異世界にて軍師になりました。 (のららな)
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プロローグ

『生まれた時代を間違えた』

 

 俺、櫻井(さくらい) 晴人(はると)は何度そう後悔し、何度絶望したことだろうか。

 

 覚えてる限り、最初にそう思ったのは小学六年生の授業参観で『将来の夢』を家族やクラスメイトに発表する時だった。

 皆が「将来は警察官になって~……」や「将来はデザイナーになることです」なんて、模範解答と言える将来の夢を語る中、俺は誰よりも自信満々に将来の夢を語った。

 

 

「僕の将来の夢は、誰にも負けないような作戦や兵法で兵士を指揮して敵を倒し、部隊を勝利に導く大軍師になることです!!」

 

 

 今でも思い出す度に鳥肌が立つ。

 

 俺の発したセリフでクラスは爆笑に包まれ、先生は呆れて苦笑い、母親が俯いて赤面していたあの光景。

 俺は心の中で、その夢をクラスに公表した事、そして何より、この夢を抱いても大丈夫な時代に生まれなかった事を後悔したものだ。

 

 でも、当時はまだ小学生、本気で「軍師になりたい!」と思ってたし「いつか軍師に絶対なれる!!」って信じて疑わなかった。

 

 中学生の頃には、お小遣いを貯めて買った「日本の合戦辞典」や「世界の戦争」等、中学生が読むような内容ではない分厚い本を表紙がボロボロになる程に毎日読み、書かれている内容を全て丸暗記して(そらん)じる事が出来ていた。

 

 そして、その夢は高校二年生になった現在に至っても諦めていない。

 

 毎月のバイト代を兵法書や軍事学本、兵器、武器の専門書に費やし、本屋にあるその類いの本は片っ端から買い漁っては一晩で全て読み尽くす。

 休日には各地の国立図書館にわざわざ足を運び、朝から晩まで貯蔵されている過去の文献や合戦の資料を見るのが日課であった。

 

 だから、高校二年の後半、親に「将来は防衛大学に入学して、自衛隊に入るの?」って聞かれるのは当然だろう。

 だが、めんどくさいことに俺は銃や戦車、戦闘機や戦艦にまったくと言って良いほど興味が湧かなかった。

 

 俺が好きなのは古代や中世に出てくる槍や弓、鉄砲を使った戦術や兵法であり、近代的で機械じみた重火器や装備、計算され尽くした砲撃や爆撃を駆使して戦う近代戦には微塵も興味がなかったのだ。

 

 俺は「自衛隊には入らない」って真顔で言い放った。

「なら、その知識を活いかす場所はどこにあるの?」と聞かれれば俺は何も答えられない。

 

 この知識は、俺が生きている現代社会で役立つ事がほとんど無いと、この歳になれば流石に分かってしまっているからだ。

 役に立つとすれば、大学などに入って、戦術や兵法のより深い専門的な研究をして論文を出す事ぐらいだろう。

 

 無論、その研究をしたところで、実際に兵士を操って敵を倒す、なんて実践がある訳無い。

 

 俺の夢である「軍師として兵士を指揮して敵を倒し、部隊を勝利に導く」事は現代社会に産まれた時点で到底無理な話なのだ。

 産まれてくる時代が戦乱で、中世戦国時代辺りであれば、この知識を遺憾無く発揮できただろうにと、何度も後悔し、そして繰り返し思う。

 

 

 産まれてくる時代を、間違えた、と。

 

 

 

 そんな俺が、ある日突然、その夢を叶えることとなった、いや「なってしまった」話をする。

 

 あまりにも摩訶不思議(まかふしぎ)な出来事だが、実際に起こってしまったのだから仕方ない。

 

 と言うわけで、俺の夢を叶える物語が、唐突に始まっていくのだ 。

 



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俺を軍師にしてください

 気が付くと、俺は暗い森の中で大の字になって倒れていた。

 

 ついさっきまで自宅のベットの上で本を読み寝転び、ほんの数秒、目を閉じただけの筈だった。しかし、再び目を開いてみれば、木目の天井(てんじょう)は消え、代わりに青黒い用紙の上に何万もの大小様々な宝石を散りばめたような星空と、青白い満月が(まぶた)の中に飛び込んできた。

 

「なんだ、これ……夢?」

 

 目を逸らしたく無いと無意識に想う程に、眼に写るそれは現実からかけ離れた幻想的な景色に思える。

 

 だが、夢にしては意識がありすぎる、試しに頬をつねってみたが、やはり、普通に痛い。

 

「どうなってんだ?ここは、何処だ……?」

 

 周囲を見渡してみる。

 生い茂った樹木の香り、様々な虫の音、梟の鳴き声、深夜の森、誰がどう見ても山の中だ。

 

「ふぅ、落ち着け、落ち着け、軍師ならば、突然の変化も冷静に対応するものだ、うん」

 

 寝たままの状態で、混乱した脳内を必死で落ち着かせようとしていると、草木を踏む何かの足音が聴こえ咄嗟に顔を上げる

 

「「「ガルルルルル……!!!」」」

 

 上げた先には気の荒そうな狼が三匹「今夜はご馳走だ!」と言わんばかりにヨダレを垂らして俺を見ている。

 

「なんだ、何かと思えば三匹の狼じゃないか、へぇ~野生のオオカミなんて初めて見たなぁ~」

 

 乾いた笑いってこういうことなんだろう、俺はゆっくりと立ち上がり服に着いた草を払う、そして……。

 

「俺を食べても美味しくないぞおぉおおおお!!!!」

 

 全力で、オオカミの居る逆方向に逃げた、無論、オオカミも獲物を逃がすまいと追い掛けてくる。

 

「な、なんで日本の山の中に狼が!?絶滅してるはずだろっ!!!???」

 

 冷静に考えてる余裕はない、木々を掻き分けながら、転がるように斜面を下る。

 けれど、相手は常日頃から狩りをして生活している野生の動物で、尚且つ、俺は靴を履いていない素足の状態で走っているから全力で走れない。斜面のお陰で何とか逃げていられるが、だんだん狼との距離を詰めてきているのが気配で分かる、このままでは、数分後に全身を食い破られ絶命する未来が容易に想像出来た。

 

「くそっ!どうすれば……」

 

 斜面を駆け降りながら、状況を打破する術を必死で考える、武器も無く、自分に援軍の見込みは無い、そして、相手は三倍の数で、山の中という地の利、夜目が利く天の利まである、この場合、ありとあらゆる兵法書を読破した俺が導き出す最上の策は……。

 

「全力で逃げるしか無いよね!」

 

 さっきからやっている行動がその最上の策であった。

 

「畜生、俺はこんな所で死ぬのか!」

 

 どう考えても絶望的な状況、今にも狼は飛びかかって来そうだ。俺が生まれて初めて死を覚悟した刹那、何者かが俺の横を通りすぎるのを眼の端で捉え、次の瞬間、背後で「キャンッ」という狼の断末魔が聞こえた。

 

「な、なんだ?」

 

 背後で起きた出来事を確認しようと体を後ろに捻るが、木の根っ子に足を取られ、そのまま目の前の木に衝突した。

 

「ぐへんっ!」

 

 衝撃で頭を強く打ったのか、情けない声を上げてヘタリと倒れ込んむ。

 

「ねえ、大丈夫??」

 

 朦朧とした意識の中で少女が俺に話しかける。目が霞んでいても分かる、月明かりで照らされ黄金色に輝く長い髪、雪の如く白い透き通った肌、太陽と百合の花が彫刻された白銀の胸当てを身に着けた育ちの良さそうな美少女だ。

 

「な、なんでこんな所に……?」

「叫び声が聞こえたから助けに来たのよ、見たことの無い服を着てるけど、あなた、どこの国の人??」

「ど、どこって、日本に決まってる、だ……ろ……」

 

 衝突時の当たり所が悪かったようだ、頭が冷たく重くなり、少女の姿がフェードアウトしていく。

 

「あれ、もしもーし?」

 

 少女は俺の頬をペチペチ叩きながら呼び掛けている、だが、俺の意識はそこでブツっと途切れた。

 

 

 

 

 

 ランヴェラス暦三六一年 四月 深夜。

 

 

 

 

 パチパチと、炎が小枝を燃やす音で俺は意識を取り戻した。

 どれくらい経ったのか分からないが、満月が少し傾いた程度なので、気を失ってから二時間位だろう、まだ夜明けには少し早い。

 

「あ、起きた」

「起きましたね」

 

 さっきの美少女ともう一人、黒く濡れたような髪に藤色の西洋式甲冑を身に纏った、見るからに生真面目そうなくっ殺……もとい姫騎士さんが俺の顔を覗き込んでいる。

 

「大丈夫?木に頭ぶつけて気絶してたみたいだけど」

 

 金髪の少女が心配そうに俺の顔を見つめる。

 

「こ、ここは……狼は……?」

「ここは私達の夜営地です、焚き火を絶やさなければオオカミは近寄って来ないでしょう」

 

 女騎士さんが焚き火に小枝をくべる、どうやら、俺はこの二人によってここに運び込まれたみたいだ。

 

「貴方を襲っていたオオカミは私が退治してやったわ、一匹だけだけど」

 

 えっへん!と得意気にしている金髪の少女に、姫騎士さんが飽きれ気味に溜め息をついた。

 

「姫様、いくら人助けと言っても獣を相手にするのは危険ですとあれ程……」

「良いじゃない、私は怪我もないし、残りのオオカミはウィスタリアが倒してくれたし、万事解決じゃない?」

「そういう問題ではありませんよ!いきなり姫様が森の中に入ってしまわれるからどれほど心配したことか……」

「あはは、ゴメン、ゴメン」

 

 ニッコリとお日様みたいに笑って謝った、こんな美少女に悪気の無い笑顔で謝られれば誰でも許してしまうだろう、もちろん、この場合も例外ではない。

 

「こ、今回だけですからね、まったく……」

「ふふっ、可愛いなぁウィスタリア」

「か、からかわないでください!!」

 

 姫騎士さんは顔を少し紅く染め、ぷくっと頬を膨らませた。

 

 

 

「さーて、それよりも、あなた」

 

 姫、と呼ばれる少女が、何か腑に落ちなそうな顔で俺に話し掛けた。

 

「なんで、この森を一人で彷徨いてたの?しかも見るからに軽装で」

 

 疑問は至極真っ当だ、人を襲う獣がいる深夜の森に武器も持たずに入るなんて明らかに自殺行為だからだ。だが、その疑問はそのまま俺の疑問でもある。

 

「何て言えば良いかな、気が付いたら森の中で倒れてた、ほんの少し前まで自分の家にいたのに」

「どういうこと?」

「俺も分からない、信じられない話だけど、一瞬であの場所に移動したって感じだよ、そして、狼に襲われた」

「一瞬で移動したって……まさか」

 

 俺の『信じられないような話』に、心当たりがあるのか互いの顔を見合わせる。

 

「ウィスタリア、もしかして、この人……?」

「恐らく、転移者(イティネラー)かと」

「いてぃねらあ?なんだよ、それ?」

 

 聞いた事無い単語に俺は首を傾げる。

 

「えーとね、転移者(イティネラー)は、別の世界から来た者って意味よ、それこそ、なんの前触れもなくこの場所、この世界に移動して来た人を私達はそう呼ぶの」

 

 彼女曰く『転移者』とは、別の世界で暮らしていた人間や生物がこの世界に突然ここに来る事らしい。

 いつ、何処で転移者が現れるのかは判明しておらず、転移者が確認された場所はどれもバラバラで周期も決まっていない。わかっているのは、それら全ての転移者が、ここよりも文明が進んだ世界で暮らしていた事、皆、気が付くとこの世界にいた、ということだけだ。

 

「そういう訳で、あなたは転移者なんじゃないかな?」

 

 まるで、そこまで驚くことじゃないよ、と、姫は小首を傾げて微笑んだ。

 

「俺が、まさかそんな……」

 

 そんな、お伽噺みたい事あり得ない、だがこの状況はまさしく、彼女の言う『転移者』のそれだ、なら、ここは俺の知る世界ではない別の世界って事になる、それはあまりにも非現実的だ、だが。

 

「あり得ない……って言いたいとこだけど、二人の言う通りなんだろうなぁ」

 

 その非現実的で、お伽噺のような話を信じることにした。こんな所にいきなり飛ばされた時点でお伽噺みたいなものだし、それを抜きに考えても二人が俺に嘘をつくメリットもない、ドッキリだとしても手が込みすぎている。

 

 何より、俺を襲った野生の狼自体、日本では百年前に絶滅していて存在しないはずだ、それが群れで生息しているなら、ここが日本である可能性は極めて低い。以上の事から、俺は彼女達の言うことは本当だと判断した。

 

「ちなみに、転移者は元の世界に帰ることが出来るのか?」

 

 ここで重要なのは、俺が元の世界に戻れるのか可能なのかだが、帰ってくる回答なんて決まっている。

 

「それは、どうだろう……ウィスタリアは知ってる?」

「いえ、元の世界に帰ったという話は聞いた事無いですね」

「だよな……」

 

 転移者が元の世界に戻ってしまえば、彼がその後どうなったかなんてこの世界の人が知る術はない、この世界でも『突然いなくなった』だけのことだからだ。

 

「じゃあ、俺はこの世界で暮らすしかないのか」

 

 帰る方法もあるかも知れないが、それを探すよりも、まずはこの世界の事を知ることが先だろう。この娘達の言ってることが本当かどうかも、しばらくこの世界を見て判断する。

 

「へぇ~、あなた、状況を飲み込むのも早いけど、気持ちの切り替えも速いのね」

 

 いきなり別の世界に投げ出されたら普通の人なら取り乱すものだろう、現に大抵の転移者はそうらしい。だけど、俺は違った。

 

「一応、向こうの世界で軍師を目指してたし、刻々と変化する状況に対応するのは軍師の基本だからな」

 

 こんな状況は一度も体験したことない事態だけど「なんとかなるさ」と軽く笑ってみせると、目の前の姫が肩をプルプルと震わせ、そして。

 

「ぐ、軍師ですってぇえええ!!!???」

 

 アイドルが現れた時に女性が出す黄色い声が森に響き渡った。

 

「ねぇ!今あなた、軍師を目指してるって言ったわよね!?」

 これまで見たこともない、キラキラとした表情で姫がにじり寄ってきた。

「ねぇ!前にいた世界で軍師だったの!?前線で兵士を動かしてみたり!?もしくは参謀!?計略とか謀略とかそういう感じのアレ!!??」

「ち、近いっ!」

 

 吐息が頬に当たるほどの距離で、姫は質問を畳み掛ける。

 

「い、いや、目指してるって言っても、実際に兵士を指揮をしたりしたことも、作戦を立案とかも無いし、実戦の経験も無い……」

「でも、そういった事には詳しいんでしょ!!??」

「まぁ、ここで言う『向こうの世界』での兵法書やその類いの書物は読み尽くした自負はあるけど……」

「ねぇ!?聞いたウィスタリア!!この人、兵法に詳しいって!!私達の仲間にしようよ!!」

 

 まるで子犬のようにはしゃぐ姫とは対照的に、姫騎士さんは疑いの眼差しで俺を見ている。

 

「聞いています、ですが、本当に詳しいのか分かりませんし、何より兵法しか知らない者が我が軍の行く末を決めるのは危険かと」

「けど、私達の世界より進んだ文明の兵法よ!?きっと凄いに決まってるわ!!」

「例えそうでも、兵法を丸暗記しただけの軍略家が、いざ戦が始まったら役立たずって事もあり得ます」

「でも!知らないよりは知ってる方が良いじゃない!」

 

 何やら二人が俺を仲間にするかどうかで言い争いを始めた、二人の声が段々ヒートアップしていく。

 

「何よウィスタリア!今はそんな贅沢をいってる暇は無いでしょ!?」

「贅沢などではありません!実戦経験の無い者に全てを委ねるのは危険だと言っているのです!!」

 

(なんだこの状況?てか、なんでこんなに……?)

 

 二人が熱い口論を繰り広げる中、ふと、一つの疑問が頭を過った。

 

「あのさ、二人はなんでそんなに軍師を必要としてるんだ?」

 

 二人の会話を聞く限り、腕の良い軍師を必要としているようだが、その手の者が必要な状況なんて余程の事態だろう。しかも、女の子二人が、だ。

 

「え、あぁ、そう言えばまだ自己紹介がまだだったわね」

 

 そういうと、姫はその場で身なりを整え、コホンと咳払いした。

 

「私の名はリリーエ・リュミエール・エスプランド、で、この娘がウィスタリア、私の侍女をしています」

 

 ウィスタリアが俺に向けて軽く会釈する。リリーエと名乗った彼女は、先程と打って変わって深く息を吸い込み、落ち着いた表情で自分の生い立ちを語り始めた。

 

「実を言うと、私は、つい三週間前までこの土地を治めていたランヴェルス国の王の娘、つまりはこの国のお姫様だったのだけれど、隣国のドミナシオン国が我が国との同盟を破り、数十万の大軍でランヴェルスに侵攻してきたの、そして父は戦場で殺されて……」

 

 彼女の顔から深い悲しみと憎悪が浮かぶ。

 

「国は滅ぼされたって訳か」

 

 リリーエはコクりと頷いた。

 

「ウィスタリアが助けてくれたお陰で運良く生き残った私は、ドミナシオン軍に終われながら各地に散った元ランヴェルス軍の兵士を集めて、国を復活させようとしている」

 

 まだ現段階で私とウィスタリアの二人だけなんだけどと、リリーエは自傷気味に笑った。

 

「それで、国を取り返すため為、戦に強い軍師が必要だと」

「そういうこと」

「難しいな、軍師もそうだが、国を取り返すには最低でも数千の兵士が必要だが、その目処はあるのか?」

「数千とはいかないけど、この山を越えた村で、百人程の旧ランヴェルス兵が集まってるって聞いたの、そこで彼らと合流する為向かっていたら……」

「俺が狼に襲われていたと、なるほどね……」

 

 俺は溜め息をつき彼女達の状況を整理する。味方の兵士は多くても五百未満、その殆どが敗残兵で指揮官は存在せず、恐らく兵糧も無い、もし、ドミナシオンって国が戦車や航空機で攻めてきたら勝ち目なんて…………いや、待てよ。先程、リリーエは『移転者はこの世界より進んだ文明から来た者』と言っていた、それに、彼女達の服装からすると、もしかしてこの世界は……!。

 

「なぁリリーエ!ドミナシオン軍が持つ主な武器ってなんだ?」

「き、貴様!姫様の名を呼び捨てにするなんぞ……!」

「まあまあ、ウィスタリア、そんな怒んないで、敵の持つ武器とか、ウィスタリアなら詳しいのよね?」

 

 リリーエに促され、ウィスタリアは不機嫌そうに敵の兵装備と戦術を説明する。

 

「……ドミナシオン軍の殆どが騎馬や弓を主体とした編成でしょう、騎馬が突撃して弓で止めを刺すのが、彼らの基本戦術ですから」

「ドミナシオンに戦車はいるのか?てか、戦車はどんな形だ!?」

「戦車ですか?どんな形と言われても、荷台の上に兵士が乗り、二頭、多い物で四頭の馬がその荷台を引っ張るあれの事ですか??」

 

(やっぱりそうだ……!!)

 

 胸の鼓動激しく高鳴り、脈が速くなるのを感じる、この世界では鉄の戦車や航空機どころか、下手すれば鉄砲すら存在しない。

 

 騎馬が大地を揺らし、弓矢が空を覆い、数多の兵士が肉弾戦を繰り広げ、将が作戦を練り、策略、計略で敵を撃ち破る。

 俺が子供の頃からずっと夢見て、憧れた、中世の戦争が存在する世界に、俺はいるのだ。

 

 俺は二人の眼も気にせず、大声で叫んだ。

 

 子供の頃から憧れていた夢が、向こうの世界で諦めかけていた夢が、この世界で叶うかも知れないと思うと、声を出さずにはいられなかった。

 そして、なにより、運良く俺の夢を叶えてくれる主が、すぐ目の前にいる。

 

「リリーエ!!!」

「な、何かしら……?」

 

 ぜぇ、ぜぇ、と、大声で息を切らしながら、軽く引き気味の彼女に、俺はとびっきりの笑顔を向けた。

 

「まだ名乗ってなかったな、俺の名は櫻井(さくらい) 晴人(はると)、心配するな、俺の策で必ずお前の国を復活させる!いや、むしろドミナシオンって国を逆に滅ぼしてやる!絶対だ!!約束する!!!」 

 

 恐れや不安なんて一切無い、今まで溜め込んだ物を、知識を、俺はこの世界で爆発させてやる。

 

「だから、俺を……」

 

 全身で空気を吸い込み、吸い込んだ息を全て声に変えて、リリーエに向けて解き放った。

 

 

 

「俺を、お前の軍師にしてくれっ!!!!」

 

 

 

 周囲に木霊する俺の大音声にリリーエは戸惑いながら、とても嬉しそうに頷いた。

 

「う、うん!!これからよろしくね!ハルトさ……いや、『軍師』!!」

「あぁ、任せろ!!」

 

 俺とリリーエは互いの手を握る。

 既に夜明けの時刻、地平線の先から太陽が登り、晴人を照らしだした。

 その光はまるで、この世界で新たな門出を迎える俺を祝福するかのように、優しく、とても暖かい光だった。

 



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始まりの村

 『かつて、この世界は一つの巨大な帝国、エスパシオン帝国が治めていました。

 

 しかし、王位継承問題や貴族の跡目争い、多民族間の争い、宗教的な争いが重なり、エスパシオン帝国の領土から二百を越える国が分裂してしまいました。

 

 やがて、それら国々は四百年間戦い続け、現在は八つの大国が鎬を削るようになったのです。

 

 その八つの大国の一つ、エスパシオン中央部に位置する我がランヴェルス国は四方に大国が隣接しており、東と結んでは西を攻め、南と同盟すれば北を侵略する、という戦略で領土を拡大していました。

 

 しかし、ランヴェルス軍が西に侵攻している隙を突き、東側に位置するドミナシオン王国が我が国との同盟を破り、不意を突かれた形となったランヴェルスは成す統べなくドミナシオンに敗れ、王都は陥落、ランヴェルスは滅ぼされてしまったのです』

 

 

 

「と、これが現在の情勢ですが、何か質問はありますか?軍師!」

 

 リリーエ先生による、とっても分かりやすい(自称)歴史講座のおかげで、ランヴェルス国と周辺諸国の成り立ちが大体理解できた。

 つまりこの世界は現在、英仏百年戦争と応仁の乱と宗教戦争が混ざった春秋戦国時代みたいな感じだろう、見事な程にカオスだ。

 

「ちなみに、この戦争が始まった直接的な原因は、各国の学者達がずっと研究してるのに今だに解明されてないのよねぇ」

「だろうな……」

 

 正直、ここまで混沌としていると学者達が何百年考察しても判らない気がする、ある意味、その研究だけで一生食っていけそうだ。

 けどまぁ、俺が居た世界の戦争史も酷いもんだからこの世界にどうこう言える筋合いは無い。

 

 

 

 陽が昇ってから数時間が過ぎた。

 

 俺とリリーエ一行は、旧ランヴェルス兵と合流する為、兵士が集まっているという山の先にある村を目指し、薄暗い山道を進んでいる。

 その道中、俺は歩きながら国の成り立ちや地形、諸外国の外交、友好関係等をリリーエから教えてもらっている、のだが。

 

「ありがとう、リリーエ……さん、次は各国の地理を教えてくれ……ください」

 

 リリーエがピンと右手を上げ「分かりました、軍師!!」とにこやかに返事をする傍らで、鋭い眼光で俺を睨みつける存在があった。

 

「…………」

 

 やっぱり怒ってるよな、これ……。

 村に向かって歩き出してからというもの、ウィスタリアは決して俺と眼を合わせず、リリーエの影からずっと俺を凝視し続けている。

 美人な女性に影からずっと見られている、といえば聞こえは良いかもだが、少なくとも俺は、凍りそうな冷たい目で見られ続けて嬉しいなんて感情はこれっぽっちも湧かない。

 

「ねぇ、ウィスタリア?」

 

 彼女の異様な雰囲気を察したのか、リリーエがウィスタリアに話しかける。

 

「え、あ、な、何でしょうか、姫様?」

「何か機嫌悪そうだけど、何かあったの?」

「い、いえ!なんでもありませんよっ!?」

 

 声が裏返ってますよ、ウィスタリアさん。

 

「正直に言って良いのよ?侍女が何か悩んでるなら、それを解決するのも姫の役目なんだから!」

「いや、なにも無いのです……」

「遠慮しないの!」

「うぅ………」

「さぁ!どんとぶつかってきなさい!ウィスタリア!!」

 

 リリーエの裏表無い一途な眼差しを向けられたウィスタリアは眼を泳がせ、乙女のようにあたふたしだした。

 

「な……えっと……その……」

 

 耳まで真っ赤にさせ、ウィスタリアが何かを伝える仕草を見せる。

 その時、一瞬だが彼女と俺の眼が合った気がした。

「な…………」

「な…………?」

 

「な、なんでも無いですよぉおおおおお!!!」

 

 紅潮した顔を両手で覆いながら、ウィスタリアは走り去ってしまった。

 

「どうしたんだろう?無口な性格だったけど、軍師が仲間になってから余計に喋らなくなったような……、あ、もしかして……!」

 

 何かピンと来たのか、先に進むウィスタリア背中と俺を交互に見て、リリーエがニシシと笑った。

 

「これはもしかして……恋かな?」

「いや、俺はその逆だと思うんだが……」

 

 俺に向けられていた凍えるような視線が恋する乙女の眼差しなら、俺はその恋心を永久に察してやることが出来ないだろう。

 恐らくだが、新しく入った俺がリリーエに対して親しげに接しているのが気に食わないんだと思う、一応、リリーエはお姫様だし。

 

「まあ、その話はウィスタリアに後で聞かせて貰うとして、さっきの続きね?軍師さん!」 

「ちょっとその前に、さっきから気になってるんだが」

「うん? 何かな?」

「その『軍師』って呼び方、なんとかならないか?」

 

 最初はリリーエに軍師と呼ばれて舞い上がっていたが、何度も言われるとだんだんバカにされている感じがしてくる、本人に悪気は無いんだろうが、気になって仕方ない。

 

「でも軍師って呼びやすいしなぁ……うーん」

 

 リリーエは腕組みしながら俺の新しい呼び方を考え始める、その姿を見て、俺はふと思う。

 

 こうやって見ていると、本当にお姫様に見えないよな。

 

 リリーエに最初に会った時は見た目の美しさもあって、手の届かない高嶺の花のような印象があった。しかし、会話をしてみると幼馴染みと話をしているように錯覚してしまう。

 そして、リリーエが楽しげな表情をする度に俺は暗い気持ちになるのだ。

 

 あんな事があってすぐなのに、こんなに明るく人と話せるなんて、才能だよ。

 

 リリーエがつい三週間前に親を殺され、祖国を滅ぼされた亡国のお姫様だと言って誰が信じるだろうか。目の前にいる少女は、世間の辛さ、苦しさを知らずに育った向日葵みたいな明るい笑顔で接してくれる。

 その裏でどれ程の重荷を背負って彼女は生きているか、俺には想像もつかない。

 

 少しでもそれを支えてやらないとな、俺は彼女の軍師なんだから。

 

 この笑顔を絶やさない為にも、俺は絶対に彼女の国を復活させてやると、一人密かに心に誓った。

 

「よし、決めた、これからは『サハリン』って呼ぶことにする、改めてよろしくね、サハリン♪」

「サハリン♪じゃねーよ!どうしてそうなる!?」

 

 どう思案すれば俺の呼び方が頭痛薬みたいになるというのか、無邪気に笑う彼女を見て俺は思わず嘆息した。もしかして、この娘は重荷なんて何も感じて無いんじゃないか?。

 彼女の態度にやるせなさを感じていると、リリーエは前に躍り出て、前屈みに俺の顔を覗き込み。

 

「ふふふ、冗談よ軍師、ごめんね?」

 

 イタズラっぽく微笑みながら謝った。

 

 まったく、その表情は卑怯だ。

 

 

 

 

 

 三十分程が経ち、薄暗い森を抜けると見晴らしの良い丘の上に出た。丘下は見渡す限り森林に覆われており、奥は霧がかって先が見えない。リリーエから話には聞いてたが、中々に深い森林地帯である。

 

「迷ったら帰ってこれなそうだなこりゃ……」

 

 晴人が森には安易に入らないよう苦笑いしていると、リリーエが森の中に丸く空いた場所に指を差した。

 

「あった、多分あれが目的の村ね!」

 

 指差した所を見ると、そこに何軒か建物が見え、朝飯の準備をしているのか、村から大量の炊煙(すいえん)が上がってる。

 

「ようやく着いたわね、えっと、あの村の名前はなんだっけ?ウィスタリア?」

「旧ランヴェルス領・ナチャーラ村ですね、人口は五十人程度の小さな村で、村人は主に森に住む鹿や猪、狼などを狩り生活しているようです」

 

 ウィスタリアがナチャーラ村について簡潔に教えてくれた。

 

「村の規模は五十人程度らしいけど、どう?」

「あの炊煙の数、百人近く村の中にいると思う、恐らくランヴェルスの兵士達だと思うが……」

「ふふ、やっぱりここに集まっていたって本当だったのね、早速向かうわよ!!」

「リリーエ! ちょっと待った!」

 

 村に駆け出しそうなリリーエを、俺は両手で制した。

 

「なんで止めるの? 速く兵士達と合流しなきゃじゃ……?」

 

 リリーエが足踏みしながら俺の行動に苦言を呈する、しかし、今すぐにでも村に入りたい気持ちは分かるが、それはまだ早い。

 

「いきなりリリーエが村に入るのは危険だから止めたんだ」

「危険? なんで??」

「ハルト殿の言う通りです、姫様」

 

 ウィスタリアが俺の意見に賛成してくれて正直驚いた、相変わらず眼を合わせてくれないけど。

 

「あの炊煙を出している人間が、本当にランヴェルス兵なら良いのですが……」

「そういうこと、あれがもしドミナシオンの兵士なら村に入った瞬間に俺達は一貫の終わりだからな」

「う、確かにその通りね……」

 

 リリーエが自分の行動が軽率だったと反省する。

 

「だから、先に俺が村に入って様子を確認してくる、二人は村の近くで俺が戻るのを待っていてくれ」

「軍師が一人でって、大丈夫なの?」

「心配するな、ちょっと行って確認するだけだから、すぐに戻るさ」

 

 俺は二人置いて先に村に着くため、坂道を一気に駆け下りる。すると、丘の上からリリーエが「忘れてた!」と叫び俺を呼び止めた。

 

「軍師! これ!!」

 

 リリーエから何かを投げ渡され、それを受け取る。

 

「そのお金で新しく服を買いなよ! 流石にその服じゃあ他の町で目立っちゃうから!」

 

 リリーエは笑顔でこちらに手を降っている、投げ渡されたのは五百円玉程の大きさの金貨一枚であった、金貨の値段は分からないが、服が買える程の価値があるのだろう。

 

「あぁ、ありがとう!リリーエ!!」

 

 リリーエの気遣いに感謝し、俺はナチャーラ村へと続く道を駆けて行った。

 

「ところで、ウィスタリアぁ~?」

「な、なんですか?」

「ちょっとね、色々聞かせて欲しいことがあるのよねぇ……?」

 

 

 

 

 

 ナチャーラ村に続く道を、俺は息を切らしながら走る。

 基本的に道は狭く草が生い茂り、石や砂利が転がり、時折木の根っこに足を取られてしまう、獣道といって過言ではない悪路だ。

 

「足場が悪いな、リリーエから靴を貰っておいて良かった」

 

 彼女から貰った動物の毛皮で作られた靴のお陰で、こんな悪路でも幾分か走りやすい。使い古された感があるが、大きさもちょうど良いし、なにより足に馴染む。

 

「良いものを貰った、後で彼女に御礼を言わないと」

 

 しばらく道なりに走っていると、ナチャーラ村の入り口らしき門が見えてきた。といっても、それらしい扉があるわけでなく、柱が道の両端に二本建っているだけ、見張りが内と外に一人だけの粗末なものだ。

 

「止まれ!何者だ!!」

 

 如何にも門番のような台詞で止められた、が、俺の格好を一目見た門番が「あぁ…またか……」と呟く。

 

「また?なんの事だ?」

「お前、転移者(イティネラー)だろ?」

 

 もう見飽きたと言いたそうに「通って良いぞ」と門番は道を開けた。

 

「そんなに簡単に通して良いのか?」

「長年ここで見張りをしてると判るんだ、そういう服装の転移者は基本的に無害だとな」

 

 転移者がこの村に来るのは珍しくないって事なのか。

 俺は「ありがとう」とだけ言ってさっさと村に入った。

 

 

 

 村に入った俺はとりあえず村全体を歩いて回ることにした。村の大きさは意外と広く、害獣避けの木で組んだ柵が丸型の村全体を囲っており、丘からは見えなかったが、村の外周に人の肩が埋まる位の堀まで備えられていた。

 

 門以外は防衛しやすそうな村、それがこの村の印象である。

 

 そして、村の広場らしき場所で炊き出しを行う一団を見つけた。

 

「あれが集まってる兵士か、予想より少し多いな」

 

 ざっと見ただけで百人は優に越えている、そのほとんどが軽装ながら防具を着込んでいるものの、大半が怪我人なのか何処かしらに血の跡や怪我が見える、まさしく敗残兵といったところか。

 

「それじゃあ、先に服を新しくして、服を売ってる店にあの兵士達が何者なのか聞くとしようか」

 

 俺は何でもありそうなごちゃごちゃした見た目のよろず屋を見つけたのでそこに入った。村で店を営んでいるなら、道端で聞くよりこの村の情報を仕入れやすいと思ったからである。

 

「らっしゃい!……て、あんた転移者か?この世界の服でも買いに来たかい?」

 

 入店早々、店主らしきでっぷり太ったちょび髭の親父が俺に話し掛けてきた。

 

「親父の言う通り服を買いに来たんだが、とりあえず頑丈な服はあるか?」

「頑丈な服ねぇ、それは良いが、お前さん金はあるのかい?」

 

 親父が訝(いぶか)しんだ顔で俺を見る、確かに俺の格好は金を持ってるようには見えない。

 

「いくらかは分からないが、これならある」

 

 そういってリリーエから貰った金貨を親父に差し出した。

 

「お、お前さん! それ、純粋なラン金貨じゃねえか!?何処で拾ったんだそんなもん!?」

 

 親父の驚きようはただ事ではない、この金貨はそんなに凄い物なのだろうか。

 

「これはそんなに凄い物なのか?」

「何言ってやがる! その金貨一枚でこの辺の家が一つ買えちまう位に価値があるものだぞ!?」

「マジかよっ!!!」

 

 なんてもの投げ渡してんだよ!てか、金貨一枚で家が買えるってどうなってんだこの世界!? 俺が金貨の価値に驚愕していると、親父がこの店の物は売れないと断りをいれた。

 

「ここいらの地域じゃ基本的に悪金(あくきん)で取引しててな、純粋なラン金貨を渡されてもお釣りを払える気がしねぇから物を売るのは出来ない、すまねぇな」

「あぁなるほど、そういうことね……」

 

 親父の説明のおかげで金貨一枚で家が買える理由がなんとなく理解できた。

 

 日本の室町時代では、私的に作られた私鋳銭(しちゅうせん)が出回り、それらは公式貨幣と比べると劣悪な物が多かった。そこで、私鋳銭数枚で公式の通貨一枚分と取り決めされたり、選銭令(えりぜにれい)などを発令し私鋳銭を撲滅しようとした歴史がある。

 恐らく、この世界では室町時代以上に悪銭が多く出回り、リリーエがくれた金貨の価値が異様に高くなって、結果的に一枚で家が買えるまで金貨の価値が上がってしまったのだろう。

 俺は渋々服を買うのを諦め、本来の目的である広場の軍が何者なのかを尋ねた。

 

「そういう事なら仕方ない、服を買うのは諦める、それはそうと親父」

「なんだい?」

「あの広場に集まってた兵士達は何者なんだ?妙に怪我人が多いけど……?」

「あぁ、アレは元ランヴェルスの兵士達だ、戦に負けちまったから、逃げ出してここに集まったみたいなんだよ、まったく迷惑な話だ」

 

 やれやれと親父は頭を掻く。なるほど、あの兵士達がランヴェルス兵ならこの村にリリーエを入れても大丈夫そうだ。ついでにもう一つ、リリーエ達が村に入るにあたって俺はあることを思いついた。

 

「それと親父、最後に一つ良いか?」

「ん?まだ何かあるのかい?」

「実は他にも欲しいものがあってだな……」

 



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敵襲は突然に

 

「で、服を買わずに馬を買ったんだ……」

 

 ナチャーラ村に向かう道中、リリーエが馬上で揺られ、彼女の乗る芦毛馬(あしげうま)を引いている俺に呆れていた。

 

「やっぱり馬に乗って現れた方がカッコいいだろ?」

「そ、そうなの、かな……?」

 

 リリーエは何とも言えない表情で黒鹿毛(くろかげ)の馬に乗るウィスタリアに「どう思う?」と振り返った。

 

「確かに、我が国で馬に乗れる者は身分の高い上流階級の方々ばかりでしたから、馬に乗ることで村にいる兵士達に一目で、偉い人が来た、と認識させる事が出来ると思います」

「な、なるほど……」

 

 淡とした説明を分かったような分からないような、といった感じでリリーエが曖昧に頷く。この馬はリリーエから渡された金貨で服の代わりに馬売りから購入した葦毛馬と黒鹿毛馬である。何故馬を購入したかというと主に三つ、一つ目はウィスタリアが説明してくれた。

 二つ目は、こんな悪路を女の子に歩かせるのは酷だろうと思ったからだ。

 話を聞く限り、二人はランヴェルス王都から脱出して今まで歩いてここまで来たのだろう、お姫様のリリーエにはこの悪路は辛いかなと俺なりに案じてみた。

 

 そして、三つ目の理由は。

 

 馬に乗った主に進言する軍師って、昔から夢だったんだよねぇ。

 

 完全に俺の欲望である、ありがとうリリーエ、俺の夢を一つ叶えてくれて。

 

 

 しばらく悪路を進めば、柱だけの門にさっきの門番が寄りかかっていた。

 

「止まれっ!何者……!?」

 

 先程と同じ台詞で呼び止めようとした門番だが、彼がリリーエの姿を見て固まった。

 

「その胸当てに書かれている、太陽と百合の紋章……まさか……!」

「御勤め御苦労様、引き続き見張りを頑張って」

 

 リリーエが門番にグッと手をかざす。

 門番は持っていた武器を落とし、その場に平伏した。

 

「は、ははぁっ!有りがたきお言葉です!姫様!!」

 

 リリーエは何故か勝ち誇った表情で門を潜った。

 

 門番の大声のお陰か。ランヴェルスの姫様がやってきたと村全体が騒然となり、いつしかリリーエが通る場所にいる全ての人間がその場でひざまついていた。

 滅亡した国と言ってもまだまだ影響力は衰えていないようで、俺は村人達の反応を見て驚嘆した。

 

「正規通貨すら出回っていない地方の村でここまで慕われているなら、きっとその国の兵士達は……」

 

 リリーエの馬を引きながら、俺はこの先に待つであろう兵士達がリリーエを見たらどうなるのか、それを想像するだけで胸が苦しくなった。

 

 

 

 

 

 俺達は平伏する村人の間を通り、ランヴェルス兵が駐屯する村の広場に到着した。そこには、広場にいる全ての兵士達が綺麗に隊列を組み、片膝を付く最敬礼でリリーエ達を出迎えていた。

 

「姫様っ……よくぞご無事で……!!」

 

 隊列の先頭にいる隊長らしき男が涙を浮かべて、リリーエを見上げている。

 

「そして、国を守りきれず、申し訳ございませぬ……!」

 

 隊長が深く頭を下げ、後ろにいる兵士達もそれに続いた。中には片腕に包帯が巻かれた者。片方の足が無い者。眼に布を当て血を流している者。戦で傷付いたすべての兵士をリリーエは見渡し、右手で胸を抑える。

 この国の人間ではない俺ですら胸が詰まる。その国のお姫様から見たらどんな気持ちだろうか。

 しばしの沈黙の後、リリーエは聖母の如く口振りで兵士達に語り掛けた。

 

「貴方達は国の為、その様な傷だらけの姿になるまでよく頑張ってくれました、亡き王の代わりに御礼申し上げます」

 

 リリーエの凛然とした声がよく通る、さっきまで話していた小娘とは違う、皆の眼にリリーエの姿は気品と風格を纏った姫君のように映っている事だろう。

 

「そして、私からはひとつ……」

 

 そういうと馬から降り、隊長の肩にそっと手を置いて優しく微笑みかけた。

 

 「無事に生き残ってくれて、本当に良かった」

 

 リリーエの言葉が引き金となり、隊長が子供のように泣き出し、それに釣られて兵士達が皆一様に涙を流した。

 

 一瞬でも疑ってごめん、やっぱり、リリーエは本物のお姫様だ。

 

 この感動的な場景(じょうけい)を目の当たりにして、道中でリリーエと接して思った事が間違いだったと、しゃがんで小さくなった彼女の背中に謝罪した。

 

 

 

 数時間後、ナチャーラ村の仮宿舎(掘っ立て小屋)にて。

 

 

 

「あぁ~、お腹一杯!!おかわり!!!」

「どっちだよ!!」

 

 あの威厳と凛然としていたお姫様は何処に行ったのか、リリーエは茶碗を俺に突き出し麦飯を要求した。

 

「いやーこの三週間ろくな物食べてなくて、麦飯が高級料理のように思えるわ!」

 

 ご飯粒を頬にくっ付け、よそられた麦飯を幸せそうに頬張る。

 

「あんま食べ過ぎるなよリリーエ……それと」

 

 リリーエの隣で黙々と食べるウィスタリアに視線を向ける。リリーエと違い、麦飯をゆっくりと味わい、よく噛んで食べ、そして空になった茶碗を俺に差し出して一言。

 

「……おかわりをお願いします」

 

 これでおかわり七回目、相も変わらず無愛想だ。

 

「ちょっとウィスタリア!貴方一人で食べ過ぎよ!!」

 

 いや、五回もおかわりしているリリーエがそれを言う資格はない。

 というか、二人共おかずも無しに麦飯をよくそんなに食べられるな。

 

「はぁ、さっきの感動的な演説で少しはリリーエを見直したのに……」 

 

 疑ってごめんと謝ったが、この形振り構わず麦飯を食らう野獣のような姿に、どうしてもお姫様かどうか疑いたくなってしまう。未だ食事が終わらぬ二人に対し呆れつつも、今後どうするのか訪ねてみた。

 

「で、兵士達と合流したけど、これからどうするんだ?」  

「どうするって、そういうのは軍師が決めるんじゃないの?」

「その通りだと思います姫様、まずは軍師であるハルト殿の考えをお聞かせください」

「少しは二人も考えろよ……」

 

 無論、二人は俺の言葉は無視して麦飯から眼を離さない。

 ここに来て一日も経ってないのに国の行く末を全て丸投げされるとはわなかった。

 とはいえ、確かに二人の言う通り、それは軍師の仕事でもある。

 

 まずは合流した兵士の正確な数と兵糧、武器と弓矢の数の確認、周辺の地理や他に合流できそうな兵士が集まる場所の情報の収集等、ざっと思い付くだけでこれくらいか。

 

「やることは大量にあるが、とりあえず最初は……」

 

 俺が軍のこれからの事を話そうとした矢先である「一大事です!」と広場にいた隊長が血相を変えて三人の前に現れた。

 

「て、敵です!!丘の上にドミナシオンの軍が!!」

「なんですって!?」

 

 ガタンッとウィスタリアが立ち上がり小屋を後にした。

 

「私達も行きましょう」

「あ、あぁ!」

 

 

 日が落ちかけ、辺りが赤く染まり始めた夕暮れ時、ナチャーラ村は敵の襲来で慌ただしくなっていた。

 ランヴェルス兵は当然ながら、村人達もドミナシオン軍の出現に取り乱し右往左往している。

 

「敵は丘の上か」

 

 俺は敵が現れたという丘の上を凝視する、確かに、丘の頂上に朱色の旗が翻(ひるが)り、丘を下る兵士が見えた、俺は隊長の元に駆け寄る。

 

「ドミナシオンの数は?」

「はっきりと判りませんが、恐らく千人程かと思われます」

「私を追ってきたのね、しつこい連中だわ」

 

 リリーエは丘を見ながら飽きれ気味に鼻で笑う。

 

「どうします姫様?この状況。流石に今の我々では到底戦なんて」

「どうするも何も、そういうのは軍師が決める事でしょ?ね、軍師??」

「あぁ、その通りだ」

 

 敵が迫っているというのに不思議と笑みが溢れた、初陣がこんなに早く来るなんて思ってもみなかったのもあるが、なによりも。

 

「まずはそうだな……隊長さん、こっちの今現在戦える兵士と、武器の数は分かるか?」

「戦える兵士は百人がせいぜい、装備は槍が五十本、弓が十丁程です」

「実質に兵力差は十倍か……よし、わかった」

 

 軍師として最初の大仕事だ、あの敵をどう葬ってやろうか考えるだけで震えが止まらない。

 

「リリーエ達はまず兵士達を集めてくれ、みんな集まったら俺の策を伝える」

「分かった!」

 

 リリーエとウィスタリアが兵士を広場に集め始め、俺はその場に座り策を巡らせる。

 

「とは言ったものの、流石に十倍の敵は辛いな」

 

 村は獣に備えて柵や堀などもあるし周囲は深い森林地帯だ、この地理的優位を上手く活かせれば兵力差を埋められそうだが、それでも装備が足りない、特に弓矢が少なすぎる。

 

「さて、どうしたものか」と頭を悩ませていると。

 

「これから何が始まるのですか??」

 

 村の住人であろうか、サラサラした銀色のショートヘアーに華奢で幼く小さな体に合わぬ大きな長弓を背負い、青い猫眼の幼女が俺の肩を叩いた。

 

「何って、戦が始まるんだよ」

「戦ですか?敵は村に攻めてくるのですか?」

「あぁ、だからお嬢ちゃんは危ないから家に帰った方が良いよ」

「いいえ、帰りません、わたしも戦います」

 

 少女は、彼女には不釣り合いな程大きな弓を取り、慣れた手付きで弦を張直す。

 この子、本当に戦う気なのか?。

 

 冗談かと思ったが、粛々(しゅくしゅく)と弦を張る少女の瞳は真剣そのものだ。

 

「あのさ、マジで戦うつもりなのか?」

「当たり前です、村に猛獣が迫っているなら必ずそれを仕留める、それがこの村の鉄則ですので」

 

 そうか、この村の住人は狩りで生計を立てているんだっけ……ん?ならもしかして。

 

「あのさ、ここの村人って、狩りとかしてるんだよな?」

「はい、獲物を仕留めなければご飯がありませんので」

「なら、村人全員が弓を使えるのか??」

「当たり前です、弓を使わなければ獲物を仕留められませんので」

「つまり、使われていない弓矢があるって事か??」

「もちろんです、弓が壊れた時のために予備は作ってあるので」

 

「弦を張終わりました、では向かいます」と幼女は村の門に向かっていく、それを俺は止めた。

 

「お嬢ちゃん待った!この村の村長の家に案内して欲しいんだけど」

「村長の家ですか、何故?」

「それは後で説明する、とにかく連れてって欲しい」

 

 幼少は少し考えると、小さく頷いた。

 

「分かりました、連れていくだけなら問題ないので」

 

 幼女は俺の手を握って「こっちです」と俺を弓矢のあるところに案内する。

 よし、これで準備は整いそうだ、後は……。

 

 夕日が落ちかけ、辺りが黒く染まっていく。

 俺は幼女に手を引かれながら、自分の知識を初めて実践で使える喜びと、全身の血が沸き立つのを感じていた。

 

 

 

 

 すっかり辺りが暗くなり、篝火が焚かれた村の広場、俺は壇上に立ち集まった兵士に作戦を告げた。

 

「……以上が俺の策だ、何か質問はあるか?」

 

 広場にいる全員に向かい、俺は作戦に疑問があるか問い掛ける。

 

「一つ、疑問があります、軍師」とリリーエが小さく手をあげる。

 

「なんだいリリ……いや姫様」

「軍師の策を信じない訳じゃないけど、その作戦、ちょっと不安かなと思って」

「姫様の言葉に賛成です、そんな上手く事が運ぶとは思えないです」

 

 確かに机上の空論だし、上手くいく保証もない、だが、何故は分からないが、俺はこの作戦が上手くいくと本気で信じていた。

 

「心配しなくて結構、元いた世界で兵法を読み耽り、この時の為に練った俺の策を信じて欲しい、頼む!」

 

 具体的な確証も無しに大見得(おおみえ)をきって「信じろ」と言われても兵士は戸惑うだけだろう。

 広場になんとも言えぬ空気が流れる、そして、その空気を破ったのは他ならぬリリーエであった。

 

「……分かった、私は軍師を信じる」

「姫様!?」

「もう私は軍師を信じるって決めたの、それに、この人数でやるからには、一か八かしか無いわよね」

 

「仕方ないわ」とリリーエが笑って俺の策を採用してくれた。

 

「ありがとう、なら俺が言った通りに頼む、その前にり……姫様」

「なにかしら?」

「総大将として、一言あるか?」

 

「そうねぇ……」と少し考えた後、リリーエは拳を一杯に上げて、広場全員に聞こえる音量で檄を飛ばした。

 

 

「この戦いが、いわばランヴェルス国の逆襲の第一歩、今まで負け続けた分をドミナシオン軍にぶつけてやりましょう!良いですか!!」

 

彼女の(げき)に「応っ!!」と兵士達も声を張り答えた。

 かくして、リリーエ率いるランヴェルス軍の反撃の幕が切って落とされた。

 



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初陣

 暗闇の中、ドミナシオンの軍勢はナチャーラ村に続く道を松明を灯して進軍していた。ぐねぐぬと道なりにうごめくその姿は、細長く道を進む大蛇のように見える。

 

「来たぞ、ドミナシオンだ」

 

 俺はその大蛇にバレないよう付近の兵士に手を降り、隣に控えた十数人の兵士が弓を構え、発射の合図を待った。

 

 いよいよ初陣、真価が試されるのか……!。

 

 手が汗でびっしょりと濡れている、逸る気持ちを抑え攻撃の機会を伺った。

 

(まだだ……まだ、じっくりと引き付ける)

 

 敵の先頭集団が過ぎ、少しした所を見計らって攻撃を命じた。

 

「今だ、射て!!」

 

 号令の下、弓兵より放たれた矢が松明に吸い寄せられるように消え、間を置かず敵兵士の叫び声が森に響き渡った。

 

「射ち続けろ、松明の火が目印だ!」

「応っ!」

 

 兵士達は休む間も無く矢を射ち続ける、やがて「敵襲だっ!!」と敵の動きが騒がしくなり、その火がこちらに向かってきた。

 

「まずは上々……!」

 

 作戦の第一段階、まずは敵を待ち伏せし、闇夜に紛れて敵の横から矢を射掛ける。

 するとどうだろう、最初の奇襲で敵は驚くが、矢の少なさから徐々に落ち着きを取り戻しこちらに迫ってくる、そうしたならば俺は笛を鳴らし、道を挟んで反対側に隠れているウィスタリアに合図を送る。

 

「合図です、行きますよ!」

 

 笛の音を聞いたウィスタリアは「私に続きなさい!!」と四十人の兵士を引き連れ先頭を行き敵に斬りかかる。

 敵は俺達に気を取られ、背後を見せた状態でウィスタリアに強襲される形となった。

 

 三十六計の一つ『声東擊西(せいとうげきせい)の計』。

 攻撃する場所の反対側に敵の注意を向けさせ、引き付けたら敵の背後から襲い掛かる。

 

「は、背後から敵だ!!」「敵に挟み込まれたぞ!!」と敵は混乱し浮き足だっている、ウィスタリアが敵に突入したのを見て、すかさず次の策を実行に移す。

 

「よし!松明に火を灯せ!!」

 

 周囲が一気に明るくなり、道の反対側のウィスタリアが潜んでいた方も一歩遅れて松明に火が灯された。

 

「弓兵は射つのをやめて音を鳴らし、声をあげろ!」

 

「はっ!」と数十人の兵士達は弓の代わりに村から持ち出した金物を取りだし、打ち鳴らした。

 

 ジャーンジャーンジャーンと周囲から金属類が出す甲高い音と雄叫びが森中に轟く。

 

 突然の奇襲に慌てふためく敵兵は自分の周りが突如明るくなり、森の中から金属音と大声が聞こえれば敵の伏兵が襲いかかってきたと錯覚するだろう、そうなると敵は……。

 

「も、森の奥にも敵が居るぞ!!」「松明の数からして敵はこっちと同じくらいかもしれん!!」「囲まれたのか!?」と暗闇で森の中という視界の悪さが重なり、敵は此方の数を大きく見誤る。

 

「三十六計、樹上開花(じゅじょうかいか)の計だ、俺達も行くぞ!!」

 

 敵をさらに撹乱させるべく俺は護身用の剣を抜き、兵士四十名を引き連れ敵に突撃する。

 これで『ランヴェルス兵』は森の中にいる兵士を合わせて約百人、予備の兵士はもういない。

 

「うわぁ!こっちからも敵が来たぞっ!!」と怯んでいる敵の肩を、俺は上段から斬りつけた。

 敵は「くぎゃあああ!」と斬られた箇所を抑え、鮮血を噴き出しながら地面を転がり回る。

 

 うぅ、やっぱり斬った感触が残るんだな……。

 

 深く考えず勢いで斬ったが、相手の肉や骨を断ち斬った感覚が剣を通して伝わってくる、なにより、斬った相手が激痛に悲鳴を上げている様を見て、俺は戦慄していた。

 

「良いもんじゃ無いが、やるしかない……!」

 

 俺は斬った相手から離れるようにその場から立ち去り、見事な剣捌きで敵を屠っているウィスタリアの下に駆け寄った。

 

「大丈夫か!ウィスタリア!?」

「敵は完全に浮き足立っているので手応えがまるで無いです、けれど時間の問題かと」

 

 ウィスタリアの言う通りだ、奇襲には成功したがこの兵力差、流石に時が立てば敵は態勢を立て直し、数の少ない俺達を逆に葬りに掛かるだろう、そうなったら少数の俺達に勝ち目は無い。

 

「皆の者落ち着け!敵は少ない、囲んで圧し殺すのだ!!」

 

 丁度その時だ。

 敵の群れの中から馬に乗った質の良い銀鎧の男が数騎の騎馬兵を引き連れ俺達の前に現れた。

 そのいかにも目立つ鎧と兵士への物言いから瞬時に察した。

 

「あれが敵の大将だな、ウィスタリア!」

 

 俺は次の作戦に移るよう指示すると、ウィスタリアは剣を高く突き上げ周囲のランヴェルス兵に命を下した。

 

「ランヴェルス兵士の皆様、これより敵先陣の背後を突き破り村に向かいます!命懸けで駆けてください!!」

 

 ウィスタリアの声を聞いた近くの兵士が獣の如き咆哮を上げ、各自村を目指して敵先陣の背後に突っ込んだ。

 

 敵の大将が「逃がすな!追え!!」と馬を駆り追ってくる、俺は敵に突撃するウィスタリアの背後にピッタリとくっつき、ほくそ笑んだ。

 

 

 作戦の第二段階は敵の指揮官を発見し、誘導することだ。

 

 具体的に言えば、突然の奇襲に混乱した自軍の兵士に落ち着きを取り戻すため、敵の大将は奇襲した地点に現れる、それ確認したらそいつを上手く誘い込み、孤立させる。

 

「奴等を絶対に逃がすな!!」

 

 敵の大将が怒鳴り散らしながら俺達を追う、しかし、悪路と雑兵のせいで追い付くのに手間取っていた。

 

「この調子なら捕まらずに済みそうだ」などと安堵していると、前から雑兵の槍が飛び出し頬を掠めた。

 

「危なっ!」

「ここは戦場です、油断していると痛い目にあいますよ」

 

 前方を突き進むウィスタリアが注意を促し、槍を出した雑兵の喉を的確に突き、横凪ぎに切り捨てる。

 まったく淀(よど)みの無い一連の動作に俺は舌を巻いた。

 

「へぇ~、ウィスタリアは剣の扱いも巧いのな」

「幼い頃から父上に教え込まれたので、この程度の敵なんてこと無いですから」

「なるほど、可愛いだけじゃなく博識で剣の腕も立つなんて、文武両道って奴だな!」

「か、可愛いなどとからかうのはやめてください、刺し殺しますよ……」

「ごめん、つい出来心で」

 

 こんな状況で言う台詞じゃなかったと深く反省する、こんなんだからモテないんだろうな、俺は。

 

「それよりも、抜けましたよ」

 

 敵の先陣を突破したウィスタリアが不意に立ち止まり、背後の敵に刃を向ける、俺は彼女の隣で生き残ったランヴェルス兵がどれ程残ったか周辺を見渡した。

 

「見えるだけで約二十人、予想より大分減った」

 

 俺の見立てでは少なくても五十人は生き残るだろうと都合よく計算していたが、やはり予想通りとはいかない。

 出来ることなら、誰も死なないで欲しいなんて甘いことを頭の片隅で願っていたりもした。

 

「すまない……」

 

 その場で俯き、歯を食いしばる。

 自分の立てた作戦の過程で味方が死ぬのは想像以上に、辛く、苦しいものだ。

 

「謝ってる暇があるなら、次どうするか考えるべきかと」

 

 そんな俺を見かねて、ウィスタリアは俺に渇(かつ)を入れてくれた。

 

「大丈夫……わかっている」

 

 俺は敵の大将がこちらに向かって来るのを確認し、作戦の第三段階始動を報せる笛を再び鳴らした。

 

 

 

「おい、さっきの女と変な服を着た男はどうした!?」

 

 敵の大将は馬上より俺達の所在を周りの雑兵達に問い質した。

 

「さっきまで居たんですが、男が笛を鳴らしたと思ったら茂みに逃げ隠れてしまいました」

「何故追わなかった!?」

「敵が潜んでるかもしれないのに追える訳がないでしょ!」

 

 敵の松明が灯っている森の奥深くに突っ込んでいくなど自殺行為だと雑兵達は大将に怒鳴り開き直った。

 

「くそっ、奴等を探しだせ!!」と剣を振り回し、癇癪(かんしゃく)を起こした子供のように喚き散らす。

 

「探す必要は無いわよ」

 

 すると、暗闇の中から葦毛馬(あしげうま)に乗ったリリーエが、彼らの前に姿を見せた。

 

「その胸当てに描かれている紋章、貴様がランヴェルスの姫君か」

「お察しの通り、兵士に叱られる間抜けな大将様がいるらしいから、わざわざ見に来てやったのよ」

「き、貴様……!」

 

 大将の顔が紅潮しているのが遠目でも分かる、手に持つ剣を震えさせ、部下達に厳命した。

 

「あの姫を捕らえろ!!!殺しても構わん!!」

「簡単に捕まるわけ無いでしょ?バーカ!」

 

 「べー」と舌を出し、馬首を後ろに振り向かせナチャーラ村に向かって走り出した。

 

「くそっ!逃がすか!!」

 

 リリーエの挑発に乗った敵の大将は、付き従う騎馬数騎を引き連れリリーエを追う。

 

(掛かった!!)

 

 ある程度雑兵との距離が離れた場所でリリーエは右手を上げた。

 

 

「来たぞ、姫を追っている騎馬隊を狙い撃ちにしてくれ」

 

 俺は茂みに隠れていた村の幼女に耳打ちした。

 

「村に迫る獣は排除します、それが村の掟なので」

 

 弓をつがえ、ギリリと引き絞る。

 そして、リリーエが右手を上げたのを確認し、俺は道の両端に潜ませていた『村人達』にこの戦い最後の命を出した。

 

「あの騎馬隊に矢を放て!!」

 

 茂みや木の陰から弓を構えた村人達が飛び出し、次の瞬間、敵の大将に矢が降り注いだ。

「謀られたか!?」と気付いた時にはもう遅い、彼の全身に無数の矢が突き刺さった。

 

「ちゃんと止めを刺すのです、獣はしぶといので」

 

 幼女が冷酷に呟くと、彼女の放たれた矢が大将の額を貫き、ドンと声もなく馬から崩れ落ちた。

 

 

 

 

 作戦の第三段階は、誘導し、孤立した大将を討ち取る事だ。

 

 奇襲をしたところで相手は十倍、正面から戦い続けても勝利は不可能。

 ならどうすれば良いかと言えば、敵の頭を潰す。

 つまり大将の首を上げれば指揮系統失った敵は敗走する。

 

 『人を射んとするならまず馬を射よ、敵を擒(とら)らえんとするなら先ず王を擒(とら)らえよ』 

 

 敵の指揮官を倒せば、残った兵士は烏合(うごう)の衆である、三十六計の一つ『擒賊擒王(きんぞくきんおう)』の計だ。

 

 だが、将を討ち取ったとしても戦が終わるとは限らない、信望の厚い大将ならば部下は死に物狂いで仇を取りに来るだろう、そうなればこちらに勝利は無い。

 

 しかし、敵がリリーエを見つけて捕らえるのが目的の軍である事。

 混乱したなか、自分達の大将が目の前で殺されれば戦意を失うハズだと読んで、この策を実行した。 

 

 そして、俺の思惑通りの展開となった。

 

「大将が討たれたぞ!!」「まだ伏兵が隠れているかもしれん!森の中には行くな!」「殺さないでくれぇ!!」など絶叫し、残された騎馬兵達は勿論、後ろで一部始終を見ていた兵士達は蜘蛛の子を散らすが如く潰走した。

 

 

 

 

 千人の兵士が百人未満の兵士相手に逃げ惑う背中を茂みから覗き見つつ、自然と拳に力が入る。

 

「俺の作戦が、実践で通用した……!」

 

 今まで得た知識は無意味じゃなかった、そう思うだけで胸が一杯になる。

「おーい!軍師~!!」と、感傷に浸る俺にリリーエが手を振った。

 

「見事だったわよ軍師、私を囮にするのはどうかと思うけど」

「お陰で勝てたんだから良いじゃないか」

 

 逃げ惑う敵兵士を鼻で笑いつつ、リリーエは潜んでいる村人達に感謝を述べた。

 

「こんな危険な作戦を手伝わせて、ごめんなさい」

「気にすることはありません、村を襲う獣は排除する、それが……」

「この村の鉄則、だろ?」

「私の台詞を取らないでください」

 

 幼女はジト目で俺を睨み、頬を膨らませた。

 

 数時間前、この幼女に村長の家に連れていってもらい、村人達がこの戦いの伏兵として参加してくれるよう頼んだのだ。

 村長は「村が荒らされるのは困る」と、村に敵を近づけさせないことを条件に村人達が戦いに参加してくれたのだった。

 

「ところで、ウィスタリアは何処に??」

「ここに居ますよ、姫様」

「うわぁ!?何も言わずにいきなり現れないでよ!」

「申し訳ございません、散り散りになった味方を集めていたものでして」

 

 ウィスタリアが指を差した所からランヴェルス兵がゾロゾロと姿を見せ、リリーエの元に集まってくる。

 

「え!こんなに生き残ったのか!?」

 

 俺は思わず驚愕(きょうがく)した、さっき俺が見たときは二十人弱しか見えなかったのに六十人近くの兵士が茂みから出てきたのだ。

 それについて、ウィスタリア曰く「私の命令を勘違いしたらしく、自分勝手に村に帰ろうとした」とのことらしい。

 その為、最初に隠れていた場所に戻った兵士や村と逆方向に突っ込んだりした奴もいたそうだ、よく生きてたな……。

 

「で、軍師、あの敵追撃する?」

「いや、兵も少ないし追い払えただけで充分だ」

 

 また近いうちに来るかもしれないが、その時までに俺達はここから離れていれば良い、村人達は関係無いと言い張れば、ドミナシオン軍も彼らに酷いことをしないだろう、多分。

 

「さて、戦に勝利したのですから勝鬨(かちどき)を上げましょう、姫様?」

「それもそうね!」

 

 あーあーと声の調子を整え、昼間に見せた姫様らしい凛々しい口調で声を奮わした。

 

「勇敢なるランヴェルスの兵士諸君!十倍の敵相手によくぞ戦い抜いてくれました!!我々の勝利です!!!」

 

「「「おぉーーーー!!!!」」」

 

「ほんと、こういう時だけお姫様に見えるよな、リリーエって」

 

 兵士達の歓声が心地良く響くナチャーラ村近くの森の中、木陰から洩れる月の光がリリーエに当たり、彼女を白く美しく煌(きら)めかせた。

 



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ヨイチの弓

 

 

 

 

 

 ナチャーラ村近郊の夜戦から一夜明けて、清々しい朝の日差し込む宿舎(村長宅)の一室。俺はベッドの上で一点を注視し硬直していた。

 

「なんでここに居るんだよ……」

 

 寝る前には居なかった綺麗な金色長髪のお姫様が、目が覚めたら俺の隣で寝ていやがるのである、しかも薄着で。

「あ、おはよう軍師……」

 上品にあくびをして「じゃあ、おやすみ……」と再び寝そうな彼女の肩を掴んで大きく揺さぶった。

 

「おい待てっ!二度寝するんじゃねぇ!!!」

 

 なんでリリーエが俺のベッドで寝てるんだよ!?ちゃんと説明しないと俺がやらかしてしまったみたいじゃないか!!いや、それよりもまずいのは……!。

 

「ここにリリーエがいるのは百歩譲って許す!だが、早くこの部屋から立ち去るんだ!!」 

「ん~なんでよ~、もう少し寝させてよ~」

「何でって決まってるだろっ!!ウィスタリアに見つかったら俺がただじゃ……」 

 

「大変だ!姫様が居なくなった!!急いで探さない、と……?」

 

 今現在もっとも会いたくない人物が、ノックも無くこの部屋の中にやってきた、今日は次からは次へと俺の予想外な事が起きやがる。

 

「あ、おはようウィスタリア~」

「え、姫様?何故、ここに……?」

 

 さて、ここでウィスタリアの眼にこの光景はどう映っているだろう。

 早朝、冷や汗を掻いている思春期真っ盛りな男の子と、ベットの上でその男の子に肩を掴まれ惚けている薄着の姫様の図だ。

 

 なんてこった、誰がどう見ても完全にアウトだ!

 

「き、貴様ああぁぁぁ!!!!!」

 

「待てぇ!!俺の話を聞いてくれっっ!!!!」

「二人とも朝から元気だねぇ、じゃあおやすみ……」

 

 この世界に飛ばされて二日目、未だ、穏やかな朝を迎えたことがない。

 

 

 

 朝の修羅場から一時間後、俺達三人は宿舎にて朝食を取っていた、メニューは勿論麦飯だけである。

 

「昨日の夜トイレに行った帰りで部屋を間違えちゃった♪てへっ!」

「てへっ!じゃねーよ!!!」

「まあまあ、こんな美少女と一緒に寝れたんだから、怒らなくても良いじゃない?」

「そうです、姫様と同じベッドで寝るなんて万死に値する行為です、顔面に一発だけで良かったと思ってください」

「なんて言い草だよ……」

 

 ぶっちゃけ、リリーエが部屋を間違えたのが悪いんじゃないか?何故俺の頬が痛め付けられなければならないのか、承服しかねん。

 

「そんな事よりほら!お・か・わ・り!」

 

 俺の心情なんてこれっぽっちも介さない無邪気な笑顔で茶碗を俺に突き出した。

 

「たく、本当によく食べるなアンタら」

「食べられる時に食べとかなきゃじゃない?いつ死ぬかもわからないんだし」

「これが最後の晩餐かと思うと、いくらでも食べれます」

「そ、そうだな」

 

 流石に自国を滅ぼされて逃げてきただけある、凄い説得力だ。

 

 

 

「ところで、昨日敵将を討ち取っちまったから速めにこの村から出ないとな」

 

 二人の食欲がだいぶ治まったので、前回まともに出来なかった軍の今後を話し合うことにした。

 リリーエが腕を組み「そうね」と頷く。

 

「これ以上この村に迷惑を掛けるわけにいかないんだけど」

「ここを離れたとして、次は何処に向かえば良いのやら、ですね」

「それなんだが、一つ聞いても良いか?」

「何なりとどうぞ、軍師」

 

 俺は村長宅にあったエスパシオンの全地図をテーブルに広げた、地図上には八大国家領地図と各地の山脈や大河が大まかに描かれている。ちなみに、ランヴェルスと国境を接している国は東にドミナシオン、西にリャヌーラ、南にアキツナカツ、北のアルテカルドの四国だ。

 

「確か、ランヴェルスは西のリャヌーラに攻めた隙を突かれて、東のドミナシオンに滅ぼされたんだよな」

「そうよ、ほとんどの兵士をリャヌーラに送ったせいで、東側が手薄になったの」

「なら、西に送った兵士達はどうなったんだ?」

「あ……」

 

 リリーエが盲点だったと頭を押さえる。いくら国が滅亡しても他国に侵攻する兵力が突然消えるわけが無い、未だにドミナシオンに抵抗を続けているか、降伏しているかのどちらかだろう。そして、リリーエの反応から察するに恐らく後者は無い。

 

「確かに、軍を率いてたラムセス将軍が簡単にドミナシオンに降伏するとは思えないわ、そうでしょウィスタリア」

「そうですね……降伏するとは思えないです」

 

 その時、ウィスタリアの顔が一瞬だけ雲って見えた。

 

「なら、俺達はその、ラムセス将軍の元に向かい、兵士を借りるべきだと思うが、如何なされる?リリーエ様」

「見事な策よ、流石私の軍師ね」

 

 兵士達に出立の準備をさせて!とウィスタリアに命じ、ウィスタリアは無言のまま部屋を出ていった。

 

「なんか、ウィスタリアの様子が変だったな」

「あ、軍師も分かっちゃった?」

「いや、気のせいかなって程度だ、ラムセス将軍の名前が出たときに違和感があったような気がする、みたいな」

「ふーん、軍師はやっぱり鋭いねぇ」

 

 勿体ぶった言い方でリリーエがニヤリと笑う、やっぱり何かあるようだ。

 

「ウィスタリアとラムセス将軍って、何かあったのか?」

「さぁね、自分で聞きなよ」

 ゆらりと質問を流され「じゃあ準備してくる~」とリリーエも部屋を出ていった。

 

「なんなんだよ、一体」

 

 二人の様子が腑に落ちないが、とにかく俺も色々準備をしておこう、特に何も持ってないけど。

 

 

 

 

「そんなに弓を担いで、どうしたんだ?」

「貴方に会いに来ました、お願いしたいことがあるので」

 

 宿舎の入り口前、昨日の幼女が弓矢をこれでもかと背負って俺を待ち伏せていた、まるで仇討ちにでも行くかのような格好だ。

 

「これから、貴方達は村を出ると聞きました」

「そうだな、早くても今日の昼過ぎには出発すると思う」

「私も連れていって欲しいのです」

「……はい?」

 

 俺は思わず聞き返した、何を言い出すんだこの幼女は。

 

「俺達と一緒にって、親が心配するんじゃないか?」

「親はいません、小さい頃に捨てられたので」

「じゃあ、今は一人でこの村にいるのか?」

「いいえ、村長の家で小間使いをしてます」

 

 小間使いって要するにメイドさんか、その見た目で中々壮絶な人生を歩んでいるようで。

 

「なら、なおさら村を離れられないんじゃないか?」

「現在、雇い主を絶賛募集中です、先程その小間使いをクビになったので」

「てことは、雇われに来たってことか」

「そういうことです」

 

 彼女は大量の弓を「よっこいしょ」と地面に置いて、ふぅと一息ついた。

 

「貴方達は国を復活させる為に戦っていると聞きました、私は弓が得意なので軍に入れて欲しいのです」

 

 確かに昨日の戦いで彼女は馬に乗った敵将に止めを刺したのは彼女だから実力は疑わない。

 だが、軍に入れるには彼女は幼すぎる。

 

「敵将の額に寸分狂わず矢を射ったその腕は認めるが、それでも連れていくわけにはいかない」

「何故ですか?」

「何故って、そうだな」

 

「小さいから」とか「子どもだから」って言ってもこの子は納得してくれなさそうだ。かといって無視するわけにもいかない。

 

 よし、ここは一つ無理難題でも吹っ掛けて、仲間になるのを諦めて貰おう。

 

「じゃあこうしよう、あの岩が見えるか?」

「はい、大きい岩ですね」

「あの岩に矢が突き刺さったら連れていくよ、出来ないなら残念だけど連れていけない」

「なるほど、解りました」

 

 幼女は弦が他のより大きめな弓を選び、その場で脚を肩ほどに広げ、ゆっくりと息を吸い、矢をつがえた。

 

「え、ここから射つのか?もっと近寄ってもいいんだぞ」

「問題ありません、ここからでも十分なので」

 

 足の踏ん張りから全身に力を入れているのがわかる、しかし、構えた弓はピクリともせず、目線は岩に集中していた。

 

 そして、弓が発した思えない銃火器の発砲音に似た轟音と共に、矢が放たれた。

 

「なんだ、この音……!」

 

 それは放たれた矢の風切り音だ、鏑矢(かぶらや)の出す音響に似た高音が岩目掛けて飛んで行く。

 

 

 そして矢は、岩を粉砕した、だと……っ!?

 

 

 それだけでない、なんと岩どころか背後にあった木をも貫通し、終いには地面の奥深くに突き刺さり、見えるのは矢羽だけになってしまった。

 

「これで連れていってくれますね、岩を貫いたので」

 

 幼女は一仕事終えた風に軽く汗を拭う、俺は開いた口が塞がらずにいた。

 

「マジかよ……」

「信じられないようならもう一度やりますか?」

「いや、大丈夫、それよりも……」

 

 幼女に真摯な眼差しを送り、恐る恐る問い掛けた。

 

「その弓は、何人張りの弓なんだ?」

「八人張りです」

 

 一切の惑(まど)いも無く、即答した。

 

 日本の和弓には五人張りという強弓(こわゆみ)がある。

 弓を引くのに五人分の力が必要な弓を五人張りの弓と呼ぶ。

 その威力足るや、木の鎧を三枚重ねても防げない程の破壊力を秘め、近距離ならば火縄銃よりも貫通力が上回るとされる恐るべき弓だ。

 

 かつて、この弓を使いこなした源氏の雄・源為朝(みなもとのためとも)は真偽はともかく。

 鉄の鎧三枚をその弓で射抜き。

 伊豆から放った矢が鎌倉に届き。

 一射で敵の小舟に穴を開け、これを沈めたとも語り継がれている。

 

 それを、この幼女は、五人張りを越える八人張りの弓を軽々と扱ったのだ、この華奢な体で、どんな化け物だよ……。

 

「おぉ!すごいすごい!!」

 

 今の出来事を陰から見ていたリリーエが、パチパチと手を鳴らし、幼女の頭を撫でる。

 

「君凄いね!岩どころか後ろの木も貫通させちゃうなんて!!しかも可愛いし!!」

「頭を撫でないでください!髪が乱れますので……っ!」

「ねぇ軍師?岩に弓が刺さったら連れていくって言ったよね?」

「あぁ、男に二言は無い」

「あ、ありがとうございます、軍師、どの」

 

 リリーエに撫でられたままの状態でペコリと頭を下げた。こんな芸当を見せ付けられたら流石に断れない。この子に完敗したも同然だ。

 

「これからよろしくね!……えーと、君の名前は?」

「名前はありません、小間使いをクビになった時に一緒に棄てました」

 

 この世界で小間使い、または奴隷等はペットのようなもので、主に捨てられた場合、主から貰った呼び名を失うものらしく、次の所有者が名前をつけるのが一般的なそうな。

 殆どの場合が失うというより「自分を捨てた主から貰った名前なんてくそ食らえ!」と自ら棄てるらしいが。

 

「名前が無いなら付けてあげよう!そうだな~…………軍師が決めていいよ?」

 

 今絶対思い付かなくて面倒になって俺に投げたよな?まぁ、リリーエのネーミングセンスに期待しない方が良いと『サハリン』で学習済みだ。

 俺は少し考え、頭に過った名前を口に出した。

 

「なら、与一ってのはどうだ」

「ヨイチ、ですか?」

「あぁ、俺のいた国で最も有名な射手から取った名前だが、お前にピッタリだと思うぞ」

「えー、なんか可愛くない~」

 

 自分から命名を投げたくせに文句言うとか理不尽だろこのお姫様。

 

「ヨイチ……気に入りました、私は今日からヨイチになります」

 

 少女はヨイチ、ヨイチと口ずさみながら銀色の髪を嬉しそうに弾ませた。

 

「気に入ってくれたか、名付けた甲斐があったよ」

「うー、今更だけど『タコリン』って名前の方が良くないかな?」

「もう諦めな、色んな意味で」

 

 むしろそれがリリーエにとっての可愛い名前なのか、彼女の感性がわからない。

 

「それでは改めまして、この度からお供させていただきます、ヨイチです、よろしくお願いします」

 

 弓を片手に礼儀正しく感情無さげにお辞儀するが、俺には何処かほほえんでるように見えた。

 

「それじゃさっさと村を出発する準備してね、ヨイチちゃん!」

「はい、解りました、リリーエ様」

 

 とにもかくにも、頼もしい仲間(可愛らしい)仲間が加わったのであった。

 

 



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藤の花

 

 ランヴェラス国滅亡の寸前に西のリャヌーラに向かった軍を探す為、俺達は怪我人を含めた百七十人の兵士と共にナチャーラ村に別れを告げた。

 

 

 ナチャーラ村を出立してから四日後、旧ランヴェラス国西部、ラトゥーム川上流付近。

 

 

 

「よし!釣れたぞ!!」

「こったらも網にかかりました、見てください姫様、これがサクラマスですよ」

「うわぁ、大きくて、固くて、ヌルヌルする……」

「あの浮いている魚を取ってきてください、矢で仕留めた奴なので」

 

 陽が西の空を茜色に染め始めた時刻。

 兵士達総出で川釣り大会が催され、各自思い思いの方法で川魚を取り漁っている。

 端から見れば和気(わき)藹々(あいあい)としていて楽しげな雰囲気だが、食糧が不足したので夜飯を確保するべく皆さん必死のご様子だ。

 

「ねぇ、リャヌーラ国境まであとどれくらいなの?」

「約三日ですね、このまま川に沿って上流に向かい、街道に出ればあとは道なりで半日程です」

 

「まだまだ先は遠そうねぇ」とリリーエが捕まえたサクラマスを突っつく。

 

「街道から外れた山間を進軍しているから仕方ない、その分、城も無いし敵に見つからないだろうから安心して進軍できるからな」

「私が道案内しなければ今頃迷っていたのです、感謝して欲しいのです」

「うんうん、わかってるよ~ヨイチ~、ありがとう~」

「あ!撫でないで、抱き締めないでくださ、や、やめてください!!」

 

 ぎゅ~と強く抱き締められ、ヨイチはリリーエから逃れようともがいている。

 

 ヨイチの言う通り、この辺りの地形に詳しい者が居なければこんな山間部は通らないだろう、そういう意味で、ヨイチは先導役で大活躍してくれている。

 

 

「そろそろ日の入りか、ウィスタリア」

「えぇ、各自夜営の準備を!魚を取れなかった者は取りすぎた者から譲ってもらってください!!」

「う~!可愛いなぁヨイチ~」

「離してください……」

 

 ウィスタリアの下知で兵士達が川岸で拾ってきた木々を燃やし、夜営の準備を始める。

 

「さて、こっちも支度するか、俺は燃やせそうな木を探してくるから、リリーエ達は取った魚の調理をしてくれ」

「げっ、あの魚に触らないといけないの?やだぁ……」

「リリーエ様は見てるだけで大丈夫です、私が魚を捌くので、……だからそろそろ離してください」

「なら私はハルト殿に付いていきます、森に一人で入るのは危険ですから」

 

 俺とウィスタリアが林に木を拾いに行き、その背中をリリーエがジッと見つめ、微笑んだ。

 

「あの二人、最初は仲悪そうだったけど今は良い感じじゃない、くっくっくっ、面白くなってきたわね!」

「リリーエ様……そろそろ離して……ください」

 

 

 

 川辺周辺の林の中にて。

 

 

「……」

「……」

 

 

 気まずい!!!

 

 

 なんだこれ、なんでこんなに空気が重いんだ??。

 ウィスタリアはずっと木を拾ってるし顔を上げないし無言だし、俺はどうすれば良いんだ?何が正解なんだ??。

 あれか、俺から話しかけるのを待ってるとかそういう感じなのか、オーケー上等だ!そっちが来ないなら俺から話しかけてやるよ!!。

 

「あ、あのさ、ウィスタリア、さん?」

 

「…………」

 

 これは予想外だ、まさか至近距離で、しかも名前入りで呼んだのに無視してくるとは、俺はどうすることも出来ないじゃないか!このまま微妙に重苦しい空気の中小枝を拾い続けるのか!?。

 なんて脳内で悩み込んでいると、ウィスタリアが口を開いた。

 

「……ハルト殿」

「え、あ、はい!!」

 

 何故かピンと直立不動で返事してしまった。

 

「……ごめんなさい」

「……え?何が??」

 

 怒られるものだと思って身構えていたが、突然の謝罪で、脳内に疑問符が浮かび上がった。

 

「私とハルト殿が初めてあった日の事です、ずっと謝りたかったんですが」

「俺と会ったとき?ウィスタリアが俺に何かしたっけ?」

 

 二人に出会った日を思い出す、ウィスタリアは特に俺を怒らせることはしてないはずだが。

 

「ナチャーラ村に向かう道中です、ずっとハルト殿を睨み付けてるように見えたと、姫様が仰られていたので」

 

 そう言えば、背後からずっと睨まれてたんだっけ、あの時のウィスタリアめっちゃ怖かったなぁ。

 

「それのことか、別に気にしてないよ」

「そうですか、なら良かった」

 

 ウィスタリアはホッと胸を撫で下ろした。

 

「ちなみに、何で俺をずっと見てたんだ?」

「えっ!?えっと、その、なんて言うか……」

「なんて言うか?」

「は、ハルト殿と姫様が楽しそうに話をしていたから、その、羨ましくて……」

「それって、ただ会話に混ざりたかっただけって事か?」

「その通りです……」

 

 身体をモジモジさせながら、俺に顔を見られまいと恥ずかしそうに下を向いた。

 

「ふ、何だよそれ」

 

 そんな彼女の珍しい姿に俺は思わず吹き出した。てっきりウィスタリアに嫌われているのかと勝手に思っていたから、今までよそよそしくしていた自分が可笑しくなった。

 

「わ、笑わないでください!!」

「いやごめん、やっぱりリリーエの言う通りだなと」

「姫様が、私に何か言ってたんですか?」

「ウィスタリアは本当は凄く乙女で可愛らしい女の子なんだってさ、俺も同感だ」

「な、なななな……なっ!!!」

 

 顔を真っ赤にさせ、どもって上手く声に出せないでいる。

 俺の中でウィスタリアは寡黙で無表情で近寄りがたいイメージだった。けれど、実際には口下手で感情表現が苦手なだけで、彼女はごく普通の女の子なのだと、あたふたする彼女の姿を見て確信した。

 

「そういうのがウィスタリアの良いところだな」

「そ、それって、ど、どういう意味ですか……?」

「そのまんまの意味だよ」

 

 ポンと彼女の肩をたたき、再び木を拾う作業に戻った。ウィスタリアも少しポカンとしていたが、ハッとしてすぐに木を拾い始める。

 そう言えば、ナチャーラ村を出る前に気になったウィスタリアとラムセス将軍との関係をこの際だから聞いてみようかな。

 

「あのさ、ウィスタリア」

「は、はい!なんでしょう?」

「ウィスタリアはラムセス将軍と何かあったのか?」

「……何故ですか?」

「いや、ナチャーラ村でラムセス将軍の元に向かうって決まった時に表情が暗かったから、何かあったのかなって」

 

 俺がラムセス将軍の名を口にした途端に彼女の表情が曇り口をつぐませた。何か嫌なことを思い出した、そんな顔をしている。

 

「べ、別に言いたくないなら気にしなくていいぞ?」

 

 あまりの深刻そうな顔ぶりにあんな質問するじゃなかったと後悔する。せっかく仲良くなれたと思ったのに、失敗した……。

 

 俺は彼女から目を逸らし、このことは忘れようと薪を拾う作業に没頭した。

 しばしの沈黙の後、ウィスタリアは意を決したかのように口を開いた。

 

「ラムセス将軍は私の父です」

 

 虫の音に掻き消されそうな程かぼそい声でそう発した。

 

「ラムセス将軍の娘?」

「そうです」

「なら、なんでそんな暗い顔をするんだ?」

「それは……あの人が、最低の男だからです」

 

 『最低』の部分を強調して、怨みを含んだ眼差しで力強く言い放った。

 でもどうしてだろうか、全てを恨んでいるかのような冷たい瞳をしているのに。ウィスタリアは自分で発した今の言葉を悔やんでいる、俺にはそう感じた。

 

 

 

 

 

 

 日が完全に堕ちきって星光に照らされた川辺、リリーエとヨイチが手頃な石に腰かけている。そこに、手一杯に薪を持った俺とウィスタリアが到着した。

 

「あ、やっと帰ってきた!遅い!!」

「すまない!ちょっと色々あってな」

「申し訳ありません姫様……」

「そんな事より早く薪をください、火がつけられないので」

 

 俺は持ってきた木々をヨイチに渡す、ヨイチは腰袋から火打ち石を取り出すと手際よく火種を作り、焚き火を完成させた。

 

「これで魚が焼けるのです、今日は塩焼きなので」 

 

 ヨイチが一口サイズに切った魚達を串に刺し塩を降って火に掛ける。

 所々綺麗に鱗が取られた切り身もあるが、大半が中途半端に鱗が残っている魚で喉に引っ掛かりそうだ。

 

「なぁヨイチ、この魚の下ごしらえはヨイチがやったのか?」

「いえ、私はほんの少しだけです、後はリリーエ様がやりたいと言っていたので」

「どう?私も中々の腕でしょ!?」

 

 自信ありげに胸を張って感想を求めるリリーエ、その辺に捨て置かれ、グロテスクに解剖されたサクラマスに心の底から同情した。

 

「リリーエはヨイチに魚の捌き方を教えてもらった方が良いかもな」

「そうですね、なんなら私が御教えしますよ、姫様」

「うっ、ウィスタリアまでそんな事言って……!私一人で上達して見せるから!!」

 

 リリーエの調理技術を弄りながら焚き火を囲んで、皆と他愛もない雑談をしていると、ウィスタリアの肩に一匹の虫が止まった。

 

「あ、蛍」

 

 俺は今にも消えそうな儚い蛍火をぼんやりと眺める。

 ふと川辺を見渡すと、至るところで蛍が発光し、気がつけば川一面が蛍の淡い黄緑色に染まっていた。

 

「綺麗ね、蛍」

「はい、そうですね、姫様」

 

 何万もの蛍火が川にそって光輝き、思わず息を飲む。ふと、横目でウィスタリアに目を向けてみる、その幻想的な光景を目の当たりにしても彼女の表情は硬く、面持ちは晴れないようだった。

 

「早く食べてください、冷めてしまうので」

 

 ヨイチが焼魚を俺に渡す、俺はそれを頭から食べながら「またここに四人で来たいな」なんて意味もなく呟いた。

 



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ラシュムール城にて

 

 八大国家・リャヌーラは国土の七割が高原地帯である。

 温和な気候と豊かな土地に恵まれ、リャヌーラの北、東、南の国境は峻険な山脈で阻まれており、中央部から西のランヴェルス国境まで広大なソーリデソル草原が続いている。

 

 

 ランヴェルス暦 三六一年 五月 ランヴェルス・リャヌーラ国境沿い、ラシュムール城。

 

 

「また来やがったか」

 

 塗装が剥げかけたプレイトアーマーに、真紅のマントを(まと)った初老の男が、古城の城壁の上から草原の先、遠く微かに砂塵を巻き上げ進軍する騎馬隊を、眼光鋭く眺めている。

 

「これで何度目だ、カイドウ?」

「ハッ、これで六度目かと!」

 

 初老の男は、背後に控える艶やかな朱色のチェーンメイルを着こなした角刈りの従者に、続けて(たず)ねた。

 

「数は?」

「物見の報告では一万だそうで!」

「懲りないねぇ、奴等も」

 

 ふんと鼻を鳴らし、男は紅いマントをなびかせ城壁の階段に向かう。

 

「兵に支度をさせろ、数は三千でいい、騎馬二千と歩兵を一千だ、歩兵はオウドウに、騎兵は俺が率いる」

「承知しました!殿!!」

 

 階段を降りるまでに指示を出し終え、初老の男こと、ラムセスは(つぶ)めく。

 

「さぁて、どうやって奴等を崩壊させてやろうかねぇ」

 

 顎に生えた白い無精髭(ぶしょうひげ)を手でなぞり、この状況を楽しむかのように、彼は不敵に笑った。

 

 

 

 

 

 頭上に太陽が昇り、丁度お腹が空く時間帯。

 森を抜け、街道に出たリリーエ一行は、リャヌーラ国境にいると思われる旧ランヴェラスの将軍・ラムセスに会うべく歩を進めていた。

 

「あの人は、戦の天才です」

 

 ウィスタリアがリリーエの馬を引く俺にラムセス将軍について語り始める、その顔に笑みない。

 

 

 

『今から約十五年前に、リャヌーラが二十万の大軍でランヴェラスに侵攻して来ました。

 

 対して、当時ランヴェラスはアルテカルドと戦争中であり、リャヌーラ軍に対応する兵力を割く余裕がありませんでした。

 

 結果、ランヴェラス西部の城は(ことごと)く陥落し、リャヌーラ軍はランヴェラス西部の大都市・オリエンを包囲します。

 

 その時、当時無名だったラムセス将軍がランヴェラス王に抜擢され、五千の兵を率いてオリエンの救援に向かい、なんとリャヌーラ軍二十万を一晩で追い払ったのです』

 

 

 

「五千の兵士で二十万を追い払ったって、凄い活躍だな」

「それだけじゃないのよ?ラムセス将軍はそのままリャヌーラが落とした城を取り返したんだから!」

 

 馬に乗るリリーエが自分の事の如く誇らしげに両手を腰に置いた、ウィスタリアは淡然(たんぜん)と続ける。

 

「その後、ラムセス将軍は対リャヌーラの総司令に抜擢され、一連の活躍からランヴェラス西部の支配を任されるに至り、列国の十二人の名将『十二神将(じゅうにしんしょう)』の一人に数えられるようになりました」

 

 十二神将か、ネーミングセンスはともかく、この世界でも名うての戦上手のようだ、ラムセス将軍は。

 

「その、ラムセス将軍はリャヌーラ国境にいるって事で間違いないのか?」

 

 俺は太陽と重なるリリーエを見上げた。

 

「確かそのはずよ、多分、恐らく……」

「歯切れが悪いな」

 

 それも仕方ない、なんせここまで来るのに人と出会い難(にく)い山間部を通って来たのだ、ラムセス将軍の噂や、まして所在なんて把握できる訳がない。

 

「まぁ、その為にヨイチに斥候(せっこう)を頼んだんだが……」

「……うぅ~、早くヨイチを抱き締めたいよぉ~!!」

 

 リリーエが自分の身体をうねらせてヨイチの帰還を今か今かと待ち焦がれている、朝からずっとこの調子だ。

 早朝、斥候を頼んだ時にヨイチがとても嬉しそうにしてたのは、もしかしたらリリーエから離れられるからだったのかもしれない、そして、噂をすれば。

 

「ただいま戻りました、この先には……」

「ヨイチィ!!!」

「うぇっ!?」

 

 ヨイチが帰還したかと思いきや、奇声と共にリリーエに速攻拉致された、馬に乗ってたのにいつ降りたんだ?リリーエは。

 

「あぁ~ほどよい柔らかさと触り心地、癒されるよぉ~!」

「ちょっ、リリーエ様、離して……っ!!」

「やめろって」

「痛っ」

 

 ヨイチと自分の頬っぺたをすりすりさせているリリーエに「報告が先だ」と頭を軽くチョップする。

 

「あ、ありがとうございます、軍師どの」

 

 解放されたヨイチは(リリーエに乱された)身なりを整え、軽く咳払いをした。

 

「報告すると、この先に小さな城がありました、人気はあまりなかったです、静かだったので」

「城か、何か特徴は無いか?」

「龍が描かれた紅い旗がたくさん立っていました、あとはなにもなかったです」

「龍が描かれた紅い旗、間違いないわ、ラムセス将軍よ」

 

 今度のリリーエは自信を持って断言した。

 

「そうか、ありがとうヨイチ」

「うぅ、頭を撫でないでください」

 

 心地良さそうなたるみ声を上げるヨイチ、彼女を撫で終えるとその手をリリーエの肩に乗せた。

 

「それじゃあリリーエ、後は好きにしていいぞ」

「やったー!!!」

「え、軍師どの!?」

 

 俺に裏切られ、野獣に怯えた小動物のように小刻みに震えている、許せヨイチ、朝からずっと「抱きたい抱きたい」うるさかったんだ。

 

「ふふふ、こっちにおいで、ヨイチ?」

「もう誰も信じません、絶望したので」

 

 リリーエの馬に乗せられ、人形みたくされるがままになってしまった。

 

 馬上で戯れている二人を横目にウィスタリアに話し掛けた。

 

「ここまで来た甲斐があったな」

「そうですね、でも……」

「親父さんに会うのは嫌か?」

 

 ウィスタリアはなにも言わず、首を横にふった。

 

「私はあの人が嫌いですが、今は頼るしかありません、姫様の為、私情は挟みません」

「そうか」

 

 彼女なりに覚悟を決めたみたいだ、ふと、俺は日差しを手で覆う。

 遥か遠くに、細くたなびくすじ雲が見えるが、風が強いのかゆっくり流れ、そして消えていった。

 

 

 

 街道を道なりに進んでから数時間、夕暮れの時刻にヨイチが見たという小さな城・ラシュムール城を視界に捉えた。

 

「本当に、小さい城だな」

「ラシュムール城は二百年も昔に造られた城で、当時は砦として作られていたそうです」

「二百年ねぇ、どおりで貫禄があるわけだ」

 

 その城を見た俺の感想は『貧弱で脆そう』だ。苔が生え、所々が崩れかけた城壁が映画に出てくる西洋の古城を想わせる。

 

 リャヌーラと国境を接しているラシュムール城は街道と近く、周囲の城や砦と連携が取れやすい場所に位置しているため、ラムセス将軍がリャヌーラ対策で手を加え、オリエンを差し置いてここに住み着いているらしい。

 

「着いたは良いけど、どうするか」

「どうするって、普通に入ればいいんじゃないの?」

「敵か味方かわからないのに、安易に立ち入れないだろ……って、ナチャーラ村でも言った気がするぞ、リリーエ」

「そ、そうだったかな?あははは……」

 

「もしやそこの!リリーエ姫ではありませぬか!?」

 

 数十騎の騎馬が大声でリリーエの名前を呼びながらこちらに向かってきた。

 

「あれは、カイドウ殿か」

「あ、本当だ!おーい!!」

 

 二人の顔見知りなのか「カイドウ」と呼ばれるガタイの良い角刈りの男に手を振った。

 カイドウとその従者が下馬し、リリーエにひざまづき喜びを露(あらわ)にした。

 

「お久しぶりです姫、よくぞご無事で!」

「貴方も変わってないわね、特にその頭が」

「はっはっはっ!この髪は生涯変える気はありませんぞ!!」

 

 大口開けて豪快に笑う、良くいえば熱血漢、悪くいえば暑苦しい、といった感じだ。

 

「お嬢も、お元気そうで!!」

「お嬢は止めてください……」

「何を!?お嬢はお嬢ですぞ!!」

 

 お嬢お嬢言われて恥ずかしいのかウィスタリアはカイドウから目を背ける。

 

「それじゃあカイドウ、立ち話もなんだし、ラムセス将軍の所に連れて行ってくれないかしら?」

「畏まりましたぞ!ささ、こちらです!!」

 

 カイドウはそのまま自分の馬を引き、歩きながら城に案内してくれた。話を聞く限り敵では無さそうだが、油断はしないでおこう。

 リリーエは「やっとゆっくり休めるぅ~!」と手を伸ばし、ヨイチを自分の胸に押し当てた。

 

 

 

 ラシュムール城内は、外観とは裏腹に内部はしっかりしており、そこそこ広い西洋風の屋敷が造られていて、まるで金持ちの豪邸のようだ。

 

「では、殿が帰られるまで姫とお嬢はこちらの部屋でお待ちを!馬引きは姫のぬいぐるみと外で一緒にいてくだされ!」

「それじゃ、馬引きさんとヨイチはまた後でね~」

「誰が馬引きさんだ」

「誰がぬいぐるみですか」

 

 ラムセス将軍は侵略してきたリャヌーラ軍を相手にしているようで、将軍が戻ってくるまでリリーエとウィスタリアはそれぞれ屋敷の部屋を与えられ、俺とヨイチと付き添った残りの兵士達は城内の庭で待機となった。

 

「まったく、大変な道のりだったな」

「本当です、大変な道のりでした、色々と……」

 

 ヨイチと共に庭の木の幹に寄り添うように座る。

 

 庭に座り込んだ兵士達を見ると、ある者はその場で鼾(いびき)をかき、ある者は腰を下ろして壁に寄りかかったままになった者など、皆が一様に疲れ果てている。

 

「こんなに疲れたのは初めてです、色々と」

「無理な行軍をさせすぎたからな、俺も疲れたよ」

 

 俺は肩を伸ばして深く一息をついた、すると気が抜けたのか、そのまますっと眠りに落ちてしまった。

 

 

 

 

 幼い頃の夢を見た、内容は俺がよく遊んでいた公園での出来事。

 

 

「ねぇ!お兄ちゃん!!」

「なんだよ、俺は忙しいんだが」

「お兄ちゃん、いつも公園にいるよね?それなのに忙しいの??」

「ほっとけ……」

 

 その公園には毎日同じベンチに座ってラジオを聴いてる若い兄ちゃんがいた。

 角刈り頭に厳つい身体、学ランを着てたから恐らく学生なんだろう、昭和のヤンキーって感じだった。

 

「お兄ちゃんって、いつも何を聴いてるの?面白いやつ??」

「競馬だよ競馬、お子様には分からんだろうがな」

「ケイバくらい知ってるよ!お馬さんがかけっこする奴でしょ!」

「いーや!違うね!競馬ってのはな……」

 

 それからお兄ちゃんによる競馬愛を長々と聞かされた。

 けれど、そのお兄ちゃんはなかなか口達者で、子供の俺でも分かりやすい説明をしてくれたから飽きずにいつまでも聞いてられた。

 

「兄ちゃんの話おもしろかった!ねぇ、また明日も聞かせてよ!」

「まぁ暇があったらだな」

「お兄ちゃんが忙しい時なんてあるの?」

「可愛らしい顔で酷いこと言うのな、子供って」

「それじゃあ!お兄ちゃんまた明日ね!!」

「おう、気を付けて帰れよ」

 

 次の日、公園に兄ちゃんは現れなかった。

 いつも座っていたベンチの真ん中に、競馬中継が流れたままのラジカセが置いてあるだけだった。

 

 それから、俺は兄ちゃんに会うことは無かった。

 

 

 

 

「起きてください、軍師どの」

「……ん、ヨイチか、どうした?」

 

 ヨイチが俺の肩を揺すり起こす。

 いつの間にか眠っていたみたいだが、夕陽が落ちていないからそこまで長く寝ていないようだ。

 それにしても、懐かしい夢を見ていた気がする。

 

「ラムセス将軍が帰ってきたそうです、リリーエ様があそこで待ってます」

「将軍が帰ってきた?」

 周囲が妙に騒がしいのはその為か、俺はヨイチと共に城門前に歩き出す。

「なぁ、ヨイチはラムセス将軍って見たことあるか?」

「あるわけ無いです、ずっとあの村にいたので」

「あ、そうだったな」

 

 俺は城門に歩みながらさっき見た夢を思い返していた、夢を見るまであの兄ちゃんの事は思い出さなかったのに。

 彼は元気にしてるだろうか、どんな生活をしているのだろうかと想い巡らせつつ歩いた。

 

 

 

「来たわね」

 

 リリーエとウィスタリアが城門の外側、草原の中から数千もの騎馬と歩兵を従えた将を見つめる。

 

「ラムセス将軍よ」

 

 全身が血で染めたかのような赤マントに甲冑、無精髭ながら顔は傷だらけで、数多の戦を生き抜いた威厳のある風貌。

 兵士達も赤い防具で身を固め、西日と重なって赤黒く見える。

 まるで赤備(あかぞな)えだ。

 

「おぉ、これはこれは、姫様ではありませぬか」

 

 少し離れていても聞こえる腹にドンと響く重低音、思わず立ち竦(すく)んでしまう貫禄に満ちた身体、なにより、馬上から見下ろされる威圧感が尋常でない。 

 ごくりと生唾(なまつば)を飲み、頬に汗が滴(したた)った。

 

 歴戦の老将みたいでカッコいい将軍と、俺は憧れに近い眼差しを送った。

 

「お久しゅうございます姫様、カイドウから姫様が来られたと聞いたときは驚きましたが、だいぶ大人びたお姿になられましたな」

「ふふ、ありがとう、ラムセス将軍」 

「しかし、私からしたらまだまだ子供です、姫様」

「将軍は大分フケましたわね、そろそろ引退の時期では?」

「まだまだ、生涯現役ですよ、姫様」

 

 

 二人の貴族らしい上品な言葉遣いの会話が続くその後ろで、ウィスタリアが無言で二人の話に耳を傾けている。

 嫌いって断言するだけ、極力ラムセス将軍と話をしたくないのだろう。

 

「……ウィスタリアは変わり無いか?」

「はい父上、特になにも」

 

 城門にて二人が会話をしたのはこれだけである、久々の再会でここまで口数が少なくなるほど、二人の関係は冷えきっているのか。

 

「それじゃラムセス、続きは部屋でしましょう」

「そうですな、姫様」

「三人も付いてきなさい、私達のこれからをラムセス将軍と話し合うわよ」

 

 リリーエが真剣な面持ちで屋敷に向かう、あのリリーエがこんなきっちりと対応しているなんて、やっぱりラムセス将軍は凄い人物なんだと感心した。

 そして、この人の策を是非とも聞いてみたいと心の底から願っていた。

 

 

 

 と、思ったが、それは間違いであった。

 

 

 

「あの小っこくてチンチクリンだった小娘が、こんな色っぽくなりやがってよぉ、驚いたぞコンチクショー胸触らせろ!」

「もう子供じゃないって事よラムセス、だから昔みたく馴れ馴れしく話さない事ね?それと、私へのボディータッチは金貨100ランよ」

「身体は大人でも中身は変わらなそうだ、やっぱりまだガキだ!わっはっはっ!」

 

 あれ?イメージしてたラムセス将軍と違う……。

 

 城門で見た彼は威厳というか存在感が有り余ってたのに、部屋に入った途端、町娘に絡む酔っぱらいみたくなってしまった。

 

「それにしてもよぉ、お前よく生きてたな?城は燃えて跡形もないって聞いたぞ」

「ウィスタリアが城の抜け道を案内してくれたのよ、それからここまで来る道中で追っ手から逃れたり狼を倒したり敵軍を追い払ったり、色々あったわ」

「狼と戦ったって?やっぱお前は母親のリリーと似てるな!怪力姫だな!!」

「誰が怪力姫よ!私は一匹しか倒してないんだから!!」

 

 二人の笑い声が部屋に溢れるその影で、置いてけぼりを食らう三人。

 

「なぁ、お前の親父さんって、いつもこんな感じなのか?」

 

 ウィスタリアに寄って飽きれ気味に囁く。

 

「まだマシです、お酒を飲んだらこれの五倍は喧しいですから」

「お前も苦労してたんだな……」

 

 クイッと、ヨイチが俺のズボンを引っ張った。

 

「軍師どの、部屋を出て良いですか?この場に無言でいるのは耐えられないので」

「あぁ、行ってこい、あんまり遠くに行くなよ」

「はい、ありがとうございます」

 

 ヨイチが無言で抜け出し、部屋の中には酔っ払いの(※何も飲んでません)テンションで会話する二人と、真顔で話を聞く二人という対照的な構図が生まれてしまった。

 

「なんだか、すげぇガッカリした」

 

 俺は一瞬でもラムセス将軍に羨望の眼差しを向けたことを後悔していた。

 

「父と話す若者はみんなそう言います、それも仕方ないですが」

 

 結局、それから俺達はこの二人の会話を数時間かけて聞かされる羽目となった。

 

 

 

 

 



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湯煙と昔語り

 

 

 日が落ちてから数時間後、ラシュムール城内の屋敷にて。

 

 妙に蒸し暑い部屋の中、唯一の照明器具である蝋燭(ろうそく)灯火(ともしび)がゆらゆらと揺れている。

 

「それで、その小僧がドミナシオンの追っ手を殲滅した剛の者か?」

「剛ではなく知略よ、それは見事な作戦で十倍の敵を追い払ったんだから!」

 

 信頼と疑念、二人の異なる目線が俺に向けられた。

 

「たいした策じゃない、三十六計っていう俺がいた世界の兵法を応用しただけで」

 

 なんて謙遜して見せたが、俺の初陣としては我ながら会心の作戦だったと自負していた。

 

 しかし、俺がそれを口に出した途端、ラムセス将軍の表情が険しくなる。

「俺がいた世界……やはり、お前は転移者(イティネラー)か?」

 

 転移者、なんか久しぶりに聞いた気がする単語だ。この世界では転移者は珍しいものではないそうだが、それでも異人的扱いをされがちで良く思ってない者が多いという。ラムセス将軍の表情はそういう意味なのかなと、勝手に深読みしてみる。

 

「そうだけど、何か問題でも?」

「いいや、むしろ……」

 

 しかし、彼はすぐに白い歯を見せてニヤリと顔を緩ませた。

 

「十倍の敵を追い払った話はどうでも良いが『あの世界』の兵法ってのは興味深い、多くの転移者を見てきたが、お前とは面白い話が出来そうだ」

 将軍が大口を開けて愉快げに笑うと、何かを思い付いたように顎髭(あごひげ)をなぞった。

 

「それはそうと、リリーエとウィスタリア、お前ら二人共しばらく風呂に入ってなかったろ?」

「当然、そんな暇も設備も無かったもの」

「ならちょうど良い、ここの近くに温泉が湧き出ててな、お前ら二人で行ってきたらどうだ?」

 

「温泉っ!!!???」

 

 椅子から勢い良く立ち上がり、リリーエは眼をキラキラさせて歓喜の声を上げた。

 

「勿論行くわ!ね?ウィスタリアも!!」

「姫様が行くと申されるなら……」

「あとヨイチも呼ばないと!さぁ、久しぶりのお風呂よぉおお!!!」

「あ、姫様っ!?」

「温泉の場所はカイドウにでも聞け、奴なら案内してくれる筈だ」

「分かった!ありがとう、ラムセス!!」

 

 ウィスタリアの手を掴んで引きずるようにリリーエは部屋を後にする。

 

「そ、それじゃあ俺も行こうかな」

 

 一人取り残された俺も二人に続こうと扉に手を伸ばす。

 

「待て、お前はここに残れ」

 

 それを、将軍がドスの利いた低い声で俺を呼び止めた。

 え?なんで??

 

 将軍は葉巻(はまき)を取りだし火をつける、何処ぞのマフィアのボスみたいな貫禄だ。

 

「な、何か俺に用でも?」

「無ければ止めねーだろ、普通に考えて」

「ですよね~……」

 

 そのまま椅子に座り直した、将軍は煙を蒸(ふ)かすと葉巻で俺を差した。

 

「お前、向こうの世界で兵法書を読んだことがあるって言ってたな?」

「兵法書は片っ端から読んで覚えてる、と、思います……」

 

 自然と畏まった話し方をしてしまう、学校一怖い体育教師に怒られてる気分だ。

 

「そうか、なら武経七書(ぶけいしちしょ)も知ってるな?」

 

 俺を試すかのように、ラムセス将軍は(ふく)み笑った。

 

 武経七書(ぶけいしちしょ)とは、『孫子(そんし)』『呉子(ごし)』『六韜(りくとう)』『三略(さんりゃく)』『尉繚子(うつりょうし)』『司馬法(しばほう)』『李衛公問対(りえいこうもんたい)』以上七つの兵法書の総称である。

 

 その中でも孫子、呉子は兵法書として名高く、両書合わせて『孫呉の兵法』と呼ばれる事もあり、兵法の基礎知識として数多くの兵法家が愛読していた。

 

 ラムセス将軍の口から武経七書なんて言葉が出るなんて露程(つゆほど)も思わなかった。なんせ武経七書は俺が居た世界の書物であり、この世界に存在しないはずだからだ。

 

「将軍は、武経七書を?」

「あぁ、子供の頃に読んだことがあってな、うっすらとしか覚えてないが」

「子供の頃に読んだことがあるって……まさか」

 

 今までの将軍の意味ありげな発言と俺をこの場に残した意味を考え、すぐに一つの答えに辿り着いた、そしてその考えは的中する。

 

 

「ご明察、俺は『転移者』だ」

 

 

 

 

 

 今から三十年くらい前の話だ。

 

 俺が高校生だった頃、親と喧嘩して家出して、公園でホームレス生活をしててさ、気がついたらこの世界にいやがった。

 訳も分からず、ひたすら帰る方法を探してみたが皆目検討もつかず、俺は飢えと怪我で町の道端にぶっ倒れた。

 

 そんな俺に手を差しのべてくれた女がいた。

 

 俺に食べ物と住むところをくれたそいつは家がとっても裕福でさ、ガタイが良かった俺はその家の警備兵として雇われて、戦争行ったりして活躍して、気が付けば、数年後にはランヴェルスの将軍になってた。

 

 我ながら見事なサクセスストーリーだろ?

 

 

 

「とまぁ、俺様の華々しい半生を知った上で、何か質問あるか?」 

 

 ラムセスが吸い終わった葉巻を灰皿に置き、そしてまた一本火をつけた。

 

「ラムセス将軍が転移者だったなんて、つまり、この世界での先輩って訳か」

「そうとも言うねぇ」

「将軍が転移者だって、ウィスタリアとかは知ってるのか?」

「いいや、この事実を知ってるのは俺の妻と、お前だけだ」

「なんで、俺に?」

「別に深い意味はない、ただ、俺とお前は似た者同士だと思っただけ、それだけさ」

 

 将軍が立ち上がり、窓の外を覗く。

 

「それともうひとつ、ウィスタリアの事なんだが、俺の事をなんて言ってた?」

「……最低な男、嫌いとも言ってた」

「そうか、やっぱりな」

 

 深く溜め息をついて窓から星を覗き見る、無数に輝く星の中、一筋の星が流れ堕ちた。それを眺める将軍の横顔は哀しげで、俺にはとても寂しそうに映った。

 

 

 ラシュムール城から程近く、北西の森林にその温泉はあった。

 とはいえ、ちゃんと整備された立派な代物ではなく、涌き出たお湯がそのまま泉になったような、文字通り天然の温泉だ。

「ふぁ~生き返るわぁ~」

「そうですねぇ~」

 

 リリーエが和んだ声と水音を立てながら背筋を伸ばす。

 

「お、お湯の中に裸で入るのですか?とても熱そうです、湯気が出てるので……」

「ヨイチも早く入りなよ~、とっても気持ちいい、良いお湯だよ~」

「お湯に良し悪しがあるのですか?意味が分かりません、わたしはお風呂とか温泉とか入ったことが無いので」

「では、少しお手伝いしてあげますよ」

 

 ウィスタリアがお湯から出て、ヨイチの幼い身体をひょいと持ち上げる。

 

「な、何をするのですか!?」

「一人で入るのが怖いなら、一緒に入れば怖くありませんよね?」

「怖いとかそういう事では……ひゃっ」

 

 つま先から順にお湯に浸からせ、ゆっくりとヨイチを肩まで浸からせる。

 最初はバシャバシャと暴れていたヨイチだったが、お湯が肩に浸かる頃には先程の二人と同様、心地よさげに目を細めた。

 

「これが『良いお湯』ですか、確かに、何となく分かった気がします」

「良いわよねぇ、毎日入りたいわぁ~」

「ですね~」

 

 三人が今までの疲れを溜め息と共に吐き出した。

 

「にしても、お二人ともやはりスタイルが良いです……」

「そうかしら?」

 

 ヨイチは二人の胸と自分の胸を見比べる、自分の貧相で慎ましやかな胸と違って、二人とも豊かな膨らみと、それに見合う身体の曲線美がヨイチを悲観させた。

 

「胸が大きくて、羨ましいです」

「そんな事ないですよ、ヨイチさんもまだ若いですし、いつか大きくなります」

「そう、なんですか?」

「うんうん、私もヨイチくらいの歳の頃はまだ大きくなかったから!ウィスタリアはもう既に大きかったけど……」

「つまり、わたしも成長の余地は有るわけですね」

 

 小さな猫目を光らせ、とりあえず噂で聞いた『胸を揉むと大きくなる』理論を実践しようと、密かに心に決めたヨイチであった。

 

 

 

 リャヌーラは比較的穏和な気候で、気温も最高で三十度は越えず、最低でも十度は下回らない。

 

『リャヌーラの季節は春だけだ』

 

 なんて格言もあるほどに、一年を通して過ごしやすい地域であった。

 温泉から上がった三人は、ラシュムール城内広場の腰掛けに仲良く並んで座っていた。リャヌーラの暖かい夜風が、彼女達を優しく撫でるように吹いている。

 

「夜風が心地良い、また明日も入りたいわ」

「確かに、しかし姫様にはやるべき事がありますよ」

「そうね、そのためにラムセスから兵を借りないと」 

 

 その場で横になって寝ているヨイチの跳ねた髪をそっととかす、身体を呼吸と共に揺らし、子猫みたいな寝顔だ。

 

「……姫様に、前からお尋ねしたかった事があったのですが」

「何かしら?」

「どうして、ハルト殿を軍師になさったのですか?」

「今さらね」とリリーフは苦笑して、なんでだろうと頭を捻った。

 

「強いていうなら、『軍師にしてくれ』って言われたからかな?」

「それだけですか?」

「うん、まぁ色々と思うことはあったけど、それが一番かしら」

 

 他にも色々とありそうな感じだが、ウィスタリアは敢えてそれ以上聞かなかった。リリーエを疑うのは臣下として不忠であると、それが一番だと言うのならそうなんだと信じることにしたのだ。

 

「て、なんでそんな事知りたかったの?」

「いえ、何となくです」

「そう、何となく、ね」

 

 リリーエは立ち上がり、寝ているヨイチを抱き抱えた。

 

「そろそろ部屋に戻りますか、私も眠いわ」

「そうですね」

 

 

 

 

 リリーエ達がお風呂に行っている間、俺はラムセス将軍と元の世界の話で盛り上がり、二時間程話をして将軍が酔い潰れて寝てしまったので部屋を出た。ちなみに、俺もベッドがある部屋で寝て良いと許可をもらったのでその部屋に行くつもりだ。

 

「ん……?」

 

 廊下を歩いている途中、庭に目を向けるとリリーエとウィスタリアが庭の腰掛けに座って何かを話しているのが見えた。すると、リリーエが俺に気がつき手を降ってきた。特に用も無いけど無視するのもあれだし、俺は二人の元に歩み寄った。

 

「やっほー軍師!」

「こんな所で何やってるんだ?リリーエとウィスタリア」

「温泉で火照った身体を冷やそうとそこに座ってたの、それはそれは良い湯だったわよ?」

「ふーん、温泉ねぇ……」

「軍師も入ってくる?案内してあげるわよ、なんなら一緒に入ってあげても……?」

「ひ!姫様っっ!!」

 

 リリーエが艶っぽく俺を誘惑し、ウィスタリアが狼狽(ろうばい)して剣に手をかける。

 

「剣を抜こうとするな!それと、リリーエはお姫様なんだから人を誘惑するんじゃない!!」

「別にいいじゃん、減るもんじゃ無いし~」

「貴様っ!これ以上姫様をたぶらかすなら容赦しませんよ!!」

 

 おかしいな、たぶらかされてるのは俺の方だと思うんだが、なぜ俺が悪いみたいになってんだ?。

 

「あ!」

 

 突如、リリーエは天空を指差した。

 

「ど、どうなさいました?」

「流れ星!」

 

 見上げれば、数えきれない星々が夜空を駆け巡るかのように流れ落ちていた。

 

「流星群ですか、ここまで多いのは珍しいです」

「星に願い事をすると叶うってラムセスが言ってたわ、どういう原理かわからないけど」

「流れ星はいきなり現れて一瞬で消える、だから、その一瞬で願い事が出来るなら、それはいつも考えている本物の願いだから叶うって意味らしい」

 

 幼い頃に本で読んだ事を思い出した。他にも天空にいる神様が地上を見たときに流れ星が光るから、神様が覗いてる時に願えば聞き入れてくれる、とか色々あるらしい。俺は神様は信じてないけど。

 

「なら、こんなにたくさん流れ星があるなら絶対叶うわね!」

「そうかもな」

 

 彼女は空に顔をむけながら目を瞑り、何かを口ずさんだ。

 

「何を願ったんだ?」

「ナイショよ」

 

 人差し指を唇に当てて悪戯っぽくウィンクされた。

 

「それじゃ、お休み軍師、部屋に戻るわよウィスタリア」

「承知いたしました、姫様」

 

 ふふん、と鼻歌混じりの上機嫌で部屋に向かうリリーエの後を、ウィスタリアが静かに付き従う。

 

「くそっ、普通に可愛かったじゃねーか、リリーエめ」

 

 リリーエと別れる際のウィンクが眼に焼き付いて離れない、暗いから彼女には見えなかったろうが、俺は今、絶対赤くなってる。

 この気持ちを紛らわそうと絶え間なく流れる星を見詰める、一点の濁りや曇りの無い夜空を見ていると、自分がそこに吸い込まれたみたいに錯覚してしまう。

 

「綺麗だな、この世界の夜空は」

 

 程よく吹いている風に当たりながら、俺は満点の星空に心を奪われていた。

 

 



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リャヌーラ軍の襲来

 

 ランヴェルス暦 三六一年 春 早朝。

 

 ラムセスの居城・ラシュムール城を目指して、黒旗を背中に差した伝令が草原を疾駆していた。

 

「ラシュムールまで後少し、殿の元に急がねば……!」

 

 息が上がるのを忘れ、必死で馬を駆り立てる。彼がもたらす一報により、ラシュムール城は大きく揺れ動こうとしていた。

 

 

 

 約三時間後 ラシュムール城の屋敷にて。

 

 

 

 朝日が燦々(さんさん)と降り注ぎ、鳥達が朝を告げる時刻。

 俺とリリーエとウィスタリアの三人は、ラムセス将軍からランヴェルスを取り返す兵士を借りるべく、廊下を急ぎ足で歩いていた。

 

「今日こそは、ラムセスに兵士を貸してくれるようお願いするわよ!」

 

 朝から元気な声で張り切るリリーエに、ウィスタリアが顔を曇らせる。

 

「あの人が素直に貸してくれるとは思いませんが……」

「何を弱気なことを言ってるのよウィスタリア、是が非でも貸してもらわなきゃ困るんだから!!」

「リリーエのいう通りだ、今いる手持ちの兵士で国を取るなんて不可能に近い、将軍がどんな条件を出そうが最低でも三千の兵士は欲しいな」

「とにかく最初が肝心ね……例えラムセスが拒んでも、私の力で説き伏せてやるから!」

「何か手でもあるのか?」

「勿論あるわよ!考え無しで行動するなんて、私の事をあんまり舐めてもらったら困るよ?軍師」

 

 ここまで自信満々で言い切るなんて余程自信があるのだろう、これは期待していい表情だ。

 

「なら任せる、少しでも多く兵士を借りてくれよ」

「ふふふ、任せて!私の美貌で骨抜きにしてやるわ、覚悟してなさいラムセスっ!!!」

「色仕掛けかよ!!!」

 

 少しでも期待した俺が馬鹿だった、つまり殆ど考えて無いって事じゃないか。

 

「頼むから色仕掛けはやめろよ、威厳的な意味で」

 

 俺の想像してたお姫様ってもっと清楚な感じなんだ、そのイメージをたった今リリーエにぶっ壊された気がする。

 

「ま、冗談よ冗談」

 

 いつも通り卑怯な笑顔を見せ、そんなこんなでラムセスの部屋の前に到着した。

 

「ラムセス!居る!?」

 

 返事もないうちに扉を勢いよく開ける。部屋の中には椅子に座り、行儀悪く足をテーブルに乗せたラムセス将軍と、強面(こわもて)で屈強な男達が六人、テーブルを挟んで腰掛けていた。

 

「あれ、お邪魔だったかしら……?」

 

 場の重苦しい空気を察してリリーエが尻窄(しりすぼ)む。とても『色仕掛け』が行える雰囲気ではない。

 

「なんだ朝から騒々しいな、リリーエ姫よ?」

 

 灰皿に何本も置いてある吸い殻にまたひとつ葉巻が加わる、部屋の中はヤニと煙の臭いが充満していた。

 

「お、お願いがあってきたのよ」

「おう、なんだ?」

「私達に兵士を貸して欲しいのよ、三千くらい」

「三千だな?良いぜ」

「やっぱりタダでは貸してくれな……え?いいの!?」

 

 ラムセスの返答に俺達は思わず面食らった、要求をすんなりと受け入れられ肩透かしを食らった気分だ。

 

「本当によろしいのですか、ラムセス将軍?」

「良いって言ってるだろ?我が娘よ、それと、お父様と呼んでくれても良いんだぞ?」

「分かりました、ありがとうございます『将軍』」

「せめてラムセスは残せ……」

 

 軽く落ち込んだラムセスに、俺は再三度尋ねた。 

 

「こんな簡単に兵士を貸しても良いのか…?」

「なんだ小僧しつこいな、あんたらが欲しいって言ったんだろ?」

「そうだけど……」

 

 正直、ここまであっさりしていると、何か企みがあるのではと勘ぐってしまう。仮にもここは敵国との最前線だ、それなのに簡単に兵士を明け渡すなんて、将軍は太っ腹なのか、それとも何か考えがあるのだろうか。

 

「殿っ!今はそれどころではありませんぞ」と将軍に意見する周囲の武将達をラムセスは「早とちりするな」と手で制した。

 

「ただ、二日三日は兵を貸せないが、それは構わないな?」

「も、もちろん良いわよ、それよりこの重々しい空気は何かあったの?」

 

 リリーエの疑問も頷ける、こんな強面連中が口を固く閉ざして黙りこんでいれば、事情を知らない者は何があったか気になる。

 そんなリリーエに対し、将軍は眉をピクリとも動かさず、寝癖混じりの頭を掻きながら応えた。

 

「リャヌーラの奴等が五万の大軍でこっちに攻めて来るんだとよ」

 

 やれやれ、面倒な仕事が増えやがったと付け加え、灰皿に葉巻を押し付けた。

 

 いや、何を言ってるんだこの将軍は!?

 

 俺達は将軍の答えが即座に理解できずあまりの衝撃に声にならなかった。

 

「だから二日は待っててくれ、その間に片付けてやるから」

「え、いや、相手は五万でしょ!?」

「そうだが、何か問題でも?」

「いやいやいや!」

 

 リリーエが頭を激しく横に振った。

 

「第一、こっちの兵士は何人いるのよ!?」

「歩兵が二万、騎兵が一万いるかいないかってところか?」

「約三万、兵数的には劣性じゃない!」

「戦いは数じゃねーよ、お前ならわかるな、小僧?」

「…………」

 

 黙って思考している俺を見て、将軍は口許(くちもと)をニヤリとさせる。

 リャヌーラが攻めてきたと聞いた時から、俺は如何にしてその大軍を破るか考えていた、そして、ある策を思い付く。

 

「向こうの世界の兵法を知り尽くしたっていう小僧よ、何か思い付いたか?」

 

 挑発するかのように、そして、試すかのようなその視線に俺は薄ら笑う。

 

「ラムセス将軍は『李衛公問対(りえいこうもんたい)』を読んだことは?」

武経七書(ぶけいしちしょ)だろ?、うっすらと覚えているって程度だが」

「それに書かれている『彼の戦術』を真似てみようと思う」

「彼……まさか李靖(りせい)の騎馬挟撃の策かっ!?」

 

 将軍は豪快に笑った、この場で俺の言った意味を理解できる者は恐らく将軍だけだろう、一同ポカンと将軍の笑い声を聞いている。

 

「お前、まだ兵をちゃんと指揮したこともないのに大胆なことを……気に入ったぞ!!」

「幼い頃から軍師になったらやってみたかったんだ、中華史上最高の戦術家と評された唐の軍師・李靖が最も得意とした戦術『騎伏挟撃(きふくきょうげき)』を!!」

「良いだろう、その策に乗ってやるぞ小僧!!」

 

 将軍はこの周辺の地図をテーブルに広げ、二人は少年のように、純粋に眼を見開き輝かせて作戦を練った。

 

「なんか、二人とも凄く仲良く見えるわね」

「はい、あんな楽しそうにしている将軍を、久しぶりに見た気がします」

 

 二人の様子を扉の前で眺めるウィスタリアが小声で囁いた。

 長年の友と語らうような父の姿に、ウィスタリアはどこか懐かしさを感じていた。

 

 

 

 さて、皆さんは中華最強の軍師といえば誰を思い浮かべるだろうか。

 

 古代中華の周の文王に仕えた軍師・太公望(たいこうぼう)

 春秋戦国時代に弱小国家の呉に仕え、大国・楚を滅亡寸前に追い込み、『孫子』を執筆した・孫武(そんぶ)

 楚漢戦争で活躍した漢軍の名参謀・張良(ちょうりょう)韓信(かんしん)

 三国時代に蜀に仕え、名軍師として名高い・諸葛亮(しょかつりょう)など、三国志以前の武将をあげる人が多い。

 しかし、これら三国志以後の中華史において、日本ではあまり知られていない名軍師、名参謀がいることをご存じだろうか?

 

 その男の名は『李靖(りせい)』。

 唐の二代皇帝・太宗(たいしゅう)に仕えた武将だ。

 

 幼少時から兵法を好んで学んだ彼は、三国志の英雄・曹操(そうそう)の用兵と、諸葛亮の陣形を体得し、唐の中華統一戦の全権を主君から任され、匈奴(きょうど)(モンゴル民族)の大軍相手に少ない兵で勝利を重ねて生涯負けを知らず。

 

 中国で『史上最高の名将』と称えられることもある戦術家である。

 

 そんな彼が最も得意とした戦術、それが『騎伏挟撃』である。

 

 

 

 

「最後に、ここで敵軍を挟み込んで終了、如何ですか?」

 

 厳つい男達を前にして、俺は堂々自分の策を述べた。予想通り、見ず知らずの若造の策に素直に頷けるはずもなく、場がざわついついる。そんな中、異様に目立つ胸まで伸びた髭男がスッと手を上げた。

 

「殿、その者の策を用いてもよろしいのですか?」

 

 どうにも怪しいといった感じで怪訝(けげん)な顔をしているその髭男に、ラムセスは歯を見せ笑った。

 

「心配するなオウドウ、俺が聞いても問題ない、実に小僧らしい策だと思うぞ」

「殿がそう言うのでしたら、なにも言いません」

 

 部屋の端に座って、俺の策を聞いていたリリーエが自慢気に腕を組み「ふふん」と鼻を鳴らした。

 

「どうよラムセス、私の軍師の策は中々でしょう?」

「まぁな、しかし、成功しないとお前は趙括(ちょうかつ)、もしくは馬謖(ばしょく)だぞ」

「大丈夫、策は必ず成功する、いや、させる」

 

 それを聞くと、ラムセスはパンと手を叩き周囲に号令する。

 

「よく言った!ならば聞いた通り、小僧の策を持って敵を葬る、リャヌーラの奴等を血祭りに上げてやれい!!」

 

 男らしい檄に応え、屈強な武将達が部屋を出ていく。

 さっきのオウドウと呼ばれた髭男も、腑に落ちない素振りを見せながら支度を整えに向かった。

 

「さてと、それじゃあ私達も出撃の準備をしなくちゃね!行くわよ!二人共!!」

「ちょっと待ちな、リリーエ姫、あんたら二人はこの城で待機だ」

 

 将軍に止められ、リリーエは「なんでよラムセス!!」と詰め寄る。

 

「姫様よ、あんたの役目はランヴェルスを復活させる事だ、違うか?」

「その通りよ……」

「なら黙って見ていろ、お姫様の役目は玉座の上で吉報を待つのが仕事だ、戦うのは俺達だけでいい、ウィスタリアも同じだ、リリーエ姫を守ってやれ」

「わかっております、将軍」

 

 最敬礼で頷いたウィスタリアに「それでいい」と微笑んだ。

 

「それじゃあ行くぞ、小僧」

「了解!」

「え?軍師を連れていくの!?」

「当たり前だ、作戦だけ考えさせて実際の動きを見せなくては意味がないし、成長もしないだろ?」

 

 将軍の言う通りだ、俺も元々行くつもりだったし、自分の策で敵も味方も死ぬのに自分だけ安全な場所に居るわけにいかない。

 

「でも、それじゃあ軍師が危険な目に……」

 

 妙にしおらしい彼女の発言に違和感を覚える、まさか俺を気遣ってくれた?リリーエらしくないけど、ならば俺もらしくない台詞を言ってやるかな。

 

「大丈夫、国を取り返すって約束したんだからここで死ぬわけにいかない、それに、お前の泣き顔は見たくないしな」

 

 俺なりの気取った台詞で彼女にどや顔を決める、ヤバイ、普通に恥ずかしい。そんな俺に「ば、バーカ!誰が泣くもんですか!」とリリーエは俺にそっぽを向いた。うん、リリーエはこうでなくちゃ。

 

 

「それじゃ、行く前にこれでも着ろ」

 

 将軍はタンスから緑色のマントを取り出すと、俺に投げ渡した。

 

「ランヴェルスでは基本、参謀や軍師は緑色のマントを羽織(はお)る、理由はわからんが、軍師ならばその服の方が良いだろう?」

「はい、ありがとうございます!」

 

 俺は着ている服の上にそれを羽織り、将軍と共に外に出た。

 

 

「軍師!!」

 

 

 ふと、リリーエに呼ばれて振り返る。

 

「生きて帰ってきなさい、約束よ!」

「あぁ、わかってるよ」

 

 春風でマントが(なび)く、俺は彼女に握った拳を突きだし、彼女も同様に俺に拳を突きだした。

 

 

「ふわぁ~、ん、何をやってるのですか、リリーエ様と軍師どの?」

 

 そこに、元気に跳ねたアホ毛と眠そうにアクビを手で抑えた幼女、もといヨイチが和弓を片手に現れた。

 

「あ、おはようヨイチ!」

「おはようございます、リリーエ様」

「ヨイチ!良いところに来た!」

「……ふぇ?」

 

 俺はヨイチの手を掴んで将軍の前に連れていった。

 

「この子を戦場に連れていって良いか?」

「……まだ子供じゃないか?」

「弓の腕を見たら、度肝を抜くと思う」

 

 疑いの目で俺を見ていたが「勝手にしろ、死んじまっても知らねーからな」としぶしぶ了承してくれた。

 

 俺は未だ状況を掴めていないヨイチの頭をくしゃくしゃっと頭を掻き回した。

 

「な、何をするですかっ!軍師どのっ!?」

「頼むぞヨイチ、お前の力で戦いを勝利に導くんだ!」

「何を言って……や、やめてください!軍師どの!!」

 

 必死で逃れようとするヨイチをがっちりと手で抑え、俺はこれから始まる大戦に心踊らせた。

 

 



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