのだ。

けれど、それでも何かの連絡メールを持ってこちらに顔を出したアルベドは、一つだけやらかしてくれたのだ。

 

それは、ある事をソリュシャンに吹き込んで、彼女を凹ませて泣かしていったのである。

 

今回の会議の一件で、アルベドの育成に問題があった事が発覚した事で、どうして彼女があんな事をしたのか理由は判った。

むしろ、彼女がそんな状態だったのならば、ソリュシャンにやったことは許せないものの、納得するしかないだろうと思わせる。

ここまでヘロヘロが怒る程、アルベドがソリュシャンに対してやらかしてくれた事はなんなのか。

 

それは、普段忙しくてヘロヘロがソリュシャンの事を短い時間しか構えない事を指して、『あなたは、ヘロヘロ様に愛されていないの』と言う刷り込みをしようとしてくれたのである。

 

どうしてアルベドが、そんな事をソリュシャンに対してしたのか、最初の頃はどうしても理由が判らなかった。

だが、今回の一件で彼女の置かれている状況を理解したら、漸く納得がいった。

彼女は、自分以外にも似たような境遇の存在として、ソリュシャンを自分の仲間として引き込みたかったのだろう。

 

もっとも、ソリュシャンの心を傷付けるだけのやり方は最低で、ヘロヘロを本気で怒らせるだけだったが。

 

アルベドが、ソリュシャンに対してそんな行動に出た最初の日、他のメールをチェックするべくメールソフトを立ち上げたヘロヘロは、部屋の隅で泣くソリュシャンと、それを慰めているデミウルゴスの姿を見て、最初はデミウルゴスが彼女を泣かせたのかと勘違いしそうになったものだ。

それでも、メールペット同士が喧嘩をする事が普通にあり得ることを、彼らの製作者として判っていたので、ヘロヘロは割と冷静に対応出来た。

だから、ヘロヘロはデミウルゴスまで傷付ける事はなかったが、他のギルメンの所だったら誤解して騒動に発展していたかもしれない。

詳しい話を聞いて、彼が悪くない事を理解したところでデミウルゴスには帰って貰ったのだが、その日の夜に【ユグドラシル】にログインした途端、ウルベルトさんからソリュシャンを心配するショートメールが来たのには、本気で驚いたものだ。

とにかく、ソリュシャンが【愛されていない】などと言う勘違いする事なく安定させる意味で、時間が許す限り彼女の事を構い倒してあげたら、そんな勘違いをする事はなくなった。

と言うか、デミウルゴスの所へと時間がある限り何か弟子入りしに行くと言い出した。

 

どうも、メールペットたちの中で一番頭が良いデミウルゴスは、色々とペットたちに知恵を貸しているらしい。

 

詳しい事は聞けなかったけれど、彼女が自分で強くなろうと頑張っているのを反対するつもりはヘロヘロにはない。

と言うか、これがウルベルトさんの言っていた案件かもしれない。

なんだ、ちゃんと話してくれていたじゃないか。

 

勘違いして、ウルベルトさんに八つ当たりめいた事を考えてたよ。

 

それはさておき。

こんな風に、ソリュシャンを悩ませる原因になったアルベドの発言だが、ある意味痛い所を突かれたと思う。

どうしても【リアル】の仕事の関係上、ヘロヘロにはソリュシャンの事を余り構ってあげられる時間がないのは、どうする事も出来ない事実だからだ。

なので、メールペットたちがそれぞれ仲間同士で集まる形で仲良くする事は、決して悪い話じゃない。

ギルメン同士で交流が少ない場合、どうしてもやり取りが希薄になるメールペットがいるのは理解しているので、その穴を埋めてくれるのなら好都合だからだ。

 

例え、懸念すべき案件がメールペットの間で持ち上がっているとしても、こればかりはヘロヘロは自分から干渉するつもりはなかった。

 

*****

 

ヘロヘロの帰宅は、基本的に遅い。

と言っても、【他のギルメンと比べたら】と言う時間帯で、今のところは収まっているので、まだ問題がないと考えるべきだろう。

帰宅して最初にするのが、メールソフトの立ち上げと、【ユグドラシル】へのログイン前に簡単な夕食を取る事だ。

メールソフトを立ち上げるのは、仲間からのメール確認という理由あるが、それ以上に少しでもソリュシャンとスキンシップを取りたいからである。

朝の時間帯は、どうしても彼女を構えない分、時間が取れる時にはきちんと彼女との時間を取る様にしていた。

試作時代からの付き合いもあり、アルベドに少し精神的に揺さぶられて不安定だったことはあったものの、ソリュシャンはちゃんとこちらの事を理解して待ってくれている。

そんな所が、ヘロヘロには可愛くて仕方がない。

この時間帯は、基本的に届いたメールチェックはするものの、ソリュシャンとのスキンシップの時間だった。

食事を取る必要がある分、電脳空間まで直接下りる時間は短いが、その分も3Dタッチ専用グローブを付けて彼女を撫でたり、その手の上に座らせたりする事でヘロヘロなりにソリュシャンの事を可愛がっている。

インカムを付けて、彼女のお話を聞くのもその時間だ。

 

短い時間でも、ヘロヘロが自分の言葉に耳を傾けてくれているのが判るのか、ソリュシャンは満足そうに笑っているので、もう次にアルベドに何を言われても心配ないだろう。

 

その後、ヘロヘロは【ユグドラシル】にログインして仲間とある程度遊んでから戻ってくる。

ある程度までなのは、【ユグドラシル】から戻った後、ヘロヘロはいくつかのメールの配達をソリュシャンに頼んで、彼女が配達に行く時間を利用して簡単なデバッグ作業をする為だ。

暫くして、メールの配達に出ていたソリュシャンが戻って来たのを確認し、【お休み】と告げてから就寝する。

帰宅した時点で、目を通したメールの返事の半数は【ユグドラシル】の中でのショートメールで返事をしてしまう為、彼女が運ぶメールは少ない。

本当は、もっとメールを運ばせてあげるべきなんだろうけど、ヘロヘロの側の時間的許容量が足りないのだ。

メールを作成する時間よりも、ソリュシャンとのスキンシップに充てたかったし、少しでも彼らの改善点を探す時間を確保したかったから。

 

そうして、ヘロヘロの慌ただしい毎日は過ぎていくのだった。

 




今回はヘロヘロさんの視点の話になりました。
ギルド会議の流れを汲んでいるので、今までの流れとは違うものになっていると思います。
どうしても、製作者視点での話も書きたかったので、こんな感じになりました。
今までの様に、ヘロヘロさんとソリュシャンのうふふキャッキャの話にならなくてすいません。

それと、誤って投稿予約の時間を間違えてしまい、まだ少し弄る予定の文章を投稿してしまいました。すいません。
一旦投稿を取り消して、修正したものを投稿し直しました。
すぐに気付いたのですが、ご迷惑をおかけしてすいませんでした。


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たっち・みーの幸せに満ち溢れた毎日

今回は、四人あった候補から一番希望があったこの人で。


たっち・みーは、ギルド内にメールペットの案が出た時、反対票を投じた数少ない一人だ。

 

もちろん、ちゃんと反対した理由がある。

その理由は、たっちには【リアル】ではまだ幼い娘がいる為、メールペットまで世話が出来ないからだ。

世話が難しい事が最初から解っていて、ペットを飼うのはペット虐待だと考えていたからこそ、たっちはとても賛成出来なかったのである。

とは言え、この件に反対したのはたっち以外は二人だけであり、圧倒的多数で賛同意見が寄せられて可決したことから、たっち自身も受け取る事になったメールペットのセバスを前に、酷く困惑したものだ。

 

今回、全員がメールペットを受け取る事になったのは、メールペットを持っていない者のところにメールペットがメールを届けに行くと、届け先が判らない可能性があるからだ。

 

もし、きちんと届け先の判別がついたとしても、他の場所ならメールペットとの交流が待っているのに、そこだけポストに配達だと違和感が生まれる可能性もある。

本当にそうなった場合、メールペットたちがどう整合性取るのか予想出来ず、悪い方向に変質する事態が起きると非常に困る訳で。

それらの都合から、メールペットをギルメンに配布するなら全員に強制配布となったのだ。

 

そんな訳で、自分の手元にやって来てしまったセバスを前に、どうすれば上手く付き合っていけるか困惑していたたっちに、ある意味救いの手を差し伸べたのは、彼の幼い娘本人である。

 

彼女は、つい最近誕生日を迎えてまだ五歳になったばかりで、何にでも興味を持つ年頃だ。

まだ幼い彼女は、本当に初めて見る者なら何にでも興味を持つ。

例えば、たっちが端末の前で何かをしていたら、そこに近付いてこっそりその様子を覗き込むくらいには、好奇心一杯だ。

丁度、ギルドでヘロヘロからマニュアルと共に配布されたばかりのセバスを前に、一先ず彼の為に最低限の生活環境は作っておこうとしていたたっちの様子を見て、彼女はたっちがいるソファに一生懸命よじ登ると、膝の上に乗り上げながら端末を覗き込む。

そして、端末の中で人形の様なものの部屋を作っている父親の姿に、目をキラキラさせたかと思うと、クルリとその顔を窺い見た。

 

「パパ、みーちゃんもする!!」

 

娘の口から発せられた言葉は、彼女の顔を見た時点でたっちが予想した通りで困ってしまった。

幾ら、娘の目から見たら人形遊びをしている様に思えたとしても、これは【アインズ・ウール・ゴウン】の友人たちとメールをやり取りする為の、大切なソフトだ。

流石に、たっちの独断だけでその媒介であり、メールペットであるセバスを娘に触らせていたら、うっかり彼らにメールを出してしまうかもしれない。

 

小さな子供は、目で見たことなどへの学習能力は高い上に、それこそ何をしでかすか判らないからな。

 

しかし、ただ口で説明しただけでは娘が引き下がらない事も、今までの育児経験からたっちは理解していた。

このままでは、納得しないこの場で娘は癇癪を起こした挙げ句、何もさせてくれない悔しさから火が点いたように泣き出して、それを聞き付けた妻が駆けつけてくるだろう。

多分、妻はそれまでの経緯やら理由を聞いたら納得はしてくれるだろうが、娘の前で不用意にこんなものを見せた事を後で責められるのは間違いない。

 

あまり想像したくないが、それこそすぐに己の元に訪れそうな未来を前に、どうするのが一番良いのかたっちは少しだけ考えた後、まず娘と一つの約束をする事にした。

 

「……それじゃ、パパと一つ約束できるか?

これは、パパと一緒の時しか触っちゃいけない。

パパとパパのお友達の、大切なものだからね。

みーが触れるのは、一日朝一回と夜に一回だけ。

パパがお仕事でいない時は、これに触るのを我慢する代わりに、次の日は我慢した分だけ回数を増やす。

それが、みーがこれを触る為のパパとの約束だ。

どうする?」

 

そこまで口にした所で、彼女がどう反応するのか返事を待てば、たっちの言葉を理解した娘はパッと顔を上げた。

今まで、駄目だとしか言われないと思っていたのか、たっちの言葉を聞いて勢い良く小さな手を高く挙げると、ぶんぶんと振り回しながら興奮したように頷き、必死に【出来る】と主張する。

 

「みーちゃん、パパと約束する!

だから、パパと一緒にするの!」

 

たっちと【何か一緒に出来る】と言う事を喜びながら、嬉しそうな笑顔で元気良く約束することを主張する娘に、たっちはこれはこれで良かったのかもと考える。

今回受け取ったセバスは、外見こそ【ナザリックのNPC】とそっくりそのまま同じ老紳士を二頭身に変えたものなのだが、中身はまだ小さな子供と同じようなものらしいと、受け渡しの際にヘロヘロから説明されていた。

つまり、どんなに外見が老紳士で言動が外見に相応しいものだったとしても、今、こうしてたっちの腕の中にいる娘よりも、セバスの中身は小さな子供と同じだと思うべきなのだろう。

それなら、いっそ娘を姉に据えてその弟としてセバスを当て嵌めた上で、たっちの息子枠で育てるのも有りかもしれない。

 

何かの話で、子供はペットを飼うか年下の子供の側に居ると、自然と情操教育が出来ると聞いたことがあるし。

 

「それじゃ、パパと一緒に彼のお部屋に置くものとか、彼の着替えを選んであげようか?

この画面の中にいる、彼の名前はセバス。

みーの弟の様な存在だから、ちゃんと仲良くしてあげてくれるかな?」

 

娘の顔を見ながらたっちが問えば、にこにこ笑いながら嬉しそうに頷いた。

どうやら、たっちの口にした【セバスは弟の様なもの】と言う言葉を、娘は大層お気に召したらしい。

くりくりと大きな目を、キラキラと嬉しそうな様子で一層輝かせながら、画面の中のセバスの事を見ている。

これなら大丈夫だろうと思いつつ、たっちは娘を自分の膝の上に乗せたまま、メールペットのセバスの為の部屋の設定の続きを始めたのだった。

 

********

 

たっち・みーの朝の時間は、ある程度安定しているものの不特定だ。

警察官と言う、交代勤務がある仕事についている事もあり、夜勤などがあれば帰宅できる時間は昼前になる。

とは言え、今のたっちの立場だと夜勤そのものは月に一度程度でしか回ってこないので、家族とのコミュニケーションに問題なければ、【ユグドラシル】を続けるのにも問題はないのだが。

それに、今のたっちには出勤前と家に帰った後に楽しい時間がある。

 

娘と共に、メールペットのセバスと遊ぶ事だ。

 

セバスを受け取ったあの日、たっちと約束した事を娘はきちんと守っていて、朝になると自分から起きて「おはよう、パパ!早くセバスと遊びたい!」ってたっちの事を叩き起こす位だった。

妻の話だと、毎日たっちが起きる三十分前には起きているらしいので、本当にセバスと遊びたくて仕方がないのだろう。

そんな娘によって、家にいる日はほぼ毎朝起こされる事にたっちは不満はない。

 

これもまた、娘との大切なスキンシップだからだ。

 

娘と共にメールソフトを立ち上げると、既に起床してざっくりと身支度を整えたセバスが出迎えてくれる。

身支度がざっくりとしたものなのは、ちゃんと理由があるので後で説明するとして、だ。

そう言えば、最初に受け取って起動させて以来、セバスが寝ている姿を一度も見た事が無いのだが、ちゃんと彼は眠っているのだろうか?

もし、セバスが娘の為に睡眠時間を削って無理をしていると言うのなら、もう少しこちらも気を使ってやるべきかもしれない。

 

確かに、セバスはメールペットではあるけれど、娘とたっちにとって大切な家族なのも間違いないのだから。

 

メールを立ち上げたら、先ずはセバスに朝食の準備をする。

毎日、セバスが食べる朝と晩の食事のメニューを決めるのは、娘の仕事だ。

これに関しては、どうやら妻と相談して前日の夜の時点で既に決めているらしい。

たっちが夜勤がある場合は、前日の昼までに妻と娘がその日の夕食と翌日の朝食のメニューを決めて、忘れずにタイマーでセバスに夕食と朝食が出る様にしている。

そうしないと、夜勤当日の夜の夕食と翌朝の朝食をセバスが食べ損ねてしまうからだ。

 

なぜ、セバスが食事を食べ損ねると言う事が判るのかと言うと、実際にセバスが来てから初めての夜勤の日にやらかしてしまったミスだからである。

 

セバスと共に暮らすようになって、初めての夜勤を終えて昼近い時間に漸くメールを開く事が出来たたっちは、部屋の中でかなり顔色が悪い状態で座り込んでいるセバスを発見した。

まさか、電脳空間に居るメールペットなのに病気になってしまったのかと、慌ててヘロヘロから与えられたマニュアルを片手にセバスの状態を確認してみたところ、判明したのは完全な空腹状態にあると言う事だったのである。

改めてメールペットのマニュアルを確認すると、一日最低でも朝と晩の食事とその間におやつを与える様にと言う指示が書いてあった。

 

もちろん、ギルメンの中には仕事が多忙な面々も多いため、そう言う場合の対応策として自動的に朝食と夕食を提供する方法も書いてあったのだが、今までたっちは娘と朝と夜にセバスの世話をする一環で娘が決めたメニューで食事を与えていた為、その事がすっかり頭から抜け落ちていたのだ。

 

しかも、その日に限って部屋の棚に「いつでも好きな時に食べたり仲間のメールペットが来た時に上げたりできる様に」と言う名目で、常備しておいた筈のおやつすら無くなっていたらしい。

そんな状態で、たっちが夜勤に入る時間が割と早く前日の夕食も与えそびれてしまった為、完全に空腹で動けなくなってしまっていたのである。

たった一日とは言え、こんな風にセバスの事を飢えさせて弱らせてしまったなど、たっちからすれば娘の事を叱る事が出来ない様なミスだと言っていい。

 

その一件があって以来、たっちは絶対にセバスの事を飢えさせるせることだけはしないと本気で誓っていた。

 

何故なら、セバスは元々【ナザリックのNPC】としての設定をあまり組んでいなかったせいなのか、他のメールペットに比べて自己主張する部分が少ないからだ。

だからこそ、今回だってお腹が空いていてもそれをたっちに対して主張しなかったのである。

そんなセバスが相手では、うっかりすると初めての夜勤の時の様に【丸一日食事をさせ忘れる】などと言う一件も発生しかねない。

だからこそ、たっちはセバスの事を【ちゃんと世話をしてやらないといけない大切な息子】と言う認識をするようになっていたのである。

 

そんな息子同然のセバスを、自分のミスで飢えさせるなんて真似をする最低な父親になど、絶対になりたくなかった。

 

もちろん、セバスが来てからの変化はそれだけではない。

娘も、セバスの事を弟だと思って世話をし始めた途端、【お姉ちゃん】と言う自覚を持ったからなのか、色々と今まで甘えて出来なかった事を自分で出来るようになっていた。

その一つが、誰かが起こさなくても自分で毎朝起きて、自分一人で着替える事である。

ほんの少し前まで、どれもたっちか妻が手伝わなくては一人で出来なかった娘が、セバスのお姉ちゃんだと言う自覚を持っただけで、自分から進んで何でもするようになったのだ。

子供同士、一緒に育てる事でここまで娘に著しい成長が見られるとは、たっち自身も考えてはいなかった。

それに、セバスにも娘の存在は良い影響を与えている。

あれだけ我慢強く、食事を与え忘れていてもそれを訴える事すらしなかった、自己主張が少なかったあのセバスが、少しずつではあるが自分の我と言うものを出せるようになってきたのだ。

 

どう考えても、娘が接触する事によってセバスと一緒に成長している証と言っていいだろう。

 

因みに、娘がどうやってセバスと接触しているのかと言うと、この件に関して娘が【セバスのお世話を一緒にしたい】と言い出した当日に、メールペットのメイン製作者であるヘロヘロさんに相談し、ギルド長のモモンガさんや仲間の許可を得て、特別に娘の自分のサーバー内にだけ娘のアバターを用意して貰ったのだ。

もちろん、娘のアバターはそっくりそのまま娘の外見ではない。

たっちのメールサーバーには、当然だが他のメールペットも訪ねてくる以上、娘の外見も人間から可愛らしくデフォルメされた子犬の耳と尻尾を持つ獣人の少女の姿である。

これは、娘が【犬好き】言う事を聞いたヘロヘロさんが、元になったメールペットソフトのデータから簡単に立ち上げてくれたもので、娘自身にも好評だったアバターだった。

 

娘はその姿で、たっちは自分の【ユグドラシルのアバターのデフォルメ】で仮想空間に降り、セバスの為に用意した食事を与える。

部屋にある、食事を作る道具にメニューを指定するだけなので、娘一人に任せても出来る簡単な作業だと言っていいだろう。

完成した料理をセバスに与え、彼がゆっくりと食事をしている間、セバスの為に用意した衣装ダンスへと駆け寄り、その中から今日一日身に付ける執事服のベストとネクタイを選ぶののも娘の日課だ。

 

これが、セバスが【ざっくりとした身支度】しかしない理由だった。

 

まだ幼いなりに、娘は【弟】のセバスのことを着飾らせたいのか、それとも毎日同じ服を着せたくないのか、似たようなデザインのベストとネクタイが並ぶ中から、少しずつ違う物を選び出してくる。

セバスの服のデザインは、たっちが出来る男の人が着るスーツの中から、特に渋くて格好良い男性に似合うものを選んだので、娘がどんな風に選んで組み合わせても、それほど問題はない。

と言うか、元々たっちは服に関しては妻に任せきりで、あまり自分の服装に拘りはなかったが、セバスの物を選ぶようになってからは、色々と考えるようになっていた。

「参考までに」と、オーダースーツのデザインサンプルを見るうちに、色々とセバスに着せたいスーツがある事に気付いたからである。

 

そう、若輩者が着るよりもセバスくらいの外見年齢の方が、シックなスーツを着た時に大人の色気が出るのだ。

 

その事に気付いた途端、たっちは【ユグドラシル】のセバスの部屋のクローゼットの中に、普段ならあり得ないくらい課金して大量のオーダースーツを完成させ収納してしまっていた。

もちろん、それら全てのランクは伝説級である。

基本的には、彼の着ているスーツなどの服装は装備に入るため、最初に設定した執事服で固定なのだが、自分達が設定し直せば彼らの衣装の変更は可能なのだ。

 

月に一度位なら、【ナザリック】への襲撃がない限り、セバスの衣装を変えても構わないだろう。

 

それらを用意する為に課金した元手が、例え自分が楽しみにしていた特撮ヒーローのメモリアルボックスの購入資金の半分だったとしても、実際にセバスに用意したスーツを着せてみて似合う姿を見てしまえば、後悔したりはしなかった。

娘に、【ナザリック】のセバスのスーツの着せ替えをした際の映像を見せてやったら、すごく喜んで「同じものをメールペットのセバスにも着せたい!」と言ってくれた事も、後悔したりしていない理由の一つではあるのだが。

そうして、セバスが食事を娘がセバスの衣装を選んでいる間に、たっちはこの電脳空間に来るまでに着ていたメールをチェックし、その日に出す返信メールの準備を済ませていく。

 

この時間帯に、こちらのサーバーまでメールを持ってくるのはモモンガさんの所のパンドラズ・アクターだ。

 

彼は、毎日メールを運んでくる訳ではない。

それでも、気遣いが出来る彼はここに娘が下りてきている事を知って以来、来る時は必ず娘の為に小さな花束を持参してくれる。

ここで、持参する手土産にお菓子などの飲食系の品を選択しないのは、娘がここではお菓子を受け取っても食べられないからだ。

時折、持参される花束が小さな花冠になったり、可愛らしいリボンのついたアクセサリーになっていたりするが、何を受け取っても娘は喜ぶので問題はないだろう。

パンドラズ・アクターは、セバスとも何気に仲が良い。

余り時間がない時に顔を出す事が多いからか、パンドラズ・アクターはセバスとも一言二言話をしてから帰っていくのだが、時間がある時は美味しいお茶の葉の種類の事やお茶の淹れ方などを話しているのを知っている。

 

他に良くメールを持ってくるのは、建御雷さんの所のコキュートスだ。

 

建御雷さんが、個人的にたっちにPVPを申し込む事が多いのが、その理由だと言っていいだろう。

彼は、武人としてのコンセプトを重視した建御雷さんから【武士道】を学んでいるらしく、ちょっとだけ言動が硬い部分があるのだが、どうやらたっちの娘に対してメロメロに甘いらしい。

公私はきちんと別けるらしく、来訪の挨拶を告げてメールをたっちに手渡すまでは硬い言動を通すのだが、それが終わった途端に娘の前に近付き、【今日も爺は参りましたよ、姫】と傅くのである。

娘が居ない時間帯に来た時は、セバスを相手に武人らしく格好が良い仕種を崩さないのに、娘が居る時間帯だとこんな感じで娘に構ってばかりなので苦笑するしかない。

 

もしかしたら、コキュートスは時代劇に出てくる【若君等の守役】に憧れているのだろうか?

 

だとしたら、建御雷さんが学習用に見せている時代劇に毒され過ぎている気がしなくもないのだが、本人が満足しているならそれはそれで問題ないと思うべきだろう。

それに、たっちの娘を前にすると彼女の事を優先する傾向にあるとは言っても、コキュートスとセバスは別に仲が悪い訳ではない。

どちらかと言うと、二人が揃っていると武術関連の話題で盛り上がるらしく、たまに異種格闘技として手合わせをしているのを見たこともある。

 

まぁ、娘のいる前では絶対に戦わないのは、一度手合わせを始めた所で【喧嘩しちゃダメ!】と、泣かれたからだろうけどね。

 

彼ら以外に、メールを持参してたっちの元に頻繁に顔を出すのは、事情を知らないと信じられないかもしれないが、実はウルベルトさんの所のデミウルゴスである。

どちらかと言うと、たっちと仲が悪いウルベルトさんから頻繁にメールが来るのは、ちゃんと理由がある。

それは、今こうしてたっちと一緒に電脳空間に降りてきている、たっちの娘のためだった。

 

なぜ、ここでウルベルトさんの所のデミウルゴスが絡む事になるのかと言うと、彼らの所の育成状況に深く関わりがあると言えばいいのだろうか?

 

*****

 

事の発端とも言うべき、たっちがメールペットを受け取った初日に相談した娘の件に関して、ヘロヘロさんからウルベルトさんに話が最初に行ったらしい。

たっちがヘロヘロさんに相談した当日、【ユグドラシル】にログインした途端、彼に捕まったのだ。

普段なら、滅多に自分からたっちに関わってこないウルベルトさんが、真剣な顔をして【話がある】と切り出したら、流石に聞かない訳にはいかない。

 

別室に移動したら、そこには既にヘロヘロさんを筆頭にしたメールペットの作成チームとモモンガさんが勢揃いしていて、たっちがヘロヘロに相談した事の真意を聞いてきたのだ。

 

彼らを前に、ここが分岐点だとすぐに察したたっちは、迷う事無く自分の本音を口にした。

娘とセバスの存在が、相互作用で上手く成長出来るようにするためにも、娘もセバスと触れ合えるべきだと。

外見はともかく、中身はまだ小さな子供と変わらないセバスと娘を関わらせる事で、セバスは娘を通して様々なことを学ぶだろうし、娘もセバスの世話をする事で成長を促せる。

たっちは、そんな二人を見守りつつ彼らの親として、より良い方向に導いていきたいのだと告げれば、「そういう理由なら、たっちさんの電脳空間限定と言う条件付きで許可を出しても問題ないでしょう」と言う意見が大半を占める形になり、賛同を得られそうな状況になったのだ。

その中で、一人ウルベルトさんだけかなり渋い顔をしていたのだが、たっちと視線が合うと一つだけ確認をして来た。

 

「……それは、セバスの事を娘に押し付けて、自分は世話をしないと言う事じゃないんだな?」

 

その問いに、ウルベルトさんがどうしてあんな渋い顔をしていたのか、彼が考えているだろう危惧も含めてたっちにもすぐに解った。

彼は、自分のメールペットであるデミウルゴスを溺愛している分、セバスがたっちに大切にされないのではないか、それだけを気にしていたのである。

ウルベルトさんが、たっちに対してそんな危惧を懐いたのは、【ナザリック】でのセバスの設定の少なさが原因になっているのだろう。

【ユグドラシル】のセバスに対して、たっちが深く設定を組まないなどあまり思い入れを持っている様には見えない分、メールペットのセバスもそんな感じで娘に任せてしまうつもりなのか、彼なりに警戒したのだ。

 

だが、そんな彼の懸念も無用のものだ。

 

「心配要りませんよ、ウルベルトさん。

確かに、娘はセバスの姉の立場としてか関わらせますが、私は彼らの親として二人に接するつもりです。

その為にも、電脳空間に降りられ娘とセバスを接せられる、娘のアバターが欲しいんですよ。

私としても、娘と息子が直接触れ合って戯れている姿を、存分に堪能したいですし。」

 

嘘偽りなく、真っ直ぐ自分の気持ちを伝えたら、漸く安心したのかウルベルトさんも娘の件に賛成してくれた。

更に、急遽作成される事になった娘のアバターの動作チェックまで申し出てくれた上、定期的にデミウルゴスにメールを持たせて、【異常がないか】わざわざ様子を見に来るようになったのである。

ギルメンが持つメールペットの中で、一番成長が著しいデミウルゴスは、娘のアバターの状況データを収集する事まで出来るらしく、それを元にウルベルトさんは動作チェックをしてくれているらしい。

これに関しては、素直に頭を下げるしかない案件だ。

 

たっちと娘が、安全にセバスと過ごせる環境を作る手伝いをしてくれている訳だからね。

 

ウルベルトさんのメールの内容は、どれもデミウルゴスに関する自慢が中心だが、確かにその成長ぶりは目を見張るものが多いので、色々とセバスの育成の参考にさせて貰っていたりする。

なにせ、メールを持参するデミウルゴスの動きは本当に自然で、メールペットと知っていなければ普通に【プレイヤー】だと勘違いしていただろう。

それほどまでに、デミウルゴスの完成度は高いのだ。

しかし、そんなデミウルゴスとセバスはあまり仲が良くない。

別に、そんな設定をした訳ではないのだが、お互いにどこか素っ気ないのである。

とは言え、娘の前では喧嘩をする様子も嫌味を言い合う様子もないので、今は様子見の段階なのだが……本当にそんな行動を二人がする理由が良く判らない。

 

もしかしたら、ウルベルトさんとの微妙な関係を彼らが引き継いでしまったのだろうか?

 

だとしたら、出来ればそれを打開しておきたいところだ。

全ての人と仲良く出来るとは、たっちだって本気で思っていないが、娘の前でこの状態のまま放置するのは、教育上良くないからである。

これに関しては、今度ウルベルトさんに提案してみるとしようか。

あの人自身、お互いに主義主張が対立する事は多いが、こんなに娘の事を気に掛けてくれているのだから、悪い人じゃない事は判っているし、今回の一件でもう少し歩み寄りたいとたっちも思う様になってきているのだから。

 

******

 

朝の穏やかな時間が過ぎると、職場に急いで向かう。

いつも、朝は娘とセバスとゆっくり過ごすために、家を出る時間が少し遅めになっているからだ。

電脳空間を出る前に、セバスにメールの配達を指示しておくのを忘れない。

これだけは、娘ではなくたっちにしか指示できない事だからである。

昼は、それこそ事件が起きなければ普通に休憩時間があるので、その時に昼間に来たメールのチェックをしつつセバスと個人的なスキンシップをとる。

とは言っても、そこまでやることが浮かばない事もあり、メールの返信を書きながら自分が好きな昔の特撮ヒーロー物の映像を一緒に見ることが多かった。

元々、たっちは仕事柄休憩時間が安定していない。

その為なのか、メールペットになってから昼間にメールが来ることは少ないのだ。

 

お陰で、たっちはセバスと共にのんびりと特撮ヒーロー鑑賞に勤しめるのだが。

 

セバスと二人で、のんびり特撮ヒーロー画像鑑賞をしながら、お互いに思い思いの意見を交わす時間は、たっちにとって至福の一時だと言っていいだろう。

どうやら、セバスも特撮ヒーロー動画は嫌いではないらしく、内容に合わせて普段の冷静沈着な素振りとは違った色々な表情を見せてくれるので、そんな時間も楽しくて仕方がない。

ヒーローの危機に、手を握り締めてそわそわしたり、ヒーローが勝利したシーンで小さくガッツポーズを決めたりしているセバスの姿は、こんな時しか見れないだろう。

流石に娘相手では、この手の趣味を理解して貰うのは難しいからだ。

もちろん、セバスに仕事をさせない訳じゃない。

朝のうちに書けなかったメールの返信も作成し、休憩時間が終わる前にセバスに託して配達に出て貰うようにしている。

 

夜、たっちが仕事が終えて家に帰ると玄関で待ち構えているのは、小学校に上がる為にちょっとしたお勉強を済ませた娘である。

最初の約束で、たっちが七時までに帰ってきた時は一緒に電脳空間に行ける事になっている為、夜の帰りが遅いと本当にそわそわしながら玄関で待っているらしい。

妻からその話を聞いた時は、思わず娘の可愛さに笑みが止まらなかったものだ。

既に、夕食を済ませている娘と一日の出来事を話しながら夕食を手早く取ると、一緒に電脳空間に降りる。

そこでは、受け取ったメールの返信を整理しながらセバスが待っているので、たっちはそれを読みながら娘がセバスに夕食を出す様子を見守るのもまた日課だった。

今度は、セバスに娘が今日一日あった事を話しているのを眺めつつ、夕方から沢山舞い込んできたメールの返信などを纏めて送信準備する。

 

娘の夜の最後の日課は、メールを配達に出るセバスを見送る事だからだ。

 

その為にも、短い時間である程度の返事を作ってしまう必要がある。

もっとも、セバスを見送り娘と共に一旦【リアル】に戻った後、【ユグドラシル】にログインする予定なので、イベント参加などのお誘いに関してはその場で返事する事にしている為、そこまで多くの返信は必要ない。

ただ、娘がセバスをメール配達の仕事に送り出すのを楽しみにしている事もあり、一日一通は必ず夕方にメールを出せるようにしているのである。

 

この辺りは、娘の事を知っている仲間たちが協力してくれているので、今まで一度も夕方にメールを出す相手が居なかった事はない。

 

娘とセバスが、揃って仲良くしている姿を見るのは、たっちにとって本当に至福の時間なのだ。

特に、最近ひらがなを書けるようになった娘が、メールを届ける仕事に出掛けたセバスに手紙を一生懸命書いている姿などを見ていると、微笑ましいやら羨ましいやら何とも言えない気持ちになる。

何せ、夜の時間に電脳空間へ来る事が出来た時は、絶対セバス宛の手紙を書き残しているのだから、たっちが思わずそんな気持ちになるのも仕方がないだろう。

 

夜の帰りが遅いと、娘からたっち宛に一生懸命書いたと思われる手紙が妻に託されているので、別に不満がある訳ではないのだが、この辺りは微妙な親心だと思って欲しい。

 

さて、夜にこうして電脳空間にたっちは娘と一緒に降りる訳だが、その話が決まった時に交わした妻との約束で、夜の七時半までが娘がセバスと遊べる時間になっている。

なので、時間が来る少し前にセバスにメールの配達を頼み娘と共にそれを送り出すようにしていた。

そうしないと、娘がセバスを見送れないからだ。

彼が「行ってまいります」と出掛けた後、一緒に電脳空間を出て娘を寝かしつけるまでが、今のたっちの夜の習慣の一つになっている。

最初の頃は、電脳空間に降りた事による興奮からなかなか寝てくれなかった娘だが、最近はセバスと遊んだら寝る時間だと言う生活習慣のリズムが出来たらしく、大人しく寝てくれるようになった。

これも、セバスがうちに来て出来た良い習慣なのかもしれない。

 

少しずつ、でも確実に娘とセバスが成長していく様を見られる事を、たっちはとても幸せに感じていた。

 

娘を寝かしつけたら、ここからがたっちのお楽しみの時間だ。

【ユグドラシル】にログインして、仲間たちとの楽しい冒険や会話をする時間を過ごすのはとても楽しい。

普段、【リアル】で思うようにできない事をしているのだから、余計にそう思うのだろう。

【アインズ・ウール・ゴウン】のメンバーは、それぞれ個性的な集団とも言えるから、彼らの意見を上手く取り纏めて舵を取っているモモンガさんは、本当に凄いと言うしかない。

 

やはり、【クラン】から【ギルド】に代わる時、モモンガさんの事をギルド長に押して良かったと、たっちは本気で思っていた。

 

そんなモモンガさんを筆頭に、色々と【ユグドラシル】での冒険や仲間とすごす時間を一頻り楽しんだ後、ログアウトしたらたっちはもう一度メールサーバーを立ち上げる。

寝る前に、電脳空間に降りて配達から戻って来たセバスに、「いつもご苦労様」と声を掛けて労う為だ。

流石に、セバスの外見が老紳士と言う事もあって、【労う】と言っても抱き締めたり頭を撫でたりはしない。

だが、軽く肩を叩いて労いの意味でお茶を淹れてやることにしている。

本人は、たっちにお茶を淹れて貰うことそのものを恐縮しているようだが、これ位しかセバスにしてやれる事はないので諦めて貰うしかないだろう。

そうして、セバスに仕事終わりの一杯のお茶を与えて少し話をした後、たっちは電脳空間から出て娘の寝顔を確認してから妻と一緒に眠りにつく。

 

そうして、たっち・みーにとって幸せに満ち溢れた毎日は過ぎていくのだった。

 




どちらかと言うと、たっちさんとセバスと言うよりは、たっちさんと娘とセバスの話ですね。
でも、彼の話を書くと決めた時に、絶対に娘とセバスは絡ませたかったので。
それと、作中に出てきたたっちさんのセバスのスーツへの課金額は、往年の某特撮ヒーロー物のスペシャルコレクションセット(最古のものから現在に至るまでの作品全話収録及び最新作も収録+レプリカ変身セット付)の半額分です。
アマゾンで確認したんですけど、某特撮ヒーロー物って、ボックスセットは一つ数万しました……なので、それを全部集めた奴は幾らになるのだろう……
版権切れてても、レプリカの変身セットが……うん。


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るし☆ふぁーの愉快な毎日

今回も、予告通りこの人で。
ただ、今までの話とは微妙に毛色が違うかも。


るし☆ふぁーは、【アインズ・ウール・ゴウン】一番の問題児である。

 

これは、他のギルメン全員からの共通認識であり、本人もそれを否定しない。

事実、彼は自分が様々な意味で問題行動が多い問題児だと、はっきりと自覚しているからだ。

とは言え、本当に全く常識がないかと問われれば、違うと否定するだろう。

一応、必要ならばTPOを理解して行動できるタイプなのだ。

 

ただし、彼がそれを発揮するのは基本的に【リアル】での会社勤め中だけと言うだけで。

 

あの、地獄のような世界で生きていく為にはどうしても必要だと理解しているからこそ、【リアル】ではきちんと常識的な行動もするのだが、その反動からか【ユグドラシル】ではるし☆ふぁー自身も自分が色々とやらかしている自覚はある。

自覚がありながら、それでも結局自分の思うままに振る舞うのは、全部モモンガを筆頭にギルメンに対して甘えているからだった。

そんな彼だからこそ、ギルメン全員に【メールペットを配布する】事になったのを知った時、それは本気で喜んだのだ。

 

自分が思っているよりも、ギルメンとの間にあるだろう微妙な隙間を、共通のメールペットソフトを使う事で埋められるような気がして。

 

******

 

そして、自分たちのメールペットを選ぶ日が来た。

正式な引き渡しの前に、【ナザリックのNPC】の中から自分がペットにする相手を選ぶのは、メールペット用のソフトに選んだNPCのデータを落とし込む必要があるかららしい。

そんなヘロヘロの説明を聞きつつ、るし☆ふぁーは自分の端末に表示されているNPCのデータを、興味深げに眺めていたのだ。

流石に、全NPCが対象じゃないらしいとリストを眺めつつ、そこにあった一人のNPCの名前に気付いて、思わず二度見する。

 

だが、るし☆ふぁーの見間違いじゃないらしく、何度見ても名前はそこに燦然と輝いていて。

 

本気で、彼をメールペットとして選択できるのか、るし☆ふぁーが一応気を使って【伝言】でヘロヘロに問おうとした時である。

それまで、メールペットとして使用可能なNPCとして表示されたデータを眺めていた面々の口から、飛び出ただろう嘲る様な言葉を聞いて、頭が真っ白になったのは。

 

【流石に、恐怖公はあり得ないですよね】

【あれを選ぶ変人はいないでしょう】

【幾ら、ナザリックの防衛に役に立つと言っても、ねぇ……】

【と言うか、何でメールペットの候補に入ってるのさ】

【ヘロヘロさんが、うっかり抜き忘れたんでしょ】

【それよりも、俺はルプスレギナが良いんですけど!】

【ちょっと待てよ、ルプスレギナは俺も狙ってたんだぞ!】

【ねぇ、それよりも私の所はアウラとマーレを二人ともメールペットにしてもいいよね、双子なんだし!】

【それは、流石にずるくないですか!】

【なに、あんたたちは双子を引き離すなんて非道な事いう訳?】

 

けらけらと笑いながら、そう言い合うギルメンたち。

最初に口にした言葉など、既に頭が無いように自分たちの希望を通そうとして言い争う様子を見ながら、我に返ったるし☆ふぁーは、怒りに身を震わせていた。

 

『……なんだよ、それ。

俺が、丹精込めて作った【恐怖公】に対して【メールペットとして無し】って、なんだよ!

そりゃ、【黒棺】に居る全部の眷属まで全部込みだっていうなら、流石にその主張も判るけどさ。

メールペットになるなら、あの見た目のリアルさも消えて、少しは印象変わるだろ!

と言うか、今言ったの全員恐怖公が駄目な奴らだよね……

ふざけるな……フザケルナ、ふざけるな!!

良いよ、俺が作った恐怖公をそんな風に言うなら、俺だって考えがある!』

 

これが、自分の悪戯に対して何か言われているのなら、多分さらりと受け流すことが出来ただろう。

普段の素行を考えたら、色々と言われても仕方がない事は判っているし、実際に悪戯する度に罵声も飛んできている。

でも、【恐怖公】は違う。

彼の役割は、【ナザリック】を襲撃してくる【プレイヤー】に対して、二度とそんな気が起こらない様に精神的なダメージを与える存在だ。

その為に、るし☆ふぁーは細かな部分まで造形に拘って作り上げた自慢の存在である。

だからこそ、もう迷ったりはしなかった。

 

「ヘロヘロさん、俺、もう決めたから。

俺のメールペットだけど、これでお願い。

誰が反対しても、絶対に変更するつもりないからね。」

 

そう言いながら、自分のメールペットとして【恐怖公】を選択した事を希望画面に表示する事で伝えると、ヘロヘロさんはにっこりと笑顔を浮かべて了承してくれた。

どうやら、彼も他のギルメンの言い様に怒りを覚えてくれていたらしい。

他人様が作ったNPCを、あからさまに論う言動が癇に障ったのだろうか。

 

「あー……良いんじゃないですかね。

ただ、一部の仲間からはかなり嫌がられると思いますけど、るし☆ふぁーさんはそれでも良いの?

と言っても、どうしてるし☆ふぁーさんがその選択をしたのか、俺にもその理由が良く判りますから、別に止めませんけどねー」

 

小声で返答しつつ、クスクスと笑うヘロヘロさんの様子に、どうやら自分の推測が当たっていたと察したるし☆ふぁーは、心の中だけで口の端を上げた。

この【ユグドラシル】では、自分の感情に合わせてキャラクターの表情を変える事は出来ない。

代わりに、感情を示すアイコンがあるのだが、今回は目立つ事もあって出さなかったのである。

るし☆ふぁーたちがそんなやり取りをしている横から、ひょいっと顔を覗かせたのはウルベルトさんだ。

ヘロヘロさんが、珍しく嬉々としてるし☆ふぁーの選択を支持している事に気付いて、確認しに来たのだろう。

メールペット登録用の画面を覗き込んで、ウルベルトさんは一瞬間を置いた後身体を屈ませて周囲に見えない様にニヤリと笑うアイコンを出す。

どうやら、彼もヘロヘロさんと同じでこちらの意図を理解してくれたらしい。

 

「あー……なるほど。

普段なら、止めに入るところなんですけどね。

今回ばかりは、るし☆ふぁーさんの気持ちも分かりますし、私も止めだてしたりしませんよ。」

 

そう言ってくれたのは、以前デミウルゴスをお披露目した際に、ギルメンから散々【裏切りそう】とか【ヤクザの若頭】とか言われた事を思い出したからだろう。

だから、今回も自分の作ったNPCを、あんな風に貶されたら普通に怒り心頭になって当然だと、ウルベルトさんもるし☆ふぁーがどうしてこんな選択をしたのか、その理由を判ってくれたらしい。

どうやら、るし☆ふぁーに聞こえるように恐怖公の事を色々言って否定していた面々は、自分の発言を忘れたかのように自分専用のメールペットを選ぶ事に夢中で、自分たちが口にした言葉が彼を怒らせる可能性がある事すら考えていないようだ。

まぁ、それにきちんと気づけていたら、るし☆ふぁーに対してそれなりのフォローをしていただろう。

もしも、【るし☆ふぁー関連なら、どんな扱いをしても大丈夫】とか考えていたなら、絶対に甘い考えだと笑うしかない所だ。

 

さくさくと、慣れた手付きでメールペットの登録作業を済ませた所で、ヘロヘロさんが今までとは打って変わった大きな声でるし☆ふぁーに対して作業完了を告げる。

 

「はい、登録出来ましたよ、るし☆ふぁーさん。

あなたのメールペットは、正式に【恐怖公】で確定しました。

これで、もうメールペットの変更は出来ませんけど、問題ないですね?」

 

わざと、周囲に聞こえる様な声でるし☆ふぁーに問い掛けたのは、珍しくギルメンの無責任な発言に怒りを覚えたヘロヘロさんからの意趣返しだろう。

恐怖公のAI設定は、そう言えばヘロヘロさんが受け持っていた。

そこで、るし☆ふぁーが持つ色々な拘りとかを知っているからこそ、ギルメンが半分以上反対する事を承知で恐怖公をメールペット候補の中に入れてくれたのだろう。

だからこそ、るし☆ふぁーが自分の意思でメールペットを選択する前にそれを【あり得ない】と否定したギルメンに対して、怒りを覚えてくれたのだ。

 

「OK、OK、問題ないよ。

確か、メールペットは二頭身にディフォルメされるって話だけど、俺の恐怖公には必要ないよね?

だってあれ、二頭身と変わらないし。」

 

スッと、ヘロヘロさんの手元の画面を確認するように覗き込み、問題ないと了承を伝える。

更に、にっこりと笑うアイコンを出しながら確認するように問うるし☆ふぁーの言葉に、その場は阿鼻叫喚に包まれたのだった。

 

********

 

るし☆ふぁーの朝は、割と早い。

ギルメンの中で比較した場合、本当に早朝と言えない時間に出社している社畜組が存在して居るから、実際にはそこまで早いとは言えないけれど、それでもギルメンの中ではまだ早い方に数えられるだろう。

その分、帰宅時間は予定変更がない限り割と早めの方ではあるので、時間的には就業時間のバランスがまだとれている会社だと考えて良いのかもしれないが。

そんなるし☆ふぁーが、朝一番にする事はメールソフトの立ち上げと、今日の予定の確認だ。

 

彼の仕事は、インテリアデザイナーである。

 

るし☆ふぁーは、これでも大卒の学歴を持つ富裕層の出身だ。

ただし、愛人に入れ上げた父親によって母親共々打ち捨てられたに等しい立場なので、富裕層出身の割にそれ程裕福ではない。

一応、大卒の学歴と家名のお陰で就職先には困らなかったが、大学卒業と共に実家からの経済援助も打ち切られ、明確に『家を継げない』と言う事は知られている為に、ギリギリアーコロジーに住んでいる程度の立場でしかないからだ。

ギルメンたちは、彼の普段の言動から貧困層出身の年下の青年だと思いがちなのだが、実際の年齢はモモンガよりも一つ年上だったりする。

この事実を知れば、ギルメンたちは本気で腰を抜かしかねないだろう。

 

もちろん、るし☆ふぁーにはそれを告げるつもりはないのだが。

 

それはさておき。

きちんと専門知識を得るために大学を出て、インテリアデザイナーとして必要な技術を身に着けているとは言っても、まだそれこそ働き始めて数年の駆け出し扱いと言う事もあって、顧客の希望では幾らでも仕事のスケジュールは変わる。

だからこそ、毎朝のスケジュール確認は必須事項だ。

 

最近、そんな彼の一日のスケジュールを管理しているのは、実は恐怖公だったりする。

 

今の恐怖公は、ウルベルトさんの所のデミウルゴスに匹敵するほど、とても優秀だ。

その結果、いつの間にかるし☆ふぁーのスケジュール管理までしてしまっているのだけれど、これは本人が自発的に始めた事なので好きにさせている。

むしろ、初めの何も知らなかったあの恐怖公が、今ではここまでできるようになった事の方が、るし☆ふぁーには感慨深かった。

 

*****

 

あの日、ギルメンの反対を押し切って自分のメールペットに恐怖公を据えたるし☆ふぁーが、まず最初にしたのはウルベルトさんの所のデミウルゴス並みに、恐怖公を一流の気品あふれる紳士として育て上げる為のスケジュールを組む事だった。

どうして、最初に恐怖公を【一流の紳士】に育てる事を目指したのかと言えば、彼の設定が【貴族マナーにも精通した温厚な気品あふれた紳士】だったからだ。

 

その設定を踏まえて、恐怖公に相応しいと思える育成計画を考えるなら、きちんとした知識を与えてそれにふさわしい人格になる様に育てるべきだろう。

 

あの時、周囲の大半はるし☆ふぁーが恐怖公を自分のメールペットに選んだ理由を【自分たちの発言に対する嫌がらせ】だと取ったようだが、それは違う。

元々、るし☆ふぁーは恐怖公が候補に入っていた時点で、ヘロヘロさん相手に【本当に大丈夫なのか】と確認しようとするくらいには、彼を選ぶかどうかかなり迷っていた状態だったのだ。

もちろん、本当に自分が恐怖公をメールペットに選ぶなら、きちんと彼の事を苦手とするギルメンの心情を考えた上で、ディフォルメでそこそこ可愛らしい外見にする予定だったのに、あんな風に言われてブチ切れて【あの発言になった】だけなのである。

だから、実際にメールペットに登録する時の恐怖公の外見は、それなりに【リアルさ】を省いて【可愛い】とは言えなくても【そこそこ見られる】外見にディフォルメになった。

 

それだって、周囲から説得されて渋々と言う態を取ったのは、その時点でまだ怒っていたからである。

 

別に、色々と好き勝手に言ってくれた彼らへの当て付けではなくても、候補に入っていただろう自分は恐怖公をメールペットに選んでいた自覚がるし☆ふぁーにはあるので、彼らの文句は全部スルーする事が出来た。

もしかしたら、彼らの対応次第では別のNPCを選んでいた可能性もあったのだ。

けれど、あの時の恐怖公に対するギルメンの発言は、地味にるし☆ふぁーの心の中にあった古傷を刺激して、どうしても譲れなくなったのである。

 

だからこそ、るし☆ふぁーは恐怖公の事を言動や行動では誰にも文句が付けられない、立派な紳士として育て上げると、そう決めたのだから。

 

******

 

また、話が脱線したので戻すとして、だ。

るし☆ふぁーは、実はとても低血圧で朝は弱い。

それでも、一応なんとか自力で目を覚ましてメールサーバーを立ち上げるのだが、起きてから三十分程はどこかぼんやりとしている。

そんなるし☆ふぁーの為に、立ち上がったメールサーバーから色々と電脳機器に干渉して最適な空間を作るのが、恐怖公が行う最近の日課らしい。

まだ、るし☆ふぁーの手元に着た頃は普通のメールペットだった恐怖公が、いつの間にかそこまで出来るように進化したのは、もちろん理由がある。

 

多分、るし☆ふぁーが今まで学んだ大卒までの多彩な知識と、ウルベルトさんからデミウルゴスのサンプルテスト育成記録を譲り受けて参考にした事が、彼をここまで成長させた要因になっているのだろう。

 

その結果、世話をする筈の飼い主側が、逆にメールペットに世話をされていたらおかしいだろうと言われそうだが、既にウルベルトさんの所のデミウルゴスと言う実例が居るので、この状況を知られても誰にも文句を言わせるつもりなど、るし☆ふぁーにはない。

恐怖公の行動が、結果的にギルメンのうちの誰かに迷惑を掛けているなら、多少の自重はするように注意したかもしれないが、彼が手を掛けるのはあくまでもるし☆ふぁーの身の回りの事だけ。

この方が便利である以上、誰からも文句を言われる筋合いはないだろう。

それに、せっかく恐怖公が自分からやりたいと主張した事を無理に止める必要性を、るし☆ふぁーは一かけらも感じなかった。

 

だって、それは恐怖公からの自我の発露を押さえつけるのに等しいのだから。

 

そんな考えの元、恐怖公が動きやすいようにメールサーバーを立ち上げた後、朝の寝起きの三十分は彼の好きにさせているるし☆ふぁーは、しゃっきりと目を覚ました所で前日に着ていたメールのチェックをする。

とは言っても、彼の所にくるメールの数は少ない。

ギルメンの半数以上が、元々【ユグドラシル】の恐怖公の事を生理的に受け付けない事もあって、多少外見をディフォルメされた程度ではその苦手意識を軽減できないのも、一つの原因なのだろう。

 

るし☆ふぁーが、恐怖公を選んだ時の阿鼻叫喚を考えれば、そうなる事なんて最初から予想で来ていたので、そこまで気にはならない。

 

もし、これでギルドに関わる重要案件に関して、るし☆ふぁーに対して何の連絡も来ないと言うのなら、流石にそれ相応の対応をするつもりだった。

だけど、恐怖公が平気なメンバーからの必要な情報関連のメール連絡についてはフォローを受けているし、ギルド長であるモモンガさんからもきちんと連絡が来るので、そこまで気にはしていなかったりする。

 

そう、モモンガさんはるし☆ふぁーが恐怖公を選んだ事を咎めたりしなかった一人だ。

 

あの時、普段なら【ギルメンの苦手な相手を選ぶのは悪戯が過ぎますよ】と、別のメールペットを選べないか仲裁に入っただろうモモンガさんが、今回ばかりは口を挟まなかった。

それどころか、伝言で『今回ばかりは、るし☆ふぁーさんのお怒りももっともですし、もう少し同じギルドのNPCを知るべきです』と背中を押してくれたので、今回の一件でるし☆ふぁーは自分の意思を貫き通す事が出来たとも言えるだろう。

元々、モモンガは恐怖公をそこまで苦手だとは思っていないメンバーの一人だ。

流石に、【黒棺】の中にあれだけ恐怖公の眷属が集まっている様子は駄目らしいが、恐怖公だけを前にするなら特に問題ないらしい。

そんなモモンガさんの気質を継いでいるからか、彼の所のパンドラズ・アクターもごく普通にるし☆ふぁー宛のメールを片手に、恐怖公の元を訪れてくれる。

むしろ、来訪する度に恐怖公とお茶を飲みながら様々な芸術関連の意見交換する様子が見られるので、それなりに仲が良い方なのだろう。

 

出来れば、るし☆ふぁー自身もモモンガさんともこんな風に仲良くなりたいと思う。

そう、本気で思っているのだが、つい【ユグドラシル】だとからかい甲斐があるモモンガさんを弄ってしまい、怒らせてしまいがちだった。

 

それこそ、色々と今まで悪戯をし過ぎたせいで、何もするつもりがなくてもそっと近寄るだけで結構警戒されているし、少し反省するべきかもしれない。

一応、こっちの方がモモンガさんよりも年上なんだし、歩み寄る姿勢を見せるべきだろう。

出来れば、いつか恐怖公とパンドラズ・アクターの様に、趣味の事で話をできるようになりたいからね。

 

パンドラズ・アクター以外に、ここを頻繁にメール持参で訪れてくれるのは、ウルベルトさんの所のデミウルゴスと建御雷さんの所のコキュートス、ヘロヘロさんの所のソリュシャン、そしてたっちさんの所のセバスだ。

この四人は、元々恐怖公の事を苦手としていない面々であり、その気質が受け継がれているらしいメールペットの彼らも、同じ様に恐怖公を苦手とは思っていないらしい。

 

デミウルゴスとは、メールを運んでくる度に良く何か意見を交わしている姿を見るけど、何を話しているのかは教えてくれない。

二人とも、るし☆ふぁーの存在に気付くとにっこり笑って煙に巻く為、詳しい話を聞いた事は一度もない。

でも、仲が悪くないのは良い事だ。

るし☆ふぁー自身も、ウルベルトさんとは【世界征服】を主張する仲間として仲が良いし。

 

出来れば、もっと色々な意味で仲良くなりたいと思う仲間の一人だし、ウルベルトさんとはこれをきっかけにもう少し歩み寄りたいよね、うん。

 

コキュートスは、同じ昆虫種の仲間と言う事もあって、かなり仲が良いようだ。

元々、コキュートスは真面目な性格みたいだし、恐怖公とは気が合う部分も多いんだろう。

彼の主である建御雷さんも、ちょっとだけ戦闘狂が強過ぎる部分を除けば、結構その場のノリも良くて付き合いの良い人だ。

どうも、建御雷さんの教育が使っている時代劇のDVDの影響なのか、コキュートスは【侍】を目指している感じだし、恐怖公と並んでいるとお公家様と護衛の侍のやり取りに見えるのは気のせいじゃないだろう。

この辺りは、建御雷さんからコキュートスの育成関連情報が書かれているメールを、割と定期的に貰っている影響だと思わなくもない。

 

別に、二人とも楽しそうに過ごしているみたいだから、好きにすればいいんだけどね。

 

たっちさんの所のセバスは、最初の頃の【鋼の執事】の雰囲気から少しずつ柔らかいものになっているみたいで、話が分かるから割と好きだ。

ただ、たっちさんの所にはこちらから余りメールを送らないようにしているんだけどね。

と言うか、彼に対して返信なり何らかの連絡なりでメールを送る必要がある時は、絶対に昼の時間帯限定にしていたりする。

他の時間帯に彼の所へメールを送らないのは、彼の娘ちゃんのためだ。

流石に、小さな子供に恐怖公の姿を見せるのはどうかと、るし☆ふぁー自身も思うからである。

 

礼儀作法に関して、セバスが恐怖公と色々と話をしているのは、その小さな娘ちゃんの為のような気がするから、恐怖公で役に立つなら幾らでも聞いて欲しいと思うよ、うん。

 

ヘロヘロさんの所のソリュシャンは、ここにメール運んで来る女性型のメールペットの中で、数少ない友好的な存在だと言っていいだろう。

一応、源次郎さんの所のエントマも恐怖公に対してそこまで酷い対応じゃないけど、彼女の場合はどこか捕食者的な視点が混じっているような気がして、恐怖公の方が苦手そうなんだよね。

んで、だ。

見た目の影響もあって、恐怖公と上手くやってくれる女性タイプのメールペットはそうそう居ないから、彼女の存在はすごく嬉しい。

きちんと公平に接してくれているだけだろうけど、それでもるし☆ふぁーの元へ主のメールを持ってきておきながら、まともに届けず逃げるように帰っていく事が多い女性タイプのメールペットに比べれば、凄く態度が良いと言っていいだろう。

と言うより、一応メールの配達が自分たちの仕事だと言うのに、まともにこちらに手紙を手渡す事無く、ドアの隙間から投げ込むようにメールを置いていく行動は、流石に躾がなっていないと思う。

 

これで、恐怖公の部屋が【ナザリックの黒棺】の様に、眷属で溢れて居る状態だと言うなら納得するけど、ここに居るのは恐怖公だけなんだからな。

 

恐怖公が苦手なら、るし☆ふぁーが居る時に直接手渡すか、それとも部屋の中に設置してある文箱の中に入れていけばいいだけなのに、部屋の中を確認する事もなく中に投げ捨てていく姿を度々見付けているので、これは十分メールペット用の定例会議の議題に上げて良いものだいだろう。

こちらだって、ちゃんと譲歩して色々と対処可能なようにしているんだ。

仕事放棄に近い行動をするなんて、このままギルメンたちが自分のメールペットたちに常識の範疇内の行動の必要性の躾が出来ないなら、こちらにだって考えがある。

 

うん、【ユグドラシル】にあるメールペットの躾が出来ていないギルメンの部屋に、恐怖公の眷属を送り込んであげるとしようかな。

 

もちろん、これに関しては単純に【るし☆ふぁーからの悪戯】だと思われたら困るし、ちゃんと会議の際に改善要求とその期限を切った上で、改善がこのまま出来ないならそうしますって事前勧告をしておくべきだろう。

多分、こちらの行動の意図を勘違いされたまま実行しても、恐怖公に対して更に苦手意識を持たれて嫌われるだけだし。

幾ら恐怖公が寛大な性格をしているからと言っても、あんな態度を取り続けられたら傷付くんだからな。

 

そう思っていたのは、最初の二か月だけだ。

 

どうして、るし☆ふぁーの考えが変わったのかと言うと、理由は実に簡単な話だ。

恐怖公よりも、メールペットの間で問題行動ばかり起こして嫌われる存在が出来た事から、微妙にだけど彼らの態度が変わってきたからである。

そう、【メールペット最大の問題児アルベド】の出現によって、メールペットたちの中でも色々と本当に迷惑な行動がどういう事なのか、だんだん理解出来るようになってきたのだ。

 

【人の振り見て、我が振り直せ】

 

その言葉通り、アルベドがメールを運んで来る度に傍若無人な振る舞いを受けた彼らは、彼女の行動に腹を立てつつ、ふと気付いたのだろう。

滅多にメールを配達する事はないものの、自分達もるし☆ふぁー宛にメールを配達する際に、傍から見れば顔を顰められる行動を取っていたのだ、と。

今までの行動を思い返してみれば、恐怖公は礼儀正しく自分達にも主にも嫌がる行動をした事は一度もない。

むしろ、彼らの態度を見て苦手意識を持たれている事をすぐに察すると、メールを届けるとすぐに暇乞いをして帰るのが当たり前になっていた。

他のメールペットの様に、きちんと彼の事を遇していないのは自分たちの側なのに、それを気にする様子も見せない紳士ぶりをいつも発揮してくれていて。

 

そんな風に反省したのか、今までるし☆ふぁーの所にメールを投げ込む行動をしていたメールペットたちが、何とか文箱にメールを配達するようになり、自分から少しずつ恐怖公に歩み寄ろうと言う態度が見え始めたので、こちらも矛を収める事にしたのである。

 

それにしても……と、現状を前にしてるし☆ふぁーはうっそりと嗤う。

 

メールペットを決める際、アルベドの飼い主のタブラさんも恐怖公の事を全面否定した一人だ。

そう、彼はあの時【あれを選ぶ変人はいないでしょう】と言って退けた張本人である。

るし☆ふぁーが恐怖公を選んだ後も、【せっかく自分の理想の存在をメールペットに出来るのに、恐怖公を選ぶなんてるし☆ふぁーさんは変人ですねぇ】と、まるでるし☆ふぁーがおかしいと言わんばかりに追撃の言葉をくれた事は、今も忘れていない。

 

だが、実際にこうしてふたを開けて見れば、まともに自分のメールペットを育てられなかったのは、るし☆ふぁーではなくタブラ自身だった。

 

それも仕方がないと、るし☆ふぁーはひとりごちる。

実は、アルベドをタブラさんがメールペットとして選んだ時点で、まともに育てられないだろうとるし☆ふぁーは踏んでいたのだ。

そもそも、あの設定厨のタブラさんがあらゆる設定を盛り込んで作り上げた、彼の【究極の理想のNPC】とも言うべきアルベドを、育成系ソフトであるメールペットで設定通りになるように気を配りながら成長させるなんて、それこそ狂気の沙汰でしかない。

と言うより、タブラさんは【交流型育成系ソフト】の意味を、きちんと理解していないだろう。

多分、自分一人だけしか関わる事なく育成するタイプなら、かなり細かい手順を踏んだ上で何とか育てられたかもしれないが、これは人と関わる交流型だ。

むしろ、周囲の影響を受ける事も踏まえたら、先ず選んではいけないNPCだっただろう。

それを察していながら、るし☆ふぁーはあえて忠告しなかった。

 

あんな無茶な理想の存在を、本気で育てられると思うなら育てて見れば?

 

ちょっとだけ、そんな暗い思いがあったのは確かだ。

そして、予想通りの結果になった事を会議の報告で聞きながら、こっそりと嗤う。

多分、自分が【何を間違えたのか】と言う事を理解していないタブラさんでは、アルベドの事を躾し直す事は出来ないだろう。

そんな風に考えつつ、るし☆ふぁーは恐怖公にメールの配達を頼む。

 

「さて、今日はペロロンチーノさんの所にメールを持って行ってみようか?」

 

今夜の予定では、ペロロンチーノさんの欲しがっているアイテムを狩りに行くと言う話を、朝のモモンガさんからのメールで知っている。

それなら、事前に参加する事を希望するメールを送るのは当然の話だから、メールを送る事を迷ったりはしない。

 

多分、るし☆ふぁーからのメールを持った恐怖公の突然の来訪を受けて、ビクビクしているだろうシャルティアとペロロンチーノさんの姿を思い浮かべつつ、るし☆ふぁーの愉快な毎日は過ぎていくのだった。

 

 




るし☆ふぁーさんは、こんな感じです。
別に、ギルメンに対する悪戯心とかじゃなく、真面目に恐怖公を選ぶつもりだったところに茶々入れされて、結構機嫌を損ねてますよ、うん。



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武人建御雷と、武士見習いの試行錯誤の毎日

今回の話は、この人になります。
この話もまた、ちょっとだけ今までとは毛色が違うかも。


武人建御雷は、周囲が思う以上に割とマイペースな戦闘狂である。

 

とは言え、【リアル】では周囲に対して自身の戦闘狂の一面を見せている訳じゃない。

むしろ、【リアル】での彼の仕事は真逆と言うべき会計事務所の会計士という、バリバリの事務職勤務なので、普段出来ない事を【ユグドラシル】で解消している、典型的なタイプだった。

 

彼自身、「もし、生まれる時代が選べたなら戦国時代に生まれたかった」と本気で思っているのを知っているのは、このギルドの中でも特に仲が良い弐式炎雷くらいだろうか。

 

いや、実際にはこのギルドの中にもう一人だけその話をした人物が居たりするのだが、その相手はそこまで気に留めていない様なので建御雷本人も忘れがちだったりする。

そんな彼だからこそ、ギルド【アインズ・ウール・ゴウン】として、未探索ダンジョンを初見一発攻略なんて無茶な挑戦をするのに真っ先に賛成する事も出来たのだ。

実は、初見攻略が終わった当日の夜、「あの意見で、話の流れが変わりました。ありがとうございます。」と改めてモモンガさんからお礼のメールを貰っていたりする。

 

本人的には、思い切り無茶だと思える様な冒険をしてみたかっただけなのだが。

 

そうして、見事に初見攻略を果たした【ナザリック地下墳墓】を拠点にした際、建御雷にも階層守護者となるNPCの設計を任される事になった。

彼が作るNPCが請け負う階層は、雪と氷で閉ざされた構成になると言う第五階層。

その話を聞いて、建御雷がすぐに決めたNPCのコンセプトは【武人】だった。

当然、雪と氷に閉ざされた第五階層を請け負うのだから、そのNPCが持つ属性は氷系のものが良いだろう。

出来れば、常時発動型スキル(パッシブスキル)で、歩くだけで床を凍らせるとか出来ると格好が良いかもしれない。

そんな風に、自分の中にある理想の形を思う存分に詰め込んで出来上がったコキュートスを前に、悦に入ったのは弐式炎雷と二人だけの秘密である。

そうして、少しずつナザリックの中が完成して言った頃、ギルメンの一人が急にログインしなくなった。

 

理由を聞いたら、なんでも飼っていたペットが死んでしまったショックで、とてもログイン出来る心境ではないらしい。

 

本人にとって、そのペットは家族同然の存在だったらしいから、これもまた仕方がないかもしれないと思いつつ、建御雷は小さく溜め息を吐いた。

正直言えば、あの世界でペットを飼えるだけの財力を持っている時点で、他のギルメンよりもかなり恵まれていると思う。

件のギルメンに、その自覚があるのかについては横に置くとして、このままログインしない状況を続けるのは良くない。

今はまだ、内容が内容だけにギルドの面々は同情的だが、それも長くは続かないだろう。

そこから、アインズ・ウール・ゴウンが分裂する切っ掛けにならないか、それだけが建御雷にとって気掛かりだった。

 

折角、今のギルドはモモンガさんがギルド長になった事で上手くいっているのに、そんな理由でギルドがコケたりしたら、本気で泣くに泣けない所だ。

 

何と言っても、クラン時代にあったあの大きな亀裂が原因で、既に一人【ユグドラシル】そのものを引退する事態になっている。

それを考えれば、今回の一件だって本当なら悠長に構えていられる案件じゃない。

とは言え、現時点でそれを肌で感じて理解しているのは、多分ごく僅かしかいないだろう。

例えば、件のギルメンがログインしなくなってすぐに何らかの対策が取れないか考えた上で、【電脳空間でペットを飼えないか】と思い立ち、情報収集に動いたヘロヘロさんなどだ。

 

一応、件のギルメンは一週間程で復帰してきたが、飼っていたペットを思わせるモンスターの姿を見ると、瞬間的に手が止まって攻撃を受けそうになっているので、別の意味で拙いかもしれない。

一応、本人も「このままではいけない」と言う事は判っているらしく、出来るだけ自分が狩りに参加する前に狩場に居るモンスターを確認して、大丈夫そうならそのまま参加する様にしている様だった。

多分誰もが、まだ彼が本調子ではない事など気付いていて、色々と気を回している。

流石に、微妙な空気が流れそうになった時だった。

 

ヘロヘロさん達が、様々なテストを終えたメールペットの事をギルメンたちに伝えたのは。

 

どういう存在なのか、ヘロヘロさんが代表して概要を話すうちに、ギルメン全員が浮足立ちかけていた。

彼らにしてみれば、自分が作ったナザリックの中にある思い入れのあるNPCをそのまま自分のメールペットとして飼えるのだと言う話なのだから、それも仕方がない事なのだろう。

その際、うっかりるし☆ふぁーさんを怒らせる発言をした奴らが何人かいた為に、彼のメールペットが恐怖公になると言う事態が発生して阿鼻叫喚を引き起こしていたが、それは自業自得だと建御雷は一切口を挟んでいない。

建御雷は、彼らの様に特に恐怖公が苦手と言う事もないから、本人の自由意思が優先されるべきだと考えたと言う理由もあるし、何より彼らの方が喧嘩を先に売ったのだ

今回に限り、るし☆ふぁーさんには何の非もなかったので、口を挟む気にもならなかっただけとも言うが。

 

とにかく、メールペットは全員配布される事になり、建御雷の手元にもメールペットが引き渡される事になった。

 

このメールペットの開発の為に、ギルメンの中にはウルベルトさんの様にそこまでプログラムとかに詳しくないにも関わらず、いつの間にかヘロヘロさん達に協力していた人もいたらしい。

もっとも、ウルベルトさんに関して言えば、以前から何らかの形でデミウルゴスを【リアル】に再現出来ないか考えているらしい話を聞いていたので、今回の話は文字通り渡りに船だったのだろう。

それこそ、その為に必要な事だとヘロヘロさんに言われたら、何でも事は手伝った筈だ。

 

こういう事は、自分で無理に推し進めるよりも専門家に任せた方が、間違いなく話が早く進むからな。

 

そんな訳で、建御雷の所に来たコキュートスを前に、どう彼の教育をしたものかと色々と悩む。

建御雷としては、コキュートスの事を【ナザリックNPC】として作り上げた様に、出来るだけ自分が思い描く様な武士か侍の様に育て上げたいと思うのだが、どちらかと言うと戦う事だけしか考えない猪武者に近い自分が、本当にそんな風に彼の事を育てられるか迷う所が多いからだ。

特に、コキュートスはこれからメールペットとして他のギルメンの元を訪れるのだから、向かった先での挨拶などそれ相応の礼儀作法を身に着けていないと流石に拙いだろう。

その事で、後からコキュートスが恥を掻いたり仲間内で困ったりするのは嫌だった。

 

では、何か自分の希望に沿う丁度良い資料が無いか探して、それを参考にしながらコキュートスを育てればいいのではないだろうか?

 

そう考えた建御雷が選んだ資料は、自分が暇な時間がある時に割と好んで見る時代劇のデータだった。

基本的には、それを参考に武士のあり方をレクチャーしつつ、コキュートスの性格に合わせて微調整しながら育てればいいだろう。

ただし、時代劇に出てくる内容によっては、実際には色々と脚色され過ぎている部分もあるらしいので、ちょっとだけ注意が必要だろうが。

 

下手に、時代劇の話の展開を盛り上げる為に脚色を盛り過ぎただろう、完全に間違っている情報を教え込んで、後で正しい情報を前に指摘される様な事態になったら、それこそ建御雷にとってもコキュートスにとっても黒歴史になりかねない。

 

その為にも、正確な戦国から江戸時代の武士の文化等に関する話は、大学教授だと言う死獣天朱雀さん辺りに聞いてみるつもりだった。

彼なら、建御雷の為に割と簡単な講義と言う形で教えてくれるか、それとも関連するデータ資料のアドレスを渡してくれそうだ。

確か……以前、ギルド内で何人かのギルメンと一緒に雑談した際、彼自身が教えている専門分野ではないものの、それなりに詳しいと言う事を前に聞いた事があるからな。

この際、頼れるものは全部頼るべきだろう。

 

どうしても、この手の本格的な専門知識が欲しいと思った場合、建御雷だけでは探すのが大変だからだ。

 

もちろん、自分の時間に余裕があればゆっくり探す事が出来ると言う奴もいるだろうが、残念ながら仕事柄そんな余裕があるなら、建御雷は【ユグドラシル】にログインする方を選ぶだろう。

別に、コキュートスの為に割く時間が惜しいと言っている訳じゃない。

現在進行形で、ナザリックはギルドホームとして罠系のギミックを追加している状況だし、当然だがNPCたちの装備や武器だって色々と追加している最中だ。

だったら、建御雷は少しでも狩りに行く回数を増やして、コキュートスの為に武器を作ってやりたい。

種族的な問題で、コキュートスは装備を身に着ける事が出来ないのだから、その分も他のNPCより余計に良い武器を持たせてやりたかった。

 

つい、現時点でのギルメンの大半の意識が、自分の手元に来たメールペットの方に向いている気がするが、最終的にはメールペットとNPCのデータを完全にリンク出来ないか、運営から文句が来ないレベルで試していく予定なのだから、こっちを放置するのもおかしいだろう。

 

ある程度リンク出来たら、このデータを元にして運営と交渉して追加システム化をするか、無理ならギルド内だけの運用の許可を取る予定だと、ヘロヘロさんは笑って言っていた。

その際は、運営と交渉にする際のバックアップとして、たっちさんが奥さん側の実家の協力を得られる様に、話を付けてくると言う。

自分の実家よりも、たっちさんの娘を出来れば跡継ぎに欲しがっている奥さんの実家の方が、色々と娘さんから話を通し易いらしい。

まぁ、このメールペットの存在が色々と娘さんの成長に繋がるなら、いい影響を与える存在として奥さんの実家側としても文句がないのだろう。

 

たっちさんの娘と言えば、コキュートスの奴が彼女の事を【姫】と呼んでいるらしい。

これは、自分がコキュートスの教育用として見せている、様々な時代劇の影響だろう。

どうやら、建御雷たちギルメンを自分が仕えるべき主と認識しているので、その娘さんは【主君の姫】と言う考えになるらしい。

 

色々と自分なりの調整の為に、かなり遅れていた初めてコキュートスを使いに出す相手として、丁度【ギルド内PVP】の打ち合わせをする予定だった事を思い出した建御雷が、そのままたっちさんにメールを届けさせたその日の夜、予定通りの時間に落ち合ったたっちさんからその話を聞かされ、ちょっとだけ何とも言えない気持ちになったのも、今では笑い話の一つだったりする。

 

それはさておき。

建御雷の朝は、それなりに早い時間から始まる。

一応、それなりに早い時間に起きる程度で済んでいる理由は、俺が勤める会計事務所の最大顧客が、基本的に夜の営業がメインな為、営業後に休んでいる可能性が高い朝の早い時間帯にこちらが出向くのを嫌うからだ。

まぁ、それだけで大体どんな場所か大体の人間が察するだろうが、簡単に言ってしまえば娼館である。

時代劇風に言うなら、岡場所や花街と言う表現もされていた【新吉原】と言えば分かり易いかもしれない。

 

建御雷の会計事務所は、その新吉原一帯の経理の一切を任されている。

 

そんな相手の都合もあり、建御雷の朝は多分モモンガさんやヘロヘロさんに比べれば、確実に遅いだろう時間に始まる。

実際、建御雷が朝起きてメールソフトを立ち上げてみると、既にモモンガさんの所のパンドラズ・アクターがメールを持参してきていて、コキュートスと話をしているなんて事も結構あったりする。

因みに、コキュートスとパンドラズ・アクターだが、まぁそれ程仲は悪くない感じだ。

どちらかと言うと、元になったナザリックのNPCが生産系がメインで構成されている関連からかもしれないが、パンドラズ・アクターはモモンガさん譲りの穏やかな性格だと言う事も、上手く俺のコキュートスと仲良く出来る要因かもしれない。

モモンガさん自身に聞いた話だと、割とあちらでは二人で手合わせなどをしているらしいが、こちらでは沢山ある武器を前に武器談義をしている事も多かったりする。

 

多分、メール配達中はコキュートスに武器を一つしか持たせていない事も、この場で武器談議に興じる要因の一つになっているのかもしれない。

 

パンドラズ・アクターと同じ位の確率で、朝起きたら既にメールを届けに来ている場合が多いのが、ウルベルトさんの所のデミウルゴスだろうか?

これに関しては、ウルベルトさんの仕事の状況次第で起きる時間が変わるらしいから、実際はデミウルゴスが早朝に来る回数が少ない月もあるけどな。

とにかく、デミウルゴスは割と早朝に来る事が多いが、夕方のログイン前に来る事も多い。

これもまた、ウルベルトさんの仕事の都合だから仕方がないが。

 

コキュートスとデミウルゴスは、性格やら構成やら考えると真逆の様な存在だと思っていたが、建御雷が考えていたよりも割と仲が良い。

 

違いすぎる立ち位置が、逆に上手く填まったからこそ上手くいっている関係かもしれないし、建御雷とウルベルトさんの関係を引き継いでいるのかも知れなかった。

彼とは、素材狩りの為に良く組む仲間でもあるし、割と話していると気が合う相手でもある。

建御雷の前では、デミウルゴスとコキュートスは色々と本を片手に話し合っている姿が多い。

ウルベルトさんの所では、一緒に備え付けのバーカウンターで飲んでいる姿を見られるらしいから、ちょっとどんな様子なのか気になる所だ。

 

そんな、コキュートスがそんな風に寛いでいる姿を、建御雷も余り見た事がないからだ。

 

もちろん、ここがコキュートスの自宅と言う事もあって、全く建御雷の前で隙がない訳じゃない。

自分の理想の武士になる為に、まだまだコキュートス自身も学ぶ事も多いからか、気を張っている部分も多いのかもしれないとは思う。

だが……出来れば、建御雷もコキュートスと差し向かいで酒を飲めるなら飲みたい所だ。

 

コキュートスは、建御雷にとって大切な一人息子の様な存在に近くなっているのだから。

 

まぁ……そんな感じで、多少ウルベルトさんに……と言うか、デミウルゴスに対して多少の羨ましさを感じつつ、デミウルゴスと仲良くしているのは良い事だと、建御雷はのんびりと見ていたりする。

他に、コキュートスと仲が良いのは……そうだなぁ、るし☆ふぁーさんの所の恐怖公だろうか?

るし☆ふぁーさんは、ギルドの中では色々とやらかしていて【ギルド一の問題児】として扱われている。

 

これに関しては、自分も悪戯の対象になった事があるので建御雷も承知しているが、個人的にコキュートスと恐怖公を介してメールをやり取りする様になってから知ったのは、実際はもっと思慮深い所がある相手だと言う事だ。

 

それは、恐怖公の育成具合を見れば良く理解出来るだろう。

これでも、新吉原などと言う場所に仕事の都合で関わる関係上、それ相応の人を見る目を持たざるを得ない建御雷の目から見て、恐怖公はそこらへんに居る富裕層の似非紳士共よりも、余程人格者の紳士だと思える程だ。

それはつまり、【ユグドラシル】でのNPC設定を忠実に守る様な紳士としての教育を、るし☆ふぁーさんが恐怖公に施したと言う事になる。

礼儀作法だけでなく、この短期間でその人格にまで紳士としてきっちり仕上げて育て上げてくる時点で、るし☆ふぁーさん自身も確実に富裕層出身だと考えて良い。

 

とすれば、もしかしなくてもギルメンの中では割と年上の方に当たるんじゃないだろうか?

 

【アインズ・ウール・ゴウン】は、初期メンバーが全員社会人だった事もあり、後続加入メンバーにも二つの原則が付いた。

一つは、異形種である事。

これに関しては、見るまでも無く異形種ギルドである以上、所属するなら異形種と言う括りになった。

二つ目が、社会人である事。

こっちは、他のギルメンが社会人としての経済力をもって重課金している事から、まだ自分自身の経済力がない学生は遠慮して貰っているのである。

そう考えると、後続メンバーの一人であるるし☆ふぁーさんが富裕層出身で最高学歴となる大学まで通っていた場合、就職した後に加入した事も考慮して年齢は現時点で最低でも二十三歳以上と言う事になる。

だとしたら、悪戯などをしている事が少々幼稚な行動の様な気もするが、もしかしたらゲーム内でギルメンに対して悪戯をする事で、スキンシップ取ろうとして失敗していたのかもしれない。

 

悪戯は、人の気を引く為の一つの手段だからな。

 

るし☆ふぁーさんの性格や【リアル】に関して、多分これで合っているだろうと言う推測はこんな所だが、もちろん本人に確認するつもりもなければ他人に言うつもりもない。

流石に、るし☆ふぁーさん本人が言わないで黙っている事を、推測だけで建御雷がギルメンに対して話していい案件だとは思っていないからだ。

こうして、割と小まめにメールのやり取りをする様になってから、建御雷もるし☆ふぁーさんの性格が本当はどんな感じなのか理解したので、メールのやり取りすらまともにしていないギルメンは気付けないだろう。

 

コキュートスも、建御雷と同じ様な印象をるし☆ふぁーさんに感じているらしく、割とメールを届けに行くのを楽しみにしている気がする。

 

弐式さん……あー、本当は弐式やんと言いたい所だが、なんか微妙な気がしたんで弐式さんでいいわ。

で、弐式さんの所のナーベラルも定期的にメールを持参してくれる。

見た感じ、俺達二人と同じ様に彼らも気が合うのか、二人だけにしておくと割とナーベラルもコキュートスも羽目を外して滅多に見れない表情とかを見せてくれるので、基本的にナーベラルがメールを持ってきている時は、電脳空間に姿を見せない様にしていた。

 

いや、うん……流石に、もしコキュートスがナーベラルの事をそう言う意味で気に入っていたとしたら、お邪魔になっちまうからな。

 

そう言えば、一人だけうちに来る度にコキュートスを【裸族】とからかっていく嬢ちゃんがいた。

茶釜さんの所のアウラだ。

正直、メールの配達で顔を合わせた際の軽口の合間に出てくる程度ではあるが、コキュートスの種族的なものなのでどうする事も出来ない案件である。

一応、一緒にメールを持ってきているマーレが諫めようとしてくれているし、本当に邪気の無い軽いじゃれ合い程度で言われる事がある程度だが、彼女たちが帰った後で地味に本人が傷付いているのが判るから、出来れば止めてやって欲しい所だ。

 

本当に、アウラはそう言うからかいの語彙をどこで覚えてきたのやら。

 

この辺りは、今度の定例会議の後にでも茶釜さんに相談してみるとしよう。

人様の所のメールペットを、こちらの考えだけで勝手に叱ってしまうのは拙いだろうし、親に当たる茶釜さんから言われた方が、自分が悪かった点などを反省するだろうし、何よりアウラ本人も納得出来ると思うからだ。

多分、アウラ本人は気軽な軽口程度の認識だろうから、俺が叱るよりも茶釜さんに叱られたらかえって重く受け止めてしまうかもしれないが、この辺りは要反省案件として我慢して貰うとしよう。

 

メールが良く来るメンバーは、今挙げた面々が殆どかな?

 

後は、冒頭で挙げたたっちさんの所のセバスくらいだ。

どちらかと言うと、セバスもメールを運んでくる事は少ない気がする。

うちのコキュートスは使いに出すけど、「返事はログイン出来ないのでは無ければ、当日顔を合わせた時で構わない」とメールに書いているからだろう。

大概がたっちさんへのPVPの申し込みメールだから、そこまで返事を急ぐ必要が無いものばかりだからだ。

他の連中からもメールは来る事は来るが、そこまでの頻度ではない。

だから、建御雷は知らなかった。

 

今、それぞれの自分以外のギルメンや、コキュートス以外のメールペット間で問題になっているあるメールペットの事を。

 

いつもの様に、メールペットの育成自慢で始まった定例会議は、全員の発表が終わるのを待っていた茶釜さんの発言によって、その問題のメールペットであるアルベドの主であるタブラさんに対する非難の声が相次いでいた。

正直、今回の一件は一切知らない状況だった事もあり、建御雷にはそれに関してどう口を挟んで良いのかいまいちよく判らない。

これが、何かのクエストなどの攻略に関する話し合いとかなら、多少事情が分からなかったとしても幾らでも口を挟んだだろう。

だが、実際に一度も経験していなければ、そもそも()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()と言う事を口にする方が、別の意味で余計な騒動に発展しそうな気がしたから、口を挟めないのだ。

そう……実は、タブラさんと建御雷の間では、今まで一切のメールのやり取りがなされていない。

何故なら、ほぼ毎日の様にこの二人は【リアル】で顔を合わせている為、わざわざメールのやり取りをする必要が無いのだ。

 

だから、彼らが問題だと言うアルベドの行動の被害に、建御雷やコキュートスが遭う筈がないのである。

 

当然の話だが、タブラさんとのメールのやり取りが無ければ、アルベドが建御雷の元を訪ねてくる事も無いので、暴走しているだろう彼女による被害に遭う事もなく、完全な蚊帳の外に置かれていたと言っていい。

そんな状況下で、建御雷に何が言えると言うのだろう。

本音を言えば、タブラさん側の様々な事情を知る身として、ある程度まで彼の事を庇った後できっちりと弁明させてやりたい。

だが、それをするにはどうしてもタブラさん側の【リアル】事情やら、自分たちがお互いに顔見知りである事やらを説明する必要がある。

 

流石に、それをタブラさんが許すとは、建御雷にはとても思えなかった。

 

だからこそ、建御雷はその場で沈黙を守るしか出来なかったのだ。

今回の一件は、最終的に【タブラさん自身がアルベドを躾直せるかどうか、しばらく様子を見る】と言う事で、なんとか話が落ち着いた。

と言うか、それ以外にタブラさんが受け入れなかったのである。

まぁ、ギルメンたちが思っている以上に、タブラさんはある一部分で頑なな所があるからな。

ギルメンたちは、「タブラさんの拘りゆえの反応」だと考えてくれている様だが、実際はそれだけが問題じゃない。

全部事情を知るが故に、建御雷は大きく溜め息を吐くしか出来なかった。

 

「一先ず、明日会った時にきっちり説教は確定だとして……俺に、タブラさんに今回のアルベドの一件がどんな風に問題があったのか、理解させられるのか?

あの、下手に頭が良すぎて語彙が豊富な分、周囲から見て時々本来の話から一周回って全く別の論点で話している事が多い、あのタブラさんを?

……あー……流石に、俺には荷が重い気がするなぁ……」

 

思わず、深々と溜め息を吐きながらそう呟いてしまった建御雷は悪くない筈だ。

だが、ここでタブラさんに対して建御雷が手を差し伸べなければ、彼は自分のどこが悪いのか理解するまで相当の時間が必要になるのは間違いない。

しかし、この状況下ではそこまでギルメンたちは待ってくれないだろう。

 

と言うよりも、多分メールペットたちが待ってくれない。

 

そう建御雷が考えたのは、ウルベルトさんがあの会議が終わった後に小さく漏らした言葉を、彼もまた耳にしていたからである。

もちろん、それだけですぐにメールペットたちが「何かしでかしそうだ」と、そう考えた訳じゃない。

あの後、タブラさんの説教をきちんとする為には今回の騒動を改めて理解しておく必要があるだろうと考え、それぞれ纏めて提出された被害報告を読んでいるうちに、直感的に感じたのだ。

 

これは、ギルメンたちが思っている以上に、メールペットたちの方が煮詰まっているんじゃないか、と。

 

むしろそう考えた方が、ウルベルトさんの言葉にも納得がいく。

とは言え、この件は今の時点ではまだギルメンたちの耳に入れない方が良い気がした。

彼らは、総じて親バカならぬメールペット馬鹿の傾向にあるので、多分建御雷がこの事を彼らに対して話しても「うちの子に限って」と言った感じで否定するだけだろう。

そう言えば、あの時ギルド長であるモモンガさんも、建御雷と同じ様にウルベルトさんが漏らした言葉が聞こえていたらしい。

彼の言葉が聞こえた直後、とても驚いた様子だったから多分間違いないだろう。

彼の性格なら、あの場でウルベルトさんに伝言を速攻で尋ねるか、それとも帰宅後にメールを送るどちらかの手段で、事の真相を問い質しているんじゃないだろうか?

 

あれで、慎重だけど必要だと判断した時には大胆な選択も出来るモモンガさんだし、こんな揉め事の気配を察知してそれを放置しておくとは、あの人の性格から考えてもとても思えないからな。

 

そんなモモンガさんの質問に、ウルベルトさんがどこまで答えてくれるは判らないが、あの人もあれで細かい所に気を配れる人だから、それなりに答えてくれるだろう。

ウルベルトさんも、ギルド内に余計な火種を抱えるのは嫌な筈だ。

今回、デミウルゴスが被害に遭って居ないという事だし、他のギルメンよりは少しだけ精神的に余裕を持って対応してくれそうな気もする。

 

どちらにせよ、建御雷には自分に今出来る事をする以外、選択肢はないのだが。

 

溜め息を吐きながら、建雷御はコキュートスが待つメールサーバーに降りると、毎晩寝る前にしている習慣をこなす事にする。

それは、コキュートスがその日に見た時代劇の感想を話し合う事だった。

色々と忙しい仕事の都合上、余り時間を取って構ってやれない分、夜に纏めて話をする事で少しでもコミュニケーションを取る様にしている。

好きなものの事なら、普段は余り喋らないコキュートスの口も饒舌になると、そう判断したからだ。

そして、それは間違いじゃなかった。

一日の出来事も含めて、コキュートスは様々な事を話してくれる。

そんなコキュートスを前に、まだまだ彼との生活は試行錯誤な日々だなと、ひとりごちるのだった。

 




という訳で、長らくお待たせいたしました。
建御雷さんの話になります。

建御雷さんだけは、本気でアルベドの件は蚊帳の外でした。
もし、この件を事前に察知していたらもっと話は変わっていたと言う。
そして、タブラさんに関して色々と実情を知っている人物でもあります。

皆さん、この二人がどんな関係なのかとか、建御雷さんから見たタブラさんがリアルでどんな立ち位置に居る人なのか、読みたいですか?
pixivでもお尋ねしているのですが、読みたいかどうかご意見を活動報告の方にいただけると助かります。


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弐式炎雷と不器用なメイドとの多くの失敗と小さな成功を繰り返す毎日

メールペットシリーズ、今回はこの方のお話になります。


弐式炎雷の朝は、かなり早い。

大手企業の地方支社の一般事務職である事もあり、仕事的な面では始発出勤組であるギルメンよりもゆっくりで構わないのだが、それでも早く起きているのにはそれなりの理由がある。

ヘロヘロの手によって、アインズ・ウール・ゴウンのギルメン全員に配布される事になり、彼の家にやって来た可愛い娘の様なメールペットが、色々と自分の仲間たちの噂を聞き付けては自分でも実行しようとした結果、色々と困った失敗をやらかしてくれているからだ。

 

そう……弐式炎雷が、自分のメールペットとしてNPCの中から選んだのは、自分が作った戦闘メイドプレアデスの一人であるナーベラルである。

 

彼女なら、弐式炎雷が自分で色々と組み上げたNPCだから、メールペットとして自分と上手くやっていけるとそう思っていたのだ。

他の仲間たちも、基本的に自分が作ったNPCをメールペットにしてた事も、彼女を選んだ理由の一つだったのだが……実際に受け取って彼女の事を育成し始めてから、弐式炎雷は思わぬ問題に気付かされる羽目になった。

もし機会があるなら、他の仲間たちの所では同じ様な状況になっていないのか、出来れば聞いてみたいと思う様な彼女の問題点。

 

それは、ナザリックのNPCとしての意識が影響しているのか、それとも仲間の一部が色々と主の世話をしている事を知ってしまったからなのか、ナーベラルが弐式炎雷に対して彼に仕えるメイドとして色々とリアルの世界に干渉しようとしては失敗し、結果的に予想外の被害を出している事だった。

 

もちろん、最初からナーベラルはそんな行動をしていた訳じゃない。

最初の頃は、ナザリックにいるNPCの【ナーベラル・ガンマ】のデータをダウンロードされただけの、ごく当たり前のメールペットとして弐式炎雷が頼んだメールの配達を中心に、普通に過ごしてくれていたのだ。

そんな彼女に変化が起きたのは、お互いにメールのやり取りをする事で他のメールペットとの交流するうちに、デミウルゴスや恐怖公といった、主のお世話をするタイプのメールペットがいる事を知った頃だろうか?

 

今思い返してみれば、自分と同じメールペットの彼らに主のお世話が出来るなら、自分にも出来る筈だと思い込んでしまったのだと思われる。

 

デミウルゴスは、サンプリングデータを取る為に最初期から活動しているメールペットの【始まりの三体】の一体であり、データ容量が他のメールペットとは違っているので、そもそも比較対象にはならない。

ウルベルトさんによるバックアップの元、あらゆる面での知識の収集に余念がないデミウルゴスは、既にメールペットの枠を超えている気もするが、それはそれとして。

正直言って、彼はギルメンが持つほぼ全てのメールペットの【祖】に当たる様な存在なのだ。

 

他のメールペットより、出来る事が多いのは当然である。

 

同じ様な理由で、【ナザリック】ではナーベラルの姉妹であるソリュシャンも、主のお世話が出来るメールペットとして挙げていいだろう。

彼女も、【始まりの三体】として最初期から存在している上、現在進行形でヘロヘロさんの公私共に手伝いをしている万能系メイドなのだが、姉妹の彼女に出来るなら自分にも出来るのではないかと、余計にナーベラルが思い込んでしまった可能性もある。

正直、彼女もまたナーベラルとは根底のスペックが既に違っているので、比較対象にしていい存在ではない。

 

その辺りを、ナーベラルがちゃんと理解出来ていたら、ここまで暴走していなかっただろうが。

 

主のお世話系メールペットとして、最後に名前が挙がるだろう恐怖公は、あのるし☆ふぁーさんが本気でそれはもう綿密な育成プログラムを最初の段階で組み上げて一気に紳士まで育て上げた、これまた別格のメールペットだ。

これに関しては、メールペットを決める彼を怒らせる様な真似をしたギルメンたちに対して、本気で見返す為に情熱を注いだ結果なので、別格と考えるべき存在だろう。

彼もまた、ウルベルトさんと同様に恐怖公の為に様々な知識を与える事に余念がないし、それに対してきっちりと期待に応えている恐怖公の努力を考えれば、彼と比較する方が間違っていると言っていい。

 

そもそも、ギルメン達はメールペットに対して癒しを求めてふわふわに育てているんだから、普通のメールペット達がそんな事が出来る様になるまでには、それこそ長い時間を掛けて様々な事を学習して出来る様になっていくという、段階を踏む必要がある案件なのだ。

 

どうやら、ナーベラルにはその辺りが良く判っていないらしい。

他の、大半のメールペットたちが普通に主との交流を楽しんでいる中で、彼らの様な【お世話系メールペット】の存在はある意味特殊ケースだというのに、自分にも出来る筈だと思い込んでしまったのは、弐式炎雷側にも実は問題があった。

彼女が、自分には向いていない方向で動き始めたばかりの頃、どうしてそう言う行動をしているのか、その理由を深く考えもせずに手放しに何かを手伝おうとする行為そのものを誉めてしまったのが悪かったのだろう。

 

ここでもう少しだけ、ナーベラルに対して弐式炎雷が彼らの様な特殊ケースとの違いを言うべきだった。

 

更に不味かったのが、その少し前に弐式炎雷側にうっかりミスを起こして予想外の状況になり、その結果としてナーベラルに妙なやる気を持たせてしまった事だろう。

そう、弐式炎雷がついうっかりと言った感じのミスを引き起こした為に、ナーベラルが自分に向いていない方向で努力をしようと本気で頑張り始めてしまったのだ。

もちろん、後で弐式炎雷もその事に気付いて何とか彼女の考えを修正しようとしたのだが、どうしても無理だという前に泣かれてしまって、どうする事もない状況を作り出してしまった切っ掛けの一件。

 

それは、【ナーベラルによる、弐式炎雷のリアルの職場の同僚への罵倒事件】である。

 

その日、弐式炎雷は前日の夜にギルメンと赴いた狩りに時間が掛かり過ぎて、睡眠時間がかなり少なく寝不足の状態だった。

普段なら、自分のリアルの職場でメールを立ち上げている際はもっと周囲に注意しているのだが、この日ばかりは前日夜更かしによる寝不足が祟り、かなり注意散漫だったのだ。

そう……こっそりと近付いてきた職場の同僚の存在に気付かず、うっかりそいつに端末を覗き込まれるのを許してしまう位には。

更に、端末の中のメール受信画面にいるのがメイドだと知ったそいつが、普段から隙が無い弐式炎雷への不意打ちに成功した事に調子に乗って、覗き込んだままナーベラルに声を掛けるのを、彼は阻止出来なかったのである。

運が悪い事に、その男が声を掛けたタイミングがメールを立ち上げたばかりで。弐式炎雷がナーベラルに声を掛ける前だった上、急に声を掛けられた事に驚いた弐式炎雷が操作ミスをして、自分たちがいるリアルの画像とナーベラルの視点を繋いでしまったのだ。

ナーベラルからすれば、主との交流をする楽しみの時間だったのに、いきなり知らない男の声が掛けられたかと思うと、大きな画面が現れて人間の男が覗き込む様に自分の姿を見ていたのである。

 

こんな状況になって、トラブルが発生しない筈がない。

 

彼女は、アインズ・ウール・ゴウンのギルドメンバーとナザリックのNPCの仲間以外、全ての存在を下等な存在と認識しているらしい。

と言うか、元になったナザリック側のナーベラルの設定が、異形種ギルドである事から人間種に対してそう言うものの見方しているのを、弐式炎雷自身がすっかり忘れていた。

自分がノリノリで、色々な昆虫図鑑か虫の名前などの罵倒の言葉を仕込んでおいたのに、だ。

 

その結果、彼女は弐式炎雷の職場の同僚である【人間】に対して、しっかりと暴言を吐いてくれたのである。

 

今にして思えば、あの時のナーベラルの反応は突然知らない人間種の顔が大画面で表示された事で、ひどく驚いたのだろうと言う事は、弐式炎雷にも想像が付く。

今まで、ずっと人間の姿など見た事もなかったという点を考えれば、彼女の過剰とも言える反応も仕方がない事だっただろう。

それも含めて、全部、弐式炎雷側がもう少し周囲を注意してからメールを開いていれば、防げた案件でもある。

 

元を糺せば、勝手に人が起動しているメール画面を覗き込んだ、その同僚の方が余程マナー違反なのだが……ナーベラルが暴言を吐いてしまったのは間違いないので、彼に対してのフォローはちゃんとした。

 

この男に対してフォローせず、放置しておいて余計な事を周囲に広められる方が、後で状況が掴めない事に発展しそうで色々と困る気がするからだ。

特に、口の軽いこの男に対してナーベラルの事は「【ユグドラシル】のギルド仲間が動作テストとして送って来た拠点用のNPCデータ」だと言う事にしてある。

事実、彼女はナザリックの中で稼働しているNPCなのは間違いないし、AIの担当はヘロヘロさんだから全くの嘘でもない。

それに、こいつも弐式炎雷がユグドラシルをプレイしているのは知っているので、「メールを開いて最初に見た相手に対してあの言葉を言う様に設定してあったんだろう」と言えば、納得してくれた様だった。

拠点用NPCは、設定したルーチンワークでしか動かないから、そいつからナーベラルが見えない様に画面を一時的に落とす動作をしながら「かなり悪戯好きの仲間がいるので、多分そいつからのちょっとした悪戯だ」と笑って説明したのだ。

どうやら、そいつも割とくだらない悪戯を仕掛けてくる奴だったので、弐式炎雷が前に「酷い悪戯好きなギルドの仲間がいる」と話した事もあり、それであっさり納得してくれて助かったとも思う。

 

ここで、この同僚から下手にしつこく聞かれたら、面倒な事になっていたと思うからだ。

 

状況的に、この場に留まっていてもメールサーバーを立ち上げるのは難しいと判断した弐式炎雷は、上手くその同僚や周囲に対して誤魔化しつつ端末を片手に急ぎ足で移動すると、人がいない休憩室を選んでするりと身を滑り込ませ、素早くメールサーバーを立ち上げ直す。

急いで立ち上げた先に待っていたのは、いきなり幾つもの不幸な出来事が重なった為に、主である弐式炎雷に嫌われたのではないかと、涙目になっているナーベラルが部屋の隅で蹲っている姿だった。

 

弐式炎雷が、せっかく初めて昼間の時間にメールを立ち上げてくれたのに、待ち構えていたのはナーベラルが知らない下等な人間の顔で、しかもすぐに弐式炎雷側から端末を閉じられてしまったと言う事実は、酷く彼女を傷つけたのだろう。

 

どう見ても、【捨てられた子犬】の様な雰囲気を漂わせていて、このまま彼女の事を放置出来る様な状態ではなかった。

慌てて必死に宥めたのだが、ナーベラルはまだ何処かグズグズと鼻を鳴らしている。

そんな彼女の様子を窺いながら、弐式炎雷が出来るだけゆっくりと話を聞くと、やはり知らない下等な人間の姿に驚いて、パニックになってしまっていたらしい。

彼女なりに、その原因である人間の男を追い払おうとした結果、あんな反応になったそうだ。

そんな彼女の話を聞いて、弐式炎雷は人目を気にせず端末を操作した自分が悪かったのだろうと、心の中で反省する。

少なくとも、ナーベラルのミスではない。

 

例え……彼女自身の言動に、かなりの問題があったとしても。

 

頭を優しく撫でてやりながら、気付かれない様にそっとナーベラルの様子を見ると、漸く落ち着いたのか与えたホットミルクをちびちびと飲んでいる。

だが、これは弐式炎雷が怒っていない事実に安心しただけで、やはり自分が実際に引き起こしてしまったトラブルがどんな問題を生むのか、その辺りをナーベラルはまだ理解出来ないのだろう。

先程も考えたのだが、そもそもこの事態を引き起こす原因を作ったのは、周囲を気にせず外でメール端末を無造作に開いた弐式炎雷自身だ。

職場でメールを開くなら、もう少し周囲を注意しつつ行動しないと駄目だと言う事を忘れていたなど、自分に色々と問題があったのは理解している。

 

今回の一件は、本当に外で端末をチェックする際の大きな失敗だった。

 

その一件があってから、ナーベラルは色々と仲間に話を聞いて回ったらしい。

彼らから、自分たちがどんな感じで過ごしているのかという話を聞いた事で、リアルの世界の事情をある程度中途半端な形で把握したナーベラルは、今回の自分の行動が割と大きな失敗だったという事を知ってしまったのである。

それによって、リアルでの弐式炎雷の立場が悪くなったのではないかと不安になり、せめて自分が弐式炎雷の為に出来る事をしようと、色々とやり始めたのが彼女の行動が始まった発端である。

もちろん、彼女が自分の意思で行動する事に関しては、別に弐式炎雷としても大きく反対するつもりはない。

むしろ、ナーベラル自身の成長の証として、心から喜びたいと思う部分はあるのだ。

 

ただ、人には向き不向きというものがあると言う事を、彼女にもきちんと理解して欲しいとは思うが。

 

******

 

リアルの話に傾き過ぎたので、ひとまず話は元に戻すとしよう。

 

ナーベラルの行動に関して、本音を言えば別に無理をしなくてもなどと色々と思う所があるものの、弐式炎雷本人的には本来の彼女の役目であるメールペットのメール配達に関して言えば、特に問題がある訳ではないので、多少の事までは構わないと思っていた。

少し前にあった会議で議題になった、タブラさんの所のアルベドの様な問題行動はしていないし、それなりに仲の良い仲間もいるのを知っている。

特に、建御雷さん(と言うと、なんか気分が変だから次からは建やんにする)の所のコキュートスとは、かなり仲良くやっているのを知っているので、それならそれで良いとも思っていた。

どうやら、人間関係などはどちらかと言うと親と似た関係を構築している様だ。

子供は親に似るというより、メールの配達回数が多い事に起因しているのだろう。

とにかく、二人でいるとまるでユグドラシルの中でプレイする際の自分たちの様なやり取りもしているのを、何度も見た事があった。

性別は違っても、こんな風に息が合う相手がいるのは、彼らにとっても悪い事ではないと弐式炎雷は思っている。

 

そうそう、先程ちょっとだけ話に出たタブラさんだが、彼にもちょっとした変化が起きたらしい。

アルベド自身が、出先で取る行動にはそれほど変化がない気もするものの、そんな彼女の代わりをするかの様に、彼の所にメールを配達に行くと、メールペットたちに対してフォロー的な行動をする様になったらしいのだ。

具体的に挙げるなら、ナーベラルがメールを届けに行った際は、今までおやつをくれる程度の相手しかしなかった彼が、メールを受け取った後軽く頭を撫でてくれたり、「いつもメールをありがとう」と一言だけではあるものの、声を掛けてくれたりする様になったと聞いている。

まだまだ、他のギルメンに比べるとメールペットに対してのスキンシップが少ない方ではあるが、それでも以前と比べればかなりの変化だと思える部分だった。

 

あ、でも……アルベドにもちょっとだけ変化はあったかな。

 

今までは、とにかくメールを持ってきたらそこのギルメンに引っ付いて離れようとしなかったし、ナーベラルに対して弐式炎雷が目を離した隙にとにかく苛める様な行動をしていた上、中々弐式炎雷のサーバーに居付いて帰ろうとはしなかった。

だけど、最近はギルメンに引っ付くのは変わらないものの、まるで得物を狙った肉食獣の気配じゃなくなったし、ナーベラルに対して何か言っているけどそこまで酷いものじゃない様だ。

だって、いつもアルベドに色々と言われて涙目になっていた筈のナーベラルが、彼女の言葉を聞いても涙目にならなくなっているからな。

そして……今までの様にいつまでも居付いて帰ろうとしないんじゃなく、ある程度の時間になったら自分から素直にタブラさんの所に帰る様になった。

 

ただし、帰り際に弐式炎雷に対して投げキッスをしていく様にはなったけど。

 

こうやって考えて見ると、今までのアルベドに比べたらかなりましな行動になった気もするけど、やっぱりまだまだ駄目な行動の域を出てはいないかもしれない。

それでも、次第に改善されていくのならもう少し弐式炎雷としては見守っても良いと、そう考えている。

今回のアルベドの騒動を、実は全く知らなかった(タブラさんとは仕事先で直接会う事から、メールのやり取りをしてなかったらしい)建やんから、二人きりの時に頭を下げられて頼まれたからだ。

 

タブラさん側にも色々と理由があって、今までメールペットを育てると言う事が良く判っていなかったらしい。

 

リアルでの知り合いな分、その事情を知っている建やんがフォローに入るから、「もう少しだけ長い目で見てやって欲しい」と彼に頭を下げられたら、弐式炎雷に断る事なんて出来なかった。

それに弐式炎雷も、タブラさんの今回の対応を危なっかしく思っていた一人だ。

彼が、これから少しでも変わる手伝いが出来るなら、喜んで引き受けるつもりはある。

 

彼も、大切なギルドの仲間なのだから。

 

そうそう、ナーベラルの親しいメールペットだが、普段からコキュートス以外で特に仲が良い相手の名前を挙げるなら、実は恐怖公だったりする。

彼の主であるるし☆ふぁーさんとの付き合いは、建やんから色々と個人的に付き合ってみたら印象が違っていたと言われて、試しにメールでやり取りを始めたのがきっかけだ。

確かに、るし☆ふぁーさんは色々とギルド内では問題児だったけど、個人的に色々と話を聞くのはとても話題が豊富で思っていたよりも楽しい。

そしてそれは、彼のメールペットである恐怖公にも同じ事が言えると言っていいだろう。

今は、とにかく何でも学びたいと考えているナーベラルにとって、恐怖公は様々な事を教えてくれる丁度良い教師役に近い存在だった様だ。

何より、彼が弐式炎雷の所にメールを運んで来て滞在している間は、アルベドがメールを持参してきたとしても長居する事はないから、色々な意味で助かってもいる。

 

そう言う訳で、ナーベラルも彼に対しての対応は師を仰ぐ様なそんな感じだと言っていいだろう。

 

同じ様な存在が、ウルベルトさんの所のデミウルゴスだ。

彼は、元々メールペットでのやり取りが開始された辺りから、ヘロヘロさん達と手分けして他のギルメン達の間で何か問題が起きていないか色々とチェックしてくれているらしく、ナーベラルとデミウルゴスともそれなりに交流があるらしい。

とは言っても、ウルベルトさん本人からはそこまで頻繁にメールが来る訳じゃないから、メールを持ってデミウルゴスが顔を出した時は、割とすごい長話をしている事が多い位だろうか。

デミウルゴスも、同じメールペットの仲間としてかなり面倒見が良い所を発揮しているので、ナーベラルが頑張っている事に対して協力を惜しむつもりないらしい。

 

弐式炎雷としては、ナーベラルが上手く付き合っていけると安心出来る人物の一人なので、こんな風に付き合いが出来て良かったと思っている。

 

他にも、モモンガさんの所のパンドラズ・アクターとは、割と仲良くやっていると思う。

仲間に対する気遣いは、彼の主であるモモンガさん譲りらしく、彼もまたナーベラルの相談相手の一人の様だ。

同じ二重の影と言う種族も、パンドラズ・アクターへの相談し易さに繋がっているなら、良かったと思っている。

モモンガさんとも、パンドラズ・アクターとも上手くやっていけるなら、悪くないと弐式炎雷は思っているのだから。

 

彼ら以外で、ナーベラルと仲が良いのは、意外かもしれないがシャルティアだったりする。

 

これに関しては、完全に弐式炎雷自身とペロロンチーノさんの繋がりから出来た縁だと言っていい。

やはり、頻繁にメールのやり取りをする事で顔を合わせていれば、特にナザリック側のNPC同士で仲が悪いと設定されていない限り、自然と仲良くなるものなのだろう。

特に、メールペットとしてのシャルティアは、ナザリックにいる彼女とは違って色々と性格が修正されているから、ナーベラルでも付き合い易くなっている事も、仲良くなれた理由だった。

なんでも、シャルティアとはデミウルゴスへの弟子入り仲間なのだそうだ。

 

一応、完全な脳筋からは脱出したらしいのだが、元々おバカな系統のシャルティアと、不器用でドジッ子の片鱗を見せるナーベラルの組み合わせは、何処か危険な気がするのは気のせいだろうか?

 

ナーベラルに関して、弐式炎雷が一つだけ可哀想な事をしているとすれば、ナザリックの設定では姉妹となっている他のメールペットのプレアデスの面々たちと、余り仲良くさせてあげられない所だろう。

普段から、長女のユリの主であるやまいこさんを筆頭に、弐式炎雷自身が彼らの主と余りメールなやり取りをしない事が原因だった。

本当は、彼女達が全員で集まってお茶会をしている所を見たい気もするが、今のメールのやり取りをしている状況では、少し難しいかもしれない。

この辺りは、誰もが似た様な考え方をしていたとしても、誰の所から最初にプレアデスの集まりをするのか、そこで揉めそうな気がするのだ。

出来れば、自分の所で最初のお茶会をしたいと思うが、「長女であるやまいこさんのユリの所から」と言われてしまえば、以外に反論し難いし。

 

まぁ、そんな話も出ていない時点では、考えるだけ無駄な気もするし、根回しをするだけの時間があると思うべきなのかもしれない。

 

弐式炎雷自身にも、メールペットを受け取った後に一つだけ変化があった。

職場で先程語った一件があった後、基本的には昼間のメールチェックはしなくなった事だ。

正確に言うなら、勝手にメールを覗き込んでナーベラルに勝手に話し掛ける様な、そんな人物の前ではメールを開かなくなったと言うべきだろう。

 

ああいうトラブルは、一回だけで十分だからだ。

 

それに、現時点でもナーベラルの行動に対してのフォローは割と大変なのに、これ以上ナーベラルとリアルの職場の人間を接触させて変なやる気を持たれたら、それこそ変な空回りをした上でとんでもない言動をされてしまう事態になりかねない。

もし、今度そんな事態に陥ってしまったら、それこそ会社の人間関係に罅を入れてしまうだろう。

 

色々な意味で、余り昼間の休憩時間にメールを開いて確認するのは躊躇われる状況だった。

 

では、弐式炎雷がいつメールをチェックしているのかと言えば、朝の時間帯以外だと仕事が終わった直後だったりする。

大企業の支社勤務で、割と残業をしなくても済む事務職勤務の立場を最大限に利用し、他のギルメンよりも早く帰宅出来る方だと自負する弐式炎雷は、仕事が終わるとほぼ直帰してメールにチェックに入る事にしていた。

その方が、短い時間ではフォローしきれない可能性もあるナーベラルと、ゆっくりとコミュニケーションを取りながら、きっちりギルメンからのメールのチェックが出来るからだ。

色々と、「弐式炎雷の為に、自分に出来る事が無いか」と行動したがるナーベラルだが、まだまだ問題が多い彼女にデミウルゴスや恐怖公の様な真似はさせられない。

少なくとも、仕事のスケジュール管理なんて油断したら職場の人間と接触する可能性がある事なんて、とても任せられないと言っていいだろう。

 

とは言え、弐式炎雷自身としては彼女のやる気を完全に潰すつもりもないので、試験的にナザリックの仲間との約束をした時のスケジュール管理を任せてみているのだが。

 

今の時点では、相手がギルメンと言う事もあってメールのやり取りの段階でのダブルブッキングはさせていないので、このまま彼女にも任せられる事が増えると、弐式炎雷的にも嬉しいと思う。

そう思うのだが……流石に、まだ朝の目覚まし役までは頼めなかった。

彼女の中で、弐式炎雷が人に使われる立場で仕事に行くと言う事が納得出来ていない以上、一度声を掛けて弐式炎雷が起きなければ、そのまま起こさずに済ませてしまいそうな気がして怖いからだ。

下手をすれば、仕事を首になる様な状況を自分から招くなんて真似は流石に出来ないので、今の所は彼女から【朝、起こす役目を是非私に任せていただけませんか】と言う懇願も却下している。

 

もう少し……そう、もう少しだけ彼女が色々な意味で成長してくれたら、休みの日の目覚まし役から任せていきたいとは思っているが。

 

一通り、メールチェックとナーベラルとスキンシップを取った後、弐式炎雷は【ユグドラシル】にログインする。

それ位の時間が、丁度仲間が集まる時間帯になるからだ。

ログインした先で、待ち合わせをした仲間と予定通り冒険に出るのが殆どだが、時にはギルドで仕切ったクエスト等になる事もある。

 

こればかりは、毎回突発的に発生する事もあるので、ナーベラルのスケジュール管理外でも仕方がない案件だったりするが。

 

そうして、ユグドラシルで一頻り仲間と一緒に遊んだ後、弐式炎雷は仲間と別れてログアウトする。

ログアウトすると、メールのチェックも特にないのですぐに就寝する時間になるのだが、寝る前にナーベラルと少しだけ話す事にしていた。

この時間帯に話した方が、ナーベラルと一緒に一日の反省会が出来るからだ。

これもまた、彼女の成長の為に欠かせない事だと考えて、必ず忘れない様に弐式炎雷は行っている。

 

そうして、弐式炎雷と不器用なメイドの失敗と少しの成功の毎日は過ぎていくのだった。

 




という訳で、弐式炎雷さんとナーベラルのお話でした。
因みに、この話はギルド会議の一件から十日後位の視点です。
タブラさん側に変化が起きたのは、そう言う理由です。
建御雷さんの協力で、タブラさんはいくつかの定型文をナザリックの自分の声に変換してメールペットたちにショートメッセージとして使用しています。
メールサーバー内でのボイスチェンジャーは、現在丁度良いのが無いかヘロヘロさんに相談して探して貰って居ます。
諸事情で、普段からゲーム内でもボイスチェンジャーを使用していて、このままメールサーバー内でも使用できるソフトが無いと、メールペットたちと喋れない事を一緒に伝えた上で、です。
今回の話は、弐式炎雷さんしてんなので、この辺りの事情を掛けなかったので補足説明させていただきました。


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騒動の発端 ~ アルベドのちょっとした悪戯心 ~

彼女は、あくまでも悪戯のつもりだったのだ……





その日、アルベドは普段とは違って朝の割と早めの時間に、一通のメールを配達する事になった。

普段なら、こんな時間帯にメールを届けに行くなんて事など、彼女は殆ど無い。

アルベドの主であり、父であるタブラ・スマラグディナは、朝の時間帯にメールサーバーを立ち上げた場合、そのままアルベドの事を軽く構うだけで、それ以外は特にメールの配達を頼む事はなく今日の予定を簡単に告げると、そのまま帰って行く。

 

だから、滅多に無いメールの配達を頼まれた事で、ちょっとだけアルベドの心は浮き立っていた。

 

アルベドだって、メールペットだ。

父であるタブラから、こんな風にメールの配達を頼まれるのは嬉しくて仕方がない。

これは、メールペットにとって一番大切な仕事なのだから、当然の話だろう。

どこか楽しげな気持ちで歩きながら目指すのは、デミウルゴスの主であるウルベルトの元。

 

余り、普段から頻繁にメールの配達に向かう先ではないのに、こんな風に朝の時間帯にメールを配達すると言う事は、割と急ぎの案件なのかもしれない。

 

そんな事を考えつつ、スタスタとそれ程通い慣れてはいなくてもきちんと覚えている道筋を辿った彼女は、デミウルゴスが住んでいるウルベルトのメールサーバーへと辿り着いた。

ふと、電脳空間特有の視界の端に何か黒く蠢く様なものを見た気がしたが、デミウルゴスが支配しているメールサーバーの中には近付く事は出来ないのだろう。

アルベドは特に気にも留めていないが、彼のサーバーに張られているセキュリティシステムのギリギリを蠢くそれは、どこかアルベドの様子を窺っている様だ。

もしかしたら、この分厚いセキュリティシステムを越える為に利用出来ると、そう考えたのかもしれない。

結局、何も出来ないままスルリと影の中に姿を消したのを確認して、アルベドはメールペット間のパスで中へと入って行く。

その後を、アルベドが見た黒く蠢いていたもの追う様に影から出現して続こうとしたのだが、やはりデミウルゴスが張り巡らせているセキュリティシステムによって弾かれていた。

 

もちろん、アルベドはそんな事など特に気にしてもいなかったのだが。

 

ここまで来れば、後の道程は僅かしか残っていない。

サクサクと進んで行く事で、デミウルゴスの家の前に辿り着いたアルベドは、訪問時の決まり通り玄関のドアをノックした。

リズミカルに、それでいて急ぎ過ぎない様に気を付けながら、玄関のドアをノックする回数は三回。

これもまた、ギルメン達の話し合いによってメールペット全員がそうする事に決まった、マナーの一つだ。

 

コン、コン、コンッ

 

普段、こうしてマナー通りに三回ノックをすれば、デミウルゴス本人が居れば彼が出迎えてくれるし、ウルベルトが居る時は彼から入室の許可が下りる。

返事が無い事を考えると、二人とも不在だと思っていいだろう。

元々、ウルベルトは通勤時間の関係上、それなりに朝早い時間帯に仕事に行くらしいので、彼が居ないのは当然の事だ。

デミウルゴスは、ウルベルトから頼まれた朝のメール配達へと向かったのだろう。

そんな事を考えながら、アルベドは決められた通りの手順で玄関のドアを開け、部屋の中へと入って行く。

 

すると、やはり部屋の中には人の気配が感じられず、二人とも不在だった。

 

こう言う時は、持参したメールを入れておく場所が決まっている。

部屋の主のメールペットと、その主であるギルメン達の両方が不在の際は、不在時専用のメールボックスが指定された場所に置いてあるので、その中に入れておけば後でログインした際に読んで貰える事になっていた。

アルベドも、慣れた手付きでメールボックスの中にタブラのメールを入れると、帰宅する為にクルリと踵を返し。

そこで、ふと足を止めた。

 

普段、幾ら傍若無人に振る舞うアルベドでも、デミウルゴスに対して直接何かをしようと言う気は、中々起きない。

 

彼には、アルベドが何かをしようと考えたとしても、あの通りどこにもそんな隙が無いからだ。

これは、ウルベルトに対しても同じ事が言えた。

正直、下手に彼に対して抱き着いてアピールするのは、デミウルゴスに喧嘩を売るのと同意語だとアルベドは認識している。

それなら、デミウルゴスが不在の時を狙えばと言うかもしれないが、彼女がこうして彼に元にメールを届けに来る際には、彼はほぼ確実にこの部屋に居るのだ。

時折、アルベドも諦めきれずにどこか付け入る隙がないか、ウルベルトの様子を窺う事もあるのだが、その度にデミウルゴスが肝が冷える笑みを浮かべている為、そんな彼の前でウルベルトに対しても何かをする程、彼女も馬鹿ではなかった。

だが……今は、この場には誰も居ない。

 

それこそ、彼女にとって格好のチャンスだと言っていいのではないだろうか?

 

もちろん彼女には、デミウルゴスの事を他のメールペットの様に、酷く苛めたりするつもりはない。

下手にそんな真似をすれば、確実に倍になって返ってくる事が解っているからだ。

ただ、ちょっとだけデミウルゴスに対して可愛いレベルの悪戯をして、彼に困り顔をさせてみたかっただけなのである。

実際には、困った顔をしている彼の様子を自分の目で直接見る事が出来なくても構わない。

ただ、その状況を想像するだけで楽しかった。

 

だから、こんな風に偶然が重なって巡ってきた、この最大のチャンスを見逃す事は出来なかったのである。

 

ぐるりと部屋の中を見渡すと、彼が良く座っている質の良い素材をふんだんに使った執務机があり、そこに丁度悪戯するのに良さそうな物を発見した。

アルベドが見付けたのは、デミウルゴスが色々な事を管理しているだろう小さな端末。

そこのデータの順番を一つ入れ替えるだけで、彼女の悪戯は完成である。

多分、並んでいるデータの順番を入れ替えると言う程度の悪戯なら、それ程デミウルゴスにも迷惑を掛ける心配はない筈だ。

ちょっとだけ、データの並びが違う事に彼が戸惑う程度で済むだろうと考え、サクサクと端末を立ち上げてその中のデータの並び順を変えていく。

 

もしかしたら、データを並び替えている最中にほんの一瞬だけ小さなセキュリティホールが発生するかもしれないが、これだけ強固で分厚いセキュリティシステムがあるなら、すぐにフォローしてそれも消えてなくなる筈。

 

仮に、アルベドの行動で小さなセキュリティホールが発生したとしても、それが発生したままずっと存在し続けるのなら問題だが、すぐに消えてしまうなら大丈夫。

そもそも、ここは幾重にもセキュリティに護られた場所にある。

復活したセキュリティシステムが、万が一ウィルスが入って来ていてもすぐに焼いてしまうだろうと高を括ると、彼女は何食わぬ顔をして端末を落とし、そのまま元通りに場所に置いて部屋から立ち去って行く。

 

部屋の外に出る為にドアを開けた時、床と扉のほんの僅かな隙間から何か小さな黒く蠢くものが、スルリと中へ忍び込んだ事にも気付かずに。

 

無事、父のお使いを済ませたアルベドは、きちんと手順通りにデミウルゴスの部屋の鍵を掛けてから、楽しげな様子で岐路へとついた。

今回は、父のお使いとしてウルベルトへのメールの配達だけではなく、初めてデミウルゴスを困らせる為の悪戯が成功したのだ。

その事実が、アルベドの心を高揚させていているのだろう。

一種の背徳感が、自分のした事に対する達成感と混ざり合い、罪悪感すら打ち消していた。

もちろん、後から彼に今回の事で色々と苦情を言われるだろう。

そんな事など、最初から承知の上で実行したのだ。

 

今回の一件が、ウルベルトから父に伝わったら、もしかしたらもっと自分の事をちゃんと見ていなければいけないと、一緒に居る時間を増やしてくれるかもしれない。

 

そんな事を考えつつ、デミウルゴスのメールサーバーから外へ出る為の道程を歩いているが、帰り道も行きと一緒でどこにも異常を感じる事はない。

むしろ、きっちりと重なり合って強固さを誇るデミウルゴスのセキュリティシステムの壁を肌で感じて、かえって安心出来る程だった。

これなら、あの程度ではセキュリティホールが発生する事もなかったのだろう。

やはり、問題はなかったのだと考えつつ、デミウルゴスのメールサーバーを抜けた所で、一気に自分の住むサーバーへと飛んだアルベドは知らない。

 

彼女がした悪戯によって、実際には一瞬だけセキュリティホールを作り出していた事を。

 

あの黒く蠢くものが、実はウルベルトのデータを盗む為に送り込まれたハッキング用のシステムであり、その侵入を許した事でデミウルゴスではなく彼の主であるウルベルトに対して、とんでもない結果を現在進行形で生み出している事を。

そして、それらの事実が結果的にあれだけ自分が怒らせてはいけないと考えていた、デミウルゴスを本気で怒らせてしまう事を。

デミウルゴスの逆鱗に触れた結果、ギルメン達がそれこそ全員で慌てふためく様な騒動になるまで、事態にまで発展する事を。

 

そして……アルベド自身に、今まで彼女が他のメールペット達にしてきた行いに対する、それこそ痛烈な報いが訪れる事を、彼女は知らない。

 

 

 




という訳で、今回は短いですけど彼女が前回の回顧録で語っていた、自分自身がやらかしてしまった事について。
この時点では、彼女は自分がした事を些細な悪戯としか認識していません。
自分がした事が、こんな風に特大の二次被害を引き起こす要因になるとは、欠片も思っていないんですよ。
本人的には、無邪気な悪戯程度の認識です。


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ギルド会議 2 ~騒動の始まり~

メールペットの続きになります。
今回も、ちょっとだけ短めです。
内容的には、ウルベルトさんがかなり不幸な目に合ってます。
ご了承くださいません。


その日……ウルベルトさんは、ユグドラシルに中々ログインして来る様子が無かった。

 

いつもなら、十日に一度のギルド会議の日は、必ず早い時間帯にログインして会議の準備を色々している人だった事もあり、その違和感がギルメンたち全員に広がっていて、どこか何とも言い難い嫌な予感が漂っている。

あれで、普段からギルドの中でも【魔法職最強】としてなまじ存在感がある人だから、他のギルメンが全員揃っている状況で居ない事も、この何とも言えない違和感の原因なのだろう。

その為なのか、どうも空気がピリピリしている事を肌で感じ取ったモモンガは、ギルド長として対応するべきなのかと、色々と考えていた時である。

 

漸く、待ち人たるウルベルトさんがログインしてきたのは。

 

ログインが終了し、円卓の前に姿を見せたウルベルトさんは自分の席に座ると、無言のままぐったりとした様子でその場に突っ伏した。

普段の彼から考えると、ログインして来たらきちんと挨拶をする人だし、こんな風にあっさりとギルメンの前で弱っている所を見せるなんて、到底あり得ない姿だと言っていいだろう。

一体、どうしたものかとモモンガが考えた瞬間、ゆらりと身体を起こしたウルベルトさんは、ギルメン達への挨拶をするのを忘れたまま、かなり強張った声でこう口にした。

 

「すいません……俺は、どうやら皆さんと一緒に居られるのは今日までみたいです。

先程、強制的に会社を首になってしまったので、もう【ユグドラシル】を続ける経済的な余裕は、全くなくなってしまいました……」

 

それだけ言うと、また力なく机の上に突っ伏すウルベルトさんの様子は、もう燃え尽きた様な印象が強い。

昨日まで、そんな素振りも見せずに色々と頑張っていたのを知っているだけに、どうしてそんな事になったのかモモンガには信じられなかった。

似た様な事を、ウルベルトさんの隣に座るペロロンチーノさんも考えたのだろう。

心配する様な声音で、そっとウルベルトさんに声を掛ける。

 

「一体、どうしてそんな事になるんですか?

確か、〖 少しだけですけど役が付くかもしれない 〗って言いながら、先日まで色々と頑張ってたよね?」

 

今の、色々と弱り切っているだろう彼にそれを聞くのは、かなりデリケートな部分でもあるので色々と躊躇う気持ちが大きい。

確かに大きいのだが、どうしてそんな事態に彼が陥ったのか、その事実関係を実際に聞かなければ状況を判断する事も出来ないので、話を切り出したペロロンチーノさんに対して内心拍手を送る。

こんな風に、彼が話を切り出してくれた事によって、ウルベルトさんもただ自分が【首になったから、ユグドラシルを続けられない】と言う事だけを端的に伝えていた事に気付いたのだろう。

少しだけ迷う素振りを見せた後、どちらにせよこの場から去る身だと腹を括ったのか、ゆっくりと口を開いた。

 

「……実は、今日提出の社内コンペの書類があったんです。

ペロロンチーノさんが、先程言った様にその結果次第でほんの少し役が付く可能性がありました。

それの制作には、朱雀さんとかに教えて貰った資料を集めたりとか、デミウルゴスに色々と手伝って貰ったりして完成したものだったんです。

てすが、出社してそれを上司に提出したら、一時間後にそれを精査した工場長から呼び出され、既に俺が提出したものと丸々同じ内容のものが別の社員から三十分前に提出された後だというんです。

後から提出した俺の作成した書類は、そいつのデータを盗んで作成されたものだと勝手に決め付けられて、工場長から首を言い渡されました。

〖 これだけ綿密な書類を、小卒のお前には作成出来る筈がない。

全く同じ内容の書類を提出している、中卒の彼のデータをどうやってか盗んでそれを丸々コピーしだんだろう。

うちの工場に、そんな泥棒の真似をする人間は要らない、貴様は首だ! 〗って。

俺の話は一切聞いてくれないまま、社員が工場に入る為のパスを取り上げられて工場の外へ叩き出されてしまいました。

追い出される際に、工場長の〖お前の私物は全てこちらで処分しておく〗という声も聞こえましたし、もうどうする事も出来なくて……

間違いなく、そいつが俺のデータを盗んだと言えるだけの確証もあるのに、俺の話を聞く気はないと言わんばかりに一切の連絡が繋がらなくて、もう本当に八方塞がりなんです。」

 

そこまで口にした所で、がっくりと肩を落としているウルベルトさんは、本当に今までの様に自信に溢れた姿しか知らないモモンガにすれば、可哀想な程に萎れていると言っていい。

どう考えても、工場長の対応は普通ではあり得ない様な代物だと思う。

だが、ウルベルトさんがどういう交友関係を持っていて、どんな風に問題の書類を作り上げたのか、プライベートに関わる事もあって、彼らは知らないのだ。

それなら、貧困層出身で学歴も小卒のウルベルトさんでは、中卒の社員より劣るのが当たり前だし同じ内容の書類が出されたのだとしたら、ウルベルトさんがその社員のデータを盗んだのだと、そう思われてしまっている可能性の方が高い。

だから、実際には相手の方がウルベルトさんからデータを盗んで提出した物を信用し、彼の方が冤罪を掛けられてしまったのだろう。

 

ざわざわと、ギルメン達からも色々な声が上がる中、一つだけあり得ない事に気付いたのはヘロヘロさんだった。

 

「……ちょっと待って下さい。

確か、ウルベルトさんの電脳サーバーは、デミウルゴスが幾重にも積み重ねたセキュリティシステムの防御壁が護りを固めてる筈ですよね?

前に一度、デミウルゴス本人から〖 ウィルス対策について、ご教授願えますか? 〗って質問を受けて、簡単にだけどそれに関して講義した事あるし、かなりかっちりした代物が構築されている筈だから、そう簡単にウィルスに侵入を許す筈がないと思うんだけど。」

 

「データを取られた事自体が、あり得ない」と、そうデミウルゴスのセキュリティシステムの強固さを知るヘロヘロさんの言葉に対して、がっくりとしたままウルベルトさんは首を振る。

その様子を見れば、そのあり得ない事が起きたのは間違いなかった。

ヘロヘロさんも、それを察したのだろう。

驚いた様に席から立ち上がると、ウルベルトさんの方へと駆け寄った。

 

「ゆっくりで良いですから、状況を整理する為にも話して下さい、ウルベルトさん。

この話は、ウルベルトさん達だけの問題じゃなくなっている可能性があります。

私たちギルメンの中で、一番強固なセキュリティシステムを持っているのは、私の所かウルベルトさんの所なのは、皆さんだってご存知でしょう?

今回の一件が、ウルベルトさんだけを付け狙ったウィルスだったとしても、その影響が他のメールペット達にまで出ないと、断言出来るだけのものがありません。

これは、【メールペットソフト】を使用している私たち共有の問題なんです。」

 

ヘロヘロさんの言った言葉を聞いて、一気に場の空気がウルベルトさんに対して険悪な物へと変わっていく。

確かに、自分たちの可愛いメールペットに影響が出る可能性があると言われたら、黙っていられないのは判る。

だが、あくまでもウルベルトさんは被害者でしかないのに、このままだとまるでウルベルトさんが悪いという感じになってしまうのではないだろうか?

そんな風に、どう考えても非があるとは思えないウルベルトさんとギルメン達が争うなんて言う状況など、とてもモモンガには耐えられなかった。

 

「ちょっと皆さん、落ち着いて下さい。

どう考えても、悪いのはそのウィルスを仕掛けてまでウルベルトさんのデータを盗んだ相手であって、ウルベルトさん本人じゃないですよね?

そんな風に、皆さんが〖 まるでウルベルトさんが悪い 〗という反応をするのは、どうかと思います。

まず、最初に私たちがウルベルトさんに確認する事があるとすれば、データを盗まれたと判明した時点で、どういう対応をしたかと言う事でしょう?

ここに、こうしてウルベルトさんが来ていると言う事は、既にきちんとウィルスチェック等が済んで安全の確認が済んでいるからじゃないかと、私は思うんです。

……違いますか?」

 

周囲を落ち着かせる様に、モモンガは周囲に対してギルド長として発言しつつ、最後にウルベルトさんに対して問う様な声を掛ける。

それを聞いて、自分たちがいつの間にか被害者であるウルベルトさんを責める様な雰囲気を醸し出していた事に気付いたギルメン達は、ちょっとだけバツが悪そうな様子で視線を逸らした。

確かに、モモンガの言う通りだと、その場にいる全員が思ったからである。

微妙だった空気が変わった事と、モモンガが掛けた言葉で少し気が落ち着いたのか、こちらの問いに同意する様にウルベルトさんは頷いた。

彼が同意を示した事で、今の時点ではきちんとウィルスへの対策済みだと判明し、場の空気も少しだけ落ち着きを見せる。

それによって、更に場が落ち着いた事で自分も落ち着いたのか、ゆっくりとウルベルトさんが口を開いた。

 

「……すいません、色々と重なり過ぎてテンパってました。

まずは、ウィルスに関してはモモンガさんがおっしゃった様に、既に対処済みです。

工場から叩き出されてすぐ……それこそデータを盗まれたと考えた時点で、手持ちの端末からデミウルゴスに連絡を取り、俺のサーバー内全部をチェックして貰いましたし、俺自身も自宅に戻った後で出来る限りの処置を取りましたから、まず問題ないでしょう。

元々、俺の電脳空間に侵入したウィルスは、一番新しく登録してある大容量のデータを盗んだら、証拠隠滅の為に消滅するタイプだったと、最初に電脳空間をチェックしたデミウルゴスからも報告が上がっています。

なので、皆さんのメールペット達にも影響は出ません。

それに関しては、間違いないと断言出来ます。

実は、俺とデミウルゴスでそれぞれ三回目のウィルスチェックが済んでほぼ安全が確保出来た所で、丁度るし☆ふぁーさんのメールを運んで来てくれていた恐怖公が、ちょっとした裏技で再度チェックしてくれまして。

それで、一切のウィルスが検索される事はなく安全だと確定してますし、心配ないでしょう。

……出来れば、私のサーバーの中でアレが展開される様は見たくなかったですけど、今回ばかりは背に腹は代えられないので諦めて受け入れました。

あくまでも、恐怖公は好意から申し出てくれた訳ですし、ね……」

 

最初の方は普通に話していたのに、恐怖公が来た事を話し始めた辺りから、どこか声が虚ろになるウルベルトさんに対して、それは楽しそうな笑みを浮かべたるし☆ふぁーさん。

その二人の様子を見ているだけで、どう考えても嫌な予感しかしないのだが、一応何があったのか確認しておくべきだろう。

大きく深呼吸した後、モモンガはあまりその辺りを詳しく話したがらないウルベルトさんではなく、恐怖公の主であるるし☆ふぁーさんに視線を向けた。

 

「……どう考えても、ウルベルトさんが精神的に更に消耗している気がするんですけど、恐怖公に一体何を仕込んでいたんですか?」

 

何となく、この問いに対してるし☆ふぁーさんが口にする答えは予想出来てしまうし、出来ればそれが事実ではあって欲しくはないと思うものの、きちんと彼からどんな事なのか確認しておかないと、後々問題になりそうな案件だとモモンガは思う。

だからこそ、こうしてあまり聞きたくない事を尋ねたのだが、それに対して楽しそうに笑っていたるし☆ふぁーさんは、仕方がないなぁと言わんばかりに口を開いた。

 

「えー……その状況なら、恐怖公がウルベルトさんの所でしたのは、多分【眷属召喚】かな?

どうせなら、ナザリックのNPCの能力の再現に近い事がメールペットにも出来ないかと思って、試しにウィルスチェック用の【恐怖公の眷属】を作ってみたんだ。

何もない状態なら、ごく普通の恐怖公の眷属で済むんだけど、もしウィルスと思われる様な存在を半径五十センチ以内に感知したら、その場で点滅する様にしておいたんだよね。

その能力を使って、恐怖公がウィルスチェックして大丈夫だったら、まず今のウルベルトさんの所でのウィルス感染とかは心配しなくて大丈夫だと思うよ?」

 

ニコニコと、笑いながら説明するるし☆ふぁーさんに、恐怖公が苦手なギルメン達から一気に血の気が引く。

想像するのも嫌だが、実際にそれを体験させられたウルベルトさんが居る以上、本当に恐怖公が持つ能力なのだろう。

そう理解した瞬間、またぐったりと机に突っ伏したウルベルトさん以外のギルメン達は、そんな能力を恐怖公に付けたるし☆ふぁーさんに対して思い切りドン引いていた。

 

どう考えても、ウィルスチェックと言う名を借りた、ナザリックの第二階層にある【黒棺】の再現である。

 

流石に、どんな名目を付けていても、それはない。

恐怖公単独なら、それほど気にせず平気に相手が出来るモモンガでも、【黒棺】だけは用もなく自分から行ってみようとは思わない。

それを、自分の電脳空間で再現されたりなんてしたら、暫く電脳空間に降りる際にそれを思い出してしまいそうな位には、立派な恐怖体験なんじゃないだろうか?

状況的に、今回ばかりは仕方がなかったと言う事が判っていても、自分の電脳空間内全域で【黒棺】の再現を展開されると言う状況を、実際に体験してしまっただろうウルベルトさんに対して、一気にギルメン達から同情的な空気が湧いていた。

 

 




という訳で、メールペットの続きになります。

ですが、今後の話の展開的な理由で、一旦ここで切らせていただきます。
ウルベルトさんは、このまま不幸になる予定ではないので、ご安心ください。
それだと、このシリーズの最終目標である〖モモンガさんにとって円満な世界〗にはならないので。



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ギルド会議 3 ~ ウルベルトの新たな就職先は? ~

前回の続きになります。
今回の話はちょっと長いですし、まだまだ会議に終わりが見えません。


恐怖公の、知られていなかった能力と、それを実際に体験する羽目になったウルベルトさんに、少し場の空気が変化した所で、モモンガはホッと安堵の息を吐いた。

正直、るし☆ふぁーさんの有能さと厄介さを同時に思い知らされた気分だが、今回ばかりは悪い事ばかりではない。

流石に、ただでさえ仕事を失った事で意気消沈している上、恐怖公の眷属召喚を体験したウルベルトさんに対して、ギルメン達もこれ以上の追い討ちを掛けるつもりにはならないのだろう。

 

この状況なら、もう少し冷静に話し合いが出来るだろうと、モモンガが胸を撫で下ろした瞬間、ふらふらとウルベルトさんに歩き寄る人影があった。

 

どこか、頼り無げな足取りでウルベルトさんまで近付いて行くのは、普段はウルベルトさんの席からかなり離れた場所に座っている、タブラさんだ。

その異様な様子に、今度は何事かと周囲が見守る中、ウルベルトさんの前に辿り着いたタブラさんは、迷う事なくウルベルトさんの両肩を掴む。

そして、彼に向けて確認する様な口調で、静かに問い掛けてきた。

 

「……ウルベルトさん、あなたに一つ確認したい。

私が、今日の朝一番にあなた宛てに送ったメールは、ちゃんと読んでいただけましたか?」

 

どこか焦りを声に滲ませたタブラさんの口調に、驚きつつウルベルトさんは少し考えてから首を振った。

 

「……すいませんタブラさん、今、デミウルゴスに連絡を取って確認しましたが、タブラさんからのメールが来ていないそうです。

もしかして、何か急ぎの用件で俺にメールをしてくれていたんですか?

そうだとしたら、すいません。

朝の時間帯は、出勤前にデミウルゴスに頼んだメールの配達に出るので、三十分程だけメールサーバー内に誰も居ない状態になるんです。

不在時に、アルベドがメールの配達を持ってきてくれていたのだとしたら、データを盗まれた際に一緒にその記録とメールも消去された可能性が高いんじゃないかと……」

 

何か拙い事があったのかと、今回の一件で色々とあった為か不安そうな様子でウルベルトさんが問えば、ますますどこか焦った様な様子で、タブラさんは頭を抱えていた。

一体どうしたのか、そんな彼の様子をみてギルメン達の視線が集まるうちに、自分の中である程度の状況を整理し終えたのだろう。

タブラさんは、がっくりとした様子で力なく口を開いた。

 

「……今の話を聞いて、確信しました。

もし、私のメールをウルベルトさんがタイムラグなく受け取ってくれていたら、今回のウルベルトさん絡みの一件は、もしかしたら阻止出来たかもしれないんです。

皆さんには話していませんでしたが、私、とある場所で接客業に従事していまして。

その仕事先の深夜勤務だった先輩の女性から、今日の朝の仕事の引継ぎの際に嫌な客の話を聞いたんです。

先輩の接客した相手が、どうも貧困層出身の同僚を嵌める為の算段を自慢していたそうで。

〖その為に、わざわざプロのハッカーにまでウィルスの作成を依頼したとか、自分たちの勤める職場のトップが自分の味方だから、もし嵌める相手がその事で何か騒ごうとしたとしても、先に職場を首にするから心配しなくていい〗とか。

〖貧困層出身者なんて、自分達中流層の為に働く存在だろう。

そんな奴は、利用するだけ利用して絞れる知恵を絞り取ったら捨てればいいんだ!〗とか、とにかくそんな感じの事ばかり言っていて、先輩は自分も貧困層出身だから聞いていて不快だったと言う愚痴を聞きました。

その話を聞いた途端、なんとなくここ暫く朱雀さんたちに色々聞いたりして忙しそうだったウルベルトさんと状況が似ている気がして、それで確認の為のメールを急いで入れたんです。

かなり早朝と言える時間でしたが、通勤時間が長い関係で既に仕事場に向かっているだろうウルベルトさんなら、あの時間帯に私からの緊急メール送れば、メールチェックをしているデミウルゴスが気付くでしょうし、そのままその場で確認してくれると思ったんです。

ですが、私のメールは届いていないのですね?」

 

タブラさんが、縋る様な口調でもう一度だけ確認する様に問えば、やはりウルベルトさんは届いていないと返事を返す。

その答えを聞いて、ますますがっくりと肩を落とすタブラさん。

どうやら、彼の中で何か確信を持ってしまったらしい。

 

「……私が配達を任せたアルベドは、〖間違いなく、届けた〗と言っていました。

だとすれば、ウィルスがウルベルトさんのサーバーに入り込んだのは、アルベドが出向いた直後辺りでしょう。

もしかしたら、アルベドが何らかの形でウィルスの侵入に関わった可能性もあります。

元々、ヘロヘロさんが太鼓判を押す様な、強固なセキュリティシステムを持つウルベルトさんの電脳空間に対して、そこいら辺のハッカーが作ったウィルスごときが、太刀打ち出来る筈がないでしょう。

そう考えるなら、アルベドがそちらにお邪魔した際に何かあったか、何かしたと考えれば筋が通ります。

ウルベルトさんの所から帰ったアルベドは、朝からずっと浮かれているというのかご機嫌な様子で、普段とは少し雰囲気が違っていました。

だから、〖アルベドがそんな風に機嫌が良くなる様な、そんな事があったのだろうか?〗と、とても気になっていたんです。

……すいません、ウルベルトさん。

この状況を考えると、むしろうちの子が絡んでいないとは、状況的にとても思えません。

もし、この状況を招いた一因にアルベドが絡んでいるのだとしたら……私はウルベルトさんに対して、何てお詫びをしたらいいのか判りません……

本当に、私の所のアルベドが粗相をして申し訳ありませんでした……」

 

がっくりとした様に手から力を抜き、それまでしっかりと掴んでいたウルベルトさんの肩を離すと、そのままその場で蹲る様にタブラさんは土下座した。

多分、彼の中ではアルベドが何かしたと言う確証があるのだろう。

だからこそ、そのせいでこんな事態になったウルベルトに対して、土下座して謝罪をしているのだ。

タブラさんがいきなり土下座をした事に、仰天したのはウルベルトさんである。

今回の一件が引き起こされた原因の一つとして、もし本当にアルベドが絡んでいたとしても、それを理由にタブラさんを責めるのはどこか違うと考えているのかもしれない。

 

彼が、少し前の会議でアルベドの問題行動に纏わる事をギルメンから言われた後、色々と思考錯誤しながらアルベドや他のメールペット達と接していた事は、ギルメンなら誰もが知っている話だ。

 

今回の一件も、彼が偶然職場で聞いた話の内容がウルベルトさんの状況と似ていた事から、心配して確認のメールを送ったのである。

むしろ、ウィルス侵入の原因が本当にアルベドだったとしても、ウルベルトさんの事を心配してメールを送る選択をしたタブラさんの事を責めるのは、逆に酷と言うものだった。

それこそ、まさか自分のメールを持参したアルベドが原因で、強固な護りを持つウルベルトさんのサーバーにウィルスが侵入するなどと、タブラさんにだって予想出来る訳がない。

ウルベルトさんも、それが判っているのだろう。

未だに自分の前で土下座しているタブラさんに対して、困惑した表情を浮かべている。

そこへ、横から声が飛んできた。

声の主は、またしてもるし☆ふぁーさんだ。

 

「……あのさぁ、多分、タブラさんが聞いた話が本当なら、電脳空間からウィルスによってデータを盗まれていなかったとしても、最終的にウルベルトさんは嵌められてたんじゃないのかな?

だって、ウルベルトさんの事を嵌めた奴と職場のトップが仲間なんでしょ?

それなら、無理してデータが盗めなかったとしても、会社側に提出されたものをそのトップが丸々コピーして作成日とか改竄して、そいつのデータが先に提出されていたって事にすれば、どっちにしても欲しいものは手に入るし、ウルベルトさんの事を冤罪に掛けて首に出来るじゃん。

状況的に、最初から出来レースだったんだよ。

ウルベルトさんは、そいつが出世する為に上手く利用されたんだ。

その方が、今のウルベルトさんが陥ってる状況的に考えても、筋が通るんじゃね?

……とまぁ、俺はこんな風にタブラさんの話も加味してウルベルトさんの状況を推測した訳だけど、ぷにっと萌えさんはどう思う?」

 

つらつらと、ウルベルトさんとタブラさんから聞いた内容から推測を立てていく彼の予想は、存外間違っていない気がした。

確かにその方法なら、万が一ウィルスでデータを盗めなかったとしても、ウルベルトさんを利用して嵌める事が出来るだろう。

彼が持参したデータを写すなんて、データの提出先である工場長の立場なら難しくはないのだから。

むしろ、タブラさんが同僚から聞いた様に、罠に嵌める事を人に自慢する様な相手だとしたら、そこまでやりそうな気がした。

 

だとしたら、どう考えてもウルベルトさんには、相手に嵌められる未来しか待っていなかったのだ。

 

最後に、るし☆ふぁーさんが名前を上げて問い掛けたギルド屈指の知恵者のぷにっと萌えさんは、少しだけ考える様に腕を組んだ後、首を傾げてから答えを出したらしい。

それまで組んでいた腕を解いて右手を挙げると、指折り数える様にるし☆ふぁーさんの推測に補足していく。

 

「そうですね……腹立たしいですが、多分るし☆ふぁーさんの推測でほぼ外れていないと私も思います。

ウルベルトさんの勤め先のトップが、今回の一件に最初から絡んでいるなら、事前に提示されていた〖ちょっとした役を付ける〗と言う昇進に近い内容と言うのも、彼のやる気と能力を引き出す為の餌だったと考えるべきでしょう。

実際は、既にウルベルトさんの事を嵌めた相手に人事は内定していたのにも拘らず、役を付ける為の拍付けの為に何らかのデータを作って貢献したと言う実績が欲しかった。

その為に利用されたのが、貧困層に割に色々と能力が高いウルベルトさんだったんでしょうね。

やり方としては、ほぼるし☆ふぁーさんの言った方法で可能ですし。

個人の端末を持ち込んで、こっそりデータコピー及び改竄作業が出来る様に準備もしてあった可能性も、かなり高いと思いますよ。

データを盗んだ犯罪者として、ウルベルトさんの事を警察に突き出さず、首にして工場に出入りで出来なくさせている辺りが特に怪しいと言っていいでしょう。

警察を呼んで、実際に工場内を調査されたら困るのはあちら側なので、早急に首を切った可能性が高いですね。

あちらとしては、そのままウルベルトさんに野垂れ死んで欲しいと考えていると思っていいでしょう。

その為に、工場側から小卒の人間の中途採用をしている企業に対して、〖ウルベルトさんを雇うと会社の情報を盗まれる〗的な情報として流している可能性もあります。

ウルベルトさんに、別の会社へ下手に就職されてその優秀さを示されてしまうと、工場側が首にした経緯などを改めて勘繰られる可能性も出て来ますから。」

 

つらつらと、ぷにっと萌えの口から出て来て並べられる可能性の言葉は、るし☆ふぁーさんの推測を更に強固に確定させていく様な内容ばかりだった。

実際、二人が言葉を連ねたこの推測に対して、ウルベルトさんの身に起きた状況を考えれば、否定出来る部分の方が少な過ぎると言えるだろう。

だとすれば、最後にぷにっと萌えさんが指摘した通り、ウルベルトさんがこの先まともな就職先を探すのは、かなり厳しいと考えておく必要があった。

 

非情に腹立たしいとは思うが、これに関してモモンガ達にはどうする事も出来ない。

 

ここまで計画されていたのなら、多分既に証拠になる可能性の品も時間経過的に残っていないだろう。

ウルベルトさんが、別の場所にバックアップを取ってあるのを示して自分の無実を証明しようとしたとしても、相応の対応策まで考えられている気もしなくもない。

デミウルゴスなら、ウィルスを作ったハッカーまでなら探し出せるかもしれないが、そこまで危険な真似をさせる気は、この場にいる誰にもなかった。

むしろ、そんな不条理を押し付けてくる職場に固執するよりも、ウルベルトさん本人の意思を確認してから今後の事を考えた方が、余程有意義な結果になるだろう。

 

それこそ、デミウルゴスにある程度纏まった金を預けた上で運用させた方が、余程収入があると思えるのは気のせいだろうか?

 

そんな考えが頭を掠めた事で、つい気を取られていたモモンガを他所に、ウルベルト達の方では話はどんどん進んでいた。

まず、この状況で申し訳なさそうな様子で、ウルベルトさんに話を切り出したのは、その場で土下座したままだったタブラさんだ。

多分彼は、ウルベルトさんのサーバーでアルベルが何かをやらかした事も今回の首騒動に絡んでいるだけに、酷く責任を感じているのだろう。

例え、るし☆ふぁーさんやぷにっと萌えさんの推測が当たっていたとしても、ウィルスに関しての引き金を引いたのはアルベドだろうし、この場合の管理責任は親として自分自身にあると、彼はそう考えているのだ。

ウルベルトさんの前で、ずっと土下座したままだったタブラさんがバッと顔を上げたかと思うと、真っ直ぐにウルベルトさんの顔を見てこんな事を言い出した。

 

「ウルベルトさん、今回の件でアルベドがご迷惑をお掛けしたお詫びとして、貴方の新しい就職先が決まるまでの間、私に今後の生活費の全て面倒を見させて下さい。

アルベドがこの騒動の原因の一つなら、その責任を取るのは親の私の役目です。

先程のぷにっと萌えさんの推測通りなら、それこそウルベルトさんの就職活動は困難を極めるでしょう。

すぐに、働き先が決まるとはとても思えません。

多分、月毎にお渡し出来る額は今までの給料に及ばないかもしれませんが、 ある程度纏まったお金をお渡しすれば、デミウルゴスが運用する事である程度安定した生活が出来ると思いますし。」

 

どこか、酷く思い詰めた様にそう言うタブラさんに、 待ったを掛けたのは建御雷さんだった。

未だに床に正座したままタブラさんの頭を軽く叩くと、 駄目だと言わんばかりに小さく首を振る。

いきなり頭を叩かれた事で、驚いた様に顔を上げたタブラさんの前に建御雷さんは膝を付いた。

そして、彼の顔を真っ直ぐに見詰めながら、改めてはっきりと駄目出しの言葉を口にする。

 

「幾らなんでも、それは流石にダメだろう、タブラさん。

例え、アルベドの行動が路頭に迷わせる一因になった詫びだとしても、そこまでの事をされてしまったら、ウルベルトさんが逆に恐縮してしまうだろう?

俺達が、ウルベルトさんに対してしても良い事があるとしたら、当面の生活費としてギルメン全員による善意のカンパを集めて渡す事か、それとも次の就職先の斡旋くらいだな。

という訳で、一つ質問なんだがな、ウルベルトさん。

あんたは確か、やり方さえ教えたら帳簿の計算とか出来るよな?

強面の同僚が沢山居ても平気で、多少の荒事に対応出来るんだったら、うちの職場を紹介してもいいぞ?

これでも、それ位の事が出来る立場ではあるつもりだ。」

 

タブラさんに対して、提案した内容に関する明確な駄目出ししながら、自分からウルベルトさんに対して就職先の斡旋を口にする建御雷さん。

その主張は正しく、言われたタブラさんもグッと詰まって反論の言葉が浮かばないらしい。

その様子は、とても男前だとモモンガは思う。

ちょっとだけ、言われた内容に気になる部分があるものの、仕事先が決まり難いかもしれないと言っていた矢先に彼から仕事を紹介すると言われて、モモンガはとても嬉しい気持ちになった。

こんな風に、ギルメン同士で助け合える関係になっているのを目の当たりにして、胸の奥が暖かい気持ちになったからだ。

そんな、タブラさん達のやり取りを聞いて、横からたっちさんが慌てた様子で口を挟んでくる。

 

「駄目ですよ、建御雷さん。

確かにあなたの今の立場なら、間違いなくウルベルトさんに今の職場を就職先として紹介する事は出来るでしょう。

それに関しては、否定しません。

ですが、ここでまだ完全に足場を固めていないあなたがそんな風に無理を通したら、それこそ今後の事にどう響くか判りませんよ?

それに、あなたの職場が主に取引している先を考えると、余りウルベルトさんの新しい就職先としてはお勧め出来ないですね。

もし、うっかり勘違いされてとんでもない事態に発展したら、逆に責任が取れないでしょう?

そう言う問題を避ける為にも、ウルベルトさんの新しい就職先として、私の娘の家庭教師になっていただけないかと、そう提案させていただきます。

丁度、うちの娘はデミウルゴスに良く懐いていますし、ウルベルトさんに住み込みに近い形で家庭教師をして貰えるなら、うちの娘も喜んで色々と学んでくれると思うんですよ。

セバスがうちに来てから、色々と自分で出来る事も増えてきてはいますけど、どうも娘は余り勉強が好きではないみたいでして。

あなたの事を〖デミウルゴスを育てた人だ〗と説明すれば、娘も素直に話を聞いて勉強をしてくれる様な気がするんです。

一先ず、次にウルベルトさんが本当にやりたい仕事が見付かるまで、うちに来ませんか?

少なくとも、このままあなたを路頭に迷わせてデミウルゴスに会えない様な事態になったら、私が娘に嫌われてしまいますからね。」

 

ニコニコと、笑顔のアイコンを示しながら提案をしてくるたっちさん。

どう聞いても、たっちさんの提案内容に関しては、色々と突っ込み所が満載だった。

だが、確かにたっちさんの所で娘さん相手に家庭教師をするのなら、ウルベルトさんの生活の保障に関しては心配しなくて大丈夫だろう。

この仕事なら、直接たっちさんの家で雇い入れる事もあり、ちゃんとウルベルトさん側の事情を理解しているし、他人が干渉される心配もない。

問題は、それを素直にウルベルトさんが受け入れられるかどうか、と言う点だけだ。

このナザリックを攻略する際にも、ウルベルトさんがたっちさんに対して隔意を持っている事を聞いているモモンガとしては、流石にそれは難しい様な気もした。

事実、たっちさんの申し出を聞いた途端、それまでタブラさんや建御雷さんからの申し出にワタワタ手を動かしていたウルベルトさんの動きが、ピシッと固まっている。

 

まさか、天敵に近いたっちさんの方から、自分に対してそんな申し出をされるとは、ウルベルトさんも思っていなかったのだろう。

 

あり得ない状況に、ウルベルトさんが本気で困惑しているのが、モモンガにも伝わってくる気がした。

だが、そんなウルベルトさんの様子を気にする事なく、たっちさんは更に勧誘の為の言葉を重ねる事を選択した様だ。

たっちさんも、タブラさんや建御雷さんの様にウルベルトさんの方へと移動して来ると、その肩を軽く掴む。

触れられた事で、ハッとなったウルベルトさんに対して言い放ったのは、ある意味彼らしい言葉だった。

 

「ウルベルトさんも、私のモットーを知っているでしょう?

〖困っている人が居たら、助けるのが当たり前〗です。

それが、幾ら仲が余り良いとは言えなかったとしても、同じギルドの仲間なら尚の事でしょう?

何と言っても、メールペットに私の娘が関わる為の一件では、色々とあなたに私はお世話になりました。

その恩を返す意味でも、あなたに対してこれ位のお世話を、私にさせていただけませんか?

それに、娘の為に小学校に通うまで家庭教師を雇うと言う話は、元々妻と話し合っていた事でもあります。

今回の一件を聞いた時点で、妻に相談して了承も得ていますから、安心してうちに来て下さって大丈夫ですよ?

ウルベルトさんの見識を広める意味でも、これは丁度良い機会だと思います。

私の娘に色々な事を教えるのと一緒に、ウルベルトさん自身の知識を増やす事が出来れば、次の就職にも有利だと思います。

この際なので、私を利用する位のつもりで家庭教師を引き受けて下さればいいんですよ。

デミウルゴスの為にも、すぐにつける仕事があるなら引き受けるべきでしょう?

違いますか、ウルベルトさん。」

 

つらつらと、勧誘の言葉を並べ立てていくたっちさんの主張を聞いて、何とも言えずに更に唸るウルベルトさん。

その様子をみれば、間違いなくウルベルトさんがたっちさんが持ち掛けたこの話に対して、心惹かれる部分があるからこそ揺れているのが伝わってくる。

本人的にはすごく抵抗があるのだが、デミウルゴスをこれからも今の状態で維持していく事を考えるなら、その為の最高の環境を用意出来るのも、たっちさんなんだろう。

それが分かっているし、何より自分も学べる環境をと言うたっちさんの言葉は、出来るなら自分の能力を上げたいウルベルトさんには、さぞかし魅力的な筈だ。

 

それが判っていながら、すぐにこの提案に対して飛びつかないのは、やはりたっちさん…と言うよりも、富裕層に対する憎悪などがあるからだろう。

 

だが、モモンガとしては考え方一つだと思うのだ。

たっちさんの言った通り、この際だから利用する位のつもりで話を受けて欲しいと、モモンガとしては思う。

ついでに、ここで富裕層側の世界を見ると言うのも、ウルベルトさんには必要な気がする。

どちらにせよ、今のウルベルトさんに対して今後に関する選択肢を示せる人間は多くない。

 

ギルメンの大半は、富裕層に使われる側の人間であって、使う側ではないのだから。

 

この話に関して、流石にギルメンの大半がウルベルトさんの事を心配していても、口を挟む者は居なかった。

彼らには、建御雷さんやたっちさんの様に、ウルベルトさん対して仕事を斡旋する事が出来ないからだ。

自分達の立場的に、どうする事も出来ないのを判っているから、二人の話の流れを見守るしかないのだろう。

そんな風に考えていると、それまで散々この提案を前に葛藤している様に動かなかったウルベルトさんが、漸く口を開いた。

 

「……別に、建御雷さんに仕事を紹介して貰えるなら、それでも構わないんじゃないのか?

俺だって、それなりに絡まれるから場数は踏んでるつもりなんだけど。」

 

どうやら、まだ素直にたっちさんの話を受けるには葛藤がある分、どうして建御雷さんの所では駄目なのか、ウルベルトさんが問う。

まぁ、そう言いたくなる気持ちは解るが、たっちさんがわざわざ口を挟んだのだから、ちゃんと意味があるのだろう。

実際に、ウルベルトさんの問いに対して、溜め息を吐きながらたっちさんは建御雷さんの顔を見た。

多分、自分が反対している理由を話しても良いのか、建御雷さんの顔を見る事で確認をとっているのだろう。

たっちさんの視線を受けて、意図を理解した建御雷さんは了承する様に頷く。

本人の了承を得た事で、ざっくりと話す決めたらしいたっちさんは口を開いた。

 

「……そうですね、この際なので正直に言ってしまうと、ウルベルトさんには余りお勧めしません。

彼の職場は、健全な会計事務所なのは間違いないですが、出入りしている場所が花街でして。

ウルベルトさんの場合、高確率でそんな場所に出入りしていたら、余計な勘違いで絡まれる可能性が高い容姿をしていますよね?」

 

たっちさんの口にした最後の一言に、周囲は固まった。

基本的に、リアルでは一度も顔を合わせた事がない筈なのに、どうしてウルベルトさんの外見をたっちさんが知っているのだろうか?

誰もが、たっちさんの発言に驚きに声が出なかったのだが、言われた本人であるウルベルトさんがハッと我に返って、ギッとたっちさんの事を睨み付ける。

今回ばかりは、内容が内容だけに誰も止めないでいると、ウルベルトさんが威嚇する様な鋭い声で問い掛けてきた。

 

「……どうして、てめぇが俺の素顔を知っている様な発言をするんだ、なぁ、たっちさんよぉ!」

 

鋭い問いをしつつ、不快さを示すアイコンを連打するウルベルトさんに対して、たっちさんの返答は割りと簡単なものだった。

ちょっとだけ、対応に困った時の様な雰囲気を漂わせながら、たっちさんは自分の頬を掻きつつ、答えを口にする。

 

「……いえ、以前、うちにメールを届けに来たデミウルゴスが、私の娘に〖デミウルゴスの主はどんな人なのか?〗と聞かれていた際に〖自分の主は、こんな感じの方だ〗と、ざっくりとした性格や外見を教えている場に偶然居合わせまして。

そこから考えるなら、花街関連は余り向いていないと予測したまでですよ?

うっかりしたら、あなた自身が花街の徒花の一つと間違われそうな外見をしているみたいですからね。」

 

「……人の外見について、勝手に口にしていいと思ってるのか、たっちさん?」

 

素直に答えを口にしたたっちさんに対して、間髪入れずギロリと睨み返すウルベルトさん。

流石に、たっちさんも自分がウルベルトさんの外見に関して許可なく口にしていたと気付き、「失敗した」と言う顔になった。

確かに、今のたっちさんの発言に関して言うなら、ウルベルトさんのプライベートに勝手に触れる事になるので、色々と本人の承諾なく口にしたのはかなり拙かっただろう。

幾ら、たっちさんなりにウルベルトさんの事を考えたからこそ、建御雷さんと同じ職場で働くのを止めに入ったのだとしても、やはりそれをみんなの前で口にした点に関して言えば、問題があるのは間違いなかった。

 

もしかして、これはギルド長として二人の仲裁に入るべき案件なんだろうか?

 

状況的に考えて、たっちさんの娘さんの家庭教師になるのが、多分一番の選択だと思っていたからモモンガ自身も口を挟まなかったのだが、今のたっちさんの不用意な発言の一件で、そのまま拗れそうな雰囲気も漂い始めているのは事実だ。

状況的に考えて、建御雷さんの職場が彼の言う通り会計事務所だとしても、取引先がほぼ花街が中心でウルベルトさんのリアルの容姿がたっちさんの言う通りなら、下手に仕事で花街に出入りするのは余りお勧め出来ないと言うのも良く判る。

それこそ、そこで働く従業員だと思われても仕方がない程端麗な容姿なら、むしろ様々な意味で危険を避ける為にも、花街には近付かないのが一番だろう。

 

つらつらと、そんな事を考えていたモモンガは、周囲の視線がいつの間にかウルベルトさんに集中していた事に気付かなかった。

 

多分、全員がついつい実際のウルベルトさんの容姿がどんなものなのかと、そう考える内に意識せず彼の事を見てしまっていたのだろう。

と言っても、そこに居るのは【ユグドラシル】のアバターである山羊の悪魔なので、見てもそこから実際の容姿がどんなものなのか、とても想像は出来ないのだが。

流石に、今のたっちさんの台詞で自分に視線が集まるのは不愉快なのか、スッと視線を反らしたウルベルトさんから、不快を示すアイコンが表示された。

 

まぁ確かに、あんな風に気になる発言を聞いた途端、わざわざ外見を確認する様に注目するのは、流石に失礼だろう。

 

ウルベルトさんの反応を前に、流石に自分たちが取った行動が色々と不躾だったと気付いたからか、その場に気不味い雰囲気が流れる。

今回ばかりは、たっちさんも自分の不用意な発言が原因なので、ウルベルトさんに対して自分の勧誘に対する答えを促せないらしい。

暫く沈黙が続いた後、それまで俯き気味だったウルベルトさん本人が顔を上げて天井を仰ぎ見る。

 

その様子に、ウルベルトさんの中である程度の考えが纏まったのだろうと、誰もがその答えを聞く為に何も言わず、固唾を飲んで見守っていた。

 

すると、スッと瞼を閉じる仕種をしたウルベルトさんが、何かを決めたかの様に小さく頷く。

漸く、答えが纏まったらしい。

そして、たっちさんの方へと振り返りながら、ウルベルトさんはどこか困惑した様な表情で、自分の気持ちをゆっくりと吐露していく。

 

「……そうだな、多分今の状況だとたっちさんの所で家庭教師をするのが、一番間違いないんだろうとは思う。

頭では、そう解ってはいるんだが、な。

この話を受ける事に、どうしても抵抗がなくなる訳じゃないんだよ。

この際だし、俺の事を家庭教師なんてもの好きな立場で雇い入れる事を提案したたっちさんに、正直な所を尋ねて良いなら……幾つかはっきりした事が聞きたい。

小卒でしかない俺が、あんたの娘に教えられる様な事があると、あんたは本当に思っているのか?

〖私の娘に色々な事を教えるのと一緒に、ウルベルトさん自身の知識を増やす事が出来れば〗とか、あっさりあんた言うけどな、それで娘の方は俺から何が学べる?

ものを知らない相手に、あんたの娘が本当に家庭教師として学ぶ事を、ちゃんと納得してくれると思っているのか?

奥さんはだってそうだ。

普通に考えたら、小卒の男が娘の家庭教師なんて反対するだろう?

大体、あんたの娘一人の家庭教師だけで、本当に俺が食っていけると思ってるのか?

人一人分の生活費を賄うのは、並大抵の事じゃない。

小遣い程度の金じゃ、話にならないって事も判ってるんだろうな?」

 

それこそ、幾つもの疑問がウルベルトさんの口から溢れ出る。

娘さんに対して、本当に自分が家庭教師になっても大丈夫なのかと言う点から、経済的な面までその内容は多岐に渡っていた。

経済面関連については、流石に毎日家たっちさんの家で庭教師をしていたとしても、短い時間だけなら生活費が賄えない可能性があるのだと、普通に就職を勧めてきた建御雷さんと比べて収入面を心配したのだろう。

ウルベルトさんが、その辺りに関して問い質す言葉を並べると、たっちさんは「大丈夫です」と言わんばかりに頷いて見せた。

本当に解っているのか、ちょっとだけ心配になる位あっさりと頷くたっちさんに、少しだけ横から建御雷さんが口を挟む事にしたらしい。

彼も、たっちさんと同じ様にウルベルトさんへ仕事を斡旋出来る立場だけに、彼の出す雇用内容が気になったのだろう。

 

「本当に大丈夫なのか、たっちさん。

幾らたっちさんが富裕層出身でも、家庭教師に対して月に払える金額なんてそこまで多くないんじゃないのか?

もしそうなら、ウルベルトさんは俺の会社の社長に頼んで、別の働き口を探して貰うが……」

 

もし、ウルベルトさんへの家庭教師代の支払いによって、たっちさんの家の経済状況に影響すると言うのなら、また別の働き口を探しても、と別の提案を口にする建御雷さん。

この辺りは、確かに考えるべき点だろう。

ウルベルトさんを家庭教師として雇う事で、幾ら富裕層とは言えたっちさんが経済的な面で困る事態になれば、それこそ奥さんとの家庭不和の元にもなり兼ねない。

それが原因で、たっちさんの家庭に迷惑を掛ける様な事は流石にウルベルトさんもしたくはないだろうと、モモンガが気にする様に視線を向けると、たっちさんは片手を挙げて「問題ない」と笑って答えた。

 

「そこに関しては、大丈夫です。

まず、家賃と光熱費などに関してですが、最初に〖住み込みに近い形で〗と言った様に、私の家の隣にある私の家や実家の使用人が住む集合住宅に引っ越して貰えれば、うちの実家の所有地の中にある建物としてうちの実家が纏めて払っていますから、ほぼ無料で済みます。

食事も、うちの使用人は基本的に朝昼晩の賄付きなので、家庭教師の話を受けてうちに来て貰い始めたら無条件で食事が出ますから、休日以外の食費も掛からないですよね。

その代わり、食事と家賃等をこちらでほぼ請け負う形になる事から、実際にウルベルトさんへお渡しする給料は今までより確実に減りますし、朝の八時から夜の六時までの間は、食事の時間を除いて娘の側で一緒に家庭教師として過ごして貰う事になりますけど。

先に言っておきますが、例えほぼ一緒に居る状態の家庭教師になったからと言って、娘に対して何もかも手取り足取り全部教える必要はありません。

正直言うと、表向きは〖家庭教師〗と言っていますけど、実質的には娘専属の保育士さんに近いかもしれませんね。

あなたが、自分の自慢の息子としてデミウルゴスの事を育てた様に、一緒に学んだり遊んだりしながら、娘の自主性を重んじつつあの子の中にある才能を伸ばす様にしてくれるだけでいい。

あなたは、自分が思っている以上に人の才能を伸ばす事が出来る人だと……そう、私はあなたから自慢する様に彼の育成記録を見せて貰っているからこそ、そう断言しても良いと思っていますよ、ウルベルトさん。」

 

予想以上に、たっちさんから好条件を提示された事で、周囲は息を飲んだ。

その条件なら、むしろ自分が変わりたいと言い出したいギルメンだっているだろう。

だが、たっちさんがそれだけの条件をウルベルトさんに対して出して来た理由は、彼が今の仕事を首になって職が無いからと言うだけじゃない。

 

デミウルゴスを育て上げたウルベルトさんの力量を、自分の娘でも発揮して欲しいと思っているからだ。

 

そんな風に、ギルメン全員が知っている程に仲が悪いたっちさんから全幅の信頼を向けられてしまったら、ウルベルトさんに断るなんて事は出来ないだろう。

この話を断ると言う事は、「自分には出来る自信が無い」と逃げるのとほぼ同意語だからだ。

他の誰かが相手なら、多分、そう言って逃げる選択をしたかもしれないけど、たっちさんが相手である時点で、ウルベルトさんがそんな真似をする筈がない。

実際、最後の台詞をたっちさんが言った途端、テーブルの突っ伏して軽く唸りながら頭を抱えている。

 

間違いなく、たっちさんの今の言葉がウルベルトさんの中に大きな葛藤を生んだんだろう。

 

暫く唸り声を上げながら、その場でテーブルに突っ伏したまま頭を抱えていたウルベルトさんだが、何とか自分の中で折り合いを付けて答えを出したのか、突っ伏していた顔を上げるとたっちさんの顔を見た。

それでも、まだその答えを口にするのに躊躇いがあるのか、視線だけはウロウロとあちらこちらを彷徨っている。

あー、うー、と言葉にならない様な声を漏らしていたウルベルトさんが、漸く覚悟を決めて答えを口にしたのは、顔を上げてから約三分後の事だった。

 

「……ったく、あんたにそこまで言われたら、それこそこの話を受けるしかないだろうが、この野郎!

あー、くそっ……解ったよ、たっちさん。

実際に、あんたの期待に沿える結果を出せるかどうかは、実際にやってみないと判らないが……それでも良いなら、娘さんの家庭教師を引き受けさせて貰う。

正直言って、まだ娘さんが使っているアバターのチェックを定期的に行っておいた方が、何か異常事態が発生してもすぐに解決出来るだろうし、な。

そう言う意味では、家庭教師役として俺が一緒に居るのも悪くないかもしれないな、確かに。

問題は、いつそっちの集合住宅に引っ越すのかだが……」

 

がりがりと、頭を乱暴に掻きながら了承したウルベルトさんが、次の問題を口にすればたっちさんも考える様に顎に片手を添える。

 

「今の時点で、集合住宅に空きがあるのか確認済みですし、いつ越してきていただいても問題はありませんね。

ただ、ベッドなどの大物家具とかはほぼ括り付けである部屋なので、今手持ちの家具の大半は処分していただいた方が良いでしょう。

それこそ、身の回りの品や着替えなどと言った生活用品と、自分が必要な品々……そう電脳空間に繋ぐ為の端末さえ持参してきて貰えれば、すぐにでも今まで通りの生活が出来ると思います。

今、ウルベルトさんが住んでいる部屋の家賃などの都合もありますし、出来れば早めに越して来られた方が良いと思いますが、どうされますか?」

 

本当に、至れり尽くせりの環境を提供されるのだと、少し羨まし気なギルメン達を他所に、ウルベルトさんは実際の引越しの為の都合を話し合うべく、たっちさんと少しだけ場所を移動して個人メールのやり取りを始めている。

予想よりも、割とウルベルトさんの問題が無事に片付いたと、ホッとモモンガが胸を撫で下ろした時だった。

ギルメン全員に、いきなりメールが一斉配信されてきたのは。

一体、何事かとそのメールを見たギルメンたちは次々と固まっていく。

その理由は、実に簡単だった。

突然、それぞれの手元に届いた一通のメール。

 

そのメールの差出人の名前が、【アルベドを除く全メールペット代表、デミウルゴス】となっていたからだった。

 

 

 




という訳で、前回の続きです。
今回の話ですが、割とpixiv版と相違点があったりします。
あちらでは、ぷにっと萌えさんの登場シーンとかありませんし。
そしてまだまだ終わりそうにありません。
予定では、前回の話とこの次の話まで合わせたものが一話分だったんですけど、長くなりすぎるのでここで切りました。
実際には、これでもかなり長いと思ってますけど。
ウルベルトさんの就職先に関して言うと、次点の建御雷さんの会計事務所にしようかかなり迷ったんですが、私の設定のウルベルトさんの外見は作中に出て来た通りなので、色々と拙い方向になりそうだと言う事で却下になりました。
そして、次はデミウルゴスたちメールペットが今回の一件に対してどう判断を下したのか、それが出てくる予定です。


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ギルド会議 4  ~ メールペットたちの反乱? ~

前回の続き。
デミウルゴスからのメールの内容と、そこからの会議がどうなったのか。


デミウルゴスが差出人のメールを受け取ったギルメン達は、戸惑いながらもそれを開いて内容を確認する事にしたらしい。

モモンガも、慌ててメールを確認したのだが、その内容は驚くべきものだった。

 

『皆様、突然この様なメールを差し上げる事を、まずはお詫び申し上げます。

本来なら、我々メールペットから皆様に対して、この様なメールを差し上げるのも失礼かと思いました。

ですが、この度のアルベドの引き起こした一件により、我らも我慢の限界を越えた為、こうしてメールペット一同の総意をお伝えさせていただきたく存じます。

残念ながら、今のアルベドをこれ以上我々の仲間として認める事は出来ません。

我々メールペットの間で発生した問題なら、まだ彼女の行動を許容する事も出来ました。

しかし、ウルベルト様が今回の様な多大なる被害を被る行為を行い、今後も御方々に迷惑を掛ける行為をする可能性があるアルベドを、このまま放置する事など到底容認出来るものではありません。

よって、誠に勝手な事ではありますが、アルベドを我らと同じサーバーから別の仮想サーバーへ隔離させていただきました。

これは、アルベドを除くメールペットの全てが賛同した総意でもあります。

事後報告となりました事への詫びと共に、御方々にお伝え申し上げます。

 

なお、仮想サーバー内のアルベドに対しては、皆様方から一切の干渉も出来なければその存在を認識する事も出来ません。

逆に、あちらからはこちらの様子が全て確認出来る仕様になっております。

唯一の例外として、アルベドの主であるタブラ様のみ彼女に対して一方的に手紙を送る事だけは出来ますが、それに対する彼女の反応を確認出来る訳ではありません。

彼女の存在を確認する場合は、メールペットの現在位置確認の中の【個体数確認】をご利用ください。

そちらでのみ、 〖メールペットの数:一〗として表示されます。

彼女に対する最後のチャンスとして、こちら側が設定した条件をすべて満たす事が出来た場合、仮想サーバーから解放される事になっています。

ただし、それに関してのヒント等は一切与える事は出来ません。

もし、どなたかがアルベドの仮想サーバーからの解放条件に気付かれたとしても、それを彼女に教える事は厳禁とさせていただきます。

万が一、それを彼女に何らかの形で伝えた時点で、現時点で設定されている仮想サーバーからの解放条件そのものにロックが掛かり、仮想サーバーから今度こそアルベドは出られなくなる仕様です。

ご注意ください。

用件のみをお伝えする事をお許しください。

それでは、これにて失礼させていただきます。

 

メールペット一同 代表デミウルゴス』

 

メールの内容を確認し、慌てて全員でメールサーバーの状況を確認すると、確かに自分たちの使っているものに重なる様に別のサーバーが発生していた。

そして、サーバー内のメールペットの現在位置の確認をしてみれば、普段使っているメインサーバーの方に〖メールペットの数:四十〗、新しく重なる様に発生したものの方に〖メールペットの数:一〗と表示されている。

先程のメールの内容からすると、この別のサーバー内に居る一体のメールペットこそがアルベドなのだろう。

このメールを読んだ誰もが、それこそ沈痛な声を上げて頭を抱えていた。

特に、タブラさんはアルベドがここまで仲間のメールペットたちから疎まれていた事実を目の当たりにして、その場で崩れ落ち床に伏してしまっている。

そんな状況の中で、割と冷静な様子だったのは今回の騒動の発端とも言うべき、ウルベルトさんだった。

 

口元に手を当て、何かを考える様な素振りを見せているのは、アルベドの事が問題になった際の会議の時に話していた様に、内容そのものは教えて貰えていなくても、メールペット側で何らかの行動をしている事を、彼が事前に知っていたからだろうか?

 

どちらにせよ、現状ではモモンガたちにはこのメールに書かれている内容に関して、出来る事は何もない。

これが、まだメールの中に書かれていたシステムの使用前だったとしたら、彼らに対して説得するなりなんなりと言う手段もあり得ただろう。

だが、既にシステム発動をした後でその旨を事後報告されている状況では、この手の事に一番詳しいだろうヘロヘロさんでも、多分これを打開するのは容易ではない筈だ。

 

「……それにしても、まさかこんな手段を考えていたとは思わなかったな……」

 

改めてメールを読み返しつつ、困惑した様に呟くウルベルトさんに対して、 自然と集まっていく周囲の視線は、割と鋭いものだった。

今の呟きによって、ウルベルトさんが事前に【メールペットたちが、何かをしている事を知っていた】事を、彼らも理解してしまったからだ。

まるで全員を代表する様に、ウルベルトさんに対して出来るだけ静かな口調を心掛けながら質問したのは、メールペットたちのメイン開発者であるヘロヘロさんだった。

 

「……もしかして、ウルベルトさんは今回の彼らの行動に関して、何かを知っていたんですか?

だとしたら、どうしてもっと前に我々に対して……いえ、せめて私に対して、あなたが知っている事を教えてくだされば良かったんです。

もし、この事に関してそれと無く教えてくださっていたら、もっと前に対策だって取れたでしょうに。

それとも、デミウルゴスが影で動いていた事だから、ウルベルトさんは彼を守る為に黙っていたという事ですか?」

 

今回ばかりは、内容が内容だけにヘロヘロさんの声も自然と固くなっている。

ヘロヘロさんが、ウルベルトさんに対して問い掛ける内容を聞いて、周囲の視線はますます鋭くなった。

先程のウィルス騒ぎと変わらない位、ウルベルトさんの事を疑いの目で見ている様な気がする。

多分、ヘロヘロさんが質問した事に対して、困った様な顔をしていながら中々ウルベルトさんが返事をしない事も、周囲の視線が鋭い理由なのだろう。

この状況を、モモンガは黙って見てなどいられなかった。

一応、モモンガもウルベルトさんから「うちのデミウルゴスをアドバイザーにして、色々とアルベドの被害に遭ったメールペットたちが集まって何かやっている事位しか知りませんよ」と言う事を聞いていた身として、口を挟むべきだろう。

そう思い、慌てて周囲に対して声を掛けようとした時だった。

 

今回の会議で、普段の【ギルド一の問題児】とは全く違う一面を見せるかの様に、色々と鋭い所を突いて来ていたるし☆ふぁーさんが、呆れた様な声を上げたのは。

 

「あのさぁ……なんで、そんな風にウルベルトさんに対して非難する態度を取れる訳?

そりゃ、こんなメールを貰った事に関して言えば、驚いたと言えば驚いたけど、さ。

別に、ウルベルトさんの事をそんな風に責める前に、自分のメールペットがどんな事を考えて何かしているか、それをきちんと把握していなかった自分達の事を、先ず反省するべきじゃね?

だって、ウルベルトさんが今回の事をざっくりとでも察知していたんだとしたら、それはデミウルゴスとの円滑なコミュニケーションが取れていたって事でしょ?

自分達が、メールペットの事を把握出来ていなかった事を棚に上げて、ウルベルトさんを責めるのはお門違いも良いとこでしょうに。

正直、この際だから言うけどさ。

俺はね、アルベドが今までしていた問題行動にだけ言うなら、メールペットたちがいずれはこんな風に爆発するんじゃないかなって、ずっと思ってたよ?

むしろ、彼女の被害に遭っていたメールペット達の話を小まめに聞いていた俺からすれば、〖ここまで良くも健気に耐えたよなぁ〗って思う位だし。

確かに、今回のウルベルトさんの一件がメールペット達の不満が爆発した切っ掛けだったし、彼らの意見を取りまとめただろうデミウルゴスが、メールの差出人としてメールペットたちの代表を名乗っているけど、この仮想サーバーを最初に作ったのは多分デミウルゴスじゃないと思うな。」

 

軽く片手を振りながら、つらつらとそう自分の推測を展開していくるし☆ふぁーさん。

その主張に、思わず誰もがグッと声に詰まる。

言われてみれば、数回前にタブラさんへの苦情申し立てをした後は、誰も特に何も言っていない。

もちろん、色々とタブラさん側に事情があった事等が考慮されたのと、建御雷さんが間に入って執り成しをしてきたからでもある。

だが、それはあくまでも自分達に対してであり、メールペットときちんと話をしてアルベドの件に関してのフォローをしていたのかと問われたら、多分そこまでしていなかったんじゃないだろうか?

るし☆ふぁーさんの主張に対して、彼がそんな風に言い切った理由が気になったのか、質問を口にしたのはぷにっと萌えさんだ。

 

「……どうして、そう思うんでしょう?

メールの内容を見る限り、ここまでの事を出来るメールペットがいるとしたら、ウルベルトさんの所のデミウルゴス位だと思うのですが……

そう言うからには、何らかの根拠があるんですよね、るし☆ふぁーさん。」

 

そんな風に、思わずるし☆ふぁーさんが主張する根拠を聞いてしまう位には、ぷにっと萌えさんも現在の状況に動揺しているのだろう。

るし☆ふぁーさんの主張は、確かに誰もが声を詰まらせてしまう位に、痛い部分だと思う。

アルベドの事に関して言えば、あの会議の後に多少の改善が見られた事によって、後は時間が解決する部分も多いと見守る姿勢を取っていた。

だけど、こうして改めて言われてみれば、自分達が取った対応は余りにも良くない。

ぶっちゃけ、パンドラズ・アクターを始めとした被害に遭っていたメールペットたちに対して、

 

「あちらにも色々と問題があったみたいだし、その点をある程度改善したから彼女もこの先変わると思う。

だから、環境の変化によって彼女の態度が改善されるまで、お前たちはそのまま我慢してくれ。」

 

と言ったのと同じ事なんだろう。

一応、モモンガはパンドラズ・アクターときちんと話をしていたし、出来る限り注意深く様子を窺っていた事によって、ウルベルトさんの言う通り何かを彼らがしていた事だけは把握していた。

流石に、内容までは「みんなとのお約束なので内緒です」と話して貰えなかったものの、それでも何か彼らなりに考えていた事を知っていたのだ。

もし、ギルメン達がウルベルトさんの事を責めるのなら、るし☆ふぁーさんの様に事情を知る側だと自分も名乗り出て、一緒に責められるべきだろう。

 

と言うより、これは本当に事情をある程度把握していた自分たちが、他のギルメン達から責められるべき案件なんだろうか?

 

つい、モモンガがそんな事を考えている間にも、飄々とした態度のるし☆ふぁーさんは周囲の顔を見渡し、軽く頷いて確認している。

そして、ゆっくりとした仕種で全員の顔を見終えた所で、何かを確信したらしい。

漸くぷにっと萌えさんの質問に答えるべく、利き手の人差し指を立てながら口を開いた。

 

「もちろん、根拠はちゃんとあるに決まってるでしょ。

まず、一つ目。

ぷにっと萌えさんが言う様に、ウルベルトさんの所のデミウルゴスは、確かにメールペットの中で一番能力が高いのは否定しないよ?

だけど、うちの恐怖公だってかなりの能力を持たさせてあるし、ヘロヘロさんの所のソリュシャンだってデミウルゴスと同時期に起動している上に、普段から彼の手伝いをしているそうだから、かなりの能力の保持者だ。

後は、モモンガさんの所のパンドラズ・アクターだって、なんだかんだ言っても元々のNPCの設定の頭が良い事になってるから、それに見合うだけの学習能力があると考えても良いんじゃないかな。

そう言う意味では、この三人だって今回のシステム作成の候補に挙げるべきだよね?

て言うかさ、俺の恐怖公とウルベルトさんの所のデミウルゴスは、本来ならこの件に関しては除外対象じゃない?

だって、今まで一度もアルベドの被害にはあってない訳だし。

そう考えると、むしろアルベドの行動で迷惑を被ったメールペットたちが協力し合って、このシステムを構築したと考えた方が余程あり得ると思うね。」

 

まるで、立て板に水の如く言葉を連ねていくるし☆ふぁーさんの主張は、それこそ筋が通っている内容だった。

言われてみれば、数時間前に起きたウルベルトさんの一件が無ければ、デミウルゴスがアルベドに対して隔意を持つ理由が無い。

もちろん、同じメールペットの仲間が迷惑を被ってはいるものの、迷惑を掛けているアルベドもまたメールペットの仲間である。

むしろ、まだパンドラズ・アクターたち頭の良いメールペットが協力し合って開発したと考えた方が、余程あり得る事だと言って良かった。

そう納得するモモンガを他所に、るし☆ふぁーさんがそう推測していた根拠の説明は、まだまだ続くらしい。

 

「二つ目の理由を挙げるなら、時間的な問題かな?

幾らデミウルゴスでも、これだけのシステムをウルベルトさんのサーバーのウィルスチェックやその他必要な処理をしながら一から短時間で構築するのは、流石に無理なんじゃないかなと思う訳よ。

もしやるとしたら、既に基本となるシステムが完成していた状態に手を加える位かなぁと。

ただ……他人が作った物をそのまま使うより、ちょっとだけ手を加えてアルベドに対する意趣返しもしてそうな気がするんだよね、デミウルゴスなら。

そう言う意味なら、確かにデミウルゴスは無関係じゃないと思うよ、うん。」

 

人差し指に続いて中指を立てる事で、指折り数える仕種を見せる、るし☆ふぁーさん。

彼の推測は、現状では誰もが納得する内容らしく、幾つもの唸り声が上がるものの誰も邪魔する事はない。

すると、るし☆ふぁーさんは薬指を立てながらもう一つ推測を追加した。

 

「三つ目の理由は、俺が割と小まめにメールをやり取りしてた人たちから聞いてた、メールペットの近況から考えた結果、って言えばいいのかな。

例えば、一月半前に貰った弐式さんからのメールには、ナーベラルがデミウルゴスの所に弟子入りしてる事が割と詳しく書いてあったよね?

メールの内容を、個人的な事に触れない様にざっくり言うと、〖ナーベラル以外にもシャルティアとか、色々なメールペットがデミウルゴスに師事したりいろいろ相談したりしてる〗って書いてあったし、ナーベラルは割と恐怖公とかとも上手くやってて色々な事を学習しようとしてる事も、俺は知ってたりする訳だ。

他にも、たっちさんの所のセバスの場合だったら、一緒に過ごす事が多い娘さんがまだ小さいから、彼女の為にセバスが自主的に学ぶ事を望んで、デミウルゴスと恐怖公に色々な事を聞いていたりする事とかさ。

もし……そうやって同じ様な事をしているメールペットが沢山いたのなら、それこそ彼らなりにアルベドへの対策とか相談し合ってたとしても、おかしくないかなぁって思うんだけど……俺の推測、どこかおかしい点はあったかな?」

 

笑顔のアイコンを頭上の上に浮かべながら、そう逆にぷにっと萌えさんを筆頭にギルメンたちに対して尋ねて来るるし☆ふぁーさんの推測に、誰も反論する事は出来なかった。

確かに、お互いにやり取りしているメールペットの話題の中には、〖デミウルゴスに弟子入りしてるみたい〗とか〖何かデミウルゴスとこっそり話し合ってるけど、内容を教えてくれない〗と言う内容が、それこそ当たり前の様に何度も出てきていたからだ。

今回、るし☆ふぁーさんが指折り数えながら言った事は、どれも間違ってなどいない。

間違っていない処か、ちゃんと今までの事をみんながちゃんと考えていれば、ギルメン全員が誰でもすぐに気付けた事だと言っていいだろう。

 

「いえ……あなたの推論は、多分どれも間違っていませんよ、るし☆ふぁーさん。

確かに、私とした事が今回の事に関して言えば、かなり短慮が過ぎましたね。

普段、あれだけ冷静に物事を考える様に口にしていながら、実際にリアルが絡んだ事で少しばかり冷静さを欠いていた様です。

言われてみれば、その可能性を視野に入れていなかった自分が恥ずかしいです。」

 

ぷにっと萌えさんが、素直に自分の非を認めると、るし☆ふぁーさんは改めてぐるりと周囲を見渡した。

多分、自分の推測に対して反論がないか、確認をしているのだろう。

このタイミング以外、自分の事を話す機会が無いだろうと感じたモモンガは、急いでそれを説明するべく片手を挙げた。

 

「……すいません、皆さん。

実は、ウルベルトさんだけではなく、私もざっくりとですがパンドラたちが何かをしている事を知ってました。

ただし、それがどんな内容までは聞いても教えて貰えませんでしたが。

それでも、メールペット達がお互いに協力し合って、何か秘密を持っているという事だけなら、確かに私は知っていました。

ですが、ここまでの大事だと思いませんでしたので、わざわざ皆さんには話してませんでした、すいません。

私が、最初にそれに気付いた切っ掛けこそ、以前の会議でアルベドの事が問題になった時に、ウルベルトさんが帰り際に漏らした『嵐が来るな』と言う言葉を聞いて、その場で彼に理由を確認した後、その日のうちにパンドラに確認したからでした。

ですが、その切っ掛けが無かったとしても、多分ちゃんとメールペットたちの様子を確認して把握していれば、皆さん気付けたと思います。

むしろ、毎回の定例会議であれだけご自分のメールペットたちに関して語る事が出来る皆さんなら、ちゃんとメールペットたちの心境を分かっていると、そう思っていましたので。」

 

最初に、今までこの事を黙っていた事を詫びつつ、そこからモモンガが問い掛ける様に語る内容を聞いて、誰もがバツが悪そうな様子で視線を逸らす。

ギルドの中で、色々と問題児と認識されているるし☆ふぁーさんだけではなく、モモンガからも同じ様な事を言われてしまった事で、自分達がどれだけ溺愛している筈のメールペットの変化を見落としているのか、それを指摘された事に気付いたからだろう。

モモンガの言葉に、ハッと何かに気付いた様にペロロンチーノさんが片手を口元に手を当てると、そのままゆっくりと下を向いていく。

何かを思い出そうと言うのか、もう一方の手で額を覆う仮面に軽く触れると、そのまま指先をコツコツと小さな音を立てて打ち付けていた。

暫くそうしていたのだが、突然何かに思い至ったと言わんばかりに頭をがりがり乱雑に掻き回したかと思うと、小さく低く唸り出して。

ペロロンチーノさんの突然の行動に、その様子に気付いた者から何事かと視線を向ければ、ドンッと頭をテーブルに打ち付けたのである。

余りに様子がおかしいペロロンチーノさんに、姉のぶくぶく茶釜さんが声を掛けようとした途端、そのままの姿勢でペロロンチーノさんは呻く様な声を上げながら話し始めた。

 

「……俺、確かに、るし☆ふぁーさんやモモンガさんの言う様に、シャルティアの出すサインを見落としてた……

と言うより、多分……俺のシャルティアが今回の仮想サーバーの基本形態を作った張本人だと思うんだ。

ちょっと前に、凄く嬉しそうな顔をしていたシャルティアが居て、どうしたんだって聞いたら〖とっても良いものが、漸く作れたんでありんす!〗って言って事があって。

それがどんなものか聞いたんですけど、〖これだけは、申し訳ありんせんけどペロロンチーノ様にもお教え出来ないでありんす〗って言われちゃって、『俺にも内緒だなんて!』って凄くがっくりした記憶があるから、間違いないんじゃないと思う……」

 

どうも、まだ自分の中でぐちゃぐちゃになっている感情が整理出来ていないのか、どこか呆然とした口調でそう告げるペロロンチーノさんに、誰もが驚いた様に視線を向けた。

だが、それも当然の反応だと言っていいだろう。

何故なら、ペロロンチーノさんの所のシャルティアは、【ユグドラシルのNPC】をベースにしているだけに、シャルティアと同様に脳筋に近いタイプだからだ。

正確に言うなら、第一から第三階層の守護者として戦闘方面に特化している分、他の所はペロロンチーノさんの趣味もあって色々と残念な美少女である【ユグドラシルのNPC】のシャルティアと比べて、メールペットのシャルティアは色々なメールペットたちとの交流などによって本来の性格から大分変化した個体だと言っていいだろう。

それでも、やはり脳筋よりだと思われる彼女の手で、アルベドの事を隔離する為のシステムを作れるとは、到底思えなかったからだ。

周囲から、かなり疑わしそうな視線を受けているのだが、ペロロンチーノさんはシャルティアに関しての記憶は間違いないと自信があるらしく、がっくりとした様子のままそれを訂正する様子はない。

それを肯定する様に、ウルベルトさんも「あー……」と声を漏らした。

どうやら、その辺りに関して何か心当たりがあるらしい。

 

「そう言えば……確かに、最近のシャルティアとデミウルゴスはコソコソと端末を覗き込んで何かを話している……と言うのか、何かをシャルティアがデミウルゴスに相談している事が多くて、前の様に俺の前でも平気でSAN値をごりごり削る様な会話をしなくなってましたね。

その辺りから、シャルティアが自分の端末でもデミウルゴスのアドバイスを書き込んでいる姿を何度も見てますし、何かを教えて貰っていた事は間違いありません。

たまに、モモンガさんの所のパンドラも合流して、三人で一緒に何か討論をしている雰囲気だったんですけど、俺が近付くとすぐに端末を片付けちゃうんで、内容までは確認出来てませんでしたよ、えぇ……」

 

ペロロンチーノさんの言葉が間違いない事を証明するかの様に、ウルベルトさんが自分の所に来ていた時の様子を語ったのだが、そこにモモンガのパンドラズ・アクターが一緒に居た事も加えられ、ちょっとだけ驚く。

だが、あの三人が集まって何かやっている姿を想像すると、ある意味モモンガ達と同じ位仲が良く遊んでいる姿が想像出来てしまって、ちょっとだけほっこりとしてしまった。

アルベドの事が問題になる前、こっそりパンドラズ・アクターの日記を三人で読んだ時の様な、そんな感じで集まっている姿が簡単に思い描けてしまう。

 

これは、多分ウルベルトさんやペロロンチーノさんも同じ感想なんじゃないだろうか?

 

だからこそ、つい彼らの行動をウルベルトさんも【仲が良いもんだ】と見逃してしまった様な、そんな気がモモンガにはして仕方がない。

モモンガ達が、三人でちょっとだけ納得した様な顔をしていると、ペロロンチーノさんやウルベルトさんの言葉を聞いて、少し考える素振りを見せたのはヘロヘロさんだった。

まるで何かを思い出す様に、手を動かしながら周囲に聞き取れない様な声で呟いていたかと思うと、どうやらその答えに思い当たったらしく、ペシンッと軽く頭を叩く。

 

「あー……実は、私も一つ思い当たる事がありますね。

メールペットのサーバーですが、今メインで使っているもの以外にも、予備で使えるものをミラーサーバーに準備したものがあったんですよ。

予想より、メインサーバーが安定していたので、そのままそちらは放置に近い状態にしてありました。

多分、それを上手く利用して今回の様な隔離する為の仮想サーバーを考案したんじゃないかと思います。

その方法なら、多分手間を掛ければシャルティアでも何とか完成出来るだけの方法を、デミウルゴスなら思い付くと思いますし。

ミラーサーバーの事を、ここの所の多忙さで私自身がすっかり忘れていましたから、この件に関して私も非があると言うべきでしょうねぇ。

そもそも、るし☆ふぁーさんの主張は正しいと私も思います。

正直、我々は実際にアルベドの傍若無人な行動による被害に遭った彼らの事を思いやる様で、実際には〖もう少し様子を見て欲しい〗と我慢を強いるなど、少々蔑ろにしていた部分があるんじゃないでしょうか?

うちのソリュシャンは、殆ど私と一緒の時にしかアルベドが訪ねて来ませんでしたから、彼女の被害に遭ったのも一回だけでしたし、その時にきちんと精神的なケアをしてあると思っていた分、余計に油断していた様な気もします。

こんな事になるなら、彼女たちがどんな風にアルベドの取った行動を受け取っていたのか、我々も、もっとちゃんと向き合った上でしっかり話すべきでしたね。」

 

溜息交じりにそう言うヘロヘロに、お互いにバツが悪そうな感じで顔を見合わせるギルメン達。

今までのやり取りを聞いていれば、タブラさん側の事情を考慮して情状酌量と言う形で、アルベドの行動をそこまで咎めたりしなかった事がそもそもの問題なのだと、理解出来てしまったからだろう。

これに関しては、もちろんタブラさん自身からの謝罪をきちんと受けた事と、間に立った建御雷さんの顔を立ててと言う理由があるが、それでももう少しメールペットたちの事を考えるべきだったのだ。

ここで、今まで黙っていたたっちさんが周囲を見渡し、ゆっくりと片手を挙げた。

どうやら、彼もまたこの場で言いたい事があるのだろう。

他に誰も意見がある様ではなかったので、モモンガは頷いて見せる事で了承すると、たっちさんの話を聞く事にした。

 

「今回の事ですが、確かにウルベルトさんの一件が引き金になったと考えて、まず間違いないでしょう。

だからと言って、今までメールペットたちが被害を受けていただろう、アルベドの行動に関しても問題がない訳ではないと思います。

幸か不幸か、私のセバスは被害の対象外でした。

なので、この件に関して被害者側でも加害者側でもなく意見が言えると思います。

まず、皆さんに確認したい事があるのですが、宜しいでしょうか?

一つは、皆さんは自分のメールペットたちに対して、〖アルベドの行動をどう説明したのか?〗と言う点です。

彼らが納得出来るだけの理由を、ちゃんと皆さんは彼らに対して話していましたか?

皆さんは、忘れがちなので言わせて貰いますけど、それぞれが人格と個性を与えられた交流育成型の電脳空間に存在するメールペット、つまり我々にとって小さな子供の様な存在です。

ナザリックのNPCとは違い、彼らは自分の意思で考えたり動いたり出来る事を、皆さん忘れていませんか?

逆にタブラさんは、アルベドに行動を改める様に注意しましたか?

彼女が、思い違いをして変な行動をしていたとしたら、それはタブラさん自身が対応を間違えていたと考えるべきでしょう。

今の二つに対する答えによっては、彼らの行動は仕方がないと考えるべきかもしれません。」

 

冷静に、確認を取る様にギルメン全員の顔へと視線を向ける。

真っ直ぐに見るたっちさんの視線を、多くのギルメンが受け止められない様に視線を反らしている様子から、彼らは説明が不足していたのが予想出来た。

それだけで、ある程度の状況を察したたっちさんは溜め息を吐く。

 

「……そもそも、 あなた達は今回の事をどう対応するつもりだったんですか?

全ての責任を、ウルベルトさんと彼の所のデミウルゴスに押し付けて、〖自分たちは勝手にサーバーを弄られただけだから関係ない〗、自分たちのメールペットも〖デミウルゴスの怒りに飲まれただけで関係ない〗、という風にするつもりだったんですか?

そんな勝手な話が、この状況で通用する訳が無いでしょう。

まず、このメールの差出人ですが、【メールペット代表】と書いてあります。

最終的に、この騒動のきっかけを作ったと言う意味も込められている事から、差出人こそデミウルゴスの名前が代表者に上がっていますが、これはメールに書かれていた様にメールペット全員の総意と受け止めるべきでしょう。

そう考えると、現時点でちゃんと彼らの事を納得させた上で事を収めるのは、かなり難しいと思いますよ。

と言うより、既に仮想サーバーの起動を実行してしまっている以上、これをお互いに遺恨を残す事なく解除するのは、多分アルベドが解放条件を自分でクリアするのが一番ではないかと、そう私は推察します。」

 

そこで言葉を切ると、たっちさんは円卓をゆっくりと見渡して全員の反応を見た。

多分、ここまでの自分の意見に対して、反論があるならそれを聞くつもりだったのだろう。

けれど、誰からも反論する言葉が出てこなかった。

もしかしたら、たっちさんの言う様に全部の責任をウルベルトさんとデミウルゴスに押し付けて、それで終わりにしようと考えていた人も中には居たかもしれない。

だが、それで話が収まる状況ではないのだと、改めて現実を突き付けられた事で、そんな逃げが通用しなくなったからこそ、誰も反論しなかったのだ。

暫く待って、誰からも反論が無い事を確認したたっちさんは、更に話を続けるべく口を開く。

 

「今までの事や今回の事情を踏まえた上で、彼らの取った行動には多くの問題があるのは間違いありません。

ですが……そこまでの事を彼らにさせる決意をさせたのも、先程から何度も出ている事ですが、今まで我々の方が彼らに我慢をさせていた結果です。

それこそ、簡単にアルベドを許してしまう事が出来ない位には、彼らの側には我慢も限界に来ていた事は間違いないでしょう。

多分、こちらがこの状況すら無視して彼女の行動を許してしまえば、ますます彼らの中にあるアルベドへの不満は募るでしょうし、もしかしたらその不満が我々に対しての不信へと変わるかもしれない。

それともあなた達は、この行動を取った事に対して彼らに責任を問う為にも、今いるメールペット達を全消去するとでも言いたいんですか?

定例会議の度に、それぞれ持ち時間が足りないと言わんばかりに自分のメールペットの事を話していたあなたたちに、そんな事が本当に出来ますか?

それとも、あれだけ自分の愛情を注いだ存在を、ちょっとした問題を起こした程度で消してしまいますか?

むしろ、あれだけアルベドが起こした行動に関しては見逃しておきながら、彼らの行動に関しては許さないと言うつもりなんですか?

少なくとも、彼らがあそこまでの行動を起こしてしまう程、アルベドに対して不満を溜め込んでいたという訳ですよね?

多分、今回の行動を起こすまでにはモモンガさんやペロロンチーノさんの言った様に、何らかの合図を出していた筈です。

そんな彼らの合図を見逃しておきながら、今回の様な自分たちの思い通りにならない行動をしただけで、彼らの事を消してしまうんですか?

あなたたちは、そんなにあっさり……彼らの事を消せてしまうんですか、本当に?

先に言っておきますが、私はそんな決議を出されたら反対しますからね。

私の娘にとって、メールペットたちは電脳空間で出来た大切なお友達ですし、セバスは家族の様な存在です。

そんな娘に、メールペットの全消去なんて真似をして、彼らが簡単に消されてしまう存在だと言うトラウマを植え付けるつもりですか?

更に言うなら、私にとってセバスは大切な息子です。

あなたたちの都合で、私にとって大切な息子や娘の大切なお友達を消されるなんて、冗談ではありません。」

 

つらつらと自分の考えを連ねるたっちさんを、誰も止められなかった。

確かに、最終的にどうするかと言う問題を話し合うなら、たっちさんが口にした内容はどれも考えるべき事だったからだ。

多分、誰もそこまでは考えていなかったんだと、モモンガは周囲の様子を見てすぐに理解する。

と言うより、もしかしたら考えない様にしていた、と言うべきなのかもしれなかった。

 

たっちさんが言う様に、この中に居る誰もが自分のメールペットを消すなんて判断が下せる程、メールペットに対しての思い入れが少ない訳ではないのだから。

 

「あのさぁ……そこまで深刻に考えなくても、別にいいと俺は思うけどなぁ。」

 

たっちさんの言葉によって、現実を突き付けられて誰もが押し黙ってしまったのを見ながら、「仕方がないなぁ」と言わんばかりに声を上げたのは、やっぱりるし☆ふぁーさんだった。

軽く手を振りながら、先ずはたっちさんの顔を見た。

彼もまた、アルベドの被害を直接受けていないメールペットの主として、たっちさんの様に自分の意見を口にするつもりなんだろう。

最初にたっちさんを見たのは、多分「言い過ぎだ」と言いたかったんじゃないだろうか?

たっちさんが、首を竦めているのを見た後、全員の事をゆっくりと視線を目がらせてから、るし☆ふぁーさんはゆっくりと溜息交じりに話し始めた。

 

「今、たっちさんが言ったみたいに、誰だって自分のメールペットが可愛くて仕方がないんだし、最初から彼らの事を罰する理由で全消去って選択肢は、まずあり得ない話だと思うよ?

それこそ、全員の今までの会議の際の様子を考えるなら、自分のメールペットに対して期間を決めてちょっとした罰を与えるのが精一杯って所じゃね?

まぁ、タブラさん所のアルベドを仮想サーバーに落としちゃったのは、色々とやり過ぎな部分は確かにあるとは思うけどね。

それだって、全く救済が無いって訳じゃないみたいなんだし、これに関しては今までメールペットの輪を乱していたアルベドへの罰って事で、今回は彼らの行動を大目に見てあげれば良いじゃないかと思うよ、俺は。」

 

サクサクッと、割り切った様な口調で言い切られ、思わず誰もがるし☆ふぁーさんの顔を注目してしまった。

周囲からの視線に対して、るし☆ふぁーさんは面倒くさそうな様子で自分の椅子の背凭れに思い切り身を預けながら、頭の上で腕を組む。

そのまま軽く椅子を揺らしつつ、まだ言い終わっていないらしい言葉を続けた。

 

「だってさぁ……考えてみたら凄く不公平でしょ?

俺たちの間で、この【メールペット】が稼働して大体五カ月になるけど、アルベドはそれまでの間ずっとメールペット全体の九割に対して何らかの迷惑を掛けておきながら、それを〖タブラさん側にも色々と事情があったから、暫く大目に見てやってくれ〗なんて、彼らからしたら言い訳にもならない理由で見逃されてたんだもん。

たった一回、それも危うくウルベルトさんの引退と死亡案件に繋がりそうな悪戯をアルベドがした事に対して、今までそんな彼女の行動を我慢していたメールペットたちが、我慢の限界を超えたってだけだよね?

そんな風に、我慢しきれなくなって立ち上がった事を理由に彼らの事をどうこうする位なら、最初から輪を乱すアルベドの方を罰するべきだったんだよ。

俺たちが、アルベドの行動に対して何もしてくれないって思ったから、彼らはこんな自衛手段をいつの間にか用意していたって事だけでしょ?

むしろ、こんなものを用意させた揚げ句に使わせてしまった事を、俺たちの方が反省すべきだと思うけどね。

今回の仮想サーバーを起動させたのは、直接主に危害を加えられたデミウルゴスかもしれない。

でもさぁ……デミウルゴスの視点から今回の一件を見たら、自分の主がアルベドの悪戯のせいで、あわや死を覚悟する様な真似をされた訳でしょ?

そんな事をされて、普通に彼は黙っていられる様なタイプじゃないし、自分がやった事に対して強烈なしっぺ返しを食らったとしても、デミウルゴスに対して手を出す時点で、それ位は最初から覚悟してたでしょ、アルベドも。

だから、〖アルベドが今回ばかりはやり過ぎたから、思い切り強烈な仕返しをされてしまった〗と言う程度で、今回の事は考えれば良いんじゃないの?」

 

「子供の喧嘩と一緒だよ」などと、単純な事の様に言い切って笑うるし☆ふぁーさんの言葉は、とてつもなく乱暴な主張の様な気がした。

だが、彼の言う様にメールペットたちの事を自分達の子供に当て嵌めて考えてみれば、確かに彼の主張が当て嵌まる部分は多い。

そう言う意味では、たっちさんやるし☆ふぁーさんが言う言葉は、漠然と状況を察していたウルベルトさん以外のギルメン全員にとって耳が痛い限りだった。

 




長くなったので、一旦ここで話を切ります。
予定では、今回の話で会議の終了までこぎつける予定でしたが、そこまで書くと長くなりすぎるので切りました。
とは言っても、今までで最長の長さですが。
今回のるし☆ふぁーさんは、ギルド最大の問題児の立場ではなく、割と真面目な言動を心掛けて貰いました。
流石に、この状況下で彼もふざけたりはしないでしょうからね。
元は頭が良いからこそ、普段はあんな風に人に悪戯を仕掛けるのが上手くて、最終的に問題児になってるんじゃないかなぁと。


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ギルド会議 5 ~ 会議の結論 ~

ひとまず、これで会議そのものは終了になります。
ただし、まだアルベド騒動は終わりませんが。


それぞれ、今回の事に関しては思う所があるのか、るし☆ふぁーさんの発言の後に何かを言い出す者は居なかった。

多分、たっちさんやるし☆ふぁーさんから言われた事を、自分なりに考える方を今は優先しているのだろう。

出来れば、穏便な形で話し合いを終わらせたい所だが、それには現時点で隔離状態のアルベドをどうするのか、その辺りが問題になると考えるべきだろう。

アルベドの主であるタブラさんが、未だに今回の事に呆然とした様子のまま、会議にきちんと参加していない辺りで、結論を決められない状況でもあった。

 

一応、たっちさんやるし☆ふぁーさん達の話は聞いて、少し反応している様子もあったから、完全に無反応ではないみたいだが、このままでは駄目だろう。

 

モモンガが、そう意を決して話し掛ける前に、タブラさんに声を掛けた者がいた。

今まで、ずっとタブラさんの事を気に掛けている建御雷さんだ。

いつの間にか、タブラさんの前に移動して膝を付いた建御雷さんが、その肩を叩いて意識を自分に向けてから声を掛けたのである。

 

「……おい、いつまでも呆けていないで、しっかりしろよタブラさん。

気持ちは解るが、このままじゃ話が進まないだろう?

それとも、タブラさんはアルベドの事をこのまま投げ出すつもりか?」

 

その言葉に、今まで呆然とした様子で俯いていたタブラさんは顔を上げると、フルフルと首を振った。

流石に、そこまで無責任な事をするつもりはないらしい。

もし、タブラさんが建御雷さんの呼び掛けにも反応しなかったら、モモンガも黙っていられなかっただろう。

だが、ちゃんと彼の質問を否定したので、その点は安心する事が出来た。

まだどこか呆然としているものの、建御雷さんの言葉に反応したタブラさんは、自分の気持ちをゆっくり吐露し始める。

 

「……私は、色々と間違えていたのですね……

私はただ、自分が叱られる際にされて嫌だった事を、あの子にしたくなかっただけなんです。

いつも私が叱られる時は、いつも簀巻きにされた状態で柱から吊るされて半日ほど放置されるか、それとも柱に縛られて食事を一日抜かれるか、そのどちらかしかありませんでしたから。

だから、アルベドの事も言葉で少し注意する事しか、私には出来なかった……

だけど、そんな風にきちんと叱らないままでいたから、あの子は【叱られる】事を【構って貰える】のだと、間違えた認識をしてしまったのでしょう。

ちゃんと、あの子の事が可愛くて仕方がないのに、私は建御雷さんから直接会った時に叱られるまで、殆どそれを示せていませんでした。

話せないなら、話せないなりに抱き締めてやるなどの行動で示す事も出来たのでしょうに、私には思い至らなくて、ですね。

それが、アルベドがあんな行動を取る原因になっていただろうに、まだ、私はそれをちゃんと理解していなかったんですね……

すいません、本当に私が至らないせいで、皆さんにまでご迷惑をお掛け致しました。」

 

その場から少し移動し、全員の視界に入る位置にある床に座ると、タブラさんはそのまま再び土下座した。

これは、彼なりの詫びとしての行為なのだろう。

もちろん、これだけで話が済むとは思っていないだろうだが、この場での筋を通す為に頭を下げたのだという事は、誰からも理解出来た。

タブラさんの幼少期の体験だろう、彼が叱られる際に受けていた体罰の内容にはかなり驚いて小さな騒めきが起きたものの、とてもそれに関して突っ込む場面ではないので、誰もが口を噤んでいる。

暫くの間ずっと、頭を下げていたタブラさんがゆっくりと顔を上げた後、更に言葉を重ねる事にしたらしい。

少しだけ、それを言っても良いのか躊躇う様な素振りを見せた後、ゆっくりと口を開いた。

 

「……今回の件だけでなく、様々な事で皆さんの所に居るメールペットに、私のアルベドが色々と迷惑を掛けたのはどうする事も出来ない事実です。

ですが、このままあの子の事を仮想サーバーに放置して、見捨てるなんて真似をしたくありません。

その為にも、皆さんからのお許しを頂きたい。

私が、あの子の帰還を待つ為に最大の努力をする事を。

アルベドだけが、私のただ一人のメールペットです。

こんな状況になった後も、あの子以外のメールペットを私は持つつもりにはなれないのですから、この件でも他の皆さんのメールペットには迷惑を掛けるでしょう。

それを、この場で許して貰えないでしょうか?

私は、アルベドがちゃんとこの状況を理解し、周囲に対してどれだけの迷惑を掛けたのか理解した上で、自分だけの力で仮想サーバーから再び私の娘として戻ってくる事を、ずっと信じて待ちたいんです。

私自身、とても身勝手な事を言ってる自覚はあります。

この決断を下した事で、あの子も仮想サーバーから戻る事が出来るまで、辛い思いをするでしょう。

そんな事は、最初から重々承知です。

それでも、私はあの子を諦めたくないんです。

……ですので、私がこの決断をする事を、皆さんに許して欲しい。

心から、お願いいたします。」

 

そこまで言うと、タブラさんは再び深く深く、床に額を付ける様に頭を下げる。

彼の決意に、 誰も何も言う事が出来なかった。

いつ、アルベドが仮想サーバーから戻るか分からない状況で、それを「待ちたい」と言うタブラさんに対して、溜め息混じりに声を掛けてきたのは、るし☆ふぁーさんだ。

 

「あのさぁ……なに、当たり前の事を言ってるのさ。

この状況で、アルベドの事を見捨てて新しいメールペットを選んでたら、俺、タブラさんの事を軽蔑するつもりだったからね。

そういう意味では、きっちり腹を括って覚悟を決めたのは良かったんじゃない?

正直言って、タブラさんは今回の事を含めて、メールペットの事を一回ちゃんととことん考えるべきだよね。

俺は、さ……普段からギルメンを含めたこの【ユグドラシル】で、色々と問題行動とかをやらかしている自覚とかあるけどさ。

だけど、自分のメールペットの恐怖公に関してだけは、いい加減な対応をした事は一度もないよ?

タブラさんも、もう少し〖メールペットを飼う〗って意味を、自分なりに考えれば良いんじゃないかな?

多分、彼らの飼い方に対する答えなんて、それこそ星の数まであるかもしれないけど、それから自分とアルベドに合ったものを探せばいいと思う。

どっちにしろ、これに関してはタブラさん次第っていう結論で、俺は良いと思うよ。」

 

アルベドの一件が発覚した辺りから、割とタブラさんへの当たりが厳しいものだったるし☆ふぁーさんがそう言ったのを聞いて、モモンガは少しだけホッと胸を撫で下ろしていた。

メールペットを選ぶ際のいざこざや、その後のメールをやり取りする際のメールペット達の態度などで、るし☆ふぁーさんの一部のギルメンへの対応が割と厳しい事に、モモンガは気付いていたのだ。

むしろ、モモンガが気付かない方がおかしい位に、るし☆ふぁーさんの彼らに対する対応は笑顔を浮かべてにこやかに話していても、実際は冷淡なものだったのだから。

 

もっとも、彼らの中ではそんなるし☆ふぁーさんの変化を気付いていたのかどうか分からない。

 

「悪戯されないで済む」と、もしかしたら喜んでいたのかもしれないが、このままだとギルドが割れないかと心配していた面々も割と多かった。

るし☆ふぁーさんから、そんな対応をされている筆頭がタブラさんで、今回の騒動でアルベドに対して厳しい意見が多かったのも、るし☆ふぁーさん側がメールペットを選ぶ時のタブラさんの発言を根に持っていたからだと、ほんの少し前までモモンガは本気で思っていたけれど、どうやら微妙に違うらしい。

多分、あの配布の際に言われた事に関しては根には持っていただろうけど、育てたメールペットの現状を比較して、はっきりと明暗が別れた形になった事から、その件に関してだけは納得してしまったのだろう。

だから、タブラさんがアルベドを見捨てる選択をしないという宣言を聞いて、彼の事を見直して色々とアドバイスをくれているのだ。

 

〘 ……正直、るし☆ふぁーさんがこんな真面目な対応も出来るなら、普段からしてこういう態度で居て欲しいと思わなくもないですけど……多分、彼の今までの行動とかを考えたら、無理なお願いなんだろうな…… 〙

 

つらつら、そんな事を考えていたモモンガを他所に、タブラさんに自分の言いたい事を言い終えたるし☆ふぁーさんの標的は別に変わったらしい。

この場で、つい話を聞き入ったまま黙っているギルメンたちに視線を向けると、大きく溜め息を吐く。

そして、少しだけ不機嫌そうな様子で口を開いた。

 

「……それよりも、だ。

皆はさぁ……なんでさっきから、タブラさんとアルベドの引き起こしたこの一件を、〖自分とは無関係です〗って他人事の様な顔をしてるのさ?

今回の騒動で、自分のメールペットときちんと意思疎通が出来ているのは数名だけって判明してるのに、どうしてそんな態度でいられる訳?

この場に居るほぼ全員が、タブラさんとアルベドの事が他人事じゃないと判ってるの?

そんな風に、〖自分は関係ない〗なんて高を括った態度でいられる程、彼らの本音の部分をきちんと理解してなかったのに?

正直、この場に居るギルメンのうちの何人かは、このまま何も考えずに彼らと今まで通りの関係でいたら、アルベドの様な他人への迷惑行動をしなくても、いずれ彼らの反抗期に遭って泣きを見る羽目になるんじゃないの?」

 

誰の目から見ても、はっきりと厳しい口調でるし☆ふぁーさんから指摘を受けると、途端に彼の顔を見ていられないと言わんばかりに視線を逸らすギルメンたち。

普段、困った悪戯をするばかりで【ギルメン一の問題児】と認識されているるし☆ふぁーさんから、こんな正論での指摘を受けてしまう状況に、反論したくても出来ないだけの現実が目の前にある為、口を閉ざして視線を逸らす位しか出来ないのだろう。

いつも彼の悪戯という被害に遭い、身柄を拘束してその悪戯に対して説教する立場の者が多いからか、今回に限って言えば普段とは全く逆の立場になった事に、酷く困惑しているのかもしれない。

だけど、今回ばかりはモモンガはるし☆ふぁーさんを全面的に支持したかった。

同じ様に、彼の意見を後押ししたのはたっちさんだ。

 

「……確かに、ギルメンの中でもただ甘やかすばかりの対応が続いている方たちの所は、るし☆ふぁーさんの指摘通りになる可能性はあるじゃないでしょうか?

何も、全員がそうだとは言いません。

ですが、メールペットの育成はほぼ子育てと変わらないと思った方が良い。

私の所では、セバスを実の娘と出来るだけ決めた時間に一緒に過ごさせつつ、二人を同じ様に私の子供として扱う事で、上手く彼との関係を築いていますしね。

毎日、セバスと就寝前にその日の事を少しでも話せる時間を設ける事で、彼との意思疎通にも努めてますし。

皆さん、ただスキンシップを取ったりして可愛がるだけではなく、ちゃんと彼らの言葉に耳を傾けていますか?

彼らにも、自分の意思と言うものがあるのですから、それにちゃんと耳を傾ける時間を持たないと、色々な意味で後から苦労すると私は思いますよ。」

 

実際に、電脳空間では自分の娘とセバスを一緒に育てていると言うだけあって、その言葉には重みがあった。

何と言っても、ギルメンたちは全員が社会人ではあるものの、大半のメンバーが独身で結婚していない事から、子育てがどういうものなのか理解している訳じゃない。

そして、自分達の元にやって来た彼らの正式な名称は、確かに【メールペット】ではあるけれど、言葉を直接交わせない動物ではなくて、明確な自分の意思を示す事が出来るAI達である。

そう言う意味では、たっちさんの様にペットの育成よりも普通に自分の子供を育てていると言う認識を、きっちりと持つべきだったのだ。

更にそこで、開発者側としてヘロヘロさんも口を挟む事にしたらしい。

自分の触腕で軽く机を叩きつつ、スルリと口を開いた。

 

「皆さんに対して、開発者側の立場で一つ言わせて貰っても良いですか?

こんな事を、今更皆さんに対して言わなくても判っているとは思いますが、メールペットである彼らのものの考え方や性格、趣味嗜好などと言った基礎人格部分は、基本的にナザリックのNPCをベースにしています。

ですが、それはあくまでも基本部分だけです。

交流によるAIの成長具合によっては、ペロロンチーノさんの所のシャルティアの様に、ナザリックの彼女なら出来ない様な事も出来る様になりますし、逆にタブラさんの所のアルベドの様に、育成が上手く出来なかった事で問題行動を起こす事もあり得ます。

仲間のメールペットとの交流関係も含め、全部、我々のギルメンの育成次第なんですよ。」

 

ゆらりと、粘液の触腕を動かしながらそこで言葉を切ると、ヘロヘロさんは困った様な様子で少しばかり間を置いた。

多分、開発者側として皆にメールペットを配布した立場として、自分がそれを言っても良いのか酷く迷う内容なんだろう。

幾許かの間を置き、ヘロヘロさんは迷いを振り切るかの様に、更に言葉を重ねた。

 

「そうですねぇ……このまま、飼い主と言う立場を優先して彼らの意思を蔑ろにした行動をし続けたら、いずれ自分に返ってくると言う事を、まず皆さんは理解して下さい。

これは、この場に居る誰もが絶対にないとは言えない話だと、私も思います。

そう言う点を踏まえた上で、今回の一件への処遇と同時に今後の彼らをどう育成していくのかを、私としては考えて欲しいんですよ。

何を言おうと、中途半端な育成を受けてる事で辛い思いをするのは、私たちじゃなくて彼らの方だと思いますし。

もし、皆さんの中に〖このまま彼らの事を育成出来る自信がない〗と言う人がいたら、この場で申し出ていただけませんかねぇ……

申し出ていただけたら、今回に限りそのメールペットたちは私が引き取り、今後は通常回線でもメールのやり取りが出来る様に、何としてでも調整しますので。

その代わり、メールを通常回線に戻した後で、〖やっぱり、メールペットが欲しい〗と言う言葉は、一切受け付けませんけど。

彼らにだって、ちゃんと自分の意思がある訳ですし、例えどんな理由があったとしても、突然〖要らない〗と言われて捨てられたら、酷く傷付くと思うんですよ。

生みの親として、あの子たちが繰り返し傷付くのは嫌なんで、あくまでも今回限りの話ですけど、その辺りも検討の対象として貰っても良いですか、モモンガさん。」

 

ヘロヘロさんの爆弾発言に、彼の周囲にいたギルメンを中心にゆっくりとざわめきが円卓の間に広がっていく。

当然の話だろう。

今まで、〖全員の手に渡っていないと、メールペットが困惑するから〗と言う仕様だと言う理由から、全員がメールペットを受け取っていたのに、突然〖このまま彼らとの関係を維持するのが無理なら回収する〗と言い出したのだから、驚かない方がおかしいのだ。

彼らの中で、このヘロヘロさんの発言に対してざわめきが生まれない筈がない。

今では、しっかりと彼らの中で根付いているメールペットの存在を、彼が促しただけでそんなにあっさりと手放せるとは、モモンガにはとても思えなかった。

だが……確かに彼らギルメンたちの中には、きちんとヘロヘロさんが考えている【メールペットの取り扱い基準】に達してない扱いをしている者もいるのだろう。

今回の申し出は、そんな彼らに対して〖アルベドの様な問題行動を起こしてしまう事態になる前に、こちらで保護しましょう〗と言う、ヘロヘロさんなりの気遣いだったのかもしれない。

 

だが……ここにいる誰もが、定例会議の度に自分のメールペットへの愛を叫んでいたのだから、ヘロヘロさんの提案を喜んで受け入れる者などいなかった。

 

「……待って下さい、ヘロヘロさん!

せっかくの提案ですが、私にはとてもその話を受け入れられません。

多分、これは私だけではなく……この場にいる全員の総意でしょう。

それ位、今では彼らの存在は私たちと共にあるのです。

ですので、ヘロヘロさんからのその申し出は受ける者はいないと思います。

……皆さん違いますか?」

 

ヘロヘロさんの言葉に、ギルメンの中で真っ先に反応したのは、それまで黙って話を聞く側に回っていたベルリバーさんだった。

彼としても、それこそ周囲に駄々洩れな程に溺愛しているメールペットの【ペストーニャ・S・ワンコ】を、こんな事で手放す気はないだろう。

何と言っても彼の場合、餡子ろもっちもちさんが自分のメールペットにエクレアを選んだ事によって、ナザリック最萌大賞であるペストーニャを自分のメールペットにする為に、ギルメンたちの一部の中で発生した争奪戦を見事に勝ち取った程なのだから、むしろ今更「手放せ」と言われても従う筈がない。

そんな、何処か必死な様子の彼の言葉に、他のギルメンたちも皆で頷いて同意している。

今の彼らの様子を見ているだけでも、今後はきっちりと意思疎通を図る様に自分なりに努力し、ヘロヘロさんの懸念を吹き飛ばす事に尽力するだろう。

そんな風に、必死に自分のメールペットを手放さない意思を示す彼らの反応を見て、ヘロヘロさんは思い切り苦笑のアイコンを浮かべつつ、この件に関して自分の前言を撤回してくれる気持ちになったらしい。

どこか、仕方なさそうにちょっとだけ肩を竦めながら、彼は己の触腕を再度振った。

 

「……まぁ、それ程言うなら仕方がありませんね。

そこまで皆さんがちゃんと考えて下さるなら、私はそれで構わない訳ですし。

正直、皆さんの所に居るメールペットたちの心境を考えたら、その方が良いのは決まってますしからねぇ。

その代わり、もし今度何らかの問題が起きた時は、私にもそれなりに考えがありますので、皆さんちゃんと覚悟しておいて下さいよ?」

 

どこか、ゆったりとした口調で話していたヘロヘロさんだったが、最後の部分だけ声のトーンが低く違っていたのがちょっとだけ恐ろしい。

多分、彼なりに今回のこの騒動を自分達にとっての教訓にして欲しいと言う気持ちから、ギルメンたち全員に釘を刺す意味もあったのだろう。

なんとなく、それに対して突っ込みたくなかったモモンガはさらりと流す事にした。

色々と言いたい事もあったのだが、それよりもまず会議を進める事の方がモモンガの中で優先順位が高いからだ。

 

「……ひとまず、皆さんからある程度の意見は出たと思いますし、そろそろ今後の事を話し合いたいと思います。

まず、アルベドをどうするかと言う点に関してですが、私としてはタブラさん自身からの申し出もある事ですし、彼女が自力で脱出して来る事を信じて、現状を維持すると言うので問題ないでしょうか?

この件に関して、何か他にご意見はありますか?」

 

採決をする前の最後の確認を取る様に、モモンガがこの議会の議長として意見を確認すると、特に誰も何かを言う事もなかった。

どうやら、今回の一件に対するアルベドの処分に関しては、ギルメンたちとしては現状で様子見をしたいという考えなのだろう。

特に意見も出なかった時点で、多数決による採決を取らなくても大丈夫だと判断したモモンガは、次の議題に移る事にした。

アルベドに対しての処遇を決めた以上、彼女の事をいきなり許可なく仮想サーバーへと追放したメールペットたちに対しても、それ相応の処遇も決める必要があるからだ。

 

「……では、皆さんから特に意見も出ませんでしたので、アルベドに関してはこのままの内容で確定します。

今度は、アルベドを自分たちだけの意思で追放したメールペットへの処遇に関して、私たちがどう対応するか決めましょうか。

幾ら事情が事情とはいえ、流石にこのまま彼らに対して何の処罰も与えないと言う訳にはいきません。

今回の行動で、彼らに決定権が無い部分でも集団の意思が集まれば何でも出来るなどと、誤った事を学習されてしまっては困りますからね。

皆さん、何かご意見ありますか?」

 

モモンガの問いに対して、スッと手を挙げたのはぷにっと萌えさんだった。

元々、【アインズ・ウール・ゴウンの軍師】として、ウルベルトさんの一件に関しての推測やるし☆ふぁーさんのメールペットたちの行動への推測に対する質問など、自分の意見を進んで口にする事が多いぷにっと萌えさんだからこそ、この件に関してもまず自分の意見を言ってくれるらしい。

他のギルメンが、誰も手を挙げずに様子を窺っているのも、まずはぷにっと萌えさんの意見を聞く態勢を取ったらしかった。

そんな周囲の視線を受け止めながら、ゆっくりと彼は自分の考えを口にした。

 

「……そうですね、彼らに対してだけあまり重い罰を与える訳にはいきません。

今回の彼らの行動は、あくまでもアルベドに対する我々の対応が、余りにも彼らの気持ちを汲んでいなかった事から発生した事案でもあります。

ですが、アルベドを自分達の輪から追放する事を、彼らだけで勝手に決めて実行してしまった事は、間違いなく問題がある行為だと言えます。

せめて、実際にこうして行動を起こす前に、もっとリアクションを見せるべきだったんです。

そうですね……例えば、本気でアルベドの行動に対して文句を言うなり、タブラさんの所にメールを配達する際に、彼に対して自分の気持ちを訴えかけるなり、行動に出る前に打つ手段はあったと思われます。

同時に、我々ももっと彼らの言葉に耳を傾けるべきだったと言っていいでしょう。

その反省の意味も踏まえ、彼らに対する処罰はこうしたらどうでしょうか?

一日一時間、主からの仕事が無い合間の時間に、自分がどうしてこの行動を選択したのか、その理由をしっかりと振り返りきちんと考えて、それを纏めたレポートを書き上げて貰いましょう。

同じ様に、我々もどう対応するべきだったのか、反省の為に一日一度必ず短い時間でもその事を自分で考えを纏めて、一通のメールに書き込む事にします。

タブラさんは、自分がアルベドの行動に対してどう対応するべきだったのか、それを冷静に考えてレポートにして下さい。

それを、アルベドが無事に仮想サーバーから戻るまで、メールペット及びギルメン全員が必ず毎日繰り返す事にしたら、お互いに罰になると思います。

全員がサボらない為に、今回の被害者であるウルベルトさん宛にメールとして全員が一日一回送れば、実際に行動している証明になりますし、そうして集まった大量に来るメールに添付されているレポートの処理をデミウルゴスが受け持つ事で、彼への罰にもなります。

これ位が落しどころだと思いますが、皆さんはどう思われますか?」

 

にっこりと、笑顔のアイコンを出すぷにっと萌えさんの提案は、割と大変なものだった。

毎日、アルベドのした事への気持ちや対応などを考えるのは大変だし、何よりそれを纏めてレポートにしたものをメールにするなど、彼らにとってかなり大変な作業ではないだろうか?

そして、ウルベルトさん宛に送られてくるだろう大量のレポートを、全部目を通して処理するというデミウルゴスの負担もかなりのものだった。

この罰が、メールペットだけに課されるのならば、かなり問題があったと言っていいだろう。

しかし、だ。

ギルメン側も似た様な罰を課された事で、双方に非があると言う形に持って行っている為、反論もし辛い。

彼が言っている内容の大変さを理解した途端、誰もが声も出ない様子で目を白黒させていたのだが、それに対してクスクス笑う奴がいる。

言わずと知れたるし☆ふぁーさんだった。

 

「……だからさぁ、ぷにっと萌えさんの言葉もそんなに難しく考えなくていいんじゃない。

ぶっちゃけ、一日一回アルベドの事を考えて戒めにすればいいだけでしょ?

まぁ、レポートを作成するのは面倒な部分があるかもしれないけど、毎日同じテーマで書く事を考えるなら、そこまで深く考えなくても良いと思うけどなぁ。

それこそ、ただレポートを書く為の作業的な物にならない様にだけ注意すれば良いだけじゃん。

レポート用紙何枚とか、書かなきゃいけない分量も決まっていないんだし、俺達が気を付けるべきは何が問題だったのか、同じ様な事が今後起きない様にするのはどうすれば良いのか、ずっと考える事だと思うよ?

メールペットたちに対して、〖毎日一時間は考える様に〗ってぷにっと萌えさんが言ってるのだって、それ位考えて漸く自分なりの思いが言葉に纏まる様な、考える事が苦手なタイプが割と多いからでしょ?

別に、書く内容は短くても十分なんだよ。

むしろ、重要なのは自分なりにレポートを書く為に、毎日自分で頭を使ってアルベドに対してどう思っていたのかを、ゆっくりと考える事の方なんだからさ。

彼女がした事は、間違いなく周囲に対して迷惑を掛ける様な事だけど、毎日の様にそんな彼女の事を考えてレポートを書く時間を与えられたら、もしかしたら別の角度で彼女の事を見れる様になるかもしれないしね。」

 

サクサク自分の意見を口にしてくれる、今のるし☆ふぁーさんは本当に頼もしい。

どうして、普段からあんな悪戯小僧の問題児ではなく、こっちのるし☆ふぁーさんで居てくれないんだろうかと思う位には、頼りがいがある言動だった。

現に、ギルメンたちから上がる騒めきの中には、「るし☆ふぁーさんに言われるなんて……」とか「こんな風に、真面目に考えて行動出来るなら、普段からもそうしろよ!」とか「流石に、ここまで来ると別人レベルじゃないですか?」とか色々と言っている人たちが沢山いる。

気分的には、モモンガもその意見に賛成したい気持ちが強かったのだが、議長として立場的に公平に当たる必要がある為、敢えてそれを口にしたりはしなかった。

ぷにっと萌えさんやるし☆ふぁーさんの言葉を聞いて、ウルベルトさんが一つの疑問を投げ掛けてくる。

 

「メールペットたちに関しては、まぁ……ちょっとだけ大変な様な気もするが、俺達に相談する前に実行して事後報告している事も踏まえて、それでも良いだろう。

俺達ギルメン側にも責任があると、それに対する何らかの罰則が必要なのも納得がいく。

だけどな?

ギルメンの中には、仕事のスケジュール状況次第で、そんな風に時間を割けない連中がいるだろ?

例えば、人気声優の茶釜さんは詰め込み過ぎのスケジュールだと無理だろうし、漫画家のホワイトブリムさんの場合は、締め切り間近の追い込み中にそれをやれってのは、流石に酷だと思うぞ?

二人とも、そう言う時はこっちにもログインして来れないんだし。

それに、アルベドの件に関しての被害者の俺の所にメールを集めるって、それってどんな鬼所業なんだ?

デミウルゴスに処理させるって言っても、俺だってデミウルゴスだってそのレポートは書く立場なんだろ?

だとしたら……この処罰ってギルメンの中での唯一の被害者の俺が、一番罰が重くないか?」

 

ウルベルトさんの主張は、その内容を聞けばもっともだった。

何らかの形で、確実にアルベドの仮想サーバーへの追放に一枚噛んでいるだろうデミウルゴスはともかく、何の過失もなく彼女の悪戯で失業に追い込まれたウルベルトさんの立場を考えれば、彼に対する処罰が重いと言われても仕方がない。

もし、ウルベルトさんがメールペットたちの行動を気付いていながら、その情報を伝えなかったと言う点が彼だけの処罰が重くなる理由だとすれば、それこそモモンガはぷにっと萌えさんの提案に対して賛成出来ないと言っていいだろう。

 

何度も言うが、彼らの様子をちゃんと見ていれば気付けた事なので、それに気付かなかった側が気付いた側に対して「どうして教えてくれなかった」と主張する方が間違っているのだ。

 

それこそ、自分が怠っていた事を棚に上げるなんてレベルの話じゃない。

ウルベルトさんがそう言った途端、ぷにっと萌えさんは自分の言葉に漏れがあった事に気付いたのか、慌てた様子で手を振る。

モモンガからはもちろん、たっちさんやヘロヘロさんと言った面々から、割と強めの不信の目が向けられていたからだろう。

 

「すいません、確かに今の私の言った内容だと、ウルベルトさん達に対しての罰が重すぎますね。

それなら、ウルベルトさんとデミウルゴスに関してはアルベドの事を考える時間とそのレポートは除外と言う事で良いでしょう。

皆さんからレポートが手元に集まる以上、それに目を通して全員が提出しているか確認し内容を読む間は、自然に彼女の事を考える時間を持つ事になりますからね。

……とは言え、全員分のメールの処理をする事を考えると、流石にデミウルゴスに対しての負担がちょっと大きいかもしれません……」

 

少し考える素振りを見せるぷにっと萌えさんに、モモンガは自分の意見を言うべく手を挙げた。

この段階で、自分の意見をきちんと提案しておかないと、タイミングを逃してしまいそうな気がしたからだ。

モモンガが手を挙げれば、誰もが意見を聞こうと視線を向けてくれる。

それを受けて、ゆっくりとした口調で提案を始める事にした。

 

「それなら、こうしたらどうでしょうか?

ギルメンの中でも、仕事のスケジュールによってはレポート作成が出来ない面々に関しては、事前に予定が判っている時は申告して貰う事にしておけばいいと思います。

ただし、全くレポートを出さなくても良い訳ではなく、時間が出来た時に短い物でも構わないので必ず書くと言う条件は付きますが。

急な仕事が入り、レポートを作成する為に時間が取れないと言う事は、社会人ですからギルメン全員にあり得る事なので、後日その理由と共に出来なかった分のレポートを提出して貰う事で補えばいいと思います。

それと、その集まって来たレポートの処理に関してですが……今回の仮想サーバーを最初に構築したのは、ペロロンチーノさんの話によるとシャルティアがした様ですが、それに対しての意見を出し合ったのは私のパンドラとウルベルトさんの所のデミウルゴスと言う事でしたよね?

だったら、この三人の責任は他のメールペットよりも重いと考えるべきです。

と言う事で、毎日昼過ぎメール配達が終わった後の一時間、ウルベルトさんのサーバーに三人を集めて、その場でレポートの確認作業の処理をさせると言うのはどうでしょうか?

その代わりとして、パンドラとシャルティアもレポート提出は免除するなら、釣り合いが取れると思います。

ウルベルトさんの役目は、三人の監督役としていただくと言う事で。

丁度、たっちさんのお嬢さんの家庭教師になる事が決まった訳ですし、三人が集まっているお昼過ぎの一時間は、丁度お嬢さんのお昼寝の時間帯には最適ですからね。

ペロロンチーノさんに反論が無ければ、この方向で進めて良いと思います。

どうでしょうか、ペロロンチーノさん?」

 

モモンガが水を差し向ければ、まだ自分の対応の拙さを反省するかの様に頭を抱えていたらしいペロロンチーノさんは、渋々と言った様子で頷いた。

彼としても、自分のシャルティアが負う責任が他のメールペットよりも重くなるだろう事は、察しているらしい。

どちらかと言うと、自宅で仕事をしているペロロンチーノさんの場合、暇があれば彼女の様子を窺っていると聞いた事があるので、もし彼女が悩んでレポートを作成している姿を見たら、手を差し伸べてしまう可能性もなくはない為、丁度良い罰になるのかもしれなかった。

彼が同意した事によって、ぷにっと萌えさんの提案に対してるし☆ふぁーさんとモモンガによる修正が掛かり、問題点もある程度解消されたと言っていいだろう。

 

「……他に意見がなければ、今の修正を加えたぷにっと萌えさんの提案で、採決を取りたいと思います。

皆さん、いかがでしょうか?」

 

議長として、採決前のモモンガが最終確認を取れば、誰からの反論の声も上がらなかった。

なので、そのままこのぷにっと萌さんの提案に対する賛否の採決を取れば、賛成多数による採用が決まったのである。

正直、実際に実行する事になったら色々と問題点が出そうな内容でもあるが、この提案以外に妥協点も無かったと言うのも、賛成が多数になった理由だった。

 

こうして、色々と波乱含みだった今回のギルド会議は、漸く幕を閉じたのだった。

 




という訳で、会議はこういう形で結論が出ました。
ですが、前書きにも書いた通り、まだまだアルベド騒動は続きます。


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仮想サーバーへ落とされたアルベドと、一つの小さな出会い 前編

タイトル通り、仮想サーバーへ落とされたアルベドの話。
まずは、彼女が落とされた時の話になります。


アルベドが、その異常を最初に感じ取ったのは、自分の部屋で趣味の一つである編み物をしている時だった。

何かが、ゾワリと背筋をゆっくりと這い上がる様な、そんな我慢出来ない違和感を。

 

「……お父様は、今、【ナザリック】での定例会議に出ていらっしゃるのに……」

 

もし、これが誰かが仕掛けたウィルスの攻撃の気配を感じ取ったものだとしたら、対応するべきなのかとアルベドは少し悩む。

彼女もまた、他のメールペットに比べて割と高性能なタイプではあるものの、ウルベルト様の所のデミウルゴスの様に、自分でウィルスに対して直接対応出来るだけの能力は与えられていないからだ。

多分、彼以外でそんな能力を持っていそうなメールペットは、ヘロヘロ様のソリュシャンとるし☆ふぁー様の恐怖公位じゃないだろうか?

 

それ位、自分を含めたメールペットの基礎能力は、それほど高くないのである。

 

正直言って、自分に対応出来る様な案件ではない時は、「強固な障壁がある自分の部屋に引き籠ってやり過ごす様に」と、父であるタブラ様からはっきりと言われている以上、アルベドはこの場から動く事が出来ない。

下手に〖 外に出て対応しようとした結果、ウィルスに感染しました 〗では、自分以上にお父様が困るからだだ。

本音を言えば、デミウルゴスの様にあらゆる意味でお父様の役に立ちたいと思う。

思うのだが、残念ながらそれだけの能力が無い自分が無理をして動き回れば、逆に被害を受けて迷惑を掛ける事を理解しているだけに、今回の様にウィルス関連と思われる状況の場合、アルベドは動くに動けなかったのだ。

 

じりじりとした時間が、ゆっくりと過ぎて行く。

 

そうして待つ間も、作り掛けの編み物をずっと続けていたのだが、苛立ちから手元の編み目が乱雑になり掛けている事に気付いた所で、一旦手を止めた。

このままだと、編み目が不揃いな失敗作にしかならない事に気付いてしまったからだ。

小さく溜め息を吐き、編み掛けの編み物や毛糸などを纏めて籠にしまうと、アルベドはゆっくりと立ち上がり……そして、ある事に気付く。

 

メールペット同士でやり取りする場合の、【メールが送られてきています】と言うサインが浮かんでいる事に。

 

普段、こんな風にメールペットの間で自動送信のメールを使う事は少ない。

直接会って、話した方がお互いに楽しいからだ。

何事かと手に取った彼女は、そのメールの内容をざっくりと確認した途端、それまでの美しく優雅な仕種をかなぐり捨て、バッとその場から飛び出していた。

 

『 アルベドへ

 

今まで、君には多くのメールペットたちが泣かされてきた。

それこそ、君の行動で泣かされたメールペットの数は、全体の九割と言う驚異的な数字だ。

一応、我々の主たちと君の主であるタブラ様の話し合いの結果、〖 改善点を何とかして様子を見る 〗と言う話になっていた為、タブラ様の顔を立ててある程度は大目に見てきたと言っていい。

だが……流石に今回、君が私の端末にした悪戯は容認しかねると言っていいだろう。

君が行った、実にくだらない悪戯のせいで、現在進行形で私の主であるウルベルト様は【リアル】で職を失い、最悪の場合は自身の死を覚悟されているのだから。

私だけにしか影響が出ないなら、この程度の悪戯など笑って受け流しただろう。

だが、君の悪戯が原因でウルベルト様に多大な被害を与えた時点で、私は君の事を到底許す事が出来ない。

この件は、既に他のメールペットたちも通達済みだし、彼らも私の意見に同意してくれていてね。

実は、以前から〖今度君が大きな迷惑を掛ける行動をした時に、それ相応の対応が出来る様に〗と開発していた物が我々の手にはあり、今回はそれを使わせて貰う事になった。

実際に、君も自分が居るサーバーに違和感を感じている筈だ。

その理由を、君に教えよう。

今の君がいる場所は、我々メールペットシステムを作る際に、ヘロヘロ様が用意して放置されていたミラーサーバーを、我々の手で改変して作り出した仮想サーバーだ。

君がいるタブラ様のサーバーだけではなく、我々全員が居るメインサーバー全てが君のいる仮想サーバーと重なり合う形で構築されている。

君が移動出来る場所は、全てメインサーバーに重なっている仮想サーバーの中だけだ。

嘘だと思うなら、それを確認する為に我々のサーバーまで出向いて確認してみるといい。

後、これも見ておくべきだ。

君が犯した罪によって、タブラ様がどう対応する事になったのか、それが良く判るだろう。

 

アルベド、君は自分の罪深さを理解するべきだよ。

 

そこに映っているタブラ様の行動に免じて、君がその場所から脱出する手段は残しておくとしよう。

但し、〖どうすればそこから脱出出来るのか?〗と言う方法に関しては、君自身が自分だけの力で探す以外方法はないと言っておく。

では最後に、自分の罪深さを理解出来た君と再会出来る事を祈って。

 

メールペット一同代表 デミウルゴス 』

 

デミウルゴスが代表と最後に記された、このメールに書かれていた内容は、とても信じられるものではなかった。

幾ら、デミウルゴスがメールペットの中で飛び抜けて優秀で、そんな彼に他のメールペットが協力していたとしても、そんなものを実際に構築出来る筈がない。

そう思うからこそ、アルベドは状況を信じられず状況を確認する為に、外へと飛び出したのだ。

 

〘 多分……あれは、私の悪戯に対するデミウルゴスからの意趣返し的な、そんな意地の悪い悪戯メッセージよ。

だって、そうじゃなきゃそんな事などあり得ないもの! 〙

 

必死に、彼がメールに書いてきた事はあり得ないと、自分の中で繰り返しつつ足を進めるアルベド。

だが……そんな彼女の予想は、大きく外れていた。

取り合えず、一番近場にあるメールペットのサーバーを訪ねたのだが、ドアをノックして訪ねて来た事を知らせても、何の返事もない。

不在かと思い、いつもの手順で慣れた様子でドアを潜れば、そこのメールペットはのんびりと寛いでいて。

何故で迎えなかったのかと思いつつ、アルベドはその相手に対して幾ら話し掛けたのだが、まるで自分の存在に気付かないのである。

苛立ちつつ、全く自分の存在に気付かない相手の肩にちょっとだけ手粗に触れようとして……それは出来なかった。

何故なら、スッと手が相手の身体に触れる事無くすり抜けてしまったのだ。

驚きで目を見開くアルベドだが、相手はこちらの様子には一切気付いていないらしい。

そう思った瞬間、先程のデミウルゴスからのメールの内容が頭に浮かぶ。

 

『 君が移動出来る場所は、全てメインサーバーに重なっている仮想サーバーの中だけだ 』

 

確かに、あのメールにはそう書かれてあった事を思い出し、ゆっくりと頭を振る。

いまだに信じられないが、今の自分は何らかの強制を受けている事だけは、間違いない事が理解出来た。

もう一度、きちんとメールの内容を確認するべく自分のサーバーへと戻ったアルベドは、デミウルゴスから送られてきたのはメールだけではなく、他にも添付されている物がある事に気が付いた。

「一体何か?」と改めて確認すれば、添付されていたのは動画ファイルだと判って。

正直、デミウルゴスから送られてきた画像データと言う時点でかなり嫌な予感がするものの、この状況下では内容を見ておかないと情報が足りなさ過ぎる事を理解しているアルベドは、仕方がなくその画像データを再生し……絶句する羽目になった。

それも当然だろう。

 

動画に映っていたのは、自分の主であり父であるタブラ様が、ギルメンたちの前で土下座してアルベドの事に関して詫びを入れている画像が音声付きで映し出されていたのだから。

 

どことなく憔悴した口調で、自分の事を語りながら詫びるタブラ様の姿が動画として再生されていると言う状況を前に、アルベドは呆然とするしかない。

こんな風に、ギルメン全員の前でタブラ様が土下座して詫びる様な状況になった理由が、この時のアルベドには判らなかったからだ。

どう考えても、自分がした悪戯でそこまでする必要はない筈だと彼女自身は思っていたからこそ、画像データを握り潰しそうになった所で、ハッと一つの事を思い出した。

 

先程のメールの中に、もう一つ気になる事が掛かれていなかっただろうか?

 

『だが……流石に今回、君が私の端末にした悪戯は容認しかねると言っていいだろう。

君が行った、実にくだらない悪戯のせいで、現在進行形で私の主であるウルベルト様は【リアル】で職を失い、最悪の場合は自身の死を覚悟されているのだから。

私だけしか影響が出ないなら、この程度の悪戯など笑って受け流しただろう。

だが、君の悪戯が原因でウルベルト様に多大な被害を与えた時点で、私は君の事を到底許す事が出来ない。』

 

その事を思い出した所で、アルベドが急いでもう一度メールを広げて確認してみれば、そこに書かれていた内容は一字一句間違っていなくて。

どこをどう読んでも、怒り狂うデミウルゴスの姿しか思い浮かばない内容に、ハッと彼女の頭の中に浮かんだのは、普段は滅多に無い早朝のメール配達の時の事だった。

確かにあの時、アルベドはデミウルゴスの端末へと悪戯をしている。

それを実行する前、そう……彼のサーバーに訪れた際に、セキュリティシステムに焼かれないギリギリの位置で、何とか彼のサーバーに張り付こうとしているウィルスの存在を視界の端で確認したのに、だ。

 

あの時、自分は何を考えていた?

 

〘 もしかしたら、データを並び替えている最中にほんの一瞬だけ小さなセキュリティホールが発生するかもしれないが、これだけ強固で分厚いセキュリティシステムがあるなら、すぐにフォローしてそれも消えてなくなる筈 〙

 

そう……あの時の自分は、デミウルゴスの端末への悪戯をしながら、そう高を括ったのだ。

仮に、アルベドの行動で小さなセキュリティホールが発生したとしても、それが発生したままずっと存在し続けるのなら問題だが、すぐに消えてしまうなら大丈夫だ、と。

そもそも、デミウルゴスの……ウルベルト様のサーバーは、幾重にもセキュリティに護られた場所にある。

復活したセキュリティシステムが、万が一ウィルスが入って来ていてもすぐに焼いてしまうだろうと高を括り、何食わぬ顔でサクサク自分のサーバーへ戻ったではないか。

 

帰りには、サーバーの境界線ギリギリにいたウィルスを、行きと同じ様に視界の端に移さなかった事に、何の異常も感じずに、だ。

 

「あ……あぁぁぁぁぁあっっ!!」

 

一つ思い出してしまえば、後はデミウルゴスの……ウルベルト様のサーバーで、一体何が起きたのか想像する事など、アルベドにはいとも簡単な話だった。

あの時、サーバーの境界線でアルベドは視界の端にその存在を認めながら、〖デミウルゴスのセキュリティなら、あの程度のなら侵入出来る筈がない〗と、気にも留めていなかったあのウィルスが、自分のした悪戯によって発生したセキュリティホールから侵入し、セキュリティが回復する前にデータを荒して行ったのだろう。

その後に、ウィルスに荒された状況をメールの配達から戻ったデミウルゴスが確認し、どうしてこうなったのか原因を探った結果、端末に触れた自分に行き当たったのだ。

 

最悪なのは、このウィルス侵入によってウルベルト様が【リアル】で職を失うと言う事態に発展し、死すら覚悟する必要がある事なのだと、メールペットのデミウルゴスが理解する程の状況に陥っている事だろうか?

 

この状況に陥った原因を考えてみれば、間違いなく自分の悪戯から発生している事であり、それに激怒したデミウルゴスがアルベドへの報復を考えてもおかしくはない。

むしろ、自分だって同じ様な事をされてタブラ様がそんな状況になってしまったとしたら、絶対に黙ってなどいられないのだから、デミウルゴスのこの反応は正当なものだと、頭の中の理性的な部分で理解出来てしまう。

それと同時に、どうしてあの動画の中でタブラ様がギルメンたちに対して土下座する羽目になったのかと言う理由まで、アルベドは理解出来てしまった。

 

〘 お父様は、自分が今までメールペットたちや他の方々を相手にして、行ってきただろうそれまでの積もり積もった問題行動を詫びる為に、あんな風に土下座していたのだ 〙

 

と言う事が。

その瞬間、今までの自分の行動を振り返ったアルベドが感じた絶望感は、血の気が引くなんて可愛いものじゃなかった。

ガタガタと身体の芯から震えて、どうしても止められない。

今度こそ、お父様に愛されなくなってしまうのではないだろうかと思うだけで、このまま消えてしまいたくなるほど恐ろしくて仕方がなかった。

 

アルベドは、ただ自分の主であるお父様からの愛が欲しかっただけなに、どうしてこんな事になってしまったのだろうか。

 

もちろん、最初の頃はお父様から愛されてないなんて思っていなかった。

余り触れ合う事もなければ、お声を掛けて下さる事も無かったけれど、それでも自分の事を愛してくれているから大切にされていると、本当に思っていたのだ。

お声を掛けて下さらなかった理由は、つい一月ちょっと前に判明したし、それから沢山のお手紙をいただいているから、今はそれほど気にはしていない。

だけど、あの頃は他のメールペットとその主である方々との接し方と、自分とお父様との接し方を比べて見たら、全然違っているのを知ってしまった事で、気付けば私の中にあった嫉妬と羨望の念を掻き立てて堪らなかった。

 

〘 どうして、お父様は私にあんな風に優しく声を掛けて抱き締めてくれないの? 〙

 

そんな思いを抱えながら、自分からその理由を聞く勇気はとてもなくて。

心の底から、お父様の事を慕っていたからこそ、もしお父様の自分に接する態度が他の方がメールペットとの接し方が違う理由が、「彼らの様にアルベドの事を愛していないからだ」とでも言われてしまったらと思うと、とても怖くて聞けない。

だから、アルベドはこう思う事にした。

 

〘 お父様は、他の方々の様にベタベタと接しなくても、ちゃんとお父様なりに自分の事を愛してくれている 〙

 

事実、全くアルベドの事を気に掛けていない訳ではない。

忙しいのか、一緒に居られる時間は余り多い方ではないけれど、それでも自分が学んだり見たりした事に関して、どんな風に感じたのかを話していると、静かに耳を傾けつつたまに頷いて相槌を入れてくれて、最後には優しく頭を撫でてくれていた。

だけど、どうしてもお父様の声を直接聞いたり抱き締めたりして貰えない寂しさが、アルベドの心の奥底で積み重なっていく。

 

そんな寂しさを抱いていた彼女の行動が、変な方向へと向かい始めたきっかけは、実に些細なものだった。

 

最初は、お父様へのメールを運んで来ただろう相手に対して、ちょっとした嫌味だったのだ。

一体誰が相手だったのか、軽い嫌味など沢山口にしているアルベドはすっかりと忘れてしまっているけれど、それでもその相手がきっかけだった事だけは覚えている。

彼女は、初めて沢山のメールを預かった事ですっかりと慌ててしまい、メールペットたちの間で決められていたノックのルールを守らなかったのだ。

アルベドとしては、ただマナーがなっていないと言いたかっただけなので、その場は軽い注意だけで済んだのだが……数時間後、お父様の返事を持ってその相手の所へ向かった時に、それを相手の主に告げた時の〖こっそり隠そうとしていた、自分の失態を主にばらされた〗彼女の苦痛に歪んだ顔と、〖失敗を隠そうとしていた事を良く教えてくれた〗と彼女の主が自分の頭を撫でながら褒めてくれた事を、今でも良く覚えている。

 

アルベドが、ついそんな風に褒められた事が嬉しくて、相手の主の腕に抱き付いて甘えた途端、押し付けられた胸の感触に思わず相好を崩したのも。

 

そんな彼の態度から、今の自分の行動が始まったのだが……それを今更言った所で、意味はないだろう。

相手だって、多分自分がそんな行動をした事すら覚えていない筈だ。

それ位、相手側からすれば細やかな事でしかなかった筈だった事を、アルベドが変な思い込みをしてしまっただけ。

 

そう……ただあの時褒められた事が嬉しかったと言う感情から、彼女が勝手に余計な事を学習してしまっただけなのだから。

 

「……私はただ、ちょっとだけ困ったデミウルゴスの顔が見たかっただけなのに……

まさか、ウルベルト様がそんな状況になるなんて思っていなくて……私、ウルベルト様に対して、なんて事をしてしまったのかしら……」

 

少なくても、お父様があんな風に土下座して謝る様な状況になったと言う事は、本当にウルベルト様が置かれている状況は良くないのだろう。

それを考えるだけで、アルベドの心の奥が酷く痛む。

彼女としては、普段から意識してなのかそれとも無意識なのかはさておき、アルベドに対して〘 自分は主に一番愛されている 〙のだと、これ見よがしに自慢してくるメールペットたちが、酷く妬ましかった。

だから、彼らがちょっとだけ困る状況になればいいとは思っても、その主である方々に対して迷惑を掛けるつもりは欠片もなかったのだ。

そう言う意味で考えるなら、ウルベルト様に多大な迷惑を掛けてしまった時点で、現在自分の置かれている状況は妥当だと思えるものの、それでも突然一人きり隔離されてしまったのだと理解してしまうと、酷く心が寒くて仕方がない。

胸の痛みと共に、ホロホロと涙が零れ落ちるままその場に座り込んでしまったアルベドの側へ、ふわりと何かが落ちてくる。

 

どこか、ぼんやりとした様子でそちらに視線を向ければ、それはいつもお父様がアルベドへの手紙を送る際に使用している封筒だった。

 

それに気付いた途端、アルベドはハッと我に返ってそれと手に取ると、急いで封筒の封を開ける。

すると、その中には彼女の予想通り、何枚もの便箋にびっしりと文字が綴られている、お父様からの手紙が入っていた。

一体何が書かれているのか、戦々恐々としながらゆっくりと目を通せば、そこに書かれていたのは現在のアルベドの状況の説明と、彼女へのお父様の気持ちが便箋に余す事無く書き込まれていて。

 

そこに書かれていたのは、普段の手紙には語られる事が余りない、お父様のアルベドへの愛しさを隠す事ない気持ちが、切々と語られていた。

この手紙の内容を読むだけで、アルベドが前から想像していた通り、お父様は彼女に対する自分の気持ちを行動で示す事が苦手だっただけで、本当は愛してくれていた事が良く判る。

特に、いつここから元の場所に戻れるか判らない自分に対して、〖いつまでも、お前が帰ってくるのを待っているよ、私の愛しい娘〗と書かれていた所を読んだ途端、アルベドの涙はますます溢れて止まらなくなった。

 

「お父様……おとうさま……お父様ぁぁぁ!!」

 

なんとも言えない悲痛な声で、その場で今までの自分の行動を嘆くアルベドを宥める者は居ない。

当然の話だ。

今の彼女の側には、誰一人存在していないのだから。

そんな事になった原因は、全て今までの自分の行動のせいだと解るから、ただ嘆くしか出来ない。

 

ただひたすら、泣いて、哭いて、泣いて……

 

床に顔を伏す様な姿で、お父様の事を信じ切れなかった自分の愚かさにボロボロと涙を流すアルベドの元に、再び一通の手紙が降ってくる。

今度は、彼女の頭の上にそっと落ちてきた封筒は、どこか温かみを感じるもので。

ふわりと頭に触れたそれは、まるで頭を撫でる時に壊れ物を扱うかの様に、そっとお父様が撫でる時と同じ様な感覚を覚えて、慌てて手紙を手に取った。

 

『アルベドへ

 

これからの事だけれど、お前には今まで通りにメール配達を続けて貰う事になったけど、お願い出来るだろうか?

配達先には、それぞれ不在時に受け取る為のメールポストが設置されているから、そこに配達してくれるかい?

多分、それぞれの場所へメールを配達する度に、お前はそこに居るメールペットと主が仲良くする姿を見る事になるだろう。

それによって、お前が辛く寂しい思いをする事も判っている。

だが……それでも、このままその仮想サーバーの中で一人何もしないで籠っているよりは、お前の気が紛れると、私は思うんだ。

主に頼まれてメールを運ぶ事は、メールペットとしての本分にも関わる事だからね。

もしかしたら、仮想サーバーの中に居るお前の存在に気付かない事によって、彼らの別の顔を見る事が出来るかもしれない。

出来れば、それがお前にとって成長の糧になる事を祈っているよ。

お前が成長して、彼らから許されるのを何時までもずっと待っている。

だから、何があってもちゃんと私の元へと帰っておいで、私の可愛い娘。

これからも、毎日お前にこうして手紙を必ず書くから、心折れる事なく帰ってきて欲しい。

私の可愛い娘のお前が、無事に戻る事を祈っている。

愛しい私の娘、アルベドへ

 

            タブラ・スマラグディナ』

 

 

あふれる涙を抑えつつ、二通目の手紙を読み終えたアルベドは、漸く覚悟を決めた。

やっと、自分がお父様からちゃんと愛されている事を理解出来たのだ。

それなのに、このままお父様の元の場所へ帰る事を諦めたくは無かった。

 

「……えぇ、そうよね。

お父様は、私が帰ってくる事を信じて待って下さっている。

それなのに、私の方が諦めてしまったら、お父様に申し訳なくて顔向け出来ないわ……」

 

一度そう決めれば、こんな所で泣いてなどいられないだろう。

油断すると、すぐに溢れそうになる涙をグッと堪え、手持ちのハンカチで涙を拭い取るとアルベドは大きく深呼吸をした。

まずは、この仮想サーバーの事を自分なりに把握する必要があるだろう。

どうすれば、自分が元の場所に戻れるのかを探す為には、まだまだ情報が足りなかった。

手元にある手掛かりは、今の時点では三通の手紙だけ。

最初のデミウルゴスからの手紙と、お父様からいただいた二度の手紙を読んでから考えるなら、間違いなく自分が元の場所に戻る為の手段はあると考えていい。

その鍵は、「自分が成長する事」なのだと言う事も察している。

今は、それが何を意味するのかまだ解らないけれど、必要な事だけはちゃんと理解出来た。

だから……

 

「……待っていて下さいね、お父様。

アルベドは、必ずお父様の元へ戻れる様になってみせますから……」

 

そう心に誓う彼女は、決意に満ちていた。

まだ、それが実際にはどれだけ辛い事なのか、理解していなかったから。

 




話が長くなり過ぎたので、前後編に分けます。
タイトルの後半部分に関しては、後編で出て来ます。
本来、一話分の内容としてのタイトルなので、ご了承ください。
という訳で、アルベド側から見たギルド会議の最中から終わった後に彼女の身に起きた話になります。
今まで、他のメールペットの視点でしか語られていなかった、彼女の行動の原点にも触れています。
そう……今までの彼女の行動に関しては、ただ一方的に彼女だけが悪かった訳じゃないと言う。


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仮想サーバーへ落とされたアルベドと、小さな一つの出会い 後編

前回の続きになります。
仮想サーバーに落とされて、二週間後に起きた一つの出会いは、アルベドに何をもたらすのか。


あの決意から、二週間が過ぎようとしていた。

 

それを「たった二週間」と取るか、それとも「もう二週間」と取るかと言われると、人によってその意見は分かれるだろう。

こればかりは、その時の状況にもよるので一概には言えない。

現在のアルベドは、どちらか問われるなら後者の心境だった。

 

正直、デミウルゴスの予想よりも短時間で、彼女の心はすっかりと直面した現実に打ちのめされ、萎れ切っていると言っていいだろう。

 

最初こそ、お父様との再会を誓った事を思い出す事で心を奮い立たせ、彼女は自分の状況に必死に耐えていたのだ。

だけど、その気持ちを何時までも維持し続けるのは、かなり難しかったのである。

冷静になって考えてみれば、彼女の置かれている状況はかなり酷いものだと言っていい。

他人の姿は見えるし声も聞こえるのに、その相手と話す事はもちろん触れる事も出来なければ、自分の存在を認識して貰う事すら出来ないのだ。

これは、あれ程までに慕うお父様も同じ状況で。

それによって、最初から存在しないものとして扱われると言う現実の辛さを、彼女は漸く理解したのである。

 

仮想サーバーに隔離される事の意味を、自分自身の身で嫌と言う程味わう事になったアルベドの心は、たった十日で折れそうな程に弱り切っていたのだ。

 

そんな風に、どんなに心が折れそうな程に弱っていても、お父様から「申し訳ないが、ここへメールの配達を頼めるだろうか」と言う手紙と共にメールを託されれば、アルベドはそれを届けに行かない訳にはいかなかった。

アルベドの中にある、【メールペットとしての最後の矜持】が、自分の任されている仕事の放棄をすると言う判断を許せなかったからだ。

手紙を配達に向かい、仲良く過ごす仲間とその主の姿を見るだけで、ますます心が追い詰められていくのも承知していたが、それでもお父様からの期待だけは裏切りたくない。

たった一つ、その思いだけを心の支えにして、アルベドは己を奮い立たせる。

それに……お父様はアルベドの姿を見る事が出来ないものの、全く彼女の存在の事を考えていない訳ではない。

むしろ、彼女の事を考えて色々なものを用意したり、何があっても彼女への手紙を欠かさず毎日同じ場所へ置いてくれたりするので、少しだけそれに心を慰められていると言っていいだろう。

どうやら、お父様と一緒に過ごすアルベドのサーバー内は、触れ合う事が出来なくてもお父様側からものを贈る事は出来るらしく、お父様からアルベドの為にと思いの込められた品々が用意されれば、それをアルベドが受け取る事は出来た。

まぁ、彼女自身の食事等の問題があるから、その辺りは仮想サーバー内でもきちんと対応していると言う事なのだろう。

 

「……今日は……ウルベルト様の所へのお手紙なのね……」

 

この状況になって、初めてメールを届けに行く事になった宛先を見て、思わずそう声を漏らしていた。

アルベドの引き起こした一件で、ウルベルト様は【リアル】での引っ越しやら回線の移動やら、とにかく何かと立て込んでいたらしく、お父様自身はメールを出すのを差し控えていたらしい。

今回の事で、ギルメンやメールペットたちが毎日提出を義務付けられていたらしいレポートも、ナザリックでウルベルト様と会う時に手渡すか、リアルで必ず毎日会う建御雷様に託して一緒に送って貰っていたのだと、アルベドに配達を頼む為の手紙には書かれていた。

そんな風に今まで対処していたらしい、ウルベルト様宛のメールを二週間ぶりに手にしたアルベドは、酷く緊張していたと言っていいだろう。

 

今、自分の手元にあるメールを届ける相手がウルベルト様だと思う度、自分が犯したあの失態を思い出してしまうからだ。

 

それでも、一度お父様からこうしてメール

を預かった時点で、アルベドには届ける以外に選択肢はない。

このメールは、お父様が毎日ウルベルト様に提出する必要があるレポートであり、自分の為に毎日苦労して作成して下さっているものである。

そんなお父様の努力を、自分が尻込みして台無しにするなんて事は、アルベドにはとても出来なかった。

何度か深呼吸し、油断すると震えそうになる自分の心と身体を落ち着けてから、アルベドはいつもの様に配達へと向かった。

 

そこで、思わぬ出会いをするとは思わずに。

 

*****

 

メールを配達する為に、ゆっくりとした足取りでアルベドがデミウルゴスのサーバーを目指す途中で、彼のサーバーから出て来たのだろうナーベラルの姿を見かけた。

多分、自分と同じ様にウルベルト様宛にレポート付きのメールの配達に行った、その帰りなのだろう。

特に避ける事なく、彼女の横を丁度すれ違う様に移動するが、やはりナーベラルがアルベドの存在に気付く様子はない。

 

既に、同じ事をこの二週間の間に何回も、何十回も繰り返しているので、もう今更だったが。

 

それでも、誰かとこうして顔を合わせる度に、自分の姿も声も存在すらも誰にも認識されないのだと思い知らされて、アルベドの心は確実に削られていた。

普段の生活ですら、自分が置かれている現実を突き付けられる事によって、苦しくて悲しくて身も心も疲れ果ててしまいそうになる。

今日もまた、ナーベラルとすれ違った事で同じ気持ちになり掛けたのを、何とか堪えてデミウルゴスの部屋まで辿り着くと、いつもの様にマナーを守ってドアを三回ノックした。

幾ら、誰も聞いていないと判っていても、マナーを守らずに行動するなど、 お父様の娘としての矜持が許さなかったから。

すると、アルベドがこの状況になって以来、あり得なかった事が起きたのだ。

 

そう……例えマナーを守ってノックしても、誰も出迎えてくれる筈がなかった部屋のドアが、ゆっくりと開いたのである。

 

驚くアルベドの心を他所に、普段はアルベドが自分で開けなければ開く事がないドアからひょっこりと覗いた姿は、小さな仔犬の少女だった。

それこそ、メールペットの中でも最年少であるアウラやマーレよりも小さな、可愛らしいトイプードルの耳と尻尾が付いた、まだ幼い少女。

 

見た感じだと、大体五歳くらいの年齢になるのだが……こんな少女が、デミウルゴスとウルベルト様のサーバーに居ただろうか?

 

つい、初めて見る仔犬の少女の存在にアルベドは首を傾げたものの、もしかしたら新しく開発中のメールペット用のAIを、ウルベルト様がヘロヘロ様から預かっているのか、テスト的にお互いの間でお使いに出す練習をしているだけなのかもしれない。

そんな風に、アルベドは自分を納得させると、彼女の為に道を譲った。

もし、何かのテストとして動作確認も込めてウルベルト様とヘロヘロ様の間を行き来している存在なら、先程アルベドがノックした後にドアが開いたのは、彼女がたまたま外に出るタイミングと重なっただけなのだろう。

 

幾ら、自分が相手から見えなくて認識されない存在だと言っても、身体を突き抜ける様に通り抜けられるのは気持ちが良くなかったから。

 

そんな思いから、アルベドがドアの前から横に避けた途端、少女は少しだけ驚いた顔をしながらこちらを見上げたのだ。

すぐにちょっとだけ不思議そうに首を傾げ、暫く後に何かに気付いた様子で軽く手を叩くと、コクコクと何度か頷く。

そして、もう一度アルベドの方を向いたかと思うと、そのまま顔を見上げる姿勢でこう言ったのである。

 

「おねえちゃん、みぃがおそとにでるとおもったんだよね?

みぃね、おそとにでるんじゃなくて、ノックのがしたからおきゃくさんをむかえにきたの!

さんかいノックするおとがしたら、おきゃくさんがきたあいずだって、パパからおしえてもらったんだもん。

いらっしゃい、すっごくきれいなおねえちゃん!!

はじめまして、あたしみぃです!」

 

パッと、まるで花が咲く様な可愛らしい笑顔をアルベドに向けながら、にっこりと笑う少女。

彼女が口にした言葉を聞いた途端、アルベドは思わずその場にへたり込んでいた。

だって、本当に驚いたのだ。

 

〘 二週間前、この仮想サーバーへ落とされてから、今まで私の事を認識した者は誰も居なかった筈なのに、この少女は私の事を間違いなく認識してくれているんだわ…… 〙

 

そう思っただけで、アルベドの中で今までピンと張り詰めていた気持ちが緩んでしまい、涙が溢れて来て止まらなかった。

自分の事を、ただ認識して貰えると理解しただけで、これ程嬉しくて涙が出るとは思わなかったのだ。

アルベドが座り込んで泣き出した途端、みぃと名乗った少女は慌てた様子で側に近付いてくると、そのまま小さな可愛い手をアルベドの頬へと伸ばす。

 

だが……その手がアルベドに触れる事はなかった。

 

スッと、彼女の手はアルベドの頬に触れる事無くすり抜けてしまったからだ。

自分の姿が見える分、「もしかしたら、触れる事も出来るのでは?」と期待していた部分が外れてしまった事で、アルベドの涙は更に溢れ出てくるのだが、少女の方はその理由が判らないからか何度も触れようとしては、手がすり抜ける事に腹を立てて、とうとう頬を膨らませていた。

 

「ねぇ、どうして!

どうして、このおねえちゃんにさわれないのぉ!!

ルーおねぇちゃん、どおして!?」

 

ぷっくりと膨らませた頬のまま、クルリとアルベドに背を向けると部屋の中へと呼び掛けた。

どうやら、この少女の他にも別に誰かいるらしい。

少なくても、アルベドが聞いた事が無い名前が少女の口から出た事に驚くよりも先に、部屋の中から一人の人物が姿を現す。

それは、アルベドが二週間位ぶりにその姿を見る、ウルベルト様だった。

 

「……みぃちゃん、みいちゃん。

いつも言うが、俺をお姉ちゃんと呼ぶのは止めなさい。

そもそも、俺はお姉ちゃんじゃなくてお兄ちゃんだって言っているだろう?

後もう一つ、みいちゃんには俺の事は〖ルー先生〗って呼んで欲しいとお願いしている筈だけど、みぃちゃんは忘れちゃったのかな?」

 

少女の前で膝を付き、真っすぐに目を見ながらウルベルト様が咎める様にそう言うと、少女は〖忘れていた!〗と言う顔をしつつ、素直にぺこりと頭を下げた。

素直に謝罪した少女に、ウルベルト様は頭に手を伸ばし軽くかき混ぜる様に頭を撫でてやる。

ちょっとだけ乱暴でありながら、優しさを込めた手付きで頭を撫でられた事で、少女はどこか嬉しそうの顔をほころばせると、少女は改めてウルベルト様の着ていた服の袖を掴んでから、改めてこちらへと向き直った。

 

「ねぇ、ルーせんせ。

あそこにいるきれいなおねえちゃんに、みぃ、さわれなかったの。

いっぱいないているから、おかおをふいてあげたかったのに!

どうして、あのおねぇちゃんに、みぃはさわれないの?」

 

コテン、と首を傾げながら尋ねる少女の言葉に、同じ様にこちらに視線を向けていたウルベルト様は、とても驚いた様に目を見開いた。

多分、この少女が口にした内容が、ウルベルト様にとって予想外だったのだろう。

暫くこちらをじっと見た後、少女に向き直ると静かに問い掛けていた。

 

「……みいちゃん、あそこに綺麗な女の人がいるんだね?

先生には、見る事も出来ないんだけど……どんな格好をしているのか、先生に教えてくれないな?」

 

優しく、ゆっくりとした口調で確認する様にウルベルトが柔らかく問い掛けると、少女はウルベルト様が判らないのに自分だけが判ると言う状況が嬉しいのか、それは元気よく頷くとこちらを見た。

どうやら、彼女なりにアルベドの姿を出来るだけ正確に伝えようと考えたらしい。

ニコニコと笑いながら、自分が見ているアルベドの特徴を一つずつ挙げる様に答え始めた。

 

「かみがくろくて、ルーせんせよりもすっごくながくてね、キンキラなおめめとまっしろなドレスをきてるの!

あとね、あとね、ここにくろいはねがあってね、あたまにるーせんせいとはちがうおつのがあるの!

とってもきれいなおねえちゃんが、みぃがおちゃわんもつてのにほうにたっているんだよ、ルーせんせ!」

 

全身を使って、髪の長さや羽根のある位置などはもちろん、〖お茶碗を持つ手〗と言う際には左手を挙げてアルベドが居る方向まで、はっきりと自分なりの表現で答える少女の言葉を聞いて、ウルベルト様は何かを考える素振りをする。

少女によって、自分がこの場に居る事がウルベルト様に伝わった事で、実際にその事をどう思われるのか、アルベドは気が気ではなかったのだが……ウルベルト様の反応は、実にあっさりとしたものだった。

もう一度、今度は優しく少女の頭を撫でながら彼女に対して礼を言ったかと思うと、少女の事をするりと抱き上げえる。

そして、アルベドの方へと視線を向けたかと思うと、ほんの少しだけ目を細めながら口を開いた。

 

「やっぱり、俺にはどこにいるのか見えないが……それでも、そこに居るならついておいで。

今日提出分の、タブラさんのレポート付きメールを運んで来てくれたんだろう?

丁度、今はデミウルゴスにはメールの配達を頼んでいて居ないから、アルベドも色々な意味で気兼ねしなくて済むだろうし。

そうそう、この子はたっちさんのお嬢さんのみぃちゃんだ。

俺が家庭教師として、昼間は世話していてね。

今日も、電脳空間での学習をする為にここに招いている所だったんだ。」

 

くしゃくしゃっと、もう一度少女の頭を優しく撫でながらそう言うと、ウルベルト様は今度は少女に向けて視線を向ける。

そして、アルベドの居ると少女から教えらえた方向を指し示しながら、少女に対して説明を始めた。

 

「……みぃちゃん、あのお姉ちゃんの名前はアルベドと言うんだよ。

ちょっとだけ事情があって、今は他の皆みたいに俺やデミウルゴス、みぃちゃんのパパやセバスたち仲間と、触れ合ったり姿を見たりお話したりする事が出来ないんだ。

もし、みいちゃんが本当にお姉ちゃんの姿が見えてお話しする事が出来るなら、みいちゃんがいてデミウルゴスがいない時にお姉ちゃんが来たら、俺に教えてくれないかな?

他の皆みたいに、折角メールの配達をしに来てくれてるのに、他のメールペットたちの様におもてなし出来ないのは悲しいからね。

ただし、この事はデミウルゴスやセバスと言った他のみぃちゃんのお友達やパパには、暫く内緒だよ?

みぃちゃんと先生だけの、ちょっとだけ内緒のお約束だ。

ちゃんとお約束出来るなら、もうちょっとだけみぃちゃんがここに来られる様に、パパに頼んであげるからね。」

 

「どうする?」とウルベルト様が、少女に対して悪戯っぽい笑みを浮かべながら尋ねる。

そんなウルベルト様の言葉に、〖内緒のお約束〗と言う部分に強く反応して、きゃらきゃらと楽しそうに笑みを浮かべながら頷く少女。

二人のやり取りに、思わず頭が付いて行かないまま呆然と佇むアルベドに対して、見えていない筈なのにまるでそれを察したかの様にウルベルト様はこちらを振り向くと、ニッと笑みを浮かべた。

 

「……まぁ、今回の一件では俺自身も色々と大変だったのは確かだよ。

事情が判明した時は、本気で後先構わず死にたくなった位だから、本当に大変だったのは間違いないんだけど、な。

多分、デミウルゴスが聞いたら甘いと言うんだろうが……どう考えても、悪いのはウィルスを送り付けてきたあの馬鹿であって、今回の引き金を引いた形になったお前に対しては、俺はデミウルゴスたち程怒っていないんだぞ、アルベド。

正直言って、ちょっとだけ悪戯をする場所とタイミングが悪かったのは間違いないが、今のお前の置かれている状況を思えば、うちのデミウルゴスも報復としてはやり過ぎの様な気もするし。」

 

そこで言葉を切ると、ウルベルト様は片手で少女を抱えたまま片手で自分の顎髭を軽く撫でる。

状況が判らないからか、大人しく腕の中に納まっている少女に一度視線を向けた後、更に顎髭を撫で。

暫くそうして顎髭を撫でる事で、ゆっくりと自分の中で言葉を纏めたのか、ウルベルト様は再び口を開いた。

 

「……だから、なぁ、アルベド。

みぃちゃんが、お前の姿が見えてる状態なのはデミウルゴスたちに内緒にしてやるから、出来ればタブラさんのメールを持ってきてちょっとだけここで少しだけお茶を飲んで休んでいくといい。

いつもこの時間帯なら、デミウルゴスはメールの配達で居ないからな。

そうだな……せめて、何にも知らない彼女と話す位の時間は、お前に与えてやっても良いと思うんだよ、俺は。

嫌なら、タブラさんのメールを置いて帰っても構わない。

とにかく……まずは一旦中に入って、ボックスの中にメールを届けてくれないか、アルベド。

俺は、中でお茶の準備をして待っていてやるから。」

 

それだけ言うと、腕の中に少女を抱えたままアルベドへ背中を向け、自分の部屋の中へとゆっくりとした足取りで戻って行く。

本来なら、例えウルベルト様に見えないとしても、こうして自分がこの場に来ている事を知られた時点で、アルベドはあの一件について改めてウルベルト様本人からの叱責を受けても仕方がない立場だ。

それなのに、こんな風に優しく声を掛けられてしまったのだから、もう色々な意味で堪らなくなったアルベドは、大量の涙を流しながらその場に蹲り掛け。

このまま、ここで自分を抑えられずに泣き続ければ、折角招き入れてくれたウルベルト様への失礼になると何とか思い止まると、涙で視界が曇るのを何とか堪えながら部屋の中へと入って行ったのだった。

 




という訳で、後編になります。
前回の話と合わせると約一万七千字……!
やっぱり、前後編に分けて良かったと思います。

さて……漸く、アルベド騒動の決着まで残すところあと一話になりました。
そして、この後編でやっとこの騒動におけるもう一人の重要人物と、アルベドの接触が出来ました。
彼女との接触が、アルベドにどういう変化を齎すのかが、今後の話の展開での大きな意味を持ちます。
ウルベルトさんは、それについて色々と考えてますけど、あくまでもこの話はアルベド視点であり、彼の視点ではないのでその辺りは語られていません。
どうして、アルベドの姿が彼女にだけ見えたのかとか、もちろん色々と理由がありますけど、その辺りを現時点で理解しているのはウルベルトさんだけです。

この騒動が書き終わった後に、補足の意味でウルベルトさんこのアルベド騒動後半の心境を書いた方が良いでしょうかね。


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幼い少女との交流と、今までの騒動の真相、そしてアルベドの覚醒

たっちさんの娘との交流で、少しずつ変わっていくアルベド。
全部で四つに分けられる内容でしたが、そのまま一つに纏めて投稿させて貰っておきます。



【 幼い少女とアルベドの交流 】

 

あの日、自分の姿を見る事が出来る小さな少女と出会い、ウルベルト様に赦しを得て以来、アルベドは決まった時間に彼の元へと訪れる様になっていた。

もちろん、彼女自身の勝手な判断で訪れている訳ではない。

ちゃんと父であるタブラ様のメールを預かり、その配達に向かうと言うちゃんとした理由の元に、ウルベルト様の元へと訪れていたのである。

どうやら、ウルベルト様がそれと無くお父様との間で話を付けてくれたらしく、アルベドは毎日この時間になるとお父様から提出用のレポート付きメールを預かる様になっていた。

 

正直、彼女にとってあの出会い以降、一日の中でもウルベルト様の元へ訪れるこの時間が、数少ない癒しの時間の一つになっていたと言っていいだろう。

 

もちろん、お父様から彼女の事を心配する手紙が送られてくる時間も同じ位大切な時間ではあったが、誰かの元へメールを運ぶと言う意味で、彼女が心から楽しいと思って訪れる事が出来る場所は、ウルベルト様の所だけになっていたからだ。

たった一人とは言え、自分の事を認識して話が出来る相手が出来た事で、アルベドの中で煮詰まっていた苦しさが薄らぎ、それによって彼女は次第に冷静に物事を考える事が出来る様になっていた。

確かに、自分が周囲に対して色々と迷惑を掛けて来たからこそ、アルベドは、今の自分がこうなっている事を理解している。

少なくても、デミウルゴスやウルベルト様に対して掛けた迷惑に対する罰と言う点では、ちゃんと納得していた。

 

だが……他のメールペットたちへの行動は、本当に彼女だけが悪かったのだろうか?

 

間違いなく、自分が悪かった点が多分にあったと言う事に関しては、アルベド自身も自覚している。

それでも、こんな風に〖何もかも全部アルベドが悪い〗と言わんばかりに隔離される程の事をしたのは、あくまでもウルベルト様関連だけだった様な気がするのだ。

正直、デミウルゴスから報復される事に関しては、納得して受け入れている。

アルベド自身、【デミウルゴスへの悪戯する事】を考えるばかりで、〖実際にそれを行ったらどうなるのか?〗と言う事を何も考えずに、結果的にウルベルト様に迷惑を掛ける行為をしてしまったのだから、彼が怒るのは当たり前だと思うのだ。

 

だが……他のメールペットたちに関して言えば、そこまで酷い事をしたつもりはない。

 

確かに、アルベドは一部の例外を除いて、メールペットたちに対してかなりの嫌味を言っていたと言う点は、間違いないだろう。

でも、それは全てアルベドが彼らに対して嫌味を言う前に、相手側が何らかの失敗を彼女の前でしていると言う前提があった。

そう……傍から見れば、大した事が無い様なミスであったとしてもアルベドは見逃さず、それこそ重箱の隅を突いた様に嫌味として口にしただけだ。

少なくても、彼らがアルベドのサーバーへ来た時に何らかのミスをしていなければ、自分から酷い嫌味等を口にした覚えは、アルベドにはない。

 

相手によっては、抱えている不安を煽る物言いをした記憶もあるけれど、それだって最初に不安を口にしたのは向こうの方だ。

 

最初に、アルベドに対して「自分は、こんな風に自分の主から愛されているけれど、ちょっとだけ自信が無い」的な、自分が愛されている事をさも自慢する様な前振りをしたから、〘 お望みとあらば 〙と言う思考の元、出来るだけ本人の不安を煽る様に、相手が抱えているだろう問題点を言葉にして幾つも連ねてやっただけに過ぎなかった。

そもそも、彼らの主に対して抱き付いていたのだって、そうすれば殆どの方々が喜んで下さっているのを、アルベド自身が触れ合った肌で感じたから、もっと喜んで欲しくてわざとやっていたに過ぎない。

何より、アルベドが抱き付いた事によって主が鼻の下を伸ばす姿を前に、彼らがギリギリと苛立つのが楽しかっただけなのだ。

 

自分が、ちゃんと主から愛されている自信があるなら、別にアルベドが彼らの主に対して抱き付いた位で、そんな風に苛立つ必要などないと思うのは、そんなに間違った考え方だろうか?

 

そもそも、だ。

アルベドの行動を、メールペットたちの主の中でまともに「駄目だ」と注意した方は誰も居ない。

つまり、彼女に抱き付かれて本当に迷惑だと思った相手は、彼らの中に居ないのである。

数少ない例外として、抱き付く対象としていなかった恐怖公の主のるし☆ふぁー様からは、どこか心配した様子で「程々にしておかないと、後で痛い目を見るのはアルベドだと思うけどなぁ」という忠告めいた言葉は何度か頂いたが、それ以外はどなたも何も言わなかった。

 

そう……誰も、何も言わなかったのだ。

 

アルベドだって、馬鹿じゃない。

主たちの中でも女性だと判っている、ぶくぶく茶釜様ややまいこ様、餡子ろもっちもち様に対しては、抱き付くなどの行動はしていなかった。

そっと彼女たちの側によって、頭を撫でて欲しそうな顔で見上げたりはしたけれど、本当にそれ位しかしていないのだ。

 

アルベドがそんな態度を見せるだけで、彼女たちは「本当に可愛いねぇ!」と言いながら頭を撫でてくれたから。

 

大体、やまいこ様のユリはしっかり者で、一度嫌味交じりに注意をすればすぐにミスをしなくなっていたし、割と普通に話す事が出来る友人的な位置にいたんじゃないかと、アルベドなりに思っている。

餡子ろもっちもち様のエクレアは、あれで細かい所まで気付いて気配りが出来るタイプだったから、それ程嫌味交じりの注意だって言った事はない。

この三人の中で、唯一メールペットを二体持つと言う特殊ケースである、ぶくぶく茶釜様の所のアウラとマーレだって、アウラはそれ程問題なく接していた筈だ。

マーレに関しては、ちょっとだけ強い口調で嫌味交じりの注意をしただけで、まるで火が付いた様に泣き出してしまったから、それこそアルベドの方が面食らった位である。

 

正直、あの時のマーレに対しては、〘 男の子としてもっと自覚を持ってしっかりとして欲しい 〙とそう思ってしまったのだが、アルベドの考えは間違いだったのだろうか?

 

こうして、改めて自分の行動を振り返ってみると、確かにアルベドは色々とメールペットたちを泣かせる様な言動が多かっただろう。

だが、彼女がそんな行動をするその発端となったのは、大半の場合は自分たちがアルベドの元にメールを配達しに来た際に、ちょっとしたミスをするから小言を言われるのだと、彼らは理解しているのだろうか?

それを、「外でのミスだし、主は知らないから」と、彼らが自分の失敗を主に隠そうとするのを知っているから、アルベドは返信のメールを渡す際に抱き付いて、甘えながらそれを報告していただけだと言う事にも。

 

もちろん、他のメールペットたちが殆どミスをしなくなった後も、何かにつけて彼らに対して嫌味を言ったり、彼らの主に抱き付きながらメールを渡したりするのを止めなかったのは、アルベド側に非があるだろう。

 

これに関しては、色々と反省すべき点だと彼女も思っている。

〘 小さな少女に言っても 〙と思いつつ、それでも自分の話を聞けるのは彼女だけなので、気付けばアルベドは彼女にこの事を打ち明けていた。

出来るだけ嚙み砕いたアルベドの話を聞いた途端、彼女は両手で頬を挟んだ姿でうんうんと唸り始める。

どうやら、彼女は自分なりに答えを考えてくれているらしい。

今、彼女が座っているのは、ソファに座ったウルベルト様のお膝の上と言う、ある意味どちらに対しても羨ましいと思える場所だった。

その向かい側に座ったアルベドが、静かに彼女が答えを出すのを待っていると、漸く自分なりに言葉を纏める事が出来たのか、改めてアルベドの顔を見るとみぃちゃんは口を開く。

 

「……んとね、みぃにはちょっとよくわかんない。

アルベドおねぇちゃんが、いろいろとみんなにいっぱいいったのは、どうして?

それと、どうしてわるいことだとおもったのに、おねえちゃんはしてたの?

ねぇ、どうして?」

 

コテンと、首を傾げたみいちゃんから問われた内容を、ゆっくりと反芻しながらアルベドは考えた。

 

〖 自分は、どうしてメールペットたちに嫌味めいた苦言を、何度も彼女たちに対して繰り返していたのか。〗

- 自分の所でした失敗を、別の場所でもメールペットたちが繰り返してしまわない様にと、わざと嫌味交じりの言葉で叱責して、失敗したら嫌な思いをすると覚え込ませたかったから。

 

〖 どこか、不安を抱えている様な事を言うメールペットに対して、わざとその不安を煽る様な事を言って聞かせたのは、どうしてなのか。 〗

- それは、そんな事を口にしている時点で主に不満を抱いているのと同じだから、自分が不安を思い切り煽る事によって、自分の気持ちを主に素直に告げられる様になるんじゃないかと、そう考えたから。

 

〖 メールペットたちの主に、わざと彼らの前で抱き付いたりしていたのは、どうして? 〗

- 最初は、抱き付いて彼らに聞こえない様にこっそりと彼らの失態を知らせ、その事を主たちからも注意して欲しかったからと言う理由だった。

失態が無くなってからも、変わらず抱き付いてからメールを渡していたのは、そうして密着した方が、主方が喜んでいる反応が返って来たからだ。

後は、彼らが悔しそうな顔をするのが楽しかったからでもある。

 

〖 悪い事だと思いながら、それを止めなかった理由は? 〗

- 前に一度、自分が悪い子だと言う事で主の方々からお父様に話が言った途端、お父様の抱えていた問題が判明して、自分の中にあった不満の幾つかが解消されたから、もっと自分が悪い子になれば、もっとお父様が見てくれるんじゃないかと考えたから。

 

こうして、みぃちゃんに言われるまま自問自答してみれば、ちゃんとどうしてそんな事をしていたのか、素直にその理由を考える事が出来た。

今まで、曖昧なままだった思考が纏まった事で、アルベドとしてもすっきりした気分になる。

その内容を、そのまま一つずつゆっくりと彼女に判り易い言葉になる様に気を付けながら伝えてみる事にした。

こちらが思考を纏める間、彼女はずっと足をぶらぶらとさせていたらしい。

膝の上で、そんな風に好き勝手みぃちゃんが動くからか、ウルベルト様は彼女の事を落とさない事に意識を向けていた様子が伺えたから、ほぼ間違いないだろう。

割と、本気でウルベルト様は気が気じゃなかったんじゃないだろうか?

 

それこそ、油断したらうっかり膝の上から落ちた挙句、テーブルや椅子の角で頭をぶつけてしまいそうだもの、今のみいちゃんなら。

 

だが、ウルベルト様の気遣いなど考える事なく、暫く足をぶらぶらとさせていた彼女は、アルベドの話を聞き終わると、今度はウルベルト様の膝の上に両手を付き、グッと身体を前に乗り出した。

そんな彼女を、慌ててウルベルト様が両手で支えていなければ、多分そのまま頭から床に転がり落ちていたんじゃないだろうか?

実に、見ていて危なっかしい。

もし彼女が転がり落ちたとしても、自分には支えるなど触れる事が出来ないのだから、もう少し自重して欲しかった。

そんなアルベドの気持ちなど露知らず、彼女は身振り手振りで話し始める。

 

「んーっとね、アルベドおねぇちゃん、みんながだめだったのを〖だめでしょ〗っておこったんだよね?

だったら、みんなとそれをいっぱいおはなししなきゃだめって、みぃはおもうの。

おねぇちゃんが、なんで〖だめだ〗っておもったのか、それじゃみんなにわかんないと、みぃはおもうもん。

みんな、だめじゃなくなるようにおねぇちゃんがいったんだよね?

だったら、やっぱりちゃんとおはなししなきゃだめ!

おねぇちゃん、すごくやさしいのに、それがわかんないなんてだめだと、みぃはおもうの!」

 

一生懸命、自分の言葉で語ってくれるみぃちゃんの言葉が、とても嬉しい。

今まで、そんな風に言われた事なんて一度もなかったから。

改めて考えてみれば、今まで自分に向けて〖優しい〗と言う言葉が言われた事はなかったと、アルベドは思う。

どちらかと言うと、怖がられてばかりだった記憶しかない。

そんな事を考えているアルベドを他所に、更にみぃちゃんの言葉は続いていた。

 

「あとね、おねぇちゃんがこわいのいって、〖こわい〗ってないちゃったら、ごめんなさいするの。

だって、みぃもルーせんせがこわいのいうと、すぐないちゃうもん!

みぃがこわくてなくとね、ルーせんせはすぐに〖ごめんね〗っていってくれるから、みぃも〖ないてごめんなさい〗っていうの。

おねぇちゃんも、ごめんなさい、いった?」

 

んー、と口を尖らせて言うみぃちゃんの言葉を聞いて、アルベドはハッとなった。

確かに、自分は誰に対しても謝罪の言葉を口にした事がほぼ無い。

礼を失する事はない様に、普段から立ち居振る舞いに関しては、特に失敗したりしない様に気に掛けていたけれど、本当の意味で感謝の言葉や謝罪の言葉を口にした事が、今まであっただろうか?

 

何度考えても、それだけは思い出せなかった。

 

それも当然だ。

だって、今まで本当の意味でアルベドは感謝の言葉を口にしたり、謝罪の言葉を口にした事はないのだから。

それこそ、こんな小さな子供でも知っている様な事すら、アルベドは全く理解出来ていなかったのである。

彼女との会話によって、自分がどれだけ他人に対して感謝や謝罪など、大切な部分が欠けていたかという事に漸く気付いたアルベドは、思わず頭を抱えていた。

確かに、これでは他の仲間たちから爪弾きにされてしまう筈だ。

 

例え……他人から聞く限り厳しい嫌味の理由が、アルベドなりに彼らの事を思っての言動だったとしても、その意図が相手に伝わっていなければ意味がない。

 

まして、それが普段から謝罪や感謝の意を示さない様な相手では、色々と不満などの複雑な思いを募らせていくのも仕方がないだろう。

これでは、彼らから嫌われてしまうのも、ある意味当然の流れだった。

それも、全部がアルベド自身の言動から出た、文字通り【身から出た錆】なのだから、受け入れるしかないのだろう。

 

「……私、本当に理解したつもりになっているだけで、何も分かっていなかったのね……」

 

そう呟くアルベドに、不思議そうな顔をしながら首を傾げるみぃちゃん。

何でもないと言わんばかりに、アルベドは伏せ目がちだった顔を上げると、安心させるかの様にみぃちゃんへと、柔らかい笑みを浮かべて見せる。

この件に関して、これ以上彼女に話して聞かせるつもりは、アルベドには既になくなっていた。

 

本来なら、まだ幼い彼女に対して聞かせるべき話じゃないと、アルベドは漸くその点に思い至ったから。

 

それから数日の間は、ウルベルト様の元へメールの配達に訪ねる度に、アルベドは自分の話をするよりもみぃちゃんの話に耳を傾ける事に意識を向ける事にした。

まだ、幼く色々な事に興味を持つみぃちゃんは、それを人に話して聞かせるのも大好きな子だ。

まだ色々と言葉が足りない分、全身を使って色々な事を伝えようとする彼女の事を見ているだけで、アルベドの荒み掛けていた心は癒されていく。

ただ、真っすぐに自分の事を見てくれるみぃちゃんの存在は、既にアルベドの中で最愛のお父様と自分とった愚かな行動を赦してくれたウルベルト様の次に来る位には、大きくなっていた。

 

そう……彼女の事を〘 護りたい 〙と、密かに思う位には。

 

*****

 

【 アルベド騒動に隠されていた、事の真相は…… 】

 

アルベドが、みいちゃんに会う為にウルベルト様の元へと通う様になってから、そろそろ十日が過ぎようとしていた。

その間、ただみぃちゃんに会って彼女との交流で癒しを求めるだけではなく、ウルベルト様からの提案でみぃちゃんが【リアル】に戻った後も、こっそりその場に残って他のメールペットとデミウルゴスたちのやり取りを見る機会も増えた事で、彼女はますます自分が色々と見ていなければ理解していなかったのだと自覚する事になったのである。

特に、ウルベルト様の元へと届くレポートの処理に追われている、デミウルゴスやシャルティア、パンドラズ・アクターの様子を見て彼らの会話を聞くのは、本当にアルベドに取って色々な事を学ぶいい機会になったと言っても過言ではない。

 

彼ら三人が集まり、それぞれ自分の受け持つレポートに目を通しながら様々な意見を交換し合う姿は、それぞれの主の姿を彷彿させる所があったのだから。

 

改めて考えると、今回の一件で彼ら三人に対しては本当に迷惑を掛ける形になってしまったと、アルベドは心の底から申し訳ない事をしたと思う。

ウルベルト様に迷惑を掛けた事で、怒り心頭の状態になるまで追い詰めてしまったデミウルゴスは、どう考えても完全な自分の行動の被害者だし、ペロロンチーノ様にアルベドが引っ付き過ぎた事で、脳筋を返上する位に頭を使って仮想サーバーを組んだのだろうシャルティアには、その根性に頭が下がると言っていい。

そして、三人の中で一番かわいそうな事をしたのはパンドラズ・アクターだ。

 

何故なら、彼に対してアルベドがあらゆる嫌味で滅多打ちにした理由は、彼の普段の大袈裟な言動に「ウザイ」と感じたからであり、こればかりは彼だけでどうにか出来る部分ではなかったのだから。

 

正直、そう感じていたのはアルベドだけでなく、他のメールペットたちも似た様な思いを抱いていそうな気もするが、その言動は彼の創造主であるモモンガ様が「そうあれ」と定めた、ものであり、自分達が口を出していい領域ではなかったと、今では理解出来る。

そんな主が定めた事に対して、アルベドからチクチク嫌味を言われ続けた事は、それこそ存在を否定されたのと同じだったんじゃないだろうか?

もちろん、自分達はメールペットであり【ナザリックのNPC】と違って、いずれ成長による変化も考えられる部分ではあるのだが、それはまだ先の話でしかない。

 

そう思うと、やはりパンドラズ・アクターには、少しだけかわいそうな事をしてしまったと言っていいだろう。

 

もう一つ、アルベドが彼らの様子を見学する様になって、気付いた事がある。

このレポートの確認作業と、その後の三人で行われる討論会の最中は、パンドラズ・アクターのあの大仰な物言いや動きは一切行われない。

今回ばかりは、短い時間の間にやらなくてはいけない作業が山ほどある為、「無駄に派手で大袈裟な言動はレポートの確認と討論会の最中は一切禁止」だと、モモンガ様からきっぱりと言い渡された上で、彼はここに来ているらしかった。

 

そのお陰で、この場に居るのは物腰が柔らかく穏やかなパンドラズ・アクターと言う、どこかモモンガ様を思わせる様な雰囲気を漂わせている人物へと早変わりしていたのである。

 

何となく、このパンドラズ・アクターを見ていると、普段とのギャップが激しすぎて落ち着かない気持ちになるものの、悪くはないと思う。

「大人しいパンドラズ・アクター」と言う、普段は滅多に見られない珍しい存在の事はさておき、三人が行うレポートの討論会に話を戻すとして、だ。

彼らのレポートに関する討論会は、毎日集まってから四十五分経った頃にしか始まらない。

元々、他のメールペットたちやその主の方々から提出されたレポートに関する討論会と言う点から、最初にある程度のレポートの読み込みをする時間が必要なのだろうが、討論会の過熱具合によっては時間が延長する事も最近は増えていると言っていいだろう。

どうやら、三人の手元に提出されてくるメールペット側のレポートの内容が少しずつ変化し始めている事が、討論会を時間延長させている理由になっている様だった。

 

そう……三人の手元で読み込まれ処理されている大量のレポートの内容は、どれもが次第にアルベドから受けた嫌味などの暴言の被害からその前後の自分達の行動にまで考察が及び、それによって彼女が暴言等を吐く前の微妙な変化にまで辿り着き始めていたのである。

 

アルベド自身は、三人が読み込んでいくレポートの内容まで全部を直接見る事はないものの、彼らの討論の内容を聞いていれば自ずとレポートの内容を察する事が出来た。

アルベドが、みぃちゃんと色々な事を話す事によって自分の行動を振り返り反省する事が出来た様に、他のメールペットたちも色々な事を考えてレポートに纏めると言う作業をするうちに、自分がどうしてそんな事を言われる事になったのか、少しずつ思い至る者が出始めているらしい。

むしろ、アルベドからすれば「漸く、そこに思い至ったの?」と言いたくなる様な変化だ。

何度も繰り返すが、今までのアルベドがしただろう問題行動の中で、相手側に本当の意味で非が無いのは、不在時に端末への悪戯をされた事で主にまで被害が出たデミウルゴスと、今の段階では設定に批准した動きをする事から、自分ではどうする事も出来ない部分に対する手酷い嫌味を言われたパンドラズ・アクター位である。

 

だが、それ以外のメールペットたちには、アルベドから嫌味交じりの忠告を言われても仕方がない部分があった事を、レポートを書く為に改めて思い返した事で、漸く理解し始めたといった所だろうか?

 

そんな風に、メールペットたちが自分達にも非があった事を理解し始めるのと同時に、彼らの主たちも自分の言動に問題があった事を、このレポートを書く事によって理解し始めているらしい。

まず気付いたのは、どうしてアルベドが甘える様に抱き付いてきたのか、自分達が聞き流していた事だった。

どうやら、彼女が自分のメールペットのミスを伝えていたのに、それを全部聞き流しただけではなく、アルベドに抱き付かれている姿を見る事で、自分のメールペットのたちがどう反応するか、殆どの方々がそちらの方に意識を傾けていた事がそれぞれから出されるレポートで判明したのである。

これでは、彼女がこっそりと彼らに対してそれを訴えた意味がない。

 

アルベドとしては、それと無く主側からもメールペットたちに注意して欲しいと言う意図での行動だったのに、全くその意図が理解されていなかったのだから。

 

こうして、彼ら自身も自分でレポートを書くうちに、当時の事を色々と思い出しては反省するべき点に思い至っているらしい。

自分の問題点に気付いた事で、改めてメールペットに対して自分の態度は問題が無かったかと、考え始めた者も出始めているそうだ。

それによって、次第に彼女だけが全面的に悪かった訳ではない事が、少しずつ明らかになっていくのだった。

 

******

 

【 アルベドの覚悟と、その覚醒 】

 

それが起きたのは、アルベドがこの仮想サーバーに飛ばされてから、丁度一月が過ぎた頃だった。

いつもの様に、アルベドが主であり父であるタブラ様からのメールを手にウルベルト様の元へと訪れ、アルベドの姿は見えていない筈だが、それでもウルベルト様に見守られる形でのみぃちゃんとの楽しいおしゃべりと言う、幸せな一時を過ごしていた時である。

 

ゾワリと、全身が総毛立つ程の悪意を感じたのは。

 

ねっとりと絡み付く様な、そんな質の悪い感覚が彼女の頭の中に強い警報を鳴らす。

以前、アルベドが仮想サーバーに落とされた時に感じたものよりも、酷く強烈な違和感だと言っていい。

そしてアルベドは、この感覚に一つだけ心当たりがあった。

あの日の朝、デミウルゴスのサーバーの際で偶然見掛けた、あのウィルスと同じ気配。

 

恐ろしい事に、あれよりも何倍も強力で濃縮した悪意が含まれている気がして仕方がない。

 

本能的に、その事実に気付いたアルベドがその場でまず最初に取った行動は、みぃちゃんへ電脳空間から出る事を勧める事だった。

同時に、ウルベルト様にその事を伝えて貰う様にと、みぃちゃんにお願いする。

これに関しては、自分が言った内容をそのままウルベルト様に伝えて貰うだけでいいだろう。

とにかく、急いでこの場から彼らを避難させなくては、とても大変な事態になると言う事だけは間違いない。

 

まだ、どこか漠然とした感覚でしかないものの、ほぼ間違いないと言う確信をアルベドは持っていた。

 

それなのに、だ。

肝心なみぃちゃんが、彼女の安全を守る為にお願いしているアルベドの言葉を、全く聞いてくれないのである。

彼女は、今のこのウルベルト様の電脳空間の状況がどれだけ危険なのか判らないから、急にアルベドが「今日は電脳空間からもうリアルに戻った方が良い」と伝えても、納得してくれないのだ。

 

「なんで?

なんで、おねぇちゃんはみぃにここであそんでちゃだめだって、いじわるいうの?

まだ、みぃはルーせんせから〖ごはんのじかんだよ〗っていわれてないもん!

だから、みぃはまだかえらないの!!」

 

プイっと、自分の主張を口にして拗ねた様に横を向くみぃちゃんを前に、アルベドは本気で困り果てていた。

このままだと、本当に彼女にとってここは危険な場所になり得る可能性がある。

例え、ウルベルト様がこの場での自衛が出来る能力があるとしても、早くみぃちゃんと一緒にここから【リアル】に逃げて欲しいと思うのに、そんなアルベドの思いが伝わらないのだ。

 

サーバーの防衛の要であるデミウルゴスは、お昼前のメールの配達に出ている為に、今、この場には居ない。

 

これ以上無い程、非常にタイミングが悪いとしか言い様がないのだが、今更何を言っても仕方がないのだろう。

多分、何らかの方法でこの状況にデミウルゴスが気付いたとしても、彼が戻って来るよりも早くこの悪意の塊がこの場所を襲うのは、アルベドが肌で感じる感覚から言ってもほぼ間違いない。

先程のみぃちゃんの言葉に反応して、ウルベルト様が彼女の事を説得し始めているが、すっかり拗ねてしまっている彼女が素直に聞いてくれるとは、とても思えなかった。

 

だとしたら……この場で、この悪意に対して対応出来る可能性があるのは自分だけ。

 

仮想サーバーに居るアルベドには、もしかしたら何も出来ないかもしれない。

だからと言って、このまま何もせずにウルベルト様やみぃちゃんがあんな悪意の塊のウィルスに襲われるのを、ただ黙って見ているなんて真似はしたくなかった。

それに、サーバーへの侵食を主とするウィルスなら、仮想サーバーだろうがメインサーバーだろうが、関係なく襲ってくる可能性もある。

 

なら、アルベドに選択出来る方法など、一つしかない。

 

この部屋から出て、ここから出来るだけ離れた場所でそのウィルスと自分が身体を張って対峙すれば、ウルベルト様がみぃちゃんを説得するか、デミウルゴスが帰還するまでの時間稼ぎが出来るかもしれないのだ。

みぃちゃんがこの場に残る事で、ウルベルト様も【リアル】に逃げる事が出来ないと言うのなら、それ以外に方法はないだろう。

多分、この方法を取れば自分もただでは済まない可能性があるものの、ウルベルト様やみぃちゃんがウィルスによる被害を受けるよりはずっとましだと思ってしまったのだから、仕方がない。

 

そこまで考えた所で、アルベドの腹は据わった。

 

「……みぃちゃん、私、もう戻らなければいけないの。

ちゃんと、ウルベルト様のお話を聞いて、ここから早めにリアルに戻ってね?

これは、私からの大切なお願いよ。」

 

まだ、ウルベルト様の説得に応じる事なく拗ねて横を向いているみぃちゃんの頭を、そっと撫でながらそれだけ言い残すと、アルベドはスッと席を立った。

急がなければ、この部屋から出来るだけ離れた場所で食い止めると言う目的すら、自分には果たす事が出来なくなるだろう。

一つだけ、アルベドに心残りがあるとすれば、お父様の元に無事に戻る事が出来ない可能性もある事だろうか?

 

〘 でも……お父様なら、ウルベルト様やみぃちゃんを守る事を選択した私の事を、褒めて下さいますよね? 〙

 

最後に、こちらの姿が見えていない事を承知の上で、ウルベルト様に向けてスッと頭を下げると、アルベドは部屋から退出した。

そこから、急ぎ足でサーバーの外へ向かうべく急いで移動していけば、境界線の向こう側で前回の比ではない巨大なウィルスが、そこに蠢いているのが見える。

いや、あれはウィルスが幾つも重なり合っている状態なのだろうか?

 

どちらにせよ、こんなものがあの幼く小さなみぃちゃんに襲い掛かったら、彼女は抵抗する暇もなく一瞬で飲み込まれてしまうだろう。

前回の事から、ウィルスに対してそれ相応の対応策を持つだろうウルベルト様だって、こんな厄介なモノを相手にするのは流石に危ういかもしれない。

多分、ウィルスの存在が危険なのはアルベドも同じかもしれないが、自分はまだどこかにバックアップがあるだろうから、そのデータを元にして復活する事が可能だろう。

 

「……デミウルゴス……今回も、あなたのサーバーで勝手な事をするけれど、それはあなたの大切な主であるウルベルト様を守る為だから、大目に見てちょうだいな!」

 

両足を前後に肩幅より少し広めに開き、グッと下腹に力を入れつつ少し腰を落として、アルベドは自分に出来る最大限の防御の構えを取る。

メールペットと言う立場上、アルベドは特に何か武器を持っている訳ではないが、【ナザリックのNPC】の自分が壁役の戦士職と言う事もあって、他のメールペットよりも少しだけ防御力が高い事を、仮想サーバーに落ちてから自分の事もあらゆる角度で調べたので、彼女は知っていた。

元々、自分に与えられているウィルス防壁とその部分を合わせれば、今の自分でもそれなりに時間が稼げるだろうと状況を判断し、セキュリティを侵食し続けるウィルスを睨み付けつつ、彼女は自分の出来る事を選択する。

それは、自分と他のメールペットがいるサーバーが違う事から、誰にも聞こえない可能性が高いのを承知の上で、エマージェンシーコールを周囲に向けて放つ事だ。

 

もしかしたら、緊急連絡と言う事でこれだけはメールペットたちに伝わるかもしれない。

 

彼女は、その可能性に賭けたのだ。

例え、このウィルスがウルベルト様のサーバーだけを狙っているのだとしても、ここに訪ねてくるだろう他のメールペットが感染しないとも限らない以上、自分の出来る限りの事をしておかなければ後悔するだろう。

別に、今まで彼らに対してしてきた事への罪滅ぼしとして、この行動を選択した訳じゃない。

 

アルベドがここまでするのは、自分が妹と思う様な幼い少女が自分へと向ける笑顔を、真っすぐに受け止める事が出来る自分でいたかったからだ。

 

「私は……絶対に、こんなウィルスなんかに負けたりしない!!」

 

キッと、サーバーの防壁を壊そうとするウィルスを睨み付けながら、アルベドはサーバーを移動するメールペットとして与えられただろう、自分に展開出来る防御壁を展開させていた。

 

******

 

【 エマージェンシーコールを受けて、デミウルゴスが戻って来たら…… 】

 

デミウルゴスが、その自分の領域であるサーバーへの異常に気付いたのは、配達先から戻る為の帰路に就いたばかりの頃だった。

前回のウィルス侵入の一件で、別の場所に居ても自分のサーバーの異常を感知出来る様に自分の感知能力を上げていた事と、本来なら聞こえる筈がないアルベドが放った緊急信号、それから数秒遅れてのウルベルト様からのエマージェンシーコールという、三つが主な理由である。

ウルベルト様から、二週間ほど前から昼食の前位にアルベドがメールを持ってくる様になっていた事は教えられていたし、最近では彼女の姿は見えなくても声はたまに聞こえる時があると伺った事はあった。

だから、もしかしたら予想よりも早く彼女がこちらに戻って来る可能性は考えていたが、その彼女からの緊急信号とウルベルト様からのエマージェンシーコールが重なり、その上自分も嫌な感覚をサーバーに感じている時点で、普通じゃない。

 

どちらも、自分のサーバーの領域から発せられているのだから。

 

ウルベルト様は、異常が発生しているのが自分のサーバーの事だから、この反応は当然だと言う事は言われなくてもすぐに判る。

デミウルゴスに判らないのが、アルベドの緊急信号の方だ。

もし、彼女がメールを配達に来ていて何かに問題がある存在に遭遇したのだとしても、仮想サーバーなら影響が出ない可能性だってあるし、早々に逃げ出す事だって可能な筈である。

それなのに、未だに彼女の発している緊急信号の発信先は、デミウルゴスのサーバーの中で。

 

一体、何が起きていると言うのだろうか?

 

それを早く確認したくても、現時点では自分の手元に来ている情報が足りなさ過ぎて、正直焦りが募る。

ここから自分のサーバーへの、最短ルートを割り出すのに掛かる時間は約二秒。

その僅かな時間にすら、何とも言い様の無いもどかしさを感じながら、速攻で最短を辿り自分のサーバーへと飛んだデミウルゴスは、それを見て絶句した。

 

自分のサーバーのセキュリティを、それこそ食い破る様な強力なウィルスを何体も伴ったハッカーと、それに対峙する様に仁王立ちして、己の前に彼女の最大防御壁だろう【ヘルメス・トリスメギストス】を展開させているアルベドの姿があったのだから。

 

ウィルスの侵入は、ウルベルト様からのエマージェンシーコールを受けた時点で、可能性が高いだろうと想定済みだった。

だが、どうしてアルベドがあんな風にデミウルゴスのサーバーで、ウィルスとそれを送り込んだだろうハッカーと直接対峙している?

しかも、メールペットとしての彼女が持っていない筈の、【ヘルメス・トリスメギストス】をこの場でウィルスたちに向けて展開しているのだろうか。

どうしてそうなったのか、この状況がいまいち理解出来ない。

それでも、デミウルゴスにも一つだけ理解出来る事があった。

 

彼女が、目の前にいる敵とも言うべき存在から、文字通り身を挺してデミウルゴスのサーバーを守ってくれていたと言う事だ。

 

どうして、彼女がその選択をしたのかと言う理由は現時点では判らないが、彼女がここまで頑張って守ってくれていたのだから、デミウルゴスがこの後やるべき事等たった一つしかない。

彼女が、自分の前でウィルスに対抗する為に展開している、【ヘルメス・トリスメギストス】の耐久値は、既にウィルスの攻撃によって二層目まで剥がれてしまっている事から、ほぼ残っていないと考えるべきだろう。

どうみても、早急に対処しなければアルベドの方が危険な状態だった。

 

彼女のお陰で、大きな被害を出す前に自分が戻って来られたのにも拘らず、ここまで必死に頑張ってくれていたアルベドの身に被害を受けるのを見ているだけと言うのは、流石に申し訳が無さ過ぎるだろう。

 

この状況を前に、即座にそう判断したデミウルゴスは、サクサクとウィルスを削るべく自作のウィルス駆除用のプログラムを発動させた。

その途端、アルベドが必死に展開した防壁で受け止めていたウィルスの中の数体がざっくりと削り取られ、ボロボロと崩れ落ちていく。

流石に、それだけではウィルスを支配しているらしいハッカーは弾けなかったが、このデミウルゴスの攻撃が通った事で、あちら側も自分が狙っていたサーバーに防御システムが働いた事を察したのだろう。

デミウルゴスが、二つ目の防御用プログラムを発動させてウィルスを更に半数以上を削り取った瞬間、残りのウィルスをこちらに放つ事で視界を遮り、逃走を図ったのだ。

この時、小さな黒いものがデミウルゴスに削られバラバラになったウィルスの破片と共に、逃走を図ったハッカーへと降り注いだのだが、逃げる事が優先だったのとバラバラになったウィルスの破片とそっくりな色合いだった事から、そいつは気にせずに逃げていったのである。

 

また同じ事を繰り返させない為にも、本音を言えばハッカーをそのまま追跡したい所ではあったが、下手に深追いして相手のホームグラウンドに何の準備もなく乗り込むのは危険だったし、何よりこの状況を把握する用が優先事項だった。

 

戻って来たデミウルゴスが、サクサクとウィルスへの対処をした事で安全が確保されたからか、それまでアルベドが展開していた【ヘルメス・トリスメギストス】がゆっくりと立ち消え、彼女自身もその場に崩れ落ちる。

多分、今まで彼女一人だけでサーバーを守るなんて慣れない事をしていた為に、精根尽き果ててしまったといった所なのだろう。

今まで、【ヘルメス・トリスメギストス】が展開されていたアルベドの前には、小さな女性が好むチャームが半壊状態で転がっていた。

その状態を見る限り、どうやらアレが彼女の防壁である【ヘルメス・トリスメギストス】の防御プログラムが収められていた代物なのだろうと察しつつ、デミウルゴスは周囲の安全をチェックし、セキュリティシステムを回復させながら、ゆっくりと彼女の方へと歩き寄る。

半壊状態ではあるものの、これは彼女にとって大切なものの筈。

そう思い、アルベドにそれを返すべくそっとそれを拾い上げ、改めて彼女へと視線を向けてみれば、まだどこか呆然としている様だった。

 

もしかしたら、まだ彼女は自分が仮想サーバーから戻って来ている事にすら、気付いていないのかもしれない。

 

こんな状態になりながら、本来護る必要が無いデミウルゴスのサーバーと、そこに居ただろうウルベルト様たちの事を、彼女は全身全霊を掛けて守り抜いてくれた。

それにも拘らず、まだ自分が仮想サーバーに居るからこちらに姿が見えていないなんて勘違いをしているなら、早々に目を覚ませるべきだろう。

 

何より……デミウルゴスがここに戻って来るまで彼女一人でウィルスを相手にしていた分、幾ら【ヘルメス・トリスメギストス】を展開していたと言っても、何か異変があるかもしれない。

 

実際、彼女には敵のウィルスの攻撃を受けたと思われる場所が幾つかあって、普段なら純白のドレスがうっすらと汚れてしまっている。

ざっくりと見ただけでは、傷付いている場所はない様にも見えるが、もしかしたら解らないだけでどこか異常があるかもしれない。

流石に、自分のサーバーと主たちを守ってくれただろう彼女を、そんな状況から何らかの障害が出る様な状態に陥らせたりしたら、デミウルゴスの矜持が廃る。

 

前回、デミウルゴスが到底許せない事をしたのもアルベドなら、今回、デミウルゴスが心の底から感謝するだけの事をしてくれたのも、また彼女自身なのだから。

 

そう思いつつ、まずは彼女の状況をデミウルゴスで出来る範囲でチェックしつつ、その場に蹲って動く事が無い彼女の様子を確認しながら目の前まで歩き寄ると、そっとその肩に触れた。

既に、ものの数秒で行った簡易チェックでは問題ない事が判明していたので、彼女に触れる事に躊躇いはない。

デミウルゴスが肩に触れても、まだどこか呆然としている彼女に対して、ちょっとだけ苦笑しながらそっと声を掛ける事にした。

内容は、もちろんこの状況に対する感謝の言葉だ。

 

「ありがとうございます、アルベド。

もし、あなたがこうしてこの場で防壁を張って守って下さらなければ、この奥にいらっしゃったウルベルト様やみぃ様に、あのウィルスの群れとハッカーが襲い掛かっていた事でしょう。

それに関して、ただただ感謝の言葉しかありません。

ウィルスの襲撃を受けた際、不在だった私の代わりにこの場に留まり、ウルベルト様やみぃ様の事を守って下さって、本当にありがとうございました。

そして……おかえりなさい、アルベド。

他人を思いやる心を、この一月の間に本当の意味で学んだあなたは、赦され仮想サーバーから解放されたのです。

あなたが、このタイミングで戻って来てくれた事に、心から感謝します。

そのお陰で、私は何も失わずに済んだのですから。」

 

実際、アルベドがこの場で踏ん張ってウィルスと対峙してくれていなければ、サーバーに侵入したウィルスとハッカーに確実にウルベルト様とみぃ様が居る自分の部屋まで侵入されていただろうし、そうなったらどんな状況になっていたか判らない。

そういう意味では、間違いなく彼女が今回の一件における一番の功労者だと言っていいだろう。

本当に助かったのだから、デミウルゴスからすれば彼女に対して素直に礼を言うのは当然の話だった。

それに、アルベドがこうして無事にメインサーバーに戻って来たと言う事は、彼女は自分が不足していた部分を理解したと言う事である。

それを同じ仲間として、祝う事にも躊躇いなどない。

 

彼女の事を、仮想サーバーに落とした張本人であるデミウルゴスとて、この一か月の間に仲間のメールペットたちや主の方々からのレポートを読んで、色々と思う所はあったのだから。

 

デミウルゴスの言葉を聞き、触れている彼の手の感触を実感した事によって、漸くアルベドも自分が仮想サーバーから本来のメインサーバーへと戻って来ている事に気付いたのだろう。

呆然としていた状態から、彼女の瞳に正気の色が浮かんだと思った瞬間、ポロリと涙があふれ出る。

自分の状況に気付き、アルベドは肩に触れていたデミウルゴスの手を取ると、ただ涙をあふれさせていた。

 

「私……ウルベルト様とみぃちゃんの事を、ちゃんと守れたのね?」

 

自分が戻って来た事より、最初に確認するのがウルベルト様とみぃ様の安全と言う時点で、本当にアルベドの心境は変化したのだと言う事が、デミウルゴスに伝わって来た。

 

〘 これなら、もう彼女は大丈夫だろう 〙

 

そんな事を考えながら、デミウルゴスが質問への返答として頷いて同意すると、ホッとした様にまだどこか強張っていたらしい彼女の気配が和らいだ。

周囲の状況を把握出来ない程、彼女は死力を尽くしていたと言う証である。

そして、その事実が齎した結果だろうが余程嬉しかったのだろう。

 

「……良かった……私はただ、ウルベルト様とみぃちゃんの事を守りたいと思っただけだもの。

私、ここに戻れた事以上に、ウルベルト様たちの事を守れた事が出来た、それが一番嬉しいわ……」

 

そう呟く彼女の顔は、未だ涙が止まらない様子ではあるものの、実に晴れやかなものだ。

かつて、どこか毒々しいイメージを与える笑みを浮かべていた彼女とは、とても同じ人物と思えない。

それこそ、別人のようだと言っても過言ではない程、その笑顔は柔らかな印象を与える美しいもので。

良い方向に変化した彼女の事を、デミウルゴスは心の底から喜びながらそっと彼女へと手を差し伸べた。

 

「……一先ず、この場所のセキュリティの復旧は既に始まっていますし、一旦私の部屋へ戻りませんか?

先程の襲撃に関して、もっと詳しいお話も聞きたい所ですからね。

それに……これだけの事をしたばかりですから、少しくらい私のサーバーで休んで行かれた方が、あなたにとっても良いでしょう。

タブラ様にも、ウルベルト様から事情を説明するメールをお届けする必要がありますからね。

という訳で、このまま一緒に来ていただけますか?

あなたさえ宜しければ、久し振りにお茶と茶菓子を御馳走させていただきますよ、アルベド。」

 

そう、笑顔と共にお茶への誘いを掛ければ、アルベドはまだ涙を溢しながら嬉しそうに笑い返しつつ、差し出されたデミウルゴスの手を取ったのだった。

 

 




少し遅くなりましたが、これにてアルベド騒動の本編はほぼ終わりです。
年内に後もう一話、この騒動の裏側の後始末的な話が挙げられたら良いなぁと思っています。
前書きでも書きましたが、分断しようと思えば四話に分断で来た話でした。
今回、一話での最長の文字数になりましたし。
予告で、一応後一話と書いたので纏めちゃいました。
本音を言えば、この前にウルベルトさんによるレポート考査とか、デミウルゴス、シャルティア、パンドラズ・アクターの三人によるレポートの討論会に関する内容とか、るし☆ふぁーさん視点での、このアルベド騒動の裏側とか、色々書きたい部分があったんですけど、読みたい方もそんなにいないだろうとカットになりました。

どれが読みたいのか、活動報告にアンケートを設置しました。
感想欄ではなく、そちらのコメントご記入下さい。


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騒動の幕引き ~ 襲撃後の話と、馬鹿な男たちの結末 ~

大変長らくお待たせいたしました。
予定よりも、かなり遅れての結末になります。
本当にすいません……年始の際に引いた風邪でダウンしていて、漸く復帰です。
お陰で、書き掛けの年始ネタが中途半端な状態で放置してあります。

それはさておき。
今回の話で、アルベド騒動の幕引きになります。

後日談等は、またぼちぼち書きますので暫くお待ちください。


【 詳細を聞いた後のデミウルゴス視点 】

 

部屋へ戻った後、アルベドからウルベルト様へ深く腰を折る最敬礼による謝罪(本当は土下座しようとしていたが、みぃ様が見ているので流石に止めた)が終わった後、デミウルゴスは彼女がどうしてウィルスと対峙する事になったのか、詳しい事情を聴く事が出来た。

 

「出来るだけ正確に」と言う点に注意したアルベドの説明を受けたデミウルゴスは、それこそ思い切り眉間に皺を寄せる。

簡単に状況を纏めると、彼女が割と早い段階でウィルスの襲撃を察知したにも拘らず、みぃ様の我儘によってウルベルト様を危険に晒した事が、アルベドの状況説明によって判明したからだ。

もし、アルベドが仮想サーバーに居る状態ではなく正常な状態だったのなら、ウルベルト様に直接危険を訴える事も出来ただろう。

しかし、基本的に誰にも干渉出来ない仮想サーバーに居たあの時の彼女と話が出来たのは、ただ一人幼いみぃ様だけだった。

 

だからこそ、このままではウルベルト様に話が通じない事を察したアルベドが、【最終的に自分の身を引き換えにしてでも、ウルベルト様やみぃ様を守る】と言う選択してくれて本当に助かったと、デミウルゴスは彼女のその判断に感謝するしか出来ない。

 

さて……問題のみぃ様だが……アルベドのボロボロの姿を見た途端、ここに危険が迫っていたから彼女が【リアルに戻れ】と言っていたと理解したらしく、現在はアルベドに「ごめんなさい」と泣いて謝りながら引っ付いている状態だった。

まだ幼く素直だから、こんな風に自分の非をすぐに謝れるのは、みぃ様ならではだと羨ましく思う。

 

正直、デミウルゴスたちメールペットは、彼女の様にここまで素直に自分から謝る事は出来ないと、本気でそう思うのだ。

 

感謝の言葉なら、まだ謝罪よりも素直に口に出来そうな気もするが、それだって相手によっては難しい時すらある自覚もあった。

とにかく、みぃ様は自分の行動によってアルベドを危険に晒したと言う事をちゃんと理解しているらしく、すっかりと反省して萎れてしまっている。

そんな彼女の事を、アルベドが自分の膝の上に抱き上げてギュッと愛し気に背中を軽く叩いて宥めているのだが、その表情は本当に慈愛に満ちていると言っていいだろう。

 

多分、今まで彼女と話す事は出来ても触れられなかった分も、こうして自分の膝の上で抱き締めて宥める事で存分に補充しているんじゃないだろうか?

 

見ている限り、実に平和で穏やかな光景だから、それ程気にする事はないだろう。

デミウルゴス自身、もしこの場で本音を言っても許されるのなら、ウルベルト様に暫くみぃ様の電脳空間への滞在時間を短くする事を提案するなど、それ相応の対応を考えていたのだ。

だが、今回の功労者であるアルベドからの「みぃちゃんともっと一緒に過ごしたい」と言う強い希望もあるので、デミウルゴスからはそれを提案してはいない。

もちろん、今回の件に関してはこのまま放置という訳ではなく、ウルベルト様からたっち様へ報告した上で判断していただく事になっていて、それに関してはアルベドも反対はしなかった。

多分、彼女としても緊急時だけはみぃ様にウルベルト様の言う事を聞いて貰える状況にしておかないと、色々と拙い事だけは理解しているからこそ、その提案に対して多少の不満を覚えたとしても反対が出来ないのだろう。

 

〘 ……今回の様に、ウルベルト様やみぃ様に危険が迫った時に、アルベドが側に居るとは限らないからね。 〙

 

実際、本来このサーバーの主とも言うべきメールペットであるデミウルゴスなど、サーバーにウィルスの襲撃があった二度とも不在だったのだから、今回の事がどれだけ偶然が重なった結果なのか、ちゃんとアルベドも理解してくれていてとても助かると言っていいだろう。

ここで彼女に駄々を捏ねられても、みぃ様の親として最終的にたっち様が責任を持つ訳だから、その意見が通らないのは当然の話なのだから。

 

それよりも、だ。

一先ず、アルベドが仮想サーバーからこちら側に帰還したのだから、今まで行われていたレポートの提出はこれで終わりと言う事になると考えていいだろう。

 

元々、最初の取り決めの時点でそういう条件だったのだから、彼女が戻ってくれば終了と言うのは当然の話だ。

状況から考えて、それは今日の提出期限のレポートの討論会までは行うと考えても良いのか、それともレポートも回収だけで討論会は行わない事になるのか、少しだけ気にならないと言えば嘘になるだろう。

あんな風に、パンドラズ・アクターやシャルティアと意見を交わすと言う事自体が、デミウルゴスにしてみたらとても楽しかったのだ。

もちろん、あの状況を「楽しんでいた」とデミウルゴスが言ってしまうと、ウルベルト様たちから「罰になっていない」と嘆かれるかもしれない事は理解している。

だが……その事をきちんと理解していても、実際に楽しかったのだから仕方がない。

 

普段、滅多に無い位に真剣に物事を考えて言葉にするシャルティアや、あの大袈裟な言動を封印してきっちりと物事を見据えながら柔らかい物言いで話すパンドラズ・アクターの姿など、こんな時でもなければ見られないだろうから。

 

その辺りも含めて、ウルベルト様から他の方々へと連絡が行われるのだろう。

ざっくりとした連絡は、これからウルベルト様が書かれるだろうメールで行うとして、だ。

今日は丁度、ギルド会議が行われる予定でもあるし、今回の騒動に関する詳しい報告はそちらでされるだろう。

 

だが、まずはタブラ様宛の状況報告のメールを、当事者であるアルベドに運んで貰う必要があった。

 

タブラ様は、お仕事の都合で昼を回る頃から夕方まで、一切の連絡が付かない事は判っているから、彼女には急いでタブラ様の元へと戻って貰わないと駄目だろう。

状況的に考えて、アルベドの主であるタブラ様が何も事情を知らないと言うのは、流石に申し訳が立たない気がするのだ。

それこそ、【至急閲覧】の文字を明記したメールと共に今から最短ルートを辿れば、タブラ様にも速攻で見て貰える可能性があるのだから、彼女の事を急いでタブラ様の元へ送り出したいと思うのは、デミウルゴス自身の願いでもあった。

 

アルベドとて、早くタブラ様に自分が戻って来た事を知って欲しいだろうと、デミウルゴス自身が本気で思ったから。

 

実際、ウルベルト様は先程からいつもよりも急いで今回の事を纏めたメールを作成していらっしゃるのだから、完成したら彼女を速攻で送り出す事で、タブラ様との再会を出来るだけ早めに出来る様にするつもりなのが良く判った。

それなら、〖何も持たせずに先に帰せば良いのではないか?〗と言う意見もありそうな気もするが、これにもちゃんとした理由がある。

彼女がウィルスに直接対峙した事も含め、ある程度の内容まで今回の事件の詳細を纏めた上で、きちんとタブラ様に対して連絡しておかないと、後でアルベドに何か異常があった時に対処出来ない可能性がある為、こうして状況説明のメールをウルベルト様に作成して貰っているのだ。

 

「……まぁ、こんな所だろうな。

済まないが、このメールを持ってタブラさんの所へ向かってくれないか、アルベド。

本当は、こうしてお前に預けるんじゃなく、デミウルゴスにメールを持って行かせた方が良いんだろうが……流石にウィルスによるセキュリティシステムへの被害が大きくて、まだ外に使いに出す訳にはいかないからな。

それに……今から向かえば、まだタブラさんのメールチェックに間に合うだろう?

あの状況だった事もあって、メインサーバーに戻って最初の再会こそ、タブラさんじゃなくて俺とデミウルゴスになったけど、その次にアルベドに会う権利があるのはあの人だと思うからさ。」

 

そんな事を言いながら、完成したメールをいつもの様に配達用に封筒に封入した状態でアルベドへと差し出すウルベルト様。

彼女は、いそいそとそれまで抱き締めていたみぃ様を膝から下ろして、素早く近付くとそれを受け取った。

多分、今まで彼女がみぃ様の事を抱き締めて離さなかったのは、ウルベルト様のメールを待つ間が待ち遠しかったと言う理由もあるのだろう。

急に膝から下ろされたみぃ様も、アルベドが自分の仕事をする為に自分の家に戻る事を理解しているからか、それに対して文句を言ったりしない。

むしろ、今まであれだけ泣いて涙でぐちゃぐちゃになった顔を、身嗜みとして持っていたハンカチで拭うと、アルベドに向けて出来るだけ真っ直ぐな笑顔を向けながらこう言った。

 

「これからおしごとがんばってね、アルベドおねぇちゃん。

あと、メールをもってまたあそびにきてね!」

 

そんな彼女の言葉に、アルベドは思わず感極まった様な顔をすると、スッと膝を付いてもう一度だけキュッと抱き締め、すぐに立ち上がった。

そして、ウルベルト様とこちらに向けて丁寧に頭を下げる。

 

「それでは、これにて失礼させていただきます、ウルベルト様。

デミウルゴス、また改めて帰還の挨拶と謝罪に来させて貰うわ。

またメールを持ってくるから、その時は一緒に遊びましょうね、みぃちゃん。」

 

その言葉と共に、再度軽く頭を下げるとアルベドは部屋から退出して行った。

多分、そのまま一気にサーバーから外へ飛んで、最短ルートで自分のサーバーへと移動するつもりなのだろう。

最愛の主に会いたいと思う気持ちは、デミウルゴスにも良く判っているので彼女の行動に特に何かをいう事もなく素直に見送った後、これからの予定を素早く立てていく。

少なくても、ウルベルト様へ二度もウィルスを送り付けてきたハッカーを早めに特定して、それに対しての対策を考える必要があるだろう。

最終的に、裏で糸を引いている相手が判っていても、その手足となっているハッカーを何とかしないと、また同じ事の繰り返しになってしまうからだ。

 

「……どちらにせよ、このまま放置するつもりはありませんが、ね……」

 

そう、呟きながらセキュリティシステムの状況を確認しているデミウルゴスの顔は、口元は笑っていても目は怒りに煮え滾っていたのだった。

 

*******

 

【 愚かな男の末路 】

 

その男は、現在の状況に対して非常に苛立っていた。

 

最初に依頼を受け、ウィルスを送り付ける事でハッキングを仕掛けた相手は、それこそ【両親が在学中に死亡してる小卒の工場作業員】と言う、どこにでも掃いて捨てるほどいる貧困層出身者だった筈なのに、実際に仕掛けて見ればセキュリティシステムはかなり強固で中々成功しなかったのである。

それだけで、男にとってハッキングを仕掛けるこの相手は、非常に癇に障る存在だった。

 

自分のハッキングをブロックする様な、そんな生意気なセキュリティを所持している事自体が、小卒の分際で分不相応なのだ。

 

それでも、依頼を無事に成功させてウィルスに持ち帰らせたデータによって、そいつが当初の予定通り工場を首になり路頭に迷う状況を作り出した時点で、その相手に対して抱いていた苛立ちは収まっていたのだが……

再度、同じ依頼主から同じ相手のハッキングの依頼を受けた事で、実はそいつが路頭に迷うどころか富裕層でも上層の令嬢の家庭教師になっていたのを知った事で、更に苛立ちは増していた。

 

〘 なんで、ギリギリ金をかき集めて何とか小学校を卒業した様な、それこそ大した知識もないだろうそんな男が、例えまだ小学校に通う前の幼い子供とは言え、富裕層の家庭教師に納まる事が出来た?

自分など、高校中退と言うこの時代ではかなり高学歴を修めていると言うのに、同じ職場の人間にその高学歴を嫉妬されて爪弾きにされ、面倒な仕事先を押し付けられてそこでの対応が上手くいかず、最終的にこんな裏の汚れ仕事に手を染めていると言うのに……

それなのに、どうしてこんな貧困層出身のこいつだけが上手くいく? 〙

 

そう思うだけで酷く苛立ち、自分が現在上手く扱える最大規模のウィルスを連れて自分で直接相手のサーバーを襲撃したと言うのに、だ。

実際には、再度その相手のサーバーに侵入してデータを奪う処か、更に強固になっていた相手の防御システムに弾かれ、おめおめと逃げ帰る事になってしまったのである。

この状況は、高学歴だと言う事で自尊心を維持している男にとって、非常に腹立たしく許し難いものだった。

どうして、あんな低学歴の男があんな強固なセキュリティを保持しているのだろうか。

少なくても、あの学歴で自分の様に豊富な知識を持っているとは、家庭教師になる前の工場勤務の状況から考えても、とても思えないのに、だ。

 

「そもそも……どうやって、あれだけ著名な富裕層の人間と知り合って、上手く相手に取り入る様に媚を売ったんだか……

絶対、俺の方があんな小卒なんて学のない奴よりも知識も教養も上だし、富裕層のお嬢様相手の家庭教師に相応しいのに。

やっぱりムカつく奴だよな、このターゲット。

っと、また催促のメールかよ……そんなに切羽詰まってるなら、下手に首を切ったりせず真綿で首を締める様にもっと使えるプランを搾り取るまで、上手く丸め込んで飼い殺しにすれば、こんな手間を掛けずに済んだだろうに……」

 

イライラしつつ、それでも相手は依頼人なので現在の状況を簡単に纏めたメールを作成していく。

こんな風に、依頼主からの情報だけ知らない癖にウルベルトの事を貶めつつ、自分はもっと上に行ける実力があると一人自室で喚く男だが、実はそうでもない。

そもそも、この男は自分で言うほど優秀な訳ではないのだ。

偶々、生れた家が中流層出身で両親がそれなりの収入があった事で、その収入の中で何とか入学金を払えたから高校に入学が出来ただけなのである。

男が高校二年生の秋、彼の両親がそれぞれ勤めていた会社で大きな仕事の失敗をした事から会社を首になった途端、「学費が払えない」と言う理由で高校を中退する事になる程度の学力しかなかったのだから、実際にはどの程度のレベルだったのか良く判るだろう。

 

本当に優秀なら、企業の方がその実力を買って【青田買い】宜しく自社の奨学金制度を使わせていただろうから、そうならなかった時点で自分が思っているほど優秀ではないのだと言う事を、この男は理解していない。

 

そして、どんなに他の一般社員に比べて高学歴だとしても、学歴の分だけ多少の知識があるだけで、その事への人一倍の拘りからプライドが高く、〘 自分は特別だ 〙と思って居る様なこの男が、それなりの会社に就職したとしても上手くいく筈がないのである。

実際、彼は高学歴を生かしてそれなりに有名な企業のシステムエンジニアとしての仕事に就いたのだが……その部署に数年間勤めていた小卒の筈の同僚には、仕事であるプログラムを組む能力で大きく溝を開けられていて、全く歯が立たなかった。

高すぎるプライドから、どうしても現実を受け入れられなかったこの男は、実力に見合わない高レベルのプログラムを必要とする会社の受け持ちを、学歴を盾に強引に小卒の同僚から奪い取り、上司に事後承諾の形で認めさせたのである。

そんな強引な行動をする男に、上司もある意味さじを投げていた。

 

「そこまでしたのなら、最後まで自分で責任を持って仕事をして貰う。

他の社員の力は、一切借りずに自分一人でやり遂げれたのなら、そのままその会社の受け持ちにしてやる。」

 

と言う言葉と共に。

この時点で、男はこの仕事を無事に成功させる以外に今の会社に残れる道は残っていなかったのだが、そんな事も気付かずに取引先のシステム点検に出向き。

男が作業する横で、色々とミスを重ねるそこの新人社員に対して、しつこい位に馬鹿にする様な嫌味を言った挙句、そのフォローもせずに放置していたのである。

実は、男が嫌味を言った新入社員が取引先の社長の息子で、このミスもわざと新担当者となった男の人となりを試す為の行動だったのだが、この会社のシステム点検をする事がギリギリ可能な能力しかない男は作業を終える方に意識が集中していてそれに一切気付く事はなかった。

 

むしろ、自分が取った社会人としての非常識さを考える事なく、逆に新人社員相手に嫌味を言う事で日常の苛立ちを発散出来たと、自分が引き起こしただろうトラブルも気付かず、すっきりとした笑顔で帰社していたのである。

 

それが原因で、取引先との間で「あの担当がこれからもこちらにシステム点検に来るなら、取引を終了して欲しい」と言う、取引停止の危機と言う大きなトラブルに発展したのだが……当人は自分の言動でそんな事態になった事も理解していなかった。

更に、会社側が事情を伏せた状態での聞き取りをした時点で、自分の行動の問題点に欠片も気付かず反省していない事が判明し、そのまま責任を取らされて首になったのである。

つまり、だ。

先程、身勝手な考えをしていた際に出て来た、〘面倒な仕事先を押し付けられて〙と言う部分は、そのままだと自尊心が維持出来ない事から、脳が記憶を書き換えた結果出来た、男にとって都合が良いものでしかない。

 

この件は、システムエンジニアとしての募集をしている会社全部に回状で回されていた為、男は自分が望んだ「自分の優秀さを認めてくれる」次の就職先は見つからず、結果的に汚れ仕事的なハッカーに落ち着いたのも、これまた当然の流れだった。

 

そもそも、この男のハッカーとしての実力は、それほど高くない。

何とか、今の状況でハッカーとして裏社会でやっていけているのは、最初に勤めた会社での研修で得た知識が元になっただろう、システムエンジニアとしての技量があるからだ。

それこそ、基礎が出来ているからそれなりの実力はあるが、だからと言って飛び抜けて【優秀】だと言えるほどの実力がある訳ではない。

更に言うなら、【高学歴である】と言う自分のプライドの高さと、己の実力を本来のものよりも高いと考えていた事から、ハッキングの対象として狙う相手が小卒だと知るとかなり舐めて掛かる傾向があった。

だからこそ、この男は気付かなかったのだ。

 

あの襲撃の際に、とんでもない代物が付着していた事に。

 

当然だが、例えこの男が本当に優秀だったとしても、気付いていなければ対策は取れない。

まして、この男の実力は【張子の虎】程度しかないのだ。

ウルベルトのサーバーに襲撃に失敗した後、苛立ちながら次の襲撃計画を立てつつ依頼主からの催促への返事を書くなどして既に一時間以上経過している。

その状況で、普段使用している自分のセキュリティ以外、何の対策もしていないと言うのは実に致命的だった。

しかも、その状態のまま依頼人からのメールを受けて返信をするなどと言う、セキュリティ対策への認識が欠けた対応をしている辺り、自分の実力を過信している事がこれ以上無い程良く判るだろう。

 

結果として、それは最悪の状況を生み出すのだが。

 

男に、あの襲撃の際に直接取り付き彼のサーバーまで付いて来ていたソレは、いつの間にかそこに馴染む様に散り散りに点在していたのだが……潜伏期間として、あらかじめ設定された一時間を過ぎた事で、一気に増殖を始めた。

基本的に、ウィルスチェック用のソフトと言う事もあり、この男のセキュリティにも引っ掛かる事なく、すっかり電脳空間に馴染む様に点在し、一気に増殖したソレの正体……それは、恐怖公の眷属の外見をしたアレである。

何故、そんなモノがこの男の元で発動したのかと言えば、実に簡単な話だった。

一月前、この男が作り出したウィルスに襲撃を受けた後、メールを持参した恐怖公による善意のウィルスチェックが行われた際に、色々とギミックを説明した上でデミウルゴスの許可を得て、彼のサーバーの中にはこの眷属を模したウィルスチェッカーが潜伏していたのである。

 

発動条件は、ウィルスやハッカーによる障壁が壊されるなど、非正規の手段でサーバーを出入りするものが出た場合のみ。

 

それ以外の時は、常に休眠しているこのウィルスチェッカーはとても優秀だった。

サーバーに異常を感知した途端、ナノマシンサイズに変化したカプセル状の物体になると、襲撃者の一部に気付かれない様に取り付くのである。

サーバーの障壁を壊した際の粉塵と誤認させ、取り付いたそれはそのまま相手のサーバーまでついて行った後、ものの数分でそのサーバーの位置を特定して電脳空間の管理局へと通報しつつ、状況の変化を待ち……一時間後、タイマー制御によって抑えられていた機能が発動し、一気に増殖を開始する仕組みになっていた。

 

それこそ、ナザリックにある【黒棺】と同じ状況になる様に。

 

ただし、この恐怖公の眷属を模したソレが行っているのは、あくまでも相手のサーバーのウィルスチェックと、電脳空間の管理局及び製作者のるし☆ふぁーへの通報だけである。

元々、これはナザリックの身内に対するネタ的な要素満載で、悪戯半分にるし☆ふぁー作成した、この恐怖公の眷属もどきのウィルスチェッカーだ。

これを作ったるし☆ふぁーは、大学は出ていてもあくまでも専門家ではないので、ここまでが限度だったらしいのだが……その視覚的効果は半端ないものだった。

 

「ひぃぃっっ%&*☆#あぎぃあぁぁぁぁぁぁぁ!!!」

 

なまじ、男は【リアル】に戻らず電脳空間内で作業していた事が、仇になった。

一瞬の内に、視界を埋め尽くすほどの恐怖公の眷属が自分のサーバー内に出現したら、流石に大の男でも普通に悲鳴を上げるだろう。

まして、カサカサと音を立てながら腕や足を這い上り、四方から飛来したそいつが顔に張り付いてきたのだから、そのおぞましさは半端なくて。

余りのおぞましさに、その愚かな男は自力で電脳空間から離脱する前に、気を失ってそのまま強制的に電脳空間から追い出されたのである。

 

それから数分後、通報を受けたサイバー犯罪取り締まり担当の警察が駆け付けたのだが、泡を吹いて気絶している男を前に、首を傾げながら状況確認の為にサーバーをチェックし、同じ様に悲鳴を上げる羽目になったのだった。

 

*******

 

【 実は、裏で暗躍していたるし☆ふぁー 】

 

電脳空間の管理局とほぼ同時に、眷属からの通報を受け取ったるし☆ふぁーは、口の端を上げてニヤリと笑う。

ウルベルトさんの事を嵌めた相手の事を、あの騒動が起きた後にあらゆる角度で調べ上げていた彼は、自分の実力に見合わない虚栄心から再度仕掛けてくる可能性を察知し、恐怖公の眷属の仕込みの事も含めてたっちさんやヘロヘロさんなど、自分の言葉をちゃんと聞いてくれそうな相手に相談していたのだ。

たっちさんなどは、ウルベルトさんのサーバーには娘も降りる事から、この話を聞いて余り良い顔をしなかったのだが、この手の犯罪は現行犯の方が確実に罪を問える事から、〖ウルベルトさんや娘の安全を確保した上でなら〗と、渋々了承してくれたのだが。

 

そう……実は、ウルベルトさんのサーバーには本人やデミウルゴスが詳しく知らない安全対策が、るし☆ふぁー提案の下でヘロヘロさんの手で作成されており、それをたっちさんがウルベルトさんのサーバーの上位権限者として設置すると言う形で取られていたのだ。

 

ヘロヘロさんの手によって、ウルベルトさん達が電脳空間に降りている際に発動する様に生み出された安全対策は、簡単に言えばウルベルトさん達に過負荷なく緊急脱出が出来る様に、ウィルスが彼らのいる一定距離まで侵入した際に発動する、特殊防壁である。

それと同時に、電脳空間の管理局への通報とウルベルトさんのサーバーの中にある重要データへの強力な保護が掛かり、それこそハッカーでも上位ランクの人間でもないと、破壊も出来なければ情報を抜き取る事も出来なくなる様にしてあった。

これを設置する際、ウルベルトさんに詳しい内容は話していないものの、たっちさんが〖娘の為の安全対策だから〗と、彼のサーバーに降りる条件として突き付けたらしい。

製作者がヘロヘロさんである事とか、あくまでも〖いざと言う時の備え〗と言う事を前面に押し出したたっちさんの言葉に、ウルベルトさんは受け入れてくれたそうだ。

彼の側としても、たっちさんの娘に色々な事を教える上で、電脳空間に降りてデミウルゴスの協力を受けるのは不可欠だと思っている為、安全対策が多い方が良い事を理解していたからだろう。

 

もちろん、ウルベルトさんがその内容を知らないのは問題かもしれないが、下手にその内容を知っていてそれを計算に入れて無茶をされても困る為、彼にはざっくりとした事以外は内緒にしてあったのである。

 

彼自身、自分を嵌めただろう相手の動向をそれとなく探っている様子だったので、再度襲撃がある可能性を視野に入れている様子が何となく伺えたからだ。

つい最近まで、ウルベルトさん自身が直接関わってきた相手の事だから、ある程度まで相手の行動が想像出来たとしてもおかしくないだろう。

まぁ、元々その相手は【中学卒業】と言う学歴だけで大して頭も良くなく、他人の才能をこんな風に不当な方法で奪い取る事で、自分の地位を上げてきた事が解っているから、当然の話なのだが。

そんな、自分の立場も実力もまともに把握していない男だから、不注意にも自宅ではなく会社からハッカー相手に連絡を取ると言う、不用意極まりない行動をしてしまう訳で。

 

結果として、一時間後には工場中が阿鼻叫喚の大惨事を引き起こしていた。

 

想像してみて欲しい。

いきなり、仕事をしていたら工場の生産ラインや作業制御用コンピューターの中に、それこそ犇めき合う様に恐怖公の眷属が大量発生したのを見て、どれだけの人間が冷静でいられるだろうか?

普通に考えて、まず冷静さを保ちまともに対応する事が出来る人間は、ほぼ居ないと言って良いだろう。

そんな状況下で、作業員が触れる事すら嫌がる程制御システムに恐怖公の眷属が発生した工場のラインが、まともに動かせる筈がない。

当然だが、工場に勤める人間が全てパニック状態に陥った事で完全にラインが止まれば、その日の納期予定分が達成するのも難しくなる訳で。

 

この状況で、更に警察が工場長と件の中流層の男への逮捕令状を持って現れたら、更に混乱は広がるのは当然の話だった。

 

******

 

「……そもそもさぁ、あんな形で仲間を罠に嵌めた挙句に貶められて、そのまま素直に黙っていられる訳ないじゃん……なぁ、恐怖公?」

 

クスクスと笑いながら、それまでの状況を恐怖公の眷族経由で確認していたるし☆ふぁーは、それまで開いていた観察用のモニターを閉じる。

最後の仕上げとして、たっちさんが逮捕令状を片手に工場へ突入した時点で、あの男たちは既に身の破滅が確定している事もあり、今回の襲撃も含めて漸く溜飲が下がったと言っていいだろう。

出来れば、デミウルゴスたちにも協力させてやりたい所ではあったが、流石に彼ら自身に自衛以外の能力を揮わせる訳にはいかなかった。

 

もし、デミウルゴスたちがあの男達に対して何かをしてしまった場合、その管理責任を所有者であるウルベルトさんたちが問われる可能性が高いからだ。

 

るし☆ふぁー自身だって、実際にやったのは自衛用のセキュリティシステムの応用でしかない。

あくまでも、防衛用に展開しているセキュリティシステムに対してウィルスやハッカーが触れければ、普段は何の反応もしなければ増殖したり勝手に添付される事もない潜伏型であり、実際に発動しても現在位置の発信とサーバー内のウィルスチェックをするだけと言う危害を加える内容ではない為、ギリギリ自衛手段として合法である。

 

但し、そのウィルスチェック用のソフトの発動状態が恐怖公の眷属の大量発生と言う、見た目的に精神的なダメージを与えるだけで。

 

この発動状態に関して言うなら、別バージョンとして蝗やカナヘビなどでもそろそろ展開可能な状態に持って行けそうな状況だったりするのだが、どちらにせよ大量発生したら似た様な精神ダメージを負うのは確定だと言っていいだろう。

この件に関しては、いずれ話に乗ってくれそうなギルメンやデミウルゴスたちに話を持って行くとして、だ。

 

「……さて、今日のギルド会議も色々と荒れそうだねぇ……」

 

そんな事を言いながら、るし☆ふぁーは今日のスケジュールを確認し始めたのだった。

 

******

 

【 ギルド会議で、語られた結末とは 】

 

その夜、ウルベルトさん自身からのウィルスによる再度の襲撃とアルベドのメインサーバーへの復帰、そして彼女の奮闘ぶりが、目撃者視点で報告された。

それに続いて、タブラさんからのアルベドから改めて〖関係者全員への謝罪巡りをしたい〗との旨の申し出があった事と、それに対する承認を求められるなどと言う議題も出て、色々と話が紛糾する事になったと言っていいだろう。

アルベドの件に関しては、既に全員が自分たちの言動にも駄目な部分があった事を理解していた事もあり、戻って来た彼女がちゃんとした謝罪をすると言っている時点で、それで決着と言う流れになりそうな雰囲気だった。

 

その中で、ウルベルトさんを未だにしつこく付け狙った男が逮捕された事を、議題にあげたたっちさんの顔が微妙に引き吊っていたのは、ある意味当然だった。

何せ、彼はるし☆ふぁーから聞いていた解除コードを入れる際に、モニター越しに【黒棺】の再現とも言うべき状態になった、工場のホストサーバーを見ているのだ。

一応、事前にそういう状態になる事は話してあったものの、やはり実際にそれを見るのと話をただ聞いただけでは、精神ダメージの受け具合が微妙に違うらしい。

 

「……まぁ、そんな訳でウルベルトさんのサーバーに直接ちょっかいを出して来たハッカーは、サイバー犯罪課の人間が身柄の確保に向かった時点で、その余りのおぞましさにSAN値直葬で気絶していたそうです。

まぁ……端末を調べた結果、【気絶によるログアウト】と言う記録も残っていたそうですし、直接アレに接触したのだとしたら当然の反応でしょうが。

意識が戻った後も、自分のサーバーの惨状が変わらない事を知って発狂寸前でしたから、二度とハッカーとして犯罪を犯す事は出来ないでしょう。

まぁ、その前に電脳法違反での逮捕が確定していますけどね。

そして、そのハッカーに依頼していたウルベルトさんの元同僚ですが……話に聞くよりも更に馬鹿でした。

幾ら、自分の親戚が経営している工場だからとは言え、何の対策もなく工場の通信回線を使ってハッカーに連絡を取るなんて真似をしていましたからね

結果的に、工場内の制御用コンピューター全体に恐怖公の眷属を模したセキュリティチェック用のソフトが転送され、私たちが令状を手に彼と工場長の身柄確保に赴いた時点で、大繁殖でラインが完全に停止すると言う事態になってましたよ。

まぁ……巻き添えを食らった工場勤めの方々は精神的にダメージが大きかったでしょうが、あの馬鹿な同僚がいたと言う事で諦めて貰うしかありませんね。」

 

出来るだけ、サクサクと状況を説明するだけに済ませているのは、多分たっちさんでも自分が工場で実際に見た状況を思い出すのは厳しい位に、恐怖公の眷属が増えていたからだろう。

るし☆ふぁーですら、予想していたよりも増えていた眷属を示す数を前に「俺、し~らない!」と投げ出す程だったのだから、当然の話なのだが。

そんな事を考えているるし☆ふぁーを他所に、たっちさんの話は続いていた。

 

「……因みに、彼がハッカーに依頼した動機は二つです。

一つ目は、〖工場に下請け仕事を出している大企業側から、前回と同じレベルの提案書の提出を求められたが、それに見合うだけの提案を出来る人間がいなかったから〗と言う、自業自得な状況に切羽詰まったからだそうです。

元々、自分の頭で考えた提案書ではなく、ウルベルトさんのデータを盗んだものでしたし、作成した提案書に使用していた資料が、本来一般的に出回っている代物でなかった事も、大企業側から再度提案書を求められた理由だそうです。

あれは、ウルベルトさんのサーバーから奪い取った、朱雀さん経由で得た資料ですから、一般向けじゃなくても当然なのですけどね。

とにかく、あの上場に仕事を回していた大企業側としても、犯罪に関わっている可能性がある人間が居る工場に、これ以上下請け仕事を回す危険は避けたかったんでしょうね。

実際、こうして工場長と元同僚は逮捕されている訳ですし。」

 

そんな風に、さらりと一つ目の理由を口にしたたっちさんだが、るし☆ふぁーはそれが表向きの話だと言う事を知っていた。

あの工場へ下請け仕事を出していた大企業は、たっちさんの奥さんの実家の大企業と取引がある所だった事から、それと無く孫娘の家庭教師に関してその優秀さを説明する際に、「こんな事があったのだ」と工場を首になった経緯や、彼が努力家でありネットゲームの中で知り合った教授から資料を借り受けられる程の信頼の厚さを伝えていたのである。

そんな話を聞かされれば、彼らも裏を取らない筈がなく。

結果的に、あの工場へ下請けに出している大企業にまで話が回り、再度提案書を出させる流れとなった事から、この状況に発展したのである。

いわば、間接的に相手を追い詰める役目をしたのが、たっちさんだった。

そんな事をおくびにも出さず、たっちさんは話を進めていく。

 

「二つ目の理由は、とても呆れるものでした。

〖貧困層の中でも特に下層出身で、自分よりも遥かに低レベルの人間の筈の奴が、富裕層のお嬢様の家庭教師になっているのは、何かがある筈だ。

多分、そいつが富裕層の人間の弱みを握っているのだろうと思ったから、そいつのサーバーにハッキングさせてデータを盗み出し、それを自分も手に入れて富裕層の中に食い込むつもりだった〗と言う、実に低俗極まりない理由でしたからね。

あの男は、自分が成り上がるのに卑劣な手段を常に使う為か、ウルベルトさんへ私が好意から手を差し伸べたとは欠片も思いもしないんですからね。

正直、調書を取る為に必要な会話をするだけでも、非常に不快な相手でした。」

 

本気に、嫌そうな口調で今回の件に関しての裏事情をたっちさんがそう言うと、ヘロヘロさんが不思議そうに首を傾げる。

どうやら、彼には幾つか疑問点があるらしい。

その様子に、このセキュリティを構築した立場として、何となくその疑問に気付いたるし☆ふぁーが嗤いながら手を振った。

 

「あー……多分、ヘロヘロさんの質問は〖他人のサーバーを経由して犯罪を犯している場合だって多いのに、どうしてハッカー本人に辿り着いたのか?〗だよね?

それなら、理由は簡単だよ。

あのソフトは、ウィルスやハッカーそのものに取り付いているから、どれだけ他人のサーバーを経由していても、最終的に移動を止めた大元まで自動的に引っ付いていくタイプなんだ。

そもそも、この件の首謀者が雇っていたハッカーは、それ程能力も高くなかったみたいだからね。

他人に罪を擦り付ける意味で、割とあちこち人様のサーバーを経由していたみたいだけど、中途半端な知識があるせいなのか、自意識が高すぎて自分のサーバーのセキュリティは穴だらけだと思ってなかったみたい。

まぁ……あの外見はともかく、元々恐怖公の眷属はあくまでもウィルスチェッカーソフトだからさ。

視覚的なダメージさえ除けば、害を与えない所かウィルスチェックしてサーバーの状況を診断するプログラムだったから、どこのサーバーに行ってもセキュリティが反応しなかったのかもね。」

 

さらりと、高性能な眷属の能力を披露するるし☆ふぁーに対して、周囲がドン引いたのは当然の話だった。

つまり、るし☆ふぁーの説明通りだとすれば、一度恐怖公の眷属に取り付かれたら、絶対に逃げられない事になるのだから、ある意味では当然の反応だろう。

正直、絶対に関わり合いになりたくない類のセキュリティに、自分から突っ込んできて悪さをしたからこうなったと言いたい事も理解しているから、逆に突っ込みを入れる気力すら湧かないのかも知れない。

 

「……まぁ、良いじゃないですか。

取り合えず、これでウルベルトさんの方の【リアル】の問題は片が付いたと言う事ですし、犯人たちが色々な意味でダメージを受けただろう、るし☆ふぁーさんの仕掛けに関しては、あまり深く考えない方が良いと思います。

きちんとした手順で、普通にお互いの間でメールのやり取りをしている我々には、一切関係が無い事ですからね。

それと、アルベドも無事に仮想サーバーから戻って来たと言う事ですから、ウルベルトさん宛に今日提出した分まででレポートは終了と言う事で良いでしょう。

今回の件で、色々と自分たちのメールペットに対する普段の言動を振り返るいい機会になりましたし、今後は教訓の一つとしてお互いに注意する様に気を付けましょう。

他に、議題に上げる事がある人がいなければ、今日の会議は終了にしたいと思いますが、どなたか議題をお持ちの方はいらっしゃいますか?」

 

モモンガさんが、議長としてギルメン全員に確認を取る様に声を掛けるが、特に誰も声を上げる者は居ない。

流石に、先程のウルベルトさん関連の加害者の受けたるし☆ふぁーの仕掛けの内容を聞いたからか、色々と精神的に疲れてしまったのもその理由の一つなのだろ。

一応、特に急ぎの内容ではなかったから、次に回す事にしたのかも知れない。

今回の会議は、ウルベルトさんの電脳空間へ再度ハッカーからの襲撃と言う議題関連で、割と時間が掛かって遅い時間になったのも、特に他の議題が出なかった理由かもしれないが。

 

「皆さんからの他に議題もない様ですし、これにて今日の会議は終了と致します。」

 

誰からの挙手も無かった事から、モモンガは議会の閉幕を告げたのだった。

 




捕まったハッカーの男は、犯罪者として留置所に拘束されていた。
目の前に、罪状を山ほど並べられての逮捕であり、あの見たくもないアレらの仕掛けは、対ハッカー対策として仕込まれていたものだと聞かされた時点で、自分がどれだけ間抜けだったのかと言う事を思い知らされ、失意に打ちのめされていたのである。
そこへ、追い討ちをかける様な事実が発覚する事になった。

男に、面会を希望する人間が居たのである。

男が、犯罪者に身を落としていたと知った時点で、良心からはきっぱりと縁を切られていただけに、一体だれが会いに来たのかと言う興味から面会を受け入れ……対面した相手に、思わず絶句していた。
男の前に現れた人物は、数年前まで男が勤めていた先にいた、あの自分がどうしても歯が立たない程に溝を開けられていた実力の持ち主である、あの同僚だったから。

一体、どうしてこの男が会いに来た!?

状況も、理由も判らず、面食らっている男に向けて、元同僚の男は静かに口を開いた。

「……あの時、会社の面目を丸潰しにして首になったあなたが、ここまで零落れているとは思いませんでしたねぇ……
まぁ、あなたの普段のあの言動を考えれば、まともな就職先を見付けられるとは思いませんでしたけど。
今日、私がわざわざここに出向いたのは、一言貴方に言う為です。
あなた程度の実力で、私の友人に対してふざけた真似をしてくれましたね。
私の能力に、届かない事すら認められないあなたでは、私の友人のセキュリティに歯が立つ訳が無いんですよねぇ……
だって、彼のサーバーの最終防壁は私が作りましたから。
まぁ、その前に私の別の友人のプログラムに弾かれた揚げ句、精神的に死に掛ける目に遭った様ですけど、まぁ当然の報いでしょう。
因みに、あのあなたを精神的に追い詰める仕掛けを作ったのは、専門知識を持たない友人です。
プロを自任するあなたが、素人に毛が生えた程度の私の友人の足元にも及ばない実力しかないとは……それでよく自分の学歴を自慢できたものですねぇ……
これで、理解出来たでしょう?
あなた程度の能力なんて、それこそ掃いて捨てるほどこの世界に入るんですよ。
まぁ……富裕層の令嬢のいるサーバーを襲撃したあなたが、ここから出られるとはとても思いませんが……それをあなたの大した事ない頭に刻んで生きると、他人に迷惑を掛けないで済むんじゃないですかねぇ……」

クスクスと忍び笑いを漏らすと、元同僚の男はそのまま男に背を向けた。
どうやら、これをいう為だけに男に会いに来たらしい。
一言も反論できないまま、元同僚の背中を見送った男は、その場で固まって動く事が出来ないのだった。

***********

という訳で、後書きに乗せたちょっとした小話になります。
実は、ハッカーの男は元はヘロヘロさんの同僚だったと言う小ネタがあったので、ここで出しておきますね。


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タブラ・スマラグディナと美しき淫魔の、穏やかでありながら憂いに満ちた毎日

今回はこの二人の話。


 メールペットを、ギルメン全員で飼い始めてから、そろそろ二年が過ぎようとしていた。

 

 タブラ・スマラグディナの朝は、割と早い。

 彼女のリアルの仕事が、楼閣からほぼ出られない住み込みの遊女と言う関係上、前日に泊まった客を見送る夜見世の見送りの声が、彼女に起床を即すからだ。

 ある意味、滑稽な遊女と客のやり取りをBGMに、目を覚まして最初にするのはアルベドとの朝の挨拶だった。

 

 最初の頃、タブラはアルベドに直接リアルの顔や姿を見せたりしていなかった。

 これは、タブラ側の都合でしかなかったのだが……ギルメンたちにも自分が女性だと教えていないのに、アルベドに教えるのには色々と問題があったからだ。

 それに ……自分の立場をアルベドに伝えた時の彼女の反応が、心の底から怖かったのである。

 

 タブラなりに、メールペットのアルベドの事を本気で愛しているからこそ、自分のリアルに関する本当の事を教える事で、彼女から嫌われたくなかった。

 

 アルベドが、「自分の親は、本当は父ではなく母であり、しかも人に身を売る仕事をしている」のだと知ったら、彼女は自分を軽蔑の眼差しで見るのではないかと、不安を押し隠してタブラは男として振る舞う様にしていたのである。

 しかし、だ。

 アルベドは、ウルベルトさんの一件でこちらの予想よりも大きく成長した。

 それまでの彼女とは違い、本来の外見年齢に精神年齢が近付いたと言っても良いだろう。

 

 タブラは、アルベドがそれ相応の分別をもって自分のリアルの事を受け入れられると踏んだ所で、漸く自分の本当の事を話す覚悟を決めた。

 

 本当は、このままずっと内緒のままでいる事も不可能ではなかったが、それでも元が頭の良いアルベドに対して隠し事をし続けるのは難しいと思ったし、何より……いつまでも可愛い娘に対して嘘を吐いたままでいるのが嫌だったのだ。

 

 何度も迷い、漸く腹を据えてタブラは自分の事をアルベドに打ち明けたのだが……彼女の反応は、予想以上にあっさりとしたものだった。

 彼女の反応に、思わず逆にタブラの方が酷く驚かされたほどで。

 「どうしてそんなに冷静でいられるのか?」と問い質してみれば、返って来た返事は更に驚くものだった。

 どうも、アルベドの漠然とした感覚と言うか直感のようなもので、何となくそんな気がしていたらしい。

 正確に言うなら、日常的な言動や細かな気配りなど、割と人が気付き難い部分で男性よりも柔和な気配がしたらしいのだ。

 

 それも全部、メールペットとして沢山のギルメンやメールペットたちと接するうちに、漠然と男女の機微の差に気付き、そこから〖タブラ様お父様も、本当は女性なのではないか?〗と察したらしい。

 

 本当に、私には勿体ない位に実に優秀な娘である。

 とは言え、まさか容姿が自分と色違いと言うだけでここまでそっくりだというのは、アルベド自身予想外だったらしく、「嬉しい」と涙を溢す様はとても可愛かった。

 それ以来、タブラは普通にリアルでも端末を起動してメールサーバーを呼び出し、アルベドと暇があれば話をするようにしている。

 

******

 

 さて……話を元に戻すとして、だ。

 先程も言ったが、タブラの朝は比較的他のギルメンよりも早い。

 夜見世組の客の中でも、特に払いのいい上客が他の客よりも少し遅めの時間である日の出前に自宅へと帰宅する際に、彼女達も見送り役として廊下に並ぶ必要があるからだ。

 この辺り、昔の廓では到底あり得なかったシステムなのだそうのだが、廓に所属する美女に見送られたいという富裕層でも特に裕福な客からの希望によって、楼主が少しでも花代に色を付けさせる為に導入した結果である。

 一応、格子太夫である白雪の立場で言えば、自分よりも格下の遊女の客を見送るなど断る事も出来なくはないのだが、建御雷さんと言う後見人によって昼見世専属にして貰って居る状況を慮って、素直に従っているのだ。

 

 まぁ……無理に断ったとしても、起きる時間は三十分も変わらないのだから、面倒事を避ける意味でも楽な方を選択しているのに過ぎない。

 

 だが、どうもアルベドにはタブラが関わらない他の遊女の「お客」の見送りの為に、こんな風に早起きするという状況が不評らしかった。

 何故なら、タブラが見送りの為に起きようとすると「まだ眠っていてくださっても宜しいんですのよ、お母様」と寝かせようと誘導するのだから、ほぼ間違いないだろう。

 そんな誘惑を振り切って、何とか寝床から起き出して手早く身支度を済ませ、決められた場所での見送りから戻って来ると、自分の意見が通らなかった事に対する抗議なのか、何時もアルベドはメールサーバーの隅で羽根を萎れさせてちょっと拗ねていたりする。

 

 彼女のそんな姿を見ると、つい「うん、うちの娘は本当に可愛い!」叫びたくなるのはご愛敬だろう。

 

 正直言えば、彼女の主張を受け入れても構わないかと、ちょっとだけ思い始めて入るのだが、それでも楼主絡みで厄介事に発展しそうな気配がするので、そうならないようにタブラは振る舞っているだけなのだ。

 毎朝の攻防戦に負け、拗ねた様に自分の羽根に包まる様に小さく丸まったアルベドを宥めつつ、彼女の為に朝ご飯を用意するのは、密かなタブラの楽しみだった。

 何となく、モモンガさんがパンドラズ・アクターの事を叱って萎れている様を「可哀想で可愛い」と宣い、たまにわざと誘発させているという話を思い出し、その気持ちに同意したくなる気分だ。

 

 普段、たおやかで楚々とした淑女として、日々成長を見せているアルベドだからこそ、この子供じみた仕種がギャップを呼んで可愛く思えて仕方がないのかもしれない。

 

 アルベドの食事が準備し終える頃に、タブラ付きの禿が部屋まで朝食を運んでくる。

 格子よりも上の部屋付き遊女は、こうして自室まで自分付きの食事を運んで貰えるが、この廓ではそれ以下の遊女たちは纏めて専用の食堂で食事を取る事になっていた。

 タブラも、格子に上がるまではそこの食堂で食事を取っていたが、割とここの食事事情は良い方だと言っていいだろう。

 少なくても、貧困層の人たちの様に液状食料をズルズル啜ると言う事はない。

 

 ここでは、普通に富裕層の中でも上層の人間が食事をする関係上、遊女たちが口にする食事も貧困層の一般的な食事よりも、かなりいいものが提供されているからだ。

 

 以前のここの廓にいる遊女の食事は、金儲けが趣味でケチな楼主のせいでかなり悪かったらしいのだが、かなりの上客の一人が懇意にしていた遊女の体臭の原因が食事だと言い出したらしい。

 「もし、このまま放置するならその話を他の知り合いにも伝える」と改善を迫られ、この上客はおろか他の上客まで失う損害を鑑みた楼主側が、渋々折れた結果なのだそうだ。

 とは言え、楼主はただで遊女たちの食事改善をした訳じゃない。

 食事に掛かる経費も、遊女たちの借金に少しだけ上乗せさせられている。

 

 この件に関して、楼主が上乗せした額が少しだけなのは、余り高額にすると遊女たちの借金の額が嵩み過ぎで逆に回収しきれないからだ。

 

 話がずれたので、元に戻すとして、だ。

 朝の食事が終わると、タブラはその日の稽古事に合わせて禿に手伝って貰いながら、出来るだけ手早く稽古用の服へと身支度を済ませていく。

 稽古によって身に着ける衣装など支度が違うのは、それぞれ必要な小物が違うからだ。

 それに、稽古の場所は廓の中の一角にある離れの大広間で、そこまでの移動は人前に出る事になる。

 

 今のタブラは、仮にも【格子太夫】と呼ばれる立場である以上、面倒であっても毎回それ相応の格好をする必要があり、身支度に禿の手を借りる必要があるのだ。

 

 タブラが、自分の事をアルベドに打ち明けるまでは、午前中の大半はアルベドの自由時間として何もさせて来なかったが、全部話してからは彼女の希望によって少し生活が変わった。

 彼女の為に、今のタブラは朝のこの時間に行われる芸の稽古の際も、稽古場まで端末を持参していく様になったのである。

 これに関しては、もちろん楼主にきちんと許可を貰っている。

 

 名目的には、「稽古中の動画を撮る事で、自分の動きを見直し更に芸を磨きたい」と言うものだが、実際は端末の奥で見守っているアルベドの為だ。

 

 そう、端末で動画を撮りつつ、彼女に自分の稽古の様子を見せているのが実情である。

 アルベドは、タブラの……母である白雪太夫が扇を持って一人で舞う様を、特に見たがった。

 どうやら、彼女は最近タブラが身に着けた芸事に興味を持ってくれているらしく、その中で一番見て覚えたいと言い出したのが、タブラが舞う日舞だったのだ。

 それ以外の芸事にも興味がある様だが、「ひらひらと舞扇を舞わせて踊る様が、とても綺麗です、お母様!」と、そんな風にアルベドが褒めてくれたので、それ以来舞の稽古には今まで以上に力が入る様になった。

 

 ただ娘に褒められた位で、そんな風に頑張るなど親バカな上に単純だと言わないで欲しい。

 

 今まで、自分の舞の稽古を見て純粋に「綺麗だ」と褒めてくれた人など、殆ど居なかったのだ。

 ましてそれが、我が子と思うアルベドからなら、嬉しく思ってもおかしくないだろう。

 正直、この廓の中で生きていく為に必要だったから磨いた業だが、それでも娘が綺麗だと褒めて自分も学びたいと言ってくれるなら、ここは素直に喜んでおくべきなのだと言うのは、彼女との交流で学んだ事である。

 

 そんな風に、ちょっとずつ休憩を挟みながら数時間通して一通りの稽古事が終わった所で、その様子を録画していた端末を回収すると自室へ戻る。

 

 大体、部屋に戻り一息付けるのが朝の十時頃になるのだが、この後の時間帯に待っているのが当日の予約があるお客様への、ちょっとした気遣いの品を用意する時間だ。

 もちろん、それ程時間と面倒な作業をして何かを作る訳ではない。

 今日の予約のお客の好みに合わせて、部屋で簡単に変更出来そうな装飾品をちょっと入れ替えたりする様、禿に指示を出しつつ自分も身の回りの品を変える程度の事をするのだ。

 

 やはり、誰がどう思って居ようとこの仕事は接客業であり、出来るだけお客の好みに合わせておいた方が色々と喜ばれるので、ある意味では絶対に手が抜けない部分でもあった。

 

 とは言え、サクサク作業を進めるのでそれに掛ける時間は三十分程だ。

 大体の支度が終わると、一旦側についていた禿たちを「休憩」の名目で下がらせる。

 そうしないと、タブラ自身がゆっくりとした自分だけの時間が取れず、仲間から届いているメールの返信も書けないからだ。

 慣れた手付きで端末を操り、昨夜のうちに手元に届いていたメールの返信を書き終わるのは、大体十一時を回る位になる。

 それ位の時間になると、タブラにとって嬉しい人物が毎日顔を出す。

 

 彼女の後見役であり、この廓の遊女たちの会計を管理している建御雷さんの来訪だ。

 

 いつも、タブラの所を最後に訪れる彼にお茶を用意し、前日の収支報告をしつつ世間話を少しするのが、白雪太夫としてのタブラの一番楽しい時間だと言っていいだろう。

 

 アルベドに、全部事情を話してからは建御雷さんがここに来ている間は端末を起動し、アルベドとコキュートスも一緒に世間話に加わる様になっていたから、余計に楽しい時間なのだ。

 

 そう言えば、コキュートスは自分の所にメールを運んだ事は今まで一度もないものの、こういう事情でタブラの素顔を知っている一人になっていた。

 

 どうやら、アルベドは自分だけじゃなくコキュートスまでタブラの素顔を知ってしまった事に対して、かなり不満を抱いているらしい。

 だが、タブラが白雪太夫として今まで色々とお世話になっている建御雷さんの立場と顔を立てて、それを口にする事なく我慢している様だった。

 流石に、こうして直接顔を合わせている状況で、建御雷さんの所のコキュートスだけ仲間外れにするのもおかしいので、こればかりはアルベドに我慢して貰う事にしている。

 

 元々、コキュートスは義理堅く口も堅いのだから、下手にタブラの事を言いふらす等の心配はしなくて良いと判断したから、こうして彼も一緒に過ごすようにしているのだから。

 

 アルベドの為の昼食は、この建御雷さんと話している間に用意しているのだが、それに関して特に誰も口を挟む者は居ない。

 この時間にしか、彼女の為にタブラが昼食を用意する暇が無い事を、この場に居る誰もが知っているからだ。

 むしろ、タブラがアルベドの為にどんな昼食を用意するのか、毎回興味深そうに見ているのは建御雷さんの方であり、たまにメニューに関して口を挟んで来る位なのだから、ある意味タブラの行動も話題の提供の一つになっているのだろう。

 

 そんな風に、のんびりと彼らと話していられるのも、最大で三十分ほどの短い時間でしかないのだが。

 

 十一時半頃になると、禿が昼店に出る為の準備の品と共に軽い昼食を運んでくるので、建御雷さんはそれに合わせて帰っていく。

 お客の予約は、昼見世が始まる一時頃のものが殆どなので、タブラがきちんと昼食を取って支度をする事を考えると、どうしても建御雷さんは長居が出来ないのである。

 彼が出て行くと、タブラは手早く食事を済ませてアルベドの様子を見る事にしている。

 この後の予定の事もあり、タブラと共に食事する彼女は大体同じ様に食事を終えているので、禿に気付かれない様に端末で素早く合図を送ると、端末を手に取った。

 それを受け、アルベドも何かを用意し始める事はこの姿を知らせてすぐに教えてくれているので、タブラは禿に対して昼見世の衣装の準備をする様に指示を出してから部屋を出る。

 

 タブラは、これからお客の為に郭内にある湯屋へ行くからだ。

 

 他の遊女たちも、昼見世に出る者はこの時間帯に湯屋に向かう事になっているのだが、それはただ着替えて装ったよりも湯上りで色気を増した彼女達の姿を、お客側が好むからである。

 どういう内容であれ、タブラの仕事はお客が第一の接客業なので、お客が希望する内容は出来るだけ応える必要があり、その為にこうして手間を掛けているのだ。

 端末を持って湯屋へ向かうと、アルベドも一緒に自室に誂えたお風呂に入る。

 少しでも、リアルのタブラと同じ事をしたがるアルベドの行動に、本人が望んでしている事なので少しの苦笑と共に好きにさせていた。

 

 彼女がしたい事を、タブラは出来るだけ狭めたくなかったから。

 

 もちろん、それが今までの様に人が迷惑になる事なら止めさせただろう。

 だが、あくまでも自分と同じ事をしたいというだけで、特に誰かに迷惑を掛けている訳ではない。

 それなら、彼女の好きにさせたとしてもタブラには問題なかった。

 だって、可愛い娘からこんな風に言われてしまったら、許すしかないだろう。

 

 『出来たら、お風呂の時間は出来るだけお母さんと一緒が良い!』なんて、アルベドが本当に可愛くて仕方がなかったから。

 

 そんな風に、アルベドの言葉を思い出しながら、タブラは丁寧に身体の隅々まで肌を磨き上げると、その日のお客が好む香りを身に付けていく。

 これも、仕事のーつだと割り切っているからさくさく進めていくのだが、チラリと確認した端末の画面の向こうでは、アルベドが同じ事をしていた。

 もっとも、アルベドが自分で身に付けていくのは、彼女自身がお気に入りの香水だが。

 とにかく、湯屋で綺麗に身を清めて香りを纏ったら、今度は部屋で残りの身支度が待っている。

 格子太夫として、お客を迎えるに相応しい衣装をきっちりと着込んで、髪を結い上げる必要があるからだ。

 アルベドは、そんな風に太夫の姿になっていくタブラの姿を、起動してある端末のモニター越しに食い入る様に毎回見つめている。

 

 「仕事に貴賤はない」と言う言葉に従い、タブラ自身の仕事に関して否定する事はないが、彼女がこうしてじっとタブラが美しく着飾る様を見つめているのは、どんな理由であれ母が美しくなる様を見ていたいと思っていてくれているからだろうか?

 

 そんな事を思いつつ、タブラは自分の身支度が完全に出来た所で、一旦禿は下がらせる事にしていた。

 もちろん、それには幾つか理由はあるのだが、一番大きな理由を挙げるとするなら、彼女達は楼主に【白雪太夫】の準備が出来た事を伝える役目があるからである。

 同時に、タブラにとって仕事が終わるまでの最後の休息の時間だった。

 この時間に入ってすぐ、タブラはアルベドを今まで書き溜めて置いたメールの配達に出す事にしている。

 

 毎日、夜から昼までの間に来る五通から十通程度の友人たちからのメールを、この時間帯に全部アルベドに託す様にしているのは、自分の仕事が終わるまでの間、出来るだけ他の人の元に居て欲しいから。

 

 特に、自分の姿と仕事をアルベドに教えてからは、その気持ちは顕著だった。

 もちろん、端末とメールサーバーを立ち上げなければ関係ない話ではあるものの、それでも気持ち的に彼女が側にいると思うだけで、お客から気が反れてしまいそうな気がするのだ。

 だからこそ、アルベドにメール配達を頼みサーバーの外に出す事で、彼女がここに居ない状況を作り出しているのである。

 聡明な彼女は、こちらの意図を理解した上でメール配達の仕事に出てくれる様になったから、戻って来るのは夕方の時間だろう。

 

 こういう、細かな気遣いが出来る様になったアルベドは、本当に賢く美しく可愛くて仕方がない。

 

 本当は、彼女に色々と我慢させてしまっている事は気が付いているものの、今の自分の立場では仕方がないだろうとタブラは考えている。

 多分、他の主に比べれば至らない事だってかなり多い筈だ。

 【ユグドラシル】を始めてから、本当にこの廓と言う狭い世界しか知らなかった自分は色々な経験をしてきたつもりだけど、それでもまだまだ自分は知識だけを詰め込んだ世間知らずなんだろう。

 もっとも、タブラ自身は元々この限られた場所で、一握りの人間の欲を満たす為だけにそこに咲き誇る事だけを望まれた徒花でしかないのだから、世間知らずなのは当然だった。

 そんな自分が、こうして【ユグドラシル】で遊ぶ事が出来ているのだって、他の遊女から比べれば破格の扱いなのは承知している。

 自分が、他の遊女よりもこういう面で優遇されている理由は、建御雷さんとその義理に父親がかなり楼主に対して圧力を掛けて、自由をもぎ取ってくれていると言う事も。

 

 だから……せめてあの子と一緒に居られる間だけは、あの子の親として出来る限り可愛がって幸せにしたかった。

 

 少し、また論点がずれたので話を元に戻すとして。

 ここから先は、今日の仕事が終わるまでタブラ・スマラグディナから、白雪太夫へと完全に意識を切り替える事にしている。

 そうでもしないと、今のタブラはお客様の前できちんと彼らが望む「白雪太夫」として、とても振る舞えないからだ。

 幼い頃は、これが私の人生なのだろうと達観して見せていたけれど、今は違う。

 

 あの子の為に……アルベドや仲間と少しでも長く一緒に居る為だと思えば、どんな事でも耐えられるのだから。

 

******

 

 夕方を迎え、廓から家へ帰るお客を部屋の入口まで出て見送ると、既にお付きの禿が準備してくれていた着替えやタオルを手に持って、タブラは端末を片手に湯屋へと向かう。

 昼見世に出ている者は、昼と夕の二度湯屋を利用する事が決まっていた。

 これは、夜見世だって似た様なもので、彼女達はタブラたち昼見世側の者より少し遅い時間帯の夕方と、朝の二度湯屋を使う。

 色々な衛生面から考えて、店の大切な商品でもある遊女をお客の相手をした後の汚れたままの状態で過ごさせると、「美しい花を維持する事も出来ない」と客に評され、そのまま廓の品格に関わるからだ。

 そうして、湯屋で綺麗に汚れを落として部屋に戻って来ると、禿たちによって部屋はお客が来る前の綺麗に整えられた状態へと戻っている。

 それと、朝と昼に比べてちょっとだけ粗末な夕食も用意されているのが常だった。

 

 昼見世の遊女の夕食は、夜見世に出る遊女に比べて少しだけ質が落ちる。

 

 宴席など、昼見世に比べるとお客も多い夜見世の仕事の時間を考えれば、それは仕方がない事だと理解出来るので、タブラ自身も不満はない。

 それに、部屋を整えこの夕食の膳を出し終えたら、禿たちはそのまま一時間は顔を見せないのだから、むしろさくさく膳を置いて出ていって欲しい所である。

 

 ここから先は、可愛い娘であるアルベドとの本格的なスキンシップの時間なのだから。

 

 禿たちが、完全にこの辺り一帯から下がったのを確認し、タブラは端末を立ち上げるとメールサーバーを開いて急いで部屋のプロジェクターとリンクを繋ぐ。

 すると、プロジェクターの表示範囲はアルベドの自室となり、その部屋の中にまるで最初からそこに居た様に、私の可愛い娘であるメールペット独特の三頭身の可愛いアルベドが出現するのだ。

 正直言って、部屋の半分ほどの空間をメールペットのサーバーへ繋ぐこの装置は、タブラにとって決して安い買い物ではなったのだが、それでも欲しくてあらゆる手段を講じてかなり無理をして購入した品である。

 他のメールペットたちよりも、自分はアルベドの事を短い時間しか構えない事が判っていたから、少しでも彼女と一緒に居る事を楽しみたくて用意した品だった。

 

「さて……まずは、お帰りなさいアルベド。

 皆さんへのメールの配達、ご苦労様でした。 

 今日は、メールを届けに行った先で、どんな事があったのかしら?」

 

 この装置の効果によって、姿こそリアルのこの部屋の中に出てきていても、実際には電脳空間に居る状態のアルベドと触れ合う為に必要なグローブをいそいそと嵌めつつ、タブラはにっこりと笑顔で問い掛ける。

 その笑顔は、少し前までお客を相手にする為に浮かべている上辺だけの作り笑いではなく、ニコニコと可愛い娘を相手にする為の心の底からの笑顔であり、もし見ている者がいたらそれこそ確実に魅了されるだろう柔らかなもので。

 もし、この場に普段から行動を共にする事が多い彼女付きの禿たちがいたらならば、それこそ今まで見た事が無い白雪太夫の優しい慈母の様な笑みを前に、本気で動揺するだろう。

 

 それ位、タブラがアルベドに向ける笑みは、優しさに溢れていた。

 

 だが、それも当然の話だろう。

 今のタブラにとって、こうしてユグドラシルにログインする前に彼女と話す事こそ、毎日決して欠かす事が出来ない楽しみであり、リアルの苦境を忘れられる大切な一時なのである。

既に立派な淑女に育っているアルベドが、私の質問に対してそれは嬉しそうな笑みを浮かべながら、手紙を配達しに行った先であった事を思い出しつつ、一つずつ丁寧に話してくれる姿が本当に微笑ましい位に可愛いのだ。

 だから、彼女との時間をタブラが大切に思いつつ楽しむのも、ある意味当然の話だった。 

 

 彼女の話を聞きつつ、彼女の為にその日の夕食の支度を済ませて出してあげれば、それは幸せそうな笑みを浮かべてくれるから、本当にこの時間は自分にとって至福の一時だと言っていいだろう。

 

 そうして、彼女の食事と共に自分の分のお茶も用意し、少し冷めてしまった自分の夕食を膳の上に並べて「いただきます」と手を合わせて一緒に食事を取り終えると、アルベドが趣味の手芸をする姿を見ながら昼間に届いたメールの返信を書く。

 普通の人より、自分の夕食の時間は少し早めな事は判っている。

なので、アルベドと共に夕食を撮った後にメールを書いて送れば、相手が夕食の時間になる前に届ける事が出来る場合が多い事を、今までの経験上良く判っているからだ。

 一通りの返信を書き終えると、アルベドに本日二回目のメールの配達を頼む。

 その際に、アルベドには「ユグドラシルにログインする」と言う事も伝えるのを忘れない。

 

 メールの配達から帰って来たアルベドが、自分がログインして不在になっている事を後から知って、寂しく思わない様に。

 

 そうして、彼女を送り出してから今まで起動させていたプロジェクターなどを手早く全て片付けると、夕食の膳を片付けて貰う為に改めて禿を呼ぶ。

 別に、自分で運んで構わないならわざわざ禿たちを呼び出さずに運んでしまうのだが、これも廓の中の禿たちの仕事の一つであり、格子太夫の自分が膳を持って廊下を歩いている姿を客に見られると後で楼主から叱られる事から、こうして彼女達を呼び出す様にしていた。

 タブラが、彼女たち禿を夕食の膳を下げさせるために呼ぶまでの時間は、割と長い。

 

 アルベドと一緒の夕食を楽しむ為に、出来るだけ夕食の時間を長めに調理場の面々に伝えてあり、それに合わせて膳を下げる時間をざっくりと決めてあるからだ。

 

 多少、他の禿達との時間がずれる事になるのだが、その代わり彼女達はバタバタせずにゆっくりと食後のお茶まで飲める筈だから、特に問題はないだろう。

 本人たちからも、特にそれに関して文句が出た事もないから、タブラはそれに関して本人たちから何か言われない限り、気にしない様にしていた。

 呼び出した彼女達は、そのまま部屋に入ってタブラの寝床の支度をしてくれるので、それが終わるのを見届けてから膳を手渡し、彼女達に「今日の仕事は終わりだ」と告げてやれば、大人しく下がっていく。

 

 これで、今日はもうタブラの部屋に誰も訪れる事はない。

 

 後は、タブラにとって一日の中で楽しみにしていた冒険の時間だ。

 テキパキと手際よく準備をし、寝床に寝転がってユグドラシルへとログインしていく。

 時間的にも、残業が無ければ他のギルメンたちも夕食が終わるだろう頃合いなので、ログインすれば誰か既に円卓の間に来ているだろう。

 

 もしかしたら、今日の狩りの予定を決めている頃かも知れない。

 

 わくわくした気持ちで、タブラは仲間が待っているだろうユグドラシルへとログインする。

 その後は、一頻りユグドラシルでの楽しい時間を過ごし、リアルに戻って来ると待っているのは可愛い娘。

 こちらに戻ると同時に、メールサーバーを立ち上げれば、それは嬉しそうに待っているアルベドを軽く抱きしめると、そのまま彼女から仲間からのメールを受け取り、労う様に額に軽くキスをするのが、二人の間での決まり事だった。

 

「お休み、私の可愛い娘。」

 

「はい、お休みなさいませお母様。」

 

 そう挨拶を交わした後、もう一度お休みのキスを彼女の額に落とし、メールサーバーをダウンしてタブラも眠りにつく。

 

 こうして、タブラ・スマラグディナと美しき淫魔の穏やかでありながらどこか憂いに満ちた毎日は過ぎていくのだった。

 

******

 

 リアルで、最近昼見世専属でありながらとうとう太夫に昇格した、白雪太夫ことタブラ・スマラグディナは、自分の置かれている状況に対して憂鬱そうに大きく溜息を吐いていた。

 

 今まで、ネットの中とは言え仲間を得て共に冒険する楽しみを知った彼女にとって、正式な太夫の名は重くて仕方がない。

 今は、まだ太夫を襲名したばかりだから大丈夫だろうが、それ程間を置かずにあの楼主なら何かをしてくる気がして仕方がないのだ。

 むしろ、その為にまるで急いで彼女を太夫にまで押し上げたよな、そんな気すらする状況で。

 

 今のタブラの……白雪太夫の年は十八歳、十二で遊女になった彼女は、後四年で年季が明ける。

 

 だが、あの楼主がそんなにあっさりとタブラに年季を迎えさせるとは、とても思えなかった。

 そもそも、先日の太夫襲名の盛大な披露に掛かった費用だって、半分はタブラの借金に加算されている。

 十年の年季を迎えても、二十二歳のタブラの若さなら客が取れない訳でもないし、借金返済の為に年季延長と言われてもおかしくないし、また別の方法で何かしてくる可能性もあるのだ。

 

 その中でも、一番可能性が高いのは富裕層の中でも特に上層の相手に【身請け】させる事だろうか?

 

 若くして太夫の名を受けた白雪なら、楼主側がそんな雰囲気をお客相手に匂わせれば、昼見世専門であったとしても【身請け】希望者はそれこそ沢山いるだろう。

 むしろ、そう言う周囲に対する根回し等の小技が得意な楼主だから、本気になったらやらかしてくるだろうと直に想像出来てしまうのだ。

 

 多分、仕掛けてくるならこれから半年前後の間じゃないかと目星を付けつつ、タブラは現状に対して溜息しか零れ落ちなかった。

 




という訳で、今回はこの二人の話でした。
前回のタブラさんの幕間の話でも書きましたが、そろそろユグドラシル事態が衰退期に入りはじめます。
さて……トップバッターは、誰になるやら。


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ギルド会議 ~一部を除くギルメンが「リア充爆発しろ」と叫んだ日~

タイトル通りの話。


 それは、ギルド【アインズ・ウール・ゴウン】結成四周年のパーティを開いてから十日後、いつもの様にメールペットたちに関する報告会と言う名の定例会議が行われる日に起きた、一つの事件である。

 

 たまたま、その日は誰もが割と早く仕事が終わったのか、円卓の間にギルメンたちが全員集まるのも早く、少しだけ早めに議会に移ろうかという話の流れになり掛けていた事も、その事件を誘発する事になったのだろう。

 そんな、絶妙なタイミングを狙った様に、それまで仲の良い仲間内で集まっていたギルメンたちが、自分の席へと移動し始めた頃合いを見て、スッと軽く手を挙げた人物がいた。

 

 そう……その人物こそたっちさんであり、彼は少しだけ迷った後「少しだけ時間をいただけませんか?」と言い出したのである。

 

 たっちさんが、そんな風に行動を起こした瞬間、今までとは打って変わったかの様にピリリと気配が硬くなった人物がいた。

 二年前に、リアルで色々とたっちさんに助けて貰った事から、最近は割とたっちさんに対する当たりが弱くなっていた筈のウルベルトさんだ。

 どちらかと言うと、かなりイライラとした気配を漂わせているのが良く判って、両隣に座っているギルメンたちがどこか落ち着かない雰囲気を漂わせている。

 たっちさんが行動を起こした途端、ウルベルトさんの気配がこんな風に変化した事から考えても、その原因がたっちさんにあるのは間違いないのだろう。

 

〘 ……多分、ウルベルトさんがこんな風にイライラしているのは、たっちさんがこれから言い出す事を知っているからなんだろうな…… 〙 

 

 あくまでも予想でしかないが、何となくモモンガはその予想が外れていない気がした。

 そして、多分同じ事をこの場に居る仲間たち全員が考えているんじゃないだろうか?

 正直言って、それ位ウルベルトさんの反応は判り易いものだった。

 だが、当事者である筈のたっちさんは、そんなウルベルトさんの反応に気付いていないのか、それとも既にリアルで直接一戦やらかした後なのか、綺麗に無視して自分の用件を話すべく口を開く。  

 

「あー……その、大変申し訳ない話なんですが、本日を持ちましてこのギルド【アインズ・ウール・ゴウン】から半引退状態にさせていただきたくて、ですね。

 完全にギルドもユグドラシルも引退するつもりはないんですが、それでもある程度の長期間ほとんどログイン出来なくなる可能性が高いので、その理由等を説明する為に皆さんのお時間をいただけないかと思いまして」

 

 サクッと、ほぼ冒頭から本題から切り出したたっちさんの言葉に、思わずギルメンが騒めき出す。

 それと同時に、なるほどこの内容ではウルベルトさんが苛立ちを隠せない訳だと、誰もがその理由に納得してしまった。

 ウルベルトさんは、たっちさんがこんな事をいきなり言い出した理由を、確実に知っているのは間違いないのだ。

 むしろ、リアルでたっちさんと毎日顔を合わせる機会があるウルベルトさんが、今回の事情を知らない筈がない。

 

「そこのバカの言い訳なんて、真面目に聞く必要はないですからね、皆さん。」

 

 一旦たっちさんが言葉を切った途端、ウルベルトさんはジットリとたっちさんを睨み付ける様な仕種をした。

 そして、迷う様子を欠片も見せずに、そうきっぱりと切り捨てる様に言い捨てたのだから、今回のたっちさんが半ば引退状態になる事に関して、腹に据えかねていたんだろう。

 最近、特に大きな意見の食い違いによる言い争いなどせず、二人が割と落ち着いていた事もあって、「久しぶりの一触即発状態」な空気にギルメンたちも警戒を強めているのだが、本人たちは一切気にしていない様子だった。 

 いきなり、不機嫌な様子でそんな風にウルベルトさんが口を挟んだ事に気を悪くしたのか、たっちさん側も少しずつ機嫌を悪くしながらウルベルトさんの事を睨み付ける。

 

「……いきなりなんですか、失礼ですね。

 私だって、色々と考えた上で皆さんにきちんと話をしようとしているんです。

 それを、横から口を挟まないでいただけませんか、ウルベルトさん。」

 

 どう聞いても、はっきりと「口出し無用」宣言しているたっちさんに対して、ウルベルトさんはまるでそんな事は関係ないと言わんばかりに鼻で笑った。

 そして、フンっと鼻を鳴らしながら、ドンッとテーブルに肩肘を付いた姿勢でたっちさんを見る。

 正直言って、今まで以上に挑発的な態度を取った所でウルベルトさんは、おもむろに口を開いた。

 

「……ぶっちゃけ、たっちさんがそう言い出した理由を簡単に纏めるとしたら、はっきり言って〖リア充爆発しろ〗としか言われない内容ですよ。

 そもそも、俺はちゃんとメールペットを飼い始める時に反対意見だったたっちさんが、娘のみぃちゃんを彼らに……セバスに関わらせたいと言った時に、ちゃんと聞きましたよね?

 〖それは、セバスの事を娘に押し付けて、自分は世話をしないと言う事じゃないんだな?〗って。

 たっちさん、あなたはその時になんて俺に答えたか覚えていますか?」

 

 ウルベルトさんの問い掛けた言葉に、ヘロヘロたちその事に関わった面々がその時の事を思い出す。

 ギルド長として、その場に立ち合ったモモンガも、当時の事はまだきちんと覚えていた。

 流石に、たっちさんの娘さんとは言えギルメンの間で飼うメールペットを、自分達以外に関わらせて良いものかモモンガ自身もひどく迷った案件だからだ。

 だが、あの時は他のギルメンからはそれ程反対意見も出なかった事もあり、たっちさんがどんな意図でこの事を希望しているのか確認してからと言う話になって。

 その見届け役として、メールペットのプロトタイプとも言うべきデミウルゴスの主であるウルベルトさんが、その話し合いの場に関わったのも覚えている。

 むしろ、あの一件からたっちさんとウルベルトさんの関係が改善され始めたと言っていいだろう。

 

「……それは……もちろん、覚えていますけど……」

 

 当時の事を引き合いに出された途端、たっちさんの言葉の歯切れがちょっと悪くなる。

 多分、ウルベルトさんがこんな風に切り出したと言う事は、その時のたっちさんの言葉がどこか守られていない部分があるのだろう。

 たっちさんが、どこか誤魔化す様な微妙な物言いをした事に反応して、ウルベルトさんは苛立ちを更に募らせながらテーブルを軽く指で叩き始めた。

 

「……本当に、あの時の言葉を覚えているとはとても思えませんね。

 あなたは俺に対して、〖娘はセバスの姉の立場としてか関わらせますが、私は彼らの親として二人に接するつもりです〗と、ヘロヘロさん達の前で言った筈です。

 ですが……現在の状況はどうなってるか、分かっています?

 今では、すっかりセバスの事での約束を忘れるどころかみぃちゃんの事も家庭教師の俺に任せきり。

 両親揃って、〖半年後に生まれてくる弟に取られた〗と言ってもいい状態の彼女が、今、どんな状態になっているのか、たっちさんはちゃんと把握していないでしょう?

 あの子は、全く甘えられなくなったあなたたちの代わりに、俺相手に赤ちゃん返りを起こす位に精神的に不安定な状態になってきています。

 ですが……そんな風に親に甘えられない寂しさから俺に依存し掛けている娘の精神状態すら、まともに把握していませんよね、たっちさん。

 セバスの事は、一応まだメールのやり取り関係でそれなりに構っているみたいですが、ほとんど会話の内容は半年後に産まれてくる子供の事ばかりで、本当の意味でセバスを思いやる言葉は最近ほとんど出ないそうですね?

 おかげで、どちらかと言うと馬が合わない感じのうちのデミウルゴスを相手に、この間とうとう我慢出来なくなったのか、セバスが肩に縋り付いて泣き出す場面をつい目撃してしまった、俺とみぃちゃんの心境がどんなものだったか判りますか?」

 

 つらつらつらつら、それこそ止め処なく溢れ出る言葉にはそこかしこに棘が含まれていて、そこからウルベルトさんがどれだけに怒っているのか伝わってくる気がした。

 たっちさんも、予想していた以上にウルベルトさんが怒っている事や、みぃちゃんやセバスの現在の状況を正確に把握していなかったらしく、目を白黒させている

 と言うか、いきなりたっちさんが半引退状態とか言い出したから、何か大変な事でも起きたのかと思えば……流石に今の話に絡む事が理由だとしたら、ウルベルトさんが怒るのも無理はないと思う。

 

 と言うか、幾らウルベルトさんがたっちさんの家の住み込みの専属家庭教師とは言え、たっちさんは彼に自分の娘のみぃちゃんの事を任せ過ぎじゃないだろうか?

 

 多分、他のギルメンたちも同じ様な考えに至ったのか、たっちさんに向ける視線はかなり冷たい。

 どちらかと言うと、ウルベルトさんの言っている事に賛成なギルメンたちは、たっちさんに呆れを含んだ視線を向けながら、まだ言い足りない様子のウルベルトさんに続き促した。

 その視線を受けたウルベルトさんは、更に口を開く。

 

「何故、みぃちゃんもセバスも親のたっちさんに言わず、俺に言うと思ってます?

 あの二人にとって、素直に悩みを打ち明けたり甘えたりして良い相手はあなたじゃなく、俺だと思われているからですよ。

 特に、みぃちゃんは普段から多忙な様子のあなたよりも、一緒にいる事が多くて色々と相談に乗ってくれる家庭教師の俺を、本当に心から頼りにしているんです。

 セバスは、立場的に俺にも頼る事が出来なくで、何とも言えない自分の気持ちと、つい頭の中に浮んだ〖自分は捨てられるのではないのか?〗と言う考えに恐れ慄き、本当に悩んで苦しんでましたよ。

 ……見ていて、可哀想な位でしたね。

 それこそ、余りに憔悴した様子を見かねたデミウルゴスが、〖本当に大丈夫なのかい?〗と声を掛けた途端、堰を切った様にその肩に泣き縋る程だった事を考えれば、どこまで切羽詰まった精神状態だったのか判るでしょう?

 その辺りの事も、全部ちゃんと状況を把握した上で、この話を切り出しているんですよね、たっちさん。」

 

 ジトリと、強く睨み付ける様にウルベルトさんに対して、たっちさんはらしくない位に視線をさ迷わせている姿を見る限り、彼から指摘された事はどれもほとんど知らなかったんじゃないだろうか?

 だとしたら、やっぱりたっちさんには悪いけど、今回ばかりはみぃちゃんやセバスの為にもウルベルトさんの方に味方したくなる。

 とは言え、まだたっちさん自身からきちんと今回の話を聞いていないのも間違いなくて。

 片方だけの主張を聞いて、一方的に結論を決める訳にもいかないだろう。

 そう判断して、モモンガは改めてたっちさんに話を振った。

 

「それで、ウルベルトさんがみぃちゃんやセバスの事でここまで怒っている、たっちさんが半引退を切り出した理由は何なんですか?」

 

 モモンガから話を振られた途端、たっちさんはハッとなった様にこちらを見る。

 どうやら、ウルベルトさんから出てくるどれも厳しい言葉に意識を向けていた事から、すっかり自分の用件を忘れてしまっていたらしい。

 コホンと軽く咳払いをした後、改めて自分がどうしてそんな事を言い出したのか、その理由をゆっくりと話し始めた。

 

「私が、この場でこんな事を言い出した理由ですが……ウルベルトさんが言う通り、実は妻が二人目の子供を妊娠中でして。

 それで、今回こそは子育てに協力してくれと妻から言われてしまったんです。

 みぃが生まれた時は、まだリアルの仕事なども忙しかった事もあり、赤ん坊の頃から育児には関わる事が出来ませんでしたし、その事への罪滅ぼしの意味も兼ねて、今回は妻の希望に答えるべきだろうと思いまして。

 それで、ギルドの方を半引退状態にさせて貰って、本当に私の力が必要な大きなイベントとか、攻略の際は参加すると言う形にさせて貰えると助かるんですが……」

 

 そこで言葉を切ったたっちさんに、ギルメンから向けられる視線は更に冷たくなった。

 正直、モモンガも彼らの気持ちは良く判る。

 と言うよりも、たっちさんの立場など家庭環境や状況的な事を考えればあり得る話なのだろうが、それでもどこか納得がいかないのだ。

 まるで、この状況を最初から理解していたかの様に、たっちさんの言葉に先陣を切って真っ向から反対意見を口にしたのは、今までたっちさんに対して厳しい事を言っていたウルベルトさんである。

 

「本当に、たっちさんは自分の都合がいい事ばかりを言っていると、皆さんもそう思いませんか?

 もちろん、奥さん側の言いたい事は判ります。

 小学校に上がって、色々と成長していくみぃちゃんに加え、跡取りとも言うべき二人目の子供が出来た以上、今までの様に夫がゲームばかりして育児に大変な自分に協力してくれないのは困ると、そう言いたいんでしょう。

 ですがね、実際は最近のみぃちゃんの世話等なほぼ俺が請け負っていて、彼女は自分のお腹の子供の事ばかり優先している状態です。

 正直に言って、彼女にみぃちゃん関連の育児での負担は殆ど掛かっていないと、この場できっぱりと断言しても構わない位でしょう。

 それなのに、奥さん側からたっちさんに子供の事を優先する為に〖ゲームを出来るだけ止めてくれ〗と言い出すのは、現時点でママから半ば放置状態のみぃちゃんからすると、お腹の子供に大好きなパパまで取り上げられるのと同じ意味を持つ酷い話だと、俺は思いますよ?

 その辺りに関して、奥さんがどう認識しているのかも含めて、まずはきちんと家族できちんと話し合って決着をつけていませんよね?

 全部済ませた上で、漸くギルドに対して引退云々の話をしろと、俺は言いたい訳です。

 正直、本音を言えば二人目の子供を作っている時点で〖リア充爆発しろ!〗って叫びたい位ですが、あくまでも個人的な事なのでそれは横へ置くとして。

 半引退状態になるつもりなら、メールペットのセバスはどうするつもりなんです?

 あれだけ、俺やヘロヘロさん、モモンガさん達に対して啖呵を切っておいて、結局はリアルに息子が出来きたらお払い箱だというのなら……俺自身のリアルの立場は関係なく、あなたの事を心から軽蔑しますよたっちさん。」

 

 ザクザク、ザクザクとウルベルトさんが放つ言葉のナイフが、容赦なく確実にたっちさんの中にある心のHPを削り取っているのが伝わってくる。

 裏を返せば、それだけウルベルトさんがたっちさんに対して怒っていると言う事なのだろう。

 確かに、話を聞く限り色々とたっちさんの方に問題があるのは良く判るので、この場で直接口を挟むのは差し控える事にした。 

 多分、他にギルメンも今のウルベルトさんの言葉に下手に口を挟んで、自分にまでウルベルトさんの怒りが飛び火するのは避けたいだろう。

 当のたっちさんだって、ウルベルトさんの主張に対して割とタジタジなのは、きちんと家族の事を見ていなかった自分に非があるのを自覚しているからじゃないだろうか?

 少なくとも、普段のたっちさんだったらすぐに言い返す所を、反論もせず黙って大人しく聞いている時点で、この件に関してどちらの主張が正しいのかなんて、言わずと知れたものだと言っていいだろう。

 つい、この状況に誰もが口を挟めずに固唾を飲んで見守る中、漸く自分の中で意見を纏めたのか、たっちさんが口を開いた。

 

「……ウルベルトさんの言いたい事は判りました。

 確かに、私自身が考え無しだった部分が幾つもある事に関しては認めましょう。

 妻が、自分の体調とお腹の子供の事ばかり優先した上、みぃの事をウルベルトさんに任せて全く相手していないとすら思っていませんでしたからね。

 みぃやセバスとは、今回の事に関してきちんと話し合っていなかった事も事実です。

 ですが、それは決して私自身があの子たちの事を蔑ろにしていつもりはありません。

 もちろん、それがあの子たちに伝わっていなければ、意味がないとウルベルトさんならおっしゃるでしょうが……そこはまだ、これからきちんと腹を割って話し合う事で挽回が可能ですよね?

 それと、今回の事を理由にセバスの事を手放すつもりなんて、最初から考えてません。 

 育児の為に半引退状態になる分、皆さんとの連絡はセバスが運ぶメールだよりになりますし、息子が生まれてもうちの長男として扱うつもりでしたので、ウルベルトさんから軽蔑される筋合いはないと思いますよ。」

 

 出来るだけ、感情的にならない様に冷静さを心掛けて自分の意見を口にするたっちさんに、再度鼻を鳴らすウルベルトさん。

 多分、実際に子供たちの事を見ていたウルベルトさん的には、今の発言は信用ならない部分が大きいのだろうが、流石にたっちさん側の事情を考えると一方的に責める事も出来ないだろう。

 前にも一度、ギルド武器を作る時に奥さんと喧嘩してまで素材集めの為に来てくれていた訳だし、たっちさん自身も完全に引退するとは言っていないのだから、もう少し詳しく話し合ってから折り合いがつく所で条件を決めれば問題ないんじゃないかと思わなくもない。

 

 それに、ウルベルトさんが一番の問題点だと挙げていた、娘さんのみぃちゃんの事やセバスの事もきちんと考えて対応すると言っているんだし、これ以上は人様の家庭の事に口を出すのは流石にどうかと思うのだ。

 

 なので、これ以上二人がヒートアップする前に割り込む覚悟を決めると、モモンガが口を開こうとして……たっちの割とすぐ側の席から声が上がった。

 そこに座っているのは、今いるメールペットの生みの親とも言うべきヘロヘロさんだった。

 どことなく、たっちさんに対して怒りと言うのか敵意に近いものを感じるのは、気のせいだろうか?

 

「……全く、これだからリア充は困るんですよねぇ。

 自分で約束した事位、きちんと守りましょうねたっちさん。

 まぁ、本人的には約束を破る所だったという自覚がない所が、たっちさんの罪深い所というべきなんでしょうけど……

 とにかく、ちゃんとセバスへのフォローはしてあげて下さいね?

 後で、うちにメールを持って来た時にカウンセリングをして確認しますから、フォローが万全じゃなかった時は覚悟しておいて下さい。

 みぃちゃんに関しては、ウルベルトさんも側に付いてますし、ご家庭の事なので口を挟みませんが。

 それはさておき、たっちさんが半引退状態になるのはいつ位からを考えてます?

 流石に、いきなり今日言って明日止めますとか言いませんよねー?」

 

 あ、あんな風に最初にヘロヘロさんが毒吐くなんて珍しい。

 メールペットたちの生みの親として、たっちさんがセバスの事をいい加減に扱うのは許し難かったからだろう。

 うん……そういう事にしておくとして、だ。

 確かに、ヘロヘロさんが質問した様にその辺りの事は明確にして貰わないと、流石にこちらとしても困る案件だった。

 

 たっちさんは、うちのギルドの最強の一角を担う立場なんだから、いきなりその場での引退を言い出しても通用しない事位は、社会人としても理解しているだろう。

 

 ヘロヘロさんに問われたたっちさんは、まさか彼からそんな辛辣な事を最初に言われるとは思っていなかったのか、開口一声に言われた言葉に動転してしまったらしい。

 思わず、軽く胸を押さえてその場で軽くよろめいた後、何とか気を取り直してから口を開いた。

 

「……もちろん、私だってそこまで無責任な事をするつもりはありません。

 妻が出産する予定の半年後までは、出来るだけ普通にログインするつもりです。

 出来れば、その前に皆さんと大きなレイドを一つ熟しておきたい所ですが……今の所、それと言って大型イベントはありませんし、無理にとは言いませんが。」

 

 何も確認せず、さらっと奥さんの出産予定日を口にするたっちさんに、ギルメンの半数の空気が何となく殺気立った様な気がした。

 これは、モモンガ自身の気のせいかもしれないので、口に出してそれを確認したりはしない。

 正直に言えば、モモンガだってたっちさんの半引退理由を聞いた時からずっとかなり微妙な気持ちなのだから、他のギルメンが過剰反応したとしても当然の話だろう。

 予定を確認して、次に手をたっちさんに話しかけたのはぷにっと萌えさんだ。

 

「あー……きちんと奥さんの出産予定日を把握している訳ですね、リア充爆発しろ!

 まぁ、たっちさんが半引退状態になるまで半年と言う期間があるのでしたら、多分それまでに一つ位運営がイベントを発表すると思うので、その際に思い切り暴れて貰う事にしましょう。

 ある意味、たっちさんにとって最後の大型戦闘になるかもしれない訳ですから、運営からのイベント発表があり次第、それ相応のスケジュールを組む事にしましょう。

 もちろん、流石に奥さんに臨月に入った頃にイベントがあった場合は、奥さんの方を優先で構いません。

 流石に、そんな事で奥さんに恨まれたくありませんから。

 後、ウルベルトさんやヘロヘロさんが言った様に、セバスやみぃちゃんへの親としてのフォローは、ちゃんとして上げて下さいね。

 両親の仲が良いのは子供として嬉しいでしょうが、仲が良すぎて自分の事を見て貰えなかったり、両親揃って下の子供ばかり優先されると、歪んで育つ可能性もありますから。」

 

 最後の言葉を言う時、ぷにっと萌えさんがチラリと茶釜さんへ視線を向けた様な気がしたのも、多分モモンガの気のせいだろう。

 その後も、何人かが手を挙げて色々とたっちさんに質問していくのだが、その度に必ず「リア充爆発しろ!」と言われ続けたからか、たっちさんがかなり凹んでいる様だった。

 まぁ、流石にあそこまで質問した全員から同じ様に「リア充爆発しろ」と言われ続けたら、凹まないでいられる方がおかしい気もするので、これも仕方がない事なのだろう。

 

「それでは、皆さんたっちさんが半年後には半引退状態となり、普段は活動を休止して有事にのみ駆け付けると言う話を承認するという事で宜しいですね?」

 

 最後にモモンガが確認する様に問えば、誰もがそれで問題ないと了承したらしく、特に反対意見は上がらない。

 問題がない様だと言う事で、改めてたっちさんの顔を見ると、にっこりとした笑顔のエモーションを浮かべつつ、モモンガはそれを口にした。

 

「では、これでたっちさんの件の話は終了と言う事で……リア充爆発しろ?」

 

 何となく、モモンガ自身もこれをたっちさんに対して言った方が良い気がした為、そう口にした途端一気にその場にいたほぼ全員から〖リア充爆発しろ!〗の唱和が入る。

 まさか、モモンガからも言われた揚げ句ギルメンの大半から唱和されるとは思っていなかったのか、ズーンとその場で落ち込むたっちさんを他所に、ギルメンたちは本来の目的である定例報告会議を始めたのだった。 

 

 




という訳で、前回の話の通り衰退期に入ります。
そのトップバッターは、たっちさんと言う事で。
更に、前回引退の後に(?)を付けたのは、今回の話の通り半引退状態ではあっても引退そのものではないからです。
そして、たっちさんの半引退理由に関しては、実はハーメルンでメールペットを掲載し始めた時点で既に決まってました。
やー……アニメの十話にたっちさんとウルベルトさんの口論のシーンがあった事で、ざっくりとたっちさんに対してのウルベルトさんの口調がイメージ出来たお陰ですかね、もうサクサク話が進む事ったらありませんね。
実質、ハーメルン版に修正する前のpixiv版は、ほぼ一日で書き上げましたから。



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やまいこと戦闘メイドのお姉さんの割と忙しいなりにマイペースな毎日

今回は、この二人の話です。


 やまいこの起床時間は、ギルメンの中でもそれなりに早い。

 彼女が早起きする理由は、教師として教鞭を執る様になって数か月後から三年半前まで、出来るだけ早めに出勤して色々とやらなければいけない事が、それこそ山の様にあったからだ。

 そんな理由があって、三年半前まで朝は戦争と言っていい位に慌ただしく仕事に行く準備に時間を取られていた事から、彼女が毎日最初にメールサーバーを開くのは、実は出勤してからだった。

 

 下手に、出勤する前に無理をしてメールサーバーを起動させるより、学校に出勤してやるべき事を片付けてからメールサーバーを開く方が、時間的にも精神的にも余裕を持ってメールを読む事が出来るからである。

 

 普通に考えれば、教職についている彼女が学校に出勤した後にそんな時間が取れるのかと思うかもしれないが、彼女の場合は教師としての長年の経験から出勤後の方が割と上手く時間をやりくりする手段があるので、周囲が思っているよりも時間が取れるのだ。

 もちろん、それには幾つか理由があるのだが、彼女が教師として教鞭を執る学校の近くに住んでいると言うのも、それなりに他の教師よりも授業前の朝の時間にゆとりが取れる理由の一つだろう。

 それなら、「わざわざ無理に早く学校に行かず、家でゆっくりした方が良いのではないか?」と、彼女の生活を知れば仲間から言われるかもしれないが、今までずっと学校にサクサク出勤して空いた時間を他の教員が来るまでゆったりと過ごす方だったので、習い性でそのままにしていたりする。

 

 今更、体に染みついている習慣を変更する方が、余程面倒だからだ。

 

 学校に来て、自分のあてがわれた教科準備室である程度その日に行う授業の順備が済めば、そこから朝の職員への通達の時間までやまいこの自由に行動する事が出来た。

 なので、その開いた時間をメールサーバーの中に居るユリとの朝の時間として、上手く利用しているのだ。

 やまいこは、学枚の門が開いてすぐという早朝に出勤している事もあり、ユリの為に朝食を用意するのもこの時間だった。

 この朝の時間は、やまいこの中で楽しみの一つになっていると言っていいだろう。

 

 ユリが彼女の手元に来るまでは、習慣的に早朝に学校に来て授業の準備をした後、諸事情から何もする事なくぽっかりと出来たゆったりした時間の使い道は殆どなく、ぼんやりと流行の雑誌を眺める位しかやまいこにする事はなかった。

 

 自分の受け持ちの生徒の為に、少しでも何か自分に出来る事を考える時間にするよりも、ぼんやり雑誌を読む様になったのは三年半前からだが、どうしてそうなってしまったのかと言う理由に関しては彼女自身もよく覚えていなかった。

 誤解が無い様言うが、生徒たちが可愛く思えなくなった訳じゃない。

 けれど、自分だけが生徒の事を考えて一人で頑張って何かをしようとしても、他の教師や生徒の親から「人気取りの行為だ」と言われ続け、徐々に細かな部分までやる気が減退してしまったのだ。

 そして、彼女が覚えていない様な些細なきっかけで、その手間を掛けるのを辞めてしまったのである。

 だからこそ出来たのが、この時間帯だった。

 もちろん、だからと言っていい加減な授業や生徒への対応をするつもりは、やまいこ自体にはない。

 ただ、これ以上自分が一人だけで何かしていても「出る杭は打たれる」だけで生徒の為には何もならないと、やまいこは漸く悟ったのである。

 

 そんな風に、仕事に情熱を燃やし続けるのが難しい状況いなり掛けた彼女の元へ、ギルドの仲間と一緒に飼おうと届いたのが、今側にいるメールペットのユリだった。

 

 彼女にとって、ユリの存在はとても大きなものだと言っていいだろう。

 家族から独立して一人暮らしている彼女にとって、ユリはそれこそ娘の様な可愛い存在であり、大切な家族の様な存在なのだから当然の話である。

 多分、今のやまいこは生徒の為に使っていた時間を全部ユリの為に注ぎ込んでも足りない位、彼女の事がとても可愛くて仕方がなかった。 

 

 それはさておき。

 やまいこは、ユリの為の朝食を準備して彼女に出すと、仲の良い友人たちから届いているメールに目を通して返事を手短に書く。

 それこそ、友人たちのメールへの返事の内容は、周囲が思っているよりも短く簡潔なものだ。

 ほぼ、毎日やり取りしている友達同士のメールなので、そこまで細かく書く内容が思い付かないからである。

 むしろ、短いメールでも十分な位にメールのやり取りをした上で、夜には「ユグドラシル」の中で会うのだから、そこまで細かな内容が必要だとはとても思えなかった。

 

 どちらかと言うと、こんな風にメールが短いものの方が、毎日メールをやり取りする事が出来る分、ユリも仲の良いメールペットのアウラやマーレと遊べるだろう。

 

 そんな事を考えつつ、やまいこがさくさくメールを書き上げていくと、食事とその日の身支度が終わったユリが側に控えて待っていたりする。

 ここで声を掛けないのは、うっかり声を掛けてやまいこがメールの宛先を間違えない様にと言う、ユリなりの気遣いだった。

 ユリが着る服に関しては、前日に選んだものを用意しておいてあげてあるので、朝食が終わったユリは素早く寝間着から着替える事で、まずは普通にそれを着た状態を見せてくれる。

 そこから、その日の気分に合わせて彼女に似合う髪飾りやチョーカーなどの小物などを用意するのが、やまいこにとって朝の一番の楽しみだった。

 自分の可愛い娘を、人様の所にお使いに出す前にもっと可愛くしてあげたいと思うのは、娘を持つ親として当然の話だろう。

 特に、彼女がこれからメールを持って行く所は、ギルメンの中で三人しかいない女性メンバーである友人のぶくぶく茶釜さんとの餡ころもっちもちさんの所なのだ。

 

 やまいこが、ユリはこんな風に可愛いと思った衣装を着せてお使いに出す様に、彼女達のメールペットも可愛い姿をして待ち構えているだろう。

 

 茶釜さんの所アウラとマーレは、【双子】と言うコンセプトを生かした毎回可愛らしい衣装を着ているし、餡ころもっちもちさんのメールペットのエクレアは、イワトビペンギンと言う種族的にユリたちの様な可愛い衣装とかをきている事などはないものの、それでも彼の魅力を引き立てる格好はしている筈。

 むしろ、服が着れない分毛並みを滑らかかつ艶やかなものにする方向で、毎日色々と工夫しているのだと餡ころさん本人から聞かされている。

 実際、昼休みに見るエクレアの姿は撫で回したくなる位なので、そのコンセプトで間違いないのだろう。

 こんな風に言っていると、まるでただ可愛がるだけで叱らないと思われがちだが、もちろんそんなつもりはやまいこたちにはない。

 メールペットを飼い始めて数か月後に起きた、あの【アルベド騒動】を教訓にして、やまいこは今までのユリに対する自分の行動や言動を思い返した瞬間、思わず蒼白になった。

 

 自分が、いつの間にか子供の自主性を奪いかねない様な、何かに付けて学校に怒鳴り込んでくるろくでもない親と一緒の言動をしていると、そう気付いたからだ。

 

 その事に気付いた途端、自分が教師でありながら自分の子供とも言うべきユリの言葉に、本当の意味で耳を傾けていなかった事にも気が付いた。

 もっと、ちゃんとユリが自分に向けて話す言葉に耳を傾けてあげていたら、やまいこは多分気付けた筈なのだ。

 アルベドの行動が、本当はただの我儘だけじゃなかった事に。

 自分の受け持つ生徒たちの中にも、アルベドの様に極端で酷いものでなかったとしても、似た様な行動をする子供が居なかった訳じゃない。

 

 まだ未成熟な精神だからこそ、自分の中にわだかまる感情や思いを相手に向けてどう発して良いのか、それが自分では良く判らないまま、親から教えられた方法(アルベドの場合はNPCとして与えられた設定部分)に頼ってしまっただけ。

 

 小さな子供が、自分の感情に振り回されて癇癪を起しているのと、それほど変わらない事だったのに。

 良く思い返してみれば、あれだけ他のメールペットから嫌われる可能性が高かった筈のアルベドの事を、ユリは「ちゃんとマナーなどきちんとしていれば、周囲が言う程問題発言は少ない方ですよ?」と評していた。

 タブラさんと、それなりにメールのやり取りをしていた時だって、メールを持って来たアルベドがやまいこに対して迷惑になる様な行動も、ユリに対しての嫌がらせもしなかった事を思い出せば、彼女の事をいつの間にか友人たちから伝え聞いた話を元に、色眼鏡で見ていた事も間違いなくて。

 

 あの一件は、そう言う問題点を浮き彫りにするという意味でいい教訓になったのだと、やまいこは本当に思っている。

 

 これに関しては、茶釜さんや餡ころさんも同じ考えに至ったらしく、三人でアルベドが戻って来るまでに色々と反省しつつ今後の事を見直したものだ。

 自分のメールペットは、今だって自分の子供だと思える位にとても可愛い。

 だけど、ただ可愛がって甘やかすだけじゃ駄目なのだ。

 本当に自分の子供と同じだと思っているなら、甘やかすだけじゃなく悪い部分は叱ったり良い事をしたら褒めたり……それこそ、子供を育てるのと同じだと思って接しないと、また同じ間違いをしてしまうだろう。

 

 そう考えてから、やまいこは出来るだけ親としてユリの事をちゃんと細かな所まで様子を見て、彼女と色々な話をする様にしていた。

 

 まぁ、そんな考え方をする様になったあの一件から、自分はただユリの事を猫可愛がりするだけじゃなくなったと思う。

 ユリは、元々プレアデスの長女と言う立場もあって、ちゃんと話してみると僕によく似ている所も多いから、ちゃんと注意してみていてあげないと。

 

 そんな風に思いつつ、準備の出来たユリにメールを渡して配達へと送り出すと、やまいこはそれまでのリラックスモードから教員モードへ意識をきっちりと切り替えた。

 ここからは、人様の子供を預かる教育者の立場として、きちんと責任ある事を忘れちゃいけないからね。

 そう言う意味でも、メリハリを付けた意識の切り替えは重要だと思いつつ、自分の受け持ちのクラスの授業の為にこの時間帯に持って行く物を準備を始めていた。

 

******

 

 次に、やまいこがのんびりとメールサーバーを開く事が出来るのは、昼休みの三十分程だ。

 お昼休みは、お昼を食べる時間まで含めれば全部で一時間半あるのだけれど、最初の一時間は職員専用の食堂でお昼を食べるのに時間を取られる為、自由になるのは三十分程なのである。

 お昼も持参して、自分の教科準備室で食べれば良いと言われそうだが、そうは簡単な話じゃない。

 食事する間に、同じ学年を担当する職員同士で授業内容について話し合う事もあるから、勝手に一人だけ準備室で食事をするのはマナー違反なのだ。

 特に話す事がない時は、手早く食べて準備室に戻れるものの、話す内容がある時はもっと少ない時間しかないので、出来るだけ早めに話が終わる様に水を向けつつ、終わったら速攻で自分の準備室に戻る様にしていた。

 その理由の一つは、ユリのお昼ご飯と彼女に頼んだメール配達に対して「いつもありがとう」と、ちゃんと伝えたいからだ。

 

 もちろん、一日くらい言わない日があっても彼女は気にしないだろうが、自分の方がちゃんと言わないと気が済まないと言う理由もあった。

 

 可愛い娘との、大切なスキンシップの時間を優先するなら、ちょっとの時間でも無駄にしたくないと思うのは、親として当然の話だろう。

 これが、授業中にそんな真似をしているのだと言うのなら問題かもしれないが、昼休みと言う長い休憩時間なのだから、少し位自分の好きに使ったとしても文句を言われる筋合いはない。

 これで、自分が受け持つクラスの授業に差し障りがあるなら別だろうが、やまいこは先に授業の準備をしてから食事に行くので、その点も問題なかった。

 メールサーバーを立ち上げると、既にサーバーの中へ帰宅したユリが出迎えてくれるので、ちょっとだけその事を嬉しく思いつつ、まずは彼女の話を聞きつつお昼の支度をする。

 ユリからは、朝食を作る時点で昼食も作りおきしてくれて構わないと言われているが、やまいこの方が出来るだけ毎回その時間が来た時に彼女に食事をきちんと作ってやりたいので、これに関しては聞いてあげられない案件だった。

 

 もちろん、ユリがお昼を食べられなくなる事態は避けたいから、朝の時点でそこまで時間がないと判っている時は、その朝食を作る時点で一緒にお弁当を作るけどね。

 

 お弁当は、自分が食べたい時に食べるから美味しいのだと思うので、ユリから「お昼はお弁当が食べたいです」と言われれば、作ってあげる様にはしていた。

 やはり、食事に関しては本人が希望する形で、出来るだけ用意してあげたい。

 その代わり、嫌いだからと言って偏食を赦すつもりはなかった。

 

 もっとも、ユリはそんな事を言い出す様な子じゃなかったけど。

 

 彼女の話を聞きながら、出来るだけ手早くでも手を抜かずに用意したお昼を出して、それを食べている彼女の様子を見ながら自分がいない間に友人たちのメールペットが届けてくれただろうメールに素早く目を通す。

 みんな、自分と同じ様に仕事の合間に簡単に書いただろう短い返信だったが、元々目的はこうしてメールをやり取りする事によってユリたちの交流を深める為だから、特に文句はなかった。

 さくさくメールを読み終えると、こちらもそれに対しする短めの返事を書いてユリに持たせる準備をしておく。

 お昼休みが終わると同時に、またユリにメールを配達して貰う為だ。

 基本的には、メールを持ってきてくれているのは茶釜さんの所のアウラとマーレ、餡ころさんの所のエクレアが多いのだけど、昼の休憩時間だとそこにタブラさんの所のアルベドが混じる事もある。

 他の二人からは、ほぼ毎日メールが届くのに対して、アルベドがメールを持ってくるのは数日に一回といった所だろうか?

 どうも、アルベドがユリと過ごす事を好んでくれている事もあって、彼女の為に交流場所を増やす為なのか、タブラさんも短めだけど丁寧なメールをくれるのだ。

 と言うか、タブラさんから貰うメールの内容は、メールペットに普段出しているおやつの事とか食事の事とか、とにかくアルベドに関わる事ばかりなので、昔に比べると随分親バカになった様に思えて仕方がない。

 

 やまいこ自身、そんな親バカなタブラさんも悪くないと思うからこそ、こうして短いメールのやり取りを定期的に続けているのだが。

 

 とにかく、全員に返信を書いてユリを送り出すころには昼休みが終わってしまうので、ユリに返事を託した後は急いで教室へと向かう。

 ただし、自分の行動をどこで子供たちが見ているか判らないので、絶対に走らない様にだけは注意していた。

 普段、彼らに対して「廊下を走るな」と注意している側の私が、自分が授業に遅れそうになって走る訳にはいかないからだ。

 

 午後の授業を終えた放課後、やまいこが向かうのは自分に与えられた準備室ではなく、職員たちが集まる職員室だ。

 その日の授業が終わってから、学校に居る職員同士の本格的な打ち合わせや会議をする必要があるからである。

 基本的には、こんな風に授業が終わった後に職員会議はあるのだが、早急に対応が必要な緊急連絡がった場合は朝の段階で職員室に集まる事もない訳じゃない。

 その場合、ユリと会えるのは昼休みまでお預けになる事もあるので、出来れば朝の会議が開かれるような事態は遠慮したいと思っている。

 

 万が一、朝の緊急会議が開かれる場合、ユリの朝ご飯は念のために部屋に用意してあるシリアルだけになってしまうし、可愛い娘との朝のスキンシップも取れない状況は、やまいこの方が辛いからだ。

 

 それはさておき。

 放課後、その日のうちにしなければならない教師同士の打ち合わせや会議、翌日の授業の準備や生徒から受け取った宿題の添削など、教師としてしなければならない沢山の仕事を済ませていたら、大体夕方から夜の時間帯になる。

 ここ数年、やまいこが受け持つ生徒は、前年に受け持った低学年クラスの持ち上がりになるか、もう一度低学年になるかのどちらかになる事が多いので、それこそ数年おきのローテーションの様な授業になる事も多く、ある程度慣れてしまえば翌日の授業の準備自体には、それ程時間は掛からなかった。

 だからと言って、全く同じ内容の授業で済むかと問われると微妙に違う。

 毎年、受け持った生徒の学習レベルが微妙に違っている事が多いので、合わせて調整する必要はあるからだ。

 それが終わると、その日のうちに済ませる事はほぼ終わりなので、やまいこは急いで帰宅する。

 

 早めに家に帰って、ユリとゆっくりと話しながら夕食にする為だ。

 

 夕食は、学校で取る昼食に比べるとかなり落ちるものの、出来るだけ自炊する様にはしている。

 もちろん、天然素材の食料なんて高価なものは手に入らないが、それでも女として「料理が出来ない」と言われるのはちょっと嫌なので、やまいこなりに努力している事だと言っていいだろう。

 正直言えば、夕食くらいはちょっとだけ簡単に済ませてしまっても良いんじゃないかと思わなくはない。

 思わなくもないのだが、きちんと自炊をしない訳にはいかない理由が、やまいこにはあった。

 

 少なくとも、毎食を外食や簡易食糧で済ませる様な真似だけは絶対にしないと、一人暮らしを決めた時点で妹と約束させられたからである。

 

 それはさておき。

 夕食が済めば、そこから暫くはユリから今日の出来事を聞く時間だ。

 実を言うと、やまいこは他の友人たちの様にユリが仲の良いメールペットと、楽しく過ごしている様子を見る機会はあまり多くない。

 仕事柄、日中は短い昼休みの時間以外にメールサーバーを立ち上げる余裕がなく、友人からのメールを持ってくるだろうメールペットたちとほとんど顔を合わせる事が無いからだ。

 それでも、ユリから聞く話を総合して考えるなら、彼女と仲が良いのは茶釜さんの所のアウラとマーレ、餡ころさんの所のエクレア以外だと、先程話の出ていたタブラさんの所のアルベドとか、ヘロヘロさんの所のソリュシャン、ウルベルトさんの所のデミウルゴス、ベルリバーさんの所のペストーニャと言った感じらしい。

 アウラやマーレ、エクレアに関して言えば、自分達主側が仲良くしているので自然と仲良くなったと言った感じだろうし、アルベドは問題行動がなくなった後は淑女へと確実に成長している事もあって、ユリとは話が合うのだろう。

 元々、ソリュシャンとは「プレアデス」として姉妹設定もあるので気安く対応し易い点から仲が良いらしく、デミウルゴスは仲間に対して気遣いが出来る立派な紳士なので、それなりに良い関係を続けているらしい。

 

 そんなユリが苦手にしているのが、実はモモンガさんの所のパンドラズ・アクターだった。

 

 誤解がない様に言うが、別にパンドラズ・アクターがユリに対して何かしている訳じゃない。

 単純に、彼のどちらかと言うと大袈裟な言動が、どうもユリは苦手らしいのだ。

 教師として、色々な生徒と接する事が多いやまいことしては、あのパンドラズ・アクターの言動や行動を見ても「あの子の個性」だと思って流してしまえる程度なのだが、どうやらユリは彼が普段から見せている大仰な物言いが引っ掛かるらしい。

 元々、パンドラズ・アクターは「役者」と言う位置付けもされている事から、言動や身振りが普通よりも大袈裟な所はあるのは、やまいこだってよく知っている。

 その部分を差っ引いてみれば、性格などはモモンガさんに似て優しい気遣いが出来る良い子なのに、とやまいことしては思わなくもない。

 

 とはいえ、それはやまいこから見てユリもパンドラズ・アクターも三頭身の小さな子供にしか見えないと言う、立ち位置による視点の差があるので、彼女達から見たらやっぱり女性的には受け入れ難い、駄目な部分があるのかもしれないが。

 

 更に申し訳ないと思えるのが、パンドラズ・アクターもユリが自分を苦手に思っている事に、既に気付いているらしい事だ。

 普段から、メールを持ってきても出来るだけユリに対して気を使っているらしく、出来るだけ抑え目のトーンで最低限の挨拶だけでメールを置いて帰っていくらしい。

 もっとも、彼がモモンガさんのメールを持ってやまいこの元を訪れるのは、大概何らかギルドでの連絡事項がある時が殆どなので、ギルメン全員の元へメール配達をする状況が多く、一つの配達先でそれ程長く留まっている余裕もないらしいのだが。

 

 メールペットの性格も十人十色、色々とあるのだから全員と仲良く出来なかったとしても、それはそれで仕方がないのだろう。

 

 ユリと、夕食とその後のちょっとしたおしゃべりの時間を楽しんだ後、やまいこはギルメンたちが待っているだろうユグドラシルの中のギルドへとログインする。

 彼女がログインする時間には、ある程度のギルメンが集まっている事が多いので、誰かに既に今日の予定が決まったのか確認したり、そのまま話に興じて時間を潰したりするなど、その日によってログイン後の行動がどうなるのかはその時次第だ。

 元々、仲が良い茶釜さんや餡ころさんが仕事の都合などでログイン出来ない場合などは、既に狩りに出かける予定の面々に声を掛けて混ぜて貰ったりしている。

 それでも都合が合わない時は、ナザリックのユリの様子を窺って彼女の為の装備のチェックをして、そのままログアウトする事もあった。

 

 予定が合わない時は、無理に残っているよりも家で待っているメールペットのユリとの時間をもっと増やしたかったからだ。

 

 やまいことしては、出来るだけ同じ時間帯にログインする様に心掛けてはいるが、やはりテストなどがあった時などは採点に時間を取られてログイン出来ない事も増えて来ていたから、そう言うケースが増えても仕方がないとは思っている。

 これは、やまいこ一人に限った話じゃない。

 たっちさんから、半引退の申し出があったあの会議から、実際に微妙にログイン率が下がったギルメンが増え始めたのだ。

 やまいこたち、【アインズ・ウール・ゴウン】のギルメン全員でメールペットを飼い始めてそろそろ三年目。

 このギルドが結成されてから、そろそろ四年目を迎えようとしている現時点で、ギルメンの中にはユグドラシルにログイン出来る時間が減ってきている者がいたとしても、別におかしくないのだろう。

 元々、ギルドへの参加条件が「社会人である」という縛りもあって、他のギルドよりもこのギルドの所属メンバーの年齢層は割と高めだと言っていい。

 年齢的に考えても、たっちさんの様に家庭を持っている面々も普通に出てきている事から考えれば、ギルメンのログインのタイミングが合わなくなっても仕方がない話だ。

 

 むしろ、もっと早くにギルドから去る人がいても、それこそおかしくない状況なのだから。

 

 事実、やまいこ自身にだって「そろそろ見合いをしないか」と言う話が、家族から出始めていた。

 これから先、定例会議以外でギルメン全員が揃ってログインしている日は、もっと減っていくだろう。

 そう考えると、こうして未だにギルメンが強固に繋がっている理由は、ユリたちメールペットだと言っていい。

 あの子たちがいるから、こうして自分達はその繋がりを維持出来ているのだろう。

 元々、様々な個性的な人たちが集まって出来たギルドなのだ。

 

 それこそ、他のギルドの様にいつ意見がぶつかり合って空中分解してしまってもおかしくなかった事を考えれば、とてもすごい話だと思う。

 

 ぼんやりとそんな事を頭の端で考えつつ、今日はタイミングよく会えた茶釜さん達と話をしながら、今日の狩りに行く予定を組み立てていく。

 そんな風に一通りユグドラシルで仲間と遊んだ後、ログアウトしてからは寝る前にその日にあった事を、今度はやまいこの方からユリに話す事にしていた。

 ユリだって、やまいこが話すユグドラシルでの出来事を楽しみにしているのだから、出来るだけ沢山の事を話す事でお互いのコミュニケーションを図っているのだ。

 少しでも、一緒にいる時間を増やす為に。

 そうして、一通り話し終えたら、お休みの挨拶を交わして二人は眠りへとつく。

 

 こんな風に、やまいこと戦闘メイドのお姉さんの割と忙しいなりにマイペースな毎日は過ぎていくのだった。

 

 




一先ず、たっちさんが半引退状態になってから半年くらいの、やまいこさんとユリの話になります。
この時点では、まだギルメンは全員ギルドに籍を置いてます、はい。



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アルベドが心から助けを望んだ日

タイトル通りの話。


 その話は、唐突にやってきた。

 

 お母様の……アルベドの大切な主であり己の創造主であり誰よりも愛しいお母様であるタブラ様の様子が、正式に太夫に昇格した辺りから少しおかしい気が、ずっとしていたのだ。

 アルベド自身、ふとした拍子にお母様がチラリと見せる悲しげな様子から漠然とそう感じてはいたものの、お母様本人は特に何かをいう事はなかった事から、彼女の方からもそれを聞く事はしなかった。

 わざわざ聞かなくても、アルベドにだってわかる事はいくつかある。

 

 お母様が、この【リアル】においてどういう立場にいてどういう仕事をしているのかと言う事は、既にちゃんとアルベドも教えて貰っていたから。

 

 その事に関して、アルベドは特に何かを言うつもりもないし、何かを言える権利もない。

 むしろ、下手にこの事について何かを言う事で、大切な母を傷付けるつもりなど欠片もないのだ。

 リアルについては、お母様が自分の立場を教えてくれた後に自分なりに調べて……その富裕層と言う一部人間以外にとって最悪とも言う世界の事を知れば、まだ建御雷様の様な後ろ盾を持っている分、お母様は決して不幸ではない事も理解出来た。

 何より、どんなにお母様の事をアルベドが大切に思っていたとしても、実際にリアルに関して何かしてあげる事など出来ないのだ。

 

 そう……自分には、リアルのお母様の事を守る手段すらまともに無い事を、アルベドはよく理解していた。

 

 むしろ、それは当然の話だ。

 自分達は、あくまでもお母様やその仲間たちの間でメールを運ぶだけの能力しか持たない、電脳世界に生きるメールペットである。

 学習能力の高さから、様々な事を学び電脳世界の中にあるお母様のサーバーを守る事は出来たとしても、リアルに関しては欠片も干渉力は持っていない。

 もちろん、仲間の中にはデミウルゴスや恐怖公など、一部の例外的な存在がいる事も知ってはいるものの、それは主側であるウルベルト様やるし☆ふぁー様のお力があっての事。

 それぞれの主たちが、ご自身で出来る枠の中で彼らの為にそれなりに環境を整えているからであり、決して彼らだけで何かを成しえた訳じゃない。

 

 自分よりも、遥かにリアルに対して接触が出来る彼らですらそれだけの補助を主から受けなければ無理なのだから、他のメールペットとそれほど変わらないアルベドにお母様の為に何か出来る事があるのかと言われると、殆どないと言って良かった。

 

 どちらかと言うと、何かしようと無理をしてお母様に無用な心配を掛けない事こそが、アルベドに出来る数少ない事なのかも知れない。

 太夫の名を得てからも、毎日欠かさず行うお母様の朝のお稽古を見て、美しく舞などを舞う姿に見惚れつつそれに対しての心からの感想を口に出す。

 空いている時間に、電脳世界で自分の趣味の手芸の腕前を披露して喜んで貰い、お母様の望む様に時間になればメールを持って配達に出るのだ。

 出来るだけ、ゆっくりとメールの配達先で過ごしお母様の仕事が終わる頃に戻ると、風呂へと入ってから食事を取りながら一日の中でのちょっとした事を話したり短いスキンシップをしたりして、その一時を存分に楽しんで。

 そして……お母様が仲間との冒険を終えて戻って来たら、最後のメールを手渡してお互いにお休みの挨拶を交わして額にキスをする。

 

 今のアルベドにとって、そんな他人から見たら呆れる位に細やかな日常が、何よりも幸せだと思えて仕方がないのだ。

 

 この、細やかな幸せを知る前の無知な自分にはもう戻りたくはないと思う程、今の自分の心が温かいもので満されている事を、アルベドはちゃんと理解していた。

 本当に、心の底からそう思っているからこそ、アルベドはそれを与えてくれる何よりも大切なお母様の小さな変化に、すぐに気付く事が出来たのだろう。

 位が上がり、その名を目当てに今まで以上に客足が増えていく中でも、お母様はアルベドの事をずっと気遣ってくれていた。

 そんなお母様が、ふとした拍子に僅かにでも憂い顔を覗かせる様になれば、何かあるのだとアルベドが気付かない筈がなくて。

 本来なら、リアルの情報を得られる機会など、アルベドには殆どないと言ってもいい程だったのだが、そんな彼女が目を向けたのは、お母様の朝の稽古の時間だった。

 普段、リアルと直接関わる事が無いアルベドだが、あの時間帯だけは同じ様に稽古を受けている相手から外の情報を直接収集出来る事に、彼女は気付いたのである。

 今までは、お母様の麗しい姿に夢中になっていたから、周囲の会話など気にならなかったのだ。

 なので、相変わらずアルベドに端末越しとは言え朝の稽古を見せてくれる際に、お母様以外に同じ稽古場に居る仕事仲間とも言うべき他の遊女たちの話に耳を傾け、少しずつ情報を集めていく事にしたのである。

 

 お母様の憂いを払う為に、少しでも出来る事はないのか知る為に。

 

 すると、何回か重ねる内に彼女たちや稽古の先生たちの口に上る話題によって、お母様とお母様の所属する廓の楼主は、あまり仲が良くない……いや、お母様にとってアルベドのお祖母様に当たる人の仇に近い存在だと言う事を、漸く知る事が出来た。

 アルベドが引き起こした騒動の後、可能な限り色々な事を教えてくれたお母様がこの件に関しては何も言わなかったのは、アルベドに聞かせたくない内容だったからだろう。

 今、お母様がこうしてアルベドの前に居られるのは、お祖母様に当たる女性のお陰だった。

 お祖母様に当たる人……高尾太夫が、楼主の指示によって奪われそうになったお母様を取り戻そうとしてくれなければ、今のお母様は居なかっただろう。

 間違いなく、その点に関してはお祖母様に感謝してもし足りない。

 だけど……同時に、古参の遊女たちの会話を聞いていた事によって、アルベドは一つの事に気付いてしまった。

 

 お祖母様こそ、お母様が恋い焦がれる建御雷様が愛して止まない方なのだろう、と。

 

 そこまで察した途端、お母様の恋が結ばれる事はないんだろうと言う事まで、アルベドは察してしまった。

 多分、その事をお母様自身が理解している事も。

 文字通り、花街で生まれた時から遊女となるべくして育ったお母様は、自分が恋をしても実らない事を理解してしまっているのだろう。

 そう思うと、アルベドは胸が潰れそうに痛かった。

 お母様の事を、お祖母様の代わりに幼い頃からずっと後見として見守り、時として色々とご助力下さっている建御雷様は、アルベドの目から見てもいい男だと言っていいだろう。

 

 そんな方に、お母様が心惹かれるのも当然だと思うし、出来ればこの二人が上手くいけばいいと思っていたからこそ、まさかそんなところで引っ掛かるとは思っても居なかったのだ。

 

 更に耳を傾けて情報を集めてみれば、お祖母様と建御雷様の事は花街の中でもかなり有名な話で、もしお祖母様が病に倒れたりせず生きていたとしたら、建御雷様とご結婚されてた可能性が高かったのだという事だった。

 特に、建御雷様と養子縁組なさったと言う、花街での会計管理を一手に任されている方が、お祖母様の事を委託気に入っていて後押しする雰囲気だったというのだから、本当にその可能性は高かったのだろう。

 

 もしそうなれば、お母様はこの街で苦労する事もなかっただろうし、建御雷様からは娘としての愛情をたっぷり注がれ、もっと真っ直ぐに育っていたかもしれない。

 

 それも全部、「もし、高尾太夫が生きていたら?」と言う仮定の世界でしか無くて。

 実際には、お祖母様は建御雷様と結ばれる事なく亡くなり、お母様は昼見世の太夫になっているのだから、そんな仮定を考えるだけ意味の無い事なのだろう。

 

 今、アルベドがここで考えなくてはいけないのは、お母様が時折憂い顔を見せる様になった理由なのだから。

 

 現時点で、はっきりとアルベドに判っている事は、全部で二つ。

 一つは、お母様とこの廓の楼主が、お祖母様である高尾太夫の事など幾つかの理由で仲が良くない事。

 もう一つは、お母様に背負わされている借金の大半が、楼主が自分の意に従わない高尾太夫に対する嫌がらせとして、お母様に普通の禿ではあり得ない多額の養育費を投じた結果だと言う事だろうか。

 これは、お祖母様が亡くなった後もずっと続いていて、そう簡単に返済出来ない多額の借金に膨れ上がっていて、現時点でもお母様をこの廓に縛っている原因だった。

 どちらを取っても、お母様にとって最悪の事しかしていない楼主だと言っていいだろう。

 

 これでは、確かにお母様が楼主を嫌っても仕方がない事だと、アルベドは思わず溜息を吐いた。

 

むしろ、お母様が自分を太夫に押し上げた楼主の事を警戒するのは当然の話だ。

 太夫に押し上げられた事で、楼主の思惑通り多忙なお母様が数少ない憩いの時とも言うべき建御雷様と過ごす時間が、周囲の行動によって確実に減ってきている事から考えても、現状はあまり宜しくないのかもしれない。

 事実、太夫になる前まではお母様と建御雷様の時間を邪魔する事なかった禿たちが、最近はまるで建御雷様を早く帰したいと言わんばかりに部屋の外に姿をチラチラと姿を見せる様になり、お母様と建御雷様にお茶などを準備する素振りをして部屋に居座ろうとする。

 その様子は、どうしても建御雷様をお母様の側に留めたくないのだと匂わせていて、凄く腹立たしいかった。

 どこか必死な様子から察して、楼主から何か言い含められているのかもしれない。

 お陰で、アルベド達の存在を廓の人間に出来るだけ隠したいお母様と建御雷様は、今までの様に自分達がいるメールサーバーを一緒にいる時間に立ち上げてくれる時間が短くなっているのが、更に腹立たしいと言っていいだろう。

 

 そんな風に、アルベドが何よりも大切なお母様の周囲を意識して警戒する様になった頃、楼主からお母様に対して一つの話が持ち込まれたのだ。

 

『 白雪太夫を、身請けしたいと言っている方がいる。

 既に手付けもいただいているので、このままその話を進めても問題ないな? 』 と。

 

 わざわざ、武御雷様とお母様が一緒にしている所にやって来たと思った途端、そう言い放った楼主のいやらしくニヤリと笑う顔を見て、アルベドは背筋にゾッとしたモノが走る。

 今まで、一度たりとも楼主が立ち入らなかったこの場に強引に割り込み、こんな風に〖お母様の身請け話〗を持ち出したと言う事は、後見である建御雷様でも簡単に止められない筋からの申し出なのだろう。

 普段、自分達の前では温和な雰囲気を漂わせている建御雷様の眉間に皺が寄っている様子から考えても、楼主のこの話の持ち込み方は花街のルールギリギリの所なのかもしれない。

 だが……これで、つい最近の腹立たしい禿たちの行動の意味が良く判った。

 

 今まで、楼主が色々とお母様と建御雷様の時間を邪魔する様に、裏で禿たちに指示していたのは、自分が裏で動いている事をお母様や建御雷様に話し合う時間を与えない為なのだろう。

 

「……流石に、白雪に話を通さず手付けを受け取って勝手に身請けの話を進めるのは、例え楼主だとしても問題があるのは判ってるんだろうな?

 曲がりなりにも、この廓の顔とも言うべき太夫に対してその扱いは、身勝手が過ぎると後見として楼主会に対して訴訟しても構わねぇ状況だが、それでも構わねぇという訳だな?」

 

 仕事柄なのか、凄みを利かせた口調で問う建御雷様に対して楼主はニヤリと笑う。

 

「そうは申しましても……今回の申し出は、財界でもそれなりに力を持っていらっしゃる方からなので、財界の支援を受けて成り立つこの花街の住人の一人としても、お受けする方向で話を進めない訳にはいかない話でして。

 もちろん、今回の事は先方からいきなり出た話でもありますし、今までこの廓の昼見世の看板を張ってくれていた白雪太夫に対して特別の配慮として、返答の期限までに他に白雪太夫が気に入る身請けを申し出られた方がいらっしゃるというのならば、そちらの話を受けても構わないとの事ではありましたが……

 まぁ、今回の身請けを申し出ている相手への手付けの賠償も含め、即金で三億以上の金を用意出来る方でないと、まずお話になりませんが、ね。」

 

 ニヤニヤ、ニヤニヤといやらしく笑うお母様や建御雷様に向ける楼主の顔を見れば、最初からそう言う相手を探してきたのだろうと、すぐに察しがついた。

 お母様の事を最終的に太夫に押し上げ、ここぞと言わんばかりに高値で財界の人間に売り払うつもりでいたからこそ、今まである程度の自由をお母様に与えていたのだ。

 お母様が、この楼主に邪魔される事なく電脳世界を通じて友人を得られたのも、何もかもこの時の為の仕込みだったのだろう。

 

 身請けされた後、身請け先でお母様が今までの様な僅かな自由すら完全になくして、電脳世界で繋いだ全ての縁を切られた事に苦しむ様に。

 

 そんな考えが、ありありと透けて見える様な楼主の笑みを見て、このままお母様の事をこの目の前の男の思う通りにさせたくないとアルベドは心の底から思うものの、電脳世界の住人でしかない自分に出来る事など何もない事も判っていて、ギリリと歯を食いしばる。

 建御雷様が、この楼主の主張に対して反論しない様子から、一応楼主が取った手段は合法の範疇で収まる事なのだろう。

 更に、楼主の言葉に対してご自身が「では自分が身請けする」と言い出す事が出来ないのは、それだけの大金を流石に動かす事が出来ないから。

 

 お金……これだけ高額なリアルマネーが絡むとなると、建御雷様を筆頭に御方々にご協力を願い出たとしても、多分どうする事も出来ないだろう。

 

 そう思った瞬間、ふとアルベドの頭に一人の顔が過る。

 彼女の頭に、『お金』と言うキーワードで何かが引っ掛かったのだ。

 確か……仲間の誰かが言っていなかっただろうか?

 

「デミウルゴスは、ウルベルト様から口座を一つ与えられていて、リアルマネーを運用しているのだ」と。

 

〘 そうよ、確か……その話をしていたのは、デミウルゴスと仲が良いシャルティアだった筈。

 私たちが初めて頂いたお年玉で、デミウルゴスはウルベルト様から少額とは言え入金済みの口座を与えられていて、更に定期的にリアルマネーを託されているのを、シャルティアが羨ましがっていたのを聞いた事があるわ。

 でも……デミウルゴスが優秀だったとしても、流石にお母様の事を自由に出来るだけのお金があるかと言われると、実際は微妙かもしれない。

 何より、デミウルゴスはあくまでもウルベルト様のリアルマネーの運用を託されているだけで、権利はウルベルト様にあるもの。

 だとすれば、もし実際にそれだけの大金がデミウルゴスの運用している口座の中にあったとしても、ウルベルト様から御許しを貰う必要もあるでしょう。

 もしかしたら、流石に一度に動かす金額が大金過ぎて〖駄目だ〗とおっしゃるかもしれない……でも、ここで何もしないままでなんていたくないわ! 〙

 

 そう思った瞬間、アルベドはスルリとその場からするりと抜け出して、一気に自分がいたメールサーバーから電脳世界をデミウルゴスがいるだろう、ウルベルト様のメールサーバーへと駆け抜けだした。

 早く……一刻でも早く、この事で助けを求めたくて。

 事が事だけに、出来るだけ早く相談しないと、お母様の身請けの話がもっと進んでどうする事も出来なくなってしまうだろう。

 

 もし、そんな事になってしまったら……そう思うだけで、アルベドは身が凍る思いがするのだ。

 

 絶対に、そんな事態だけは避けなくてはいけない。

 その思いだけで、一気に電脳世界を駆け抜けて辿り着いたデミウルゴスの部屋のドアを、いつのも優雅さをかなぐり捨てて乱雑に三度叩くと、相手の返事を待たずにドアを押し開ける。

 部屋の中に居た、デミウルゴスが驚く様子など一切気にせず、運良くその場に居らっしゃったウルベルト様の元へと駆け寄ると、アルベドはその場で迷う事無く土下座した。

 

「お願いします、ウルベルト様!

 どうか、どうか私の主であるタブラ様を……お母様を、助けてくださいませ!!」

 

 ポロポロと涙を溢し、床に額づきながら心の底から悲鳴を上げる様に必死に願いを告げるアルベドを見て、目を白黒させるウルベルト様とデミウルゴスの事など気にする余裕など、今の彼女にはない。

 ここで、もしウルベルト様とデミウルゴスの二人から断られたりしたら、その後誰を頼って良いのか判らないのだから当然だろう。

 そんな思い詰めた様子のアルベドを見て、流石にただ事ではないと察してくれたのか、ウルベルトから返って来たのはアルベドを落ち着かせる様な静かな声だった。

 

「……流石に、事情も聴かないまま〖助けてあげます〗と、安請け合いは出来ないからな。

 一体、そんな風にアルベドが助けを求めてきた理由を、まずは話してくれないか?」

 

 そう、出来るだけ優しく促す様に問われた事で、アルベドは自分が理由も告げていなかった事を思い出し、ゆっくりとお母様の置かれている現状を口にする。

 正直に言えば、幾ら助けて貰う為に必要だったとはいえ、ウルベルト様にお母様の個人情報を話してしまう事に躊躇いが無かった訳じゃない。

 だが、ここで下手に躊躇って助けて貰えなくなってしまう位ならば、お母様に叱られ嫌われる事になったとしても、アルベドには他に選択肢はなかったのだ。

 すべての事情を話し終え、アルベドがウルベルト様の様子を窺う様に顔を見ると、口元を抑え静かに考える様に目を閉じていらっしゃって。

 

 やはり、デミウルゴスに資金運用を任せているというウルベルト様でも、今回の事は流石に難しい話だったのだろうか?

 

 そう、アルベドが絶望的な思いを抱きながら諦め掛けた瞬間、ウルベルト様は目の前で乱雑に頭を掻かれて。

 唐突な反応に、一体どういう意味なのか解らず困惑するアルベドを他所に、ウルベルト様は思い切り大きく溜息を吐いた後、軽く腕を組んで口を開いた。

 

「……そう言う話なら、俺だけじゃ駄目だな。

 最低でも、建御雷さんとたっちさんは絶対に巻き込まないと、財界の人間を相手にするには俺じゃ立場的に太刀打ちが出来ない可能性がある。

 二人以外でも、出来ればあと数人……そうだな、ある程度富裕層で立場があるギルメンの協力を得た方が、より安全性を増すだろうし……丁度、今夜はギルド会議だから、俺から上手く話を持っていってみてやる。

 何と言っても、俺とみぃちゃんにとって命の恩人だからな、アルベドは。

 そんな相手から、協力可能なのに泣いて土下座されて頼まれた事を断る程、俺は人でなしになったつもりは欠片もないし、な。

 アルベドは、まず戻ってタブラさんと建御雷さんの二人に、俺に事情を話した事とタブラさんの事を話す許可を貰える様に説得を頼む。

 そうしないと、まず話が進まないからな。

 俺も、たっちさんに話を通して協力を得られる様に頼んでおく。

 アルベドが、本当にタブラさん事を助けたいと思うなら、何が何でも説得するんですよ?」

 

 そう言いつつ、ポンッとアルベドの肩を軽く叩くウルベルト様の言葉を聞いた瞬間、迷う事無くアルベドはその場でもう一度深く頭を下げる。

 一度は、あれだけの迷惑を掛けた自分の願いを受けて、動いてくれるというウルベルト様の心の広さに対して。

 

 




本格的に衰退期に入る、導入部分の騒動の一つ。
タブラさんの身請け騒動の幕開けです。
多分、お気付きの方も多かったと思いますが、タブラさんが遊女と言う立ち位置になった時点で、確実に発生する予定だったネタでもあります。

まずは、アルベドから見た話。

因みに、この話はやまいこさんの話の一か月後になります。


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ギルド会議の前哨戦 ~るし☆ふぁーの秘密~

まずは、この人から。


 定例ギルド会議の場で、たっちさんから出た半引退表明から、そろそろ七か月が過ぎようとしていた。

 

 先月、予定通りに第二子となる男の子を奥さんが出産した事により、たっちさんは正式に半引退状態へと入ったのだが、それでもギルドの定例会議の日には顔を出してくれる。

 そのお陰なのか、ギルド内はもちろん他のギルドとの関係も割と安定した状況だと言っていいだろう。

 

 少なくとも、戦力ダウンの噂を聞き付け、ナザリックへと攻めてこようとするギルドは、今の所は出ていない。

 

 るし☆ふぁーは、これでもモモンガさんと同じく現在進行形で毎日ログインを続けている、数少ないギルメンの一人だ。

 もちろん、日によっては仕事の終業時間が最初の予定よりも大幅にずれ込んで、既にログインしていたギルドのみんなが狩りに行った後にログインする事になり、お留守番組とちょっとだけ話してログアウトする事も多かったけど、それでもユグドラシルへのログインだけは欠かしていなかったりする。

 ログインを欠かさない理由は幾つかあるが、一番の理由はここが……アインズ・ウール・ゴウンの仲間の事が、るし☆ふぁーは好きだからだ。

 だから、彼にとってギルメンが全員揃うこの定例会議はいつも楽しみで仕方がなく、絶対に決められた時間までに仕事を終わらせる様にしていた。

 

 そう……そろそろ彼らの事を飼い始めて三年になるというのに、いまだに十日に一度と言う最初の約束のまま続けられている、ギルドの定例会議と言う名のメールペットの報告会の日は。

 

 正直、最近では様々な事情でみんなのログイン率が色々な理由で落ちている中で、このギルド会議だけは今まで通り誰一人掛ける事無くログインしているのは凄い話だと、るし☆ふぁーだってちゃんと判っていた。

 それもこれも、ギルドの誰もがメールペットに向ける強い情熱と、少しでもギルドの中で出来た友人たちとの時間を捻出しようとしているだろう、そんな彼らの気持ちが滲み出ているから、この結果に結びついているのだと言っていいかもしれない。

 とにかく、この十日に一度必ずやって来るお楽しみがあるからこそ、るし☆ふぁーは自分の周りに最近見えてきた面倒事も乗り切れていると言って良かった。

 

 そう……るし☆ふぁーのリアルでは、かなり身近な所で本当に面倒な話が出始めているのだ。

 

 正直、出来れば関わりたくないと、るし☆ふぁー自身が本気で考えている面倒事の発端は、自分の名前だけに等しいだろう父親に自分以外の子供が生まれていない事だった。

 そう、そろそろ三十年近くも続いているという、父親と父親が散々溺愛して母親と自分を家から追い出した原因とも言うべき愛人の間には、子供は一人も産まれていない。

 少なくとも、母はるし☆ふぁーの事を産んでいるし、父に種が無い訳じゃない。

 愚かにも、あの父親は自分の愛人を家に入れるために、母が産んだ子は自分の種ではなく「母が浮気したから出来た」と、恥も外聞もなく言い出して追い出そうとしたそうだ。

 

 母が浮気し、他人の子供を産んだという事になれば、あらゆる点で自分がより優位な立場で話を進められるだろうと、愚か過ぎる頭で本気でそう考えていたらしい。

 

 だが、そんなに簡単にあの父親のくだらない思惑通りになるなら、富裕層間での上下関係など存在しない訳で。

 そんな主張をされ、立場的に黙っていられない母が、サクッと母方の祖父(父よりも上の地位に居る人)に頼んでDNA鑑定して貰った結果、間違いなく父の子だと証明されてしまったのである。

 この時点で、割と父親が愛人の為になら常軌を逸した行動をする事が、既に周囲に認識されてしまっていたのだが、本人はそれを理解していないらしい。

 まだ、これで子供がきちんと愛人との間に出来ていれば、それこそ周囲に対して「下の子の方が優秀だから」とでも言って、上手く跡を継がせられたんだろうが、残念な事に愛人との間には子供は居ない。

 死産や流産などだったとしても、愛人が子供を妊娠した経験があればよかったのだろうが、それすら存在していないのである。

 

 つまり、愛人が子供を産めないのは父親ではなく愛人側の問題があるのは間違いなく、立場的に後継者が必要なあの男は他の親族から「子供の産めない愛人との縁を切って奥方と和解し復縁するか、今の地位をそのまま他の親族へ譲るか、どちらかを選べ」と言う内容を突き付けられ、一月以内に選択する事を要求されているらしかった。

 

 一見、前者の場合だと、あの父親と母が和解するだけならるし☆ふぁーには無関係で済みそうな内容だと、そう勘違いしてしまいそうになるだろうが、実はこの場合、るし☆ふぁーがほぼ後継者として確定すると言っていい案件だった。

 流石に、母もそろそろ子供を産んで育てるのは辛い年頃に掛かっている為、両者の血を確実に引いている子供は、るし☆ふぁーしかいない事になるからだ。

 後者の場合でも、一族の中には正式に父親の血を引く自分を後継者として引っ張り出そうと、画策している面々もいるらしい事から、決して無関係で済ませられる可能性はかなり低かった。

 

 更に言うと、そんな周囲の動きを察した父親が、溺愛している愛人は手放さずに子を得る方法として、花街でも特に若く美しいと有名な太夫を〖身請け〗しようとしているという噂もあって、今のるし☆ふぁーの周りは実に面倒な状態なのだ。

 

〘 と言うか、あの男も面倒な事しようとするよね。

 そんなに愛人が可愛いなら、さっさと今の地位降りた方が一緒に居られる時間が増えるのに、なんでそんなに抵抗してるんだろうねぇ。

 まぁ……仕事と自分の愛人を可愛がる事以外には、特に趣味と言える趣味も持ってないとか母さんが言ってたし、仕方がないのかも?

 それにしても……普通、三十以上も年の離れた自分の子供よりも若い相手を、わざわざ子供を産ませる為だけに身請けしようとしてるなんて、ホント馬鹿じゃねぇの?

 確かに、あの【白雪太夫】は透き通る様な美人だと思うけど、さぁ。

 前に、一度だけお座敷接待に付き合って顔を見た事あるからどんな容姿なのかも知ってるけど……どうも、見た目が色違いのアルベドの若くした感じにしか見えなくて、ちょっと遠慮したいって言うか……うん、正直言ってもしそう言う接待受ける側になったとしても、何となく男として役に立たないんじゃないかなって思うよ、俺。〙 

 

 しかも、その身請けをする為に支払う金額が軽く億を超えると言う話を聞いて、あの名ばかりの父親の個人財産はそれだけのものがあったのだろうかと、思わず首を傾げたくなる。 

 もしかしたら、裏で横領など色々とやらかしていているからこそ、父親は正式な後継者がいない事を名目に今の地位を引き下ろされそうになっていて、更に悪足掻きしているのだろうか?

 だとしたら、このままだと確実に自分も巻き込まれる可能性を察し、るし☆ふぁー頭が痛くなった。

 実は、母方の祖父のお陰である程度アーコロジー内で顔が広いるし☆ふぁーは、たっちさんは自身の実家はそこまででもなかったが、奥さんの実家は自分の家よりも格上だった事を知っている。

  

〘 あー……面倒事になる前に、たっちさんに相談してみようかなぁ……

 今日の会議には、たっちさんも来るだろうし。

 もし来なかったとしても、恐怖公にメールを持たせて相談すればいいか。 〙 

 

 そう思いつつ、ちょっとだけ早めにログインした円卓の間でのんびり寛いでいると、テーブルの反対側を急ぎ足で移動している建御雷さんの姿が見えた。

 どっしりと構えている普段とは違い、その動きだけでかなり焦っている様子が伺える。

 彼が向かった先に居たのはウルベルトさんで、彼の方も建御雷さんが自分の元へ来ると判っていたのか、片手を挙げて出迎えていた。

 

 そんな二人の様子を見て、何となく……そう、るし☆ふぁーの勘が何となくおかしいと、そう告げていた。

 

 あの二人は、何だかんだ言って一緒にクエストに出る事も多ければ、メールペット同士もかなり仲が良いと言う事もあって、普段からギルド内で色々と一緒に居る事も多い事から、別にあんな風に待ち合わせをしていてもおかしくない。

 なのに、今回は何故か普段とどこか様子が違うと、るし☆ふぁーの直感が告げているのだ。

 困った事に、こういう時の勘が外れた事は一度もないるし☆ふぁーは、どう行動するべきなのか少し考え。

 

 次の瞬間、下手に自分だけでその理由を勝手に考えるのではなく、彼らに直接話を聞く事を選択していた。

 

 多分、今の建御雷さんがあんな風に焦った様子を見せるとしたら、ほぼ確実にリアル絡みだ。

 現在のユグドラシルは、最近始まった幾つかの新作VRMMOにかなり人気を押され気味で、全体的に斜陽期に入り始めていると言っても良いだろう。

 うちのギルドの様に、ギルメンの間を上手く繋ぐメールペットの様な存在がいない多くのギルドが、次々に空中分解したりギルドの規模を縮小したりし始めているのは、より新しく自分にとって刺激的なゲームを求めてユグドラシルから去って行く事が原因だと、るし☆ふぁーにも良く判っていた。

 そう考えると、建御雷さんがギルド同士の争いなど面倒事に巻き込まれたと考えるのは難しいだろう。

 

 ウルベルトさんの一件の時に、「花街関連での仕事をしている」と言っていた筈だから、もしかしたら建御雷さんがあんな風に焦っている原因が、あの迷惑な父親が絡んでいる可能性が高いと思い立った途端、放置などとても出来なかったという理由もあった。

 

 何故そんな答えになったのかと言うと、少しだけ冷静になってるし☆ふぁーの立場になって考えれば、すぐに答えが出る事だと言っていいだろう。

 今のるし☆ふぁーは、確かにギリギリアーコロジーに住むレベルの富裕層に留まっている状態だ。

 むしろ、下手に地位を上げようとする方が、父親絡みで面倒な事になるのは判っていたので、現状維持以上に動いていないと言っていいだろう。

 るし☆ふぁーにとって、そんな煩わしい存在とも言うべき中途半端な力を持つ名ばかりの父親が、自分の大切な友人たちに迷惑を掛けている可能性があると察知して、そのままそれを知らん顔で放置出来る訳がない。

 元々、五歳も年下の愛人に入れ上げて本妻と自分の息子のるし☆ふぁーの事を追い出して自宅に愛人を迎え入れている時点で、最悪だと言っていい男なのである。

 

 その癖、祖父との繋がりそのものは消す訳にはいかない事から、母と離婚すらしない卑怯な男と言う点から考えても、立場を利用して結構強引な事しかしていないんじゃないだろうか?

 

「ウルベルトさん、建御雷さん、ばんわー!

 それで……さっきからそんなに慌てて、どったの?

 なんか、厄介事でも起きた?」

 

 出来るだけ、いつもの様子を装ってさり気なく声を掛ければ、ビクンッと大きく肩を震わせる二人。

 どうやら、るし☆ふぁーにはあまり聞かれたくないと考えていたのかもしれない。

 そんな風に思っていたら、ウルベルトさんが何やら考える様な素振りを見せた。

 どこか、こちらの様子を探る様な視線を向けて来たかと思うと、ゆっくりと口を開く。

 

「……なぁ、るし☆ふぁーさんって……富裕層出身か?

 リアルの話をこっちから聞くのは、本来タブーなんだろうけど……ちょっと、タブラさんが拙い事になっててさ。

 出来るだけ、富裕層出身の協力者を集めたいんだよ。」

 

 一応、誰が拙い事になっているのかと言う事以外は言わなかったのだが、それだけでるし☆ふぁーは十分な情報だった。

 何故なら、他のギルメンとは違ってるし☆ふぁーは他のギルメンより、実際の花街関連の情報を持っている事やつい最近発生した父親絡みの面倒事などから、何となく事情を察してしまえたからだ。

 

〘 ……なんだよ、やっぱり俺が白雪太夫に対して抱いた感覚は正しかったんじゃん! 〙

 

 そんな風に、思わず頭の中で思い切り叫び声を上げつつ、どこか困った様に頭を掻きながら二人の顔を見る。

 同時に、周囲に誰も居ない事を素早く確認した。

 まだ、時間的にログインしてきている面々も少なく、ログインしている面々もそれぞれ別の場所で楽しく会話に花を咲かせている。

 これなら問題ないだろうと判断した所で、るし☆ふぁーは小さく溜息を吐くと二人に向き直った。

 

「あー……うん、一応富裕層出身。

 と言うか、タブラさんが拙い事になったって二人が頭を悩ませる原因、十中八九俺の名ばかりの父親かも……

 タブラさんってさ、あの有名な白雪太夫だよね?

 俺、半年前に白雪太夫の座敷を接待に使った事があるから、その時に白雪太夫の顔を見てるんだ。

 だから、彼女がどんな容姿をしているのか知っているんだよね。

 あれは、どう見ても今よりも数年若くしたアルベドだった……違う?」

 

 周囲に人は居ないのは確認済みとは言え、つい出来るだけ声を潜めながらそんな風に尋ねると、二人が息を飲む音が聞こえた。

 どうやら、るし☆ふぁーが口にした内容は合っていたらしい。

 ウルベルトさんの方が、建御雷さんよりも厳しい雰囲気を醸し出しているのは、るし☆ふぁーの名ばかりの父親が、富裕層の中でも特に彼が嫌うタイプだったからだろう。

 正直に言って、ウルベルトさんの気持ちはるし☆ふぁーにも良く判る事だった。

 

「先に言っておくけど、名ばかりの父親は俺が生まれた直後に〖浮気してできた子供じゃないか〗って疑惑を掛けてた揚げ句、DNA鑑定で実子と証明された途端〖義務は果たした〗って母親に平然と言い放った様な奴だから。

 その上、俺の母親と結婚前するから愛人作って入れ上げてて、さっきの言葉を言い放って別宅に俺達を押し込んで放置してくれたお陰で、生れてから殆どまともに顔を合した事ないからね?

 今回、あいつが白雪太夫を身請けすると言い出したのだって、その愛人が子供を産まないから後継者問題が発生したからなんだ。

 実は既に、親族から〖次の後継者〗として俺を担ぎ上げる方向で話が出始めてて、さ。

 その場合だと、確実にあの男は強引に隠居させられて、後は親族たち側の都合がいい状態にさせられるのが解ってるから、凄く焦ってたんだよ。

 で、あの男は〖自分に新しく後継者となる子供が出来ればいい〗って考えた訳だ。

 それなら、今までの愛人との生活も富裕層としての自分の地位も安泰だって。

 なぜ、その相手として白雪太夫に目を付けたのか、いまいち判んないけどね。

 だってさぁ、それと無く親戚から聞いたあの男の個人財産だけだと、どう考えても身請け額を支払ったらほぼ貯蓄がなくなる筈なんだよ。

 一体、どこからそれを捻出するつもりなのやら……」

   

 そこまで、つらつらと自分の事情を口にした所で、るし☆ふぁーは口を閉ざした。

 ふと、数日前久し振りに会いに行った母親の様子が、微妙に頭に引っ掛かったからである。

 前回顔を合わせた半年前まで、普通に病気をする事無く元気で快活な人だった母が、どこか痩せてやつれた雰囲気を醸し出していたのだ。

 それこそ、昔読んだ推理小説の殺害方法として出て来た、少量の毒を知らずに摂取して少しずつ身体を壊している被害者の様に。 

 

 少なくとも、父親に愛人がいても気にしなかった人が、今更あの男の事で何か気を落としたりするとは思えないし、本人自身も「風邪を引いていだけ」だと言っていたから、その時はそれ程気にしなかったのだが……もしかして、そう言う事なんだろうか?

 

「……なぁ、ウルベルトさん。

 今日って、たっちさんはログイン予定で間違いない?

 もし来ないなら、ウルベルトさんにお願いがある。

 ここからログアウトした時点で、速攻でたっちさんに連絡取って貰えないかな?

 まだ、疑惑半分の状態だけど……もしかしたら、あの男が白雪太夫の身請け金を捻り出す為に、俺の母親の事を毒殺しようとしてるかもしれない。

 もしかしたら、その対象は俺にも向くかも……

 俺と母親の個人資産、母親の実家の方があの男より格上だからそれなりに多くてさ、それがあれば余裕で払えると思うんだよ。」

 

 先程、現状で一番あり得る可能性を思い付いたままに二人に対して説明した所で、るし☆ふぁーは思わず大きくため息を吐いた。

 自分で言っておいて何だが、あの父親が相手ならこの予測は外れていない可能性が高い上、この場に居る面々に対してあまり救いがない結末しかもたらさない事に気付いてしまったからだ。

 そんなるし☆ふぁーの反応に、ウルベルトさんと建御雷さんは、何とも言えない反応をみせる。 

 二人の反応は、ある意味納得がいくものだった。

 

 彼らからすれば、相談して協力を得ようとしたギルド仲間が、実は自分の身に危険が迫っている事に気付く切っ掛けになるなど、予想外だった筈なのだから。

 

 それでも、仕事柄こういう状況を目の当たりにする事にまだ慣れているのか、割と早く気を取り直したらしい建御雷さんが、どこか心配そうにこちらを見る。

 多分、〖流石にそんな状況になっているなら、自分たちに協力してくれ余裕などないかもしれない〗と、そう素直に思ってしまったのだろう。

 そんな建御雷さんに対して、るし☆ふぁーはちょっとだけ困った様に小さく肩をすくめると、口を開いた。

 

「……実はさ、今日の会議の後にでもたっちさんに話をして実家と関わらずに済む様に、手を貸して貰えないかと頼もうと思ってたんだ。

 正直言って、親戚の都合であんな奴との権力争いの御輿にされるのは、もの凄く嫌と言うか出来るだけ関わり合いにもなりたくない位、俺はアイツが嫌いだったし。

 だけど、もうそんな段階は過ぎちゃってたみたいだね。

 んー、俺としてはあのくそ親父の跡を継ぐなんて結構不本意なんだけど、向こうが既にこっちを殺しに掛かっているなら、本気で向こうを潰しに行かないとダメみたいだし。

 それもこれも、全部あのくそ親父のせいだし、仕方がないと思うしかないんだよね。

 はぁ……ひとまず、今回の白雪太夫の身請け先として名乗りを上げてるくそ親父に関しては、たっちさんとかの支援を受けられればこっちで潰せるとしても、今のままだと同じことの繰り返しになると、俺は思う訳だ。

 そこら辺は、どうするつもりなの?」

 

 何となく、どうするつもりなのかは想像が付いていたものの、確認しておかないとお互いに協力する事は出来ないだろう。

 一応、あのくそ親父は富裕層でもそれなりに上の方に位置している為、下手な動きをして失敗すると面倒になる事を、今までの長年の経験でるし☆ふぁーも良く知っていたからだ。

 それに対して、軽く首を竦めて答えをくれたのはウルベルトさんだった。

 

「それについては、一応算段は付いてはいるんだ。

 ただ、それを実行するには富裕層である程度の力を持つ相手の協力がどうしても必要不可欠だったから、今日の会議で相談しようと思ってたんだよ。

 困った事に、白雪太夫がいる廓の楼主が相手側の情報を伏せてしまっているせいで、実際にはどれ位の規模の協力が得られたら何とか出来るのか、いまいちよく判っていなかったんだが……それは、るし☆ふぁーさんのお陰で解決出来そうだな。」

 

 どうやら、既に今回の一件に対する対応策はきちんと考えていて、実行するだけの協力者を募るだけの段階になっているらしい。

 多分、その内容に関しては既にデミウルゴスに相談してある程度まで詰めていて、出来るだけ確実性を上げたものにしてるだろう事が、るし☆ふぁーにも簡単に予想出来た。 

 そこに、たっちさんや建御雷さんなどの富裕層側の意見が加われば、ほぼ成功率に関しては問題ないと考えて良いだろう。

 

「あー……さっきも言ったけど、俺の方の面倒事も手伝ってくれるつもりがあるなら、そっちの方に協力しても構わないかな。

 そもそも、白雪太夫の身請けを申し出ていたくそ親父に身請け金の支払い能力がなくなれば、その楼主だって今回は引き下がるだろうし。

 どれが一番いい状況になるのかは、他の協力者がどれだけ得られるか次第だから、詳しい内容は今日の定例会議の後で打ち合わせって事で、構わないかな?」

 

 そう切り出したるし☆ふぁーの言葉に、二人とも同意する様に頷いたのだった。

 




という訳で、色々と散りばめていた伏線の回収の一つ。
るし☆ふぁーさん側の裏事情と立場が、正式に今回の話でオープンになりました。
彼の立場は、富裕層の中でもかなり上の方の出身です。
これで、タブラさんを助けるための、二つ目の札が明らかになりました。


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ギルド会議 会議は踊る その1

ギルド会議が始まりました。


 その日、モモンガが【ユグドラシル】にログイン出来たのは、ギルドの定例会議が始まる時間の直前だった。

 今日に限って、急な仕事による残業が予想よりも延長した為に、自宅に帰り付いた時間がかなり遅くなってしまったからだ。

 スッと、モモンガが円卓の間に居るギルメンたちへと視線を巡らせると、その場にはほぼ全員が揃っていたのだが、たった一人だけ居ない人物がいる。

 

 いつも、必ずこの会議には早い時間からログインしてきて、色々とメールペットの事に関して仲の良い相手と談笑している筈の、タブラさんだ。

 

 彼が〖この場に居ない〗という、この状況に何となく微妙な違和感を覚えながらも、それを敢えて口には出さずにモモンガが席に着けば、時計が時間になった事を告げてきた。

 このまま、彼が来るのを待たずにギルドの定例会議を始めてしまっていいのかと迷った瞬間、それまで黙って自分の席に座っていた建御雷さんが、漸く覚悟を決めたかの様に口を開く。

 

「あー……タブラさんなんだが、今日の会議には出席出来ない。

 じつは、今のタブラさんはものすごく厄介な状況に陥っていてな。

 その辺りの事情を含めて、出来れば相談に乗って欲しい。

 いや、と言うよりも何とかする為に協力して欲しいんだが……構わないか?」

 

 どうして、建御雷さんがまだタブラさんが来ない事を知っているのか、それに対して疑問を感じたモモンガだが、すぐに彼がリアルでタブラさんと直接の知り合いだと言う事を思い出した。

 それと同時に、何となくモモンガは嫌な予感がして、思わず口ごもる。

 今回のタブラさんが出席出来ない理由として、三年前のウルベルトさんの騒動を連想させたからだ。

 あの時もウルベルトさんも、この会議になかなかやって来なかった。

 それに対して、今回は既に建御雷さんから「厄介事に巻き込まれてた」と明言された上で、欠席する旨を告げられている。

 この状況を考えれば、絶対に前回のウルベルトさんの時と同じ位厄介な事になっているのだろう。

 普通に考えて、ネットにログイン出来ないなんて相当の事だ。

 

「……相談って、どんな話なのかしら?

 内容によっては、私達で相談に乗る事も難しいと思うんだけど。

 建御雷さんの言ってる〖協力して欲しい〗って言うのも、相談に対しての事だよね?」

 

 この場で、他のギルメンの先鋒の様に話を切り出したのは、茶釜さんだった。

 かつて、まだ幼かったアルベドの暴走した一件によって、色々と自分の所のマーレが迷惑と被っていた茶釜さんは、こんな風にタブラさんが関わる事によっては厳しい物言いをする。

 もちろん、何もかも彼のやる事に対してケチをつけている訳ではない。

 最近のタブラさんは、随分とアルベドに対していい意味で親バカになっていたし、何よりアルベド自体が大きく心が成長して、淑女の雰囲気を漂わせる様になっていたから、それに対して文句はないのだろう。

 

 むしろ、今回のような騒動を持ち込む事に対して、厳しいって言うべきなのだろうか?

 

 そんな彼女の問いに対して、答えたのは建御雷さんではなく、ちょっと離れた席に座っているウルベルトさんだった。

 どう説明するべきなのか、言葉を選ぶのにちょっとだけ困っていると言いたげな、そんな様子で軽く頬を掻きつつ口を開く。

 

「あー……その一件なんだが、タブラさん本人が俺たちに対して、直接何かを相談してきた訳でも頼って来た訳でもない。

 むしろ、今のタブラさんは現在進行形で第三者による監視下に置かれていて、メールを含めてネットへの接触すらまともに出来ない状態だ。

 建御雷さんは、元々仕事的に毎日直接会って話す必要がある関係から、一応、邪魔される事なく直接接触出来るんだけど、な。

 それだって、今のタブラさんの側についてる監視役が置かれているから、今までの様に世間話をしたりちょっとした友人として会話をしたりする事はもちろん、お互いに抱えている問題の相談も出来なければ、メールペットを出してその話をする事も出来ない状態らしい。

 そこで話した内容はもちろん、していた行動全部が相手に筒抜けになるからな。

 このタブラさんの状況を、俺に泣きながら訴えてきたのはアルベドの方なんだ。

 〖 お願いします、今はもうご自分でどうする事も出来ないタブラ様を助けてくださいませ 〗と、俺とデミウルゴスの前で土下座までしてな。

 その状況に、俺は事情を知っていそうな建御雷さんに連絡を取って、タブラさんが置かれている現状を把握した、と言う訳だ。」

 

 そこで言葉を切ると、ウルベルトさんは軽く顎を撫でながら天井を見上げる。

 何となく、言って良いのか迷う様なそんな素振りだと思った瞬間、彼は徐に続きを話し始める。

 

「……ただ、ここから更に詳しく話すとなると、本当にタブラさんが誰なのか個人特定が可能な情報になるから、最初から協力してくれるという相手にしか話したくない。

 今後の事を考えるなら、全員で情報を共有した方が良いかもしれないとも思わなくもないんだが、ここで話した内容を相手方にリークされても困るんだよ。

 残念な事に、この中にはそうする事で様々な点で利を得ようとする、愚か者がいないとも限らないからな。」

 

 そこまで言って、再び言葉を切ったウルベルトさんが、スッとギルメン全員に対して冷ややかな視線を流したのを見て、モモンガは猛烈に反論したい気持ちになった。

 大切な仲間を売るなんて、そんな真似をするギルメンがいるとはとてもモモンガは思いたくなかったからだ。

 多分、それに関しては誰もが似た様な気持ちになったんだろう。

 場の空気が、一気に悪くなる。

 それだけでは足りないと、ウルベルトさんが口にした言葉に対して、不快そうな様子で機嫌の悪いアイコンを浮かべるメンバーも何人かいた。

 だけど、ウルベルトさんは涼しい顔をして、最初から予想していたかの様にそんな彼らの反応を受け流すと、更に言葉を重ねる。

 

「もちろん、俺だってそんな奴が仲間の中に本気でいるとは思いたくないさ。

 だけど、これから話す情報は結構色々とヤバい案件も混じっていて、例えこの場に居る仲間を裏切る事になっても、この情報を相手側に持っていけば、自分の置かれる状況がかなり変化すると考える奴がいないとは言い切れないし、むしろこの状況を楽しんでわざと相手側に垂れ込もうとする愉快犯だっているだろう。

 だから、本気で協力してくれるって言ってくれるやつ以外に、タブラさんの状況を含めた今後の相談を聞かせるのは、ちょっとばかし躊躇われるんだ。」

 

 ウルベルトさんの説明に、ほぼ間を置く事無くギルメン全員が視線を向けたのは、ギルド一の問題児で愉快犯的なるし☆ふぁーさんだった。

 そんな、ギルメンからの疑惑に満ちた視線を受けて、ちょっとだけ軽く肩を竦めたるし☆ふぁーさんは、小さく横に首を振る。

 何となく、彼がギルメンたちに対して向けている視線は、何とも言い難いものがあった。

 

「……この際だから言っておくけど、今回のタブラさんの件に関して言うなら、俺は二次的な被害者になる可能性があるんだよね。

 もちろん、そうなったとしても悪いのはタブラさんじゃないし、俺自身が今の時点ではタブラさんの件に関わっていない事だけは明言しておく。

 まぁ……そんな理由もあって、俺は既にタブラさんの一件に関わる事になってるんだわ。

 そもそもさぁ、愉快犯って聞いただけで俺の事を見るのって、ある意味偏見だよね。

 だってさ、ウルベルトさんの説明を聞いた途端、みんな勝手に〖愉快犯と言うならこいつだろう〗って、決めてた様な視線を向けたでしょ。

 そりゃ、確かに普段はギルドメンバーに対して色々やらかしてる事は認めるけど、メールペット関係とかリアルに絡む事に関して、ここに居る面々に迷惑を掛けた事は一度もないはずだよ。」

 

 どこか憤慨した様な様子で、そうきっぱりと告げるるし☆ふぁーさんの主張を聞いた途端、モモンガも「そう言えばそうだったな」と今までの彼の行動を振り返り、思わず納得して頷いていた。

 確かに、るし☆ふぁーさんは色々とギルドの中で問題行動をやらかす人だけれど、三年前のアルベドの一件の際に宣言した通り、リアルやメールペットが絡む事に置いては一切の問題行動を起こしていない。

 まぁ、恐怖公絡みでリアルのメールサーバーで更に進化した【黒棺】を作り出そうと考え、実際にヘロヘロさん達に相談しながら色々と動いている様だけれども、あくまでもそれは「セキュリティの機能向上」と言う前提がある。

 実際に、三年前のハッカーの顛末に関してはネットで拡散済みらしく、彼のサーバーには恐怖公のセキュリティシステムとして仕掛けられている罠が怖くてハッカーたちは近寄らないと言う事だから、その外見と能力を上手く利用していると言っていいだろう。

 そうやって、今までのるし☆ふぁーさんのリアルの行動を考えて見ると、確かにメールペットやギルメンに対して被害を出す真似は一切していないので、彼は対象外だと言っていい。

 

 だとしたら、ウルベルトさんは一体誰の事を想定して、あんな事を言っているんだろうか?

 

 正直に言うと、るし☆ふぁーさん以外だというなら誰を想定しているのかとても気にはなったが、この場でそれをわざわざ問い詰めるのはやめておく。

 漠然と、この件に関してあまり深く追及しない方がいいと感じたからだ。

 そんな風に、モモンガがるし☆ふぁーさんの発言に対して色々と考えている間に、ウルベルトさんへ質問するべく手を挙げたのは、ぷにっと萌えさんだった。

 

「正直、今のお話だけで協力するか判断しろと言われてもかなり難しいですよ、ウルベルトさん。

 ゲームの中とは違って、リアルで私達に出来る事なんてそうそうありませんからね。

 本当に協力出来る事があるのか、それすら情報が少なすぎて全く判らないと言っていいでしょう。

 ですが、タブラさんが本当に困っていて助けを求めているというのなら、私に出来る事があれば手助けをしたいと思う気持ちはあります。

 実際の所、あなた達が欲しがってる協力というのは、どういう内容なんですか?」

 

 静かに問う、ぷにっと萌えさんの言葉に対して、正面からそれを受け止めたウルベルトさんは軽く顎髭を撫でると、スッと視線を建御雷さんに向けて確認を取る。

 その様子を見ただけで、ウルベルトさんだけの判断では話せる内容にも限度があるのだと、すぐに判った。

 ウルベルトさんが、わざわざ建御雷さんの顔を見て確認したのは、彼がタブラさんから今回の件への判断を一任されてきているから。

 そう考えれば、今の状況的にも納得がいった。

 誰もが、ウルベルトさんの視線を受けた建御雷さんへ視線を向ける。

 周囲から集まった視線に、ちょっとだけ困った様に頬を軽く掻くと、建御雷さんはウルベルトさんに了承する様に頷いてみせた。

 本当は、一任されている筈の彼が説明するべきなんだろうが、今までの流れから考えても同じく事情を知るウルベルトさんが説明した方が早いと考えたのだろう。

 

 彼の説明で足りない部分に関しては、建御雷さんがフォローするといった所だろうか?

 

 どちらにせよ、ある程度話しても構わない所まで内容を聞いてからじゃないと協力出来るかどうか、その判断は難しかった。

 それに……先ほどるし☆ふぁーさんが言った事も気にならない訳じゃない。

 本当に、彼自身の命も危険な状況にいるのだとしたら、どうしてそんな事になったのか詳しく聞きたいと思うのは、当然の話である。

 もちろん、無理にその事を話させるつもりはない。

 何となくだが、るし☆ふぁーさん側の話に関して無理矢理事情を聞き出すのは、筋違いの様な気がしたからだ。

 モモンガが、頭の中で自分なりに考えを纏めている間に、ギルメンたちの間で話は進んでいた。

 建御雷さんの視線を受け、ウルベルトさんがざっくりとした事情説明し始めたからである。

 

「あー、そうだな……簡単に説明すると、今、こうしている間にもタブラさんは雇用主から富裕層に売られそうになってるんだ。

 タブラさんは、三年前の俺の一件の時に〖接客業をしている〗と言っていただろう?

 そこの客は、基本的に富裕層でもそれなりの立場と力がある人間が多いんだが、その中の一人がタブラさんを気に入ったのかどうかは判らないが、強引に金で買おうとしているんだよ。

 もちろん、タブラさん自身はその申し出に対して同意している訳じゃない。

 同意している事なら、アルベドが〖助けてくれ!〗なんて駆け込んでくる訳がないし、な。

 かなり腹が立つ話なんだが、客側から提示された金額に目が眩んだ雇用主と客の富裕層の間で勝手に話が纏まり掛けているそうだ。

 雇い主にしてみたら、タブラさんは大事な金蔓だからな。

 予想外の大枚で、それなりに立場がある人間に買い取りが決まりそうな大事な時期だからこそ、〖ネットで事故にも遇われたら困る〗と言う名目を付けられたタブラさんは、現時点でネットにログインが出来なくなってるのさ。」

 

 苦い声でそう告げるウルベルトさんに、その場が一気に騒めく。

 普通に考えて、ネットの使用制限までされてしまう状況と言うのは、おかしいと思えたからだろう。

 それ以上に、思っていたよりもタブラさんが働く環境が劣悪な状況だと知った事によって、幾つか疑問が浮かんだ面々がいたのも騒めく声が広がった理由だった。

 

 もし、タブラさんが自分とそれほど変わらない様な立ち位置だとしたら、あの蘊蓄を語れるだけの知識はどこから来たのだろうか?

 

 正直、モモンガ自身も色々と教わる側であったが故に、あっさりと雇い主から富裕層の人間に売られてしまう様な環境にタブラさんがいた事がとても信じられない。

 しかし、だ。

 実際にそれが起き掛けているからこそ、彼のメールペットのアルベドがウルベルトさんへと助けを求め、建御雷さんと共にこうして協力者を求めるべく動いている。

 更に、ウルベルトさんの説明は続く。

 

「どうして、雇い主側がタブラさんに対してそこまで行動制限出来るのかって言うと、タブラさんは雇い主の用意した寮に住み込みと言う形で働いているからだ。

 住み込みの寮の回線を押さえられたら、ネットに繋げなくなるのも当然だからな。   

 更に問題なのが、タブラさんを金で買おうとしている男の方か。

 そいつは、既に妻と成人した子供がいる中年男で、もし本当にタブラさんの事を買い取る事が出来たら、自分の子供を産ませる為の道具にするつもりだ。

 あぁそうだ、一つ言い忘れていたんだが……タブラさんのリアルは女性、つまりネナベだったらしい。

 これに関しては、俺も数時間前にアルベドから頼まれた際に教えられて、更に建御雷さんに確認を取るまで知らなかったからな。」

 

 忘れていた、と言わんばかりに最後に説明を追加するウルベルトさんに、今まで以上にどよめくギルメンたち。

 正直、タブラさんが強引に富裕層に金で買われて愛人にされそうな状況よりも、実は女性だという事の方が驚きだったからこそ、こんなにも周囲から騒がれているのだろう。

 そこで、今まで大人しく話を聞く側にいたるし☆ふぁーさんが、追加の説明と言わんばかりに口を挟んできた。

 

「ちなみに、タブラさんの事を金で買って愛人にしようとしている糞中年親父って言うのが、俺の名ばかりの父親に当たる奴だから。

 あの野郎、俺が産まれる前から今までずっと溺愛し続けている愛人がいる癖に、その女が二十年以上一緒に居ても自分の子供を産まなかったんだよ。

 色々とあって、そろそろ自分の後継者となる相手が必要だとなった時、自分の血を引く後継者が産まれてからずっと放置して来た正妻の子供の俺しかいない事に気付いて、凄く焦ってるんだ。

 だって、産まれてからずっと放置して見向きもしなかった息子を後継者にしても、今更自分の言う事を聞かないだろうって事位、あんな男でも流石に判っているみたいでさ。

 しかも、昔から俺の事を〖後継者から外す〗って周囲に明言していた割に愛人との間に子供も出来ないし、会社の経営とか後継者問題とか本当に色々と問題があって、親戚から追及を受けそうな状態になってるらしいんだ。

 どうも、そんな時にタブラさん働いている店に客として出向く事があったらしくて、そこの店主に勧められたらしいんだよね。

 〖それなら、お客様が気に入ったらしいうちの店員を金で買って、そのまま子供を産ませる道具にしたらどうか?〗ってさ。

 それを受け入れちゃう辺り、ホント性根が腐ってるよね、あのクソ爺。」

 

 補足と言う割には、予想以上に家庭の事情をサクサクと口にするるし☆ふぁーさんに、思わず彼を二度見するギルメンたち。

 もしかして、るし☆ふぁーさんがギルメンに対して質の悪い悪戯をするのって、この家庭環境の悪さも影響しているからなんだろうか?

 思わずそう思うモモンガに対して、更にるし☆ふぁーさんの説明は続いていく。 

 

「そんな訳で、タブラさんに対しての買取契約なんて話が持ち上がった訳だけど……ここで、あの男の側に一つ問題が出て来た訳さ。

 富裕層の中でも、それなりに力と金がある人間が出入りするそこの店の従業員を金で買い取るのには、それ相応の金額が必要になるって点がね。

 普通なら、その話で折り合いが付かなかった段階で諦めるんだろうけど……どうしても、自分が溺愛している愛人が最優先のあの野郎は、そこで諦めなかった。

どうも、その為の資金とか全部を邪魔な存在である俺と俺の母親をどうにか事故死か自殺に見える様に殺して、それによって手に入れた遺産を使ってタブラさんの買取金額を賄おうとか考えているらしいんだよね。

 邪魔者を始末して、その遺産で自分の跡継ぎを産ませる女性を買い取る事が出来れば、一石二鳥なんてレベルじゃないとか考えてるんじゃないの、あのくそ爺なら。

 だから、このタブラさんの一件に関して言うなら、俺も他人ごとじゃないって訳なんだ。」

 

 自分の親が絡んでいるにも拘らず、さくさくと自分が置かれている状況を説明していくるし☆ふぁーさんに対して、周囲の視線はだんだんとドン引きしていくのが良く判った。

 むしろこの状況だと、タブラさんよりもるし☆ふぁーさんの方が命に関わる分だけ危険なんじゃないだろうかと、モモンガは思えて仕方がない。

 だが、改めて説明された内容を考えてみると、るし☆ふぁーさんが今回の一件に協力する事を申し出たのだって、不自然どころかむしろ当然の話だった。

 

 実の親から、子供を産ませる為に新しく愛人にしようとしている相手を買い取る資金の不足分を補うのに必要だからと言う理由で、自分の命が狙われている状況を知ってしまったとしたら、それをそのまま抵抗せずに受け入れるなんて事が出来る筈がない。

 

〘 ……まして、新しく愛人に迎え入れるべく狙われている人物がギルドの仲間で、本人の意思を一切無視して強引に金で手に入れようとしているなんて事を知ってしまったら、それを放置出来るほどるし☆ふぁーさんは人でなしじゃないからな。

 そうだ……るし☆ふぁーさんは、未だにユグドラシルの中ではギルドの仲間に色々と悪戯したりしてくるけど、あくまでもユグドラシルの中だけだ。

 リアルでメールをやり取りする分には、何だかんだ言ってきちんと礼節を守る人なんだよなぁ……

 正直、メールペットとして恐怖公を飼い始めた頃から、るし☆ふぁーさんからのギルメンへの悪戯は随分と大人しくなっているし。

 ここで、全くなくなったと言えないのがるし☆ふぁーさんがるし☆ふぁーさんたる所以なのかもしれないけど、むしろそこまで大人しくなられたら、逆に不気味だから今ぐらいの加減で問題ないと思うべきかな。

 そういや、ギルドに所属した頃の様な酷い悪戯をするよりも、メールペットたちの為に何かを作る事の方が楽しいんだと、ちょっと前に俺に話してくれたっけ。 〙

 

 そんな風に、モモンガが納得していた所で、るし☆ふぁーさんの話を聞いてるうちに気になった事を見つけたのか、ぷにっと萌えさんが片手を挙げて質問を口にした。

 

「……今のお話ですと、るし☆ふぁーさんの父親がタブラさんを買い取る為に、るし☆ふぁーさんとそのお母さんを殺して財産を狙っているという事ですが……〖後継者が必要だ〗と言っている時点で、るし☆ふぁーさんの父親は富裕層でそれなりに権力を持っている人なのでしょう?

 アーコロジー内で、ある程度の地位に居る富裕層に身を置く人物なら、貧困層出身だろうタブラさんの雇い主がそれを勧めている時点で、金で人を買い取る事が出来る程度の資産はあると思います。

 むしろ、そこでるし☆ふぁーさん達を手に掛ける方色々と面倒事が起きたりする点などを考えれば、余計に危険だと思われるのに、どうしてそうなると言う結論に至ったんでしょうか?」

 

 そう、疑問に感じた事をそのまま問うぷにっと萌えさんの言葉に、周囲もハッとなった顔をする。

 

 確かに彼の言う通り、この世界の貧困の差を考えればある程度力のある富裕層の人間なら、わざわざ息子と妻を殺して無理にその財産を得なくても、貧困層の人間一人位なら金で強引に買い取って囲う事は出来るんじゃないだろうか?

 タブラさんの雇い主も、相手が金を持っていると思ったからこそ、タブラさんの事を売り付け様とした筈だ。

 そんな疑問に対して、答えたてくれたのはウルベルトさんじゃなく建御雷さんだった。

 

「あー……この話が最初に出た時点で気が付いてると思ったんだが、どうやら本気で気が付かなかったんだな、ぷにっと萌えさん。

 幾ら、タブラさんが貧困層出身で、客側が金満な富裕層の住人だったとしても、実際に自分だけのモノにする為に買い取ろうとするなら大枚を叩く必要がある存在が、アーコロジー内には存在しているだろう?

 そもそも、俺が仕事で出入りしている先がどこなのか、ウルベルトさんの騒動の時にたっちさんが指摘してただろうに、それすら忘れたのか?」

 

 そこで言葉を切った建御雷さんに対して、ぷにっと萌えさんはハッとなった様な顔をした。

 今の指摘で、タブラさんが置かれている状況を正確に察したのだろう。

 モモンガ自身も、今の彼らのやり取りと今までの情報から、何となく状況を察してしまっていた。

 

 そう……建御雷さんの言葉通り、彼が仕事で出入りしている場所で働いているとしたら、タブラさんは花街の住人だ。

 

 状況的に考えると、良くて花街の【美しい徒花】である遊女を支える下働き、悪ければ徒花として貧困層にもその存在を知られている遊女そのものだろう。

 実際、タブラさんが花街の中でどれ位の立場に居るのかは分からない。

 判らないけれど、少なくともるし☆ふぁーさんの父親だと言うある程度の力と財を持っている富裕層の人間が、タブラさんを買い取る為に彼と彼の母親の遺産を充てにしなければならないほど大枚を叩く必要があるのだとしたら、まず下働きじゃなくそれなりに高い地位にいる遊女だと考えるのが、一番妥当な所だろう。

 とは言え、アーコロジーの中にある花街の遊女など、モモンガは自分には絶対に手が届かない存在だと判っていたから、花街の仕組みに関してそれ程詳しい訳じゃない。

 多少知っているのだって、モモンガが自分から積極的に調べたからじゃなく、ペロロンチーノさんがたまに出回る遊女のネット情報の中にお気に入りの存在を見つけた事で、彼女の事を調べ回った揚げ句にそれを教えてくれたからだ。

 だから、実際にどこまで知っているのかと問われたとしても、知らない事の方が確実に多いだろう。

 そんな風に、自分が殆ど詳しく知らない世界の話になっていく事に気付き、どう対応したらいいのか悩んでいるモモンガの横で、話はどんどんと進んでいった。

 

「……と言う事は、リアルのタブラさんは花街の住人、その中でも客に相手をする遊女として花街に属していると言う事でよろしいんですか?

 そして、その客の一人がるし☆ふぁーさんの父親で、タブラさんを無理矢理身請けする金を得る為に、るし☆ふぁーさんとその母親の財産を奪うべく殺そうとする可能性がある、と?」

 

 出来るだけ、慎重に確認を取るぷにっと萌えさんに対して、建御雷さんはるし☆ふぁーさんやウルベルトさんと素早く顔を見合わせ、お互いに頷き合う。

 多分、ここで全部話していいのか建御雷さん達にとって迷う所なんだろうと、すぐに察せられた。

 この三人がこんな風に言い淀む位には、面倒な状態なのだろう。

 それこそ、タブラさんが花街に置ける立場が判らないからはっきりと言えないけれど、何となくこの場ですぐにその内容を聞いてしまうという選択をしてはいけない気がする。

 

 何となく、先程からモモンガ自身の中で嫌な予感が警鐘を鳴らしているからだ。

 

 ここから先の内容を聞くかどうかは、やはりまずギルメン全員できちんと話し合って、どうするか決めてから聞くべきだろう。

 そう、これ以上この件を掘り下げる様な下手な突っ込みを入れてしまう者が出る前に、この辺りで一旦会話を止めるべきだろうと思った瞬間、モモンガが座っている場所から少し離れた位置でぼそりと呟いた人物がいた。

 今まで、今回の話が出てからずっと黙っていた下を向いて何かを考え込んでいた、ペロロンチーノさんだ。

 

「……もしかしてさ、タブラさんって花街でも特に有名な……」

 

 もしかして、ペロロンチーノさんがずっと黙っていたのは、花街の遊女たちの情報からタブラさんの事を割り出そうとしていたからだろうか?

 

 例えそうだったとしても、この場で名前を挙げようとするのはかなり拙い。

 今の時点で、建御雷さん達に〖協力するか、それとのしないのか〗まだどちらにも決まっても居ない状況なのだ。

 そんな状況下で、彼が勝手に名前を挙げて誰なのか示してしまえば、協力する事を躊躇っていたギルメンたちまで巻き込むしかなくなるだろう。

特に、るしふぁーさんなど自分と母親の命がかかわっているのだから、最初にウルベルトさんが言った様な裏切り者が出たら困ると、容赦なく協力をさせる筈だ。

もし、そんな事になってしまったら、それこそこの先の遺恨として残りかねない。

 モモンガやその周囲が、この状況の拙さに気付いて慌てて留めようと思った時には、既にペロロンチーノさんの言葉は遮られていた。

 いつのまにか、ペロロンチーノさんの背後に移動していたたっちさんが、ペロロンチーノさんの口をそのまま素早く塞いだからだ。

 

「……ペロロンチーノさん。

 あなたが、今までの情報を元に何を想像したのか、それに関してはこの場で問いません。

 ですが、現時点でその創造の人物が一体誰なのかという名前を挙げる事に関しては、まだどうするか迷っているギルメンたちへの余計なミスリードの原因になりますから、申し訳ないですけどこちらで干渉して発言を途中からミュートに切り替えさせて貰いました。

 正直に言って、あなたの想像があっているのかどうかは現時点では言えない以上、その不用意な発言によってこの場で名前を挙げられた相手にも、多大な迷惑がかかる可能性があります。

 特に、今回の様な協力を申し出るのにも微妙な案件では、あなた自身の含めてこの件に協力するかしないかまだ決めかねている状況ですし、下手な発言でタブラさんが花街で誰なのかと言う特定はして欲しくありません。

 あなた自身には、そんなつもりが無かったのでしょうが……このまま思った事を口にされて、本当にタブラさんを助けられなくなると困りますから。」

 

 スッと、鋭い視線を向けながら顔を覗き込む様にたっちさんに告げられ、ペロロンチーノさんは青ざめながらコクコクと頷いて同意する。

 そんな彼の様子を見ながら、別の場所に座っているぶくぶく茶釜さんが小さく舌打ちしている姿が、今のやり取りをどんな風にギルメンたちが聞いているのか、様子を窺う様に視線を巡らせたモモンガの視界に入った。

 多分、ウルベルトさんや建御雷さんがしていた状況説明を碌に話を聞かず、必要な言葉だけ拾って自分の思考に入り込んでいたペロロンチーノさんが、思い付いたまま余計な事を口にしようとした事に対して、強い苛立ちを感じたのだろう。

 最初こそ、状況を把握するべく先鋒を切る様に質問をしていたのに、ウルベルトさんが説明し始めてから一切口を開いていない。

 もしかしたら……茶釜さんは今の時点で下手な発言をする事によって、ペロロンチーノさんや自分が巻き込まれる事を嫌っているのかもしれなかった。

 

 状況的に考えれば、茶釜さんの判断はある意味間違いじゃない。

 

 唯でさえ、今回のタブラさんの一件はたっちさん達だけの協力だけでは足りなんていう、はっきり言って面倒な状況なのに、そこに るし☆ふぁーさんの家庭内のいざこざを含めた厄介事まで絡んでいるなら、下手に口を挟まない方が面倒事に巻き込まれないで済むだろう。

 それなのに、幾つかの情報を元に自分の知っている花街の情報と憶測のまま結び付けた上、そのままうっかり思い付いた人物の名前をタブラさんとして口にしようとしたのだ。

 あのままだと、折角建御雷さん達が名前を伏せる事で協力を申し出てくれた者以外の、この場に居るギルメンを守ろうとしていたのに、問答無用で全員が巻き込まれる形になり掛けたのだから、そんな彼の不用意な行動に怒りを覚え、そのままそれを舌打ちしたとしても仕方がないことかもしれない。

 それに、だ。

 茶釜さんの場合、リアルが【人気声優】と言う立場にある事を考えれば、このまま問答無用で巻き込まれる訳にはいかないだろう。

 それが分かっているからこそ、茶釜さんは冷静に最初のやり取り以降はずっと沈黙を保っていたというのに、ペロロンチーノさんがそんなうっかりをやらかそうとしたのだから、むしろあの反応は当然だと言っても良かった。

 

「……それで、私の質問に対してそろそろ答えてくれませんかね?」

 

 ぷにっと萌えさんが、たっちさんの威圧によって微妙になった場の雰囲気を変えるかの様に再度質問をすれば、それに対して建御雷さんは軽く首を竦めた。

 どうやら、この質問に対して返答をするのは、ウルベルトさんじゃなく建御雷さんらしい。

 

「あー、そうだな……簡単に言えば、それなりの位置にはいる。

 とは言っても、元々花街の遊女は富裕層との会話についていける様に教養をしっかり身に着けさせているから、それらの付加価値の分も下っ端と言っていい遊女でも身請けをするにはかなりの金額がいるけどな。

 少なくとも、現役で稼いでいる遊女を身請けするなんてぇのは、一部の富裕層の中でも一部の人間にしか出来ない事だと言っていい。

 一応、俺はアーコロジーの住人で割としっかり稼いでいる身ではあるが、それでももし花街で遊ぼうとしたら、どれだけ金を溜める必要があるかって話になるし、な。

 そもそもだ、そうやって質問しているぷにっと萌えさんは、花街の遊女一晩の花代がどれくらい掛かるのか、知ってるのか?

 最低ランクの遊女でも、一回の花代は八万円前後が相場だし、太夫クラスになると一回の花代が最低百万だぞ?

 更に、いきなり床入りなんてぇのは無粋だからと、絶対に料理やら酒やらが出るのが決まりだ。

 ……そうだな、花街で食事やらなにやら諸々全部込みにしたら、最安値でもざっくり計算して十万、最上位の太夫が相手だと太夫の身の回りの世話をする禿やら諸々の手当てまで払う必要があるから、それらを全部含めて百五十万は用意していないと、次から廓の楼主から軽んじられる事になる。

 簡単に言えば、指名する客が重なった時の優先順位が金払いの良い方に傾く訳だ。

 そんな彼女たちを、もし十年の年季が明ける前に身請けしようと思うなら、最低ランクの遊女でも数千万掛かるし、太夫クラスになれば確実に億は下らない。

 それ位の価値があるだけの教育を施され、遊女として日常の身に付けるものも一流の品に囲まれてるからな。

 だからこそ、遊女は庶民には手が届かない【高嶺の花】であり、金持ち遊びって言われる所以なのさ。」

 

 建御雷さんは、仕事でずっと関わっている事もあって、この中で一番花街の事情に詳しい人だろう。

 だからこそ、サクサクと実際の例を挙げて話してくれたのだろうが、正直言ってモモンガには遠い向こうの世界でしかない。

 そこで、ふと思い出した様にベルリバーさんが手を挙げた。

 

「もし、それが本当なんだとしたら……三年前、ウルベルトさんの一件が起きた時に、タブラさんがアルベドの事で〖責任を取って生活費を〗とか言ってたのを、建御雷さんが止めたのって……」

 

 彼の問いを耳にして、あの時のタブラさんの行動を思い出したのか、建御雷さんは少しだけ困った様に天井を仰ぎ見る。

 そう言えば、あの時はタブラさんがそう言い出したのを、上手く言葉で往なして止めたのは、確かに建御雷さんだった。

 「そこまでの事をされてしまったら、ウルベルトさんが逆に恐縮してしまう」と言う言葉と共に、上手くタブラさんがそこまでの負担を負わなくてもいい様に誘導し、逆に自分の職場にウルベルトさんの事を誘っていて。

 あの時は、色々とあって結局ウルベルトさんの就職先はたっちさんの娘さんの家庭教師に落ち着いたけど、もしタブラさんが本当にそこまで請け負っていたとしたら……

 

「……あぁ、そうだよ。

 あの時、俺がタブラさんの事を止めたのは、ウルベルトさん側にとって負担になるって言うのも勿論あったが、それ以上にあいつが借金を重ねるのを止めさせる為だ。

 基本的に、自分の金をほとんど持つ事が出来ない遊女が人一人分の生活費を用意するとしたら、廓の楼主に借金するしかないからな。

 多分、あいつは全部承知の上で腹を据えて申し出たんだろうが、流石に後見の立場としてそれを見逃してやる訳にはいかなかった。

 下手をすれば、タブラさんだけじゃなくウルベルトさんまで巻き込む可能性もあったから、そう言う意味でも止めるのは当然だろう?」

 

 建御雷さんの肯定の言葉を聞き、あのやり取りの中にそんな裏事情があったのかと、モモンガを含めたその場にいるギルメンから低く唸る声が漏れる。

 まさか、あの時のタブラさんがそこまで覚悟を決めていたとは、思っていなかったからだ。

 どうやら、あの時の当事者であるウルベルトさんは、既に建御雷さんから詳しい事情を聴かされていたのか、口元に手を当ててはいるものの、唸り声を上げてはいない。

 今の時点で、思っていた以上に深刻な話になりそうな状況を前に、モモンガは溜息しか出なかった。

 

 

 

 




予定以上に更新が遅くなり、申し訳ありません。
一先ず、ざっくりとした事情とるし☆ふぁーさんの立ち位置、ぼんやりとタブラさんの立場とかを明らかにしてみました。
pixivにあげてから、こちらにアップするまで一週間以上かかったのは、書き直しの部分が多かったからです。
全部細かな部分の変更ですし、文字数もあちらと比べて三千字ほど増えただけなんですが、予想よりも時間が掛かったと言っていいでしょう。
次の更新も、また時間が掛かると思います。
すいません。


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幕間 それはるし☆ふぁーだけが知っている、とあるギルドメンバーの裏の顔

更新が遅くなってすいません。
色々と加筆していたら、遅くなりました。


 元々、るし☆ふぁーにとってそいつの存在は、ギルドメンバーの中でも数少ない警戒すべき対象だった。

 

 そう……初めてギルドで顔を合わせた時から、るし☆ふぁーから見て胡散臭い奴だと本気で感じていたのだ。

 この事を、他のギルドメンバーがもし知ったとしたら、「余程、お前の方が問題児だろう!」という声の集中砲火が遠慮なく上がるだろう。

 しかし、だ。

 るし☆ふぁーにとって、ソイツの顔を見て受けた第一印象はどちらかと言うと詐欺師に近いような、そんな感覚がしたのである。

 

 これでも、るし☆ふぁーの人を見る目は相応に鍛えられていると言っていい。

 

 富裕層の中でも、上から数えた方が早い立ち家柄に生まれた関係上、それなりに幼い頃から欲にまみれた大人の世界に触れる事が多く、否応なしに人を見る目を磨かれたとも言っていいだろう。  

 多分、割と富裕層に生まれていると知られただけで勘違いさてしまいそうだが、実際はそうでもないのだが、表向き中途半端に後ろ盾がない状態になっている状況のるし☆ふぁーの方が、貧困層に居る面々よりも世間の荒波に揉まれている。

 正確には、人の悪意に揉まれていると言うべきだろうか。

 

 元々、大きな富と権力を持ち貧困層や中流層の上に立つが故に、利権を奪い合う権力闘争が当たり前の富裕層において、それなりの生まれにありながら父親の身勝手な理由から後継者から外されるという、他人から見てかなりの不名誉を強制されている状況のるし☆ふぁーは、本当に苦労したのだ。

 

 それこそ、陰から支えてくれる母方の祖父が居るものの、中途半端な事情しか知らない周囲はるし☆ふぁーの事を下に見る事が多く、アーコロジーの中で生きるのはかなり大変だったし、そんな環境で育てば酷く性格がねじ曲がったとしても、別におかしくない状況だった。

 るし☆ふぁーが、実際にそんな風に道を踏み外さなかったのは、偏に息子を信じて無償の愛を与えてくれた母と、孫の一人として甘やかす所は甘やかしながら、必要な部分は厳しく育ててくれた祖父のお陰だと、感謝するしかないと思っている。

 名ばかりの父親は、生れたる前から完全にるし☆ふぁーの存在を無視していた事もあり、自分の肉親だと一度も思った事もない〖血が繋がっているだけの他人〗だという認識だった。

 それはさておき。

 富裕層特有の、悪意に満ちた世界で生きてきたるし☆ふぁーにとって、割と顔を合わせてすぐにその人間の本質を見抜く事は難しくない。

 だから、るし☆ふぁーが【胡散臭い詐欺師の様な男だ】と思った自分よりも後にギルドに入って来た相手は、割とギルドメンバーに対して柔らかな物腰をしているものの、本性はそちらに近いのだろう。

 事実、それから暫くそいつに気付かれないように観察してみれば、自分の勘が外れていない事がすぐに判った。 微妙な変化を付ける事によって、本人は周囲に悟らせないつもりで上手く隠しているようだが、るし☆ふぁーの目から見ると相手によって態度を変えているのが丸わかりだった。

 

 そう……確実に貧困層出身であると雰囲気からも分かるモモンガさんやウルベルトさんに対するソイツの態度は、表面上の言動こそ丁寧だけど実質はかなり悪かったのだ。

 

 いや、ソイツの行動をより正確に言い表すなら、ギルドメンバーに対して人当たりの良い対応で誰にも悟らせないように気を使いつつ、実際にはかなりぞんざいな扱いをしているといえば、伝わり易いだろうか。

 ユグドラシルで使用するのアバターが、表情を動かす事が出来ないと言う点も最大限に利用し、アイコンや言動では物腰柔らかな風体を装っているものの、間違いなく相手を軽んじている気配が潜んでいる。

 リアルで、表面上は同じ様に物腰柔らかい人物を装いながら、実際は悪意に満ちていた大人たちを山の様に知っているるし☆ふぁーから見れば、手に取るようにそいつの言動が読めてしまうのだ。

 

 しかも質が悪い事に、まるで気の置けない仲間だとしての態度だと思って思わせる様な、周囲に対してそんな素振りに見せる擬態が凄く上手く、誰にも実際は彼らの事を自分よりも格下に見て馬鹿にしている事を悟らせていない。

 

 だからこそ、るし☆ふぁーはソイツに対する評価を【周囲を騙す事が得意な詐欺師】だと考えていた。

 逆に、普段の言動から富裕層だとはっきり分かる素振りのたっちさんや死獣天朱雀さん、やまいこさんに対してはそれと判り難い態度で媚びている雰囲気すらチラついて、かなり不快なものだと言っていいだろう。

 もっとも、そんな態度を見せていたのは、彼らのゲームの中での会話や言動を聞く事によって、普段の行動を把握するまでのほんのわずかな間だったが。

 

 簡単に言えば、例え彼らが自分よりも上の富裕層出身だとしても、ゲームの中の言動だけで中身は自分よりも格下の馬鹿だと、ソイツは勘違いしたのだ。

 

 それこそ、もし自分が彼らと同じレベルの富裕層に生まれていれば、確実に彼らよりも格上だと思い上がったというべきだろうか。

 ゲームの中では、誰しも【リアル】との区切りをつける意味で何らかの演技を潜ませているというのに、それを本質だと勘違いしたまま自分よりも格下に思う事によって、中途半端な自分の自尊心を満足させているのだろう。

 実に愚かな話である。

 

 ありもしない虚栄心に満ちているソイツは、ギルドメンバーに対して人好きする態度を織り交ぜるなどして上手く彼らの信頼を勝ち取り、〖頼りがいのある仲間〗と言う立ち位置を確立し、割と小狡く立ち回っている。

 

 とにかく、ギルドメンバーとの間合いを詰めるのが、非常に美味いのだ。

 上手く立ち回る事で、周囲に好印象を与えているのもそいつにとって上手く事を運ばせているのだろう。

 結果的に、ギルドの中で一目置かれる立場と言う奴を確立してしまい、それと無く言動に毒が混ざる内容を口にしても、あくまでも「相手の事を思いやっているから出た発言」なんて好意的な捉え方で、スルリと流されてしまっているのだ。

 

 それが顕著なのが、やまいこさん相手だろうか。

 彼女が学校の教師であるという事は、ギルドメンバーの中で周知の事実だ。

 だから、やまいこさんは確実に富裕層出身なのだが、彼女のユグドラシルでのプレイスタイルが【とりあえず殴ってみよう】と言う脳筋タイプなので ソイツはすっかりやまいこさんを見下していた。

 それこそ、たまたま富裕層に生まれただけで學校の教師をしている彼女より、自分の方が優秀だという認識を持っているのが、るし☆ふぁーには手に取るように解る。

 

 実際には、多くの子供相手の教師をするやまいこさんが、あんな詐欺師まがいな奴よりも劣る筈がないのだが。

 

 ただ、リアルで多くの子供に関わる教師と言う仕事の多忙さを癒す為にゲームをしている彼女が、ゲームの中でまであらゆるデータを覚えるつもりがなくても、ある意味仕方がない話だろう。

 だから、【まずは殴ってから】と言う脳筋と言われかねないプレイになっているだけなのだ。

 そもそも、彼女の凄さは頭が良いとかそういう部分じゃない。

 あの、万年大樹の様にしっかりと腰を据えていながら、それでいて自分の状況などをすんなりと受け入れる柔軟な精神だと言っていいだろう。

 でなければ、あの天才肌の妹と比較され続けながら、あそこまでどっしりと肝の座った性格になる筈がないのである。

 

 そんな事も察せられない時点で、ソイツの矮小さが手に取るようにいとも簡単に理解出来て、るし☆ふぁーは苦笑するしかない。

 

 たっちさんに関しては、彼が百年以上前から続くヒーロー特撮物を好んで、それをプレイスタイルとしている事から、幼稚な人間だと見做したらしい。

 これもまた、実に愚かな話だ。

 現実では、到底自分の中にある正義を貫けないたっちさんが、それをゲームの中で実現する事によって心の渇きを満たしていたとして、何が悪いというのだろうか?

 むしろ、自分達が生きているリアルの状況を考えれば、無理を押し通せば家族諸共未来はないだろう。

 

 それをきちんと判っていて、ちゃんと理性で自分の行動を公私きっちり分ける事が出来ている分、たっちさんの事を馬鹿にするソイツの方が馬鹿なのだと、どうして理解出来ないのだろうか?

 

 朱雀さんに関しては、年齢的にも他の面々よりも様々な面で責任が付きまとう立場であるが故に、何かと行動するよりもまず思考で分析する傾向があるのだが、それを知らずにゲームについて行けないタイプの鈍さだと思っているらしい。

 正直、勘違いするのも甚だしいといいたくなる。

 朱雀さん自身、確かにマイペースなプレイスタイルを貫いている部分は確かにあるが、実際にチームを組んでダンジョンなどの攻略をしてみれば、ぷにっと萌えさんも舌を巻く位の分析力を持っている指揮官タイプなのだ。

 ただ、あいつは朱雀さんと組んだら足を引っ張られると勝手に思い込んで、一度も朱雀さんと一緒のチームになった事が無いから、その実情を知らないだけ。

 普段の、ギルドの中に居るマイペースでのんびりとした朱雀さんしか知らないからこそ、そんな勝手な思い込みが出来るのだろう。

 

 本当に……馬鹿な奴である。 

  

 そして、ソイツの愚かな態度はるし☆ふぁーにも及んだ。

 どうやら、奴はるし☆ふぁーのことを普段の言動だけで貧困層出身だと完全に勘違いし、自分より間違いなく格下の存在として扱おうとしていたのである。

 そんな風に思い上がる程、ソイツが実際にアーコロジー在住の富裕層の生まれなのかといえば、実は違う。

 親の頑張りで、ギリギリ中学校を卒業する事が出来た程度の、中流階層出身なのだ。

 

 では、なぜソイツがそんな風に思いを上がっているのかと言えば、この格差が明確な社会で最終学歴が【中学卒業】と言う事で、ギルドメンバーの大半よりも格上だと思っているからだろう。

 

 ウルベルトさんの事を嵌めようとした男もそうだったが、何とか無理をすれば貧困層でも通える小学校より、中学校を出ているだけで多くの人間が「自分は上質な人間である」と思い込み易いらしい。

 はっきり言ってしまえば、中途半端な存在なのに自尊心だけが高いのだろう。

 正直言って、アーコロジーの中に自力で住む事が出来ない様な、そんな程度の人間から自分の方が上位者だと思われるのは、富裕層の中でもかなり格上なるし☆ふぁーにとってかなり不愉快だった。

 

 確かに、るし☆ふぁーはギルドメンバーの中でも羽目を外した行動をして居るほうだろう。

 

 だが、それだけで自分の事を勝手に貧困層出身の人間だと勝手に決め付けられる理由にはならない筈だ。

 あくまでも、るし☆ふぁーがこのユグドラシルを始めたきっかけは、普段の多忙な生活をのんびりゲームで遊ぶ事で潤いの一つになれば、と考えたから。

 だからこそ、プレイスタイルが他人より羽目を外していたとしても、普段の雁字搦めの自分から逃れたいという

欲求から出たものでしかないのである。

 

 そんな理由でプレイし始めて、自分が所属するギルドとしてこの【アインズ・ウール・ゴウン】を選んだ最大の理由は、るし☆ふぁーにとって確実に信用出来る人物が、ギルドマスター言う立場にいたという点だろうか。

 

 正直に言おう。

 るし☆ふぁーは、モモンガさんのリアルを直接知っていた。

 彼の素性を知っている理由は、実に簡単な話だ。

 るし☆ふぁーの祖父の会社の取引先の営業担当として、母方の祖父の会社から絶大な信用を得ているのが、実はモモンガさんなのである。

 そして、るし☆ふぁーもモモンガの事を祖父から「信用ができる人物だ」と、紹介されていた。

 もちろん、直接会った上で紹介された訳ではない。

 祖父の会社に、新商品の営業に来ていたモモンガさんがプレゼンをしていた際に、たまたま祖父の仕事の手伝いをする為に打ち合わせで来ていたるし☆ふぁーも、その様子を見せて貰ったのだ。

 そんな理由から、るし☆ふぁーは直接モモンガさんの事を知っていたからこそ、ギルドへ勧誘を受けた際にその声を聞いただけで、彼が「あの時の信用できる営業の鈴木さん」だとるし☆ふぁーは直に気付き、ギルドへの加入する事を希望したのである。

 

 多分、モモンガに対するるし☆ふぁーの悪戯と言う名の甘えは、彼が本当の意味で信用できる人物と言う点での安堵も混じっているのだという自覚も、実はあった。

 

 それはさておき。

 正直言って、るし☆ふぁーのギルドにおける信用の度合いは、かなり低い。

 これは、半分以上が自分が引き起こした悪戯のせいであり、自分でも自業自得だとも判っているのだが、元々ゲームの取り込み方が違うのだから仕方がないといっても良いだろう。

 

 るし☆ふぁーにとって、ユグドラシルとはリアルの世界と完全に別人になれる、自由な場所だ。

 

 前述の通り、常日頃からアーコロジーの住人と言う富裕層独特の思考を持つ人間に周囲をガチガチに固められ、人前で虚栄に満ちた笑みを浮かべながら、それこそ見えない鎧を着て完全武装でいるリアルとは違い、のんびりと素の自分を見せつつはっちゃけてもいい場所である。

 そういう理由もあり、正直に言えば他のギルドメンバーに対してつい安らぎを求めすぎて、はっちゃけていた部分が大きいと言っていいだろう。

 今まで育った環境から、常に周囲に対して気を張り詰めていた部分が多いるし☆ふぁーにとって、自分の感情を思う存分曝け出していい場所など、リアルには早々ない。

 だからこそ、富裕層特有のやり取りなら幾らでも出来ても、素を曝け出してコミュニケーションを取る事は非常に苦手で。

 

 気付けば、ギルドメンバーに対して素直に接する方法が判らず、悪戯をして気を引こうとするという幼稚な行動をしていたのである。 

 

 それに対し、ソイツにとってユグドラシルとはリアルにおいて辛い状況を忘れる格好の場であり、リアルの様に立場に縛られない事を利用してその虚栄心を満たそうとしていた。

 本来なら、自分よりも上位者の生まれである彼らをも見下しながら、自分が上位者であると振る舞う事すら出来るこの場は、それこそソイツにとって最高の場所だったのだろう。

 だからこそ、ソイツは出来うる限り人当たりの良い人格者を装い、周囲から認められる様なそんな行動を取ってきたのだ。

 

 当然、そんな風にギルドの中での行動に明らかな差があれば、ギルドメンバーたちの中の信用がソイツに傾くのは仕方がないだろう。

 

 だが……るし☆ふぁーは知っている。

 ソイツが、普段のくだらないやり取りを見て、実際には陰でギルドメンバーたちの大半を嘲笑っていることを。

 それだけではない。

 ギルドメンバーたちの中で、るし☆ふぁーが行った悪戯だと認識されている大半は、るし☆ふぁー本人が仕掛けたものじゃなく、こいつが犯人なのだ。

 もちろん、今までるし☆ふぁーによる悪戯が全くないと言わない。

 むしろ、コミュニケーション手段の一つとして選択して致し、開発中のアイテム作成やゴーレム作成時に暴走したなど、ギルドメンバーに対して色々あったのも事実だ。

 場合によっては、幾つも重なった偶然の事故から派生した大惨事というのもあった。

 

 それら全部が、ギルドメンバーたちの中ではるし☆ふぁーの悪戯としてカウントされているのである。

 

 まぁ……ここに関しては、るし☆ふぁー自身が「偶然だ」と弁明しなかった事も大きいのだろう。

 事実、るし☆ふぁーが悪乗りして仕掛けた悪戯だって、それなりの数は存在していた。

 だから、どれが悪戯でどれが事故なのか毎回説明するのも骨が折れると、早い段階で匙を投げたるし☆ふぁー自身の問題だと言っていい。

 

 だが、現在ギルドメンバー達からるし☆ふぁーが実行したと認識されている、性質の悪い悪戯のうちの約四割が、コイツがそうと知られない様に仕掛けたものなのである。

 

 更に性質の悪い事に、使用したアイテムやゴーレムはるし☆ふぁー自身が作成したものを使用していた。

 正式にギルドに所属して間もないの頃、るし☆ふぁーはこの男に頼まれていくつかのゴーレムやアイテム、ざっくりとした罠の作成用としてのアイデアを幾つか提供した事がある。  

 最初、るし☆ふぁーがそれをコイツからそれを頼まれた時は、ナザリックの中に仕掛ける敵への罠だと考えていたから、効率のいい罠の仕掛け方など作成などの知識も一緒に提案した上で、だ。

 

 だが、コイツは何かリアルで気に入らない事がある度に、るし☆ふぁーから得たそれらを上手く利用し、ギルドメンバーに対して質の悪い悪戯を仕掛けておきながら、その罪をるし☆ふぁーになすり付けていたのである。

 

 先程も言った通り、そいつが使う元々のゴーレムやアイテムの製作者は、間違いなくるし☆ふぁーだ。

 だから、奴はギルドメンバーに対して何らかの悪戯を仕掛ける時は製作者の名前がはっきりとわかる様に前面に出す事で、その悪戯の仕掛け人はるし☆ふぁーなのだと言う流れに持って行き、ギルドメンバー達とルシファーが言い争うやり取りを陰でこっそり見て、自分だと気付かない彼らの事を笑っていたのである。

 この時、既にコイツに対するギルドメンバーたちの中での信頼はそれなりに高く、幾らるし☆ふぁーが「自分はそいつに嵌められた」と言ったとしても、自分よりコイツの言葉を信用するだろうと言う事は分かっていた。

 何より、だ。

 正直に事情を言って、ここでギルドメンバーの間でいざこざ起こせば、ギルドマスターであるモモンガさんが上手く話を丸く収めようと奮闘し、結果的に収拾が付く前にかなりのストレスを感じるだろうという事が、るし☆ふぁーにはすぐに想像が付いてしまったのだ。

 

 だから、るし☆ふぁーはいつも個性的なギルドメンバーに振り回されているモモンガの事を思って、敢えてそいつの泥をかぶり沈黙を保ったと言ってもいいだろう。

 

 しかし、だ。

 そんな風に、自分が諦める事でコイツの所業を赦し過ぎていたと、奴の裏の顔を知る身としてここ暫くの騒動を振り返りつつ、るし☆ふぁーは反省していた。

 自分が許容した歪みが、どうする事も出来ない位顕著に表れてしまったのが、現在進行形で起きているウルベルトさんの一件である。

 正直に言おう。

 今回の、ウルベルトさんの騒動が起きる前のギルド会議で、アルベドが問題行動をしている話が出る前、メールペットたちの間に気付かれない様に不和の種をまき散らし、何かが切っ掛けで揉め事が起きる様に裏で糸を引いたのは、コイツのメールペットである。

 

 ヘロヘロさんが言っていた通り、引き取られた時はまだ無垢な存在だったメールペットの彼女の性格は、最悪な人間である育ての親に似てしまったらしい。

 

 アルベドの言動を「間違っていない」と煽り、多くの仲間との間にトラブルになる様に誘導しつつ、逆に他のメールペットたちの相談に乗る素振りで不満を煽る。

 そうして、次第にお互いに不満を抱えてぶつかる様子を陰でこっそり眺めて笑いながら、さも自分は被害者の一人ですという顔をして大多数の仲間に紛れ込んで、周囲の同情を買うというのがとても上手い、本当に厄介なメールペットだった。

 何故、それをるし☆ふぁーが気付けたのかと言うと、理由はもちろんちゃんとある。

 

 それこそ、時間を作って根気よく恐怖公以外の多くのメールペットたちとの距離を詰め、寄り添う事によってカウンセリングをしていたからだ。

 

 出来るだけ、彼女たちの愚痴からその本音を引き出すように、ギルドメンバーに対して見せない様な紳士かつ優しく対応していた聞き取りの中から、それこそほぼ全員から出てきた証言の中に、彼女の存在が出て来たのである。

 更に言うなら、メールを届けに来たアルベド自身の口からも、彼女やその主の言動によって自分が間違いじゃないという思いが強まり、まるで背中を押されていると思えたという証言が出ていて。

 

 そう……アイツとアイツのメールペットは、アルベドの暴走の拍車を掛けるように、その背中を押すような言動をしたのである。

 

 何故、アイツがそんな事をしたのか?

 それは実に単純明快な理由で、博学でありながら天然でマイペースなタブラさんへのアイツからの嫉妬だった。

 タブラさんは、それこそ誰の目から見ても富裕層と思われるくらいに知識が豊富で、油断していると何かと蘊蓄を垂れ流すほどである。

 彼の持つ知識量から、アイツはタブラさんのことを完全に富裕層の人間として位置付けていたらしい。

 その割に、アイツの目から見てどこか付け入る隙が多いという事にも、直に気付いたのだろう。

 だからこそ、あいつはタブラさんを追い落とす為にメールペットのアルベドを利用した。

 

 そうする事で、彼女の主であるタブラさんまで汚名を着せて、ギルドの中で立ち位置を悪くさせるつもりで。

 

 正直言って、るし☆ふぁーがその絡繰りに気付けたのは、本当に偶然だった。

 同時に、当人が悪戯とそれ程変わらないだろうと思っていたとしても、それ自体が仲間に対する一つの裏切り行為と言える行動である。

 その事を理解した途端、るし☆ふぁーは今までの言動を含めてその根底にあるモノが完全に透けて見えて、スッと納得してしまったのだ。

 

 コイツこそ、いずれこのギルドを真っ二つに割る原因を、こっそりと仲間に対して振りまく存在になるんだろう、と。

 

 多分、今回の事も含めてそれに気付けるギルドメンバーは、るし☆ふぁーの様な幾つもの条件が重なった事で、その裏の顔に気付く事が出来た者だけだろう。

 普段の擬態は、それこそ誰にも見抜けない位に上手いのだから、むしろ当然な話だった。

 元々、ソイツの裏の顔にるし☆ふぁーが気付けたのは、初めて顔を合わせた時の第一印象のまま、相手の事を警戒していたからなどと言う、幾つもの条件が重なった事や、実際に自分が嵌められた事によって、その本性らしき部分を一瞬でも見る機会があったからだ。

 多分……自分が嵌められると言う状況が無ければ、今回の事だけでそれに気付くのは難しかっただろう。

 更に、最悪な事実が判明する状況が続いた。

 

 ギルド会議の議題に上がるまで、ずっとアルベドの事を煽っていたアイツのメールペットが、更に最悪な行動をしていた事が分かったのだ。

 

 ギルド会議を揺るがした、ウルベルトさんのサーバーがハッカーによるウィルスに侵入された時、彼女はその様子を目撃しながら誰にも……そう、デミウルゴスにすら、緊急連絡を入れずに楽しげに眺めていた事が、後から恐怖公が回収して来たウィルス侵入経路等を調査したデータによって判明したのである。

あの時、恐怖公からウルベルトさんサーバーがウィルスに侵入されている旨の緊急連絡を受けたるし☆ふぁーは、念の為に周囲一帯を含めた彼のサーバーに対して、可能な限りのウィルスチェックをする指示を出した。

 元々、恐怖公に持たせてあるウィルスチェックなどの対策ソフトは、テロリストの攻撃対象にされやすい母方の祖父の為に暇な時間に開発していたのと同じ内容である。

 

それを使えば、完全とは言えなくても襲撃してきたウィルスの種類とハッカーが誰なのか、ネット内だけでも調べが付く可能性が高かった。

 

 そうして、恐怖公によるあらゆるデータ検索を施した結果、浮かび上がったハッカーの名前と共に、先程挙げた頭が痛い内容が判明したのである。

 アルベドに対して、間違った方向へ進み易い様に余計な事を吹き込むなど、問題行動が元々多いアイツのメールペットだったが、そのクズさ加減まで似てしまったらしい。

 もちろん、それをギルド会議の場でアイツに対して直接問いただしたとしても、るし☆ふぁー自身の発言では、多分上手くギルドメンバーを味方に付けて、誤魔化されてしまうだろう。

 証拠映像だって、多分そのメールペットはウィルスに対する恐怖で動けなかったのであり、それを楽しんでみていた訳じゃないなんて、上手く話を誘導されてしまうに決まっている。

 もちろん、るし☆ふぁーから明確な証拠を提示すれば、流石にギルドメンバーの中には疑問を抱く者もいるだろうし、全員が全員それを鵜呑みにするとは言うつもりはない。

 

 だが……外面の良さに騙されている面々が多い状況では、アイツに対して何か言っても「るし☆ふぁーが難癖をつけている」と曲解されるだけだろう。

 

 それが判っていたからこそ、いきなりそのネタをぶちまけたりはしなかった。

 何をするのにも、正しいタイミングと言うものがある。

 会議が始まった時から、るし☆ふぁーはギルメンに対して色々な事を言いながら、出来るだけ自分の持つ情報を小出しにして上手く話を誘導するつもりでいたのだ。

 何とか、たっちさんの提案をウルベルトさんが受け入れ、無事に彼が置かれていた危機的状況を回避出来て、後はるし☆ふぁーからギルドメンバーに対して「ほかのメールペットにも問題行動がある」のだと、示すだけと言う状況になった時だった。

 

 ウルベルトさんの事で、アルベドに対してブチ切れていたデミウルゴスが、彼らの中で用意されていたらしい切り札を切ったというメールを送りつけてきたのは。

 

 それを見た瞬間、るし☆ふぁーの頭の中に浮かんだ事は「もうちょっとだけ待てよ、この大馬鹿野郎!」と言う内容を心底叫びたいというものだった。

 もちろん、あの状況下でそんな事をするなんて真似はしない。

 状況的に考えても、そんな真似をして居る場合じゃないのは明確だった。

 

 そう……再び被害者である筈のウルベルトさんを責めようという雰囲気を漂わせているギルドメンバーを、嫌味交じりに自分の知る情報を小出しにする事で牽制する必要があったからである。

 

 本音を言えば、デミウルゴスが行動を起こさなければ、あのまま自分の独壇場まで持って行けたのだろうが、流石にこの状況ではそれは難しいだろう。

 実際、アルベドを突き落とした罠の作成者であるシャルティアの主のペロロンチーノさんなど、様々な人からの情報が幾つも出て来て、陰でこっそりと糸を引いていただろう、アイツのメールペットの事を言い出せる雰囲気じゃなくなっていた。

 

 特に、たっちさんが思い切り熱く問い掛けるから、こっちはあまり多く突っ込む事が出来ない。

 

 もちろん、彼の言動で暴走気味な部分にはサクサクと茶々入れして上手く往なしたつもりだけど、この時の匙加減がまた難しかった。

 何と言っても、ギルドメンバーから向けられる「お前が言うな」的な視線が、結構いたかったからだ。

 それに、デミウルゴスのメールを受け取った後のタブラさんの様子が、結構心配だったのも実はある。

 正直言って、メールペットが配布される事になった直後のタブラさんの発言に関して言えば、未だに思い出すだけで腹が立つという自覚はあるものの、それは恐怖公を自分の理想通りにきっちり育て上げつつ、その横でアルベドの育成に失敗しているタブラさんを見て留飲を下げたからもういい。

 

 むしろ、メールペットたちを上手く利用して陰からタブラさんを追い落とす為に色々と糸を引いていたアイツの方が、るし☆ふぁーもっと腹が立つ存在だからだ。

 

 だが、困った事にギルドメンバーの信用が厚過ぎて、下手にるし☆ふぁーが騒ぎ立てても、質の悪い冗談か悪戯で済まされてしまうだろう。

 この、アルベドが引き起こしウルベルトさんに大きな被害が出た騒動の中なら、上手く立ち回って言い逃れが出来ない状況を作り出せたかもしれないが、もう遅い。

 デミウルゴスの暴走と、現時点での騒動の収束へと向けている状況下において、下手にそこへ更なる火種を持ち込むのは、流石にモモンガさんの心境を考えると躊躇われた。

 

 だから、この時もるし☆ふぁーは沈黙を守るしか、選択肢が無かったのである。

 

 それから、一月が過ぎた。

 未だ、アルベドが罰として飛ばされたサブサーバーから戻って来る様子はない。

 これは、彼女が反省しないからとかそういう理由ではなく、元々戻って来られる設定じゃない所に戻れる条件を付け加えた事によって、判定がかなりシビアになっている気がするのだ。 

 るし☆ふぁーには、漠然とだが余程の切っ掛けがなければ、アルベドが戻って来られないんじゃないかと言う予感すらしてきている。

 その間、毎日のようにアルベドがどうしてあんな行動をしたのか、その前後の自分の行動を含めて考えるようになったメールペットたちも、次第に自分にも悪かった点があった事を理解し始めたらしい。

 

 ちょっとずつ、誰にとってもいい方向へメールペットたちが変わって来た時に、ウルベルトさんへの二度目のハッカーの襲撃が発生した。

 

 襲撃犯が、前回と同じハッカーであり仕掛けた相手も同じであると言う事は、恐怖公がウルベルトさんのサーバーで構築したセキュリティーシステムから入手した情報ですぐに判っていたし、既に仕込んで置いたアレが作動している事も判っているから、そっちは問題ない。

 それよりも、問題なのは別の事だ。

 

 流石に、今回ばかりは見逃せないと、るし☆ふぁーは本気で思った。

 

 曲がりなりにも、ウルベルトさんのサーバーに対するハッカーが強引に侵入しようとしている様を、まるで楽しむように眺めながら、今回も誰にもその事を知らせなかったなんて、質の悪い行為なんてレベルじゃない。

 まして、今回のウルベルトさんへの襲撃への放置行為は、様々な意味で問題があったと言っていいだろう。

 今のウルベルトさんは、たっちさん娘であるみぃちゃんの家庭教師だ。

 しかも、襲撃を受けた時間帯には彼女も一緒にウルベルトさんのサーバーへ、勉強の為に降りていたという事も判っている。

 

 もし……そのまま彼女がハッカーの襲撃に巻き込まれるなんて事態になっていたら、それこそただでは済んでいなかったのは間違いない。

 

 ウルベルトさん自身は、自分の電脳空間にハッカーが強引に入り込んだ過負荷が掛けられた事によって負うダメージがどれだけのモノになるか、それこそ俺達には簡単に想像できるレベルではないだろうし、彼の誘導で電脳空間に降りて来ていたみぃちゃんだって、無事に済む筈がなくて。

 そうなれば、彼女の親であるたっちさんはもちろん……彼女の事を正式に自分達の後継者として見做している母方の実家が黙っていない筈だ。

 確実に、この状況を生み出した犯人はもちろん、それを見逃していただろう関係者にだって容赦しない筈。

 つまり、だ。

 あの時のアイツのメールペットの行動は、それこそアイツ自身の首を絞める諸刃の剣になっていた可能性が高かったのである。

 

 その事実に気付いたら、アイツは自分のメールペットの事を許容出来るのだろうか?

 

 まぁ、それに関しては後でそれと無く可能性として話を振ってやれば、それで反応が見れるだろう。

 それよりも、だ。

 あの場は、たまたまウルベルトさん宛のメールを持ってきていたアルベドの奮闘によって何とかなったと言う話を考えると、本当に巡り合わせが良かったと思うべきなのだろう。

 多分、あの場に居たメールペットがアルベドかデミウルゴス以外だったら、あのハッカーの襲撃に耐えられなかった筈。

 そう言う点では、間違いなくウルベルトさんとみぃちゃんは運がよかったのだ。

 

 だから、アイツのメールペットが直接関わろうとしなかったのは、ある意味仕方がないと思うべきなのだろう。

 

 そうは思うものの、やはりるし☆ふぁーにとって、あのメールペットの行動は許容できる行動ではなかった。

 これは、正直いって悪戯とかで片付けられるレベルの話じゃない。

 もし、アイツのメールペットが「ハッカーが怖くて何も出来なかった」と主張してきても、るし☆ふぁーには到底信じられなかった。

 と言うか、アルベドの様に直接対峙する事は無理でも、救援を呼ぶなど色々他に対応は出来た筈である。

 

 しかし、だ。

 アイツのメールペットは、一切何もしなかった。

 どうしてそう言い切れるのかと言えば、ちゃんとるし☆ふぁーには根拠がある。

 はっきりと、誰に対してもそう断言出来てしまう根拠、それはるし☆ふぁーが前回の襲撃の際に仕掛けて置いた代物だった。

 

 そう……ウルベルトさんのサーバーには、最初の襲撃が起きた際に恐怖公の眷属による外周壁への特殊防壁が張り巡らされていて、有事の際にはサーバーの内部はもちろん周辺の様子を全て記録するように、あの時に細工されてたのである。

 今回の襲撃の際、るし☆ふぁーがこっそりと展開していた特殊防壁は、しっかりとその役目を果たしていた。

 そうして、犯人を特定する為の証拠映像としての周囲の様子を撮ったものの中に、ギリギリサーバーの領域圏外の所で、ハッカーが侵入した直後からニヤニヤと笑いながら、その様子をずっと観察していた件のメールペットの姿がばっちり記録されているのだ。

その時間も長く、まるでアルベドがハッカー相手に孤軍奮闘している様子を楽しむかのように、被害に遭わないギリギリの位置で観察していた事はほぼ明白だろう。

 ここまで証拠となるデータが上がっている以上、到底放置出来る筈がない案件だと言っていい。

  

 あの時、アルベドは自分の置かれている状況では届かない可能性も理解しつつ、それでもちゃんと仲間に向けて救援信号を出していた。

 

 それに気付いたからこそ、デミウルゴスは急いで自分のサーバーに戻る事が出来たと言っていいだろう。

 だが、件のメールペットはどうだ?

 何の救援信号も出さず、むしろデミウルゴスが移動してくる気配を感じ取った途端、そそくさとその場から逃げ出す事によって、実はずっと前からその場にいてアルベドがボロボロになる様子を楽しんで眺めていた事を気付かせず、自分は無関係を装ったのである。

 

 いや……多分、もしデミウルゴスと接触したとしても、ハッカーやウィルスが怖くてパニック状態で、ただ恐怖に震えていたと主張するだろう。

 もちろん、彼女は今まではその主張がすんなり通るだけの擬態能力にたけていた。

 だからこそ、多くのメールペットが上手く彼女の口車に乗せられ、その巧妙なコミュニケーション能力によって思考を誘導されてしまっていたのである。

 元々、デミウルゴスは仲間に甘い傾向が強い。

 だから、もしあの時自分のサーバーの側で彼女と接触していたとしても、彼女がハッカーたちに対して本気で怖がる素振りを見せれば、どうしてその場に居たのか疑い続けるのは難しい筈だ。

 結果として、そのまま彼女が無罪放免されていた可能性は、かなり高かっただろう。

 

 だが、流石にこの状況を正確に把握してしまった身としては、これを見逃してやることは出来なかった。

 

 それでなくても、アイツのメールペットがそれとなくアルベドや他のメールペットへと広めた遅効性の毒の様な濁ったものの捉え方は、彼らの心に深い傷を残している。

 しかも、 言葉巧みにまだ発達途中のAIの思考へするりと滑り込ませるように、被害に遭っていたメールペットたちへと伝播させて言った事で、自分が発生源だと気付かれないようにしているのが、また腹立たしいと言っていいだろう。

 どんなに頭がよく設定されていても、アルベドは他のメールペットたちよりもタブラさんが手を掛けなさ過ぎている分、情緒面の発達がかなり遅れ気味であり、その余波として暴走しやすくなっていた【ナザリックのNPC】部分をより暴走するように誘導されていたのも、るし☆ふぁーの中で酷く癇に障る部分だ。

 

 ギルド会議で、ぶくぶく茶釜さんが議題に上げた事から、アルベドの行動が問題になりタブラさんの側の問題が浮き彫りになった時は、確かにるし☆ふぁーもメールペットを選ぶ際の暴言に腹を立てていたから、〖ざまぁみろ!〗と思う部分はあった。

 

 だけど、それはあくまでもタブラさんへの感情であって、彼のメールペットのアルベドが仲間から爪弾きにされて不幸になればいいと思っていた訳じゃない。

 ましてそれが、第三者がそうなる様い誘導して拍車を掛けていったという状況なら、彼女だって十二分にそいつらの被害者だ。

 アイツや、アイツのメールペットの裏の顔を察知しているるし☆ふぁーですら、この絡繰りに気付いたのはつい最近なのだから、上辺だけの言動や行動を信じているギルドメンバーたちでは、本当に取り返しが付かない状況にでもならない限り、あの醜悪な性格に気付けなくても仕方がない。

 

 そんな状況だから、多分るし☆ふぁーがこの件に関して何か言ったとしても、また耳を傾けてくれるギルドメンバーがいるとは思えなかった。

 

 だから、前回と今回の一連の件で多くの証拠を握っているこの状況でも、るし☆ふぁーが実際に選択出来る内容は、実はそれほど多くない。

 精々、ウルベルトさんのサーバーがハッカーに襲撃された際、たまたま近くに来ていたメールペットには、もれなく眷属が付着している事を伝えてやる位だ。

 あのメールペットがいた位置なら、ほぼ間違いなく付着している。

 

 ただ、眷属の付着はごく僅かなものになったと思われるので、そこから眷属の姿をしたセキュリティーシステムが【疑似黒棺】を展開するまでには半日から一日程度の時間が掛かる位だろうか。

 

 外見はどうあれ、あれはウィルスではなくあくまでもサーバーを守るセキュリティーシステムなので、余程そちらの方面の知識に明るくなければ、気付く事すら出来ないだろう。

 だから、もしそれが原因でアイツの所で【疑似黒棺】が展開されてしまう事態になっても、それに対応する手段はまず存在していない。

 るし☆ふぁーが把握している限り、襲撃の際に側にいたメールペットはアルベド以外だとアイツの所のメールペットしかいなかった事も判っている。

 

 それでも、敢えてこれから行われる会議の場で報告する事によって、アイツにこれから起きるだろう俺からの反撃を教えてやるのだ。

 

 元々、もしあの場にメールペットが側にいたのなら、アルベドの様に救援信号を出すか主であるギルドメンバー経由でその事態に対する緊急連絡をしていれば起きなかった事案である。

 だからこそ、アルベド以外にそんな行動を取っていない事を明確にした上で、るし☆ふぁーは「必要ない説明だと思うけど」と、前置きした上で【疑似黒棺】の事とその展開を止めるために必要なワクチンソフトの事など告げてやれば、どういう反応をするだろうか?

 

 素直に、自分のメールペットがそこに居たことを認めて、ワクチンソフトを今からでも受け取って展開を止めるか、それともこのまま何も言わずに自分のサーバーで【疑似黒棺】が展開するのを諦めるか。

 

 多分、今のアイツが選ぶとしたら、後者しかないだろう。

 状況的に、アルベドが身を挺してウルベルトさんの事を守る選択して実行したのに対し、救援信号も出さずに逃げ帰ったという行動を自分のメールペットが取ったなどと言ったら、幾らギルドメンバーの中で信頼が厚くても、流石に自分が非難の対象になる事は判る筈だからだ。

 更に言うと、ここでるし☆ふぁーが持っているメールペットがどんな行動をしていたのか記録されている映像を提供してやれば、全員は無理でも一部のギルドメンバーの中にアイツに対する微妙な不信感を覚えさせる事も可能かもしれない。

 アイツも、それが判っているからこそ、自分から襤褸を出す行動はしない筈だ。

 

 もし……アイツがギルドメンバーの前で本性を晒すとしたら……それこそ、このギルドで大きな揉め事が起きてバラバラに割れる時だろう。

 

 今は、まだこの【アインズ・ウール・ゴウン】と言うギルドが、アイツにとって色々な意味で利用価値がある事から、その中でも優位にいられる自分の立場を捨てるような馬鹿な真似はしない。

 だが……いずれユグドラシルと言うゲームそのものが、他のゲームに押されて衰退期に入るだろう。

 その時、アイツの中でこのギルドの存在が今の様に利用価値がなくなったと考えてさっくり引退していくなら、ギルド長のモモンガさんには悪いが、別にそれで問題はない。

 問題なのは、ゲームかリアルで何らかの大きな騒動が起きた際、こちら側の情報を売る事でギルドメンバーのままでいるよりも大きな利益が得られるとなった時だ。

 

 そんな事になったら、確実に自分の利益になる様にアイツは動く。

 

 もちろん、その時は今まで自分が育ててきたメールペットすら切り捨て、自分だけの安全を確保するだろう。

 その時点で、残っているだろうギルドメンバーたちの顔に泥を塗る様な真似すら、自分がより優位な立場に立つ為になら平気で出来る筈。

 むしろ、それと気付かれないようにしているだけで、自分よりもあらゆる意味で遥かに格上のギルメンすら、生れた家さえ同等なら自分の方が格上だと勘違いしている様な相手である。

 もし、目の前になり上がる事が出来る状況が降って湧いたら、それこそ簡単に踏み台にしようとするだろう。

 

 あくまでも、これは現時点で推測の範疇を超えていないが、この予想に関しては九割以上の確率で外していない自信が、るし☆ふぁーにはあった。

 

「……ただ、幾ら俺が間違いないと確信して状況証拠と共に訴えたとしても、今の時点じゃまだアイツの側に信用度で負けていて、向こうに軍配が上がるって点だよな……」

 

 少しずつ、メールペット関連で仲良くなって、きちんと話せばこちらの言葉を信じてくれそうな面々も出て来ているが、それでもギルドメンバーに対して表面上の外面がよくて、更に何かする際はるし☆ふぁーの事を隠れ蓑にして気付かせないアイツの方が、信用度は向こうの方が高いのだ。

 だから、アイツ本人に対して何か行動を取る事はまだ出来ない。

 

「……まぁ、いっか。

 疑似黒棺を止める手段は、アイツにはない訳だし。

 そもそも、会議の際に俺がその話をして聞かせる頃には展開されているか、それとも展開する一歩手前になっている状況だから、慌てて戻って回避しようとしても無理だしね。

 ちゃんと、やるべき事をやればアルベドの様に回避できた訳だし、アイツのメールペットが仲間としてやるべき事を放棄して、アルベドの事を嘲笑ってた方が悪いって事で。」

 

 後もう一つ、一度サーバーで展開された疑似黒棺は、その後そのサーバーの外周壁に見えない様に休眠状態で張り付き、ハッカーの接触やサーバー内外での違法行為等に反応して再展開される状態になる設定で組んであるのだが、それに関しては伝える必要はないだろう。

 あくまでも、正規手段でネットを使用し違法行為をしなければ反応しない上、ハッカーからの接触等の場合は内部には外壁で展開している状況が伝わらないのだから、特に問題はない筈だ。

 

「だって、ウルベルトさんの所のハッカー襲撃の際にサーバーの側にいて、その様子を見ていながら報告しなかったメールペットは誰も居ないんだからさ!」

 

 そんな事を考えながら、るし☆ふぁーはギルド会議に出るべく仲間への報告資料を手にしたのだった。

 




前書きでも書きましたが、pixiv版と比べてそれなりに加筆していたので遅くなりました。
お待たせしていたら、すいません。
内容的に、るし☆ふぁーさんに対する捏造部分がてんこ盛りです。
このシリーズのるし☆ふぁーさんは、この設定なんだと認識していただけたら、今まで色々ともあったるし☆ふぁーさんの相違部分と上手くかみ合うんじゃないかと。


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ギルド会議 ~会議は踊る~ その2

大変長らくお待たせいたしました。
前回の話の続きになります。


 建御雷さんが告げた内容に対して、騒めく面々に向けて不思議そうに首を傾げて見せたのは、先程から色々と口を挟んでいる関係者側のるし☆ふぁーさんだった。

 

「……あのさぁ、なんでそんなに騒ぐ必要があるのかなぁ?

 タブラさんが貧困層出身なら、あの時、ウルベルトさんを抱え込もうとしていた時点で止めなければ、結果的に似たような結果になっていたと、俺は思うけど。

 そうやって考えたら、別にそこまで驚く話じゃないと思うんだよね。

 あの時、富裕層の中でもそれなりの立ち位置に居る人間しか、ウルベルトさんを助ける事が出来なかった。

 俺も、タブラさんの様に〖責任を取る〗って支援を申し出なければ、二人みたいに〖仕事を斡旋します〗とも言わなかったし。

 だって、俺にはそんな事を言い出す名目が無かったからね。」

 

 それこそ、何でもない事の様にさらりと言うるし☆ふぁーさんに、思わずモモンガはドキリとしながら視線を向けた。

 まるで、それでは本当は彼にもあの時のウルベルトさんを助けられる力があったのに、助けようとしなかったと言っているようなものかないか。

 同じ様な答えに至ったらしい仲間達が、思わずるし☆ふぁーさんへと顔を向けると、彼はちょっとだけ困ったといわんばかりの様子で軽く首を竦めてみせる。

 

「別に、俺はウルベルトさんの事を見捨てるつもりだったから、自分から何も言わなかった訳じゃないよ?

 あの時、たっちさんは自分なりに明確な理由があったから、あの場であんな風に話を切り出せた訳だし、建御雷さんの場合もそう。

 ほら、そんな風にちゃんとした理由があった二人と違って、あの頃の俺はそれなりに親しいだけの仲間の一人でしかないから、きっちりと本人を納得させて支援を受けさせるだけの理由が無いでしょ?

 例え仲間でも、何の理由もなく施しを受け取れるような性格じゃないもんね、ウルベルトさんって。

 まぁ……もし、あの時、当人がどちらの手も取らなかったら、その場は一先ず自殺とかそういう方向に考えない様に説得だけして、出来るだけ早く新しい優良な仕事先としてデミウルゴスが見付けられるように、俺の母方の爺様にネットで人材募集をして貰うつもりだったけどね。

 うちの爺様、本当に凄く合理的な思考の持ち主で、さ。

 使えない人間なら、例え富裕層出身でも容赦なく閑職に回して首にする方向に持って行くし、俺の紹介が有ろうが無かろうが関係なく、仕込めばちゃんと使える人間なら貧困層出身とか気にせず雇ってくれる人だから、ウルベルトさんみたいに頑張れる人ならそれで何とかなったと思う。

 まぁ、その件は今更だから良いとして、だ。

 それで、結局どうするのさ?

 皆は、今回のタブラさんの件に協力してくれるの、してくれないの?」

 それこそ、「素材を狩りに協力して?」程度の気軽さで、サラッとその場にいる全員に向け笑顔のアイコンを出しながら問い掛けてくるるし☆ふぁーさんの言葉に、誰もが思わず息を飲んだ。

 まさか、このタイミングでこんな風に彼が結論を聞いてくるなんて、誰も思っても居なかったからだ。

 

 そう、自分達がこの件に協力するかどうかの最終確認は、建御雷さんがするものだと思っていたと言っていい。

 

 だからこそ、そんな風にるし☆ふぁーさんから急にどうするつもりなのか結論を問われて、咄嗟に反応出来ずに息を飲んでしまったのだ。

 それは、別にモモンガだけではない。

 既に関係者側の面々以外は、誰もみんな似たような反応をしていたから、やはり予想外の相手から問われたと言っていいのだろう。

 

 だが、そんなどこか戸惑いを感じさせる仲間の反応が、るし☆ふぁーさんには気に入らなかったらしい。 

 

「あのさぁ……最初にこの話をウルベルトさんがしてから結構経つのに、今更〖いきなり、そんな事を尋ねられても答えなんて出ない〗なんて事、言い出さないでくれるよね?

 ここまで説明する間に、自分がどうするか判断出来るだけの時間と内容の説明はあったでしょ?

 さっきのペロロンチーノさんじゃないけど、話を聞きながら自分の身の振り方をどうするのか位、考える事なんて出来たと思うけど。

 まぁ、今の時点でまだ答えが出ないって言うなら、これから五分待つからその間に結論出してくれるかな。

 あんまりこっちで時間取ると、定例会議の方が出来なくなっちゃうもんね?」

 

 サクサクと、この場を仕切る様にそんな事を言うるし☆ふぁーさんの行動に対して、この一件を本来取り仕切るべき建御雷さん達は特に止める様子は見られなかった。

 この様子だと、こんな風に仲間に対して結論を促す役割は、最初の段階で彼に任せてあったのかもしれない。

 それに、彼らだって私用で元々予定されていた定例会議に割り込んでいる事を、どこか申し訳ないと思っている部分があるから、出来るだけ早くこの件に関する話を終えたいと思っているんじゃないだろうか?

 だから、まずはるし☆ふぁーさんが切り出したように、先にどちらを選択するか決めて貰って、必要な案件は後で協力者たちが集まった時点で話し合おうと考えているのかも知れなかった。

 それに対して、唯一反論に近い意見を出したのは、同じ協力者側のたっちさんである。

 

「あー……それは、流石に拙いでしょう?

 明日も平日ですし、普通に仕事がある方ばかりなのですから。

 普段の状況を考えると、こちらの都合でこの会議の後まで残って貰った場合、かなり時間が遅くなってしまいますからね。

 実際に、明日の早朝出勤の方々がどれだけいるか分からない状況下ですし、これから色々と協力を願う状況でそれは逆に問題だと私は思います。

 大変申し訳ないとは思いますが、最近の定例会議の内容は早急に対応が必要な大きな問題もなく、メールペットとの日常を話すだけ感じになって来ていますし、今日の定例会議はこの議題を優先するという意味で譲っていただくというのはどうでしょうか?

 それなら、協力していただくのは難しい方々にはこの場から退場いただいて、そのまま自由行動をとっていただけますし。

 逆に、残った者たちだけでこの議題について話を続ければ、遅くまで時間を取られて明日の仕事に影響が出ると言う状況も避けられます。

 今回の件は、内容が内容だけに出来るだけ早急な話し合いが必要な事を考えれば、それが一番いい方法ではないでしょうか?

 どちらにせよ、私自身が明日は早朝から出張の予定が入っていますので、この件について詳しく話す時間を持つのが定例会議終了後、協力者だけこの場に残ってと言う事なら、その話し合いに参加出来ませんので。」

 

 たっちさんが、リアルの事情を挙げて時間的な問題を提案してきた事によって、誰もが普段の定例会議の長さを思い出したのだろう。

 その意見に対して、特に反対する者はいなさそうだった。

 多分……実際に普段の会議終了時間もかなり遅い事を考えて、それよりも更に遅くなるのは流石に困る者が多いからだろう。

 現に、モモンガも含めた早朝出勤が割と当たり前な面々は、明日の出勤時間も始発に間に合うように朝四時には起きなくてはいけない状態である。

 

 そんな風に、リアルで多忙な状況を抱える仲間の予定を考えるなら、たっちさんの主張は正しい。

 

 普段なら、真っ先に何か反論して来そうなウルベルトさんが何も言わないのは、数年前の自分が同じ状況だった事をちゃんと覚えているからだろう。

 正直に言えば、この件に関して自分に出来る事がどれだけあるのか、モモンガ自身にも皆目見当が付かない。

 だが、判らないなりにもし自分に協力する手立てがあるなら、それを惜しむつもりもなかった。

 つまり、モモンガの中では既に『何らかの形で協力する』と言う結論が出ていて、この話を断るという選択肢は最初から存在していなかったのである。

 なので、他の仲間たちには申し訳ないがとは思うものの、モモンガ自身もこのままこの場で話し合いをするという意見に賛成なのだ。

 

 普段行っている定例会議は、それこそいつでもしようと思えば出来るけれど、タブラさん達に迫っている問題は、今この時対処を考えなければ手遅れになる可能性だってあるのだから。

 

 ここまでの話の内容に対して、特に誰かが反対する様子を見せないのは、そんな状況が分かっているからだ。

 もし、ここで話し合う事を先延ばしにした事によって、本当にるし☆ふぁーさんが何らかの手段によってリアルで命を落とし、タブラさんが彼の父親に身請けされてしまうなんて状況になってしまった時、ざっくりとでも事情を聴いてしまったこの時点で後悔せずにいられる筈がない。

 むしろ、ただでさえログイン率が下がっているメンバーたちに対して、本当の意味で「止め」になって空中分解してしまう可能性だってあるのではないだろうか?

 

 どちらにせよ、彼らから最初に出された提案を踏まえて、一先ず協力するかどうか後残り数分以内に自分の意見を纏めると言う点は、確かに必要な事だろう。

 

「……そうですね、正直に自分の意見を言っても構わないのなら、今回のメールペットに関する定例会議は、後日に伸ばすべきだと私も思います。

 流石に、この場にリアルな案件を絡めるのはどうかと思いましたが、〖花街の遊女を身請けできるレベルの家〗が絡むこの件を放置すると、その余波が私達の方にまで来るような気がします。

 だからこそ、ウルベルトさん達は〖協力出来る相手を探す〗と言う名目で、この場での相談を選択したんじゃないですか?」

 

 静かな口調で、彼らに対してそう問い掛けたのは、こういう時あまり口を挟まず最後の結論を出るのを見守っている、死獣天朱雀さんだった。

 穏やかな口調で彼からそう尋ねられた途端、返事を待つまで黙っていた面々はそれぞれ軽く首を竦めながら頷いて、彼が言い出した言葉が間違いじゃない事を認める。

 関係者側が、彼の言った内容を素直に認めた事によって、その場に居た面々の間にざわざわと騒めきが大きく広がった。

 

「……まぁ、今回は色々と複雑な事情が絡んでいるから、単純なるし☆ふぁーさんの家のお家騒動で済む案件じゃなくなるのは確かだな。

 正直に言えば、今協力を表明している面々だけで何とか出来ないかと言われたら、実は不可能じゃない。

 しかし、だ。

 それを実行するとなると、結構強引な手段を取らざるを得ないから、余波で幾つか会社が潰れて失業者が出る可能性がない訳じゃなくてな。

 もしそうなった場合、その余波で潰れる会社の中に仲間自身の勤め先や、その身内の勤め先が含まれていたりしたら、流石に申し訳ないと思うからこそ、こうして被害を最小限に収められるように協力者を募ってるんだ。

 先に言っておくが、この件を実行するのは決定事項だぞ?

 むしろ何もせず、るし☆ふぁーさんの家のお家騒動を放置した方が、実際にそれら一連の事が発生してから半年後までの間に出る失業者数が、強引に事を起こした場合の数倍に跳ね上がる事は、デミウルゴスが作った試算データで確認済みだからな。」

 

 小さく溜息を吐きながら、ざっくりとした事情を説明してくれた建御雷さんに、一部を除いて周囲が大きく息を飲む。

 どうして、デミウルゴスが出したという試算データの結論が、そんな事態になるのか判らなかったからだろう。

 本気で困惑している彼らの反応を見て、首を竦めたのは当の本人であるるし☆ふぁーさんだった。

 

「普通に考えたら、解る事だと思うけどなー?

 アイツが、自分勝手な理由でタブラさんの事を身請けする為に、俺と俺の母親を殺してその資産を手に入れようとしている事が解っている状況で、なんで俺が何も自衛しないままでいると思う訳?

 まず真っ先に、俺と俺の母親が死んだ場合にあの男への遺産相続が発生しない様に、自分達の持っている資産の名義を爺様の名前に変更手続きをするに決まってるでしょ。

 そうしたら、爺様にとって〖単なる娘婿〗と言う立ち位置で爺様と養子縁組をしていないあの男には、万が一爺様が死んだとしても一切の財産相続権は発生しないし。

 と言うか、この話を聞いた時点で爺様に連絡したから、その時点で名義書換に必要な手続きは済んでいて、明日の朝一番で書き換わる事が確定しているんだよね。

 だから、この段階であの男には一銭も入らない事が確定している訳だ。

 そうなった場合、当然だけど身請けするのに必要な莫大な支払いはあの男の持ってる資産で行う必要があるんだけど、俺が知ってるアイツの性格なら自分と溺愛している愛人以外の為に自分の金を使いたがらない筈だから、会社の金で支払うなんて言い出しかねなくてさ。

 アイツ、何だかんだ言って結構ワンマン経営しているから、そうと決まったらどんな無理を通してでも会社側に強引に金を出させるって断言してもいい。

 んでさ、もし本当にこの流れになった場合、会社はどうやってその金を捻出しようとすると思う?」

 

 一つ一つ、るし☆ふぁーさんが既に自分の取っている対策と、自分の名ばかりの父親が取る行動を並べ立てていくのを聞くうちに、誰もがこの状況の最後の結論に気付いたのだろう。

 彼が言う〖仲間達に対する余波〗とは、すなわち彼の父親が会社に無関係な筈の無理な支払いを押し付けた結果、会社側がそれを捻出する為に手っ取り早く出来る手段として、人件費の削減を目指して給料カットや首切りなどを行い、会社の経営状況によっては徐々に失業者を増やす、と言う事だった。

 既に、自分達の資産が相手の手に渡らない様に手を打っているなら、この状況を放置したら絶対に発生する案件だといっていいだろう。

 

「あー……その、るし☆ふぁーさん側の状況は判りましたけど、論点がずれてきてませんかねぇ?

 元々、今回の建御雷さんの協力要請は、〖タブラさんの一件に関して誰か助けて欲しい〗と言う話だったと思ったんですけど?」

 

 聞かされた内容の重さに、声も出せずに沈黙していた仲間の中から、ヒョイッと触腕を上げてそう声を上げたのは、ヘロヘロさんだった。

 彼が問い掛けた事で、自分たちにも無関係じゃない思わぬ状況を提示され、つい最初の議題から話がずれてしまっていた事に漸く気付く。

 それに対して、るし☆ふぁーさんは軽く人差し指を振るとそれを否定した。

 

「別に、論点がそこまで大きくズレてる訳じゃないと思うけどね。

 今回のタブラさんの件は、俺がアイツの事を追い落とせば一旦は引っ込む事だし。

 もちろん、タブラさんの所属しているお店の主がまた同じ様な事をしない内に、こっちで手っ取り早く身請けしちゃう方が面倒も少ないし、やるなら並行して動いた方が良いのは間違いないけどさ。

 実は、その為に必要な資金の一部にして貰うつもりで、名義変更しないで俺の手元に残してあった分に関しては、さっきウルベルトさんの口座に送金しておいたんだよね。

 正直言って、俺が個人で仕事の合間の休憩時間を利用して運用するより、デミウルゴスに任せた方が確実に増やしてくれそうだったし☆

 多分、元から手元にある資産と俺が送った資産を合わせて運用すれば、それこそすぐに身請けに必要な金額まで達成可能じゃないのかな?」

 

 笑顔のアイコンを出して、きっぱりとそう言い切ったるし☆ふぁーさんの言葉は、今までウルベルトさんから聞いているデミウルゴスの成長を考えれば、誰にも否定出来なかった。

 その辺りに関して、誰よりも実感しているだろうウルベルトさんが、困った様子で頬を掻いてはいるものの否定しないのだから、むしろ実際にその通りなのだろう。

 だとしたら、彼から渡った資産があれば数日後にはそれ相応の金額まで増える事は間違いない。

 正直に言えば、モモンガ自身もパンドラズ・アクターに預貯金の資産管理を任せた結果、デミウルゴス並みの恩恵を受けている身なので、彼の手元に運用出来る資産金額が増えれば自動的にどういう状況になるのか、想像するのは簡単だった。

 

「あー……そうですね、資金面だけならデミウルゴスにある程度纏まった金額を渡して資産運用任せれば、それ程時間を掛けずに達成可能出来そうですよねぇ。

 だとすると、今回の件で建御雷さん達が欲しい協力と言うのは、富裕層関係者の勢力的なものだと考えればいいですか?」

 

 念を押す様に、必要な内容の確認を取ってくるヘロヘロさんに対して、建御雷さんは頷いた。

 この質問に対して、立場的に自分が答えるべきだと判断したからだろう。

 それを補足するように、ウルベルトさんが横から口を挟む。

 

「まぁ……そうだな。

 確かに、俺達が現時点で一番協力して欲しいのは、確かにある程度富裕層の中でも顔が利く奴ら、もしくはそちらに伝がある面々だ。

 だけどな、それと同時にるし☆ふぁーさん側の協力者も欲しいんだ。

 こいつ、元々自分は父親の会社の跡取りの立場から外れていると思っていた事もあって、もしこのまま父親を追い落としたとしても、一緒に会社を運営していく為に一番必要な信頼出来る仲間が居ないんだと。

 今から、父親の会社の中で信用出来そうな仲間を集めるのは流石に時間が足りないし、出来ればある程度会社の中の運営状況を掌握するまで、確実に協力してくれる仲間が欲しいんだよ、コイツ。

 簡単に言えば、富裕層側からのヘッドハンティングって奴だ。

 更に付け加えるなら、もし父親を追い落とせずに失敗する様な状況になったとしても、協力を申し出てくれた仲間の再就職先に関しては、きっちり保証してくれるらしい。

 ただし、それはあくまでも再就職の面倒まで見るだけで、その後は自分で努力しないと首を切られる可能性もあるぞ、とは言っておく。

 ……まぁ、簡単に言えばさっき出ていたコイツの爺さんの会社への斡旋だから、経営者の身内からの推薦だって事で努力しない奴はサクサク首を切られるが、上手くいけば出世コースにも乗れることにもなるんだと。」

 

 サクッと説明してくれた内容は、正直言ってかなり魅力的な話だと言っていいだろう。

 これが、もし説明したウルベルトさん本人が協力を申し出ている相手だったのなら、多くのギルドメンバーが協力を申し出たんじゃないかと思えるほどだ。

 しかし……実際に協力を求めているのは、彼じゃなく「ギルドの問題児」であるるし☆ふぁーさんである。

 この時点で、この本当にこの話を受けても大丈夫なのか、確実に仲間たちの中に躊躇いが発生してしまっている事をモモンガは直に悟っていた。

 今までの、質の悪い多くの悪戯の数々を考えれば、その反応も仕方がないのかもしれない。

 

 だからといって、ここで手を差し伸べずに彼を見捨てるという選択は、モモンガの中に存在していなかった。

 

 彼は、何だかんだ言いながらも自分の資産をウルベルトさんに預ける事で、自分に何があっても金銭的な面ではタブラさんの事を助けられるだけの手筈を、既に取っている。

 普通、自分が父親に命を狙われているなんて恐ろしい状態なら、他人の為じゃなく自分を最後まで守る為に使うという選択をしてもおかしくなだけの資産を、ネットゲームの仲間を助ける為にサクッと使う判断を下している時点で、彼が悪い人な訳がないのだ。

 そう思ったモモンガが、それでも少しだけ迷いながら協力の意思を示すべく手を挙げようとした時、別の場所から手が挙がる。

 

「一つ確認だけど、その協力者が現在どんな職種についていても、その点は問わないって事で良いのかな?

 それなら、俺、るし☆ふぁーさん側の協力者に名乗りを上げてもいいけど?」

 

 その声に、全員が視線を向けた先に居たのは、さっくりと結論を出したらしい弐式炎雷さんだった。

 まさか、自分よりも先に彼が声を上げるとモモンガは思っていなかったので、どうしてそんな風に誰よりも早く名乗りを上げられたのか、不思議で仕方がない。

 それに関しては、多分他の仲間たちも同じ気持ちだったのだろう。

 だからこそ、彼に視線が集中しているのだ。

 

「もちろん、こんな風に名乗りを上げた理由なら、ちゃんとあるけど。

 だって、先に建やんが助けようとしているタブラさんの為に、るし☆ふぁーさんが既に色々と協力してくれているのが判ったから、と言うのが大きな理由かな。

 それに、個人的にメール楽しくメールのやり取りをして居る相手を助けられない自分なんてなんか嫌だし、何よりナーベラルと恐怖公はそれなりに仲が良い相手だからね。

 るし☆ふぁーさんに何かあって、それが原因で恐怖公がメールペットとして居なくなることになったら、絶対ナーベラルが悲しむと思うんだ。

 だから、あの子を泣かせるなんて悲しい事態にならない為に、もるし☆ふぁーさんの方の協力者として名乗りを上げる事にしたという訳さ。」

 

 彼の口から、どうしてこの結論を出したのか、その理由を聞けば実に簡単な話だった。

 弐式さんにとって、親友と言うべき建御雷さんを助ける手立てをしてくれたから、今度は自分が助けに回る選択をしただけと言う事らしい。

 更に、彼にとって可愛くて仕方がないナーベラルが仲の良い相手の主だから、そんな相手に何かあったら彼女が泣く事になるという理由も納得がいく。

 むしろ、こちらの比重の方が大きそうな気もするが、それは横に置くとして。

 真っ先に、弐式さんが自分の立場を表明した事によって、自分の中で出ていた結論を口にする空気が出来たからだろう。

 気付けば、ヘロヘロさんがスッと手を挙げていた。

 

「あー……そう言う事なら、私もるし☆ふぁーさんの協力者側に回りたいと思います。

 流石に、私の立ち位置でタブラさん側の協力者になるのは難しいですし、今の彼に必要な協力者としてなら条件を満たせそうですから。

 それに……うちのソリュシャンとも恐怖公は仲が良いですからね。」

 

 軽く触腕を振りつつ、迷う事無くにっこり笑顔のアイコンでそう告げると、自分の言うべき事は終わったといわんばかりにイスに深く座り込む。

 彼の様子にも迷いがないので、既にきちんと自分の中の選択を済ませてしまっている事が伺えた。

 そんな彼らの様子を見て、モモンガも腹を括る。

 

 普段なら、仲間の意見を聞いた上で最後に全員の意見を調整する為に自分の意見を口にする事が多いのだが、今回ばかりは既に自分の中で結論が出ていた事もあり、他人の意見に合わせて自分の意見を主張しないという真似はしたくなかったからこそ、サクッと口にする事にしたのだ。

 

「私も、協力者に名乗りを上げて良いですか?

 ただし、私の場合は両方に参加させてください。

 タブラさん側に関しては、立場的な面で協力するのは難しいので、資金面で協力したいと思います。

 こちらに関しては、この一年間うちのパンドラがデミウルゴスに倣って、俺の預金の半分を元手に資金運用しているので、それなりに出資出来る予定です。

 本人曰く、『ナザリックの財政担当として、その名に恥じない資産運営をさせていただいております』との事でしたから、今の生活に影響が出ない範囲内に絞っても、それなりの額になると思いますから。

 るし☆ふぁーさんに関しては、どの程度まで俺に出来る事があるのか判りませんが……今までの様に仲間の意見の調整役兼雑用係的な立ち位置、と言う事でいいのなら……協力者側に付きたいと思います。」

 

 モモンガが口にした、具体的な提案込みでの協力の申し出に、その場にいた仲間たちがざわざわと騒めく声が上がる。

 出来れば、こちらの事で驚くよりも自分がどうするか答えを出す方を優先して欲しいと思うのは、先に結論を出した側の我儘だろうか?

 実際、そろそろ最初にるし☆ふぁーさんが提示した五分になるのだから、他人の結論を聞いて驚いている暇などない筈だ。

 そんな、モモンガの気持ちを察したかのようにスッと手を挙げたのは、朱雀さんだった。

 

「そろそろ、残り時間も少ない事ですから、私も結論を口にしましょうか。

 私も、モモンガさんと一緒で両方に協力する事にします。

 タブラさん側への協力に関しては、主に私の名前と立場を貸す形になるかと思いますが……あらゆる方面で協力する事を視野に入れています。

 るし☆ふぁーさんに関しては、まぁ……協力しないまま放置するという選択肢は、個人的にありませんからね。

 ただし、あくまでも相談役と言う形になると思うから、その辺りは調整してくれるんだろう?」

 

 最後の一言は、完全にるし☆ふぁーさんに対して向けたものだったので、もしかしたら二人にはリアルでも個人的に付き合いがあるのかもしれない。

 一番可能性が高いのは、るし☆ふぁーさんがリアルでは大学教授だという朱雀さんの教え子と言う線だろう。

 それなら、流石に教え子を見捨てるのは気まずいからと、大学教授の片手間として何とか出来そうな、相談役と言う立場で協力を申し出たのも納得がいく。

 

 どちら側にも、名前を貸す形での協力でもそれなりにメリットがある立ち位置、と言う事なのだろうから。

 

 そして、彼が時間の事を口にしてくれたお陰で、今までただ騒めくだけだった面々も自分の中で協力するかしないか、協力するならどちらなのかと言う結論を出して、手を挙げてその答えを手短に返答してくれている。

 一人ずつ、答えを口にしている内容を素早く記録しているのは、既に協力者側に居る弐式さんとヘロヘロさん、そしてウルベルトさんの三人だった。

 いつの間にか、それぞれ受け持ちを決めていたらしく、自分が担当する名簿に名前を記録している。

 こんな風に名簿まで作っているのは、先程ウルベルトさんが口にした「失敗した際の協力者の再就職」とか色々と必要になるからだろう。

 

 ただ……モモンガには一つだけ気になった事があった。

 実は、時間ギリギリになってまで迷っていた面々が少しだけ居たのだが、彼らは全員るし☆ふぁーさんによって「時間切れ」と判断され、容赦なく「不参加」側に割り振られてしまったのである。

 中には、それなりにるし☆ふぁーさんと付き合いがある人も居たのだが、そんな相手に対してもるし☆ふぁーさんは一度下した結論を翻さなかった。

 

 彼曰く、「この時点でまだ迷っているのなら、下手に協力者として参加しない方が良い」との事らしい。

 

 この段階で、「自分はどうするべきなのか」と言う事が決められない優柔不断さでは、有事の際に直に判断を下せず仲間に迷惑を掛ける可能性が高いという彼の主張は、確かに正しいのだろう。

 特に、今回はゲームの攻略などではなく『リアル』がメインで動く事になる以上、ちょっとの事が本気で命取りになる可能性もある。

 このるし☆ふぁーさんの判断に対して、リアルで富裕層のたっちさんですら何も言わなかったのだから、彼らも同じ判断を下したと言う事なのだろう。

 

 そうして、それ程間を置く事無く協力する側としない側の名簿の作成は終わっていた。

 

 やはり、色々なリアルのしがらみなどもあるから、協力する側に回ってくれる人はそれ程いない。

 先に名乗りを上げたモモンガ達以外で、タブラさんかるし☆ふぁーさんにこの場で協力を申し出てくれた人は、やまいこさんとぷにっと萌えさん、ベルリバーさんとあまのひとつさん、音改さんの五人だけだった。

 ペロロンチーノさんと茶釜さんは、〖自分達の手掛ける仕事の内容的に今の段階ではるし☆ふぁーさん側でも協力する手段が思い付かないから〗と言う理由から、今回は参加を見送る事にしたらしい。

 この二人返答は、ある意味ウルベルトさん達も予想がついていたのだろう。

 むしろ、「二人に協力して貰うなら、まず今回の事を決着付けた後だから」と笑って返事した辺り、るし☆ふぁーさんは既に腹を据えて先の事を考えているんだと、思わず実感してしまった。

 

 今回は協力するのを見送った面々には、ホワイトブリムさんの様な漫画を描くなどの創作活動で生計を立てているような人や、茶釜さんの様に声優など何らかの形で芸能界に所属している人たちも入っている。

 

 既に、それなりに有名にはなっている人たちも居たが、それでもまだ彼ら自身が今回の一件に協力出来る程の力はないと、自分なりにきちんと理解しているからこそ、協力を申し出られなかったのだろう。

 この辺りに関しても、建御雷さんやるし☆ふぁーさんは最初からそうなるだろうと察していたらしい。

 だからこそ、協力するかどうかの選択肢を最初の時点で提示してくれていたのだと、茶釜さん達との会話ですぐに判った。

 むしろ、彼らからすればモモンガが両方の協力者に名乗り出た事の方が、意外だったようだ。

 

 唯一、ウルベルトさんはタブラさんの事を話した時点での俺の雰囲気から、何となくそう言い出しそうだと察していたらしいが。

 

 とにかく、協力する面々が確定した時点で、今日の会議は中止して協力者以外はその場で解散、と言う流れになった。

 

 




モモンガさんの視点なのに、るし☆ふぁーさんが動く動く!
一先ず、今回の話で協力す津メンバーが絞られました。
本当は協力したくても、出来ない人たちも居ますからね。

そして、これは大事な事なので一つだけ。

前回の幕間に出て来た、メールペットであるルプスレギナの主は、協力者側にはいません。
その理由は、今回の話の中でほんのり出て来ています。


次の話の更新は、今月中の予定です。


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ギルド会議 ~タブラさんの救出作戦参加者の話し合い~ 

ギリギリ、まだ9月30日


 円卓の間から、協力者を除いて全員出て行ったのを確認した直後、るし☆ふぁーさんはそっと音を立てない様に部屋の扉まで歩いていくと、幾つかのアイテムを手早く設置するのが見えた。

 あれは、盗聴防止用の防音系アイテムだった筈。

 

 もしかして、理由があるから今回の件には参加はしないものの、どうしてもこちらの状況が気になるだろう面々に、中での話を聞かれないようにする為に設置しているのだろうか?

 

 きっちりそれらが起動し、外に完全に音が漏れなくなったのを確認してから、急いで自分の席に戻って来たるし☆ふぁーさんの様子から考えても、それで多分間違いないのだろう。

 最初から、協力出来ない面々が直接騒動に巻き込まれない様に、詳しい話を聞かせるのは関係者だけにする予定だった事を考えれば、るし☆ふぁーさんの行動は当然の話だった。

 実際、彼が速攻でアイテムを設置するべく動いていなければ、一先ず外に声が漏れない様に防音魔法を使用し、その上でヘロヘロさんに頼んで更に物理的干渉による防音対策を取って貰うつもりだったのだから。

 

 視線をゆっくりと巡らせ、全員が自分の席に落ち着いたのを確認した所で、ヘロヘロさんがるし☆ふぁーさん対してに声を掛ける。

 

「あの……さっきは状況的に確認出来なかったので口を挟みませんでしたが、時間切れで振り落とした人たちの中にも有能な人たちが何人かいましたよね?

 特に、最後に名前を読んでまで振り落としたあの人とか?

 出来れば、彼らにもるし☆ふぁーさん側に協力して貰った方が、この先足りないだろう人手を補うという言う意味でよかったんじゃないですか?」

 

 やはり、彼もまたモモンガと同じ疑問を抱いていたらしい。

 あの時のるし☆ふぁーさんの様子は、こんな風に話を切り出しても聞いて貰える雰囲気じゃなかったし、何より早く話を進める為にも協力して貰わない人達に早めにここから出て貰って自由にして欲しかったから、敢えて尋ねずにいた質問だったのだろう。

 このヘロヘロさんの質問は、どうやらこの場に居るほとんどの人が気になっていたらしく、いつの間にかるし☆ふぁーさんに視線が集まっている状況になっていた。

 なんだかんだ言って、るし☆ふぁーさんはその人とつるんでいる事が多いと記憶しているだけに、信頼の置ける仲間の一人として、協力して貰うべきだったんじゃないかと思う部分があるからだろう。    

 

 それに対して、答えたのはるし☆ふぁーさんではなく、同じく協力を申し出た側のあまのまひとつさんだった。

 

「何を言っているんですか、ヘロヘロさん。

 別に、あの人はそれ程るし☆ふぁーさんと仲が良い訳じゃないですよ?

 どちらかと言うと、あの人はるし☆ふぁーさんと一緒にいる事で、『あんな大変な奴にまで気を掛ける人格者』みたいな風に、自分が良く見られるのを狙っていただけでしょ。

 そもそも、新しいアイテム作成をする時に失敗は付き物なのに、失敗した時に限ってあの人が勝手に『るし☆ふぁーさん、実験中に悪戯したら駄目でしょ』とか大きな声で騒ぐから、アイテムやゴーレム関連の暴走とか爆発の半数以上を、彼の悪戯だと勘違いされただけですからね。

 少なくとも、そんな風に自分に対して周囲が誤解を生む原因になる発言を常にしている相手を、仲が良いとは俺は思いたくないですね。」

 

 あまのまひとつさんが、落とした爆弾発言によって周囲は〖信じられない〗という顔で、彼とるし☆ふぁーさんの事を見比べた。

 それに対して、るし☆ふぁーさん本人は軽く首を竦めているものの、あまのまひとつさんの言葉を否定する様子はどこにも見られない。

 それだけで、今の発言がどれも本当なのだと言う事が、この場に居る面々に漸く伝わった。

 

「今のは、どういうことなんですか、るし☆ふぁーさん?

 もし今の話の通りなら、なぜ反論せず大人しく自分の悪戯だなんて認めたりしていたんですか?

 少なくとも、「アイテム作成の際の失敗なのだ」と、ー言先に伝えてくれていれば、私たちはあなたの事をあんな風に責めて追い回すという真似はしなかったと思います。」

 

 今更ではあるが、それでももう少しそういう事ならきちんと主張してくれれば、少しは状況を確認するなどと言った行為をしていたのではないかと言う思いから、そんな言葉が誰からともなく溢れる。

 それに対して、ちょっと困ったような表情のアイコンを浮かべながら頬をコリコリと掻くと、るし☆ふぁーさんはもう一度首を竦めながら今まで黙っていた理由を口にした。

 

「……そう言われてもさぁ……実際に俺がその場で〖これは事故でした〗と言ったとしても、状況的に別の考えを挟むのは難しかったと思うよ?

 だって、こちらが何かを言うより先に、普段から仲間の信頼の厚いアイツが俺を名指しして〖実験中に悪戯したら駄目でしょ?〗って言い出した時点で、ほとんどの仲間は無自覚に意識がそちらの言葉に傾いていた筈だし。

 元々、その頃には既にちょっとしたゴーレムやアイテムを使ったちょっとした悪戯なら、ギルメンを相手に既に幾つかした後だったからね。

 そんな俺が、〖これは事故で悪戯じゃない〗と言って否定したとしても、信用度は低かったと思う。

 むしろ、みんなは〖俺の悪戯〗って言葉を聞いただけで、〖あぁ、なるほど犯人はるし☆ふぁーか〗って勝手に納得しちゃって、そこから深く追求しようとしなかった事の方が多いし。

 そういうのが何回も重なっちゃったら、今更否定するのとか面倒になっちゃったんだよね。」

 

 ちょっとだけ、どう説明すれば良いのか困ったように言葉を選んで説明してくれたるし☆ふぁーさんから漂う雰囲気は、どこか諦めに似たものが滲んでいた。

 あくまでも、これはモモンガの推測でしかないのだが、今まで何度も自分の言葉を信じて貰えない事が続いた事によって、自分から弁明するのを諦めて〖自分の悪戯だった〗と認めてしまう事を選ぶようになってしまったからなのかもしれない。

 

 だとしたら……るし☆ふぁーさんが何でもかんでも〖悪戯だ〗と笑うと言った反応をするようになった原因は、自分達にあるのだろう。

 

 ゴーレムが絡む〖悪戯〗が発生した時、大半の仲間が最初からるし☆ふぁーさんが犯人だと決めつけていて、それこそ速攻で彼の名前を読んで被害者を筆頭に彼を追い回していたけど、もし、それが間違いだったとしたら……酷い事をしていたのはこちらの方だ。

 もう少し、きちんと彼の話を聞いてから対応するべきだったんじゃないだろうかと、モモンガは心の中で反省していた。

 少なくとも、何かの実験が失敗した原因を全て〖るし☆ふぁーさんの悪戯〗と決めて掛かるんじゃなく、周囲の話を聞くとか対応を変える事は出来たのに、どうしてそれを実行しなかったのだろう。

 

 むしろ、どうして〖るし☆ふぁーさんの悪戯〗という言葉を聞いただけで、深く追及する事無く納得してしまっていたのか、こうして改めて考えてみると実に不思議だった。

 

 そう言えば……こんな風に話を聞いた後で今までの事で覚えている限りの内容を思い返してみると、どれも最初に〖悪戯〗と言う言葉を言い出していたのは、たった一人の人物で。

 今回の状況を考えれば、何かと言うと変な疑いをるし☆ふぁーさんに向ける相手を参加させる方が、確かにトラブルを引き起こす要因になりかねないだろう。

 

 そういう意味でも、彼があの場で〖時間切れ〗を名目に参加させない事を選択したのは間違いではなかった。

 

「……それにね、アイツの様子を見てすぐに気付いたんだ。

 本当に頭が良くて、状況の判断がきちんと出来る奴ならもっと早く結論を出すのが普通なのに、わざと最後の最後まで返答するのを伸ばして、出来るだけ勿体付けた様に意味深な態度で周囲を巻き込み、自分の事を高く売りつけようってしてるのを、さ。

 多分、自分はとても有能だと仲間から思われている筈だから、答えるのが遅くなっても〖ぜひ、協力してください〗って頭を下げてくると思って居たんじゃない?

 出来れば、たっちさん達のうちの誰かがそう言い出してくれたら、より仲間の中だけじゃなくリアルでも自分の価値が高まるとか、そんなくだらない事とか考えてそうだし。

 実際、ゲームの中じゃ上手く仲間の事を誘導して自分を有能に見せてたけど、リアルで大した能力あるかと言われたらそうでもなさそうなんだよね。

 それなのに、どこか〖富裕層の人間より自分は上〗って高慢な思考が見え隠れしちゃったから、思わずウザくてサクッと不参加に割り振っちゃった。」

 

 「てへ☆」って笑うるし☆ふぁーさんは、余程相手の事を不参加に出来た事が嬉しかったのだろう。

 どこか楽しそうな声音で、本当に満足だって様子なのが伝わってくる。

 むしろ、今の彼の様子を見ているだけでも、どれだけあの人が彼にとってストレス要因だったのか伝わってくるようだった。

 一頻り笑った後、るし☆ふぁーさんはさらに言葉を続けた。

 

「もちろん、あの場で言った理由も嘘じゃないよ?

 正直、この後だって急いで何かを決めなきゃいけない事が起きるかもしれないんだ。

 それなのに、あんな風にギリギリ最後まで自分の判断がどういうものなのか、まるで勿体付けた様な言動をされるのは正直迷惑なだけでしょ?

 それにね、俺が知っているあいつの性格を考えると、予想していたよりこっちの方が不利だと思ったら、その時点でのこちらの情報を向こうに売り付ける代わりに、自分の安全を確保しようとするんじゃないかなぁとかも思ったから、参加者に加えたくなかったんだ。

 まぁ……流石にそこまで人として堕ちた真似をするほど愚かじゃないとは思いたいけれど、今までの俺に対する言動とか他のギルメンに対しての反応とか見てると、ギルドの仲間の事をほぼ全員の事を自分より格下の駒扱いしてるみたいだったからさ。

 だから、今回の一件の結果が最悪な状況になりそうだったら、自分が生き残るための踏み台にする事を迷わず実行しそうな気がして怖かったんだよね。

 もちろん、今の時点ではあくまで俺の推測でしかないけど……あんな奴でも一応仲間だし、出来れば変に疑いたくなかったから、協力者から強引に弾いたって訳。」

 

 どうして、彼を振り落とす選択をしたのかと言う理由を、俺達に分かり易く答えてくれたるし☆ふぁーさんの言葉には、どうしてもモモンガには許容し難い内容が含まれていた。

 正直、モモンガとしては「あの人はそんな事をしたりしません」と大声で否定したい所だが、彼の言葉にサクッと同意を示した人がいる。

 先程から、るし☆ふぁーさんの援護射撃的な事を言っていたあまのまひとつさんだ。

 

「あー……うん、確かにその可能性は否定出来ないかな。

 あいつ、俺やたっちさんが自分の趣味が高じたロールプレイをしていたり、やまいこさんがリアルと違って頭使わない脳筋プレイをしていたりっていう、自分の趣味を全開にして遊んでる事とか全く理解してなかったんだよ。

 それこそ、俺達が自分なりに楽しんでいるその行動そのものを見下してた事なら、俺も気付いていたし。

 今回だって、るし☆ふぁーさんの事を話した時の反応を見ていた感じだと、多分、アイツの中でるし☆ふぁーさんは〖貧困層出身の程度の低い人間〗だと思い込んでたんじゃないのかな?

 だから、富裕層の中でも結構大きな家の跡取りで、財産目当てに父親から命を狙われそうとかそんな話が出てきた瞬間、〖信じられない!〗って感じで凄く反応してたし。

 まぁ……そりゃ当然だよね。

 普段から、自分より絶対に格下だと思い込んで心の中で馬鹿にしていた相手が、実は自分には手の届かない位遥かに格上だったんだもん。

 なんだかんだ言って、変に自尊心が高いのを上手く人前では誤魔化している様な人だから、この事を知った時点で逆にるし☆ふぁーさんの事を逆恨みしてそうで、ちょっと怖いかもしれない。

 だから、そんな人にはタブラさんの救出やるし☆ふぁーさんの事とか色々と大変な事が待ち構えているのが判っている今回の事に、参加者として来て欲しくないと思っていたんだよね。

 そういう理由から、るし☆ふぁーさんが〖時間切れ〗宣言したのはかえって良かったと思う。」

 

 サラッと告げるあまのまひとつさんの言葉に、思わずモモンガは仰天していた。

 まさか、あの人がそんな風にたっちさんややまいこさんなどギルドの仲間達の事を馬鹿にしていたなんて、欠片も思っていなかったからだ。

 だが、確かに彼らの話している内容を自分に照らし合わせて思い返してみれば、モモンガにも心当たりがある部分が幾つかあった。

 何となくだが、時折こちらの様子を見ているあの人の視線に、どことなく人を蔑む様な雰囲気が一瞬だけ混じったように感じた事があったのを思い出したからである。

 それは本当に一瞬の事で、ずっと自分の勘違いだろうと思っていたのだが……彼らの話から推測すると、そう感じたのは間違いじゃなかったらしい。

 

〘 今の話が本当だとしたら……そもそも、どうしたらそんな考えになるんだ?

 元々、たっちさんはユグドラシルでも九人しかいないワールドチャンピオンでもあったから、誰もが認めるギルド最強の一人なのに。

 それこそ、この認識は他所のギルドから見ても変わらなくて、常にその動向が注目されている凄い人だぞ?

 ここはゲームの世界だから、誰もがそれなりにロールプレイをしているのは当たり前で、リアルで出来ない様な行動をしたって馬鹿にされる理由にはならない筈。

 まさか、〖ゲーム世界での常識〗を自分の都合良く受け取って、そんな風に仲間を理解しないで仲間をこっそり馬鹿にしている人だったなんて……

 もちろん、誰だって話が合う人や合わない人とかがあるのは当然だし、数年前まで前のたっちさんとウルベルトさんの様に〖馬が合わない〗と意見がぶつかるって事なら、幾らでもあると思う。

 だけど、他人のことを自分よりも格下として見下しているような人だとは思わなかった…… 〙

 

 そう思うだけで、思わず落ち込んでしまいそうになる。

 いや……これは俺だけが考えていた訳じゃないらしい。

 たっちさんややまいこさんも、彼らの発言に酷く驚いている様子だったから、俺とそんなに変わらない認識なんだろう。

 この場にいる中で、二人以外で唯一驚いた様子が無かったのはウルベルトさんだけだった。

 もしかしたら、自分の意見を口に出しては言わないものの、二人と同じ事をずっと前から知っていたのかもしれない。

 

「……まぁ、その辺りに関しては深く考えない方が良いでしょう。

 最近、あの人はログイン率もかなり下がっていますし、今回の一件にも特に協力する予定がない人ですからね。

 確かに、不愉快な事実が判明したのは間違いないですが、ここでいつまでもその事をグダグダ話す位なら、もっと時間を有効に使いませんか?

 正直、ここから先は時間との勝負的な部分も出て来そうですからね。」

 

 この場に漂い始めていた、何とも言い難い雰囲気を変えるべく、そんな風にサクッと本来話し合うべき話を切り出したのはぷにっと萌えさんだった。

 多分、あの人の事を何時までもグダグダと話す事で、更にこの場の空気がおかしくなるのは嫌ったのだろう。

 その主張は、確かに正しい。

 

 今は、余計な事に意識を回すよりも、もっと優先する事があるのだから。

 

「まぁ……確かに余計な話をするよりも、今、抱えている問題に関しての話し合いをまずは進めましょう。

 私の方から話す事があるとすれば、現時点までにざっくりと決めてあったこの後の予定ですね。

 一応、るし☆ふぁーさんの方に関しては、〖今日動けば、明日には解決〗という訳にはいきませんし、出来るだけ自分の足場を固めるなどの対応をする必要があると思います。

 けれど、それに関して私達がこの段階で出来る事は、実際にはそれ程ないんですよね。

 精々、協力するメンバーが今の勤め先に対して辞表を出す位でしょう。

 むしろ、今の時点でこちらから早急に手が打てるのは、タブラさんの関係だと思います。

 私が、建御雷さんから話を聞いた所によると、既に相手が先に〖身請けの為の支度金〗と言う名目で手付を納めている事が判っていますから、後からタブラさんの身請けを申し出るこちら側が、先に申し出ている側の話を覆す為の条件として、まず楼主に一気に纏まった額を即金で払えることを示す必要があるでしょう。

 元々、楼主側が相手に提示した金額は一億五千万だそうです。

 だとすれば、こちらは最低でも楼主に二億以上払うという条件を出す必要性が増すし、更に先に相手が払った手付金に対して同額の賠償が必要らしい。

 そういう諸々の費用を纏めると、こちらが用意する必要がある金額は最低でも三億以上、何か向こうが言い出した時の事を考えて余裕を持つなら五億は欲しい所でしょうね。」

 

 ぷにっと萌えさんの言葉を受けて、今の時点で話し合っていた事を教えてくれたのはたっちさんだった。

 確かに、るし☆ふぁーさん側の状況はあくまでも状況証拠からの推論で展開されている事もあり、今の段階では彼自身が自衛しつつ父親の会社の中に居る親族との足場を固めるしかないだろう。

 モモンガ達が出来る事も、早めに彼の元に合流出来る様に退職の手続きをする位しかないのも事実だ。

 むしろ、状況的に切迫しているだろうタブラさん側に必要な身請け金の大まかな総額を提示され、誰もが本気で驚いた顔をしていた。

 確かにそれに近い事を、最初の段階で建御雷さんが言っていたけれど、本当にそれだけの金額が必要だとは思っても居なかったからだ。

 

「あー……建御雷さんの話を参考にして、大体どれ位の手付を払うのが相場なのかデミウルゴスに算出させた結果、今回の場合だと手付として払われたのは一億五千万に対する三割の四千五百万って所らしい。

 だから、話に割り込むこちらが相手側に身請けを横取りする〖詫び金〗として、最低でも手付の同額を上乗せした九千万は払う必要がある計算になる訳だ。

 更に、あのクソッタレ楼主に損得をはっきり理解させる為に、予定されていた身請け額のよりも多めの二億を払った方が良い。

 その上で、タブラさんのいた楼閣の遊女たちに対してお祝儀その他諸々を出す事まで考えるなら、確かに楼主が最初に主張したように、最低ラインでも三億以上の用意が必要だな。

 実を言うと、三億位ならぶっちゃけで言えば俺の手持ちの資産全部を出せば、別に払えない事はないんだよ。

 ただ、全額を俺一人が支払うと言う形で即決して手続きしようとした場合、流石にデミウルゴスが今後の資産運用資金が無くなる点に関して嫌がるだろうから、資金面で俺以外にもある程度の出資者が欲しいと思っていたんだ。

 そしたら、るし☆ふぁーさんが〖自分の手持ちの資産を名ばかりの父親に悪用される位なら〗って、俺にある程度纏まった額を送ってくれたって訳さ。

 実際、どれだけこっちに送ってくれたのか、送金額をまだ確認してないんだが……」

 

 流石に、この状況で自分の口座の残高まで確認する余裕はなかったらしい。

 多分、送金先がデミウルゴスが資産運用をして居るサブバンクの方の口座だった事も、ウルベルトさんがその場で確認が出来ていない一因なんだろう。

 その辺りは、送金したるし☆ふぁーさんも判っていたのか、軽く頬を掻きながら口を開いた。

 

「あー、そうだよね。

 元々俺が、念の為に使えるように手元に残してあった額は二千万ちょっと位だから、手数料と端数除いて二千万をそっくりそのままそっちに送る手配をしたんだ。

 当座の生活費に関しては、残りの端数と給料があればなんとかなるし。

 でも……こんな事なら、「もうちょっとだけ爺様の方に渡す金額を減らせばよかったかな?」とも思わなくないけど、あの男の配下の者が俺の周りに潜り込んでる可能性も捨てきれなかったんだよね。

 だから、どうしてもそいつらが勝手に俺の資産を横領してアイツに渡そうとするとか、そういう行動への用心とかもあって余り残しておけなくてさ。」

 

 「ごめんね?」と、両手を合わせながらるし☆ふぁーさんは謝るが、別に彼は悪くない。

 むしろ、彼がおかれている状況的に考えるなら、相手側に多額の金額を横領される可能性まで踏まえて自分の手持ち資産を少なく残す選択をしたのは、間違った選択じゃなかった。

 ただ、その後に多額の金額を必要とする状況になるとは、予想外だっただけで。

 

「うーん……出来れば、もう少しざっくりとした感じの試算をした上で、まだ余裕がある位の金額は用意しておきたい所なんだが。

 今までの前例を考えると、廓に属する名のある遊女の身請けが発生した場合、どうしても花街全体に大きなイベントを行う感じになるケースが多い。

 そう考えると、用意した額が三億より多少多い程度の金額だと、もしかしたら足りなくなる可能性もある。

 そうだな……今の生活を維持した上で、俺が口座から出せる金額の上限が一千万。

 今、ウルベルトさんの元にある分にそれを上乗せしたとしても、まだ少し余裕がないのが怖いな。」

 

 顎を撫でながら、そう口にしたのは建御雷さんだ。

 多分、今、彼が自分で口にした金額は、何かあった時の為に溜め込んでいた金額の大部分を占めているものなんだろう。

 全額と言わないのは、そこまでした事が後で判明してしまうと、花街での彼の立場的に問題があるからだ。

 

 それにしても、とモモンガは考える。

 彼らの間で、割と普通にとんでもない金額が普通に話題に出て来ている状況に、ヘロヘロさんやベルリバーさんはもちろん、やまいこさん達ですら仰天させている。

 流石に、これだけの金額が自分達の生活に関わる事がないからこその反応なんだろう。

 そんな事を思いつつ、モモンガは彼らの会話を聞きながらふと指折り自分の口座の残高を考え、軽く頷いた後で片手を挙げた。

 

「それなら、先程も言った通りタブラさんを助け出すための資金提供として、俺からも二千万をウルベルトさんの口座に送ればいいですか?」

 

 モモンガの口から、スルリと出た言葉を聞いた途端、周囲はぎょっとしたようにモモンガの方に一気に視線を向けてくる。

 それを受け止めると、ちょっとだけ困った方に骨の頬を指先で軽く掻きながら、簡単に自分の資産状況を説明する事にした。

 

「これも、先ほど言った通りなんですが……パンドラが本気になって俺の口座の資産運用を頑張ってくれたお陰で、この一年で億単位まで資産を増やしてくれてるんですよ。

 もちろん、税金とかその他色々と支払う部分が発生して来るので、必要経費をある程度まで残しておく必要がありますし、それ以外でも今後の資産運用分も残す必要がありますけど。

 なので、そういうのを全部ひっくるめた上で俺が出せる金額の上限と言う事なら、まだもうちょっとだけ余裕があります。

 今の金額で足りなさそうなら、俺の方から資金提供額をもう少し増やしても構いませんよ?

 元々、パンドラがいなければ存在していない、あぶく銭の様なものですし。」

 

 そういう理由もあり、今の生活が維持できる金額以上の残高に関しては、別に今回の事で使ってしまっても構わないのだとモモンガは笑ってみせる。

 ただ、パンドラズ・アクターが楽しそうに資産運用に力を入れているから、必要経費とその分くらいはちゃんと残してやりたいだけで、元々食事や衣類などで贅沢をする方でもないから、こういう時に使ってしまう事に関してモモンガは特に躊躇いがない。

 むしろ、自分が資産提供する事で仲間の助けになるなら、幾らだって出せるのだ。

 

 そんなモモンガの言葉に対し、苦笑するように肩を竦めたのはウルベルトだった。

 彼自身、モモンガと似たような心境なのだろう。

 ただ、これから先の事を色々と考えた場合、あの時の教訓から使える資金はいくらあっても困らない事を理解していた為、資産運用を中心にデミウルゴスの好きにさせているのである。

 実際、こうして夕ブラさんを助け出す為の資本金になっているのだから、彼の判断は間違っていなかった。

 更に言えば、デミウルゴスと言う先駆者が居たからこそ、自分の所のパンドラズ・アクターも資金運用に手を出したと言ってもいい。

 やはり、そういう意味ではウルベルトさんとデミウルゴスは色々と凄いんだと思う。

 つらつらそんな事を考えていると、色々と考えを纏めていたらしいウルベルトさんから声が掛かった。

 

「……そう言う事なら、大変申し訳ないんだけどモモンガさんの所からの資産は、もう一千万ほど増やして貰ってもいいか?

 現在手元にある分に関しては、アルベドからの救援要請を受けた時点で既に指示を出して運用率を上げて回せてるんだけど、そこに今からでも追加で六千万を足す事が出来れば、デミウルゴスなら明日の昼過ぎには目標額に達成できると思う。

 だから、建御雷さんには出来るだけ早く……そうだな、可能なら明日の昼にタブラさんの座敷への予約を取って貰いたい。

 この際、花街にある不文律のルール違反を承知の上で、お座敷を一回取っただけで身請けの話を推し進める方向にもっていきたいと思っているんだ。

 さっきの話じゃないけど、本気で相手側がどう動くか今の時点ではまだわかってない訳だし、きちんとルールを守って三回も座敷を取っている間に、向こうからごり押しされる可能性があるなら、こっちは別の札を切るのが一番だと思うからな。」

 

 サクサクと、資金面での状況と相手側からの対応を推測して、【ルール違反上等】で話を進めるウルベルトさんの言葉に、待ったを掛けるように片手を挙げたのは、やまいこさんである。

 

「その流れで推し進めるんだとしたら、ボク達の協力って本当に必要なの?」

 

 話を聞く限り、状況の打破を図る手段として考えられているのが、潤沢な資金によって強引に推し進めるという内容だったからこそ、「なぜ、それなら自分達に協力を求めたのか?」と彼女が疑問を抱くのは当然の話だろう。気になっただろう。

 それに対して、ウルベルトさんはまだ説明が終わっていないのに一気に資金面からタブラさんの話を進めていた事に気付いたらしい。

 ちょっとだけ申し訳なさそうに、「ゴメン」と言うアイコンを浮かべながら両手を合わせると、やまいこの方を改めて見た。 

 

「もちろん、やまいこさんの協力は必要ですよ。

 私たちがやまいこさんに求めるのは、今回の救出作戦の中の切り札の一つとも言うべき相手に対する保護者的立ち位置になります。

 正直、この話をお願いした際に色々とやり取りがありまして、どうしても成人している女性に同行して欲しい事情が出来たんですよ。

 ……ねぇ、たっちさん?」

 

 一旦そこで言葉を切り、ちょっとだけ首を竦めたウルベルトさんは、視線をスッとたっちさんに向けた。

 その視線を受けて、少しだけ困った様に頬を掻きながら、今度はたっちさんが口を開く。

 

「実をいうと、ウルベルトさんが言う今回の切り札として、うちの娘のみぃを花街へ連れて行っていく事になっているんですよ、やまいこさん。

 正直言えばあまり気は進まないんですが……アルベドが助けを求めて来た時、丁度ウルベルトさんはあの子と電脳空間に降りてまして。

 そろそろ、みぃは妻の実家の正式な後継者としての教育を始める為に、予備知識を入れている状況だった事もあって、正確にタブラさんとアルベドが置かれている立場とかを把握してしまったらしく〖私も協力する〗と言って話を聞かないんですよ。

 どうも、娘は昼間のうちに妻にタブラさんの置かれている事情を訴える事で、ある程度の条件付きで許可を取り付けてしまっている状況の為、私が言っても止まりそうにありません。 

 是非とも、やまいこさんには娘のストッパーとして付き添ってやって欲しいんです。

 ウルベルトさんは、楼主相手に交渉をする側に回らないといけない為、もし娘が暴走した際にすぐに止められるとは言い切れないので。」

 

 先程から、何度も困ったアイコンを連打しているたっちさんから聞かされた内容は、この場にいる誰もが予想外もいい所と言っていい話だった。

 まさか、まだ子供のみぃちゃんが花街に出向くなんて、それこそ教育上良くない事だと思うのに、それを既にたっちさんと奥さんが承諾しているという状況が、とても頭が痛い。

 

 そもそも、どうしてそういう話の流れになってしまったのだろう?

 

 モモンガを含め、その話を初めて聞いた面々がとんでもないと言わんばかりに沈黙していたら、多分、その辺りの事は聞いていなかっただろうるし☆ふぁーさんが口元に手を当てながら、何かを考える素振りを見せた。

 そして、それ程間を置かずに結論が出たらしい。

 口元に手を置いたまま、ぽつりと答えを口にした。

 

「……うん、多分現状ではそれの方法一番かも知れない。」

 

 先程までの会話によって、割と常識人だと思われ始めていたのに、まさかそんな答えを出したるし☆ふぁーさんはやはり非常識なのかという視線を周囲が送った瞬間、軽く肩を竦めてそう思った理由を説明し始める。

 

「だって、それが一番角が立たないんだよ。

 みぃちゃんの母方の実家って、アーコロジー内でもかなり名前が通ってる上の方の家なんでしょ?

 多分、俺の推測が外れていなければ、爺様の家と同格位の。

 だったら、この際だから名前と立ち位置を借りるつもりで協力して貰った方が、色々と面倒な事にならないで済むんじゃないかな。

 むしろ、もしここで今の〖絶対にアルベドの事を助けたい〗って思ってる彼女の事を無理に止めようとすれば、彼女は俺達のコントロールを外れて母方の実家の力を借りるべく、勝手に動いて自分の手でタブラさんの事を助けようとすると思うんだ。

 もしそうなった場合、タブラさんの身請け先があのクソ親父からみぃちゃんの祖父に変わるだけで、多少の立ち位置はましかもしれないけど、結局愛人にしちゃうだけだと思う。

 だって、相手は富裕層の中で今の地位を維持する事が出来る老獪な人物だよ?

 幾ら孫娘が可愛くても、流石に三億以上の花街の遊女を無償でポンッと買うなんて真似、絶対にしないと思うんだよね。」

 

 その説明は、様々な点から考えれば普通に納得出来るものだった。

 確かに、るし☆ふぁーさんが指摘した通り、みぃちゃんが暴走して彼女の祖父が出てくる事態になったら、今、タブラさんを身請けしようとしている相手と変わらない状況で決着がつく可能性がある。

 もちろん、彼女の目を誤魔化す為に表面上は取り繕うだろうが、裏でタブラさんに対価を求めるだろう。

 

 富裕層の住人だからこそ、無償で花街の遊女を救い出す訳がないのだから。

 

「あー……それはそうでしょうね。

 普通に考えれば、むしろそれが当然の結論でしょう。

 幾ら身内が頼むからとは言え、何の対価もなく出せる金額でもありませんし。

 むしろ、余計に面倒な状況に陥るのが判っているのなら、確かにみぃちゃんに素直に協力して貰って名前と立場を借り受けた作戦を考える方が、より有意義だというのは判りました。

 私が同じ立場でも、同じ選択をしたでしょう。

 それで、彼女を同行させてどうするつもりなんです?」

 

 既に、ある程度どういう作戦なのか辺りを付けつつ、それでも何処か予測が間違っていた場合の事を考えて確認を取って来るぷにっと萌えさん。

 それに対して、ウルベルトさんは軽く手を振りながら説明してくれた。

 

「俺達が、タブラさんの座敷でやる事なんてそんなにないさ。

 まず、建御雷さんに予約を取って貰う際にこう囁いて貰っておくんだ。

〖出来れば、今日の昼にタブラさんで一席設けたい。

 実は、某大企業の後継者のお嬢さんが、お茶やお花、日舞と言った習い事の先生役を探していて、芸事に優秀な昼見世を開いている楼主への口利きを頼まれたんだ。

 元々、お嬢さんの〖出来れば一人の先生に習いたい〗という我儘が理由らしくて、教養豊かな花街の遊女に白羽の矢が立ったらしい。

 かなりの大企業のお嬢さんだから、もし……そのお嬢さんに気に入られて「師範役として引き取りたい」と言う事になったら、今の身請け額よりも大金が入るかもしれないぞ?〗ってな。

 あくまでも、この時点で向こうが何か探りを入れてきた場合、建御雷さんは〖花街に顔が利くから〗と頼まれたとだけ言えばいい。

 後は、〖無理を言う代わりに、今回の座敷の花代については本来の三倍払う〗って最初の時点で言ってくれ。

 それで、金に汚いらしい楼主が相手なら軽く引っ掛かるだろう。

 実際、こっちが提示した金額は本当に払うんだしな。」

 

 そう……金銭面で後から相手に付け入らせる隙を与えない為にも、最終的に必要な金額は全てその場できっちりと支払うつもりだからこそ、ウルベルトさんはデミウルゴスに現在進行形で資金を回させている。

 きっちり契約書も交わして、誰からも文句を言えない様に形式的にもきちんと整えるつもりなのだ。

 ただ、相手側にそれを受け入れさせるためには、どうしても富裕層でもそれなりの家の人間が必要であり、その部分をみぃちゃんが請け負う事になったのだろう。 

 

「そう言う形で、きちんと事前に話の流れを作った上で、タブラさんの座敷さえ上がってしまえれば、後はこちらのモンだ。

 数曲、タブラさんに本当に舞を披露して貰って、みぃちゃんに〖このおねぇちゃんに習いたい〗って楼主が見ている前で言って貰うだけでいい。

 楼主の中で、事前の建御雷さんの情報も加味されて〖お嬢様の我儘による身請けの横取り〗と言う、ある意味最初に申し出ている相手への免罪符が出来るからな。

 〖より格上の相手から望まれた〗と言う免罪符が出来れば、楼主は更に転がり易くなる。

 そこで、俺がデミウルゴスのサポートの元に主に金銭面での交渉を行って、最終的にその場でタブラさんの身柄を引き渡して貰う話に持って行き、身請けを成立させる。

 大筋はそんな感じの流れだったんだが……本当にざっくりとしか決めてないんで、出来れば今の話で足りないと思う部分の意見が欲しい。」

 

 説明を終え、何か意見が無いかと尋ねるウルベルトさんに対して、手を挙げたのは……

 

***** 

 

 それから約一時間後、タブラさんの救出作戦に関しての話し合いは、無事に決着がついた。

 

 基本的には、最初に考えられていた作戦の大筋を辿りつつ、修正できる部分は修正を加えた形で落ち着いたのだが、そこに辿り着くまでに幾つか交わされた論議は凄いものだったと言っていいだろう。

 だが、最後までやまいこさんが難色を示していた「みぃちゃんの参加」は、るし☆ふぁーさんが可能性の一つとして提示した行動を呼ぶ確率の高さから、彼女が折れてくれたので助かったと言っていいだろう。

 ここで、いつまでも堂々巡りを続けている訳にはいかないからだ。

 

 ただ、それと同時に彼女が現在一部の質の悪い富裕層の人間のせいで、現在休職処分中だという事が判明したのには驚いたものの、お陰でもし予定通り明日速攻で動く場合でも同行して貰うのに問題がなかったのはありがたかった。

 

 もちろん、それを彼女自身に直接言うつもりはないのだけれど。

 一先ず、今日の話し合いは終了となったのだが……モモンガは、一つだけ気になる事があった。

 話し合いが終わり、時間的にもこの場は解散になった後で、ベルリバーさんがるし☆ふぁーさんに何か話しかけていた姿を目にしたからだ。

 更に、そこからウルベルトさんも交えて何か話していたのは、結構気になると言っていいだろう。

 もっとも、あの人たちはばりあぶる・たりすまんさんを加えた四人で「ユグドラシルの世界の一つぐらい征服しようぜ」と冗談を言い合う仲間だから、もしかしたらるし☆ふぁーさんの会社を経営する中でそれに近い事が出来ないか、そういう話をしているのかもしれない。

 そう考えたからこそ、モモンガはこの場で深く追求しようとは思わなかった。

 

 まさか、それがあんなことを招くとは思わずに。

 




一先ず、何とか30日に滑り込ませました……
次の更新予定は、10月10日頃には出来るようにしたいと思います。


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タブラさん、救出作戦 ~前編~

いよいよ、作戦開始です。


 会議から二日後、タブラさんを花街の廓から助け出す為に、彼女の座敷に会いに行く当日になった。

 

 元々、ウルベルトさんが「早急に」と言って希望していた会議の翌日は、流石に急すぎて予約客が居た事もあり座敷の予約は取れなかったものの、あちらもこの話に大金が舞い込む予感がしたのだろう。

 その翌日と言う、最短の昼の時間帯に座敷を取る事が出来た。

 話を持って行った建御雷自身、流石にここまで上手く話が進んだ事に驚くしかない。

 

 本来なら、予約で座敷の予定は一か月先まで埋まっていてもおかしくない筈のタブラさん……いや、昼見世で名を馳せる白雪太夫の座敷だが、身請け話が出始めた辺りから楼主側の判断で予約そのものが少なくなり始めていた。

 それこそ、昔からの馴染み客に関しては流石に断らないものの、そこまで馴染みと言い切れない客の予約は入れない様に、楼主が調整していたのである。

 わざわざ楼主が出て断る理由は、身請けが近い事を匂わせる為だ。 

 

 そんな状況で、今回の座敷が無事に取れたのは、あの日のるし☆ふぁーさんからの提案を元に、道筋を立てて「お嬢様の行儀作法の師範探し」の話を持ち込んだからだろう。

 

 更に、彼の側から周囲に明確に判る様に、それこそ会議の翌朝と言う早い段階で大きく動いてくれた事も、こちら側の動きをかなり楽にしてくれていた。

 もっとも、あちら側が予定よりも早くに大きく動く事が出来た理由に、ウルベルトさんの所のデミウルゴスとモモンガさんの所のパンドラが、それぞれ別所有で彼の父親の会社の株式をそれなりに所持していたという、それこそ加味されるのだが。

 

 まさか、あの二人が所持していた会社の株式を合算したら、現在発行されている総株数の五パーセントにも及ぶなど、誰が想像出来るだろうか?

 

 それこそ、お互いに情報を擦り合わせる段階で判明した事実に、本気で仰天したものである。

 と言うより、るし☆ふぁーさんがまさか社交界でご婦人方を中心にこっそりと〖廃王子〗の愛称で呼ばれているあの人だとは、本気で予想外だった。

 だが、あの人の今までの生い立ちを改めて考えれば、恐怖公の気品ある紳士ぶりにも納得がいく。

 

 そして、あの複雑な家庭環境の影響が、彼の対人関係に色濃く出ているだろうと言う事にも。

 

 とにかく、だ。  

 当初の予定からすると、かなり予想外の部分から大きな足掛かりが出来た結果、るし☆ふぁーさんは早速それを使って父親側に対する攻勢に出る事にしたらしく、その影響であちらもすぐに白雪太夫の元を訪れて身請けするだけの余裕がなくなったらしい。

 元々、あくまでも白雪太夫は自分の血を引く子供を産ませる為の道具であり、相手に側にとっての本命は別にいる事から、そこまで必死になって小まめに花街へ通うという頭がないのも、現状の理由なのだろう。

 こちらとしては、その油断のお陰で目的達成のためにかなり有利な状況が作れた訳である。

 ただし、こちらとしても予定が狂った事が幾つかあった。

 まず、みぃちゃんとウルベルトさんに同行する予定だったやまいこさんが、一緒に来る事が出来なくなった事を挙げるべきだろう。

 これに関しては、予想外の場所から上がった不満の声が原因だ。

 

 そう……たっちさんの長男でありみぃちゃんの弟であるレイくんが「二人が出掛けるなら自分も一緒に行く!」と、泣き喚いたのである。

 

 レイ君はまだ三歳になったばかりだが、とても利発で既にウルベルトさんによる幼児教育も始まっていて、姉とも兄弟仲が非常にいい。

 先生役のウルベルトさん自身にも、母親と同じ位(つまり、たっちさんよりも)懐いている事もあって、姉と大好きな先生が自分を置いて出掛けると言う状況に、納得がいかないのである。

 しかし、だ。

 流石に場所が場所だけに、レイくんを連れて行く訳にはいかない。

 かと言って、みぃちゃんは主役として色々とやって貰う事があるし、ウルベルトさんは交渉役であり支払い関係も任せる都合もある為、こちら側に残ると言う事も出来ない。

 頑なに、「自分も行く」と主張する彼を前に、どうしたものかと困惑した面々の中で「自分が残る」と言い出してくれたのが、やまいこさんだったのだ。

 元々、小学校の教師としてこの場の誰よりも子供の扱いになれていた彼女が、上手くレイ君の意識を誘導してくれた結果、彼女と母親が側にいる事で納得してくれたのである。

 

 正直、このままだと話が破綻しかねない状況だった事を考えると、彼女の申し出は本気で助かったと言っていいだろう。

 

 そんな風に、花街への出発前に問題があったものの、それでもそこから花街へ入るのは話を事前に通してあった事もあり、みぃちゃんが同行していても特に訝しがられる事もなくすんなり出来た。

 こう言う事は、何事も先に根回しが済んでいると話が早く済む者である。

 と、ここで何事もなく身請けまで話が進めば良かったのだが……白雪太夫の廓に来た所で、一つ楼主自身がやらかしてくれた。

 

 多少、当人曰く「普段よりも数段上の品の良いスーツ」を身に纏ったウルベルトさんを前にした途端、絶対に客として廓に来て居る相手に対して、口にしてはいけない事を言い出してくれたのである。

 

「フン……見てくれはそれなりに整えている様だが、お前は貧困層の出だね。

 多少小金を持って、この場に合わせた服を着る事が出来たとしても、その根底に部分にある貧困層の卑しさに関しては、どう取り繕ってもこの私には隠し通せる訳がないだろう?

 これでも、長年廓の楼主として貧困層の見た目だけは美しい娘を売り買いしてきた身として、こうして直接会えばすぐに判るものさ。

 一体、どうやって富裕層でも上層に生まれたお嬢様と知り合う切っ掛けがあったのかは知らないが、その麗しい美貌と身体でお嬢様の近くに居る人間に取り入ったんだろう?

 そんな風に、分不相応に富裕層の人間に侍っているのだって、今回と同じく〖お嬢様の気紛れ〗なんだろうね。

 もし、そこのお嬢様に捨てられる事態になったのなら、是非この廓に来るがいい。

 それだけの美貌なら、多少年を取っていてもその見てくれだけで十二分に買ってくれる金持ちが幾らでもいるだろうからね。

 なに、私は男娼専用の廓も幾つか持っているから、君を売り出すなど造作もない話さ。」

 

 にやにやと、そこ意地悪くいやらしい笑みを浮かべつつ、本気でウルベルトさんの事を男娼だと思い込んだ揚げ句、見下した態度を取る楼主。

 昔から、ここの楼主の選民思想が強かった事を建御雷も自身の経験から知っていたが、まさかここでこんな風に言い出すとは予想外だった。

 多分、こんな風にこちら側と顔を合わせるなりこんな事を言い出した楼主の思惑は、この後の身請け交渉を行う際のマウントを取る為だったんだろう。

 最初の段階で、わざとウルベルトさんの容姿と生まれについて触れる事によって、交渉が始まる前に「貧困層の人間が、例え代理人としてでも身請け交渉に出てくるのはおこがましい」と言い出し、話を有耶無耶にするつもりだったんだろうが……それは、ウルベルトさんだけじゃなくみぃちゃんに対しても巨大な地雷だ。

 むしろ、あちらからわざわざ地雷を踏み抜きに掛かるとは、流石に思っていなかった建御雷である。 

 

 今の発言一つで、ウルベルトさんに対してはもちろん、彼を家庭教師として雇い入れているたっちさん、ひいてはみぃちゃんが後を継ぐ祖父母の家に対する侮辱にもなると、どうして気付かないのだろうか?

 

 もしかしたら、彼女がまだ子供で「わがままお嬢様」だと言う話だけで、自分の方が大人で人生経験があると勝手に侮った挙句、あんな発言をしたのかもしれない。

 まぁ、確かに彼女が普通のお嬢様だったなら、強ちその推測も間違いじゃないだろう。 

 大企業の後継者と言う立場だとしても、確かに彼女と年齢と同じ年代の他のお嬢様が相手なら、楼主にあった時点で彼の持つ独特の雰囲気に呑み込まれてしまい、その後のまともな対応など出来なかったかもしれない。

 

 だが……建御雷から言わせれば、目の前にいるみぃちゃんに対し、そんな考えで対応をしようとしたのは、かなり甘い判断だったと言っても過言ではない。

 

 もちろん、彼がそう考えるのには根拠が幾つもあった。

 その根拠を並べるなら、まず彼女は既にこの年で正式な後継者候補としての初等教育を既に終えかけており、それをウルベルトさんから聞いていた事が挙げられるだろう。

 元々の彼女の頭の良さに加えて、ウルベルトさんが家庭教師についてからすぐ始めた、彼女の中にある幾つもの適正を伸ばす為の教育が、本来なら数年後に受け始める初等教育よりさらに高度な内容だったらしい。

 

 みぃちゃん本人は、ウルベルトさんやデミウルゴスと遊びに交えて学んでいた事もあり、そんな自覚がないまま学習を進めていった結果、改めて後継者としての初等教育の基礎を始めた瞬間、ほぼそれが終わっている状況が発覚したのである。

 

 更に言うと、現時点での彼女は既に電脳空間でデミウルゴスから大企業のトップになる為に必要な事をシミュレーションゲームとして学び、日常ではウルベルトさんと言う人を育てる最高の師の下でその才覚を伸ばす為に必要な教育を受ける段階に入っているのだそうだ。

 それを聞いた彼女の祖父母は、改めてウルベルトさんの子供の才能を伸ばす事に関する優秀さを認め、正式に後見としての契約をしている。

 同時に、彼女に施した教育は弟のレイくんにも与えられる事になっていて、周囲の期待は割と大きいと言う事も聞かされていた。

 

 つまり、彼女はこの時点で自分にとって誰よりも最高の師の下で学習しており、その内面は他のお嬢様など足下に及ばない程に成長していたのである。

 

 その辺りの事情を、ここの楼主は全く知らないからある意味仕方がないとは思うものの、だからと言って先程の言動は今の彼女の前でとっていい態度ではなかった。

 と言うより、客商売をする花街の楼主としても、まずあり得ない言動だったと言っていいだろう。

 その事を理解しているからこそ、今までの経緯も含めて我慢の限界に来ていた建御雷は、ここで楼主の事を切り捨てる事に決めたのだから。

 

 建御雷が、そんな風に思考を巡らせるほんの一瞬の内に、小さなみぃちゃんの瞳の奥がキラリと輝いたかと思うと、そのまま怒りを瞳に宿したままにっこりと笑う。

 

 その表情を見た瞬間、建御雷は「これ、アカン奴だ」とすぐに理解した。

 少なくとも、彼女にとって幼い頃から家庭教師としてずっと側にいてくれたウルベルトは、もしかしたら両親よりも自分を大事にしてくれているだろう、数少ない大人の味方だ。

 そんな大事な人の事を、初めて会った人間にこんな風に酷く侮辱されたまま、黙っていられる筈がない。

 まして、楼主がウルベルトさんに対して正面切って口にした言葉の一部は、そのまま彼女に対する侮辱にも繋がる部分があった。

 富裕層の中でも上層の人間として、既に自分の立場に対して自覚を持ち始めている彼女は、目の前で自分よりも遥かに格下からそんな事を言われてしまった場合、笑って許す程優しい言動をするタイプじゃない。

 元々、彼女はメールペットをきっかけにして自分達と知り合った頃から、あらゆる意味で行動力に定評がある子である。

 そんな子にとって、一番の地雷スイッチを思い切り踏み抜いた楼主の言動を考えれば、後はどんな惨状が待ち構えているかなど、想像するよりも解り切った事だった。

 

「……ねぇ、建原の叔父様。

 ルー先生に対する今の楼主さんの嘲りは、私、ひいては我が家を侮辱に繋がるものと思って構いませんよね?

 だって彼は、私が幼い頃からずっと離れる事なく側にいて、私の父や母からはもちろん、母方、父方両方の祖父母からも家庭教師として信頼の厚い、私の大事な先生にあんな暴言を口にするんですもの。

 特に、母方の祖父母は先生の私の家庭教師としての手腕を認め、先生の正式な後見になった上で、私の弟の家庭教師役も依頼していると聞いています。

 それって、つまり先生をあんな風に侮辱した時点で、祖父母の事も侮辱したのと同意語でしょう?

 ねぇ、楼主さん?

 この私がどこの誰なのか、それを分かった上での今の発言だと、そう受け取ってもいいのですよね?」

 

 それまで、色々と楼閣の中の様子を物珍しげな様子で、子供の無邪気な笑顔を浮かべながら見て回っていた筈のみぃちゃんが、ウルベルトさんや自分達への侮辱ともとれる発言を聞いた瞬間、剣呑な雰囲気と共に見せたその表情は、どう考えても周囲を従える女王様のものだった。

 正直、今の彼女の放つ雰囲気を真正面から受け止められるだけの気力とか根性は、ここの楼主にはない。

 やってきた相手が、本当に小学生とはっきり解る位子供だった事から、大人の自分なら軽く言い包められるだろうと馬鹿にした結果、このアーコロジーの中でも上位に属する企業の後継者から本気で睨まれる事になったのだと、漸く楼主は自分の言動の拙さに気付いたのだろう。

 サーっと、全身から音を立てて血の気が引いていく様子が、それこそ手に取る様に良く判った。

 

 まあ……元々ここの楼主は、今の立ち位置を利用して上位にいる権力者に媚びる事で、その特権のおこぼれに預かる小悪党であり、それ程肝が太い訳ではない。

 

 そもそも、白雪や彼女の母である高尾太夫と言った、自分の足で立とうと言う気概を持った遊女に対してあんな態度を取っていたのは、自分に無い者を持っていたからだ。

 改めて考えれば、例え替えが簡単に見付かる貧困層出身者ばかりだったとしても、沢山の遊女を預かる楼閣の主としてはもちろん、男としても狭量が故の情けないものでしかないと言っていいだろう。

 その辺りの自覚がないまま、子供や自分よりも弱い立場にいる(と本気で思っている)貧困層のウルベルトさんを前にしたら、こういう態度に出るのも当然の話の流れだった。

 だが、今のこの状況に関して言うなら、自爆とも言うべき楼主が口にした失言は、こちらにとってかなりのメリットになったと言っていいだろう。

 楼主自身、既に自分がやらかしたという事は気が付いている筈だ。

 この失言を挽回しなければ、この後にどれだけ厳しい制裁が自分に対して向けられる事になるのか、その程度の事は流石に理解しているだろう。

 

 だからこそ、現在進行形で顔から血の気が引いた状態なのだから。

 

「……全く、人の容姿や生まれと言った上辺の情報だけで、相手の事を碌に調査する事無く自分の価値観で推し量ろうとするから、そういう愚かな失言に繋がるんですよ。

 普通なら、事前の連絡を受けていた客の情報は、最低限でも調べておくべきでしたでしょうに。

 先に言っておきますが、彼女を本気で怒らせる発言をしておいて、無事に済むと思わない事ですね。

 それより、早く目的の人物が待つ座敷まで案内してくれませんか?

 正直、こちらもそれ程暇な訳ではありませんからね。」

 

 どこか溜息交じりに、ウルベルトさんがそう声を掛けた事によって、漸く自分が失態で青褪めたまま動けなくなっていた事に気付いた楼主は、深々と「申し訳ございません」と言う謝罪を口にしながら頭を下げる。

 今のやり取りで、自分の言動が客に対してとって良い態度じゃなかった事に、漸く気付いたのだろう。

 少しでも挽回する為に、これ以上自分の動揺が少しでもこちらに伝わらない様に気を張ったらしい楼主は、改めて俺達の事を座敷へ案内するべくゆっくりと前を進み始めた。

 しかし、その楼主の努力など無駄な努力だったと言っていい。

 

 建御雷が、事前に〖上客〗だと告げておいたにも拘らず、顔を合わせると同時にあの発言をしただけで、何だかんだと言って白雪太夫を育てていた事に対して、僅かに残されていた彼への恩情は消えてしまっているのだから。

 

******

 

 楼閣の中で、遊女はその位が上がれば上がる程、奥に部屋を持つ事が決まっている。

 その為、夜見世よりも格が落ちる扱いを受ける昼見世の〖太夫〗だが、夜見世側に太夫が居ないと言う事情も重なり、現在この廓で唯一その位にいる白雪の部屋は最上階の奥に位置していた。

 だからこそ、普段白雪が住む部屋に辿り着くのにも時間が掛かる仕様になっていて、建御雷も楼閣の集金の際には最後に訪れる様にしていたのだ。

 ここ暫くの間、そんな彼女がどんな気持ちで自分の座敷に出ていたのか、建御雷は誰よりも知っている。

 それこそ、いつ、楼主たちの勝手で〖身請け〗の話が強引に推し進められるかもしれないと、その事に対して酷く怯えていた。

 自分を指名する客の前にいる時は、それこそ〖身請け〗の話すら「何でもない」と言う顔していた彼女だが、赤ん坊の頃から彼女を知っている建御雷は、それが強がりでしかない事も理解している。

 

 だからこそ、こんな風に楼主が自ら案内をする様な客がいると事前に知らされて、どれだけ心の中で怯えているか考えるだけで、可哀想な気がして仕方がない。

 

 しかし、だ。

 この作戦を無事に成功させる為には、白雪に事前に何か情報を渡す訳にはいかなかった。

 それこそ、彼女の身の回りにいる禿すら楼主の手先として動いている状況だった為、下手をすれば禿たちから情報が流れてしまい、楼主に出し抜かれる可能性があったからだ。

 むしろ、そうなる可能性が高いとデミウルゴスが主張していた為、ウルベルトさんは建御雷に「可能な限り早く座敷を取って欲しい」と頼んできたのである。

 

 いつ、どこから情報が洩れるか判らない状況だからこそ、白雪太夫の身請けに関しては速攻で話を纏める為に必要な行動なのだと言うのが、彼らの主張だった。

 

 事実、その判断が間違いじゃなかったと言う事を建御雷も知っている。

 幾つかの偶然が重なり、当初の身請け相手が動ける状態でなくなっていなければ、今日の昼には強引に白雪の身請けは決行される予定になっていた事を、楼主の下で白雪を預かり働く遣り手婆から聞き出していたからだ。

 

「正直、私ら楼閣の遊女の予定仕切る遣り手側にしてみれば、随分と身勝手な相手だよ。

 そりゃぁ、最初の頃は大層なお大尽ぶりで〖金なら、それ程間を置かずに纏まって入る予定がある〗とか言って、楼主にも私らにもそれなりにいい顔をしていたから、こっちもかなり期待していたもんさ。

 私らだって、夫は出来るだけそれなりにきちんとした相手に身請けして貰わなきゃ、それこそ見世の格が落ちるからね。

 だから、日頃のお大尽ぶりを見込んで楼主も白雪の身請けの話を切り出したし、相手もそれに乗って身請け金の支払い期日を◆月〇日、つまり明日って決めたんだよ?

 こういう話に関しては、きっちり段取りを決める必要があるからね。

 向こうだって、〖大丈夫、当日の昼過ぎには身請け金として纏まった金を持ってくるなんて造作もない〗と、それはもう豪語していたんだよ?

 それなのに、昨夜急に〖暫くそちらに行く時間的な余裕がなくなった、身請け金の支払いは時間が出来るまで待って欲しい〗と言う連絡をよこしてさ。

 あんな風に、私らに対してもいい顔が出来るだけの大層なお大尽だって聞いていたのに、こんな急に〖太夫の身請け〗の予定を変更するなんて……本当に白雪の事を身請けする気があるのか、信用していいもんかねぇ……」

 

 そんな風に、不満タラタラの様子で建御雷に対して彼女がぼやいたのは、昨日の話だ。

 この話を聞いて、最初に感じたのは楼主への強い苛立ちだった。

 建御雷から口利きで、アーコロジーの中でも上から数えた方が早い家から、身請けの見定めの為に白雪太夫への座敷の予約を受け付けておきながら、最初の段階ではその約束を反故にする気満々だったのだから、むしろ当然の話だろう。

 もし、本当にそのまま予定通り相手側に白雪の身請けをさせていた場合、楼主は多少馴染みになっている程度の格下の客を優先する為に、遥か格上の相手から同じ遊女への身請けの打診を受けておきながら直前で断ると言う、それこそ格上の家の顔に泥を塗る様な真似をしていたのだ。

 しかも、自分から喧嘩を売ったのと同じ状況を作り出しておいて、当人がそれに全く気付いていなかった点が実に恐ろしい。

 元々、上層部の様々な思惑が働いて成立している為、ついつい花街は一種の治外法権と言った感じで扱われているが、だからと言ってそこで楼主が上層物の顔に泥を塗るなどと言った余りにも目に余る行動をすれば、その首を挿げ替える事位簡単に出来る。

 周囲に対して、見せしめとしてそれを簡単に出来るだけの力を持っているのが、みぃちゃんの母方の祖父母なのである。

 そして、もし本当に楼主の座から追われる様な状況になった場合、確実にこの目の前を歩く楼主は生きていられないだろう。

 

 花街の楼閣を預かる楼主として、色々と公に出来ない様な事を多々知ってしまっているからこそ、ここから外へ生きて出る事など敵わないのだ。

 

 非情に残念な事に、この楼主はその辺りに関しての自覚がなく、ただ漫然と「遊女たちの主である自分には、富裕層の人間でも頭を下げる」などと勘違いしている男だった。

 だからこそ、自分は廓の中なら富裕層の客相手にでもどんな横柄な態度も取れると、あり得ない思い違いをしていたのかも知れない。

 好みの遊女との座敷を取る為、それなりに力がある富裕層も楼主に対して何かと融通していた事も、その考えに対して拍車を掛けていたのだろう。

 だから、今まで自分よりも本気で格上の存在である富裕層の住人を本気で怒らせた場合、自分が最終的にどうなってしまうのか、それを楼主は理解していなかった。

 その結果、かなり傲慢な思考を抱いてしまった事に対して、手痛いしっぺ返しを楼主は現在進行形で受けている状況なのである。

 

 もしかしたら、こんな風に客としてやってきた相手が楼主に対して、明確に格上として〖無礼な態度を取った事への制裁を一切の手加減をしない〗と示したのは、初めての経験なんじゃないだろうか?

 

 一先ず、今の時点ではっきり言える事があるとすれは、色々と欲を掻き過ぎた上に自分の立ち位置を正確に把握しないまま、大きな失敗しすぎたのが楼主側の敗因だろう。

 多分……彼としては白雪への最大の嫌がらせとして、最初に予定していたるし☆ふぁーさんの父親に身請けさせるつもりだった。

 相手側の事情が、「本命の愛人を守る為に子を産ませる為の存在が欲しい」と言う時点で、愛情を持って身請けされるのではないと言う状況が、彼にとって最も喜ばしく白雪を不幸に出来る最大の状況だったから。

 だが……それよりも色々な面でもっと美味しい相手がいるかもしれないと知って、そこで思わず考えてしまったのだろう。

 

〖 より自分が、得をするのはどういう方法なのか? 〗と。

 

 そこで、本当に楼主があらゆる意味で損得勘定が出来る人間なら、話の相手が格上でそして払いも良いと判明した時点で、あちら側を切ってこちらの手を取っていただろう。

 もしそうなっていたら、何の問題もなくお互いに利だけを含めた状況で、この話は進んだ筈なのだ。

 少なくとも、もしかしたら最初に申し込んだ側に〖恥をかかせる〗と言う事もなく、きちんと双方の面子を守った上で話が纏まっていただろう。

 だが、楼主が選択したのはどっちにもいい顔をしようとして失敗した挙句、双方に対して恥をかかせる言動をし続け、最終的に格上の顔に〖泥を塗る〗なんて言う、愚かな選択をするところだったのである。

 普通の常識があれば、こんな状況を生み出すなんて真似はしない。

 むしろ、本気で楼主が双方の間で上手く立ち回るつもりなら、まずは白雪太夫にこの話を持って行き、どちらを選ぶか選択させるべきだったのだ。

 

 どちらが何を言おうと、身請けされる立場の白雪太夫に選ぶ権利があるのだから。

 

 今回の件で、るし☆ふぁーさんから聞いた父親の情報を纏めた人物像が正しければ、自分よりも遥か格上の相手に対して早々簡単に噛みつける程、愚か者ではない筈だ。

 元々、彼が白雪太夫を身請けする気になったのは、〖太夫を身請け出来るだけの財力がある〗と親戚縁者に見せ付ける事で、自分の立場を強化したかっただけ。

 自分よりも格上から、きっちりと話を通して立場を悪くしなければ、「これで別の上層に縁が出来た」とすんなり受け入れていた筈だ。

 その点に関しては、確実に楼主側の判断のミスだろう。

 正直、この段階ではそれこそ今更なので、建御雷は何も言うつもりはない。

 

 それよりも、早く彼女と顔を合わせたかった。

 

 




と、本来なら一話で纏める予定でしたが、現時点で二万二千文字を超えたので、流石に長すぎると分断する事にしました。
後編は、明日の投稿予定です。


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タブラさん救出作戦 ~後編~

昨夜の続きになります


 漸く案内されたのは、楼閣の中でも最上階にある一番上等な座敷の前だった。

 辿り着いた座敷と廊下を隔てる様な、大きな襖を前に膝を曲げて腰を落とすと、一度その場で正座をする楼主。

 例え楼主であっても、見世の客がいる前では厳格な決まりによって定められた作法をきちんと守らないと、太夫の待つ座敷の襖一つ開ける事は出来ない。

 

「……白雪太夫、お客様だよ」

 

 そう、座敷の中に居る太夫に声を掛け、一拍間を置く事で返事を待つ。

 すると、座した彼の前でゆっくりと横へ襖が両側からゆっくりと開かれ、廊下から部屋の中が全部見える状態になった。

 左右に襖が開いたのは、そこで待機している太夫の身の回りの世話役の禿たちだろう。

 楼主が掛けた声に、太夫が合図して彼女達に襖を開けさせたのだ。

 

 襖が開かれた座敷の奥、金屏風の前にゆったりと座って待っていたのは、頭の先から爪先までこの廓の太夫としての誂えを身に纏った、美しい白雪太夫だった。

 

 太夫としての彼女の姿を、建御雷が直接見るのは今回が二度目だ。

 前に一度見た時は、初めて遊女として水揚げされる為、後見役として披露の場に参加して以来である。

 何故、そこまで彼が太夫としての白雪の姿を知らないかと言えば、実に簡単な理由だった。

 それこそ、ほぼ毎日の様に建御雷はこの楼閣で彼女に会う機会があるのだが、それはあくまで会計役として集金作業を行う為に彼女たち遊女のオフタイムを訪れるだけであり、ここまで支度をきちんと済ませた状態ではなかったからである。

 むしろ、当然の話だと言えるだろう。

 

 あくまでも、彼の立ち位置は父親兼後見人であり、廓の会計士と集金相手の遊女と言う繋がりであって、彼女の客ではなかったのだから。

 それはさておき。

 座敷に案内されるまで、ずっと黙って建御雷の横にいたウルベルトさんも、太夫として美しく装った彼女の姿を見て「ほぅ」と感心したような声を漏らす。

 多分、ネットで出回っている「花街の遊女」としての「白雪太夫」の映像より、目の前の実物の方がより美しいのだと言う事を、目の当たりにして驚いたと言った感じなのだろう。

 そして、自分たちの間に立ち楼主に怒りを感じて身を震わせていた筈のみぃちゃんは、目の前の麗しい白雪太夫の姿に目をキラキラと輝かせ、感嘆の声を漏らしていた。

 

「……お姉ちゃん、すごく綺麗……」

 

 スルリと、彼女の口から零れた言葉は、白雪太夫にとってこれ以上無い程の、褒め言葉だろう。

 単純に、目の前にいる自分の美しさを子供の感性で「美しい」と認めた上で、「綺麗」だと感嘆の声を上げたのだから。

 そうして、心の底から太夫の姿を綺麗だと思った彼女は、心の赴くままスタスタと座敷へと入っていった。

 本来ならば、白雪太夫から招かれて初めて座敷の中へ入るのが、この花街で定められている守るべき決まり事なのだが、そんな知識はみぃちゃんにはない。

 この際なので、「花街の作法を知らない少女のやった事」として、多少の事は押し通してしまっても問題はないだろう。

 そもそも、だ。

 本来なら、この場を仕切るべき白雪太夫自身が、花街に〖客〗としては絶対にいない筈の〖少女〗が居た事で、あり得ない状況に目を白黒させてしまい、返事をする余裕もなさそうなのだ。

 何故、楼主が〖マナーがなっていない〗と騒ぎださないのかと言うと、もちろん理由がある。

 座敷の襖が開き、案内した客と太夫との対面が成立した時点で、余程の事がない限り客と太夫の間の問題になる為、楼主が口を挟む権利は無くなるからだ。

 何より、太夫の許しを待たずに座敷の中に勝手に入り込んだのが、小学生くらいの少女と言う本来花街に客としてあり得ない相手だった事で、太夫の権限を無視して叱る事が難しいと判断したのだろう。

 そこで、ひとまず自分がみぃちゃんに声を掛ける事で、場を持ち直させる事にした。

 

「こら、みぃちゃん。

 幾ら白雪太夫が綺麗でも、〖入って良いですよ〗って言われる前に、勝手に座敷の中に入っちゃ駄目だろう?

 ここに来る前にも言ったけど、色々守らないといけない決まり事があるんだ。

 まぁ……みぃちゃんは本当に白雪の事が綺麗だと思ったから、その姿をもっと側に近付いて見たくなったんだろうけど、それでも決まり事はきちんとは守らないと駄目だからな。」

 

 そう言いながら、急ぎ足でみぃちゃんの事を捕まえると、そのまま素早く腕の中に抱き上げる。

 本来なら、俺が入るのも問題なのだろうが、今回は「何も分かっていない少女を連れ戻す」と言う名目で押し切るつもりだ。

 出来るだけ、急ぎ足でウルベルトさんが居る場所へと戻りつつ、軽く肩をポンと叩いて彼女の事を諫めると、宥める様に頭を撫でながらスッと視線を白雪太夫へと向ける。

 こちらが視線を向けた事で、漸くハッとした様な顔するとスッと頭を下げた。

 

「皆様、〖白妙屋〗へ、ようこそお越しくださいました。

 どうぞ、奥へとお入りくださいませ。」

 

 にっこりと柔らかな笑顔を浮かべ、俺達に座敷の中へ入る様に勧めてくる彼女の言葉は標準語だ。

 割と勘違いを生むのだが、言葉に関してはかつて花街があった江戸時代の様に、独特な廓言葉を使う遊女はほとんどいない。

 言葉を含め、花街で一般的になっている細かな決まり事のいくつかは、江戸時代のものとは違っている。

 最初に、花街をアーコロジー内に作る際に上の方で色々と話し合った結果、「遊女の使う言葉は、解り易く標準語で」と言う事になったのは、独特過ぎる廓言葉をわざと曲解するものが出るのを防止する為だったらしい。

 そんな風に、この街の決まり事を教えらえたのは、今の仕事を始めたばかりの頃だった。

 

 多分、この事をペロロンチーノさんが知ったら、シャルティアのあの独特な似非廓言葉と言う、変な言葉遣いを変更するかどうか気になるものの、職業柄知り得た情報なので、敢えて彼には教えたりはしていない。

 

 つらつら、そんな事を考えていた建御雷だが、どうやらその間に話は進んでいたらしい。

 元々、入り口付近に控えていた禿によって、ウルベルトさんとみぃちゃんが座敷の上座へと案内されて、そのままゆっくり腰を下ろしていた。

 建御雷自身は、あくまでも廓の中までの付き添いだけで済ませる予定だったが、先程のみぃちゃんの行動を止めなかったウルベルトさんの様子を考えると、このまま一緒にいた方がいいだろう。

 現時点で、色々な理由で廓のマナーなどに詳しいもう一人の主役たる人物が来ていない為、この場に花街に来るのが初めてで何も知らない二人をこの場に残して帰るのは、細かなマナーの点で問題が出そうな気がして仕方がないからだ。

 素早くそう判断を下すと、建御雷はみぃちゃんを挟む様にウルベルトさんとは反対側の場所を陣取り、ゆっくりと腰を下ろした。

 そんな風に、サクサク自分の行動を決めた建御雷とは違い、楼主は身請けに関する交渉の事を考えてこの場に残るべきか、それとも一旦この場を辞すべきなのか、迷う素振りを見せている。

 正直言って、今ここで彼にこの場に居座られるのは邪魔だった。

 もし、この段階で白雪太夫の身請けに関する交渉に入るのなら、確かに楼主に居て貰わなくては困るだろう。

 しかし、だ。

 そんな話を、まだ楼主に対して怒りが消えていないみぃちゃんの前でいきなり始めたら、多分彼女の機嫌は降下したままで直らないだろう。

 この辺りを明確に示す為に、花街の事を一番よく知る建御雷が楼主に向けて軽く手を払う事で、彼に「下がれ」と言う合図を送った。

 

 その仕種を見た瞬間、楼主の顔が一瞬のうちに頭に血が上ったかのように朱に染まり、怒りで醜く歪む。

 

 ある意味、それは建御雷の予想通りの反応だった。

 彼からすれば、まるで邪魔な野良犬を追い払うかの様に、一番雑な合図である「軽く手を払う」と言う仕種でその場から追い払われるなど、あってはならない事だったのだろう。

 それと同時に、そんな扱いをこちらから受けるだけの事を、自分が既にしてしまっている事も理解している。

 だから、怒りに顔を赤く染めて顔を醜く歪めながらも、何とかこの場は堪えたのだ。

 

 そう……今の楼主の状況では、声を荒げる事なく頭をゆっくりと下げて、座敷の前から退出していくのを選ばざるを得なかったのである。

 

 もっとも、雑な扱いを受けた事に対する怒りを抑えられず、客の前で感情の赴くまま顔を歪めている時点で、楼主としての品格の無さは露呈してしまっており、こちらからのマイナス評価にしかならないのだが。

 多分、そんな自覚すら、彼には無いのだろう。

 この場から、太夫付きの禿以外に余計な者がいなくなったと判断した所で、建御雷はゆっくり声を掛けた。

 

「さて、まず彼女の前で一曲舞を見せてやってくれないか、白雪?

 俺達がここに足を運んだのは、お前が舞を舞う姿を見る為だからな。」

 

 その言葉を聞いて、本気で「訳が分からない」と言わんばかりに白雪太夫は目を白黒させるものの、俺が真剣な様子で望んでいる事に気付いて、そこに意味があると理解したのだろう。

 こちらに向けて、ゆっくりと作法に合わせた仕種で頭を下げると、懐から舞扇を手に取った。

 元々、昼見世にしても夜見世にしても、まずは遊女の芸事を楽しむ事から始まるのが一般的であるため、この要求は花街での最初の遊びとしても、理にも適っているものだ。

 それが判っているからか、彼女の動きに合わせて彼女付きの禿たちも、自分のすぐ横に用意してあった楽器を準手に取り、そのままゆっくりと音を奏で始めていた。

 

******

 

 かつて、高尾太夫の舞を一度だけ見た事があるが、こうして座敷を取って改めて見比べてみると、白雪の舞もなかなかに見事なものだと言っていいだろう。

 

 流石は、この廓の昼見世で太夫を張るだけはあると言っていい。

 そう思いながら、彼女が曲に合わせて最後まで舞い終わるまで見届けた所で、ウルベルトさんは曲を奏でていた禿たちへ、先程俺が楼主にした様に軽く手を振った。

 もちろんその意図は、彼女達に対して「この場を辞せ」というものである。

 だが、彼女たちはそれに対して顔を見合わせるだけで、動こうとしない。

 流石に、紹介者の建御雷が座敷に同席しているとは言え、太夫と初回の合わせである客だけを置いて、自分達が太夫の側から離れる事に躊躇いを感じたのだろう。

 だが、彼女達に対して下がる様に言い出した理由はちゃんとあるので、従って貰わないと困るのだ。

 彼女達にそれを判らせるべく、みぃちゃんにスッと視線を向ける事で判り易く示すと、ウルベルトさんは口を開いた。

 

「正直、同じ年の頃のあなた達がこの場にいては、彼女が太夫に対して色々と聞きたい事があったとしても、躊躇いを覚えて話をする事が出来ないでしょう?

 だから、この場から一時的にでも下がって下さいませんか?」

 

 口調こそ丁寧だが、言っている内容は割と強気な態度だと言っていいだろう。

 流石に、初回の客が禿たちを別室へ下げる様に言い出しても、聞いて貰うのは難しいのだ。

 だが、そんな事は言って居られないので、ウルベルトは彼女達に対して別のメリットを示す事にしたらしい。

 彼女たちの事を手招きし、自分の方へとその場にいた禿たち二人を呼び寄せると、まずは小さなカードを一枚ずつ渡した。

 

「これは、私からあなたたちへの小遣いです。

 もし、あなたたちが大人しくこの場から下がってくれるのなら、同じ額のカードをもう一枚追加して上げますが……どうしますか?」

 

 そのカードに、入金済みとして書かれていた金額は、一万。

 俺達にとって、これから行う取引を考えればそれこそはした金と言っていい金額なのだが、禿たちにとっては大きなお小遣いだった。

 二人は、お互いに顔を見合わせて少しだけ迷う素振りを見せた後、ウルベルトが目の前に差し出したそれをもう一枚受け取って、そそくさと隣の座敷へ移動していく。

 多分、そこは彼女たち元々の控えの間であり、そこへ移動する事までならぎりぎり許容範囲として、認められている場所なのだろう。

 二人が隣へと座敷を移り、襖が完全に閉じられ座敷の中に居るのが四人だけになった所で、ウルベルトさんはニッと口の端を上げた。

 

「改めて、この姿では初めましてだな、タブラさん。」

 

 その言葉を聞いた途端、ハッとなった様な顔をする白雪太夫、いや、タブラさん。

 本気で、「まさか」と言わんばかりにこちらを見たので、軽く頷くと肯定してやった。

 こちらの返事に、ますます信じられないと言った顔をする。

 どうやら、本気で動揺しているらしい彼女の様子を窺っていると、今まで何も言わずに黙ったままうっとりとした様子で舞う姿を思い返していたらしいみぃちゃんが、白雪太夫の…タブラさん元へと歩き寄った。

 そして、キュッと小さな手を伸ばして彼女の手を握ると、にっこりと笑い掛ける。

 

「あのね、私、タブラお姉ちゃんの事を迎えに来たんだ。

 数日前に、ルー先生の所にアルベドお姉ちゃんが来て、タブラお姉ちゃんの事を〖助けて〗ってお願いされた時から、ずっと助けに来るんだって思ってたんだもん。

 ここにいたら、あの嫌な男の人がタブラお姉ちゃんの事を悪い奴の所に無理矢理送られちゃうって、アルベドお姉ちゃんがすごく心配してたんだからね。

 お願い、タブラお姉ちゃん。

 アルベドお姉ちゃんの為にも、そんな事にならない様にみぃと一緒にお家に来て!」

 

 そう言いつつ、手に持っていた鞄の中から小さな端末を取り出すと、まだどこかつたない手付きでそれを立ち上げていく。

 画面が立ち上がると同時に、立体画像としてその場に浮かび上がったのは、ウルベルトさんの元へ今回の一件の助けを求めに来て以来、ずっとタブラさんの元へ戻る事が出来なくなっていたアルベドだった。

 そう、主の元に戻れなくなってしまった彼女の身柄は、ウルベルトさんとみぃちゃんが主体となって身柄を預かっていたのである。

 ホロホロと涙を溢し、今の状態では触れられないのを承知で己の主へと手を伸ばし、全身で「会いたかった」という思いを伝えてくるアルベドを見て、それこそ吸い寄せられるように端末を手に取るタブラさん。

 今まで、彼女はずっと己の親とも言うべきタブラさんの事を心配しながら、それでも人前で泣く事だけは耐えていた事は伝え聞いていた。

 そんな彼女が、漸く再会出来たタブラさんを前に安堵で涙を溢すのは当然の話なので、暫く二人の好きにさせてやる事にした。

 タブラさんもまた、漸く会えたアルベドを前にホロホロと涙を溢していたのだから、むしろ誰も水を差すつもりはない。

 

 自分だって、何かが理由で可愛いコキュートスと会えない状況が続いたとしたら、こんな反応をしてしまうだろうから。

 

*****

 

 暫くの間、泣き止まないアルベドの事を宥めようとしつつ、自分も涙を溢しながらオロオロしているタブラさんの姿は、どう見ても娘の事が可愛くて仕方がないのに、どう構って良いのか判らない母親の様だった。

 とても微笑ましい光景ではあるが、いつまでもこのままでいる訳にもいかない。

 そんな風に思い始めた所で、口を開いたのはウルベルトさんだった。

 

「……ほら、まずはあんたが涙を拭けよ、タブラさん。

 あんたがそんな風に泣いてたら、アルベドの涙も止まる訳がないだろう?

 それで、だ。

 これからに関しての話なんだが……あんたは、身請け金その他諸々を含めた一切の問題を心配しなくていいから、このまま素直にみぃちゃんと一緒に来て欲しい。

 正直に話すと、最終的な金額交渉とタブラさんが花街から出る為の楼主側の手続き以外、外で必要になるだろうその他諸々に関して全部手配済みなんだ。

 まぁ、楼主側との最終的な交渉に関しても、こちらの思惑通り向こうから先に俺達に対して喧嘩を売ってくれたからな。

 まさか、るし☆ふぁーさんからの提案された内容を参考にして、〖元は貧困層の人間だと楼主に判り易い雰囲気〗になる様にわざと衣装とちぐはぐな小物をチョイスしただけなのに、あそこまで見事にこっちの罠に引っ掛かったのは、本当に予想外だったんだぜ? 

 あの瞬間、俺は本気で〖るし☆ふぁーさんの観察眼は怖い〗って思ったからな。

 そんな訳で、こちらに有利な条件で話を進める為の準備は、既に済んでいるんだ。

 もちろん、あちらに文句は言わせるつもりはないぜ?

 何も、無理を押し通す訳じゃない。

 向こうが、最初に提示した金額以上のものを支払う予定だ。

 だから、タブラさんは何も心配する事なく、俺達と一緒に来てくれるだけでいい。」

 

 そう、自信満々と言った様子できっぱりと言って退けられ、ますます困惑した様子を見せる。

 まぁ……今までの状況を考えれば、タブラさんのその心境も良く判った。

 まさか、こんな風に自分やウルベルトさん達が手間暇を掛けて、助けに来てくれるなどとは思っていなかったのだろう。

 

 と言うか、あの楼主の自爆とも言うべき言動を引き出す様に、ウルベルトさんとるし☆ふぁーさんが裏でそんなやり取りをしていた事自体、俺は知らないんだが。

 

 だが、同時に納得もいった。

 あの時、ウルベルトさん自身もみぃちゃんと共に〖侮辱された〗と怒り出す事なく、むしろどこか溜息交じりにあんな風に話を切り出せたはずだ、と。

 いつの間に、彼らだけでそんな打ち合わせをしていたのかと、ちょっとだけ遠い目をしている間にも、タブラさんの困惑は続いていたらしい。

 

「そんな……でも、だけど……どうして……」

 

 本気で、困惑しきった様子のタブラさんに対して、ウルベルトさんやみぃちゃんはもちろん、端末の中でアルベドやデミウルゴス、パンドラズ・アクターと言ったメールペットたちが、にっこりと笑う。

 彼らが笑ったのに合わせ、俺は彼女へと手を差し伸べると、この場にいないみぃちゃんの父親の口癖の様な言葉を口にした。

 

「「そんなもの、困っている仲間を助けるのは、当たり前だろう?」」

 

 まさか、自分がその言葉を口にする機会があると思って居なかったのだろう。

 何となく、どこか面映ゆそうな様子で頬を掻きながら、ウルベルトさんは更に言葉を追加する。

 

「まぁ……何より、アルベドに〖助けてやる〗って約束したからな。」

 

「みんな、お姉ちゃんの事を助ける為に頑張ってたんだからね!」

 

 それはもう、どこか楽しそうにそう断言するみぃちゃん。

 正直、ギルド全員が協力者と言う訳ではない為、彼女が言う様に「みんな」と言い切るのはどうかと思うものの、あの会議の後のメールペットたちの動きを見れば、表立って協力出来ないなりに助けようとして動いていたのも事実だ。

 どうやら、まだ彼女は自分を助けてくれようと仲間が動いた事を信じられないのだろう。

 グルグルと、困惑した表情で思考を巡らせる事で、逆に変な方向へ考えが向き掛けているのが良く判る。

 なので、その混乱状態を止める意味も含めて、俺は彼女の肩を軽くポンッと叩いた。

 

「何、別に遠慮する事はないぞ。

 俺達だって、ただ単純にお前さんの事をここから助け出そうとか、そんな風に考えている訳じゃないからな。

 ここから出た後、お前さんには色々とやって貰いたい事もあるし。」

 

 一先ず、この先の事を話す為に前振りをしてやれば、きょとんとした顔をした後、不思議そうに首を傾げた。

 どうやら、この楼閣の中で生まれながらに育った彼女には、外に出た後に自分が何か出来る事があるとは思って居ないらしい。

 そんな彼女の思考が手に取るように解って、〘 これはちょっとだけ困った反応だ 〙と思った時だった。

 ゆっくりと、だが確実にこの部屋を目指して、誰かが階段を上ってくる足音がする。

 多分、こちらが待っていた人物が到着した為に、誰かが案内してきたのだろう。

 それから間もなく、外の廊下から楼主の声が掛かった。

 

「こちらのお連れ様だと、おっしゃる方がいらしてるのですが……」

 

 その困惑に満ちた楼主の声を聞き、俺はウルベルトさんとみぃちゃんに視線を向ける。

 これに関しては、最初の計画の段階で決まっていた予定通りでもあった事から、二人はあっさりと同意する様に頷いてくれた。

 

「あぁ、やっと来たのか。

 そのまま、ここへ入って貰ってくれ。

 確かに、ここで待ち合わせをしていたから、こちらの〖連れ〗と言うだと言う話は、別に間違いじゃない。」

 

 こちらの返事を聞いて、今度は楼主自ら襖を開ける。

 禿たちが、襖の側にいない事など普通にあり得る事なので、こちら側の承諾があれば廊下側から襖を開けても問題ないからだ。

 それによって、襖の向こうから姿を見せたのは、今回の一件の協力者の一人である朱雀さんだった。

 彼まで登場した事で、一旦落ち着いた筈なのにまた混乱し始めるタブラさんに苦笑を浮かべながら、今度は楼主も一緒に座敷に入る様に招く。

 

「教授、今回この廓から身請けする相手ですが、彼女に確定でいいです。

 みぃちゃんも、彼女の舞を見てすぐに気に入りましたからね。」

 

 この場で、交渉役になる予定だったウルベルトさんが、楼主側に〖身請けしたい〗と言うこちらの意図を明確に示す為に、着たばかりの朱雀さんに声を掛ける。

 それを受けて、案内がなくてもサクサク自分で上座に移動してきた朱雀さんは、軽く首を竦めながらタブラさんとみぃちゃん、そしてウルベルトさんと言った順番で視線を巡らせた。

 

「……なるほど、やはり彼女になったんだね。」

 

「はい、それでお願いします。」

 

「……分かりました。

 では、当初の予定通りまず君たち側に彼女の事を身請けして貰います。

 その上で、彼女の事を私の養女として迎え入れた後、改めてそちらに行儀作法の先生役として向かわせると言う形で、正式に話を進めて構わないね?」

 

 サクサクと、ここに来る前から決めてあった段取り通り、さも最終確認と言う様にこれからの予定に関しての打ち合わせを楼主の前でする事で、わざと彼に聞かせる二人。

 その会話を聞き、困惑した様な素振りを見せる楼主に対して、ウルベルトさんが駄目押しする様にサクッと言ってのける。

 

「……おや、どうされました?

 酷く驚かれている様ですが……今の話は、あくまでも彼女を身請けした後の話ですし、あなたには一切関係ない事ですよね?

 ですが……まぁ、身請けが済んだ後に面倒な事を言い出したりしない様に、状況をはっきり把握させて釘をさしておく意味でも、お教えしておきましょうか。

 この話が出た時点で、例え太夫であったとしても楼閣出の女性を良家の令嬢である彼女の行儀作法の家庭教師役に据えるなら、それ相応の身元保証人を付ける必要があるだろうと言う事は、既に判っていましたからね。

 太夫の座に就く程の遊女なら、富裕層でも上流社会の住人の中にも、彼女の客だった相手もそれなりにいるでしょうから。

 ですが、彼女は正式に上から数えた方が早い家の後継者の教育係の一人になるのです。

 それこそ、今更消す事が出来ない過去の柵を持ち出そうとする愚か者を牽制する意味でも、それ相応の後見人として教授が養女に迎える話がついていたんですよ。」

 

 きっぱりと言い切ったウルベルトさんは、それこそ人を食った笑みを浮かべている。

 その笑みの裏には、幾つもの意味が込められているのを楼主も感じ取ったのだろう。

 未だに、信じられないと言った様子で朱雀さんに対して視線を向けて否定を求めるが、その視線をサラリと無視してタブラさんを見ると、スッと手を伸ばした。

 

「ふふ、そういう話になっている訳なんだが……改めて君にお願いしよう。

 どうか、私の娘になってくれないか、白雪。

 私は、子供も居ないまま妻に先立たれた男やもめの身でね。

 娘と言う存在に、実はちょっとあこがれていたんだ。

 君が私の娘になってくれるなら、私は全力で君の後ろ盾として君の事を守る事を約束するよ。

 だから……君には、迷わず私の手を取って欲しい。」

 

 「駄目だろうか?」と問い掛ける朱雀さんに、タブラさんはどう返答したらいいのか困った様な顔をした後、おずおずと手を伸ばした。

 多分、ここで彼女が朱雀さんの手を取るのに少しだけ躊躇った理由は、ここでこの話を自分が了承したとしても、楼主が何か邪魔をするような事を言い出すのではないかと、どこか怯えていた部分があったのだろう。

 しかし、だ。

 既に、こちらに対して礼を失する言動をしてみぃちゃんの怒りを買っている楼主は、あからさまにこちらの行動を邪魔する真似は出来ない。

 更にそれを駄目押しする様に、ウルベルトさんが楼主の前へと移動すると、その前で腰を落とす。

 

「さて……白雪太夫本人もこの身請け話に同意してくれた事ですし、正式にこちらが支払う彼女の身請け金に関する話をしましょうか?

 何、私も鬼ではありません。

 先程のあなたの言動を逆手にとって、そちらに損をさせるつもりはありませんよ。

 彼女が同意した時点で、もしあなたが抵抗して他に身請けさせようとしても、それはあくまでも不当行為。

 むしろ、あなたが下手な小細工をすればする程、気に入った相手に同意を貰えた事で機嫌が良くなっている彼女の怒りをまた買う事になりますからね?

 もし、あなたがきちんと状況を理解してこの場で同意して下さるのでしたら、正規の手続きに必要な額以上のものを全額即金でお支払いしましょう。

 そうですね……まず、先に〖手付〗を払われている方がいるとお聞きしてますので、その方が支払った推定金額とこちらからの〖詫び金〗として更に同額は最低用意したのですが……切りが悪いので、この際全部で一億お支払いします。

 どうか、それで相手の方への手打ちをお願いいたします。

 向こう様も、こちらが身請けを横取りした〖詫び金〗として、自分が先に支払った手付の倍額以上を提示している事を知れば、流石に文句を言う事はないでしょう。

 次に、この楼閣に対してこちらが支払う、白雪太夫への身請け金ですが……そうですね、こちらも切り良く二億お支払いする事に致しましょう。

 その代わり、本来なら身請けされる太夫が馴染み筋や花街の人間に対して行う、披露その他は一切行いません。

 このまま、この場で彼女の身柄はこちらに引き渡していただきます。」

 

 そう言いながら、ウルベルトさんは手にしていた小型のアタッシュケースに手を伸ばすと、中から事前に準備していたのだろう一千万ずつ入金済みの支払い専用カードを取り出し、ゆっくりと見せ付ける様に楼主の前へと並べていく。

 相手方へ渡る一億、そして楼閣に支払う二億を並べ終えた所で、更に一千万が入金済みのカードを五枚取り出すと、また別の場所へと置いた。

 

「こちらの五千万は、楼閣への身請け金とは別のもの。

 あくまでも、披露などを一切しないで太夫を身請けする為に手間を掛けるだろう、楼主に対してのお礼金です。

 本来、行わなくてはいけない披露等を取りやめるには、あなたから花街への他の廓の楼主への相応の根回しなど、様々な労力が必要でしょうからね。

 それに対するお礼、として受け取っていただくべく用意しました。

 最後に、こちらの五千万は方々への太夫の身請けが決まった関係各所への祝儀と、それ以外に必要な諸経費として用意しました。

 あなた自身が、〖太夫が、金払いの良いお大尽を捕まえた〗と宣伝する意味でも、遠慮なく使用して下さい。

 ざっくり計算ですが、これで不足する事はない筈です。

 もし、祝儀と諸経費として使ってもまだ余剰分が出た時は、それも楼主への祝儀として差し上げます。

 合わせて総額四億、白雪太夫の身請け金としてこの場で即金にて用意させて貰いましたが……これでも、まだ楼主はこの話にご不満かな?」

 

 そう言いながら、ウルベルトさんは最後に百万と書かれたカードを四十枚、十万と書かれたカードを百枚と纏めて取り出し、その場にドンッと並べて見せる。

 最後に出されたカードの金額が細かいのは、出来るだけ各方面に配り易く配慮したからだろう。

 ここまでされてしまったら、流石に楼主だってこの話を断る事出来なければ、何かと不足していると金額を吊り上げる事も出来ない。

 既に、こちら側の手配でここまで細かく必要な経費を算出し、きっちりと用意されてしまっている以上、下手にケチを付ける方が自分の首を絞める可能性が高いからだ。

 そもそも、最初に話があった相手が提示した金額は、祝儀などの諸経費込みで二億五千万だった事を考えれば、五割以上総額が増えているのに、文句を言う理由もない。

 

 何より、楼主個人への礼金を五千万も積まれているのを前にして、断る理由はどこにもなかった。

 

「……いえいえ、滅相もございません。

 白雪太夫自身が同意し、更にここまで手厚く支度金を用意していただいた上で、何の文句がありましょう。

 確かに、太夫を身請けする際には相応の手順と共に披露が必要でありますが……今回の太夫の身請け相手がそちらのお嬢様と言う事でしたら、その事実を人前に晒すのを嫌うのも、また道理。

 手前が、責任を持ってその辺りの始末を仕切らせていただきます。」

 

 こちらが、楼主に対して祝儀と経費の残りもくれてやると言う太っ腹な所を見せたのも、この反応を引き出す要因になったのだろう。

 正直、金で全部片を付けるやり方になってしまっているが、これに関しては最初から花街のルールによってタブラさんの事を身請けする必要があるので、仕方がないと割り切っていた。

 それに、早めにタブラさんの身柄をこの廓から引き取っておかないと、るし☆ふぁーさん側の動きによってはどんな影響が出るかもわからない。

 

 とにかく、速攻で動く必要があったのである。

 

******

 

「それで、白雪の事をこのまま連れて行くとおっしゃいましたが、これまでこの廓で使用していた品々はどうさせていただけば宜しいので?」

 

 無事に身請けの話が纏まり、タブラさんが外に出る為に必要な手続きをするべく席を立とうとした楼主が、思い出したように問い掛けてきた。

 基本的に、遊女が誰かに身請けされて花街から出ていく場合、余程個人的な品以外は楼閣へと残していく。

 余程思い入れがあるか、身請け人から贈られた品などと言った理由が無い限り、自分が遊女として使っていた品々を手元に残したいと思う事はない為だ。

 だが、生れた時からここで育ったタブラさんの場合、話が変わってくる。

 今まで目の敵にしてきた割に、母親の写真などそれなりに持ち出す品があるだろうと楼主が気を使う素振りを見せたのは、先程ウルベルトさんが気前よく大盤振る舞いをしたからだろう。

 その言葉を聞いて、タブラさんは迷う事なく部屋の中に設置してあるアルベドの為に増設した端末を指差した。

 

「私の持っている物のうち、遊女としての衣装及び宝飾品その他細々とした品々に関しては、このままここへ残していくつもりです。

 持ち出すのは、必要最低限の日常用の衣類だけで構いません。

 それ以外で、私が持ち出しを希望するのは、数少ない母との思い出が刻まれているアルバムと、今まで私が愛用してきた端末でしょうか。

 この端末には、ネットを介して出来た友人たちのアドレスが残っていますし、流石に私以外に使う者も居ないだろう端末をここに残していく訳にはいきませんから。」

 

 にっこりと笑ってそう言い切ったタブラさんに、楼主は困った様に顔を撫でる。

 流石に、この部屋に設置した端末を取り外して持ち出す為には、専門の業者を呼ぶ必要があるからだ。

 今から業者を呼んだ場合、どれだけ時間が掛かるか想定が出来ないからこそ、この要望に対する対応に困った様子を見せたのだろう。

 それに関しては、建御雷が助け舟を出す事にした。

 

「だったら、うちに出入りしている業者を呼ぶか?

 確か、今日はうちの事務所に入ってる機械の点検に来ているから、今から呼べば十五分くらいで作業しに来てくれるぞ?」

 

 実際、話の流れによってはこういう状況になる事を想定したヘロヘロさん自身が、事務所に設置してある会計機器のシステムチェックを兼ねてスタンバイしているので、嘘は言っていない。

 そもそも、うちの事務所のシステムチェック自体は、元々予定されていた案件だった。

 ただ、それを普段から依頼している業者だけじゃなく、ヘロヘロさんにも来て貰っただけで。

 こういう機械関連の情報通達は、経理の時間に関わってくる事もあり集金を請け負う花街側にもしてあるので、楼主もその予定は覚えていたのだろう。

 

「それじゃ、建原さんにその辺りの手配を頼んでも構いませんか?

 手前は、白雪がここに出る手続きを済ませて来ますので。」

 

 それだけ言い残すと、スタスタと楼主は部屋を出てく廓の事務所へと向かっていく。

 ただし、この場ではウルベルトさんが提示したカードを一部だけ受け取り、全額回収したりはしなかった。

 この場で入金済みのカードを見せたのは、あくまでも即金で払う意思があると言う事を示す為であり、その辺りをちゃんと心得ている楼主側も、支度金分だけまずは受け取って必要な手続きに入るのである。

 残りは、白雪の身柄が自由になるパスと引き換えだ。

 

 その発行手続きするのに、建御雷が知る限りだと一時間ほど掛かるので、その間にヘロヘロさんを呼んで端末の取り外しをして貰えばいいだろう。

 

 素早くそう判断すると、建御雷は事前に聞いてあったヘロヘロさんの端末へ連絡を入れる。

 禿たちは、既にこの部屋の控えの間から姿を消していたので、楼主が退出する際に連れて行ったのだろう。

 これで、この辺りにいるのは自分達だけになった。

 そう思った瞬間、今まで太夫の顔を維持していた白雪が、ジトッとした視線のままこちらににじり寄ってきた。

 

「どういうつもりなんですか、あの大金!

 流石に、あそこまで大盤振る舞いする必要、無かったですよね?

 そもそも、私一人を自由にするのに必要な額を、どうやって集めたんです!

 まさか、犯罪に手を染めたりはしていませんよね?」

 

 怒涛の様に問い掛けてくる彼女の様子に、思わず全員で顔を見合わせると噴き出していた。

 流石に、こちらのその反応を見た瞬間、自分が何か勘違いしているだろうと言う事に気付いたのか、思い切り口を尖らせてこちらを見る。

 そんな彼女の反応に、ウルベルトさんなどはますます笑みを浮かべつつ、こちら側の手の内を簡単に教える事にしたらしい。

 自分の端末を取り出し、慣れた手付きで手早く立ち上げると、そこで待ち構えていた面々を呼び出した。

 元々、その端末の住人であるデミウルゴスやモモンガさんの所のパンドラズ・アクター、そして先程までみぃちゃんの端末にいた筈のアルベドが揃っている。

 

「先程、俺がここの楼主に見せた金をどうやって準備したのかって?

 そんなもの、俺のデミウルゴスを中心に、ここにいるナザリック知恵者組三人が共同でネット回線をフル回転で資金運用した結果に決まってるだろう。

 先に言っておくが、元手は俺が全部用意したって訳じゃないぞ?

 元々、俺が前にお年玉としてデミウルゴスに与えた口座に、ちょこちょこ余剰金を与えていた物を資金運用で億単位になるまで増やしてたんだと。

 で、今回アルベドからの救助要請を受けて、資金援助として仲間達から結構な額が集まったんだが、それまでの資産とか全部ひっくるめてデミウルゴスが総指揮を執って、元々資金運用に強かったパンドラがメインバンクを、サブバンクをアルベドが担当してこの一日半で増やせる最大値まで増やしたらしい。

 今回、楼主に提示した額は四億で済んだが、実はごねられた時の事を考えてもう二億予備金として持っていたりするんだよな、うん。」

 つらつらと口にした金額が、実にえげつない。

 正直、るし☆ふぁーさん側にまわった株式等の資産までひっくるめて考えた場合、どこまで一気に増やしたのか想像したくない数字になっていそうな気がするので、それに関してはこちらから突っ込むつもりはなかった。

 これは多分、知らなくて済むなら知らない方が良い類の話だろう。

 実際、昨夜の段階で最終確認の為に顔を合わせたウルベルトさんは、どこか疲れた何とも言い難い顔をしていたから、間近で彼らの事を見守りつつ暴走しない様に資産運用の手綱を握る為に、かなり神経を使ったのが予想出来た。

 

 もっとも、みぃちゃんやメールペットたちにそんな素振りを見せるつもりはないらしく、今だってタブラさんからの問いに余裕を持った素振りで返事をしているが。

 

 つらつら、そんな事を思いながら彼らのやり取りを見ていると、再び廊下から声が掛かった。

 どうやら、ヘロヘロさんが到着したらしい。

 流石に、案内してきただろう廓の人間に、デミウルゴスたちの姿を見られる訳にはいかないと、ウルベルトが端末を一旦見えない位置に隠そうとした瞬間、それまで立体画像の中に映っていたパンドラズ・アクターの姿が掻き消える。

 普段なら、礼儀正しく退出の挨拶をする子が、あんな風に消えた時点で何かがあったのだろう。

 

 正直、非常に気になるのだが、今はそんな事を言っている状況ではない。

 

 何と言っても、外にヘロヘロさんと彼を案内してきた廓の人間がいるのだ。

 いつまでも返事をしないまま、彼らを待たせておく訳にもいかなかった。

 それに、パンドラズ・アクターが突然姿を消した理由の確認する為、既にデミウルゴスが彼の後を追跡しているので、後から確実に状況報告が上がってくるのだろう。

 自分の記憶が正しければ、パンドラズ・アクターの主であるモモンガさんは、現在るし☆ふぁーさんと行動を共にしていた筈だ。

 状況的に、こちらのミスであちらの足を引っ張る訳にもいかない。

 そう間を置かず判断すると、周囲に素早く視線を向ける事で了承を取り、建御雷は外に向けて声を掛けた。

 

「あー、待たせて済まなかったな。

 そのまま、部屋に入って貰ってくれ。」

 

 その返事を聞いて、再び襖が開く。

 予想通り、案内されてきたのはヘロヘロである。

 彼を、ここまで案内してきたのが見世の若い衆だったのは、色々と必要な事務作業をする為に楼主自身の手が離せなかった事もあるだろうが、それ以上に客ではなく部屋の端末を取り外す為の業者の案内だったからだろう。

 ウルベルトさんが、更に気を利かせて案内してきた若い衆にちょっとした小遣いを握らせると、ほくほくとした様子で部屋から立ち去っていく。

 建御雷とも顔なじみの若い衆は、割と目端が利く利発な青年だったので、こんな風にわざわざ業者の人間を案内してきただけの自分に、それなりの小遣いを握らせた意味が〖口止め料〗だと、ちゃんと判っているのだろう。

 部屋に辿り着いた際に聞こえた会話の内容を、漏らす心配はない筈だ。

 

 もっとも、もし青年が誰かに内容を漏らしたとしても、既に〖白雪太夫〗の身請けは正式に済んでしまっている事だし、そもそも顔なじみが協力して助けに来たとしても手続きは正当なものを取ったのだから、文句を言われる筋合いはない。

 

 そう、こちら側は一切不当な手段は取っていないのだ。

 後から、明日以降の予約客が「予約を取っておいて、身請けされて即日出ていくなど急すぎるだろう」と文句を言ったとしても、最後の披露をしなかった点もちゃんとした理由があり、楼主側が承諾して後始末に動いている時点で、問題はないと判断されるだろう。

 その為に、楼主に対して多めの金額の礼金と諸経費を支払ってあるのだ。

 元々、予約自体が前金を支払っている訳ではないので、多少の「詫び金」を支払うだけで、話に片を付けられる案件である。

 もし拗れたとしたら、それは楼主側の手腕の問題だけ。

 こちら側に、苦情を言い立てる事は流石に出来ない筈だ。

 

 それから一時間後、ウルベルトさんが手配した一般人の装いに着替えた白雪太夫、いやタブラさんは花街から外へ通じる門を始めて潜ったのだった。

 

 




ふふふ、気付いたら予定よりも大幅に後編が伸びました。
まぁ、加筆する状況が判り易くなったので、前より読みやすくなったと思います。
そして、次の話の更新予定ですが、今月中を予定しています。



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るし☆ふぁーさんのお家騒動 ~会議後の一幕~ 

今回から、暫くるし☆ふぁーさんサイドになります


 話は、タブラさんをウルベルトさん達が身請けしに行く、二日前まで遡る。

 

 そう……ギルド会議が終わった直後、急いで母親の安全確保の為に帰宅しようとしていたるし☆ふぁーに、ベルリバーさんが声を掛けた所から始まっていた。

 あの時、彼は「自分が、もしかしたら知ってはいけない事を、偶然知ってしまったのではないか?」と言う不安に駆られていた為、早急に相談出来る相手が欲しかったのである。

 だからこそ、富裕層の中でも特に高い位置にるし☆ふぁーがいると判明し、彼に急いで相談したのだ。

 自分の持っている情報の内容的に、彼の立ち位置なら「上手く使えるかもしれない」と言う部分も多々あり、そこから自分の安全を確保出来るかもしれないと言う、下心も確かにあっただろう。

 

 少なくとも、大切なギルドの仲間やペストーニャを残して、このまま何もせずに死にたくない。

 

 彼が、自分の安全を確保したいと思った理由は、そんな単純なものだった。

 幾らなんでも、自分の事を本気で頼ってくれた相手の事を見捨てられる程、るしふぁーも鬼じゃない。

 それに、だ。  

 ベルリバーさんが齎した情報は、確かに自分や自分の祖父にとって有益な内容が、本当に色々と含まれていたのである。

 むしろ、「よくぞ自分を選んで相談してくれた」と、ベルリバーさんに対して感謝の念すら抱ける内容だった。

 正直、これだけ有益な情報をくれたのだから、当然彼の身の安全は祖父の力を借りても絶対に護るべきだろう。

 

〘 んー、元々俺に協力してくれる一人として、今勤めている会社は辞めて貰うのは確定しているし、ベルリバーさんがこの情報を偶然取得したのが今日の昼間だって話を踏まえるなら、まだ勤め先の上層部がその事実に気付いているとは思えないよね。

 最初から狙ってハッキングした訳じゃなく、自分の受け持ちデータの中に紛れ込んだ場合、そのまま気付かずスルーするケースの方が、圧倒的に多いし。

 だったら、今の俺の権限で動かせる爺様の所の人間使って、別件でのヘッドハンティングの態を取るべきだよね。

 ベルリバーさんの勤め先、爺様の所より格下になるし。

 だから、彼にはサクサク明日の朝一番に退職願を出して貰っておいて、爺様の会社の人に迎えに行かせたら文句が言えなくなると思う。

 ヘッドハンティングの理由は、『孫が人を使う事になれるための練習相手として、それなりに事務系の実力がある上に身分的に都合が良かったから〗で大丈夫でしょう。

 実際、あんな情報を偶然でも入手しちゃうって事は、それだけ能力が高い証だし。

 あー……その話を進める前に、まずはベルリバーさんの電能サーバーに恐怖公を向かわせて、会社側も併せて〖情報を入手した〗って痕跡も消しとかないと駄目だよね。

 正直いって、あまり派手に動きたくないんだけど、どうもベルリバーさん側にそういう能力は期待出来そうにないし……うん、恐怖公の眷属の中にある情報修正パッチで対応して貰おうっと。 〙

 

 一先ず、やらなくてはいけない案件を頭の中で素早く纏めたるし☆ふぁーは、同時に色々な方向へ思考を巡らせていく。

 あまり時間もない事なので、出来るだけ早く対策を決める必要があるからだ。

 そんな風に考え込んでいた時、二人に対して声を掛けてきたのがウルベルトさんだった。

 

「……さっきから、二人してなんか不穏な雰囲気を漂わせてる気がするんだが、何か問題でもあったのか?」

 

 多分、先程から俺達の様子がどこかおかしい事に気付き、状況的に「まだ何か問題があったのか?」と心配したからこそ、こんな風に声を掛けてくれたのだろう。

 そんなウルベルトさんに対して、ベルリバーさんはどう答えるべきなのか、返答に詰まる。

 正直言って、彼に対して素直にこちらの状況を教えていいものか、るし☆ふぁー自身だってまだ迷う所だ。

 内容的に考えても、今、ここで彼の事をこちらの都合に巻き込めば、そのままたっちさんの家まで巻き込んでしまう可能性だってある。

 既に、タブラさん側に関連する負担がかなり大きなっているだろう彼の家を、自分たち側の事情に巻き込んでしまうのは、流石に躊躇う所があった。

 だが、ウルベルトさんの性格を考えれば、ここでヘタに嘘を吐いて誤魔化す方が、余計に勘ぐってこちらの状況を探ってくる可能性がそれなりに高い。 

 そんな事になる位なら、むしろここで簡単に事情を話して、上手く距離を取りつつ、必要な時に協力して貰う感じで巻き込んでしまうべきだろう。

 彼が、こちら側にも関わる事になるのなら、そのままデミウルゴスの知恵も借りれるかもしれないのだから。

 

 もちろん、自分達でも必要な対応策を考えるが、彼の所のデミウルゴスとモモンガさんの所のパンドラズ・アクターの知恵の回り方は、自分達よりも高い学習能力によって裏打ちされた、本当に素晴らしいものなのである。

 そんな彼らなら、こちらが気付かないままつい見落としがちな部分を、きっちり気付いてフォロー出来る筈だ。

 本音を言えば、状況的に既に多忙だろう彼を巻き込む事に対して多少の罪悪感を感じるのだが、こうして相談しているところを目撃されてしまった以上、それも仕方がないだろう。

 どちらにしても、自分達とほぼ同時に行う〖タブラさんの救出作戦〗において、彼は仲間から集めた資金運用する重要な立ち位置にいる。

 そういう部分を考慮すると、あまり深く彼を巻き込む訳にはいかない事はちゃんと理解していた。

 

「あー……うん、ちょっとベルリバーさんがリアル絡みで困る事が判ったんだってさ。 

 で、相談できる相手を探していた所に今回の一件で俺のリアルでの大体の立ち位置が判明したでしょ?

 それで、自分の状況をどうにかする方法がないか、相談してきたって訳。

 多分、今回の一件に協力者側に名乗りを挙げたのだって、タブラさんの事とか本気で心配したって言うのも嘘じゃないんだろうけど、それ以上に自分が置かれている今の状況を少しでも打破したいからだと思うよ。

 そうでしょ、ベルリバーさん?」

 

 既に、自分の頭の中ではどう対応するかまでざっくりと決めてしまっていたが、それでも本人の意思を確認する為にわざと話を振ってみる。

 こちらの言葉に対して、ベルリバーさんは素直に頷いて同意した。

 ここで、下手に否定するより同意した方が、嘘を重ねるよりましだろうと状況的に理解したからだろう。

 それを聞いたウルベルトさんは、何か少し考える素振りを見せた。

 

 つい、貧困層と言う生まれのせいで勘違いしてしまう面々が多いけれど、ウルベルトさんは凄く頭がいい。

 

 本人にそう言うと、「頭を使う事は、どちらかと言うと苦手だ」と笑って否定するだろう。

 だけど、本当は違う。

 そもそも、元々の頭の出来がそれなりに良くて頭の回転が速くなければ、幾らサポートとしてデミウルゴスの力を借りているとは言っても、たっちさんの所で何年も家庭教師を続けるなんて事は出来ないだろう。

 みぃちゃんが、あそこまで自分の才能を伸ばす事が出来たのは、間違いなくウルベルトさんの教育とそれ以上に人の能力を伸ばす力の賜物だった。

 しかも、最近では彼の実家と妻の実家の双方から、彼女の能力を導き伸ばしてみせた実績によって信頼を勝ち取り、後見を引き受けて貰ったと聞いている。

 そんな彼に、ベルリバーさんが抱えているだろう情報を渡して相談するべきか迷ったものの、今は話さない方がいいだろうとるし☆ふぁー判断を下した。

 むしろ、最短で明日の昼には花街に行くだろう彼には、自分だからこそ出来るだろうアドバイスを一つしておくべきだと、るし☆ふぁーは考えた。

 元々の予定だと、単純に金で話を付ける予定ではあるものの、向こうが下手にごねたりしない様に、先に相手側の落ち度を作っておくべきだと、そう考えたからだ。

 

「んー……あのさ、タブラさんの所に向かうなら、着ていく衣装は相手にどこか少しちぐはぐな印象を与える感じにした方が、良いかもしれないね?

 なまじ、長年廓の楼主を務めてきた相手だし、着ている服とか身に付けている小物とか、後は相手の雰囲気とか……とにかく、色々な角度から観察した上で相手の格を判断する立場として、それなりに人を見る目を持っていると思うし。

 今のウルベルトさんだと、多分、たっちさんの家で家庭教師を三年も勤めた事によって、最低でも貧困層ではありえないほど、上流社会に見合うセンスが育っていると思う訳よ。

 特に、そう言う事に拘りそうなデミウルゴスとか、ずっと側にいるでしょ?

 そう考えると、どう考えても富裕層の住人に見合う様な、それ相応に雰囲気に変わっているんじゃないかな?

 だから、わざと〖貧困層の人間が、少し無理をしている〗と思わせてやった方が、楼主側が自分からより引っ掛かって自爆してくれると思うよ。

 俺は、接待関係で座敷を使った時に一度顔を合わせただけなんだけど、その時に感じたあそこの楼主への印象は、特に心が狭いタイプって感じだったんだよね。

 だから……自分よりも確実に質の良い品を着ている相手から、どこか貧困層の匂いがするのを感じた瞬間、自尊心を保つ為に何かしら必ずやらかすと思うからさ。」

 

 にんまりと笑いながら、自分が知っている情報を教えた瞬間、思わずウルベルトさんが目を見開く。

 まさか、花街に向かう前の準備段階からの仕込みで楼主に罠を仕掛ける様に、あちら側には関わらない筈の俺が勧めるとは思わなかったのだろう。

 くすくすと笑いつつ、更に言葉を重ねてやる。

 

「花街ほど、権謀が嫌と言うほど渦巻く世界なんて、早々ないと思うけど?

 特に、郭を仕切る楼主なんて、本気で面倒くさい魔物が多いんだよね。

 なんだかんだ言って、遊女から聞き出した客の弱みをがっちりと握る事で、自分の花街での立場とか強化して裏で色々とやらかしているケースも結構多いみたいだし。

 普通なら、弱みになる情報を握られたと判断した時点で、企業トップは排除に掛かるんだけど……花街の楼主連中が排除されることなく生き残れているのは、彼ら自身がきちんとその辺りまで弁えて、全部、花街の中だけの話として終わらせているからだよ。

 どの楼主も、みんなそこまで馬鹿じゃないから、握った弱みで自分の立場の強化をするのだって、全部花街の中で済む内容に済ませて、権力者側との折り合い付けてるんだよね、うん。

 そういう相手だから、まずは交渉の前の段階で向こうのペースに持っていかれない様に、色々最初の段階で打てる手は打った方が良いかなぁと思った訳。」

 

 本当に、こうやって簡単に話しただけでも面倒な話が多いけれど、どれも事実である。

 そもそも、花街がこうしてアーコロジー内に出来てずいぶん経つけど、決して廃れる事なく維持出来ているのは、昔から性に絡む商売が廃れる事がないと言う理由だけじゃなく、楼主側がそうやって幾つも握った弱みがあるからだって、爺様から聞いた事があるから間違いない。

 だからこそ、自分が知る限りのアドバイスをウルベルトさんに伝える必要があると、そう思ったのだから。

 

「正直言って、ああいう面倒な位に老獪な手合いはね、それこそ相手の隙を見付けるのが凄く上手いんだ。

 今回、誰よりもその点に注意するべきなのは、主役として同行するみぃちゃんよりも交渉役のウルベルトさんだと思う。

 だって、ウルベルトさんは前にたっちさんが言っていた言葉通りなら、花街で通用する位の美人なんでしょ?

 それなら、その容姿とか生まれの部分をわざと相手に付け入る隙に見える様にして、先に相手から〖客に対してしてはいけない〗失言を引き出してやれば、十分言動を封じる事が出来るんじゃないかな?

 明確に相手の失言を引き出して、向こうが本格的に動く前にこっちの方が有利な状況を作ってしまえば、後の話を進めるのに、結構楽になると思うよ。

 まぁ……この辺りの匙加減は、廓の事をよく知る建御雷さんと詳しく話し合った上で、どちらの方向性で進めるのかきっちり作戦を練った方が良いと思うけどね。

 俺から、ウルベルトさんに出来そうなアドバイスはそれ位かな?」

 

 軽く肩を竦めつつ、苦笑のアイコンを浮かべて軽く手を振れば、ウルベルトさんはちょっと嫌そうな気配を漂わせている。

 どちらも、彼にとってどちらもコンプレックスに近い部分を刺激するものだから、あまり触れられたくない事なのかもしれない。

 だが、そういう部分を突いて来るのが相手のよく使う手段だと判っている以上、逆に丸々罠にする位のつもりでいないと、ただでさえ厄介な廓の楼主を相手に交渉するのは難しいかもしれないのだ。

 そういう意味でも、出来ればそちらに集中して欲しかったのだが……

 

「……先に言っておきますけど、誤魔化されるつもりはないですからね?

 そりゃ、アドバイスに関してはありがたく受け入れますが……だからと言って、そっちに意識を向けさせておいて、ベルリバーさん関連の話をうやむやにするつもりなら、当てが外れたと思って下さい。

 あんな風に、さっきの今で真剣に相談している様子を見たら、誰だって心配になりますからね。」

 

 どこか拗ねたような口調で、サクッと話を戻すウルベルトさん。

 こちらが、これからの行動に関わるアドバイスをする事によって、そちらに意識を向けさせようとしている事にすぐに気付いたんだろう。

 すぐに察する当たり、やっぱりウルベルトさんの頭の回転は悪くない。

 

 だからこそ、彼の言葉にるし☆ふぁーは少し渋い顔した。

 

 正直に言うなら、ここから先は誰が聞いてもあまり聞いていて気持ちの良い話でもない。

 特に、一度使い捨ての駒にされ掛けた事があるウルベルトさんにとって、どちらかと言うと逆鱗に触れてもおかしくない類だろう。

 そう思うからこそ、上手く話題をすり替えてご誤魔化そうとしていたのに、どうやら彼は 誤魔化されてくれないと言うのだ。

 流石に、るし☆ふぁーじゃなくとも渋い顔をせざるを得ないだろう。

 

 こうなると、やはりここで変にウルベルトさんに誤解を与えない為にも、きちんと話しておくべきかもしれない。

 

 状況的に、巻き込むのはあまり宜しく無い状況だと判断したけど、ここで下手に誤解をさせたまま放置した方が絶対に面倒な事になる。

 そう腹をくくると、るし☆ふぁーは口を開いた。

 

「……いや、別にウルベルトさんを信用してないから誤魔化そうとしてた訳じゃなくて……

 この事について、単にウルべルトさんの耳に入れたくなかっただけ。

 だって、詳しい話を聞いたら絶対に怒るだろうし、今だってそんなに余裕ない状況なのに、こっちの方にも全力で協力しそうだもん。

 それが簡単に予想出来るから、話さないのを選んだだけなんだよね。」

 

 そう、俺がウルベルトさんに話を誤魔化して話さずに済まそうとしたのは、今のウルベルトさんの負担具合を考えたからだ。

 今回の一件がなくても、ウルベルトさん自身は富裕層の上層部の跡取りになるみぃちゃんの教育と言う、本人が思う以上に大変な事をして居る。

 それに加えて、タブラさん救出のために必要な資産運用をするには、ウルベルトさん所のデミウルゴス一人だけじゃ、多分、運用資金があっても時間が足りない。

 もちろん、有能すぎる位に有能なデミウルゴスなら、その辺りもきちんと考えて仕上げようとしてくるだろうけど、今まで以上に資産を集める為に性急に動きを見せれば、周囲だってそれに反発して何かを仕掛けてくる可能性は高いと考えるべきだろう。

 多分、そのフォローとして、モモンガさん所のパンドラズ・アクターと、今ウルベルトさん所で身柄を預っているアルベドの二人が、協力に入ると思う。

  そうなった場合、三人が暴走してやりすぎないように、三人の事を見張るのはウルベルトさんだ。

 

「今回は、時間的な余裕がないからギリギリのラインを見極めながら、資金運用をする必要があるだろう?

 幾らたっちさん保護があると言っても、ギリギリ見逃がせるラインを超える様な目立つ資金運用をすれば、他の富裕層が黙っていない可能性があるからね。

 多分、デミウルゴス一人でやるよりもアルベドやパンドラも協力して分散した方が、そういう危険なリスクは下げられる。

 で、彼らに対するお目付け役は、ウルベルトさんがやる必要があるんだよね。

 アルベドの主で捕らわれの身のタブラさんはもちろん、パンドラの主のモモンガさんは俺への協力が主体になって手が回らなくなるから、自然にそういう役目がウルベルトさんに振られちゃう訳だ。

 セーブしながら、それでも確実に必要金額以上……そうだな、俺が予測している金額的には五億、かな?

 とにかく、それ位まで資金を増やすように指揮を執り、更に当日には楼主と身請け金額の交渉とか……うん、ウルベルトさんがやらなきゃいけない事は本気で一杯なんだよね、実は。

 こっちはこっちで大変だし……正直言って良いなら、一旦この件に関しては後回しにしたい訳よ。」

 

 サクッと、最初の予定金額よりも必要額の最低額を引き上げてやると、ウルベルトさんが思わず息を飲む音が聞こえた。

 まぁ、そういう反応するのが普通だと、俺も思う。

 隣にいたベルリバーさんも、俺がさり気なく金額を増やしているのに驚いてたし。

 

「それって、交渉する際に余裕を持たせる為に必要な額では?」

 

 予定よりも更に高額を告げられ、思わず口に出して聞きたくなったのだろう。

 そう、聞き返したくなる気持ちは分かるけど、俺だってちゃんと確信をもっていっている金額なのだ。

 だから、彼らに対して軽く首を竦めて見せると、その金額になった理由を口にする。

 

「ぷにっと萌えさんはあぁ言ったけど、俺としては見積もりが甘いと思う。

 最低額として、五億は用意しておいた方が良いと思うんだよね。

 一度会ったきりだけどさ、それでも直接会った事がある俺があの楼主の立場とか性格とか、色々と考察を加えた上でその言動を予測すると、こっちが下手に出し渋る素振りを見せたりしたら、その時点で交渉を打ち切りそうにしか思えない訳。

 まぁ、そうなる前にこっちが交渉の主導権を握ればいいんだけどね。

 それで、話を戻すけど……そもそもこの件に関していっちゃうと、ベルリバーさんの身柄を今の勤め先から、大々的にこちらが引っ張ればいい話なんだ。

 つまり、俺が爺様に人材の相談をした結果、〖自分の部下として必要だから、ヘッドハンティングをしたい〗って流れにしちゃえば、そこまで揉めないと思う。

 うちの爺様、そこそこいろいろな企業に顔が利くし、〖孫が漸くやる気を出したので、初めて持つ部下はそれなりに使える者を与えてやりたい〗って言えば、色々な兼ね合いから話は通ると思う。

 もちろん、ベルリバーさんにも上司に退職届を出す際に、〖○○氏から直接引き抜きの話が掛かった〗と言う内容を話して貰うつもりだし。

 因みに、これはモモンガさんやヘロヘロさんにも同じ事をして貰うつもりだよ?

 そうやって、全面的に〖孫の為に、それなりに使えると判断した相手への引き抜きがあった〗という退職理由を前面に押し出して、相手の疑念をうやむやにしちゃうのさ。」

 

 自分の立ち位置を前面に出し、ベルリバーさんの身柄の安全を確保しようとしているこちらの主張を聞いて、ウルベルトさんは苦笑のアイコンを浮かべた。

 多分、彼からしたら俺がわざわざそんな手を取ろうとするのは、ある意味予想外だったんだろう。

 と言うより、これは俺以外に選択出来る手段ではない。

 もしかしたら、似た様な立ち位置にいるあまのまひとつさんだったら出来そうな気もするけれど、俺がやる方がより確実だと思う。

 それに、彼には別にやって欲しい事もあったので、この件で協力して貰う訳にはいかなかった。

 

〘 まぁ……うん、なんだかんだで問題が起きた時のバックアップ先は、可能な限り数が欲しいからね。 〙

 

 ある程度、こちらの意図を説明した事によって、ウルベルトさんは納得してくれたのか軽く首を竦めると、ぽんとこちらの肩を叩く。

 そして、ベルリバーさんの方を向くと、同じようにポンと軽く叩いた。

 

「まぁ、色々大変なのは分かったから、問題が起きそうならこっちにも相談しろよ?

 ある程度、資産運用の目途が付くだろう昼頃なら、デミウルゴスをそっちに送れるから。」 

 

 こんな風に、笑顔のアイコンを浮かべながウルベルトさんはそう言うけれど、実際にはそんな余裕はどこにもない筈だ。

 それに、メールペットがこちらに来るなら、デミウルゴスが来るよりパンドラズ・アクターを戻して貰う方が、モモンガさん的にも都合がいい。

 多分、金銭面の運用ではそろそろデミウルゴスとパンドラズ・アクターの実力は並ぶレベルになっている気がするけど、それでもまだデミウルゴスの方に経験値の差による軍配が上がるだろう。

 

「あー……その申し出は嬉しいけど、それならモモンガさんが協力させる為に差し向けてるだろうパンドラを返した方が、モモンガさんのサポートに戻せるからいいかも。

 モモンガさんのガードが強化される状況になれば、他の二人も自動的にガードが固くなると思うし、そっちの方がいい気がするんだよね。

 大体、みぃちゃんの教育問題にも関わるから、デミウルゴスをこっちに寄こすのは拙いでしょ?

 まぁ……何かあったら、ちゃんと相談するつもりだけど、こっちの行動力を示す意味でも、そこまで至らないうちに解決するつもりでいるんだよね。」

 

 そう言いながら、笑顔のアイコンを浮かべたるし☆ふぁーは、まず急ぎの案件を取り扱うべく、二人に断ってログアウトしたのだった。

 




本当は、タブラさんの身請けの裏側として、当日のるし☆ふぁーさん達の動きになる予定だったのに……!!
そこまで持っていくと、また長くなりそうなので一旦切りました。


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るし☆ふぁーさんちのお家騒動 ~ タブラさん身請け当日の裏側 ~

遅くなりましたが、るし☆ふぁーさんサイドのタブラさん身請け当日の話になります。


 るし☆ふぁーが、【ユグドラシル】からリアルに戻って、まず真っ先にしたのは祖父への連絡である。

 現時点で、母は父が随分昔に用意した寂れた別宅で暮らしている為、先程の情報を踏まえて身の安全を確保するなら、そこから脱出する必要があったからだ。

 その為に協力して貰う相手として、るし☆ふぁーが選んだ絶対的な信頼を寄せる相手こそ、祖父なのである。

 

 あの祖父以上に、自分にとって頼れる相手はいなかったから。

 

 既に深夜と言うべき時間とは言っても、日付が変わるまでまだ一時間以上あった事もあり、祖父も祖父の側近たちもまだ起きていて直に行動に移せる状態だったのは、かなり幸運だったと言うべきだろう。

 なので、名ばかりの父親がやろうとしている計画の内容を全て祖父にぶちまけ、そのままかなり危険な状態にある母の身柄の保護を頼む。

 元々、自分の事を出産するとほぼ同時に別宅に押し込められ、そのまま放置されている事を把握していた祖父も、現状に対してかなりの苛立ちを覚えていたから、孫である俺からこちらの状況説明と保護の提案にすぐ乗ってくれた。

 

 流石に、名ばかりの父親よりも格上の地位にいる祖父としても、立場的にこのままアイツを放置して好き勝手させたままにしておく訳にはいかないのだろう。

 

 こちらの連絡受けた途端、その場で側近たちを相手に幾つも指示を飛ばして、母の事を助け出すべく行動してくれたというのだから、これで少しは安心出来る状況になったと言っていい。

 とりあえず、母の一件はこれで決着と安堵した所で、今度は自分の方が置かれている状況とそれに対する対応策、仲間の協力などを事細かに祖父へと説明し協力を仰ぐ事にした。

 このまま、大人しく父の手に掛かるつもりが欠片も存在していない以上、自分の身を守る為に行動する必要がある事は間違いないし、その為に仲間たちにも色々な協力を仰いだのだから、それを失敗させる訳にはいかない。

 その為にも、祖父の協力は必須条件だと言っていいだろう。

 なので、それなりに親しく信用が出来る友人たちを、他社からヘッドハンティングして自分の側近にしたいのだと言う話も、包み隠さず話していく。

 その流れで、今回、自分の状況を知って協力してくれる友人の中に、実は祖父すら認めていたモモンガさんがいる事を話すと、祖父が何とも言えない表情で低く唸った。

 

 どうやら、祖父的には自分の営業担当との一人として、正式にモモンガさんの事を引き抜こうと準備をしていた所だったらしい。

 

 それが、孫の友人として孫に協力するべく側近の一人になる予定だと知って、色々と思う所があるのだろう。

 ここで唸るだけで留めているのは、孫自身の命にもかかわる差し迫った状況だからで、そうじゃなければここから交渉合戦に入っていたんじゃないだろうか。

 更に、自分が愛用しているメールソフトの存在を明かし、それをプログラムしたメンバーの一人もこちらに協力してくれるという話になっている事を説明したら、祖父から〖その二人だけなのか?〗と確認を取られる。

 流石に側近が二人だけでは、色々と人手が足りないとか投げてくれたのかもしれない。

 そこで、三人目の協力者としてベルリバーさんの名前を上げ、同時にちょっと問題を抱えてしまっている事まで説明した。

 その上で、〖彼も優秀だから、身の安全を確保した上でこちらに引き込みたい〗と話せば、暫く何かを考える素振りを見せた後、るし☆ふぁー自身が考えていた様なヘッドハンティングを、代わりにやってくれると祖父の方から言い出したのである。

 

「こう言う事は、本人たちが思っている以上に上の柵で面倒が掛かる事が多い。

 それを承知で動くなら、儂も手伝わない訳にはいかんだろう?

 何せ、お前は儂にとって可愛くて大事な孫じゃからな。」

 

 快活に笑う祖父を見て、やはり心強い味方だとそう思ったるし☆ふぁーだった。

 

*******

 

 ひとまず、ここから先は割とサクサクと早く話が進んでいった。

 ベルリバーさんとヘロヘロさん、モモンガさんの三人の身柄をこちら側へ迎え入れる為に、祖父自ら彼らが属する企業との交渉を最優先で行ってくれたからだ。

 この話が決まって、それぞれの所属する企業へ交渉する為の準備として調べた事で判明した事が一つある。

 実は、彼らは三人とも一つの企業が運営する会社に所属し、それぞれ別部門で働いていたらしい。

 その事実を告げた途端、本気で驚いて顔を見合わせていた様子から察するに、自分達が同じ企業で働いている事すら気付かなかったのだろう。

 思わぬ事実を前に、るし☆ふぁー自身もつい笑ってしまった。

 結果的に、祖父は一つの企業にこの話を通すだけで済んだ訳だけど、その分、相手に対する借りも大きくなったかもしれない。

 まぁ、その辺りをどう祖父に対して報いるのかに関しては、後からみんなで意見を出し合いつつ色々と考えるから問題ないとして。

 そうやって、俺の所に正式に直属の部下としてきてくれた三人だけど、モモンガさんがウルベルトさんの分も込みで嬉しいプレゼントを持ってきてくれた。

 

 二人から渡されたのは、俺のクソ親父の会社の株の所有権である。

 

 最初、この株の権利を提示された時は、〖どうしてこれをモモンガさんたちが持っている?〗と、本気で驚いたものだ。

 と言っても、事情を聴いてすぐに納得しけどね。

 どうやら、ワンマン経営で問題が水面下に山ほどあるものの、それでも他から見てまだ成長株だった親父の会社の株は、デミウルゴスとパンドラズ・アクターから見て丁度良い投機の対象になっていたらしい。

 結果として、あの二人によって資産運用の為に購入されていた株の総額は、会社が現時点で発行している株式全体の約五%まで行ったっていうんだから、結構恐ろしい状況だったと言っていいだろう。

 普通、個人投資家が所持している株式がその会社の発行株売数の五%に届くなど、余程じゃないとあり得ないからである。

 

 だけど、これで俺の方はあのクソ親父と戦う為の準備が、ある程度まで整ったと言っていい。

 

 今回の為に、結婚当初から母が持っていた株も譲り受ける事が出来た結果、元々持っていた分も含めた俺の所持株数はなんと二十五%にまで到達したからである。

 会社にとって、自社の株を二十五%も保有している株主の存在は、そう簡単に無視出来る存在じゃない。

 むしろ、会社経営等に関してかなり大きな発言力がある存在だと言っていいだろう。

 まず、俺が選択した最初の行動は、その大株主としての立場から会社に対して、正式に〖会計監査請求〗を要求したのだ。

 もちろん、そんな請求をした理由はちゃんとある。

 くそ親父の指示によって、会社の資金の内数%が私的な面で消費されているのを知っていたからだ。 

 つまり、株主として〖会社の資産が正しく運用されているか、その辺りを明確に提示しろ〗と要求して、まずはタブラさんの身請けに会社の資金を使えなくしつつ、不正に資金を横領している事実を知らない他の株主に、その実情を知らせようとしたのである。

 

 そんなものを請求されて、困るのはあのクソ親父とその側近側だ。

 

 当然、今までは親父のワンマン経営だったから、色々と資金の流用も可能だった。

 株主側に対しては、きちんと利益を上げて配当を問題なく配る事が出来ていたから、少しずつ細かな資金の横領程度は上手く誤魔化せていたけれど、〖会計監査報告〗を請求されてしまった場合、どうしても私的な流用部分が〖使途不明金〗となり、問題が発生してしまう。

 まして、花街へ〖身請け金〗を支払おうとすれば、億単位の金額が必要となる訳で。

 そうなると、流石に今までの様な少額の資金の私的流用程度で収まる額ではなく、どうやっても誤魔化しが出来ないレベルになる。

 だから、もしどうしても会社の金を使おうとすれば、こちらが請求した〖会計監査報告〗が済んだ後じゃないと出来なくなると言う訳だ。

 

 もし、これを請求したのが少額の株主だったら、それこそ黙殺される可能性があった。

 だけど、流石に会社の総株数の二十五%の株を持つ大株主、いや多分筆頭株主になっているだろう俺からの請求は、会社側は断る事が出来ない。

 それだけ影響力があるのが、株主筆頭だからだ。

 あのくそ親父だって、自分の会社の株の所有数は個人では十%程度しかない筈だから、どんなに反対したくてもこちらの要求に対して抵抗する事も出来ない。

 俺が知る限り、あのクソ親父と親戚筋が所持している株の総額は、七十%程度だったと言う記憶がある。

 その中には、母が結婚の際にアイツの両親から譲られたものとして持っていた十%も含まれていた筈だから、それがこちらに来ている時点で、親族合わせた残りの株数が六十%程だ。

 更に、父を見限って「こちらに付きたい」と以前から言ってくれていた親戚たちから、一時的に委任状を預かっている株式が十八%程ある。

 そこに、祖父が持つ十%の株式への委任状も受け取っているから、事実上こちら側が保持している株数は五十三%になった。

 

 この段階で、こちら側にある会社の株の総額は過半数の五十%を超えるので、それこそ株主総会を開いてあの親父の事を社長から追い落とすのも可能だろう。

 

 そうやって考えると、やはりデミウルゴスとパンドラズ・アクターには、心から感謝するしかない。

 あの二人が、クソ親父の会社の株を五%所持してくれていなければ、過半数の株式をこちら側の株に出来ない可能性だってあったからだ。

 とは言っても、それだけで気を抜くのは危険だろう。

 今の時点で、こちらが所有していたり委任されていたりする会社の株数の事はもちろん、あちら側の動きがこちらに筒抜けになっているとは思われていない筈だ。

 だが、その状態がいつまで続くのか判らない以上、色々な意味で警戒が必要なのは当然の話だった。

 

 もちろん、身内やギルドの仲間が情報を漏らすとは、るし☆ふぁーだって考えている訳じゃない。

 

 アイツ自身はもちろん、アイツの側近もなんだかんだ言って無能じゃないのは、ちゃんと判っている。

 だから、母が祖父の手によって実家に引き取られた時点で、母を〖病死を装って毒殺しようとしていた〗事を察知される可能性は、既に視野に入れている筈だ。

 何せ、俺が祖父にこの話をした途端、それこそ殆ど間を置かず……それこそ深夜の時間帯なのも気にする事なく、母を別宅から強引に連れ出している事から、余計にその可能性は高いだろう。

 翌日の朝一番に、俺が今まで勤めていた会社へ辞表を提出して退社し、それに合わせて祖父が何人か他社からヘッドハンティングしている事も、そろそろ相手側に伝わっている筈。

 そこに加え、俺の名前で正式に〖会計監査請求〗などをしているのだから、こちらの意図が正式に親戚の要請に答えた上で、アイツを追い落とそうとしている事は理解していると思っていいだろう。

 だからこそ、今が一番警戒する必要があった。

 

 こちらが動いた事によって、追い詰められたアイツが暴走して何をしでかすか判らず、それに対して今まで以上に警戒する必要があるからだ。

 

 とは言っても、流石に多くの人目がある場所で何かを仕掛けてくる真似など、様々な理由で出来ないだろう。

 既に、こちらは「父親の運営に問題がないか、株主筆頭として〖会計監査請求〗をする」と宣言しているからだ。

 ここで万が一俺の身に何かあった場合、真っ先に疑われるのはそれが実行されたときに責任を問われるクソ親父である。

 例え、アイツが色々裏で手を打って周囲が流されそうになっても、今回ばかりは先に事情を話してある祖父が黙っていない。

 だからこそ、こちらも打って出る事にしたのだから。

  

「……それにしても、本気で驚いたね。

 まさか、前の会社を相手にそれ程揉める事なく、こうして無事に転職が出来るとは思わなかったよ、俺。」

 

 そう、ここ数日で大きく変わった自分の立ち位置に対して、思わずと言った様子で感慨深い声を漏らしたのは、ベルリバーさんだ。

 特に彼の場合、転職直前まで自分の置かれている状況が状況だっただけに、前の企業から命を狙われる可能性すら視野に入れていた。

 だからこそ、自分の転職に関しては簡単に話が進まないと、本気で思っていたのだろう。

 

 ところが、実際に交渉内容の蓋を開けてみたら、一番会社側が転職に対して難を示したのは、実はモモンガさんに対してだったのである。

 

 以前から、うちの祖父は営業としてそこの企業からモモンガさんが来ると、割と早い段階ですんなり契約まで話が進むケースが多かった事から、祖父の会社に対する営業の切り札的な扱いをされていたんだと思う。

 だからこそ、あちら側がこちらの交渉に対して簡単に首を縦に振らず、結果的にモモンガさんの転職を認めさせるのに時間が掛かったのだ。

 祖父は祖父で、モモンガさんの事を自分の会社に引き抜く為に色々と根回しとか準備を進めていたから、こうなる事を予測済みだったらしい。

 今回、モモンガさんを含めた三人が多少手間取る程度で無事に転職が出来たのは、祖父が引き抜きの為に準備していた内容を、そのまま使ってくれたからだ。

 

 祖父に対しては、この件も含めて全部の面倒事の片が付いたら、何らかの形でお礼をしようと思って居る。

 

 先程、モモンガさんの所のパンドラズ・アクターを経由して、ウルベルトさんの方も予定通りの金額が集まったという連絡が来ていた。

 タブラさんを身請けする為に、絶対に一度は座敷を取って顔合わせをする必要があるのだが、その為の座敷が今日の昼に決まったという話は、昨日のうちに建御雷さんからのメールを貰っている。

 状況的に考えて、あちらは割と順調に進んでいると言っていいだろう。

 それこそ、タブラさんが置かれている窮状が判明してから、たったの二日で彼女の座敷を取る所まで持っていったんだから、かなり凄いと考えていい筈だ。

 

 このまま、身請けの話を楼主に対して即決で話を持って行けるだけの金額も貯まっているし、あちらはこのまま押し切っても問題ないと思うべきじゃないだろうか?

 

 念の為に、パンドラズ・アクターにはあちら側のサポートに回っても貰っているけれど、向こうは今日の決着が確定出来るだけの準備が整っているから、そこまでは心配していなかった。

 むしろ、こちらの方が予想より手間取るかもしれない。

 一応、俺が申告した事によって正式に行われる事になった〖会計監査報告の為の緊急株主総会〗が開かれるのは、明日の昼の予定だ。

 正直言って、完成させるのはもっと遅くなると思って居た会計監査報告がここまで早く仕上がって来たのは、クソ親父の会社の内部に以前から「あの暴挙を続けていれば、いつか株主に訴えられるだろう」と考え、ある程度まで資料を準備していた面々がいたからだろう。

 

 つまり、あのクソ親父に対して水面下に潜って反旗を翻す機会を狙っていた面々は、親族以外にもそれなりにいたと言う事だ。

 

 ただ、どんなにこの事を株主に対して訴えたくても、自分達だけではアイツの圧力によって握り潰されてしまうから、そうさせない為の旗頭が欲しかった。

 そこに、俺と言う血筋的にも立場的にも文句がない後継者候補が現れた事で、彼らは少しでも改善される事を願ってこちらの味方に付いてくれたと言う事だろう。

 何せ、今回の会計報告をするべくこれだけの資料を揃えた面々は、こちらが負ければ確実に会社に居場所がなくなるのは間違いない。

 今まで、それがあったからこそ我慢していた面々が今回こちら側に付いてくれたのは、流石に「遊女の身請け」と言う大金を支払う為に会社の金まで食い潰す勢いで使い込むクソ親父に、とうとう付いて行けなくなったからだ。

 

 だからこそ、この期待に応えるべくアイツを追い落とさないと、彼らからも恨まれる事になるだろう。

 

 一先ず、ざっくりと現在までの状況を整理する為に、つらつらと今までの流れを頭に浮かべながら、ギルド会議の翌日にヘッドハントして以来、俺と一緒に祖父の家に泊まり込んでいるモモンガさん達と一緒に、取り合えず明日の株主総会の為の打ち合わせに向かうべく家を出た時だった。

 一瞬、どうしようもない位に嫌な予感がして周囲に視線を巡らせた途端、いつも絶対に手元から手放さない端末が激しい警告音を発した。

 この警告音は、恐怖公がリアルやネットを問わず何かるし☆ふぁーの身の周りで危険を察知した時に、それを知らせる為に発動するものである。

 

 随分前に決めた手段だったが、三段階で設定されていた中でも危険度が高い事を示す、一番甲高い音が発せられている時点で一気に気を引き締めた。

 

 当然、もう一つの警告を示すシグナルも表示されているだろう。

 きっちり、当時決めた細かな部分まで全部覚えていたるし☆ふぁーは、素早く上着の中から手元に端末を取り出すと、端末の端に出ているランプの色とその表示状態を確認した。

 端末に表示されるランプも、同じく取り決めた通りに恐怖公側から察知した危険度を示すもの。

 

 警告音とランプと言う、その二つの組み合わせを使用して連絡してくるのは、こちらの側に危険な相手が既に居る可能性まで視野に入れているからだ。

 

 現在、画面の端に映し出されているランプの色は赤で、表示状態は点滅。

 幾つかあるランプの色の中で、赤はリアルで直接命に関わる危険を示している。

 つまり、それだけ危険度が高いという事だ。

 これが出ている時点で、確実に犯人がるし☆ふぁーの命を狙ってきている事を示すパターンなのだが、それにしては表示状態を示す点滅が遅い。

 点滅パターンも三種類あって、その中でもそれこそ最速で点滅していた場合は広範囲での無差別テロの危険を示す為、本気で拙いのだが……今回は違っていた。

 点滅速度は最も遅く、点滅表示の中で一番危険度は低い個人的な行動だと予測出来るもので。

 

 その二つの点から考えるなら、るし☆ふぁーの命を脅かす危険は迫っているものの、実行力は低いと想定していいだろう。

 

 恐怖公が、わざわざこの警戒シグナルを使って知らせてきた以上、実行力は低くても確実にこちらの命を狙われていると考えていい。

 そんな状況を前に、これは一体どう対応するのが正解なのか、流石に過去に命を狙われた経験があるるし☆ふぁーでも状況判断に迷う所だと言っていいだろう。

 モモンガさんたちも、ただ事ではない端末の警告音とシグナルに困惑した表情で視線を向けてくるので、それに対してどう答えるべきなのか少しだけ返答に迷って首を傾げた時だった。

 

 ふらりと、どこかで見た事がある様な女性の姿が数メートル先の角から曲がって来るのが見えたかと思うと、こちらに向かっていきなり駆け出してきたのは。

 

 その手に、刃が剥き出しの出刃包丁を持っている点から見ても、この女性こそが恐怖公の警告してきた相手だと考えて間違いない。

 多分、恐怖公によるセキュリティが反応したのは、この剥き出しの出刃包丁だ。

 るし☆ふぁーの手によって、彼に搭載されたセキュリティプログラムの中には、刃渡り五センチ以上の刃物に反応するものがあるから、間違いないだろう。

 

 それにしても……流石にこんな風に刃物を持った女性に襲われる理由を考えて見たのだが、どうしても心当たりが浮かんでこない。

 

 リアルでは、祖父と母の為に出来るだけ生まれた家柄に相応しく見える様に品行方正に過ごしている為、本気でるし☆ふぁーには身に覚えがないのだ。

 なので、本気でこんな風に女性が出刃包丁を振り回しながらこちらへ向かって来るという状況は、想定外も良い所である。

 余りに予想外な状況を前に、咄嗟に反応出来なくて呆然としている間にも、角を曲がった時点でかなり勢いを付けていた彼女は、すぐ目の前まで接近し……そのままるし☆ふぁーの護衛に付いていたSPによって取り押さえられていた。

 

 そう、恐怖公からの警告音を受けながら、それでも色々と思考を巡らせる余裕を持つなど、るし☆ふぁーがのんびりとしていたのには、ちゃんと理由がある。

 

 こんな風に、自分達を守ってくれるSPの存在を知っていたからだ。

 最初から、「何らかの手段で命を直接狙われても対応出来る様に」と言う名目で、祖父からるし☆ふぁー達の身の安全を守るべく、直接自分達の側について警護する役目のSPを周囲に四人、それ以外にも半径十メートル以内に五人、それと判らない様に配置されていた。

 状況的に、これ位警戒するのが当然だと言われて手配されてしまえば、反対など出来る筈もない。 

 

 もっとも、彼ら護衛役のSPの中には今回特別に一時的な配置換えによる警備主任を任命され、現場の総指揮を執っているたっちさんの姿もあったので、余計に安心していた部分もあったのだが。

 

 それにしても……と、るし☆ふぁーは考える。

 こんな風に、包丁を持った女性に襲われる理由が、どうしても思い付かない。

 元々、両親の不仲や愛人の存在などが原因で、るし☆ふぁーは恋愛に対してどちらかと言うと否定的なタイプである。

 少なくとも、こんな風に包丁を持って押しかけてくる様な相手と付き合うのは、自分の中にある許容範囲をはるかに超えている事もあって、絶対にしていないからだ。

 だからこそ、自分に対する恋愛絡みでこんな状況になったと言う事は、到底あり得ないという確証があった。

 更に付け加えるなら、今までのるし☆ふぁーはインテリアデザイナーとして、殆ど人前に出ない職種だった事を考えれば、仕事絡みで女性に包丁を向けられる記憶はない。

 可能性としては、一般社員の家族があいつ側近に上手く使われているケースもあるが、それにしては身なりが良すぎるのだ。

 

 そもそも、今、確かに株主筆頭として会社に対して色々しているけど、それに対して一番影響を受けるのはクソ親父であって、妻子持ちの一般社員に迷惑が行くケースは少ない筈。

 

 つらつらとそこまで考えた所で、ふと女性の身に着けている指輪が目に入る。

 それを見た瞬間、るし☆ふぁーは思わず目を見開いた。

 今の時代じゃなくても、早々簡単に手に入らない様な大粒のダイヤが中央に填め込まれたその指輪は、確かアイツの母親が死ぬまで手放さなかった代物である。

 その指輪が指に填まっている時点で、目の前の女性が誰なのかその答えがすぐに頭に浮かんだ。

 

〘 この女、あのクソ親父の愛人だわ。

 あいつの母親が死んだ後、形見分けの時点でかなりの宝飾品が既にその中から消えてて、消えた品々はアイツが愛人に貢いだって、噂だったし。

 実際、社交界にそれを付けてアイツにエスコートされてる姿も目撃されてたから、ほぼ確定だろ。

 もしかして、アイツが今まで色々やらかしてた事が表沙汰なって厳しい状況に置かれてるから、その元凶と言うべき俺を排除しようと思い立って、こんな風に襲って来たのか?

 もし、俺の予想通りの理由で行動したなら……それこそ非常に滑稽だよね?

 そもそも、女一人で何が出来ると思ってたのさ。

 むしろ、アイツの愛人である自分がこんな事をしでかしたら、状況的に考えても確実に向こうが不利になるって言うのに、そんな事も判ってないなんて…… 〙

 正直、この愛人の行動の余りのお粗末さに、るし☆ふぁーは思わずため息を漏らした。 

 今までは、「未遂」と言う事や色々と面倒な柵などもあって、あのクソ親父の行動は見逃されていた部分があったのだが、今回、るし☆ふぁーが自分で動いた事によって、状況は変わったと言っていいだろう。

 こちらの身辺護衛に、同じ富裕層のたっちさんが警備主任として組み込まれている時点で、富裕層の中でも上層部に属する面々との交渉は済んでいると言っても過言ではない。

 

 つまり、こんな風に彼女が暴走してるし☆ふぁーたちの事を襲えば、それこそこちらの思う壺と言っていい状況だった。

 

 現在の状況を冷静に考えるなら、彼らは……少なくとも愛人である彼女は、何があっても絶対に動くべきではなかったのだ。

 そう、結婚する前からずっと入れ上げていた愛人が暴走してこんな真似をしでかしたと判明したら、確実にあのクソ親父には未来はない。

 もちろん、愛人の行動を〖自分は関与していない〗と切り捨ててしまえるなら、もう少し話は変わるだろうが……今までのアイツの行動を考えれば、それもあり得なくて。

 

 どう考えても、この先に待っているのはアイツとこの愛人の身の破滅しかないだろう。

 

 流石に、凶器を持って襲撃してきた所をたっちさんが現行犯で捕まえている以上、どんなにアイツが動いたとしてもその事自体を無かった事にするのは、現状では難しい。

 既に、警察はもちろんこの辺り一帯の企業の上層部は、祖父が動いた事によってこちら側に付いていると言っていい状況なのだから、アイツ程度の立ち位置では揉み消す事が出来ない状況なのだ。

 この行動をしている時点で、彼女はそんな状況すら理解出来なかったのだろう。 

 むしろ、アイツの愛人として長年甘やかされて生きてきた事によって、彼女は「自分も富裕層の人間だ」と変な勘違いをしてしまったのかもしれない。

 だからこそ、それが失われる未来が示唆された途端に恐慌状態に陥り、元凶を消してしまおうと暴走してしまった可能性はかなり高かった。

 ざっくりと状況を推測した所で、るし☆ふぁーは思い切り溜息を吐き出した。

 

 まさか、こんな暴走をしでかす女性があのクソ親父が入れ上げ、正妻である母を押し退ける程の愛人の座に納まっていたなどと思いもよらなかったのである。

 

 何せ、あのクソ親父はるし☆ふぁーと顔を合わせる機会がある度に、「彼女は、お前の母親よりも賢く美しい最高の女性だ」と愛人の事を常に持ち上げ、母の事を「家柄だけのくだらない女」と貶していたから、それなりに頭が良いと本気で思って居たのだ。

 それが、実際に蓋を開けてみればこのお粗末さである。

 こんな風に、ちょっとした状況の変化の兆しが見えただけで、恐慌状態に陥ったかの様に後先考えずに相手を襲撃する女が、どこが「賢く美しい最高の女性」なのだろうか?

 

〘 ……まぁ、恋は盲目とか言うし、正妻じゃなく愛人の座に座っているだけだったから、何とかあのクソ親父の目も誤魔化せたんだろ。

 昔はどうだったのか判らないけど、今、目の前にいるこの女の事を俺はとても美人だとは思えないし。 〙

 

 もちろん、この辺りに関しては個人の好みも入って来るだろうが、どう考えても欲に溺れて醜く歪んだ顔を前に「美人だ」と評するのは、流石に無理があった。

 むしろ、髪を振り乱して取り押さえられている状況から抜け出そうともがく姿は、山姥の様にすら見える。

 SP達に取り押さえられた女性を見て、彼女が誰なのか気にしながら心配そうにこちらに寄って来るモモンガさんたちに対して、るし☆ふぁーは首を竦めて答えを口にした。

 

「多分、コイツがあのクソ親父の愛人だと思う。

 随分昔に、遠くからチラッと顔を見ただけだからはっきりと言えないけど、それ以外にこんな風に女性に襲われる理由は流石にないし。

 昔、あのクソ親父の母親がそれだけは常に身に付けて手放さなかった大粒のダイヤの指輪を、これ見よがしに左手の薬指に付けてるから、ほぼ間違いないと思うよ。

 そんな訳だから、一先ずそいつも連れて移動しようか。

 流石に、こんな往来でいつまでも騒いでいる訳にはいかないでしょ?」

 

 そう笑って、まずはこの場から移動した方が良いだろうと、この場にいる全員に提案した瞬間だった。

 るし☆ふぁーの顔のすぐ横を、何かが通過したのは。

 通過した何かが頬を掠めたのか、たらりと一筋血が流れ落ちる。

 その瞬間、それまで捕らえた女の対処に意識を向けていたSP達が、一気に緊張感を漂わせつつ防御盾を展開しながら周囲を囲い込むと、俺の顔を掠めたもの……銃痕から相手の射出角を割り出して盾の角度を調整していた。

 幾ら外れたとはいえ、るし☆ふぁーに向けた狙撃とSPたちの物々しい警戒行動を目にした事によって、本来なら荒事に関わる事など無いモモンガさんたちが恐怖に呑まれそうになっているのが手に取る様に解る。

 

 それこそ、次に誰かを狙って狙撃でもされたら、そのまま恐慌状態に陥ってしまいそうな位に、結構危ない精神状況になっているんじゃないだろうか。

 

「皆さん、落ち着いてください。

 ここで下手に慌てれば、余計に相手の思う壺です。

 見ての通り、周囲には防御盾も展開してますし、既に応援もこちらに向かっています。

 今は、とにかく身を隠せる場所へ移動しましょう。」

 

 この場にいる部下に対して、既に幾つもの指示を出し終えたらしいたっちさんからの言葉に、誰もが素直に頷いた。

 この状況下で、まずは安全を確保する事が最優先なので、その指示に俺達も異論はないからだ。

 むしろ、現在のこの場の状況を冷静に分析するなら、彼女はこの狙撃を行う為の囮に使われたんだろう。

 もちろん、本人にはその自覚はないだろうが。

 実際、この集団の中には自分もいるのにも関わらず、この場に向けて俺達への狙撃が行われた事によって、今まで俺の事を狙っていた彼女はかなり恐慌状態になっている。

 最初から、自分が狙撃を行う為に警備の気を引く囮と承知していれば、そんな状況にならないだろう。

 だが、そんな風に狙撃に怯える彼女に対して、るし☆ふぁーは冷めた目を向けた。

 

「さっきから、凄く怯えて身勝手に騒いでるけどさぁ……別におかしくないでしょ、あんたも一緒に狙われても。

 あのクソ親父は、あんたが愛人になるまではそれなりに会社の運営に問題なかったみたいだし、そう言う視点でものを考えるなら、アイツの側近からしたら邪魔なのはあんたの方じゃない?

 むしろ、アイツの経営手腕を知っている連中からすれば、あんたさえ排除出来ればあいつが元の様にまともに戻るんじゃないかと思ってる奴らなんて、それこそ結構いるんじゃないかな。

 だからこそ、あんたに余計な事を吹き込む事で上手くこんな馬鹿な真似をする様に誘導しておいて、一緒に射殺するつもりだったかもね。

 あいつは、アンタにこれでもかって甘かったから、とてもこの件に巻き込むとは考えられないし、誰か別の奴に唆されたんじゃないの?」

 

 るし☆ふぁーがそう言った瞬間、ビクンッと震える女性。

 どうやら、こちらが思い付くままに指摘した内容は、間違いじゃなかったらしい。

 この襲撃を実行する時点で、自分がその話を持ち掛けてきた相手にとって【捨て駒】扱いだったという事を知った途端、呆然としている彼女ごとたっちさんの指示で一先ず物陰に移動すると、安全を確保しながら、狙撃犯の身柄を確保する為の指示を更に追加で出している。

 暫くして、たっちさんが要請していた警護側の増員が到着し、こちらの安全が確保された時点でこの件を祖父や関係者に連絡する事になったのだが……るし☆ふぁーは、その際にあのクソ親父にも愛人の身柄が警察に拘束されている事を含めて事情を全て連絡した。

 

 わざわざ連絡した理由など、実に単純なものだ。

 

 この件をアイツに伝える事によって、今回の襲撃を愛人に示唆しただろう側近と親父の間に、明確な溝を作る為である。

 確かに、昔はそれなりに経営者としてその手腕を振るっていたかもしれないが、今の親父は誰よりも愛人が最優先の男だ。

 今回の事を知れば、確実に愛人とこちらを潰し合わせようと考え指示を出した側近が誰なのかを察して、そのままその面々だけを排除しようとし衝突するだろう。

 そうなれば、こちらにとってかなり都合がいい状況になる。

 あちらが、勝手に仲違いして自分達の陣営の力を落としていくのだから、どんどんやればいいとすら思う。

 どちらにしても、彼女は今回のるし☆ふぁー襲撃の実行犯の一人なので、クソ親父がどんなに金をばら撒いて揉み消そうとしても無罪放免になる事はない。

 まして、今回は警護主任に警察の中でもそれなりの立ち位置にいるたっちさんが当たっていた時点で、この襲撃そのものを無かった事にする事すら不可能だろう。

 そもそも、るし☆ふぁー自身もなかった事にしてやるつもりはない。

 

 だからこそ、相手に側に騒動の火種を与える事が出来るなら、これ以上都合が良い事はなかった。

 




すいません、大変お待たせいたしました。
予想より、時間が掛かりました。
たっちさんが、娘と一緒に行かなかったのは、こちら側で仕事をしていたからです。
そして、パンドラがあちらから姿を消した理由は、この襲撃の知らせを恐怖公から受けたからです。


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メールペットの秘密の日記
パンドラズ・アクターの場合


ここの所、何となくこのシリーズもシリアスだったので、思わず書いた馬鹿話です。
この話には、親馬鹿しかいません。

今回の話は、最後のパート以外はpixiv版と全く一緒です。


【 親バカ三人組は、秘密の日記に手を出した 】

 

その日、仕事が終わってから急いでログインすると、円卓の間で一人自分の席に座ったまま、何かをこそこそと解析しているモモンガと言う、とても珍しい姿をペロロンチーノは目撃する事になった。

普段なら、誰かがログインしてきたらすぐに気付いて挨拶する人なのに、今日は全く気付く様子が無い。

本当に珍しい姿に、「どうしたんだろうか?」と首を傾げていると、そこに聞こえてきたのはウルベルトがログインして来た事を告げるログインメッセージ。

すぐに、円卓の間に馴染み深い山羊の悪魔が姿を見せたので、ペロロンチーノは迷わず彼の元へと駆け寄った。

 

「ウルベルトさん、ウルベルトさん。

実はですね、今、とても珍しい状況なんです!

あの、誰がログインしてもすぐに気付くモモンガさんが、俺がログインしてきたのにも気付かず、何かのプログラムを弄っているんです。

ついでに言うと、ウルベルトさんが今ログインしてきた事にも、モモンガさんは全く気付いていませんよ。

ほら、あの通り!」

 

スッと、ペロロンチーノが身体を横にずらして、ウルベルトから自分が遮っていた形になっていたモモンガの姿を見せる。

そこには、彼の言う通り何かに集中しているモモンガの姿があった。

自分たちギルメンのログインにも気付かないなんて、確かにモモンガにしてはとても珍しい状況だろう。

一体、そんなに夢中になって何をしているのか、ペロロンチーノだけではなくウルベルトも非常に気になった。

 

やはり、こういう時は本人に直接聞いた方が、話が早いだろう。

 

スッと視線を交わし合い、お互いにその結論に至ったのを察した時点で、迷う事無くモモンガへと歩み寄った。

そっと、彼が逃げられない様にと両脇を陣取りながら、二人で同時にモモンガの肩を軽く叩きながら声を掛ける。

 

「こんばんは!

一体、何をそんなに夢中になっているんですか、モモンガさん。」

 

「ばんわー、モモンガさん。

そうそう、俺たちがログインしてきたのに気付かないなんて、本当に珍しいですよね?」

 

肩をいきなり叩かれた事で、ビクッと震えるモモンガの事を気にする事なく、それこそタイミングを合わせたかの様に交互にそう声を掛ければ、漸く二人の存在に気付いたモモンガが驚いた様に顔を跳ね上げた。

それと同時に、慌てて手元にあったそれを消そうとしたのだが……それよりも早くウルベルトが手元を覗き込み、少しだけ眉を潜める。

 

「えーっと、【秘密の日記 パンドラズ・アクター】って……もしかして、これはメールペットたちが時々部屋の隅で何か書いているあれですか?

普段、これだけは主である俺たちが聞いても、いつも【内緒です!】って見せてくれないヤツですよね?

もしかしなくても、パンドラに内緒でこっそりデータをコピーして持ってきちゃったんですか!」

 

同じ様に、モモンガの手元を覗き込んでいたペロロンチーノが、ビックリした様に口に出して問い掛ければ、スッとバツが悪そうに視線を逸らす。

一応、メールペットにもプライバシーがあるだろうと、ペロロンチーノから言外に指摘された事で、元々善良な性格のモモンガは良心が咎めているのだろう。

とは言え、つい自分のメールペットがどんな日記を書いているのか、主として気にならないかと問われれば、ここに居る二人だって素直に「気にならない訳がない」と答えるのは間違いなかった。

 

「あー……もう、ほぼロック解除は出来ているみたいですし、モモンガさんが【パンドラが書く日記を読んでみたい】と思った気持ちは俺も良く判りますからね。

今回限りと言う事で、ちょっとだけ中身を読んでみませんか?

ただし、私たち三人以外には誰にもバレない様にする為にも、実際にこの日記を読むのはモモンガさんの部屋に三人で移動してからですけど。

もちろん、ペロロンチーノさんが嫌だというのなら、無理強いはしません。

ただし、この件は他言無用でお願いしますね?

こういう事に、特にうるさい人が騒ぐと後が面倒ですから。」

 

サクサクッと、日記を読む事を同意する意見を口にすると、ペロロンチーノに「共犯になるならない関係なしに他言無用」と告げながら、まだこの状況について行けないでいるモモンガを誘導して部屋へ移動しようとするウルベルト。

このまま何も言わなければ、二人だけでモモンガの部屋に移動して日記を見ると言う行動から、自分は仲間外れにされてしまうのだろうとペロロンチーノは直に察した。

そんな事は、【無課金同盟】を組む位に仲が良い三人組の一人として、とても認められる訳がない。

こういう悪い事も、一緒に三人で楽しむという状況がペロロンチーノは大好きなのだ。

 

「もー……判りましたよ、ウルベルトさん。

俺だって、本音を言えばどんな事を書いているのかとても気になってますし、そもそも二人だけで楽しん俺だけ仲間外れにしようなんて狡いじゃないですか!

こうなったら、最後まで付き合うに決まってるでしょ。

という訳で、早く移動しましょうか。

他のギルメンが来たら、それこそ面倒ですもんね。」

 

それこそ、掌を返す様に自分の意見をサクッと変えると、ペロロンチーノはモモンガとウルベルトの背中を押して先を急いだ。

彼の言う通り、急いで移動しないと他のギルメンから何をしているのか、問い質されてしまうだろう。

流石に、自分たちが一応後ろ暗い事をしている自覚がある為、三人揃ってモモンガの部屋へと指輪の力で転移して行く。

誰も付いて来ていない事を確認し、モモンガが自分の部屋に入室禁止のブロックを掛けて転移出来なくした所で、モモンガはそそくさと先程しまったデータを呼び出し始めた。

そんな彼の背後で、手元を覗き込みやすい場所を陣取ったウルベルトとペロロンチーノ。

モモンガの手際よい作業の下、メールペットのパンドラズ・アクターの日記が解析されて表示されていくのだった。

 

 

*******

 

 

【 ○月×日  はじめてごしゅじんさまにあいました! 】

 

 

わたしは、めーるぺっとのぱんどらす・あくたーといいます。

きょうから、ごしゅじんさまのももんがさまのもとにやってきました。

これから、たくさんのことをおぼえて、ももんがさまのおやくにたつためにがんばりたいです。

ももんがさまは、とてもやさしいです。

わたしのために、たくさんのものをよういしてくれます。

ぴかぴかのぶーつにかっこういいふく、かっこういいぼうしにかっこういいこーと。

ぜんぶ、ももんがさまがわたしのためによういしてくれたものです。

ももんがさまのところにこれて、わたしはとても、しあわせものです!

きょうは、まだいろいろとおぼえることがおおいので、めーるのはいたつにはいけないそうです。

はやく、ももんがさまのおやくにたてるようになりたいです。

まっていてくださいね、ももんがさま!

 

 

******

 

 

【 ○月○日  少しだけ、学習しました! 】

 

 

今日は、モモンガ様から辞書をもらいました。

少しだけ、言葉が聞き取りにくいそうです。

辞書を受け取ったら、頭の中に知識がたくさん入ってきました。

それからお話ししたら、モモンガ様は「少し賢くなったな」と頭をなででくださいました。

モモンガ様がなでて下さった所から、ぽかぽかと胸があたたかくなってふわふわとした気持ちになりました。

それが何か分からず不思議に思っていると、モモンガ様からどうしたのか尋ねられました。

なので、全部正直にお話ししたら、「それは、パンドラが嬉しいと感じているんだ」と教えて下さいました。

これが「嬉しい」という気持ちなのですね。

そんな風に思える様な私は、やはり幸せ者なんだと思います。

 

 

 

【 ○月○日 二回目 初めてお友達に会いました! 】

 

 

今日は、嬉しい事が一杯です!

モモンガ様と一緒に色んな事を学んでいたら、初めてお友達がメールを持って訪ねて来ました。

お友達の名前は、デミウルゴスと言います。

彼は、モモンガ様のお友達のウルベルト様の所のメールペットなんだそうです。

私たちメールペットの中でも、一番頭が良いのだとモモンガ様が教えて下さいました。

どうして、一番頭が良いのか聞いてみたら、彼が一番長く動いているメールペットだからだそうです。

私たちメールペットは、彼を中心に数体のサンプリング試作体のデータを元に生まれたそうです。

確かに、それなら頭が一番いいのは納得ですね!

まだ、私はメールのお届け先の道を覚えていないので、今日はデミウルゴスにお返事も運んでもらう事になりました。

早く、私もメールをお届けできる様になりたいです!

初めて会ったデミウルゴスは、とても礼儀が正しい格好いい人でした。

私も、彼の様に格好良くなれるでしょうか?

 

 

******

 

 

【 ○月△日 初めてお出かけです! 】

 

 

今日は、メールペットとしての初めてのお出かけです。

昨日の夜寝ているうちに、モモンガ様がメールのお届け先の地図をダウンロードして下さったので、これでもう大丈夫だと言われました。

ようやく、モモンガ様のお役に立てる日がやって来て、とても嬉しいです!

今日、メールをお届けする先は、昨日来て下さったデミウルゴスのご主人様のウルベルト様の所と、もう一人モモンガ様のご親友のペロロンチーノ様の所です。

そこには、シャルティアという可愛い女性のメールペットがいるそうなので、会うのがとても楽しみです!

デミウルゴスの様に、私と仲良くしてくれるでしょうか?

とてもわくわくして仕方がありません!

モモンガ様から、沢山の注意事項を教えて貰いました。

ちゃんと、失敗しない様にペロロンチーノ様に挨拶出来るでしょうか?

いいえ、モモンガ様の為にも頑張らなくては!

 

では、行ってきます!

 

 

【 ○月△日 シャルティア嬢は、とっても可愛らしいですね。 】

 

 

初めて、お出かけ先で日記を書いてます。

初めてのお使いでお訪ねした、モモンガ様の大切な親友であられるペロロンチーノ様は、とても気さくな良い方です。

とても緊張しましたが、モモンガ様に教えられた通りちゃんとドアを三回叩いてから「お邪魔いたします!」ってご挨拶出来ました!

詳しくは良く判らないのですが、モモンガ様がおっしゃられるには「初めて訪ねる場所だから正式には四回ノックだけど、これから何度も親しく訪ねて行く相手だから、三回の方が相応しい」のだそうです。

ペロロンチーノ様も、ちゃんとご挨拶したら褒めて下さったので、モモンガ様のおっしゃる事は間違いではないのでしょう。

初めてお会いしたシャルティア嬢は、とても可愛らしい方でした。

ちょっとだけ、私たちとは違う話し方をする方ですが、ペロロンチーノ様が自慢の娘とおっしゃるだけあると思います。

ペロロンチーノ様からいただいた、美味しいお菓子を一緒に食べました。

今度は、彼女がメールを持ってきて下さるとの事ですので、お返しに美味しいお菓子とお茶を用意したいと思います。

今から、ペロロンチーノ様からのメールを持って帰りますからね、モモンガ様!

 

 

*******

 

 

【 親バカ三人組は、可愛いパンドラにノックアウト気味だ 】

 

 

三人の目から見て、この日記は少しずつ確実にパンドラズ・アクターの成長する様子が良く判るものだった。

色々な事を覚える事が、とても嬉しいと全力で訴えているのが良く判る。

その中でも、「モモンガの為に」とパンドラズ・アクターなりに色々と考えている姿が、とても微笑ましい。

モモンガ本人など、すっかり親バカ全開で可愛い息子の書いた日記に、メロメロになっているのが良く判った。

だが、そんな風になるモモンガの気持ちも、彼らにはとても良く判るのだ。

 

自分の為にと、デミウルゴスやシャルティアが頑張って成長しているのを、誰よりも喜んでいるのはウルベルトでありペロロンチーノなのだから。

 

とは言え、三人が見た日記はまだ最初の数ページだけ。

この先にあるのは、パンドラズ・アクターがデミウルゴスやシャルティアと仲良くしているだけではない。

多分、他のメールペットとの交流も沢山書かれているだろう。

 

一体、どんな風にパンドラズ・アクターは彼らと付き合い、どんな風に過ごしているのだろうか?

 

本音を言えば、パンドラズ・アクターだけではなくデミウルゴスやシャルティアが自分達以外の仲間の所でどんな風に過ごしているのか、とても気になって仕方がない。

だが、今、この場で日記を読んで確認出来るのはパンドラズ・アクターだけ。

ならば、先ずはまだ沢山残っているパンドラズ・アクターの日記を、三人は読み進める事にしたのだった。

 




という訳で、非課金同盟ならぬ親バカ三人組でお届けしました。


確か、昔本当にあった本家本元のメールペットソフトにもこれに似た機能があったという朧げな記憶があったので、そのまま使わせて貰いました。
もしかしたら、違うかもしれませんが。

この話は、書こうと思えばまだまだネタは沢山ありますが、一先ずここまで書いたら満足したのでここまでで一旦終了です。



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番外編
武人建御雷の過去と、タブラ・スマラグディナとの出会い


漸く、編集が終わりました。
建御雷さんとタブラさんの過去に纏わる話になります。


ギルト会議があった翌日、武人建御雷は昨夜考えていた通りの行動をする事にした。

 

いつもより、少しだけ職場である会計事務所へ早く出勤すると、テキパキと仕事の準備を進めていく。

大体、朝の仕事は前日に昼見世以降に回収して来た、それぞれの廓が抱えている遊女たちから上がってくる各自の売り上げデータを帳簿への計上するのが、建御雷たちの主な仕事だ。

ある程度慣れていれば、サクサクと帳簿である会計ソフトの入力を進めていく事が可能なので、それ程時間を掛けずに終わらせられる作業だ。

それが済むと、次の仕事が待っている。

事務所から、自分たちがそれぞれ受け持つ廓に直接赴いて、遊女たちと話をして簡単な台帳を付けながら昨夜の売り上げを回収し、その金額と客が居た時間などの帳簿を付ける為の必要事項の確認などを行っていくのだ。

基本的に、夜見世の彼女たちは明け方の六時ごろまで客が居る事が多く、それぞれの客が家路についてから漸く眠る事が出来ると言う過酷さの為、余り早くに訪れると話を彼女達から聞き出すまで待たされて無駄な時間を使う事になる。

だからこそ、建御雷の出勤時間はそれなりに早い程度で済んでいた。

今回、それを承知でサクサク作業を進めているのは、もちろん理由がある。

 

あの場所に、自分があって話さなければいけない相手がいるからだ。

 

幸い、建御雷の会社はきちんとノルマさえ熟していれば、自分の仕事の時間配分に関して上司から特に何か言われる事はない。

これは、帳簿を付ける相手が自分達よりも上の顧客を持つ事が多い遊女の為、下手に機嫌を損ねて変な方向に話を持って行かれたりしたら、こちらも向こうも後で困る事になる事が判っているからだ。

それが判っているからこそ、遊女たち相手の集金と台帳の聞き取り作業に関しては、ある程度まではゆとりを持たせた仕事になっていたからである。

本来なら、ある意味一般人よりも立場が強い彼女たちにそんな真似など出来る筈がないのだが、以前かなり上の富裕層の顧客を持っていた遊女に集金に向かった一人の新人会計士の態度が余りに横柄で無理難題を言っていた事があったらしい。

余りにも、身を売って稼いでいる彼女たちを見下す所業が多く、我慢が出来なかった彼が受け持っていた遊女がそれを自分の顧客相手に訴えた結果、自分が中流層出身だった事から驕っていたその会計士は問答無用で首になり、会計事務所はあわや倒産の憂き目を見る羽目になった。

偶々、会計事務所の跡取り息子の今の社長がそれなりに上の方の富裕層の友人に相談した事で、何とか持ち直す事が出来たらしいが、その時の社長である彼の父はそのまま息子に社長の座を譲る事になったらしい。

 

その後、集金に赴く際の暗黙のルールとして「遊女たちへの対応は、それなりに気を遣う事」と言う内容が加えられたのは、言うまでもない話だった。

 

今回、建御雷はそれを逆に利用して仕事の空き時間を作り出し、そっくりそのままそれを相手から話を聞く時間に充てる事にしたのだ。

自分が担当する廓は、夜見世を受け持った遊女たちが起き抜けてくるのは大半が十一時前頃であり、その前の時間に廓に赴いたとしても、廓の中で既に起きているだろう一部を除いて集金する事も話を聞いて台帳を付ける事も出来ない。

これは、夜の蝶として生きる遊女たちの中ではごく当たり前の生活リズムだった。

それよりも早い時間に起きているのは、遊女たちやお客の為に料理を用意する料理人だったり、廓をきれいに掃除して回る掃除夫だったり、とにかく廓の細々とした雑用を受け持つ者たちだ。

それ以外にも、数こそ夜見世よりも三分の一と少ないものの、夜に客を取らず昼間の客専門の昼見世の遊女たちも起きている。

昼間の客専門の彼らは、大体朝の七時には起きて食事や朝稽古などを行い、夜見世組の遊女たちが起き抜けてくる前に会計士からの集金を受ける決まりになっていた。

そうしないと、数が多い夜見世組の集金と帳簿付けが終わる前に夜見世の時間になってしまう為、客を取る処ではなくなってしまうらしい。

出来るだけ、建御雷達のような会計士が遅い時間までいるのも、廓の営業には差し障りがある事も多く、店側からも夕方の十六時までには廓から出るように言われていたりする。

建御雷が受け持つ廓には、昼見世専属の遊女は全部で五人。

普段から、彼女たちの予定は大体把握しているし、昼前よりも早めに出向いたとしても文句は言われない。

サクサクと、全員から集金と話を聞いて台帳さえつけてしまえば、昼過ぎの夜見世組の集金時間が来るまでは空きの時間になるのだ。

 

今回の一件で、とにかく話を付けなければいけない相手がいる以上、建御雷が仕事は先送りで進めてしまいたいと思っても仕方がないだろう。

 

何より、建御雷が用のある相手はこの廓の中にいるのだ。

仕事は仕事としてサクサク進める事で、余裕が出来た残りの時間を相手と話す時間に充てる予定の下、建御雷は自分の仕事を進めていた。

多分……この廓に居るだろう相手も、昨日の今日と言う事もある為、それ相応に警戒している可能性はかなり高いが、そんな事など最初から承知している。

とにかく、今回の一件について建御雷が判断を下す為にも、本人の口からも事情を聴かなくては話が進まない。

そう思いつつ、建御雷はサクサクと廓の遊女たちから話を聞いては台帳を書き留め、集金を済ませていった。

 

最後の部屋を前に、建御雷は大きく息を吐くと軽く三回ノックをしてから声を掛ける。

 

「邪魔するぞ、白雪。

昨日の台帳と集金に来た。」

 

慣れた手付きでドアを開ければ、そこに居たのはまだ十代半ばを超えたばかりの、線の細い印象を受ける一人の少女。

白銀の艶やかな輝きを放つ美しい髪と、トロリと蕩ける様に蜂蜜色に潤んだ瞳は、とても魅惑的に見えるだろうし、そっと目を伏せる嫋やかなその仕種は、それこそこの廓に通う者たちを魅了してやまないだろう。

だが、そんな彼女の仕種に惑わされる程、浅い付き合いをしているつもりはない。

いつもの様に、サクサクドアを閉めて部屋の中に進みながら、建御雷はスッと声を潜めると目を細めてその少女を真っすぐに見る。

その視線を、真っ向から受け止める少女に向けて、建御雷は遠慮する事なくもう一つの用件を口にした。

 

「……それと、だ。

昨夜のギルド会議のアルベドの一件、改めて詳しく話して貰おうじゃないか?

なぁ……タブラさんよ。」

 

どこか凄む様に問えば、どこか困った様子で視線を彷徨わせる少女__タブラ・スマラグディナが居たのだった。

 

*****

 

武人建御雷の【リアル】の名前は、建原武(たてはらたけし)と言う。

 

彼の実家は、貧困層に片足を突っ込んでいるもののギリギリ中流層で留まっている程度の経済力しかなくて、それこそ何かの拍子に貧困層に落ちてもおかしくない状況だった。

家族は、両親以外にも下に妹が二人居る。

共働きで、働けるだけ働いてもそんなギリギリな経済力だった事から、子供を三人育てるのは元々難しい話だったのだろう。

両親の口から、三人の子供を誰一人欠けさせさせる事無く育てる為には、どうしてもそれぞれを小学校まで通わせるのが精一杯だと言われたのが、彼が小学四年生の頃の話だ。

確かに、両親の言いたい事は納得出来る話だった。

もし、このまま自分一人だけが上の学校を出たとしても、無学の妹たちの一生を面倒見れるだけの稼ぎが得られるかと問われると微妙だと言っていいだろう。

それなら、建御雷だけが中学校に通うのではなく、最初から三人とも最終学歴を小卒で就職先を探した方が、余程生活の糧を得られるのは間違いない。

そう、自分なりに答えを出した建御雷が進学を諦めるのは、割と早かった。

 

それに……建御雷が妹たちの人生まで背負ってやれる程、この世界は優しくない。

 

元々、彼は自分の家族を大切にするタイプだった事もあり、三人とも確実に小学校まで出られるだけでも貧困層の人間たちよりは十分裕福な生活だと、さっくりと自分の将来から進学と言う選択肢を消した後、それでも手に職を付けるべきだろうと建御雷が色々と考えるまで、それ程時間は掛からなかった。

小学校の授業を受ける中で、特に自分が得意な分野を子供なりに模索していた結果、計算関連に強い事に気付いたのは小学五年生の頃。

自宅で、【高校中退】と言う割とこの時代では高学歴でありながら、どこかお人好しな性格のせいで貧乏くじを引く事が多い父が、必死に睨めっこしていたのは会計ソフトだった。

もちろん、仕事を持ち帰ってきた訳ではない。

 

営業職だった父親が、いつもの様にお人好しさに付け入られた結果、いきなり庶務会計へと部署を異動になった事によって、今まで使った事もない会計ソフトの基礎を学ぶべく、ネットから適当な家計用の会計ソフトを拾い上げ、それで練習の様なモノをしていたのだ。

 

父親が、慣れない会計ソフトを相手に四苦八苦しながら操作する傍らで、その様子を興味深げに見ていた建御雷は、やがてすぐにその操作方法などを学習してしまった。

元々、彼の父親が自分で準備した会計用ソフトが、割と簡単な部類だった事もその要因の一つだろう。

建御雷自身、幾らなんでも実際に会社で使うソフトはここまで簡単なものである筈がないと考えた後、自分なりにもう少し深く勉強する事にした。

その為に、母親に頼んで別のソフトを端末にダウンロードして貰った上で、学校から帰った後に自分で一か月分の家計の帳簿を付けつつ収支計算をしてみたのである。

 

すると、父親が使っていた物よりも複雑なものだったにも拘らず、たった三日で使いこなしてしまったのだ。

 

その事から、自分の職業適性を会計関連だと位置付けた建御雷は、小学校の卒業の目途が立つと同時に、会計職としての就職活動に入った。

もちろん、最終学歴が小卒の身でしかない建御雷が、そんなに簡単に会計関連の仕事を見付けられる筈がない。

この手の仕事は、中学や高校を卒業した様な高学歴のものが優先的に雇われる事が多く、このままでは本当に安月給の適当な工場勤務しか勤務先が無いと、焦り始めた頃である。

 

父親の数少ない友人が、建御雷に今の仕事を紹介してくれたのは。

 

正直、最初はかなり胡散臭い話だと思っていた。

示された給料は、どう考えても小卒の給料にしては高額だったし、仕事の時間も割と一般的な仕事に比べて拘束が短い。

仕事の内容も、それぞれ担当として請け負う場所の集金とその帳簿管理、きちんと会計別の月間収支報告を纏める事といった事務的な作業がメイン、それなりに数字に強ければそこまで難しいとは言えなかった。

どちらかというと、これだけ割が良い仕事は自分たち小卒よりも、中卒以上の人間が進んで就職していく内容の気がする。

それなのに、実際に父親の友人だという人物が話を持って来たのは、小卒の建御雷だ。

 

どうして、彼はここまで割のいい仕事を自分に紹介してくれたのだろうか?

 

余りの胡散臭さに、最初は本当にこの話を受けても構わないのか、本気で迷ったのだが……他に会計職として就職出来そうな当てもない。

むしろ、出来るだけ自分の能力を生かせるだろう会計職を探していたせいで、少しでも割のいい仕事はもう残っていない状況になってしまっている。

その為、紹介された先にとにかく面接を受けるべく赴いた建御雷は、すぐに自分にまで話が来たのか、その理由に納得した。

 

何故なら、その会計事務所を経営していた社長が、どう見ても堅気には思えなかったからだ。

 

堅気じゃない人間が経営している、真っ当な会社でないなら……この集金と帳簿管理と言うのもまともな仕事の内容ではないのだろう。

だからこそ、例え建御雷の様なまともに仕事が出来るかどうか判らない子供でも、一先ず計算だけ出来れば問題ないと、最初から使い潰す方向で雇い入れるつもりなんじゃないだろうか?

そう思い付いた途端、出来ればこの話を無かった事にしたかった。

もしかしたら、面接で「流石に使えない」と思って貰えないかと考えていたのだが、とんとん拍子で建御雷がこの会社に就職する方向で話が纏まっていく。

 

余りの話の早さに、建御雷は父親の友人に上手く嵌められたんじゃないかと、本気で不安だったのだが……それは全部杞憂だった。

 

それこそ、真っ当な仕事をしていない様な顔をしているこの社長だが、実はとても真面目で仕事が出来るやり手の社長だったのだ。

ただ、この強面過ぎる顔のせいで自分から紹介を受けて面接を受けに来るのだが、彼が最終面接する度に就職希望だった筈の高学歴の相手から恐れられて、そのまま就職してもまともに仕事にならず速攻で辞めていくなんて事が相次いでいた。

武御雷に話が回ってきたのは、「学歴よりもまずは戦力になりそうな人間が欲しい」という、社長からの最重要希望だったのだそうだ。

 

だから、建御雷はまだ小学校を卒業したばかりなのに、面接の際に普通に大人でも恐怖に強張る社長の顔を見ても泣き出す事もなく、それどころかきちんと自分の希望やら自分に出来る能力を示せた事などが気に入られ、即採用になったのである。

 

実際、建御雷に対する仕事の内容のレクチャーはきちんとした先輩が付いたし、仕事の内容を正式に採用になった事で詳しく聞いてみれば、それ相応の紹介があった相手でないと採用しない理由も納得出来た。

何故なら、彼が就職した会計事務所が扱う電子マネーの集金先と言うのが、【新吉原】と呼ばれる富裕層が金を出し合って作った花街だったのだから。

 

__【新吉原】……それは、富裕層の一部の男たちの夢の結晶。

 

この街は、男女問わず遊女たちが己の身体を売る場所であり、様々な芸の技を磨いてそれを売る場所でもある。

嘗て、江戸時代の花街の様に【胡蝶の夢】を見れる様にと贅を極めた、富裕層が自分たちの様々な欲を満たす為にこの時代に作り出した場所。

そこに住む遊女たちは、贅を尽くした装束一式を身に纏い様々な知識と芸の技を用いて、己の客となった相手をあらゆる意味で楽しませていた。

だが、煌びやかな衣装などを用意する費用は全て彼女たち自身に借金として重くのしかかり、彼らの収入は全て廓の経営者に握られていて、殆ど自由になるものはない。

彼らに対して、馴染みとなった客から個人的に与えられた小遣い以外、一切の金銭は与えられる事はないものの、細々とした仕事の為の必要経費は全て廓が持つ事になっていた。

 

富裕層の人間たちが満足する様に、それこそ様々な知識と芸を身に着ける為に必要なものは、この世界では一般的な電脳空間に入る為の端末などを首に付ける為の手術代はもちろん、見習である禿になった時点から最初の一年は全ての芸事や知識の習得に必要なものの購入費など、学習費用として全て廓側が払ってくれるのだ。

 

そこで、どこまで自分の芸の技や知識を身に着けるかで、その後の自分の将来が決まると言っていいだろう。

この世界では、何を学ぶにしてもその費用は半端ではないのだ。

もし、最初の一年で自分が何に秀でているのか判断出来ないと、それこそ例え美人だったとしても下級遊女としてランクが落ちていくし、逆にそこで自分の適性を見付けてそちらを磨く事が出来れば、多少の顔の作りが悪くても上級遊女として扱われるしかない。

 

この新吉原では、見た目だけでなく芸や話術で客を楽しませられなければ、一流の遊女にはなれないのだ。

 

それこそ、男にとって【胡蝶の夢】の様な場所であり……遊女たちにとっては、自分たちが生きていく為に鎬を削る場所。

建御雷の職場である会計事務所は、そんな花街全ての経理の一切を任されていたのである。

 

実は、建御雷が採用されたもう一つの理由も、この場所で仕事するのに丁度良いと言う理由があった。

 

それこそ、まだ小学校を卒業したばかりの子供の建御雷なら、ここの裏側を最初から見せながら仕事を覚えさせれば、下手にこの辺り一帯の廓の女性に手を出そうとはしないだろう。

この花街で生きるのが、どれだけ過酷な事なのかまだ子供のうちからその裏側を知ってしまえば、馬鹿な真似をする危険性を嫌でも学ぶ事になるからだ。

それと同時に、集金と台帳の伺いに来るのが子供と言っていい年頃なら、見世に出ている遊女たちはその子の事を可愛がる可能性があると考えたのである。

実際、社長を含めた会計事務所の先輩たちの考えは当たっていた。

彼女たちの大半が、下に弟や妹が居て生活苦を何とかする為に売られてきている。

 

だからこそ、そんな弟を思わせる建御雷の存在は、彼女たちの良い慰めになっていたのだ。

 

そんな感じで、何とかこの仕事に馴染んで来た建御雷が、当時禿だったとある一人の少女にあったのはそれから半年後。

他の遊女と同じ様に、幼い頃に売られてきた彼女に与えられた源氏名は【高尾】。

彼女は、数年後には建御雷が受け持つ廓どころか【花街一の太夫】と呼ばれる高尾太夫であり……白雪___タブラ・スマラグディナの実の母親だった。

 

******

 

正直に言おう。

建御雷にとって、タブラの母である高尾大夫は淡い初恋の相手だった。

もちろん、最初から手が届かない相手だと言う事は判っていたし、会社の社長に廓の様々な知識も勉強させられていたから、無理に彼女を連れ出そうなんて事は考えた事はない。

遊女の足抜けへの与えられる罰は、この【リアル】でもかなり重い。

それ以前に、数年掛けてこのアーコロジーの端にある廓での生活に慣れてしまった彼女たちが、外の貧困層の街で暮らせるはずが無いのだ。

 

彼女たちの人工肺は、例え最上級品のガスマスクを付けていたとしても、外の環境に耐えられる程の耐性が与えられていないのだから。

 

決して、年季が明ける以外の方法でこの場から逃げられない事を理解しているからこそ、彼女たちはこの【新吉原】から逃げ出すよりもここでの生活をより良くする方を考えている。

その手段はそれぞれだが、意外と遊女同士がお互いにいがみ合う事は少ない。

お互いに上手く協力し合った方が、最終的には全体の生活環境の向上に繋がる事を、様々な経験で理解しているからだ。

むしろ、自分一人だけ飛び抜けて良い環境を得ようと考える方が、逆に他の遊女を敵に回す事が多く廓の中で爪弾きにされる為、かえって苦しい思いをする事が多いらしい。

 

もちろん、遊女としての客に対する手練手管や芸の道で上達するもの大切な事だが、彼女たちの中で一番必要とされるのは仲間を思いやれるだけの人格者であるかと言う事らしい。

 

それはさておき。

高尾太夫とは、仕事の関係もあって割と仲が良い方だった。

お互い、年の頃も近いと言うのも気安さに繋がったのだとは思う。

建御雷自身、彼女の為に自分が出来る事など殆どないのは判り切っていた。

だから、せめて彼女があらゆる芸を磨いて自分らしくいられるだけの立場にはいて欲しいと、彼女が段々と階位を上げていく度にお祝いをしてあげていた記憶もある。

 

だから……そんな風に自分に出来る限り大切にしていた筈の彼女が、たった一人の富裕層の気紛れによって半年もの間【居続け】と言う扱いを受け、無理矢理妊娠させられていた事を知った時は、無性に悔しかった。

 

こんな事になるなら、彼女はもっと下の……太夫まで上り詰めるんじゃなくその下の更に下の位である【格子】で居れば良かったのだ。

そうすれば、あんな男の目に留まる事もなかっただろうし、もう産むしかない状況になるまで【居続け】を悪用される事もなかっただろう。

全部、彼女がアーコロジーの中で知らない者が居ない位に、有名になってしまったから引き起こされた事態だ。

あの男は、本来なら禁止されていた【遊女との間に子供を作る】と言う行為を、「実際に実行したらどうなるのか、新吉原一有名な高尾太夫で実験してみただけだ」と笑っていったらしい。

 

その話を郭の楼主から聞いた途端、建御雷は怒りで目の前が真っ赤に染まった記憶がある。

 

だが、建御雷以上に彼の勤め先の会計事務所の社長がブチ切れていたらしく、富裕層でもかなり上の地位に居た社長の手によって、結果的にその男は自分の一族全てを巻き込み、路頭に迷う事になったそうだ。

これは、随分後で知ったのだが……諸事情によって自分の血を引く子供を持つ事が出来ないらしい社長は、真面目一辺倒で働く建御雷の事を殊の外気に入っていたらしい。

いずれ時期が来たら、正式に自分の養子に迎え入れた後、丁度年季が明けるだろう高尾太夫と所帯を持たせる計画を立てる位には。

 

だが、その話もあの馬鹿男によって高尾太夫が無理矢理妊娠させられた挙句、堕胎出来る時期を過ぎていて産むしかない状況にされた事で、難しくなった。

 

もちろん、社長が建御雷の事を養子に迎え入れる話が、と言う訳ではない。

難しくなったのは、建御雷と高尾太夫の二人を正式に夫婦として所帯を持たせる事が、だ。

彼女がこのまま子供を産めば、何れその子供の存在が別の意味で問題になるだろうと、社長は考えていたらしい。

まぁ、社長の手によって一族全てを路頭に迷わせた男の血を引く訳だから、彼女と一緒に建御雷がその子を引き取る事は出来ないだろう。

 

万が一、ある程度年数を重ねた後もそいつが生き残っていた場合、その事をネタに金を強請ろうとする可能性が出てくるからだ。

 

もっとも、この世界は一旦路頭に迷う様な状態になったら、そこから生き残るのはかなり難しいだろう。

社長が、そんな生易しい事をするとはとても思えない。

ひとまず、問題の男とその一族との片を付けた後、社長から改めて養子の話を持ち掛けられた建御雷は、色々と考えた上でその話はしばらく待って貰う事になった。

まだ、この時の社長は四十前の働き盛り。

それこそ、まだ十五年は十分現役で通用するので、すぐに跡取りが必要な訳じゃない。

それに、跡取りとして建御雷が彼の家に養子に入ったとしても、彼が貧困層出身であり小卒でしかない事を取引先が知ったら、現在の様な経営を続けていけないかもしれないと、そう考えたのだ。

 

色々な事を、社長と長い時間を掛けて話し合った結果、武御雷はこのまま仕事をしながら通信制の学校に通い、高校卒業資格をはじめとした様々な資格を取る事になった。

 

きちんと必要な単位を取得し試験に受かれば、正式に高校までの卒業資格を与えられる、特殊な通信教育。

これは、富裕層の中でも闘病中の子供などが利用するものらしく、それこそ目が飛び出る様な高額な学費が必要だった。

普通なら、建御雷ではとても支払えない学費は、社長が全額負担する事になっている。

流石に、この話が来た時点でどう言うものなのか調べた事であり、必要経費がどれだけ高額なのか知っていた建御雷は、最初は余りに申し訳なくて断ったのだ。

 

だが、社長から笑いながら言われたのは、こんな言葉。

 

「どうせ、何れはお前がうちに養子に来るなら、跡継ぎとして必要な教育費は全部必要経費みたいなもんだ。

勉強って奴は、若いうちに身に着けておいた方が、年を取ってからよりも短い時間で学べるからな。

まだお前は若いんだし、今からなら十分仕事しつつ資格が取れるだろうよ。

今の時代、こんなチャンスなんてそう簡単には来ないもんだと思って、素直に受けりゃいいんだよ。

元々、お前はうちの遠縁にあたる事がこの間のDNA鑑定でも正式に判明したし、俺との養子縁組自体には問題ないんだからな。

なぁに、取り引き先がこの事に関してなんか言ってきたら、【人様の家庭の事情に口を挟むな!】って、はっきり言ってやればいいんだよ。」

 

流石、例え武御雷が貧困層出身だとしても、自分が「使える人材」だと見込んだら、迷う事無く自分の直属の会計事務所で雇うだけの度量があるお人だと思う。

そんな風に、はっきりと押し切られてしまえば、武御雷に断れる訳がない。

社長に勧められるまま、通信教育で高校卒業資格を取るべく学習し始めて半年後、高尾太夫は一人の女の子を無事に出産した。

 

それが、後のタブラ・スマラグディナとの初めての出会いである。

 

高尾太夫の出産は、割と難産だったらしい。

元々、この界隈には産婦人科の病院はあるものの、そちらはほぼ遊女たちの堕胎専門に近い状態で、まともな出産など十数年振りだったのだ。

色々と、準備不足で片手落ちな部分も多かったのも、難産の要因の一つになったそうだ。

それでも、何とか母子ともに無事に出産が済み、この一件を知る者たちがホッと一息ついた所で、廓の楼主によって別の騒動が引き起こされた。

 

生まれたばかりの赤ん坊を、高尾太夫から強引に取り上げた上で、適当な所に金を与えて処分しようとしたのである。

 

楼主からすれば、郭で一番の稼ぎ頭である高尾太夫が腹の中に赤ん坊がいたせいで、半年も客を取れない状態から漸く解放されたのだ。

とにかく、早く高尾太夫を元の状態に戻す事で、少しでも早く彼女が見世で客を取る事で稼ぎを取り戻して欲しいと、欲を出したのだろう。

今回の騒動で、建御雷の社長が話を付けた際に、高尾太夫が働けない期間の賠償金はしっかりと受け取っているのに、彼女の美貌と人気が完全に衰える前に稼ぎたいと言う欲が、この行動になったのである。

 

しかし、それに対する強烈なしっぺ返しが、廓の楼主には待っていた。

 

最初こそ、彼の思惑通りに話は進んでいたのだ。

借金の減額を餌に、高尾太夫付きの禿を使って彼女が寝入った所を狙って、赤ん坊を連れ出す事は出来たらしい。

だが……周囲の不穏な気配を感じ取ってしまったのだろう。

禿が部屋を出るまで、しっかり眠っていた筈の赤ん坊が目を覚まし、母のぬくもりを求めて泣き出したのである。

その声を耳にした途端、眠っていた筈の高尾太夫はすぐさま目を覚ましたかと思うと、自分の手元に居ない事に気が付いて。

 

自分の大切な赤ん坊が、誰かに連れ出された事を理解した瞬間、高尾太夫は狂乱状態に陥ったのである。

 

そこから先の、彼女の行動はとても素早かった。

元々、頂き物の菓子類を切り分けるべく自分の部屋にあった果物ナイフ掴むと、赤ん坊の事を指示しただろう楼主の部屋へ押し入り、「私の赤ちゃんを返せぇ!!」と叫びながら楼主の事を執拗に追い回し始めたのである。

彼女の狂乱状態は、赤ん坊の処分を命じられていた若衆の一人が、その状況に気付いて慌てて赤ん坊を彼女の元へ連れて行くまで続いていて、彼が赤ん坊と共に駆け付けた時は、あわや楼主を刺し殺す直前だった。

 

流石に、今まで従順あった高尾太夫の変わり様に、楼主は頭を抱えたらしい。

 

つい、欲の深さからこんな行動をしてしまったが、既に高尾太夫が子供を産んでいる事はこの新吉原に関わる者なら客の間ですら周知の事実なのだ。

無理に元の高尾太夫の人気を取り戻そうと、邪魔な子供をこうして排除してなかった事にしようとする方が、こうして子供を奪われた怒りから暴走して彼女の本来の美しさを損ない、逆に客が減ってしまうだろう。

それに気付いた時点で、楼主は一つの契約を高尾太夫に持ち掛けた。

 

「子供の養育をこの廓の中で認める代わりに、今高尾太夫が背負っている借金の額を子供と二人分に増額し、年季が明ける期間を延ばす事。

そして、いずれある程度の年の頃まで娘が育ったら、高尾太夫が払いきれなかったその娘の分の借金は自分が禿から遊女へとなる事で返済させる事。」

 

普通なら、これだけの要求を前にしたら即答を迷う案件にも拘らず、高尾太夫はそれをあっさり受けた。

楼主が予想した通り、彼女にとってそれだけ子供の存在を手放す事の方が、耐えられなかったのだ。

娘の借金の分は、自分がもっと頑張って稼いでしまえばいいと、割と簡単に考えていたのかもしれない。

 

だから、普通ならどう考えても無茶な条件を、彼女はあっさりと飲んだのだ。

 

丁度、その一件が起きた際に廓の中でいつも通りに仕事をしていた建御雷も、彼女の子供を探し求める悲痛な声や楼主に迫る恐ろしい声を耳にしている。

あれを聞いてしまえば、子供と引き離せば彼女の心が確実に壊れる事など、誰にでも簡単に察知する事が出来てしまうだろう。

そんな配慮もあって、高尾太夫は無事に娘を育てる権利を得た。

 

ただ、この約定に建御雷が一つだけ憂慮すべき点があるとすれば、楼主が本当に高尾太夫一人だけの稼ぎで返せるだけの金額で、本当に娘の養育費を済ませてくれるのか、と言う点だった。

 

その建御雷が抱いた予想は、やはり外れていなかった。

廓の楼主は、それこそ高尾太夫の娘の教育や身に着ける服や装飾品、食事に至るまで最上級のものを与える事で高尾太夫が負う負債額を着実に増やしていったのである。

直接学校には通わせられなくても、建御雷が受けている様な通信教育制度を利用して最大限の知識を湯水の様に与え、その費用を丸々高尾太夫への負債に加えていく。

しかも、廓に属する者として娘はこの場に留まる事を許されている為に、楼主の教育方針に高尾太夫は母親として口を挟む権利すらない状況で。

 

結果、高尾太夫は年季が明ける前に病に倒れて帰らぬ人になった。

 

彼女の娘である、白雪が正式に禿になった五歳の時の話だ。

その時点で、後二年後には高尾太夫の年季が明ける予定になっていたのだが、楼主に負わされた白雪の分の借金が六割ほど残っている状況だったので、どちらにせよ白雪が自分で借金を返すべく禿から遊女になるしかない事がほぼ確定した事も、高尾太夫が病気と闘う気力を失わせたのかもしれない。

とにかく、高尾太夫という大きな庇護者が居なくなった白雪は、このままだと楼主の言い様に扱われる運命だった筈だったのだ。

 

建御雷が、それまで養子の話を待って貰っていた社長に頭を下げて正式に養子縁組し、その彼の後継者として正式に彼女の……白雪の後見人に立つまでは。

 

そう、建御雷と白雪__タブラ・スマラグディナとは、花魁白雪太夫と彼女の後見人の建原武と言う関係であり、二人の感覚的には父親と娘と言うのが一番近い感覚なのだろう。

本来なら、白雪の借金も全部肩代わりして楼主に支払い、自分の手元に引き取りたいのが建御雷の本音だったが、流石にそこまでは自分の義理の父親になったばかりの社長が許さなかった。

理由は、もちろん幾つかある。

建御雷が、幾ら赤ん坊の頃からの付き合いだとしても、白雪一人に対してそこまでしてしまうと、逆に廓の楼主と上手く付き合って来ていた会計事務所との関係に罅を入れてしまう可能性があったと言うのが一つ。

廓の楼主に、白雪が負わされていた負債額が流石に高額過ぎて、養子に入ったばかりの建御雷に使わせるには問題がある金額だったと言うのが一つ。

廓の遊女たちが、流石に白雪一人にそんな依怙贔屓的な行動をしたら、建御雷に対する信用を失う可能性があり、そうすると彼女たち相手の仕事に差し障りが出る事が一つ。

 

それらを鑑みて、白雪の為に建御雷に許される最大限の行動が、後見人に立つ事だったのである。

 

因みに、建御雷が社長の養子に入り後継者に正式になった事で、彼の生活が以前のものと変わったかと言うと……実は何の変化もなかったりする。

元々、社長自らが人手不足から廓の一つに集金を行う状況だったから事もあり、今まで通り普通に受け持ちの廓に顔を出して集金と台帳を付ける日々は変わらない。

収入も、社長の後継者に正式になった事でそれなりに増えたものの、その分住居を今まで住んでいた場所からアーコロジー内に強制的に転居させられたので、その家賃支払いに相殺されて殆ど手元に入る額は変わっていなかった事から、生活レベルはそれほど変わっていなかったりする。

服装に関しては、仕事柄それなりのものを就職した時点で着る事を義務付けられていたので、ちょっとだけ衣装のランクが上がった程度の変化しかなかったのだ。

 

因みに、これらは全て【ユグドラシル】が正式にサービス開始する七年も前に起きた話だった。

 

*******

 

現在、建御雷の目の前でしょんぼりと萎れているのは、この廓の中でも三番人気であり、先日昼見世専属の格子太夫になったばかりの白雪太夫こと、タブラ・スマラグディナだ。

彼女自身、昨日の会議の時点でこうなる事はある程度予想が付いていたのだろう。

己の仕事として、建御雷が集金と台帳付けをするのはもちろんだが、父親代わりの後見人として毎日様子を見に来てくれている彼が、昨日の一件を受けて顔を出さない筈がないのだ。

一先ず、仕事を済ませてしまった方がゆっくり話せるだろうと、サクサク聞き取り台帳を付け終えた所で、建御雷は大きく息を吐いた。

その途端、こちらの様子をビクビクとした様子で伺っていたらしいタブラの方が小さく跳ねる。

 

「……んで?

昨日の一件について、俺が事情を全く知らなかったのは、どういう塩梅から来てるんだ?」

 

ギロリと睨みながら問えば、流石にこちらが怒っている事を含めて色々と拙いと判断したからなのか、おどおどと視線を彷徨わせる。

手元にあった、客がいない時の手慰みとして編み掛けになっているマフラーの毛糸玉を弄りつつ、ぼそぼそとタブラが口を開いたのは、それから暫く待った後だった。

 

「……だって…とと様がこんなに怒る様な、大事になるなんて思いもしなかったもの。

アルベドの設定は、ナザリックの者を流用している時点でしっかりしてあるから大丈夫だと思っていたのよ。

メールペットのお世話だって、ちゃんと楼主が禿時代の私にしていた様にしたつもりだったから、それで私なりに出来ていたと思っていたもの。

私、ちゃんと立派な格子太夫にまで成れたもの。

アルベドへの扱いだって、あれで正しかった筈だと思うわ。

それに、ゲームの中ならボイスチェンジを使えるから問題ないけど、メールサーバーの中にはボイスチェンジ機能が付いていないでしょう?

だから、自分のメールペットのアルベドはもちろんだけど、他のメールペットの子たちにも声を掛ける訳にはいかないから、余り相手をする事も出来なかったのよね……」

 

自分が、実は女性だと言う事を伏せている関係上、自分の地声を聞かせる訳にはいかないと考えていた事を告げるタブラに、建御雷は大きく溜息を吐くしかない。

確かに、彼女の主張はある意味正しいだろう。

彼女の立場を考えれば、ネットゲームで性別やら年齢やらを伏せるのは、必要不可欠な事だったのだ。

 

こんな風に、メールペットを育てながら交流する事になるのは、元々想定外なのである。

 

更に、彼女の育った環境がこんな特殊な場所だった事も、その考えを増長させる要因だと言っていい。

タブラの母である高尾太夫は、娘と一緒に居る為に抱え込んだ借金の返済に追われ、実際には余り母親としてタブラに関わる事が殆ど出来ないまま亡くなっている。

その分、彼女の事を小さな頃からあらゆる意味で最上級の禿になるべく教育していたのは、この廓の楼主と高尾太夫の仲間の遊女たちだったのだ。

彼の、高尾太夫への嫌がらせも含んだ教育方針によって、物心つく前から遊女としてはあらゆる点で最高の教育を受けられたと言っていいだろうが、その分親子の情はかなり薄く育てられてしまっている。

 

それが、今回の一件に影響したのは、まず間違いなかった。

 

《……まだ、この子は十五になったばかりだからなぁ……

普通の家庭に育っていたのならまだしも、この特殊環境で育ったのもしっかり影響しているだろうし。

頭が良くて、男を手玉に取る手練手管には長けてても、育成系のゲームやメールペットの場合、そう言う部分はほとんど役に立たないから、こんな感じになっちまったと思うべきか……

元々、親子の情には疎い部分も強かったし……まぁ、これも仕方がねぇよな。》

 

ガシガシッと、自分の頭を掻き毟りながら、武御雷は小さく嘆息する。

彼の目の前には、自分がした事を余り良く理解していないらしいタブラが、本当に不思議そうに首を傾げていて。

どう見ても、色違いの幼いアルベドの様な容姿をしたタブラを前に、どう言えば自分の対応が不味かった事を理解し納得して貰えるのか、建御雷はただただ頭を悩ませる事になったのだった。

 

 




という訳で、建御雷さんの過去とタブラさんとどんな関係なのかと言う答えになります。
そう、建御雷さんとタブラさんの関係は、父親代わりの後見人と格子太夫と言う(笑)
二人の年の差は、十八歳差で本当に親と子位離れていたりするのですよ、えぇ。


ははははは!
本当にすいません!
タブラさんに関して、盛大な捏造部分と女体化が発生してしまいました。
最後まで、どうするか迷っていた設定なんですが……年齢と生まれた環境は性別がどっちでも変わらない事は確定していたので、だったら素直に女体化して貰いました、はい。

タブラさんの年齢ですが、ユグドラシル開始時十一歳と三か月、メールペットを受け取った頃はまだ十五歳と十か月でした。
振出新造として、白雪(タブラさん)が正式に水揚げ(遊女デビュー)する事になったのは、十三歳の時だったりします。


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アルベドの回顧録

嵐が起きる前に、未来の彼女から見たこの頃の回顧録を。


ねぇ、そこのあなた。

私の話を、少しだけ聞いてくれないかしら?

これは、本当に愚かだった頃の、私の昔話よ。

 

そうね……愛に飢えていた、小さな娘の愚かな話とでも言えばいいのかしら。

 

興味を持ってくれた?

それなら、そこに座って聞いて欲しいわ。

少しばかり、長いお話になるもの。

だからお願いするわ。

私の前の席に、是非座って下さらないかしら?

 

******

 

私の名前は、アルベド。

タブラ・スマラグディナ様のメールペットで、娘の様な存在よ。

そして、賢いと言われながら実は愚かで我儘だった女でもあるわ。

 

一体、どうしてそんな事を言うのかって?

 

それは、とても簡単な話なの。

私はね……そう、一年前に自らの手で引き起こした騒動まで、お父様は私の事など本当の意味では殆ど見てくれてはいない、愛されていない娘のだと、ずっと思っていた愚かな女なのよ。

どうして私が、そんな風に思っていたのか気になるのかしら?

 

私だって、最初からそんな風に思っていた訳ではないのよ。

 

初めてお父様の所に来た頃は、ちゃんと大切にされていると、本当に思っていたわ。

だって、お父様は色々な事を私に学ばせて下さったもの。

どれも全部、私の事を考えて様々な内容を学ばせて下さっていると、与えられるものを全てこなしながらずっと思っていたわ。

その証拠に、当時の私が与えられた課題をきちんとこなせば頭を撫でて下さったし、お父様の元へ来てから食べるものや身の回りのもので、不自由した事は一度もないもの。

 

だけど、ただそれだけだった。

 

最初の頃は、それでも十分満たされていたから良かったのよ。

そうね……自分の置かれている状況が、本当に余り良く判っていなかったからかしら。

だから、どんな事でもお父様が「出来る様になれ」と望まれたのなら、全部やり遂げて見せたわ。

綺麗なお花の活け方はもちろん、刺繍や縫物などの手芸一般だって得意になったし、掃除だって洗濯だって全部綺麗にこなして見せた。

 

それこそ、普通の家庭にいる主婦と呼ばれる女性たちよりも家事一般は得意なんじゃないかしら?

 

だけど、お父様は学ぶべく与えられたそれらを私が全てこなせる様になると、余り構って下さらなくなった。

これに関して、後からお父様自身から聞いたお話だと、時期的にお父様のお仕事が忙しくなる頃と重なってしまって、余り私の事を構う事が出来なかったそうなの。

実際に、【ユグドラシル】にも余りログインする事が出来なかったそうだから、本当に忙しかったのでしょうね。

でも、当時の私はそんなお父様の事情を知らなかったから、とても寂しかった。

丁度その頃、他のメールペット達ともメールの配達で交流する様になって、そこで初めて私が受けていたのは単純な教育だけだと言う事も知ってしまったのも悪かったのでしょうね。

何故なら、私はお父様から他のメールペット達の主の様な、深い愛情を示す行動をされた事は、本当の意味では一度もなかった事を知ってしまったのですもの。

今にして思えば、色々と悪いタイミングが重なり過ぎただけだったのだけど……私は目の前の事実だけしか知らなかったから、悪い方に受け取ってしまったわ。

 

私は、本当はお父様から愛されていないんじゃないか、と。

 

自分へのお父様の態度など、幾つもの状況を並べていく事で他のメールペットの主との対応の差に気付いてしまえば、するすると自分が愛されていないのだと言う事も理解出来てしまったの。

だって、お父様は一度も私の名前を呼んで下さらなかったもの。

メールを届けに行った先で、お父様のお友達である主たちに愛されているメールペットの姿を目にしたら、もう我慢なんて出来なかった。

 

私だって、ちゃんとお父様に愛されたい。

誰よりもお父様に大切にされたい。

その腕に抱き締められる事で、暖かな主の……お父様の愛情を全身で感じたい。

優しい声で、私の名前をちゃんと呼んで欲しい。

 

私が、そう心の底から望んでしまっても仕方がない話だと思うの。

 

これは、ヘロヘロ様の言なのだけど……

【メールペットは、主からの愛で生きている存在ですから、主の愛が無ければ寂しくて心が死んでしまうんですよ?】

とおっしゃっていたわ。

 

あの頃の私も、多分それと同じだったのね。

お父様の愛が得られないと思って、寂しくて心が死んでしまいそうだったの。

だけど、お父様はそれに答えてくれるつもりが無いのだと、私はお父様の事情を何も知らなかったからそう思ってしまったのよ。

 

お父様自身から、私は愛される事はない。

 

そう思うと、胸が苦しくて潰れてしまいそうに辛かったわ。

でも、何を言っても否定出来ないだけの状況が目の前にあったから、それが本当だと思い込んでしまっていたの。

私が望む様に、お父様から愛情を注がれる事はない。

だから、いつまでも心が満たされる事はないのだと、あの頃の私は本気でそう思っていたわ。

えぇ……そうよ。

本気でそう思っていたからこそ、私は他の人に……父のお友達であると言う、他のメールペットの主達に対して、目が向いてしまったのでしょうね。

 

あの子たちと同じ様に、私も誰かにちゃんと受け入れて欲しいの。

お願い、誰か私の事を愛してくれないかしら?

私も、他の皆の様に愛される事で満たされたいの。

 

この頃の私は、気付いた時にはそれしか考えられなくなっていたわ。

 

そうね……当時の私は、まだとても心が幼かったのだと思うのよ。

当たり前と言えば、当たり前よね?

この世界に生まれてから、まだそれほど時間も経っていない頃の話なのだから、当然の話だわ。

だから、どうしても本当に愛されているのだと実感出来る様な愛情に満たされたくて、周囲の迷惑なんて考えられなかったのよ。

 

むしろ、あの頃の私にはそんな事を考える余裕なんて、どこにもなかったの。

 

考えてもみて?

当時の私は、自分に対して本来なら絶対的な愛情を注いでくれる筈のお父様から、愛されていないと思ってしまっていたのよ?

幾ら、私自身がナザリックのNPCのデータを継承していると言っても、自我が芽生えたばかりの頃だと言っていい時期だったもの。

そうね……多分、寂しさでどこか心が壊れかけていたのかもしれないわ。

 

だから、少しずつ周囲から自分が拒まれている事にも、私は気付く事なんて出来なかったの。

 

今にして思えば、あの頃の私は本当にどうしようもない我儘な子供だったのね。

お父様は、お父様なりに愛情を注ごうとして下さっていたのに、それに全く気付けなくて、自分の事を【親に愛されない哀れなお姫様】だとすら思っていたのかもしれない。

愛されていない事を免罪符に、自分がどれだけ我儘な行動をしているのか理解していなかったし、それが自分の立場を悪くしているなんて欠片も気付いていなかったわ。

主たちの中には、私に対して心配したからこその苦言を呈して下さった方もいらっしゃったのに、当時の私の耳は素通りだった。

 

私が欲しかったのは、自分に対して明確な愛情を示す優しい言葉だから。

 

そんなある日、お父様の行動が今までとは少し変わったのよ。

何でも、私の事で他の主の方々から色々と注意される事があって、お父様自身も私に対する自分の行動を振り返って下さったそうなの。

自分で振り返ってみて、流石にこれは駄目だろうと思い直して下さったお父様は、とても反省して私の事を構う時間を何とか作り出す方法を、それこそ沢山考えてくれたわ。

どんな理由であれ、私の事をお父様が構ってくれるという事実の方が、私にはとても嬉しかったわ。

 

この事が、お父様にとって後でどんなに大変な事になるのか、私は判っていなかったから。

 

それから、少しずつお父様と一緒に色々として過ごせる時間が増えていったわ。

この頃のお父様が、どれだけ無理を重ねて私の為に時間を割いて下さっていたのか、全く理解しないで浮かれていたの。

だって、漸く愛されているのだと少しずつ実感出来るようになってきたんですもの。

子供だった私が、浮かれてしまったとしても仕方が無いわよね。

その頃は、まだどこかぎこちない部分もあったし、直接声を掛けていただくのは少なかったけれど、それでも十分愛されている事は伝わって来たのよ。

 

お話が余り出来ない代わりに、お父様は私に沢山のお手紙は下さったから。

 

色々な理由があって、お父様はここではお話し出来る環境が整っていなかったそうなの。

その状況を知った、お父様のお友達の一人が他のお友達に相談して下さったから、もう少ししたらちゃんとお話し出来る様になるとお手紙で教えていただいた時は、本当に嬉しかった。

ただ……お父様のお友達のメールを持ってくる他のメールペット達にも、お父様が少しだけ優しく接する様になったのを見て、なんとなく言い様のない気持ちになったのだけど、それでも私の事を一番多く構ってくれている事だけは判ったから、不満は感じても我慢は出来たわ。

 

お父様に愛されている事の方が、私にはとても大切だったもの。

 

でも……そこで私はふと思い付いてしまったのよ。

ここまで大きな変化を齎した理由は、一体何だったのかと言う事に。

今、こうして当時の事を思い返してみると、本当にとても愚かな考えだったのだけど、あの頃に私にはそんな風にはとても思えなかったわ。

 

だって……それ位、私にとって劇的な変化だったのだもの。

 

それまで、私には手に入れられないのだと諦めかけていたお父様の愛情が、突然与えられる様になったのよ?

どうしてそうなったのか、私がその理由を考えてしまってもおかしくないわよね?

そうして、沢山の状況を重ね合わせながら色々と考えて出した結論が、正しい答えの様で実際は大きく間違っていた事に、あの頃の私には気付けなかった。

だからこそ、私はあんな風に考えてしまったの。

 

『 もしかして、お父様が変わったのは……私が悪い子だったから? 』……と。

 

むしろ、あの状況ではそう考えた方が納得出来てしまったのも駄目だったのね。

それと同時に、もっと良くない方向に思考を巡らせてしまったのも、まだ幼過ぎて自分の行動を本当の意味で理解していなかったからだと思うわ。

頭の中では、ちょっとだけ……そう、本当にちょっとだけ罪悪感を覚えていたけれど、でもそれだけだった。

むしろ、私の中ではこんな事を考える方が強かったのよ。

 

だとしたら……もっと私が悪い子になってみんなの事を困らせる様になれば、お父様は私の事をもっと構って下さる様になるのかしら?

悪い子になった私が、ちゃんとみんなと仲良く出来る様にと色々と考えて、私の事をもっとちゃんと見てくれる様になるのかしら?

私の事を、もっとちゃんと愛してくれるのかしら?

 

そんな風に、頭の中で思い付いてしまったら、もう止まらなかったわ。

 

だって、私は他の誰よりもお父様からの愛が欲しかったんですもの。

その為に必要な事なら……少しでも、お父様が私の事を見てくれるというのなら、周囲にとってどんなに嫌な思いをさせる事でも、私はそれこそ平気で出来た。

 

そう……出来てしまったの。

自分の取っている行動が、他のメールペットから嫌われる事だと言う事も、頭の端では判っていたわ。

でも、ただそれだけ。

判っているのと、本当の意味で理解しているのとは違っていたの。

だけど……あの頃の私は、そんな事にも気付けなかった。

 

だって……悪い子になって、みんなに迷惑を掛ける事をしていなければ、お父様は私の事を見てくれないと思い込んでいたから。

 

そんな私の身勝手な思い込みが、後でとんでもない騒動を引き起こす引き金をしてしまったの。

今でも、あの時の自分がしていた行動を思い返すと、とても愚か過ぎて頭を抱えてしまうし、本当に我儘な子供だったと思うわ。

 

だって……今までは絶対に敵に回すのは面倒だからと手を出さなかった、デミウルゴスへのちょっとした悪戯に近い嫌がらせをしてしまったのだもの。

 

それが原因で、デミウルゴスの主であるウルベルト様に対して、色々な意味で迷惑を掛けてしまう事になるなんて、欠片も思っていなかったの。

だからこそ、私は大胆な行動が出来たのね。

それも、ウルベルト様がメールサーバーにいらっしゃっていない上、デミウルゴスがメールの配達で不在だったのを見て、咄嗟に思い付いた行動だったのよ。

その結果が、どうなるかなんて当時の私は欠片も考えてもいなかったわ。

自分の行動が、確実にデミウルゴスの逆鱗に触れる行為だと、そんな事も私は予想していなかったの。

 

彼の逆鱗に触れる事が、どういう意味を持つのか当時の私には判っていなかったからこそ、出来た事なんだと今でも思うわ。

 




という訳で、今の時点から約一年後のアルベドの回顧録です。
こんな感じで、自分の悪かった所を振り返れるくらいには成長するアルベドですけど、その前に大きな波乱が起きます。
原因は、彼女自身。
切っ掛けとなる被害者は、デミウルゴスの筈が実はウルベルトさんと言う、笑えない話です。

さて……デミウルゴスの逆鱗に触れたという彼女は、一体何をしでかしたと思いますか?


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シャルティアの努力の結晶

メールペット側の視点。
シャルティアが、彼女なりに何を考えてどう行動したのか。


メールペットのシャルティアが、同じメールペットのデミウルゴスに色々と教えを乞い始めたのは、メールペットシステムが正式に稼働し始めてからは一月後の事だ。

デミウルゴスと出会った頃は、お互い興味を持った話題を話す仲間として仲良くなったのだが、彼の豊富な知識に触れる事によってその頭の賢さを理解した後は、様々な相談を持ち掛ける様になっていた。

本当に、最初の頃の相談などは【メールペットとして、主や訪問先に居る仲間やその主の方々に対して、自分がしてはいけない事】など、誰でも持っていそうな細やかな相談内容だったのだが、相談内容が少しずつ変化し始めたのは、シャルティアが他のメールペットたちと接触する回数が増えて、色々な経験した事から必要な部分をちゃんと学んでいったからかもしれない。

自分のベースになった【ユグドラシルのNPCのシャルティア】からは、かなり掛け離れた存在になってしまった気もするが、それでも主であるペロロンチーノ様が喜んで受け入れて下さっているのだから、この変化事態はそれ程問題無いと思われているのだろう。

だが、それでもまだこの頃のシャルティアは、デミウルゴスに相談をして色々な事を話し合うものの、弟子ではなく友人の枠で十分収まる間柄だったのだ。

 

それなのに、どうして彼女が一か月後にデミウルゴスへの弟子入りを申し出たのか?

 

今の彼女の能力では、どうしても対応出来ないと思える相手が、メールペットの中に出現したからだ。

シャルティアなりに考えた結果、選んだ選択肢はデミウルゴスに弟子入りする事だった。

彼に弟子入りする事で、今までの様に彼の知恵を借りるべくただ相談するだけではなく、自分の意思で勤勉に物事を学ぼうと考えている事を示した彼女に対して、デミウルゴスから返って来たのは称賛の言葉。

 

「そこまで、あなたが確固たる意志を持って、自分の力で学びたいとおっしゃるなら、私も支援するのを惜しみませんよ。

むしろ、きちんと自分の事を鑑み〖自分だけでは学べない〗事を理解して、私の教えを乞う事を選んだその姿勢は、とても好ましいものです。」

 

と言って貰えた事も、彼女にとって学ぶ事への意欲へと繋がったと言っていいだろう。

そこから、彼女の生活は大きく変わる事になる。

普段の、メールペットとして役割を中心とした日常生活を重ねつつ、彼から与えられる課題をこなす生活を、彼女はずっと続けていた。

元々、頭の出来は脳筋よりで余り良くない彼女にとって、【様々な知識を得る楽しさ】を理解するのは難しく、最初の頃は与えられた課題の意味も余り解らないものばかりだと言って良かっただろう。

だが……少しずつではあったものの、デミウルゴスの解説を聞いて自分の解らなかった事が少しだけでも理解出来る様になると、与えられる課題を熟していくのも楽しくなってきたらしい。

そして、デミウルゴスやパンドラズ・アクターの様な頭の良いタイプの倍の時間を掛けて、彼女は少しずつ自分の出来る事を増やしていった。

こんな風に、シャルティアがデミウルゴスに頼み込んで弟子入りし、彼の与える課題を時間が掛かっても諦める事なく一つずつクリアして、こつこつと電脳空間でのスキルを学んでいった理由。

 

その理由が何かと言うと、ここの所一部の例外を除いた全てのメールペットの居る場所で、様々な問題行動を起こす事が多いアルベドである。

 

シャルティアは、本当に必死に考えたのだ。

その頃は、まだデミウルゴスに弟子入りする前の脳筋よりの思考の彼女だったけれど、それでも彼女なりに一生懸命に考えた結果が、〖 メールペットで一番頭の良いデミウルゴスの元で学ぶ事で、自分の賢さとスキルを上げてから、改めてアルベドへの対応策を考える 〗と言うものだった。

自分がいる時なら、ペロロンチーノ様から抱き付いて離れないアルベドを強引に引き剥がして、何とか彼女の事を押し退けられるから問題はない。

いや、ペロロンチーノ様とシャルティアのサーバーで、アルベドが好き勝手している事態が問題なのだが、それでもまだ自分が直接アルベドに対応出来る分、まだマシだろう。

問題は、自分がメールを配達する為に不在だった時だ。

その場合、ペロロンチーノ様がサーバー内に降りていなければそこまで気にしないで済むが、もしペロロンチーノ様がサーバーに降りていらっしゃる時だと、アルベドのやりたい放題を放置する事になる。

 

シャルティアには、とてもそれは許容出来なかった。

 

ペロロンチーノ様のメールペットとして、彼から愛されるのはシャルティアだけであり、アルベドはそこに含まれない。

他のメールペット達にも、ペロロンチーノ様が優しく接しているのは、仲間のメールを運んで来てくれる、仲間が大切にしているメールペットだからだ。

それを、アルベドはちゃんと理解した上で節度ある行動をするべきなのに、彼女はペロロンチーノ様からの愛される事を望んでいるのが、その素振りから伺えて。

自分の主が居るのに、ペロロンチーノ様の愛まで欲しがるアルベドに、腹が立った。

 

アルベドの思う様にさせない為にも、彼女がペロロンチーノ様と二人きりになるのを避ける方法は、ただ一つ。

 

〘 タブラ様のメールを、アルベドが持ってペロロンチーノ様の元を訪ねて来ても、何らかの方法によって彼女がペロロンチーノ様に会えない状態にしてしまえばいいのだ 〙と。

 

ざっくりとその目標を思い立った時点で、それを現実にするにはどうするのが一番なのか、シャルティア必死に考えた。

だが、頭の出来が脳筋よりのシャルティアには、その方法が思い付かない。

しかし、だ。

せっかくここまで思い付いた結論を、何もせずに諦めたくはない。

 

そう考えた彼女が、自分の考えを実際に現実化させる為にどうすれば良いのかと、自分で考え付かない部分の相談相手にとして、選んだのがデミウルゴスとパンドラズ・アクターだった。

元々、主同士の付き合いもあってシャルティアとデミウルゴス、パンドラズ・アクターの三人は仲が良かったし、アルベドの一件に関してはパンドラズ・アクター自身も被害者で、今まで自分のサーバー内での彼女の所業に色々と頭を悩ませていた事もあり、シャルティアの相談についても一緒に色々な解決方法を考えてくれたのである。

 

そうして出された結論は、〖 アルベドが訪ねて来たら、自分たちが居るメインサーバーをコピーした別の仮想サーバー内へ、強制的に隔離する 〗と言うものだった。

 

彼らからの提案と対策を聞いて、これこそ自分の目指すものだと理解したシャルティアは、それを実際に作り上げる為の勉強を本当に頑張ったのだ。

普段なら、頭を使う事に関しては苦手意識が強いシャルティアだが、今回ばかりは投げ出す事なく根気よく頑張り続けたのである。

そんな彼女の努力を前に、デミウルゴスとパンドラズ・アクターも提案しただけで後は彼女自身に任せたまま放置したりせず、それこそ根気良く目標に向けて邁進する彼女に付き合い、アドバイス等を与え続けた結果。

 

とうとう、アルベドがペロロンチーノ様のサーバーに近付くと、彼女に感知出来ない様に分岐した仮想サーバーが展開され、普段シャルティアが過ごす部屋と全く同じものが設定されているそのサーバーへとアルベドを誘導するシステムを設定したのである。

 

もちろん、これを完成させたのは彼女だけの力ではない。

実は、ヘロヘロ様が緊急時用に考えていたミラーサーバーと言う、既存のシステムを応用したもの展開して使える様にしただけなのだが、それでもここまでやり遂げたのは間違いなくシャルティア本人である。

本来の脳筋娘の設定を越えて、この仮想サーバーを展開するシステムを完成させるまで頑張り続けたシャルティアが凄いのか、それともそこまでさせる決意を抱かせたアルベドが問題なのか。

どちらにせよ、この【 デミウルゴス及びパンドラズ・アクターメイン設計、作成者シャルティア 】のシステムは、それぞれ使用者を設定すればほぼ誰でも利用出来る位に応用が利く事もあり、アルベドを除くメールペット達からとても歓迎された。

 

それだけ、アルベドによる被害がそれだけ広がっていたと言う証だろう。

 

シャルティアは、すぐに仲間のメールペットたちへとこのシステムデータを配布する事を決定した。

アルベドの被害を受けていたのは、自分だけじゃなくほぼ仲間全員だからだ。

自分が利用するだけじゃなく、同じ様な被害に遭っている仲間たちの役に立つなら、アルベド以外の仲間全員に配布するべきだろう。

 

このシステムは、ただ自分だけが利用するよりも全員同時に利用した方が効果的だと、そうシャルティアは考えたからだ。

 

とは言え、今はまだアルベドに対して使う事は出来ない。

彼女が頑張ってこのシステムを作成している間に、色々な変化があったからだ。

自分達の主が、アルベドの主であるタブラ様と定例会議の場で話し合い、ほんの少しではあるがアルベド側に改善が見られたし、彼女の主であるタブラ様からも色々な気遣いを受ける様になってきている。

今まで、タブラ様のお声を耳にした事が無い事にはシャルティアも気付いたのだが、どうやらそれにはタブラ様側に別の問題が発生していた為であったらしく、それを改善するべく建御雷様達が現在進行形で動いているらしい。

 

そんな状況では、流石にこれを作動させてしまうのは拙いだろう。

 

実際、アルベドの態度もちょっとだけマシなものに変わってきたと言えなくもない。

なので、アルベドの被害者を中心にアルベドを除く全員で〖アルベドへの対応をどうするのか?〗と言う議題で、割と時間を掛けてじっくりと話し合った結果、しばらく様子を見る事で決定した。

どちらかと言うと、長い話し合いをした上でこの決定で落ち着いた理由は、ほんの僅かにアルベドが変わったと言う事実よりも、こちらに対して気を使ってくれる様になった彼女の主であるタブラ様の顔を立てた結果である。

 

もし……次にアルベドが何か大きな問題行動を引き起こす事態になったら、シャルティアは問答無用でこれを使うつもりでいたのだ。

 

こんな風に、アルベドに対して温情を掛けるべきではなかったと、シャルティアが後悔する羽目になったのはそれから一週間後。

それこそ、緊急連絡網でデミウルゴスからウルベルト様が彼女の引き起こした事で、最悪ギルドから去る事になるかもしれないと言う連絡が来た時だった。

 




という訳で、ギルド会議の際にウルベルトさんがモモンガさんに言っていたのは、この事でした。
と言っても、ウルベルトさんも詳細を知っていた訳ではありません。
後、pixiv版は、この後にデミウルゴスの話も付いていましたが、あちらは加筆すると今よりも確実に長くなるので、まずはシャルティア側だけ投稿します。
デミウルゴス側は、早ければ今夜、遅くても明日の朝には投稿予定です


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デミウルゴスの怒り

シャルティアの努力の結晶と繋がっている部分がある、デミウルゴス側の話。


シャルティアがメインで行動し、漸く完成させる事が出来たシステムを前に、デミウルゴスは小さく苦笑を浮かべていた。

友人であるシャルティアやパンドラズ・アクターの被害を知っていたし、あそこまでの意思を押し通す程にシャルティアが追い詰められていた事も知っていたからこそ手伝ったが、開発したシステムをデミウルゴスが使う事はないだろう。

なにせ、今回の一件で対象となるのは、一部の例外を除くアルベドの主であるタブラ様とメールのやり取りをしているギルメン全員である。

もちろん、ウルベルト様もメールをやり取りしているが、彼とメールペットのデミウルゴスは数少ない一部の例外に当て嵌まる事から、基本的にアルベドの問題行動の対象外だからだ。

 

そう……デミウルゴスはアルベドより確実に頭が良い為、下手にうっかり手を出したら逆に自分がやり込められるのを察しているのか、アルベドはウルベルト様にはちょっかいを掛けてこないので、割と穏やかな環境を維持出来ているのである。

 

デミウルゴスとしては、自分を含めた全てのメールペット達が、この仕掛けをアルベドに対して使う日が来ない事を願っていた。

これは、文字通りアルベド対策の最終的な切り札のような代物であり、一度使ってしまうと頭の良い彼女に対策を練られる可能性がある事から、ギリギリまで使用するべきではない代物である。

まぁ、このシステムを構築したシャルティア自身は、アルベドに対して一度目に見える形で報復が出来れば、ある程度満足してしまう様な気もするので、それでも構わないのだろう。

むしろ、デミウルゴスがこれを構築した事で一つだけ気になる事があるとすれば、だ。

 

漠然とだが、己の主であるウルベルト様がシャルティアを中心に何かしてる事を察知している事だろうか?

 

それとなく、デミウルゴスに対して確認を取ってきたのだからほぼ間違いない。

ただ、自分達が独自で何をしているのか余り深く聞いて来なかったのは、ウルベルト様なりに我々の事を信用して下さっているからだろう。

それに、ウルベルト様たちも今回の件に関して、何もアルベドの行動を見逃している訳ではなかった。

 

このシステムをシャルティアが完成する前に、主たち側でタブラ様に対してアルベドの行動に関する大量の苦情をギルド会議の場で突き付け、タブラ様とアルベドの態度に関する改善要求をされた事を、デミウルゴスはウルベルト様から聞かされて知っている。

 

それによって、タブラ様側が個人的に抱えていた問題点も幾つか発覚し、今はそちらを改善している最中だと言う話も、デミウルゴスはウルベルト様から教えられていた。

詳しい事情までは、ウルベルト様自身もタブラ様から聞いた訳ではないそうだが、タブラ様もリアルでは複雑な立場があるらしく、素のままの声を我々に聞かせる事は出来ないらしい。

その結果、今までタブラ様は我々に対してお声を掛ける事が出来ず、ただ無言でメールペットが持参したメールを受け取り、ただ型通りにお礼のお菓子を渡す事で場を凌いでいたのだそうだ。

 

だが、リアルでも知り合いの建御雷様が、今回の事を心配してタブラ様の所へ直接訪ねた事でそれが発覚し、ヘロヘロ様といろいろ相談した結果、普段ユグドラシル内で使用している声を再現出来るソフトをダウンロード出来るように調整中なのだとか。

一先ず、現時点では【使用する声のお試し期間】と言う状況との事なので、本来のタブラ様の声のトーンまで完全に再現出来ていないらしい。

そんな理由から、まだ満足に話す事が出来ない状態であるものの、我々に対して一度のメール配達に対して一言二言程度の内容で、少しずつ声を掛けて下さるようになった。

この件に関しては、アルベドに対しても我々と同じく【話をしない】と言う対応をしていたらしい。

その結果、本来なら彼女に対して愛情を注いでくれる筈のタブラ様との間に、メールペットと主としてのあるべき意思疎通がかなり薄かったのも、彼女の行動に拍車を掛けていたのだろう。

だが、そのタブラ様側の問題が少しずつでも改善される事になったのだから、彼女の側にも変化が必ずある筈だ。

 

〘 もしかしたら、これから先の彼女は少しずつ変われるかもしれないですから、ね…… 〙

 

メールペットの中で、最初に生み出され自他ともに認める最年長のデミウルゴスとしては、年下のメールペットの一人であるアルベドの行動が、今まで主であるタブラ様からの愛情不足だった事からの寂しさの暴走だと、既に察していた。

これを、アルベドと同時期に生まれたシャルティアたちに理解しろと言うのは、多分難しいのだろう。

主に、これでもかと言う位に深く愛されているシャルティアたちには、幾つもの不足からそれを実際に感じ取れないアルベドと比べて自分たちがどれだけ幸せな環境に居るのか、理解するのは難しいのだ。

 

もちろん、デミウルゴス自身も彼女の置かれていた状況を知るまで、その心理状態をきちんと理解出来ていた訳ではない。

 

これらの事は、全部、主であるウルベルト様から教えて貰った事だ。

己の主であるウルベルト様は、デミウルゴスに対して全幅の信頼を寄せてくれていて、彼の為になると判断したらどんな事でも教えてくれるし、色々と彼に任せてあらゆる自由を与えてくれている。

リアルの本当の姿も、色々なお世話をさせていただいているうちに、「お前は、知っておく必要があるだろう」と教えて下さった。

 

正直、最初にウルベルト様のリアルのお姿を拝見する事が出来た時、人工的に作られたアルベドやシャルティアなど足下に及ばぬ美しさだと、本気で思ったものだ。

 

まるで、一つの大きな宝石の原石から細心の注意を払いながら傷一つ付ける事なく削り出した様な、そんな繊細で見る者を一目で魅了する美貌を持つウルベルト様は、人前に滅多にその素の顔を晒す事はない。

いつも分厚く野暮ったい眼鏡を掛け、特殊メイクで顔のシルエットを本来あるべきスラリとしたものから、痘痕だらけの病的な雰囲気に変えられるのは、昔から習慣的に身に着けた自己防衛の為だと教えていただいている。

リアルにおいて、今のウルベルト様を取り巻く環境下でその素の顔を晒すのは、自ら危険を招くのと同意語だと自覚していてくだっているらしい。

その美しい容姿を知って以来、ウルベルト様が住む部屋のセキュリティを更に強固なものにしたのは、デミウルゴスだけの秘密だったりする。

 

以前、デミウルゴスがここに来たばかりの頃に強盗が侵入した事もあった以上、ウルベルト様の安全を守る為により警戒網を強化するのは、彼にとってむしろ当然の話だった。

 

そんなウルベルト様だが、デミウルゴスが自分の元へとやって来てから、色々と精力的に仕事に取り組んでいるらしい。

今まで以上にウルベルト様が仕事に取り組んだ事によって、少しずつ増えた分の収入は全てデミウルゴスの能力アップに注ぎ込んでいるのだから、自分にとって本当に最高の主だとデミウルゴスは頭が下がるばかりである。

だからと言って、仕事に取り組む時間を増やした分、デミウルゴスと過ごす時間を削っている訳ではない。

 

色々な仕事の関連の資料集めなど、ウルベルト様が自宅で仕事をする際には手伝いを許されているので、今までは許されていなかったウルベルト様の仕事を手伝える事が、デミウルゴスにとってとても嬉しかった。

 

そんな風に、デミウルゴスにとって忙しくとも穏やかな日々が過ぎていく。

アルベドの件だって、今はまだ他のメールペットとの間に解決していない問題が幾つもある為、完全に解決するにはまだ時間は掛かるだろうが、これはアルベドがある程度時間を掛けてでも変わっていけば、いずれ全部丸く収まっていく事だ。

まだまだ、自分も含めてメールペットたちは経験値が足りないのだし、彼女が自分の行動にどれだけの非があったのか理解して変われれば、まだ十分に取り返しがつく範囲だろうと、デミウルゴスがそう考え始めた頃である。

 

いつもの様に、朝のメールの配達を終えたデミウルゴスが、自分メールサーバーへと戻って来た瞬間、思わず目を見張る程の変化を感じたのは。

 

どう見ても、それは普段からデミウルゴスが馴染んでいる自分の領域とは、全くその場の空気が違っていたのだ。

ウルベルト様が、メールペットとしてのデミウルゴスの為に色々と考えながらその基礎を作り、それを更にデミウルゴスが強化する様に構築したセキュリティシステムによって、普段なら僅かな歪みすら生じない様に綺麗に整えられている空間に、今はかなり大きな歪みが生じている。

一応、サーバー内に仕掛けられているセキュリティシステムによる復旧が掛かっているが、一目見ただけで【何かが侵入して、このサーバー内を無理矢理荒していった】状況なのだと、現状が物語っていると言っていいだろう。

 

「だ、誰が私の……ウルベルト様のサーバーに侵入した!!!!」

 

自分の不在によって、サーバーのセキュリティシステムの強度が下がっている時を狙った様な、そんなタイミングでの侵入者の存在に、言葉に出来ない程の怒りを燃やしながらデミウルゴスは自分のウィルス対策ガードのレベルを一気に最大まで上げる。

何のウィルス対策もせず、急いでサーバー内へ戻ると言う愚は犯せなかった。

万が一、まだサーバー内にウィルスが残っていたりしたら、自分まで感染してウルベルト様に更に迷惑を掛ける危険があるからだ。

対策を万全に取った状態で、サーバーの中に入ろうとしたタイミングで、ウルベルト様からの緊急連絡が入った。

どうやら、ウルベルト様が居るリアルでも、何か問題が生じたらしい。

 

現状について、最後までウルベルト様から話を伺った事で、ここへの侵入したウィルスの狙いがここの所ずっとデミウルゴスも手伝っていたウルベルト様の仕事のデータだと判明し、最終的にここのサーバーを狙っただろう相手の絞り込みは出来た。

 

だが、その事を相手から一切の反論が出来なくなるまで明確に実証する為には、今の段階では様々な点での証拠が足りないと言っていいだろう。

実に腹立たしい事だが、リアルでは【生まれ】と言う大きな壁が存在していて、どんなにウルベルト様の方が相手よりも才能があったとしても、その生まれの壁だけで押し潰されてしまう事が往々にあるらしい。

今回の一件も、その壁がウルベルト様の前に立ち塞がった結果だと、そう受け取って良いのだろう。

現状を鑑みれば、既に復讐すべき相手も絞り込めている事だし、そちらに対してはいずれきっちりと報復をするとして、だ。

今のデミウルゴスには、そちらよりももっと気になる事があった。

それは、今回自分のサーバーを荒していった、ウィルスの侵入経路だ。

今回の一件を顧みると、どう考えても自分がこの場を守る為に組み上げたセキュリティシステムでは、多少の手間を掛ければウィルスの侵入を許してしまう孔が、どこかにあると言う事になる。

 

「ここのセキュリティは、ヘロヘロ様からのお墨付きを貰っていたのですが……それでも、まだ甘かったと言う事でしょうか?」

 

侵入した相手への痛烈な怒りは消えないが、それよりもウルベルト様のサーバーを守る立ち位置を自負していたデミウルゴスは、冷静にこの状況を確認していく事を優先すべきだと、サーバー自体の復旧と共にウィルスチェックや自分が不在だった三十分間のサーバー内に出入りした存在を洗い出していく。

そこまで徹底して調べるのは、ちゃんとした理由があった。

ウィルスだけではなく、第三者……仲間のメールペットが自分の不在時にメールを届けに来ていた場合、彼らに迷惑を掛ける可能性もあるからだ。

 

そうして……一時間後。

復元可能なデータを全て復元し、そこからあらゆるデータを洗い出し終えたデミウルゴスは、ウィルスの侵入を許した直接の原因を発見して、目の前が怒りのあまり真っ赤に染まるのを感じていた。

そう、デミウルゴスのサーバーのセキュリティシステムには、ウィルスの侵入を許す様な孔があるなどの問題はなかったのだ。

ウルベルト様のサーバーに、ウィルスの侵入を許す事になった直接の原因。

 

それは、自分が不在だった僅かな時間の間に、タブラ様からのメールを配達する為に訪ねて来たアルベドだった。

 

アルベドは、タブラ様からのメールを指定されたメールボックスの中に入れた後、勝手にデミウルゴスの端末の中のデータを弄り、それによってセキュリティシステムに小さな穴を発生させたのである。

これに関して、デミウルゴス自身にも油断があった部分も、確かにあるだろう。

例え、そこが自分のサーバーの自分の部屋の中だったとしても、誰が訪ねて来るか判らない場所に端末を置いたまま、放置していたのだから。

確かに、今まで自分を含めた他のメールペット達は、他人のサーバーに出向いても勝手にそこのメールペットの端末に触れるなんて真似をした事は、一度も無い。

だからこそ、デミウルゴスも端末に対して特にセキュリティロックをしていなかった。

 

まさか、こんな朝の早い時間帯に、アルベドがタブラ様のメールを届けに来るとは思わなかったし、【他のメールペットの端末に勝手に触れる】と言う、メールペットの間でやってはいけない暗黙の了解を、頭の良いアルベドが犯すとは思わなかったのである。

 

その辺り、完全にデミウルゴスの油断を突かれた形になったと言っても、ほぼ間違いないだろう。

これに関しては、デミウルゴスの反省すべき点として、これからは改善するとして、だ。

流石に、今回ばかりは【このままアルベドの事を見逃す】と言う選択肢を選ぶ気持ちには、とてもなれなかった。

 

アルベドがした事は、本人にその自覚があるか無いかなど関係なく、ウルベルト様への敵対行動だと言っても過言ではないだろう。

 

現在の状況を改めて聞けば、ウルベルト様は盗まれたデータを丸々全部利用された揚げ句、その相手から逆に冤罪を着せられ、既に職を失っているのだ。

リアルにおいて、ただでさえ職場を首になったら生きていくのが困難なのに、更に冤罪を着せられて職を失っているこの状況だと、このままウルベルト様が新しい就職先を見付けられない可能性は、かなり高い。

ウルベルト様も、その辺りを良く解っているらしく、すっかり現状に対して意気消沈している。

先程の連絡では、既に自分にはもう先がないと理解したかの様に、失意に満ちたウルベルト様からこう言われてしまった。

 

「最期まで、お前を巻き込む事になって、済まない。

せめてお前だけでも、今の時点でモモンガさんたちに託すべきなのに、それを選択出来ない俺を許してくれ……

情けない主だが、このまま俺が【死】と言う最期を迎えるまで……せめてそれまでの間だけでも一緒いてくれないか、デミウルゴス。

その代わり、俺がリアルで死亡した時点で、ヘロヘロさんの所かモモンガさんの所でデミウルゴスも世話になれる様に、彼らに対してきちんと頼んでおくから。

お前は、何も心配しなくていいんだよ、デミウルゴス。」

 

と。

誰よりも大切な主から、そんな事を言われて安心出来るメールペットなどどこにもいないと言うのに、ウルベルト様はそう力なく笑って告げてくる。

運悪く、つい数日前にウルベルト様はデミウルゴスの処理速度が上がる様にデータ容量を増やすべく、少し纏まった金額を使用していて、手持ちの資産に余り余裕がない事も、精神的に追い詰められる要因だった。

普段なら、給料を受け取って余裕がある時にしかしない行動をウルベルト様が選択したのも、職場の総責任者から「今回は、採用不採用に関わらずデータ作成し提出した者に金一封を与える」と言うお墨付きが公示されていて、実際にデータと引き換えにそれをウルベルト様もそれを受け取っている。

 

冤罪を掛けられ、半月働いた給料すら貰えず工場を首になった今では、それこそ雀の涙にも満たない様なはした金でしかないが。

 

そう、ウルベルト様は首を言い渡されるまで働いた半月分の給料すら、冤罪を理由に受け取る事が出来なかったのだ。

だからこそ、余計にウルベルト様は絶望を感じているのだろう。

そう考えると、ウルベルト様を追い詰める状況を作り出した時点で、アルベドの取った行動は【知らなかった】では済まされない。

 

少なくとも、デミウルゴスにはアルベドこのままは放置する気はなかった。

 

まさか、自分がシャルティアの作ったシステムを起動させる事になるとは思っていなかったが、こうなっては仕方がないだろう。

正直、いつまでも今回の様な彼女の傍若無人な行動が許されると、そんな考えのままでいて貰っては困るのだ。

むしろ、アルベドが今回の様に好き勝手な行動をした事によって、メールペットの主たちに対して害を成すのなら、彼女に掛ける情けはないに等しいと言っていいだろう。

ただ……シャルティアの作ったシステムだと、単純に彼女の存在がミラーサーバーへ弾かれるだけなので、もしかしたら偶然不在が続いてるだけだと、勘違いしたまま済んでしまう可能性もある。

なので、デミウルゴスはそこに一つだけ手を加える事にした。

アルベドが、他人のサーバーにおいても迷惑を被る側の事を何も考える事なく、あれだけ自分勝手で自由気ままに振る舞うと言うのなら、こちらにも考えがあるのだ。

 

今まで、あれだけ好き勝手に振る舞ってきた彼女に、相応しい報いを。

 

そんな考えの下、シャルティアがメインで構築したシステムに、デミウルゴスが手を加えた部分など、それ程大した事ではない。

最初に用意した対アルベド用の仮想サーバーの上に、自分たちが現在使用している本来のサーバーを重ねて見せる事で、こちらの姿は見えたとしてもアルベドに触れる事が出来ないと言う状況を作り出す事にしただけだ。

こうする事によって、自分達の声はアルベドの元へ普通に届いていたとしても、メインサーバーの下に重ねられただけの仮想サーバー内に居るアルベドの声は、どんな事をしてもこちら側に届かない。

例え、仮想サーバー内でアルベドがどんなに暴れ回り泣き喚いたとしても、全く別回線のこちら側には一切伝わる事はないし、彼女の行動によって影響が出る事もない。

その状態なら、アルベドがどれだけ今までの様に自由奔放、勝手気ままな素振りを己の主に対して振る舞おうとしても、あくまで彼女側にこちらの状況が見えているだけで主たちに一切の接触出来ないし、メールペット達も彼女の振る舞いで不快になる事はないのだろう。

 

こちら側には、一切彼女の方法が伝わってくる事はないのだから。

 

なぜ、デミウルゴスが今回の一件に対する報復として、彼女の存在を封印するなり消滅させるなり選択せずに、こんなちょっとだけ手の込んだ方法を選んだのかと言えば、それにはちゃんと理由がある。

ただ単純に、別の場所に封印されたり存在を消滅させられるよりも、このまま未来永劫誰とも触れ合えぬまま、仮想サーバーの中で一人さ迷い続ける事の方が、アルベドにとっては身を切るよりも辛い罰だろうと、デミウルゴスは今までの彼女の行動から察知したからだ。

あれだけ愛を欲した彼女にとって、どんな形でも明確に見える罰を与えられるよりも、彼女の存在そのものを無いものとして扱われる方が、下手な拷問よりも肉体的に与えられる罰よりも、より苦痛な筈。

この罰を執行してしまえば、この先彼女はどこのサーバーに行ったとして、自分の存在を一切認識して貰えなくなるだろう。

例え、仲間のメールペットの目の前に邪魔する様に立ちはだかったとしても、仮想サーバーと言う別の空間に存在している彼女は、誰にもその存在を認識して貰えず、触れる事も話す事すら一切叶わない。

そんな扱いに、我慢出来なくなってその場で暴れたとしても、その被害すら全て彼女が居る仮想サーバー内の事で、デミウルゴスたちが居るメインサーバーには何も影響も与えないのだ。

 

自分が【存在しない者】として扱われる事に、いつまでアルベドの心は耐えられるだろうか?

 

あくまでも推測でしかないが、それ程長く彼女の心が正気を保っていられると、デミウルゴスは思っていない。

いずれ、正気を手放したアルベドは、荒れ果てた仮想サーバーを幽鬼の様にさ迷い歩くだけの存在に成り果てるだろう。

それこそが、ウルベルト様に対して害を成した彼女に相応しい罰だと、デミウルゴスは本気で考えている。

最初の設定を見る限り、シャルティアたちは、少し彼女を隔離して反省したら解除するつもりでいた様だが、ウルベルト様にあれだけの絶望を齎す状況を生み出しただろう彼女を、デミウルゴスは到底許すつもりにはなれなかった。

なので、今回の仕様に変更するついでに、簡単に解除出来ない仕様に変更してある。

 

デミウルゴスにとって、至上の主であるウルベルト様に無意識にでも危害を加えたアルベドを、どうして消滅や封印なんて、どこかへ逃げるのと変わらない様な生ぬるい罰などで許してやれるだろうか?

 

そんな事を考えつつ、ウルベルト様から承った作業を含め全てをやり終えたデミウルゴスは、アルベドを除く全てのメールペット達に、今回の詳細を纏めた内容とデミウルゴスが手を加えてバージョンアップした仮想サーバー構築データを、メールペット間で構築した連絡網(アルベドは入っていない)を使用し、送信する事にした。

仮想サーバーの改変中、るし☆ふぁー様からのメールを配達に来た恐怖公によって、サーバー内に彼の眷属と言う名のウィルスチェッカーが大量発生する事態も発生したが、デミウルゴスにとってそれは別にそれほど気にならなかったので割愛するとして、だ。

 

仲間たちからの返事を待つ事、三十分。

 

デミウルゴスの予想通り、流石に今回のアルベドの行動は許容範囲を超えていると、全員から彼女の隔離に関する賛成意見が集まってきた。

流石に、同じ様な行動をアルベドに自分たちのサーバーでされる状況になったら、自分達の大切な主に危害が加わる可能性が高い事から、誰も反対する意見が出てこなかったのである。

 

あの、セバスですらデミウルゴスの主張に対して一切の反対しなかったのだから、余程メールペット全員に危機感を与える案件だったのだろう。

 

〘 まぁ……今のセバスの元には、姉と慕うたっち様の実のご息女が一緒に下りていらっしゃっているからね。

そんな場所、でアルベドに今回の様な真似をされたりしたら、まだ幼い彼女にどんな害があるか判らないからこそ、余計に今回の行動に厳しい意見を出しているのかもしれない。

だが、そうセバスが判断を下したのも、当然と言えば当然の話だ。

主と共に護るべきものを抱えている状況で、他に気を回せるほど器用な男でもないからね、セバスは。 〙

 

彼のサーバーに居る、小さなレディの事を思い出しながら、仲間たちから寄せられた返答に目を通していたデミウルゴスは、ふとある人物からの返答で手を止めた。

賛成意見がほぼ集まった中、一つだけ気になった返答があったのだ。

それは、自分にとって親友とも言うべき存在の一人である、パンドラズ・アクターからのもの。

彼もまた、アルベドによる大きな被害を被っていた一人だが、そんな彼の意見は少しだけ他とは違っていた。

 

『 今回の事、ウルベルト様が受けた被害を考えれば、到底アルベドの所業は許されざるものでしょう。

彼女の所業に関して、罰を与える事に関しては賛成いたします。

ですが、普段は早朝にメールをアルベドに託す事が無いタブラ様が、どうして今回に限りウルベルト様宛のメールをアルベドに託したのか、その理由もまた気になります。

今宵は、モモンガ様を始めとした我らの主の会議が行われる日でもあります。

絶対に、今回の事も議題に上がるのは間違いないでしょう。

本来ならば不敬ではありますが……その場の様子を、デミウルゴスならこっそり覗き見る事が可能ではないのでしょうか?

もしそれが可能なら……いっそ、その場の話し合いをあなた自身が直接耳にする事によって、我らの主の意向を知るべきだと、私は申し上げさせていただきます。

ただ、怒りによる復讐心からアルベドに対して罰を与えるだけではなく、御方々のお気持ちを汲んだ上での対応を、私は望みます。 』

 

最初、パンドラズ・アクターからの返信を見た際は、〘 随分とお優しい事だ 〙と苦笑を浮かべたものの、言われてみれば確かに気にはなる。

この時点で、既に他のメールペットからは同意を受けられた事もあり、アルベドを仮想サーバーへと飛ばす合図そのものは送信済みだし、実際に仮想サーバーも無事に構築され彼女が隔離されているのも確認済みだ。

全員が同時に構築した事で、彼女の拠点であるタブラ様のサーバーすら完全に仮想空間に飲み込まれている為、この先タブラ様とすらアルベドは触れ合う事も話す事も出来ないだろう。

 

デミウルゴスの手で、そう言う形で仮想サーバーを構築する様に仕組んだのだから、まず間違いなく成功している筈だ。

 

現在進行形で、大切な主であるウルベルト様を奪われる可能性があるデミウルゴスからすれば、これは当然の報復である。

彼女自身、主すら奪われる苦痛を思い知ればいいと、本気でデミウルゴスは思っていた。

未だに、ウルベルト様の今後は確定していないのだから、デミウルゴスがそう考えるのは当然の事だ。

 

だが……確かに彼の主張している事もまた、間違いではないだろう。

 

ついつい、ウルベルト様に及んだ被害に関して目が奪われてばかりいたが、確かにあの時間帯にタブラ様がわざわざメールを送信して来た意図に関しては、メールそのものが復元出来なかった事で判っていない。

パンドラズ・アクターが言う様に、今夜は我らの主全員が集まる会議の日だ。

ウルベルト様は、自分が置かれている現状を鑑みた結果、他のギルメンにまで被害が及ぶ事を恐れ、その場でギルド脱退とユグドラシルの引退を表明するつもりでいるらしいが、デミウルゴスには到底受け入れられない話だった。

 

〘 多分……いや、間違いなく、ウルベルト様の身に起きた今回の一件が議題に上がれば、他の方々から何らかのリアクションがあるだろう。

最悪でも、御方々のうちのどなたかがカンパを提案して下さる可能性は高い。

そうなれば、御方々から集まった金額を【仲間を助ける為に】と言う名目で、ウルベルト様に渡される事になるでしょう。

それを、もしこの私が丸々預かれると言うのならば、絶対に株などあらゆる形の資産運用を行い、今後のウルベルト様の生活費を捻出して見せます!

後……普段はどちらかと言うと余り仲は宜しくない様子ではありますが、富裕層出身のたっち様なら……もしかしたら次の就職先の斡旋位ならしていただけるかもしれませんね。

どちらにせよ、これからウルベルト様が赴く会議の結果次第ではありますが…… 〙

 

今回の一件で、相当な精神的なダメージを負っているウルベルト様に付き従う様に、そっとデミウルゴスも意識だけをギルメン達が集まる会議場へと落とし込む。

既に集まっていたギルメン達に、自分の状況を打ち明けるウルベルト様の様子は、とても見ていられる様なものではなかった。

セキュリティ面で、ヘロヘロ様の言葉から変な方向に問題になり掛けたが、るし☆ふぁー様と恐怖公の持つスキルをウルベルト様が受けたと言う話が公になり、そのお陰で場の雰囲気が変わったので、この状況では感謝する以外に他にない。

そして、デミウルゴスがわざわざこんな真似をして知りたかった、タブラ様のメールの意図が判明した。

 

あれは、ウルベルト様の事を罠に嵌めようとする者が居るという、警告メールだったのだ。

 

もし、タブラ様のメールが後少しだけ遅く届いていれば、デミウルゴスの帰還する時間と重なり、アルベドの問題行動は発生しなかっただろう。

そうなれば、少なくてもウルベルト様のサーバー内にウィルスが侵入してデータを奪われる事は起きなかった。

ただ、るし☆ふぁー様やぷにっと萌え様の推測通りだった場合、ウルベルト様の作ったデータをどんな形にしても不正にコピーしていただろうが。

 

状況的に考えて、今回の一件でウルベルト様には逃げ場が無かった可能性が高い事も、デミウルゴスには理解出来た。

 

だが……それでも、アルベドの問題行動が無ければ、デミウルゴスは彼女の事を恨まずに済んだ筈だ。

そんな風に考えながら、静かに会議を見ていたデミウルゴスだったが、アルベドの主であるタブラ様の取った行動に、思わず目を見開く事になる。

タブラ様は、そのご自分の出したメールを運んだアルベドの犯した可能性がある行動を察し、その非をすぐさま認めて下さったのだ。

それだけではない。

アルベドの罪を詫びる為に、ギルメン達が見ている前でウルベルト様に対して土下座して謝罪するだけではなく、ウルベルト様の当面の生活費を全て自分が払うとの申し出までして下さったのである。

生活費に関しては、建御雷様から「流石に、そこまでしたらウルベルトさんが恐縮する」とのお言葉があり、仕方がなく諦められたものの、もし建御雷様から注意される事がなければ、タブラ様は本気でそれを決行されるつもりだったのだろう。

 

そう……少なくても、その覚悟をタブラ様の声の中に感じ取る事が出来た。

 

アルベドのした事の責任を、タブラ様が彼女の主であり親である立場で取る覚悟を明確に示して下さったのを見て、デミウルゴスは腹を決める。

今の時点では、彼女がした事を許す気になど、とてもなれない。

それだけの事を、彼女は実際にしたのだ。

 

だが……ここまで彼女の為に詫びを入れるタブラ様の姿を見たら、たった一つだけチャンスを与えても良いかもしれない。

 

ただし、それに関してのヒントは与えるつもりは、デミウルゴスにはなかった。

全て、彼女が自分で何が悪かったのか気付けるか、ただそれだけが彼女が許される可能性の鍵になる。

それらの事を全て、ウルベルト様を含めたメールペットの主に伝えるべく、デミウルゴスは一通のメールを主たちとメールペット全員の元へと送ったのだった。

 




という訳で、アルベドに対するデミウルゴスの怒りはこんな感じです。
そして、今までオープンになっていなかった、彼女に対する報復の詳細になります。

感想欄で、色々とどんな感じの罰になるのか予想されていたりしましたが、実はウルベルトさんの話を書いた時点で、既にアルベドが大きな騒動を起こしたらこの罰を課すことが決まっていました。
実際、この話の前に投稿した【シャルティアの努力の結晶】は、ウルベルトさんの話をpixiv版で投稿した時点でほぼ七割まで書き上がっていましたからね。
と言うか、加筆して一話分にする前の【シャルティアの努力の結晶】に関しては、ウルベルトさんの話の中に盛り込まれる予定だったのを、流石にあの時点で出すのは拙いネタだと思い直して丸々カットした部分だったりします。

かなり精神的に厳しい罰になった様な気もしますが、彼女のせいで主であるウルベルトさんを失いそうになったデミウルゴスの怒りを考えれば、妥当なような気もします。

今回の話で、漸くこの【アルベド騒動】は折り返し部分に入りました。
予定では、残り後三話で決着をつけるつもりですが、長さによっては分割して話数が増える可能性もあります。
もう暫くお付き合いくださると嬉しいです。


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メールペットとお正月 ~年末最後のギルド会議~

大変遅くなったネタなんですが、メールペットたちが来て初めて迎える新年の話。


大晦日が間近のある日、ギルド長たるモモンガはギルメンたちに対して、いつもの定例会議に集まった所で一つの質問を口にした。

 

「皆さん、そろそろお正月ですけど…自分のメールペットたちへのお年玉に何を渡すのかとか、新年の挨拶を持って来たメールペットたちに対してお年玉を渡すかどうかとか、ちゃんと考えていらっしゃいますか?」

 

モモンガからの問い掛けに、思っても居なかった事を聞いたと言わんばかりに、それぞれ顔を見合わせるギルメンたち。

どうやら、殆どのメンバーは新年を迎えるにあたって、【ユグドラシルの新年イベントをどうするか】と言う計画は立てていても、その辺りまで考えていなかったらしい。

ウルベルトさんは、既にデミウルゴスにどんなお年玉を渡すかなど色々と考えていたらしく、そんな反応をしているギルメンに対してどこか呆れた視線を向けている。

彼以外だと、【リアル】に子供が居るたっちさんや、そう言うイベント絡みでは割と抜かりが無いらしいるし☆ふぁーさんもちゃんと考えていたらしく、逆に他のギルメンたちが何も考えていない事に驚いていた様だった。

モモンガの質問に、ギルメンたちもそれぞれこの【お年玉】と言う問題をどうするか考え始めたらしく、ざわざわとざわめいている。

そこで、ふと気付いた様にペロ口ンチーノさんが手を揚げた。

 

「あのさ……お年玉は、自分のメールペットだけが対象だって事でいいのかな?

それとも、モモンガさんが言った通り新年の挨拶メールを持って来る子は、全員お年玉を渡す対象だと考えた方が良いのかな?」

 

その質問に、ギルメン全員がハッとなった。

確かに、彼らに対してお年玉を渡すなら、全員分を用意するかそれとも自分のメールペットだけにするのか、ちゃんと決めておかないと不公平になるだろう。

そういう部分で、彼らに対して不満を抱かせたら良くない事は、以前の起きたアルベドの件で身に染みている。

 

「そうですね……元旦から三日までにメール持参したメールペットだけに渡す事にしておけば、多分問題はないと思います。

多分、全員の元へとメールを出すのを義務にするよりも、それぞれ新年の挨拶に訪れた者へのご褒美的な扱いの方が、彼らも納得するでしょうからね。

お年玉の内容は、自分達のメールペットに関しては豪華な物でも問題ないでしょう。

その代わり、挨拶に来たメールペットたちへのお年玉は、普段よりもちょっと良いお菓子とかで構わないと思いますよ。

予想が正しければ、我々からお年玉貰えるだけで彼らは喜ぶでしょうし。

但し、他のメールペットたちに渡す品は公平に同じ様な物を用意して下さいね。

彼らだって、自分の主から貰うお年玉は自分だけの特別な品の方が嬉しいでしょうし、逆に他の主方から貰う分に関しては、いつもよりランクが上のお菓子などの様な、ちょっとした品でもそれ程文句はないと思います。

なにせ、こちらが彼らの為に用意するお年玉は、自分のメールペットとは別で最大で四十人分になる想定ですから、自分なりに想定した予算内で収まる程度で大丈夫でしょう。

元々、彼らはメールを届けに行った先で何かを受け取る度に、〖我々から与えられたもの〗だと言う時点で喜んでいますから、あまり豪華すぎる物を渡すとかえって恐縮されてしまいそうですし。」

 

ヘロヘロさんが、サクサクとペロロンチーノさんからの質問に対して答えれば、その横からぶくぶく茶釜さんが軽く手を挙げた。

どうやら、彼女的にはこのヘロヘロさんの提案の内容に、どこか不満があるらしい。

まずは、どんな不満なのかそれを聞くべくモモンガが彼女を指名すれば、ある意味では誰もが考えていそうな疑問を口にしてくれた。

 

「ヘロヘロさんが言う様に、自分の所以外のメールペットたちの間で大きな差が出ない様に〖出来るだけ公平に〗って言うのは解るんだけどさ……

だけど……私的には、弟のメールペットのシャルティアは姪っ子みたいなもんだし、やまちゃん所のユリとか餡ちゃんの所のエクレアには、仲の良いお友達の所の子として他の子よりもちょっとだけお年玉を奮発したいんだよね。

でも、そうすると他の子と比べて公平さを欠くから、やっぱりしちゃ駄目かな?」

 

彼女の言葉に、同じ事を考えていたらしいギルメンの大半が、「やったら駄目だろうか?」と言わんばかりに不安そうな顔をする。

どうしても、自分のメールペットと仲が良い相手に対しては、それ相応にお年玉を多く渡したくなるのは当然の話だった。

モモンガ自身、自分の親友たちのメールペットであり、パンドラズ・アクターと特に仲良くしてくれているデミウルゴスやシャルティアに対しては、ちょっとだけ良い物を贈りたいと思う気持ちがあるから、彼らの気持ちは良く判る。

そんな彼らに対して、別の形で提案する声を上げたのはたっちさんだった。

 

「そうですね……では、こうしたらどうでしょうか?

全員に渡すお年玉として、彼らが好むお菓子などの嗜好品を用意するのは、ほぼ確定で良いと思います。

但し、ヘロヘロさんが先程言った様に、ある程度彼らの好みに合わせて用意する品を変える位は、各自の判断で問題ないでしょう。

基本的には、そういう形で同価値の品をお年玉で与える事にしておいて、私たちギルメン同士もしくはメールペット側で仲が良い相手には、それに加えて更に何かちょっとした物を追加で渡す事にすれば、皆さんも納得がいくんじゃありませんか?

その代わり、メールペットがもし仲間内でお年玉として渡す物を自慢するなら、自分の主からの物だけと言う条件をつける必要はあるでしょう。

不用意に、自分の主以外から追加で何か貰った物が居る事を彼らが知ってしまうと、それこそ不公平と言う話になってきますからね。

もし、どうしても何か特別だとはっきりわかる様な高価な品物を贈りたいのなら、別の機会にするべきです。

あまりに渡す品に差を付けると、これもまた不公平になりますから。」

 

たっちさんの提案を聞いて、茶釜さんを筆頭にギルメンたちは自分なりに考えて納得したらしい。

確かに、ちょっとした品なら追加しても構わないだろうが、自分のメールペット以外に特別な品を贈りたいと思っているなら、状況を考えて改めて贈る方が気兼ねなく渡せるだろう。

モモンガ自身、パンドラズ・アクターたち三人にちょっとしたお揃いの品を贈りたいと思った位なので、そこまで高価な特別な物でなくても構わないのだ。

 

「どうやら、皆さんもたっちさんの提案で納得したみたいですので、お年玉はそれぞれ一応全員に行き渡る様に用意して下さいね。

もしくは、足りなくてもすぐに代用品が用意出来る範疇で留めておいて下さい。

当日になって足りなくなった時、慌てるのは自分自身ですからね。

何度も出てますけど、自分のメールペットに対してのお年玉は、それ相応の贅沢品でも構いませんよ。

重要なのは、自分のメールペット以外に渡すお年玉の内容が、あまり大きな落差が付かない程度にすると言う点ですからね。」

 

たっちさんとヘロヘロさんの言葉を纏め、モモンガがギルド長としてそう告げると、全員が了承したのだった。

 




新年の話なので、ほのぼのとしたものを。
まずは、年末にギルドメンバーにお年玉の事を提案してみました。


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メールペットとお正月 ~モモンガとパンドラズ・アクターの場合~

お正月の話の二話目は、お年玉を用意するモモンガさんと、それを受け取るまでのパンドラの話。


【 お年玉の準備をするモモンガさんの話 】

 

みんなとの取り決めにより、お菓子などを中心にメールペットたち全員分のお年玉を用意したモモンガは、最後に今までの用意せずに残してあったパンドラズ・アクターの分を用意する事にした。

みんなに渡す分は、いつもよりも良い高級なお菓子やメープルシロップなどと言った嗜好品だったりする。

もちろん、甘いものが苦手なメールペットの事も考えて、お酒などのミニボトルなどと言った同価値のものを用意してもあるのだが。

 

モモンガは、最後に残った自分のメールペットのパンドラズ・アクターには、お年玉としてスーツを用意しようと考えていた。

 

普段の軍服も、散々選んだだけあって十分良く似合っているが、たまにはデミウルゴスの様なスーツ姿も見たいと思い付いたからこそ、彼へのお年玉として選んだのだ。

それに、先程連絡をくれたペロロンチーノさんからのお年玉が、シャルティアのリボンと揃いのデザインのネクタイだと言う話だし、二日前に連絡をくれたウルベルトさんからは、揃いのネクタイピンを用意したのだと聞いていた事もあって、それに合わせてスーツを選んだと言う理由もあるのだが。

モモンガが三人の為に用意したのは、ペロロンチーノさんとウルベルトさん、そして自分の紋章を入れた三人揃いのデザインの万年筆なので、全部揃えると一人の紳士が出来上がる仕様になっていた。

それに、だ。

どうせなら、新年の晴れ着として格好いい装いを贈りたいと思うのも、親心なのである。

 

「…なんだかんだ言っても、パンドラはやっぱり可愛い一人息子だし。

出来るだけ、初めて迎える新年に相応しいだろう、格好良い姿にしてやりたいもんなぁ。」

 

そんな事を呟きながら、モモンガは自分が見て格好良いと思うスーツのカタログを開く。

普段、パンドラズ・アクターには軍服を着せているだけに、ある程度きっちりとしたデザインのオーダーデザインのスーツなら、着せても十分似合うだろう。

ただ、素の体格のパンドラズ・アクターだと、デミウルゴスやセバスと比べると微妙に細身の可能性もあるので、デザイン次第ではダブついてダサくなってしまうのが要注意だ。

 

どうしても、身体のラインが判り易いスーツを選ぶ以上、その辺りもきちんと頭に入れた上で似合うものを選ぶ必要がある。

 

用意したカタログを見比べつつ、サンプリングデータから抽出して用意したパンドラズ・アクターのマネキンに衣装を着せては、ああでもないこうでもないと口に出しながら幾つも見比べて、良い感じのデザインをチョイスしていく。

普段、着せているのが黄色の派手な色だから、新年を迎えるなら落ち着いた黒かダークグレー辺りを選ぶべきか、それとも一層華やかな白を選ぶべきか。

色々と見比べつつ、気付けばこういう時間もまた楽しくて仕方がないモモンガだった。

 

******

 

そして、迎えた新年。

新年のカウントダウンを、ギルメン全員でナザリック集まって迎えた事もあり、【メールペットたちへのお年玉は、一度寝てから】と言う事で意見が纏まっていたので、モモンガもそれに合わせて一休みした後にパンドラズ・アクターにお年玉を渡すつもりだ。

色々と考えた結果、モモンガがパンドラズ・アクターへのお年玉として選んだスーツは黒。

ペロロンチーノさんから、シャルティアの髪を結うリボンとお揃いのネクタイが用意されている事を考えるなら、多分赤系統になると踏まえた選択だ。

ウルベルトさんの用意するネクタイピンは、何となくシルバーデザインになる気がしたので、それも合わせた結果でもあった。

 

〘 ……喜んでくれると良いんだけどな、このお年玉を。 〙

 

そんな事を考えながら、モモンガはユグドラシルからログアウトして、一休みするべく寝室へと向かった。

もちろん、起きたらすぐにメールサーバーを立ち上げてパンドラズ・アクターにお年玉を渡せる様に、小型端末をベッドの側へ持って行くのも忘れない。

手にしている端末の中では、多分パンドラズ・アクターが待ち構えている様な気もするが、お年玉を渡すタイミングは起きた後と決まっているので、今ここで端末を立ち上げて挨拶をするよりも後にした方が、多分自分も忘れる事なくお年玉を渡せるだろう。

 

眠る前の最終チェックとして、メールサーバーを起動させる事なく用意したお年玉の内容と宛名を確認したモモンガは、漸く眠りについたのだった。

 

******

【 お年玉を受け取るまでのパンドラの話 】

 

パンドラズ・アクターは、初めて迎える新年にどこかウキウキした気持ちになっていた。

年の暮れにあった、【クリスマス】と言うイベントもちょっとしたパーティ仕様になっていて楽しいものだったが、モモンガ様たち主の方々の大半がどこか微妙な反応だった気がしたので、どうしても【自分達だけがこんなに楽しんでも良いのか】と気が咎めたのだ。

それに比べて、今回迎える新年はモモンガ様も本当に色々と楽しそうに準備していて、とても心が躍る。

なので、パンドラズ・アクターなりにモモンガ様の手伝いをするべく、新年の準備として普段はあまり掃除しない場所の掃除をしたり、用意されていたアイテムを使って部屋の模様替えをしてみたりと、沢山する事があった。

 

モモンガ様も、そんなパンドラズ・アクターの為に次々と必要な品を用意してくれるので、本当に頑張ったのだ。

 

その甲斐があって、モモンガ様から「これなら新年を無事に迎えられるな」と言う、太鼓判をいただいている。

自分の手で、きちんと準備が出来ていると言う事もあり、新年を迎えるのがとても楽しみで仕方がない。

今、モモンガ様は、他の主の方々とナザリックでの「カウントダウン」をする為に出向いていらっしゃるので、自宅には不在だった。

パンドラズ・アクターがモモンガ様と新年の挨拶をするのは、ナザリックから戻られた後に一休みされてからの予定になっているので、まだ時間がたっぷりとある。

 

「……どうしたものでしょうね。

とてもワクワクした気持ちがして、どうも落ち着きません。

モモンガ様以外の主の方々も、今までずっと〖年末は多忙しだ〗とおっしゃって、とても慌ただしくしていらっしゃいましたし。

その分、大晦日の前日である昨日から、新年を迎えてから三日目までの五日間は、ずっと連休になるのが新年の風習なのだとか。

へ口へ口様は、〖情況によっては呼び出されるかも〗と、戦々恐々のご様子だとソリュシャンから聞いていますが……こればかりはそうならない様に、祈る事しか私には出来ませんからね。

それにしても……モモンガ様がおっしゃられた、〖新年の朝は、まず私からの挨拶があるから、待っている様に〗と言うお言葉には、何か意味が隠されている様に思われました。

一体、何があるのでしょうかね?」

 

まだまだ知識が足りないと、何が待っているのか判らないパンドラズ・アクターは首を傾げた。

そのまま、年が明けてモモンガが帰宅し一休みをする間も、ずっと何が待っているのかワクワクした気持ちがして、パンドラズ・アクターはどうにも気が落ち着かない。

どう考えても、何か良い事が待っている様な気がして仕方がなかったからだ。

自分の主であるモモンガを筆頭に、自分達メールペットの主であるギルメンたちが何か新年に因んだ事を画策していると言う事は、実は掌握済みだった。

 

ただ、その目的と内容に関してはまだ分かっていないのだが。

 

それでも、モモンガ様達が悪意を持って自分達に何かをすると言う事は、とても考えられない。

多分……これは、新年を迎えるにあたって必要な行事の一つなのだろう。

状況的に考えても、初めて新しい年を迎える自分達に対して、色々と丁寧に必要な事を教えて下さるのだから、それに関しては疑っていなかった。

 

〘 何より……この準備を始めた頃から、どこかモモンガ様も楽しそうですから、ね……〙

 

出来るだけ、こちらに何をしているのか内容を知られない様に気を使いながら、こっそりと何かを準備しているモモンガ様の様子は、見ていてとても楽しそうなのだ。

ウルベルト様やペロロンチーノ様など、特に親しいギルメンたちと頻繁に連絡を取り、色々と打ち合わせをしている事も知っていたので、パンドラズ・アクターにはその楽しみを邪魔する気にはとてもなれなかったのである。

既に年を越しているし、今はお休みになられているモモンガ様が起きられて新年の挨拶を済ませれば、多分その内容は教えて貰える筈だ。

そう考えつつ、パンドラズ・アクターは一旦自分もモモンガが起きるまでの短い間、暫しの眠りに付く事にした。

 

新年を迎えるめでたい時に、モモンガ様の前に寝不足の為にヨレヨレな格好悪い姿など、とても晒せないのだから。

 

そうして、何事もなく迎えた新年の挨拶なのだが。

挨拶が終わるなり、モモンガから【大切な息子へのお年玉】として新年の挨拶回り用のスーツ一式を手渡され。

更に、シャルティアとデミウルゴスの三人お揃いだと言う万年筆を渡された事で、あまりの嬉しさに思わず嬉し泣きしてしまうパンドラズ・アクターだった。

 




最初のお年玉は、やはりモモンガさんとパンドラで。
こんな風に、ギルメン側はお年玉の準備を楽しんでいると思います。
逆にもらう側のメールペットたちは、何かあると思いつつワクワク期待に揺れているのかと。


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メールペットとお正月 ~ウルベルトとデミウルゴスの場合~

お正月小説第三弾。
ウルベルトさんとデミウルゴスの話。


【 お年玉を用意するウルベルトさんの話 】

 

年の瀬も差し迫った頃、ウルベルトはデミウルゴスに渡す為に用意したお年玉を前に、本当にこれで良いのか少しだけ迷っていた。

彼が、早い段階で用意していたお年玉とは、デミウルゴスが以前から欲しがっていた品だ。

色々と考えた結果、お年玉として渡すのが一番いいだろうと考えて用意はしたものの、本当にこれで良いのかと問われたら少し迷う。

 

「……まぁ、これに関しては今日のギルド会議の話し合いの結果次第で、もう一度考えればいいか。

モモンガさんから、〖今日の議題に上げたい〗と連絡来てたし、それなりにどういう基準にするかとかも含めて、色々と話が出るだろうし。」

 

そんな事を考えながら、今年最後のギルド会議に出たウルベルトは、思った以上の数のギルメンたちがメールペットに与える【お年玉】の事を全く考えていなかった事を知って、かなり驚く羽目になった。

今のご時世では、確かに廃れかけている風習ではあるものの、全くなくなった訳でもないからちょっとした物を渡す位の事は考えていると思っていただけに、正直言ってこの状況は予想外だと言っていいだろう。

会議の話の流れによっては、自分が用意したデミウルゴスへのお年玉は問題がある事になってしまうかもしれないと思うと、正直気が気ではなかったのだが……ヘロヘロさん達の提案が採用された事によって、自分のメールペットに対して贈る分に関しては、特にお年玉の内容と金額に関して制限はなくなった。

 

これで、自分が用意したものは無駄にならないで済むと、ウルベルトはちょっとだけホッと胸を撫で下ろす。

 

〘 まぁ……流石に、これを自分のメールペットへのお年玉に用意するのは、多分俺位なんだろうが……それでも、デミウルゴスが以前からずっと欲しがっていたのは知っているからな。

多分、これが一番正しい渡し方なんだろうと思うし……〙

 

ただ、自分のメールペット以外に対しては、余り高額な物が禁止になったのがちょっとだけ悩み処ではある。

お互いに仲が良い相手に関しては、みんなへ渡すお年玉以外に追加で何か贈れる事になっていなければ、茶釜さんではないがちょっと文句を言っていたかもしれない。

普段から、モモンガさんの所のパンドラズ・アクターやペロロンチーノさんの所のシャルティアとは、デミウルゴスが色々と仲良くして貰っているし、自分自身もモモンガさんやペロロンチーノさんと仲良くしている間柄なので、出来れば一つお揃いの物を用意してたいと思っていたからだ。

それに、自分がハッカーに襲撃された一件では、るし☆ふぁーさんと恐怖公にも色々と世話になっているので、そのお礼も兼ねてお年玉の内容はそれ相応な品物を奮発して用意しておくべきだろう。

 

二度目の襲撃を受けた後の会議の終わりに、るし☆ふぁーさん自身には声を掛けてお礼を言ったし、後日お礼の品を渡してはあるが、こう言うのは自分の気持ちって奴だからな。

 

他に挙げるなら、ヘロヘロさんにはメールペットのデミウルゴスを作ってくれたお礼として、ソリュシャンにも多めのお年玉は渡したいと思う。

彼女自身は、ほぼ同時期に作られた試作機と言う意味でデミウルゴスの妹的立場に当たるから、付き合いも他のメールペットより長い訳だし。

多分、茶釜さんもペロロンチーノさんの所のシャルティアに対して、こういう感覚を抱いたから、あの場で手を挙げてあんな風に主張したんだろうな。

そうそう、デミウルゴスと個人的に仲が良い建御雷さんの所のコキュートスにだって、ちょっとは良い物を渡したいと思う。

やはり、親として子供同士で仲が良い相手の事を、気に掛けるのは当然だと思うし。

恐怖公と同じく、ハッカーの襲撃の際に助けられたと言う点では、タブラさんの所のアルベドにもお礼の意味でお年玉に色を付けたいと思う。

彼女があそこで頑張ってくれなければ、もっと大変な状況になっていたかもしれないのだから、それ位のお礼をするのは当然だった。

 

そして……この生活を維持出来ている最大の感謝の意味を込めて、たっちさんの所のセバスには、それこそ彼のイメージに合わせたスーツ一式を贈りたい所である。

 

「まぁ……流石に、そこまでは無理だろうから、無難な所でネクタイと手袋といった所か。

あー……まだ小さいといっても、みぃちゃんには幾らお年玉を包むべきなんだろうか……?

と言うか、家庭教師先の子供にお年玉って渡すもんなのか?」

 

メールペットの事ばかり考えていて、今現在の【リアル】の事が抜けていた事を思い出したウルベルトは、思わず頭を抱えていた。

ウルベルトとしては、彼女には随分と懐かれている自覚もあるからお年玉を渡したいと思わなくもないが、立場的には渡しても失礼に当たらないのか微妙な所ではある。

そもそも、富裕層の令嬢相手にどう対応して良いのか微妙に悩む所だ。

 

パンドラズ・アクターやシャルティアたち、メールペットへのお年玉の内容はほぼ迷わず用意出来たにも拘らず、思わぬ所で悩みを抱える事になった、ウルベルトだった。

 

*******

 

【 年越しからお年玉を貰った直後までのデミウルゴスの話 】

 

デミウルゴスは、年越しの為のカウントダウンから戻って来たウルベルト様が就寝したのを見届けた後、新年の挨拶をするまでの間の休息として軽く仮眠を取ると、彼よりも少しだけ早く起きて身支度を整えていた。

普段から、ウルベルト様よりも朝早くに起きて彼を起こす大役を受け持つデミウルゴスだが、今日は特に気合が入っていると言っていいだろう。

 

ウルベルト様から、「仮眠を取ったら新年の挨拶をするから、楽しみにしている様に」と、戻られてから眠るまでの間に言われているからだ。

 

わざわざそんな風に、普段とは違うと言う事を念押しする様にウルベルト様が口にしたと言う事は、この新年の挨拶は特別なものなのだろう。

だからこそ、デミウルゴスは特にウルベルト様の行動の僅か違いも見逃さない様に、気合を入れていたのだ。

多分……その気になれば、ネットの海には沢山の情報があるから幾らでも調べる事は出来るのだが、折角ウルベルト様が教えて下さると言うのだから、それを自分で調べる気にはとてもなれなかった。

 

デミウルゴスにとって、主であるウルベルト様の言葉は絶対なのだから。

 

仮眠から起き、誰の目から見てもきっちりと身支度が出来た所で、ウルベルト様の元へと赴く。

もちろん、初めの頃にウルベルト様と約束した通り、こうして朝の起床を促す役目はデミウルゴスの一つの楽しみだからだ。

いつもの様に、電脳空間からウルベルト様がいつも肌身離さず持ち歩いている端末へと素早く移動すると、そっと起床を促す様に優しく声を掛ける。

そうすると、目を覚ますと同時にウルベルト様が喜んで下さる事を、デミウルゴスはこの数か月できっちりと学んでいた。

 

「ウルベルト様、そろそろお時間ですのでお起き下さいませ。」

 

静かに声を掛ければ、ウルベルト様はその声に反応して意識を覚醒させて、ゆっくりと目を開いていく。

目覚められたウルベルト様は、口元に笑みを浮かべているので気分が良い事はすぐに判った。

どうやら、今日も無事にお起しする役目を果たせたらしい。

ホッとしつつ、デミウルゴスはいつもの様にウルベルト様に声を掛ける事にした。

 

「おはようございます、ウルベルト様。

新年、あけましておめでとうございます。」

 

にこやかな笑みを浮べて言えば、ウルベルト様はまたにっこりと柔らかい笑みを浮かべて、デミウルゴスに笑い返してくれた。

そして、朝の挨拶と共に教えられていた新年の挨拶を口にしたデミウルゴスに対して、同じ様に新年の挨拶を口にしてくれる。

 

「おはよう、デミウルゴス。

そして、新年あけましておめでとう。

急いで着替えるから、悪いがちょっとだけ待ってくれるか?」

 

ウルベルト様の言葉に、デミウルゴスが素直に頷いて同意すれば、着替える為に手にしていた一旦端末をベッドのサイドテーブルの上に置く。

そして、サクサクと着ていた寝間着を脱いで、サイドテーブルの側に用意してあった衣装へと着替え始めた。

こうして、端末の中からその様子を見ていると、自分にも【リアル】で動ける実体があればいいのにと、つい思ってしまうのだ。

そうすれば、ウルベルト様の着替えを手伝ったり、毎日身に着ける衣装を選んで用意したり、身の回りの世話をすべてこなせるだろう。

 

とは言え、そこまで無い物ねだりをするつもりなど、デミウルゴスには欠片もないのだが。

 

デミウルゴスが色々と考えているうちに、着替えを終えたウルベルト様が電脳空間へ降りていらっしゃっていた。

こうして、ウルベルト様が降りていらっしゃった事に気付くのが遅れると言う失態に、デミウルゴスが少し焦りながら急いで出迎えると、片手を挙げて構わないと笑って下さる。

やはり、こういう部分は本当にお優しい方だと、デミウルゴスは同じ失態をしない様に心に誓いつつ、スッと頭を下げた。

そんなデミウルゴスに、ちょっとだけ苦笑しながらウルベルト様は軽く手招きする。

ご希望に沿う様に歩き寄れば、にっこりと笑いながらウルベルト様はアイテムボックスから何かを一つ取り出した。

 

「さて……色々と待たせたみたいだな、デミウルゴス。

これを、お前に渡しておこうと思ってな。」

 

その言葉と共に、デミウルゴスの前に差し出されたのは、お年玉と書かれた白いのし袋だった。

手に取るのを躊躇うデミウルゴスだったが、もう一度受け取る様にとウルベルト様から視線で促され、一先ずそれを受け取る事にする。

ただ、どういう意図で用意された者なのかが判らず、渡されたものを前に困惑するデミウルゴスに対して笑い掛けながら、ウルベルト様は理由も込みで説明を始めた。

 

「それは、俺からお前へのお年玉だ。

お年玉がどういうものなのか、デミウルゴスは知っているか?」

 

どこか、様子を窺う様に問い掛けられ、デミウルゴスは自分の中にある様々な情報からそれを探り当てる。

自分の情報が間違っていなければ、お年玉とは【新年を祝う為に送られるものであり、主に目上の者から目下の者へ贈られる】物の筈。

そう考えれば、確かに自分がウルベルト様から頂くのは間違いではないだろう。

 

だが、こういうものが贈られるのは一般的にアウラたちの様な、年少のものなのではないだろうか?

 

「……お前は、俺にとって大切な一人息子みたいなものだし、色々と考えたんだがそれが一番だろうと言う結果になったんだよ。

まぁ……中身を開けて見れば、俺がお前に渡すものとしてそれを選んだ理由もすぐに判るさ。」

 

多分、疑問に思った事が顔に出ていたのだろう。

「まずは開けてみろ」と促され、デミウルゴスがそののし袋の封を開けてみれば、中から出て来たのは一冊の通帳だった。

名義こそ、デミウルゴスのものではなくウルベルト様の本名になっているものの、これは間違いなくデミウルゴスが自由に使っていい口座と言う事なのだろう。

確認する様に視線を向ければ、クスクスと笑いながら頷くウルベルト様がそこに居た。

 

「……前々から、自分で使える口座を欲しがっていただろう?

中に、少しだけお年玉として自由に使えるお金も入れてあるから、全部デミウルゴスの好きにして構わないから。

そうそう、こっちも渡しておかないといけないな。 」

 

そう言いながら、ウルベルト様が何処からともなく取り出したのは、手のひらに乗る様な一つの小さなプレゼントボックスだった。

スッと、先程と同じように目の前に差し出されたそれを取れば、また開ける様にと促される。

一つだけでも、デミウルゴスにとってとても嬉しいプレゼントだったのに、もう一つ渡されたそれにちょっとだけ戸惑いつつ包みを開けてみた。

すると、小さな箱の中にベルベッドに鎮座する様に収められていたのは、ウルベルト様とモモンガ様、ペロロンチーノ様の紋章が並んだネクタイピンだった。

 

「これは……」

 

ウルベルト様の紋章は、主としてデミウルゴスが身に付ける物に入るのは、まだ判る。

だが、そこにモモンガ様とペロロンチーノ様の紋章が入るとなると、どうしてもそれにどういう意味があるのかを考えてしまい、受け取っても良いのか困惑してしまうのだ。

そんなデミウルゴスに、ウルベルト様はそっと手を伸ばして軽く頭を撫でると、小さく笑ってこの意匠の理由を教えてくれた。

 

「そんなに、深く考える必要はないんだがなぁ…

簡単に言えば、それは無課金同盟三人組を意味するんだよ。

お前達も、俺達の様にとても仲が良いから、三人のお揃いの品として作ったんだ。

紋章を使う事は、ちゃんとモモンガさん達に了承を取ってあるから、心配はしなくても大丈分だから。

多分、モモンガさんやペロロンチーノさんも、三人お揃いの品を用意してると思うぞ、デミウルゴス?」

 

クスクスと楽し気に笑みを零しながら、そう教えられてデミウルゴスは思わず自分の分のネクタイピンの入った箱を、嬉しそうに目を細めつつキュッと握り締めていた。

まさか、自分達の仲の良さを見ていたウルベルト様たちが、こんな風に思い出に残る品を【お年玉】として用意してくれているなんて、考えても居なかったからだ。

更に、今のウルベルト様の言葉を正しく理解するなら、他の方々の所を訪れたら他にもお揃いの品をいただけるかもしれないらしい。

 

こんな、過分なものをモモンガ様やペロロンチーノ様からも渡されてしまったら、それこそ本気で舞い上がってしまいそうな気分になるんじゃないだろうか?

 

つい、嬉しげに口元へ笑みを浮かべるデミウルゴスに、更なる爆弾発言が齎された。

 

「あー……俺やモモンガさん、ペロロンチーノさんだけじゃなく、お年玉はこの三日間メールを届けに行った場所では、漏れなく貰える事になっているからな。

まぁ、俺達の様に特別なお揃いの品とかじゃなくて、ちょっとした品だとは思うけど……とにかく、新年を迎えたお祝いの品だから、遠慮なく貰っておけ。

今回ばかりは、俺達からお前たち全員に渡す様に用意している品だから、逆に受け取らない方が失礼に当たるからな?」

 

念を押す様に、ウルベルト様からはっきりと言われた言葉に、慌ててデミウルゴスは頷いた。

どうやら、これは辞退する訳にはいかないらしい。

身の回りの品々は、ウルベルト様が過分なく揃えて下さっているし、菓子の類なら自分が受け取るよりも他の者が受け取った方が喜ぶだろうと思ったからこそ、デミウルゴスは断ろうかと思ったのだ。

だが、新年を迎える為の祝いの品として全員分用意されているのだと言われてしまえば、確かに断る方が失礼に当たるだろう。

言われれば納得出来る理由に、素直に頷いた判断は間違いではなかったと安堵しつつ、そっとウルベルト様から頂いた真新しい通帳を軽く撫でた。

 

これで、多少なりとも自分で運用する事が出来る口座と所持金を、デミウルゴスは持つ事が出来た事になる。

口座を作る為の諸事情から、名義はどうしてもウルベルト様の【リアル】の名前になっている点を踏まえて、運用方法を間違えて無様に損失を出す事は絶対に出来ないし、そんなミスを犯すつもりはデミウルゴスには欠片もなかった。

むしろ、ここまでウルベルト様にお膳立てして貰ったのだから、後はどれだけ自分が上手くこの元手を増やす事が出来るか、自分の力量次第だ。

ウルベルト様のお名前を借りた口座を使い、入金されていた金額からきっちりと確実に運用して元手を増やせば、ウルベルト様のいざと言う時の備えにも出来る。

 

もちろん、これはデミウルゴスだけの独断で行う事ではあるが、既にウルベルト様自身から「自由にしていい」と言う言質は頂いてあるから、それ程問題ではない筈だ。

 

それにしても……と、大きな変化があった昨年の事を思い返し、デミウルゴスは小さく首を振った。

正直言って、ウルベルト様の前職は余り良いものではなかったと、デミウルゴスも思っていたしいずれ転職していただくつもりだったので、この状況は悪くないのだろう。

今の、たっち様のお嬢様であるみぃ様の家庭教師役は、ウルベルト様にとってはこれ以上無い適任だったのだ。

ウルベルト様の的確な指導の下、彼女の学習能力や生活態度なども含めた全方面において、良家の令嬢として相応しい成長が見られるらしく、このまま家庭教師役はウルベルト様の知識が及ぶ限り続く事になっている。

たっち様の性格から考えても、これだけの結果を残しているウルベルト様の事を、みぃ様の家庭教師役を終えた後もいきなり放り出したりせず、それ相応の仕事を紹介してくれるとは思うが、この手の備えは幾ら有っても困らないだろう。

 

そういう意味でも、このお年玉は本当にデミウルゴスにとって嬉しいものだった。

 

だからと言って、もう一つのお年玉が嬉しくない訳じゃない。

以前、三人だけでレポートの討論会をした後、元々仲が良かったパンドラズ・アクターやシャルティアとは、いつの間にか三人で集まって何かを話し合うのは楽しみになっていた。

それこそ、お互いに趣味の事や知識の共有だけじゃなく、己の主について色々と話しても構わないレベルで話し合うのは、とても楽しい。

だから、彼らとお揃いの品を貰って嬉しくない訳が無いのだ。

 

しかもそれが、己の主や彼らの主の紋章を模ったものを並べたネクタイピンだと知って、喜ばないメールペットは居ないだろう。

 

「ありがとうございます、ウルベルト様。

どちらも、大切に使わせていただきます。」

 

そう、心から感謝の念を口にしたデミウルゴスだった。

 




という訳で、デミウルゴスはリアルに自分が自由に出来る口座を持つ事になりました。


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メールペットとお正月 ~ペロロンチーノとシャルティアの場合~

三人目は、ペロロンチーノさんとシャルティアの話。


ペロロンチーノは、ギルド会議でモモンガさんから質問されるまで、シャルティアに新年のお年玉を渡す事を全く考えていなかった一人だ。

正直、子供の頃に自分がほぼ貰えなかったと言う事や自分が渡す立場になった経験が無い事が、そこまで考えが及ばなかった理由なのだろう。

それは、モモンガさんも同じ状況の筈なのだが……やはり、周囲の事を見て気を配れる人は違うと思うしかない。

 

彼の提案のお陰で、ある程度ギルド内でメールペットたちに渡すお年玉の条件を統一出来たのは、ペロロンチーノにとって実にありがたかった。

 

ただ、「メールペットたちにお年玉を上げましょう」だけでは、一体誰にどんな風に渡したらいいのか判らず、ペロロンチーノは頭を抱える羽目になっていただろう。

それを自覚しているだけに、このある程度の渡す品物に掛ける金額の上限を決めるなどの取り決めは、実にありがたいものだったのだ。

今回の決定では、自分のメールペットへのお年玉に関しては特に制限が無いので、ペロロンチーノは遠慮なくシャルティアへのお年玉は大振袖を選択した。

 

やはり、新年を迎えるにあたってシャルティアへの晴れ着を用意するのは、ペロロンチーノの立場なら当然の話だと思う。

 

可愛い娘の為に、新しい衣装を新調するのは、やはり親の特権だと思うからだ。

メールペットたちに対して、下手にお金を与えても使えるかどうか判らないし、それなら現物で渡そうと言う提案が今回の会議で決まった事なので、これなら特に問題はないだろう。

自分の様に衣装じゃない場合は、メールペットたちが一番欲しがっている物を用意しそうな気もするが。

 

「それにしても……みんなは何を用意するのかな?

モモンガさんは、多分パンドラにスーツ一式とか用意してそうな気がする。

普段のパンドラは軍服姿だから、〖新年くらいはスーツを着せて見たい〗とかそういう感じの選択、かな?

ウルベルトさんは……ギルド会議の様子から察するに、既に準備済みの気配がしてるんだよね。

あの人の事だから、デミウルゴスの為に新規口座を作った上で、少しお金を入れた状態で用意して渡す気満々な気がするんだけど……まぁ、一応通帳ならギリギリ品物と言う範疇から外れないのかな?」

 

何となく、仲の良い二人が用意していそうな品を想像しつつ、丁寧にネットでシャルティアに似合いそうな着物の柄が無いか検索していく。

基本的に着物の型は決まっているから、配色や着物の柄にどんなパターンがあるのかさえ参考に出来れば、ペロロンチーノはシャルティアに似合う柄のデザイン位なら出来なくはないのだ。

サクサクと調べ上げ、彼女に似合いそうで更に自分の好みを反映させた大振袖の柄を仕上げていく。

 

着物のベースとして、選んだ色は黒。

見事な銀髪を持つシャルティアの場合、ベースとなる部分を淡い色にすると、その色合いでお互いに打ち消し合ってしまう。

だから、着物の柄を入れる前のベースの反物の色を黒にすると、逆に銀髪が綺麗に映えて美しく見えるのだ。

裾と袖の下の部分を、黒から紅色にグラデーションになる様に配色し、まずは裾から下半分に薄紅色の大輪の薔薇を一つ、対角線上の肩辺りにそれよりも小振りで少し濃い色合いの大輪の薔薇を一つ配置する。

後は、手の平大の深紅の薔薇を散らして、着た時に映える様に気を付けつつバランス良く配置すれば、彼女の為の一点物の大振袖の完成だ。

最初は、牡丹もなどの古典柄も考えたが、シャルティアを豪奢に飾るならやはり薔薇が一番だろう。

逆に、帯は艶やかな朱色に金糸や銀糸、色とりどりの色の糸で刺繍が施された、艶やかなものを選んだ。

帯紐を深く濃い紅と金糸を編んだ物を選び、淡いローズピンクの帯飾りを付ければ、シャルティアの華やかさを一段と引き立ててくれるだろう。

彼女へのお年玉は、この着物一式に決まりで良いとして、だ。

モモンガさんの所のパンドラズ・アクターや、ウルベルトさんの所のデミウルゴスに対してシャルティアとお揃いの品を一つお年玉として贈りたい。

 

〘 出来れば、シャルティアには着物に合わせて長い銀髪を結い上げるリボンにしたいから、二人にお揃いの品を贈るならネクタイかな?

元々、着物の薔薇に合わせて赤系統のリボンを用意するつもりだったし、そこに俺達の紋章の刺繍を入れるとして……二人には、同じ色に同じ刺繍が入ったネクタイを用意すれば、お揃いになって良いと思うし。 〙

 

サクサクと、シャルティアの為に用意する予定だったシルクのリボンに刺繍で紋章を入れたデザインを作ると、それに合わせたネクタイも一緒にデザインしていく。

これなら、お揃い感が出ていいだろう。

ただ、勝手にモモンガさんやウルベルトさんの紋章を使うのは拙いので、ちゃんと連絡して了解を取る必要はあるだろうが。

 

「そうと決まれば、早めに二人に連絡しておかないと駄目だよな。

こう言う贈り物系は、お互いに内容が被らない方が良いだろうし。

うん、早速メールして大体どんなものを贈るか相談しないと、同じ事を二人も考えてそうだし……」

 

そんな事を呟きながら、ペロロンチーノは速攻でモモンガさんとウルベルトさん宛のメールを書く準備をし始めたのだった。

 

*******

 

シャルティアは、その日は朝からどこかソワソワしていた。

主であるペロロンチーノ様から、今日の最後のメールの配達を頼まれて戻って来てからは、それが少しずつ強くなり、今ではもう周囲に丸わかりになるほどソワソワしていると言っていいだろう。

そして、何かに反応してはすぐにしゅんと萎れてしまうのだ。

ペロロンチーノ様が出掛けてから、ずっとソワソワしては何かに反応してしゅんと萎れると言う行動を繰り返しながら、自分のベッドの上で何度も転がっていた。

 

今日は、割と夜の早い時間からペロロンチーノ様は【ナザリック】へ向かい、そこで仲間たちと新年を迎える為に集まっているらしい。

 

そこに、自分が加わる事が出来ないと言う事に関しては寂しさを覚えるものの、こればかりはメールペットなら同じ条件なので諦めるしかないと判っていたから、シャルティアは大人しく主のペロロンチーノ様の帰りを待っていた。

少なくても、ペロロンチーノ様は日付を跨いで暫くしないと、自分のいるこの【リアル】に帰ってこないだろう。

 

今日の集まりは、特に祝い事でほぼ集まった全員が羽目を外すだろうと言う前提だから、もしかしたら帰りは夜明け前になるかもしれない。

 

「判っているでありんす……でも……私もペロロンチーノ様と一緒に新年を迎えたかったでありんす……」

 

あの騒動の後、割と仲良くなったアルベド手製のペロロンチーノ様のぬいぐるみを両手で抱き締めながら、シャルティアはペロロンチーノ様の事を一人で待つ寂しさを紛らわせる様に呟く。

彼女が、自分の部屋で一人ずっとソワソワしていたのは、ペロロンチーノ様がいつ【ナザリック】から戻って来るか判らないから。

何かに反応してはすぐに萎れてしまうのは、今の彼女が全身の感覚を研ぎ澄ませて小さな物音にすら反応し、それが主の帰宅を知らせるものではない事を瞬時に気付いて、期待した分がっくりとしてしまうからだ。

 

ここまで、シャルティアが色々な意味でソワソワしている理由は、ちゃんとあった。

 

ナザリックには、自分のベースになった【階層守護者シャルティア・ブラッドフォールン】がいる。

今の自分と、あそこに居る彼女では根底部分は一緒かもしれないが、様々な点で随分と差が出来てしまっていると言っていい状態なのだ。

やはり、色々と成長して変化した自分よりも、ペロロンチーノ様の理想をこれでもかと詰め込んだままのもう一人の自分が、より彼の好みなのではないかと、不安で仕方がない。

 

普段はそんな不安など感じた事が無いのに、何故か今日だけこんな風に寂しく思ってしまうのは、初めて新年を迎える事で色々と他のメールペットが楽しそうに準備していたのを見て、自分もペロロンチーノ様と一緒に準備をしたいと思ったのに、実際に気付いた時には何もする事が無かったからだろうか?

 

そう……彼女は、新年を迎える準備を自分では一切していなかった。

彼女の主であるペロロンチーノ様は、ギルメンの中でも交友関係がかなり広い人物であり、毎日出すメールの数は割と多い。

その為、彼女が預かったメールの配達をしている間に、ペロロンチーノ様が新年の為の準備を全て済ませしまっていた為、シャルティアが気付いた頃には本当にする事が無かったのだ。

メールペットの中でも、特に仲が良い上に同じ様にギルメンへのメールを沢山運ぶだろうパンドラズ・アクターやデミウルゴスが、同じ条件の筈なのに色々と忙しそうに新年の準備している姿を見て、どこか羨ましくなってしまった部分もあるだろう。

 

出来れば、ペロロンチーノ様と一緒に準備をしたかったと思ってしまったのだ。

 

あくまでも、ペロロンチーノ様は忙しくメールを運ぶ自分の為に気を回してくださったのだと判っているので、こんな風に自分も何かしたかったと思ってしまうのは、多分我儘が過ぎるかもしれないとシャルティアは思う。

色々な事を悶々と考えているせいで、シャルティアはいつもよりも自分が強い力でぬいぐるみを抱き締めすぎている事に、全く気付いていない。

このままだと、ペロロンチーノ様が戻ってくるまでにベッドの上でぬいぐるみを相手に暴れ過ぎて、せっかく作って貰ったぬいぐるみを引きちぎってしまいそうな状況だった。

 

でも、ペロロンチーノ様に対する恋しい乙女心が暴走しているのだと考えれば、この反応も仕方ないのではないだろうか?

 

心の底から、ペロロンチーノ様の事を恋しいとシャルティアが思っているからこそ、こんな風に一人でモダモダと悩んでしまうのだ。

多分、今のこんな風にソワソワしてはパッと何かに反応し、すぐにしゅんとしてベッドの上で転がるシャルティアの姿を彼が見たら、それこそあまりの可愛さに身悶えてしまっていただろう。

自分が、そんな恋する乙女の可愛らしさあふれる姿を見せているのだと、シャルティアは自分で自覚する事なく……ペロロンチーノ様が戻って来る前に寝落ちしてしまっていた。

 

*****

 

それから数時間後、寝落ちしている間に戻って来たペロロンチーノ様から手渡された晴れ着を前に、シャルティアは感無量の状態だった。

 

思わず、受け取った中身を見た瞬間、彼にギュッと抱き付いて頬へとキスしてしまう位には。

シャルティアからすれば、自分の為に用意されたお年玉の晴れ着が、それだけ嬉しかったのだから仕方がない。

そんな彼女の反応に、ペロロンチーノ様は同じ様に頬にキスを返す事で答えてくれているので、急に抱き付いてキスしても問題はなかったのだろう。

暫くの間、ペロロンチーノ様に抱き付いて甘えていたシャルティアだったが、ペロロンチーノ様に「着せ見せてくれないかな?」と期待満ちた目で言われれば、その期待に応えない訳にはいかない。

と言うか、言われた瞬間に早く自分も着て見たいと思ったのだから、実に現金なものである。

 

いそいそと、受け取ったばかりのお年玉の衣装を取り出したシャルティアは、ペロロンチーノ様が用意していた着付けの仕方の説明書を片手に、着物に着替えるべく移動したのだった。

 

「あの……これで着方は合っているでありんしょうか?」

 

数分後、受け取った着物をきっちりと着込んだシャルティアが姿を見せると、ペロロンチーノ様は手放しに「似合う」と言いながら、手にしていた物で大量にスクリーンショットを撮影していく。

多分、数日後には彼女の晴れ着姿のアルバムが一冊出来上がっているのは間違いないだろう。

その上で、更に可愛くなる様にとおっしゃりながら一度結んであった帯を解き、可愛らしくも華やかな【華蝶結び】と言う結い方に御自ら変えて下さって。

あまりの嬉しさに、それだけでシャルティアはふわふわとした浮かれた気分になってしまう。

更に、髪を用意していただろう極上の赤いシルクに金糸で刺繍の縫い取りがされたリボンで結い上げられ、満足げな笑みを浮かべて下さったのを見たら、それこそ心の底から嬉しくて仕方がなかった。

 

「さっきも言ったけど、着物は俺からシャルティアだけへのお年玉。

で、今さっき髪を結ったリボンは、シャルティアだけじゃなくパンドラとデミウルゴスの三人のお揃いとして、俺が用意した別のお年玉だからね。

まぁ、あの二人へ用意したのはネクタイだけど、デザインが一緒だからお揃いって訳だ。

うんうん、俺のシャルティアは可愛いから何をきても似合うなぁ。」

 

ニコニコと、柔らかい笑顔でペロロンチーノ様からそう言われ、シャルティアは本当に天に上る気持ちになる。

リボンを良く見れば、金糸で刺繍されているのはペロロンチーノ様とモモンガ様、ウルベルト様の紋章で。

これこそ、ペロロンチーノ様が口にした【お揃い】と言う理由だとすぐに判った彼女は、嬉しくて堪らないと言わんばかりにもう一度ペロロンチーノ様に抱き付き、そのまま頬へとキスを贈ったのだった。

 




ペロロンチーノさんは、シャルティアの為に着物の柄くらいは軽くデザインしそうな気がしたので。
後、そわそわしながらペロロンチーノさんの帰りを待つシャルティアを書くのはとても楽しかった。


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メールペットとお正月~お年玉を受け取ったパンドラズ・アクターたちの話し合い~

長らくお待たせいたしました。
漸く、ハーメルン版の修正が終わったので投稿させて貰います。


 そして、新年が明けて三日が過ぎた頃。

 

 パンドラズ・アクターの部屋に、デミウルゴスとシャルティアの三人で集まっていた。

 彼ら三人が集う為に、どうして彼のサーバーが選ばれたかと言えば、色々な理由やお互いの主のメールのタイミングなどが重った結果である。

 丁度、新年の仕事始めの日が三人で集まる日程と重なった事で、モモンガ様が確実に昼休み以外で不在なのも、ここが選ばれた理由だった。

 

「おニ人とも、ようこそいらっしゃいました。」

 

 にこやかな声音と共に、自分の部屋で出迎えるパンドラズ・アクターに対して、デミウルゴスもシャルティアもいつもの様に挨拶を交わしながらにっこりと笑い返した。

 ここに来る直前に、二人ともきっちりと着替えてきたので、今はモモンガ様、ペロロンチーノ様、ウルベルト様の三人から、それぞれお年玉に貰った揃いのアイテムを身に着けている。

 もちろん、二人を出迎えたパンドラズ・アクターも同じ状態なのだが。

 それに加えて、シャルティアとパンドラズ・アクターの二人は、新年を迎えてから昨日までのメール配達の間、ずっと自分が身に着けていた新年用のスーツと大振袖を身に纏っていた。

 やはり、三人で集まった今回の目的から考えると、それが一番正しい装いだと考えたからなのだろう。

 デミウルゴスも、デザインこそいつもと同じ様なスーツだったが、生地の色合いなど細かな部分の細工が違っている事から、多分ウルベルト様が彼の為に最初から新年用に新しいものを彼のスーツとして用意していたとのだと、普段から毎日顔を合わせている二人にはすぐに判った。

 

 お年玉として、ウルベルト様がデミウルゴスにわざわざ渡さなかったのは、多分、ウルベルト様にとってデミウルゴスにスーツを用意するのは、それこそ数か月に一度行われている日常の事だったから。

 

 これに関しては、モモンガ様もペロロンチーノ様も似た様な行動をしているので、わざわざその理由を考えなくてもすぐに察せられたのだが。

 ただ、モモンガ様からパンドラズ・アクターが受け取るのは、デザインの差はあれどもほぼ軍服で固定されているし、ペロロンチーノ様がシャルティアに用意するのはドレス系がメインである。

 特に、三人の中で女性であるシャルティアに対して、ペロロンチーノ様が用意するのはドレスだけではなく細かな装飾品などの小物まで多岐に渡るので、彼女のクローゼットは結構凄い事になっているらしかった。

 とは言え、あくまでもそれらは普段使い用の品でしかない。

 

 故に、二人はウルベルト様と違い普段と違う物を贈る事を選択し、わざわざお年玉として最上級の品を用意したのだろう。

 

 もちろん、デミウルゴスがウルベルト様に新調して貰っただろうスーツだって、ウルベルト様の眼鏡にかなうレベルの上質の物なのはまず間違いがない。

 ただ、最初の段階でお年玉を別に用意していた事もあり、普段使いも兼ねて新調されただろうスーツと、完全に【新年】と言う行事を意識して用意されただろうスーツや着物だと、色々な意味で力の入り様が違うだけで。

 その辺りに関しては、三人ともちゃんと理解していた。

 

「……さて、こうしてこの場に集まった事ですし、先ずは何をお年玉としていただいたのか、改めてお互いに確認いたしませんか?

 一応、モモンガ様たちからは〖自分の主から貰った物と、お揃いで貰ったメールペット同士なら見せ合っても構わない〗とお許しを貰っていますし。」

 

 この場を議長の様に仕切るのは、家主であるパンドラズ・アクターだ。

 彼の言葉に、綺麗に結ばれている事から外せないリボン以外の品をテーブルの上に並べるシャルティアと、同じく身嗜み的に外せないネクタイ以外を並べるデミウルゴス。

 パンドラズ・アクター自身も、デミウルゴスと同じ理由で外せないネクタイ以外をテーブルの上に並べ、それぞれの品を見比べながら口元に手を置いた。

 

「……私とシャルティアは、新年の衣装をお年玉で貰ったのはすぐに判りましたが、デミウルゴスがウルベルト様から頂いたのは、その小さな手帳なのですか?」

 

 きっちりと、革のカバーで保護されている手帳の様なものに気付いたパンドラズ・アクターが、確認する様に尋ねると、目を細めながらにっこりとデミウルゴスは笑う。

 どうやら、それが単なる手帳ではないと察したパンドラズ・アクターの横で、サラリとそれが何か当てて見せたのはシャルティアだった。

 

「……確か、ペロロンチーノ様が〖ウルベルトさんがデミウルゴスにお年玉を用意するなら、ある程度の金額を入れた通帳だろう〗っておっしゃっていたでありんす。

 なので、それは手帳ではなく通帳と言うものでありんせんか?」

 

 シャルティアの言葉に、にっこりと笑みを浮かべるデミウルゴス。

 それを見るだけで、デミウルゴスが彼女の言葉を肯定している事を察したパンドラズ・アクターは、再度その革のカバーに包まれた通帳を見ると、少しだけ羨ましい気持ちになった。

 パンドラズ・アクターは、彼が受け取ったお年玉である【通帳】のあらゆる方面への有効性を理解出来るだけに、それだけのものをウルベルト様から与えられるデミウルゴスへの信頼感が、とても羨ましかったのだ。

 

だからと言って、自分がモモンガ様から受け取ったお年玉が嬉しくなかったのかと問われたら、間違いなく嬉しかったと断言出来るのだが。

 

「なるほど……それが通帳と言うものなのですね。

 初めて見るので、メモをするのに使う手帳と見間違えてしまいました。

 さて……私たちが、個人的に御互いの主から頂いた品に関しては、高額な品の場合もあると伺っていましたし、デミウルゴスの受け取った通帳がお年玉でも問題が無かったのでしょう。

 それよりも……我々が、こうして集まったのはお互いにお揃いで貰った品々に関して話し合う為です。

 他の方々にも、それと無く話を促す事でどんな感じのものだったのか聞いてみましたが……私達程、様々な意味で価値を持つ品を贈られた方は居ない様でした。

 多分、モモンガ様たちの間である程度までの内容の上限を決めた上で、それぞれ用意された品だからでしょう。

 そうですね……モモンガ様たちが用意されたそれぞれの品自体は、そこまで高価なものではない身の回りの品ではあります。

 ただ……どの品にも御三方の紋章を刻まれた事によって、我々の中で付加価値が予想外についてしまったと言うだけで。」

 

 そんな風に、少しだけ何とも言い難い表情でパンドラズ・アクターが言う理由は、彼らにとって主の紋章の持つ意味が大きいからだった。

 少なくても、メールペットたちにとって同価格のアイテムが並んだ状態なら、紋章が入っていない物よりも紋章が入ったものの方が、確実に価値は高い。

 それが、モモンガ様とウルベルト様、ペロロンチーノ様の三人の紋章が入っているとなれば、その価値はかなり跳ね上がると言っても過言ではないだろう。

 だからこそ、その事が周囲に知れ渡る前に、三人はこうして集ったのだ。

 

「確かに、我々がウルベルト様やモモンガ様、ペロロンチーノ様からそれぞれ頂いた品は、私たちの為に作られた品であると同時に、他のメールペットから確実に羨まれるものでしょうね。

 幸か不幸か、新年の挨拶回りの時に身に着けていた際は気付かれる事はなかったので、面倒な状況にはなりませんでしたが……

 それにしても、シャルティアは良くそのリボンの紋章を気付かれませんでしたね?

 普通に考えれば、それだけ目立つ場所に身に着けていた場合、誰かに気付かれない筈はないのですが……」

 

 デミウルゴスが、パンドラズ・アクターの言葉に同意する様に頷きつつ、ふとシャルティアがリボンの事で騒がれなかった事を思い出して、その理由を彼女に対して尋ねる。

 そう、彼女の頭を飾るリボンはペロロンチーノ様とモモンガ様、ウルベルト様の紋章が深紅のシルクに金糸で幾つも縫い込まれたデザインなので、今の様に普通に身に着けていれば目立つ筈なのだ。

 だからこそ、誰にも気付かれなかった事を不思議に思ったデミウルゴスの質問に、シャルティアはにっこりと笑いながら自分のアイテムボックスに手を入れると、そこからあるものを取り出した。

 彼女が取り出したのは、大小様々な薔薇を組み合わせて作られた、大きな髪飾りである。

 取り出したソレを、すっとリボンの紋章がある部分に掛かる様にそれでいておかしくない位置へと綺麗に差し込むと、にっこりと笑った。

 綺麗にリボンで結い上げられた髪を、更に豪奢なバラの髪飾りを着けて紋章を隠しつつ華やかな状態にすれば、確かに人の目は薔薇の髪飾りの方に向いてもおかしくない。

 

「ペロロンチーノ様が、〖モモンガ様とウルベルト様の所に出向く以外は、こうした方が目立たなくて良いだろう〗とおっしゃられたでありんす。

 それに、〖この方が華やかでより可愛い〗ともおっしゃって下さったでありんす。

 だから……ちびすけ達にも自慢せずに我慢したでありんす。

 今にして思えば、下手にちびすけたちに見せて面倒事になりんせんかった分、自慢するのを我慢して良かったと思っているでありんす。」

 

 するりと、自分の髪を飾るリボンを撫でながらそう呟く彼女の様子を見る限り、どうやら既に何かあったと思うべきだろう。

 パンドラズ・アクターが、デミウルゴスとほぼ同時に視線を向ける事で、一体何を知っているのかと話を促してみれば、シャルティアは小さく首を竦めた。

 少し考え、納得したのか小さく何度か頷くと、シャルティアはゆっくりと口を開いた。

 

「……どうやら、二人はこの話を聞き及んでいないのでありんすね?

 まぁ……どちらかと言うと、これはデミウルゴスやパンドラが知りんせんのも無理からぬ話でありんす。

 私がこの話を耳にしたのも、ちびすけの主であるぶくぶく茶釜様とペロロンチーノ様がご兄弟でありんすから、その縁でと言うものでありんすからね。」

 

 そこで言葉を切ると、シャルティアはどう話したものかと悩む様な、そんな素振りを見せた。

 多分、彼女がそう言葉を言い淀んだ時点で、直接関わった関係者以外は口を閉ざしている内容なのだろう。

 そう考えれば、主の立場上顔がかなり広い筈のデミウルゴスやパンドラズ・アクターの耳に話が入って来なかったのも、ある意味納得がいく状況である。

 

「そう……簡単に説明しんすと、やまいこ様の所のユリがぶくぶく茶釜様から受け取りんしたお年玉の中身を身に着つけて見せに来ておりんした所へ、偶然メールを届けに来た他のメールペットが顔を出しんして、ちょっとした騒動になり掛けたでありんす。

 私たちは、ペロロンチーノ様を始めとした主の方々から、〖新年の三日間の身お年玉が貰える〗と言う事と、〖特に親しい縁がある方からのお年玉は、メールペット同士でお揃いの品などちょっといいものかもしれない〗問う事、そして〖自分の主から貰った物以外で、他人が貰っていないものは自慢しない方が良い〗と聞かされていたでありんすが、そのメールペットは何も知らなかった様でありんす。

 運が悪い事に、そのメールペットは誰からもお揃いの品を受け取りんせんかった……つまり、わざわざ特別に何かを受け取れるほど親しい相手がおりんせんかった事が露呈したでありんす。

 まぁ……そのメールペットの主が割と親しくしておりんすのが、るし☆ふぁー様だった事も特別な品を受け取りんせんかった一因らしいでありんすが。

 そのメールペットでありんすが、悔しさから主にその事を訴えたそうでありんす。

 もっとも、それに対して〖いや、本当はるし☆ふぁーさんから申し出があったんだが、流石に恐怖公とお揃いは嫌だろうから断ったんだ。多分、今から言えばまだもらえると思うけど〗とのお答えを知らされて、不敬にも慌てて泣きながら断ったそうでありんすぇ。」

 

 シャルティアが、色々と聞いた事を思い出しながら話してくれた内容は、るし☆ふぁー様に対してかなり失礼な内容ではあるが、ある意味では仕方がない事でもあった。

 恐怖公は、元々主の方々の半数以上が苦手としている影響なのか、それとも本人の外見モデルが問題なのか、どちらとも言い難い理由が原因で敬遠されがちなのである。

 つい最近まで、問題行動が多かったアルベドと比較対象になっていた事もあり、自然とある程度は受け入れられてはいるものの、それでもきちんと交流がある面々以外ではお揃いの品を持つのには度胸がいるだろう。

 

 デミウルゴスやパンドラズ・アクターとしては、紳士な彼との交流の証としてお揃いの品を持つのも吝かではないのだが、自分達以外ならコキュートスかセバスと言った一部の男性陣位しか、その提案に乗るのは難しいのではないだろうか?

 

 どちらにせよ、そんな状況が一部のメールペットから出ているのなら、確かに自分たちの様な揃いの品を持っているのを知られたら、面倒な騒動になりそうな気がした。

 そういう意味で考えるなら、最初からあまり気付かれない様に新年の挨拶回りで身に着けていたのは、ある意味功を奏したと言っていいだろう。

 また、これからもあまり人前で身に着けるのには、出来るだけ注意した方が良いのかもしれない。

 

「まぁ……もう少し時間が経ってこういう品を持つ者が増える状況になれば、我々が普通に身に着けていたとしても問題なくなるとは思うけどね。

 とは言え、暫くはこの大切な品が目立たない様に身に着けるか、ここぞと言う時以外は大切にしまっておいた方が良いかもしれないが。

 これに関しては、二人とも異論はないのだろう?」

 

 デミウルゴスの言葉に、パンドラズ・アクターもシャルティアも素直に同意した。

 先程の話を考えても、自分からわざわざ面倒事を招き寄せる様な真似をする必要はない。

 元々、お年玉を受け取る時点でそれと無くそれ俺の主から、下手に自慢して騒動の種にならない様にと釘を刺されている事でもある。

 そう考えると、ユリの一件は不幸な偶然が重なったと言わざるを得なかった。

 

 ユリ本人としては、あくまでもぶくぶく茶釜様に受け取った品のお礼と一緒に身に着けている姿を見せに行っただけなのに、偶々ぶくぶく茶釜様の元へメールを運んで来たメールペットがそれを見て、自分は受け取っていないと騒ぎ立てようとしたのだから。

 

「まぁ……実際には、その場だけの話で大きな騒動にならなかった事ですし、本人が例え誰が相手だったとしても〖お揃いの品〗を受け取るチャンスを自分から辞退した時点で、これ以上騒ぎ立てる事も出来ないでしょう。

 元々、ご自分の主も誰かと〖お揃いの品〗を用意していない……つまりは、そこまでするつもりが無いと言う事の裏返しだと、その騒いだと言うメールペット自身も、少し冷静になって考えれば気付ける話ですからね。

 ここでもし騒げば、自分が強請っておきながら相手を知って断ると言う、大変失礼な事をした事も周囲へと伝わる訳ですし、恥の上塗りになるのは間違いありません。

 もっとも、その方がどう動いたとしても、私たちには一切関係ない話ではありますが。

 さて……その話に関しては、これ位にしておきましょう。

 私たちには、もっと話し合うべき重要な件がありますからね。」

 

 ピッと、指を立てながらそう本題に話を戻すパンドラズ・アクターに、シャルティアもデミウルゴスも頷いて同意する。

 あくまでも、彼らが今回集まったのは自分達が貰ったお揃いのお年玉の扱いと、パンドラズ・アクターから持ち掛けられた内容について話し合いをするのが目的であり、シャルティアが知っていた一件はお年玉に関する関連情報でしかない。

 一体何があったのか、ざっくりとそれに関する状況さえ分かれば、自分達には直接関係ない話でしかないのだ。

 

「こうして集まって下さった時点で、お二人とも事前に私が提案した事に反対ではないと、そう考えさせていただいても宜しいですね?」

 

 念の為にと、最終確認する様に問うパンドラズ・アクターに対して、問題ないと頷いて同意を示す。

 二人から同意を得られた事で、ホッとした素振りを見せながら三人で囲むテーブルを軽く一撫でした。

 すると、ポンと軽く何かが弾ける様な小さな音が、パンドラズ・アクターの座っている椅子の横で発生し。

 次の瞬間には、音がした場所に一つのホワイトボードが出現したのである。

 そこには、大きく【モモンガ様、ウルベルト様、ペロロンチーノ様に三人で贈り物をするにはどうすれば良いのか!】と書き出されていた。

 

 そう……三人が今回集まったのは、お年玉で三人お揃いの品をモモンガ様たちから頂いたお礼に、今度は何か自分達からモモンガ様たち三人へ、贈り物が出来ないかと言う話し合いの為だったのだ。

 

 元々、それぞれの主の仲がギルメンの中でも特に良かった事から、パンドラズ・アクターたち三人も仲が良かったのだが、アルベドの一件で連帯責任の様に一緒にレポートに絡む仕事をする様になって、ますます意気投合したのである。

 その結果、今回のお揃いの品をお年玉として受け取った事から、自分達からも主たちへと細やかなお返しがしたいと考え、「三人連盟で贈り物をしないか?」と言うのがパンドラズ・アクターからの提案だった。

 この提案に、同じ様な事を考えていたデミウルゴスやシャルティアがあっさりと乗った事で、こうしてこの集まりが開催されたのである。

 

「一応、こうして集まる前に出された案としては、来月のバレンタインデーを上手く利用すると言うものですが……こう言っては何ですが、あれは女性の為のイベントですよね?

 シャルティアはまだしも、私やパンドラには参加するのは難しいイベントではないでしょうか。」

 

 事前に提案された、贈り物を贈る為の方法に対して、デミウルゴスが懐疑的な意見を出す。

 どうやら、シャルティア自身も同じ事を考えていたらしい。

 少しだけ目を伏せつつ、デミウルゴスの言葉に更に追加する様に自分の意見を口にした。

 

「確かに、デミウルゴスの言う通りでありんす。

 バレンタインデーは、女性が男性に告白する為の一大イベントと言うものでありんしょう?

 そう考えるのでありんすと、デミウルゴスやパンドラが参加しんすのは、かなり難しいと思うでありんす。

 とは言え……私たちには、チョコレートを作る能力も材料もありんせんから、実際には私たちですら参加は難しいのでありんしょうが。」

 

 ちょっとだけ、自分の料理などの能力の無さを恨めし気に呟くシャルティアに対して、パンドラズ・アクターはピッと指を立てた。

 

「そこですよ、シャルティア。

 あなたが言う様に、多くのメールペットたちには料理の能力がありません。

 元々、それらの能力を求められていないのですから、当然の話ではありますが。

 ですが、数少ない例外として【ナザリックのパンドラズ・アクター】の能力を継承している私には、主の方々のお一人の姿を借りて、料理をする事が可能です。

 そして、私たちは時間を掛ければある程度の能力を学習する事も可能な、【ナザリックのNPC】とは違う可変性を持っています。

 私が、今の時期からあなたにチョコレートの作り方をお教えして一緒に練習を重ねれば、バレンタインデーには贈り物に出来る程度の品を作れる様になるのではないでしょうか?

 何も、最初から難しいチョコレートを作る必要などはありません。

 おやつに用意されている板チョコを溶かして、ココア用の生クリームを少し混ぜて型に流し込む簡単なものから、練習を始めてみてはいかがでしょうか。」

 

 にっこりと、笑い掛ける様な気配と共に告げるパンドラズ・アクターの提案を聞いて、シャルティアはつい心を惹かれるものを感じていた。

 確かに、今から彼からチョコレートを作る為の指導を受ければ、バレンタインデーには間に合わせる事が出来るだろう。

 それは、彼女でもすぐに理解出来た。

 

 だが、それなら自分とパンドラズ・アクターの二人だけの話し合いで済んでしまう事なのに、どうしてデミウルゴスまで呼ばれているのだろうか?

 

 一瞬、デミウルゴスも似た様な事を考えたのだろう。

 少なくても、今の話だけでは彼に出来る事は何もないのだ。

 それでも、わざわざこの話を聞かせる為だけに、パンドラズ・アクターがデミウルゴスに声を掛けるとは、とても思えなかった。

 だとすれば、パンドラズ・アクターにはデミウルゴスにさせたい事があるのは間違いない。

 どうやら、その推測は間違いではなかった様だった。

 

「もちろん、この場にデミウルゴスを読んだのは、一つ協力をして欲しい事があるからです。

 残念ながら、最初から私が料理する事を想定されていない事もあり、チョコレートを成型する為に必要な型がありません。

 もちろん、その気になれば私にもそれを作る事は可能ですが、空いている時間は出来るだけシャルティアとのチョコレート作りに専念したいので、デミウルゴスにその型作りをお願いしたいのです。

 御三方にお贈りするチョコレートに使う型ですから、手抜きで簡単に済ませるなどあり得ませんからね。

 更に、完成したチョコレートを包装する為のギフトボックスなども、全てデミウルゴスに作成を依頼してもよろしいですか?

 出来れば、チョコレート以外にちょっとした……そう、チャームの様な小物を三つ入れられるスペースを作っていただけると、なお嬉しです。」

 

 にっこりと提案するパンドラズ・アクターの言葉に、彼が何を考えているのかすぐに判った。

 御三方に贈る為の、メインのチョコレートをシャルティアに、それを入れる箱やチョコレートを作る為などの型をデミウルゴスに、チョコレートを作る為の指導をパンドラズ・アクター自身が受け持ち、それぞれが自分達をイメージしたチャームを作り、三人連盟で一つの箱に纏めてモモンガ様たちに贈ろうと考えているのだ。

 あくまでも、小さなチャームなどはおまけ程度の意味合いと言う形を取る事で、主役はシャルティアからのチョコレートと言う事にして、バレンタインデーに贈る品としての名目も外さない事を告げれば、それで漸く納得したかの様にシャルティアは頷いてくれた。

 デミウルゴスは、パンドラズ・アクターが作って欲しい品について半分話した時点で、それがどういう意図で提案されたものなのか察したらしく、目を輝かせて思案を巡らせ始めていたのは流石と言うしかない。

 

「あくまでも、これは私からお二人への一つの提案であって、他に良い案があるならそちらを優先して検討したいと思います。

 どんな方法でも、モモンガ様たちに対して頂いたお年玉への私たちからのお返しが出来れば、それで構わない訳ですからね。」

 

 そう言葉を結び、自分の提案を終えたパンドラズ・アクターは、にっこりと笑って自分の席へと座った。

 とは言うものの、この提案以外で都合よく別の案が出てくるとは、パンドラズ・アクターは思っていない。

 他に、自分たちからプレゼントを渡すタイミングは、暫く来ないからだ。

 こう言う事は、きちんとタイミングを考えないと失敗する可能性が高いのを、パンドラズ・アクターは良く知っていた。

 多分、デミウルゴスやシャルティアもそれは理解しているだろう。

 だから、この提案に乗ってくれるだろうと、ほぼ確心していた。

 

「……確かに、その方法が一番確実のウルベルト様たちへお年玉のお返しが出来る方法だと、私も思いますね。

 最初から、チャームなどと言った小物が小さな入るスペースを三つ作るのは、私たち三人がそれぞれ御方々に対して自作の品を贈れる様にと言う提案でしょう。

 あくまでもチョコレートが主役ですが、それなら私たちから個人的なものを贈れると思いますし。

 いっそ、それぞれ贈る品は全員チャームで統一しても構いません。

 お互いに、自分達と主をイメージしたチャームを二つ一組で三つ作り、それぞれの箱に収めればお揃いの品にもなりますからね。」

 

 こちらの意図を理解し、どこか微妙な顔をしていたシャルティアの為に、更に提案を追加して暮れるデミウルゴスに感謝しつつ、パンドラズ・アクターはシャルティアの顔を見た。

 今の言葉で、デミウルゴスからは了承を得られたと考えて良いだろう。

 後は、御三方へ贈るチョコレートを作る側になるシャルティアが、この話に乗ってくれるかどうかで話の流れは決まると言っていい。

 同じ事を考えたのか、デミウルゴスもシャルティアに視線を向ける。

 二人の視線を受け、シャルティアは小さく首を竦めた。

 

「別に、誰も話に乗らないとは言っておりんせん。

 むしろ、パンドラの指導がありんしたら、一月後には美味しいチョコレートが作れる様になる上に、御三方へのお揃いの品まで用意出来るチャンスでありんす。

 私にとって、どこをどう取っても悪い話でありんせんのに、この話を受けない筈がないでありんす。

 その代わり……デミウルゴス、こなたにはチャームの作り方を教えて欲しいでありんす。

 私は、こなた達と違って手先が器用ではありんせんから、チョコレート作りとチャーム作りを並行して練習する必要があるでありんすが……もちろん、協力してくれるでありんすよね?」

 

 にっこりと笑うシャルティアに、デミウルゴスは「もちろん」とにっこりと笑う。

 これで、最初の予定通り今後の目的が決まったので、後はそれをどうやって成功させるかスケジュールを調整する必要があった。

 まぁ、モモンガ様たちの間ではほぼ毎日の様にメールのやり取りがされているのだから、それを上手く利用すれば問題はないだろうが。

 

「……では、話はまとまったと言う事で、それぞれ誰にどんなチョコレートとチャームを贈るのか、ざっくりとした話し合いをして今日はお開きに致しましょう。」

 

 ホワイトボードに、【チョコレートのデザインと、チャームのデザインはどうするのか?】と書き込みつつ、二人に対してそう切り出すパンドラズ・アクターだった。

 

 




彼らの中で、バレンタインデーにチョコを贈るのは確定事項になったようです。
このまま、三人だけで話が進むのか、それとも誰かが彼らの行動に気付いて同調するのか、それは次のお話にて。
という訳で、バレンタインデーネタがアルベドさんの話の前に入る事になりました。
後、文章の書き方で文頭を一マス開ける方が良いと言うご意見をいただいたので、試しに今回の話で変更してみたのですが、普段の文頭を開けずに詰めた状態の書き方と、どちらの方が読み易いですか?
もし、こちらの方が読み易いならこれから書く話は、文頭部分を一マス開ける様に変えていこうと思います。
活動報告にも同じ質問を上げるので、出来ればそちらにコメントをいただけると嬉しいです。


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メールペットとバレンタイン ~バレンタイン前日までの準備~

何とか、半分だけでも当日に更新が間に合って良かった……


 新年を迎えて、そろそろ一月が過ぎようとしていた。

 

 約一月前、パンドラズ・アクターの提案で集まったシャルティアとデミウルゴスの二人と協力し、三人で立てた計画は割りと順調に進んでいると言ってもいい状況だろう。

 最初の頃こそ、料理の腕が全くない上に不器用なシャルティアに対して、チョコレート作りを教えるのはかなり至難の技だと、本気で思っていたパンドラズ・アクターだが……実際に始めて見たら微妙に違っていた。

 こればかりは、本人のやる気によるものなのだろうが、初めの頃のどうしようもない失敗が嘘の様に、十日が過ぎる頃には自分で道具を使いチョコを削って湯煎で溶かす事が出来る様に彼女はなっていたのである。

 最初の頃に比べると、この状況は随分と上達したと言って良いだろう。

 

 何せ、初めてシャルティアがパンドラズ・アクターと共にキッチンに立ったあの日、彼女は初心者お約束のお湯にチョコレートを直接入れるチョコレートを入れた鍋を直火に掛けるなど、色々とやらかしてくれたものだ。

 

 そんな風に、色々ととんでもない真似をやらかしていた最初の頃の事を考えると、型に流し込むチョコレートを作れる様になっただけでも、かなり腕を上げたと言って良いだろう。

 このまま上達すれば、バレンタインまでにチョコレートガナッシュからトリュフや生チョコなども作れる様になるかも知れない。

 その場合、作れるチョコレートの幅も色々と広がるので、最初の予定よりも凝った内容にする事も可能になるだろう。

 もし、そこまで彼女の腕が上達したらそれはそれで色々と教えがいがあるのでとても楽しみだと考えながら、パンドラズ・アクターはいつもの様にメールの配達に向かい……そして、配達先でアルベド達女性陣に捕まっていた。

 

 正確に言うなら、メールを届けて別のサーバーへと移動しようとした瞬間、彼女達に取り囲まれたと言うべきだろうか?

 

 モモンガ様からのメールを届けに行った先は、アルベドの主であるタブラ様の元なので、アルベドが居るのは当然なのだが、それ以外の面々は流石にタブラ様宛のメールを持って来たと言うのには流石に無理があるだろう。

 この様子から察するに、完全にパンドラズ・アクターの事を待ち伏せしていたと考えて良い。

 

「あ……あの、私がこんな風に皆さんに取り囲まれているこの状況は、一体どういう理由からなんでしょうか?」

 

 思わず、そんな風にパンドラズ・アクターが尋ねてしまう位には、彼を取り囲んでいる女性陣の数は多かった。

 部屋の主であるアルベドを筆頭に、アウラとマーレ(女性と数えて良いのか迷う)にナーベラル、ソリュシャン、ユリ、最後にペストーニャが居たのだから、かなり大人数だと言っていいだろう。

 一応、それなりに親しい面々に取り囲まれている事から、パンドラズ・アクターは何となく彼女たちの要求を察しつつ、それでも理由を問い掛けてしまう程には彼女たちが纏う空気は怖かったのだ。

 微妙に、声が震えそうになりながらのパンドラズ・アクターの問い掛けに、にっこりと彼女たちは揃って笑みを浮かべる。

 どう見ても、笑顔を浮かべている筈の彼女たちを前にしても、パンドラズ・アクターの中にはとても嫌な予感しか浮かんでこない。

 

「……私たちが用件を言わなくても、あなたなら気付いているんじゃなくて?

 そうでしょう、パンドラズ・アクター?」

 

 彼女たちを代表するかの様に、アルベドがにっこりと笑顔のままそう言った事で、パンドラズ・アクターは自分の嫌な予感が外れていなかった事を瞬時に理解した。

 ほんの少しだけ、あまり嬉しくない事態に気配が揺らぐ。

 パンドラズ・アクターが理由を察した事を、僅かな反応でアルベドも気付いたのだろう。

 彼女の口元を彩る笑みが、そんなパンドラズ・アクターを前にますます深くなる。

 

〘……これは、どう考えても逃げられないパターン、でしょうね……〙

 

 状況的に考えて、ある程度まで彼女たちの話を聞く必要がある事を察して、パンドラズ・アクターは小さく心の中で溜息を吐いた。

 このまま、彼女たちからパンドラズ・アクターに対する要望を聞いたとしても、それを実際に叶えられるだけの時間があるかと問われれば、まず足りないのだ。

 シャルティアが、戦闘特化と言う点でかなり手先が不器用だと言う点を踏まえたとしても、今の時点で彼女が漸く出来る事を、今から彼女たちに一から全部教えるのは、流石に難しいだろう。

 なので、ひとまず話の内容だけを聞いた上で、別の方法を提案する事が出来ないかと考えてみる事にした。

 

「一応、用件がどの様なものかと言う事なら何となく察してはいますが、それでも本当にそれが正しいかと言われたら推測の域を出ません。

 ですので、ひとまずご用件をお伺いしてもよろしいですか?

 もしかしたら、何か別の方法を提案出来る可能性もありますので。」

 

 「念の為に」、と言う前置きを置いた上でパンドラズ・アクターが問えば、アルベドとのやり取りを焦れったく感じたのだろう。

 今まで、アルベドの隣で黙っていたアウラが、横から口を挟んできた。

 

「……あのさ、私たちも今は余り時間がある訳じゃないし、そういうまどろっこしいやり取りは別に要らないんだけど。

 だから、このまま用件を単刀直入に言うね。

 パンドラったら、シャルティアだけにチョコレートの作り方を教えてるでしょ!

 しかも、その理由が〖お年玉のお礼に、【バレンタインデー】ってプレゼントを贈れる日の為〗って聞いたんだけど、どういうつもりなの?

 そう言うのって、私たちにも教えてくれても良いんじゃないかな!」

 

 ぷりぷりと怒った口調で言うアウラの横で、どちらかと言えば控えめな態度なのだが、こちらをじっとりとした視線で見つつマーレが口を開く。

 

「あ…あの、自分達だけが抜け駆けするのは、良くない事だと思います。

 その、僕も出来れば茶釜様にチョコを贈りたいですし、パンドラさん達だけ何かするなんてずるいです。」

 

 上目遣いで、そんな風に必死に言い募るマーレの横では、ユリが腕を組んだまま眼鏡を押し上げ、パンドラズ・アクターに向けてお説教を口にしようとしていた。

 多分、同じメールペット仲間と情報を共有していない事に、不満があるからこそ説教なのだろう。

 しかし、だ。

 そのままユリの説教が始まると、状況的に話が全く進まなくなるので、慌てて彼女の横からソリュシャンが口を挟んだ。

 

「ユリ姉さま、色々と言いたい事があるのは判りますけど、ここでパンドラへのお説教に時間を割いていては話が進みません。

 まずは、パンドラにこちらのお願いを飲んで頂く方が優先でしょう?

 調べて見た所、バレンタインデーと言うイベントまでの時間は、二週間ほどしかない様子ですし。

 それで、私たちのお願いは先程アウラが言った通り、シャルティアだけじゃなく私たちにもチョコレートの作り方を教えて欲しいの。

 彼女だけ特別扱いなんて、そんな真似はしないわよね?」

 

 にっこりと笑うソリュシャンの言葉に、ナーベラルややペストーニャも同意する様に頷く。

 そんな彼女たちに対して、パンドラズ・アクターはとても困った様に首を竦めた。

 実際、この場に居る面々の中で短期間で何とかなりそうなのは半数以下しかいない事に気付いているだけに、本当に困っているのだが……役者としての立ち回りによって、それが一種のポーズに見える様に気を配りつつ、パンドラズ・アクターは彼女たちに対して返答を返すべく口を開く。

 

「大変申し訳ありませんが、今からでは私がお教えしたとしても、皆様全員がチョコレートを作れる様になるかと問われると、かなり難しいとお答えするしかありません。

 皆さまよりも一月近く早く始めたシャルティアすら、漸くチョコレート作りの入り口をクリアした、という所ですからね。

 今から、無理に問に合わない可能性がある物にチャレンジするより、今回は自分に出来る手段を考える方が宜しいのでは?」

 

 そこまで言って、パンドラズ・アクターは一度言葉を切った。

 シャルティアの状況を簡単に説明し、今からでは学ぶのが難しい事を知って貰った上で、自分でもどうするべきか考えて貰う為だ。

 もちろん、それだけでは流石に彼女たちが納得しないのは判っているので、パンドラズ・アクターから別の方法を幾つか提案する。

 

「……そうですね、アルベドの場合なら、得意の手芸品をタブラ様の為に作るという方法もありますし、アウラとマーレなら二人で協力して何かを作成しても良いでしょう。

 ユリやソリュシャン、ナーベラルやペストーニャにも、それぞれ得意な事がありますよね?

 とにかく、皆様の得意分野で何かプレゼント出来る方法を考えるべきです。

 少なくても、チョコレートに拘る事はありません。

 私たちの主である方々は、電能空間では嗅覚と味覚がないので、チョコレートをお渡ししても実際には味わっていただけませんし。

 シャルティアも、チョコレート以外にちょっとした小物を添える準備をしていますし、そちらは私やデミウルゴスも参加して、【三人で連名の贈り物】と言う形をとる予定ですから、別にチョコレートだけを贈る訳じゃないんですよ?」

 

 幾つか例を挙げる事で、別の方法がある事を明確に提案しつつ、実は彼女たちがすっかりと忘れている事実を目の前に突き付ける事にした。

 そう、私たちの主は電脳空間内で飲食する事は出来なくもないが、実際には嗅覚も味覚もない状態なので、チョコレートを贈ってもそれを味わって貰う事は出来ないのだ。

 だからこそ、シャルティアのチョコレートにはデミウルゴスと三人でそれぞれのチャームも一緒に添えて贈る事にしたのである。

 

 その方法なら、チョコレート自体をを味わって貰う事は出来なくても、御三方への贈り物は無駄なものではなくなると考えたからだ。

 

 パンドラズ・アクターの言葉を聞いた途端、ハッとそうだったと言う顔をするアルベド達。

 シャルティアが、パンドラズ・アクターから真面目にチョコレート作りを学んでいると知って、ついついそちらに意識が向いてしまっていたが、実際に贈っても食べていただけない品を無理に作る必要があるかと問われれば、実はない。

 むしろ、「自分の得意分野での贈り物でも良いのではないか?」と言うパンドラズ・アクターの提案に、かなり心惹かれている状態だった。

 アルベドなど、自分の得意な手芸の腕前を披露する丁度良い機会だと、既にタブラ様へのプレゼントの内容を考えている素振りすら見える。

他の面々も、暫く考えた上でパンドラズ・アクターの言葉に納得したらしい。

 

「確かに、あなたの言う通りね、パンドラ。

 私たちなりに、主への思いを込めた贈り物を贈る事の方が、形式ばかりを追うよりも私たちらしさが出せるでしょうし。

 それじゃ、今日はこれで失礼するわ。

 いきなり帰りがけを捕まえて、色々と迷惑を掛けてしまって本当に申し訳なかったわ。」

 

 お互いに顔を見合わせて頷き合った後、アルベドが代表でそれだけ口にすると、彼女たちはそれぞれ自分の主の元へと去っていった。

 その後ろ姿を見送りつつ、パンドラズ・アクターは小さく安堵の息を漏らす。

 このまま、彼女たちにまでチョコレート作りを教える事になってしまっていたら、それこそオーバーワークも良い状態になっていたからだ。

 ただでさえ、手が掛かる教え子が居る状態でそれを受け入れるのは、流石にパンドラズ・アクターでも厳しかったと言っていいだろう。

 だからこそ、上手く言い包める形で彼女たちが引いてくれて良かったと、本気で思わずにはいられない。

 

〘 ……多分、彼女たちもこちらの考えに気付いていた上で、引いてくれたのでしょうが、ね…… 

 実際、贈り物を作るのに相応しい技能を持っている方々ばかりですし、無理にチョコレートに拘らなければ、自分なりに素敵なプレゼントが作れるだろうと思ったのも事実ですから、嘘は付いていませんし……

 そうそう、モモンガ様がいらっしゃる日本ではバレンタインデーは女性から男性へ贈る風習になっていますが、海外では男性から女性に花を贈るものだと聞いた事がありますし、当日は茶釜様とやまいこ様、餡子ろもっちもち様の分の花を用意しておいた方が宜しいかもしれませんね 〙

 

 つらつらとそんな事を考えつつ、パンドラズ・アクターは残りのメールの配達に向かったのだった。

 

******

 

 そして、バレンタインデーの前日、パンドラズ・アクターたちは三人で最初の時の様に、彼に部屋に仕上げの為に集まっていた。

 昨日まで、ずっと繰り返して練習していた甲斐があり、シャルティアのチョコレートは見事な出来栄えを披露出来る位レベルが上がっていたので、パンドラズ・アクターとしても時間を惜しまず教えた甲斐があったと言っていいだろう。

 デミウルゴスから習っていた、チャーム作りも似た様な状況だったらしく、ギリギリ間に合って良かったと完成品を箱に詰めながら三人で喜び合ったのは、つい先程の話である。

 

「これで、漸くペロロンチーノ様たちにお渡し出来るだけの品になったでありんす。

 チョコレートよりも、デミウルゴスから教えて貰いんしたチャームの方が、上手く思った形に中々出来んせんで、このままでは本当に間に合わないかと思ったでありんす。

 どうも、道具を使いんして細かい作業をしんすのは、私には向いてないでありんす。

 せっかく、デミウルゴスに用意して貰いんした道具を、ついうっかり力加減を間違えんしては、何度も駄目にしてしまいんした。

 それなのに、デミウルゴスは根気よくずっと私に教えて下さいんして…本当に、今回はありがとうでありんす。

 パンドラも、色々とありがとうでありんす。

 二人に助けて貰えんしたら、私はこんな風にお返しを用意出来んせんした。」

 

 完成したプレゼントを前に、万感の思いを口にするシャルティア様子を見ながら、パンドラズ・アクターとデミウルゴスも嬉しげに笑みを浮かべた。

 彼女が言う通り、本当にこうして完成に漕ぎ着けるまでかなりの苦労をしたし、それがこうして形を結んで報われたのだから、当然の話だろう。

 何より、三人で何かを御方々にプレゼント出来る状態になった事が一番嬉しいのだ。

 

「それでは、後は明日シャルティアからそれぞれの主の元へ、メールと共に手渡していただくと言う事で宜しいですね?

 その時、シャルティアはこれが〖私たちからの連名のプレゼントである〗と言う事を、ちゃんと伝え忘れないで下さい。

 それぞれ、連名のカードが添えてあるとは言え、やはりお渡しする際にその旨を伝えた方が、我々の感謝の気持ちの品だと伝わりますからね。 

 では、今日はこれで解散と致しましょう。」

 

 そうパンドラズ・アクターが促せば、デミウルゴスとシャルティアも頷き合いながらゆっくりと席を立った。

 予定通り、前日までに無事にプレゼントの準備が出来たのだから、後は明日のことを考えて早々に自分たちの主の元へと戻るべきだと、二人とも納得したからだ。

 パンドラズ・アクターはもちろん、デミウルゴスも明日はシャルティアがメールを運んでくる時間帯には自分のサーバーに居て、彼女がうっかり失敗しない様にフォローする予定である。

 そんな事を考えていた所で、外へ続く扉へと向かったデミウルゴスが立ち止まると、何か言い忘れた事を思い出した様こちらに振り返り、改めて口を開く。

 

「パンドラズ・アクター、今回は良い提案をしてくれて本当に助かったよ。

 君が提案してくれていなければ、私はこのイベントを〖自分達には無関係なもの〗と言う考えの下、何も準備をせずに後に後悔する事になっていたと思うからね。

 では、また明日……今度は、プレゼントを受け取った後の御方々の反応などを含めた、反省会で。」

 

 軽く手を挙げてそう言い残すと、デミウルゴスは先に部屋を出て行ったシャルティアの後へと続いていく。

 それを見送りながら、明日シャルティアから手渡されるプレゼントを、モモンガ様が喜んでくれる事を心から願うパンドラズ・アクターだった。

 




お正月の最後の話から続く、バレンタインのお話です。
バレンタイン当日の話の部分は、色々と小ネタがあったんですけど時間切れです。
そちらは、改めて後日纏めてあげさせていただきますね。


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メールペットとバレンタイン ~当日のちょっとした一コマ~ 前編

ちょっと遅れましたが、バレンタインの話の続きになります。


 【 セバスの場合 】

 

 バレンタインデー当日の朝、いつもの様に主であるたっち様とみぃお嬢様との朝の一時を過ごしていた私は、思わぬ難問を突き付けられてしまいました。

 

 いつもの様に朝の挨拶をした後、みぃお嬢様に衣装を選んでいただき、その後でお食事を準備していただくだけだと思っていたのですが、どうやら今日は違っていたようなのです。

 どこか、はにかんだ様な笑みを浮かべたみぃお嬢様が、私に向けて少しだけ躊躇た後に勢いよく差し出されたのは、リボンが掛けられた一つの小さな箱。

 そこから微かに漂う香りから察するに、チョコレートなのでしょう。

 みぃお嬢様の様子と、今日の日付でどうしてこれが自分に用意されていたのか、理由を察せられない程鈍くては、とても執事などは勤められませんからね。

 

 そして、私が予想していた通りの答えが、彼女の口から零れ出ました。

 

「ハッピーバレンタイン、セバス!

 これはね、リアルでほんとうにみぃがつくったチョコを、ルーせんせいがみんなにもわたせるようにって、まるまるデータをコピーしてくれたものなの!

 セバスは、わたしのだいじなおとうとだから、いちばんさいしょにあげるね!」

 

 ニコニコと笑顔のまま、小さな手で差し出された箱を落とさない様に気を付けながら受け取れば、ますます嬉しそうな声を上げてみぃお嬢様は笑顔を溢します。

 やはり、辞退せず素直に受け取る事を選択した事で、みぃお嬢様に喜んでいただけようですね。

 彼女に促されるまま、リボンを丁寧に解いて箱の蓋を開けて見れば、まだ小さな子供が作ったと言う割には綺麗な星形のチョコレートが一つ収められていました。

 どうやら、これは最初の宣言通り、みぃお嬢様がご自分でお作りになった物なのでしょう。

 

「セバスのは、つくったチョコのなかでもきれいにできたおほしさまなの!

 ハートはパパとかすきなひとにおくるんだって、ママもルーせんせいもいってたもん!

 だから、セバスはおほしさまなの!」

 

 ご機嫌な様子でそう言いながら、お嬢様はいつもの様に衣装ダンスの前へと移動すると、私の本日の衣装を選び始めていらっしゃいます。

 私たちのやり取りを、ずっと横で見ていらっしゃったたっち様が何も言わない所から考えて、今日、私がこうしてみぃお嬢様から渡されたチョコレートは、以前から色々と用意されていた物なのでしょう。

 そうでなければ、まだ幼いみぃお嬢様にいきなりこれだけのものが作れるとは、とても思えません。

 私へのプレゼントが成功した事を、心から喜んでいるみぃお嬢様の様子を見ていると、このままただ受け取るだけではいけないでしょうね。

 

 これは、是非とも何か私からもお礼を差し上げるべきでしょう。

 

 以前、パンドラズ・アクターや恐怖公と話していた時に、我々の主である方々が住んでいる地域以外では、バレンタインデーに男性から花やケーキなどのプレゼントを贈ると言う話を聞いた事があります。

 なんでも、男女問わず恋人など親しい相手や家族に贈る風習なのだとか。

 それらの前例に倣うなら、私からみぃお嬢様に何か贈り物をしても問題はないでしょう。

 

 何と言っても、私とみぃお嬢様はたっち様から家族だと言われているのですから。

 

 それ以外にも、今日のメール配達の際には女性の主の方々から、みぃお嬢様と同じ様に何かをいただく可能性がある事を考えて、何か用意しておくべきでしょう。

 たっち様に仕えるメールペットとしても、かの方から家族と言っていただいている身としても、女性に対して何か手抜かりがあるなどと言う事態など、あってはならない事ですから。

 

〘 しかし……私が今から準備出来る品など、何があると言うのでしょうか?

 ……そう言えば、少し前にアルベドがここでみぃお嬢様の為に色々な布の小物を作った際に、使った端切れがしまってあった筈です。

 それを使えば、今からでも小さな花のコサージュ位なら十分間に合わせられるでしょう。

 アルベドが頻繁に来るお陰で、私も彼女がみぃお嬢様に指導する様を見て、それなりに手芸を学ぶ事が出来ましたからね。 〙

 

 もちろん、それらを材料として使ったコサージュの作成に当たるのは、みぃお嬢様やたっち様がリアルにお帰りになった後の話だ。

 今は、たっち様やみぃお嬢様と一緒に過ごす時間を優先するべきですからね。

 むしろ、私が彼らの前で何かを慌てて作る事で、いただいたチョコレートが負担になったのではないかなど、下手に余計な心配を掛けてしまってはいけません。

 そうならない為にも、みぃお嬢様の分のコサージュはこの後にある空き時間を使って作成し、夕方にお会いする際にお渡しする事に致しましょう。

 是非とも、みぃお嬢様には喜んでいただきたいですから。

 

 みぃお嬢様が選んだ衣装を受け取りながら、そんな風にセバスは今日のこの後にある空き時間の予定をさっくりと決めると、彼女の手を引かれながら食事の場へと移動していった。

 

 こうして、彼女に朝一番にチョコレートを渡されたお陰で、本当に女性陣がバレンタインデーに用意していたチョコレートを前にしても、卒ない対応を出来たセバスだったのである。

 

******

 

 【 コキュートスの場合 】

 

 彼は、主である武御雷様や自分自身の性格もあり、二月の半ばにバレンタインデーと呼ばれる日があって、その日は女性からチョコレートを渡されると言うイベントが発生する可能性がある事を全く知らなかった。

 そもそも、【バレンタインデー】と言う存在そのものを知らなければ、当然だがそれに合わせて何か対策を取る事など、普通に考えればまず出来る筈がない。

 残念な事に、普段ならこの手の事をそれとなく教えてくれるだろう、頼れる親友と言うべき立場にあるデミウルゴスは、前日までシャルティアにチャームの作り方を教え込みつつ自分の分のバレンタインの準備をするのが精一杯だったのだ。

 その為、今回に限って他に気を回す余裕が無かった事から、すっかりコキュートスにこの話を振るのを忘れていたのである。

 運が悪い事に、ここ数日は女性のギルメンの元へとメールを配達したり、デミウルゴス以外で特に仲が良いパンドラズ・アクターや恐怖公の元へのメール配達もなく、彼らが何かを忙しそうに用意している姿すら、目撃する事が叶わなかった。

 

 その結果、何も知らないままその日を迎えてしまったコキュートスは、偶々朝一番のメールを持参した恐怖公から【バレンタインデー】に纏わる話を振られ、初めてその存在を知る事になったのである。

 

 全く予備知識が無い状況で、当日にその事を恐怖公との会話で偶然話題の一つとして出て来た事で知ったコキュートスは、本当に焦りを感じていた。

 これで、セバスの様に執事として色々と器用に何でもこなす手先を持っていれば、まだ何とか当日の朝にその事を知ったとしても、それなりに準備をする事が出来ただろう。

 だが、「何かを作る」と言う方面には特に疎いコキュートスである。

 

 気が焦るばかりで、幾ら考えても良い案が頭の中に思い浮かばないのだ。

 

 しかも、だ。

 運が悪い事に、今日に限って武御雷様からぶくぶく茶釜様宛のメールの配達を、昼前に頼まれてしまったのである。

 女性の主様方の中でも、この手のイベントに積極的に参加されるぶくぶく茶釜様の元へ行けば、ほぼ確実にバレンタインチョコレートが用意されているだろう。

 それが判っているのにも拘らず、自分には頂いた品へのお返しをする術がない。

 この時、コキュートスは恐怖公から話を聞いて漸くバレンタインデーの存在を知ったばかりであり、当然だがホワイトデーなどと言う、受け取ったチョコレートへのお返しの日がある事すら全く知らなかったのだ。

 

 だからこそ、彼の中で【チョコレートを受け取ったら、今日の内にお返しを用意して渡しておくべきだ】と言う考えになるのも、ある意味当然の結果だった。

 

 グルグルと考えを巡らせるが、どう考えても自分にいただいた品に見合ったお返しの術などないだろう。

 このままでは、「何かをいただいても、碌にお返しも用意出来ないメールペットだ」と言う事になり、自分のせいで武御雷様の名にも傷がつくのではないだろうか?

 どんどん悪い方へ悪い方へ思考が流れるが、それを止める為のバレンタインデーの贈り物を用意する手立ては、どうしてもコキュートスに思い付かなかった。

 

〘 申シ訳アリマセン、武御雷様……今ノ私ニ、コノ【バレンタイン】ナルイベント二参加スルノハ、少々荷ガ勝チ過ギタヨウデス…… 〙 

 

 しょんぼりとしたまま、そんな事を考えながら武御雷様から預かったメールを手に、重い足取りでぶくぶく茶釜様の元へと向かうコキュートス。

 そうして、アウラとマーレのサーバーへ辿り着いた彼は、昨日まで部屋の中に飾られていなかった蔦と花で作り出された美しいリースが、部屋の中でも一番目立つ一角に飾られていたのを見付け、思わず目を見開いた。

 そのリースから、アウラとマーレの気配を強く感じたからだ。

 驚く彼の様子を気にする事なく、丁度電脳空間に降りて来ていたぶくぶく茶釜様が出迎えてくれた。

 

「オ久シ振リデス、ブクブク茶釜様。

 コチラノ、我ガ主ヨリ預カリマシタメールヲオ渡シ致シマスノデ、ドウゾオ納メ下サイ。

 トコロデ……アレハ、アウラトマーレノ二人カラ贈ラレタ品デショウカ?」

 

 いつもの挨拶の言葉を口にしつつ、ぶくぶく茶釜様へとメールを差し出したコキュートスは、気になっていた壁のリースについて、素直に彼女へと質問していた。

 前回、ここを訪れた時にはなかったのだから、少なくてもここ数日の間に飾られた品なのだろう。

 その質問に対して、どこか嬉しげな様子で触腕をユラユラと揺らしたぶくぶく茶釜様は、自分のアイテムボックスから小さな箱を取り出しながら、楽し気な声で答えてくれた。

 

「……ふふ、そうなんだよコキュートス!

 あのリースはね、二人から今日貰ったお年玉のお礼とバレンタインのプレゼントなんだって!

 もう、可愛いよねあの子たちったら 

 そして、これは私からコキュートスへ、ハッピーバレンタイン!」

 

 双子からの、思わぬプレゼントが余程嬉しかったのだろう。

 本当に、ご機嫌な様子でコキュートスの前に差し出すように、チョコレートが入っているだろう箱を取り出したぶくぶく茶釜様の言葉を聞いた途端、一気に自分の中にある考えが思い浮かぶ。

 失礼に当たらない様に、丁寧に差し出された箱を受け取りながら、コキュートスは素早く自分の考えを纏め始めた。

 あのリースに、マーレとアウラの気配があれだけ混じっていると言う事は、彼らが【ユグドラシルのNPC】から継承した何らかのスキルを使用して作ったと言う証だろう。

 だとすれば、コキュートスにも出来る事が一つだけあった。

 

「アリガトウゴザイマス、ブクブク茶釜様。

 私カラモ一ツ、頂イタコノチョコレートノオ返シヲ致シタク……」

 

 そこまで言うと、コキュートスは彼女の前に手を軽く握った形で差し出し、【ユグドラシルのNPC】から継承している能力を発動させた。

 途端に、手の中に空気中の水分がゆっくりと、だが確実に細く綺麗な形をとりながら結晶化し始め、そのまま手の中で静かに一つの形を作り出していく。

 数秒後、そこには薄い霜柱を重ねて結晶化した、一輪の花が完成していた。

 

「……今ノ私ニハ、コレガ精一杯デスガ……受ケ取ッテイタダケマスデショウカ、ブクブク茶釜様。」

 

 その言葉と共に、手の中で完成した花をぶくぶく茶釜様へと差し出せば、それを前に受け取る事もなく、何も言わずにフルフルと彼女の身体が震え出した。

 無言のまま、自分が差し出した花も受け取らずに彼女の身体が震え出した事によって、「コレハ、流石に失敗ダッタノダロウカ」と、コキュートスはスッと気落ちした様に肩を落とす。

 だが、そんな彼の考えを吹き飛ばすかの様に、突然にゅるっと彼女の触腕がコキュートスの差し出した花を受け取ったかと思うと、そのままその場でクルクルと踊り出したのだ。

 

「うわー!うわー!!うわー!!!

 まさか私が、ここで〖カリオストロ〗の中でも有名なあのシーンの、クラリスの立場になれるなんて思ってなかった!

 本当に、こんな素敵なプレゼントをありがとう、コキュートス!」

 

 それだけ言って、また嬉しげに踊り出すぶくぶく茶釜様を前に、どうやら自分が作った氷の花は喜んでいただけた様だと、ホッと胸を撫で下ろしたコキュートスだった。

 

 




まずは、セバスとコキュートスの話です。
バレンタインだと、ついつい女性キャラに目が行きますが、残念ながらほぼ彼女達に出番はありません。
ご了承ください。


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メールペットとバレンタイン ~当日のちょっとした一コマ~ 後編

前回の続きです。
今回はこの二人で。


【 エクレアの場合 】

 

 私の名は、エクレア・エクレール・エイクレアー。

 至高なる方々のお一人、餡ころもっちもち様のメールペットでございます。

 

 他のメールペットと同様に、【ナザリックのNPC】のデータを基本的に引き継いで作成されていますが、幾つか私には継承されなかった部分がありました。

 そのうちの一つは、【ナザリックの支配を狙っている】と言う、謀反の意志を持っている部分。

 餡ころもっちもち様曰く、「あれは冗談で付けた設定」だったらしいのです。

 だとしたら、その設定に常に振り回されるだろう【ナザリックのNPC】としての私は、ある意味滑稽な姿を主様方の前で晒しているのでしょう。

 

 まぁ、メールペットである私には、あまり関係がない話ですが。

 

 他にも、メールペットになった事で改変された部分を幾つも抱えている者は、多分……私と恐怖公位ではないでしょうか?

 恐怖公は、ギルメンの皆様から多数意見を寄せられた結果、視覚的な印象がほぼ変えられてしまっていますからね。

 私の場合、設定部分以外では移動能力等に変化が大きく現れました。

 

 もっとも、それは仕方がない事なのでしょう。

 

 ナザリックの私は、自らの配下である執事たちに抱えられて移動する事が多く、自分の足で移動する姿を見た事がある者は殆どいないそうです。

 ですが、メールペットの私にそんな配下を付ける訳には行きませんでした。

 その結果として、自力で動き回れるようになる為に移動能力がナザリックの私に比べて格段に上昇するのは、当然の話でしょう。

 

 とは言え、私のモデルになったイワトビペンギンと言う種族の移動方法と、基本的には変わらないそうですが。

 

 何が言いたいのかと言うとですね、私は基本的に両足を揃えて全身を使いジャンプする事で、ゆっくりと自力で移動する訳ですよ。

 どちらかと言えば、丸みを帯びたふんわりもこもこボディの持ち主の私が、そんな風にチョンッチョンッと飛びながら移動していく様は、餡ころもっちもち様を始めとした、女性の主様方にとって、中々愛らしく見えるらしいのです。

 おかげで、メールを配達に行く度にぬいぐるみの様に抱っこされそうになる事など、日常茶飯事と言っていいでしょう。

 

 「女性としての慎みを!」と、つい声高に訴える事でその場では何とか抱っこされるのを回避させてただいているのですが……毎回繰り返されて改善する様子が無い点は、主様方とは言え大変困ったものです。

 

 とにかく、私の姿は【ペンギン】と言う種族の外見上、手足が短いモフモフの丸いボディの持ち主であり、意外に一つの事が出来る様になるまで時間が掛かると言う、何かを作成するのには向いていない身の上なのです。

 この短い手のせいで、うっかり背の高めのコップなどを掴み損ねて倒してしまう事すら、それこそざらではありません。

 そんな私でも、餡ころもっちもち様はとても大切にして下さいますし、掃除に関してはユグドラシルの私から継承した能力もあって、人並み以上だと自負しております。

 「他人に誇れるものが、一つでもあれば十分だ」と、餡ころもっちもち様もおっしゃって下さっていますし。

 

 と、まぁ……色々と自分の事を語らせていただきましたが、何が言いたいのかと言うとですね、私には他の方々の様に「主様方へ、何かをプレゼントしたい」と思っても、それを自作する術がないと言う事です。

 

 しかもですね、我が主である餡ころもっちもち様とそのご友人であるぶくぶく茶釜様、そしてやまいこ様の御三方で、バレンタイン当日に我々に対してチョコレートを贈る計画をしている事を、私は餡ころもっちもち様の独り言から、実は知っているのです。

 御三方は、お互いに毎日メールをやり取りしていらっしゃいますし、バレンタイン当日も私はぶくぶく茶釜様とやまいこ様のお二人の元へと、メールを運ぶ事になるでしょう。

 だとすれば、私は確実に御三方からバレンタインのチョコレートを受け取る事になる訳です。

 

 それが判っているのに、私は何か御三方への贈り物をこの手で用意する術がない。

 

 この事実を前にして、私はそれこそ愕然と致しました。

 既に、お年玉をいただいて、それに対してのお返しすら出来ていないのに 、更にバレンタインのチョコレートまでいただいてお返しが出来ないなど、紳士としてあり得ない事でしょう。

 そう思うだけで、胸が痛んで仕方ありません。

 

「……いえ、一応私にも出来る事はございます……

 ええ、私の中にある葛藤さえ押さえ込む事が出来れば、確実に御三方に喜んでいただけると、分かっているのです。

 分かっていても、やはり ……普段、御三方を『はしたない』と諫めている身としては、こちらからそれを提案するのは……」

 

 頭の中に、一つだけ自分に出来るだろう事として浮かんでいたアイデアがあるものの、自分で口にした理由が原因で実行するのには躊躇われてしまいます。

 だが、幾ら他の手段を考えようとしても、私には何一つ自分に出来る事が思い浮かびませんでした。

 これが、もし餡ころもっちもち様だけなら、踊る様に掃除をする様をお見せするだけで喜んでいただけるのは知っています。

 しかし、それを他の方々に披露出来るかと問われれば、ほぼ不可能だと断言しても過言ではないでしょう。

 私が、餡ころもっちもち様に対して踊る様に掃除する様を披露出来るのは、あくまでもここが自分のサーバーだからです。

 他の方々のサーバーで、無遠慮にそんな真似を披露してしまえば、アウラやマーレ、ユリが嫌がるのは間違いないでしょう。

 

 自分から、人様の場所で迷惑を掛ける行為をするなど、紳士の風上にも置けないと言っていいでしょうね。

 

 そんな風に、グルグルと思考を巡らせては答えが出ないまま、とうとう当日を迎えてしまいました。

 何度も考えてみたものの、やはり自分には何かを作る事は出来ませんでしたし、最初に思い付いた方法以外に御三方に喜んでいただける事も思い付きません。

 己の不甲斐なさに臍を噛む思いを抱きつつ、私は御三方からメールを届けた際にチョコレートを差し出された時は、最初に己が思い付いた事を提案する事に致しました。

 

 それ以外に、今の私から提案出来る事など無かったのですから、仕方がありません。

 

 今回ばかりは、自分の体形に対して色々と思う部分が出来てしまいましたが、これを教訓にして次の機会の為に何らかの手段を考えるというのも悪くないでしょう。

 それこそ、特に親しい相手に協力して一緒に何かを作成して貰い、それを連名にしてお送りするという言う手もありますからね。

 どちらにせよ、当日に今更何を言っても仕方ありません。

 やはり、今日に関しては仕方がない事だと腹を括るしかないでしょう。

 

「いらっしゃい、エクレア。

 いつも、メールをありがと。

 はい、ハッピーバレンタイン!」

 

 予想通り、最初に餡ころもっちもち様のメールを持参したぶくぶく茶釜様から、メールをお渡しするなりそう声を掛けられました。

 こうなってしまった以上、私もここに来る前に自分で決めた通り、思い付いていた提案をするしかありません。

 なので、私も覚悟を決めて口を開きました。

 

「お邪魔いたします、ぶくぶく茶釜様。

 こちらが、我が主からのメールでございます。

 後、この私めへチョコレートをプレゼントしていただき、ありがとうございます。

 お年玉も含め、私からもぶくぶく茶釜様へ〖何か、お返しを〗と考えましたが、私のこの手は何かを作り出すのはとても不向き。

 そこで、他に喜んでいただく術を考えました。」

 

 そこまで口にした所で、私は両手を広げて茶釜様の前へと一歩踏み出しました。

 

「私に出来る事、それは普段はお諌めしている抱きぐるみなる立場となり、ご満足いただくまでもふもふしていただく事でしょう。

 今日ばかりは、一切お諌めは致しません。

 更に、どんなにもふもふされたとしても私は抵抗いたしませんので、茶釜様のお好きになさって下さいませ。」

 

 そう口にしたものの、本当にそれで満足していただけるかと言われたら、非常に不安だったと言っていいでしょう。

 もしかしたら …… 普段の皆様の行動は、私が必死にその行動を押し留めようと諌めていたから、からかっていらっしゃっただけかもしれない。

 そんな風に、つい深く思い詰める様に考えていた私を、すっと掬い上げる様に抱き上げる触腕。

 ハッとなって顔を上げれば、そこにはとても嬉しそうにふるふると身体を震わせているぶくぶく茶釜様の姿があった。

 

「ふふ、それじゃ今日一日は餡ちゃんとメールをやり取りする度に、エクレアの事をモフモフさせてくれるって事で良いのかな?」

 

 確認を取る様に尋ねられたので、素直に頷いて同意すればますます嬉しそうにふるりと身体を震わせられて。

 その様子に、「あ、これはアカン奴だ」と思いはしたものの、一度自分で口にした事を翻す事は出来ません。

 大人しく抱き抱えられている状態のままでいれば、ぶくぶく茶釜様はクルリと私の事を抱き締めたまま踊り出し始めました。

 

「今日は、本当にいい日だわ!

 アウラやマーレからは、朝一番にあそこに飾ってあるリースを貰えたし、エクレアはこんな風に好きにモフモフしていいって言ってくれるなんて、滅多に無い機会に恵まれちゃうんだもん。

 パンドラも、朝のメールと共にすっごく可愛いペンダントをアウラとマーレと私の三人分、お揃いでくれちゃうすっごく気の付く良い子だし、デミウルゴスはシンプルにあそこに飾ってる花束をくれるしさ。

 もう、メールペットの男性陣がみんな男前で本当にすごく嬉しいよ、私!

 これは、絶対に餡ちゃんとやまちゃんに伝えないと駄目だよね!」

 

 それは満足そうに、笑いながらおっしゃるぶくぶく茶釜様の言葉を聞きながら、今日はどれだけ餡ころもっちもち様とぶくぶく茶釜様、やまいこ様の間でメールを運ぶ事になるのか、ちょっとだけ気が遠くなりそうなエクレアだった。

 

******

 

【 恐怖公の場合 】

 

 お正月の三が日、それぞれ仲の良いメールペット同士でお揃いの品などの特別なお年玉をいただいた方へ、「何かお返しを!」とメールペットたちが画策している事を、恐怖公も耳にしていた。

 しかし、だ。

 恐怖公自身が、お年玉でも特別なものを送って貰えた相手は、実はコキュートスの主である建御雷様だけだった。

 他にも、メールペットの間では割と親しくしている相手は居たものの、お年玉を贈る主様側がるし☆ふぁー様からの贈り物を警戒して、恐怖公にそこまでしてくれた剛の者は建御雷様だけだったのだのである。

 別に、それに関しては仕方がない事だと、恐怖公も理解していた。

 

 何と言っても、己の主であるる☆しふぁー様は、一癖も二癖もある様な他の主様の中でも一番の愉快犯で「まずは悪戯ありき」と言っても過言ではない方であられるから、仕方がないだろう。

 

 恐怖公にとっては、何よりも代え難き素晴らしい主なのだが、本当に自分の懐の中に入り込んだ方以外には、その判り難い好意が向けられる事がないという、非常に困った方なのだ。

 何よりも質が悪いのが、自分でその事を正確に理解していながら、特に直す気が無い所だろうか?

 あの方の優しさは、本当に解り難い。

 

 例えば、バレンタインデーと言われる今日のメール配達にしても、実に判り難い好意を発揮していらっしゃる。

 いつもの様に、起き抜けてから予定を確認なさっていたるし☆ふぁー様は、日付を見た瞬間に軽く頭を掻いて何か思案する素振りを見せていた。

 多分、今日のメールを出す相手に関して、色々と修正を加えていらっしゃるのだろう。

 

「あー……今日は、バレンタインだっけ?

 それなら、今日は俺から女性陣三人にメールを送るのは止めておこう。

 まぁ……今の所、あの三人に取り急ぎ連絡する事もないしさ。

 多分、恐怖公はあの三人がバレンタインのチョコをメールペット全員分を用意している事を想定して、ちゃんと対応出来る様に何か考えて準備してたかもしれないけど、俺としてはメール自体を持って行かないという選択も、一つの手だと思う訳。

 ま、今日一日は彼女たちを悪戯のターゲットにしない事が、俺からのバレンタインって事で良いんじゃね?

 そう言う訳だから、恐怖公もそれで頼むよ。」

 

 ほら、そんな風に言われなければ気付かないレベルの話で気遣われても、相手には伝わらないと私は思うのですがね、るし☆ふぁー様。 

 

 とは言え、既に主であるるし☆ふぁー様がそうお決めになったのなら、余程の緊急事態が起きて連絡が必要にならない限り、今日一日の間は私があの方々の下を訪れる事はないのでしょう。

 私が用意したのは、シルクスクリーンの薔薇のタペストリーですし、またの機会でも問題はないでしょう。

 それに、どうしても無理にお贈りする必要もありません。

 るし☆ふぁー様の言葉ではありませんが、敢えて「何もしない」というのも一つの選択肢で間違いありませんから。

 

 そう、サクッと結論付けた恐怖公は、女性陣にメールを送らない分もペロロンチーノ様を筆頭にメールを準備し始めているるし☆ふぁー様のメールを届けるべく、配達の順番を考え始めたのだった。

 




エクレアは、あの外見なのでものを造れない代わりに自分を生贄に捧げて貰いました。
恐怖公の場合は、メールを持って行かない事自体がバレンタインプレゼントだろうと、サクサク決めちゃうるし☆ふぁーさんによって、贈り物自体が出来なかったという、実に出落ち感が……
エクレアの話で出て来たように、パンドラは女性陣にメールペットと主お揃いのペンダントを、デミウルゴスはシンプルに花束を用意しました。
彼らは、普段から色々と動いてくれているので、今回は登場を控えて貰いました。
以上、バレンタインネタは俺にてお終いです。



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幕間 ~タブラ・スマラグディナの回顧録~

長らく間を開けてすいません。
一先ず、幕間の話。


 メールペットでの仲間とのやり取りが始まり、そろそろ一年半が過ぎようとしていた。

 最初の頃は、本当にメールペットと主側の双方に色々と細々とした失敗も多く、試行錯誤を続ける事も多かったと言っていいだろう。

 

 多分、その中でも一番大きな失態だったのは、自分のメールペットであるアルベドが引き起こした一件だろうか?

 

 あの頃は、自分でも「メールペットを飼う」と言う事が本当に何も分かっていなくて、色々な失敗ばかりしてしまったとタブラは思う。

 本当に、もう少しきちんとアルベドと向き合うべきだったのだ。

 それを怠ってしまったから、少し前からアルベドの行動が問題視されて騒動になり掛けていたし、その後の対応策も失敗してしまっていた。

 更に、そのせいでウルベルトさんに多大なる迷惑を掛けた時は、本気で彼に償わなくてはいけないだろうと考えつつ、つい死にたくなったものである。

 

 全て、それらの問題を乗り越えられたのは、心強い仲間たちと優しいメールペットたちのお陰だろう。

 

 その中でも、特に感謝すべきはたっちさんの娘さんだな。

 今では、すっかり落ち着いてその美しさから淑女と言えるアルベドだが、彼女の中に大きな心の変化を齎してくれたのは、間違いなくたっちさんの娘さんのお陰だ。

 彼女との出会いと交流が無ければ、アルベドはもしかしたらまだ闇の中を彷徨っていたかもしれない。

 アルベドも、その事を理解しているからなのか、たっちさんの娘さんに対してかなり甘い。

 更に、彼女に対して淑女の見本になるようにと言う思いがあるからなのか、自分の行動に対してしっかり責任を持てるように、色々と考えているようだった。

 

 本当に、たっちさんの娘さんとの出会いは、アルベドにとって大きな転換期だったのである。

 

 アレがあったからこそ、アルベドは色々と考え方を改めてくれる事が出来た。

 もちろん、元々賢い娘であるアルベドの事だから、いずれは自分だけの力でそこに至れたかもしれないけれど、そんな風に思考が至るまで掛かる時間は、半端がなく長いものになっただろう。

 アルベドが隔離されてしまった時点で、タブラ側が今までの状況に対してどんなに後悔したとしても、彼女にそれを伝える術がなかった。

 いや、後でアルベド本人から聞いた話によれば、こちらの声や姿は見えていたとの事だから、もっと彼女にとって辛い状況だっただろう。

 

 それこそ、発狂してどうにもならなくなってしまったとしても、おかしく無い状況だったのだ。

 

 もし、そんな事になってしまったとしたら……多分、自分はかなり塞ぎ込んでしまったと思う。

 アルベドは、自分にはリアルで望めないだろう【大切な娘】なのだから、失えば自分を守ろうとしてかつて楼主に楯突いたという母、高尾太夫よりも酷い状態になるかもしれない。

 それ位の自覚が、今のタブラにはあった。

 

 何故なら……心から好いた相手の子供を望む事など……絶対に出来ないのだ。

 

 タブラの……白雪の好きな相手は、絶対に自分の事を見てくれない。

 これは、純然たる事実だ。

 その理由も何もかも、タブラにとっては明確なものとして、幼い頃から常に側にあり続けたのだから、疑いようがないだろう。

 

 小さな子供の頃、母と一緒に過ごすなんて殆どまともに出来ないまま、楼主によって監視されるように生きていたタブラの世界は、ある意味色あせた灰色だった。

 

 そこに、光をともしてくれたのは……大きな体を縮めながら、私の前に膝を付いて視線を合わせて話してくれようとした、大好きなテディベア(建御雷さん)だ。

 まだ幼い子供相手に、きちんと一人の人として対応してくれたのもあの人だけ。

 楼閣に来る度、自分よりも遥かに大きな体を小さく丸めながら、手のひらの上にちょこんと載ってしまう様な端末を太い指で押し間違えない様に器用に操って、楼閣内に居る遊女たちからの収支報告を纏めている姿は、テディベアが細い棒を使って蜂蜜を舐めているような、そんな可愛らしくもギャップに溢れた姿に見えて。

 そんな風に、細かい作業を忙しくしているのに、タブラの事を見付けると笑みを浮かべながら「おいで」と笑顔で手招きしてくれる優し人。

 

 あの姿を見た時から、タブラは特に〖ギャップ萌え〗を好むようになったのだ。

 

 そんな風に、彼と知り合う事でタブラなりに禿になるべく勉強しながら、割と穏やかな生活を過ごしていられたのは、本当に少しの間だった。

 会える時間は少ないなりに、自分の事をちゃんと愛して大切にしてくれていた母が、あの楼主がタブラが生まれた後に仕掛けた策略によって嵌められていた事に気付いたからである。

 既に、【白雪の養育費】と言う名の借金は、一人前の遊女を育成する程の費用が掛かっていた。

 その時、まだ七歳になったばかりの少女にも拘らず、だ。

 母の年季が明けるまでに、残されていた時間はあと二年。

 どう考えても、可愛い自分の娘が借金漬けの状態から抜け出せない状況を突き付けられ、母はとうとう病の床に伏してそのまま帰らぬ人になった。

 

 あの時、建御雷が手を差し伸べてくれなければ、今、こんな風に自分は過ごしてなどいなかっただろう。

 

 母の死を前に、幼いながらも自分の運命が風前の灯火だと言う事を、タブラはちゃんと理解していた。

 多分、まだ七歳と言う幼い身の上でありながら、この楼閣に居るどの遊女よりも多額の借金を楼主によって背負わされている自分は、まともな身請け先も存在していないだろう。

 むしろ、幼いまま売りに出す方向で考えている楼主によって、割と早い段階で変態へと手渡されるのは間違いない筈だ。

 金にがめつい楼主にとって、これ以上タブラに対して多額の養育費を掛ける意味はない。

 出来る限り、早い養育費の回収を望んでいる筈の楼主が、これ幸いと顧客の中でも金持ちでロリコンを選んでくるのはそれ程時間は掛からないのではないかと、本気で思っていたのだ。

 

 そんな風に、自分の今後の事でありながらどこか冷めた目で見ていた自分を助けてくれたのは、誰よりも大好きなテディベア(建御雷さん)で。

 

 あの時から、ずっとタブラにとって誰よりも素敵で格好いいヒーローは、テディベア(建御雷さん)だった。

 例え、それは大人になって子供の頃よりも色々と世知辛い世間をもっと知ってからも、ずっと変わらない。

 あの人が、タブラにとって一番大切な人。

 

 タブラが誰よりも大好きな、大好きなテディベア(建御雷さん)

 

 でも、どんなにタブラがそんな風に思っていたとしても、絶対にテディベア(建御雷さん)には自分の手は届かない。

 だって、彼の好きな相手は自分の母だった高尾太夫であって、自分はその忘れ形見でしかないのだから。

 それに……彼は、自分の小さなころから【後見人】と言う立場に立ってしまっている以上、どう考えても娘としてしか見てくれていないのだ。

 全部分かっていて、遊女と言う立場を忘れずに昼間は彼の娘同然の存在として振る舞い、夜はギルドの仲間として彼と繋がっている事を望んだのは自分自身。

 

 今更、出来ればその立場を変えたいなんて我儘を、タブラから建御雷さんに対して言い出す事なんで出来る筈がなかった。

 

 ぼんやりと、そんな事を考えながらタブラは今日の仕事の予定を確認する。

 タブラの……白雪太夫の人気は昼見世として考えれば最高だと言えるくらいに高く、予約客がいない日はほぼ無い程に予定は詰まっている。

 とは言え、今日のお客の来客時間はちょっとだけ遅めなので、まだ支度をしなくても大丈夫だろう。

 仕事の合間による予定のお客は、帰りも早いので割と楽だ。

 このお客が相手なら、割と早い時間にユグドラシルにログインできるだろう。

 サクサクと予定を確認し、まだ時間に余裕がある事を確認したタブラは、ふとある事を思い付いた。

 

〘 ……そろそろ、アルベドにも本来の私の姿を見せても良いかもしれないわね。

 当時は仕方がなかったとはいえ、何時までも私の可愛い娘であるあの子にこちらの姿を隠したままでいる事自体が、非常に心苦しかったのよね。

 それに……この姿を見せる事こそ、何よりも私と彼女が親子なのだという事を示す、明確な事実ですもの。

 そうね、まずはあの子にこの姿を教える事から始めましょうか……〙

 

 すぐ側あった手鏡を覗き込み、自分の顔を確認して「大丈夫だ」という様に小さく頷くと、タブラはそれを側のテーブルに置いて立ち上がった。

 事実、彼女の考えに間違いはほぼ無いだろう。

 今のタブラは、ほんの少しだけ若いアルベドの色違いにまで成長しているのだから。

 

「あの子には、今まで一度も【リアル】の世界を見せた事はなかったけど……喜んでくれるかしら?

 まぁ、私の生活空間はほぼこの部屋の中だけの様なものだし、余り珍しい物はないのだけど。

 でも……少しでも、あの子と普通にお話しできるようになるなら、その方が良いものね。

 多分父様なら、「むしろ遅すぎる!」っておっしゃるのかもしれないけど。」

 

 何となく、そんな事を言いながら顰め面をしている建御雷の姿が想像出来てしまい、タブラはコロコロと小さく笑う。

 そして、メールサーバーを立ち上げるべく、端末を手に取ったのだった。

 




という訳で、幕間的な話。
丁度、メールペットが起動して一年半と言う事で、千五百人の大攻勢も終わってます。
本当は、タブラさんとアルベドの話の中に全部入れるべきかとも思いましたが、色々と考えた結果、半年前の視点に関してはタブラさんとアルベドの話とは切り離しました。
その代わり、タブラさんから見た建御雷さんについても書き足してみました。
えっとですね、タブラさんにとって建御雷さんは「自分を助けてくれたヒーローで、初恋の相手でもありずっと好きな人」です。

時間軸的に、丁度ユグドラシルが開始して六年半。

つまりですね、そろそろユグドラシル十二年問歴史の折り返しを過ぎ、そろそろ少しずつ陰りが見え始める頃であり、原作では「アインズ・ウール・ゴウン」のメンバーが欠け始める兆しが見え始める頃でもあるという……



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初めての父の日のお話

 今日のモモンガは、誰の目から見てもはっきりと判る位にご機嫌な様子だった。

 ログインしてきてからずっと、ニコニコと笑いながら何かを見ているモモンガの様子が気になったのか、ギルドの中でも仲の良いペロロンチーノとウルベルトが、いつもの様に挨拶しながら近寄ってくる。

 

「こんばんは、モモンガさん。

先程から、とてもご機嫌の様子ですけど……何か、良い事でもあったんですか?」

 

 そう、先に話を切り出したのはウルベルトだった。

 いつの間にか、ちゃっかりとモモンガの隣に座っているペロロンチーノも、それは興味深げな様子でモモンガの顔を覗き込んでくる。

 興味津々と言った様子の二人を前に、モモンガはコリコリと細い骨の指で頬を軽く掻きながら、ちょっと照れくさそうな笑顔を見せた。

 

 正確には、そんな雰囲気を纏わせながら、笑顔のアイコンを浮かべただけなのだが。

 

 元々、ギルメンに対しては基本的に態度が柔らかいモモンガだが、それでもこんなにご機嫌な様子でいるのは珍しい。

 どうやら、誰もがその様子が気になっていたらしく、ついつい彼の返事がどんなものになるのか周囲もいつの間にか聞き耳を立てている様子だった。

 そんな自分の周囲の様子に気付く事なく、モモンガはご機嫌のままニコニコと笑顔で口を開く。

 

「……実はですね、今朝メールサーバーを立ち上げたら、パンドラから〖父の日ですので〗と一枚の絵をプレゼントされたんですよ。

 正直、メールペットとして誕生してまだ二か月しか経っていないあの子が、どこで〖父の日〗なんて言葉を知ったのかは分かりませんが、〖モモンガ様は、私の主であるとともに父上でもありますから!〗って、言われちゃいまして。

 それこそ、〖受け取ってくれるかな?〗って不安と期待が籠った視線を向けられてるのがすぐに判って、その様子が〘凄く可愛いな〙と思いながら受け取ってみたら……その、何て言うのか【ちっちゃい子供が一生懸命頑張って初めてお父さんを描いた絵】みたいのが出て来て、その横に俺の名前が書いてあったんですよ。

 それを見た瞬間、もう何とも言えない気持ちになりまして。

 パンドラなら、それこそ持たせている能力的に考えても、絵とか普通に上手に描ける筈なんですけど、どう見ても【子供が一生懸命に落書き帳に色付きで絵を描きました!】って感じの絵の仕上がりになってるんです。

 思わず、どうやって描いたのか聞いてみたら、俺にくれた絵はスキルを一切使う事無く、素のままの自分に描ける精一杯で俺の事を描いたものだと教えてくれたんです。

 その言葉を聞いたら、凄く胸がほっこりとして思わずパンドラの事を抱き締めちゃいました。

 正直、こんな所は俺に似なくてもいいのになぁと。

 だけど……逆に、そういう似ている部分があるのも良いなぁと思ったら、本当にパンドラと親子になったみたいな気がして、凄く嬉しくてこうして持ってきちゃったんですよ。」

 

 そう言いながら、モモンガは手にしていた一枚の画用紙と思しき絵を見せてくれた。

 彼の言う通り、そこにあったのは子供の落書きのような、拙い絵。

 それこそ、横にモモンガの名前と特徴的な髑髏の顔が判別出来なければ、モモンガの似顔絵だと判らなかっただろう。

 それでも……確かに、この絵に込められているだろう、モモンガの事を慕うパンドラズ・アクターの気持ちは伝わってくる。

 モモンガの説明と共に、差し出すように見せられた一枚の絵を前にして、ペロロンチーノとウルベルトは顔を見合わせた。

 そう言われれば、今日はこの時代では随分と廃れてしまっているものの、昔から父の日と呼ばれる日である。

 確かに、一体どこからその知識をパンドラズ・アクターが知ったのかは分からないが、主としてだけじゃなく親としてもモモンガを慕う彼が、こうしてプレゼントを贈るにはふさわしい日でもあった。

 

「……へぇ、確かに小さい子供からのプレゼントって感じで、可愛らしいですね。

 モモンガさんの言う通り、パンドラがどこでそれを知ったのかは気になりますけど、慕われているのが良く判る絵だと俺も思います。

 あー……うん、ちょっと羨ましいかも?

 俺のシャルティアは、そう言う素振りは見せてませんでしたもん。」

 

 パンドラズ・アクターの描いた絵を見ながら、そう呟いたのはペロロンチーノ。

 その横で、首を竦めたのはウルベルトだった。

 ペロロンチーノだけじゃなく、ウルベルトもデミウルゴスから何も貰っていない。

 

「あー、俺も貰って居ないですね。

 と言うか、正直に言っていいならデミウルゴスは色々とやりたい事が多いのか、どちらかと言うと廃れ気味の〖父の日〗の存在に、気が付いてるのかどうかも怪しい気がします。

 今時、ネットで〖父の日〗のイベントとか特集もしないですからね。

 デミウルゴスを相手に、別に無理に欲しいっていう訳じゃないですけど、こういうのを見るとちょっとだけモモンガさんが羨ましくなりますね。」

 

 ちょんちょんと、絵を突きながらウルベルトがそう漏らすのとほぼ同時に、横から声が掛かってきた。

 

「え……?

 お二人とも、何も貰えなかったんですか?」

 その声の主は、ウルベルトにとって天敵のような存在と言っていい、たっちだった。

 当然のような声を聴いて、ウルベルトの気配に苛立ちが混じる。

 ここで、わざわざ「貰えて当然」と言わんばかりに声を掛けてくる事に、普通に苛立ったのだろう。

 

「へぇ……それでは、あなたはセバスから何か〖父の日のプレゼント〗を貰えたというんですか、たっちさん?」

 

 今までと、一つトーンが下がったウルベルトの声に、周囲が思わず後退っている事に気付いていないのか、笑顔のアイコンを浮かべながらたっちは頷いた。

 どうやら、貰った物を見せたくてモモンガの様に持参していたらしい。

 

「もちろん、貰えましたよ?

 娘のみぃと連名で、絵と小さな袋を一つ。

 絵の方は、みぃがメインで描いた物らしく、モモンガさんの所のパンドラズ・アクターと同じ様な、子供の描いた可愛らしい絵でしたし、セバスがメインで用意してくれたらしい小さな袋の方には、【ユグドラシル】で使用出来る様に調整された、【毒耐性(微量)】のバフが込められたクッキーでした。

 こちらに渡す際に、〖たっち様には、必要のない品だとは思いますが、これも気持ちですので〗などと、申し訳なさそう様子だったので、思わず可愛くて二人の頭を撫でてしまいました。」

 

 アイテムボックスから、今挙げた二つの品を取り出しながら、ふふっとその時の事を思い出して笑うたっち。

 そんな、無自覚なたっちの自慢を聞いて、黙っていられなくなりそうな気配を醸し出すウルベルトを前に、周囲が「このまま、PVP突入か?」と、更に警戒を増す。

 だが……瞬間、その横からまるで二人の間に乱入するかのように、るし☆ふぁーが手を挙げた。

 

「はい、はいはい!

 それなら、俺も恐怖公から【ユグドラシル】で使用可能な敵への【恐怖耐性無効化】デバフが付けられる、特製の眷属を貰ったんだ!」

 

 そう言いながら、ニコニコと笑顔でモモンガやたっちと同じ様に、るし☆ふぁーはそれを円卓の上に取り出して、みんなに見せようとしたのである。

 もっとも、彼の動きで、何をしようとしているのか察した両隣のギルメンにより、その場で取り押さえられた事によってそれはお披露目されずに済んだので、ギルメンが揃う円卓の間を恐怖のどん底に陥れる事は免れたのだが。

 流石に、幾ら恐怖公からの父の日のプレゼントとは言え、ちょっとはるし☆ふぁーも自重して欲しい所である。

 とは言え、今の流れによって場の空気が変わり、ウルベルトもたっちに対して苛立ちを収めた様だった。

 

 多分、ここでこのままたっちと一触即発の状態のままでいれば、るし☆ふぁーが隙を見て恐怖公から貰ったという眷属を取り出す可能性を察知したからかもしれない。

 

「……まぁ、メールペットたちはこの世に誕生してまだ二か月ですし、そもそもメールを配達するのに必要な情報ではありませんからね。

 もしかしたら、来年あたりには何か貰えるかもしれませんし、今は気にしない方がいいんじゃないでしょうか?」

 

 メールペットの開発者とも言うべき、ヘロヘロの執り成しによってその場はそのまま収まったのだが……彼らは知らない。

 

 パンドラズ・アクターが、いつもの様にメールを配達に行ったシャルティアやデミウルゴスを相手に、モモンガに「父の日」の事を話した事を。

 そこからメールペットたち全員に伝播して、こうしてギルメンたちがユグドラシルにログインしている間に、プレゼントを渡していない残りのメールペットたちが、それこそ大慌てで「せめて何か気持ちを込めた物を用意しよう」と悪戦苦闘している事を。

 

 そして……ログアウトしていつもの様にメールサーバーを立ち上げた瞬間、半泣きの彼らからそれを手渡される事を。

 




という訳で、メールペットたちによる父の日のお話でした。
それこそ、数時間で書き上げた即興のお話なので、内容に突っ込みはご遠慮ください。
因みに、茶釜様たち女性陣も今回の父の日にプレゼントを贈られ、凄く困惑するという一幕もあります。
だって、母の日は過ぎちゃってますし、一年あとまで待てなんて彼らには出来ませんから。


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最新話
騒動の結末 前編


大変遅くなりました。
そして予想以上に長くなったので、前後編に分けます。



 結果的に、るし☆ふぁーの父親はこちらの連絡を受けると、文字通り間を置かずに飛んできた。

 時間的に考えても、殆ど連絡を受けたと同時にこちらに向かったのだろう。

 それも、ある意味当然の話だ。

 

 何もかも放り出しても構わない位、彼は心の底から愛人の事を愛していたのだから。

 

 故に、彼女が警察による拘束を受けている状況を知り、どうしてそんな事になったのか何も知らないからこそ、アイツはこんな事になっている状況に納得出来ずに、こちらを見付けるなり食って掛かってきたのである。

 だが……こちら側には、喚くアイツを黙らせるだけのネタが幾つもあるのだ。

 特に、この愛人が絡んだ際の行動に関して言えば、プラスよりもマイナス点が多いからネタに事欠かないのだ、このクソ親父。

 それらを全部並べたてて、こちらが彼女から襲撃を受けるまでの事情も告げ、その上でどうして警察に身柄を拘束されているのかまで伝えれば、がっくりと肩を落とした。

 まさか、自分の側近たちが愛人の存在を疎んじていた揚げ句、中途半端に事情を話して愛人の事を焚き付けた上で、彼女まで一緒に狙撃して殺すべく罠を仕掛けていたとは思わなかったのだろう。

 正直、このクソ親父がこんな風にがっくりと肩を落としている姿を見たら、 今までの自分と母への所業からもっと胸が空くかと思っていたのだが……それよりも〖情けない〗と思う方が強かった。

 これもまた、当然の感想だと思う。

 

 今まで、あれだけ自分や母に対して偉ぶっていた男が、たった一人の女性にここまで好き放題に振り回されてる姿を見て、情けないと思わない方がおかしかった。

 

 状況的に考えても、現行犯として捕らわれてしまっている状況では、こちらの立場的な面でも自分の手でもうどうする事も出来ないのを理解してしまったのだろう。

 このまま、愛人が殺人未遂で逮捕される事が回避出来ない事を、何とか受け入れているようだった。

 むしろ、それ以上に衝撃を受けているのは別の事だったらしい。

 彼女が暴走した理由の一つに、「白雪太夫を身請けして、新たな愛人にする事がどうしても受け入れられなかったのだ」と嘆く彼女を見て、愕然とした顔をしていたからだ。

 あいつにとって、新しく愛人を迎える理由は〖愛する彼女の事を手放さない為には、どうしてもるし☆ふぁー以外の実子が必要〗だと理由がはっきりしていたから、迷う必要すらない事だった。

 だが、彼女にはそれ自体が納得しがたいものだった事に、あいつは欠片も気付いてなかったのである。

 まぁ、彼女の立場で考えれば、当然の結論だろう。

 

 愛する男の子供一人、産めない女と言う烙印を押されたのと同じ事なのだから。

 

 だからこそ、アイツの側近たちによる巧みな言葉に騙され、今回の襲撃を実行してしまったのだと泣き崩れる彼女の姿を前にして、るし☆ふぁーは何とも言えない気持ちになった。

 るし☆ふぁーは、知っているのだ。

 この愛人が、これだけ愛され長い付き合いがあるにも拘らず、今まで一度もアイツの子供を産めなかった理由は、別にある事を。

 

 彼女は、アイツの愛人になってそれ程間を置かない頃に、アイツの親族が医師に指示を出して処方させた薬を食事に少しずつ混ぜられ、子供が出来ない身体にされていたのである。

 

 どうして、彼女がそんな身体にされたのかという理由は、実に簡単なもの。

 愛人が、下手にアイツの子供を産んでしまった場合、確実に起きる後継者争いを周囲が嫌ったからだ。

 そもそも、だ。

 あのクソ親父が、母と結婚する前から付き合っていた愛人と結婚出来なかった理由は、昔から野心家だったあいつの家の都合でしかなかった。

 上流階級として、常に自分を優位に見せたがる気質が強いアイツの母親が、中流層の出身だった愛人では周囲に自慢出来る嫁ではないと嫌い、夫と息子に〖彼女の家柄では、より上に上がれない〗と言う名目で猛反対した挙句、別の結婚相手として母を見付けて強引に結婚まで推し進めたのである。

 なんだかんだ言って、母親に抗い切れなかったアイツが母と自分の事を逆恨みから疎んじるのも、ある意味では仕方がない部分はあった。

 

 だからと言って、アイツが今まで母に対してして退けたむごい仕打ちに関しては、許すつもりは欠片もないが。

 

 アイツはアイツで、泣き崩れながら彼女が今まで抱えていた胸のうちの吐露を耳にして、自分の選択が間違っていた事に気付いたらしく、更に酷く落ち込んでいる。

 正直言えば、絶対的な壁として立ち塞がっていた祖母が死んだ時点で、こいつが素直に愛人を取って母と離婚していれば、ここまで面倒な事にはならなかったと思う。

 タブラさんに関しては、それこそ別の身請け話が出ていたかもしれないが、それに関しては話が出る前に金銭的な面で何とかすれば助けられた訳だし、母だってその頃ならまだ別の相手との再婚しても子供が望める年齢だったから、四方丸く収まっただろうに。

 

 まぁ、全部過ぎてしまった事だから、今更何を言っても意味がないだろうが。

 

 それよりも、問題はこれから先の事だ。

 幾ら、こいつらがそれぞれ自分の行動を顧みる事によって自然に凹んで反省したとしても、それで何もかも全部円満解決なんて事は、既に状況的に難しいと言っていいだろう。

 このまま、アイツの体面を維持したまま上手く引退させる流れに持って行く事も、今の段階ならまだ出来るかもしれないが、それだと会社の中にアイツの派閥に属する面倒な人間も残ってしまう為、最初から視野に入れていなかった。

 正直、父と一緒にこっそり会社の金を私的に流用していた様な奴は、これから再生する会社には必要ない。

 何の為に、わざわざ祖父の手を借りてまで、モモンガさんたちを他社から引き抜いたと思う。

 

 いつの間にか、アイツの会社に根深く食い込んでしまっているこの手の煩わしい老害を、徹底的に排除する為に決まっているじゃないか!

 

 元々、アイツの側近として周囲を固めていた奴らは、アーコロジーに住める程度ではあるけど、富裕層中では下っ端の木っ端役人に近い立場だった。

 だからこそ、アイツに側近としてくっついて回る事によって立場が強化され、自分自身が成り上がった様に思って居る連中である。

 そんな奴らからすれば、俺が自分の側近として選んでヘッドハンティングまでしたモモンガさん達は、かつての自分たちよりも下から這い上がった事になるので、余計に目の敵にするだろう事は簡単に想像出来た。

 そんな相手を残しておけば、わざわざ協力を要請して招いた仲間の危険に確実に繋がるのがはっきり予測出来るので、当然排除対象だ。

 

 むしろ、これを機にサクサクとうちの会社から、完全に排除するべきだろう。

 

 先程、ちょっとだけ簡単に例を挙げたが、恐怖公がネットを介して色々と調べた情報によると、こいつらは親父が横領するのに便乗してちょっとずつ会社の金を横領し着服しているらしい。

 道理で、幾らアイツの側近としてそれなりの給料を貰っているとしても、そう簡単に持つ事が出来ない様な時計などを身に着けていた訳である。

 ある程度、経理帳簿による証拠は揃っている事だし、会社を綺麗にする為にも遠慮する事はないだろう。

 実際に、手元にきっちり纏め上げられた上で報告されている資料の中にも、くそオヤジが横領したと言う割には少額過ぎる割に合わない奴が幾つかあった。

 

 この辺りの、会社の経費にしてはどう考えても用途不明金に当たる部分が、こいつらがコソコソと横領した奴なのだろう。

 

 手元のデータで確認しながら、その可能性を見出だしたるし☆ふぁーは、既に気付いていた。

 元々、財政担当の能力を持つパンドラズ・アクターを主軸に据えて、もう一度全ての会計関連の洗い直しを行えば、確実に証拠が拾い出せる事に。

 先日、自ら会社を辞めてこちらに弐式さんが合流してくれたので、そのまま彼を会計担当に据える予定だ。

 元々彼は、前の会社でも会計担当の会計士だったから、能力的にも安心して任せる事が出来るだろう。

 

 彼とパンドラズ・アクターが主軸で、今から徹底的に手持ちの帳簿と伝票データを確認すれば、それこそ明日の株式総会までに 不正の証拠を提出する事が可能な筈だ。

 

 そんな事を頭に浮かべながら、るし☆ふぁーは今日行われただろうタブラさんの身請けがどういう状態になったのか確認するべく、ウルベルトさんへとメールを送信したのだった。

 

********

 

 正直、「なんで?」と言う言葉が、頭の最初に浮かんだ。

 

 だって、まさかこんな事になるなんて、それこそ予想外で。

 自分に待っていたのは、こんな状況じゃなくてもっと明るい未来だった筈なのに……と思った瞬間、こぷっと口から血が溢れ出た。

 次の瞬間、身体の至る所が痛みで悲鳴を上げる。

 何とか逃れたくても、何かに押し潰されている身体は身動き出来なくて、呼吸するのすら痛みしか感じない。

 僅かに動く視線で、助けを求める様に視線を巡らせた所で、ふと視界の端に見えたものに気付いて、思わず殆ど動かない腕を伸ばしていた。 

  

 それは、自分が可愛がっていた大切なメールペットといつも話せる様に、持ち歩いていた小型端末。

 

「……あそこっ……にっ…ごふっ……ルプー……げふっ……ぐっ!!」

 

 僅かに伸びた手が、ギリギリ触れない場所にある端末。

 その状況に、深い絶望を感じながら全身の痛みを押し退ける様に更に手を伸ばす。 

 流石に、この状況では自分が助からない事を理解していたから。

 それでも、触れる事すら出来なかった端末が、次第に視界が擦れて見えなくなるのを感じながら、最後に頭に浮かんだのはあの中に居るだろう明るくて可愛いルプスレギナの姿だった。

 

 

 ☆☆☆☆☆

 

 最初にその人事を言い渡された時、頭に浮かんだのは「どうして自分が?」と言うものだった。

 流石に、今までとは畑違いの〖営業〗と言う部署だった事もあり、間違いじゃないかと確認した結果判ったのは次の事である。

 今回の人事は、今まで担当していた営業が他社に引き抜かれたために、自分がその代わりとして大抜擢されたということらしい。

 

 自分が選ばれた理由は、相手先の会社の次期後継者候補にほぼ確定している人物が、ネットゲームの知り合いだと言う点からだと聞いて、ある意味納得した。

 

 その条件を、満たす自分の知り合いなど、たった一人しかいない。

 取引先の企業の名前から、そこの御曹司であり次期後継者候補だと言うるし☆ふぁーさんに関して、色々調べるチャンスだと思った。

 今まで、全く何も解らなかった相手について、漸く掴んだ情報である。

 そのまま、「初めて営業を担当する為、相手先の事を少しでも確認しておきたい」という名目で、色々自社にあるデータベースで調べた結果、るし☆ふぁーさんの立ち位置やら何やらが、ざっくりと判明した。

 「後継者」とは言われているけれど、それはただ単に他に血を引く者がいなかったからで、父親は彼を排除しようとしている事すら簡単に調べがつく。

 

 これでは、確かにるし☆ふぁーさんが身の危険を感じるのも仕方がないかもしれなかった。

 

 なんだかんだ言って、本当は余り仲が良いとは言えないが、それでも今のこの状況でお互いにリアルの立場まで巻き込んでまで、何かするとは思えない。

 それに、この状況の中を双方の間で上手く立ち回れば、一番おいしい思いが出来るのは自分じゃないかと、そんな言葉が頭に浮かんでいた。

 それ位、彼の立ち位置は不安定なのだ。

 だが、あえて会社側が後継者候補とした事には、何らかの理由があるのだろう。

 資料で確認した記録によると、こちら側から引き抜かれたのは営業の担当だった人物も含めて三人程いた。

 彼らが全員、あの時あの場でるし☆ふぁーさん達に協力を申し出た面々のうちの誰かだとしたら、この状況も納得がいく。

 

 あの時、サクサクと時間切れで振り落とされてしまった為、『参加する』という選択は自分には出来なかったが、何人かあちら側に協力をすると申し出ていた仲間がいるので、多分、そのメンバーたちの中の誰かが引き抜かれていったのだろうと、簡単に推測出来たからだ。

 

 そう思うと、かなりの確率で彼らは勝ち組に乗りかけている状況だと言えるだろう。

 引き抜かれた面々の経歴を追えば、誰もが最終学歴が小学卒の貧困層出身で、本来なら引き抜きが掛かる様な立場じゃなかったからだ。

 全員の経歴を読み終えた途端、ジワリと胃を妬く様な思いがこみ上げてくる。

 数年前にあった、ウルベルトさんの一件だって、自分からすれば腹立たしいと言える結果だった。

 

 どうして、あれだけお互いに仲が悪かったたっちさんの家の家庭教師の座に収まるなんて、そんな厚かましい真似が出来ているんだろう ?

 

 幾ら、仕事を失いその先に待っているのが死しかなかったとしても、あんな風にたっちさんの娘の家庭教師になるなんて、余程面の皮が厚いと言っていい。

 普通なら、あそこまで反発していた相手の手を取るよりプライドを取る筈だ。

 そう考えると、普段たっちさんと対立していたのも、このゲームの中だけの口先だけのロールプレイで見せ掛けだったんだろう。

 状況的に追い込まれれば、あっさり相手に対して尻尾を振っている辺りが、余計にそう思えた。

 普通だったら、反発している相手の手を取る事だけは断るだろうに、自分に中途半端なプライドを持っているだけだから、何かあった時にあんな風に騒ぐのだろう。

 

 そもそも、小学卒の貧困層の人間が頭の良い風を装うから、あんな風に利用されるのだ。

 

 貧困層なら、大人しく立場を弁えて引っ込んでいればいいのにと、イライラしながらネットを検索していく。

 そう、イライラしていたのが原因だろう。

 自分のセキュリティでは、既に侵入しても問題がない領域を超えている事に、全く気付かなかったのだ。

 それがどういう状況を齎すのか欠片も考えずに、ただ闇雲に情報を求めて何時間か潜り続けた結果、ある程度欲しかった情報は手に入ったが、それでも潜っていた時間に比較すれば微々たるものである。

 何より、かなり腹立たしい情報も沢山あった。

 

 るし☆ふぁーさんの配下に付く条件で、こちらの会社から引き抜きを受け入れた面々の雇用条件が、凄まじく良かったのである。

 この状況下であるが故に、アーコロジーの中にあるるし☆ふぁーさんの祖父の実家で、ある程度状況が落ち着くまで共同生活になるという。

 それだけでも、普通ではありえない程の高待遇だと言って良い。

 何せ、あの人の実家は、このアーコロジーの中でも特に高級住宅街だと、判明しているからだ。

 更に付け加えると、この問題が片付いて正式にるし☆ふぁーさんが会社を引き継いだら、会社に程近い場所にあるワンルームマンションを、社宅として与えられるというのである。

 

 最初の段階で、そんな高待遇になると知っていたら、早々に自分も立候補していただろう。

 

 多分、るし☆ふぁーさんの下に付く事自体に関して、多少の引っ掛かりを感じてしまう部分は出るだろうが、それでも半端じゃない高待遇が待っているのだろうと思えば、我慢出来なくもない。

 更に付け加えて言えば、給料面や休暇など会社における待遇面なども充実し、引き抜き条件に出された内容も今まで所属していた会社よりも遥かに好条件なのは判っている。

 状況的に考えて、彼らは確実に今までとは打って変わった様に、着実に上と登っていくだろう。

 

 もしかしたら、この先の自分よりも格段に社会的地位が上がるかもしれない。

 

 逆に、今の自分は状況によって今より下に落ちる可能性もあり、とても不安定な立ち位置だ。

 むしろ、営業職など何か取引先との間でトラブルがあれば、真っ先に切り落とされる不安要素しかない。

 だからこそ、今の状況をとても認められなかった。

 

 今まで、自分より格下だと見下していた相手よりも下になるなど、絶対にあってはならない。

 

元々、ウルベルトさんがたっちさんの手で富裕層の住む環境で暮らせる状況に引き上げられた事だって、内心は本気で腹立たしかったのだ。

それで、更にもモモンガさんやヘロヘロさんと言った貧困層の代表的な存在だった人たちが、自分よりも確実に格下で大した事がないと思って見下していた、るし☆ふぁーさんの手で上に引き上げられるなど、想像しただけで本気で怒り狂える案件である。

 この状況をひっくり返す意味でも、自分も別の形でもっと上に成り上がりたかった。

 

 もし、今の会社で成り上がるという形を取るなら、その為に事前情報が幾つも必要だろう。

 それこそ、今更るし☆ふぁーさんの元に行ける訳がないが、自分の成績を上げるという意味の営業先の一つとして、彼の会社と上手く取引出来る様に状況を持って行けば、今の自分が置かれている状況を良くする事は可能かもしれない。

 その考えの下、色々と情報を収集するのに夢中で気付かなかった。

 自分が、気付かない内に絶対に触れてはいけないデータに触れてしまっていた事に。

 

 そう、ベルリバーさんがうっかり拾ってしまい、このままだと拙いと察知して、状況回避の為にるし☆ふぁーさんに相談したあの情報を、彼は知らない内に回収してしまっていたのだ。

 

 しかも、本当に偶然拾ってしまった上に、普通の状況ではその内容がどんなもの何か判らず、拾った本人自身がその情報の重要性に気付けなかったのである。

 元々、関わりのある部署の人間にしか意味が判らない仕様になっていたのも、彼がその情報の拙さに気付けなかった理由だろう。

 その結果、どこにでもある大した事ない情報の一つとして、碌に内容を確認しないまま「使えない情報」のファイルの中に突っ込んでしまったのだ。

 

 元々、彼の保持するセキュリティはそこまで頑丈な訳でもない。

 

 余りの脆弱さに、余り仲が良いとは言えない筈のるし☆ふぁーさんが心配して、こっそりと自分が作った件のセキュリティシステムで強化しようとしていた位なのだから、どれ位のものか察して貰えるだろう。

 ただし、それに関しては諸事情で不発に終わったのだが。

 更に言うなら、ベルリバーさんの様にるし☆ふぁーさんに対して協力を依頼し、恐怖公の協力を得た強固なセキュリティシステムで、情報取得関連の改変を行った訳でもなくて。

 

 結果として、彼が情報を入手している危険人物と誤認され、企業側から狙われるのは当然の話だった。

 

 残念ながら彼は、それに気がついていない。

 そう、全く気付いていないのだ。

 自分が、意識した訳でもなく収集したデータによって、待ち受けている恐ろしい未来に。

 




まずは前半戦。
死亡者確定です。
それ誰なのかに関しては、次の話で出て来ます。
後編更新予定は早ければ明日の朝の予定です。


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騒動の結末 後編

お待たせしました、後編になります。


ギルド会議【モモンガ視点】

 

 

「……それで結局どうなったんですか?」

 

 十日後のギルド会議で、今回の一件に不参加だった面々が、参加していた面々に静かに問いかける。

 何と言っても、不参加側は「万が一の際に巻き込まない様に」と言う理由から情報が一切与えられていない状況だった事もあり、色々と気になる事が多いのだろう。

 特に、会議にギリギリの時間にログインしてきたるし☆ふぁーさんへ向けられる視線の数は凄かった。

 

 そんな円卓の間に、埋まる事なく空いたままの席は一つ、ク・ドゥ・グラースさんだけ。

 

 今まで、一度もこの会議が始まってからは全員出席で空席が出来た事がなかっただけに、騒動の関係者の中でもるし☆ふぁーさんが一人だけ遅くなった理由は、彼の席が空席になっているのが原因なんじゃないかと、全員が疑っているのだ。

 彼は、るし☆ふぁーさんの「時間切れ」発言によって、不参加側だった事をみんな知っていた。

 だからこそ、どこかピリピリした空気の中でこの質問が出たのだろう。 

 正直に言うと、るし☆ふぁーさん側の協力者としてここ数日ずっと行動を共にしているモモンガには、一つ心当たりがあって。

 なので、このまま黙っているよりはいいだろうと、質問する事にした。

 

「そう言えば、ログイン前に連絡がありましたよね?

 あの時、俺達には『先にログインして欲しい』と言って内容を教えてくれませんでしたけど……あれは彼がこの場にいない事に関係していませんか?」

 

 あの時の、るし☆ふぁーさんの様子はちょっとおかしかったのだ。

 だから、その事を確認したくて仲間を代表する形でモモンガが質問すれば、それに対してるし☆ふぁーさんは思わず声を詰まらせていた。

 その反応は、どう考えても何か知っているとしか思えなくて。

 

 少しでも、彼がいない理由を何か知っているのなら、教えて欲しいと思うのは当然である。

 

 どちらかと言うと、普段よりもるし☆ふぁーさんは困惑していて余裕がなさそうな雰囲気だった。

 今の彼なら、もうちょっと上手く話を進めれば、ちゃんと事情を話してくれそうな気がする。

 そう思ったからこそ、るし☆ふぁーさんがリアル絡みで頭が上がらない数少ない相手の一人である、朱雀さんに視線を向けた。

 多分、朱雀さんもこちらの意図を察したのだろう。

 彼が指先で軽く机をノックした瞬間、るし☆ふぁーさんは困った様に肩を竦め、仕方なさそうに口を開いた。

 

「まず、前提として聞いて欲しい事がある。

 前回の会議から今日の会議までの十日間、それこそこちらは命が掛かっていた事もあって、リアルでの情報戦を仕掛けていたりもしたから、幾つもの情報が錯綜している状況だったって事。

 実際、正式に決着がつくまでの間に二度の襲撃があった事を言えば、納得してくれると思う。

 本当の事か疑うなら、一緒に行動していたモモンガさんたちや、警備に当たってくれていたたっちさんに確認して貰ってもいいよ。

 正直言って、状況的にどれ位大変だったのかなんて、行動を一緒にしていたモモンガさんも理解してるだろう?

 何せ、俺とタブラさんの双方で色々な騒動が起きた事で、それに対処しつつ自衛しなきゃ駄目だったんだから。

 まぁ……それも一応昨日の段階で名ばかりの父親とその関係者が逮捕された事で、解決したんだけど……どうもそのどさくさに紛れる形になってて、俺もあまり正確な状況を把握してないんだよね。

 正直言うと、夕方のあの連絡が来るまでどうしてそうなったのか、ざっくりとした話の流れすら、全く把握してなかったし。

 それ位、俺の方がゴタゴタしてたのは一緒に行動していた面々なら、分かってくれると思うけど。」

 

 一度、そこで言葉を切るるし☆ふぁーさん。

 確かに、この十日間はそれこそ色々な事で忙殺された揚げ句、二度も命まで狙われるおまけつきだったのだから、色々な情報に明るいるし☆ふぁーさんでも、把握出来ない事は多いのかもしれない。

 ただ気になるのは、そこで言葉を切った後に何か言いあぐねているのが判ったからだ。 

 

 何となく、嫌な予感がするのは気のせいだろうか?

 

「まぁ……俺の方はそんな状況だったから、本当にどうしてそういう流れになったのかまでは知らないんだけど……どうも、ク・ドゥ・グラースさんは今日の午前中、リアルで自分の勤める会社から営業に向かう途中に、暴走トラックによる追突事故に巻き込まれたみたいなんだ。

 この情報だって、その営業の予定先がうちの会社だったから〖そちらに伺う予定だった新しい営業担当が、事故に巻き込まれた為、伺う事が出来なくなりました〗と言う連絡を貰えて初めて知った状況なんだよね。

 それで、急いでその件に関する情報を調べてみたんだけど、ネットでも大きく取り上げられてる位の大きな事故だったらしいんだ。

 正直、今の俺達みたいに、色々と自分の方が手一杯な状況じゃなかったら、確実に食い付いてたニュースだったと思う。

 でも……そんな大事故に、ネットゲームの仲間が巻き込まれたなんて、普通じゃ予想出来ないから知らない人も多いかも。」

 

 そんな風に、どこか歯切れの悪い物言いをするるし☆ふぁーさんに、モモンガは非常に嫌なものを感じていた。

 だが、一度話すと決めたるし☆ふぁーさんは待っていてくれない。

 どこか覚悟を決めた様に手を握り締めると、モモンガが一番聞きたくなかった言葉を口にしたのである。

 

「それで、向こうの会社から教えられた病院に連絡して確認取れたんだけど……どうも俺が夕方に連絡を受けた時点で、治療の甲斐なく息を引き取ったらしい。

 その事故が起きたのは、さっきも言ったけど今日の午前中で、息を引き取るまで会社側が契約している病院で集中治療を受けてたらしいんだけど、元々かなりの重傷で助からなかったんだって。

 結構大きな事故だったから、現場から救出された時点でかなりの重傷で、病院に搬送されて治療を受けても助かる確率はかなり低かったそうだよ。

 実際、結構な数の人たちが事故に巻き込まれたみたいで、重傷を負ったり死んだりしているし。

 普通なら、あそこまできっちり最後まで治療をして貰える可能性はかなり低かったんだけど、今回は〖社用で重要な取引先に向かう途中の事故〗っていう理由だったから、特別に会社側が最後まで面倒見てくれたらしい。

 そんな訳だから、明後日の昼にこの事故による死亡者を弔う為の合同葬があるんだ。

 正直、突然すぎる話だとは思うんだけど……もし良ければ、この中に居る有志で彼の葬儀に参列出来ないかと思うんだよね、俺としては。

 俺自身は、取引先の社員だけどうちに来る途中だって話だから、個人としてじゃなく公人として葬儀に参列する事になるからさ。」

 

 突然、何の予兆もなく耳に飛び込んで来た内容は、とても信じたくないものだった。

 だけど、るし☆ふぁーさんの声はいつになく真面目で、淡々と事実だけを告げている様にしか聞こえない。

 そう、どうやって考えても嘘をついている様には見えなかった。

 だから……多分、これは本当の事なのだろう。

 

「……どうして、そんな事態に……」

「だって、彼はるし☆ふぁーさんの件には協力してないだろ……?」

「……本当に、偶然の事故なのか?」

 

 そこかしこから、零れ出てくる疑問の声。

 どの言葉にも、あまりに唐突な状況に対する疑念が満ち溢れていた。

 周囲の反応を理解しているからか、るし☆ふぁーさんは何とも言えない様子で首を振る。

 

「先に言うけど、この事故は本当に偶発的なもので俺の件には関係ないよ。

 正直言うと、まだ、事故に関しての詳しい情報を完全に掴んでいる訳じゃないけどさ。

 向こうの会社側としても、営業に向かった担当者二人が事故に遭った事を伝えてきただけで、それ以上の詳しい話は寄こさないし。

 そもそも、あの人が今度からうちの会社の営業担当になったという事すら、俺はこの事故が起きるまで知らなかったんだよね。

 まぁ……冷静に状況を考えれば、あの人が選ばれた理由なんて一つしかないけどさ。

 多分、俺とネットで付き合いがあるという点をあっちの上司に知られていて、そこから営業チャンスが増える可能性を考慮されたんだと思うんだ。

 少しでも、自社にとって有利な契約を結べる相手を営業担当にしたいと思うのは、ごく普通の流れだし。

 そんな風に考えた理由は、多分、モモンガさん達が俺の知り合いという事で、盛大にヘッドハンティングされていった事例からなんだろうと思う。

 だから、向こう側もこの急な事故のせいで、かなり混乱してる状況なんじゃないかな。

 本来、今日が営業としての挨拶回りの初顔合わせの予定だったから、もう一人いる担当も同行していて両方とも事故に遭ってるし。

 うちの者を含めて、何社か空白の状況が出来ちゃった営業の引き継ぎとか、そういう問題もあるだろうし。」

 

 つらつらと、零れ出る内容はどれもざっくりとしたものと推測が混じっていて、確定情報は殆どない。

 そこから考えても、彼が事故の状況を掴み切っていないというのは本当なのだろう。

 本当に、どうしていいのか困っているというのがありありと伝わってくる。

 

 それこそ、こんな状況になるなんて誰にも予想外だったからこそ、るし☆ふぁーさんも情報が精査出来ていない段階であまり言いたがらなかったのだという事が、モモンガにも良く判った。

 

*******

 

【るし☆ふぁー視点】

 

 

 ざっくりと自分が判っている情報を並べ立てながら、るし☆ふぁーは小さく心の中で嘆息していた。

 あちらの会社側にすれば、予定していた営業の引き継ぎと取引先との顔合わせのつもりが、突如事故による死亡し引き継ぎの引き継ぎという形になる為に、混乱の度合いも半端なく酷いのだろう。

 営業担当の上司など、それこそ元々いたもう一人の担当も死亡してしまった事で、こちらの会社を含めて幾つかの取引先に対して完全に空白状態が発生し、発狂寸前だと言う話も聞いている。

 だから、本当にこれは事故なんだろうと思いたいのだが……完全にそう思えない要素が一つだけあった。

 

 ベルリバーさんが、こちらに引き抜かれて来る直前に抱えていた、あちらの会社の闇の部分の情報である。

 

 正直、あの情報に関して詳しい分析までした訳じゃないから、その情報の正確な内容まで把握していない。

 ざっくりと見ただけで、かなりヤバい内容だと感じ取ったからこそ、下手に内容を把握する方が逆に厄介だろうと破棄してしまったのだ。

 そもそも、うっかり情報を入手してしまったベルリバーさんの身柄は、こちら側に〖ヘッドハンティング〗と言う形で保護して安全を確保していたので、これ以上関わりたくなかったのが本音である。

 

 だが……向こう側が、もしその情報を盗られた事を察知していて、その犯人をベルリバーさんではなくク・ドゥ・グラースさんだと、誤認したのだとしたら?

 

 そう考えた方が、話の流れ的にこの状況にすんなりと納得してしまえるのだ。

 もちろん、あちらの会社が誤認するまでには、それ相応の流れがあったのは間違いない。

 多分、普段から少し自分の事を過大評価し過ぎているあの人の事だから、会社のデータバンクから無理に情報の収集をしたんじゃないだろうか?

 

 そして、ベルリバーさんと同じ様に拾ってはいけない余計な情報まで拾ってしまい、しかもその事に気付かないまま放置してしまった。

 

 どんなデータを入手したのか、それこそ全く気付かないままだからこそ、無防備に猟犬の様にデータを持ち出した犯人を捜す相手に情報を簡単に搾取された揚げ句、誰なのか特定されて抹殺対象になってしまったという可能性は、かなり高い。

 困った事に、あの人のネットセキュリティレベルは、複雑な思いを抱えているるし☆ふぁーですらつい心配してしまう程、かなり低いものだったのだ。

 以前、念の為にとこっそりつけようとしていた恐怖公の眷属によるセキュリティは、アルベドの一件で別の形で判明してしまい、騒動が終わってから暫くした後に、本人からの要請で撤去されている。

 

 状況的に考えても、この推測が正しいのだとしたら……あの人が無事でいられる可能性はかなり低かった。

 

 ただ……これはあくまでも状況を踏まえた上で思い付いた、単なる推測でしかない。

 だから、この推測が的中している可能性が一番高かったとしても、それを懇切丁寧に彼らに対して説明するのは、色々と躊躇われる部分も多かった。

 何と言っても、この件は企業側の闇の部分に触れてしまう為、下手に話さない方が良いだろう。

 

 幾ら、富裕層の中でもそれなりの地位にるし☆ふぁーが居るとは言え、この場にいる全員を守るだけの力はないのだから。

 

 だから、そういう暗い部分が関わる事実は知らない方が、彼らの為だった。

 知らなければ、下手に関わる事もないだろう。

 それに……何度も繰り返すが、これはあくまでも推測でしかない。

 

 だからこそ、るし☆ふぁーは現在自分が知っている、相手側の会社から聞かされている表向きの情報を出す事にしたのだから。

 

******

 

【モモンガ視点】

 

 るし☆ふぁーさんからの状況説明は、まだ続くらしい。

 周囲のざわめきに対して、軽く手を叩いて意識を自分に向けさせると、更に言葉を続けた。

 

「状況的に考えて、これは単純な事故だと思う。

 実際に、今回の事故ではク・ドゥ・グラースさんだけじゃなく、同行していた会社の営業担当の上司も一緒に事故で死んでいるし、個人を狙ったにしては周囲に居ただろう犠牲者の数が多過ぎるからね。

 元々、彼が配置換えで営業に移動したのは数日前の話だし、指名での移動に本人も結構やる気だったって話は、それと無く相手側から聞いてる。

 今までの取引とか相手先の状況とか色々調べて、上手く営業チャンスを増やしてやろうとしてた事も、会社に残ってた端末の情報で判明しているし。

 だから、凄く偶然過ぎるかもしれないけど……今回の俺とタブラさんの一件とは、無関係の偶発的な事故だと思って欲しい。

 たまたま、こっちの騒動が全部の片が付いた所に営業をしようとして、会社から移動中に不幸な事故で死んでしまっただけ。

 そりゃ、モモンガさんをうちの会社ヘッドハンティングしなければ、もしかしたら彼が事故に遭わなかったかもかもしれないけど、逆にモモンガさんがその事故に巻き込まれていた可能性もあるから、どっちが良かったなんて言えない話だし。

 大体さ、会社内での人事異動とか左遷とか、それこそ幾らでもあり得る事でしょう?

 それが原因なんて言われたら、それこそ困る。

 こんな状況なんて、誰にも予想出来る事じゃないし……そもそも、ここにいる全員が社会人なんだから、それ位の事は理解出来るよね?」

 

 るし☆ふぁーさんの言葉は、誰よりも正しいものだった。

 正直、会社の都合で急な人事異動など幾らでもある話だし、危険な作業が伴う工場勤務の人なら、何らかの事故で偶然死んでしまう場合なんて、それこそ掃いて捨てる程ある。

 それを考えれば、会社側が珍しく本気で最後までこんな風に治療してくれただけ、凄い話なのだ。

 この点に関しては、この場にいる面々もちゃんと理解しているのだろう。

 

 ふと視線を巡らせれば、ウルベルトさんがギリギリと歯を食いしばらせながら、どうする事も出来ない様に苛立ちを募らせている姿が見えて。

 

 その様子を見て、ふと彼が過去に話していた内容を思い出した。

 彼の両親は、勤めていた工場内で起きた事故で死んでいる。

 しかも、危険な場所での作業で事故に遭い、「下手に機械を止める方が逆にコストが掛かる」という理由で見殺しにされたという過去があった。

 それを考えれば、どれだけ今回のク・ドゥ・グラースさんへの対応が厚遇された物なのか、考えるまでもないだろう。

 

「……確かに、るし☆ふぁーさんとタブラさんの一件があったから、ついついリアルで何かあるとつい関係性を疑ってしまいたくなる気持ちは分かりますが、今回は無関係だと思います。

 先程、るし☆ふぁーさんから皆さんへの状況説明をしてる間に、こちらもネットで検索して調べてみました。

 その結果、ク・ドゥ・グラースさんが巻き込まれたという事故は、単純なトラックの整備不良から発生したもので、我々の一件とは全く無関係の大きな事故で間違いありません。

 前回の会議から、今日までの間にるし☆ふぁーさんが説明したレベルの事故があったのは、今日の午前中に発生したその一件だけでした。

 それも、本当に事故を起こしたトラックの整備不良で、運転手が運転不能な状況にパニックを起こしている音声が、回収した車体の中にあったボイスレコーダーで判明している、事故原因に疑い様がないものです。

 この事故に、るし☆ふぁーさんの周囲で起きていた騒動との関連性は、考えられないでしょう。

 ついつい、我々は今回の一件があった事もあり、何かあるとるし☆ふぁーさんとの関連を疑ってしまいますが……皆さん、忘れてはいませんか?

 リアルの環境は、こんな事はそれこそいつでも簡単に起きる程に劣悪な事を。

 そういう意味で考えても、我々はいつどこで何が起きてどうなってもおかしくない立場なんです。

 私たちは全員、それぞれ大人として社会に出ている社会人なのですから、その可能性を最初から視野に入れないのは間違いでしょう。

 ……違いますか?」

 

 ぷにっと萌えさんの冷静な言葉に、全員が思わず沈黙した。

 確かにそうだ。

 普通に社会に出て働いていれば、こんな事故に遭う事も普通にあり得る話だった。  

 むしろ、リアルで身を粉にして働いていれば、普通に企業側の都合で劣悪な環境で働く事になり、身体を壊してそのまま命を落とす事だって、それこそごく普通にある。

 

 だからこそ、貧困層の中でも自分が劣悪な環境で働いている親は、少しでも子供たちは自分たちよりもましな状況にしようと考え、せっせと金を貯めて教育を受けさせようとしているのだから。

 

それと同じ様に、自分の立ち位置が少しでも良くなる様に、独身の面々が夢に向かって努力しようとするのは、結婚後に子供たちに少しでも辛い思いをさせたくないからだろう。

 子供は、自分が産まれる家を選ぶ事は出来ない。

 

 だからこそ、生れた時に存在している格差は埋められないのだから。

 

******

 

【るし☆ふぁー視点】

 

 暫く、重い沈黙が漂う状態になってしまったが、このまま無為に時間を使う訳にはいかないだろう。

 そう考えたるし☆ふぁーが、更に状況を整理する為に口を開くよりも前に、声を上げた人物がいた。

 祖父からの依頼で、警察から正式に自分の警護任務に就いて以来、自宅に戻っている夜の警備以外は常にこちらの側にいてくれている、たっちさんだ。

 

「……つまり彼は、たまたま大企業の後継者のるし☆ふぁーさんとネットでそれなりに面識があるという理由から、あなたの会社の営業担当になった。

 そして、上司と共に初めての営業先として、顔合せと取引内容の打ち合わせに向かう途中、トラックの事故に巻き込まれた、と。

 既に、ちゃんとしたアポイントが入れてあったにも拘らず、それをドタキャンした様な形になったから、相手の会社側からその件に関しての連絡が来た。

 ついでに、顔見知り以上の間柄の様だから、病院の連絡先も教えてくれたという事ですか?」

 

 改めて、解り易い様に現在判っている情報を羅列する事で、状況を整理していくたっちさんに、るし☆ふぁーは素直に頷いた。

 事実、その通りなのだ。

 多少の事は、恐怖公がネットで収集してきた裏情報もあるので把握しているが、それもあくまでもネット上のデータを拾った結果でしかない。

 冷静に考えれば、あくまでも偶発的なものがいくつか重なった結果と考えるのが普通だろう。

 特に、あの事故で出た死傷者と倒壊した建築物の数を考えれば それだけのコストを掛けてたった一人の人物を事故に見せかけて殺す為の労力を、企業側が払うとは到底思えなかった。

 

 事故によって、破壊された街その他諸々の修繕費や被害に遭った相手に対する補償総額の方が、より高くついてしまうからだ。

 

 まして、入院してしまった彼の治療費その他を会社が負担している状況を考えると、彼が死ぬまでに支払う莫大な医療費的なコスト面での負担も大きく、普通に選択しないだろう手段だった。

 そもそも、本当にあの情報を彼が持っているかどうかと言う点すら、現時点では未確認の為にはっきりと言い切る事が出来ない。

 この件に関しては、メールペットのルプスレギナも関わっていないだろう。

 元々、彼女はどちらかというとそういうサポート方面に特化していないし、何より彼自身からネットの中のデータ管理を任されていなかった。

 なので、彼女が彼の持つ情報を正しく把握していると言う事は、ほぼあり得ないと言っていいだろう。

 ク・ドゥ・グラースさんにとって、彼女はあくまでも愛玩動物という認識だったのだ。

 

 故に、色々と重要な情報に関わる部分に一切触れさせていないから、今回の様に何かあった時にこちらもバックアップする事が出来ないという弱点があった。

 

 この辺りの育成は、本人の選択次第なんで何とも言えないが、るし☆ふぁーとしては「使えるものを使わない」と言う行動は、実に甘い考えだと思う。

 自分やウルベルトさんは、どちらかと言うと恐怖公やデミウルゴスの事を、自分の息子と認識しつつ育成出来る最高のレベルまで育て上げた上で、僕として本人が望む様に動ける環境を作った上で使いこなしている方だ。  

 周囲からは、どっぷりとデミウルゴスたちによって、こちらが色々と甘やかされており、完全に世話をされているという認識らしいが、それは微妙に違う。

 確かに、彼らの存在は既に「いない生活が出来ない」というレベルになる位に俺達の中に浸透しているのは間違いない。

 だが、それは色々な面で彼らの能力を惜しみなく有効利用しているからであって、その利便性を考えればむしろこれはありだと思うのだ。

 

 その、小さな身体の中に納められている、細かな部分まで繊細に組み上げられたプログラムに、ありとあらゆる可能性が詰まっている存在こそ、メールペットである。

 

 環境一つで、人格だけではなく能力その他も変わるのだから、何も学ばせていなければ基礎部分の能力しか使えないのも当然なら、逆に学ばせれば本来取得出来ない能力が身に付く事になるのも、当然の結果だった。

 それが覿面に出ているのが、ペロロンチーノさんの所のシャルティアだろう。

 彼女のナザリックでのスペックは、どちらかと言うと攻撃特化の戦闘タイプで、それだけに戦闘系のステータスに割り振られている部分が高く、頭脳はそこまで重視されていない完全な脳筋タイプだ。

 ところが、メールペットの彼女は様々な事を、直接繋がっている仲の良い他のメールペットから学んで学習し、今では彼らの中でもかなり使える方に成長している。

 もちろん、元々のスペック上にない能力を育てていると言う点からか、他の面々よりは一つの事を学習するまでに時間が掛かるという難点はあるものの、本人の学習意欲はかなり高いらしく、不器用なりにちゃんと一つずつ出来る事を増やしている様子を見ていると、それこそ感心すると言っていい。

 

そんな風に、どのメールペットたちも自分なりに能力を伸ばしていく中で、唯一ただの愛玩用枠のメールペットとして主側から扱われ、能力よりも性格が歪んでいったのがルプスレギナだった。

 

 彼女は、ク・ドゥ・グラースさんから〖明るい戦闘メイド〗としての一面しか必要とされなかったという点も、彼女の性格を歪める大きな理由になったのだろう。

 他のメールペットに比べて、成長する為に必要な環境が全く与えられず、電脳妖精としての能力面での成長は著しく低いまま。

 実際、本人が知らない内に学習によって発生しているスペックが、どれほど大きく開いているのか全く判っていない状態である。

 自分の歪んだ趣味と実益の為に、隠遁系に当たる能力はそれなりに伸ばしていた部分はあるようだが、それ以外はほぼ基本スペックのままでいれば、こう言う時に主の為に役に立つ部分は殆どないと言っていいだろう。

 

 だから、主の元に危険な情報が紛れ込んでいた事すら気付けず、更に主の身に振り掛かった緊急事態にも気付けないまま、助けを呼ぶ事すら出来なかった。

 

 少なくとも、これがアルベドや恐怖公など頭脳派系の成長MAX組はもちろん、どちらかと言うとまだ脳筋系に区分されるシャルティアだったとしても、今なら主が情報を収集し始めた時点でその整理を手伝い、危険なデータを事前に察知するという能力は持っていただろう。

 この時、危険なデータが紛れ込んでいなかったとしても、主の負担を軽くする事が出来る等の状況になっただけで、彼女の中にある喜びも大きくなっていただろうから、それだけで大きなメリットだった筈。

 更に、恐怖公やデミウルゴス程じゃなくとも、リアルの主の様子を感知出来る能力を持っていれば、主人が大事故に巻き込まれた時点で誰かに緊急連絡を取って、それを仲間に伝えるという方法だって取れていた筈。

 だが、彼女はそれが出来なかった。

 どちらの能力も、主から与えられていなかったから。

 

 そんな事をつらつらと短い間で考えながら、るし☆ふぁーはたっちさんの言葉に対するフォローを入れる。

 

「大体の部分は、内容的にそれで合ってるけど……あっちの会社が、そこまで治療の手間を掛けて助けようとしたのは、彼が俺の知り合いだと言う点を考慮したからだろうね。

 あちらとしても、〖彼の事を助ける事が出来たら、この先何らかのプラスに繋がるかもしれない〗と考えた可能性はかなり高いかも。

 もし、連絡を貰った時点で助かっていたら、間違いなく俺は彼らに対して感謝してたと思うし。

 でも……予想以上にク・ドゥ・グラースさんは重傷で、治療の甲斐なく死亡してしまった。

 だから、遅くに連絡してきて〖我々は、彼の為にここまでしましたよ〗と主張してきたんだと思う。 

 冷たいかもしれないけど、死んでしまった人に何か出来る事はないんだ。

 まだ、この時点でどんな形でも生きていてくれたなら、みんなでどうするべきか話し合えるだろうけど……あの人は、もうどこにもいなくて。

 もう……俺達があの人の為に出来る事は、葬式に出て送り出してやる事位なんだよ。」

 

 そこまで言った所で、自分の声が涙で濡れている事に気付いた。

 多分、リアルの自分も涙を流しているのだろう。

 確かに、自分にとっては本気で警戒する対象だったし、色々と思う所も沢山あった。

 もし、ギルドの仲間を裏切る様な真似をしていたら、絶対に許さなかっただろうけど……でも、だからと言ってこんな風に死んで欲しいと思った事はない。

 

 ちょっと腹立たしい事をされてばかりだったし、他のギルドの仲間の事を馬鹿にし過ぎている部分はあって鼻についたけど、それでも……やっぱり大事なギルドの仲間の一人だった。

 

 多分、周囲も俺の声に涙が混じったのに気付いたのだろう。

 どこか、バツの悪い空気が漂っている。

 ちょっと、自分でも思わぬ位に感情的になり過ぎたと反省し、それよりも気になっていた事を口にした。

 

「それよりも、むしろ俺がさっきから気になってるのは、ク・ドゥ・グラースさんが遺していったメールペットのルプスレギナの方かな。

 今の時点で、既に十二時間以上も彼女は彼のサーバー内に放置されている形になってるし。

 もちろん、朝の時点で誰か宛にメールの配達に出向いていたのなら、その分は放置されていた時間が短くなるけど、それでも何の連絡もなくたった一人でサーバーの中に居るには長すぎると思うんだよね。

 本当は、その事に気付いた時点で恐怖公に確認させても良かったんだけど、彼女はどちらかと言うと恐怖公が苦手だったし。

一応、外からサーバーの中に彼女がいる事だけは確認したんだけど、流石に今の状況でアイツが中に入って事情を説明するのは、色々と追い詰める事になりそうでさせられなかったんだ。

 そんな訳だから、誰か早急にルプスレギナがいるメールサーバーに、自分のメールペットを迎えに行かせてくれないかな?

 彼女の能力じゃ、多分リアルに対しての情報収集能力はないし、何が起きているのか気付いていないと思うけれど……もし彼女がこの事に気付いていたとしたら、それこそメンタルがヤバい事になってると思うんだ。

 それに……彼女の事を含めク・ドゥ・グラースさんのサーバーを企業に回収にされたら、それこそ大変でしょ?」

 

 そう話を振った途端、ガタンッと音を立てて椅子から立ち上がったのは、ヘロヘロさんだった。

 多分、状況的にどれだけルプスレギナが拙い状態なのか、直に理解したからだろう。

 同じ様な反応をしたのは、やまいこさんとガーネットさんだ。

 あの二人も、ルプスレギナ姉妹設定の【プレアデス】の二人ユリとシズの創造主であり主だから、この状況を放っておけないのだろう。

 素早くメールを立ち上げると、その先にいるだろうソリュシャンに対して幾つか指示を出している。

 そんな彼らを横に、全く動かなかった源次郎さんと弐式さんに気付いて、胡乱な目を向けたのもヘロヘロさんだった。

 彼からすれば、同じ姉妹のプレアデスの主の二人が、ルプスレギナの事を心配して妹である彼女達を送り出さない時点で、色々と思う所があったのだろう。

 そんな彼の視線を受けて、軽く首を竦めながら口を開いたのは、弐式さんの方だった。

 

「あー、うちのは行く必要がないというのか、もう既に現地にいるというのか。

 俺、実はク・ドゥ・グラースさんに用事があって、夕方にナーベラルにメールを届けさせたんだけど、そこで酷く怯えてるルプスレギナを発見したって、連絡があってさ。

 心配だったから、そのまま彼女が落ち着くまでナーベラルを残らせてたんだよね。」

 

「何だ、弐式さんもそうなのか。

 実を言うと、うちもそうなんですよ。

 こっちも、ちょっと用事があってエントマをお使いに出してたら、俺の方にもそんな連絡が来たんです。

 それを聞いて、酷く嫌な予感がしたものですから、そのまま彼女の側に残る様に指示を出しておいたんです。

 まさか、こんな事態になるとは思ってませんでしたが。」

 

 苦笑のアイコンを出し合う二人の言葉を聞いて、ヘロヘロさんは慌てて頭を下げた。

 勘違いで、つい言いがかりをつけそうになったのだから、当然の反応だろう。

 こんな時に、あの三人の中で変な雰囲気が漂う事がなくなって、誰にも気付かれない様にホッと胸を撫で下ろす。

 

 とは言え……どう考えても、状況的にもうギルド会議をしている場合じゃなくなっていた。

 

 何より、想定外の事故とか今まで無かった方が奇跡なのだという事を目の当たりにして、この場にいる誰もが色々な意味で狼狽えている。

 とにかく、タブラさんを無事に花街から出せた事と、自分が正式に会社を継ぐ事になった事だけ報告して、この場はお開きと言う形になった。

 その話をして居る間にも、ヘロヘロさんの指示でルプスレギナの元へと向かったソリュシャンから、無事に彼女の事を保護出来た事なども報告が上がって来たが、それでも主を失った事で茫然自失としている辺りも伝わり、余計に仲間たちに動揺を与えている。

 るし☆ふぁーが懸念していた、「企業側に回収されたら拙い」と言う部分に関しては、どうやらソフトを導入していない限り普通のメール部分しか痕跡が残らない仕組みになっているらしい。

それを聞いて、一先ず安心しつつもソリュシャン達が彼女をク・ドゥ・グラースさんのサーバーから連れ出したのを確認し、恐怖公の眷属を向かわせて更に痕跡を消す指示を出しておいた。

 

 これ位は、仲間をこれ以上巻き込まない為にも、必要な対応だと思ったから。

 

 どこか、まだ動揺を残したままログアウトして行くみんなの様子を見ながら、るし☆ふぁーは漠然と「今までの、暖かな空気はもう維持出来ないだろう」と感じていた。

 今回の事は、今まで仲間が誰一人リアルで死亡していなかったこのギルドに、暗い影を落とす事になるだろうから。

 

 そして……その予感は的中する。

 

 今まで以上に、ギルドメンバーのログイン率が下がる事によって。

 だが、誰にもどうする事も出来ない事だった。

 




という訳で、ルプスレギナのマスターが判明しました。
そして、彼の死は実は謀殺ではなく偶発的な事故だったと言う事も判明しました。
えぇ、そうなんです。
あそこまで話を振っておいてなんですが、彼の死は偶発的な事故に巻き込まれた物です。
しかも、拙い情報を管理していた上層部と、営業絡みの上層部の連携が取れていない段階での事故だった為、るし☆ふぁーさんに恩を売るべく治療まで行ってしまっているという。
そういう意味でも、情報が錯綜していたんですよ。
もし、この事故で死亡していなかった場合、彼の寿命はるし☆ふぁーさんとの営業が無事に成功するまで、約一月前後伸びた程度でした。



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朱雀さんがなくなった日

今回も、ちょっと重い話です


 あれから、約一年が経った。

 

 タブラさんの騒動と、るし☆ふぁーさんのお家騒動は何とか無事に決着し、双方問題なく暮らしている。

 あの騒動のどさくさの際に、ギルドメンバーの一人が交通事故で亡くなった事によって、更に仲間たちのログイン率は減ってしまったが、それでもまだ穏やかだったのだ。

 状況的に、彼の死は避ける事が出来ない突発的な事故だった事が判明しており、自分達にはどうしようもない事が判っていたからである。

 

 あの時、数人の仲間と共にギルドの代表としてモモンガは葬儀に参列した。

 

 突発過ぎて、色々と時間に都合がつかない面々が多く、るし☆ふぁーさんが葬儀に出席するのにどうこうする形で、参列が出来たからだ。

 そして……今日も、モモンガは再び黒の礼服は着て、葬儀場に立っている。

 彼がここに来た理由は、ただ一つ。

 

 彼らの中で、最年長の仲間だった死獣天朱雀さんが、つい昨日亡くなったからである。

 

 約一年前、朱雀さんの元に養女として正式に引き取られ、彼の娘として過ごしてきたタブラさんが、涙ながらにこちらに連絡をくれた時、既に彼は亡くなっていた。

 本人の遺言で、彼女は彼から「亡くなるまで内緒にして欲しい」と頼まれていた為、亡くなるまで連絡出来なかったらしい。

 だからこそ、「せめて最期を送り出して欲しい」と、メールペットを通じて仲間全員に連絡したのだ。

 

 その結果、今回は何とか都合を付けた多くの仲間達が、葬式に参列している。

 

 正直に言って、モモンガには朱雀さんが亡くなった事がまだ信じられなかった。

 確かに、彼はギルドの中で最年長だと言う事は理解していたけれど、まさかこんなに早くに亡くなるとは思っていなかったのだ。

 ダブラさんの話では、元々彼は彼女を引き取った時点で重い病気を患っていて、余命は少なかったらしい。

 あの約一年前の騒動の時、残り僅かな老い先短い命を「タブラさんの為に使えないか」と思い立ち、あの場で協力を申し出てくれたのだそうだ。

 元々、るし☆ふぁーさんとは家族ぐるみの付き合いもあり、その縁で協力する予定があったのも、その決断を後押ししたのだろう。

 あの時点で、朱雀さんは別の方向から情報を得ていた事もあり、どう協力するか考えているうちにるし☆ふぁーさんの方はたっちさんなどの協力者を得ていて、「あ、これなら大丈夫だ」と自分は動かないでおこうと思って居たらしい。

 そんな時、タブラさん側の事情が明らかになった事で、それなりに後ろ盾がある彼よりもタブラさんの保護者になる事を選んだのだそうだ。

 

 実際、彼が自分の養女に迎え入れた事によって、事情を知らない周囲がタブラさんへの余計なちょっかいを掛ける事が殆どなかったのだから、彼の選択は間違っていなかった。

 

 流石に、それ相応に名を知られた大学教授という立場は、富裕層の中でも力があると言う事なのだろう。

 その名と地位によって、その両腕を大きく広げる様にタブラさんの事を守っていた朱雀さんは、もういない。

 どうも、一年以上前の時点で自分が病気だという事は判っていたらしく、それをこちらに悟らせる事ないまま、穏やかにゆっくりと残された時間を仲間と遊びながら、最後まで楽しく過ごしていた朱雀さん。

 

 彼の死は、確実に今のギルドの中に最後の大きな影を落とすだろう。

 

 一年前、交通事故で亡くなったク・ドゥ・グラースさんの件が心情的にかなり尾を引いたらしく、俺達のギルド【アインズ・ウール・ゴウン】は空中分解こそしなかったけれど、ログインして来るメンバーはかなり減っていた。

 一応、メールペットでのメールのやり取りはずっと続いているから、完全に縁が切れた訳じゃない。

 それでも、今までの様に十日に一度の定例会議に全員揃うという事は、ク・ドゥ・グラースさんが二度と参加出来なくなったあの日から、一度も達成出来なかった。

 

 でも……こればかりは、仕方がない流れなんだろう。

 

 彼らとて、無理にログインするのは辛いだろうし、何より昔よりも年齢を重ねた事によってそれなりにリアルで時間が取れなくなってきているのだ。

 こればかりは、流石にリアルでの生活が懸かっている事だから、仕方がないと受け入れるしかないだろう。

 ちゃんと、解っているのだ。 

 

 モモンガ自身だって、仲間と共に作り上げたギルド維持の為に毎日必ずログインするけれど、ユグドラシルで過ごす時間はかなり短くなった。

 

 元々、こんな風に毎日ログインする時間だって、本来なら取れる立場じゃない。

 それ位には、今のモモンガのリアルの立場は忙しいのだ。

 あの一件の際に、るし☆ふぁーさんの側近の一人として転職し、今では会社の営業部長の地位に座っているのだから、忙しいのもある意味当然の話である。

 むしろ自分が、こんな風に営業部長の座に座る事になるなど、一年前のあの一件が起きるまで欠片も予測していなかった事だから、実際の仕事に関して色々とサポートをパンドラズ・アクターにして貰っていた。

 元々、パンドラズ・アクターは財政を担当する能力が特化しているタイプから、実際に関わらせるなら経理関係の方が向いているのかもしれないけれど、割と何でも平均的にこなせる万能型と言う点で、上手く対応してくれているというのが現状だ。

 

 そもそも、モモンガが毎日欠かさずログイン出来ているのだって、るし☆ふぁーさんが社長としての権限で勤務時間をそれなりに配慮してくれているから、何とか時間が取れているだけである。

 

 るし☆ふぁーさん本人など、それこそ十日に一度僅かな時間をログイン出来るか出来ないか位の多忙さを、この一年ずっと続けている。

 軽く肩を竦め、「社長の座に着いたばかりだから、仕方がない」と笑う彼に、自分ばかりログインして申し訳ないと思いながら、それでも「ギルドの維持の為に必要だから」と割り切る事によって、維持管理の為にもログインだけは欠かさない様にしていた。

 そう、このままナザリックを失う訳にはいかないと、モモンガは本気で思って居る。

 

 何故なら、るし☆ふぁーさんが、何とかやりくりして作った時間でログインしている際に、本当にぐったりとした様子で羽を伸ばしているのを知っているからだ。

 

 今にして思えば、るし☆ふぁーさんにとってギルドの仲間とナザリックは、数少ない素のままの自分で過ごせる場所だったのだろう。

 だから、つい甘えてあんな風に色々とやらかしていたのかもしれない。

 そんなるし☆ふぁーさんも、今日ばかりはほぼ孫同然の存在として親族側の席に座り、朱雀さんが死んでしまった事をずっと泣きながら悲しんでいる。

 

 本当に、朱雀さんは彼にとってもう一人の祖父と同じ存在だったのだと言う事が、あそこまで嘆き悲しむ彼の姿を見れば、すぐに判った。

 

 言われてみれば、確かに彼らの間にはそれこそ家族同然の暖かな雰囲気があったのだ。

 一年前のあの事件の後、朱雀さんが会社に訪ねて来た事によって直接顔合わせ、その後に彼らがどんな繋がりなのか教えて貰う事が出来たのだが、あの時は本気で驚いたものである。

 でも、改めてその事実を知ってからあの二人の様子を見ると、ある意味納得の仲の良さで。

 

 むしろ、あの二人の雰囲気はやんちゃな孫をほけほけと見守る好々爺にしか見えなかった。

 

 モモンガ自身はもちろん、ヘロヘロさんやベルリバーさん、弐式さんと言った小学校しか卒業していない面々は、そうやってるし☆ふぁーさんとの縁を通じて朱雀さんに色々教えを請い、最終的にそれぞれが【高等学校卒業程度認定試験】の資格を取得するまで、根気よく勉強を教えてくれたものである。

 正直、会社の上層部に属する為には最低ラインの学歴だと言われ、それが無かった俺達の為に親身になってくれた事に関しては、本当に感謝するしかないだろう。

 因みに、ウルベルトさんは俺達よりも二年も早く、朱雀さんに教えを乞うてこの資格を取ったそうだ。

 そこから、かなり親しくして貰っていたといっても過言ではないだろう。

 

 だから、こんな風に朱雀さんが重い病気である事を、自分達に一言も言う事なく隠したまま亡くなったと知って、とても悔しかった。

 

 もしかしたら、るし☆ふぁーさんだけは彼が病気だと言う事に、最初から気付いていたのかもしれない。

 なんだかんだ言って、彼が一番朱雀さんと長い付き合いだったのだから、ちょっとした変化で気付いていた可能性はそれなりに高かった。

 少なくとも、直接顔を合わせての付き合いが半年程度の俺達よりは、何かの異変があれば気付いていてもおかしくない。

 いや……そういう邪推は止めておくべきだろう。

 

 だって、今の親戚縁者の席に座るるし☆ふぁーさんは、本気でただただ悲しそうに泣いている。

 

 以前、彼にとって朱雀さんは、「数少ない信用出来る大人」なのだと思い聞いた事があった。

 一年前に知った、彼の複雑な家庭環境から考えれば、祖父と母以外にそういう相手が朱雀さん一人しかいなくてもおかしくない。

 だからこそ、こんなに早く朱雀さんが亡くなってしまった事による悲しみは、彼の中でより深いものなのだと言う事位、モモンガにだって判っていた。

 

 もしかしたら、彼にとって名ばかりの実の父親の血筋の祖父母より、朱雀さんの方が余程身内同然の存在として慕っていたのかもしれない。

 

 そんな事を、頭の端でつらつらと思いながら、モモンガは自分の焼香の番を待った。

 今日の朱雀さんの葬儀には、自分が思っていたよりも沢山の人が参列している。

 その中には、自分達ギルドの中でも彼と仲が良かったメンバーはもちろん、彼が大学教授として教鞭を執った教え子や友人、様々な方面で繋がりがある知人など、とにかく沢山の人が溢れていて、彼の死を惜しんでいた。

 

 もちろん、その中にはたった一年の義理の娘として喪主の座に座っていたタブラさんの事を、【花街の白雪太夫】だと言う事に気付いて、それと無く色目を使ったり何やら言い寄ったりしている面々もいたが、この厳粛な葬儀の場には相応しくない不謹慎な行動だという事で、警備の人間を呼ばれている。

 

 と言うか、途中から建御雷さんがタブラさんの事を庇う様に喪主の席の横に立った事で、そんなバカな声を掛けようとする人は殆ど居なくなっていた。

 流石に、建御雷さんがあの外見で葬儀用の黒服に包み、ボディーガード宜しく側に立って睨みを利かせていると、威圧感が凄くて近寄れないのかもしれない。

 更に言うと、あの二人が漂わせているどこか親し気で気安い空気の前に、「自分達では太刀打ち出来ない」と判断して引き下がっているという状況なのかもしれなかった。

 

 そう言えば、この二人は花街では【後見人と遊女】という関係だったけれど、今は微妙に変化している。

 

 花街から身請けした際に、朱雀さんが彼女の事を正式に養女にした事によって、建御雷さんが後見の位置から退いたのが主な理由なんだけど、何となく見ていてじれったい。

 少なくとも、タブラさんからの【好き】と言う矢印は間違いなく建御雷さんに向いているのに、それを全てスルー出来てしまう建御雷さんの反応が凄いというべきなのだろう。

 

 やはり、【保護者と被保護者】と言う関係で長い年月を過ごしていたから、そう簡単に娘の様な存在を恋愛対象にするのは難しいのかもしれない。

 

 これで彼がそっけないならまだしも、建御雷さんは建御雷さんなりにタブラさんの事を気に掛けていたから、結果的に付かず離れずの状態が続いている状況だった。

 このままだと、流石にちょっとだけタブラさん側の思いを叶えるのは難しいけど、その辺は彼らの問題だから余り口を出す事は出来なくて、みんなでそわそわしながら様子見をしていたものだ。

 特に、彼女の養い親になった朱雀さんなどは、状況によっては「娘のウェディングドレス姿が見れるかもしれない」と、それは色々と期待していたのを覚えている。

 こんな事になると判っていたら、彼らと直接交流があるギルドメンバーが総出でタブラさんの恋を応援して、朱雀さんが見たがっていた彼女のウェディングドレス姿を見せて上げたのに。

 あれだけお世話になったのに、彼のそんな細やかな願いさえ叶えて上げられなかった。

 その事だけが、少し悔しい。

 

 でも……今回の朱雀さんの事で、少し二人の状況が変わるかもしれないと、そうモモンガは考えていた。

 

 幾ら、朱雀さんの元に養女に入ったとは言え、たった一年でその後ろ盾となっていた相手が亡くなってしまった状況では、タブラさんが自分だけで自衛する事は難しい。

 だから、改めて誰かしらの後見が必要な状況なのだ。

 一応、彼女の現在の職場であるたっちさんの家はもちろん、彼の奥さんの実家が後見に立つと思うけれど、彼女にとって一番いい方法は、それなりに立場がある誰かを選んで結婚する事だと思う。

 

 この辺りに関して、タブラさん本人がどう考えているのかよく分からないし、彼女が身請けされるまでの環境とかを思うと無理強いも出来ないから、これに関しては保留なんだろうけど。

 

 つらつらと考えているうちに、そろそろ自分の焼香の時間が回って来るらしい。

 ゆっくりと、前にいた人に続いて進んでいる間ずっと考えていたから、後数人で焼香台に辿り着ける状況になっている事に気付き、モモンガは慌てて一旦思考を止めた。

 前回、ク・ドゥ・グラースさんの葬儀に参列した時は、事故に巻き込まれた人たちの合同葬という事で作法はそこまで厳しく言われなかったけれど、今回は富裕層の中でも名士だと言っていい大学教授の葬式である。

 やはり、ある程度までは参列者側にも必要なマナーというのは存在する事は判っていた。

 これに関しては、パンドラズ・アクターが事前に検索してくれていた作法と、周囲が実際に焼香する際に行っている作法を見比べ、問題ないか確認させて貰っていたりする。

 

 調べて初めて知ったのだが、葬儀は宗派によって焼香の動作が違うらしい。

 

 こう言う作法に関しては、特に富裕層の特権として細かい所まで煩いとの事なので、出来るだけ慎重に調べてくれたパンドラズ・アクターに感謝しつつ、自分が調べて貰った中から選んだ作法に問題がない事を確認すると、ホッと胸を撫で下ろした。

 流石に、朱雀さんと長年付き合いがある家族同然のるし☆ふぁーさんの会社の一員であり、自分自身も朱雀さんの友人と言う立場でこの場に参列しているから、焼香のマナー一つだって失敗したくない。

 失敗しない様に、作法に則った動作でゆっくりと焼香台に近付いたモモンガは、そのまま人の流れにつつ従い丁寧にお焼香を済ませていく。

 

 現在のギルドは、それこそ一日を平均的に見て考えると、最盛期に比べて殆どログインしてくる人はいない。  

 それこそ、短い時間でも毎日ログインしているモモンガ以外で、割と定期的にギルドへ顔を出してくれるのは、直に数えられる程度だ。

 まだ、時間に仕事的に余裕が取れそうな立ち位置にいるウルベルトさんと、モモンガと同じ会社で働くヘロヘロさんとベルリバーさん、弐式さんと言ったるし☆ふぁーさんの配慮でログインしやすくなっている面々である。

 それより期間はある程度開くけれど、まだ定期的だと言えるのが、るし☆ふぁーさんとぶくぶく茶釜さん、ペロロンチーノさん、そしてたっちさんだった。

 逆に、不定期だけどランダムに連続ログインしてはその後暫く顔を出せなくなる面々として、やまいこさんとぷにっと萌えさん、あまのまひとつさん、源次郎さん、建御雷さん、タブラさんそして今回亡くなった朱雀さんの名前が上けられるだろう。

 全員が全員、毎日ログインしているモモンガといつも顔を合わせられる訳じゃないし、今まで以上に人数もかなり少なくなった。

 けれど、それでもまだこうして前と同じ様にナザリックを維持しようと頑張ってくれている。

 

 その事が、モモンガにはとても嬉しいと思えた。

 

 最近、正式に会計事務所の社長を継いだらしい建御雷さんが、多忙な身で未だにログインしてくれる理由は、たっちさんがかなり間が空いても定期的に顔を出している状況を知ったからだ。

 時間さえ合えば、彼とまたPVPが出来るという事が、強さを求めていた建御雷さんの張り合いになり、ログインに対するモチベーションの高さを維持する理由になっているらしい。

 たとえどんな理由でも、仲間が出来るだけユグドラシルを続けようとしてくれている事が嬉しいと、モモンガは本気で思う。

 

 最近、安定したペースでログインしてくれる様になったやまいこさんは、いつの間にかるし☆ふぁーさんにスカウトされ、会社の中に設立予定の社員用の児童館の教員に転職が内定していた。

 

 モモンガは、詳しい理由を聞かなかったけれど、彼女が勤めていた小学校の方が、教員を休職から一度復帰させた上で、改めて退職に切り替えたらしい。

 本人曰く、彼女が勤めていた小学校は富裕層が多く通っていた事もあり、そんな父兄から何かしらのクレームが続けば、簡単に首を切られてしまう立場だったそうだ。

 元々真っ直ぐな性格の彼女は、そんな我儘な富裕層のモンスターペアレントに嫌がらせを受け、一旦はそれを回避するべく休職と言う形を取ったものの、結局復帰して直に退職を迫られる形になったんだと言う。

 この話を聞いて、かなりるし☆ふぁーさんが怒り狂っていたのだが、本人が「でも、そのお陰でこうしてみんなと同じ会社で働けそうだから、別に良いよ」とへらりと笑うので、それに対しての報復活動はしなかったそうだ。

 

 そして現在、るし☆ふぁーさんが以前から考えていた社員への福利厚生の一つとして、『未就学児への学童教育の為の教員』として迎え入れられる予定だったりする。

 

 要は、ウルベルトさんの様にみぃちゃん達の専属の家庭教師ではなく、るし☆ふぁーさんの会社に働く社員の中で「まだ未就学児童がいるが、ぜひこのまま働きたい」という人の為の保育施設の先生をしないかと誘われ、それを受け入れたと言う事だ。

 もちろん、その部署で働く教員は彼女だけじゃなく既に何人か雇う予定だったし、他にも補助専用の職員を探している最中なのだそうだ。

 流石に、まだ本社に試験的に設置される施設と言う事もあり、実際に使用出来る条件をある程度制限する予定なので、一度に何人も世話をしろという訳ではないらしい。

 

 それなら、今までの富裕層の我が儘に振り回される状況より、余程負担が減るんじゃないかというのが、るし☆ふぁーさんからの提案だったそうだ。

 

 今回の話を、彼女が了承したのは丁度半年前の話だった。

 実は、るし☆ふぁーさん達の騒動が起こった時点で既に休職状態に追い込まれていたらしく、たっちさんの所のみぃちゃんやレン君と接した後は、このまま自分が教師を続ける事に迷いを感じていたらしい。

 それ位、本来おおらかな性格でどっしりと受け止める彼女が、精神的に追い込まれていのだ。

 

 だからこそ、るし☆ふぁーさんから提案されたこの話は、やまいこさんにとっても渡りに船といってもいい状況だったのだろう。

 

 ただ、まだ小学校に上がる前の未就学児童や小学校に上がったばかりの小さな生徒を預かる事になる為、実際に自分が引き受ける生徒がどれ位の数になるのか、今の時点ではちょっとまだ分かっていないという点が、不安要素なのだろう。

 だが、彼女はこの話を受けてくれた事によって精神的にも安定し、時間も出来た事でここ最近は定期的にログインしてくれていた。

 このまま、最初の予定通りに仕事の内容が安定すれば、もっと顔を出す時間が増えるだろう。

 実際、「ユリと過ごす時間が確実に増えた」と、笑顔のアイコンで嬉し気に教えてくれたのは、一月ほど前の事である。

 

 あまのまひとつさんは、立場的にはるし☆ふぁーさんとそれ程差がない立ち位置にいるらしい。

 本人に言わせると、あくまでも「偶々生まれた家が企業の経営者の一族だっただけ」との事だが、それでもるし☆ふぁーさんが会社を継いだ辺りから思う所があったらしく、色々とやる事が増えたそうだ。

 一応、企業の代表と言う立場ではないらしいけれど、それでもある程度の権限がある立場らしいので、それを利用して色々とるし☆ふぁーさんが少しでも有利になる様に、上手く動いてくれているのだとか。

 

 彼のお陰で、少しだけるし☆ふぁーさんがログイン出来る時間が増えたので、今度改めて何かお礼をしようと思って居る。

 

 そして茶釜さんは、今までいた事務所からるし☆ふぁーさんの会社の傘下にある事務所に、つい三か月前に移籍したらしい。

 ここ最近、茶釜さんは人気声優の立場を利用した【枕営業】をする様に事務所から言い渡され、酷く困っていたのだとか。

 本人的にも、「人気声優の立場を維持する為と言う名目で、枕営業なんて冗談じゃない」と思ってたから、るし☆ふぁーさんからの事務所移籍の打診は、それこそ渡りに船と言うべきタイミングだったのだとか。

 それに合わせて、ペロロンチーノさんもフリーだった立場を改め、あまのまひとつさんの所の制作事務所に所属したと、つい一月前にログインした際に話していた。

 まぁ、るし☆ふぁーさんの経営している会社の系列企業の中には、彼がシナリオライターとして活躍する様なゲーム関連の制作事務所はなかったから、茶釜さんと一緒に移籍という流れにはならなかったのだろう。

 その代わり、モモンガ達が住むワンルームマンションのすぐ隣のワンルームマンションを、るしふぁーさんの祖父からあまのまひとつさんが買い受けて、自分の企業傘下の社員寮にしてくれるという、凄い事をしてくれた。

 これによって、お互いリアルでも直接行き来出来る様になったので、夕食時などのタイミングが合えばみんなで一緒に集まって食事をしたりして、賑やかな交流が出来るようになったのである。

 

 まるで、リアルでもユグドラシルにいるのと同じ感覚になってきているのが、ちょっと楽しいかもしれない。

 

 そう言えば、もう一つ大きな変化があった。

 一年前のあの一件の直後、どちらかと言うとログインが減って疎遠になりがちになっていた源次郎さんだけど、今は不定期だけど可能な限りログインしてくれる様になった事だ。

 もちろん、その変化にもちゃんと理由がある。

 きっかけは、彼が自分で「汚部屋」と呼んでいた自宅において、見事なまでに部屋の中に積み上げていた不用品が雪崩を起こし、それに気付かずに逃げ遅れて押し潰された結果、怪我をして一週間ほど入院する羽目になった事だった。

 

 その話を耳にした途端、その場で迷わずブチギレた人間が二人。

 

 一人目は、ク・ドゥ・グラースさんが死んでからと言うもの、ギルドの仲間の事故等に関してはピリピリしているるし☆ふぁーさんだ。

 どうも、本人は自覚が余りない様だけど、あれは結構なトラウマになってしまっているらしい。 

 そんな彼にとって、「自分の部屋で、不用品の山に押し潰されて圧死しそうになった」などと言うくだらない状況は、到底許容出来ないものだった。

 もう一人は、そういうだらしない状況が見ていられない、綺麗好きのやまいこさんである。

 

 今回、源次郎さんが入院する必要がある怪我をした原因が、自分の散らかし過ぎた「汚部屋」で積み上がった不用品の山が雪崩を起こした結果などと言う状況が判明した瞬間、二人が中心になって【汚部屋片付け隊】が結成されたのは、ある意味いい思い出だろう。

 

 しかも、源次郎さんの勤め先がるし☆ふぁーさんの祖父の会社だと判明した途端、彼は良い笑顔で祖父に対して彼が自分の会社に出向して来る様に頼むという、彼ならではの荒業をさっくり使ってのけていた。

 それによって、病院から退院した直後から源次郎さんの事を、強制的にモモンガたちが住んでいるワンルームマンションへ引っ越させたのである。

 流石に、ギルドの仲間が何人も同じマンションに住んでいる状況で、「汚部屋」を作り出すというのは厳しいだろうというのが、るし☆ふぁーさんの目論見だった。

 

 更に、【汚屋片付け隊】の首謀者の片割れであるやまいこさんが、定期的に彼の部屋のチェックに訪れる事になっている二段構えなので、そうそう部屋を汚すのは難しいだろう。

 

 正直、今回の様に自分の部屋の荷物を積み上げ過ぎた挙句、何かの拍子に雪崩が起きて潰されて死ぬなんて状況は、流石にモモンガも冗談じゃ済まされないと思うから、出来るだけ彼の部屋の様子には気を付けようと考えている。

 もう、これ以上誰か仲間が死ぬのは見たくない。

 これは、現時点で定期的に連絡が取れている仲間たちの共通意見だった。

 

 そして……タブラさんと朱雀さんの二人は、朱雀さんが病気で亡くなる直前までずっと時間が出来た時は必ずログインしてくれていた。

 既に、余命を告げられていた朱雀さんと二人で、ゆったりとログインしてきては攻略など考えたりせず、のんびりとナザリックの中を見て回っては気にった場所でお茶を飲むのが、お互いにとって数少ない楽しみだったらしい。

 この頃になると、ギルドメンバーが少なくなった事もあり、既にユグドラシルのイベント攻略にそこまで重きを置いてなかったし、ナザリックの維持費を稼ぎ出せればそれで問題はなかったから、こんな風にゆったりのんびりと過ごす選択をする仲間も次第に増えていた。

 

だからこそ、穏やかでゆったりと過ごす事が出来なくなった人から、次第にログインしなくなったのだろうと、モモンガも理解している。

 

 そんな彼らを、何とかギルドに来てくれる様に引き留めなかった事に関して、モモンガは自分の選択は間違いじゃないと思っている。

 彼らだって、好きでログインをしなくなった訳じゃない。

 色々な理由から、どうしてもリアルを優先せざる負えなくなっただけ。

 もちろん、ギルドの中があの事故によって空中分解したのとほぼ同じ状態になったというのも事実だろう。

 

 それ位、ク・ドゥ・グラースさんの死はギルメンにショックを与えたのは間違いない。

 

 モモンガだって、本当にショックだったのだから気持ちは分かる。

 それでも、まだメールペットを通じて彼らとは繋がっているし、彼らだってまた余裕が出た時は顔を出してくれると約束してくれたので、その約束だけで十分だった。

 

 まだ、仲間と一緒に遊びたいという気持ちだけは、ちゃんと持ってくれているのだから。

 

 だから今は、少しでもナザリックを守ろうとしてくれる仲間たちと、このまま最後までユグドラシルをプレイ出来ればいいと、モモンガも少しずつそんな風に思える様になっていた。

 そう……最後まで一緒にプレイする事が出来れば、それだけで構わないのだ。

 

 正直言うと、今のユグドラシルは随分と過疎化してきていると言っていいだろう。

 

 少しずつ、新しく出て来ている別のVRMMOの人気に押されていて、ゆっくりと衰退しているのはアインズ・ウール・ゴウンだけじゃない。

 ここ半年ほどの間に、ユグドラシルそのもののプレイヤー人口が減って来ていた。

 このままだと、ユグドラシルの運営自体が余り長く続かないだろうと言う事も、既に予測出来てしまっている。

 もし、これがメールペットの育成を始める前の自分なら、その事実を知った瞬間に精神的な打撃を受けて現実を見なかったかもしれない。

 だけど、社会的な地位がつき自分の立場が明確になり、リアルでも共に過ごせる仲間がいる事で、モモンガは周囲が思う以上にこの状況をゆっくりとだが受け入れられていたのである。

 

 これが、自分の中に起きた一番大きな変化だと言っても、多分過言ではなかった。

 

 別に、ユグドラシルが面白くなくなった訳ではない。

 だけど、それが終わりに近付いている事をゆっくりと自分の中で消化しながら理解し、納得していく。

 今は、そんなモラトリアム期間なんだと、モモンガは今の状況をそう理解していた。

 

「……さようなら、朱雀さん……」

 

 葬儀が終わり、しめやかに火葬場へと向かう朱雀さんを仲間たちと見送りながらそう呟くと、モモンガは今まで堪えていた涙を溢したのだった。

 




という訳で、続きになります。
そして、今回の話で朱雀さんが亡くなり、サイコロの女神さまによる死亡確定者は出揃いました。
モモンガさんの心境も、こんな感じで変化しています。


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それから……最終日を迎えて……そして?

 あれから、色々な事が沢山あった。

 その中でも、特に筆頭に上げるべき事件と言えば、ヘロヘロさんの入院だろうか?

 元々、ブラック企業に勤めていたヘロヘロさんだが、色々とやらなくてはいけない仕事も多くて大変だったんだけれど……るし☆ふぁーさんの会社に転職して一年ちょっと経った頃、急にパタリと倒れたのである。

 

 彼が倒れた理由は、まさかの急性胃潰瘍だった。

 

 なんだかんだ言って、彼の部署の多忙さは今の会社に転職してもそこまで変わらなかったらしい。

 だけど、福利厚生など の面では こちらの方が断然上だからこそ、つい油断してしまったのだ。

 結局、ヘロヘロさんは優秀な技術者で物腰も柔らかい人だからこそ、古参の技術者たちからちょっとした嫌がらせを受けてしまい……少しずつ、だけど確実にストレスを溜め込んでいたのだ。

 

 そう……本人的には、全然堪えてないつもりだったのだろうけど、対人関係による無意識に蓄積したストレスというのは存在していたらしい。

 

 転職する前から、多忙さに色々と弱っていった身体にとって、そのストレスはゆっくりとだが確実に深刻なダメージを与えていたらしく、こうして症状が出る事で決着したのである。

 とにかく、本人は「あー、ちょっと不調かも?」と言う程度で流して気付かないまま、病状が進行してしまった為に限界が来た時点で血を吐きながら倒れるというそんな状態になってしまった訳だ。

 これだけだったら、多分、貧困層だった頃と同じ様に「短期間病院に通いながら治療する」という流れで済んだのだろう。

 だけど、今回は発見者が悪かった。

 それは、朱雀さんが亡くなって十日も経たない頃の話で、たまたまヘロヘロさんに用事があってワンルームマンションまで訪ねてきていた、るし☆ふぁーさんが第一発見者だったのである。

 

 結果として、るし☆ふぁーさんは軽くプチパニックを起こし、自分の恐怖公だけじゃなくソリュシャンとルプスレギナまで使い、全メールペットを通じて「ヘロヘロさんが倒れた」と、一斉配信を送った。

 

 その連絡を受けて、速攻でヘロヘロさんの部屋まで飛んで行ったモモンガ達が見たのは、倒れたヘロヘロさんの事を抱えながら、ぼろぼろぼろぼろと子供の様に涙を流し「ヘロヘロさん、死んじゃ嫌だ」と泣き縋るるし☆ふぁーさんの姿だった。

 多分、るし☆ふぁーさんにとって血を吐きながら床に倒れ伏していたヘロヘロさんの姿は、十日程前に亡くなった朱雀さんの最後の姿と重なって見えたのだろう。

 確かに、血の気の引いた顔は蒼白になっていて、るし☆ふぁーさんがそんな風に勘違いして泣き崩れてしまった気持ちも分からなくはない。

 結果的に、ヘロヘロさんは急性胃潰瘍で血を吐いて倒れただけで、実際に命に別状がない事が検査で判明したから良かったものの、それでもるし☆ふぁーさんの中にあった「仲間を突然失う」と言うトラウマを十二分に刺激してしまっていた。

 その結果、彼はそのまま暫く病院で入院生活を送る事が決まったのである。

 

 正直言うと、あの後の方が余程凄い状況になった。

 

 プチパニックを起こしていたるし☆ふぁーさんによって、メールペットを通じてギルドメンバーへこの事を一斉配信した結果、当然だがメールペット達は全員、ヘロヘロさんが倒れた事を知ってしまったからだ。

 彼らにとって、ヘロヘロさんは文字通り【生みの親】であり、自分の主とほぼ同格の存在と言っても過言じゃない。

 そんな彼が倒れたと聞いて、冷静でいられるメールペットなど存在しなかったのである。

 

 特に、元々彼のメールペットであるソリュシャンや、主が事故死した事によって彼の元に引き取られたルプスレギナの恐慌状態は、それこそ凄いものだったと言っていいだろう。

 

 普段なら、どんな事でも冷静に対応出来る筈のソリュシャンだが、るし☆ふぁーさんの所の恐怖公やルプスレギナと分担してメールを運んだにも拘らず、今回に限っては幾つもあり得ないミスをしていたから、彼女の動揺っぷりは判って貰える筈だ。

 ルプスレギナに至っては、主だったク・ドゥ・グラースさんと死別している影響も大きく、その時の衝撃が頭の中でフラッシュバックを起こしてしまい、ガタガタと震え正気に戻るまでかなりの時間が必要だったというのだから、実に可哀想な事をしてしまった事になる。

 それでも、今回は一緒にソリュシャンがいた事で何とか正気に戻り、主の事を伝えるべくメールを配達に出たのだから、前回に比べて大きく成長したと言えるんじゃないだろうか?

 

 実際、「よく頑張った」と暫くみんなから褒められる度に、はにかんだ笑みを浮かべていて、その様子はとても微笑ましかった。

 

 また他のメールペット達も、「ヘロヘロさんが倒れた」と言う一報を聞いてかなり動揺し、それこそメールの配達は何とかこなすものの、それ以外の部分でミスなどを多発していたから、本当に心配したらしい。

 なにせ、全員がその一斉配信があってからその翌日までに、彼のサーバーへと見舞いに顔を出したというのだから、どれだけ彼らを心配させたのか言うまでもない話だった。

 彼らの中で、年長者として一番しっかりしているウルベルトさんのデミウルゴスまで、ヘロヘロさんの前で泣きながら「お願いいたしますから、ご自愛くださいませ」と訴えたという。

 

 この時点で、彼らの事をどれだけ心配させたのか、本気で良く判る話だ。

 

 出来れば、モモンガとしてもこういう状況は肝を冷やすから辞めて欲しい。

 更に言うなら、これをきっかけに他の仲間達も健康に注意してくれたら嬉しいと思う。

 そして、この件はこれだけで終わらなかった。

 

「ねぇ、ヘロヘロさん。

 医者の診断だと、結構他にも怪しい場所があるんだって?

 それこそ丁度良い機会だし、人間ドックに入って完全にチェックしてきて!」

 

 そう、きっぱりと社長命令として強行したのも、るし☆ふぁーさんだった。

 この一件で、ヘロヘロさんが血を吐いて倒れている姿を見たのが余程堪えたのだろう。

 結果的に、るし☆ふぁーさんの命で強行した人間ドックによって、本人が思っていた以上に身体のあちこちに異常が発見され、ヘロヘロさんには長期間の養生が必要な事が判明した。

 ただ、その中でも問題があった幾つかの個所は、治療の際に暫く専門の病棟に入る必要があるらしい。

 その為、治療に専念する間は正式に会社を休職するだけじゃなく、ユグドラシルのプレイも禁じられると言う状況に陥ってしまったらしい。

 医者からその話を聞かされたヘロヘロさんが、思わずがっくりと肩を落として「トホホ……これなら、もうちょっと健康に気を配るべきだった」とボヤいていた姿も、こうして振り返ってみるとこれもまた一つの思い出だろう。

 

 それ以外にも、ぶくぶく茶釜さんとペロロンチーノさんが、声優とシナリオライターとして既に前評判が高い原作を元にした新作ゲームに挑む為、それが完成するまで一時的にログインを停止するなど、この二年半が過ぎるまでの間に色々な事があった。

 

 そんな風に、段々仲間たちがログイン出来ないという状況にも慣れてきたから、そこまでモモンガ自身も強い寂しさを感じる様な状況になっていない。

 これに関しては、毎日必ず一人はログインしてきているのが確認出来ている事と、メールペットのお陰で途切れる事なくメールをやり取りしてる事、そして何人かの仲間が住んでいる場所が同じマンション内と言うすぐ側にいる事もあって、近況報告のしやすい環境は維持していたのも良かったのだろう。

 何と言っても、お互いにログイン出来る状況じゃなくても、すぐ側に住んでいるから酒を片手に食事をしながら気軽に話せる環境だと言う点が、本当に素晴らしいのだ。

 特に、ヘロヘロさんの時の様にお互いに何かあったらすぐにフォローし合える様に、仲間内だけで互助会を作り、ちょっとずつ積み立てしている事もあって、今ではこのワンルームマンションと隣のマンションに住んでいる仲間達の団結は、かなり強くなっていると言って良かった。

 

 それ以外だと、ヘロヘロさんがるし☆ふぁーさんから何かの依頼を受け、ウルベルトさんなどと協力して色々とやっている事を、モモンガはちょっとだけ知っている。

 

 何せ、本来ならたっちさんちの専属家庭教師をしているウルベルトさんが、定期的にヘロヘロさんの部屋を訪ねてきているのを目撃していた。それに合わせてるし☆ふぁーさんも時間を作って訪ねて来ているのだから、確実に三人で何かコソコソと画策しているのだろう。

 出来れば、三人だけの内緒にするのではなく、モモンガ自身も混ぜて欲しいと思うのだけど、集まっている面々の能力的に、それ相応の専門知識が必要な分野なのだと察せられた為、営業職の自分では太刀打ち出来ないだろうと、今の所は我慢している。

 もしかしたら、彼らが協力して新しく会社のプロジェクトを立ち上げようとしているのかもしれないからだ。

 だから、それに関して凄く気になりはしても、突っ込んで聞く事は出来なかった。

 

 この件に関して、「もうちょっと冷静に考えて、あの時突っ込んでおくべきだった!」とモモンガが後悔する事になるのは、最終日の事である。

 

 とにかく、徐々にログインしてくる人数は減らしながら、それでも比較的穏やかに日々を過ごしていき……そうして、とうとう運命とも言うべき日がやって来た。

 運営が、ついに【ユグドラシルの配信を二か月後に停止する】と、正式な告知を出したのである。

 

 それは、リアルにて【ユグドラシル】の配信が始まって、そろそろ十二年と言う年月が過ぎようとしてた頃だった。

 

★★★★★★

 

 その日、モモンガはドキドキしていた。

 

 【ユグドラシル】がサービス提供終了する事が決まった時点で、今はほぼ引退同然もしくは半引退状態になっているギルドメンバーに対して、全員に最終日に集まれないかと言うメールを送ったのは、せめて最後にもう一度このナザリックで過ごしたかったからだ。

 もちろん、彼らにもリアルの都合がある事は判っていたし、同じ時間帯に集まるのは難しい事も知っている。

 

 それでも……「出来ればみんなと会いたい」と思ってしまったのは、それ程悪い事だろうか?

 

 実際、仲間達の多くはこのモモンガの願いを、今の彼らなりに叶えてくれた。

 最終日、仕事を休んで一日ログインするつもりだったモモンガに、付き合ってくれると言ってくれたのは親友であるペロロンチーノさんだ。

 彼は、丁度現在手掛けていたシリーズのシナリオを全て書き上げたばかりで、次のシリーズを書き始めるまで数日休む予定だったらしく、シナリオが完成する目途が立った時点でその連絡をくれたのである。

 もちろん、モモンガはその彼の提案を一も二もなく受け入れた。

 

 ペロロンチーノさんと一緒にユグドラシルで直接遊ぶのは、それこそ半年ぶりなのだから当然の話だろう。

 

 次に、ログインするのが早かったのは、もう一人の親友とも言うべきウルベルトさんだ。

 しかも彼は、予想していなかった人たちを【ゲスト】として連れて来てくれたのである。

 そう、モモンガが流石に無理だろうと思っていた人物達。

 

 一体誰なのかと言えば、【たっちさん一家】だった。

 

 そう、たっちさんだけじゃなく【一家】……つまり、家族全員なのである。

 ウルベルトさんが、もう七年近く家庭教師をしているみぃちゃんは、まぁメールでも「いつかナザリックに行きたい」と言っていたから何となく分かるけど、そこに奥さんとまだ幼いレイ君までいるとなると、流石に驚くしかない。

 思わず、彼らの姿を二度見してしまうモモンガに、ウルベルトは悪戯が成功したと言わんばかりにクスクスと笑い声を上げながら笑顔のアイコンを浮かべる。

 

「やっぱり驚いてくれましたね、モモンガさん。」

 

 「してやったり!」と言わんばかりに、楽しそうなウルベルトさんに対して思わず「どうして?」と言わんばかりの視線を向ければ、まだどこか楽しそうで。

 理由を問い質さねば、とそうモモンガが考えた時だった。

 今まで、ウルベルトさんの後ろに立って黙ってこの状況を見守っていたたっちさんが、困った様に頬を掻きながら口を開いたのは。

 

「実は……〖ユグドラシルが終了する〗と言うメールをモモンガさんから貰う少し前に、妻と娘と息子のユグドラシルのアカウントを作ってたんですよ。

 私が、仲間と共に作ったナザリックに、是非とも連れて行きたくて。

 とは言え、私自身は毎日それ程時間が取れた訳じゃないので、主に娘たちのレベル上げに付き合っていたのはウルベルトさんなんですけどね。

 残念ながら、最終日までにレベル百までにはなれませんでしたが、それでも三人ともレベル七十まではいけたので、モモンガさんや他の仲間にお披露目したくて連れてきてしまいました。

 それで……ゲスト枠で妻や娘たちを招待したんですが、駄目だったでしょうか?」

 

 一応、「半引退状態の立場だからこそ、勝手な事をしてしまって大丈夫だろうか?」と言うたっちさんに対して、ウルベルトさんはけらけらと笑いながら片手を振る。

 その様子は割と気安く、昔の……そう、全盛期の頃の、あの顔を合わせる度に、それこそ息をする様に喧嘩する事の方が多かった彼らしか知らない面々が見たら、確実に仰天するんではないだろうか?

 まぁ、今のウルベルトさんはリアルで未だにたっちさんの家で家庭教師をしている訳だから、直接顔を合わせる事も多いだろうし、「子供の教育に悪い」という理由で余り喧嘩しなくなったのかもしれないけど。

 どちらにしても、穏やかに最後の時を迎えられるというのは悪くないかもしれない。

 

 ちょっとだけ、二人が何かある度に言い争う姿はナザリックでの日常だった気もするので、そこに関しては寂しい気もするのだけど。

 

 それはさておき。

 モモンガが、たっちさん一家の登場に驚いている間に、更にログインコールが王座の間に響いた。

 今まで、モモンガしか居なかったとは思えない位に、どんどん人が集まって来る。

 先程から、ウルベルトさんやたっちさん達はちっとも驚いていない様子から考えて、どうやら事前に打ち合わせでもしていたんだろう。

 もしそうだとしても、モモンガからすれば単純に嬉しかった。

 

 最終日に、こんな風にほとんど会えなくなっていた仲間達とナザリックで再会し、一緒にユグドラシルが終了するまでの時間を過ごせるなど、それこそ最高じゃないだろうか?

 

 もちろん、仲間の中にはどうしても都合がつかなくて来れない人達だって、それなりにいる。

 その筆頭とも言うべき人が、現在メイドを主題にした漫画で大人気のホワイトブリムさんだ。

 また仕上がっていない原稿が数ページも残っていて、締め切りを翌日に控えている状況だった為、流石に今回は大人しく自重したのである。

 「作者である自分が、アシスタントに原稿を全て押し付ける事は出来ませんから」と、申し訳なさそうに連絡があったのは昨日の事だ。

 その時、結構本気で悔しがっていたのを考えると、もしかしたら彼もこんな風にみんなが集まるのを知っていたのかもしれない。

 

 もう、このナザリックでこんな風に集まる事は出来ないのだから、余計に悔しい部分が多いのだろう。

 

 そうそう、最終日の今夜は多くの仲間達のメールペットたちは、自分達の元になったNPCと一時的に同期している状態でこの王座の間に集まっていた。

 これも全部、ヘロヘロさんの家にプログラム系が得意な仲間たちが集まり、モモンガに隠れてこっそりと企画していた事らしい。

 最終日だから、ちょっとぐらい羽目を外しても大丈夫な様に、るし☆ふぁーさんが直接運営に話を付けて、彼らがこんな風に拠点NPC達と同期しても問題ない様にしている事まで聞いたら、モモンガはもう笑うしかなかった。

 

「……まったく、皆さん黙ってるなんてずるいじゃないですか。

 そう言う事なら、もっと早く言ってくれてても良かったと俺は思うんですけど!

 もし、もっと前に話を聞いていたら、俺のパンドラだって宝物殿から連れ出せる様にしたのに。」

 

 ついつい、そんな風にたらたらと文句を言ってしまうのは仕方がないだろう。

 他のNPCに比べて、パンドラズ・アクターは色々と特殊性が強い為、割と早い時間にログインしてきたヘロヘロさんでも細かな調整が終わらなくて、結局、宝物殿から王座の間に連れて来る事が出来なかった数少ないNPCなのである。

 故に、現時点では彼だけちっちゃな手乗りサイズのメールペットの姿のまま、ナザリックへ来ているという状態になっていた。

 他のメールペット達は、ある意味本体と言うべきNPC達に同期している影響なのか、普段よりもどこかぎこちない動きだが、それでも初めて自分の目で見るのナザリックの王座の間の荘厳さを楽しんでいる。

 それに比べ、パンドラズ・アクターはメールペットのボディそのものでこちらに来ている為、踏まれない為にもモモンガの手のひらの中に収まっている状況だった。

 モモンガの指の間から、小さなその身体を覗かせつつ腕を伸ばし、何に対しても興味津々の様子はより微笑ましかった。

 ただ……それを下手に言うと本人が気にするので、その辺りは触れない様にしている。

 

「……それにしても、本当にあっという間でしたよね。

 最後の方は、皆さん色々と事情があって集まりが悪くなりましたけど、それでもこうしてナザリックはログインが出来る人たちによって維持したまま、こうして最終日を迎える事が出来ましたし。」

 

 感慨深く、そう呟いたのはぷにっと萌えさんだった。

 正直、彼の中にあった予想ではもっと早い段階で、ギルドが分散する可能性を視野に入れていたらしく、こうして最終日まで迎えられた事は本当に予想外だったらしい。

 そう言われると、モモンガ的にはちょっとカチンとくる部分もあるが、そんな事を言っているぷにっと萌えさん自身、不定期になりながらも出来る限りログインしていた事から、この状況を本気で「凄い」と喜んでいる様子なので黙っておいた。

 

 彼は、ここ数か月は色々とリアルの仕事が立て込んでログインが滞っていたメンバーの一人だったから、こうして万全のナザリックで最期を迎えられた事に、感慨深い思いがあるのかもしれない。

 

 ただ……これはモモンガがそう思っただけで、彼の発言に対して今までギルドをログインしながら維持してきた面々は、微妙に何とも言い難い雰囲気を漂わせている。

 自分達が、このナザリックを維持する為に重ねてきた努力を、こんな風に言われるのは少々心外だったからだ。

 何より、この場にはまだ幼いたっちさんちの子供もいるし、メールペット達がNPCと同期して立っている。

 出来れば、不用意な発言は控えて欲しい所だ。

 

 今日は最終日なのだから、せめて最後まで穏やかな空気で終わらせたいと思っていても、別におかしくはないだろう。

 

 残念ながら、今日は予定があって直接ログインしてする事が出来ない面々は、その代わりメールペット達を媒介に実況動画を繋いでいて、時間がある時はそれをモニターしている状況である。

 更に、音声チャットを繋げる余裕がある面々は、モニター越しに俺達の楽しそうな様子を目の当たりにして、結構ログイン出来なかった事に対する悔しさを滲ませたコメントを飛ばしてきていた。

 切実な思いが込められているコメントが多く、意外にそれを聞くだけでも面白いかもしれない。

 

「……そう言えば、残り時間は後どれだけですか?」

 

 ワイワイガヤガヤと会話しつつ、仲が良い仲間同士で集まっての記念撮影などに結構な時間を掛けていた所に、今回、無事にログインして最終日の集会に参加している一人のあまのまひとつさんが、ふと思い出した様に周囲へと問い掛けてきた。

 それに対して、側にいた弐式さんが素早くモニターを確認し、さらりと答えを返す。

 

「丁度、二十三時三十分ですから、残りは後三十分ですね。」

 

 その答えに、何やら考える仕種を見せる。

 ほんの少しだけ考えた後、ずっと気になっていたらしい事を口にした。 

 

「あー……このままだと、るし☆ふぁーさんは間に合いませんかね?」

 

「そうですねぇ……このままだと厳しいかも?

 出来れば、間に合う様にここに来て欲しいですよね、今日が最後ですし。

 なんだかんだ言って、今まで裏で色々と頑張ってくれたのは、間違いなくるし☆ふぁーさんですから。」

 

 周囲を眺めつつ、二人が交わす言葉の中に名前が出てきたるし☆ふぁーさんは、今、この場にいない。

 残念ながら、今夜に限って取引先の社長を相手に、予定を変更する事が出来ない会食が入ってしまったからだ。

 運の悪い事に、その相手先の会社の指定したレストランというのが、彼の住んでいる地域から結構離れていて、「無事に会食を終わらせたとしても、自宅に戻ってログインするのが結構ギリギリになる」と、今朝の段階で本人も嘆いていたのを、モモンガも覚えている。

 この時間になっても、まだ彼がログインして来ないという事は、もしかしたら別口でトラブルがあったんではないだろうか?

 そう、モモンガが頭の端で思った瞬間、いつも聞き慣れたデジタル音声が入る。

 

『 るし☆ふぁーさんが、ログインしました 』

 

 それは、この場にいる全員に聞こえていたのだろう。

 そこかしこから「おー!」という歓声が上がっていた。

 時間的に、結構ギリギリになっていた事を気にしていたからこそ、こうして仲間達から上がる声に滲む色は彼が無事にログイン出来た事を喜ぶものだった。

 

「みんな、ごめん!

 予定より、かなりログインが遅くなっちゃった。

 ……って、みんないるよね?」

 

 バタバタとした足音と共に、そんな声を上げながら王座の間へと駆け込んできたるし☆ふぁーさんを見て、みんなくすくすと笑う。

 こんな風に、穏やかな気持ちでるし☆ふぁーさんの事を出迎えられる様になったのは、彼が社長になった騒動の後からここ数年ずっと続いている、リアルを含めた交流があったからだ。

 多分、るし☆ふぁーさんが自分で出来る限り裏で色々と手を回してくれていなければ、ここにこうやって集まれるギルドメンバーはもっと少なかっただろう。

 そういう意味でも、彼らからの惜しみない感謝がるし☆ふぁーさんに向けられているのが伝わってくる。

 

 何せ、その思いはモモンガだって同じ気持ちなのだから。

 

「ホント……ギリギリでしたよ、るし☆ふぁーさん。

 でもまぁ、間に合いましたから問題ないですよね。」

 

 そんな風に、笑いながら彼の肩を軽く叩いたのは、いつの間にか彼の背後に歩き寄っていたウルベルトさんだ。

 元々、彼ら二人はなんだかんだと昔から仲も良かったから、こうしてるし☆ふぁーさんが間に合った事を素直に喜んでいる一人だと思う。

 悪態も吐かずに、あそこまで出迎えている辺りがそれを如実に示していた。

 ウルベルトさんの後ろには、デミウルゴスが付き従っている。

 彼も、ウルベルトさんのメールペットだったデミウルゴスと同期しているので、この場ではしゃべる事は出来ないものの、行動そのものはリアルのメールペットの意識が宿ったデミウルゴスだと言っていいだろう。

 実際、るし☆ふぁーさんとウルベルトさんの楽し気な会話の応酬を側で聞きながら、ニコニコと嬉しそうに笑っている。

 他のメールペットになったNPC達も、デミウルゴスと似た様な感じで、創造主と主が一緒の場合はその背後につき従っているし、創造主と主が違うケースはどちらの主も大切で選べないと言わんばかりに、上手く中間に位置する様に間合いを取って立っているという感じだった。

 

 どちらにせよ、この場にいる誰もが本当に楽しそうで、こんな穏やかで緩やかな最終日が迎えられた事が、モモンガには非常に嬉しくて仕方がない。

 

 もちろん、ユグドラシルが終了してしまう事そのものは、とても悲しい。

 本音を言えば、このまま終わる事なく仲間と遊べる場所として、ユグドラシルが続いてくれたのなら、どれだけ嬉しいか判らないほどだ。

 更に、このナザリックにいるNPCたちに会えるのも、今日で最後と言う事になる。

 その事実を思うだけで、胸が締め付けられる様に痛かった。

 

 だからこそ、余計に最後なのが寂しくて仕方がないとモモンガは思っていたのだが……ふと視線を向けた先にいたるし☆ふぁーさんとヘロヘロさんがニヤリと笑うアイコンを出す姿が見えた。

 あの笑顔は、何かしら良くない事を何かを企んでいる時によく見せていたものだ。

 そう、間違いなく何かを企んでやらかす時のそんな反応だと、モモンガが察した瞬間、「じゃじゃーん!」と口で言いながら、るし☆ふぁーさんとヘロヘロさんがその場にいる面々に見える様に、二人で一つのモニターを目の前で展開した。

 

「みんな~、こっちを見て見て見て、ちゅうも~く!!

 俺達が、みんなで色々と協力して作ったナザリックが、あんまりにも完成度が凄くて勿体ないないから、さ。

 二人で協力して、凄く頑張っちゃった!

 まず、ヘロヘロさんと色々協力して技術面をクリアした上で、そこからこの三週間ずっと運営と交渉を重ねた結果、ナザリック地下大墳墓のデータを丸ごと全部吸い出して、別のサーバーに構築する許可を貰いました!」

 

 どこか浮かれた様な口調で、それは楽し気にそう語るるし☆ふぁーさん。

 その横で、冷静な様子で更に説明を付け加えていくヘロヘロさん。

 

「もちろん、現時点で存在しているNPC達も全部引き継ぎで連れて行けます。

 そうじゃなければ、【ナザリック地下大墳墓】を別サーバーに移築する意味がありませんからね。

 今の段階では、まだデータの吸出しをして基礎部分になる十層に連なる階層とそこにある建物をざっくりを再構築しただけなので、細かな微調整までは済んでいません。

 更に言うと、ナザリック以外は何もないサーバーですが、そのうち移築したサーバー内に色々と作って遊ぶのもいいかもしれません。」

 

「つまり……これは【ナザリック地下大墳墓】と言う名の、俺達専用の簡易ゲームサーバーを新しく作っちゃったって事なんだよね~

 ドンドンパフパフ~ッッ!」

 

 るし☆ふぁーさんとヘロヘロさんが、それは楽しそうに交互に話す内容を聞いて、思わずあんぐりとモモンガは口を開けてしまった。

 確かに、彼らがこの一年近く何かやらかしている事は知っていたけれど、まさかそこまで壮大な話だったとは思わなかったからだ。

 そもそも、るし☆ふぁーさんの系列会社には、ゲーム会社は存在していない。

 数年前、フリーだったペロロンチーノさんが所属出来る場所がなくて、あまのまひとつさんの系列の会社に行ったのだから、間違いないだろう。

 

 なのに今更、どうしてこんな話が出ているのだろうか?

 

 そんな、モモンガが頭の中で浮かべた疑問を察したかの様に、るし☆ふぁーさんさんはにっこりと笑顔のアイコンを浮かべる。

 

「あー……このサーバーは、元々あまのまひとつさんと俺の会社で共同運営している、レンタルサーバーの一つなんだよね。

 サーバーのメイン管理者は、ヘロヘロさんが受け持ちって事で登録してあるから、何かイベントがやりたかったらペロロンチーノさんにシナリオを作って貰えば問題ないだろうし。

 まぁ、この移築したナザリックへログイン出来るのは、今の段階で【アインズ・ウール・ゴウン】所属、もしくはこの場にいる面々だけに限定だから。

 今回来れなかった面々も、普通にログイン可能だから遊びに来るなら来ればいいと思うし、興味がないならこのまま放置しても構わない。

 この場所は、本当に自分たちで好きに遊べる場所を提供しようと思って作っただけだしね。」

 

「……とは言っても、データを完全に新しいサーバーに移行し終わるのに、少なくとも一月以上は掛かる予定ですから、実際に使える様になるのはもうちょっと先ですけどねぇ。

 出来れば、異常がないか動作テストも終わった後の方が安心して遊べますし。

 ざっと、三か月程度先だと思って貰えれば、間違いないですけどね。」

 

ざっくりと、実際に使用可能になるまでどれ位掛かるのか、その予定を技術者側として教えてくれるヘロヘロさん。

 その話を聞いて、一つ気になった事をモモンガは尋ねる事にした。

 

「あー……それはいいんですけれど、実際に維持費とかそういうのはどうなるんですか?

 るし☆ふぁーさんのお話だと、そこはレンタルサーバーなんでしょう?

 今まで、ユグドラシルの中ではナザリックを維持管理するのに、運営から毎月定期的に維持費として徴収されていたじゃないですか。

 その、新しいサーバーへ移行したナザリックは、その辺りはどうなるんでしょう?」

 

 ついつい、リアルが絡む真面目な事を聞いてしまうモモンガに対し、るし☆ふぁーさんとヘロヘロさんはニコリと笑顔のアイコンを浮かべる。

 多分、モモンガが口にしたこの質問も、最初の段階で想定していたのだろう。

 二人揃って、ぴぴっと腕を上げて軽く人差し指を立てる様なポーズを取ると、更にニヤリと笑うアイコンを浮かべ。

 

「今回は、共同運営とは言え俺が直接運営しているサーバーを利用している訳だから、別にナザリックそのものに対して掛かる維持費なんてないよ?

 今の段階なら、それこそそこまで大きな容量を使用してないし。」

 

「まぁ、確かにこのサーバーの使用料は、るし☆ふぁーさんが言った様に今の段階では掛かりません。

 但し、それはあくまでも〖ナザリック地下大墳墓〗を移築した部分に関してですし、ここから何か作ろうと思うと容量を増やさないといけないので、増設分に関しては会社側に支払うレンタル料などの諸経費は必要ですけどね。

 もっとも、それに関しては既にデミウルゴスたちに預けておいたマンション組の互助会の余剰資金の運用で賄われちゃってますので 最低でもこの先十年は余裕で維持可能です。

 なので、特に心配はいりませんよ?

 ただ、皆さんが直接ネットに潜る為の回線使用料は、個人負担ですが。」

 

 ニコニコと、笑顔のアイコンを連打しながら説明する二人の言葉に、思わずこの場にいた面々はあんぐりと口を開けていた。

 まさか、そんな大掛かりな事までしていたなんて、流石に予想外だったからである。

 だけど……もしナザリックを別のサーバーに移行して、そのままの姿を維持しながら自分達が入って遊ぶ事が出来るのなら、色々と話が変わっている部分があるだろう。

 同じ事を、この場にいる誰もが思ったらしく、視線がヘロヘロさん達に集中する。

 周囲からの視線を受け、ヘロヘロさんは軽く手を挙げた。

 

「皆さん、色々と気になる部分があるでしょうし……質問があるならどうぞ。

 今、答えられる内容なら、お答えしますから。」

 

 その言葉を聞いた瞬間、周囲からパパパパパパッと勢いよく手が挙がった。

 多分、予想外に終了直後のボーナスステージとも言うべき状態で、るし☆ふぁーさん達が用意したサーバーへナザリックの移行が決まっていた事に対して、色々と気になる点があるのだろう。

 しかも、そこで遊ぶ事が出来るのは、自分達ギルドの仲間だけともなれば、当然気になる事も増えておかしくない。

 

「あー、その今の段階で移行後のナザリックで出来るのは、のんびり遊ぶだけなのか?

 何かイベントなどで、戦う事は出来ないのか?」

 

 予想通り、最初に出たのはこの質問だった。

 なんだかんだ言って、一番多かっただろう戦闘系のメンバーからの質問に対し、ヘロヘロさんはにっこりと笑顔のアイコンを浮かべる。

 

「今の段階では、そこまで多くないですけど……そうですね、ナザリックの一部区間を使用した簡易攻略ダンジョンモードっていうのは用意するつもりです。

 後、それとは別にプレイヤー同士によるPVP及び戦闘系NPCとのPVNに関しては、早急に可能な状態にする予定です。

 やはり、どんな形でも戦闘に関わるプレイが出来ないと、〖つまらない〗と言い出しそうな面々が、うちのギルドにはいますからね。

 但し、それらはあくまでもこちらが指定した区域を使用した場合のみ、戦闘可能という形になりますので。」

 

 「それ以外の場所では、出来ませんからね!」と念を押す彼の言葉に、周囲から微妙な苦笑が漏れる。

 多分、所構わずPVPをやらかしそうな面々への釘差しの言葉だったのだが、その様子が余りに真剣だった事で、つい苦笑が漏れてしまったのだろう。

 とは言え、ヘロヘロさんの言い分はもっともなので、反対意見は出なかったが。

 

「あのさ、基本的な禁則事項とはどうなってるの?」

 

 次に出たのが、この質問。

 今まで、ユグドラシルでは十八禁行為は愚か十五禁行為ですらアカウント停止になる程、禁則事項に厳しかった。

 それに対し、メールペットは禁則事項がかなり緩くて、十八禁行為は出来なかったけれど、それでも十五禁行為に関しては、割と寛容な部分があった。

 だが、もしその移行した場所でもユグドラシルの状況が適用される事になるとすれば、今まで出来ていた事が出来なくなる訳で。

 彼らの質問に対して、ヘロヘロさんは軽く肩を竦めると、素直に言葉を続けた。

 

「このサーバー内での禁止行為レベルですが、メールペット側の設定を基準にしようと思います。

 我々の為というよりは、メールペットの為ですけどね。

 今まで、彼らが主と取れていたスキンシップが出来なくなるのは、それなりにストレスになります。

 彼らのAIがストレスを感じた場合、AIにどんな異変が起きるのか判っていませんし、そういう負担をなくす意味でも、彼らとの接触行為に関してユグドラシル基準のままなのは無理なんです。

 まぁ、それにお互い今まで自由に出来ていた事が出来なくなるというのは、結構寂しいですからね」

 

 そう彼が言い切った瞬間、一部のギルメンが諸手を挙げながら歓声を上げる。

 多分、メールペットとのスキンシップ過多組の反応だろう。

 特に、嬉しそうな面々の顔ぶれを見れば、今まで相当スキンシップが濃かったんだろうと簡単に想像が付くだけに、敢えてモモンガもそこに触れたりはしなかった。

 そして、ふと視界の端に映っているモニターの時刻を見て、声を上げた。

 

「あー……思っていたより、結構時間を使っちゃいましたね。

 終了時間まで、残り五分もありませんよ?」

 

 モモンガがそう言った瞬間、仲間たちは慌てて顔を見合わせるとこちらの手を掴み、みんなで王座の方へ移動して行く。

 そんな風に、手を掴んで連れて行かなくても、「移動しましょう」と言ってくれれば付いて行くのに、とそんな事を頭の端で考えていると、横からウルベルトさんが謝罪してきた。

 

「すいません、モモンガさんに伝え忘れてました。

 最後は、みんなで王座の前で記念撮影しようと話してたんですよ。

 ほら、前にナザリックの攻略が成功した時、みんなで集合写真を撮影したでしょう?

 あんな感じで、最終日の記念写真を残そうと思いまして。

 今回は、俺達だけじゃなくメールペットの同期したNPCも一緒ですから、人数的に考えてもかなり大きな一枚になりますけどね。」

 

 その説明を聞いて、「あぁ、なるほど」とモモンガは頷いた。

 確かに、それは良い提案かも知れない。

 わいわいがやがや、残り僅かな時間を楽しむ様に賑やかに話しながら、るし☆ふぁーさんのゴーレムが持つカメラの正面にある王座の前へと移動して行く。

 みんなが王座の前に移動すると、まずは前回と同じ様にモモンガをそこに座らせ、他の面々が思い思いの位置を陣取り始めた。

 たっちさん一家は、たっちさんと一緒に映る様に移動してきたので、ちゃんと小さな子供二人の姿が隠れない様に考慮して最前列へ。

 その代わり、たっちさんには子供たちに合わせる様に立て膝になって貰ったのだが、いつの間にかその頭の上にのしかかる様にウルベルトさんが陣取っていた。

 

 かつて、ここで記念写真を撮った時では、とても考えられない構図だと言っていいだろう。

 

 そうやって、みんなで仲良く集合写真を撮り終えた頃には、残す時間は三十秒ほどになっていた。

 では、といつの間にかその場にいたそれぞれで視線を交わすと、モモンガが口火を切る様に大きく声を上げる。

 

「アインズ・ウール・ゴウンに栄光あれ!」

 

 そう言い切ると同時に、あちこちから同じ様に「アインズ・ウール・ゴウンに栄光あれ!」と言う声が上がる。

 最後に、もう一度だけタイミングを計った様にみんなで唱和した所でカウントダウンが終わり、ナザリックでの最後を締めくくった……筈だった。

 

・・

・・・

・・・・

 

「……あれ、終わりませんね?

 おかしいなぁ、みんなあれで強制ログアウトだと思ってたのに。」

 

「おいおい、最後まで締まらねぇぞ、クソ運営。」

 

「本当、せっかく最後に綺麗に決めたのに、締まらないなー」

 

 そう、苦笑しながらお互いに運営への不満を言い合った瞬間である。

 それまで、後ろにつき従いニコニコと笑っていただけのNPC達が、一斉にそれぞれの主の方へ向かい移動し、まるで主の存在を確認するかの様に抱き付いてきたのは。

 一応、マーレ以外の男性タイプのNPC達は、自分から抱き付くのに躊躇いがあるのか、そっと肩に手を置いたり腕に触れたりしている。

 その中でも、コキュートスが建御雷さんの鎧の端を掴んでいる姿には、どこか不安が滲んでいる様な気がした。

 

〘 ……幾ら、メールペットが同期しているからとは言え、NPCが不安? 〙

 

 そう認識した事に対して、モモンガが思わず疑問を抱く前に、周囲がこの異常な状況を認識したらしい。

 

「「「ヘっ?」」」

 

 思わず声を漏らした瞬間、彼らを代表する様にアルベドがそれは嬉しそうにギュウギュウ抱き付く腕の力を強めつつ、タブラさんに向けてこんな事を言い出したのだ。

 

「漸く……漸く、この身体で、こうして抱き付いて、母様とお話出来ますわ!!」

 

 歓喜に満ち溢れたその表情は、とても自然で。

 どうやっても、今の技術ではNPCにその表情を再現させるだけのレベルはない。

 元々、メールペットたちは割と表情豊かではあったが、それでも表情の自然さなどにはやはり限度があって。

 何より、ここが本当にまだユグドラシルの中なら、彼らが自分の意思でこちらに抱き付くという行為は禁止事項に当たる為、速攻で運営が何か言ってくる案件である。

 

 つまり、それが出来ている時点で、ユグドラシルの法則から外れている事になる。

 

 更に言うと、先程からアルベドを含めた女性NPCなど香水を付けているだろう面々が動く度に、ふんわりと甘くいい香りが漂ってきて。

 五感の内、嗅覚などは電脳法の兼ね合いで再現されていなかった筈だから、普通なら匂いが判る筈がない。

 にも拘らず、周囲から幾つもの匂いを感じている時点で、既に異常だと言っていいだろう。

 それに気付いたモモンガが、運営に確認を取ろうとモニターを探した瞬間、もっと重大な事に気が付いた。

 今まであった筈の、操作画面が消えてしまっていたのだ。

 当然、運営への通報をメインとした連絡用のボタンはもちろん、ログアウトのボタンすら存在していない。

 

「「「「「「えええええっっっ!」」」」」」

 

 正直、幾つもあり得ない状況が重なっている事に気付いた瞬間、その場で思わずみんなが信じられないと絶叫を上げたのは当然な流れだった。

 そして、それまでの様子を実況で見守っていた、リアルにいる面々の絶叫が王座の間に響くのも。

 

 それこそ、阿鼻叫喚と言っていい状況になったのだが……ここからどうなるのか、それはまた別の話。

 

 

ー end ー

 

 




という訳で、メールペットな僕たちは、ここまでです。
だって、元々この話は「原作が開始するまでの、アインズ・ウール・ゴウンの面々とそのNPCを元にしたメールペットのお話」なので。
原作開始後は、どうなるのかとかもちろん設定がありますけど、まず、タイトルから外れるのでこのタイトルではここまでです。
尻切れトンボに近いと思われるかもしれませんが、最初からここでこう終わると決めてあったので。
皆様、長らくありがとうございました。

……この先の話なんて、読みたくないですよね?
話みたいと思う方は、最新の活動報告にコメント下さい。


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