戦国恋姫~偽・前田慶次~ (ちょろいん)
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一話

もっともっと戦国恋姫の二次創作が広がってほしいためハーメルン様にも投稿を始めます。
文才がそこまでないです。
2018.4/16 かなり修正しました。


 

 前田慶次。後の世にそう呼ばれる男がこの日生を受けた。

 彼はこの時代には有り得ない知識を持ち得ている、いわゆる転生者であった。

 転生を果たした世界は『戦国恋姫』

 

 男は歓喜した。ついに自分にも転生というチャンスが訪れたことに。そしてあることを誓う。彼女を救う。無印に続き『X』までも死ぬ運命が変わらない、彼女を。

 森三左衛門可成。通称を桐琴。背中まで伸ばされた金色の髪に、紅い双眸を持つ妙齢の美女だ。彼女はその粗暴な振る舞いをしながらも、たしかな優しさを持つ女性であり武にも長けていた。

 

 彼女は最終的に───討死する。主人公たちを逃がすために。

 

 転生した男は思った。

 あれ? これ、運命かえられるんじゃね、と。 

 

    ~1~

 

 新緑の淡い緑炎が揺れる四月中旬。昨夜の物珍しい大雨はすっかり上がっていた。蒼穹澄み渡る。そんな言葉が似合うほどに青々とした空が広がっている。

 胸元が見えるほどに着崩し、腰には虎模様の腰巻きと瓢箪をつり下げる一風変わった格好の男は、空を見上げ不敵な笑みを浮かべる。

 

 彼は前田慶次郎利益。現前田家当主の養子である。

 (こりゃあ、幸先良い旅立ちになりそうだねえ)

「……利益よ。本当に出て行くのか」

 男の背に声が掛けられた。義父のものだった。

 

「お前は嫡子だ。儂の娘を娶れば何も問題はないのだぞ」

 

「当主ならアイツがいんだろうよ。オレよりかはアイツの方が相応しいさ」

 

「そうか……。すまぬな」

 

「謝罪なんていらんさ。オレのワガママで出てくんだから」

 そうワガママだ。彼女を助けたいと言うワガママ。だから親父殿は、何も心配しなくて良い。

 

「心配はいらん。元気でやるさ」

 

「慶ちゃん!」

 自分の名を呼ぶ幼い声が聞こえ、振り返れば、駆け寄ってくる一人の少女が。槍の又左こと前田利家その人だった。 通称は犬子という。

 

「行かないでっ」

 犬子は慶次郎の腰に抱き着く。

 

「犬子、良い子にするから! 何でもするから! 行かないでよ!」

 

「犬子……」

 徐々に涙を孕んで行く声に、慶次郎は腰を落としやんわりと笑う。彼女は子犬のようでどこか愛らしい。

 

「犬子、お前は大きくなったら何になりたい」

 突拍子も無い投げ掛けに犬子はキョトンとなる。

 涙を拭い、少し考えるような仕草を見せてから言った。

「犬子は、久遠さまを助ける、ううん。守れるような人になりたい」

 

「そうか……あぁ、お前ならなれるな、犬子」

 それは未来が保障している。犬子の頭に手を置いた。

 

 犬子は嬉しそうに目を細める。

「えへへ、慶ちゃんは?」

 

「オレりゃあな、雲になりたいねえ……」

 慶次郎は大空を仰ぐ。つられて二人も見上げた。

 

 蒼穹澄み渡る空である。雲ひとつとてなかった。

 

「雲は、いずこかな……」

 ちょっとだけ格好つけたつもりである。

 

 意図するところが分からない犬子は、

「えっと、遠い所?」

 と抽象的に答えた。

 

「具体的には?」

「美濃国とか越後とか、あとは陸奥とか」

 

「………ああ、そうだ雲は遠い場所にある。何処に行くかも分からん。途中で消えるかもしれん。はたまた、そこに留まる可能性だってある。風の向くまま気の向くままに雲は進むわけさ。オレはそんな自由を謳歌する雲のようになりたいねぇ」

 義父はひとつ大きく頷き「お前らしいな」と感心したように言った。

 犬子は今一理解の及ばない顔を浮かべている。

 

「まあつまりだ犬子。オレにもなりたいもんがあるんだよ」

 あの人を救うためだ。何だってする覚悟がある。例え命を落とすことになってでも。それに家督の問題もある。御家騒動が起こる可能性もあるのだ。その芽は育てる必要なぞない。ある意味一石二鳥とも言える。

 

「それは、ここでは成れないの?」

 

「ああ。ま、何れ会えるさ。辛気くさい顔しなさんな」

 

「……分かった」

 渋々といった様子であるが頷く。

 

「んじゃあオレは行くぜ。親父殿、犬子またな」

 犬子が行かないで——と言い掛けて、義父に止められた。

 

 こうして、前田慶次郎は雲となるため旅立ったのだった。

 

 

 

 まあそれは建前である。

 

 本音を言えば森家に仕えるべく出奔したのだった──。

 

 森一家。

 

 音に聞こえた不良一家だ。つい先日から美濃斉藤より織田家へ鞍替えしたばかりの新参者の武家である。

 眼前に聳える大きな武家屋敷。慶次郎は森三左衛門可成こと桐琴を救うための第一歩を踏み出そうとしていた。

 

 自然と右手に持つ、三間半ほどの槍に力が入る。みしみしと音が鳴った。

 

 森一家に入ると言うのは何も難しいことではなかった。

 曰く。

 

「ワシより強かったら認めてやる」

 とのことである。

 つまりは仕合で勝てば、森一家へと入れる可能性がある訳だ。

 

(よし、いくか)

緊張感を湛えながら武家屋敷の中へと足を踏み入れた。

 使い者に屋敷の庭園へと案内される。案内された場所は、閑散とした庭園だった。身を立たせるような乾いた風が吹き抜ける。幾つも植えられた松の木は裸一貫。刺々しい芯は枯れ落ちていた。こも巻きが巻かれているようだが意味を為していない。

 

 地面には草の根一つ足りともない。弱々しく照り付ける陽射しは胸元を暑くする。

 緊張しているのだ。

 

 塀で陰になる箇所には枯れ落ちた松の芯がこんもりと集められ、庭園の中心にはとてつもない雰囲気を放つ者が。

 

 槍を片手に持った女性だった。

 

 毛先の纏まっていない金色髪。最低限だけを隠した胸当てにはぎゅうぎゅうに押し込まれた双物がこれでもかと主張をしている。

 

 既に肌着と言っても差し支えないかもしれない。ウェストはきゅっと細く、傷の一つも見当たらない。

 

 そして何よりも目を引く瞳。まるで自分が強者であることを疑わないようなギラギラした瞳。

「ほう。余所見とはいい度胸だな」

「あぁ、悪りい」

 

 悪びれることもなく、口だけの謝罪をした。改めて槍を握り直して気持ちを切り替える。

あぁ、それでも緊張はする。画面の前でしか拝めなかった想い人が自分の眼にて視認出来るのはどうにも悪い意味で調子が上がってしまう。

 

(情けねェ所は見せられないな)

 女性──桐琴と対峙する。慶次郎には武がある。養子とはいえこれでも武家の者だ。家中の者に稽古をつけてもらっていた。

 

 右手に持つ槍の柄をしっかりと握りしめ大きく息を吐いた。身体が軽くなった気がする。

 鋭い瞳が向けられた。射るような、紅い瞳が獲物を狩る虎をイメージ連想させる。

 さしずめ自分は獲物と言った所だろうか。

 先手必勝。慶次郎は利き腕に狙いを定め、素早く足を前に繰り出した。同時に腕をしならせて槍を突き出す。

 

 刃と刃がぶつかり金属音が響き、腕に痺れが伝わった。

 

 それを誤魔化すように連続で追撃を行う。今度はしならせずにただ突きを繰り返す。速さを考慮した結果だった。

 

 目を見開いている桐琴を尻目に慶次は徐々にペースを上げていく。

 

「はっ!やるじゃないか、孺子ぉ! 名をなんという……!」

 傍目にも分かるほどの高揚感を感じさせる声音が届く。瞳は相変わらずの獰猛。その間も彼女は慶次郎の連撃を防ぐ。

 

「おかめ丸紋次郎だっ!」

 

「はっ! 紋次郎! ワシの一撃を受け止めてみろ。もしできたなら認めてやるさ。覚悟しなぁ!」

 言うや否や先程まで防戦一方だった桐琴が槍を弾き返した。

 

 態勢を立て直すため飛び退く。

 振りかぶる桐琴はまさに神速ともとれる、ぶれた槍先を喉元目掛けて突き出してきた。

 

「っ!!!」

 本気で殺る一撃が襲い来る。槍を横手に弾くようにして防ぐ。

 その一撃はとても重く、今生一と言っても過言ではなかった。

 腕が軋み比べものにならない痺れが襲う。両腕が悲鳴を上げ思わず槍を落としそうになるが、ぐぅと堪える。

 

「……いいだろう、認めるさ」

 あっけらかんに桐琴は言った。瞬間、重みが消失した。先程までの空気が一気に払拭された。

「ワシの名は森一家棟梁、森三左衛門可成。通称は桐琴だ。いいか、森一家に入ったからにはワシに従えよ」

 

「わかってるさ。改めて、オレはおかめ丸紋次郎、紋次郎でいいさ。よろしく頼むぜ」

「はっ!よろしくされてやるさ」

 ふっと桐琴は笑った。

 森一家に入ってからの日常は殺人まがいの稽古や落武者狩りであった。前田慶次郎こと、おかめ丸紋次郎にとって凄惨な日々と言って過言ではなかった。

 

 元は一般人と言うこともあり人を殺すことに抵抗があったのだ。平気で人体の一部が飛んで行く光景に吐き気や頭痛が止まらなかった。

 

 その度に桐琴に馬鹿にされていたのだが人間いつかは慣れるもの。

 いつのまにか吐き気や頭痛は鳴りを潜めていた。

 

 これが慣れ。──そう思うと少し怖かった。自分がどうにかなってしまったかのように怖かった。

 だが殺らなければ殺られる戦乱の世。割り切る以外に方法はない。

 加えて自分の目的のため。彼女のためにはと。

 

 

 

 

 因みに慶次郎がおかめ丸と名乗っているのは身バレを防ぐためである。まあ顔立ちでいずれはバレてしまうだろうが。

 

    2

 

 月日は流れ、前田慶次郎ことおかめ丸紋次郎が森一家に士官し早二年。この日桐琴は主家である織田家に呼び出しを受け屋敷を空けていた。

 

 詰まる所、休日と言うことである。とは言え基本的に森一家は一に落武者狩り、二に落武者狩りが日常茶飯事。ようは居ないが居ようが変わらない。

 

 当の慶次はと言うと趣味になりつつある釣りをしに川へと向かっていた。

 

 場所は所謂穴場。誰にも知られていない秘密の場所だ。

 

 煩雑に茂る雑草に覆われた閑散としている名もない川辺である。本当は名前があるのだが彼自身そこまで覚えていなかった。 

 

 お日様に照らされながら釣竿と籠をセットに紋次郎は軽やかな足取りで畦道を歩く。

 

「あぁ~いい天気だなぁ。絶好の釣り日和だ」

 見上げれば蒼穹冴え渡る空に、わたあめのようなふわふわした薄い白雲が幾つも浮かんでいる。

 畦道を歩きながら、そして季節特有の陽気を感じながら、畦道が小高い坂道に差し掛かる。坂道の両側には腰まである雑草が鬱蒼と生えていた。

 

 ここまで来れば、後は坂を登りきれば目的の場所に到着する。

「今日こそは大物を狙いたいな」

 流石に小物ばかりと言うのは飽きる。言うなれば一週間ずっと同じ食事をすること。たまには異なるものを食してみたい。

 

 そんなことを考えつつ、坂を登りきり、毎度来る川が見えてくる。

 

 勾配のある土手を降り、早速準備を始める。

 

 まずは一メートルはある細い竹に糸をくくりつけ、餌を結ぶ。そして頃合いを見計らい川面に糸を垂らした。次いでいつも腰掛けていた切り株に腰を下ろした。

 

「今日は何が釣れっかな」

 どんな魚を釣れるのだろうか。わくわく気分に自然と鼻歌が出た。

 川面は眩しいほどの陽光が降り注ぎ水面を煌めかせている。

 

「いやぁ~この輝き。いいねえ。……ん?」

 風流だ。そして雅でもある。

 

 しかし一種の宝石のように反射する水面とは対照的に、顔を俯かせ、影を落とした黒髪の女の子がいた。

 ──と言うよりかはたった今、ひょっこりと姿を現したのだが。

 

「……」

 黒い髪を風に揺らしながら顔を下にしている。

 この時代、戦国時代には存在しない黒いゴスロリ風の衣服を着こんでいる少女だ。彼女は川辺へと歩みを進めるとおもむろに水面を見つめ始めた。

 

(あれは……)

 覚えのある顔つきだった。後世の歴史の教科書に嫌と言うほど出てくる存在だ。

 紋次郎は少しばかり下心を持ちながら、歩み寄る。

「どうした? 嬢ちゃん」

 

 驚いたように身体を震わすと目元を拭った少女は、こちらを敵意の籠もる金色の瞳でギロリと睨みつけた。

「っ!……なんだ貴様は!」 

 

「怪しいやつじゃあねぇさ。俺は紋次郎ってんだ。紋ちゃんでいいぜ」

 

「……我に構うな」

 少女は悲し気な顔を浮かべ、視線は再び水面へと移った。

 

(ったく。構うなって言うならそんな顔をすんなよ) これでも紋次郎は大人だ。価値観の押し付けにはなるが子供を導くのは大人の役目なのだ。 

 

 そんな考えから紋次郎は、遠慮することなく彼女の隣に腰をおろした。まあ下心が無い訳ではないが。というか、八割方そちらが占めている。

 

「ガキが遠慮すんな。んな辛気くせぇ顔してたら心配すんだろ」

 

 端から見ると長身の男と暗い表情をする少女──怪しい雰囲気満載である。

 

 ちらりと横目で彼女を覗くと目尻に涙が溜まっていた。

(うーん。流石に泣かれるのはねぇ……)

 古来より、男は女の涙に弱いのだ。

 

「俺の話さ……聞いてくれねぇか」

 紋次郎は語り出す。今までに行った主君、桐琴へイタズラの数々を。

 多少盛った部分もあるが『カエルをぶちまけた』、『大好きな酒を全部飲み干した』等々。

 

 面白おかしく身振り手振りの誇張表現を交えながら言葉を紡いだ。

 しばらく話していると次第に彼女の顔は遠慮した感じはあるものの、綻んでいった。

 そして最終的には破顔した。

「くく、あはははは!」

 

「はは、やっと笑ったな」

 

「あっ!いや‥‥‥その、すまない」

「気にすんな、笑ってほしくて言ったんだ、オレも気が楽になったぜ」

 

 しかし、彼女は何かを思い出したのか先ほどのようにまた黙り込んでしまった。

 どうしたものかと悩む、史実の歴史から見れば何が原因なのかは推測は出来そうだが紋次郎に至ってはからっきしだ。

 

「楽になるぜ?話してみなよ」

 できるだけ優しい声音で言った。

 

「‥‥‥」

 金色の瞳がこちらを見た。見定めているかのようで目線を外したくなる。

 やがて彼女の方から視線を外し、紡いだ言葉は弱々しく、そして子供が言うには恐ろしく重たいものだった。

 

「わ‥‥‥私は弟を討たなければ‥‥‥ならないんだ‥‥‥!」

 彼女は自分が置かれている状況や愛している弟との確執を語った。

 

 母の急逝による弱冠十五歳での家督相続。

 

 それに反対する者が弟を担ぎ上げ謀反を画策。 

(何て重い問題だ。こんな小さな少女の肩にどれだけ重くのし掛かってんだ。史実の織田信長も、こんな風な問題を抱えてたのか?)

 

 肉親による謀反。その最後は切腹か打ち首。

 謀反がただの血縁関係だった問題はないのかもしれない。例えば顔を見たことのない血縁のみの関係だ。

 

 だが画策しているのは愛している実弟である。

 今にも泣き出しそうなその表情から彼女の苦しみが痛いほどに伝わって来た。 

 

 正直な話、お家騒動にも似たこの状況。解決なんて大それたものじゃないが、紋次郎には一つしか浮かばなかった。

 

 至って単純だがその分家臣たちからの反発も大きいと思う。それこそ、若くして継いだ彼女には批判が相次ぐだろう。そこは彼女の腕の見せ所だろうが彼女の苦しみは幾分か楽になると思う。

 

「‥‥‥なら、許してやりゃあいいじゃねぇか」

 

「しかしっ!それでは家臣に示しがつかんっ」

 

「そうだな。けど許して何が悪いんだ? 示しがつかない? 決めるのはアンタだ。一回目は見逃してやりゃあいい。ただ二回目はないってそう言えばいいじゃねぇか」

 無論、何らかの罰は必要だ。

 人間という生き物は単純だ。ほとんどが温かみを帯びた人間についてくる。

 

「冷酷なだけじゃあ人はついてこないからな」

「……………そうだな」

 ややあって硬い顔つきが一気に柔らかくなったように思える。

「ありがとう紋次郎。確かに話してみると気が楽になった。なんてお礼をしたらいいかわからないが、いつかこのお礼はする」

 

「なら期待しておくよ」

 彼女れ「頑張れ」と励ましの言葉を送り、彼女は去っていった。

 

 ちなみに釣りの成果は呆気のないものだった。

 

   3

 

 森一家は織田久遠信長の実弟である織田信行軍を迎え討っていた。なおおかめ丸紋次郎の初陣でもある。

 事の発端は『うつけ』と称される信長排除し、聡明な信行に家督を継がせようとしたことにあった。

 

「森の鶴紋なびかせて、尾張が一の悪ざむらい!刈る頸、刈る耳、刈る武功!荒稼ぎの邪魔するやつぁ、味方と言えどもぶっ殺す!」

 

(ぁぁ、物騒過ぎるよぉぉ……)

 

 威風堂々と言った様相で敵兵の進路を塞ぐ妙齢の美女。

 眼光炯々と輝き、その佇まいは野生の獣──理性をかなぐり捨てようとする危険な雰囲気だ。

 

 狩る側と狩られる側。その構図が出来上がった瞬間だった。

 敵兵は脅え、散開した。足軽もいるがそのほとんどが雑兵であった。

 

「森の戦ぁ、その目でとくと拝みやがれ!」

 

『『『ヒャッハー!』』』

(うわぁ、まじもんの見ると迫力がすげぇよ……。)

 迎え討つはずが討ち入る気満々。森衆の面々は今にも爆発しそうな雰囲気だ。桐琴と言う火種が点けば、今すぐにでも爆発する危うさがある。

 

 紋次郎は無論、最前線である。初陣と言えども容赦は無かった。まあ桐琴に見栄を張って、初陣である事を伝えてない事が原因なのだが。ただ伝えたとしても結果は変わらなかっただろう。緊張は無かった。落ち武者狩りで鍛えた胆力と桐琴の指導のお陰だ。

 

 相手方は織田信行を総大将に据え、柴田勝家、林秀貞など約千七百余名。

 対し我ら織田信長軍は森一家に加え丹羽長秀、前田利家ら七百余名だ。

 

「我が名は柴田勝家!森三左衛門とお見受けする。その頸頂戴いたす!」

 

「はっ!いいだろう。逆にワシがその頸もらおうか」

 勝家と桐琴との一騎打ちが始まった。

 剣戟の激しさ周囲の空気を震わせる。周囲には誰一人とも近づかない。

 

「いけッ!私が抑える!」

 桐琴が勝家に目をとられているその隙を突き、柴田兵が本陣まで入り込んだ。

 さすが戦上手な柴田だと紋次郎は思った。だがこのままでは総大将が危険だ。

「ここは任せる! オレは本陣に行く!」 

 

「了解しました!」

 近くの森衆の兵に指揮を任せ本陣へ急行した。

 

 織田の陣幕に近付いたとき。

「我ら織田に歯向かうかっ!!」

 本陣から怒気を孕んだ一喝が響いた。

 

 どうやら敵兵に対して放ったようでその瞬間、柴田兵の勢いが水を浴びた火のように弱まった。その隙を信長の小姓たちが兵を斬り捨てる。我が従妹の勇ましい姿もあった。

 

 恐怖を帯びた様相を浮かべ兵達──中でも動揺が酷い織田の足軽はたじろぐ。小姓の働きによって数を減らす柴田兵。戦意をなくすものが増え、逃走するものが続出していく。

 

 敵軍の半数を占めていた雑兵はクモの巣を散らすように逃げていき、数の不利や猛将の一端を垣間見せた従姉妹の活躍もあって足軽の姿も数を減らしていく。

 

 元よりこの戦は身内同士のものであったためか、織田久遠信長の一喝による効果は抜群であったのだ。

 

「今が好機だっ! うちかかれぇ! 我も出る!」

 総大将の一喝で味方の士気が上昇し、勢いが増す織田軍。ダメ押しと言わんばかりに大将が出陣するともなればもう負けるわけにはいかなくなる。

 

「な、なりませんっ! 久遠さまっ!」

 必死に宥める家臣だが久遠は耳も貸さない。

 

「うるさい麦穂! いくぞ!」

 馬へと騎乗した彼女は急かすように馬の腹を蹴った。

 高い嘶きを上げた馬は走り出し、後方から先程の家臣と兵も必死に駆けていく。

 

 半刻も経たず陣太鼓と共に彼女の声が鳴り響いた。

「黒田半平っ!この織田久遠信長が討ちとった!」

 勝鬨が辺りに響き渡る。これを皮切りには信行軍は崩れ始め敗走した

 



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二話

 先の戦により信行たち反織田久遠信長軍団は壊滅に追い込まれた。

 残党は那古野・末盛城に籠城し、降伏勧告を行うもこれを断固として拒否する。

「城下を焼き払え」

 冷徹さを湛えた彼女の瞳が伝令の兵をみやる。

「りょ、了解致しました‥‥‥」

 

 伝令兵は下された命令に従い民家に火を放った。半刻も経たないうちに炎は燃え広がりごうごうと燃え立った。

 逃げ惑う民たちは必死の形相で逃げ惑う。

 

 焼き払われる城下を信行は呆然と見ていた。

 

 まさに地獄だ。夜だと言うのに炎で明るい。こんなにも高い天守にいるにもかかわらず、こちらまでその熱気が襲い来るように錯覚していた。

 

 このままでは自分も巻き添えだ。

 

 死にたくない! 死にたくない!

 

 身の危険と恐怖を感じた信行は実母の土田御前に頼み込んだ。姉に許してくれるように嘆願してくれと──そして久遠との面会が許されたのである。

 

「此度はその寛大なお心によるお許し感謝致しまするっ!」

 柴田勝家は久遠に平服して最大限の、今の自分に出来る最大限の感謝を述べていた。

 頭は限界まで地につけ、折った足は痺れなど気にもしない。

 ──我らは謀反を起こしたのにも関わらず罪をも問わずに許してくれた。

 

 普通ならば勝家は打ち首や一族郎党撫で斬りにされてもおかしくない。しかし、にも関わらず赦しを得た勝家は器の大きさを垣間見るのだった。

 

「勝家の言う通りにございます。これからはお姉さまに尽くさせていただきます」

「次はない……覚悟しておけ」

 

「はいっ!お姉さま!」

 信行は勝家と同じく限界まで頭を垂れていた。

 殊勝な態度だった。

 ……しかし態度とは裏腹に口元には意地の悪い笑みを浮かべていた。

 

 誰にもその意地の悪い笑みを、気取られることはなかった。

 

   2

 あの戦いから半年。

 末森城下は復興が進み民たちが寝泊まり出来るほどに回復していた。

 とは言え、雑魚寝であり食料の支援も進んでいるようであった。

 

 さらに、あくまでも形だけではあるが信行も城下を見て回っているようだ。

 信行の謀反を織田久遠信長が許したとの報せは紋次郎の元にまで届いている。

 

 ……紋次郎からしてみれば分かり切っていたことではあったが。

 

 あのときの川辺で泣いていた少女。織田久遠信長は尊大な態度とは裏腹に心優しい少女だからだ。あのときの彼女の顔を見れば、自然と分かる。

 

(ま、オレの歴史でも一度目は赦したって言うしな)

 そのようなことを考えつつ、紋次郎はいつもの穴場に釣りへ来ていた。

 川辺の切り株に腰掛けながら水面に垂らしていた釣り糸へと意識を移したとき──。

 

「おい、紋次郎。考え事か?」

 現実に戻れば眼前に整った顔立ちとくりくりとした目があった。

 

「ッ!」

 驚きで心臓が跳ねたがどうにか表情には出さずに済む。

 

「お前のお陰でなんとかなったぞ。改めて礼を言う。ありがとう」

 

「よかったじゃねえか。そう言えば嬢ちゃんの名前聞いてなかったな、何て名だ?」

 紋次郎としては知っているが本人から直接は聞いていない。きちんとした形で教えてもらいたかったのだ。

 

「聞いて驚け!我の名は織田三郎久遠信長! 通称は久遠! 織田家の当主にして夢は日の本の統一なり!」

 

「はーん」

 びしっと人差し指をこちらに向けた久遠は凛々しい表情だ。

 天下統一は嘘偽りのない本当の夢だろう。史実の織田信長と同様である。

 それはとても大きな夢で、とてつもなく難しい夢だ。

 

「いい夢じゃねえか」

 

「わ、我の夢を笑わないのか?」

 よほど意外だったのか大きめに目を開いた久遠。 

 

 対して紋次郎は眉を上げてニヒルに笑った。

「夢ってのはなぁ大小あれど必ず見るもんだ。実現するかどうかは別としてオレは大きい夢が好きだぜ? 」

 

 久遠は鳩が豆鉄砲をくらったかのように固まる。まさかそんな言葉が出るなんて思わなかった、そう思っているのだろうか。

 

 手に持っていた釣り竿がぴくりぴくりと動く。

 

「おお! 重たいなこれ。こりゃ大物かもな」

 水面に視線をやれば垂らしたうきがピクピクと動いていた。

 竿を軽く引いて見るとかなり重い。初めての大物ではと期待が高まる。

 

 水面から姿を確認しようと身を乗り出すが如何せん日光の反射でよく見えない。

 

「久遠嬢! ちょっとこの竿もっててくれ!」

「わ、わかったぞ」

 

 着流しを脱ぎ捨て褌姿になり川へ足を沈めた。

 深さは膝までだが春先ということもあり、川の水が冷たく鳥肌がさあっと立った。

「な、なななな‥‥‥」

 紋次郎の姿を目に映した久遠は慌てて目を反らす。だがちらちらと引目で彼の姿を若干、頬を染めながら見ていた。

 

「よし軽く引いてくれ。いいぞぉ、その調子だ。そらっ‥‥‥っ!」

 

 ザッパァーーン。

 大きな水音と共に紋次郎が思いきり飛び込む。

 

「け、紋次郎っ!?」

 

「っしゃあ!! 見てくれ久遠嬢! 三尺はあるぞ!」

 あくまで目視である。※三尺=約一メートル

 

「わ、わかった! それよりもは、早く服を着てくれっ!」

 

 顔を朱色に染めて子供のようにきゃーと喚く。紋次郎にはどこに恥ずかしがる要素があるのか分からなかった。

 だがふと、己の下半身に目を向けてみると理解出来た。はだけていたのだ。

 

 なるほど、と思いながら袴を着込む。

 

 ちなみに釣れたのは鯉だ。この時代では高級魚でもある。

 

 とはいえ、今の紋次郎にはそんなことよりも、大物が釣れた感動が大きかった。

 

「今日は鯉鍋だっ! 久遠嬢、サンキュ‥…ありがとな!」

 ついつい未来語が出てしまい慌てて言い直した。油断してしまうと直ぐに未来の言葉が出てしまう。

 

 よく桐琴の前でも漏らしてしまっていたが、そこまで気にはしていないらしく追及してくることはなかった。

 

 そんなことを思い出しながら、改めて紋次郎は聞こえていませんようにと胸の中で祈った。

 

「さ、さんきゅ? なんだそれは?」

 聞こえていたようできょとんと頸を傾げる。

 

 やばいと慌てつつ視線を久遠から外す。そうして視線の先──空には半透明な月が映る。

 

 そうだと眉が上がり、妙案が浮かんだ。

 

「あ、あー‥‥‥そ、それよりも今日は夜大丈夫か?」

 月と言えば夜。そんな連想から浮かんだ苦肉の策だった。

 

 久遠は思い出すように視線を下げる。

「我の予定か? 大丈」

 

 だが唐突に声が上ずった。

「‥‥‥ええ!? よ、夜!?」

 

 腰を引いて狼狽する久遠。そんな彼女の姿についついいたずら心が疼いた。

 まだ色を知らないであろう清純な彼女を少しだけからかおうと。 

 

「そうだ、夜だ。なんだ? 男と女がやることといえば決まってるじゃねえか」

 悪戯小僧のように面白そうに笑ってみせる。

 

 どんな反応をするのだろうかと観察してみれば案の定それは想定していたものだった。

 久遠は頬を薄く朱色に染め、視線はぎこちなく宙を漂わせる。 

 

「うぅ。わ、我は。まだ、その‥‥‥」

 後半になるにつれ恥ずかし気に声が小さくなっていった。

 

(はーん。初だねぇ 。いやぁ満足)

 

 こういう反応は良い。前世はそうでもなかったが、今生ではからかいの類いを好んでいた。

 

「ハハハ! 悪りぃ悪りぃ、鯉鍋のことだよ」

 また後でからかおうと思いつつも、冗談めかした軽い声音で言った。

 

 久遠は一瞬ぽかんとしていたがすぐに何を言われたのか理解したのかプルプルと震え出す。

 

「け……」

 慶次の背中に冷や汗が流れ出す。何となくだが彼にこの後の顛末が理解出来た。

「この、うつけええええええええっ!!」

「ゲフッっ!」

 

 みぞおちに綺麗にストレートが決まる。膝から崩れ落ちた。ぼ、暴力ヒロインは、嫌いだよ……。

「あっ!? 」

 意識はやがて薄れていった。

   3

 

 気付いた時には部屋にいた。

 いたと言うよりは天井すべて見えることから寝かされているようだった。

 天井は自分の家屋のものでも、森の屋敷のものでない。どこか高級感を感じられることが出来る装飾の施された部屋だった。

 

 身体を起こし周囲を見渡すと蝋燭に火が灯っていた。

 

 今が夜であることを教えてくれる。服は着ていた物と変わりはない。だが、少しだけ股座がすぅとしている。

 

(──褌が無い……。)

 布団に寝かされていることから推察するに濡れていた褌で汚さぬようにと脱がされたのだろう。

 

 と、考えていると部屋の障子が開いた。入ってきた久遠と目が合う。

 

「ぁ……すまないっ! 我としたことがつい加減を誤ってしまったっ!」

 と、寝ていた布団に馬乗りになり、詰め寄った。

 

「いやぁ、あれはオレが悪かった。ついからかっちまったんだ。許してくれ」

 言葉では言うものの再度からかうことは決定事項だった。

 

 あそこまで良い反応を示すのだ。これはからかわないことは損だろう。

 

 そんな彼とは裏腹に久遠は気まずそうな表情を浮かべる。

 

 その姿はまるで仔犬ようだった。

 

「ちょっとあなたたち。なにをやってるのかしら」

 半開きの障子から桜色の着物の少女が露骨に嫌そうな顔を浮かべながら覗いていた。

 ハッと自分の状況に気付いた久遠は顔を染める。 

 

「ゆ、結菜これは違うんだ、様子を確かめようとしただけであって深い意味は」

 浮気がバレた夫のように身ぶり手振りで焦る彼女に紋次郎はイタズラ心がくすぐられ耳元でそっと囁いた。

「おいおい、さっきの言葉嘘だったのかい?」

 

「わ、我は何もいってない……!」

 

「ずっと聞いていたわよ」

 少女の言葉に久遠はジト目を慶次に送る。

「おい」

「……悪い」

 

「見ろっ結菜っ!我は何もいってないぞ!」

「そうね‥‥‥」

 

「……」

「……」

「……」

 どこか居心地の悪い空気だったがそれを払拭するように久遠が口を開いた。

「そうだ、ゆ、結菜っ。我になにか用でもあったのか?」

 久遠の言葉に結菜と呼ばれる少女が目を細める。

 

「ふーん。用がないと久遠に会いにいっちゃいけないのね。悲しいわ」

 

 よよよと着物の袖口で涙を拭う素振りをし、悲しげな表情を浮かべる。

 

 それを見た久遠は焦りに焦ったかのように矢継ぎ早に言葉を紡いだ。

「ち、違うんだっ!結菜。そういう意味じゃ」

 

「ふふっ」

 途端に少女が先程のことが嘘だったかのように破顔した。

 

「冗談よ、久遠。お夕飯ができたから呼びにきたの」

 クスクスと笑う。

 

「うぅ、結菜~」

 

 口を尖らせ抗議の目を向けるが当の本人はどこ吹く風だった。

「そちらの方もご一緒にどうですか?」

 

「あ、いや俺は鯉鍋を」 

 しかしグゥ~と鳴るお腹。腹の虫、食欲には抗えなかった。

 

「……じゃあ、お言葉に甘えるとしようかな」

 

 あの鯉はどうやら今日の晩飯に使われたようだった。

 煮付けに汁もの、塩焼き等々。

 鯉鍋にするよりも良かったのかもしれない。如何せん男飯なんぞ鍋に入れて味付けして終わりである。酷い時には味付けすらしない。雑味が目立つごった煮である。

 だが目の前の食事はどうだろう。己の料理──いや料理とも言えないものよりも数倍は食欲をそそる。

 

 そんなことを考えながら、用意してもらった座布団に着く。

「慶次!結菜の作った料理はおいしいぞ!」

 

 彼女のお墨付きなら相当なものだろう。と言っても紋次郎自身は原作知識として結菜の料理上手は知っていた。

 

「な、なんだとっ!……ええと」

 

 どう呼べばいいか分からず口籠もった。

「帰蝶よ。結菜でいいわ」

 空気を読んでくれたようで自己紹介してくれる。

 

「おう。オレはおかめ丸紋次郎だ。紋ちゃんって呼んでくれ」

 余談だか、史実での名前は諱と呼ばれ呼ぶことが憚られる。慶次の場合は利益が諱となる。紋次郎としてはそもそもが偽名なので、そこまで考えてはいなかった。

「全部結菜が作ったのか。すごいな」

 素直に感心していた。

 原作では見ることができなかったが、いざこうして目にしてみると感嘆の一言。

 色とりどりで食欲を誘う色と香りがぴったりマッチしているのだから。

 

 三人で手を合わせる。

 

「「「「いただきます!」」」

 まずは焼き魚に手を伸ばす。鯉の焼いたものはとてつもなく美味だから。口に運ぶと鯉の味とほんのりと塩の味がした。

 

「自分で焼いたやつより。美味いな 」

 口を動かしていると、ふと白米が目に止まる。焼き魚と白米……絶対合うだろう。焼き魚を口に放り込み、白米も追加でいれる。

 

「……くぅ~なんてっ! 美味いんだ!」

 

 思わず声が出てしまう美味しさだった。

 

 次に目を付けたのは煮付けだった。おそらく味噌漬けだとおもうが。箸でひとつまみし口にいれると味噌の味がほどよく広がる。これも白米が合うと踏み、焼き魚と同じ要領で口に運ぶ。

 

「これも……美味いな」

 これだけ美味しいならば他の物も美味いと考え無心で食べ続けた。

 

   5

 

「(ねぇ、久遠。この人とどういう関係なの?)」

 無心で食べ続けている紋次郎を尻目に小声で話す結菜。

 

「(紋はな、我の夢を笑わなかったやつだ)」

 たったそれだけ、されどそれだけ。彼女としてはとても嬉しかった。

 結菜の母親、結菜に続き、紋次郎という三番目に己の夢を笑わなかった人物なのだから。 

「(夢って日の本統一?)」

 

「(うむ。蝮以来だ。こんなやつに会ったのは)」

 

「(ふーん。ねぇ家臣にならないかって誘ってみたら)」

 

「(考えてはいるが、なかなか聞けなくてな……)」

 

 久遠にはどこか気恥ずかしさがあった。

 不思議と彼といると己の心が解放されるのだ。だからだろうか。竹馬の友のような関係の中にある、微妙な気恥ずかしさがあった。

 

 しかし久遠の考えなど知らず、結菜は進めた。

「(ならちょうどいいわ。今聞いてみましょうよ)」

 

「(ええ!? 今か!? ま、まてっ!……っ!)」

 まだ心の準備が出来ておらず、もしかしたら嫌われたら、もしかしたらもう他家に行く予定だったら?

 

 不安が不安を呼んでしまう。

 

 しかしそんな久遠を差し置いて結菜は尋ねてしまった。

 

「ねぇ紋、織田に仕えてみない?」

 

 それは唐突なことだった。

「ほらっ。久遠」

 そう言って彼女の肩をたたくと、しどろもどろになりがら、こちらにちらちらと視線を向ける。

「け、慶次。わ、我の、我の家臣にならないかっ!」

 こちらの返答を待つ久遠の口は固結ばれていた。

 

 そしてその答えは───。

「悪りぃ」

「……えっ」

 理解が追い付かないのか一瞬の間を置いて彼女は声を出した。

 

 そしてようやく言葉の意味を理解した時には伏せ目がちになる。ただ紋次郎は悪いとしか言ってない事に、彼女は気がついていないようだ。

「オレは森一家に仕えていてね。既に仕えている身なのさ、だから遠回りだが、仕えてるんだぜ。久遠嬢にな」

 そう。すでに織田の臣であるのだ。久遠は彼の言葉に面食らった表情をした。

「ということよ。久遠」

 結菜はイタズラが成功した子供みたいにクスクスと笑った。

「うぅ。わ、我を騙したなぁ」

 



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三話

  

「いやぁ〜風呂までいただいちまって。何か悪いな」

 屋敷の門前に点てられた篝火の傍に三人の姿がある。

 

「いいのよ。気にしないで。ね、久遠」

「うむ」 

「それじゃあな。お二人さん」

 

「うむ。またな」

「ええ、おやすみなさい」

 二人に見送られ帰路についた。

 

 しばらく歩いていく内にはっと紋次郎は気付く。

 周辺の連なる家や今いる道が見たことのないものばかりだったのだ。 

「ここどこだろ……」

 そう言えば、と思い出した。自分は、気絶して久遠の屋敷へと運ばれたのである。

 

 つまりここがどこかわからないと言うことだ。ましてや森の領地周辺の地理しか知らず、加えて夜中と言うこともありその地理は一層不鮮明だ。

 

(屋敷に帰れねぇな。不味いことになった……!)

 それからともかく歩いた。西へ東へ。北へ南へ。直感を頼りに狭い路地や田畑の畦道を進んだ。

 

 夜通し歩き続け、結局、紋次郎が自分の屋敷に到着したのは太陽がかなり高く上がったころだった。

 

   2

 

「やはりおもしろいやつだ」

 彼の背を見送り、やがて闇へと消えたころに久遠は呟いた。

 

「久遠はからかわれてたものね」

 

「わ、忘れろっ!」

「‥‥‥」

 思い返せば、久遠がこんなになるのを見るのは久し振りだったような気がする。

 本当に久し振りだ。自分の母が亡くなってからは見たことがなかった表情だ。

 なんだか妬けてきてしまう。

 

 しかし彼は久遠を笑顔にしてくれた人物だ。曲がりなりにも妻である自分が出来なかったことをしてのけたのだ。

 

 だから嫉妬はしつつも感謝の念もあった。

「私たちも戻りましょうか」

 

 そうして屋敷の中に戻ろうとしたときだった。

 ぞわり。背筋に視線を感じ、振り返る。

 薄暗い夜道にちらりと人影が見えた──ような気がした。

「……?」

 こちらを見ていたのだろうか。

 

「どうしたんだ? 結菜?」

「ううん。何でもないわ」

 気のせいだろうと考え、結菜は久遠を伴い今度こそ屋敷へと戻った。

 屋敷に戻ってゆく二人を陰から覗く者が一人。

「ハハハっ。お姉さま。いや信長。織田の当主は僕だ。今すぐに座を降りてもらうぞ。ハハハっ!」

 狂うように笑いながら闇夜に消え行く者は───。

 一人の将が清洲城で久遠に謁見していた。

 

「久遠様。此度は謁見を許可していたただき誠に……っ!」

「前置きはいい。それで、柴田勝家、何をしにきた」

 彼女──柴田勝家の言葉は久遠によって遮られる。

 

 諱で彼女を呼ぶ、つまり敵とみなしているのである。

 しかし彼女は驚く素振りも見せずに答える。

 

「我が主、織田信行が再度謀反を企てている模様。此度はそれをお伝えに参った次第にございます」

 

「「「っ!?」」」

 

「柴田殿っ!それは誠にございますかっ!」

 女性が驚愕の表情で問う。彼女の名前は丹羽長秀、通称麦穂という。

 こくりと柴田は頷く。

 周囲の者が息を呑む。一度許されたにも関わらずまたも謀反を画策している。その現実がたたきつけられたのだ。

 

 家族を大切している久遠であるが、しかし、二度目となれば許すわけにはいかなかった。

 久遠は顔色を変えながらも 「‥…デ、アルカ」と精一杯答えてみせた。

 弟がまた謀反を企てているという報告がもたらされ、信行を殺したくはないという思いが久遠にはある。

 

 だがそれでも───。

「殺らねばなるまい……麦穂っ!」

「はっ!」

「我が病で臥せっていると城下に流布しておけ!」

「御意」

 付き合いの長い麦穂には考えていることが分かっているらしく何も言うことはなかった。

 そのうえここまで早い指示を出すあたり、予想はしていたのだろう。

 

 あの信行のことだ。おそらく城下に密偵を放っているはず。今回はそれが仇になる。

「信行……」

この日、愛している弟は、愛していた弟となった。

 久遠が病に臥せっているという噂が流れ始めた。

 城下の者は心配するものから特に興味がないというものまでその顔色は様々だった。

 森の屋敷にある道場で彼等は槍で打ち合っている。

 稽古である。死ぬほどの攻撃が襲ってくるという条件付き、かつ死ぬほど痛いが。

 そして何合か仕合っているときだった。不意に視線を感じ始める。

 

 桐琴の攻撃をいなしながら、ちらりとその方向に視線を向けると、道場の引き戸が少しだけ開けられていた。

 

「すきありだっ!!」

 槍を振り払われてしまった。

 かこんと乾いた音が響いた。

 

「っとお。いってー、やっぱ桐琴に勝つのは無理だなあ」

 

「ハッ! ワシが負けたらそれこそ棟梁としての面目がつぶれるわ。負けるわけがなかろうに」

 ハハハと笑いながら紋次郎の肩を強めに叩く。そして引き戸を見ながら叫ぶようにして声を大にした。

「クソガキぃ!見ていたのは分かってる。はいってこい」

 

 そうして叫ぶと、道場へ入って来た少女。

 

 年の頃は十二歳から十三歳ほどだろうか。意志の強そうな瞳が特徴的だ。

 金色の長髪に虎模様の帽子、そして袖長の黒い服を着ている。

 

 紋次郎が観察するように見ていると、すぐさま桐琴の後ろに隠れてしまった。

「おい」

「ぅ」

 桐琴が低い声音で少女に声を向ける。するとしぶしぶといった様子で一歩前に進み出た。

 

 紋次郎は腰を屈める。

 

 第一印象は大事だ。できるだけ優しい大人と思われるようにしなければ。

「小さい桐琴か。オレはおかめ丸紋次郎。紋ちゃんと呼んでくれ。おチビちゃんはなんて言うんだ?」

「おい! てめぇおチビちゃんはないだろっ! ふざけてんのかよ。オレの名は森小夜叉長可だ 小夜叉でいいぜ! にしても、おかめ丸紋次郎って、何だよ」

 

 怒った表情から一転し、とても眩しい笑顔に変わる。

 

「こいつはワシのガキだ。まだまだ青いヤツだが森の次期棟梁でもある。それ故経験を積ませなければならん。そこでだ紋次郎、貴様にはクソガキの補佐を頼みたい」

 小夜叉の頭をわしゃわしゃと乱す。

「わかった」

 

「さてクソガキ、こいつが今日から貴様の補佐にはいる。何かあったらこいつを頼れ、いいな」

 

「わかったぜ!母ぁ。紋次郎、長いから紋でいいや。よろしくな!」

 

(小夜叉補佐いらねぇだろうなあ。これ)

「ひゃっはーーー!」

『『『ヒャッハーーー!』』

 紋次郎の目の先には、二人の夜叉がいた。顔は血で染まり薄く気味悪く笑っている。

 

 彼女は初陣で華々しい戦果を挙げた。

 

 母親と同様に、必要以上に前線に出たがる気質なのだが、それが功をなしたらしく敵将を見るや否や頸をはねたのだった。

 

 そのうえ勝鬨を挙げることもなく、次いで周囲の敵兵を屠殺にかかる。自然と経験が身に付いていたようで苦戦などしなかった。

 

 寧ろ、終始彼女が優勢だったと言ってもいい。

 

「頸はもらうぜぇ!」

 槍を振り回し敵兵の頸を刈る。身の丈より大きな槍を巧みに扱いながら一人また一人と命が刈り取られていった。

 

 そのさまを、紋次郎は間近で見ていた。

「紋っ!てめぇ何体だ!?」

 何体と言うのは倒した敵兵の数だろう。

 

 しかし一々敵兵の数なんて数えてはいなかった。命のやりとりをしている最中、他のことに思考を向けることなど今の紋次郎には出来なかった。

 

 とはいえ答えないわけにはいかず、あてずっぽうに返答した。

「あー。二十三くらいかなぁ、たぶん」

「よっしゃぁー勝ったぜ! オレは三十だっ!」

「クソガキは戦の機微をしらんな。まだまだだ」

 

 

 

 

 久遠が病で臥せっているという情報が城下に流れ、信行は早速行動に出た。

「お姉さまは病で臥せっておられる。僕が城に行き、譲り状を書かせる」

 そう自信満々に言い、信行は清州城に向かった。

 到着した信行は門前で止められた。

 

「お待ちください、ここでは帯刀を禁じています」

「これは失礼を」

 刀を兵に手渡す。久遠の策のひとつであった。

 刀を取り上げることで武力を奪うのだ。

 

 城の中に入り、天主の間に案内され、臥せっている久遠を拝謁する。

 布団に寝かされており、枕元に水が入った桶が置いてあった。

 見るからに具合が芳しくないようであった。

 

「お姉さま、体の具合はどうでございますか?」

「ゴホッ……我は……大丈夫だ」

 辛そうな顔をしながら身体を起こし、額に置いてある手ぬぐいを適当なところへ置く。

 

 どうやら本当のようだと、ついに確信した信行は笑みを浮かべる。

 

「お姉さま。実は……っ!?」

 そのときだった。ゾロゾロと刀をもった兵が幾人も現れ、久遠を守るように彼女の前に立ち、残りは信行の周囲を囲んだ。

 

「き、貴様らっ!」

 囲まれる信行は何か言おうとするも、瞬く間に頸をはねられ絶命した。有無を言わせない一刀であった。

「せめて安らかに眠れ……」 

 久遠は驚愕に目を見開く弟の目蓋を優しく閉じたのだった。

 



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四話

 信行の暗殺。東の太守、今川義元が動きを見せ始めたのはこの時期であった。

 同時に久遠が笑顔を見せなくなった時期でもある。まるで能面ように張りついた顔で冷徹な瞳がデフォルトとなったのだ。当主として身を引き締め始めたと、家臣団からは見えていた。

 

 織田家は尾張統一を急ぐことになる。そんな中『鬼柴田』と謳われる柴田勝家、通称壬月が戦力として加わった。事前に密告した功により久遠に仕えることが許されたのである。

 

「これよりは久遠さまのため粉骨砕身の思いで仕える所存にございます」

 尾張統一戦においては今川の不穏な動きもあって力攻めを用いることになった。

 これにより戦上手な彼女が積極的に出陣することに。無論風当たりは強かったが、彼女の猛将ぶりや功を譲る姿勢を随所で見せた事により徐々に家中で受け入れられていった。

 

 そうして尾張統一目前ともなると、無くてはならない存在となっていた。

 

 岩倉城前方に拡がる草原浮野。かの城の水掘は埋め立てられ、補給路は絶たれた。

 まさに袋の中の鼠。

「ヒャッハー!腕がなるぜ!」

 血走る瞳。はぁはぁと荒い吐息を吐き散らし、小さな体躯でぶんぶん槍を振り回す。彼女なりの準備運動のようだ。

 

 その意気やまさに戦闘狂である。

 一陣の風が吹き抜けて森一家の旗印、鶴の丸を靡かせた。

 三百メートル先にて陣を構える敵方は刀や槍を構えている。

 

 合戦開始から二刻が経ち、浮野は倒れた兵で埋め尽くされる。

 

 足元に流れる血が真紅の川を作る。

 桐琴は不機嫌そうに顔を歪ませ、大きく舌打ちする。

「敵を殺し尽くしちまったか。ワシは帰るぞ」

 どうやら消化不良なようだ。

 

「わかった。小夜叉はどうする?」

「オレも帰る」

 踵を返した桐琴を駆け足で追った。

 

 これに織田家による尾張統一がなったのだった──。

 

 尾張統一から三年が過ぎ、尾張及び三河の両国の国境地帯を巡り、織田と今川は度々争う。

 降りしきる雨の中、田楽狭間から今川軍を急襲した織田勢は駆ける勢いのまま陣幕内にいるであろう大将・今川義元を捜索する。

 

 奇襲に混乱している足軽たちへ、今川の将は『落ち着け、落ち着くのだぁ!』と声を大にして叫ぶ。

 

 やがて二刻も過ぎないうちに『織田上総介久遠信長馬廻り組長、毛利新助!』『同じく服部小平太!』と名乗りが上がった。

 

『東海一の弓取り、今川殿、討ち取ったりー!!!』

 兵たちの間から動揺の声がちらほらと上がる。

 取り分け大きく聞こえたのは玉砕覚悟を匂わせる声だった。

「そ、そんな殿が……」

「俺は今川にすべてを捧げたっ! 織田の一兵須く覚悟っ!」

 

 空から光の玉が落ちてきたのはそのときである。眩い光に包まれ降りてくる玉は神秘的であった。

 

 田楽狭間の合戦は、織田の大勝利で終わり、後に兵力をモノともしない戦ぶりは周辺の国に伝播し織田の名を天下へ知らしめることになった。

 

2

 

 その男は新田剣丞、と言うらしい。久遠が田楽狭間で拾った男である。

 記憶に存在しない奇っ怪な服装をしている。真っ白で光沢を持ち所処に丁寧な刺繍が施されていた。

 

 特に目を引くのが胸にある家紋である。恐ろしく美しいのだ。

 

 これだけなら天上人と言われても信じることが出来る。

 そう、天上人。空から落ちてきたので、そう呼ばれているそうだ。

 

 それが本当だとしても当家で登用するのはどうかと思う。しかし、物珍しさに久遠が決めてしまったのだ。何処かの国の間者かもしれないのに。

 

 織田家の一員として、彼女の妻として思う所が多々ある。

 今しようとしている事もそうだ。

 

 お盆に並べられた料理の数々。彼は一心不乱にかき込んでいた。

 まあ、一週間も意識が無かったので腹ペコなのは分かるつもりだ。

「ちょっと、そんなにかき込むとむせるわよ?」

 

 聞く耳持たず。

 案の定、突然、胸を叩き始めたので水を差し出した。すぐに片手で受け取り、「ありがとう」と一言。そしてまたかき込む。

 

「……織田に仕えるって貴方本気なの?」

 いまや織田は新進気鋭の勢力へのし上がった。兵力差のある今川を破った事が大きい。

「もし、久遠が可愛いとかそんな不純な動機で決めたならすぐに撤回し、この国から出ていってくれませんか」

 自分は久遠の妻である。織田家を守る事は家臣が。しかし彼女自身を守るのは自身の役目。そんな自負をもって告げたのだった。

 

 久遠は弟の件ですっかり変わってしまった。昔はよく笑っていたのに今では無表情が目立つ。これ以上彼女を傷つけないためにも、容易に訳分からずの者は近づけさせたくなかった。どうなるか分かったものじゃない。

 

 やがて料理の乗った皿が空になる。

「ご飯ありがとう。美味しかったよ」

 

「どうも……」

「それで話の答えだけど、俺行くところないんだ。気付いたらここで目が覚めて……。だからお願いします! 何でもしますから、俺をここに置いてくださいっ」

 彼は綺麗な土下座で頼み込んだのだった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 



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五話

 昨晩は色々とあったようで顛末が柴田壬月から語られた。 

 彼を検分するため家老揃って斬りかかったそうだ。本気では無かったものの中々の武があったようで難なくいなされるに終わる。

 そして原作に密接に関わる鬼が出現し、しかし剣丞によって撃退されたそうだ。

 

「ところで紋、その仮面は何だ」

 壬月は訝しげに仮面を見る。

 

「いやぁ。ちょっと色々あって顔が酷い状態なんだわ」

「見せられない、と?」

 

「おう、だから悪い。これ付けたままでもいいか?」

 

「ふぅむ。御館さまに聞いてみないと分からんな」

 

「なら聞いてみる」

壬月と別れ、久遠の私室へ向かった。なお居城の私室である。

 

「御館さま、今よろしいでしょうか」

 

「紋次郎か。はいれ」

 私室にて彼女は文のようなモノを認めていた。長く連ねられた文字は流麗な形をしている。反対側からなので中々読み取りづらい。

 

 久遠は変わらず貼り付けた能面のように無表情で冷徹な目をしていた。

 あの時からずっとこうだ。弟を討ってしまってから変わってしまった。実母との関係も益々悪くなったと聞く。

 

 何となく昔のようには行かず紋次郎は主君と配下の正しい関係に収まり敬語を使うようになった。

 

「お忙しいところ申し訳ありません」

「よい。日課のようなものだ。なんだ、その珍妙な仮面は」

 

「はい。実は顔にデキモノが出来てしまい、評定にて仮面をつけることを許して頂きたいのです」

 

「仮面をつけるほど酷いのか。よかろう、許す」

 彼女に礼を述べて、頭を下げる。文をちらりと盗み見た。

『すまぬすまぬすまぬすまぬすまぬ……』

 紋次郎の心が、締めつけられた。

 

 評定の間には、織田の名だたる臣が集まっていた。

 筆頭家老となった柴田を始めとし織田の三若と謳われる佐々成政こと和奏、前田利家こと犬子、滝川一益こと雛である。

 

 最後に森一家の名代としてやって来た前田慶次郎利益ことおかめ丸紋次郎である。因みに犬子の前で格好つけた手前、恥ずかしいので仮面をつけている。デキモノ云々は嘘であったのだ。

 

 家臣団の視線は一点にある。

 

 上座に腰を据え、無表情の久遠のすぐ隣に座る男。

 この時代では珍しい純白の服を纏う。緊張しているらしく背筋がぴんと張っており仏頂面だった。

 

 主人公兼種馬の新田剣丞である。一目見た感想としてはイケメン。それに尽きる。

 

「皆の者。こやつが今日より側仕えとなる新田剣丞だ。死なん程度に使ってやれ」

 

「は、はじめまして。新田剣丞です。ええとこちらにいらっしゃる織田三郎久遠さんに保護されました。側仕えとして精一杯努力するつもりですので皆様よろしくお願いします」

 

 緊張した面持ちの剣丞が頭を下げた。一瞬こちらに目線が飛んで来る。おそらく、仮面を付けているので変に思われたのだろう。

 

 評定の間は静まり返った。

 

 聞けば、天上人と言うだけで側仕えに命じたようだ。

 そう言った事に彼女自身、興味がある事を理解している。

 しているのだが『はい分かりました』と首を縦に振るわけにはいかなかった。

 

 なんせ意味不明な現れ方と言い、見たことのない装いと言い怪しさ満載であるのだから。必然的に反対する者が現れる。

 

「ボクは絶対に認めないぞ!」

 赤い癖っ毛が特徴的で、るからに勝ち気そうな少女、和奏がビシッと剣丞を指さす。見るからに敵意満載だ。

「佐々殿の意見に雛も賛成でーす」

 

「犬子も佐々殿と滝川殿の意見と同意見だよ!」

 彼女を始め、横並びに座していた少女たちも同じく反対の意を示した。

 

「そうか。ならば、どうすれば認める? 貴様ら」

 

「ボクらより強ければ認めてやります!」

 

「ちょっとー。ぼくら、じゃないでしょー。雛まで巻き込まないでよー」

 

「和奏のことだからこうなると思ってた」

 

「えーっ!? 雛も反対してたじゃないか!」

 

「でもでも、殿が決めたことだし収まるところに収まるんじゃないかなーって思ってるし」

 彼女たち織田の三若は口々に声を上げたのを皮切りに評定の間は一気に騒がしくなった。

 

 最前列に座る壬月は場の騒音に耳を傾けるように目を瞑っていた。

 

 そうして徐々に大きくなる三若の声にぴくり、ぴくりと眉間を動かし、それは堪忍袋が膨れるようであり───。

 

「三若っ! 殿の御前であるぞ、控えよっ!」

 堪忍袋が切れ、壬月の一喝が響いた。

 

「「「うぅ……」」」

 

「強ければ認めるか。面白い、剣丞、三若と立ち会ってみろ」

 

「え、いやでも俺、一発で負ける気がするんですけど」

 

「耳をかせ」

 顔色が優れない剣丞だが、久遠に耳打ちされ腹を決めたようだった。

 

「わかった。精一杯やってみる」

 

「よくぞ申した。あぁ言い忘れていたが三若、わかっているな?」

 

「わ、わかってますよ! あんな、なよなよした奴には負けるわけがないですよ!  そうだよな! 雛! 犬子!」

 

「えー。やっぱり雛もやるんだー。確かに負けないけどねー」

 

「犬子も大丈夫! 」

 

(全くうちの姪どもは……)

 紋次郎は内心ため息を吐く。彼女たちの腕は良いのだが如何せん嘗めて掛かる傾向にある。

 無論、和奏も同様だ。類は友を呼ぶというのはこの事だろう。

 

 剣丞の提案で決闘は庭で行うことになり、紋次郎を含めた家臣たちが広々とした庭で見守ることになる。

 第一の立ち合いは和奏。剣丞は彼女と対峙した。

 刀を抜いた剣丞は構える。我流と見えるものだが隙が窺えない。 

 

 対する和奏は独特の造りをする槍を剣丞に向け、勝ち誇ったような笑みを浮かべていた。

 

「紋、どうみる」

 壬月が難しそうな顔を浮かべながら、こちらに歩み寄る。

 三若は個人の武力は高いが隙を作りやすい傾向がある──というのが自論である。

 加えてあの三人は剣丞を完璧に見下し嘗めて掛かっていた。

 

 和奏は油断しているのだろう。その証左に勝利は決まったと言う風な笑みを浮かべているのだから。

「剣丞が勝つな、これは」

「ほう」

 ぎろり。鋭い瞳で睨まれる。

「鬼相手に一歩も引かなかったんだろう。それに和奏たちは完全に舐め切ってる。足元掬われるな、これ」

 

   2

 

 紋次郎の予想通り剣丞は三若に見事勝利を収めたのだった。

 揃ってしょんぼりとした顔を浮かべる彼女たちに労いの声を掛ける。

「お疲れさん。どうだった? 剣丞は?」

 

「え? だ、だれ?」

「おにーさんは……」

 流石に仮面してると分からないようだ。

 

「オレだよ。森家のおかめ丸紋次郎」

 

「あっ!」

「変な名前のおにーさんだー」

(雛のそう言う所、おにーさんは苦手です)

 

「ふ、ふんっ。ちょっと油断しただけですよっ! それに鉄炮の玉薬を籠めてれば勝ててましたっ!」

 とは言うが彼女の見栄っ張りだ。

 

 先の仕合で剣丞の策に掛かり、驚きで目を見開いていたのを目にした。

 どうにも敗北を認めたくないようだ。

 

 和奏が使う武器は特殊な造りをしている。戦国時代では考えつかない仕様の武器だ。

 

 一見すると普通の槍だ。変わっている所と言えば先端が膨らんでいること。

 

 驚くことに先端で鉄炮が撃てるようになっている。しかし鉄炮とは元来連射できない白物であり、一発撃ったら玉薬を入れなければならない。加えて命中率の問題もあった。

 

 その隙を剣丞に突かれ敗北したのである。

 

 鉄砲に固執するあまりの敗北だった。

 

 それこそ鉄砲は弓など歯牙にもかけないほどに凶悪な性能なのだがその真価は有り余る殺傷能力に加えて飛距離にある。

 

 デメリットはあるが、今回に限っては二人の間合いが近い分意味をなさなかったようだ。槍で挑めば勝利していたはずだろう。

 

「私もー。もうちょっと速く動けたら勝てたかなー」

 氏族の血縁関係がある彼女だが今回は本気を出したようでお家流を使用していた。

 

 お家流とは武士が持つスキルのようなものである。努力により勝ち取るものから一子相伝のものまで幅広く存在している。

 

 蒼燕瞬歩といわれる雛のお家流はとにかく速く動ける。

 したがってその戦法は至って単純、素早い動きで、撹乱し背後から急襲を仕掛けるものであった。

 

 それを剣丞に見破られてしまい、一撃をもらい敗北したのである。

 お家流は強力な力である反面、使い手次第では大きな隙を作り得る。

 

「うぅ~。あと少しだったのにー」

 犬子は猪突猛進だった。気概は十分なのだが如何せん、動きが単純だ。

 

 相手からすれば攻撃してくださいと言っているようなものであり避けることは容易であったろう。

 

 案の定、猪突猛進な行動を読まれ、犬子は敗北した。

 

 だが取り分け、三若の中でも犬子の実力は高い。身内贔屓であるが槍捌きは見事なものだった。

 

(ホントにこいつらは……)

 壬月の嘆きが理解出来た。

 

 常日頃から壬月は口煩く彼女たちに小言を弄しているのだがいざ彼女たちの戦いぶりを目にしたときその意味を知った。

 

 頭を抱えるとはこのことだ。こんな体たらくとは情けない。

 とはいえ彼女たちは若い。褒めれば伸びる。負けたとしてもそこから得るものがあるから強くなれるのだ。

 いずれ織田を背負う人材の一柱だ。若人のうちに敗北を経験できて良かったろう。

 

 なんて格好をつけてみた──のだが、彼女達はいつの間にか始まった立ち合いに意識を向けていた。

 

「はぁ!」

 麦穂が鋭い声を上げながら剣戟を起こす。一方的な攻撃であり剣丞は防戦一方だった。

 

「ぐっ!?」

 剣丞の顔には焦りが見える。汗が飛び散った。

 

 対して麦穂は余裕の見える涼しい表情で素早く刀を打っていた。 

 

 彼女ほどの力量であれば勝つ事は容易いのだが中々行動には移さない。時折、彼が防ぎにくい箇所へと刀を向けている事を見るに力量を計っているらしい。

 

 剣丞は、流石にこの長時間に及ぶ剣戟に嫌気が指したらしく麦穂の刀を斬り返し──突然、胸を鷲掴みにした。

 

(……な、なんだと!?)

 そして直後。彼らの剣戟を見守っていた者たちをしらけた空気が包む。しーんと静まり返っていた。

 

「……きゃ」

 一瞬の間を置く。

 

「きゃぁぁぁぁぁぁ!!!」

 耳を劈くような甲高い声が空気を震わした。

 観戦側である三若からは非難の声があがる。

 その瞬間、剣丞は女性陣の敵となった。

 

「サイテーだあぁぁぁ!!」

「破廉恥な男ー。雛、気をつけないと妊娠させられるかもー」

「女の敵ー!変態ー!変態ー!」

 

「貴様は‥‥‥全く」

 ため息をつきながら壬月は額へと手をやった。半分、呆れ返っているのだろう。

 

 剣丞は四面楚歌状態だった。

 

「あ、あのー」

 申し訳なさそうな、それでいてバツが悪そうな顔で剣丞は膝から崩れ落ちるように膝を畳み、頭を地につけた。

 

「ご、ごめんなさいっ! 今度お詫びになんでもしますから許してくださいっ!」

 

「だ、だ大丈夫ですよ。これでも、ぐすっ。か、家老の一人ですし、ぐすっ、余り怒ってはいませんから」

 居た堪れない空気となったのは言うまでもないだろう。

 麦穂に続き、剣丞と対峙する壬月。

 

 男女には覆せない体格差があるのだが、改めて俯瞰する側に立つと壬月のほうが大きく写った。

 

 剣丞の方が身長は高いはずだが歴戦の猛将としての気迫が彼女を大きく見せているのだろうか。

 

 思い出したように壬月が待ったを掛ける。

 

「少し待て、孺子……猿!」

 

「は、はいっ!」

 猿と呼ばれた赤毛の少女が大きな斧を乗せた荷車を引いてきた。

 壬月が使う武器だ。銘を金剛罰斧。とにかくデカい戦斧である。並の者が使えるようなものではない代物だ。

「貴様には本気で参ろうか」

 麦穂の敵討だ。

 

「えっ、あの、それ、し、死んじゃいませんか?」

 困惑の声が上がった。

 壬月も女性だ。剣丞に立腹するのも無理はない。

 ましてや麦穂とは付き合いが長い分尚更だ。 

 

 剣丞が勝つには隙を突くしかないだろうが、しかし壬月ほどの猛将が隙を作ると考えられない。

 したがって剣丞はこの一戦で敗北するのだろう。

 思った矢先。すさまじい突風が巻き起こり思わず目を瞑る。

 突風が止み、目を開けると飛び込んできたのは地面に突っ伏した剣丞の姿だった。

 

 



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六話

加筆しました


 

 

「悪りいな。遅くなった。それと一つ報告もある」

 パチパチと燃える篝火が点てられた屋敷の門前で先ほどの戦闘のことを述懐した。

 彼の刀のことも含め、数十分ほどでそれは終わる。

「デアルカ‥‥‥剣丞、いくぞ」

「え。 う、うん」

 久遠は剣丞の腕をひき屋敷へと入っていった。

 取り残された慶次は踵を返し帰路につこうとする。

「ねぇ。お夕飯食べていかないの?」

「悪い。ちょっと用事があってな、遠慮しておく」

「そう‥‥‥なら仕方ないわね。また今度誘うわ」

 あからさまに落ち込む表情を見せ、目を伏せた。

 正直な所、彼女の料理は食べたいのだ。だが慶次としては最優先は森一家なのである。約束した手前反故にすることは出来ない。

 

「また次の機会に頼むぜ」

 頭に手をやり、梳くように撫でる。サラサラとした髪は柔らかく、いつまでも触れていたいと感じてしまうような魔性の髪だ。

「‥‥‥うふふ」

「じゃあな」

 撫でていた手を戻し、今度こそ踵を返した。

「ええ。おやすみなさい慶次」

 

 それから程なくして慶次は森の屋敷へと到着した。二回目と言うこともあり、今回は迷うことはなかった。

 ちなみに待たせてしまっていると言うこともあり、お詫びの品をも兼ねて肴は買った。

 甘味の代表、三色団子である。

 

「ただいま~」

 屋敷の引き戸を開けると酒のにおいが鼻腔に入り込んだ。かなり濃いにおいだ。机上には空になった徳利が倒されており、彼女たちの手にはおちょこが握られていた。

 二人はすぅすぅと気持ちよさげな寝息を刻み、畳上へ転がっていた。

 

「潰れるまで飲んだのか……」

 だらしのない寝相であるが愛しく思える。家族だからだろうか。

 とはいえそれは贔屓目に見たものである。二人の寝相は女性としては少々恥ずかしいものだった。

「zzz‥‥‥」

 

「‥‥‥zzz慶次ぃ」

 

「ったく‥‥‥」

 仕方ないなと思いつつ、二人を抱き上げた。

 桐琴は豊満な身体つきながらも腕一つで抱えることが出来るほどに華奢だ。小夜叉は言わずもがな、である。

 正直二人のあの馬鹿力は一体どこから出ているのだろうと甚だ疑問だった。 

 

 部屋を出て、桐琴たちの寝室に到着。器用に足を動かし、襖を開いた。

 彼女の寝室には小夜叉の妹たちがひっそりと寝息を立てていた。

 それは桐琴が共に寝起きしているのを物語っているわけであった。桐琴はしっかりと母親をしていたのだ。

(何年もともに過ごして気付かねぇとはな)

 桐琴たちを部屋に運び終え、慶次は縁側に腰掛ける。

 徳利を傾けおちょこに注ぎ、一人酒と団子を優雅に嗜む。

 

 本来ならあの二人と共に嗜む予定だったのだが頓挫してしまった。

 日持ちも良くないことも考慮し、今夜は一人食べることにした。

 たかが団子数本で空腹を満たせるかは微妙ではある。

「夕飯、食べてこればよかったかなあ。あー失敗した」

 結菜のお手製の夕餉は美味である。つい先日食べたばかりの味と香りを思い出すと口内に唾液が涌き出た。調味料を使わない素材本来の味を生かした汁物。芳しい香りは、食欲を際限なくそそる。

「はぁ‥‥‥」

 ため息をついた。後悔しても遅く、団子を二、三個口に頬張ると酒で流し込んだ。

 

「‥‥‥あ、これすごく美味いな」

 酒と団子の妙な組み合わせを見つけた彼の夜は過ぎて行った。

 

 

 翌朝。空は雲を孕みながらも、概ね青空が見える、暖かなこの陽気の良き日に評定の間に織田の名だたる臣が集まっていた。

 

 筆頭家老である柴田壬月、おなじく丹羽麦穂。

 そして織田の三若と謳われる佐々成政こと和奏、前田利家こと犬子、滝川一益こと雛である。

 そして最後に森一家の前田慶次。

 

 家臣団の視線は一点集まっている。上座に座る久遠のすぐ傍に座る彼。この時代では珍しい純白の服を纏った男は緊張しているらしく背筋がぴんと張っており、表情は仏頂面だった。

 

「皆の者。こやつが我の夫となる男、新田剣丞だ。存分に使ってやってくれ」

 偽物だがと最後に付け足した。

 

「は、はじめまして。新田剣丞です。ええとこちらにいらっしゃる織田三郎久遠さんに保護されました。‥‥…偽ではありますが久遠さんの夫となることが決まりましたので皆様今後ともよろしくお願いします」

 緊張した面持ちの剣丞が頭を下げる。

 

 評定の間は静まり返っていた。

 

 理由は明白、当主の夫になるということであった。

 だが剣丞の言う通り偽物。天上人を保護し、かつ婿に向かえる───久遠による外交的戦略の一つであるのだ。

 家臣団はそれを理解している。しているのだが『はい分かりました』と首を縦に振るわけにはいかなかった。なんせ意味不明な現れ方と言い、見たことのない装いと言い怪しさ満載であるのだ。

 そのため、必然的に反対するものが現れる。

 

「ボクは絶対に認めないぞ!」

 赤い癖っ毛が特徴的で、見るからに勝ち気そうな少女、和奏がビシッと剣丞を指さす。見るからに敵意が満載だ。

「佐々殿の意見に雛も賛成でーす」

 

「犬子も佐々殿と滝川殿の意見と同意見だよ!」

 彼女を始め、横並びに座していた少女たちも同じく反対の意を示した。

 

「ふむ。そうなると思っていたが。どうすれば認める?貴様ら」

 

「ボクらより強ければ認めてやります!」

 

「ちょっとー。ぼくら、じゃないでしょー。雛まで巻き込まないでよー」

 

「和奏のことだからこうなると思ってた」

 

「えーっ!? 雛も反対してたじゃないか!」

 

「でもでも、殿が決めたことだし収まるところに収まるんじゃないかなーって思ってるし」

 彼女たち三人、通称織田の三若が口々に声を上げたのを皮切りに評定の間は一気に騒がしくなった。

 最前列に座る壬月は場の騒音に耳を傾けるように目を瞑っていた。

 そうして徐々に大きくなる三若の声にぴくり、ぴくりと眉間を動かし、それは堪忍袋が膨れるようであり───。

 

「三若っ!殿の御前であるぞ、控えよっ!」

 堪忍袋が切れ、壬月の一喝が響いた。

 

「「「うぅ‥‥‥」」」

 

「強ければ認める、か‥‥…うむ。剣丞、三若と立ち会え」

 立ち会う。つまり武力による決闘である。

 

「いやでも俺、一発で負ける気がするんだけど‥‥‥」

 

「全く‥‥‥少し耳をかせい」

 顔色が優れない剣丞だが久遠に耳打ちされ腹を決めたようだった。

 

「わかった。精一杯やってみる」

 

「うむ。よくぞ申した。それでこそだな。あぁ言い忘れていたがわかっているな? 三若」

 

『殺したら、分かっているな?』と鋭い眼光が三若に向けられた。

 

「わ、わかってますよ! あんな、なよなよした奴には負けるわけがないですよ!  そうだよな! 雛! 犬子!」

 

「えー。やっぱり雛もやるんだー。確かに負けないけどねー」

 

「犬子も大丈夫! 」

 

(全くうちの姪どもは……)

 正直先が思いやられる。

 彼女たちの腕は良いのだが如何せん、嘗めて掛かる傾向にあるのだ。それは和奏も同様である。類は友を呼ぶというのはこの事だろう。

 

 剣丞の提案で決闘は庭で行うということになり、慶次を含めた家臣たちが広々とした庭で見守っている。

 

 剣丞は和奏と対峙していた。

 刀を抜いた剣丞は構える。我流と見えるものだが隙が窺えない。

 対する和奏は特殊な槍を剣丞に向け、勝ち誇ったような笑みを浮かべていた。

 

「慶次、どうみる」

 壬月が難しそうな顔を浮かべながら、こちらに歩み寄る。

 

 三若は個人の武力は高いが隙を作りやすい傾向がある──というのが慶次の自論である。加えて、あの三人は剣丞を完璧に見下し、嘗めて掛かっているのだ。

 

 和奏は油断している。現に和奏はすでに勝利は決まったと言う風な笑みを浮かべていたのだから。

「剣丞が勝つな、これは」

「‥‥‥贔屓では、あるまいな?」

 ぎろり。鋭い瞳で睨まれる。

 

「強い男さ。鬼相手に一歩も引かなかった勇気を持ってんだからな」

「ほう‥‥‥ならばその勇気を見せてくれるだろう」

 本気は出さんよと付け加えると足早にこの場を後にした。

 掛かれ柴田。鬼柴田。物騒な異名を持つ彼女だ。

 相手になると確実に剣丞は敗北する。

「壬月さまが参加するのでしたら私も。慶次さま、見ていてくださいね」

 ぱちりと可愛く片目を閉じ、壬月の後を駆け足で追った。

 (麦穂ってばお茶目な部分もあんだな。しっかし剣丞……)

 原作と同じとは言え、家老である彼女たちの強さを間近で目にしているのだ。結果が分かり切っていることもあり剣丞が不憫だった。

 

   2

 

 剣丞は三若に見事勝利を収める。

 揃ってしょんぼりとした顔を浮かべる彼女たちに、労いの声を掛ける。

「お疲れさん。どうだった? 剣丞は?」

 

「ふ、ふんっ。ちょっと油断しただけですよっ!。それに鉄炮の玉薬を籠めてれば勝てましたっ!」

 とは言うが、彼女の見栄っ張りだろう。

 先の仕合で剣丞の策にはまり、驚きで目を見開いていたことを知っている。どうにも敗北を認めたくないようだ。

 和奏が使う武器は特殊な造りをしている。戦国時代では考えつかない技術仕様の武器だ。

 一見すると普通の槍だ。変わっている所と言えば、先端が膨らんでいること。

 驚くことに先端で鉄炮が撃てるようになっている。しかし鉄炮とは元来、連射できないものであり、一発撃ったら玉薬を入れなければならない。つまり一般の鉄砲と同じ要領で玉籠めを行わなければならず、その隙を剣丞に突かれ、敗北を屈したのである。

 

 鉄砲に固執するあまりの敗北。それこそ鉄砲は弓など歯牙にもかけないほどに凶悪な性能なのだが、その真価は有り余る殺傷能力に加えて、飛距離にある。今回は二人の間合いが近い分、如何せん意味をなさなかったようだ。槍で挑めば和奏は勝利したはずだろう。

 

「私もー。もうちょっと速く動けたら勝てたかなー」

 氏族の血縁関係がある彼女だが己と似たような部分がある。悪戯好きでめんどくさいとも取れる言動を弄するときもあるが、やるときはやるのだ。

 今回は本気を出したようでお家流を使用していた。お家流とは武士が持つスキルのようなものである。努力により勝ち取るものから一子相伝のものまで幅広く存在している。

 

 蒼燕瞬歩といわれる雛のお家流はとにかく速く動ける。したがってその戦法は至って単純、素早い動きで、撹乱し背後から急襲を仕掛けるものであった。そのパターンを見破られた雛は一撃をもらってしまい敗北したのである。

 

 お家流は強力な力である反面、使い手次第では大きな隙を作り得る。背後からの攻撃は常人であれば一撃であっただろうが剣丞は特別だった。過去の偉人に鍛えられたのだ。常人の能力より上である。

 しかし元々、先手を取れるお家流だ。力にあぐらをかかず、様々な工夫を施したとしたら、違う結果となっていただろう。

 

「うぅ~。あと少しだったのにー」

 犬子は猪突猛進だった。気概は十分なのだが如何せん、動きが単純だ。相手からすれば攻撃してくださいと言っているようなものであり避けることは容易であった。それを知らずに、案の定、猪突猛進な行動を読まれ、犬子は敗北した。

 だが取り分け、三若の中でも犬子の実力は高い。身内贔屓であるが槍捌きは見事なものである。期待はしていたのだ。

 

(ホントにこいつらは‥‥‥)

 少しだけ壬月の嘆きが理解出来た。常日頃から壬月は口煩く彼女たちに小言を弄しているのだが、いざ彼女たちの戦いぶりを目にしたときその意味を知った。

 頭を抱えるとはこのことだ。こんな体たらくとは情けない。

 そう思う反面、彼女たちはやれば出来ると知っている。

「まぁお前らは頑張ったさ。ただ今回の敗北には意味があったんじゃないか? それを糧にしてな? また頑張りゃ良い」

 三人の頭をワシャワシャと撫でる。

 彼女たちは若い。褒めれば伸びる者たちだ。人間、誰しもがそうだと思う。負けたとしてもそこから得るものがあるから強くなれる。

 

 この三人はいずれ織田を背負う人材の一柱だ。若人のうちに敗北を経験できて良かったと慶次は思っていた。

 そう言う意味を込めて、彼女たちに手をやったのだが───。

「慶次さま‥‥‥」

 

「慶次くん‥‥‥」

 

「慶くん‥‥‥」

 

 三人から熱の籠った視線を送られていた。

(な、なんだ!?)

 

 

 

「はぁ!」

 麦穂が鋭い声を上げながら剣戟を起こす。一方的な攻撃であり剣丞は防戦一方だった。

 

「ぐっ!?」

 剣丞の顔には焦りが見える。汗が飛び散っていた。

 対して麦穂は余裕の見える涼しい表情で素早く刀を打っていた。すでに半刻ほど彼等は剣戟を繰り返していた。

 彼女ほどの力量であれば止めをさすことは容易いのだが、中々行動には移さない。時折、彼が防ぎにくい箇所へと刀を送っているところを見るに、力量を計っているらしい。

 

 だが流石にこの長時間に及ぶ剣戟に嫌気が指したらしく、麦穂の刀を斬り返し──突然、麦穂の胸を鷲掴みにした。

 

(……な、なんだと!?俺は触らせてもらってすらいないのにっ!? くそっ! 柔らかいだろうなあ)

 その光景に思った言葉は男としては最低であった。

 なまじ付き合いが長い分、そう言う対象──女としてはそこまで見ていなかったが己とて男である。

 着物の上から自己主張の激しい彼女のものを意識してしまっていた。

 そして直後に、彼らの剣戟を見守っていた者たちをしらけた空気が包み込む。しーんと静まり返っていた。

 

「‥‥‥きゃ」

 一瞬の間を置く。

 

「きゃぁぁぁぁぁぁ!!!」

 耳を劈くような甲高い声が空気を震わした。

 観戦側である三若からは非難の声があがる。

 その瞬間、剣丞は女性陣の敵となった。

 

(あぶねぇ)

 慶次は口に出なくて良かったと己の口に感謝を捧げた。

 

「サイテーだあぁぁぁ!!」

 

「破廉恥な男ー。雛、気をつけないと妊娠させられるかもー」

 

「女の敵ー!変態ー!変態ー!」

 

「女の敵だな‥‥‥」

 

「貴様は‥‥‥全く」

 ため息をつきながら壬月は額へと手をやった。半分、呆れ返っているのだろう。

 まさに剣丞は四面楚歌状態だった。

 

「慶次さま‥‥‥私穢されて」

 こちらへと歩み寄る麦穂の顔は絶望的に暗かった。瞳からは光が無くなり、目尻には今にも決壊しそうなほどの涙が溜まっていた。

 

 剣丞の策だったとは故、仕方ないとは思うがやはり女には悲哀は似合わない───原作を知っている側からすると尚更だった。

 

「大丈夫だ、麦穂。お前は穢されてなんかいないさ。心配はいらねえよ」

 ぽんと頭頂部に手を置いた。サワサワサワとあやすように撫でる。手のひらに触れるきめ細かな髪がとてつもなく心地良い。

「うふふ」

 ふわぁと、太陽のような一輪の花が咲いた。

(いい顔じゃねぇか。やっぱ女は‥…っ!)

 突如として全身の肌が粟立った。

 ゾクリと背中に感じる悪寒にゆっくりとした動作で振り返ると久遠が物凄い形相でこちらを睨んでいた。

「慶次、貴様………」

 

「あ、あのー」

 申し訳なさそうな、それでいてバツが悪そうな顔を麦穂に向ける剣丞は素早い動作で膝から崩れ落ちるように膝を畳み、頭を地につけた。

 

「ご、ごめんなさいっ! 今度お詫びになんでもしますから許してくださいっ!」

 

「大丈夫ですよ。余り怒ってはいませんから。それに‥‥‥」

 頬に赤がさした麦穂はちらりと視線を送る。

 すると剣丞が慶次に向かっても土下座をした。

「あ、あと慶次っ! 彼女さんとは知らずに胸を触ってしまい本当にごめんなさいっ!」

 罪悪感の籠る声音で必死に頭を下げていた。彼は白いズボンが土で汚れることも気にせずに口に出した後も、ずっと頭を地につけていた。

 

「おいおい。何か勘違いしてるようだが俺と麦穂はそんな関係じゃあないぜ?」

 ───とは言え、少しだけ考えてはいた。

(麦穂が俺の彼女、か。ない……ないな、第一俺は麦穂と釣り合うような男じゃねぇからな。いくら俺がイケメンでも下の方だ)

 そんなことを考えながら慶次は腰を屈ませると剣丞が恐る恐る顔を上げた。

 

「えっ、でもさっき頭を撫でて、それで麦穂さんが笑顔で」

「女の泣く顔はみたくねぇからだ。それに俺は麦穂と釣り合うような男じゃねえさ」

「へ‥‥‥」

 驚愕の表情を見せる剣丞。そこまで意外だろうか。

 画面の中にしか居なかった存在が己の目の前で人間として存在している。視界に彼女をおさめると理解が出来る。前世でも麦穂に──麦穂たちに勝る女性は限られているのだろうと。だから己では到底届きそうにないと思っているのだ。

 

「へぇー。そういうことだったんですねー‥…どうりで‥…」

 麦穂が何かブツブツ言っている。今日はどうにも妙な悪寒を感じ取る日だ。慶次は無視を決め込んだ。

 

 そのせいか周囲からさらに視線を感じ取った。

「け、慶次はっ! かかか格好いいぞ!」

 

「そうですよ!久遠さまのいうとおり慶次さまは格好いいですよ!ボクが保証しますっ!」

「そうだよねー。慶次くんは本当に格好いいよねー」

「うんっ!犬子も慶くん格好いいと思う!」

 見た目麗しい彼女たちに言われて悪い気はしない───しないが恥ずかしい。

 居たたまれない空気となり、慶次はごほんと咳払いをした。

「ほら。立て、剣丞。次は壬月とだ」

 剣丞を立たせ、ズボンの汚れを払う。

「あ、ありがとう慶次」

 慶次は頑張れよと言う風に背中を軽く押した。

 

 

 麦穂に続き、剣丞と対峙する壬月。男女には覆せない体格差があるのだが、改めて俯瞰する側に立つと壬月のほうが大きく写った。

剣丞の方が身長は高いはずだが、歴戦の猛将としての気迫が彼女を大きく見せているのだろうか。

 思い出したように壬月が待ったを掛ける。

 

「少し待て、孺子‥‥‥猿!」

 

「は、はいっ!」

 暫時待っていると猿と呼ばれた赤毛の少女がデカイ斧を乗せた荷車を引いてきた。

 壬月が使う武器だ。銘を金剛罰斧。とにかくデカい戦斧である。並の者が使えるようなものではない代物だ。

「貴様には本気で参ろうか」

 

「えっ……」

(本気は出さないって言ってなかったか?)

 麦穂の件を気にしているのだろうか。

 壬月も女性だ。やはり勝利のための策とは言えデリケートな部分でもある箇所を触れた剣丞に立腹するのも無理はない。

 ましてや壬月は麦穂と付き合いが長い分、尚更だ。 

 

 剣丞が勝つには隙を突くしかない。しかし壬月ほどの猛将が隙を作ると考えにくい。

 したがって、剣丞がこの一戦で敗北する。

 思った矢先に、すさまじい突風が巻き起こり思わず目を瞑る。

 突風が止み、目を開けると飛び込んできたのは地面に突っ伏した剣丞の姿だった。

 

 

 



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七話

明らかな矛盾は指摘していただけると。


  1

 

「三割で伸びるとはなんと情けない。だが衝撃を逃がすとはな。評価には値しよう……猿」

 壬月は赤毛の少女を呼びつけた。 少女は荷車を近くまで引き彼女に戦斧を預ける。

「厳しいな。壬月は」

「当たり前だ」

 ふんと不機嫌そうに鼻を鳴らす。

「だが信用はしてやるつもりだ。認めよう」

「おう。三若はどうだ?」

 

「ま、まぁ負けたし。ボクは認めるよ」

 

「雛も。和奏ちんと同じかな」

 

「二人に賛成ー!」

 

「おうそうか、御館さま」

 

「デアルカ。ならば結菜はどうだ?」

 

「そうね……認める。壬月の言葉通りなら彼、中々見所があるだろうし」

 いつの間にかこの場足を運んでいた彼女に久遠は視線を向けた。

 

「デアルカ。うむ」

 満足そうに頷く。

「でも殿ー。夫にするって本気なんです?」

 

「本気だが、何か懸念でもあるのか?」

 

「殿可愛いから、こいつが変な気を起こすんじゃないかなーって」

 

「我の相手がこやつに務まるわけなかろう。夫といっても形だけだ」

 

「それで孺子の扱いはどうされるのです?」

「何らかのお役目をお与えになった方がよろしいかと」

「一応、腹案はあるのだが‥‥‥」

 むむむと悩んでいるようだ。

 

「殿ぉー!たった今墨俣から佐久間様の早馬が来ましたー!」

 橙色の髪の少女が慌てた様子で走ってくる。

 

 佐久間信盛──彼女は退き佐久間の異名を持つ妙齢の将である。戦の引き際を見極める着眼点が鋭いことで名を馳せている将だ。現在は美濃の墨俣の築城を任されていたはずである。

 

「デアルカ‥…猿!貴様もそろそろ武士として名乗りを上げてもいい頃合いだ。剣丞の下に付き、功をあげよ」

 猿と呼ばれた少女は久遠の言葉を聞き、ぱぁっと顔を輝かせた。

 橙色の髪を細いサイドテールで纏め、活発な印象を受ける彼女の名は木下ひよ子。

 

 ひよ子は久遠の小者、つまり奉公人として仕官していた。奉公人は武士の身分ではなく扱いも存外雑だ。しかしたった今久遠が述べたことは事実上の昇進である。彼女はただいまより武士となったのだ。

 

(めでたいことじゃんか。あとで馳走でもしてやるかねえ)

 

「あ、あの私」

 

「うむ。今日よりは武士となれ」

 

「あ、ありがとうございましゅ!」

 

「ひよ、おめでとさんだな」

「ま、前田さま!ありがとうございましゅ!」

 彼女は腰を直角に折り、深いお辞儀をした。

 

「よし、ひよ。あとで剣丞連れてきな。今夜は俺がご馳走してやる」

 

「ええっ!? そそそんな悪いですよ!」

 

「遠慮すんなよ。おとなしく馳走させろ」

「で、でもぉ〜」

「猿、馳走されておけ。慶次は止めても聞かんぞ」

 そう言い久遠は微笑した。

「は、はいぃ〜」

 遠慮がちに頷いた。

「では猿。まずは剣丞を介抱せい。目覚め次第、二人で城に来い。沙汰を与える」

 ひよ子はコクリと頷いた。

 

「これにて剣丞の検分を終える。皆は評定の間に場を移し、墨俣よりの報せを聞け」

 

 こうして剣丞は一応という形だが側仕えとして認められることになった。

 

  2

 

「ほらいくぞ。お前ら、ついてこい」

 今夜は思った以上に明るい夜だった。いつもより月光は強い。とはいえ、夜は夜だ。

 朧気に見える道を提灯で照らしながら件の場所に向けて彼等は歩を進めていた。

 

 暫く歩くと到着したとある無人の民家。

 戸を開き、持参した蝋燭に火を灯した。そのまま囲炉裏にも火を付け、さらにまた蝋燭へ。

 本当はランプが良かっのだが如何せん、かなり値がはる。

 今回は仕方なく蝋燭を使っていた。

「剣丞とひよはそこに座っていてくれ」

 とりあえず居間に座るように指示し彼等は従った。

「なぁ慶次。なにを作ってくれるんだ?」

「それは秘密だ。今回はお前らの祝いだからな。期待して待ってろ」

「楽しみですね!お頭!」

 

「そうだなぁ。でも以外だよ、慶次料理できるんだな」

「意外か?」

 だが今から作るものを料理と言うのかは些か不安ではある。何せ串にさすだけものなのだ。品性の欠片もない男飯である。

 ここの台所を借り、肉料理をご馳走するのが目的だ。とはいえこの時代は肉料理が少ない。食べてはいけないと言われていたからだ。

 しかしそれが何の肉か分からない。如何せん戦国の知識が乏しいのだ。

 

(武田で焼き肉を食っていたくらいだしな。いけんだろ)

 と開き直ると予め長屋に用意しておいたウサギと鳥を捌き始める。

 肉を一口サイズの大きさに捌き、串に五、六個ずつさしていく。

 味付は味噌、塩、のみ。こればかりは仕方がない。次いでしゃぶしゃぶ用に捌いていく。味付けは醤油に、柑子の絞った汁を足したものだがこれが割りとさっぱりしていて美味しいのだ。

 そして最後に白米。肉と言ったらこれだ。

 

「よし、後は囲炉裏にさすだけだな」

 居間に持っていき串を囲炉裏の中へさす。水を入れた鍋を中央に置いた。 特に串焼きは焼きが甘いと美味くはならないから注意しないといけないだろう。

「うわぁ〜美味しそうですね! お頭! 」

 

「う、美味そうだあ……」

 二人は目を輝かせて見入っていた。

 

(気に入ってくれたみたいだ。んじゃあ後は味だけか。そっちも気に入ってくれるといいんだがねえ)

 

 数十分後。

 居間には肉の芳ばしい香りが充満していた。手元には柑子醤油の入った薄い茶碗と飲み水を準備。

 二人は今か今かと目を輝かせ、釘付けだった。

「今日は二人ともお疲れさん。そしておめでとう」

「ありがとうございます!前田さま!」

「ありがとう、慶次」

 

 タレも用意でき、ついに食す時が来た。

 

「「「いただきます!」」」

 挨拶をするや否や二人は物凄い勢いで料理に手を付けはじめた。

「おかひらー、ほれおいひいでふほー!」

 両手に串焼きを持ちながらも食べることをやめないひよ子。

「ひよ、行儀が悪いぞ」

 そんなことを言いながらも串焼きを両手に持つ剣丞だ。

 全く人のこと言えてはいない。

 だがそれは気に入ってもらえた何よりの証拠だった。

 

 慶次は嬉しさを胸の内に抱きながら、自らも串を一つ手に取ったのだった。

 



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八話

 

  1

 

 剣丞とひよ子とからなる少数の部隊、剣丞隊が墨俣に城を築いてくれたお陰で美濃奪取の足掛かりが出来た。美濃進行の拠点が出来、家中でのある程度の信用も得られ、風当たりは弱まったと言える。

 嬉しいことではあるのだが剣丞は浮かない顔だった。

 刻々と時間が過ぎる度に彼の顔付きはより深く、自己を否定するような悔やんだ顔付きに変わってきていた。

「どうしたんだよ。 んな辛気くさい顔して」

 縁側に腰を落ち着け、夕焼け空を眺めている剣丞に慶次は声を掛けた。

「……慶次」

 何かにすがるような瞳をしている。顔は生気が抜け落ちたように蒼白く、半開きの口唇もどこか渇いていたようにも見えた。

「俺……俺さ」

 剣丞は振り絞るように声を震わせながら、ぽつりぽつりと語り始めた。

 

「人を……この手で……俺の手で……! 斬ったときっ。斬ったときにっ! 人殺しに……!」

 そして剣丞は水が溢れたかのように慟哭し始めた。

「……落ち着けよ」

 彼の背を撫でながら、頭に言葉がすぅと染み込んでいく感覚。過去の自分と同じ悩みだった。始めて落武者狩りをして人を斬り殺した。今でも両の手に残照の如くこべりつく感覚を鮮明に覚えている。それは命の重みだった。

 後悔もした。彼等にはまだ生きる道があったのにと。だが心のどこかでこれは仕方ない、自分を守るためだと思う感情も存在していた。

 そして場を踏み、気付いたころには命の重みという罪悪感は消え去っていた。いつの間に慣れてしまったのだ。

 

(いや。逃げただけか)

 苦しみたくなくて逃げたのだ。それこそ生きる道などと吹いていた自分が。今では免罪符を掲げて逃げているのだ。

 

(世話ねぇなこれじゃ。だがまぁ先達として助言することくらいは出来る)

 心構えやその意味をだ。

 背を撫で続けていたことが幸し、ようやく剣丞は平常を取り戻した。

「……辛かったろうな」

 

「っ! ……慶次は……」

 ことぎれた言葉の続きは容易に理解出来た。

「最初は辛かったさ。それこそもどしてたりしてたからな」

「……そうなんだ」

「俺は割り切ったんだよ」

 

「え……」

「森一家と織田を守るためだってな。だから今は辛くない」

「でも、それじゃあ……」

「いいか、 殺すことには確かに意味がある。だがそれを考えんのは今じゃねえ」

 剣丞の瞳をじっと見つめる。

「……うん」

「だから割り切れ。じゃなきゃお前が死ぬ」

「っ」

 剣丞は息を呑む。

「ま、俺から言えんのはこれだけだ。かくいう俺も答えは出せてないからな。あんまり調子良いことは言えんのだわ」

 と、あっけらかんに言う。

「うん……」

 

「んじゃあな」

 慶次はその場を去った。──かのように見えたが廊下の中腹まで歩いたところで機敏に身を翻し、剣丞の元へ戻った。

「一つ言い忘れてた。もし。もしそれでも辛いんなら俺に言いな。また相談に乗るぜ」

 

 剣丞は力なく頷き、答えた。

「分かった。そのときは頼むよ」

 

「おう。またな」

 そして今度こそ、慶次は去った。

 墨俣築城から二日後、夜の出来事だった。

 

 日を跨いで慶次が登城すると背に明るい声が掛かった。

「慶次、おはよう! 」

「おう剣丞。良い顔になったな」

 純白の制服に身を包む剣丞は昨夜とは比べるもなく、スッキリとした顔付きだった。

(……割り切ってくれたのか。良かった)

 

「うん。慶次のおかげだよ」

 少しだけ照れくさそうにはにかむ。

「……ってそうじゃないよ。久遠が探してたんだ! 機嫌悪かったから理由は聞けなかったけど急いだほうが……」

「っ!! それを早く言え! 」

 慶次はすぐさま駆け出す。そして廊下の中腹辺りまで駆けたところで、またもや背に声が掛かった。

 

「逆だ! 慶次」

 

 

  2

 

 現在美濃からの早馬があったということで緊急軍議のため家臣団は清洲城に登城していた。

 騒がしいくらい家臣たちの声が響いていた。

「みな、揃っているな」

 久遠が口を開くと一斉に場が静まる。

 

「先ほど美濃に忍ばせていた草から連絡が入った‥‥‥その内容なのだが、どうやら稲葉山城が何者かに占拠されてるらしいとのことだった」

 場が一気に騒然となった。

 それもそのはずだ。稲葉山城は自然の地形を大いに利用した堅城なのである。山の斜面を利用し築城されている山城は敵の侵入を拒み過去に落城した記録は存在しなかったのだ。

「ちょ、ちょっと待ったー!稲葉山城って稲葉山城は天下の堅城って言われるくらい強固なお城ですよね」

「北条の小田原に越後の春日山そして美濃の稲葉山。まぁほかにも堅城って言われるお城はたくさんあるけどねー」

 

「その難攻不落の城が落とされたって‥…」

 和奏の顔には驚愕の表情が浮かんでいる。周囲にもそれは伝わっており、同じ表情を浮かべた者がほとんどだった。

「いや。ただ草とまだ正確に事態を把握仕切れていないらしく、どうもそうらしい、という報せでしかないのだがな」

「不明瞭な報せだな。他にはなんて?」

 剣丞は眉をひそめながら問う。

「落とした部隊のことだが──十六人ほどで落としたらしいぞ」

 騒然としていた評定の間が、静まり返った。中にはあんぐりと口を開けた者も見受けられる。

「……なんですとっ!?」

 家臣団が呆然としている中、ようやく我に立ち帰った壬月が口火を切った。

「どうやったのかも気になりますが、誰がやったのか。そこを知る必要がありますね」

 次いで麦穂が極めて冷静な口調で話す。しかし事態が少しだけ彼女を早口にさせていた。

 

「そういうことだ。首謀者の情報は一切ないのだが‥‥‥調べて来てはくれぬか?剣丞」

 

 剣丞が有用な情報を持ち帰ることで墨俣築城の件に加え、家中での信用を確実に取る、久遠らしい策だ。

「いいよ。やれるだけやってみる」

 現在の剣丞のもとには原作と同じくひよ子と転子がいる。

 転子は墨俣築城に於いて、織田家に仕えることになった。元々、土豪を率いていたこともあり、剣丞を中心としたを部隊のほとんどの足軽を率いている。

「ひよ、ころ。いけるかい?」

 

「はい!」

 

「いつでも大丈夫です!」

 

「剣丞。護衛に慶次をつける。存分に使い回してやれ」

 にっこりと黒い笑顔を向けられた。

 

 

 翌日、『一発屋』という小料理屋で朝食を済ませ、軽く打ち合わせをした。

 今回の剣丞隊の目的は美濃での情報収集。なぜ稲葉山城が落ちたのかそれを知るためだった

 美濃での割り振りはひよ子ところが情報収集、剣丞と慶次が城の偵察といったところである。

 身支度を整えて、美濃へと出立した。距離としては一日で到着するらしい。

 

 馬を走らせ、到着したのは夜中だった。疲れた足腰に鞭を打ち、宿を探した。やっとのことで見つけた宿に入り、この日はどっぷりと眠った。

 

 

「さて、本格的に行動しようか。まずは城の様子を探って、そのあとに町で聞き込みって所かな」

 翌日になり、剣丞はさっそく指示を出した。

ひよ子と転子が城下町、慶次と剣丞が城の偵察。そして残った一人が──。

 

「はーい!じゃあみんな!はりきっていこー!」

 犬子だった。彼女らしく天真爛漫な雰囲気を出し、拳を掲げた。

 何でも彼女は慶次たちが稲葉山城に討ち入ると聞き、武功目当てに付いてきたらしい。

 

 (雛の阿保に騙されたなこいつは。全くあいつはほんっとに……)

 時と場所を考えて欲しかったと慶次は思う。原作と同じとはいえ今回は自分がいるのだ。来ないだろうと考えていたのだが現実は『来ていた』のだ。見通しが甘かったと言わざるを得ない。

 だが既に来てしまったのは仕方ない。だが未来の織田を構成する中核の将だ。自分勝手に動かれては流石に不味い。

 しかるべき罰は必要だろう。囲みに雛もである。

(全くあの悪戯娘は) 

 用意に犬子が雛に嘘を吹き込まれる姿が想像出来る。

『ねぇねぇ』

 

『わふ?』

 

『慶次くんたちが稲葉山に討ち入るんだってー。慶次くんが犬子たちには手柄を譲らないって言ってたよー』

 

『なあにー!? いくら従兄と言えど独り占めはずるいー!!』

 小悪魔のような微笑みを見せたであろう雛は今頃、ほくそ笑んでいるだろう。

 

「ねぇねぇ、早く行こーよー。剣丞さまー」

 剣丞の服の袖を引っ張っていた。剣丞は困ったような笑みを浮かべながら、こちらに視線を向けた。

(うちの姪は……)

 無言で彼女の前まで歩み寄ると──ぱちんと人差し指で彼女の額を弾いた。

 

「いだっ!? ……け、慶くぅん!?」

 弾かれた部分をおさえ、犬子は目尻を下げた。

「ったく。織田三若たるものがこれだと先が重い……雛の嘘くらい見破れるだろうがよ」

 ああ。壬月の苦労がとくと分かる。

 

「うわあ。ころちゃんあれ絶対痛いよ」

「うう。前田さまは絶対に怒らせちゃダメね」

 

「まあまあ、落ち着いて。落ち着いて」

 二の手を考えていたとき、剣丞が間に入る。

「! 剣丞さまー!! 」

 これ幸いとばかりに剣丞の背に犬子は身を隠した。

「おおう。良い度胸じゃねぇか犬子? ああ?」

 

「お、落ち着いて、ね? 慶次」

 まぁまぁと剣丞が慶次を制した。

 

「人員は少しでも多いほうがいいんだ。それに少し割り振りを変えるだけで済むしね。そうするとひよ子と犬子の二人が町で情報収集、そして俺ところ、慶次が城の偵察で、いいかな」

 

「……まぁ今回の作戦は剣丞が要だ。従うよ」

 しぶしぶではあるが。

 

 ひよたちと別れ、稲葉山城周辺まで歩を進めた。

 そびえたつ山や崖など自然の地形を利用した城。所々目に写る岩肌が剥き出しとなり、凸凹とした山の斜面を形成している。そしてその中央にどっしりと構えるように築城されているのが稲葉山城。

 その堅城は自然の要塞だった。

 眼前には登り階段がありその先に大きな城門が見受けられた。

 その近辺には門番らしき男が一人、槍を手に立っていた。だがそれだけであり、周囲には人の気配を感じなかった。

「人の気配が感じねえな」

「そうだな。清洲だともっと賑やかだったはずだ」

「居るのは門番一人。何かあったのは事実のようですね」

 ぎろり。門番の男がこちらに気付き、訝しげな視線を向けた。階段の下から、見上げていたのが警戒心を抱かせたらしく、槍を空いている手が槍の柄に向かう。

「こりゃあ一度引いたほうがいいな剣丞」

 

 城門から離れ、近くにあった河原で休憩を取りながら、これからどうするか話し合う。

「城の裏手に回ろうか。どこかに隙があるかもしれないし」

「ですが、稲葉山は険しい山ですからね。どこまで行けるか‥‥‥」

「まぁ山登りは慣れてるから、ころたちには迷惑かけないよ」

 

「決まったな。そんじゃ、一度町に戻ろうか。装備とか整えんとな」

 慶次の言葉に二人は頷き、一度稲葉山を下山した。

 町の店で食料や小太刀などを探す。主な食料はほとんどが干物だ。長旅と言うわけではないが基本的には多く購入しておく。加えて数本の小太刀を購入した。

 途中で町に活気がないことに気付く。尾張のようなガヤガヤとした朗らかな雰囲気は存在せず、どこか暗い印象だったのだ。

「(なんかこう、暗いなぁ)」

 周囲を見渡した剣丞が呟いた。

「(これも稲葉山城のことが関係しているのでしょうね)」

「(んー。一概にもそうとは言えないけど確率は高いと思う)」

「(なるほどぉ)」

 再び稲葉山に向かう。今度は裏手である。

 ゴツゴツとし岩肌に加え、しばしば襲ってくる急斜面。ツルや木々か折り重なるように雑多に茂る道なき道を進んだ。なかなかに道が険しい。

 徐々に標高が高くなり、空気が透明感のある冷ややかなものに変わる。

 ころと剣丞を先頭に登っていたが、急に立ち止まった。

「この辺りが裏手になるのか」

「稲葉山城が向こうだから、うん。この辺りですね」

 ころが地図を見ながら、指差す先には稲葉山城が見える。

 目の前には一歩でも進めば滑落しそうな切り立った崖があった。眼下には先ほどまでいた河原とまばらに点在する村が一望出来る。それらの周辺はほとんどが鬱蒼と茂る森ばかりでタカの姿も見受けられた。

「これは……」

「た、高い、ですね……」

「迂回するのが一番かな。ころ、迂回路は」

 

「ええっとちょっと待ってください。確認してみます」

 再び地図を広げ、にらめっこをし始めた。

 すると近くの獣道から誰かがこちらに来る気配を感じ取る。

「(お前ら、誰かこっちに来る。隠れるぞ)」

 二人を木々が煩雑に生い茂る場所に誘導し身を潜めた。

 少しずつ何者かが、此方の方に向かい歩を進めていた。

 足音が徐々に大きくなり、息を殺し、近付く気配の正体を探る。

 

 気配の正体が通り過ぎようとしたが、足音が止んだ。

「人でしょう?そこの人出てきて」

「……」

「……」

 

「早く出てきたらどうですか?」

 苛立ちを含んでいる声色を向けられる。十中八九こちらのことだ。

 

 剣丞、ころが顔を向き合わせる。

 二人が観念し、出ていく中、慶次は行かないことを選択した。

 少し話し込んでいた二人だが、こちらに戻ってくる。

「何かわかったか?」

 

「あぁ。獣道が近くに……って慶次。なんで出て来なかったんだ」

「怒るな怒るな。すまねぇって。実は腹の調子がだな」

 とは言うが、出て行かないのは何となくだった。

「……」

「……お、お頭?ゆ、許してあげましょうよ」

「いや怒ってるわけじゃないんだ。ただ……まぁいいよ。稲葉山城に向かう」

 どこか険しい顔をしながら前を向かれる。

 薮に覆われた道は、いつのまにか獣道へと変貌していた。辺りは太陽の光があまり通っておらず暗かった。

 どんどん進んでいくと稲葉山城の裏手であろうものが目前に確認出来た。

 

「お頭。本丸近くに翻る旗。あれは竹中半兵衛どのの家紋です。尾張ではかなり評価は高いですけど美濃ではそこまで評価されていないそうですね」

 

「……結果を残しているのに、それが評価がされない。それで城を占拠か。ふむ、野心でもあったのか」

 ぶつぶつと一人言葉を紡ぐ剣丞。

 

「よし、一度宿に戻って情報を整理しようか。あの二人も何か情報を持ち帰っているはずだ」

 

 こうして稲葉山城の偵察は終了した。

 

 

 

 



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九話

加筆しました 誤字修正しました 10月24日



 

 

 宿に戻ると犬子とひよがぐったりとしていた。部屋に置かれた机に顔を突っ伏し、今にも眠ってしまいそうな状態だった。

「どうしたんだ?二人とも」

 

「じ、実はですね……」

 それからひよは身振り手振りを織り交ぜながら事の次第を語った。

 話をまとめれば二人が稲葉山の兵と喧嘩したということだった。あちらが犬子のこと馬鹿にし、過剰にキレたというわけであったようだ。

 

「犬子は少しくらい我慢しねぇとな。敵にはそんな風に馬鹿にしてくるやつがいるかもしれんぞ?」

 ポンポンと慶次は犬子の頭に手をやる。今朝の怒りが嘘のように朗らかだった。

「うぅ、慶くぅん」

「それでも無事にもどってこれたんだ。それで善しとしよう」

「はわーさすがお頭ー!」

「はわーさすが剣丞さまー!」

「それに城内のある程度様子が分かりましたし、町の様子が把握出来なくても、ひとまずは任務達成できたかと」

 

「そうだね。けどやっぱり町の様子は知りたいし俺たちで回ってみようか。ひよ、手伝ってね」

「は、はいっ!」

「あ!それなら犬子もいくよ!今日はなにもできなかったし!」

「はは。そうしてもらいたいけど今日騒ぎ起こしたし、顔を見られてるかもしれないからお留守番ね」

「えーっ!」

 犬子は露骨に嫌そうな表情をする。心なしか腰についた、ふさふさとしたしっぽも力なくしなだれているように見える。『せっかくここまで来たのにー』と口を尖らせ子供のように拗ねていた。

「と言いたい所だけど」

 剣丞の声に犬子は目をきらきらと輝かせた。まるで餌をまつ犬のようにである。

 

「ころには久遠に知らせにいくよう頼んであるんだ。その護衛を犬子に頼みたい」

「わかった!犬子、ちゃんところを護衛してあげる!」

「剣丞。俺はどうすりゃいいんだ?」

 

「慶次は宿に残ってくれるか。流石にその身長だと目立つからさ」

 

「おう、分かった」

 とは言え目立つのは身長だけではない。

 派手な着流しや服装然り、月代でない長髪一つ結びの髪然り。彼を構成する全てが目立つ。

 

 つい先ほどの──きこりの少女との邂逅ではそれを自覚していたらしく、敢えて姿を現さなかった。

 

(それに比べて俺は……)

 彼が姿を見せなかったことに対し、立腹しそうになってしまった。すぐに彼の考えに気付いたから良かったものの、仲違いの原因にもなりかねなかったのだ。さらには彼自身、剣丞の面目を保つためか、自ら嘘をついたのだ。

 

(ほんと俺って短絡的だな。直さないと)

 うん、と剣丞は己に活を入れた。

 

 剣丞とひよ子は店という店を回り稲葉山の情報を収集していた。

「ありがとうございました」

 そう言いまた次の店を目指す。

 そんな中、得られた情報はどの店の人も共通して話す『竹中さまは良い人だった』と言う支持するような言葉。加えてだったと過去形であった。今の領主とかなり異なる評価なようだった。

 民の支持を得る人物が謀反を起こす。よっぽどのことがあったのだろうか。

 それとも『裏があったのか?』と考えながら最後の店を回った時だった。

 

「こんにちは」

 抑揚のないぶっきらぼうな声が剣丞たちの背に掛かった。

 振り向くと、白と桃色を基調とした服を着込むを少女がこちらを見据えていた。

 前髪は目元まで伸び、謎めいた雰囲気を感じさせる。露出が少なめの装いだがスカートからすらりと伸びる足から覗かせる太腿は女性らしい健康的な白さ。

 少女の背丈はちょうど剣丞の胸元辺りで女性としては平均的な部類だろう。

 

 剣丞たちはその少女に驚きながらも返事を返した。

「こ、こんにちは」

「こんにちは!」

「‥‥‥」

「‥‥‥」

「‥‥‥」

 静寂な空間が支配する。居心地の悪さを感じた剣丞が口火を切った。

「ええと、君はどちらさん?」

「詩乃、と申します」

「詩乃ちゃん、か。俺は剣丞。こっちはひよ。よろしくね詩乃ちゃん」

 剣丞は笑顔で答えるが少女に反応はない。剣丞が自然にやったことだが前髪で目元が隠れているせいで反応はおろか彼女が視線を向けているかすらわからなかった。

 

 黙り込みを決め込んでいた詩乃は唐突に口を開く。

「‥‥‥竹中さんには野心がありませんよ。多分、馬鹿な人たちに馬鹿にされたことが、我慢出来なくなったんだと思います」

 馬鹿な人とは誰だろうか。主家か、それとも家臣の誰かか、はたまた斎藤家全体か。

「難攻不落の城などこの世には存在し得えません。敵は外だけにあらず、内にもあり。そう仰っていました」

「よく知っているんだね。竹中さんのこと」

 

「はい。ちなみにお二人のことも私はよく存じていますよ」

 

「ええ!?」

 その言葉にひよは驚愕する。

 剣丞は表情を変えずじっと詩乃を睨みつけた。

「良く聞こえる耳と目を持ってるんだね。俺はね、詩乃ちゃん。冷静沈着、従容自若とかそんな言葉が好きなんだ。泰然と生きているように見えてもちゃんと自分に誇りを持ってて、信念をもって生きている。俺はそういう人を尊敬するし好きだ」

(そう、慶次みたいな人だ)

「‥‥‥っ! 」

 詩乃が目を見開く。

「詩乃ちゃん。竹中さんにさ伝えて欲しいことがあるんだ」

「伝えて、欲しいこと」

 

「‥‥‥俺はいつか必ず、君を傍におくってそう伝えて欲しい」

「‥‥‥ぁ!」

 瞳から流れる一筋の涙を捉えた。

「どうして‥‥ですか?」

 細く震えた声で剣丞に尋ねる。

 

「主家の本拠地である稲葉山を落城させた。こんなことをしたんだ。もう竹中さんは美濃にいられないと思う。けどね竹中さんが傍にいてくれればこの乱世だって早く収めることもできるかもしれない。近しい人を守ることだってできるかもしれないんだ」

 

「だからさ。俺が奪いにいくよ、君を。傍にいて欲しい。君が欲しいって本気で俺は思うから」

 

「っ!私は竹中さんではありませんっ……!」

 服で拭うが彼女の瞳からは涙が溢れ続ける。止まることを知らない滝のように。

「詩乃ちゃん。‥‥‥待っていてくれるかい?」

「だから、私は竹中さんではないと」

 

「分かってる。ただね、ちゃんと伝えて欲しいんだ」

 少しだけ赤くなった瞼を前髪の隙間から垣間見る。

 詩乃はこくりと頷いた。

「ありがとう。じゃあ俺は帰るよ。ひよ!行こう!」

 剣丞は詩乃の元から走り去った。

 次第に小さくなっていく剣丞を詩乃はずっと見つめていた。

「あれが、新田剣丞。あんなに激しく求められたのは生まれて初めてです。それにしても傍にいて欲しい、ですか。フフっ」

彼女の瞳から涙が消え、くすっと笑った。

 

「この胸のときめきは……痛いけど、とても幸せで‥‥‥どこか変になって」

 

「それは恋ってやつだな」

 

「っ!?」 

 唐突に詩乃の呟きに答えた男。

 剣丞よりも背が高く、そして何より風に靡く着流しが極めて印象的だった。その丈夫は彼らが駆けた方角を細い目で見詰めていた。

 

「大丈夫だ。俺は剣丞の仲間だ。剣丞を信じろ。あいつは信用できる男だ」

 そう、言葉を残し丈夫は剣丞たちの後を追うように駆けて行った。



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十話

文才のなさ。。。

10月24 加筆 修正しました


 

 

 剣丞たちが美濃から戻り数日。剣丞はころとは別に、美濃の調査結果の報告のため久遠の屋敷を訪れていた。

 

「‥‥‥ということだから竹中さんは美濃を出ると思う」

 久遠の前に腰を下ろした剣丞は淡々と事の次第を語った。

 

「デアルカ‥‥‥そういえばお前たちが美濃に出たあと稲葉山に城を売れと書簡を送った。結果、西美濃三人衆から高値で買ってやると返事が来たんだが関係があるのかもしれんな」

 

 その言葉を聞き剣丞は何かを思い出すよう考え込んだ。ブツブツと小さい声で一人事を繰り返していたが、ふと顔を上げる。

 

「‥‥‥っ!敵は外だけではなく内にも居る、か。つまり三人衆が」

 

「‥‥‥なるほどな‥‥‥これは我の予想だが」

 

「うん。多分考えている通りだ」

 二人の間に静かな間が生まれる。

 

「久遠……」

「構わん。お前の好きにすれば良い。なにをするかはお前にまかせよう」

 

「ありがとう!」

 

 剣丞は立ち上がると廊下に面している障子に手を掛ける。

「あっ!ちょっと待て!」

 久遠が呼び止め、どうしたんだと思い振り向いた。

「これを持っていけ。我のへそくりだ。あとこれもだ、慶次からだな……」

 剣丞に渡したのは白い紐で口が結ばれている黒い巾着袋。もう一つは灰色を基調とし、同じような白い紐で口を結ばれた巾着袋だった。

 手渡されたときのじゃらりとした音と手に感じる重さから路銀だということが理解出来た。

「っ!久遠、ありがとう!」

 

「慶次にも言っておけ」

 

「わかってる。それじゃあ久遠。竹中さんを奪い取ってくるよ」

 格好を付けると今度こそ出て行った。

「……頑張ってこい。剣丞」

 

 誰もいない部屋で一人呟いた。

 

 

 剣丞が部屋を後にして数分。さっと襖が開き女性が部屋に入って来る。久遠たちの話に聞き耳を立てていたようで、じろじろと久遠に探るような目を向けた。

「ふーん。へそくりねぇ」

 

「‥‥‥へ、へそくりではないぞ?それにな?あれは手元不如意の時用の蓄えだったし、もう手元にはない」

 

 必死の誤魔化しをジト目でみつめていた結菜だったが、フっといつも見る、瞳に戻った。

「別に没収はしないわよ」

 

「そ、そっか。それは良かったぞ」

 あからさまにほっと安堵の息を吐いた。

 

「ねぇ久遠。‥‥‥私、少し出掛けるわ。数日は家を空けることになるけど自分のことは自分でやってね」

 

「構わんが、どこへ行く?」

 

「ただの野暮用よ。あ、慶次を案内でつれていくわ」

 

「ええっ!?せっかく慶次と‥‥‥うぅ、分かった。好きにせい」

 

 慶次との予定を作ろうと思っていた久遠だったが結菜のためと折れる。

 

 こうして何も知らない慶次は結菜の野暮用に付き合わされることになる。

 そしてそれは思いもしない結果を生んでしまうことになるのだが───。

 

 

 

 

 

#############

 

 

 美濃から戻った慶次は一発屋という小料理屋に足を運んでいた。

 

(行列ができる前に並べて良かった。ここは本当にお昼時はすごいからな)

 運よくお座敷に座ることが出来た慶次はあぐらをかき、お品書きに目を向ける。

 

 何十品とお品書きに並ぶ定食はどれもが美味であり人気だ。

 

 だが慶次が選ぶものは決まっていた。

 

 毎回一発屋に来るたびに選ぶ究極の一品だ。慶次が初めて一発屋に訪れた際に注文したものであり、一発屋最大の人気メニューである。

 

「キヨー。焼き魚定食たのむわー。追加で一枚つけてくれー」

 

「あいよー!」

 焼き魚定食であった。

 

 数分待ち、お目当ての定食が運ばれてきた。

 

「はいよ!おまたせー!」

 

 器にたっぷりと盛られた熱々の米。茶色く焦げ目がついた二枚の焼き魚には小高い山のような大根おろしが乗せられており、醤油がかかっている。そして季節の野菜を一杯に煮込んだ具沢山の味噌汁は熱々の湯気を立てていた。どれもが慶次好みの味付けであった。

 

 口内であふれ出る唾液を飲み込む。

「これだ、これこれ。」

 今日こそは───今日こそは味わって食べようと考えながら箸を手に取る。そして焼き魚に箸を伸ばした瞬間───。

 

「いつもありがとね!慶次!」

 

「……なんだ? 藪から棒に」

 唐突に彼女から声が掛かった。思いもよらなないことに加え、自身の空腹も相まって少しだけ苛立ちを含ませた口調となった。

 

「だって慶次が美味しいって周りの人に言ってくれたからたくさん人が来たんだもの。だから‥‥‥その、お礼」

 消え入るような声で呟きながら円形のおぼんで目から下を隠した。

 

「ハハ。俺はここの飯が好きなだけだ。それだけだ。何も気にする必要なんてねぇさ」

 顔を赤く染めて言うキヨに疑問を覚えながらも事実を口にする。慶次自身美味い飯を作るキヨたちに逆に礼を言いたいほどであった。

 

「慶次は‥‥‥優しいんだね」

 

 どこか浮わついた、熱の籠った瞳でぼーっと慶次を見つめる。彼女は意を決したかの如く、おぼんを下げると慶次に───と口を開きかけたその瞬間。

 

「おーい!これ頼みたいんだがー」

「っ!はーい!」

 ハッとなるとすぐに客の元に向かった。

 

「? どうしたんだ一体。まぁいい食べちまうか。楽しみだ‥‥‥ぜ」

 思わず言葉が途切れた。気付けば慶次の目の前には美味しそうに焼き魚を食べる女性───結菜がいた。

「‥‥‥結菜。お、俺の魚を‥‥‥」

 

「モグモグ‥‥慶次。これ美味しいわね」

 

 楽しみにしていた魚が結菜の腹に飲み込まれていく。

 一度に口に入れる量が少ない結菜だ。焼き魚は半分以上残っていた。今すぐにでも焼き魚を取り返せば十分間に合うだろう。

 

「……反則だ」

 しかし結菜の笑顔が目に入り、その考えは消え失せた。

 

「まぁいいか。一匹は残ってるんだ」

 焼き魚一匹と女性の笑顔。焼き魚は女性の笑顔にはかなわないのだ。

 それにまたここで食えばいいと慶次は思った。

 焼き魚の腹をつまみ、口に運ぶ。

 塩味とそして大根おろしが絶妙に効いており美味だった。

 

 

 

#############

 

 

 慶次を探している。いつもの河原にも姿は見えず、よく足を運ぶという団子屋にもいなかった。

「どこにいったのかしらね、慶次は」

 城下町を練り歩き慶次を探した。

 

 四半刻ほどそうしていると食欲をそそる甘美な香りと共に列をなした小料理屋が目に入った。

「ここって、剣丞たちが噂してた‥‥‥」

 噂に聞いていたとても美味しいと評判の小料理屋だ。古い看板を掲げているがそれが味を出している。老舗とも取れる雰囲気だ。

 行列に並ぶのは苦手な結菜だがどうしてか慶次がいる気がすると直感していた。

 

(案外こういう感ってあてになるのよね。並んでみましょうか)

 

 列に並び、屋内に入る。意外にもそれほど時間はかからずに店内へ通された。

 店内は外で鼻腔に侵入した、食欲誘う香りが強く漂っていた。焼きおにぎりにお味噌汁。そして焼き魚の芳ばしい香りだった。

(いい匂いね‥‥‥)

 

 グゥ~。

「っ!?……!」

 結菜の腹部から聞こえの良い音がした。思わず周囲をキョロキョロと見渡す。

 どうやら周囲の人々は食事に夢中であり、聞こえてはいないようだった。

(あ、危なかったわ) 

 安堵のため息をついた。 

 

 

「ハハハッ!俺はここの飯が好きなだけだ。それだけだ 何も気にする必要なんてねぇさ」

 聞き覚えのある男性の声が耳に入る。奥のお座敷に座り、給仕の女性となにやら話していた。

 笑顔を向ける慶次に対し給仕の少女が頬を染め、熱の籠った視線を向けていた。

(私の気も知らずに。何してるのかしら……!)

 四刻半も探し回ったのにも関わらず彼は己の知らない女と親しげに興じている。急激に黒い感情が胸を包んだ。

 

 本来であれば、彼がどうしようと気に留めることでもないのだが今の結菜にはイライラが募り、顔にまでも現われてきていた。

 むすっとした不機嫌そうな顔だが幸いなことに周囲の人々はやはり気付いていなかった。

(そうだわ!慶次の焼き魚を‥‥‥)

  

 慶次が夢中になっている隙にさっとお座敷に上がり込むと焼き魚を口に入れた。

 塩味が効いていてかつ大根おろしと醤油の味が感じとても美味しい。

 

「結菜。お、俺の魚を」

「慶次。これ美味しいわね」

 

 ぱくぱくぱく。仕返しだとばかりに丸ごと一匹食べ終えた。

 結菜は得意気にふふんとお返しだとばかりに胸を張った。とはいえお返しは一方的ではあるのだが。

 慶次は微笑を含ませた困り顔を浮かべるも大して気にはしていないようだった。

「まぁいいさ。一匹残ってるしな」

 

(何よ‥‥‥その顔は)

 何事もなかったかのように結菜を咎めることをしなかった。

 

 少し時間が経ち、定食を食べ終わり二人は無言でいた。

 そんな中口火を切ったのは慶次だった。

「それで? 今日はどうしたんだ? 俺を探してたんだろう」

 彼の言葉で己の目的を思い出す。

 

「‥‥‥慶次。私‥‥‥美濃に行きたいの。だから───」

 美濃は結菜の故郷だ。特に稲葉山城は彼女の母、道三と最後に過ごした場所である。

 

 そんな思い出がたくさん詰まった城が落とされたと聞き、居ても立っても居られなくなった彼女は一つの案を思いついたのであった。

 それは───。

 

「‥‥‥ついてってやるさ。結菜の故郷だもんな。気になって仕方ねえのは当たり前だ。道中は俺が守ってやるから」

 結菜の言葉を遮った。慶次の言ったその言葉は結菜が求めていたものだった。

(いつも私の欲しい言葉をくれるのね、慶次は‥‥‥)

 

 守ってやる。結菜の心に残響のように残る。

「っ!」

 言葉を理解した瞬間ドキッと聞こえるほどの音が耳に響く。

 守る───この言葉を聞き心の臓がうるさいほどに響き、顔全体がだんだんと熱を帯びてくる。

「‥‥‥いいの?」

 結菜は慶次が断らないことを知っている。誤魔化すために聞いた。顔が赤いことを悟られないためだ。

 

「ハハハッ! なんだなんだ? らしくねぇ。俺は断らねぇよ。よし、んじゃあいくか。勘定置いとくぜー」

 結菜の手を取り、引っ張るようにして店を出た。

 手を握る強さに、温かさに結菜の心がまたも跳び跳ねた。

「ぁ……! 」

 慶次はなぜこんなにも己の心を乱すのだろうか。

 慶次といるとなぜこんなに熱く、そして幸せな気持ちになるのだろうか。

 

 ───知ってはいるのだ。

 いつからだろうか。己が彼に惹かれ始めたのは。気付けば彼は己の心を支配していた。それこそ彼を考えない日はなかったのだ。

 

 慶次が好きだから。

 

 久遠よりも大好きだから。

 

 誰よりも誰よりも大好きだから。

 

 独り占めしもしたいし二人で一緒にいたいから。

 

 でもそれはできないことも結菜自身理解している。

 

 久遠も麦穂も三若だって慶次に懸想しているのだ。

 

 だから独り占めも二人でも一緒にもいられない。

 

「結菜?どうしたんだ?早くいくぞ」

 慶次の声で現実に引き戻される。気付くと目と鼻の先にある端整な顔が飛び込んできた。

 

 ドキッと三度目の心の臓が跳び跳ねる音が耳に響いた。

「っ!? ち、近いわよっ!」

 

 反射的に慶次を押し返した。

 

「あだっ!? ど、どうしたんだよ結菜」

 慶次は困惑した顔を見せた。

 

「なんでもないわよ。もう」

 何時にも増して積極的な結菜は慶次の大きい手を取る。 

 結菜はいつ慶次を好きになったのか覚えてはいない。しかし好きになったのは間違えではないと胸を張れるほどに自分の気持ちに自身がある。

(いつかは彼と───)

 

 夕焼け空に見守られながら二人は美濃への道程を歩む。

 

 

##########

 

 

「け、慶次。ごめんなさい。実は私路銀持ってきてないの」

 

「心配すんなよ。路銀にはかなり余裕があるからな。俺が出す」

 

「‥‥‥そ、そう。ありがとう」

 

(慶次と二人旅ね。‥‥‥私の心の臓大丈夫かしら)

 

 

 

 



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十一話

もっと恋姫の二次創作増えんかなぁ。


 

 

 茜色の空にはカラスが飛んでいた。巣への道程を記憶している彼等は遥か遠くの森へと羽を動かしていた。

 それと同じように道行く人々も我が家への帰路についている。 

 結菜を連れた慶次は一度、森の屋敷に戻り、水や食料、そして路銀などを準備した。もちろん結菜の分も忘れずに二人分用意した。

  そうして慶次たちが旅仕度を終え、関所へと向かい尾張を出立しようとしていたときだった。 

「旅仕度なんてしてどうしたんだ?」

 二人の背に声が掛かる。声の主は白金の服を纏う青年、剣丞だった。その制服は茜色と相まって黒い陰を帯びていた。

 後方には革袋を背負ったひよところがいた。結菜がいることに驚いているようで『結菜さま!?』と声を上げていた。

「美濃にいくのよ。私たち」

 結菜は淡々とした顔で告げる。

「ちょ、ちょっと待って」

 顔色を変えた剣丞だったがすかさず慶次がフォローに入る。

「俺がいんだ。心配はいらん」

「そうよ。邪魔はしないわ」

 剣丞の悩む表情が窺えた。

「‥‥‥わかった」

「(お、お頭。帰蝶さまを連れていくなんて大丈夫なんですか?)」

 小声で剣丞に話し掛けたころ。だが小声とはいえこちらにはしっかりと耳に拾えることが出来た。

 すぐとなりにいる、ひよ子も同じ考えだからか首を縦に振っている。

「(うん。慶次がいるから大丈夫だ)」

「(お頭がそう言うのなら信じますけど‥‥‥)」

 納得が言っていない感じであるが、剣丞が言うならと渋々である。

「よし。じゃあ行こうか……!」

 と『あっ!』と声を上げた剣丞。ズボンのポケットに手をいれ巾着袋に包まれた何かを手に取った。

 ジャラジャラと音がする。それは慶次が剣丞にと渡した巾着袋だった。

「慶次これは返すよ」

「いらん。俺はそんな路銀なんぞ見たことも聞いたこともねえ。もし俺のだったなら‥‥‥そうだなぁ。あの子のために使ってほしいな」

 

「‥…っ! ありがとう‥…本当にありがとう慶次」

 そうして彼らは夕日を背に尾張を出立した。

 

 舗装されていない道が続く。

 人が歩けないほどではなく田舎の砂利道と言った所だ。

 他愛のない雑談を交えながら結菜は剣丞を、剣丞は結菜のことを理解する良いきっかけとなった。

 漢女の件やハーレムを築いた叔父さんなど様々なことを剣丞から聞いた結菜はふと口にした。

「ふぅん。剣丞の家族ってすごいのね。それにしても漢女?なのかしら。少しだけ会ってみたいものね」

「え゛……」

 

 

  2

 

 暗闇の森。ほぉーほぉーと薄気味悪く梟が啼いている。月は少ししか出ておらず、暗闇といってもほとんど変わらない。

 そんな森を一人の少女ががむしゃらに走っていた。

「はぁ、はぁ、はぁ‥‥‥」

 息が切れ、足が止まる。

「まさか、追っ手がこんなにも早いとは‥‥‥誤算でした」

 彼女の名は竹中半兵衛重治。

 稲葉山城を乗っ取った張本人である。後に当主斎藤龍興に返還し許された──かのように思えたがそうではなかったのだ。

 

 自分の顔に泥を塗った存在を龍興が許すはずがなかった。

 彼等は彼女を殺害しようと追っ手を差し向けたのだ。

 彼女自身死ぬつもりなど毛頭なかった。彼等の隙をついて逃げおおせたはずなのだがやはり腐っていても一国の支配者。

 すぐに見つかり今に至っている。

 声が微かにだが、森の奥からする。

「このままでは不味いですね。‥‥‥けど、あの方が私を必要と、欲しいと言ってくれたから。ここで死ぬわけにはいきませんね、ふふっ」

 自然と彼のことを思い出し、笑みを溢す。

 捕まったら死ぬことは目に見えているはずだが彼のことを思い出すだけで力が湧いてくるのだ。

「とにかく今はできるだけ遠くに‥‥‥」

 彼女は何処とも知れない闇の中に消えていく。

 全ては己を必要としてくれた彼の思いに答えるために。

 

   3

 

 尾張を出立してから丸一日。美濃へと到着したのは太陽が真上に移動した時間帯だった。

 剣丞たちは町で情報収集している。もちろん慶次たちも手伝っていた。

 そんな中とんでもない話が彼等の元に飛び込んで来た。

「ここだけの話、お殿様のお側集が竹中さまに追っ手を掛けたらしいよ。けど正直ねぇ私ら庶民には竹中さまの方が嬉しかったんだけどねぇ」

「っ! へ、へぇそれはまたどうして?」

「馬鹿なやつの下にいたってロクなことがないってことさ」

「そうか。ありがとう、綺麗なお嬢さん」

 

 情報収集があらかた終わり、一度宿へ戻った。

「これまでの情報を合わせると竹中さんは斎藤家に追っ手を掛けられていることがわかった」

 

 額に浮かぶ汗と上下する肩。余程焦っているらしく剣丞はいつもより早口だった。

「少し落ち着け」

「で、でもさ‥‥‥そうだな。ありがとう」

 諭され、気持ちを落ち着かせるよう剣丞は深呼吸をする。次第に上下していた肩は平常に戻りつつあった。

「……ころ、竹中さんの居城は?」

「ここから西にいった所にある関ヶ原の近くですね。不破郡の菩提城です。確かここを出てから続く二つの道が菩提城あたりで合流したはずですね」

 少しばかり考え込む剣丞の額から汗が滴った。

「とりあえず二手に別れよう。ひよところで南方を目指してくれ。俺は西に行く」

「あ、危ないですよ!!」

「ええ!?お頭一人でですか!?」

「今は俺たちしかいない。それにひよところには一人でいかせたくないんだ」

 

「はぁ‥‥‥」

 溜め息をついたのは結菜だった。呆れ顔を浮かべている。

「ねぇ、剣丞。私たちがいるじゃない」

「そうだな。俺たちがいる」

「け、けど結菜たちは」

「私、こう見えても母から色々仕込まれてるの。それに慶次がいるわ。大丈夫よ」

「俺たちは仲間なはずだぜ。少し位頼ってみてもいいんじゃねえか? いやむしろ頼れ。こう言うときにはな」

「わかった。頼むよ」

「決まったわね。私たちはどうすればいいのかしら?」

「慶次たちは西に行ってくれ。俺たちが南に行くよ」

「なら、菩提城近くで合流ってことだな」

 

「そうだけど、多分そこに行くまでに竹中さんとかち合うことになると思う。だから連絡用にこれを使ってくれ」

 剣丞が慶次に渡したのは小さな竹筒だった。

筒の蓋部分には紐がついており、引っ張ることが出来るように輪っかが作られていた。

「これは信号弾。といってもわからないか。その紐を引っ張ると大きな音と煙が出る。連絡用だ。ただ、気を付けて欲しいのは使うと敵に見つかること。だから使いどころには注意してくれ」

 剣丞たちは南側、慶次たちは西側を探すことで話は纏まった。

 

 

 

 慶次たちは西側を捜索している。西側と言うのは田園が多くを占めているようだ。丁度今の時期は水田に水が張られていた。近辺には河が流れている。

 舗装のされていない畦道を歩き、終わりを迎えるころに、枝分かれするように二つの獣道が伸びていた。一方は森に続く道で、奥深くまで薄暗い。もう一方は田園伝いに面した、今まで通って来たような道だった。

「慶次。ちょ、ちょっと待って」

 どちらを行くか、結菜に訊こうとしたとき。

「どうした?」

「あ、足が‥‥‥」

 結菜は左足をさすっている。

 腰を屈めた慶次が結菜の足を守る靴下のような物を脱がすと白い足が露わになった。

 現代では正に美脚だが、今は対照的に足首の付け根が赤く腫れていた。

(……まぁ詩乃は剣丞がやってくれるだろうしな。少しくらいはいいか)

 一応は原作においての知識を持っているための言葉だ。

「結構な距離を歩いたんだ。少し休憩をしようか。よっと」

「ちょ、ちょっと慶次っ! どこ触って‥‥っ!」

 結菜を抱き上げると近くの木陰にまで移動した。

 木陰に下ろした途端、結菜は黙りこくる。

(やっぱ体に触れちまったのがいけなかったか。気を付けねえと嫌われちまうな)

 

「悪りい。歩けないと思ってな、ついやっちまった。結菜水だ」

 水筒を差し出すが、なかなか手に取ろうとしない。

「 飲まねえのか?」

「‥‥‥い、いただくわ」

 ようやく言葉を発した結菜はおずおずと言った様子で手を伸ばし、ゆっくりとした緩慢な動作で数十秒かけて手に取り口元に飲み口をつけた。

「あ、あありがとう」

 緊張しているかのように手を震わせながら竹筒をこちらに返す。

「んじゃあ俺も。……はぁー、美味いぜ」

「なっ!? な、ななななあぁぁぁぁぁぁ‥‥‥!」

 途端に熟したりんごのように赤くなった顔を手で覆い隠す。だんだんと声が小さくなり、時折指と指の隙間から慶次をチラチラと盗み見ていた。

「結菜大丈夫か?」

「(間接で接吻を)‥‥‥だ、大丈夫よ」

 その後、慶次が話しかけるもすべて「うん」としか返してくれなかった。

 

 そして、そろそろ行こうかという時にそれは起こる。

「っ!慶次!あれは!」

 空に上がる信号弾。

 北西の森の中から上がったようだった。

 そう遠くはない距離であり、走れば煙が風で消される前には到着できるだろう。

 だが──。

「結菜っ行けるか!」

 慶次は抱き上げても大丈夫かという貞で早口に尋ねた。

「っ!痛っ!」

 結菜は立ち上がろうとするが足の痛みがあるらしくすぐに座り込む。

「……結菜、悪いな」

「大丈夫よ。人命がかかっているんだもの。私のことはいいから──」

 彼女の言葉を遮り、所謂お姫さまだっこで抱きかかえる。結菜の息を飲む声が耳に届く。

 

  慶次としてはおぶりたいのだが槍を背負っているため如何せん難しい。かと言って一人残すのも不安だった。そのため慶次は嫌われることも承知で先ほどと同様に彼女を抱き上げたのだ。

「走るぞ? 口を閉じてな」

 と言うと結菜はひかめえに頷いた。

 慶次たちは信号弾を目指し、走り出した。

 

   4

 

 森の中。一人の少女と何十人という兵を引き連れた少女が対峙していた。

「竹中どの。あれほどのことをしておきながら逃げようとするとは何たる恥知らずっ!」

 紫色服を着た少女、斎藤飛騨が侮蔑の目を送る。 その後方にいる兵達は色物を見る目を浮かべていた。

「この世には落ちない城などない。私なりに諫言を申したつもりですが‥‥‥ダメでしたか」

 負けじと詩乃も反論をする。

「ちっ!減らず口を、龍興さまは今回の竹中どのの所業をいたくご不快に感じられている由。竹中半兵衛重治に腹を切らせよとくだされたのだ!」

「部下の諫言も聞き入ることもできないのですね。滑稽極まりないとはこのことです」

 このことに堪忍袋の緒が切れたのか一気に顔を紅潮させる斎藤飛騨。

「き、貴様ぁ!! おい! こやつを斬り殺せ! 龍興さまには襲われて仕方なく斬ったと報告しておく! やれっ!」

 

「はっ!」

 飛騨の近くに控えていた兵の一人が脇差から刀を抜いた。

 兵が足を踏み出して、大きく振り上げられた刀は半兵衛に向けて下ろされた。

「くっ!」

 なんとか一撃を避けた詩乃は後ろに飛び退き、距離を取る。

 兵が素早く距離を詰めると一撃また一撃と斬り込んだ。

 

 上から襲う斬撃。

 横一文字に結ぶ斬撃。

 辛うじて半兵衛は避けていた。

「はぁ、はぁ、はぁ……!」

「ははははっ! 逃げ惑うことしかできないのか! 書見ばかりしているからそのような醜態をさらすことになるのだ! 竹中半兵衛!」

 飛騨は侮蔑の笑みを飛ばす。伝播するように兵たちも嗤った。

「はぁ、な、何も刀を振り回すことだけが、はぁ、武士の心得では。はぁ、ありません。はぁ……」

 もうすでに息が絶え絶えな詩乃。この状況を打破できるほどの策が浮かばなかった。

 

「何をしている!早く斬れ!」

「ここで斬られるのなら、私はここで腹を!」

 このことが予想外だったのか斎藤飛騨に一瞬だが隙が生まれる。

「何!?」

 

(私はここまで、ですね。最後にあの人に、私を必要としてくれたあの人に会いたかった。剣丞さま……!)

 懐から短刀を取り出し、鞘から抜いた。 

 一瞬だけ刀身に映った半兵衛の顔は泥だらけだった。そして何よりも涙を流していたのだ。

(涙なんて、久し振りですね)

 そんな思いを抱きながら、短刀に手を掛け、いざ刃を腹に当てようとしたとき。

 

 突如、空に何かが飛び上がった。

 

「な、なんだ!?  竹中半兵衛の策か!おい! 急ぎこいつを斬るのだ! 早くしろ!」

 一歩、一歩と確実に距離を詰める。

 

 半兵衛の前には刀を振りかざした兵。

 

 腹を切るにはもう時間がない。今からやっても中途半端な結果になる。

 半兵衛は短刀を握り締めていた手の力を緩めた。

 彼女は自分の命の終わりを悟り、顔を地面に向けた。

 せめて最後くらいは涙をこぼさぬにと考えた結果だった。 

 

 

 

 そして刀が振り下ろされた───。

 

 

 

「!?」

 刹那のときだった。

 兵の持つ刀刃が、鉄と鉄がぶつかり合う音共に斬られたのだ。

 その刀身は宙を舞い、地面に刺さった。

 

 顔を上げた半兵衛の目先にいたのは一番会いたかった人物、新田剣丞だった。

「ごめんね、遅くなった。でももう大丈夫だ。俺がいるから」

 安心させるように詩乃をその胸に抱きながら優しい言葉を掛ける。剣丞は『大丈夫』と言いながら笑顔を見せた。

「ぁ」

 自分の腹を割こうしていた腕を掴み、刀を取り上げ、ぽいと投げ捨てる。

「自決なんてさせないよ。俺の傍にいて欲しいからね」

「な、なんで、来たんですかっ!」

 本当は嬉しいはずなのに素直になれずつい、口調に怒気を込めてしまう。いや何よりこんな危険な状況に飛び込んで来てしまったことに怒りを覚えたからだ。

「忘れたのかい?俺が君を奪うって言っただろ?それじゃあ少し待っていてくれ、俺が邪魔物を片付けるよ。あとから援軍もくるから心配はいらない」

 詩乃の前に庇うように立つと兵たちと対峙する剣丞。

 その顔には、はっきりとわかる怒りが浮かんでいる。

「ひよ! ころ! 手伝ってくれ!」

 

「はい!」

「了解です!お頭!」

 ひよが詩乃を下がらせ、剣丞と共にころが刀を抜く。

「き、貴様ら! 何者だ! 我等を美濃国主、斎藤龍興さまの臣と知っての狼藉かっ!」

 

「知っているよ。だけど俺たちは通りすがりの山賊でね。竹中さんは俺が奪う約束なんだ」

 口調は優しいが一つ一つには怒りが含まれているように詩乃は感じていた。それほどまでに自分が必要だと言うことなのだろうか。

 だが数の差は理不尽な結果となる。状況を見れば、ここで斬られることになるのは目に見えて分かる。

 しかし不安は彼女に無い。たった三人。然れど三人。何よりも殿方に守られる感覚というのは心強く、不安など払拭されていたのだ。

 斎藤飛騨は声を荒げる。

「たかが山賊風情が何を言うか! それに見ろ! この人数には勝てないだろ!」

 剣丞たちの周囲を囲み始める兵たち。

 先手必勝とばかりに敵が態勢を整える前に地面を蹴り、兵の持つ刀に狙いを定めた。

 大きく振り上げられた剣丞の腕。その先に握られている刀。

 風切り音が響き先ほどのように、刀身が地面に落ちる。

「蜂須賀党頭目、蜂須賀小六とは私のことだ!いつでも!どこからでもかかってきなさいっ!」

 ころの威圧に敵が怯む。

 隙が生まれ、さらに斬りつける剣丞ところ。

「ぐはっ! 」

「がっ!」

 

「ええい! 何をしているのだ! 相手は小娘三人に孺子一人だぞ! 槍だ、槍隊! 囲め!」

 槍を持つ兵たちを中心に剣丞たちを再度囲み始める。

「お頭っ!」

 槍を構えた兵が剣丞の腹を狙い、鋭い突きを繰り出した。

 向かい来る刃先を間一髪体を反らすことで避け、そのまま槍の矛先を斬り落とす。

「大丈夫だ!後少しで‥‥っ!」

 

 パァン。

 耳を切り裂くような乾いた激音が響く。

 剣丞たちの目の前に、物凄い早さの何かが通りすぎた──。

「お、お頭、これって」

「‥‥‥鉄炮だ。不味いな」

 

「ははははっ! 貴様らなど鉄炮一丁あれば皆殺しにできるのだ! 我等に逆らったことを後悔しながら死んでいくといい!」

 意地の悪い顔を浮かべ剣丞たちをみやる。

 彼女の隣に立つ兵は薄い硝煙を上げる鉄炮を一丁構えていた。

「ひよ!ころ!撤退だ!俺が殿をやる!」

「お、お頭!危険ですよ!?」」

「そうですよ!剣丞さま!殿は私が務めますから!」

 しかしそんな暇もなく四人は瞬く間に敵兵にに囲まれてしまった。

 

「ハハハハ! これで終わりだ! 鉄炮うてー!‥‥‥っ!」

 

「おっと! そうはさせねぇ!」

 鉄の砲身を両断。弐の太刀で兵を斬り伏せて現れた、朱い槍を持つ一人の男。

 剣丞たちを大きな背で庇うように、仁王立ちで斎藤飛騨を一瞥した。

「鉄炮が!? な、何者だ! 貴様!」

 

「俺は、まぁ援軍ってとこか」

 

「援軍だと? くそっ! おい、こいつもろとも囲んで殺せ!」

 

「(剣丞、俺がこいつらの注意を引く。その隙に行け。殿は任せろ)」

 慶次が剣丞に逃げるように促す。

「(わかった。けど慶次、絶体帰って来てくれよ)」

「(誰に物を言ってんだよ。俺だから大丈夫さ。あぁ後、結菜を待たせているからな。一緒に頼むぜ)」

 小さく頷いた剣丞は周囲を見渡す。

「(ころ、慶次が時間を稼いでくれる。その隙に逃げるよ)」

 

「(了解です)」

 

「いくぞっ!」

 慶次は、ぐるんと槍を片手で振るう。戦闘前の肩慣らし。

 右手に持つ大きな朱槍。振り上げ、飛騨の眼前で風切り音と共に横に一閃した。

 一種の脅しだ。これ以上前に進むなら、覚悟しろ、ということである。つまり死地だ。

「ひぃっ!?」

「飛禅さまを守れー!」

「死ねぇー!」

 敵兵が飛騨を狙う慶次に狙いを定め、斬り込んだ。

 彼は大きく息を吸うと、腰を少し落とした。槍を持つ右手を後ろに引き、左手を顔の前に寄せ、構えを作る。右足に重心を傾ける。

「消えな」

 無情な呟きと共に朱槍を横に一閃。縦に一閃。

 慶次を狙い刀を振り上げていた兵たちは絶命。

 次々と彼に近づくものがとてつもない早さで命を落としていった。

 慶次という明かりに群がる兵という羽虫。まさに彼等は羽虫だった。

 

 一方的な戦いが行われている頃、剣丞たちは撤退を始めていた。

「ひよ! ころ! 撤退だ! 走るぞ!」

 それに気付いた斎藤飛騨はすかさず指示を出す。

「っ! おい! 追い掛けろ! 絶対逃がすな! 早くいけ!」

 兵たちは彼らを追い掛けようとするが目の前にいる慶次により刺し殺される。

「行かせると思ってんのかい」

 剣丞たちを追うつもりであった兵の前に立ち塞がる。

 何人たりとも通すことのない無情な壁があった。近付くだけで殺される。

 兵の一人はその大きさに。

 また一人はその迫力に。

 次々に戦意を喪失していった。

 

 だが時すでに遅し。目に捉えることが出来ず、立ち尽くすだけの兵はまさに神速と言った槍捌きで斬られ、絶命した。

 

 そうしている間にも剣丞たちはどんどん飛騨との距離を離していった。

 

 一部の戦意を喪失していない兵が斬り込んでいくが──。

「だ、ダメですっ!飛騨さま、抜くことができませんっ!」

 

「くっ!ならば一斉に攻め立てろ!私も加わる!」

 

「ハハハっ!  来い!  この前田慶次郎をっ!  抜けっ!!!」

 慶次は朱槍の切っ先を向け、雄叫びを上げた。

 

 



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十二話

10/26 修正


 

 森の中で剣戟が繰り広げられている。

 大勢の兵が一人の男を槍で、刀で、四方八方から襲っているのだ。

 一般の兵と雖も人体の弱点を理解しているらしく頸、腹部などを執拗に付け狙う。

 

 まさに多勢に無勢だった。

 しかし多勢と言う割には、兵達の顔は恐怖で一杯だった。

 

 一方の男──慶次は涼しい顔で難なく捌いていた。

「お、おとなしくそこを通せ!そうすれば貴様の命は助けてやらんこともない!」

 槍を構える斎藤飛騨は言葉を震わせていた。

 

 同時に彼女の手足も恐怖で震えて、今にもへたり込んでしまいそうでもあった。それでもそうならないのは己たちが多勢だからだと言うことだけだった。

 

「ここを通りたければなぁ……俺を殺してみせろぉおおおっ!」

 威圧感のある大声を上げる。雄叫びだった。

 すると、彼の背から一陣の大きな風が吹いた。

 目は爛々とし得体の知れない恐怖を感じさせる。完全に戦闘狂としてのスイッチに切り替えられていた。

 手には血濡れた武器があり一層深く、恐怖を刻みこむ。

「こ、こんなのに勝てるはずない!」

 

「飛騨さま、て、撤退をぉ!」

 

「か、数で押せっ! 奴とて人だっ! はやくやれ!」  

 斎藤飛騨の顔には恐怖と焦りが浮かんでいる。

 恐怖は慶次の武に、焦りは剣丞たちに向いていた。

 周囲の兵がさらに大人数で攻め立てるが慶次がそれをいなす。

 

 小一時間ほどそれは続いた。

 

 飛騨の目の前には倒れ伏している兵達がいた。すでに息はないのか、ピクリとも動きはしない。

「な、なぜだっ!? なぜこれだけの数を相手にできる!?」

 

「俺が強いからだぁぁ!!」

 脇差を抜きさり、兵達の屍を踏み越えて、煌めく刀身を飛禅の頸に当てる。

 

「あとはてめぇだけだ。どうする?」

 飛騨の頸に当てられた刀身が動かされ、薄皮が切れる。

 つーと頸筋に血が流れる。

「ヒッ……」

 恐怖にガタガタと震える飛騨の鎧の下からびちゃびちゃと水気のある音がした。

 死ぬかもしれないという恐怖が彼女を失禁まで追い込んでいたのだ。

 

「……行きな」

 頸に当てていた刀身を鞘に仕舞い込む。

 

「う、うわぁああああ!!!」

 飛禅は背中を見せると脱兎の如く、情けない声を上げながら森の奥へと走り去った。

「……行ったか」

 大きく息を吐くように呟いた。その顔には疲労の色は浮かんではいなかった。

「さて、剣丞たちのほうに行かねぇとな」

 そして踵を返して、一歩踏み出した直後。

 

「ガッ!?」

 左肩に焼き鏝を当てたような鋭い痛みが走る。

 恐る恐る振り向けば、殺したはずの兵が左肩を斬りつけていた。

 両手は血で濡れているが滑ることのないようにと両手で握っている。そして薄く笑っていた。

「へ、へへ。死ぬ前に‥‥‥一発。この、化け物が」

「‥‥‥やるじゃあねえかよ」

 もともと虫の息だったのか兵は地面に倒れた。

 倒れ伏した兵を一瞥すると剣丞たちを追うために歩き出した。

 

 

  2

 

 最後に稲葉山城を見ておきたかった。

 それが彼女が美濃に来た理由である。

「慶次‥‥‥」

 彼が消えていった森を見つめていた。

 美濃に行くなんて言い出さなければこんな危険な目に合わせることなんてなかったのに、と後悔の念が結菜を蝕んだ。

 せめて慶次の後を追いたいと立ち上がろうとするが──。

「痛っ!」

 少し足を動かすだけで鋭い痛みが襲う。

 ジンジンと響く痛みだ。これでは移動さえままならなかった。

「?」

 遠くから足音がかすかに聞こえてくる。

 誰か分からないが、そう数は多くないようだ。

 足音が近くまで訪れ、慶次かと思い顔を上げると、そこにいたのは剣丞たちだった。

 その両脇にはひよところがいる。ならば剣丞の背に隠れるようにしているのは十中八九、竹中半兵衛だろう。

 

「剣丞、慶次はどこ?」

 てっきり共にに帰ってくると思っていたが姿が見えない。

 ──しかし何となくだが予想はついている。 

 その予想が外れてくれ、と心の中で剣丞の二の句にほんの少しの期待をした。

「今はいない。けど心配いらない、あいつは絶対に帰ってくるから」

 

「‥‥‥そう」

 やっぱりそうだった。予想が的中したことに不安で胸が押しつぶされそうになる。

 

 慶次は戦に出て帰ってこないことなんてなかった。負け戦に思えるようなものでもケロっとした顔を見せてくれるのだ。

 

(慶次は強い、だから大丈夫、絶対大丈夫。)

「絶対に帰ってくる」

 不安を隠すように口に出すが結菜の胸の圧迫感は消えなかった。

 

 

  

「お頭ー!二つ雁金の旗印がみえましたよー!」

「二つ雁金か。壬月さんたちだ!」

 帰りの道程。遠方で砂埃が舞い上がっていた。

 騎馬隊を率いてこちらにやってくる一つの集団が見える。

 早くこの胸の不安を取り除きたい。だからだろう。無我夢中で馬を降りた壬月に駆け寄った。痛みさえ気にせずに。

 

「壬月っ!慶次を助けて!」

「? 奴になにかあったのですか」

 

「それは俺から話すよ。実は……」

 剣丞は事の次第を述懐した。

 

 

「なるほどのぉ。慶次が殿を務めているか。‥‥‥わかった。柴田衆! 結菜さまの護衛は任せる。私は慶次の救援に行く」

 

「壬月頼むわ!」

「お任せください。なにも心配はありませんよ。あの慶次ですからね」

 心を見透かしているのか不安を取り除くような言葉を掛けてくれる。その言葉に少しだけ安心することが出来た。

「ありがとう壬月」

 

「では」

 壬月の姿が見えなくなるまで結菜は彼方を見つめていた。

(どうか無事でいて慶次)

 

 

   3

 

 

 油断大敵。

 この言葉ほど今の自分に当てはまるものはない。

「そこまで深くはないか」

 流血していた傷口はすでに閉じつつある。

「桐琴たちに笑われるわな、これは」

 あの人たちは絶対そうだろうと慶次は自嘲気味に笑う。

 そんな中、ふと空を見上げる。

「‥‥‥尾張に到着するのは明日か」

 天に昇っていた太陽が徐々に傾き始めていた。茜色の空。果てには逢魔時特有の紫苑色の空が茜色を侵食していた。夕暮れの訪れを告げるように月がうっすらとだが現れ始めている。

 歩いては休憩、歩いては休憩を繰り返しながら道を進んだ。

 それからどのくらい歩いたのだろう。気付いたときには辺り一面薄暗い。

 虫の鳴き声や梟らしき鳥の啼き声。風に揺れてざわざわと揺れる枝葉。不気味に夜の森に響く。幸いにも唯一の光である月光は今日も明るさを保っている。

 遠くから馬の蹄の音が聞こえる。

「……馬か」

 先を見ようと目を凝らすが、暗くてよく見えない。追っ手かと考えたが美濃方面からやって来る。つまり尾張からの早馬か、敵方の密偵ではないだろうか。

(密偵だった場合殺さなければならないな、ここでなにか情報を持ち帰られたら面倒だ)

 一応、槍を構え、木陰に身を潜める。聞き覚えのある声が耳に届いた。

「慶次はいったいどこに‥‥‥」

 赤紫色の服。小さく後ろにまとめた髪と片側に流れる長髪。虎を思わせるつり目。そして鬼柴田と謳われる猛将。

 彼が知る限り当てはまる女性は一人しかいない。今回は相棒の戦斧を持っていないらしく、右手を腰に当てキョロキョロと辺りを見渡していた。

「よう壬月」

 そっと背中に近付き、声を掛けた。

「うひゃっ!? 誰だっ!」

(いつも凛としてるのにこんなに可愛い声を出すのか)

「あ、すまん。俺だ」

「はぁ、貴様は‥‥‥全く」

 呆れ顔で大きくため息つかれる。

「毎度のことながら時と場所を考えんのか阿呆。馬を持ってきてやった、帰るぞ」

「はっはー。悪いなこれは俺の性分でね」

 お礼を述べて乗馬し、馬を走らせた。

 

 夜に騎乗というのは新鮮だった。

 全身当たる風がとても心地良く、少しばかりの眠気を誘発させる。

「ふぁ~あ」

「なんだ、眠いのか」

「あぁ。ちょっとばかし無理しすぎたみたいだな」

 血を流しすぎたせいで血が足りないのかもしれない。

「少しの我慢だ。あと一刻ほどで尾張につく」

※一刻=三十分

 

「おうさ」

 

 

 

 尾張に到着し馬を小屋に掛けて城下町に入る。

「壬月。ありがとな」

「気にするな。あと結菜さまが心配しておったぞ。後で顔を見せておけ、ではな」

 

「おう」

 壬月は自分の屋敷の方へと姿を消していった。

 町は暗く静かだった。

 提灯の灯りはなく、今が真夜中ということを教えてくれる。

 慶次は森の屋敷へと帰るため歩いていた。

 右へ歩き左へとジグザクと歩く。しかしそうと思えば突然立ち止まり後ろを振り向いた。

(つけられてんのか。これは)

 先ほどから背中に鋭い視線を感じていた。

 人数はおそらく二人、手練れと素人らしい。

 らしいというのは手練れと思われるやつが素人をカバーしているからだ。

(俺の命を狙っているのか、それともただの偶然か)

 前者はまだしも後者はまずないと切り捨てる。

 今の時間出歩くやつなどいないからだ。

 面倒だが少し痛い思いをさせ、理由を問いただそうか。そう考えて近くの路地まで誘導させることにした。

 

 路地に入り、出口脇で待ち伏せる。

「……遠……てるの」

「お……る」

「結……ぞ」

「わか……」

 尾行者は声の高さをみるに二人組の女性だろう。刻々と足音が近付き、女性たちが出口に差し掛かったところで───先頭の女性の手を捻り上げ、地面に押さえつけた。

「っ! うぐっ!?」

「久遠っ!?」

 途端に肩の傷口が開き、痛みが走った。流血し出しことが分かり肩口がじんわり濡れるのを感じていた。

「後ろの! 動くな」

 

 今出せる最も低い声を出し、威圧した。

 路地の影で姿が見えない、路地奥の女性が立ち止まったことを確認し、押さえつけているもう一人の女性に目を向ける。

 

 

 そした露になった女性の正体は。

 

「‥‥‥久遠嬢じゃねぇか。つけていたのか」

 ということは───路地の奥から歩いてくる女性は案の定結菜だった。

 

「ちょっと慶次。女の子に暴力はダメよ。久遠を離してあげて」

 

「!‥‥‥すまん! 久遠嬢!」

 彼女を立たせると身体についた埃をはらう。

 

「き、気にするな。我が勝手につけたのが……悪かったのだ」

 目尻にキラリと光るものが映る。さらには彼が捻り上げた箇所をさすっていた。

 

(……勘違いとは言え暴力振るっちまったんだよな、泣くのは当たり前か)

 

「悪かった久遠嬢。この通りだ」

 慶次は最大限の気持ちを込め、頭を下げるが、身体を傾けたせいで負傷した肩から血が滴り落ちてきた。

 

 それを見た二人があからさまに顔色を変え、詰問してきた。

「慶次っ!あなたその肩の血はっ!」

 

「えっ!? け、慶次が怪我をしたのか!?」

 

「落ち着け落ち着け。これはまぁ油断し結果ってやつだ。気にすんな」

 油断大敵という言葉が本当に正しかったのだ。戒めともとれるいい経験になったとしみじみ思う。

 

「気にすんなってあなた! 私があの時どれだけ心配したかわかってるのっ!」

 

「そうだ。我は慶次が殿と聞いて……いなくなってしまうんじゃないかって、とても心配したんだ」

 

(全く‥‥心配かけすぎちまったか)

 一緒にいた時間は長がったせいだろう。

 だからそんな慶次が危険なことをすれば心配するのは当たり前かもしれない。

 それならば死にはしないと、いなくなったりはしないと信じてもらうしかない。

 

「すまねぇな。だが帰らないことなんてなかっただろう。心配なんていらねぇさ」

 久遠、結菜の順に優しく頭に触れる。二人の髪はサラサラとし、いつまでも触れていたい気持ちにさせた。

 

「っ! 慶次っ 」

「ふふっ」

 身体に衝撃が走り、久遠が慶次の腰に抱きついた。

 それを見計らったかのように結菜までも。

 二人分のとても甘い香りが鼻腔をつき抱き締めそうなる───がぐっとこらえた。

 

「おいおい、どうしたんだよ一体」

 

「我の前から絶対にいなくならないで欲しい。我はお別れなんて……したくはない」

 慶次の服に顔をうずめた久遠は慶次の腰に回した腕を強くする。さながら母親に甘える子供のようだ。

 

「私からもお願いよ慶次。絶対にいなくならないで」

 此方を見上げる結菜の悲愴な表情を浮かべていた。

 今朝の殿の件があった手前、一番つらい思いをしていたのだろう。そんな気持ちの代弁なのか、慶次の服をぎゅっと掴んだ手にはかなりの力が込められていた。

 

「大丈夫だ、俺はいなくなったりなんてしねぇって。約束だ」

 

「言葉だけでは信じることができん」

 

「私も同じ。慶次、言葉だけじゃ信じることができないわ」

 

(参ったな、言葉だけじゃ無理か……まぁ)

 肩の痛みを我慢し両腕で覆うように二人の肩を抱いた。

「ぁ……」

「っ!……」

 彼女たちの甘い香りが胸一杯に入り込んでくる。呼吸をするたびに頭がクラクラしてくるが気合いでなんとか正気を保った。

 

 二人の身体は細くもあり柔らかくもあり、温もりを感じることができた。なんとも抱き締めがいのある身体だった。

 特に胸部装甲はとても破壊力のあるもので彼は自分の息子に血が集まるのを感じていた。

 

「……慶次……我は慶次のことが」

 

「(ダメよ、久遠。今はまだ言わない約束でしょ)」

 

「(しかし結菜。我はもう……)」

「(それは私だって同じよ。でもまだ……)」

 二人が何か話しているが今の慶次には聞こえていなかった。

 密着しているせいで息子のポジションを変えることができないことに彼は焦っていたのだ。

 

「慶次なんでもないからな!」

「慶次、気にしないでね」

「っ!」

 本当は気になるが今はそれよりもポジションを変えることに集中する。気付かれないよう細心の注意を払いながら。

 

「慶次、我は、もっと……してほしいのだが」

 背が高いため二人は自然と上目遣いになった。

「……慶次、久遠にするなら私もいっしょにね」

 

 そんな二人の瞳が心にグッとくる。

 仮に断ったとしたら泣きそうな顔をするだろう。

 つい先ほどもう辛い思いをさせないと誓った手前断ることは出来なかった。

「全く甘えん坊だな。お前らは」

 

ぎゅう。

 

「っ!」

「慶次ぃ…っ」

(やましいことはしてないしてない)

 彼の脳内には一つの布団で共に横になる三人の姿が映し出されていた。慶次が真ん中で右に久遠、左に結菜が付く。そして彼女たちは胸をはだけさせて───。

 

「ごめん、なさい。慶次」

 ふいに来た結菜の謝罪。

 結菜が耳元で囁きながら抱きついていた。

「私が、美濃に連れていったから。危険な目に合わせて、怪我もさせて……」

 そんな絞り出すような、か細い結菜の声。どれほど辛い思いをさせてしまったのか、慶次は胸に染みるほど理解させられる。

 増してや肩の怪我である。責任を感じているのだろう。

 

 だからこれは結菜のせいではない。そう伝えるために彼は同じように耳元で囁いた。

「結菜が気にする必要なんてどこにもねぇ。言っただろう?これは俺の油断が招いた結果だって」

「……ありがとう」

 その言葉を聞いた途端、誰もが見惚れるような笑みを見せ、さらに強く抱き付いてきた。

(お願いだ。それ以上強く抱き付かないでくれ! 胸が直接当たるんだ。俺の息子がさらに育って)

「……そう、だったんだな。結菜と慶次は……」

 先ほどまでの笑顔が消え失せ、今にも泣きそうな顔をみせる。

「なら久遠嬢。もっと寄りな」

 背中に手をやると抱き寄せた。元々彼が手を久遠の背中に回していたこともあり、久遠はすんなりと身を任せていた。───久遠の嫉妬だっだ。

 瞬く間に久遠嬢の顔に眩しいくらいの笑顔にはなる。

「えへへ ♪」

 久遠が腰に回す腕をさらに強くした。胸が強く当たり形が変形してしまうほど。

 

「っ!」

息子が臨戦態勢になってしまった。

「ん?慶次。この大きいのはなん……だ」

「あら、本当。張ってる……わね」

 

 彼女たちの顔が一瞬の間を置き、たちまち真っ赤に染まる。

 

 次の瞬間、慶次のみぞおちに何かが直撃し、崩れ落ちた。

 

 

 

 

 

 

 



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十三話



10月26修正加筆


 

 

 真っ先に目に入ったのは天井だった。それも見覚えのあるものだ。

 身体を起こす。肩の傷口を見やると包帯が巻かれてある。ほんの少し血が滲んでいるものの傷口には痛みはなかった。

「くぅ、みぞおちが痛てえ」

 ズキズキと心臓の脈動に合わせ、鈍い痛みが続いている。

「はぁ、調子に乗りすぎたせいかあ」 

 自分が調子の良いやつなのは承知だったが、まさかあれほどまでとは思わなかった。

 ほとほと呆れ返ってしまいそうだ。

 

「慶次。起きてる?」

 部屋の襖奥からくぐもった声が届いた。

「あぁ、起きてる」

「入るわね」 

 襖を開けて入って来た結菜。

 料理の乗ったおぼんを彼が寝ていた布団の脇に置く。

 昇り消える湯気。食欲そそる芳しい香りが鼻腔を撫でた。

 結菜は正座をすると、いすずまいをただし、慶次を見つめる。

「具合はどう?」

「なんともねえさ」

「‥‥‥ごめんなさい」

「お前が謝ることじゃないさ。俺が悪かったんだ」

 (まあ調子乗った俺のせいだしなあ。自業自だよ、ほんと)

「──本当にすまん。何だったら俺をぶっていい」

 その場で深く頭を下げる。すると、結菜はあからさまに大きく息を吐いた。

「はぁ。あなたねぇ、私はそんなことしてほしいわけじゃないの。だからぶったりはしないわ。それよりも、はい」

 結菜が料理のおぼんを差し出してきた。芳しい香りが鼻を包み込んだ。すると、きゅるるーと情けない音を発する。丁度いい具合にお腹が鳴ってしまった。

「ふふっ、丁度よかったわね」

「じゃあ遠慮なくいただくぜ」

 箸で最初に摘まむのは白米。じわ~と味が口内へ広がる。ついで焼き魚も口の中へ。

 ガツガツと食べ続け、気付くと盆には何も残っていなかった。

「あぁ~結菜の飯はやっぱ美味い。毎日食ってみてえなあ」

「慶次がここに住むなら毎日食えるな」

 

「そうなんだよな。けど俺森一家だし、家臣としての領域が行き過ぎている気が‥‥‥!」

 今まで話していたのは!?。

 機敏に声の発する方に振り向いた。

「久遠嬢」

「うむ、我だ。慶次。その、痛みはないか?」

 

「あぁ。大丈夫だ。それと久遠嬢、昨晩は本当にすまなかった」

 慶次はきちんとした態度で臨み、頭を深く下げた。

「あれは我が悪かった。その気になってくれて我は嬉しかったのだが。恥ずかしくてな‥‥‥そ、その我のことを」

 言葉を濁しながら雀のように細い声でぶつぶつと呟く。それに伴って、俯き加減になり表情が暗く陰る。

「そんな顔すんなよ。それくらいで久遠を嫌いになったりしない。むしろ俺がお前らに嫌われるんじゃないかって心配してたんだ」

「な、なにを言うか。我が貴様を嫌いになるわけがなかろう」

「そうよ。私たちがあなたを嫌いになることなんて絶対にありえないんだからね」

「……ハハ。ありがとな」

 意図せず溢れた安堵のため息。彼女たちに嫌われていない。それが知らぬまに安堵のため息をもたらしていた。

 慶次は話を切り上げるようにゴホンと咳を出し、布団から立ち上がった。

「‥さてと俺は森の屋敷に帰るわ。結菜美味かったぜ。また頼む」

 

「ええ。任せてちょうだい」 

 

「うむ。また後で、だな」

「慶次。気を付けて帰ってよね。まだ本調子じゃないんだから」

 

「おうよ。心配しなさんな」

 障子に手を掛ける。と、ふいに久遠から言葉が掛かる。

「我は怒ってなどいないぞ」

「‥‥‥おう」

 そう言い、慶次は部屋を後にしたのだった。

 

 

 久遠の屋敷と森一家の屋敷にはかなりの距離がある。

 馬で行けば半日もかからないが歩けば丸一日の時間を要する。

 慶次は馬を取りに馬舎へ向かったのだが、どうしてか、すべて剣丞隊と三若に回されていた。既に残る馬は無いとのことだった。

 慶次は疑問に思いつつ、我が家に帰るために歩き出す。

 結果、到着は夜の戸張が下りた時分となってしまった。

 桐琴に説教される未来を想像しながら慶次は屋敷の門を潜る。

「帰ったぜー」

 慶次は桐琴たちが毎夜いる居間へ向かう。

 暗い廊下は静けさも相まって不気味な雰囲気を醸し出している。やけに大きく響く、ぎしがしとする足音。

 今夜は屋敷の雰囲気がどこか可笑しい。

 そう思いながら居間の前まで辿りつく。中からは明かりはおろか寝息すら聞こえてこない。

 

 そっと居間の障子に手を掛けた。

「ほう。夜帰りとは随分といい御身分だな?慶次」

「っ!!」

 思わず背筋がピンと伸びた。

 ドスのきいた低い声が慶次の背に響いたのだ。紛れもない桐琴の声。

「さらに言うなら数日も家に帰らなかった。全く殿から事情を聞いたからいいものの帰らんなら言えとワシは言ったはずだ」

 呆れ顔を見せる桐琴は腕を組んで、慶次を見据える。

「す、すまんかった。次からは言うようにする。小夜叉は?」

「部屋にいる。貴様がいないいないと騒いでいたからな。よほど心配だったんだろう」

 

(──会いにいくか、謝らなければならないか)

 慶次はすぐ心に決めた。

「小夜叉の部屋に行ってくる」

 

 

 

 

 

「おちび、帰ったぜ?」

 小夜叉の部屋。障子の前で声をかけると。

「え?」

 どどど。中で彼女の足音がする。

 と、ばたん。思い切り障子が開いた。

「ぁぁ、慶次! てめぇ今までどこほっつき歩いてたんだよ! 心配したんだぞ! 連絡くらいよこせよな! あとおちびってよぶなっ!」

 ドタドタとこちらに走り寄ると抱き付いてきた。

「悪りい」

「本当だぞ!てめぇはオレの。お、オレの、婿なんだからな!」

「‥‥‥そっか。なら本当に寂しい思いをさせたな」

 初耳だった。

(……婿なんて話は聞いてないんだが)

「まあ、すまん。これで許してくれ」

 ぽんと、彼女の頭に手を乗せる。

「な、なあ慶次もオレに会えなくて寂しかったのか?」

「あぁ、そうだ」

 半ば適当に答える。

「ふ、ふーん。慶次は素直だな」

 そっぽを向いた顔はしまりのない笑顔が浮かんでいた。

「クソガキが。一丁前に色気付いたな。おい!慶次、森の婿になるってこたぁワシの婿でもあるんだろう?」

 深い笑みを刻み、身体を摺り寄せてくる。同時に慶次の顎にしなやかな指先を当てると艶やかに頬まで運んだ。

 妖艶さを感じさせる仕草に年齢を感じさせない身体。  

 どくんと、心臓が妙な打ち方をした。

「……そうなるな。俺はお前をとことん愛すさ」

 だが調子の良い慶次。

「ガハハッ! こんな年増の心をくすぐるか!‥‥‥慶次。ワシは覚えておくぞ」

 今まで見たことのない屈託のない笑顔を見せてくれる桐琴。

「‥‥‥慶次ー。オレにはないのかー?」

 服を軽く引いた小夜叉は拗ねたような口調で言った。そんな子供らしさが余計に可愛く見える。

「心配すんな。俺は小夜叉も愛するよ」

「‥‥‥そ、そっかぁ」

 また顔を隠すようにそっぽを向く。

「あー身体が火照っちまった。クソガキ、鬼殺しに行くぞ。慶次貴様も付き合え」

 

「おうよ!母!慶次、ぼーっとしてんなよー」

 いつも通りの流れになってきた。帰ってきた実感が沸いた。

 「行きたいのは山々なんだがなぁ。怪我しちまってな。今日は行けねえわ」

 慶次は自分の肩を指差した。

「なんだ、怪我をしていたのか。まぁいいさ。だが埋め合わせは考えておけよ」

「まー怪我なら仕方ねぇーよな」

 二人はそのまま槍を担ぎ上げ、慶次の元を離れていった。

 何かしら言われると思っていたがその心配は杞憂に終わったようだ。

 それにしても。

「‥‥‥結婚ね」

 今思えば過剰なまでの反応は強い思いの裏返しだったのかもしれない。なるほど、そう考えるとかなりの女性に好意を抱かれていることになる。

(考えすぎかなぁ──)

 とはいえ目的を達成するまでは彼女たちの思いに答えるつもりはなかった。

 

 

 



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十四話

10/26 修正 加筆


 

 

「痛ぇ、やっぱり一日二日じゃ無理か」

 肩に巻かれた布から薄く血が滲み始めていた。それほど多量の出血はしていないものの鋭い痛みがずきずきと襲っていた。

 

「仕方ないか。今日は休も」

 

 そうして鍛練を中断した慶次。部屋に戻るもやることがなくぼーっとしていた。

 

(暇だ。町に行こ)

 

 慶次が屋敷を出て、清洲城下に到着するころにはちょうどお昼時の時分だった。町行く人が往来の飯屋や団子屋に列を作っていた。

 

「結菜の飯も食いたいがなぁ。何度も行くのも迷惑だろうしな……うぅむ」

 

 どうしようかと視線を泳がしながら悩んでいると、ある団子屋が目に入る。

 

 そこまで列を作ってはいない場所だった。

 ちょうど今の時間帯では日陰になるらしくどこか暗い雰囲気をしている。翻る旗には『だんご』と描かれて、風に靡いていた。近くには大きめな長椅子が併設されていた。

 

 慶次はその団子屋まで足を運び、入り口から店内の様子を見渡した。壁に掛かったお品書きには『おいしい甘酒をぜひ!』とでかでかと書いてあった。甘酒を飲むことができるらしい。

 

 外では列を成していなかったが店内はすでに満席状態。外見とは裏腹にガヤガヤとひしめき合い席が空く気配はなかった。 

 

 そんなとき店の入り口にポツンと目立たぬ位置に置かれる長椅子が目に留まる。慶次はそこに座ることにした。

 

(ええと、店員はどこだ‥‥‥いたいた)

 

「おーい。そこの姉ちゃーん」

 呼ぶと気付き、小走りで駆け寄ってきた。

「団子を五つ頼むぜ、それと甘酒もな」

 

「はい!わかりました」

 元気よく返事を返し、奥の厨房に消えていった。

 

 

「はい、お待ちどうさまー」

 

「ありがとさん」

 皿に乗った三本の三色団子に甘酒の入った徳利とおちょこが慶次の脇に置かれた。

 至ってシンプルだが空腹のためか天下一品の極上の品に見えていた。

 

 

 団子を食べ終わり、しばらくの間、甘酒をちびちびと嗜んでいた。一気に飲むというのも良かったのだが風情がないのだ。

(やっぱ味あわねえとな)

 だからこそ、こうして口に含み、香りを味わうのだ。それが形容しがたいほどに良い。

「美味いねぇ」

 おちょこを見つめる。とても綺麗な色合いをした群青色の紋様がおちょこに描かれていた。

「風情があるなあ」 

 再び口元へとおちょこを運び、残りを飲み干した。ほどよい甘さが口一杯に広がった。徳利を傾かせて空になったおちょこに注いだ。

 

 人が道行く往来を眺める。

 

 忙しく走る者もいれば、逢引中なのか二人手を繋ぎ笑い合う男女もいた。

 

(こういうのが日常なのかねぇ)

 ちびちびと嗜みながらそんなことを思った。

 

 

「失礼、隣りに座っても?」

 唐突に女性が尋ねてきた。濃い橙色の髪に花の簪を刺した女性だ。

 彼女は慶次が一方的にだが見覚えのある女性だった。

 慶次は突然のことに戸惑いながら了承の答えを返す。

「! あ、あぁ。構わないぞ」

 見覚えのあるこの女性───武田家の武藤一二三昌幸であった。

 彼女は策士として有名だ。ボロを出さないようにと慶次は気を引き締める。

 

(それにしてもなぁ‥‥‥すごく可愛いぞ)

「?私の顔に何かついてるかい?」

 ジロジロと見ているのがバレたようで怪訝な顔をされる。

 

「悪い。あまりにも可愛いかったんでな。つい」

 彼女は鳩が豆鉄砲をくらったような顔をしていたがすぐに破顔した。

 

「アハハッ!面白いんだね、君は。そんなこと面と向かって言われたのは初めてだ」

 

「そうかぁ? こんな可愛いのに目をつけねぇ男はどうかしてると思うがなぁ」

 

「このご時世だから仕方がないんじゃないかい? まぁそんな時だからこそ私のような女でも仕官先を探すことができるんだけどね」

 可愛らしく首を竦めた。

 

「仕官先ねぇ、浪人ってことか」

 

「そう。西の周防国から東の陸奥国までね。私の気風にあったお家を求め行脚の旅さ」

 

「なるほどな‥‥‥しかしな嬢ちゃん」

 慶次の悪い癖。それは人をからかうことだ。知り合い問わずいつでもどこでも悪戯をしていたのだ。

 だから彼女、一二三の言葉を聞き、慶次はびびっと閃いてしまった。

 

 慶次の言う言葉は、まず彼女が主家としている者しか知らない情報だ。そしてその所以たるものが『足長おじさん』である。

 つまり武田家であるのだ。

 

「もう仕えてる、だろう?」

 武藤一二三は武田の人間だ。

 音に聞こえた猛将・村上義清の守る城を計略で落城させたことで名を馳せた真田幸隆の娘である。

 

 どのような経緯で武藤と名乗るようになったのか知る由もないが確かに幸隆の頭脳を受け継いでいるのだ。

 

 彼女の仕官先を探す旅というのは建前で本来の目的は他国の情報収集であったのだ。現にここ、尾張に来た理由は剣丞の絡みのことだ。

 

(───って原作知識があったな)

 

「‥‥‥」

 核心をついたと思ったが顔色一つ、いや眉一つ動かさなかった。何かしら行動を起こすと思ったがそうはならなかったようだ。

 

 慶次はもう一歩踏み込み、告げた。

「そうだなぁ‥‥‥主君は甲斐の虎と謳われる名君、武田晴信」

 

「‥‥‥」

 

「そして嬢ちゃんの名は武藤一二三昌幸だ」

「っ」

 小さく声を上げるだけで表情までは変化しなかった。

 流石正史で表裏比興と揶揄されるだけはある。

(ここまでか……)

 非常に残念だがもう慶次には打つ手がなかった。。

 手にもつ甘酒を一気に飲み干し、懐から出した銭袋の中から多めに取った銭を彼女の傍に置く。

「意地の悪いことをしちまったな。今回は俺の奢りだ」

 

「‥‥‥いいのかい?」

「謝罪の気持ちだ。それじゃあな、嬢ちゃん」

 

 勘定をすまし彼女、一二三の視線を背中に感じながら慶次は往来へと消えていった。

 

 

 

 

side 昌幸(一二三)

 

 

 

「着いた。ここが尾張ね……」

 つい先日いた美濃の町とは大違いで人々の目には活気が溢れていた。

 

 右に視線を移せば食事処に列が、左に視線を移せば露店商に値切りをしている人など、皆が皆思い思いに生活していた。

 

「さすがは尾張の国主、人々の心を掌握しているよ。うつけなんて噂は嘘だったみたいだ」

 

 

 

「それで、新田何某はどこにいるのやら」

 田楽狭間の天人、空より現れた。

 

 というが正直なところあまり信じられることができない、というのが御館様の言葉だった。

 そういうわけで尾張に来た目的はその天人の調査だ。

 

「しかし腹がすいては戦はできないとも言うし昼食をとってからにしようか」

 

 食事処を探すためとにかく歩くことにする。

 

 だがどの食事処も列ができ並ぶことをためらうものばかりだった。

 

「どこもかしかも人ばかり、栄えるのはいいがこうも人がいてはね」

 ふと、とある団子屋が目に入る。この時間帯としては珍しく長椅子の席が一つだけ空いていた。

 座っている男は幸せそうな顔をしながら口に団子を頬張っていた。

 相席にはなるが大丈夫だろうか。

 

「失礼、隣りに座っても?」

 

「!あ、あぁ。構わないぞ」

 何か狼狽した雰囲気を見せる男。黒い長髪を後ろで一つ結びにした、なかなかの色男だった。何よりも目立つのは奇抜な色合いをした袴と着流しだった。

 

 事前に放っていた吾妻衆からの情報によりここ、尾張周辺の国々は内乱が激しく他国に介入するほどの余地がないことが分かった。

 その情報を踏まえるとこの男は織田の将だろう。服の上からでも分かる筋肉、そして手に出来た豆がそれを証明していた。

 

(織田当主は今は美濃にいる、つまり留守を任されているということか。城下に出ているところを見る辺り愚鈍な将、かな)

 そう決めつけるように考えるが、彼の視線が思考を中断させた。

「?私の顔に何かついているかい?」

 

「悪い。あまりにも可愛いかったんでな。つい」

 心がはじけそうになった。見た目も相まってそんなことを言われてしまうと意識してしまう。

 ましてや一度も異性から掛けられたことのない言葉だったためか、こそばゆく、恥かしい思いで一杯になった。

 

「そうかぁ?こんな可愛いのに目をつけねぇ男はどうかしてると思うがなぁ」

 この男はたらしなのかもしれない。臆しもせずに堂々といってくるあたりがそうだ。

(自覚がないらしいね。質が悪いよ、これは)

 

「このご時世だからね、仕方がないんじゃないかい?まぁだからこそ私のような女でも仕官先を探すことができるんだけどね」

 

 誤魔化すために浪人ということで通したが何かを考えているのか難しい顔をしている。

 

「なるほどな‥‥‥しかしな嬢ちゃん、もう仕えてるだろう」

 

「‥‥‥」

 

「そうだなぁ‥‥‥主君は甲斐の虎と謳われる名君、武田晴信」

 愚鈍な将といったがそれは私の間違いだったのかもしれない。武田に仕えていること知っている、この男は───"草"か。

 

 織田のような小規模な勢力の草は元来、情報収集に力を入れる傾向が強い。常に周囲に気を張らなければ自分たちが滅ぼされるからだ。

(……もしや私の名前まで───)

 

「そして嬢ちゃんの名は武藤一二三昌幸だ」

「っ」

 心の臓が鷲掴みにされるようだった。まさか本当に私の名前まで知っていたとは最悪の事態だ。

(間違いない。この男は草だ……さてどう対処したものか)

 この場を切り抜けるための策を考える。

 しかしそれは無意味に終わった。

「意地の悪いことしちまったな、今回は俺の奢りだ」

 根掘り葉掘りと聞かれると考えていたが出た言葉は予想外のものだった。

 

「……いいのかい?」

 

「謝罪の気持ちだ。それじゃあな、嬢ちゃん」

 

 銭を私の傍に置き町中に消えていった。

(織田の草は一筋縄ではいかないね。これは骨が折れそうな相手だ……けど)

 私が武田の臣であることを、そしてのなぜ私の名前を伝えたのか。それがどうしても分からなかった。

 

 

 

 

################

 

 

 慶次が一二三と会う前日の晩、久遠は戦の準備に取りかかっていた。

 

 馬に跨がり夜の城下を走りぬけ、一人街道に出る。

「……」

 法螺貝の音が響き渡った。

 

 どうやら兵の一人が久遠の出陣に気付いたようだった。

 

 

「久遠!」

「遅いぞ。剣丞」

「そうは言うけどさ、夜中だぞ?いきなりすぎるって」

 剣丞の言うことは最もだった。

 実際剣丞の髪は若干だがボサボサで寝起きを意味していた。

「まごついていれば時期を逃す、許せ」

 

「殿ぉー」

 遠くから大声が聞こえた。声の主であろう一人の女性が数千規模の軍勢を引き連れやってくる。

「壬月か。ご苦労」

 到着した壬月の顔には玉の汗が浮かんでいた。

「ご苦労、ではありません!突然のご出陣はご勘弁をといつも言っているでしょう!」

 

「そうは言うが、稲葉山の兵が少ない今が好機なのだ。それにさっさと動かん貴様らが悪い」

 

「相変わらずの仰りようですねぇ。少しは後ろを追いかける者の身にもなってくださるとうれしいのですが……」

 

 いつの間にか到着していた麦穂が苦言を呈す。

「気が向いたらな……」

 麦穂の苦言にどこ吹く風のようにさらりと流す。

 

「そう言えば三若の姿が見えんな」

 

「母衣衆は一番後ろ、ですね…」

 

「あの、馬鹿どもが……」

 壬月が握り拳を作り手を震わせる。三若が御叱りを受けることが確定した瞬間だった。

 

 しかしそれも当たり前のことであった。

 

 殿の身辺を警護する役目も承っている彼女たちは久遠と共にいて当然なのだから。

 

「待っている時間が惜しい。壬月と剣丞は我と共に先行せよ。麦穂は三若と後続を纏めておけ」

「「はっ!」」

 

「行こう、久遠」

 久遠を先頭に壬月、剣丞がついていく。その後ろには久遠の騎馬軍、そして壬月の軍が続く。

 

 一人の兵が汗だくで久遠に近づいてくる。鎧を見るからに織田の足軽のようでよっぽど急いでいたのか汗だくだった。

 

「伝令!斎藤龍興は稲葉山城へ籠城を選択したとのこと!」

 

「苦労。稲葉山の前に陣をとる。壬月、麦穂が着きしだい軍義を行う。主だったものを集めておけ」

 

「御意」

 

 

 

 

稲葉山城・前方

 

 稲葉山に到着したころ織田の軍勢は倍に膨れ上がっていた。内応を約束していた地方の豪族が加わったのである。その中でも西美濃三人衆が加わったことはとても大きかった。

 

 家臣たちは緊張した面持ちで軍議に臨んでいる。今から落とすのは堅城と謳われる稲葉山城であり当然のことだった。

 

「……知っての通り天下に名だたる堅城、稲葉山。包囲したからと言って早々には落ちんことは明白、よって今回は短期決戦、強攻を行う」

 

「……なんとっ!」

 壬月が驚くのも無理もなかった。確かに城攻めは長い時間をかけるより短い時間で行ったほうが良いだろうが城への強攻はメリットよりもデメリットのほうが多いのだ。

 

 元々勢力として弱小だった織田は無駄に兵力を消耗できず兵糧攻めが基本だった。今もなお、弱小とはいかないが周囲の勢力と比べ見劣りするのは事実で、兵を消耗すればお国の守りが薄くなるのは分かり切ったことだった。

 

「しかし強攻したからといって城が落ちるわけではございません。ましてやここで兵を死なせてはお国の守りが──」

 

「尾張には慶次がいる、心配はいらん。それに策がある。我も先日聞いたのだが……剣丞」

 

 久遠が呼ぶと剣丞が一枚の地図を机上に広げる。

「実はね、この前の偵察で稲葉山城の裏手、ええと……ここか。三の丸に繋がる道をみつけたんだ」

 

 この情報に家臣団が驚きの表情を浮かべる。一部何を言っているのか理解の及んでいない者がいるが。

 

「中々に狭い道でね。大勢で移動できるものじゃない。 だから少人数の俺たち剣丞隊が潜入して城門を開けようと思っている。成功したら合図を送るから、なだれ込んでもらって制圧して欲しい」

 

「成る程。剣丞どのの策でいくとすれば、稲葉山の落城は目と鼻の先。しかし危険ではないでしょうか」

 

 麦穂の言うことは最もだった。兵が其処ら中に警戒を敷いているため、見つかればまず命はないといっても良いだろう。

 

「危険なのは承知の上。だが我は必ずやれると信じている」

 

「はぁ、全く殿は……孺子いや剣丞。いけるのか?」

 

「うん、天下の堅城ってことは敵は油断してると思うんだ。潜入されるなんてあり得ないってね。けどそのあり得ないを」

 

「逆手に取る、か」

 

「逆手に取る、ですね」

 考えていたことが同じだったためか二人の声が重なる。

 

「そう言うこと。だから任せてくれ」

 

「……分かった。信じているぞ、剣丞」

 

「くれぐれも無理だけはしないでくださいね」

 

「話は纏まったな。……では剣丞隊以外の者は七曲口より入り鬨の声を上げ続けよ。剣丞隊の潜入を悟られんよう注意を引く。よいな?」

 

『御意』

 

 剣丞隊による稲葉山城の潜入が始まる。織田による美濃奪取はもうすぐそこだった。

 

 

 

 

 

 

 

 



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十五話

賛否両論あるかもしれません

10/30修正 加筆


 一二三との邂逅から一夜明け、慶次は久遠の屋敷へと足を運んでいた。

 と言うのも近く、起こるであろう美濃攻めについて森一家の参戦などを話し合いたいためだった。

 

 

「あぁ。漸く着いた……」

 慶次はふぅとため息をつき、眼前に立つ神社の社のような荘厳な門を見る。

 黒塗りされた立派な支柱で支えられる門の直ぐ横には人一人が通れるほど小門があった。

 

 慶次は小門まで歩みを進めると軽く叩いた。

反応が無い、返ってくるのはシーンとした空気。

 再び先ほどより少し力を入れ、小門を叩いた。

 

「どちら様でしょうか? もし久遠さまに御用があるのでしたら……! け、慶次さまでしたか」

 ギィと音を立て門扉から顔を出したのは結菜付きの侍女だった。

 慶次を見るなり顔を強ばらせ、恭しく態度を正す。

 

「おう、俺だ。久遠嬢はいるかい?」

 

「久遠さまでしたら昨晩、美濃へ出兵なされましたよ」

 

「……え」

 余りにも予想外のことで間抜けた声が出てしまう。今にもヒューと一陣の風が吹き抜けそうだった。

 

「ですから昨晩、久遠さまは美濃へ出兵なされました」

 

「……そ、そうか、ありがとな」

 

「い、いえ。私などに礼は不要です……それでは失礼します」

 

 ペコリと綺麗なお辞儀をし、逃げるようにガチャと小門を閉めた。

 

 慶次は茫然自失といった顔を浮かべ固まった。さながら石像である。

 不自然に佇む彼を道行く人々が奇異な物を見るような視線を送っていた。

 

「もう。美濃か……」

 

 彼は周囲の視線を物ともせず青々とした空を仰いだ。

 

 

 

 

 

 

 翌日、森の屋敷に一通の文が届く。

 

 差出人は久遠。

 達筆な字で文頭から文末したためられていた。

 

 内容は大きく分けると剣丞隊により稲葉山城が落ちたこと、岐阜城に改名するなどの今回の戦関係のこと。

 もう一つは前者の文字より幾分か丁寧に書かれている。

 怪我の具合のことや早くそちらに帰りたい、一緒に買い物をしたいなど恋文のようなものだった。

 

「ハハハ、可愛いじゃねぇか」

 

 真っ赤な顔をしながら筆を取っているであろう久遠が想像でき自然と笑いが出た。

 

 

 

 さらに数日が経った。

 

 久遠たちが美濃から戻った。往来の真っ只中を馬に乗り、堂々と凱旋している。

 

 町人の視線を一身に集めていた。

 

 久遠の凛々しい顔はどこか晴れ晴れとしたものを感じさせる爽やかなものだった。

 

(やっと美濃を手中に収めたんだ、当然か)

 後方には壬月、麦穂、三若に剣丞隊が続く。

 疲労を浮かべているものから喜びまで様々な顔模様だった。

 

 

 森の屋敷にあの二人の姿はなかった。

(消化不良で鬼狩りか?‥‥‥まぁいいか、蘭たちのとこに行こ)

 小夜叉には三人の妹がいる。上から蘭、坊、力という名で三人とも桐琴と同じ金色の髪をしている。

 顔立ちはまだまだ幼いが目鼻立ちがはっきりとしており、何れは桐琴に引けを取らない美しさになると思っている。将来が有望な娘たちである。

 

 そんな事を考えながら桐琴の部屋の前に到着した。

 部屋の障子を開けた。

「‥‥‥あれ?蘭ー?」

 いつもならいるであろう場所に彼女たちはいなかった。だが布団にはいくつもの皴が波のように作られていた。

(一応ここにはいたみたいだが‥‥‥)

  

「慶次さまのお部屋で寝ておられますよ」

 彼の背に掛けられた声。森の屋敷で炊事を担当している侍女だ。

(珍しいな。俺の部屋で寝るなんて)

 

 

 

「蘭、坊、力」

 慶次の部屋で小夜叉の小さな妹たちはぐっすりと寝ていた。

 一組の布団の上に三人仲良く、掛け布団にくるまっていた。

(可愛いなぁ)

 自分でも口元が弛むのが分かる。ついつい慶次は頭を優しく撫でる。幼少期特有の髪の柔らかさがあった。

 

「‥‥‥俺も寝よ」

 押し入れから布団をもう一組取り出し、畳上にゆっくりと布団を広げた。

 身体を横にすると、直ぐに睡魔がやってきた。

 

「……」

 目を閉じるとすぐに意識が途切れた。

 

 

 

###############

 

 

「慶次っ!あいつらが……」

 

 血相を変えた森の棟梁が慶次の部屋に押し入った。

 しかし桐琴の目に入るのは今まで必死に探していた娘たち。

 

「……ここにいたのか」

 安堵のため息と共に髪から汗が滴り落ち、肩を濡らす。

 

「母ぁ!こっちにも……って、こんなとこにいたのか!よ、良かったぁー」

 小夜叉が安堵の声と共にペタンと座り込む。よほど心配だったのか額にはおびただしい量の汗が浮かんでいた。

 

「…ふむ」

 何かを思案しているのか少し難しい顔を浮かべている。

「……クソガキ、風呂に入るぞ」

 

「わかった、蘭たちはどうすんだ?」

 

「慶次がここにいるさ。問題はあるまい」

 

 二人は部屋で気持ちよさそうに眠っている四人を一瞥し、風呂場に向かった。

 

 

 

 再び慶次の部屋に来た二人。

 風呂上がりということもあり頭からは湯気が立ち昇り、まだ赤い頬は彼女たち色気を引き出していた。

「なぁ、母ぁ。どうして慶次の部屋に来るんだ?オレらの部屋は逆だぞ 」

 

「そんなことは分かっている。……時にクソガキ、慶次と寝たいとは思わんか?」

 

「そりゃあ一緒に寝てぇよ。けどさ布団が一枚しかないし」

 

「然したる問題ではないな。くっつけばいいだけの話だ」

 

「! 流石だぜ!母ぁ!」

 

 二人は慶次の布団に入り込む。右には桐琴、左には小夜叉。

「ほう、随分と逞しい身体をしている」

 抱き付くように慶次の身体に手を回し密着させる。

 そっと慶次の着物の隙間から手を潜り込ませ胸板を撫でた。

 その手には特別な感情が込められているのかこわれものを扱うかのように優しいものだ。

「……慶次」

 そう静かに呟くと目を閉じた。

 

 桐琴が目を閉じる少し前、小夜叉は反対の腕にしがみついていた。

「慶次の……いい香りがする」

 スゥーと大きく息を吸い込む。

 胸一杯に香りを感じたのか安心したように段々と目が閉じていく。

 

 

 

 

 

 翌朝になり両腕に痺れを感じ、少しばかり顔をしかめながら起きる。

 すでに部屋の外は明るく、小鳥の囀りも聞こえてくる。

 立ち上がろうとしたとき、やっと今の状況に気付いた。

「お前ら‥‥‥」

 驚いた慶次は腕を引っ張るが桐琴たちの力は強く、中々離してはくれない。

 腕に絡みつくような態勢の桐琴は『もう離さない』と物語っているようで、呼吸するたびにかすかに揺れる二つの大きいものは目を釘付けにした。

 

 まさに今の状況では襲ってくれと言っているようだった。

 だがそんな邪なことを払拭するように首を振り小夜叉に視線を移す。

 

 どこかあどけない寝顔は子供っぽいもの。

 しかし丁度いい具合に乱れた絹のような髪が背徳感を与え女性ということを再認識させた。

 

「……慶次ー?」

 寝ぼけまなこを擦りながら甘えた声をだす。

 

「おはようさん、おちび」

 身体をゆっくりと起こした小夜叉は腕にしがみついたまま慶次の肩に寄りかかった。

 

「慶次ー、オレはまた寝るからな」

 そう言い残すと寄りかかったままで寝てしまったようで規則正しい寝息が聞こえてきた。

 

 蘭、坊、力もまだ寝ているようで起きる気配はなかった。

 

「……寝よ」

 

 結局、森一家が起きたのは太陽が真上にくる時間、お昼時だった。

 

 

 



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十六話

 

 

「慶次さま。書簡が届いております」

 侍女は恭しい態度で部屋に入るなり、一通の文を渡す。

 差出人を確認してみたところ久遠からであった。

 文を開き、右から左へと目を通す。

 内容を要約すると『堺にいってくる。護衛には剣丞隊を連れていく。亰で待ち合わせだ』と書かれていた。

 

(堺か)

 原作では明智十兵衛光秀との邂逅を果たす地だ。

 だが慶次としてはほとんどと言っていいほど関心がない。それこそ『剣丞の嫁候補』という認識であった。

 『よし』と声を上げた慶次はすぐさま荷駄の準備へと取り掛かった。

 

 

 それから荷駄の準備が整ったのは半刻ほど過ぎた頃。日持ちの良い食料、路銀、そして武器など持つものは最小限に抑えた。

 

「行くか……その前に」

 懐から取り出した紙に『堺へ行く』と。書き置きを残した。

 

 

 屋敷を出ると、どんよりとした、今にも雨が降りだしそうなほど黒い雨雲が果ての空まで覆い尽くしていた。

 もしかしたら堺は雨が降っているかもしれない。

「……雨降らないでくれよ」

 そう天に祈りながら尾張を発った。

 

 

 

 

 

 

 

 数日後、京に到着した。

 尾張までとはいかないが市は賑わっていた。

 だかその一方で民家や長屋など悲惨な状態だった。苔むしたからぶきやねや半壊、倒壊した家々。

 

 実際は己の眼に写すと最大の商業都市と言うのはほんの少し嘘臭く思えた。

 

 しかしそんなことは慶次とって二の次だった。

 慶次は先ほどから、うるさく泣く己の腹を見つめる。

「飯屋を探さなければ」

 

 ここ数日の食料事情は悲惨なものだった。この時代の携帯食料というのは味が保証できたものではない。

 狩りなどできたら良かったのだが弓など持って来てはいないため基本的には干した携帯食料で腹を満たしたのだ。

 

 だからこそ数日振りにお腹を満たしてくれるような食事をしたかった。

 

 流し目で町並みを眺めながら飯屋を探す

 

「あった……」

 ここからそう遠くない距離だ。『団子』と描かれた旗が風で靡いていた。

 まんまるとした可愛らしいボディ。桃色、白、緑の三色と見るものを飽きさせない色合い。そして何より染み入るような甘さ。

 

 じゅるり……。

 咥内に唾液が分泌されじわじわと広がる。

 

 まるで早く食べろと命令しているように。

 

 一目散にかけ出した。

 

 団子屋を目指し走る、とにかく走った。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 彼が来た時には店内の椅子は全て埋まっていた。満席だったのだ。

 

 外に併設されたくすんだ色が特徴の長椅子に腰掛けた。

 

「おやじ、団……」

 髭面の男、この店の店主であろう男にオーダーを頼もうとしたとき、壁に張り付けてある紙が目に入った。

『持ち帰り可』と書かれていた。

 

(いくつか頼んでおくか……)

 なんてことを考えるや矢継ぎ早に言った。

 

「団子を十本頼むぜ。あと半分は持ち帰りで」

 

「あいよ、少し待ってな」

 

 

 

 

###############

 

 

団子はやはり美味い。

そんな考えと共に慶次が木葉で包まれた団子を片手に持ち、店を後にしようとしたときだった。

 

「こんっ、くそ!まてっ!」

 男の怒鳴り声がどこからか響き渡った。それと共に銀色の髪を風に靡かせた女性が道の路地から飛び出した。

 その身なりは質素な着物から町娘であることが窺える。

 

 その女性を追うように飛び出して来たを五人組の男。中々に汚ならしい格好をしているが刀を差しているところを見ると武士か浪人と言った所だろう。

 

「そこのもの!」

 

「ん? 俺か……っておいおい」

 女性が後背に隠れる。彼女は一度、五人の武士たちに視線を向けると慶次の着流しの裾を小さく握る。

 

「アンタは……」

 

「すまぬ。助けてはくれぬか……」

 彼女は不安そうな顔を浮かべ、慶次を見つめた。

 

「……」

 見つめるその瞳は儚げな女性を連想させる。だが正体を知っている手前、複雑な気持ちだ

 何せ彼女はチートな剣の腕と御家流を持っている。彼等程度の相手造作もないはずだからだ。

「おい!兄ちゃん、背中の女渡せ。親分をコケどした罪を払ってもらわにゃならんにゃ!」

 

「兄ちゃん、痛い目見とおなかったら早く渡しな!」

 

(まぁいくら将軍さまが強いといえど女に多対一だしな。……いやでも一葉ならこれくらい余裕だろうに……!!!)

 

ぴかーん。と慶次は思いつく。悪癖はここでも出てしまった。

 

(……しゃーないなぁ『俺の女』作戦、実行するときじゃあねえか)

 作戦は至って単純、ただ俺の女だと言い張るだけである。

 

「こいつは俺の女だ。何をしたか知らねぇが手ぇ出すってんなら容赦はしない」

 彼女の美しい銀髪に軽く触れ、そのまま髪を梳いた。一本の糸のようにサラサラとし、それは髪であるかを疑わせるほどの柔らかさだ。

 

「!?」

 細くもあり繊細な彼女の手を掴み、肩を抱き寄せた。

 

「っ!?」

 

「そうかあ……なら無理でも連れてくで! おい!」

 リーダー格の男が仲間の男たちに指示を出すと一斉に刀を抜いた。

 

「はっ! やるってんのかい。……いいぜ、かかってきな」

 

「威勢がいいんも今のうちや!」

 

「こないな優男殺っちまえーっ!」

 

 慶次は背負った槍を片手に持ち──一凪、そしてまた一凪と。

 

グサッ、ドゴッ。

 

「ひ、ひぃ!」

 

「に、逃げろぉ!!」

 

 我先にと争うように、転けた仲間を気にせずに走り去る。まさに脱兎の如くである。

 中には失禁しているのか金的部分が黒く染めている者が見受けられた。

 

「逃げたみたいだな」

 大丈夫かと声を掛けようと彼女に目を移すとぼーっと固まっていた。心ここに有らずといった感じだ。

 だがその目線はハッキリと慶次を捉えジーっと見つめている。

 

「どうかしたかい?」

 

「っ!う、うむ、助かった……あ、あとできれば……手を、だな……」

 消え入るような声で呟き、もじもじとし始めた。

 疑問に───思う暇もなく、将軍さまを抱き寄せたままだった。

「おっと、すまん」

 抱いていた手を離すと風のようにすばやく距離をとった。

 

 

 

###############

 

 

 

 

「幕府の権威なぞ地に落ちている」

 朝、昼、晩、と毎日のように口から出る。

 錢がないければ、食料もない。

 ある時は町に出て悪漢から錢を、またある時は山へ行き山菜を。生きるためには手段を選ばなかった。

 

 そんなある日、町を歩いているた民を襲おうとしている五人組の男を見かけた。

 今にも刀を抜きそうな勢いでまさに一触即発だった。

『またあいつらや……』

 

『放っておきなさい……』

 周囲からは恐怖の目や関わりたくないという視線を向け誰もが助けようとはせずに脇目を振らずに足早に去っていく。

 

 しかし彼女には助けないという選択肢は存在はしなかった。

 名ばかりでも将軍、力有るものとして外道畜生には落ちたくはなかったからだ。

「そこの殿方。余と遊ばんか?」

 すぐ傍にいた男に着物の隙間からチラリと胸元のものをのぞかせる。

「(はよう行け)」

 その隙に、逃げるよう民に促すとコクコクと頷き走り去った。

「あぁん?こんアマァ!痛い目みたくなかったらすっこんでろ!」

 

「まぁ待て……へへっいい女じゃねぇか」

 首領格であろう大男が身体全体を舐め回すような視線を送る。特に視線が集中するのは胸。

(男というのは……全く)

 大男の手が身体に触れる。太腿から尻へ、ついには胸にまでいこうとする。

「くっ……」

(下衆め)

「グヘヘ~」

 だらしない顔をうかべる男の金的を思い切り蹴り上げると彼女は一目散に駆け出した。

 

 声も出せずに地に伏せる大男は股間をおさえながら地面にのたうち回る。

 仲間の男たちが唖然としている。仲間だけでなく野次馬の町人たちもだ。

「「「お、親分っ」」」

 

「ぐぐぐぐぅ………あのクソ女っ!あいつをつれてこい!」

「「「へい!」」」

 

 

 路地を曲がり暗けた狭い道を進むが男たちはスルスルと通り抜け追ってくる。

「刀さえあれば……」

 いくら剣豪将軍とはいえ得物がなければただの町娘同然だった。

 

 小一時間ほど逃げ回った頃だろうか。とある団子屋に一人の男を見つける。

 

 身なりとしてはかなり奇抜だ。男のように月代でなく、着込む袴や着流しは色合いが派手。だが背負う槍の年季が伺え数々の修羅場を潜り抜けてきたことを物語っていた。 

 

 そして何より雰囲気がそこらにいる素人とは異なり、鋭く強者のものだった。

 

「そこのもの!」

 彼女のよく通る声が響くと男、慶次の背を盾にするように隠れた。

 

「おい、兄ちゃん、背中の女を渡せ。親分をコケにした罪を払ってもらわにゃならんのだ」

 

「そうだぜ?痛い目みたくなかったら早く渡しな!」

 そんな脅し文句を気にも留めず唐突に彼は彼女の髪に触れた。とても優しく、それはもう壊れものを扱うかのように。

 

「っ!」

 

「こいつは俺の女だ。何をしたか知らねぇが手ぇ出すってんなら容赦はしない」

 彼女の手を取ると男は自身の胸元に抱き寄せ、己の身体を片腕で包み込んだ。

 

「!……ぁ!」

 突然のことに目を白黒とさせ艶のある声が出そうになった。

(今の余の声か!?)

 まさかこのような情婦の声が出るなんて思いもしなかった。

 

 

 そして───。

 

 

 

 ゴロツキたちを返り討ちにした慶次の腕の中には彼女が収まっていた。

 

「逃げたみたいだな」

 

「っ!」

 漸く彼女は己の状態に気付く。己の身体が抱き締められていたのだ。耳が、頬が紅潮していくのを感じる。

 

「う、うむ、助かったぞ……その、できれば腕を……」

 

 手を離すとすぐさま距離をとる。

(余の心の臓がおかしくなっておるのか……!)

胸に手を当て、鼓動を確かめる。ばくばくとうるさいくらいに高鳴っていた。  

 

「………じゃあな」

 どこか物かなしい顔を見せ彼女の元を去る彼。

「ぁ………」

 

『そういう意味でない』と手を伸ばし触れようとするが──できなかった。

 勇気がなかったからではない。

 とある部分が痛いほどに脈動し邪魔をしたからだった。

(心の臓が……心が…痛い? なぜじゃ!? まさか余は……あの男を……)

 

 一葉はこの感覚を知っていた。経験したからではなく自身の直感で。

 

 

 

 

 所謂一目惚れだった。

 

 

 



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十七話

赤福様、誤字報告感謝します。


 

 夕焼け空が目立つ時分。やっとの思いで宿を見つけた。

 古めかしい作りだが二階建てだった。

 この宿は宿泊を主としており朝昼晩と食事はでない。ただその分、混浴であるが風呂が入り放題とのことであった。

 

 受付を済ませ仲居に案内された部屋へと入る。

 部屋の中には向かって左手から小綺麗な長机、座椅子、広縁があった。

 

(あぁー。疲れた。今日は早く寝るか)

 月光を頼りに押入れから布団を取り出した。布団に触れただけでここまでの苦労を思い出し、どっと疲れが溢れ出る。

 もう横にさせろとうるさいくらいに震える両足をよそに、ようやく布団を敷き終え、ごろんと横になる。

 

「……疲れたな今日は」 

 ふと頭に将軍さまのことが浮かんだ。

 

 糸のような銀髪に宝石のような輝きを持つ紫の瞳。加えて桜色のぷっくりとした唇と柔らかそうでありながら重力に逆らう大きいメロン。

 画面の向こう側、この世界に生きる人間としての彼女は美しかった。絶世の美女という言葉が一番似合うと思う。

 

(それにしてもだ。なんだぁあの態度は。いやまぁ俺が悪いんだがなぁ)

 あからさまにあのような態度を見せられるのは精神的に厳しい。助けるためとは言え女性をいきなり抱き寄せ、挙げ句の果てに詭弁を弄した自分が悪いのは理解している。

 

 だがやはり原作キャラなのだ。嫌われたかもしれないと思うと如何せんショックだった。

 

(まぁいいか。剣丞の嫁だしな。俺には関係ない)

そう、自分が嫌われても問題はないのだ。

 

 

###############

 

 

 

(雨か) 

 今日は雨がザァーザァーと降っていた。降りしきる雨の音が外から耳に届いていた。

 

 朝飯どうするかと考えながら身体を起こし布団を片付ける。

「……あ、団子あったな。そういや」

 長机に置いた団子の入った小包を手に取り、広縁の椅子に腰掛けた。小包から開いた団子を口に頬張りながら、しばらく外を眺める。

 

 一際目立つ茅葺き屋根。半壊した長屋や民家。

 そして降りしきる雨の中、一人歩く昨日の女性。

 

「将軍さまじゃねぇかよ‥‥‥」

 思わず呟いた。

 その声が聞こえたのか彼女はこちらを見て顔色を変えた。

「そなたはっ!」

 彼女の声の大きさに共鳴したかのように一気に雨の勢いが一気に、穿つように強まった。

 

 地面に強く弾く雨が泥を孕みながら彼女の着物を汚した。

「とりあえず中に入りな」

 

 この宿の家主に『連れ』ということで誤魔化し部屋に招き入れた。

 雨に濡れた髪や服から一粒、また一粒と水滴が垂れていた。

 濡れてしまっている着物は冷え、彼女の体温を奪い小刻みに身体を震わせていた。

 

「風邪ひかせるわけにはいけないな‥‥‥よし風呂にいくぞ」

 

 

 

 

 

 

「ほう……ここが風呂か」

 ガラガラと木製の引き戸を開け、脱衣所に入る。

 格子状に造られた棚に竹で編んだ籠が置いてある。見渡たせば籠が全部空であり、見る限りには誰も入っていないようだった。

 

 戸を開け風呂場を覗けば、広々とした浴室が広がっていた。それに比例するよう浴槽も広く大きい。

(いやこれ戦国時代の技術じゃねぇわ……)

そもそも風呂自体が滅多に入れるものではないのだ。流石、恋姫の世界と言ったところだろうか。

 

「着替えは脱衣場の左上の棚に置いておく。しっかりと温まってきな」

 

「うむ、すまぬな」

 

 余談だが用意した着替えはここの女将さんのお古だ。 服が乾くまでと言う条件で貸してくれたものだ。

 濡れた彼女を見るなり顔色を変えた女将は視線を張り巡らせ。

「よし、ちょっと待ってな」

 小半刻ほど待てば淡い桜色の着物を持って来た。着物から襟首から裾にかけて白い詩集が施されていた袴だった。

 

「あんたみたいなめんこい女子には良い服着せないとね」

 

 

 

 

 部屋に戻りしばらくすると彼女が戻ってきた。

 白い肌が少し上気して赤く染まっていた。

「まぁそこに座りな」

 対面する椅子に座るように促す。

「うむ。……して、そなた名は?」

 腰を下ろすなり開口一番そんなことを口にした。

「俺は前田慶次だ。慶次でいいぜ」

 

「そうか。慶次というのか…‥慶次……ふふっ慶次か……」

 名前を噛み締めるよう何度も優しく呟き、柔和に微笑む。

 

「っ!」

 思わず息を飲んだ。

 彼女の美しさのせいか心臓の脈動がうるさいくらいに耳に響く。ドキドキとなる心臓を落ち着かせるため大きく深呼吸をした。

 

「して。アンタは?」

 

「余は足利義輝、通称は一葉。室町幕府十三代目将軍じゃ」

 

「将軍さまっ!? こ、これは失礼を!」

 慌てて平服するが将軍さまだと知っているため演技である。

 

「良い、そう畏まるな。堅苦しいのは嫌いじゃ」

 

「わ、わかりました、公方さま」

 

「……」

 

 興味のないような物を見る、冷たく薄い目をしていた。

 

「……一葉。これでいいか?」

 先ほどの顔が嘘のように消え失せ満足そうに頷く。

 

「うむ。それでいい」

 

「それで一葉。あんな所で何してたんだ?」

 雨の降りしきる中一人の女性が身体を濡らしている───一葉ほどの美女が興味を持つとなると剣丞のことか、京のことか、はたまたゴロツキ共のことかなど様々な考えが浮かんだ。

「主を探しておった」

 

「は?」

 

「主を探しておった。あのときの礼を言えていなかったのじゃ。改めて礼を言いたい。ありがとう慶次」

 

 一葉はにっこりと笑った。

 それに答えるように慶次は苦笑を漏らしながら言う。

「……ったく。わかってねぇな。男が女守んのは当然。だから礼なんていらん」

 

「ふふっ。そうか‥‥‥」

 一葉は嬉しそうに目を細めた。

 

 

 その後、一葉は自身のこと、幕府のことなど色々な話を話してくれた。後半は殆ど愚痴のようなものではあった。やれ梟が苦手、やれ幽と呼ぶ女性が口煩いなど。

 

「もうこんな時間か。早ぇもんだ」

 いつの間にか雨が上がり、空はスッキリとし綺麗な夕焼けが現れていた。

 

「充実した時を過ごせ余は楽しかった。また共に過ごしたいものじゃな」

 

「はははっ!そりゃ光栄だ。まぁ男どもの視線が痛そうだが……」

 肩をすくめ苦笑を漏らす。実際は嫉妬の視線などこれっぽっちも痛くないだろう。むしろ心地良さそうなものだと思う。

 

「そのような心配せずともそ、そのときは余と‥‥‥」

 少しばかり顔を染め、小声で何かを呟く。

 

「? なんだい?」

 

「べ、別に何でもない‥‥‥慶次、余は帰るとする」

 

「おう。送ってくぜ」

 

「そこまでしなくても良いが‥‥」

 

「俺は男だ。少しばかり格好をつけさせてくれよ」

 とは言うものの、彼の本心は心象を改めるためにも一葉に良い所を見せたいと言う下心だった。

(嫌われてないんならその印象をさらにあげるまでだ)

 

 対して彼女も満更でもないようだった。視線を泳がしながら了承の意を返した。

 

「う、うむ。では頼むとしよう」

 

 

 

 

 一葉の本拠地である二条館の前まで足を運ぶ。 

 目に入る所々朽ちているボロボロの壁。門は立派なものだろうが苔むしているは朽ちているはで中々の有り様だ。

 

「そうジロジロと見てくれるな。これでも余の住まいじゃ」

 肩を竦め自嘲するように笑う。

 

「おお、これは公方さま。お帰りなさいませ」

 いつの間にか後方に一人の女性が立っていた。

 金の髪で片目を隠している彼女はどこか飄々とした雰囲気をイメージさせる。

 さらに目を引くのは大きく開いた胸元。

 腕を組み胸を支え、一層強調されるそれは非常に男の目を奪うものだろう。

 

「して、そちらのお方は‥‥‥」

 

「こやつは前田慶次。余の恩人じゃ」

 

「そうでございましたか、なるほど‥‥‥公方さま、また帯刀し忘れましたな?」

 

「し、仕方なかろう! 忘れてしまうものは!」

 

「仕方なかろう!ではごさいません!あなた様は将軍なのですぞ!少しは自覚を持ってくだされ!」

 

「うぐっ‥‥‥」

 一葉は徐々に小さくなっていく。

 確かに名ばかりとはいえ将軍である一葉。その名前と地位は影響力を持つため何処かの勢力にでも囚われたりでもしたら新たな戦の火種になることは間違いなかった。

 

「前田どの。公方さまを救っていただき感謝いたします。某は細川与一郎幽斎。通称は幽と申します。以降は幽とお呼びくだされ。それで前田どの、幕府から何かお礼を致したいのですが、何分この有り様でございまして‥‥‥」

 視線をを館の方に向けると悲しげな顔をした。

 

「礼なんいらねぇさ。女守んのは当然だ」

 

「おお……」

 彼女はふふと微笑む。心を掴むような素敵なものなように思えたが、どこか一線を引いた笑みだった。

 

「前田どのはお優しい方ですなぁ。ではこうしましょう。万が一前田どのに何かを起きました場合、幕府が後ろ楯につく、いかがでございますかな?」

 

「んー。そう言うのいらないんだがなぁ。まぁうーん。………んじゃあそれでいいわ」

 

「ではその方向で行きましょう。さて公方さま、お仕事が貯まってます故、急ぎ終わらせてしまいましょう」

 

「うむ。ではな、慶次」

 

 踵を返した一葉は二条館へ入っていく。最後に幽はぺこりと綺麗なお辞儀をし一葉を追うように消えていった。

 

 

 

################

 

 

 

「ここが京、ですか」

 

「うーん。ころちゃん、やっぱり地図みてもここであってるよ」

 

「これはまた随分と……応仁の乱以降復興は進んではいなかったみたいですね……」

 上からころ、ひよ、詩乃が言う。

 

 目の前に広がっているのは荒れた土地に家々。いくら将軍の庭といえどこのようなまでに荒れていると誰が考えただろうか。

 

「ここに侍の大将さまが?‥‥‥」

 エーリカ、ルイス・エーリカ・フロイスが疑問を呈する。

 

 それは無理もないことで将軍は日ノ本の頂点に立つ御方。

 そんな方の領地が荒れていれば疑いたくもなる。

「なぁ、久遠。本当にあってるよな?」

「うむ。そのはずだ」

 うーんと唸る剣丞も信じることができずに周囲を見渡す。

「ともかく二条館に向かう」

 

 

 

 二条館目指し歩いていると、もの凄い速さで路地から飛び出て来た何かに剣丞が押し倒された。

「!うわっ」

 

「け、剣丞さまっ!?ひよ!ころ!警戒をっ!」

 誰よりも早く動いたのは軍師の詩乃。

 

 刺客とでも思ったのだろう。

 

 だがこの女性からは殺気などは感じない。むしろ剣丞のことなど眼中にもなくその視線は身を翻した後方に向いている。

 

「はははっ!女ぁ。ここであったが百年目、親分の気分が悪いさかい。さっさと来てもらうでっ!」

 路地から五人組の男が出てくる。帯刀しているが雰囲気から見るに武士だろうが、その佇まいは素人同然だった。

 

「……この刀借りるぞ」

 

 言うや否や剣丞の腰から抜き取った。

「今回はあの男がいないんや。今日こそは……あがっ!」

 

「兄貴!?……っ!」

 

「ど、どないした!?……!」

 

 刀を持つ一葉は次々と男たちを斬り伏せる。

 目に追えない速度で刀を振るい、気付いた時には男たちは倒れていた。

 

「ふむ‥‥‥お主の刀中々の業物じゃな、返すぞ」

 ポイっと刀を持ち主の方へ投げる。

 

「うおっ!?あ、危ないじゃない‥‥‥か」

 抗議の声を挙げるも目の前には先程の女性はいなかった。

 

「剣丞さまっ!お怪我は!」

 

「大丈夫。どこも怪我してないよ」

 彼に手を伸ばし立たせる。

 

「良かった‥‥‥それにしても先程の女性は一体‥‥‥」

 

「綺麗な方でしたね~」

 

「それにあの剣捌き、織田に欲しいですね、久遠さま」

 

「‥‥‥」

 難しい顔をしながら腕を組む。

 思案状態のためかころの声は耳に入ってはいない。

「久遠さま?」

「‥‥‥っ、どうした」

「いえ、あのどこか具合でも?」

「‥‥‥いや。そういうわけではない」

 足早に歩き始め、背を追いかけるように剣丞たちも続いた。

 

 

 

 

 

 久遠たちの目に入るのは荒れ果てた二条館。

 苔むした門に朽ちた塀。 

 将軍の御所とは思えない姿形に一同は言葉を失う。

 

 

 

 沈黙を破るのは久遠。

「‥‥‥中に入るぞ」

 そう言い足を踏み出した瞬間。

 

「おや、何か御用でございますかな?」

 彼女たちの後ろには金髪の女性が立っていた。

 

 

 



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十八話

「「「っ!」」」

 一斉に後方を振り向いた。

 間を置かずにひよ、ころ、詩乃は久遠を守るように前に出る。

「そこまでの警戒はいりませぬぞ‥‥‥ふむ」

 此方を見下したようなそれでいて訝し気な視線を送る。

「なるほど、小大名風を装った方が一名、そしてその護衛が四名に異人さんが一名、ですか‥‥‥なんとも珍しい組合せですなぁ」

 途端にニッコリとした笑顔を見せた。

 

「それで?将軍に拝謁に来られたのですかな?」

 

「そうだ」

 久遠が告げる。だがその顔は険しく彼女、幽を警戒しているように見える。

「‥‥‥手土産は?」

「ある。剣丞、渡してやれ」

「ええ!?で、でもさ怪し‥‥っ」

 

「二度は言わん」

 苛立ちを含んだような声に渋々といった様子で背負っていた麻袋からあるもの取り出す。

「‥‥‥わかった。尾張国長田庄住人、長田三郎より足利将軍家へのご進物目録です。銅銭二千貫、鎧一領、刀剣三振り、どうそ御受け取りください」

 背筋を但し恭しく渡す。

「おお!これはこれは、謹んで頂戴仕る。さすが尾張と美濃に跨がる長田庄の当主。ではお客様方を客殿に案内仕りましょう。ささこちらへ」

 

 幽に導かれるままに二条館に入ると館の中は外面と同じく朽ちていたり変色していたりと将軍の御所とは思えない部分が目立っていた。

「‥‥‥そういえばいい忘れておりましたな」

 唐突に立ち止まると久遠たちの方へ向き直る。

「某は足利将軍義輝さまのお側衆を努めております細川与一郎藤孝と申します。通称は幽と。気軽に幽とお呼びくだされ」

「え」

「どうかいたしましたかな?」

「あ、あぁ。なんでもないよ」

 

 

 

 久遠たちが案内された一室は比較的綺麗だった。

 太陽で少しは変色しているが破れがない障子、未だに新緑を思わせる香りがする畳、極めつけは荘厳な掛け軸だった。

「しばらくここでお待ちくだされ。公方さまにお繋ぎ致す」

「まて。少し貴様に頼みたい。この異人にもお目見えの資格がほしい」

「……これはまた難儀なことをおっしゃる」

 ウムムと唸ると考え込んでしまう。

 援護とばかりにそこに詩乃が付け足す。

「このお方の母は美濃、土岐源氏が末裔、明智の血を受け継ぐ方。つまりは……!」

「分かり申した。では三郎殿の従妹という形で昇殿を許しましょう。どうでございますかな?」

「構わん」

「では少しばかりお待ちくだされ。準備ができ次第お呼び致しまする」

 優雅に一礼をすると部屋から出ていった。

 

 

 

 小一時間ほど久遠たちは彼女、幽について話していた。

 先程のやり取りについて引っ掛かる部分があったからだ。

「やはりあやつは喰えんな」

「そのような見解で間違いないかと。尾張と美濃に跨がる‥‥‥あの方は久遠さまのことを、織田のことを知っているような言動をしていました。それにあっさりとエーリカさんの拝謁を許した……私たちの共通認識として警戒はしておいたほうが良いかもしれません」

「久遠さまの従妹、ですもんね。かなり強引に感じましたよ」

「敵対だけはしたくない人ですね」

 結論は油断のならない人物、というものだった。

 

「ごめん。俺には何が何だか……」

 教えてくれと詩乃を見る。

「す、すみません。私にも何が何だか……ですが母のお陰で拝謁が許されたのですね。それだけは分かります。久遠さま、ありがとうございました」

 ペコリと綺麗に頭を下げる。

「構わん……それよりも剣丞。偽とはいえ我の夫だ。もう少し学をつけたほうが良いぞ」

 その言葉にエーリカを除いた四人が一斉に首を縦に振る。

「剣丞さまには教えることがたくさんありそうですね、全く骨が折れそうです」

 嗜めるように言う詩乃はどこか嬉しそうだった。

 

 

 そこからさらに時間が経ったが幽は未だにやって来ない。どうしたものかと話していると

「‥‥ぁ‥‥ん」

 壁を一枚隔てた隣室から小さな声が聞こえてきた。

(俺たち以外にも来ている人がいるのか?いやそれよりもこの声‥‥‥)

 どこか艶を感じさせるその声は聞き覚えがある。剣丞の伯父、北郷一刀の部屋から毎夜毎夜聞こえる声に酷似していたものだったたからだ。

(いやいやいやいや!まさかこんなところでヤるわけないもんな。うん勘違いだ勘違い)

 自分考えは間違っている、というように首を振る。

 

「なぁ詩乃」

「どうかしましたか?」

「さっきさ隣から変な声聞こえたよな?」

「変な声というのがどうゆうものか分かりませんが何も聞こえませ‥‥‥‥っ!」

「‥‥‥そこは‥‥‥‥ぁ‥‥‥んっ!」

 詩乃の声を遮るように声が聞こえる。

 先程よりも大きい声だが残り四人には聞こえていないようだった。

 

「‥‥‥‥‥」

 氷のように固まってしまう詩乃。

「け、剣丞さま‥‥‥」

「う、うん。たぶんアレだと思う」

「ッッっ!」

 一気に顔を赤くしてあからさまにたじろいでしまう。

「どうした二人とも。顔が赤いぞ」

 二人の様子が気になった久遠が尋ねる。

 

「い、いや」

「ぁぅ‥‥‥‥」

 二人は隠そうとしたわけではなかった。

 いきなりのことに思考がついていかないだけだった。

 だが不運なことにそれは何かを隠すように捉えられる。

 ましてや顔が赤い分余計にである。

 そのため久遠、ひよ、ころは聞き出そうと根掘り葉掘りに問い詰めようとするが───

「お二人は何か人に言えないようなことでもしたのですか?」

 久遠たちの気持ちを代弁するようにエーリカが尋ねた。

 

 

 

「「「「‥‥‥‥‥」」」」

 四人は事の次第を聞き顔を染める。

 

「………」

 微動だにしない久遠。

「ころちゃ〜ん……」

「ひよ〜……」

「……」

 彼女たちとは裏腹に険しい顔を見せるエーリカ。

 彼女らしからぬその顔には一抹の希望が見え隠れしていた。

 それもそのはず、彼女はこんな場面見たことがなかったからだ。

 

 

 

side out

 

 久遠たちの隣室では一人の男が女性の背中に馬乗りになり身体に触れている。しかしそこに殺伐とした空気は存在しない。寧ろ竹馬の友のような和やかな雰囲気があった。

 黒い髪に筋肉質な体つきの色男と絹のように真っ白な髪に世の女性が羨むほどの抜群なスタイルを持つ美女。

 前田慶次と将軍足利義輝、この二人は現在二条館にいた。

 

「ふぅ〜中々上手ではないか。天にも昇るような気持ち良さじゃ」

 恍惚とした顔を浮かべる彼女の身体は脱力し慶次にされるがままだった。

「将軍ってのは色々と大変らしいな。かなりこってんな……」

 大きな手で優しく肩を揉みほぐす。

 指圧を組み合わせさらなる快感を彼女に送ってゆく。

「……ん……」

 時々耳に入る艶のある声が慶次の色情をほんの少しずつ刺激していった。さらには女性特有の香りがその刺激を助長する。

(む、息子が……ほんっとに節操がねぇな)

 自嘲的な苦笑を漏らしながらも肩に掛かる手を強くしていく。

「ぁ……そこ……」

 身体を張らせると一気に脱力する。

 

 

「お姉さま……」

 障子の外から声が聞こえると光沢のある黒髪が特徴の少女が部屋に入ってくる。

 彼女の名前は足利義秋、一葉の妹である。

「あ……慶次さま。こちらにいらしたのですね」

 チラりと慶次の手に目を向けると一瞬だけ泣きそうな表情を見せる。

 そんな双葉に気付いたのか慶次は右手で一葉のとなりに来るように合図をする。

「双葉か、よし。こっちにきな」

「はい!」

 優しく呼び掛けると花が開いたような笑顔を見せ、一葉の隣に同じようにうつ伏せになる。

「こうで、よろしいのですか」

「おう。んじゃいくぜ?」

 一葉とは一周りも二周りもちがう身体は思った以上に女性としての柔らかさが存在していた。

「……ぁ……っ!」

「ッ!すまねぇ双葉、痛かったか?」

 違うと否定するように首を振る。

「その……き、気持ちが……」

「な、なるほどなあ」

 

「慶次ー……余にはないのかー」

 拗ねた口調で呼ぶ彼女はいつも見る泰然自若な態度とは違いしおらしくなっていた。

「悪りぃ悪りぃ」

 右手で双葉の肩を、左手で一葉の肩を。

 まるで両手に花であった。

 

 

小一時間後。

 

 

「お姉さま……癖に……なりそうです……」

「全く……じゃ……慶次のは、癖になる」

 二人揃って恍惚とした表情を浮かべていた。

 熱く濡れた目に上気にした頬、何かいけないことを連想させた。

「ハハハッそれは大袈裟すぎねぇかい」

 笑う慶次だがされた本人たちからすれば天にも昇るような気持ち良さだった。

 

「お取り込み中申し訳ありませぬ」

 障子が開き幽が部屋に入ってくる。

 そのまま一葉の隣まで歩くと静かに腰を下ろした。

「一葉さま、双葉さま。お客人が拝謁を申し込んで来ております。急ぎご支度を」

「……狸ではあるまいな?」

「尾張と美濃を治める者かと」

「……分かった。双葉」

「はい、お姉さま」

 慶次を置いたまま部屋から出ていった三人。

 部屋には彼一人が残された。

 

「尾張と美濃を治める者、ねぇ」

 幽の言葉を頭の中でも反芻する。十中八九久遠のことだ。

「まぁそれはそれだ。なるようになるだろうな」

 畳みに寝転びただただボーッとしている慶次の目は段々と細くなっていく。

 いつからか部屋には規則正しい寝息が広がっていた。

 

 

 

「ふわぁ~あ。寝ちまったのか」

 身体を起こし軽く伸ばす。

 ポキポキと耳当りの良い音が鳴り長い時間寝ていたことを物語る。

 

 

 

『剣丞さま〜なぜ鼻の下を伸ばしているのですか〜』

(久遠嬢たちか。お目見えは……)

 この緊張感のない空気から察するに目的は達したのだろう。

 

 障子に耳を当て隣室の動向に注意を向ける。いわゆる盗み聞きだった。

 

ゴツンッ!

 

 殴るような重く鈍い音が響く。

『あだっ!?ち、違うんだ!詩乃!わざとじゃなくて』

(詩乃に剣丞か……っ)

 夫婦のようなやり取りに苦笑を漏らしそうになるがグッと堪える。

 

『詩乃。その辺にしておけ。それと金柑、剣丞を離してやれ』

『……そうですね』

『ご、ごめんなさい……私ったらなんてはしたないことを……詩乃さん、本当に申し訳ありませんでした』

『い、いえ。エーリカさん頭を上げてください!悪いのは剣丞さまですから』

 エーリカという単語に身体を震わせる慶次。

 彼が一番に警戒している人物だからである。

 

『そ、それより久遠。そっちの女の人は‥‥‥ってさっきの』

『うむ。世話になったな』

 声色から察するに将軍である一葉だった。

 

『なんだ、知り合いなのか。なら話は早い。我は幕府と同盟を結ぶことにした』

『久遠さまっ!?なにをおっしゃって』

 

 

『一葉』

 

 なぜ久遠が一葉のことを知っているのか。

 実は慶次が熟睡している頃、怖いもの知らずの久遠は将軍である一葉にお目見えを許されたのだ。そこから通称で呼び合う仲になったのである。

 つまり相手を認めたことの証だった。

 

『わかっておる……みな、余の名は足利義輝。通称は一葉、気軽に呼ぶといい。名ばかりだが将軍じゃ』

『しょう!?』

『ぐん!?』

『さま!? 』

 上から順にひよ、ころ、エーリカが驚愕の声を発する。

『しょ、将軍さま』

『余は堅苦しいのは嫌いじゃ。もっと砕けても良い。……話は変わるが盗人のような奴は余は好かん。のぅ?久遠』

『うむ。何者だ、そこに居るもの』

 鋭い声がとある障子へと掛かる。

 障子越しに慶次は聞いていたが───まさか自分に言っているなどとは微塵にも思ってはいなかった。

(盗み聞きとは洒落たことをするやつだ。まぁ人のことは言えんけどなハハハ)

 

『ふむ、出てこぬか。幽』

『いやはや公方さま。あの方をお忘れですぞ』

 ボソッと小声で呟き障子に手を掛ける。

『剣丞』

『わかった。ひよ、ころ一応準備はしておいて』

『『……コク』』

 剣丞も幽と同じく手を掛けた。

『準備は良いですな』

『うん』

 

ガタンッ!

 

「うおっ!?」

 二人が一斉に障子を開くと一人の男が転がるように入ってきた。

 

「「「……」」」

 部屋にいた全員の目が点になった瞬間だった。

「あ~痛ってぇ……」

 さして痛くもないであろう頬をさすりながらも一言。

「ん?なんだお前ら。俺の顔に何か付いてるかい」

 ニカッと笑いながら言った。

 

 

 

 

 



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十九話

釜玉うどん大盛り様 誤字報告ありがとうございます。

かぶきものについては私の考えです



 

 慶次はここに来るまでの経緯を述懐した。

「なるほど。それでここにいるわけか」

 

「あぁ。まさか路銀が切れるなんて思いもしなかったからな。借りを返すってわけでここに居させてもらったわけだ」 

 何が可笑しいのか慶次は大きな目を細め、豪快に笑っていた。

 つい先日のことだったらしい。宿に泊まっていたのだが食べ歩きをしているうちに銭袋が空になってしまい、代金を払うことのできない慶次は女将に、宿を追い出されてしまい、身一つの状態になってしまった。そして路頭に迷いつつあった彼に救いの手を差し伸べたのが一葉だった。

「……ならば余のところに来ぬか?」

 

 粗方、慶次の話を聞き、久遠は頷いた。改めて腕を組み直すと慶次を見る。

 彼の傍らには満面の笑みを浮かべる一葉がいた。

「おい。なぜ隣に一葉がいる。それに近いぞ。は・な・れ・ろ!」

 

 久遠は一葉を引き離そうとした。

「な、なにをする久遠!」

 

「うるさい!慶次は我が先に……」

(先にっ! ……!!?)

 心の中で続こうとした言葉に思わず言葉が詰まった。 

「先に? なんじゃ?」

 悪戯っ子のような笑みを浮かべる一葉。この状況を楽しんでいるらしく、ますます慶次にくっついた。

「ううぅ……さ、先にぃ‥‥‥」

 言葉を途切らせながら、恨みがましい目を向けて、同時に目尻に光る涙が溜まっていった。

 ついに見ていられなくなった慶次は助け舟を出す。

 

「おいおい、いじめないでくれさ。俺の主なんだ」

 

 

 

 それから半刻が経ち、一葉たちは来客のために退出することになる。それに伴いお側衆の幽もついていく。

「久遠。これからよろしく頼む」

 去り際に、一葉は久遠に向かって、言葉をかけ、久遠は了承するように頷いた。

「うむ。こちらこそ」

 

 続き、一葉は慶次に視線を向けると微笑んだ。

「ではな慶次」

 一言告げ、部屋を出ていった。

 

「色男殿は大変ですなぁ」

 幽は含みのある笑顔を見せながら、呟いた───ぴかーん。慶次の悪癖が発動してしまう。

「嬉しいねぇ。アンタみたいな美女に言われるとは今日はついてる」

 

 一瞬、驚愕の表情を浮かべるがたちまちに消えた。

「……おやおや。そのように取られてしまいましたか」

 腹に一物でも抱えてそうな言葉を残し、一葉たちを追うように、この場を去った。

 

 

 

 

####################

 

 

 

 京での情報収集と謁見を無事に終えることができた彼らは美濃への帰路についていた。

 

「はぁ~堺といい、京といい色んなことがあったなぁ」

 馬に揺られながら青い空を見上げる剣丞はそんなことを口にした。

 

「そうですねぇ~。まさか生きているうちに公方さまのご尊顔を拝めるとは思っても見ませんでした」

 元々野武士の棟梁だった転子からすれば身分一葉に会えたことが驚くべきことであり誇れることでもあった───らしい。

 

「それに妹君にも会うなんて考えなかったよねー」

 

「ですが幕府と繋がりを持った以上、織田の動きも変わってきます。気を引き締めなければなりませんね」

 

「そうだな‥‥‥それより剣丞」

 

「んー?」

 間延びした声で返事をする。

 

「確か浅井のところに寄りたいという話だったが、いかにする?」

 

「そうだなあ……」

 剣丞は暫く腕を組みながら熟慮していると、唐突に口を開く。

「……一度は挨拶しておこうかな。偽物とはいえ夫なんだし」

 

「ならば少し寄り道をするか」

 

「ではここより北上し、小谷を目指しましょう」

 剣丞の提案により織田のもう一つの同盟相手、浅井の居城である小谷城に向かうことになった。

 

 

 

 

「ふわぁ~あ。浅井に行くのか。何日くらい滞在するんだ?」

 大きなあくびと共に今まで話さなかった慶次が入ってくる。

「うむ。五日ほどを予定しているが……何かあるのか?」

 

「特にはない。まぁ、久し振りにあいつらと会えるからな」

 

「なるほど。市と眞琴は慶次のことがお気に入りだったからか」

 

「そういうことだ。しっかし土産でも買ってこれば良かったな……」

 ため息と共に知っていたらなぁと慶次は思った。いや原作として知ってはいたのだが、連日の出会いにより、すっかり頭から抜け落ちていた。

 

「実はですね……慶次さま」

 ひよが待ってましたとばかりに自分の麻袋をごそごそといじるとある物を取り出した。

「じゃーん!お土産買ってきましたー!!」

 ひよが取り出した物は金属製の手袋のようなもの。所謂格闘具である。

「ははーん。やるじゃねぇかひよ」

 感嘆の声を上げてひよの買ったお土産をまじまじと見つめる。

 

「市が好きそうな形だ。これは喜ぶな」

 

「ですよね!ですよね!いつも使っているものの最新版を買ってきたんですよ!」

 

 二人が市の土産で盛り上がっている中、剣丞は問うた。

 

「久遠。あれってさ手にはめるやつだよね?お市ちゃんってどんな子なんだよ?」

 

「市は活発な娘でな。子供の頃はよく壬月や慶次を相手にして暴れ回っておった子だ」

「ええ!?壬月さん相手に?ってそうか子供の頃だもんな二人とも手加減してるよな。驚かさないでくれよぉ久遠」

 

 ハハハと茶化すつもりで笑い飛ばした。

「いやガチだぞ」

「……へ?」

 至って真剣な表情で言われ、素っ頓狂な声が出る。

「二人ともいつもの数倍は真剣になっていたな」

 

 だんだんと顔が青ざめていきついにはボソボソと「漢女な姉ちゃん」、「ぶるぁぁぁぁ!」などと呟き始めた。

 

「け、剣丞さま!?」

 

「ひよー!剣丞さまが!?」

 詩乃と転子が剣丞を介抱しながらも道中を楽しみながら一行は小谷への歩みを進める。

 

 しばらくの間馬に揺られていると小谷城が見えてきた。

 

「あぁ……美しい。山々を覆う鮮やかな緑の中慎ましげに姿を見せる城館はまるで海に浮かぶ小舟のような──」

 

「山の斜面をうまく使い、曲輪同士の連携も取りやすくなっている……無骨ながらもどこか匂い立つ美しさ。まさに戦乱の申し子と言っても過言ではありませんね」

 エーリカと詩乃が小谷城の姿に感嘆の声を上げる。

 

「城が見えたな……ひよ、ころ。小谷への先触れに向かえ。我らはゆるゆると馬を打たせてゆく」

 

「わかりました!」

 

「いこっか。ひよ」

 二人は馬を走らせ小谷へと向かった。

 

 

「小谷に到着すんのは夕暮れ時か」

 久し振りに彼女たちに会えると思うと柄にもなく心がざわめいてくる。我ながらかなり彼女たちに染まっているようだ。とは言え、男女の気持ちではない。親戚に会うかのような感覚だ。

(何年振りだろうな。二、三年は会ってないはずだが……)

 そんなことを思い出しつつ、馬を打たせ、小谷へと歩を進めた。

 辺りが薄暗くなり月が空に昇っている頃だった。

 水田の奥の畦道、そのまた奥に一瞬だが赤く光る何かを慶次は捉えた。

 

(鬼か……)

 

慶次はちらりと久遠を横目に写す。いつもと変わらない表情だ。だがこころなしか口元が弛んでいる気がする。

(ま、久方ぶりに家族に会えんだ。当たり前か)

 なら自分一人で鬼を討伐しに行ったほうがいいだろう。せっかくの邂逅にわざわざ水を入れることもない。

(黙っておくか……)

そう決意するや慶次は久遠を呼ぶ。

 

「……久遠嬢。少し用を足してくる。先に行っててくれ」

 

「うむ。わかった。なるべく早く戻るのだぞ」

 

 久遠たちの姿が薄れてゆくのを目認し、件の場所へと向かった。

 

 月明かりで照らされる森の中にはやはり、鬼がいた。数は多く見積もって五十と少しと言ったところだ。

 目は爛々と怪しく光り、口から絶えまなく唾液が垂れ続け明確な殺意が伝わって来た。

 

 ニィと薄い笑みを浮かべた慶次はポキポキと指を鳴らす。

「久々だなあ……」

 呟きとともに背負っている槍を手に取る。

 

 思い切り地を蹴って、突撃した。

 

 鬼対慶次。奴との戦闘は───いや戦闘とも言えない蹂躙は呆気なく終わりを迎えた。

 辺りには血と共に無惨な鬼の亡骸が転がる。

 鬼と言えど、ここまで弱かったのだろうか。ふと、疑問に思った。

 

 なんせ鬼は人よりも遥か凌駕する肉体能力を持っている。槍を一凪、二凪するだけでこうもたやすく地に倒れるわけではない。それこそ、一般兵三人で漸く対処出来る。

 

 そこまでの思考に至り、ようやくとある答えが導き出せた。

 

(……もしかしておれってかなり強い?)

 

 そう。強いのかもしれない。桐琴とも渡り合える武を慶次は持っていると自負出来る。仕合いではおそらくは手加減をしていたであろう桐琴だ。だがそれはこちらとて同じだ。

 

(と、なると、かなりの展望が見えてきたぞ……!)

 桐琴を救うことが出来る───やっとだ。やっと救えるかもしれない。

 有頂天になった慶次は思わず笑いをこぼしそうになった。

 

(って。いまそんなことよりも小谷にいかねえと……!)

 時間はそこまで経ってないがやはり、遅れると言うのは悪いものだ。そして何よりも恥ずかしい。

 謂わば授業中に一人の生徒が教室に入ってくるようなものである。勿論、生徒は自分。クラスメイトから受ける視線はこの上なく居たたまれないものだろう。

 

 そんなことを思い出しながら、慶次はいつもよりも軽い足取りで、駆け出そうとした。

 

 そのとき、自分の状態に気付き、立ち止まる。袴についた返り血が慶次の身体に気持ちの悪い感触を与えている。

 

「きもちわるっ!」

 思わず口に出てしまった。

 『一刻も早く流したい!』と慶次はたちまちに考え、足早にその場を後にした。

 

 ほどなくして、小谷城の全貌が見えてくる。

 篝火や松明が掛かっている城門前には人影が見える。長い後ろ髪を一つに纏めたボブカットの少女、浅井長政こと眞琴だった。

 

 浅井眞琴長政───彼女は『江北の小覇王』と謳われる浅井亮政の孫であり浅井家三代目当主である。

 二代目当主であり母である久政の当主の座を強引に継いだ彼女は類い稀な才能の如何なく発揮。

 近江を見事六角氏から奪取した。

 その後、六角氏はお家騒動もあり停戦という形で和睦を申し込まれ、戦闘行為は以後起こってはいない。

 

(眞琴か?いやぁ成長したなぁ)

 身体付きといい、雰囲気といい、様々な部分が成長したように思える思える。何より纏う雰囲気が一段と変化していた。

 

「おう!眞琴。久し振りだな!」

 

 片手を軽く上げ挨拶を送る。

 眞琴は薄暗くても分かるほどに顔を輝かせると慶次の元に走り込んで来た。

 

「慶次さんっ!」

 すぐ目の前に眞琴が見えたとき、両うでを思い切り広げ、慶次に向かってダイブしようとした。

「おおっと。待て待て」

 

「そ、そんな。ど、どうして? 慶次さん……」

 ガックリと肩を落とし、構ってもらえない子犬のような表情を浮かべた。

 だがきちんとフォローをする。

「そんな顔すんなって。後で好きなほどやらせてやるから」

 

「ほ、本当ですか!? 約束ですよ!………慶次さんっ……!? ど、どこか怪我を!?」

 慶次が返り血で染まっていることにようやく気付き、声を上ずらせた。

 

「これは返り血だ。実はな……鬼が出たんだ」

 

「っ!そんな……まだ小谷には……いや考えても仕方がない。慶次さん、鬼が出た場所を教えてください。兵を向かわせます」

 

 さきほどとはうって変わり、浅井家当主として表情だろうか、凛々しく勇ましい顔に変わる。

「ここから少し行った所に畦道があるだろう?その奥の森だ。と言っても鬼は全部殺したから大丈夫なはずだがな」

 

「うわぁ! 流石慶次さんです! ありがとうございます。浅井家当主として礼を言わせていただきます」

 ペコリと綺麗なお辞儀をした。慶次が見た過去の眞琴とは大違いな彼女の姿に、今までの努力が垣間見えた。彼女の過去を知っている分、なぜか慶次は誇らしく思えていた。

(頑張ったんだな。眞琴)

 

「つきましては何か褒美をと思うのですが」

 

「褒美か‥‥‥ならその褒美に風呂に入れさせてくれ。あー勿論無理にとはいわんが」

 

 途端に眞琴は顔を染め上げた。

「お、おおおお風呂ですか……わ、分かりました。此方へどうぞ」

 真っ赤になった眞琴に疑問を抱きつつ、先導されるがままに風呂場へと案内される。

 

 

 

 

 

────────────────

 

エーリカside

 

 

 ”前田慶次”

 

 最初にその言葉を聞いたとき言葉が出なかった。

 今までの外史の中でその名前は聞いたことがなかったからだ。

(おかしい。あのような人はいなかったはず)

 正史では何度もその名前を聞いた。

 いくさ人、かぶきもの、彼を形容する言葉はたくさんあったからだ。

(もしかしたら……)

 私の役目が終わるかもしれない────永遠と続くこの呪縛から解き放たれることができるかもしれない。

 ほんの僅かだが希望が生まれた。だがそれでも今までの経験を思いもしなかった出すとそんな考えは甘いと言わざるを得なかった。

 

(‥‥‥一人増えたからと言って私が消えることには………)

 そう考えると希望を心の底に押し込め意識を切り替えた。

 

 

 

 

────────────────

 

 

双葉side

 

 今日も私は自室で書物も読み漁る。

 しかし珍しいことに書物の内容は頭には入って来ない。

 理由は簡単。別のものが頭の中を支配していたから。

 

(どうしたら私もお役に立てるのでしょうか)

ぺらぺらと頁をめくり内容が進みつれ考えも深くなっていく。

 

(何かできることは……)

 幕府の財政事情は厳しい。

 だから侍女も少なく小姓や幽に負担を掛け続けてばかりだった。

(お姉さまは何もしてはいらっしゃらないけれど将軍という地位が。それに比べ私は……)

 将軍の妹、意味のない肩書きがありただそこにいるだけの存在。

 だから何かお役に立ちたいら少しでも負担を減らしたいと常日頃思っていた。

 

(!お料理のお手伝いがあったはず)

 思い立ったら吉日ということで早速お台所に向かう。

 

 

 

「あの私に何か手伝えることはございませんか?」

 一瞬ハトが豆鉄砲を食らったような表情を見せる侍女。

「ふ、双葉さま。いけません。ここは私たち下々の者に任せてくれれば良いのです」

 

「で、ですが」

 

「そのお気持ちだけで私は報われますから」

 最後まで紡ごうとした言葉は彼女に遮られる。

 だがどうしてだろうか。にっこりと微笑むその顔は満ち足りたように写った。

 

 

 

 次に向かった場所はお洗濯所。

(ここでなら大丈夫、ですよね)

 

「あの、何か手伝えることはございませんか?」

「ふ、双葉さま!?」

 先程の侍女と似た顔模様を浮かべていたがたちまち、いつもの表情に戻る。

「しょ、将軍さまの妹君で在らせる方にそのようなことをする必要はございません。ここは私たちにお任せを!しっかりと努力させていただきます!」

 

「ですが……!」

 

「そのお気持ちだけで十分です。私たちのような者に気を掛けて頂けるなど他の家では到底ありませんから」

 

「そう、ですか……」

 

 

 その後、空が夕暮れで赤く染まるまで何ヵ所か行ってはみたものの全てが失敗に終わった。

 

 夕暮れの太陽が双葉を照らす中、独り縁側に腰掛け虚空を見つめる。

(私にはもう何も……)

 残っているものはないのかもしれない。ただ存在するだけで意味のないもの。

「………グスッ」

 自分がひどく惨めに思え自然と目尻に涙が溜まっていく。

 

 

 しかしそんな時に出会った。

 

 

 優しさで包んでくれる殿方に。初めて心を乱された殿方に。

 

「おいおい、どうした嬢ちゃん。何泣いてんだ?」

 

 後ろから声をかけられすぐに涙を服袖で拭う。

「泣いては、泣いてはいません」

 知らない人に涙を見られることが恥ずかしくつい見栄を張ってしまう。

 

「ハハハッ!そっかあ。まぁそういうことにしとく。それでなんか悩み事でもあんのかい? 話してみな。楽になるぜ?」

 私のすぐ傍に腰を下ろし語り掛けるように問うてくる。

 涼しげな切れ長の目が私を写した。

 引き込まれそうな黒い瞳はとても美しく心の臓がどきっと激しく音をたてた。

「……っ!」

 

「怪しいやつじゃねぇさ。俺は一葉の知り合いでな。今日は遊びに来たんだ。ほら話してみなよ」

「……」

 彼の優しさに甘え今日のことを話してしまった。

 たったいま出会ったばかりなのにどこか親近感を覚える殿方に全てを。

 

 

 

「なるほどねぇ」

 

「私は少しでも侍女たちのお役に立ちたかったのですが……」

 全てが失敗に終わってしまった。

 

「お前はすごいやつだな」

 

「え……」

 

「普通のやつはそんな事をしねぇさ。だがお前はそれをした、ちゃんと彼女たちを人として扱ってる証拠だ」

 

「‥‥‥」

 

「それに役になら立っているぜ? 彼女たちからすれば自分の主の妹君から声を掛けられたんだ。自分の仕事に責任をもってより一層励むだろうな」

 私は役に立っていたのだろうか。彼の言葉通りなら侍女たちの言葉は感謝を表していたのだろう。

 そう理解した刹那、なんとも言えないむず痒い感覚が襲ってきた。

 

「何か困ったことがあったら遠慮なく俺に言いなよ」

 頭に軽く触れると優しく撫でてきた。今まで味わったことのない未知の感覚。

 しかし嫌なものではなく寧ろもっと感じたいと思えた。

 

 自然と頬が弛む。

「……」

 

「良い顔だ。一葉、出来た良い妹じゃねぇか」

 彼がそう呟く一人の女性が柱の陰から姿を現した。

「余、自慢の妹だからな。当然じゃ」

 

「お姉さま!」

 お姉さまはこちらに歩み寄り、同じように頭を撫でてくれる。

 しかし彼の時のような感覚は生まれなかった。

「双葉。この男は前田慶次。余の恩人じゃ」

 

「恩人って。大袈裟すぎるっての。‥‥‥俺は前田慶次。慶次って気軽に呼んでくれよ」

 

「前田、慶次……さま」

 噛みしめるように呟いた。

 同時にまたも心の臓が飛び跳ねるように脈動する。

「わ、私の名前は足利義秋。通称は双葉と申しますっ!」

 

「双葉か。わかった。それよりも『さま』付けはやめねぇか?」

 

「いえ。お姉さまの恩人であり私の恩人である方を呼び捨てにするなど到底できるものではありませんから」

 

「そ、そうか。なら仕方ねぇな」

 困惑した表情を見せ、大きな手を差し出して来る。

「なら、改めてよろしくな」

 しっかりと私の手を彼は握る。何倍もの大きさの手はゴツゴツとしていて今まで触れたこともない殿方のもの。

 ドキドキと脈動を繰り返す心の臓を必死に隠すために笑顔を作った。

「はい! こちらこそ!」

 この時の笑顔は作り物とはいえ最大級のものであったに違いないと思う。

 

 これが慶次さまとの初めての出会いだった。

 

 

 

 

 

───────────────

 

 

 

 

「ろ、路銀がない……だとっ!?」

 借りている宿の一室で、慶次は大きな銭袋を覗きこみながら、驚愕の声を上げた。

 もしかしたら少しでも入っているかもと、慶次は銭袋を逆さにしたが、塵一つ落ちて来なかった。

「うっわぁ。やっちまったか、これは」

 思わず頭を抱えた。

 今日だ。今日が宿代金の支払う日だ。ここにお邪魔してから、数日。適当な理由を付けて、宿代を先延ばしにさせてもらっていた。

 

 本当にくだらない適当な理由で先延ばしにさせてもらっていたのである。

 

 自分も男だ。欲ある。そしてそれは定期的に発散しなければいけなかった。

 つい先日だった。己の欲を鎮めるために町に繰り出した慶次はその何かを探し求めた。

 

 何とはすなわち───女性であった。

 

 そして数刻かかり、やっとのことで町外れに水商売の女性らしき人物を見つけたのである。

 

 だがその女性は様子が可笑しかった。

 もとより、戦国時代というのは貧乏生活が庶民の一般だ。痩せこけた人はいつでも目に入っていたし、着込む服などはボロい麻服がほとんどだった。

 

 しかしその女性は服は破れかかったものを着込み、色々な部分が見えそうなほどのぼろぼろな装いをしていたのである。

 加えて子供を二人も抱えていた。子供たちの服装は大丈夫ではあるが幼さが目立つ顔には元気がなく、萎れていた。

 

 彼女の傍を通りかかったとき、微かな声が耳に入った。

「……ぉ」

 

「ん?」

 

「お、お侍さま」

 女性は、母親であろう彼女はそう、慶次のことを呼び止めた。

 

「あ、あの。少しでいいんです! お恵みをくださいませんか。子供たちだけにでも……」

 女性は助けを求めるかのような瞳で、慶次を見る。

 

「はーん。なるほど……」

 ざっと女性を眺める。

 顔色が少し優れておらず、口唇の色合が若干悪い。そして茶色く、土で汚れたであろう、ぼろぼろの服装だ。

 慶次の舐め廻すような視線に気付いたのか女性は一瞬、若干顔をしかめ、慶次から視線を外す。

 女性は覚悟したかのようにもう一度慶次に視線を戻した。そして腰を屈めて、膝や手を地につけ、最後に頭を下げた。

「その………私の身体はどう扱っていただいても構いません。ですが、ですが子供たちだけでも……!」

 

「……!」

 彼女の姿に、慶次の心は打たれた。自己犠牲にしてでも子供を優先する───尊い母親の思いを慶次はそのとき垣間見た気がした。

 

「……わかった……だが身体はいら……!?」

 そのときだった。突然、慶次は背中に物凄い衝撃を受けた。 前につんのめるがどうにか踏みとどまる。慶次は『何が起きた!?』と身を翻した途端。

 

「おっかぁにっ! 手を出すなぁ!!!」

 

 一目見た限り、十五、六と思わしき少年が腹部に蹴りを入れてきた。咄嗟のことに反応出来ずに慶次は思わず膝をつく。

 

 その瞬間から殴る、蹴るの嵐がやってきた。何十にもお見舞いされる連撃に慶次は地面に身を倒す。だがどうにも痛みは感じない。

 

(───どうしてこんなことなってんかなぁ……)

少年にひたすら蹴られながら慶次は思案した。

 

「おっかぁ! 逃げてっ! こいつは俺が……!」

 

「違うのよ! やめなさいっ!! 」

 

「なんでっ! こいつはおっかあのことをっ!!……!」

 

 (あー。そういうことか)

 合点がいった。

 さきほど女性がした行為を自分が強制させていると、偶然にも少年の目には写ったようだ。

 

「早くやめなさいっ! その方が死んで……!」

 

「いいんだ! こんなやつ!」

 それから小半刻の間、慶次は殴られ、蹴られ続けていた。

 途中、女性が止めに入ろうとするが少年はやめようとはしなかった。

 

「はぁ……はぁ」

 少年の行為が終わりを迎えるころ、大きく肩で息をしながら最後にありったけの力を込めたのか、思い切り足を後ろに引きながら、慶次を蹴ろうとした。

 

「……気はすんだか?」

 

「っ!!……なんで」

 

「なんでって。死んだとでも思ったのかい」

 

「こ、このっ!」

 少年はまたもや殴りかかってきた。

 慶次は突きだされた拳を難なく受け止めると女性に目をやった。

「おいアンタ、ちょっと説明してくんねぇか。このままじゃあ埒が明かねぇ」

 女性は慶次の言葉を聞いていないのか呆然としたままだったが、たちまちに返事を返した。

「……は、はい」

 

 女性はさきほどのことを少年に述懐する。どうやら慶次の予想通り、勘違いだったようだ。

 少年は顔色をとてつもなく青くしながら慶次に謝罪を繰り返した。

「すいませんでした! 俺のはやとちりで……」

 

「いいさ」

 

「し、しかし……」

 少年は慶次へと視線を向けながら、着流しへと視線を移した。慶次の着流しは裾や襟首が土で汚れていた。だが元々は派手な着流しであるために、そこまで汚れは目立たない。加えて慶次としても気になる汚れではなかった。

 

「……さぞご高名のお方と存じます。その、俺の命でよければ……」

 

「だめよ! ! お侍さま、全て責は母である私にございます。ですから命を取るのであれば私目のを……」

 『何卒……ご容赦を』と女性はさきほどのように地に頭をつけた。

 

「おねがいしましゅ。お侍さま」

「かかとにいちゃをゆるしてくだはい」

 二人の幼い子供たちも母を真似た。

 

 慶次は腰を屈めた。

「おいおいおい。俺は頭を下げてほしいわけじゃねえ」

 

「で、では俺はどうしたら……」

 頭を上げた少年は視線を泳がせた。

 

「おまえの母は凄い女だ」

「へ……」

 唐突な慶次の言葉に少年は呆気のない声を出した。

 

「自分のことでなくお前ら子供たちを優先してんだ。それに、そのやぶれかけた服もだ。おそらくは自分で破って売ってたりしてたんだろうな」

 どうやら少年は知らなかったようであり、驚きに満ちた目を女性に向けていた。

「おっかぁ……」

 

「……」

 彼女は沈痛な面持ちで黙している。その表情が慶次の言葉を肯定していた。

 

「そしてお前自身もだ」

 

「い、いえ。俺なんか……」

 

「ただ、母を守りたかった。その怒りだろうな。そう言うの俺、好きだぜ」

 

「え、ええと。ありがとうございます……?」

 

「そしてちびっこ共もだな。ちびからしたら大人ってのは身内や知り合いでもない限り恐怖の対象だ。それをものともせずに堂々してた所を見ると肝がすわっているよ」

 

 『頑張ったな』と慶次は幼子たちの頭に撫でた。『まあ兎も角だ』と慶次は彼等を立ち上がらせた。

 

「ま、今日はお前らに免じて色々な経緯は水に流す。そして───」

 おもむろに着流しを脱ぐと丁寧に土を払い始めた。

 おおまかな汚れが払えたところで慶次は女性の後方に回り、そっと羽織らせる。

 

「お、お侍さま。こ、これは 」

 女性が驚愕の声を上げた。

 

「アンタは良い母親だ」

 

「……こんな高価なもの、いただけません」

 

 慶次は彼女の耳元でそっと囁いた。

「勘違いすんな。そこらに売ってる安物だ」

 慶次はそう言うと、次いで少年と子供たちの元へ向かう。

「お前ら、麻袋か、なんかあるかい」

 

「は、はい。一応は……」

 少年がちいさめの麻袋を取り出した。慶次はそれを受けとると代わりに、己の麻袋を差し出す。

「!! お、お侍さま! これは」 

 慶次の差し出した麻袋はぎっしりと小銭が詰まっている。かなりの重みがあるようで少年は両手でお椀を作るように受けとる。

「やるよ」

 

「そんな! 受け取れません!!」

 少年は突き返してくるが、慶次は知らんぷりをした。ひゅーひゅーと口笛を鳴らしそっぽを向く。

 

「あーなにもきこえんなー。受け取ってくれるまではーきこえんなー」

 

 少しの間、少年は俊巡していたが、ようやく受け取る気になったのか、大事そうに抱え、懐へとしまった。

 

「お侍さまはどうして俺たちにこのようなお恵みを……」

 

「おじしゃんはへんなひと?」

 二人の幼子のうちの一人が舌足らずの口調です問うた。そんな子供を女性が叱りつけようとするが、慶次が制した。

「いい。……おう。俺は変な奴だ。派手なことが好きだし、変なことも好きな男だ」

 

「じゃあー"かぶきもの"だねー」

 

「……かぶきもの?」

 

「うん! とっても優しくてね、変なひとだから」

 

 "かぶきもの"それは派手なものを好み、他人とは異なる行動をするものをさす。そしてなにより、人情を重んじる傾向があるものたちのことだ。

 

 確かに慶次自身、派手好きであり、常識とは異なる行動をすることが多い。

 

 例えば派手な衣服然り、さきほどの着流しや銭袋の件然り。言われて見るともしかしたら──と慶次は思った。

 

 しかし子供の考えでは"かぶきもの"というのはかなり違ったイメージになるようだ。正に、正義のヒーローと言ったところだろうか。

 

だが───。

(かぶきものか。いいねぇ)

 慶次は気に入っていた。

 

 

 

 そしてこの後、慶次は彼等と別れる。

 

 後に路銀がないと騒ぐのだが慶次自身、後悔はしていなかった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「お姉ちゃん。今のみた?」

 

「……コクコク」

 

「格好良かったね!」

 

「……コクコク」

彼女たちとの出会いは───近い。

 

 

 



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二十話

 

 

「慶次さん。着替え、置いておきますね」

浴室の外から眞琴の声がかかった。

 

「すまん。助かる」

 

 眞琴に案内された洗い場で血や汗などの汚れを落とし、さっぱりとした面持ちとなった慶次は、目の前に広がる湯船を眺める。

 織田の屋敷や森の屋敷の風呂場より、広く、大きい。浴槽に張られた湯船は織田や森の物より深かった。

 

(少しならいいよな? うん、少しくらいならいいか) 

 自分に言い訳染みた理由を免罪符に湯船に飛び込む。

 広い浴槽で泳いでみたり、潜ってみたり。

 

 童心に返ったように慶次は、はしゃいだ。

 

 

 半刻ほどの時間がたち、浴槽から上がるころには慶次は身体中を茹で蛸のようにを真っ赤にしていた。

「あ〜。はしゃぎすぎちまった」

 手をうちわに見立て扇ぐが、当然、涼しくなるわけはないので、浴室の外で慶次は涼んだ。

 

 ようやく、体温が下がり始めたころ、久遠にさきほどの件を報告していないことを思い出す。

 急いで用意してもらった袴に着替え、脱衣所から出ると、見知った顔が壁によりかかり、規則正しい寝息を立てているの見つけた。

 

「…………」

 彼女はまだ幼さが残ってはいるが浅井の当主としての評価はかなり高い。僅か数年で浅井家を独立させたその手腕は認める者が多い。───と久遠が自慢するように話していたことを思い出す。

 先代が知謀の久政(眞琴の母)なら今代の眞琴は文武両道と言えるだろう。

 

「おーい眞琴」

 ゆさゆさと身体を揺らすと寝ぼけ眼をゆっくりと開いた。

「……あれ?……慶次さん?……っ! すみません!」

 眞琴は立ち上がろうとするが、寝起きのためか、足元がおぼつかない。

 

「おっと」

 眞琴の肩を優しく抱き止めると、たちまち顔を染め上げた。

「っ!」

 

「俺は此処の造りがわかんねぇからな。久遠嬢の所まで案内頼む」

 肩から手を離すと物寂しそうな顔を浮かべ、名残惜しそうに慶次の手をみつめる。

「ぁ………わ、わかりました」

 

 

 

 眞琴に案内された大きな空間は、この城、小谷城の大広間。

 久遠、ひよ、ころ、エーリカの主要なメンバーが思い思いに歓迎の宴を受けていた。

 

「あはは!お姉ちゃんはやっぱりお酒に弱いねー!」

 

「うるひゃい! わりぇはよってにゃんてないろ!」

 顔を酔いで染め、呂律の回らない言葉を出していた。すぐ隣にいる、久遠にそっくりな少女、市にお酌をしてもらっている。

 市がトクトクとお酒を継ぎ足し、それを飲み干す久遠。

 何度も繰り返す所を見ると市も大分酔っているようだ。

 

「あぁんもぉ〜剣丞さまぁ〜」

「お頭ぁ〜えへへ」

 二人は剣丞の両腕にぎゅっと抱きつき、頬擦りをしていた。

「はぁ。ほどほどにと申したのですが」

 詩乃がやれやれと言った様子で苦言を呈する。

「zzz。詩……乃ぉ〜」

 当の本人は座りながら気を失っている。

「っ!」

 彼の口から出た言葉に肩を震わせる詩乃。慎重に彼に近付きあぐらをしている足に座った。

「剣丞……さま」

 そう一言呟きを残し、彼女の目は閉じていった。

 

「……うふふ」

 ちなみにエーリカも酔い潰れていた。

 

 

 

「ま、眞琴」

 

「大丈夫です。もう呼びましたから」

 苦笑を浮かべ彼女たちに視線を向けた。

 この後酔い潰れたメンバーは侍女たちにより部屋へと運ばれた。

 

 大広間に残された二人に、ぽつんと置かれた二人の夕餉。

「なんかこの広いのは落ち着かねぇな」

 

「で、でしたら僕の部屋でどうでしょうか?」

 

「いいのかい? じゃ、お邪魔させてもらうぜ」

 

 眞琴に連れられ彼女の自室に入る。

 織田の客間と変わらず非常に質素な造りをしており、正直これが当主の部屋なのかと疑うレベルだった。

「あ、あまりみないで頂けると……」

 

「悪りぃ。つい、な」

 ちなみに布団が二つ敷いてあった。おそらく眞琴と市のものだ。

 

 女中に運んでもらったを夕餉をいただき一息をつく。

「ふぅ。美味かった」

 少しだけ膨らむお腹をぽんぽんとたたく。

 

「喜んで貰えてなによりです……あ、あの慶次さん」

 唐突に名を呼ばれる。慶次が視線を向けると居住まいを正した眞琴に強い瞳を向けられた。

 

「さっきの約……っ!」

 眞琴が言い終える前に廊下に足音が響く。

 

トドタドタドタ。バタン。

 勢いよく、部屋の障子が開かれた。

「まこっちゃーん、お風呂……っ!! 慶次くーん!」

 慶次の姿を目にした途端、少女、市が目をききらき、輝かせながら、彼の胸に飛び込んだ。

「市か! 久し振りだなぁ!」

 受け止めた市の頭をわしゃわしゃと撫でる。

 

「はぁ〜慶次くんの香りだぁ〜スゥーハァ、スゥーハァ」

 ぐりぐりと顔を彼の胸に埋めると深呼吸を繰り返した。

「……市」

 かげりのある表情を見せる眞琴。

「ほら眞琴がこういってるからな、市」

 

「ええーっ」

 

「またあとでな」

「うぅ。わかったよー」

 さも残念そうに市は口を尖らせた。

 

「またあとでしてもらえばいいよ」

 

「うん!」

 にっこりと市は眞琴に微笑む。そして眞琴も微笑を返した。

 

 

 

 

────────────────────

 

 

 二年前 尾張・清洲城。

 

 黒髪の幼い少女が一人の男に尋ねた。

「長政ってどーゆー人なのかな?」

 慶次は後頭に両手を組み合わせながら、大きくあくびをした。

「………久遠嬢によると気弱でなき虫だが、見所のあるやつ、とのことだ。ま、いつも通り行けばいいさ───市」

 

「もうー。慶次くんてきとーすぎるよ」

 頬を膨らませ抗議する。だがいつも適当な彼には感謝していることが彼女自身にはたくさんあった。

 今の市を形成したのは慶次と言っても過言ではなかったからだ。

「……(本当は慶次くんとがよかったな)」

 

「どうした?」

 

「っ! ううん! なんでもない! それより待たせてるから早く行こ!」

 

「そうだな。………って早っ!?」

 

 走り去っていく市は、もうすぐ豆粒サイズになろうというところまで離れていた。

 

「慶次くーん!はやくー」

 

「おう!」

 

 

 今日が市と浅井長政初めての邂逅の日。質素な造りの部屋には四人の人物がいた。

 まず市と慶次の織田家、そして少年か、または少女の風貌をした者に、そのお付きの老人武者たち、浅井家だ。

 

「半刻後にまた来る。それまで二人は色々と話し合いな……さて赤尾どの、こちらへ」

「あいわかった」

 二人を部屋に残し、慶次たちは部屋から退散した。

 

 

半刻後……。

 

 

「そろそろ時間か。行こうか赤尾どの」

「うむ」

 別室でお茶をしていた二人は市たちの居る部屋に向かった。

 部屋の外からでも聞こえるほどの声で何かを話している。

『そ、それじゃあ市さんの武術は』

 

『うん。そうだよ。慶次くんのお蔭で強くなったし自信が持てたんだー!』

 

『慶次、さんですか』

 

『さっきのでっかい男の人!すっごく強いんだよ。けどねーいじわるのところもあるんだよー!』

『面白そうな人ですね。羨ましいです。僕もそんな人が欲しかったなぁ……』

 

 円滑に会話が出来ていたことにほっと胸を撫で下ろす。実際原作でもケンカなどはなかったため心配はしていなかったが万が一ということもあり得るからだ。

「ほっほっほっ良かったですな。これで両家は安泰じゃ」

「ええ。全くその通りです」

 慶次たちはしばらくの間、和やかな雰囲気の話に、聞き耳を立てていた。

 

 二人の話が終わったのは夜の戸張がおり、辺りがすっかり暗くなった頃だった。

「浅井どの、赤尾どの。夜も深くここで返すのは何かと危険だ。今宵はお泊まりになってはいかがか?」

 

「はい。ではお言葉に甘えさせていただきます」

「では頼もうかの。前田どの」

 

 侍女に二人を客間へと案内させ、そこで夕餉を共に摂る。

 

「さて。それでは俺た……私たちは先に」

 

「おやすみー。まこっちゃん」

 

「うん、市も。おやすみ」

 いつの間にか二人の仲は深まっていた。それに喜びを感じる慶次は市とともに自分たちの部屋へと戻る。

 

 部屋へ戻り、女中が敷いてくれた布団に横になった。市はくたくたで疲れ果てていたため、途中から彼がここまでおぶってきた。

 

「おつかれさま市。どうだった? 長政は」

 

「とってもね。優しい人だった、よ。慶次くんと同じくら……い」

 全てを言い終える前に、市は寝付いてしまった。すぅすぅと規則正しい寝息が聞こえる。最後に慶次は市の頭を撫で、物音を立てないように静かに部屋を出た。       

 手に一つの徳利を持って……。

 

「こんな月の綺麗な日に寝るなんて勿体ねえからな」

 夜空には雲一つなくここが自分の領域だと言うばかりに存在感満載の満月が登っていた。

 満月が良く見える位置の縁側に腰掛けると徳利を、そのままらっぱ飲みをする。

 

ごくごく。酒が胃に届く。

「……やっぱり美味い」

 なにより風情がある月見酒だ。思わず慶次は息を吐き出した。

 そのとき、背に声がかかった。

「……あの」

 

「うお!?」

 

「あ! も、申し訳ありませんっ!」

 謝罪の声と共にドタっと音がする。長政が頭を下げていた。

「顔を上げな。当主どの」

 

「申し訳、ありません」

 

「気にしなさんな。それでこんな夜更けにどうした? 寝れねぇのかい?」

 笑いながら尋ねると『お恥ずかしいことながら……』と苦笑を浮かべた答えが返ってくる。

 

 すぐ隣に腰掛けた長政に慶次は言う。

「月だ」

 眞琴は空を見上げた。

「……満月、ですね」

 

「あぁ、綺麗な月だ」

 二人で空に浮かぶ、満月を眺める。

 

「あの……一つ聞いてもいいですか?」

 ふと、長政が問うてくる。

 

「ん?」

 慶次が長政に視線を向ける。

「人って……変わることができますか?」

 

「変われるな。努力、次第で」

 『努力』という言葉を聞いた辺りから長政は顔をしかめた。

 憎むような、諦めたような、どっちつかずなどろどろとした表情をしていた。

 

「……努力しても、僕は変われなかった」

 

「どうして変わる必要があんだ?」

 

「僕は浅井の当主です。だから浅井の誰よりも変わる必要があるんです」

 『みんなに慕われるように……』とか細い声が慶次の耳に届いた。

  

 久遠が言っていたことを思い出した。『気弱で泣き虫』と。

 なるほど、合点がいった。

「……気弱な所に悩んでんのか」

 

 その一言にびくっと身体を震わせた眞琴は、少し語気を強める。

「……いけませんか?」

「いや。そんなことはない。ま、人生の先輩としての俺の話を聞いてくれ」

 

 少しだけ、説教染みた言葉になるだろう。だがそれは彼女にとって必要なことだと思う。

 慶次はそう考えると口を開いた。

「……人ってのは一概にもお前の考えてるだけのやつだけじゃねぇ。それにな、完璧な当主なんてもんはこの世には存在しない。みながみな弱さを持ってんだよ」

 

 

 

side 眞琴

 

 その言葉に身が打たれるような思いだった。

 今の今までそのような考えをしたことがなかったから。

「気弱な所の何が悪いんだ。それはお前の個性ってやつだ。大切にしたほうがいいぜ。当主だから誰かに頼ってはいけない、なんてことはないだろ? 気弱でも家臣がいる。浅井は脆くはないはずだ」

 

 そうか。そうだった。

 頼れる家臣たちがいた。

 みんなは「直せ」なんて一言も言ってはいなかった。

『眞琴さま。私たちを頼ってくだされ。私たちはあなたの手足なのですぞ』

『眞琴さまそのままで十分です!私たちが支えていきますから』

 

 彼らの言葉を思い出すとなんともいえない高揚感が包む。

 一人ので悩んでいたことが馬鹿見たいに思えてきた。

「あ、ありがとうございます。ええと……」

「前田慶次郎だ。慶次でいいさ」

 

「慶次さん。ありがとうございました。知っているとは思いますが僕の名前は浅井長政。通称は眞琴です」

 

「眞琴か。良い名前だな」

 突然、彼が頭を撫でてきた。

 唐突だったため身構えるが撫でられることに抗うことは出来ずに、ゆっくりと構えを解いてゆく。

 

(そう言えば市が言ってたなぁ)

 

『慶次くんの撫で撫では気持ちが良いよ!市は慶次くん撫で撫でが好きなの!』

 

『羨ましいです。僕も一度でいいからされてみたいなぁ』

 

『ふふっ!大丈夫!慶次は女の子には絶対やるんだから!』

 

(市の言うとおりだった。ほんとうに気持ちいい)

 初めてということもあるかもしれないが、今まで感じたことのないものだった。

 

 ドキドキと高鳴る心に気付かずに異性の手にされるがまま。

「そろそろ寝ないと明日に響くぜ?。じゃあな」

 最後にポンポンと軽く触れると去って行った。

「心が……」

 彼がいなくなり初めて自分の身体の変化に気付く眞琴だった。

 

 

 

 

 

 次の日の朝、朝食の時間に慶次を一瞥する。

 少し見ただけで昨日のことを思い出し、全身が熱くなった。

「まこっちゃん?」

 

 今度は、ほんの少しだけ見つめてみる。

 鋭さ持ちつつも暖かさを感じる瞳に、爽やかな声音。

 どれもが自分に向いているように感じ胸の鼓動が徐々に高鳴っていく。

(そ、そういえばいじわるだって言ってたけど……)

 昨晩のことから察するにあまり意地悪だとは思えなかった。

 

「まこっちゃん!!」

「うわっ!!」

 

「ボーッとしてどうしたの?」

 

「う、ううんなんでもない。そ、それにしてもこの汁物美味しいですね」

 

 誤魔化すように赤尾に問うた。

「そうですな。塩気と共に素材の味がしてとても美味です、それに加えて熱くもなく緩くない絶妙な温かさ、これを作った者は浅井家に欲しいですな」

 

「ハハハ、そりゃ光栄だ。作った甲斐があるってもんだ」

 

「な、なんとぉ!? これは前田どのが! いやはや貴殿はなんとも多才なお方だ。ただ派手な装いをしている若造かとは思いましたが、いやはや拙者の目は曇っていたようです。……眞琴さま」

 赤尾の声は届かず一人妄想に耽っていった。

(慶次さんが僕の御家にかぁ………)

『ほら、おきろ。眞琴』

 

『う、うーん………スヤスヤ』

 

『可愛い寝顔じゃねぇか。ナデナデ』

(寝坊した僕を優しく起こしてくれて、それで頭を撫でてくれて。そのあとに……)

 自分の頬が熱くなる。

 

「眞琴さま!」

 大きな彼の声で、現実に引き戻された。

 

「まこっちゃん。顔赤いよ。具合悪いの?」

「だ、大丈夫!僕はこの通り元気だから!」

 心配はしないでというばかり微笑んでみせる。

 

「もしかしたら夜風に当たったのが悪かったのかもな。どれ少し……」

 

 慶次の手が伸び眞琴のおでこに触れる。

 

「これは……かなりの熱だな。やっぱり昨日のがダメだったか。申し訳ないなこれは」

 

「いや、こればかりは仕方がないでしょう。今までの疲れが出たのかもしれませぬ」

 

「市、眞琴を部屋に運んどいてくれ。何かを滋養に良いものを作ってもっていく」

 

「……うん。わかった」

 市は釈然としない表情で頷いた。

 

 

 

 その後部屋に運ばれた眞琴は布団に寝かされた。

(ど、どうしよう。本当は風邪じゃないのに……)

 軽い自己嫌悪に苛まれていたがすぐに思考を中断させられる。

「ねぇ。まこっちゃん」

 

「な、なに市?」

 

「慶次くんに、惚れちゃった?」

 

「っ!え、えええええ!?」

 あからさまに狼狽する様子に市はくすっと笑う。

「まこっちゃん分りやすすぎ!そんなにかみかみだと惚れちゃったって言ってるみたいなものだよ」

 

「………」

 

「きちんと寝てないとダメだよ?」

 そう言い残すと部屋から出ていった。しかひ眞琴には彼女の言葉が頭には入ってこなかった。

(僕は……慶次さんのことが)

 頭の中で昨夜の出来事が甦る。

 悩みを聞いてくれて、肯定してくれて、気付かせてくれて。

 そして初めて異性の優しさに触れて。

 

 とても心が温かくなり同時に痛くも感じた。

(これが好きってことなのかな)

「ぼ、僕は慶次さんのことが……す、すすす好き」

 口に出すと肯定するように胸がドクンと脈動した。

 

 



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二十一話

 

織田歓迎の宴の翌日、慶次は昨夜の鬼の件について久遠に報告した。

その後浅井を含めた談論が行われどうやら鬼は観音時方面からやってきているのではないかということが推察された。

観音寺城、つまり浅井の同盟国朝倉の本拠地にほど近い場所に建つ六角氏の堅城である。

眞誠は朝倉氏の安否確認を念頭に入れた偵察部隊を越前に送った。

さらに同時並行で久遠は観音寺周辺の調査に剣丞隊を派遣。名目上は鬼の情報収集だがその裏には上洛のための周辺地理の把握というおまけがついているのであった。

 

「慶次。護衛を頼んだぞ。あとこれを持っていけ」

久遠から渡されたのは何かを包んでいる麻布。じゃらじゃらと音がすることから銭だと分かる。

「有り難く使わせてもらう」

「みなさん。危険を感じたらすぐに戻ってきてください。兵を控えておきますから」

こうして両家の当主に見送られながら彼らは観音寺城を目指すことになった。

 

 

 

 

 

 

 天候が快晴と恵まれた中、出発した一行。

 時折、雑談を交えながらも周辺地理の精度向上のため地図への書き込みをきめ細かく行っていった。

「ひよー。ほらここ。死角になってて何かに使えるかも」

「流石ころちゃん!」

「ひよ。終わったらこちらも」

「はーい」

 忙しく動くひよだが顔には疲れが見えなかった。

 

 それを見た剣丞は自分も頑張ろうと奮起しすれ違う旅人や行商人に鬼のことを尋ねていく。

「すいません。真夜中に人を襲う化け物など、何か見たり聞いたりなどしたことはありませんか?」

「おいおい兄ちゃん。こんな真っ昼間からなにいってんだ?それに知らないねそんな話は」

 尋ねた人々が知らないなどの一点張り。時には侮蔑の目を送る者も見受けられた。

 そんな旅人にどこまでも冷たさを感じる薄い視線を送る詩乃。

「………」

「いいよ、詩乃。俺は気にしてないからさ」

「……私はずっとあなたの味方ですよ」

 きゅっと剣丞の手を握り微笑んだ。

「ありがとう。嬉しいよ」

 詩乃の小さな手を優しく握り返す。

 手を繋ぐ二人の顔は心なしか赤みを帯びていた。

 

「あーっ!詩乃ちゃんずるい!」

「わ、私も!」

 どこかいい雰囲気を醸し出している彼らにそうはさせまいと動いた。

「うわっ。どうしたんだ二人とも」

「ずーるーいーでーすー」

「お頭私にもしてほしいです!」

 

 四人がガヤガヤと騒いでいるのを慶次とエーリカは微笑を浮かべ見守っていた。

 

 

 

 

 

 鬼についての情報は集まらずにただただ時間だけが過ぎ、茜色の空が綺麗な葡萄色に変わるころ小さな村に到着した。

「今日はここまでかな」

「ちょうど良いと思いますよ」

「でもかなり小さい村ですからねぇ」

 鬱蒼と生い茂る森に囲まれ幅の狭い川や水田、棚のように折り重なる畑など自給自足には困ることはなさそうだが一目で見渡せるほどに小さい村だった。

 

 早速宿探しに向かうが如何せん人口の少ない村のため難航した。

「うーん。やっぱり小さな村だと宿はないか」

「そうですね。この村の規模でしたら常設の宿は……」

 野宿という可能性が一同の頭によぎる。

 薄暗い森に広がる気味の悪い雰囲気や時たま聞こえる動物の鳴き声、それに加えて謎の生物、鬼の存在。

 何が起きるか分かったものではなかった。

「っ!私が探してきます!」

 一目で分かるほどに顔色変えたひよは言うや否や走り出し片っ端から村に点在する家々を尋ねてゆく。

 いくつかの家には断られはしたが小一時間ほど交渉を頑張ってくれたおかげで何とか宿の確保に成功した。

 

 宿の中には剣丞たちの他にも宿屋を求めていた幾人もの旅人が囲炉裏を囲んで談笑をしているのが目に入る。

 

 最初こそ警戒はされたが剣丞の機転により溶け込むこともできこの日は無事に眠りにつくことができた。

 

 

 

 

 

 

 翌日になり一行は観音寺城への偵察を開始する。運の良いことに昨夜の村は観音寺城から比較的近い場所にあったため朝方から始めることができた。

 

「じゃあ剣丞隊これから行動を開始する。俺と詩乃、そしてひよところは観音寺城を調査するから慶次とエーリカは城下を頼む」

「おう。任せろ」

「了解しました」

 

 

 城下町で小料理屋中心に聞き込みを始める。

 その理由は旅人が集まりやすいからという至極単純なものだった。

 

 早速町の中心部にある小料理屋に足を向ける。

「嬢ちゃん。少し構わねえかい」

 無遠慮に彼女の隣に腰掛けるとニヒルな笑みを浮かべる。

「不粋な男ですわね」

 射殺すような視線を向け、露骨に嫌悪感を表す。

「しょ、初対面でそれですかい」

「そうです。私は今忙しいのですわ。さっさと消えてくださらない?」

 そう言いお椀の中のうどんを美味しそうに食べ始めた。

 

 黄金と言っても過言ではない綺麗な金髪に陶磁器のような白い肌。さらに極めつけは特徴あるその口調。

 

 彼女の名は蒲生忠三郎『梅』賦秀、原作キャラの一人である。

 

 

 そんな彼女、梅をジロジロと眺め続ける慶次。

 

ジー

「………」

ジー

「………っ」

 自重を知らない視線を浴び続け遂に彼女の堪忍袋の緒が切れた。

「あなたっ!さっきからなんですの!」

 バンっと机を叩きつけ、慶次を睨み付ける。

「!す、すまん。美味そうに食ってるもんでな、つい」

「でしたらっ!あなたも同じものを頼んだらどうですの!」

 大声で怒鳴り上げふんと鼻を鳴らす。

「………親父。うどん一つ頼む」

 彼女と同じものを注文することにした慶次だがこころなしか沈んでいるように見えた。

「あいよ………元気だせ。若いの。また次がある」

 慰めの言葉掛けられるが慶次としてはいらん気遣いだった。

「そうだな……」

 あっけらかんに返事する。

 エーリカを一瞥するが我関せずと離れた所で一人お茶を啜っていた。

 

 

 

 丁度、彼女が食べ終わる頃を見計らいあの事を聞く。

「なぁ。アンタに聞きたいことがあるんだがいいか?」

「………なんですの」

 やはりと言うべきか先程のことを引き摺っているらしく声は苛立ちを感じさせるものだった。

「最近ここらで化け物が出るって聞いてるんだが何か知らねぇか?」

「………知りませんわ」

 含みのある冷やかな声色で一蹴すると慶次の前から去って行った。

 

 

 

 

 

 一悶着あったが滞りなく情報収集を終えとある店で一息つくことにした。

「倭歌、ねぇ」

 かなりの数の店を回りその中で最も耳にした言葉だった。主に平安時代からの和歌を指すこの言葉、それを鬼が詠んでいたらしい。

(原作と同じだもんなぁ)

「おそらく鬼には知性があるのでしょうね」

 どの口でそれを言うかなどとは言えず肯定の意を示す。

「そう見て間違いはないだろうな。そしてもう一つが」

「群れで……行動する」

「何か意味があってやるのか。はたまたないのか……よくわからねぇな」

 うむむと腕を組み唸っていた時だった。

 

グゥ~

 

 突如、聞こえの良い音が聞こえた。

「っ!?」

「ハハハッ!もうお昼過ぎだからな。エーリカ、俺の奢りだ。何か食おう」

「……では遠慮なくいただくとします」

「あ、あぁ」

 どこか鬼気迫るような表情に慶次は一抹の恐怖を覚えるが気のせいだと思い考えないようした。

 

 

 

 

「ごちそうさまでした」

 優雅とも言える仕草で口を拭くエーリカ。

 その目前には積み上げられた食器が高く重なっていた。

「次回からお腹を鳴らさないように気を付けますね」

 やけに『お腹』を強調していた所を見ると慶次の言葉に根に持っている部分があったらしい。

「……はい」

 後悔しても時既に遅しである。

 

 

 

 空が朱色に染まった頃剣丞たちと合流し昨夜の村に戻ることになった。

 

 かなり有益な情報を持ち帰ったようで足取りが軽やかだった剣丞たち。

 

 

 だがその日の夜………。

 

 

side 剣丞

 

 

 真夜中になり月明かりだけが奴等を照らしていた。

 人とは思えない黒い肌に鼻骨が見えない鼻、剥き出しの牙。それに加えてぎらつく瞳。

 鬼だった。

 

 

 

グカァアアアアッ!

 

 

 

「!」

 突然聞こえた獸のような咆哮に剣丞は飛び起きた。

 

 それを待っていたのか、それとも鬼に反応したのか。

 

 枕元に置いてある刀が淡い光を発していた。

「刀が……」

 

 布団から飛び出し刀を持つと靴も履かずに外に飛び出す。

 

「鬼が……一体何匹いるんだ」

 目視できる距離にそれはいた。

 何十とも映える双眸が山中で月光に反射し百鬼夜行のように蠢いたのだ。

 

「剣丞さま!」

「ころ!避難は」

「大丈夫です。ひよと詩乃ちゃんがやってくれてます」

 

「鬼が。あんなにも……」

何時の間にか傍にいたエーリカが山の奥深くに消えゆく鬼を眺めそう口にする。

「やっぱり群れで行動することが増えてきたのは事実らしいね」

「どうしますか?お頭」

「今は見過ごそう」

「見過ごす……」

 不服そうに呟くがエーリカにしてみれば当然だった。

 彼女は元々この国の鬼を討滅するために来ているのだから。

 最も彼女のそれは建前で真の目的は別にあるが。

「ころ。鬼たちはどの方角に向かってる?」

「東南ですね。ですから……伊勢方面に向かってるんじゃないでしょうか?」

「伊勢か。うーん、尾張に近いな。厄介だぞこれは」

 どうしたものかとしばらく思案顔を見せていたがふいに顔を上げる。

「……明日、山の中で鬼の痕跡を探そう」

 尾張のためとはいえ流石に灯りがない状態で森の中に入るのは危険だ。

 それに万が一、尾張に侵入しても壬月たちがいるだろうと考えた結果だった。

 いかにも博打的なものだがそれも含め少しでも情報が欲しいという思いが剣丞にはあったのだ。

 

「お、お頭ぁ……」

 泣きそうな表情で抗議するが剣丞の意志は固い。

「大丈夫。あの鬼たちは伊勢に向かってるんだ。ならあの山に行ってもいないよ」

「そうかもしれないですけどぉ、もし、鬼がいても私とひよじゃ戦力にはなりませんよぉ」

「その時は慶次に相手してもらおう。エーリカもその時お願いね」

「はい。わかっています」

 エーリカの返事を聞き、ころに再度同意を求めた。

「うぅ。わ、わかりましたぁ」

「付き合わせてごめんね。ころ」

 ふと慶次が行っていたあの行為を思い出し自身の手を彼女の頭に乗せる。

(確かこうやってたよな……)

「ひゃあ!?」

「明日のためにも、早く寝よう」

「は、はい!」

「……ふふ」

 

 こうして夜は更けていき次いで明日の予定も決まったのであった。

 

 

 

 

 

 



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二十二話

白神 紫音さま。誤字報告ありがとうございます。




 村はずれの山へ赴く剣丞たち。

 草の根をかき分けるように山へと入っていく。

 

「これは……」

 周囲に沸き立つ木々の葉から漏れだす光が目の前に続く獣道を照らす。

 その獣道には何かを引き摺ったような跡があり山奥へと伸びていた。

 

「剣丞さま、先へ進んでみましょう。」

「そうだね。いこう。」

 跡を辿り進むが一向に景色は変わらず、草木が煩雑に生い茂る光景ばかりが目に入る。

「ふぅ…みんな少し休憩しよう。」

 近くの倒木に腰掛け、額ににじむ汗を拭った。

「!」

 それを見た詩乃は懐から手ぬぐいを取り出し汗を拭きとる。

「剣丞さま。あまり無理をなさらないでくださいね」

「うん。ありがと」

「お頭。お水です。どうぞ」

 水の入った竹筒を渡すひよ。

「ひよもありがと」

「えへへーっ!」

 にへらと笑顔を見せるひよから剣丞へ向ける好意が伝ひしひしと伝わって来た。

 

 ちなみにころはムムムと地図とにらめっこしていた。

  

「剣丞どのはたらしなのですね…」

 

 グ‥‥‥ガ。

 

「人柄がそうさせんだな。‥‥‥?」

 ふと、慶次はどこからか悲鳴を感じとり視線を向けた。

 人の悲鳴でもなくそして動物のものでもない別の何かの悲鳴が聞こえた暗い森の奥。

 

「エーリカ」

「はい」

 

 視線を剣丞たちに移すと同じく何かを感じ取っていたのか真剣な顔付きになっていた。

 

「剣丞。俺たちは様子を見てくる。」

「わかった。俺も行く。ひよところは詩乃についていてくれ」

「はい!」

「任せてください!お頭!」

 グッと手を握る姿に勇ましさを感じた。

 しかしその一方で足は小刻みに震えていた。

「剣丞さま、お気を付けて」

「大丈夫。無理はしないよ」

 

 

 

 

 

 

 

 

 悲鳴の元凶であろうものがいる場所に忍び足で近づく。目の前は開けた土地が広がり、その奥では二人組の何かに鬼が蹂躙されていた。

「「ひゃっはー!」」

 

 

 キン、ガキンと金属音が周囲一帯に響く。

 同時に目視でも分かるほど、鬼が両断され、潰されていく。

「‥‥すごい。あれだけの数を…」

 

 片や自身より大きい槍を、片や自身の身の丈ほどの槍を振るう。

 

「…慶次。あの人達ってさ…」

 剣丞には見覚えがあった。あの髪色、声に。

「………」

 慶次は無言で背負っていた槍を手に取ると森から飛び出していった。

 

 

 

 

 

 慶次が飛び出すと待っていたのは、そこらかしこにちらばる鬼だったものの一部に体液であろうものだった。

 

 

 そしてこの光景を作った彼女たち。

 特徴的な赤目は得物を狩る虎のようにギラギラと輝き陽光に煌めく髪は右に左に振り乱れ、しかしそれと対照的に手にきつく握られた槍は舞踏のような軌跡を描いていた。 何よりも目立つ胸部は彼女の動きと共に激しく揺れていた。

「オラぁ!へばってんじゃねえぞ!クソガキぃ!」

 

 ガキと呼ばれた少女は彼女、桐琴と同じように槍を振るう。

 直線的な軌道は吸い込まれるように鬼に刺さっていく。さながら蜂のようであり刹那に命を奪っていった。

「おっしゃー!てめえで最後だー!」

 最後の鬼は彼女の鋭い一撃をうけ絶命した。

 

 

side 慶次

 

 

 目の前で鬼を惨殺してゆく彼女たちを後方から眺めていた。

 そうして、一分もかからないうちに鬼は全滅してしまった。

「ふうー終わったぜー!」

「よくやったのぉ、クソガキ褒めてやる」

 桐琴にしては珍しく小夜叉に賛美を送る。

 

「そうだな。小夜叉はよくやった」

 すかさず慶次も褒める。

「えへへー。今日はいい日だなー」

 年相応の笑顔を見せる小夜叉についつい手が出てしまい頭を撫でる。

 被り物の上からだがおそらく小夜叉は喜ぶだろうと踏んだのだ。

「調子には乗るなよクソガキ。てめぇは森一家の跡目だろうが。こんな雑魚相手に粋がってんじゃねーぞ」

「‥‥…へーい。ちぇー、せっかく褒めてもらったと思ったらすぐこれだ」

 

「気を落とすなよ小夜叉。おまえのことを心配してんだ」

「わかってるけどさぁー……え?」

 気の抜けた声を上げた。

 

「よお、何日振りだ?ハハハ」

「……貴様。どこをほっつき歩いていた」

「慶次っ!」

 キッと震え上がらせるような眼力で此方をにらみつける桐琴。

 しかし対照的に小夜叉は喜色満面な笑みを浮かべていた。

 

 

 

「やっぱり。小夜叉ちゃんと桐琴さんだ」

 優しい声が聞こえ慶次の後ろから剣丞とエーリカがやって来る。

「おい!てめぇ!ちゃんはねえだろ!」

 ちゃん付けに全身で不服感を表すと剣丞にグイッと詰め寄った。

「わ、わかった。じゃあ小夜叉でいいかな?」

「呼び捨てかよ……」

 渋々と言った感じだが了承はしたようだった。

 

「あの、剣丞どの。此方の方々は」

「織田の家臣で森一家の当主さんとその娘さんだ。小夜叉、桐琴さん彼女はルイス・エーリカ・フロイス。」

「ご紹介に預かりました。ルイス・エーリカ・フロイスと申します。和名は明智十兵衛光秀と。どうぞよしなに」

 礼儀に倣った挨拶に驚きの顔浮かべるがすぐさまそれは消えた。

「ほぉ。明智の。……ワシは森一家棟梁森三左衛門可成、通称は桐琴だ。よろしくしてやる小娘」

「オレは小夜叉だ。母がよろしくすんならオレもしてやるよ」

 

 

 

 

 

 

 

>>>

 

 

 

 

 

 

 あれから慶次たちは桐琴親子と別れ小谷城への帰路へついていた。

 

 すっかり辺りは暗くなり月が夜空へと顕われ、手に持つ提灯とともにその存在を主張していた。

 

 

 しばらく歩き、荘厳な小谷城が見えてくる頃には剣丞隊の面々は疲労困憊であり周囲一帯の物静かな空間も相まってどこか暗い雰囲気を出していた。

 

 しかしその時。

「あぁ?」

 慶次は何かおかしな物を見つけたような声を出す。

 城門前では武装した兵に加え、提灯や篝火が立てられていた。

 慌ただしく提灯の光が消えたり現れたりで状況が良からぬことを教えてくれる。

 

 それに気付いたころが目を細め、とある旗印を確認した。

「あれは…」

 

「四つ柏、ですね。加えて十二葉付三つ橘…浅井三将のうち二人が出揃っています…いったい何が…」

 そう詩乃が呟くと静かに顎に手を当てる。

 

「何かあったのかもしれない。少し先を急ごう」

 

「んじゃ俺が先触れでいく」

 

「わかった。頼んだ」

 

 剣丞の返事を聞くや否や慶次は走り出した。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 城門前に到着すると眞琴と市の姿があった。

 少しばかり緊迫した空気が漂い、何かあったのだと慶次は確信した。

「帰ったぜ。眞琴、市」

 

 ビクンっと身体を震わせる。

「っ!お、おおかえりなさい慶次さん!」

「けーいじくんーっ!おっかえりー!」

 市が思い切り慶次の腰に抱き着きご主人の帰りを出迎える犬のように頬擦りをした。

「こ、こら。市」

 緊迫した空気はどこにいったのか、二人の声はいつも通りだった。

「いーやーだーっ!」

「‥‥‥市」

「わ、わかったよー‥‥スゥハァスゥ」

 ほんの少しドスの聞いた声色に市は渋々といった感じで絡めていた手を解く。

 胸いっぱい慶次の匂いを身体に入れるために深呼吸をしながら。

 

 若干困惑した様子を見せる慶次だがすぐに切り替える。

「そ、それで何があったんだ?」

 

「じ、実は……」

 

 

 

 眞琴から聞いた話によれば浅井直轄領の一つである横山城周辺に鬼が出現したということだった。

 そして現在、鬼を討伐するための軍編成といった所である。

 

 

「なるほどな。よし、俺も出よう」

「ええ!?そ、そんな慶次さんの手をわずら…っ」

 慶次の矢継ぎ早な言葉に驚きつつもこれは浅井の門題だからと断ろうとする。

「好きさせておけ」

 眞琴の言葉は最後まで紡がれずとある人物に遮られた。

「お、お姉様まで」

「慶次は暴れたりんのだ。好きにさせてやれ。……それにしても慶次。戻ったと思えば我の元に来ず、眞琴と市の元に行くとはな。全く」

 嬉しそうなそれでいて悲しそうな両極端な表情を見せた。

 元来、女の情緒に機敏である慶次は何かを感じ取ったのかすぐさまフォローに入った。

「すまねぇ。‥‥そうさなぁ、よし何か一つ言うことを聞く、これでどうだ?」

 機嫌を直してくれと久遠に媚びるように言葉を発した。

「……なんでも、だと」

 先ほどの表情から一転、真剣そのものになる。

「あ、あぁ。俺が出来うることだけに限るが」

「ふむ。覚えておくぞ慶次」

 そう言い残し慶次の後方から来るであろう剣丞たちの元へと向かった。

 

 

「眞琴。俺は雨森殿の所へ行く。下知は任せたぞ」

「はい!」

 眞琴の威勢の良い返事を背中で聞き、雨森の元へと向かった。

 

 

 

「まこっちゃん‥本当に‥」

 行かせてもいいのと問いかけるような瞳に眞琴は戸惑いを見せるが…。

「うん。大丈夫、慶次さんは強いから」

 胸に手を当て、心の激しい動悸を感じる。

 それは慶次に寄せる感情が大部分を占めているが今は初めて慶次と臨む戦であることの方が大きかった。

「そっか…」

「うん…」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 横山城・近辺

 

 

 慶次の眼前には綺麗に隊列を組む浅井軍が見える。

 さながらファランクスを組んだどこぞ兵のようだった。

 表情は引き締まり、皆が皆ジッと何かを待つように眞琴を見つめている。

 

 

 大勢の人間から注目される緊張感に苛まれていないだろうかと心配したがそれは杞憂に終わった。

なぜならそこにいた眞琴は昔の眞琴ではなかったからだ。

 

 二年前の弱々しい眞琴ではなく、雄大豪壮でありそれでいて花顔柳腰、浅井家当主眞琴がそこにいた。

 

「江北の勇者たちよ!敵は横山城が近く、三田村にいるという!どれほどの数がいようが民を守るため、勇を、業を奮ってみせよ!」

 

「「「「応ーっ!」」」」

 地を震わす力強い声が響いた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 三田村・近辺

 

 

 

 月明りに照らされ、蠢く黒い何か。闇に光る眼はギョロギョロと動き、絶えず獲物を探している。

 

 数は少なく見積もっても二百。甚大な被害が出ることが予測できた。

 

 

 

 村を一望できる小高い丘に布陣した浅井軍。

 

「全軍!突撃ーっ!」

 眞琴の声が周辺一帯に反響し、一気に浅井軍が突撃を始めた。

 その先頭にいる一人の槍を構えた慶次が雄たけびを雄々しく上げながら鬼に斬り込んで行った。

「オラぁ!!」

 時には二体を串刺しにすると勢いをつけ、引き抜いた。

 鬼の血が吹き出すのに目もくれず他の鬼へ向かった。

 時には腰の刀で両断、そして時には殴り倒し、耳をふさぎたくなるほどの残酷な声や叫び声が聞こえてくる。

 

「す、すげぇ。あれが織田の鬼。前田慶次‥‥‥」

「なんてやつだ。素手で顔面を‥‥‥」

 兵たちが驚嘆の声を上げる中、鬼は急速にその数を減らしていった。

 

「織田の前田殿に続けーッ!我ら浅井の力を見せるのだ!僕も出るぞ!」

 眞琴が好機とばかりに号令を掛けるや否や前線へと割って入る。

 眼前にいた鬼を袈裟斬り、そして返す刀で切り裂いた。

 

 唐突に口を開いた。

「淡海の天征く鳰の羽は、悪を切り裂く正義の翼……」

 急激に眞琴の周囲の空間が揺らぎ力強い波動が生まれる。

 

「北近江、浅井が当主・眞琴長政が諸悪の根源、鬼を討つ!我が正義の刃を受けてみよ!」

 刀を横に一閃した途端、水晶のように透き通った氷の鳥が現れた。

 

「夕波千鳥ッ!! 行く手阻む鬼を切り刻め!」

 氷の鳥が鬼の身体を切り刻み、腕を、足を切断していく。

 しかし致命傷には至らない。

「ぐっ…ダメか」

「そんなことはねぇさ。奴らが動けねぇ今が好機だ。行くぞっ!眞琴!」

 ポンっと眞琴の肩に手を乗せると鼓舞するように声を掛ける。

「は、はい!」

 

 二人で斬り込んで行こうとした瞬間にそれは起こる。

 

  

 

 グシャッッ!ボリッ、バリッ!

 

 

 

 なにかを咀嚼しかみ砕くような音だった。

 

「なんて外道な…」

「ひッ‥‥」

 その姿は彼らの戦意を奪っていく。

 鬼がその剥き出しの牙で鬼を喰らっていた。

 欠損していた身体は回復し、五体満足な状態へと早変わりし、身の毛がよだつ叫び声を上げた。

 

 だがその鬼の数は始めの十分の一にも満たなかった。

 

 

 

 

 

 

 



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二十三話

ここでひと段落。


十にも満たない鬼を瞬く間に切り裂いた。

 

「呆気ねぇ」

 周囲一帯には鬼だったもの肉塊が四散している。

 鬼の血で身体中を染め、手に持つ槍をブンと払い血を落とした。

 そんな修羅のごとき彼の戦いを身近で兵たちは呆然としていた。

(あんだけいた鬼をものの小半刻で……)

(流石は前田さまだ……)

(ええい!織田の前田は化け物か!)

 兵や将が口々にものを言う。

 

 彼は振り向き、兵たち全体を見渡した。

 大きく口から息を吸い込むと

「俺たちの‥‥‥勝ちだぁーッ!!」

 槍を空に掲げ、耳鳴りが起こるほどの声を張り上げた。

 

「「「「おーーーッ!」」」」」 

 一拍間を置き兵たちの勝鬨が夜の村にこだました。

 

 

 

 

>>>

 

 

 

 それから数日が経ち三田村の復興が滞りなく進んだ。

 村民たちの穏やかな日常が戻って来たのだ。近くの川へ漁に出たり田畑を耕したりなど極々普通の生活へと帰ってきたのである。

 

 

 両手いっぱいに薪を抱えた慶次が古民家のすぐ脇に薪を置く。

「ここら辺でいいか?」

「ありがとうございます。前田さま」

「これでしばらく持ちます。本当になんてお礼を言ったらいいか」

 目の前の老夫婦が頭を下げた。 

 実はこの老夫婦、年のせいで復興の一助を担えなかったのだがどうしてもと眞琴に頼み込み軽い作業を任されたのだ。

 幸いにも二人は読み書きや軽い計算が出来、大いに復興へ貢献した。

 しかし軽い作業が重いものへと変わり体調を崩してしまったのだ。

 それを見た慶次は不器用ながらも彼らの生活の一部を担ったのである。

 薪割りに料理等々。

「気にしないでくれさ。俺がやりたくてやったんだ」

「そういっていただけると助かります」

 

 

「あーっ!慶次くんここにいたーっ!」

 後方からすっきりとした馴染みのある声が聞こえた。

「おう、市か」

 ものすごい速さで抱き着くように飛び込んで来る。

 その衝撃に思わずバランスを崩しそうになりふらついた。

「っとぉ、どうしたんだ?」

「まこっちゃんが小谷に戻るから連れてきてーって」

「そうか。もう戻んのか」

「?何か気になることでもあるの?」

「いや特にはねぇさ。ただ復興が思った以上に早く終わったからな」

「ふふーん。それもまこっちゃんのおかげだよ」

 自分のことのように胸を張った。

 実際眞琴の手腕の影響が大きかったのは事実。 

 迅速かつ丁寧な作業はものの数日で粗方の復興を終わらせたのである。

 色々とごたごたもあったが剣丞たちと協力し上手く事を抑えた。

 と言うのも慶次は眞琴に従って動いていたため、彼女が忙しく指示を出す所を見掛けたのだ。

 

「流石だな。眞琴は。んじゃあいつらも待ってることだし行くか」

「うん!」

 仲睦まじい姿を老夫婦に見送られながら眞琴たちが待つ場所へ向かう。

 

 

 

 

 

 

 余談になるが二人の姿を見た久遠はとげとげしい雰囲気を出し、小一時間話を聞いてはくれなかった。

 

 

 

 

>>>

 

 

 

 ついに一乗谷へと送っていた部隊が帰って来た。

 

 浅井評定の間に集まった一同は報告を聞き唖然とする。

 五十人近く送った部隊は二人しか残っておらず、その二人も満身創痍だったのである。

「眞……琴さま。も、申し訳ござい、ません」

「わ、我ら一同全員帰ることが出来ず……」

 喋ることさえ辛いであろう彼らは必死言葉を出す。

「それ以上は喋らなくていい。傷に触る。ありがとう良く生きて帰って来てくれた」

 

 彼らが命がけで持ち帰った情報。

 それは越前が鬼で埋め尽くされているということだった。

 鬼は一塊で行動し兵士のような鎧を身に付け、知能を持たない鬼を知能をもつ上位の鬼が支配する。

 人間のたった一つのアドバンテージだった知能が無くなってしまった瞬間だった。

 

 さら追い打ちを掛けるように浅井同盟国、朝倉家当主も鬼になったのではとエーリカに推測された。

 鬼にはランクが存在しそれは人間の頃の肉体に依存する。つまり軍隊のような動きをする越前の鬼を率いているのは大名である朝倉義景ではないかということである。

 

「ぁ‥…あぁ‥…義景おねえさま‥‥‥」

 顔面を青白く染め上げる。 

「眞琴。我にも気持ちは分かる。だが今は鬼の被害を増やさぬようにするほうが先であろう」

「し、しかしっ……いえ。そうですよね」

 顔色はまだ優れないが毎度見る凛々しいものにもどりつつあった。

 

 

 

 

 

 それからしばらく議論を交え、眞琴たちとのこれからの行動が決まった。

「浅井が鬼を食い止めている間に我ら織田が将軍を擁立し豪族共を吸収。そして鬼を一気に叩く‥‥」

 久遠が簡潔に話をまとめると視線を眞琴にやる。

 豪族などを纏め上げる間、鬼を止めてくれないかと目で語っていたのだ。

「大丈夫です、お姉さま。この城を、近江を鬼などに渡しませんから!」

 胸を張り久遠を見つめる。

 その瞳には江北武士で抑えて見せると強い決意が宿っていた。

「頼んだぞ」

 

 

 

>>> 

 

 

 

side 慶次

 

 

 彼は現在美濃と三河を結ぶ閑散とした道を馬で走り三河国へ向かっていた。

 三河は織田の同盟相手、松平元康が治める国である。

 元々松平元康は駿河・遠江・三河を治める大・大名今川義元に仕えていたのだが先の田楽狭間での討ち死により三河を治めるに至ったのだ。

 

 そんな三河国に向かっている彼の目的は越前の鬼攻め協力を求めるためだった。

 

 

「このまま真っ直ぐだぞ。慶次」

 声の主は彼の腕の中にすっぽりと納まりながら髪を揺らす。 

 

「やはり美濃と変わらんな」

 辺りの水田や田畑を一瞥した彼女はしみじみと呟いた。

 

「おお!見ろ!慶次。葵の城だ」

「おい久遠嬢。危ねぇから‥…」

 腕を彼女の腰回りに巻き付かせた。

 強制的に密着することになるがそんなことを気にする余裕は彼にはない。

「ッッ!!」

 

 

 

 なぜ彼と一緒に久遠がいるのか。

 それは半日ほど遡る。

 

 

 美濃の居城、岐阜城へと戻る道中で突然久遠が口を開いた。

『慶次。美濃につき次第、三河へいくぞ』

『あん?急にまた何で』

『葵の所に行く』

『なるほどねえ……上洛の準備はいいのかい』

『うむ。麦穂と壬月に任せる』

『なんともまぁ投げやりなことで。ま、いいさ』

 以上が事の顛末であった。

 

 

 

 

 松平元康の居城、岡崎城はもう目と鼻の先である。

 

 城門前まで馬を走らせ下馬する。

「何者か」

 兵が威圧感を出しながら此方を睨み付ける。

「織田からの使者だ。きちんと書状もある。確認するがいい」

 懐から書簡を取り出し兵に渡した。

「で、では少々お待ちを」

 兵は城門脇の小門へと入っていった。

 

 

 

 

 

 

 数分して兵が戻って来た。

 

 若干だが額に汗を浮かべていた。

 

「し、失礼致しました。こちらへどうぞ」

 

 門扉が重々しく開き城内へと入る。

 

 

 大広間へと案内され、二人の少女がいた。

 

 一人はどこか幼い印象を受ける少女。

 薄紫の髪を肩先まで伸ばし毛先は柔らかくふわっとし、柔和な雰囲気と儚さ‥‥まるで聖女ようだ。

 だがそれ以上に久遠とは違う芯の強さを感じることもできた。

 

 そしてもう一人は長い黒髪を後ろでポニーテールに結び、品のある佇まいから来る清楚さと純真さを持つ少女だった。

 正に大和撫子。

 

「うむ。久方振りだ。それでだ葵。単刀直入に言う」

 

 

 久遠はこれまでの戦闘と異形の物、鬼について、そして若干だが剣丞のことも交え簡潔に語る。

 

「なるほど‥…わかりました。この松平、織田の上洛への一助になりましょう。この日ノ本を守るためにも三河武士の力お貸しいたします‥‥‥と言いましても外は暗く何が起こるかわかりません。明日出立いたします。歌夜、彼を客室へ。久遠さま、詳しいお話は私の部屋で聞きましょう」

 

 薄紫の少女の言葉に久遠は満足そうに頷く。

 

 少女は答えるように微笑み、久遠を連れ、部屋を出ていった。

 

 

「ではそちらのかた。こちらへ」

 

 歌夜と呼ばれた少女に視線を向けられた。

 

 その後少女に案内され客間へと到着。

 

 通された客室は清洲城の客間と同様の間取りだった。

 広さとしては七畳ほど。

 左端は畳から一段高く造られ、一つの空間が出来ていた。そこには鷲が描かれた掛け軸があった。

 

「ご夕食は後ほど運ばせますのでそれまではごゆっくりと」

「あぁ。サンキューな」

「?さんきゅ?とは‥…」

 可愛らしく首を傾げ、後ろで束ねたポニーテールが揺れる。

(まぁた現代語をつかっちまったか‥…)

「あ、あーそれよりも名前なんて言うんだ?俺は堅苦しいのは嫌いなんだ。通称の慶次って呼んでくれ」

 ハハと笑いながら慌てて話を逸らし目礼した。

「ふふっ慶次さんですね。私は榊原小平太康政。通称は歌夜と申します。お気軽に歌夜とお呼びください」

「歌夜か。よろしくな」

「はい。こちらこそよろしくお願いします」

 

 優しく笑みを零すその姿は大和撫子だった。

 

 それから彼女と何気ない談笑を交わした。

 

 自分のことにオープンな彼は趣味から行きつけの小料理屋、果てには桐琴に仕掛けた悪戯までも面白可笑しく語ったのだ。

 

 話の節目で丁寧な相槌を打つ歌夜についついヒートアップしてしまい気付いたときには真夜中。

 

「ふ~悪りい。かなり付き合わせちまったな」

 

「いいえ、構いませんよ。私も楽しめましたし‥‥‥!もうこんな時間。失礼しますね、慶次さま」

「おう。おやすみ。ありがとな」

「はい。おやすみなさい」

 退室していく彼女を見送り、いつの間にか側に置いてあった夕餉に手を付けた。

 

 

 

 

 

 翌日になり岡崎城を発った。

 美濃を目指す松平軍。

 その先頭には慶次、久遠、元康、歌夜、そして身の丈以上の槍をもつ少女がいた。

「じゃあじゃあ綾那たちはその鬼をやっつけるために尾張にいくです?」

 鹿耳のフードをかぶる彼女は本田平八郎忠勝、通称は綾那。後の戦国最強の者である。

「綾那。あまり慶次さまを困らせてはいけませんよ」

 

「そう言うわけじゃねぇが……まぁ簡単に言えば強え奴と殺り合えるってことか」

「っ!綾那楽しみですー!」

「こ、こら綾那。危ないからじっとしてて」

 馬上でピョンピョン暴れる綾那を歌夜が窘める。

 

 その光景を元康は微笑みを浮かべ眺めていた。

「松平の嬢ちゃん」

「どうかしましたか?」

「俺らはこれから戦友になるんだ。堅苦しいのはなしにしねぇか」

「葵。慶次は信の置けるやつだ。何かあったときに力になってくれると思うぞ」

「‥‥‥」

 眉を顰めると視線を宙に漂わせた。

 しかしすぐに答えが出たのか口を開いた。

「そうです‥‥‥」

 紡ごうとした言葉は一人の女性に遮られる。

 いつの間にか元康の隣にいる胸元を大きく開けた女性。

 彼女の名前は本田弥八郎正信、通称悠季。綾那の従妹である。

 

 悠季は元康一番を信条とし織田のことを余り快くは思っていない。増してや元康に天下を取らせようと画策している彼女は織田を利用しようとも考えているのだ。

「まぁまぁまぁ織田の鬼とおわすお方は口の利き方すらなっていませんのねー。さすがは尾張の野蛮人ですわー」

「おい、貴様口を‥‥‥ッ」

 

「‥‥‥ああ?」

 小バカにしたその一言が彼の琴線に触れたのか周囲の空気を重くした。

 慶次の目つきは鋭く周囲をさりげなくだが何かを探すように見渡していた。

「「ヒッ‥‥‥」」

 小さな悲鳴を上げ、顔を青く染める。

 元康まで慶次の迫力に恐怖し血相を変えた。

 

 

「おい。そこで見てるやつ、何モンだ」

 

「……へ」

「ホッ‥‥‥」

 元康は思わず安堵のため息をついた。

 彼の怒りはこの場に姿を見せない松平のもう一人の家臣に向けられていた。

「小波。出てきなさい」

「‥‥‥ここに」

 影も形も作らず突然元康のもとに現れたのは紫紺のマフラーで口元を隠し身軽な恰好した少女だった。

 隙のない身のこなしに腰に巻かれた数本のクナイ、俗に言う忍者、”草”である。

「申し訳ありません。前田どの。火急の時を考え伏せて置いたのです‥‥小波」

「はっ。この身は松平衆・伊賀同心筆頭、服部半蔵正成。通称は小波と。よしなに‥‥‥」

「おう。よろしくな。俺は前田慶次。慶次でいい」

 彼は小波に手を差し出す。

「あの‥‥‥これは」

「あん?握手だ握手。俺たちは戦友だからな、ほら」

「いえ、わたしのようなものには‥…」

「っち‥‥‥」

 まどろっこしいと思った彼は舌打ちをしながらも小波の手を握る。

 

「よろしくな」

 二カっと彼は笑顔を向ける。

「ッ!ッッ!」

 手を握られた挙句笑顔を向けられた小波は恥かしさからか目の前から一瞬で煙のように消えた。

 

「ライバルがまた‥‥‥」

「?よし次は松平の嬢ちゃんだ。さっきも言ったが慶次でいいぜ?」

 久遠の言葉に疑問を抱きながらも元康に向き直る。

 

 小波にやったように手を差し出す。

「は、はい。わ、私は葵とも、申します‥‥‥」

 先ほどの恐怖からかゆっくりと手を伸ばし彼の手を握ろうとする。

 しかし中々握ろうとしない葵にまたも彼から手を取りに行った。

「あっ‥‥‥」

「よろしくな。葵」  

 名を呼ばれたことか、あるいは手を握られたことにか頬を染めた。

 

 

「おい慶次。いつまで握っているんだ」

「あん?いつまでって‥‥‥葵、手。離さねぇのか?」

「ッ!も、申し訳ございませんっ!」

 

「あ、葵さまっ!これで手をお拭きくださいませ」

 すぐ隣で一連の流れを見ていた悠季が自身の袖口からハンカチのようなものを取り出した。

「こんな野蛮人の手を御身が握られてしまいましたら子を孕んでしまいますわ!」

「こら!悠季、何てことを言うのですか!慶次どのに謝罪なさい!いくらなんでも失礼ですよ!」

「で、ですがっ!」

 ハハと苦笑を零し、悠季の方を向く。

「大丈夫だ悠季。葵を取ったりはしねぇさ」

 

「?私を取るとはどのような意味でしょうか」

 葵の呟きを聞いた悠季にキッと双眸で睥睨されるが葵の一喝のせいか涙目のため恐怖はない。

「ど、どういうことだ。我では不満なのか‥‥‥」

 捨てられた子犬のような表情をする久遠。

「不満もなにもねぇさ。心配すんな、一緒にいるぜ?俺は」

「慶次‥‥‥」

 

 

 そんなにぎやかな一件もありながら一行は美濃に向けて足を進めていた。

 

 

 

 

 

「今日はここまでに致します」

 日が落ちる前に葵は軍を止めた。

 場所はちょうど美濃と三河を結ぶ中間地点。

 

 いくら勇猛果敢で名を馳せる三河武士とはいえ人間、疲労を考えてのことだった。

 

 ちなみに久遠と綾那、歌夜はこの場にいない。先触れとして慶次が美濃に送ったのである。

 しかし久遠の場合は別で二か国の長ということもあり士気の関係や策の立案などを考えてであった。

 

 

 

side 葵

 

 

 夜の戸張が下り、皆が寝静まった頃だった。

 松平の家紋が描かれている陣幕の中でふと、葵は目を覚ます。

 生理現象や寝心地の悪さからではなく、ふと何気なく目が覚めたのだ。

 目を閉じようにも寝れず逆に目が冴えていくばかりだった。

 仕方ないと思いつつ散歩がてら陣幕を出る。

 

 特に意図もなく空を仰ぎ見ると飛び込んでくる一面に広がる星々。

 キラキラと宝石のような輝きを放つ星に葵は懐かしさを覚えていた。

(昔はよく一緒に母上様と‥‥‥)

 「そう。あれは‥‥‥」

 

「綺麗だよな。星ってのはさ」

 唐突に聞こえて来た声に思考が吹き飛び、身体を震わした。

「悪りぃ。驚かしちまったか」

「‥‥‥慶次どの」

「おうさ。俺だ」

「‥‥‥」

「‥‥‥」

 少しばかり居心地の悪さを感じ何か話題を振ろうとした葵だが先手を取られた。

「寝れねぇのか?」

 葵の方を向かず空を眺めながら言う。

「ええ。お恥ずかしながら‥‥‥」

「俺と一緒だな」

「慶次どのも、ですか」

「ハハハ、意外そうな顔をしてるな」

 相変わらず葵の方を向かずに笑った。

(武一辺ものだから。大方暴れたりないのね)

 葵の考える彼のイメージは織田の鬼、その渾名が表す通り筋肉馬鹿であり猪突猛進型であった。

「ははーん。俺を獣みたいになぁんにも考えないやつだと思っただろう」

 いつの間にか葵を視線に向けた彼は得意そうな顔をしていた。

「い、いえ。け、決してそのようなことは‥…」

「ハハハ葵は隠すのが下手だなぁ。そんなどもってると図星だって言ってるみたいなもんだぜ」

「‥‥‥」

「俺だって一応の学はあるさ。そうだなぁ、あれだ」

 彼が空を指さすと三角形を作る。

「かなり光ってるやつあるだろう?あれともうひとつのすげぇ光ってるやつ。それとその上の大きく光ってるやつ。あれを結ぶとな三角形になるんだぜ?夏の大三角って言ってな‥‥‥」

 

 それから聞いた彼の話は非常に興味深いものだった。

 葵は寝るためという本来の目的を忘れただただ、彼の話に熱心に耳を傾ける。 

 特に織姫と彦星の伝説、所謂、七夕。

 遠い地ににいながらも互いを思い続ける、そして二人が合うことが許される日は年に一回だと言う。

 よく小耳に挟んでいたことだがもっと早くに調べておけば良かったと後悔した。

 

「‥‥‥ってなわけだ。どうだ?俺にも学はあっただろう」

「は、はい。そうでございますね。私としたことが聞き入ってしまいました」

 

「なら良かっ‥‥‥ッ!。葵こっちに来い」

 いきなり一音低くなる彼の声。

 その視線は葵の後ろ、暗い森の中に向けられていた。

 

「?」

「葵。陣幕へ戻れ。今すぐにな」

 こっちへ来いだの戻れなどなんなんだと思いつつ彼の視線の先を見る。

「!」

 赤く光る双眸が森の中で蠢いていた。

 それは此方に向かっているようで徐々に徐々にその姿が月明りで露わになっていく。

「ぁ‥‥‥」

 得体のしれない恐怖感に思わず小さな悲鳴が出た。

「葵。あれが鬼って奴だ。今この日ノ本に巣食っている異形のもの」

「あ、あれが‥‥‥」

 噂で鬼について聞いてはいた。

 しかし剥き出しの牙は犬のようなものと考え、光る双眸は月明りの反射よるものだと思っていた。

 だが目の前にものはどうだ。葵の予想以上のものだった。

「小波いるか。葵を安全な場所に頼んだ。やつらは俺がやる」

 

 どこからともなく現れた小波に抱えられた葵は彼の前から消えた。

「それではご武運を」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 鬼が出現した場所よりほど遠い小高い丘で葵は彼の戦闘を見る。

 

 次に次に襲い掛かる鬼を軽くあしらいっていた。

 遠目でしか確認できないものの槍で突き刺し、鬼に蹴りを入れた。

 後ろから襲う鬼を槍の柄で顔を潰した。

 脇差を抜くと続けざまに鬼を斬り伏せるのが見えた。

(すごい‥…あんなにいた鬼が)

 一振り一振りで鬼を確実に仕留めていくその姿に葵は妙な高揚感を覚えた。  

 

 「戻ります。葵さま」

 再度、小波に抱えられ陣幕近くに戻って来た。

 葵の目に写る慶次の姿。

 彼の方が背が高く自然と見上げる形になる。

 夜空をバックに映えるたくましく精強な顔からよく鍛錬されたであろう肉体。

 葵が見たこともないものだった。

「ふぅ。何事もなく終わったな」

 地面に槍を突き刺し、身体を伸ばす。

「お、おおおつかれ‥‥‥さま、です」

 小波は少し怯えたような様相を見せながら労いの言葉を彼に掛けた。

「おうさ。おつかれさん」

 小波の肩を軽く叩く。

「ッ!」

 小波はまた今朝のように忽然と姿を消してしまった。

 

「慶次どの。ありがとうございました」

「礼はいらねぇさ。俺たちは仲間だからな」

「フフッ。そうですね」

 優し気なそれでいて柔らかい笑顔を見せる。

 

「そろそろ寝れそうなんじゃねぇか?」

「‥‥‥言われて見れば少しだけ。眠気が催してきました」

 欠伸は出ていないものの目がとろんとしてきているのを感じる。

「そうか。明日も早えんだ。おやすみな、葵」

「ええ。おやすみなさい慶次どの」

 

 

 そう言い陣幕の中へと戻ろうとした時だった。

 

 近くの草陰から顔を出した鬼と葵の視線が交差した。 

 鬼は剥き出しのギラリと光る牙を見せる。

 

 グガァァァァァァァァァ!!

 

 耳に残るような叫び声を上げながら葵を殺そうと強襲。

「ぁ‥‥‥」

 時間がゆっくりと進むような感覚だった。鬼の動きが非常に緩やかでありその姿を細部に至るまで確認することが出来た。

 唾液を垂れ流す鬼。そして目の前の鬼が自分を喰い殺そうとしているのを悟った。

(私は此処で‥‥‥死ぬ)

 そう理解した刹那、走馬灯のように今までの記憶が蘇る。

 優秀な家臣団との出会いや今までのつらかった忍従の日々。

 そして田楽狭間での合戦。はたまた先ほど慶次から教えてもらった七夕までも。

 

(あぁ。ごめんなさい。綾那、歌夜、悠季、小波。そして三河の民たち。私は此処で──)

 葵はすぐに訪れるであろう痛みから逃げるように目をギュっと瞑った。

 

 

 

 

 

 

 しかしいつまで経っても痛みはやっては来なかった。

 

 

 葵は恐る恐る目を開ける。

 

 「!!!ッ」

 思い切り目を見開いた。

 彼女の目の前には背を向け庇うようにして立つ慶次の姿があった。

 上手いこと槍で牙を防いでいたのだ。

「葵。大丈夫か!」

 流水のように軽やかに右手で鬼の顔面を殴りつけるとそのまま鬼の腹部に重い蹴りを入れる。

 何かが割れるような鈍い音が耳に入り鬼は後ろへ吹き飛び動かなくなった。

  

「葵。すまねぇ。俺が油断しちまったばかりに危険な目に合わせたな」

 

 呆然としていた葵は危険という言葉を聞き先ほどの恐怖を思い出した。 

 鋭利な刃物の如き牙、光る双眸。

 寒気を感じていないのにガタガタと身体が震え出し、顔からは血の気が引いたような後味の悪い感覚が残った。

 「ぁ‥‥ぁぁ」

 消え入る声を出し顔の穴という穴から体液が吹き出してきた。

(嫌ッ嫌ッ!死にたく───)

 

  

 その時だった。

 温かくそれでいて大きな何かに身体が包まれた。

「葵。大丈夫だ。俺がいる。お前は何も心配する必要はねぇ」

 優しい声色と共に葵を包む大きな身体が安心させるように背中を柔らかに擦った。

 今まで嗅いだことのない爽やかな香りが葵の身体に充満する。

 

「大丈夫だ、葵。大丈夫だ」

 ドックン、ドックン。

 彼の心臓の鼓動が聞こえるたびに安堵の気持ちが生まれ、不思議と身を蝕んでいた恐怖は徐々に消えてゆく。

 

 半刻ほど彼に抱きしめられていた葵が不意に顔を上げる。

 涙や鼻水で葵の顔はぐちゃぐちゃになっておりそれを見た慶次の顔に悲痛な色が表れた。

 

「慶次‥‥‥さま?」 

「葵。もう今日は寝な。一緒に俺もいるから」

 葵を抱きかかえると彼女の陣幕へと向かう。

 

 陣幕内には長方形の箱のような物があった。

 その上にござが敷いてあり、布団らしきものが敷いてある。

 葵をそこに寝かせると親が子供にするようにゆっくりと頭を撫で始める。

 それが十分ほど続きやがて葵からは規則正しい寝息が聞こえて来た。

 

 その表情は柔和でありとても穏やかなものだった。

 

 

 

 

 

 

 



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二十四話

急ピッチで書き上げたので矛盾点があるかもしれません。
誤字脱字ありましたら報告お願いします。

派手な衣装はBAS〇RAをイメージしました。
と言っても語彙力の問題で全然書けませんでしたが(汗)
10/25修正


 

 心地よい暖かみを感じる深い微睡みの中にいた。

 浮かんでいるのか、立っているのか、座っているのかわからない。

 平衡感覚がない空間だった。

 一瞬先は闇。見渡せど闇ばかりだった。

(私は‥…)

 葵は思い出した。異形の怪物に襲われ恐怖を。

 獣を思わせる牙から滴る唾液に熊より大きいであろう体躯。

 黒く鎧のような肌と怪しく光る双瞳。

 それが突然の前に現れ、牙を向いたのだ。

(?)

 だが身を蝕み裂くような恐怖は襲っては来なかった。

 恐怖というよりは幼少の子供が大人に叱咤されるような怖じ気というものだった。

 そう理解した途端、意識が覚醒した。

 

 

 目を開け飛び込んで来たのは澄んだ青空だった。

 ふわりと吹く風が髪を撫で上げ目を瞑る。

 胸に感じていた温かさがより鮮明に感じられた。

「……」

 胸に触れているゴツゴツした男性の手。

 彼は葵の布団に顔を伏せながら今も絶え間なく撫でてくれている。

 

 普通ならば胸に手を触れられている時点で何かしらのアクションがあるはずだが、朝ということもありまともに思考が追い付かない。

 そのためか胸の手ではなく彼が側にいることの方に目が向いていた。

 

「なぜ慶次どのが」

 昨夜のことを思い出す。

 

 

 彼の話に耳を傾け、鬼が現れ、そして襲われた。

 その窮地を救ってくれた織田の前田慶次。

 大きな背中を見せ、鬼に立ち向かい一瞬のうちに蹴散らしてくれた。

 不思議と恐怖は生まれず、温かく包み込むような感情が胸を支配していた。

 

「!」

 

 突然、側にいた慶次がビクッと震えると伏せていた顔を上げた。

 気持ちの良い大きな欠伸を見せる。

「んあ?おはようさん。葵」

「……っ!お、おはよう……ございます」 

 顔を赤く染めた。

 別段彼が笑顔を浮かべていたわけではない。

 ただ視界に入るだけで心が高鳴り身体中の血が顔に集まるのだ。

「今日もいい天気なんだ。しけた顔はしないでいこうぜ」

「そうですね‥‥‥」

 

 

 

「葵さまー!おは…」

 陣幕へと入って来た悠季は慶次の姿を目に写すなり動きを止めた。

 少しの間硬直していたがはっとなる。

「……なぜっ!あなたがここにっ!ま、まさか」

「あー悪りぃ。少しこれからのことで話してたんだ。今出てく。またあとでな葵」

 苦笑を漏らしながら慶次は葵に小さく手を振った。

 それに答えるように葵もまた控え目に手を振り返した。

「は、はい。ではまた。慶次……さま」

「け、けけ慶次さまっ!?」

 吃驚の声を背に彼は陣幕を後にした。

 

 

>>>

 

 

 

 (慶次さま……)

 葵の眼前を歩く彼を視界に写す。

 彼が右に行けば視線は右へ、左に行けば左へ自然と目で追ってしまう。

 

「葵どうかしたか?」

 突然慶次が振り返った。

 そのことに葵は驚きはしたが顔には出さなかった。

「?どう、とは。」

「俺のことずっと見てただろう。」

「ッ」

 葵自身それに気付かなかった。

「あ、あの。それは……」

 言葉に詰まり口ごもる。

「前田どの背に虫が止まっていたのですよ。」

 間をおかずに悠季がフォローに入る。

「ですが心根がお優しい葵さまは前田どのを取るか虫を取るかで迷ってしまったのです」

「お、おう。そっか。」

 それだけ言うと腑に落ちない顔を見せるも身体を戻した。

 

「(悠季。助かったわ)」

 ほっと胸を撫で下ろし、慶次に気付かれぬよう小さい声を出した。

「(いえいえー。これも葵さまのことを思ってのことですので)」

「(そう。ありがとう)」

 

 しばらく馬に揺られながら、日が傾き始めた頃、美濃へ到着した。

 

 織田家家老の麦穂と壬月、そしてエーリカの歓待を受けた葵は家臣を引き連れ久遠の元へ向かったのだった。

 

 

 

 

side 慶次

 

 

 美濃へ到着した慶次は森の屋敷の中をウロウロと彷徨っていた。

 中々寝付けず眠気が来るまで時間を潰そうにも桐琴たちは留守であり、小夜叉の妹たちは既に夢の中だった。

 

 どうしたものかと考え屋敷を歩き回る。 

 そんな時。

 薄暗い廊下の奥に人影が見えた。

 「あん?あれは‥‥‥各務か」

 各務元正、森一家の中で一般人兼良識人な女性だ。

 破天荒で自由人な桐琴たちに代わり蘭たちの養育や政務などを行っている。

 感情の起伏がそこまで大きくない彼女も顔立ちが整っているため美女といって差し支えない。

 だが生真面目な性格のためか冗談か通じず真に受けてしまうのが玉に瑕だ。

 しかし養育から政務までこなす優秀さから森一家では各務に強く出る者はいないのである。

「各務」

「おや?慶次さま。どうされましたか」 

「少し寝付けなくてな」

「なるほど」

 少し考える素振りを見せるとふいに顔を上げた。

「少々おまちください」

 

 

「お待たせいたしました」

 いつも通りの鉄面皮を浮かべた彼女の手には徳利とおちょこが握られていた。

「寝れない時にはお酒の力を借りましょう」

「酒かァ。いいねぇ」

 二人は縁側に腰掛けた。

 慶次は親父臭く手をわきわきさせておちょこを受け取る。

「お待ちを。お酌致します」

 徳利を持った各務はちょろちょろとお酒を注ぐ。

 

 美女にお酌をしてもらう‥‥‥それは一般の男性からしてみれば夢にまで見ることだが慶次からすると親切だなとしか思わない。

 

 そのため素直に向けられる好意には気付くがある程度の好意には疎いのである。

 

「よし。俺からもお返しだな」

「はい。お願いします」

 差し出しだされた彼女のおちょこにも注いだ。

 夜空を肴に酒を嗜む。

 肌に風を感じながらに雅なものだなと慶次は思った。

 

 

 

>>>

 

 

 

 酒の力でグッスリと睡眠を摂れた彼は日課である鍛練を終えると市場に足を向けた。

 上洛まで数日の空き時間が出来た彼は暇潰しに人々がひしめき合う市場にやって来たのである。

 道の両脇には露店商が立ち並び、時折値切りの声や笑い声が慶次の耳に入る。

 今でこそ活気のある営みが見えるが元々目に写るような賑やかさは存在しなかった。

 しかし久遠の政策である楽市楽座により隣国から果ての奥州までの商人がこぞって自由な商売をしたのだ。

 それは様々な取引を生むだけではなく活気を作り出したのである。

 

 そして現在。

 慶次はとある一品とにらめっこをしていた。

「南蛮の腰巻か‥‥‥」

 慶次がまじまじと見つめるのは黄と黒の縞模様が描かれた長い麻布のような代物だった。

 端から端まで白く触り心地の良さそうな羽毛で装飾されていた。

「へへ。いいものでしょう。なんでも南蛮の獅子の毛皮らしいですよ」

「はーん。よし‥‥‥店主これをくれ」

「はいよ。毎度あり」

 無精ひげを生やした厳つい店主に銭を手渡した。

 早速身に着けると散策を再開した。

 道行く人々の視線に物ともに堂々と往来を歩く。

「あ、あれは‥‥‥」

 何か恐ろしい物を見たかのようにカッと目を見開いた。

 その視線の先にあったのは派手な装いをした衣服だった。

 朱色と黄色を基調としたシンプルな作りだが腰巻と同じように白い綿のようなもので縁取りされている。また右肩の辺りから袖まで掛けて朱色をした薄い生地の袖口があった。

 さらに付属品なのか動物の牙を加工した首飾りに、この時代では珍しい色鮮やかな深紅の羽織が掛けられていた。

 この時代では異風と取れるその衣服。心惹かれるその衣服を購入すべきか思案する。

 

 

 

side 三若

 

 

 彼女たちは慶次と同じく暇を持て余していた。出陣までに時間があるためだ。

 と言っても暇があったら鍛錬と壬月から口酸っぱく言われていたのだが雛曰く

「根を詰過ぎたらもしもの時に失敗するかもー。」

 とのことだった。

 詰まること三人は羽休めのために城下にやって来たのだ。

「あーあー。何か面白いことでもないかなー」

 三人の先頭を歩く和奏は周囲を見渡しながらそう口にした。

 それを聞いた雛は小悪魔のような狡猾な笑みを浮かべた。

「和奏ちんは城下に来るといつも同じこと言うよねー。」

「なんだってー!ボクが馬鹿だって言いたいのか!」

「ちがうよー。」

「わふ‥‥‥ふ、二人とも」

 こんな往来でと犬子は慌てて二人の間に入った。

 

 そんな時だった。

(ねぇえ。見てよあれ)

(派手なべべ着てんなぁ)

 和奏たちの近くを通りかかった町人から驚愕の声が聞こえる。

 町人たちの視線の先には一人の男がいた。

 奇抜な装いの衣服を身にまとい、深紅の羽織を翻し、橙色と白が交ざった腰巻きを身に付け、周囲の視線を独り占めしていたのだ。

 

「「「え」」」

 いつもとは一風違う姿に思わず我を忘れ呆気ない声を上げた。

 その声に気付いたのか男の視線が三若の方に向けられた。

「おう、三若じゃねぇか。」

 笑顔を見せながら、周囲の視線を物ともせずに三若の方にやって来た。

「け、慶次さま‥‥‥」

「慶次くん‥‥‥」

「慶くん‥‥‥」

 彼女たちは彼、慶次の姿を上から下まで品定めするように見る。

 慶次の方が身長が高いため必然的に見上げる形になった。

「あん?なんだ?」

「慶次さま。そ、そのお姿は‥‥‥」

「これか‥‥‥あー。なんて言ったらいいんだ。……まぁ覚悟ってやつだな」

「覚悟‥…ですか」 

「あぁ。これから始まる大戦‥‥‥この日ノ本の命運を握ってんだ。いつも以上にやらなきゃならねぇだろう?なら毎度着る服とは装いを変えようと思ってな」

 だからだと彼は三若に向けて凛々しい顔を見せた。

 だが三若はその顔に違和感を覚える。

 どこか焦燥しているような感じがしたのだ。

 そのせいだろうか。飄々とした風を見せる雛がしおらしくなっていた。

「‥‥‥慶次くん。死んじゃうわけじゃないよね」

「おい!雛!縁起でもないこと言うな!」

「慶くん‥‥‥」

「犬子まで‥‥‥慶次さま」 

 三若が答えを求めるように悲し気な瞳で慶次を見つめる。

「おいおいおい。そんな辛気臭せぇ顔すんなよ。俺は死にはしねぇさ。」

 ポンポンと順繰りに三若の頭に手を乗せた。

 慶次の手から伝わる温かさに思わず彼女たちは目を細める。

 さながら動物のようである。

「うっし。飯食いにでも行くか。おごるぜ」

「わーい!!」

 いのいちばんに声を上げたのは犬子だった。

 彼の従妹である彼女は大食漢なのである。そのため食事には目がないのだ。

「流石慶次さま!」

「慶次くーん。いーっぱい食べちゃうからねー」

 

 この後に彼女たち行きつけの一発屋に向かったわけだが懐が寂しくなったのは言うまでもなかった。

 

 

>>>

 

 

side 慶次

 

 

 張り詰めた空気が評定の間を包んでいた。

 上座に座る織田の当主を始めとし名だたる重臣が集い、さらには葵率いる松平衆の姿も見えていた。

「権六!」

 評定の間に久遠の鋭い声が響き渡る。

「佐々、前田の両名を引き連れ江南の小城を制圧しろ!その後に我らと合流し観音寺攻めに加われい!」

「御意!」

 観音寺城。

 京に至るまでに立ち塞がる堅牢な城である。

 実は京では三好・松永が将軍の一葉に対し不穏な動きをしていると情報が入ったのだ。

 越前の鬼を駆逐するのに将軍は必要不可欠、彼女を救援しなければならないのである。 

「五郎佐!」

「はっ!」

「滝川を寄騎としてつける。京につながる小城の下し洛中への道を確保しておけ!」

「御意に」

「我が率いる本隊と森、明智、松平衆、そして剣丞隊で観音寺を急襲し一気に叩く! では共々励め!」

「「「はっ!」」」

張り詰めていた空気が解かれ織田松平両名の将たちが気合の籠った返答をした。

瞬く間に評定の間を駆け出して行った。

  

「久遠嬢。俺も行く。」

「うむ‥‥‥」

 そうして慶次が閑散としている評定の間を出ようした時だった。

「け、慶次!」

 閑散とした評定の間に彼女の声が響いた。

「どうした?」

「‥‥‥そ、その格好‥‥‥に、似合っているぞ‥‥‥」

 ボソッと呟き顔を赤くした久遠は風のような速さで評定の間を出ていった。

 

 

>>>

 

 

 大きく深呼吸した剣丞は眼前に佇む観音寺城を見据える。

 自然の地形を多いに利用したその城は岐阜城と同じく要塞といっても過言ではない。

 つまり剣丞隊が落城の要なのだ。

 緊張感を抑えるように剣丞はまた深呼吸を繰り返した。

 本隊率いる久遠たちは正攻法で城門から攻める立てる予定である。

 一方でその隙を突き搦め手を得意とする剣丞隊は裏からの潜入し攪乱するのだ。

「よし。じゃあ行こう」

「鞠、剣丞守るの!」

「うん。頼んだ」

 鞠と呼ぶ少女は昨今起こった田楽狭間で討たれた義元の遺児である。つまり今川氏真である。

 慶次が三河に出向いている時に剣丞と出会ったらしく最初は気を遣うことが多かったが今では剣丞にべったりだ。

 さらに一葉と剣術の師を同じくし剣の腕も相当であるため彼女から立候補し剣丞の護衛についたのだ。

 だが一度は今川を主家とした葵からは猛反対される。しかし鞠も一人の武士であると久遠や剣丞の説得により結局は鞠の護衛として小波をつけることで渋々納得したのだ。

 

「剣丞さま。これを」 

 小波から赤いお守り袋を手渡された。

「?これって」

「服部家お家流である句伝無量です。私の身体の一部を通すことで離れていても会話できる技です。」

「ええ!?忍術万能すぎじゃないか!」

「すでに主要な方々には渡してあります故に本隊との連絡も密に取れるかと。」

 

「はーん。面白そうなもんじゃねぇか」

「あ、慶次。どうしたんだ?」

「伝えることがあってな。久遠嬢から突入の時期は任せるってよ。」

「了解。」

「慶次さま。此方を」

 剣丞と同じような赤いお守り袋を手渡された。

 手に取りまじまじと見つめる。

 突然鼻に近づけると匂いを嗅いだ。

「‥‥‥香の匂いか?いやでも若干柑橘系の香りもするな‥‥‥」

 いい香りがすると月並みの感想を慶次は送った。

「ッ!あの‥‥‥あまり‥‥‥嗅がないでいただけると」 

 顔を赤く染めながらもじもじとし視線を宙に漂わせた。

「?おう。んじゃあ剣丞、任せた。」

「うん。そっちもね」

「誰に物言ってんだ。こちとら森一家だぜ?」

 そう言葉を残し剣丞たちの元を去った。

 

  

 

 

 

 本陣へと戻った慶次は久遠の陣幕に向かう。

 陣幕中には木製の畳床机がいくつか置かれていた。おそらく戦支度に出ている他の家臣のものだ。

 机上にはひよたちが作成した観音寺城周辺の地理が描かれている地図が広げてある。

 久遠はその地図をじーっと見つめていた。

「久遠嬢。伝えて来た」

「うむ。ご苦労‥‥‥森衆に先鋒は任せたぞ」

「あぁ。任せとけ」

 

 

 陣幕を出た慶次は森一家の陣幕へと戻る。

「そうです。兵糧はあちらにお願いします。‥‥‥それはこちらに。」

 兵たちにテキパキと指示を出すのは各務。

 久遠と同じように転写された地図を机上に広げていた。

「各務。森衆が先鋒を任されたぜ。」

「いつも通りですね。準備は出来ていますよ。」

「おう。それであいつらは。」

「奥で磨いています。」

「わかった。ありがとな。」

 

 陣幕内の奥で彼女たちは畳床机に腰を掛けひたすらに布で得物の刃先を磨いていた。

「戻ったか。」

 自身の得物に顔を向けたままだが気配で分かったらしく慶次に声を掛けたのが分かる。

 唐突に桐琴が慶次にぽいと布を投げる。

「使え」

「慶次もやっておこうぜー」

「‥‥‥そうだな。やっておくか」

 近くに置いてあった畳床机に腰掛け、得物の刃先を磨き始めた。

 

「そーいやさー」

 しばらく手入れに没頭していた時、ふいに小夜叉が顔を上げた。

「慶次はその恰好どうしたんだー?」

「それはワシも気になっていたな。何かあったのか」

 小夜叉が慶次の装いを見つめている。

 桐琴は相変わらず得物から目を離さずに声だけを向けていた。

「‥‥‥まぁこれは覚悟ってやつだ。日ノ本の命運を掛けた大戦だからな。いつも以上にやらなきゃいけねぇんだろう。だから派手なものにしてみたんだ。」

「ふーん」

 慶次自身気に入っているこの装い。

 他者から見るとどう映るのか非常に気になるものであり小夜叉に聞いてみようと考える。

 しかしそう考えた矢先、小夜叉の抑揚のない間延びした返事が聞こえた。 

「もしかして似合ってねぇか?」

「そんなことはないけどさ。前よりもカッコよくなったし。」

「ほう。一丁前に言うようになったな」

「なんだよ‥‥‥母は思わねぇのか」

「まぁ確かに。前よりも男前になったとは思うがな」

 いつの間にか顔を上げていた桐琴が慶次に視線をやる。

 和やかな空気が辺りを包み込んだ。

「なんだか恥ずかしいな。」

 頬をかきながら思わず視線を逸らした。

 

 

>>>

 

 

 久遠率いる本隊のうち森一家と松平が先鋒に任命された。

 眼前にそびえ立つ櫓門を開門させるために一気呵成に攻めて立てる。

「ほらー!早く門を開けるですー!」

 綾那率いる兵たちが敵方の反撃を物ともせず強引に攻める。

 敵方が物見櫓から矢を放つ。

 空気を切る音が聞こえると同時に兵が倒れるがそれでも攻撃の手は緩めはしなかった。

「松平衆!綾那に続きなさい!」 

 すかさず歌夜も攻撃を始める。

 

 門前に攻撃を集中することで敵方の注意が逸れていた。

 彼女たちの後方からは台車に乗せられたた攻城兵器の一つ、丸太が到着。

 

「綾那さま!歌夜さま!準備整いました!」

 松平衆の足軽の一人が門前の彼女たちに聞こえるように叫んだ。

 途端に門前の松平衆が除け、丸太を持った足軽たちが門に向かって突撃を始める。

 ゴツンと鈍い音が響く。

 しかし門はびくともしない。

 何度か繰り返すが門にかすり傷をつけるだけであった。

 

「ガハハハッ!ガキ共では務まらんな」

 耳辺りの良い笑い声と共に黒い羽織を風に靡かせながら彼女、桐琴は現れた。それに伴い小夜叉、慶次、そして森衆も。

 中でも慶次は目立っていた。その派手な衣装がとにかく目を引く。

 そして桐琴と対になるような羽織は風で翻っていた。

 桐琴が先頭に立ちその左右に小夜叉と慶次が立つ。

 三人が手に持つ槍を握り締める。

 彼女たちの背に続くように森衆がずらりと並んだ。

「クソガキ!慶次!」

「おうよ!」

「いくかい」

 桐琴の声を皮切りに三人は櫓門へと突撃を仕掛けた。

 その刹那、辺り一帯に砂煙が立ち上り、同時にバキバキと木材を割るような途轍もない音が響いた。

 

 

 

 漸く砂煙が晴れ、松平衆の目に映ったのは蹴破られたような歪な割れ方をした櫓門だった。

「あー!ずるいです!綾那も行くですー!」

 一人櫓門を潜り抜け、慶次たちの後を追った。

「あ、綾那!待って!松平衆!綾那に続きなさい!」

 慌てて歌夜も綾那を追いかけた。

 

 

 

 櫓門を強引に突破した慶次たちはただひたすらに敵兵を斬り伏せていた。

「おらぁ!生きんの諦めろやぁ!」

「頸だせ!頸ィ!人間無骨のエサにしてやんよ!」

「血が滾るってのはこのことかァ!」

 烈火の如きその進軍は六角の兵を震え上がらせた。

 武器を投げ捨て降伏する者が出てくるがお構いなしに手に持つ得物で命を奪う。

 

 森衆の掛け声と共に池田丸を落としにかかる。

 しかし堅牢と名高い観音時城である。

 

 道行く先に曲輪が存在し入り組んだ造りになっていた。

 

 基本、曲輪とは本丸を囲むためにある。池田丸も曲輪だがその中にも曲輪が存在しているのだ。それが入り組んだ造りでありさながら迷路のような造りになるのだ。

 

 左に進めば堀で囲まれた単独の石垣が存在し、右に進めば行き止まりだった。

「っち。埒が明かんな。これでは」

 舌打ちをした桐琴が苦い声を出した。

「母ー!どうすんだ!」

「はん。決まっている。ワシら森一家は進むだけだ。なぁ慶次?」

「そうだぜ小夜叉。森一家に落とせねぇ城なんて存在しねぇだろう。戦国最恐の森一家がどんなものか見せつけてやろうじゃねぇかよ‥‥‥おい、てめぇら!聞こえてただろう?雄たけびをあげろ!」

「「「ひゃっはー!」」」

 

 正面に続いている木々で生い茂った石階段を上り開けた場所へと出た。その城郭は石塁や堀で区画された強固な造りだった。 

 

 目視できる距離に池田丸の虎口が見える。さらに昼間にも関わらず虎口の端に立つ篝火には火が灯っていた。

 

 虎口の近くには物見櫓が建築されているが敵兵の姿は見えなかった。

 

 しかし不思議なことに炎上している部分が所々見受けられた。

 

 炎はあるがどこか物静で閑散とした雰囲気だった。

「敵がいねぇな」

「つまらんな。全くどこに消えた。奴らは」 

「早く先に進もうぜー。たぶんあの門の向こうにいるはずだしさぁ」

 

 池田丸を落とした森一家は次いで平井丸を落としにかかる。

 

 本丸が近いこともあってか敵兵の抵抗が激しく、死兵同然の勢いで向かってくるのだ。

 

 そして池田丸と同じく入り組んだ造りで時折、死角から急襲される。

「死ねぇえええい!!!」

 石垣の上から刀を番えた足軽が桐琴を襲った。

「ワシを殺すだと?百年早いわ!」

 上から降って来た足軽の刀を槍でいなすと顔を強引に掴んだ。

 ボキボキとくぐもった音が聞こえ、桐琴の手からは血が滴り落ち、地面に赤い水たまりを作っていた。

 フンと鼻を鳴らした彼女は足軽ごと敵兵に投げ付ける。ドサッと落ちる自分たちの仲間の様相を見て身体を震え上がらせる。

 頸からしたはまともだったが顔面が見ていられないほどだったのだ。

 

 そうして桐琴を見るや否や武器を捨て背を見せ逃走し始めた。

 

「こいつらホント厭らしい攻め方すんな」

「ホントだよ。男なら正々堂々来いってなー」

 

 その後も入り組んだ造りの曲輪に右往左往しながら平井丸の虎口を目指す。

 

 潜り門や石塁から襲う足軽や死兵同然で向かってくる足軽を一振りで斬り伏せる。

 横に一文字に斬り払う。

 二人同時に串刺しに。

 そして息を吸うように首を刎ねていった。

 

 ここでも塀や物見櫓など炎上している部分が見受けられた。

 

 本丸前に存在する最後の虎口が見えて来る頃には日が傾き始め辺りは薄暗くなる。だが城のあちこちに存在する篝火のおかげで道が分かる程度には照らされていた。

 

 ここまで全速力で走って来たが顔には疲れが見えない。むしろ喜々とした表情を浮かべていた。

 

 先ほどと同じ要領で門扉を破り、本丸にいた兵達の掃討にかかる。

 

 本丸はこれまで陥落させた池田丸、平田丸とは違いかなり強固な造りになっていた。堀はないものの何重にも重ねられた塀や石塁が敵兵を守るように存在しているのだ。

 

「ハハハッ!森一家が引導渡してやらぁ!」

「てめえらの極楽往生を約束してやんよ!」

「いいねぇ。血が滾って仕方ねぇ!」

 しかしいくら本丸が強固であっても彼女たちには関係がない。

 三人が銃弾のように四方八方、敵兵に突撃していき、背を追う森衆が鼓舞するような雄たけびを上げた。

「「「ひゃっはー!」」」

 嵐のような一方的な暴力が敵兵を襲う。

 災害の一つである嵐を防ぐ術はなく恐怖で武器を地に落としていった。

 戦意を失った兵達は我先にと逃げ道である裏虎口を目指していく者がほとんど。

 しかし中には武器を手に取り勇敢にも向かってくる者もいた。

 だが慶次はそれを一蹴し命を刈り取った。  

 

 

 こうして小半刻も経たずに本丸を制圧した森一家。

 堅牢と謳われた観音寺城はとてつもない速さ落城したのである。

 

 ちなみに綾那たちはそのすぐ後に森一家に追いついた。

 

 

 

 

 

 織田本隊が観音寺城の本丸へ入城を果たした。

 夜ということもあり篝火で淡く照らされた空間の中で戦の事後処理に兵達が慌ただしく動いていた。

「慶次、大儀である。怪我はないか」

「おう。ねぇさ。この通り元気だぜ?」

 大丈夫だと右手で力こぶを作る。

 その様子に久遠は満足そうに頷いた。

「うむ。してあの二人はどこに。労いの言葉を送ろうと思うのだが‥‥‥」

「あー。骨がなさ過ぎてつまらんって言ってな。二人仲良く酒を飲んでるさ。ま、各務を付けたし問題はねぇ」

 慶次は苦笑交じりの声を出した。

「なるほど。あやつらしいな」

 久遠も答えるようにフッと鼻を鳴らす。 

 

「久遠、慶次お疲れ様」

 慶次たちに声を掛けたのは剣丞。

 どこか疲れ気味の表情を見せていた。

「お、剣丞か。お疲れさん」

「うむ。大儀であったぞ」

「久遠‥‥‥ちょっと相談なんだけど。実はさ観音寺城内で潜入に気付いた女の子がいたんだ。で、思わず捕虜にしちゃったんだ‥‥‥それで」

 どうすればいいと目で訴えていた。

 剣丞から話によれば本丸に忍び込んだ折に一人の女性に気付かれた。ここまで来てそこで騒がれるわけにいかず止む負えず気絶させて連れ帰ったとのことだった。

 

「ふむ。してその捕‥‥‥」

 紡ごうとした久遠の言葉は甲高い女性の声に遮られた。

「こんの色情魔ぁあああああああ!!!」

 剣丞に向かってどこぞの仮面ライダーのような鋭い飛び蹴りをお見舞いしようとする少女。

 夜空を背にした少女は空中で足を剣丞に向ける。

 

 だが直線的な軌道の蹴り。

 

 剣丞は紙一重で躱した。 

 

 そして躱したその蹴りは必然的に剣丞と向かい合っていた慶次にいくことになる。

「ど、どいてくださいましッ!!!」

 

ドゴォ!!

 

「きゃ‥‥‥」

 慶次に蹴りの衝撃が襲う。

 

 グっと全身に力を張り、堪えたが虚しくも尻もちをついてしまった。

 しかしその衝撃で彼女を離さぬように抱き締める形を取った。

「中々良い蹴りじゃねぇか」

「‥‥‥」 

 慶次の腕に収まる彼女が翡翠色の瞳で見つめる。

「ああん?どうした?」

「あなたはあの時の‥‥‥」

「あの時だぁ?」

 慶次には彼女ような美少女に会った記憶になかった。原作で知っているというだけである。

 猫耳のような二つのとんがりを持つ黒い頭巾を被り、いかにもお嬢様風なくるんとした金色の巻き毛を持っている。首から提げられる十字架。大きく強調された胸元に赤い陣羽織。

「あ‥‥‥うどん屋のか」

「やっと思い出して‥‥‥って違いますわ!ちょ、ちょっと離してくださらない!?」

 慶次の胸を押し強引に手の拘束を解こうするが彼女の力ではびくともしなかった。

「悪りぃ」

 腕の拘束を解くと彼女はすぐさま、いすずまいをただした。

「受け止めてくれたことには礼を言いますわ。それと‥‥‥も、申し訳ございませんでした」

 綺麗に頭を下げると剣丞の方に向かった。

 

 

「大事ないか?」

 久遠が白い手を差し伸べる。

「あぁ。ありがとな久遠嬢。」

 差し伸べられた手を取り立ち上がると土を払った。

「何かと大変だな剣丞は。」

 

 剣丞の周囲に詩乃、ひよ、ころ、そして先ほどの金髪の少女が囲むように集まっていた。

 

 傍から見ればまさにハーレムと言った所だろう。

 

「あやつの周りには女子ばかり集まるからな。女たらしだ」

「本当だな。ハハハ!」

 

「‥‥‥貴様も人のことを言えんぞ」

 ボソッと久遠が呟いたその言葉がなぜか胸に刺さった。

 

 

 

 



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二十五話

投稿済みの話を修正+加筆しました。申し訳ございません。ですが特にストーリー上障害はありません。せいぜい描写を追加したくらいです。 
(七話から十三話あたりまで)
あと書いてる途中に気付いたんですが梅ちゃんが剣丞に惚れるシーンがオリ主が葵を庇うのと同じでした。故意に書いたわけではありません。
※ナデポは十八番かも。


 観音寺攻めが織田方の勝利に終わり一段落。

 

 ほとんど者が寝付く丑三つ時、慶次は観音寺城の本丸で夜空を眺めていた。

 

 今宵は満月。暗い空に映える星々が煌めいていた。

 そんな夜空に誰もが綺麗だとか素敵だとか華やかな明るい言葉を発するだろう。

 しかし慶次は違った。

「‥‥‥あぁ。もうすぐか‥‥‥」

 口から漏れるのは暗さを感じさせる言葉だった。

 もうすぐ近くまで来ているのだ。あの瞬間が。

 

 彼は目を瞑り、前世で見たシーンを思い出す。

 桐琴が単身鬼の大群に挑み、そして討ち死する光景を。

 

 どうして彼女が鬼の大群に対し殿を務めることになったのだろう。

 老いた自分は必要ないと。もう何も残す物はないと考えたからか。

 

 では殿を務めさせないために出来ることは何か。

 地下から急襲する鬼の大群に対処すれば良い。

 そう考えるも現状でその対策は見つからない。 

 

 そもそも織田浅井松平の同盟の目的は越前の鬼を根絶やしするということ。 

 道中で急襲されることは原作と変わりはしないのではないか。

 つまり鬼の急襲は防げないのか?

(あーくそっ!俺の頭じゃ無理か)

 自分の頭に悪さに苛立ちワシワシと頭を掻く。

 

(桐琴は‥‥‥) 

 誇り高い彼女は救われることを望むのだろうか。

 

 否、確実に討ち死と言う武士の誉れを選ぶ。武士としての生きざまを貫き通す。

 

 疑問が疑問を呼び、頭でそれを反芻する。

 

 どうすればいい、どうすればいいと頭をフル回転させ、必死に答えを手繰り寄せる。

 

 だがストンとパズルのようにはまる考えが生まれなかった。

 

 考えれば考えるほど底なし沼に嵌まるような感覚に落ちていくのだ。

 

 だから半ばやけくそだった。

 出した答えはひたすらに時の流れに身を任せるというもの。

(あー、もう。やめだやめ。俺は俺のしたいことをする。それだけだ。桐琴を救う、鬼を蹴散らせばいいだけだ。そうとも、それでいいんだ) 

 もうあれこれ考えるのはやめた。

 自分がしたいことをすれば良い。

 例えそれが自分の価値観の押し付けだとしても慶次は貫き通すと決めた。

 

 乱暴な口調とは裏腹に心根が優しく、慈母のような温かさを持つ桐琴を救うと固く心に誓ったのだ。

(ったく。気付けばこんなに入れ込んじまってる‥‥‥いや桐琴だけじゃねぇか。小夜叉、久遠、結菜‥…)

 両の手で足りないほどの大事な人が出来ていた。

 慶次は呆れ顔で大きなため息をついた。

 

「こんな所で何をしている。慶次」

 桐琴のことを考えていたからだろうか。

 慶次の背に不機嫌さを伺わせる声が掛かった。

 振り返ればむすっとした仏頂面をする桐琴がいた。

 おそらく先刻の戦のことを引き摺っているのだろう。

「ま、何てことたぁねぇさ。空見てただけだ」

「ほう。句でも詠むのか」

「そんなとこ、だな……」

 慶次の返答にそうかと短く答えると桐琴は男らしくドカッと隣に腰を降ろした。

 桐琴との距離は肩が触れ合いそうなほど近い。

「……」

「……」

 二人の間に流れる静寂な空間。

 耳に入る虫の鳴き声がいつもより大きく感じた。

 

 しかしそれをよそに二人は空を仰ぐ。

 

「慶次……」

 唐突に桐琴が口を開いた。

「あん?なんだ」

「……ワシは今身体が火照っている。鎮めようにも殿に城から出るなと止められてな。……貴様ならこの意味理解できよう?」

 色気を感じさせる深い笑みを慶次に向ける。

 

「……いいさ。付き合おう」

 就寝前の準備運動には丁度良いと考えた慶次。

 桐琴との稽古に懐かしさを覚えた。

(最後にやったのいつだったかねぇ……?)

 思い出すように慶次は目を瞑った。瞼の裏に彼女との稽古が鮮明に映し出される。

 稽古と言っても殺伐とした雰囲気を放っていた。

(……あぁ。そうだった。小夜叉と会ったのもこの時だったな)

 道場の引き戸を小さく開けて此方を盗み見ていたのだ。それが小夜叉との初めての邂逅だった。

(はん。死ぬわけじゃあるまいし‥‥‥なんでこんな湿っぽいんだ……?)

 彼女が毎分毎秒と肌身離さず身に持っていた得物が見当たらない。

 横目で周囲を見渡すもやはりない。

(珍しいこともあるもんだな。しっかし置いてきたのか)

 しかしそのことを尋ねようにも、どこか憚れるような、野暮のような気がしたのだ。

 

「ッ、そうか……」

 慶次の言葉に少し目を見開いていたがすぐに消える。

 時折稀に見る真剣な面持ちをしていた。

 

 この時の慶次は勘違いしていた。

 彼は稽古の相手になれと言う意味合いだと思っていたのだ。

 だから懐かしさを感じたのだが‥‥‥。

 

 桐琴の言葉の本当の意味は違った。

 文字通り、火照りを鎮めること。

 つまり、男女の──であったのだ。

 

 突然、隣に座る慶次を押し倒した。

「うお!?」

 予期せぬことに思わず奇っ怪な声を上げた。

 驚愕の表情を見せる慶次を尻目に彼の上に馬乗りになる。

「おいおい。冗談じゃねぇよな……まさか」

 先ほどの彼女の言葉を今しがた理解した慶次。

「そのまさかだ」

 淡々と言い切った。

 情欲に濡れた紅い瞳で慶次を見つめる。

 桐琴の小さく開いた口から漏れ出る吐息が酷く妖艶だった。

「……ここまで本気にさせたのは貴様だ。後戻りはできんぞ。覚悟しろ」

 桐琴は両の手を慶次の頬にそっと置いた。

「……慶次」

 呟いた声音はいつものような凄味は感じられない。

 対照的な、か細く子猫のような声だったのだ。

 

 徐々に近付く二人の唇。

「……ワシは……貴様を……」

 桐琴の二の句がそのまま紡がれることはなかった。

 

 

 

>>>

 

 

 

 慶次と桐琴、二人の情事から数日。

 二人は何事もなかったかのように振舞っていた。

 慶次は散歩に出掛け、桐琴は周辺の鬼退治。

 

 だが夜の戸張が下りれば、桐琴は必ず慶次の元へ向かった。もちろん慶次はそれを快く受け入れる。

 まるで桐琴は通い妻のよう。

 しかし睦事はあの日以来行っておらず何気ない会話や稽古など極々普通の日常だった。

 

 

 

 一方で織田松平連合軍は壬月と合流。

 共に足利将軍、一葉のいる京を目指していた。

 

 そんな時。

 

 京に出ていた麦穂たちから早馬が入る。

 麦穂たちは京周辺で織田の敵となるものを駆逐していたのだ。

 それは正史で足利将軍を暗殺せしめた三好・松永に対しての宣戦布告だった。

 将軍家には織田がついているぞ、と。

 

 だがそんな折に松永弾正少弼から織田へ恭順をしたいと麦穂の元へ使者が来た。

 松永弾正少弼久秀。

 乱世の梟雄と、謀略家と謳われた女性だ。

 三好の名家宰として破格の待遇を受けていた彼女が突然恭順したいと申し出て来たのだった。

 

 

 

「松永弾正少弼久秀殿をお連れ致しました」

 麦穂は共に雛を引き連れ、織田の陣幕へと入って来た。

 二人の後ろには大人の色気を醸し出す花魁のような美女がいた。

 

 彼女は麦穂に目で諭されると一歩前に進み出て恭しく頭を垂れた。

「接見の機会を与えて頂き、深くお礼言上仕る。織田上総介どの」 

 堂々した面持ちで上品さを感じさせる言葉を述べる。

「我が名は松永弾正少弼久秀。通称、白百合。見知りおき願おう」

 久遠を真っ直ぐに見つめる久秀。

 まるで値踏みをしているかのような視線だった。

 

「デアルカ‥‥‥それで久秀?貴様はなにゆえ恭順する?手短に言え。」

 久遠は傍に控えている兵を一瞥した。

 それは事の次第によっては斬ると物語っているかのようだ。

 

「ふふふ。おー、怖い怖い‥‥‥では怒らせぬうちに述べようか」 

 どこか久遠を小馬鹿にしたように笑う。

 だがその表情も一瞬にして消え、恐ろしく真剣な顔つきに変わる。

「三好三人衆。外道に落ち申した」

 三好家にて三好長逸、三好政康、岩成友通で構成される将たちのことだ。

 三好家家中にて強い発言力を持つ、いわば三好家の大きな刀である。

 

「‥‥‥何?」

 久遠は目を丸くした。

 

 久秀はそれから平淡に語る。

 怪しげな占い師が三人衆に訳分からずの丸薬を渡したと言うのだ。驚くことにその丸薬の総数が三千。

 その丸薬と引き換えに占い師が望んだのはとある村を領地として欲しいとのこと。

 三人衆は快く快諾したのだった。

 久秀はそんな彼らに失望し、彼女は久遠の元へ恭順しようとし、今に至る。

 

「デアルカ‥‥‥」

 事の次第を聞き、二の句を告げず沈黙した。

 周囲の者にも広がっているのかただただ場を静寂が包んでいた。

 

 特にエーリカはそれが顕著で顔まで青くしている。

「そんな‥‥‥」 

「‥‥‥金柑。焦るな」

 諭すように優しい声音で投げかける。

 

「しかしっ!このままでは鬼が‥‥‥!」

 久遠の言葉に反射するように声を荒げた。

 

「聞け。三好の兵はすでに手遅れだ。聡明な貴様ならわかっているはずだ」

「それは‥‥‥」

 エーリカは言葉に詰まった。

 心のどこかでそう思っていた部分があるからだろう。

 

「‥‥‥話の腰を折ってしまいました。申し訳ありません」

 震える口を開き、ぺこりと頭を下げた。

 

「よい。気にしてはおらん。‥‥‥それで弾正少弼」

「はっ!‥‥‥」

「貴様の恭順を認める。以後我が手足となって働け」

「御意に」

 こうして久秀‥‥‥白百合は織田に降ったのだった。

 

 

 

 白百合が降り、数刻。 

 久遠は三好三人衆に急襲されるであろう二条館へ軍勢を向けるため準備を整えていた。

 要は合流した軍の再編成である。

 ちなみに剣丞隊はすでに二条館へと送っている。

 少人数で組まれた彼らは素早く動けることが出来、その利点を生かし先触れとして送ったのだ。

 

 陣幕内にいる家老二人はじっと久秀に視線を送っていた。

「ふぅむ‥‥‥中々に敵意が強いのぉ。」

 ふと久秀が口を開く。

 ビシビシと刺さる視線に臆せずに飄々とした態度を見せていた。

 

「‥‥‥」

 彼女の瞳が慶次へと向けられる。

「‥‥‥なんかついてるか?俺の顔に」  

「そなたは‥‥‥」

「あぁ。自己紹介がまだだったな。俺の名は前田慶次ってんだ。慶次でいいさ」

「なんと‥‥‥噂の」

 慶次の全身を嘗め回すような視線を巡らせた。

 頭から胸へ。次いで腰辺りから足先まで。

 そうして慶次の顔を見つめる。

 

「ふふふ。織田の鬼とはこうにも色男であったか」

 艶やかな大人の魅力と言うのだろうか。

 薔薇のように美しく見惚れるような微笑みを見せる。

 だが薔薇なのであった。

 綺麗な花には毒があると言うように魅せられたら最後身を滅ぼすかもしれない。

 増してや乱世の梟雄と渾名が付く彼女。

 自身だけでなく周囲の者にまで毒の影響を与えかねないのだ。 

 

 にも関わらず慶次はついつい思ったことを口にしてしまう。

 乱世の梟雄と雖も女性だなどと考えているからだ。

 詰まる所、女性には好印象を持ってもらいたいのだ。

 

「嬉しいもんだ。アンタみてぇな美しい女に言ってもらえるなんてな。」

「ほう‥‥‥私のような婆を口説くか‥‥‥益々気に入ったぞ。前田慶次」

 妖艶な笑みを湛えながら胸を揺らした。

 ふるんと揺れるふくよかな胸部に思わず目が行きそうになる。

 

 刹那、ゾクリと背中が震える。

「おおう!?‥‥‥」

 意図せずに奇怪な声が口から漏れ出てしまう。

 

 振り向けば麦穂から刃物のような鋭い視線を送られていた。

 冷ややかな目つきで今にも視線で射殺せそうな勢いだ。

 

「流石は色男と言ったところかの」

 彼女は狡猾な笑みを慶次に見せた。 

 

「白百合どの。お戯れもほどほどになさい」 

 全身が氷漬けにでもなりそうな冷たい声で白百合を嗜めた。

 だが白百合は意にも介さない様子で薄笑いを浮かべていた。

 

「ほほほ。色々と苦労しそうだの、米五郎佐。」

 そう言葉を残し、陣幕を出ていった。

 

 

>>>

 

 

side out

 

 篝火が灯され暗闇の中で揺れている。その篝火の前に剣丞隊と一葉はいた。

 そして後方に集まる三百もの兵たち。

 ここ二条館南門での襲い来る鬼を迎え撃つ算段だ。

 

 突如、鏑矢が上がりけたたましい音が響いた。

 鬼が現れた合図だ。

  

 兵達を含めた剣丞たちの顔が一気に引き締まる。

「油断をするなよ。みんな」 

 剣丞たちの前方に鬼が見え戦闘が始まった。 

 

「三人一組で戦ってください!決して一人で戦ってはいけませんよ!」

 館内の物見櫓から全体を見渡す詩乃。

 軍師である彼女は全体を把握できていたほうが策を考えやすいために敢えて狙われやすい櫓に登ったのだ。

 即興で作られた簡易なものだがきちんとした矢避けも施してある。 

「左翼!陣形が崩れかかっています!早急に立て直してください!」

 彼女自身無理を言っていると自覚はある。

 だが三百余名と言う寡兵の中、彼が生き残るには多少でも無理はしてもらわなくてはならないのだ。

 

 詩乃は剣丞が刀を振るう南門に目をやった。

 白いその特異な服は目立つためすぐに発見できた。

 そのすぐ近くにいる二人の女性は剣丞に鬼を近づけさせないように立ち回っていることが確認できる。  

 迫りくる鬼を一刀の元に斬り伏せていた。

(剣丞さま‥‥‥どうかご無事で) 

  

 

 

 

 

 

 鋭い斬撃が鬼を襲う。

 

 その度に戦況はめくるめく此方側に偏って来た。

 

 絹のようなきめ細かい銀髪を左右に振り乱す一葉。

 

 そして同じくその隣で舞踏のような軌跡を描いてひたすらに刀を振るう剣丞隊の一人、鞠。

 

 斬れども斬れども沸く鬼を急所を突き、切り裂く。

 

 そうして最初は鬼をうまく対処出来ていた。

 

 だが小一時間ほど経ったころ鬼が一筋縄ではいかなくなって来たのだ。

 

 徐々に押されゆく前線。鬼の指揮官も本腰を入れ始めたのだ。

 

 キィン!!

 鬼の刀と剣丞の刀が鍔迫合になる。

 バチバチと火花が散った。

「くそッ!」

 悪態をつくと思い切り刀を返し、大きく一歩踏み込んだ。

 そして袈裟斬りをお見舞いする。

 

 鬼が倒れたことを確認し大きく息を吐いた。

「やるではないか。剣丞」

「剣丞かっこいいのー!」

 その言葉を背に鬼へと猛攻を仕掛けた。

 背に続くように兵達も後ろに続く。

 

 だが奮攻虚しく鬼の頭数は減らない。

 

 増える被害に兵達も少しづつ戦意を落としていくのだった。

 

 途中で雑賀衆と小寺勢‥…後の黒田官兵衛の援軍を迎え、戦意を取り戻しつつあった。

 だが如何せん鬼の数が多過ぎる。

(数が違いすぎる‥‥‥)

 戦いは数。

 その言葉を体現しているかの状況だった。

 

「剣丞!後ろじゃ!」

 少しでも油断したのが甘かった。

 剣丞の後ろには体躯の良い鎧を着こんだ鬼がいた。

 鬼の荒い息がよく耳に響く。

 

 ガアァァァァァァァァァ!!!!

 もうすでに刀は振り上げられ、空を斬っていた。

(ごめん‥‥‥)

 頭には剣丞隊の面々が浮かぶ。

 本当にここまで良く付いてきてくれたと死に間際に思う。

(梅、鞠、ころ、ひよ。そして詩乃‥‥‥ありがとう) 

 剣丞は来るであろう痛みに目を瞑った。

 

 最後は楽に逝きたいと。

 

 

 

 

 

 

 だが痛みは来ない。

 それどころか鬼の荒い息すら聞こえないのだ。

「ッ!!」

 

 目の前にいた鬼の胸を貫く槍。

 鬼は槍を取ろうと必死にもがいていた。

 

 槍の切っ先から滴る鬼の血液が剣丞には酷く印象的に写る。

「情けねぇな。剣丞。そんなんじゃあ‥‥‥好いた女すら己が手で守れねぇ‥…ぞっ!」

 彼の声と同時に槍が引き抜かれ、血が噴き出した。

 倒れ伏す鬼を見つめる慶次。 

「け、慶次‥‥‥」

「ほら。行くぞ」

 

 

 織田本隊が二条館に到着した。 

 

 士気も回復し、これから始まるのは一方的な蹂躙だった。

 先頭に立つ久遠が地を轟かすような声を張り上げた。

 

「攻めの三佐よ! 槍の小夜叉よ! そして織田の鬼よ! 奴らを殲滅せしめい!!」

 

「「「おう!!!」」」

 

 久遠の高らかな号令と共に一番槍を任された森一家が鬼を見据え、蹂躙劇が始まった。

 

 

 

 

>>>

 

 

 

 

side 慶次

 

 

「無事でよかった」

 遠目に剣丞たちを眺めながらほっと安堵のため息をついた。

 詩乃が、ひよが、ころが剣丞に抱き着く。

 特に詩乃は櫓から剣丞の危機を見ていたらしく離れていても分かるほどに嗚咽を漏らし涙を流していた。

 

 

「久しいな。慶次」

 彼に声を掛けたのは腰まで伸ばした銀髪が特徴的な美女。

 戦が終わった後のせいなのか頬が少し赤い。

「一葉か‥‥‥久しぶりだな。怪我は?」

「うむ。特にしてはおらん」

「そうか。あぁよかった」

「なんじゃ。心配しておったのか?」

 悪戯っこのような目つきで笑みを見せた。 

「当たり前だ。女心配しねぇ男なんぞいるわけねぇだろう」

「そ、そうか‥‥‥」

 慶次の言葉に少し照れた様子を見せ上機嫌に目を細めた。 

 

「おやおや。これはまた物珍しい一面ですなぁ‥‥‥慶次どのに聞けばそうなると分かっていらしたでしょうに」

 気付かぬうちに一葉のすぐ隣には幽がいた。

 やれやれと言った様子を見せるもムフフと面白いもの見るかの如く薄く笑っていた。

 

「こ、こら。あまり余計なことを言うでない!」

 あからさまに狼狽した様子を見せると軽く小突いた。

「はわー。公方さまがいじめまするー。助けてくだされー」

 抑揚のない声を上げながら幽は慶次を盾にするように身を隠した。

 慶次の背からひょっこり顔出すと意地の悪い笑みを一葉に見せる。

 

「ぐぐ‥‥‥なんと羨ましいことを」

「全く仲が良いな、お前らは‥‥‥それより幽。怪我はなかったのか」  

 

「へ‥‥‥」

「見たところその様子じゃ特にないように見えるが‥‥‥」

「え‥‥‥だ、大丈夫でございまする‥‥‥某よりも公方さまの方を‥‥‥」

「幽もいい女だ。怪我には気をつけねぇとな。乙女の柔肌に傷が付くと傷跡が残るかもしれねぇ」

「‥‥‥」

 口説き文句にも似た言葉に幽は石像のように身体の動きを止めた。

 

 それを見た一葉は仕返しとばかりに薄ら笑いを浮かべる。 

 

 対して幽はぼーっと虚空を眺めていた。

 数秒経つとはっと我に返り、ごほんと咳払いをした。

「‥‥…い、いやはや。慶次どのからかいが過ぎますぞ‥‥‥」

 いつものような飄々とした態度を見せるがどこかぎこちない。

 それに加えて顔が少し赤かった。

 

「で、では某はこれにて」

 幽は慶次たちから逃げるように二条館の中へと消えていった。

 

「からかってなんかいねぇんだがな」

 慶次は幽が消えて行った方向を見つめ呟いた。

 実際、慶次はからかってなどいなかった。

 幽のような美女に傷付いて欲しくないだけだった。

 ただ如何せん彼は伝え方が悪いのだ。

 

「幽のやつ。あのような顔をしおって」

 一葉は穏やかな表情を浮かべていた。

 

   

「んじゃあ次は双葉んとこ行くか。一葉、場所分かるかい?」

「御所内にいるが‥‥‥直に姿を見せると思うぞ」

 

 言うや否やまるで待ってましたと言わんばかりのタイミングで起こった。

「慶次さまッ!」

 二条館の奥から一際大きい声が聞こえた。

 その声の主は一葉と対照的な黒髪を左右に揺らし慶次の元まで走って来る。 

「久しぶりだな双葉」

「はい!お久しぶりです!」

 キラキラと輝く笑顔を慶次に向けた。

「怪我はねぇか?」

「この通り大丈夫ですよ」 

「あぁ。ならよかった」

 ポンポンと双葉の頭に手を置いた。

 軽く梳いてみれば高級絹糸のようなサラサラ感、そして上品な柔らかさを感じた。

「ふふっ‥‥‥」

 嬉しさを隠しきれないのか目を細める。

 喜色満面と言う面持ちだった。

「む‥‥‥」

 一方で一葉はむすっとした顔を浮かべ、何かを期待する眼差しを慶次に向けた。

 もちろんその視線に気付いていた慶次。

「ほら、一葉」 

 双葉と同じように手を乗せる。

 生糸のように一本一本が存在感を持つ銀色の髪。

 その銀の生糸を軽く弄べば形状記憶のようで、また異なる柔らかさを感じさせながらふわりと流れた。  

「ふふ。好いた殿方からされるのは格別じゃ」

 晴れやかな、充足した顔で目を細めた。

「おうさ。ありがとな」

 

 

 

「あーっ!いいないいなー!雀もしてもらいたいなー!」

 辺りに響くような大きな声が慶次の耳に入った。

 活発さを感じさせそれでいて幼なさを感じさせる声だ。

 

「雀か。相変わらず元気いっぱいじゃな」

 一葉は先ほどの声の主、雀に視線を移した。

 褪紅色の髪をショートヘアにした幼女だった。小さな黒色の兜巾を頭に被り、紫色を基調とした服を着こんでいる。

「おつかれさまですー!公方さまー‥‥‥ん?なになにー?」

 雀の服を引っ張り耳元で何か囁いた少女。

 幾何か雀よりも年上なのか落ち着きが見える。

 雀と同色の装いをし長い髪を後ろで纏めている。

「あちゃ~忘れちゃってたよ。お兄ちゃん、私は雀って言ってねー、こっちは烏お姉ちゃんって言うの。よろしくねー」

 二人揃ってぺこりと綺麗なお辞儀をした。

「雀に烏ね。俺は前田慶次ってんだ。慶次って呼んでくれ。よろしくな」 

 

 両の手を彼女たちの頭に乗せる。

 ゆっくりと乗せた手を前後に動かした。

 流石姉妹と言うべきか同じ髪触りだ。

 幼子特有の柔らかさを持ちそれでいて確かに感じる芯があった。 

「ほえ~……」

 雀はうっとりとした表情を浮かべていた。

 コンプレックス持ちの人間が見れば発狂するだろうと考えるほどに可愛らしい。

「‥‥‥」

 烏は口は開かないものの伏し目がちに頬を染めていた。 

 

 

「気持ちよかったね~お姉ちゃん」

「‥‥‥」

 慶次を一瞥するとゆっくりと頷いた。

 しかし烏はあ!っと何か思い出したように雀に耳打ちした。

「え?お仕事まだ残ってる?‥‥‥あ!忘れてたー!じゃあ慶次お兄ちゃん雀たちはもう行くね。バイバーイ!」

「‥‥‥」 

 姉妹は振り返りざまに手を振りながら何処へと行ってしまった。 

 

 

「慶次」

「あん?」

 一葉がじぃと慶次を凝視していた。その顔は真剣そのもの。

 探るような、疑うような訝しげな視線だ。

 

「まさかあのような幼子に手を出すわけではあるまい?」

 

「け、慶次さまにはそのような趣味がお有りなのですか‥‥‥」

 不安を誘うような双葉の瞳が慶次を見る。

 その瞳に慶次はあっけらかんに答えた。

「そんなもんねぇさ。ま、ただ可愛らしいってのは正直な所だな」

「‥‥‥」

「‥‥‥」

 二人は犯罪者でも見る白い目をしていた。

「おい。そんな目で見んな」 

 

 

 

 

>>>

 

 

 

 二条館での戦の翌日。

 久遠は二条館の大広間を借り受け軍議を開いた。

 この場にいるのは織田の主だった家臣、剣丞隊、松平、そして足利である。

 

 静寂に包まれる空間。 

 鳥のさえずりがエコーのように響く。

 そんな中、久遠が口火を切った。

「みな先の戦。ご苦労であった。特に剣丞。貴様の奮攻は目を見張るものだった。より励め」

 

 そうして第一に始まったのは論功行賞。

 織田に始まり、次いで松平へと。

「流石血気盛んな三河武士だ。その力、これからも便りにさせてもらう‥‥…さて」

 

 いすずまいをただし久遠は全体を見渡す。

 

 うむとゆっくりとした動作で頷き口を開いた。

「単刀直入に言う。我は新田剣丞‥‥‥天上人を傘にこの日ノ本の鬼を駆逐する。政治的に剣丞は有効的に使うことに決めた。もちろんこれは剣丞隊の了承、そして本人の了承を得ている。今、剣丞は偽と言えど我の良人と言った形だがいずれは他勢力の良人にすることも考えている。」

 

 詳しく言えば天上人の威光を利用し剣丞に様々な有力者の嫁を取らせると言うことだ。そうすることで強引に身内とし、日ノ本の鬼を駆逐する際の力の一助になってもらうと言うことである。

 

 久遠が話を終えると一葉に視線をやる。

「織田上総介の言は幕府より御内書を受けたものであり禁裏に上奏奉り‥‥‥」

 風格を持った一葉の澄んだ声が広間全体に響き渡る。

 

 一葉の言う所は久遠の言葉は幕府により効力を持つと言うことだった。つまりは武士の棟梁室町幕府将軍からのお墨付きをもらったと言うことである。

 

「‥‥‥これにて終了する。どんな罵詈雑言でも我は受け入れるつもりだ。不満があれば我の元へ来い。‥‥‥では各々次は小谷へと向ける荷駄を整えておけ。以上解散!」

 

 

 

 

>>>

 

 

 

side 慶次

 

 小谷へ出立の準備が着々と進められている中、慶次は一人、二条御所をブラブラと散策していた。

 周囲一帯を注意深く見渡し、何か探すような仕草を見せる。 

 実は二条館内に生える木々の一つにリンゴがあると一葉から聞いたのだ。

 この世界に生まれて一度も食していないリンゴ。

(いやぁ~楽しみで仕方ねぇぜ) 

 溢れ出て来る唾液を飲み込み、逸る気持ちを抑える。

 

 

 しかし半刻ほどが経つが中々見つからない。

 それこそ端から端まで白み潰しに歩き回ったのだ。

 すでに二条館を三周ほどぐるぐるとしていた慶次。

 

 実はこの時にすでに剣丞と雀たち姉妹にリンゴはもぎ取られていたのだ。

 だが慶次がそれを知る由もない。

「どこだぁ?俺のりんごぉ‥‥‥」

 近くにある整えられた石に腰掛け、ため息をついた。

 

 額に滲む汗を拭き取る。 

「ホントにあるのかねぇ‥‥‥ん?」

 慶次が周囲に目を配っている時、館の南門付近にとある少女を見つけた。

 

 腰を屈め、手を顔の前で合わせている。

 目を瞑り、熱心に何かを呟いていた。 

 ふーんと流しておこうかと考えていた慶次だが小さく動く唇が言ったであろう言葉が彼を駆り立てた。

  

「おう。葵」

 彼女の眼前には一本の線香が立てられていた。匂い立つ煙が風に消えていく。

 そして色とりどりの花々や季節の果物が添えられていた。

「‥‥‥慶次さま」

 葵は悲し気な瞳で慶次を見つめていた。

「辛気臭せぇ顔してどうした?」

 慶次は葵と同じように腰を低くする。

「‥‥‥」

「話してみな。そんな顔してんだ。何か理由があんだろ」

 優しい声音で語り掛けるようにして尋ねた。

 

「実は‥‥‥」

 葵は重い口を開いた。

 

 

 

 

 

 

「なるほどねぇ」

 葵が語ったのは松平の兵のことだった。

 先の戦で勇猛果敢に斬りかかり天に昇っていった兵達。

 彼らに感謝の念をと祈りを捧げていたのだ。

 

(だから、ありがとう、か)

 慶次が遠目に確認出来た葵の唇の動き。

 彼女の人を思いやる気持ちが強く伝わる。

 だからこそ正史で天下を取れたのかもしれない。

 

「優しいんだな。葵は」

「いえ、私など‥‥‥後ろでふんぞり返ることしかできませんから」

 顔に陰鬱を染み込ませ、力なく笑った。

 自分を嘲笑うかのような自虐的なものだ。

「‥‥‥私はせめてもの償いに死んでいった兵たちに祈りを捧げているのです」

 

「‥‥‥なるほどねぇ。後悔はしてねぇな?」

「ええ。彼らは平和の礎として旅立って行きましたから。後悔などしていたら前へは進めません」

 いつの間にか自虐的な顔は消え失せていた。

 希望に満ち溢れるような晴れ晴れとした顔を浮かべていた。

 まるで入学式を迎えた子供のよう。

 

「いい顔だ」

「ふふ。ありがとうございます」

 照れ顔と嬉しさが混ざったであろう微笑みを見せた。

「ホントにいい‥‥‥葵は良い女だ。保証するぜ?」

「へ‥‥‥」

 顔に疑問符を描いたようなきょとんとした表情になる。

 視線は一点を見つめ言葉を吟味しているようだった。

「‥‥‥あ、あの。慶次さま。そ、それはどのような意味でしょうか‥‥‥」

「言葉通りだ。ま、深く考えるな。そのまんま行けばお前は良い女になる」

「‥‥‥」

「じゃあな」

 言うだけ言うと慶次は再びリンゴ探しを再開した。

 

 

 

 

 

 




野性的桐琴ではございません。


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二十六話

短いです。(四千弱ほど)


あと調子に乗りましたが後悔してません。‥‥‥‥‥たぶん。
どうしてこうなったの?とか聞かないでください。こころが痛くなりますので泣


 奇抜な衣装の男が館周辺を彷徨うように歩き回っていた。疲労感の滲む表情で縋るようにキョロキョロと辺りを見渡していた。

「りんごぉ~。ほんと見当たらねぇな‥‥‥」

「‥‥‥慶次さま」

 ひゅんと慶次の傍に現れた小波。

 手には瑞々しい光沢を放つ赤いリンゴがあった。

「うお!?‥‥‥こ、ここここれは‥…小波どこにあった?」

「すぐそこに見える木ですが‥‥‥」

 小波は慶次の背後に立つ木を指差す。幹が太くない至って普通のどこにでもある木だ。

「へ‥‥‥」

 慶次がその木を見上げれば木漏れ日が眩しいくらいに彼を照らす。

 だが彼の視線の先には赤い果実、リンゴが見える。時折、日光で反射し、まるで取ってくださいと言わんばかりに薄く光っていた。

「‥‥‥おお」

 もぎ取ったそのリンゴの感触を確かめ、香りを嗅いだり、頬擦りをした。

「あぁ、小波。助かった‥‥‥やっとリンゴを食える」

「いえ。私のような者に礼など不要です。では失礼‥‥‥」 

「まぁ待て。折角だ。小波の分もある。一緒に食わねぇか。丁度日当たりの良さそうな場所もあるしな」

 笑う慶次は館の縁側を指さした。

 日の光が当たりぽかぽかとしていそうだった。 

 

「ですが私のような身分の低いものと‥‥‥」

 小波の顔が暗く陰る。

「気にすんなよ。美少女と食う物なんて不味くなるわけねぇんだ」

 さも同然と言った形で胸を張る。

「は、はぁ。それでその美少女はどこにいらっしゃるのでしょうか?」 

「あん?俺の目の前にいんだろ」

 

「目の前、ですか……」

 きょとんとした顔を見せる。

 誰のことか理解していないのか目をパチクリとさせていた。

「?‥‥‥っ! わ、わわわ私のことですかぁ!?」 

 一呼吸間を置くとあたふたとし始めた。

「そうだ。目の前って言ったら小波しかいねぇからな」

「‥‥‥あぁ。なるほど。慶次さまは私のことをからかってらっしゃるのですね」

「おいおいおい。どうしてそうなるんだよ。ほら‥‥‥」

 半ば強引に彼女の手を握る。

 流石忍者と言うべきか手のひらの至る所には職人の証とでも言うべきタコが出来ていた。

 だがそれ以上に女性らしさを感じさせ白く柔かく、それでいて華奢な手だった。

「ッ!!」

 握り締めた小波の手を引き縁側へと強引に連れていく。

 慶次の手を握る小波はうつむき加減で着いていった。時折チラチラと上目遣いで戸惑いの視線を向ける。 

「あ、あの‥‥‥」

「なんだ?」

 二人の視線が絡み合う。

 徐々に小波の顔が赤く染まっていった。

「ぁ! い、いえなんでもございません!」

 小波は隠すように顔を俯かせた。

 

 二人は日当たりの良い縁側に腰掛けた。

「手、離すぞ」

 彼はぱっと握り締めていた小波の手を離す。

「ぁ‥‥‥」

 小波の手を握っていた慶次の手。

 離れていく彼の手を名残惜しくを見つめていた。

「うし。りんご食うか」

「はい‥‥‥」

 慶次は豪快にリンゴにかじりつく。

 

 それを見ていた小波は小さな口を開けてカプリとかじりついた。

 

 

 

 

「やっぱいい味してんな。小波はどうだ?」

「はい。とても美味しかったです」

「そうか。んじゃあ、また一緒に食おうな」

「ええ!?」 

「なんだよ。嫌なのか?」

 慶次は眉をひそめた。

「い、いえそうではありません。私のような卑しい身分の‥‥‥ッ!」

「まぁたそれか」

 小波の声は苛立ちを感じさせる不機嫌そうな声に遮られた。

「え‥‥‥あ、あのっ申し訳‥‥‥っ」

「小波。よく聞け。お前は自分が思ってる以上にみんなから必要とされてんだ。だから少しは‥‥‥まぁこう言っちゃなんだが確かに身分云々はわからなくはない」

「‥‥‥」

「だが同じ戦場を共にしたんだ。俺たちは戦友、つまり友ってやつだ」

「?」

 小波はきょとんとした顔を浮かべている。

 慶次は苦笑を漏らしながらつまりはなと続けた。

「友になった以上、俺らの間には身分何て下らねぇもんはないってことだよ」

 慶次は笑顔を浮かべながらワシャワシャと小波の髪を乱した。

「ッ‥‥‥」 

「じゃあな、小波。また美味いもん食おう」

 縁側から立ち上がり、慶次はその場を立ち去る。

 離れ行く彼の背中を小波は見つめていた。

 

 

 

 

 

>>>

 

 side 慶次

 

 京を離れた織田、徳川そして足利を含む連合軍は浅井との合流のため小谷へと軍を進めていた。

 

「織田木瓜だぁ?」

 慶次は兵からの報告に顔をしかめた。

「慶次さま、どうなさいますか」

 彼を見ていた兵がおずおずとした様子で聞く。 

 

「‥‥‥俺が行って見てくる。」

 

「了解致しました」

 

 

 

 馬に乗った慶次は遠くを見るように目を細めた。

(あーあれか。織田木瓜‥‥‥)

 道行く先にある立派な松の木。その下でぱたぱたと織田木瓜の旗が翻っていた。幾人か確認できる、刀や槍を番えた兵士が何かを守るように周囲に散らばっていた。

 一段と目を引く桜色の着物と長いポニーテール。

 慶次に気付いているのか大きく手を振っていた。

「結菜か」

 慶次は馬の腹を蹴った。

 

 

 

 

「慶次!」 

 言うや否や走り寄って来た。両の手を大きく広げた結菜はとびっきりの笑顔を浮かべていた。

「久しぶりね!」

 腕を慶次に巻き付かせると顔をうずめた。慶次は結菜に微笑んだ。

   

「元気してたか?」

 

「もっちろんよ。そうじゃなきゃここにはいないわ」

 

「そりゃそうか。‥‥‥ところでどうしてここにいんだ?」

 

「久遠に言われたの。兵と小荷駄をまとめて今浜で待っていろってね」

 結菜はふふんと得意げに胸を張った。

「ほんとうかぁ?」 

 慶次が意地の悪そうな笑みを浮かべる。

 

「あ、その顔信じてはいないって顔。大丈夫よ、書状ならここに‥‥…ここに‥‥‥あれ?」

 懐をゴソゴソといじる結菜。

 だが顔つきが途端に変わる。何度も何度も懐に手を入れては、書状がない、書状がないと呟いた。

 

「ははーん‥‥‥結菜、アレ、ないんだろう?」

 相変わらず意地の悪い笑みを見せる慶次はつんつんと結菜をつつく。

 

「あ、あるわよ!ちゃんと入れたはずよ!」

 狼狽した様子を見せながら懐に手を入れていた。忙しく懐や身に着けていた巾着袋を弄っていた。

 数分ほどその様子眺めていた慶次はふふっと軽く微笑むと白い紙を取り出した。

「結菜。アレってのはこのことかい?」

 慶次の手にある紙を見た途端に結菜は目を見開いた。

「ちょ!あなた、それ‥‥‥!?」

「ここに来る時に拾ってな。もしかしてと思ってみたが正解だった。大事なもんはきちっと手元に置いとかねえとな」

 ほらと結菜に手渡した。

「あ、ありがとう。慶次‥‥‥ってなんでもっと早く渡してくれなかったのよ」

 ほっと結菜が胸を撫でおろしたのも束の間、拗ねた顔で詰め寄ってきた。

「あん?面白そうだからにきまってんだろ」

「お、面白い!?あなたねぇ。人をなんだと‥‥‥っ」

「ははは。悪りぃ悪りぃ。久しぶりにあえたもんでな。ついやっちまったんだ」

 慶次笑いながら、軽く胸に抱き寄せた。

「‥‥‥そんなことしても私は流されないわよ」

 口を尖らせる結菜だが嬉し気に微笑を浮かべていた。

 

 

 こうして合流を果たした慶次たちは再び小谷へと向けて歩みを進めた。

 

 

 荘厳な小谷城が見える頃にはすっかりと日が落ちていた。夕日映える橙色の空は月が昇る。小谷城へと到着した連合軍はすぐさま浅井勢との軍議を執り行った。

 織田木瓜が描かれた陣幕の中で総大将の久遠は各々の将に目をやる。

 泰然とした様相の葵。強い決意が籠められた瞳を見せる眞琴。威風堂々とした一葉。そして最後に彼女たちの後ろに整列している兵達に目を眺め、うむと大きく頷き口を開いた。

 

「共々!」

 久遠の声が響いた。

「次の戦は異形の者との戦いである!この日ノ本を守るために全力を尽くせ!‥‥…今宵は無礼講を許す。英気を養え」

 兵達の歓喜の声が轟いた。

 

 それから始まったのは酒乱の宴だった。

 

 

 

>>>

 

 

「‥‥‥ぁぁ、頭痛ぇ‥…」

 淀みを含んだ声を上げた彼は重々しく身体を起こした。

「あん?朝じゃねぇのか‥‥‥まぁ、いいか。厠行こ」

 慶次は立ち上がると無造作に周囲に散らばる酒器や酔い潰れた兵達を避けて歩き出した。おぼつかない足取りで四苦八苦しながら厠へと到着した。

「ふう‥‥‥ん?」

 ふと耳に入ってきた朧気な声。

 声の高低差から男性と女性と分かる。

「‥‥‥け‥‥さ‥‥‥」

「‥…し……」 

(酒飲んでんのか?丁度いいな俺も混ぜてもらお) 

 飲みなおしだと意気込むと件の場所へと足を急がせた。

 

「気‥‥‥す」

「‥‥‥よ‥‥の」

 

 近付く度に大きくなる彼らの声。

「‥‥‥」

「ぁ‥‥」

 

 慶次の耳一杯を支配する艶めかしい声や吐息。

 時折混じる水気のある音がなぜか酷く妖艶なものに感じさせた。

「剣丞さま‥‥‥」

「詩乃‥‥‥」

 

 目に入ったのは一糸纏わぬ姿で唇を合わせる剣丞と詩乃だった。夜だと言うのに彼らの姿はよく見え、一種の芸術のような美しさも垣間見える。

 月明りが彼らの行為を助長するように照らす。二人の肌に浮かぶ玉の汗が薄く輝き、同時に詩乃が身体を震わせてその汗が地に落ちる。それを見計らってなのか、剣丞の動きが一段階、二段階とラストスパートをかけるように早いものになる。

 

(‥‥…ったく。青〇とはな‥‥…)

 慶次はやっちまったとばかりに額に手を当てると静かに回れ右をした。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 翌朝。

 

 兵站の準備のために久遠の元へと行った帰り道。

 

 縁側に座る件の二人を見つけた。妙に肌がつやつやとした詩乃とどこか精力欠ける表情の剣丞。

 

(あの様子じゃあ散々絞り取られたな‥‥‥)

 

 ははと苦笑を漏らした。

 だが二人は幸せそうな顔を浮かべていた。恋人のように仲睦まじく絡められた二人の手は離さないとでも言うようにしっかりと固く握られていた。

 

「詩乃もっとくっつきなよ」

「ですがその‥‥‥誰か見ているかもしれませんよ?」

「俺は別に構わない。ほかのみんなに詩乃は俺の恋人だって言えるし」

 剣丞が微笑むと詩乃はぼそぼそと何かを呟いた。

 そうしてぴたりと肩が触れ合う辺りまで近づいた。

 

(これは邪魔できねぇな。仕方ない、遠回りだがあっちから行くか)

 慶次はそそくさとその場を後にした。

 

 

 

 




けっ。こんな駄文見たくもねえやい


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二十七話

急ピッチで仕上げたので文章がおかしいかもしれません。



 早朝。

 

 日が地平線の彼方から顔を出した頃、連合軍は陣を引き払い越前へと進軍していた。織田浅井の将兵は越前の門とされる敦賀城へと攻め入り松平は平城の手筒山城を攻め落とす構図であった。

 妙な静けさを保ちながらも将兵たちの顔つきは厳かだった。一歩また一歩と足を進める度に彼らの顔つきはより強張ったものになっていく。

 そんな連合軍の先頭に立つ剣丞隊の隊長、剣丞は彼らとは裏腹に困り顔で腰を労わるように擦っていた。

「痛い‥‥‥」

「どうしたんだ剣丞?」

 剣丞隊と共に進軍していた慶次が微笑みをたたえながら尋ねた。その瞳は「知っているよ」とでも言いたげな優し気なものだった。

 実は慶次、剣丞隊の護衛を任されたのである。そのため彼らと共に行動しているのだ。勿論、慶次も森衆から兵を五十ほど引き連れて来た。

 

「い、いやさ。寝相が悪くてね‥‥‥はは」

 力なく自嘲気味な笑いを漏らした。

「ったく。しっかりしてくれよ。‥‥‥なぁ?お前らもそうは思わねえか?」

 慶次は詩乃たちを見据える。

 妙に艶のある肌が際立っていた。慶次の視線を受けた彼女たちは狼狽した。

「で、でもお頭は毎日頑張っていますから!昨夜だってあんなに……」

「う、うんうん!だから多分疲れが出たんだと思います!ね?詩乃ちゃん!」

「‥‥‥そうですね。剣丞さまは多忙なお方ですから。疲労のせいかと」

 

「はーん。‥‥…ま、そう言うことにしとくわ」

 相も変わらず優し気な瞳を彼らに向ける慶次は親のようでもあった。

 

「剣丞さまー!」

 行軍している剣丞の元に鹿耳フードの少女が満面の笑みを浮かべながら駆け寄って来た。

「あれ?綾那。どうしたんだ?」

「えへへ。ちょっとお耳を貸して欲しいです」

 腰をゆっくりと落とした剣丞の耳元で綾那は何やら囁いていた。

 

「今だな。よし‥‥‥おまえらちょっといいか」

 慶次は詩乃たちに手招きした。 

「慶次さま?どうかされましたか?」

「どうかってほどじゃねぇんだ。ま、黙って聞いててくれさ‥‥‥」

 すぅと覚悟を決め込んだように息を吸い込み、彼は真剣な面持ちで口を開いた。

「‥‥‥剣丞がこの世界にやって来てからかなり経った。お前らも知っての通りあいつのいた世界は戦がない平和な世界だったらしい。まぁつまりは‥‥‥」

 慶次は重い顔で言い淀んだ。

 ため息をつき、再度口を開いた。

「あいつは‥‥‥剣丞はまだ身近な奴の死を知らねぇ。まだ将の死を知らねぇんだ。今回の戦は少なからず、織田松平浅井の将に犠牲がでると俺は思ってる。それは桐琴かもしれねぇ壬月かもしれねぇ‥‥‥俺かもしれねぇ」 

「慶次さま、それは‥‥‥」

 ぐっと握りこぶしを作りながらひよが悲痛な顔を浮かべた。違うとでも言おうとしたのだろう。

「そうなれば剣丞は責任を感じることは間違いねぇ。俺がこの世界に来たからこうなった、なんて腑抜けたことを抜かすだろうな。」

 だからと慶次は続けた。

「‥‥‥詩乃、ひよ、ころ。これからも剣丞を支えてやってくれよ。友が一人欠けて‥‥‥剣丞がふさぎ込んでも、倒れても‥‥‥また立ち上がらせて前に進ませてくれ。これはお前らにしか出来ねえことだ。頼んだぞ」

「‥‥‥」

「‥‥‥はい」

 悲痛な顔を浮かべてひよところは頷いた。

「‥‥‥慶次さま‥‥‥まさかとは思いますが」

 考える素振りを見せていた詩乃が目を見開いた。

「‥‥‥」

 慶次はそれ以上はだめだと言うようにはにかんだ。

「‥‥‥それが慶次さまの覚悟、なのですね」

 

 

「じゃあじゃあ約束ですよ!剣丞さま!」

「うん。約束だ。楽しみにしてるよ」

「えへへへへへへ!剣丞さま!一乗谷でお会いするですよ!」

 喜色満面な笑みを浮かべた綾那は剣丞に手を振りながら手筒山城の道へ駆け去っていった。

 

 

「ふむ‥…慶次」

 慶次たちの背に掛けられた厳粛さを感じさせる声。

 振り返れば不機嫌そうな怒りをたたえたような雰囲気の一葉と付き添いであろう幽がいた。幽はいつも見るような飄々とした雰囲気だがどこか刺々しくもあった。

 

「あん?一葉と幽じゃねえか。どうしたんだ‥‥‥あ!?おい、こら!引っ張んな」

「‥‥‥少しこやつを借りる」

 慶次の腕を掴むと足利衆が集う軍まで強引に連れられて行った。

 

「おいおい、なんで今日はそんな乱暴なんだ?」

「‥‥‥慶次どの」

「幽、なんか言ってくれよ」

「‥‥‥まだ気が付かれないのですか」

 幽は冷たい視線を送る。

 慶次は何のことなのか気付き、苦い顔をした。

「‥‥‥聞いてたのか」 

「そうじゃ。一言一句余さずにな」

 薄く開かれた一葉の針のような視線が刺さる。

 一葉は慶次に詰め寄った。彼女の染み一つのない白い肌が目に映る。だがそれよりも怒りを覗かせる紫水の瞳が目を引いた。

「死ぬとは‥…死ぬとはどう言うことじゃ。まさかとは思うが主は‥…」

 陰る彼女の顔。伏せられた瞳は涙を見せまいと、弱い所は見せられないと我慢をしているように思える。

「そんな顔をすんなって。さっきのは例えだ、例え。俺が死ぬわけねぇだろう?」

「‥‥…」

「織田の鬼なんて大層な渾名付いてんだ。何も心配はいらねぇさ」 

 慶次は笑いながら気丈に振舞った。

「‥‥‥そうじゃな。お主は死なん。うむ、お主はそう言うやつじゃ」

 うむうむと頷いた一葉は慶次に笑顔を見せる。

「ま、お互い頑張ろうな」

「‥‥‥余はそ、その頑張るためにあれをして欲しい‥‥‥ん」

 ごほんと咳払いした一葉は目を閉じ、ぷっくりと膨らむ桜色の唇を突き出した。

 小刻みに震える一葉の華奢な身体。慶次は震えを止めるように一葉の肩を掴む。

「一葉‥‥‥」 

「よ、余は準備出来ているぞ」

 彼女の声は震えていた。

 そして彼女の唇に近付く慶次の‥‥‥‥‥人指し指。

 押し付けられた指の感触に一葉は目を開いた。

「まぁ、接吻は戦から帰った後だな」 

「むぅ‥‥‥残念じゃ。据え膳食わぬは男の云々と言うだろうに」

 拗ねた一葉は子供のように可愛らしく頬を膨らませた。

「おいおい、んな顔を見せんな。‥‥…我慢出来なくて‥‥‥襲っちまうぞ?」

「なんとっ!?」

「ハハハ。俺は剣丞たちのとこに戻るわ。一応護衛なんでな」

 一葉たちを背に手を振ると歩き去った。

 

 残された二人。ふと一葉が呟いた。

「‥‥‥幽」

「なんですかな?公方さま」

「聞き間違いでなければ慶次は余を襲うと言って‥‥‥」

「はい、言っておりましたな」

「‥‥‥っ!!!」

 一気に顔を染め上げる一葉だった。

 

 

 

>>>

 

 

 たった二刻だった。

 

 そんな短時間で敦賀城は落城してしまった。それと時を同じくして手筒山城もである。どちらも被害がない無血開城だった。

 松平と合流した連合軍は駆ける足で一乗谷へと軍を進める。先鋒を森衆に加え織田浅井松平の猛将を配置し、剣丞隊は本陣後背の守護と言った構図だ。剣丞隊の面々に加え 慶次を含めた五十名の森衆。そして梅と雑賀庄が開発した大筒もどきの「御煮虎呂死」を配置した。

 

 連合軍は警戒を怠らずに一乗谷へと進軍していた。周辺の地理を事細かに記載しながら進み、目と鼻の先に一乗谷が見える頃にはすでに夜の戸張が降りていた。連合軍の各々が陣幕を張り、篝火を立てる。

 

 剣丞隊の陣幕内で剣丞は険しい顔で唸っていた。妙に落ち着かない様子でチラチラと進軍路を振り返り考える素振りを見せていた。

「‥‥…」

「剣丞さま?どうかしましたか」

「‥‥‥いや‥‥…実はねどうも上手く行き過ぎてる気がするんだ」

 剣丞が心の内を吐露すると詩乃は最もだと言うように頷いた。

「なるほど‥‥…私も常々考えてはいましたが‥‥‥」

「うん。多分詩乃と同じ。奇襲があるかもしれない」

 剣丞は進軍路を見据えた。

 

「剣丞。」

 彼の背に声が掛かる。

「慶次。どうしたんだ?」

「一応って形だがそう言うことは先に言っておけ。お前らだけが知っていても意味がねぇ。生死を分けるかもしれねぇしな」

 いつもの慶次にしては語気が強かった。

「‥‥‥ごめん」

「わかりゃあいいさ。ま、他の奴らに聞かせてやりな」

「うん」

 剣丞は立ち上がり近くの床几台に腰掛けるひよたちの元へと歩いて行った。

 

「慶次は剣丞の親みたいじゃな」

「あん?そうかぁ?あんまり意識したことはねぇが‥‥‥」

「ふふっ。今のを見ていればそう見える」

「お前ら‥…」

 慶次の目に映るのは楽し気な表情を見せる一葉と久遠だった。

「しかし剣丞の考えは的を得ている。我も思っていたが抵抗がなさすぎる。確実に何かあるとみていい」

「だが今さら引くにも引けん。前に進むしかないのじゃ」

「ま、心配はいらねぇだろうさ」

「‥‥‥やはり慶次に言われると不安が和らぐな」

 久遠は和やかに微笑んだ。

「流石慶次じゃ。こうにも容易く久遠を笑顔にさせるとは。織田に於いて慶次の影響力は途轍もないらしい」

 一葉はくくっと笑った。

「はは。まぁ俺としてはお前らがいるからこうして強くいることが出来んだ。こう言うのもなんだが俺も男だからな。女守りたいって一丁前に恰好付けたいわけだ。まぁ詰まる所お前らが俺の力の源ってとこか」

 慶次は凛々しい顔で握り拳を作る。

「ふふ。我は慶次のような臣を持てて幸せ者だ」

「全く。慶次はたらしじゃ」

 二人は機嫌良く頬を弛ませていた。

 

 

 

 

 

 それから時は過ぎ、丑三つ刻になる。

 将兵たちは寝静まり辺りは虫の音一つ聞こえない怖いほどの静寂が包んでいた。

 慶次は自身の寝所から抜け出すと得物を手に取り陣幕の外へ出た。

 夜空に煌めく星々に目もくれず慶次は一人陣幕から離れ、開けてた場所へと赴く。

 月光が彼を照らす中、彼は槍を構える。

 目を閉じた慶次は微動だにせず、佇んでいた。

 

 ヒュン。

 

 慶次が槍を横一閃に振り、風を切る鋭い音が鳴った。槍を握る手をさらに固く握り返した。それから何度も何度も槍を振るい空を切った。焦燥しているようにそれは速くなる。

 舞踏のような華麗な槍捌きではなく、まさに野生という暴力的なものだった。

 

「どうにも荒々しい気配がすると思い来てみれば、慶次か」

 不機嫌さを感じさせる声音でむすっとした表情の桐琴が立っていた。

「‥‥‥桐琴か。悪りぃ。起こしちまったか」

「‥‥‥」

 桐琴は無言で慶次に歩み寄る。

「?っ、おいおいおい。こんなとこで脱ぐな」

 

 慶次はあわてて桐琴が脱いだ羽織と袴を手に持とうとしたがそれは桐琴の華奢な手に遮られた。

 

「なんだ。貴様は女にここまでさせて置いて腑抜けたことを抜かすのか」

「‥‥‥」

「滾っているのならワシに言え。いつでも相手をしてやる」

(そう言うことじゃねぇんだがなぁ‥‥‥だがまぁ‥‥‥)

 据え膳食わぬは男のなんとやらだった。

 年齢を感じさせない豊かな肢体。肩が上下に動き、吐き出す吐息は艶やかさを感じさせる。桐琴の熱を冷ますように涼し気な風が吹き、彼女の長い髪が胸の谷間に掛かる。

 酷く扇情的な姿に慶次は背筋をゾクゾクと震わせた。

「‥‥‥いいのか?」

「フン。もう何度もまぐわっているではないか。それに貴様は森家の伴侶、つまりはワシの婿だ。今さら遠慮することはあるまい」

「‥‥‥そうか‥‥‥桐琴」

 慶次は桐琴を抱き締めた。

「ぅ‥‥‥ん‥‥…」

 桐琴の艶めかしい声が慶次の耳に入った。

 そして優しく口付けを交わし‥…。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 情事が終わった彼らは近くに生える木の下に腰を下ろしていた。

 慶次は背を木に任せると左腕で桐琴を抱き寄せる。桐琴は色っぽく赤く染まる顔に微笑を浮かばせながら彼の手に身を任せていた。

「お前といると心が落ち着くな」

 ふと胸に浮かんだ言葉が口から出てくる。一緒にいる時間かそれとも目的のための人物だからなのか。

「奇遇だな。ワシも同じ気持ちだ」

 桐琴はこてんと彼の肩に頭を乗せた。

 いつもらしからぬ手弱女(たおやめ)のような彼女の姿に慶次の心は高鳴った。

 ふっと自嘲気味に笑うと慶次は目を閉じた。

 

 

 

 

 

 翌朝になり連合軍は足羽川の向かいにある下城戸に向かって動き始めた。下城戸を超えれば目先にあるのは険しい山々や緩急の激しい坂に守られる一乗谷城である。

 陣太鼓が鳴れば地を揺らすほどの叫び声が響き渡った。

「森一家のクソ馬鹿どもーっ!人間捨てる覚悟は出来たかーっ!」

 森一家が。

 時を同じくして松平でも。

「三河の勇者たちよ。松平家のためだけでなく、この日ノ本のためにその命を私に捧げてください!」

 

「「「うおぉぉぉぉおおお!!!」」」

 怒号のような雄たけびが将兵たちから上がった。

 

 

 

「ったく。よく聞こえるな、あいつらの声」

 慶次は前線で鬼を薙ぎ払っている彼女たちを想像した。おそらく喜々とした表情なのだろう。慶次は苦笑を漏らした。

 本陣にほど近い場所に布陣した剣丞隊‥‥‥慶次はその護衛であった。

 長方形を作るように布陣し前方を森衆、後方を足利で埋め中心から左右に掛けて鉄砲隊で囲んだ。

「慶次たち森衆は鉄砲隊の前にお願い」

「おうさ、任せときな。」

 

 

「剣丞さま」

 突然、剣丞の傍に小波が現れた。

「どうだった?」

「そ、それが‥‥‥四方一帯さぐり探りましても鬼の姿は全く見当たらず」

「‥‥‥勘が外れた、か。なら良かったけど‥‥‥」

 少しばかり息を吐くが顔は曇った。

「私たちが後方を警戒していることを知っている‥‥‥そのように考えるならば‥…」

「………敵は思惑を外した策を取って来る」

「ええ。そうな———」

 

「おい」

 一際低い声に詩乃の声は遮られた。

「下だ。森衆っ!下だ!地面に警戒しろ!剣丞をなんとしてでも守れ!」

 

「した?地面って‥‥‥っ!?」

 剣丞が地面を見つめた直後。

 

 腹の底から揺らすような地響きが響く。

 

 それが鳴りやんだかと思えば踏みしめている大地が窪み、そこから鬼が‥‥…蜘蛛のように這い出て来た。

 

 運が悪く、一番手に外に出た鬼は剣丞狙う。

 

 咆哮を上げた鬼は剥き出しにした牙で剣丞の頭から丸呑みにする勢いで飛び掛かった。

 

「あ‥‥‥」

 剣丞は懸命に反応しようと手に掛けた刀を振ろうにも間に合わない。

 

 そうしている間にも鬼の牙が目の前に———来てはいなかった。

 

 鬼の口から飛び出るどす黒い液体の付いた槍。

 

「剣丞っ!ぼーっと突っ立ってんな!後退しろ!」 

 慶次は槍を引き抜き、振り向きざまに鬼を刺し殺す。

 慶次の一喝で戻って来た剣丞は腹の底から声を張り出した。

「みんな!後退だ!詩乃!」

 

 剣丞が視線をやれば詩乃は力強く頷く。

 

「これより剣丞隊は撤退を開始する!みな!旗の下へ集え!」

 混乱した状況の中、声を張り上げた詩乃。

 気付いた剣丞隊の面々が集まって来た。 

 

「詩乃!、殿は俺がやるっ!」

 血濡れた槍を振り回した慶次が目もくれずに叫んだ。

 

「‥‥‥ならば余も慶次と」

「なりませぬぞ。一葉さま」

 一段と低い声で一葉睨み付ける幽。

「‥‥‥わかっておる」

 

 

「足利衆!八咫烏隊!血路を切り開いてください!」

 

「「承った」」

「鉄砲隊ばんばん打っちゃってー!」

 こんな状況にも関わらず彼女たちは笑っていた。まるで心配はいらないとでも物語っているように。

 

 二人の剣舞に加えて高速の鉛玉が鬼たちを襲っていた。

 

 鬼が怯み、彼らを囲う鬼たちの包囲が一瞬だけ解ける。

 

「! 今です!突撃!」

 詩乃の叫び声で剣丞隊は全速力で駆けた。

 

 鬼がそれを追いかけようにも慶次がそれを許さなかった。

 

「森衆ーっ!まだまだいけるなぁーっ!」

 ひたすらに得物を振るいながら慶次は声を張り上げた。

 彼の鼓舞する声が響く。

 

「「おーー!!!」」 

 周囲を見渡せば襲い来る鬼。

 その体躯は一般兵の二回りほどの大きさから人が四、五人ほど集まって出来たような大きさの鬼まで様々だった。

 

 

 それから半刻ほど経ったとき。

 

 

 鬼の攻勢がぴたりと止んだ。

「ほう。中々骨のあるやつがいるようだ」

 喉が瞑れたようながらがらとした声が響き、囲んでいた鬼が一本の道を作るように道を遠のいた。

「あん?喋る鬼だぁ?」

 慶次の目の前に現れたのは周囲の鬼よりも一際大きい体躯の鬼だった。両手に二本の刀を持ち頭には白かったであろうハチマキが巻かれていた。今ではそれも返り血でどす黒く染まっていた。

 

「貴様の名を教えろ。人間」

 不気味な光を湛えた双眸が慶次を見据える。

「‥‥‥前田慶次だ」

 鬼に鋭い視線を浴びせながら槍を構えた。

「なるほどぉ。織田の鬼、か」

 ぐぐぐと静かに牙を見せて笑う。

「儂の名は‥‥‥十河一存。織田の鬼よ、一試合願おうか」

 十河は二刀を構える。

「はん。いいねぇ。音に聞こえた鬼十河がどんなもんか見せて貰おうじゃねぇか」

 

「人間の分際で言い寄る。しかし……その威勢もすぐに消えるわぁ!!!」

 言葉とも聞こえない声で叫ぶとその体躯を揺らしながら地面を蹴った。

 

 揺れる地面に慶次は微動だにしていなかった。

 

 慶次に振り下ろされた二本の刀身。

 

 

 

 

 ザシュッ。

 

 

 

 

 

 

 ゲホっと咳と共に血が吐き出された。地面に付いたそれはどす黒い血だ。

「鬼の‥‥‥力を持っても‥‥‥儂は」

 ドシンッ!と前のめりに倒れた。

「鬼十河とはいえこの程度か。呆気ねえ」

 ふんと鼻で笑うと槍を引き抜いた。

 

「お、鬼が‥‥‥引いて」

 森衆の一人が呟いた。

「あん?」 

 囲むようにしていた鬼は引く波のように去って行った。

 

「‥‥‥剣丞隊の後を追うぞ」

 

 

 

 

 

 

>>>

 

 

 暗い森の中ひたすら進んでいた。時折聞こえる剣戟の音に耳を傾け、必死に剣丞たちを探す。

 便りは月光のみ。だがその月光も煩雑に生える木々に遮られ目の前にかろうじて獣道が見える程度だった。

 

「慶次さまっ!」

「どうした」

「ここより北に鏑矢が上がりました!」

「よし、いくぞ」

 

 

 慶次たちの目に映ったのは鬼の大群だった。知性ない鬼はただただ目の前にいる人間を手当たり次第に襲う。

 

 今にも崩れそうな剣丞隊の陣形を一葉と幽の剣戟で均衡を保っていた。彼女たちは互いを背にしながら鬼を切り裂く。最早剣舞と、一種の美しさをも感じる。

 

 彼女たちの後方では指揮を執る詩乃と雫が必死に声を張り上げていた。

 放たれる鉄砲に、入れ替わるように矢が放たれる。そして突き出される槍に合わせ、鞠のお家流が放たれる。それが繰り返されながら後退していた。

 

「森衆!獲物だ!」

 

「「「ひゃっはー!!」」」

 

 

 

 

 

side 剣丞

 

 

「まずいな。今はまだ元気だけど後詰めがないこの状況じゃあ‥‥‥」

 剣丞は苦虫を嚙み潰したような顔すると腰に番えている刀に手を掛けた。

 だが刀に掛けた手を止めるように詩乃の手が触れた。

「いけません」

「で、でもっ!‥‥‥っ」

「分かってくださいっ!」

 詩乃の悲痛な叫びが剣丞に浴びせられた。

 彼女の瞳から溢れ出る涙に剣丞は息を呑んだ。

「あなたはっ!剣丞さまを守るために散って逝った者たちの覚悟を無駄にするおつもりですかっ!ここで剣丞さまが死んでしまったらあの者たちの覚悟が無駄になりますっ! だから‥‥‥だから‥‥‥」

「‥‥‥ごめん」

 剣丞は刀にやっていた手を降ろした。力なく提げられた腕とは裏腹に剣丞の顔は険しく悲壮感を漂わせていた。

 

「‥‥‥小波。周囲の状況はどう?」

「はっ。お待ちを‥‥‥っ!」

 小波は目を閉じた。

 はっと目を開いた小波は叫ぶように剣丞に言った。

「剣丞さまっ!お味方です」 

 

 

 

「「「ひゃっはー!!」」」

 

「おらぁ!!」

 威勢のいい声と共に飛び込んできたのは慶次率いる森衆だった。

 鬼の左翼に嚙み付くと衣服に広がる染みの如く駆ける勢いで瞬く間に鬼の数を減らしていった。

 暗闇の中、蠢く森衆の影が鬼を襲っていた。

「慶次さまだ!!ころちゃん!」

「うん!うん!慶次さまが来てくれたね!」

 だが減った鬼の頭数も束の間、暗闇の奥から水のように溢れ出て来た。

「森衆!通さねぇでいくぞ!」

 慶次はちらりと後方の剣丞を一瞥した。

「行けっ!走れ剣丞!」

 

「っ!今です撤退します!」

「みんな!撤退だ!」

 そうして剣丞が慶次に背を向けたときだった。

 剣丞たちから見える山の岩肌に()奴等がいた。岩肌に爪を突き立てて闇夜に光る双眸が明らかに剣丞たちへと狙いを定めていた。

「お、お頭」

 不安げな声を出すころに剣丞は微笑んだ。

「大丈夫だよ。絶対に。ほら‥‥‥」 

 剣丞が鬼のいる方に視線を向けると小さな影が林の中から出て来た。

「小夜叉流ぅぅ! 刎頸二七宿ぅぅー!!!」

 彼女の身体が眩い光に包まれる。煌めく流星のように見える小夜叉は途轍もない速度で鬼へと突撃をしていった。

 

 振り回される槍か、それとも小夜叉の光からなのか吹き飛ばされていく鬼たちは地に身体を打ちつけていく。

 岩肌に張り付いていた鬼はものの数十秒で消え失せた。

 

 岩肌を駆け下りてくる小夜叉は涼しい顔をしていた。

 槍を両肩に乗せ、剣丞を見るなり軽快に笑った。

「よっ!無事みたいだな!剣丞。」

「なんとかね。‥‥‥それで桐琴さんは‥‥‥」 

「んー?そろそろ来る頃じゃね?」

 

「ひゃっーーーーはっはっはっはっはー!」

 甲高い笑い声が響いた。 

 

 

 

 

side 慶次

 

 

 甲高い笑い声と共に森衆の本隊を引き連れた桐琴が鬼たちの脇腹へと噛みついた。

「桐琴。無事だったか」

 

「はん。こんな奴等にワシが遅れを取るわけないだろう」

 ククと笑うと桐琴は鬼へと一撃を加える。

「よし、なら後退するぞ。剣丞たちと一先ずは合流しねぇと」

「おう!」

 

 慶次と合流した森一家は一撃を加えながら後退していった。

 小夜叉と一部の森衆に鬼を抑えてもらい、短い時間の内に慶次は剣丞の元へ赴く。

「慶次っ!桐琴さんっ!」

 胸を撫で下ろしたように、はにかんだ剣丞は慶次たちへ駆け寄った。

「おう、剣丞」

「孺子!よくぞ無事だったな」

 ガハハと豪快に笑う桐琴は剣丞の背中を叩く。

「あ、あはは。元気そうでなによりです」

 どこか嬉し気な表情で苦笑を漏らした。

「剣丞。これからどうする?」

「うむ。我ら森一家は孺子に預ける、好きに使え」

 

「それなんだけど加賀を抜けて、越中に。そして信濃をぐるっと回って美濃に向かうつもりだよ」

「………なるほど。直接美濃に向かえば本拠地に鬼を引き寄せることになるからか」

「そう。だから信濃まで回るわけなんだ。といっても今はこの場をどう切り抜けるかだけど……」

 剣丞が考える素振りを見せたそのとき。

 

 ヒューン!!

 北東の夜空に鏑矢が上がった。

 

「鏑矢が!?これって」

 剣丞は詩乃に視線をやった。

 詩乃は頷くと口を開いた。

「おそらくこの鏑矢は‥‥‥救援のものかと」

「くっ‥‥‥どうすれば‥‥‥」

 剣丞は顔を苦渋色に染めた。

「……俺が行く。桐琴と小夜叉がいんだ。ここは任せられる」

「‥‥‥」 

 思案顔を見せる剣丞だが顔を上げた。

「……分かった。慶次頼む。俺たちもすぐに追いつくから。‥‥‥小波」

「いいの‥‥‥ですか?」

「うん。もしかしたら葵たちかもしれないからね」

「っ!!ありがとうございますっ!」

 言うや否や小波はシュンと消えた。

「‥‥‥桐琴、百名ほど森衆を連れてく」

「あぁ。構わん」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

side 葵

 

 

 暗闇の中の撤退戦だった。

 刻一刻と時を刻む度に兵が倒れていく。数千もいた兵達がいまでは目視できるだけでも五十余名にまで数を減らしていた。足場は悪くはないものの、金ヶ崎から全速力で駆けて来たのだ。足軽の体力が心配だった。

 先ほど放った鏑矢に気付いてくれることをただ祈るしか出来なかった。

「しつこいですー!」

 綾那が槍を振り回し鬼の命を刈り取った。一見乱暴に振り回しているように見えるがすべては的確に急所を切り裂いていた。

「綾那!後ろ!」

 歌夜が叫ぶと綾那に迫る鬼を一刀両断。返す刀でさらに切り裂いていく。

「歌夜!助かったです!」

「お互いさまだから!」

 彼女たちを殿に後退を始めているが如何せん鬼の数が多すぎた。抑えようとすれども溢れる鬼が葵を付け狙うのだ。

 葵のすぐそばにいる綾那は苦い顔を浮かべながら必死に襲い来る鬼をいなしていた。

 歌夜は悠季の指示により兵を従えて陣形を立て直し計り、葵を中心に円陣を作り四方の鬼に対応していた。

 

(誰も救援は‥‥‥)

 葵が少しだけ目先のことから思考をずらしたときだった。 

「葵さまっ!」

 歌夜が叫ぶ。陣形に無理やり入り込んだ鬼が葵の目の前にいた。

 

「っ!!」

(また‥‥‥)

 葵は目を閉じた。

 

「葵さま!」

 刹那鋭い声が響いた。

 鬼をクナイの嵐が襲う。針のムシロのようになった鬼は力なく膝から崩れ落ちた。

 

「小波!」

「お怪我の方は」

「私は大丈夫です。それよりも小波がいるということは近くに剣丞さまたちが?」

「はい、時期に援軍が参ります」

 

「「ひゃっはー!!」」

 薄暗い森の中に響いた荒武者の叫び声。飛び込んで来た男たちは暗闇の中で鬼を一方的に蹂躙していた。

 その戦い振りは松平の兵では考えられないほどの凶悪さと凄惨さを持つまさに悪鬼羅刹。

 葵たちを囲んだ鬼を一刀の元に斬り伏せ、率いる兵たちと共に苛烈とも謂わんばかり。鬼の勢いは瞬く間に衰えていった。

 

 

 

 

 



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二十八話

確認のため桐琴討ち死にシーン見たらまた泣きました。



side 慶次

 

 松平勢を襲撃していた鬼の勢いが急激に息を潜めた。黒い波のように押し寄せていたすでに鬼は数えるくらいしか見当たらない。

 しかしその鬼も森衆に尽く狩られていった。

「葵たちも後退したしな。森衆、撤退だ」

 

 慶次たちは撤退を始める。

 道中、振り返るも追って来るような気配はなかった。長い獣道が続き月明りが薄く照らしている。かろうじて道奥まで見え、蠢く影がちらほらと存在していた。

 

 薄暗い森を歩き、開けた場所に出ると剣丞隊の旗や松平、足利の旗が翻っていた。その周辺では足軽たちは強張った顔つきで周囲の警戒にあたっている。 

 松平の家紋が描かれた陣幕の中からぞろぞろと詩乃や一葉たち将が足早に出ていく。

 最後の一人であろう者が陣幕を後にしたことを確認した松平の足軽たちは早急に陣幕をたたんでいた。

 

「はぁーーーーー!?」

 小夜叉の叫び声に似た不承の声が響く。

 立てられた篝火の前で小夜叉が今にも噛みつきそうな勢いで桐琴に詰め寄っていた。

 

「おまえはウチの連中連れて頭についてやれや」

「なんでだよ!オレだって殿に‥‥‥っ」

 急激に二人の間の空気が冷たくなる。

「グダグダ抜かすな。やれ」

 桐琴は底冷えするような声音で小夜叉を睨みつける。

 小夜叉はたじろぐがなおも噛みつく。

「で、でも!母は殿で鬼どもぶっ殺すんだろ?だったらオレだって鬼どもをぶっ殺してーよぉ」

「ワシら大人は先のことまで考えねばならん。‥‥‥つべこべ言わずに言うことを聞けや」

 いつもながらの尊大な態度で小夜叉を見据えていた。

「意味わかんねーよ! 慶次だって‥‥‥っ!」

 

「うっせぇ!!! やれっつってんだ!!!」

 落雷のような桐琴の怒号が落ちた。冷たい空気と相まって凄味を利かせている。

 小夜叉は呼吸が止まったように息を呑む。桐琴を見つめる小夜叉は不承不承と言った様相で口を開いた。

「‥‥‥分かったよ。やれば良いんだろ、やれば!」

 吐き捨てるように言葉を紡ぐと小夜叉は足早に駆けていった。無我夢中だったのか、近くにいた慶次にすら目もくれない。

 一人佇む桐琴はその顔に陰を落とす。目を伏せたその姿は涙を零すまいと我慢をしているように慶次の目に映る。

「‥‥‥いいのかい?」

「っ‥‥‥構わん」

「そ‥‥‥」

 哀愁漂う桐琴に掛ける言葉が見つからなかった。

 

 

 

 

 

 撤退戦のために細い獣道の作られた簡易な陣。行く手を阻むように馬防柵‥‥‥よりはかなり小さい柵が獣道の至る所に造られていた。

 すでに将兵の一部は撤退を始めている。被害の激しい松平勢に加えて足利将軍である。

 現在の兵力はおおよそ二百五十。撤退を始めた将兵を合わせても三百弱だった。

 

 迫り来る鬼を雫が策を練りだし迎撃している。少しでも鬼との距離を稼ぐため、攻撃しては後退を繰り返していた。

「鉄砲隊のみなさん!お願いします!」

「はーい!撃っちゃってー!」

「………」

 烏が身の丈以上の火縄銃を構えて引き金を引く。

放たれた銃弾は鬼の身体に留まることを知らず、一体、二体と貫通した。

 烏の後ろでは三段に構えた八咫烏隊の少女たちが追い撃ちをかけるが如く散弾のようにばら撒いた。

 

「流石烏さんたちですわね。撃ち掛けなさい!」

 梅率いる剣丞隊の鉄砲衆は八咫烏隊の後方に布陣している。後退を始めた八咫烏隊に代わり鬼へと銃弾を撃ち込んだ。

 耳を裂くような音と共に鬼は倒れる。

だがその屍を踏み越えて新しい鬼が続々と現れた。

「鉄砲隊は下がり、長柄隊と交代してください!長柄隊は距離を取りながら後退を!玉籠めが終わり次第彼らと入れ替えます!」

 

 

>>>

 

 

「雫さまから連絡でございます!」

 至る所に傷を作った満身創痍の足軽が片膝をつく。

「玉薬が切れたとのご連絡です!鬼の攻勢激しく退くとのこと!」

「分かった」 

 剣丞が頷くことを確認した足軽は駆けて行った。

「‥‥‥幽。足利衆と一緒に先行して林の中に兵を伏せてくれ。俺が囮になって真っ直ぐ後ろに逃げるから。その隙を‥‥‥」

 

「まぁ待てよ。……剣丞」

 慶次は朗らかに笑っていた。こんな状況など歯牙にもかけないように。

「今の状況を考えな。ただでさえ兵が少ねぇ状況なんだ。お前を守るための兵を確保しないとならねぇ‥‥‥」

「? 何を言っているんだ?」

「つまりはな孺子。殿はワシらが引き受けると言うことだ」

 桐琴がフッと笑うと愛用の十文字槍を手に取る。

 

「ま、そう言うことだ。だが桐琴‥‥‥」

 桐琴に向き直ると彼女の紅い瞳を見つめた。

「お前は行け」

 

「‥‥‥なんだと」

 怒りを孕んだ雰囲気で慶次を睨む。

「おまえにはガキがいんだろ。蘭に、坊に、力。それに小夜叉。奴らの面倒くらい最後まで見ないとな」

 それが母親の務めだろうと言い放つ。桐琴は表情は変えないものの、ぎりりと歯ぎしりするように唇を固く結ぶ。

「剣丞みてぇなやつにはお前のような奴が必要なんだ」

 優し気な瞳で桐琴を見つめると頬をそっと撫でる。それになと続けると桐琴を抱き寄せた。

「‥‥‥」

 耳元でそっと囁いた。

「‥‥‥好いた女には生きていて欲しいんだ。大方お前は死ぬつもりだったんだろうが俺はそんなことはさせねぇ。これは俺の‥‥‥漢の覚悟だ。分かってくれ」

 数秒、桐琴は思案するように目を閉じた。

「‥‥…チッ」

 大きく聞こえるように舌打ちをすると、どんっと慶次を突き放す。

「‥‥‥孺子。行くぞ」

 不機嫌さを押し殺した低い声で剣丞に歩み寄る。

「ちょ、ちょっと待ってくれ!俺は慶次を見捨てることなんてしないからな!みんなで協力すれば大丈夫だから……」

 剣丞は同意を求めるように詩乃に、鞠に、幽に視線をやる。

 だがぎゅっと我慢するように目を閉じている者もいれば憂いを帯びた顔を見せ、言葉を続けようとはしなかった。

「剣丞……分かってくれ」

「なんでっ! 一人でなんて許すわけないだろっ!」 

「許すとかそんな問題じゃねぇんだ」

「けどっ!‥‥‥」

 剣丞は言い淀み、顔を下にした。

 

「ここで誰かが残らなきゃあ……俺たちは死ぬ」

 ふぅとため息をつきながら慶次は夜空を仰ぎ見る。星々が見えない雲がかかった夜空だった。

「現実を見ろ、剣丞。お前と会った時に俺は言ったはずだぜ?目的ってのは自ずと見えてくるってな。俺の目的はお前らを守ることなんだ。ここに(この世界)来てから俺はそう決めていた。悲劇は避ける……俺がここに残ることこそが‥‥‥前田慶次の目的が達成されるんだ。だからここは……俺に任せな」

 慶次は和やかな微笑を浮かべた。

 

 グガアアアアアアアアアアッ!!!!

 

 鬼の雄叫びがすぐそこまで迫っていた。

 

 慶次は強張った顔で槍の柄をを固く握り締め、剣丞に背を向ける。

「時間がねぇんだ。俺一人と何百の人間。考えるまでもねぇだろう」

「‥‥‥分かってる。分かってるんだっ‥‥でもっ」

 両の目尻に涙を溜めて剣丞は咽ぶ。零れる涙を服の袖で拭っている。

「詩乃、鞠。剣丞を頼むぜ?」

「‥‥‥」

 相変わらず両目は髪で隠れて見えないが確かにこくりと頷く。

 

「……慶次。死んじゃうの?」 

 不安げな瞳で慶次を見つめていた。

「……あぁ。だが俺のことはいいさ。お前は剣丞が堕ちねぇよう引っ張り続けてやってくれや」

 なっ?と優しい声音で鞠の頭に手を置いた。

 

「……分かったの。鞠、ちゃんと剣丞引っ張るの」

 悲痛な顔を浮かべる鞠は両目に零れ落ちそうなほど涙を溜めていた。

「……だから……心配しなくていいよ?」

 涙を流さないように懸命に空を見上げ、気丈に振舞い笑顔を見せてくれる。

 

 その鞠の笑顔に慶次は安堵した。この子なら詩乃たちと共に剣丞を常に引っ張り続けてくれると。

「心強い……」

 

「慶次どの。恨みますぞ。公方さまはどうするおつもりですか」

「……すまねぇ」

「全く責任感のない殿方でいらっしゃりますなぁ。某に掛けて頂いた言葉。……忘れはしませんぞ」

 やれやれといつものような飄々とした面持ちの幽。和やかにはにかみ、目尻に溜めていた涙を一筋流す。

 

「‥‥‥いい女だな。幽は」

「っ!……あなたと言うお方は」

 半開きの瞳で非難するような視線を送る。だがそれも一瞬にして消え去ると涙を湛えながら微笑んだ。

「一葉によろしくな」

「……お任せを。ですから慶次どのは」

 慶次は頷いた。

「……あぁ。気兼ねなく逝けるってもんだ」 

 

「慶次……」

 背を向けたままの一言だった。桐琴の背には哀愁が漂っていた。

「桐琴。俺の覚悟を汲み取ってくれてありがとな」

 慶次からは桐琴の顔は見えない。

 だが彼の言葉を聞いた途端に身体が震える。月光に反射する何かが桐琴の瞳から零れ、頬に伝わった。

 

「剣丞」

 背中を震わせる剣丞は顔を俯かせていた。

「お前は強い。精神的にも肉体的にもな。その強さ……いや優しさを失わねぇ限り仲間は着いてくる。後はそうだな。詩乃たちと仲良くやれよ。…………またな」

 ニヒルな笑みを浮かべると踵を返した。

 

「っ!! ダメだっ! 慶次ぃッ!!」

 涙交じりの声で叫ぶ。

「やっぱり一緒に行こう! 協力すればどうにかなるはずだ!」

 慶次は立ち止まると振り返る。

「剣丞……」

 心の中で剣丞に謝罪しながら歩み寄る。

「け、慶次。よしっ!みん……ッ!?」

 剣丞が明るい顔を見せたのも束の間、慶次は剣丞の腹部に重い一撃を与えた。

 がくんと膝から崩れ落ちる剣丞を抱きとめた。

「な……んで」

 閉じそうな目を必死にこじ開けて細々とした声を出した。

「……またな。俺の友よ」

 慶次が呟くと剣丞は目を閉じた。

 

「桐琴。剣丞を任せる」

 肩に抱いた剣丞を桐琴に受け渡す。

 

「任されよう……ガキに言伝てはあるか?」

「そうだな……ありがとうと頼む」

 慶次は小夜叉との記憶を思い出すようにして目を閉じる。

 口は悪いが根が素直で元気いっぱいの女の子。桐琴譲りの武と美しさ持った女の子。そして慶次の事が大好きな女の子だった。

 

(思い出すだけでもキリがねぇや)

 苦笑を漏らした慶次が目を開けると桐琴と視線が交錯する。

 

 ふっと笑みを浮かべた二人。

 

「……さらばだ。前田慶次」

 

「あぁ……達者でな。森三左衛門桐琴」

 

 剣丞を肩に抱いた桐琴が駆け出したことを皮切りに残る詩乃たちも駆け出した。

 

 

 

 

side 慶次(一人称)

 

 

 あぁ。行ったか。

 徐々に聞こえなくなる彼らの足音に耳を澄ましていた。

 

 此処まで来るのにどれくらいかかったのだろうか。

 桐琴に出会って久遠嬢に会って結菜に出会って……それから……。稲葉山城の攻略に、堺への出奔。足利や浅井、松平との出会い。そしてつい最近では桐琴との情事も。

 とても充実した日々だった。間近で見る彼女たちは俺が霞むほどに輝いていたから。

「ははは」

 今までのことを思い出し苦笑をした。

 

「満ち足りた気持ちのまま死ぬのも悪くはねぇな………だが」

 この感情を抱いたまま死ぬことが不安だった。あれほどにまで彼女たちの心を乱したのだ。俺が死んだりすればどうなるかわかったもんじゃない。

「……ったくなぁ。これじゃあ死にきれねぇか。あんなこと言った手前恥ずかしいが………」

 

グガァァァァァァァ!!

 

 雄叫びと共に醜悪な様相をした鬼どもが暗闇の奥から蜘蛛のように這い出て来た。妖しく光る双眸が目の前に広がる森を埋め尽くしていた。

 

「覚悟しな、鬼ども」

 こんな状況だと言うのに不思議と恐怖はない。自然と口角が上がり微笑を浮かべた。

 

「てめぇらの前にいんのは森一家が一のかぶきもの前田慶次よ!」

 声を大にして叫べば身体を包むのは激しい高揚感だった。まさに血沸き肉躍るとはこのことだろう。

 

「又の名を織田の鬼ってんだ! 本物の鬼を!俺が見せてやらぁ!!!」

 槍の切っ先を鬼に向けると俺は鬼に死兵と化して突撃した。 

 槍を振るう。その度に耳にしたくない鬼の悲鳴が上がる。

 

 槍の切っ先を鬼の首筋に当てると力任せに肩を押し出した。やはり鬼とはいえ生きとしいけるものの弱点は首だった。

 弾力のある黒い皮膚は皺を作っていたが力を籠めれば容易に喉元へと刃が侵入した。鬼の肉を裂く槍が重い。

 鬼は掠れた叫びで必死に槍を退かそうともがく。その度に喉元にはどす黒い血が泡を吹いていた。

 刃を押し進めると硬い物ににあたる。俺は力任せに押し込んだ。手に持つ槍には重さがなくなり急激に軽くなった。 

 ぼとんっと重量感の感じる音が響いた。頭を失った鬼の身体は血を吹き出すと後ろへと倒れた。

 

 鬼にも恐怖があるのだろうか。一部始終、いやすべてを見ていたであろう鬼どもが一瞬だけたじろいだ。

 

 その隙を逃さずにとにかく槍を突き出した。

 槍の長さを生かし、急所である胸元、心臓を狙う。ぐさりと刺さる槍の切っ先。抉るようにして槍を回転させて引き抜いた。ぽっかりと空いた胸の穴から血を流し、力ない声を出しながら鬼は倒れた。

 これらの鬼はすべて足軽だ。

 

 甲冑を着込んでいる鬼のすべてが体躯の大きい者ばかりだった。つまりは武将クラスだろう。

 だが体躯に耐えきれず全く持って鎧で身体を隠しきれてはいなかった。かろうじて兜は収まりきってはいたが胴はこじんまりとし腹部しか守られていない。籠手、脛当などは肥大化した体躯について行けず伸びきっていた。

 

 そして体躯の大きさも相まってか動きが鈍い。俺は胸元を狙い槍を突き刺した。ぐさりと入るが鬼は苦しむ素振りすら見せない。さらに力を籠めて重たくなる槍を押し込めば途端に槍を引き抜こうともがき始める。

 おそらくその体躯の大きさで急所までの肉質が厚かったのだろう。

 力を籠めて引き抜く。血が噴水のようにして吹き出した。

 

 それから俺はとにかく槍で切断、突き刺した。

 

 流麗な型とか隙を見せないようにとかそんなものではない。

 

 俺の中の野生を暴力というものをさらけだすように守りを捨てた。

 

「はっ! 数が多いだけの畜生どもがっ!」

 ぺっと唾を吐き出すように奴らを貶した。

 

 それを理解しているのか雄叫びを上げた鬼は誘われるように俺を囲む。

 刺さる鬼の視線。

 剥き出しの牙から滴る唾液が地面を濡らす。吐き出される吐息が強烈な臭いを放っていた。

 

 コロス。

 

 クウ。

 

 四方から襲い来る鬼の攻撃を躱して、鬼の頸を刎ねた。

 

 躱しては頸を刎ねる

 

 躱しては心臓を突き殺す。

 

 無駄な体力を使わないために俺は無我夢中で鬼どもの急所を狙った。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 どれくらいの時間そうしていたのだろうか。

 

 

 

 

 迫りくる鬼を本能で斬り捨てて……そこからは記憶がなかった。

 

 

 

 俺が気付いたときには周囲に鬼はいなかった。

 

 昨夜のことなどなかったかのように森の中には暖かい日差しが降り注いでいた。時折聞こえる鳥のさえずりが妙に大きく聞こえていた。

 

 槍は半ばから折れ、杖にするよう体重を乗せる。すでに息は絶え絶えで足を一歩動かす度に身体中至る所が悲鳴を上げていた。

 

「……ったくこれで……終わりか。ははは」

 乾いた笑いを残すと俺は背中から倒れた。

 

 俺の目に映る青々とした空を最後に意識が途切れた。

 

 

 

 

 

side 剣丞

 

 

「……ぅう……ん」

 剣丞は薄く目を明けると飛び込んで来たのは激しく揺れる景色だった。

 担がれているせいか腹部に当たる肩の骨が痛みを作り出していた。

「お、俺は……」

 

「……気がついたか」

 ひたすらに前を向いて走る桐琴が視線をくれずに口を開いた。

「……慶次は?」

 震える声で剣丞は尋ねる。

 嫌な予感が剣丞の胸を突き、冷や汗が流れた。

「奴は殿だ」

 桐琴が抑揚のない声で淡々と言った。

「っ! 殿……」

 慶次が一人殿で戦っている。その事実が胸を締め上げひどく感傷的になって泣き出しそうになった。

 後悔が胸中に滲み出て剣丞は目を伏せたが嗚咽が漏れ出す。

「……ううぅ……」

「孺子。今はただこの場を切り抜けることが先決だ」

 桐琴に慈母のような優しい声音を掛けられる剣丞。

 

 小さく頷くと剣丞は駆けてきた道程の奥を眺める。

 薄暗くぼんやりと木々の形状や形の悪い獣道が見えた。この後ろで一人、鬼と斬り結んでいるのだ。

「……ありがとう。慶次」

 ぼそりと涙交じりの声で剣丞は呟いた。

 

 

 目の前に広がるのは九頭竜川。いつぞやの雨のせいか渡河をする足軽たちの腰まで茶色く濁った水が迫っていた。

「あ!母ぁ!慶次知らねぇか?」

 元気良く駆け寄って来た小夜叉は遅れて来た剣丞たちに視線を張り巡らした。

「どこにも見当たらねぇんだ」

 

 剣丞は悲愴な面持ちで目を伏せる。

 意気消沈したような静かな声で切り出した。

「……桐琴さん。ありがとう。降ろしてくれ」

「孺子……」

 桐琴の紅い瞳が剣丞に向けられた。

「俺が言う」

 

「んだよ、剣丞。母におぶってもらって来たのかぁ。貧弱だなー」

 

「……小夜叉」

 剣丞は小夜叉に目線を合わせるように腰を屈ませた。

「慶次は……慶次はね‥‥…」

 殿を勤めている。

 たった一言だけの言葉を紡ぐことが出来なかった。糸で縫い付けられたように口元の自由が利かず胸が針で刺されているように痛んだ。

 

「剣丞?なんで泣いてんだぁ?」

 小夜叉の蒼い瞳が剣丞を覗き込んだ。

 

「えっ。俺、泣いて」

 剣丞は自分の手を目尻に当てると手は確かに濡れている。それが自分の物だと理解した途端に嗚咽がこみ上げてきた。

「ごめん、小夜叉……うぅっ……ごめん……ぅっ」

「な、なんだよ剣丞。そんなに怖かったのか?」

「ガキ」

「あんだよ」

 尊大な態度を取る桐琴はため息をつく。そして重々しく口を開いた。

「奴は……殿を勤めている」

 

 

「えっ‥‥‥」

 小夜叉はきょとんとした顔を浮かべた。

 

 

「ワシらを逃がすために一人戦っている」

「‥‥‥驚かせんなよ母ぁ。慶次なら大丈夫だろ?」

 

「……」

 桐琴は悔しさを耐え忍ぶように唇を噛み締めていた。

「は、ははは。じょ、冗談キツイぜー。なぁ詩乃?慶次なら鬼どもに負けるわけねぇよな」

 力ない顔で小夜叉は笑った。

 

「……」

「な、なんで黙ってるんだよ。何とか言えよー!」

 詩乃に詰め寄ると乱暴に胸ぐらを掴んだ。

 

「……」

 詩乃は為されるがままに暴力的に揺さぶられるが口を真一文字に結び耐え忍んでいた。

 

「おい! き、聞いてんのかよっ!」

 小夜叉は声を震わせていた。双眸に光る大粒の涙が今にも零れ落ちそうだった。

 

 そのとき。

 

「ほ、報告致します!」

 焦る様子の足軽が片膝を突いた。

 

「こ、後方に鬼が出現致しました!迎撃の用意を!」

 その報告がこの場にいた剣丞たちの呼吸を止めた。

 

「……‥‥‥逝ったか」

 深い哀愁を漂わせながら桐琴は夜空を見上げた。

「……どう言うことだよ。逝ったってのは……」

 

「言葉通りだ」

 桐琴は淡々と言った。

「‥‥‥」

 小夜叉の顔から一瞬にして生気が消える。俯いた小夜叉は槍を強く握り締めた。みしみしと槍が軋む。

 

 唐突に顔を上げた小夜叉は双眸に溜めた大粒の涙を頬に流しながら駆け出した。

 

 だが小夜叉が駆け出す寸前、桐琴が槍で制した。

「止めんなよっ!」

 

「いいや。止める。ここでお前が行けば奴の覚悟が無駄になるからな」

 

「なんだよ覚悟って‥‥‥母は悲しくねぇのかよっ!!!」

 鋭い眼光で小夜叉は桐琴を睨みつけると溜め込んでいた感情を爆発させた。

 

「悲しいに決まってるだろうがっ!!!!」

 感化されたように桐琴は激しい怒声を浴びせた。

 

「っ!!!」

 

「‥‥‥だがな。行けば奴の死は無駄になる。一人残った意味がなくなるだろうがよ。‥‥‥ここは抑えろ、ガキ」

 水を浴びた火のように勢いが鳴りを潜め、桐琴が悲し気な口調で言葉を投げ掛けた。

 

「‥‥‥ううっ‥…ひっく‥‥‥うわぁぁぁぁぁぁぁぁ!‥…」

 膝から崩れ落ちた小夜叉は空に向かって慟哭した。

 小夜叉の双眸から流れる大粒の涙と共にしとしと雨が降り始めた。

 

 

 

 



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二十九話

  

 

 寝所にいる久遠はこじんまりと膝を抱え、何度目かわからないほどの深いため息をつく。すでに夜の帳は降りており寝所の中で揺れる灯篭の淡い明りが生気の抜けた青白い顔をした久遠を照らした。

 赤く腫らした瞼が閉じることなくじっと一点を見つめている。その瞳は常時の彼女とは比較にならない程に弱々しかった。

「‥‥‥」

 胸を突く一抹の不安。先の金ヶ崎の退き口で剣丞隊の護衛を勤める慶次の安否が知れない。兵の報告によれば場所は知れないが殿を勤めていたと聞いた。

 慶次が死ぬ───頭ではそんなことはないと必死に振り払った。だが最悪の事態が脳裏によぎり胸を斬りつけたように痛み、その度に何度も何度も涙ぐんだ。

「‥‥‥慶次」

 ささーと背後で障子が開かれる音を聞いた。

 床のすれる特徴的な足音、おそらく結菜だ。

「久遠。夕餉を持って来たわ」

 結菜が久遠の前まで歩み寄ると盆を枕元に置く。盆には海苔が巻かれた一口サイズのおにぎりが乗せてあった。

 小さく竦められた久遠の肩を結菜は心配そうに顔を歪めながら抱いた。

「‥‥‥結菜」

「慶次なら大丈夫よ。いつも俺は死なないって言ってたじゃない」

 苦し気な声音で久遠の袖山をぎゅっと掴む。

「帰って来た時にそんな顔見せてもいいのかしら。慶次なら笑顔が良いって言うはずよ」

「‥‥‥そうは言うが最悪の事態を考えてしまう」

 久遠は震える声を出しながら身体を丸めた。

「我は‥‥‥こんなにも弱かった、慶次がいなければ我は‥‥‥」

 膝に顔を隠し胸の内を吐き出すように細い声を出す。  

「久遠……」

 優し気に抱き締められると母親のように背中を撫でられる。不安が溶け出すような安心出来る温かさだった。

「大丈夫よ。絶対にね。いつもみたいに帰って来るわ」

「‥‥‥」

「だから私たちは笑顔でおかえりって言ってあげないとね」

「‥‥‥うむ」

「‥‥‥そのためにはきちんと食事を摂ることよ。慶次も痩せた久遠を見たら心配しちゃうわ」

「うむ。そうだな」

 久遠は枕元にあるおにぎりに手を伸ばすと小さく口を開けた。

 

 >>>

 

 先頭の松平勢、一葉は既に渡河を終え、向こう岸へと渡っていた。

 

グガアアアアアアアアアアアア!!!

 

 小夜叉の背から鬼の叫び声が響く。

 それを皮切りに兵達の動揺する声がそこかしこから上がった。

「孺子! 早く行けっ!」

 桐琴が焦りを感じさせる声を上げる。

 ちらりと後方を一瞥すれば苦い顔を見せ舌打ちをした。

「クソガキ! 孺子を対岸まで運べ!」

「‥‥‥」

 小夜叉の耳に桐琴の声は入っていなかった。

 心に燻ぶる慶次の死という濃密な黒い感情が胸を支配していたのだ。

(勝手に……死にやがって)

 慶次の訃報を知った小夜叉は空に慟哭した。彼女が経験した幸せや楽しさの思い出全て吹き飛ばしすほどの衝撃を与えたのだ。どうにか記憶を再び引っ張りだせば胸が痛む。

 そしてまた思い出は吹き飛ばされ、引っ張り出し───その繰り返しだった。

「……ガキ。こんなときに言うことではないが‥‥…奴から言伝てを預かっている。……ありがとう、だそうだ」

「……なんだよ。それ」

 小夜叉はその言葉を聞き全身が一気に熱くなった。 

 何がありがとうだ、勝手に逝きやがって。

 

 ずっと一緒にいることが出来ると思っていたのに。自分よりも強いなら死ぬはずはないと思っていたのに。

 

 だから小夜叉は彼の無責任さに憤慨した。

「勝手に逝って、言伝て残して。あいつはっ‥‥‥母ぁ。オレはどうしたらいいんだぁ」

 嘆願するような弱々しい声を出す。

 桐琴は一瞬、眉間に皴を寄せ心配そうな顔を浮かべる。

 だがその表情はすぐに消え、不機嫌そうに小夜叉を見つめる。

「‥‥‥てめぇ個人のことは知らんな‥‥…だが」

 桐琴は冷たく一蹴すると神妙な面持ちで続けた。

「いつまでもなよなよしてんじゃねぇぞクソガキ。てめぇは森一家の跡目だろうがよ」

 

「‥‥‥」

 

「奴はもう戻らん。ならば覚悟を汲み取り、死を踏み越え、前を向くしかあるまい」

 覚悟、と小夜叉は頭で反芻した。

 

 おそらくそれは───守りたいと言うことだったのだろう。

 

 初めて会ったあの日から慶次は妙に女には優しくて、いつも女の前ではカッコつけてて───それでも男にも優しくて戦友だって言っていたのだ。

(! そっか。そう言うことか‥‥‥)

 

 ただ女や友を守りたい。大切な彼らを守るためだけに一人残って奮戦する。

 それが慶次の生きざまだった。

 納得のいかない部分もあるし陰鬱立った気持ちは晴れるまではいかない。

 しかし軽くはなった。

「‥‥…最期のときまでかっこつけやがって。‥‥‥慶次は満足して逝けたのかな」

「ワシらを逃がしたんだ。そうでなければならん」

「そっか‥…」

 へへと笑うと目尻に溜まる涙を拭った。

「ふん。いつものクソガキに戻ったな」

 尊大な態度で安堵の感じさせる笑みを浮かべている桐琴に「おうよ」と元気よく返した。

 

>>>

 

 兵達は様々な顔色で渡河をしている。ある者は今にも泣き出しそうな面持ちで、またある者は怒りを孕んだような鋭い目つきをしている。

 

 そんな中、一葉は彼らを見据えていた。

「皆の者!疾くと渡河を果たせ」

 銀に染まる髪を雨に濡らしながら一葉は叫ぶ。

 じゃばじゃばと重そうな足を引きずりながら彼らはこちらへと進んでいた。

 彼らの後方から膿のように漏れ出る黒い鬼は呻き声や叫びを上げながら逃がすまいと迫って来ていた。

「一葉」

 白い服を雨や泥で汚した剣丞が駆け寄って来る。雨のせいか濡れている顔は目尻に少しだけ涙のようなものが溜まっていた。

 共に駆けてきた森親子は彼を守るように左右に佇む。

 いつ見ても気圧されるほどの威圧だがどうにも目の前にいる小夜叉の様子が変に思えた。涙を流した後のように赤く腫れた瞼。そして造り笑いと言うのだろうか、いつもとは違う力ない笑みだった。

「一葉? どうしたの?」

「‥‥‥っ。剣丞。無事であったか」

「‥‥‥ぁ。うん」

 無事。

 この言葉を聞いたからか、あからさまに剣丞は一葉から視線を外し、暗く沈んだ苦い顔となる。少しだけ開いた口は悔しさを噛み殺すようにぎりりと歯ぎしりをし、拳は色が変わるほどに強く握り締められていた。

 剣丞の様子に一葉は何かを察する。

 これほどまでに悔しさを隠さずに歯を噛みしめている。つまりここに来るまでの道程で何か剣丞に影響を与えかねない重大な事が起こったそれは───。

「っ!」

 まさかと一葉の心臓がどきりとなる。嫌な予感が胸を突き───冷や汗が流れ出た。

「‥‥‥慶次はどうした」

 静かな低い声音で尋ねた。

「‥‥‥」

 剣丞は沈黙していた。直後、一葉はこの沈黙で自分の嫌な予感が正しかったことに気付く。

「おい。森の」

「なんだ公方」

「慶次はどこにおる」

「奴なら殿だ‥‥‥」

 桐琴は気にも留めないかのように淡々と言った。だが一葉の知る桐琴と違いその声音はどこか暗さを感じさせるような沈んだものだった。

 その声音から察するに苦渋の決断をしたのだろうと直感的に思った。

 

 将軍である一葉には殿を勤めているその由を理解出来ていたし怒りなどはなかった。

 自分だったらそうするだろうと言い訳染みた言葉で今にも泣き出しそうな心を必死に落ち着かせた。

 

 そうして一葉は自分たちが生きることが先決だと考え声を出そうとした───そのとき。

 

 >>>

 

「あの‥‥‥慶次さまが殿とは」

 一葉が神妙な面持ちを見せている中葵はとある言葉を聞き思わず口を出してしまった。

 終始黙っていようとしていたものの彼の名が出で居ても立っても居られなかった。

 震えている葵の声にむっと一葉が険しい顔で見つめた。

「葵‥‥‥」

「‥‥‥」

「慶次は余らを生かすために殿を勤めておる。いいな?間違っても戻ろうなんて考えてはならんぞ」 

 語気を強めて言う一葉。

「‥‥‥ええ。それは重々承知しております。しかし‥‥‥」

 初めて気になった殿方を失いたくはなかった。今まで生きて来た人生で一番と言えるほどの衝撃を与えてくれた殿方なのだ。

「余にも気持ちは痛いほど分かる。だが今は‥‥‥」 

 一葉は九頭竜川からの対岸―――鬼が溢れる出る薄暗い森を見つめた。葵も釣られるように見れば呻き声や叫ぶ声を上げながら徐々に数を増やす鬼がいた。

 その先頭に立つ鬼は渡河を始めている。

 天候のせいで河は荒れているものの鬼は川に足を取られることなく葵たちを囲むように扇形に広がり向かってきていた。

「この場を切り抜けることが先決じゃ」

「‥‥‥はい」

 葵は一葉の言葉に頷いた。

 

 

side 剣丞

 

 慶次が殿を勤めている。このことは剣丞隊、足利衆そして松平勢に大きな衝撃を与えるものだった。

 ましてやたった一人、兵すら共につけず一人奮戦しているのだ。だからみんなが助けに行きたい、と考えるのは無理もなかった。だが誰一人として動くことはなかった。

「後悔しても仕方ないんだ。俺は慶次の覚悟を無駄になんかしない」

 剣丞は九頭竜川に広がる鬼を見据えると桐琴と小夜叉に顔を向ける。

 二人は待ってましたと言わんばかりに笑うと槍を手に構えた。

「オレたちがやってやるぜ」

 小夜叉には陰鬱な顔は浮かんでいない。

 いつもと変わらない獰猛な虎のような獲物を狩る瞳を爛々と輝かせている。しかし握り締めた槍からはみしみしと木が軋む音が聞こえていた。

「孺子。さっさと後退だ。ワシらも一撃を与えて退くからな」

「わかった。頼んだ」

 

 そうして剣丞が桐琴たちを背に身を翻したとき───よく通る澄んだ声が響き渡った。

 

「ほんっっっと気持ちの悪い形相よね。あいつら」

 不機嫌さを感じさせる声音で汚物でも見るような冷ややかな瞳で鬼を見つめる白い髪をした少女。

 その隣には橙色の髪をした活発そうなイメージを連想させる少女がいた。

「そうっすねー。あれホントに気持ち悪いっす。それよりも御大将、鬼って強いんすかね」

「あいつら見れば分かるでしょ」

 白い髪の少女はこちらへと視線を向けるとクスリと笑った。

「あんなにボロボロだもの。強いんじゃないかしら」

「あーなるほっどすー」

 

「「ああ?‥‥‥」」

 空気が冷え固まったかの如く一気に重くなった。

 少女たちの言葉に桐琴と小夜叉はガンを飛ばすように鋭く睨みつけていた。

 だが件の少女たちは知らんとどこ吹く風。

 終いには橙色の髪をした少女はぴゅーぴゅーと口笛を鳴らしていた。

 それを見た白い髪の少女はふふっと笑う。

「母ぁ‥‥‥あいつら」

 聞くのもおぞましいと感じてしまうほどの低い声音。

「あぁ。クソ小娘ども。‥‥‥頸だけにしてやる」

 凄味を感じる薄い笑みを浮かべている。

 今にもあの少女たちを襲ってしまうかの如く二人は殺気立った雰囲気を醸し出す。

 二人が握りしめていた槍が突然悲鳴を上げ、みしみしと軋んでいた。

 森衆も同じようで「うちの大将を‥…」「許せねぇ」「頸だけじゃものたりねぇ‥…」と彼女たち以上に物騒で殺気立っていた。

「ここは抑えて抑えて」

 慌てて二人を宥めるように駆け寄ると我慢してと言う風に両手を上げる。

 小夜叉はあの少女たちへと駆け出そうとしていたが大きくため息をつくと渋々引き下がる。

「‥‥‥わぁったよ」

「桐琴さんも」

 剣丞は横目にそろりそろりと歩みを進めていた桐琴に顔を向ける。

 はぁと大きくため息をつき不機嫌そうな顔付きで舌打ちをするとすんなりと引き下がった。

 だが桐琴がやられて終わるはずもなく親指を立てて頸筋に当てると横に引っ張った。

 そうして声を出さずに口をぱくぱくと動かす。「お・ぼ・え・て・い・ろ」と。

 それを見た白い髪の少女はを歯牙に掛けることもなくふふふと不敵に笑っていた。

「うんうん。流石ね、織田の天上人サマはー。きちんと狂犬を飼いならしているもの」

 あからさまに剣丞たちを煽ると白い髪の少女は大らかに腕を組んだ。少女の大きめな胸が強調される。

 思わずそちらに目が行きそうになるが突如纏う空気が変わった。

 少女の笑みは崩れ、真剣そうな面持ちで光を放つ無色透明なオーラが立ち昇った。

 神聖さを感じさせるそのオーラは瞬く間に周囲広がり五人の人型を形どる。背が高く抜群のプロポーションを誇る美女の姿から手乗りサイズのひな人形の大きさまで様々な姿がそこにあった。

 白い髪の少女は不敵に微笑むと近くに佇む少女へと手を伸ばす。

「ごめんねー。帝釈。初お披露目だから派手に行きたくって」

 少女は全然かまわないと言う風に首を振った。

 

「ええ‥‥‥何アレ」

 そのお家流らしき光景に言葉を失った剣丞は唖然としていた。

 いきなり森一家を刺激したと思えば、突如光から女の子が現れたのだ。

 もう何が何だかわからないと剣丞は思った。

「ふむ。流石と言うべきですな」

「‥‥‥幽」

 飄々とした微笑を浮かべる幽。

 軽く全身を見渡して見れば所々汚れが目立つだけで怪我はしていないようだった。

「おやぁ~どこを見ているのですか」

「どこって怪我してない‥‥‥か」

 そうして再度全身に目を配ると妙に彼女の言葉が頭に残りつい胸部に目がいってしまう。こんな状況にも関わらず汚れ一つなく存在を主張しているソレに。

「いやー。剣丞どのに襲われるー」

 棒読みで言葉を紡ぎ、近くにいる詩乃の背中に隠れる。ひょこっと背から顔を出すとしてやったりと言う風に目を細めて笑っていた。

 不味いと思いつつ詩乃に誤解を与えてはいけないとすぐさま反論を始めるも———。

「ちょ、幽今はそんなときじゃ‥‥‥待って。詩乃違うんだ信じてくれ」

 前髪で隠れた詩乃の瞳からは冷めた視線が向けられているように感じていた。

「はぁ‥‥‥」

 詩乃はため息をつくとやれやれと言う様に額へと手をやった。

「剣丞さま。あの少女の周囲に佇むのは護法神四天王と言い左から多聞天、持国天、広目天、増長天、そしてその長である帝釈天‥…ですね」

「あ、うん。ありがとう‥‥‥」 

 詩乃が眉をひそめる。

「剣丞さま、あまり幽どののからかいに素直に乗ってはいけませんよ」

「あはは‥…」

 剣丞が乾いた笑いを残したその直後。

 

 鋭さを感じる凛とした声が響いた。 

「さぁ!みんな!!」

 護法神四天王が剣丞たちの後方───鬼を見つめる。

「日ノ本の法を守る神として」

 白い髪の少女の雰囲気が殺気立ったものに変わる。それに合わせるように護法神四天王からはっきりと目に映るオーラが立ち昇る。その瞳は神とつくだけあって神々しさを感じさせる一方で感じたことのない冷たさを保っていた。

「異形のもの共を皆殺しにしてあげましょ! お行きなさい! 私の可愛い妹たち!」

 その刹那、彼女たち護法神四天王が神々しい光を纏い、とてつもない速さで飛び出した。

 剣丞たちの頭上を流星のような光が通り抜ける。

 

グガァアアアアアアアアアアアア!!!

 

 鬼の断末魔が終わることなく響き渡った。

 眩いほどの光が暗闇の森を走る度に大きな光を放ち、目視できるほどに鬼は消えゆくのだ。

「数が多いわね。‥‥‥面倒くさいから纏めて殺っちゃおっか」

 少女の物騒な言葉に呼応したように光を放つ護法神四天王は鬼を囲むように広がる。

 

 そしてその直後———彼女の叫び声が響き渡った。

 

三昧耶曼荼羅(さまやまんだら)!!」 

 思わず目を閉じてしまうほどの強烈な光が目の前に現れた。

 

 

 

>>>

 

 

「‥‥‥生きてる」

 目を開けると飛び込んで来る雲を孕んだ青い空。爽やかな風が吹き込み慶次の髪を揺らした。

 身体起こすと全身に倦怠感があった。だが幸いにも筋肉痛はなかったようでほんの少しだけ安堵した。

 立ち上がり肩を回すとぽきぽきと耳触りの良い音が鳴る。そうして全身を軽く動かした。

「ん?‥‥‥うわぁ」

 服が汚れていたのだ。あれほどまでに派手だった色合いの服は色落ちしたようにくすんでいた。腰巻はそこまでのくすみはないものの泥が付着し、手触りの良い毛皮を撫でる度に乾いた泥が落ちた。 

「まぁ仕方ねぇ。取り敢えずあいつら追っ掛けねぇと。越後だったかな」

 半ばから折れかけた槍を手に取ると歩き出した。

 その道中で足利の、そして剣丞隊の兵の骸を目にした。

 どれもこれもが酷い有様で頭部がない者や四肢がないものなどばかりだった。中には倒木で踏みつぶされたような兵や木に括り付けられた兵もいた。そうして極めつけは野犬や烏に食べられていること。

 だがどれもに共通しているのは腐乱して酷い臭いを放っていることだった。

 常人であれば思わず鼻を摘まみたくなる臭いだが慶次はそれをしなかった。恐怖に襲われながらも勇敢に立ち向かっていって死んでいったのだ。まさに英雄ともいえる彼らにそんな臭い如きで鼻を摘まむなど無礼なことは出来なかったのだ。

(悲惨なもんだな。だが敵が取る。せめて安らかに逝け)

 目に映る骸全てに慶次は一礼していった。

 そうしてしばらく歩くと森を抜けて、九頭竜川へと出た。

 ここでも兵の骸が散乱している。だがまだ腐乱はしておらず人としての原型を留めていた。

「悪い。この槍もらうな」

 倒れ伏す一人の兵が持つ一本の槍。

 固く握り締められたその手からは逃げ出したい、生きたいなどの激しい感情が容易に想像できた。 

 おもむろに兵の手を開き、槍を手にした。

「安らかに、な」

 腰を下ろすと目を閉じて合掌した。

 しばらく兵達へと思いを告げていた慶次は渡河を開始した。 

 陽光煌めき透明感のある九頭竜川。深さは膝程までだが踏みしめる度に地面に散乱した小石が当たり歩きにくかった。

 そうして渡河を終え、川岸へと到達した。

 目の前に伸びる道はまたもや森へと続いていた。

 また森かと思いつつ歩みを進めた。

 それから数日、果物や獣を狩りつつ歩みを進めついに──。

 

 

「ついた‥…」

 やっとのことで到着した越後。

 ここまで来るのに苦労したものだ。猪に出くわすは、熊に出くわすは。極めつけは馬である。

 戦国時代の馬は現在の馬と違いぽっちゃりとしたずんぐりな馬だ。身体の大きさの反面、生命力が強いことで有名だ。なによりその性格は穏やかで優しいことで扱いやすいと人からの言伝で聞いたことがあった。

 

 つい前日に慶次は泉の際になるアケビを美味しそうに食す二頭の馬を見つけたのだ。だがその二頭、今にして思えば様子がおかしかったのだ。片や西洋の馬のように気品の感じさせる茶色の毛色をした非常に体格の良い馬。片や日本固有種、つまりこの時代では平均的な体格をした黒い毛色の馬。

 

 黒い毛色の馬はアケビを口に咥えると体格の良い馬の前に置いた。しかし体格の良い馬はそれを気にも留めずに自分でアケビを取って食していたのだ。黒い馬は何度もそれを繰り返すとおもむろに体格の良い馬の後ろへと移動し、いつの間にか屹立している彼の息子を突き立てようとしていた。

 

 それを好機とばかりに慶次は林から飛び出すと木になるアケビを取ると口にいれた。二頭は驚いたようにぎょっとしていた。それを皮切りに体格の良い馬は自分が何をされそうになっていたのか気付くと黒い馬を後ろ脚で蹴り上げた。黒い馬は悲鳴のような嘶きを上げると逃げるように森へと去っていったのだ。

 

 一方の慶次は久しぶりに感じた甘さに歯止めが気かなくなり兎に角胃へとアケビを送り込んでしまったのだ。

 最終的に満足した慶次はその場を離れようとしたのだが───驚いたことに体格の良い馬が後を着いてくるのだ。

 逃げるように走るも馬と人間の走る速度は傍目にも分かるほどに結果はわかりきっていた。

 諦めた慶次はため息をつくと体格の良い馬へと歩み寄る。

 馬の頸をくすぐるように触れる。思った以上に温かみを感じ、手触りよい毛並だった。

 馬は気持ち良さそうにつぶらな瞳を細めて、小さな嘶きを上げた。

「俺は前田慶次ってんだ。‥…一緒に来るかい?」

 相変わらず気持ち良さそうに目を細めていたが返事をするように高い嘶きを上げた。

「ははは。じゃあ行くか」

 慶次は早速背に手を掛けると騎乗。

 特に嫌がる素振りも見せずに自然と受け入れてくれた。  

「そうだな。お前の名前は‥‥‥松風。どうだ?」

 馬の頸をさわさわと撫でながら又も返事を返すように嘶きを上げた。

 

 そうして馬こと松風に乗った慶次は想定していたよりも早く、越後へと到着したのだった。

 ちなみに走らせているときは手綱がないため頸を締めないよう細心の注意を払いながら抱きしめるよう掴まっていた。

 その手綱を含む馬具を越後で揃える予定なのだ。

 山で囲むようにして造られた城下町では活気のある人の営みがある。

 ごった返す人混みの中、我が道を行く気分で往来を進む。

 松風を見た町人たちはその立派な凛々しい姿に感嘆の声を上げていた。

 人が行き交う往来では露店商が立ち並ぶ。店主たちは藁を敷き新鮮な果物や穀物、真新しい草鞋や蓑傘、そして馬具用品を並べていた。

 早速見つけることが出来た馬具用品を扱う露店商。

 店主である男は顔をうつむかせ書物と対峙していた。

「おう、親父」

 顔を上げたひげを生やした初老の男は松風を見るなり目を見開いた。

「この馬にあう馬具一式くれねぇか」

 馬を降りると松風がぶるりと震えた。どうやら慣れない視線に緊張しているようだった。

 慶次は落ち着かせるように首筋を撫でる。

「‥‥‥こりゃぁ立派な馬だ。しかも頭が良いときた。よし。ちょっと待ってな」

 そう言うと男は往来に消えていった。

 しばらく待っていると台車を引き連れて帰って来る。

「遅くなったな。お前さんの馬は立派だ。それなら馬具もそれなりにしないとならんのだ」

「まぁそれは嬉しいがそんなに手持ちねぇぜ?」

「特別にあんちゃんには通常価格で売ってやる。感謝しな」

「悪い。助かる」

「よし、じゃあ早速付けるぞ」

 言うなり慣れた手つきで馬具を装着し始めた。

 轡から始まり次いで手綱。その後頭部を守る銀面から背の鐙。ものの数分で装着してしまった。

「ありがとな。親父。」

 これが職人かと感心しつつお礼と共に懐から銭を取り出すと男に渡す。

「きにすんな。あんちゃん」

 男の朗かな笑みを背に慶次は松風と共に往来へと戻った。

 

 しばらく松風に揺られながら往来を進むと大きな屋敷が見えて来た。

 屋敷の前には木造家屋が大小ともに統一感など見せずに煩雑に立ち並んでいた。生活感はあるために隙間の空いた板戸からは白い煙が漏れ出ている。

 屋敷は正面から入れないように堀で仕切られていた。後ろには馬出が作られていた。

 何より目を引くのはその奥———山に連なるように曲輪が複数建てられたような場所に立つ家屋だった。

(あっれー。春日山城ってこんな城だったけか)  

 慶次が想像していた越後春日山城とは百八十度違ったのだ。

 まず堅牢な山城だと聞いているし目の前にある平屋のようなものなどではない。

 そしてなにより剣丞たちの姿が見えないのだ。敢えて目立つように松風に乗ったのは彼らに見つけてもらうためだったのだ。

 おかしいぞおかしいなと慶次が屋敷前で唸っていると幼さを感じさせる声を聴いた。

「おい!そこのお前!」

「あん?」

 閑散とした雰囲気の中お前と言うことは自分だろうと聴こえた声に辺りを見回す。が声の主であろう者は見えなかった。

 いやまず人が一人もいなかったのだ。

 慶次はその声にもしかしてと———松風の頸筋を撫で上げる。

「馬じゃない!まずは降りるのら!」

 舌足らずなその口調は確かに周囲から聞こえる。

 慶次はきょろきょろと再度辺りを見回した。

「らからまずは降りるのら!」

「降りるだぁ?なんで俺がそんなことしなくちゃなんねぇ」

「言うこと聞かないと痛い目見るのら!」

 怒りを含んだ口調に慶次は渋々松風から降りた。

「降りたぞ。どこに‥‥‥なんだこのちんちくりんは」

 声の主であろう少女と目があった。

 だが少女と形容するにはまだ幼い───幼子は目を大にしてこちらを睨んでいた。

 兜のこめかみ部分からウサギの耳のようなものを生やしひょこひょこと可愛らしく動いていた。

「ちんちくりんじゃないのらー! それよりもお前! ろうしてここにいるのら!」

「んなの。春日山に来たからに決まってんだろう」

「‥‥‥か‥‥‥かす」

 驚愕に染まる顔で大きく口を開きぱくぱくと動かす。

 幼女はむぐっと口を閉じると息を思い切り吸い込んだ。

「ここは春日山らないのらー!!」 

 耳を塞ぎたくなるほどに叫んだ幼子。

 興奮したかのように肩を震わせている。

「‥‥…へ」

「あんなへっぽこな城と一緒にされたら困るのら!」

「あ、あぁ。悪い、な?」

 慶次のよくわからない返答に幼女は、ぱっと顔色を変えた。

「もしかしてお前、長尾の間者らな! おい! 捕らえて地下牢に入れておくのら!」 

 幼女が矢継ぎ早に指示を出すといつの間にか近くに控えていた兵に両腕を拘束された。

 木製の手錠で手を拘束されると引っ張られるように屋敷の中へと連行される。

 ちらりと松風を一瞥するとつぶらな瞳がこちらを心配そうに見つめていた。

「馬に罪はないから御館さまに乗ってもらうのら!」 

 そうはいかない。松風は自分の馬だ。

 慶次は声を大にして叫んだ。

「松風ー!絶対に迎えに来るからそれまで世話になっておけー!」

 松風は答えるようにこちらにも聴こえるほどの嘶きを上げた。

「お前ー! うるさいのら!」

 慶次の声は幼女に一蹴されてしまった。

 

 慶次は兵達に連行されて地下牢へと入れられた。

 もちろん武器と銭は没収されてしまった。

 薄暗く酷く不気味な牢だ。ロクに手入れがされていないのか地面には苔が生え放題だった。四方に区切られた壁や牢の四隅には小さいながらもキノコが生えていた。 

「なぁ。そこの」

 慶次は牢の前で控えている兵を呼ぶ。

 気付いた兵は不機嫌そうに眉をひそめていた。

「なんだ」

「ここってさ。長尾じゃあねぇ‥‥‥あだっ!?」

 じわじわと胸に残る鈍い痛みだった。

 木製格子の外から槍の柄が伸びていた。どうやら兵に槍の柄で胸をどつかれたようだ。

「長尾だと?ふざけたことを」

 嘲笑するような薄い笑みでこちらを見る。

 痛みで押さえる胸に視線をやるとさらにその笑みは深くなった。

「‥‥‥ここは武田だ」

「武田‥‥‥だと」 

 思わず口に出してしまった。

 なぜ越後に向かっていたはずなのに信濃の武田にいるのか───正直な所、舌足らずな幼女を見たときからここは越後ではないと薄々は感じていた。

 しかし原作キャラの一人である彼女、高坂弾正昌信、通称は兎々。彼女を見てから心が高ぶってついつい話し込んでしまったのだ。

 だがその結果が(牢屋行き)これである。

(まぁいいか。時期に出れんだろ) 

「驚きで言葉も出ないか。大人しくしているんだな」 

 そう言うと兵は不機嫌そうに去っていった。

「‥‥…はん」

 慶次は不貞腐れ、ひんやりとした冷たい石床に横になった。

 

「‥‥‥ら!」

 声が聞こえる。

「‥‥‥ん‥‥‥るのら!」

 ドンドンと揺らされる木製格子の乾いた音が響く。

 慶次は徐々に大きくなる音にしょぼしょぼとした寝ぼけ眼を開けた。

 ぼやける焦点を瞬きすることで合わせると目線の先にいたのはあの幼子。

 苛立ちを隠そうともせずにこちらを睨んでいる。

「やっと起きたのら。食事を持って来たやったのら!」

 彼女が盆に乗った質素な食事を格子のしたから通した。

「おう。悪いな。助かる」

「そんなこと言ってもここから出しはしないのら!」

「わかってらあ。んな怒るなよ、ちんちくりん」

「兎々はちんちくりんらないのら! 兎々って名前があるのら!」

 ぷんすかと怒った様子で格子に詰め寄った。

「んじゃあ兎々」

「その名で呼ぶことを許した覚えはないのらー!」

「ははは。ったく面白いな、嬢ちゃん」

「むー!」

 幼子は小さく頬を膨らましていた。

 体格と相まって非常に可愛らしい。

 元気のある子だなと慶次は思った。

 話し方に特徴はあるものの怒った小型犬のような姿にくくっと苦笑を漏らした。 

「お前には特別に兎々の名前を呼ぶことを許すのら! 感謝するのら!」

「ありがとな。兎々」

「お前も名前を教えるのら! 兎々だけ教えて不公平なのら!」

「おう。俺は前田慶次ってんだ。慶次でいいぜ」

「‥‥‥え」 

 名を伝えた瞬間、兎々の動きが止まった。目はひたすらに一点を見つめ半開きの口はぽかんとしている。

 さながら石像のようだ。

 兎々の目の前で手を振るが反応は返されない。

「どうしたんだ?兎々」 

「お‥…」

「お? なんだ?」

「御館さまー!!!」

 焦燥したように叫び上げ、一目散に駆け出して行った。

「‥‥‥なんだったんだ」

 彼女が去った後の石牢は先のような騒がしさなど嘘のようになくなり閑散とした。

 そのせいか慶次の呟きがやけに大きく響いた。

 

 

 数日後。

 

 

「ほら出ろ」

 牢屋から出されると手錠をされ兵達に連行された。

 連れて来られた場所は襖で仕切られている部屋の———のすぐ前。

 音一つ聞こえない静寂が包む空気の中、兵が襖に手を掛ける。

「御館さま。お連れ致しました」

「入りなさい」

 くぐもった女性の声が聞こえた。

「失礼致します」

 兵が襖を開くと慶次は背中を押される。おそらく歩けと言うことなのだろう。

 部屋に入るなり感じた押し潰すような緊迫感。

 かなりの広さを誇るこの部屋には正装をした武田の家臣団がずらりと並んでいた。ざっと見積もって百余名の家臣団が慶次に視線を向けていた。 

 ちらりと横目で周囲の家臣団を見れば、汗を流す者から深呼吸を繰り返している者、そして目を閉じて静かに佇む者がいた。

 座敷から一段高さのある上座に座る落ち着きと共に栄えある威厳を感じさせる少女。

 触り心地が良いであろう白いぼんぼんを両肩辺りに着け流麗な水色の髪はショートカットにしていた。

 慶次はある程度座敷を進んだ所で腰を下ろす。

「あなたは金ヶ崎で殿を勤めた前田慶次、ですね」

 威厳を感じさせる静かな声が部屋に響く。

 静寂な空間も相まってかやけに大きく聞こえていた。

「あぁ?まぁ確かに俺は前田慶次だ」

 その瞬間、部屋がざわざわとし始めた。

「嘘だろ!? 前田慶次って金ヶ崎で死んだんじゃねぇのかよ!」 

「あの鬼の大群をたった一人で退けたのですか‥…」 

 口々に慶次に言及する武田の家臣団。

 自分のことが話題となり少しだけこそばゆい。胸の内をくすぐられるようなそんな感じだった。

 だが上座より一番近くに座る薄い桜色の髪をポニーテールに結んだ美女がぴしゃりと言い放った。

「静まれ! 御館さまの御前だ」

 息を呑んだように一気に静まり返り静寂を湛え始める。

 少女は気にする様子もなく口を開いた。

「先日は我ら武田のものがご無礼を致しまして申し訳ございません。ですが分かって頂きたいのは我らも警戒あってのことなのです」

「おう。俺は気にはしねぇさ。当主どのも気にすんな」

「そうですか。ありがとうございます」

 慶次の言葉にふわりと微笑むと、ではと言葉を続けた。

「本題に入ります。前田どの。どうしてここ、躑躅ヶ崎館に来たのですか?」

「あー。それか。恥ずかしい話なんだが、まぁ最初は越後を目指していたんだ」

 越後。

 この言葉を聞いた途端、家臣団の纏う空気が変わる。

 目の敵にでもするような強張った顔つきを浮かべていた。

 慶次は長尾が原因かと思いつつも話を進めた。

「けど道に迷ったらしくてな。越後についたぁーって思っていたらここだったわけさ」

「なるほど‥‥‥」

 呟きのような細い言葉を残したっきり彼女は考える素振りを見せる。

 そうしてどれくらいの時間、静寂が部屋を包んでいたのだろう。

 体感としては三十分ほど経ったとき唐突に彼女が口を開いた。

「取り敢えず‥‥‥今日からは客人扱いにします。‥‥‥夕霧」

 上座の少女が近くに控えていた色違いのぼんぼんを付けている少女に視線を向けた。

「御意でやがりますよー。さ、前田どの。こちらへ来やがれです」

 

 

 慶次は夕霧と呼ばれた少女に促されるままに緊張感漂う大部屋を出る。

 その後に部屋へと案内された。

「夕食の方は後で運ばせるでやがります」

「なぁ。少しいいか」

「? 何でやがりますか?」

「こんなとき言うのもあれなんだが。越後の急ぎの用があんだ。何時ここから出れる?」

 夕霧と呼ばれた少女は難しい顔でむむむと唸った。

「‥‥‥分からないでやがります。前田どのの立ち位置は客人兼捕虜でやがりますから」

 何とも微妙な立ち位置だ。

 慶次は苦笑をした。

「はは。なるほどなぁ。‥‥…分かった、当主どのが決めるまで大人しく待とう」

「申し訳ないでやがります。しかし数日ほどでどうするかは決まるでやがりますから。安心して待つと良いでやがります」

「そうする。それで嬢ちゃん」 

 踵を返し部屋を出で行こうとする少女の背に声を掛けた。

「まだ何かあるでやがりますか?」

「悪い。名前聞いてなかったんでな。俺は前田慶次ってんだ。慶次って呼んでくれ」 

「すっかり忘れていたでやがりますな」

 少女はえへへと恥ずかし気に微笑を浮かべた。

「夕霧は武田典厩信繁でやがります。通称は夕霧と気軽に呼んでくれでやがりますよ」

 その後部屋を出ていった夕霧。 

 しばらくして運ばれてきた夕餉を食べ、慶次の一日は終わった。

 

 

 翌日。

 部屋は夜明け前のように薄暗い。慶次が目を覚ましたのはまだ朝日が完全に顔を出していない時間帯だった。

 だと言うのに武田家はどこか騒がしい。騒がしいと言っても喧噪や剣戟の音なではなくどことなく空気が締まっていたのだ。

 慶次の部屋の前には庭があるのだがどうにもそこでは何者かがいるようで風を切る鋭い音がしていた。

 気になった慶次が部屋の障子を開ければ朝特有の涼しい気な風が優しく触れて来た。

 目の前に広がる庭は小さめな池と大きな一本杉がある。剥き出しの地面は踏み固められ閑散としていた。

 その中心には、はっきりとは見えないが女性と思わしき人物がいた。

 両手に握り締めた木刀を振るう度に後ろで纏めているポニーテールが忙しく揺れている。

(不死身の鬼美濃‥‥‥だったか)

 確かと昨日の記憶を辿れば———大部屋で家臣団を嗜めていた美女だったと思い出した。

 武田四天王の一人であり武田家臣団筆頭、そして傷一つ負わない彼女に付けられた渾名、不死身の鬼美濃。

 彼女の怒声は渾名に負けない圧力があった。

 そんなことを考えながら慶次は部屋を出てひんやりとした空気を感じながら廊下を渡る。

 縁側に立つと少し大きめな声を出した。

「おはようさん」 

「おや? 前田どのではござらんか」

 動かしていた手を止めるとこちらへと顔を向けた。

「稽古かい?」

「うむ、武士は基礎が重要でござるからな」

「はーん。‥‥‥なら俺も」

 慶次は呟くと縁側に置かれていたもう一本の木刀を手に取り軽く振る。

 至って普通の木刀だった。

 縁側の影にある沓脱石(くつぬぎいし)にはいくつかの草履や草鞋が並べてあった。

 そのうちの一足を履くと彼女の元へと歩み寄る。

「前田どのもやるのでござるか」 

「あぁ。最近やってなかったからなぁ。身体動かして感覚戻さねぇとな」

「うむ。ならば丁度良い。拙と一剣交えてはござらぬか?」 

「お!いいねぇ。不死身の鬼美濃と手合わせしてみたかったんだ」

「そうでござるか。拙も織田の鬼には興味があります故丁度良いでござるな」

 慶次は軽く素振りを行った後、「では」と鬼美濃の言葉を合図に対峙した。

 目に映る不死身の鬼美濃。

 構えられた木刀は隙を見せようとせずに真っ直ぐとこちらを向いている。

 その雰囲気と言ったら桐琴を連想させるように鋭利、それでいてぴりぴりとした電気のようなものだった。

 覗くその瞳は慈悲など感じさせることなどない冷徹さを湛えていた。

「いくぞ!!」

 鬼美濃の刺すような怒気と共に仕合が始まった。

 ちなみに朝の五時ごろである。

 

 

 

 

 



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三十話

 仕合が終わったのは半刻ほど過ぎた頃。

 どちらも負けじと木刀を交わし合っていたがあくまでも今回は仕合。決着が着くことなく終わった。

 

 二人は縁側へと腰掛け、激しく動かした身体を休めていた。

「さっすが不死身の鬼美濃だ。伊達に物騒な渾名はついてねぇ」

 その渾名が示す所以通り、兎に角一撃を入れるも受け流されていた。

 傷一つ負わない———まさに不死身と揶揄されるものだろう。

「前田どのも同じでござるな。その強さはまさしく金ヶ崎を退いた一騎当千の武。拙は感服致しました」

 

「お、おう」

 鬼美濃の言葉に慶次はどもる。

 

「……??」

 

「あ、いや。悪い。あんまりこう言われんの慣れてなくてな」

はははと苦笑を溢しながら慶次は動揺したかのように目を泳がせる。

 

「そ、それにしても。汗が気持ち悪りぃな」

 胸元の衣服を引っ張るとむさっとした気持ちの悪い熱気が溢れた。

「ふむ‥‥‥」

 彼女は慶次の言葉を聞いて考え込む素振りを見せるも程無くして顔を上げた。

「では前田どの。井戸があります故汗を流しにでも行くとしましょう」

「あんのかい?」

「ありますとも。拙についてきてくだされ」

 言うや否や立ち上がるとすたすたと歩いていった。

遅れまいと駆け足でその背を追う。 

 

 

 

 

「ここにござる」

「おお。ここか‥‥‥」

 目の前にはくすんだ色をした小さな社が建てられていた。

 円形に積まれた石で出来た井戸の上には唐竹で出来た蓋が被せてある。

 周囲には磨かれた黒曜石のような石が敷かれていた。

 井戸……と言うよりかは参拝するためにある社のような雰囲気だ。

 すぐ近くには武田家のお台所らしき場所があるようで女中たちが忙しく動いている姿が目に入る。

「手ぬぐいを持ってくる故少し待つでござる」

 そう言い鬼美濃は台所へと足を向けた。

 女中たちの焦ったような声が聞こえると四人の女中が出て来る。

 少しの間彼女が話し込んでいると女中の一人が母屋へと入った。急かす女中たちの声に、細かに足を動かした女中が白い物を彼女に恭しく手渡す。

 受けとった鬼美濃は女中たちに微笑むと慶次の元へと戻って来た。 

「前田どの。これをお使いくだされ。手ぬぐいでござる」 

 上品に畳まれた手ぬぐいを受け取る。どうやら二枚あるようで彼女の手元にもう一枚があった。

「悪りぃな。なんか‥‥‥」

 この時代では手ぬぐいなどは貴重だ。四季折々で収穫できる原料は年ごとに種類、量ともにばらつきがあるのだ。ましてやこのように真新しく清潔感を感じさせる手ぬぐい。

 正直使うことがためらわれた。

 

「気にしないで頂きたい。貴殿は客人。最低限の礼は尽くすことが武田の礼儀故に」

 彼女はにこりとはにかむよう微笑む。

「そっか。んじゃあ遠慮なく使わせてもらうぜ」

「うむ」

 満足そうに頷く鬼美濃は井戸にかぶさる唐竹の蓋を取ると近くに立てかけた。

 慣れた手つきで天井から下げられた滑車の先に付く釣瓶を手元へと引き寄せ井戸奥へと投げ入れる。

 ぽちゃんとした水の音が井戸奥から響いてくると鬼美濃は滑車に付く縄を引っ張る。井戸奥から徐々に顔を見せる釣瓶は水が張り光を返した。

 

「やはりこればかりは慣れんな」

 そんな言葉と共に井戸から顔を出した釣瓶を足元へと置いた。

「前田どの」 

「おう」

 釣瓶に張った水で手ぬぐいを濡らす。

 それを境に鬼美濃も釣瓶に手ぬぐいを入れた。

 

 

 

 

>>>

 

 

 

「ったくなぁ‥‥‥」

 大きめな息の塊を吐いた。

慶次の前では鬼美濃が罰の悪そうな顔を見せながら視線をあちらこちら漂よわせていた。

 実は鬼美濃、人目も気にせずいきなり衣服を脱ぎ始めたのだ。

 実際慶次からして見ればむしろ全然かまわないことなのだが今の置かれた状況を鑑みると厳しいものがあった。

 捕虜兼客人。ましてや武田に来て日が浅く裸の女性と手ぬぐいで‥‥‥なんぞ慶次としては自惚れてはいるが第三者から見られると誤解される絵面だった。

「男の目を気にしねぇのかい」

 

「うむ‥‥‥申し訳ない‥‥‥」 

 視線を下へ外しながら申し訳なさそうに言う。その表情は暗いまではいかないものの気まずそうな顔だった。

 

「しかし拙の身体など見ても何とも思わないのでござろう」

 

「? 何でそうなんだ」

 

「すでに婚期を逃している故、こんな年増よりかは年若い女性のほうが良い」

 はははと自嘲的に‥‥‥ではなくそれが当然と言った感じの一歩引いた達観したような表情を見せた。

 

「‥‥‥」

 まさかここまで鬼美濃が自己評価が低かったとは。

 原作でも彼女は女としての自分を卑下していた。だがポニーテールに結んだ桜色の髪は光沢を持ち柔らかさを持っているだろうし、しなやかに描かれた鎖骨は女性らしく華奢。存在を豊かに主張する二つの双乳は握れば沈み込みそうなほどに大きい。

 そして彼女自身のさっぱりとした雰囲気に整った顔立ち。

 正直、どうしてここまで自己評価が低いのかわからない。 

(まぁ、鼻にかけられんのもあれなんだがなぁ)

 自慢されるよりはいいかと内心考える。

 

「前田どの、なにやら難しい顔をしておりますが‥‥‥」

 怪訝そうな顔つきで慶次を覗く。

 

「あぁ‥‥‥この後どうすっかなぁ、なんて考えてた」

「ふむ……では丁度良い。実は粉雪から金ヶ崎での戦を知りたいと打診されておりましてな。前田どのさえよろしければ粉雪に話を聞かせてもらえませぬか?」

 

「いいぞ」

 二つ返事で了承した。

 

「では案内の者を使わす故お頼み致す」

そうして彼女が踵を返そうとしたとき。

「ちょっとまってくれ」

 

「? どうかしたでござるか?」

 

「俺のことは慶次ってよんでくれ。なぁんか堅苦しいのは嫌なんだ。だから宜しくな」

 嫌だ嫌だと肩を竦めると慶次は手を差し出した。

 そんな彼の様子が可笑しかったのか鬼美濃ははにかむ。

「ふふ。では拙のことも通称の春日とお呼びを」

 差し出した慶次の手を取り二人ら握手を交わした。

 

 

 そうしててぬぐいを母屋の女中に渡すと二人は別れた。

 

 

 

 

 

>>>

 

 

 

「ここか‥‥…」

 武田の兵に案内されたのは母屋からかなり離れた場所。

 開けた場所で周囲には森が広がっていた。

 目の前では赤色の鎧を纏う何百もの兵たちが威勢の良い声を上げながら槍や

刀を振るっている。

 ここは所謂、兵の修練場なのだろう。

 

「そこー! 構えが甘いんだぜー!」

 少女の声に兵達が顔を引き締めた……ように思える。 

 そうして一斉に得物を握る手に視線を向けた。自分じゃないよなと確認したのだろうか。

 

「これが赤備えねぇ……間近で見るとやっぱ迫力が違う。尾張の兵が弱兵ってのもよくわかんな」

 兵自身の練度も在るのだろう。だが纏う雰囲気が違った。

 滲み出る強者の雰囲気とでも言うのだろうか。苛烈さを感じ取ることが出来る。特にその雰囲気は白い髪をストレートに伸ばした髪が特徴の女の子からひしひしと伝わって来る。

 

「ほらぁ! もっと腰を入れるんだぜ!」

 一人の兵の腰を木刀で叩いた。乾いた音と共に兵は身体をびくりとさせ怯えたような様子を見せた。

「も、申し訳ありません!」

 

「ああして兵一人一人に稽古をつけているんですよ」

 

「はーん」

 

「こなちゃん、誰一人死んでほしくないって言ってたから。そんな思いでやってるんです」

 

「なるほど……」

 優しい。慶次は直感的にそう思った。

 

「話し方に癖はありますが人一倍優しいんです」

 

「……だろうな」

 死んで欲しくない。その思いは先程の兵に対する厳しさを見ればよく伝わってくる。

 

「‥‥‥ん?」

 普通に応対していたが、ふと気付いた。

慶次の隣には一人の少女がいた。彼の視線に茶色がかった短めの二つの三つ編みが揺れる。

「ご紹介がおくれました。私は内藤心昌秀と申します。お気軽に心とお呼びください」

 そう言うと目の前にいる少女は恭しく頭を下げる。

 

「丁寧にありがとさん。俺は前田慶次。慶次って呼んでくれや」

 

「ふふ。よろしくお願いしますね」

 

 

「おーい、ここぉ〜……え」

間延びして聞こえていた声が途端に途切れる。視線を向ければぽかんとした顔を浮かべた少女がいた。

 

「お疲れ様、こなちゃん」

 

「よう」

 

「汗かいてるね。はいこれ」

心は少女に清潔感漂う真っ白な手拭いを手渡す。

しかし少女はボーッとしながらも受け取るが心ここにあらずと言った感じだった。

 

「あ、ありがとなんだぜ……」

 

「どうしたの?」

 

「……ま、前田慶次。ど、どうしてここにいるんだぜ」

驚きで顔を染め上げた少女はふるふると震えた指先で慶次を指差す。

 

「まぁ暇だったんでな。天下最強赤備えを見に来たんだ」

 

「ほ、本当なんだぜ!?」

 

「あぁ」

 

「そそそそっか。天下最強武田が赤備えを見に……えへへ。そうなのかなんだぜ……えへへ」

頬を染めた少女は両の手を頬に当ててはにかむように微笑む。

「ふふ。よかったね」

それが伝染したかのように心もふんわりと微笑んだ。

 

 

突然、「あ!」何かを思い出したかのように白い髪の少女が声を上げた。

 

「前田慶次っ! 金ヶ崎の戦を聞かせて欲しいんだぜ!」

 

「おう、いいぜ。さて、どっから話すかねぇ」

金ヶ崎は撤退戦が主たる戦だ。正直な話、特に話せる所などは───。

(鬼との戦い、か……)

慶次は暫時唸っていたが「よし」と覚悟を決めた。

 

 

 

 

 

 

 




遅くなって申し訳ございません


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三十一話

「‥‥‥ってなわけで、金ヶ崎の戦はこんな感じだ。気付いたら終わってたんだ」

 慶次は金ヶ崎での戦を事細かに話した。

「す、すごいんだぜ‥‥‥」

「金ヶ崎はそこまでの寡兵で‥‥‥」

 呆然と言った様子の二人。

 だがそれも数秒ほどだった。

「……なぁ前田慶次」

 口火を開いた白髪の少女。ぐっと拳を握り締めこちらへと視線を向けた。

「あたいと……」

 

「? あたいと? なんだ」

 

「し……し、仕合って欲しいんだぜっ!」

 一世一代の告白のように溜めに溜めた大声で彼女は叫ぶように言った。

 それにしても仕合かと慶次は考える。早朝に春日と仕合ったばかりなのだ。疲労と言う疲労は溜まっていないものの、やはり彼女としては全力で挑んで来て欲しいだろう。

 とは言え特に白髪の少女の頼みを断る理由もなかった。

「いいぜ。やってやろうじゃねぇか」

 

「いいのかだぜ!? 」

 

「おうさ」

 

「じ、じゃあ早速やるんだぜ!」

 地に置いた槍──ではなく訓練用の木棒を手に取ると慶次から距離を取った。

 同じように慶次も木棒を取ろうとするが───木棒がなかった。

 

「っと心。槍貸してもらっていいか?」

 

「ええ。構いませんよ……はい」

 彼女から木棒を受け取り、右手に持つ。

 

 慶次の構えは一般のそれと一風異なる。着込んでいる服装も奇抜なのだが槍の構えも奇抜だった。

 

 と言うのも彼は両手を使わずに右腕だけで槍を振るうのだ。更に言えば彼の槍は突き刺す以外に打撃として使うのである。

 

 

「両者、準備は良いですね。と、その前に。生命に関わる急所を狙うのは厳禁です。勝敗は気絶するか、降参するまででよろしいですか?」

 心の声に白髪の彼女と慶次は頷く。

 

「では、始めっ!」

 

「はっはー。俺から行くぜぃ!!」

 電光石火の如く、彼女との距離を詰める。上段に構えた右腕は彼女の肩を狙う打撃。

 

「は、早いんだぜ!?」

少女は慶次の攻撃を避けようと右に避けようと身体をずらす。

だが慶次の振り上げた腕の方が早かった。

 

「!? っ!!」

 

 かろうじて慶次の打撃を受け止めた。

 

 鈍い木の音が響き、少女は顔を歪める。

 

 そして次の瞬間。

 

 バキッ!!

 

 少女の持つ木棒が折れた。

 

「っ!!」

 

「ここまでだな」

 慶次は少女の首に木棒を当てる。

 

 少女の首がなまめかしく蠢き唾を呑み込んでいた。

 

「そこまで! 勝者前田慶次!」

 心の声に慶次は木棒を降ろす。

 

「手も足も……出なかったんだぜ」

 呆然とした様子の少女は地面にぺたりと座り込んだ。

 

「刀じゃねぇからやっぱやりやすいな。さてと、どこも怪我はねぇな。ええと……名前何て言うんだ?」

 原作知識を持ち得ている慶次はもちろん知っている。だがこの世界では初対面と言う程だ。

 

「あ、あたしは……山県粉雪昌景だ、ぜ」

 

「粉雪か。俺はまぁ知ってるからいいな。で、怪我はねぇな?」

 

「う、うん」

 

「なら良かった」

 

「……」

 粉雪は黙りとしたまま、俯く。

 それに気が付いた慶次は心の耳元にそっと話し掛けた。

「(なぁ。粉雪はどうしちまったんだ?)」

 

「(多分ですが、こなちゃん、今まで負け知らずだったから今回の負けが原因だと思います)」

 

 なるほどと合点が言った慶次。確かに今まで負け知らずならば呆然自失───までは行かないがショックを受けるのは当たり前だろう。

 

(どうすっかなぁ)

 特に妙案も浮かばないまま時が過ぎて行く。

 どうにも居たたまれなくなった慶次は思っていたことを素直に話した。

 

「ま、まぁ粉雪。俺は木棒だから勝てたんだ。だからあんまり気にすんな。ほら、俺は打撃を使っただろう?」

 

 本来槍は突き刺す等の攻撃しかないが慶次は打撃として使ったのだ。

 ズルいと言えばズルいのだ。だがそれでも粉雪の態度は変化がなかった。

 

「弱ったなぁ」

 

「慶次さん。私がこなちゃんと話をしときますから」

 

「……分かった。頼む」

 後ろ髪を引かれる思いだが此所にいれば粉雪が話しづらいだろう。

 そう考え、慶次はこの場を後にした。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 慶次が去った後の粉雪と心。

 

 心は座り込んだ粉雪の側で話を聞いていた。

 

「慶次とどう話したらいいか……わ、分からなくなって。それにあんな風に優しく気遣ってもらうのも始めてでどうしたらいいか分からなくなったんだぜ……」

 

「……なるほどね。でも慶次さんに失礼だったよ?」

 

「頭では分かってはいるんだ。で、でも身体がいうこと聞かないんだぜ」

 

 その言葉に心はぴんと来てしまう。いや来てしまった。

「こなちゃん。慶次さんのことを考えてみて?」

 

「? わ、わかったんだぜ……っ!!??」

 

「どうだった?」

 

「顔がなんか、熱くなってきた……それに胸も。ここ! あたい何か変な病にでもかかったのかもしれないんだぜっ!!」

 

 そんな赤面した友人の言葉に心はくすりと微笑を漏らす。

「大丈夫だよ。こなちゃん。どこも悪くないよ」

 

「よ、良かったんだぜ……」

 粉雪はほっと胸を撫で下ろす。

「でもね。これからもっと顔が熱くなったりするかも」

 

「ええ!? もしかして不治の病とかなんだぜ!?」

 

「大丈夫だよ。こなちゃん、それは───」

 

 

 

 

 

 

##########

 

 

 

 

 

 粉雪との仕合後、慶次は母屋にある客間へと戻って来ていた。

(粉雪には悪いことしちゃったかなぁ)

 だが親友である心が側にいる分、心配はしていなかった。ただその代わり武田家にいる間、居心地が悪くなる、そんな気がしていた。

(仕方ねぇな)

 自分でやってしまったことだと慶次は腹を括った。

 

 そんなことを考えていたとき。

 

『前田慶次どのはご在室かな?』

 障子の外から女性の声が掛けられる。

 

「おう。いるぜ」

 

「失礼するよ」

「し、失礼します!」

 敷居を跨いで入室して来た二人の少女。一人は見覚えのある朱色の髪をショートカットにしている少女だ。

 

 もう一人は紫色の髪をサイドテールに結んだ少女。慶次から見て左目に黒い眼帯をしている。どこかそわそわした落ち着きのない様子で赤い瞳があちらこちらへと踊っていた。

 

「お! あのときの嬢ちゃんじゃねぇか。で、そっちの可愛い子は……」

 

「か、かわいっ!? は、はぅ〜」

 瞬く間に顔を染めた少女は顔を俯かせた。

 

「おやおや、全く。初対面の女性を口説くつもりかい? 流石としか言い様がないねぇ」

 

「口説いてるつもりはないさ。ついつい本音が出ちまったんだ。悪いな」

 

「ぇ、ええええ!?」

 途端に眼帯の少女が驚愕の声を上げる。

 

「君は自覚していないようだねぇ。まさか素で口説いていたとは。これは手の付けようがない」

 一二三はやれやれと言った様子で嘆息する。

 

「お、おう? そ、それでどうしたんだ?」

 

「いやねぇ。何でも越後に行くつもりが甲斐に来てしまった阿呆な男を見てみよう──って湖衣が言うもんだからさぁ」

 ちらりと隣の眼帯少女に視線を送るとにやりと笑う。

 

「え、ええ!? ち、違います! 違います!」

 慌てた眼帯少女は身振り手振りで必死に否定していた。

「私そんなこと言ってませんー!! も、もう一二三ちゃん!適当なことを言わないで!」

 非難の目を向ける眼帯少女だが当の本人はどこ吹く風だった。

 

「ほぉ〜。なるほどなぁ」

 

「っ! ち、違います! 本当に違うんです〜!!」

 慶次の言葉にびくりと肩を震わせた少女。

 

「ははは。分かってるさ。大方、武藤どのが考えていたことだろうからな」

 

「そ、そそうなんです。わ、わかってくれて良かった〜」

 眼帯少女はあからさまに大きく肩でため息をついた。

 

「ったく。武藤どの」

 

「ふふふ。中々面白かったよ慶次くん。……湖衣どうだい? この男は一目で私の名前を当てたんだ。何かと不思議な男だろう?」

 

「……」

先ほどとは一転し、真剣な顔つきでじぃとこちらを見つめる眼帯少女。

 

(あー。名前の件かぁ)

 正直、原作知識のおかげなどと言っても信じて貰うことは出来ないと思う。

 増してやそれが剣丞にでも伝われば恋姫のストーリーがどうかるか分からない。嘘をつくことは心苦しいが仕方なかった。

 

 そんなときに慶次は閃いた。

 

 面白そうだ。と言うのが慶次の第一の念頭に置いてあるその妙案。

 

 

 それは───。

 

 

「実はな。俺、可愛いなぁって思った女見つめると自然と名前が分かるんだ」

 

「へぇ……」

 嘘だと言う顔をしている一二三。

 

 もちろんそれが正解であるが彼自身の過去を話しても信じて貰えることはないと思っている。だが何より剣丞に知られるわけにはいかないのだ。嘘をつき、それを通すことしか彼にはできなかった。

 

「そうさなぁ。そこの可愛い嬢ちゃんは」

 今もなおこちらを見つめる少女を慶次は見つめ返す。

 一拍の間を置き、見つめ合う瞳に気付き少女は慌てた様子で視線を外した。

 

「なるほど。嬢ちゃんの名前は───」

 

「……」

「……」

 二人がごくりと唾を呑み込む音がした。

 

「山本湖衣晴幸」

 その瞬間だった。

 眼帯少女が大きく目を見開いた。

「……な、なぜ知ってるの」

 

「だぁから言ったろ。俺は良い女見つめるだけで名前が分かるんだよ」

 

「誤魔化さないでっ!!!」

 

「……っ!」

湖衣の大声に慶次は押し黙る。

(ヤバイ。ヤバいな。怒らせちまったか)

 

「こ、湖衣。少し落ちつ……っ」

 

「一二三ちゃんは疑問に思わないの!?」

 驚愕の表情を見せる一二三。

 彼女は重々しく口を開いた。

「……慶次くん。仔細お話願おうか」

 

「分かったよ。悪りい、悪りい。実はな───これ御家流なんだわ」

 

「だから誤魔化さ……え」

 

「本当さ。知りたいことを教えてくれる御家流なんだ」

 

「……そうか、なるほど」

 合点がいった。そんな様相を見せる一二三。

 

「じ、じゃあ私の名前は」

 

「御家流を使ったってわけだ」

 

「そ、そうなんですね」

 ほっと胸を撫で下ろしていた。

 考えて見れば見ず知らずの男に名前を知られる───女性からすれば気持ちの悪いことこの上ない。彼女が安心することも無理はなかった。

 

「すまねぇ。騙すような真似して。いやそれよりも怖がらせちまったか。すまん」

 

「い、いえ。全然大丈夫です」

 

「そう言ってもらえると助かる」

 

「慶次くん? それじゃあその御家流の名は何て言うんだい?」

 

「な、名前か」

(考えてねぇ……あ)

 唐突に閃いた。

 彼女たちにこちらへと近付くように手招きをする。

「? 何かな」

 

「?」

 

「(他言無用で頼むぜ? )」

 静かな声を彼女たちに掛ける。

 二人が首を縦に振ったことを確認し、口を小さく開いた。

 

「(俺の御家流の名は———全見通眼ってんだ)」

 

「(全見通眼、か。聞いたことのない御家流だねぇ。湖衣は知ってる?)」

 一二三が湖衣に視線を向ける。

「(……聞いたことない御家流よ)」

 

「(まぁ誰も知らねぇ御家流だからな)」

 

「(しかしこの御家流を使えば色々と出来たんじゃないかい?)」

 

「(制限があってな。見れるもんは決まってんだ)」

 

「(なるほどねぇ……湖衣、納得はいったかな? 湖衣?)」

一二三が視線を向けるとその先では湖衣は顔を真っ赤にさせていた。

 

「おい。大丈夫か?」

慶次が思わず彼女に声を掛けると激しく首を縦に振る。

 

「あっははは! 流石は湖衣だ! あっははは!」

 途端に腹部を押さえ、大きく笑う一二三。

 

 少女は顔を更に赤くしていった。

 

「っ!!!!」

 

「あんまりからかうなよ? 見てる側からすると可哀想だぜ?」

 

「何を言っているんだい? そもそもの原因は君じゃないか」

 

「俺か。いやまぁ確かに失礼なことをしたが……本当に悪いことをした。山本どの」

 慶次は正座をし、頭を地面に付けた。所謂、土下座だ。

 

「あ、あわわ、そ、そんな頭を上げてください! 私もその、怒鳴ってしまいましたから……あ、あの、その」

 消え入るような言葉を呟きながら湖衣は顔を下にしていった。

 

「山本どの? 」

 顔を上げた彼は様子のおかしい湖衣に話し掛ける。

 そんな湖衣を一二三はにやにやとしながら見つめていた。

「……わ」

 

「わ?」

 

「私のことはこ、ここ湖衣でいいです」

 

「分かった。んじゃあ短い間だがよろしくな? 湖衣」

 慶次は彼女に向かって手を差し出す。

 

「え、えと。こちらこそよろしくお願い、します」

 差し出された彼の手をおずおずと言った様子でゆっくりと握る湖衣。

 その視線ははじぃと慶次の手に注がれていた。

「……」

 

「……」

 

「……なぁ湖衣」

 

「っ! は、はい! 」

 びくと身体を震わせる。

「そのー、な? いつまで手握ってんだ? あーいや。俺としては全然気にならねぇがな」

 

「あ、あああ……ご、ごごごめんなさいっ!!」

 ぱっと握っていた慶次の手を離すと風のように部屋を出て行った。

 

「はは。何て言うか面白い娘だ」

 

「おお! 慶次くんもそう思うかい? からかいがいあって私は大好きなんだ」

 

「はは。なるほどなぁ。ま、それはそれだ。改めてよろしくな? 一二三」

 湖衣と同じように手を差し出すと彼女は迷いなく慶次の手を握る。

 

「慶次くん。こちらこそよろしく、と言っておくよ」

 一二三は短い間だけどねと付け加えた。

 

 

 

 

 




オリ主は自分が原作を掻き回していることに気付いていません


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