疾風走破は鬼畜と踊る【完結】 (gohwave)
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クレマンティーヌ復活編
第1話「疾風走破、蘇る」


登場人物紹介

クレマンティーヌ:冒険者モモンに討伐されたズーラーノーンの高弟の一人。
男:エ・ランテルの死体安置所に現れた謎の男。


 肉体を捕らえる白骨の縛め。

 髑髏の眼窩に赤い灯火。

 視界を染める真紅。

 真紅を蝕む闇。

 

 薄汚い布が垂れ下がっている。

 闇から逃れるために懸命に手を伸ばし――

 クレマンティーヌはそれを掴んだ。

 

 そこは薄暗い部屋だ。

 入口付近にある小さな灯火が落ち着きなく揺れていた。

 部屋には馴染みのある臭いが充満している。

 死臭だ。

 

 薄暗闇に目が慣れクレマンティーヌはゆっくりと身体を起こす。

 固い台の上にいる自分と、入口近くの壁に寄りかかっている人影に気がついた。

 

「ようやくお目覚めかぁ。気分はどうだ、ん?」

「……あんた、誰?」

「赤の他人の鬼畜モンだぜ。通りすがりのな……くっくっく」

 

 その男の装いは奇妙だ。

 服には装飾の類がほとんどなく紐やボタンもない。

 前開きの上着はズボンと同じ青みがかった灰色で、その奥には白かったであろう薄汚れた肌着が見える。

 くすんだ黄色い布を首に掛けているのはファッションか、あるいは何かの魔法的な守護アイテムだろうか。

 特異な風体で粋がっている木っ端冒険者かと思ったが、冒険者プレートらしきものは見当たらない。

 

 白髪交じりの髪は乱雑に切られただけなのかぼさぼさで、内臓を病んでいるような濁った肌には無精ひげがぽつぽつと生えている。

 垂れ下がった眼の奥にある瞳は黒く澱み、厚い唇はニヤニヤと底意地が悪そうに歪んでいた。

 おおよそ善人とは言いがたい風体だ。

 貧民街で見かけたチンピラたちの薄汚れた顔を思い出す。

 

 こいつ――ぶっ殺す。

 瞬間的に沸き上がる感情をクレマンティーヌは抑えつけた。

 自分が置かれている状況を把握しなければならない。

 

「ここは……どこ?」

「死体安置所だぜぇ。くっくっく」

「死体……安置……?」

「さすがに分かんねえか。ねぇちゃんはここでおっ()んでたんだよ」

「死んでた……? この私が……?」

 

 霧にぼやけた記憶の中に影が現れ、輪郭が次第にはっきりとしてくる。

 

 同僚の死霊術使い(ネクロマンサー)。 

 冒険者の屍と拷問の愉悦。

 金髪の少年。

 アンデッドの群れ。

 漆黒の鎧と二本のグレートソード。

 そして――。

 

 思わずクレマンティーヌは自分の身体を確かめた。

 ほの暗い灯火の下で見る己の腹は滑らかで骨折や裂傷の跡はない。

 そして身に付けているものは何もない。

 

「……私に何をした?」

「くっくっく。すげえ有様だったぜ、ねぇちゃん。口からモツ出してよぉ。まあ、身体がぺちゃんこになりゃああなるわな」

 

 からかうような男の口調にクレマンティーヌは顔を歪めた。

 小悪党の顔にニヤニヤ笑いを浮かべたまま男が言う。

 

(おべべ)は誰かが持っていっちまったみてえだな。今のねぇちゃんは生まれたままのすっぽんぽんだぁ」

「なるほどねー……」

 

 身体が少し重いが内臓や骨に痛みはない。

 人ひとり殺すに足る膂力は十二分にあるはずだ。

 この力に対応できるのは英雄級の人間だけ。

 

 くるりと身を翻して安置台から降りると次の瞬間、クレマンティーヌは素足で床を蹴った。

 

 <疾風走破><超回避><能力向上>。

 

 過剰と思えるほどの武技を同時展開して男に突進する。

 クレマンティーヌの裸身が薄暗い死体安置所で白い軌跡を描いた。

 

 細くしなやかな腕を伸ばして男の目を突く。

 どれだけ肉体が強靭であっても眼球は人間種の大きな弱点だ。

 眼球を潰せなくとも視力を奪えれば、身にまとう装備くらいはこの男から奪えるだろう。

 しかし――。

 

 指は眼窩に入らず、その手は強い力で大きく弾かれた。

 クレマンティーヌは驚愕し、素早く男から距離を取る。

 

「なんで! ……まさか!?」

 

 脳裏に白い髑髏の笑みが浮かぶ。

 

「雌の裸は大好物だぜぇ。だがなあ。恥じらいってもんがなきゃ俺様の摩羅は反応しねえ」

 

 男が洩らした言葉の意味をクレマンティーヌは理解できなかったが、この男が強者であるということは理解した。

 それも英雄級の力を持つ自分以上の。

 

 強者を前にして生き残る手段は恭順するか逃走するかのふたつにひとつ。

 だが今のクレマンティーヌにはその判断がつかなかった。

 薄暗い室内に武器になりそうなものは見当たらず、となりの台に焼け焦げた死体があるだけだ。

 

「ねえちゃん。アンタ強いんだろうなぁ……くっくっく」

 

 次の行動を決めかねているクレマンティーヌに男が話しかけた。

 攻撃されたことは理解しているようだが、その口調からは怒りも驚きも感じない。

 この男もまたクレマンティーヌの攻撃を一切無視できる存在なのだろうか。

 あの不死者(アンデッド)のように。

 

 男は首にかけていた薄汚れた布で顔をごしごしと拭った。

 

「レベル差ってヤツさぁ……。俺とねえちゃんとじゃ攻撃が通らねえくらいの差があるんだよ」

 

 クレマンティーヌの頭の中を納得と恐怖が支配した。

 

「……あんたの目的は?」

 

 男は目を閉じて考える仕草をした。

 

「ねえちゃんみてえな雌に、ぴったりの仕事があるんだよ、くっくっく」

 

 男の目的が取り引きと知り、クレマンティーヌは落ち着きを取り戻した。

 裏切ったとはいっても元スレイン法国の特殊部隊漆黒聖典の一員だ。

 交渉して情報を引き出す任務もこなしたことはある。

 拷問による自白の強要がその大半であったが。

 

「それって私への依頼かなー? これでも私、おっきな組織の幹部なんだよねー。だから、おじさんの依頼は受けられないかなーって」

 

 そう言いながらクレマンティーヌはその裸身を半身に構える。

 羞恥のためではない。

 交渉が決裂したときに、すぐに逃走するためだ。

 男は動かず、ただ呆れ哀れむような顔をクレマンティーヌに向けた。

 

「……ふん。帰る場所(ヤサ)があるんならさっさと帰んな。死者再生(レイズデッド)を使っちまったが別に頼まれたことでもねえしな」

 

 ――死者再生(レイズデッド)

 

 ズーラーノーンでは勿論のこと、かつて属していたスレイン法国でも莫大な金と触媒を要し一部の術者しか使うことのできない蘇りの第五位階魔法をこの小汚い男は使ったのか。

 それも見返りがなくても気にならないほどの気安さで。

 

 クレマンティーヌがスレイン法国を離れたときに、ズーラーノーンに身を置いたのは法国の追っ手を撒くための手段だ。

 より大きな力と庇護を得られるなら立場を変えることに抵抗はなかった。

 禿頭の同僚の顔を思い出したが今の自分の利にはなりそうもない。

 

「おじさん、そんなすごい魔法を使えちゃうんだ? 誰に教わったのー? それともアイテムかなー?」

「……さあな」

「冷ったいなー。私、おじさんの話に乗ってもいいかなーって思い始めているんだけどー。それにこんな格好じゃ私、風邪ひいちゃうしさ。女の子には優しくしないとだよー?」

 

 女であることで得をしたことの少ないクレマンティーヌだが女を武器にする手段は知っている。

 男の無精ひげまみれの口元に不愉快な笑みが浮かぶ。

 

「挨拶代わりに眼ぇ突いてくる雌に優しくする必要があるかどうかはしらねえが――」

 

 男はゆっくりと死体安置所を見回した。

 

「まあ、こんな辛気臭い場所でお喋りを続ける義理はねえな」

 

 男は後ろを向いた。

 

「話を聞きたきゃ付いてきな」

 

 男が話に乗ってきたことにクレマンティーヌは満足する。

 だが、差し迫った問題がもうひとつ。

 

「それはいいんだけどさー。私、裸なんですけどー?」

「なにか不都合でもあんのか? くっくっく」

 

 男の含み笑いに殺意を覚えたが作り笑顔でなんとか覆い隠す。

 

「んー。私は別にいいけどね。あんまし目立つとおじさんもヤバいんじゃないかなー?」

 

 その言葉に納得したのか、男はいつの間にか手にしていた灰色のマントをクレマンティーヌに向かって放り投げてきた。

 受け取ったマントを素早く裸身に巻き付ける。

 

「裸の女の子にマント一枚って酷くなーい?」

 

 その文句には男は取り合わず、無言で扉に向かって歩き出した。

 クレマンティーヌは舌打ちをしながら、どうやってこの男を嬲り殺してやろうかと考える。

 今すぐ実行できなくても、その時が来てから考える無駄は避けたい。

 クレマンティーヌはマントをわずかに引き上げて口元の笑みを隠す。

 

 男が使っていたものではないのか、マントからは人の匂いや使用感というものが感じられなかった。

 そしてそれとは別に、元漆黒聖典第九席次として覚えのある雰囲気が漂っていることを感じる。

 

「このマントってさー。もしかしてマジックアイテムかなー?」

「……まあな。道端の石ころくらいにはなれるぜぇ」

「ふーん」

 

 男の雑な説明にクレマンティーヌはとりあえず頷いて見せた。

 死体安置所の扉や衛兵詰所の門の横には多数の衛兵が立っていたが、その誰もが男にもクレマンティーヌにも注意を払わない。

 衛兵の顔の前でひらひらと手を振っても反応しないどころか同僚との世間話を続けている。

 かつて漆黒聖典時代にカモフラージュの魔法を帯びて任務にあたったことがあるが、このマントはその魔法以上の効果だ。

 なるほどこれがマントが持つ魔法の力なのだろうと理解する。

 そして、これほどのマジックアイテムはどれだけの価値があるだろうか。

 クレマンティーヌは歩を早めて男の横についた。

 

「すごいねーこのマント。ぶん殴ってもあいつら気づかないんじゃない?」

「調子に乗ってんじゃねえ。バレたくなきゃ大人しくしてろ」

「はいはーい。大人しくしまーす。……でさー。おじさんの名前を聞いてもいいかなー?」

「名前を聞くときゃあ、自分から名乗るって親に習わなかったか?」

「おじさんって、そういうの気にするタイプ? 頭固いねー」

 

 軽口で返したもののクレマンティーヌは自分の名を明かすことを躊躇っていた。

 いざというときに、この男の口を封じる自信がないからだ。

 しかし今のクレマンティーヌの助けになる存在はこの男の他にない。

 今、所属している組織と禿頭の死霊術使い(ネクロマンサー)を頼るつもりは既にない。

 

「私はクレマンティーヌ。クレマンって呼んでいいよ」

「クレマンちゃんか……くっくっく」

「……嫌な笑い方ー。で? おじさんの名前は?」

「俺か?」

 

 男はしばらく無言になり、やがてぼそりと言った。

 

「カイだ」



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第2話「疾風走破、契約する」

登場人物紹介

クレマンティーヌ:謎の男カイによって蘇ったズーラーノーンの高弟の一人。全裸マント。
カイ:クレマンティーヌを蘇らせたチンピラ風の男。ジャージにサンダル。
宿屋の主人:エ・ランテルで寂れた宿屋を営んでいる。木綿の服に前掛け。


 漆黒聖典時代、座学と任務で詰め込まれた知識と照らし合わせても“カイ”という名の強者に覚えはなかった。

 

「カイちゃん、かー……聞いたことないなー。どこの生まれー?」

 

 カマをかけるクレマンティーヌだが、小汚い男――カイは何も言わない。

 軽く舌打ちをするがカイが気にする様子はなかった。

 他人の言動に無頓着なのか、それとも侮られることに慣れているのか。

 口調や所作に品がないところを見ると身分の高い人間ではなさそうだ。

 それから何度か話しかけたがカイは返事をせず、じきにクレマンティーヌも無口になった。

 

 永続光(コンティニュアル・ライト)が連なるエ・ランテルの町をカイは無言で歩く。

 クレマンティーヌもまたマントの裾の広がりに注意しながらカイについていった。

 肌を晒すことへの心理的抵抗ではなく、ただ目立つことを避けるためだ。

 この町のどこかに潜んでいるであろう風花聖典に見つかるわけにはいかない。

 

 前を行くカイは行き先を示しておらず、時折、衛兵や冒険者が忙しそうに通り過ぎる道を、当てもなくフラフラと歩いているように見える。

 後ろから見たカイの印象はただの貧相な男だ。

 上背はあるが身体に厚みがなく、がに股で猫背で歩き方も洗練されていない。

 紐もボタンもない薄汚い上着にだらしなく両手を差し入れていた。

 足元はといえば底の厚いミュールを紐で縛るでもなく軽く引っ掛けぶらぶらさせている。

 良く言えば盗賊の下働き、ぶっちゃけて言えば廃墟に住み着いた浮浪者だ。

 

 クレマンティーヌは頭の中で情報を整理する。

 死者再生(レイズデッド)が使えるということは神殿勢力の関係者だろうか。

 だが死者再生(レイズデッド)に価値を見出していない口振りが気にかかる。

 治療や回復を生業としている神殿勢力は、その力を地位の向上と維持にのみ使っていた。

 信者でなければ治療や回復の魔法を覚えることは叶わず、魔法の行使には莫大な対価を要求する。

 ときに貧しい民を救おうとした者が無償で治療行為を行い、神殿から破門されたりもしている。

 この男はそんな野に下った献身の徒だろうか。

 

 ――それはない。

 これはクレマンティーヌの確信である。

 カイが並外れた信仰系魔法詠唱者(マジックキャスター)としての力と、それ以上の物理的な屈強さを持つことは紛れもない事実だ。

 だが己の信仰や主義に殉じる者が持つ――まるで兄のような――頑迷さや狂気がこの男からは感じられない。

 目的遂行のためにはどんな悪事でも行いそうだが、その所作には達観とも諦観ともつかない緩みが感じられる。

 こういった傾向を持つ職業といえば間諜(スパイ)暗殺者(アサッシン)だろうか。

 確かに渡されたこのマントは、潜伏型の任務に適したマジックアイテムだ。

 

 どこかの大国から密命を帯びて偽名で王国に潜入中の間諜(スパイ)

 この男の正体はそんなところだろう。

 後は、背後にあるのがどこの国かが分かればクレマンティーヌの身の振り方が見えてくる。

 

 周辺国の事情を思い出そうとしたところで、前を歩いていたカイが立ち止まった。

 表通りからは離れた場所にある宿屋の前だ。

 時間が遅いせいなのか場所が悪いのか、宿屋の周りは静まり返っている。

 カイはちらりとクレマンティーヌを見て軽く顎をしゃくった。

 それから何も言わずに宿屋に入るカイにクレマンティーヌはついて行く。

 

 宿屋の中は外と同様に静かだ。

 夜の宿屋といえば一階で酒飲みがたむろしているのが常であるが、見たところ年寄りの主人以外に人影はない。

 カイは黄昏ている主人の前に立つとテーブルを軽く叩いた。

 

「! ……なんだあんたか。いつも急だな。こんな宿屋に戻ってくる馬鹿がいるとは驚きだ」

「ボロ宿を冷やかすのが俺の趣味なんだよ」

 

 宿屋の主人は嬉しそうにカイの憎まれ口を聞いている。

 クレマンティーヌの方は見ようともしないのはマントの効果だろう。

 カイは主人に何枚かの銅貨を渡した。

 

「今日は二人だ。飯はいらねえ」

「二人?」

 

 手元の銅貨を確認しながら、宿屋の主人は今気がついたような素振りでマント姿のクレマンティーヌを見た。

 

「……女か?」

「さあな……くっくっく」

 

 主人は日焼けした皺だらけの顔に察したようなイヤらしい笑みを浮かべる。

 

「あんな騒ぎの後にもう女か? あんたも好きだな」

「俺じゃねえ。女が俺を好きなんだよぉ」

「そんな面でよく言うぜ」

「男は顔じゃねえんだ」

 

 ひらひらと手を振ってカイは階段を上り、その後ろを主人の好奇の視線を受けながらクレマンティーヌはついて行った。

 

 部屋に入り後ろ手に扉を閉めたところで、クレマンティーヌは室内を見回す。

 物入れ用の木箱と寝具が二つずつあるごく普通の二人用の安宿だ。

 罠や待ち伏せをされている気配は感じられない。

 

 カイの手が服の中でもぞりと動く。

 とっさに身構えるクレマンティーヌは周囲の物音が遠くなるのを感じる。

 静寂(サイレンス)の魔法か同じ効果を持つアイテムが使われたことをクレマンティーヌは理解した。

 

「わざわざ魔法で音を消すなんて、カイちゃん贅沢だねー」

 

 クレマンティーヌの皮肉には取り合わずカイはベッドに腰を降ろした。

 

「で。俺に何が聞きてえんだ、クレマンちゃん?」

「まず座っていいかなー。私、歩きすぎて疲れちゃった」

「……ふん。床でも俺の股間でも好きなところに座りな」

 

 カイの下品な冗談を聞き流しつつ、まだ信用しきれていないクレマンティーヌはマント姿のまま部屋の隅に持たれ掛けた。

 マントの裾から白い膝と太腿がわずかにこぼれ出る。

 

「そんでさ。カイちゃんはどこの誰? 見たところけっこう大きい勢力(バック)に属してるっぽいけど」

「ほう。大きい勢力(バック)ねぇ……」

死者再生(レイズデッド)が使えるってことは神殿の人かなー? でも、カイちゃんみたいに強い人の話は聞いたことないんだよねー」

「その神殿にいる奴らってのは死者再生(レイズデッド)が使えんのか?」

「そーだねー。そーゆー治療行為は神殿が――」

 

クレマンティーヌは言葉を切る。

 

「ちょっとー。聞いてるのはこっちなんですけどー」

 

 冗談めかして言うが、クレマンティーヌは警戒心を更に強くした。

 わずかな問答で聞く立場が変わっている。

 これがカイの性格によるものなのか魔術的な効果によるものなのかは分からない。

 そもそも拷問という名の相手を傷つける交渉ばかりしてきたクレマンティーヌに、強者を油断させ足元を掬う話術が駆使できるとは言い難い。

 話術訓練の不充分さを呪いつつ、とりあえずこの男の正体を探ることは難しいとクレマンティーヌは判断した。

 

「まーいいや。そんでカイちゃんはさー。私に何をして欲しいのかなーって」

 

 無理に相手の正体を探ろうとしてこちらの情報を洩らすよりは、手を組むことで利があるのか、その利がどれほどのものなのかを確認するほうが話は早い。

 元よりクレマンティーヌ自身、他者に興味があるほうではない。

 カイは澱んだ眼差しでクレマンティーヌの顔から足先までを舐めるように見た。

 

「クレマンちゃんのお仕事は、この俺様の肉壺ガイドだぜぇ」

 

 耳慣れない言葉を聞いてクレマンティーヌが眉を顰める。

 

「……なに? そのニクツボガイドって?」

「決まってるじゃねぇか。昼にはそこいらの名店や名所を俺に紹介してよぉ、夜には股を開いて秘所を俺に提供する女のことだよ、くっくっく」

「あん? 誰が股を開くって――」

 

 クレマンティーヌは激昂しそうになり、すぐさま冷静さを取り戻す。

 強者の足元を掬うためには行動と感情は切り分けなくてはいけない。

 自らを弱者と認めるのは業腹ではあったが。

 

「あのさー……えっちなことはいいんだけど、それって私の得になるのかなー?」

「俺様の魔羅様で存分にアヘらせてやるぜぇ、くっくっく」

「あ。そーゆーお楽しみだけ? そんなんじゃやる気になんないねー」

「俺様にヤられたくて普通の女なら金を握り締めて並ぶんだぜぇ、それを提供しようってんだから有難い話じゃねえかぁ」

「あいにくと私は普通の女じゃねぇんだ――」

 

 思わず語調が強くなりクレマンティーヌは噛み締めるように口を閉じた。

 カイはとりたてて気にする様子もなくニヤニヤ笑いを浮かべている。

 そんなカイを見て安心すると同時に、他人の顔色を窺う自分にクレマンティーヌは怒りを覚えた。

 

「……ふん。まったく贅沢な女だぜ」

 

 そうぼやきながらカイは服の中に手を入れた。

 身構えるクレマンティーヌの前にカイが右手を差し出す。

 カイの手に握られていたのは、細剣(レイピア)と黒い革でできた紐の塊だった。

 

 カイの服には大きさ以上のアイテムが入るよう魔法がかけられているようだ。

 自分が羽織っているマントの出現理由が分かると同時に、カイの手にあるアイテムから漂う雰囲気にクレマンティーヌは魅せられた。

 

「これくれんの!? 私に?」

「肉壺契約で渡すのはどっちかひとつだけだぜぇ」

「えー、ひとつだけー?」

 

 ひとつだけと聞いて腹を立てるクレマンティーヌだが、それでもカイが差し出したアイテムの魅力は大きい。

 ゆっくりと手を伸ばし、クレマンティーヌはそのふたつのアイテムを手に取った。

 触れただけでアイテムの持つ力が分かる。

 この感覚は漆黒聖典時代に培われたものだ。

 神器とまでは行かないが聖遺物(レリック)級の代物。

 そして間違いなく漆黒聖典時代に与えられていた物より強い。

 

 今、自分の肌を隠しているマントといいこの武具といい、どちらも国宝クラスのマジックアイテムだ。

 そんな貴重な代物を眼前の愚かで小汚い男は大した代価も求めずに渡そうとする。

 思わず口元が緩みそうになるのを抑え、クレマンティーヌは愚かで小汚い男――カイを見る。

 

 カイはだらしない顔をさらに緩ませこちらを凝視していた。

 マントの胸元、開かれた場所からクレマンティーヌの白い肌が覗いていた。

 素早くマントを閉じ視線を遮ると、カイはあからさまにがっかりした顔を見せる。

 あまりに俗物的なカイの様子にクレマンティーヌは怒りを覚えながら細剣(レイピア)の刃先を見て気持ちを落ち着かせようとする。

 細剣(レイピア)の刃に映った彼女自身の紫の瞳を見たときひとつの考えが脳裏に浮かんだ。

 

「もしかしてさー。コレを使ったらカイちゃんを殺したりもできるんじゃないかなー?」

 

 クレマンティーヌは耳まで裂けたような肉食獣の笑みを浮かべる。

 元漆黒聖典第九席次、そしてズーラーノーン十二高弟の笑みだ。

 それを聞いたカイは目を伏せた。

 自らの失態を察した助平親父にクレマンティーヌは引導を渡そうとして――

 

「くっくっく。そいつは面白え話だ。だが――」

 

 助平親父――カイは顔を上げた。

 ほんの少し前までしていた緩んだ顔からうって変わり、口だけに笑みを残して澱んだ目が鋭く光る。

 

「二度目は容赦しないぜぇ」

 

 ――ゾワリ。

 

 クレマンティーヌの肌が粟立った。

 この感覚は以前に味わったことがある。

 ちょっとした挑発をして“先祖返りのアンチクショウ”から感じたアレと、エ・ランテルの墓地で死者の大魔法使い(エルダー・リッチ)に捕らわれたときに感じたアレだ。

 すぐさまクレマンティーヌは笑みを邪気のないものに切り替えた。

 

「冗談、冗談だってー。命の恩人にそんなことするワケないじゃん。あー。どっちかひとつなんだよねー? うーん。迷うなー」

 

 クレマンティーヌは話題を変えて手にしたマジックアイテムの吟味を始めた。

 ただの助平親父に戻ったカイの無遠慮な視線はこの際我慢する。

 

 クレマンティーヌがまず調べるのは武器だ。

 他のアイテムは武器があれば大抵の場合都合がつく。

 

 その細剣(レイピア)の炎を模した柄は握るとピタリと手に馴染む。

 軽く振るだけで空気を断ち火の粉が舞った。

 桁外れの切れ味に加え、炎系魔法が付与されていることが解る。

 それでいて腕に感じる重さは羽毛のように軽いあたり、肉体を強化する魔法が施されているのかも知れない。

 近年、慣れ親しんだ武器(スティレット)と比較すると刃渡りはかなり長めだが、それでも刺突攻撃を得意とするクレマンティーヌには適した武器だ。

 単純な攻撃力だけでもスティレットを凌ぐことは間違いないだろう。

 ――あの頃の武器と同じくらいの力、か……。

 

 細剣(レイピア)の見立てを終え、もうひとつの黒い革紐の塊を見る。

 

「これ……革の……鎧?」

「当ったり前じゃねえか。どこに出ても恥ずかしい正真正銘の拘束鎧(ボンデージアーマー)だぜぇ」

 

 拘束鎧(ボンデージアーマー)という聞きなれない言葉と、カイの助平親父丸出しの顔にクレマンティーヌは眉を顰めた。

 細剣(レイピア)を少し乱暴に床に刺すと、改めて紐の塊を調べてみることにする。

 黒い革紐には繊細な模様が施され、それだけで美術品として優れた物であることが解った。

 紐と紐を繋ぐ金具には流麗な細工が彫られてあり、その銀色の輝きには錆びた箇所は見られない。

 複数の強化系補助魔法が付与されているのは明白だが、それらを探知する魔法が使えないクレマンティーヌが、その効果を実感するためには装備してみる他はない。

 問題はこの革紐がクレマンティーヌの肌のどこを覆って、()()()()()()()()だ。

 軽くため息をつきながらクレマンティーヌはカイに聞く。

 

「さすがに防具は見るだけじゃ分かんないからさー。試しにこれ装備してみてもいいかなー?」

「あいにくと当店には試着室がございませんので、ここで着てもらいますがよろしいですかぁ?」

 

 挑発的なカイの言葉にクレマンティーヌは何度目かの殺意を覚える。

 それでも黒い革紐の塊を広げ、それを身に付けようとしたところでカイと目が合う。

 マントの隙間から覗くクレマンティーヌの肌を、カイは澱んだ瞳で凝視していた。

 

「……カイちゃんさー。見てもいいけどもうちょっとさりげなくできないかなー?」

「こういうのはお客様の反応が大事なんでございますよぉ……くっくっく」

 

 そう言いながらカイは涎を垂らさんばかりに口元をだらしなく歪ませる。

 

 訓練や拷問で肌を見られる機会はあったが、こうもあからさまに情欲の視線を向けられたことはない。

 かつて出遭った強者は皆、どこか浮世離れした雰囲気があった。

 現実から離れることで神代の力を得たのだとクレマンティーヌは理解していたが、この男を見る限りその理解は間違っていたらしい。

 

「あーもう、やめやめ。鎧はいいから細剣(こっち)でいいよ」

「まあまあそう仰らず、一度くらいお召しになってみてはいかがでしょうかぁ? きっとお客様にお似合いでございますよぉ」

 

 武具屋のセールストークのようなカイの言葉に、クレマンティーヌは手にしていた革鎧を投げつけた。

 顔に革鎧を叩きつけられても気にする様子もなく、カイは助平親父の薄ら笑いを続けている。

 

「これはこれは……。残念無念ですぅ、はい」

 

 ゆっくりした動作でカイは顔にひっかかった鎧を服の中に仕舞い込んだ。

 

 

「……でー? これをもらった私はこれから何をしたらいいのかなー?」

「そいつを受け取るってことは、クレマンちゃんは俺様と肉壺ガイド契約を結ぶってことでいいんだなぁ?」

「はいはい。ニクツボでもなんでもいいよ。この細剣(レイピア)くれるんならね」

「くっくっく。肉壺げっちゅ~」

 

 親指を立て、ひとり満足そうにつぶやくカイに、クレマンティーヌは更なる怒りが湧いてくる。

 

「だーかーらー、ニクツボの私は何をしたらいいのかなー?」

「決まってるじゃねえか。まずは契約内容の確認だぜぇ。肉壺の具合を微に入り細に入り調べてやるからこっちに来るんだよぉ」

「はいはい……よっ!」

 

 クレマンティーヌの細剣(レイピア)の刃が煌めき、カイの顔面に吸い込まれた。

 死体安置所での目潰しのときとは違う感触にクレマンティーヌは肉食獣の笑みを浮かべ、そしてその笑みを引きつらせる。

 細剣(レイピア)を持った手首が強い力で掴まれていたからだ。

 

「二度目は容赦しねえって言ったよなぁ?」

 

 カイは顔の真横にある細剣(レイピア)を見て、それからクレマンティーヌをじわりと引き寄せる。

 どれだけ抗おうとも逃れられない罠に、再び嵌まってしまったことをクレマンティーヌは悟った。



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第3話「疾風走破、調達する」

登場人物紹介

クレマンティーヌ:カイによって蘇ったズーラーノーンの高弟。ナイスバディ。
クローゼット:エ・ランテルの女冒険者。ナイスバディ。
カイ:クレマンティーヌを蘇らせたチンピラ風の男。ヒョロガリ。


 ■

 

 クレマンティーヌはベッドの上で白い肌を晒したまま手首をさすっている。

 彼女の仄白い手首と足首には縄の跡がついていた。

 

「確かに気持ち良かったけどさー。何も両手両足縛らなくてもいいんじゃないかなー?」

「お前がジタバタするからだろうが、馬鹿野郎」

 

 カイはクレマンティーヌの四肢をベッドに縛り付けて事に及んだ。

 並の縛めだったら容易く逃れたであろうクレマンティーヌも、カイの使う縄の力か縛り方の妙か、小娘のようにもがくことしか出来ず、カイの行為を受け入れるしかなかった。

 その行為は彼女の羞恥心を強く煽ることになったが、過去に受けた訓練や拷問のように肉体を損なうものでなかったことがクレマンティーヌにとっては意外だった。

 

「カイちゃん、すっごいねー。あんなに気持ち良いなんて知らなかったよ。まー人殺しほど楽しくはないけどね。けけっ」

 

 カイは慣れた手つきでクレマンティーヌをベッドに縛り付けていた縄を片付けている。

 

「ふん……新しい世界が開けたんなら良かったじゃねーか」

「それにしてもカイちゃんは優しいよね。もっと酷いことされるのかと思ってたよー。でもさすがに剃るのは変態っぽいなー」

「ごちゃごちゃうるせえ雌だな。鬼畜モンには鬼畜モンの伝統や巧みの技って物があるんだよぉ」

「巧みの技ねぇ……。あ、そうそう。ああいう変態チックな遊びだったら、この国の王都が盛んらしいよー」

「……ほう。そいつは面白そうだなぁ」

「できないことはないって評判だよー。薬はもちろん。刺したり叩いたり締めたりさ。相手だって老若男女よりどりみどりってね」

「お前は行ったことあんのか?」

「王都? 仕事で何回かね。遊ぶ暇はなかったなー。残念だけど」

 

 クレマンティーヌの話を聞き、カイはふいに顰め面になる。

 

「……どったのカイちゃん? ひょっとして気持ちよくなかったりした?」

「いいや。悪くなかったぜ。初心(うぶ)な反応が返ってきたときはな。くっくっく」

 

 カイの言葉に今度はクレマンティーヌは眉を顰めた。

 

「だがなぁ。雌を追い込むのが俺様に与えられた使命なんだよぉ。おめえみたいに喜んでやるヤツは肉壺の風上にも置けないぜ」

「えーそうなのー? やめてよして恥ずかしー、なんてのがいいの? 趣味わるーい」

「趣味が良かろうが悪かろうが関係ないんだよ。決めるのは俺なんだからなぁ」

「じゃあなに? もうしない?」

「さあな。俺はやりたいときにヤるだけだぜぇ。ヤって欲しけりゃせいぜい気に入られるこったな」

「えーやだー。めんどくさーい」

「俺とヤれないからといって勝手に手淫なんかするんじゃねえぞ。お前は俺の肉壺なんだからなぁ」

「はいはい。てゆーか、もうちょっと遠まわしな言い方はできないかな? 女の子相手に露骨すぎー」

「お前は俺の持ち物なんだよ。遠慮なんかする必要ねえんだよ、馬鹿野郎が」

「ふーん。……まあ、そういうのも楽かもね」

 

 物心ついてからクレマンティーヌは演技をし続けていた。

 面従腹背が常であり、そういう演技を楽しむ――楽しいと思い込むことで心の安寧を得ていた。

 思ったことや言いたいことをなんでも口にできたほうが楽なのかと考えることはある。

 ただ全てを口にして立場を、そして命を失うことは怖かった。

 

「ところでさー」

 

 クレマンティーヌは気になったことを聞いてみる。

 

「やってるときに聞いてきたアレなに?」

 

 カイの黒い瞳が鋭く光る。

 

「ほう。よく覚えてんなぁ? てっきりアヘって忘れてるかと思ってたぜぇ」

「……わりと物覚えは良い方なんだよねー」

 

 行為の最中にカイはクレマンティーヌに死んだときの状況を執拗に聞いてきた。

 それは辛い記憶であったが、そういった辛い感情を煽ることが目的なのだろうと思ったクレマンティーヌは、肉体の快楽に身を震わせながらカイに問われるままにエ・ランテル共同墓地での出来事を叫ぶように語った。

 

「お前の身体をグチャグチャに()し折ったのが誰だか調べんだよ」

「だーかーらーアンデッドだって。骸骨に黒マントの。死者の大魔法使い(エルダー・リッチ)かと思ったんだけど、ありえないくらい力があって……」

 

 クレマンティーヌの言葉から力が抜けていく。

 あのアンデッドから受けた傷は肉体だけではない。

 

「そういうのは自分の目で確かめなくちゃなぁ」

「自分の目?」

 

 クレマンティーヌの問いには答えず、カイは懐から銀色の板を取り出した。

 

「場所は共同墓地の広場……突っ込んで行ったら捕まって抱き殺された、と」

 

 クレマンティーヌには目もくれず、カイは独り言を呟きながら板の上に指を滑らせる。

 

「時間は……まあ、これくらいでいいか……」

 

 カイは銀色の板を凝視していた。

 板に何が描かれているのかクレマンティーヌの位置からは見えない。

 指でとんとんと銀色の板を何度かノックして、やがてカイの指の動きが止まる。

 

「このアンデッドか……。こりゃオーバーロードじゃねぇか。ワイズマン? クロノスマスター? 装備が多くて判断つかねえな……」

 

 クレマンティーヌは裸のまま胸を押し付けるようにカイに抱きついた。

 一度結ばれた気安さである。

 

「ねー私にも見せてよ。これなんてアイテム?」

 

 クレマンティーヌはカイの持つ銀色の板に手を伸ばそうとして――

 

「触んじゃねぇ!」

 

 カイの手がクレマンティーヌの首を掴んだ。

 避けるどころかその手の動きさえ見えなかった。

 

「次、コレに触ったら殺すからな。よく覚えておくんだなぁ」

 

 先ほどまでとまるで違うカイの口調に、クレマンティーヌは無言で何度も頷く。

 そんなクレマンティーヌの首から手を離すと、カイはベッドに座り直して銀色の板に視線を戻した。

 クレマンティーヌはそんなカイの背中を無言で見つめるしかできない。

 

 そのままお互い無言のまま半刻ほどが過ぎた。

 

「おい。クレマン」

 

 カイの言葉にクレマンティーヌはびくりと肩を竦める。

 

「……なに?」

エ・ランテル(ここ)を出るぜ」

「出るって……どっか行くの?」

「さっきお前が話してた王都だよ。ここにいると面倒ごとに巻き込まれそうだ」

 

 カイの語調に怒りの感情はない。

 とりあえずは元の調子で話しても良さそうだ。

 

「あー。それなら準備があるからちょっと出かけてきていいかなー?」

「まったく贅沢な肉壺だぜぇ。用事とションベンはさっさと済ましてきやがれ」

「はいはーい」

 

 クレマンティーヌは灰色のマントを羽織るとフードを目深に被って部屋を出た。

 宿屋の階段を降りながら豹変したカイについて考える。

 あの銀色の板にはカイの正体に繋がる何かが隠されているのであろう。

 あれを手に入れるか、あれが何かを知れば自分の価値は上がるだろうが、それをするのは今ではない。

 クレマンティーヌにはまだ必要なものがあるのだ。

 

 ◆

 

 クローゼットは冒険者チーム竜牙の実質的なリーダーだ。

 徴税と徴兵で疲弊していた農村から男友達三人と出奔し、エ・ランテルで冒険者になった。

 

「また警備かよ」

 

 組合で依頼を受け定宿に帰る道中、竜牙の表向きのリーダー、アルマリオが呟いた。

 

「そろそろ派手な依頼(クエスト)をやりてぇな。腕が鈍っちまう」

 

 アルマリオの弟テルセロが腕をぐるぐると回す。

 

「……警備だって、悪くないと思うけどなぁ」

「突っ立ってるだけだからフィデルは良いだろうよ」

「違えねえ」

 

 アルマリオ兄弟が笑う。

 フィデルはクローゼットと兄弟についてきたメンバーだ。

 男三人の中では大人しく荒事を好む方ではない。

 雑談のときにからかわれる役回りだ。

 

「なぁに? 私が受けた依頼に文句あんの?」

 

 冒険者チーム竜牙において、組合で依頼を見つけ、依頼人と交渉し、報奨金を管理しているのはクローゼットだ。

 実質的なリーダーと言われる所以である。

 そして今回の依頼である街道の警備を引き受けたのも彼女だ。

 

「そういうワケじゃないけどよぉ」

「もっと派手で儲かる依頼がやりてえんだよ、俺たちは」

「早く竜牙を有名にしたいしな」

 

 確かに有名になれば報酬がより高額の指名依頼も来るだろう。

 だがクローゼットは兄弟に現実を突きつける。

 

「そんなのがあったら真っ先に引き受けるさ。言っとくけどね、私たちは(アイアン)なんだよ、(アイアン)

 

 クローゼットは首のかけているプレートを何度も指差した。

 (アイアン)級のクローゼットたちが引き受けられる依頼は限られている。

 限られている依頼の中で、最も数が多いのが街道の警備だ。

 モンスターが出現したときには討伐する必要に迫られるが、何事も起こらず依頼が終了することがほとんどだ。

 そしてクローゼットはモンスターが出現しにくいエ・ランテル近郊の警備依頼を主に請け負っていた。

 理由は竜牙の実力不足である。

 

 アルマリオ兄弟もフィデルも、そしてクローゼットも使える武器といえば剣だ。

 村では剣の腕が立つ方だったアルマリオ兄弟だが、クローゼットの評価では彼らの自信ほどは高くない。

 そして何より剣士だけの竜牙では複雑な依頼に対応できない。

 そのことを強く感じていたクローゼットは低報酬でも安全確実な依頼を受けてマジックアイテムの購入資金を貯めていた。

 ポーションひとつ、魔法武器ひとつで、対応できる依頼が高度になることは冒険者なら誰でも知っていることだ。

 さしあたって人数分のポーションが準備できれば、遠方で高報酬の依頼を受けられるだろう。

 

「そういや前に組合で見た黒い鎧の男は(カッパー)だったぜ」

「ああ。連れがすっげー美人だった」

「あの美人、第三位階の魔法が使えるとか言ってなかったか」

「あの若さで第三位階とか嘘だろ? まあ嘘でもあれくらいの美人なら問題ないな」

「……あの黒い鎧、凄く高そうだった」

「どっかの貴族のガキじゃねえのか? 妾をお供に冒険者ごっこだよ」

「違えねえ」

 

 取り留めのない男達の話を聞きながら、クローゼットは思い出す。

 あの(カッパー)チームはあの後、(シルバー)チーム“漆黒の剣”に誘われていた。

 受付の話では“依頼”を問題なく終わらせ、その上トブの大森林に居た魔獣を従えて戻ってきたらしい。

 さらにはあのンフィーレア・バレアレとも親しく話していたという。

 それは(カッパー)級の冒険者ができることではない。

 おそらく力の持つ者がお忍びで冒険者の世界に身を投じたのだろう。

 持つ者はそれでいい。

 彼らは手順や規範を簡単に飛び越えていける。

 そして持たざる者は少しずつ堅実にやるしかないのだ。

 

 そんなことを考えていたクローゼットはふいに強い力で肩を引っ張られ、そのまま横道に引きずり込まれた。

 慌てて振り向くと頭をフードで覆った灰色のマントが見える。

 マントの隙間から伸びた白い腕が彼女の肩を掴んでいた。

 

「ちょ、何……?」

 

 突然のことに誰何することもできず、クローゼットは引きずられるまま裏道を進んでいく。

 

「どうした? クローゼット?」

 

 遠くの方から聞こえる仲間の問いかけに応じる暇もない。

 貧民街に近い路地まで来て、ようやく壁に叩きつけられるようにして解放された。

 昼が近いというのにこのあたりは薄暗く人の気配はまるでない。

 

「この辺でいいかなー」

 

 灰色マントの奥からくぐもった声が聞こえた。

 若い女の声だ。

 

 強く意識しないと見失いそうなその女は、フードの奥からクローゼットを見つめている。

 それは大型の肉食獣が獲物のどの部位を食べようかと吟味しているようだ。

 

「地味だけど贅沢は言ってらんないよねー。そう思わない?」

 

 訳の分からない問いかけに混乱するクローゼットの耳に足音が聞こえた。

 マントの女の背後、竜牙の仲間が追いついてきたのだ。

 

「急にどうしたクローゼット? ……なんだお前は!?」

 

 マントの女に気づいたアルマリオが誰何する。

 その言葉には強い自信と決意が含まれていた。

 

 クローゼットを含め村では乱暴者として恐れられていた四人だ。

 冒険者になり未熟さを思い知らされたが、それでも街角のごろつきよりは腕が立つ。

 

「あらーお友達? 穏便に済ませたかったけど仕方がないなー」

 

 感情の篭っていない棒読みの言葉がやけに耳に響く。

 

 ――これは不味い。

 

 クローゼットの直感である。

 自分を易々と引きずり回した力に加えて、四対一という不利さに全く動じていない。

 

 竜牙はクローゼットの指示で人食い大鬼(オーガ)を二匹倒したことがあった。

 そういった戦術眼もまたクローゼットを竜牙の実質的リーダー足らしめている。

 だが、その彼女をしてこのマントの女には勝ち筋が全く見えなかった。

 自分を見捨てて逃げろとクローゼットは口にすることが出来ないまま、マントの女がゆっくりと三人の方を向くのを黙って見る。

 

「用があるのはこの子だけなんだよねー。だーかーらー見逃してくんない?」

 

 女は目深に被っていたフードを下げ頭部を晒した。

 クローゼットから見えるのは柔らかそうな短い金髪だけだ。

 

「なんだこの女? 知り合いか、クローゼット?」

 

 アルマリオの問いにクローゼットは頭を振って否定する。

 

「おい、可愛い子ちゃん。クローゼットは俺たちの仲間(ダチ)なんだ。変な真似すんならただじゃおかねえぞ」

 

 アルマリオとテルセロ、そしてフィデルの真剣な表情がクローゼットの心を打つ。

 だが違うのだ。

 彼らがすべきことはこの女を見逃すことではなく、自分を見捨てて逃げることだ。

 それを伝える言葉がクローゼットの口から出てこない。

 

 三人の男からの殺気を浴びながら金髪の女はふうとため息をついた。

 

「しょーがないなー」

 

 女の身を包んでいたマントが僅かに開き、中から一糸まとわぬ白い肌と赤みを帯びた銀のレイピアが見えた。

 

「裸!? 痴女か?」

 

 アルマリオが思わず叫び、そしてそれが最期の言葉になった。

 レイピアがアルマリオの喉に吸い込まれ、彼は何も出来ないまま膝から崩れ落ちる。

 肉の焼ける臭いが周囲に広がった。

 あのレイピアは炎の魔法が付与されたマジックアイテムなのだろう。

 クローゼットの頭の隅の冷静な部分がそれを気づかせてくれる。

 

「っそおぉがあああああっ!!」

 

 兄の死に弟テルセロが雄たけびを上げ、ブロードソードを抜こうとしたがそこまでだ。

 ブロードソードを抜こうとした腕が切り離され、柄を掴んだままぶら下がっている。

 

「う、腕が……」

「諦めちゃダメだよー。まだ左手があるじゃん」

 

 からかうような女の声。

 テルセロは慌てて左手でブロードソードを抜こうとするが、柄を握っている右手がなかなか外れない。

 

「はーい。ざーんねん。そこまでー」

 

 時間切れを告げる無情の声と共にレイピアが煌めき、テルセロの首が夢の中のようにゆっくりと落ちた。

 

「逃げろっ! クローゼット!」

 

 フィデルがクローゼットと金髪の女の間に立った。

 ブロードソードを構えてはいるものの、その剣先は小刻みに震えている。

 

「んー? 私相手に時間稼ぎ出来ると思ってるー? お姉さんちょっとムカついちゃったなー」

「早くっ!」

 

 後ろを見ずにフィデルが叫び続ける。

 クローゼットは這いずりながら立ち上がると大通りに向かって走り出し――

 

「クローゼットぉぉ!!」

 

 背中からフィデルの叫びが聞こえたのとクローゼットが転倒したのは同時だった。

 突然、動かなくなった自分の両脚から薄く煙が立ち上っている。

 膝の裏を、膝の裏だけをレイピアで断たれたことを知った。

 

「だーかーらー」

 

 女は肉食獣の笑みをクローゼットに近づけた。

 

「出来ないことを見極めるのは大切なんだよねぇ」

 

 その言葉だけは妙に現実感があった。

 

「ああああああぁぁぁーっ!!」

 

 上段から振り下ろされるフィデルのブロードソードを女は振り返りもせずにかわす。

 地面に剣が当たりフィデルはたたらを踏んだ。

 そんなフィデルの様子を女は楽しそうに眺めている。

 

「若いのに頑張るねー。お姉さん応援したくなっちゃうよー」

「逃げろっ! 逃げろっ! 逃げろっ! 逃げろっ!」

 

 フィデルは滅茶苦茶にブロードソードを振り回し、クローゼットをなんとしても逃がそうとする。

 だが両脚の腱を断たれたクローゼットに逃げる術はない。

 

「逃げ――なっ?」

 

 フィデルが振り回すブロードソードを女のレイピアが受け止める。

 刃幅で倍以上、重さでいえば三倍を超えるであろう剣がぴたりと動きを止めた。

 

「世の中にはこういう技術もあるから覚えとくといいよー」

 

 驚愕した表情のままフィデルの首が落ちた。

 

「それじゃ覚えてらんないかな? んー。ひょっとしたら親切なおっさんが助けてくれるかも知れないから諦めないでねー」

 

 その戯言に応じる者はなく、周囲にはただ肉の焼けた臭いと血の臭いが漂うだけだ。

 女がクローゼットに向き直った。

 

「私はねー。物乞いなんだよー」

 

 女は可愛らしく作った声で言う。

 

「おうちが貧しくて服も着せてくれないんだよー。酷いよねー。ほらぁ」

 

 マントを広げて見せた。

 何も身に付けていない白い肌の肉体と右手に握られた銀のレイピア。

 どちらもドワーフが作る美術品のようだ。

 改めて見た女の顔は童顔で愛らしく、大きな紫の瞳も相まって自分よりも年下に見える。

 だが浮かべた表情からは魂の邪悪さがにじみ出ていた。

 

「食べるものも無くてママは出て行っちゃうし、パパは私を縛って犯すし、もー大変なんだー」

「そ、それは大変……だ……ね」

「それで相談なんだけどさー。あんたのその服と帯鎧(バンデッド・アーマー)もらえないかなー?」

 

 女は耳元まで裂けたような笑みを浮かべる。

 笑みの向こうには立身出世を目指して共に村を出た仲間だった物が、物言わぬ肉の塊に成り果てていた。

 

 彼らは助かるのだろうか。

 神殿に出向いて大金を収めれば魔法で蘇らせてもらえるらしい。

 彼らに大金を払って復活させる価値があるのだろうか。

 クローゼットの頭の中は妙に冷静だ。

 だがその唇と声はそうではない。

 

「あ、あげるっ! あげますから!」

「それじゃあさ。ちゃっちゃと脱いでもらえるかなー? もう、それ以上汚したくないんだよねー」

「は、はいぃっ!」

「そうそう。ブーツと手袋も、だよー」

 

 女に言われるままに装備を、服を脱ぎ、そして最後の下穿きを脱ぐときに、ようやく自分が失禁していたことに気がついた。

 眼前の女もその臭いに気づいたようだ。

 

「あぁん? もしかしてーお漏らししちゃったー?」

「あ、ああっ。ごめん、ごめんなさい! あ、あら、洗って……洗いますから」

 

 クローゼットはひたすら女に謝った。

 他にできることは思いつかなかった。

 

「んー」

 

 女は指を口に当てて考える素振りをする。

 

「組合で何か飲んでたのかなー? まー仕方ないよねー」

「はい……あ、ありがとう……ござい、ます……」

「脱いだ装備はそこに置いてもらえるかなー?」

 

 両脚を引きずりながらクローゼットは装備と服をまとめた。

 それを見て、女は満足そうにうんうんと頷く。

 女は笑顔でクローゼットに話しかけた。

 

「それでせっかくだからさー。もうちょっと付き合ってもらうよ。色々と聞きたいことと試したいことがあるんだよねー」

 

 それはクローゼットが生涯見た中で最も邪悪な笑みだった。

 

 ◆

 

 頭までフードで覆った灰色のマント姿がエ・ランテルの本通りに姿を現した。

 だが、マントに付与された魔法のために注意を払う者はない。

 

「……元通りじゃないね。どっかでやり直ししなくちゃ」

 

 ――チャリ

 

 マントの中で小さな金属のすれる音がした。

 クレマンティーヌの左手には四枚の鉄のプレートが握られている。

 四人の冒険者から服のついでに奪った狩猟戦利品(ハンティング・トロフィー)だ。

 クレマンティーヌは四枚のプレートをしばらく見つめる。

 かつて嬉々として集めていたそれが、今は妙に薄気味悪く見えた。

 思わずプレートを通りの奥に投げ捨てた。

 

「ふん」

 

 来た通りを見ることなくクレマンティーヌは歩き出した。

 

「それにしても――」

 

 我が身に纏いつく臭気が気にかかる。

 

「やっぱ臭うか。どっかで洗わないと」

 

 ◆

 

 クレマンティーヌはカイの居る宿屋に入った。

 客の姿はおろかカウンターには主人の姿もない。

 たとえ主人が居てもマントで気づかれないだろうとクレマンティーヌはそのまま階段を上った。

 階段を上りきったところで、カイの部屋から半裸の女が服をかき抱いて出てきた。

 女といっても既に老年に差し掛かったその肌は数多くの皺で覆われている。

 もはや顔も思い出せない自分の母親をクレマンティーヌは思い出す。

 女はマントを羽織ったクレマンティーヌには気づかずに、肉体の年齢にそぐわぬ艶っぽい雰囲気を漂わせ階段を静かに降りていった。

 気配が完全に消えたところで、クレマンティーヌはカイの部屋の扉を開けた。

 

「たっだいまー」

 

 ベッドの上には半裸のカイが満足そうな表情で横になっている。

 

「そのままトンズラしたかとヒヤヒヤしたぜぇ。くっくっく」

 

 言葉ではそう言っているが、その表情には余裕がある。

 クレマンティーヌが寄る辺無き立場であることを分かっている顔だ。

 腹が立ったが顔には出さず、クレマンティーヌは軽く対応する。

 

「まー契約だからねー。ところで今の婆さん誰よ?」

「んん? ああ。ここの主人のカミさんだぜぇ」

「カイちゃん、あんなのともヤんの?」

「俺は肉壺差別をしない博愛主義の鬼畜モンなんだ。大きいのも小さいのも若いのも年寄りも正々堂々平等に追い込むぜぇ。まあ、あんまりガキ過ぎるのは御免だがなぁ、くっくっく」

「ほんっと。カイちゃんって趣味悪いよね」

「なんだぁ? 肉壺がいっちょ前に嫉妬するんじゃねえぞ」

「嫉妬なんかするかバーカ」

「俺様に犯して欲しけりゃ、そのマントを色っぽく広げて誘って……お、おろろ?」

 

 カイは驚愕の表情を、そしてクレマンティーヌはしてやったりの表情を浮かべた。

 

「クレマン。お前、そ、そ、その服はどうした!?」

「はーい。お外で服を調達してきましたー」

 

 クレマンティーヌはマントを広げてカイに見せる。

 女冒険者から奪った服と帯鎧(バンデッド・アーマー)である。

 身体の動きを妨げないよう上着は丈を短く切り、ズボンも腰の部分だけを残して脚を晒すようにカットしている。

 以前のものに比べ能力は落ちるが、当座の装備としては悪くないだろう。

 

「カイちゃんが服をくれないからだよ。仕方ないよねー」

 

 クレマンティーヌはくるりと回って、あんぐりと口を開いたカイに新しい服を見せつける。

 自慢げなクレマンティーヌとその装備をしばらく見つめ、やがてカイが口を開いた。

 

「……脱げ」

「ええ?」

「いいから脱げってんだよぉ!」

 

 カイの強い口調に促されクレマンティーヌは渋々上着を脱ぐ。

 今の彼女は強者に従うしか生きる道がないのだ。

 カイはひったくるようにして上着を奪い取った。

 この装備の元の持ち主である女冒険者の死に様を思い出しながら、クレマンティーヌは下も脱ごうとしたところで――

 

「下は後だぁ」

「……え?」

 

 クレマンティーヌは脱ぎかけた手を止めカイを見る。

 

「お前みたいなだらしない雌が裁縫道具を持ってないのはお見通しなんだよぉ」

 

 カイは懐から小さな袋を取り出すと、その中から針と糸を出しクレマンティーヌの上着を縫い始めた。

 床に正座したカイは、慣れた手つきで布の端に糸を通していく。

 

「切っただけじゃ端からほつれるだろうが。ちゃんと断ち目をかがってやるんだよぉ」

「あー。はい。すいません」

 

 クレマンティーヌも床に座り腕で胸を隠しながらカイの説教を聞く。

 他人の忠告をまともに聞くのはいつ以来だろうか。

 クレマンティーヌはそんなことを考えながら、カイが手際よく裁縫する様子を見つめていた。

 やがてカイが手を止めてぽつりと洩らす。

 

「……臭えな」

 

 その言葉にクレマンティーヌは我に返った。

 

「えーマジ? まだ臭う?」

「あー臭え臭え。ぷんぷん臭うぜ。血としょんべんの臭いがなぁ」

「いちおー洗ったんだけどねー」

「近頃の雌は洗濯もできねぇのか。お前の親は何を教えてやがんだ」

「……親はねー。兄の世話ばっかりしてた、かなー」

 

 カイの手が止まる。

 

「お前、兄貴が居んのか?」

「まーね。もう縁は切ったけど」

「……ふん。そうかい」

 

 再びカイが上着を縫い始め、クレマンティーヌがそれを黙って見ている。

 

「しょうがねえ。後で洗濯の仕方も教えてやるから、今後、俺様に血やしょんべんの臭いをかがすんじゃねえぞ」

「……はーい」

 

 カイの言葉にクレマンティーヌは微笑みながら返事をする。

 

 自分でも驚くほど素直な返事に、居心地の悪くなったクレマンティーヌは立ち上がるとベッドに腰掛けた。

 カイは上着を縫い終わると、針と糸を取り替えて帯鎧(バンデッド・アーマー)を縫い始める。

 革の端を綺麗に縫われていく帯鎧(バンデッド・アーマー)を見て、クレマンティーヌはあることを思い出した。

 

「そうそうカイちゃんさー。ちょっとお願いがあるんだけど――」



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第4話「疾風走破、訪れる」

登場人物紹介

クレマンティーヌ:ズーラーノーンの十二高弟のひとり。一度死亡したので弱体化中。
カイ:凄腕凄アイテム持ちの助平親父。ヤるときはいつも絶好調。

オリオーヌ:スレイン法国の狩人。狩りの拠点を見つけてご満悦。



 ■

 

「こっちの方、あんまし行きたくないなー」

「ああ? お前がこっそりレベリングしてえって言うから、わざわざ予定を変更してるんじゃねえか」

「れべりんぐ? あー再訓練のこと? そりゃまあそうなんだけどさー」

 

 初夏の日差しの中、クレマンティーヌとカイはエ・ランテルの南門を出ると、そのまま街道に沿って南東へと向かった。

 カッツェ平野を左手に望みながら、水も飼葉も休息さえも不要なゴーレムの馬に相乗りして、である。

 

 クレマンティーヌはエ・ランテルで鉄のプレートの冒険者を相手にして今の自分の力を確認した。

 あの程度の冒険者なら容易く屠れる腕は残っていたが、いくつかの武技が使えなくなっていることが分かった。

 あのアンデッドによって殺され蘇ったことで、生前に持っていた力の一部を失っていたのだ。

 

 漆黒聖典時代、死から復活したメンバーが力を取り戻せていないとぼやいていたことがある。

 そんなときにいつも嘲りからかっていたのはクレマンティーヌだ。

 それがいざ自分が同じ立場になると、肉体にまとわりつく倦怠感と、何かに追い立てられるような焦燥感に愚痴のひとつも言いたくなる。

 

 元の力を取り戻すためには木っ端の冒険者や、難度の低いモンスターを相手にしても埒が明かない。

 かつて法国の修練場で行ったような、クレマンティーヌと同等かあるいは彼女を上回る強者との訓練が望ましい。

 でなければ難度五十から百程度のモンスター討伐できる場所があればいい。

 

 そんな虫の良い要望をカイに振るとしばらく考えて「そんじゃちょっと寄り道してやるぜぇ」と王都に行く予定を変更した。

 行き先を聞いてもカイは具体的な地名を知らず、大雑把な方角を指差すだけだ。

 期待とそれ以上の不安を覚えながらクレマンティーヌはカイと共にエ・ランテルを後にした。

 

 エ・ランテルを出る際、空を覆っていた雨雲をカイは魔法で南に追いやった。

 「俺様の門出に雨は相応しくねえ」と言い放ち、部屋の隅に溜まっていたほこりを吹き飛ばすくらいの気安さで、黒々とした雨雲を南に追いやってしまったのだ。

 おそらくエ・ランテルの気象予測士は頭を抱えたであろう。

 死者再生(レイズデッド)を使えるカイにしてみれば困難な魔法ではないのかも知れない。

 それでも上空を渦巻き大粒の雨を降らせていた黒雲が、カイの手の動きに合わせて流されていく様子は壮大で驚くべき見世物だった。

 

 そんな心躍るような旅立ちの一方でクレマンティーヌにとって問題もある。

 カイが向かおうとしている方角には、クレマンティーヌが最も距離を置きたい場所であるスレイン法国の聖都があるからだ。

 そしてクレマンティーヌを煩わせる問題がもうひとつ――

 

「で。おっさん。いつまで私の胸を揉んでんの?」

「そりゃお前。俺が飽きるまでだよぉ」

 

 カイが召喚したゴーレムの馬に相乗りすると言い出したときに悪い予感はしていた。

 馬に乗るのが初めてだなんだと言いながら、カイは後ろからクレマンティーヌにしがみつくと、あらゆる場所を触りまくる。

 何度も肘鉄を食らわせ、その度事にカイは「ぐぇ」「ごふっ」とうめき声を上げるが、その手の動きを止める気配はない。

 

「俺様の肉壺にしちゃ、クレマンの胸はちょっと硬えな。鍛えすぎなんじゃねえか?」

「……文句があんなら揉むの止めたらー?」

「そうは行かないぜぇ。この肉体には俺様のテクニックを念入りに練り込んでやらねえとなぁ、くっくっく」

「はいはい、そーですか。うんじゃ、せっかく天気を良くしてもらったから飛ばすとしますかねー」

 

 クレマンティーヌが背筋を伸ばし鐙と手綱を操作するとゴーレムの馬は脚を速めた。

 

「ば、馬鹿。落ちるだろ。やめろ」

「落ちても死なないよねー。カイちゃんならー」

「死ななくても痛えもんは痛えんだよぉ」

 

 カイの泣き言を聞きクレマンティーヌの嗜虐心がほんの少しだけ満たされた。

 

 ◆

 

 スレイン法国の聖都の北にある丘陵地帯。

 この地域は法国の警備隊や王国の冒険者によってモンスターや亜人の多くが駆逐されている。

 この一帯はオリオーヌの狩り場だった。

 

 オリオーヌは人間とダークエルフとのハーフだ。

 顔も知らない人間の父親とダークエルフの母親の間に生まれたオリオーヌは、生まれてすぐに母親の元から引き離され教会の施設に預けられる。

 母親から受け継いだ長い耳は、そのとき半分に切り落とされた。

 

 施設の生活はオリオーヌにとって楽しくもなく辛くもなかった。

 施設には法国の孤児が集められ、そこでオリオーヌは孤児たちと共に読み書きと人間の歴史を教わった。

 顔立ちが整っているほかは良くも悪くも目立たないオリオーヌであったが、切られた耳のことは人間の孤児たちに何度かからかわれた。

 

 月に一度面会を許されていた母親にそのことをいうと、母親はオリオーヌに帽子を編んでくれた。

 施設の担当官はオリオーヌの帽子には何も言わず、その後、オリオーヌも耳のことでからかわれることはなくなった。

 耳を帽子で隠したからというよりは、からかう孤児たちにとってオリオーヌの反応が地味で面白くなかったからだろう。

 オリオーヌは母親にもらった帽子を被り続け、それが個人的な特徴となった。

 

 オリオーヌにとって月に一度の母親との面会は楽しいものだった。

 母親はいつも自分の切られた耳に気にしていて、それ以上にオリオーヌの切られた耳のことを哀れんだ。

 母親の哀しそうな顔を見たくなかったオリオーヌは、母親の前でも緑の帽子を被って努めて明るく振舞った。

 

 面会のときに母親はオリオーヌによく狩りの話をしてくれた。

 かつては凄腕の狩人だった母親はイノシシや熊、ときにはモンスターや空を飛ぶカモも仕留めたらしい。

 施設では大人しいオリオーヌも母親の狩りの話には一喜一憂していた。

 

 そしてオリオーヌが施設で基礎学習を終えるのと示し合わせたように母親が死んだ。

 このときばかりはオリオーヌもひどく悲しみ母親を思い出すたびに泣いていた。

 施設の担当官はそんなオリオーヌに狩人の仕事を紹介した。

 

 ひとり立ちするにはまだ若年であったが、国から援助が受けられるほどの才能(タレント)を持ち合わせていないオリオーヌが生きていくためには仕事が必要だった。

 それに母親から話を聞いて狩りに心躍らせていたオリオーヌは、担当官の紹介を喜んで受け入れた。

 

 狩りを始めて施設に戻る機会が減ったが、特に親しい友人が居ないオリオーヌにとって、それは哀しいことではない。

 直接母親から技術を学ぶことはできなかったオリオーヌは、施設で基礎的な狩りの技術を学び、それ以外は実践して身に付けていくことにした。

 

 地形を読み、天気を読み、動物の生態を読んで、それに合わせて自分の技術と体力を高めていく。

 我流の歩みは遅々としたものであったが、それでも三年という月日がオリオーヌにウサギや小鹿といった小動物を狩る力を与えてくれた。

 母親のようにイノシシや熊を射止められるようになる日も近いと、オリオーヌは感じていた。

 

 ■

 

 オリオーヌがその扉を見つけたのは偶然だった。

 突然の雨に襲われ少しでも雨露を凌ごうと山の壁面を移動していると、丘の中腹に苔むした岩に偽装された石の扉を見つけたのだ。

 地面には足跡らしきものがわずかに残されてあり、何者かがこの扉を使ったことは明らかだった。

 見たことのない文字が刻まれていた扉を開けるとすぐに階段があった。

 階段を下りるとそこは施設の離れにあったものを一回り巨大に、そして豪華にした庭園が広がっていた。

 

 強大な魔法使いかあるいは魔神が残した遺跡であろう地下の庭園。

 

 空がなく重苦しい雰囲気はあるが、数多くの永続灯(コンティニュアル・ライト)が設置されていて昼間と同じ明るさがある。

 美しく手入れされた草や木や花で小道が作られ、庭の四隅と真ん中にある石作りの休息所を結んでいた。

 壁面にはいくつもの扉があって、そのいずれにも見たことのない文字と精密なモンスターの彫刻が施されている。

 オリオーヌはその扉の奥に何があるのか気になったが、取っ手のない扉はどれも硬く閉ざされていて開く気配はなかった。

 

 スレイン法国の住人であれば、このような遺跡を発見したときすぐに国へ報告しなければならない。

 たとえばオリオーヌだったら施設の担当官に伝えるべき発見だ。

 だがオリオーヌが施設に戻る予定の日はまだ先で、何よりこの遺跡は、狩りの拠点に最適だった。

 この庭園は荷物置き場になり、休憩所になり、寝床になるだろう。

 

 自分の刈り場の近くに野生動物やモンスターから襲われない場所が確保できたことを、オリオーヌは地の神に感謝した。

 

 ◆

 

「塩? はい。宿屋の女将が高いって愚痴ってましたぁ。これは大きな商いのチャンスですねぇ、旦那ぁ」

「ええ。そこらじゅうアンデッドだらけで。メイスやハンマーの引き合いは多いと思いますよぉ。おや? 商材がメイス? それはそれは。エ・ランテルには旦那が救いの神に見えるでしょうねぇ、くっくっく」

 

 クレマンティーヌとカイは道中、何度かエ・ランテルに向かう商隊とすれ違った。

 商隊が近づく毎にカイは商人たちにエ・ランテルの様子をもっともらしく語り、商人の才覚や運の良さ、時には御者の腕前を褒め、それを聞いた商人から食べ物や銅貨を貰っていた。

 精神魔法で相手を操っているのかと思うほどのカイの交渉力に、クレマンティーヌは感心しつつも警戒を新たにする。

 

 クレマンティーヌの見立てではカイの知識は偏っている。

 交渉事や炊事洗濯といった市井(しせい)の生活力は驚くほど持っていた。

 そして魔法詠唱者(マジックキャスター)としての能力は驚くのも馬鹿馬鹿しくなるほどだ。

 その一方で言葉や地理についての知識は子供ほども持ち合わせていない。

 このアンバランスさを補うのがクレマンティーヌの役割であり、その役割があるうちは命は保障されていると言っていい。

 

 だが優れた洞察力を持つカイは、クレマンティーヌからはもちろんのこと、他の人間や道具、ときには地形からも知識を得ているように見える。

 もしカイが必要とする情報を得てしまったらどうなるだろうか。

 それはクレマンティーヌの蘇ることのない二度目の死となるかも知れない。

 慈悲や良心、そして肉欲をも信用しないクレマンティーヌは、カイがどんな知識を持っているのか、そしてどんな知識を持っていないのかに細心の注意を払う必要があった。

 

「あっちの方角は、ずーっと真っ赤で真っ平らだなぁ」

「カッツェ平野だねー。毎年、あそこで戦争やってるよー」

「そうかい。……あの霧がかかったところはなんだぁ?」

「あのへんはアンデッドの巣だったねー。噂じゃ幽霊船なんてのもいるらしいよー」

「幽霊船? お前は見たのか?」

「私は見たことはないかなー」

 

 アンデッドという言葉にクレマンティーヌは心がささくれ立つのを感じたが努めて冷静を装った。

 

「そいやカイちゃん。エ・ランテルの情報、どこで集めてきたの?」

「エ・ランテルの情報ぉ? 俺ぁあんな街のことなんざ、これっぽっちも知らないぜぇ」

「えー。商人に色々喋ってたじゃん」

「あんなもん、でまかせに決まってるだろうが」

 

 クレマンティーヌは言葉を失う。

 

「テキトーに話を合わせてテキトーにおだてりゃ誰でも気分が良くなるもんなんだよ。お前も婆ぁになったときにゃ必要な“てくにっく”だから今のうちに覚えておくんだなぁ」

 

 ■

 

 街道から外れ丘陵地帯の森に入ったところでクレマンティーヌとカイは馬を降りた。

 カイが魔法で生み出したゴーレムの馬は煙のように消える。

 

 クレマンティーヌとカイは木々を掻き分けながら坂を上る。

 カイから貰ったマントのおかげで肌が傷だらけにならずに済んでいるが、マントのせいで汗はかく。

 

「けっこー登ったけどまだまだ暑いなー」

「まったくだぜぇ。こうも暑いんじゃ海にでも行きてえところだぁ」

「海?」

「“ばかんす”だよぉ。知らねえのか?」

「あーあーバカンスね。分かる。分かるよ」

 

 カイから振られる世俗的な話題にクレマンティーヌは戸惑った。

 死者を蘇らせ天候を操る魔人が、服を手ずから仕立て直し洗濯し避暑のための保養地の話をする。

 カイの力があれば暑さ寒さは魔法やアイテムでなんとかなるだろうにと、クレマンティーヌは思う。

 そんな魔法やアイテムがスレイン法国にいくつかあったことを思い出す。

 

「おいクレマン。あのデカい街、なんてとこだ?」

 

 この丘陵地はスレイン法国に近いのだ。

 クレマンティーヌは心の中で舌打ちをする。

 

「……スレイン法国の神都だよ。入国は面倒だし娯楽はないし。カイちゃん向きの街じゃないねー」

「ふん。そんじゃ、あっちの海はなんてとこだ? 泳げんのか?」

「アラフ湾だねー。あの海はきったねーから“ばかんす”には向いてないと思うよー」

 

 元漆黒聖典第九席次であり法国の裏切り者である身のクレマンティーヌだ。

 出来る限りスレイン法国には近づかずに済むよう虚実を交えてネガティブな故国の紹介をする。

 

「海だったら、王都の西か南ローブルがいいよー。有名な避暑地があるしね。今の時期ならカイちゃん好みの初心(うぶ)な貴族子女も来てるんじゃないかなー」

「ふん。……そうかい」

 

 言葉は冷静だがカイの目元と口元が明らかに緩んでいた。

 カイをコントロールする方法のひとつはこれかと、クレマンティーヌは心のメモに書き込んでおく。

 ふいにカイがしゃがみ込み、思わずクレマンティーヌは身構えた。

 

「おい、クレマン。この草は食えるのか?」

「……毒はないね。灰汁を抜けばいけるんじゃない。私は食べたことないけどー」

 

 カイは軽く頷きながら草を毟って懐にしまい込む。

 明らかに物見遊山のカイを見ると腹が立つ。

 

「急に変な動きしないでよ。敵でも出たかと思うからさー」

「なんだぁ。こっちで借金でもしてんのか?」

「まーそんなとこー。脅かしっこ無しだよ」

 

 お茶を濁すクレマンティーヌを、それ以上カイは追求しなかった。

 真実を話す必要はない。

 強いられれば語らざるを得ない力関係であるが、興味を持っていない相手に、わざわざ弱みを掴ませる必要はなかった。

 がさりと葉がこすれる音がして、身構えたクレマンティーヌの視界に野兎が入る。

 

「ありゃ兎か。まさか毒はねぇだろうな?」

「……あの大きさなら毒持ちはないんじゃないかなー」

「ん? 毒持ちの兎もいんのか?」

「場所によってはねー。このあたりそういうモンスターの類は少ないはずだよ。かなり退治されたからねー」

「退治って誰にだよ?」

「さーね」

 

 クレマンティーヌはとぼけてみせる。

 詰問でもされたら答えざるを得ないところだが、ここでもカイはそれ以上クレマンティーヌを追求しなかった。

 

 やがてクレマンティーヌとカイは山の中腹にある苔むした岩の前にたどり着く。

 岩には縦横に僅かな隙間が見え、それが偽装された扉であることが分かった。

 

「扉? こんなところに? 念入りに偽装されてるけど、ここがカイちゃんの目的地?」

「んんっ?」

 

 問いには応えずカイは周りをキョロキョロと見回し始めた。

 

 何を探しているのか気になるが、それより石の扉の表面に刻まれた文字がクレマンティーヌの注意を惹く。

 かつて任務で使用した六大神の遺産に似た文字が記されていたからだ。

 

 扉の文字をなんとか読み解こうとしたクレマンティーヌだが、その目的を果たす前にカイが話しかけてきた。

 

「さてと。ここが今回の目的地。ダッシュウッドの修道院(アビー)だぜぇ」

「……変な名前。なんか意味あんのー?」

「さあな。どっかのダッシュウッドさんが作ったんだろうよ」

 

 てめーも知らねえのかよ――という言葉を飲み込み、クレマンティーヌはもう一度カイに聞く。

 

「ところでこれ、どこの文字? なんて書いてあんの?」

 

 クレマンティーヌが指差した場所をカイは目で追った。

 

「……“汝の欲するところを成せ”だぜぇ。お前にぴったりの文言じゃねえか、くっくっく」

「そうなの? よく分かんないなー」

 

 クレマンティーヌは冷ややかに対応したが、カイはどことなく機嫌が良さそうに見える。

 この扉の奥に何があるのだろうか。

 

「そんじゃま観音開きでご開帳ーっとくらぁ」

 

 カイが扉を開くと階段があり、階段を降りるとそこには永続灯(コンティニュアル・ライト)で明るく彩られた地下とは思えない庭園があった。

 

修道院(アビー)って言うだけあって教会っぽいねー」

「……ああ」

 

 空返事のカイは何かを探すようにキョロキョロとあたりを見回している。

 クレマンティーヌはあえて詮索をせず、ゆっくりと歩きながら地下の庭園を観察する。

 壁面や柱の作りは教会風だが、よく見ると女体とモンスターの彫刻が随所に施されている。

 園内にある休息所には椅子やテーブルだけでなくベッドのような場所もあった。

 

「そこで寝ることもできるぜ。……んんっ?」

 

 ふいにカイが立ち止まる。

 クレマンティーヌも立ち止まった理由が分かった。

 カイの表情が俄然険しいものになる。

 

「おい、クレマン」

「誰か居るねー。どうする? 殺っちゃう?」

 

 クレマンティーヌはレイピアの柄に手をかける。

 口元が緩むのを抑えきれない。

 

「捕まえろ。殺すんじゃねぇぞ」

「……はいよー」

 

 殺しが出来ないことに不満を感じながら、クレマンティーヌはレイピアに手をかけつつ走りだした。

 間違って殺したと言えばカイは自分を許すだろうか。

 そしてクレマンティーヌの追跡はすぐに終わった。

 

「なんだ。餓鬼じゃん」

 

 クレマンティーヌの足元で幼く美しい顔立ちの狩人が恐怖に震えている。

 この美しく怯える顔をレイピアで切り刻んだら、どれだけ楽しいだろう。

 表情が緩みそうになったクレマンティーヌの背後にカイが立った。

 

「ちっ」

 

 クレマンティーヌが舌打ちをする横から腕が伸びた。

 

「おい餓鬼ぃ!」

 

 カイが幼い狩人の胸倉を掴んだ。

 

「お前ぇ、いつからここに居るんだ? ええ?」

「あ……」

「他に誰か居んのか?」

「あ、あぁ……」

「誰か来なかったかって聞いてんだよ。さっさと言え。でないと俺様がお前の子供ちんちんをしゃぶりたおすぞ? いいのか、ああ?」

 

 いつになく激昂しているカイを見て、クレマンティーヌが冷静になる。

 恐怖で言葉が出せない幼い狩人に助け舟を出す。

 自分が手を下さない脅しは楽しいものではない。

 

「カイちゃん。この子、狩人だよー」

「ああ? それがなんだってんだぁ?」

「狩人ってさ。一人でやってると他人としゃべる機会がなくなるんだよねー。急にはしゃべれないって」

「……ほう。よく知ってるじゃねえか」

「まあねー。……だよね?」

 

 粗末な帽子を深く被った狩人はなんども頷いた。

 

「そんじゃ、ゆっくりでいいから答えろ。お前はここにいつから居る? あとお前のほかに誰か居んのかぁ?」

「だーかーらー。カイちゃん、焦っちゃダメだってー。ここは私に任せてもらえないかなー」

 

 カイの返事を待たずにクレマンティーヌは幼い狩人に向き直った。

 

「んー。ちょっとは落ち着いたかなー?」

 

 クレマンティーヌは笑顔を見せる。

 

「まずは君の名前が知りたいなー、お姉さんは」

「お、おり、オリオーヌ、です」

「オリオーヌちゃんかー。んーん。綺麗な名前だねー。それじゃあ、ここに入った経緯(いきさつ)を教えてもらえると、お姉さん嬉しいなー」

 

 クレマンティーヌの()()()質問に少年――オリオーヌはぽつりぽつりと語り始めた。

 オリオーヌがこの場所を見つけたのは三日前で、その日からここで野営しながら狩りをしていたらしい。

 そして、この三日間は地下の庭園はもちろん、地上の狩場でも自分以外の他人は見てないと語った。

 

「本当に誰も来てないんだろうなぁ?」

「ほ、本当です。誰も来てません!」

 

 オリオーヌに顔を近づけてカイは凄む。

 

「なーにー? カイちゃん、誰かと待ち合わせでもしてんの?」

 

 クレマンティーヌの問いには応えず、カイはただ険しい表情のままだ。

 殺しの予感にクレマンティーヌは笑顔が邪悪な物に変わっていくのを感じる。

 

「おいっ!」

 

 オリオーヌと、そしてクレマンティーヌはびくりと肩を竦める。

 カイは壁面の扉を指差した。

 

「どれか、あの扉に入ったか?」

「……ない、です。開かなかったから……」

「ふん。良かったな。どれかに入っていたら今頃お前はカラッカラの干物になってたぜぇ」

「何が居るの?」

「お前の目的だよ」

「んー?」

 

 腑に落ちない答えだが、カイはそれ以上説明しない。

 そして逆にクレマンティーヌに質問をしてきた。

 

「その餓鬼の服はここらの狩人の格好かぁ?」

「どーかなー? まあ標準的な格好じゃない? 粗末なものだけどねー」

「その帽子もかぁ?」

「これはファッションでしょ?」

 

 クレマンティーヌが素早くオリオーヌの帽子を取りあげた。

 

「この耳を隠してただけなんじゃないかなー?」

「か、返して、ください」

 

 帽子を取り返そうと手を伸ばすオリオーヌだが、クレマンティーヌは素早く動いて帽子を触らせない。

 

「スレイン法国のエルフは、こんな風に耳を切り落とされるんだよー」

「何? エルフだとぉ?」

「どったのー? エルフに知り合いでもいるー?」

「……いや。なんか引っかかった気がしただけだ」

「ふーん」

「なんでエルフの耳を切るんだぁ?」

「そりゃ法国はエルフが嫌いだからだよー。他にもドワーフも嫌いだし、ゴブリンも獣人も嫌いだけどね、けけっ」

 

 懸命に帽子を取り返そうとするオリオーヌだが、クレマンティーヌの動きにはついていけない。

 今にも泣き出しそうな顔はクレマンティーヌの好物だった。

 

「クレマン。帽子を餓鬼に返せ」

「あん? ……はいよー」

 

 不服なクレマンティーヌはオリオーヌに帽子を乱暴に被せた。

 ゆがんで被せられた帽子をオリオーヌは両手で整える。

 

「おい餓鬼。これからお前の仕事は留守番だぁ」

「留守番って?」

 

 聞いたのはクレマンティーヌだがカイは応えない。

 

「狩った獲物はあんのか?」

 

 オリオーヌが野営していた休息所に案内する。

 獲物は野兎が二羽あるだけだ。

 

「これっぽっちじゃ腹が膨れねえだろうが。他にはないのか? 隠すと――」

「これ、これだけです……。僕は……母さんみたいにすごくないから……」

「あーもう。メンドくせえ餓鬼だな」

 

 カイはオリオーヌに顔を近づけた。

 

「俺たちはここの奥に用があるんだ。ちょっと時間がかかるからよ。俺たちがいねえ間、お前は食い物の準備をしとけ。いいな」

 

 オリオーヌは不安そうに頷いた。

 彼には頷く以外に助かる道はないのだ。

 カイは懐に手を入れる。

 

「ヘボ狩人のお前には、これを貸してやるぜ」

 

 カイが取り出したのは大仰で派手なつくりの弓だ。

 オリオーヌと、そしてクレマンティーヌの動きが止まる。

 

「名前は愛神の弓(ボウ・オブ・エロース)とかいったなぁ。威力はそこそこで魅了(チャーム)の効果が付いてるぜぇ。距離と命中にプラス補正がつくから、下手糞なお前でも鹿くらい狩れるだろ」

 

 思わずクレマンティーヌとオリオーヌは顔を見合わせる。

 カイは着古した服を貸すような気安さで、国宝クラスのマジックアイテムを出してきた。

 それなりに知っているクレマンティーヌにはもちろんのこと、生まれて一度もマジックアイテムに触れたことがないであろうオリオーヌにもその価値は感じられたようだ。

 恐る恐る弓を手に取ったオリオーヌが自分が捕まえたときと別人になったような印象をクレマンティーヌは受ける。

 

「言っておくが貸すだけだぜぇ」

 

 カイが念を押すように凄んだ。

 だがクレマンティーヌにはそれがただの照れ隠しに見える。

 

「パクって逃げようものならこの世の果てまで追い込むからなぁ。分かったなぁ」

 

 オリオーヌは何度も首を縦に振った。

 

「で、狩りはいつから始めんだぁ?」

「は、はい?」

「今日はいつから狩りに出かけるのかって聞いてるんだよぉ」

「す、すぐに行くつもりでした。行こうとしてたらおじさんたちが入ってきたんで……」

「そんじゃ、行って来い。俺が食う分を忘れんじゃねえぞ、いいな」

 

 オリオーヌは矢筒と狩りの道具が入った袋を背負うと、魔法の弓を手に階段を上っていった。

 地下の庭園に残ったのはクレマンティーヌとカイだ。

 クレマンティーヌがカイに話しかける。

 

「カイちゃん、よくあの子が男って分かったねー?」

「そうか?」

「あんな綺麗な顔立ちだしさ。それに女の名だから騙されると思ったんだけどねー」

「あんな餓鬼の精子臭さが分かんねえようじゃあ鬼畜モン失格だぜぇ」

「あー」

 

 クレマンティーヌは呆れ顔になる。

 

「一瞬とはいえカイちゃんを見直して損したよ」

 

 構わず庭園の壁に向かって歩き出したカイをクレマンティーヌが追う。

 

「ねーカイちゃん?」

「なんだぁ?」

「ここでやること終わったらさ――」

 

 クレマンティーヌが邪悪な笑顔を浮かべている。

 

「あの餓鬼、始末すんの?」

「……さあな」

「そんときは私が殺るよー。あの餓鬼、綺麗だから殺し甲斐がありそうなんだよね、けけっ」



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第5話「疾風走破、克復する」

登場人物紹介

クレマンティーヌ:ズーラーノーンの十二高弟のひとり。主食は食えるもの。
カイ:凄腕凄アイテム持ちの助平親父。主食は白飯。

オリオーヌ:スレイン法国の狩人。主食は法国堅パン。


 

 カイは庭園の壁沿いを歩き始めた。

 扉がある場所に立ち止まると、しばらく扉を見つめている。

 どうやら扉に書いてある謎の文字を読んでいるようだ。

 クレマンティーヌがカイに話しかけた。

 

「何見てんのー?」

「お前の行き先を探してんだよ」

「ふーん」

 

 ハーフエルフの狩人が言っていたことをクレマンティーヌは思い出す。

 

「ここの扉って開かないんじゃなかったっけ?」

 

 カイはちらりとクレマンティーヌを見る。

 

「ああ。弱ぇ奴は開けられねぇ。それに開錠スキルも必要だしなぁ」

 

 “弱い奴”という言葉がクレマンティーヌには気にかかる。

 それは絶対的な弱さだろうか、それとも相対的な弱さか。

 クレマンティーヌの疑問をよそにカイは次の扉に向かって歩き始めた。

 

 いくつかの扉の前を「ここじゃ足りねえ……」「ここじゃ強すぎる……」と呟きながら通り過ぎる。

 微妙に見くびられているような雰囲気にクレマンティーヌの機嫌が悪くなるが、判断しているのは己より圧倒的強者であるカイだ。

 聞いていない振りをして我慢するしかない。

 

「“幾多の接吻を交せり”か……。この辺で様子を見るとするか。おい、クレマン」

「なーにー?」

 

 不機嫌を悟られないようクレマンティーヌは軽く応じる。

 

「ここでお試しでもしてもらおうか。ま、松竹梅でいやー梅ってところだぁ」

 

 カイの言葉は分かりにくいが侮っている雰囲気ははっきりとクレマンティーヌに伝わった。

 

「うんじゃ、かるーくやらせてもらいますかねー」

 

 クレマンティーヌの挑発的な言葉にカイは口元を嫌な形に歪めた。

 この嫌な笑い顔をいつか恐怖で歪ませてやると誓うクレマンティーヌの傍らで、カイが扉に触れる。

 開かないはずの扉が石の擦れる音と共に簡単に開いた。

 

 扉の先は真っ直ぐな通路だ。

 まばらに配置している永続灯(コンティニュアル・ライト)は、庭園と違って石造りの廊下を薄暗く照らしている。

 外からは想像し難い距離を歩き突き当たったのは扉だ。

 

「また扉?」

「ここが目的地だぜ、と」

 

 カイは扉をこんこんと叩くと扉を開けた。

 

 その部屋の印象は貴族のベッドルームだ。

 豪奢な作りの部屋の奥には天鵞絨(びろーど)の分厚いカーテンに飾られた巨大な赤いベッドがある。

 広い室内にはベッド以外の家具はない。

 白いドレスを纏った女が二人、侵入者であるクレマンティーヌとカイを訝しげに見ていた。

 

「邪魔させてもらうぜぇ」

 

 カイは知り合いにでも会ったかのように片手を上げて軽く挨拶し、クレマンティーヌはレイピアの柄に手を沿え臨戦態勢に入った。

 白蝋のような肌と人とは思えない美貌、そして真紅の瞳。

 思わずクレマンティーヌは視線を外し、ベッドから降りてゆっくりと近づいてくるその姿を視界の端で追うようにする。

 

「吸血鬼!? なんでこんなところに?」

「よく知ってるじゃねえか。自動POP(ザコ)モンスターの吸血鬼の花嫁(ヴァンパイアブライド)レベル20だぜぇ。今のクレマンにゃあぴったりの相手だろぉ?」

 

 “れべる”という単位は分からないが、吸血鬼の難度ならある程度は理解できる。

 吸血鬼の平均難度は55。

 それなりに強力なモンスターであるが、クレマンティーヌが倒せない相手ではない。

 かつての力があればだ。

 だが吸血鬼も人間と同様に強さの幅がある。

 クレマンティーヌは遭遇した経験がないが、100を超える難度の吸血鬼もいたと聞く。

 吸血鬼が持つ能力で特に気をつけなければならないのは魅了(チャーム)の魔眼だ。

 吸血鬼が弱ければ気力で打ち消せるものだが、攻撃の隙を生むくらいの効果があるだけで危険度が跳ね上がる。

 

 吸血鬼の女たちは鋭く響く声を上げ、しきりにカイを威嚇していた。

 そこにある感情は怯えだ。

 

「こいつら、カイちゃんの知り合い?」

「ドロップアイテム狙いで()()()()()()ぜ。だが前より用心深くなってるみてえだなぁ」

 

 そう説明しながら吸血鬼の女たちの大きくあらわになった胸元を、カイは食い入るように見ている。

 カイの言葉は理解不能だが、それはエ・ランテルのときからの常だ。

 そんなことよりこの吸血鬼の怯え方が気に入らない。

 恐怖を与えるのがこの小汚いおっさんだけでないことを、アンデッドの女たちに教えてやる必要がある。

 

「んー。この吸血鬼くらいだと私の訓練には足りないんじゃないかなー?」

 

 その言葉の意味を理解したのであろう。

 吸血鬼たちの意識がクレマンティーヌに向かった。

 

「だったら、さっさと倒すんだな。そしたら次の相手を用意してやるぜぇ」

 

 クレマンティーヌの思考が切り替わり、戦闘に特化したものになる。

 

 吸血鬼を相手にするなら銀の武器か錬金術銀の使用が基本だ。

 どちらも今は持っていないが、カイからもらったレイピアには炎の魔法が付与してあり吸血鬼への攻撃力としては充分だ。

 あとは己の身体がどう動くか。

 

 クレマンティーヌは極端な前傾姿勢をとると、力を溜めて獣のように走り出した

 エ・ランテルで確認した使える武技を起動する。

 

 <疾風走破><超回避><能力向上>。

 

 かつて使いこなせていた武技が使えないことがもどかしい。

 それでもこの程度の吸血鬼ならば、今の力とこのレイピアで倒せるはずだ。

 

 二人の女吸血鬼の向かって右の吸血鬼に狙いを定め、大きく右に動いた。

 

<――流水加速>

 

 吸血鬼は人間よりは素早く動けるが、武技を使っているクレマンティーヌには及ばない。 狙われた吸血鬼が()()()()()向きを変えクレマンティーヌの攻撃に備えようとする。

 左の吸血鬼が()()()()()横にずれ自らの視界にクレマンティーヌを捕らえようとする。

 どちらも遅いし間に合わない。

 レイピアを滑らせ吸血鬼のその白い首を――

 

衝撃波(ショック・ウェーブ)

 

 大気の塊がクレマンティーヌを襲った。

 力ずくで体勢を崩し、なんとか大気の塊を回避する

 吸血鬼の首に刃を入れたが断ち切るには不十分だ。

 

「魔法?」

 

 吸血鬼が魔法を使うとは知らなかった。

 思わずカイを見るが、クレマンティーヌと吸血鬼の美女、そのどちらを見ているのかニヤニヤ笑いを浮かべているだけだ。

 

 千切れ落ちそうになった吸血鬼の首からは血は流れず、その傷口は再生を始めている。

 レイピアに付与されている炎属性が、その再生速度を鈍いものにしているようだ

 

「死にそうになったら助けてやるぜ。まぁ死んでもやりなおしできるけどなぁ、くっくっく」

 

 カイのニヤニヤ笑いに憎しみの視線を叩きつけながらクレマンティーヌは吸血鬼の攻撃に備えた。

 

 ◆

 

 妙な格好をした男――カイから借りた弓を手にオリオーヌは狩り場へと向かった。

 自身の狩猟感覚が昨日とはまるで違う。

 

 より遠くの獲物が見え、弓を構えると獲物の方から近づいてくる。

 獲物の大まかな居場所や匂いが分かり、矢の飛ぶ距離も違う。

 

 もしかすると自分の能力が上がったのかとも思って、それまで使っていた粗末な弓を試してみる。

 さっきまで見えていた姿はぼやけ、こちらに気づいた獲物は逃げ、大きさも居場所も分からず、矢の飛距離は昨日と同じだった。

 

 魔法の弓の凄さと自分自身の狩りの力の無さを認識し、がっくりと肩を落とす。

 だが落ち込むのは一瞬だけだ。

 カイから命令された、獲物を用意しなければならない。

 魔法の弓に持ち直して、狩りを再開する。

 

 半刻ほどでオリオーヌは鹿二匹とイノシシ二匹を射止め、そして我に返った。

 

「どうやって持って帰ろう……」

 

 ◆

 

 疲れきったクレマンティーヌがなんとか庭園にたどりついた。

 カイはニヤニヤ笑いではなく呆れ顔でその様子を見ている。

 

「だから俺が優しく運んでやるって言ってるだろうが」

「余計なこと……すんな。一人で……歩ける」

 

 二体の吸血鬼との戦いは、クレマンティーヌを心身共に疲労させた。

 そもそも吸血鬼というモンスターは隙を窺って討伐するものであり、正面きって戦う相手ではない。

 一体であれば再生で弱体化したクレマンティーヌでも、ここまで疲れなかっただろう。

 二体という数が吸血鬼の討伐難度を高め、クレマンティーヌを疲労困憊に追いやった。

 庭園に戻るだけの体力を残せたのはクレマンティーヌの戦士としての実力と意地。

 そして己の女を代価にカイから貰ったレイピアのおかげだ。

 

 クレマンティーヌはかつて自身を強化させた法国の試練場を思い出した。

 あのときクレマンティーヌを世話していたのは引退した漆黒聖典だった。

 今思えば、あの年寄りの視線は慈愛に満ちた暖かいものだった。

 吸血鬼の部屋でクレマンティーヌが受けたのは、情欲に満ちた生暖かいカイの視線だ。

 

 カイの視線にもイライラさせられたが、吸血鬼を倒しきったクレマンティーヌに治癒魔法を施そうとしたときには本気で慌てた。

 魔法での治癒がトレーニングの効果を打ち消すことをカイが知らなかったのだ。

 すったもんだした挙句にようやくカイの魔法使用を止めさせた。

 疲れた身体で他人に何かを説明するというのがこれほどの苦行とは思わなかった。

 

 カイの常識知らずに呆れると同時に、カイという人間の存在に強い疑問が生じてくる。

 自分たちとはかけ離れた力と知識、常識を持つ存在。

 そんな存在について考えているうちに庭園に戻ってきたクレマンティーヌは、這うようにして手近な休息所で横になった。

 

 獣と血の臭いに、吐き気を覚える。

 

「……臭い」

「ほう。あの餓鬼、食い物を用意できたみたいだなぁ」

 

 カイは中央の休息所へと歩き出したが、起き上がるのも億劫なクレマンティーヌは横になったままだ。

 

 カイとハーフエルフが話しているようだが、疲労は全ての興味を失わせる。

 クレマンティーヌは目を閉じ、何かを考える間もなく意識が途絶えた。

 

 ■

 

 空腹で眼が覚めた。

 どうやら疲労で眠ってしまったらしい。

 クレマンティーヌは自身の身体を意識する。

 なんとか起き上がるだけの体力は回復しているようだ。

 

 庭園中央にある休息所ではカイとオリオーヌが食事をしていた。

 ナイフを片手にハーフエルフと和やかに会話をしているカイが癪に障る。

 

「――動物の捌き方……参考になりました。本だけじゃ分からなくて……」

「本でなんでもかんでも分かるんなら社会勉強はいらねえからなぁ。“ふぃーるどわーく”が大切だってことだぁ」

 

 カイとオリオーヌがクレマンティーヌに気づいた。

 

「どしたぁ? 腹が減って眼が覚めたか?」

「そのナイフ。見覚えあるんですけどー」

「ああ。クレマンのマンマンをつるっつるに剃り上げた由緒正しいナイフだぜぇ。なあに。使()()()()だからこれには毛はついてないぜぇ。安心するんだなぁ、くっくっく」

 

 カイが手を開くとナイフが消え、魔法で作った道具と知らなかったのかオリオーヌは驚きで目を丸くした。

 クレマンティーヌはカイとオリオーヌの間にどかりと座る。

 

「食べるもの、あんの?」

「ああ、あるぜぇ。大量にな。まぁ碌な道具も調味料もねえから簡単お手軽な鬼畜くっきんぐだがなぁ」

 

 妙に高級そうな大皿に、焼いた肉が工夫も飾り気もなく積み重なり、肉の横には山に登る途中に生えていた草を煮たものが盛りつけられている。

 

 オリオーヌを見ると馴染みのある固くて不味いパンをかじっている。

 そしてカイを見ると底の厚い器に盛られた白い塊を食べていた。

 見たことの無い食べ物がクレマンティーヌの興味を引く。

 

「何それ? 粥にしちゃ水っぽくないけど」

「白飯だぁ。俺は飯じゃねえと力が出ねえからな。この小僧も知らねえとこ見るとスレイン法国とやらには白飯はないみてえだな」

 

 水気のない粥風だが半透明の粒は高級パンのように白い。

 

「それ、ちょうだい」

「お前ぇ、食ったことねえだろうが」

「いいから」

 

 見たことのない食べ物への不安はあるが、カイという強者が食べる物への興味が強い。

 それにオリオーヌが食べている法国のパンの不味さも避けたかった。

 

 手を出すクレマンティーヌにカイは渋々と器を渡した。

 

「分かってるな? 少しだけだからな」

 

 何度も念を押すカイから器を受け取ったクレマンティーヌは匙で白い粒をすくい上げた。 永続灯(コンティニュアル・ライト)の輝きを反射し半透明の白い粒が光って見える。

 恐る恐る口に運ぶと、口の中で粒がほろりとほぐれる。

 パンとは違う粘り気のある食感はまあまあだが――

 

「……味がしない」

「あったり前だぁ、飯ってのは()()()と一緒に食べるものだぜ。まあ俺くらいのグルメになれば飯の旨みで生産地も分かるってもんだが」

 

 カイの自慢話を聞き流したクレマンティーヌは、オリオーヌがおずおずと差し出した肉片を奪い取るようにして口に入れる。

 野生動物の歯ごたえのある肉を噛み締めると、濃い味付けの肉汁と塩気が口の中に広がった。

 水を飲もうとして止め、カイの言う“しろめし”を口にかき込んでみる。

 

 肉と“しろめし”がクレマンティーヌの口の中で調和する。

 なるほど“しろめし”にもしっかりとした味があることが分かった。

 

「そうやって食うもんなんだよ、飯ってやつは。分かったら残りを返せ……て、おい!」

 

 器を片手にクレマンティーヌは肉と“しろめし”を交互に口にする

 カイが叫びながらそれを止めようとするが、クレマンティーヌは聞く耳を持たない。

 壁を作る煉瓦を積むときのように、休息の場所を得るために穴を掘るときのように、作業的に口に食べ物を入れる。

 全ては己の身体を回復させるために必要なことだ。

 

 やがて腹が膨れたクレマンティーヌは、カイの文句も聞き流し、もとの休息所に戻るとすぐに寝てしまった。

 

 ■

 

 体内の感覚が朝になったことを告げ、クレマンティーヌは目を覚ます。

 目覚めたクレマンティーヌにカイも気づいた。

 

「そろそろレベリングの時間だぜ」

「まだ身体が痛ーい。私、動けなーい」

 

 甘えるように弱音を吐くクレマンティーヌをカイが疑わしそうな目で見る。

 

「ところでよぉ。その虫は毒持ちかぁ?」

 

 寝床の脇を指差すカイに反応したクレマンティーヌは右腕を素早く動かし、百足(ムカデ)をレイピアの刃先に刺し止めた。

 死ぬほどの毒は持っていないが、噛まれると痛みと腫れで後が面倒だ。

 

「動けるじゃねえか」

「ありゃ? バレちった」

 

 カイは呆れ顔でクレマンティーヌを睨む。

 

「回復してなきゃ怒るところだぜぇ。俺様の飯を食い尽くしやがったんだからよぉ」

「いやー。身体が動けるか確認してたんだよー。ホントホント」

 

 クレマンティーヌが身体の部位の各所を意識して確認をしていたのは事実だ。

 昨日の訓練からの疲労を回復したことで武技がひとつ、また使えるようになっていることが分かる。

 

「昨日の吸血鬼討伐で、ちょっと戻せたっぽいよ。うん」

「てれってってって~」

 

 カイが謎の言葉を呟く。

 

「なにそれ?」

「成長したら“ふぁんふぁーれ”が鳴るものなんだよぉ」

「知らなーい。どこの国の話?」

「ふん。まったく……。常識知らずと話をするのは疲れるぜぇ」

 

 常識知らずはてめーだろ。とクレマンティーヌは思ったが口にはしない。

 すぐに今日の訓練に頭を切り替える必要があるからだ。

 

 吸血鬼との戦闘は死ぬほど辛いものだったが、食事をして休息を取ればこうして元の力を取り戻せることが分かった。

 昨日と同程度の戦闘を行うなら、身体と武技の使い方を意識して変えないと成長が鈍る可能性がある。

 

 新しい課題を考えていたクレマンティーヌにカイが声をかける。

 

「おいクレマン。その服、脱げ」

 

 何を言われたのか理解するまでに時間がかかった。

 そして理解したことで頭に血が上り、その感情をクレマンティーヌが抑えるまでが最近のカイとの会話のワンセットだ。

 

「えー? またー? 別にこの装備、どっこも破れてないよ?」

「あったり前だ、馬鹿野郎! 俺様が縫ったんだからなぁ」

 

 疑問と不満で混乱するクレマンティーヌにカイが説明する。

 

「昨日みたいにちんたらせずに、もっと要領良くレベリングをやろうって言ってんだ」

 

 そう言いながらカイは懐から、いくつかのアイテムを取り出した。

 

「防御力は殆どねえが経験値に色をつけてくれる装備だぜぇ」

 

 攻撃や防御を魔法で補助することは理解していたが、訓練そのものを魔法で補助するという発想はクレマンティーヌの常識にはなかった。

 クレマンティーヌの見立てでは、休息所のテーブルに並べられた装備は、どれも一級品のマジックアイテムだ。

 だが中にはどこに装備するのか見ただけでは分からないものもある。

 

「この獣人(ビーストマン)の耳と尻尾みたいなの何?」

「それは聡敏なる猫耳(ワイズ・キャット・イヤー)聡敏なる尻尾(ワイズ・キャット・テイル)だな。頭と腰に装備すりゃどっちも戦闘経験値を5%上げてくれる代物だぁ」

「ふーん」

 

 カイの説明には正直ピンと来るものを感じなかったクレマンティーヌだが、この耳と尻尾の雰囲気は気に入った。

 何気なく手に取りふわふわの感触を確かめてから、猫の耳と尻尾を装備する。

 頭の中が不思議と冴え渡り、自分の選択が間違ってなかったと理解できた。

 耳と尻尾だけでこの()()()感覚を得られる。

 残る装備はどんなものなのだろうか。

 

「で、これは……前に見たあれ?」

女王の拘束鎧(クイーンズ・ボンデージアーマー)じゃねえぞ。ユキヒョウの皮衣(かわごろも)だぜぇ。こいつは戦闘経験値が1割上がるって優れものなんだが、装備者の炎耐性を下げるから使いどころは考えないとなぁ」

 

 カイの熱心な説明を聞き流し、クレマンティーヌはその装備を手に取って広げてみる。

 確かにエ・ランテルの安宿で見せられた革紐とは作りも材質も大きく異なっている。

 だが獣の物と思しき白い毛皮は細く小さく、今装備している帯鎧(バンデッド・アーマー)よりも頼りない。

 

「この装備にその耳と尻尾がありゃあレベリングはすぐに終わるぜぇ。まあ、しばらくここに居て時間がかかっても俺様には問題はねえんだがなぁ、くっくっく」

 

 ニヤニヤ顔のカイにクレマンティーヌは眉を顰める。

 ここに来る前に弱みを見せたのが拙かった。

 長居をすれば風花聖典に感づかれる可能性は高くなる。

 スレイン法国の神都に近いこの場所への滞在を早く切り上げたいのはクレマンティーヌだ。

 

 仕方なく装備を着替えようと立ち上がったところでオリオーヌと目が合う。

 どうやら狩りに出る準備をしていたようだ。

 カイのニヤニヤ笑いがさらに下品になる。

 

「せっかくだから小僧に着替えるところを見せてやったらどうだ? ん?」

「オリオーヌちゃーん」

 

 クレマンティーヌは赤面して硬直しているオリオーヌに近づくと、その耳元で囁いた。

 

「さっさと狩りに行って来いっ! 糞餓鬼!」

「は、はいぃっ!」

 

 狩りの道具と魔法の弓を握り締めてオリオーヌは走り出した。

 

「サービスの悪ぃ肉壺だなぁ。青い性の目覚めになったかもしれねえのによぉ、くっくっく」

「餓鬼が性に目覚めたって私は得しないね。で、これはブーツ……? やけに長いなー?」

「おう。しあわせのニーハイブーツだぜぇ。この踝んとこの羽根がチャームポイントで、歩くだけでちょびっとずつ経験値が――」

 

 ■

 

 クレマンティーヌとカイが入ったのは昨日の吸血鬼の部屋への扉ではなく“愛に囚わるるなかれ”と書いてる別の扉だ。

 ただし庭園の扉からモンスターの部屋までの廊下は同じつくりだった。

 

「こっちは何が居んの?」

 

 ぴよぴよぴよぴよ。

 

「そいつは着いてのお楽しみだぁ」

「昨日の吸血鬼よりは強いんだよね?」

 

 ぴよぴよぴよぴよ。

 

「レベルでいやー倍の40だなぁ」

「倍って、昨日の吸血鬼の?」

 

 ぴよぴよぴよぴよ。

 

「ああ。その通りだぜ」

「そんなん、私に倒せるわけないじゃん!」

 

 ぴよぴよぴよぴよ。

 

「別に倒せねえでも訓練にはなるだろがぁ」

「そりゃそうだけどさー」

 

 ぴよぴよぴよぴよ。

 

「なんかこのブーツ、すっげームカつくー」

 

 クレマンティーヌは自分が装備しているブーツを睨みつけた。

 白くて踝に小さな羽根の付いた膝上まであるブーツは歩くたびにぴよぴよと音が鳴った。

 緊張感のないぴよぴよ音が、忍耐を養う装備かと思うほどにクレマンティーヌの癇に障る。

 

「歩くだけで経験値が入るんだだぜぇ。早く終わらせたきゃ我慢しろや」

 

 クレマンティーヌがぴよぴよ音を我慢して、たどり着いたのは昨日と同じ作りの扉だ。

 カイは昨日と同じようにノックしてから扉を開け、中に入る。

 恐る恐るクレマンティーヌも後に続いた。

 

 この部屋は吸血鬼のベッドルームと違い、地下にあっても違和感のない洞窟だ。

 洞窟のいたるところに蜘蛛の巣が張っている

 クレマンティーヌが蜘蛛の巣を手で払おうとすると――

 

「うかつに触るんじゃねえぞ。そこらへん剣で払って動ける場所を作っとけ」

 

 カイの忠告にいつもの軽薄さはない。

 クレマンティーヌはレイピアを抜き蜘蛛の巣を切り払った。

 ちっと音を立てて巣が焼き切れ、焦げた匂いがあたりに漂う。

 巣には触れないよう気をつけながら、クレマンティーヌは自分が動けるだけの範囲を確保した。

 

 蜘蛛の巣が炎に弱いことは助かるが、問題は今のクレマンティーヌも炎耐性が低いことだ。

 レイピアから生じる熱気で汗だくになる。

 自分の汗と緊張感のないぴよぴよ音で戦う前から疲れてくる。

 

 やがて、しゅーしゅーという息とも声とも判断がつかぬ音が上のほうから聞こえてきた。

 上を見ると何重も張り巡らされた蜘蛛の巣の奥で影が動いているのが見える。

 蜘蛛の巣を巧みに押し分け、大きな黒い影がすうーっと降りてきた。

 それは女の上半身に巨大蜘蛛の下半身を持つ化け物だった。

 

蜘蛛女(アラクネー)ちゃんだぜぇ。俺が話を通してやるから心配すんな」

 

 だらしない顔でそういうとカイは蜘蛛女(アラクネー)に近づいていく。

 唸り声を上げ露骨に警戒する蜘蛛女(アラクネー)にカイは身振り手振りをしながら話をしている。

 しばらく話しているうちに蜘蛛女(アラクネー)の警戒感が薄れたようで、カイの話を熱心に聞いている。

 カイが時折、振り向いては指を差し何かを説明していたが、蜘蛛女(アラクネー)がクレマンティーヌを見るたびに、赤い唇から涎を垂らさんばかりに興奮している。

 

 交渉は終わりカイはそのまま、蜘蛛女(アラクネー)は大きな蜘蛛の脚で静かにクレマンティーヌに近づいてきた。

 蜘蛛女(アラクネー)の表情からは仕事感は伝わってこず、殺意と食欲が全面に出まくっているのが気にかかる。

 後方で親指を立て自慢げな表情のカイに不信感を抱くが、とりあえずクレマンティーヌはレイピアを抜いて蜘蛛女(アラクネー)との戦闘に備えた。

 

 ◆

 

 クレマンティーヌは休息所で横になっていた。

 オリオーヌが口に運ぶ肉と白飯を黙々と食べている。

 時折、目だけを動かしカイを睨みつけるが、視線の先の男はクレマンティーヌに目を合わせようとしない。

 

「あの蜘蛛女(アラクネー)、ぜんぜん手加減しなかったんですけどー」

「……ああ。ちょっと勘違いがあったみてえだな」

「勘違いで毒針を打ち込まれたんですけどー」

「た、助かったんだからいいじゃねえか。戦闘経験値だってはいっただろうが。ほら、飯食え、飯」

「もうちょっとで、こっちが蜘蛛女(アラクネー)の晩御飯だったんですけどー」

 

 接近戦では炎属性のレイピアが効果的で、クレマンティーヌと蜘蛛女(アラクネー)は良い勝負をしていた。

 そのうち蜘蛛女(アラクネー)は距離を取り、クレマンティーヌに向かって毒針を吐き始めた。

 初めの数発は避けたクレマンティーヌだったが、蜘蛛の巣に足を取られた所で毒針を食らい、蜘蛛女(アラクネー)に糸でぐるぐる巻きにされた。

 それを笑いながら見ていたカイも、やがて蜘蛛女(アラクネー)がクレマンティーヌを抱え洞窟の上に移動しようとしたところで事態の不味さに気づいた。

 慌てて飛行(フライ)の魔法で追いかけ、蜘蛛の巣に邪魔されながらもなんとかクレマンティーヌを奪還した。

 食料を奪われた蜘蛛女(アラクネー)の怒りの視線は強烈で、全身麻痺で動けないクレマンティーヌをして恐怖に震えるほどだった。

 

 カイはいつになく殊勝な様子で肉を齧っている。

 

「そういや蜘蛛女(アラクネー)はインテリジェンスが低かったっけかぁ。次はもうちょっと頭の良いねえちゃんにするか……」

「ちょっと気になったんだけど」

「……な、なんだぁ?」

「ここって、ああいうモンスターばっかり?」

「んー? ああいうモンスターってどういうモンスターだよ?」

「裸の女みたいなモンスターってこと」

「……ああ。そうだぜ。ここはエロ系モンスターの狩り場ってヤツだぁ」

 

 カイが自慢げに説明する。

 この庭園が意図して造られたものだというのは分かる。

 だが、あれほどの強さのモンスターを集めることは、兄クラスの怪物使い(ビーストテイマー)でなければ不可能だろう。

 そこまで考えて、この庭園にまだ入ったことのない扉があることを思い出した。

 まさか、扉の数だけ怪物の種族が居るなんてことは――

 

「もしかして……ここって、もっと強いモンスターが居たり……する?」

「ふん。それほどでもねえよ」

 

 クレマンティーヌは安心するが、続くカイの言葉に驚愕する。

 

蜘蛛女(アラクネー)が真ん中ぐれえだから、な」

「なんで……なんでそんな遺跡がこんなところにあんの!?」

「そんなこと俺が知る訳ないだろうが。俺は連れてこられただけだからなぁ」

「連れてこられた? 誰に?」

「……さあな」

 

 間違いない。

 クレマンティーヌは確信した。

 カイは誰かを探している。

 その情報は今のクレマンティーヌの立場を大きく変えるだろう。

 情報を得るためには、まず元の力を取り戻さなくてはならず、そして蜘蛛女(アラクネー)の毒が抜け切っていない身体を回復させるのだ。

 クレマンティーヌはオリオーヌが口へと運ぶ飯と肉を食べることに専念した。

 

 ■

 

 翌朝、目を覚ますとクレマンティーヌの体内からは嘘のように毒が抜けていた。

 体力も昨日以上に回復しているようで、自分の肉体と才能に改めて自信を持つ。

 カイが準備した食事とオリオーヌの給仕については考慮しない。

 

 朝食の肉を齧っているとカイが庭園に戻ってきた。

 カイに話を聞くと蜘蛛女(アラクネー)の巣に血抜きしていたイノシシを1頭、昨日の働きの代価として持って行ったという。

 強者は奪うことが許されると思っているクレマンティーヌには、こういうカイの生真面目さが理解できない。

 その生真面目さのおかげでクレマンティーヌ自身が生き長らえていたとしてもだ。

 

 カイは訓練相手として蜘蛛女(アラクネー)を諦め、ほんの少しの間だけクレマンティーヌを安心させた。

 だが、次にカイが連れて行った場所には蛇女(ラミア)というモンスターの部屋で、クレマンティーヌを不安に陥れた。

 すぐさまクレマンティーヌは蛇女(ラミア)の強さをカイに確認した。

 この遺跡の中で最強ではないが、それでも蜘蛛女(アラクネー)よりは遥かに強いモンスターと聞いて、クレマンティーヌの不安はより大きなものになった。

 

 蛇女(ラミア)というモンスターをクレマンティーヌは知らなかったが、外見は上半身が女で下半身が大蛇という蛇人(ナーガ)に似た半人半獣の種族らしい。

 カイの説明では頭が良く魔法が使え、移動速度は速くて、炎耐性があり、皮膚――特に鱗に覆われた下半身は斬撃や刺突攻撃に強いという。

 要するにクレマンティーヌが絶対に勝てない相手なのだ。

 

 蜘蛛女(アラクネー)の件で不信感が増大していたクレマンティーヌは、ここでの訓練を固辞したが、カイになだめられ押し切られた。

 カイが今度は折り合いをつけたと強く念を押したことと、なにより蛇女(ラミア)がカイを恐れていたのが理由だ。

 いざとなれば蜘蛛女(アラクネー)のときと同様にカイは助けてくれるだろう。

 まだクレマンティーヌは元の力を取り戻していないのだ。

 

 あらゆる攻撃が効かず、そして相手の攻撃がどれも致命傷という蛇女(ラミア)との戦いは、クレマンティーヌの肉体と精神を酷く痛めつけた。

 何度も死を覚悟し、何度となく心が折れた。

 だらしない顔で蛇女(ラミア)の胸ばかり見ているカイもまた、クレマンティーヌの心をさらに荒ませた。

 

 ■

 

「思ったんだけどさー」

 

 オリオーヌの給仕を受けながらクレマンティーヌはカイに話しかけた。

 今晩、身体が動かないのは毒ではなく、純粋な疲労だ。

 どうにかして一泡ふかそうと体力と知恵と使える武技を総動員したが、蛇女(ラミア)の魔法と尻尾に打ちのめされた。

 全てを使い尽くした疲労で手足を動かすことはおろか食べるのも億劫だが、訓練における食事の重要さをクレマンティーヌは知っている。

 どこを切り刻むか考えながら、少年狩人の美しい顔を見るのも悪くない。

 

「どうせ相手を殺せないんなら、カイちゃん相手に訓練したほうが早いんじゃない?」

 

 飯の器を持ったカイとクレマンティーヌの目が合う。

 それからカイは大きなため息をついた。

 

「それじゃ俺が疲れるじゃねえか、馬鹿野郎」

 

 クレマンティーヌはため息をつくと、心配そうに見つめるオリオーヌの顔に視線を戻し、顎をしゃくって次の肉を要求した。

 

 ■

 

「んー? どっか行くのー?」

 

 クレマンティーヌが目を覚ますと、カイがオリオーヌを連れて休息所を出て行こうとするのが目に入った。

 

「クレマン、お前は寝てろ」

 

 訓練を始める時間にはまだ早いことを体内感覚が教えてくれる。

 

「獲物が要るんだよ。あの蛇女(ラミア)、生餌を欲しがってるからなぁ」

「生餌だったら、そこにひとりいるよー?」

 

 カイの横に立つオリオーヌを見る。

 ハーフエルフの狩人の怯えた顔が疲れた身体に心地よい。

 

「こんな痩せっぽちの餓鬼じゃ前菜にもなりゃしねえ」

「あの蛇女(ラミア)だったら喜ぶんじゃなーい? 可愛いしー」

「な? この女は俺と違って人格が破綻してんだからよ。同情するだけ損だぜぇ」

 

 カイはクレマンティーヌではなくオリオーヌに話しかける。

 クレマンティーヌとカイを見てハーフエルフはただ戸惑っていた。

 

「そんじゃ行ってくるからよ。俺たちがいないからって手淫なんかすんじゃねえぞ」

 

 クレマンティーヌはひらひらと手を振り、庭園を出る二人を見送った。

 

「さてと」

 

 二人が外に出たことを確認したクレマンティーヌはゆっくりと立ち上がる。

 

「男二人……何を話すか気になるよねぇ?」

 

 誰に聞かせるともなくクレマンティーヌはひとり呟いた。

 身体の確認をしながら階段の上り口まで歩く。

 まだ痛みは残っているが追跡くらいなら問題はなさそうだ。

 

 

 外はまだ暗かったが夜目の利くクレマンティーヌは容易に二人を見つけることができた。

 獲物を探すというよりは目的地に向かっているだけのようで、周囲に気を配っている様子はない。

 おそらくあのハーフエルフは獲物の居場所を知っているのだろう。

 とりあえずクレマンティーヌとしては声が聞こえるところまで近づきたい。

 カイに気づかれる可能性は高いが、そのときは適当に誤魔化そう。

 

「――この弓は凄いです」

「そうかい。俺は使ったことがねえ」

 

 カイの言葉にはいつもの調子の良さがない。

 照れ隠しだろうかとクレマンティーヌは思う。

 

「僕、もっと狩りが上手くなりたいです。この弓がなくても母みたいに大きな動物や飛んでる鳥を狩れるようになりたいんです」

「目指すのはご自由にどうぞだ。まぁ、そんなに都合良く行くわきゃねえがな、くっくっく」

 

 オリオーヌは口を閉じ、カイもそれ以上何も言わない。

 焦れたクレマンティーヌが二人との距離を詰めようとしたところでカイがぽつりと言った。

 

「それがお前のしたいことならやりゃあいいさ。どの道、苦労や絶望は、ほっといても向こうからやってくるからよぉ」

 

 顔を上げたオリオーヌは不思議そうな顔をする。

 

「カイさんのしたいことってなんですか?」

「俺とお前はそんな話をする仲だったか、ええ?」

「す、すいません……」

 

 カイに凄まれオリオーヌはうなだれる。

 

「……ふん。俺ぁ面白おかしく性行為をしてえだけだぁ。その合間合間にちょっと探しものをしてるんだよ。分かったか」

 

 探しているものが何なのかオリオーヌに聞いて欲しかったクレマンティーヌだが、カイが話題を変えた。

 

「そういや、お前は、ここを縄張りにしてるって言ってたなぁ?」

「縄張りというか……はい。狩りの場所です」

「あそこの穴倉も使うんだよなぁ?」

「は、はい。カイ……さんが許してくれたら、ですけど……」

「知らねえよ。使いたきゃ勝手に使ってろ」

 

 自分の家でもないのに何を偉そうに許可をしているだろうかと考え、それからクレマンティーヌはひとつの可能性に気がついた。

 あの遺跡がカイの棲家(すみか)だったという可能性に。

 

「それじゃあ、穴倉を使うお前に宿題を出してやるぜぇ」

 

 クレマンティーヌが耳を澄ます。

 誰かへの言伝だろうか。

 

「若くて生きの良い雌の肉壺を“げっと”しておくんだな、いいな」

「クレマンティーヌさんみたいな、ですか?」

「馬鹿野郎! あんな女が二人も要るか」

 

 怒りのあまりクレマンティーヌはレイピアの柄に手をかける。

 

「お前は世間知らずだから言っておくが、ああいうのは俺様みてーな本物の鬼畜モンだからなんとかなってんだ。俺様の性欲を“こんびにえんす”に満たせて、ついでにここいらの観光ガイドができるから連れてるだけだぁ。分かるだろぉ?」

「は、はい。なんとなく」

 

 何、納得してるんだこの糞餓鬼。

 レイピアで突っ込みたい衝動をクレマンティーヌは辛うじて抑えた。

 

「お前ぇも立派な鬼畜モンになりてーんだったら、ああいうのじゃねえ、もっと大人しい恥じらいのある肉壺の5人や10人は確保しとくんだ、いいな」

「“きちくもん”じゃなくて狩人になりたいんですけど……」

「獲物にぶっ刺すことには変わりねえよ」

 

 わざわざ腹を立てるために盗み聞きをするのは馬鹿馬鹿しい。

 クレマンティーヌは庭園に戻って寝ることにした。

 

 ◆

 

 それからの数日間、クレマンティーヌは蛇女(ラミア)を相手に終日訓練し、その後は庭園で食事と睡眠をとることを規則正しく繰り返した。

 寝ているクレマンティーヌの横でカイが自慰行為に耽ったり、履いていたブーツの匂いをカイが嗅ぎながら自慰行為に耽ったり、それに気づいたクレマンティーヌがカイを怒鳴りつけたり、そんな様子をオリオーヌが見て見ぬ振りをしたりしたが、概ね静かに時が流れた。

 

 そんな規則正しい生活の末、クレマンティーヌはかつて使っていた全ての武技を再会得した。

 死者再生(レイズデッド)から驚異的な速さで完全復活を遂げたのだ。

 

 元の力を取り戻した以上、クレマンティーヌがこの場所に――スレイン法国の近くに居る必要はない。

 カイもまたリ・エスティーゼ王国の王都に目的があるようで、この庭園を去ることになった。

 

 ◆

 

「ほんじゃ俺たちは行くぜぇ。お前はこの辺でてきとーにやってろ」

 

 朝靄の中、カイはオリオーヌに別れを告げた。

 興味の無いクレマンティーヌは手触りの良い耳と尻尾をいじってる。

 暑い皮衣とやかましいブーツはカイに叩き返したが、耳と尻尾は気に入ったので装備したままだ。

 カイがしばらくオリオーヌを見つめている。

 

「カル……いや、なんでもねえ。あばよ」

「あ、あの……」

 

 魔法の弓を差し出すオリオーヌをカイは無視して歩き出した。

 その後ろをクレマンティーヌは笑顔でついていく。

 山を降りきる前にクレマンティーヌがカイに話しかけた。

 

「カイちゃんさー」

「なんだぁ?」

「弓、忘れてるよー?」

「……ふん。そういやそうだな。戻るのもめんど臭え」

 

 足を止めないカイにクレマンティーヌは笑顔で提案した。

 

「んじゃ、私が取ってくるよー」

「ほお。肉壺の立場をよく分かってるじゃねえか」

「そりゃあ、元通りになったのは全部カイちゃんのおかげだからねー」

 

 ■

 

 戻ってきたクレマンティーヌの姿を見たオリオーヌは安堵の表情を浮かべた。

 

「オリちゃ~ん」

「く、クレマンティーヌ……さん。あの……これ……」

 

 オリオーヌが魔法の弓をおずおずとクレマンティーヌに差し出す。

 公金貨で1千枚以上の価値があるだろう弓がわずかに揺れていた。

 受け取ったクレマンティーヌは、その弓の軽さに驚く。

 

 何かを言いたそうにしているオリオーヌを見ながら、クレマンティーヌは考える。

 この一帯はスレイン法国の安定した支配地域である。

 調査によってあの遺跡が見つかるのは、少年の情報さえなければかなり先のことになるだろう。

 

「あとは遺跡と私たちの秘密が洩れないようにするだけだねー」

 

 オリオーヌはすぐに言われた言葉の意味が分からなかったのか、不思議そうな顔でクレマンティーヌを見つめた。

 クレマンティーヌの顔が邪悪そのものに変貌する。

 頭に立つ耳が猫科の肉食獣を髣髴させる。

 

「あれー? もしかして……私を忘れ物を取りに来ただけの優しいお姉さんだと思ってたぁ?」

 

 クレマンティーヌはゆっくりとレイピアを抜いた。

 オリオーヌびくっと怯え肩を竦ませる。

 

「オリちゃんが死んじゃえば遺跡と私たちの秘密はしばらく洩れないよねー」

「……僕、誰にも言いません」

「おめでたいねー。そんな言葉を私が信用すると思ってる?」

 

 オリオーヌは怯えているが、その表情には強い意志が浮かんでいた。

 かつてのクレマンティーヌなら喜んで切り刻んだその表情が、今はやけに眩しく映る。

 クレマンティーヌは口元を大きく歪ませ、大きく振りかぶってレイピアを突き刺した。

 

「!」

 

 レイピアの刃の先で百足(ムカデ)がもがいている。

 

「噛まれたら痛いよねー、この虫」

 

 怯えた表情は変わらないもののオリオーヌは幾らかは安心した様子になった。

 そんなオリオーヌに顔を寄せてクレマンティーヌは童女のような笑顔を見せる。

 この表情なら頭に立つ耳は愛玩動物(ペット)の印象だ。

 

「そ。私は優しいんだからねー。だからここでのことはぜーんぶ内緒だよー」

 

 オリオーヌは無言で何度も頷いた。

 クレマンティーヌはレイピアを振り、落ちた百足(ムカデ)を踏み潰す。

 

「あ、あのっ」

 

 クレマンティーヌがオリオーヌを見た。

 

「カイ……さんに、ありがとうございますと伝えてください」

 

 クレマンティーヌの笑顔がまた邪悪なものに変わった。

 

「あん? このクレマンティーヌ様を伝令に使おうっての?」

「そ、そういう訳じゃなくて……あの……その……」

 

 怯えるオリオーヌの顔をしばらく見つめ、やがてクレマンティーヌは背を向けた。

 

「いーよ。伝えてあげる。その帽子、大切にしなよー」

「……あ、ありがとうございます。クレマンティーヌさん」

 

 オリオーヌの感謝の言葉を背中で聞きながら、クレマンティーヌはひらひらと手だけで返事をした。

 

 ■

 

「ほら。弓を取り返してきたよー。力ずくでねー」

 

 笑顔のクレマンティーヌが放り投げた弓をカイが受け取る。

 

「……ふん」

 

 カイは弓を懐に仕舞い込みながら鼻を鳴らす。

 

「力ずくにしちゃあ血の臭いがしねえなぁ?」

 

 クレマンティーヌは悪戯がばれた子供の笑顔で舌を出す。

 

「えーなにー? 私がオリちゃんを殺すとでも思った? 心外だなー。私は気さくで優しいお姉さんだよー」

「肉壺風情がずいぶんご機嫌な口の利き方じゃねえか」

 

 脅すような言葉だが、カイのニヤニヤ笑いにはどこか安心した雰囲気がある。

 この雰囲気があるうちはクレマンティーヌが殺されることはないだろう。

 

「そうそう。カイちゃんにオリちゃんから伝言だよー」

「……なんだぁ?」

 

 クレマンティーヌを見ずにカイは声だけで応対した。

 

「大嫌いだってー。二度と会いたくないって」

「ふん。そうかい」

 

 嘘の伝言を聞いたカイの反応は、クレマンティーヌが期待したものより薄い。

 

「あれー? 怒らないのー? 坊やにあんだけ優しくしたのにー?」

「そのくらいで怒るかよ。だいたい雄餓鬼なんぞに懐かれちゃあ鬼畜モンの名折れだぜ、まったく」

「ふーん。だったら良かったねー。嫌われて」

「……いくぜ」

 

 朝日を浴びるカイの横顔に寂しげな陰が落ちたように見える。

 それを見てクレマンティーヌは少しだけ溜飲を下げた。



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リ・エスティーゼ王国編
第6話「疾風走破、観光する」


登場人物紹介

クレマンティーヌ:ズーラーノーンの十二高弟のひとり。2回目の王都に観光気分。
カイ:凄腕凄アイテム持ちの助平親父。初めての王都にウキウキ。

セバス・チャン:プレアデスのリーダー。初めての王都で緊張気味。


 

 小鬼(ゴブリン)人食い大鬼(オーガ)、合わせて1ダースほどを前にしてレイピアを抜きクレマンティーヌは走り出した。

 

 <疾風走破><能力向上>。

 

 ()()()()()モンスターなら()()()()()武技を繰り出すだけで十分だろう。

 

 かつてのクレマンティーヌにとってモンスター狩りは専門任務だった。

 モンスター狩りの不満といえば表情が読み難いことだ。

 人間のように迫りくる死への恐怖に怯える表情が存分に楽しめない。

 それでも数日前までの強者に弄ばれる再訓練(パワー・レベリング)に比べたら驚くほどの開放感に満ちている。

 

 小鬼(ゴブリン)の放つ矢を避け、突き出してくる剣を避け、振り下ろされる人食い大鬼(オーガ)の棍棒をすんでのところでかわしながら、()()()()()()()()()()()レイピアを振る。

 攻撃が当たらないことに首をかしげ、手足が斬られた痛みに驚くものの、それでも小鬼(ゴブリン)達の戦闘意欲は失われない。

 それはクレマンティーヌが戦闘意欲を失わないよう仕向けているからであり、この戦場を支配しているからだ。

 これこそまさに英雄の力を取り戻したクレマンティーヌの妙技、そして得られる快楽であった。

 

 カイから半ば強引に貰った猫耳と尻尾の獣人風装備は、頭を冴えさせ戦場の支配をより容易いものにしてくれている。

 カイは今のクレマンティーヌには役に立っていないと言うが「可愛いからいいじゃん」とそのまま装備し続けている。

 心のどこかに人間原理主義のスレイン法国への()()()()があったとしても、そんな幼稚な理由をクレマンティーヌは認めない。

 

 丘陵地帯に比べると木々に囲まれていても低地の気温は高い。

 小鬼(ゴブリン)の悲鳴と人食い大鬼(オーガ)の咆哮を聞きながら血飛沫を掻い潜ると、腹や腿、むき出しの肌に風が触れ、クレマンティーヌは心地良い清涼感に満たされる。

 

 やがて数が半ダースほどになるころ、さすがの小鬼(ゴブリン)達も自軍の質的不利を理解し始めてきた。

 本能が暴力欲求から生存欲求に切り替わり、目の前のクレマンティーヌに怖気づきその行動が緩慢なものになる。

 クレマンティーヌは捕食者の笑顔を浮かべてカイを見た。

 

 カイもまた1ダースほどの小鬼(ゴブリン)人食い大鬼(オーガ)を受け持っており、3体居た人食い大鬼(オーガ)はすでに討伐されている。

 肉の焦げた臭いと立ち上る煙が、なんらかの魔法が使われたことを教えてくれる。

 残った小鬼(ゴブリン)は全て魔法で動きを封じられカイの尋問と身体検査を受けていた。

 

「それただの小鬼(ゴブリン)だよ。話なんか通じないから、さっさと殺っちゃいなよ」

 

 カイは淀んだ瞳でクレマンティーヌを見ると、それからやる気のなさそうに手を振り魔法の矢を放った。

 クレマンティーヌが今まで見た中で最も多い数の光の矢が、立ち尽くしていた小鬼(ゴブリン)達に降り注ぐ。

 激しい爆発音と断末魔の悲鳴が木々の間に響き渡り、小鬼(ゴブリン)達は伏して動かなくなった。

 

 クレマンティーヌの目前で逡巡していた小鬼(ゴブリン)達が慄き武器を捨てて逃げ出し始めた。

 獣の笑みをさらに醜く歪めながら、クレマンティーヌが走り出す。

 

 

 全てが終わって立っているのはクレマンティーヌとカイだけだ。

 殺した小鬼(ゴブリン)を検分しているカイにクレマンティーヌが話しかける。

 

「ここいらにはまずホブゴブリンはいないからねー。情報を引き出そうとしても時間の無駄じゃないかなー」

「……ホブゴブリンって奴らだったら話が通じるのか?」

「まぁただの小鬼(ゴブリン)よりは、だねー」

 

 常識知らずに説明(ガイド)しながら、クレマンティーヌは小鬼(ゴブリン)人食い大鬼(オーガ)の耳を切り取る。

 これがモンスター討伐の証になり、そして報奨金になるのだ。

 

「こんだけ耳があればそこそこの金になるだろうねー」

「ふん。まぁ路銀が多いに越したことはねえな」

 

 カイはクレマンティーヌの作業を興味深そうに見つめ、時折、しゃがみ込んでは地面を見つめている。

 

「んー。なんか面白いもんでも落ちてた?」

「うんにゃ。……雑魚モンスターは、ここでも大したもん持っていないみてえだなぁ」

 

 そんなこと当たり前だろ、とクレマンティーヌは思ったが口にはしなかった。

 

 ■

 

 クレマンティーヌとカイは遺跡からエ・ランテルを大きく迂回して直接王都に向かった。

 エ・ランテルに寄らなかったのはクレマンティーヌが強く嫌がったからだ。

 間違いなく潜んでいる風花聖典に加え、クレマンティーヌを殺したアンデッドが居る都市に戻るのは自殺行為に等しい。

 エ・ランテルに寄りたがったカイと交渉し、色々な性的行為を重ねることでなんとか翻意させた。

 

 カイが王都に向かう理由は娼館だという。

 以前、クレマンティーヌが話した娼館の話にカイは強く食いついた。

 ただし娼館を利用するにはそれなりの金が必要で、クレマンティーヌは商隊を襲って奪うことを勧めたがカイは却下する。

 

 カイほどの強者が略奪を行わないことがクレマンティーヌには理解できない。

 しかし無理強いできる立場にないクレマンティーヌは別の金策としてモンスターの討伐を提案した。

 エ・ランテルを迂回するルートは木々に覆われ、その大部分はモンスターの生活圏になっている。

 そんな地域で馬に乗った二人の人間は、虫にとっての甘い蜜のようなものだ。

 事実、襲撃してきたモンスターを容易く討伐して、クレマンティーヌとカイは充分すぎるほどの成果を得た。

 

 森を抜け王都に向かう街道に入るとモンスターの出現は極端に減った。

 後ろから身体をまさぐってくるカイを努めて無視しながら、ゴーレムの馬に乗ったクレマンティーヌは改めて自らの目的を考える。

 

 まず第一は、スレイン法国の諜報部隊、風花聖典からの完全逃亡だ。

 これはカイという小汚い助平親父を利用する方向で進めている。

 カイの持つ能力とアイテムは間違いなくクレマンティーヌの今後に役立つ。

 機嫌を取るためにクレマンティーヌの戦士としての力ではなく()を差し出さなければならないのは業腹であるが得られる物は大きい。

 

 そして第二は、自らが所属する組織ズーラーノーンをどうするかだ。

 このことについてクレマンティーヌはあまり深刻に受け止めてはいない。

 ズーラーノーンは元来、何かのために常時活動している組織ではない。

 盟主からの召集には従うが、ほとんどの高弟は自分の野望に向かって動いている。

 

 ズーラーノーンから召集が来る前に、ひとつでも多くのマジックアイテムをカイから巻き上げること。

 それがさしあたってのクレマンティーヌの目標となった。

 

 ■

 

 王都に入るときにさしたる問題はなかった。

 城壁で囲まれたエ・ランテルとは違い商人以外の審査はあってないようなもので、名前と出身地、王都に来た目的を審査官に説明するだけだ。

 審査官はそれらを何かに記している様子もない。

 クレマンティーヌは以前()()で使った偽装身分(アンダー・カバー)を用い、その関係者ということでカイを審査官に説明する。

 

 ピアトリンゲン伯爵領から仕事を探しに来たクレマンとカイの二人組。

 

 これが王都での二人の偽装身分(アンダー・カバー)になる。

 人の出入りでごった返す南門を抜け、クレマンティーヌとカイは通りの外れに出た。

 あまりにスムーズな王都訪問にむしろカイは不満顔である。

 

「ザルみてえな審査だなぁ」

「夜になればほぼ素通りだしねー。こんなんだから犯罪者が増え続けているんじゃないかなー、けけっ」

「犯罪者って、お前ぇみたいなのがかぁ?」

「失礼だなー。私はピアトリンゲンの村娘クレマンだよ。ねえ。ピアトリンゲンのカイちゃん?」

「だいたいピアト……なんとかってどこだ? ホントにそんな場所があんのか?」

「あるよー。アーグランド評議国の近く、だね。他にもビョルケンヘイムとかもあるけど、あそこは領地が狭すぎでねー。出身者とかち合うと不味いと思って使わなかったけど」

「ほう。肉壺なりに考えてるじゃねえか」

 

 リ・エスティーゼ王国の地域の情報を流してみるが、カイはあまり関心を示さない。

 クレマンティーヌは別の話題を振ってみることにした。

 

「ピアトリンゲンには王の関係者が嫁いだけど大した名産がないからねー。()()()()()()王都やエ・ランテルに出稼ぎに出る人間が多いんだよ」

「……そんなしけた場所に王家が嫁ぐってのはどういうこった? 国境近くだからか?」

「まぁそんなとこ。上級貴族は国境維持なんかで力を使いたくないからね。そういうのは王派閥に任せちゃう」

「この国は王と貴族の仲が悪いってことか」

「国の歴史が長いからねー。代替わりしていくうちに支えがなくなって危ういバランスになってるんじゃないかな」

「ふん。メンドくせえ話だ」

 

 リ・エスティーゼの国情にもカイは興味がないようだ。

 

「おいクレマン。お前が言ってたできないことはないって娼館ってどこにあるんだぁ?」

「んー。知らなーい」

「使えねえ肉壺だな、おい」

「だーかーらー。前に来たのは仕事だったから私は遊んでないって」

「ふん。仕方ねえ。王都の観光がてら娼館でも探すとするか」

 

 不満げに通りを見回すカイの袖をクレマンティーヌが掴む。

 

「まずは冒険者組合っしょー。あれを金に換えないと娼館を見つけても遊べないよ」

 

 ■

 

 クレマンティーヌは冒険者組合に赴くと、慣れた様子でモンスター討伐の申請を行う。

 持ち込んだモンスターの耳や角の数に驚いた受付嬢は、クレマンティーヌとカイに冒険者への登録を強く勧めてきた。

 

「この冒険者組合は素晴らしいところですよ。なんといっても王国のアダマンタイト級が2組とも登録しておられるんです」

「あー。朱の雫と蒼の薔薇だね。知ってるよー。凄いよねー」

「おいクレマン。何者(なにもん)だ、そりゃ? ……ぐえっ」

 

 受付嬢の表情が強張り、クレマンティーヌの肘がカイの脇腹に突き刺さった。

 

「カイおじさん、長く引きこもってたしねー。あんまし世間の事、知らないのも仕方ないよねー」

「てめ……う……」

 

 文句を言おうとしたカイはクレマンティーヌの「話を合わせろ」的な表情を見て口ごもる。

 

「そ、そうだな……」

「色々と勉強しなくちゃだよー。だからお姉さーん。冒険者登録はもう少し落ち着いてからにするね」

「……は、はい。お待ちしています」

 

 クレマンティーヌはカイの腕を引きずりながら冒険者組合の外に出た。

 

 特にチーム名を名乗ったわけではなかったが、クレマンティーヌの姿を見た者たちから二人が「チーム獣耳(ケモミミ)」と呼ばれるようになったが、それはまた別の話である。

 

 ■

 

「てめー何しやがんだ!」

 

 組合の建物から離れ、人気のない路地まで移動したところでカイはクレマンティーヌに詰め寄った。

 当のクレマンティーヌは呆れ顔だ。

 

「カイちゃん。常識知らずはしょうがないけどさー。人の多い場所でアダマンタイトを馬鹿にするのは厳禁だよー」

「あー? そんなに人気者なのかよ、そのアダモちゃんは」

「アダマンタイト! そうだね……。英雄。生ける伝説。人類の守り手。冒険者の頂点ってとこ」

「ほう。そいつぁすげえじゃねえか」

 

 クレマンティーヌはため息をつく。

 

「特に組合なんてどの(クラス)の冒険者が居るかで格が決まるからね。自分のとこに箔つけてくれてるアダマンタイトにケチつけられたらいい顔しないよー」

「なるほどねぇ……クレマンもそういう気の遣い方ができんだなぁ」

「あん? それがカイちゃんが言ってた“てくにっく”だろ」

 

 不満げな顔で腕を組んだクレマンティーヌにカイが聞く。

 

「そういやモンスターを殺った金はどうなった? まさか独り占めしたんじゃねえだろうなぁ?」

「独り占めできるもんならしたいけどねー。査定があるから支払いは明日だよ」

「お、おろろ? それじゃ今日は娼館で遊べねえってことか?」

「そーゆーことだねー。まぁ今日のところは手持ちの金で慎ましく王都観光でいいんじゃない? じっくり娼館を探しながらさ」

 

 ■

 

 まずクレマンティーヌが向かったのは裏通りのさらに奥、真っ当な住民なら訪れる機会もない薄汚れた宿屋だ。

 こういう宿屋はワーカーへの依頼仲介を行っており、必然的に裏の情報が集まってくる。

 そこでクレマンティーヌは娼館の場所を聞き出した。

 

 それからクレマンティーヌとカイが表通りに出る。

 観光で見る王都は古都然としておりエ・ランテルに比べて歴史を感じさせる街並みだった。

 ただし歴史に興味のないクレマンティーヌにとっては、年代物の建築物よりその間から滲み出る猥雑さの方が好みだ。

 年代物の建築物や規範なら、スレイン法国で嫌というほど味わっている。

 

「王城の近くだと、歩いて行くのはメンド臭いなー」

「ホントにそのひとつしかねえのかぁ?」

「昔はいっぱいあったらしいけどねー。奴隷売買が禁止になってほとんどの店が商売替えしたってさー」

 

 カイが難しい顔になった。

 

「ふん。潔癖症の王様が浄化作戦でもしたかぁ?」

「そこんとこ事情がややこしくてねー。奴隷禁止を打ち出したのは第二王子とまだ子供だった王女。王様と第一王子は奴隷禁止には及び腰だったみたい」

「奴隷で金儲けでもしてたかぁ」

「んー。当たりじゃないけど外れでもないなー。奴隷で儲けてたのは貴族だよ。それを仲介していたのが裏の人間。貴族の儲け口を潰す事になるから、事なかれ主義の王様と貴族派閥寄りの第一王子は見過ごしたかったみたい」

「そんじゃ第二王子が潔癖症のやり手だったってか?」

「それは外れー。それがなんと王女様だね。“黄金”って言われるくらい綺麗で国民に人気なんだよー。王位を争ってる王子二人よりもね」

「お前ぇは、その王女様とやらを見たことあんのか?」

「うんにゃ。話だけー。で、大人気の王女様が公の場で奴隷廃止を口にしちゃったもんだから騒ぎになってね。この国にしちゃ異例の早さで制定執行されちゃったワケ」

 

 クレマンティーヌはカイの顔を覗き込むが何を考えているかは読み取れない。

 しゃべりすぎたかと思ったがクレマンティーヌ個人に関わることでなければ大丈夫だろう。

 もう少し情報を出してカイの様子を見ることにする。

 

「そういえばさ。さっきのモンスター討伐の報奨金だって、その黄金の王女様のアイディアが元になっているらしいよー。すっごいよねー。王族で美人で頭がいいなんてね」

「ふん。持ってる奴は生まれながらに持ってるってことか……」

「なに黄昏てんのさー? 初心(うぶ)で綺麗な王女様だよー。カイちゃん狙わないの?」

 

 クレマンティーヌは挑発的な笑顔を見せ、カイの顔は険しいままだ。

 

「貴族と争ってるような王族が初心(うぶ)なワケねえだろうが。今頃愛人とよろしくやってるぜぇ」

「んー。そこには私もさんせー。そんで、愛人とよろしくやってる初心(うぶ)な王女様の尽力で、この街に残ってる娼館はひとつだけになりましたーと」

「ふん。そのことだけは初心(うぶ)だろうがなんだろうが王女様に感謝しなくちゃならねえなぁ」

「?」

 

 カイの言葉の意図が掴めなかったがクレマンティーヌは疑問を口にはしない。

 

「そういや、さっき聞いた話だとアダマンタイト級冒険者が娼館について調べているらしいねー」

「アダモちゃんが? なんでだぁ?」

「……知んなーい。なんたって英雄だからねー。悪い商売を叩き潰す準備だったりして」

 

 カイの表情に焦りが見えたことにクレマンティーヌは喜びを見出す。

 キョロキョロと通りを落ち着きなく見回し、やがてカイの視線が止まった。

 

「そんじゃこっちも急ぐとするか」

 

 そう言うとカイは馬車が集まっている広場に向かって歩いていった。

 

 ■

 

 カイは商人と交渉して王城付近まで荷馬車に乗せてもらえることになった。

 そしてクレマンティーヌもカイから貰った外套(マント)を被って同じ荷馬車に乗り込んだ。

 クレマンティーヌは商人が運んでいる荷物を物色しながら、カイは荷馬車の見張りと世間話をしながら、王城までの時間を過ごした。

 やがて馬車が王都の本通りに差し掛かり、そこでクレマンティーヌは荷馬車から飛び降り、カイもまた商人に別れを告げて降りた。

 

 多くの馬車と人々が行き交う王都の本通りをクレマンティーヌとカイは歩いていた。

 カイは王城付近の地理を暗記でもするかのように、建築物と脇道を入念に見回している。

 そしてクレマンティーヌは外套(マント)の効果で荷馬車に乗っても気づかれなかったことに味を占め、すれ違う人々の足を引っ掛けたり懐から金の入った袋を掏り取ったりしている。

 していることの悪辣さを考えなければその様子は童女のようだ。

 

「おおっと!」

 

 掏り取った皮袋の重さに浮かれたクレマンティーヌを掠めるようにして4頭立ての馬車が通り過ぎた。

 

「何をやってんだ、この肉壺はぁ」

「だーいじょうぶ。馬車に轢かれるなんてドジは踏まないよー。それにこの外套(マント)なら向こうも気づかないっしょ?」

 

 そう言ったクレマンティーヌの先で馬車が止まった。

 クレマンティーヌとカイは無言で顔を見合わせる。

 馬車から降りてきたのは白髪を綺麗に切り揃えたひとりの老紳士だった。

 

「私どもの馬車がご迷惑をお掛けしました。お怪我はありませんでしたか?」

 

 身長はカイと同じくらいだが、真っ直ぐ背筋を伸ばして立っている分、顔の位置が高い。

 紳士が物腰柔らかく下手に出てきたので、クレマンティーヌは落ち着きを取り戻し、生来の悪戯心が顔を覗かせた。

 

「ほんと、そーだよー。危うく死ぬところ――」

 

 軽く言いがかりをつけようとしたところで何かが胸に当たる。

 カイの手だった。

 

「こら! どこを触って――」

「いえいえ、こちらこそ。連れが年甲斐もなく道端ではしゃいでいたのを止めもせず申し訳ありませんです」

 

 クレマンティーヌを一瞥もせずカイは丁寧な謝罪を返して頭を下げた。

 

「私はピアトリンゲンのカイと申します。この連れと一緒に仕事を求めて、この街にやってきたばかりの田舎者ですぅ、はい」

 

 カイの自己紹介に感銘を受けたのか老紳士も深く頭を下げた。

 

「私はセバス・チャンと申します。セバスと呼んでもらえば幸いです」

 

 いきなり名前で呼んでくれと語る老紳士にクレマンティーヌは戸惑った。

 何か言い返そうとしたが、カイから腕を強く掴まれ言葉が出せない。

 言外にカイはクレマンティーヌに緊急事態を告げていた。

 

「ここは大きな街で人や建物にも趣きがございます。見るところも多く楽しい気持ちになるのは仕方ありませんね」

「セバス様のような立派な方にそう仰っていただけると田舎者の私もほっとしますですぅ」

 

 セバスは懐に手を入れるとカイに皮袋を差し出した。

 

「これはそちらのお嬢さんを危ない目に合わせた私どもからの心ばかりの謝罪です」

「これはこれは。ご丁寧にありがとうございます。ここでお断りするのも失礼ですので、ありがたく頂戴いたします」

 

 カイは皮袋を受け取って握り締める。

 擦れる硬貨の音が、袋に入っている金がはした金ではないことをクレマンティーヌに教えてくれた。

 

「ところでセバス様のお住まいはこの近くですかぁ?」

「はい。この通りの先にある館をお借りしました。私ではなく私が仕えるご主人様が、ですが。私は一介の執事に過ぎません」

 

 王城に近いその一帯は高級住宅街だ。

 そんな場所にある館を借りることができるこの男の主人はかなりの資産家なのだろう。

 

「セバス様がお仕えするご主人様がお借りになったところですかぁ。さぞや立派なお屋敷なんでしょうなぁ」

 

 クレマンティーヌさえも好感を持ってしまうような笑顔をセバスは浮かべる。

 

「そう望んでいます。実は今日初めて中に入るのですよ」

「おろろ。そんな目出度い日を私めがお邪魔立てして申し訳ありません」

「いえいえ。このような良き出会いがあったのも、その館が持つ運なのかも知れませんね」

 

 セバスが笑みを浮かべ、カイもまた笑みを浮かべる。

 だがクレマンティーヌの腕は強く掴まれたままだ。

 

「セバス様はこの王都にしばらく居られるのですかぁ?」

「仕事の都合もありますが……問題がなければしばらく滞在しようかと思っています」

「それはありがたい。私も仕事が見つかった折には、ご挨拶にお伺いしたいものですねぇ」

「ええ。いつでもいらしてください。歓迎させていただきますよ」

 

 セバスの言葉に嘘やお為ごかしは感じられない。

 カイはもう一度頭を深く下げた。

 

「それでは、ご主人様によろしくお伝えくださいませ、はい」

 

 ■

 

 走り去る馬車に向かってカイは何度もお辞儀をした。

 馬車が角を曲がって見えなくなると、すぐにクレマンティーヌの腕を掴んで人気のないわき道に入る。

 

「……誰、あの爺さん? 知ってんの?」

 

 クレマンティーヌはカイの手を振り解きながら聞く。

 

「いや。初めてだ。あの爺ぃ恐ろしく強えぞ」

 

 いつもへらへらと嫌らしい笑みを浮かべているカイの顔は真剣そのものだった。

 血色の悪そうな色の額にうっすらと汗まで浮かべている。

 

「おい、クレマン」

 

 大通りの様子を窺いながらカイが何かを放り投げる。

 クレマンティーヌが受け取ったのは美しい彫刻が施された指輪だ。

 

「それを付けとけ。どんなことがあっても外すんじゃねえぞ、いいな」

「……なにこれ?」

「お前ぇは色々と見せすぎなんだよ。慎みってモンを理解しろ、馬鹿野郎」

 

 カイの説明では、この指輪を装備することで能力の隠蔽ができるらしい。

 

「ふーん。この指輪がねー」

 

 左手の薬指につけた指輪をクレマンティーヌはしげしげと眺める。

 周囲が薄暗い中、僅かな光を集めた指輪は煌めいて見えた。

 

「んー。自分じゃ効果の実感はないなー。カイちゃんもこの指輪を装備してんのー?」

「俺はお前ぇと違って、正体がバレない技術(テク)があんだよ」

 

 確かにエ・ランテルの死体安置所で初めて会ったときから今まで、カイから強者の殺気を感じたのは銀の板に触れたときの()()だけだ。

 だが口調は自慢げでもカイの表情に余裕はない。

 

「……さっきの爺ぃ相手に隠しきれたかどうかは知らねえけどなぁ」

 

 カイの言葉には明らかな不安と恐れがあった。

 

「ともかく娼館に乗り込めそうなくらいの金は入ったんだ。さっさと娼館を見つけるぞ」

「んじゃ、それが終わったら、あの爺さんのところに挨拶に行く?」

「馬鹿野郎。死ぬほど危ねえ場所が分かったんだ。さっさと用事を済ませて、この古臭い街からずらかるぞ」



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第7話「疾風走破、邂逅する」

登場人物紹介

クレマンティーヌ:ズーラーノーンの十二高弟のひとり。健康体。
カイ:凄腕凄アイテム持ちの中年親父。健康体。

オロフ:娼館の受付兼用心棒。喧嘩傷多数。


 ■

 

 王都中央部から少し離れた狭い路地の奥に娼館はあった。

 店はクレマンティーヌが拍子抜けするほど簡単に見つかったが中には入れてもらえなかった。

 予定のない客を受け入れるのは日が暮れてからであり、それより前――いわゆる営業時間外――に入店できるのは予定を入れた者か予定を入れられるような強力なコネがある者だけだ。

 強面の大男からそう説明を受けたカイはいつものニヤニヤ顔を浮かべながら素直に引き下がった。

 

「あんなの押し入っちゃえばいいじゃん」

 

 狭い路地を進みながらクレマンティーヌは不満そうな顔でレイピアの柄をいじくっていた。

 

「お前ぇと違って切った張ったは御免なんだよ。俺が血ぃ見るのは処女か生理の女を犯すときだけで充分だぜぇ」

 

 クレマンティーヌは呆れ顔になる。

 そんなクレマンティーヌを尻目にカイは建物の壁に沿って時折、上を見ながら歩いている。

 

「なに? 店の大きさでも測ってんの?」

 

 クレマンティーヌの問いには答えず、カイは何かを考える素振りを見せた。

 

「娼館を調べてるってアダモちゃんはどっちの方だ?」

「たしか青いほうじゃなかったかな?」

 

 もはやカイのボケにクレマンティーヌは付き合わない。

 

「そんなかに忍者はいるか?」

「んー? 聞いた話じゃ蒼の薔薇の構成は魔法詠唱者(マジックキャスター)が二人に戦士が一人、あとは盗賊が二人だったかなー。その“にんじゃ”ってのは盗賊系? だったらその二人が怪しいんじゃない?」

 

 以前、風花聖典から聞いた情報を口にする。

 クレマンティーヌ個人に関わりのない情報であれば常識知らずに常識を教える(ガイド)くらいはしてやるのも悪くない。

 考えている様子のカイを見てクレマンティーヌはあることに気づいて周りに視線を走らせた。

 

「……もしかして誰か居た?」

 

 その問いには答えずカイはいつものニヤニヤ笑いに戻る。

 

「どうせ時間を潰さなきゃならねえんだ。せっかくだから、そのアダモちゃんに会ってみるとするか」

「あんれー? 厄介事は御免なんじゃないのー?」

 

 カイが少しだけ眉を上げる。

 

「ふん。ちょこっとお話をするだけだぁ。あちらさんがヒマしてりゃいいんだがな」

 

 ■

 

 アダマンタイト級冒険者チーム「蒼の薔薇」は「朱の雫」と並んでリ・エスティーゼ王国では群を抜いて有名な存在だ。

 通りを歩くだけで話題になり、何かアイテムを買えば使い道が取り沙汰され、あやかりたい者たちが同じアイテムを同じ店で買い求める。

 そんな彼女たちの居場所を探すのは実に簡単だった。

 彼女たちの定宿はあまねく人々に知られており、王城近く大通りの横手にある高級宿屋がそれだ。

 老女の行商人から聞いて辿り着いた宿屋を仰ぎ見てカイが呆れたように言う。

 

「こりゃまたお高そうなところに泊まってんなぁ、おい」

「そーだねー」

 

 クレマンティーヌは生返事だ。

 王都の上級宿屋と言われても、せいぜいエ・ランテルの「黄金の輝き亭」を連想するくらいでクレマンティーヌの興味を惹くものではない。

 そんな物を見る暇があれば隠れ外套(ステルス・マント)を使って通行人をからかうほうがまだ有意義だ。

 ただしその宿屋に泊まっている「蒼の薔薇」についてだったら興味がない訳ではない。

 

 なんといってもこのリ・エスティーゼ王国で自分と()()()らしい戦士ガガーランが所属するアダマンタイト級冒険者チームだ。

 おそらく自らを強者と自負し、戦士として自信を持っているであろうことが想像できる。

 そして、そんな者たちを弄び切り刻むことがクレマンティーヌの楽しみだ。

 ガガーランと直接対峙したことはないが、自分と()()()といってもそこまでだろう。

 集めた情報を総合してクレマンティーヌはそう結論付けていた。

 

 蒼の薔薇の他のメンバーである魔法詠唱者(マジックキャスター)や盗賊に惹かれるものはなかった。

 スッといってドス! で済む話だと思っていたからだ。

 そう。

 黒の鎧で正体を隠していたアンデッドの魔法詠唱者(マジックキャスター)に出会うまでは。

 あの時以来、遭遇した魔法詠唱者(マジックキャスター)相手にスッといってドス! で済んでいないことが腹立たしくも憎らしい。

 今、宿屋の警備兵と話をしている猫背の男をクレマンティーヌは改めて睨みつけた。

 

 カイは警備兵を体よく丸め込んで宿屋に入っていく。

 クレマンティーヌは隠れ外套(ステルス・マント)を目深に被りカイの後を滑るように付いていった。

 

 宿屋の一階は酒場とラウンジを兼ねた作りになっている。

 部屋の広さに比して客の数が少ないのは、それだけ滞在費が高額であり利用者が少ないことの証左であろう。

 

 ぐるりとまわりを見渡すと蒼の薔薇の居場所は直ぐに分かった。

 部屋の一番奥のおそらく特等席であろう丸テーブル。

 そこに彼女たちは居た。

 席についているのは大きくて四角い女と小さくて仮面を被った人物、そして――。

 

「おいクレマン。ここじゃ何も(しゃべ)んじゃねえぞ。分かったな」

 

 カイが声を潜めてクレマンティーヌに釘を刺す。

 

「なんでー。あの有名な蒼の薔薇なんだよー? 話くらいしてもいいじゃん」

 

 隠れ外套(ステルス・マント)の奥でクレマンティーヌの笑顔が鋭く歪む。

 獲物を見つけ、今まさに襲い掛からんとする肉食獣の笑みだ。

 強者を蹂躙する快楽が蘇り、暴力への欲求が沸き立つが、そんなクレマンティーヌにカイが冷や水をかける。

 

「だから言っただろうが。揉め事を起こす気はねえんだよ。あと外套(マント)も脱いどけ、いいな」

「えー」

 

 肉食獣の笑みを止め、わざとらしく頬を膨らませクレマンティーヌはむくれた振りをする。

 だがカイの言葉には逆らわない。

 渋々と隠れ外套(ステルス・マント)を脱ぎ、腹と脚を露出した服と帯鎧(バンデッド・アーマー)の姿になる。

 レイピア、そして猫耳と尻尾は装備したままだ。

 酒場とラウンジにおぉと小さな感嘆の声が上がった。

 それを確認したカイが歩き出し、クレマンティーヌがその後をついていく。

 

 真っ直ぐに自分たちに向かってくる二人組に蒼の薔薇も気づいた。

 怪訝な面持ちでクレマンティーヌとカイを見ている。

 

 あの大きく四角い女がガガーランか。

 顔つきも体格も戦士としての自信に満ち溢れている。

 クレマンティーヌは頬が緩むのが抑えられない。

 その鍛えられた肉体を、揺るぎない自信を、寸刻みで切り裂けたら、どれだけ気持ちが良いだろう。

 

「どうもぉ、こんにちわぁ」

 

 国中に名が知れた英雄に対するものにしては、カイの挨拶はあまりに素朴だ。

 大きく四角い女――ガガーランが訝しげな表情のまま小さな仮面の――おそらく女であろう人物をちらりと見る。

 

「見ない顔だな?」

「はぁい。本日この街に来たばかりの田舎者で、ピアトリンゲンのカイと申します」

「そっちの女は?」

「こちらはただの肉壺ガイドですぅ。蒼の薔薇の皆さんの大ファンだというので連れてきただけなので、お気になさらずに」

 

 ガガーランと仮面の女が揃ってクレマンティーヌを見た。

 カイの紹介の仕方と二人の遠慮のない視線に怒りを覚えたが我慢して軽く会釈する。

 

「俺たちのファンにしちゃ、あんまり嬉しそうには見えないな」

「緊張してるんですよぉ。好きすぎて変なことを口走らないよう、さっき言い含めたばかりでして」

 

 蒼の薔薇の二人は明らかにカイの話を信じていない。

 当たり前だ。

 そんな馬鹿な話を誰が信じるものかとクレマンティーヌは思う。

 ヘラヘラと笑うカイの首をレイピアで切り落としたい衝動に駆られる。

 

「身体つきは戦士っぽいな」

「用心棒といったところか」

「あの耳と尻尾はなんだ? あんな獣人(ビーストマン)は知らねえぞ?」

「あれは飾りだな。なんらかのマジックアイテムっぽいが……」

「強さはどうだ? 分かるかイビルアイ?」

「感じない。だが分からんな。力を隠している可能性がないとは言い切れん」

 

 カイの紹介はどこへやら、蒼の薔薇はクレマンティーヌの正体について意見しあっている。

 本人を目の前にした人物評価にクレマンティーヌは(はらわた)が煮えくり返る思いだが、仮面の女――イビルアイが探知防御の可能性に言及しているのには感心した。

 この仮面の女もそういう装備を持っているのかも知れない。

 

「で? 今日この王都に来たばかりのカイさんが、俺たちに何の用だ?」

 

 蒼の薔薇の中での意見の一致は取れたらしく、改めて大女ガガーランが用件を聞いてきた。

 カイのニヤニヤ笑いは変わらない。

 

「失礼を承知で蒼の薔薇の皆さんにお聞かせしたい話がございます、はい」

「依頼なら組合を通してくれ。引き受けるという確約はできないがな」

「冒険者組合には話せない事情がございましてぇ、はい。実は例の娼館の話なんですよぉ」

 

 カイの言葉に場の雰囲気が剣呑なものに変わる。

 

「……ほう」

 

 イビルアイが呟くと同時に周囲の音が遠くなった。

 以前、カイが使った周囲の音を遮断する魔法が使われたようだ。

 アダマンタイト級の魔法詠唱者(マジックキャスター)ともなればこの程度の魔法は常備しているものなのだろう。

 

「ちょっと細工をさせてもらった。続けてくれ」

 

 仮面の女――イビルアイが促すがカイはすぐには話さない。

 何かを探すように周りをきょろきょろと見回す。

 

「蒼の薔薇は5人組とお聞きしましたが……他の皆さんはどちらに居られるのですかぁ?」

「さあな。いつも全員でつるんでるワケじゃないさ」

「なるほどぉ。皆さんそれぞれお一人でも動けるほど実力があるんですねぇ、くっくっく」

 

 カイの口振りに不穏なものを感じたのか、ガガーランの表情が険しくなる。

 

「気になる言い方をするな?」

「思ったことを口にしただけですぅ。お気に障ったのでしたら謝りますです、はい」

 

 カイが奥の壁、テーブルの陰に声をかける。

 

「ところで、そちらのお嬢さんもお座りになったらいかがですかぁ?」

 

 少し間を置いて、丸テーブルの陰から滲み出るように姿を現したのは黒い衣装の女だ。

 

「このおっさん、目ざとい」

 

 女が着ている黒い衣装は身体に張り付くようなもので、部分的にはカイの服にも似た雰囲気がある。

 この女が二人の盗賊の片割れだろう。

 クレマンティーヌも女盗賊の存在には気づいていた。

 話すなと言われたから口にしなかっただけだ。

 

「すまないな。職業柄、俺たちは誰が相手でも警戒しとくんだ」

「いえいえ。常在戦場。腸内洗浄。万事において用心深く準備万端整えるのは至極当然のことでございます、はい」

 

 そう言いながらカイはするりと椅子に座った女盗賊を見つめていた。

 

「はてぇ? お嬢さん。先ほど街でお会いしませんでしたかぁ?」

 

 ガガーランがちらりとイビルアイを見る。

 その様子に何か思い当たる節があるとクレマンティーヌは判断した。

 女盗賊の表情は変わらない。

 

「そういう声のかけ方は古い。それにおっさんは対象外」

「あらあらぁ。手厳しいですねぇ、くっくっく。ですがお嬢さんに似た方を見かけたのは本当ですよぉ。なるほど他人の空似というヤツですかぁ。世の中には似た人間が3人は居ると言いますからねぇ」

 

 そんな話をクレマンティーヌは聞いたことがない。

 こんな格好の女が二人といてたまるか、と中々本題に入らないカイにクレマンティーヌはいらいらする。

 そして、いらついていたのはクレマンティーヌだけではなかった。

 

「回りくどい男だな。私たちに何の情報(ネタ)を売りたいんだ?」

 

 イビルアイも焦れていたのか語気を強めてカイに訊ねる。

 

「これはこれは話が早い」

 

 誰の許可も取らないままカイは椅子に腰を下ろした。

 

「実のところ、これからその情報(ネタ)を取りに娼館に赴くところでして」

 

 蒼の薔薇に困惑が広がった。

 無表情な女盗賊も仮面のイビルアイからも理解不能の雰囲気が漂う。

 

「……あの店に忍び込むのか?」

 

 岩のような顔に素直な戸惑いの表情を浮かべているガガーランがカイに確認した。

 

「いえいえ。お客として正々堂々とお邪魔するつもりです、はい」

 

 ガガーランは苦虫を噛み潰したような表情になった。

 その様子を気にすることなくカイは話を続ける。

 

「お店のサービスをたっぷりと堪能した上で、そのついでに蒼の薔薇の皆様がご所望している情報(ネタ)を集めてこようかと考えております、はい。どんな情報(ネタ)をお求めか教えていただければ、あの娼館の中にある範囲でならお持ちしますですよぉ」

 

 沈黙が丸テーブルを包んだ。

 そして沈黙を破るのは、沈黙の原因であるカイだ。

 

「いかがでしょう? さすがのワタクシもお店にない情報をお渡しすることはできませんから、御代は情報(ネタ)を見てからご判断いただくということで」

「つまり、これから現場に行くから、私たちが何の情報(ネタ)を求めているか教えてくれ、ということか?」

「はぁい。誰も欲しがらない(ニーズのない)情報を集めるよりは、お客様が欲する商品だけをご用意する方が効率的かと思った次第ですぅ」

「ふざけるな!」

 

 イビルアイがテーブルを叩いた。

 

「私たちが何を探っているか知って次はどうする? その情報を八本指にでも売るか? それを知れば情報を闇に葬るのも容易いだろうな」

「おや? ワタクシがその八本指とやらの仲間と仰いますかぁ?」

 

 イビルアイの怒気が膨れ上がる。

 

「当たり前だ! そんな露出狂じみた女の用心棒を連れて、私たちに交渉を持ちかける男がまともな人種の訳があるか。さしずめ警告にでも来たつもりだろう。もし私たちと事を構える気があるなら、そこの女だろうが六腕だろうがいつでも相手になるぞ!」

 

 イビルアイに指を指されクレマンティーヌは笑顔を邪悪に歪ませた。

 カイのニヤニヤ笑いは変わらない。

 

「落ち着けイビルアイ」

 

 ガガーランがイビルアイをたしなめる。

 だが、そんな彼女もカイに不信感を抱いていることを隠そうとはしない。

 

「あんたが何者かは知らんが俺たちから話すことはない」

「娼館に関して特に欲しい情報はないと仰るので?」

「それについても言うことは何もない。あんたの話はもちろん、あんた自身が信用できないからな」

 

 ガガーランからの明確な拒絶の言葉にカイは小さく頷いた。

 

「仰ることはよぉく分かります。どんな仕事でも信用がなくては大きな成果は生まれません。今回はワタクシめの言葉が足らず、蒼の薔薇の皆様に不愉快な思いをさせたこと、深くお詫び申し上げます、はい」

 

 カイが深く頭を下げ、それからゆっくりと立ち上がった。

 

「それでは、他のメンバーの方にもよろしくお伝えくださいませ」

「そちらも達者でな。まぁ、二度と会うことはないと思うが」

 

 怒りを抑えたイビルアイが皮肉混じりの返事をする。

 蒼の薔薇の不信感に満ちた視線を浴びながら、カイはいつものニヤニヤ笑いを見せつつ踵を返す。

 クレマンティーヌは三人のそれぞれの姿を改めて確認してからカイの後についていった。

 

 ■

 

「振られちゃったねー?」

「……うるっせぇなぁ」

 

 宿屋を出て直ぐに隠れ外套(ステルス・マント)を被ったクレマンティーヌがカイを茶化す。

 

「もうちょっと女の口説き方、考えたほうがいいんじゃないのー」

 

 クレマンティーヌの軽口を聞いている素振りも見せずカイは周囲に目を走らせていた。

 

「なんだったら私が教えてあげてもいいよー。マジックアイテムと交換でさ、けけっ」

 

 蒼の薔薇との邂逅はクレマンティーヌの気分を少しだけ高揚させていた。

 情報でしか知らなかったガガーランをこの目で確認し、全員ではないがアダマンタイト級冒険者「蒼の薔薇」を見定めることが出来た。

 仮面の魔法詠唱者(マジックキャスター)イビルアイの強さが読めなかったのが気がかりだが、あれだけ感情的な性格ならば付け入る隙はいくらでもあるだろう。

 あとはこの高揚感を発散できるような切り殺し甲斐のある人間がどこかにいればいいのだが――。

 

「おいクレマン」

 

 通りを歩いている中から犠牲者を物色していたクレマンティーヌにカイが話しかけた。

 

「なーにー? 私の教えを請う気になったかなー?」

「八本指ってなんだ?」

「……何? カイちゃん、八本指を知らないのぉ?」

 

 クレマンティーヌは素で驚きの声を上げた。

 

「ああ。あのチビにテキトーに話を合わせただけだぁ」

「じゃあ、もしかして六腕のことも?」

「聞いたこともねえ」

 

 先ほどまでの高揚感が消え失せ、倦怠感がどっと肩にのしかかった。

 八本指と六腕についてクレマンティーヌはカイに説明する。

 

「あっきれた。娼館を取り仕切ってる組織も知らないでよくもまあ蒼の薔薇と取引しようなんて考えたね」

「別にいいだろうが。こっちが店に行くことは教えたんだしよぉ」

 

 カイの言葉にクレマンティーヌは真顔になる。

 

「なに? 取引なんてどうでも良かったっての?」

「顔見せだよ顔見せ。営業の第一歩だぜぇ。あいつらの仲間が建物のまわりをウロチョロしてやがったしな。いきなり店内で出くわして大立ち回りなんてことになったらメンドくせえからなぁ」

 

 これから娼館に行くことをカイは蒼の薔薇に話した。

 そしてカイが油断できない相手だということも伝わったはずだ。

 蒼の薔薇が娼館を探っているなら、たとえ店内で遭遇したとしてもカイの様子を見るだろう。

 しかしそれはクレマンティーヌからすれば手間をかけ過ぎているようにも思える。

 

「回りくどいことするねー。邪魔するなって言えば一発じゃん」

「それじゃあ小遣い稼ぎもできないだろうが」

「あー。金は欲しかったんだ?」

「だから、うるせえって言ってるだろうがぁ」

 

 気づけば二人は上級宿屋から大きく離れ、各種店舗が立ち並ぶ王都の目抜き通りに立っていた。

 

「それじゃ娼館が開くまで“でえと”と洒落込もうじゃねえか。クレマンの奢りでなぁ」

「えー? 私お金持ってないよー」

 

 クレマンティーヌは両手をひらひらさせる。

 

「しらばっくれるんじゃねえ。さっき善良な市民の懐から掏ってただろうが。俺様の外套(マント)を使ってよぉ」

 

 嫌らしい笑いを浮かべて勝ち誇るカイにクレマンティーヌはため息をついた。

 

「ほんっと。目ざといおっさんだねーカイちゃんは」

 

 ■

 

「おい。そろそろだぜ」

「ああ」

 

 強面の大男がテーブルの前を通り過ぎ、食事をしていた大男が立ち上がる。

 肉をかじり取った骨を投げ捨て、酒精混じりのげっぷを漏らした。

 床に落ちた骨は部屋を掃除している暗い顔の痩せた女が拾って片付ける。

 大男はゆっくりと歩いて扉の横に立った。

 

 オロフ・オルフソンは娼館の受付だ。

 受付といっても看板を出したり客引きをしたりする必要はない。

 ここに来る客は皆、ここが何の店かを知っている。

 オロフがするのは入口に立ち訪れた者の相手をするだけだ。

 そしてこういう仕事の場合、受付というのは用心棒も兼ねている。

 今の時間に待機室に居る受付はオロフと同僚の二人だ。

 そして廊下に立つのは今の時間からオロフの番だった。

 

 オロフがこの仕事に就いて、そろそろ1年になる。

 この仕事の前は父親の跡を継いで貴族の御者をしていた。

 他の貴族の御者と馬車を停める位置で揉めて暴力沙汰を起こし暇を出された。

 ただし暇を出されたと言っても儀礼的なものに過ぎない。

 主人同士の仲が良かったため、あくまでお互いの体面上の措置だ。

 主である貴族も時が経てば元の御者に戻すと話していた。

 

 とはいうもののオロフ自身、娼館の受付の仕事に不満はなかった。

 仕事は交代制で食事は好きなときに食べられるし酒も飲める。

 御者のときのように身なりに気を使わなくてもいい。

 特に有難いのは客への対応がほぼオロフに一任されていることだ。

 馴染みでない客に対しては、恫喝や暴力行為で追い払うことも許されている。

 気に入らない客を恫喝して金だけを巻き上げ店から叩き出したことも数知れない。

 それがオロフの懐と暴力欲求を満たし仕事への情熱となっていた。

 

 オロフが受付の場に立ってすぐ荒々しく4回、入口の扉を叩く音が聞こえた。

 店の客という合図だ。

 扉に近づいて覗き窓を開けると、そこには昼間に追い払った小汚い中年親父のニヤニヤ笑いがあった。

 

「そろそろお時間ですが、こちらやってますかぁ?」

「ふん。手前ぇか……入んな」

 

 鍵を開け扉を開けるとニヤニヤ親父はするりと足音も立てずに入ってきた。

 ドアを閉めようとしてオロフはふと違和感を感じ周りを見回すが特に変わったことはない。

 気のせいだと思い直して扉を閉め鍵を掛ける。

 

「金はあんだろうな?」

「もちろんですよぉ、くっくっく」

 

 男は懐から皮袋を取り出し昼間に伝えた金額をオロフに手渡した。

 手に伝わる上品な重さが金貨が偽物でないことを示している。

 吹っかけたつもりだったが、このみすぼらしい中年親父は簡単に大金を出してきた。

 どこの田舎者かは知らないが、この様子ならまだまだ金を隠し持っているに違いない。

 

「ずいぶん羽振りがいいじゃねえか。どこで盗んできたんだ? ん?」

「盗むなんて人聞きの悪い。親切な紳士から謝罪でいただいた大事なお金ですよぉ」

「そうかい。今度、その親切な紳士を俺にも紹介してくれよ」

「はぁい。ここでヤることをヤればワタクシめもそのくらいの余裕ができますです、はい」

 

 軽く脅したつもりだったが男は白を切ってるのか鈍いのか気づかない振りをする。

 それなら遊びが終わったときに脅せばいい、とオロフは頭を切り替えた。

 

「選ぶのは女でいいんだな?」

「はぁい。ちなみにそこの女性は使えますでしょうかねぇ?」

 

 男は待機部屋の隅で掃除をしている金髪の女を指差した。

 

「こいつかぁ? こいつも女っていやあ女だが……」

 

 掃除の手を止めた女はオロフと中年の男を見つめおどおどしている。

 待機部屋に居たオロフの同僚も少し戸惑っていた。

 

「おっさんよぉ。奥にもっとましな女はいるぜ?」

 

 肌も露わに着飾ったオロフ好みの女が数人いたことを思い出す。

 

「お気遣いありがとうございますぅ。なんといいますか、その女性の身なりや仕草になにやら輝くものを感じましてぇ。彼女ならワタクシを満足させてくれる、そんな気がしたのですよぉ。なるほど、これが運命というものかも知れませんねぇ、くっくっく」

 

 男はオロフの提案をやんわりと断った。

 

「この店に来て運命とは笑わせるな、おい。どうせヤることをヤるだけだろうが」

 

 オロフと同僚が大笑いしたが、親父はニヤニヤと笑いながらも口振りは真剣だった。

 

「はぁい。ヤるにしても、そういう閃きやときめきが大切だと思っているんですよぉワタクシは。ですが先ほどお渡しした料金を割り引いていただけるのであれば、ぐっと我慢をして別の女性にお願いしても構わないのですがぁ?」

 

 妙にこだわる男の言葉をオロフは聞き飛ばした。

 客への助言はオロフの仕事ではない。

 

「わかったわかった。そんじゃここに名前を書け」

 

 羊皮紙を束ねた台帳を取り出してオロフは親父に記名するよう促した。

 だが親父はペンを取ろうとしない。

 

「まことにすみませんがぁ。ワタクシ、読み書きができないのでございますよぉ。そちらの台帳にはピアトリンゲンのカイと記していただけないでしょうかぁ?」

「そうかい。なら代筆は別料金だぜ?」

「わかってますよぉ。こちらでお願いします」

 

 ニヤニヤ笑いの中年男――カイから銀貨を受け取りオロフは台帳に名前を書く。

 農村の出身で読み書きができない者は珍しくない。

 オロフは父親の代から貴族に仕えていたので読み書きは習っていた。

 いつのまにか興味深そうにカイが台帳を覗き込んでいる。

 

「なんだ? 俺の字に文句でもあんのか?」

「いえいえ。なかなかの達筆ですよぉ。なるほどぉワタクシの名はそういう文字なんですねぇ、くっくっく」

 

 カイの口調にいらつきながら貰うものを貰ったオロフは未だ戸惑っている女に命令する。

 

「おい。旦那のご指名だぞ。下の部屋へ案内してやれ」

「あ、あの……まだ……掃除が」

「掃除なんか後だ。旦那が呼んでいるんだ。さっさとついて行きやがれ!」

 

 オロフが髪を掴んで女を引っ立てようとすると、いつのまにか親父の顔がオロフの眼前にある。

 思わずオロフは顔を引いてのけぞった。

 

「おおぉっ!」

「あのぉ……」

「な、なんだっ?」

「どうして乱暴なさっているので?」

「いや……その……こいつがグズグズしてるから……」

「この女とヤるために大金を払ったのはワタクシですが? それとも女が傷ついた分は割り引いて返金いだけるのですかぁ?」

 

 カイの不気味な剣幕に圧されてオロフは手を離した。

 解放された女がカイに気遣われている。

 

「だぁいじょうぶですか? お怪我はありませんかぁ?」

 

 女は自分の頭を押さえながら大丈夫という仕草を見せる。

 

「困りますねぇ。あわや代金支払い済みの商品を使う前にお店の人間に傷物にされるところでしたぁ」

 

 口調こそ丁寧だが、その言葉が自分への厭味であることは分かる。

 オロフは自分の顔が怒りで紅潮するのを感じた。

 そんなオロフを気にすることなく、カイが女の説明を聞きながら隠し扉を開く。

 

「なるほどぉ。こんなところに隠し扉があったんですねぇ。それじゃあお嬢さん。部屋に案内してもらいましょうかねぇ」

 

 地下への入り口に先に女を行かせると、怒りのあまり今にも殴りかからんとしているオロフにカイが話しかける。

 

「お店の人間なら商品を大事にするものですよぉ。ワタクシが心のひろーいお客で、よおございましたねぇ、くっくっく」

 

 カイは片目を瞑ると隠し扉を閉め地下へと消えた。

 

 怒りのあまりオロフは隠し扉にその拳を叩き付ける。

 大きな音が待機部室全体に響いたが、丈夫な扉は微動だにしなかった。

 

 ■

 

 女の案内でカイは部屋に入った。

 もちろん娼館に入るときから隠れ外套(ステルス・マント)を纏ってついてきたクレマンティーヌも一緒だ。

 部屋に入ったカイは、すぐさまベッドに腰を下ろした。

 

「さっすが裏のサービスだ。ベッドもでかい。部屋も立派なもんだ」

 

 カイは身体を弾ませてベッドの感触を確かめる。

 

「この部屋は音が漏れないようになってるんだろ? ねぇちゃん」

 

 待機部屋とは違うカイのくだけた口調に女は戸惑っていた。

 

「は、はい……。どんな大声を上げても別の部屋にも外にも声は聞こえません」

「ここだったら何をしても金さえ払えば問題なしってことだなぁ、くっくっく」

 

 女が陰のある顔をさらに不安げな表情にする。

 

 気づかれることなくその表情を間近で見ているクレマンティーヌの嗜虐心がくすぐられる。

 隠れ外套(ステルス・マント)を脱いで姿を見せたらどれだけ驚くだろうか。

 その痩せこけた身体をレイピアで切り刻んだとき、弱者はどんな反応を見せてくれるのか。

 

「ねぇちゃん。名前は何てんだ?」

 

 藁ではない正真正銘のマットレスベッドに横になったカイが女に尋ねた。

 女は口を開いては閉じ、何度かの逡巡を経てからようやくその名を口にした。

 

「私の名は……ツアレです」



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第8話「疾風走破、音読する」

登場人物紹介

クレマンティーヌ:ズーラーノーン十二高弟のひとり。欲しいものはマジックアイテム。
カイ:凄腕凄アイテム持ちの助平親父。欲しいものは情報?
ツアレ:娼館の娼婦。欲しいものは特に無し。


◇◆◇

 

 ツアレを選んだ男はベッドに座っていた。

 ピアトリンゲンのカイと名乗る奇妙な服を着たその男は下品で、だらしない顔からは情欲が溢れている。

 故郷の村からツアレを連れ出した貴族と同じ顔だ。

 

 貴族の館での生活は確かにツアレの衣食住を満たした。

 だがツアレの心と身体は陵辱と暴力によって踏みにじられ、故郷の村で彼女が見せていた快活さは失われた。

 ツアレは主人である貴族の要求に応じる人形として生きるしかなかった。

 

 やがて貴族は新しい妾を手に入れ、ツアレを娼館に売り飛ばした。

 娼館での暮らしは貴族の館とほぼ同じだった。

 相手をする人間の数が多くなっただけだ。

 

 娼婦として生きていく中、空いた時間ができるとツアレは娼館の中を掃除するようになった。

 掃除をしていれば娼婦として選ばれないだろうという打算もあったが、何より掃除している間は自分の境遇を忘れられたからだ。

 ツアレの拙い目論見は何度も裏切られ、何度も客の相手をさせられた。

 それでもツアレは娼館の掃除をし続けた。

 掃除をし続けるしかなかった。

 

 今夜もツアレの思惑は外れ、娼婦としてこの下品な男に選ばれてしまった。

 選ばれた以上は娼婦として対応しなくてはならない。

 この男からの文句が店に伝われば、より酷い境遇に陥ることが分かっている。

 ツアレは床に跪き上目遣いで下品な男――カイに定型の口上を述べる。

 

「この度は私をお選びいただきありがとうございます。私は旦那様の全ての望みを叶えます」

 

 口上を聞いたカイはすぐには動かなかった。

 ツアレをじっと見つめながら何かを嗅ぎ取るように下品に鼻を鳴らす。

 やがてカイは眉を顰めると呆れたような表情を見せた。

 

「……俺ぁ孕み女をどうこうする趣味はねえんだよ」

 

 その言葉を聞いてツアレの瞳から涙が溢れてきた。

 床に手をついたまま身動きができない。

 少しでも動けば、涙を拭おうとすれば、それだけで泣き声を上げてしまいそうだった。

 カイが言うように自分が妊娠しているかどうかは判らない。

 だが心当たりはいくらでもあった。

 跪いて見上げた姿勢で涙を流し続けるツアレを見てカイが溜息をついた。

 

「まったく……泣きゃあ済むと思ってやがる」

 

 両方の(まなじり)から涙が流れ落ちるまま、ツアレはそうではないと言いたかった。

 力や金のない弱者は泣くしかないのだと。

 

「泣くってことは今の立場を楽しんでるワケじゃあなさそうだな、おい」

 

 ツアレは何も言葉に出来ず、ただカイの顔を見続けるだけだ。

 

「泣いてなんとかなるのは赤ん坊のうちだけだぜ。いや。赤ん坊だって時と場所を選ばずに泣きゃあ、ぶっ殺されるだろうなぁ」

 

 その通りだ。

 泣き叫ぶ赤子をあやすことができず、母子共々貴族から切り殺された話をツアレは聞いたことがあった。

 

「この先、お前ぇがどこで殺されようがの垂れ死のうがしっちゃこっちゃねえが――」

 

 カイはそう前置きする。

 

「ちぃっとでも変わるチャンスが見つかりゃあ、そいつにしがみつくこったな」

 

 そんな機会が来るのだろうか。

 少なくとも今までのツアレの人生においては皆無だった。

 カイは厚い唇を笑いの形に歪める。

 

「1分でも1秒でも長く生きれば、お前ぇを邪魔だと思う奴らへの仕返しになるからなぁ、くっくっく」

 

 その言葉の意味はツアレには分からなかった。

 仕返ししてどうなるというのか。

 長く生きたところでそれは苦しみが長引くだけではないのか。

 そう思ってカイの目を見る。

 だがツアレをからかうような雰囲気はなくその瞳は――濁ってはいたが――真剣に見えた。

 それはカイの――金や力を持つ者の信条なのだろう。

 ツアレはそう思うことにした。

 

「めそめそ泣くのが嫌だったら――」

 

 ふいに横から声をかけられツアレは驚き振り返る。

 

「いつでも言いなよー。泣かずに済むよう私が殺してあげる。ただし楽には死ねないかもねー」

 

 いつの間にか傍らにいた女がツアレの顔を覗き込んでいた。

 その金髪の女の笑顔は、自分を村から連れ出した貴族よりも邪悪で狂気に満ちている。

 

「あ……あなたは――」

 

 そこまで口にしたところでツアレの視界がぼやけ、やがて意識が闇に包まれた。

 

◇◆◇

 

「もしかして殺しちゃったー? んなワケないか。優しいもんねーカイちゃんは」

 

 クレマンティーヌは気を失ったツアレを指でつつきながらカイをからかう。

 

「なんで姿を見せやがった? ここじゃマントを被っとけって言ったろうが」

「だってだってー。あんまりこの女が私をイライラさせるからだよ。良くないよねー。やる気もないくせにめそめそ生きてるだけの人間なんてー」

「……ふん。この(アマ)くらいが普通なんだろ。ここじゃあよぉ」

「やけに肩を持つんだねー? もしかしてこの女に一目惚れしちゃったー? それで優しくアドバイス? 諦めが肝心だよ。特に弱っちいヤツらはねー」

 

 クレマンティーヌのからかい口調にカイはふいに神妙な面持ちになる。

 

「諦めが肝心ってか……。まぁそういうときも来るかもなぁ……」

 

 予想外の反応に訝るクレマンティーヌをよそにカイはツアレをベッドに運んだ。

 エ・ランテルの安宿でベッドに縛り付けられたときのことをクレマンティーヌは思い出す。

 

「カイちゃんやさしー。私のときと全然ちがーう」

「ふん。当たり前だ、馬鹿野郎」

 

 ベッドに横になったツアレの顔をクレマンティーヌがじっと見つめた。

 

「なんだぁ? この女になんかあんのか?」

「……別にー」

 

 ツアレと名乗ったこの女の顔に見覚えのあるような気がしたが勘違いだったようだ。

 クレマンティーヌはすぐに頭を切り替える。

 

「でー? ここで私は何をしたらいいのかなー? 人も殺せないところにいつまでも長居したくないんですけどー」

「まったく。口を開けば死ぬだの殺すだの……。まあいい。お前ぇのここでやるこたぁ簡単だ。まずはさっきの受付で台帳を借りて来い。バレないようになぁ」

 

 子供の使いのようなカイの命令に、かろうじて残っていたクレマンティーヌの緊張感が完全に抜け落ちた。

 

「なにそれ? そりゃ簡単だけどさ……。そんなのカイちゃんが自分でやったほうが早いんじゃない?」

「俺は他にやることがあるんだよぉ」

 

 気を失っているツアレを見てクレマンティーヌはぴくりと顔を顰める。

 

「やること、ねぇ……」

 

 別にカイがこの女をどうしようと関係ない。

 問題はクレマンティーヌがしたいことを我慢しなければならないことだ。

 

「借りて来いって……後で返すの? 持ってくるとき、あのデカブツ二人をぶっ殺しちゃダメ?」

「あったり前だぁ。ここじゃ騒ぎを起こすんじゃねえ。こちとら真っ当な客なんだからよ」

 

 真っ当な客が台帳を覗き見たりしないだろうと思うが、クレマンティーヌの問題はそこではない。

 

「やだなー殺しも出来ないなんてー。それってガイドの仕事じゃないよねー? 契約外任務かー。辛いわー」

 

 クレマンティーヌは棒読みで愚痴を言う。

 言葉は棒読みでもやる気のなさだけはカイにも伝わったようだ。

 

「わかったわかった。ここの仕事が終わったらアイテムをくれてやる」

「え? 本当(まじ)で? それってマジックアイテムだよねー?」

 

 装備している猫耳と尻尾を震わせクレマンティーヌは破顔した。

 あまりに露骨な変わりように、カイは何度目かの溜息をつく。

 

「ああ。だからさっさと行ってこい」

「あとさー。お金は? 見つけたら取っていいのー?」

「バレなきゃな。いいか? 騒ぎは起こすな。殺しはすんな。急げ。分かったな?」

「はいよー」

 

 言うが早いかクレマンティーヌはさっさと部屋から出る。

 ベッドで気を失っているツアレに一度だけ鋭い視線を送りながら。

 

◇◆◇

 

 待機所から台帳を奪うのは簡単だった。

 マントの効果が絶大で隠し扉を開けても閉めても、受付ももうひとりの大男もクレマンティーヌを見ようともしない。

 クレマンティーヌが聞き耳――マジックアイテムではなく自前のほう――を立てると、受付の大男がカイを店を出た後に襲って金を奪う話をしていた。

 予想外の殺し(イベント)の予感にクレマンティーヌの機嫌が良くなった。

 

 鼻歌交じりに台帳を抜き取り羊皮紙の束をパラリと確認すると、中に一枚の羊皮紙が挟んであった。

 そこには娼館を取り仕切っている八本指の幹部コッコドールと王国貴族の名が記してある。

 貴族の来店を知らせる伝書で、よほど急ぎの案件だったのか回収を忘れて、そのままになっていたもののようだ。

 

 王国貴族と八本指の繋がりを示す王国腐敗の明確な証拠だがクレマンティーヌの興味を惹く物ではない。

 返却を前提にした現状維持の意識から伝書を挟んだまま羊皮紙の束を懐に入れると、クレマンティーヌは足早に地下室に戻った。

 

 クレマンティーヌが受付の懐にある金に目もくれず部屋に戻ったのには理由がある。

 自分が居ないときのカイの様子を探るためだ

 痩せっぽちのめそめそ女とよろしくやっていれば嫌がらせのひとつでもしてやろう。

 もしよろしくしてないとすれば、カイの行動が彼の正体を示すヒントになるだろう。

 決してあの女に嫉妬している訳ではない。

 

 部屋の前に戻るとクレマンティーヌは注意を払いながら扉をほんの少しだけ開けた。

 台帳を奪うときとは比べ物にならない用心深さを駆使する。

 多少抜けてはいるがカイという男は、その気になればクレマンティーヌの行動を簡単に把握するだろう。

 要はその気にさせなければいいのだ。

 

 僅かの隙間から見るカイはベッドの上で胡坐を書いていた。

 横にはあの女が静かに横たわっている。

 クレマンティーヌが部屋を出て行ったときと同じ状態だ。

 女に手を出していないカイに半ば安堵し半ば呆れながらその手元を見る。

 エ・ランテルの安宿で見た銀の板を手にしていた。

 カイの表情は真剣そのものだ。

 

 ふと思い出したようにカイは女をちらりと見て、服の裾を持ち上げ中身を覗き込む。

 そのまま行為に及ぶのかと思いきや、カイはそれ以上のことは何もせず、服の裾を戻して銀の板に視線を戻した。

 

 ――餓鬼の悪戯(いたずら)かよ。

 

 程度の低さに呆れるクレマンティーヌだったが、それからカイの行動には変化はない。

 しばらく待ってやがて面倒臭くなったクレマンティーヌは今、戻ってきた風を装って扉を開けた。

 

「たっだいまー」

「……おう。遅かったな」

 

 扉の外に居たクレマンティーヌに気づいていたのかいなかったのか、カイの反応は普通に待っていた者のそれだ。

 

「ちょっと探し物があってねー。ところでこの女には何もしなかったの?」

「孕み女にゃ興味ねえっていっただろうが」

「ふーん」

 

 意味深な笑みをクレマンティーヌは浮かべ、カイは少し慌てたような素振りを見せた。

 

「んなことはどうだっていいんだよ。で、台帳は?」

「はいよー」

 

 クレマンティーヌは羊皮紙の束をカイに手渡す。

 羊皮紙の束を奪い取ったカイは指に唾をつけてめくりだした。

 

「さっきデカいのが書いたのがここんとこか……。なんだミミズがのたくったような字だな、おい」

 

 入店したときには褒めていたことをカイはあっさりと覆す。

 

「おい。これが名前で、これが日付か?」

「みたいだねー。うわー。たしかにきったない字ー」

 

 クレマンティーヌが同意する中、挟んである伝書にカイが気づいた。

 

「んー? この紙はなんだ? 特売のチラシかぁ?」

「んなワケねーだろ! ……この国の貴族が来店するって伝達みたいだねー」

「……ほう」

 

 カイはしばらく羊皮紙を眺めると、そのまま自分の懐に仕舞い込んだ。

 バレないようにと念を押したわりに、その行動は雑に見えるがクレマンティーヌは言葉にしない。

 厄介事(イベント)が起これば自ずと殺しの機会も生まれるからだ。

 

 カイはクレマンティーヌに羊皮紙の束を返した。

 

「んー? もう返してくんの?」

「いんや。台帳の最初のほうから客の名前を読んでけ。声に出してな」

「えーなんでー? 自分で読めばいいじゃん」

「言っただろうが。俺は読み書きできないってよぉ」

「……あー。あれ本当(マジ)だったんだ?」

「いいからっさと声に出して読むんだよ。せっかくの若い(メス)の朗読だ。俺様が勃起するくらい色っぽい声で頼むぜぇ」

 

◇◆◇

 

 クレマンティーヌは台帳に記された名前を読み上げていった。

 感情も何もない棒読みでだ。

 始めは文句を口にしたカイも今は腕を組んでクレマンティーヌが読み上げる名前を静かに聞いている。

 そんな二人の横では娼婦の女がこんこんと眠っている。

 

 時折、読み上げた名前に反応したカイが客の来店日を尋ねる。

 記載している日付か、その前後から予想される日付をクレマンティーヌが告げると、カイは例の銀板を見ては難しい顔をしながら板の表面を指でなぞっていた。

 ちらりと板を覗くと娼館の様子が映っているのが見える。

 

 ――遠隔視系のマジックアイテム?

 

 漆黒聖典時代に得た知識からクレマンティーヌが推測するが、それ以上のことは分からないし聞こうとも思わない。

 エ・ランテルの安宿でカイから受けた脅しは、未だクレマンティーヌの心に恐怖を呼び起こす。

 軽口を言い合えるようになったとはいえ、何がきっかけでこの中年男を豹変させるか分からない。

 自らの命を賭して好奇心を満たすつもりのないクレマンティーヌは、カイに言われるまま台帳に記してある客の名前を読み上げ続けた。

 

◇◆◇

 

 地下から床を叩く音が聞こえ、思わずオロフは身構える。

 やがてゆっくりと隠し扉が持ち上がると、扉の隙間から女を背負ったカイがニヤニヤ笑いを浮かべながら顔を覗かせた。

 オロフが呆然とする中、カイは隠し扉を持ち上げ待機室へと上がってきた。

 

「……こ、こっちに来たのか? 裏口じゃなくて?」

「はぁい。ワタクシはその裏口とやらを存じませんので、こちらに戻ってきた次第で。何かご都合が悪かったでしょうかぁ?」

「都合も何も……その女はどうした? 何か言わなかったのか?」

 

 いくら有名とはいえ娼館は裏の仕事だ。

 客は姿や身分を隠して入店し、出るときは裏口からというのが暗黙の了解である。

 

「こちらのお嬢さんは、この通り。よほどお疲れになったのかワタクシとの()()()が終わって直ぐにお眠りになってしまいましたぁ」

 

 なるほど女は規則正しい寝息を立てている。

 オロフは同僚のスタッファンと目配せをした。

 女が説明しなかったというのはオロフに都合がいい。

 客を誘導する口実ができたからだ。

 

「まったくしょうがねえな。表から出られると色々面倒だからよ。ついてきな。案内してやるぜ」

 

 眠っている女をスタッファンに預けると、オロフは自らカイを裏口へと誘導した。

 

◇◆◇

 

 オロフはカイと一緒にもう一度、地下に降りてから別の階段を登り裏口にたどり着く。

 そこにもまたオロフと同様に荒事を得意とする大男が待機していた。

 裏口からカイが出たときにオロフに知らせるよう頼んでいた男だ。

 

「あー。こっちが裏の出口だ。そのー。おっさんは王都には慣れてないんだろう。あんたが分かる場所までこの俺が案内してやるぜ」

 

 オロフの棒読みの口調に裏口の男が今にも笑い出しそうな表情をする。

 だがニヤニヤ笑いのカイにそんなオロフを怪しむ様子はない。

 

「はぁい。ワタクシ、田舎から出てきたばかりでこんなに大きな街は初めてでございます。大きな通りまで案内いただけると助かりますですぅ」

 

 裏口の男に目配せをしながらカイを連れて娼館の外に出る。

 企てが上手く進みすぎてオロフは笑いをかみ殺すのに必死だった。

 後ろから付いて来ているのちらちらと確認しながら、オロフはひと気のない通りへカイを誘導する。

 手ごろな路地に入ったところでカイを脅し、ごねるようなら殺してでも持ち物を奪う算段だ。

 

「なるほどぉ。ここは建て込んでいて分かりませんでしたぁ。こちらを通れば大通りに近かったんですねぇ、くっくっく」

「あ……ああ。そうだぜ。こっちの方が近道だ」

 

 夜の闇に包まれた王都のスラムを、カイは名所でも見ているかのように呑気に歩いている。

 オロフのような腕自慢が傍にいなければ、こんな貧相な中年男など、あっという間に殺されるか丸裸にされるような場所だというのに。

 そんな地域で自分を信じきってるカイにオロフはほくそ笑んだ。

 

 わずかに明かりが残る路地を抜け、少し広い場所に出る。

 左右に逃げ場所がある分、脅しがやり辛いと感じたオロフは、もうひとつ先の路地へとカイを誘導しようとした。

 

「もうちょっと先だぜ。もうちょっとだから心配すんな」

 

 そう言いながらオロフが振り返るとカイは立ち止まっている。

 先ほどと同じニヤニヤ笑いが何か別のものに見えた。

 

「おい。どうした? もうちょっとだぞ?」

「いえいえ。このあたりでようござんすよぉ」

 

 そう言いながらカイは懐に手を入れ、取り出したのは巨大な戦槌(ウォーハンマー)だった。

 服のどこにこれだけの大きさのものが入っていたのか見当もつかない。

 

「な、なんだぁそれは?」

「ご覧の通り戦槌(ウォーハンマー)ですよぉ。すこぉしだけ魔法が付与されておりますです、はい」

「そ、それをどうしようってんだ? ま、まさか、それで俺を殺すつもりじゃないだろうな?」

 

 武器を使われるとさすがの力自慢のオロフでも勝ち目が薄い。

 その武器がマジックアイテムとなれば尚更だ。

 

「お、俺はこう見えても八本指の部下だぞ! お、お、俺に手を出せば、裏の社会がだま、黙っちゃいねえからなっ!!」

「おやぁ? 何か勘違いをなさってるようですねぇ、くっくっく。これはわざわざ()()()()()()を案内してくれた貴方様への感謝の気持ちですよぉ」

「……か、感謝の……気持ちだとぉ?」

 

 カイはゆっくりと近づき戸惑うオロフに戦槌(ウォーハンマー)を差し出した。

 

 訝りながらもオロフは恐る恐る戦槌(ウォーハンマー)を受け取る。

 戦槌(ウォーハンマー)は大きさに比して重さを感じなかった。

 いや。

 戦槌(ウォーハンマー)から流れ込む力が重さを感じさせないのだ。

 

 オロフはマジックアイテムを手にするのが初めてだった

 なるほどこんな物を手にすれば、どんな相手も殺せる気になるだろう。

 

「こ、こいつは……すげえ……」

「気に入っていただけて光栄ですぅ、はい」

 

 戦槌(ウォーハンマー)を手にして強気になったオロフに新たな欲が出てきた。

 この中年男は他にも価値のあるマジックアイテムを持っているのではないだろうか。

 

「おい、おっさん。これだけか? 他にも凄えもん隠し持ってんじゃねえのか?」

 

 オロフの問いにカイはニヤリと笑った。

 それは脅されている男の笑いではない。

 

「いきなりあれもこれもとはいきませんよぉ。取りあえずはそいつをお使いくださいませぇ」

「……取りあえず?」

「コイツとの勝負に勝てば、それを差し上げますよぉ、くっくっく」

 

 カイが滑るように横に移動する。

 いつの間にか目の前に外套(マント)を羽織った金髪の女が立っていた。

 

 初めて見るはずの女の姿に、なぜか既視感を感じオロフの脳は混乱する。

 

「お、お、お、おいこの(アマ)ぁ! ど、ど、どこにいやがった!」

「やだなー。ずーっと一緒に居たんだけどなー。気づかなかったー? 私そんなに存在感ないかな。ショックー」

 

 明らかにオロフをからかうような女の声。

 深夜の裏通りには似つかわしくない可愛らしさだ。

 

 女の整った顔は貴族の目に留まれば大金を払って囲うだろう。

 もし娼館に居れば数多くの客がこの女との一夜を選ぶだろう。

 そして同僚のスタッファンならこの女にどんな行為を望むだろう。

 しかし――

 

 オロフの巨体がぶるりと震える。

 頭ひとつ以上小さく体重は半分にも満たないような童顔の女をオロフの身体が恐れていた。

 

「あんたさぁ――」

 

 女が口を開くとオロフは巨大な肉食獣か(ドラゴン)が獲物を飲み込む様を幻視する。

 

「力自慢っぽいけど、蒼の薔薇のガガーランとどっちが強いかなーって?」

 

 ふざけた質問だった。

 いくら腕自慢で荒くれ者のオロフとはいえあくまでも一般人の話だ。

 アダマンタイト級冒険者は裏の世界でいえばトップの六腕に匹敵する。

 娼館の用心棒ごときが考える世界の話ではない。

 だが、この戦槌(ウォーハンマー)があればもしかしたら――

 

「まーいっか。そんじゃやりましょっかねー」

 

 金髪の女は外套(マント)の隙間から赤く輝く細剣(レイピア)を取り出した。

 細剣(レイピア)の優美さと華奢さがオロフに力を与える。

 あんな細さではこの戦槌(ウォーハンマー)を受けることなど出切る訳がない。

 オロフはただ戦槌(ウォーハンマー)を振り回しながら、女の細剣(レイピア)を避けることに専念すれば良いのだ。

 戦槌(ウォーハンマー)の柄を握り締め、オロフはようやく自分が手に汗をかいていることに気がついた。

 

「うおおおおぉぉぉぉぉーっっっ!!!」

 

 先手必勝とばかりにオロフは戦槌(ウォーハンマー)を振り下ろした。

 振り下ろした場所から女は消え、地面に叩きつけられた戦槌(ウォーハンマー)の衝撃は地響きとなり周囲の建物を震わせる。

 

 初手の振り下ろしは当たらなかったがオロフの自信はより強固になった。

 まるで木剣のように戦槌(ウォーハンマー)が軽いのだ。

 これならいくら振り回しても身体が流れてバランスを崩すことはなく、疲れでへばることもない。

 この武器が当たりさえすれば――いや。掠りでもすれば女の身体はバラバラになるだろう。

 オロフは思わず、この素晴らしい武器をくれた中年男を見た。

 

 カイは壁際で座り込んでオロフと女に興味無さそうにだらけていた。

 そんなカイの真意が読み取れず、オロフは女に視線を移す。

 女もまたカイを見ていた。

 

 それはそうだろう。

 こんな強力な武器を相手に渡せば、自分が不利になるのは明らかだ。

 女が口を開いた。

 

「カイちゃ~ん。もう騒いでもいーんだよねー?」

「ああ。いくら音を立てても聞こえねえからからよぉ。好きにやんな」

「りょーかーい」

 

 軽い調子で返事をした女はまるで知り合いを見つけたときのように真っ直ぐオロフに向かって歩いてきた。

 

「馬鹿がっ!」

 

 オロフは戦槌(ウォーハンマー)を横に薙いだ。

 女の姿が消えると同時に肉の焼ける臭いが広がる。

 軽い痛みを感じて慌てて自らの足に視線を落とすと、そこに女の笑顔があった。

 太腿に焼かれたような刀傷が出来ている。

 

「糞がっ!」

 

 足を蹴り出しながら、一度振り抜いた戦槌(ウォーハンマー)を手前に振り下ろす。

 魔法の付与による取り回しの軽さがなければ出来ない芸当だ。

 

 だが女は足にも戦槌(ウォーハンマー)にも当たらず、細剣(レイピア)でオロフの左頬を切った。

 

(つう)っ!」

 

 頬の痛みに構わずオロフが戦槌(ウォーハンマー)を大きく左に引き抜くと、女は後ろに飛びすさってそれを避けた。

 

 オロフが戦槌(ウォーハンマー)で追い、女がそれを避けながら細剣(レイピア)を振るう。

 そんな攻防が数度続いた。

 

 戦槌(ウォーハンマー)は女に当たらず、自分の身体には細かい傷が増えているがオロフは勝利を確信しニヤリと笑う。

 

「手前ぇのスピードは大したもんだが、どうやら俺の勝ちだなぁ」

「……あん?」

 

 女は細剣(レイピア)を振るうのを止めて、その童顔を醜く歪めた。

 

 所詮は非力な女だ。

 自分の不利が理解できないのだろう。

 女が振り回している細剣(レイピア)はたしかに早く鋭くオロフの全身を傷つけている。

 だが、どれも軽傷で切られた箇所からは血が出ることもない。

 ダメージの少ないオロフの肉体には戦槌(ウォーハンマー)を振り降ろし、女を叩き潰す力が充分に残っていた。

 

「手前ぇは苦労して俺を傷を付けたつもりだろうが、俺はほぉら――」

 

 オロフは頭上で軽々と戦槌(ウォーハンマー)を振り回して見せる。

 

「まだまだ余裕でこれを振り回せるぜ」

 

 その言葉でようやく自らの攻撃が無意味だと理解した女は驚きの表情の浮かべ、やがて絶望のあまり俯いた。

 絶望に打ちひしがれ沈黙した女を眺めながら、オロフは最初に潰すのは手にするか足にするかを考える。

 女の端正な顔がどれだけ歪み、どれだけ哀れな命乞いをするだろうか。

 

「ぷっ……ぷはははっ!」

 

 しばらくの沈黙の後に聞こえたのは女の命乞いではなく笑い声だった。

 あまりの恐怖に気が触れてしまったのか。

 女は笑い続けている。

 

「――あはははっ。いやー本気(マジ)で笑っちゃった。ごめんねー。まさか私の攻撃を自分で避けてたとか思っちゃったー?」

「ん……ああ?」

 

 オロフは女の言葉が理解できなかった。

 

「動けるよう加減してたんだけど分かんなかったかなー? あんたの手足の腱が繋がってるのも、腕に傷がついてないのも、ぜーんぶ私がやったことー。相手の力が判んないって残酷だよねー」

 

 オロフの目に小さく映っていた女が金髪の肉食獣に変貌したように見えた。

 

「ちょっと強い武器を持って気持ちが大きくなるのは分かるよー」

 

 女はおもむろに外套(マント)を脱ぐ。

 外套(マント)の中は胸と股を覆っただけの下着のような猥雑な格好だ。

 頭につけた耳と腰から伸びた尻尾が女の獣性そのものに見える。

 

「でも、まー」

 

 女は足を曲げずに頭を下げ、異様な形に身体を折り曲げた。

 獣の笑みをオロフに向けたままで。

 

「ガガーランの代わりにはなんなかったねー」

 

 これははったりだ。

 特異な構えを取って、強者の名を出し、自分の不利を手加減だと偽って、こちらの士気を挫こうとしているだけだ。

 オロフは汗で滑る手で戦槌(ウォーハンマー)の柄を握り締め、自分の力の拠りどころである腕を見た。

 オロフの腕には女から付けられた細かな刀傷がいくつも並んでいた。

 

 ――傷が並んで……いる?

 

 ほぼ同じ大きさの傷が腕に同じ間隔でついていた。

 思わずオロフは自分の脚を見る。

 そこにも同じ大きさの傷が同じ間隔で並んでいた。

 

 オロフの背筋にぞわりとしたある感覚が這い登る。

 その感覚を否定するため、女とのほんの数歩の距離を詰めるため、オロフが前に出ようとした瞬間――

 女の笑みが目の前にあった。

 

「!?」

 

 驚愕と恐怖でオロフは戦槌(ウォーハンマー)で女を薙ぐ。

 

<――不落要塞>

 

 オロフの戦槌(ウォーハンマー)を女の細剣(レイピア)が受け止め大きく弾いた。

 振り回した速度と、それぞれの武器の重さを考えるとありえないことだ。

 

 ――武技!?

 

 それはオロフも聞いたことがあった。

 一流の戦士や冒険者たちが使う特殊技能。

 酒場や娼館で暴れていただけのオロフが見ることがなかったもの。

 では、それを使うこの女は一体何者なのか。

 そこまで考えたオロフの身体から突然、力が抜け落ちた。

 

「……な、なんだ? どうしたっ!?」

 

 オロフは膝から崩れ落ち、力の(あかし)である戦槌(ウォーハンマー)もその手から零れ落ちた。

 両腕が上がらないオロフの眼前に女が立っている。

 

「手足の腱を切ってあげたよー。よかったじゃん。これでもう重い物を持たされることがなくなったねー」

 

 女は細剣(レイピア)を肩に担いで、にっこりと笑った。

 下から見上げた女の笑顔が、なんと凶悪なことか。

 

「ひいっ!」

 

 オロフは仰向けに倒れ、カイがいる方向に芋虫のように這いずって行こうとする。

 

「お、お、お、おいっ! おっさん! おっさんよぉ! こ、こ、こ、こいつをなんとかしてくれぇっ!!」

 

 声をかけられたカイは面倒臭そうにオロフを見て、それからこれ見よがしにあくびをした。

 助けがないことを察したオロフは、今度は自分を見下ろす金髪の獣に向かって叫ぶ。

 

「さ、さ、さっきも言っただろ? 俺は八本指の部下だぞ。お、お、俺を殺したら、ろ、ろ、ろく、六腕が出てくるぞっ! それでもいいのかっ?」

 

 搾り出すようなオロフの言葉に女の目が大きく開いた。

 そして紫の瞳がぐにゃりと三日月の形に歪む。

 

「なるほどー。あんたを殺せばもっと強い奴が出てくるんだー? そんじゃ、なるったけ残酷に殺した方が相手もやる気が出るってもんだよねー。けけっ」

 

 女の口もまた三日月の形に大きく開き、血色の舌が唇をちろりと舐める。

 

「あ……う、嘘だ、嘘です! 俺を、こ、ころ、殺して、も、だ、だ、誰も出ません!! 何もないです。ど、どうか、い、い、命だけは!!!」

 

 

◇◆◇

 

 大男の死体には目もくれず、クレマンティーヌは手にした戦槌(ウォーハンマー)を不満そうに見ていた。

 

「このハンマーが今回の駄賃? 軽いけど私の趣味じゃないかなー」

「ふん。お前ぇのは後でくれてやる。心配すんな」

「えー。直ぐくれるんじゃないのー?」

 

 クレマンティーヌから戦槌(ウォーハンマー)を受け取ったカイが、その巨大な武器をするりと懐に仕舞った。

 それから路地のひとつをちらりと見る。

 

「……ふん」

 

 次に懐から羊皮紙を取り出すと、カイは大男の死体の上に放り投げた。

 クレマンティーヌはそんなカイと羊皮紙、そして路地の奥の闇を見て呆れたような表情を浮かべた。

 

「んじゃ行くぜぇ」

 

 カイが来た路地に向かおうとする。

 

「行くって、今度はどこよ?」

「海だよ、海。もう、この街にゃ用はねえ」

 

 クレマンティーヌは顎で死体の上の羊皮紙を示す。

 

「あれはロハでくれてやんの? やけに気前いいじゃん」

「……まあな。手出ししなかったからなぁ」

「ふーん」

「まったく……ややこしい場所まで連れて来やがってよぉ」

 

 死体になった大男への愚痴をいいながらカイが歩き出した。

 そんなカイの後をクレマンティーヌは追う。

 

 少し離れてから、クレマンティーヌは背後をちらりと見ると、死体の傍に高級宿屋で見た蒼の薔薇の盗賊が立っていた。

 羊皮紙を確認している者と、クレマンティーヌ達の様子を窺っている者、どちらも同じ姿だ。

 思わずクレマンティーヌは呟いた。

 

「……あんな格好が二人も居んのかよ」



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第9話「疾風走破、挑発する」

登場人物紹介

クレマンティーヌ:ズーラーノーン十二高弟のひとり。海のバカンスは初めて。
カイ:助平おやぢ。海のバカンスに詳しい。
デーンファレ・ノプシス・リイル・ブルムラシュー:帝国出身でブルムラシュー侯爵の娘。海のバカンスでご機嫌ななめだわ。


◇◆◇

 

 朝焼けが街道を染める中、ぼんやりと巨大な門の影が見えてきた。

 リ・エスティーゼ王国の西、港湾都市リ・ロベルの北門だ。

 

「どうやら予定通りに到着したみてえだなぁ」

「……到着したのはいーけどさー。そろそろ手を離せよ、エロ親父」

 

 ゴーレムの馬に相乗りしているのはクレマンティーヌとカイ。

 そしてクレマンティーヌの胸はカイの両手にしっかりと掴まれている。

 

「そう邪険にすんじゃねえよ。落ちたら危ねえだろうがぁ」

「あーもー。……馬はここまでだよねー」

 

 セクハラは終わりとばかりにカイの手を振り切ると、クレマンティーヌはゴーレムの馬から降りる。

 馬から転げ落ちるように降りたカイがひらひらと手を振るとゴーレムの馬が消えた。

 このカイの魔法にだけはクレマンティーヌも感心する。

 

「いちおー念のために聞くけど、私らは田舎者の請負人(ワーカー)二人組……だよね?」

「ちったあ身元が知れてる方が目立っても問題ねえだろうからなぁ」

 

 目立つような何かをするのか気になったが、今更それをクレマンティーヌは確認しない。

 

「で、泊まんのは……えーっと浜辺に一番近い宿屋だね?」

「よく分かってるじゃねえか。お前ぇは肉壺ガイドなんだからよ。気配り心配りの行き届いたおもてなしの心で頼むぜぇ」

「はーいはい」

 

 カイの戯言(たわごと)を聞き流して、クレマンティーヌは門に向かって歩き出した。

 

◇◆◇

 

「おー。いい部屋じゃねえか。肉欲に溺れる午後を過ごすにはもってこいって感じだなぁ」

 

 クレマンティーヌが選んだのは、カイの要求に合わせたリ・ロベルで最も浜辺に近い高級宿屋だ。

 最初、宿泊を断った受付を軽く脅し、宿泊費の全額前払いでなんとか部屋を確保した。

 さすがに高級宿屋の一室とあって、巨大な二つのベッドも、部屋の中央にある丸いテーブルも、姿見がついた鏡台も、合理性とは無縁の豪奢で精緻な細工が施されている。

 

「さすがは俺様が選んだ肉壺ガイドだなぁ。今日ほどクレマンを雇って有難いと思った日はないぜ」

「そりゃどーも」

 

 物珍しそうに部屋のあちこちを触るカイを見て、クレマンティーヌは宿泊手続きの手間疲れにため息をつく。

 

「ロビーに居た奴ら、やたらジロジロと俺達を見てたなぁ。なんかあんのか?」

高級宿屋(こんなところ)に泊まるワーカーってのが珍しいんでしょー。宿泊に無駄金を使う請負人(ワーカー)なんてほとんど居ないしね」

 

 明日の仕事は勿論のこと、命さえも保障がないのが請負人(ワーカー)である。

 生存の可能性を高めるために、報酬の大部分は装備やマジックアイテムの確保に費やすのが当たり前だ。

 

「なるほどねぇ。苦労してんだなぁ請負人(ワーカー)さんってのはよ。それじゃあロビーに居たのはお金持ちサマか? どいつもこいつも高そうな服で着飾っていやがったなぁ」

「ここは受付がカフェを兼ねてるからね。王国の貴族の奴らが休憩してんでしょ。途中いくつかあったよね? 貴族の別荘が」

「ふん。人を珍獣のように見やがってよぉ。そのうちひぃひぃ言わせてやるぜ雌共限定でな。くっくっく」

 

 カイは窓を開けると身を乗り出した。

 

「あれがさっき見た浜辺だなぁ。雌どもの臭いが潮風に混じって漂ってくるぜ。おおっ! 早速ターゲットを発見っ! ……なんだぁ物売りの婆ぁか。紛らわしい格好しやがって……」

 

 窓辺ではしゃぐカイにクレマンティーヌはもう一度ため息をつく。

 

「おいクレマン。あのデカいお屋敷もお貴族サマの別荘か?」

 

 クレマンティーヌが窓に近づくと、浜辺と反対側に大きな屋敷が目に入った。

 

「そだねー。聞いた話じゃ、たしかブルムラシュー侯爵の別荘だったかな」

「来がけに見た王家の別荘よりデカいじゃねえか。大した金持ちなんだなぁ、そのブルセラ侯爵ってのはよ」

「……王国一番の金持ちって話だよー。まあ港やら貿易やらの利権もあるから、単なる見栄っ張りでデカい屋敷を構えたんじゃあないだろうけど」

「金を使って金を生むってか? ふん。どこの世界でも“ぶるじょわ”が考えることは同じだなぁ、おい」

 

 吐き捨てるようにカイが呟く。

 この口振りではカイの世界(くに)でも金持ちが、より多くの金を求めて動いているのだろうか。

 クレマンティーヌはこの情報も頭の隅に留めておく。

 

「ちなみに、この街はどこの貴族さんの土地なんだぁ?」

リ・ロベル(ここ)は王家の直轄地だね」

「ほう。国の港ってことか」

 

 カイの澱んだ目が光る。

 

「北にも港があるけど、そっちは辺境伯の領地だからね。王家がリ・ロベル(ここ)を手放すことはないっしょ?」

「さすがは俺の肉壺ガイド。よく調べてるじゃねえか」

「お前のためじゃねーよ!」

 

 クレマンティーヌは悪態をつき、しまったと思ったがカイは気にしていないようだ。

 浜辺と屋敷を見比べながら満足そうに頷いている。

 

「しっかし浜辺にゃあ誰もいねえなぁ。ここいらの人間は海水浴しねえのかぁ?」

「かいすいよく? んー。私も王国の娯楽は知らないねー」

 

 “かいすいよく”という行為をクレマンティーヌは知らなかったが、なんらかの娯楽であろうと判断して曖昧な返答をする。

 

 娯楽のために手間や金をかけられるのは限られた階級に所属する者達だけだ。

 それはリ・ロベル(ここ)に住んでいる人間であっても例外はない。

 

「それじゃあ、この俺様が夏のバカンスって奴を教えてやるぜぇ。ここに居る肉壺どもになぁ、くっくっく」

「夏のバカンスねぇ……」

 

 鼻息荒く妙なやる気を見せるカイを見て、クレマンティーヌは王国での取引を思い出した。

 

「そんなことよりさー。報酬のマジックアイテムはいつくれんの? 待ってるんですけどー」

「おーおーそうだったそうだった。海に着いたら渡すつもりだったのをすっかり忘れていたぜ」

 

 カイが懐に手を入れたのを見て、クレマンティーヌの期待値が上がる。

 マジックアイテムは貴重だ。

 入手する機会を逃す訳にはいかない。

 

「せっかくの海だ。俺様が厳選したエロ水着をひとつクレマンに進呈しようじゃねえか」

 

 “エロ水着”という言葉にクレマンティーヌの期待値ががくんと下がる。

 だらしなくニヤついたカイの顔を見るに、()()がまともな外見でないことは容易に想像がつく。

 

「効果はどんなもんなのー? 一番良い奴があるんならそれが欲しいんだけどー」

「どれも大した違いはねえ。ざっくりと言やぁ魅力増大がデカくて、素早さと物理ダメージ軽減がそこそこ。攻撃力上昇は気休め程度で、付与属性は水着次第ってとこだなぁ」

 

 本当にざっくりとした説明をしながら、カイは床の上に装備を並べていった。

 

「その程度のマジックアイテムじゃ、ただ働きと変わんないじゃん」

 

 そう文句を言いながらも、並べられていくマジックアイテムを前にクレマンティーヌは頬が緩むのを抑えられない。

 

 カイと出会ってから多少麻痺しているが、マジックアイテムの入手は困難である。

 漆黒聖典時代でもマジックアイテム――特に神器クラスともなれば任務の度毎に跪いて借り受けるものであって、好きなものを選ぶような真似はできなかった。

 カイが所持しているマジックアイテムは神器クラスとまではいかないものの、恒久的な魔法効果が付与されていることは魅力的だ。

 そんな魅力あるアイテムの中から自分が欲しいものを選べるという状況が、クレマンティーヌの心を浮かれさせていた。

 

 やがてマジックアイテムを並べ終え、やり遂げた感を漂わせたカイが装備をひとつ取り上げる。

 

「クレマンにゃあ、こーゆーのが似合うんじゃねえか? んー?」

 

 ニヤニヤ笑いのカイが手に取ったのは赤いVの字の紐だ。

 

「……その紐、前に似たのを見たような気がするんですけどー」

 

 エ・ランテルの安宿で最初に見せられた装備に似ている。

 あのときは細剣(レイピア)の方を選んだのだが。

 

「だいたいそんな紐、どーやって装備すんの?」

 

 呆れ顔のクレマンティーヌに、カイは両手で紐を広げながら説明する。

 

「ここんとこを股にあてがって端を肩にかけるんだよ。そうすりゃ股座(またぐら)も胸の先っちょも少ない布地で隠せるって寸法だぁ」

「……そんな気の狂った装備、どこの馬鹿だよ、作ったのは」

「こんだけ素晴らしいデザインだぁ。さぞかしお偉いデザイナー先生だろうよ」

 

 目の前で紐を広げ、首をやや後ろに引きながら薄目になるカイ。

 どうやらクレマンティーヌが装備したところを頭に思い描いているらしい。

 

「あてがうな、馬鹿っ!」

 

 クレマンティーヌが払い退け、カイは残念そうに紐を懐に仕舞う。

 次にカイが薦めるのは紐がついた三枚の貝殻だ。

 

「……何、この貝殻?」

「三枚の貝が大事な大事な胸と股座(またぐら)を隠してくれんだよぉ。自然に配慮した実用的な装備だぜ。後ろは丸出しで暑さ対策もばっちりだぁ、くっくっく」

「却下だ、却下! お前が持ってる装備は紐しかねーのかよっ!!」

 

 カイは渋々と貝殻を懐に仕舞う。

 

「まったく贅沢な肉壺だぜぇ……。ほら。これだったら布で出来てるから多い日も安心でございますよぉ」

 

 カイが別の白い装備をクレマンティーヌに渡す。

 

「そうそう。そういうのを先に出して欲しいんだよね……ん?」

 

 カイから受け取ったその白い装備は、クレマンティーヌの(てのひら)が透けて見えた。

 

「これじゃ丸見えじゃねーかっ!!!」

 

 クレマンティーヌは思わず、透け透け装備をカイの顔に叩きつけた。

 顔に叩きつけられた装備をカイは名残惜しそうに懐に仕舞う。

 

「見られて恥じらう年齢(とし)でもねえだろうが……。まったくよぉ」

「なんか言ったー?」

「いえいえ。なんでもございませんですぅ」

「もういーよ。自分で選ぶから」

 

 いつの間にか商人風の口調になっているカイのお薦めを諦め、クレマンティーヌは自分で装備を選ぶことにする。

 クレマンティーヌはカイを押しのけ床に並べられた装備を物色し始めた。

 初めは不満そうに見ていたカイも、そのうちベッドに腰を下ろして様子を見守ることにしたようだ。

 

「それにしてもさー。もうちょっとマシな装備はないのー?」

「マシっちゃあなんだぁ。その水着は俺様が選びに選び抜いた珠玉の一品ばかりだぜ」

 

 カイの言葉にクレマンティーヌは顔を顰める。

 

「カイちゃんが選ばなかった物はないのー? あればそっちの方が――」

 

 クレマンティーヌの視界にひとつの装備が入ってきた。

 カイのお勧め品より明らかに生地の量が多い。

 それを手に取って視線を向けると、カイは露骨に嫌そうな顔をしている。

 その表情にクレマンティーヌは賭けてみることにした。

 

「そんじゃ仕方ないねー。これにするよー」

「あのぉ……。お客様には、もっとお似合いの水着がございますが――」

「こ・れ・に・す・る・の」

 

 凄むクレマンティーヌにカイは渋々と引き下がった。

 ブツブツと文句を言いながら、カイは残りのマジックアイテムを懐に仕舞い込んでいる。

 惜しいと思う気持ちはあるが、まずは手に入れた装備の確認だ。

 

 それは胸と腰を別々に覆うもので、クレマンティーヌの好みよりはいささか装飾過多だ。

 それでも今、カイが拾い集めている他の装備に比べれば、遥かに()()()()()()()に優れていた。

 手にとって見ると生地も透けるような物でなく、胸と股の部分に柔らかな別の生地が縫い付けられており着心地は良さそうだ。

 そして何より装備の色が自分の瞳の色に近いということが心を惹き付けた。

 

 クレマンティーヌがマジックアイテムをどう持ち歩こうか考えていると、片づけが終わったカイが声をかけてくる。

 

「そんじゃすぐに出かけるぞ。さっさとそいつに着替えるんだな」

「えー。今から装備すんの? これを?」

「あったり前だぁ。海で着なくて、どこで水着を着るってんだよ馬鹿野郎!」

 

 それもそうかと着ている装備に手をかけたクレマンティーヌがカイを見る。

 だらしなく顔を緩ませた中年男が血走った目でクレマンティーヌを凝視していた。

 何を期待しているのかは一目瞭然だ。

 

「……糞が。<疾風走破><流水加速>」

 

 装備の着替えに武技を使うのは初めてだった。

 着替えを終えた後、満足そうにニヤついているカイを見るに、どれだけの効果があったか分からない。

 ほんの少しでもエロ親父の視線から逃れられたと思うしかない。

 

 カイの視線にはムカついたが、それでもクレマンティーヌは自分が選んだ装備に満足した。

 紫色の浜辺用装備(ビキニ)は着心地が良く、装備していることを忘れるほど軽い。

 念のため姿見で確認したが乱れた箇所はなく、お気に入りの耳と尻尾も調和して見えた。

 装備の効果で敏捷性が上がっているのか、ほんの僅か意識と動作に()()を感じる。

 

 ()()()の必要を感じたクレマンティーヌはベッドを挟んだカイの反対側、少し広い場所に移動した。

 そこで首や手足、腰を曲げて筋肉と腱を伸ばし軽く飛び跳ねたりする。

 これら一連の動作は漆黒聖典時代に学んだもので、肉体強化系の装備を身体に馴染ませるためのものだ。

 その様子をイヤらしく澱んだ目つきでカイが凝視しているが、とりあえず無視した。

 

 クレマンティーヌが準備運動(ルーティーン)を終えると、カイがベッドの上に装備をいくつか放り投げてきた。

 

「ん? 何これー?」

「夏のビーチの必需品ってヤツだ。麦藁帽子とパーカーとビーチサンダルの3点セットだぜぇ」

 

 麦藁帽子は分かるがそれ以外は聞いたことがないアイテムだ。

 それでもどんな風に身に付けるものなのかは分かる。

 

「これマジックアイテム? なんか効果あんのー?」

「強い日差しからお肌を守れるぜぇ。まあお前ぇは生っ(ちろ)いからちったあ日焼けしたほうがいいがなぁ」

「ほんっと。無駄なもん持ってんだね、カイちゃんは」

 

 文句を言いながらもクレマンティーヌは3点セットを身につけ、腰の適当な場所に細剣(レイピア)を引っ掛ける。

 

「武器を持ってくのかよ」

細剣(これ)がないと、いざってときにカイちゃんを殺せないじゃん」

 

 クレマンティーヌは歪んだ笑顔でカイの顔を覗き込んだ。

 カイもまたクレマンティーヌの殺意を剣呑な笑顔で受け止めた。

 

「そいつはおっかねえなぁ……」

 

 久しぶりのカイの残酷な笑顔に、クレマンティーヌの背筋に冷たいものが走る。

 だが、これくらいの緊張は必要だ。

 そう思いながらクレマンティーヌは細剣(レイピア)の柄を握り締めた。

 

「そんでー。海に行って何すんのー?」

 

 カイが真顔になった。

 

「そんなもん、遊ぶに決まってるだろ。馬鹿野郎」

 

◇◆◇

 

 クレマンティーヌとカイが受付に姿を現すと、それまで喧騒に満ちていた室内が静まり返った。

 

 静寂の原因はみすぼらしい中年男のカイではない。

 浜辺用装備(ビキニ)に身を包んだクレマンティーヌだ。

 

 整った顔と金髪は永続灯(コンティニュアル・ライト)を浴びて輝いていた。

 鍛えられ無駄を削ぎ落とした肢体は浜辺用装備(ビキニ)で惜しげもなく晒されていた。

 腰に細剣(レイピア)を下げ颯爽と歩く様子に、男は情欲を女は妬心を沸き立たせた。

 

 当のクレマンティーヌにしてみれば、恐怖以外の感情で人々から注目されることは初めてで、それは彼女の自尊心をほんの少しだけくすぐった。

 フロア全体に挑発的な視線を投げかけ、返ってくる劣情と嫉妬心を受け止める。

 人殺しほどではない緩やかな快感に浸りながらクレマンティーヌは上機嫌で浜辺まで歩いていった。

 

◇◆◇

 

 浜辺に到着したカイは砂浜を見るなり不満をこぼす。

 

「……ちきしょう。やっぱり誰もいないじゃねえか」

 

 改めてクレマンティーヌも砂浜を見回す。

 なるほど人影はまばらで散歩をしている家族連れくらいしか目に付かない。

 白い砂浜が左右に広がる様は、ある意味贅沢な光景だ。

 

「たまに見かける雌共もがっちり服を着込みやがって……。半裸で戯れてる初心な雌がどこに居るってんだよ、まったく……」

 

 文句を言いながら青い布を砂浜に広げているカイを、クレマンティーヌは注意深く観察する。

 戯言(たわごと)に耳を傾けるつもりはないが、カイがどんなマジックアイテム(もの)を取り出すかには興味があった。

 

「これが俺様のビーチマットだぜ。世間的にはブルーシートって言うがなぁ、くっくっく」

「ぶるーしーと? ゴワゴワして変な感触だねー」

 

 クレマンティーヌは青い布の感触を手で確かめるが、特に魔法の効果は感じられない。

 

「こいつはホームレスの必需品だぜぇ。水は弾くし砂も張り付かねえ。夏のバカンスにはもってこいって代物だぁ」

「……ふーん」

 

 空返事をするクレマンティーヌ。

 マジックアイテム以外に興味はない。

 

「そんじゃビーチパラソルをおっ()てるとするかぁ」

 

 カイは巨大な傘を取り出すと青い布の直ぐ横に刺した。

 ぶるーしーとが日陰に覆われたがそれ以外の効果はない。

 ただの大きな日傘のようだ。

 

「休憩用の椅子もあるぜぇ」

 

 カイが取り出したアイテムは、広げるとゆったりとした椅子になった。

 その構造には感心したが魔法の効果はないただの椅子だ。

 

「これで縄張りの完成だぜ」

 

 わざわざ浜辺で縄張りを確保してこの中年男は何をするつもりなのだろうか。

 気がつくとカイがクレマンティーヌの身体を舐めるように見ている。

 

「何?」

「やっぱり、お前ぇは生っ(ちろ)いなぁ。ちゃんと日に当たってんのか?」

「んー。あんまり真っ昼間に出歩くことはなかったねー」

 

 殺しが趣味であり仕事でもあったクレマンティーヌは陰を生き、夜を(しとね)としていた。

 それを後悔するつもりも改めるつもりもない。

 派手な格好で耳目を集めるのは楽しいが、それも命の保障があってのことだ。

 そもそも自分よりも不健康そうな肌の色をしたカイに言われたくない。

 

「俺が新しい肉壺と遊んでる間に、ここで寝っ転がって肌でも焼くんだな。そうすりゃ俺みてぇな本物の鬼畜モンにモテるぜぇ、くっくっく」

「はいはい」

 

 カイの戯言(たわごと)を聞き流して、クレマンティーヌは椅子に座ってみる。

 ゆったりとした椅子はベッドに近く、休憩用と言うだけあって寝心地はまあまあだ。

 

「ま、悪くないねー。……何それ?」

 

 より楽な姿勢を模索するクレマンティーヌの横で、カイが色鮮やかな道具をいくつも取り出していた。

 

「夏のバカンスの7つ道具って奴だぁ。まずはビーチボールだなぁ」

「びーちぼーる?」

 

◇◆◇

 

「ああ、もうっ!」

 

 デーンファレは別荘に戻るなり脱いだ上着を床に叩き付けた。

 窓近くの椅子に腰掛け深呼吸をしても、彼女の怒りは収まらない。

 脱いだ上着を使用人が拾い上げて片付けている姿さえも腹立たしい。

 

 苛立ちの原因は両親や弟と離れ、リ・ロベル(ここ)に一人で来ているからではない。

 そのことについては納得こそしていないものの、自分の中での結論は出ている。

 

 使用人に命じて夏用のドレスを全て持ってこさせた。

 この夏のリ・ロベルで過ごすために用意させた高価な品だ。

 昨日まであれだけ輝いて見えたドレスがどれもこれも田舎じみて見える。

 それもこれも全部あの金髪の女が悪いのだ。

 

 デーンファレ・ノプシス・リイル・ブルムラシューは、その名が示す通りリ・エスティーゼ王国のブルムラシュー侯爵の娘である。

 ただし血の繋がりはない。

 没落した貴族の娘が情に厚く裕福な侯爵に引き取られたという体だが、実のところは若い妾だ。

 

 デーンファレはバハルス帝国の貴族の娘として生まれた。

 裕福な両親の元、貴族としての振る舞いと知性を身につけた彼女はその容姿も際立っていた。

 その美貌はいずれ皇帝に嫁ぐのではと噂されたほどだ。

 

 だが皇帝ジルクニフ・ルーン・ファーロード・エル=ニクスはデーンファレを娶るどころか、邪教信仰を理由に彼女の家を取り潰した。

 デーンファレの両親は身の潔白を訴えたが皇帝は取り合わず、家名の再建は絶望的であった。

 そのような状況の中、御用商人が王国貴族であるブルムラシュー侯爵への養子縁組の話を持ちかけてきた。

 御用商人の背後に帝国情報局が居ることを知った両親は、デーンファレを養子として送り出すことを決断した。

 帝国情報局、そして皇帝の指示に従うことで、奪われた家名が戻ることを願って。

 

 デーンファレの養子縁組は驚くべき早さで行われた。

 その段取りを進めていた人物はブルムラシュー侯爵と直接話をするようになり、やがて侯爵の娘になったデーンファレには帝国の情報が入らなくなった。

 

 それから数年、本当の両親が家名を再建できたかどうかデーンファレは知らないし知ろうとも思わない。

 貴族であることの価値を知り、貴族であり続けることの難しさを身を以って知ったデーンファレは、自身のこれからの地位を確実な物にするために努力した。

 美しくあり、貴族間の立ち回りを学び、義理の父親を相手に夜の手管も身に付け、そしてそれらは上手く出来ていると思っていた。

 この夏、侯爵の妻であり義理の母からリ・ロベルに行くよう告げられるまでは。

 

 表向きは勉学と他の貴族の子女との交友を深めるためである。

 確かに巨大な港のあるリ・ロベルは多種多様な文化が集るため見聞を広げるには良い街だろう。

 各種学校や図書館も多く暑い夏をこの地で過ごす子女も多い。

 しかし侯爵夫妻が実の子である長男を連れて王国の北、リ・ウロヴァールの別荘で過ごすと知れば、否が応でもデーンファレは自分の立場を理解せざるを得ない。

 血の繋がった両親とは連絡が取れず、義理の両親も自分と距離を置こうとしている。

 デーンファレはこのリ・ロベルで自らの立場を確保しなくてはならなくなった。

 

 デーンファレの武器は若さと美貌だ。

 黄金と称される第三王女相手だと分が悪いが、それでも自らの義母を含めた宮廷女子の中で上位に位置するという自負はある。

 その美貌を利用するために夏のリ・ロベルは最適な場所と言えた。

 

 帝国生まれのデーンファレにとって、王国の美は良く言えば伝統的、悪く言えば古臭く感じる。

 異国文化が集まるここリ・ロベルでもそれは同じで、貴族の子女は王国風の――デーンファレから見れば古臭い衣服に身を包んでいた。

 デーンファレは帝国仕込みの先進的で垢抜けた衣装に着こなし、かつて養父と共に出席した宮廷パーティのときと同じように賞賛され羨望された。

 だが、それも今朝までのことだ。

 

 今日の朝、宿屋のカフェに現れた男女二人が、デーンファレをリ・ロベルのトップレディの座から引き摺り下ろした。

 男の方はどうでも良い。

 奇妙な格好をしていたが、誰が見てもただの田舎者だ。

 問題は金髪の女だった。

 その装いが帝国でも見たことのないほど先進的なものだったからだ。

 

 大きく露出した肌に細剣(レイピア)と動物の尻尾という装飾品を組み合わせ、粗く編まれた田舎風の帽子で日差しを避ける。

 それは自由に空を羽ばたく鳥であり、伸びやかに獲物を狩らんとする肉食獣の姿だ。

 虹のように鮮やかな履物で颯爽と歩く女の姿に、貴族社会という()()()に囚われていたデーンファレは開放感を感じ、そして怒りを覚えた。

 生き残るための自らの努力を嘲笑された気がしたのだ。

 

 女の顔立ちはそこそこ整ってはいたものの表情に品がなく幼く見えた。

 その美を冷静に比べれば気品と優雅さを併せ持つ自分が勝つだろう。

 だが周囲の低俗な人間――主にカフェに居た男達――は、そんなデーンファレの美しさには目もくれず露わになっている女の肌を凝視し賞賛した。

 

「なんなの! なんなの! なんなの! あの女は!?」

 

 部屋を歩き回るデーンファレの口から出るのは怒りの感情であり、呪詛の言葉だけだ。

 

「あんな破廉恥な格好をするなんて信じられない。娼婦? 奴隷? 奴隷でももう少し慎みのある格好をしているわ。いったい、どこの恥知らずかしら?」

 

 ドアの横に控える使用人は何も答えない。

 怒り狂う主人の自問自答に返答するほど愚かな者はここには居ない。

 だが、そんな当たり前の事にも腹が立つ。

 

「カミエはまだ? どこで道草を食っているのかしら」

 

 目を伏せ首を横に振る使用人の背後から、ノックの音が聞こえた。

 使用人の誰何の後、ドアが開いてデーンファレ付きの使用人リーダー、カミエが姿を見せた。

 

「遅かったわね。待ちくたびれたわ」

「申し訳ありません」

 

 カミエは頭を下げる。

 

「で? どこの誰なの?」

「女の名前はクレマン。男の名前はカイ。その名で北門から入城していました。出身はピアトリンゲン。今朝方、リ・ロベルを訪れた請負人(ワーカー)とのことです」

請負人(ワーカー)風情が何をしにリ・ロベル(ここ)へ?」

 

 情報が入ったことでデーンファレの気持ちが少しだけ落ち着いた。

 

「聞いた話では二人の目的は観光と買い物。直近のモンスター討伐で稼いだそうで、しばらくリ・ロベルに滞在するつもりだとか」

 

 “しばらく”という曖昧な期間がデーンファレには気に入らない。

 あの女の噂が都市全体に広がるには“しばらく”の滞在で充分だ。

 デーンファレに反感を持っている貴族の子女は多い。

 請負人(ワーカー)の女にトップレディの地位を奪われた者として、デーンファレを面白おかしく噂するだろう。

 トップになるための努力すらしない自分達を棚に上げて。

 

「ピアトリンゲンって、たしか伯爵領だったかしら?」

「はい。評議国近くの小都市で、周辺では牧畜が盛んと聞いています」

 

 つまりは田舎だ。

 自分の力を過信した田舎者が、それまでの仕事を放り出し請負人(ワーカー)になったのだろう。

 そう考えたところで別の可能性を思いつく。

 

「……もしかしてその二人は貴族なのかしら?」

「北門では証明書や印章の提示はなかったそうです」

「あらそう。だったら出稼ぎの平民で間違いなさそうね」

 

 デーンファレの言葉にカミエがゆっくり頭を下げる。

 

 貴族か元貴族であったなら入城の際に、それを証明し忘れることはない。

 問題は平民の請負人(ワーカー)である金髪の女――クレマンが、あの服をどこで手に入れたのかだ。

 かつて宮廷のパーティで見かけたピアトリンゲン伯爵夫人のドレスは、王国の中においても特に古風なスタイルだった。

 それともピアトリンゲンには宮廷とは別に服飾文化があったりするのか。

 やはり着ている本人から聞き出すのが手っ取り早い。

 その上で――

 

「……始末しましょう」

 

 デーンファレの呟きにカミエが僅かに目を伏せる。

 あの女が姿を消し、その上でデーンファレがより洗練された美を見せれば良いのだ。

 それもなるべく早く。

 

「カミエ。商人に言って、あの女が着ていたような服を取り寄せなさい。今すぐに」

「かしこまりました」

「それから、お前たちは男をあの女から引き離しなさい。できるわよね?」

「……かしこまりました」

 

 使用人であるカミエにとってデーンファレの命令は絶対だ。

 

「女は、そうね……。後でドルネイ達に任せましょう」

 

 デーンファレは自らの護衛人隊長の顔を思い出す。

 養父から護衛をつけるという話を聞いたとき、見た目の良い者を要求したのがここにきて幸いした。

 

 カミエが部屋から出て行くと、デーンファレは窓辺に立って海岸を見つめる。

 

「……平民ならすぐに片付きそうね」

 

 デーンファレはその美貌に冷たい笑顔を浮かべた。

 



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第10話「疾風走破、満喫する」

登場人物紹介

クレマンティーヌ:ズーラーノーン十二高弟のひとり。服装は紫のセクシー水着。
カイ:助平おやぢ。服装は紺のジャージに薄汚れた黄色いタオル。

デーンファレ・ノプシス・リイル・ブルムラシュー:帝国出身でブルムラシュー侯爵の娘。服装は帝国風夏用ドレス。


◇◆◇

 

 クレマンティーヌとカイはブルーシートに座って西瓜(すいか)を食べていた。

 

「海の家はないし、脱衣場もシャワー室もないし、そもそも海がしょっぱくねえ。まったく……ここいらの海はどうなってんだ」

 

 クレマンティーヌはぺっぺと西瓜(すいか)の種を吐き出すと、ばりばり種ごと貪るカイを見る。

 

「しょっぱい海なんて聞いたことないけどねー。それって、どこの海?」

 

 クレマンティーヌの問いには答えず、カイはまた西瓜(すいか)にかぶりついた。

 

「だいたいクレマン。スイカ割りってのはスイカを割るからスイカ割りって言うんだよ。お前ぇのはスイカ砕きじゃねえか」

「えー。砕いて弾けた方がスカッとするじゃん。赤いのがばぁーって飛び散って」

 

 ヒトの頭は砕いてもあんなに赤くはないけどねと付け加える。

 

「食いモンを粗末にするんじゃねえ。粉々じゃあ“後でスタッフが美味しく頂きました”って言い訳ができねえだろうが」

「……なにそれ?」

 

 またもクレマンティーヌの問いにカイは答えない。

 

「念のために2玉買って正解だったぜ」

「わざっわざ王都で西瓜(すいか)を買ってた理由が、ただ遊んで食べるためとはねー」

「本物の鬼畜モンってのは準備万端用意周到なんだぜ、分かったか」

「別に褒めてない」

 

 自慢げな口振りのカイにクレマンティーヌが軽く突っ込みを入れる。

 それからはお互いに言葉も無く、二人は黙々と西瓜(すいか)をかじった。

 ほど良い甘さとたっぷりの水気で、夏の日差しで上がったクレマンティーヌの体温が適度に落ち着く。

 

 カイが縄張りを確保した後、クレマンティーヌは浜辺のばかんすとかいうお遊びに付き合った。

 西瓜(すいか)割りもそのひとつだ。

 びーちぼーるやびーちふらっぐという遊びは、どこか訓練じみていて面白くない。

 最後にカイが砂で何かを作っていたが、さすがに砂遊びをする気にはならなかった。

 カイが作った物を蹴り壊したときだけは少し面白かったが。

 

 カイのいう“かいすいよく”というものは子供の遊びであり自分を楽しませるものではない。

 クレマンティーヌはそう結論付けた。

 

 ふとカイを見ると西瓜(すいか)は食べ終わったようで、服の袖で口元を拭いながら浜辺を見回している。

 

「それにしても――」

 

 カイもまたクレマンティーヌを見た。

 

「ここいらの雌共はまともなエロ水着を着てねえな。アマゾンで売ってねえのか?」

「こーゆー服を売ってるとこは見たことないねー。てゆーかあまぞんって何?」

 

 やはり問いにカイは答えず、西瓜(すいか)の皮を背後に投げ捨てる。

 改めてクレマンティーヌが辺りを見回すと、たしかに視界に入るのは空と海と左右に広がる白い砂浜ばかりだ。

 観光客と思しき集団が物珍しそうにこちらを見ている。

 海岸でこんな過ごし方をしている人間など見たことないだろうとクレマンティーヌは思う。

 

 二人を遠巻きに見ていた女達がおずおずと近づいてきた。

 人数は4人。

 近づいてくる女達をカイが舐め回すように眺め、クレマンティーヌは素知らぬ振りをしながらその目の端で女達を観察する。

 

 いずれも薄手の夏用ドレス姿だが、王国風とは少し違う垢抜けた雰囲気がある。

 皆、髪を切り揃えていたり結い上げていたりと実務的な髪型だ。

 貴族のお嬢様というよりは、その下働きといったところだろうとクレマンティーヌは推察する。

 

「あの、すみません」

 

 リーダー格らしい女が声をかけてきた。

 

「先ほどなさっていたことについて、よろしければ、あちらでお話をお聞かせ願えませんか?」

 

◇◆◇

 

「お嬢さん、退屈なら、俺と遊ばないか?」

 

 酷い声のかけ方だとクレマンティーヌは思った。

 生まれたての赤ん坊だって、もう少し気の利いた誘い方をする。

 椅子に横になったままクレマンティーヌは男の顔を見る。

 

 カイとは比べ物にならないほど端正な顔立ち。

 歳はクレマンティーヌよりも少し若いくらいだろうか。

 薄手のシャツから覗く腕は太く、それなりに鍛錬を積んでいることを窺わせる。

 ただし挙動は落ち着きがなく、声をかけたのも本人の意思ではないだろう。

 さしずめ主人か上司筋あたりから、クレマンティーヌを誘い出すよう命令されたのだろう。

 さっきの女4人組がカイを連れ出したように。

 

「んーそだねー。相方が他の女の尻を追っかけて行ったんで暇だったんだよね」

 

 男のたどたどしい誘い文句にクレマンティーヌは笑顔で乗った。

 サンダルを履いて椅子からおもむろに立ち上がる。

 クレマンティーヌがこうも簡単に誘いに乗るとは思っていなかったのか男は戸惑い、それでもなんとか作り笑顔を浮かべた。

 

「あ、ああ。それは、可哀想だ……な」

「私は田舎者だからさ。ここいらの見どころとか、よく知らないんだよねー」

「そ、それだったら、あの岩場向こうにもっと綺麗な砂浜があるぞ」

 

 男が指差したのは、カイが女達とはしゃいでいる場所とは反対の海岸だ。

 隣接した別荘の私有地のようで、大きな柵で仕切られていた。

 

「えー。でもあっちって貴族の別荘でしょ。怒られるんじゃない?」

 

 クレマンティーヌの問いかけに男は少し狼狽する。

 

「あ、ああ。……そ、そう、なんだが、その……俺は、貴族に顔が利くから」

「へー、すっごいんだー」

 

 顔を近づけ男の顔を覗き込むと紅潮していくのが分かった。

 

「そんじゃあ安心だねー。連れてってよ」

「……あ、ああ」

 

 生返事をする男の視線がクレマンティーヌの顔から胸へと下がり、やがて腰に下がっていた細剣(レイピア)に留まった。

 

「……そ、それは?」

「あーこれ? お守りみたいなもんかなー」

 

 そう話しながらクレマンティーヌは男に見えないようにニヤリと笑う。

 カイの言う“かいすいよく”よりも刺激的な遊びを思いついたからだ。

 

「相方にねー、危ないから持ってるように言われたんだけどさ。こんなの重いしぶっちゃけメンド臭いよねー」

 

 心底うんざりしたような口調で愚痴ってみせた。

 

「あー。そ、そうか? だったら、その……俺が持っていてやるよ」

「んー」

 

 クレマンティーヌは少し悩んだ振りをして焦れる男の表情を楽しんだ。

 

「うん。そうしてくれると助かるなー」

 

 軽い調子で腰から外した細剣(レイピア)を男に手渡す。

 

「はー。楽になったー。んん? どったのー?」

 

 細剣(レイピア)を手にして戸惑っている男に、クレマンティーヌは素知らぬ顔で話しかける。

 小国くらいなら国宝になってもおかしくないマジックアイテムを手にしたのだ。

 自分の身に流れ込む魔力に男が戸惑うのは当然だろう。

 

「あ、この剣……。い、いや。なんでもない」

「そんじゃさー。早くその綺麗な砂浜に行こーよ」

 

 ちらりとカイと女達を視界の端で捉える。

 女達に混じってはしゃいでいたカイが、視線に気づいたのかこちらを見た。

 そんなカイの視線にクレマンティーヌは背を向ける。

 

「私はクレマン。あんたの名前は?」

「ど、ドルネイだ」

 

 童女のような笑みを見せ、男の腕に自分の腕を絡める。

 

「んじゃ行こうか、ドルちゃん」

「ど、ドルちゃん?」

 

 男の腕を引きクレマンティーヌは歩き出した。

 

◇◆◇

 

 御用商人から届いたドレスはどれもデーンファレの気に入るものではなかった。

 最もマシだと思える水色のドレスを着てブルムラシューの別荘を出る。

 デーンファレの護衛であるドルネイ達がピアトリンゲンの女、そろそろクレマンを捕らえている頃だ。

 

 ドルネイ達5人には殺さなければ何をしても良いと命じている。

 そして生命(いのち)の保障はデーンファレが到着するまでのこと。

 クレマンが着ている服の情報を得て、その後の対応によっては屈辱を与えた上で放逐してもいい。

 後々問題になりそうならドルネイ達に始末させるだけだ。

 

 連れの男に関しては興味がない。

 誘い出すよう命じたカミエ達には武器を持たせている。

 所詮は請負人(ワーカー)風情だ。

 これまで自分の命令をこなしてきたカミエであれば上手くやるだろうとデーンファレは確信している。

 

 クレマンを誘い出すよう命じた場所は別荘から出て右手、浜辺に近い柵沿いの休息所だ。

 その休息所は夏の強い日差しを遮るよう、岩と木で囲まれている。

 そして外部の人間は勿論、その視線が届くことはまずない。

 

 デーンファレが休息所に近付くと、岩の向こうからかすかにドルネイと部下たちの声が聞こえてきた。

 何を話しているのかは聞き取れなかったが、言い争っている風ではない。

 おそらくドルネイたちの脅しが効いているのだろうとデーンファレはほくそえんだ。

 

 ピアトリンゲンのクレマンとやらが、いくら請負人(ワーカー)といっても所詮は一人の女だ。

 宿屋で見かけたあの顔は、はぐれ者の請負人(ワーカー)に相応しく気が強そうな面持ちだった。

 しかし、どれだけ気が強い女であろうと、武装した男五人に囲まれて何ができるだろう。

 遅かれ早かれ惨めに命乞いをする羽目になるのは明白だ。

 ドルネイ達によって尊厳――平民にそんなものがあればだが――を砕かれ哀れな姿を見せるに違いない。

 そして最後に指示を下すのはデーンファレだ。

 

 冷徹に始末を命じるか、あるいは興味もないと突き放すか。

 場合によっては優しさを見せてもいい。

 貴族の情にすがり媚びへつらう平民の姿は、失われていたデーンファレの自尊心を少しは取り戻してくれるだろう。

 

 やがて岩の向こうから声が聞こえなくなったことにデーンファレは気づいた。

 請負人(ワーカー)のクレマンがドルネイ達に屈したのだろう。

 あの生意気そうな顔が、輝くような金髪が、どんな惨めな姿になっているのか覗き込もうとして――

 

「よっ」

「!?」

 

 デーンファレの眼前に金髪の女、クレマンの笑顔があった。

 

「……あ、あなた……は?」

「私? ただの観光客だよー」

 

 クレマンは無遠慮にデーンファレを眺める。

 デーンファレは奥に居るであろうドルネイ達を確認したいが女が邪魔で見ることが出来ない。

 

「あんたさー。もしかしてここの別荘の人?」

 

 どう返事をしたものかデーンファレが迷うが、クレマンは彼女の返事を待たなかった。

 

「だったらちょーど良かったー。()い見世物があるんだよねー。ちょっとこっちに来てよ」

 

 有無を言わせずクレマンがデーンファレの手首を掴む。

 思わず手を引こうとしたが、クレマンの手は力強くびくともしない。

 クレマンに引き連れられ少し開けた砂浜の中央、別荘の休息所に出た。

 

「ひっ!」

 

 デーンファレは息を呑む。

 薄手のシャツを着た男が1人と武装した男4人が倒れて呻いていた。

 もちろん全てがデーンファレの護衛人だ。

 

「私に変なことしようとするからねー。ちょーっと痛めつけてやったんだ。しょーがないよねー。悪いことしたんだから、けけっ」

 

 クレマンの声にただ一人シャツを着た男が顔を上げる。

 青痣だらけの顔はドルネイだった。

 腫れ上がった目が立ち尽くしているデーンファレに気づいたようだ。

 

「……お、お嬢……さ、ま……」

 

 ドルネイは血塗れの口を開く。

 

「あんれー? もしかしてお友達だったー?」

 

 横目で見るクレマンの笑顔は獲物を捕らえた肉食獣のそれだ。

 耳と尻尾の装飾品が、その印象をさらに強くしている。

 

「……に、逃げて、くだ……」

「へー。まだ喋る元気があったんだねー。感心かんしん」

 

 クレマンはデーンファレの耳元に顔を近づけた。

 

「お嬢ちゃんさ。逃げてもいいよー。そんときは順番が変わっちゃうけどねー」

 

 恐怖に震えるデーンファレの手首を女が離す。

 

「殺す順番がさ」

 

 恐怖に立ち尽くすデーンファレの視線の先で、全身痣だらけのドルネイが這うよう立ち上がった。

 足元をふらつかせながら落ちていた、朱の輝きを放つ細剣(レイピア)を手に取る。

 宿屋でクレマンが身に付けていた武器だ。

 あの武器でクレマンはドルネイ達5人を倒したのだろうか。

 それにしてはドルネイにも、残りの4人にも細剣(レイピア)で斬られたような傷はない。

 

「……うーん。さっきも言ったけどさ」

 

 細剣(レイピア)を手にして立ち上がったドルネイを興味深そうに眺めていたクレマンは呆れ、諭すような口調で言う。

 

「もしかして武器を持ってない私にだったら勝てるとか思ってるー?」

 

 クレマンの顔が大きく歪んだ。

 

「てめー。むかつくにも――」

 

 そこまで口にしてクレマンは言葉を飲み込む。

 歪んだ顔が呆れ顔に戻った。

 

「……まあいーけど。世の中には知らないこともあるよねー」

 

 ドルネイは細剣(レイピア)を引きずりながら、一人納得しているクレマンに向かってじりじりと歩を進める。

 その歩みは絶望的なほど遅い。

 風が吹いただけでも倒れそうなほど儚げな歩みがクレマンの前で止まり、ドルネイは力を使い果たしたように大きく息を吐く。

 ゆっくりと細剣(レイピア)を引くと、それまでとは違う素早さで朱の輝きがクレマンの喉下へと向かった。

 

 ドルネイは賭けていたのだ。

 

 相手を油断させるために、必殺の距離に近付くために、残った力を悟らせないために、攻撃を受けるリスクを負ってまでのろのろと歩いて見せたのだ。

 ただ一撃、クレマンの喉に細剣(レイピア)を突き刺すために。

 それはドルネイが護衛人のリーダーを務めるだけの力量を持つ証だ。

 しかし――

 

 ぽんと軽い音と共にドルネイがのけぞり、その顎が大きく歪む。

 クレマンがドルネイの顎を叩いた。

 顎の骨が砕けるほどの力で。

 そして細剣(レイピア)はクレマンの手に渡る。

 

 細剣(レイピア)と何も持っていない自分の(てのひら)を、クレマンは興味深そうに見比べている。

 

「んー。そーゆーコトするってことは、どっちが強いかくらいは分かってたみたいだねー」

 

 仰向けに倒れ、呻き声を上げているドルネイに声をかけた。

 

「でも、どのくらい強いかまでは分からなかったかー。まーしょーがないよね。鳥と雲、どっちが高いかなんて下から見ても分かんないしー」

 

 クレマンは無邪気な笑顔をデーンファレに向けると、細剣(レイピア)をくるりと回して砂に突き立てた。

 

「もうちょっと遊びたいんだよねー。しばらく付き合ってくんない?」

 

◇◆◇

 

 岩にもたれて座り込むデーンファレの眼前で、クレマンが護衛人のひとりに馬乗りになっていた。

 露出した肌と装飾品の耳と尻尾が相まって、まるで獣人(ビーストマン)に襲われているようにも見える。

 違うのは獣人(ビーストマン)の武器が爪や牙なのに対して、クレマンは両の拳だということだ。

 すでに顎を砕かれたドルネイや手足を折られた他の男達は、命こそ奪われていないものの呻き声さえ上げられない。

 

「……や、やめ……ぶっ……も、もう……」

「私ねえ――」

 

 クレマンは自分の拳についた血を見た。

 

「素手って苦手だったんだよー。だってそーでしょ? (じか)に攻撃なんかしたら怪我しちゃうもんね。だからメイスとかモーニングスターとかを使ってたんだけど――」

 

 クレマンはピンクの舌を出し自分の拳についた血をぺろりと舐め取った。

 デーンファレは巨大な蛇を連想する。

 

「いやー。(こぶし)も悪くないわー。肉の中で骨が砕ける感覚が直接味わえるんだね、モーニングスターは。んー嫉妬しちゃう」

 

 クレマンが求める暴力への渇望は狂気だ。

 貴族の娘として生きてきたデーンファレには理解できる感情ではない。

 

「ほんっと……マジックアイテムってのは便利だね」

 

 殴り飽きたのかクレマンはゆっくりと立ち上がるとデーンファレの前に立った。

 背後に倒れている5人の男達には、もはや護衛の役目を果たす力もない。

 

「よしよーし。ちゃーんと逃げずに待っててくれましたねー。ま、私としては逃げてくれても良かったんだけど。順番が変わるだけだしー」

 

 クレマンはしゃがみ込んでデーンファレの顔を覗き込む。

 恐怖に震えるデーンファレの顔を見て満足そうに微笑んだ。

 

「どこの餓鬼だか知らねえが、このクレマンティーヌ様を()めようとしたんだ。報いは受けてもらわないとねー」

 

 挑発的な服と同じ色の瞳が狂気に揺らいでいた。

 死への予感が確信となり、デーンファレの股間がじわりと生温くなる。

 デーンファレは自分をリ・ロベル(ここ)に送り込んだ義母を呪い、それを許した義父を呪い、脆弱なドルネイとその護衛人達を呪い、そして朝の自分を呪った。

 

「――間に合ったようだなぁ」

 

 クレマンの背後から下品な声が聞こえた。

 クレマンは一瞬だけ顔を顰め、すぐに笑顔に戻って振り返る。

 

「あんれー? 早かったねー? ってゆーか。その格好……なに?」

 

 そこに居たのは宿屋の受付で見た薄汚い請負人(ワーカー)の男だ。

 クレマンから引き離し、場合によっては始末するようカミエに指示をしていたが、どういうわけかここにいる。

 その下半身には何も纏っていない。

 不健康そうな肌と毛脛、そしてサンダルを履いているだけだ。

 

「さっきまで生娘相手にハッスルしてたからなぁ。ズボンを穿く暇がなかったぜ、くっくっく……痛えっ! 何しやがるっ!」

 

 ニヤニヤ笑っていた男をクレマンが細剣(レイピア)で突いた。

 

「……んー。やっぱり刺さんないねー」

「刺さんなくても痛えんだよ。止めろ、馬鹿野郎」

「ほんっと……デリカシーってもんがないよねー。このおっさん」

 

 呆れ顔のクレマンに同意を求められても、デーンファレはただ戸惑うだけだ。

 

 それにしてもカミエ達はどうしたのだろう。

 武器を持った彼女達が、こんな薄汚い中年男に遅れを取るとは思えない。

 

「あいつら()()()を出してきやがったよぉ……。力ずくになっちまったが、まあ仕方ねえよなぁ」

 

 デーンファレの疑問に答えるように男が呟いた。

 

「さすがの俺も女を4人も相手にすると骨が折れるぜ。中折れはしなかったがなぁ、くっくっく」

 

 嘘だ。

 カミエ達は命令を放棄して逃げたのだとデーンファレは思った。

 後で厳しく叱責しておかなければならない。

 “後”があればの話だが。

 

 ニヤニヤ笑いの男はデーンファレとドルネイ達を見比べる。

 

「で? そこのお嬢ちゃんは誰だぁ? この男共は?」

「この……小便(しょんべん)たれの女? 名前は聞いてないけど裏の別荘の関係者みたいだよー」

 

 先ほどまでの殺気が消えたクレマンが気だるげに言う。

 

「ほう。裏の別荘っていうと――」

「わ、(わたくし)はデーンファレ。デーンファレ・ノプシス・リイル・ブルムラシューです」

 

 助かる機会はここしかないと、デーンファレは最大にして最高の切り札を切った。

 

「いかに貴方達が世間知らずと言っても、この名前に聞き覚えはあるはずです。ブルムラシューの長女であるこの(わたくし)に、こんな、こんなことをして……。も、も、もしも(わたくし)に、これ以上の害を成せば貴方がたは勿論のこと、貴方がたの一族が丸ごと葬り去られることになりますよ」

 

 ブルムラシューの名が持つ権威の強大さは、王国に生きる人間ならば誰しも知っているはずだ。

 いくらこの狂気の女があろうとも国を相手に戦うことなどできる訳がない。

 平民が貴族に歯向かうと、どういうことになるのか教えてやるのだ。

 

 デーンファレの切り札に男は感心するような表情を見せ、クレマンは邪悪な笑顔を浮かべた。

 そこに驚きや恐れの感情はない。

 不安がデーンファレの心にじわりと広がった。

 

「……そんじゃさ」

 

 もう一度、クレマンがデーンファレの顔を覗き込む。

 

「誰が誰に殺されたのか分かんないようにしなくちゃねー」

 

 クレマンが細剣(レイピア)を顔の横まで持ち上げた。

 赤みがかった刀身に肉食獣の笑顔が映る。

 自分の切り札が最悪の結果を招いたことをデーンファレは理解した。

 

「顔はグチャグチャにして。んー? 心配しなくていーよ。それは生きてるうちにやったげるからー」

 

 クレマンは心の底から嬉しそうだ。

 

「わ、わ、わ、(わたくし)を、こ、こ、殺すのですか?」

「そだよー。ここでぶっ倒れてるお供も一緒にねー」

 

 にっこりと微笑む女の顔はまるで童女に見える。

 戯れに虫を踏み潰し、蛇や蜥蜴を切り殺す子供。

 倫理も善悪もなく、ただ残酷に自分の好きなことだけを求めるクレマンの姿にデーンファレは絶望した。

 

 ぱしっと軽い音がクレマンの後頭部から聞こえた。

 

「痛ーっ。カイちゃん、なにすんのさ?」

 

 クレマンは頭を押さえて振り返ると、中年男――カイのニヤニヤ笑いがあった。

 

「とまあ、怖い姉ちゃんの話はここまでだぁ」

 

 薄汚い中年男の顔がデーンファレに近付いてきた。

 

「ブルセラといやあ、この裏のクソでっかい別荘の持ち主だよなぁ。そこんとこのお嬢さんなのか、あんた?」

「ぶ、ぶ、ブルムラシューです。こ、こ、侯爵家の名前くらい正しく覚えてください」

「そいつはすまねえなぁ。下々の人間の耳には、そうそう入らねえお偉いさんの名前だからよ。で、そんなお偉い侯爵家のお嬢サマが、なんで俺達にちょっかいをかけてきた? まずはその辺の事情とやらが聞きてえなぁ」

 

 デーンファレは自分が使用人に指示したことを出来るだけ詳しく話す。

 帝国の生まれであることや、養父と肉体関係があることさえも語った。

 自分が話をしているうちは殺されることはないと思ったからだ。

 

 デーンファレの話をあらかた聞き終えたカイはニヤニヤ笑いをクレマンに向ける。

 

「貴族のお嬢サマから嫉妬されるたぁ、なかなかのもんじゃねえか。なぁクレマン」

「……まーね」

 

 クレマンは胸の前で腕組しながら岩にもたれていた。

 どんな仕組みなのか細剣(レイピア)が腰のわずかな布に下がっている。

 遊び道具を取り上げられ不貞腐れている顔だ。

 

「クレマンが着てんのは俺が用意したとっておきのエロ水着だぜ。どうやらこのあたりじゃあ手に入らないようだなぁ」

 

 そう言いながらカイは舐めるようにデーンファレの全身を眺める。

 

「よぉし。そんじゃまず、その小便臭え、おべべを脱ぎな」

「!? ……ど、どうして(わたくし)が……」

「それが嫌なら俺の出番はここまでだぁ。受付担当者がこちらの怖い怖い姉ちゃんに代わりますです、はぁい」

 

 クレマンの口元が僅かに緩む。

 デーンファレは恐怖し諦め、それから唇を噛み締めてドレスを脱ぎ始めた。

 頬が朱に染まっているのは肌を晒す羞恥のためではない。

 ただの平民に指図されている怒りのためだ。

 

 震える手でドレスを全て脱ぎ捨て、中年男の前に裸身を晒した。

 

「お嬢サマの生脱衣に俺様の海綿体が反応しちまったみてぇだ。血が溜まりすぎて、頭がぼ~っとしてきたぜ……くっくっく」

 

 何も覆われていないカイの股間が屹立している。

 それは養父の物より醜悪で巨大だ。

 

「さあ脱ぎました。次は何がお望みですか?」

「せっかく脱いだんだ。次はお嬢サマに似合うエロ水着を着てもらおうじゃねえか」

 

 そう言うカイからデーンファレが渡されたのはツルツルとした手触りの赤い紐だ。

 この紐をどう着れば良いのか、デーンファレには分からなかった。

 

「どうやらお嬢サマはひとりじゃお着替えできねえようだなぁ。おいクレマン。お嬢サマのお着替えを手伝ってやんな」

「なんで私が? めんどくさーい。カイちゃん、自分でやんなよ」

「それじゃ俺がお嬢サマのお着替えを堪能できないだろうが」

 

 クレマンは不機嫌そうにため息をつき、大股で近づくとデーンファレから赤い紐を奪い取った。

 

「あんまり面倒かけないでよねー」

 

 その言葉の調子は最初にデーンファレを脅した時と同じだ。

 クレマンの乱暴な指示に従って、その赤い紐を身に付けた。

 細い身体に赤い紐をまとったデーンファレの姿に、カイの顔がより醜くだらしなく緩む。

 

「なんとか着れたじゃねえか。着心地はどうだぁ」

「こ、こんな恥知らずな服……着心地なぞ良い訳がありません」

「そーかいそーかい。こっちの見心地はさいこーだぜぇ。父親とねんごろになるような淫らな女の浅ましさがはっきり分かるってモンだぁ」

 

 カイは立ったりしゃがんだりを繰り返しながら、デーンファレの肢体を舐めるように観察した。

 下品な中年男の無遠慮な視線にさすがのデーンファレも羞恥を感じ始めたところで、不貞腐れているクレマンにカイが声をかける。

 

「おいクレマン」

「んー?」

「こいつと絡め」

 

 カイが顎で指示をした。

 

「はぁ?」

「このお嬢サマをグチャグチャのどろどろにアヘらせろって言ってんだよ。そんくらいできるだろ」

 

 その言葉にはデーンファレは勿論、クレマンも驚いたようだ。

 

「……私、そーゆー趣味はないんですけどー」

「見合いの席じゃねぇんだ。お前ぇの趣味なんか聞いてねえ」

 

 クレマンが二言三言と反抗するが、カイは取り付く島もない。

 それからカイはデーンファレに緩んだ顔を向ける。

 

「そんでもって、お嬢サマはこのクレマンをアヘらせてみろ。父親の下の世話している変態女の技巧(テク)ならそんくらいできるだろ」

「な、何故(わたくし)が平民の女なんかと……」

「俺が面白ぇからに決まってるだろ。やらねえのは勝手だが負けたほうにはきついお仕置きだぜぇ」

「お、お仕置きって……」

 

 デーンファレの問いにカイが答える前にクレマンが目の前に立つ。

 すでに頭を切り替えているのかクレマンの紫の瞳は淫らな光を放っていた。

 

「腹括ったほうがいいよー。カイちゃんの頭ん中はこっち方面ばっかりでね。やる気がないならそれでもいいよ。こっちは勝手にやらせてもらうだけだしー」

 

 戸惑い怯えるデーンファレの髪にクレマンの指が触れる。

 それは今まで味わったことがないほど優しい感触だった。

 

◇◆◇

 

 夜になり外はすっかり暗くなった。

 窓から見えるのは星と灯台の灯りだけだ。

 永続光(コンティニュアル・ライト)に照らされた部屋の中央で、請負人(ワーカー)のクレマンとカイが大き目のソファーに座ってくつろいでいた。

 クレマンは耳と尻尾はつけているが昼間とは違う地味な服装に着替え、カイはきちんとズボンを穿いている。

 そして部屋の主であるデーンファレは紺の夜用ドレスに着替えて、二人の向かいのソファーに座っていた。

 ブルムラシュー侯爵の別荘、デーンファレの部屋に三人の他に人の姿はない。

 テーブルの上には二つのグラスとボトルが数本置いてあり、カイは手酌で何度もグラスを空けていた。

 クレマンはグラスに口をつけてない。

 

 クレマンとデーンファレの嬲り合いはカイの乱入もあって有耶無耶になった。

 その後、二人が暴行を加えた者達はカイの魔法によって治療され、デーンファレは別荘に戻って二人を交えて夕食を摂り、今は食後のひとときを過ごしている。

 

「――膜も再生されるってか。凄えもんだな、魔法って奴はよぉ」

「自分の魔法も把握してないの? どこまでいっても雑なおっさんだねー」

「魔法の後でいちいち女の股座(またぐら)なんか確認しねえ」

 

 カイの信仰系魔法はカミエやドルネイ達が受けた身体の傷を完璧に治癒したらしい。

 魔法について詳しくないデーンファレは、ただただその効果に驚くだけだ。

 

「カイちゃんが信仰系魔法使えるんなら、もーちょっと痛めつけても良かったかなー」

「お前ぇが無駄にやり過ぎるから、俺が余計な魔力を使う羽目になるんだよ」

 

 暢気(のんき)に駄弁っている二人が煩わしいがデーンファレにはどうすることもできない。

 それでも、こうしてソファーに座っていると昼間の出来事が夢のように思えてくる。

 しかし、デーンファレの肉体と精神に打ち込まれた楔は現実のもので、それを払拭する手段は今の彼女にはない。

 クレマンとカイと同じ部屋に居ながら護衛とメイドを遠ざけたのは、陵辱の様子を見られたからであり、同情や蔑みの視線を見たくなかったからだ。

 

「――おい」

 

 カイの呼びかけにデーンファレの肩がびくりと震えた。

 恐る恐るカイの顔を見る。

 醜い顔だがその表情は昼間に見たような猥雑さはない。

 

「……なんでしょう?」

「お前ぇは帝国出身なんだよな」

「ええ……」

「帝国には名所とか有名な見世物とか、そういうのはあんのか、んん?」

「ば、バハルス帝国は服も食事も、それに騎士団だって王国よりも優れています」

 

 デーンファレは帝国出身の誇りを口にするがカイは呆れ顔を浮かべただけだ。

 

「優れてるとか劣ってるとかそういうのはどうだっていいんだよぉ。見て面白い物や場所があるかって聞いてんだ」

 

 帝国の誇りを軽くあしらわれて鼻白んだデーンファレだが、請負人(ワーカー)風情に文化の優劣など分かりはすまいと自分を落ち着かせる。

 仕方なしに無学な平民にも分かりやすい帝都の名所を思い出す。

 

 生まれて十年以上暮らしていた帝都である。

 全てを把握しているとは言わないまでも、代表的な名所なら貴族の嗜みとして把握している。

 

 歴代の皇帝によって安全かつ美しく整備された中央道路。

 連日、屈強な戦士や魔獣が激闘を繰り広げる大闘技場。

 大陸のありとあらゆる商品が並び多くの買い物客でごった返す中央市場。

 珍しいマジックアイテムを探すなら北市場の露天だ。

 

 デーンファレは誇らしげにそれら帝都の名所を紹介する。

 だがカイの言葉は残酷だ。

 

「そんな素晴らしい帝国に、お前ぇは見捨てられたってわけだぁ。可哀想なこった」

 

 皮肉な笑みを浮かべるカイの言葉にデーンファレは俯き、唇を噛み締める。

 

「ま、お前ぇのことなんかどうだっていいや。見るところがあるってんなら遊びに行くだけだぁ」

「……帝都に行くつもりですか?」

「ああ。お前ぇのお勧めスポットを回ってきてやるぜ」

「目的は……観光だけですか?」

「それはお嬢サマのご想像にお任せします、はぁい」

 

 クレマンとカイが帝都へ行く段取りを話し始めるが、デーンファレの耳に二人の会話は入ってこない。

 ただ帝都で過ごしていた日々の記憶が日記をめくるように思い起こされる。

 屋敷で両親に可愛がられ、学校で級友達との会話に明け暮れ、舞踏会で多くの貴族達から誉めそやされた、そんな美しくも楽しかった日々。

 それから数年を経て、貴族という地位にしがみつくために養父と関係し、養母に疎まれ、更には請負人(ワーカー)風情に身も心も辱められた自分。

 もはや王国はおろかブルムラシュー家の中にも自分の居場所はなくなったとデーンファレは感じていた。

 

 デーンファレは顔を上げ、自分を辱めた請負人(ワーカー)のカイを見据えた。

 クレマンとカイがその視線に気づく。

 

「――連れて行って」

「はぁ?」

 

 カイが気の抜けた声を上げた。

 

「帝都に行くなら(わたくし)を連れて行ってください、と言ったのです」

 

 クレマンとカイが顔を見合わせ、クレマンは呆れ顔で両手を広げる。

 デーンファレにはもはや別の道は考えられなかった。

 

「あんな……あんな辱めを受けて、今さら貴族の娘なんてできません。貴方と……クレマンさんだったら(わたくし)一人を連れて行くくらい容易(たやす)いでしょう?」

「へー。私達の仲間になりたいっていうんだ?」

 

 ソファーから立ち上がったクレマンが、からかうような口調で言う。

 

「あんたさー、自分の手で人を殺したことある?」

「……ありません」

「なんか使える武器は?」

「ありません」

「魔法はー?」

「……使えません」

「なんにもできないじゃん。それでよく連れて行けなんて言えたもんだねー」

 

 目を伏せるデーンファレにクレマンはおもむろに近付くとその顔を覗き込んだ。

 

「舐めてんじゃねえぞ、餓鬼ぃ」

 

 クレマンの殺意に満ちた瞳をデーンファレは正面から受け止める。

 ここで引く訳には行かないと感じたからだ。

 

「わ、(わたくし)は2年前まで帝国に、帝都(アーウィンタール)に住んでいました。帝都(アーウィンタール)に行くのなら(わたくし)の知識が絶対に役に立つはずです」

「はぁん? そのくらい――」

「いいぜ」

 

 言葉をカイが遮る。

 クレマンが驚きに顔を歪めてカイを見た。

 

「はぁ?」

「ほ、本当ですか?」

 

 涙目だったデーンファレの表情が初めて明るいものになる。

 

「せっかくお偉い貴族のお嬢サマが、やる気を出したんだ。底辺の俺達がその意気に応えてやろうじゃねえか」

「……本気(マジ)で言ってんの?」

 

 クレマンの疑いの視線を受けるカイはニヤニヤ笑いだ。

 

「荒事は俺達が引き受けようじゃねえか。クレマンだって用心棒くらいやれるだろぉ?」

「やだよ。メンドくさーい」

 

 クレマンの返事は素っ気ない。

 だがカイの決定に逆らう意思はないようで、デーンファレの顔を見て諦め顔を浮かべる。

 

「その代わり道中でのお嬢サマのお役目は俺様の肉壺係だ。そこんとこ分かってんのか?」

「はい。構いません」

「昼間の行為(ヤツ)が子供の遊びに思える事をするぜぇ。それでもいいんだなぁ?」

「……だ、大丈夫です」

 

 昼間の出来事を思い出しデーンファレは身を震わせた。

 そんな彼女をクレマンが呆れ顔で見ている。

 

「私は知らないよー」

 

 グラスに残った酒をカイが飲み干した。

 

「そうと決まれば鋭気を養わなくちゃな。今夜はさっさと休もうじゃねえか」

「……帝都にはいつ向かうのですか?」

「夜明け頃には出るぜ。素晴らしい帝国とやらを早くこの目でしっかりと見てえからなぁ」

 

 皮肉めいたカイの言葉にデーンファレは顔を顰める。

 しかし、それと同時に今の立場から抜け出せることに安堵もしていた。

 

「それじゃ俺達はどこで寝ればいい? なんだったらこのお嬢サマの部屋で寝てもいいけどなぁ、くっくっく」

「……すぐに部屋を用意させます」

 

 デーンファレは使用人を呼ぶためにベルを鳴らす。

 呆れ顔のクレマンとニヤニヤ笑いのカイ。

 デーンファレは請負人(ワーカー)二人と同じ部屋で寝たくはなかった。

 

◇◆◇

 

 闇に包まれ人通りのないリ・ロベルの街に二つの影が動いていた。

 まだ夜明けには程遠い深夜だ。

 

「連れてくんじゃなかったのー?」

「手前ぇのケツも拭く気がねえ雌餓鬼なんか連れて行けるかよ。メンドくせえ」

「……そりゃそうだ」

 

 カイの言葉にクレマンティーヌは納得し、それから歪んだ笑顔を浮かべた。

 

「あの別荘の奴らさー。皆殺しにした方がいいんじゃなーい?」

 

 カイがため息をつく。

 

「お前ぇは口を開けば死ぬだの殺すだの言ってんなぁ」

 

 クレマンティーヌは不満げに頬を膨らませた。

 

「あの雌餓鬼にゃ帝国とやらの息がかかってるんだぜぇ」

「カイちゃん、帝国が怖いのー? それともお嬢様に同情した?」

 

 挑発するクレマンティーヌにカイは呆れ顔を浮かべる。

 

「俺は筋金入りの鬼畜モンだぜぇ。雌餓鬼の1匹や2匹に同情なんかするかよ」

「筋金入りねぇ……」

「……ふん。だいたい王国で元帝国貴族の娘が殺されたとあっちゃメンドくせえ事になるだろうが」

 

 自分はそっちの方がいいけど、という言葉をクレマンティーヌは飲み込んだ。

 

 あの鮮血帝なら間違いなく王国に圧力をかける外交カードとして使うだろう。

 そうなれば王国は犯人を捜すためにリ・ロベルは勿論のこと、全ての都市で人の出入りを念入りに洗い出す。

 二人の立場(アンダーカバー)であるピアトリンゲンの請負人(ワーカー)にとって()()()()()()になるのは間違いない。

 

「あの雌餓鬼だって王国(こっち)じゃ立場がねえんだ。この先、俺達に構おうとすれば恥を晒すだけだって気づくだろうよ」

 

 カイに説明されたがクレマンティーヌの頭の中に、あの貴族の娘のことはない。

 命令で身体を重ねたがそれだけのことだ。

 

「おい、クレマン――」

 

 声をかけられクレマンティーヌはカイを見た。

 

「夏のバカンスは堪能したか?」

「もーさいこー。人間を素手でぶん殴るのがあんなに楽しいとは思わなかった」

 

 カイが心の底から嫌そうな顔をする。

 

「……けっ。そっちかよ。どこまでいっても物騒な女だぜ」

「カイちゃんは信仰系魔法が使えるからー、誰かを連れていけば私はずーっと拷問できるんじゃね?」

「メンドくせえ」

「やっぱり、あのお嬢様を連れて行こーよ。あれを痛めつけられなかったのが心残りなんだよねー」

「だから、メンドくせえって言ってるだろ。さっさとリ・ロベル(ここ)からずらかるぞ」

「はいはーい」

 

 がに股で歩きながらカイが闇に紛れる。

 クレマンティーヌもまた、その後を追ってリ・ロベルの夜の闇に姿を消した。

 

◇◆◇



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バハルス帝国編
第11話「疾風走破、推察する」


登場人物紹介

クレマンティーヌ:ズーラーノーン十二高弟のひとり。今日も細剣(レイピア)は絶好調。
カイ:助平おやぢ。今日も回復魔法は絶好調。




◇◆◇

 

「なんで……なんで、あんなのが居るんだよ……」

 

 樹齢百年は超えているだろう巨木の陰で“夜目遠目(シーカー)”のラドロンは(うめ)いた。

 

 

 ラドロンは野盗だ。

 十数人規模の名も無き野盗団のリーダーをしている。

 野盗団はカッツェ平野の北端に根城を構え、近くの街道を通る商隊を襲って生活していた。

 

 小さな村の農夫だったラドロンが野盗になったのは一昨年の事だ。

 毎年起こっていたリ・エスティーゼ王国とバハルス帝国の戦争という名の小競り合いが終わった後、同郷の知人と共に村を捨てた。

 殺そうが殺されようが何の見返りもない生活に嫌気が刺した。

 それならば人を殺せば金や食料が得られる野盗の方がマシだ。

 

 元農夫の集まりに野盗稼業ができたのは、ラドロンが生まれながらの異能(タレント)を持っていたからだ。

 月明かりのない深夜でも日中と同じように物が見える夜目遠目(シーカー)

 それがラドロンの生まれながらの異能(タレント)だ。

 この力でラドロンは仲間に率いて獲物を襲い、金品の強奪を何度も成功させた。

 

 そんなラドロンの野盗団に別の野盗団の残党数人が加わったのは三日前のことだ。

 ラドロン達よりも規模の大きいその野盗団は、なんでも吸血鬼に襲われて壊滅したらしい。

 野盗団壊滅の事情には興味がなかったが、野盗団の人数が増えたことで目先の物資が必要になった。

 そこでラドロンは普段なら狙わないバハルス帝国へと向かう荷馬車を襲うことにした。

 

 時は夕暮れ。

 昼と夜の境は最も視認が難しくなる時間であり、ラドロン達が何度も襲撃を成功させた時間だ。

 獲物は幌付きの荷馬車が二台。

 護衛と思しき二騎の馬は先頭で並んでおり、周囲を警戒している様子はなかった。

 

 ラドロンが林の中から指示を出して馬上の二人を矢で射落とした。

 落馬した護衛二人に驚いたのか二台の荷馬車も止まる。

 これでどちらの荷物も手に入る。

 ラドロンはほくそえんだ。

 

 荷馬車二台ということは店を持たない行商だろう。

 中に女でも居ればありがたいが、贅沢は言ってられない。

 まずは金と食料だ。

 

 しばらく女を抱いていないことをラドロンは思い出した。

 この仕事が片付けば、どこかの街で女を買おう。

 ラドロンはそう考えながら、荷馬車の動きを注視する。

 

 後ろの荷馬車から御者が降りた。

 フードを被った細身の外套(マント)姿の人影だ。

 矢を射掛けた仲間二人に後ろの荷馬車に行くよう手で促す。

 腰に武器が見えたからだ。

 こちらの人数を見て戦意を喪失すれば良し。

 そうでなくとも大人数でかかれば始末できる。

 

 御者がするりとフードを脱ぎ外套(マント)を脱ぎ捨てた。

 仲間の後を追おうとしていたラドロンはその姿を見て動きを止める。

 

 夕焼けに金髪を輝かせた革鎧姿の若い女だ。

 変わったことに頭の上に大きな耳、腰からは尻尾が生えている。

 だが手足にそれと分かる爪はなく、武器を持っているところを見ると獣人ではない。

 ラドロンは紫に輝く女の瞳に得も言われぬ恐怖を感じたが仲間はそうでなかった。

 

「なんだぁ? 色っぽいのが乗ってるじゃねえか。こいつも売りモンかぁ」

「……あんた達、何人居るの?」

 

 まだ幼さが残る女の声に安心したのか、ラドロンの仲間達からは下卑た笑いが起こる。

 

「心配すんなよ。姉ちゃんが満足するくらいの人数で犯ってやるぜ」

「足りなきゃ(ねぐら)にも居るしなぁ」

 

 男達の笑い声が広がる中、猫耳尻尾の女はあたりをぐるりと見回す。

 そして林の中に居たラドロンと目が合った。

 

「!?」

 

 偶然だろうか?

 女の瞳がやけにはっきりと見える。

 女の口が大きく新月の形に歪んだ。

 腰の細剣(レイピア)が赤く輝いている。

 

(――違う!)

 

 ラドロンは確信した。

 あの女は間違いなく気づいている。

 ここに――林の中に居る夜目遠目(シーカー)のラドロンに。

 

「そんじゃあ、私を満足させてよねー」

 

 女はそう小さく呟くと流れるような動作で細剣(レイピア)を抜いた。

 細剣(レイピア)が赤く煌めき男達の笑いが消える。

 

 最初の犠牲者はボラッチだ。

 酒が好きな乱暴者で「仕事」のときは頼りになる男だった。

 岩のような頭が両断され赤と灰色と色々なものが飛び散った。

 

 次の犠牲者はラトリだ。

 小さいくせに大食いで、眠たそうな目のわりに細かいことに気がつく男だった。

 仲間の死を呆然と見ていたラトリの頭がぽとりと落ち、その首から赤い血が驚くほどの高さに吹き上がった。

 

 二人が犠牲になっても、他の仲間は声を上げることができなかった。

 林の中からラドロンは仲間達に逃げろと叫んだ。

 そして自分も逃げだした。

 一度たりとも後ろを振り返ろうとは思わなかった。

 

 

 巨木の陰に身を潜めていたラドロンは、あの女が自分達――いや、人間に勝てる相手ではないと感じていた。

 女の動きがそう感じさせたのではない。

 動きがラドロンには()()()()()()からだ。

 

 ラドロンが巨木の陰で隠れて数刻が経った。

 荷馬車を襲撃した黄昏時から時は過ぎ、あたりには夜の帳が降りている。

 

 仲間は生き残っただろうか。

 もし生き残ったとしてもボラッチとラトリが居なくなったのは大きな痛手だった。

 今後は河岸(かし)を変える必要もあるだろう。

 あんな化け物が現れる地域で「仕事」などできる訳がない。

 

 周りの気配を窺いながらラドロンは、巨木の陰からほんの僅か身体をずらす。

 (ねぐら)に戻って大丈夫だろうか。

 あるいはもうしばらく時間を稼ぐべきか。

 迷いながらもラドロンが巨木から離れようとすると――

 

「あんれー? かくれんぼはもう終わりー」

 

 声が聞こえた瞬間、ラドロンは走り出した。

 後ろは見なかった。

 見る必要もなかった。

 女の声は真上から聞こえたのだ。

 

 がさがさと落ち葉や枯れ木を踏む音が林に響く。

 足音を気にする余裕はない。

 ただただ、あの女から離れるため、ラドロンは林の中をがむしゃらに走る。

 しかし――

 

「お兄さん、わりと目が良いみたいだねー」

「……あ、ああ」

 

 ラドロンは立ち止まった。

 走っていた先に猫耳尻尾の女が立っている。

 紫の瞳がやけに鮮やかに見えた。

 

「こんなに暗いのに逃げるときもちゃーんと木や岩を避けてたね。すごいすごーい」

 

 女はぱちぱちと手を叩く。

 汗だくで息を切らしているラドロンに比して、女は汗をかいておらず息が上がった様子もない。

 ラドロンは目だけを動かして女の周りを見るが逃げられそうな方向は見つからなかった。

 

「そんな特技を持ってたら野盗になるのも分かるなー」

「だ、だったら――」

 

 ラドロンは精一杯の愛想笑いを浮かべると女の瞳も笑いの形に歪む。

 

「でもねー。野盗は悪い仕事なんだよー。悪いことしたら相応の報いってものを受けなくちゃねー」

 

 紫の瞳に魅入られ身動きが取れない。

 生まれて初めてラドロンは自分の能力を憎んだ。

 こんな暗い林の中で猫耳尻尾の女をはっきりと見せるのだから。

 

 女の右手が赤く煌めいたと思った瞬間、ラドロンの視界は暗闇に包まれる。

 突如訪れた闇が女の姿を隠してくれたことにラドロンは感謝した。

 そして次に訪れた激痛に叫び声を上げる。

 

「あああああぁぁぁぁーーーーーっ!!」

「んふふふー。これでもう逃げるのは無理だよね。ごめんねー。あんまし時間かけられなくって」

 

 ラドロンは痛みに顔を押さえた。

 押さえた手の隙間から()()()流れ落ちていく。

 なんとか逃げようと振り返ったラドロンは、今度は(ひかがみ)に熱を感じ地面に前のめりに倒れ込んだ。

 ラドロンは自分の両足から立つ力が失われたことに気づく。

 

「ひょっとして暗闇って初めてだった? うんうん。何事にも初めてってあるよねー」

 

 背後から聞こえる女の声が次第に大きくなっていく。

 ラドロンは自分の身体の全てを使って、その声から離れようともがいた。

 そして――

 

「初めてで……お終いだったねー」

 

 女の囁きが耳元で聞こえ夜目遠目(シーカー)のラドロンは闇に包まれたまま息絶えた。

 

◇◆◇

 

 機嫌良く荷馬車に戻ってきたクレマンティーヌを出迎えたのはカイの呆れ顔だ。

 

「遅えぞ。まさかあいつらのアジトまで潰してきたんじゃあねえだろうなぁ?」

「まっさかー。あ、でも、それも良かったかも」

 

 クレマンティーヌはけらけらと笑う。

 

「無駄働きが好きな雌だぜ、まったく」

「んでー。そっちの方は?」

 

 カイが親指で示すと、そこでは商人夫婦と幼い二人の娘が長男と次男の無事を喜んでいた。

 矢を受けて生じた怪我はカイの信仰系魔法で治療してもらったらしい。

 盗賊達の死体は目ぼしい装備を回収されて街道横に片付けられていた。

 

「おーおー、相変わらず優しいねー。カイちゃんは」

「……ふん。後でたんまり礼を貰う約束だからなぁ」

 

 クレマンティーヌとカイは商人夫婦の感謝の言葉を受けた後、また荷馬車に分乗してバハルス帝国へと向かった。

 

 

 クレマンティーヌとカイが、エ・ランテルからバハルス帝国の帝都に向かう商人の荷馬車に乗ったのはリ・ロベルを出た日の昼のことだ。

 エ・ランテルの近くまではカイの魔法であっという間だった。

 帝都へと向かう街道をゴーレムの馬で進んでいると、あぜ道に車輪を取られて立ち往生している商人の荷馬車を見つけた。

 助けた代わりにと荷馬車に同乗し、次に野盗に遭遇してクレマンティーヌが殲滅して今に至る。

 

 後ろの荷馬車で御者をしているのはクレマンティーヌだ。

 幼い娘の相手をするよりは馬を御すほうがましだと考え引き受けた。

 馬車の取り回しはクレマンティーヌにとって難しくはない。

 このまま目的地までただ手綱を握っていればいいと思っていたが、そうもいかなかった。

 御者台の横に座った商人の妻が、やたらとクレマンティーヌに話しかけてきた。

 

「あんた。カイさんとは夫婦なのかい?」

「……いーや。都合がいいから組んでるだけだよー」

 

 一瞬、怒りで激昂しかけ、冷静さを取り戻したクレマンティーヌがなんとか返事をする。

 それから今の自分のピアトリンゲン出身の請負人(ワーカー)という人物設定(アンダーカバー)をもう一度頭に思い描いた。

 

「“都合が良い”ってのは大切だよ」

 

 商人の妻はしみじみと語る。

 

「あんたは凄く強いんだね……でも人間ってのは怪我や病気に必ずなるんだ。そんなときに必要なのは都合が良い相方だよ」

 

 商人の妻が言ってることは道理であり真理だ。

 どんなに強い戦士であろうと永遠に戦い続けることはできない。

 力を失えば回復しなければならないし、より強い相手から逃れるためには囮役が必要だ。

 だからこそクレマンティーヌも風花聖典から逃れるため、エ・ランテルでカジット・バダンテールに助力を請うたのだ。

 

「そりゃあ、あんたは器量が良いから贅沢を言うのも分かるよ」

 

 商人の妻は笑顔を浮かべて声を潜めた。

 

「カイさんは年も行ってそうだしお世辞にも顔が良いとは言わないけどさ」

 

 そこにはクレマンティーヌも強く同意する。

 

「でもね――」

 

 商人の妻は真剣な眼差しになった。

 

「あんな立派な御仁を顔で手放したら大損だよ」

 

 たしかに法国でも死者再生(レイズデッド)が使える信仰系魔法詠唱者(マジックキャスター)はほとんどいなかった。

 それはズーラーノーンにおいても同じだ。

 

「なあに。男なんてやらせちまえばいいんだ」

 

 幼い娘に聞かせたくないのか商人の妻は顔を近づけ耳元で囁いた。

 クレマンティーヌは不快感に顔を顰めながら、自分が未通女(おぼこ)のように思われていることを不思議に思う。

 

「子供でも出来りゃ向こうも勝手にその気になるもんさ」

 

 クレマンティーヌの背中をぞわりと悪寒が走った。

 商人の妻はそれに気づかず言葉を続ける。

 

「うちの人だって長男坊が生まれてから、人が変わったみたいに商売に精を出し始めたからね」

 

 商人の妻の言葉がクレマンティーヌの心を乱した。

 自分が子供を生むなど想像するだけでおぞましい。

 ただこの嫌悪感が自分のどこから生じているのか、クレマンティーヌにも分からない。

 分からないことは考えても仕方がないと頭の隅に追いやった。

 それからクレマンティーヌは商人の妻の話に適当に相槌を打ちつつ荷馬車を御することに専念した。

 

◇◆◇

 

「おーおー。綺麗な都市(とこ)じゃねえか。帝国ってのはよ」

 

 バハルス帝国の帝都アーウィンタールの中央通りをクレマンティーヌとカイが歩いている。

 美しく整備された大通りは夜であっても永続灯(コンティニュアル・ライト)に照らされ、脇道や足元に危うい雰囲気がない。

 

「王国に比べたら、かなりマシな感じだねー」

 

 スレイン法国神都を知っているクレマンティーヌにしてみれば最高の都市ではなかった。

 それでも新たな整備や補修が随時行われている様には感心させられる。

 

 クレマンティーヌとカイがアーウィンタールに到着したのは夜だった。

 商人に口利きをしてもらって入国手続きを済ませ、礼金を受け取って別れるころには深夜になっていた。

 今はクレマンティーヌの案内で宿泊場所に向かっている。

 

「そーいや、さっき聞いたんだけどさ」

 

 荷馬車に乗っていたときに商人の妻から聞いた話だ。

 

「例の黒の鎧のクソったれが野盗の(ねぐら)に居たすんごい吸血鬼を仕留めたんだってー」

 

 その功績をもって例の黒鎧はアダマンタイト級冒険者になったとかで、エ・ランテルは英雄の誕生に大騒ぎだったらしい。

 

「……その黒い鎧ってのは、お前ぇをぶっ殺した奴だよなぁ」

「中身はエルダーリッチだかスケルトン・メイジだったか……ま、とにかくアンデッドだったねー」

 

 クレマンティーヌの背筋に怖気が走るが我慢して軽い口調で話す。

 

「アンデッドが吸血鬼を倒して英雄気取りかぁ? よく分かんねえな……」

 

 状況が理解できないのは話を聞いたクレマンティーヌも同じだ。

 縄張り争いでもしていたのか、あるいは仲間割れか。

 

「野盗の(ねぐら)に吸血鬼がいたってのはどういうことなんだ? そいつらが飼ってたのか? それか飼われてたかぁ?」

「関係ないんじゃない? 野盗の殆どは吸血鬼に殺されたらしいし」

「……あの野盗共なら何か知ってたかもなぁ」

 

 カイの責めるような上目遣いに、思わずクレマンティーヌは目を逸らす。

 

「まあ死んじゃったもんは仕方ないよねー。それにほら。急いでたから聞き出す時間もなかったし」

 

 クレマンティーヌの言い訳にカイが黙り込んだ。

 野盗に囚われていた女達が()()()助けられたことや、討伐に向かった冒険者にも何故か生き残りが出たという話は面倒臭くなりそうなので口にはしない。

 

「じゃあ、お前ぇんとこの知り合いはどうなんだ?」

「……?」

あの都市(エ・ランテル)でアンデッド騒ぎを起こしたのはクレマンのお仲間だろうが。だったら吸血鬼の一人や二人お友達が居たっておかしくねえ」

 

 言われてみればその通りだとクレマンティーヌは納得する。

 

「……組織に吸血鬼が居るって話は聞いたことないね。下っ端だったから教えてくんなかったかなー」

「んん? お前ぇは“幹部”じゃなかったのかよ?」

 

 物覚えの良いカイの指摘に心の中で舌打ちした。

 

「幹部のつもりだったんだけどねー。もしかして騙されてたかなー。あー私ってば可哀想ー」

「……けっ」

 

 クレマンティーヌの猿芝居に呆れたのかカイはそれ以上追求はしなかった。

 余計な詮索をされないためには無知な振りも猿芝居も必要だ。

 上手くやり過ごすために自分の人物設定(アンダーカバー)を組み立てておかなければならない。

 たとえ(くだん)の吸血鬼について本当に何も知らなかったとしても、だ。

 

「もし、その吸血鬼がクレマンの組織のお友達だったとしたらだ」

 

 カイが嫌らしい笑顔を浮かべた。

 

「クレマンの組織が、その黒い鎧のアンデッドに狙われてんだろうなぁ。くっくっく」

 

 クレマンティーヌの身体が恐怖でぶるりと震える。

 スレイン法国の特殊部隊、風花聖典の追っ手だけでも煩わしいのだ。

 その上、あのアンデッドから付け狙われたら逃亡はおろか命すら危うい。

 

「で、吸血鬼がお前ぇんとこと縁もゆかりもねえんだったら、鎧のアンデッドのお友達だろうな」

 

 クレマンティーヌはその可能性が高いと思っている。

 同じ時期に極々近い場所で、強大な力を持つ存在が二つも現れたら、それらを切り離して語る方が難しい。

 そこまで考えたクレマンティーヌが()()()を思いつきかけたが、カイの呟きに遮られた。

 

「元から敵だったか仲間割れか。出来レースって線もあるが……案外マジもんの英雄様かもなぁ」

「アンデッドだよー? 人間を助けるなんて有り得ないでしょーが普通」

 

 アンデッドは生者を憎むものだ。

 漆黒聖典時代に聞いた話でも人間を助けるアンデッドの話はひとつしかない。

 

「お前ぇみてえな人殺し好きの悪党共を始末したんだろぉ。偽善だとしても立派なもんだぜぇ」 

 

 クレマンティーヌは不快感に顔を顰めた。

 そして黒の鎧のアンデッドが、その正体を露わにする前に語っていた言葉を思い出す。

 

――あいつらは私の名声を高める道具であった――

 

 アンデッドが正体を隠して名声を得ることに何の意味があるのだろうか。

 カジットの儀式どころではない、とてつもなく大きな事件の気配を感じながら、クレマンティーヌは帝都の大通りを進んだ。

 

 

 クレマンティーヌとカイが辿り着いたのは墓地だ。

 門の左右に衛兵が立っていたが、いつもの外套(マント)とカイの魔法によって見咎められることはない。

 

「辛気臭えとこだなぁ。こんなとこにお前ぇらのアジトがあんのか?」

「そだよー。帝都(ここ)でもちょーっと仕事してたからね。その拠点ってわけー」

「どこの高級宿屋に案内するかと思えば墓場の地下とはなぁ」

「えー。私らにはぴったりじゃね?」

「……ふん。(ちげ)えねぇ」

 

 クレマンティーヌは軽い足取りで奥へ奥へと進み、その後ろをカイが訝しげな表情でついて行く。

 

「まだお仲間が使ってんじゃねえのか?」

「そんときは挨拶よろしくねー」

「……俺ぁ人見知りなんだよ」

 

 霊廟に入ったクレマンティーヌは被っていたフードを脱ぎ、慣れた様子で仕掛けを操作して地下への入口を開いた。

 

「入るよー……んん?」

 

 地下へと続く階段の奥、闇の中から二つの影が滲み出るように現れる。

 その姿にクレマンティーヌは見覚えがあった。

 

「ようやく現れたか……クレマンティーヌよ」

 

 それはズーラーノーンの十二高弟のひとりカジット・バダンテールとその従者であった。



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第12話「疾風走破、再会する」

登場人物紹介

クレマンティーヌ:ズーラーノーン十二高弟のひとり。隠れ家が修羅場に。
カイ:助平おやぢ。夜更かし中の今カレ。

カジット・バダンテール:ズーラーノーン十二高弟のひとり。リハビリ中の元カレ。


◇◆◇

 

「あらー。カジっちゃん生きてたのー? 教えてくれたら良かったのに。水臭いなー」

 

 同胞のからかい口調にカジットは苦々しく顔を歪めた。

 

「何を(たわ)けた事を。わしも殺されたわ。第七位階の魔法を使うメイドによってな」

「……メイド? 第七位階?」

 

 予想外の言葉だったのかクレマンティーヌが聞き返す。

 だが、その問いにカジットは答えない。

 他に確認すべきことはいくつもある。

 

「その様子……。おぬしは漆黒のモモンとやらに殺されたのではなかったのか?」

「……あー。その話ー?」

 

 今度はクレマンティーヌが不愉快そうな顔をした。

 

「……そ。殺されたよー。ただの戦士かと思って油断してたらさー。アンデッドだったんだよねー。しかも魔法詠唱者(マジックキャスター)だって」

「アンデッドの魔法詠唱者(マジックキャスター)だと? ……死者の大魔法使い(エルダー・リッチ)か?」

 

 死者の大魔法使い(エルダー・リッチ)は確かに強敵だ。

 リ・エスティーゼ王国の裏社会に死者の大魔法使い(エルダー・リッチ)が潜伏しているという情報はカジットも耳にしている。

 何らかの事情があってその死者の大魔法使い(エルダー・リッチ)がエ・ランテルに来ていたのだろうか。

 しかし疑問がある。

 このクレマンティーヌという女は人格こそ破綻しているが、その能力は英雄級だ。

 死者の大魔法使い(エルダー・リッチ)は強敵ではあるが、英雄級の人間にとってはその限りではない。

 

「私もそうじゃないかと思ったんだけど、強さがまるで桁違いだったねー。本人も死者の大魔法使い(エルダー・リッチ)じゃないって言ってたし」

 

 カジットは驚き、思わずフードの従者と顔を見合わせた。

 

「ずっこいよねー。アンデッドって知ってたらスティレットなんて使わずに別の戦い方してたのにー」

 

 クレマンティーヌの言葉は軽いが、そこにはある種の諦観が含まれていた。

 おそらく別の戦い方をしたとしてもそのアンデッドの魔法詠唱者(マジックキャスター)には勝てないと理解しているのだろう。

 だが並の魔法詠唱者(マジックキャスター)相手なら、ズーラーノーンでもトップクラスに()()が巧みなクレマンティーヌだ。

 そんな彼女が勝てない魔法詠唱者(マジックキャスター)とはどんな存在なのか。

 

 カジットはちらりと従者に視線を送ると、最も気になる疑問を投げかける。

 

「では何故、おぬしは生きている?」

 

 クレマンティーヌの後ろに居る風采の上がらぬ男をカジットは見た。

 

 この男はクレマンティーヌの従者だろうか。

 相手を値踏みするような澱んだ目つきは野盗の下働きと同じだ。

 だが前に立つ性格破綻の殺人狂を恐れている様子はない。

 この女のことだ。

 自らの快楽のための生贄に通りすがりのチンピラを誘い込んだということも考えられる。

 

 そこまで推察したカジットを、目を細めてクレマンティーヌがじっと見つめていた。

 

「……おんやー? そういえばカジっちゃん、なんか()()ねー。なんでかなー?」

 

 邪悪に歪むクレマンティーヌの目をカジットが口惜しげに睨む。

 

 カジットは焼け焦げた死体の状態でズーラーノーンの手によりエ・ランテルから逃れた。

 盟主と同胞の力で蘇ったものの、元の力を取り戻すにはまだまだ時間がかかる。

 

「……死んだはずのおぬしは元の力を取り戻しておるか……何故だ?」

「さあねー。天使と踊っちゃった(運が良かった)んじゃない? で、カジっちゃんはどしたの? 前より弱くなっちゃったー?」

「……蘇ったばかりでな。だが、すぐに元の力は取り戻せる」

「そりゃーよかったねー。けけっ」

 

 カジットの強がりを察してか、クレマンティーヌはからかうように笑った。

 

 死者再生(レイズデッド)によって失った力は大きい。

 元の力を取り戻すにはかなりの時間がかかる。

 その上、死の宝珠も失ってしまった今のカジットはズーラーノーンの幹部としてはあまりに脆弱だ。

 カジットは何度も隣の従者に視線を送る。

 そしてクレマンティーヌにも。

 

 エ・ランテルに居たときは力が拮抗していた相手が弱体化しているのだ。

 殺人狂の性格破綻者(クレマンティーヌ)がこんな機会を見逃すはずはない。

 カジットとクレマンティーヌ。

 夏の盛りの温い空気が、二人の間で冷たく鋭く張り詰める。

 

「――おぃ」

 

 張り詰めた空気を破ったのはクレマンティーヌの後ろに居た男だ。

 

「世間話は終わったのか? 結局ここは使えんのか、クレマン」

()かさない()かさない。紹介するねー。あの血色が悪いのが私の元カレのカジット・バダンテール。血色悪いのはカイちゃんも同じかー。あははは」

 

 クレマンティーヌから殺気が消えカジットは安堵した。

 それと同時にかつてのクレマンティーヌにはない媚びた雰囲気に戸惑う。

 

「……クレマンティーヌよ。その男は何者だ?」

 

 精神支配の魔法でもかけられたのだろうか。

 そうだとしたら組織(ズーラーノーン)のために、この女をなんとしても葬らなければならない。

 

「これはカイちゃん。私の今カレだよー」

「何を抜かしやがる。お前ぇはただの肉壺なんだよ」

 

 クレマンティーヌの頭を男――カイが(はた)いた。

 

「――痛っ。ひっどいなー。さっきまであんだけ愛し合ってたのにー」

 

 小娘のような戯言(ざれごと)に興じるクレマンティーヌにカジットは驚き、フードの従者と何度も視線を交わす。

 二人の狼狽をよそにクレマンティーヌは説明を続けた。

 

「カジっちゃんの横に居るのが……まー組織の小間使いみたいなもん。うちらみたいな幹部のお目付け役ってとこだねー」

 

 カイというこの男がどのような手段を用いたかは知らないが、クレマンティーヌを支配しているのは間違いない。

 それはすなわちこの女がズーラーノーンを裏切ったということだ。

 

「……クレマンティーヌ。我が組織を売ったか?」

「えー? まっさかー。ってゆーか、売れるような秘密って私、聞いたことないしー」

 

 カジットの糾弾にクレマンティーヌは悪びれず笑顔を見せる。

 確かにズーラーノーンは組織としての実体は薄い。

 盟主からの召集指示は少なく、幹部同士繋がりは殆どない。

 それでも組織に害となる行いがあれば誅するのが掟だ。

 

「この場所を他者に知らせるのが裏切りでないと言うか?」

 

 フードの従者に何度も視線を飛ばしながらカジットはさらに追求する。

 クレマンティーヌは彼女にしては珍しく、ばつの悪そうな顔を見せた。

 

「いやそれがさー。カイちゃんの無駄遣いが過ぎちゃってねー。時間も時間だし宿代もないから、ここを貸して欲しくて来たんだよねー。泊まる場所として」

「その男の口を封じるのが先ではないか?」

「えー? なに? もしかしてカジっちゃん、カイちゃんに嫉妬してる? ごめんねー。あーもてる女は辛いわー」

「……何を(たわ)けたことを」

 

 クレマンティーヌはカジットが知っている邪悪な笑顔を浮かべる。

 

「カイちゃんはねー。こっちの人間だから大丈夫だよ。それにほらー」

 

 突然、紅い輝きがクレマンティーヌから放たれた。

 思わず身構えるカジットの前を通り過ぎた輝きはクレマンティーヌの背後、カイの首筋で止まっている。

 クレマンティーヌが紅い刃の細剣(レイピア)をカイに振るったと、少し遅れてカジットは理解した。

 そしてその刃を冴えない中年男が片手の指のみで挟み止めていたことに改めて驚愕する。

 

「今の見えたー? 見えなかったのよねー? この通り、私じゃカイちゃんを殺せないんだよねー。痛っ。ぽんぽん叩かないでよー」

「武器を向けんなって言ってるだろうが。立場を分かってんのかぁ」

「ここを借りるためのデモだってばー」

 

 細剣(レイピア)を腰に戻してクレマンティーヌはにこりと笑う。

 それはカジットが初めて見る邪気のない笑顔だ。

 狼狽するカジットの隣に居た従者が小さく呟いた。

 その()()はクレマンティーヌの耳にも届いたようだ。

 

「そだよー。何度も言うけど、私を殺したのはアンデッド。黒い鎧がパッと消えてね。自分のこと魔法詠唱者(マジックキャスター)って言ってたけど魔法は見なかったなー」

 

 従者は少し間を置くと、小さな声でもう一度クレマンティーヌに尋ねた。

 そのアンデッドの魔法詠唱者(マジックキャスター)の力はどれほどのものか、と。

 

「わっかんないねー。でも十二幹部(うちら)くらいじゃ勝てないんじゃない? 私が手も足も出なかったからね。盟主様(ボス)にも気をつけるよう言っといたほうがいいよー」

 

 クレマンティーヌがケラケラと笑いながらもたらした情報にカジットは戦慄する。

 カジットをスケリトルドラゴンごと焼き尽くしたメイドの魔法詠唱者(マジックキャスター)は脅威だ。

 敵対するにせよそうでないにせよ相応の力が必要となる。

 それに加えて漆黒のモモンである。

 あのメイドを従えていた(あるじ)がメイドより弱者であるとは考え難い。

 仮に同程度の力だとしてもその脅威は単純に二倍だ。

 

「アレはまだエ・ランテルにいるみたいだけどさ。手を出すなら相当の覚悟が必要だと思うなー」

 

 口調こそ軽いもののクレマンティーヌの言葉には実感が篭っていた。

 

 復活したカジットが帝都アーウィンタールに赴いたのは力を取り戻すためだ。

 ズーラーノーンが帝国内に広げていた新興宗教の信者を利用して生贄を集めるつもりだった。

 その矢先にエ・ランテルで行方が分からなくなっていたクレマンティーヌが隠れ家に姿を見せた。

 重大な情報とカイという謎の男を伴って。

 

「どう? ひっどい殺され方をしてまで手に入れた大事な情報だよー。ここの借り賃くらいにはなるんじゃない?」

 

 カジットは従者が小さく頷いたのを確認した。

 

「……よかろう。だがこの場所のことは他言無用だ。その男にもよく言い聞かせておけ」

「はいはーい。カイちゃん、よかったねー。ここ、使わせてくれるってよ」

 

 カイは返事をせず、念入りに辺りを見回している。

 

「――それで、おぬし達は何をしにこの帝都まで来た?」

 

 カジットはクレマンティーヌ達の(くわだ)てを確認しておく。

 この殺人狂が帝都でどんな悪事を行うつもりなのか。

 

「カイちゃんが帝都観光したいってゆーから。私はその付き添い。生き返らせてもらった恩があるしねー」

「恩などと心にもないことを……待て! 今、なんと言った?」

 

 カジットの剣幕にクレマンティーヌが驚きの表情を見せる。

 

「ん? 帝都観光?」

「そっちではない! “生き返らせてもらった”だと?」

「あーそれねー。さすがに死んでたときのことは分かんないけどさ。カイちゃんさー、私に死者再生(レイズデッド)を使ったんでしょ?」

「……まあな」

 

 寝台にすでに横になっているカイは生返事を返す。

 その様子は寝床を見つけた浮浪者と変わりない。

 そんなカイをカジットは驚きの目で見る。

 この浮浪者のような男が第五位階魔法死者再生(レイズデッド)が使えるのか。

 それはカイが信仰系魔法詠唱者(マジックキャスター)として最上位であることの証だ。

 では、あのクレマンティーヌの細剣(レイピア)を止めた技はなんなのか。

 

 理解不能な事実に混乱するカジットにクレマンティーヌが顔を近づける。

 

「信じる信じないはそっちの勝手だけどさー。組織についてカイちゃんに話したことはないよ。そもそも聞かれなかったしね」

 

 カイの様子を窺いながらクレマンティーヌが舌を出した。

 

◇◆◇

 

「……おぬしは何者だ?」

 

 カジットとフードの従者の興味はカイへと移ったようだ。

 クレマンティーヌとしては助かったが、あのカイが二人に興味を示すことはないだろうとも思う。

 

「……俺はただの鬼畜モンだぁ」

魔法詠唱者(マジックキャスター)なのか?」

「まあな」

「ふむ。……で、どうやってあのクレマンティーヌを躾けた?」

 

 “躾けた”という言い草はむかつくがここでは我慢する。

 

「そりゃあモチロン、男の魅力ってヤツだぁ」

「馬鹿馬鹿しい。あの女は少しでも隙を見せれば誰であろうと殺す。敵味方お構いなしにな」

「よく知ってるじゃねえか」

「……なるほど。別に変わったわけではないのか」

 

 自分の事で勝手に納得しあってる男達への殺意を、クレマンティーヌはなんとか押さえ込む。

 

「おぬしは……どこの手の者だ?」

「さあな」

「……話す気はないということか。ではその力、どこで手に入れた?」

「生まれつきに決まってるだろうが。このハンサム顔と同じでよぉ」

 

 クレマンティーヌは思わず吹き出し、カジットが顔を顰める。

 

「……おぬしの方から(わし)に聞きたいことはあるか?」

「あるぜぇ。どうやったら黙って俺を寝かせてくれるんだぁ?」

「……」

「カイちゃんはねー、えっちなことにしか興味ないんだよ。勿体ないよねー。そんなに強いのにさ」

 

 クレマンティーヌは寝台の感触を確かめながら口を挟んだ。

 そして同じ組織のよしみで助け舟を出してやることにする。

 

「そーだカイちゃん。なんか探してるんじゃなかった? せっかくだから聞いてみたら?」

 

 カイが睨みつけクレマンティーヌはぺろりと舌を出した。

 何かを探すということはあらゆる行動の指針であり足かせだ。

 その意味ではクレマンティーヌはカジットたちにカイの弱みを教えたことになる。

 

「……それじゃひとつだけ聞いてやるぜ」

 

 カイは上着の懐を開いて裏地を二人に見せた。

 

「この()()に見覚えはねえか?」

 

 クレマンティーヌは素早く()()が見える場所まで移動する。

 そこには魔法で写し出したように緻密な人物画があった。

 

「知らぬ顔だ。……名はなんと言う?」

 

 カイが名前を口にするが、それはクレマンティーヌの聞いたことのないものだ。

 カジットも首を傾げ、従者もまた首を横に振る。

 

「……そうかい。じゃあ俺から聞くことはもうねえな」

 

 その声は少しだけ落胆したようにクレマンティーヌには聞こえた。

 しばらく沈黙した後、カジットと従者が出口に向かって動き出す。

 

「どったのー? もうお出かけ? まだ外は暗いよー」

 

 寝台に戻ったクレマンティーヌが声をかける。

 

「おぬし達の話で検討すべき新たな事案が生じた。ここは勝手に使うがいい」

「そーぉ? 悪いねー。追い出したみたいで」

 

 ケラケラと笑うクレマンティーヌにカジットは顔を顰めた。

 

「いずれおぬしにも沙汰(さた)があるだろう。それまであの男から離れるな。良いな」

「はいはい。りょーかい、りょーかーい」

 

 寝台の上でクレマンティーヌはひらひらと手を振る。

 カジットはちらりとカイを見て、やがて従者を伴って滑るように部屋から出て行った。

 二つの影を目の端で見送ったクレマンティーヌがカイに視線を向ける。

 カイは寝台の上で大きないびきをかいていた。

 本当に眠っているのか眠った振りなのかは判らない。

 ただ少なくとも今夜のカイはクレマンティーヌを犯すつもりはないらしい。

 人見知りだと語ったのは案外本当のことかも知れないと考える。

 カイと周囲に警戒しつつ、とりあえずクレマンティーヌも目を閉じることにした。

 

◇◆◇

 

 翌日、クレマンティーヌとカイがズーラーノーンの隠れ家を出たのは日がかなり高くなってからだ。

 眠り足りないクレマンティーヌが横目で見ると、無遠慮に大きな欠伸をしているカイが目に入った。

 思わず出かけた自分の欠伸をかみ殺す。

 二人の目的地は大闘技場。

 帝都アーウィンタール一番の観光スポットでありカイたっての要望だった。

 

 ゴーレムの馬で行けば早いだろうが、さすがに帝都では目立ち過ぎる。

 無駄に目立つことを避けるために二人は辻馬車を使うことにした。

 御者の勧めを受けて大闘技場の手前、中央市場の近くで降りることにする。

 もしかすると御者の方が市場に用があったのかも知れない。

 

 帝都の大広場に広がる中央市場には帝都で生活するための全てが揃っていた。

 中央市場は食料品と生活用品が主でクレマンティーヌとしては興味を惹くものはない。

 そこから二人は北市場へと移動する。

 

 帝都北市場は中央市場より規模は小さいが並ぶ露店の数は負けていない。

 それでも取り扱われている商品の種類が特殊なため中央市場ほど買い物客でごった返すことはない。

 露店の店先に並んでいる商品は中古の武器やマジックアイテムで、それらを使う人間は限られているからだ。

 店主はそれらアイテムの持ち主であり大抵は冒険者かワーカーだ。

 

 かつてのクレマンティーヌであれば興味津々で店先のマジックアイテムを眺めたであろう。

 だがカイの持つアイテム群を知った今となっては冷やかし以上の意識はない。

 そのカイはといえば武器ではなく生活用のマジックアイテムを並べている店の前に立ち止まった。

 比較的大きめの露店に並ぶマジックアイテムを、ひとつひとつ手にとって熱心に吟味している。

 

 そんなカイを遠巻きに見つめながらクレマンティーヌは昨晩得た情報を整理していた。

 カジットが死んだことは知っていたが、手を下したのはあのアンデッドだとクレマンティーヌは思っていた。

 だが殺された本人の言葉を信じるならば、あの済まし顔の魔法詠唱者(マジックキャスター)が実はメイドで、第七位階魔法を使ってスケリトルドラゴン共々カジットを抹殺したらしい。

 クレマンティーヌの中の常識は、カジットの言葉を聞き間違いか本人の勘違いだと判断している。

 しかし――。

 クレマンティーヌ自身はどんな目に遭ったか。

 黒い鎧の戦士の正体が実はアンデッドの魔法詠唱者(マジックキャスター)で、しかも魔法ではなくその腕力でクレマンティーヌを絞め殺した。

 自分が遭遇したことながら非常識で理解不能だ。

 

 理解不能な二人の魔法詠唱者(マジックキャスター)についてクレマンティーヌは考えることを止める。

 ではカジットたちとズーラーノーンはこれからどう動くのか。

 

 組織の手によってカジットは復活した。

 復活の際に失った力を取り戻すため、ここアーウィンタールに来ていたようだ。

 こちらの動きが先にカジット達に気づかれていたのは失態だった。

 カイは気にしていないようだが、これから先、より慎重に行動する必要がある。

 クレマンティーヌはカイほど強くない。

 そしてズーラーノーンという組織の後ろ盾に不安を感じているからだ。

 

 クレマンティーヌ自身、ズーラーノーンへの思い入れは殆どない。

 その一方で組織を裏切ったつもりは毛頭なく、カイとの関係も単なる個人行動だと考えている。

 カジットは盟主へ、クレマンティーヌを殺したアンデッドの魔法詠唱者(マジックキャスター)のことを報告するだろう。

 そしてカイのことも。

 カジットを葬った第七位階の魔法を使うメイドも含めた三人の強者への対応を検討することは間違いない。

 対応が決まれば組織から――いや盟主からクレマンティーヌに召集がかかる。

 

 盟主がどんな対応を選択するのか。

 あのアンデッドと敵対してもう一度死ぬのは嫌だし、恭順するために組織から人身御供として差し出されたくもない。

 それならば、あのアンデッドや組織の手が届かない遠い地に逃れるより他に術はない。

 

 では、逃亡のために必要な物と言えば、買い物を済ませクレマンティーヌに近付いてくる小汚い中年の魔法詠唱者(マジックキャスター)だ。

 この男に言うことを聞かせるためには自分は何をしなければならないのだろうか。

 エ・ランテルからアーウィンタールへの道中、商人の妻に言われた言葉を思い出してクレマンティーヌの機嫌は急降下する。

 

「なぁに黄昏(たそがれ)てんだ。どっかの店でボられたのかぁ?」

「……買い物は終わったー?」

「今日のところはな。場所が分かったから欲しいときにはいつでも来れるぜ」

 

 どうやらカイは後日、転移魔法で買い物するつもりらしい。

 贅沢な話だとクレマンティーヌは呆れ、そしてこの男の力が必要な自分に腹が立つ。

 

「……で? 闘技場に行くん……だよね?」

「当ったり前だぁ。闘技場の雌戦士が股を濡らして俺様を待ってんだからなぁ。くっくっく」

 

 そんな訳あるかと突っ込む気も起こらず、クレマンティーヌは無言で大闘技場に向かって歩き出した。

 

 

 バハルス帝国が誇る大闘技場は壮大だ。

 壁や柱の意匠も帝国風に洗練されており皇帝の権力の大きさを国内外に誇示している。

 吟遊詩人による歌や芝居なども行われるが、大闘技場での一番の出し物といえばやはり剣闘だ。

 客は闘技者の勝敗に金を賭け、串焼きを頬張りながら応援し、嗄らした喉をビールで潤す。

 

 大きな大会があるときや王者である武王が試合に出るときには観客の数は凄まじく、闘技場の周りは身動きが取れないほどだ、とは辻馬車の御者の話だ。

 今日は大きな大会もなく名の知れた闘技者も出ないのか、闘技場の入口周辺の他に人の集まりはない。

 

 よたよたと歩くカイを引き連れクレマンティーヌは入口の近く、今日の出し物が貼り出している柱へと行く。

 貼り紙には何試合かの剣闘の予定が書き出されている。

 だが、その中にクレマンティーヌが知っているような強者の名前はない。

 今日行われるのは普通の日の普通の興行なのだろう。

 文字の読めないカイが聞いてくる。

 

「で? どいつが雌戦士なんだぁ?」

「……知らない。そこらの予想屋にでも聞いたらー?」

「ったく……使えない肉壺だぜ」

 

 こういう場所には何人もの予想屋がいて、勝敗予想を教えることで小銭を稼いでいる。

 カイは客が寄り付いていない元戦士風の予想屋に向かって歩いていった。

 

 どんな話術を使ったのか、カイと予想屋の話が盛り上がっている。

 クレマンティーヌはカイから離れると、隠れ外套(ステルスマント)を被って屋台や出店(でみせ)が並ぶ場所へと移動した。

 闘技場周りの人の多さには辟易するが、剣闘に頭がいっぱいになっている男達から金袋を()るのは楽しい。

 今日はまだ一度も食事をしていなかったことを思い出し、屋台の店先から串焼きを摘んで小腹を満たす。

 憂鬱になった気分が少しだけ晴れた。

 道行く多くの人間を眺めながら、これらを皆殺しに出来たらどれだけ楽しいだろう。

 そんなことを漠然と考えていた。

 

 突然、隠れ外套(ステルスマント)が引かれる感触に慌てて振り向いた。

 串焼きを抱えた見たこともない幼い少女が、クレマンティーヌのマントを掴んでいる。

 少女は叫んだ。

 

「ママぁ!」

「……はぁ?」



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第13話「疾風走破、救出する」

登場人物紹介

クレマンティーヌ:ズーラーノーン十二高弟のひとり。難度は百くらい?
カイ:助平おやぢ。難度は高いが不明。
ムーレアナ:帝都アーウィンタールで武器屋を営む女剣闘士。難度は六十くらい。




◇◆◇

 

「ママぁ!」

 

 娘――マヤが長椅子に座る母親、ムーレアナの膝にしがみついた。

 

「……どうしたのマヤ。大きな声を出して?」

「あのね。外の、外のお店、行っていい?」

 

 ムーレアナはバハルス帝国の帝都アーウィンタールにある小さな店の女店主であり、大闘技場で今日行われる試合に出場する戦士だ。

 試合の時間はまだ先だが、規則によるムーレアナが外出できる時間は過ぎている。

 

 ムーレアナはかつて夫と共にミスリルの(クラス)の冒険者をやっていた。

 出産を機に夫とともに冒険者を引退し、かねてからの夢であった武器の商売を帝都の北市場で始めた。

 店の主な取扱商品は冒険者やワーカー向けの武器とポーション。

 元ミスリル級冒険者が薦める武器や防具、マジックアイテムは冒険者やワーカーに好評で、それに加えてムーレアナの美貌が多くの固定客を掴み店を構えるまでになった。

 愛する夫と娘と共に帝都に開いた店の売上は順調。

 そんなムーレアナの幸せは数年続いた。

 

 昨年の春、かつての仲間に請われて夫が冒険に赴いたときムーレアナの幸せに陰りが生じる。

 数日で終わるはずの依頼が、ひと月経っても夫は戻らず冒険者組合に聞いても状況は不明。

 いつ戻るとも分からない夫を待って、ムーレアナは娘のマヤと店をひとり懸命に支えていた。

 

 そんな折、ムーレアナの噂を聞きつけた興行主(プロモーター)が闘技試合への出場を打診してきた。

 幼い娘がいることもあって初めは出場を固辞したムーレアナだったが、興行主(プロモーター)は彼女を諦めず鍛冶と魔術師の組合を通して説得を試みる。

 取扱商品の仕入先からの頼みとなると武器屋の女主人としては断り難い。

 何度かの話し合いの末、連続した大会には出場せず限られた試合数であればという条件で引き受けることになった。

 最終的に引き受けたのは、行方の分からぬ夫への心配を、戦いの中で一瞬でも忘れたかったのかもしれない。

 

 大柄なムーレアナが使う武器は大人の身長ほどの長さのグレートソードだ。

 それを力任せに振り回して対峙する人や獣をなぎ倒した。

 美貌の女戦士が黒い髪をなびかせ戦う様に大闘技場の観衆は熱狂した。

 美しい彼女が力強く勝利することを願い、そして血にまみれて敗北することを願って。

 そんな熱狂も今日の試合で終わる。

 

「もう試合が終わるまでママはお外に出られないの。終わったらママと一緒に行きましょう」

「んーと……あのね。ジェストさんがね。行くって。一緒にー」

 

 マヤが扉の横に立つ小柄な男――ジェスト・デセオをちらちらと見た。

 娘とジェストの間で話がついていることをムーレアナは察した。

 

 ジェストはムーレアナの試合報酬を管理している人物だ。

 興行主(プロモーター)の紹介で仕事を任せてから半年ほどの付き合いになる。

 性格は温厚で真面目。

 ある貴族の財産管理の仕事をしているそうで、人当たりが良いだけでなく報酬交渉では言うべきことも言ってくれる。

 ムーレアナが試合をしているときにはマヤを預かってくれたりもしていた。

 そんなジェストの誠実さはマヤも感じていて、近頃は知らない内緒の話もしているらしい。

 この話もそのひとつだろうが、仕事以外でそこまで甘える訳にはいかないと思うのは、ムーレアナの商売人としての信条だ。

 

「ジェストさんにもお仕事があるんですよ。我侭を言わないの」

 

 むくれるマヤにジェストがいつもの笑顔で助け船を出す。

 

「良いですよ。マヤちゃんの買い物にお付き合いしましょう」

「そこまで甘えるわけには……」

 

 それでなくても試合中のマヤのお守りをしてもらっているのだ。

 これ以上、彼の手を煩わせたくはない。

 

「私の仕事は試合の後ですから、それまでは大丈夫ですよ。それにムーレアナ。今日が最後なのでしょう。勝って終われるように準備しておいてください」

「……すみません」

 

 ムーレアナは控え室備え付けの宝箱から銅貨3枚を取り出した。

 しゃがみ込んでマヤに銅貨を手渡すと、その小さな手を握り締める。

 

「ジェストさんに無理を言わないのよ。それと買い物が終わったらすぐに戻ってらっしゃい。いいわね?」

「うん!」

 

 マヤが笑顔で頷いた。

 夫が行方不明になってから不安と気疲れは常に付きまとっている。

 それでも娘の、マヤのこの笑顔があるからムーレアナは前に進めるのだ。

 

◇◆◇

 

 認識阻害の外套(ステルス・マント)の裾を握り締める少女にクレマンティーヌはため息をついた。

 少女の後を3人の男達が追ってきたこともクレマンティーヌの気分を滅入らせる。

 男達がマントに隠れている少女を見つけた。

 

「――よし。鬼ごっこはここまでだな」

「ママに串焼きを持って行くんだろ」

「ママが待ってるからねぇ。早く戻りまちょうねぇ……ん? なんだぁ?」

 

 男達はようやく目の前にクレマンティーヌが居ることに()()()()()

 外套(マント)は少なくとも男達には正しく機能していたようだ。

 

「なんだぁ? 邪魔をするってのか、あぁ?」

「なんなら姉ちゃんも一緒に来るかぁ? 串焼きよりも旨い物をその口に――ひぃっ!」

 

 小柄な男の言葉が男自身の短い悲鳴で遮られた。

 クレマンティーヌは何もしていない。

 ただ顔を顰めただけだ。

 

 どう出るべきかを迷う男達を無視してクレマンティーヌは少女を見る。

 少女は怯えた顔でクレマンティーヌと男達を交互に見ていた。

 その小さな手がマントの裾をしっかり掴んでいる。

 

 怯えた表情はクレマンティーヌの大好物だが、今はそれを堪能する気分ではない。

 

「……あ……あの……」

 

 消え入りそうな少女の声。

 年の頃は六つか七つくらいか。

 この周辺では珍しい黒い髪を後ろでふたつに結っている。

 幼くも整った顔立ちは、いずれ多くの男を虜にするようになるだろう。

 無事に生き続けることができたら、だが。

 

 クレマンティーヌは表情を少しだけ緩めた。

 

「私はねー。あんたのママじゃないよ」

 

 クレマンティーヌはそう言い放つと、すがりつくような目の少女をひょいと両腕で持ち上げ男達の前に立たせる。

 少女が抱えていた串焼きが地面に散らばった。

 

「……あっ!」

 

 少女が小さく声を上げる。

 構わずクレマンティーヌは振り返り、そのまま男達とは反対方向へと歩き出した。

 男達の気持ち悪い猫なで声と少女のか細い抵抗の声が遠ざかり、やがて消える。

 ゆっくりと振り返ると少女と男達の姿はない。

 

「……ふん」

 

 散らばった串焼きがちくりとクレマンティーヌの心に刺さった。

 

 

 クレマンティーヌは闘技場の周辺をあてもなくうろついている。

 やったこととと言えば賭けに夢中になってる親父の懐から革袋をすったり、屋台の串焼きや菓子を摘んだり、巡回中の警備騎士の足を引っ掛けたりしたくらいだ。

 認識阻害の外套(ステルス・マント)は存分に役目を果たしていた。

 あの少女にすがりつかれた事を除いては。

 

 あれは生まれながらの異能(タレント)だろうか。

 そうだとすれば魔法の効果を打ち消すものか、あるいは人の居場所を察知するものか。

 スレイン法国であれば子供の出生時に調べ上げ、国レベルで管理する能力だろう。

 だがバハルス帝国の国民管理はそこまで徹底はしていないようだ。

 これは生まれながらの異能(タレント)持ちが、その辺りにいるかも知れないということを意味する。

 

 食べ終わった串を投げ捨てクレマンティーヌは周囲の様子を窺う。

 だが彼女に注意を払っている者の気配はなく、誰もクレマンティーヌに気を留めていない。

 少しだけ安心したクレマンティーヌの頭の中に突然、声が聞こえてきた。

 

『――おい、クレマン』

「――!? ……なんだ、カイちゃんか?」

『ああ。愛しい愛しいカイ様だぜぇ、くっくっく』

「……カイちゃん、<伝言(メッセージ)>まで使えんだ」

 

 クレマンティーヌが<伝言(メッセージ)>を受けるのは初めてではない。

 ただカイが<伝言(メッセージ)>を使えるということを知らなかっただけだ。

 クレマンティーヌは素早く人の居ない場所へと移動する。

 認識阻害の外套(ステルス・マント)を被っているとはいえ、人通りの多い場所でひとりブツブツと話すのは格好が悪い。

 

「なに? 女を探して迷子にでもなったー?」

『そんなヘマするかよ。俺様は鼻が利くんだ。どんな分厚い壁向こうの肉壺の臭いだってすぐに嗅ぎ分けて……って、下らねえコト言ってんじゃねえ。急用だ。こっちに来い』

 

 下らない事を言ってるのはそっちだろ、と言いたい気持ちをクレマンティーヌは飲み込む。

 

「……こっちってどこー?」

『戦士控え室に決まってるだろうが。ムーレアナちゃんのなぁ』

「……誰ちゃん? それじゃ分かんないって」

「ったく……察しの悪い肉壺だぜ――」

 

 カイから控え室の場所を聞いたクレマンティーヌはマントを被り直すと、最寄りの入口から大闘技場の中に入った。

 

◇◆◇

 

 カイに教えられた控え室にクレマンティーヌが入る。

 それほど広い部屋ではないが、戦士ひとりに対してひとつの部屋を与えているのは豪勢だ。

 この大闘技場でそれだけ大きな金が動くということなのだろう。

 長椅子に座ってうなだれている女がクレマンティーヌの目に入る。

 その前で片膝をつき、だらしない顔で慰めているのはカイだ。

 

 女の背丈はおそらくクレマンティーヌより高い。

 カイと同じくらいだろうか。

 身体もクレマンティーヌよりひとまわりほど大きい。

 派手な試合用装備は紫色で、隙間から見える肌は鍛えられた者のそれだ。

 それでいてリ・エスティーゼ王国の王都で見た蒼の薔薇のガガーランのようにゴツゴツした四角い印象はなく、女性らしいなだらかな丸みを帯びている。

 男なら誰しもが組み伏せ己の欲望を吐き出したくなるだろう。

 そしてクレマンティーヌが腰の細剣(レイピア)で切り刻みたくなる身体だ。

 

 うなだれていた女が顔を上げる。

 この周辺では珍しい黒髪が乱れ血の気が引いた顔は美しくも酷く憔悴していた。

 潤んだ目と憂いを帯びた仕草が男の保護欲をそそるであろう雰囲気を漂わせ、それがクレマンティーヌをイラつかせる。

 

「でー? こちらの女戦士さんは?」

 

 カイに聞いたつもりだが、答えたのは女だ。

 

「……ムーレアナです」

 

 女――ムーレアナの声は力なく掠れている。

 

「私はクレマン。よろしくねー」

 

 場にそぐわない明るい自己紹介を聞きムーレアナは再びうなだれた。

 クレマンティーヌが部屋を見回すと入口の横には棚があり、そこにはムーレアナの物らしき装備だけが置いてある。

 

 ポーションの瓶が二本。

 綺麗に手入れされたクレマンティーヌの背丈ほどのグレートソード。

 グレートソードを見て嫌な事を思い出したクレマンティーヌは思わず顔を顰める。

 

 カイが立ち上がると小声でクレマンティーヌを部屋の隅へと呼んだ。

 

「……なに?」

「これを見ろ」

 

 カイが差し出したざらついた紙にはムーレアナへの伝言が殴り書きされていた。

 なるほど、金が絡む場所ではよくあることだとクレマンティーヌは納得する。

 

「なんて書いてあんだ?」

 

 何も事情が分からずに殊勝な顔で女を慰めていたのかとクレマンティーヌは呆れた。

 子供と連れを返して欲しければ勝負に負けろ、と書いてあることをカイに説明する。

 

「こんなとこでも八百屋のチョウベエさんとはなぁ。金が絡むと碌なことがねえ」

 

 よく分からないことを呟きながら、カイは例の銀色の板を取り出し指でなぞり始めた。

 その様子をクレマンティーヌは黙って見る。

 

「……出た出た。なるほどぉ。あの雌に似てけっこうな玉じゃねえか。十年後が楽しみだぜぇ」

 

 カイの手元にある板をクレマンティーヌが覗き込んだ。

 そこには魔法の力で、この部屋でムーレアナと幼い少女、そして小柄な男が談笑している様子が映し出されている。

 クレマンティーヌはその少女の顔に見覚えがあった。

 そして小柄な男にも。

 

 銀の板を懐に仕舞い込んだカイにクレマンティーヌは聞く。

 

「……で、どうすんの?」

「乗りかかった肉壺だぁ。さくっと娘を助けて恩を売るに決まってるだろぉ。それまでクレマン(お前ぇ)はここでムーレアナちゃんと女子トークでもやって場をもたせとけ」

 

 クレマンティーヌは少し考えカイに提案する。

 

「あのさ。どうせだったら私が行くってのはどう?」

「……なんだぁ? 殺しのクレマンさんが人助けとは、どういう風の吹き回しだぁ?」

「ふん。こんなとこで留守番なんかしてたら気が滅入りそうだしね。それに――」

「それに?」

 

 クレマンティーヌはカイの耳元に顔を近づけた。

 

「私が居なくなればまた二人っきりだよー。あの女をもっと追い込めるんじゃない?」

 

 クレマンティーヌは黒い笑顔を浮かべる。

 それを聞いたカイの顔が情欲に綻んだ。

 

「……なるほどなぁ。そこまで言われちゃ仕方がねえ。娘の方は任せてやる。終わったら寄り道せずに戻って来い。買い食いなんかすんなよ。いいな」

 

◇◆◇

 

 ジェスト・デセオは寝台で何度も何度も腰を振った。

 身体の下には武器屋の女主人、ムーレアナの娘――マヤの幼い肉体がある。

 着ていた服は引き裂かれ、首や肩の周りに辛うじて布が張り付いているだけだ。

 母親譲りの白い肌はあらゆる場所が血と体液に塗れていた。

 

 ここは大闘技場に近いジェストの(あるじ)が所有する屋敷の二階。

 たまに泊まるとき以外は倉庫として使っている場所である。

 小さいとはいえ貴族の屋敷であり部外者が入ってくることはない。

 

 部屋の中にはジェストとマヤの他に3人の男達がいた。

 男達は酒を飲み笑いながらジェストの行いを見ている。

 今日の仕事のためにジェストが雇った請負人(ワーカー)だ。

 

 部屋に連れ込み、最初にマヤを犯したのは最も身体の大きな男だ。

 女であれば赤ん坊でも犯しそうな野卑な男だった。

 次にひょろりと背の高い男がマヤに覆いかぶさって精を吐き出し、ジェストは三番目だ。

 

 マヤの母親――ムーレアナの強さをジェストは知らない。

 報酬管理の仕事を始めてから、ムーレアナの試合があるたびに彼女が死ぬかも知れないと考えていた。

 あの豊満な肉体が自らの血に塗れて倒れ伏す光景を妄想し、(たぎ)る分身を自分の手や商売女で慰めてきた。

 そして今日、マヤを手中にしたジェストは、その母親の顔と肉体を思い描きながら、幼い身体に何度も腰を打ち付ける。

 

 ジェストがムーレアナの報酬管理人になったのは(あるじ)である貴族が紹介したからだ。

 大元を辿れば興行主(プロモーター)からの依頼であり、ムーレアナを大闘技場の試合に集中させる手段だった。

 自分よりも背が高く大柄な美しい武器屋の女主人にジェストは心を奪われた。

 ムーレアナの気を惹くため報酬管理の仕事を真面目にこなし、贈り物を贈ったりもした。

 だが夫への愛情からか、それとも小男の報酬管理人に魅力を感じなかったのか、ムーレアナはジェストに感謝こそすれなびく素振りは見せなかった。

 

 やがてムーレアナが最後と決めた試合で、ある貴族の子飼いの戦士との対戦が決まった。

 その貴族は子飼いの戦士の勝利のために一計を案じた。

 それが娘のマヤを人質に取ってムーレアナを敗北させることだった。

 貴族は友人であるジェストの(あるじ)に協力を仰ぎ、(あるじ)はその話を引き受けた。

 ジェストはムーレアナ親子に情を感じてはいたものの、(あるじ)の命に逆らう気はなかった。

 (あるじ)から預かった支度金で名も知らぬ請負人(ワーカー)を雇い、そして今日、控え室から言葉巧みにマヤを連れ出した。

 ムーレアナに試合での敗北を要求する殴り書きを残して。

 

 締め切った部屋には生臭い臭いが充満している。

 なにもかも終わったら掃除と換気をしなくてはならないとジェストは思う。

 ふと、身体の下にある小さな肉体から動きが消え、死んでしまったのかと思ってジェストはマヤを見た。

 少女の顔は痣だらけで大きく腫れ上がっている。

 薄く開いた目と小さな鼻、そして血が溢れている口の中の歯は何本か折れていた。

 連れてくるときと、そして連れてきたこの部屋とで男達とジェストが殴りつけたからだ。

 マヤの口と鼻が呼吸のために僅かに動いたのを確認して胸を撫で下ろす。

 母親の試合が終わっても、この少女にはまだ使い道があるのだ。

 

 その時、部屋の扉が開いた。

 

「こんちわー」

 

 緊張感のない挨拶と共に開かれた扉の向こうに若い女が立っていた。

 肩にかかる金髪に猫耳の飾りをつけ、まるで下着のような革鎧(バンデッド・アーマー)を着ている。

 その童顔の美女にジェストは見覚えがあった。

 連れ出す途中で逃げたマヤがすがっていた女だ。

 若い女なら嫌悪するだろう獣欲に満ちた部屋をまるで気にしていない。

 突然のことに呆然としている男達の間をすたすたと歩き、その女はジェストの傍に立った。

 

「――邪魔」

 

 いきなり女に突き飛ばされジェストは局部を丸出しにしたまま寝台の裏に転がり落ちた。

 

「……死んでないみたいだね。良かった良かったー」

 

 それほど心配していたと思えないような女の声に、ようやく請負人(ワーカー)の男達が我に返った。

 

「な、なんだ手前ぇっ!」

「あ、あの武器屋の仲間かっ!?」

 

 男達の怒りと殺意が大きく膨らむ。

 だが猫耳女は気にも留めていない。

 

「んじゃ、連れてくよ。いーよね?」

 

 男達の意思などまるでお構いなしの軽い調子で確認する。

 ジェストは慌ててズボンを穿き、寝台の裏から立ち上がった。

 

「――なんだ、手前ぇ! こ、ころ、殺されてぇのか!!」

 

 ジェストの怒りの言葉は女に届いていない。

 ただ残念そうな表情を、その童顔に浮かべただけだ。

 

「んー。あんまし時間かけらんないんだよねー」

 

 そう呟くと顔を歪め獣の笑みを浮かべた猫耳の女が消える。

 次の瞬間、ジェストは腹部に熱いものを感じた。

 

「ちっ!……ひっ……がっ……がはぁっ!」

 

 耳まで裂けたような笑い顔がジェストの眼前に現れた。

 女の手には細剣(レイピア)が握られ、その刃がジェストの腹から背へと貫いている。

 そのままゆっくりとジェストの身体が持ち上げられた。

 喉の奥から大量の血が溢れてくるのが分かる。

 

(きったな)いなー。ちょっと離れてもらえる?」

 

 流れる血と体液を避けるように女が腕を振り、ジェストは血を撒き散らせながら部屋の隅まで転がった。

 

「……ご、ごぼっ!」

 

 ジェストは大量の血を吐き出すが、何度吐いても血が止まらない。

 なんとか顔を上げ部屋の様子を窺うが請負人(ワーカー)の男達が動いた様子はなかった。

 ジェストを痛めつけた猫耳女は、寝台の上のムーレアナの娘――マヤを見ている。

 

 請負人(ワーカー)は逃げてしまったのだろうか。

 雇い主を見捨てて逃げる奴らには、後で(あるじ)から報復してもらおう。

 そのためにはここから逃げなくてはならない。

 こんな暴力は許されない。

 許される訳がない。

 屋敷に戻り(あるじ)にこのことを伝えよう。

 そうすれば自分を見捨てた請負人(ワーカー)には勿論、この女にも武器屋のムーレアナにも、しかるべき罰が下されるだろう。

 

 ジェストは痛みに堪えながら這いずるように扉に向かって進む。

 手が何かに触れた。

 妙に硬いその何かがくるりと回りジェストを()()()()()

 それは最も大柄で最も野蛮な請負人(ワーカー)の生首だ。

 生首の虚ろな視線にジェストは血と叫び声を吐き出す。

 

「ひ、ひいいいいぃぃぃぃっ!!」

 

 そして目の前にマヤを片手で抱きかかえた猫耳の女が立つ。

 紫の瞳が冷たくジェストを見下ろしていた。

 

「お、俺は……がはっ! ……こいつらに脅されて……しか、仕方なかったんだ!」

「ふーん」

 

 女の声には怒りも悲しみもジェストの言葉に対する興味さえ感じられなかった。

 無表情のまま女は細剣(レイピア)をくるりと回すと、流れるような動きでジェストの背に突き刺した。

 

「い、ぎゃああああぁぁぁっ!!!」

 

 細剣(レイピア)はジェストの背から腹に抜け、床にまで刺さる。

 更なる激痛にジェストが暴れようとするが、床に刺し止められているため、その場から動くことができない。

 

「あはははっ! こりゃ面白いねー。虫けらみたい」

 

 それまで表情がなかった女が大きな口を開けて無邪気に笑う。

 

「……ん? ……あーはいはい。確保したよー。ぼろっぼろだけどね。……分かったって、すぐ戻るよ」

 

 猫耳の女は()()()()()()()()が、それを気にする余裕は今のジェストにない。

 他の請負人(ワーカー)二人の頭が女の足元に転がっているのに気がついたからだ。

 もはや自らの(あるじ)の地位にすがるしかジェストが生き残る道はない。

 

「が、あ……は、早く、俺を助けないと、め、面倒なことになるぞ。お、俺はフェメール伯爵家で働いてるんだ。何かあれば伯爵が黙って――」

 

 ジェストが全てを言い切る前に猫耳の女の顔が近づく。

 金髪がふわりと揺れ、蒼白になったジェストの頬に触れた。

 女の目がすっと細くなる。

 

「あんたら、うるせーんだよ。毎度毎度、伯爵だの侯爵だの」

 

 猫耳女の顔が遠ざかり、獣の顔は無邪気な笑顔に戻った。

 

「……ま、そんなみじめな格好(ザマ)晒して強がんのは褒めてあげるよ。笑えるからねー」

 

 そう言って女は細剣(レイピア)をゆっくりと引き抜く。

 

「い、いや、やめ、ころ、殺さないで――」

「だから、ごめんねー。すぐ戻れって言われてるんだって」

 

 じゅっと肉を焼くような音がして、ジェストは自分の頭と胴体が離れてしまったことを理解する。

 

「――串焼きのお詫びだよー」

 

 ()()に聞こえたその女の言葉は、ジェストに向けられた物ではなかった。

 

◇◆◇

 

 娘を連れて帰ったときの母親――ムーレアナは涙を流し取り乱した。

 何度もクレマンティーヌに容態を確認し、娘の命の無事を知るとようやく安堵した。

 クレマンティーヌが、これほどの愛情に溢れる親の姿を見たのは初めてだった。

 急いで自分のポーションを使おうとするムーレアナをカイが止める。

 カイが自分の懐からポーションを取り出し娘に降りかけると、傷だらけで白蝋のような肌は生命の赤みを取り戻した。

 ムーレアナは娘を抱きしめ、幾度となくクレマンティーヌとカイに感謝の言葉を告げた。

 

 カイが魔法で娘を眠らせムーレアナが落ち着いたところで、クレマンティーヌは助け出したときの状況を説明する。

 話を聞いたムーレアナは一瞬だけ怒りの表情を見せたが、すぐに目を伏せうなだれた。

 娘を(さら)った者への怒りと、それを行ったのが貴族の関係者だったという諦観だろう。

 このバハルス帝国においても貴族の立場は、平民にとって比較にならないほど高い。

 貴族や貴族に連なる人間に逆らった親子の立場は間違いなく苦しい。

 場合によっては命を奪われることになるかも知れない。

 だが義理のないクレマンティーヌとしては、それはどうでも良いことだ。

 横のカイが顰め面をしているが、どうせ豊満な母親をどうやって追い込むか考えているだけだ。

 

 しばらく沈黙が続いたところでクレマンティーヌがあることを思い出す。

 

「そーいえばさー。この娘、なんか生まれながらの異能(タレント)持ってない?」

 

 認識阻害の外套(ステルス・マント)を被っていながら、この少女にしがみつかれたことがクレマンティーヌには引っかかっていた。

 ムーレアナは静かに頷き、そして娘の頭を優しく撫でる。

 

「はい。マヤ――娘は何というか……直感で人や動物の強さが判る、みたいです。まだ難度は教えていないのですが……」

 

 それを聞いてクレマンティーヌはひとり納得する。

 少女は男達から逃れるための強者――おそらく母親――を探していたのだろう。

 やがて強者を見つけ(すが)ったのが外套(マント)を被ったクレマンティーヌだったのだ。

 生まれながらの異能(タレント)は、多くの場合、宝の持ち腐れで終わる。

 その能力を十全に活用しようとするのであれば、スレイン法国のように国民全体を管理登録するしかない。

 充分に管理されているとはいえない帝国において、武器屋の娘は生まれながらの異能(タレント)で生き長らえた。

 これはクレマンティーヌが感心するほど幸運なことだ。

 

 難しそうな顔をしていたカイが口を開いた。

 

「とりあえず娘は無事だったんだ。あんたは試合の方をしっかりヤるんだな」

「ですが……」

 

 武器屋の女主人からは貴族に逆らう事への不安は拭えない。

 カイが悪意に満ちた笑顔を見せた。

 

「心配すんな。貴族のほうには俺がナシつけといてやる。どうせあんたが試合をバっくれたところで、その――フェラ伯爵とやらが見逃す保証はねえ。だったら、こっちから手ぇ回したほうが安心安全ってもんだぁ」

 

 自信満々に語るカイをクレマンティーヌは冷めた目で見る。

 ムーレアナの肉体を目当てに安請け合いしていることに間違いない。

 それでもこの中年男の持っている力は、安請け合いを許すだけのものがある。

 

 そんなカイの言葉を信じ、武器屋の女主人はカイと共に試合へと向かった。

 ごねるクレマンティーヌに娘を預け、留守番を任せたのはカイだ。

 こんこんと眠る少女の横でクレマンティーヌは不貞腐れながら待機させられた。

 やがて大きな歓声が上がり、しばらくたってカイと無傷のムーレアナが戻ってくる。

 ムーレアナの対戦相手はグレートソードで叩き潰されたらしい。

 かけた支援魔法(バフ)が強すぎたとはカイの話だ。

 

 それからムーレアナの控え室に痩せぎすの興行主(プロモーター)が訪れ、カイとムーレアナに平身低頭して詫びた。

 カイはいつもの慇懃無礼な態度で相手の不備を責め、今後ムーレアナへの不干渉を約束させていた。

 後に聞いた話では誘拐の件をオスクという別の興行主(プロモーター)にカイが伝えたらしい。

 

「そんなもんで、あの親子が見逃されんのー?」

「ここは鉄火場だぜ。鉄火場には鉄火場のルールってもんがあるんだよ」

 

 勝敗に金をかける場所で勝敗の操作が行われたとあっては、確かに大きな問題になるだろう。

 だが伯爵という地位があれば母娘(おやこ)の口を封じた方が早いのではないか。

 

「オスクってのは帝都(ここ)の大商人で一番の興行主(プロモーター)だとよ。大闘技場で何度も興行を打ってるだけあって皇帝陛下の覚えめでたいって話だぜ、くっくっく」

 

 そこまで聞いてクレマンティーヌは納得する。

 ここバハルス帝国では皇帝ジルクニフ(鮮血帝)が絶対の権力を持っていた。

 それは多くの貴族を粛清することで作り上げた権力であり粛清は今なお続いている。

 ほんの些細な貴族の醜聞が鮮血帝による粛清の引き金になるだろう。

 

「ムーレアナちゃんの対戦相手のパトロンも貴族みてえだったからな。もしこれから先、あの母娘(おやこ)に何かあれば真っ先に疑われるだろうぜ。貴族でい続けたいなら母娘(おやこ)身辺警護(ボディガード)をしなくちゃならねえかもなぁ、くっくっく」

 

◇◆◇

 

 武器屋の娘を救ってから数日間、クレマンティーヌは殺しをしていない。

 帝都の道路は整備されていて、要所に配置された永続灯(コンティニュアル・ライト)が夜も明るく照らしている。

 王国のように浮浪者で溢れる貧民街がなく、誰にも気づかれずに殺しを楽しむ場所があまりに少ない。

 何かと帝都で動き回っているカイから殺しをするなと、釘を刺されたことも理由のひとつだ。

 殺人が趣味のクレマンティーヌとしては不満はあるものの今のところ我慢できている。

 その理由はカイがズーラーノーンの隠れ家を――性行為はさておくとして――快適な空間(もの)にしていることが大きい。

 まだ残暑の残るこの季節に隠れ家全体が魔法の箱によって冷気で満ちていることは何にも増して有難い。

 北市場でカイが買った扉つきの棚には、冷えた飲み水と果物が入れてあり喉の渇きを癒してくれる。

 空腹になれば中央市場をぶらついて適当な屋台でつまみ食いをし、暑くなれば隠れ家に戻って休む。

 食と命と汗をかく心配がない快適さは、それまで血と闇の中で生きてきたクレマンティーヌにとっては実に甘美だった。

 

 甘美な生活にクレマンティーヌが(ひた)る一方で、カイはムーレアナの武器屋に足繁く通っているようだ。

 武器屋の女主人はカイに感謝はしているようだが、身を許すような話にはなっていない。

 クレマンティーヌが伸びた髪を、不本意ながらムーレアナに切ってもらった時に本人から聞いた話によればだ。

 そのとき、娘――マヤがはしゃぎながらクレマンティーヌの周りをぐるぐる回っていて、実に居心地が悪い思いをした。

 以来、クレマンティーヌはムーレアナ親子に会うことを避けている。

 

 武器屋の女主人が思い通りにならないためか、カイの肉体要求の頻度が増したことはあまりクレマンティーヌにとって好ましいことではなかった。

 だがカイの性行為はクレマンティーヌにとって苦痛ではない。

 自らを鬼畜と称するカイだが肉体を損傷する行為をしないと知れば快楽を受け入れるのはむしろ容易だった。

 そんなクレマンティーヌが不満だったのだろう。

 カイは精神的にクレマンティーヌを犯そうと試みる。

 裸のまま<伝言>(メッセージ)の指示通りに夜の帝都を歩かせたり、性器に張型を入れて一日過ごさせたりと、クレマンティーヌの羞恥心を煽ろうとした。

 それらの行為のほとんどは漆黒聖典時代に受けた訓練や拷問に比べたら楽なものだ。

 だが、裏道で遊んでいた子供達の前で性行為をさせられたときだけは、さすがのクレマンティーヌも動揺した。

 コトが終わった後に精神魔法で記憶を消したらしいが、カイに止められなければ子供達を皆殺しにするつもりだった。

 ただし、精神魔法による記憶の消去はカイの方に問題が生じたようで――

 

「記憶をちょっといじるだけで、ごっそり魔力が減りやがる。この遊びは滅多に出来ねえなぁ」

「……ふーん。そりゃざんねんだねー」

 

 軽い口調で返事をしたものの、クレマンティーヌは内心ほっとした。

 自らの手で口封じのできない相手を増やしたくはない。

 そして精神魔法を含む全ての魔法をクレマンティーヌは信じていないからだ。

 

 そんな平和な数日が過ぎた昼下がり、隠れ家でくつろいでいたクレマンティーヌの頭に、外出していたカイからの<伝言>(メッセージ)が届いた

 

『――漆黒のモモンが来たぞ』

 

◇◆◇




今回のムーレアナ親子の元ネタはアレのアレです。
筆者の作劇の都合に合わせてアレしていることをご容赦ください。


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第14話「疾風走破、曝け出す」

登場人物紹介

クレマンティーヌ:ズーラーノーン十二高弟のひとり。水着の日焼け跡が気になる。
カイ:助平おやぢ。武器屋の女主人が気になる。



◇◆◇

 

『――漆黒のモモンが来たぞ』

 

 その<伝言>(メッセージ)を受けたクレマンティーヌは跳ねるように寝台から立ち上がった。

 快適な気温に保たれたズーラーノーンの隠れ家の中を、闇雲に歩き回る彼女の頭の中にはただひとつの感情しかない。

 

 やばい。やばい。やばい。やばい。やばい。やばい。やばい。やばい。やばい。やばい。やばい。やばい。やばい。やばい。やばい。やばい。やばい。やばい。やばい。やばい。やばい。やばい。やばい。やばい。やばい。やばい。やばい。やばい。やばい。やばい。やばい。やばい。やばい。やばい。やばい。やばい。やばい。やばい。やばい。やばい。やばい。やばい。やばい。やばい。やばい。やばい。やばい。やばい。やばい。やばい。

 

 そこには元漆黒聖典第9席次の威厳もズーラーノーン十二高弟の矜持もなかった。

 

 しばらく部屋の中を歩き回ると額に汗が滲み、ようやくクレマンティーヌの中に疑問が生じるだけの余裕が出来た。

 漆黒のモモンが、あのアンデッドが帝都(ここ)を訪れた理由はなんだろうか。

 

(モモンはアダマンタイト級冒険者になったって聞いたけど……)

 

 アダマンタイト級冒険者は貴重な存在である。

 それは所属している冒険者組合にとっては勿論、エ・ランテルという都市にとっても、そして王国にとってもだ。

 そんな一国の切り札と成り得る存在が他国を訪れることは稀なことだ。

 他国の冒険者組合、あるいは国そのものからより良い待遇を示され、河岸(ホームタウン)を移してしまう恐れを、国も冒険者組合も望まない。

 そんな危険(リスク)がある中で、アダマンタイト級冒険者が他国の大都市に姿を見せるにはそれなりの理由があるときだけだ。

 それは単なる高額な依頼ではありえない。

 都市や国に関わる危険な――たとえばあの“死の螺旋”のような――問題の解決を依頼されたときだ。

 

 エ・ランテルでカジットが起こした“死の螺旋”は首謀者であるカジットとクレマンティーヌの死によって解決したことになっている。

 だがカジットはズーラーノーンが、クレマンティーヌはカイが蘇らせた。

 その結果、二人の死体は死体安置所から消え失せてしまっている。

 表向きはどうあれエ・ランテルの為政者にとっては、まだ“死の螺旋”は解決していない。

 あの事件を完全解決するために、漆黒のモモンがカジットとクレマンティーヌの討伐を請け負ったということは充分に有り得る事態だ。

 

 エ・ランテルを出るとき偽の死体でも置いておけば、こんな事態にはならなかったのに、とカイの不手際を心の中でなじろうとして――。

 クレマンティーヌは前に思いつきながらも、努めて無視していたことを思い出した。

 それはカイとモモンの関係だ。

 

 エ・ランテルでカイはモモンとは無関係であるような素振りをし、実利を考えたクレマンティーヌはあの中年男を疑いながらも付き従って行動した。

 だが、よく考えたら無名でしかも桁外れの強者が同じ都市、同じ時期に現れたのだ。

 彼らが全くの無関係である可能性は極めて低いとクレマンティーヌは思う。

 では、どのような関係なのか。

 

 協力しているのか、それとも反目しているのか。

 利害関係があるのかないのか。

 そして、お互いを認識しているかどうか。

 

(ここは考えても仕方がない……)

 

 結論の出ない思索はクレマンティーヌが最も嫌うものだ。

 そして根拠こそないものの彼女が確信していることがある。

 

(カイは……あの男は私をすぐには殺さないはずだ)

 

 モモンの帝都訪問が伝えられたことで、その思いはさらに強まった。

 クレマンティーヌを殺すつもりであれば、何も伝えることなく隠れ家(ここ)に現れ、剣でも魔法でも使えばいい。

 モモンもカイも、労せずそれができるだろう。

 

 彼らが利害関係にあろうがなかろうが、クレマンティーヌの目的が変わることはない。

 スレイン法国と漆黒のモモンから逃れることだ。

 可能であればズーラーノーンからも逃れたいが、それは最後で良い。

 いずれにせよモモンが帝都(この地)に現れた以上、クレマンティーヌは帝都(ここ)から離れる必要がある。

 そのために邪魔なのが――。

 

(……カイだ)

 

 快適な隠れ家で安穏としている自分。

 助けた娘とその母親に慕われている自分。

 肉体を求められ、微かな充足感を感じている自分。

 

 それらは全てカイという中年男に起因しているとクレマンティーヌは思った。

 

(あの助平なアンチクショウが、私を――このクレマンティーヌ様を縛ってる……)

 

 もしカイとモモンが協力関係にあった場合、逃げる困難は倍以上になるだろう。

 だとすれば両者を始末するか、それが不可能なら片方だけでも亡き者にしておきたい。

 

 モモンを殺すことは不可能だ。

 その正体が不死者(アンデッド)だから殺せないのではなく、圧倒的な力の差があるからだ。

 それは一度殺されたから判っている。

 

 だが、カイならば殺せるかも知れないとクレマンティーヌは考える。

 細剣(レイピア)による攻撃は致命傷にこそなっていないものの痛みは感じていた。

 あの防御が武技によるものなら発動させる前に首を落とせばいい。

 カイを殺せば自分は自由になり、彼の持つ大量のマジックアイテムはあらゆる束縛から逃れる手助けになるだろう。

 

 カイに武技を使わせないためには徹底的に油断させることだ。

 あの男を油断させる方法はひとつしかない。

 

 クレマンティーヌは着ていた革鎧(バンデッド・アーマー)に手をかけると、それをおもむろに脱ぎ始めた。

 

◇◆◇

 

「――なんで俺が肉や野菜を買ってきてんだよぉ。俺は専業主夫じゃねえんだぜぇ……」

 

 夕方になりカイが愚痴をこぼしながら隠れ家に入ってくる。

 カイがひとりだけなのは前もって確認していた。

 

「カイちゃ~ん。お疲れさまー」

「……んだぁ。その猫なで声は? なんか悪いモンでも食ったんじゃねえだろうなぁ?」

 

 憎まれ口を聞きながらもクレマンティーヌは作り笑顔を崩さない。

 カイは懐から市場で買ってきたであろう食料を取り出すと、次々に冷気の棚へと片付けている。

 羽織った認識阻害の外套(ステルス・マント)の隙間から腕を伸ばし、クレマンティーヌはゆっくりと冷気の棚にもたれかかった。

 そんなクレマンティーヌにカイが訝しげな視線を向ける。

 

「このクソ暑いのに、なんで外套(マント)なんか着てんだよぉ?」

「いやー。こんな暑い最中、私のために動き回っているカイちゃんを(ねぎら)ってやろうと思ってねー」

「別にお前ぇのために動いてんじゃねえよ」

「まったまたー。心にも無いこと言っちゃってー。素直じゃないんだからー」

 

 クレマンティーヌは身体をくねらせ外套(マント)を僅かに広げると、その奥を少しだけ見せる。

 

「心にも()えこと言ってんのはお前ぇのほうだろうが。大体、お前ぇが昼間に出歩かないからって……お、おろろ?」

 

 カイの視線が僅かに広がった外套(マント)の隙間に集中するのが分かった。

 クレマンティーヌの計画通りだ。

 

「私にできることって、こういうことしかないからさー」

 

 クレマンティーヌは胸と腰、そして脚を少しだけ肌蹴てみせる。

 目ざといカイなら外套(マント)に下に何も着ていないことにすぐ気づくだろう。

 

「エ・ランテルを思い出すよねー。カイちゃん、こーゆーのが好きなんでしょー?」

 

 カクカクと人形のように頷くカイの目は肉欲に濁り、その口はだらしなく開いていた。

 

 自ら肌を(さら)け出す羞恥心が多少はあった。

 だがこの男を殺せば、こんな真似事はこれっきりなのだとクレマンティーヌは演技をし続ける。

 

「やっぱ床より、こっちのがいいよねー?」

 

 外套(マント)が広がらないよう注意しながらクレマンティーヌはゆっくりと寝台(ベッド)に腰を降ろした。

 それから両脚をゆっくりと広げつつ、外套(マント)が辛うじてその奥が隠れるくらいに留める。

 外套(マント)の奥を覗こうとカイは這うように近付いてきた。

 自分の裸なら何度も見ている筈の中年男が、こんな単純な色仕掛けに引っかかることをクレマンティーヌは哀れに思い、そして満足する。

 

「カイちゃん、どう? 見える? もうちょっと近づくと、もーっと見えるんじゃないかなー」

 

 外套(マント)を少し広げると、カイのだらしなく緩んだ顔がさらに近付いてきた。

 クレマンティーヌの視線の先にあるのは、自らの両脚の奥に近付くカイの薄汚れた首筋だ。

 外套(マント)を被せ背中に隠していた細剣(レイピア)の柄をクレマンティーヌは握りしめる。

 

(そう……もっと……もう少し……)

 

 確実にカイの首を断てる距離まであと少し。

 

(……<疾風走破><超回避><能力向上><能力超向上>)

 

 クレマンティーヌは密かに武技を発動して、カイの頭があと少し近付くのを待った。

 

◇◆◇

 

 寝台(ベッド)に脚を組んで座ったカイが首筋を手で揉んでいる。

 その前でクレマンティーヌは外套(マント)姿で正座していた。

 外套(マント)の下は素裸のままだ。

 

「――ったく、お前ぇが色仕掛けなんておかしいと思ったんだよぉ。俺でなけりゃあ騙されるところだったぜぇ」

 

 完全に騙されてただろ、と思ったがクレマンティーヌは口にしない。

 

 無防備にさらけ出されたカイの首筋に、クレマンティーヌは渾身の力と技をもって細剣(レイピア)を振り下ろした。

 だが炎をまとった刃はいとも容易く弾き返され、カイに大声で怒鳴りつけられ、正座をさせられて、事情を説明して現在に至る。

 

「で、ナニかぁ? モモンから逃げたくて俺を殺そうとした、と」

「……はい」

「モモンから逃げたきゃ勝手に逃げりゃいいじゃねえか。なんで俺を殺すって発想が出てくるんだよぉ」

「殺さなきゃ……カイちゃん追ってくるし……」

 

 マジックアイテムを根こそぎ奪うつもりだったことは口にしない。

 

「当たり前だ、馬鹿野郎! アイテムを渡して契約した肉壺ガイドをそう易々と逃がすかよぉ!」

 

 カイは手にした細剣(レイピア)をクレマンティーヌに突きつけた。

 

「この武器だってなぁ、俺と契約したからお前ぇのモンになったんじゃねえか。それを破棄してぇんだったら、武器も外套(マント)も全部置いて素っ裸で出ていきやがれ」

 

 自分で手に入れた革鎧(バンデッド・アーマー)があるから素っ裸にはならないよ、と思ったがそれも口にしない。

 今のクレマンティーヌは強者の処刑を待つ罪人なのだ。

 

「大体、お前ぇの発想はイカれてんだよぉ。面白いから殺すとか、邪魔だから殺すとか、とりあえず殺すとか……」

「殺さなきゃ……殺されるし……」

「はん?」

「モモンだってそう。カイちゃんだって殺そうと思えば簡単に殺せんだろ、私を?」

「そりゃそうだ。それがレベル差ってやつだからなぁ」

 

 カイの言葉にクレマンティーヌは沈黙する。

 レベルとはなんだろう。

 難度のようなものか。

 漆黒聖典時代、同僚のひとりに生まれながらの異能(タレント)によって相手の強さが判る者がいた。

 彼に聞いたクレマンティーヌの強さを難度に照らし合わせると百くらいだった。

 そして漆黒聖典には自らの兄を含め、より強い者が何人もいた。

 そんな彼らに追いつき追い越すべく訓練を重ねたもののクレマンティーヌの強さはそれ以上に上がることはなかった。

 だからこそ彼女は法国の頸木(くびき)から逃れようとしたのだ。

 強き者がいつかクレマンティーヌを殺すことを恐れて。

 

「……ねぇ」

 

 恐怖に怯えたか弱い声だとクレマンティーヌは自分を嘲笑う。

 

「私って弱いかなぁ?」

「あん? あー、弱い弱い」

「……慰めてくれたっていいじゃん」

「なんで俺を殺そうとした肉壺の機嫌を取らなきゃいけねえんだ。メンドくせえ」

 

 顰め面のカイが吐き捨てる。

 その表情が何を考えているかクレマンティーヌには判らない。

 だが、こうして話をしているうちは殺されないはずだ。

 

「カイちゃんはどうよ? 自分が一番強いとか思ってんでしょ?」

「んなこと、考えたこともねえ」

「嘘だ。いつもへらへら女の尻ばっかり追いかけてさ。自分が殺されるなんてこれっぽっちも思ってないだろうが!」

 

 思わず言葉が強くなった自分に気づき、思わずクレマンティーヌは身をすくめる。

 だがカイの表情に変化はない。

 

「俺は……強い奴とは喧嘩しねえだけだぁ」

「……向こうから殺しに来たらどうすんの?」

「テキトーにヨイショしてお友達になりゃいいだろ」

「……おだてても殺されたら?」

「そりゃヨイショ(ぢから)が足りねえんだよ。力が足りなきゃ殺されるのは剣だって魔法だってヨイショだって同じだぜぇ」

 

 強者であり出来る者の上から理論がクレマンティーヌの癪に障る。

 

「やっぱり強くもなくて道化もできなきゃ死ぬしかないじゃん……」

「力じゃ敵わねえ、ヨイショも効かねえっていうんなら、あとは役に立って見せるんだよぉ」

「……役に立つ?」

「お前ぇだって使える部下は生かしとくだろうが?」

「私、部下なんか持ったことないし……」

 

 カイが間の抜けた呆れ顔を浮かべた。

 クレマンティーヌだってカイの言葉の意味は分かっている。

 誰かの役に立つという考えが気に入らないから言い返しただけだ。

 そんなクレマンティーヌの思いを知ってか知らずかカイがため息をついた。

 

「よーするに強い奴には言うこと聞いて仲良くしとくんだよ。それくらい殺しのクレマンさんにだって分かるだろうが」

 

 不快感に顔を歪めるクレマンティーヌ。

 カイが言葉を続ける。

 

「それにヨイショしてりゃ、おこぼれに預かることだってあるしなぁ」

「ビビりながらコソコソ生きろっていうの!? このクレマンティーヌ様が?」

「人間なんてのはビクビクしながらコソコソ生きるモンなんだよ。それとも何か? お前ぇはこの世で一番強いとでも思ってたのかぁ?」

 

 顔を歪めたままクレマンティーヌはうなだれる。

 今までであれば弱者は殺し、強者からは逃げるだけで良かった。

 逃げるだけならスレイン法国の風花聖典だって訳はない。

 あのときまではそう思っていた。

 あの鎧の男がエ・ランテルの隠れ家に現れるときまでは。

 

「クレマンより強い奴はいくらでもいるし、俺より強い奴らだっているかもしれねえ。漆黒のモモンみてえになぁ」

 

 カイの言葉にクレマンティーヌの身体がぶるりと震えた。

 それは気温が下がったためではない。

 

「お前ぇがズーなんとかっていう組織に入ったのはそんな理由じゃなかったのかぁ?」

「あそこは……あそこだったら、もっと殺せると思っただけだよ」

「趣味を仕事にしようってか? お気楽な人生設計だなぁ」

 

 揶揄するカイをクレマンティーヌは睨み付けた。

 

「……じゃあカイちゃんはどうよ?」

「あん?」

「何のために生きてんのかって聞いてんの」

 

 カイはクレマンティーヌから視線を逸らした。

 それは痛いところをつかれたようであり、何かを考えているようでもある。

 やがてカイが口を開いた。

 

「……俺にはヤることがあるんだよ」

 

 クレマンティーヌは何かの目的に向かって生きたことは無い。

 兄を憎んで殺したいと思っていても、それを目指して動いている訳ではなかった。

 今、殺したいから殺し、今、窮屈だったから逃げただけだ。

 

「出来なかったらどうすんの?」

「ヤり続けるだけだぁ」

 

 カイは強くはっきりと言った。

 だが、そこに漂う諦観をクレマンティーヌは嗅ぎつける。

 

「途中で死んだら?」

「どーせ人間、死ぬまでしか生きられねぇんだ。だったらそれまでヤることをヤるだけだぜぇ」

 

 今度はカイの言葉にクレマンティーヌが驚いた。

 そして自分自身の望みをはっきりと理解して目を伏せる。

 

「私は……殺されたく……ない……」

 

 嘘偽りのない心からの言葉だった。

 澱んだカイの目が少しだけ驚いたように開く。

 

「……ふん。手前ぇは弱い奴らをコロコロ殺しておいて、自分は殺されるのは嫌だってのかぁ? 随分と虫のいい話だな、おい」

 

 その皮肉に腹を立てるが、俯いたクレマンティーヌには返す言葉がない。

 カイがもう一度ため息をつく。

 そのため息にはほんの少しだけ優しさが含まれていた。

 

「――ま、そういう自分勝手も人生って奴だなぁ」

 

 組んでいた脚をおろしたカイがクレマンティーヌの顔を覗き込んだ。

 

「一度()られた相手の名前を聞いてパニくっただけってんなら、クレマンの殺人未遂については被害者の俺様が情状酌量ってやつで見逃してやろうじゃねえか」

 

 クレマンティーヌは顔を上げた。

 殺されずに済む喜びに頬が緩みそうになるが、別の不安が頭をもたげてくる。

 だが、その不安の解決策もカイは用意していた。

 

「それともうひとつ。モモンが帝都(アーウィンタール)をうろついてる間は、お前ぇは隠れ家(ここ)で引きこもってろ」

「……いいの?」

「モモンの名前を聞いてパニくるんだったらガイドになんねえからなぁ。ちょっと(おせ)えが“盆休み”ってことにしといてやる。まあ、モモンが不死者(アンデッド)だって言うんならまるっきり無関係って訳でもねえしなぁ、くっくっく」

 

 言葉の意味は理解できなかったが、とりあえず殺されることなく出歩く必要もなくなったことは有難かった。

 目下の心配がなくなり表情が緩むクレマンティーヌにカイがニヤニヤ笑いで話しかける。

 

「その代わり隠れ家(ここ)に引きこもっている間は服を着るんじゃねえぞ。外套(マント)も無しだ。いいな」

「え?……えー!?」

「命の恩人を殺そうとしたんだ。それくらいは当たり前ってもんだろうが。ガイドの代わりの肉壺接待して、裏切られて傷ついた俺の心を癒してもらわないとなぁ」

 

◇◆◇

 

 それからクレマンティーヌはズーラーノーンの隠れ家の中を裸で過ごした。

 外套(マント)革鎧(バンデッド・アーマー)も装備することを許されず、その身を覆うのはお気に入りの猫耳と尻尾だけだ。

 

 裸であることにクレマンティーヌはすぐに慣れた。

 隠れ家に居るときはカイ以外の視線がない。

 そのカイも喜ぶのはクレマンティーヌが羞恥心を見せ、胸や股間を隠そうとするときだけだ。

 それならばと彼女は胸を張り、裸が当たり前であるように振舞った。

 好色中年男を楽しませるつもりはなかった。

 

 クレマンティーヌが引きこもっても、カイの行動に変化はなかった。

 朝、市場が開く時間になると隠れ家から出ていき、夕方に食料を抱えて戻ってくる。

 あの武器屋には日参しているようだが、本人の言葉を信じるなら大した成果は無いらしい。

 

「母親も娘もクレマンのことばかり聞きやがる。お前ぇ、こうなると知ってて助けに行ったんじゃねえだろうなぁ?」

「そんなこと考えてなかったってー。カイちゃんの追い込みが足りないんじゃないの?」

 

 冷えた果物で喉を潤しながら、クレマンティーヌはひらひらと手を振る。

 引きこもりのクレマンティーヌが隠れ家ですることは昼間は食料で自分の腹を満たし、夜はカイの性欲を満たすことくらいだ。

 なにしろ帝都(アーウィンタール)に漆黒のモモンが居る間、彼女は“ボンヤスミ”なのだから。

 

 だが“ボンヤスミ”であってもカイにモモンの動向は聞いておく。

 これだけは欠かすことの出来ないクレマンティーヌの日課だ。

 

モモン(あいつ)はまだ帝都(ここ)に居んのー?」

「ああ。北市場で熱心にマジックアイテムを見てたってよ」

「ふーん」

「あとは、帝都(ここ)の冒険者組合になかなか来ねえから、組合の人間がえらく焦れてるらしいぜ」

「そりゃそうだ」

 

 漆黒のモモンは王国のアダマンタイト級冒険者だ。

 初めて他国を訪れるときは、まず冒険者組合に顔を出すのが筋というものだろう。

 それから必要に応じて組合に宿泊場所を紹介してもらったり、都市長に会ったり、皇帝に謁見したりという流れになる。

 だが初めてバハルス帝国を訪れた漆黒のモモンが向かったのは別の場所だ。

 

帝都(ここ)に来て最初に帝国魔法省に行ったんだっけ?」

「聞いた限りじゃあな。さぞかし魔法に興味シンシンだったんだろうよ」

 

 帝国魔法省は逸脱者フールーダ・パラダインを中心としたバハルス帝国の力の象徴にして帝国魔法界の源である。

 魔法の調査や研究、そして新たな魔法の開発においてはスレイン法国を凌ぐとも言われる場所をモモン――アンデッドの魔法詠唱者(マジック・キャスター)が何のために訪れたのだろう。

 

 たしかにフールーダは強力な魔法詠唱者(マジック・キャスター)である。

 その力は周辺国家で最強のスレイン法国から見てもうかつに手を出せない戦力だ。

 かつて耳にしたフールーダについての情報を思い出しながら、クレマンティーヌの頭にはひとつの考えが浮かんでいた。

 

 モモンはフールーダが魔法によって作り出したアンデッドではないか。

 

 フールーダの意のままに動くアンデッドを戦士に偽装させて重要都市に送り込み、そこで高ランクの冒険者へと成り上がらせる。

 アダマンタイト級冒険者にでもなれば都市に住む人間の心を掴むのは容易い。

 王国併呑を目論むバハルス帝国であれば進めてもおかしくない計画だ。

 

 カジットの儀式の邪魔をしたことも、後に支配するであろう都市の被害を抑えるためだったと思えば腑に落ちる。

 強大な吸血鬼を倒したのも、その地位を高めるために帝国もしくはフールーダによる自作自演ではないか。

 事実、その依頼の後にモモンはアダマンタイト級の冒険者へと成り上がった。

 

 今回、帝都を訪れたのは新たな任務を受け取るためか、あるいはアンデッドを使役する魔法の制約ではないだろうか。

 そう考えればモモンの行動の全てに辻褄が合う。

 

 ただし疑問も残る。

 モモンの強さがクレマンティーヌをして勝負を諦めるほど桁外れであることだ。

 即ち使役するフールーダはモモンよりもさらに強いということになる。

 それはクレマンティーヌが風花聖典から聞いていた情報とは大きく異なっていた。

 

(帝国が虚偽の情報を流していた? それとも風花の情報収集能力が大したこと無いってこと……?)

 

「そういやモモン様は()()王都でも英雄級の活躍をしなすったらしいぜぇ」

 

 慇懃無礼なカイの物言いに、クレマンティーヌは猥雑で魅力に満ちた王都を思い出す。

 あの都市には彼女が恋して愛している血と闇と、そして死があった。

 

 カイが得た情報によれば王都で悪魔の大群が暴れ、その首魁をモモンが撃退したらしい。

 悪魔の首魁の名はヤルダバオト。

 クレマンティーヌの知識にはない名称だ。

 

 悪魔の大群が暴れたときに王都が大きな被害にあったということをカイは面白くもなさそうに話した。

 クレマンティーヌも王都が受けた被害の多寡など興味はない。

 気になるのはそれが帝国――フールーダによる王国併呑のための策略なのか、ということだけだ。

 とりあえずカイから得た情報を元にクレマンティーヌは今後の方針を決めた。

 

 モモンが帝都に長居するようであるなら、すぐに別の国か都市に移動する。

 逆にモモンがすぐに帝都を離れるようなら、しばらく滞在して、それから時機を見て移動する。

 帝国魔法省とは距離を取り、国の動きには注意する。

 

 自分から動き出せないのは癪だが、強者を相手にするには仕方がない。

 

(行くなら帝国と法国の力が及ばない場所にしよう。ローブル聖王国あたりならしばらくのんびりできるかなー……)

 

 ねっとりとまとわりつくようなカイの視線を無視しながら、裸のクレマンティーヌは次の行き先へ思いを馳せた。

 

◇◆◇

 

「んーん。やっぱ、外に出るのはいーね。生き返った気がするー」

 

 帝都アーウィンタールからモモンが去ったと聞いて、クレマンティーヌは7日ぶりに隠れ家の外に出た。

 もちろん革鎧(バンデッド・アーマー)の上下を装備し、認識阻害の外套(ステルス・マント)を頭から被っている。

 まだ日は高かったが、久しぶりの着衣と久しぶりの外出は、引きこもりの“ボンヤスミ”に飽き飽きとしていたクレマンティーヌの気分を大いに盛り上げた。

 

「宿屋と門兵に聞いただけで確認してないんだぜぇ。そんなに浮かれて大丈夫かぁ?」

「ねー、どこに行くの? 例の武器屋? 途中で屋台に寄っていい?」

「……ふん。俺の話なんか聞いちゃいねえか」

 

 カイが買ってきた食料で腹は満たされていたが、別に美味(うま)かった訳ではない。

 隠れ家の閉塞感と素裸という羞恥心が不味(まず)くしたのかもしれないが、それでも屋台に並ぶ焼きたて出来たての料理を自分で選んで食べる美味(うま)さは格別だ。

 

「……行くのは武器屋じゃねえぞ」

「なにー? あの女を追い込むの諦めたー?」

 

 胸のつかえが取れて開放的になったクレマンティーヌは言葉も身体も軽い。

 

「本物の鬼畜モンは諦めねえんだよぉ。あの女は時間をかけてじっくり追い込んでやるぜぇ」

「いーねいーね。やる気は大事だよねー。お姉さんも応援するよ、武器屋には行かないけどねー」

 

 そう言って笑顔で舌を出すクレマンティーヌに、カイはわずかに片眉を上げて彼女を睨み付けた。

「んでー。どこ行くのー? そうそう。私は魔法省にも行かないよー。カイちゃんがそっちに行くんなら別行動するからね」

 

 カイが呆れ顔になっても、クレマンティーヌの上機嫌は変わらない。

 

「NGありとか清純派の“えーぶい女優”かよ、お前ぇは? ……まぁいいや。今日()くのはあの女の武器屋でも魔法省でもねえ」

 

 カイはちらりと周囲を見回す。

 大通りまではまだ距離があり、共同墓地に来るような人影はない。

 

「今日、お前ぇにガイドしてもらうのは、この清潔廉直な帝国サマが誇る奴隷市場だぜ、くっくっく」

 

 カイの皮肉めいた物言いにクレマンティーヌの笑顔が冷ややかなものになった。

 

「なるほど……奴隷市場ね。分かった。案内するよー」

 

◇◆◇

 



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第15話「疾風走破、下見する」

登場人物紹介

クレマンティーヌ:ズーラーノーン十二高弟のひとり。好みの奴隷は殺しても死なない奴。
カイ:助平おやぢ。好みの奴隷は豊満で気が弱くて細剣(レイピア)で切りかかってこない雌。

店主:奴隷商。好みの奴隷はすぐに買い手がつく奴。




◇◆◇

 

 右手にそびえる大闘技場の壁を眺めながらクレマンティーヌは串焼きの肉を噛み千切った。

 

 帝都アーウィンタールの奴隷市場は大闘技場の近く、南西の区画に位置している。

 奴隷市場が大闘技場に近いのは、催しに出場させる闘奴を調達していた時代の名残だとクレマンティーヌは座学で知った。

 闘奴の供給は今も行われているが、その割合はかつてほど多くない。

 現在は農奴や商人の下働きなどの労働奴隷が殆どで、その身分と権利は帝国から保障されている。

 多くの労働奴隷はあくまで帝国民であり、まとまった金を手に入れるために一時の自由を売っているに過ぎないのだ。

 

「んでー。奴隷市場で何すんの?」

 

 クレマンティーヌはちらりと横目でカイを見ながらカイに聞いた。

 たとえ答えが予想できるとしても確認はしておく必要がある。

 

「そりゃあ奴隷を見るに決まってるだろうが」

「……見るだけ? 買わないの?」

「買うためには相場ってものを知らねえとなぁ。“うぃんどうしょっぴんぐ”は買い物上手の基本だぜぇ」

「ふーん。ちなみに探してんのは、どんな奴隷? まぁなんとなく想像はつくけど」

 

 クレマンティーヌは軽く()()をかける。

 カイが人を探しているのは明らかだが、本人はそれを明言することを避けている。

 そこに強者の弱みを嗅ぎ取ったクレマンティーヌの精一杯の嫌がらせだ。

 だがカイは特に慌てる様子もなく考える素振りを見せた。

 

「そうだなぁ……。クレマンだったらどんな奴隷が欲しいんだぁ?」

「それを私に聞くー? ……そーだなー。殺し甲斐のあるのが欲しいよねー。あ、でも、死んじゃったらお金がもったいないかー? 殺しても死なない奴隷なんていないかな?」

「ふん。謹慎して少しくらい殊勝に生きるかと思えば、まだ、そんなこと言ってんのか」

「だってだってー仕方ないじゃん。好きなんだからさ、殺すのが。……もしかして買ってくれんの? 私に?」

「買うか馬鹿野郎! ……ふん。まあいいや。お前ぇの意見も参考にはしてやるぜぇ」

「参考にすんの?」

 

 奴隷市場は中央市場のように買い物客でごった返すような場所ではない。

 それでも普通の大きさの通りの左右に奴隷商の店が並び、店先では力瘤を誇示したり鍬を振って見せたりする奴隷が買い手を待っていた。

 そんな奴隷を見定めようとする客はおろか、通りを行き交う通行人も少ない。

 例年であればリ・エスティーゼ王国との戦争準備で多くの労働者が必要になる時期なのにだ。

 

(今年は戦争はないのかもね……)

 

 帝国皇帝の考えは分からないが、どうやら今年は戦争を仕掛ける気がないのだろう。

 そうクレマンティーヌは推測する。

 店先の奴隷を指差しながらカイが話しかけてきた。

 

「あの首にぶら下げてんのがお値段かぁ?」

「そだねー。カイちゃん、やっと文字を覚えた? 感心かんしん」

「数字だけは、な」

 

 考えてみたらカイは毎日、市場へと足を運んで買い物をしていたのだ。

 値段くらいは覚えていて当たり前だろう。

 

「どいつもこいつも小洒落た格好してんな。ホントに奴隷かぁ?」

 

 カイの呟きにクレマンティーヌは店先で己の筋力をさかんに誇示している奴隷を見た。

 どの奴隷も髪型と着ている服は普通の帝国民と変わりなく特に着飾っている様子はない。

 

「んー。こんなもんじゃない? カイちゃんの国じゃ奴隷ってもっと酷い格好してた?」

 

 クレマンティーヌの問いに何も言わず、カイはただキョロキョロと道の両側を見回している。

 

(この手の話になると口が重いねー。相変わらず慎重だこと……)

 

 奴隷の扱いが厳しいというのであれば、思ったより未開の国なのだろうか。

 クレマンティーヌが知る周辺国では、奴隷の扱いは似たり寄ったりだ。

 他国の人間や亜人種の奴隷の扱いが過酷になることはあるが、それでも売るときには見栄えを良くする筈だ。

 

「奴隷商だって商売だからねー。店先に(きったな)いのは置かないと思うよ」

「そりゃそうか」

 

 クレマンティーヌの説明に納得したのか、カイは店先でアピールする奴隷を見続ける。

 

「――それにしても野郎ばっかりだなぁ。ケツの穴がむずむずしてくるぜぇ」

「この辺りは労働奴隷だからね。カイちゃん向けの店はもっと先の方だよー」

「おぉ? 雌奴隷の専門店でもあんのか?」

 

 澱んだ目を輝かせるカイにクレマンティーヌは呆れた表情を浮かべる。

 

「専門って訳じゃないけど、そーゆー特別な奴隷()も取り扱ってるトコロだね」

「さすがは俺様の肉壺ガイドだなぁ。ちゃんと下調べができてるじゃねえか」

「前に野暮用で来ただけだよ。まぁ店が潰れてなけりゃいいけどねー。けけっ」

 

 スレイン法国に居た頃にクレマンティーヌは、森妖精(エルフ)の奴隷を何度か帝国の奴隷市場に連れてきたことがある。

 彼女の仕事は奴隷輸送用馬車の警護だった。

 警護といっても襲撃を警戒してのものではなく、森妖精(エルフ)の反乱と脱走を未然に防ぐためのものだった。

 耳を切り落とし、精神を打ち砕かれているとはいっても、森妖精(エルフ)が持つ特殊技術(スキル)は脅威だ。

 そんな森妖精(エルフ)達を監視しながら、クレマンティーヌは帝国の奴隷市場に何度か足を踏み入れた。

 直接、奴隷商に会ったことはないが、森妖精(エルフ)の奴隷を引き渡した店の場所はまだ覚えている。

 そしてクレマンティーヌが訪れた奴隷商はまだ店を構えていた。

 

「このあたりの奴隷商だったらカイちゃん好みの奴隷を扱ってるよー」

 

 その言葉にカイは目を輝かせると辺りを見回し、そして失望の声を上げる。

 

「おいクレマン! どの店にも雌奴隷が出てねえじゃねえか。今日は定休日って言うんじゃねえだろうな?」

 

 あまりに即物的なカイの反応にクレマンティーヌは何度目かの呆れ顔を浮かべた。

 

「……あのね。そーゆー特殊な奴隷は大っぴらに売り買いしないの。ここは金持ちや貴族がこっそり奴隷を買いに来る場所だよ」

「お、おろろ? ってぇことはエロ衣装で着飾った雌奴隷のおっぱい比べなんてできねえのか」

「当たり前じゃん。馬鹿じゃないの? まぁお得意さんにでもなれば、店の人間が色々と便宜を図ってくれるかもだけどね」

 

 両肩を落としてがっくりと落ち込んだカイの様子は、本当に裸の女を見たいだけで奴隷市場に来たのかと思わせるほどだった。

 

 この辺りの店は、その入口の横に必ず大きな馬車小屋がある。

 その馬車小屋は大きな扉で閉じられるようになっており、通りからは馬車の所有者は分からない。

 

「店の横にでけえ駐車場があるのはどういうワケなんだ?」

「……ん? ああ馬車小屋ね。貴族が乗りつけるためだよ。馬車を入れて、すぐに扉を閉めれば持ち主がバレにくいからね」

「おぉ、なるほど。ラブホテルみてえな作りしてんだなぁ」

 

 似た施設を知っているのか、よく分からない単語を口にしながらカイは何度も頷いた。

 

 クレマンティーヌが知っているいくつかの店は奴隷市場の末端にあり、その先には道と壁だけである。

 つまり、二人は奴隷市場をひと通り見終わったことになる。

 クレマンティーヌはカイに聞いた。

 

「奴隷市場はここまでだよー。どーする? もう帰る?」

 

 カイは無言になった。

 どうするのか考えている様子だが、まさか本当に女奴隷を見ることしか考えてなかったのだろうか。

 

 そもそもカイに奴隷を買うつもりはないとクレマンティーヌは考えている。

 この中年男の目的は、あくまでも人探しの筈だ。

 

 薄汚れた上着の内側に貼り付けてあった肖像画の人物。

 あのカイが“お顔”と敬意を含めた呼び方をした()()

 とりたてて美しくもない素朴な容貌で黒い髪を持つ――幼女と言ってもいい――幼い少女。

 

 クレマンティーヌはカイと肖像画の幼女について話をしたことはない。

 探している理由を知らされてない上、下手に触れてカイの機嫌を損ねることを恐れたからだ。

 

 カイの探す黒髪の幼女がまだ幼いままであれば奴隷商で見つけることは難しい。

 それと言うのも帝国において歳若い奴隷が表立って取引されることはないからだ。

 仮に取引されたとしても表向きは養子縁組の体裁を取るだろう。

 リ・ロベルで出会った貴族の女のように。

 

 ときには生活に困窮した親が子供を売り払う場合もなくはない。

 そのような場合、奴隷商は買った子供を馴染みの施設や孤児院に預けて買い手がつくのを待つ。

 

 黒髪の幼女がすでに成長しているのであれば、奴隷商で取引された可能性はある。

 ただし異国の人間であるならば、その出身地や背後関係が洗われ面倒な取引になっただろうと予想できる。

 

 それほどまでに意思ある人間の売買は難しいということだ。

 

「横に駐車場のある店だったら雌奴隷を扱っているんだなぁ?」

 

 カイがクレマンティーヌに確認を取った。

 

「ん? まあそんなとこー」

 

 例外もあるが面倒なのでクレマンティーヌは詳しい説明はしない。

 

「じゃあ、この店にするか。お前ぇは外套(マント)を被ったままついて来い」

 

 躊躇うことなくカイが最も手近な店に入っていった。

 あっさりと店に入ったカイが何を考えているのか分からずクレマンティーヌは一瞬呆ける。

 慌てて認識阻害の外套(ステルス・マント)を被り直すと、カイの後に付いて行った。

 

 店に入ると入口の傍に受付担当と思われる使用人が座っていた。

 カイがヘラヘラと笑いながら大柄で強面(こわもて)の使用人に近付く。

 一言二言話すと強面の使用人は奥の部屋へと姿を消し、この店の主人であろう人物を呼んできた。

 初めて入った奴隷商の店で簡単に店主を呼び出せるカイの話術にクレマンティーヌは感心する。

 

 背が低く小太りの店主はじろりとカイを睨め付けるとカイを個室へと案内した。

 同じ作りの扉が三つ並んでおり、店主が案内したのはその一番手前の部屋だ。

 奴隷の取り引きにおいては買う側が公にしたくない場合が多い。

 そういった客のための商談室なのだろう。

 

 外套(マント)を被ったクレマンティーヌは店主が扉を開けている隙にするりと商談室に潜り込み、その後からゆっくりとカイが部屋へと入った。

 

 店主に勧められるままにカイが椅子に座る。

 クレマンティーヌは椅子には座らず、その後ろの壁にもたれかけた。

 せっかく認識阻害の外套(ステルス・マント)を被っているのに、その効果を自分から無駄にすることはない。

 テーブルを挟んだ真向かいで店主はカイの顔をじっと見た。

 

「カイさんは、何故私の店に来られたんですか?」

 

 店主の値踏みするような視線をカイがいつものヘラヘラ顔で受け止める。

 

「以前、オスク様とお話しする機会がありまして。そのときにこの店の話を伺ったんですよぉ」

「……ほお。オスクさんから? うちの話を? 一体どんな事をお聞きに?」

「いえいえ。ちょっとした雑談の中だったんですけどねぇ。はっきりと仰られた訳ではありませんが――」

 

 やたらと勿体をつけながらカイは大闘技場の興行人の話を始めた。

 カイの話が出まかせであることをクレマンティーヌは知っている。

 たまたま入った店の主人相手に繰り出すお世辞を呆れながら聞いていた。

 目の前の奴隷商は、そんなカイの甘い囁きに警戒心を解いていく。

 

「――オスク様がこちらのお店の話をされる口振りには信頼というか信用というか、そういう落ち着いたものを感じたんですねぇ。それで、こうして私めがそこまでのお店ならと伺った次第でして、はい」

「そ、それはオスクさんがたまたまうちの名前を出しただけでしょう?」

「いえいえ。お噂が広がるには確かに運も必要です。ですが普段からきちんとした商いを行っているからこそ、ふとしたときに評判が広まるものでございますぅ」

 

 渋面だった店主の顔がすっかり柔和な笑顔へと変わっていた。

 

「おぉっとすいません。おしゃべりばかりで貴重なお時間を頂いてしまいました。真に申し訳ありませんです、はい」

「いやいや構いませんよ。それでカイさんは、どんな奴隷をお望みですか?」

 

 店主の問いにカイが難しい顔をする。

 カイがどんな奴隷を望むのかはクレマンティーヌも興味があった。

 

「……それなんですがねぇ。痛めつけたり殺したりしても角が立たない奴隷なんですけど……取り扱っておりますかぁ?」

 

 どこかで聞いたような奴隷の条件である。

 それまで笑み崩れていた店主の表情から笑顔が消えた。

 店主は眉を顰め小声でカイに話しかける。

 

「普通の奴隷では難しいですよ。私の親の時代ならいざ知らず、今は奴隷にも帝国民としての権利が保障されています。いくら持ち主だからって変な扱いをすると、こう、ですよ?」

 

 店主が右手で自分の首を刈る仕草をした。

 カイは店主の忠告に感じ入ったように何度も頷く。

 

「ええ、もちろん……。それは存じているのですがぁ――」

 

 それからカイは薄笑いを浮かべ認識阻害の外套(ステルス・マント)を纏うクレマンティーヌをちらりと見る。

 

「詳しくは申せませんが、私の女主人がですねぇ。ちょーっと癇癪持ちなもので。使用人の扱いが酷くて色々と困っているのでございますよぉ」

「……女主人……癇癪持ち。あ! ああ、ああ、なるほど!」

 

 そういう顧客か貴族に心当たりがあったのか、店主は納得の表情を浮かべて、何度も大きく頷いた。

 

 認識阻害の外套(ステルス・マント)を被った本人の前で嫌味を語るカイ。

 それを勘違いして勝手にどこかの女貴族に悪印象を持つ店主。

 どちらにも物理的に突っ込みを入れたくて、クレマンティーヌは思わず細剣(レイピア)の柄を握り締めた。

 自分が生死の境に居るとは露知らず、店主はカイに同情的な言葉をかける。

 

「それはそれは……。苦労されているのですねぇ」

「そりゃあもう。使用人一同生傷が耐えない日々でございます。先日などはこの私をあわや斬首しようとする始末でして、はい」

 

 店主は目を見開いて驚愕の表情を浮かべ、やがて諦めたように左右に首を振った。

 間違った同情心と怒りを抑える克己心で満たされた商談室が沈黙がする。

 

「あのぉ――」

 

 沈黙の元凶であるカイが口を開いた。

 

「ちなみにぃ他国の奴隷をお取り扱いはしておられませんかぁ?」

「他国の奴隷……ですか?」

「はぁい。帝国の臣民でなければ、少しは無理をしても大丈夫かと思いまして、はい」

 

 店主は腕を組んで難しい顔をした。

 

「他国の人間でも取り扱いが条約で決められているんですよ。例えば戦争でリ・エスティーゼ王国の人間を捕虜にしても、こちらで自由に売り買いはできません。まぁ国交の無い遠い国からの流れ者であれば話は別でしょうが、そんな奴隷は滅多に市場には流れませんしねぇ」

 

 国交の無い遠い国という言葉に、思わずクレマンティーヌはカイの表情を窺う。

 だが、その表情に目立った変化は無く、店主の話にいちいち大きく頷いているだけだ。

 そんなカイの様子に気分を良くしたのか、店主の口が滑らかになる。

 

「人間ではなく亜人、例えば森妖精(エルフ)だったら、そんなに煩くは言われないと思いますよ。ただ、さすがに難しいでしょうがね」

森妖精(エルフ)に何か問題でもありますかぁ?」

「そりゃ高いからですよ。それこそ有名な請負人(ワーカー)さんとかアダマンタイト級の冒険者くらいじゃないと払える価格じゃありません。貴族の方だと買うときに皇帝の許可も要りますしね」

「相場はいかほどでしょうかぁ?」

 

 仕入れに時間がかかります、と前置きして店主は手持ちの金では到底手の届かない金額を告げた。

 カイは目を開いて驚いた表情を見せる。

 

「なるほどぉ。こちらの予算では無理なお値段ですねぇ」

「主人に逆らわないよう亜人を躾けるには手間がかかります。それと帝都の周辺には森妖精(エルフ)は居ませんからねぇ。輸送費だって馬鹿になりませんから」

「仕入先はどちらになりますかぁ?」

「勿論、スレイン法国ですよ。森妖精(エルフ)を捕まえたり躾けたりなんて、あそこ以外じゃできません」

 

 カイは腕を組んで考え込む振りをする。

 森妖精(エルフ)を買うつもりなどない筈のカイである。

 このポーズも単なる会話術のひとつだとクレマンティーヌは理解しているが、店主は別の意味に捉えたようだ。

 

「残念ですけど直接、法国から買い付けなんて出来ませんよ? うちは皇帝陛下のお墨付きを頂いて商売してるんですからね」

「滅相もない。こちらの商いを飛び越すような真似なぞ考えておりません、はぁい」

 

 少しばかり大仰な振りでカイが店主の疑念を否定する。

 そのとき商談室の扉がノックされ、受付をしていた強面の使用人がぬっと顔を出した。

 使用人の小さな手招きを見て店主が立ち上がる。

 

「……ちょっと失礼しますよ」

 

 そう言って商談室の外に出た店主は、扉の向こうで使用人と話をしている。

 漏れ聞こえる話から察するに、どうやらこの店の得意客が来店したようだ。

 商談室に店主が顔だけ出した。

 

「急ぎの用件が入りました。申し訳ありませんが少しお時間をいただけますか?」

「私は急いでおりませんです、はい。こちらで待たせていただきますよ」

 

 カイの言葉を聞いて、店主は商談室から出て行った。

 やがてカイが脱力すると、だらしなくテーブルに肘を着く。

 

「まったく。さっさと出て行きゃいいのに。余計な話で余計な知識が増えちまったぜぇ……。おい、クレマン」

「はいはい。何すりゃいいの?」

 

 話を振られるだろうと待ち構えていたクレマンティーヌは即答した。

 

「なかなか察しがいいじゃねえか。それでこそ謝罪の心が感じられるってもんだぁ」

 

 ニヤニヤ笑うカイをクレマンティーヌは睨みつける。

 

「取引台帳の()()を調べて来い」

「んー、()()? 持って来なくていーの?」

「前んときみてえに時間が無えからな。盗むための下調べってことだぁ」

「……それって盗むのは、私、なんだよね?」

「当ったり前じゃねえか。まだお前ぇは俺様殺し未遂の罪を償ってねえんだ。金のことはどうでもいいからよ。客と奴隷の名前が分かるブツだぜ。いいな」

 

 罪の償いでどのくらいの期間、ただ働きさせられるのかと気が滅入るが仕方がない。

 クレマンティーヌは認識阻害の外套(ステルス・マント)を頭から被るとするりと商談室の外に出た。

 

 一番奥の商談室から人が居る気配が感じ取れる。

 店主と得意客はそこで話をしているのだろう。

 入口を見ると受付担当の使用人が接客中とは違い呆けた顔で椅子に座っている。

 クレマンティーヌは使用人の横をすり抜け奥の部屋へと入った。

 

 部屋には大きな机とこしらえの良い椅子があり、机の上には羊皮紙や生活紙の束と計算尺が煩雑に積み重ねられている。

 おそらくここが店主の仕事部屋だろう。

 さらに奥へとつながる扉があったがクレマンティーヌは興味を示さない。

 探していた取引台帳は紙の束の中に簡単に見つかった。

 労働奴隷も特殊な奴隷もまとめて記しているのは、国へ取引の詳細を報告するためだろう。

 他に隠し台帳でもないかと部屋を探ろうとしてクレマンティーヌは手を止める。

 

 果たしてカイのためにそこまでしてやる必要があるのだろうか。

 そもそもカイの探している人物が見つかった方が良いのか見つからない方が良いのか。

 見つかればカイとの二人旅は終わり、クレマンティーヌは新しい逃げ場所を探すことになる。

 見つからなければあの助平で嫌みったらしい中年男との二人旅は続くだろう。

 

 どちらが良いのか結論が出ないままクレマンティーヌは店主の部屋から出た。

 客が来なくて暇な使用人は大きな欠伸をしている。

 その横をすり抜けクレマンティーヌはカイが待つ商談室まで戻ろうとして足を止めた。

 この店の得意客はどんな奴隷を買いに来ているのだろうか。

 滑るように一番奥の商談室の前まで行くと声が漏れ聞こえる扉に聞き耳を立てる。

 

 店主と話しているのは若い男の声だ。

 良く通る涼やかな声だがその声に含まれる傲慢さ横暴さは、部屋の外で聞くクレマンティーヌにも感じ取れた。

 男はこの店で買ったと思しき奴隷森妖精(エルフ)の不満を店主に語っている。

 その不満は外見や性格など森妖精(エルフ)生来の性質によるもので、店主としては責められても対処しようのない類のものだ。

 そんな理不尽な恨み言を店主は文句も言わずに聞いている。

 

(こんなのを聞くのが仕事だっていうんなら、生まれ変わっても私は商売人にはならないね)

 

 縁もゆかりも無い奴隷商の店主にクレマンティーヌは同情した。

 客の男は不満を言い尽くしたのか、次に買う森妖精(エルフ)奴隷を店主に注文する。

 もっと胸が豊かな森妖精(エルフ)が欲しいと。

 

(まったく男ってのは、どいつもこいつも同じ事ばかりいいやがる……)

 

 時間と金がかかるため正確なものではないと前置きしてから、店主は大まかな見積もりを男に告げた。

 その見積もりに納得したのか男が席を立ったようだ。

 

 この尊大で理不尽な客がどんな顔をしているのかクレマンティーヌは興味を覚える。

 彼女が扉と反対側に身を隠すと商談室の扉が開き、切れ長の目をした偉丈夫が姿を現した。

 端正な顔立ちには己が栄光を掴むと信じ切った自信が浮かんでいる。

 扉の陰に隠れていたクレマンティーヌに気づくことなく男は横柄な態度のまま店を出た。

 店主は男の名を呼びお世辞を言いながら、その後ろをついていく。

 

(あーゆー自信満々の顔とプライドをズタズタに切り刻むのが楽しいんだけどねー)

 

 店主が男を見送るために店外に出たことを確認して、クレマンティーヌはカイの待つ商談室へと戻った。

 

 カイは戻ってきた店主と軽く世間話をしてから、具体的な商談には至らず店を出る。

 元より奴隷を買うつもりはないのだからクレマンティーヌとしては無駄に時間を過ごしているように思える。

 それからクレマンティーヌとカイはいくつかの奴隷商の店を巡り、いずれの店でもクレマンティーヌが台帳の場所を確認して店を出た。

 

 やがて夜になって店が閉まった頃にクレマンティーヌが台帳を盗み出し、隠れ家に戻って台帳の洗い出しを行う。

 全ての取引台帳の洗い出しを終えカイが難しい顔をしていたので探し人は見つからなかったのだろう。

 カイはクレマンティーヌに取引台帳を店に戻すよう命令し、クレマンティーヌは文句を言いながらもその命令に従った。

 

◇◆◇

 

 奴隷市場の調査を終えた翌朝――といっても限りなく昼に近い時間にクレマンティーヌは目を覚ました。

 彼女が目を覚ます頃にはいつも姿を消しているカイが、今日に限っては寝台の上でごろごろしている。

 昨晩遅くまで取引台帳を調べながら何の成果もなかった。

 さしものカイも肉体的な眠気と精神的な疲労が残っているのだろうとクレマンティーヌは考える。

 台帳に記している名前を全部読み上げたのは彼女ではあったが。

 

 クレマンティーヌが目を覚ましたことにカイが気づいた。

 

「おいクレマン」

「ふぁ~あ……なにー?」

 

 わざとらしく大きく口を開けクレマンティーヌは欠伸をしてみせる。

 昨夜遅くまで仕事をさせたカイへの精一杯の嫌味だ。

 

「お前ぇは今、いくら持ってる?」

「ほいよー」

 

 貨幣入りの皮袋をカイに投げ渡した。

 皮袋を開いてカイが確認する。

 銀貨と銅貨がそれぞれ10枚ずつくらい入っていたはずだ。

 

「なんだぁ? たったこれっぽっちかぁ?」

「ボンヤスミで働けなかったからねー。そんなもんだよ」

 

 そう言いながらもクレマンティーヌは他に10枚ほどの金貨を隠し持っている。

 勿論、大事なへそくりを馬鹿正直に渡す気はない。

 そんな彼女の言葉を信用したのか、カイはそれ以上追及しなかった。

 

「どったのー? 金欠?」

「……まあな。そろそろ金を稼がなくちゃいけねえ。新しい肉壺をげっとするためには資金が必要だからなぁ」

「隠し持ってるアイテムを売ればいいじゃん」

 

 カイの持つマジックアイテムはそのデザインこそ猥雑であるが、一時的ではない恒久効果を持つものばかりだ。

 気の利いた道具屋か魔術師組合にでも持っていけば、どれだけ買い叩かれようとも数百枚ほどの金貨は得られるだろう。

 

「なんだったら私が換金してきてあげるよー?」

 

 金貨が何枚くらい掠め取れるだろうかと頭の中で算段するクレマンティーヌの申し出をカイはあっさりと断る。

 

「そういう考え無しの金策が若者を自己破産へと導くんだぜぇ」

「あっそ」

 

 若者って歳かよという言葉をクレマンティーヌは飲み込む。

 

「俺みてえな本物の鬼畜モンは社会に借りを作らねえんだよ。踏み倒しばかりのお前ぇには分からねえだろうがなぁ」

 

 何を言ってるのかは理解できないが、要するにカイがマジックアイテムを売る気がないことだけは理解した。

 

「そんじゃ日雇いでもすんの? 私はしないからねー。こっちはいざとなったら盗みでも殺しでもするし」

 

 これまでの付き合いでカイが強盗の(たぐい)をするつもりがないことは知っている。

 強い者が弱い者から奪うのは当然だと思っているクレマンティーヌとは相容れない考え方だ。

 

「そういや帝国(ここ)には魔法学院があるって言ってたな? 職員募集の案内はどこに行きゃ見られるんだぁ?」

「魔法学院って……カイちゃん、先生にでもなるの?」

 

 確かにカイには魔法学院で教員ができるだけの力はあるだろう。

 女生徒や女職員が巻き込まれる被害を考えなければだが。

 

「不自由な教師なんざあ俺様の方から願い下げだぁ。用務員みてえに学院の中を自由にうろつける仕事が好みなんだよ」

「そーゆーのは縁故採用ばっかりだから(おおやけ)に募集なんかしないよー。なにせ貴族にしてみれば大きなコネを作る機会だしね。それに帝国魔法省が田舎者の請負人(ワーカー)なんか雇うとは思えないけどー」

 

 そう口にしたクレマンティーヌだが本気で言っている訳ではない。

 むしろ徹底した合理主義者と聞く皇帝ジルクニフなら、カイの力を知ればすぐに帝国内部に取り込もうとすることが容易に想像できる。

 これは帝国魔法省に、ひいてはフールーダ・パラダインにカイが近付くことを良しとしないクレマンティーヌなりの嘘だ。

 

「ちっ。ここでも縁故エンコかよ。車検切れの中古車じゃあるまいし……。それじゃあ田舎者の請負人(ワーカー)サマにはどんな仕事があるんだぁ?」

「知らなーい。冒険者と似たようなもんじゃないの? でも組合なんてないからね。他の請負人(ワーカー)に直接聞いてみたら?」

「ふん。そりゃ正論だな」

 

 それからクレマンティーヌとカイは隠れ家でだらだら過ごし、夕方になって請負人(ワーカー)が集まる宿屋へと出かけることにした。

 

 請負人(ワーカー)が集まる宿屋としてクレマンティーヌは“歌う林檎亭”を勧めたが、カイはその提案に難色を示す。

 

手練(てだ)れの請負人(ワーカー)がよく使ってるって聞いたよー? 仕事を探すんならそーゆー店の方が良いんじゃない?」

「常連が集まる店ってのは大体排他的なものなんだよぉ」

 

 紛れ込むのも面倒だしなと続けるカイに、そういうものかとクレマンティーヌは口を閉じる。

 真っ当な仕事と金を必要としているのはカイでありクレマンティーヌではない。

 気が向けば盗みも殺しもできる彼女にとっては宿屋選びも仕事探しもどうでもいいことだ。

 

 夕食の支度でごった返す中央市場を抜け、宿屋街へと向かう道すがらクレマンティーヌは尋ねた。

 

「そいやカイちゃん」

「……なんだぁ?」

「施設とか孤児院とかには行ったの?」

「なんで俺がそんな場所に行かなくちゃならねえんだ?」

「んー。別にー」

 

 クレマンティーヌは曖昧な返事を返す。

 カイはしばらく彼女を睨み付け、すぐに無言に戻った。

 この問いかけの意味にカイが気づいたかどうかは読み取れない。

 もし気がつかないのならそれまでだし、詳しく説明する気もない。

 クレマンティーヌはそこまでお人よしではないのだ。

 

 

 カイが選んだ宿屋“牛頭人(ミノタウロス)の皿”の入り口には痩せぎすの女が三人立っていた。

 三人はいずれも不安そうに辺り見回しながら身を寄せ合っている。

 

「なんだぁ、この女は? ここで“立ちんぼ”でもやってんのかぁ?」

 

 カイの言葉に女達はびくりと身を竦ませたがそれ以上の反応はない。

 ただ無言で身を寄せ合っているだけだ。

 

「奴隷の森妖精(エルフ)だね。ほら。耳を切られてるー」

 

 クレマンティーヌは半分に切られた女――森妖精(エルフ)の耳を無遠慮に指差した。

 森妖精(エルフ)は恨みがましい視線を二人に向ける。

 

「……ふん。あの狩人の餓鬼とおんなじってことかぁ」

 

 カイの呟きにクレマンティーヌは、かつて殺し損ねた緑帽子の若い森妖精(エルフ)の美しい顔を思い出す。

 

「そだねー。帝都(ここ)でも同じ決まりなんでしょ。趣味悪いよねー。けけっ」

「お前ぇがよく言うぜ。切られた耳は治んねえのか?」

「んー。どうだろ? 自然に治ったって話は聞かないね。治癒魔法でも無理なんじゃない。簡単に治ったら印になんないしね」

「まるで家畜みてえだな。顔はまあまあだが、こう身体が貧相じゃあ俺様の肉壺には向かねえなぁ」

 

 自分勝手に森妖精(エルフ)奴隷を品評するカイに良く通る涼やかで傲慢な声がかけられる。

 

「そこの汚いの。私の持ち物に触れないでいただきたいですね」

 

 それはクレマンティーヌが奴隷商の店で見た男――エルヤー・ウズルスだった。

 

◇◆◇



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第16話「疾風走破、陶酔する」

登場人物紹介

クレマンティーヌ:ズーラーノーン十二高弟のひとり。酒はなんでも。
カイ:助平おやぢ。ビールは冷えたもの。

エルヤー・ウズルス:森妖精(エルフ)の奴隷を連れた請負人(ワーカー)。“天武”。大衆酒場では酒を飲まない。

パルブス、ベサール、モデラトス:弱小請負人(ワーカー)。大衆酒場でしか酒を飲まない。


◇◆◇

 

「――あン?」

 

 金髪の偉丈夫――エルヤー・ウズルスの傲慢な物言いにクレマンティーヌは殺気立った。

 だが今の彼女は認識阻害の外套(ステルス・マント)を被った状態だ。

 まだ外套(マント)の効果を放棄するときではないと判断したクレマンティーヌは口を閉じる。

 

 後ろに大中小の三人の男を引き連れていたエルヤーを見て、カイがいつもの不愉快な愛想笑いを浮かべた。

 

「これはこれは失礼いたしましたぁ。これほど美しい奴隷を従えている方の才能と器量に感心していたところでございます、はぁい」

 

 ヘラヘラと笑いながらカイは何度も頭を下げる。

 よくもまあ、こうも簡単に(へつら)いの言葉を出せるものだとクレマンティーヌは半ば呆れ半ば感心した。

 カイの力であれば、金髪の高慢ちきはおろかこの宿屋に居るもの全てを容易く殲滅できるだろうに。

 

「なるほど。身なりは悪いが見る目はあるようですね。私が()()の主のエルヤー・ウズルスです。“天武”と聞けば分かるでしょう」

「そりゃあもちろん。エルヤー様の強さは世間知らずの私さえも存じております」

 

 カイの言葉にエルヤーは僅かに顔を顰めた。

 

「……ふん。それを知っているなら、お前のような者が私の名を気軽に呼んで良かろう筈もないことは分かりますね?」

「これはこれは失礼しましたウズルス様。よく耳にするお名前に勝手に親しいものと勘違いしておりました。お許しくださいませ、はぁい」

「いいでしょう。私たちは奥に行くのでもう近付かないでください。このあたりは埃っぽくて私には合いません」

 

 そう言ってエルヤーは通り過ぎ、森妖精(エルフ)奴隷がその後に続いた。

 だがエルヤーの後ろにいた最も小柄な男がカイの胸倉を掴む。

 

「おいこら! おっさんよぉ!」

 

 小男の怒鳴り声に三人の森妖精(エルフ)が身をすくめる。

 エルヤーは面倒臭そうにカイの胸倉を掴む小男を見た。

 小男は機嫌を窺うような媚びた表情で主人(エルヤー)の顔を見る。

 

「お邪魔でしたらこんな奴、宿屋(ここ)から叩き出しますよ、エルヤー様」

 

 クレマンティーヌよりも背が低いその男はカイの胸倉を引いて視線を下げようとしている。

 だがカイの身体は微動だにせず傍目には子供がじゃれているように見えた。

 

「こんなチンピラでもこの店の客です。宿屋(ここ)は皆の場所なのですから私たちが我慢することにしましょう」

「さすがはエルヤー様、お優しいぃ」

 

 ため息混じりのエルヤーの言葉を褒め称え小男は乱暴に手を離す。

 カイのニヤニヤ笑いは変わらない。

 

「エルヤー様に感謝するんだなぁ、おっさん!」

「次は気をつけろや、あぁん!」

「き、き、気をつけろ」

「へぇ。ありがとうございますです、くっくっく」

 

 大中小、三人の男がそれぞれ言葉を吐き捨て、カイは感謝の言葉を述べた。

 エルヤーはそんな男達を一瞥もせず、俯き加減の森妖精(エルフ)を引き連れて部屋の奥へと向かう。

 三人の取り巻きが慌ててその後ろをついていった。

 手をひらひらと振ってエルヤー達を見送るカイに、外套(マント)を被ったクレマンティーヌが訊ねる。

 

「カイちゃん、あいつのこと知ってんの?」

「あぁ。今しがた自己紹介してもらったからなぁ」

「……うわー。よくもまあ、あんな出任せが咄嗟に言えるもんだね」

 

 部屋の奥ではエルヤーの取り巻き三人組が、先客を追い払ってテーブルを確保していた。

 その様子をカイがニヤニヤと笑いながら見ている。

 

「でもさー――」

 

 クレマンティーヌは口元を笑いの形に歪めると、その紫の瞳を危険に輝かせる。

 

「なに我慢してんのー? アレくらいなら私でも勝てるっぽいよ?」

 

 クレマンティーヌは自分の力であればエルヤー・ウズルスに勝てると踏んだ。

 連れている森妖精(エルフ)の力は不明だが心の折れた者がまともに戦えないことは知っている。

 三人の提灯持ちはどう見ても雑魚だ。

 考える必要もない。

 

 クレマンティーヌを基準にしてこれなら、カイが手を下せばより明白な蹂躙劇が見られるだろう。

 そんなカイは侮られたことを気にする様子もなく、宿屋全体を見回して客全体の動向にだけ注意を払っていた。

 

 “牛頭人(ミノタウロス)の皿”は他の宿屋と同様に1階は酒場になっている。

 灯りを節約しているのか少し薄暗い1階はそこそこ広く、10卓ほどの大きな丸テーブルの間を給士の女がせわしなく動き回っている。

 テーブルはエルヤー達を含め3分の2ほどが埋まっており、夜になればさらに客の数は増えるだろう。

 宿屋として盛況であり、情報集めにはもってこいの状況と言えた。

 

宿屋(ここ)には殺しに来たんじゃねえんだ。余計な騒ぎを起こすなよ。いいな?」

「はいはーい」

 

 クレマンティーヌは頬を膨らませ不満げな様子を見せたが、ふいにニヤニヤ笑いを浮かべる。

 

「あのかわいそーな森妖精(エルフ)を助けようとか思わないのー?」

「……ふん。俺様は他人の肉壺には干渉しねえ」

 

 クレマンティーヌのニヤニヤ笑いがさらに意地悪いものになる。

 

「そんなこと言ったってカイちゃん優しいでしょ? 私、知ってるよー」

「うるせえぞ。声を小さくしろ、馬鹿野郎」

「あいよー」

 

 カイをからかうことでクレマンティーヌは溜飲を下げた。

 自分が侮られた訳ではないとはいえ、脆弱な奴らが我が物顔でうろつくことには腹が立つ。

 

「そんじゃ何か旨い話がねえか探るぞ。それと外套(マント)を脱ぐなよ」

「えーなんでー。暑いからそろそろ脱ぎたいなーって」

「お前ぇは色々と目立ち過ぎるんだよ」

「なにそれー? それって、もしかして私が可愛過ぎるとか?」

 

 クレマンティーヌは頬に手を添えると笑顔を浮かべる。

 殺人狂に見えない無垢な笑顔にカイが呆れ顔を浮かべた。

 

「……ふざけたこと言ってると犯すぞ、このアマ」

「いやーん。犯して犯してー」

 

 クレマンティーヌの戯言にカイがため息をつく。

 この中年男にはこういう接し方が良いとクレマンティーヌは学んでいた。

 怒りや恥じらいはこの男の好物だ。

 

「……ふん! サボっててきとーするんじゃねえぞ」

 

 カイが念を押すことで、なんとか体裁を繕う。

 クレマンティーヌは笑顔で手をひらひらと振って了解の意思を示した。

 

◇◆◇

 

 クレマンティーヌは認識阻害の外套(ステルス・マント)で気配を消したまま、酒を飲みながらくだを巻いてる請負人(ワーカー)達の会話を盗み聞くことに専念する。

 ふとカイを見るとカウンター越しに宿屋の主人と熱心に話し込んでいた。

 情報が集まる場所をよく心得ているものだとクレマンティーヌは感心する。

 

 リ・エスティーゼ王国なら都市周辺のモンスター討伐でそこそこの金が稼げた。

 だがバハルス帝国ではモンスターは帝国の警備兵が討伐している。

 だからこそ帝国内の都市を繋ぐ街道は王国のそれと比べると桁違いに安全だ。

 それはモンスターが関わる依頼で、冒険者や請負人(ワーカー)が必要とされないことを意味する。

 つまり帝国は王国に比べて冒険者や請負人(ワーカー)が選べる仕事が少ないのだ。

 

 それでも冒険者であれば組合を通せば腕前に合った依頼を紹介してもらうことができる。

 これが組合という互助組織に所属する強みだ。

 では組合や互助組織に所属しない請負人(ワーカー)はどのようにして仕事を見つけるのか。

 口利きや紹介や噂話から仕事を探すしかない。

 そんな情報を集めるのに最適な場所が宿屋であり酒場なのだ。

 

 酒で口が軽くなった客の間をすり抜けながらクレマンティーヌはいくつかの情報を得る。

 中でも最も大きな情報はフェメール伯爵という帝国貴族による遺跡調査の依頼だ。

 すでにいくつかの請負人(ワーカー)チームに話が流れているようで、高額の手付金も出ているという噂も聞いた。

 

 ここで得られる情報は拾い尽くしたと判断したクレマンティーヌは、カイが待つ入口に近いテーブルへと移動した。

 カイの手にはエール入りのカップがある。

 

「ひとりで飲んでんの? 私の分は?」

 

 そう言いながらクレマンティーヌはカイの横に座る。

 

「これは貰いもんだ。飲みたきゃ自分で買うんだな。まったく……。ここの主人は客商売のやり方も知らねえ。まさか接客の基礎をイチから“れくちゃー”することになるとは思わなかったぜぇ」

「私はカイちゃんがなんでそういうことに詳しいのかが不思議なんだけどー」

「詳しいもなにもそんなの常識じゃねえか。俺は常識のある鬼畜モンなんだぜぇ」

 

 クレマンティーヌはその童顔に呆れ顔を浮かべた。

 

「常識人は死者再生(レイズデッド)を使ったり、私の攻撃を無効化したりしませーん」

「けっ……。そんで旨い話はあったか?」

「なーんも」

 

 クレマンティーヌは両手をひらひらと振る

 そんな彼女を疑わしそうに一瞥して、カイがエールを一口飲んだ。

 

「なーんてウソウソ。そんながっかりした顔しないでよー。ひとつあったって飛びっきりのがー」

「伯爵んとこの墓荒らしかぁ? ……ぬるいなこれ」

 

 カイがカップをテーブルに置き、顰め面で奢られた酒に文句を言う。

 

「なーんだ聞いてたんだ。せっかくカイちゃんを喜ばそうと思ってたのに。つまんなーい。それ飲まないんだったらちょーだい」

 

 クレマンティーヌはエールのカップを奪い取る。

 

「おんなじ場所で話を聞いてりゃ情報が被って当たり前だぜぇ。で、他には?」

 

 クレマンティーヌはカップを傾けエールを盛大に喉に流し込んだ。

 アルコールの苦味が彼女の体内に染み渡る。

 

「……ぷはぁー! あとは違法行為ばっかだねー。密輸密売暗殺。盗みもあったかな。楽そうだけどどれも報酬は墓荒らしの十分の一以下ってとこー」

「殺しが絡んで、すんなり金が貰えるとは思わねえな」

「そだねー。そんなんするくらいなら商隊でも襲ったほうが確実。私らくらいの力があるんならね」

 

 クレマンティーヌは笑顔でエールを傾け、カイは顰め面で何事かを考えていた。

 金が欲しいのも手段を選んでいるのもカイだ。

 クレマンティーヌが悩む必要はない。

 だが興味深い依頼を見過ごすこともない。

 

「でーどうすんの? 伯爵の件」

「……実入りはでかそうだな」

「それに貴族の依頼だよ。仕事が終われば大きいコネができるんじゃないかなー」

「聞いた話じゃあ請負人(ワーカー)のいくつかがもう引き受けてるみてえだなぁ。ヘビーなんとかっていう大所帯と、パルパルだかパイパンだかいう爺ぃがやってるチームがよ」

 

 その辺りの情報もクレマンティーヌがこの酒場で得たものと同じだ。

 ちなみに正確な名前は大所帯がヘビーマッシャーで、年寄りの請負人(ワーカー)がパルパトラ・オグリオンである。

 どちらも腕の立つ請負人(ワーカー)としてクレマンティーヌの頭の中には入っている。

 

「聞いたことのある名前だねー。そこそこデキるんじゃないかな。ま、私ほどじゃないけどねー。で、さっきの気障男は?」

「話は聞いてるみてえだが引き受けるつもりはないらしい。墓荒らしは小僧の好みじゃねぇんだろ」

「ふーん」

 

 ぞんざいな相槌を打ちながらクレマンティーヌはエールを飲み干した。

 

「まだ請負人(ワーカー)を探してるようだが無名なチームに話は行ってねえ。断られて愚痴ってるチームがいたぜ。っておい! このアマ、俺の酒を全部飲んじまいやがった!」

「……げふー。いーじゃん。ぬるいの嫌いなんでしょー。でもさー。その貴族って贅沢だねー。生意気ー」

 

 空のカップを振りながらクレマンティーヌは見たこともない貴族の悪口を言う。

 そんな彼女に文句を言うのを諦めたのか、カイは呆れた様子で言葉を続けた。

 

「バカ高え金を払ってそこそこの奴らを集めてんのはどういう理由(わけ)だろうな?」

「手早く荒らして根こそぎ持って行きたいんじゃない? 場所は王国領でしょ?」

「そういうのもあるか……」

 

 肯定しているのは言葉だけで、カイの口調は明らかに納得していない。

 

「んー? 別の理由がある?」

帝国(ここ)のお貴族サマは皇帝陛下に絞られ遊ばされておいでのようだからなぁ。そんな中でお宝があるとも分からねえ墓の調査に大金をぶっ込む理由が読めねえ」

 

 カイが言うようにバハルス帝国の貴族は皇帝ジルクニフ・ルーン・ファーロード・エル=ニクスによって、その力を大幅に弱体化されている。

 フェメール伯爵がどの程度の権力を持っているかは不明だが、鮮血帝と渡り合えるほどの力を持ってはいないだろう。

 カイは続ける。

 

「いくら貴族サマでも表向きは皇帝の臣下だ。余所の国でオイタをすりゃあすぐに国際問題になるぜぇ。それが皇帝の命令だってんだったら話は早えけどな」

「魔法省や情報局が動いてるって話は聞かなかったねー」

「俺も聞いてねえ。帝国が関わっていない方が妙な話になるぜ、この件は」

 

 クレマンティーヌは漆黒聖典時代に基礎知識として周辺国の情勢を叩き込まれた。

 だが、それらの国々がどう行動するかを考えたことはない。

 特殊部隊は命令に従うのが任務であり、その理由を考える必要はなかったからだ

 

「そのフェメール伯爵ってのが勝手に動くことはありえない?」

「伯爵サマが王国(あちらさん)と内通してるってことも考えられるが、仮にそうだとしたら請負人(ワーカー)を向かわせる意味がねえ」

「だねー。いくら大金を積んだところで請負人(ワーカー)が国の争いで動くワケないし」

 

 請負人(ワーカー)は組織の頚木(くびき)を嫌う。

 その抵抗感や反発心は組合に所属している冒険者よりも強い。

 国の争いに力を使うのは請負人(ワーカー)という職業からは最も遠い行為だ。

 

「余所の国の遺跡に大金でかき集めた請負人(ワーカー)を送り込んで何をさせんだろーね? ひょっとして請負人(ワーカー)を見たいだけだったりして?」

 

 冗談めかして言ったクレマンティーヌをカイが睨みつける。

 

「何? なんか文句あんの?」

「……酔っ払いの思いつきにしちゃあ悪くねえな」

「このくらいじゃ酔ったうちに入りませーん。……なんか気になること、あった?」

請負人(ワーカー)そのものが目的ってのはありそうだ、と思っただけだぁ」

 

 頭の中を整理するためかカイが無言になる。

 クレマンティーヌは右手のカップを見るがエールは残っていない。

 彼女が近くの客の飲み物を物色し始めたところでカイが口を開いた。

 

「お貴族サマか、あるいはその上に鎮座まします皇帝陛下が、請負人(ワーカー)をご覧遊ばすために遺跡調査を餌におびき出す……それだったら筋は通るな」

 

 カイは納得しているようだがクレマンティーヌには筋が通ってるとは思えなかった。

 請負人(ワーカー)を集めるだけなら帝都(ここ)にはもっと最適な場所がある。

 

「そんなメンド臭いことするかなー? 請負人(ワーカー)を見たいんなら大闘技場に呼べばいーじゃん?」

「金を出すから闘技場で戦えって言われて集まんのは、お前ぇみてえな殺人狂くらいだぜぇ」

 

 クレマンティーヌは不満で頬を膨らませた。

 

「誰も見たことねえ遺跡の探索のほうが“きゃっちー”なんだろ」

「ふん……。そーゆーもんかね?」

「ここらの請負人(ワーカー)サンに聞いた感じじゃあ、な」

 

 クレマンティーヌに請負人(ワーカー)心理は分からないが、カイの言い分はもっともらしく聞こえる。

 ではカイ本人は遺跡探索もどう考えているのだろうか。

 

「そーゆーカイちゃんは遺跡に興味あんの?」

「遺跡ねぇ……。気にならねえこともねえが……。ん? ちょっと待てよ? 調査する遺跡は最近見つかったって話だよなぁ?」

「だねー。墳墓って言ってたから旧王家の墓? それか大魔術師の墓とか?」

「そこらへんの歴史や言い伝えは聞いたことあるか?」

「聞いたことないねー。でも誰も知らない遺跡がふいに見つかることはあるらしーし。カイちゃんに連れて行かれた地下の修道院だっけ? あそこだって誰も知らないんじゃない? あの半森妖精(ハーフエルフ)の餓鬼を別にすれば」

 

 そこまで聞いてカイはまた無言になった。

 

 クレマンティーヌには未知の遺跡への不安は無い。

 自らの強さへの自信が最大の理由だが、目の前に居るカイという男の力が当てになることも大きい。

 ただし探索に積極的になるほどの興味はない。

 クレマンティーヌが欲しているのは、自信を持つ者を絶望で打ち砕くことであり、強者を暴力でねじ伏せることである。

 強弱がはっきりしない遺跡の主よりは、名の知れた強者――例えば闘技場の武王――などを倒すほうが好みだ。

 

「――とまあ、ここまで検討したところで、だ」

 

 考え込んでいたカイの口調が急に軽くなる。

 

「この伯爵サマの依頼については、引き受けたくても俺もクレマンも名前が知られてねえ。今のところは様子見だなぁ」

「はぁ?」

 

 クレマンティーヌの頭に血が上る。

 確かにチーム獣耳(けもみみ)は知る人ぞ知る請負人(ワーカー)だ。

 というか王都冒険者組合の受付嬢と()()()組合に居た冒険者にしか知られていない。

 遺跡調査には全く興味がないし、こちらが依頼を断っても当然といえる。

 だが実力を侮られて依頼が受けられないというのは癪に障る。

 

「そんなん、このあたりのワーカーチームを潰せば一発じゃん」

「ほぉ。そりゃいい手だなぁ」

「でっしょー。そんじゃさ、どれにする? 私はさっきの気障男がいいなー」

 

 アルコールで顔を上気させたクレマンティーヌは獣の笑みを浮かべた。

 

「あンの澄ましたツラを細かく切り刻んでやったら楽しーと思うんだよねー。けけっ」

「なるほど。そいつは面白いかもなぁ」

「でしょー。で、いつ殺んの? 殺るところを誰かに見せないとダメだよね? なんだったらここででもいいよー」

 

 身体を乗り出してカイの顔に近づけ舌なめずりをする。

 クレマンティーヌとしては今すぐにでも細剣(レイピア)を抜きたい気分だ。

 これはアルコールだけが理由ではない。

 そんな彼女にカイがきっぱりと言う。

 

「だがなぁ。この件は見送るぜぇ」

 

 クレマンティーヌの笑顔が一転、怒りの表情に変わる。

 

「あン? 何言ってんのおっさん?」

 

 カイの表情は変わらない。

 

「旨い話には理由があるんだよぉ。面倒事には首を突っ込まねえのが賢い生き方なんだぜぇ? 分かったか、クレマンマン」

「なにそれ? そーゆー一般人の感覚でせっかくの儲け話をふいにするってゆーの? あと、その呼び方は止めてくれないかなカイカイちんちん」

「……人をインキンみてえに呼ぶんじゃねえ」

 

 殺気立つクレマンティーヌは、もう一度カイに顔を近づけた。

 

「分かってないなら説明するよ。私は一般人じゃない。この酒場にいる全員の首を斬り飛ばすことだってできる。カイちゃんを除けばね」

 

 クレマンティーヌは少しだけ表情を和らげる。

 

「人を探してるんでしょ? だったら金とコネが要るじゃん? その両方が手に入るってのになに我慢してるのかなー、このおっさんは」

 

 カイはまた無言になる。

 言い過ぎたかとクレマンティーヌが不安になったところでカイが口を開いた。

 

「肉壺のくせに良い事を言うじゃねえか。確かに何もしなけりゃ何も手に入らねえ……」

 

 自慢げな表情のクレマンティーヌに今度はカイが顔を近づけた。

 

「……さっきの気障野郎だ」

本当(まじ)? 殺っちゃう? ここで?」

 

 クレマンティーヌは喜色満面の笑みを浮かべた。

 ボンヤスミやらなんやらで、ここしばらくはまともに殺しをしていない。

 手が震えるほどの禁断症状がある訳では無いが、なんとなく生活が落ち着かない。

 だがカイの提案はクレマンティーヌの思惑とは違っていた。

 

「いいや。あいつに墓荒らしをやらせんだよ」

「……なにそれ? どういうこと?」

 

 顔を引くとクレマンティーヌは顔を歪めて腕を組んだ。

 目前の殺しがなくなればどうしても不満が出る。

 

「依頼の胡散臭さは気に入らねえ。かといって報酬を見逃す手もねえ」

 

 カイがエルヤー達を見た。

 

「だったら俺らより弱いあいつにやらせりゃいい。あの気障男が成功して報酬を貰ったときに奪うんだよ」

「……ずいぶん回りくどいこと考えるねー。さっさとあいつを殺して、調査隊(パーティ)に潜り込むほうが楽じゃない?」

「俺は用心深い鬼畜モンなんだよ。それに殺すんなら金を持ってるときの方が確実だろうが」

 

 クレマンティーヌがニヤリと笑う。

 多少遅れても()()()()の予定が立つのは良いことだ。

 

「それはそうかもね。ところでカイちゃん。“殺し”は嫌いなんじゃないの?」

「必要となりゃなんでもするさ。特にあの小僧はここいらじゃ嫌われてるみてえだからなぁ、くっくっく」

 

 エルヤー・ウズルスが嫌われていることはクレマンティーヌも耳にしている。

 傲慢な物言いと美しい森妖精(エルフ)への扱いの悪さは見る者全ての反感を買っていた。

 エルヤーが無事で済んでいるのは、ひとえに本人の強さの賜物だ。

 だからこそ彼が居なくなることを歓迎するものは多いだろう。

 

「最後に質問(しつもーん)エルヤー(あいつ)請負人(ワーカー)達が全滅したらどうすんの?」

 

 クレマンティーヌはあの地下の修道院のことを思い出す。

 もし目的地の遺跡があれと同じくらいの難易度だとしたら、少々腕の立つ請負人(ワーカー)を集めたとしても全滅の憂き目に遭うのは間違いない。

 

「そんときは俺達が墓荒らしをするんだよ」

 

 そう言ってカイは立ち上がるとエルヤー達が座るテーブルへと向かった。

 クレマンティーヌは少し時間をおいてフードを被り直してカイの後を追う。

 カイは揉み手をしながらエルヤー達に話しかけようとしていた。

 

「ちょいとウズルス様、よろしいですかぁ?」

「……来るなと言ったことを覚えていないようですね。いくら物乞いをしてもお前に渡す銅貨はありませんよ」

 

 エルヤーはカイを見て心底うんざりした口調で吐き捨てる。

 彼の左手には帝国銀行の金券板があり、まだ正式には遺跡探索の依頼を断っていないようだ。

 三人の男は敵意丸出しで今にも殴りかかってきそうな雰囲気だがカイが動じることはない。

 

「お邪魔をしていることは承知で少々お聞きしたいことがございますぅ。先ほど小耳に挟んだ話ですがね。なんでもウズルス様はフェメール伯爵様のご依頼をお断りになったとか?」

「……その話ですか。当たり前です。薄汚い遺跡などに行くつもりはありません。あるとも知れない宝のために無駄にこの身を汚したくはありませんからね」

 

 エルヤーは金券板を懐に仕舞う。

 カイに対する警戒感がそうさせたのかも知れない。

 

「なるほどぉ。深いお考えがあっての判断なのですねぇ。ちなみに(わたくし)めが聞いたところによりますと、パルパトラ・オグリオン様は参加なさるとか」

「……まあ、老い先短いご老人には金が必要なのでしょう」

「あと、ヘビーマッシャーとフォーサイトといった有名請負人(ワーカー)チームも参加すると聞き及んでおりますです、はぁい」

「それは……初耳ですね」

 

 カイの言葉にエルヤーが食いつく。

 エルヤーが話を聞き始めたことで、三人組はカイを追い払うタイミングを見失った。

 

 クレマンティーヌの得た情報では“フォーサイト”はまだ参加を決めていないはずだ。

 相手を煽るためのカイお得意の嘘だろう。

 

「名だたる請負人(ワーカー)チームが一堂に会して遺跡探検とは壮観でしょうなぁ。なんでもその墳墓は人類未踏の地だとか。誰も見たことのない遺跡を探索し未知を既知へと塗りつぶす。その冒険心は長く人々から称えられることになるでしょうなぁ、くっくっく」

「……何が言いたいのですか、お前は?」

「名声というものは利益のありなしだけでは語れないものです、はぁい。大金を稼いでいる大商人オスク様は人々からどう思われていますかねぇ? リ・エスティーゼ王国のガゼフ・ストロノーフ様は大金をお持ちでしょうか?」

 

 エルヤーはその整った眉を僅かに寄せて思案顔になった。

 その様子に気づかない振りをしながらカイは言葉を続ける。

 

「利のないところに向かう勇気。未知なる物を証明せんとする探究心。それこそが人々の心を打つと私は思いますねぇ、くっくっく」

「そんなこと――」

「あーもちろん知っておりますとも。ウズルス様にとって遺跡探索なぞ容易い依頼だということは。ただ――」

 

 カイが少し間を置いて言葉に()()を作る。

 次の言葉をエルヤーが待ち構えているのがクレマンティーヌにも見て取れた。

 こういう物言いをこの中年男はどこで覚えたのだろうか、と毎度クレマンティーヌは感心する。

 

「私たちのような下々の人間は、これを恐ろしい大冒険だと感じているのです。そして、こんな大冒険を容易くこなす英雄の出現を願っているんですよぉ」

 

 思案顔が消えてエルヤーの傲慢な目に決意の光が見えた。

 これでこの男が伯爵の依頼を引き受けることは間違いない。

 

「そのことをお伝えしたくてウズルス様に無礼を承知をお話した次第です、はぁい」

「天賦の才に恵まれないお前たちの気持ちはよく分かりました。そもそも私は金が欲しいのではありません。ただ、この身を汚したくないだけなのです。話は終わりですか? では銀貨(これ)を渡しますから離れてください。お前が私の知人と思われたくはありません」

 

 エルヤーが1枚の銀貨を投げると、床に落ちる寸前にカイが器用に受け取った。

 真顔になったエルヤーにカイがニヤニヤ顔を向ける。

 

「ありがとうございます、エルヤー・ウズルス様。栄光の銀がウズルス様にもたらされることをお祈りします」

「ふん。私が手に入れるのは銀ではなく黄金の栄光ですよ」

「それは失礼しました、くっくっく」

 

 カイは深く頭を下げると、エルヤー達のテーブルから離れた。

 クレマンティーヌは素早くカイの後ろにつくと小声で話しかける。

 

「よくもまあ、あんな事が抜け抜けと言えるね」

「“せぇるすとおく”ってヤツだよ。……ここを出るぞ」

「なんで――あー。はいはーい」

 

 クレマンティーヌはすぐに状況を理解する。

 エルヤーと共に席に居た三人組がカイから目を離さずに席を立つのを見たからだ。

 思わず笑顔を浮かべて、クレマンティーヌはカイについて酒場を出た。

 

 クレマンティーヌとカイはそのまま人目を避けるように裏道へと入っていく。

 そんな二人を追って三人の男たちが裏道へと続いた。

 

◇◆◇

 

 パルブスは小柄だが気の強い男だ。

 同郷のモデラトス、ベサールを率いて請負人(ワーカー)をやっている。

 しかし難易度の高い依頼を受けるだけの腕はなく、パルブスも他のメンバーも名を知られるような存在ではない。

 凡百の請負人(ワーカー)と同様に、密輸などの裏取引の警護やゴブリンのような弱いモンスター討伐といった小さな仕事で生計を立てていた。

 

 パルブス達の楽しみは酒と女と、あとは大闘技場での賭けだ。

 仕事で得たわずかな報酬で安酒を飲み、女を買い、闘技場で掛け金を失う。

 そんな毎日を三人は送っていた。

 

 今日も大闘技場で報酬のほとんどをスってしまったパルブスは、見るとは無しに見ていた試合でエルヤー・ウズルスの勝利を目撃した。

 

 それまで“天武”エルヤーの噂は聞いていたが、その力に関してはパルブスは半信半疑だった。

 その剣技を目の当たりにして、その力を利用することを思いついた。

 あの力を味方に出来れば、どれだけの利が得られるだろうか、と。

 

 実力のある請負人(ワーカー)チームのいくつかに大きな依頼が来ていることをパルブスは聞いていた。

 当然のことながら、無名のパルブスのチームにはその依頼は届いていなかった。

 それは当たり前のことだ。

 実力も名声も持ち合わせていない請負人(ワーカー)に誰が仕事を頼むだろう。

 

 だがエルヤー・ウズルスと組めば、“天武”の名声と力を借りることができれば、こんな依頼でも受けられる。

 

 そう考えたパルブスは大闘技場からエルヤーが出てくるのを待って、彼に話しかけた。

 彼が引き連れていた三人の森妖精(エルフ)の美しさに圧倒されながら、パルブスはひたすらにエルヤーの機嫌を取った。

 初めは相手にされなかったパルブスだが、エルヤーの剣技を褒め、従者である森妖精(エルフ)の美しさを称え、どうにかこうにか馴染みの宿屋にウズルスを連れてくることに成功したのだ。

 

 このまま気に入られればエルヤーのチームに入れてもらえるだろう。

 そのうち連れている森妖精(エルフ)を貸してくれることだってあるかも知れない。

 そう考えたパルブスはモデラトスやベサールと共にエルヤーを褒め称えた。

 

 だがエルヤーはパルブス達の賞賛の言葉を受け取りはするが、彼らを仲間にする素振りを見せなかった。

 それどころか森妖精(エルフ)に話しかけようとするパルブス達を制するほどだ。

 

 パルブスとて愚かではない。

 利益の無い賞賛を続けることを諦め、エルヤー達と別れようとした矢先、話しかけてきたのが小汚い中年男だった。

 男は言葉巧みにエルヤーを持ち上げると、伯爵の依頼を受けるつもりが無かった彼を翻意させ、あまつさえ小遣いまで貰って引き上げていった。

 面子を潰されたパルブスはすぐにエルヤーと別れると、モデラトスとベサールを連れて中年男の後を追った。

 

 もはやエルヤー“天武”ウズルスと組むことは不可能。

 であれば、あの小汚い中年男から銀貨と、持ち物を奪って今日の稼ぎにすればいい。

 それで今日の働きは僅かでも実りのあるものになるだろう。

 

 都合よく中年男が裏道に入ったのを見て、パルブスはほくそえんだ。

 モデラトスとベサールに小声で指示を出す。

 

「今のうちに武器を抜いとけ。音を立てんじゃねえぞ」

「あいよ。……おい。ベサールはそっちだ」

「わ、わ、わかった」

 

 パルブスの指示でモデラトスとベサールが静かに剣を抜き、左右に位置を取る。

 最も背の低いパルブスが中央に立ち、その左右でモデラトスとベサールが構える

 パルブス達のいつもの戦闘隊列だ。

 

 パルブスは殺しの依頼を受けたことがある。

 報酬を値切ろうとした依頼者を殺したこともある。

 決して凄腕の請負人(ワーカー)とは言えないが、それでもいくつもの修羅場を経験していた。

 

 道をよく知らないのか、中年男は辺りを見回しながら奥へ奥へと歩いていった。

 帝都(アーウィンタール)には多くの警備兵が常駐しているため強盗や傷害などの事件は起き難い。

 だがそれは決してゼロではない。

 警備兵の目の届く場所なら安全だが、そうでない場所ではそれなりに事件が起こる。

 中年男は自らの足で“そうでない場所”へと向かっている。

 

 永続灯(コンティニュアル・ライト)が届かぬ路地裏まで中年男が入り込んだ。

 最大のチャンスが訪れたと感じたパルブスは、左右の二人に手で合図をする。

 話しかけるのはパルブス、仕留めるのは三人で、だ。

 

「おい! おっさん!」

「……はぁい。なんでしょう?」

 

 中年男はパルブスの声に驚くことはなかった。

 まるで知り合いにでも会ったかように気軽に立ち止まり、ゆっくりとパルブスを見る。

 エルヤーに話しかけていたときと同じ、人を小馬鹿にしたような表情だ。

 

「さっきエルヤーさんから預かった銀貨(もん)があるだろ。それを返してもらおうか」

 

 そう言ってパルブスは短剣を突き出した。

 両側でモデラトスとベサールが長剣を構える。

 だが中年男は恐れる様子も見せず、ただ不思議そうな顔をパルブスに向けた。

 

「さて? “返す”とはなんでしょうかぁ? 銀貨はウズルス様から(わたくし)めが頂いたものですが?」

「エルヤーさんは銀貨を“渡した”だけだ。お前の物になったワケじゃねえ」

 

 パルブスは下品に笑い、モデラトスとベサールも彼に習って笑う。

 三人に笑われていることを男は気にしていないようだ。

 ただパルブスの言葉の意味を噛み締めるよう何度も頷いていた。

 

「それはそれは。どうもアナタと私の間には認識の齟齬(そご)があるようですねぇ」

 

 中年男は薄笑いを浮かべると、パルブス達を上目遣いで見る。

 その馬鹿にするような視線がパルブスの神経を逆撫でする。

 

「あぁん? ごちゃごちゃ言ってんじゃねえぞ。痛い目を見たくなけりゃさっさとこっちに渡すんだな」

 

 パルブスの短剣、そしてベサールとモデラトスの長剣は魔法武器などではない。

 だが貧相な中年男を脅し、仕留めるだけなら充分な代物だ。

 

 男はパルブス達三人を順番に見てもう一度小さく頷いた。

 

「痛いのは嫌ですねぇ、くっくっく」

 

 落ち着いているように見えるが、この男が何かを出来る訳ではない。

 己の立場を理解した人間によくある諦めの境地だろうとパルブスは踏んだ。

 だが中年男はパルブス達とは別の方向に視線を向けると、小さく顎をしゃくって見せる。

 その行為の意味するところが分からないまま短剣の柄を握り締めたパルブスの目の前に、外套(マント)をまとった影が姿を現した。

 フードを下ろし露わになったのは路地裏に光が射したような金髪に獣のような大きな耳飾り。

 その顔は幽鬼のように白く整っていた。

 

 獣耳の女は中年男に尋ねる。

 

「でーどうすんのー? この人たちー」

 

 パルブス達は幼さの残る女の声と容姿に釘付けとなった。

 エルヤーが連れていた奴隷の森妖精(エルフ)とは違う、路地裏にあり血と肉を持つ生々しくも猥雑な美だ。

 森妖精(エルフ)に情欲をそそられつつも、何も得られることの無かった三人の情欲に火が灯る。

 

「……お、女ぁ?」

「けっこうイケてんじゃね?」

「お、お、俺。こ、こ、こっちもいい」

 

 突然、目の前に現れた不自然さなどどうでも良かった。

 三人は情欲を隠すことなく舐めるように女を見つめた。

 だが、そんな視線を浴びても金髪獣耳の女は動じた様子はない。

 面白そうにパルブス達を眺めているだけだ。

 

 もはや銀貨も中年男もどうでも良かった。

 パルブス達は慌てて武器を仕舞うと女に話しかける。

 

「ね、姉ちゃん。こんなおっさんじゃなくてよ。俺たちと遊ぼうぜ」

「そうそう。俺達のほうが若いしイケてるし、ぜってー面白いって」

「あ、あ、遊ぼう」

 

 パルブス達の欲望を理解しているだろう女は笑顔を浮かべた。

 

「えーなにー? 楽しませてくれんのー?」

 

 女の返事は軽く、それでいて隠せぬ欲望が滲んでいた。

 これは最後まで行ける女だ、とパルブスは確信する。

 

「お、おう。もちろんだとも」

「ひぃひぃ言わせてやるぜ」

「ぐ、ぐふ、ぐふふ」

 

 女は首を大きく傾けて、中年男に笑顔で尋ねる。

 

「カイちゃーん。私、遊んじゃっていいかなー?」

 

 その女の言葉と同時にパルブスの耳に夜の町の喧騒と虫の声が入ってこなくなる。

 屋外なのに部屋の中に居るような不自然さがあたりを覆っていた。

 中年男がゆっくりと懐から手を出して、首にかかった濁った黄色の布で顔をごしごしと拭う。

 

「ああ。音は切ったぜぇ。通りからも見えねえ。好きにしな」

「はいよー」

 

 獣耳の女は短い返事と共に外套(マント)を脱いで足元に落とした。

 下着のような上下に革鎧(バンデッドアーマー)を装備し、腰には尻尾のような飾りをつけている。

 この路地裏で獣人の格好をして男と情を交わすのが、この女の好みなのだろうか。

 

「こ、ここでか?」

 

 ごくりとつばを飲み込んだパルブスの右、モデラトスの懐に女が滑るように入り込んだ。

 モデラトスはパルブスとベサールに視線を投げかける。

 自分が最初に女に選ばれたという自負の視線だ。

 

「おいおい。そんなにがっつくなよ姉ちゃん」

 

 やせぎすのモデラトスの手が伸びて女を抱きしめようとしたとき火花にも似た閃光が走った。

 

「へ?」

 

 女が手にした細剣(レイピア)がモデラトスの左目に深々と突き刺さっている。

 パルブスから見える女の横顔は美しく、その笑顔は邪悪だった。

 

「お触りはちょっとねー」

 

 肉の焼ける音と匂いが周囲に広がる中、女の手首がくるりと返る。

 モデラトスは自分の目に細剣(レイピア)が刺さったことにようやく気がついた。

 

「……ぎっ、ぎゃっあああぁぁぁーーーっ!!!」

「うるっさいなー」

 

 女は細剣(レイピア)を引き抜くと、もう一度軽く振るった。

 モデラトスの頭が転がり落ち、首から笛のような音と共に鮮血が噴き出す。

 パルブスとベサールがそれぞれの武器を抜いた。

 

「な、な、なんだこの――」

 

 ベサールが長剣を振りかぶった。

 言葉こそたどたどしいが三人の中では最も腕力に優れた男だ。

 だが、そんなベサールの豪腕による振り下ろしも獣耳の女には当たらなかった。

 長剣が地面に突き刺さり、その柄をベサールが握り締めている。

 ベサールの手にはいつの間にか女の手が添えられていた。

 

(おっそ)ーい」

 

 がちゃりと長剣が落ちた。

 剣の柄には両手がついたままだ。

 それと同時にベサールが膝を突く。

 ベサールの目の高さがパルブスと同じになった。

 戦う両手と逃げる手段を失ったベサールがすがるような目でパルブスを見る。

 赤い軌跡が縦に走ると恐怖に慄く顔が()()()()()()()ずるりと横にずれた。

 

「あーあ。ズレちゃった。ちゃーんと正面向いとかないから綺麗に斬れなかったでしょーがー」

 

 粗相をした子供を相手にするように軽い口調で女はベサールを(とが)める。

 小山のようなベサールの身体は頭長から股間まで一直線に断たれていた。

 

 周囲には肉の焼ける臭いが充満していた。

 そしてモデラトスとベサールが流した血が路地裏を赤く染めている。

 獣耳の女は一人残ったパルブスを眺めていた。

 

「どったのー? もう遊ばない?」

 

 パルブスは女の持つ細剣(レイピア)を、そして自分が手にする短剣を見た。

 血溜まりがパルブスの足元を濡らしているが、女の足には血がついていない。

 二人の男を斬り殺してなお、流れる血を避けるだけの余裕を女は持っていた。

 

(殺される!)

 

 絶対的な力の差を感じ取ったパルブスは、即座に振り返ると表通りに向かって走り出す。

 仲間のことも銀貨のことも頭からとうに消え失せていた。

 

「ありゃ? 逃げるんだー」

 

 そんな女の呟きから逃れようと表通りに輝く永続灯(コンティニュアル・ライト)を目指しもがいて――革鎧(バンデッドアーマー)の胸にぶつかった。

 尻餅をついたパルブスに女は一瞬だけ驚きの表情を見せ、すぐに肉食獣の笑顔に変える。

 

「いやん。積極的ー」

「な……? あ、あぁ。いやっ! い、い、命だけはっ!」

 

 尻を付いたまま後ずさりするパルブスを見て、紫の瞳が怪しく微笑んだ。

 

◇◆◇

 

「――もう満足だろぉ? そろそろ引き上げるぜぇ」

 

 クレマンティーヌの足元には血溜まりが広がり、いくつもの細かい肉片が散らばっていた。

 小男の死体からは耳や鼻が失せ、手足は末端から細かく切り刻まれ短くなっている。

 血溜まりが表通りに向かって長く伸びているのは、小男が生きながらに手足を切り取られていった証だ。

 

「手間隙かけて切り刻みやがって……。ハンバーグでも作るつもりかよぉ」

「久しぶりだったからね。ちょっと張り切っちゃったー。そんなことより……あれ、何?」

「んん? 何の話だぁ?」

「こいつ、急に向きを変えたでしょ?」

 

 ()()はクレマンティーヌを驚かせたが、小男自身も自分の動きに驚いていた。

 だとすれば、あの現象の原因はカイに違いない。

 

「あぁ。時間を止めて向きを変えてやっただけだ。時間対策は必須と聞いていたが、こいつは違ったようだなぁ」

「……うへー。とんでもないことを平気で言うねー。このおっさん」

 

 常識外れのカイの言葉に驚きながらも、クレマンティーヌは満足感に包まれていた。

 弱かろうが少人数だろうが、久しぶりに人を殺せたのだ。

 

 カイが小男の死体を裏返して懐を探っている。

 先の二人からはすでに回収済みらしい。

 

「けっ。大したモン持ってねえな……。どっかで晩飯でも買って帰るか」

「そだねー。私、肉がいいな、ニクー。あと、カイちゃんが食べてた“シロメシ”っての? また食べたいなー」

 

 機嫌良く話すクレマンティーヌに、カイは呆れ顔でため息をつく。

 

「……まだやってる店を探さねえとな」

 

 少し遅い時間であるが中央市場なら開いている店も屋台もあるだろう。

 転移魔法を使おうとするカイに寄り添いながら、今夜はぐっすり眠れそうだとクレマンティーヌは思った。

 

◇◆◇



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第17話「疾風走破、錯乱する」

登場人物紹介

クレマンティーヌ:ズーラーノーン十二高弟のひとり。不満は暴力と殺人で解消。
カイ:助平おやぢ。不満は性交で解消。



◇◆◇

 

 バハルス帝国の帝都アーウィンタールの共同墓地の地下にあるズーラーノーンの隠れ家。

 粗末な木製寝台の上でクレマンティーヌは膝を抱えて怯えていた。

 こうして小娘のように震えるのは何度目だろうか。

 己の精神がこうも脆かったのかと改めて思い知らされた。

 

◇◆◇

 

 ――夜明け前。

 クレマンティーヌはカイと二人でフェメール伯爵の屋敷の敷地内に忍び込みその時を待っていた。

 遺跡調査に出発する請負人(ワーカー)達が伯爵の敷地に集合するという情報を得ていたのだ。

 

 二人は気配を消し木々の間から永続灯(コンティニュアル・ライト)に照らされた裏庭の開けた一角を覗き見ている。

 しばらくすると前情報通りに請負人(ワーカー)チームがひとつふたつとその姿を現し始めた。

 

 貴族である伯爵が世間体を考えるなら請負人(ワーカー)との取り引きを大っぴらにはしたくない筈だ。

 そう考えて正門ではなく裏門の近くを監視することを勧めたクレマンティーヌの読みが当たったと言える。

 

 集まった二十人弱の請負人(ワーカー)が屋敷の執事らしき男に導かれて正門の方に動き始めた。

 クレマンティーヌとカイも木々の陰に身を隠しながら、正門が見える位置へと移動する。

 正門の前では二頭立ての八足馬(スレイプニール)の幌馬車が二台あり冒険者と思しき男達が荷物を積み込んでいた。

 

八足馬(スレイプニール)とは奮発したねー。これってやっぱ依頼主には儲かる確信があるんじゃないの? あーあ。稼ぐ機会を逃がしちゃったなー」

 

 遺跡調査への参加を見送ったカイに聞こえるように小声で言う。

 決してクレマンティーヌとしては金が欲しい訳ではない。

 だが、それを得られる機会を逃したとなれば、その原因(カイ)に対して皮肉や愚痴が出てくるものだ。

 渋面を浮かべるカイを横目で見て微かな喜びに浸りつつ、クレマンティーヌは八足馬(スレイプニール)の幌馬車に視線を戻す。

 そこで彼女は見てしまった。

 

 黒の全身鎧(フルプレート)に身を包んだ戦士が、絶世の美女を伴って幌馬車から降りてきたのを。

 

「――おやぁ? こいつはキナ臭くなってきやがったぜぇ。漆黒のモモン様のご登場とはなぁ。……おい?」

 

 揶揄するようなカイの言葉はクレマンティーヌの耳には入らななかった。

 彼女の精神はただひとつの感情に支配されていたのだから。

 

 逃げろ!

 

 クレマンティーヌは踵を返すと走り出した。

 

 早く!

 早く!

 早く!

 出来るだけ早く!

 

 この場から、伯爵の敷地から、離れなければならない。

 

「おまっ……なに――」

 

 カイの言葉が遥か後ろに遠ざかるが、まだ足りない。

 もっとだ。

 もっと速度を上げなければ。

 

<疾風走破><流水加速><能力向上><能力超向上>

 

 武技を使い、更に加速しようとして――

 

 クレマンティーヌはカイに抱き止められた。

 

「なにやってんだぁ。この肉壺がっ」

 

 カイに小声で罵られ、それでも漆黒のモモンから逃れようとクレマンティーヌは力を振り絞ってもがいた。

 そんな彼女を戒める力がさらに強くなる。

 木々が、壁が、地面が入り乱れる中、次第にクレマンティーヌの視界が薄くぼやけていった。

 

 

 次に目に映った景色は、極々見慣れた薄暗い部屋だ。

 カイの転移魔法によってズーラーノーンの隠れ家に戻ったことをクレマンティーヌは理解する。

 そして自分がカイに抱きかかえられていることに気づいて、また暴れだした。

 

 カイが面倒臭そうに彼女を寝台に放り投げる。

 硬い木製の寝台に放り出されたクレマンティーヌはすぐに膝を抱えて顔を伏せた。

 

 驚愕、恐怖、悔恨、怒り、羞恥、安堵、等々。

 

 幾多の感情がクレマンティーヌの精神を掻き乱す。

 

「なにトチ狂って暴れてんだぁ。モモン(あいつ)にバレて一番不味いのは、お前ぇだろうがクレマン。あぁ?」

 

 怒っているとも呆れているともつかないカイの言葉がクレマンティーヌに深く突き刺さる。

 

「……んだ」

「なんだ?」

「おっぱいつかんだ」

「……はぁ?」

「おしりもさわった」

 

 クレマンティーヌの言われなき非難にカイが戸惑う。

 

「なに生娘みてえなこと口走ってんだ。モモンを見たショックで幼児退行でもしちまったかぁ?」

「してないっ! おまえがわるい! おまえが!!」

 

 フェメール伯爵の屋敷を見張っていたのが悪い。

 遺跡調査の依頼をしなかったのも悪い。

 仕事を探すために宿屋に行ったのも、全部カイが悪いのだ。

 

 しばらくの沈黙の後、カイが深いため息をつく。

 

「……ったく。今は餓鬼のお守りしてる暇はねえんだ」

 

 カイが皮袋を放り投げた。

 寝台の上にじゃらりと落ちたそれはカイの所持金だろう。

 前にクレマンティーヌが渡した分も入っている筈だ。

 

「夜には戻るぜ。今日はそれで飯食ってろ。いいな」

「……しらない」

 

 もう一度、ため息をついたカイの姿がぼやけて消えた。

 おそらく不可視化の魔法で姿を消したのだ。

 やがて気配も消えて、ズーラーノーンの隠れ家が完全な沈黙で満ちる。

 

「……カイちゃん? もう……行った?」

 

 呟くようなクレマンティーヌの問いかけ。

 返事はない。

 既にここには居ないようだ。

 請負人(ワーカー)達を追うために伯爵の屋敷へと戻ったのだろう。

 

「……くそっ」

 

 一人残された隠れ家の中で、クレマンティーヌの不安と怒りが増大する。

 おもむろに立ち上がると、カイが使っている木製寝台に近付いた。

 

 使用者と同じく薄汚れた寝台と薄汚れた枕。

 無造作に置いてある掛け布もどことなく汚れた印象があった。

 クレマンティーヌは掛け布を持ち上げて顔に近づける。

 彼女の肉体を何度も弄んだ男の臭いがした。

 

 クレマンティーヌは掛け布から手を離すや否や細剣(レイピア)を抜き放ち、それをズタズタに切り裂いた。

 永続灯(コンティニュアル・ライト)の光に照らされた隠れ家に焼けた布の臭いが広がる。

 

「くそっ! くそっ!! くそおおおぉぉぉっ!!!」

 

 クレマンティーヌは細剣(レイピア)を振るい、カイの寝台と枕をも細切れにした。

 

 カイの寝具を破壊しただけでは怒りを発散しきるには不充分だ。

 だが、自らが使用する寝台と食料・水が入った冷蔵棚に手を出すほどクレマンティーヌは愚かではない。

 彼女は無事な自身の寝台に戻って膝を抱え込む。

 恐怖と不安、憎悪や自棄等、あらゆる負の感情が心の底にこびりついていた。

 

◇◆◇

 

 フェメール伯爵の屋敷でカイが取った行動は正しく適切だった。

 モモンの登場に動揺して、周囲の状況を省みずに脱走を計ったクレマンティーヌは下手をしたら発見される恐れがあった。

 そのことを思うと恐怖しかない。

 だが感謝すべきカイの行動が彼女の精神を追い詰めていた。

 床に散らばった木や布の破片を見ながらクレマンティーヌは考える。

 モモンがフェメール伯爵の屋敷に現れた理由はなんだろうか、と。

 

 遺跡を調査するメンバーの一員にしては妙な点が多い。

 モモンはリ・エスティーゼ王国の都市、エ・ランテルの冒険者組合に所属している。

 王国の冒険者が帝国の請負人(ワーカー)と組んで、王国の領土で遺跡探索をするだろうか。

 

(……ありえない)

 

 クレマンティーヌは頭の中でその仮説を否定する。

 冒険者組合は国同士の争いに囚われない存在ではあるが、国の意向を無視できるほどではない。

 他国の集団が領土内の遺跡を調査すると知れば、冒険者組合はその依頼内容を間違いなく国に報告するだろう。

 組合とて他国からの侵略行為を見過ごすほどの独自性を有している訳ではないからだ。

 

 では遺跡調査の監視のために雇われたと考えるのはどうだろうか。

 それであればまだ納得が行く。

 あれだけの強さがあれば跳ねっ返りの多い請負人(ワーカー)に睨みを利かせられるだろう。

 野営地の警護など、あのモモン(アンデッド)なら片手間で出来る。

 

 それが納得できる理由だと判断しながらも、クレマンティーヌの中の恐怖は更なる疑問を投げかけてくる。

 漆黒のモモンを監視や護衛に使うのは馬鹿げている、と。

 

 アレは請負人(ワーカー)は勿論のことスレイン法国の特殊部隊、漆黒聖典さえも凌駕する力の持ち主だ。

 そんな存在を遺跡調査に使おうとせず留守番に使うというのは、世界最強の種族である(ドラゴン)に荷物運びをさせるようなものだ。

 あるいは漆黒聖典に買い物を任せるような――。

 そう考えてクレマンティーヌの頬に自嘲の笑みが浮かぶ。

 

 自分が笑うだけの余裕を取り戻したこと驚き、クレマンティーヌはひとつ息をつく。

 

 とりあえず遺跡探索のメンバーに参加しなかったのは正解だった。

 もし加わっていたら漆黒のモモンと鉢合わせになっていただろう。

 その先は考えたくない。

 そして今日、漆黒のモモンの居場所が判明したのは悪いことではない。

 モモンを避けたければ遺跡調査の一団にさえ近付かなければ良いのだ。

 夜に戻るであろうカイから調査団の話を聞けば安全度も高まるだろう。

 そこまで考えて、ようやくクレマンティーヌの精神が落ち着きを取り戻した。

 

 窮屈な姿勢を止めて寝台にゴロリと横になる。

 

 本来であれば今日から数日間、カイに付き添って請負人(ワーカー)達を追跡する筈だった。

 その予定が丸々無くなったクレマンティーヌは自由だ。

 カイから貰った金袋を見ながら何をしようかと考える。

 

 食事、買い物、人殺しと帝都(ここ)なら何でも出来るだろう。

 カイのお守りもしばらく必要ない。

 

「……ふわ」

 

 安心したせいかクレマンティーヌの口から欠伸が漏れた。

 伯爵の屋敷を見張るために早起きしたことを思い出す。

 睡眠不足は肌に悪い

 

 クレマンティーヌは横になると目を閉じることにした。

 

◇◆◇

 

 クレマンティーヌが二度寝から目覚めたのは昼過ぎだ。

 視界の隅に寝台の残骸が入るが努めて無視をする。

 これはカイの自業自得だ。

 

 今日をどうやって潰すか考え、自分が酷く空腹だということに気がついた。

 それが分かれば判断は早い。

 認識阻害の外套(ステルス・マント)を羽織ると、クレマンティーヌは軽い足取りで隠れ家の外に出た。

 

 外は今日も快晴で日差しは強く気温も高い。

 外套(マント)に熱が篭るが肌のためにも直射日光は避けるべきだ。

 それに何より他人から見咎められない利点は捨てがたい。

 武器屋の娘のような生まれながらの異能(タレント)持ちの目には注意しなければならないが。

 

 中央市場はいつもと変わらぬ盛況ぶりだ。

 外套(マント)を被った自分に注意を払う人間が居ないことをクレマンティーヌは確認する。

 

 買い物客の間を縫うように移動して露店を物色した彼女が選んだのは腸詰の串焼きだ。

 店主が客と世間話をしている隙に、焼き網の上の串を二本摘み取る。

 手に入れた獲物に齧り付くと、ぱりっとした歯ごたえと共に熱々の肉汁がクレマンティーヌの口腔を満たす。

 

「……ほふ、ほふ」

 

 息を短く吐いて口の中を冷ましながら腸詰を飲み込んだ。

 腸詰の濃い味付けに“シロメシ”が食べたくなったが、さすがに売っている屋台は見つからない。

 仕方なく手頃な大きさのパンを掠め取って肉汁とのハーモニーを楽しむことにした。

 二本の腸詰を食べ切った後のデザートは八百屋の店先にあった果実だ。

 程よい酸味と甘味と水分がクレマンティーヌの気分を爽やかなものにしてくれた。

 

 空腹が満たされたクレマンティーヌは中央市場を抜けて北市場へと足を向けた。

 あの武器屋が近いので、中央市場よりも周囲に気を配る。

 できることなら武器屋にもその娘にも会いたくはない。

 

 帝都北市場は賑わっていたが、前に来たときよりは落ち着いた雰囲気だ。

 大物請負人(ワーカー)達が遺跡調査に向かった影響だろうかとクレマンティーヌは考える。

 露店に並ぶアイテムをただ眺めているが店主を冷やかす気分ではない。

 足の向くまま気の向くまま、目的もなくぶらぶらと歩いているだけだ。

 

 ただ皇城方面には向かわない程の気は使っていた。

 帝国宮廷最高魔術師のフールーダ・パラダインにはまだまだ注意が必要だ。

 北市場から見える豪奢な壁面の大闘技場にも足を向けなかった。

 身動きが取り辛い場所で厄介な生まれながらの異能(タレント)持ちに出くわしたくはない。

 

 することが思いつかないまま、ぶらついていたクレマンティーヌは見覚えのある通りに出た。

 あの日、三人のチンピラを葬った路地裏へと繋がる横道がある通りだ。

 

 路地裏に入ると既に死体は残っておらず血の跡も綺麗に処理されている。

 数日でここまで対処が出来る帝国と皇帝に何となく感心した。

 そんな場所で数人の子供達が遊んでいるのを目にする。

 武器屋の娘の生まれながらの異能(タレント)を思い出し身構えたが、誰も外套(マント)を被った大人の女には気づく素振りは見せない。

 クレマンティーヌは安心して遊戯に興じる子供達を眺めることにした。

 

 クレマンティーヌは好んで子供を殺すことはしない。

 自信や経験といった背景(バックボーン)がない存在を殺しても面白くないからだ。

 子供達は走ったり石を積んだり、時折、叩き合ったりしながら全力で遊んでいる。

 その頭髪はいずれもクレマンティーヌと同じ金髪だ。

 カイが捜している少女のような黒髪は居ない。

 

(……大体、餓鬼を捜すんなら孤児院か施設だろうに)

 

 この場に居ないカイの察しの悪さを鼻で笑った。

 

(用心深い癖に妙に抜けてんのが……待てよ?)

 

 ふとクレマンティーヌは思いつく。

 あの黒髪の少女を先に見つければ貸しになるのではないか、と。

 

 姿絵を見て顔は知っている。

 この周辺地域で黒髪は目立つし、素朴な容貌も少しくらい成長したところで間違えようがない。

 確信が持てなければ本人に聞けばいいのだ。

 重要人物に先に接触して懇意になれば、カイに対して強く出ることも可能になるだろう。

 そうなれば今後のクレマンティーヌの行動は大いに楽なものになる。

 

 そこまで考え、あまりに楽天的な自分の思いつきに笑みが浮かぶ。

 物事がそう都合良く行く訳がないのは充分承知しているが、どうせ義務も任務もないのだ。

 だったら孤児院や養護施設を見て回って暇な時間を過ごすのもいいだろう。

 

 では、この帝都アーウィンタールに孤児院はいくつ、そしてどこにあるのだろうか。

 帝国にある主要施設は把握していたクレマンティーヌだが孤児院の場所までは知らない。

 住んでいる人間に聞くのが一番早いが、武器屋の女(ムーレアナ)に聞くのは躊躇われた。

 

 孤児院の場所を聞けば、その理由を聞かれるだろう。

 正直に話せばどうなるか。

 武器屋の女主人の性格ならば快く教えてくれるだろう。

 だが人捜しはカイの秘密であり急所だ。

 捜している人物を見つける前にカイに知られたら機嫌を損なうだろう。

 それに情報というものは持っている者が少ないほど価値があるのだ。

 自らが持つ情報の価値を下げる真似はしたくない。

 

 嘘を()いて聞くのはどうだろうか。

 例えば子供が欲しくなったとか。

 産めばいいと言われたらどういう言い訳をするか。

 実は子供が埋めない身体で、と嘘に嘘を重ねるのか。

 武器屋が余計な気を回して、自分がイラつくのがクレマンティーヌに容易に想像できた。

 生殺与奪を握った相手を煙に巻くのは楽しいが、殺せない――カイに手出しを禁じられている――相手に嘘をつき続ける面倒は避けたい。

 

 クレマンティーヌは武器屋の女主人(ムーレアナ)に聞くことを止める。

 それでなくても武器屋に行って、あの娘にまとわりつかれるのは色々と面倒臭い。

 

 結局、孤児院ではなく養護施設に行くことにクレマンティーヌは決めた。

 養護施設ならば大抵の場合、神殿の中にあるからだ。

 帝都の神殿に知り合いが居るわけではないが、場所は知っている上に認識阻害の外套(ステルス・マント)があれば探れることもあるだろう。

 子供を保護する施設つながりで孤児院についての情報が掴めたりするかも知れない。

 漆黒聖典を脱して以来、クレマンティーヌは久しぶりに神殿の門をくぐることにした。

 

◇◆◇

 

 繊細な装飾に彩られた神殿の石門が厳かにクレマンティーヌを迎え入れる。

 中央神殿は数多くの参拝者と神官に代表される内部関係者が行き交い、人の多さは北市場にも負けていない。

 市場と違うのは全ての人が口を閉じ、俯き加減で静かに歩を進めていることだ。

 

 帝都の神殿は四大神信仰で法国の国教たる六大神信仰から派生したものであり、両者の関係は決して良好ではない。

 クレマンティーヌは法国の生まれであるが元より六大神への信仰は薄く、ズーラーノーンの高弟となった今では洗礼名すら捨てている。

 

 認識阻害の外套(ステルス・マント)があると言っても生まれながらの異能(タレント)持ちがどこに居るか分からない。

 目立たないように周りに居る人間に埋もれる地味な動きを心がける必要がある。

 どうせ任務ではなく暇つぶしだ。

 ブラブラと歩き回って時間をかけても問題はない。

 そのうちに養護施設のひとつやふたつは見つかるだろう。

 人の流れに任せて進むと正面奥に大きな階段が見えた。

 

 そのまま正面の大階段を上ると、豪奢な扉の前で高位の神官と笑顔で話をしている男を見かけた。

 クレマンティーヌはその男の顔に見覚えがある。

 ズーラーノーンが帝都で立ち上げた宗教団体(サークル)で神官役を担っていた男だ。

 かなり裕福な帝国貴族だとクレマンティーヌは記憶している。

 そんな恵まれた立場の男がどうして異端の宗教に走ったかは知らないし興味はない。

 

 神官との話を終えた男は認識阻害の外套(ステルス・マント)を被ったクレマンティーヌの存在に気づくことなく大階段の方へと歩いてくる。

 神官と会話していたときの笑顔は消え、男は眉を顰め険しい表情を浮かべていた。

 

 この男にはズーラーノーンのメンバーとして手を貸したことがある。

 その過去は何かのときに利用できるだろう。

 そう考え、自分らしくない後先を気にした発想にクレマンティーヌは苦笑する。

 

(私も随分とまあ、あの助平親父に毒されたもんだ……)

 

 階段を降りていく男の後姿を見送ったクレマンティーヌは、軽く頭を振って神殿探索を続けることにした。

 

◇◆◇

 

「それでは大神官様によろしくお伝えください」

「本当に、直接お話にならなくてよろしいのですか?」

「私とて四大神の教えを学んだ身です。大神官様たちのお忙しさは存じております。たとえ僅かな額でもそのお手伝いが出来るだけで幸いです」

 

 事務方の神官の引き止めを辞して、帝国侯爵のハイドニヒは部屋を出た。

 ハイドニヒは笑顔を消し、険しい表情で大階段を降りる。

 

 ハイドニヒ家はかつて四大神の神官長を輩出したことのある帝国貴族だ。

 その名誉を誇りとした一族は家の掟として神官の作法をその教育の中に取り入れた。

 結果、ハイドニヒ家は長らく神殿との強い繋がりを維持するに至り、豊かな領地と相まって帝国でも有数の貴族へと成り上がった。

 現ハイドニヒ侯爵もまた家の掟に従って、幼い頃から貴族としての教育とは別に神官の作法を学んだ人物だ。

 彼は信仰系魔法の才には恵まれなかったが経営の才があり、父から受け継いだ侯爵領をより豊かな物にした。

 恵まれていたハイドニヒであるが、決して慢心することはなかった。

 それは貴族への圧力を強くした先代皇帝と大粛清を行った現皇帝ジルクニフへの恐怖のためである。

 

 幸いにしてハイドニヒ家には豊かな領地があった。

 ハイドニヒの代になってから農地の拡充をより進め、多くの商人を招致し富国に努めた。

 政策の大半は帝都周辺で行われたものの模倣であったが、それらはハイドニヒ領においても充分な成果を出した。

 

 領内を土地開発と商取引で潤した一方で、ハイドニヒは金融にも手をつけた。

 元は農地拡張や取引支援のための貸付政策であったが、拡大した領内の経済規模に対応するべく御用商人に命じて両替商を立ち上げたのだ。

 両替商はハイドニヒ領経済の大きな手助けとなり税収をさらに伸ばしてくれた。

 次にハイドニヒは帝都において自領民への融資を行うために両替商の支店を置いた。

 帝国銀行と提携し、その業務を補う目的だった両替商は、やがて他の貴族への融資を行うようになった。

 融資を受け辛い立場の貴族や元貴族は多く、そんな相手にも資産があるようならば無担保で金を貸した。

 

 ハイドニヒはそうして得られた財の多くを神殿へと寄進する一方で、皇帝への支援も充分過ぎるほど行った。

 寄付や招致の要請に積極的に応じ、治水工事や道路整備といった国の事業にも取り組んだ。

 金を出し渋れば背信行為として取り潰しの憂き目に遭うのは明白だったからだ。

 

 そんな鮮血帝の恐怖から逃れるためのハイドニヒの拠り所は信仰であった。

 領内の神殿の数を増やし、帝都の神殿へ寄進を行って四大神への感謝を表した。

 それでもハイドニヒの不安が完全に拭い去られることはなかった。

 

 ハイドニヒを含めた帝国貴族が恐怖と不安を抱えていたときにひとつの事件が起きた。

 とある貴族家が異端の教えを信仰した罪で帝国から訴えられたのだ。

 

 その貴族は覚えがないと冤罪を主張したが帝国――皇帝は納得しなかった

 結局、訴えられた貴族は一人娘をリ・エスティーゼ王国の貴族に養子として差し出すことで粛清を逃れた。

 おそらく皇帝の密命を帯びたのであろうとハイドニヒは推測している。

 それを行って尚、元貴族は未だ家名を取り戻すに至っていない。

 

 縁遠い貴族家であったため、帝国の査問がハイドニヒ家に及ぶことはなかった。

 だがこの事件に恐れを感じたハイドニヒは異端信仰について調べ始めた。

 訴えられるきっかけが何なのかを知る必要があったからだ。

 

 自衛のために始めた異端信仰調査の中でハイドニヒはひとりの信仰系魔法詠唱者(マジックキャスター)と懇意になった。

 領内の神殿に食客として滞在していたその男をハイドニヒは自らの屋敷に招き入れた。

 スレイン法国の出身だというその男は言った。

 四大神の上に生死を司る光と闇の神がいる、と。

 

「バハルス帝国にとっては邪神、ということになるのでしょうが」

 

 男はそう言って小さく笑った。

 四大神神官としての教えを受けたハイドニヒとしては確かに受け入れがたい話だ。

 治療や祝福、不死者(アンデッド)討伐など帝国神殿が行う信仰系魔法には感謝の気持ちしかない。

 しかし、国内において復活魔法を持ち合わせていないバハルス帝国の神殿と、死者を蘇らせることのできるスレイン法国とでは、どちらの神官の力が上なのかは明白であった。

 法国だけならまだ良い。

 あのいずれ滅び行くであろうリ・エスティーゼ王国に復活魔法が使える神官戦士が現れたことはハイドニヒの信仰心を大きく揺らがせる衝撃だった。

 復活魔法は粛清を恐れるハイドニヒ達帝国貴族にとって究極の願いである。

 

 ハイドニヒは法国出身の男の語る“邪教”と“邪神”に心惹かれ、ついには極々親しい貴族を集めて教団を帝国に作り上げた。

 いずれの貴族達も容易に信徒になったのはハイドニヒと懇意だったことに加え、それだけ皇帝からの圧力に不安を感じていたからだろう。

 四大神の神官としての知識を持つハイドニヒが教団における代表者――神官になり、初めて行った儀式では兎などの小動物を殺め(にえ)とした。

 (にえ)はすぐに中型の獣になり、亜人(ゴブリン)になり、やがて人間になった。

 

 

 教団を立ち上げてしばらくした頃、ハイドニヒの両替商で、とある貴族への貸付が焦げ付いたことがあった。

 貴族は大闘技場で実績のある屈強な戦士を抱えており、その武力を盾に両替商への返済を先送りにしていたのだ。

 貸し付けていた金額はそう大きなものではなかったが、悪い先例を作ると他の貸付金の回収が滞る。

 その問題の解決に頭を悩ませていたときに、(くだん)の魔法使いがひとりの女を連れてハイドニヒの前に現れた。

 話を聞いた男は、先に世話になった代わりとして貸付金回収を約束した。

 

「あーはいはい。この貴族からこんだけ貰ってくればいーんだね」

 

 男が連れていた短い金髪の女は証文の写しに目を通すと軽い口調で引き受けた。

 余りの調子の良さに不安を覚えたハイドニヒだったが、心配は杞憂だった。

 その日の午後には貸付金が全額返済されたと両替商の責任者から連絡が入った。

 なんでも貴族お抱えの戦士が泣いて命乞いをしたらしいと聞き、その力にハイドニヒは邪神と盟主への崇拝をより強いものとした。

 

 ハイドニヒは貴族の地位と豊富な財産を活かして、祖先の眠る墓地の地下に神殿を建造した。

 顔が利くことを利用して、神殿が管理している養護施設や孤児院から幼子を集め、無垢なる(にえ)とした。

 信徒は髑髏の仮面を被り、素肌を晒して邪神と盟主への崇拝と服従を示した。

 

 そして中央神殿に寄進を終えたハイドニヒは焦燥感に包まれていた。

 

(随分と長い間、儀式を行っていない……)

 

 信徒からは次の儀式を求める声が届いている。

 皆、ハイドニヒと同様に不安を抱えているのだ。

 だが、信徒である貴族が集まるにもそれなりの理由が必要だ。

 理由なく帝都に集まれば帝国に――鮮血帝に嗅ぎつけられ、集った貴族は例外なく粛清されてしまうだろう。

 

 例年であればリ・エスティーゼ王国との戦争が行われる時期に儀式を執り行えた。

 皇帝が戦費を調達するために、主だった貴族を帝都に集めるからだ。

 今年は戦争が行われないという噂もあり、怪しまれないよう貴族が集まれる機会がない。

 早急に儀式を執り行い邪神と盟主への崇拝と忠誠を捧げたかった。

 

 ハイドニヒは自らの馬車に乗り込もうとして、扉を開けて(あるじ)を待つ御者の姿が目に留まる。

 このハイドニヒ家に仕える御者には小さな娘がいたとハイドニヒは記憶していた。

 

「娘は息災か? 怪我や病気はしていないか?」

 

 御者は苦笑いを浮かべる。

 

「それが、その、外で走り回ってばかりでして生傷が絶えません。ですが幸いにして大怪我や大病とは無縁でございます」

「それは良いことだな。いくつになった?」

「5つでございます」

「そうか。可愛い盛りだな」

 

 御者は黙って頭を下げた。

 笑み崩れた子煩悩な顔を主人に見せるのを遠慮したのだろう。

 

「事故や流行り(やまい)は突然襲ってくるもの。困り事があればすぐに私に伝えなさい。良いな?」

 

 御者がもう一度深く頭を下げるのを見ながらハイドニヒは馬車へと乗り込んだ。

 座りなれた座席にその身を沈める。

 頭の中には御者とその娘のことはすでに無い。

 ハイドニヒを乗せた馬車がゆっくりと動き出した。

 

(早急に儀式を執り行わなければならん。そのためには(にえ)が必要だ。平民などではない。高位の(にえ)が……)

 

◇◆◇



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第18話「疾風走破、見学する」

登場人物紹介

クレマンティーヌ:ズーラーノーン十二高弟のひとり。年寄りは嫌い。
カイ:自称鬼畜の助平おやぢ。老若男女を問わない。
ハイドニヒ:バハルス帝国侯爵にして邪教の神官。無垢なる者が好み。



◇◆◇

 

 アーウィンタールの北地区――。

 神殿から外套(マント)を被った人の影がふらりと出てきた。

 階段を降りるその影は足取り滑らかに、多くの参拝者が行き交う中を軽やかにすり抜けていく。

 驚くべき達人の技であるが参拝者の誰一人としてその動きに注目する者はいない。

 その達人――クレマンティーヌは認識阻害の外套(ステルス・マント)のフードの奥で欠伸をかみ殺した。

 

(ここにもあの餓鬼が居た気配は無し、と……)

 

 北地区神殿の養護施設でも黒髪の少女は見つからなかった。

 この地区にある孤児院の場所を神殿内で確認して出てきたところだ。

 

 少女を捜し始めて10日ほど経つ。

 所詮は暇つぶしであり、クレマンティーヌとしても死に物狂いで捜している訳ではない。

 養護施設も孤児院も1日に一箇所、場所が近いときや気が向いたときだけ複数箇所を見て回る程度だ。

 そして黒髪の少女についてはその痕跡さえも捉えていない。

 

 日はまだ昇りきっておらず市場が賑わうまではしばらく時間がかかるだろう。

 

「……つまんね」

 

 暇つぶしとは言え成果のない行動を続けるには強い動機と執念が必要だ。

 そしてその両方をクレマンティーヌは持ち合わせていなかった。

 

 北地区の孤児院が神殿から離れた場所にあれば、まだ良かった。

 人捜しを後日に延期できるからだ。

 だが孤児院は神殿からは目と鼻の先であり、もう一度ここまで来るのも面倒臭い。

 クレマンティーヌは深くため息をついた。

 

「――うんじゃま、せっかくだから行って調べてきてあげましょっかねー」

 

 誰に聞かせるでもなく恩着せがましく呟くと彼女は孤児院へと足を向けた。

 

◇◆◇

 

 警邏中の帝国騎士や足早に市場へと向かう商人たちの間をクレマンティーヌは縫うように進む。

 認識阻害の外套(ステルス・マント)は充分に機能しており、眼前を横切る彼女に気を留める歩行者は居ない。

 生まれながらの異能(タレント)や魔法による探知に警戒しながら、クレマンティーヌは例の遺跡とモモンについて考えていた。

 

 まず、カイの話によるとモモンと連れの魔法詠唱者(マジック・キャスター)は遺跡には入らず、野営地の護衛として待機していた。

 バハルス帝国所属と思われる魔法詠唱者(マジック・キャスター)の集団が調査隊を監視していたというカイの情報と合わせると、帝国の差し金であると判断して間違いないだろう。

 請負人(ワーカー)を選抜して集めていたことから察するに、最初から遺跡調査の難しさを理解していたと考えられる。

 その上で何かを調べる必要があったと

 そして、遺跡に入った請負人(ワーカー)たちは誰一人帰還しなかった。

 

(遺跡調査は失敗? ……いや。請負人(ワーカー)全滅という結果が答えか?)

 

 皇帝ジルクニフがこの結果をどう判断するかにクレマンティーヌの興味はない。

 請負人(ワーカー)を全滅させた遺跡に何が潜んでいるのかも知る必要はない。

 彼女の関心は遺跡調査の終了後に引き上げた漆黒のモモンの行き先だけだ。

 

 遺跡調査は請負人(ワーカー)の全滅を以って終了した。

 野営地に残されたモモンたちは数日の待機の後に遺跡から引き上げたという。

 カイに調べさせたところ、モモンは本拠地であるエ・ランテルに戻ったらしい。

 その情報自体に間違いはないだろう。

 だが、遺跡とズーラーノーンの隠れ家を瞬時に行き来したカイと同様、モモンが――あのアンデッドが転移魔法を使って、今この瞬間にクレマンティーヌの眼前に現れないとも限らない。

 

(くそ……。居場所が分かっても安心できねーのかよ)

 

 その上、彼女が帝都で得た情報の中に気になるものがあった。

 皇帝ジルクニフの住まう皇城に(ドラゴン)が現れたという噂話だ。

 

 最初にその話を聞いたのが中央市場だったため信憑性の低いデマの類だと思っていた。

 だが大衆酒場(パブ)でも同じ話を耳にして、(ドラゴン)にまつわる何らかの事件が皇城で起こったことを確信する。

 皇室空護兵団(ロイヤル・エア・ガード)(ドラゴン)の攻撃で全滅したとか、フールーダ・パラダインが(ドラゴン)を魔法で撃退したとか、鮮血帝が弁舌巧みに(ドラゴン)を説得し支配したとか、様々な噂が流れている。

 (ドラゴン)が飛来したのであれば皇室空護兵団(ロイヤル・エア・ガード)が全滅しても無理はない。

 帝都に大きな被害が出ていないところを見ると、(ドラゴン)は暴れることなく引き上げたのだろう。

 そこにはフールーダの力が強く働いたのかも知れない。

 だが――。

 クレマンティーヌは心中で苦笑する。

 

(流石に皇帝が“説得”はねーか。御伽噺(おとぎばなし)じゃあるまいし……)

 

 人間の賢者が(ドラゴン)との知恵比べに勝利して追い払ったり、味方につけたりする伝説は枚挙に暇がない。

 そんなものは所詮寓話であり、学問嫌いの子供を釣るための甘い菓子だとクレマンティーヌは思っている。

 (ドラゴン)のような圧倒的強者が人間ごときの口車に乗せられて、自らの利益を諦めることはないだろう。

 それに近い出来事があったとすれば、せいぜい宝を与えて見逃してもらったか、あるいは別の犠牲者を差し出したかだ。

 

 そう確信するクレマンティーヌだが(ドラゴン)と遭遇した経験はない。

 あくまでも知識としてその脅威を知っているだけである。

 大陸最強の種族と目されており、古竜に分類される老成した(ドラゴン)であれば、百を越える難度の個体が当たり前だという。

 スレイン法国であっても討伐可能な部隊は漆黒聖典ぐらいであり、個人で勝負になるのは隊長ともうひとりぐらいだ。

 そして()()クレマンティーヌは自分が(ドラゴン)のような強大な存在に勝てないと断言できる。

 

 自身の攻撃がまるで通用しない助平親父。

 その助平親父に連れられて入ったダンジョンで戦った怪物(モンスター)

 そしてエ・ランテルの墓地で対峙した不死者(アンデッド)魔法詠唱者(マジック・キャスター)

 

 これらの存在によって彼女は“身の丈”というものを改めて叩き込まれてしまった。

 

不死者(アンデッド)魔法詠唱者(マジック・キャスター)に抱き殺され、助平親父に蘇らせられて、逃げた先に(ドラゴン)が現れる……。私の人生はどこに向かってんのかね)

 

 諦観にも似た泣き言を思いながら、それでもクレマンティーヌは生き延びるための手段を模索する。

 

帝都(ここ)も安全じゃない……か。上手いことあの助平親父(カイ)を騙して、聖王国か南の方にでも行けりゃいーんだけどね)

 

 騙す対象(ターゲット)であるカイはと言えば、出稼ぎのために帝都アーウィンタールを離れカッツェ平野に行っていた。

 バハルス帝国が常時募っている依頼で、大要塞近辺のアンデッド討伐がその目的だ。

 転移魔法が使えるカイであれば日帰りで依頼を片付けることも出来るはずだが、目立つことを避けるために大要塞に数日泊り込むらしい。

 遺跡調査の()()()を掠め取るつもりが、調査そのものが失敗に終わったための代替措置だという。

 

 馬鹿正直に働いて日銭を得ようとするカイに呆れつつも、クレマンティーヌは少しだけ延びた自由時間を有益に活用することにした。

 

◇◆◇

 

 北地区の孤児院は他の地区の孤児院よりも広く大きかった。

 その理由が立地によるものか、寄付の多さに起因するものかは分からない。

 入口近くに設置された馬車小屋は大きく、今も一台の馬車が停まっているのが見える。

 周囲に自分の動きを見ている人間が居ないことを確認してからクレマンティーヌは建物の中に入った。

 

 建物に入ってすぐに受付窓がついた職員の部屋があり、通路の先にはいくつかの扉が並んでいる。

 漏れてくる子供達の声を耳にしながら、倉庫と思しき部屋でクレマンティーヌは資料を調べ始めた。

 

 北地区の孤児院も今まで訪れた養護施設や孤児院と同様に孤児たちに関する情報がまとめられている。

 名前は勿論のこと、髪や瞳の色などの外見、肉親や出身地の名前、引き取り先などが克明に記してあった。

 だがカイが捜す少女を思わせるような記録はひとつとして見つからない。

 クレマンティーヌはそれなりの時間で調査を切り上げて書庫を出る。

 

 悪いタイミングで通路の奥から大勢の子供たちが、身なりの良い男に連れられ出てきた

 素早くクレマンティーヌは壁を背にすると、子供たちの様子を伺いながらやり過ごす。

 壁に張り付いた外套(マント)姿の彼女に注意を払う者はいない。

 生まれながらの異能(タレント)持ちの不在にクレマンティーヌは安心した。

 

 大人に連れられて子供たちは広間に入っていく。

 どうやら食事の時間のようだ。

 広間を覗き込むと子供達の嬌声が飛び交う中、雇われ人と思しき年増女と身なりの良い貴族の男が、笑顔で食事の配膳をしている。

 その男は数日前、クレマンティーヌが中央神殿で見かけたズーラーノーンの配下にいる人物だ。

 

(あいつ……ここにも顔を出してんのか?)

 

 施しは貴族の嗜みのひとつであるが、その支援が無制限に行えるというものではない。

 人と金を動かす以上、派閥や懇意にしている地域など目に見えないしがらみが多い。

 加えて支援の額や規模は支援する側される側、双方にとって鞘当ての道具にもなる。

 ひとりの貴族が派閥や縄張りを超えて自由に支援できているとすれば、帝国貴族全体がそれだけ弱体化していると言えなくもない。

 では、多方面に援助を行える者は何故それだけの力を持ち得ているのかという疑問が生まれる。

 そして死と混乱をもたらす秘密結社(ズーラーノーン)と関わりがある以上、公にできない暗部を隠し持っている筈だ。

 男の挙動を改めて観察すると、奉仕者の笑顔の合間に時折険しい表情が浮かぶのがクレマンティーヌには見て取れた。

 

(単なる小児性愛者(ペドフィリア)か? それとも誰かを捜してる?)

 

 金と権力を持つ貴族が特殊性癖に走るのはよくあることだ。

 その是非を問うつもりはクレマンティーヌには毛頭ない。

 気になることはただひとつ。

 この男が自分にとって利益となるか邪魔となるか、それだけだ。

 

(そーいや、まだあのインチキ儀式やってんのかね。あんなお遊びで何人殺そうが邪神なんか来やしねーのに。ん……待てよ?)

 

 クレマンティーヌの中にふと疑問が生じる。

 儀式で犠牲になった生贄の中にカイの捜している黒髪の少女はいなかったのか。

 あるいはこれから犠牲になるであろう生贄の中にはいないのか、と。

 

 その答えを持っているのは、今、孤児たちと一緒に笑っている貴族の男だ。

 だが、それを確認する時が今ではないことはクレマンティーヌにも分かる。

 

 柔らかいパンをむさぼり肉の入ったシチューをかきこむように食べる孤児たちを眺めながら、クレマンティーヌは貴族の奉仕(ノブレス・オブリージュ)が終わるのを待つことにした。

 

◇◆◇

 

 孤児院での施しを終え、帝国侯爵のハイドニヒは馬車の中でひとつ安堵の息をつく。

 その理由は慈善行為が終わったことによるものではない。

 皇帝ジルクニフが帝都アーウィンタールに帝国貴族を招集したからだ。

 

 この召集の目的が戦費の調達にあるということは顔見知りの官吏から聞いている。

 ここ数年、リ・エスティーゼ王国に戦争を仕掛ける前に毎年行われるものだ。

 たとえ金が奪われる触れであっても、例年通りの動きはハイドニヒを含めた帝国貴族たちを安心させる。

 それほどまでに絶対君主である鮮血帝への恐怖が植えつけられているのだ。

 

 そしてハイドニヒには安心するもうひとつの理由がある。

 信奉する邪教の儀式の目処が立ったからだ。

 ハイドニヒを中心とした邪教の信者はその殆どが貴族である。

 もし邪教崇拝が明るみに出れば処分や粛清されるため、その信奉は秘密裏に行われている。

 だが邪教崇拝が発覚せずとも、帝国貴族が理由なく集まれば皇帝に目を付けられることになる。

 すぐにでも儀式を行って邪神と盟主への崇拝を捧げたいハイドニヒたちにとって、今回の皇帝による召集は渡りに船であった。

 

 その一方で問題も生じる。

 召集に合わせて儀式の予定を立てたため、急いで生贄を調達しなければならなくなった。

 施しの名目で施設や孤児院を見て回っているハイドニヒであれば、ただ無垢な者ということであればすぐに用意できる。

 だが今回の儀式でハイドニヒが求める生贄は、無垢でかつ高貴な幼子だ。

 馬車の振動を感じながら彼は考え、そして連絡窓から御者に声をかけた。

 

「ザムラの店に寄ってくれ」

 

◇◆◇

 

 アーウィンタールの屋敷へと戻ったハイドニヒは執務室の椅子に腰を降ろした。

 大振りな椅子が疲れた身体に魔法のような安心感を与えてくれる。

 ハイドニヒを安心させた理由は椅子の座り心地だけではない。

 儀式に用いる生贄が手配できたからだ。

 

 ザムラにはハイドニヒが傘下の両替商をひとつ任せている。

 その店は()()高めの金利を設定しているが、その代わりほぼ無条件で貸付を行っている。

 利用者の殆どが信用や財産に乏しく帝国銀行や表の両替商から金を借りることのできない者だ。

 そんな利用者の性質上、ときに荒事になることもあったりする。

 

 ザムラの店の利用者に元貴族の夫婦が居た。

 幾度となく金を借りてくれた良客だったが次第に返済が滞るようになり、ついに返済が不可能になってしまったらしい。

 返済ができなくなった理由についてはハイドニヒの知るところではない。

 ただ、その夫婦に幼い双子の娘が居ることをハイドニヒは知っていた。

 普段であれば資産を差し押さえて債権を回収する代わりに娘たちを手に入れたのだ。

 

 ザムラの店で直接娘を買った訳ではない。

 孤児院で行われる養子縁組の手続きを用い、とある貴族が娘たちを引き取り、その際に謝礼金を与えた。

 勿論、そんな貴族は存在せず、ハイドニヒの名も夫婦には知られていない。

 

 夫婦は謝礼金の一部をザムラの店への返済に充てた。

 そして残った金でまた散財するだろう。

 それはハイドニヒにとっては、どうでもいいことだ。

 何より元貴族で無垢な命が手に入ったことが大きかった。

 双子という希少性を考えれば、邪神へと捧げる生贄としての価値は高い。

 これで儀式に必要な条件は揃った。

 皇帝の招集に応じ帝都を訪れている信者全員に連絡は済んでいる。

 後は儀式の日が来るのを待つだけだ。

 

「これで準備は整った、か……」

 

 盟主かその使者が姿を現せば、儀式はより素晴らしいものになるだろう。

 だが贅沢は言ってられない。

 儀式を重ねて邪神への揺るがぬ忠誠と崇拝を見せることで、盟主や使者が授かった奇跡を我らも得ることが出来るのだ。

 

 決意に口元を引き締めたハイドニヒの目の前に、いつの間にか金髪の女が立っていた。

 

「お、おまっ……貴女(あなた)様は!?」

 

 見覚えのあるその顔にハイドニヒはすぐに言葉を改めた。

 

 どこから来たのか、どうやってこの屋敷に入ったかは問題ではない。

 盟主と使者の持つ力はそういうものだ。

 かつてハイドニヒの仕事を手助けした使者は外套(マント)に身を包み、その金髪から獣の耳を生やしていた。

 獣の耳は獣人(ビーストマン)に変異したということではなく、ただの飾りのようだ。

 それでもこの女が持つ力と獣性をよく表しているようにハイドニヒには思えた。

 

「おひさー。どーやら私のこと、覚えててくれたみたいだねー」

 

 女は童女のような顔に屈託のない笑みを浮かべ軽い口調で挨拶した。

 ハイドニヒは慌てて心地よい椅子から離れると女の前に跪く。

 

「ご来訪、心より歓迎いたします。盟主様と貴女(あなた)様のお力で我ら豊かに暮らしております」

「……あー。そんなに(かしこ)まらなくてもいーって」

 

 ひらひらと手を振る女にハイドニヒはもう一度、深く頭を下げた。

 

 盟主や使者の持つ力は(ドラゴン)のように強大である。

 先日、突如として皇城に現れた(ドラゴン)が多数の帝国騎士を葬り去ったと聞いた。

 皇帝ジルクニフはその(ドラゴン)と取引をして、それ以上の被害が出ることをなんとか回避したらしい。

 帝国貴族を震え上がらせる鮮血帝でさえ(ドラゴン)の前では商人のように交渉を行うのだ。

 ただ裕福なだけの帝国貴族の自分が、使者と対等に言葉を交わせる筈もない。

 事実、この金髪の使者は屋敷に居る他の誰にも気づかれずハイドニヒの執務室に姿を見せた。

 これはいつでもハイドニヒを殺せるという警告であり、偶々(たまたま)今回は姿を見せる必要があっただけのことだ。

 

「それで……どのような御用向きでありましょうか?」

 

 その問いに金髪の使者は値踏みするようにハイドニヒの顔を見つめ、それから執務室をぐるりと見回す。

 ハイドニヒは帝国屈指の資産家であるが、屋敷の規模はそれほど大きくない。

 執務室もごく普通の広さで、華美ではないが侮られない程度に質の良い調度を使っていた。

 

「そろそろさー。あの儀式……やるんだよね?」

 

 使者の言葉にハイドニヒは驚いた。

 だが彼女たちに隠し事などできないという現実を思い出す。

 

「はい。邪神様と盟主様への我ら信者の忠誠をお見せいたします」

 

 金髪の使者は満足そうな笑顔で頷いた。

 そんな使者の様子に、儀式によって我らの思いを示さねばならない、とハイドニヒは改めて誓う。

 

「うんじゃま、その儀式を見学させて欲しいんだけど……。いーよね?」

「勿論でございます。是非ともご観覧ください」

 

 使者はハイドニヒの返答に軽く手を振って了解の意思を見せた。

 それから彼女は何事かを考える素振りをする。

 

「それともーひとつ、聞きたいことがあんだけど」

「なんでしょうか?」

 

 使者の笑顔が邪教を崇めるに相応しいものに変わる。

 

「今まで儀式に使った生贄のこと、詳しく教えてくんない?」

 

◇◆◇

 

 帝都アーウィンタール北地区の墓地は、皇帝の住まう皇城から最も遠い場所にある共同墓地だ。

 そこにはハイドニヒ領出身者を弔うための霊廟があり、その地下にハイドニヒが作らせた儀式を行うための隠し部屋――邪神殿がある。

 そして今、この邪神殿は異様な熱気に包まれていた。

 

 壁面には邪神を模した意匠のタペストリーを飾り付け、神殿内部は永続灯(コンティニュアル・ライト)ではない赤い蝋燭を灯す。

 僅かに漂う錆のごとき血の臭いがハイドニヒの恐怖を、そして歓喜を煽ってくる。

 

 神殿に集まった信者はローブを身に纏い髑髏(どくろ)を模した覆面を被っていた。

 その二十人ほどの男女のいずれもが、ここバハルス帝国で一角の地位を持つ貴族である。

 だが今の彼らの口から言葉が発せられることはない。

 その息遣いは熱く、これから行われることへの情熱と期待が含まれていた。

 

 興奮は当然だ。

 久方ぶりの儀式なのだから。

 だが、それだけではない。

 

(使者がご覧になられる……)

 

 祭壇の前に立つ神官役のハイドニヒは僅かばかり視線を傾けて入口近くを見やる。

 そこには金髪獣耳の女と薄暗い色の上下を着た男が並んで立ち、こちらの様子を興味深げに眺めている。

 

 クレマンと名乗った金髪の女は素顔を晒しているが、男の方は泣き顔にも笑い顔にも見える奇妙な仮面を付けている。

 魔法的な素養がないハイドニヒには、あの男から強大な力というものは感じられなかった。

 だが、クレマンが仮面の男に気を使っている雰囲気は見て取れる。

 仮面の男は盟主様により近い地位の人物なのだろうとハイドニヒは結論付けた。

 

 信者の前で挨拶を行い、次に邪神への感謝と信奉をハイドニヒは唱える。

 何度も唱え既に(そら)んじている内容だが、使者の参観に緊張した彼は何度か言葉を間違えてしまった。

 それでも儀式の入祭をなんとか済ませ、ハイドニヒはひとつ息を吐く。

 

 信者の熱い視線がハイドニヒに集まり、神殿が期待に満ちてきた。

 その期待に応えるためハイドニヒはローブを脱ぐ。

 それを合図に全ての信者がいっせいにローブを脱いだ

 皆、頭部を包む髑髏の覆面以外、身に付けているものはない。

 いずれも盛りを過ぎた皺だらけの醜い老体である。

 だが邪神の力をほんの僅かでも授かりさえすれば、老いという時間の流れにも抗える筈だ。

 ハイドニヒは傍らに置いていた袋を取り出すと、その中身を床にばら撒いた。

 それらは四大神の神殿から拝受した聖章の数々であり、中には帝国皇帝ジルクニフの姿絵もある。

 

 ハイドニヒと信者たちは奇声を上げ、笑いながら、聖章や姿絵を踏みつけ罵った。

 唾を吐き、小便をかけ、四大神とバハルス帝国における権威の全てを徹底的に(おとし)めるのだ。

 

 信者の熱狂を蝋燭の炎が照らす中、神官のハイドニヒは参観しているクレマンと仮面の男の顔を盗み見る。

 四大神を嘲り、皇帝を蔑む。

 この命がけの背徳行為。

 これこそが闇の神――邪神を賞賛し崇めるものだとかつての使者にハイドニヒは教わった。

 

 しかし、二人の男女は信者たちの行為に感銘を受けているようには見えず、時折、余所見さえしている。

 ハイドニヒは自分たちの行為が足りないと考え、儀式を次の段階へと進めることにした。

 

「我ら邪神様の御子は歪んだ権威を、偽りの神性を、脆弱な加護を憎み、そして(おとし)めた。次なるは邪神様への感謝と崇拝を、この醜き肉体をもって証明するのだ」

 

 そう宣言したハイドニヒが手を挙げると、左右に居た信者が金の杯と瓶を差し出す。

 ハイドニヒは金の杯に満たされた水に、瓶に入ったライラの粉末を溶かした。

 杯の水が闇の色に染まったことを確認してから一杯あおり、それから杯を信徒に渡す。

 信者たちは皆、奪い合うようにライラの水を舐め、啜り、飲み干した。

 

 全員がライラの水を飲んだのであろう。

 興奮し幻覚に囚われた信者たちは、汚れた床も構わず肉体を絡ませ始めた。

 男と女、女と女、男と男。

 一人が二人を、二人が一人を弄び、老いさらばえた首を腕を乳房を陰部を濡らし愛撫する。

 

 神殿が興奮に満ちてゆく様をハイドニヒは満足そうに眺めた。

 信者たちと違いハイドニヒは行為に没頭する訳には行かない。

 ライラの水だって、口に含んだ振りをしただけだ。

 伯爵の老いた妻を抱きながら、ハイドニヒは二人の参観者を盗み見た。

 

 二人が儀式を見ながら何事かを話している。

 クレマンの表情からは感情は窺い知れず、仮面の男はそもそも表情が確認できない。

 それでも二人の仕草は儀式に満足していない様に見える。

 干からびた女の唇を吸いながら、ハイドニヒは次の手を打つことにした。

 

「偉大なる邪神様よ。いと尊き御身を我らはこの身に感じております」

 

 ハイドニヒは立ち上がると両腕を高く掲げる。

 

(にえ)を! 御身に無垢なる魂を!!」

 

 信者たちは即座に肉の交合を止め、ハイドニヒの言葉に従って皮袋を二つ持ち上げた。

 出入り口近くにあったそれを、全ての信徒がまさぐるように触りながら台座へと運ぶ。

 生贄に触れることで邪神への忠誠を捧げるためだ。

 

 二つの袋の中にはハイドニヒが調達した元貴族の双子の娘が入っている。

 強い薬で眠らせているだけで、()()死んではいない。

 台座に載せられた二つの皮袋が僅かに動き、中の娘たちに息があることが分かる。

 

 ひとつの袋を三人の信者――合わせて6人の男女が台座を囲む。

 その全員の手には銀に輝く鋭い刃物が握られていた。

 

「我らの手で高貴で無垢なる魂を邪神様を捧げます。若き肉を、血を、涙を、汗を、魂を、御身にお受け取りください」

 

 ハイドニヒの言葉に6人の信者が、次いで全ての信者が唱和する。

 6人は銀の短剣を振りかざすと二つの皮袋に突き立て――

 

「ちょおっと待ちなぁ」

 

 それは参観をしていた仮面の男だった。

 

 台座の傍らに立つ男の手には6本の短剣が握られている。

 信者の手からいつの間にか短剣が奪われていた。

 

 ハイドニヒは驚愕し、そして納得した。

 これもまた彼が邪神から得られた加護の力なのだ、と。

 だが、邪神への奉納を妨げる理由は何なのか。

 

「……お前ぇら。生贄を捧げるのがちぃっとばかし早かねえか?」

 

 神殿をゆっくりと見回すと仮面の男は蓮っ葉な口調で言った。

 全ての信者が非難するようにハイドニヒを見る。

 

 儀式の流れに間違いがあったのだろうか。

 ハイドニヒは狼狽し救いを求めるように仮面の男を、そして金髪の女クレマンを見る。

 だが仮面の男は表情が分からず、クレマンはニヤニヤと笑うだけで、その真意が掴めない。

 

「邪神様はよぉ。その程度の乱痴気騒ぎじゃ満足しねえって言ってんだよぉ」

 

 呆気(あっけ)に取られる信者たちの前で仮面の男は風変わりな服を脱ぎ捨てた。

 信者たちよりは若いものの、決して美しいとは思えない中年男の裸体が露わになる。

 

 男は金の杯に残っていたライラの水を口にした。

 立ちすくむハイドニヒの覆面をずらすと男は唇を押し付ける。

 ハイドニヒの口腔にライラの水と中年男の呼気が流し込まれ、思わず咳き込み口を拭った。

 

「……な、何を!?」

 

 儀式を進めるため飲む真似だけしていたライラの水を大量に飲んでしまったのだ。

 男は仮面の下に僅かに見える口元を邪悪に歪ませた。

 

「アンタだけノリが悪いみてえだったからなぁ。景気付けをしてやったんだよぉ」

 

 男の言葉と同時にハイドニヒの視界がぼやけてくる。

 ライラの水が身体中に染み渡っているのが分かった。

 

 ハイドニヒの心から皇帝への恐怖が消えた。

 邪神への信仰が、盟主への信奉が、使者への敬意がより強固になる。

 そして、眼前にいる仮面の男が()()()()()()()()()()()()

 

「俺ぁ、年齢や性別じゃあ差別しねえ鬼畜モンだからよぉ。まとめて面倒見てやるぜぇ」

 

 中年男の甘い言葉にハイドニヒは自身が屹立するのを感じた。

 

◇◆◇

 

「面白い物があるからって、のこのこ顔を出しゃ黒ミサのお達者倶楽部かよ。お前ぇら(ズーラーノーン)の趣味はどうなってんだ、あぁ?」

 

 隠し扉を開いてクレマンティーヌとカイは地上へと出た。

 夜気に包まれた共同墓地に、二人以外の人影はない。

 クレマンティーヌはその両腕に二つの皮袋を抱えている。

 

「んー? あんなもん意味なんて無いよ。てきとーに悪いことさせて弱みを握るのが目的だし」

「なんだぁ? ヤラれ損かよ。せめて若い雌の一人や十人でも居れば……って、なんでお前ぇは参加しなかったんだぁ?」

「いやー。薬でイカレた年寄りはあんまり趣味じゃないなーって」

 

 カイが儀式に乱入した時にクレマンティーヌは素早く神殿から退出してその終了を待った。

 老人との性行為などは彼女の楽しみにはない。

 

「けっ……。お前ぇがサボったおかげで、こっちは竿もケツもフル回転だぜぇ」

「だからこーやって荷物を持ってあげてるじゃん。……って、カイちゃん、後ろもヤラれちゃったの?」

 

 クレマンティーヌは今にも吹き出しそうな顔で渋面のカイを見る。

 

「ったく……。年寄りの性欲ほど厄介なもんはねえなぁ」

 

 カイは面倒臭そうに自分の尻をかいた。

 

「それよりさー。ホントにあいつら殺さなくて良かったの?」

 

 儀式に集まった者たちは、その従者と共に今は眠りについている。

 勿論、カイの魔法によるものだ。

 クレマンティーヌの速度と剣技をもってすれば、忘れ物を届ける程度の気安さで皆殺しに出来るだろう。

 

「あいつらは()()の下請けだろぉ? 店子が潰す訳にゃいかねえだろうが」

「気にしないと思うけどなー?」

 

 ズーラーノーンは元よりクレマンティーヌとしても皆殺しにしても問題はない。

 ただ手応えがなくて面白くないだけだ。

 

「俺は気を遣える鬼畜モンなんだよぉ。戻ったら口直しにお前ぇを犯しまくるからなぁ。覚悟しとけよ」

「あーはいはい。ところでさー。この餓鬼どうすんの?」

 

 クレマンティーヌは両脇に抱えた皮袋を揺すってみせる。

 生贄として殺されそうなところをカイに言われて持ってきた。

 袋の中身はどちらも金髪の少女だ。

 顔も着ている服もそっくりだったので、おそらくは双子だろう。

 魔法か薬で昏睡状態にあるが、カイの信仰系魔法なら容易く治療できる筈だ。

 

「持って帰って隠れ家を孤児院にでもするー?」

 

 考える素振りを見せるカイにクレマンティーヌは皮肉を言った。

 言われたから運んでいるだけで、知らない子供(がき)などそこいらに投げ捨てたところで気にしない。

 ただし隠れ家で面倒を見るなどは真っ平御免である。

 

「……()()()にでも預けるとするかぁ」

「あそこって?」

「あの雌の武器屋に決まってるだろぉ」

 

 思わずクレマンティーヌは顔を顰める。

 予想はしていたが出来れば行きたくない場所だ。

 武器屋の娘のはしゃいだ顔が目に浮かぶ。

 この時間ならば既に眠っているかも知れないが。

 

「あの雌には貸しがあるからなぁ。餓鬼の一人や二人、押し付けるくらいワケねえだろ」

 

 そう言って歩き出したカイをクレマンティーヌは浮かない表情で着いて行った。

 

◇◆◇

 

 ムーレアナの武器屋から隠れ家のある共同墓地は近い。

 クレマンティーヌとカイは人影の少ない夜の帝都を並んで歩いていた。

 クレマンティーヌの腕に皮袋はすでに無い。

 

「――ったく。人の顔見るだけでぴいぴい泣きやがって……。なんで俺様が小芝居やんなきゃいけねえんだ」

「良かったじゃん。餓鬼ども押し付けられたんだからさ。けけっ」

「今どき“泣いた赤鬼”なんて流行らねえんだよぉ」

 

 武器屋のムーレアナに生贄の子供たちを預けようとしたが、カイの魔法で回復した子供たち――女の双子だった――が自分の家に帰ると泣き出したのだ。

 実の両親に売り飛ばされ、殺されかけたことを理解していない双子を黙らせるためにカイが人攫いを演じ、クレマンティーヌ扮する()()()()()()はそのカイを追い払って見せた。

 双子――クーデリカとウレイリカという名前らしい――は、クレマンティーヌの言う通りに武器屋に身を寄せ、仕事に出ている姉の帰りを待つことで落ち着いた。

 武器屋の女主人には金だかマジック・アイテムだかをカイが密かに渡していたが、それはどうでも良いことだ。

 

「……そういや、あの餓鬼どもには姉貴がいるんだってなぁ?」

「そんなこと言ってたねー。名前はなんて言ったっけ。確か……シェ……アルシェ……だったかな? それがどーかした?」

「こんだけ手間を取らされたからなぁ。借りをそのアルシェちゃんに身体で返してもらうんだよぉ、くっくっく」

 

 クレマンティーヌはそんなカイの目ざとさに感心し、そして能天気さに呆れる。

 家を出た人間の殆どが故郷に戻ることはないことをクレマンティーヌは知っていた。

 それは命を失って戻れなくなるからであり、あるいは環境や肉親と決別していて戻る気がないからだ。

 スレイン法国に残してきたものがちらりとクレマンティーヌの頭をよぎる。

 

「それまではお前ぇの穴という穴を犯しまくるからなぁ。覚悟しとくんだなぁ」

「……あーはいはい」

 

 僅かに漂っていた感傷的な気分をカイにぶち壊され、クレマンティーヌはおざなりな返事をする。

 どうせカイの言う鬼畜行為など、快楽を受け入れさえすればままごとのようなものだ。

 

 二人は無言で夜の帝都をしばらく歩いた。

 隠れ家のある共同墓地が見えてきたところでクレマンティーヌはカイに聞く。

 

「――で? どうよ?」

「……あぁ? なにがだ?」

「あいつら、餓鬼を生贄に使ってたんだよ?」

「そりゃ、むさくるしいおっさんよりは餓鬼の方が生贄っぽいだろうよ。まあ俺様だったら雄か雌かも分からねえような餓鬼じゃなくて、出るとこ出てる生娘を使って――」

「だーかーらー。それってマズいんじゃないの? 捜してる子、いるんでしょ? えーっとカ、カル……なんだっけ?」

 

 暢気(のんき)だったカイの雰囲気が急に殺意を帯びる。

 

「……カルボマーラ様だ。次、間違えたら殺すからなぁ」

 

 叩きつけられるような殺気にクレマンティーヌは口を閉じる。

 だが、そんな彼女の言葉の意味にカイも気づいたらしい。

 

「……ひょっとしてカルボマーラ様が生贄にされる、て言いたいのか?」

「あ……うん……」

 

 クレマンティーヌは素直に頷く。

 アンデッド討伐の仕事を終えたカイを宗教団体(サークル)の儀式に連れて来た理由だ。

 

 神官役の貴族は、今までに黒髪の少女を生贄にしたことはなかったと言っていた。

 あの男の偽教団に対する信奉に偽りは感じられないし嘘を言う理由もない。

 現時点ではカイが捜す少女は犠牲になっていないが、将来的な可能性を示唆したつもりだった。

 

 カイが呆れたような、それでいて哀しそうな表情を浮かべる。

 その淀んだ瞳はクレマンティーヌを見ていない。

 

「……あの御方がそこいらの有象無象に捕まるかよ」

「――え?」

「カルボマーラ様は俺の10倍強えからな」

「カイちゃんよりも……強い?」

 

 新たな事実を聞かされ、クレマンティーヌは混乱する。

 自分が倒すどころか傷つけることもできない男より、あの黒髪の少女は強いという。

 これが冗談でなければスレイン法国と同じ神人や先祖返りがカイの国にも居るのだろうか。

 それだけの強者が居るならば、クレマンティーヌの逃亡先として最も適した場所かも知れない。

 

 ふとカイが立ち止まる。

 

「――おやぁ? お客さんが来てるようだぜぇ」

 

 そう言うカイの視線を追うと隠れ家の入口付近に二つの人影を見つけた。

 あのフードを被った人影はクレマンティーヌも覚えている。

 ここ帝都(アーウィンタール)に来た日以来のカジット・バダンテールと、その従者だ。

 

「……ふん。客ってぇ言うよりは()()ってとこだな」

 

 最初に出遭ったときよりは慣れた口調でカイが言う。

 クレマンティーヌもまた自分に近い者の出現に安堵した。

 

「おんやー? カジっちゃん、こんばんはー。……いや、もう、おはよーかな?」

 

 クレマンティーヌの挨拶に眉根を寄せたカジットは少し存在感が()()

 以前よりは幾分だか力を取り戻したように見える。

 

「ようやく戻ったか、クレマンティーヌよ。そしてカイ」

「家賃の支払いだったら明日にしてくれねえか。組合から金が出るのが明日だからよぉ」

 

 カイの戯言に鼻白む様子もなく、ただカジットは皮肉めいた笑みをその邪悪な顔に浮かべた。

 

「そちらさんの下請け会社には手ぇ出してないぜぇ。まぁ生贄の方は将来の肉壺候補としてかっぱらったがな、くっくっく」

「あいつらの儀式に何か問題でもあった?」

 

クレマンティーヌが聞いた。

 

「……何だ? それは?」

 

 何も知らない素振りのカジットに、先ほどまで行われていた偽儀式の顛末をクレマンティーヌは説明する。

 カジットは呆れた表情を浮かべ、ため息をついた。

 

此度(こたび)の訪問はお主達に用があってのことだ。そんな下らぬ儀式のことなど(あずか)り知らぬ」

 

 あの儀式とカジットたちの来訪が無関係だと知り、クレマンティーヌは少し安心した。

 今の彼女にとっては組織(ズーラーノーン)は敵に回せる相手ではない。

 カジットは従者を横目で見ながら口元を歪めた。

 

「だがこの隠れ家の家賃は……安いものではないからな。いずれ何らかの形で払って貰うことにしよう」

「こちとらしがない日雇い人夫だからよぉ。無理のない返済プランをお願いするぜぇ」

 

 カイの冗談に応じたカジットにクレマンティーヌは余裕のようなものを感じた。

 取り戻した力が余裕の源なのだろうか。

 

「んで? 私達に何の用事があんの?」

 

 クレマンティーヌはカジットに尋ねた。

 先ほどまでとは打って変わってカジットの表情が厳しいものに変わる。

 

「帝国が……バハルス帝国がリ・エスティーゼ王国に宣戦を布告したのだ」

 

 カジットが何度も従者に視線を送りながら言った話は、クレマンティーヌにとって別に驚くほどの事ではない。

 

「……あらー? 遅かったねー。それっていつもの戦争(やつ)でしょ? てきとーに小競り合いだけして有耶無耶のうちに終わっちゃう」

「違う!」

 

 クレマンティーヌの軽い言葉をカジットが強い口調で否定する。

 思わずクレマンティーヌは鼻白んだ。

 

「帝国の宣言文にはかつてエ・ランテル近郊を治めていたという大魔法詠唱者(マジック・キャスター)の名が記されておった」

「大……魔法詠唱者(マジック・キャスター)?」

「そうだ。その名をアインズ・ウール・ゴウン魔導王という」

 

 初めて聞く名前にクレマンティーヌは戸惑い、傍らのカイを見る。

 カイの表情は険しかった。

 

「……アインズ・ウール・ゴウンだと?」

 

◇◆◇



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第19話「疾風走破、説得する」

登場人物紹介

クレマンティーヌ:ズーラーノーン十二高弟のひとり。衛生管理は隠れ家の外で。
カイ:自称鬼畜の助平おやぢ。ブルーシートがやけに落ち着く。

カジット・バダンテール:ズーラーノーン十二高弟のひとり。隠れ家の住み心地に疑問あり。



◇◆◇

 

 カジットと従者はクレマンティーヌとカイの後に続いてズーラーノーンの隠れ家に入った。

 

「大したおもてなしはできないよー」

 

 クレマンティーヌはいつものように軽い調子だがその視線に油断はない。

 カイは無言で目を伏せている。

 

 隠れ家は依然殺風景で、前回カジットたちが訪れたときとそう変わりはなかった。

 いくつか見慣れない棚がカジットの目に留まる。

 おそらくは食料庫なのだろうと見当をつける。

 他の変化といえば二つあった筈の寝台がひとつしかないが、特に問題だというものでもない。

 

 クレマンティーヌが棚の開き戸を開け水差しを取り出す。

 直接水差しから水を飲むと、カジットたちに笑顔を見せた。

 

「水だったらあるけど……飲む?」

 

 その視線に油断はなくカジットと従者の挙動を注意深く観察している。

 カジットが小さく手を振り不要の意を示すと、クレマンティーヌは残念そうな顔をして水差しを棚に片付けた。

 

「きれーな水がいつでも飲めるっていーよねー」

 

 落ち着いた様子のクレマンティーヌだが、壁を背にして立っておりカジットたちへの警戒感を隠さない。

 そして彼女が警戒する意味をカジットは理解している。

 

 ズーラーノーンにおける今のクレマンティーヌの立場は不確かなものだ。

 冒険者のモモンに殺されたと聞いたがいつの間にか蘇っており、彼女を蘇らせたという怪しげな男と共に、短い期間で国を跨いで大移動している。

 その足取りは組織(ズーラーノーン)で把握しているものの、クレマンティーヌの目的は不明であり行動は不可解だ。

 

(エ・ランテルではスレイン法国からすぐにでも逃げたい口振りだったが……?)

 

 聞けば帝国貴族に作らせた下部組織と連絡を取り儀式を観覧したという。

 加えて帝都(アーウィンタール)に長く滞在している事実が、カジットの胸に大きな疑念を生んでいた。

 

「長く隠れ家(ここ)を使っているようだな、クレマンティーヌよ?」

「んー? そんなに長居してたっけ?」

 

 クレマンティーヌは指を曲げて数を数える振りをする。

 

「言われてみりゃ、けっこー住んでたわ。住み心地が良いからかなー。さっすがズーラーノーン」

 

 (とぼ)けるクレマンティーヌを睨みつつ、彼女が精神魔法で操られている可能性をカジットは考える。

 

 元漆黒聖典でもあるクレマンティーヌの身体能力は高い。

 彼女が十全の状態にあれば、スレイン法国を除く周辺国家への工作活動は容易く行える筈だ。

 政事(まつりごと)に関わる者にとってクレマンティーヌは実に有効な駒となる。

 漆黒聖典の第九席次だったときと同じように。

 

 問題はこの英雄級の力を持つ性格破綻者を使役するには、その人格の根本を捻じ曲げる必要があるということだ。

 忠誠や使命といったものはクレマンティーヌから最も遠い事象だ。

 金や権力といった実利も、快楽殺人者であるこの女の行動を縛ることは出来ない。

 最も現実的な手段は精神魔法で支配することだが、そのためには相応の能力を有する術者が必要になる。

 

 バハルス帝国には逸脱者であり三重魔法詠唱者(トライアッド)のフールーダ・パラダインが居る。

 帝国魔法省の頂点(トップ)であるパラダインにはクレマンティーヌを使役する動機があり、おそらくはそれだけの能力も持ち合わせているだろう。

 そんなパラダインが皇帝ジルクニフからの命を受け、この女を支配して使役していると考えれば納得が行く。

 長く帝都(ここ)に滞在している理由も、精神魔法を行使するための制約がある為かも知れない。

 

 そこまで考えてカジットはもうひとつの不明要素であるカイを見る。

 カイは暗い部屋の隅で、革でも紙でもない滑らかな青い布に腰を降ろして考え事をしている。

 その様子は都市の裏道に住み着く浮浪者のそれだ。

 たとえば、この中年男が実はパラダインの弟子か何かであり、クレマンティーヌの目付け役として行動を共にしているのだろうか。

 先に見せられた剣を掴んでみせる技(デモンストレーション)も、最初から申し合わせていたとあれば不可能ではない。

 

 帝国の信仰系魔法詠唱者(マジック・キャスター)に、蘇生魔法が使える者が居たとはカジットは聞いていない。

 それでも帝国――皇帝ジルクニフが国家の切り札として秘匿していた可能性はある。

 そんなカイはクレマンティーヌと違ってカジットたちに対する警戒感を見せていない。

 ただ自分の思考に没頭しているだけのように見える。

 

我ら(ズーラーノーン)を敵視していない……? 味方に引き入れようとでも画策しているのか?)

 

 カイの背後に居て何かを企てている者が皇帝なのか、あるいは別の存在なのかは分からない。

 それでもズーラーノーン(こちら)から情報を流すことでズーラーノーン(こちら)の立場と()の存在を匂わせる事は重要だ。

 その後のクレマンティーヌとカイの動きを見れば、背後に隠れている者の姿が推測できる。

 それがズーラーノーンと盟主の方針だった。

 

「――んでー。帝国は今年、どんな言いがかりをつけて王国に喧嘩を売ったのかなー?」

 

 軽い調子でクレマンティーヌが聞いてきた。

 その様子からは精神支配を受けているとは思えない。

 カジットは王国に届いた帝国の宣言の内容を簡潔に伝える。

 

 帝国がアインズ・ウール・ゴウン魔導王率いるナザリックを国と認め同盟を結んだこと。

 エ・ランテル近郊は元来アインズ・ウール・ゴウン魔導王の地であり、その返還を要求すること。

 かの地を本来の所有者の元に取り戻すため、帝国は義に従い王国に侵攻すること。

 

 これはズーラーノーンが王国貴族から得た情報である。

 無論、カジットは情報源(ソース)を明かすつもりはなかったが、クレマンティーヌやカイから聞かれることはなかった。

 

「ナザリックねぇ……」

 

 クレマンティーヌが忌々しげに呟く。

 

「どうした? クレマンティーヌ」

 

 カジットが反応したが、彼女は小さく(かぶり)を横に振る。

 

「……うんにゃ。でー。そのアイ……アインズーゴー? ってのは何者?」

「アインズ・ウール・ゴウンだ」

 

 うろ覚えをカイが強い調子で訂正した。

 憮然とした表情でクレマンティーヌがカイを見るが、中年男はそれ以上何も言わない。

 僅かの沈黙の後にカジットが説明を始める。

 

「この法国風の名を持つ魔法詠唱者(マジック・キャスター)が初めて世に出たのは数ヶ月前だ。リ・エスティーゼ王国戦士長が領内巡回から帰還した際の報告に記されていた」

「……王国戦士長って、ガゼフ・ストロノーフ?」

 

 クレマンティーヌの紫の瞳が目敏く光るがカジットは無視した。

 周辺国最強と噂される戦士の名が気になったのだろうが、元漆黒聖典の暴力欲求に付き合う気はない。

 

「……報告によれば、エ・ランテル近郊の農村で、法国の特殊部隊と思しき集団の襲撃を受けた際、慈悲深い魔法詠唱者(マジック・キャスター)に命を救われたそうだな」

「それがアインズ・ウール・ゴウン?」

 

 カジットは頷いた。

 

「法国の特殊部隊って、何色(どこ)よ?」

「戦士長の私見で六色聖典と語られただけだ。部隊名についての情報は得られておらん」

「ふーん。暗殺だったら火滅だろうけど場所が屋外っぽいから陽光かなー」

「……それが元漆黒聖典の読みか?」

「さーねー」

 

 (とぼ)けるクレマンティーヌを見てカジットは満足する。

 カジットもクレマンティーヌと同じスレイン法国出身であるが、特殊部隊に関する知識は元漆黒聖典ほどは持ち合わせていない。

 たとえ雑談程度でも得られる情報は重要だ。

 

「その魔法詠唱者(マジック・キャスター)さんはどうしたの? 特殊部隊を皆殺しにしちゃった?」

 

 クレマンティーヌは涼しい顔で物騒なことを口にする。

 

魔法詠唱者(マジック・キャスター)は戦士長に逃げられたと語ったそうだ」

「……逃げられた、ね」

 

 そのクレマンティーヌが明らかに納得していない様子で呟く。

 言葉こそ返さなかったがカジットは彼女の読みに感心した。

 報告には戦士長の私見として、実は法国の特殊部隊を殲滅させたのではないか、と書かれていたからだ。

 

 アインズ・ウール・ゴウンという名は記憶には勿論のこと、カジットがこれまで読み調べてきた文献にもなかった。

 その名をカジットが初めて耳にしたのは、あのエ・ランテルの墓地だ。

 

 カジットを死に至らしめた第七位階の魔法を使うメイドが従い忠義を尽くす存在と言わしめた名前。

 

 前に隠れ家(ここ)を訪れたときに、その名をクレマンティーヌとカイに伝えることはしなかった。

 必要以上の情報を渡すことを避けたのだ。

 だが今回は違う。

 

「アインズ・ウール・ゴウンの名が(おおやけ)になったのは、今のところ帝国の宣誓文のみであろうな。戦士長の報告も知っているのは一部の王国貴族だけだ」

 

 今度はクレマンティーヌの紫の目が輝く。

 

「……で? それだけじゃないんでしょー。カジっちゃんが掴んでる“(おおやけ)”じゃない情報は」

「ふん。(さか)しいなクレマンティーヌ」

 

 クレマンティーヌがニヤリと笑う。

 カジットは少し考える振りをしてから()()()()()()()()を口にする。

 

「……(ドラゴン)だ」

(ドラゴン)?」

「皇城に(ドラゴン)が現れたそうだ。おぬしは帝都(ここ)に居たのだろう。気づかなかったのか?」

「なんかそーゆー噂は聞いたね。与太話だと思って聞き流しちゃったなー」

 

 クレマンティーヌはぺろりと舌を出す。

 彼女の言葉に納得はしなかったが情報の裏が取れたと安堵した。

 帝都に(ドラゴン)が現れたという話をカジットは疑っていたのだ。

 

「その(ドラゴン)魔法詠唱者(マジック・キャスター)さんとどう関係があんの?」

(ドラゴン)の背に乗っていた闇妖精(ダークエルフ)がアインズ・ウール・ゴウンの名を口にしたらしい」

 

 クレマンティーヌが戸惑う様子を見せる。

 それはそうだろう。

 (ドラゴン)の背に乗る闇妖精(ダークエルフ)など、神話か御伽噺(おとぎばなし)の世界だ。

 

闇妖精(ダークエルフ)は皇帝ジルクニフに謝罪を要求し、数日後、皇帝はアインズ・ウール・ゴウンへの謝罪に赴いたという」

「それって……皇帝はアインズ・ウール・ゴウンの居場所を知ってたってこと?」

「そう判断して間違いないな。ちなみに皇帝が向かった先はナザリック地下大墳墓という遺跡だそうだ」

「墳墓……遺跡……」

 

 クレマンティーヌの笑顔が顰め面に変わり、カジットは笑みを浮かべる。

 

「最近発見された未踏の遺跡でな。どうやらアインズ・ウール・ゴウンの住処はそこらしい。……どうしたクレマンティーヌ? 何か心当たりでもあるのか?」

 

 顰め面のクレマンティーヌが無言のままカイを見た。

 我が意を得たりとカジットは言う。

 

「そうだ。そこの男が監視しておった遺跡だ」

 

 カジットは言外に組織(ズーラーノーン)がクレマンティーヌたちの動向を把握していることを匂わせる。

 そのことに気がついたのかクレマンティーヌがカジットを睨みつけ、カイは無言で自分の思考に埋没していた。

 カジットは話を続ける。

 

「その遺跡の主と謁見した皇帝は謝罪をし、詫びとして建国の手助けと、それに伴う帝国との同盟を提案したのだ――」

 

 そして次の言葉こそがクレマンティーヌに渡すべき情報だった。

 

「――アインズ・ウール・ゴウンと名乗る不死者(アンデッド)魔法詠唱者(マジック・キャスター)にな」

 

 クレマンティーヌの目が驚愕で見開かれた。

 

不死者(アンデッド)の……魔法詠唱者(マジック・キャスター)!?」

「ああ。なんでも墳墓の奥深くにある水晶の玉座に座った髑髏(どくろ)の頭を持つ王だそうだ」

 

 目が見開かれ顔を蒼白にしたクレマンティーヌ。

 その唇は小刻みに震えている。

 彼女の様子を見てカジットは確信した。

 

「……ふん。その様子では間違い無さそうだな。そうだ。アインズ・ウール・ゴウンはおぬしを殺した漆黒のモモンの正体よ」

 

 恐怖、嗜虐、観察、思考。

 

 様々な感情が渦巻く中、沈黙がズーラーノーンの隠れ家を支配した。

 しばらくの沈黙の後、ようやくクレマンティーヌが口を開く。

 

「……不死者(アンデッド)魔法詠唱者(マジック・キャスター)が戦争に出てくるのは分かったし、その住処も分かった。そんでカジっちゃんは()()に何をやらせんの?」

「おや? 我ら(ズーラーノーン)がおぬしたちに何かをさせる、と?」

「でなきゃ、こんな()()()とこまでわざわざ来ないだろうが!」

 

 クレマンティーヌの強い口調は明らかな虚勢だ。

 

(わし)はおぬしたちに伝えるよう言われただけだ。目的は知らぬ」

 

 カジットは視線を逸らすことなく言う。

 クレマンティーヌが怒りと、そして恐怖に顔を歪めるのが分かった。

 

 たとえ今のクレマンティーヌにカジットを殺せる力があるとしても、それを実行する愚に彼女は気づいたのだろう。

 組織(ズーラーノーン)側に立つカジットに手を出せば組織(ズーラーノーン)が敵になる。

 その上、ズーラーノーンとアインズ・ウール・ゴウンなる魔法詠唱者(マジック・キャスター)の関係が不明ともなれば殺人狂の性格破綻者(クレマンティーヌ)であっても相手を気軽に殺すことはできない。

 

「……ズーラーノーン(うちら)はどうすんの?」

「まだ分からん」

 

 クレマンティーヌがズーラーノーンを身内と呼んだことを意外に思いながらカジットは嘘を()く。

 

(わし)とおぬしの二人が殺されたとは言え、相手の力はまだ未知数だからな。戦争の成り行き如何で同盟や従属は勿論、敵対もあり得る」

 

 実はズーラーノーンとしての対応は決まっている。

 だが、この二人にそれを教える必要はない。

 現時点では、クレマンティーヌは外部の人間なのだ。

 

「ところでカイ、よ――」

 

 カジットの問いかけに珍しくカイが興味を含んだ視線を向けた。

 

「おぬしはどうだ? アインズ・ウール・ゴウンという名を知っている様子だが、おぬしが捜している者と関係があるのか?」

 

 カイはしばらく沈黙した後に口を開く。

 

「……その名前には聞き覚えがあるぜ。だがなぁ、それは人や不死者(アンデッド)名前(もの)じゃねえ」

「じゃあ何の名前?」

 

 クレマンティーヌの問いにカイは返事をしなかった。

 彼女は不満げに頬を膨らませる。

 

「よくある名ではないのか?」

 

 カジットは名前の法則や傾向の全てを知っている訳ではない。

 それでも地域毎の特徴や由来が存在することくらいは知っている。

 “アインズ・ウール・ゴウン”が一般的な名詞として機能している地域がないとは言えない。

 そう考えたがカイの鋭い視線に貫かれ、思わずカジットは息を呑んだ。

 だがカイは何も言葉を発しない。

 

「そうでないなら――」

 

 言い訳をするようにカジットが言葉を続ける。

 

「――人の物ではない名を持つ人でなし(アンデッド)が現れたことになる。その意味をどう見る?」

 

 その言葉は苦し紛れだったがカイの意識には引っかかったらしい。

 カイはおもむろに視線を下げると再び沈思黙考し始めた。

 そして、そんな中年男の反応に()()クレマンティーヌが小娘のように戸惑っていることにカジットは驚く。

 

 カジットは己の目的のため、男女の感情を捨てていた。

 そんなカジットであってもクレマンティーヌとカイの間に漂う湿った関係性は判る。

 それは性行為という肉のつながりだけに拠るものではない。

 共犯者である一方、クレマンティーヌはカイに依存し、その依存が元漆黒聖典の性格破綻者を安定させているように見える。

 二人の年齢差から親子の情を連想し、カジットの胸にわずかばかりの郷愁の念が宿った。

 

「……ふん。まあ良い。どうやらおぬしの相方には考え事があるようだな」

 

 そう言うカジットをクレマンティーヌが睨みつけた。

 だがその視線に力はなく、かつての狂気も殺意も感じられない。

 

 カジットはフード姿の従者をちらりと見た。

 従者が小さく頷くのを見て、カジットは踵を返す。

 

「……帰んの?」

(わし)はおぬしのように運が良かった(天使と踊った)訳ではないからな。やるべき事はいくらでもある。次に来るまでには隠れ家(ここ)の使用料を考えておくことにしよう」

 

 スレイン法国風の慣用句にクレマンティーヌは顔を顰め、カイは反応をしなかった。

 カジットは不敵に笑うと従者と共にズーラーノーンの隠れ家を出る。

 帝都の共同墓地は夜が明けつつあった。

 

 盟主の指示通りに情報は流した。

 カジットが抱えている不安は大きいが、それはどうすることもできない。

 後はクレマンティーヌたちがどう動くのかを見るだけだ。

 

◇◆◇

 

 カジットとその従者はズーラーノーンの隠れ家を去った。

 彼らの気配が完全に消えるのを待って、クレマンティーヌは寝台の縁に腰掛けた。

 今は明け方近くだと体内の感覚が教えてくれる。

 しかしクレマンティーヌの頭は恐怖に満ち寝ようとする気にならない。

 革でも紙でもない滑らかな青い布(ブルーシート)に座り込んでいるカイもまた、自分の考えに没頭していて眠りそうな気配はない。

 

 カジットたちに漆黒のモモンの吸血鬼討伐や大悪魔撃退について聞く余裕はなかった。

 モモンの正体である不死者(アンデッド)が表舞台に現れて国を興し、バハルス帝国と手を組んで王国に戦争を仕掛けるというのだ。

 その不死者(アンデッド)に一度殺されたクレマンティーヌとしては考えなければならないことは多い。

 

 クレマンティーヌはあの不死者(アンデッド)――アインズ・ウール・ゴウンの力を理解している訳ではない。

 知っているのは彼女の背骨を抱き締め()し折った膂力(りょりょく)だけだ。

 魔法詠唱者(マジック・キャスター)としての力は今回の戦争でその一端が知れる。

 

(まさか魔法詠唱者(マジック・キャスター)が腕っ節が強いだけなんてないよねー)

 

 クレマンティーヌには確信があった。

 不死者(アンデッド)の魔法によって王国にはとてつもない被害が出るだろう。

 その被害は千や二千で留まるとは思えない。

 五千か、あるいは一万を超える人の死が、あの不死者(アンデッド)によってもたらされる。

 皇帝が戦争を仕掛けた狙いはおそらくそこだ。

 アインズ・ウール・ゴウンの脅威を内外に知らしめること。

 

(あの皇帝のことだからね。狙いはそれだけじゃない、か……)

 

 そう。

 

 不死者(アンデッド)の強さを喧伝(けんでん)するだけでは帝国に利はない。

 

 どこまでいっても不死者(アンデッド)不死者(アンデッド)である。

 どれほど強大であろうとも生者を憎む存在と同盟を結べば、その国は周辺国からの強い反発を受けるだろう。

 バハルス帝国内であれば鮮血帝と称されるジルクニフの強権で反発を抑えられる。

 それでも、その権力は周辺国にまでは及ばない。

 下手をすれば背後に位置するカルサナス都市国家連合が敵に回り、帝国は王国を飲み込むどころではなくなる。

 そしておそらく最も大きく反発するのは、周辺国で最強の軍事力を誇るスレイン法国だ。

 いかな皇帝といえど法国に敵対するとは思えない。

 

(となるとモモンに関しては帝国主席魔法詠唱者(フールーダ・パラダイン)()()か。それじゃなんで皇帝は不死者(アンデッド)なんかと手を結んだ?)

 

 不死者(アンデッド)魔法詠唱者(マジック・キャスター)が強大な力を持っていることは間違いない。

 たとえ周辺諸国と仲違いしたとしても帝国の版図拡大に有用だと皇帝が判断したのだろうか。

 あるいはアインズ・ウール・ゴウンの魔法によって皇帝が操られているのか。

 どちらもありそうだとクレマンティーヌは思う。

 

不死者(アンデッド)の建国にスレイン法国(あいつら)はどう動くか……)

 

 バハルス帝国とリ・エスティーゼ王国との戦争に、スレイン法国が直接関与した事はない。

 だが、今回は不死者(アンデッド)魔法詠唱者(マジック・キャスター)が居る。

 アインズ・ウール・ゴウンは法国の虎の子である特殊部隊を敗走、若しくは全滅させたとカジット・バダンテールは言っていた。

 そんな不死者(アンデッド)魔法詠唱者(マジック・キャスター)が人間の戦争に関わることを法国が見過ごす筈がない。

 それがなくても法国にとって不死者(アンデッド)はそもそも許しがたい存在だ。

 最強の特殊部隊、漆黒聖典か場合によっては神人や先祖返りを動かしてでもアインズ・ウール・ゴウン討伐に向かう。

 法国にとっての人類至上主義はそれほどまでに大きい。

 アインズ・ウール・ゴウンとスレイン法国が争うということは――。

 

(あれ……これって美味しくね? もしかして運が向いてきた?)

 

 クレマンティーヌの口元が緩む。

 

 自分と敵対した不死者(アンデッド)魔法詠唱者(マジック・キャスター)は大国の特殊部隊に討伐されるだろう。

 自分を追っている大国は魔法詠唱者(マジック・キャスター)によって被害を出して追跡の手が弱まるだろう。

 その間にクレマンティーヌは助平親父(カイ)と一緒にローブル聖王国なり大陸南方なりに向かえばいい。

 

 だが、もしスレイン法国がアインズ・ウール・ゴウン討伐に動かなかったら――。

 

(……ありえない。スレイン法国(あいつら)不死者(アンデッド)の国なんて認める訳がない)

 

 クレマンティーヌはその考えを打ち消した。

 

 いずれにせよバハルス帝国は不死者の魔法詠唱者(アインズ・ウール・ゴウン)と手を組んだ。

 アインズ・ウール・ゴウン――モモンの敵であるクレマンティーヌは帝国にとっても敵となる。

 

 クレマンティーヌはズーラーノーンの隠れ家をぐるりと見回す。

 薄暗いが食べる物も飲む物も寝る場所もあって、室内は暑くも寒くもなく快適だ。

 ズーラーノーンの隠れ家(ここ)は良い住処だった。

 だが、法国があの不死者(アンデッド)を滅ぼすまでは、ここを離れた方が賢明だろう。

 

 クレマンティーヌは寝台から降りると考え込んでいるカイの傍らに立つ。

 

「どうやらキナ臭くなりそうだねー。しばらく帝都(ここ)は離れたほーがいいかな?」

 

 カイの返事はない。

 

あいつら(ズーラーノーン)の話で動くってのも癪だけどねー」

「……クレマン。お前ぇの肉壺ガイドは終わりだ」

「どうせ向こうだって私らの動きを見ながら、どこにひれ伏すか探ってるだけだろうし……え?」

 

 カイの言葉に思わず言葉が止まる。

 

「お前ぇの仕事は終わったんだよ。後は好きにしな」

 

 クレマンティーヌは強張った笑顔でカイの顔を覗き込んだ。

 不健康そうな中年男の表情には、いつものヘラヘラした雰囲気はない。

 

「……なに? 寝不足で頭おかしくなった? ローブル聖王国とかさ。まだ行ってない国あるよ? あそこだったら聖王女とか聖騎士とか未通女(おぼこ)そうなのがいるんじゃない? カイちゃん、そーゆー恥ずかしがり屋さんが好きなんでしょ?」

 

 クレマンティーヌはカイが興味を惹きそうな言葉を並べる。

 それでもカイの顔は緩まない。

 

「まさか――」

 

 クレマンティーヌは驚愕に目を見開いた。

 

「――まさか行くつもり!? 遺跡(あそこ)に?」

「ああ。その()()()だぁ。お前ぇはあの骸骨に会いたくねえだろうからな。肉壺契約完了ってことだ」

「や、止めたほーがいーよ。殺されるって、絶対」

「……そうかも知れねえなぁ」

 

 そう言ってカイが目を伏せるが、思い留まる雰囲気ではない。

 

「ゼッタイ罠だってば。名前を知ってる奴をおびき出そうとしてるだけだよ。カルボマーラ――様を捜すのは私も手伝うから。ほら。王国や帝国に居なかったんだからさ。きっと南の方だよ。南にはカイちゃんみたいな顔した人が住んでるって聞いてるよ」

 

 饒舌に、そしていつにも増して懸命にクレマンティーヌは語った。

 

 単なる噂話で良い。

 嘘八百で構わない。

 いつものヘラヘラ顔に戻ればいい。

 それでこの話はお仕舞いになる。

 だが、カイの顔はいつもの顔には戻らなかった。

 クレマンティーヌは自分の顔が引き攣っていくのが分かった。

 

 何故だ。

 何故、欲しいものが指の隙間から零れ落ちてしまうのか。

 今まで自分は何も手にすることはなかった。

 親の愛情も、行動の自由も、生きる目的も。

 唯一の拠りどころだった強ささえ持ち合わせてなかった。

 手に入るものは殺した物だけ――。

 

「仕方ねえな……」

 

 そう呟いたカイが懐に手を入れて黒い紐の塊を取り出した。

 

「こいつをくれてやる。退職金にはちと高ぇがな」

 

 それはエ・ランテルの宿屋で見た魔法の拘束鎧(ボンデージアーマー)だった。

 今、使っている魔法の細剣(レイピア)と、どちらを貰うか悩んだ(マジックアイテム)のひとつだ。

 怒りでクレマンティーヌの視界が真紅に染まった。

 

「馬鹿にすんなあああぁぁぁ!!!!」

 

 クレマンティーヌはカイの手を払った。

 マジックアイテムが部屋の隅まで弾け飛んだ。

 クレマンティーヌの剣幕に驚いたカイが目を見開いている。

 

「だぁかぁらぁ、このクレマンティーヌ様が行くのを止めろって言ってんだよぉ!」

 

 カイが静かに目を伏せる。

 下種な中年男のしおらしい仕草がクレマンティーヌを更なる怒りへと誘った。

 

「あの不死者(アンデッド)にアンタが殺されに行くって言うなら私が先に殺してやるっ!!」

 

 そう言いながらもクレマンティーヌは頭の隅で自嘲する。

 己の力がカイに遠く及ばないことは充分すぎるほど理解していた。

 それでも言葉にするしかない。

 

「ちょっとばかり強いからってなぁ――」

 

 腰に下がっていた細剣(レイピア)を抜く。

 何人もの命を奪った魔法武器が薄暗い室内で紅く煌めいた。

 だが、その輝きはあまりにも頼りなく見える。

 

「何でも好きにできると思うなあああぁぁぁーーー!!!」

 

 クレマンティーヌは細剣(レイピア)を振るった。

 カイが煌めくその刃を掴む素振りは見せない。

 

<疾風走破><流水加速><能力向上><能力超向上>。

 

 クレマンティーヌはありったけの武技を発動させた。

 何度も何度も細剣(レイピア)を振るい真紅の軌跡がカイを包む。

 目を伏せた助平親父がダメージを受けた様子はない。

 

「この糞ったれがっ!」

 

 クレマンティーヌは細剣(レイピア)を投げ捨てた。

 鋭い金属音が暗い石造りの室内に響き渡る。

 

「アンタの(モン)だからな! 効かない仕掛けでもしてんだろぉ!!」

 

 それが間違いだと知っている。

 そして次の攻撃が効かないことも。

 

 クレマンティーヌは絶叫を上げながらカイに拳に叩きつけた。

 敗北感を、無力感を、恐怖感を拳に握り込んで中年男の顰め面に叩き込む。

 何度、拳を叩きつけてもカイの顔は傷つかない。

 

「ちぃっ!!」

 

 クレマンティーヌの指の骨が折れた。

 折れた骨が皮膚を突き破って両腕とカイの顔を血塗れにする。

 カイから貰った能力を隠す指輪が更なる激痛を生んだ。

 それでもクレマンティーヌは殴り続ける。

 

 そんな自傷行為を止めるようにカイが彼女の両手首を握った。

 拘束するでもなく制御するでもなく、ただ柔らかく癇癪(かんしゃく)を起こした幼子を諌めるようにだ。

 自分を気遣うその握り方が、強者の余裕が、クレマンティーヌには気に入らない。

 

「はっ。私がアンタに惚れてるとでも思ったのかよ? なんでも言うことを聞くって?」

 

 カイの血色の悪い顔を正面から見据える。

 いつもヘラヘラと人を小馬鹿にするように歪んだ口元が、今は固く引き結ばれていた。

 そんな強者の苦しんでいる素振りにクレマンティーヌは虫唾が走る。

 

「私が満足してるとでも思っていたのかよ! あぁっ!!」

 

 額をつき合わせてカイを怒鳴りつけた。

 その声は酷く掠れていた。

 クレマンティーヌは上半身を大きく後ろに反らせると、全力でカイに額を叩きつける。

 眼前に火花が散った。

 

 遠慮も加減も無しの一撃に自らの頭皮が破れ、頭蓋が砕けたのが分かった。

 激痛が、流れる血が、クレマンティーヌの視界を遮る。

 僅かに見えるカイの顔に傷がついた様子はない。

 それでもなお攻撃を、感情を、止めることができない。

 

「手前ぇの粗チンなんざ、これっぽっちも気持ちよくねぇんだよ!」

 

 もう一度、血塗れの頭を叩きつけようとして、クレマンティーヌの身体がカイに引き寄せられた。

 

 クレマンティーヌは自分がカイに抱き締められたことを理解する。

 血の滲んだ視界に映るカイの顔は険しく歪んでいた。

 

「なぁめぇるぅなあああぁぁぁ!!!」

 

 カイの顔にクレマンティーヌは歯を立て、全力で噛み締めた。

 両顎の前歯が何本も砕け飛ぶ。

 

 カイは反撃をしなかった。

 そしてクレマンティーヌを抱き捕らえ逃がすこともしない。

 ただ彼女の攻撃を受け止めているだけだ。

 もがく度にクレマンティーヌの両腕から、額から、口から、大量の血が流れ落ちた。

 

 この増長を咎めればいい。

 この間違いを正せばいい。

 殴られていることに怒ればいい。

 怒って、怒り狂って自分を殺してしまえばいい。

 陰毛を剃り落としたあの短剣の切れ味なら、肉体だってバラバラに切り刻めるだろう。

 

「くそぉ、くそぉ、くそっ、くそっ、くそおおおぉぉぉっ!!!」

 

 どれだけの間、殴りもがき続けたのか。

 クレマンティーヌの身体がついにその動きを止めた。

 身体をカイに預けるようにして、血塗れで折れた骨さえ見える両腕はだらりと下がる。

 金髪を血に染めたクレマンティーヌは、その腕を上げることも己の身体を起こすこともできなかった。

 

 そんな彼女をカイは静かに寝台に横たえる。

 クレマンティーヌの荒い呼吸音だけがズーラーノーンの隠れ家にしばらく響いた。

 

「……カイちゃんはカルボマーラ……様が、大事なんだ……」

 

 クレマンティーヌは切れた唇を動かし、折れた歯から抜ける息の中、かすれた声でカイに尋ねた。

 

「当たり前だぁ」

「私……よりも?」

「……当たり前だ」

「そう……」

 

 分かっていたが聞きたくない答えだった。

 

 これは嫉妬だ。

 怒りも、敗北感も、無力感も、全てはカイが捜すカルボマーラに対するものだ。

 

 エ・ランテルで生き返ってから、共に戦って食べて眠って情を交わして何度も殺そうとして、今も殺そうとした関係。

 それでもカイは自分の物にならなかった。

 

 目の前にカルボマーラが居たら文句を言っただろう。

 武器を振るって返り討ちにあって殺されても納得できた。

 だが、その怒りを向ける相手は見つからず自分が欲したカイに剣を向けた。

 

 死ぬくらいの怪我はしたとクレマンティーヌは思う。

 このまま死んでも良かった。

 

 だが、カイの治癒魔法は()()()()クレマンティーヌを瀕死の状態から回復させる。

 割れた頭蓋が、折れた指が、砕けた前歯が元通りとなり、痛みが違和感と共に消えていく。

 横になったままカイに尋ねた。

 

「あの遺跡に……カルボマーラ――様が居るの?」

 

 自分の声がやけにはっきり聞こえた。

 傍らに立つカイが答える。

 

「……さあな。だが初めて掴んだ手がかりだ。確認しなくちゃあ先がねえ」

「別に確認しなくていーじゃん……」

請負人(ワーカー)の奴らが失敗したんだ。だから俺が遺跡を調べるんだよ」

 

 言われてみれば宿屋の酒場でそんなことを言っていた。

 口から出任せばかりの癖に無駄に義理堅いものだとクレマンティーヌは感心する。

 その義理堅さで出来れば願いを聞いて欲しかった。

 

「……カイちゃんさー」

「なんだぁ?」

「遺跡に行くの、法国が……スレイン法国が、どう動くかだけ待ってくんないかな?」

 

 法国がどう動けばどうするのか、はっきりとそれを決めた訳ではない。

 ただ決断するための時間が欲しかった。

 

「ああ。いいぜ」

 

 しばらくの無言の後、カイが提案を受け入れてくれた。

 

「……ありがと」

 

 初めてクレマンティーヌはカイに感謝した。

 

◇◆◇

 

 クレマンティーヌは濡れた髪をタオルで拭いながら扉を開けた。

 ズーラーノーンの隠れ家の冷えた空気が火照った肌に心地良い。

 

「やっぱ、お湯で身体が洗えるってサイコーだわ」

 

 クレマンティーヌは先ほどまで自分が入っていた小部屋を見る。

 

 薄暗い石造りの室内に、軽くて硬い象牙色の板で組み立てられた小部屋があった。

 カイが所持していた魔法の仮設浴室(ユニットバス)というマジックアイテムだ。

 中にはバスタブとトイレが設置されており、バスタブではお湯で身体が洗えるという優れものだった。

 

 これの設置によってズーラーノーンの隠れ家には弱点がなくなったとクレマンティーヌは思っている。

 

 外はもう日が暮れているのか外出していた筈のカイがブルーシートに座り込んで食事をしていた。

 クレマンティーヌはカイの傍らに置いている水差しを取り上げ、自分の喉を潤す。

 

「おかえりー。風呂上りの水は美味いねー」

 

 クレマンティーヌは一糸まとわぬ裸身だがもはや気にするつもりはない。

 

 バハルス帝国とアインズ・ウール・ゴウンが同盟を結んだと聞いて、クレマンティーヌは帝都の取締りが強化されると思っていた。

 彼女はアインズ・ウール・ゴウンの敵であり、それを同盟国が許す筈がないからだ。

 しかし、帝国はそれまでと同じく平穏で、帝国騎士団が捜査や取り締まりに奔走しているという話はついぞ聞かなかった。

 しばらくの間、潜伏していたクレマンティーヌも、ちょくちょく外に出るようになり、やがては認識阻害の外套(ステルス・マント)を羽織って夜の帝都に繰り出すようになった。

 つまりは元の安穏とした生活に戻ったのだ。

 

 クレマンティーヌは夜に帝都の全域を散策しながら、たまに人殺しを行っていた。

 カイは昼にどこかで路銀を稼ぎながら、武器屋の女主人に振られ続けているようだ。

 昼型のカイが隠れ家に戻ってきたということは、外はクレマンティーヌの時間になったということだろう。

 

 クレマンティーヌは自分の寝台で横になると、シャツとズボン、そして帯鎧(バンデッド・アーマー)を身に付け、最後に獣耳と尻尾を装備した。

 いずれのアイテムもカイが買ってきた<清潔(クリーン)>の魔法が込められた巻物で汚れを落としている。

 これで今夜、出かける準備は整った。

 

「なんか変わったことあったー?」

 

 クレマンティーヌは細剣(レイピア)の置き場所を確認しながらカイに尋ねた。

 興味を惹く話があれば、それが出かける理由になる。

 カイは食事の手を止めた。

 

「ハイドニヒのおっさんに会ったぜ」

 

 邪教の神官をしていた帝国貴族の名前だ。

 あのインチキ儀式以来、カイが国の情報を集めるために利用しているようだ。

 

「スレイン法国が帝国と王国に書状を送ってきたってよ」

「……なんて書状?」

 

 クレマンティーヌは軽く尋ねた。

 動揺を表に出すつもりはない。

 

「『法国に記録はなく、判断することができないが、もしアインズ・ウール・ゴウンが事実その地をかつて支配していた者だとするなら、その正当性を認めるものである』だとさ」

 

 カイはそう言うと食事を再開した。

 それを聞いてクレマンティーヌは驚き、安堵した。

 

 驚きは、敵対行為を行った魔法詠唱者(マジック・キャスター)に対して法国が争いを選ばなかったことだ。

 安堵は、自分を殺した不死者(アンデッド)が法国が避けるだけの強者であったということだ。

 スレイン法国が敵対を避けるほどの相手であるならば、自分が成す術もなく敗北したとしても仕方がないと慰めることが出来る。

 

 スレイン法国もアインズ・ウール・ゴウンもその力を少しも失うことなく残ってしまった。

 共倒れか、あるいはどちらかが致命的な被害を受けるというクレマンティーヌの予想と願いは裏切られた。

 

(どんだけ足掻いても、こうなるんだね……)

 

 欲しい結果(もの)は手に入らない。

 そんな自分の宿命にクレマンティーヌは自嘲の笑みを浮かべる。

 

 カイはアインズ・ウール・ゴウンに会うために、あの遺跡に行くだろう。

 そして自分は何をしたら良いのか。

 

 もそもそとシロメシを口にするカイを眺めながらクレマンティーヌは決断した。

 

◇◆◇



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ナザリック地下大墳墓編
第20話「疾風走破、跪く」


登場人物紹介

クレマンティーヌ:ズーラーノーン十二高弟のひとり。土下座は苦手。
カイ:自称鬼畜の助平おやぢ。土下座は得意。

アインズ・ウール・ゴウン:魔導王。土下座はよく見る。


◇◆◇

 

 結論から言えばクレマンティーヌは、カイに付いてアインズ・ウール・ゴウンを探ろうと決めた。

 

 彼女を追っている周辺国最強国家スレイン法国が敵対を避けたアインズ・ウール・ゴウン。

 その力を見極める必要があったからだ。

 少なくともカイに付いて行けば、ひとりで探るより危険度が低い。

 いざとなればカイを盾にして自分だけでも逃げられる。

 そんな打算もあった、が――。

 

(……来るんじゃなかった)

 

 柔らかな真紅の絨毯の上にひれ伏しながらクレマンティーヌは酷く後悔していた。

 

 まさかカイが真昼間の真正面から遺跡に向かうとは思わなかった。

 遺跡周辺を警邏していた化け物の迫力に慄き、ログハウスから姿を見せた二人のメイドの美貌に戸惑い、夜会巻きのメイドに案内された玉座の間。

 

 白く輝くような壁には金の細工を施され、どこまでも高い天井には色とりどりの宝石が輝くシャンデリアがいくつも吊り下がっている。

 壁に下がっているのは見たことも無い紋章が描かれた巨大で豪奢な旗だ。

 この広間だけでもスレイン法国にあるあらゆる建築を遥かに凌駕している。

 だが玉座の大きさや豪華さは些細なことだ。

 

 柔らかな絨毯の左右に形容しがたい異形の、そして強大な化け物の群れがずらりと並んでいる。

 それらがただの彫像や置物でないことは、かすかな吐息が聞こえてくることからも分かる。

 そして左右の化け物たちから生じる凄まじい圧力さえも、クレマンティーヌの後悔の原因ではなかった。

 正面から伝わる異質の、そして叩きつけられるような圧力と恐怖は桁が違った。

 水晶の玉座へと続く階段を守護するように立っている――おそらく側近か幹部であろう――それらは恐怖の権化だ。

 

 黒衣に身を包んだ銀髪の美少女。

 直立する白藍色の昆虫人。

 闇妖精(ダークエルフ)の二人の子供。

 皺のない仕立ての服(スーツ)姿の蛙頭人。

 

 蛙頭が二本の足で立ち、人間の自分が蛙のように這いつくばっていることにクレマンティーヌは腹を立てるがどうしようもない。

 この広間に在る者の中で、クレマンティーヌは最弱の存在だからだ。

 そして――。

 

 階段を上った先、おそらく水晶で出来ているであろう玉座にそれは居た。

 玉座に座っていたのは紛れもなく死と恐怖の支配者。

 黒い翼を持つ白衣の美女を傍らに置き、グロテスクに捻れた黄金の杖を弄ぶ髑髏を晒した絶対者(オーバーロード)

 

 エ・ランテルの墓地で、それも間近で見たあの髑髏、そして恐怖を見間違えることはない。

 柔らかな絨毯の上でひれ伏しながら、クレマンティーヌは自らの四肢が震えるのを感じている。

 

「アインズ様、ユグドラシルのカイ・キサク(Ky=Kisaku)がお目通りをしたいとのことです」

 

 傍らの美女がカイの名を口にする。

 ログハウスで名乗ったときにクレマンティーヌが初めて耳にした本名(フルネーム)だ。

 

(……はん。薄汚い見かけ通りに変な名前だね)

 

 その変な名前を今まで教えられなかったことに立腹するが、今はその感情を吐露できる状況ではない。

 玉座の間の支配者は眼窩に灯る赤い輝きを強くして髑髏の口を開いた。

 

「まずは自己紹介をするとしよう。我が名はアインズ・ウール・ゴウン。このナザリック地下大墳墓が支配者にして、アインズ・ウール・ゴウン魔導国の王である」

 

 その言葉にカイがもう一度、頭を下げ、クレマンティーヌも震えながらそれに続く。

 上目遣いで様子を窺うと、運悪く不死者(アンデッド)の王の視線とかち合った。

 慌てて目を伏せるクレマンティーヌだが、魔導王は逃してはくれない。

 

「ふむ。キサク殿の連れには見覚えがあるな。顔を上げてよく見せてもらないか?」

 

 こう言われて顔を見せない訳には行かない。

 クレマンティーヌは震えながら顔を上げ、魔導王に引き攣った笑みを見せた。

 

「ほほう。ふむ。なるほど……。名を聞いても?」

 

 小さく振り返ったカイに答えるよう促される。

 

「は、はい。ク、クレマンティーヌと申します」

 

 血の気が引いて意識を失いそうになる中で、なんとか自分の名を名乗った。

 

「……クレマンティーヌか。そうか思い出した。お前とはエ・ランテルの墓地で会ったな。あの時、私が手ずから葬り去ったつもりだが思ったより元気そうだな。息災であったか?」

「は、ははぁ!」

 

 ついに魔導王に感づかれクレマンティーヌは頭を伏せたまま恐怖に震える。

 両顎が上手く噛み合わず、歯の根も合わない。

 

「ワタクシからご説明してもよろしいですかぁ?」

 

 カイが用心深く口を挟んだ。

 主人(あるじ)の意思を遮ったと気色ばむ白衣の美女を片手で制し、魔導王が言葉を続けるよう促す。

 

「ワタクシの後ろに居りますのは本人が名乗りました通りクレマンティーヌという女でございます。かつてアインズ・ウール・ゴウン魔導王陛下に抗い愚かにも身を滅ぼしたと私も聞き及んでおります。さりながら蘇ってからは前非を悔いて性根を入れ替え、ワタクシの肉壺ガイドを死んだつもりで努めておりますです、はい」

「死んだつもりか……なるほど上手いことを言う」

 

 魔導王はカラカラと笑った。

 一緒になって笑う真似もできずクレマンティーヌはただ頭を伏せ続ける。

 

「――ちなみに蘇ったとはどのような手段を用いたのかな? 魔法によるものか? それともアイテムを使用して?」

「ワタクシの魔法によるものです、はい」

「なるほど……。蘇りの魔法は何を?」

蘇生(リザレクション)を用いましてございます」

 

 かつて聞いたものとは違う魔法の名を聞いてクレマンティーヌは混乱する。

 

蘇生(リザレクション)? 私には死者再生(レイズデッド)を使ったって言ってたけど……復活魔法って他にもあんの?)

 

 そんなクレマンティーヌを余所に、魔導王は蘇りの魔法について思考を巡らせていた。

 

「ちなみにカイ・キサク殿は蘇生(リザレクション)より上位の蘇生魔法は使えるのか?」

「いいえ。ワタクシが身に付けておりますのは蘇生(リザレクション)まででございます、はい」

「そうか……。クラスの組み換えを考慮しても蘇生(リザレクション)くらいが一番潰しが利く、か。複数回使うと考えても魔力消費量もバランスが取れているしな。しかし回復役(ヒーラー)真なる蘇生(トゥルー・リザレクション)を知らないと戦闘時に……」

 

 魔導王の言葉が途切れた。

 

「――ふむ。興味深い話に少し夢中になってしまったようだ。キサク殿の魔法とそこの女については後ほど詳しい話を聞かせてもらうとしよう」

「情報を集めることは何よりも重要でございます。魔導王陛下がお気になさるのも当然のことかと」

「……理解してもらえて何よりだ。それでキサク殿は、なんでも私に聞きたいことがあって、このナザリック地下大墳墓にやってきたとか?」

「はぁい。全知全能にして全ての事象を司る魔導王陛下にお尋ねしたいことがございまして参りました」

 

 褒めるにしても度が過ぎて、かえって怒らせるのではないかとクレマンティーヌは心配する。

 

「……全知全能とは大袈裟だな。私とて知らないことは多い――」

 

 そんな言葉を聞きなれているのか魔導王はカイの言葉を謙虚に受け止めた。

 配下の化け物全ては魔導王の言葉を冗談と捉えているようで、玉座の間全体の緊張が僅かに緩む。

 

「――そして仮に知っていたとしても教えられないこともある。故に全てのことに答えられる訳ではないことは理解できるな?」

「はぁい」

 

 カイが大きく頭を下げる。

 

「……そうか。それならば良い。では問おう、カイ・キサク殿」

 

 魔導王に促され、カイが口を開いた。

 

「ワタクシは……ワタクシの造物主を捜しております」

「……ほう。お前の造物主がこのナザリック――アインズ・ウール・ゴウン魔導国に居る、と?」

 

 魔導王は僅かに顎を上げ広間の天井に視線を送る。

 そこにはいくつもの旗が翻っているだけで、その視線の意味はクレマンティーヌには分からない。

 そもそもカイの言う“造物主”とは何なのだろうか。

 黒髪の少女はカイの主人(あるじ)だけでなく、そういった()()なのか。

 

「いいえ。その確証はございませんです。ただ、ワタクシの造物主であるカルボマーラ様はかつてアインズ・ウール・ゴウンに行きたいと仰っておりました」

「ふむ。……カルボマーラ……殿、か……」

 

 魔導王はカイの言葉をかみ締めるように吟味する。

 その言葉はカイに語りかけているようでもあり、内なる自分に確認しているようでもあった。

 

「その名を持つ者がここにいる、と?」

「可能性がある、と存じております、はぁい」

 

 魔導王はその髑髏の頭を巡らせ傍らの美女、そして階段下にいる化け物たちに目を配る。

 美女も、階段下の化け物も、魔導王を見てそれぞれが頭を小さく横に振った。

 

「残念ながらその名に聞き覚えはないな。我が部下たちも知らないようだ。どのような姿かを示すことはできるかな?」

「いささか小さなものではございますが御姿の画像がこちらに」

 

 カイが上着を広げ、その裏に張られた黒髪の素朴な顔立ちの少女の絵姿を魔導王に見せる。

 魔導王は眼窩の赤い光を強め、カイの懐をしばらく見つめていた。

 

「そのような容貌の人物に見覚えはないな。どうやらキサク殿の期待には応えられないようだ」

 

 そう語る魔導王をカイは上目遣いで見つめていた。

 カイの顔にはいつもニヤニヤ笑いはなく、魔導王の言葉の真偽を確認するような真剣さがある。

 玉座の傍らに立つ美女、そして玉座へと続く階段を守護する魔物たちが、そんなカイの視線に不快感を見せた。

 その圧力はカイの後ろでひれ伏しているクレマンティーヌにも嫌というほど感じられる。

 

(ちょ……機嫌を損ねたら殺されるって判るだろ馬鹿。強い奴とは喧嘩しないんだろ?)

 

 あの不死者(アンデッド)は気に留めることさえなくクレマンティーヌを殺せるだろう。

 地面を這い回る小さな虫けらを知らずに踏み潰すように。

 そして、ここにいる化け物のどれもがクレマンティーヌを容易く肉塊にできるはずだ。

 

「カルボマーラ様が居られないんじゃあ仕方ねえ」

 

 カイの口調が変わる。

 その変化は大広間に漂う不快感を明確な殺気に変えた。

 逃れられぬ死を覚悟しながら目の前に座る男に付いてきたことをクレマンティーヌは改めて後悔する。

 

「それじゃあ、ここに()()()()()()()はいるかい?」

 

 その言葉にどれほどの力があったのだろう。

 

 全ての化け物、そして魔導王さえもが身じろぎした。

 それは爆発的な殺気となってに襲い掛かり、元漆黒聖典第九席次のクレマンティーヌの意識を奪いかける。

 霞む視界と意識が混濁する中、黒い影が揺らめいたことに気づく。

 

「――っ!!!」

 

 突如襲ってきた大気の塊にクレマンティーヌは枯れ葉のように吹き飛ばされた。

 かつて二人組の吸血鬼から受けた衝撃波(ショック・ウェーブ)を倍する圧に二度三度と後転し、なんとか体勢を立て直して頭を上げる。

 紫の瞳に映ったのは黒いドレスの美少女の抜き手をカイがナイフで食い止めている光景だ。

 

 クレマンティーヌを襲ったのは直接の攻撃ではない。

 黒衣の少女がカイに襲い掛かったときに生じた衝撃波が彼女を吹き飛ばしたのだ。

 美少女の桁外れの能力に、そしてそれを食い止めるカイに、クレマンティーヌは驚愕する。

 少女の瞳は殺意で赤く輝いていた。

 

「いと尊き御方の名を呼び捨てにするとは不敬千万! その罪、万死に値するっ!!」

 

 少女の声は限りなく美しく、それでいて恐るべき殺意に満ちていた。

 凝縮された桁違いの殺気に堪らずクレマンティーヌは嘔吐する。

 漆黒聖典元第九席次という矜持がなければ心臓の鼓動さえも止まっただろう。

 

「……ほう。上位道具創造(クリエイト・グレーター・アイテム)か」

 

 這いつくばり嘔吐するクレマンティーヌの耳にそんな呟きが届く。

 

 黒衣の少女の足元が霞んだ。

 蹴りを繰り出したと分かったのは、カイがもう一本のナイフでそれを受け止めたからだ。

 

「ぎぎぎっ! 生意気なっ!!」

 

 呪詛のような少女の呻き。

 だが攻撃を受け止めたカイにも余裕はなく、その薄汚れた額には汗が滲んでいた。

 クレマンティーヌが守勢を強いられるカイを見るのは初めてだった。

 平時であればからかうことも出来たが、今は死の恐怖しか感じない。

 

 クレマンティーヌを片手であしらえるカイを追い詰める少女。

 

 彼女もまた神の力を持つ者なのだろうか。

 この遺跡から、いや、大広間から生きて出られる可能性が急激に下がったことをクレマンティーヌは感じた。

 

「そ、そいつは済まねえなぁ。ペロロンチーノ――さんはカルボマーラ様のお知り合いだったからよぉ」

 

 守勢の中、カイが言葉を搾り出した。

 

「ペロロンチーノ様の……知り合い?」

 

 カイの言葉に黒衣の少女と大広間全体の殺気が困惑に変わる。

 少女が、そして全ての化け物たちが戸惑い、救いを求めるように視線を彷徨わせた。

 彷徨う視線の先は水晶の玉座であり、化け物たちを収めるのはやはり魔導王だった。

 

「……シャルティアよ。控えよ」

「は、はいっ!」

 

 それまでの攻撃が幻だったかのように黒衣の少女――シャルティアは動きを止める。

 優雅に飛び上がったかと思うと玉座に続く階段の前にひらりと戻った。

 おそらく最初に立っていた位置と寸分の違いもないだろうと、クレマンティーヌは理由もなく確信する。

 シャルティアが己の胸元をしきりに気にしているのは、内なる怒りを抑えるためであろうか。

 魔導王が髑髏の口を開く。

 

「私の部下が失礼なことをした。彼女は自分の造――関係者の名を聞き衝動が抑えられなかったのだ。部下の失態は私の失態でもある。この場は私に免じて許して欲しい」

 

 魔導王がおもむろに頭を下げ、謝罪の言葉を口にしたことにクレマンティーヌは驚愕した。

 その言葉に真摯なものが込められていたことにも。

 そして大広間を埋め尽くす化け物全てが彼女と同じく驚愕し動揺しているようだった。

 

「そのお嬢さんの気持ちは分かるぜぇ。俺だって同じだからな。でなきゃ、こんな恐ろしい場所には来やしねえ」

 

 カイは顔の汗を薄汚いタオルで拭いながら魔導王の謝罪を受け入れる。

 その口調は砕けたままだ。

 

「……どうやらアインズ様に対する口の利き方がなっていないようですね」

 

 蛙頭の化け物の言葉をきっかけに大広間全体に殺意が戻ってくるが、それを魔導王が片手を上げて制する。

 

「……良い。配下でない者の言葉遣いを改める気はない。その言葉遣いも伴うリスクも考えてのものであろう」

 

 それはカイの言葉遣いを容認しつつも、生じる危険性を明言したものだ。

 ゆっくりとカイが顔を上げ、魔導王をじっと見据える。

 

「魔導王陛下お心遣いに感謝するぜぇ。他所行きの言葉じゃあ本音も言えやしねえ」

「……ふむ。それは、よく分かる……な」

 

 魔導王のその言葉には妙に実感が篭っていた。

 絶対的な支配者であるアインズ・ウール・ゴウンにも本心を言えないことがあるのだろうか。

 

(んなワケないか)

 

 有り得ない話だとクレマンティーヌはその思い付きを打ち消した。

 おそらく共感する振りをして、より大きな罠に相手を誘い込む下準備なのだろう。

 エ・ランテルの墓場で聞いた漆黒のモモンの口調を思い出す。

 

(ただの力自慢の剣士だと思ったんだけどね……)

 

 ようやく思考が落ち着いてきたクレマンティーヌは己の吐瀉物を避けながら、カイと魔導王が見える位置まで這って進んだ。

 

「それで? キサク殿の主人(あるじ)であるカルボマーラ――殿とペロロンチーノさんの関係は?」

 

 魔導王の問いにカイは考える素振りを見せる。

 玉座の間に沈黙が続く。

 

「アインズ様の問いに答えな――」

 

 白いドレスの美女の叱責を手を上げて制したのは魔導王だ。

 あのカイがかつてないほど熟考しているのは、その後姿からもクレマンティーヌには理解できた。

 カイがおもむろに口を開く。

 

「――俺自身はペロロンチーノさん自体を見たことがねえ。俺が知ってるペロロンチーノさんの話は全部カルボマーラ様からお聞かせいただいたことだ。特に俺を作ったときの話だがなぁ」

「……その話を聞いても?」

 

 やけに用心深く問う魔導王にカイが小さく頷いた。

 まるで身を乗り出しているようにも見えるが、死の支配者がそんな態度をするはずはないとクレマンティーヌの常識が否定する。

 

「カルボマーラ様はペロロンチーノさんに聞いた“えろげ”を参考にして俺を作ったって仰っていたぜぇ」

 

 魔導王の眼窩の光が強く輝いたように見えた。

 “えろげ”という名称に興味を惹かれたのだろうとクレマンティーヌは考える。

 その名称に覚えはないが、話の流れから察するに何かを生み出す魔道書の類だろうか。

 

「“えろげ”が何なのか、俺には分からねえが――」

 

 カイはそう前置きした。

 

「ペロロンチーノさんは“えろげ”マスターで、その知識はカルボマーラ様以上だそうだ」

 

 先ほどカイを襲った黒衣の少女(シャルティア)が満足そうな顔を見せる。

 彼女は“ペロロンチーノ”の主人なのか愛人なのか。

 そんな関係者の力を褒められたことがやはり嬉しいのだろうか。

 先ほど見せた化け物じみた力とは、大きくかけ離れた人間らしい仕草にクレマンティーヌは少し安堵する。

 

「他にもカルボマーラ様はペロロンチーノさんに随分お世話になったみてえだ。エロ系モンスターがPOPする場所、エロ系アイテムの作り方、エロ系傭兵NPCの情報。色んなことを教えて貰ったって仰っていたぜぇ」

 

 カイの話を聞いていた魔導王が少し俯き骨の指を額に当てる。

 

「そうそう。最初に出会ったきっかけはカルボマーラ様の見た目に、ペロロンチーノさんが騙されたからって仰ってたなぁ」

 

 カルボマーラは見た目通りの少女ではないのか。

 “えろげ”という得体の知れない物を参考にカイを作ったとなれば、その正体はエルフやドワーフといった長命種族か、あるいはクレマンティーヌも知らない幼態成熟(ネオテニー)の種族だろうか。

 

「カルボマーラ様はそんなペロロンチーノさんに感謝する一方で“えろげ”の嗜好が違うって、いつも残念がっていたぜぇ。同じ“えろげ”の話題で盛り上がれないってな」

 

 魔導王の様子は何かに苦悩しているようにも見えた。

 だが不死者(アンデッド)絶対者(オーバーロード)が悩むことなどまずありえない。

 カイのもたらすカルボマーラとペロロンチーノの情報を分析しているのだろう。

 おそらくは絶対的強者の、いや神々に関する情報である。

 敵対するかも知れない同格の存在について分析検討し過ぎることはない。

 

「そしてペロロンチーノさんはアインズ・ウール・ゴウンに居る、と言っていた。……俺が知ってるのはそのくらいだぁ」

 

 カイの話がひと段落して、広間全体に張り詰めていた緊張感が和らいで空気が緩やかなものになる。

 魔導王がゆっくりと顔を上げた。

 

「カルボマーラ()()は……ギルドかクランには所属していなかったのか?」

 

 魔導王の問いかけにカイが頭を左右に振る。

 

「最初は“うんえい”が用意してた傭兵“えぬぴーしー”をお使いになっていたらしい。その後、“大型あっぷでえと”で拠点無しで“えぬぴーしー”が作れるようになって、そのときに俺をお作りになったそうだ。それからはカルボマーラ様と俺の二人旅だったぜぇ」

「大型アップデートか……なるほど」

 

 カイの話をかみ締めるように魔導王が呟く。

 クレマンティーヌには言葉の意味は分からないが、魔導王を納得させるだけの説得力があったのは間違いなさそうだ。

 

「旅の途中、カルボマーラ様は何度もアインズ・ウール・ゴウンに入りたかったと仰っていた。だからアインズ・ウール・ゴウン(ここ)の名前を聞いたときに、カルボマーラ様がいらっしゃるんじゃねえかと考えたんだよぉ」

 

 化け物たちの排他的な意識が不快感になったのだろうか。

 大広間全体に不穏な空気が漂い、クレマンティーヌの身がぶるりと震えた。

 そんな怪しい雰囲気を魔導王の言葉がかき消す。

 

「さて。キサク殿の話を聞いてこちらもいくつか確認したいことができた」

 

 カイが魔導王の顔を見つめる。

 

「まずカルボマーラさんは何――なんという種族だ?」

「俺と同じ、人間だぜぇ」

「そうか……」

 

 カイの答えに魔導王は小さく何度も頷いた。

 

 カルボマーラが人間と聞いてクレマンティーヌは混乱する。

 人間の、それも幼女といってもいい小さな子供が、桁外れの強さとカイを作り出す能力を持っていると言う。

 それはもはや神話の世界だ。

 勿論、このナザリック地下大墳墓もまた神話に出てくる代物であり、そこに紛れ込んだ自分がどれだけ矮小で儚い存在であるか強く思い知らされた。

 スレイン法国が人類の存続のためと、他種族への過剰ともいえる弾圧行為を行っている理由をクレマンティーヌは改めて理解する。

 

「それで……カルボマーラさんとキサク殿は、いつ別れたのだ?」

 

 魔導王の問いにカイの口元が固く引き結ばれる。

 ナザリック地下大墳墓(ここ)に来て以降、初めて見るカイの険しい表情。

 いつもそんな顔をしていればいいのにとクレマンティーヌは思う。

 カイは口を開きかけては閉じを何度か繰り返し、それからゆっくりと話し出した。

 

「いつだったかはもう覚えていねえ。随分と前のことだったからなぁ……」

 

 カイが搾り出す言葉には言いたい気持ちと言いたくない気持ち、それら相反する感情が含まれていた。

 

「カルボマーラ様は俺にアイテムを預けて、(ねぐら)にしていたエロ系モンスターの穴倉(ダンジョン)で待つよう仰った」

 

(……あのダッシュウッドの修道院(アビー)とかいう遺跡のことか)

 

 半裸の女みたいな魔物ばかり居た遺跡と、そこで食べた獣の肉とシロメシ、そして帽子を被ったハーフエルフの端正な顔立ちをクレマンティーヌは思い出す。

 

「狭い穴倉(ダンジョン)だったがモンスターが湧く(POPする)扉がいくつもあったから退屈はしなかったぜぇ。だが、それも最初のうちだけだったがなぁ」

 

 カイの顔は魔導王に向いていたが、その濁った目はどこか遠くを見ているようだ。

 

穴倉(ダンジョン)をぐるっと見て回って落ちていたアイテムは根こそぎ拾ったぜぇ。モンスターどもが落とす(ドロップする)アイテムもデータクリスタルもコインも取り尽くした。要するにそこで探す場所も手に入る物もなくなったってことだぁ」

 

 カイが持っていた数多くのマジックアイテムは、あの遺跡で手に入れたものかとクレマンティーヌは納得する。

 

「そんなとき、俺はふと穴倉(ダンジョン)の外に出ることを思いついたんだよぉ。外に出りゃカルボマーラ様に会えるんじゃないかってなぁ」

 

 魔導王の眼窩の赤い灯火(ともしび)が強く光る。

 

「造物主の言葉に逆らって穴倉(ダンジョン)の外に出たのか?」

 

 その言葉にカイは顔を歪ませ、(こうべ)を垂れた。

 

「ああ。その通りだ……」

 

 しばらくの無言の後、ふいにカイが顔を上げた。

 

「でもなあ。主人(あるじ)のお姿を探すことは下僕(しもべ)にとって当たり前じゃあねえか?」

 

 その言葉に化け物たちで溢れる大広間全体が、柔らかな優しい雰囲気に包まれる。

 意外な雰囲気に戸惑う一方で、この恐るべき化け物たちがそんな感情を持っている事実にクレマンティーヌは驚いた。

 

「外に出た俺をカルボマーラ様が見咎め、処罰するというのであれば、納得して死ぬことができるってもんだ。その後でお仕えできねえのは心残りだろうがなぁ」

 

 階段下を守護している幹部の化け物たちが、それぞれ小さく頷いた。

 カイと同様、この幹部たちもまた主人(あるじ)であるアインズ・ウール・ゴウンに盲目の忠義を尽くしているのだろうか。

 

穴倉(ダンジョン)の外に出たら、歩くだけでダメージを負う砂漠が無くなっててよ。やけに綺麗な山に変わってたぜ」

 

 魔導王の身がやや前に傾いだように見えた。

 

「山を下りると馬車が通ってたんで後つけたら着いたのがエ・ランテルって町だ」

「……エ・ランテルで情報収集を?」

 

 魔導王が漆黒のモモンとして居た町だ。

 そしてクレマンティーヌが潜伏し、モモン――アインズ・ウール・ゴウンに殺された場所でもある。

 

「情報収集はユグドラシルの基本だからなぁ。とりあえずの宿は借りたがカルボマーラ様はいねえし、どこを捜せばいいかも分からねえ」

 

 共感する部分があったのか魔導王は何度も頷いた。

 

(きった)ねぇ宿屋で色々考えてよ。それで死体安置所に行ったんだよ」

「そこでその女を?」

 

 魔導王の視線を感じてクレマンティーヌは身体を硬直させる。

 視線はすぐにカイへと戻った。

 

「生きた人間よりは死んだ人間の方が何かと都合がいいからなぁ。それから周辺(あたり)のことを聞きながらぶらぶらと旅してよ。バハルス帝国でようやくアインズ・ウール・ゴウンの名を聞いたってワケよ」

「アインズ・ウール・ゴウンの名を聞いたのは誰からだ?」

 

 何気なく魔導王が尋ねる。

 だが、この質問には情報の出所を探る意図があることをクレマンティーヌは感じ取った。

 

「しばらく帝国を住処(ヤサ)にしてたからなぁ。顔見知りになった貴族サマから今度の戦争の余談として教えて貰ったぜぇ」

 

(……おや?)

 

 組織(ズーラーノーン)の名を口にしなかったカイをクレマンティーヌは意外に思う。

 ナザリック地下大墳墓(ここ)にいる化け物たちを見れば、もはやズーラーノーンに味方をする理由はない。

 それでもカジットたちの名を出さないあたり、隠れ家を借りている義理をカイが感じているのだろうか。

 その一方で、帝国貴族から情報を得たというのが嘘ではないあたりカイの用心深さも窺える。

 

「なるほど。帝国貴族から、か……。目的が果たされていると考えて良いのかな?」

 

 魔導王の呟きに傍らの美女と階段下の蛙頭が満足そうに頷いた。

 この不死者(アンデッド)が何を目的としているのかクレマンティーヌには想像がつかない。

 

(向こうは組織(ズーラーノーン)のこと、知っててあえて口にしていないだけかもね……)

 

 カイの話が終わり沈黙が大広間を支配した。

 化け物たちのかすかな吐息と、自分の呼吸音がやけに大きくクレマンティーヌの耳に入ってくる。

 沈黙を破ったのは大広間の主人(あるじ)だ。

 

「まずキサク殿の最初の問いに答えよう」

 

 カイが魔導王に向き直った。

 

「ペロロンチーノさんは……ナザリック地下大墳墓(ここ)には居ない」

 

 その言葉は重く哀しみに満ちていた。

 大広間全体が重苦しい雰囲気に包まれる。

 そしてカイが問いかける。

 

「……そうかい。それで、いつ戻ってくんだ?」

「それは……まだ、分からん」

 

 カイを襲ったシャルティアが、その美貌を哀しげに歪ませた。

 魔導王の傍にいる美女、そして階段を守る化け物たちが目を伏せる。

 

「手がかりは無し、か……」

 

 カイは魔導王の言葉の意味を噛み締め呟いた。

 これでカイがこの場所に留まる理由はなくなった。

 無事にこの墳墓から出る方法をクレマンティーヌが考えていると、カイがもう一度両膝を突きひれ伏した。

 慌ててクレマンティーヌも膝を突く。

 

「アインズ・ウール・ゴウン魔導王陛下におきましては、この度、貴重なお時間を割いて下さって感謝の言葉もございません」

「あ……いや。気にすることはない。こちらも興味……貴重な話をキサク殿から聞けたことを感謝しよう」

 

 この場を引き上げるつもりなのだろうカイの口調は会談の最初のものだ。

 魔導王の“感謝”という言葉に周囲の化け物からは嫉妬と羨望の感情が伝わってくる。

 

「そう言って頂けるだけで身に余る光栄でございます」

「そうか……。ではカイ・キサクよ。これは私からの提案だ」

 

 そう言うと魔導王は片手を差し出した。

 まるで握手をするときのように友好的に。

 

「私の……部下になる気はないか?」

 

 ざわりと大広間に緊張感が広がった。

 嫉妬と羨望が強くなり、はっきりと戸惑う様子を見せる化け物もいる。

 その様子に変化が無いのは王に侍る美女と蛙頭くらいだ。

 

「永久に仕える必要はない。ただ、そうだな。カルボマーラさんが見つかるまでで構わない」

 

 カイは魔導王を見つめていた。

 あの濁った目にどんな意思が込められているのかクレマンティーヌには分からない。

 

「部下になればカルボマーラさんを探す手伝いをしよう」

「……ならないときは?」

「そのときは……そうだな。身の安全は保障しかねる、といったところか」

 

 酷く残酷でどこまでも尊大な申し出だった。

 だが、この不死者(アンデッド)はそれを押し通すだけの力を持っている。

 それはクレマンティーヌの理性も感情も、そして肉体もが理解していた。

 

 スレイン法国はもはや優先すべき脅威ではなく、アインズ・ウール・ゴウンと敵対しないことこそ最優先に考えるべきだと。

 あの黒衣の美少女の力を知り、周囲の化け物の力を感じた以上、カイに拒否できる要素は無い。

 それに何よりこれだけの勢力をもってすれば、カイの求める主人(あるじ)を見つけることなど容易いだろう。

 

(……カイちゃんが魔導王(あいつ)の下に就いたら私はどうなるんだ?)

 

 クレマンティーヌが持っている情報のほとんどは、この数ヶ月でカイの知るところとなった。

 新たな情報を仕入れるにしてもクレマンティーヌひとりよりは、ここにいる化け物たちを使った方が、より多く精度の高いものが得られることは違いない。

 カイがカルボマーラを最優先に行動することは、あのズーラーノーンの隠れ家での一件で理解している。

 

(そしてカイちゃんにとって私の価値はってーと……何にもないね)

 

 元漆黒聖典第九席次の武力も情報収集能力も、この伝説の軍勢を前にしては意味が無い。

 では肉欲を満たす道具としての価値はというと、ログハウスに居たメイドや魔導王に侍る美女、美少女の美貌を見てしまうと勝ち目が無いことくらい誰が見ても判る。

 

(カイちゃん好みの女だって簡単に調達できるよね……)

 

 価値無き者に訪れるであろう死を感じながら、クレマンティーヌはもはや恐怖に(とら)われていない自分に驚いていた。

 かつてカイの言った通り、自分は死んだ存在なのだ。

 この数ヶ月の出来事は有り得なかったものを偶々(たまたま)手に入れたに過ぎない。

 用が無くなれば元の死体に戻るだけだ。

 

(せめて苦しまずに済めば御の字か……)

 

 そう考えるクレマンティーヌの前でカイが立ち上がった。

 それから大広間全体を、そしてそこにいる化け物たちを吟味するようにゆっくりと眺める。

 ちらりと膝を突いているクレマンティーヌに目を留め、そして通り過ぎた。

 やがて魔導王に向き直ったカイは神妙な様子で頭を下げた。

 

「ありがてえ申し出だが……お断りするぜぇ」

 

 大広間全体の緊張感が敵意に変わった。

 周囲から叩きつけられる殺意と、カイの常識外れの無謀さにクレマンティーヌは混乱する。

 カイが言葉を続けた。

 

「ここは……デカくて豪華すぎだぁ。建物も装飾も、魔導王陛下に忠誠を尽くしている下僕(しもべ)のひとりひとりもな。俺みてえな日陰の鬼畜モンには何もかも眩しすぎるぜぇ。それに――」

 

 大広間の雰囲気がまた変わる。

 殺意の中に戸惑いと安堵の感情が混じっていた。

 

「――たとえ一時(いっとき)だろうがカルボマーラ様を裏切りたくはねえ。長いことお会いしていねえが、ただ一人の俺の主人(あるじ)だからなぁ」

「――っ!」

 

 クレマンティーヌは怒りで我を忘れた。

 

 素早く立ち上がるとカイの前に回り込んで戸惑う中年男の顔を殴りつける。

 

「手前ぇ、何しやがる!」

「何しやがるってのは、こっちの台詞だ! 見つかるまでで良いって言ってんだよ? アンタ、鬼畜モンだろ? 相手を旨く利用して目的を果たしゃいいだろうがっ!!」

 

 カイは驚いた様子でクレマンティーヌを見た。

 どうせ何の痛みも感じていない癖に、そして痛みが自分の拳にしかないことにも腹が立つ。

 その怒りはクレマンティーヌを振り返らせた。

 

「大体、アンタもアンタだ。居なくなった親を探してる奴に、自分の子になれって聞く訳ねえだろ。このおっさんは有能なんだよ? 使えるんだよ? もうちょっとマシな誘い方しろよ!!」

 

 玉座を指差して言いたい事を全部吐き出した。

 そのままクレマンティーヌはその場に座り込む。

 しばらく沈黙が続いた後、大広間全体が敵意で満たされた。

 クレマンティーヌの激情をぶつけられた魔導王はその髑髏を傾げ、何事も無かったように口を開く。

 

「それで……キサク殿の考えは変わらないのかな? 連れの考えは違うようだが?」

 

 魔導王の酷く冷静な声を聞いてクレマンティーヌは我に返った。

 自分の行為を振り返り足元から底知れぬ恐怖が這い上がってくる。

 魔導王を相手に啖呵を切ってしまった以上、もはやどうすることもできない。

 

 そんなクレマンティーヌの頭に触れるものがあった。

 顔を上げるとカイの手が頭に乗っていた。

 

「やめろっ」

 

 慌てて立ち上がると、その手を振り払ってカイの背後へと下がる。

 気安く頭を触ったことに文句を言いたかったが、強大な敵意に満ちたこの大広間で、それを口にする勇気は無い。

 

(わり)ぃが忠誠を曲げる気はねえ。それに魔導王陛下を裏切りたくもねえ。陛下と俺は他人のままだぁ」

「……そうか」

 

 カイの変わらぬ答えに魔導王は短く応じた。

 水晶の玉座に座り直したアインズ・ウール・ゴウンが、酷く落ち込んでいるように見えたのはクレマンティーヌの気の所為だろうか。

 僅かな沈黙の後に魔導王が口を開く。

 

「――キサク殿はこれからどうするつもりだ?」

「これからもやることは同じだぜ。カルボマーラ様を探すだけだぁ」

「そうか……。そうだな。では、その女は?」

 

 魔導王に視線を向けられクレマンティーヌの全身が強張る。

 ひたひたと近付いてくる死が目に見えるようだ。

 

「これは俺の肉壺だぁ。この周辺(あたり)をうろつくときに重宝してるからな。引き続き連れて行くぜぇ」

 

 カイはそう言うが、魔導王がそれを許さないだろう。

 そう予想できるのは、大広間に満ちる殺気が今なお薄れていないからだ。

 

「その女はかつて私に剣を向けた。ナザリック地下大墳墓(ここ)でもいくつか無礼があったな。それについてはどう申し開きをする?」

 

 魔導王の言葉に化け物全ての意識がカイの背後に集中した。

 その鋭く尖った敵意と殺意の塊はクレマンティーヌを押しつぶさんとする。

 カイがちらりと背後を見た。

 

「この女は一度、魔導王陛下に滅ぼされ装備を奪われたって聞いたぜぇ。殺して装備を奪ったんなら、殺した側がどうこう言うのは筋違いじゃねえか?」

 

 クレマンティーヌへの敵意が僅かに和らいだのは、その一部がカイに向けられたからだろう。

 それでもクレマンティーヌの運命は大海原に舞い落ちた枯れ葉よりも、依然危ういことに変わりはない。

 

「それに魔導王陛下への無礼ってのも、むしろ陛下のご意思に即していたように俺には聞こえたがなぁ」

 

 魔導王は髑髏の顎に手を当てて考える素振りを見せる。

 

「――なるほど。その女が私の望みに近い言葉を言ったことは認めよう。だが、その言葉には少々忠誠、というか敬意が足りなかったようには感じなかったかね? 私に敬意を持たぬ者はいずれ私に牙を剥く。……私は臆病でな。将来の禍根は早めに潰しておきたいのだよ」

 

 玉座の間が沈黙で支配された。

 カイもアインズ・ウール・ゴウンも言葉を発しない。

 これが魔導王の最後通牒だと感じた。

 既に一度処刑されたクレマンティーヌには解る。

 

 ここに居る化け物たちは、いずれも彼女を容易く殺せる存在だ。

 カイが居たところでその結果は変わらない。

 死の支配者とその軍勢からは逃れることはできない。

 精々どのように殺されるかを請い願うだけだ。

 それさえも聞き入れられる保証は無いのだが。

 

「それじゃあ、こいつを渡すからよ。それでこの女を見逃しちゃくれねえか?」

 

 カイが薄汚れた上着の胸元から銀色の板を取り出した。

 

「……ばっ!」

 

 思わずカイを罵倒しそうになってクレマンティーヌは口篭る。

 

 触ることすら許さなかったマジックアイテムを手放そうとするカイ。

 カイが掲げる銀の輝きがやけに眩しく目に映る。

 蛙頭の化け物が進み出てカイから板を受け取った。

 

「っ! これは……」

 

 蛙頭は小さく驚きの声を上げると、足早に玉座まで進み恭しく魔導王に銀の板を捧げた。

 それを手にした魔導王の髑髏の赤い輝きが大きくなる。

 

「これは……世界級(ワールド)アイテム!?」

「ああ。絶対写真機(ピーピング・トム)だぁ。穴倉(ダンジョン)に居たら、知らないうちに懐に入っていたなぁ。過去の出来事ならどんな場所でも見ることができる代物だぜぇ」

 

 カイの説明を聞いてか聞かずか、魔導王は捻くれた黄金の杖を手放し銀の板を骨の指でしきりに操作している。

 黄金の杖は倒れることなくまるで意思があるかのように魔導王の傍に立っていた。

 

「なるほど。しかしこのアイテムはユグドラシルの本質(テーマ)と矛盾するような気もするが……。ふむ。データを見る限り実装はユグドラシルの末期か。だとするとプレイヤーが発見することが目的ではない? いや……見つかりそうにないアイテムはいくらでもあった。たとえばこの――」

 

 魔導王の言葉がふいに途切れた。

 そして再び大広間に訪れる沈黙。

 

 魔導王が呟いた言葉の意味はクレマンティーヌに理解できるものではない。

 だが、銀の板に受けた衝撃は間違いない。

 やがて魔導王がその髑髏の口を開いた。

 

「――これを用いて主人(あるじ)を――カルボマーラさんを探したのか?」

「……ああ。昔話や噂は勿論、この女が知ってた話や、この女に調べさせた情報を元にな」

「だが……見つからなかった?」

「今のところは……な」

「……そうか。そうだな。今のところは、だな」

 

 カイが俯き、魔導王はわずかに頭を動かして髑髏の眼窩を上に向けた。

 その視線は大広間の天井ではなく、その先にある空を見つめているようだ。

 俯いたカイの背中がクレマンティーヌの目に小さく映る。

 

 しばらくの間の後、魔導王はおもむろに銀色の板を差し出した。

 

「……これはキサク殿に返そう」

 

 その言葉は大広間全体を驚愕させた。

 傍にいた美女、そして足下(あしもと)にかしづいていた化け物全てが魔導王を見る。

 いつも飄々としているカイも驚いた様子で顔を上げていた。

 

「ありがてえ話だが……それじゃ、この女はどうするおつもりで?」

 

 魔導王が軽く手を上げ化け物たちを静まらせる中、カイが親指でクレマンティーヌを指し示す。

 

「その女も……良い」

 

 魔導王はもう一度片手を上げた。

 

「クレマンティーヌ――だったな。お前とお前の装備からは私は多くのことを学んだ。そのことによってお前の悪意と不敬を()()()としよう」

 

 クレマンティーヌはただひれ伏して深く(こうべ)を垂れた。

 そうして魔導王の気が変わらないことを願うのが最善だと判断する。

 

「しかしながら、次に私と我が配下に剣を向けるようなことがあれば容赦なく抹殺する。それまではアインズ・ウール・ゴウンの名において、クレマンティーヌに害を為す真似はしないと約束しよう。……それで良いな?」

「アインズ・ウール・ゴウン魔導王陛下の寛大なる配慮に心より感謝するぜぇ」

 

 カイが両膝をつき、クレマンティーヌに倍する丁寧さでひれ伏した。

 魔導王は黄金の杖を手に取り水晶の椅子から立ち上がる。

 銀の板は蛙頭の化け物の手を経てカイの元へと戻った。

 カイは銀の板を懐に入れると立ち上がる。

 

「それじゃ。そろそろお(いとま)させてもらってもいいかい?」

「……いいだろう。この度は有意義な時間を過ごす事が出来た。シャルティアよ。ナザリック地表部まで<転移門(ゲート)>を開いてやるがいい」

 

 魔導王の命令にシャルティアが舞い上がり、今度はふわりとカイの前に降り立った。

 その優雅な動作と笑顔はクレマンティーヌに天使を連想させる。

 スレイン法国で信仰系魔法詠唱者(マジック・キャスター)が召喚する天使(怪物)などよりも遥かに美しく愛らしい。

 

 シャルティアが流れるように白い指先を動かし、カイの目の前に黒い空間がぽかりと浮かぶ。

 これもカイが用いる転移魔法の類なのだろうか。

 この魔法とあの並外れた攻撃力があれば、世界に魔導王が支配できぬ場所などないとクレマンティーヌは断言できる。

 

「どうぞ、入りなんし」

 

 黒いスカートを摘んで小さく礼をすると、シャルティアはたおやかな白い手でカイを闇の空間へと(いざな)った。

 カイが小さく会釈し、クレマンティーヌに向かって軽く手招きする。

 クレマンティーヌは慌てて立ち上がると、足早にカイの後ろに付いた。

 カイが玉座を仰ぐと、それを見ていた魔導王と視線が交錯する。

 

「カルボマーラさん……見つかるといいな」

 

 魔導王の言葉はその口調に比べて酷く()()()()

 その()()に気がつかないのか、カイが小さく片手を上げ対応する。

 

「ああ。俺も魔導王陛下とナザリック地下大墳墓(ここ)の幸せを願ってるぜ、くっくっく」

 

 とても幸せを願う風ではない敬意を欠いた物言いだったが、それでも魔導王は満足そうにカイに頷いて見せた。

 

◇◆◇

 

 シャルティアが作った闇の空間は遺跡の地表部へと繋がっていた。

 草原を照らす日はまだ高い。

 魔導王との面会時間は体感以上に短かったようだ。

 

 二度と味わうことが出来ないと思っていた外気がクレマンティーヌの肺を満たす。

 冷たい空気に意識が冴えてくるのが分かったが、身体の方はそうではなかった。

 極度の緊張から開放された肉体に力が入らず、クレマンティーヌはぐにゃりとその場にへたり込む。

 

「んー? どしたぁ? か弱いお姫様の真似事かぁ? 人殺しのくせに演技力があるじゃねえか」

 

 少し離れたログハウスの前に居る二人のメイドに助けは要らないとカイが手を振る。

 

「あ、あんなところに行って私を殺す気かよっ! 普通の人間なら百回は死んでるよ」

「……手前ぇが勝手に付いてきたんじゃねえか」

 

 呆れたようなカイの口調。

 その言葉に一理あるが、そもそもカイがナザリック地下大墳墓(あんなところ)に行かなければ付いていくこともなかったのだ。

 悪いのはカイだとクレマンティーヌは確信する。

 

「あーもー疲れた。歩きたくなーい。カイちゃんの魔法でさ。ぱぱっと移動しようよー」

 

 クレマンティーヌは歩きたくなかった。

 張り詰めていた緊張が解け、全身を倦怠感が包んでいる。

 この気だるさはエ・ランテルの死体安置所で蘇ったとき以上だ。

 そういう意味ではクレマンティーヌは二度目の死を経験したことになる。

 カイはぐるりと周囲を見回してから、呆れた様子で言う。

 

「……ったく、しょうがねえな。ほらよ」

 

 しゃがみ込むとクレマンティーヌに背を向けた。

 薄汚い貧相な背中が、やけに大きく見える。

 気恥ずかしさよりもクレマンティーヌの中の倦怠感が勝った。

 這いずるようにしてその背中にしがみ付くと、カイが立ち上がる。

 

「まったく……。肉壺に“さあびす”するようじゃあ鬼畜モンの名が泣くぜぇ」

「けけっ。カイちゃんがおんぶするのは年寄りだけかと思ってたよー」

「うるっせえなぁ。お前は爺婆より重いんだから静かにしてろ」

「そりゃ重いよ。若いからねー」

「……ったく。嫌味も通じねぇ」

 

 全身にまとわりつく倦怠感はあってもクレマンティーヌの気分は晴れやかだった。

 カイの嫌味も愚痴も気にならない。

 なにせ魔導王アインズ・ウール・ゴウンが自分に手を出さないと宣言したのだ。

 不死者(アンデッド)の約束を信じるなど、かつてのクレマンティーヌだったら能天気に思っただろう。

 だが、あのときの状況、そして魔導王の言葉は信ずるに値するものだった。

 

 クレマンティーヌの自由と命を奪う強大な力の二つのうちひとつが消えたのだ。

 肩の荷が半分以上下りたと分かって浮かれないほうがどうかしている。

 思考に余裕が出来たのかクレマンティーヌは気になっていたことをひとつ思い出した。

 

「そーいやさー、エ・ランテルで私に使った魔法、死者再生(レイズデッド)と違うんだっけ?」

「……さあな」

 

 カイの言葉は素っ気無い。

 

「もしかしてーもっと凄い魔法だったりしたのかなー? カイ・キサクちゃーん?」

「覚えてねえ。ていうか、何ぎゅうぎゅう締め付けてんだ? 歩きにくいだろうが」

「んー? 落ちないようにしてるだけだって。ほらほら、カイちゃんの大好きなおっぱいだよー」

「……ふん。鎧のごつごつが痛えだけだぁ」

 

 カイが素直に話す人間でないことは知っている。

 そして桁外れの力を持っている癖にそれを誇示しようはしないことも。

 そんなカイの用心深さが自分にも向けられていることに腹が立つ。

 だが、今のクレマンティーヌにはその怒りを許容できるだけの余裕があった。

 

「これで私はあの不死者(アンデッド)を心配しなくていいんだよね」

「多分、な」

「後はスレイン法国の追っ手を撒くだけかー」

「そうかもなぁ」

 

 クレマンティーヌは法国について以前ほど心配はしていない。

 今後、スレイン法国はアインズ・ウール・ゴウンに対応するために多くの資源(リソース)を奪われるだろう。

 場合によっては国そのものが失われる可能性さえある。

 そしてクレマンティーヌは、そんな強大な魔導王から命の保障をされた。

 これはエ・ランテルに潜伏していた時期よりも遥かに好ましい状況だ。

 

「カイちゃん、これからどーする? 聖王国か都市国家連合、あと竜王国だったら私が色々案内できるよー? 評議国とか南方とかだと案内できないけどね」

「そうかい」

 

 どこに行くにせよスレイン法国から離れさえすれば、逃げる時間も遊ぶ時間も、そして誰かを殺す時間だって充分に稼げる。

 そして今まで以上にカイ・キサクとも上手くやっていける。

 神経質なほど大切にしていた魔法の板を渡してまでクレマンティーヌを助けようとしたのだ。

 彼女を憎からず思っているのは間違いなく、時間をかけさえすれば過剰にも見える用心深さもやがて薄れていくだろう。

 

「さっきから生返事ばっかー。なんか気になることでもあんの?」

「ああ。……お迎えのようだぜぇ」

「んー?」

 

 カイの視線の先に目を向けると二つの人影が立っている。

 見覚えのあるその影にクレマンティーヌはにやりと笑った。

 化け物の警邏範囲からは遠く離れ、丘をひとつ越えてもう遺跡は見えない。

 

「おんやー? カジっちゃん? やっぱし私たちの様子を窺ってたんだー?」

 

 疑わしげな表情を浮かべたカジット・バダンテールと、もとより表情が見えないフード姿の従者だ。

 クレマンティーヌはカイに背負われたままカジットたちに近付いた。

 

「随分と機嫌が良さそうだなクレマンティーヌよ」

 

 カジットの問いにクレマンティーヌは満面の笑みを浮かべた。

 

「そりゃあもう。あんたたち(ズーラーノーン)の情報のおかげでねー」

「くっ……やはりアインズ・ウール・ゴウンに我ら(ズーラーノーン)を売り渡したか」

 

 殺意を帯びたカジットにクレマンティーヌは思い出したように言う。

 

「あー。そういやズーラーノーンのこと紹介するの忘れてたわー。ごめんごめーん」

「……何だと?」

 

 カジットは明らかに戸惑っていた。

 既に帰属意識は消えていたクレマンティーヌだが、それでもズーラーノーンを裏切る真似はしていないしするつもりもない。

 ようやく巨大な死の恐怖から解放されたのだ。

 わざわざ新しい危険を生み出す必要はない。

 

「そんな訳だからさー、あの不死者(アンデッド)とは勝手にやってねー。私はもう()んないから」

「どういうことだ?」

「私とあちらさんは話がついたってこと。だーかーらー()()()あんたたち(ズーラーノーン)の駒にはならないからねー」

 

 唖然とするカジットたちを見ながら、クレマンティーヌはカイに猫のように顔を擦り付けた。

 中年男の煩わしそうな反応が心地良い。

 そんなカイの動きがふいに止まった。

 

「――どうやら、潮時のようだなぁ」

「……ん? カイちゃん、どったの?」

「おい、クレマン」

 

 無言のまま、カイが顔を見つめた。

 その視線にクレマンティーヌは不穏なものを感じ取る。

 

「……なに?」

 

 突然、カイの手に視界を塞がれる。

 

「あばよ」

 

 何かを言おうとしたクレマンティーヌの意識がぶつりと途切れた。

 

◇◆◇



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最終話「疾風走破、喪失する」

登場人物紹介

クレマンティーヌ:ズーラーノーン十二高弟のひとり。人殺し大好き。
カイ:カルボマーラのパートナーNPC。カルボマーラ様と性行為大好き。

デミウルゴス:ナザリック地下大墳墓の階層守護者。アインズ様大好き。

カジット・バダンテール:ズーラーノーン十二高弟のひとり。お母さん大好き。


◇◆◇

 

 草原を照らしていた日は既に傾いていた。

 吹き抜ける風は季節通りの冷たさを帯びている。

 その冷たい風の中でカイ・キサクはひとり佇んでいた。

 

 カルボマーラはアインズ・ウール・ゴウンには居なかった。

 アインズ・ウール・ゴウンに()()()()()()()()()()()()()()

 この事実はカイを安堵させ、そして失望させた。

 

 ユグドラシルとは違うこの世界にカルボマーラの姿はなかった。

 言い伝えにも、娼館や奴隷商の()()()簿()にもカルボマーラを思わせる物はない。

 カイの<伝言(メッセージ)>もカルボマーラには一度も繋がらなかった。

 クレマンティーヌには<伝言(メッセージ)>が繋がった以上、原因は魔法が発動しなかったことではない。

 これらの状況から導き出される結論は、カイにとって酷く残酷なものだ。

 

 あの猫にも似た殺人狂の女(クレマンティーヌ)が言ったことは正しい。

 アインズ・ウール・ゴウンの部下になることの利点は承知している。

 だがそれは、カイには決してできないことだ。

 

(……クレマンか)

 

 クレマンティーヌは自分とは違う。

 あの女には目的があり、価値があり、何より居場所がある。

 カジットとかいう禿頭か、盟主とやらが適当に言いくるめるだろう。

 たとえ言いくるめられなかったとしても、もう会うことは無い。

 

「おや? まだ、こちらにいましたか?」

「……アンタかい」

 

 背後からかけられた声にカイは振り向くことなく返事をした。

 その耳当たりの良い声には聞き覚えがある。

 ナザリック地下大墳墓の玉座の間で聞いたスーツ姿の蛙頭の声だ。

 

 おもむろにカイが振り向くと、声の主は玉座の間で見たときとは違う人間の顔で笑みを浮かべていた。

 それは大昔の人間が想像した己を堕落させ地獄へと(いざな)う悪魔の微笑みだ。

 

「ちょっと見ねえうちに印象が変わったな。髪でも切ったかぁ?」

「いえ。私は変わっていませんよ」

 

 笑顔の悪魔の背後には複数の影が佇んでいた。

 それら殺気を帯びた影のいずれもがカイと互角以上に戦える者たちだ。

 

「ところで、こちらの判定が正しければ貴方は魔力をかなり消費しているようですね。何に使ったのですか?」

 

 悪魔は友人の体調を心配するような優しげな口調で問いかける。

 だが、その言葉に込められた真の意味は酷く危険だ。

 今のカイには転移魔法も上位道具創造(クリエイト・グレーター・アイテム)も唱えるだけの魔力はない。

 

「ああ。ちょっと記憶操作の魔法にな」

「記憶操作……ですか。それはご苦労様です」

 

 悪魔は納得したように頷いたが、その様子は大仰で芝居がかっていた。

 別に魔力の使い道を知りたかった訳ではなく、ただカイが魔力を失っていることを確認しただけなのだろう。

 

「貴方にお聞きしたいことがいくつかございます」

 

 カイは顎を動かして悪魔を促した。

 

「貴方がお持ちの品の中に、対象者の精神を支配する世界級(ワールド)アイテムはありませんか?」

 

 その問いは予想外のものだ。

 少し考えてカイは口を開く。

 

「そんな便利な代物がこの世界にはあんのか?」

「……なるほど。やはり一筋縄では行きませんか。セバスの資料にあった通りの人物のようですね」

 

 悪魔は笑みを深くして小さく頷いた。

 

「どうしたぁ? 勝手に納得されるとケツの穴がむずむずするぜぇ」

 

 ニヤニヤ笑いのカイに悪魔は首を小さく傾げる。

 説明をするつもりは無いようだ。

 

「それで俺に何の用だぁ? ナザリック地下大墳墓(あすこ)に忘れ物をした覚えはないぜぇ」

「勿論ですとも。聡明な貴方がナザリックに忘れ物などするはずがありません。こちらの監視にも気づいていたようですし」

「そんなにおだてんなよぉ。近頃は気疲れの所為(せい)か、アンタの顔だって覚えてなかったんだぜ、くっくっく」

「思い出していただいたようでなによりです」

 

 カイと悪魔は笑いあう。

 悪魔はカイを招くように両手を広げた。

 

「もう一度だけお聞きします。アインズ様の下僕(しもべ)になる気はありませんか?」

 

 悪魔の背後にいる影がざわりと揺らめいた。

 その動揺を制するように悪魔は軽く片手を上げる。

 

「貴方は私たちにはない力と感覚をお持ちです。それはアインズ・ウール・ゴウン魔導国の名を高めることに使えるでしょう」

 

 カイは悪魔の顔を静かに見つめた。

 

「その力をアインズ様のためにお使いいただけませんか?」

 

 それはまさしく悪魔の囁きだ。

 だが、その言葉には相手を誘惑しようとする意思がない。

 カイの返答を知った上で、あえて確認をするための手順でしかなかった。

 

「ありがてえ申し出だぁ。アンタと、そしてアンタの上司である魔導王陛下には感謝の言葉もねぇ」

 

 カイは首にかかった薄汚れたタオルで顔を拭う。

 

「だがなぁ。俺の主人(あるじ)は御一人だけなんだよぉ。陛下にはよろしく伝えといてくれ」

 

 悪魔は笑みを浮かべたまま小さく頷いた。

 優等生の模範解答を聞いた教師のようなその素振りは、拒絶されることを想定した上での問いかけだったのだろう。

 

「アインズ様は仰いました。何が最もナザリックの利益に繋がるか思案を巡らせよ、と。故に――」

 

 悪魔は心から――悪魔に心というものがあればだが――申し訳なさそうな表情を浮かべる。

 

「――私達は貴方から世界級(ワールド)アイテムを奪い取り、そして貴方を殺めなければいけません」

「……そうかい」

 

 悪魔の処刑宣言を聞いてもカイに驚きはない。

 何時如何なる場所の出来事でも映し出すことのできる絶対写真機(ピーピング・トム)は誰にとっても重要であり、同時に誰にとっても危険なアイテムだ。

 今のカイ・キサクを除いては。

 

「そうそう。玉座の間で貴方に襲い掛かった守護者――シャルティア・ブラッドフォールンは連れてきておりません」

 

 感情的になりそうなのでね、と悪魔は付け加えた。

 

「それとご安心ください。()()人間の女には手を出しません。アインズ様がその御名を以って生命を保障したのですから」

「そいつは有(がて)えこった」

「ですが、貴方が持つそのタブレットは非常に危険です。そして貴方自身も」

「あんた達に迷惑をかけた覚えはねえがなぁ」

 

 カイの責めるような言葉に悪魔は苦笑いを浮かべる。

 

「勿論ですとも。賢明な貴方は我々と争うことなど考えないでしょう。ユグドラシルの名を示して、完璧な手順を以って我らがナザリックを訪れたように」

 

 草原は薄闇に包まれ、空にはいくつかの星が瞬いていた。

 

「ご存じだとは思いますが、世界級(ワールド)アイテムにはあらゆる阻害を無効にする力があります。たとえ貴方がそのアイテムを使用しなかったとしても、それを奪いナザリックに対して使用する存在がこの世界に現れないとは限りません」

 

 悪魔は人差し指をぴんと立てる。

 

「それと同時にナザリックに仇なす存在が、貴方の力を利用することも避けねばなりません。感情で動く貴方はナザリックにとって危険を常に(はら)んでいるのです」

 

 悪魔は手を後ろで組み、周囲に控える影にも言葉を聞かせるためかゆっくりと回るように歩いた。

 その背筋は真っ直ぐに伸び、自らの言葉への自信に満ち溢れている。

 猫背のカイとは対照的だ。

 

「貴方はアインズ様にタブレットを捧げようとしました。ですが、それは絶対的支配者であらせられるアインズ様への忠誠から来た行為ではありません。あれは――」

 

 悪魔はカイの顔を見つめた。

 

「――あの女への同情から、ですよね?」

「……ふん。さあな」

 

 悪魔はひとつ息を吐く。

 

「まあいいでしょう。そして、貴方の力とお持ちのアイテムがアインズ様のご憂慮にならないよう対応し処理するのが私達下僕(しもべ)の役割なのです」

 

 悪魔の背後の影が殺意で大きく膨らんだ。

 

「それにしても妙ですね。貴方ほどの知恵者ならば私達の襲撃など簡単に予想できたでしょう。このような襲撃され易い場所に来ることも、あの女から離れることも、そして魔力を消費することも、なかったのでは?」

「あいつの――」

 

 カイは一度目を伏せ、それから悪魔に視線を向ける。

 

「――クレマンの仕事は終わったんだよ。仕事が終わればお互い無関係になるのは鬼畜モンの規則(ルール)だぜぇ」

「……なるほど。では、そういうことにしておきましょう」

 

 悪魔が背後の仲間たちに指示を出した。

 数え切れないほどの支援魔法が唱えられ、悪魔とその仲間たちをより強くより素早くより強靭にする。

 

「私達は慎重を期さねばなりません。特に貴方のような強者を相手にするときは、ね。ただの一人も犠牲を出すわけにはいかないのです。それはアインズ様の望むところではありませんから」

 

 悪魔は主人(あるじ)の願いを理解し、その言葉に従うことを無上の喜びとしているようだ。

 そしてカイにはひとつ気になっていたことがあった。

 

「――なあ?」

 

 この世界を訪れて自らの中に生じなかった感覚を、この悪魔たちは感じたのだろうか、と。

 

「お前ぇさんたちは、今、幸せかい?」

 

 カイの問いに悪魔は一瞬だけ虚を突かれたような表情を見せた。

 それから満面の笑みを浮かべる。

 

「勿論ですとも。アインズ様のために働き忠義を尽くすことのできる喜び。我ら守護者は常に歓喜に満ち溢れています」

 

 その言葉には嘘偽りのない感情が込められていた。

 背後に居る化け物たちの態度や表情にも自信と満足感が窺える。

 それはカイの目に残酷なほど眩しく映った。

 

「そいつは何よりだ……」

「貴方との会話は楽しいのですが私達には時間がありません。そろそろ終わりにしましょう」

 

 周りを取り囲む悪魔たちをカイは羨ましそうに眺めていた。

 

◇◆◇

 

 半森妖精(ハーフエルフ)のオリオーヌは息を殺し木の上で待っていた。

 

 僅かに残った木の葉の向こうには大きな水溜りがある。

 そこに現れたのは大きな角を持つ牡鹿だ。

 鹿は注意深く周囲の様子を窺いながら、やがて首を大きく曲げて水面に口をつける。

 

 あらかじめ弦を引いていたオリオーヌは木の葉が音を立てないようゆっくりと、そして獲物が水を飲み終えるのに間に合うよう急いで狙いを定めた。

 樹上からの瞰射(かんしゃ)が有利に働くことをオリオーヌは知っている。

 

 引き絞った弦を離すと充分に力を蓄えた矢が、(あやま)たず鹿の首を貫いた。

 牡鹿は矢が刺さったまま二度三度と跳ね、やがて身体を横たえ動かなくなった。

 

 オリオーヌは素早く木から降りると、牡鹿の死を確認してから近付いた。

 獲物を大きさを調べながらオリオーヌは自身の狩猟技術について思いを馳せる。

 自分は死んだ母親に近づけたのだろうか、と。

 

 獲物に近付くことをオリオーヌに気づかせたのは、カイという奇妙な人物から借りた魔法の弓だ。

 その弓は装備していると獲物の方から近付いてくるマジックアイテムだった。

 オリオーヌは何度も獲物を仕留めることに失敗したが、魔法の弓の力によって次の機会がすぐに得られたのだ。

 そうして獲物の射るべき身体の部位をオリオーヌは理解していった。

 

 魔法の弓をカイに返却してからは、獲物に近付く方法を探した。

 オリオーヌは山の中、そして施設の書庫で獲物の習性を調べ、食べる餌、水を飲む場所、子供を生む時期、巣を作る場所などを覚えた。

 そうして牡鹿程度なら容易く狩れるだけの力を得たのだ。

 

 カイから借りた魔法の弓が、どれだけ役に立ったかは分からない。

 だが獲物を射る機会を増やして狩猟に必要な思考を促したのは間違いなくカイとクレマンティーヌだ。

 あの二人の人間にオリオーヌは今も感謝の気持ちを抱いている。

 

 狩猟以外でのオリオーヌの生活も、カイの助言によって変化した。

 ()()()()()()()干し肉を施設の担当官や同輩の孤児たちに渡すようにしたのだ。

 干し肉の効果は劇的で、施設内でのオリオーヌの扱いは大きく変わった。

 配られる食事の量は皆と同じになり、入浴の順番を飛ばされることもなくなった。

 以前は微に入り細に入り確認してきた行動報告も簡単になった。

 カイから教わった渡世術に、オリオーヌは改めて感心させられた。

 

 牡鹿の後ろ足を縄で縛り木に吊るして固定すると、鹿の首にナイフを入れ血抜きを始める。

 手とナイフについた汚れを沢で洗い流し、オリオーヌは緑色の帽子を被り直した。

 

 そんなとき、ふと半森妖精(ハーフエルフ)の少年はカイとした約束を思い出す。

 

「“雌の肉壺”ってどうやって手に入れるんだろう?」

 

 次にあの二人に会ったときは、そのことを聞こうとオリオーヌは考えた。

 

◇◆◇

 

「いいこと? お義母(かあ)様と義弟(エリック)への取り次ぎは全て断りなさい。手紙も全部こっちに回して。元の使用人には暇を出して、世話は貴女の部下にやらせなさい」

 

 デーンファレ・ノプシス・リイル・ブルムラシューは自身の使用人の長、カミエに強い口調で指示を出した。

 カミエは鋭く整った眉を僅かに顰める。

 

「それではお嬢様のお世話が不充分になりますが……よろしいのですか?」

「お義父(とう)様がお亡くなりになったのです。事態が落ち着くまで私の世話は最低限で構いません」

 

 リ・ブルムラシュールにあるブルムラシュー侯爵の館は混乱していた。

 リ・エスティーゼ王国とバハルス帝国との戦争に於いて、領主であるブルムラシュー侯爵が戦死したとの知らせを受けたからだ。

 

 知らせを聞いた義母は部屋に閉じ篭もり、遠くを見つめながら果実酒を舐めるように飲み続けているという。

 幼い義弟もまた父親の死に衝撃を受け、今はデーンファレの後ろでちょこんと椅子に座り、不安そうな顔で姉の背中を見つめている。

 

「お義姉(ねえ)様……」

 

 消え入りそうな義弟――エリックの声に、デーンファレは強い表情を向ける。

 

「弱々しい顔を見せてはいけません。お義父(とう)様がお亡くなりになったということは、今は貴方がこのリ・ブルムラシュールの領主なのです。使用人や領民の前では毅然とした態度を示しなさい」

「で、ですが、僕はお義姉(ねえ)様みたいに領地のことを知りません。領地どころかこの館のことだって……」

 

 俯くエリックの顔をデーンファレは膝を突いて覗き込んだ。

 

「大丈夫です。私が力になります。お義父(とう)様が残したこの地はエリック、貴方だけの物なのですよ」

「僕だけ……お義姉(ねえ)様と、お母様は?」

 

 エリックの優しい目に、デーンファレは思わず微笑んでしまう。

 

「勿論、お義母(かあ)様と私はいつでもエリックの(そば)に居ます。貴方が立派な侯爵となって、リ・ブルムラシュール(ここ)を治められるようにね」

 

 これはデーンファレの本心だった。

 

 これまでデーンファレは王国での立場を確固たるものにするため義母とは何度も鍔迫り合いを行った。

 呪わしいリ・ロベルへの遊学においては義母を強く恨んだこともあった。

 だがそれもブルムラシュー侯爵の死によって大きく変化した。

 義父の死を嘆き悲しむ義母はあまりに儚く、か弱い人間としか思えなかったからだ。

 

 跡継ぎである義弟(エリック)はまだ幼く、義母もまた領地を維持しようとする意思がない。

 であればこそ養女であるデーンファレがリ・ブルムシュラールを支えなければならない。

 これは義理の家族のためだけでなくデーンファレ自身の居場所を確立するためでもあった。

 

 デーンファレは、まず義弟と義母に近付く者を全て遮ることにした。

 義父や義母の縁者は勿論のこと、御用商人や使用人も全てを追い返した。

 

 リ・ブルムラシュールの領地が抱える財は莫大で、それを狙う者は多い。

 神妙な顔をして近付いてくる者たちには注意を払わなくてはいけない。

 今は全ての人間が敵だと思って行動するときだとデーンファレは考える。

 

 戦争に大敗した王国は未だ安定しておらず、後ろ盾となるような有力貴族もまた被害からの建て直しに忙しい。

 女の自分が領地や爵位を継げないことは知っている。

 だからこそ義弟のエリックを侯爵として確たる人物に成さねばならない。

 

 まずは食料に関する支払いと戦時徴用された領民への保障を最優先とし、領民の不安と不満を抑えるようにする。

 これには義父の残した財が役に立つ筈だ。

 

 戦死した義父、ブルムラシュー侯爵は領内の経営をほぼひとりで行っていた。

 山小人(ドワーフ)との取引履歴が見つかったときは、流石のデーンファレも驚いた。

 そんな義父の有能さは残された財の莫大さが物語っているが、その中には国を裏切って得た物もある。

 

 今は混乱していて不問とされている事も、国勢が落ち着けば疑う者が出てくるだろう。

 これらを上手く処理してブルムラシュー家を存続させなければならない。

 場合によっては口封じをせねばならず、義父の直接の部下などは最も注意すべき粛清対象だ。

 暗殺であれば使用人リーダーのカミエが、処刑であれば護衛人の隊長ドルネイが上手くやってくれるだろう。

 

 デーンファレにとって幸いだったのは、義父が用意してくれた直属の使用人が有能だったことだ。

 カミエは才気に富み、その上多少の荒事も厭わずやってくれる。

 ドルネイは数の少ない護衛人を上手く率いて動いてくれる。

 そして何より、二人の忠誠を疑う要素は今のところ無い。

 

 義弟は幸いにして、デーンファレに懐いている。

 これからは彼がブルムラシュー侯爵であり、彼の意思決定が重要な意味を持つようになる。

 ブルムラシュー家を存続させる方向へと義弟を導かねばならない。

 そのためにデーンファレはどんなことでもするつもりだ。

 

 自分に色目を使ってきた貴族たちの能力を見極める必要がある。

 己の女をも存分に利用してやろうと心に誓う。

 やるべき事は多いが、デーンファレは諦めるつもりはない

 

 リ・ロベルで受けた恥辱をデーンファレは忘れていなかった。

 ブルムラシューの力をより強固なものにして、ピアトリンゲンの請負人(ワーカー)、カイとクレマンに復讐しなければならない。

 

 俯くエリックの頭を撫でながら、デーンファレは静かに復讐の炎を燃やすのだった。

 

◇◆◇

 

「クーデリカ、ウレイリカ、もう遅いから寝なさい」

 

 店内を走り回っていた娘たちに、ムーレアナは声をかけた。

 武器やアイテムが並んだ武器屋の店内は遊び場所としては魅力的だろうが、既に夜は更けており何より売り物で怪我をする恐れがある。

 

「私、眠くない」

「私も眠くなーい」

 

 双子は声を揃えて母親代わりのムーレアナに異議を唱える。

 まだまだ遊び盛りだし元の暮らしの中では、おそらく灯りを節約することなど考えたこともなかっただろう。

 武器屋の女主人は少し考えて、双子を脅かすであろう言葉を選んだ。

 

「あんまり遅くまで起きてると、また人攫いのおじさんが来ますよ?」

 

 その言葉を聞いて、双子の表情がこの家に初めて来たときのように強張る。

 マヤを助け出し、それにまつわる全ての問題を解決してくれたカイとクレマンにはどれだけ感謝しても感謝し切れていない。

 そんな恩人でもある人物を、子供の躾けのためとはいえ悪人扱いするのは忍びなかった。

 ムーレアナは申し訳ない気持ちを胸の内に隠しながらもうひとりの娘、マヤに言う。

 

「マヤ、クーデとウレイを寝室に連れて行って」

「はーい。クーデもウレイも、行こ?」

 

 マヤの手を二人がぎゅっと握った。

 自分たちより年長者にすがることで恐怖を紛らわしているのだろう。

 マヤもまた双子の気持ちを察してか、その手を強く握っていた。

 年齢がひとつかふたつしか違わないであろうマヤが、双子相手に年長者として振舞う姿は嬉しい反面、申し訳ない気持ちにもなる。

 まだまだ遊びたい盛りだろうにと。

 

「お仕事が終わったら私もすぐに行くからね」

 

 三人は本当の姉妹のように仲良く連れ立って、二階の寝室へと上がっていった。

 階段を見つめながらムーレアナは思いを馳せる。

 

 カイとクレマンティーヌに頼まれて、引き取った双子は貴族の娘であったらしい。

 金色の髪は綺麗に整っていて、着ていた服も良い仕立ての物だった。

 最初は貴族の娘が武器屋の貧しい生活に馴染めるか不安だったが、子供ならではの素直さと、マヤの優しさもあって、生活にも慣れて食事も好き嫌いなく食べてくれる。

 

 娘が三人に増えたことでムーレアナの苦労は増えた。

 武器屋が繁盛しだしたことも重なって、いよいよ手が回らなくなったとき、大商人であるオスクから店の手伝いを紹介してもらった。

 

 ジェスト・デセオの一件もあって、新しい手伝いを入れることに最初は抵抗があった。

 取引先でもあるオスクの薦めに押され、雇い入れたのは宮廷魔法学校の女学生だ。

 接客は苦手そうだが宮廷魔法学校で学んでいるだけあって数字に強く、マジックアイテムの鑑定ができるので、今では居なくてはならない存在になっている。

 オスクからの紹介の背後に、カイの後押しがあったのだろうとムーレアナは思っている。

 そうでなければこんな小さな武器屋に大商人のオスクが眼をかけるわけがない。

 

 実は二人を引き取るときに、カイから養育費として金貨とマジックアイテムを預かっていた。

 だが、今のところは手をつける必要もなく、出来ることならこのまま返却したい。

 ムーレアナはそう考えていた。

 

(それにしても……)

 

 双子が待っているという姉の行方について、ムーレアナは不安を感じていた。

 冒険者組合や市場で聞いた噂話では、どうも請負人(ワーカー)をやっていたらしい。

 大きな遺跡の調査に向かったというところまでは分かったが、そこから帰還したという話は聞いていない。

 家族が待つ家に戻ってこない者の運命は往々にして決まっている。

 

 頭に浮かんだ最悪の考えをムーレアナは打ち消す。

 

(……駄目ね。はっきりとした答えが出るまでは諦めるものじゃない)

 

 戻らないのはムーレアナの良人(おっと)も同じだ。

 双子の姉の帰還を、そして自分の良人(おっと)の帰還を信じて待ち続けるしかない。

 

 次にクレマンかカイが訪ねてきたときに相談してみようとムーレアナは考える。

 請負人(ワーカー)や冒険者に関することなら、彼らにこそ情報が集まるだろう。

 そう考えると少しだけムーレアナの気持ちが楽になる。

 

 やがて今日の売上確認を終えたムーレアナは店の灯りを消すと、三人の娘が待つ寝室へと向かった。

 

◇◆◇

 

 デミウルゴスは敵が消滅した場所を見つめていた。

 

 敵が落と(ドロップ)したアーティファクトとユグドラシル金貨、データクリスタルは闇妖精(ダークエルフ)の双子が全て回収した。

 アーティファクトはその殆どが取るに足りないものだが、あの世界級(ワールド)アイテムだけは別だ。

 闇妖精(ダークエルフ)の二人が持ってきた銀のタブレットを受け取るとデミウルゴスは安堵の表情を浮かべる。

 

「これはしかるべき時にアインズ様にお渡しすることにしましょう」

「あいつ、レベルのわりに大したことなかったね」

 

 闇妖精(ダークエルフ)の双子の姉は言った。

 

「それは私達の“チームとしての戦い”が上手く行ったからですよ」

「そっか。あの“樹”で練習した成果だね」

 

 双子の姉はデミウルゴスの言葉に納得したように頷いた。

 味方の損害が皆無だったのは、なんといっても闇妖精(ダークエルフ)の双子の力だ。

 多くの支援魔法(バフ)で同胞を強化してくれた。

 

「こ、これで良かったんですよね? デミウルゴスさん」

「そうですよ。これでアインズ様とナザリックに害が及ぶ可能性をひとつ潰すことができました。このことはアインズ様も大そうお喜びになるでしょう」

「そ、それは良かったです。えへへ」

 

 双子の弟が気弱そうに微笑み、デミウルゴスもまた微笑を返した。

 そこに冷気をまとった巨大な蟲人が、不機嫌そうにガチガチと威嚇音を立てながら近付いてくる。

 

「……早ク、戻ルベキデハナイカ?」

「その通りですね。階層守護者がナザリックを留守にする時間はなるべく少なくしましょう」

 

 武人気質の同僚には気の毒をしたとデミウルゴスは思う。

 満足に力を出せない相手をただ切り裂くだけの役割を与えたのだから。

 だが、ナザリックの被害を最小とすべきことは主人(あるじ)の願いであり、それはナザリック全ての下僕(しもべ)の感情に優先される。

 彼にはどこか別のところで満足できる戦いを用意してやろうと考える。

 

「戻りましょう。私達のナザリックへ」

 

 その言葉に3人は踵を返す。

 

 デミウルゴスはもう一度だけ敵が消滅した場所を見て、それから3人の後に続いた。

 自らの主人(あるじ)が勧誘した者への嫉妬の炎を心の中でかき消しながら。

 

◇◆◇

 

 クレマンティーヌは闇の中に居た。

 闇の向こうに薄汚い(もや)があり、(もや)の先には髑髏があった。

 眼窩に血色の輝きが灯ると、髑髏は大きく口を開け笑いだした。

 髑髏の笑い声が闇をかき消し、あたりは輝きと安堵に満たされた。

 やがて(もや)も髑髏も消え、クレマンティーヌだけが残された。

 

 

 クレマンティーヌは寝台(ベッド)に横になっていた。

 意識が次第に明瞭になり、薄暗い室内が見えてくる。

 ゆっくりと身体を起こすと、それに合わせて二つの人影が動くのが見えた。

 ひとつはクレマンティーヌの見覚えのある顔だった。

 

(……カジット・バダンテール?)

 

 向こうも様子を窺っていたのだろう。

 目覚めたクレマンティーヌを見て、カジットはどこか怪しむような奇妙な表情を浮かべていた。

 

「……気がついたか」

 

 もうひとりはズーラーノーンの従者だ。

 自分が組織(ズーラーノーン)の高弟であることをクレマンティーヌは改めて思い出す。

 

「……ここは?」

我ら(ズーラーノーン)の隠れ家よ。バハルス帝国の、な」

 

 薄暗い室内を見渡すと、その壁や装飾には確かに覚えがある。

 帝都(アーウィンタール)にあった隠れ家だ。

 帝国でズーラーノーンの仕事を手伝ったときに何度か訪れたことがあった。

 居場所が判った事は良しとして、()()()()()()()()()()()が何故帝都(アーウィンタール)にいるのかが判らない。

 カジットがクレマンティーヌに声をかけた。

 

「……おぬし、どこまで覚えておる?」

 

 なんとも奇妙な問いだ。

 クレマンティーヌは顔を顰める。

 

「何、カジっちゃん? それ、どーゆー意味?」

「……言葉通りよ。おぬしが最後に見たものは何だ?」

 

 そう言われてクレマンティーヌは自らの記憶を探る。

 

 風花聖典の目を避け、リ・エスティーゼ王国の城塞都市エ・ランテルに逃げ込んで眼前に居る魔法詠唱者(マジック・キャスター)、カジット・バダンテールに共闘を申し出た。

 冒険者を拷問惨殺して、生まれながらの異能(タレント)持ちの少年を拉致した。

 そして――、

 

「……エ・ランテルの墓場でモモンとかいう糞ったれと殺し合ったことかなー?」

 

 クレマンティーヌは言葉を選びながら思い出したことを口にした。

 別に秘密にすることは何もないが、カジットの問いただすような物言いが気に入らない。

 そして、その後のことは口にしないし、したくもない。

 モモンは髑髏の顔を持つ魔法詠唱者(マジック・キャスター)の正体を見せ、クレマンティーヌを捕らえて背骨を圧し折ったことは。

 

 クレマンティーヌが覚えているのはそこまでだ。

 時折、薄汚い(もや)が記憶の中を()ぎるが、それは具体的な形にはならなかった。

 

「モモンの正体は覚えておるか?」

 

 カジットの奇妙な問いは続いた。

 

「正体……とか言うってことは、そっちでも分かってんじゃない?」

(おおよ)そのところは、な」

 

 クレマンティーヌは大げさに溜息を吐いてみせる。

 

「まっさか、鎧の中身が不死者(アンデッド)だったなんてねー。……あれ? もしかして、それも知ってた?」

「……知っておる」

 

 カジットの顔に驚きは無かった。

 フードの従者はもとより表情が判らない。

 

「あーあ。せっかく重要な情報を持ってきたと思ったのになー。ヤられ損かー」

 

 そう愚痴りながらクレマンティーヌは自分の腹に視線を落とす。

 そこには血も傷もない滑らかな自慢の肌があるだけだ。

 触っても痛みはなく、あの苦しみが嘘のようだ。

 

「もしかして……私、死ななかったとか? 死ぬ前に助けて貰っちゃったりした?」

「いや。おぬしは死んだ」

「……あ、そ」

 

 カジットの身も蓋もない回答に気落ちしながらも、クレマンティーヌは頭の中を整理する。

 

 クレマンティーヌはエ・ランテルの墓地でモモンによって殺され、そして何らかの手段で蘇った。

 今はバハルス帝国の帝都(アーウィンタール)にあるズーラーノーンの隠れ家に居る。

 

 そこまでは理解したが、それ以上のことが分からない。

 

 覚えの無い装備に身を包まれていることも、覚えの無い袋が自分の荷物のように寝台(ベッド)の傍らに置いてあることも気になるが、それらを表に出すことはしない。

 自分のものにしてから確認すれば良いからだ。

 

「そういえばカジっちゃん、なんか()()ねー? もしかしてカジっちゃんも死んじゃったー?」

 

 カジットはエ・ランテルに居たときに比べると覇気が無く、その存在もどことなく薄く感じる。

 クレマンティーヌの挑発にカジットは口惜しげに顔を歪めた。

 

「すぐに元の力を取り戻してみせるわ」

「……ふーん」

 

 カジットの強がりを聞き流して、クレマンティーヌは自身の次の行動を考える。

 

 生き返らせて貰ったことには感謝するが、彼女の本来の目的はスレイン法国の追手から逃れることだ。

 ズーラーノーンの頚木(くびき)が目的を妨げるようなら、クレマンティーヌは何時でも組織から抜け出すつもりだった。

 

 身体の調子は悪くない。

 覚えの無い装備は違和感なく身体に馴染んでいる。

 カジットと従者を殺して、このまま逃げることもできるだろう。

 そう考える一方で、クレマンティーヌは違和感を感じていた。

 

 死から復活は生命力を激しく消費させ、持っていた能力を失うものだ。

 それは漆黒聖典時代の同僚の様子でクレマンティーヌは知っていた。

 だが、今の彼女にはそんな自覚症状が無い。

 倦怠感も焦燥感も無く、試してはいないが覚えていた武技も普通に使えそうだった。

 

「私も死んだんだよねー? 別に死ぬ前と変わった感じしないんだけど?」

 

 カジットはちらりと従者に視線を向けた。

 その視線の意味がクレマンティーヌには分からない。

 

「ふん。天使とでも踊った(運が良かった)のだろう」

 

 忌々しげにカジットが口にしたのは、スレイン法国風の慣用句だ。

 

「……なにそれ?」

 

 クレマンティーヌは聞き返したが、それ以上説明する気はないのかカジットは無言になった。

 

 どうにもカジットの態度は、何かを知っていて説明しない様子に見える。

 それでいてクレマンティーヌの扱いに困惑している節もある。

 

 怒りに任せて従者諸共殺してしまいたくなるが、今の彼女には情報がない。

 しばらく二人に付き合って情報を集めてから身の振り方を考えた方が良いように思えた。

 それに、腰に下がった細剣(レイピア)の性能確認や、どうやら自分の物らしい袋の中身など、後のお楽しみはいくらでもある。

 

「そんでさー。これからどうすんの?」

 

 組織(ズーラーノーン)が動いていることには間違いはない。

 そうでなければわざわざクレマンティーヌを蘇らせたりはしないだろう。

 

「盟主からの召集があった。世界に少しばかり動きがあったのでな」

「世界の動きねぇ……」

 

 思ったよりも規模の大きな話を聞いて少し戸惑った。

 だが、自分に出来ることは所詮殺しであり、その才能を以って組織に誘われた以上、わざわざ別の任務や行動を強いることは無い筈だ。

 

「生き返ったばかりで、ちょっと体調が悪いんだよねー。だからお休みできないかな?」

 

 クレマンティーヌの冗談にカジットは素気無く首を横に振った。

 

此度(こたび)は十二高弟全員への召集だ。例外はないわ」

「はーん、そりゃ残念。私がなんか失敗したら助けてよね。死んだ者同士なんだしさ」

 

 そうカジットに皮肉を言いながらもクレマンティーヌは召集に応じる気になっていた。

 まだ見たことの無い同僚と世界の動きとやらに興味が湧いたからだ。

 

 そして言いたいことがもうひとつあった。

 

「ところでさ。さっきカジっちゃん、私が天使と踊った(運が良かった)って言ったよね?」

 

 下らない話は聞きたくないとばかりにカジットは胡散臭そうな表情を浮かべる。

 

「私と踊るような天使なんているかなー? 法国を捨てた人間だよ?」

 

 スレイン法国を裏切りズーラーノーンに与したクレマンティーヌである。

 法国で召喚され使役されるような天使共から加護を与えられる気はしない。

 カジットはしばらく沈黙した後に口を開いた。

 

「ならば()()とでも踊ったのだろう」

 

 クレマンティーヌは驚いた。

 朴念仁の魔法詠唱者(マジック・キャスター)からこんな気の利いた言葉が返ってくると思わなかったからだ。

 

「……鬼畜と踊った、か。けけっ。そりゃいーね。天使よりも話が通じそうだ」

 

 クレマンティーヌはけらけらと笑った。

 

 そんなに大笑いした訳でもないのに涙が滲んでくるのが不思議だった。




『疾風走破は鬼畜と踊る』(終)




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ユグドラシル編
余話「疾風走破、登場せず」


設定話です。
優しく見逃してもらえると助かります。


 庭園にひとりの童女が立っていた。

 

 広く明るい敷地には青々とした草が生い茂り、所々に色とりどりの花が咲き誇っている。

 それら草花の間には格子状に道が通り、その道をつなぐようにいくつかの休息所があった。

 その庭園には空がない。

 上はアーチ形の高い天井が広がり、周囲は完全に壁で仕切られている。

 天井には荘厳な絵画が描かれていて、壁には緻密な装飾の施された扉が並んでいるが窓はひとつもない。

 庭園の明るさを生み出しているのは天井と壁に並んだ数多くの照明灯である。

 そこは巨大な地下庭園だった。

 

 童女は扉を見つめていた。

 

 服装は前世紀のコミックやアニメーションに出てくるようなシンプルなもの。

 あどけない顔に悲しそうな、そして何かにすがるような微笑を浮かべている。

 見る者の庇護欲を、あるいは嗜虐心を誘うような表情だ。

 

 奇妙なことにその童女の表情はほんの少しも変わらなかった。

 憐憫を誘う表情のまま眉も頬も口元も動かさず、並んだ扉をひとつひとつ時間をかけて見ている。

 その仕草は落ち着いていて、幼い子供によくある不安定さはない。

 帰り道を探すような必死さも懸命さもなく、ただ扉にある何かを念入りに確かめているだけだ。

 

 ふいに童女が振り返った。

 

 幼い視線が庭園の奥をじっと見つめる。

 視線の先にあるのはひとつの扉だった。

 その扉は童女の立っている位置からは()()()距離が離れており、とても()()()距離ではない。

 そんな見える筈もない扉から童女は視線を外すことなく、近くの休息所の陰へと隠れた。

 それら一連の動きに無駄はない。

 幾度となく繰り返された熟練の戦士のような動作だった。

 

 童女はつぶらな瞳で扉を凝視しながら片手を上げ、そして逡巡する。

 扉の向こうから何が現れ、どう対峙するのかを明らかに決めかねているようだ。

 それでもなお迫りくる危機の予感に表情の変わらない童女は殺気を放ち、地下庭園が緊張感に包まれた。

 そして――、

 

 扉を軽快に叩く音が聞こえた。

 

 殺気と緊張感が霧散する。

 扉を開けて姿を見せたのは、黄金の鎧を身にまとった猛禽の頭を持つ人型の怪物だ。

 

「あーすみません。脅かしちゃいました?」

「いやー肝を冷やしましたよ、殺されるかと思って」

 

 庭園の端と端まで離れていても会話は通じた。

 童女の言葉に緊張感はない。

 そして鳥の怪物にも。

 

「お久しぶりです、ペロさん」

「マラさんもお久でーす」

 

 童女と鳥人、二人の前に笑顔の表情アイコンが浮かんで消えた。

 

 

 YGGDRASIL(ユグドラシル)と呼ばれるゲームがある。

 

 没入式多人数参加型オンライン(DMMO-)ロールプレイングゲーム(RPG)において日本で最も人気が高いものだ。

 登場アイテムの多さとプレイヤーの自由さは他のゲームの追随を許さず、難易度の異常な高さと相まって、数多くのプレイヤーをときに喜ばせ、ときに絶望に叩き込んだ、それがユグドラシルである。

 そんなオンラインゲームに数多く存在する隠しダンジョンのひとつが、この地下庭園であった。

 

 童女と鳥人はそれぞれユグドラシルにおけるプレイヤーの仮の姿(アバター)である。

 

 童女のアバターを持つ者はカルボマーラ。

 独り遊び(ソロプレイ)を主とするプレイヤーだ。

 

 鳥人のアバターはペロロンチーノ。

 ユグドラシルの世界のひとつヘルヘイムで悪名を馳せる異形種ギルド、アインズ・ウール・ゴウンのメンバーの一人だ。

 

この世界(ヘルヘイム)じゃマラさん、危なくないですか?」

「そーなんですけどねー。まだピークタイムじゃないから大丈夫かなーと」

「まあ、その外見だから手加減されるかもですけど」

「流石、出会った瞬間に味方してくれた人の言葉は説得力がありますね」

 

 二人は笑った。

 鳥人の身体が揺れる度に、黄金の鎧から金のエフェクトが零れ落ちては消えていく。

 

 

 カルボマーラが初めてヘルヘイムを訪れたとき、異形種プレイヤー複数人に囲まれたことがあった。

 ユグドラシルはゲームの仕様としてプレイヤー同士の争いを推奨している節がある。

 人間種アバターのプレイヤーが異形種アバターのプレイヤーを倒す。

 逆に異形種プレイヤーが人間種プレイヤーを倒すことで、それぞれ様々なボーナスが貰えるのも、その説を裏付ける仕様だ。

 そんなボーナス狙いの異形種プレイヤーが童女アバターのカルボマーラを襲ったのだ。

 勿論、カルボマーラはカルボマーラで、異形種狩りのボーナスを獲得するため、運営が用意した傭兵NPCを連れてヘルヘイムを探索していたのである。

 

 カルボマーラを襲ったのは、いずれもレベルが80そこそこの中級プレイヤーだった。

 初心者から中級者へとステップアップして自信がついたところで、人間種狩りという新しい実績が欲しくなったのだろう。

 だが、強面で巨漢の傭兵NPCを全力で倒したとき、それが囮で本命が後ろで逃げ回っていた童女だと悟った彼らは、戦闘を続けるかどうかを迷った。

 

 カルボマーラの童女の外見はあくまでアバターであり、その中身は上限であるレベル100の巨大斧使いである。

 同レベルの上級プレイヤーには分が悪いが、中級プレイヤーが相手なら複数人をまとめて倒せるだけのHPと技量があった。

 カルボマーラは囮の完璧な働きに感謝しつつ、万全な状態で異形種狩りができると童女のアバターの中でほくそ笑んでいたのだ。

 

 そんな瞬間(とき)に黄金の鎧に身を包んだペロロンチーノが現れたのだ。

 

 (ペロロンチーノ)の外見と所属ギルドを知っていたカルボマーラの行動は早かった。

 判断に迷い硬直している中級プレイヤーたちを尻目に、自分の童女アバターは欺瞞(ぎまん)であり、襲ってきたプレイヤーたちには()()()()非がないことを素早く説明したのだ。

 生き残る可能性を考えたら、何をおいてもすぐに逃げるべきかも知れない。

 しかし、カルボマーラは今後ユグドラシルをプレイし続ける上で、悪名轟くアインズ・ウール・ゴウンを敵に回すべきではないと判断したのだ。

 

 異形種プレイヤーであるペロロンチーノは、同じ異形種の中級プレイヤーたちと童女アバターのカルボマーラを何度も見比べた。

 そしてペロロンチーノは、己の正義(ジャスティス)に従うと宣言し、童女アバターのカルボマーラに加勢することにした。

 その結果、中級プレイヤーたちにとって理不尽で痛ましい時間が流れ、カルボマーラは異形種狩りにまつわる実績をいくつか手に入れることになった。

 

 戦闘終了直後にペロロンチーノが、

 

「……本当に欺瞞(ぎまん)だったんですね」

 

 と気落ちしたように呟いたことをカルボマーラは覚えている。

 

 それから何度かヘルヘイムで遭遇することあり、お互いに()()が近いことを知って、現在はペロさん、マラさんと呼ぶ仲になっていた。

 

 

 地下庭園の休息所にはベンチやテーブル、そして何故かベッドまで設置してあり、二人はそのベンチに腰掛けた。

 ゲームの中なのでアバターは立ったままでも疲れることはないが、座ってしまえばなんとなく安心するからだ。

 

「ペロさん、今日は休みですか?」

「あーまあ、色々あって……」

 

 詳しいことは聞かない。

 ゲームとは遊ぶ場所であり、競争する場所であり、そして逃避する場所である。

 「色々」は本人が言いたいときに言えばいい。

 

「ペロロンチーノお兄ちゃん、今日は何をするの?」

 

 カルボマーラは童女の声で話しかけた。

 

「うぉっ!……ボイスチェンジですか。ツールですね?」

「はい。ちょっと前にプラグインを入れました」

 

 カルボマーラは元の声に戻す。

 常時この声を出していると自分の精神が何かに浸食されてしまう気がする。

 

「……俺は分かりますけど、騙されるプレイヤー()も、いますねこれは。俺は分かりますけど」

 

 ペロロンチーノが何やら考え込んだ。

 

「怒る人もいますね、これは……」

 

 プレイヤーキルを半ば推奨されているユグドラシルでは騙し騙されは日常茶飯事だ。

 今更、怒るプレイヤーがいるのだろうか。

 

「でもユグドラシル(このゲーム)なんで、騙される方が悪いというか……」

「あ、いやー。怒るってのは、別の方向で……」

「……別の方向で?」

「そう。別の方向で」

「はぁ……」

 

 カルボマーラは曖昧に頷く。

 理解できないことはスルーするのが賢明だ。

 

「でもあれですね。見た目も声も幼女しちゃうと、変態に絡まれたりしないですか?」

「……ペロさんとか?」

「……いや。別の方向で」

「別の方向……。あー嗜虐(サド)系? まだ遭ったことないですね。自分、素人しか狙わないので」

「素人って……。玄人(プロ)がいるんですか?」

「んー。アインズ・ウール・ゴウンの人たちとか玄人(プロ)っぽいじゃないですか。技術も、性癖も」

「性癖も?」

「性癖も」

 

 カルボマーラは言葉に力を込める。

 流石に目の前の鳥人が代表者だ、とまでは口にはしない。

 

「いや……しかし……そういえば……」

 

 ペロロンチーノは納得できていないようだ。

 自分のことを考えているのか、それとも他に心当たりがあるのだろうか。

 

 物思うペロロンチーノを見ながら、カルボマーラはアバタートラップをかけるためのネタをこの鳥人から貰ったことを思い出した。

 

「……だったら、今作ってるNPCが出来たら童女ロールプレイでもっと騙せるようになりますね」

「NPC……ですか?」

「傭兵NPCですよ。プラグインで1体、外に出せるようになったじゃないですか」

「課金でしたっけ?」

「課金ですね」

 

 ユグドラシルはあくまでも商品であり、そのゲーム内の楽しみは課金によって支えられている。

 

 独り遊び(ソロプレイ)が中心のカルボマーラは、マルチプレイを楽しむ無課金プレイヤーとの格差を課金によって埋めているつもりだった。

 マルチプレイを楽しむ課金プレイヤーとの差は埋められないが、それは仕方のないことだと諦めている。

 

「課金で使()()()ようになりますか?」

 

 この「使える」というのは、同格の他プレイヤーやイベントボスとの戦いに傭兵NPCが役に立つか、という意味だ。

 ペロロンチーノ級の高レベルプレイヤーが疑問を抱くのは当然だろう。

 しかし、出てくる答えは決まっている。

 

「無理ですね。外見とビルドだけです。この運営なんで」

「この運営でしたね」

 

 童女と鳥人は深く頷き合った。

 

「ペロさんは専用NPCを囲ってるんでしょ、ギルドで」

「そんな! 愛人みたいに言わないでくださいよ! ……まあ、確かに愛情は注ぎまくってますけど。異形種縛りでどこまで可愛くできるか考えて――」

 

 自作NPCの素晴らしさをペロロンチーノは滔々と語り始めた。

 カルボマーラも自分のNPC作りの参考になるかもと、性癖のプロの語りに耳を傾ける。

 

「――それでマラさんのNPCはすぐ出来そうですか?」

 

 自らの性癖を語り終えた鳥人が童女に訊ねた。

 

「うーん。キリがないんで、外見はフィックス(決まりに)しようかなと。あとはビルドをどうするか、ですね」

「どんな見た目です? 可愛いですか?」

スクリーンショット(SS)……見ます?」

 

 興味津々のプロフェッショナル鳥人に、カルボマーラはアルバムの画像を見せる。

 

「こっちをアクティブに動かしてヘイトを稼がせるつもりです。余裕があるときは回復も――」

「キモいおっさんじゃないですか! なんでわざわざこんなのを作るんですか!」

 

 ペロロンチーノは落胆し、カルボマーラを厳しく非難した。

 

「えー。ネタ出したのはペロさんじゃないですか!」

「え……。そうでしたっけ?」

「このアバターにぴったりのゲームキャラがいるって」

 

 ペロロンチーノは考え込む。

 

「聞いたネタで探しましたよ。広大なネットの海を」

「……言われてみれば、そんなことを言ったような気がします」

 

 鳥人は明らかに自分の発言を思い出していない。

 

「言ったんですよ! ……で、調べたら思いっきりエロゲでした。リメイクされたのがライブラリにあったんですが、うちの環境じゃ動くのがなくて」

「旧世代エロゲの動作環境維持は不毛というか贅沢品ですもんね……。エミュ(レータ)はなかったんですか?」

 

 旧世代のゲームを動かす方法はいくつかあった。

 ライブラリに上がっているものであれば、対応デバイスを持っていたらプレイできる。

 世代が古すぎるとOSが対応していない場合が多い。

 そういうときは諦めるのが普通なのだが、旧ゲームマニアは所持しているデバイスで動かす方法を持っていたりする。

 別のデバイスを別のOSに再現するエミュレータは、そのひとつだ。

 だが、カルボマーラはなんとなくエミュレータには手を出していなかった。

 

「そっちは忘れてました。クラシックエロゲのプレイ動画を流してる人がいたんで、そこでキャラの確認をしたんです」

「どうでした?」

「面白いキャラですね。ただの変質者かと思ってたら色々設定があって――」

 

 兄弟がいるとか、鬼畜を吹聴する癖にお人好しだとか、そんなキャラクターの設定をカルボマーラは語る。

 

 黄金に輝く鳥人に童女が語り掛ける姿というのは、まるで神話か童話のワンシーンだ。

 語られているのが旧世紀のエロゲの話でなければ、だが。

 

「――で、NPCの設定にけっこう書き込みましたよ」

アインズ・ウール・ゴウン(うち)にもいますねー。設定を作りこむ人」

「ペロさんもでしょ? まあ、フレーバー(気分)でしかないんですけど」

 

 カルボマーラの気持ちがよく分かるのだろう。

 鳥人が力強く頷いた。

 ペロロンチーノもまた拠点用NPCを作り込み、その魅力を語り尽くせるプレイヤーなのだ。

 

「装備はどうするんです?」

「純正装備は合わないんですよね、派手すぎて」

 

 純正とはユグドラシルの運営が公式に用意している武器や鎧の事だ。

 比較的楽に入手できるので、使い潰すことが前提の傭兵NPCにはもってこいである。

 勿論、性能やデザイン面は良くも悪くも凡庸であるため、多くのプレイヤーはアバターの装備として使うことは少ない。

 そして上級プレイヤーは自分が作ったNPCにも純正装備を持たせることはなかった。

 

「分かりますよー。だから俺は武器だけは頑張って神器級(ゴッズ)にしました」

「……NPCに神器級(ゴッズ)は無理ですね。だいたい自分でも持ってないし」

 

 神器級(ゴッズ)は限定的な能力においては、ゲーム中最高である世界級(ワールド)アイテムを凌ぐこともあり得るクラスだ。

 材料集めの労力は桁外れであり、独り遊び(ソロプレイ)が中心のカルボマーラは自分の装備を神器級(ゴッズ)にすることは半ば諦めている。

 

「そんな訳で、適当な機能をジャージとタオルに仕込もうかと。クリスタルはそこそこ持ってるんで、後は……」

「課金ですか?」

「課金ですね……」

「わはは」

「わはは」

 

 二人の乾いた笑い声が地下庭園に響く。

 ペロロンチーノの鎧から輝く金粉エフェクトが零れ舞った。

 

「話がずれましたが、ペロさん、今日は何を?」

「ギルメンのインまで()()で時間を潰そうかと」

「好きですねー」

「マラさんだって、ここにいるじゃないですかー」

 

 二人がいるこの隠しダンジョンはダッシュウッドの修道院(アビー)という名を持つ。

 ダンジョンといっても本体の地下庭園自体は入口から一本道であり、地下庭園の壁面にある各々の扉から怪物(モンスター)の住処まで横道もない怪物博物館的な構造をしていた。

 扉のデザインが全て同じなので帰り道が分かり辛いくらいで、迷うような要素はほぼない。

 ただしダンジョンそのものの場所は発見は困難だ。

 

 入口は小さな岩山に扉があるだけの簡素なもので、その周囲は広大な砂漠になっている。

 砂漠は移動するだけでプレイヤーにダメージを与えるため、()()()()()プレイヤーでないと発見が難しい。

 ペロロンチーノから教えてもらわなければ、カルボマーラもこのダンジョンを訪れることはなかっただろう。

 そんな発見が困難で構造が単純(シンプル)なこのダンジョンのキモは、何と言っても配置されている怪物が全て女性型モンスターであるという点だ。

 おそらくユグドラシルの運営の中に好き者がいたのだろう、とはペロロンチーノの分析だ。

 

「自分は違いますよ」

「何が違うんですか? 今日の狙いはなんですか? サキュバス? それともナーガ? もしかしてアラクネーとか?」 

「……スクリーンショット(SS)を見たんです……」

 

 カルボマーラがぽつりと呟いた。

 

「いわゆる画像掲示板で、なんですけど……吸血鬼の花嫁(ヴァンパイア・ブライド)のドレスの中身だったんですよね……」

 

 ペロロンチーノの目が光った。

 それは課金エフェクトには出せない真実の光だ。

 

「……画像は?」

「こちらに……」

 

 カルボマーラはアルバムに保存していた画像を(うやうや)しくペロロンチーノに見せた。

 

「……コラじゃないですか?」

「疑ってはいます……でも……」

「でも……」

「自分の目で確認することが必要かな、と」

「……なるほど。それは必要ですね」

 

 隠れているものを探し出すことはこのゲーム(ユグドラシル)の本質である。

 それはダンジョンであったりアイテムであったり、あの娘のスカートの中だったりする。

 そこにやましい気持ちは微塵もない。

 真実をゲットするための探求心に溢れる童女と鳥人は、がっちりと握手をした。

 

「確かに……ここだったら確実に吸血鬼の花嫁(ヴァン・ブラ)が居ますね。」

 

 この地下庭園の扉にはプレイヤーレベルによる制限が設けてある。

 このような制限を付けるのは自由を標榜(ひょうぼう)するユグドラシルにしては珍しいことだ。

 抗議活動や訴訟を回避するためだろうとペロロンチーノは語っていたが、そんな業界の事情には詳しくないカルボマーラは漠然と受け入れている。

 重要な事はこのダンジョンには吸血鬼の花嫁(ヴァンパイア・ブライド)が確実に存在し、上限までレベルを上げ切った今の二人であれば、いつでも間違いなく遭遇できるということなのだ。

 

「違う場所だと他のプレイヤーが邪魔ですし」

「ここは、そうそう人も来ないでしょうね」

 

 ダッシュウッドの修道院(アビー)の場所をカルボマーラに教えてくれたのはペロロンチーノである。

 何故この場所を教えてくれたかは定かではないが、ユグドラシルの攻略情報はギルドやクランの中でのみ共有するのが常識だ。

 カルボマーラもまたネット上でこのダンジョンの情報を見たことはないし、誰にも話していない。

 話す相手がいない。

 

ペロさんのところ(アインズ・ウール・ゴウン)のギルメンは来ないんですか?」

「何回か誘ってるんですけどねー。ガチ勢ばかりで来てくれないんですよ」

 

 ダッシュウッドの修道院(アビー)手に入(ドロップす)るアイテムやクリスタルは、その量も稀少(レア)度も普通だ。

 いわゆる稼ぎ用ダンジョンほどの旨味がなかった。

 女性型モンスターの出現だけが取り柄のダンジョンに、アインズ・ウール・ゴウンのような高位ギルドのプレイヤーが来ることは(レア)だろう。

 

「まあ、アインズ・ウール・ゴウンの人たちじゃあ仕方ないですね……」

 

 そんな(レア)な鳥人を見ながらカルボマーラは言う。

 

「あ、でも、ギルマスは興味ありそうでしたよ。タイミングが合えば、いつか連れてきたいですねー」

「……ギルマスっていうと……モモンガ――さん?」

 

 ナザリック攻略失敗動画で見たモモンガの姿をカルボマーラは思い出した。

 

「……ガチガチのハードプレイヤーなんじゃないですか、あの人?」

「いやいや、結構柔らかいですよー。よく気が回りますしね」

 

 アインズ・ウール・ゴウンのギルドマスターであるモモンガは、ネット上に攻略情報が出回っているようなプレイヤーだ。

 簡単に倒せたという書き込みも、完膚なきまでに叩きのめされたという書き込みもあった。

 これら矛盾する書き込みから察するに、ネット上に拡散されている情報もまた敵プレイヤーを倒すための撒き餌なのだと思わざるを得ない。

 それだけ用意周到なプレイヤーであっても――いや、用意周到であるからこそ身内に対して気が使えるのかも知れない。

 ギルドにもクランにも所属していないカルボマーラにとっては縁のない話であるが。

 

「手順はどうします? ()()()は何かありますか?」

 

 少し考え込んでいたカルボマーラにペロロンチーノが話しかけた。

 

 ユグドラシルにおいて時間対策は必須だ。

 ただし、攻め手として魔法やスキルを持っているのは、チームのワイルドカード(なんでも屋)か、カルボマーラのような独り遊び人(ソロプレイヤー)くらいだろう。

 

「ありますあります。コンボはできませんけど」

 

 時間停止系の魔法やスキルに攻撃のタイミングを合わせることは難しい。

 数多(あまた)居るユグドラシル・プレイヤーの中でもそれができるのはほんの一握りである。

 そしてカルボマーラにはそんなことはできない。

 

「問題はどのタイミングで時間停止するかですけど……」

「それなんですけど吸血鬼の花嫁(ヴァン・ブラ)は、上への攻撃の中にドレスが翻る動作(モーション)があるんです」

「……ふむふむ」

「ランダムで、しかもあんまり出さない攻撃らしくって――」

「つまり、上から()()攻撃を何度も当てないとダメってことですね」

 

 ペロロンチーノが説明しようとしたカルボマーラに先んじた。

 

 カルボマーラやペロロンチーノのようなレベルを上限まで上げたプレイヤーは、通常攻撃を普通に当てるだけで吸血鬼の花嫁(ヴァンパイア・ブライド)を倒せてしまう。

 モンスターの出す様々な攻撃を見るためには、常に相手のヘイトを買いつつ、何度も攻撃を受け続けなければならない。

 

 それらをどう説明しようか考えていたカルボマーラは、ペロロンチーノの理解力の高さに感心する。

 考えてみればユグドラシルにおいては、どんな場合であっても適切な行動を取らないと()()()()

 チーム戦やイベント戦ともなれば、より素早くより適切な行動を選ばなければ生き残ることさえ難しくなる。

 ギルドが上位になればなるほど、その要求は厳しいものになるだろう。

 ペロロンチーノの理解力の早さは、そんな上位ギルドのメンバーが必ず備えているものなのかも知れない。

 

「……はい。その瞬間(とき)が“時間停止”のタイミングで――」

「撮影のタイミングだと」

 

 二人は大きく頷き合う。

 全てを語る必要はなかった。

 そこには全てが伝わった確かな確信がある。

 童女と鳥人は固い握手を交わした。

 

「では、よろしくお願いします」

 

 どちらからともなく、そう言うと二人は地下庭園の扉を開け、吸血鬼の花嫁(ヴァンパイア・ブライド)の部屋に嬉々として入っていった。

 

◇◆◇

 

「……真っ黒ですね」

「真っ黒ですね……」

 

 カルボマーラはペロロンチーノの援護を得て十数枚ものスクリーンショット(SS)を撮った。

 どの画像もドレスを大きく翻らせた吸血鬼の花嫁(ヴァンパイア・ブライド)白蝋(はくろう)のような青白い太ももが大写しになっている。

 しかし、太ももの最も重要であるつけ根の部分は墨のように真っ黒だった。

 

「奥は見えませんね」

「見えませんね……」

「……」

「……」

 

 探索を是とし発見を良しとするユグドラシルとしてはあまりに無体な結末。

 そして性的な物や煽情的な物に厳しいユグドラシルとしては当然の結末であった。

 

 二人は絶望に打ちひしがれ、重い沈黙が地下庭園を支配する。

 世界級(ワールド)アイテムを失ったとしても、これほどまでの落ち込み様はないだろう。

 

 先に動いたのはペロロンチーノだ。

 

「……ギルメンがログインしたみたいです。俺はベースに戻ります」

 

 カルボマーラは時間を確認する。

 ピークタイムが近づいていた。

 異形種プレイヤーで賑わう百鬼夜行が、このヘルヘイムで始まろうとしている。

 

「もうそんな時間ですか……。それじゃ自分はログアウトしてNPCいじりの続きでも……あ」

「……どうしました?」

「さっきのスクリーンショット(SS)ですけど……明度とか彩度とかをいじったら中身が見えたりしませんかね?」

「……その手が、ありましたか……」

 

 ペロロンチーノの猛禽の瞳が輝いた。

 本日二回目の真実の光だ。

 

「でも今はツールが使えないんで、編集はログアウトしてからになります」

「……そうですか」

 

 鳥人は再び打ちひしがれる。

 世界級(ワールド)アイテムを失ったとしても、以下略。

 

「できたら、どんな物であれ送り(メールし)ますよ、とりあえず」

 

 ペロロンチーノとは対照的に、カルボマーラの声は残酷なほど明るかった。

 

「よろしくお願いします!」

「任せてよ、ペロロンチーノお兄ちゃん!」

 

 ボイスチェンジした返事にペロロンチーノの動きが固まる。

 しばらく無言が続いたので、これは何かやらかしたかとカルボマーラは後悔した。

 そんな彼の耳に「これは違う……これは違う……」と呪詛のような呟きが聞こえてくる。

 カルボマーラは少し動揺した。

 

「……そ、それと、NPC(おっさん)も出来たらスクリーンショット(SS)送りますね」

「あ、そっちは別にいいです」

「わはは」

「わはは」

 

 童女の前に泣き顔のアイコンがぽこんと浮かんで、消えた。

 

(了)



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