蜘糸草紙~土蜘蛛戦争異聞~ (EMM@苗床星人)
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一.馴初

2012年1月元旦も一週間過ぎた頃の事だった。

私は相変わらずこの銀誓館学園が苦手だ…あぁ、こういうと語弊があるかもしれない。

校舎内の空気と言うのが苦手なのだ。

受付の職員に貰ったOB証を首にぶら下げて歩いてはいるのだが、どうにも場違いな気が否めない。

悲しいかな年齢を経ると下学年の校舎を歩くとどうしても変質者になったかのような錯覚がしてならないのだ。

そんなとき私は校庭を覗くのだ、ジャージを羽織って練習に励む運動部の練習が…見れない。

当たり前だ、こんな時期に学校が始まる訳が無い、余計にこの時期の校舎が苦手になった。

本当ならあそこには運動に励む若者が居る…話は変わるが銀誓館学園にはやたらとい美男美女が多い

恐らく『能力』によって本能的に代謝や身体機能を底上げするからだろうかとも思ったが、それが『能力者』であれそうでなかれ例外は居るし其処に深く考える意味が無い以上考えない方が正解と言うものだ。

とにかくそんな若者たちが玉の汗を垂らし息を荒くしながら必死に運動に励むのだ。

そうだ、空気で白くなった吐息が残れば尚良い、そんなフェティッシュな色気がこの本来ならば放課後と言う時間に校庭には絶えずあるべきなのだ。

あぁ、中学生万歳。もっと幼くてもなおよし。

 

「あ、変質者さんや」

 

聞かれていた。

 

「それを言うなら変態よん♪」

 

私の後ろに立つ透き通る絹のような、通り越して蜘蛛の糸のようなきめ細かく綺麗な髪を持つ彼女は燕糸・踊壺。

私にとって少し前から気にかけている少し変わった『来訪者』の女の子だ。

小学部5年、好きな物は社員の皆、社員と言うのは彼女が代表取締役兼団長…つまりは社長を務めている結社のメンバーの事だ。

嫌いな物はしいたけと世の中の不条理、喉に詰めてからトラウマになったらしい。

そんな彼女が笑顔で引きながら私を見ていた。

 

「メイさんも呼ばれたん?」

 

「えぇ、よこちゃんも奇遇ねぇ♪」

 

私と彼女の腐れ縁とも言える関係は、2006年9月26日に始まっていた。

まぁ彼女は自覚していない、せいぜい2007年9月26日くらいにあったとしか覚えていないだろう。

観測のずれは対象の『キャラ』さえ違えば大きく異なるものだ。

特に私も彼女も大きく変わったではないか。

燕糸・踊壺とメイガス・モルガーナ、私とあなたはそれでも尚、腐れ縁。

 

「何じろじろ見てはるん?」

 

「ん~?

 

少し、昔を思い出してただけよん

 

そう、それだけの事ね♪」

 

 

 

 

 

 

2007年4月1日

土蜘蛛戦争

 

銀誓館学園と葛城の土蜘蛛勢力が戦った『銀の雨の時代』最初の魔法戦争。

忘却期との決別を全ての能力者と来訪者に知らしめる最初の戦争にして

北欧神話の主神が放った鑓の如く、全ての戦争の発端となった悲劇。

 

 

 

これは過去の物語。

 

これは既に終わった物語。

 

ささやかな幸せをつかもうと足掻いた一人の巫女と

やがて幸せをつかんだ一人の蜘蛛の

 

悲劇に終わり始まる

 

燕糸・踊壺が始まった物語。

 

 

 

 

2006年9月26日

 

―――――――――シャン…

 

「……アマサスル………」

 

 

   ……シャン…

 

 

「………アメクチヤ……」

 

…シャン……

 

「ナニシエヤ……………」

 

 

……「ハテ」…シャン………

 

 

 

 

・・・・・・心地よい祝詞が・・・

・・・彼女の意識を少しずつ呼び覚ましていく・・・

 

 

…少し目を開けると、彼女は柩の中に閉じ込められていた。

そして立てられた柩の前で…小さな巫女が、独鈷と錫杖を手に舞っていた。

祝詞と舞は、段々と速さを増していき…激しいものへとなっていく…

 

「……が…見え…る…?…」

 

巫女に問うのは目覚めた彼女。

忘れた言葉を一生懸命に思いだし、

激しい舞を踊りつつも巫女は驚いたように此方を見た。

 

「八重架よ、気を散らすでない!!」

 

八重架と呼ばれた巫女は怯えるように頷いた。

そして一息入れて儀式の最終段階へと進む…

彼女たちの周りには、儀式に同伴する幾人もの『大人』が座していた。

座して、偶像の再誕を待ちわびている…『子供』に異常な程の信頼と、道具のような手軽さを信じて。

そう、その現場は彼女が現代を知る上では限りなく有害な程異様だった。

 

「アマサスル………」

 

シャン…

 

「アメクチヤ……」

 

シャン……

 

「ナニシエヤ…」

 

「ハテ」

 

シャン……

 

巫女は独鈷を構えて唱えた。

 

 

 

「アマサスル…ヤエ、イヅモ!!」

 

 

………ビシィッ!!!!!!

 

 

……一瞬の間を置き、柩に…檻に皹が入った…

そして、法具は転げ落ち、彼女の身体中に張られた札は焼け落ちて白い肌が露わになる。

 

檻は砕けた。

 

支えるものを失った彼女の体は、ぐらりと地面に落ちようとする…

 

…ぽふ……

 

彼女の体は、巫女の手に支えられた。

 

「おお、土蜘蛛様じゃ…」

 

「ついに我等が御家からも…土蜘蛛様が復活なさった…」

 

周りの人間たちが感嘆の声を上げる…

 

つかれて眠りに落ちた彼女を、巫女は優しく抱きしめた。

 

 

 

 

戦争が始まる半年近く前の事…

多くの『巫女』がその地に宿った能力に目覚めて、同時に発狂した

巫女の能力はともかく地位は世襲制で、狂うことのなかった子供達は大人に従うほかなかった。

私の父、燕糸・九段もその被害者だった。

 

ある日私たちの家は燕糸の本家として巫女を世襲せよと分家の襲撃を受けた。

 

買っていた犬の八尾は殺され、母も口封じに囚われ

私も父も、能力に目覚めるまで拷問のような『修行』を強制された…

 

やがて、父が目覚めた。続いて私も…

 

結果として父が狂うのにさほど時間はかからなかった。

 

「この愚物があァァァァ!!!!」

 

「ぅぐっ…」

 

堅く骨ばった張り手を喰らい、その場に倒れ込む。

 

「よりによって、寄りによって恩方様の復活に失敗するとは…アレでは廃人も同然ではないかァ!!!!!」

 

娘を娘とも思わないような怒声を張り上げ男は祭壇前に『座らされている』女の子を指さした。

それは、我々が『出雲の恩方様』と呼ぶ女王級の実力を持っていたとされる土蜘蛛の御尊体だった…筈だった。

 

「ぇぅー…ぁー…ぁは、ぁー…」

 

しかし、『彼女』はあまりに幼く、そして全ての記憶を失っていた。

辛うじて齢五つくらいだろうか、そのくらいの躯で、その心は赤ん坊も同然だった。

 

「でも…ぅ…あの子は元々記憶を失っていたのです、だから……」

 

「言い訳など聞きたくもない!!貴様は暫くそこの白痴とともに離れで謹慎していろ!!!

くそっ、くそっ!!くそっ!!!これでは『娘』を救うのにさらに時間がかかってしまう…『才ある燕糸の巫女』とはいえ、貴様のような忌まわしい餓鬼に任せたのが間違いだったのだ…」

 

苛立たしげに恩方様と私を交互に睨む男…私の父の瞳に正気の色は微塵もなかった。

 

「そんな…されどもその子は出雲の恩方様です、術式の解読でそれは確実で…な、何をするつもりですか!!」

 

「アマサスルアメクチヤナニシエヤハテ…シュテンカイジョウニオツルシュジョウヲウガタバウツワクウナリ…!!!」

 

術式を編み、父はその掌を恩方様の胸の中央へ押しあてた。

初代より燕糸の家に伝えられてきた術式、古代の巫女が一子相伝で伝える今は父のみが持つ主権祝詞だった。

 

「…ッギ!!ァ…あああァァァあ!!ア―!!」

 

すると恩方様は悲鳴を上げて倒れ込み、胸元を必死に抑え込んで喘ぎ出した。

血相を変えて私は父を恩方様から引き剥がした。

 

「お父さん!!やめて、恩方様に何をしたん!!」

 

「愚物が、誰が貴様の父だ身の程を知れ。なに、契約の印を押したまでだ。『器』としてこの白痴を機能させ続けたならばいずれ恩方様の魂も宿ろう…」

 

…めちゃくちゃだ、論理感も補償も何もあったものじゃないのに…何でこの男はそんなに自信を持って人を傷付けられるんだ。

震える恩方様の肌蹴た胸元には、火傷のように蜘蛛の紋が焼き込まれていた…これがおそらくは器の契約紋なのだろう。

なのに…こんな状態だと言うのに…

 

「おぉ…これで我らの恩方様が復活なされるのですな」

 

「これで我らも正式に土蜘蛛の巫女となった!!」

 

「時間はかかろうが期待しておるぞ、土蜘蛛の王国に栄光を!!」

 

「「「栄光を!!!」」」

 

同班の『大人』達は父の蛮行を諭すでも怒るでもなく…賛美した。

彼らもまた『見えざる狂気』に侵された土蜘蛛の巫女達と、それに機械のようにしたがうだけの子供達だったから。

常識と非常識の摩擦で何もかもが狂った世界、それが私の所属する葛城の土蜘蛛衆の世界だった。

 

「ぅぇぇ…うわああぁぁぁん!!ぁぁぁぁぁん!!」

 

「…ッ!!」

 

「ちっ、耳障りだ。さっさとその白痴の器を持って離れへ失せろ愚物、俺を父と呼んだ罪は特別に赦してやる、次は逆さ釣りでは済まさんぞ」

 

父の一睨みに私はおぞましさを感じ…

 

「……寛容なる処遇、感謝いたします…当主様…燕糸の巫女、これにて失礼仕ります」

 

ただ命令に従い、泣き訴える恩方様を抱えて離れの倉へ運んで行った。

 

 

 

これが父の狂気…父にとって私は『娘』であり、そして『才ある燕糸の巫女と言う部下』その二つを同じ存在として目を向ける事を父は本能的に拒絶した。

そうでもなければ、修行と称した凌辱的な拷問を受ける娘に目を合わせることなどできるはずもない…

きっとこの男の心の中では、『娘』は何時までも拷問を受け続けているに違いない…

 

 

 

 

泣き疲れて寝たしまったのか、すやすやと寝息を立てる恩方様を開いている私の布団に寝かせ倉の戸を閉めて灯りをつける。

 

「あら、黒髪に白髪とやたらと対象的な二人ね」

 

すると倉の奥から皮肉めいた声が聞こえる。

豊満な肉体を包帯でぐるぐる巻きにした、同じ長い黒髪の女性の姿がそこにあった。

明・綾乃…魔女と名乗るこの女性が、私に才ある燕糸の巫女と言わしめるほどの能力を開花させた師匠である。

他の狂気に支配された大人と違い、この人は別の能力者組織に所属しているらしい。

その組織から勝手に抜けてゴーストに襲われ瀕死の重傷を負っていた所を私が匿って倉に泊めているのだ。

その代わり彼女は私に上手な能力の使い方と、魔術と言う概念を私に与えてくれた…だから私は師匠と彼女を勝手に仰いでいる。

なにか倉に会った文献を読み漁っていたらしく灯りがつくとありがたそうに寄って来た。

 

「その子が貴女がずっと復活させたかったって言う出雲の恩方…なんだかもう少し威厳や禍々しさがあると思っていたのだけれど…」

 

「あはは…大人の人たちにも同じこと言われてもうたよ

でも強く不安定な封印術式やったさかい師匠のおかげで解けたようなもんですえ」

 

「なにいってんのよ、私は基礎を教えただけで貴女勝手に術式組んでその才能を開花させたんじゃない。遅かれはやかれいずれその術式を『理解』して普通に解けていた筈よまったく、これだから無意味に遠慮深い餓鬼は嫌いなのよ」

 

師匠の辛辣な言葉に思わず苦笑するが、この人は口ではこう言ってても本当は小さい子供が大好きな類の人だと思う。

長らく一緒に過ごしていれば自然とそう感じる事ができたあたり、師匠の言う通り私は本質的に『理解』の能力が優れているらしい。

 

「まったく何の因果かしら、私が師匠なんて呼ばれるなんて」

 

「きっと、私と師匠は運命の糸でつながってるんやねぇ♪」

 

おかしくなって笑みをこぼす、そんな私を師匠は不愉快そうに見つめて…

表情を隠すように正面に書物を持って読みふけった。

 

倉の中で談笑している内に、私は気付くことなどなかっただろう。

この運命の糸が、やがておおきな蜘蛛の巣のように多くの人へとつながっていく事も、それを私が見届ける事ができない事も。

 

 

これは悲劇が終わった後の銀の雨が降る世界の物語

 

これは悲劇から始まるもう一つの悲劇の物語。

 

 

 

 

燕糸踊壺の始まりを、私…燕糸八重架が紡ぐ物語。

 



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二.自己

2006年10月中旬

 

恩方様を倉に迎えてから一カ月も経った。

師匠は子供の相手は面倒くさいと倉の二階に引きこもり、恐らく恩方様も同居人が居ると言うくらいしか思っていないだろう。

驚いたのは全て忘れた恩方様に私たちの知ることを教えるという役割がやけにすんなりと進んで言った事だった。

恩方様はまるで空(から)のスポンジが水を吸収していくようにどんどん言葉を覚えていった。

 

「八重架、やえか♪」

 

「はいな、恩方様♪お勉強は順調に進んどりますかいなぁ?」

 

私が確認すると恩方様はぷくぅと頬を膨らませて訴える。

 

「こんなの退屈なのじゃ、妾は偶にはお前と遊びたいのじゃ」

 

「はいはい、済ませたのなら遊ぶ前におやつとかはどうですかいなぁ?」

 

私が持ってきた小箱を見るや否や恩方様は瞳を輝かせて筆を机に置き駆けよって来て…裾を踏んで転びそうになった所を支えて止める。

--燕糸家は比較的現代の技術を受け入れず、古い格式ばった体制だった--

 

「こら、そんな恰好で走り回ったら危ないですえ」

 

「にゃぅ、う~こんなの着せた巫女どもに言えば良いのじゃぁ」

 

文句をたれながら恩方様は着せられた黒衣の裾を引っ張る。

それはまるで喪服のようで…恩方様の胸に刻まれた蜘蛛の紋が肌蹴た隙間からちらちらと見えた。

 

「………ぇか、やえか!プリンはまだかえ?」

 

「にゃっ!?あ、はいはい恩方様、今日は奮発してクリームプリンですえ♪」

 

わぁ…と紫の宝石のような丸い目を輝かせるその仕草はまるで年相応の少女のようで…

私の黒い想いを洗い流す癒しになった…。

 

 

 

 

私は、恩方様を憎んでいた。

いや、きっと今でも憎んでいる。

 

でもそれはきっとこの子には重すぎる荷だ。

 

 

 

 

 

『何故私が耐えなければならないのなぜ何故ナゼ名瀬撫ぜ…』

 

「将は右舷前進、雑兵の無力化をお願いします

七星(ななせ)、一二三(ひふみ)、四葉(よつば)は固まって距離を維持…前方は私がとります!」

 

「「「御意!」」」

 

人気の失せた民家で、デフォルメした子供の落書きのような影を従えるエプロンをつけた異形のゴーストががなり散らす声を余所に

私は仲間達に指示を飛ばし剣を手に親玉に狙いを定める。

 

『あの子さえいなければあァァァァ!!!!!』

 

ゴーストが投げる包丁を剣でいなし、逆に剣をその元に目がけて投擲する。

 

『ギャあ!!』

 

親玉の絶叫とともに剣がその胸を貫き、ありえない軌道を描いて私の元へ帰ってくる。

念動剣イヅモディバイス、もう片方を取り出し拳を真ん中に弓の形を取ろうとした所で落書きが襲いかかろうと駆け出す。

しかし私たちには人外の膂力を持った仲間がいる。

鋏角修将軍、八ツ目(やつめ)は彼らよりも早くその間合いに入り込み、長槍を握って回転するシュレッダーと化した。

 

『アタシじゃない、お前がやったんだあァァァァ!!!』

 

「ッ!!」

 

「「「八ツ目様!!援護いたします!!」」」

 

子分を失って激昂した親玉が八ツ目に斬りかかる、しかし他の三人の巫女が舞を踊ることにより傷は禊がれ塞がっていった。

その内に私は魔力と巫女の力を矢の形にして、弓と化した詠唱兵器に携える。

 

『あの子さえいなければ私は自由だった…あの子のせいで私はここに縛られるのよおォォォ』

 

「それはあまりに、身勝手や」

 

一言つぶやいて、ゴーストに破魔矢を撃ちこんだ。

 

 

 

 

「さ、たんとお食べー」「…キュイキュイ」

 

「八重架様、お疲れさまでした」

 

巫女たちが蜘蛛童にゴーストの残留思念を与えている内に、将軍が私に労いの言葉をかけてくれた。

 

「ええんよ、将軍もよぉ頑張ったなぁ♪」

 

「私は元より巫女様方の護衛が義務なれば、結界によって力衰えたとはいえお手を煩わせてしまった事こそ申し訳ない…」

 

八ツ目は世界結界と呼ばれる現在の世界を形作る常識ができる前の鋏角衆だ。

恩方様より前に私が封印を解き従えているこの青年は、その時代からある重役の巫女を護ることが使命だったらしい。

そして、それを守りきる事ができなかった事も彼にとっては耐えがたい屈辱だっただろう。

 

「でも、よう頑張ったよ…今この世界で此処まで頑張れるんやから」

 

狂わずに…そう言いかけた所で言葉を飲み込む。

彼らを狂ってると言ってはいけない、それは私たち子供にとって暗黙の了解だった。

 

「八重架様も、まるで初代様のような気高い力を持っておいでです…それに見合うべく報いるのが某の役目なればこそ」

 

「気高い…?」

 

首を傾げた私を心底意外そうに見る八ツ目、すぐにすいませんと頭を下げた。

 

「え、えぇよええよぽか―んとしてて将軍にはレアな表情やったし。でも気高いか…そう、言えるんかなぁ」

 

「御自分の力に自信をお持ちでないのですか?」

 

八ツ目の言葉に私は考え込んでしまった。

 

「自信なんて、初めから持てるものやあらへんもん…」

 

 

 

 

「のう、そこにおるんじゃろー?」

 

なーなーと、恩方様が語りかけるのは高く積まれた蔵の本棚の上。

それは師匠のお気に入りの場所で、彼女は基本としてそこから動く事はあまりなかった

特にそれは倉に恩方様が来てから寄り一層顕著になった。

 

「流石にヒトの気配くらいわかるのじゃ、先に住んでおったようじゃが…のう、寂しいので話くらいせぬか?」

 

「…………餓鬼に興味無くてね」

 

むぅ、と頬を膨らませる恩方様にこっそりと目を配らせるも、すぐに書物に目を戻し師匠は口を開けた。

 

「名前」

 

「にゃ?」

 

間の抜けた恩方様の返事にため息を突きながら師匠は答えた。

 

「私は巫女じゃないもの、過去の貴方に対する恩情が無い以上恩方様なんて呼ぶ訳にはいかないでしょう?」

 

「そ、それはそうじゃが…妾には名前が無いのじゃ」

 

恩方様が返すと、師匠は本棚の山の上から手を振ってこたえる。

 

「じゃあ八重架にでも付けて貰いなさいよ、名前は体を表す…名は形でありその本質を表す…ったく何言ってるんだか私は

というか、それ以前に名前が無いと呼べないし会話にもならないわ」

 

詭弁に過ぎないのは目に見えている、師匠は自称子供嫌いなのだ。

本当は好きな癖に、だから話しかけられればいくらでも意地悪に魔女らしく答えるだろう。

 

「う、う~…先住の女は意地悪じゃのう」

 

「綾乃、明・綾乃よ」

 

名を教えると本を閉じ、師匠は再び不貞寝と言う名の眠りについた。

 

 

 

 

「やえか、妾にも名前が欲しい」

 

そんな事があったから、恩方様がそう言いだすのはある意味必然だったと言える。

事情を聞いた私は上を見るが師匠は応えることなく熟睡しているようだ。

 

「そぉ言われてもなぁ…そや、ほなら私の名前をちょぉ変えて…」

 

や⇒よ

 

え⇒う

 

か⇒こ

 

「ようこ、ようこ様や。とりあえずはそう呼びましょぉ、ええですかな?」

 

「…!!よ、う、こ…ようこ!!はは、妾はようこじゃ♪」

 

キャッキャとはしゃぐ恩方様を抱きとめて、人差し指でしーっと恩方様を諭す

 

「えっと…今はこの名前は私と恩方様と、師匠だけの秘密ですえ」

 

「…うん!わかったのじゃ、大好きじゃぁやえか♪」

 

 

 

名を与えられた恩方様は、凄くうれしそうな笑顔で…

 

 

その笑顔が、私の憎しみを癒して行く…

 

 

決して誇れる力でもなく

 

 

憎しみの為でも無く、父の為でも無く…私は何のために、巫女であるのか

 

 

 

私は未だ、自分の事だけが理解できず悩んでいた。



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三.決意

2006年11月下旬

 

 

 

御家(おいえ)の代表格が一堂に会す、集会の儀。

私は父と共に御家の代表として…そして、今日も父の飾りとして共に集会へと赴いた。

 

「大江山の土蜘蛛様…出雲の恩方朱天童子様の御身はどうだ…」

 

まず口を開いたのは王国でも実力のある葛城の巫女の代表だった。

それに続いて父が口を開き、恩方様の現状を報告する。

 

「呪を施し御家で最も力のある巫女に教育を一任しております、さぞや威厳ある土蜘蛛様へと成られる事でしょう」

 

「さよう、何れ恩方様の御魂戻られし刻…恩方様の御身が只の抜け殻であっては我らの恩方に対する示しがつかぬ」

 

「才ある燕糸の巫女といったか?所詮は子娘、復活の儀に失敗するとは燕糸も堕ちたものよ」

 

嫌な笑い声が御堂に響き、父は恥辱を浴びせられた責任を押し付けるかのように私を睨みつけた。

しかし直ぐに葛城の代表へと向き直り、

 

「なれば、それは葛城の御家も然りだろう

女王の復活に未だ貴重な時間を浪費するのみで、我等の悲願を遅らせている一番の原因となっているではないか」

 

「貴様、王国の細分家の分際でありながら!!」

 

「沈まれぇい!!!!」

 

父の言葉に多くの御家の代表が片膝を上げる、しかし葛城の代表の一喝によって立ちあがった巫女衆はしぶしぶと己が座へ戻った。

 

「…何にせよ、我らの力が戻り蜘蛛童が我らの力に呼応した事は事実。そして、それは偉大なる女王の恩恵にあらせられることは確か

そうであろう、無冠の算学者よ」

 

「…そうですとも、我らが教祖様も貴方達の偉大なる衆の発展を望んでおられる

土蜘蛛の女王が復活遊ばされた暁には、永遠の発展が約束されるでしょう」

 

葛城の代表の言葉と共に彼の影から立ちあがったのは、全身を黒い外套とコートで覆った真っ黒な20代の男だった。

巫女の衣装で白く埋まっている御堂の中では異様に目立っている筈なのに、私は彼の存在を全く認識できていなかった。

さらにおかしなことに、彼の衣装は巫女の物とは全く違う物で…それも鋏角衆の着る現代の洋装にも似た雰囲気でもあり、それよりもやはり真新しいものだったという印象を受けた。

その服装と存在感は周囲の巫女たちを動揺させるには十分すぎるものだった。

 

「紹介しよう、ウェルダ教…我等能力者そして来訪者を研究していたという魔術士の末裔

その幹部の一人である…」

 

「老師アグニ・ブランドエストックと申します、お見知りおきを」

 

葛城の代表の紹介と共に男…アグニは芝居がかった動作で礼をする。

その平然とした態度により一層動揺するように周囲の代表はザワザワと話し合いを始めていた。

 

「心配は無用、ウェルダ教は土蜘蛛の足元にも及ばぬ弱小組織

しかし知識は本物だ、現に蜘蛛童の発生個所の情報において多くがこの男の予測によるものだからな」

 

「土蜘蛛による王国の復活が成されれば、卑しき民を纏めるのは必然

我らが教祖様は貴方方への帰属を求められるでしょう」

 

アグニの媚びへつらうような仕草に、初めは彼を疑いの目で見ていた代表たちの表情も

優越感に浸る様に安心を浮かべて行く。

 

「この男の要望だが、燕糸の御家は暫くの間倉の図書をアグニに譲って頂きたい」

 

「…!?」

 

その提案に私は身を強張らせ、父も私を睨みつけた。

恩方様の現状をアグニに見られ、少しでもおかしな所を葛城に報告されたら

現実的な話ではないが仮に土蜘蛛の王国が復活したとして、燕糸家の地位は地に落ちたモノとなる。

それでは自分達が今まで何をしていたのか本当に意味が無くなってしまう。

しかしアグニはにこりと微笑んで告げた。

 

「いえ、図書を幾つかお借りするだけですよ…図書を少しお借りすれば私は本部に戻り報告をしなければなりません

そこで然るべき準備をした後に、必ずや恩情を返すべく戻りましょう」

 

ふぅ…と、私と父はため息をついた。

 

 

 

 

「おぉ、これは凄い…」

 

「燕糸の御家は1200年前の大江山の時代から、代々倉の宝物と記録を保管し続けて来ましたさかい」

 

感嘆の声を漏らすアグニに、私は倉の書物庫を案内する。

師匠もそう言っていたが、初代の遺した魔術がこの世界の常識によって大分効果が弱まっているとはいえ作動していて

それ故に燕糸の倉は大分保存状態が良かったらしい。

 

「これならば周辺の魔術的な要因も幾つか調べる事ができそうですね、本当に有り難い…」

 

「いえ、御役に立てたなら光栄ですえ。でも、アグニさんは大人やのに私達巫女の大人みたいになってへんで、羨ましいです…」

 

アグニは私が思った以上に優しい人だった。

大人なのに巫女の大人にあった狂気は無く、師匠のように理知的で言っている事にも矛盾が無かった。

 

「私達は能力と言える能力ももたない一般人ですから

ウェルダ教も長い忘却期の中で能力を失った組織ですからね

能力者に仕える事こそ今後の世界をうまく生きていく近道だと思っていますから」

 

アグニは不可思議な青年だった。

大人達でも様子がおかしいくらいの年齢に達している筈なのにその言葉にはいつもの大人達の言う矛盾が微塵も感じられなかった。

しかし、逆にそういった矛盾が感じられなさすぎるのだ。

正確に塗り固めたパズルのピースのように当てはめられたアグニの言葉に私は不安を覚えていた。

 

「嘘…ですよね?」

 

私の言葉に、アグニは書物を取ろうとした手を止めた。

 

「私にも魔術の師匠がおります、そのお方も狂っていませんでしたが、能力はありました…教えてください!どうして能力を持った人間が狂うのかを…!!アグニさんも、能力者なんやろ!?」

 

「貴女は本当に、良い師と類稀な才をお持ちのようだ…しかし、今はまだ明かすべきでない事も多いでしょう

貴方もそこまで解っているのならば解る筈ですよ、王国を作らんといしている土蜘蛛の信望者と現代の能力者達の実在を知っているならば尚の事」

 

アグニは私に振り返り、笑顔で告げた。

 

「このままだと土蜘蛛の組織は、何れほかの能力者組織に潰されますよ?」

 

どこまでも無慈悲に嗤いながら、諭すように算学士は本性を見せた。

 

「やっぱり、そう見越したうえで接触してきとったんやね」

 

「敏い子ですね…いいや、こういうのは不敬でしたか。」

 

身構える、しかしこの状況はあまりにも危険だった。

目的がどうであれ、アグニは葛城本家と関わりを持っている。

そんな人物がここで争いを起こしたともなれば真っ先に事の責任が及ぶのは燕糸家だ。

かと言って、私に本意の一部を明かした以上この男が私を逃がす確率はあまりにも低い。

 

「……そう身構えないでください、私はあなたに何をするつもりもありませんよ」

 

アグニはそう言うとわざとらしく何もする気がないことを明かすように両手を翻して見せた。

 

「あなたは余りに強く賢い。

それこそこの組織の燕糸の巫女でさえなければと悔やみきれないほどでしょう。

ですがそれまで、あなたは余りにも非力だ。

それこそ組織を牛耳る無能共に言葉が届かないほどに。

あぁ、天は二物を与えずとはこの事か…燕糸八重架、一つ提案をいたしましょう

私達につく気はありませんか?」

 

アグニが手を差し伸べてそう言った時、心臓が強く脈打った事が自覚できた。

土蜘蛛衆からの脱却、狂った本家や父の下からの脱出…

しかし、それは終わりゆく土蜘蛛衆に恩方様を置いて見捨てることに他ならない選択だった。

苦しみと重圧からの解放か、押し付けられたあまりに愛しい『元凶』の命か…

どちらを選んでも、どちらかを失う…ならば私の選択は一つだった。

 

「お断りしますえ」

 

私はアグニの手を振り払った、ただ断るのではなく燕糸八重架の拒絶として。

魅力的な誘いではあった、私の存在さえいなくなれば父もまた狂気こそ無くならないだろうけれど

少なくとも『彼の娘』は解放されるのではないかという希望もあったからだ。

しかし、それよりも私は既に大切な友達が此処に居る。見捨てるわけにもいかない何も知らない子供がいる。

燕糸の巫女としての責任ではなく、燕糸八重架としてあの子を捨てることはそれこそ私自身を失うことに他ならない。

私はその時になってやっと、何よりあの子に幸せになってほしいんだと気づけたんだと思う。

 

「…仕方ありませんね、勿体ないとは思いますが…それも人の身で決めた道ならば仕方ない」

 

アグニはやれやれと呟きながら、蔵の最奥の棚…その裏の壁に記された埃かぶった蜘蛛の紋を撫でて目を細めた。

 

「では、とても参考になりました。僕はこれで失礼するとしましょう…」

 

アグニは書物を何冊か抱えて蔵の途へと戻ろうと歩を進める。

そして蔵の戸を開けると振り返って言った。

 

「さようなら、燕糸八重架」

 

「さようなら、アグニさん」

 

決別の意を込め、私もそれに応じた。

アグニさんが出て行った後、とんと背中に何かが寄りかかってきた。

本棚の陰から出てきた恩方様が、私に背中から抱きついてきたのだ。

 

「…八重架、妾は……」

 

恩方様は聞いていた…否、アグニはわざと恩方様に聞こえるよう言っていたのだ。

ええ趣味しとる…そう思いながら、私は後ろ手に恩方様の頭を撫でてやった。

 

「気にする頃は何もありませんえ、そんな事にはさせへんから…もしなったとしても」

 

私は恩方様を…寂しさばかりに震える恩方様を

 

「恩方様は、私が守って差し上げますさかい」

 

守り抜くと決めたのだった。

 

 

 

 

しかし…時は確実に現実をむしばんでいた。

これは、アグニとの決別から数日たってのことだった…。

私は死霊を狩り、残留思念を蜘蛛童に食わせた巫女の仲間と燕糸家へ凱旋していた。

 

「八重架様…!!」

 

御家に着くや否や、八つ目が大慌てで蔵の前に駆け寄ってきた。

その顔は青く、尋常ならざる事態の到来を容易に知らせていた。

 

「何があったん、八ツ目?」

 

八つ目は心底申し訳なさそうに頭を下げて、続けた。

 

「葛城本家、及び分家勢力全体が…残留思念では足りないと、気づいたようです…」

 

「足りひんって、土蜘蛛様への成長にって?…そんな事どうしようも」

 

 

「あるのです」

 

 

私の言葉をさえぎって、八つ目は重く鉛となったかのように拳を地に突き

在任が自らの罪状を口から絞り出すかのように重々しく言った。

 

 

「蜘蛛童が、栄養を残留思念から食らい足りないというのであれば…我々の組織が未成熟であるのならば、成さねばならぬ方法が…」

 

 

やめて、そんな事言ったら…そんな事実行してしまったら…もう、戻れなくなる…

そう、本能が悲鳴を上げていた。

 

 

「人間を…蜘蛛童が人間を食らえば、より確実に土蜘蛛へと進化します」

 

 

 

 

蔵の中で、師匠は天井に手を伸ばし、ダイアルを回すように手を回した。

 

「まるで歯車のように、歴史を動かすには動力が要る」

 

そして、忌々しげに眼を細めた。

 

「その動力はいつだって、人の死ね…」

 



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四.幸福

2006年12月上旬

 

「八重架、さんたとは何じゃ?」

 

「・・・はい?」

 

恩方様から、今までの生活とは余りにもかけ離れた単語を聴いて、私は一瞬何を訪ねられたか理解できなかった。

 

「綾乃も一二三も言っておったのじゃ、この季節の祭りに現れるのよな!!サンタの何が楽しみなんじゃ?」

 

「あぁ・・・ああ!!サンタですかいな、そやなぁ・・・クリスマスの夜に、良い子の枕元にプレゼントを届けてくれる人なんやよ」

 

横文字が急に幾つも出たためか、今度は恩方様が首を傾げた。

 

「・・・?くりすます?ぷれぜんと?」

 

「あー…贈り物いうことですえ♪」

 

「ぷっ…く、くくく…あっはっは!!」

 

棚の上で師匠がたまらず噴き出した。

恥ずかしくなって服の袖で顔を隠すが、その仕草も見たのだろう師匠は余計に笑い出した。

しまいには本棚の上を書物で叩く音すら聞こえてきた。

そんなに元気ならそこに引きこもってなくてもいいんじゃないだろうか…?

 

「ひーひー、八重架は理解は早いけど説明は苦手みたいねぇ」

 

「ひ、久しぶりに聞いたさかい困っただけですえ!!」

 

私が頬を膨らませてそういうと、師匠は私たちに向かって小さい小箱を投げつけてきた。

 

「にゃ、綾乃?」

 

「え…師匠、これは?」

 

「サンタさんのプレゼント、私12月25日嫌いなのよ…だから先に渡しとくわね?」

 

そういうと師匠はひらひらと手を振った。

 

「まったく、師匠ってば…」

 

その小箱を開いてみると、中には2つセット、恩方様のを含めて計4つ、金色の蜘蛛を模したバッチが入っていた。

 

「これは・・・」

 

「古文書の知識を頼りに作ってみたものよ、ゴーストの近くでも使える通信機だなんてチートレベルのものまであったから、面白そうだと思ってね」

 

暇つぶしにしては、その造形は凝っていて

私の髪飾りと同様の形からか明らかに意識してデザインしていることが見て取れるようだった。

だから私も恩方様もたまらず・・・

 

「「ぷっ・・・・・・」」

 

「あっははははははは!!」

 

「にはは、にははははは」

 

おもいっきり笑い転げてしまった。

それに師匠はかぁっと顔を赤くして(たぶん)叫ぶ。

 

「ちょっと、何笑ってんの!!おかしいなら返しなさいこら!!」

 

「やーですえ♪」

 

「あやのは恥ずかしがり屋じゃのう♪」

 

 

 

 

きゃっきゃと姦しい笑い声は倉の外まで聞こえていた。

倉の外にまでちょうど来ていた八つ目の耳にも届くほど。

当然「当主に聞かれたら事ですぞ」と注意することもできるが、そんな事するほど八つ目は空気の読めない男ではなかった。

かといってこの場を邪魔することもできず、笑い声が落ち着くまで待ってから、倉の戸をたたいた。

 

 

トントン、と蔵の戸を叩く音。

 

「はい!ちょぉ待っててなぁ」

 

それに返して恩方様を待たせ、戸を開けると…外には八つ目が、傍らに蜘蛛童を侍らして立っていた。

 

「なんや、八つ目さんか。あー・・・外にも声聞こえとったかな?」

 

ばつが悪そうに言うと、八つ目はにこりと笑って首を縦に振った。

 

「えぇ、恩方様も巫女様もお元気そうで何よりでございます

特に巫女様は恩方様と暮らし初めて笑うことも多くなられて・・・僭越ながら私も安心しました」

 

「え?私そんなわらわへんかったかなぁ・・・いやぁ自分の事やとなかなかきづかへんもんやな」

 

実際、笑うようになったと気づいてから違和感に気づいた私がいた。

あんなに辛い毎日だったのに、恩方様を育ててからだろうか

そんなことがどうでも良くなってきたのは。

いや、たぶんアグニと決別してから・・・そして恩方様を土蜘蛛衆の運命から守ると決意してからか

どこか吹っ切れたように肩の荷がおりた思いだったのは確かである。

 

「恩方様も、あんなに楽しそうな姿を見て安心しました。」

 

八つ目は外来者におびえて倉の奥に隠れた恩方様をみて、うれしそうに目を細めた。

そして残念そうに頭を垂れる。

聞けば、八つ目は恩方様直属の鋏角衆の長だったらしい。

そんな恩方様に忘却されて、今もこうしておびえて目をそらされるのは八つ目にとってとても辛いことに違いない。

しかし八つ目は私の予想とは裏腹によく恩方様を見舞いに来ていた。

以前の恩方様はよほど八つ目にとって心配な人物だったらしく、今の恩方様の無邪気な様を陰から見守って微笑んでいるのを私は知っている。

 

「ん、ほなら何のようかいな?

八つ目もプレゼント交換会に参加する?」

 

「ぷれぜんと?・・・いえ、巫女様に一つ相談したいことが・・・」

 

聞きなれない横文字の言葉を聞いて首を傾げた八つ目は(八つ目の時代は本来の歴史以上に諸外国との交流も盛んだったそうだが)

首を横に振って傍らの蜘蛛童を一撫でした。

 

「この童は人が喰らえませぬ…」

 

八つ目の言葉に、私の眉がぴくりとあがる。

少し前から、土蜘蛛組織の蜘蛛童を成長させるよう活動していた集団は

蜘蛛童への供物(サクリファイス)を得るための標的をゴーストから人間へとかえる方針を取り出した。

私はそれから蜘蛛童の養育に関わるのを止めた。

父・・・いや、当主にもひどく罵られ

 

『土蜘蛛よりも人間が大事か』『人を害する度胸もなしに王国の復興に役立てると思うな』『この裏切り者の・・・』

 

父の侮蔑の言葉を一瞬だけ思いだし頭を降ってよけいな思考を追い出す。

しかし、恩方様を守るという決意を固めた以上そこまで狂った大人たちに執着はもてなかった。

だからその言葉はトラウマにこそなったが、その侮蔑だけで人を殺さずにすむのなら軽いものだと思っていた。

 

閑話休題(はなしがずれた)、蜘蛛童に人を食わせる方針に私と同じ年代の巫女の多くが反対した

葛城本家やその直属の家計は逆らいきれなかった巫女も多かったようだが

やはり若く扱いやすく、そして何より上層部に居座る大人たちに反して行動のほとんどを任されていた巫女たちのストライキ的な反対に大人は頷かざるを得なかった。

嫌々ながらも王国復興の猛襲につき動かされ出ていく大人の巫女たちに混ざって、その方針にただ一人頷いたのは

意外なことに八つ目だった。

しかし、八つ目がそれに賛同したのは蜘蛛童を思ってのことだという事をよく知る私達は八つ目を止めることができなかった。

 

「人も食らわずこの成長の早さでは最早土蜘蛛様への進化は不可能でしょう…

否、稀に初めからこうなる為に生れて来たような童がいるのです。

ですから、どうかこの童を貴方の下で育てて土蜘蛛になる手助けをしてほしいのです…才ある燕糸の巫女…」

 

「私でも、それは不可能やよ」

 

私はきっぱりと断った。

蜘蛛童を土蜘蛛様に成長させたい気持ちは私も同じだった。

しかし必ず誰かを犠牲にしてでも土蜘蛛にしなければならないわけではない。

巫女衆の中でもそこが一番意見が分かれるところだったが

わたしは鋏角衆には鋏角衆の有用性用いもあって然るべきと思っている。

しかし八つ目は、私の返答を半ば予想していたのかやはりとため息をついた。

そのため息は重く、大人たちのように猛襲的な思いに駆り立てられている様子でもなかった。

(というより私は八つ目が狂っているなどと思っていなかった、いや思いたくなかっただけかもしれないが・・・)

 

「出来損ないに…なる他ないのですか」

 

「…できそこないなんて蔑む権利は、誰にもない思う」

 

辛そうな八つ目の言葉を聞き、ようやくこの子が八つ目にとって大事な蜘蛛童だという事に気がついた。

実際、八つ目はかつての燕糸家が存在した出雲の里の暗黒時代をみてきたのだ。

かつて土蜘蛛と人間が気づいていたという共存の理想郷から、上王を失った事による葛城本家の支配と土蜘蛛こそが下民を統べる絶対的なヒエラルキーの社会

そしてその社会において土蜘蛛のなりそこないである鋏角衆の立場は非常に低い・・・それは今の土蜘蛛衆でも同じ事である。

そんな中でだ、鋏角衆に生まれたことを恥じ巣の元を離れた仲間を彼は多く見送った。

 

「700年の昔に至っては、群れから離れることはそのまま死を意味するとし

ても拙者は見送るしかできなんだ…

700年たった今でもそれは変わらない、ただ不条理だとしか…思う事しか拙者には…」

 

蜘蛛童を愛し、育てるものほどそのときの辛さは計り知れなかっただろう。

特に八つ目はこの子を特に大事に育ててきたのだから・・・

 

「…この童、私と恩方様に預けてくれへんでしょうか…?」

 

「・・・八重架様・・・それでは」

 

「いや、この子は鋏角衆として育てる

出来損ないとして恥じて暮らすんやない、誇りのある鋏角衆として立派に育ててみせる」

 

私の言葉に、八つ目は戸惑いを隠しながらも隠しきれない不安げな目を向ける。

一度価値観の変化に流された彼だからこそ、私のような価値観をそう簡単に信じることができないのかもしれない。

それでも・・・

 

「・・・八つ目もいっとたやないか、この子は鋏角衆として生まれるべく生まれたって

それやのに恥じることばっかり覚えさせてもうたら、この子にもきっと辛いですえ

八つ目、鋏角衆は・・・貴方は出来損ないなんかやないんや

私達を助け、護る力をもっとる大切な仲間や」

 

「・・・初代様のようなことを言うのですね、恩方様を任されてから八重架様も変わりなされましたな・・・」

 

八つ目は両手を地について頭を垂れてきた。

 

「この名も無き蜘蛛童を、よろしくお願い申しあげます」

 

 

 

 

「で、プレゼントあげた矢先にまた住人が増えたわけね」

 

「か、かんにんなぁ師匠・・・何やその場のノリというか、応じざるを得なかったと言いますか」

 

結局その夜は棚の上でいじける師匠に、梯子に手をかけながら謝り続ける羽目になったのでした・・・

 

 

 

 

 

所は変わって、視点は本筋を離れ葛城山へと移る。

いや、これはもともと本筋ではないし本筋の裏に燕糸八重架という歴史を加算していく物語なのだから本筋というのも烏滸がましいことだが

それはともかくとして、事は本筋に極めて親密に関わる葛城本家にまで波及する。

土蜘蛛衆にウェルダ教の老師が関わりだした、その情報を婚約者から得た自身もまたその敷地へと足を踏み入れていた。

当然、いい顔はされなかったがね。

 

「ヤクザじゃないんだから、もう少し冷静な対処を求めたいものだがね?」

 

自分は警戒した巫女たちの薙刀に囲まれるという盛大な歓迎の中にあった。

この程度の組織の能力者であるなら、組織力もさほどの物でもないし力づくで押し通ることもできるが

今時そんな事を結界もなしにやるのは三流のやることだ。

ただでさえ鎌倉の"世界砕き覚醒未遂"事件以降、綻んだ世界結界を作ろう役目を持った先見の微能力者が見張っている

それを保持するイレギュラー中のイレギュラーの視点に泊まるのは今はこいつらだけで十分だ。

しかし、そうなるとこの状況をどう払しょくするか…メガリスならば世界結界にほころびを与えづらいが無意味に手の内を明かすのも癪だ。

そう悩んでいると、見知った声が本家の内から聞こえた。

 

「武器をお納めください、そのお方は我々との知己の者です」

 

アグニ=ブランドエストックの言葉とともに、殺気立った巫女たちが舌打ちをしながら薙刀を下げモーセの十戒のように道を開けていった。

凝った肩を回しながらアグニに俺は声をかけた。

 

「随分と大胆な真似をするな戦略主義者、敗走の楽しみでも知りたくなったか?」

 

「すこし奥で話しましょうか、立ち話も難でしょう」

 

ビンゴのようだ、この男の事だから恐らくこの組織は捨て駒にするつもりのようだ。

アグニにとっても多くの巫女の前で事の全貌は話したくないのだろう。

アグニに連れられて本家屋敷の客室まで連れてこられる。

念の為、大叔母から頂いた防音の結界を張ったうえでようやくアグニは喋りだした。

 

「いや申し訳ない、彼らも急な方向転換のせいで不安を隠しきれない状況でしてね

次善策として偽の本部をデコイとして設置しているとはいえ不安は隠しきれないのでしょう」

 

おそらくは此処に来るまでに辿り着いた例の土蜘蛛屋敷の事だろう。

 

「東北の衆はもう少しうまくやっているというのに、しかし忘却期を経た寝ぼけ眼の組織としては殊勝なものかね

…しかし、ずさんが過ぎる。まるでこの流れ自体が葛城土蜘蛛の崩壊を促す流れのようにな」

 

「それは読めこそしますが私が組んだシナリオではありませんので、そこを問われてもどうしようもありません。

ただ特等席を用意したかっただけですよ、一つの組織の終焉とそこから例のイレギュラーの力量を図るためにね」

 

イレギュラー…あいつが入った組織、銀誓館学園。

あの最低の結末から2年の月日が流れたんだ、彼女ならばもう反魂の術式くらい完成してもおかしくはないだろう。

それでもあの要塞のような監視網を持つ組織から彼女を中止する声が出ていないことに俺はいまだ不安を感じていた。

反魂は即ちより生前に近いゴーストの生成、ゴーストは生前に近ければ近いほどより凶悪な異形となってこの世界の常識に対して牙をむくだろう。

そんな事を世界結界の恩恵を受けたあの組織が容認するはずもなく、ゴーストを借り詠唱銀を容易に手に入れ安いことを除けば彼女の研究は学園に隠れながら行うことになるはずだ。

なのに何故動きがない、単純に彼女が諦めたのか…それともことが起こる前に彼女はもう…

 

「やれやれ、諦めがついていないような顔をしていますよ下院殿」

 

「…済まない、関係ないことを考えてしまっていたな。話を続けよう。」

 

俺がそういったところで、アグニは目を細めた。

その"笑み"に不気味なものを感じて、俺はその場で言葉を詰まらせた。

この男は、兄を含めた俺たち魔術師の天敵だからだ。

…それだけか?この男は物事の10手先を読むことに異常なまでに優れている。

 

「いえ、関係ない話ですね本当に。」

 

「………そうか」

 

この男の笑みに対して問うことを俺はもう諦めた、時間の無駄だ。

今のおれの目的はあくまで最愛の婚約者が大安無事に一生を過ごすことだ。

そして己の幸せをつかむことだ、それに関してウェルダ教は『銀誓館を中心とした渦の本筋』に積極的に関わることのない組織であるからこそそれが可能なのだ。

しかしこの男の動きはわざわざ"本筋"の戦乱へ近づくという"らしからぬ"事をしようとしている。

今のおれの目的はこれだ、これ以外は一切無視しろ。目的のためにすべてを捨てろ、己の成すべき事を成せ…それがろくでなしの祖父から代々続く俺の法、魔術師としての行動原理だ。

 

「では単刀直入に聞こう…お前の目的はなんだ、

この奈良に充満した"根源"に由来しない魔力の塊は何だ」

 

「……………それこそが、目的といいますか」

 

アグニは口元を吊り上げ今度こそ不気味に笑い出した。

 

 

 

 

 

そして、クリスマスイブ

 

 

燕糸家の倉は広い、そして不必要なくらいに何でもある。

私達が普段住み着いているのもその他機能性故である。

現代のガスや水道こそ通っていないが、700年以上昔からあるのも信じられないようなからくり仕掛けで囲炉裏や竈などそこらの屋敷にあるような物が隠れて一通り完備されているのだ。

それを偶然発見していた私も、倉には本棚もあるから師匠と出会うまで使うことを忌避してきたが

師匠曰くこの倉には忘却期の間も働くほどの強力な『保護』の結界が張られていて、能力者同様並大抵のことで破けたり燃えたり風化したりはしないようだ。

(それでも蜘蛛の巣が張っていたりするのは土蜘蛛の組織だからだろうかと本気で考えたこともあったが、理由は今でも不明である)

なので父を含めた多くの巫女はこの倉をせいぜい不要物入れか懲罰房くらいの劣悪な環境と思っているようだが

むしろ片づけさえすればこの倉は狂った大人たちがふんぞり返って闊歩する本家屋敷よりもとても住みよい環境なのである。

さて、その竈の前に私と恩方様は今か今かと焼きあがる物を待っていた。

 

「やえかーやえかーまだ焼けぬかのう」

 

「もうちょぉまっとって下さいなぁ~・・・お?この香りは今度こそ成功かいな?」

 

そして私は三度目の正直で竈を使用していた。

両手には布槍を巻いてミトン代わりにして、本家の台所からエプロンと道具一式を拝借して

しかし拝借したそれらとともに竈の周りは最早目も当てられない惨状と化していた。

 

あちこちに小麦粉とクリームが飛び散り、爆発のためか煤けているところもあり

どう言うわけか恩方様の要望で混ぜるのを任せたクリームから生まれた奇妙な何かが壁を這い回った形跡がある。

そしてその先には・・・哀れその何かに口の中に入られそのおぞましさに気絶した師匠が横たわっている。

 

「あ・・・ん・・・たら、いい加減・・・諦め・・・たら?」

 

息も絶え絶えの師匠が提案するが、ここまできたら引き下がるわけにもいくまい。

 

「いいや諦めるわけには参りませんえ!!」

 

「あやのはそこで待っておれ!!今に極上のけぇきを馳走してやるぞ!!」

 

「自分から・・・食べ・・・られる物体は・・・ケーキ・・・とは・・・言わな・・・」

 

そこまで言った所でで師匠は泡を吹いてガクっと意識を手放した。

そう、私と恩方様はクリスマスに向けて八尾を入れた4人で食べるためのケーキを作っているのである。

しかし師匠は療養中(実はもう動けるがさぼりたいが為にそう言い訳して今現在身を持って絶賛後悔中)。

 

「・・・」

 

そして八つ目から預かった蜘蛛童こと八尾は、私達が読んでいたケーキの作り方の記された参考書を楽しみそうに熟読している。

恩方様もであるが初めてのケーキなのだ。

ここは育ての親として、そして恩方様も自称姉として二人で協力してケーキを作ることに決めたのである。

ちなみに私も、巫女衆に拉致されるまでは家庭科の時間だけ『八重架だけは作らなくてよし!!てか作るな何もするな!!』という不名誉な待遇をかせられていた腕前である。

そして恩方様に至っては料理に手をつけると謎の生命体を作ってしまうお手並み。

はっきり言って今ようやくまともなスポンジケーキが焼きあがろうとしているのが奇跡のようである。

しかし、現実はそこまで甘くなかった。

 

「できたーっ・・・・・・・・・って、あ」

 

頃合いをみて竈を開けると、ケーキは見事に焦げていた。

 

「あー・・・燕糸家の竈はけぇきをちょこけぇきにする機能があるんじゃな!!うむ!!・・・って、無理があるか・・・」

 

「・・・・・・・・・ぅぅ、無理や・・・私達にケーキ焼くなんて無理やったんやぁぁ!!うわぁぁん!!」

 

呆然とした私をみて恩方様がフォローしようとするが、気休めにもならず、悔しさから泣き出してしまった。

 

「・・・・・・・・・」

 

そんな時、八尾がふと焼きあがったケーキに近づき・・・

 

「・・・八尾ちゃん?」

 

「これ危ないぞ?焼いたばかりなのだk」

 

 ズ バ ァ !!

 

・・・と、恩方様が言い切る前に八尾は鋭い前足で焦げたケーキの表面を横一千に切り払った。

するとその内側は・・・

 

「・・・おぉ・・・おぉぉ!!」

 

恩方様が感嘆するほどの、黄金。

まさしくその言葉があうほどに見事に焼かれたスポンジ生地が焦げた表面の内側にあったのだ。

 

「ひょ、表面をすぐに剥がしますえ!!」

 

「よしきた!!」

 

慌てて私達は焦げたスポンジの表面を剥がしにかかる。

そしてそれと同時に机の上によじ登った八尾は八本脚で器用にボールと泡立てを取ると素早い手つき(脚つき?)でクリームを混ぜ始めたのである!!

 

「ま、まさか八尾・・・おまえ」

 

「ケーキの作り方を、覚えた言うんですえ!!?」

 

トロトロになったクリームを前に、八尾は自信満々にキュゥと鳴いて鋏角を鳴らした。

 

「は・・・」

 

「「ハハーッ、八尾料理長!!ご指示を!!」」

 

今この場において蜘蛛童(鋏角衆予定)と土蜘蛛、そして巫女の上下関係は完全に崩壊した。

そこから八尾はまさに八面六臂(実際一面八臂)の手際と天才的な料理の才能をを惜しみなく披露した。

この子に比べたら私と恩方様などがどれほど天災であったか…元々なかった料理に対する自信が完全に崩れていくのを感じながら

それでもケーキは八尾の手で着々と出来ていったのであった。

 

 

「んん…ひどい目にあったわね、ん?…これ、だれが作ったの?」

 

師匠の問いに答えるように、見事なケーキの乗ったちゃぶ台の前に幾重もの座布団が重ねられ満足そうにその上に八尾が寝ていた。

 

 

 

 

その頃、不吉な噂が耳に飛び込んできた。

復活した蜘蛛童のグループが何者かによって襲撃を受けているのだという。

幸いいくつかのグループは襲撃者との交戦を生き残り本山に戻ってきている。

しかし、その帰り道も襲撃者に補足されるのは時間の問題だろう・・・。

襲撃者の動機は明白、蜘蛛童が人間を襲うようになったことだろう。

アグニの忠告はいよいよ現実のものとなった。

襲撃者の組織と土蜘蛛衆の戦争・・・現実が崩れる音はもう奈良の外にまで波及していた。

 

 

 

 

戻れない、戻らない。

 もう元には、戻らない。

 



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五.下院

それは年を越すほんの少し前のことだった。

蜘蛛童の標的を方向転換することになっても、ゴーストの討伐が無くなるわけではない。

それはただ単に人を襲う可能性のあるゴーストを野放しにできないという純粋な正義感からだったり

土蜘蛛の王国に下らない妄念の搾りかすを残すことは許されないという思想だったり

その理由は大人と子供で随分と違うものだが、その理屈さえ合えば土蜘蛛の組織の団結力は固い。

その日も私はゴーストを討伐し残留思念を八尾に食わせていた。

大人たちの活動についていっているため八つ目はいないが、それでも一二三と四葉と七星…部下であり親戚でもある巫女達は優秀なバックヤードだ。

といっても、親戚をそんな目で見ている分、私も大人たちに毒されてどこかおかしくなっているのかもしれないと彼女らに謝ったら

そんなことはないと必死に言ってくれる、優しい人たちでもある。

八尾が残留思念を食い終わり、元はマンションであっただろうその廃墟を後にしようとすると私たちが北方向とは別の場所からがさりという気配を感じ私たちはそれぞれの武器をそちらへ向けた。

 

「にゃぁ」

 

そう一鳴きした気配の主は、一匹の黒猫だった。

そう気づくや否や一二三(小学3年生)は目を輝かせて猫を抱きしめた。

人に慣れているのか抵抗しない猫に私たちの顔も綻んでいく…

いや、私は気づいてはいるのだが同時に敵意がその黒猫にはないことも理解できたのでその輪に混ざることにする。

 

「か、かわいぃーです八重架様!!」

 

「これはお持ち帰りして面倒を見るべきかと思うのですが八重架様!!」

 

「てか飼いましょう八重架様!!」

 

黒猫を抱っこしたり喉をなでたりしながら、ごろごろと気持ちよさそうに鳴く黒猫に

超魅了のバッドステータスを付与された3人が思い思いに同じ内容の申し出をするが、私はやんわりと断った。

 

「うーん、飼いたいんは山々やけどその子きっとまっとる人がおるよ?」

 

「飼い猫ですか…?たしかに人に慣れてる感もしますね」

 

「うぅ…残念」

 

「あはは…」

 

この黒猫、恐らくは能力者が化けている。

ただ敵意はなく無邪気な人なのだろう、だからこの子も敵意を持たない。

しかしこの子を本家に連れて行けば少なくとも大人の敵意を買うだろう

それ以前にこの子は帰りを待つ人がいる、さりげなく七星の腕時計を見て気にし始めていたからだ。

猫はふつう、時計を見ない。

 

「ほらほら、その子をご主人様のとこへ返したり」

 

「「「はーい」」」

 

3人は至極残念そうに黒猫を手放した。

黒猫は私に礼を言うように「にゃ~♪」と鳴くと窓から廃墟を後にした。

 

 

 

 

「へぇ~、そりゃあ私の同業者ねぇ。長時間猫変身してたところを見ると私んとこにもいなかった子みたいね」

 

腕立て伏せをしながら師匠は私の話を聞いて感心したように言った。

なぜ腕立て伏せかといえば、私(家主)から師匠(居候)に課した義務もといリハビリである。

調子が悪そうにしていたから免除したのに手伝ってくれず、かといってケーキはしっかり食べた師匠の健康を気遣ってのことである。

断じて崩れた料理に対する自信の八つ当たりなどではない、断じて。

 

「あぁ、そうそう」

 

腕立て伏せを終えたところで、師匠は思い出したように付け加えた。

 

「その猫にはこれ以降何があってもかかわらないほうがいいわ」

 

「え?どういうことですえ?」

 

私が問うと、師匠は気怠そうにうつぶせになって答えた。

 

「出会いは運命の糸を紡ぎ、それは世界の意思に沿って物事を次の場面へと進めていく…八重架ならもう気づいているでしょう?

今の土蜘蛛組織と、ほかの能力者組織の接触は双方にとって危険でしかないわ。」

 

「…はいな」

 

 

 

 

葛城山中、森の中を歩いていると一匹の黒猫が背後から脅かすようにとびかかってきた。

 

「にゃ~~~~~~~~~♪」

 

「おぉ、ジュリじゃないか♪今までどこにいたんだ、探したんだぞ?」

 

それを受け止めて抱きかかえた後、優しく地面に卸すと

黒猫はシルエットと化して大きくなっていき、やがて人の形になったところでシルエットから本来の流れるような銀髪の少女へと変身する。

俺の今の生きる理由であり、最愛の婚約者であるジュリア=レクイエム…俺がウェルダ教の調査を行っているのもジュリアのためである。

ジュリアもまた俺を慕ってくれている、人間に戻ったジュリアは真っ先に俺にしがみついて、奈良を歩き回った報告を始めた…だが

 

「あまり一人で出歩くなといっただろう?此処は一応土蜘蛛のテリトリーなんだからな」

 

「にゃっ、大丈夫ですにゃよ。ウェルダにも魔術教会にもかなわないような弱小組織の能力者なんて、もし何かあっても私一人で十分対処できますにゃ♪」

 

そういう問題じゃないといって、ジュリアに軽くでこピンをする。

 

「ひうっ…う~…あ、でも一人だけやたらと強そうな巫女がいましたにゃ」

 

「…ほう?」

 

ジュリアの話に、俺は先ほどアグニに聞いた話を思い出した。

 

 

 

『時を操作するメガリスだと…?』

 

不信にいう俺に、アグニはやれやれといった様子で湯呑を卓上に置いた。

 

『貴方ほどの魔術師が信じられませんかな?』

 

『いいや、想像はできる…不思議ではないだろうな』

 

人が想像しうることはすべて起こりうる物理事象…魔術を志す者ならその基本骨子に持つ理屈だ。

しかし根源の力を大きく逸脱している…そんなことが可能なものとなれば、それはもはやメガリスですらないはずだ…。

 

『えぇ、そのメガリス自体は借りるだけのものでしてね…しかしその起動方法も使い方も誰もが知らないまま…』

 

『そんな危険な…いいや、ある意味で安全極まりないメガリスをなぜおまえが狙う?メガリス破壊効果の薪にでもくべるつもりか?』

 

『そんな勿体ない事は致しませんよ…この伝承は古くは大江山伝説にまでさかのぼります』

 

『大江山…酒呑童子か?』

 

『えぇ…根源より使わされた神の末裔と、根源を異なる神の末裔ヤマタノオロチ…その最後の戦いがあったのが大江山と言われていますね』

 

『根源を異なる神か…そういえばウェルダ教は三種の神器の合成破壊効果を実践していたな』

 

『あのような贋作に意味などありません、最悪剣を精錬するまでにさえ行けませんでしたからね』

 

『その目標の一つがそのメガリスか?』

 

『出雲の恩方…いいえ、その祖であるところの大江山土蜘蛛の女王…出雲大蛇は、土蜘蛛と人類の共存共栄をなした小国を作り上げたそうですね?』

 

『ほう…それはさぞ立派なことだったんだろうよ。ヒエラルキーに縛られた土蜘蛛に共存を教えるとは余程できた女王だったらしいな?』

 

『えぇ…しかし、何か気づくところはありませんか?』

 

『……!!小国、か!!』

 

『土蜘蛛は組織力があまりにも低ければ蜘蛛童を土蜘蛛に成長させることができません、そう…人間の生贄なくしてはね』

 

『土蜘蛛の小国で人類との共存共栄は元来ありえない話だということか…なら何故…あぁ、そのメガリスかね』

 

『そう…その継承権を持つ巫女は燕糸の巫女と呼ばれました…最後の巫女燕子角がその名を己が銘としたのが燕糸家の始まりと伝えられています』

 

『そんな情報をどこから…そうか、お前らはここに関わっていたんだよな』

 

『そうみたいですねぇ、朱天童子の封印には多くの犠牲を払ったと聞きます』

 

『出雲の里の、だろうが』

 

『ハハハ…しかし、その力が再び活性化しようとしている…これを世界結界の綻びによるものとみるか…』

 

『それとも、燕糸の巫女の覚醒によるものとみるか…か』

 

 

 

「下院さま、下院さま♪」

 

とてちてとついてくるジュリを抱きしめて、頭をなでる

 

「すまんジュリ、少し…調べることができた」

 

 

 

 

「なんや…これ……」

 

その日、燕糸家本家は不気味なほどの静寂に包まれていた。

いつもの重苦しい雰囲気から解放されたかのように本家には人がいなかった。

そして、この空間を包むほの苦い空気…私はその雰囲気に蔵の結界に似た何かの違和感を感じていた。

 

「人払いの結界を張らせてもらった、ほんのひと時の間だけだが」

 

「…!!」

 

言葉とともに、男は屋敷の正門から堂々と入ってきた。

 

「燕糸八重架だな」

 

「そうやけど、貴方はどちら様や?」

 

そう言いながらも私は念動剣を手に持ち構える、名を聞く態度ではないのは百も承知。

されどこの男の放つ気配は明らかに良くないものだ、目的のために何でも捨てるもの

私に近く、私から遠い。私は自負でもあるがひたすら前に進むためにいろいろなものを捨てたが

この男はそれにしては空虚、すなわち目的と行動を逆転させ捨てるために目的を持った男ということだ。

徹頭徹尾、そんな男がまともであるはずもない。大人の狂気とは別にも感じるが、この男は壊れている…そんな気がした。

 

「名乗るのも烏滸がましい、只の魔術師だ」

 

そう言いながらばらりと男は木の実のようなものを空中に撒くと、それは吸い込まれるように高く飛んで屋敷の部屋の四隅に落ちた。

奇妙な感覚が体を支配する、まるで二酸化炭素の濃度が上がったような感覚、この部屋自体があの男の肺の中になったかのような嫌な空気。

 

「私に何用ですかいな、魔術師さん。そんな殺気こめられる覚えは少なくとも私にはありませんえ?」

 

「なに、知己からの情報を頼りにして…継承者を探していたところ、俺の最愛の人が偶然そいつを見つけたようでね」

 

あの時の猫か、直感的にそう思った。

しくじった、猫そのものに敵意はなくてもその仲間に敵意がないとは限らなかった。

 

「継承者…?何の話をいっとるんです?」

 

「知らぬままでいい、気づくな。そう言っている…念のためパスを切らせてもらうがね」

 

聞けば聞くほど訳が分からない、この男は何を言っている?

私がいまだ知らないことが、この巫女の血以外にも何かある…?

そう私が思考の海に落ちかけた瞬間、男は跳躍した。

その手には杭、そしてもう片手には警棒型の詠唱兵器…恐らくはトンファーとでも言い張るつもりだろうが

それにしては黒く近代的なデザインと棒の先端のマニ車がアンバランスだ。

とっさにその警棒の一撃を避けて念動剣で男を押し返し距離を保つ。

 

「何をするんや!!」

 

「目覚めさせてはならないもの、その因子をお前は持っている。それを狙うものがいる、そうだな…その第一継承者ごと封印させてもらおうか」

 

第一継承者・・・因子・・・封印・・・不完全ながらもカチリとパズルのピースのようにキーワードが当てはまり

この男は私とその周りの人間を巻き込み何かをするつもりだと察知する。

おそらくはその候補は・・・

そのまま押し出そうと十字に重ねた念動剣を男に叩きつける。

しかし男は警棒でそれを受け止め、金属同士が擦れ合う嫌な音を辺りにまき散らす。

 

「恩方様に何をするつもりや、あんた・・・」

 

(・・・!!成る程、特別な才能を持っているようだな…あの悪趣味仮面の言うこともなかなか馬鹿にできないか…!!)

 

「俺の名は下院、魔術師…無明下院!!その名と我が魔道にてこの地で起きる悲劇を止めようとしている者だ!!」

 

男…下院は警棒を振って念動剣を振り払い、杭に魔力を込めて私に接敵してきた。

 

「Anfang(起動)…燕糸の巫女、貴様の素性は知っている…お前は、昔の家族を取り戻すつもりはないか?」

 

「何を…っ!!」

 

そう私につぶやきながら警棒を振るい猛攻を仕掛ける下院、私は力の差を自覚しつつも念動剣の推進力を最大にあげて下院の警棒をいなしていく。

 

「その力の流し方、ただの才能ではない…おそらくは能力ですらない原初的な力の形(アクティブ)の一つなのだろうよ

この世界で、お前に安らぎの地は存在しない。死ぬまで…いや、死んでも利用され続け戦乱に身を投じることを約束された才覚にお前は目覚めてしまっている!!」

 

下院の言葉に私は少なからず衝撃を受けた、今までのことのおよそ半分以上を無意味だと見も知らぬ男に言われたのだから。

しかし諦めない、地を踏みしめて攻撃をいなす、私には父のほかにも恩方様達…守るべき存在がすでにいるのだから。

 

「それが…っ!!どないしたんや!!元より父が狂ってもうてから半分近く諦めとるようなものや…せやったら私は…」

 

「聞け!!Wie für das Eisen, ein Verbrechen, erlegt das Eisen einem Feind in Vermittlung in einem Keil, meiner Phantasie und der Wirklichkeit ein Verbrechen vom Zorn auf(鉄は罪、鉄は楔、我が幻想と現実を媒介に憤怒の罪を敵に課せ!!)!!」

 

「うあっ!!?…っく、ぅぅあ!!」

 

下院が放った赤い鎖に縛られ、一瞬にして意識が混濁し言い表しがたい怒りとともに無理矢理に下院に集中させられる。

 

「その力は燕糸家の力とともにあるものだ、力と出雲の恩方を手渡せ燕糸の巫女!すべて封印し、海底に沈め永久封印を施しさえすれば…あるいはお前の救われる道もある、アグニにも言われただろう…土蜘蛛に待つのは滅びだけだと!!」

 

「…!!こんの…こんな鎖ぃ!!」

 

下院の放った鎖を、己の身に宿った神秘で浄化する。

そして念動剣をじかに手に取り、燕糸家に伝わる剣術で下院に切りかかる。

多少なりと鎖のせいで正気を混濁させているとはいえ、その効果は私に本来以上の力をもたらしている。

警棒が砕け、回転動力炉を即座に砕けた破片から回収しながら下院は驚愕に目を見開き距離をとる。

 

「ここまで力の引き出し方を熟知しているなんて、ありえない…やはりお前は、理解(ビナー)の力をアラヤに与えられているか!!」

 

「わけわからへん事を、ごちゃごちゃと!!」

 

渾身のけりを下院は杭の棒で受け止める。

 

「Umfassende Bedeutung zu einem Untergang(聖杭よ形骸に意義を卸せ)…!!」

 

下院の杭は彼の魔道の証、詠唱兵器の回転動力炉にも等しいその杭に魔力を通すことでその魔術は能力へと昇華する…

呪符、言葉、音楽、文字、魔弾、過去多くの魔法使いがあらゆる触媒で魔術を編み出し魂のままに使い振るったように

下院の魔術は純粋な貫く力…目的を、己の法を追従(チェイス)する力。

 

「Ich ziehe eine Kette ein, und ich komme immer durch in den Tod, durch sein Gesetz zu tragen(己の法を貫くために、鎖を手繰り私は常に死地をまかり通る)…!!」

 

無明下院は依存心の強い人間である、彼もそう自覚している。

無論婚約者への依存はただの依存とはわけが違う、贖罪の意味合いも彼にとっては強い強制力であり

その鎖に引っ張られているおかげで下院はようやく立ち、思考し、歩くことができる。

詠唱兵器化した腕を構え、八重架に目掛けて全力で振るった。

 

「私は、恩方様も八尾ちゃんも師匠も…新しうであった大切な家族も居る!!皆を守るために、最後まで戦う!!」

 

「その依存に溺れて全てを失った時、お前は俺のように枯れ果てた人間になるだろう!!そうなる前に、悪いがここでつぶさせてもらう!!」

 

腕にまとわれた回転動力炉が発火寸前まで回転し私に拳が迫ってくる。

 

「貫き通せ、デッドエンド!!!!」

 

下院がその魔術の真名を明かすと同時に動力炉は限界を超えて燃え上がった。

スローモーションのように研ぎ澄まされた私の視線はその燃え上がった回転動力炉をとらえ

瞬時に理解したとおりに念動剣をその炎の塊に伸ばす。

 

「何…っ!!?」

 

「それでも私は、あの子たちに強ぉ生きてほしいんや!!!」

 

八重架の一撃は、炎に隠れた動力炉の急所を狙い澄まして命中し

下院の腕から暴力的な魔力が拡散していく。

 

「ぐ…ぅぉおおおおおおおおお!!!!!!!!」

 

私の一撃は未来へと進み、過去へと延びる下院の杭を完全に粉砕した。

 

 



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六.作為

俺は戦慄した。

敗北した事にではない、現に魔術協会の実践において大叔母には何度も叩き伏せられ自らの魔術の弱点などとうに理解していた。

しかし驚いたのはけして見下してなどいない、それでも力量を見謝っていた事・・・いやそれも言い訳か

はっきり言って俺はこの少女を見下していた。

家族を救うという信念も当の父親自身に砕き捨てられた哀れな子供だと

狂った巫女たちの憧れに向かいただひたすらに走ることで己を支える無力な少女と誤解していた。

己のように枯れ果てる寸前の人間だと誤解していた。

禁忌の力の末端とはいえ、敵の放つアビリティの細部を見抜き、武器破壊を行いながらあろう事か攻撃を完全に回避していた。

この魔術の弱点は、武器が破壊され再生まで武器なしで戦わざるを得なくなることだったのだが

この少女は俺にその上で信念を叩きつけてきたのだ。

チェーンで怒りのバッドステータスを付与していたとはいえ、あり得ざる集中力だ。

再び距離を置いた少女は集中力が切れて体力の限界を迎えていた。

今なら、勝てる・・・そう思い、癪ではあるが自業自得と秘蔵のメガリスを鞘から抜こうとしたその時・・・

 

『下院さま!!巫女が戻ってきましたにゃ、燕糸の巫女は回収しましたかにゃ?』

 

通信用の簡易霊装からジュリアの声が聞こえてくる。

 

「いいや、失敗だ。しかしデータは取れた、大叔母もこれで納得するだろう」

 

「ふぅぅ・・・ふうぅぅ・・・」

 

唸りながらこちらに剣を向ける少女、巫女どころか獣のようだが

成る程、短時間で征するのは無理そうだ。

そう頭の中で再確認すると、俺は術を解いて少女に背を向ける。

しかし少女は俺の背に剣を突きつける、そりゃそうだな。

敵対していることには変わりない、それにこの少女も気になることが多々あるだろう・・・

 

「待ちぃや、あんたは何者や・・・何で私や恩方さまを狙う、私がもっとる力って何のことや?巫女の力やないんやろ?せやなかったら他の巫女まで払う意味がない」

 

「その様子なら覚醒寸前か・・・なら一つだけ答えよう、お前は・・・厳密に言えば土蜘蛛の巫女ではない」

 

そういったところで、雷が少女の剣をたたき落とした。

ジュリアだ。そう確信すると雷の落ちた方向へ跳び、避けてくれる事がわかっている援護射撃の雨を抜けて屋敷を脱出した。

 

ふと、耳の端に聞こえたのは・・・

 

「・・・・・・っと、いきなりどうしたのよ、ようこ!!」

 

「八重架が、八重架の声が聞こえたんじゃ・・・!!」

 

・・・・・・・・・・・・何故そこにいる・・・・・・明・綾野!!!

 

「下院様、追っ手に見つかりますにゃ!!」

 

「くっ・・・!!!」

 

確認する暇もない、ジュリアの言うことを聞きとりあえず俺達は屋敷からそのまま脱出した。

 

 

 

 

ばしゃあ!!と水をかけられて意識が覚醒する。

あの後私はそのまま戦い疲れて気絶していたようだ

再び痛いほどの寒さでもっていかれそうになる意識を留めながら見上げた先には

鬼のような形相をした父の姿があった。

 

「・・・進入者を捕らえられなかったのか」

 

今にも爆発しそうな怒りをたたえて、父は道具に訪ねた。

 

「・・・はい」

 

返して私も機械のように答える。

 

「し、しかし九段様、八重架様以外の巫女は結界に阻まれて援護さえ・・・」

 

「言い訳など聞きたくはない!!!!」

 

ついに爆発した父は私の胸ぐらをつかむ。

 

「やはりおまえは八重架ではない、八重架をかたる忌々しい道具だ・・・!!」

 

「・・・っ」

 

父の明らかな拒絶の意志を正面から見せつけられ、思わず顔を背ける。

 

「そうか、おまえも私の顔など見たくないだろう・・・」

 

そのまま父が杖をを振りかぶる・・・

 

「やめよ巫女衆!!!!」

 

誰かの絶叫にも似た声が、巫女たちを振り向かせた。

その先にいたのは、倉にずっと隠れていた・・・倉から一歩も出ずに私と師匠以外誰とも話そうとしなかった

恩方様だった・・・。

目尻に涙をためて、余りに多くの視線に泣きそうになりながら恩方様は言う

 

「八重架は・・・八重架はっ!!妾を賊から守るのに必死だったのじゃ!!守ることで精一杯だったのじゃ!!

だから・・・妾を守り切れただけでも、大儀である!!

八重架に手を挙げることは、この妾がゆるさんぞ!!」

 

こんなに多くの人間の前で話すこと事態が、恩方様には初めてのことだった

現に恩方様の膝はガクガクとふるえて、いまにも座り込んで泣き出しそうだった。

しかし・・・今の巫女衆において、まして土蜘蛛が恩方様一人である燕糸家の誰にも、恩方様に逆らえる人間は居なかった・・・

 

 

 

 

「・・・八重架!!ちょっと、しっかりしなさい!!」

 

倉に帰ると、棚の上から降りていた師匠が私をすぐに布団に寝かせてくれた。

幾つものショックを経て、相当疲弊していたのだろう

私は布団に潜るまで何度も脱力しては意識を手放しそうになっていた。

 

「一体、何が起こっていたの?さっきようこが血相を変えて走っていったけれど・・・」

 

奇妙なことに、師匠は先ほどの騒動に気づいていなかったようだ。

まるではじめからあの場所と師匠に糸がつながっていなかったかのように

だけれど、私にとってはもうそんな事なんてどうでもよかった。

魔術師の残した言葉が、父の罵倒が、今更になって頭の中を巡っている・・・

 

「師匠・・・私は、土蜘蛛の巫女やないんですか・・・?」

 

「・・・っ、どういう・・・事?」

 

師匠は知らなかったようだ・・・それもそうだ、昔からおかしかった(・・・・・・)私の才能に気づいていた方がおかしい

私の異常な理解力・・・あの魔術師の言葉を信じるなら、それこそが私の力・・・

土蜘蛛の巫女という運命に縛られる必要すら、私にははじめからなかったのではないか・・・

 

そう思って、私は心の堤防が音を立てて崩れていくのを感じた・・・

 

「無明って魔術師のひとが・・・っく、いってたんです・・・っあ、私は・・・土蜘蛛の巫女やないって・・・ひっく、なら私は・・・私たちは、何のために・・・」

 

巫女衆に拉致されてから一年間のつらい日々にため込んでいたものが、喉の奥からあふれて・・・

 

「うわああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああ」

 

 

 

 

ずっと信じていた繋がりさえも否定され、世界がいかに意地悪か

その身にずっと受け続けてきた燕糸の巫女は、この日ついに綻びを見せた・・・

 

「・・・・・・・・・・・・」

 

赦せない・・・

 

赦してたまるか・・・下院・・・っ!!!

 

お前は・・・阿部瑠だけじゃなく、私の弟子まで奪う気か・・・!!!!

 

 

 

 

時空に干渉しうるメガリス・・・明綾野という人間は

今まで数多くの悲劇に見舞われてきた・・・

 

それが今土蜘蛛の組織にいるという事実

 

そしてそれがよりによってあの燕糸の倉に住んでいたという事実

作意的にすら感じるこの事実のピースは、あの巫女でなくとも事の真理を俺に理解させてくる。

 

これも運命の糸の作意か

 

おそらく明はまたしても、意図せずにこの運命に巻き込まれその中心になろうとしている・・・

そしてあいつがその末に、仮にあのメガリスを手に入れるような事があれば・・・

 

最悪、奴はその身を犠牲にこの可能性総ての敵になるだろう

 

「それだけは、赦すわけにはいかない…!!」

 

 

 

 

「出雲の恩方は精神的に復帰しつつある」

 

「本来の恩方様とはまるで別人だが、隠せばどうにか燕糸の体裁は保てる」

 

「然り、本家の方針変更に従わなかった分の汚名返上もできよう」

 

「そうだな、恩方様には・・・我々の操り人形になってもらおうか・・・」

 

「しかしそれにはあの愚物が何よりも邪魔になるな・・・しかもアレは恩方様に大層気に入られている」

 

「ほう・・・ならば、私に良い案がありますよ」

 

「・・・!!貴様は・・・葛城本家の!!」

 

 

「才ある燕糸の巫女を、いっそ使い潰してしまえばいいのです」

 

 

 

 

 

 

苦しみ、痛み、悲しみ、悪意、怒り、驕り、疑い

・・・様々な悲劇の種は火にくべられた木の実のように弾けて

数多くの種子を広範囲に撒いていく・・・

その日は、2006年12月31日

 

 

 

 

 

 

 

 

悲劇のその日まで、あと三ヶ月

 

 

 

 

 

 

 




次回予告

2006年12月31日

土蜘蛛の組織は、その日完全に現実社会から乖離した。
蜘蛛童は人を喰らい、正史がついに動き出す。

明・綾乃 メイガス・モルガーナ

誰よりも歴史を憎む魔女
誰よりも歴史に縛られた魔女
誰よりも歴史に奪われた魔女

正史は暴虐の如く雪崩れ込み、彼女の大切なものへ無慈悲な牙を向ける。




無垢な悪意ほど、残酷なものはない。


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