マル・アデッタへ (アレグレット)
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第一話 滅亡へのカウントダウンの始まり

 宇宙歴799年11月10日は自由惑星同盟市民にとって生涯忘れられない日になるだろう。滅亡という序曲を奏で始めた瞬間として――。

 

そう予言した人間が仮に3年前と少し前にいたとしても、誰も本気にしなかったに違いない。何故なら、その頃は自由惑星同盟はイゼルローン要塞を陥落させ、帝国本土逆侵攻の待望を抱いていた時期だったから。

今、一人の老人の前に写る年代物のTVには一人の人物だけが写っている。彼はその一人の若き人物がその破滅をもたらさんとする「神々からの使者」であることを認めないわけにはいかなかった。

 

「同盟市民に告ぐ。卿等の政府が卿等の指示に値するものであるかどうか、再考すべき時が来た――。」

 

ラインハルト・フォン・ローエングラム1世の声は今自分のTVのみならず、両隣の家、そして町々、さらには首都星ハイネセン全域、いや、自由惑星同盟全域に流れているだろう。ラインハルト・フォン・ローエングラム1世は二つのものを提供した。一つは、自由惑星同盟市民が求めているもの、すなわち真相であった。レンネンカンプ高等弁務官の失踪の真相、ヤン・ウェンリー退役元帥を始めとする一派の動向等を彼は正確な情報をもって伝えたのである。

のみならず求めたくなかったものも彼は提供した。すなわち、同盟政府の無能と不実を糾弾したのである。これは同盟政府にとっては強烈な張り手を食らったのも同然だったろう。

 

「バーラトの和約の精神は既に汚された。これをただすには実力をもってするしかない。」

 

彼の声はその意味するところの恐怖を纏いながら全自由惑星同盟市民の耳朶を直撃した。戦慄が空気を硬直させ、人々の心に衝撃を与えた。彼の言葉を曲解の余地のないように翻訳しなおせばこうなる。

 

ローエングラム王朝は大軍をもって自由惑星同盟に侵攻、これを完膚なきまでに征服し、銀河帝国の領土とする、と。

 

老人は重そうに体を肘掛椅子から持ち上げ、杖を突きながら歩み寄ると、TVを切った。まだ演説は続いていたがこれ以上聞いたところで何の益があるだろう。わずか1メートルの距離であり、ほんの数歩の距離であったが、杖を突くたびにうめき声のような息が漏れるのは、長年の心労のせいか、あるいは病気なのか。

 肘掛椅子に再びたどり着いた老人は肘掛椅子のわきにあったテーブルに立てられた写真立てを取り上げた。そして杖を大事そうに膝の上に乗せる。

「エマ、ブルース、トニー・・・・グロリア。」

大切な家族は彼の側にもういなかった。娘一人、息子二人、そして妻の幸せな家庭は戦争であっけなく崩壊した。子供三人はいずれも兵役の最中に艦ごと吹き飛ばされて死んだ。妻は先年末期がんのために亡くなっていた。それが幸せだったのかもしれないと老人は思う。何故なら、自分たちの祖国が敵に蹂躙され、焼けつくされるところを見なくて済むのだから。

 だが、自分は違う。自殺をすれば話は別だが、生きている限りは遠からずやってくる帝国軍の姿を見なくてはならない。そしてそれに蹂躙される祖国を否が応でも目撃することになるだろう。

「・・・・・・・・。」

老人の老いた眼は別の写真立てに移された。一隻の戦艦を背にして自分を囲むようにして肩を組んでいる大勢の部下たちとの写真。彼らの腕には自由惑星同盟宇宙艦隊の腕章が輝いていた。そして写真立ての隣のガラスケースにはその栄光を忍ばせる腕章が静かに飾られていた。

 

どれくらいそうしていただろう――。

 

 不意に外から雑音のような物が聞こえた。隣人の誰かがラジオをつけっぱなしにしているらしい。あるいは狼狽してとるものもとりあえず外に出て行ってしまったのだろうか。

『・・・惑星・・・同盟軍は・・・・先ほど・・・エングラム・・・・演説を受け――。』

雑音交じりだったラジオはいきなりクリアな音声に変わった。まるでそれは一番聞かせたかった文言だけを切り取ってきたかのように。

『予備役と退役軍人の募兵を開始しました。繰り返します。自由惑星同盟軍は予備役と退役軍人の募兵を開始しました。軍隊経験がある方はお近くの――。』

 

 

 

* * * * *

胸ぐらをつかまれた男は返す手でひねりあげ、遠慮会釈もなくテーブルに叩き付けた。薄暗い薄汚れた狭い酒場にガラスの砕ける音、鈍い音が一杯に満ちた。

「ちっ!!」

男は唾を吐きかけた。そして横柄なそぶりで硬貨をカウンターに投げつける。店主や客たちはカウンターの向こうに体を縮こませているはずだった。

「迷惑料だ。」

そう言い捨てると、ふらつく足取りで長身を前かがみにし、両手を薄汚れたジーパンのポケットに突っ込みながら歩み去っていく。長い黒髪には一筋の白髪もないが、その顔に刻まれた大小の傷やしわがすさまじい荒廃ぶりを示していた。その中にあって眼だけは獰猛な鷹のような光を持ち続けている。

「野郎!!」

背後で喚き声がした。倒れた男は眼をぎらつかせて立ち上がっていたが、男は一瞥だにしない。男が何か叫ぶと、テーブルにいた破落戸共が一斉に立ち上がり、勝利者を羽交い締めにしようとした。それを二、三発殴りつけ、蹴り倒したが今度は相手が悪すぎた。先ほどの勝利者は一転して敗者になり、壁に強かに叩きつけられていた。

「よくも舐めた真似をしてくれたもんだ。」

ナイフを突きつけながら男が凄みを見せる。

「テメェわかってるんだろうな!期限は明後日だぜ。・・・・何笑ってやがる!?」

「この星が明日にでも滅んじまうかもしれねえのに律儀に借金の取り立てか。」

次の瞬間、男の襟首は10センチほど宙づりになり、締め上げられていた。

「あの金髪のガキが攻め寄せてこようが何しようが、俺たちの商売に関係ねえ。テメェの借金は取り立てる。期限は明後日だ。」

そうでもなけりゃ、と相手は凄みを利かせる。

「テメェの身体で支払ってもらうぜ。退役軍人さんとやらには少なくねぇ年金があるそうじゃねえか。ご本人がくたばっても遺族や身内に入るって寸法だ。そりゃ死亡すれば額はだいぶ減るがよ。」

ケケケ、と下卑た笑いが男の耳朶をくすぐった。

「俺は尉官だ。てめえらの望んでいるような金は出ねえよ。はした金で有頂天になるお前らはさぞかしおめでたいな。」

締め上げられていても、薄暗闇の中でも相手を威嚇する目の光は消えていなかった。

「構わねえ。」

ようやく気が済んだのか、相手は締め上げる手をほどき、突き放した。叩き付けられて、男はずるずると壁にもたれかかった。

「どっちみち金が手に入ればいいんだ。いいな、忘れるんじゃねえぞ。明後日だからな。」

相手は相棒たちを促すと、足音荒く店を出ていった。

「おめでたいことだ。お前らも生きているかどうかわからねえというのに。」

血の混じった唾を床に吐き出すと、ふらつきながら立ち上がり、男は店を出て行った。

 

 

* * * * *

奇妙に人気のない道路を赤い髪を無造作に束ねた女性が歩いていく。自由惑星同盟の軍服を身に着けて表向き身ぎれいにしているのに、その表情にはどこか疲れたような、擦り切れたような色が浮き出ていた。

左右にぶら下げていたビニール袋には幾日かの食料が入っていた。帝国占領前は物資の統制が制限されていて満足な買い物もできなかったのだが、皮肉なことに帝国がガンダルヴァ星域に駐留してからというもの、航路の安定が図られて物資の流通が上手く言っていたのだ。

一つの官舎の前にたどり着くと、腕に下げていた小さなバッグから電子キーを取り出して開けた。指紋認証装置などというたいそうなものは、もっと上の階級の将官専用官舎にしか備わっていない。

「ただいま。」

郊外の閑静な佐官の官舎に戻ってきたのは幾日ぶりだろうか。

「フリオ、居るの?」

息子の名前を呼びかけた声は空しく住宅の中に消えていった。幾日もこもっているような空気を人嗅ぎすれば、息子が幾日も帰っていないことは明らかだったが、その空気にはすさまじい腐臭のようなものが潜んでいた。

「フリオ?」

リビングに入ると、そこは深夜のパーティーの後のように散らかり放題だった。それも、あちこちに食べ残しの残骸が飛び散り、本はひっくり返され、散らばっている。明らかに体内から戻したであろう吐しゃ物のような物がカーペットの上に散っている。ごみ箱に無造作に放り捨てられていた汚物の中に、大量のティッシュとコンドームのようなものがあった。

 避妊だけはきっちりしたらしい。そのことに奇妙な満足と笑いを覚えた女性はビニール袋をキッチンに置いた。リビングはすさまじい荒れようだったが、台所は人が入った形跡はない。

 久方ぶりに帰っても迎えに出てくれる者はいない。それは初めての事ではなかった。すっかり慣れっこになった静まった家の中で、自室に戻ると、黙って自由惑星同盟の軍服を脱いでハンガーにかけ、身分証をサイドテーブルに置いた。

 

ミーナハルト・フォン・クロイツェル――。

 

という名前と共に生真面目に写っている自分の写真、そして少佐の階級章をつけた軍服を一瞥すると、スウェットに着替えた彼女は、ゴミ袋と雑巾、そして手袋をはめると、リビングの掃除にかかった。

 

 防音処理を施していない官舎だったが、周囲の家には人は既におらず、皆無人だった。澄んでいるのは自分たちくらいのものだ。軍縮の中で軍にとどまれたのがどうしてなのかは知る由もなかったが、いくつか思い当たることもある。だが、それを深く知ろうとは思わなかった。

 食べ残しをゴミ袋に捨て、床を綺麗にしていると、不意に荒々しくドアが開き、閉められる音がした。リビングの前に立つ気配を感じても、母親は手を止めなかった。

「何で帰ってきやがったんだよ?」

荒々しいとがった声は声変わりをしたてのものだった。

「ここは私の家だからよ。」

物静かに女性は答えた。

「随分派手にやったようね、フリオ。今度は誰とやったの?関心にも避妊だけはちゃんとしたようね。」

「お前の知ったことじゃねえ!!」

怒声が跳ね返ってきたが、無造作に投げ込まれた言葉にうろたえを隠し切れない色が出ていた。それでも母親は手の動きを止めなかった。

「総菜パンとチキンを買ってきたわ。台所においてあるから。」

「そんなもん知るか!飯なんて食っている場合かよ!?」

最初の言葉はいつもの事だった。息子が荒れ、帰ってみると散らかり放題の光景が待っている。そしてそれを片付けていると息子が帰り、一方的に荒れた言葉を浴びせられ、息子は二階の部屋に閉じこもる。それがいつもの光景だった。

だが、今回は後半がタダならぬ言葉を秘めていたので、母親は息子を振り返った。

「・・・知らなかったのかよ?ニュース。」

「今日は電車が止まっていたから、歩いて帰ってきたのよ。端末も通信飽和みたいで通じないし。」

息子は無造作に部屋を横切ると、投げ捨てられていたリモコンを拾って、TVを付けた。男性アナウンサーが繰り返し同じ言葉をしゃべっている。

『繰り返します。先ほどのラインハルト1世なる者の声明を受け、自由惑星同盟軍は予備役と退役軍人の募兵を開始しました。』

その後に、ダイジェスト版ともいうべき、ラインハルトの宣戦布告が流れた時、ミーナハルトの手から雑巾が音もなく床に落ちた。

 

 



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第二話 現状の確認と始動

 ミーナハルト・フォン・クロイツェル少佐は無表情に軍服を身に着けた後、赤い髪を後ろで束ねると、自分の部屋を出た。非番になったにもかかわらず、所属から呼び出しがかかってきたのだ。

 

「フリオ?」

 

出がけに息子の部屋に声をかけたが、返答はない。いつもの事だと思いながら、台所にメモを残し、官舎を出た。

 11月にしては妙に暖かい陽気だった。晴れ渡っているのに無風状態であり、外には人っ子一人いなかった。彼女はフリーのタクシーを探したが、いつもならば捕まるはずのタクシーはおろか車両自体が走っていなかった。諦めて徒歩20分ほどにある最寄りの駅を目指して歩き始める。

 164センチ、31歳の彼女はすらっとした体形から、遠目には20代前半に見えた。ただ、近寄ってみると荒廃したどこか諦めきった表情からもう若くはないのだと認識されることとなる。

 誰もいない市街地を彼女は黙々と歩き続ける。時折聞こえる怒声、そして悲鳴のような叫び声が、かろうじて市街地に人が残っていることを示していた。

 

宣戦布告を受けてからの自由惑星同盟は文字通りパニックになっていた。徹底抗戦を叫ぶもの、山間部に退避しようと試みるもの、帝国と和平交渉を結ぶべきだと叫ぶもの。十人十色の評議会では連日議員たちが小田原評定を続けていたが、何の利益ももたらすことはなかった。

 政府の無為無策にパニックを覚えた市民たちは、争って食料の確保、あるいは山間部への退避、宇宙港からこの惑星を脱出しようと動き回った。だが、どこへ逃げられるというのだろう?辺境に逃げたところで、ラインハルト・フォン・ローエングラム率いる軍隊からは逃げおおせられるはずもなかった。

 政府は情報統制と食料統制を徹底させた。スーパーには営業時間を短縮させ、必要物資は制限制に切り替え、宇宙港からの出航を原則禁止としたのだ。いわゆる消極的な対策しかとらなかった政府と対照的に軍は積極的だった。予備役招集を開始し、艦船及び志願兵の募集を開始するなど、準備を整えていたのだ。

 

「娘さん。」

 

不意に道端から声を掛けられた。濃いブラウンの瞳を向けると、老夫婦が家の戸口の前に立ってこちらを見ている。

 

「あんた軍人さんなんだろう?聞いていないかい?どこに逃げればいいか、軍人さんなら何か知っているんだろう?」

ミーナハルトは黙って首を振った。それだけでは済まされないと思ったのか、

「私は呼び出しを受けて統合作戦本部に行くだけです。上からは何も聞いていません。失礼ですが、市役所か近くの支所に行ってみてはどうですか?」

「空っぽだったよ。」

老婆が声を震わせた。

「みんないなくなっちまったんだ。誰一人いない。近所の人もみんなどっかに行ってしまったんだ。」

「・・・・・・・。」

「みんなこの星を捨てて逃げるのかねぇ。」

命あっての物種、という言葉がミーナハルトの脳裏に浮かんだ。それをどこか他人事、そう、いうなれば観客の立場でどこか突き放してみている自分を自覚しながら。

「あんた、どうするんだね?軍人さんは皆戦いに行くんかね?」

老人が尋ねてきた。

 

「さぁ・・・・。」

 

と、言いたくなるほどミーナハルト自身にも状況がわかっていなかった。彼女は今は統合作戦本部の情報3課という部署に在籍している。「花形一課、終身二課、鳴かず飛ばずの三課さん。」などと言われるほど、3課は他の2課に比べて人気がなかった。海賊や無法者の情報収集等、何しろ地味な仕事なのだ。そんな場所にいる自分にいったい何ができるというのだろう。

 

昔は違った。そう、昔は――。

 

そんなことを考えているうちに、声が聞こえなくなった。いつの間にか老夫婦の姿が見えず、彼女は再び歩き出していたのだった。義務感という物ではなかった。ただ、呼ばれたから行く。それだけだった。感情を整理し、自分の意見を出そうなどという積極的作業など、彼女はここ最近したことはなかった。

 

一人、誰一人路上に出ていない人気のない街路樹を、彼女は最寄りの駅に歩いていく――。

 

* * * * *

自由惑星同盟の宇宙艦隊総司令部の司令長官室では、代行のチュン・ウー・チェン大将が艦隊運用部長ザーニアル少将と向かい合っていた。

 

「宣戦布告はもう見たかね?」

パン屋の二代目などと言われた風貌を持つチュン・ウー・チェン大将はザーニアル少将に尋ねた。

「あれを見ていない者の方が珍しいことだと思いますよ。」

鍛冶屋の親方の風貌を持つずんぐりした40代の壮年の少将は生真面目な顔で応えた。

「表立っては騒ぎはありませんが、それは受け入れにまだ時間がかかっている証拠でしょうな。衝撃が大きければ大きいほど、受け入れるには時間がかかるものです。ですが、受け入れてしまえば、恐慌は必至かと思います。」

「なるほど・・・・。」

チュン・ウー・チェン大将は窓の外を見た。今は穏やかな晴れ空だが、その下にはそれぞれの同盟市民が息を潜んで、あるいは息をのんで、ラインハルト・フォン・ローエングラムの宣戦布告を受け止めていることだろう。

「で、どうなされますか?」

ザーニアル少将が司令長官代理に声をかけた。

「どうとは?」

穏やかな眼差しでザーニアル少将に視線を戻す。

「軍としては迎撃の準備は、整えるべきだと思いますが、このあたりいかがお考えですか?」

さりげない一言の中に重大な要素が隠されていた。チュン・ウー・チェン大将がそれに気が付かなかったはずはないが、彼は決断を述べることはしなかった。

「最終決定は最高評議会議長がすることになるよ。まぁ、もっとも、我々としては常識ある行動をとることになるだろうがね。」

「それは?」

「現状を把握し、戦力、補給、情報を整理することさ。」

そう言った時、後方勤務本部長代理、情報部長が入ってきた。後方勤務本部長代理についてはアレックス・キャゼルヌ中将が出奔してしまったため、後任としてリー・ヴァンチュン少将がその任についていた。彼は長身の痩身、反対に情報部長のトーマス・フォード少将は背が低く肥満体だったが、二人の仲は至極よかった。

「さて、あまり時間がない。早速だが現状を報告してください。」

コーヒーが運ばれ、一同の前に置かれたのち、チュン・ウー・チェン大将は一座を見まわしながら言った。

「まずは、現在の艦艇兵力について、だが。」

艦隊運用部長は手元のファイルをめくった。

「資料を用意しても回りくどいでしょうから、単刀直入に申し上げます。先のランテマリオ星域会戦、そしてヴァーミリオン星域会戦において、我々は持てうるかぎりの戦力を最後の一隻まで投入しました。その結果、今手元に残っているのはその敗残の艦艇にすぎません。」

「数は?」

「廃棄を免れた戦艦492隻、巡航艦1968隻、空母481隻、駆逐艦2598隻、雷撃艇・ミサイル艦1947隻、計7486隻です。」

やはりというか、巡航艦、駆逐艦、ミサイル艦が大半で有り、戦艦、空母の数はひどく少ない。それでも、バーラトの和約から半年もたつのに、まだ残存艦艇が残っていたことに一同は驚いていた。

「まだ廃棄を免れた戦艦が残っていたのかね?」

情報部長のトーマス・フォード少将が声を上げる。

「レンネンカンプ高等弁務官には表向き廃棄したことを申告していましたが、ひそかに航路外衛星の非常用の地下ドックに隠していた戦艦が幾隻か残っています。空母も同様です。」

大気圏降下装置を持たない自由惑星同盟の艦艇は原則として宇宙空間で待機することとなる。そうはいっても、修理の為にドックに入ることは必須であり、そのために無重力惑星に修理施設があるのだ。表向きそれらはすべて帝国軍に申告し、現物確認を行っていたのであるのだが、意図的にいくつかの修理施設(小規模)はリストから外していたのである。その地面下には広大なドックが張り巡らされているものもあって、数少ない戦艦、空母はそこに隠されていたのだった。

「ですが圧倒的に主力艦が足りません。」

ザーニアル少将は唇をかみながら言った。チュン・ウー・チェン大将は何か考え込む顔つきでザーニアル少将の手元のファイルを見ている。

「涙を呑んで廃棄しなかった者など一人もおらんよ。自分の乗っていた艦を沈めた者も多くいることだろう。」

「トーマスの言う通りだ。」

リー少将が同意する。

「帝国がすぐさま攻め寄せてくるとして、約1か月というところか。それまでに現在の兵器工廠の稼働能力をフルに活かしても、後3000隻の増産が限界だろう。しかもそれは巡航艦、駆逐艦といった小艦艇のみだ。戦艦などを増産する設備は既にバーラトの和約により破壊してしまったのだからな。」

リー少将の言葉に同意を示したザーニアル少将がさらに補足する。

「そうなると、わが軍は1万隻程度の艦で迎え撃たなくてはならなくなる。それ以前に、ガンダルヴァ星系にはシュタインメッツ艦隊が駐留している事実を無視はできないだろう。」

ガンダルヴァ星系はバーラト星系の銀河基準面南東方向、通常航行距離にして約1週間の地点に位置する。ヤン艦隊によって大損害を被ったシュタインメッツ艦隊は、その後再編を行って1万5600隻の艦艇を有し、このガンダルヴァ星系惑星ウルヴァシーを根拠として、バーラト星域に対しての監視を行っていた。

 

 今の同盟軍の兵力では、このシュタインメッツ艦隊にすら太刀打ちできない。

 

「艦艇戦力の現状はわかりました。次に投入できる同盟軍の兵員について教えてほしい。」

チュン・ウー・チェン大将は後方勤務本部長代理を見た。

「残念ながら閣下もご承知の通り、バーラトの和約とそれに付随する条項によって大幅な軍縮が図られた結果、同盟軍は往時の20分の1にまで減ることとなりました。実際最大限に動員できる兵士の数は、200万人に足りません。しかもそれは、首都防衛部隊から辺境の警備隊、新兵から老兵までをかき集めた数字です。」

これに付随して、補給路についても補給艦の不足から満足な補給ができない状況にあります、とリー少将は述べた。こちらからの大遠征など考えることすらできず、せいぜい近海の航路までいけるかどうか、だという。

「幸い補給については民間船を動員すればある程度は解決できるでしょうが・・・・。」

「民間船が、沈みかけた船を救うために協力するかね?」

「トーマス少将!」

ザーニアル少将が鋭くたしなめたが、チュン・ウー・チェン大将は彼を制した。

「彼の言うことも一理あるよ。民間船を保有している者は商人だ。彼らは理にさとい。確かにわが軍は劣勢だ。そんな劣勢の側にわざわざ加担する酔狂な人がどれだけいるかな。」

「ですが、同盟は彼らの祖国ですよ。」

「だが、命には代えられないだろう。祖国を失っても命があれば生きることができる。だが、祖国が存続しても命が奪われてしまったら、当人にとっては何の意味もないだろう。」

失礼、少し言い過ぎたようだ、とチュン・ウー・チェン大将はザーニアル少将に謝った。

「残念ながら、司令長官代理閣下が仰られたことはある程度は正鵠を射ているでしょう。」

リー少将が低い声で言った。ぎこちない間が空き、4人は申しわせた様に生ぬるくなったコーヒーを口にした。

「そう言えば帝国軍はどうしている?レンネンカンプ高等弁務官が拉致された後も約1万人がいるという話だったが。」

リー少将の問いかけにトーマス少将は、

「バリケードを作って立てこもっているよ。支配する側が支配される側に怯えることとなったわけだ。」

と、皮肉交じりに答えた後、

「どうしますか?これを抑えますか?」

と、チュン・ウー・チェン大将に尋ねた。

「それは最後の最後の手段にしておいた方がいい。今、下手に刺激するとシュタインメッツ艦隊を呼び寄せることになりかねない。そうなれば同盟は終わりだ。」

「小官も閣下のおっしゃる通りだと思います。今、シュタインメッツ艦隊が動かないのは、カイザー・ラインハルトの本隊を待っているからでしょうな。」

 

ザーニアル少将が言う。

「シュタインメッツ艦隊及びハイネセンの帝国軍については引き続き監視を続けることとし、まずは押し寄せて来るだろう帝国軍に備えることとしよう。」

チュン・ウー・チェン大将はそう言った。基本方針はそれしかないのだ。枝葉末節にこだわることはこちらのただでさえ少ない戦力を消耗させ、やがて来るべき決戦(決戦と呼べるかどうかわからないが)兵力を減少させることになる。彼はそう言って、引き続き諸報告を求めだした。

 

 

* * * * *

人気のないリビング――。

老人はそこで写真立てを手に取っていた。もはや足も不自由であり、手も効かない時もある。守るべき家族は死に、生き残っているのは自分一人だった。親兄弟もいない。親戚もいない。外にも、仲間はいない――。

 

軍属に入って退役する間に同じ時期に入隊した仲間は悉く死んでいった。

 

人生などに未練はない、と心の中で呟いてみる。そう、だからこそ、ローエングラムとその軍隊に故国を占領されても、さほど感情が動かなかった。動かそうとする間もなく、占領されてしまった、という方が正しいのかもしれない。

 

その証拠に、今、故国があらためてローエングラムとその軍隊によってふたたび、蹂躙され、そして、消え去ろうとしている今、自分はここでこうして写真立てを手に取っている。

 

そこには思い出があった。往時の家族との写真、仲間との写真、自分が負傷して引退を余儀なくされた時に、クルーたちと撮った写真。そして――。

 

自分の背後にはあの艦が写っている。往時に手塩にかけて育てたクルーたちと共に駆け抜けたあの艦が――。

 

たとえ故国が消滅しようとも、思い出は消えることはないのだ。

 

 玄関の呼び鈴が鳴った。そこまで素早く行けるはずもないのに、視線は自然と玄関に向けられる。誰が来たのかは応答しないでもわかっていた。身寄りがなく、足に不自由している自分をどういうわけか、世話してくれる人間が隣に住んでいるのだ。そのほかの近所の反応は自分等いてもいなくとも無関心な態度だというのに。

 

「シュダイさん、失礼しますよ。」

「おじいちゃん、こんにちは~。」

女性の声と、その子供らしい声が聞こえた。老人は杖を突いてさびついたロボットのようにぎこちない足取りで玄関に向かった。

「あぁ、いいんですよ。いつものようにすわっていたらすぐにすみますから。」

もう靴を脱いで上がり始めていた女性は制するように手を上げると、下げていた買い物袋を台所に置いた。オレンジ色の髪を肩まで品よく伸ばした率直そうな顔立ちの30歳くらいの女性だった。

「シュリア、あなたはお風呂を掃除して、それから、洗濯物お願いね。」

「は~い!」

元気よく返事をしたオレンジ色の髪の女の子は8歳くらいだった。母親はそれを見送ると、台所にたって忙しく働き始めた。少し前はひっそりと身を潜めていた家具たちが急に活き活きし始めているように見えだしたのだから不思議だ。

「学校はいいのかね?」

「このご時世じゃ学校なんてあってないようなもんですよ。放送ききました?」

水音をにぎやかにさせながら母親は台所ごしに話しかける。

「聞いたよ。まだTVは動いとるようだからな。」

「まったく、占領しただけじゃ飽き足りないってんで、高等弁務官って人の仇うちですか?よっぽどこの国が憎いんですかね、あの金髪の人。」

電子コンロに熱を通し、持ってきた食材をリズミカルに切り始めている。

「おかあさ~ん!洗濯機動かないよ~!!」

シュリアの声が響く。

「右の側面をブチなさい!そうしたら動くから!!」

廊下に声を張り上げておいて、母親はひょいと顔をリビングにのぞかせる。

「こんな国を攻めても、もう何も出てきませんよ。ヤン元帥もどこかに行ってしまったし、残っているのは女性と子供ばかりなんですから。戦争なんて誰も得をしないのに、なんだって始めるんですかね。」

その顔色も声音も普段と変わることはなかった。同盟全土がパニックの極みにあるというのに、この女性と来たらちょっとした台風でも来るかのような調子なのだ。

「あんたは逃げないのかね?」

「今日はシチューですよ。こんな時だけれど、スーパーにはまあまあ品揃えがいいのがありましたから。これからどうなるかわからないけれど。」

頓珍漢な答えが返ってきたが、それはわざとだったのかもしれない。しばらく間があって、今度はやや硬い投げやりな声が返ってきたのだから。

「逃げられませんよ。どうせ港は閉鎖されていて宇宙船にも乗れないし、あったって法外な値段を取られるだけなんですから。そんなお金もないし。」

切った食材を手際よく洗い、ぐつぐつと煮え始めた鍋の中に入れていく。立ち上ってくる食欲をそそる匂いから、どうやらビーフシチューのようだと老人は思った。

「シュダイさんはどうするんですか?」

「さぁてな。」

同じ質問をぶつけられて、老人は口の中でそう言った。何しろどうするもこうするも体が言うことを聞かないのだ。ただ、漠然と、自分は帝国軍がやってきたとしても、この家の中にいるほかないと思っているくらいのものだ。老い先短い自分はいいだろう。

 

だが――。

 

「おかあさん!洗濯物干し終わったよ~!」

シュリアが元気よく台所に飛び込んできた。

「ありがとう。じゃ、テーブルにランチョンマットを敷いて、お皿を並べて。もう少しでできるからね。それからおじいちゃんをテーブルに案内して。」

「は~い!!」

この母娘は違う。自分とは違う。まだ未来があるのだ。その未来をローエングラムとその軍隊は刈り取ろうとしている。当人はそのつもりはないのかもしれない。だが、いったん動き始めた巨大な時代の波は、先にあるものをすべて飲み込もうとしているのだ。誰も彼も。抗おうが抗うまいが。

 

この母娘だけではない。そうした境遇にいる人がこの町に、首都星ハイネセンに、そして近隣の惑星に、自由惑星同盟全土に幾百万もいるのだ。

 

何をなすべきか、どうすべきかを考え始めている自分に気が付いてエマニュエルはしわだらけの顔を苦笑いにゆがませていた。

 

 

 



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第三話 見えざる思い

長身の男はふらつきながら路上を歩く。もう町は夕闇に包まれていたが、彼の足は止まることはない。

「くそったれの帝国のクソ野郎が。」

帝国語の公用語で書かれている看板に唾を吐きかけた。そんなことをすればたちまち憲兵隊がやってくるのだが、あのレンネンカンプ高等弁務官死亡以来、帝国軍は占領地の一角に身を潜めている。それを知った同盟市民の中には帝国公用語に手あたり次第に落書きを仕掛ける輩が出てきていた。

 男の前の看板にも卑猥な言葉がスプレーで書かれている。それに、携帯していた酒瓶をラッパ飲みした酒を思いっきり吹きかけた。

「それ以上に同盟の野郎どもも腰抜けだぜ!!」

俺もだぜ、とつぶやいた声は小さかった。あぁ、小さい小さい。こうして飲んだくれてふらつきながら歩いても、何にもなりゃしねえ。1か月か2か月後には帝国のクソ野郎どもがやってきやがるだろう。

「あのなまっちろい金髪を先頭にな。」

苦々しい錆びた味が男の二日酔いの舌を刺激した。強烈な吐き気が男を襲い、看板の下にほとんど四つん這いになっていた。朦朧とする意識の中、自分の左腕が見えた。刺青をした左腕には、かつてのエースである自分の名前が刻まれていた。異名と共に。

「・・・・・・・・。」

どれくらいそうしていたかわからないが、男は顔を上げた。悲鳴のような物が聞こえた気がしたのだ。そして、それに続く怒声。どうやら治安はこれまでの層倍悪くなっているらしい。同盟政府が夜間外出禁止を呼びかけるくらいなのだから。

「くそったれめ。」

男は立ち上がった。急に怒りがわいてきたのだ。こんなことになっている同盟にも、攻めてくるおせっかいな帝国にも、そしてみじめに四つん這いになっている自分自身にも。

「助けてください!!」

不意に横合いから腕を掴まれた。女性が一人、血相を変えて腕にしがみついている。

「おい!その女をよこせ!」

このあたりを縄張りにしている素性が悪い面々が3人ほど後ろをふさいでいた。

「この女、俺たちにショバ代も払わねえで店をつづけようとしやがって。」

「もう、お金払ったじゃないですか!これ以上は無理です!」

「うるせえ!」

破落戸の一人が女を掴もうとするのを、男は振り払った。

「邪魔するなや!!」

破落戸が吼えた。他の二人も男に加勢しようと身構える。だが、その姿には邪悪さよりも悲哀さがにじみ出ていた。

「なぁ、おい。どうしてそんなに荒れてるんだ?あぁ?ショバ代なんざ、他の奴からでも取れるだろうが。」

「皆逃げ出しちまいやがったんだ!!」

絶叫に近い怒声が男の耳を打った。

「それもこれも、くそったれの帝国のクソ野郎共がくるってんで、皆逃げ出しちまいやがったからだ!!」

「くそったれの帝国のクソ野郎。」

「あの金髪のクソ野郎が!!」

3人の男は夜空に奇声をとどろかせたが、それは空しく響くだけだった。恐怖の代わりに愁嘆場のような空気があたりを支配した。

「悪いことは言わねえ。お前らもこんなところにしがみついていないで、さっさと逃げろや。あの金髪はお前らのような奴らを一番憎むって聞いているぜ。」

「て、めえ!!」

激昂した一人が男の左腕をつかむ。よろめいた男はたった一つ明滅している街灯の下にひきずられた。

「お・・・・!」

意外なことが起こった。つかんだ腕を男は離したのだ。

「アンタ・・・!!アンタだよ!!」

「何?」

「ほら、これ!この刺青!!あの撃墜王リオン・ベルティエ大尉だよ!!」

3人の一人が興奮気味に仲間に話しかける。その途端、他の二人の眼が変わった。

「マジか!?」

「本当か!!」

「間違いねえよ、なぁ!?アンタそうなんだろ?」

一気に変わったあたりの空気に唖然としている女性をしりめに、面倒くさそうにリオンは腕を隠したが、否定しようとはしなかった。

「・・・・・昔の話だ。今じゃただの飲んだくれの親爺だよ。」

「そうなんだな?!そうなんだな?!」

皆興奮した面持ちで集まってきた。

「俺、いや、ここにいる奴ら、皆アンタにあこがれてたんだよ。だからパイロットになりたいってんで軍隊に入ったんだ!なぁ!!」

他の二人も勢い込んでうなずく。

「けどよ・・・・。せっかく入ってシゴキにも耐えて、やっと憧れのスパルタニアンに乗れると思ったら、あの帝国のくそったれの帝国のクソ野郎共が攻め込んできて全部終わっちまったんだ。」

3人はチンピラではなかった。生きる拠り所を失ってただ路地裏に漂う哀れな漂流物と化していたのだ。

「なぁ!アンタ戦うんだろ!?そうだよな?な?あんな帝国のクソ野郎共に負けるあんたじゃねえだろ!な!?」

「うるせえよ、ボウズ。」

邪慳にして手を振り払おうとも、熱気に包まれた三人の若者は質問攻めを辞めなかった。アンタ撃墜記録300機ってホントか?非公式の奴も入れたら、500機を超えるかもって本当か?おいおい、マジかよ!あのオリビエ・ポプランも真っ青の記録じゃねえか!

「ポプランか。懐かしい名前だぜ、あの青二才がな。」

俺が昔入りたてのあの青二才を教えたと言ったら、こいつらなんていう顔をするだろうかな。などと思っている間にも、3人はしゃべるのを辞めなかった。

「俺、アンタにあこがれてんだ!アンタと一緒に戦えたら、どんな敵って俺、倒せる自信があるぜ!!」

「俺もだ!」

「俺も!!」

「あのう・・・・。」

4人は振り返った。女性が一人所在なげに佇んでいる。

「こんなところで騒いでいると、警察に見つかりますよ。場所代は払えませんけれど、代わりに私の店に来ませんか?」

「・・・・・・・・。」

3人の若者は、自分たちがすべきことを思い出したようだったが、言い合せたようにかぶりを振った。

「あんたがいなかったら、俺たちはこうして憧れの人に会えなかった。ショバ代はいいぜ。その代わり、場所を貸してくれねえか?」

「おい――。」

「な、いいだろ?リオンさん、いや、リオン師匠!!」

「俺は師匠じゃねえ――。」

「早く早く早く!もっともっと話が聞きてえ!!」

3人の元パイロットに引きずられた古参のエースパイロットは助けを求めてきた女性の店に足を向けざるを得なかった。

 

 

* * * * *

チュン・ウー・チェン大将は帝国軍迎撃の準備を整える宇宙艦隊司令部を抜け出していた。

「少し、散歩をして、サンドウィッチを買ってくるよ。どうも頭が働かなくてね。」

激務にお疲れなのだろう、と察した副官たちは司令長官代理殿を見送った。入り口のところでさほど見とがめられなかったのは、元々の容姿に影響するところが多い。

彼は無人の地上車を拾って、ある場所に足を向けた。行きかう車も少なかったため、公園近くの郊外の閑静な住宅にたどり着いたのは、10分後だった。

「失礼いたします。御主人は御在宅ですか?」

ベレー帽を取って、尋ねるチュン・ウー・チェン大将を出迎えた老婦人はかすかにうなずいて見せた。彼の訪問を予期していたように、全く驚きを見せなかった。

「あなた、チュン・ウー・チェンさんがお見えですよ。」

穏やかな声にこたえて出てきた人物にチュン・ウー・チェン大将は敬礼を施した。

「いやいや、気を遣わんでくれ。もう退役した身なのでな。」

アレクサンドル・ビュコック退役元帥はチュン・ウー・チェン大将を制した。

「それに、この通り、杖をつかわずにはいられなんだでなぁ。」

老妻の助けを借りて、狭いが居心地のよさそうな家具に囲まれたリビングに老人は腰を下ろした。

「夜分失礼します。こうでもしませんと、中々機会がありませんので。」

「構わんよ。どうせこちらは暇なものでな。」

老妻がお茶を二人の前に並び終えるまで、二人は口をきかなかった。

「私がここに来た目的は、閣下も承知しておられるはずです。この際回りくどい言い方をしている時間はありません。非礼を承知で単刀直入に申し上げます。どうか、現役に復帰していただきたい。」

ビュコック退役元帥の反応はチュン・ウー・チェン大将の瞳には表立って映ることはなかった。老人は聞く前と同じ姿勢、同じ顔色で自分を見つめている。

「それは、貴官の一存かね?」

「最高評議会議長も閣下の現役復帰命令をすでに出されております。」

チュン・ウー・チェン大将は軍服からややつぶれた命令書を取り出した。それは初めての事ではなかった。老元帥は再三にわたり最高評議会議長からの現役復帰要請を拒否していたからだ。

「最高評議会議長の命令書も、重みがなくなったというわけか。」

「残念ながら。」

自分がしでかしたことを恥じる要素はチュン・ウー・チェン大将には一つもなかった。老元帥は封印された命令書をためすがめす眺めていたが、それを開きはしなかった。

「カイザー・ラインハルトと一戦交えるという事が、どれだけの事か、貴官は分っておるかな?」

「わかっているわかっていないの問題ではありません。これは必要な事なのです。」

宇宙艦隊司令長官代理の答えは退役元帥にとって予想外だったらしい。

「ほう?このまま黙って帝国軍を通せば、犠牲は少なくて済む。死ななくてもよい将兵が死ぬことはない。そうではないかね?」

「確かに、一時はそうなるでしょう。ですが、私が危惧しているのはその後の事です。」

「その後?」

「同盟市民は良くも悪くも誇り高いことを閣下も十分ご承知でしょう。」

チュン・ウー・チェン大将が何を言わんとしているかをビュコック退役元帥は読み取った。

「なるほど。自分たちよりも劣った制度、民主主義の敵、自由を束縛する敵に頭を下げることほど嫌なものはないからな。」

「先の占領下の際には、そのような事は起こりませんでした。同盟が形の上でかろうじて存続を許されたからです。ですが、恐らく、今度こそ帝国は同盟を潰しにかかるでしょう。そうなれば、それに反発する人間が大挙してゲリラ戦を展開しないとも限らない。それを鎮圧するのに帝国は大兵力を投入するでしょう。そうなれば、女子供も関係なく被害を受けます。犠牲は増える一方でしょう。」

「同盟が帝国との力の差に気が付き、自ら頭を下げない限りは、か。」

ビュコック退役元帥は紅茶のカップを傾けた。

「圧倒的な力の敵の前には無力であることを、認識した時、人は首を垂れるのです。なまじ敵の力量がわからないからこそ、かえって抵抗しようという気になる。」

「貴官が、こうして一人でやってきた理由がわかったよ。」

ビュコック退役元帥が軽い笑い声を立てた

「ええ、こんなことを言っていることが知られたら、私は八つ裂きにされるでしょうな。もっともそれもまだ幸せな方なのかもしれませんが。」

チュン・ウー・チェン大将は微笑んでカップに口を付ける。

「貴官の言わんとすることは分かった。同盟市民を守るために、我々は負けなくてはならない。それも、生半可な負けっぷりでは駄目だ。派手に負けること、全滅を覚悟で負けなくてはならない、というわけだな。」

チュン・ウー・チェン大将はうなずいた。言葉に出してこそ言わなかったが、ヤン・ウェンリーと共に、この老元帥こそ今の同盟にとって最後の光なのだ。その光を消し去った時、同盟市民は初めて長い暗い夜を受け入れる覚悟ができることだろう。

「だが、ヤン・ウェンリーの事はどうする?あれがいる限りは、民衆は希望を捨てないだろう。いつかは、自分たちを解放してくれる存在だと信じて待ち続けるだろう。まさか、ヤン・ウェンリーを自殺者の列に引きずり込むわけにはいくまい。」

「おっしゃるとおりです。ヤン・ウェンリーは生きていますが、どこにいるかは分らない。実際どうしようもないわけです。ですから、わざわざこちらに来てもらおうとは思っていません。ヤン・ウェンリーには民主主義の最後の砦になってもらうことになる。本人は間違いなく嫌がるでしょうが。」

ビュコック退役元帥には、チュン・ウー・チェン大将の意図していることは分かった。要するに、抵抗は無益であり、じっと耐え忍ぶ日々を送ることを認識することこそが今の同盟市民に必要な事なのだ。

自分たちが玉砕し、抵抗勢力を失った同盟は降伏し、長い暗い夜を迎えることとなる。だが、ヤン・ウェンリーという希望がある限り、明けない夜はないことを民衆は希望を持ちながら耐え抜くこととなる。

 

自分たちは、その長い暗い夜の到来を告げる使者になるわけだ、とビュコック退役元帥は思った。

「我ながら、嫌な役回りじゃな。」

そう言った時、老人の覚悟は決まっていた。

「よろしいのですか?」

「儂が最高評議会議長からの要請を拒否したのは、ヤン・ウェンリーを討伐せよとの命令を受けることがわかりきっていたからじゃよ。だが、今度は違う。久方ぶりに帝国と戦うことになるのじゃからな。」

「閣下にはご迷惑をおかけしてばかりですな。」

ビュコック退役元帥は無言で首を振った。

「だが、一つ条件がある。」

「なんでしょうか?」

「貴官は同盟の未来を守るための戦いと言ったが、儂にはもう一つ意味があると思う。それは、同盟の古い血を淘汰するための物だ。」

一瞬自分の眼が見開かれたかもしれない、とチュン・ウー・チェン大将は思った。それほど衝撃的だったのだ。

「長く生きる人間ほど、昔の体制を普通だと思っておる。当たり前だと思っておる。そんな人間が多くいればいるほど、これからの未来にとっては邪魔じゃろう。逆に、未来を拓くべきなのは若い人間じゃ。そのような人間の将来を絶つことは儂にとって忍びない。それに――。」

ビュコック退役元帥は目じりを手でもんだ。

「長くここにいた人間は、自分たちの故郷が滅びるところなど、見たくはないじゃろうて。」

「・・・・・・・・・。」

地上車が一台、ヘッドライトと共に邸の外を走り抜けていった。

「30歳以下の人間は連れて行かぬこととする。それが、儂の条件じゃよ。どうかね?」

「老兵を率いての戦いですか、まさに自由惑星同盟の終焉にふさわしい、と後世の詩人などがそういう事でしょうな。」

チュン・ウー・チェン大将はうなずいた。

「わかりました。おっしゃる通りにいたしましょう。」

チュン・ウー・チェン大将はソファーから立ち上がった。時間はいくらあっても足りることはない。彼にはまだやるべきことが多く残されていたのだから。

ビュコックは自分で杖を突いて彼を戸口まで送った。ふと、リビングの奥でお茶のカップを片付け始めているビュコック夫人の姿が目に留まった。

「閣下。」

思わずチュン・ウー・チェン大将が言い出そうとするのをビュコックは制した。

「いやいや、貴官に言われる必要はない。儂はこの年まで十分すぎるほど生きた。それに、若い者に重荷を背負わせて傍観して居ることなど、儂には出来んのでな。老体であるが、まだまだ働けるつもりじゃよ。」

「・・・・・・・・。」

無言で3秒ほど上官を見つめたチュン・ウー・チェン大将は敬礼を施した。

彼がビュコック邸を辞したのは、日も変わろうとする頃合いだった。

「どうしたのかね?」

静かに通信が来たことを知らせ続ける端末を手に取って、チュン・ウー・チェン大将は耳元に当てた。副官からだったが、声が切迫しているため、何か容易ならぬことが起こったことはすぐに分かった。

 

『閣下、同盟市民が暴動を起こしました。至急お戻りを。』

 



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第四話 フォビア・シンドローム

深夜に不気味なうねり地鳴りとともに官庁街に広がっていた。黒い塊は時に怒号し、時に叫び続けながら、自分たちの意志を声高に主張し続けている。

 

それに行き合わせたごく少数の人間は、巻き込まれるのをおそれて逃げ散るか、あるいは逃げ遅れてその渦の中に巻き込まれるかのどちらかだった。

だんだんと膨れ上がったそれは、政府ビルを目指して突き進んでいく。

 

「俺たちはどうすればいいんだ!?」

「帝国の奴ら、俺たちを奴隷にするんだろう!?」

「何とかしてくれよ!!!」

「私たち、殺されてしまうの!?」

「政府は責任を取れ!責任を正せ!!」

 

という叫びが深夜の政府中枢ビル街に響く。首府にはまだ大勢の同盟市民が残っており、それらがデモ行進を続けていたのだ。それが、だんだんと暴徒化して政府ビルに押し寄せたのははけ口を求める心理が働いたからにほかならない。

 

「政府は説明しろ!」

「俺たちを守れ!」

「責任を取れ!!」

 

という叫びと共に、最高評議会議長の公邸や議事堂、政府庁舎ビルに一斉に押し寄せたのである。

 

「先日も暴動を起こし、鎮圧したばかりだというのに、まだ、懲りないのか!?」

 

統合作戦本部長ロックウェル大将はここのところの睡眠不足で充血した眼をさらに血走らせながら、部下に鎮圧を指令した。このようなことを統合作戦本部長自らが指令することなどあり得ないのだが、それほど火の手は足元に迫ってきていたのだ。

ロックウェル大将はMP司令のベイカー大佐を呼んだ。

 

「催涙弾で鎮圧しろ。場合によっては銃器の使用も許可する!」

 

という指令は初めての事ではなかった。空港に殺到した同盟市民を支え切れなくなった鎮圧部隊が数千人を殺したことは記憶に新しいからだ。

 先のレベロ最高評議会議長の誘拐以来、ロックウェル大将は胃痛に悩まされていた。当の最高評議会議長ともあの誘拐以来顔を合わせたことなどもない。不審と良心の咎の極みに両者はそれぞれいたのだ。

ベイカー大佐は無言で命令を受諾したことを示す身振りを示した後、部下を引き連れて要所要所に配置した。

 

 10分後、制止しようとする鎮圧部隊を市民側が押しまくり、中央に築かれた装甲車を主体とするバリケードにまで達しようとした時、ついに銃口が向けられた。

 

『これが最後の警告だ。停止せよ!さもなくば発砲する!!』

 

指揮官の停止命令に対して帰ってきたのは猛り狂う怒号と狂乱の叫び声だけだった。一瞬顔色を変え、何とも言えない苦み走った表情を浮かべた指揮官は、もどかし気に右手を振り下ろした。

 前面に展開していた兵士たちから、催涙弾、煙幕弾と言った鎮圧用の兵器が所かまわず撃ち込まれた。怒声は悲鳴、そして恐怖の叫び声に代わり、市民たちは算を乱して後ずさりした。追尾するように装甲車列から追撃する装甲車が幾台か飛び出し、それに嚮導するように兵士たちが追随する。

 過日帝国軍に対して非力ともいえる同盟軍兵士たちだったが、同じ同盟市民たちに対してはその精強さを発揮した。

 彼らは一時圧迫されていた恐怖の反動から執拗に市民たちを追撃し、殴打し、ひっ捕らえ続け、装甲車の前に飛び出した市民を容赦なく轢き殺した。一晩中爆発音は鳴りやまず、銃声はひっきりなしにビル街の窓ガラスを震わせ、市民たちを恐怖に落とし続けた。

 

 チュン・ウー・チェン大将が宇宙艦隊司令部に戻ってきたとき、鎮圧部隊と市民側との争いは頂点に達していた。

 

「閣下。」

 

寝ずの番をしていた副官や幕僚たちが駆け寄ってくる。

 

「統合作戦本部に一言言っていただきたいのです。こんなバカげた争いはもうたくさんです!何故このような時に同胞同士が相争う真似をしなくてはならないのですか?」

 

血気にはやる幕僚たちが口々に同じことを言った。

 

「私にはその権限はないよ。市内の警備などについては他の部局がやることだ。私ができることは宇宙艦隊に関することでしかない。」

 

チュン・ウー・チェン大将はどこか物悲しそうにそう言った。

 

「ですが、それでは余りにも!!」

「では、君たちは私にクーデターを起させたいのかな?頭に血が上った連中に説得しても効きはしないよ。特に今のロックウェル大将にはね。最高評議会議長にも同様だろう。残念ながら、言葉ではどうすることもできない。武力をもって反抗するならば話は別だ。」

「だったらせめて市民たちの保護をしなくては!」

「向こうからしてみれば同じ軍服を着た同盟軍だ。こちらの気持ちとは無関係に殺気だって襲い掛かってくる。君たちは甘んじて殴られる覚悟があるのかな?」

 

勢い込んできた幕僚たちはこの言葉に顔を見合わせた。

 

「君たちの気持ちはわかる。だが、できることとできないことがある。」

 

チュン・ウー・チェン大将は皆を見回した。

 

「しかし、手は打っておきたい。」

 

この言葉に幕僚たちは顔をほころばせた。

 

「この司令部を一時避難所として機能させたい。逃れてきた市民たちをここで保護する体制を整える。司令部内の医務室医療スタッフを待機させて万が一に備えさせてほしい。また、非常用の物資の放出も一部許可する。忙しい時期なところ恐縮だが、頼めるかね?」

『もちろんです!!』

 

幕僚と副官たちはうなずき合って、すぐに駆けだしていった。ふと、チュン・ウー・チェン大将は一人の赤い髪をポニーテールにした女性が後ろに佇んでいることに気が付いた。ずっとここにいたのだろうが、人垣が空いたので初めて姿が見えたのだ。

 

「君は?」

 

女性は幕僚たちとは明らかに違う温度を纏っていた。どこか突き放してここにいる雰囲気を漂わせていたのだ。

それでも女性は上官に対して礼を失することなく敬礼を施した。

 

「情報3課所属、ミーナハルト・フォン・クロイツェル少佐です。」

 

声はどこかかすれていて硬い調子があった。どこかで聞き覚えがある名前だという感触が宇宙艦隊司令長官代行の頭をよぎったが、すぐに消えてしまった。それどころではなかったからだ。

 

「情報3課・・・・。ちょうどいい、君に頼みがあるが、引き受けてもらえるだろうか?」

「なんでしょう?」

「情報3課は職務上確か市街地の詳細な地図を持っていたはずだ。避難経路を作り上げて部隊に指示したいが、手伝ってくれるかね?」

 

一瞬、女性の眼が細まったが、彼女はすぐにうなずいた。

 

「ただちに手配にかかります。」

 

チュン・ウー・チェン大将は足早に去っていくその後ろ姿を見送り、すぐには動きださなかった。女性の無言の声を背中から聴いたような気がしたのだ。

 

『どうせ、無駄な事なのよ。』

と。

 

 

 

この惨劇は夜明けとともに終わったが、市民側死傷者2204人、軍の死傷者191人と、双方ともに過日の宇宙港鎮圧に劣らない損害を出してしまったのである。

 

「市民を守るべき同盟軍が市民を殺している。同盟軍は一体何の為に存在しているのか。」

 

表立って声は上がってこなかったが、水面下ではそこかしこで嘆きの声が交わされていた。帝国軍に対して無力であるどころか真相を知りたい、守ってほしい、そんなごく当たり前の願いを踏みにじり、命までも奪ってしまう。同盟軍は自分たちにとって害悪でしかないのではないか。

 そんなささやきが交わされているさ中、ある現役復帰登録支所前に一台の地上車が到着した。

 

「こんな同盟軍に、あなたは本当に復帰するの?シュダイさん。」

 

現役復帰登録支所前にたどり着いた車の中からオレンジ色の髪の女性が老人を介助しながら降りてきた。

 

「悪いことは言わないから、やめた方がいいと思いますよ。自殺するようなもんじゃないですか。私たちと一緒にひっそり暮らしている方が、まだ命もありますよ。」

「・・・・・・・。」

 

震える手で杖を突いているエマニュエル老人はじっと登録支所に視線を向けている。

 

「同盟はもう終わりだって、みんな思っていますよ。だから皆自分が助かるのに必死なのに、どうしてあなたは反対の事をするのですか?」

「一人ではないよ。あれをご覧。」

 

エマニュエルの視線をおっていった女性は、一人、また一人と人間が登録支所に入っていく姿を目撃した。皆老人、あるいは傷病者だった。腰が曲がっている者、杖を突いている者、様々だった。中には軍に耐えられないのではないかと思われるほど青白い顔をした人間もいた。この市街地の人口に比べれば、ほんの微々たる人数であったが、それでも彼らは確かにここに来ていたのだ。

 

「逃げる人間もいれば、こうしてここにやってくる人間もおる、という事さ。」

「でも、その足じゃ、満足に動けないじゃないですか。」

「だから、この鉄の足があるのさ。」

 

エマニュエル老人は電動式の車いすを杖で指示した。

 

「後は、そこに乗せてくれればそれでいい。」

「でも・・・・。」

 

なおもいいさした女性は、エマニュエル老人の顔を見て、女性はと息を吐いた。決心が変わらないことを悟ったのだ。女性一人では荷が重かったが、なんとか老人を車いすに乗せることができた。

 

「色々世話になったな。感謝するよ。これは、ほんの気持ちだ。」

 

差し出された財布をみた女性は首を振った。

 

「お金の為じゃありません。」

「報酬の事を言っとるんじゃない。この先女手一つでは大変だろう。お金などいくらあっても足りないという事はない。もっておいきなさい。儂には、必要がなくなるだろうから。」

 

女性は財布をじっと見つめていたが、たまりかねたように声を上げた。

 

「どうしてあなたはそうまでして!!・・・ボランティアなんかじゃないんですよ!これは。」

「さぁて、どうしてかな。」

 

エマニュエル老人は顔をゆがませ、脇を向いた女性に穏やかに声をかけた。

 

「それはきっと、娘さん、あなたが儂に尽くしてくれたことと同じ想いがあるからだと思っておるよ。」

「・・・・・!」

「それは、今ここにやってきておる誰しもが抱いている想いと少なからず共通しておる事だろうと思う。皆大それた思いはもっとらんのかもしれん。だが、大なり小なりここに来る理由は皆必ず持っておるはずだ。」

「・・・・・・・・。」

 

女性は視線を地面に伏せた。

 

「皆、軍人さんがあなたみたいな、あなたたちみたいな人だったら良かったのに。」

「儂らみたいな人間ばかりなら、帝国軍には到底勝てんよ。手足だけじゃどうにもならん。儂らを指揮してくれる人間が必要なんじゃからな。」

 

女性は半分ぎこちなく笑ったが、地上車の方を向いてドアを開け「シュリア」と呼んだ。少女が元気よく車から飛び出すようにして降りてきた。

 

「おじいちゃんにさよならを言いなさい。おじいちゃん、当分は帰ってこないから。」

「どうして?」

「ちょっと、空を旅してくるんだよ。いつまでも家の中にいたら退屈だからな。」

 

エマニュエル老人はシュリアに微笑みかけた。

 

「じゃ、シュリアもいく!!ね~いいでしょう?おかあさん!」

 

この子は本当に自分が「ちょっとした旅」に出ると思っているのだ。旅はいつか終わる。終われば家族の元に帰ってくる。だが、自分は――。

 

「この旅に出るには、シュリア、君にはまだ早いのだよ。」

 

エマニュエル老人は穏やかに言った。

 

「ええ~!?どうして??」

「まだたくさん勉強しなくてはならないことが残っとるだろう?学校の勉強は大事だよ。シュリアが大きくなって社会に出て自分で考えられるようにするための大事な勉強だ。それが終わらないと、旅には出られないのだよ。」

「・・・・・・・。」

「いつか、君が大きくなって、ちゃんと自分で考えられるようになったら、おじいちゃんと一緒に旅をしよう。」

「本当!?」

「だから、それまでしっかり勉強するのだよ。」

 

シュリアは不機嫌そうな顔から笑顔になって強くうなずいたが、不意に不安そうな顔をした。

 

「ちゃんと帰ってくるんだよね?」

「儂の居場所はここだからね。」

 

エマニュエル老人はシュリアにうなずいて見せ、そして女性を見た。手には先ほどの財布を握っている。

 

「これをもっていってほしい。儂が戻る間預かっていてくれ。」

「・・・・・・・・。」

 

女性の手に落とし込むようにして、財布を握らせると、エマニュエル老人は車いすを動かした。

 

「二人とも世話になったな。体に気を付けて、達者でいておくれ。」

「いってらっしゃい!おじいちゃん。」

 

エマニュエル老人は答える代わりに、ちょっと杖を上げ、二人を見つめ返すと、後はもう振り返らずにスロープにそって車いすで登録支所に向かっていった。

 

「お母さん?」

 

手を振っていた娘が急に顔を上に向ける。娘に自分の顔を見られないように、母親は思いっきり明るい声で叫び、手を振った。

 

「いってらっしゃい!シュダイさん!いつでも帰ってこられるように部屋、綺麗にしておきますからね!」

 

 



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第五話 新しい家

「なんでだよ!!」

登録支所に怒声が響き渡る。居合わせた人間は一斉にこちらを向いた気配がした。だが、こちらが視線を返せば、慌てた様に登録用紙に向き直る。

「なんで俺たちは入れねえんだよ!!」

黒シャツを着た若者の一人がいきり立つのをリオンは襟首をひっつかんで受付から引き離した。

「そう言われましても、規則は規則。あなたたちは若すぎますし、その上兵役を中途でやめてしまっていますから。」

「俺たちは脱走したんじゃねえ!上に一方的に言われて解雇されたんだッ!!」

襟首をつかまれ、手足をばたつかせながら若者は叫んだ。

「もうやめろ。どんなに怒鳴っても駄目なものは駄目らしいからな。」

リオン・ベルティエ退役大尉は登録支所に3人の若者と来ていたが、これはどうしようもないな、と思わざるを得なかった。

 

予備役招集があると知ったのは、助け出した女性の店で飲んでいる時だった。借金返済の期日が迫っているなか、他にどうしようもなかったリオンはすぐに申し込んだ。

自分にはれっきとした理由があった。あの破落戸共から逃げるために。少なくとも借金を返すというそぶりを見せるために。だが、登録支所に行くと言い出すと、何を勘違いしたのか、若者たちも「俺たちもいく!」と言い出してしまったのだ。

「なんてったって、あの伝説のヒーローと戦えるんだぜ!!」

と、目を輝かせて言われてしまうと、取り繕う嘘をひねり出す気力も失せた。だが、期待に胸を輝かせた3人の若者は、すぐに現実にぶつかってしまうこととなった。

 

「30歳以下の人間は登録できません。」

 

という無表情かつ無慈悲な言葉と共に登録用紙を突き返されたのだ。

「ついこの間まではあんなに募兵してただろうが!!」

「こんなひでえ仕打ちはねえだろ!!」

「同盟軍ってやつらは、いつからおっさんやジジイ連中のたまり場になったんだ!?」

3人の若者は言いたい放題言っている。だが、どんなに喚こうとも、叫ぼうとも、彼らの熱意を満たす返答は帰ってこなかった。

「なんでだよ・・・・。」

茶色の髪を角刈りのようにしたガタイのいい体つきの若者が視線を床に落とした。

「ボビィ、もうやめようや。どうせ俺達なんて用がないんだろ。」

頬に傷のある目の鋭い目つきの若者が彼の肩に手を置いた。

「トニオ、けどよう!ここまで来て、せっかく師匠と戦えるって意気込んできたのによう!!」

「アルベルト、お前も何とか言ってやれよ。」

トニオが三人目に目を向ける。

「いや、俺も腹が立っている。登録用紙を受け取らねえんなら、力づくでも出してやる。」

背の一番高い、だが、筋肉質な体つきをした普段は無口なアルベルトがいきり立っている。

「3人ともやめろ。」

リオンが間に入った。もう、3人の決意を翻すような発言はしないと決めている。散々諭したが、一向に諦める気配がなかったからだ。

「何か別な方法を考える。だからいったんここは引け。事を荒立てるな。」

「何事かな?」

不意に足元から声がした。正確には自分たちの腰くらいの位置からだ。4人が振り向くと、一人の老人が車いすに乗ってこちらを見ている。もう、登録は済ませたのだろうか、腕には腕章のような物が巻かれている。

「こんな爺さんでも登録できちまうんだってのに、どうして俺たちは駄目なんだ。」

ボビィが忌々し気に言った瞬間、杖が彼の顎を襲った。

「イテッ!!」

鋭い悲鳴と共に、ボビィが飛びのく。他の二人はあっけに取られていたが、仲間をやられたことに気が付くと、眼を怒らせて老人に向き直った。

「このクソジジイ!いい気になりやがって!」

「その車いすごと、放り出せ!!」

「おいおい、お前ら、やめろ――。」

「いい加減にせんか、小僧共!!!!!」

凄みのある声が登録支所に響いた。若者3人の声を軽く上回る声量だ。3人は電気に撃たれたように固まり、リオンは声もなく老人を見つめた。誰一人として老人から目をそらすことはできなかった。

「ま、なんだな。ここでは迷惑も掛かる。どこか別の場所に移ろうか。」

先ほどの怒声が嘘のように老人は穏やかな声でそう言った。

 

* * * * *

登録支所にほど近いところに、公園があった。いくつか屋台が出ていて、普段はここで軽い昼食をとる人間が多い。今日は閑散としているが、それでも幾人かがベンチに座っていた。

「ここでいいだろう。」

老人はとあるテーブルと椅子を指すと、4人は吸い寄せられるようにしてそこに座った。

「君らは幾つかね?」

老人の問いかけに、彼らは多少硬い声だったが、18歳だと答えた。

「儂もそのくらいの頃は血気盛んなことをやっておったよ。」

「爺さん、アンタ何者だい?」

すっかり老人の醸し出す空気に飲まれてしまった3人の代わりに、リオンが尋ねた。

「儂はエマニュエル・シュダイ退役大佐だ。現役時代はレヴィ・アタンという艦の艦長をやっておった。」

「レヴィ・アタン・・・・。」

リオンはどこかでその名前を聞いたような気がして、繰り返した。

「あの、荒くれ戦艦か!?」

思わず声を上げたリオンに3人の若者からの物問いただげな視線が集まる。

「レヴィ・アタンというのは、海賊連中と言ってもいいとんでもない連中が乗っていたことで有名な戦艦だ。検索してみろ。すぐに出てくるぞ。」

リオンの言葉に三人が一斉に端末を出し、一斉にキーを撃ち込み、そして一斉にと息を吐いた。

「すげ・・・・。」

トニオがつぶやく。そこには到底言葉では言い表すことのできないほどの荒行が書かれていたからだ。

「同盟軍最強と言われる実力を持っていた。一部じゃあのユリシーズに劣らず伝説の艦だった。アスターテでもアムリッツアでもランテマリオでもヴァーミリオンでも生き残った有名な艦だ。」

「昔の話だよ。それに、儂が乗っておったのはアムリッツアまでだ。」

老人は力まずにそう言った。それがかえって凄みを一同に見せていた。

「艦はバーラトの和約で破棄をされたって書いてる。」

ボビィが読み上げる。

「そんないい艦を、もったいねえことをするなぁ。」

「坊やは素直だな。」

エマニュエル老人が笑う。坊やと言われたボビィはまたカッとなって立ち上がったが、杖の事を思い出したのか、座りなおした。

「そうだ。短気を起こすんじゃない。いいか、バーラトの和約で破棄されたっていうのは政府の宣伝だ。腰抜け政府の指令に軍が従うと思うか?チュン・ウー・チェン大将閣下やアレクサンドル・ビュコック元帥閣下はそんな惰弱なお方ではない。」

「じゃあ――。」

「他の艦はどうなったのか知らんが、儂の艦は残っておるはずだ。」

老人の言葉には何の根拠もなかったが、確信をもって信じさせるほどの気迫がこもっていた。

「それが、俺たちと何の関係があるんだよ?」

アルベルトが口をとがらせて言った。

「俺たちはあんたの自慢話を聞きにいたんじゃねえんだ。」

「そう慌てるな、若いの。」

エマニュエル老人は杖の先を突き出した。

「儂が小耳にはさんだ情報ではな、各艦の艦長に就任した者には一定の人事権があるそうだ。特例だな。平素の同盟軍では絶対にやらんことだ。だが、圧倒的に人が足りない今回は例外中の例外だろうて。」

「・・・・・・・。」

4人の耳目は老人の口に集中している。

「要は凄腕の知り合いがいれば、雇ってよいという事だ。お分かりかな?儂が艦長になればあんたたちを雇ってやることができる。そうだろう?エース・ジョーカー。」

昔の異名を言われ、リオンは目を見開いた。

「俺の事を知っていたのか?」

「あんたが登録書類に書いている名前をちらっと見たんでな。ぜひうちの艦に来てほしいと思っておった。アンタだってそこらの艦に乗るよりは、ちっとはマシな艦がいいと思っとるだろう。」

この老人は相当な自信家か、あるいはボケを発症しているか、どちらかだろう。そうリオンは思ったが、次の瞬間首を振った。この老人はあの荒行で有名なレヴィ・アタンの艦長だった人だ。

「だがな、小僧共。」

老人の声が凄みを増していた。

「儂の艦に乗ったからには、もう死んだものと思え。儂は容赦はせん。訓練は過酷だ。半数は耐えきれなくなって艦を降りた。生半可な覚悟で乗る奴は邪魔だ。それでも行きたいか?」

3人は顔を見合わせた。老人の言葉が嘘ではないことは彼らにもわかったようだった。顔色が青ざめていたが、3人は時を移さず、同時にうなずいていた。

『俺たちを、連れて行ってください。』

3人は口々にそう言った。

「30歳以下は連れて行かないことになっている。バレたら儂もろともお咎めを食らうだろう。家族にも迷惑がかかる。その覚悟もあるか?」

「俺達には家族はいない。」

ボビィが言った。

「みんな親が戦死しちまった戦災孤児なんだ。だから、迷惑は掛からねえよ。」

老人は3人を品定めするようにじっくりと観察した。凄まじい威圧ぶりだったが、3人は何とか耐えていた。顔色を青ざめさせて。

「その口ぶりも何とかしろ。艦長に対しては礼節を尽くせ。」

『どんなことでもやります。』

杖が飛んでくる前に放たれた3人の声は老人とリオンの耳を打った。

「ようし。」

老人が満足げな声を発したのはたっぷり3分間睨み付けた後だった。

 

* * * * *

宇宙艦隊司令部司令長官室でチュン・ウー・チェン大将はようやく一時の休息をとることができた。あの鎮圧騒動で彼は一睡もしていない。幕僚たちも含め、司令部に詰めていた人間すべてが逃げてきた市民たちを保護し、手当てを施し、あるいは一夜の避難場所を提供したのである。

一度MPもやってきたが、彼らは司令部前に整列していた装甲車列の群れに恐れをなして責任者に会いもせずに引き返していった。

当面司令部にいたい市民たちはそのまま保護することにし、帰りたいものは指定の場所まで兵たちがスクールバスで送っていった。皆、疲れ切ってぐったりしていたが、それ以上に絶望の色合いが濃かった。

「ねぇ?私たち助かるんですか?」

「もう、食料も満足にないし、周りは皆逃げてしまって――。」

「身内が病気なんだ。何とかできんかね?」

「こんなに数が少なくなって、船もなくて、どうやって帝国と戦うんですか?」

「同盟軍って、私たちを殺すだけで、何もしてくれないんですね・・・。」

様々な苦情、陳情、疑問、恐れ、そうした訴えを辛抱強く聞き続けた幕僚たちは、今頃は交代で死んだように眠っているはずだった。彼らに余計な負担をかけさせてしまったが、彼らは口々に、

「自分たちが望んでしたことです。司令長官代理閣下の御責任ではありません。」

と、言ったのだった。

「・・・・・・・・。」

ロックウェル大将がこのことを知らないはずがない。何かひと悶着あるにしても、ひとまず、現状把握に努めようと思い、チュン・ウー・チェン大将は書類を取り上げた。情報部から報告書が届いていたが、彼の目を引いたのは、あの赤い髪の女性が作成した書類だった。正確な避難経路の指示、現状報告、そして如何にして部隊を効率よく展開し、保護に努めるか。こまごましたことが順序良く羅列されてすぐに情報として入ってくる。

「こんな人が、何故、情報3課に?」

暫く書類を見ていたが、やがて自分のPCを立ち上げると、その作成者の名前を打ち込んだ。宇宙艦隊司令長官代理とはいっても、そのアクセス権限は大きい。ビュコック元帥などは「儂にはPCなどという御大層なものは使えんよ。もう眼が霞んでしまうでなぁ。」と言っていたが。

 

ミーナハルト・フォン・クロイツェル少佐

 

という名前とその経歴が出てきたとき、彼は自らが抱いていた疑問への答えを知った。正確に言えば、思い出したのである。

 



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第六話 必要かつ危険な賭け

 この話からタイトルをつけることとしました。


宇宙暦799年11月15日――。

 

同盟市民は帝国軍の進撃の影におびえながら、いつもと変わらぬ日々を送っている。そうせざるを得ないのである。

だが、同盟市民にとって、喜ばしい二つのニュースが報じられた。一つにはアレクサンドル・ビュコック元帥が現役に復帰したということ。そして、もう一つは同盟軍からの特使としてウィリアム・オーデッツが帝国軍との撤兵交渉をすべく旅立ったことである。

 人々は一縷の望みをそれらに託した。交渉が順当に行けば、帝国と戦う必要はない。仮に戦う必要になったとしても、歴戦の老提督が指揮する艦隊が負けるはずがない、と。

 

だが、帝国軍は刻々と同盟領内に侵入し、大挙して押し寄せていることは事実であった。これに先立って、同盟軍、というよりも恐慌状態に陥った統合作戦本部は辺境で重武装艦を中心とする総勢2000隻を指揮するビューフォート准将に帝国軍の戦力を削ぐように厳命したのである。

バーラトの和約が成立してからも、同盟は帝国に対して決して油断はしていなかった。万が一に備えて、辺境警備隊としてビューフォート准将を警備隊長に任命し、和約に抵触しない巡航艦及び駆逐艦総勢2000余隻を警備艦隊及び情報収集艦隊として展開させていたのである。帝国侵攻の報告は電撃的にいくつかもたらされていたが、そのうちの一つがこのビューフォート艦隊からだった。

統合作戦本部から宇宙艦隊司令部の頭を飛び越えたこの命令は、当初宇宙艦隊司令長官代理であったチュン・ウー・チェン大将も知らなかったことであり、知った時には既に戦端が開始されようとしていた時だった。ビューフォート准将本人からの通信が発覚したのである。二人は統合作戦本部の狼狽ぶりにあきれ返ったが、それをどうこう言う前に、まず目前の危機を迎えつつある部下に集中しなくてはならなかった。

『もはや時間がありませんから、単刀直入に言います。閣下のお考えでは、ただでさえ少ない戦力を各個撃破によって消滅させることなど望まない、でしょうな。』

老元帥と、その傍らにいるチュン・ウー・チェン大将はやや疲れを見せている40代の髭面の男の顔を見つめていた。

「残念ながら、貴官の部隊と首都星ハイネセンでは、合流するまでに遠すぎる。むろん、帝国軍がじっと待っていてくれるのならば、話は別なのじゃがね。だから、儂らとしては貴官にはヤン・ウェンリーの元に赴いてほしかったのだ。」

『小官もそれを残念に思います。ですが、予想以上に帝国軍の進軍速度が早いことが判明しました。』

ビューフォート准将が報告したところによれば、帝国軍の前衛たるビッテンフェルト艦隊は既にシャンダルーア星域にまで達しているという。同盟軍の主要都市惑星を一撃できる距離にまで入っていたのだ。

『この調子では1か月を出でずして、帝国軍は自由惑星同盟の首都星ハイネセンに到達することでしょう。宇宙艦隊の出撃準備はどうですか?』

「将兵の予備役招集は順調に進んでいるし、廃棄リストに記載しなかった艦艇のかき集めも進んでいる。当初1万隻弱と思われていた艦艇も、最終的にはかなりの数をそろえられることになると思う。だが、準備時間が足りない。少なくとも1か月は帝国軍を足止めしたいところだ。」

と、チュン・ウー・チェン大将が答えた。

 実を言えば、第一回目の協議の際、艦隊運用部長であるザーニアル少将にさえも隠していた「裏の裏リスト」があることをチュン・ウー・チェン大将は漏らしていなかった。周辺星系には協議に出てきた艦艇数よりもさらに5000隻余りの艦艇があったのである。もっともこれは、損傷甚大として今の今までひそかに修繕を繰り返していた「傷物」だったのだが。

 それだけでは到底足りず、民間船を急きょ徴収し、それに改装を施して武装艦隊として組み入れる計画も進めている。この方面は艦隊運用部長や補給部長が率先して行っていた。

 徴収に際しては多少の強硬手段を覚悟していた宇宙艦隊司令部であった。何よりも利にさとい商人たちから徴収するのだ。抵抗はあるだろう。

 むろん、多少の抵抗があったのだが、驚くべきことに自ら資材を投じて艦隊に加わるものが多かったのである。

「帝国と結託したフェザーン商人にはかないませんよ。若い連中は同盟を見捨てていきますが、私たちもやはり同盟人なんでしょうなァ。」

 ザーニアル少将が面接した商船連合の代表がしみじみと言った。

「帝国に重税を課され、前途に明るいものはありません。それでも、独立旺盛な人間たちは出て行こうとしていますが、年寄りにはどうもフェザーンの空気は長逗留するのには性に合いません。」

 死にに行くようなものだ、と言いかけたザーニアル少将は言葉を飲み込んだ。そのような事を言う事は士気を下げることに他ならなかったし、また、そのような事を言ったところで決心を翻すような人間には見えなかったのだ。

 

 武装化した商船を合わせた自由惑星同盟艦隊は、当初の1万隻足らずという現状から大きく躍進することになりそうだった。その質はともかく。

 他方でやるべきことは山積している。

各地に隠匿している艦船を首都星ハイネセンとその周辺星域に集結させ、さらに募集した将兵をそれに分散させなくてはならない。所属も決めなくてはならないし、何よりも現役兵が少ないため、彼らに訓練を実施したいという願いもある。補給船団も整えなくてはならないし、できるだけ有利になる戦場も設定しなくてはならない。諸々の事項を処理していたら、どうしても1か月は欲しいところなのである。

 

 ところが、帝国軍の進撃速度は、悉くそれらの希望と相反するものだった。このままでは同盟は訓練不足な予備役を率いて、戦場もろくに設定できないまま戦うことになりそうだった。この際時間こそが何よりも得難い資源であり、切り札だったのだ。

 

チュン・ウー・チェン大将の希望をビューフォート准将はうなずきながら聞いていた。

『わかりました。では、小官にあたえられた命令も、あながち間違いではなかったという事ですな。お歴々がそこまで考えて指示を下したのかはわかりませんが。』

「やってくれるか?」

ビュコック元帥の問いかけを、ビューフォート准将は敬礼をもって答えた。

『閣下方が万全な準備を整えられるよう、帝国軍をひっかきまわして御覧に入れましょう。なに、象に群がる蜂を象はすぐに排除することはできませんよ。水浴びにでも行かない限りはね。』

冗談めかしてビューフォート准将はそう言ったが、これは「死にに行け」というに等しい命令だった。だが、彼はそのような悲愴な覚悟とは無縁な表情をもって命令を実行した。

 

 ビューフォート部隊は、その後ビッテンフェルト艦隊を始めとする帝国の補給線分断の作業に取り掛かった。既に各惑星に配置されている駐留部隊や基地との情報を集めていたのである。

 

 兵力で劣る同盟軍だったが、その分ほかの要素において最大限に帝国に優位に立とうとしており、現に情報戦では同盟軍が序盤から勝利していた。進撃する帝国軍の進路は筒抜けだったのである。これには、ラインハルトが主だった都市惑星は無防備都市宣言をしているいないにかかわらず「兵力なし」として敢えて放置していたことが大きい。これには同盟軍も不審に思ったが、ラインハルトにしてみれば、無力な敵と戦って得られる勝利など取るに足りないものだったからだろう。

 

結果として、当初の目的は果たされた。先のラグナロックにおいて補給線をヤン艦隊に叩かれた苦い経験がありながら、面白いほどに分断はうまくいったのである。

ビューフォート部隊はさながら巣穴から群がり出てきた軍隊アリのごとく、わずかな護衛に守られて航行している補給船団と交戦し、完膚なきまでにこれを叩き沈めた。

急を聞いて駆けつけてきたビッテンフェルト艦隊の援軍が見たものは、無残に宇宙に漂う補給船団の残骸に過ぎなかった。激怒した帝国軍はあたりをくまなく探し回ったが、襲撃者は既に去った後だった。この動きをビューフォート部隊の監視駆逐艦がしっかりと見届けたことは言うまでもない。

ビッテンフェルトは激怒したが、補給が追い付かない。いかにシュワルツランツェンレイターと言えども、空腹では戦えないのである。補給船団の到着を待つと同時に、このことをいち早く本隊に知らせ、かつ、付近の航路を多数の護衛艦をもって確保し、さらに、小癪なる敵の根拠地を叩くべく、討伐艦隊が組織された。

 

だが、その時には、ビューフォート部隊は次の標的に襲い掛かっていたのである。今度は大胆にも長躯して帝国軍本隊に補給を届けようという補給船団を襲撃したのである。

 ビッテンフェルト艦隊からの第一報を聞いて、襲撃を察知していた補給船団司令部だったが、襲撃者の方が一枚上手だった。

 巧妙に通信を偽装し、同調した偽の情報をもとにして補給船団と護衛艦隊を混乱に陥れ、足が止まったところを長距離からの狙撃をもってハチの巣にしたのである。

 護衛艦隊が応戦しようとした時には、襲撃者はいずこかに姿を消し、残ったのは半壊した輸送船団だけだった。

襲撃者は彼一人だけではなかった。彼に呼応して、大小の小規模艦隊(辺境の短距離警備艦隊に過ぎなかったが)も出撃して輸送船団の襲撃に努めた。彼らは自発的にビューフォート准将に協力を申し出たのである。そのために宇宙艦隊司令部も彼には一定の権限を与えていた。

 

「小癪なる襲撃者を撃滅せよ!!!」

 

という、激怒の色をたっぷり含んだ指令はラインハルトからも出た。だが、今回に関しては彼は指揮官を処罰しようとはしなかった。ゾンバルト少将とは違い、護衛を軽視した責任は自らにもあったからである。もはや同盟には大した戦力は残っておらず、それらをすべて決戦に回すだろうし、少なくとも兵力分散の愚を犯すことはしないだろうという常識論にラインハルト以下幕僚や諸提督たちは捕らわれていたのだった。それが意外な形で裏切られ、効果的な一撃を食らったのだ。

 彼は周辺警戒を厳として、航路確保と補給船団護衛強化に努め、かつ、先陣のビッテンフェルト艦隊に対して改めて襲撃艦隊撃滅を強く指令した。

 

帝国軍の進撃の速度が著しく鈍った、という情報が飛び込んできたのはそれから数日後の事である。

 

「ビューフォート准将が上手く逃げ回ってくれればよいのですが。」

チュン・ウー・チェン大将の言葉に、ビュコック元帥はうなずいた。

「よくやってくれておる。ああいう人材には生き延びてヤン・ウェンリーの元にいってほしいものじゃな。」

「今のうちに艦艇の配備を完了し、兵員の訓練も行いませんといけませんな。ビューフォート准将の努力を無駄にするわけにはいきません。」

「もっともな事じゃが、訓練はおそらく戦場に移動しながら行うことになるじゃろう。時間的余裕は思ったよりもないかもしれん。」

ビュコック元帥は腕を組んで顎を撫していた。

「それはそうと、届け物の手配はもう済んだのかね?」

「はい。首都星ハイネセンに集まっていた5560隻の艦艇をヤン・ウェンリーに譲渡すること、その配達人の人選も終わりました。彼らは喜んでいってくれるそうです。まぁ、一人は渋々と言った様子でしたが。」

「ムライ中将か。」

ビュコック元帥は愉快そうに笑った。5560隻というのは少なくない戦力で有って、これだけの戦力を裂くのには当然大紛糾が沸き起こった。かん口令が敷かれたが、むろん内緒にはできなかった。参加を命じられた艦艇の人間は憤慨し、怒りだしたし、全ての関係部署が宇宙艦隊司令部の認識を疑った。

「ヤン・ウェンリーとの間に挟撃体制を築くのだ。ハイネセンを脱出した彼が今や我々の希望で有り、切り札なのだ。我々が支えている間にヤン艦隊が駆けつけてくれる。だが、少数では途中で殲滅される。そのための5560隻なのだ。」

という、彼自身も信じていない弁論をチュン・ウー・チェン大将は幾度も振るわざるをなかった。最終的には彼らは納得し、3提督の下についたのだが、道中どうなるかはチュン・ウー・チェン大将やビュコック元帥でさえも確固とした答えは出せないでいる。

「我々の財布が貧しいばかりに、ヤンには苦労ばかりかける。」

冗談めかして言うビュコック元帥に和して笑いながら、

「そうですな、本来であれば、1万隻、いや、5万隻、いや、往時の自由惑星同盟の全軍をヤン・ウェンリーに預けたいくらいです。」

と、チュン・ウー・チェン大将は言った。

「そうじゃな、あの愚かしい帝国遠征軍の総司令官を彼がやっておったと仮定したならば、あのような愚行は起こらなかったかもしれん。」

怒りにも似た吐息がビュコック元帥から吐き出された。元凶たるロボスは退役の身を郊外で養っていると耳にしたが、その後のうわさは聞かない。アンドリュー・フォークにしても精神病院に入っているという事程度しかわからない。

 

 二人がそんなことを話していると、ドアがノックされた。声に応じて入ってきた副官は、敬礼を施して、言った。

「そろそろ記者会見のお時間ですが。」

「やれやれ、こういったことは苦手なのだがな。」

ここの所メディアの軍に対する突き上げぶりはすさまじいものだった。あの鎮圧事件の一件以来、政府や軍の威信は堕ち、同盟市民は半ば公然と不信感を募らせるようになった。情報が圧倒的に不足していたのだ。まず、メディアに対して突き上げが起こり、窮したメディアが政府及び統合作戦本部を突き上げ、窮した両者が宇宙艦隊司令部に頼み込んだ、という図式らしかった。

統合作戦本部が右往左往ぶりを示すかのように、実働部隊の宇宙艦隊司令部に記者会見を担当してほしい旨、ロックウェル大将がビュコック元帥に一方的に懇願してきたからである。

「良いのですか?あまり良い思いをされないことと思いますが。」

杖を突いて立ち上がった老人にチュン・ウー・チェン大将は念を押した。

「わかっておるよ。こういった経験も滅多にできない物じゃからな。それに・・・・・。」

ビュコック元帥は副官に支えられながら、チュン・ウー・チェン大将を振り向いた。

「儂が話すのは政府や統合作戦本部に対する義理立てでもマスコミに対する義務でもない。少なくとも同盟市民には説明を受ける権利があると儂は思っておる。彼らには話さなければならないじゃろう。彼ら自身が自分の頭で考えるためにもな。」

決意を秘めた老元帥を支えながら、チュン・ウー・チェン大将も後に続いた。

 

 



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第七話 記者会見。そして、明かされる真実。

 

ミーナハルトは端正な姿勢で指定された部屋脇の待合場のソファーで一人待ち続けていた。

 

今朝ほど、突如情報3課課長に命じられ、まず人事局に、ついで宇宙艦隊司令部に出頭していたのである。

「・・・・・・・・。」

もう30分も待たされているが、彼女を呼び出した人物が現れる気配はない。

『・・・・・ドル・ビュコック元帥が記者会見を開始します。』

待合場にあるTVが先ほどからついていたが、さほど気にならないでいた。その注意が向いたのは、聞き覚えのある名前が読み上げられたからだ。

 

ミーナハルトが顔を向けると、会見場に杖を突いた老人とそれを支える長身の男性、そして補佐役の副官が背後に立つところだった。

『アレクサンドル・ビュコック元帥。我々が知りたいのは今の状況です。帝国は今どのあたりにまで来ているのですか?それに対する備えは?』

座るが早いか、報道陣からせき込んだように質問が飛び出す。

『帝国の正確な位置については現在機密情報のため言うことはできない。ただ、同盟領内を進行中であることは事実です。』

『それに対する備えは?予備役や退役軍人を召集したそうですが、どのくらいの兵員が集まりそうなのですか?』

『これも機密事項で言うことはできない。だが、召集自体は順調に行われております。皆さんの協力のおかげで。』

『艦艇の数は?どの程度そろえられそうなのですか?』

『現状ではバーラトの和約に沿って廃棄してしまったはずですが、これで勝てるのですか?』

『帝国に対する戦略は?』

矢継ぎ早に飛び出してくる質問に、アレクサンドル・ビュコック元帥は少し苛立ちを見せたようだった。

『おわかりかな、皆さん。この首都星ハイネセンには帝国軍の駐留部隊がまだいるのですぞ。そして彼らも間違いなくこの中継を見ているはずだ。皆さんは彼らに情報をもたらしたいのですか?』

この発言に記者たちは一斉に詰め寄った。

『それは心外な言葉だ!!我々はただ真実を知りたいだけだ!』

『市民たちは情報を知りたがっている!我々にはそれを伝える義務がある!!』

『政府は肝心なことを何も言ってくれない!せめて軍くらいは情報を出してもらってもいいではないか!』

『そうだ!!』

『そうだ!!』

老元帥がはっきりとと息を吐いたのがミーナハルトの眼に見えた。

『では、真実を知れば、満足なのですな?それがどんな受け入れがたい真実だったとしても。』

老元帥の言葉に記者たちは一瞬たじろいだ風に見えた。

『いかがですかな?』

挑むような老元帥の視線に刺激されたのか、記者たちが口々に肯定の言葉を返す。

『よろしい。では、率直に申し上げますが、現状同盟には帝国に対抗できる力は残っていません。』

ざわめきが記者会見室を駆け抜けた。記者たちが老元帥に詰め寄ろうとした時、

『我々がなすべきことは、いかにして帝国に有利な立場で降伏をするか、です。』

「・・・・・・?」

ミーナハルトの視線が当惑なものに変わった。有利な立場で降伏?それは記者たちも同じだったらしく、勢いがそがれ、自然と老元帥の話を聞く姿勢となった。

『わかりやすくたとえを言いますと、人間自分より非力な者に対しては居丈高になりがちです。仮に同盟が帝国に何らの反抗もせず、降伏したとすれば、帝国は同盟をどう遇するでしょうか。今の状態よりも良いものになるとは到底言えません。逆に同盟の意地を見せつければ、帝国は同盟を警戒し、少なくとも足蹴にするような真似はしないでしょう。』

チュン・ウー・チェン大将が一瞬ビュコック元帥を見つめたのが、ミーナハルトの目に映った。どこか、影のような物が見えたのは気のせいだったろうか。

 気圧された記者たちが、ビュコック元帥の話が終わると、呪縛から解放されたように話し出した。

『で、ですが、負けるとわかっていて戦うなど無駄死ではありませんか!?そんなことをするくらいなら、ハイネセンに籠城して帝国と長期戦を演じれば、補給線が伸びきった帝国軍はやがて引き返すはずです!!』

『そうだ!負けるという前提で話をするなど、それでも軍のトップか!?』

『降伏などと言う言葉を司令長官自らが使うとはどういう了見ですか!?』

「馬鹿な人たち・・・・。」

ミーナハルトの口から洩れた蔑称の標的はビュコック元帥とチュン・ウー・チェン大将にではない。目の前のTV内で声を上げている記者たちにだった。彼女は自分自身で驚いていた。こういう感情を持つこと自体が随分と久しぶりのような気がしていたからだ。

『まだお分かりになりませんか。』

ビュコック元帥の声は怒りを通り越して、空しさをはらんでいた。どうしてわかってもらえないのか。そんな悲哀の色が元帥の口ぶりに漂っている。

『今の自由惑星同盟の軍隊の存在意義は何か。それはもはや帝国に攻め寄せることでも、民主主義の旗を守ることでもありません。女性、子供、老人、そしてあなた方一般市民を守ることなのです。強い自由惑星同盟の軍隊はアムリッツァで四散し、バーミリオン会戦で消滅したのです!!』

『・・・・・・・・。』

『このようなことを宇宙艦隊司令長官である私自身の口から伝えなくてはならないこと自体が、非常なものだという事にまだ気づきませんかな?』

『・・・・・・・・。』

『あなた方は、帝国に対する民主主義の旗を掲げ続けるなどという理想ではなく、如何にして安全な場所に逃げられるか、如何にして身を守るべき手段を構築するか、その有益な情報を市民の皆さんに伝える義務があると思いますな。』

『・・・・・・・・。』

『もちろん、あなた方に任せきりにはしません。軍としても最大限努力をしております。』

静まり返った会見場にビュコック元帥の咳払いする音だけが響いた。

『我々は最大限努力します。帝国に対して、自由惑星同盟を侮ることがないように、皆さんの人命を尊重し敬意を払うように、そうした感情を植え付けるべく最大限努力する。それが私に言えることです。』

『・・・・・・・・。』

『これ以上質問がなければ、ここで会見を打ち切りにしたい。もはや、説明すべきことは終わった。後は行動の時だからです。』

記者たちをしり目に、ビュコック元帥は副官とチュン・ウー・チェン大将に介添えされて立ち上がり、部屋を出て行こうとした。もはや部屋を振り返ろうともしなかった。

 

ビュコック元帥らが去ると同時に、TVはスタジオに切り替わった。さすがにコメンテーターもキャスターらもどうコメントしていいか測り兼ねていると言った表情であった。すぐにCMに切り替わったのもそのためだろう。

 もはや、TVの内容は彼女の頭の中には入ってこなかった。ずっと今の会見の様子を考え続けていたのだ。

「やぁ、随分とお待たせしてしまったようだね。申し訳ない。」

不意に肩越しに声を掛けられた。彼女は軽い驚きを胸に覚え、立ち上がって声の主を振り返り・・・もっと驚いてしまった。

 

 先ほどの会見場にいた人間が今自分の前にいるのだから。

 

「とりあえず入ってください。話はそこでしよう。」

チュン・ウー・チェン大将に声を掛けられ、やや夢見るような面持ちながら、ミーナハルトは彼の後について部屋に入った。部屋の中は簡素と言ってよかったが、デスクの上は少々散らかっていた。書類などが雑多に出ている。片付ける暇もないのだろうと彼女は思った。

「どうぞ、かけてください。」

チュン・ウー・チェン大将に指示されて、彼女はようやくソファーに座った。

「あいにくと手が足りないもので、インスタントコーヒー程度しか出せないのが申し訳ない。・・・あぁ、いいですよ。これくらいは自分で。」

流石に自分の6階級も上の人間にお茶の支度などさせるほどミーナハルトは神経が太くはなかった。慌てて手伝おうとするミーナハルトをチュン・ウー・チェン大将は止めた。二人の前にコーヒーカップが置かれると、チュン・ウー・チェン大将は彼女の表情を察して自分から声をかけた。

「先ほどの会見を見ていたようだね。ああいう露骨な言い方は賛否両論あるだろうが、今は非常事態であるという事を理解してほしい。いつまでも幻想に浸ってもらっては困るからね。」

「いいえ、私も元帥閣下の言い方に全面的に賛同します。」

単なる形式的な受け答えではないことを彼女自身が良く知っていた。

「さて、あまり時間もないので本題に入らせてもらうが、君を呼んだのはある任務に就いてほしいと思ったからだ。」

ミーナハルトのいぶかし気な視線が彼女の言葉の代わりに彼女の気持ちを雄弁に物語っていた。

「君の経歴を見たよ。往年の新鋭戦艦の名副長として活躍したそうだね。」

「・・・・昔の事です。」

ミーナハルトは小声で言った。あの頃は若かった。わずか20代前半で新鋭戦艦の副長にまで登ったのだ。同期の誰もがうらやみ、彼女自身も誇らしい気持ちで勤務していた。

 

それが、後悔と嫌悪に代わったのは、ある事実を知った、いや、否が応でも大々的に知らされたからである。

 

「それに、私はもう戦場に出る気も、その資格もありません。」

ミーナハルトの硬い言葉がコーヒーカップに落とし込まれた。

「それは謙遜だと思うがね。経歴と武勲がそれを証明している。」

普通の軍人ならば、6階級上の人間とこうして向かい合っているだけで気圧されるものだ。だが、多少疲れた様子のこの女性は臆した様子は一切見せていない。もっともそれは、彼女から発せられる疲労したオーラのせいなのかもしれないが。

「書類の上では、です。閣下が仮に私の本当の姿を知れば、即座にこの話はなかったことになるでしょう。」

ミーナハルトは重いため息が胸から漏れ出るのをかろうじて自制した。

「息子が待っていますから、要件はそれだけでしたら、失礼してよろしいでしょうか?」

「君は独身ではなかったのか・・・・。」

動じることのないチュン・ウー・チェン大将が驚きの声を上げたのはめったにない事だった。

「はい。息子がいます。15歳の息子が。軍の書類には一切表記されていませんから閣下もおわかりにならなかったのは当然です。」

ミーナハルトは宇宙艦隊総参謀長の顔を正面から見返した。

「15歳?しかし、君は・・・・。」

チュン・ウー・チェン大将の脳裏で我知らず逆算の演算が始まったようだ。無理もない、とミーナハルトは思った。同時に、かつてない事だったが、この人物にはすべてをうち明けてもよいのではないかと思った。もう、誰もとがめだてをしないだろうし、とがめだてをすべき唯一の人物も、今は遠いところに行ってしまっている。

「私が一時士官学校で病気の為に長期療養生活に入ったことはそこに記載されています。」

ミーナハルトはチュン・ウー・チェン大将の問いただす視線をはね返しながら澄んだ声で言った。

「それが、妊娠期間だったという事かね?」

「はい。」

ミーナハルトの言葉にチュン・ウー・チェン大将は内心うめいた。ミーナハルト・フォン・クロイツェルは当時病気療養中にもかかわらず、学年第三次だった。病気療養がなければ、トップに上り詰めたのではないかと言われていただろう。

こんなことが世間に知れたら、大変なことになったはずだ。よく学校側も隠ぺいを施したものだ。

「当時同盟軍士官学校の副校長は、ラザール・ロボス少将でした。」

チュン・ウー・チェン大将の思いをくみ取ったかのようにミーナハルトが言った。

「まさか・・・・。」

チュン・ウー・チェン大将は想像の翼を広げ、ぞっとなった。まさかとは思うが、そんな馬鹿な・・・・。まさか、そんな・・・・。

「誰にも話していませんが、私の息子は私生児です。あの人との。」

チュン・ウー・チェン大将は愕然となった様子で目の前の女性を見つめていた。あの当時ロボスは既婚者だったはずだという事実も思い出していた。

「ラザール・ロボス少将は士官学校の副校長を務めあげれば、次は宇宙艦隊の司令官に手が届く位置にいたのです。一方、当時私は特待生でした。ご存じでしょうけれど、首席を始めとする特待生には幹部クラスの教官に面倒を見ていただくことが常でした。あの頃は晩年の劣化が嘘のようなはつらつさでした。」

淡々と話すミーナハルトの言葉の中にさらりとかつての相手を酷評した言葉が入ってきたが、聞き手のチュン・ウー・チェン大将にはそれをつまみ取る余裕はなかった。

「・・・・・・・。」

「息子を身ごもったと知った時、私は真っ先にこのことを彼に話しました。当然彼は降ろさせようとしました。でも、私は抵抗したのです。どうしてそうしたのか・・・今となっては私にもわかりません。」

「・・・・・・・。」

「私は病気療養という事になって隔離されました。彼が手配した病院に匿名で入院して出産し、その後は一時的に息子を養育院に預けたんです。可能な限り隠ぺいすることを条件に、彼は援助をしました。」

ミーナハルトは一つ嘘を交えていた。養育院ではなく、彼女の姉に息子を託したのである。息子の本名を明かさなかったのと同様、息子に関することはできうる限り秘密にしておくことにしていた。姉妹ともども私生児を生んでしまったのは何かの縁だったのか、と思わずにはいられなかった。帝国からの呪われた血がそうさせたのか。

「・・・・・・・。」

「順当に出世していくあの人には私と息子の存在は邪魔だったでしょう。だからこそ、私を前線に送り出したのかもしれません。待遇をよくするという建前の下で。」

「・・・・・・・。」

「結果的に、ロボス・ファミリーなどという言葉があの頃にはやりましたが、私もその一員として恩恵にあずかりました。最新鋭艦の副長として前線勤務を行ったのもその時です。ですが・・・アムリッツァですべてが変わりました。ロボス元帥は史上最悪の大敗をもたらした犯罪者として転落したのです。」

「・・・・・・・。」

「戦争犯罪人とまではいきませんが、ロボス元帥が退役した瞬間、一気に風当たりは強くなりました。当の本人だけではなく、ロボス元帥の周辺にいた人間にも。私が情報3課に自発的に転属願を出したのは、そんな折でした。もう、私にはあの席に座っている資格はないことを理解したからです。」

淡々と話すミーナハルトの顔には疲労の色がにじんでいた。チュン・ウー・チェン大将はコーヒーカップを持ち上げると、一気に飲み下した。コーヒーは冷めていて生ぬるい感触が喉を伝い落ちていった。ミーナハルトは黙って膝に両手をそろえながら、俯いている。話は終わったという態度だった。

「一つ言えるとすれば、君は間違いなく優秀だよ。」

チュン・ウー・チェン大将は長い沈黙の後に、そう漏らした。

「先日の暴動の際には的確な配置案を作り上げ、正確かつ適切な分量の情報をわかりやすくまとめた報告書も作ってくれた。並の人間ではできないことだ。」

「・・・・・・・・。」

「それを見込んで、君にある任務を授けたいと思っていた。だが、取りやめにしたい。ここでの話は忘れてもらって結構だ。」

「任務?」

何故だろう。どこかでほんのわずかに心が動いたのをミーナハルトは感じた。それは、好奇心が動いた、と言ってもいいかもしれなかった。

「もう、いい。忘れてくれ。」

今度はチュン・ウー・チェン大将が、話は終わったという態度を示していた。ミーナハルトは仕方なく立ち上がり、敬礼して部屋を出ようとした。

「息子さんを大切にしてあげてください。」

部屋を出ようとしたミーナハルトの足が止まった。

「・・・・あの子は私を母親だとは思っていません。」

そうつぶやくように言うと、彼女は部屋の主に顔を向けず、出ていった。

 

 



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第八話 大いなる決意へのプレリュード

「帰ってきた・・・・。」

艦内に一歩入るなり――正確には車いすだったが――老人はつぶやいた。まさに奇跡的だったが、どこかでは当然のような気がしていた。というのは、あれほど悪名をとどろかせた戦艦が放棄されるはずはないと思っていたし、往年の鬼艦長としてこれまたその名をとどろかせた自分が生きていれば、きっとそこに戻ってくることになるだろうと思っていたからだ。

「どうですか、キャプテン。」

車いすを押しているのは、往年自分と共に暴れまわった部下の一人だった。戦艦レヴィ・アタンに戻ってくることを知った旧部下たちが一斉に乗り組みを志願してきたのだ。

「あぁ。何もかもが昔のままだ。」

自由惑星同盟の軍服を身に着け、しっかとベレー帽を目深にかぶり、杖を大事に抱え込んだエマニュエル老人は、しみじみと吐息を漏らした。部下は車いすを艦橋のかつての指揮官席へと押していった。レヴィ・アタンは未だにドックに入っていたが、いつでも進発できる用意が整っていると整備兵たちから言われていた。本来であれば宇宙に飛び出してからの乗艦になるのだが、この悪名高い戦艦の往年の艦長は一刻も早く乗艦したいと申請し特別に許可されたのである。

「悪くねえ艦だ、レヴィ・アタンだとか言ったな。」

後ろから声が聞こえる。

「おい!!てめえ、この艦を軽々しく呼ぶんじゃねえ!!」

部下の荒くれ共が一斉に剣呑な目つきで発言者を睨む。リオン・ベルティエ大尉はいっこうに気にする風もなく、艦内を眺めまわす。

「手前らは、丘の上では偉ぶった口をききやがるが、スパルタニアンで俺にケツを追っかけられた時にはどうなるかな?」

『何ッ!?』

「よせ。小僧共。」

エマニュエル老人の凄みのある声が一同を黙らせる。中でもチンピラ3人組は青い顔をしている。

「言ったはずだ。艦長はこの俺だ。余計な真似をすればすぐに半死半生でたたき出す。そうなれば元の路地裏に逆戻りだぞ。地べたに寝そべって帝国の奴らの足裏を嗅ぎたくなけりゃ、おとなしくしていることだ。」

「艦内ではあんたの指示を受ける。だが、スパルタニアンに関しては俺の意見を聞いてもらう。アンタが艦だけじゃなく、スパルタニアンに関してもこの俺を上回る技術を見せてくれるんなら、話は違うが。」

リオン・ベルティエ大尉は酒瓶を傾けて酒を飲んだ。酒臭い息を吐き出すと、一同が殺気をはらんだすさまじい目つきで彼をにらみ据えた。

「おい。マルコ。」

エマニュエル老人は部下の一人を呼んだ。嫌悪の目つきでリオンをにらんでいた浅黒い30代の兵が駆け寄ってきた。

「お前、何人かを連れてスパルタニアンの格納庫に行ってこいつの相手をしてやれ。スパルタニアンに関しては玄人だそうだ。」

「わかりましたキャプテン。」

マルコはしゃちほこばって答えたが、リオンと3人を見返す眼は異様なきらめきを放っていた。

 

 そう、レヴィ・アタンは隠されていたドックから回航され、ハイネセンの衛星軌道上に到着したのである。他の艦艇も続々と到着してきていた。

 

* * * * *

チュン・ウー・チェン大将とアレクサンドル・ビュコック元帥は迎撃の準備を着々と整えていた。あの滅入る様な記者会見の後、ビュコック元帥は数歳老け込んだように見えた。記者会見は生放送だっただけに、軍が発表した真実を知った同盟市民たちはパニックになり、関係窓口に電話をかけまくった。それは統合作戦本部の受付でさえ、例外ではなかった。

ロックウェル大将は厳重な抗議を宇宙艦隊司令部に送ったが、ビュコック元帥の一喝によって封殺された。

「抗議をするくらいならば、自分で記者会見に出てくれればよかったのだ。」

と、言葉を聞いていた幕僚、スタッフ全員がビュコック元帥に賛同する思いだった。自分たち実働部隊がこれほど苦労しているのに、統合作戦本部は補給、情報部長を除いて協力する者が皆無だったからである。

 

今や最後の抵抗を試みようとする気概のある者は悉く宇宙艦隊司令部に集まってきていた。中には統合作戦本部のエリート士官でありながら辞職届を統合作戦本部に叩き付けて、宇宙艦隊司令部への就職願いを血書して臨む者もいた。

「まだ同盟も捨てたものではありませんな。こんなにも志願者がいるとは思いもよりませんでしたよ。」

リー・ヴァンチュン後方勤務部長代理が感慨深そうに言った。情報部長トーマス・フォード少将もうなずいている。

「真の人材はその国が本当に危機に陥らない限り見つけ出すことはできない、と古代の誰かが言ったように記憶しておりますが、それは本当でしたな。」

「感心している場合ではないぞ。目下のところ討議すべき問題は多くある。では、参謀長始めてくれんかね?」

ビュコック元帥の言葉に参謀長は各人の手元の資料に注意を向けさせた。

「時間がありませんから、項目を絞って協議することとしますが、それでもいくつかの無視できない問題はあります。」

 ビュコック元帥とチュン・ウー・チェン大将は幕僚たちと共に協議を重ねていたが、その中で無視できない材料は幾つかあり、消すことができていない。

 第一に、現在のところ、指揮官が圧倒的に不足しているという事である。クブルスリー大将は未だ病気療養中で身動きできなかった。無理をすればできないことはなかったし、クブルスリー大将自身も出撃したがっていたが、ビュコック元帥・チュン・ウー・チェン大将サイドとしては、としては自分らに万が一のことがあれば、最後の最後の頼みの綱は彼だと思っており、そのことを何度も話して納得させた。残された制服組の中でけじめをつけうるのは彼しかいないのである。

 次に候補に挙がるのは、パエッタ中将である。レグニッツァ、ティアマト、アスターテで惨敗した将官だったが、ランテマリオ星域会戦では劣勢の中、部隊をよくまとめて戦った。

だからこそ、ビュコック、チュン・ウー・チェンサイドは彼にもう一度戦ってほしいと願っていた。彼は退役願いこそ出していないものの、事実上予備役扱いで軍の職務から身を引いて余生を過ごしている。だが、再三の要請にもかかわらず、パエッタ中将がこちらに来ることはなかった。かつて帝国領侵攻の際に活躍したアル・サレム中将は重傷を負ったものの回復しているため、彼にも、と言う声はあったが、彼もまた再三の要請にもかかわらずこちらに来ることはなかった。

「仕方ありませんな、後はたたき上げのメンバーを昇格させるほかありますまい。幸いなことにカールセン閣下は続投を申し出てくれておりますし、かくいう私も引継ぎが終わり次第戦場にはせ参じる覚悟でいますよ。」

 と言ったのは、ザーニアル少将だった。彼の言う通り、残るはたたき上げのメンバーばかりだった。艦隊運用部長ザーニアル少将のほかに、マリネッティ少将、ラルフ・カールセン中将が参戦することとなったのである。

 

 次の目下の懸念はガンダルヴァ星域に駐留するシュタインメッツ艦隊が動くことはあるか、という事である。自由惑星同盟における戦力が少ない以上、シュタインメッツ艦隊と戦って勝ちうるかどうか、と言うところであったし、仮に勝てたとしても帝国軍本隊を相手に疲弊しきった同盟軍では勝ち味はさらに薄くなる。

「シュタインメッツ艦隊の正確な数はわかりませんが、おそらくその任務の都合上我々と同等の戦力は保有しているとみて間違いないでしょう。2万隻弱の戦力を相手に、混成艦隊の我々がどこまで戦えうるかは疑問です。また、勝ったとしても次に控える帝国軍本隊との決戦には大きく消耗したまま臨むことになり、勝算はさらに薄くなるでしょう。」

チュン・ウー・チェン大将が言った。

「ふむ、するとシュタインメッツ艦隊は放置しておくのが無難という事か。向こうは帝国臣民に危害が及べば即刻ハイネセンに向かって進駐する旨通達してきておるが、これは裏を返せば、こちらが手を出さない限りは向こうも手を出さない、という事を示唆して居るかな。」

「おっしゃる通りです。」

ハイネセンにおける帝国の1万余の文民武官は事実上の軟禁状態にあって、双方ともにできうる限り刺激することを避けていた。

 自由惑星同盟側は「警備部隊」と称して少なくない人数を配備して付近を通行止めにしていたし、帝国も指定された区域から出てくることはなかった。

「しかし、帝国軍本隊の先陣のビッテンフェルト艦隊がシュタインメッツ艦隊に合流してしまえば、話は別なのではないですかな?」

トーマス・フォード少将が疑問を呈する。

「貴官の意見にある可能性も無視できんじゃろう。だが、手出しはせん方がいいというのが儂の意見じゃ。ビッテンフェルト艦隊とシュタインメッツ艦隊を相手取って戦ったとしても、結果はシュタインメッツ艦隊を相手取った時よりも悪くなる、という結末しか儂には見えんからな。」

一同は唸り声を上げた。

「シュタインメッツ艦隊は放置する。」

ビュコック元帥が結論を出した。

「仮にシュタインメッツ艦隊がハイネセンに出撃するのであれば、儂らはハイネセンにいる1万余の帝国人を人質にとることとなるだけじゃ。むろん卑怯な手であることは百も承知じゃが、この際手段を選んではおれんからな。」

「ですが、シュタインメッツ艦隊が強硬強襲することは本当にあり得ないでしょうか?」

リー・ヴァンチュン後方勤務部長代理が尋ねた。

「その可能性はゼロではないよ。だが、少なくともシュタインメッツ提督自身はカイザー・ラインハルトの指令や意向を無視しうる人間ではないと思う。確実ではないのだがね。シュタインメッツ艦隊にとっても、無用の犠牲を払うことは潔しとしないだろうし、カイザー・ラインハルトの『楽しみ』を奪うような真似はしないだろう。」

と、チュン・ウー・チェン大将。

「・・・・戦場で最後の同盟軍と一戦を交えるという事ですな。」

ザーニアル少将の言葉に一同沈鬱な表情を浮かべた。カイザー・ラインハルトのその性質は常に戦いを欲していたことは後世の歴史家がひろめたことによってよく知られているが、この当時であってさえ、彼の戦いぶりは、その目的はともかくとして、その色合いだけは敵においても広く知られているところだったのである。

「そういえば、まだ舞台をどこにするか、司令長官閣下はおっしゃられていませんな。一世一代の晴れ舞台です。よほど御存念があろうかと思いますが。」

トーマス・フォード少将の言葉に、ビュコック老元帥は笑い声を上げた。

「このような老いぼれが一世一代の晴れ舞台などと言う言葉に似合うと思うかね?ま、それはそれとして儂も随分とそのことは考えた。貴官らの前で負けるなどと言う言葉は不吉そのものかも知れないが、負けるにしても敵を戦慄させる負け方をしたいと思っておる。」

チュン・ウー・チェン大将を除き、一同がいぶかし気な顔をしたので、

「わからんかね?ヤン・ウェンリーがやろうとしたことを、儂もやってみるというのじゃよ。そう・・・・。」

ビュコック元帥は皆を見回しながら言った。

「戦場において、カイザー・ラインハルトを倒すことだ。」

老元帥の放った一言は会議室の清浄な空気を飛んで、一同の鼓膜に飛び込んできた。それが一陣の戦慄を引き起こすのに一瞬の間があった。

 

 

* * * * *

ミーナハルトは自宅の自分の部屋で額に手を当てていた。階下でズシンズシンという音が響くのは、フリオが荒れ狂っているからだろう。時折喚き声ともつかぬ罵声がする。

「クソッタレ!!同盟の腰抜けのクソッタレ!!クソォッ!!!!!」

息子が荒れるのは記者会見が原因だった。そのようなものに無関心そのものだと思っていたので、こんなにも息子が荒れるのはどうしてなのか、ミーナハルトにはわからなかった。血相を変えて叩き壊している息子をしり目に二階に駆けあがってしまったからだ。

「なんでだよ!!??どうしてなんだよ!!??クソッタレ!!クソが!!!!!」

家具をひっくり返し、滅茶苦茶に叩き壊す合間に聞こえてくるのは慟哭とも言っていい感情だった。

 

どうしてなんて・・・自分だって聞きたいくらいだ。

 

 どうしてこんなことになってしまったのだろう。あの時、あの頃から、アムリッツァでの大敗から、自分の人生は急速に変わってしまった。いや、もっと前か。あの子を身ごもってしまった時から、自分の人生は急速に変わっていった。違う。何故なら自分はあの子をおろさなかったからだ。

 当時は確固たる理由もなかった。しいて言えばあの人に一度だけ逆らってみたかったからだったのかもしれない。だが、そうまでして生んだあの子を自分は愛していたかと言われると、わからない。そうだ、愛していたかと言われれば、答えはノーだ。何か義務的な範疇から一歩も出ないままここまでやってきていた。

 

 それがあの子を傷つけ、ああいう風にさせてしまったのだとしたら?

 

 ミーナハルトは顔を両手で覆った。どうしてこんなことになってしまったのだろう。ミーナハルトは不意にどうしようもなく自嘲したくなってしまった。どうしてかわからないが、何故か同盟とあの子の事を同じ事象としてとらえてしまったのだ。同盟末期はひどいありさまだった。政治家たちは理想を追求することをやめ、ただ自分たちの保身のみに走り、ミーナハルトの所属する軍もまた自らの出世を最優先とし、同盟市民たちも帝国打倒を睡眠の習慣のようにしか考えなくなってしまった。

 

そう、全ての人間が考えることをやめてしまったのだ。その結果――。

 

 

自分も含めて、何一つ解決できないまま、同盟は滅びゆこうとしている。

 

 

不意に部屋が静かになったことに気が付いた。暴れるのをやめたフリオはどこかに出て行ってしまったらしい。また部屋を掃除しなくてはならないと思いながらもミーナハルトは強い倦怠感に襲われて動くことができなかった。

 

チャイムの音がした。動くことが億劫でミーナハルトは動かなかったが、彼女をして立ち上がらせるほどチャイムの回数は多かった。

 

リビングがひどい惨状になっていることを横目で見ながら、ミーナハルトはドアを開けた。インターホン越しに誰かを確認する気力は失せていた。

「久しぶりだな。」

顔を上げた。見覚えのある顔だった。パエッタ中将が立っていた。

 



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第九話 巣立ちの時

 

「おおっと、そんな程度の腕前じゃ、撃墜どころかハンデにもならねえぞ。」

わずか数メートルの距離を死の閃光が走り抜けていく。リオンの搭乗するスパルタニアンは漆黒の宇宙を裂く中性子ビームを巧みに交わしながら飛翔する。時折、酒瓶を取り出してラッパ飲みをしながら、盛大に悪口雑言をまき散らしながらの演習である。

演習と言っても、相手は演習用からかけ離れた本気の攻撃を出しており、被弾すればただでは済まない。それを知っていながらリオンは助けを求めることもせず、久々の宇宙を堪能していた。敵は7機。それに対するこちらは1機だけ。

「3人の坊主どもを置いてきたのは正解だったな。この調子じゃ演習なんてほざいている間にあの世に直行することになったろうぜ。だが――。」

リオンは突進してきた1機を華麗にかわし、相次いで突っ込んできた3機をかわし、反転きりもみしながら、敵の砲撃を交わし続けていた。

「この俺を相手に、随分と舐めた真似、してくれたじゃねえか!!!」

リオンの表情が変わる。次の瞬間、彼は操縦かんに内蔵された攻撃ボダンを押していた。

 

 光球が明滅し、死の花火が上がったのをレヴィ・アタンの乗組員も他のパイロットたちも見ていた。

 

「野郎!!」

「よくもアーガスを!!」

「構わねえ!!親父さんには悪いが、本気でバラしちまえ!!」

スパルタニアンの荒くれたちは仲間の仇と言わんばかりに殺到してきた。それでいてフォーメーションは見事に整っている。リオンの機は彼らの近くをまるで翻弄するかのようにぎりぎりに飛んでいく。

 

「わっ!!」

「ぎゃっ!!」

「のあっ!!」

 

追尾しようとした3機が激突寸前となり、慌てて舞い上がったが、リオンの中性子ビームの反撃を受け、交わそうとするところを団子状態になって激突して四散した。

「これで4機!!」

リオンは手近の一機に襲い掛かった。相手は恐怖の悲鳴を上げて反転しようとするが、どでっぱらを狙撃されてあっけなく散ってしまう。

「5機!!」

リオンは残る2機を追っていった。先ほどの威勢はどこへ行ったのか、逃げるようにして交わし続ける2機をいたぶるように追尾し続け、散々に翻弄した挙句、斃した。

 

リオンは機のシミュレーションポッドから這い出てきた。顔を上げると、顔面蒼白になりながら仲間に手を貸されて引きずり出されていく7人のパイロットたちの姿があった。

「師匠!!」

例の3人組が駆け寄ってきた。

「かっこよかったっス!!」

「惚れなおしました。」

「さすがは・・・!!」

小僧たちをいなしながら、リオンはパイロット集団に向き直った。

「いいか、レヴィ・アタンだかなんだか知らねえが、艦の規律だのなんだのとほざくのは艦長だけで充分だ。貴様らはそんな寝言を言っている暇があったら、まずは自分の技量を伸ばせ。今のままじゃ10秒と持たずに間違いなくあの世行きだぜ。」

「・・・・・・・。」

皆シミュレーションポッドに乗り込む前に上げていた罵声と憎悪の塊を投げつける気力さえないようだった。中には足が震えて立てない者もいる。それほどリオンの技量は叩き付ける様などう猛さをもってパイロットたちを襲ったのだ。

「行くぞ、小僧共。」

3人組に声をかけ、さっさとリオンは格納庫を後にし始めた。

「生き残りたきゃ、そして、さっきのような目にあいたくなきゃ、死ぬ気で訓練して強くなるんだな。」

と、顔だけ集団に向け、さっさと去っていったのだった。

 

「艦長!!」

 

この様子を別室から見ていた古参の士官が憤りの声を上げた。

「わかっとる。彼奴には灸をすえてやる。だが、それ以上に灸をすえなきゃいかんのは、あっちのほうだ。儂は少々耄碌しとったらしい。あんな腑抜けに成り下がっていたとはおもいもしなかった。・・・・おい!!」

「了解であります!!」

古参の士官のわきにいた屈強な集団が口々に了解の声を上げると、一目散に格納庫に走っていった。これから据えられる灸を思うと、古参士官も戦慄を禁じ得なかったが、考えてみると無理もない事だ。もう半年以上もパイロットたちは実戦を経験しておらず、酒場でくだを巻くか、気勢を上げるしかしていなかったのだから。

「儂の車いすをベルティエ大尉のもとにやってくれ。」

艦長は従卒に命令した。

 

* * * * *

「あなたは・・・・。」

ミーナハルトは言葉を失った。パエッタ中将の事はよく知っている。知らないどころの話ではない。ミーナハルトもまた、ロボス元帥の幕僚をしていた時期があり、その際にパエッタ中将に度々会う機会があったが、かつての艦隊司令官が一介の少佐の家を尋ねるに至るに至るほどの相互知悉の関係はこれだけでは築けない。

「あがって良いかな。」

茶色の頭髪には白いものが混じっており、しわも刻まれていた。表向きにはできない苦難の日々を過ごした後がそこに見え隠れしていたのだ。かつて満ち溢れていた良くも悪くも頑迷と言っていいほどの覇気は今は見られない。

「でも、居間が散らかっていますし――。」

「君の息子さんの荒事は、ここに来る途中、数ブロック先まで聞こえていたよ。」

ミーナハルトは顔を赤くした。それでいて誰もこの家に抗議に来ないのは、このあたりに住んでいる人間は、もう自分たちくらいだけだったからだ。

「長くはいられない。今日は渡すものがあってやってきた。それだけだ。」

「・・・・・・・。」

ミーナハルトはパエッタ中将の顔を5秒ほど見つめると「どうぞ。」と言ってリビングではなく、台所に通すことにした。そこにはフリオの手は伸びなかったと見え、良く片付いている台所はそのままになっていた。

「あの方からだ。一度会いたいと言ってきておられる。」

パエッタ中将はジャケットの懐から手紙を出して、ミーナハルトに差し出した。あの方、と聞いたミーナハルトの内心を戦慄が走ったが、彼女は表向きそれを出さないようにしていた。

「返事は・・・今出さなくてはならないのでしょうか?」

「いや、私は頼まれただけだ。返答は君自身が行いなさい。」

パエッタ中将の態度はどこか冷ややかだった。それは自分にむけられたものではないことをミーナハルトは知っていた。

 

かつて、ロボスファミリーと言うほどではないにせよ、トリューニヒト派閥として共同歩調を取っていた時期は確かにあったのだ。

 

そう、あのアスターテ星域会戦までは――。

 

レグニッツァ、第四次ティアマト、そしてアスターテと散々に帝国軍に敗北した第二艦隊司令官は後にクブルスリー本部長の後任として第一艦隊司令官に就任するも、ランテマリオ星域会戦においてまたも帝国軍に敗北した。大会戦において、史上4度の敗北を経験した司令官は彼くらいだろう。

ふと、ミーナハルトはかつての上官を立たせたままであることに気が付いた。

「お茶をお出ししていませんでした。それに、お座りになってはいかがですか?」

「いや・・・・。」

断りかけたパエッタ中将は、

「では、少しだけ厄介になろうか。」

と、腰を下ろした。手元から端末を取り出していじったのは帰りの無人地上車を依頼したのだろう。ミーナハルトは黙ってお茶の支度をし、黙ってパエッタ中将に差し出した。沈滞していた食堂の空気に、ほんの少し、馥郁とした彩が立ち上る。それでも、二人の間に降りた重い沈黙の幕を上げさせるには至らなかった。

「閣下は、今度の戦いに参戦されるのですか?」

重い沈黙に、先に耐えきれなくなったのはミーナハルトだった。

「・・・・・・・。」

パエッタ中将は黙って紅茶を一口飲み、ソーサーに戻した。乾いた音が虚ろに食堂に響いた。

「私にはもうその力は残っていない。その意志もない。レグニッツァ、ティアマト、アスターテ、そしてランテマリオ。会戦のたびに敗北した私を、誰が受け入れてくれるというのかね?」

「それは・・・・。」

ミーナハルトは言葉に詰まった。ヤン・ウェンリー元帥の華々しい活躍と必ず対比されるのが目の前にいる中将である。ミラクルヤン、魔術師ヤンの活躍ぶりが必要以上に喧伝された側面は否めない。敗戦続きの同盟にとって、誰かを英雄に仕立てなくては、市民が納得しないからである。

 

だが――。

 

ミーナハルトは思う。誰かを英雄に仕立て上げるということは、誰かを悪玉に仕立て上げるという事にもつながるのではないか、と。

 

ヤン・ウェンリーの活躍ぶりを喧伝するについて、どうしても彼の上官であるパエッタの名前が出てくることは避けられなかった。ロボス・ファミリーではなかったものの、トリューニヒトとも悪くはない関係を築いていたこの司令官は、アスターテでの敗戦の後、トリューニヒトから一瞬にして切って捨てられたのだ。その代りに台頭したのがヤン・ウェンリーである。ヤン自身はどう思っていたのかはミーナハルトにはわからないが、見る人が見ればこうは思わないだろうかと思う。

 

パエッタを犠牲にしてヤンが司令官の地位を奪取したのだと。

 

「君は何か勘違いをしているようだな。」

ミーナハルトは顔を上げた。パエッタ中将がこちらを見ている。

「私はヤン元帥・・・いや、ヤン・ウェンリーについては好きではない。結果こそ出しさえすれど、勤務ぶりはあまり賞賛すべきものではなかったからな。だが、だからと言って彼の作戦案を蹴り続けていたのは他ならぬ私自身だった。」

「・・・・・・。」

「彼の作戦を取りあげていたら、レグニッツァで我が艦隊の被害は少なくて済んだだろうし、ティアマトでは今のローエングラムを討ち取ることができたかもしれない。そして、アスターテにおいては、少なくともムーアの艦隊を救うことはできただろう。いずれにしても、私自身の決断が多数の将兵を死なせる結果となったことには間違いはない。」

こんなことを言っても、今更どうにもならない事だがね、とパエッタ中将は苦笑を浮かべようとしたが、それは苦渋の表情にしかならなかった。

「私たちは人間です。人間である以上、必ず情という物がどこかに入ります。」

「君は私を慰めようとしているのかね?」

「いいえ、事実を言ったまでです。」

ミーナハルトは静かに言った。

「そうか・・・・・。」

「ですから閣下、こんなことを言うこと自体何の資格もないことは重々承知していますが、まだあきらめになられるのはお早いのではないでしょうか?」

「・・・・・・・?」

パエッタ中将は意外な言葉を聞いたというようにミーナハルトを見た。

「君からそんな言葉が出るとは思わなかったな。往年のロボス元帥の絶対零度の妖刀と言われた君らしくない言葉だ。」

ミーナハルトはかすかに首を振った。その異名についてはもう聞きたくもない。パエッタ中将もそれを感じ取ったのか、それ以上広げようとはしなかった。

「閣下。閣下を責めようなどとする人間よりも、閣下を必要となさっておられる人間の方が多いはずです。ビュコック元帥も、チュン・ウー・チェン大将閣下も、皆あなたの参戦を心待ちにしておられると思います。」

「・・・・・・・。」

「私は先日チュン・ウー・チェン大将閣下とお会いしました。少なくともあの方は過去をいつまでも引きずるような方ではないと思います。」

「知っているよ。ランテマリオでの戦いの前に私自身も彼らと話をした。だが、もう遅いのだ。」

「・・・・・・・?」

「あまり余命が長くないのでね。」

「・・・・・・・!!」

 衝撃を受けたミーナハルトに、パエッタ中将は淡々と話した。すなわち、自分は重い放射線病におかされているのだと。

 

ランテマリオ星域会戦において、パエッタ中将の旗艦パトロクロスはまたも被弾し、核融合炉に損傷が及んだ。運良く助かったものの、パエッタは軽くはない放射能を浴び、治療中の身となってしまったのである。

そのことをパエッタ中将は淡々と話した。既に決まってしまった運命を受け入れる体制が出来上がっているのだろうとミーナハルトは思った。

「いっそ戦場で戦死してしまった方がまだよいのではないかと思うときがある。だが、私にはまだやるべきことがある。戦場には出られない。」

「やるべき事?」

「頼まれているのだ。ある人から。言っておくがそれは私事ではない。自由惑星同盟の存続にかかわることなのだよ。」

ミーナハルトはパエッタ中将を見た。様々な無音の疑問符が沈滞した空気をかき分けて彼の元に届いた。

「君には言えない。だが、覚えておいてほしい。戦場で命を賭すだけがすべてではない事を。そして、自由惑星同盟をどうにかしようとしている人間は、ビュコック元帥、チュン・ウー・チェン大将だけではないのだという事を。」

「・・・・・・・。」

「あの方たちを非難するつもりはない。その資格もない。だが――。」

外でかすかなクラクションが鳴り、同時にパエッタ中将の端末機が反応した。彼は重々しい動きで立ち上がった。迎えが来たのだ。

「お茶をご馳走様。」

言いかけた言葉をお茶の最後の一滴と共に飲み干し、かすかにミーナハルトにうなずきかけると、パエッタ中将はもう振り返ろうともしなかった。

「自由惑星同盟は、どうなるのでしょうか?」

玄関を出ようとする中将の背中にミーナハルトの声が届いた。

「君自身のことについては、君自身が決めることだ。もう、君はあの方の呪縛を受けてはいない。それが感じられないとするならば、それは君自身の問題だろう。」

ミーナハルトは自由惑星同盟のことを尋ねたのだ。だが、パエッタ中将はその問いの中に潜む真意を一瞬で見抜いたらしい。ミーナハルトは訂正もせず、ただ玄関の扉がしまるのを見つめているだけだった。

「私が、決めること・・・・自分自身で決めること・・・・・。」

地上車が遠ざかる音をかすかに聞きながら、ミーナハルトは立ち尽くしていた。

 



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第十話 ビューフォート艦隊壊滅

協議を続けていたビュコック元帥とチュン・ウー・チェン大将の元に急報が入った。

 

「ビューフォート准将からの通信です。」

 

スーン・スール少佐があわただしく協議の場に入ってきた。それを聞いた瞬間、二人は来るべきものが来たと悟ったが、表面上は何も言わずに彼を促した。

 

「それが・・・正確には通信内容を暗号で記したカプセルのようです。放出されたものをヴァーミリオン付近を哨戒中の同盟の巡航艦が偶然に回収して届けてきました。」

「ヴァーミリオン?」

「はい、ですが、相当の距離を流れてきたと思われます。」

 

スーン・スール少佐はそれを再生装置にセットし、スクリーンに映し出した。そこには憔悴した40代の准将の姿が写っている。准将は負傷した我が身を無理にスクリーンに立たせていた。

 

「これを・・・ビュ・・・ック・・・元帥・・・・・チュン・・・・チェン・・・大将に届けてほしい。」

 

時折音声と映像が乱れるのはよほど緊迫した状況か、あるいは、撃沈寸前の最後の抵抗だったのか。映像の老元帥とパン屋の二代目はじっとその映像に見入っている。が、映像ははっきりとクリアになった。

 

「残念ながら・・・2000余隻あった我が艦隊は、帝国軍ビッテンフェルト艦隊により壊滅・・・・わずか三十四隻を残すのみとなり、艦体としての行動は不可能・・・・・。もはや再起不能になりました・・・・申し訳ありません。」

 

衝撃がビュコック元帥とチュン・ウー・チェン大将を襲った。2000余隻を擁したビューフォート艦隊が壊滅したという事は、敵は障害物を撃破し、もはや同盟首都に進撃するのみとなったという事だ。

 

「ですが、本隊到着寸前の敵の補給船団の撃破には成功しました。今までの帝国軍のデータから見て、まず3週間は新たな補給船団は帝国軍本隊に到着しません。動き出すまでそれだけの猶予はあると思っていただいてよいでしょう。それと・・・・。」

 

ビューフォート准将は一息ついた。

 

「ローエングラム陣営のほぼ正確な陣容が判明しました。先鋒はビッテンフェルト艦隊、そして次鋒はミッターマイヤー艦隊、そして――。」

 

ビューフォート准将は艦隊に存在している旗艦を特定し、将官を割り出したのである。度重なる交戦で同盟軍にも少なからず帝国軍の艦船のデータは存在した。

 

「この陣容で帝国軍は一路ハイネセンを目指して進撃していますが、どことなくその動きは奇妙です。恐らくは我々が一度は組織的な抵抗を仕掛けるものと看破していると思われます。私が再起できれば帝国軍の艦隊をかいくぐってそちらに赴きたいのですが、残念ながら既にこちらの宙域はほぼ帝国の手中にあります。無念です・・・・。」

 

ビューフォートの顔色が沈痛な色に変わった。通信が途絶したのは彼が崩れ落ちて幕僚に支えられた直後だった。幕僚が准将は死亡したのではなく、気を失っただけだと伝え、また、今後の身の振り方についてはどうか詮索なきように願うという彼の言葉を伝え、通信は終わった。

 

「構わんよ。ビューフォート准将、貴官はよくやってくれた。」

 

ビュコック元帥は立ち上がり、敬礼を施した。チュン・ウー・チェン大将もそれに倣った。

スーン・スール少佐に退出するように促した後も、二人はしばらく沈黙していた。

 

「バウンスゴール中将もそうだったが、彼らは我々の為に時間を稼ぎ、準備を整えさせてくれた。その期待と彼らの死を無駄にすることはできないじゃろうて。」

 

ビュコック元帥がつぶやく。

 

「閣下、既に帝国はルンビニ星域に達しつつあるという報告が入っております。このままではランテマリオ、タッシリ、そしてヴァーミリオンを経由してハイネセンに到達される恐れがありますが・・・・。」

「保留付きかね?」

 

老提督はパン屋の二代目を見つめた。

 

「先ほどのビューフォート准将の言葉を考えていました。彼は帝国軍がこちらの抵抗を看破しているといっていましたが、私は帝国軍は敢えて決戦を望んでいると思っています。」

「何故そう思うのかね?いや、これは聞くも愚かな事じゃな。あのローエングラム公の気質を考えれば、むしろ当然というべき事じゃろう。」

「ええ。」

「それはこちらとしても望むところじゃ。カイザー・ラインハルトの進撃を止めるには、戦場で彼を倒すしかないことははっきりしておる。他に選択肢はないじゃろうて。問題は・・・・・。」

 

老元帥は自身の広いデスクの上に宙域図を出現させた。

 

「どこで戦うか、じゃな。」

「と言いましても、戦場は限定されることになるでしょう。」

 

帝国に負けず劣らず広大な同盟領であるが、意外に戦場として設定される個所はそう多くはない。それは長年の戦乱において絶えず回廊付近の星域で戦ってきたことが大きいが、コルネリアス1世の大親征、そしてラグナロック作戦の場合には、同盟軍としての天王山はランテマリオだった。ヴァーミリオンはいわば最終防衛戦であり、崖っぷちであった。

 その理由としては、ランテマリオ星域から先に踏み込まれると、同盟政府が恐慌をきたすということがあった。政府が恐慌をきたせば、その影響は数兆倍にもなって市民に襲い掛かる。

そのために帝国軍をできうる限り首都星に近づけさせないという指令が徹底されてきた。曲がりなりにも政府のコントロールを受ける同盟軍だからこその制約である。だからこそ戦場は限定されていたのである。ヴァーミリオンはいわば政府の全幅の信頼の元に、一時的にシビリアンコントロールを逸脱できたヤン艦隊だからこそ設定できた戦場であるのだ。

 

「それに関しては、儂にいささかの腹案があるのじゃがね。」

 

 老元帥はチュン・ウー・チェン大将に片目をつぶった。

 

「と、言いますと?」

「我々は過去のことばかりではなく、将来のことを考えねばならないという事じゃよ。既に5560隻という投資をしてしまったのじゃからな。普通の人間ならそれを無駄にすることは考えんじゃろうて。」

「なるほど・・・・。」

「加えて、帝国軍が我々と決戦をしたいと望んでおる。ならば少しくらいは我々に融通をきかせてくれてもよかろうと、こう思うのじゃ。帝国軍の、正確に言えばローエングラム公の善意に付け入るようで忍びないが、あえてここは彼の『寛容』に甘えようではないか。」

 

老元帥はそう言ったが、ローエングラム公が「寛容」だと言ったわけではない。彼は公明正大であるが、それ以上に闘士であった。故にこそこちらが投げた手袋を無下にすることはないと踏んだのである。加えて、既に進発させた5,560隻の艦艇については、帝国の眼から逃さなくてはならない。ましてや戦場に巻き込むことも、である。

 

 故にこそ、こちらが最大限スポットライトを浴びるように動かなくてはならない。ビューフォート准将の部隊の派手な動きも、実を言えばこの布石でもあったのだ。

 

「現在ムライ中将たちはどのコースを進んでおるのかね?」

「おおよそは。帝国軍が銀河基準面南方を経由してくる以上は、艦隊は北方を通ることになるでしょうからな。今頃はバーラト星域を離脱したかしないかというところでしょうか。」

「ならばこちらも相応に耳目を引き付けねばならんて。」

 

ビュコック元帥は唸った。

「我々は三つの課題を強いられている。一つは自由惑星同盟の意地を見せつけ、帝国にこちらをないがしろにする態度を取らせない事。そして二つ目は戦場においてカイザー・ラインハルトを斃すこと。三つ目は、まぁ、二つ目が成功すればほぼ意味のない事なのじゃが、ヤン・ウェンリーの元に荷物を無事に配達すること。これらの要件を満たす戦場はどこか、じゃが・・・。」

 

老元帥の眼と指が地図をさまよっていた。その動きの中に数十年にわたって同盟の戦場に立ってきた老練な軍人のすべてが注ぎ込まれているのをチュン・ウー・チェン大将は見て取った。

 

さまよっていた指が、止まる。そして、再び動き出し、やがて一点に人差し指が打ち込まれた。

 

「ここじゃな。」

 

 チュン・ウー・チェン大将は眼を見開いた。それは思ってもみなかった場所である。難所中の難所で有り、普通の人間ならば敢えて近づくのをためらう場所である。

 

「今日は12月5日じゃったな。」

「はい。」

「既に艦隊は進発準備は整っておるかな?」

「何時でも出航可能です。」

「ならば、明後日をもって出立し、所定の場所に赴く。行程をできうる限り短縮させ、15日で到着できるようにする。そこで約1か月・・・いや、2週間訓練し、帝国軍を迎え撃つ。問題はそれまで帝国軍が止まってくれるか、じゃがな。」

「閣下、それに関してはいささか腹案があります。もっとも、これも第二のビューフォート准将を必要とするものではありますが。」

 

チュン・ウー・チェン大将が途中から憂い顔になる。ビュコック元帥の尋ねる眼を確認した彼は言葉を続ける。

 

「各地域のガーズや巡航艦隊にゲリラ戦術を展開させ、帝国軍を足止めさせるのです。既に指令書は発せられております。後は閣下のご決断次第、ですが。」

「相変わらず手回しが良いのう。」

「実は私もそれにかかりきりになれれば良かったのですが、いささか手不足の点があります。お許しください。一人心当たりがあったのですが、あいにくと断られてしまいました。」

 

 老元帥は笑ったが、やがて顔を引き締めると、うなずいた。

 

「良いじゃろう。もはや手段を選んではおれん。ただちに艦隊の出航を指令し、同時に所定の艦隊にゲリラ戦術をすぐに実行するように指令を――。」

 

 その時、ドアがノックされた。チュン・ウー・チェン大将の返事を聞いた副官が飛び込んできた。スーン・スール少佐が旅立った後、一時期ビュコック元帥の副官を務めた、ファイフェル少佐が復帰して務めている。

 

「申し訳ありません。チュン・ウー・チェン大将閣下に至急お目にかかりたいと申す人間がおりまして。」

「誰かね?」

 

穏やかな質問の声にファイフェル少佐は声を張った。声を出そうとしたのだが、その努力は徒労に終わった。既にすぐ後ろに訪問者が来ていたらしい。

 

「構わんよ、入ってくれていい。」

 

ビュコック元帥がそう言ったので、スーン・スール少佐はその人間を通した。

 

「閣下。」

「君は――。」

 

チュン・ウー・チェン大将は言葉を失った。ミーナハルト・フォン・クロイツェル少佐が決意を秘めた眼をして、ファイフェル少佐の前に立っていた。

 



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第十一話 光と影。もしも違った人生を歩んでいたら――。

 

 レヴィ・アタンのスパルタニアン・パイロットたちは車座になって、カーゴルームと乗組員たちが呼んでいるスパルタニアン射出エリアの固い床に座っていた。訓練がひと段落しての束の間の休息だ。

 

「お前らは何の為に戦うんだ?」

 

 パイロットたちの一人がリオンに尋ねる。その声音には先日までのとげとげしいむき出しの敵意はない。代わりに馴れ馴れしさがあった。リオンと若造三人は彼らの仲間に迎え入れられたのである。

 

「俺は帝国が憎いからさ。」

 

 ボビィが開口一番声を上げる。他の若造二人もそれぞれ反応の度合いは違ったが、ほぼ同時にうなずいて見せる。

 

「帝国のクソッタレ野郎どもが来なかったら、俺たちはあんな暮らしをしなくてもよかったんだ。」

 

 ボビィたち3人の若者が浮浪児一歩手前のすさんだ暮らしをしていたことは、リオンがそれとなく話をしていたので、皆それ以上聞こうとはしないでうなずいた。

 

「俺たちも似たり寄ったりさ。ここにいるのは兵隊崩れで行き場を失った人間ばっかだ。おやっさん・・・おっと、艦長殿のことだがね、まぁ、おやっさんがいなかったら、みんな上官に放り出されたようなメンツばっかだからな。」

 

 パイロットたちの中でも年かさの、リーダー格の男が口を開く。イウォーテルというその男は、聞けばオリビエ・ポプランと同じ空戦部隊に所属していたこともあるそうだ。年下のポプランの前に、多少は腕があると誇っていたこの男もまるで歯が立たなかった。そのことがイウォーテルを荒ませ、今の暮らしに追い込んだのだとリオンは思っている。本人もそれを否定しない。

 

 そうだ、とリオンは思う。ここにいるのは物語の中で英雄だなんだかんだと祭り上げられる連中じゃない。物語があるとすれば一ページの序章にすら出てこない名もなき人間たちだ。

 

(けれどなぁ、俺たちだって生きているんだよ。)

 

 スポットライトが当たらないだけだ。みんな生きて、とにかく今この瞬間生きてここにいる。今まで歩いてきた境遇も、ここに立つ目的は違うけれど、やろうとしていることは一緒だ。やがて押し寄せてくるだろう何百万何千万の帝国軍を迎え撃つため。そう、ただそれだけのために。

 

「お前さんは?」

 

リオンは顔を上げた。皆の視線が集中していることに気が付かなかったらしい。

 

「借金さ。」

 

 苦々し気に吐き捨てた。急に俗世間に戻ったように思った。一時の感傷は現実から逃避するだけのものにすぎなかったらしい。リオンはひそかに自嘲した。

 

「取り立て屋に追われて逃げ込んだってのが正解だ。」

「そんなことねえよ!!」

 

声が上がった。ボビィだ。

 

「そりゃ、師匠の謙遜ってもんだ。師匠はなんだかんだ言って、そこらへんの偉い兵隊と違うんだよ!こうして逃げねえで帝国のクソッタレ野郎どもを相手に戦おうってんでここにいるんだ!!なぁ!?」

 

 ボビィは二人の若造に顔を向ける。もう何度も聞かされているのだろう。二人は否とも応ともいわず「またか。」という顔をしていたが、嫌そうな顔つきでもない。

 

「おいおい、お前――。」

「いいや、言わせてくれよ、師匠!!そうなんだよ、そこらへんの偉い制服さんだの、政治家のクソ野郎どもだのとうちの師匠は違うんだ、違うんだよ!!」

 

ボビィは如何に自分が師匠を慕っているか、如何に師匠が尊敬すべき人物かを得々として語りだそうとした。

 

「手前ら!!!」

 

どすの利いた声がした。言われるまでもなく皆立ち上がっている。リオンは内心やれやれという思いだった。彼一人がこの声の持ち主の発する恐怖のオーラとは無縁だった。

 

「いつまでしゃべっていやがる!!さっさと始めねえか!!!」

 

 艦長が車いすを動かしながら突進してきた。まるで蜘蛛の子を散らすように皆それぞれの機に向かって走り出した。リオンもその後を追っかけようとしたが、艦長が呼び止めた。

 

「お前は残れ。儂の部屋に来い。話がある。」

「???」

 

リオンは首をかしげながら艦長の後に従った。

 

 

* * * * *

 ミーナハルト・フォン・クロイツェル少佐がビュコック元帥、そしてチュン・ウー・チェン大将に迎えられて、椅子に座っていた。

 

「単刀直入に申し上げます。」

 

 ミーナハルトは以前チュン・ウー・チェン大将とあった時とは別人のような目の光を浮かべて話し始めた。胸に抱いていた考えは漠然と今まで温めていたぼんやりとしたものだった。だが、パエッタ中将と会い、それが一気に発酵したようだった。

 

「戦場でローエングラムを斃す。そのためには必殺の仕掛けが必要です。我が軍が帝国軍に勝利するためには、もうそれしかないのですから。その策を提案しにまいりました。」

 

 二人は顔を見合わせた。まるで割符を合わせた様にミーナハルトの出そうとしている話題は今まで協議してきた最大の課題であったからだ。

 

「まずは、コーヒーを飲みなさい。急いできたのじゃろう。息が上がっておる。そう言う状態での話しぶりは時に欠落する部分があることが往々にしてあるからのう。」

 

 ビュコック元帥が優しく言う。そう言えば、とチュン・ウー・チェン大将は思う。ミーナハルト・フォン・クロイツェル少佐とビュコック元帥との年齢はちょうど祖父と孫の関係のようだ。

 

「あ・・・・・。」

 

 ミーナハルトは一瞬うすく頬を染めたが、すぐにコーヒーカップを取り上げた。急いできたのだろう。水を飲むようにしてコーヒーカップを傾ける。喉が上下に動くのを二人は柔らかなまなざしで見守っていた。

 

「すみません。」

「謝る必要はないよ。少しは落ち着いたかな?」

「はい、閣下。」

 

ミーナハルトはチュン・ウー・チェン大将とビュコック元帥に謝すと、話を元に戻した。

 

「レヴィ・アタンという巡航艦をご存知でしょうか?」

 

 唐突に差し込まれた固有名詞に二人は顔を見合わせた。チュン・ウー・チェン大将はすぐに思い出せないようだったが、ビュコック元帥はさすがに軍歴が長いだけあってすぐに反応を示した。

 

「覚えておるよ。エマニュエルの指揮する『海賊』の根城の事じゃろう?だいぶ話題になっておった。残念ながら、儂の指揮下にはおらなんだが、だいぶ持て余しものだったようじゃのう。」

 

ビュコック元帥の言葉をミーナハルトはうなずきをもって肯定する。

 

「私の知る限りにおいておそらくですが、帝国軍に対抗できる技量を持つ艦は、レヴィ・アタンしかいないでしょう。」

「つまりは、そのレヴィ・アタンを服の下に忍ばせる短刀として扱うというのかね?」

「はい。」

 

 ミーナハルトは躊躇いなくうなずく。そしてそのプランを話し出した。驚いたことに彼女は戦場予定宙域までを既に想定し、かつ、具体的な作戦計画まで立てていたのである。そしてそれはビュコック元帥がひそかに思うところの戦術と一致していた。老元帥、そしてチュン・ウー・チェン大将は驚きをもってこの若い女性士官を見つめていた。

 

「・・・・最後に、この作戦を実行するには時間が必要です。それは先ほど説明した内容が理由なのですが。」

「もっともじゃな。じゃが、その時間がない。」

「なければ作ります。」

 

ミーナハルトが間髪入れずに言った。

 

「周辺のガーズ、巡航警備隊の艦をもって、ゲリラ戦術を展開するのです。」

 

 彼女は簡潔かつ分かりやすくそのプランについての概要をも語った。いったいいつこれだけの作戦を立てたのだろう。チュン・ウー・チェン大将は思った。当初あった時にはどこか周囲を拒絶する霞を周りにまとわせていたのに、今はそれが綺麗に取り払われている。だが、チュン・ウー・チェン大将は、先日暴動があった際に、彼女がたちどころに警備プランを提出したことを思い出した。そういう人間なのだ。彼女は。だが――。

 

「言うのは簡単だがね――。」

 

 チュン・ウー・チェン大将は思わず口を出した。先ほどからの案といい、今の案といい、いわば人命を徹底的に無視した壮烈なものだったのだ。だが、それ以上の言葉はチュン・ウー・チェン大将の口から出なかった。他ならぬミーナハルト自身の眼を見た時に言葉はしぼんでいった。

 彼女の眼に浮かんでいたのは、激しい苦悩、そしてそれでいて固い決意だった。細い肩から細い腕をぴんと張って膝に載せている。

 

「ロボス元帥の絶対零度の妖刀、だったかな。」

 

 数分間の沈黙の後、ビュコック元帥の口から出てきた言葉にミーナハルト、チュン・ウー・チェン大将は彼を見た。

 

「貴官はかつてロボス元帥の副官をしていた時代に、そう呼ばれておったのを聞いておるが、どうやらそれは間違いのようじゃったな。」

 

老元帥はピアノ線を張るようにして座っているミーナハルトにうなずいて見せた。

 

「貴官は、優しい、情がある人間じゃという事を儂は分ったよ。」

「・・・・・・!!」

 

ミーナハルトは眼を見張った。一瞬、ほんの一瞬だったが、本来あるべき自分の姿がうかんできたのだ。誰かとはわからないが、結婚し、子供をもうけて幸せに笑っている自分の姿を――。

 

もし――。

 

(もし、この人たちの下に配属されたら、私は――。)

 

笑顔を浮かべられていただろうか。

 

 笑顔なんて、とミーナハルトは思う。もう何年も浮かべたことはない。いつから出せなくなったのだろう。

 

「貴官にはもうしばらくここにいてもらいたいのだが、どうかな?」

 

 ミーナハルトは顔を上げた。ビュコック元帥がこちらを見ている。反射的に彼女はうなずいていた。そして、それこそが当然のことのように思われたのだ。

 

「レヴィ・アタンの艦長に話をしなくてはならんな。」

 

ビュコック元帥が言った。

 



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第十二話 理由なんていらない。何故ならそうしたいだけだからだ。

レヴィ・アタンの艦長室。

 

そこは艦長以外入れない禁断の場所と言われており、身の回りの世話や掃除を行う従卒ですら立ち入りを厳禁されている。平素艦長は車椅子を押してもらう事が多いのだが、艦長室に入るときには自身で車椅子を操って入るほどだ。

 

だから、リオン・ベルティエ大尉が艦長室に呼ばれたと後ほど知った乗組員たちは一様に驚愕し、口々に中の様子を教えてほしいとせがんだが、リオンは口を開くことはなかった。

 

初めて艦長室に足を踏み入れた時、リオンは意外な印象に打たれた。荒くれ艦長、海賊とも呼ばれた人間の部屋だ。さぞかし立派な調度品があると思いきや、部屋は無機質と言ってもいいほど何もない空間だった。

備え付けの書棚にぎっしりと本が入っている他、備え付けのデスクには丁寧にファイリングされた書類が整理されている。目を引くものと言えば、それだけだった。

 

「まぁ、座れ。」

 

 艦長デスクの前にある応接セットのテーブルに車椅子を固定させた艦長の言葉にリオンは腰を下ろした。それでもなお視線だけはあちこちさ迷うのを止めることはできなかった。その様子を艦長は叱るどころかどこか面白そうに見守っている。

 

「何を見ていやがる。んん?」

「あ、いや、そのな――。」

「何もないことに驚いたんだろう?大方部屋が荒れ放題になっているか、どこかの海賊王のように豪勢な刀や調度品があるとでも思ったか?」

「・・・・・・・。」

「そんなものは何の足しにもならん。儂は長年このかたそれを拳で口で奴らに教え込んできたつもりだったが、まだわからん奴等が大勢いると見える。」

 

それでいてどこか面白がっている様子だった。リオンがもの問いただしげな視線を送ると、妄想ってやつはいい方向に作用することもあるからな、とニヤリと笑い返された。

 

「本題に入ろう。いいか?これはまだ極秘事項だ。それを肝に銘じろ。でなければすぐにここから失せろ。」

「言われんでもわかっているさ。アンタには逆らえない。他言はしねえ。」

「ようし。」

 

突っ張るところは突っ張るがそれは本当に必要な時だけだとリオンは決めている。この場合艦長の要求は自分の矜持に抵触するものではなかった。物わかりのいいリオンの態度に、艦長は満足げにうなずくと、すぐに顔を引き締めた。

 

「統合作戦本部から極秘指令があった。特務だ。帝国の奴らを、それも飛び切りの大物を狙えと言ってきている。・・・・誰の事だかわかるな?」

「野郎の事だろう?」

「あぁ。儂らは短刀を引っ提げてあの若造の寝首を掻きに行く。」

 

 まるでどこか近場のスーパーに買い出しに行くような無造作な調子だった。だが、その視線はこれまでにリオンが見たことがないほど鋭い。それがこの鬼艦長の決意を如実に語っていた。

 

「ってことはもう引き受けたんだな?」

「戦う場所が変わるだけだ。それにこの話がなくとも儂はあのいけ好かない若造を殺すつもりだった。戦う場所や指揮官が変わったからと言って儂のやる事は一切変わりはない。」

 

 そりゃそうだ、とリオンは思った。あのローエングラムを暗殺する。そのこと自体とてつもない命題だったが、この老人にはそんなことは初期微動ほどの影響も与えていないらしい。それに、平素の訓練はある意味で死んだほうがまし、と思えるほどのものだ。それが戦場に変わったところでどうなるというのだろう。

 

「戦場は後で発表されるが、お前だけには伝えておく。」

「・・・・・・・。」

「戦場はマル・アデッタだ。」

「・・・・・・・。」

「儂らはビュコック元帥閣下の指揮する艦隊の総司令部直属艦として出立するが、戦場に到着次第カールセン閣下の部隊に配属転換されることとなる。まだ作戦概要は説明されておらんが、儂らのやることは単純明快だ。」

「それで?」

「OKを出す代わりに儂は条件を付けた。所属部隊までについては異論は何も言わん。ただし、そこから先は儂に一切を任せるようにとな。」

 

ヒュゥ~~イッ!!とリオンは口笛を吹き上げた。

 

「大きく出たもんだ。宇宙艦隊司令長官相手に。」

「ナァに、ビュコック元帥閣下の事は儂はよく存じ上げておる。同じ部隊になったことはないが、儂同様たたき上げのお人だ。予想通りだったな。大いに笑っておられた。まったくああいう御仁に今まで仕えられなかったのは残念じゃったな。何故儂がロボスのクソッタレ野郎に顎で使われなくてはならなかったのかが今でも不思議で仕方がない。」

 

リオンは吹き出しそうになるのをこらえた。この老海賊ときたら、まるで自分が一個艦隊司令官、いや、全軍の司令官のように思っているらしい。傍から見ればいくら武勲を重ねてきたとはいえ、たかだか一個の巡航艦の艦長にしか過ぎないというのに。

 

「話がそれたな。儂らはそんなわけで数万隻の大艦隊の中に突進するんだ。その中でただ一隻、あの白いいけ好かない艦を地獄に送り届ける任務を遂行しなくてはならん。そこで、お前の出番だ。」

「俺の?」

「艦の操縦や指揮は儂がとるが、それだけでは不足だ。儂もバカじゃない。今回の任務がいかに難しいかはわかっている。お前のスパルタニアンの技量がカギを握る。」

「まさか俺にあの白い戦艦に突っ込めなんて言うんじゃないだろうな?そんなことをしてもあの戦艦は傷一つつかんぞ。」

「ハッ!そんなもったいないことをさせるわけにはいかん。」

「俺の身を底まで案じてくれるとはな。」

「馬鹿野郎が!!スパルタニアンがもったいねえと言ったんだ。あれ一機にどれだけの金がかかっていると思っていやがる!!」

 

艦長が怒鳴ったが、少しだけうろたえた顔をしているのをリオンは見逃さなかった。

 

「突進するのはこの艦で充分だ。お前はそれまでの間守ってくれればそれでいい。」

「は!?」

「静かにしろ。」

 

艦長が叱咤した。リオンは口を閉じたが、それでいて眼は鋭く艦長をにらんでいる。

 

「儂はどこかの戦争で部下を道連れにして死んでいった大馬鹿指揮官とは違うぞ。最後は儂一人でやるつもりだ。艦が儂一人で動かせる段階になればな。後は七面倒くさい部下共ともおさらばだ。」

「アンタ・・・・!!」

「儂はあのクソッタレの若造が気に入らんだけだ。」

 

間髪入れずに鬼艦長はそう言った。

 

「できればあのなまっちろい面に拳をぶち込んでやりたい。だがこんな老体がまともに若造と勝負してみろ。話にもならん。汚い手だが儂はありとあらゆる手を使ってあの若造に挑む。汚れ切ったこの老人にいかにもふさわしい手段だと思わんか?」

「だけどな・・・・!!」

「反対はさせんぞ。反対をするならこの話はなしだ。即刻艦から降りろ。艦長命令だ。」

 

 二人はにらみ合った。たっぷり3分間は。やがてにらみ合いに負けたのはリオンの方だった。

 

「どうしてそこまでするんだよ?そんな義理はねえだろう?」

「義理じゃねえさ。」

 

 老人は笑った。それは屈託のない笑いだった。

 

「なぁ、こんな年寄りが生きていてもこの先何がある?逆に儂よりももっともっと若い女子供はこの先どうなる?今のところは帝国の奴ら共はそう悪さはしていねえさ。同盟の兵士共を殺しまくった以外にはな。だがな、勝利者の軍隊ってのはいつかはおごり高ぶって、無抵抗な女子供をいたぶり続けるんだ。お前も知っているだろう?」

「・・・・・・・・。」

「儂はここに来る前にある人間に世話になりっぱなしだった。足腰も自由に動くこともままならない儂を、どうしてこんなに助けてくれるんだと最初は思った。警戒もしたさ。なけなしの虎の子を盗まれるんじゃないかってな。」

「・・・・・・・・。」

「結局は理由なんてなかったさ。人が人を助ける。そんなものにいちいちご立派な理由がいるか?」

「・・・・・・・・。」

「儂はあの世話になった人間が、そして今同盟にいる大勢の非力な人間が、帝国のクソ野郎どもに蹂躙されるのが許せねえだけだ。」

 

 老人の言っていることは単純な話だったが、それはとても純粋な気持ちだという事はリオンにはわかった。だが、それでもリオンは疑問を呈さずにはいられない。

 

「・・・ローエングラムの奴を斃したところで、同盟が救われない可能性もあるだろうが。」

「知らねえよ、そんな未来のことまではな。だが、少なくともローエングラムの奴を斃せば、ある程度は侵攻の手が止まるんじゃねえかと思ってる。第一あの若造がいなければ、誰が帝国を指揮するんだ?奴ほどの人間が自分に反発する芽を放置すると思うか?めぼしい人間は当に奴に殺されちまっているに違えねえんだ。」

「・・・・・・・。」

「後はお偉方が何とかしてくれるだろうよ。儂みたいな巡航艦の艦長はどうやって目の前の敵を殺すかを考えるので精いっぱいだ。難しい理屈なんぞわからねえからな。」

「・・・・・・・。」

「さて、どうする?」

 

 話は終わったという事だろう。艦長は口を閉ざし、やおら内ポケットから取り出した煙草に火をつけ、深々と吸い込むと、勢いよく煙を天井に吹き上げた。リオンはその煙をぼんやりと見つめていた。その煙を追って、切れ切れに脳裏に自分の言葉が木霊する。

 理由なんて御大層なものがいるか――?

 俺は何の為にここにいるんだ――?

 借金取りから逃げるためだろう――?

 あぁ、単純な理由だ。あのローエングラムとかいう若造を殺すためなんかじゃない――。

 けれど、今ここで降りても借金取りから逃げられるか――?

 それ以前にあの3人を、この目の前の親爺を俺は見捨てて逃げるのか――?

 俺はそんなにきたねえ人間だったのか――?

 違う!!!!俺は・・・・俺は―――!!!!

 

 リオンは顔を上げた。艦長は煙を追って天井に視線を向けている。

 

「わかったよ。」

 

 艦長はリオンに視線を向けた。

 

「俺もかつてはエース・ジョーカーと呼ばれた男だ。その名にかけてアンタの事を守り切ってやろうじゃねえか。その代り下手をうって違う艦に突進しねえように気を付けろ。」

「てめえ誰に物を言っていやがる!!!」

 

艦長の怒声が飛んだが、次の瞬間大笑いしていた。それにつられるようにリオンも笑う。

 

二人の覚悟は決まった。

 



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第十三話 枷からの解放

 

 

 

 ミーナハルトはスーパーの袋を玄関先に降ろし、ほうっとため息をついた。

 

ここを出たのはつい数時間前の事なのに、何年もここに戻ってきていないのではないかと思ったほど、先ほどの統合作戦本部とこの自宅との世界は別物だった。電気もついておらず、片付ける暇もなかった荒廃したリビングの惨状がかすかに闇に浮かび上がって見える。

 

「フリオ?」

 

 そう呼びかけながらも、返事は帰ってこないとわかっていた。情けないことに、今の自分は家の事よりも、ずっと別の事、あの、統合作戦本部で話し合っていた時の時間の方が好きだったとわかっている。

 

(情けない、わね。)

 

 もう一度と息を吐きだしながら、玄関に腰を下ろし、靴を脱ごうとした時だ。勢いよくドアが開かれた。眩しさに眼を細めながら見上げると、そこに若い男の影が立っていた。

 

「フリオ、どこに――。」

「お前にもう俺の名前は呼ばせねえ。」

 

 声変わりをしたてのガサガサした声がミーナハルトの問いかけを遮った。

 

「邪魔だ、どけよ!!」

 

ミーナハルトを突き飛ばすようにして中に入ると、勢いよく階段を駆け上がる。暫くすると、何やら二階でのたうち回るような音がした。だが、それは今まで聞きなれた狂騒曲とは異なる、何らかのはっきりとした目的がある行進曲だった。ミーナハルトは唖然として階上を見つめるばかりだった。

 

「運の悪いときに鉢合わせをしたな、いや、正確にはあの子、そして儂にとって、という意味だが。」

「――――!!!!!!!!!」

 

 ミーナハルトは顔面を一気に蒼白させ、声の主を振り返った。玄関から差し込む陽光は午後の日差しだったが、それを遮る肥満体がそこにあった。

 

「ラザール・・・ロボス・・・・。」

 

 禿げ上がった額、しわのたるんだ顔、かつての名副校長、そして名指揮官と言われた影はどこにもない。ただ眼光の鋭さが往時の残光を残している。白い開襟シャツを着て、白のスラックスを履いている。

 

「儂からの手紙を見たかどうかは知らんが、未だお前からの返事を受け取っていないところを見ると、おおよそお前の心情は明らかだ。そのことについてどうこう言おうとは思わん。だから、お前に行っておく。これから儂らが行う事に一切口出しは無用だ。お前は儂らとは縁が切れた。」

「縁・・・・。」

 

 この男からそんな言葉を聞くとは思わなかった。あの時、そして、ロボス・ファミリーが崩壊してから縁などと言う言葉はこの世界に存在しないと思うようになったからだ。

 

「フリオは儂が預かる。」

 

 ロボス元元帥は冷然と言い渡した。そのことにミーナハルトは驚いていた。散々今まで認知を拒否してきたロボスが、いともあっさりと自分の子であることを認めたこと、ましてやその子を自分の手に引き取ると言い出したことにである。

 あなたはどこかに頭をぶつけておかしくなったのですか?いや、それとも正気に戻っただけ?そんな台詞がミーナハルトの喉元にまで迫っていた。

 

「そして、二度と儂らの前に姿を現さんで欲しい。」

「それはどういう――。」

「今更偽善ぶるな!!!!」

 

 往年の名指揮官の残光の名残は、怒声にも表れていたようだった。戦場を幾度も叱咤し、全軍を震え上がらせ、かつ高揚させたあの声をミーナハルトは思い出していた。だが、色合いは全く異なるベクトルのものなのだと感じた。

 

「儂を放置しておいたことはまだいい。お前の心証もある。だが、だからと言ってフリオをあのように放っておくとはな。もっと儂が早く知っていれば手をうったものを。」

「あなただって、私たちには一顧だにしなかったではありませんか。それを今更――。」

「お前が拒絶したのではないか!お前はあの子を義務的な範疇を越えてみたことは一度もなかっただろう。儂がただ長年生きていただけと思うか!?お前のあの子に対する態度はあの子にあって5分もしないうちにとうに見抜いておったわ!!」

「・・・・・・・っ。」

 

 ミーナハルトは胸に鋭い痛みを覚えた。ロボスに対して言ってやりたいことは山ほどある。また、ロボスの言う事は自分を棚ざらしにして言ったので何の説得力もないこともわかっている。けれど、自分がフリオにしてきた事、それを思うと、今目の前にいるこの醜悪な老人に対して何ら言い返せないのが現実だった。

 

「そうだとしても、あなたが私とあの子にした仕打ち、いいえ、正確に言えば私たちがあの子にした仕打ち、それを消すことはできないでしょうよ。」

 

 ミーナハルトが震える声で言った時、背後に物音がした。階段を下りてきたのはフリオだった。リュックを背負い、その中にこまごまとしたものを入れているのだろう。彼は母親の視線を浴びると、一瞬陽光に向かいあった時のように眼を細めたが、視線を背けると、横を素通りして、靴をつっかけるように履くと、急いで陽光の下に歩み去ってしまった。

 

「私がこんなことを言う事ができないことは承知しているけれど、それでも言わなくてはならないとずっと思っていた。あなたがしたことは、私的には私とあの子、そしてあなた自身を苦しめたこと。そして、公的には同盟を衰退させる決定打を作ったこと。それだけはどんなことをしても消すことはできない事実よ。」

 

 ロボスはそれに対して怒声を浴びせなかった。ミーナハルトの瞳を冷然と見返しながら返した次の返答は彼女の弾劾に対して肯定も否定も現していなかった。

 

「お前は候補生時代から、そして儂の副官となった時もそうだったな。どんなに階級の離れた上官であろうとも、そう、たとえそれが儂であろうとも言うべきことは言った。あの男のようにな!!」

「あの男・・・・?」

「ヤン・ウェンリーだ。彼奴が英雄になったのとは対極的に儂やパエッタは沈んだ。もっともパエッタは儂に対しても含むところがあるように見えたがな。」

「・・・・・・・・。」

「儂が何と呼ばれているか知らんとでも思ったか?『耄碌したジジイ』『帝国の女スパイに性病を移された間抜け』『アルツハイマー病を発症』往時儂が功績を上げていた際には陰口ひとつでなかったというが、ひとたび儂が失敗すればこのありさまだ。」

 

 ロボスは先のやり取りで肩で息をしていた。その様子から、ロボス自身にも病気があり、それも軽症でないことはミーナハルトにも見て取れた。にもかかわらず、ロボスはそれを現そうとはしていない――。

 ミーナハルトは奇妙な感覚に襲われた。この人は、本当に耄碌していたの・・・・?それとも――?

 

「もはや儂が戦場に立つことは許されんだろう。一度地に落ちれば、どうあっても忘れられることはない。それはお前の言う通りだ。だから・・・・・。」

 

ロボスは一通の紙片を取り出した。

 

「お前が不在なら、おいていこうと思っていた。だが、それも不要になった。」

 

宙にそれを掲げると、ロボスは思い切りよくそれを引き裂いた。バラバラに散った紙片は折から噴出した風に乗って四方に飛んでいく。

 

「儂にできるのは、せめてお前を繋いでしまった枷を外し、お前を解放してやることだ。そしてそれはあの子の意志でもある。」

「・・・・・・!」

 

ミーナハルトは眼を見張った。聞き違えたのかと思った。夢を見ているのではないかと思った。ロボスがこのような言葉を吐くこと自体が幻か幻影を見ていなければ起こりえない事なのだから。

 

「あの子の事なら心配はするな。たとえ儂が死んだとしても、困らぬように手をうっておく。お前はもう儂やあの子とのことを気にする必要はない。いいな?」

「・・・・・・・。」

「そんな顔をするな。」

 

 ミーナハルトがロボスから顔を背け、眼をきつく閉じているのをロボスは冷然と、だがどこか哀愁ただよう表情で見下ろしている。

 

「お前には迷惑をかけた。お前は本来儂の元にいる人間ではない。こんなことを想像するだけで吐き気が伴うが、儂は思う。もしお前がヤン・ウェンリー、シトレ、そしてビュコックの元にいれば、どれだけ才能を開花させたのか、とな。」

「・・・・・・・。」

「今更言っても詮無き事だったな。」

 

 それを最後にロボスの言葉は聞こえなくなった。ついで静かに地上車が走り出す音が聞こえ、それも止んだ。ミーナハルトの膝の上にロボスが引き裂いた紙片が落ちかかった。その断片を見た時、ミーナハルトはその手紙の筆跡の主が一人ではなかったことを知った。

 どうしようもなく感情がこみ上げ、声を殺して嗚咽した。それがどんな色合いの感情なのか、ミーナハルト自身にさえわかっていない。ミーナハルトはいつまでも玄関先に座り込み、暗くなるまで動こうとはしなかった。

 



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第十四話 同盟軍艦隊最後の出撃

 

宇宙暦799年12月10日――。

 

 

 

宇宙艦隊総司令部――。

 

アレクサンドル・ビュコック元帥はがらんとしたオフィスを見ながらただ一人の御相伴役と共に広いオフィスのガラスから見える風景を楽しみながらコーヒーを飲んでいた。

それもそのはずで、既に全部隊の進発準備は完了し、後は総司令部がハイネセン国際空港に移動してシャトルに搭乗するばかりとなっていた。

 

「予定よりも3日遅れてしまったが、ようやく出発できるというわけじゃな。」

 

 12月7日進発という命令を発したものの、やはり訓練不足である自由惑星同盟の将兵にとって、進発準備すらも重荷だったらしい。全将兵の3割が新兵であり、3割が兵役を終えて久しい退役軍人とあっては無理からぬものである。「大人だけの宴会」といっても、それとイコール熟練した軍団というわけではなかったのであった。

 それでも3日程度の遅れで済んだのは、自由惑星同盟の商人たちの尽力があってこそだった。補給物資の運搬、兵器の運搬等、軍の輸送艦の不足から期限内に準備を実行できない感が否めなかった。彼らの協力がなかったら、今頃の準備に奔走していただろう。

 

「真の国難によって、その国の本当の国力がわかる、と以前言われたが、まさにその通りというわけか。」

「この国を失いたくない人が大勢いるというわけですな。皆現体制に随分と不満を漏らしていましたが、それでもこの国そのものが嫌いだというわけではなかった、という事でしょう。」

 

 ビュコック元帥の隣でコーヒーカップを傾けているのはクブルスリ―大将だった。

 

「いいや、それもあるじゃろうが、儂は単にあの『小僧っ子』に負かされるのが嫌だから、という事だけだと思うのじゃがね。貴官もそうじゃろう?自分の子供ほどの相手に負かされるのははなはだ不本意というわけじゃろうて。」

 

 そう言いながら、愉快そうに老元帥は笑う。それとは対照的にクブルスリー大将の顔色は悪い。

 

「小官が御供できればよかったのですが・・・残念です。」

 

クブルスリー大将はコーヒーカップを礼儀正しくソーサーに戻しながら、無念の色を浮かべている。彼は未だ病気療養中であり、どうにか歩けるようにまでは回復したものの、宇宙艦隊に乗り組んで戦うなどという激務はできないと医者に強く止められていたのだった。

 

「表向き統合作戦本部長代理であるロックウェル大将が留守を務めるが、貴官には『その後』を引き受けてもらいたいのじゃよ。シドニー・シトレ元帥と共にな。」

「それは承知しております。ですが、閣下、同盟に『その後』という未来が果たしてあるのでしょうか?」

「ヤン・ウェンリーがいる限り、儂はそのように思っておるがね。」

 

 そう言いながら、ビュコック元帥がおかしそうに笑ったので、クブルスリー大将はいぶかし気な表情を浮かべた。

 

「いや、これはある意味で笑い種になるかもしれんと思ってな。確かにヤン・ウェンリーを儂らは頼らざるを得ん。だが、それは当の本人にとってはさぞ迷惑な事じゃろうし、一人の人間に全同盟の命運を託すなどという事は、それこそ英雄の出現を期待するようなもの、ルドルフ・フォン・ゴールデンバウムの再来を期待するようなものではないかな?」

 

 クブルスリー大将は今度こそ顔をしかめざるを得なかった。同盟が末期症状の様相を呈し、言動を監視する網が以前と比べて緩やかになったとはいえ、この老提督の発言は自由惑星同盟の首脳部にとっては好ましからざる発言であることには変わりがないのだから。

 

 それでも、とクブルスリー大将は思う。口先ばかりの政治屋と比べて、この人は有言実行をする。今度の戦いにしても生還を期していないことはクブルスリー大将にははっきりとわかっていた。だから――。

 

「閣下。何故閣下はそこまで同盟の為に命をおかけになるのですか?」

 

 老元帥の発言をとがめるどころか、自身もまた往時の同盟であれば好ましからざる発言をしてしまったのである。

 

「さぁて、そのような事はあまり考えるのは苦手でな。いや、言葉に出すことが難しいという意味じゃよ。人間という物は得てしてそういう物ではないかな?行動にその度に言葉を添えていては、儂らは今の業績の万分の一も挙げてこられなかったのじゃと思うがね。」

 

クブルスリー大将は苦笑した。まったくその通りだとおもう。本当に拉致のないことを聞いてしまった。何故なら老元帥の気持ちは自分にもわかるからだ。それを言葉にできないだけで・・・・。

 

「おっしゃるとおりですな。」

 

 クブルスリー大将がそう言った時、ドアがノックされた。

 

「入って構わんよ。」

 

 言葉に応じて入ってきたのはチュン・ウー・チェン大将と、もう一人――。

 

 ミーナハルト・フォン・クロイツェル大佐だった。あの後、ミーナハルトは荷物をまとめ、身辺整理をした後に、正式に宇宙艦隊総司令部を訪れ復帰を志願したのである。

 

* * * * *

 

「息子さんのことは良いのですか?」

 

老元帥が口を開く前に、チュン・ウー・チェン大将は彼女に念押しをした。ミーナハルトは事情をすっかり話した上で、

 

「あの子にはもう私は必要ありません。あの子は既にあの子自身の道を歩み始めています。それを今まで止めていたのは私自身でした。その枷は私自身も縛っていたことに気づかせてくれたのは、皮肉なことにあの人でした。」

 

 口もとには一切笑いは見られないが、眼はすさんだ疲労の色を浮かべてはいなかった。代わりに宿っていたのは強い決意の色である。

 

「だから、私はやりたいことをやるためにここに来ました。もしも、私が違った道を歩んでいたならば、間違いなく来るはずだったこの場所に。」

「しかしな、お嬢さん――。」

 

 老元帥はそう言いかけたが、口をつぐんだ。老元帥の発言を許さないほど今の彼女は強い決意の色を浮かべていたのである。老元帥はチュン・ウー・チェン大将が志願した時の事を思い出した。あの時の彼の表情は柔らかかったが、それでいて有無を言わさない色がうかんでいた。今の彼女はその柔らかさがないが、ベクトルの方向はチュン・ウー・チェン大将の物と一緒だった。

 

「それに、試したいことがあるのです。こんなことを言うと、このような時にと蔑まれるかもしれませんけれど・・・・。」

「それは何かね?」

 

 チュン・ウー・チェン大将の問いかけに、ミーナハルトの胸が上下した。それまで浮かべていた強い決意の色に違うエッセンスが混じり、微妙に違う色になったのである。

 

「以前私はロボス・ファミリーの下で副官を務めていたことは話しましたが、一時期シドニー・シトレ大将閣下の下でも作戦参謀をしていました。第五次イゼルローン攻防戦の実質的な作戦立案は私でした。」

 

 初めての発言にチュン・ウー・チェン大将もビュコック元帥も顔を見合わせあった。「味方殺し」がなかったならば、あと一歩で要塞を陥落させていたといってもおかしくないといわれていた第五次イゼルローン攻防戦。その実質的な作戦立案が目の前にいる女性がしていたとは――。

 

「君はしかし、若すぎはしなかったのかね?」

「ですから『実質的に』と申し上げたのです。たかだか勤続数年の20代前半の言葉を司令部が信じるはずがありませんから。・・・・・申し訳ありません。誇示する意味で申し上げたのではありません。それは――。」

「カイザー・ラインハルトに挑戦したい、ということかね?」

 

老元帥の言葉にミーナハルトは、ハッとした顔色になった。

 

「これはまたとない機会じゃからな。貴官はカイザー・ラインハルトよりも年上とはいえ、それでも十分に若い。ヤン・ウェンリーよりもな。」

「あのイゼルローン攻防戦があるまでは、私も力を前提とした戦いぶりを考えていました。ですが、あの方は違いました。私・・・・はっきりと申し上げてまだまだ自分が未熟なのだと思わざるを得ませんでした。」

 

 あのヤン・ウェンリーの「手品」は誰一人として予想だにできなかったものだ。仮にラインハルトに比肩する天才がいるとすればそれは間違いなくヤン・ウェンリーであろう。チュン・ウー・チェン大将はそう思ったが、それを口に出して言う事はしなかった。

 

「今回の戦い、私もヤン閣下、そしてお二人を見習って私なりに随分と考えてきました。少しでもお役に立ちたいのです。そしてそれは先ほど申し上げた通り、カイザー・ラインハルト・・・いいえ、ラインハルト・フォン・ローエングラムに挑戦することでもあります。」

「・・・・・・・・。」

「一介の佐官がこんなことを申し上げて御不快に思われたかもしれませんが、お願いします。私を連れて行っていただけませんか?」

 

ミーナハルトがカイザー・ラインハルトをその実名で言ったことは「対等者」として相対したい意志を現したことに他ならなかった。ラインハルトからすれば噴飯ものであるかもしれないが、それでもその意気だけは買うだろうとチュン・ウー・チェン大将は思った。

 

「貴官の発言の真意を聞いて好ましからざると思う将官はおるじゃろうな。じゃが、敢えてそれを言った貴官がここにいることを儂は嬉しく思う。」

 

 アレクサンドル・ビュコック元帥の表情が和らいだ。

 

「いいじゃろう。貴官を艦隊総司令部幕僚部に迎え入れることとする。ようこそ。」

 

 ミーナハルトの眼が見開かれ、一筋の涙がつ~っと頬を伝い落ちた。彼女はそれを恥じたように顔を赤らめると、コーヒーを御入れ致します、と席を立った。それが彼女の艦隊幕僚としての第一の仕事となったのである。

 

 所属前のミーナハルトの籍は情報三課であったが、チュン・ウー・チェン大将とビュコック元帥は彼女の所属を宇宙艦隊総司令部幕僚部に移動させた。

 

これにあたって、アレクサンドル・ビュコック元帥は混乱に乗じて一つの「悪巧み」をしたのである。どさくさに紛れてミーナハルトの階級を一気に2つもあげてしまったのだ。これには本人も驚いたが、老元帥の「不要な物ではあるまいし、持っておいて損にはならんじゃろう。」と言う言葉に押し切られた形になった。

 

 

 

* * * * *

そのミーナハルトとチュン・ウー・チェン大将がここにやってきたのは、全ての準備が完了した事実に他ならなかった。

 

「閣下、全艦隊の進発準備、完了しました。ハイネセン国際空港においてロックウェル大将閣下らがお待ちしております。」

 

 チュン・ウー・チェン大将がいつもと変わらぬ声で言った。

 

「そうか。時間じゃな。」

 

 ビュコック元帥はクブルスリー大将を見た。

 

「貴官にはいろいろと世話になったな。そして今後も世話になるじゃろう。手間をかけるな。」

「閣下、後方の事は私にお任せください。そして後掃除の事も。」

 

 ビュコック元帥とクブルスリー大将は固い握手を交わした。老元帥の手を握ったクブルスリー大将の手にはごつごつした節だこだらけの固い手の感触が伝わってきた。

 その手にいつの間にか差し込まれたものがある。クブルスリー大将が手のひらを開けると――。

 

 宇宙艦隊司令長官のオフィスのカードキーが入っていた。

 

思わず敬礼をささげたクブルスリー大将の眼にはチュン・ウー・チェン大将らに助けられ、杖を突いてオフィスを出て行こうとする老提督の背中が見えた。

 

「ですから閣下。」

 

クブルスリー大将の呼びかける声に、ビュコック元帥らの足が止まる。

 

「どうかお元気で戻ってきてください。小官らはいつまでもお待ち申し上げております。」

 

 老元帥は何も答えずに、ただ右手だけを上げて見せた。彼らがオフィスから出て言った後も、クブルスリー大将はその姿勢のまましばらく動こうとはしなかった。

 

静かな乾いた音がした。振り返ると、たった一冊残されていた冊子がデスクの上に置かれている。脇にクリスタルガラスの文鎮がある。重し代わりに置いていたのだろうが何かの拍子に外れてしまったのだろう。

 

 クブルスリー大将が手を取ってみると、それは同盟憲章の冊子だった。



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第十五話 マル・アデッタへ

 

 

 首都星ハイネセンを出立した自由惑星同盟最後の艦隊は、アレクサンドル・ビュコック元帥の指揮のもと、予定よりも3日遅れて出立した。

もっとも、首都星ハイネセンに集結していたのは全艦隊ではない。各地域から遅ればせながら参戦した艦隊が続々と合流を果たし、最終的に約22,000隻を数えるまでに膨れ上がった。これだけの艦隊をあの短期間でそろえられたことについては、まさに奇跡と言っていいだろうが、内実は楽観できるものではなかった。

 艦隊の編成内容としては、戦艦、航宙母艦等はそう多くなく、もっぱら巡航艦と駆逐艦が中心となっていたからである。さらには老朽艦から新鋭戦艦までかき集めた雑多な編成になっており、それに伴う規格の部品を集めるのが困難だったが、文字どおり同盟軍全将兵が一丸となって不眠不休で働いた他、自由惑星同盟の商人たちも協力し、どうにか艦隊出動にこぎつけたのである。

 これに特務艦や輸送艦が付属し、道中の燃料弾薬補給をサポートするほか、さらに主要惑星間の航路をガーズが露払いを行って、この艦隊の進路の安全を確保した。

 

「まるで新兵を大規模演習に連れて行くようだ。」

 

 というのは、ある巡航艦に乗り組んだ古参士官の感想であったが、大なり小なり同盟軍の数少ない古参将兵は皆同じ感想を持っていただろう。

もっとも、そういう心情を抱くのは道理で、内情は不安そのものなのだ。全軍の6割が新兵あるいは退役軍人で構成されており、それらを速成訓練させながら艦隊をマル・アデッタまで引っ張っていかなくてはならない。

 

しかも、帝国軍に発見されぬように、である。

 

 艦隊の航路はガンダルヴァ星域に駐留するシュタインメッツ艦隊に発見されぬように、最新の注意を払って設定されていた。発見されぬよう、しかも、2万隻にも及ぶ大艦隊が滞りなく航行できる(しかも新兵ぞろいの)宙域となると、そう多くはないのだから。

 ヴァーミリオン、タッシリを経由してマル・アデッタに布陣するためには、相当の苦労を要した。これにはミーナハルトの立案功績が大きい。

 彼女は、囮艦隊(ガーズ)を最大限に運用し、特にガンダルヴァ星域に展開するシュタインメッツ艦隊や猛進するビッテンフェルト艦隊以下の帝国軍先鋒に対し、陽動作戦を展開せしめたのである。帝国軍と接触するギリギリのラインに、近距離専用であるが足の速い快速艦艇をまさに全方向から幾重にも展開させ、微弱な攻撃を仕掛けつつ、帝国軍を引きずり回すという技を実行せしめたのだ。

 当然これらの作戦を実行するにあたって、要所要所に強力な妨害電波発生装置及び発生特務艦を配備し、帝国軍の通信網及び索敵網を大いに混乱させたことは言うまでもない。

 

 先鋒のビッテンフェルト艦隊がこれに見事にかかり、同盟軍のガーズに引きずり回されて、帝国軍本隊との連絡がとれなくなったのはこの直後である。イノシシが罠にかかったと、同盟軍艦隊ではまずまずの幸先の良さに歓声が上がった。情報と地理の熟知、そして電子妨害戦略。数で決定的に劣る同盟軍としては手持ちのカードを精一杯切って勝負に臨む必要があったのだ。

 

 これに翻弄される形で、帝国軍はその進撃の足を鈍らせることとなる。それどころか同盟軍の本隊を見つけ出そうと、錯綜する情報を整理し、これをしらみ潰しにかかった結果、かえって同盟軍本隊の進撃路には帝国軍艦船が一隻も現れないという事になった。

 

「今のところは順調じゃな。」

 

 総旗艦リオ・グランデで行われた会議で、ビュコック元帥はパイプを弄びながらつぶやいた。

 

「はい、思ったよりも帝国軍の食いつきが良いようです。」

 

と、チュン・ウー・チェン大将。その隣で、カールセン提督が、

 

「まるで食欲旺盛な鯉みたいじゃな。少し餌をばらまけばそれにすぐに食いついてきおる。」

 

とややあきれ顔に言う。

 

「おかげでビッテンフェルト艦隊を帝国軍本隊から引きずり出すことができたのは行幸でしたな。ですが考えてみればカイザー・ラインハルトの心理からして、そうあるのが当然だったのですな。戦いたくてたまらぬという彼の深層心理が帝国軍全軍に波及していた。だからこそ、同盟軍艦隊をみるや見境なくそれを追っかけようとする。」

「それを一番に見抜いたのは、この人だよ。」

 

マリネッティ少将に答えたチュン・ウー・チェン大将の視線が隅で資料を胸に抱いて立っているミーナハルトに目を向ける。彼女は薄く頬を染めると、それを恥じるように下を向いてしまった。一同笑いそうになったが、ミーナハルトの心情を察してそれ以上彼女を話題にするのをやめた。

 

「このまま順調に航行できれば、マル・アデッタには遅くとも年末には到着できるかと思います。」

「結構。ならば、新年のパーティーはそこで行うことになりそうじゃな。輸送艦からの補給物資には気を使ってもらえそうかね?ザーニアル少将。」

「もちろんです。自由惑星同盟の商人たちの気前の良さは少なくともわが軍の補給将校たちよりはマシですからな。」

 

ザーニアル少将はリー・ヴァンチュン少将を向いた。

 

「失敬な。我が補給部も全力をあげてこれを支援するつもりですぞ。」

 

 束の間補給部と自由惑星同盟の商人たちをまとめるザーニアル少将との間でたわいない喧騒が続いた。こうした何でもない軋轢はむしろ来るべき帝国軍の大艦隊との対戦にともすれば沈黙しがちな司令部を活気づかせる薬にもなる。それを満足そうに見つめていたビュコック元帥はチュン・ウー・チェン大将を見た。

 

「そうですな、閣下。そろそろ作戦会議を実施しませんとな。」

「いや、少し待ってほしいのじゃ。まだ一人出席者がそろっていないのでな。」

「出席者?」

 

 マリネッティ少将が首をかしげたとき、会議室のドアが開いた。皆が一斉にその方向を見ると、一人の老人が車いすを駆って姿を現すところだった。彼が姿を現した途端、異様な雰囲気が会議室を包んだ。一瞬にしてしんとなってしまった会議室の空気を、傍らにたつミーナハルトは内心目を白黒させて見守っていた。

 

「レヴィ・アタンの老船長か。」

 

 思わず出てしまった言葉をザーニアル少将は飲み込む羽目になった。ぎろりというねめつけが跳ね返ってきたからだ。この老人、たとえ相手が少将であろうが誰であろうが、全く遠慮しない姿勢を見せている。

 

「おい。儂は道化師ではないのだぞ。こうみえて新兵共の訓練で忙しい。余計な時間はない。さっさと始めるならば始めてもらいたいな。」

「よく来たエマニュエル。まぁそこに移動して話を聞いてくれんか?」

 

 老人はフンと嫌そうに鼻を鳴らし、ビュコック元帥の言葉に従った。激昂しそうになる何人かをビュコック元帥は無言の威圧で制した。ミーナハルトは内心出席者たちを観察したい衝動に屈してひそかに見まわした。リー・ヴァンチュン少将は苦虫を噛み潰したような顔をしている。それに続くのがマリネッティ少将である。ザーニアル少将とトーマス・フォード少将は半ば畏敬の念をもってこの老人を見つめている。他の列席者たちは爆発寸前の顔をしていた。

 チュン・ウー・チェン大将はのんびりした顔つきだ。カールセン提督は無表情であったが、眼は注意深くこの車いすの老人を観察している。

当のビュコック元帥は苛立ちを一切表に出していなかった。ミーナハルトが驚いたことにともすれば笑いそうになるのをこらえてもいたのである。

 

「さっさと始めてくれんか?さっきも言ったが儂は忙しいんでな。」

「貴様一大佐の分際で総司令官殿に指示するか!?この――。」

「落ち着かんか、ジャスパー!!」

 

 ビュコック元帥の叱責が一人の准将を襲った。ビリビリと窓ガラスが振動しそうな勢いである。ジャスパー准将は恐れ入って沈黙した。彼はビュコック本隊の前衛を預かる身であり、勇猛果敢な人物であったが、それでも老元帥の一喝には抗しきれないのである。ミーナハルト自身もあの温厚なビュコック元帥の一喝に内心震え上がったが、ふと、例の老艦長を見ると、まるで柳に風という感じである。これには驚いた。まるで他人ごとではないか。

 

「作戦を説明しよう。」

 

ビュコック元帥は出席者を見まわした。

 

「我々の目的とするところは、カイザー・ラインハルトを斃すことただ一点のみじゃ。したがって、これを成し遂げるためには我々が持ちうるカードをすべて勝負に投じなくてはいかん。それがどんなに汚いカードであってもな。」

「ジョーカーであっても、ためらわずに投げ入れるわけですか。」

 

 トーマス・フォード少将が言う。他の一座もその覚悟を見定めるかのようにビュコック元帥を見る。ビュコック元帥はためらわずにうなずいた。

 

「この場合我々が持っている『ジョーカー』は二つじゃ。一つはカイザー・ラインハルトに対する『挑戦』。そしてもう一つはその決闘の『場所』を『整備』できるという点じゃ。」

「つまりは、こちらに有利な場所で、こちらが有利な布陣を展開し、そして敵に対して可能な限りの嫌がらせをつくす、というわけです。」

 

 チュン・ウー・チェン大将が補足した。一同顔を見合わせたが、その沈黙を豪快な笑いで破った人間がいる。レヴィ・アタンの老海賊だ。

 

「こいつは面白い。なるほど、徹底的にキタネエ手で敵を翻弄してやろうってわけか。どうせやるならそれくらい派手にやらんと面白みがないからな。」

「そうじゃよ。むろん貴官に手伝ってほしいとは言わん。貴官には既に全権をゆだねている。」

「にもかかわらず、儂をこの場所に呼び寄せたのは、言ってみればカードをどう切るのかを種明かしするということだろう?」

「その通りじゃ。ちとブリッジに似ておるかな。ディクレアラーである儂がカードを切る。貴官はダミーとして裏で立ちまわる。ディフェンダーはこの場合カイザー・ラインハルトじゃが、儂らは分の悪い手札をごまかしながら、うまく立ち回って彼よりも高いピッドでゲームを進める必要があるというわけじゃ。」

「手札はまぁ、向こうの方が多いからな。いいだろう。たとえ話はそれくらいにして具体的な話をしてもらおうか。」

 

 ミーナハルトはいつの間にか、この老人とビュコック元帥が場を支配しているのに気が付いた。この一座の中で自分と同様最も階級が下であるにもかかわらず、その場を支配することにかけてはビュコック元帥と同等の手腕の持ち主だ。チュン・ウー・チェン大将、そしてカールセン提督がそれについてこられるかどうか、と言うところだろう。

 

「儂が考えるとするところはこうじゃ。」

 

 ビュコック元帥は手筈を話し始めた。

 

 まず、マル・アデッタ星域それ自体が恒星風が吹き荒れ、無数の小惑星帯があるなど、非常に航行ができにくい難所であることを知悉しておく必要があるとビュコック元帥は述べた。そこに布陣することは要塞内部に立てこもるようなものである。だが、やみくもに布陣するだけでは味方もまた分断されることとなる。

 

ここに、一つの長大な回廊がある。

 

 幅に比して長さが長大なさしずめトンネルのような物であるが、ここにビュコック元帥率いる主力軍1万余隻が布陣する。先陣はジャスパー准将。

このトンネルにほど近いところに、もう一つう回路があることを同盟軍艦隊は知っている。主力艦隊が粘りを見せれば、敵は間違いなくこのう回路から別働部隊を回してくるだろう。

 そのう回路こそ、逆転への切り札だった。う回路の死角にカールセン提督指揮する約8,000隻がひそかに布陣して待機する。カールセン艦隊の先陣はザーニアル少将。

 さらに、4,000余隻をマリネッティ少将が率いる。これは予備兵力として温存し、カイザー・ラインハルトへの突撃の際にこれを投入して一気に勝負を決めるべく編成された部隊である。

 レヴィ・アタンはカールセン艦隊に所属するが、ビュコック元帥はすべてを彼に一任していた。よって、レヴィ・アタンがどこからどう出るかについては、同盟軍艦隊ですら把握しないという前代未聞の事態となった。だが、それだけこの艦にかける期待は大きいという事である。実を言えば、レヴィ・アタン以外にも後10隻ほど、このような特務艦が存在していたのだが、敢えてビュコック元帥はそれを言わなかった。言えば、このへそ曲がりの老海賊がさらにへそを曲げてしまう事は火を見るよりも明らかだったからである。

 

 老人はすべてを聞いても何も言わなかった。代わりにただ一言――。

 

「まぁ、儂のやり方でやるだけさ。ヤン・ウェンリーとかいう若造がここにいなくて心底ほっとした。」

 

 と、言い捨てて去っていった。その言いっぷりにビュコック元帥やチュン・ウー・チェン大将を除く一同が激昂しそうになるのをまたも総司令官は抑える羽目になった。それを見ていたミーナハルトはあの老人の言葉にまったく別の意味を見出していたのである。

 

何故、ヤン・ウェンリーを待たずに始めたのだ、と。

 

* * * * *

 

ミーナハルトはその疑問をビュコック元帥にぶつけてみた。

 

「なぜ、儂がヤン・ウェンリーを待たなかったか、か。」

 

一同が去った後、ビュコック元帥はパイプを弄びながらつぶやいた。

 

「どう思うかな?儂がヤン・ウェンリーを待っておったら、と貴官は思うかね?」

「残念ながら無理でしょう。まず、通信手段がありません。現在ヤン・ウェンリー提督の所在そのものが行方不明であり、ハイネセンからの高速通信をいたずらに発信したところで届く保証がありません。それどころか帝国軍に傍受され、逆に利用される危険性が高いです。それに・・・・・。」

「それに?」

「私自身ヤン・ウェンリー提督が参戦されることを期待していますが、時間的に無理だと思います。どこにいてもすぐに駆け付けられる位置にいるならば話は別ですけれど、今現在ヤン・ウェンリー提督がどれだけの戦力を保有しているのかすら、わかっていません。」

 

 ビュコック元帥はため息をついた。全くその通りなのである。ここに来る途上も隠密行動をとる必要性から、無用な通信は一切できなかった。ヤン・ウェンリーがハイネセンを脱出したことはビュコック元帥にもわかっていたが、その後の行方はようとして知れない。

 

 ただ――。

 

「これは儂の勘なのじゃがね。ヤン・ウェンリーの居場所はあそこしかないのではないかと思うのじゃよ。」

「と、言いますと?」

「それは参謀長、もちろんイゼルローン要塞じゃ。」

 

これにはチュン・ウー・チェン大将もミーナハルトもいささかあっけにとられた形になった。第一イゼルローン要塞には帝国軍が駐留しているではないか。

 

「わからんよ。半個艦隊でイゼルローン要塞を落としてのけた彼じゃ。もう一度その奇跡を実現しないとも限らんじゃろうて。」

「では、今一度通信を送ってみますか?あるいは艦を派遣してこちらの動向を伝えるようにいたしますか?」

 

 チュン・ウー・チェン大将の提案に、ビュコック元帥は首を振っただけだった。

 

「前にも言ったが、希望の芽は残しておきたい。たとえ本人に迷惑であろうともな。」

 

 という言葉を発した後は、手で目頭をもむようにしてそのままの姿勢で動かなくなった。チュン・ウー・チェン大将はミーナハルトに目配せして、会議室を出ていった。

 

(貴官は、どう思うかな?儂が、儂らがやろうとしていることについて、どう批評するかな?まったく・・・・・はた目から見れば無駄な戦いかもしれん。じゃが、それで帝国軍が同盟に対し少なからず態度をあらためる可能性があるのであれば、儂はそれにかけてみたい。それはおろかな夢だと貴官は思うじゃろうか?いや、貴官はそのような事を思う人間ではないと儂は思っているがね・・・・。)

 

 とりとめのない思いを遥か彼方にいる魔術師に語り掛けているうちに、いつしか老元帥は眠りに落ちていた。後に老元帥が目を覚ました時、その体にはそっと毛布が掛けられていた。

 

 同盟軍艦隊が帝国軍艦船に出会うことなく、無事にマル・アデッタ星域に入り、幾度かの猛訓練の後、その布陣を完了したのは、それから数日後の事である。ちょうど12月31日の事であった。

 



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第十六話 終極への最終コーナー

このお話も後数話で終了となります。


プシュー!!というタブを開けた時に発する音が一斉に狭い艦内に満ちる。

 

「おし、皆もらったな。んじゃまぁ、新年前祝いってことで一つ乾杯といくか。乾杯!!」

『乾杯ッ!!』

 

缶が勢いよくぶつかり合い、一斉に皆の喉に泡立った黄金色の液体が流し込まれる。

 

「うめぇ・・・・。」

 

満足げな吐息がひとしきり発せられたのち、皆が争って手を出した先にはオードブル盛り合わせがあった。車座になって座りながら食べ始めていたのは、レヴィ・アタンの乗組員たちである。

 

 ビュコック元帥の指令により、今日と明日は(見張り役等を除いて、だが。)全艦隊が休息を取っていた。すなわち12月31日と1月1日だからである。ビュコック元帥は補給部に特に指示を飛ばして、念入りに物資の放出を行うように気をかけていたし、全艦隊の補給部も抜かりはなかった。それどころか、自由惑星同盟のTV,ラジオ番組等を聞き放題にできたのである。

 

「残念だったなぁ、俺、フェザーンの番組がいいんだけれどよぉ。」

「馬鹿言うな、こんな辺鄙なところでTVやラジオを見れるってのは奇跡なんだぜ。こんな恒星風吹き荒れるマル・アデッタでどういう芸当したのかしらねえけれどよぉ。」

「そりゃおめえ、あれだよ、自由惑星同盟の商人たちが手配したって話だぜ。」

 

 あちこちでにぎやかに他愛もない話がTVやラジオの音をお供に繰り広げられる。皆、今日ばかりは日ごろのストレスを解放した格好になっていた。レヴィ・アタンの鬼艦長はこういう場所には出ない。一人静かに艦長室で過ごすことになっているのだと、古参の乗組員が新参乗組員に説明している。

 

「まぁ、しかし師匠は変わらないですねぇ。」

 

 ボビィが缶ビールを飲み干して、早くも次のタブを開けにかかっているリオンに水を向けた。リオンとボビィたち若者3人組は少し離れたところでオードブルやスナックの山を前にくつろいでいる。レヴィ・アタンの乗組員たちも三々五々、気の合った者同士で杯を交わしているからだ。

 

「何がだ?」

「こんな時になっても、訓練の時も、師匠は変わらねえって思って。」

「俺みたいな人間になってくると、もう少々の事では動じねえのさ。」

「さすが師匠!!」

「だがな、さすがに今回の戦いは大きすぎる。」

『えっ!?』

 

3人組がリオンを見た。

 

「まさかここにきてビビッて消えるなんて、言うんじゃないでしょうね?」

 

トニオがじろりとリオンを見た。それをみたボビィがトニオをはたく。

 

「師匠がそんな真似するわけねえだろ!!」

「そんな台詞を吐かれると、そう思っちまうのは仕方ないだろ?」

「トニオの言う通りだ。」

 

無口なアルベルトがトニオを掩護した。ボビィが「師匠」を擁護し、トニオとアルベルトが「師匠」に疑問を突きつける。そんな攻防戦がしばらく続いた後、申し合わせたように三人はリオンを見た。リオンは缶ビールを飲み干し、3本目を開けにかかった。

 

「いいか?お前たち。お前たちの覚悟は俺も何度も聞いた。だから、今更逃げるなとは言わん。けれどな・・・・。」

 

リオンは2本目の缶ビールの空き缶を無造作にゴミ箱に放り投げる。見事な放物線を描いて飛んだ缶は綺麗に「缶専用」と書かれたゴミ箱に収まった。

 

「命を無駄に散らすんじゃねえぞ。出撃するからには、一機でも多く敵をぶっ倒せ。そして生きて帰ることを考えろ。後先考えるな。お前らの役目はレヴィ・アタンに群がる蠅野郎どもを叩き落すこと、そして自分の命を守ることだ。」

「そりゃわかってますよ!」

「わかってねえな。」

 

リオンの言葉に3人は眼を見張った。

 

「並の人間はこんなところにはそもそも来ねえ。平素は政府だの軍だのお偉方に文句ばかり言っていやがる癖に、いざともなると結局は皆自分の命が大切だからな。だから何と言われようが平気なのさ。」

 

3つ目の缶ビールのタブを開けながら、リオンは話し続ける。3人は黙って聞いている。リオンの言わんとするところが自分たち自身ではない事に気が付いたからだ。

 

「お前らはそれがわかっていねえ。だからここに来たんだろう。命を守るなんて考えなんざ捨てちまったのかもしれねえが・・・・・。」

 

リオンは缶ビールを飲み干し、次にハイボールの缶を開けた。

 

「たとえそうであっても、俺はお前らには生き残ってほしいと思う。」

「師匠・・・・。」

「勘違いするなよ。」

 

 リオンは3人をにらむと、無造作に缶ビールの空き缶を宙に放った。一瞬部屋の明かりにきらめき、銀色に光った缶が宙を舞う。

 

「お前らは未熟者だって言ってんだ。まだまだ俺はお前らに免許を与えたつもりはねえ。俺の領域にたどり着こうなんざ数十年早えさ。俺に近づきたきゃ少しでも長生きして修行して挑んで来い。」

 

放物線を描いて飛んだ缶ビールの空き缶が、綺麗にゴミ箱に収まった。

 

* * * * *

 

宇宙の漆黒はどこまでも続く――。いったい宇宙には果てというものがあるのだろうか?

 

ミーナハルトはそんなことを思いながら、ぼんやりと缶ビールを片手に窓の外を見ていた。先ほどまで士官室でパーティーが行われていたのだが、ミーナハルトは喜んでそれに参加する気分にはなれなかった。黙って一人抜け出して、ラウンジで宇宙を見つめていたのである。

 

「皆のんびりしておるかな?」

 

振り向くと、アレクサンドル・ビュコック老元帥が立っていた。

 

「これは!!」

「あぁ、気にせんでいい。儂も騒がしいところは苦手でな。」

 

 老人は缶ビールではなく、ウィスキーのボトルを右手に下げていた。ボトルにはグラスが重ねられており、左手には何やらつまみやら小桶やらのはいった袋を下げている。

 

「どうかね?」

「・・・・・・・。」

 

 ミーナハルトは唖然と老人を見上げていたが、やがて我に返ると、小声で「いただいてよろしいでしょうか。」と答えた。老人はボトルの上のグラスを取ると、それを窓際に置き、袋から氷の入った小桶を取り出してグラスに入れ、黙って栓を開けると、琥珀色の瓶の中の黄金色の液体を注いだ。緩慢な動作だったが、それが一種の重厚さをミーナハルトに印象付けていた。

 

「あいにくと儂はサラミとチーズしか好まないでな。」

 

老人が袋から取り出したものを窓際に並べる。それの封を切り、適当な大きさに切る作業をミーナハルトは手伝った。

 

「では。」

 

 二つのグラスが乾いた音を立て、中の液体がそれぞれの喉に無言で流し込まれる。老人は半ばを飲み干し、大きなと息を吐いた。

 

「儂にも息子や娘がおったならば、こうして一緒に酒を飲んでいたのじゃろうて。」

「・・・・・・・・。」

「一度で良いから酒を酌み交わしてみたかったものじゃと常々思っておったよ。」

 

 ミーナハルトは老元帥の息子たちが戦死したことを知っていたので、何と声をかけていいかわからなかった。

 

「その願いは半ば叶ったようなものじゃな。」

 

 満足そうな吐息を吐き、残りを飲み干した老人は空になったグラスに黄金色の液体を満たした。ミーナハルトのグラスにちょっとウィスキーボトルを掲げるようにすると、ミーナハルトはすっと自分のグラスの液体を飲み干した後、素直にそれを受け取った。

 

「貴官は強いのじゃな。」

「いいえ、私はそれほどでもありません。私が以前所属していたグループでは酒豪の人間はザラにいましたから。」

「ロボス・ファミリーの事かな?」

 

 ビュコック元帥の問いかけにミーナハルトはうなずいた。あの頃の事は思い出したくもないが、それでいて一番濃密な時間を過ごしたという自覚はある。

 

「はい。ロボス・ファミリーは酒や娯楽とは無縁で24時間作戦ばかり考えている等と言われていましたが、実際は違いました。皆それを外に出さなかっただけなのです。」

 

 たとえ浴びるほど酒を飲んでも、決してそれを表に出さず翌日には機械のように仕事をする。それがロボス・ファミリーだった。特に自由惑星同盟の帝国領侵攻作戦においてそれが顕著となる。次々と起こる暴動。食糧難、そして輸送艦隊の全滅。ロボス・ファミリーは終局までの坂を転げ落ちるさ中、次々と体調を崩し、戦線を離脱することとなる。生き残った人間たちも休息に反比例して増える仕事量と酒量のために健康を害し、最後には幽鬼のようになって病院送りになった。

 

「あるいは、言えなかったか、かな。」

 

 老人はグラスを傾けて、のどを潤し、サラミソーセージを口に放り込んだ。

 

「かつてロボス・ファミリーはシドニー・シトレ・ファミリーに代わって帝国に連戦連勝をした時期があった。イゼルローン攻防戦を除いて、じゃがね。」

「・・・・・・・・。」

「人間いったんはレッテルを貼られるとそれに見合うように動きつづけなくてはならんと思いがちじゃからな。」

「・・・・・・・・。」

「あるいは自ら背丈に合わぬ制服を選んでしまったか、じゃな。」

 

 ミーナハルトはほうっとと息を吐いた。そして全く不意に別の話題を持ち出していた。それはミーナハルト自身も予期しえなかったことだった。

 

「それは同盟も同じ事ではないでしょうか。」

 

カラン、と老人のグラスの中の氷が音を立てた。

 

「自分たちは帝国を斃すことこそが使命なのだと、開国の祖、アーレ・ハイネセン以来の宿願を達成するのだと、幼少の頃からずっと教えられてきました。それは閣下、あなたもそうだったと思います。」

「・・・・・・・。」

「けれど、私は最近、本当に最近思うようになりました。正確に言えば、先ほどの宴会の時からです。アーレ・ハイネセンはこのことをそもそも望んでいたのでしょうか、と。」

「・・・・・・・。」

「こうして同盟軍最後の艦隊が出撃した後には何も残らない。そうなった時、それでも皆思うのでしょうか。アーレ・ハイネセンは最後まで抗することを望んでいたのかと。あるいはグエン・キム・ホアは最後まで抗することを望んでいたのかと。」

「・・・・・・・。」

「本当にアーレ・ハイネセンがそのような事を望んでいたのであれば、民主主義に殉じるならば死んでもよいというのであれば、敢えて反乱という道を選択したのではないですか?」

「・・・・・・・。」

「アーレ・ハイネセンは、グエン・キム・ホアは、きっと違う理想を持っていたのだと思います。」

「『生きて逃げ延びろ。』ということかな。」

 

 ビュコック元帥は穏やかな瞳で孫ほども違う女性を見つめた。今の発言を聞いたビュコック元帥は場合によってはミーナハルトを拘束することもできたはずだ。自由惑星同盟に対する侮辱罪でも何でもよい。往時の同盟軍ならばそうしたはずだし、実際そういう案件は何度も何度も起こっている。

 

「はい。生きて、生きて、生き抜いて、守り通してほしいと、そう思っているはずです。民主主義などという大層な理想ではなく『皆が笑って暮らせる世の中を。』『希望の種を。』というところでしょうか。」

「貴官に詩人の魂があるとは意外じゃったな。」

 

ビュコック元帥の口もとにかすかな微笑が灯った。

 

「だとすると、儂らがやろうとしていることは無駄だと貴官は思うかね?」

「いいえ。」

 

ミーナハルトは穏やかな瞳を老元帥に向けた。

 

「何故かね?自由惑星同盟の市民を船団に乗せて放浪の旅に同行させる方が貴官の先ほどの意見と合致するのではないかな?」

「無理です。船に比して乗客が多すぎます。それに・・・。」

「それに?」

「そもそも乗船しようと思わないでしょう。起こりつつある災害に皆本当の意味で気が付いていない。閣下もそうお思いでしょう?」

「・・・・・・・・。」

「その事実こそが、私たちがここまで来た理由なのだと思います。私たちの最後の役割は、自由惑星同盟の市民に警鐘を力いっぱい鳴らすことではないかと思うからです。」

「・・・・・・・・。」

「同盟軍の全滅によって自由惑星同盟は長い夜の時を迎えることとなります。けれどそれは永遠の物ではない。明けない夜がないように、いつかきっと、夜明けを迎えることができる。そう信じて皆は長い夜を耐え抜くこととなる。そのためにもフィルターや偏見ごしでない本当の真実を同盟に突きつけたい。閣下の狙いはそこにあるのではないでしょうか?」

 

ビュコック老元帥は長いと息を吐いた。そして残っていた黄金色の液体を飲み干した。

 

「貴官は軍隊に入隊しなければ、予言者になるべきじゃったな。」

「・・・・・・・。」

「それとも読心術士かな。もっともそんな職業があるのであれば、だが。」

「・・・・・・・。」

「そうじゃよ。儂や参謀長はそう考えてここまで軍を率いてきた。犠牲に比して得られるものはあまりにもわずかかもしれん。それも確実な物とは言えないところがある。じゃが、他に方法が考えつかんのじゃ。」

「ヤン・ウェンリー閣下がいる限りきっと希望の芽は受け継がれていくのだと思います。」

 

 ミーナハルトは確信をもって言った。だが、老人の答えはミーナハルトの確信をさらに上回るものだった。

 

「それは少し違うな。ヤン・ウェンリー個人がいるからではない。彼の存在は拠り所の一つになるかもしれんが、儂はもっと大いなる希望の芽を守り通したいと思っておる。」

「・・・・・・・・。」

「さて、少々遅くなってしまったかな。」

 

 老人は時計を見上げた。もうすでに1時を回ってしまっている。そろそろ宴も御開きにすべき時だろう。

 老人はミーナハルトのグラスと自分のグラスに残っていたウィスキーを満たした。

 

「最後にお互いの願いを祈って乾杯をするかね?」

 

 ミーナハルトはうなずいた。再びグラスが乾いた音を立てて合わさり、二人は期せずして同時に盃を干した。互いに敢えて願いを聞くことはなくそれぞれの胸の中に願いを反芻させて。何故なら互いにそれぞれの願いの内容はわかっていたからだ。

 

 万が一、自分たちが、そしてヤン・ウェンリーが倒れてなお、名もなき人々の間で希望の芽が承継されることを祈って。

 



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第十七話 マル・アデッタ星域会戦(前哨戦)

宇宙暦800年 新帝国暦2年1月15日――。

 

 帝国軍はマル・アデッタ星域に侵入した。既に同盟軍が同星域に布陣していることは判明しており、そのおおよその戦力もつかんでいる。不明なのは同盟軍がどのような戦法で迎え撃つか、というその一点であったが、帝国軍の戦意は高かった。自由惑星同盟がほぼ終焉を迎えていることは誰しもが感じ取っている。その終焉を自らの手で下す――。

いわば一つの壮大な叙事詩が終わる場面に立ち会う事への高揚感が全軍を支配しているのだ。

ただ一人を除いて――。

 

総旗艦ブリュンヒルト――。

 ラインハルト・フォン・ローエングラム――同盟軍がカイザー・ラインハルトと呼び、文字通り全てをかけてその首を狙っている――はブリュンヒルトの艦橋の椅子に座り、幕僚たちを従えてマル・アデッタ星域の乱立する輝きをじっと見入っていた。そのアイスブルーの瞳の輝きは見るものを戦慄させるほどの光を放っているが、それでいて高揚感に自我を失いような危うさは一ミリも感じられない。

 その眼はこれから始まろうとする戦いの終局までを見通しているようだった。

 

「ロイエンタール。」

 

 金銀妖瞳の元帥は若き獅子帝の背後に佇立した。

 

「卿であれば、どう挑む?あの老人に。」

 

既に敵将がアレクサンドル・ビュコック元帥であることを、帝国軍は知っている。そして、その戦いぶりもまた、同盟に進駐し軍事データを接収した際に知っている。同盟軍はデリートしたのであるが、帝国軍情報部が総力を挙げてデータの残骸から解析に成功していたのだ。

 

「卿はかのアムリッツァ会戦に至るまでの前哨戦において、あの老人と対峙したそうだな。」

「・・・はっ。」

 

 ロイエンタールにとって、あの戦いは単なるアムリッツァまでの前哨戦というわけにはいかなかった。ケンプを除く他の諸提督が、ある者は大損害を与え、ある者は壊滅寸前まで追い込んだ前哨戦において、ロイエンタールはビュコックの緩急自在な粘り強さに「大魚を逸した」形になったのである。ビュコック艦隊はある程度の損害を受けつつも艦隊としての機能を保ったままアムリッツァに撤退したのである。

 

「・・・・自由惑星同盟の将帥の中では、驚嘆すべき粘り強さ、そして幾多の経験を持った人間だと、小官は思いますが。」

 

 ロイエンタールに課せられた質問は何気ない問いと片付けるにはあまりにも重かった。彼としては、過大に敵をほめれば、それだけ自らを卑下することになるし、逆に過小評価すれば、ラインハルトに自分の器量を問われかねない。

 そこで、このような形の答えとなったのであったが、ラインハルトはすぐに応じなかった。ロイエンタールの言葉、そして目の前に展開する同盟の艦隊を指揮する敵将から発せられる彼にしかわからない嗅覚とを吟味しているかのようだった。

 

「ビッテンフェルトとの連絡は未だにつかぬようだな。先行を命じたとはいえ、本隊と分断するほど猛進せよという指令を余は発してはいなかった。ビッテンフェルトとてそれは理解していよう。だが、あの老人、いや、同盟の彼奴等はビッテンフェルトを手玉に取り、あまっさえ我が艦隊の補給部隊を襲撃し、進行を遅らせた。その手並は見事と言ってもよい。そうは思わぬか?」

「御意。」

 

 ロイエンタールはわずかに安堵した。ラインハルトとしてもかの老人を軽視しているわけでは決してないと。そしてそれによって臆したというわけではなく、むしろ強き相手に対峙する高揚感と覇気は失われてはいないのだと。

 

(もっとも、かのヤン・ウェンリーと相対した時とは比べものにはならぬだろうが。)

 

 ロイエンタールが胸の内でつぶやいたとき、エミールが入ってきた。ラインハルトにクリームコーヒーのカップを差し出したのである。それを受け取って口を付けた後、ラインハルトはロイエンタールに指示した。

 

「全軍に2時間ずつの休息を取らせよ。その後提督を召集し作戦会議を開く。警戒の第一陣はミッターマイヤーに、次いでミュラーに指示する。」

「はっ。」

 

 ロイエンタールが去った後、ラインハルトはひそかにこぶしを握り締めた。

 

(あの老人、いや、あの同盟の艦隊を完膚なきまでに葬ってこそ、私の同盟に対する感情もまた消え去る。残るは奴、そう、奴のみとなるのだ。だからこそ、この戦いはいささかも負けは許されぬ。)

 

 ラインハルトは無意識にカップに口をつけ、じっと目の前の漆黒に見入っていた。その視線は遥か彼方、未来を見通しているようだった。

 

 

* * * * *

同時刻――。

 

 アレクサンドル・ビュコック元帥率いる自由惑星同盟軍2万2000余隻は、かねてからの発案に従って展開を完了した。

 ビュコック本隊1万余隻は正面に展開してカイザー・ラインハルトを迎え撃つ。そして、カールセン率いる別働隊8,000余隻はう回路出口付近に伏兵として潜み、進撃してくるであろう別働隊に一撃を加えるべく待機している。そして、マリネッティ少将率いる4,000余隻は予備兵力としてビュコック元帥に言い含められた位置に待機している。

 

 すべての準備は整ったが、ビュコック元帥にはまだやるべきことがあった。

 

「大佐、マイクの準備はどうかね?」

「整っております。こちらに。」

 

 ミーナハルトに導かれて、マイクの前に腰を下ろしたビュコック元帥は、艦橋から階下を見下ろした。旗艦の艦長以下クルーたち全員が老提督を見上げている。そしてその光景は全軍全艦隊において同じであるのだとミーナハルトは思った。ここから見えないだけだ。

 

「あ~、さて、諸君。」

 

 老元帥は世間話をするかのように一つ咳払いをすると、平板な調子で話し出した。

 

「我々はこれからまぁ、言ってみれば『大人だけの宴会』をするわけじゃが、その宴会準備に当たった皆にまずは礼を言いたい。おかげで招待客に恥ずかしくない宴ができるというわけじゃ。」

『・・・・・・・。』

「さて、前置きはこれくらいにして、いよいよカイザー・ラインハルトを相手に一戦交えることとなるが、過度に構える必要はない。気を緩んでもらっても困るが、いつものとおりにやってもらえればよい。各員が各々の役目を果たすことこそが、勝利へのカギとなり、勝利に通じるただ一つの道になる、というわけじゃ。」

『・・・・・・・。』

「我々は自暴自棄になったわけではない。また、勝算のない戦いに身を投じるほど諸君らの命を我々は軽く見ておらん。諸君らの命はカイザー・ラインハルトと同等それ以上の物だという事を儂は承知して居るつもりだ。」

 

 ミーナハルトは淡々と言葉を並べていく老元帥を見つめていた。老元帥は望みのない戦いを勝利で糊塗するわけでも、悲壮な決意を全軍に知らしめて発奮させるわけでもない。本当にただ勝利への道標を見出し、そこに向かって全軍を導こうとしているのだ。

 

 たとえ、可能性がどんなに低くても。

 

 ミーナハルトは内心と息を吐いた。これこそが将官だ。人の上にたつべき人間だ。こういう人間がどうして最盛期に自由惑星同盟に現れず、今になって現れたのだろう。なんという皮肉だろうか。

 

「・・・・さて、儂から言うべき言葉は後数語じゃ。諸君の奮闘に期待し、自由惑星同盟軍としての力量をカイザー・ラインハルトに見せつけることを期待する。以上だ。」

 

 ビュコック元帥の演説が終わり、参謀長が盃を運んできた。中には上等の白ワインが入っている。これはビュコック元帥だけでなく全軍に配られているはずだった。

 

* * * * *

「フン、あの親爺も最後の最後にええカッコをするじゃないか。」

 

 放送を聞き終わったレヴィ・アタンの老船長がうそぶく。それを横目で見ながらリオンは盃を揺らす。中に入っている白ワインがさざ波のように揺れる。これを飲み干した瞬間から、カイザー・ラインハルトとの対決が始まるのだ。横目で例の三人組を見ると、顔色が悪い。前日のどんちゃん騒ぎの二日酔いだけではないらしい。

 

「さて、と・・・・おい!野郎ども!!」

 

 老船長が声を上げる。

 

「レヴィ・アタンにはレヴィ・アタンのやり方がある。それを忘れるんじゃねえぞ。俺はああいう紳士ヅラの戦い方は好きじゃねえ。これこそがレヴィ・アタンの戦いっぷりだという物を見せつけてこそが華だろう。違うか?!」

『そうだ!!』

『その通り!!』

『やってやりましょうや!!』

 

 老船長はうなずく。そして勢いよくグラスを掲げる。皆もそれに倣った。

 

「俺たちの勝利の為に!!レヴィ・アタンの栄光の為に!!」

『勝利の為に!!』

 

 リオンは中身を飲み干しながら、複雑な気持ちだった。勝利勝利と言いながら、この老船長は死を覚悟している。そのことに幾人気づいているのだろうか、と。

 

 リオンの視線を感じ取ったのか、ギロリと老船長がねめつけてきた。

 

「野郎ども!!持ち場につけ!!これから先は戦だ!!だがな、酔っ払って機銃を外さねえ程度には酒を許可する!!」

 

 遠慮のない笑い声が響いた。さすがはならず者の集団だとリオンは感心したが、例の3人組を見て、近寄って肩を叩いた。

 

「俺の言う通りに動け。そうすりゃ大丈夫だ。いいな、お前らついているぞ。最初の実戦がこんな大舞台。しかもエース・ジョーカーの俺がついている。実地訓練でも滅多にお目にかかれない機会だ。」

「そ、そうだよな。ボビィ。」

「あ、あぁ、トニオ。」

「と、とにかくやってやろうぜ!!」

 

 武者震いとひいき目に見てもいい震えっぷりだが、地に足はついている。

 

「ようし、頑張れよ。」

「あ、師匠よぉ。」

「なんだ?」

 

 リオンの視線にもじもじしていたボビィが意を決したように声を上げた。

 

「あの、師匠よぉ、ありがとう!俺、師匠に出会わなかったら、今頃も汚ねえ路地裏で汚ねえしみったれたシマ争いをやってた頃だ。それがこうしてこんな艦でパイロットの端くれだもんな。ホント感謝してるよ。」

「俺も。」

「俺もだ。」

 

 3人はそう言ったかと思うと、うなずき合い、敬礼をリオンに捧げてきたのである。リオンは戸惑った。自分はそのようなものを受ける立場でないし、受ける資格もない。ただの飲んだくれなのだ。

 

「師匠、言いっこなしだぜ。エース・ジョーカーなんだろ?」

 

 リオンが言いかけようとした刹那、トニオが止めた。そう言えばトニオから師匠と呼ばれたのは初めてだったな、とリオンは思った。

 

「俺たちは師匠についていく。そしてこの艦を守る。師匠と同じく最後までな。」

「お前ら・・・気づいていたのか?」

 

 周囲の喧騒を素早く見渡し、老艦長をちらっと見たリオンは小声で叱るように言った。老艦長はドラ声で手下に指示をするのに忙しい。

 

「知ってるさ。師匠のやることなんざ、全部お見通しなのさ。」

 

 アルベルトが笑って言う。

 

「こいつ、聞いていたのか?!」

「まぁ、待てよ、師匠。いくらエース・ジョーカーだって言っても、一人じゃ荷が重いぜ。こっちは新人のペーペーだけどよぉ、エース・ジョーカーと戦えるんじゃ百人力だ。」

「馬鹿!!死ぬかも知れねえんだぞ!!」

「そんなの戦場に出りゃおんなじじゃねえか。」

 

 先ほどまで震えていた奴の言葉とは思えない。リオンはボビィを、他の二人を、まじまじと見た。

 

「師匠、アンタなら信頼できる。それはたとえ俺たちが死んだとしても変わらねえさ。」

「お前たち――。」

「じゃあな、師匠。」

 

 声をかけようとした時には、3人組の背中は格納庫に遠のいていくところだった。

 

「あの、馬鹿――。」

「おい、ノッポ、てめえ、さっさと持ち場に張り付きやがれ!!」

 

 老艦長の怒声が響いた。それを受けたリオンは舌打ちしながら、格納庫に急いだ。老船長の視線が自分の背中を追っていることに気が付いていたが、振り返らなかった。振り返れば今の事を話してしまいそうだったから。

 

「くそっ、勝手にしやがれってんだ!!俺は知らねえぞ!!どうなっても!!」

 

 いいようのない感情を押し殺そうと彼は大きな独り言を叫んだ。

 

* * * * *

 

1月16日、ついに両軍は激突する――。

 

「ファイエル!!」

「ファイヤー!!」

 

 まずは敵の砲火を浴びることだとビュコック元帥は本隊を前進し、帝国軍に挑みかかったのだ。これを逃す帝国軍ではない。たちまちのうちに激しいビームの驟雨が飛び交い、そこかしこで艦が爆発四散する。数で劣る同盟軍は善戦しつつも敵に押される格好で、陣形を保ったまま小惑星帯の中に後退していった。

 

「押さえろ、押さえろよ。陣形を保ったまま後退するんじゃ。」

 

 ビュコック元帥は味方に指示を飛ばす。前衛を預かるジャスパー准将は猛将だが、駆け引きはうまい。引き際を心得て味方を最小限の犠牲で小惑星帯の中に戻していった。

 

「敵が追尾してきます。数、2個艦隊およそ1万5,000!!」

「そのうちの半数が残り半数を引き離して突入してきます!!」

「半個艦隊か。となると、第二級の将官か、どう思う?」

「閣下のおっしゃる通りでしょう。まずは様子見と言ったところでしょうか。」 

 

 チュン・ウー・チェン大将の言葉にビュコック元帥はうなずく。

 

「あのやり方では血気にはやる若手と見える。頃合いを見計らって敵を引き付け、砲撃するんじゃ。」

 

 老元帥の言葉の裏にはある秘策があった。恒星マル・アデッタの恒星風のタイミングを同盟軍は完璧にデータ化していたのである。これこそが数週間前からマル・アデッタ星域に潜んでいた理由でもあった。

 

「恒星風、来ます!!」

 

 オペレーターが叫んだ。同盟軍はあらかじめ恒星風から身を守るべき小惑星を選んで潜んでいたが、地理に暗い帝国軍はそうはいかなかった。突如噴出した恒星風をくらって陣形が混乱し、密集する部隊が続出したのである。

 

「今じゃ!!」

 

 ビュコック元帥の号令一下、斉射された同盟軍の砲火は嵐のように帝国軍を襲った。この帝国軍艦隊を指揮していたのはグリルパルツァーであったが、攻勢の前にたまらず退却指令を下さざるを得なかった。執拗な砲撃を潜り抜けて脱出した時には3割余りの犠牲を出していたのである。

 

* * * * *

「フン、まぁまぁの戦いぶりだな。」

 

 レヴィ・アタンの老艦長は腕組みをして戦いぶりを眺めている。恒星風にもかかわらず良好な通信装置のおかげで戦況はクリアに見える。これも老艦長のこだわりだ。

 

「ボス、いつ出ますか?」

「慌てるな!まだまだ戦いは始まったばかりだ。俺たちの出る幕はねえよ。例の白い船が独りでこっちに来るんなら話は別だがな。」

 

 老艦長は笑った。その眼は猛禽類のように鋭く、遥か彼方にいる獲物を見出し、捕らえようとしている。レヴィ・アタンは禿鷹のごとく、遥かなる岩山から荒野の一点の獲物を見出そうとしているのであった。

 



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第十八話 マル・アデッタ星域会戦(中盤戦)

 一進一退、と言うのではないが、帝国軍は自由惑星同盟の布陣を突破できずにいる。アレクサンドル・ビュコック元帥以下本隊1万余隻はその連携を保ちつつ敵を容易に近づけさせなかったのだ。

 

「たかのしれた敵、なぜ突破できないのだ!?」

 

 という思いは帝国軍全軍に波及し、その思いがやがて別の思いに変わるのは自然の摂理ともいうべきだろう。先陣として攻めかかっていたグリルパルツァー、クナップシュタインの両名に無言の非難の嵐が集中したのは言うまでもない。他ならぬ両人が最もいらだっているのだったが。

 

 とはいえ、帝国軍としてはいつまでもこの状態を保持しておくのは得策ではない。ヤン・ウェンリーという文字が帝国軍の脳裏を支配していた。この恐るべき魔術師は神出鬼没。ランテマリオ星域会戦のごとく、突如現れて後背から襲撃せんとするかわからなかったからだ。帝国軍としては側背攻撃を気にもかけながらの戦いとなっていたのである。

 

 う回路を進撃し敵の側背を突け――。

 

 ファーレンハイト艦隊1万5,200余隻はカイザー・ラインハルトの指令により、大きく迂回してう回路を進撃し、同盟軍の後背に出ようとしていた。

 

「敵はあの老将か。相手にとって不足はない。」

 

 ファーレンハイトはアースグリム艦橋上で不敵な微笑を浮かべていた。ビッテンフェルトと同様攻勢を得意とするファーレンハイトは、ビッテンフェルト不在を内心歓迎していた。この場合ビッテンフェルトがいれば彼が突破口の役割を担ったであろうから。

麾下の艦隊を統制進撃させつつ、ファーレンハイトは来るべき戦い、そして自由惑星同盟の終焉までを思い描いて慄然とした。それは武者震い以上の何かが生理作用を起こさせたのかもしれなかったが、ファーレンハイトはそれを恥じた。先の先まで見通すなどという事は占師にでも任せておけばよい。今は眼前の敵を撃破するただそれのみ!!

 

* * * * *

「来たか。堂々たるものだな。」

 

 ラルフ・カールセン提督は腕組みをして進撃者集団を眺めていた。敵の艦隊はこちらのほぼ倍と推定される事は分っている。であればこそ、最も効果的な一撃をどのタイミングで与えるかを彼は探っていた。

 こういう時、ザーニアル少将は口を出さない。カールセンを信頼し、その号令を待っているのだ。ザーニアルとコンビを組めたこと、そしてその差配をとったビュコック元帥に彼は感謝していた。

 

 帝国軍艦隊は進撃してくる。迅速かつ隙を見せない布陣でやってくる。一見見えない隙を見出し、攻勢をかけることこそがカールセンに課せられた使命だった。

 

「敵、指定地点まで後30光秒。」

「全艦砲撃準備!!」

 

 カールセンは号令をかけた。艦橋のクルーたちは無言でそれぞれの姿勢を取っている。敵の接近速度と位置を知らせるオペレーターの声だけが静寂に包まれた艦橋の空気を時折吹き飛ばしていく。この光景はカールセン全艦隊において同じはずだった。

 

「敵、旗艦判明しました。ファーレンハイト艦隊と思われます。」

「ファーレンハイト艦隊か、相手にとって不足はない。」

 

 帝国軍が自由惑星同盟に進駐した際に、同盟軍はひそかに各艦隊の旗艦をサーチしていたのである。当時自由惑星同盟に余力なしと思われていたから、帝国軍としても無用の警戒をしていなかったことが幸いした。

 

「ファーレンハイト艦隊、本隊と交戦を始めました!」

「まだだ。まだタイミングは早い。」

 

 カールセンは首を縦に振らない。それもそのはず、ファーレンハイト艦隊が本隊と四つに組んで戦う態勢に入らなければ、意味がないのである。本隊は反転してファーレンハイト艦隊と相対しているが、後方の帝国軍艦隊は本隊が敷設した機雷で足止めをされているらしく、動きが鈍い。これなら大丈夫だろう。

 

 ディスプレイ上に徐々に敵艦隊が指定ゾーンに入りつつあるのが確認できる。カールセンの右手が掲げられる。

 

「敵、指定地点に入りました!!」

「よし!!全艦隊、砲撃開始!!」

 

 16時20分、カールセン艦隊が攻勢を開始する。小惑星の陰から放たれた一撃はファーレンハイト艦隊の先頭、第二陣、そして旗艦周辺の護衛にまで達した。ファーレンハイト艦隊は混乱し、動きを止めたが、すぐに体勢を立て直し、後退した。

 

「そのまま突進だ!!」

 

 カールセンが叫ぶ。ファーレンハイト艦隊に一撃を加え、その隙にう回路を逆進撃するのである。ビュコック元帥と打ち合わせを入念に行ったため、艦隊がともすれば交錯しがちな距離を両者は一気に通り抜けた。

 

* * * * *

「ボス!!」

 

クルーたちの一人がたまりかねたように叫んだ。というのは、同じ「特務」を背負っている艦がカールセン艦隊の動きに合わせ、一斉に行動を起こし始めたからである。

 

「慌てるな。まだだ。カールセンのジジイ、血相変えて突進しやがったが、帝国軍に用意がないわけじゃない。逆激を受けてフクロにされちまう。その巻き添えを食っちゃ面白くねえだろ。」

「じゃあいつまでいるんです?」

「どうせ帝国軍の奴ら、泡食って反転して戻るだろうさ。つまりカールセンジジイのケツを追っかけるって寸法だ。それを黙ってみている親爺だと思うか?」

「・・・・・・・・。」

「俺たちはそこに紛れる。カールセンのジジイがフクロにされている間、親爺の先達を務めてやる。いいか、チャンスは一度きりなんだ。お前ら俺を信頼してんだろ?だったらごちゃごちゃ言わずに黙って準備しとけ。」

 

 焦りを感じていたクルーたちは、老船長の一喝を浴びると、水を浴びた様におとなしくなった。まだ戦いは始まって円もたけなわになっていない。レヴィ・アタンが出張るのはまだ後なのだ。

 

「スパルタニアンの小僧共に準備をするように伝えろ。それから今のうちに飯食っておけ。便所も済ませろ。いったん始まったら動けねえと思え。」

 

 相変わらずの言葉で乗組員たちに檄を飛ばしながら、エマニュエル老人の眼はじっと戦況を注視している。レヴィ・アタンがいくら伝説の艦といっても、艦隊同士の砲撃戦に巻き込まれれば一瞬で塵となる。レヴィ・アタンの持ち味はそこにはない。戦場を裏からひっかきまわし、獲物を見定め、猛禽類のごとく襲い掛かるのが持ち味なのだ。

 

* * * * *

 ファーレンハイト艦隊と交戦していたビュコック本隊は、敵がカールセン艦隊の動きを見てその後を追尾していくのを見ていったん砲撃の手を緩めた。

 

「状況は分るかね?」

「妨害電波が一時的に緩んでいます。恐らく敵も状況把握で通信を回復せざるを得ないのでしょう。カールセン艦隊は驀進中です。帝国軍後背に出るのにそれほど時間はかからないと思います。」

 

 チーフオペレーターが報告した。カールセン艦隊を追ってファーレンハイト艦隊が動いている。原則論から行けばカールセン艦隊を挟撃させないようにこちらもファーレンハイト艦隊を追尾しなくてはならない。だが――。

 

「それは、こちらの勝機を奪う物です。」

 

 ミーナハルト大佐がつぶやいたのをビュコック元帥は聞き逃さなかった。ミーナハルトは端正な顔立ちを老元帥に向けた。

 

「はい。我が軍もファーレンハイト艦隊を追尾しますが、カールセン艦隊を捨ておいて一気に帝国軍本営に肉薄するのが最上策だと思います。」

「貴官は、カールセン艦隊そのものを囮にすると言っているのかね?」

「はい。」

 

 ミーナハルトの眼はまっすぐに老元帥を見つめている。チュン・ウー・チェン大将はその二人のやり取りをどこか面白そうに見守っている。

 

「カールセンは長年の親友であり、気心の知れた仲だ。そんな彼を敵中に放置することは――。」

「・・・・・・・。」

「さぞ、彼は発奮するだろうて。」

 

 ミーナハルトは老元帥の表情の変化を見た。厳しい顔つきから一転、穏やかながら決意を秘めた顔に変わったのだ。

 

「貴官のいうとおりじゃな。ここでカールセンを救ったところで、我が軍の勝機はない。たとえわずかな可能性であってもそれが勝利に通じるただ一つの道であれば、それを進むことこそが我々の使命じゃろうて。」

 

 老元帥はチュン・ウー・チェン大将を見上げた。一瞬ミーナハルトを見、そしてチュン・ウー・チェン大将を見たのをミーナハルトは見逃さなかった。それが何を意味しているのか、彼女にはわからなかったのだが。

 

「小官にも今大佐が言ったこと以上の策は思いつきません。カールセン艦隊を囮とし、帝国軍の本営に突入し、カイザー・ラインハルトに肉薄し、彼を討ちましょう。」

 

 老元帥はクルーたちを見た。彼らは一斉に敬礼した。その無言の言葉こそ、彼らが覚悟を固めたことに他ならなかった。

 

「よし。では、体勢を整え、先頭集団より順にう回路に突入する。ファーレンハイト艦隊を追尾する格好はするが、う回路を飛び出すと同時に一路帝国軍の本営を目指す。全艦隊、全速前進。」

「全艦隊、全速前進。」

 

 ミーナハルト大佐の復唱号令一下、同盟軍本隊は一路う回路を目指し、ファーレンハイト艦隊を追尾する格好で突入したのであった。

 

* * * * *

21時――。

 

 帝国軍本隊と四つに組んで戦おうとしたカールセン艦隊はミュラー艦隊の前に足止めを余儀なくされていた。だが、カールセン艦隊は地の利を得ていた。あまりに艦隊速度が速く、かつ勢いよく急迫してきたため、ミュラー艦隊は万全な迎撃態勢を取れずにカールセン艦隊を迎え撃つこととなったのである。

 鉄壁ミュラーの異名をとったミュラーとしては屈辱極まりないことだった。かつてヴァーミリオン星域会戦の際、完全包囲下にあって不退転の決意で戦ったあの時と、今とでは絶対的に条件は帝国軍に有利である。それなのに、敵軍はこともあろうにミュラー艦隊を中央突破しようとしているのだ。いや、現にそうなりつつある。

 

「弾幕を張れ!!我が艦隊が突破されれば、次はカイザーの御前に敵を迎え入れることとなるぞ。ローエングラム王朝は土足で闖入する敵を迎え入れるほど寛大ではない!!」

 

 ミュラーは声をからして奮戦した。部下たちにもその気迫は乗り移り、カールセン艦隊はあと一歩のところで足を踏みしめている格好だった。後方のファーレンハイト艦隊からの砲撃もカールセン艦隊の動きを止めるのに一役買っている。

 

 このままいけば、あるいは敵の動きを押さえられるか、とミュラーが思った時だ。

 

「閣下!!」

 

 オルラウの叫びがミュラーの耳を打った。

 

「どうした!?」

「あれを!?」

 

 オルラウが指さすのと同時にミュラーは総身を汗で濡らした。同盟軍の別働部隊なのか、今目の前に展開している敵と同等それ以上の兵力が押し寄せてきたのである。

 

「行かせるな!!カイザーの御前に敵を行かせるな!!ヴァルヒ、シュナーベル、ハウシルト!!」

 

 ミュラーは彼らがディスプレイに出るのももどかしく叫んだ。

 

「なんとしても彼奴等を阻止し、カイザーを守り参らせよ!!」

『ハッ!!』

 

 後方にいた彼らは戦線にそれほど参加しておらず、最も敵に当たりやすい位置にいた。その兵力は約5,000。だが、これはミュラーの麾下3割余りを振り向けることとなり、帰ってこちらの戦線を薄くしてしまう。オルラウはそれを指摘したが、ミュラーは一蹴した。

 

 

 カールセン艦隊がミュラー艦隊を突破したのは、その12分後である。彼らは帝国軍本営を突かんばかりに態勢を整え、迫っていった。

 

* * * * *

 同盟軍本隊は全速前進で帝国軍の本営に迫りつつある。どの艦も最大戦闘速度を出していた。この場合速度こそが最大の武器になるのである。敵が態勢を盛り返す前に一気に迫らなければ意味がないのだ。

 

「行かせるかァッ!!!」

 

 その声が届いたかどうかはわからないが、老元帥が上を仰ぐと、上方からファーレンハイト艦隊が降ってきたのが見えた。カールセン艦隊の動きを追尾するのを麾下の一隊に任せ、自身は主力と共に同盟軍本隊を押さえるべく迫ってきたのである。

 

 さらに――。

 

「閣下、前方より敵です。約5,000!!」

「数は少ないが、足止めをしに来たというわけか。天晴じゃな。・・・ジャスパー准将!!」

『わかっております。ですが、こちらも損害を無視できなくなっております。増援を求めてもよろしいでしょうか?』

「閣下!!」

 

 ジャスパー准将の声に反応しようとした老元帥をチュン・ウー・チェン大将が遮る。よほどのことがあったらしい。同時に衝撃が艦に走った。直撃を受けたわけではなく、周囲にいた護衛艦の一隻が爆沈したのである。

 

「帝国軍の右翼部隊が、大きく迂回し、後方より砲撃を敢行してきました。」

 

 チュン・ウー・チェン大将がビュコック元帥に言う。

 

「右翼部隊となると、規模はファーレンハイト艦隊と同等だな。」

「旗艦が特定できました。あれはアイゼナッハ艦隊です。となれば、おっしゃる通りファーレンハイト艦隊と同規模でしょうな。」

 

 ビュコック元帥はちらと後方を見定めようと視線を送ったが、何も言わなかった。

 

「それと、カールセン部隊の足が止められたようです。ミュラー艦隊を突破したと言っても、カイザー・ラインハルトの本隊が控えており、抵抗はこれからが山場でしょう。突破されたミュラー艦隊も反転し、砲撃を加えてきております。」

「・・・・・・・。」

「幸い、敵が味方撃ちを警戒して砲撃の手を緩めていますので、多少は持ちこたえるでしょうが――。」

「次の恒星風のタイミングまで、あとどれくらいかな?」

「後8分32秒です。」

「よし。」

 

 1万5,000余隻余りの敵に後背を襲われたらひとたまりもない。ビュコック元帥は防御を厚くし、装甲のあつい特務艦を中心に防備を固めるように後方に指示を下し、ミーナハルトを見た。

 

「マリネッティ少将を呼んでくれんか。」

 

 アレクサンドル・ビュコック元帥はミーナハルトに頼んだ。まるでコーヒーを一杯所望する時の調子だった。マリネッティ艦隊4,000余隻は今まで戦線に参加しておらず、無傷で保たれていた。これこそが最後の予備兵力であり、カイザー・ラインハルトに突入するための切り札であったのである。彼らはビュコック元帥の命を受けて、カイザー・ラインハルトの本営付近のある地点に伏せていた。彼らはまさしく小惑星帯の織り成す迷宮の中にじっと潜み、機をうかがっていた。

 ジャスパー准将の要請がなくとも、ビュコック元帥は彼を投入して一気に勝負を決するつもりだったのである。

 ヴァルヒ、シュナーベル、ハウシルトの右側面に猛然と別働部隊が襲い掛かったのはその直後、21時50分のことだった。同時に恒星風が吹き荒れ、帝国軍の艦列を乱したのである。

 

 



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第十九話 マル・アデッタ星域会戦(終幕へ)

「おのれ!!」

 

 ミッターマイヤーは歯を食いしばって戦局を見ていた。帝国軍の重鎮である彼は今目の前に広がりつつある光景を見て信じられない思いをしていた。兵力で倍する帝国軍が過小の同盟軍に圧倒されている。こんなことがあってたまるものか、と。

 だが、焦燥感で猛り狂う脳裏の一点部分において彼は冷静に戦況を見てもいた。さすがは老人である、彼なればこそこれだけの戦力差でこれだけの仕事をやってのけられるのだと。

 彼の眼前にミュラー艦隊から分派した増援が新たに側面から猛然と襲い掛かった同盟軍別働部隊と本隊とに押しまくられつつあるのが確認できた。

 

「老人め、やる!!」

 

 何故自分が先陣となって同盟軍本隊に挑まなかったのか。何故クナップシュタイン、グリルパルツァー等に任せていたのか。今となっては遅きに失した後悔の臍をミッターマイヤーはかんだが、その一瞬の思いもオペレーターの声に突き破られた。

 

「ミュラー艦隊の一部、突破されつつあります!!」

「全艦隊、全速前進!!敵の間に割り込んで、カイザーを守り参らせる!!続け!!!」

 

 ミッターマイヤーは叫んだ。もはやぐずぐずしてはいられなかった。カイザー・ラインハルトの本隊はロイエンタール艦隊と合わせ約3万隻余りであるが、敵の勢いは尋常ではない。こうなると、ベイオウルフ以下が敵以上の怒涛の進撃をもって敵を阻むほかない。

 

「主砲斉射3連!!」

 

 ミッターマイヤーのお手芸ともいえる快速急行をもって殺到した艦隊は、ラインダンスのように主砲を一斉に斉射し、同盟軍に突き立てた。同盟軍は構わずに突っ込み、勢いを殺さない。彼は肉弾戦に持ち込まざるを得ないことを悟った。

 

「突入ッ!!」

 

 真っ先にベイオウルフが突っ込み、次いで負けじと麾下の各隊が続く。ミッターマイヤー艦隊が割り込むようにして突入しようとしたその刹那を、先頭集団の一部が潜り抜けていった。

 

* * * * *

「今だッ!!続けえッ!!」

 

 ジャスパー准将の叱咤激励を受けた同盟軍先頭集団に混じって一隻の巡航艦が宙を飛んできたのが同盟軍先頭集団部隊の面々の目に映った。

 

「レヴィ・アタンだ!!レヴィ・アタンが来たッ!!」

 

 同盟軍にとって、この荒くれ戦闘艦の名前は既にリオ・グランデと並んで知られていた。この戦いに参戦することも全軍が知っていたが、開戦まで所在不明なことに内心当惑していた。それがついに戦線に参加したとあって、同盟軍先頭集団の士気は一気に上がった。

 

 レヴィ・アタンの艦橋ではエマニュエル老人が吼えるようにして叫び続けている。

 

「野郎ども!!スパルタニアン発進だ!!クソッタレ野郎共がお出迎えだぞ、せいぜいもてなして差し上げろ!!」

『応ッ!!』

 

 スパルタニアンのパイロットたちは一斉にレヴィ・アタンの格納庫から飛び出していった。

 

「お前さんもいくか。」

 

 用意万端整ったリオンに整備兵の一人が声をかけた。初老の50代の男は整備兵をまとめる頭格であった。

 

「あぁ。」

「気を付けろよ。下手をうって機体を傷つけたら承知しねえぞ。」

「俺がそんなへまをするかよ。いいか爺さん。こっちも言わせてもらうが、機銃の射角は万全か?エンジンの噴射角は大丈夫だろうな?」

「俺を誰だと思っている?さっさと行ってこい小僧。」

 

 リオンはスパルタニアンのハッチを占める。視界の隅に3人組が次々と整備兵たちに肩を叩かれ、ハッチを閉めるのが映った。

 

「3号機、発艦する!!」

 

 リオン・ベルティエ大尉もまた、格納庫から宙に飛び出した。とたんに目の前を数条の閃光が走り抜けていった。戦艦からの主砲だ。どちらが撃ったのかはわからない。リオンのアドレナリンは一気に上昇した。

 

『お出迎えだ!!11時、仰角20度より敵ワルキューレ共のお出ましだぜ!!』

 

 オペレーターの声が無線越しに鳴り喚く。

 

『散開だ!!敵を通し、そのケツを蹴飛ばしてやれッ!!』

 

 リオンが叫んだ。彼は正式なリーダーではなかったが、あの一件以来仲間に信頼されてリーダー格に祭り上げられたのである。

 

『続け!!』

 

 死の天使が飛翔してきた。ビームをまき散らし、味方の艦を沈めようと蜂のように群がってくる。その後尾をスパルタニアンたちは狙い撃ちにした。爆散した光が消えないうちに、別のワルキューレたちが仲間の仇とばかりにスパルタニアンたちに襲い掛かってくる。あちこちで4つに組んだドッグファイトが展開された。

 

『お前ら、3人でフォーメーションを組んで戦えよ。敵をフクロにして、絶対にレヴィ・アタンに近づけさせるな!!』

『応!!』

 

 例の3人組に一声声を浴びせると、リオンは単騎飛びながら、ともすれば押されがちな味方を掩護し、かつ、レヴィ・アタン眼前の敵を蹴散らしにかかった。

 

(帰ってきた・・・・!!ここが俺の場所だったんだな・・・・!!)

 

 敵機を3機立て続けに撃ち落としながら、リオンは思った。酔っ払っていても、身を崩していても、結局のところ、自分はスパルタニアンのパイロットなのだ。ポプランなどはほんの小僧。そう言い切れるだけの自信と気力が40を超えた体にみなぎっているのが感じられた。

 

(だから、俺はここで死ぬ。)

 

 万に一つ、生還できたならば、その時はその時と考える。だが、今の死に場所はここだ。リオンは幸福だと思った。待ち受けているのは死のはずなのに、そしてそれはそう遠くない時間の先にあるはずなのに、この時が一番幸福だった。

 

エース・ジョーカーの名前は伊達ではない。そのことをリオンは身をもって示したのだった。

 

* * * * *

「同盟軍の足が止まりません!」

「信じられん、ミッターマイヤー艦隊の分断を受けてもなお、突進できるというのか。いったい敵の戦意はどれだけ高いのだ?」

「砲撃を継続、集中しろ!怯むな!!カイザーの御前に敵を通すなッ!!」

 

 艦隊の各部隊の指揮官たちは喚きながら戦闘指揮を執り続け、迫りくる敵を撃ち落とし続けたが、敵の勢いは一向に衰えない。

 

 凄まじい勢いで突入し、同盟軍を分断にかかったミッターマイヤー艦隊は反転して縦横無尽に敵を蹴散らしにかかった。だが、反転する一瞬の隙を突かれ、次々と艦がすり抜けていく。その中にはアレクサンドル・ビュコック元帥のリオ・グランデもあった。

 

「カールセン!支えてくれよ!!」

 

 ビュコック元帥は激励の通信を送った。8,000余隻あったカールセン艦隊は半数以下に打ち減らされていたが、元帥の激励の通信を聞いたカールセンは奮起した。残り少ないエネルギーに闘志を込めて相手にぶつけ続ける。

 

 同盟軍全体が血みどろになりながら、帝国軍の本隊のブリュンヒルト、白銀の戦艦を目指して突進を続けていった。

 

* * * * *

 一体何機撃墜したのだろう――。

 

 リオンはもはやどれくらい戦っているのかわからなかった。時間を含むすべてが止まり、その中を一人自分だけが飛翔している感覚にしばしば陥っていた。

 

『マルコ、アントニオ、聞こえるか!?』

『・・・・・・。』

『シャルロ、カール、スコット、お前らはどうだ!?』

『・・・・・・。』

 

 リオンは舌打ちした。その彼自身も血にまみれながら宙を飛んでいた。まだ気圧は保たれていたが、ワルキューレの死の間際の反撃を食らって内部の機械装置が破裂したのである。その破片がリオンを傷つけていた。

 

『トニオ、ボビィ、アルベルト、お前らはどうだ?』

 

 とっくにくたばっているだろうと思っていたが、驚くべきことに彼らは返事を返してきた。

 

『師匠、俺たちは生きてるぜ。』

『へへっ、そう捨てたもんじゃねえだろ?』

『俺たちの力、認めてくれたか?』

 

 リオンは驚くよりも先に確認すべきことをした。弾薬燃料の残りである。だが、リオン同様3人とも残りわずかだと口々に言った。

 

『よし、もういい。お前らは補給の為に戻れ。ここは俺が引き受ける。』

『でもよぉ、師匠独りで――。』

『行けッ!!まだまだ敵は多い。俺一人で支えられるうちに戻れ!!そしてすぐに戻ってこい!!』

『ボビィ、師匠の言う通りにしよう。まだ俺たちは白い戦艦を拝んじゃいない。』

『トニオ・・・・わかった。師匠、くたばったら承知しねえからな!!』

『誰に物を言っていやがる。』

 

 リオンは血の滴る眼を乱暴に拭った。左目を破片がかすり、かすかにしか見えず、彼は右目で戦っていた。その時、また一隊のワルキューレが襲い掛かってきた。リオンにすれば何十機撃ち落とした相手の一つであろうが、彼らにとっては同僚を殺された仇である。

 

『くそっ!!』

 

 右に左に、必死にとんだ。時折応戦するビームがワルキューレを撃ち落とす。だが――。

 

「残弾アリマセン。」

 

 という無慈悲な警告音がリオンの耳を打った。

 

『くそっ、何をしていやがる!早く来ねえと本当に――。』

 

 リオンの目の前にワルキューレが飛翔してきた。そのビームの射角をこちらにむけたのがわかった。旋回し、相手を交わした刹那、別のワルキューレが突っ込んでくるのが見えた。

 

『・・・・・・・・・・!!』

 

 リオンが必死によけようとする刹那、すれすれにワルキューレの死の抱擁がすり抜ける。反転した視界一杯にワルキューレの白い姿が覆いかぶさるように迫ってきた。

 

『師匠!!!』

 

 叫び声が聞こえ、ビームの閃光がワルキューレを貫いた。味方が3機、反転してリオンを囲むようにして迫ってきた。

 

『おせえぞ!何してやがる!?』

『へへっ!!これでも急いで駆けつけてきたんだ。なぁ?』

『あぁ、師匠、交代だ交代。さっさと補給に行って戻ってきてくれよ。』

『ここは俺たちが支える!!』

 

 3機はリオンを守るようにフォーメーションを展開し、次々とワルキューレを落とした。これで持ち直せる。自身も補給をしなければ、と思っていたリオンは、次の瞬間3機の眼前に迫るものを見て叫んだ。

 

『逃げろ!!逃げろ!!お前たちにはかないっこねえ!!』

 

 ワルキューレのあいつぐ撃墜を見た巡航艦が追ってきたのだ。

 

『何言ってんだ!?こいつらを斃しちまえばすぐ目の前にクソッタレ野郎がいることはわかってるんだ!!』

『いいから、逃げろ!!巡航艦とスパルタニアンじゃ相手が違いすぎる!!』

『師匠、俺たちを舐めないでくれよな!!』

『こいつらを斃さねえと、前に進めねえのなら――。』

『やるだけやってやるだけさ!!』

『やめろ――。』

 

 リオンの制止を振り切って、3機は巡航艦に突っ込んでいく。確かにそれを斃せば、カイザー・ラインハルトの本隊は目前だ。だが、相手が違いすぎる――。

 

 直後、3つの光球が明滅し、ややおくれて同士討ちを起こした巡航艦が2隻爆沈したのがリオンの目に映った。

 

『・・・・・・・!!』

 

 リオンは声が出なかった。今まで幾人も戦場で同僚の最期を見てきているが、これほど声が出なかったことはない。

 

『くそが・・・・・。』

 

 リオンは歯を食いしばった。そうでもしないと悲鳴が上がりそうで駄目だった。

 

『くそぉっ・・・・!!親父!!』

 

 血達磨になりながらリオンが渾身の声を送った。

 

『応答しろッ!応答しやがれ!!突入しろ!!見ていやがるんだろッ!!わけえ奴らを死なせてジジイてめえだけが生き残ろうってのか!?』

 

 巡航艦の爆発に巻き込まれて、ワルキューレの大部分は姿を消している。目の前にある無数の輝きの中の一点がカイザー・ラインハルトの旗艦ブリュンヒルトのはずだった。

 

 もはや遮るものはない。

 

* * * * *

「最大戦速で突入!!!」

 

 老艦長が腹の底から響き渡る声で怒鳴った。レヴィ・アタンは満身創痍になりながら最大戦速で突っ込む。遮二無二遮ろうとする帝国艦船をかすめ、いささかも速度を落とすことなく、迎撃の大小の砲撃を交わしながら。

 

 

 目標はただ一つ、ただ一点――。

 帝国軍総旗艦ブリュンヒルト。

 

「何だあの艦は!?」

 

 横合いからビュコック本隊を痛打し、反転して同盟軍と戦っているミッターマイヤー艦隊後尾は突入の際に穴をあけた相手方からまるで砲弾のように飛び込んできた艦に慌てた。まるで流星のように突っ込んでくる艦はそれ自体が巨大な砲弾のような危険性をはらんでいる。この光景は偶然ベイオウルフの旗艦からも目撃できた。巡航艦が爆発四散した光球がベイオウルフ左側面を照らし、それを吹き払うようにして一筋の弾丸が飛んでいったのが見えたのだ。

 

「まさか・・・特攻か!?」

 

 ミッターマイヤーはベイオウルフにおいて敵の意図を悟って慄然とした。あの速度で突入されればいくらブリュンヒルトといえどもひとたまりもない。

 

「全艦、ブリュンヒルトの前に立ちはだかり、あの艦を落とせ!!ブリュンヒルトを死守せよ!!」

 

 彼は我知らず最大級の叱咤をもって麾下を駆り立てていた。ミッターマイヤーをして戦慄せしめるほどの速度と危険性をたかが一隻の同盟軍の巡航艦ははらんでいたのである。

 文字通り帝国軍の本隊全軍の耳目がこの無鉄砲極まりない巡航艦に集中した。それが実際の砲撃に転ずるまでさほど時を要さなかった。

 

 

* * * * *

 前へ!前へ!!前へ!!!

 

 それが乗組員すべての合言葉だった。レヴィ・アタンは流星となって宇宙を駆け巡っていた。轟音と震動が絶えずレヴィ・アタンを包んでいる。遮る艦をかすめ、時にはかすりながらも速度を落とすことなく疾走する。集中砲撃されるレヴィ・アタンは大小の被弾を受けていたが、それでも致命傷に至らないのは奇跡的と言えた。それでも――。

 

「機関部に被弾!出力が落ちた!」

「砲塔損傷!」

「ミサイル発射口、被弾!」

「構わん!すべて艦の制御と速度に機能をつぎ込め!!艦そのものが無事であればそれでいい!!」

 

 艦長は太い声で叱咤し続けていた。レヴィ・アタンのクルーたちはスパルタニアンの捨て身の攻撃を目の当たりにしていた。その死についても彼らはしっかりと見届けていたのである。彼らは涙を流さなかった。喚きもしなかった。その死の重みを胸に抱き留めて、ただ自分たちのなすべきことを成すために全力を尽くそうと誓っていたのである。

 

「射線上に艦影確認!!」

「映せ!!」

 

 スクリーンに映し出されたのは、白い鯨のような優美な艦影、ブリュンヒルトだった。

 

「ブリュンヒルト・・・・。」

 

 同盟人であっても艦の名前は誰しもが知っている。あそこにいるのだ。同盟を苦境に陥れ、滅亡しめようという元凶が――。

 

 ラインハルト・フォン・ローエングラムが。

 

 レヴィ・アタンはまるで艦そのものが意志を持っているかのように速度を倍加した。

 

「いけぇぇぇぇッ!!」

 

 誰しもが叫んでいた。砲手はありったけの集中を前面のみに向け、航海手は全力を挙げて艦の姿勢を保ち、そしてエンジン機関部はすべての生命を推進力に注ぎ込んだ。この瞬間皆の決意は一つだった。ブリュンヒルトとたとえ刺し違えてでも倒す。

 

 既に手の届くところに、あと少しで、あと少し――。

 

「後方4時から敵!!」

 

 突如悲鳴のような声が聞こえた。艦長が視線を向けた瞬間、一機のワルキューレが死の飛翔を敢行してきたのである。突入当初周りにいた味方の艦は、既に一隻もいない。

 

「よけろ!!」

 

 エマニュエル艦長が叫ぶのと、ワルキューレが艦に突っ込むのが同時だった。

 

「対空砲火、開け!!絶対に奴を近づかせるな!!」

 

 レヴィ・アタンの損傷した対空砲群が一斉に火を噴くが、ワルキューレはそれを次々とかいくぐって接近してくる。

 

「駄目です!衝突する!!」

『おい。』

 

 不意にシニカルな声が無線に割り込んできた。

 

『宇宙一のエースを忘れてもらっちゃ困るぜ。』

 

 一機のスパルタニアンが猛速度で飛翔してきたのだった。既に残弾もなく燃料もわずかだというのに、リオン・ベルティエ大尉は満身創痍になりながらも操縦かんを放さなかった。

 

 最悪な人生だ。リオンはそう思っていた。今までもそうだったし、今でもそう思う。早くに両親を失い、戦争孤児となってずっとたらい回しにされる人生だった。誰一人自分に構う者もなく、家族もいない。

 

 でも――。

 

 最後によりどころができた。一緒に暴れられる仲間がいた。最後まで自分を信じ、任せてくれる仲間と出会えた。その仲間たちは後を自分に託して散っていった。これから自分も同じことをする。あのいけ好かない親爺に後を託すのだ。

 

(悪くねえな、こういうのも。)

 

 英雄か、いや、違うな。ローエングラムの若造のケツに一発ケリをくらわした悪党として名を遺すかな。

 

『親爺、しくじるんじゃねえぞ。』

 

 そうエマニュエル老人に言うのと、彼の機体がワルキューレに激突するのがほぼ同時だった。レヴィ・アタンのすぐそばで二つの光球が明滅し、そして消えた。最後のスパルタニアンが四散し、レヴィ・アタンの周りには完全に誰もいなくなったのである。遥か後方にまだ突入をあきらめきれない同盟軍先頭集団がいるが、ここに到達するまでに時間がかかりすぎる。

 エース・ジョーカーの死を見ても、エマニュエル老人の顔色は変わらなかった。だが、その拳は固く握りしめられ、クルーたちは老船長の決意を感じ取ることができた。

 

「副長。」

 

 老船長が副長を呼んだ。

 

「はい。」

「これを受け取れ。」

 

 艦長がそう言って取り出したのは脱出艇のキーだった。

 

「お前はクルーを連れて脱出しろ。ここから先は儂一人がやる。」

「艦長!」

「馬鹿なことを!!」

「そうです!!」

 

 クルーたちが一斉に声を上げたが、艦長は一喝してそれを制した。彼は杖を使わずに必死に立ち上がると、太い声で吼えた。

 

「これからの未来、生き残らなければならんのはお前たち若い者だ!!戦で死ぬのは年よりで充分だという事がまだわからんか!!」

「ですが――。」

「これは艦長命令だ!!」

 

 老艦長の声は副長を微動だにさせなかった。

 

「生きろ、生きて、生きて、同盟を存続させろ。たとえ自由惑星同盟という器が砕け散っても、お前たちという中身があればまた同盟は復活できる!!いいな、生きろ!!」

 

 だが、誰一人として動く者はいなかった。皆それぞれの眼差しの中に同じ思いをもって艦長を見返していたのである。

 

「艦長、俺たちの心はもう決まっていますよ。」

 

 彼らは不敵な笑みすら見せていた。

 

「俺たちが死んでも、自由惑星同盟にはまだ多くの人が残ってる。たとえ俺たちが死んでも、それで自由惑星同盟を救えるなら、それでいいじゃねえですか。」

 

 クルーたちの瞳を見た艦長は、眼をそらした。彼らの眼に艦長の眼の中に光るものが浮かんだのが見えた。

 

「馬鹿野郎どもが・・・・!!」

 

 艦長は吼えるようにつぶやき、そして「カッ!!」と目を見開いた。

 

「全速前進だッ!!機関が焼き切れても構わねえ!!突っ込め!!突入だッ!!」

 

* * * * *

 敵艦一隻が次々と突破し、こちらにやってくるという驚愕すべき知らせが大本営を包んでいた。

 

「巡航艦一隻、突っ込んできます!!」

「迎撃せよ!!」

 

 ロイエンタールがブリュンヒルト艦橋で叱咤した。ラインハルト・フォン・ローエングラムはじっとその様子を微動だにせず見つめている。

 

 同盟軍のカラーである緑色の艦は、ただの巡航艦の一隻であるように思えた。だが、そのスピードが桁違いに早い。遮ろうとした戦艦はおろか、帝国軍の快速艇すらも引き離し、ビームの驟雨の中をまっしぐらに猛進してくる。

 

「駄目だ!!ものすごい速度だ!!」

「射撃管制システムでも捕えられない!!」

「そんな馬鹿なことがあるか!?」

 

 クルーたちの狼狽した声に反応してザイドリッツ艦長が叫んでいる。ブリュンヒルトの迎撃性能はそこら辺の帝国戦艦を凌ぐ。そのブリュンヒルトの砲火をもってしても仕留められないとは、いったいどういう事なのだ!?

 

「敵、巡航艦依然進路不動!!突っ込んできます!!目標、本艦!!」

 

 悲鳴のような報告を聞くまでもなく、皆がそれを知っていた。

 

「迎撃せよ!!!」

 

 ロイエンタールの叱咤が飛ぶ。それを聞くまでもなく、艦の責任者であるザイドリッツ准将もまたブリュンヒルトの砲撃手を叱咤し続けていた。

 

 

* * * * *

「敵、総旗艦ブリュンヒルトまで後15,000!!」

 

震動が艦を襲い続ける中、距離を測定するクルーがなおも叫び続ける。

 

「14,000!!」

「後部砲塔に被弾!!駄目です、全滅だ!!」

「あきらめるんじゃねえ!速力が出る限り突進だ!!」

「13,000!!」

「側面に被弾!!」

「まだまだだぁっ!!」

 

 艦首が吹き飛ばされ、穴だらけになり、満身創痍になりながらもレヴィ・アタンは突進をやめなかった。その巡航艦体に全同盟の運命を担って。

 

* * * * *

「駄目だ!衝突する!!」

 

 絶望の叫びが艦内に満ちた時、ラインハルトは麾下を見やり、そして傍らのヒルダの前に立ち、エミール少年を庇うように抱きかかえた。その前に立ちふさがったロイエンタールの背をラインハルトは認めることができた。

 

(ミッターマイヤー・・・・・。)

 

 ロイエンタールは彼方にいる親友を思いやり、一瞬瞑目した。

 

(俺は、死ぬかもしれん。だが、カイザーを守って死ねるのであれば、俺の人生には一片の意味があったのだと卿は思ってくれるだろうか。いや・・・・。)

 

 ロイエンタールは皮肉な微笑を浮かべた。

 

(俺自身が生を受け、そして生をどのように使うか、などという命題を考えていること自体、俺に似合わぬことと卿は笑うかもしれんな。)

 

 だとしても、とロイエンタールは思う。

 

(あのような艦ごときにカイザーを斃すことなど、できぬ。)

 

 ロイエンタールは満身から気迫を込めて、目の前の艦をにらみ据えた。彼はカイザー・ラインハルトを守るように立ちはだかった。ロイエンタールはこの瞬間帝国軍元帥としての立場を忘れていた。これはオスカー・フォン・ロイエンタールとあの巡航艦との真剣勝負なのだと。どちらかが眼をそらしたその瞬間に負けるのだと。

 

 

* * * * *

 白い艦体が眼前に見えていた。そう、手を伸ばせばすぐ届きそうな距離に――。

 

「クソッタレのカイザー!!」

 

 エマニュエル老人は艦橋で満身の声で叫んだ。ブリュンヒルトにいるカイザー・ラインハルトに届けと言わんばかりに。

 

「てめえは受け取れるか!?同盟の100億人超の思いをよぉ!!!そして、乗り越えられるか!?俺達全軍の恨みつらみをよぉ!?」

 

 艦橋が衝撃で半壊し、破片がエマニュエル老人に降り注ぐ。血だらけになりながらエマニュエル老人はびくともせず、目の前をにらみ据えていた。

 

「俺たちの思いが勝つか、てめえの心根が勝つか、勝負と行こうじゃねえか!!!!」

 

 もう、ブリュンヒルトまで後10秒もない。その2秒後、衝撃が来て、エマニュエル老人は車いすから放り出された。無様に床に転がりながらも、最後までにらみ続けるのをやめなかった。

 

「くたばれ、カイザー!!!!!」

「させぬ!!!!!!」

 

 レヴィ・アタンとブリュンヒルト。二つの異なる艦に乗り組んだ二人の男の気迫が、真正面からぶつかり合った。次元を超えた互いの闘志が艦を飛び出して漆黒の宇宙空間で真正面からぶつかり合う。

 

 そして――。

 

 ブリュンヒルトのディスプレイの画面いっぱいに緑色の悪魔が突っ込んできたのが、ディスプレイの画面いっぱいにブリュンヒルトの姿が飛び込んできたのが、双方のクルーたちの覚えている最後の光景だった。

 

 衝撃がブリュンヒルトを襲い、ついで大きな光球を明滅させた。周囲の帝国戦艦はそのものすごい奔流で艦列を乱した。彼らの眼には一個の隕石がブリュンヒルトに突っ込んだとしか見えなかった。

 

 この瞬間、帝国軍も同盟軍も全将兵がブリュンヒルトの方向を見ていた。総旗艦が失われれば、帝国軍は瓦解する。そして、総旗艦が失われれば、同盟軍が勝利する。だからこそ、皆がブリュンヒルトの生き死にを確認しようとしたのは当然であろう。

 

 そしてそれは、ベイオウルフに立つミッターマイヤーとても例外ではなかった。

 

「ブリュンヒルトは、どうなったか!?」

 

 ミッターマイヤーがもどかし気に叫ぶ。部下たちは慌ただしく計器を作動させ続けていたが、

 

「駄目です!衝突の際に生じた乱流が激しく、確認できません!!」

「く・・・!!」

 

ミッターマイヤーにとって生涯これほど耐え忍びかねた時間は存在しなかっただろう。わずか5分ほどだったがその5分は数時間に匹敵したと彼はのちに述べている。

 

「・・・・レーダー復活しました。・・・・・現在艦影確認できず!!」

 

 思わず崩れ落ちそうになるミッターマイヤーは懸命に体勢を立て直した。いま大本営が消滅した以上、自分が先任者として艦隊の総指揮をとらなくてはならない。

 

「・・・・お待ちください!これは・・・これは・・・・・!!」

 

 オペレーターが装置を起動させ、修正して明度を調整する。その彼方に見紛うことないあの白い流麗な艦の姿があった。

 

「ブリュンヒルト!ブリュンヒルトです!ブリュンヒルトは健在!!!」

 

 咆哮にも似た歓声が艦橋を包んだ。

 

「無事だったか!」

 

 ミッターマイヤーの安堵はその後大本営のロイエンタール本人からの通信で確固たるものになった。

 

 衝突寸前、ブリュンヒルトの眼前に立ちふさがった一隻の帝国戦艦が身を挺してブリュンヒルトを庇ったのだ。衝撃により大小の破損が生じていたがブリュンヒルトそのものと大本営は健在だった。

 

 



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最終話 遺志を継ぐ者へ――。

22時45分――。

 

 アレクサンドル・ビュコック元帥は、総旗艦リオ・グランデ艦橋でじっとブリュンヒルトに眼を向け続けていた。レヴィ・アタンの命懸けの特攻も失敗に終わった。敵の総旗艦は健在である。同盟軍の勢いは尽きようとしていた。すなわちそれは敵の攻勢が始まることを意味していたのである。

 

 攻守が逆転した。

 

「砲撃、来ます!!」

 

 既に満身創痍の同盟軍は四方八方から砲火を受けることとなった。颶風がリオ・グランデを揺さぶり、前後左右の護衛艦をなぎ倒し、四散させていく。同盟軍先頭集団は壊滅し、砲火の中に消え去っていった。

 ミーナハルトは司令長官の横顔を見つめた。事ここに至って敗北が決定的となったこの瞬間も、歴戦の老将は毛筋一つ表情を変えていない。

 

 ただ――。

 

 レヴィ・アタンの喪失を聞いたとき、一瞬何とも言えない顔つきになったことをミーナハルトは知っていた。

 

「閣下、もはや全軍の8割が失われ、組織的な抵抗は出来なくなりました。」

 

 チュン・ウー・チェン大将が決定的な一言を静かに告げる。

 

「そうか。レヴィ・アタンをもってしてもカイザー・ラインハルトを討つことはできなんだな。」

 

 最後の言葉はミーナハルトに向けられたものだった。

 

「はい。」

「しかし、あと一息じゃった。カイザー・ラインハルトがどう思ったか知らんが、帝国軍はさぞかし肝をつぶしたじゃろう。それがせめてもの慰めというわけか。」

「・・・・・・・・。」

「参謀長、大佐。全軍に撤退指令を下す。カールセン艦隊と連携し、一点集中砲撃を行い、敵陣を突破するのじゃ。」

「提督!!」

 

 オペレーターの声がビュコック元帥の声を遮った。

 

「未確認の一個艦隊が急速に接近中!!首都星ハイネセン方面からです!!」

「援軍!?」

 

 思わず声を上げたミーナハルトをチュン・ウー・チェン大将とビュコック元帥は無言で制した。わずかな希望はすぐに打ち砕かれた。オペレーターの声は180度反転して暗い悲痛な調子に変わったのだ。曰く、シュワルツランツェンレイターが到来した、と。

 ミーナハルトたちが初戦で引きずり回し、引き離すことに成功したビッテンフェルト艦隊が到着したのだ。勝機は去った。

 

「カールセン提督から、通信が入っています。」

 

 ビュコック元帥が顔を上げると、老提督の姿が映しだされた。あれだけの激戦のさ中、傷一つ負っていない。

 

『閣下。』

「カールセンか。」

『ここは小官が殿を務めます。閣下は首都星ハイネセンに撤退し、再起をうかがってくだされ。』

「残念ながら、それはできんよ。勝機は去った。そして引くべき時を儂は既に見過ごしている。儂にできることは味方を一隻でも多く逃がすことだ。」

 

 カールセンの表情はディスプレイ越しに不思議に穏やかに見えた。やるべきことをやりつくした、そんな表情だった。

 

『わかりました。では、小官も及ばずながらお力添えを致します。我が艦隊の残兵統率はザーニアル少将に一任します。』

「頼む。そうしてくれるかね。」

『閣下・・・・最後まで御供できて光栄です。』

「うむ。・・・・ありがとう。」

 

 ビュコック元帥はうなずき、今度はマリネッティ少将を呼び出した。残兵統率の指揮権を委ねると、彼はマリネッティ少将に重ねてこう言った。

 

「速やかにザーニアル少将と共に戦場を離脱し、ヤン提督の下に赴け。ヤン・ウェンリーの居場所が知れなんだのは返す返すも残念じゃがな。」

『閣下・・・・・!!』

「貴官には世話になったな。・・・・ありがとう。」

 

 マリネッティ少将は悲痛な顔になったが、涙をこらえ、うなずき、敬礼を施した。

 

「さて・・・・・。」

 

 老元帥の視線が自分に向けられたのをミーナハルトは感じた。彼女はかたくなに椅子に座り、レーダー搭載機器を見ながら、最適な脱出路を各艦に知らせる作業に取り掛かっていた。

 

「・・・・・・!!」

 

 ミーナハルトは顔を上げた。老元帥が自分の細い肩に手を置いていたのだ。

 

「貴官はよくやってくれた。じゃが、ここで死ぬのは年寄りだけで充分じゃ。」

「いいえ・・・いいえ・・・!!今回の作戦の失敗は私に責任があります。死ぬのであれば、死ぬべきは私です!!」

 

 ミーナハルトは必死に訴えようと眼を見開いた。こんな自分を拾ってくれたビュコック元帥、そしてチュン・ウー・チェン大将に恩返しがしたい。その思いで全身全霊を込めてカイザー・ラインハルトに挑んだが、作戦は失敗に終わってしまい、多くの将兵を戦死させてしまった。その責任を負わなくてはならない。どうして独り生きていられるだろう。

 

「貴官は何か勘違いをしているようじゃの。」

 

 ビュコック元帥は穏やかに言った。

 

「貴官は何一つ失策などおかしておらん。勝てる見込みがほとんどないと思っておったこの戦いをあそこまで互角に持って行けたのは、ほかならぬ貴官の功績じゃ。」

「負けているんですよ!それを・・・・功績だなんて・・・・私は恥ずかしくて・・・・!!」

「・・・・・・・・。」

「どれだけの人々を犠牲にしたか・・・・!!それでもカイザー・ラインハルトを斃すことができなかったんです・・・・・!!死にたい、いっそ死んでしまいたい!!」

「君は本当によくやった。誰も君を責めたりなどしないさ。」

 

 チュン・ウー・チェン大将は穏やかに言った。

 

「責めようと責めまいと問題ではありません。私自身の感じ方の問題です。私は・・・・!!私は・・・・!!」

 

 大粒の涙がミーナハルトの頬を伝った。

 

「役立たずです!どうしてお二人の力になれないのか・・・・悔しくて・・・・仕方ありません・・・・!!」

 

 ミーナハルトのこらえきれない嗚咽が艦橋を悲哀の色で染めた。絶対零度の懐刀とかつて呼ばれた女性は人目をはばからず号泣していたのである。

 ビュコック元帥は孫をなだめるようにそっと彼女の頭に手を当てた。涙でぬれた顔をミーナハルトは上げた。

 

「そうか。悔しいか。」

「はい。」

「そして責任を感じておるのじゃな?」

「はい!」

「であれば、貴官には責任を取ってもらわねばならんな。」

「はい!どこまでも・・・御供致します。」

「では、ミーナハルト・フォン・クロイツェル大佐。」

 

 ミーナハルトは老元帥の言葉を待った。彼女を見つめる老元帥、そしてチュン・ウー・チェン大将の表情は優しかった。どこまでも、どこまでも続く青い春の空のように――。

 

「貴官には――。」

 

* * * * *

23時――。

 

 同盟軍の残余の兵力の過半はザーニアル少将とマリネッティ少将に率いられ、戦線離脱を開始した。ビュコック元帥とカールセン中将は互いに連携を保ちつつ、自発的に志願した数百隻の手勢と共に奮闘して味方を逃がすべく努力した。

 

23時10分――。

 

 ラルフ・カールセン提督が戦死。アレクサンドル・ビュコック元帥は少数の艦と共になおも抵抗を続ける。

 

23時30分――。

 

 帝国軍の砲撃が一時停止。ミッターマイヤー元帥からの降伏勧告が届く。

 

23時40分――。

 

 アレクサンドル・ビュコック元帥は降伏勧告を拒否。チュン・ウー・チェン大将、リオ・グランデ艦長エマーソン中佐と共に戦死。

 

23時42分――。

 

 帝国軍はマル・アデッタ星域会戦における戦闘終結を宣言。

 

 

 

* * * * *

 

「・・・・・・・・。」

 

 ミーナハルトは顔を上げた。自分は今、狭い部屋のベッドに横たわっている。そのことだけはわかった。いったいどうしてこうなったのか、ミーナハルトはぼんやりとする頭で考え込んでいた。

 ドアがノックされ、横たわったまま顔を向けると、一人の女性が入ってくるのが見えた。

 

「大丈夫ですか?」

 

 帝国公用語だったが、同盟軍において帝国公用語を学んでいたミーナハルトはすぐに理解できた。かすかにうなずくと、女性は柔らかく微笑んだ。

 

「脱出用シャトルを回収した際、意識不明のあなたを見つけたと聞いたときは驚きました。たった一人で乗船されていたとのことですが。」

「・・・・・・・・。」

「ここは帝国軍総旗艦ブリュンヒルトの医療室です。大丈夫、あなたの怪我はそれほどひどくありません。脱出の際に打撲傷を負った程度だとのことですよ。」

「・・・・・・・・。」

「どうして生き残ってしまったのか、という顔をしていらっしゃいますね。」

 

 ミーナハルトはため息を吐いた。長い長い吐息の中に、どうしようもない悲哀がにじんでいた。思い出したのだ。リオ・グランデの艦橋の中で何が起こったのかを。

 

* * * * *

 アレクサンドル・ビュコック元帥はミーナハルトを見下ろしていた。床に倒れ、束ねた赤い長い髪が広がり、手足を投げ出している彼女は泣き疲れた幼児のように眼を閉じていた。

 チュン・ウー・チェン大将が、スタンガンをミーナハルトの座っていた席の上に置いた。

 

「貴官には、まだやってもらわねばならぬことがある。少々痛い思いをさせたが――。」

 

 チュン・ウー・チェン大将の合図で、クルーたちが駆け寄ってきた。

 

「皆、よく働いてくれた。クロイツェル大佐をシャトルに運んでほしい。それから先はとどまるも行くも貴官らの自由じゃ。」

「提督の御供をしたくないという連中はここにはいませんよ。残念ながら、クロイツェル大佐には我々には荷が重すぎて尻込みする特務をやってもらわなくちゃなりませんがね。」

 

 皆は笑った。ビュコック元帥もそれに和して笑い、チュン・ウー・チェン大将に助けられて、ミーナハルトをシャトルに運ぶクルーたちの後に続いた。持ち上げられるとき、そしてシャトルに乗せられた時、ミーナハルトはかすかな声を上げたが、目を覚まさなかった。

 

「閣下、クロイツェル大佐は目を覚ました時、どう思うでしょうか。」

「怒るじゃろうな。勝手に一人シャトルに乗せられたのじゃから。じゃが、儂は彼女の意志を無視し、踏みにじっても、生き延びてほしいと思う。」

 

 ミーナハルトは眼を閉じたままシャトルの椅子に横たわっている。涙の跡が頬に残り、彼女の頬を湿らせていた。

 

「自由惑星同盟は終焉を迎える。今度こそは帝国領の一部になるじゃろう。じゃが、そこに生きる人々がいる限り、民主主義の意志は彼らの中で生き続けることになる。政体に縛られない本当の自由を守り、尊重する意思がな。」

「その願いの種の一つを、彼女に託すのですな。」

「もう一つ、自由惑星同盟軍の戦い様、自由惑星同盟の最後の生き様をカイザー・ラインハルトに伝えることもな。不思議なことじゃがね、儂はカイザー・ラインハルトならばきっとわかってくれると思っているのじゃよ。自由惑星同盟のお偉方の誰よりも、我々の伝えたい思いを、な。」

 

 ビュコック元帥は横たわっているミーナハルトに敬礼した。チュン・ウー・チェン大将もクルーたちもそれに倣う。この瞬間にもリオ・グランデは敵の砲撃にさらされており、次々と被弾しているのだが、不思議なことに脱出用シャトルの一角だけは奇妙な静寂に包まれていた。

 

「閣下、敵の砲撃が・・・・止んでいきます!!」

 

 驚くべき情報が一同の耳に飛び込んできた。息せき切って走ってきたのは、艦橋に残っていたクルーの一人だった。さらに、もう一人――。

 

「閣下、ミッターマイヤー元帥から、降伏勧告の通信が入っています。」

 

 エマーソン艦長がビュコック元帥に報告した。チュン・ウー・チェン大将がビュコック元帥を見る。老元帥はうなずいた。

 

「砲撃が停止次第、シャトルを発艦させる。その手はずを準備しておいてくれ。」

 

 ビュコック元帥はクルーたちにそう言うと、チュン・ウー・チェン大将とエマーソン艦長を伴って、艦橋に戻っていった。

 

 

* * * * *

 ミーナハルトの脳裏にはビュコック元帥の最後の言葉が焼き付いている。

 

『最後まで生き、たとえ捕虜となったとしてもカイザー・ラインハルトに会いまみえ、伝えてほしい。自由惑星同盟軍の最後の戦い様を、自由惑星同盟の最後の生き様を、生き証人として伝えてほしいのじゃ。』

 

 ビュコック元帥はミーナハルトにそう言ったのである。もちろんミーナハルトは抵抗した。それから先のことはよく覚えていない。気を失ってシャトルに乗せられたのだろう。

 

「私は・・・・・。」

 

 ぎこちない声が口から出た。

 

「私はカイザー・ラインハルトに伝えにやってきました。それが司令長官からの最後の御命令だったのです。」

「御命令?何をですか?」

「自由惑星同盟軍の最後の戦い様、自由惑星同盟の最後の生き様を後世に伝えるために、です。」

「・・・・・・・・。」

 

 ローエングラム首席秘書官である女性は絶句した。自由惑星同盟は反乱軍として帝国においては憎悪の対象にしかなっていない。それを、その活躍ぶりを後世に残すために生き延びたと諸提督が知れば、カイザー・ラインハルトが知れば、どう思うだろう。

 

 違う、と女性は思った。違和感を覚えたのだ。今までのゴールデンバウム王朝であればそうだっただろう。だが、カイザー・ラインハルトは敵であろうと正々堂々と戦う良き敵には常に礼節を尽くしてきた。自由惑星同盟軍のこれまでの戦いぶり全てが彼の礼節に値するものだとは女性は思わなかったが、この最後の戦いに関してはカイザー・ラインハルトは目の前の自由惑星同盟軍軍属女性の言葉を聞くだけのことはするのではないか、と思ったのである。

 

「あなたの名前は?」

「私は自由惑星同盟軍所属、ミーナハルト・フォン・クロイツェル大佐です。」

「ヒルデガルド・フォン・マリーンドルフです。カイザー・ラインハルトの命により、あなたの世話をするように仰せつかっています。何しろここには女性の人手があまりありませんから。」

「・・・・・・・・。」

 

 ミーナハルトは顔を赤らめた。そう言えば自分は自由惑星同盟軍の軍服から柔らかな絹のガウンに着替えさせられていたが、それはこの女性がやってくれたのだろうか。

 

「フォン、という事はあなたも亡命者なのですか?」

「はい。父母がそうでした。ですが、私は自由惑星同盟に来たことをもう恥じません。この戦いに身を投じるまでの私は半ば死んだつもりでした。事実そうだったのです。でも、最後の最後で私はかけがえのない人たちに巡り合うことができました。そして・・・・。」

「そして?」

「足を引っ張るばかりでしたけれど、その人たちの生き様、戦い様を見ることができた時思ったのです。自由惑星同盟に生まれてよかった、と。」

「・・・・・・・。」

「本当はあの人たちと一緒に死ぬべきだったのかもしれません。ですが私は命令を下された身です。たとえカイザー・ラインハルトに処刑されても、伝えるべきことは伝えねばならないと思っています。」

「・・・・・・・。」

「どうか、カイザー・ラインハルトに取り次いでいただけませんでしょうか。」

 

 ヒルダは目の前の女性に不思議な感銘を受けていた。目の前の女性は華奢で繊細だったが、その女性をしてこれほどまでの言葉を言わしめる原動力とは何なのかと考えざるを得なかったのである。

 その原動力こそが、カイザー・ラインハルトの降伏勧告をはねつけたアレクサンドル・ビュコック元帥であることは明白だった。カイザー・ラインハルトには、降伏勧告を受け付けなかったことは敗者であるビュコック元帥の狭量であると述べたヒルダだったが、この女性の言葉を聞くにつれ、本当に狭量であったのかとヒルダ自身疑問を拭いきれないでいるのであった。

 

「わかりました。陛下にお取次ぎをしてまいりますから、しばらくお待ちになっていてください。」

 

* * * * *

 ラインハルト・フォン・ローエングラムはじっと漆黒の宇宙を見つめながら、自室の窓辺に座っていた。大会戦の後の終息点上にいる彼の周りには先ほどまで纏っていた列気と覇気が欠けているようにヒルダには思えた。

 

「先ほどの女性はどうか?」

 

 ラインハルトはヒルダに尋ねた。

 

「回復いたしました。会話ができましたので、おおよその事情を聞いてまいりました。」

 

 ヒルダは彼女の人となりを語り、彼女が語った言葉を正確にラインハルトに伝えた。

 

「余に自由惑星同盟軍の戦い様、自由惑星同盟の生き様を伝えるようにとあの老人に言われた、か。」

 

 ラインハルトは考え込んでいた。

 

「フロイラインは先ほど余にこう言ったな。『受け入れられなければそれは敗者の狭量なのだ。』と。」

「はい、陛下。」

「余はフロイラインの言葉を聞いてそう思っていた。先ほどまではな。だが、あの老人は敗者ではない。」

「・・・・・・・・。」

「今もこの瞬間も余に対し挑戦状を投げつけている。余があの女性をどう遇するかをヴァルハラにおいて見届けてやろうというのであろう。これはなかなか難しい問題だな。」

「・・・・・・・・。」

「敗者を必要以上に貶めることは勝者の驕慢であるが、敗者を必要以上にいたわることは勝者のすべきところではない。勝利の帰結の当然の結果がそこにあるだけだ。」

「・・・・・・・・。」

「余はかの者の話を聞こうと思う。その者の話がどれほどのものか、そして、あの老人がかの者にどのような影響を与えたのか、それを見届けてみたい。」

 

 ヒルダはうなずいた。ラインハルト・フォン・ローエングラムであればそう言うであろうと思ったことを目の前の皇帝は述べている。ラインハルトは、ミーナハルトの容体を改めるようにヒルダに命じた。

 

「フロイライン・マリーンドルフ。」

 

 ラインハルトは退出しようとするヒルダを呼び止めた。

 

「どのような政体であろうとも、結局のところその国の運命を左右するのは人なのだな。」

 

 ヒルダがはっとした時、既にラインハルトの姿はドアに遮られていた。

 

 

* * * * *

 総旗艦リオ・グランデ艦橋は静寂に包まれていた。

 

 ラインハルト・フォン・ローエングラムの顔が消えた後、アレクサンドル・ビュコック元帥はチュン・ウー・チェン大将とエマーソン艦長を振り返った。

 

「さて、どう思うかね、今後の同盟は。」

 

 まるでこれから始まる試合の予想をするかのような気軽さだった。

 

「私は占師ではないですが、一つ確実な事はあります。それは我々は閣下が御示しになった通りやるべきことをやったという事です。同盟軍の底力を帝国軍に示すことができた。結果、帝国軍にとって同盟は脅威的な存在であり続けるでしょう。カイザー・ラインハルトにとってはさほどの物ではないのかもしれませんが、その部下たちにとってはそのような存在に映ったはずです。」

「では、参謀長、成功したと見ていいかね?」

「後は、ヤン・ウェンリーの引継ぎになるでしょう。彼は、迷惑するでしょうが。」

 

 元帥は微笑んだ。ヤン・ウェンリーには悪いが、自分はやるべきことをやり、後は数瞬後に訪れるであろう死を迎えるだけだった。チュン・ウー・チェン大将と元帥の紙コップにエマーソン艦長が酒を注ぐ。上物のブランデーだった。階下のクルーたちもまた、互いの盃にブランデーを注ぎあっている。

 

「では、これで宴会も終わりじゃな。乾杯で締めくくるとしようか。」

「何に向けて乾杯しますか?先ほどは『民主主義に』でしたが。」

「そうじゃの・・・・。」

 

 老元帥が考え込んだとき、帝国軍の砲撃が再開された。無数の砲撃がリオ・グランデを貫く。あちこちで爆発がおき、アラームが鳴り響くが、皆は意に介しなかった。

 

「自由惑星同盟の・・・いや、自由の永久の未来の為に、かね。」

 

 チュン・ウー・チェン大将は微笑んだ。エマーソン艦長は応ずるように紙コップを高く掲げ、老元帥もコップを掲げ、チュン・ウー・チェン大将も階下のクルーたちもそれに和した。その時、ビュコック元帥は一人胸の内でつぶやいていた。

 

(ありがとう。大佐。ありがとう。老船長。ありがとう。自由惑星同盟軍の諸君――。)

 

 ビュコック元帥はそう心に呟きながら盃を干し、光の中に消えていった。

 




 まずは完結できたこと、ほっとしております。展開としてはそれほど飛翔することはできませんでしたが、ビュコック元帥とチュン・ウー・チェン大将、そしてそれに連なる無名の人々がどう思い、どう行動したかを書いてみたいと思い、筆をとった次第です。
 結果を変えることは無論できませんでしたが、そこに至る過程をどう彩るか、それは人によって全く異なるものであり、運命を左右するものはまさしく人そのものではないでしょうかと思いました。
 ミーナハルトがその後どうなったか、自由惑星同盟に残された人々がその後どうなったかは、皆様の御想像にお任せしながら、筆をおきたいと思います。

 最後までお付き合いいただきありがとうございました。


 追:ご感想ありがとうございます。時間が取れました後、ご感想にはまとめてお応えしたいと思います。


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