生まれたことが消えない罪というなら、俺が背負ってやる (ルシエド)
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旅の始まり

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ピッ


 寒いな、と思い空を見上げた少年の額に、冷たいものが舞い落ちる。

 

「……雪か」

 

 長瀬(ながせ)裕樹(ひろき)は、寒い日が来るたびに思い出す。

 

 木も命も枯れ、身も心も冷え込むような、空も世界も薄暗く見える、あの冬の戦いのことを。

 

「さむっ」

 

 一人の少年を主役とし、中心とした物語があった。

 主演の名は千翼(ちひろ)

 長瀬はその仲間としての立ち位置(キャスティング)で、物語を俯瞰していた。

 彼は誰も変えられなかったが、全ての陣営の者達の言葉と主張を聞き届けた者であった。

 

 その物語は残酷だったと、長瀬は断言できる。

 いや、そもそも千翼という友人の人生そのものが凄惨だったと、長瀬は断言できる。

 

 千翼は悪人ではなかったが、どんな悪人よりも死を望まれていた。

 千翼は罪を嫌い、誰よりも自戒していたが、どんな罪人よりも罪深かった。

 千翼は生きたいと願ったが、千翼以外のほぼ全員が、千翼の死を願っていた。

 優しい人間も、正義を知る人間も、全ての者が幸せになることを願った人間も、皆が皆千翼という少年の死を望み、長瀬は全てを敵に回してそんな友人の味方で居続けた。

 

 そして、千翼は死んだ。

 『生まれたことが罪だったんだ』と突きつけられながら死んだ。

 『お前が生きることは許されない』と教えられながら死んだ。

 長瀬は何の力も持たない『雑魚』だったがゆえに千翼(なかま)を守れず、『雑魚』であったがゆえに軽んじられ、全てが終わっても見逃され、生き残った。

 

 あの日々の中、正義に価値はなく、優しさは状況を悪化させ、善意は必ず裏目に出た。

 そんな物語と人生があった。

 社会の平和と幸福を守るために、泣き叫ぶ小さな子供を嬲り殺す物語の中で、長瀬はただ一人無力なままに千翼(しゅじんこう)を眺めていたのだ。

 そして、無様に生き残って。

 虚しく結末を受け止めて。

 その上で、千翼との思い出を胸に抱えて。

 千翼の死と足掻きを無かったことにしないため、精一杯今日を生きることを誓って。

 

 今日もまた、寒空の下生きている。

 

「……」

 

 歩いていた長瀬の前に、一人の青年が現れる。

 

「……てめえ」

 

「どうも」

 

 水澤(みずさわ)(はるか)

 かつての戦いで、長瀬が仲間として守ろうとした千翼を殺し、世界の平和を守った……そう、聞いていた男だった。

 勿論、長瀬は伝聞と写真だけでしかこの男のことを知らない。

 空気が変わる。

 緊張が満ち、閉塞感と敵意が二人の周りに広がっていく。

 

「なんでここに居る?」

 

「いや、通りがかっただけで、何か話したいことがあったわけじゃないよ。

 ただの偶然で……でも、そうだな。僕は君と、一度話がしたかったのかもしれない」

 

 長瀬がかつて脇役だった物語において、千翼という少年が主役であるとするならば、悠という青年は『最強』だった。

 "生きたい"と願う千翼が涙を流しながら戦うたび、悠はその前に現実という名の壁として現れ、千翼はどんなに頑張っても悠の手により叩き潰された。

 弱者の長瀬に至っては、同じ戦場に立つことさえ許されないほどの『最強』だった。

 人間社会を守るために、千翼の"生きたい"という叫びを叩き潰すことが、何よりも正しい正義であったかの戦いにおいて、悠はある意味では正義の味方であったのだろう。

 

 だからか、長瀬はこの男が嫌いだった。

 長瀬自身は悠とほぼ面識はない。

 直接的に何かされたわけではない。

 だが長瀬が見ていないところで、悠は長瀬の仲間(千翼)の絶望で在り続けたのだ。

 

 実感と質感の無い敵意を、長瀬は悠に向けていた。

 

「君は、千翼の友達だったと聞いた」

 

「……ダチじゃねえよ。仲間だ。俺が勝手に共感してただけの、な」

 

「それは……」

 

「千翼も俺のことは友達だと思ってなんかねえよ。

 あいつが見てたのは……惚れた一人の女だけだ。

 俺とあいつは同じチームに居たけど、ダチなんかじゃなくて……

 あいつに生きて欲しいって俺は思ったが……

 俺はあいつのダチでも親友でもなかったから、あいつのために命捨てる覚悟もなくて……」

 

「すまない」

 

「……」

 

「思い出させるつもりじゃ、なかったんだ」

 

 申し訳なさそうな表情をする悠に、長瀬は「よくも千翼を」「死ね」「クソ野郎が」と言おうとして、グッと踏み留まる。

 

 あくまで、ポジションという一点だけで見るのなら。

 千翼は倒されるべき邪悪だった。

 長瀬はゲームで言うところの、倒されるべき悪の敵キャラの仲間の一人だった。

 悠はゲームで言うところの、世界の平和を守った勇者だった。

 

 だから長瀬は言えない。

 彼に言いたいことが言えない。

 千翼(なかま)を殺した悠が憎いと同時に、千翼(なかま)を殺した悠を正しいと思ってしまっているからだ。

 憎悪をそのまま言葉にしてぶつけることができなかった。

 

「千翼は、よぉ……水澤悠(あんた)が居なけりゃ、どうなってたんだろうな」

 

「どうなっていたんだろうね」

 

「あいつは、最後まで殺されたくなかっただけだ。

 生きたかっただけだ。

 好きな女の子と一緒に居られればそれだけで満足だった。

 そんなあいつの前に、話に聞くだけでもやべー強さのあんたが立ち塞がった」

 

「ああ」

 

「あんたが、生きたいあいつに、生きることを諦めさせた、絶望だったんだろ」

 

「……ああ」

 

「クソが……ああ、分かってんだよ。

 あんたは間違ってねえよ。

 これは何もできなかった、何も成せなかった、クソみたいな役立たずの八つ当たりだ」

 

 長瀬は唾を吐き捨て、悠を睨む。

 

「あんたはいろんなことを成したし、色んなことで役に立ったんだろうさ。

 俺のこれは無能の愚痴でしかねえ。

 だがな、ダチ殺されて何も言わないでいられるほど、人間出来てねえんだよ……!」

 

 泣きながら暴れる子供のような声色で、長瀬は唸るように言葉を吐き出す。

 悠は無言でその言葉を受け止める。

 一見子供の駄々を受け止める大人のような構図だが、長瀬も悠も、共に千翼という少年の死を悲しみ悼んでいた。

 

「……僕と君は、似ているのかもしれない」

 

 悠が悲しそうに呟けば。

 

「あぁ? 喧嘩売ってんのか?」

 

 最強生物(水澤悠)の挑発だと受け取った長瀬が、悠を睨む。

 

「僕も君も、理性や理屈ではなく、心に従って守るものを決めている。

 守りたいものを守り、敵と定めたものに噛みついていく。

 僕らは仁さんにも、千翼にもなれない。僕らの心がそうなれないから」

 

「……チッ」

 

「だから分かることもある。君は、千翼にとっての救いの一つだった」

 

「……」

 

「君は間違いなく、千翼の味方だったんだ。

 何も知らないで味方をした無知の愚行じゃない。

 君は全てを知った上で彼を守り、人間にもアマゾンにも立ち向かった。

 銃弾も恐れず、銃口に立ち向かい、人食いの怪物にも立ち向かった。

 その気持ちに名前が付いていなくても、ただ千翼のために。だから、君は―――」

 

 長瀬の拳が、悠の右頬を殴る。

 銃弾の雨を幾度となく潜り抜けて来た悠からすればスローモーションのような拳。

 だが、悠はあえてその拳を避けなかった。

 長瀬はその"あえて"を理解し、殊更に苛立ちを募らせていく。

 

「黙ってろ。……二度と俺の前に、ツラ見せんなッ!」

 

「千翼は、君を―――」

 

 またしても『言葉の続きを言わせないために』、長瀬は悠の左頬を殴る。

 友達のアリをゾウに踏み潰された無力なアリが、ゾウに噛み付くような哀れな攻撃。

 効くわけもないし、倒せるわけもない。

 長瀬は言葉の続きを言わせぬまま、逃げるようにその場を走り去った。

 

「ダチでもなんでもなかったんだよ、俺達はッ!」

 

 捨て台詞を叫ぶ長瀬の心に、悠は叫ぶ。

 それが、"長瀬に感謝していた千翼の心"を戦いの中で見た悠の、最期の責務。

 

「君は、千翼の友達じゃないと言うけれど!

 千翼の友達として一緒に生きたかったって想いはあるんじゃないのか!

 千翼が君をどう想ってたかは、君が決めつけてるだけじゃないのか!?」

 

 耳を塞ぐようにして、長瀬は逃げるように走った。

 長瀬の脳裏に、助けることも救うこともできなかった、少年と少女の姿が蘇る。

 二人に向けて叫んだ自分の声が蘇る。

 

―――千翼ォ! 逃げろぉッ!

 

 生きろ、と言ってやれなかった。

 逃げろ、としか言ってやれなかった。

 千翼は『生きろ』と誰かに言って欲しくて、それを誰にも言って貰えなかったというのに。

 "お前は生きていいんだ"と、誰にも言ってもらえなかった千翼には、その言葉が救いになると長瀬は分かっていたはずだったのに。

 

「すまねえ……ちくしょう……!」

 

 その言葉が『言ってはいけない言葉だったから』、言えなかった。

 その時点で、自分はあいつの救いにもなれなかった有象無象の一人でしかないと……長瀬はそう自虐していた。

 なんてことはない。

 長瀬は千翼の味方でいようとしながらも、千翼が生きていてはいけないという存在なのだという主張に、一度も反論できなかったのだ。

 

 だから、長瀬は千翼の仲間を名乗れても、千翼の友達を名乗れない。

 

 今は亡き千翼を想いながら走ること、数分。

 

「……どこだ、ここ?」

 

 気付けば長瀬は、見慣れぬ場所に居て。

 

「邪魔だ!」

 

「……あ?」

 

 "ここがどこか"を把握する前に、建物の向こうから現れたいくつかの人影の内一つが振るった鞭が、長瀬の肩から心臓にかけての位置にあたる胴体の肉を消し飛ばした。

 

(な……ん、だ……?)

 

 長瀬は一瞬で肉薄してきた死の実感に抵抗しながら、自分を『殺した』敵を睨む。

 白色と灰色の怪人。

 白灰混ざる棘だらけの怪物。

 百足虫(センチピード)の人型異形が、邪魔なゴミを払うように長瀬を殺し、道路の端に弾き飛ばしていた。

 

 長瀬は自分を見て、前に『これ』を見た覚えがあると、そう思った。

 さっきまで命だったはずのものが――

 

(―――俺の―――命が―――軽く、薄く―――)

 

 ――命だったはずのものが、残酷に残虐に、あたり一面に広がる光景。

 

 長瀬はかつての戦いで、それを見た覚えがあった。

 尊い命が。

 価値ある人間が。

 一つしかない個性ある生涯を送ってきたはずの人間が。

 『名前もない雑魚』のように扱われ、『名前も付けられていないゴミ』のように打ち捨てられ、もの言わぬ死人にされた場所があった。

 

 長瀬はそこで、罪の無い人でも無差別に殺される残酷さを実感し、無差別に皆を殺した千翼の罪業を知り、死んでいった者達に対し"かわいそうに"と少しだけ同情した。

 そして、今、その者達と同じになっている。

 ただ殺される雑魚のように。

 残酷さを演出するモブキャラのように。

 吹き散らされるだけのホコリのように。

 "道端に落ちていた邪魔なゴミを脇にどける"ように、長瀬は殺されていた。

 

「おのれディエンドォ!」

 

 どこからか誰かの声が響く。

 心臓を抉られた長瀬は、声のする方向を向くこともできない。

 血まみれの長瀬を挟んで、複数の男達が会話を始めた。

 

「こーら鳴滝、攻撃避けた僕が悪いみたいに言うんじゃない。

 しかしこれは……不幸な世界の迷子かな?

 空いてた世界の穴に偶然足を踏み入れてしまったのか……普段から幸薄そうだねぇ」

 

「かっ……はっ……」

 

「このままじゃ死ぬ……いや、もう九割がた死んでるのかな。

 こりゃまいった、選べる手段がそう多くないじゃないか。さて」

 

 微妙に他人事のような言い草をしている誰かの声を聞きながら、長瀬の意識はぷつりと切れた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 次に目が覚めた時、長瀬は手術台の上に居た。

 長瀬の周りを、医者なのか研究者なのかも分からない男達が囲んでいる。

 

「ようやく確保できた他世界人だ。

 絶対に死なせるなよ? 治療し、情報を引き出せるだけ引き出さなければ」

 

 『人間を実験動物のように見る目』を、長瀬は何度も見てきたからだろうか。

 その男達と、目覚めた長瀬の目が合った瞬間、先に動いたのは長瀬だった。

 手術台の脇に置かれていたメスを長瀬は引っ掴み、男達の内の一人を捕まえて、その首筋にメスを突きつけた。

 

「ここはどこだ、お前らは誰だ、俺に何をした? 答えろォ!」

 

 他の男達が慌てて部屋から逃げ出していく。

 だが、長瀬は首に突きつけられたメスを見ても恐れる様子を欠片も見せない、目の前の男に不気味さを感じていた。

 そう、まるで、長瀬の拳に殴られることなど恐れていない、水澤悠のような―――?

 

「調子に……乗るな!」

 

 男の顔に猛禽のような幻影(エフェクト)が浮かぶ。

 長瀬が驚いた一瞬で、男は猛禽に似た灰色の怪人へと姿を変えた。

 怪人が身じろぎすると、怪人の首辺りのくぼみに挟まれた金属のメスがペキンと折れる。

 

「……アマゾン!?」

 

 怪物、怪人、怪異。

 呼び方はどうあれ『人でない』と言えるそれが長瀬へと襲い掛かってくる。

 長瀬は一目散に部屋の外に駆け出し、部屋の外に出たところで怪人の攻撃を転がってかわし、吹き抜けの手間で無様に床に転がってしまう。

 

(高い建物……吹き抜け……階数表示、ここは十階か!?)

 

 倒れながら長瀬は周囲に視線を走らせ、迫り来る敵の第二撃を見やり――

 

「どぉりゃぁっ!」

 

「!?」

 

 ――倒れた自分に襲いかかって来た敵を、巴投げの要領で思い切り蹴飛ばし、建物の吹き抜けまですっ飛ばした。

 怪人は、建物の吹き抜けに綺麗に落ちていく。

 

「はぁっ、はぁっ……なんだってんだ一体!」

 

「おー、おー、元気だねえ。意外なもん見つけた感じがするな」

 

「!? 誰だテメエ」

 

「俺? 俺は海堂(かいどう)直也(なおや)。名前聞いたならお前さんも名乗りなさいよ」

 

「え、お、おう。長瀬裕樹だ。なあオイ、ここって一体……」

 

 いつからそこに居たのか、無精髭を生やしただらしなそうな――適当で軽薄そうな――海堂直也と名乗る男が長瀬の横に立っていた。

 何が何やら分からないまま、長瀬は状況を把握しようとする。

 いつの間にか怪我の跡を残して塞がっていた上半身を、その辺のロッカーから引っ張り出した白衣で隠し、海堂に聞こうと……した、ところで。

 

 十数体の怪人が現れ、長瀬と海堂を取り囲んだ。

 

「こっちにもアマゾン!? クソッ、なんだこの数!」

 

「いや、アマゾンちゅうか、オルフェノクなんだが」

 

「オルフェノ……は?」

 

「下がってな。俺様がかっちょいいところを見せてやろう」

 

 状況がめまぐるしく変わりすぎている。

 突然怪物に囲まれ、"アマゾンではなくオルフェノクだ"と言われても、長瀬からすれば意味が分からない。この状況を正確に把握できない。

 ただ、『来るならぶっ殺してやる』くらいには思っているのが流石長瀬といったところか。

 

 切迫を雰囲気に滲ませる長瀬とは対照的に、海堂は飄々として銀のベルトを腰に巻き付ける。

 そしてグリップ状の機械を口元に添え、ニヤリと笑った。

 

「変身!」

 

《 Standing by 》

 

 起動したグリップが、ベルトの右脇サイドに挿入される。

 

《 Complete 》

 

 光のラインが走り、光のラインに沿って鋼の装甲が形成され、一息にも満たない一瞬の時間に、変身は完了した。

 Δ(デルタ)の字をあしらった造形。

 黒のボディに銀のライン、オレンジのアイライトのコントラストが美しい。

 

「んなっ」

 

「おらおら道開けろぉ!」

 

 呆気に取られる長瀬をよそに、海堂は怪人の群れに突っ込んで殴りかかった。

 雑なパンチが、雑ながらも信じられない速度と威力でオルフェノクを吹き飛ばす。

 

「デルタ」

「デルタだ」

「狂気のデルタ……!」

 

 『デルタ』と呼ばれたそれがひとたび銃を抜けば、もう止まらない。

 雑な狙いの雑な銃撃が、敵の包囲に穴を空ける銃の無双の開幕だ。

 銃撃は正確無比の対極だが、怪人の体をかするだけでも怪人に深いダメージを叩き込む。

 

 デルタの銃弾は生物に対し猛毒となる、高熱化した流体エネルギー。

 当たれば殺し、外れれば無毒化して揮発し消えていく。

 壁に当たれば、壁は融けて大穴が空く。

 金属の手すりに命中すれば、高熱で融解し融け落ちる。

 腕にかすっただけで弱いオルフェノクは猛毒で死んでいく。

 

 適当な狙いで撃ちまくっていても、その攻勢は圧倒的だった。

 

「すげえ……」

 

 デルタの武装は多くないが、拳足の間合いと銃の間合いにおいてはただひたすらに圧倒的。

 怪人の包囲が一時であっても崩れれば、他の怪人が包囲の穴を埋めるために動かざるを得ず、やがて包囲網に決定的な突破口が出来てしまう。

 そこを突破されれば、追いつくことも難しくなるような穴だ。

 『それ』が出来た瞬間を、海堂(デルタ)は見逃さなかった。

 

「少年、こっちだ! さっさと逃げんぞ!」

 

「お、おう!」

 

 海堂デルタは長瀬を引き連れ、災害用の避難経路から脱出する。

 

 途中まで格好良かった海堂デルタが脱出過程で一度思いっきりつまづき転んでいたが、それを見て見ぬふりする優しさが長瀬にはあった。

 

 

 

 

 

 建物から離れ、変身を解除した海堂と長瀬が物陰に隠れる。

 

「おい、そろそろ説明しろよ!」

 

「はいはいわぁってるわぁってる……ちゅうか、お前口悪いな」

 

「喧嘩売ってんのか?」

 

「売ってないっての。カルシウム足りてるか? ん?」

 

 海堂は長瀬に、『オルフェノク』なるものの存在を語って聞かせた。

 

 オルフェノクとは、なんらかの理由で死んだ人間が超人として再生した生物である。

 人間と怪物の二つの力を持ち、大半は怪物となったことで力に溺れ人間を襲い始めるが、そうでないものもいる。

 恐ろしい力を持ち、徒党を組み組織として動いている者も居る。

 長瀬が捕まっていたのは、オルフェノクが拠点として保有していた建物の一つで、長瀬を建物に運び込んだのもオルフェノクの一派なのだという。

 

 アマゾンは『新たなる命の始まり』を体現する。

 オルフェノクは『既存の命の終わりの次』を体現する。

 "人間社会が内包するのであれば"、一種だけならともかく、この二種を同時に抱え込むのは絶対に不可能だと言えるほどの化物だった。

 

「その一派がスマートブレインな、スマートブレイン」

 

「スマートブレイン……御大層な名前してんな」

 

「ちゅうか、俺としてはそのアマゾン? ってやつの方が初耳なんだが」

 

 長瀬が相槌のたびに会話に出す『アマゾン』という単語に海堂は首を傾げるが、とりあえず話を続けつつ、逃走を開始した。

 物陰から物陰へと、こそこそ動き回るのが妙に板についている海堂に驚きつつ、長瀬はその後について行く。

 やがて海堂は、路地裏に隠れていた小さな子供を見つけ出した。

 

「照夫ー、照夫ー? 大人しく待ってたかー?」

 

「ナオヤ!」

 

「……なんだ、この子供? おい海堂、説明してくれ」

 

「この子が『王様』なんだっちゅう話でな」

 

「は? 王様?」

 

 長瀬はここまで一緒に逃げ、それなりに会話してきたことで、海堂が結構適当な人間であるということをある程度理解していた。

 だが、それが『逆でも成立している』ということを理解していない。

 ここまでの会話で、海堂もまた、長瀬という単純明快な男に一定の理解を示していた。

 

 長瀬は自分が海堂にどう見えているのか、分かっていない。

 だが海堂は、長瀬に事情を話すことを僅かに躊躇うことすらしなかった。

 

「オルフェノクにはな、王様が居るんだ」

 

 海堂は手短に、『オルフェノクの王』についても語った。

 

 曰く、オルフェノクの王が完全に覚醒すれば人間は滅びる。

 曰く、王はオルフェノクの楽園を作る。

 曰く、オルフェノクの王はオルフェノクに不老不死の力を与える。

 曰く、王は他のオルフェノクを捕食することで初めて覚醒することができる。

 

 多くのオルフェノクは、王の覚醒を望んでいる。

 王の捕食を認められない一部のオルフェノクは、王の排除を望んでいる。

 王の存在を知った警察の一部は、秘密裏に未覚醒の王を殺害しようとしている。

 

 問題なのは、その『オルフェノクの王』が小学校に上がってすぐの子に見える幼さのこの、鈴木照夫少年の中に発生してしまっているということだった。

 

 多数のオルフェノクが、王に不要な人間の心を奪おうとしている。

 一部のオルフェノクは、王に相応しくない者だとこの子供を殺そうとしている。

 警察の秘密機関は、秘密裏にまだ罪も無いはずの子供を抹殺しようとしている。

 そして海堂は、仲間と一緒にそれらからこの少年を守ろうとしているのだ。

 

 誰も彼もが寄ってたかって『子供』を殺そうとしているこの構図が、長瀬裕樹の心に刻まれたトラウマを刺激する。

 

「なんだそりゃ……ふざけてんのかッ!」

 

 大人が子供を殺す、ということを長瀬は絶対に許せない。

 皆が寄ってたかって子供を殺す構図となれば、尚更だ。

 長瀬は社会正義よりも、子供の嘆きを正しいものであると見る人間である。

 

 長瀬の怒りの表情を見た海堂は、"こう言えばお前はそう応えるだろうな"とでも言いたげな顔をして、満足げに頷いている。

 

「うむうむ、やはりだな。俺の目に狂いはない。

 お前はとびっきりに『情に流される奴』だ。

 お前は助けて得になる奴より、かわいそうな奴の方を必死に助ける奴だと見た」

 

「は?」

 

「俺はその辺走り回って囮になってくるから、な?

 迎えが来るまで照夫のこと守っててくれよ、な?」

 

「は? おい、ちょっと待て」

 

「頼んだぞ長瀬! ちゅうか、もう見捨てられんだろお前、な?」

 

「おい!」

 

 言うだけ言ってスタコラサッサとどこかへ走り去っていく海堂。

 路地裏に残された長瀬と照夫の視線が交差し、なんとも言えない空気が出来る。

 

「……」

 

「……」

 

 照夫は小学校に上がってすぐの頃に見える年齢。

 長瀬はコミュ力が高いわけでもなく、子供の味方ではあるが子供の扱いが得意というわけでもない。長瀬も根本がガキなのだ。

 ガキとガキでは、会話が綺麗に回るということもない。

 痛い沈黙が流れて、やがて照夫が口を開く。

 

「おにーさんいいよ、どっか行って」

 

「あん?」

 

「僕は、守って貰うべきじゃないんだ。死んじゃうべきなんだ」

 

 何もかもを諦めた顔で、照夫は口を開いている。

 

「皆言うんだ。僕は、生まれて来たことが罪なんだって」

 

 声には絶望。

 顔には諦め。

 "生まれて来たことが罪"という確信に満ちた一言が、長瀬の中で『千翼』と『鈴木照夫』をどうしようもないほどに同一視させる。

 

「……っざっけんなてめぇッ!」

 

 照夫は驚く。

 自分が怒られたのだと思って、身を竦める。

 けれども"長瀬が自分以外の何かに怒っている"と察するやいなや、不思議そうに長瀬の顔を見上げていた。

 

「生まれたことが罪な奴なんて、そんな、そんな奴がいるわけっ……が……」

 

 言い淀む長瀬。

 『生まれたことが罪な奴なんているわけがない』と言おうとして、言い切れなくて、『生まれた罪』のあまりの罪深さに殺された千翼の姿が心に蘇る。

 死ななければならない存在はいる。

 生まれたという罪はあるのだ。

 だから、長瀬はその言葉を言い切れなくて、言い淀んで、口ごもる。

 

 そして、長瀬は自分の顔を見上げる照夫の顔を見た。

 失望。

 照夫の表情に、失望の色が浮かんでいる。

 "長瀬が自分の生を肯定する言葉を言ってくれるんじゃないか"と期待した子供の気持ちは、言葉を言い切れなかった長瀬自身の不断によって、裏切られてしまったのだ。

 だから、失望されている。

 子供のストレートな気持ちが、そのままストレートに態度に現れて、長瀬の心を無自覚に傷付けていた。

 

(クソ、何やってんだ、俺は……!)

 

 自己嫌悪に苛む長瀬だが、その耳が何かの物音を聞く。

 聞き慣れた音だった。

 銃や特殊装備などを身に着けた者が十数人同時に動く時特有の、専門の訓練を受けた者特有の、装備がこすれる音を最小限に抑えようとする、そういう音。

 

 長瀬が照夫を抱えて金属製のダストボックスの影に隠れるのと、無数の銃口が火を吹いたタイミングには、一瞬の差しかなかったと言える。

 吐き出された銃弾が、路面のコンクリート、路地裏を作る建物壁部分のコンクリート、ダストボックスの表面を削り取っていく。

 

「くそったれ、次から次へと……!」

 

「出て来い! そこに居るのは分かっているぞ!」

 

 追手だ。

 長瀬がスマホのインカメラ(画面側のカメラ)を使って、ダストボックスから顔を出さないように敵の陣営を見ると、警察の特殊部隊風の男達とオルフェノクが路地の入口を囲んでいた。

 人間とオルフェノクが手を組んでいる。

 ……そんなにこの子を殺したいのか、と長瀬は歯噛みする。

 警察のリーダーらしき男は、相も変わらず路地裏へ定期的な威嚇射撃を繰り返し、長瀬に投降を呼びかけていた。

 

「その子は生まれて来るべきではなかったのだ!

 オルフェノクの王はオルフェノクを食い、人間を滅ぼす!

 ただでさえ高いオルフェノクの脅威を引き上げる!

 あってはならない存在は、人間社会のどこにも受け入れられることはない!」

 

「……こんなちっせえガキがどんな悪いことしたってんだ!」

 

「生まれて来たことだ!」

 

「―――」

 

 迷い無き断言に、長瀬の頭が沸騰した。

 大して良くない長瀬の頭が、更に悪くなる。

 

「うるせえ! ギャーギャーうるせえんだよ!」

 

 叫ぶ長瀬を、照夫が曇りのない目で見つめている。

 

「正論言ってりゃ誰を殺してもいいと思うならそう思ってろ!

 正論言ってりゃ皆が味方になってくれると思うならそう思ってろ!

 知るかよ、んなこと! 失せろ! 死ね! 家に帰ってクソして寝てろ!」

 

 叫ぶ長瀬の声が、警察らに交渉の余地なしと思い知らせる。

 

「突入用意」

 

 ダストボックスの陰に隠れている長瀬には、路地裏の奥しか見えていない。

 今自分達に銃口を向けている人間とオルフェノクがどうなっているのか、それさえも見えない。

 ゆえにか、照夫を抱きしめ、目を瞑ってただ『その時』を待った。

 一分経過。

 まだ来ないのか、と死を覚悟して待つ。

 二分経過。

 焦らして出て来るのを待ってるのか、と死を覚悟して待つ。

 三分経過。

 おかしい、何かが起きているのだろうか、と長瀬は不審に思い始めた。

 

 

 

「……555(ファイズ)……?」

 

 

 

 やがて、警察らが居た方から、そんな声が聞こえてくる。

 

 長瀬が目を開けてみれば、外から路地裏へと赤い光がおぼろげに差し込んでいた。

 

「悪いな、あの子は殺させない」

 

「貴様、その意味が分かっているのか」

 

「ああ。あんたらよりかはな」

 

「人類が滅びるかもしれんのだぞ!」

 

「滅びないかもしれないだろ?」

 

 誰かが居る。

 555(ファイズ)と呼ばれた誰かが、長瀬と照夫を守るために、路地裏入り口に立っているのだ。

 長瀬は声と赤い光だけを頼りに、自分達を守ってくれているその誰かの存在を、知覚する。

 警察らは、ファイズを罵倒し続けていた。

 

「分かっているのか!

 オルフェノクの王を生かせば、それだけで何人死ぬかも分からん!

 人類が滅びる可能性がある、なんて話じゃない!

 ()()()()()()()()()()()()からこそ、我々はその子を殺さねばならないのだ!」

 

「かもな」

 

「その子を守った責任を、お前は取れるのか!?

 いいや、取れない! 取れるわけがない!

 罪そのものとして生まれてきた王を生かそうとする、それがお前の罪だ! ファイズ!」

 

 生まれて来たことが罪。

 そう言われれば、照夫は絶望する。オルフェノクの王だから。

 そう言われれば、長瀬は心が破けそうになる。そんな理由で殺された仲間が居たから。

 そして、警察らに面と向かってそう言われたファイズは――

 

 

 

「生まれたことが罪なら―――俺が背負ってやる」

 

 

 

 ――そう、言い切った。

 

(……背負、う)

 

 長瀬はその一言だけで、呆然とする。

 胸を打つ一言だった。

 世界の見え方が変わるような一言だった。

 一言の重みが、世界よりも重く感じられたほどに。

 

(そいつは……その言葉は……)

 

 長瀬はその言葉を、千翼にこそ聞いて欲しかった。

 千翼の人生に、そんな言葉が一つくらいはあって欲しかった。

 長瀬裕樹にではなく、今は亡き千翼にこそ必要な言葉だったはずなのに……何故か、長瀬は、涙が出そうでたまらなかった。

 意味もなく、ファイズと呼ばれていた誰かにありがとうと言いたい気持ちでいっぱいだった。

 

 顔を見る前から、『こいつを信じたい』と思えたのは、長瀬裕樹の生涯で初めてのことだった。

 

(俺がクソダセえから……尚更に、そう感じんのか……?)

 

《 Complete 》

 

 赤い光と入れ替わりに、銀の光が路地裏に差し込む。

 

《 Start up 》

 

「撃てぇ!」

 

 路地裏の外で、恐ろしく短い間隔で、絶え間なく戦闘音が鳴り響く。

 

《 3 2 1 》

 

 最後の音が鳴り止んだ時。

 

《 Time out 》

 

 路地裏の外からは、何の音も聞こえなくなった。

 

《 Reformation 》

 

 戦いは終わった。

 勝ち残った一人が、路地裏へと歩を進める。

 長瀬が止めるのも間に合わず、照夫が長瀬の腕の中から飛び出して、路地裏に入って来たその人物へと――体当たりするかのように――飛びついた。

 

「乾さん!」

 

「無事だったか、照夫」

 

 飛びつかれたその青年は、外したベルトを肩にかけて、照夫の頭を撫でている。

 面倒くさそうにしているが、表情は確かに笑っていて、どこかホッとした雰囲気があった。

 

「あんたが、ファイズ……?」

 

 長瀬が問いかければ、カチャリとファイズのベルトを鳴らして、青年は無造作に頷いた。

 

「そうだ、俺がファイズ……(いぬい)(たくみ)だ」

 

 昼と夜の中間地点、光と闇の狭間の時に、長瀬裕樹は……乾巧(ファイズ)と出会った。

 

 始まるは、長瀬裕樹が自分の過去に決着を付けるまでの物語。

 

 彼らの出会いは、長き疾走の始まりを予感させような出会いであった。

 

 

 




Justiφ's


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人間の心

 現在、オルフェノクの王を巡る勢力は四つ存在する。

 

 一つ目はスマートブレイン。

 超巨大複合企業という隠れ蓑を持ち、オルフェノクだけの世界の到来を目指し、数え切れないほどのオルフェノクを抱えている最大勢力だ。

 彼らは王を確保し、人間の心を捨てさせ、王を完成させようとしている。

 最終目的はオルフェノクだけの世界。

 

 二つ目は有象無象のオルフェノク。

 多くのオルフェノクはスマートブレインが管理しているが、スマートブレインと陣営を同じくしないオルフェノクも一定数おり、そんなオルフェノクがたびたび群れていたりする。

 要するに『その他大勢』のオルフェノクだ。

 一つに纏まってはいないが、人殺しを忌避する者、全てに無関係で居たい者、スマートブレインから離脱してオルフェノクの王殺害を決意した者、と多様で動きが読み辛いのが難点である。

 最終目的は人それぞれ。

 

 三つ目は警察組織。

 警察は上層部しか知らないような特殊機関を秘密裏に作り、オルフェノクの研究と抹殺を主目的とした、異生物研究所と特殊戦闘部隊の混合のようなものを作った。

 公的機関でありながらも、人権団体等の発生を考慮し秘密裏にしか動けないのが現状だ。

 人間社会の平和のため、彼らは王とオルフェノク全ての抹消を望んでいる。

 最終目的は人間だけの世界。

 

 そして四つ目が、長瀬が出会った、王を守る海堂のチーム。

 ファイズ、カイザ、デルタのベルトという強力な武器を持つも、手の指で数えられるほどの仲間しか加わっていないがために、王を抱えているにもかかわらず最小の勢力である。

 最終目的は模索中。

 他の勢力が大きすぎるがために、守るものを守りつつ落とし所を探しているのが現状だ。

 

「とりあえずこれだけ覚えとけば良いっちゅう話だな」

 

「サンキュー、ナオヤ」

 

「おう、仲間入りを歓迎するぜ、長瀬」

 

「俺はまだ何も言ってないんだが……まあいいか、ナオヤ達に力貸してやるよ」

 

 海堂直也が握手を求め、長瀬裕樹がその手を強く握る。

 二人の握り合わされた手を、照夫が無言のままじっと見つめていた。

 対し、ファイズこと乾巧は、長瀬のその決断を軽挙だと思ったのか、戒めるように仲間入りを思い直させようとする。

 

「やめとけ、長瀬。お前が思ってるより危険なことなんだぞ」

 

「分かった上でのことだぜ、乾さん。死ぬかもしれないってのは、空気で分かる」

 

「……なら、いいがな」

 

 長瀬もそれなりに修羅場はくぐっている。

 怪物狩りというルーチンを繰り返した経験であれば、それこそ両手の指では数え切れないほどに積み重ねてきた。

 殺し殺される程度のことでは揺らぐまい。

 巧もそれを察したのか、それ以上強く押すことはなかった。

 

 巧に言われても参戦をやめようとしない長瀬のジャケットの端を、照夫が引っ張る。

 

「どうした?」

 

「……」

 

 照夫は口ごもりながらも、長瀬を巻き込まないために諫言する。

 

「……やめたほうが、いいと思う」

 

 諌める言葉は、長瀬を好ましく思っているからではない。

 長瀬を特別に思っているからではない。

 『赤の他人が自分のせいで死ぬ』ということが、照夫は心底嫌で嫌で仕方なかったからだ。

 

「照夫、で良かったよな? 名前」

 

「うん」

 

「人間ってな、守れなかった時、見捨てたような気持ちになった時、ガチで辛くなるんだ」

 

 長瀬は照夫の肩に手を置き、膝を追って顔の高さを合わせ、照夫の目を見る。

 照夫は顔ごと目を逸らす。

 その所作がそのまま、この二人の関係だった。

 長瀬には戦う理由があり、照夫に向ける想いがあるが、照夫はそれを受け止めようとしない。

 

「お前も、もうちょっと『生きたい』って気持ちを表に出してけ。

 じゃねーと周りがお前の気持ち分かってやれねえし、お前が死んだ時後悔するんだからよ」

 

「……僕は、別に……生きたいだなんて……生きたいだなんて、思ってなんか……」

 

 照夫はハッキリと何かを言わない。

 ただ、長瀬はそこに、照夫が口にできない本音を見たようだ。

 照夫の頭を撫で、髪をクシャクシャにして、長瀬は肩を鳴らして立ち上がる。

 

「よしナオヤ、俺は何をすればいい?」

 

「そだな、ちゅうか、まずは仲間を引き込まないとにっちもさっちもいかないわけだ」

 

「仲間? なんだ? 呼び込みでもすりゃいいのか?」

 

「そうじゃなくてな」

 

 乾巧、海堂直也、鈴木照夫、長瀬裕樹。

 彼ら四人は、今隠れ家(アジト)の一つに隠れ住んでいる。

 長瀬が辺りを見回しても、この四人の他に仲間は見当たらない。

 

 だが今ここに居ないだけで、他に仲間もいるのだそうだ。

 スマートブレインに捕まっている仲間が何人かと、遠出して戦っている仲間が一人、そして見解の相違で違う勢力に行ってしまっている仲間が一人いるのだという。

 

「敵に捕まってる仲間ってのは、大丈夫なのか?」

 

「ちゅうか、無事じゃないと前提が成立しないんだな、これが」

 

「?」

 

「スマートブレインは王をできれば無傷で手に入れたいわけだろ?

 だから俺らとスマートブレインで、一種の合意が出来てるわけだ。

 スマートブレインは捕まえた奴を丁重に扱う。

 俺らは照夫を丁重に扱う。

 変な扱いしたら敵側の陣営が何するか分からないだろう……ってな」

 

「あー、そういうことか。

 戦争でいう"捕虜の扱い"みたいなのがいつの間にか成立してたのか」

 

「そゆこと。スマートブレインは人質交換とか見据えてんじゃね?

 "捕まえた仲間を取り戻したければ王を引き渡せ"とか言おうとしてるとか。

 ちゅうか、交渉は相手がピンチの時ほど有利だから、まだ交渉も始まってなくてな」

 

「相手の戦力削ってからの方が人質交換が楽だから、ってことか?

 いや……戦いのどさくさに紛れて照夫奪おうともしてるのか?

 そうすりゃスマートブレインは人質と王の総取りだもんな。

 王を確保した後、人質使って乾さんとナオヤをゆっくり追い詰めればいいわけか……」

 

「だなぁ。今は両方人質取ってるから互いに人質使えない状況みたいなもんだ」

 

 人間の仲間もオルフェノクの仲間も、スマートブレインに捕まってしまっている。

 海堂が使っているデルタのベルト――デルタギアと言うらしい――も、捕まった仲間が以前使っていたものらしい。

 その仲間の居場所を特定し、助け出すことがこの勢力の第一目標であるようだ。

 

「ちゅうか俺達はな、捕まった仲間を助けようと思ってたわけだ。

 『人間が運び込まれた建物』に目えつけてな?

 よしここだ、と思って建物乗り込んだんだが……運び込まれてたのはお前さんでガッカリよ」

 

「悪かったなハズレで」

 

「おう、ガッカリだ」

 

「この野郎!」

 

 海堂が軽薄に笑う。

 彼のノリは基本的に軽い。

 だからかその分、長瀬も肩肘張らずに接することができた。

 

「海堂、話が進んでねえぞ。脇道に逸れすぎだ」

 

「っと、すまんすまん」

 

「替われ、俺が話す」

 

 海堂の隣に巧が座り、語り手を替わった。

 

「俺達には今ここに居ない仲間が二人いる。

 一人はカイザギアをもってる草加って奴だ。

 こいつは……まあ今はどうでもいい。

 もう一人は、木場(きば)勇治(ゆうじ)って奴なんだが……」

 

「見解の相違でどっか行ったって奴か?

 なあ乾さん、それ普通"敵になった"って言うんじゃねえの?」

 

「いや、木場は敵じゃない。

 俺達がオルフェノクに追い詰められたら助けに来てくれたこともある。

 真理達……スマートブレインに捕まってる仲間を助けることも、手伝ってくれてる。

 だけど、あいつは……木場は、オルフェノクの王は生きるべきじゃないって思ってんだ」

 

「うわ、そういう仲間割れもあんのか」

 

「木場は人間を守りたいと思ってる。

 人間の味方でいようとしてる。

 だがそのために照夫を殺すのは違うんじゃないか、って言ったのが俺達なんだ」

 

 木場勇治は人間を守る者だ。

 だが、人間を守ることと、照夫を守ることはイコールではない。

 むしろ人間を守ることを第一に考えるなら、王は死んでくれた方が都合が良い。

 木場が巧達の味方だが照夫の敵、というポジションに立っているのは、ある意味今のこの世界の複雑さを体現しているとも言える。

 

 巧の語り口が気に入らなかったのか、そこでまた海堂が口を出してくる。

 

「ちゅうか、木場は敵とも味方とも言い切れないってのが正直なとこでな。

 さっきの説明だと、木場は今第二勢力に属してるわけだ。

 統一された意志のない『その他』のオルフェノクの集団の一人ってわけ。

 あいつは人間の味方だからなー、オルフェノクの王の味方はしにくいのかもしれん」

 

「ナオヤはどうなんだ」

 

「ん?」

 

「俺はよそ者だから木場勇治なんて知らねえよ。ナオヤはそいつのことどう思ってんだ?」

 

 長瀬に問われ、海堂は頬をかく。

 

「人間とオルフェノクの共存っちゅう『理想』を言い出したのはな、木場なわけよ」

 

「そうなのか?」

 

「俺も乾も、木場がそういう理想を声高に叫んでなかったら、今ここにいるか分からん」

 

 海堂の言葉に合わせ、巧もぶっきらぼうに頷いた。

 海堂と巧をこの道に引き込んでおきながら、今は二人と袂を分かっているというのが、長瀬の目にはどうにも奇妙に映る。

 

「ちゅうかあれだ、長瀬も木場と話してみろ。

 そんであわよくば仲間に引き込んで来い。

 あいつはやり方がお綺麗だからな、人間に危害加えることはねえよ」

 

「……いいやつそうだな、そいつ」

 

 海堂がそんな感じに評価すれば、巧もふと思い出したように木場のことを口にする。

 

「王がオルフェノクを不老不死にするって噂聞いて、木場は難しい顔してたな。

 オルフェノクが不老不死になれば人間と共存するのが難しくなる、とか言ってたはずだ」

 

「……小難しいこと考えてそうだな、そいつ」

 

 色々と聞いている内に、長瀬にもなんとなく人物像が見えてきた。

 理想家というか、頭で考えすぎて、心で思い詰めすぎるような印象を受ける。

 長瀬はアマゾンアルファという頭と理性だけで動く男、アマゾンオメガという心と情だけで動く男を見知っていたために、木場という男に余り極端な評価を下せなかった。

 

 そんなことを考えていたら、巧が突如立ち上がる。

 次いで海堂、照夫も何かを感じ取った様子を見せる。

 オルフェノク特有の人を超えた超感覚―――ゆえに、長瀬を置き去りにして、彼らは『それ』の接近と襲来を感知した。

 

「敵襲だ」

 

 長瀬がその言葉に応じて立ち上がると、隠れ家の入り口ドアが吹っ飛ぶ。

 馬のオルフェノクがドアに投げつけられ、叩きつけられたことで壊れたドアとオルフェノクが、同時に隠れ家の中に転がり込んで来たのだ。

 馬のオルフェノクは人間の姿へと戻り、その後に続くようにして三人のオルフェノクが隠れ家の中へと侵入して来る。

 

「お邪魔するわね」

 

「木場! それに……ラッキークローバー!?」

 

 馬のオルフェノクが巧に木場と呼ばれたことで、長瀬は状況を半分理解する。

 だがもう半分を理解出来ず、叫ぶように疑問を口にする。

 

「乾さん、ラッキークローバーってのはなんだ!?」

 

「スマートブレインの特に強いオルフェノクだ!

 四人居て……クソ、厄介だな、その内三人も来てやがる……!」

 

 百足虫(センチピード)のオルフェノク。性別は男。

 海蝲蛄(ロブスター)のオルフェノク。性別は女。

 そして……()()()()のオルフェノク。

 

(ドラゴン……!?)

 

 長瀬もオルフェノクは十数体見てきたが、その全てが現実に存在する何らかの生物をモチーフにしていたし、『ドラゴンのオルフェノク』なんてものは居なかった。

 『幻想をモチーフにしたオルフェノク』なんて居なかった。

 角持つ蛇の意匠など、現実の生物をモチーフにしたオルフェノクには発生しようはずもない。

 圧倒的な異端の気配。

 長瀬の中で、彼が元居た世界でベルト持ちだった者達の異端性と、ドラゴンのオルフェノクの異端性がダブって見えた。

 

 硬直する長瀬の横では、海堂が倒された木場を介抱している。

 

「木場! お前どうしてこんな……」

 

「海堂、か……

 僕も彼らも、目的は同じ。オルフェノクの王だ。

 僕は殺しに来て、彼らはさらいに来た。

 だから彼らは僕という邪魔者を片付けた……そういう、ことさ」

 

「くそぅ照夫狙いの奴が潰し合ってくれて嬉しいのに嬉しくねえ!」

 

「君はいつも素直じゃ居られないんだな、海堂……ゴホッ」

 

 木場はボロボロだが、ラッキークローバーの三人は健在だ。

 ファイズギア、デルタギアを身に着けた巧と海堂が、その前に立ち塞がる。

 

「長瀬、照夫を連れて逃げろ!」

 

「照夫頼んだ! こいつら蹴散らしたら、また呼びに行くからよ!」

 

《 Standing by 》

 

「「変身!」」

 

《 Complete 》

 

 変身の光が途切れる前に、長瀬は照夫の手を引いて逃げ出した。

 

「分かった! 乾さんもナオヤも死ぬんじゃねえぞ!」

 

 二人は隠れ家の裏口へと向かう。

 照夫は悔いるように、泣きそうな顔で、けれどどこか虚無的に、呻くように呟いた。

 

「僕のせいで皆戦う……僕が何を言っても、何を望んでも、知らんぷりして……」

 

 その声を断ち切るのは、大切断の如き長瀬の叫び。

 

「生きたいから、生かしたいから、皆戦ってんだよ!

 他人のため以上に、自分のために!

 自分が自分らしく生きていくために!

 お前のためだけじゃねえ! 皆、自分のためにも戦ってんだ!」

 

「ヒロキも……?」

 

「ああ、俺もだッ!」

 

 長瀬裕樹の咆哮だ。

 

「だから、死んでくれるなよ照夫!

 乾さんのためにも、ナオヤのためにも、俺のためにも、お前自身のためにも!」

 

 長瀬は一計を案じ、照夫を家に隠して、囮になって裏口から飛び出す。

 

 すると、隠れ家の屋根上から先回りしていたラッキークローバーの一人が、殺意に満ちた鞭の一振りを放って来た。

 

「!」

 

 それを長瀬が避けられたのは、ひとえに『二度目だったから』という理由があったということに他ならない。

 

「ほう、僕の鞭を回避するとは、やりますね」

 

「お前、人間をゴミみたいに殺す時は、同じ軌跡で同じ一撃を使って来るのな」

 

「?」

 

「分かんねえか? ()()()()()()()()()()()()、って……言ってんだよ!」

 

 続く二撃目も、長瀬は死ぬ気で跳んで回避。

 間違いない。

 あの時、わけがわからないままに長瀬を殺したのは、このセンチピードオルフェノクの鞭の一撃だった。

 そして気を失った長瀬は目覚めてすぐ、海堂と出会ったのだ。

 

「ああ、そういえば君のような人間を殺した覚えがありますね……些細なことですが」

 

「些細な事だと!?」

 

「どうせ『印』を埋め込まれて蘇ったんでしょう?

 君も運が良ければ僕らの同族になるかもしれませんが、そうでなければ人間のまま」

 

 センチピードオルフェノクは適当に鞭を振って長瀬を追い詰める。

 弾丸ほどの速さで、戦車の装甲を引き剥がす力強さで、計算とは程遠い乱雑さで長瀬を攻めに攻めていく。

 長瀬は走って逃げるが、振り切ることも出来ないまま、彼の周りの全てが削げ落ちていく。

 

「そう、人間のまま、死ぬことになるわけです!」

 

「っ!」

 

「冥土の土産に教えてあげましょう。僕の名は琢磨(たくま)逸郎(いつろう)

 名もなき雑魚として死んでいく人間の君を殺す、男の名です!」

 

「じゃあテメエも覚えていきやがれ! 俺の名前は、長瀬裕樹だぁッ!」

 

 長瀬は熱くなった頭と感情を抑えずに、獣のように走って逃げる。

 そして、本能的に琢磨の戦法を見定めた。

 

 長瀬は思考する。

 こいつの頭は、大したものじゃない。

 目の前の人間をオルフェノクの本能に従い殺そうとし、オルフェノクの王を探すという初目的を見失い、結果俺の側に王が居ないことを疑問に思ってもいない。

 合理性を考えるならば俺みたいな雑魚はさっさと殺すべきなのに、俺を適当にいたぶって楽しもうとしている。

 早めに敵を片付け仲間の援軍に行こうという気配すら見せない。

 こいつは群体の一角としては未熟で最弱だ、と、長瀬は琢磨の性格に希望を見出した。

 

 長瀬がかつて戦っていたのは獣の群れ、獣の群体。そして人の特殊部隊。

 人食らいの獣でありながらも群れとして機能した怪物達と、その怪物達を殺すために編成された、人の知性で成立する特殊部隊という群れだ。

 人の知性と怪物の性能を持ちながら、この琢磨というオルフェノクは、『群れ』として生きる獣の気概があまりにも足りない。

 

「では、さようならだ!」

 

「くっ……!」

 

 琢磨が戯れに放った一撃が、たまたまに長瀬の首へと直撃コースを進み、長瀬はそのままあわや致命傷を―――と、いうこともなく。

 長瀬の首に迫る棘付き鞭の一撃は、割って入った馬のオルフェノクの剣戟により、叩き落され石の路面にめり込んでいった。

 

「お、お前……」

 

「君は人間だろう? 僕は木場勇治。こんな危険な場所からは、早く逃げるんだ!」

 

「逃げろっつったって、場所を考えろ!」

 

 そう、ここは川にかけられた橋半ばのベンチがある場所。

 橋は道の横側に飛び出す形でベンチなどの休憩席を置いてあることがままある。

 橋半ばで凸字状になっている場所であるために、ここに追い込まれた長瀬とそれを守る木場はどこにも逃げられなくなってしまったのだ。

 そして、ボロボロの木場では琢磨に拮抗できようはずもない。

 

「う……おおおおおおおおおおっ!?」

 

 そして抵抗虚しく、鞭の衝撃を受け、二人まとめて川に落とされた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 実家のような安心感から抜け出すように、木場は水面で目を覚ました。

 幸い足がつく。立ち上がろうとすれば、水底(みなそこ)の泥に靴底が触れる。

 木場は立ち上がり、離れた場所で水面に浮かんでいる長瀬に泳いで近付き、痛む体を押してなんとか陸地まで引っ張っていった。

 

「いつつ……」

 

「ん……げほっ、げほっ!」

 

「ああ、君も目が覚めたのか。大丈夫かい? 長瀬裕樹くん、だったかな?」

 

「かはっ、かはっ……そういうお前は、木場勇治で良いのか?」

 

「やはり、海堂の仲間だったのか。まさか、オルフェノクの王に人間の仲間が増えるとはね」

 

「俺はオルフェノクの王の仲間になった覚えはねえ。鈴木照夫の仲間になった覚えはあるがな」

 

「……なるほど」

 

 自分の言葉に、木場が妙な納得をして、自分に少し好意的になったのを長瀬は感じる。

 水を吐き出し、口の中に入っていた水草を手で取って、長瀬は立ち上がった。

 そして、すぐ座る。

 いつの間にか周囲は夜で、この日の夜風は水辺ということもあって非常に寒かった。

 服がびしょ濡れになった状態で、風を受ける面積を増やすと、風邪を引きそうになってしまう。

 

「ここどこだ? 木場、分かるか?」

 

「分からない。積み上げられたコンテナを見るに、どこかの港湾だろうかな」

 

 今火を起こすよ、と木場が枯れ木を集めて火を付ける。

 ちょうどよく近くに作業員が置き忘れたらしい使い切られた燃料のタンク――まだ僅かに油が残っている――が見つかり、火を付けるのにさほど苦労はしなかった。

 二人は服を乾かしつつ、暖を取る。

 

「うっおー、あったまるぅ」

 

「ああ、暖かいね」

 

 悪い奴じゃない。長瀬は木場に対し、シンプルな好感情を抱いていた。

 木場が頭だけで動いているような人間なら、適当な話題から探りを入れていくつもりでいた。

 木場が心だけで動いているような人間なら、そも話を振るつもりはなかった。

 だが木場がその中間の人間だと判断した長瀬は、自分らしく直球で話を振ることを決める。

 

「なあ、あんた本気で照夫を殺すつもりなのか?」

 

「……驚いた。面識が無い人からそこまで直球に聞かれるとは、想像もしてなかったよ」

 

「答えろよ、木場勇治。俺は腹芸が苦手なんだ」

 

 木場は長瀬を見て、炎を見て、眩しいものから目を逸らすように目を瞑る。

 

「人間を守るために、必要なことだ。だから僕はそうしようとしている」

 

「……」

 

「でも、最近は少し分からなくなってきた」

 

「?」

 

「人間の味方をしていたつもりだったけど……

 警察の特殊部隊のやり方は、少し目に余る。

 僕が見ただけでも残酷非道。

 僕が見ていないところでは、何をしているやら」

 

 最近は、人間に守る価値があるのか分からなくなってきたんだ、と木場は苦笑した。

 

「人間に守る価値が無いと何か変わんのか?」

 

「人間を守るために王を殺そうとしていたんだ。

 人間に守る価値がなければ、僕が王を殺す理由はないさ。

 でも、だからといって他に何をするか、誰の味方になるか、なんて決まってなくて」

 

 木場の逡巡、迷い、苦悩が、炎の熱を通して長瀬に伝わっていくかのようだ。

 情に流されやすい長瀬が、みるみる内に木場に同情していくのが手に取るように分かる。

 

「なあ、その『人間』ってのは、人間の心を持ったオルフェノクは含まれないのか?」

 

「え?」

 

「なんつーか、あんたの中でその辺ハッキリしてんのか?」

 

「それは……勿論、人間の心を持ったオルフェノクも人間だよ。それは間違いない」

 

 長瀬に問われて、木場は気付く。

 自分の中でその辺りの定義はあやふやで、意識的にキッチリと決めたことがなかった。

 そしてそういった定義を、ハッキリと他人に向けて口にしたこともなかった。

 その場に応じて全ては自分の感覚で決めていた、ということを。

 

「じゃあ木場は人間の心を持ったオルフェノクも守ってきたってことだよな?」

 

「そうだね。そう多くはなかったけれど」

 

「でもオルフェノクは種族としては人間じゃねえよな?」

 

「それは……」

 

「ああ、待て。そういうふわっとした感じに人間として呼ぶのは良い。俺も賛成なんだ」

 

「?」

 

 長瀬もまた、千翼(ばけもの)が人間として扱われることを望んでいた人間だったから。

 

「じゃあよ、微妙に変なのは木場の『人間を守る』の方なんじゃねえかなって」

 

「……人間を守ることがそんなに変かな?

 それこそ、オルフェノクである僕に、オルフェノクじゃない君が言うことじゃない」

 

「だってお前、戦う相手と守る相手は人間の心を持ってるかで選んでるんだろ?」

 

「!」

 

 木場はハッとして、少し考え込む。

 一分か二分か、少しばかり考えて、木場は口を開いた。

 

「……確かに、そうかもしれない」

 

「『オルフェノクを守りたくない』でも『人間だけを守りたい』でもないんだろ、木場は」

 

「ああ、そうだ。

 僕は、人間の心を持った人間、人間の心を持ったオルフェノクを守って……

 人間の心を失ったような人間、人間の心を捨ててしまったオルフェノクが、僕は……」

 

「お前は嫌いな奴の敵で好きな奴の味方。分かりやすいじゃねえか」

 

「ははは……長瀬君は、僕の周りにはあまりいないレベルで単純明快な人みたいだ。

 人間らしい心、優しさを失っていない心、価値ある心を守りたい……それが、僕なんだろうか」

 

「出会って間もないのに俺がお前の心なんて知るかよ」

 

「ははっ、それもそうだ」

 

 木場は愉快そうに笑って、焚き火の暖を求めて手を伸ばす。

 

「なあ、価値が無い気がして守る気が失せるってのは、どういう気持ちなんだ? 木場」

 

「うん? どういうこと」

 

「いやなんか、価値の有る無しでお前は守るもの決めてんだなって思ってよ」

 

 長瀬は恐ろしいほどに感情論で行動を決定する。

 人間も化物も関係なく感情論で敵味方を定め、社会的な善悪さえも無視して守るか抵抗するかを決め、守るものの価値を測ろうともしない。

 

 そう、価値があるものだけを守りたいなら、銀行でも守っていればいいのだ。

 長瀬はかわいそうだな、自分と同じ境遇だな、と思えば命がけで守る。

 木場は人間の心に価値を見ている限りはそれを持つ者を守る。

 だからだろうか?

 長瀬が守る、と決めた時は個人を見ていて、木場が守る、と決めた時は種族を見ている。

 

 長瀬が凡人で、木場がオルフェノクとして強力な才能を持っているのは、二人の性格的な傾向を見比べていると"妥当だな"とすら思えてしまう。

 

「木場的にはオルフェノクに守る価値はあるのか?」

 

「オルフェノクの守る価値? それは……ちょっと、考えたこともなかったな」

 

「いや、だってよ。

 俺は出会った順番もあるが、オルフェノクが悪とかそんな感じには思ってないしな。

 ただ人間に何か攻撃とかしてくるようなら、チーム組んで狩らないといけないんだろうけど」

 

「……狩る、か」

 

「人間に守る価値が完全に見えなくなってよ。

 オルフェノクに守る価値があるように思えたら、木場はそっちを守るのか?」

 

「いや、まさか」

 

「まあ、そんなもんか。木場の生き方って聞いてると……

 なんか、オルフェノクに転がりそうだけどオルフェノクには合いそうにないしな」

 

 木場はオルフェノク側に転びやすいが、オルフェノクの側に順応しにくい生き方をしている。

 それは、木場の本質の一端を見事に言い当てていた。

 木場は図星だったにもかかわらず、自分が図星を指されたことも自覚できず、ただなんとなくよく分からない気恥ずかしさと自己嫌悪を感じていた。

 

 木場は長瀬と話せば話すほど、何かが自分の中で整理されていくのを感じる。

 長瀬は何かが違う。

 決定的に、『元人間の怪物と人間』という関係性に対する認識が違う。

 それでいて、木場は長瀬の認識を間違ったものだとは思っていない。

 むしろ新鮮な刺激として、知らない価値観の教育者として、その言葉を受け止めていた。

 

 何もかもが違う世界から来た来訪者の言葉であれば、こうはならなかっただろう。

 長瀬の認識や人生観を決定づけているのは、この世界の日本とは似て非なる日本で刻まれた、彼の人生経験に他ならない。

 

「長瀬君。オルフェノク化は悲劇だと、そう思わないか?」

 

「悲劇? ……ああ、まあ、悲劇っちゃ悲劇だな。

 人間皆、人間だった頃には、怪物になんかなりたくないって思ってただろうぜ」

 

「オルフェノクにならなければ、そのまま死んでいた……

 だからもしかしたら、これは幸運なのかもしれない。

 でもやっぱり、多くのオルフェノクが人間の心を失っていくのをみると、ね」

 

 木場の言葉も長瀬の言葉も、込められた想いがひたすら重い。

 

「悲劇、悲劇ね……なあ木場。

 それは、人を殺す怪物が『生まれてしまった』からなのか?

 人間の心が、それまでそこに生きていた人間が、『死んでしまった』からなのか?」

 

「生まれたから悲劇か。

 死んでしまったから悲劇か。

 僕は……生まれたことが悲劇だなんてことは、ないと思うけど」

 

「―――」

 

 それは木場の何気ない一言。

 何も考えずに心からの言葉を漏らしてしまったがために、漏れてしまった木場の本音。

 何かが生まれたことはそれそのものに罪はなく、悲劇でもない。

 木場がそう考えているということは、木場は頭で考え照夫を殺そうとしているも、心では殺したくないと思っているということだ。

 

 そして今、その心の天秤は、確実に傾いている。

 

「だよな。生まれたことが悲劇なんてあるわけねえわ。

 基本的に何かが生まれるってのは、何かに望まれて生まれて来るわけだしな!」

 

「そういえば、オルフェノクの覚醒条件に死んだ時、

 『死にたくない』

 という想いがあったかが関係する可能性がある、と警察が研究していると聞いたよ。

 そういう意味では、オルフェノクは自分に望まれ自分の死から生まれて来る、のかもしれない」

 

「オルフェノクも面白生物なんだな……」

 

「面白生物って」

 

 長瀬は何かを思い出すようにして、木場が自分の心の中を吐き出したのと同様に、自分の胸の奥に抱えたものを吐き出した。

 

「俺が居た方だと、露骨に生まれて来たことが罪って感じだったな。

 人間が食人の怪物作ってよ。色々あって……

 怪物は生きたいだけだつって、人間は殺処分しないとつって。

 テメーらが勝手に作ったからだろ!

 アイツに限ってはテメーが避妊しなかったから出来ただけだろ!

 そうは思っても……俺も、殺すなって思っても、殺さないといけないってのは分かってよ」

 

「それは、酷いな」

 

「食人の怪物なんて生きてちゃいけねえよ、そりゃ大いに同意だ。

 でもよ、親なら……親だけは……

 周りの奴が殺せって叫ぶ中、自分の作った子の、たった一人の味方になってやったって……」

 

「長瀬君……」

 

 木場は一瞬、長瀬が血を吐いているように見えた。

 言葉ではなく血を吐いているように見えた。

 そのくらいに重く密度のある、血に濡れた言葉だったのだ。

 

「家族だろ、親だろ、守ってやれよふざけんな!」

 

 長瀬はここではないどこかへ向けて叫ぶ。

 それが木場の心の奥底を刺激し、木場の暖かさと痛みの混じる記憶を蘇らせていた。

 

(家族、親、か)

 

 木場勇治は悲劇の男である。

 

 恵まれた家庭、優しい両親、愛し合う恋人を持っていた彼は、交通事故で両親を失い、二年間の植物人間状態を経て、オルフェノクと成り覚醒する。

 目覚めた彼を待っていたのは、両親は自分の運転のせいで死に、恋人は従兄弟に奪われ、恋人は自分を捨て、叔父に全ての資産を奪われ、愛した自宅も売り払われたという現実だった。

 彼は全てに裏切られた。

 家族は自分のせいで失われ、帰る場所は消え、残った家族も自分を裏切っていた。

 

 あのまま死んでくれていればよかったのに、と叔父は言う。木場は殺した。

 俺が悪いってのかよ、と従兄弟は言う。木場は殺した。

 もう昔の私じゃない、と元恋人は言う。木場は殺した。

 穴の空いた己の心を、木場は人間を守るという信念と、人間とオルフェノクの共存という理想で埋めた。

 

「子供は親に望まれて生まれて来たんじゃないのかよ!

 照夫だってそうだろ。

 あいつだって人間として、親に望まれて生まれて来たはずだろ!

 望まれて生まれて来て、生きたいと思ってる、じゃあ生きてたって別にいいだろ!」

 

 長瀬の言葉は、木場に両親の笑顔を思い出させる。

 両親の記憶はずっと、自分を裏切った叔父の記憶と従兄弟の記憶と一緒に、心の奥底に封じ込めてきた。

 だから、木場が両親の笑顔を思い出すのは、本当に久しぶりのことだったようだ。

 

 両親の笑顔を、自分を愛してくれた人達の顔を、自分を大切に育ててくれた『人間』の顔を、一つ一つ辿るようにして木場は思い出していく。

 

「だから守る。人食わないと生きてられないわけでもねえんだ、それでいいじゃねえか」

 

 親と子。

 それが、長瀬の根幹にある、原動力となる関係性。

 

「その気持ちは……僕にも、共感できる」

 

 木場は聞き手一辺倒をやめ、ようやく絞り出すようにして言葉を吐き出した。

 

「君の言う通りだ。

 新聞によれば照夫君の両親は火災で亡くなったが、照夫君だけは生き残った。

 ご両親が命をかけて照夫君を生き残らせようとしたんだろう。

 鈴木仁さんと鈴木七羽さんの夫妻には、間違いなく、子供に向ける愛があったんだ」

 

「……今、両親の名前、なんて言った?」

 

「? 鈴木仁さんと鈴木七羽さん。知り合いだったのかい?」

 

「そう―――か。いや、悪い。全然知らねえ人だったわ。

 ちょっと個人的な、こじつけの納得があって……守んなくちゃな、って改めて思っただけだ」

 

 長瀬は何やら自分の中で何かと何かが噛み合ったような顔をしていたが、木場は特に気にしなかった。

 木場が気にしていたのは、長瀬が発した言葉と想いの方である。

 

 長瀬がその気持ちを人並み外れて強烈に抱いているというだけで、長瀬の中にある気持ちは、大多数の内に大なり小なりあるものだろう。

 親は子を愛せ。

 子供を殺すな。

 親は子の味方で居ろ。

 生きていたいならそうさせてやれ。

 こういった"当たり前の気持ち"が時に否定されてしまうのが、人間社会の難しいところだ。

 

 合理と正義を求めれば、大多数の者達のために子供を殺すのは、時に正しいこととなる。

 それは誰かが必ずやらなければならないことである時もあるだろう。

 誰かがそれをやってくれるからこそ、世界は回っている。

 けれど、それでも、その上で。

 『それは正しくなんてねえ』と思い、抗えるのなら。

 

 それこそを、『人の心』と言うのだろう。

 

 木場は長瀬の中にそれを見た。

 見ようと思えば、多くの者の中にそれは見られるはずだ。

 人の世の中には、人の心を捨ててでも子供をなぶり殺しにできる人間が必要で、それに抗おうとする人の心持つ人間も必要である。

 そして木場は前者を嫌い、後者を好んだ。

 ゆえにこそ、心の天秤は傾いていく。

 

「長瀬君。照夫君は、生きたいんだろうか」

 

「当たり前だろ。そんなの、問うまでもねえ」

 

 ……知りもしない他人の心の内をこうまでストレートに断言されてしまうと、もう溜め息も出てきやしない。

 その熱過ぎるくらいの直球な想いが、木場には心地良く感じられる。

 ひねくれ者の巧や海堂、糞野郎の草加に慣れて居たからか、尚更に強烈に感じられたようだ。

 

(……僕は……俺は……照夫君に対して、軽率な判断を下していたのかもしれないな)

 

 木場はこういう風に、仲間と大事な案件をしっかりと話したことがあまりない。

 かつては木場もいつも一緒に居る仲間が二人居たが、片方は極めて適当で、片方は主体性がなく自分で考えるということをあまりしない少女だった。

 適当な仲間は木場の肩の力を抜き、"しっかりしなければ"という意識を持たせ、主体性のない仲間は木場に主体性と牽引意識を持たせるため、仲間というのも良し悪しなのだが……

 

 普段からちゃんと方針を話し合い、情報をやり取りできる仲間さえ居れば、木場は自分の行き先に苦悩しないし、自分だけにつかれた嘘などにも騙されない。

 木場の生き方や選択は、それなりに環境に左右される。

 良くも、悪くも。

 

「僕は、君を信じていいんだろうか」

 

「誰を信じるか信じないかの選択を他人に委ねてどうすんだ」

 

「はは、それもそうだね」

 

「ちなみに俺は木場を信じてるかってーと微妙だ。

 お前が味方ならともかく、お前照夫殺そうとしてんだろ? じゃあ無理だな」

 

「じゃあ、今日から信じてくれ」

 

「……?」

 

「君達の陣営に合流する。

 まだ、オルフェノクの王が人間と共存できると思えたわけじゃない。

 オルフェノクの王の危険性はずっと無視できないだろう。

 それでも……照夫君が人間の心を持っている内は、味方で居続けると約束する」

 

「! おい、マジかよ」

 

「ああ、マジだよ」

 

 木場の中の照夫に対する感情が何か変わったわけではない。

 変わったのは認識と、自分の行動原理への理解度だけだ。

 長瀬の言葉を真っ向から受け止め、噛み砕き、その影響をストレートに受けたからこそ、照夫と話したわけでもないのに、木場は照夫への対応を改めたのである。

 

 長瀬は"助かった"と思ったが、同時に木場の危うさも感じ取ってしまう。

 けれどもその感じた危うさを、気にもせずに投げ捨ててしまった。

 

 要するに木場勇治は、『信じる才能』が致命的に無いのだ。

 何を信じるべきか、何を信じるべきでないかの判断力が致命的に無い。

 裏切られても信じよう、と何度も思えるタフさが致命的に無い。

 信じることで自分を成長させるのが苦手なくせに、裏切られると致命的に悪化する。

 

 斜に構えて程々に、というバランスの取り方も下手なため、人類かオルフェノクのどちらを信じて決定的な味方になっていないと立っていられない。

 オルフェノクに善も悪も居る、人間に善も悪も居る、という割り切った信じ方をするのが、巧や海堂ほど上手くないのだ。

 

 乾巧は『信じている』が基本で、木場勇治は『信じたい』が基本にある。

 巧は事実であるため揺らがず、木場は希望であるために揺らぎやすいのである。

 

 そして、この日この夜この時に、木場が心に抱いた『信じたい』という気持ちは、彼の中でとても正しい方向に噛み合った。

 

 

 

 

 

 小一時間後。

 服が乾き、彼らは夜の港湾で立ち上がる。

 

「乾君達は大丈夫だろうか?」

 

「もう戦闘は終わってる気がするけどな。照夫は無事……だと思いたいが」

 

「そういえば照夫君はどこに?」

 

「俺が隠した。

 手頃にデカいハンマーと空のタンスがあったからな。

 ハンマーでタンスの背をぶち抜いて、中の段もぶち抜いて、破片は暖炉の火にくべた。

 んで中に照夫隠して、部屋の壁に沿って置いといたんだよ。

 あいつの体が小さいからって、普通服が入ってるタンスの中に居るとか思わないだろ?」

 

「……なんて無茶苦茶な。

 でも確かに、それは想定できないだろうね。

 スマートブレインの目的は照夫君の確保だ。

 家ごと破壊するようなことはしたくてもできない。無事は保証されるわけだ」

 

「あとは乾さんとナオヤに合流できるか、だな」

 

「連絡入れてみようか。

 ファイズギアとデルタギアが奪われたかどうかも、電話一本で確認できる」

 

 ファイズとデルタの変身ツールには電話機能が含まれているため、それぞれに電話をかければ敵に奪われたかの確認・仲間がまだ持っているかの確認ができる。

 変身ツールなら肌身離さず持っている上、滅多に壊れないため連絡手段としても強い。

 そういう意図で携帯電話を取り出し、番号を打ち始めた木場の携帯を、長瀬は穴が空きそうなほどに凝視した。

 

「僕らはよく川や海に落とされるから、携帯電話も最近防水のに変えたんだ。変だろうか?」

 

「あーいや、そういうつもりで見てたわけじゃねえんだ、悪い」

 

「うん?」

 

 2016年日本のスマホ普及率は70%超え、20~30代のスマホ普及率は90%を超えている。

 10代も親が子供にスマホを与えないパターンが割合を引き下げているものの、それでも八割前後がスマホという脅威の普及率。

 学生にスマホは基本。

 ガラケーは既に前時代の遺物。

 ところがこの世界における携帯電話の基本は、折りたたみ式かスライド式のガラケーであった。

 

 長瀬は前時代の遺物を見るような目で木場の携帯を見ていた。

 10代の特有の感覚で、そこに『異世界感あるな』と妙な実感を得てしまっていた。

 全年代LINE普及率が6割を超え、10代のメール利用率が3割に低下した時代の現代っ子である長瀬からすれば、メールと通常通話メインの木場の携帯は化石にも等しい。

 

 当然、木場に長瀬のそんなショックが理解できるわけもなく。

 ファミコンを見るような目で(この世界における)最新機種の携帯電話を見る長瀬をよそに、木場は巧へと電話をかけた。

 

「もしもし、乾くん?」

 

『木場か!? どうした!』

 

「面の皮が厚いと思われても仕方ない、と思う。

 でもこの願いを聞いて欲しい。また、君達と一緒に戦いたいんだ」

 

『……! 最高のタイミングだぜ、木場』

 

「……まさか、君達、今」

 

『ああ! 俺達は今戦闘中だ! 来てくれるなら、急いで来てくれ!』

 

「分かった! 僕らが駆けつけるまで、持ちこたえてくれ!」

 

 木場が携帯を閉じ、振り返れば、そこには木場の発言から状況を大まかに理解した長瀬が居た。

 彼から共闘の意志を感じ、木場は瞬時に姿を変える。

 二足二腕のオルフェノクから、四足二腕のオルフェノクへ。

 

「うおっ、馬人間からケンタウロスになった!?」

 

「乗ってくれ! 一気に駆けつけよう!」

 

 ホースオルフェノク・疾走態。

 力あるオルフェノクのみが持つ『形態変化』の能力の応用系である。

 ひとたび跳躍すれば30mと跳び、走れば時速360kmで駆け抜ける。

 ケンタウロスの形へと変わった木場であれば、人を上に乗せられる。

 

「しっかり掴まって!」

 

「おま待てこれ速っ―――」

 

 長瀬を乗せた木場は、長瀬ならこのくらいは多分大丈夫だろうと信じ、人体が耐えられるか耐えられないか微妙なラインでの疾走を開始した。

 

 

 




乾巧18歳
園田真理16歳
菊池啓太郎21歳
草加雅人21歳
木場勇治21歳
長田結花17歳
海堂直也23歳
琢磨逸郎25歳
影山冴子24歳

長瀬裕樹17歳

思い出補正もあってちょっと感じる『あ、そうなんだ』感


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人間の証

 現代日本だと競走馬の絵を書く画家は日本に一人しか居なくて、競走馬に芸術性を見出したその人の名前が長瀬さんというらしいです


 木場の高速移動に相乗りさせてもらったおかげで、長瀬もあっという間に現地に着いた。

 ゲロゲロ一発、吐き出せばもう元の体調に元通り。

 ゲロフェノクと化した長瀬と木場はメールを頼りに移動し、人目につかないよう夜影と物陰を渡って動き、巧達と合流した。

 

 巧、海堂には多少の疲労の色が見えたが、敵の姿はどこにも見えない。

 どうやら戦闘は今一区切りされ、戦いの合間に彼らはこっそりと隠れていたようだ。

 木場を始めとする援軍が来るあてがあるのなら、なるほど最適解の一つだだろう。

 長瀬は彼らが無事なことにホッとしたが、癇癪を起こした照夫に怒られ――長瀬は自分が囮になって照夫を守ったことをすっかり忘れていた――しどろもどろになってしまう。

 

「バカ! バカ! 心配したんだからな!」

 

「ああ、俺も心配してたぞ。怪我ねえか?」

 

「バカー!」

 

 長瀬が照夫の叫ぶような感情の発露を耳にしたのは、これが初めてだ。

 新たな出会いが僅かに照夫に変化を生んでいるのか、それとも照夫が長瀬に心を開き始めている証拠なのか、ちょっと曖昧なところである。

 木場が合流し、海堂が露骨に嬉しそうな顔をした。

 

「よう木場、頼りにしてるぜ」

 

「ああ、海堂。また一緒に戦おう」

 

 何だか無邪気に嬉しそうにしている木場と海堂を見て、巧が長瀬の肩をポンポン叩く。

 どうやら長瀬は"やる男"だと巧に認められたようだ。

 今回の一件は、運が良かったという要素もそれなりにはあったのだが。

 

「よくあの分からず屋を説得してくれたな。どうやったんだ?」

 

「いや、お前は信用できないとか何か言ってたら、何かこう、フィーリングで」

 

「フィーリング……いや、まあ、そうか。

 俺や海堂みたいな関係の形じゃ駄目だったのかもな。こいつは運が良いと思っとくか」

 

「妙に馬が合ったんだよ、木場と」

 

「……馬だけに?」

 

「馬だけに」

 

 巧は携帯電話(ファイズフォン)を取り出して時間を見る。

 

「あと五分……よし、時間通りだな」

 

 やがて、巧が待っていた人物が、定刻通りにやって来た。

 サイドカーを駆って来たその男は、サイドカーの座席にライダーズギアの銀色ケースを乗せていて、それがサイドカーを使っているくせに"誰も横には乗せない"という意思表示をしているように見えてしまう。

 

「よくないなぁ、オルフェノク同士の汚らしい争いに俺を巻き込むのは」

 

「んなこと言ってる場合じゃねえだろ、さっさと行くぞ」

 

 その男は、キッチリ仕事を果たしてきた。

 巧と海堂が照夫を抱え隠れている間、その辺りをバイクで駆け回りスマートブレインの追手を攻撃・撹乱することで、陽動役として活躍してくれたのである。

 この男は私情で仲間を殺すこともあるが、仕事に私情は挟まない。

 エゴの塊ではあるが、一度戦いが始まればそこにエゴを挟まない男。

 

「人間の長瀬裕樹か。話は聞いてる。俺は草加(くさか)雅人(まさと)だ」

 

「草加か。名前だけは聞いてる、よろしくな」

 

「ふん」

 

 愛想が無い。

 長瀬は喧嘩を売りたくなったが、長瀬が喧嘩を売れるだけの時間的余裕はなかった。

 スマートブレインがまだ付近をうろうろしている中、彼らは戦場離脱を画策する。

 

 彼らはここから、夜の闇に紛れ、この付近一帯に張られたスマートブレインの包囲網を突破しなくてはならないのである。

 

 巧と草加はバイク。

 海堂が運転する車に長瀬・木場・照夫が乗り込む形となった。

 こんな車どこから奪ってきたんだ、と長瀬が聞けば、ラッキークローバーが乗って来た車を海堂がちょろまかしたのだという。

 手慣れたやり口に感心すればいいのか、そうでもしないと移動手段の確保にも苦労する、勢力ごとの経済格差に涙すればいいのか。はてさて。

 

「木場、あの草加って奴、どんな奴なんだ? 何かお前らの反応変じゃねえか」

 

「草加君は……その……」

 

 長瀬の問いは木場を返答に迷わせる。

 例えるならば、ウンコの味をレビューしようとして、言葉選びに苦心しているような顔だ。

 素直に答えるべきか、長瀬と草加に不和を産まないために当たり障りのない言い方をするべきなのか、『いい人』な木場は頭を抱えてうんうん悩み始めてしまった。

 そんな木場の横顔を見て、照夫は何か思うところがあったらしい。

 車の窓を開けて、車にバイクで並走する草加を睨む。

 

「草加は来なくてよかったのに。バーカ」

 

「このクソガキ……!」

 

 そして返答を聞く前に窓を閉めた。

 照夫のこんな子供っぽい攻撃を見せられたからか、海堂も木場もちょっと呆れ顔で、木場に至っては苦笑までしていた。

 照夫はむすっとしている。

 草加はどうやら、あまり子供には好かれていないらしい。

 

「乾さんはかっこいい。

 ナオヤは信じられる。

 木場さんはめんどくさい人。

 草加はだいきら……気持ち悪い」

 

「海道への半端ない信頼と草加への半端ない見下しが感じられるな……」

 

 照夫の中の四人評はそんな感じであるようだ。

 

 長瀬は海堂と木場に改めて草加の評価を聞くが、何をどう聞いても悪評しか出て来ない。

 曰く、嘘つき。

 曰く、仲間割れ誘発機。

 曰く、強さは折り紙付き。

 曰く、スマートブレインに掴まった人間の仲間を助けるため、オルフェノクの王を交渉材料として守りつつも虎視眈々と狙っている。

 

 草加という男はオルフェノクが大嫌いで、オルフェノクの全滅を願っている。

 だが人間の仲間が皆スマートブレインに捕まっているせいで、長瀬が仲間に加わるまで、この陣営は照夫含めオルフェノクしか居なかった。

 草加のストレス、及び普段の素行は推して知るべしといったところだろう。

 捕まった仲間と交換できる可能性が無ければ、子供であろうと容赦なく照夫の抹殺に動いていただろう。それはまず間違いない。

 

 長瀬は草加の評判を聞き、車の窓から外を見る。

 疾走する車と並走する巧と草加が、バイクの上で会話している様子が見えた。

 海堂と木場の話を聞いていると、もしやここには草加雅人と真っ当に話してくれる者は乾巧しか居ないのでは? と思えてくるから不思議なものである。

 

 戦闘面においては信用されているため、草加の信用度はゼロではない。

 だが好感度においては間違いなく底値をマークしている。

 嫌われていて信頼もされていないが強さの信用はされている、という意味ではクソまみれの機関銃のような男だった。

 

「ちゅうか、そろそろだな。

 照夫、シートベルト締めとけ。

 木場、長瀬、橋が見えるだろ?

 あそこの橋はやたら長いくせに車線が二本しかねーんだ。

 仕掛けてくるとしたらあそこだろうからよ、準備しといてくれ」

 

 合理とは、与えられた情報から考えるという前提があれば、敵も味方も同じ結論に達するということである。

 すると、逃走側と追跡側で『ここで戦う』という無言の合意が成ることがままあるのだ。

 そして彼らの予想通り、戦いはその場所で始まった。

 

「! 来やがった! ナオヤ、後ろを見て四つ目の信号のとこにオルフェノクだ!」

 

「ああ、見えんな。かーっ、やんなっちゃうぜ……変身!」

 

《 Standing by 》

 

 海堂、巧、草加がライダーズギアを起動する。

 

《 Complete 》

 

 デルタ、ファイズ、カイザのギアが彼らを戦士の姿へと変え、逃走者と追跡者は両者共に橋の上に突入した。

 

「オラァ!」

 

 ライダーズギアの使用者達が、ギアにデフォルトで装備された銃を一斉に後方へ撃つ。

 高熱猛毒の光弾が、スマートブレインの追手を襲う。

 されどもそれを平然とくぐり抜けて来た時点で、追手がただのオルフェノクでないことは確定的だった。

 

 雑魚のオルフェノクに運転を任せ、車のルーフから上半身を出し、鞭で全ての光弾を叩き落としたのはセンチピードオルフェノク。

 そしてその車に並走し、バイクで追いかけて来ているのは、ドラゴンオルフェノクであった。

 

「さあ、今夜こそは我々の王を返して貰いますよ!」

 

 照夫が乗っている車を破壊されれば、ただそれだけで追い込まれる。

 センチピードオルフェノクが振るう中距離武器である棘付き鞭を、カイザの銃撃が撃ち落とし、ファイズの銃撃が牽制し、デルタの銃撃が抑え込む。

 疾走と並行する激しい攻防に、ドラゴンオルフェノクはニタリと笑った。

 

「僕を楽しませてくれないと、つまんないよ」

 

 バチッ、と竜の角に稲妻が走る。

 次の瞬間、ドラゴンオルフェノクの角から強力な雷撃が放たれた。

 放たれた雷撃は無差別にドラゴンオルフェノクの前方を破壊し、長瀬達の周囲を信じられない威力で片っ端から消し飛ばしていく。

 

 路面は抉れ、街灯は消滅し、案内板は溶けて吹き飛ぶ。

 一秒ごとに雷がいくつも着弾し、そんな破壊が何分も絶えず継続されて続いてゆく。

 戦闘機の機関砲でも、単発の威力ではこの雷撃に及ぶまい。

 長瀬はたまらず、揺れる車内で叫んでいた。

 

「なんだあいつ!? 無茶苦茶過ぎんだろ!」

 

「奴は北崎、ドラゴンオルフェノク。

 ラッキークローバー最強にして、最も危険な心を持つ男だ!」

 

 木場はオルフェノクに変身しながら、窓から車外に飛び出した。

 ホースオルフェノク・疾走態のスピードで、走るようにして着地する。

 車より足の早い木場であれば、この程度の芸当は大したものでもない。

 木場は大剣を生成し、センチピードオルフェノクの鞭、ドラゴンオルフェノクの雷撃の余波を、その大剣で切り払う。おかげで車もすぐさまスクラップにならずに済んでいた。

 

「ヤロー、目にもの見せてやる!」

 

 長瀬はドラゴンオルフェノクがバイクに乗っているのに目を付けて、後部座席下から予備のオイルタンクを取り出し、窓からぶち撒けた。

 車もバイクも最高速度。時刻は夜。街灯は片っ端からドラゴンが破壊している。

 当然の結末として、見えなくなったガソリンはドラゴンオルフェノクのバイクを転倒させた。

 

「よし、ザマァ見やがれ!」

 

 ―――そして、歓喜する長瀬を嘲笑うように、ドラゴンオルフェノクはバイクを見捨てて飛翔する。

 

「ウッソだろ、てめェ……」

 

「もっと激しく抵抗してくれなきゃ……つまんないのさぁ!」

 

 飛びかかるドラゴンオルフェノクの顔面に、ファイズとカイザの息の合った銃撃が同時に炸裂する。

 怯むが止まらない。怯むが死なない。

 急所だらけの顔面でこれなら、それ以外の耐久力はどれほど高いのだろうか。

 

 逃げる車と、それを守るバイク二台にケンタウロス一人。

 追う車と追うドラゴン。

 だが橋も半ばまで差し掛かった時、新たな追手が橋の下の河から現れた。

 

「!」

 

 橋を右から左へ横切るように、河から飛び出したオルフェノクが猛スピードで飛んで来る。

 水中戦に特化したオルフェノク特有の、水中で加速し飛び出した勢いを利用する一撃。

 照夫の乗った車を狙った一撃を、割って入った木場の剣が切り払った。

 

「ロブスターオルフェノク……影山(かげやま)冴子(さえこ)か!」

 

「あら、お馬さんじゃない。また古巣に戻るなんて、相変わらず節操がないこと」

 

 飛び出して来た冴子はまた河に落ち、今度は橋を左から右へ横切るようにして飛び出し、彼らへと襲いかかる。

 今度はファイズが割って入って事なきを得たが、またしても冴子は水中に戻り、不可視の夜の河の中を泳いで回る。

 

(こいつはロブスター、水がある場所で本領を発揮するオルフェノクなのか!?)

 

 水中のロブスター。

 車上のセンチピード。

 そして空中のドラゴン。

 何故今回の追手の中心にこの三人が選ばれたのかがよく分かる。

 

 やがて、ファイズとカイザだけでは防げなくなる。木場が居ても守れなくなる。叩き落とし損ねた雷撃の一発が、海堂の操る車のタイヤに命中してしまった。

 

「くっ……やべえっ!」

 

 車はスピンし、クラッシュしてしまう。

 長瀬は咄嗟に照夫を抱きかかえるようにして守ったが、車は猛スピードで橋の柵に激突、見るも無残に破壊され、漏れたガソリンが炎上を始める。

 

「う、ぎ……」

 

 長瀬は額に突き刺さった鉄片を引っこ抜き、照夫を抱えてフラフラと車外に脱出。気絶した照夫と一緒に、倒れるようにして路面に転がる。

 

「ぐっ……頭のネジ飛んでやがるな、流石オルフェノク……!」

 

 額の傷から流れる血が目に入りそうで鬱陶しい。

 千切れたシャツの端を切り取って、長瀬は額の止血を行う。

 凡人があくせくしている中、戦士達は戦っていた。

 夜闇の下、ファイズとカイザのエネルギーが光の軌跡を残して走る。

 

 強い。

 掛け値なしに強い。

 巧、草加、木場の三人の強さは、多くの戦いを見て来た長瀬でも感嘆するものだった。

 

 だが足りない。

 敵もまた掛け値なしに強いがために、戦力が足りない。

 ドラゴン、センチピード、ロブスターは王の移動手段(車)を潰した今、ゆっくりと包囲して彼らを追い詰める段階に移行していた。

 海堂は車がクラッシュしてからどこにも見当たらない。デルタが参戦していないというのが痛手になってしまっているのだ。

 

(俺がやるしかねえ!)

 

 長瀬はオイルタンクを蹴り飛ばし、火勢の強い範囲を作る。

 そこに剣と鞭をぶつけ合う木場と琢磨が突っ込んで来たのを見て、長瀬は駆け出した。

 炎越しに木場と長瀬の目が合って、長瀬は身振り手振りで作戦を伝える。

 琢磨は長瀬の存在には気付かない。

 

「くっ、炎が……」

 

 やがてガソリンのせいで勢いを増した炎の光と、闇夜の暗さのギャップのせいで、センチピードオルフェノクはホースオルフェノクを見失ってしまう。

 一瞬。

 見失ったその一瞬こそが、長瀬がこの炎で作りたかったもの。

 

 闇の中の陽炎の向こうに、琢磨は大剣を振り上げる人影を見た。

 

(そこだ!)

 

 琢磨は大剣を鞭で受け止め、腹に思いっきり蹴りを入れようとする。

 

 そして、構えた鞭で大剣を受け止め……『大剣を振り下ろしたのは長瀬である』ということに気付いた時にはもう遅く、その背中に木場の手刀を突き刺されていた。

 

「な、に……!?」

 

「こちとら雑魚い人間だ。騙し討ちと連携くらいしか脳がねえんだよォ!」

 

 オルフェノクの目も、基本的には人間と同じ光を感知し物を見る目だ。

 炎の光で眩ませることはできる。

 そうして一瞬でも視界を誤魔化すことができれば、木場の大剣を受け取ることで、長瀬が自分を木場だと誤認させることができる。

 その一瞬が、そのまま勝機だ。

 木場は剣士ではない。

 徒手空拳も得意な戦士であるために、剣がなくとも敵は殺せる。

 

「クソぅ……長瀬、木場ぁ、貴様らよくも僕を……!」

 

「木場、殺せ!」

「言われなくても……」

 

「困るなあ、琢磨君は僕の玩具なんだから。勝手に壊さないでよ」

 

「「 ! 」」

 

 ドラゴンオルフェノクが、脱皮するように形を変える。

 重装甲の魔神態から、軽装甲の龍人態へ。

 "なんだあいつ"と長瀬が言おうと思った瞬間、ドラゴンオルフェノクは目にも留まらぬ超高速加速を開始した。

 

「な」

 

 長瀬が一単語を口にするだけの一瞬の時間でさえ許されず、ドラゴンオルフェノクの高速移動攻撃が、カイザ・ファイズ・木場を叩きのめす。

 

「んっ―――」

 

 一単語にも満たない刹那、通常の人間の反応速度では何も見えない一瞬の中、()()()()()()ファイズの動きが、その身を超加速形態へと変形させた。

 

《 Start up 》

 

 赤から銀へと姿を変え、千倍速の強化形態(アクセルフォーム)の力を解き放つ。

 ファイズとドラゴンオルフェノクが、マッハ50前後の領域での高速戦闘を開始した。

 殴る。

 蹴る。

 投げ飛ばす。

 その全てがマッハ50。

 四方八方に駆け回り、跳び回る二者の高速戦闘は、橋の上の大気を炎と一緒くたにしてかき混ぜていく。

 長瀬のようなただの人間は、移動の余波だけで何度も何度も吹き飛ばされた。

 

《 3 2 1 》

 

 ただの人間であれば木の葉のように吹き飛ばされる、ソニックブームの戦場。

 木の葉が枝から地に落ちるまでの一瞬の攻防。

 竜とファイズの拮抗は、やがて"ファイズは10秒しか加速できない"という弱点のせいで、その拮抗を維持できなくなってしまう。

 

《 Time out 》

 

 加速の終了と同時に、ドラゴンオルフェノクの蹴撃がファイズの腹へ突き刺さった。

 

《 Reformation 》

 

 強化形態を使用したファイズでさえドラゴンオルフェノクには追随できず、炎の中へ転がされてしまう。

 アクセルフォームも解除され、通常形態に戻されてしまった。

 

「くあっ!」

 

「乾さん!」

 

 長瀬は何度も吹っ飛ばされた体に鞭打ち、根性で立ち上がる。

 

「これで終わり? ま、楽しめたからいいけど」

 

 ドラゴンオルフェノクも魔神態へと戻った。

 こうして重装形態と軽装形態を見比べてみると、重装形態の『殺せなさそう』な印象が格段に増して見える。

 どちらの形態も、殺せなさそうな気配があることには違いないが。

 ドラゴンはたった一人で長瀬達を打ちのめし、その上で最上級オルフェノクであるセンチピードとロブスターを傍に従えていた。

 ファイズ、カイザ、ホースオルフェノクも立ち上がるが、満身創痍と言う他ない。

 

「草加ぁ! 木場ぁ! 踏ん張れ!」

 

「黙ってろ乾……お前に言われなくても、俺はお前より踏ん張っている!」

 

「くっ……ぐっ……!」

 

 木場が回復するのを待たず、乾巧(ファイズ)草加雅人(カイザ)が突撃する。

 二人の攻撃は息もピッタリ。

 一人のオルフェノクの急所二箇所を二人同時に剣で狙い、重いドラゴンは二人同時に蹴ってふっ飛ばし、肩が触れそうなくらいの距離で並んで敵を攻めても、巧と草加の肩が触れることはない。

 理想も理想、隙の見当たらないコンビネーション。

 

(乾さんと草加……なんて、完成度の連携だ……!)

 

 だが、それだけで覆るような戦力差でもない。

 

(やべえ、こいつヤベえぞ。

 このドラゴンは多分、俺達全員でこいつ一人を囲んで、ようやく殺せるかどうか)

 

 センチピードが乗って来た車にもオルフェノクは居る。都合四体。

 この状況で勝ちに行くには、あまりにも巧達の消耗が大きすぎる。

 どうする。

 どうすべきか。

 何をすべきか。

 考えに考え、長瀬は周囲に目を走らせ……そして、見つけた。

 

(―――!)

 

 車のクラッシュで車外に投げ出され、気絶した海堂と、外れたデルタギアを。

 

(この状況での最善は)

 

 戦え、と心が言っていた。

 戦え、と本能が言っていた。

 戦え、という内なる声に従い、獣のように長瀬は叫ぶ。

 

 炎の中に見えた照夫の姿が、血溜まりの中で叫ぶ千翼の姿と重なって見えて、『もう二度と』という意志が、感情を熱く昂ぶらせる。

 

「やれるか分からねえが、これしかねえだろォ!」

 

 ベルトを巻いて、ただ一言。

 

「変身!」

 

《 Standing by 》

 

 今までの自分とは違う自分になるという祈りを込めて、口にする。

 

《 Complete 》

 

 銃をホルスターに据えるように、グリップをベルトに挿入し、長瀬は変身を完了した。

 

 闇夜に溶ける黒のボディ、闇夜切り裂く銀の閃光、闇の向こうを睨む目の光。

 

 何の才能も持たず、何の高等技能も持たず、何の夢も持たず、何の力も無かったがために、何も守れなかった長瀬裕樹―――その手に初めて握られた、『デルタ』の力であった。

 

「すっげ……なんだこれ?

 ただの防護服かと思ったら、力が湧いてくる……

 いや、これは、俺の体の動きに合わせてスーツが動いてんのか?」

 

 使い慣れていない人間がすぐにでも使えるよう、使い方が分かるようになっている。

 ゆえに長瀬にも分かる。

 武装が『銃』だけというのも、長瀬にとっては馴染み深い。

 

「ファイア!」

 

《 Burst Mode 》

 

「オラオラオラオラ!」

 

 デルタの銃が火を吹いた。

 フォトンブラッド弾の12連射が、オルフェノク達の動きを止める。

 ドラゴンならともかく、センチピードとロブスターならばこの銃でもクリーンヒットになりかねない。

 

「小癪ね……琢磨君、やりなさい」

 

「しょうがないですねぇ」

 

 まだ初変身の内に、デルタの戦闘に慣れない内に、殺してしまえ……そういった冴子の意図は、琢磨に相違なく伝わった。

 光弾の合間をかい潜り、琢磨は全力の一撃を放つべく腕を引き絞る。

 棘付き鞭で狙うはデルタの首筋。

 即死が狙える人体急所。

 "人間をオルフェノクが殺そうとしている"というこの状況は、自らの信念と理想に準ずる木場勇治を奮起させた。

 

「あああああああああああっ!!」

 

 木場は立ち上がり、またケンタウロスに似た疾走態へと変わり、体当たり気味に長瀬を抱えそのまま駆け抜け回避する。

 空振った鞭が橋の路面を打ち据えて、木場は長瀬を馬の背に乗せる。

 

「木場!」

 

「長瀬君!」

 

 そして長瀬は、そのまま馬の背に跨って、そこから手にした銃を乱射した。

 

「騎馬役、頼んだぜ!」

 

「馬歴は長くないんだ、荒っぽくても文句は言わないでくれよ!」

 

 デルタの銃撃がドラゴンと離れていたセンチピードとロブスターを襲う。

 そして飛び道具を持たない木場は、背に乗せたデルタに銃撃の一斉を任せたことで、手足の一本も使わないまま敵の動きを止めていた。

 両手で強く大剣を握り、すれ違いざまに斬撃一閃。

 センチピードとロブスターに二人まとめて、強烈な一撃を叩き込んだ。

 

「くぅっ!?」

「うぎゃあ!?」

 

「ファイア!」

《 Burst Mode 》

「死んでろクソオルフェノクがよォ!」

 

 更に、倒れた二人に向けて銃撃の12連打を御見舞する。

 少しは動けなくなっただろうが、これでもまだ死ぬ気配を見せないあたり、流石はラッキークローバーといったところか。

 長瀬木場の合体状態が三人中二人をノックアウトしたことで、逃げられる可能性が見えてきた。

 

「乾さん! 照夫を!」

 

「ああ、分かってる!」

 

 いつの間にやら気絶した照夫をサイドカーの座席に乗せて、巧が戦場を離脱していた。

 王さえ逃がせば、もうここで戦う意味はない。

 敵も味方も目的はオルフェノクの王なのだから、照夫さえ逃がせれば各々好き勝手に逃げればいいのだ。

 

「ちょっと……僕は王様を見に来たんだ、勝手に逃げられちゃ困るよ」

 

 だが、ここに来ても立ちはだかるのがドラゴンオルフェノク。

 飛行能力と高速移動能力を持つ彼にかかれば、有視界内ではどんなに離れても意味がない。

 王を逃がすには、このオルフェノクに強烈なのを一発叩き込まなければならないのだ。

 それを、草加は一瞬の内に把握していた。

 草加の卓越した戦闘思考が、脚部スリットにポインターを装着しながら、長瀬に向かって叫び声を上げさせる。

 

「おい、ポインティングマーカーの使い方は分かるか?

 ベルトのミッションメモリーを銃のスリットに差し込め。

 発射したポインターを全力で蹴り込めばそれでいい! やれるな!」

 

「あ、ああ、使い方なら分かる」

 

「どの道高速移動する北崎にダメージを与えられなければ意味はない。

 お前に俺が合わせてやる。同時攻撃だ、追って来れないよう全力で蹴り込め!」

 

「お、おう!」

 

 木場から飛び降りた長瀬と草加が、肩を並べる。

 

「チェック!」

「胸を狙え。そこが一番的が大きい!」

 

《 Exceed Charge 》

《 Exceed Charge 》

 

 デルタが手にした銃から放たれるは、三角錐の形状のマーカー。

 カイザの脚部装備から放たれるは、四角錐の形状のマーカー。

 マーカーはドラゴンを拘束し、ドラゴンはマーカーごと高熱の猛毒を体内に蹴り込もうと飛び込んで来る二人の戦士を見つめ―――つまらなそうに、息を吐いた。

 

「君達はさぁ……もう少し、自分の弱さを学習しようね」

 

 ドラゴンが一秒だけ、一時だけ、一撃だけ本気を出す。

 本気を出したドラゴンが放った渾身の腕の一振りは、マーカーの拘束を振りほどき、目障りなマーカーを粉砕して、蹴り込んで来ていた草加と長瀬を吹き飛ばす。

 草加は長瀬に合わせて蹴った。

 草加が巧に合わせるのであればそれでも強い。

 だが、()()()()()()()()()()()()合体攻撃は当然のように弱くなる。

 

 必然の結末として、二人の攻撃は時間稼ぎだけに終わり、長瀬と草加は河に叩き落とされた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 こう短期間に連続して水に落ちると、ちょっと自分の幸運を疑いたくなるところだ。

 河に落とされた長瀬が目を覚ますと、そこはマンションの一室だった。

 部屋の内装だけ見れば極めて普通で、窓から外を見て初めて"ああ、マンションっぽいなここ"と思えるような場所だった。

 

「気が付いたか」

 

「草加、か?」

 

「草加さん、だ。君達は年上に払う敬意というものを持っていないのかなぁ?」

 

「ねぇな」

 

「……」

 

「あんたが助けてくれたのか? サンキュー、助かったぜ」

 

「ああ」

 

 敬意は払わないが感謝はする。

 草加からすれば自分に包容力を見せてくれないヤンキータイプの人間は嫌いなのだが、感謝の言葉は心地良い。

 草加の中には『俺のことを好きにならないやつは消えろ。消えないなら追い出す』という基本行動原理がある。

 長瀬は今のところセーフだった。

 

「長瀬君には事務的な連絡になるが、まだ誰も死んでいない。

 乾のやつは忌々しいことに逃げおおせたようだ。

 海堂も木場が抱えて離脱したらしい。

 どうやらまだ、王と真理達を交換する余地は残っているようだ。

 明日正午、タイミングを測って隣の県で落ち合うことが決まった。君が寝てる間にな」

 

「そうか、よかった……つうかアンタ、マジで照夫を交換材料としてしか見てないのか」

 

「でなければ、俺がオルフェノクなどという化物を守るわけがない。

 オルフェノクの王? 人間のためを思うなら、今殺すのが最善だ」

 

「そいつは……あんたにとっては、そうなんだろうけどよ」

 

「君にとっても最善だ。

 オルフェノクが人の心を失った時、君もまた裏切られるのだろうからな」

 

「……」

 

 草加は陰謀策謀を好む。

 ただし、詐欺師にはなれない。

 草加は褒め言葉や甘言を駆使し、相手の気持ちを理解しそれを操って、他人を自分の思うようにコントロールするということが苦手だ。

 彼の陰謀は大体の場合、嘘と工作と陰口で終わる。

 

 つまり、草加が得意なのは他人を陥れることであって、他人を操ることではないのだ。

 だから草加は他人が自分を好きになるよう工作するのが苦手で、誰かが誰かを嫌いになるように仕向けることしかできなくて、最終的に誰からも嫌われるようになる。

 草加雅人は嘘つきであっても、詐欺師にはなれない。

 

 草加は相手の気持ちをあまり考えない。

 相手の考えを意識的にあまり読み取れない。

 女心等は天敵だ。

 草加の人間関係内で一例を挙げるなら、草加は理解したいと思っている園田真理(好きな女)への理解が足らず、乾巧への理解が足りている。

 真理(はつこい)に好かれる人間になれないのに、巧と戦闘する時は息ピッタリで、巧の思考を先読みして罠にハメることができる。

 

 そういった認識の上で、草加の発言は見るべきなのだ。

 草加は長瀬に"照夫を見捨てるのが君にとっても最善"と言っているが、実はこれは厳しいことを言っているつもりなだけで、そのせいで長瀬に嫌われる可能性を考えていなかったりする。

 長瀬は嫌そうな顔で、草加の言葉を噛み砕いた。

 

「……まあ、いいんじゃねえの。

 あんたみたいに人間のため化物を殺そうとする奴も、世の中には居るんだろうさ」

 

「ほう……話が分かるじゃないか。

 乾の奴が君を買っていたから、どんな異常博愛主義者かと思ってみれば」

 

 長瀬の中で、公的な『人間の守護者』は二種類いる。

 一つは恩人のマスター・志藤を始めとする、"化物と戦っている内に化物に同情してしまった"タイプの者達。情に流される者達は皆このカテゴリに入っている。

 もう一つは黒崎部隊長を始めとする、"心を抑えて化物には一切同情しない"タイプの者達。情に流されない理性の者達は皆このカテゴリに入っている。

 

 化物に同情しないという意味では、草加は後者に入るだろう。

 複雑な心境になった長瀬は、自分の右手がずっとデルタギアを握っていたことに気付いた。

 

「俺が持ってていいのか? デルタギア」

 

「こう言ってはなんだが、君は得難い人間だろう。

 君はオルフェノクではない。

 そして、オルフェノクを殺すことに躊躇がない。

 『共存不可能な化物』という認識が、君の中には確かにある。

 それは人間が持っていて当たり前のものだが……俺の周りには、そう居なくてね」

 

 長瀬が死ねば草加はまた仲間にオルフェノクしか居ない生活に逆戻りだ。

 木場を連れて来たことは気に入らない。照夫の味方を公言していることも気に入らない。だがその上で、長瀬を味方に保持しておきたい理由が草加にはある、というわけだ。

 草加からすれば、ベルトは極力『人間』に持っていて欲しい。

 それも、『殺せる人間』に。

 草加視点、安心してベルトを預けておける者はあまりにも少なかったのである。

 

 そして、もう一つ。

 

「長瀬君。君は俺にデルタギアを一時でも預けておいていられるか?」

 

「? まあそりゃ、強い人が持ってんのが一番だろうしな。ほれ」

 

 長瀬は躊躇いなくデルタギアを草加に渡した。

 草加は長瀬の目を見ていたが、その目に惜しみの色はなく、執着など欠片も持たない。

 相も変わらず、自分が特別でないことを思い知らされた、無力な自分を受け入れた凡人の目のままだった。

 

「いや、デルタギアは君に預けておこう。試してすまなかった」

 

「試す? 何をだ?」

 

「……君には話しておこう。

 デルタは呪われたベルトだ。

 使えば使うほど、心も体も改造されてしまう。

 体は生身でも赤い雷を放てるようになる。

 心は凶暴化し、デルタギアの力に麻薬のような依存症を起こすようになるんだ」

 

「やっぱ草加が使ってくれよな、このベルト!」

 

「今の話を聞いて堂々と俺に押し付けるか。怖いもの知らずにも程が有るぞ君は」

 

 そう、そうなるべきなのだ。

 『デルタギアを使った長瀬』は。

 

「だが、全員がそうなるわけじゃない。

 芯の強い人間、闘争本能が薄い人間……

 そういう人間は、デルタのベルトを使っても凶暴化しない傾向があった」

 

「例外ありなのか」

 

「使用者の体質もあるかもしれないな。

 とにかく、デルタのベルトは謎が多いんだ。

 君が生身で雷を放てる頃にまだ理性を保てていたなら、そこで一安心と思っていい」

 

「そう考えるとあんまり使いたくないなこれ……」

 

「ああ。落ちれば終わりの深い谷を飛び越えるつもりで使った方がいい。

 一歩間違えれば君はデルタに魅入られ、落ちて、堕ちて、理性を失い……」

 

 長瀬は理解する。

 

「その時、君は人間の心を失った怪物となる」

 

「―――」

 

「人の体で、赤い雷を放ち、闘争本能のままに暴れるオルフェノクもどきになるだろう」

 

 最悪に最悪な事態になった時、草加雅人(このおとこ)が己の処刑人となることを。

 

「分かったら、デルタギアを持て。ここを離れる」

 

「分かっ……ん? 待て草加、そういえばこの部屋ってお前の持ち部屋なのか?」

 

「そんなわけがないだろう。

 さっき殺したオルフェノクの部屋だ。

 オルフェノクの死体は灰になるために、行方不明として処理される。

 行方不明届が出て遺族のチェックが入るまでは、その部屋は仮宿程度には使えるんだよ」

 

「……」

 

 なんという男か。

 オルフェノクを殺す、という行為は大前提。

 そこで"そういえばこの長瀬って奴を寝かせる場所が必要か"くらいの気持ちで、オルフェノクから部屋の鍵と部屋をかっぱらったのだ。

 ドラゴンオルフェノクとの戦闘直後にも平然とオルフェノクと戦い勝ったことといい、この男はとことんオルフェノクが敵に回してはいけない者のようである。

 

「そりゃ確かにさっさと逃げた方がいいな……」

 

「ああ」

 

 草加が"オルフェノクの汚らわしい部屋に居たくない"と無言の表情で訴えていた。

 部屋を出て、階段を降り、マンションを出る。

 マンションの前の道路でここからどう移動していくか、を相談しようとしていたのだが。

 

「おにいちゃんたち、ひま?」

 

「ん?」

 

 そこで、草加と長瀬は女の子に声をかけられてしまう。

 栗色の毛の女の子であった。歳は6~7歳だろうか?

 赤いリボンで髪を留めているものの、それは髪をまとめるためではなく、この年頃の女の子特有の"ファッション未満の可愛いおしゃれ"に見える。

 あくまでファッションではない。幼い子供の、可愛いおしゃれだ。

 

 そしてこういう子供のお願いへの対応は、個々人の性格が出る。

 

「ごめんな、俺達は少し急いでるんだ。君のお願いは聞いてあげられないんだよ」

 

 草加は笑顔を作って、猫を被って、子供のお願いを聞くこともしない。

 

「おう、なんだ? 困った顔してんなお前。

 言うだけ言ってみろ、俺が手伝うかどうかは別だけどよ」

 

 長瀬は口が悪く、作り笑顔なんてものも使わないが、子供の話はとりあえず聞く。

 

「おかあさんが、おかあさんが、へんなの。へんになっちゃったの」

 

「変になった? どういうことだよ」

 

 しっかり話を聞くモードに入ってしまった長瀬を見て、草加は心中舌打ちした。

 

 

 

 

 

 女の子は、このマンションの住人らしい。

 

「わたし、千尋(ちひろ)! 中村千尋!」

 

「あー……まあそうか。チヒロって女っぽい名前だもんな……長瀬裕樹だ、よろしく」

 

 千尋の相談は、『お母さんがある日突然変になった』というものだった。

 娘を見る目が変になり、ブツブツと意味の分からない言葉を呟くようになり、家の周りの地図をじっと見つめることが多くなったらしい。

 彼女が断片的に覚えていたワードを長瀬と草加が繋いだところ、出て来たワードがあまりにも物騒で、流石にここまで来れば草加もガキの戯言だとは思わなくなってきたようだ。

 

「まだ早い」

「今まで通りの家庭の偽装」

「殺せば最悪行方不明扱いで怪しまれる」

「まだマンション内の住人か近所の人間に限って」

 

 そんなワードが、ゴロゴロ出て来る。

 これはもう明らかに正常ではない。

 子供のうろ覚えを適当に継ぎ合わせた証言など何のあてにもならないが、これが真実ならどう転がっても犯罪の臭いがする。

 確証を得るため、長瀬は千尋に手を引かれて彼女の家へと足を運んだ。

 

「ここが、わたしのおうちだよ」

 

 千尋はドアの横の植木鉢をどけ、その下に隠されていた鍵を取り出しドアを空ける。

 不用心すぎねえか? と長瀬は思ったが、長瀬の世界の時代ならともかく、この世界の時代であればこういう鍵の隠し方は多かった。

 

「草加、どう思う?」

 

「こういうのも職業病と言うのかな……

 俺はこういう話を聞くと、どうしてもオルフェノクのことを連想してしまう」

 

「……考えすぎだろ。よくあることじゃねえか、親が子供への態度を変えるなんてこと」

 

「そうであって欲しいと、俺も願うさ」

 

 長瀬は親が犯罪者で子供に酷いことをする可能性を考えていた。

 彼が"親と子"をスタンスの基本に置いているからだ。

 草加は親がオルフェノクになった可能性を考えていた。

 彼が"人間とオルフェノク"をスタンスの基本に置いているからだ。

 

 マンションの一室に足を踏み入れると、草加はドアの一つに歩み寄り、そのドアノブに鼻を近付ける。

 

「木のドアノブか」

 

「草加、どうした?」

 

「僅かに鉄のドアノブに近い香りがするな」

 

「は? 何言ってんだ?」

 

「鈍いな君は。血の匂いが僅かに移っていると言ってるんだ」

 

「―――!?」

 

「人を殺して、血まみれになった『手』をよく洗わなかったな。

 見かけ上は血が付いていない手でも、血液の成分が残っていることは多い……」

 

 オルフェノクでない草加の鼻でも、感じ取れるほどの血の香り。

 一般人では気付けない領域の僅かな香りであったとはいえ、それが確かに感じられるのなら、このドアノブに触れた人間は"何人殺してきた"のだろうか?

 何度殺して。

 何度手を洗って。

 何度その手で、このドアノブに触れたのだろうか。

 

 草加は不快そうな顔をして、手をウェットティッシュで拭きながら振り返る。

 

「当たりだ」

 

 手を拭いたティッシュを投げ捨てた草加の視線の先には、奇怪な笑みを浮かべ、身を震わせる女性の姿があった。

 千尋とよく似たその顔は、ひと目で親子関係にあることを理解させる。

 間違いない。彼女が、千尋の母親だ。

 

「おかあ……さん……?」

 

「千尋ちゃん……駄目じゃないの……変な男の人を家に入れちゃあああああああああっ!!!」

 

 それは悲劇か、惨劇か。

 その手を血と灰で汚した母親が、両生類のオルフェノクへと姿を変える。

 襲いかかるその怪物が母であると、そう理解した瞬間に、少女の心は限界に達した。

 

「いや……やぁ……いやぁっ!」

 

 そして、この悲劇に眉一つ動かさず、草加はオルフェノクの顔面に蹴り込んだ。

 何の躊躇もなく、一片の迷いもない全力の蹴り。

 鍛え上げられた草加の蹴りは、オルフェノクを玄関から叩き出し、続く第二撃の蹴りで三階から地上に落ちるよう蹴り落とした。

 

「お前達オルフェノクはあってはならない魔物だ。一匹残らず、この世から消してやる」

 

《 Standing by 》

 

「変身!」

 

《 Complete 》

 

 三階から叩き落としたオルフェノクに、カイザと化した草加が襲いかかる。

 三階から落下する勢いのまま首を蹴り込み、首をへし折らんばかりの一撃を叩き込んだ。

 

「千尋! 立てるか?」

 

「ひぐっ、えぐっ」

 

「……無理か。しょうがねえよな。ちょっと抱きかかえるが、我慢してくれ」

 

 千尋を抱えて長瀬は逃げる。

 母が怪物だったという記憶に、母が自分を殺そうとする記憶まで万が一加わってしまえば、この子はもう立ち直れなくなってしまう。そう思った。

 カイザとオルフェノクの戦いの脇を抜け、マンション前から離れようとしたところ、そこで長瀬は千尋にどこか顔の似た男性とバッタリ会ってしまう。

 

「……あ、あ! おとうさん!」

 

「おお、千尋じゃないか。どうしたんだい?」

 

「! 千尋ちゃんのお父さんっすか!?

 千尋ちゃんをお願いします!…… あ、あとっすね!

 今お宅のマンションにアブねー不審者が居るらしいんで、今帰るのはやべーっすよ!」

 

「おお、不審者とは恐ろしい。

 どこのどなたか存じませんが、ありがとうございます」

 

「いえいえ。あ、くれぐれも今帰らないように気を付けてください!」

 

 千尋を父親に預け、マンションから離れるように言う。

 そしてこっそりデルタギアを身に着けて、Uターンして草加に加勢すべく走り出した。

 怪物になったしまった妻を、あの男性にまで見せるわけにはいかない。

 マンションからあの父娘を引き離し、可及的速やかにあの母親をどうにかする必要がある。

 

 どうする、どういう結末にする、どういう落とし所に着地させるべきだ、どうするのが最善なんだ、そんな風に苦悩の思考を回していた長瀬は――

 

「おとうさん、どうして?」

 

 ――千尋のその声に、振り返ってしまう。

 振り返るべきでないのに、振り返ってしまう。

 見るべきでないのに見てしまう。

 

 両生類のオルフェノクになった父親が、大きな牙を千尋(むすめ)の心臓に突き立てていた。

 

 

 

 

 

 何が起こったのか、長瀬は理解できなかった。脳が理解を拒んでいた。

 長瀬は根が善良である。

 親子は愛し合うもの、大事にし合うのが普通、という幻想をまだ抱き続けている。

 だからこそ『クソ親』の類が嫌いだ。

 だからこそ『親子の愛』を心の奥底で信じている。

 深く考えずに行動した長瀬の心は、千尋の親を無意識の内に信じ、千尋を預けてしまった。

 

 先にオルフェノクになったのは、父なのか、母なのか。

 それはもう誰にも分からない。

 今までの日常を守りながら、人間社会に潜みつつ人間を殺していたオルフェノクは……ある日、『我慢できなくなって』、結婚した伴侶を殺した。

 殺された伴侶は偶然にもオルフェノクとなり、千尋の親は両方共オルフェノクの夫婦となった、というわけだ。

 なんてことはない。

 母親に演技力がなく、父親には演技力があったというだけの話。

 

 長瀬の世界で、アマゾンは食うために人を襲う。

 食欲ゆえに人を襲うのがアマゾンだ。

 対しこの世界では、オルフェノクが人を襲うのは繁殖の意味合いもある。

 オルフェノクに殺された人間がオルフェノクになることがあるため、これは一種の生殖であり、オルフェノクにとっての性欲の一つでもあると言える。

 

 アマゾンは食うように殺し、オルフェノクは犯すように殺す。

 父に牙を突き立てられた千尋は、涙をこぼし、自分に手を差し伸べてくれると思った人に―――長瀬裕樹に、手を伸ばす。

 

「たすけて」

 

 そして、伸ばされた手は誰の手を掴むこともなく、力なくだらりと垂れた。

 

「チヒロおおおおおおっ!!」

 

 『子殺し』に、長瀬の頭が沸騰する。

 

「変身!」

 

《 Standing by 》

 

《 Complete 》

 

 デルタの拳が、父親であったオルフェノクの顔面を殴り飛ばした。

 

「てめえ! 親が! 親が子を! 親が子供殺すのかよぉッ!」

 

「親がオルフェノクで、子が人間。分からないかな? これは当然のことなんだよ」

 

「子殺しが当然だと!? テメエ、もう一度言ってみやがれッ!」

 

 殴って倒して、投げ飛ばして、また投げる。

 長瀬の闘争本能が激化し、デルタのパワーが父親だったオルフェノクを殴って運ぶ。

 草加の目にも見える位置にまで、父親だったオルフェノクは殴り飛ばされていた。

 長瀬の激昂が、草加に一つの理解を与える。

 

(デルタの凶暴性、攻撃性……そうか。

 こういう発現の仕方をしていたのか。

 『否定すべき親』への過剰な攻撃性……これが長瀬裕樹の心に根ざした、闘争の根源!)

 

 デルタはシステム上、人間の闘争本能を引き出し、一部の人間はその後遺症として凶暴化と依存症を発症してしまうことがある。

 長瀬の場合、デルタのシステムは『親の否定』に関する闘争本能が引き出される形になっているようだ。

 長瀬の攻撃性は、『子供の敵』『悪しき親』にのみ向けられ、その分だけ極限まで濃縮されて発現している。

 それが、草加に長瀬の本質を理解させていく。

 

「さっきまで、さっきまで! 生きてたんだよ……千尋はよぉッ!」

 

 デルタの拳が、父親であったオルフェノクの強固な表皮を破壊し、その奥の骨格にまで深いダメージを浸透させていく。

 殴れば殺せる。

 デルタの拳は、それ単体でナイフを遥かに凌駕する凶器だ。

 あと数回、あと数回殴れば殺せる。

 

「やめて!」

 

 なのに、その拳は止められてしまう。

 

「おとうさんをいじめないで!」

 

「は、あ? 千尋? お前……今、殺されたはずじゃ」

 

 停止する長瀬の思考。

 

「長瀬ぇ! その子はもうオルフェノクだ! 迷うな! 殺せ!」

 

 思考を動かす草加の叫び。

 

「ね、おにいちゃん、わたしをうけいれて。

 もうたたかうのやめて、さっきのすがたにもどって?

 わたし、ちゃんとおにいちゃんをオルフェノクにできるよう、がんばるから」

 

「……お、まえ……何言って……」

 

「オルフェノクになれずにしぬか。

 オルフェノクになっていきるか、ふたつにひとつ。

 オルフェノクになって、いきのこれたらいいよね。

 でもどっちでも、にんげんはやめられる。それはとってもすてきなことだよ」

 

 長瀬が銃を抜く。

 オルフェノクに変わってゆく千尋の顔に銃を向ける。

 引き金に指をかけ、歯を食いしばる。

 だが撃てない。

 両生類のオルフェノクと化したその顔は、人間だった頃の千尋の面影なんてどこにもないのに、銃口は震え、引き金にかけた指は動かない。

 

「だって、にんげんのまま、いきていてもしょうがないじゃない。

 オルフェノクになれず、にんげんのままいきていても、いみがないよ」

 

 長瀬は見た。

 許せないものを見た。

 殺せないものを見た。

 生まれてはならないものを見た。

 オルフェノクという存在が罪である理由の根幹を、ここに見た。

 

 震える銃口が自然と敵でなく、地面に向けられる。

 

「千尋ちゃーん、先生がプリント届け……え?」

 

「あ、みんな。ともだちだもんね、わたしたち」

 

 十数人の女の子達。

 その子達の不運は、千尋と同じ学校に通っていて、千尋と同じクラスで、学校の先生にプリントを届けてと言われたこと。それだけだった。

 何の罪もない千尋と同い年の子供達が、千尋の後ろ姿だけを見て、近寄ってしまった。

 近寄ってしまったから、もう逃げられない。

 

 一息の間に、十数人の小さな女の子達の心臓に穴が空く。

 千尋がオルフェノクの触手を彼女らの心臓に突き刺したのだ。

 オルフェノクになれれば生還。

 なれなければそのまま即死。

 悲しいかな、この十数人の女の子達にオルフェノクになれる者は居ない。

 

「やだ、やだ、なに、これ」

「やぁぁ……あああああ!?」

「おとうさん……おかあさん……なに、なに、苦しいよ……」

 

「いっしょに、みーんないっしょに……わたしと、みんないっしょに……」

 

「千尋ォ! やめろ! ……やめろぉッ!」

 

 千尋は心臓に穴を空け、心臓を燃やした。少女らの苦痛は想像を絶するものだろう。

 小さな女の子達が、苦しみ悶え涙を流しながら灰になっていく。

 長瀬は千尋の罪を見て、殺さなければと思い、その額に銃を当てる。

 撃て。

 撃たなければ。

 そう思うのに、彼は撃てない。

 止められない。

 殺せない。

 こんなになっても、長瀬は撃てない。

 加害者の化物になってしまったその少女が、親に殺された哀れな子供である限り。

 

 胸痛み心俯くデルタの背後に、父親だったオルフェノクが、気配を消して接近する。

 

《 Exceed Charge 》

 

 そのオルフェノクの胸部を、背後からのカイザの一撃が吹き飛ばした。

 カイザのパンチングユニットから放たれる必殺の一撃、グランインパクトである。

 

「……あ?」

 

「よくも夫を!」

 

 父親だったオルフェノクは死に、母親だったオルフェノクが、カイザにズタボロにされた身で襲いかかる。

 

「誰が何と言おうが俺は言い続ける。オルフェノクは生きているだけで悪、だとな」

 

 カイザは手にした銃剣を操作し、母親だったオルフェノクの口の中に銃口を突っ込み、十二連射の一斉発射。

 濃縮フォトンブラッド弾がオルフェノクの体内を高熱と猛毒で破壊し尽くし、その命を死に至らしめた。

 父と母が灰となって崩れ去るのを見た千尋は、狂乱してカイザへと飛びかかる。

 

「おとうさん……おかあさん……うあああああああっ!」

 

「よくないなあ、そういうのは」

 

 カイザは余裕たっぷりに、ただ圧倒的にそこに在り、すれ違いざまに銃剣一閃。

 

「君は人間の心を失っている。

 なのに生前の、人間だった頃の自分の真似をしている。そういうのがいけないんだ」

 

 銃口を上げられないデルタの前に、切り落とされた千尋の首がゴロリと転がる。

 

「友達だった人間を殺しても何も思わなかったくせに、人間のフリをするんじゃない」

 

 その死体も人間ではなかったがために、青い炎に焼かれて消えた。灰となってただ消えた。

 

 後には何も残らない。

 

 中村千尋の、人間だった頃の心でさえも、とっくに消えて残ってはいない。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 長瀬は灰になった子供達を見て、灰になった両親を見て、灰になった千尋を見て、拳を砕きそうなほどに強く地面を殴った。

 

「なんだよ……なんだってんだよチクショウ!」

 

 草加は手をウェットティッシュで拭きながら、憎悪と嫌悪を顔に浮かべる。

 憎悪と嫌悪はオルフェノクだけに向けられており、むしろ長瀬には同情に近いものが向けられていた。

 

「死んで、死んだままでいられないやつが居たからだ。だからこうなってる」

 

 苛立ち。自虐。何かに対する全否定。

 草加は長瀬の迷いに、草加なりの答えを与えようとしていた。

 

「死んだままでいればよかったんだ!

 あの子の親も、人間だった頃は違ったはずだ!

 怪物になどなりたくはなかった!

 怪物になって、娘を殺したくなどなかった!

 愛する娘を怪物になんてしたくなかったはずだ!

 それがどうなった? このザマだ!

 人間の心は怪物の心に食い尽くされ、見るも無残な有様だ……これがオルフェノクだ!」

 

 草加は信念をもってオルフェノクを差別する差別主義者だ。

 彼の中にはオルフェノクを全否定する道理があって、オルフェノクは皆殺しにすべきという論理があって、オルフェノクの全否定こそが摂理に沿っているという確信がある。

 

「オルフェノクは消えやしない。

 奴らは人間が死ぬ生き物である限り、永遠に発生し続ける。

 だからこそスマートブレインは許せない。

 オルフェノクで構成され、オルフェノクを影で操る奴らを倒さなければ、悲劇は続く!」

 

「……スマート、ブレイン」

 

「長瀬、君も見ただろう。アレがオルフェノクだ。

 ああいうオルフェノクを、スマートブレインは支援し守っている。

 まるで癌細胞のようだよなあ、オルフェノクは。

 発生すれば宿主(じんるい)を弱らせる。正常な細胞(にんげん)癌細胞(オルフェノク)に変えてしまう」

 

 今の戦いは、自然発生するオルフェノクという脅威を、スマートブレインというバックアップ組織が強大化させていることで発生している。

 スマートブレインを倒さなければ、この戦いをひとまず終わらせることすらできない。

 草加はそう確信していた。

 癌細胞なら、誰かがそれを切除することが必要である。

 

「オルフェノクは死んだ人間だ。

 死んだ人間が蘇り、生きている人間を殺す。

 死に損ないが死を広げていく。

 真理も三原も何も分かっちゃいない。あんな化物は他に居ないということを」

 

 もしも、死者が全てオルフェノクとならず、そのまま死んでいたらどうなっていただろう。

 オルフェノクが生まれたおかげで救われた人の総数と、オルフェノクが生まれたせいで死んだ人の総数はどうなるのだろう。

 ……単純に数だけで見れば、きっと後者の数の方が多くなる。

 

「オルフェノクと人間の共存なんて不可能だ。

 単純な性能差以上に大きな問題がありすぎる」

 

「……草加がそう思ってるだけで、まだ分かんねえだろ」

 

「いい加減目を覚ませ、君も人間だろう! オルフェノクとは違うんだ!」

 

 長瀬は感情面で言えば、照夫の味方で、木場の理想の方に賛同している人間である。

 だから何か言い返そうとした。

 けれど何も言い返せなかった。

 

 千尋という女の子であった灰が、まだ手の平にこびりついていた。

 

 

 

 

 

 草加のサイドカーに乗せてもらって、長瀬は思考する。

 

(きっついな)

 

 久々に胸が苦しくなった。

 懐かしい胸の苦しさだ。昔は長瀬も、千翼とイユの二人を見守っていた時には、ずっとこの気持ちを抱えていた。

 

(千翼……お前も、こんな気持ちだったのか?)

 

 生きていてはいけないんだ、と皆が千翼に言った。

 分かりやすく丁寧に、千翼が生きていてはいけない理由を本人に告げた。

 大人の正論の積み重ねに対し、子供な千翼は正論で返すことができず、自分が生きていてもいい理由を捏ねくり回すこともできなかった。

 その時点で、一般的な正当性は千翼を殺す大人にある。

 

 けれど千翼は、その上で『それでも俺は生きていたい』と叫んだ。

 

(千翼。俺に、『それでも』と言う勇気をくれ)

 

 いいのだ。それでいい。『それでも』と言う権利は誰にでも許されている。

 草加に何を言われてもいい。

 人間がオルフェノクを滅ぼすことにどんな正当性があろうとも、それに従う義務はない。

 『それでも』と言えばいいのだ。

 それでも別の道があると俺は信じたい、理想が叶うと信じたい、と心の中で言えばいい。

 

 乾巧も、海堂直也も、きっと多くの悲劇を見た上で、木場の理想を信じて進んでいるのだから。

 

「それでも、俺は」

 

 長瀬の手の中のデルタギアが、やたらと重く感じられる。

 

 ファイズは選ばれたものにしか使えない。

 カイザは選ばれた者以外が使えば死ぬために、死と戦わねばならないベルトだ。

 そしてデルタは、選ばれた者以外が使えばその心を狂わせるために、己の心と戦わねばならない宿命を持つベルトである。

 長瀬は戦わねばならない。

 他の何でもなく、己の心とだ。

 

 でなければきっと、生かすも殺すも、守るも戦うも、いつも何も選べはしない。

 

 握られたデルタのグリップが、長瀬の握力に小さな軋みを上げた。

 

 

 




 流星塾生は父親(花形)大好きっ子しか居ないので、長瀬とは微妙なところで気が合わない元塾生が多いものの、母親の愛に飢えてる草加と親の愛に飢えてる長瀬は奇跡的に相性がそこまで悪くないというワンダーセット


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夢の守り人

 警察の人間の大半はオルフェノクの存在を認識してもいないが、その裏では秘密機関がオルフェノクの全滅を目指し動いていることは、今更言うことでもない。

 だがそれでも、公権力は公権力。その組織力は絶大だ。

 照夫を守る者達は指名手配こそされていないものの、警察の目につけばすぐに厄介なことになってしまう。

 何せほぼ全員がオルフェノクだ。

 捕らえて実験材料に使ってしまえ、という組織内意見も少なくはなかった。

 

 だが一人、その例外が居る。

 異世界から来たために戸籍も無い、ブラックリスト入りもない、長瀬裕樹その人である。

 長瀬はスマートブレインにこそその存在を認識されていたものの、この世界にとって最大級の『部外者』であったため、大半の者には警戒もされていなかった。

 当然、買い出し役は長瀬の担当になる。

 

(あとはスポドリと、サトウのごはんと、小学生用学習ドリル?

 照夫あの状況で勉強もやってんのか。ったく、ガキってのは大変だね)

 

 スーパーで全員分の食料その他諸々を買い込むと、流石に袋が重い。

 会計を済ませてスーパーを出ようとしたところで、長瀬はふらつき、通りすがりの人に支えてもらって転倒をこらえた。

 

「おっとと」

 

「Oh」

 

 肌の黒い、体の大きな外国人の男であった。

 身長は180を少し超えた程度であったが、体格の良さと纏われた一流の雰囲気が、その体を一回り大きく見せていた。

 右腕には子犬を抱え、左手一本で転びかけた長瀬を支えてもピクリとさえ動かないその男は、不動の巨木を思わせた。

 

「悪ぃなガイジンさん。助かったぜ」

 

「大丈夫デス?」

 

「アンタのお陰でな」

 

 長瀬は礼を言って去ろうとするが、男がそのままスーパーに入ろうとするのを見て慌てて止めに入る。

 

「ちょっとちょっと待てや! 犬連れて店に入んのはマズいだろ!」

 

「アッ」

 

「首輪とリード持ってんだろ? どっか繋いどけばいいじゃねえか」

 

 男は首を横に振る。

 日本でも結構多い、犬に苦しい思いをさせないために、首輪とリードをあまり使わないタイプの飼い主であったようだ。

 一期一会。

 さっき助けてもらったのに、ここで見捨てるのはどうにも寝覚めが悪い。

 

「……ここで俺が預かっといてやるよ。さっさと行ってさっさと買って帰って来い」

 

「! アリガトウ」

 

 男からちっちゃい犬を預かった長瀬であったが、店の前で犬をちょこちょこ撫でていたところ、男はあっという間に戻って来た。

 愛犬が心配で急いだというのもあるだろうが、元より買う予定のものが一つしかなかったため、買い物自体がさっさと済むものであったようだ。

 

(ドッグフードか)

 

「改メテ、アリガトウ」

 

「大したことしてねえよ」

 

「チャコ。行コウ」

 

 長瀬は帰路につく。

 チャコという名前の犬を抱えた男も、帰路につく。

 二人の帰り道は別々で、長瀬は寒空の下を一人歩いて星を見上げる。

 

(こういうのも人助けってやつになるのかね)

 

 無償の人助け、というものには奇妙な違和感がある。

 長瀬は千翼と共に人食いの化物を狩っていた時期もあるが、怪物(アマゾン)狩りは人助けと言うには何か違うような気がした。

 長瀬には怪物をぶっ殺してやりたいという気持ちはあったが、世のため人のために何かをしたいという気持ちはほとんどなかったからだ。

 むしろ、自分よりも千翼の方が人を見捨てられない心を持っていた気がする……そんな風に、長瀬は過去の自分と、過去の仲間の思い出を振り返っていた。

 

 昔を思い出しながら歩いていれば、ほどなく新しい隠れ家が見えてきた。

 

「ただいま帰りましたっーす」

 

 そして目にする、喧嘩真っ最中の巧と草加。

 

「夢が無くて悪いかよ? 草加」

 

「悪いだなんて言った覚えはないな。

 無軌道で行き当たりばったりな乾巧らしいと思っただけだ」

 

 実家のような安心感であった。

 

「また煽り合いやってのか。ゲハみたいなことしてんなよ、草加も乾さんもよー」

 

「……ちっ」

「長瀬、君は余計なことを言わないでいい」

 

「おかえりヒロキー」

 

「おう、ただいま照夫。で、今度の喧嘩の原因は何だよ」

 

 海堂にポテチ、照夫にチョコ、草加にウェットティッシュと買ってきたものをポイポイ投げて、喧嘩の原因を問う。

 「やっぱ男のポテチ趣味はコンソメに還るんだよなー」と言ってる海堂も、一人部屋の中の掃除をしている木場も、巧と草加の喧嘩を止めようとすらしていなかった。

 

「最初は、ナオヤと乾さんが色々話してた」

 

「ふむふむ」

 

「そこに草加が茶々入れて、途中から『夢』の話になった。

 ヒロキー、次からはもっといっぱいチョコ買ってきてよ」

 

「成程。あと、チョコは歯磨きを時々サボるガキにはいっぱい与えらんねえな」

 

 夢。

 夢と来た。

 夢の無い巧と、夢の無いことしか言わない草加では、確かに煽り合いにしかなるまい。

 "最近流行りの夢の無い若者"タイプな長瀬は、夢がないからこそ適当に生きていたという自覚があって、元高校生ユーチューバーとして何とも言えない気持ちになってしまう。

 

「夢と言えば木場だよな」

 

「僕かい?」

 

「人間とオルフェノクの共存。

 こりゃ『目的』というよりは『理想』で『夢』なんじゃね?」

 

「夢……そうか。確かに、見方によってはこれも夢だね」

 

 長瀬に自分の理想を『夢』と言われて、木場がむず痒そうな顔をした。

 対し、息をするようにオルフェノクに嫌味を言うマンである草加は不愉快そうだ。

 

「夢なんてものはなくても、確たる目標があればいい。違うかな」

 

「草加」

 

「夢というものは、きちんとものを考えていればいつか目標になるものだ。

 過程を考え、手段を考え、実現する筋道を考えれば、夢は目標になる。

 俺には必ずスマートブレインをぶっ潰し、オルフェノクを打ち倒すという目標がある」

 

 夢と目標。この二つの間にある違いは、人によって違う答えが出て来ることだろう。

 ただ、前向きな熱量を孕んでいることが多い『夢』と違って、草加の『目標』はどこか陰気で粘着質なものを感じる。

 ソファーでポテチをかじる海堂が、そんな草加を笑った。

 

「はっはっはー、草加君。君のその目標は夢と終わっちまえばいいぞこの野郎と思うのだよ」

 

「……何?」

 

「夢なんてのはな、呪いと同じだ。

 呪いを解くには叶える以外にない。

 途中で挫折なんてした日にゃ、死ぬまでずっと呪われたままだ。

 ちゅうか、お前は人が悪いからな。必ずどっかで誰かに邪魔されて夢は叶わんだろう」

 

 夢破れろ、夢破れろ、と海堂が草加を軽薄に煽る。

 

「そういう意味でお前は駄目な子なのだな、うん」

 

「言ってくれるなぁ……お前の目は節穴だったと、その内お前はその身を持って知るかもな」

 

 海堂の煽りに、草加は遠回しなぶっ殺す発言で返した。

 "事が終わるまでは生かしておいてやるし、手も組んでやるが、事が終わればすぐ殺す"といった感じの思考をしながら誰かと共闘する。それもまた草加のスタンスである。

 スマートブレインを倒した後、あるいは人質を取り返した後が怖そうだ。

 

「いいか長瀬、照夫。

 夢なんてロクなもんじゃないぞ、うん。

 ちゅうか、いらん。

 一度持ったらずっと本気でやっていかないといけないもんだからな。

 持たん方がいいし、一度持ったら途中で放り投げるとか論外オブ論外なのだ」

 

 夢はできれば持つな、持ったら途中で投げ出すな。

 海堂が言っているのはそれだけだが、随分とひねくれている。

 長瀬としてはこのひねくれが照夫に受け継がれなければいいな、と願う他なかった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 翌日、長瀬はまた買い物に出た。

 今度の目的地はスーパーではなく薬局。連日の連戦のせいでとうとう医薬品が尽きていたことが発覚したのである。

 昨日の内に言っとけよ、と長瀬は思ったが、現在の彼の仲間に所持品の残量管理をしっかりとやるタイプの人間は多くなかった。

 包帯とガーゼを中心に買い、長瀬はぼんやり昨日の会話を思い出す。

 

(夢、夢か)

 

 夢は呪い。夢を解くには叶えるしかない。解けなければ呪われたまま。

 その言葉に何か思うところがあったのか、就寝前には巧がこうも言っていた。

 

―――夢を持つとな、時々すっごく切なくなるが、時々すっごく熱くなる……らしいぜ

 

 海堂、巧が夢を語り、木場は唯一夢を持ち、草加は夢とどこか似た目標を持っていた。

 長瀬は斜に構えて夢など抱かない若者であったが、夢と目標が似たものであるのなら、夢と似て非なるものを胸に抱いたことはある。

 千翼とイユの二人に……仲間に、生きて欲しいという願いだ。

 ある意味ではその想いも、『絶対に叶わない夢』の類であったと言えるだろう。

 

(時々すっごく切なくなるが、時々すっごく熱くなる、か)

 

 長瀬もその頃に、切なくなった覚えもある。熱くなった覚えもある。

 ただ、それを夢と表現するのは、正しいようで間違っているような気がした。

 彼らが死んで、生きて欲しいという長瀬の願いが打ち砕かれ、長瀬の心にかけられた呪いというものはある。

 

 悲しくも誇らしい呪いだ。

 長瀬はきっと、その呪いを墓の下まで持っていくことだろう。

 忘れてしまうくらいなら、彼らのことを、呪いとしてずっと覚えておきたかった。

 

(生きるのは、誰だって特に意識もせずにやってることだ。

 普段はわざわざ願うことでもねえ。

 だけど千翼は……周りが全部敵だったから、そいつだけが生きる目的になってた)

 

 生きたいという願いだけが、生きる目的になっているという、矛盾のようで矛盾でない理屈。

 それはもう夢と言ってもいいだろう。

 夢見るように千翼が見た、夢破れることが約束された夢。

 好きな女の子と一緒に、生きていきたいという夢だ。

 その夢は、切なくも熱く輝いて、千翼の命と共に終わった。

 

(千翼は呪われたまま死んだのか?

 死んで、ようやく苦しみから解放されて、呪いが解けたのか?)

 

 長瀬は少し考える。

 呪いを解くには夢を叶えるしかないというのなら、千翼は死んでも呪われているのだろうか。それとも死んで呪いから解放されたのだろうか。

 人間社会の中で生きたいと願う怪物は、生きている限り呪われるという宿命を持つ。

 オルフェノクが、まさにそうだ。

 人の心を失ったオルフェノクは、存在として発生したその時点から人間世界に呪われている。

 

 死んでくれ、という無力な人々の澄んだ願いが、そのまま化物に向けられる呪いだ。

 

(これが夢だ、って胸張れるようなものが、俺にもあればな……)

 

 生きたいという千翼(なかま)の夢。俺にも夢が出来ればその気持ちが少しは分かるんだろうか、と長瀬は特に根拠もなく考えた。

 そんな気がするだけで、そうなる保証はどこにもない。

 されど肯定的にそう考えられる、長瀬の夢の芽生えであった。

 

「あら、考え事? いけないわね、お店の中で長々と立ち止まっちゃ」

 

「!」

 

 聞き覚えのある声。『ロブスターオルフェノクの声』が耳元に囁かれ、長瀬は弾けるように振り返った。

 服の下に隠していた装着済みのデルタギアを起動しようとして、その手が止まる。

 長瀬は既に囲まれていた。

 振り返れば正面には影山冴子。

 右には昨日自分を助けてくれた、犬を抱える肌の黒い大男。

 そして左には琢磨逸郎が、手の平の上に不可思議な光球を浮かべ、それを長瀬の首に突きつけていた。

 動けば、おそらくその光球で首が深く抉られてしまう。

 

「武器を降ろしてください。ここで戦う気はありませんよ」

 

「テメエ、言ってることとやってることが違ェぞ」

 

「念のためですよ、念のため。

 上位のオルフェノクは生身のままでもオルフェノクの力を使えます。

 分かるでしょう? この場では僕が上位者だ。この姿勢からなら僕の方が早い」

 

 話し合いがしたい、という意志は琢磨からは感じられない。

 あるのは長瀬の生殺与奪を握っておきたいという小物の意志だ。

 小物、されど今なら長瀬をいつでも殺せることには変わりなく。

 長瀬は起動アイテムであるデルタフォンをポケットにしまった。

 指一本でも余計に動かせば、その時点で殺されかねない。

 

「いい子ね。私は影山冴子、この男はMr.J。琢磨君の紹介は要らないわね?」

 

「何の用だよ」

 

「お話しに来たのよ。別に戦いに拘らなくても、私達の目的の一つはそれで果たせるもの」

 

「お前らの目的だと?」

 

 冴子は妖艶に微笑んで、長瀬の耳元に添えた口から惑わすような口調で囁く。

 

「以前ね、私達は大きな作戦を邪魔されたの。

 ファイズ達と、別の世界のファイズのご同類にね。

 そのご同類はどうやら、別の世界から来ていたらしいわ」

 

 ご同類、と言われ長瀬が真っ先に思い出したのは、アマゾンアルファ・アマゾンオメガ・アマゾンネオの三体だった。

 アマゾンの力を仮面や装甲として形成するあの力は、ある種ファイズと同類と言えなくもない。

 それらの類似品が他世界に多くあることは、さほど不思議なことでもなかった。

 

「他の誰かの姿になれるライダーズギア。

 他の誰かを召喚できるライダーズギア。

 それがよその世界にはあったようだけど……

 肝心なのはね、長瀬裕樹君。()()()()()()()()()()()ということなの」

 

 だが、冴子は自分達の計画を邪魔した者にさほど興味を持っていないようだ。

 彼女が興味を示しているのは、他の世界という概念そのもの。

 

「人間とオルフェノク、文字通りに『別々の世界』に生きられたらって思わない?」

 

「なんだと?」

 

「人間からオルフェノクが生まれれば、オルフェノクの世界に送る。

 人間とオルフェノクの世界は触れ合うこと無く別々に続いていく。

 それなら……どんなオルフェノクも、どんな人間も、納得すると思わないかしら」

 

 それは、世界を渡る技術を使った隔離政策。

 地球上で幾度となく失敗してきた隔離政策の全てを凌駕する、世界ごと隔離するがゆえに破綻のしようがない、味方を変えれば人類最大規模にもなるであろう移民であった。

 

「だから、少しお話を聞きたいの。私はあなたの存在に、可能性を見たのだから」

 

「テメエらに話すことなんかねえよ」

 

「あら、残念。

 でも私が優しく言っている内に話した方がいいと思うわ。

 そうすれば良い目も見られるし……『乱暴な方法』は嫌でしょう?」

 

「二度も言わすな、テメエらの助けになることなんて言わねえ」

 

「ふふ、強情な男の子は嫌いじゃないわ」

 

 この冴子という女が、裏で何を企んでいるか分かったもんじゃない。

 長瀬は冴子から離れようとするが、囲まれていたせいでMr.Jの巨躯にぶつかってしまう。

 Jの顔を見上げ、長瀬はほんの一時でもこの男を"動物思いのいい男"だと思った自分を恥じた。

 

「あんたもこいつらの仲間かよ」

 

「YES」

 

 Jとその愛犬を睨む長瀬に、冴子が背後から囁いた。

 

「あなた、少し人間に失望してもいるでしょう。

 オルフェノクの友達でも人間に殺されたのかしら?」

 

「―――」

 

 影山冴子には人を見る目がある。

 細かな対応、細かな行動、細かな選択を見て、相対した人間の芯の強さや揺らぐ心を見通すのが彼女の強みだ。そのためか、彼女の配下には彼女に心酔するオルフェノクが多い。

 ただし、慢心して勧誘成功率が低そうな相手にも見境なしに声をかけていくのが玉に瑕。

 

「ねえ、そのデルタのベルトを使って、少しだけ余計な人間を世界から削ってみない?」

 

「失せろ。近寄るな。香水が臭え」

 

「あら、子供みたいなこと言っちゃって。

 でもこうは思わない?

 私利私欲、心の狭さ、臆病な心でオルフェノクを排除する人間を排除すれば、って」

 

「……」

 

「攻撃的な人間を排除してしまえば、後は話し合いで解決できるかもしれないわ」

 

 現在、警察の秘密機関はとてつもない過激派として機能している。

 合法どころか間違いなく違法で、オルフェノク関連法案も決まっていない現状で、照夫のような子供でもオルフェノクであれば容赦なく殺す。

 長瀬が過激派の人間を何人かデルタで殺せば、確かに一時的には照夫の敵が減るだろう。

 その後、どうなるかは分からない。

 だが冴子は長瀬の中に、化物は殺さなければならないという認識と一緒に、その化物を無情に殺す人間への敵意もあるということを、しかと見抜いていた。

 

 これが影山冴子の流儀だ。

 彼女は暴力を嫌っているわけではないが、他者を誘惑・勧誘する時、その他者が自分から望んでその道を選ぶように誘導する。

 彼女は大抵の場合、強いない。

 強いずに誘う。

 相手が冴子の誘いに乗らずとも、その誘いは揺さぶりとして十分な効果をもたらすのだ。

 

「和解を拒む殺害者は殺すしかないのなら、人間の方も殺すべきでしょう?」

 

 冴子は長瀬から情報を引き出すため、そこに繋がる譲歩を引き出すため、長瀬の心のどこをつつけばいいのか、それを探り始めていた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 長瀬は冴子の問いにはほとんど応えなかった。

 彼に深謀があったわけではないが、情報を吐き出す前の長瀬を冴子はそれで殺せなくなった。

 暴力で追い詰める方法もあったが、それは冴子の流儀にそぐわない。

 長瀬は冴子の携帯の電話番号だけ貰って、無事帰ることを許された。

 

「……クソが!」

 

 これが草加だったなら、あらゆる事情を無視して殺された可能性はある。

 つまり長瀬は、『今ここで殺さなくとも、いつでも殺せる弱い人間』だと思われてもいるということだ。

 デルタのベルトも、長瀬が使用者ならいつでも戦闘で奪えると思われている。

 だから取られなかった。

 デルタギア持ちの長瀬を無傷で返すリスクが小さく見られていたために、冴子の流儀を通す余裕があると、そう見られてしまったのだ。

 

 屈辱だった。

 遊ばれている気分だった。

 長瀬は憤慨する。

 帰宅してすぐ、長瀬は黙っている理由も無いので、変な誤解を生まない内に皆に一から十まで打ち明けた。

 

 ラッキークローバーの接触は、彼らに小さくない波紋を生んだようだ。

 

「人間とオルフェノクの、世界ごとの隔離作戦か」

 

 巧は何とも言えない顔をする。

 

「ちゅうか、オルフェノクっぽい考え方だわな。

 殺すにしても、世界で別れて住むにしても、目障りな人間消えろーって話だろ?」

 

 海堂は深刻に受け止めていないが、本質をかする言葉を口にしていた。

 

「僕はあまり肯定的には受け取れないな。

 根本的には和解も共存もできていないし……

 人間とオルフェノクの対立が、二度と戻れないほどに大きくなってしまう気がする。

 その時人は、自分達の中から生まれて来たオルフェノクを、殺さずにいられるんだろか」

 

 木場はラッキークローバーの主張だからか、かなり怪しんで受け止めている様子。

 共存を望む者から見れば、この主張はメリットよりもデメリットの方が大きく見えるのかもしれない。

 

「……いいことなんじゃないの?」

 

 照夫は単純に受け止めて、いいことなんじゃないかと言う。

 

「明らかに罠だな。長瀬、何かを知っていても奴らには絶対に言うんじゃないぞ」

 

 だが草加は、裏の裏まで怪しんでいた。

 

「草加、頼むぜ。

 俺はもうあのクソフェノク達に見下されて頭煮えてんだ。

 わっるいこと考えるのはお前の得意技だろ、頼むよ」

 

「君は俺のことを褒めているのか? 馬鹿にしてるのか?

 ……まあいい。簡単な話だ、南アフリカのホームランドを思い浮かべればいいだろう」

 

 草加以外の全員が同時に首を傾げた。

 

「……小学生の照夫はいいとしよう。

 長瀬も別世界の人間だ、そういうこともある。

 だが君達はどういうことかなぁ?

 まあ仕方ない。大学も行ってなさそうな乾。

 途中で折れた音大生の海堂に、数年寝てる内に成人した木場だ。

 世の中のことに対して不勉強なのは仕方ないよなぁ……ああ、仕方ない」

 

「お前は嫌味を混じえないと呼吸できないのか? カジキマグロみたいな奴だな」

 

 何故こいつは他人に悪口を言ってるのにこんな笑みを浮かべてんだ、と長瀬は呆れた。

 嫌いなオルフェノクに嫌味を言えるというだけで、草加がウキウキしているのが手に取るように理解できる。

 

「いいからとっととホームランドの説明してくれよ、草加」

 

「いいだろう。ホームランドは、南アフリカの人種差別政策だ。

 白人はそれまで共に生きていた黒人の家を破壊し、土地を奪った。

 そして良い土地は白人で独占し、痩せ細った土地に黒人を追い込んだ。

 荒野に急造の適当な家を建て、黒人を押し込んだ土地……これをホームランドと言う」

 

「うわ、ひっで」

 

祖国(ホームランド)という名前だが、実際は収容所さ。

 更に白人は、このホームランドを名目だけでも国家として独立させようとした。

 都市から追い出され、ホームランドに住んでるとはいえ、黒人の職場は都市内だ。

 この状況でホームランドが独立すればどうなると思う?

 黒人は全員外国労働者扱いで、国は人権も給料も保証しなくてよくなるのさ」

 

「うへぇ」

 

「大学に行けば、こんな歴史なんていくらでも学べる。その上で言うぞ」

 

 草加が実例を挙げてくれたお陰で、よく分かった。

 オルフェノクは数さえ増えれば、人間をよその世界に押し込んでおくことができる。

 貧しい世界を人間の収容所として使うことができる。

 そうなれば、オルフェノクは収容所(べつせかい)の人間達の中に時々発生する同族を収穫し、自分達の世界に歓迎することもできるだろう。

 

 発想を逆転させれば、この世界の社会をひっくり返せるだけのオルフェノクが確保できるまで、別世界にオルフェノクを逃しておくことも可能だ。

 冴子が彼に目を付けた理由がよく分かる。

 ここではない世界から来た長瀬裕樹は、人類二度目の失楽園(パラダイスロスト)を引き起こす禁断の木の実に成り得る者なのだ。

 

 オルフェノクという生物がライダーズギアの作成を引き起こしたように、異世界人という生物が何かの誕生を引き起こす可能性は十分にある。

 

「オルフェノクは自分達が人間より優れた生物だと思っている。

 なら、繰り返されるのは人種差別の歴史の再現だ。

 何せオルフェノクってやつは、人間の心を捨てたくせに、人間の醜さは持ってるんだから」

 

 草加の語る理屈の根本は、いつだって単純だ。

 

 要は、『食うか食われるか』。

 

「長瀬、奴らは君に腹の中を絶対に見せない。

 奴らは君に綺麗な言葉をいくつも聞かせてくるだろう。

 だが、これだけは忘れるな。

 『新天地の発見』においては、いつだって強い者が得をする。弱者は虐げられるものだ」

 

 食われるくらいなら食ってやれと、草加の目が長瀬に対し言っていた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 次の日の夜に、オルフェノクが人を襲った。

 それを知った巧と木場がオルフェノクを倒しに動き、長瀬もそれに同行した。

 鳥獣型のオルフェノクは動きが速く、アクセルファイズと疾走態ホースオルフェノクに長瀬のデルタはついて行けず、置いて行かれてしまった。

 

「ちっくしょはえー……あの二人あの速度で動く体を制御できるとか、どういう頭してんだ」

 

 長瀬の頭と目では、アクセルフォームを仮に使えても使いこなせはしないのかもしれない。

 

「人が寄って来ねえように何かすっかな」

 

 オルフェノクを追いながら、オルフェノクとの戦いに人が巻き込まれないようにする。

 そう考え、変身を解除してひとまず長瀬は走り出す。

 ドスン、と音が鳴った。

 長瀬の足がピタリと止まる。

 彼の進行方向に、『人間の死体』が三人分投げ出されたからだ。

 

「一晩経ったわ。協力するか否か、改めて答えを聞かせて欲しいのだけど」

 

「! 影山、冴子……」

 

 闇の中から、冴子の声がする。

 人間の死体が灰となり、闇夜の下で吹き上がる。

 この人間達は、何の意味もなく殺された。

 

 これは"下手な答えを出せばお前もこうなる"という冴子からのメッセージ。

 人間の長瀬を脅すために、人間の死体を用意したという以上の意味は無い。

 まるで、手紙を書くのに費やされるペンのインクだ。

 メッセージを形にするためだけに殺されたこの人間達の命は、冴子にとってペンのインク程度の価値しかなかったのだろう。

 

「イエスかノーかあなたが言う前に、これだけは忠告しておくわね。

 ノーと答えれば、私達もあまりスマートじゃない方法を選ぶしかなくなる。

 イエスと答えればあなたに得があり、ノーと答えてもあなたに得は無いわ」

 

「損得で動いた覚えはねーな。テメエらに協力する気もねえ」

 

「あらそう。じゃ、少し物騒な手段を取らせてもらうとするわ」

 

 当然、そんな女の要求を長瀬が飲めるはずもない。

 闇の中から冴子が現れる………そう思っていた長瀬は、現れた大男を見て身構えた。

 

「チャコ」

 

 男の手の中から犬が飛び出し、物陰に逃げ出していく。

 長瀬より高い身長と纏う筋肉、生身の戦闘ならば決して敵うまい。

 されど二人の男の手には、超常の武器と超常の力が握られている。

 

「テメエ」

 

C'mon(来い)

 

 男の姿が変わる。

 長瀬もまた、デルタギアを起動した。

 

「変身」

 

《 Standing by 》

 

 男の巨躯は、凶悪な形相のクロコダイルオルフェノクへと変わる。

 長瀬もまた、狂気と呼ばれたデルタの銀の姿へと変わる。

 

《 Complete 》

 

「上等だオラ、泣いて謝っても許さねーからな!」

 

 二人は変身を完了すると同時に、互いの顔面に拳を叩き込んでいた。

 

「がっ……!」

「ガッ……!」

 

 クロコダイルオルフェノクの身長は216cm。

 身長が180cmもない長瀬が変身したデルタでは当然リーチ負けするが、長瀬は腕の長さが足りない分深く踏み込み、受けるダメージを増やしながらも敵の顔へと拳を届かせた。

 更にもう一発、互いの腹をぶん殴る。

 至近距離からの同時腹殴りは、腕力に勝るデルタの競り勝ちという結果に終わった。

 

「オラァ!」

 

 デルタの攻勢が始まる。

 両者共にパワーファイターであるがために、足を止めて真っ向から打ち合った結果、地力で勝るデルタが押し始めるのは必然の流れであった。

 

(やれる!)

 

 ライダーズギアの基礎出力は五段階あり、ギアごとに一つ設定されている。

 デルタの基礎出力は上から二つ目の銀クラス。ファイズが1000倍加速のため10秒間だけ使えるエネルギーを、常時安定して使えることになる。

 当然だが、これと殴り合える者はそうそう居ない。

 ラッキークローバーでも北崎以外は容易に力押しでイケるだろう。

 

 クロコダイルオルフェノクのスペックは、おそらく一番下の赤クラス(ファイズ)か、下から二番目の黄(カイザ)相当。

 デルタと殴り合いの合奏を吟ずれば、押し込まれるのは当然のことだ。

 

(おっと)

 

 が、長瀬は戦闘中にうっかり変なステップを踏んでしまう。

 冴子が投げ込んで来た人間の残骸(はい)を踏まないよう、変に足を動かしてしまったのだ。

 その隙を見逃さず、"人間だった灰を踏み躙って"踏み込んだJが、デルタの脇腹を強烈に殴る。

 

「ぐあっ!?」

 

 更に一発、もう一発と、クロコダイルは長瀬をタコ殴りにしていくが、長瀬は逆ギレ気味に殴り返す。

 柔らかな笑顔で犬を撫でるJの姿と、人間だった灰を踏み躙るクロコダイルの悪しき所業が、交互に脳裏に蘇って離れてくれない。

 

「てめーは犬に優しくできんのに、何で人間には優しくできねえんだァ!」

 

 無口なJは、ただ一言をもってこう答えた。

 

「犬ハ、人間ジャナイ」

 

「―――」

 

 この男にとって犬は友達だ。

 それが害されることは許せない。

 この男にとっての人間は、ごく普通の人間にとっての犬と同じだ。

 彼は人間を積極的に殺そうとは思わないが、必要に応じて殺すことはするし、殺したところで何も思いはしないだろう。

 

 Jは人間を憎んではいない。敵意も持っていない。怒りもなければ嫌ってもいない。

 犬をいじめていればその個人への怒りで殺す。頼まれれば罪の無い者も殺す。仕事で課された必要な殺人も淡々と行う。

 犬に向ける愛情を見れば、Jが愛情豊かで優しい者であることはひと目で分かるというのに……その優しさが、人間に一切向けられていない。

 

 これがオルフェノク。

 これがラッキークローバー。

 人の心を失い、大した憎悪や理由もなく人を殺し、人間との共存が不可能になった者。

 道を示す王無きまま、自分達で進む道を決めた怪物達の成れの果て。

 

「うおらァ!」

 

 デルタが長瀬の心を揺さぶり、長瀬の闘争本能の発動対象を少し広げた。

 唾棄すべき親だけでなく、人間の尊厳を踏み躙る怪物へと過激な闘争本能が向かう。

 殴る。

 闘争本能が高まる。

 蹴る。

 闘争本能が高まる。

 手刀を首に叩き込む。

 闘争本能が高まる。

 デルタは長瀬の心へ無尽蔵に熱を注いで、その心を魔道へ落とそうとしていた。

 

「くたばれクソがぁッ! チェック!」

 

《 Exceed Charge 》

 

 長瀬の音声入力で、スーツが銃へのエネルギーチャージを開始する。

 チャージ中も長瀬は構わず殴り、殴る蹴るでJを転がし、地に転がったクロコダイルを縫い止めるようにマーカーを撃った。

 ポインティングマーカーが触れぬままに敵を居抜き、動きを止める。

 

「Shit……!」

 

「おぅらッ!」

 

 長瀬はそこから、地面に触れるか触れないかという高さを横切る、超低空飛び蹴りをマーカーへと叩き込んだ。

 光、熱、毒。

 蹴り込まれた三角錐のエネルギーが、全てを用いて敵を内部から灼き尽くした。

 デルタの紋章が輝き、クロコダイルは燃え灰と化し……ラッキークローバーの一角は、そうして命を灰と散らした。

 

「へっ、ラッキークローバーといっても大したことねえな……」

 

 そこで一瞬油断してしまうから凡人なのだ、と長瀬に言ってくれる人は居なくて。

 クロコダイルにトドメを刺した瞬間の気の緩みを突いて、琢磨ことセンチピードオルフェノクが棘付き鞭を叩き込む。

 デルタの装甲、背中部分が薄く削れた。

 

「うがっ!? テメエ、琢磨!」

 

「君とは縁があるようだね。僕からすれば……君のような人間は、本当に嫌いなんだけどな!」

 

 速い。

 デルタの走力は100m5.7秒、つまり時速約60km。

 センチピードは高速移動能力を持ちその走力は時速200kmにも到達する。

 移動しながらの中距離戦を行えば、センチピードは速さでデルタを追い込めた。

 

「あら、私のことを忘れていないかしら?」

 

 更に冴子ことロブスターオルフェノクがが前衛として加わってくる。

 ラッキークローバー二体が相手では、流石に防御で手一杯で勝ちの目がまるで見えてこない。

 

(二対一……いや、これならまだセーフ!

 隙を見て乾さん達と合流すっか、連絡を取れれば―――)

 

 そうして、冴子の策は成る。

 琢磨、冴子という増援の出現で長瀬は狙い通りの場所に移動するよう誘導され、冴子の狙い通りの場所で立ち止まる。

 そんなデルタの後頭部を、『死んたはずのクロコダイルオルフェノク』が、両手を組んだアームハンマーで打ち抜いた。

 

「がっ……あっ……なん、で……」

 

「Mr.Jは三つの命を持っているんですよ、長瀬裕樹。

 彼は殺されて灰にされてもそこから蘇る。

 星を砕くような一撃でも、彼は二回までなら平然と突破するということです」

 

 そう、これこそがクロコダイルオルフェノクだけの固有能力。

 Jはただ一人、三つの命を持つオルフェノクだ。

 二回までならノーリスクで蘇生が可能、蘇生する度に力を増し、最終的に二段階の強化を経た最終形態へと至る。

 長瀬は一度殺しただけだ。

 Jはあと二回殺すまでは消えることもなく、一度殺されたことで先程よりも更に強化された肉体を得た。

 

 クロコダイルオルフェノク・剛強態。

 Jは変身が解除された長瀬からベルトをむしり取り、デルタギアを冴子に投げ渡した。

 空いた手を振り、長瀬の首を掴んで持ち上げる。

 

「ぐ……う……離せ……」

 

「王さえいらっしゃれば、要らないのよ、人間は」

 

 クロコダイルの指は長瀬の首に食い込み、その豪腕は長瀬が抵抗しても全く揺らぐ様子がない。

 苦しむ長瀬に、冴子は優しく囁いた。

 

「動物を愛するオルフェノクが人間を踏み躙ることに怒っていたわね、あなた。

 でもそんな不思議なことじゃないのよ。

 『人間がオルフェノクの敵だから』で殺す人も居る。

 でもね、『動物と自然とオルフェノクの世界に人間は要らない』って思う人も居る。

 よく考えてみなさい。この世界に他の動物を絶滅させようとする生物がいくつ居るの?」

 

 首が締まる。ゆえに苦しい。

 耳元に声。冴子の声だけが優しい。

 これは原始の洗脳手段だ。

 苦しみを与え、優しさを与え、朦朧とした意識のそこに『その優しさ』への依存心を埋め込む、人間の精神構造を利用した洗脳。

 

 冴子の言葉が、優しく心に染みていく。

 優しい声色なだけの毒が染みていく。

 人間への悪感情は、優しく偽装されていた。

 

「意図的に他の動物を絶滅させようとする生物なんて、人間だけよ。

 でもオルフェノクになれば……そんな人間の心を捨てることもできる。

 王を迎えたオルフェノクという種族は、まさに完全無欠よ。

 他の何にも脅かされないからこそ、他の何も脅かす必要はない。

 自分のために他の動物を絶滅させる人間なんていう旧種族は、もう要らないの」

 

 人への悪感情、オルフェノクへの理解を染み込ませる。

 怪物への嫌悪を削り、人間への嫌悪を上乗せしていく。

 両極の天秤を揺らす言葉を優しく迂遠に囁いて、少年の凡庸な心を惑わし堕とす。

 

「あなたにはもう、それに付き合う義理はないのよ。

 デルタの力があるでしょう? それで弱く醜い人間を殺していけばいいだけよ。

 あなたはもう強い。

 誰も見捨てなくていい。

 救えないものなんていない。

 オルフェノクも人間も、守りたいように守って、殺したいように殺していいの」

 

 そっと、冴子は長瀬の頬に手を添えて。

 

「最後の誘いよ。私の手を取りなさい」

 

「自分の歳考えろよ、オバサン」

 

 長瀬は自分の中にある反抗期パワーを総動員し、ハートの中のひねくれ部分を全て使って、冴子の手を叩き落とした。

 長瀬裕樹という凡人が発した、最後の男の意地である。

 

「高校生を誘惑すんなら、若くなってから出直してこいや!」

 

「そう……なら、もういいわ」

 

 意識が朦朧とするまで追い込んで、優しい声色を染み込ませ、心を誘導する。独裁国家の類の洗脳手段として、歴史上何度も使われてきた手だ。

 冴子が何度も成功してきた手なのだろう。

 だが、だからこそ、それを跳ね除けた長瀬はたいそう癇に障ったらしい。

 

 冴子は暖かな微笑みを消し、冷たい殺意を顔に浮かべた。

 彼女の表情の変化に応じ、クロコダイルが長瀬の首を強く締める。

 息は止まり、脳に血液が行かなくなり、首の肉と骨が軋みをあげた。

 

(死に、たくねえ……いや、違う)

 

 首から伝う死の実感。

 絞首刑の際、人間が意識を失うまでの時間は10秒とない。

 5秒から8秒で大抵の者は意識を失う。

 その数秒が、人生を振り返る走馬灯によって長く長く引き伸ばされる。

 

 長瀬の記憶が、一つ一つ蘇っていく。

 自分を愛してくれない、生まれたことを祝福してくれない両親。

 怪物に心臓を食われる人間。

 千翼に殺される怪物。

 デルタになった自分の前で殺された千尋。

 千翼のせいで怪物になった親友と、それに食われるもう一人の親友、助けてという声。

 ゴミのように撒き散らされた人間の残骸。

 冬空の下、佇む水澤悠。

 手を繋ぐ、千翼とイユ。恋で繋がった少年少女。

 

 想い出の中の死が、長瀬の生死観のケツを蹴り上げる。

 

(『生きたい』。ここで終わりたくねえから、まだやりてえことがあるから……生きたい!)

 

 死に直面し、長瀬は理解した。

 死の際に追いつめられた人間が、死にたくないと思う領域を突破し、生きたいと思うようになる心境を。その境地を。

 千翼(なかま)の気持ちを、長瀬は今本当の意味で理解した。

 

(お前もこんな気持ちだったのかよ……千翼ぉ……!)

 

 死に瀕してようやく得られた共感と共に、長瀬はどこか納得して、そこにある死を認識し――

 

 

 

 

 

―――全部、俺のせいなんだ。母さんのことも、イユが怪物(アマゾン)になったのも……

 

―――ケンタとタクが……あんなことになったのも、全部……

 

―――それでも……俺は、腹が減るし、食べたいし、生きたいって思ってる

 

―――イユと、もっと一緒に居たいってっ……!

 

 

 

 

 

 ――千翼の言葉を、思い出した。

 

 諸悪の根源(だいじななかま)の嘆きを、思い出した。

 

「……お」

 

 意識の断絶? 心の拳で殴り飛ばした。

 迫る死? 心の足で蹴り飛ばした。

 気合い、気合いだ。全ては気合いで跳ね除ける。

 首を絞められ5秒で気絶しそうなところを、長瀬は倍の10秒にまで引き伸ばした。

 

「おおおおおおおおおおおオオオオオオオオオオッ!!!」

 

 その五秒で、長瀬はクロコダイルの顔を掴み返す。

 

「生きるんだよ、俺はッ! あいつの分まで、あいつらの分までッ!」

 

 だが、足りない。彼の握力だけでは何もできない。彼はただの人間だから。

 

「生きたかった千翼の分まで! 生きたかったイユの分まで!

 生きたくても生きられなかったあいつらの分まで!

 イユに恋した千翼が、生きたいって望んで……でも、生きられなかったから、俺はッ!」

 

 されどその意志は、奇跡ではなく必然の事象を引き込んだ。

 

 クロコダイルの顔を掴んでいた長瀬の手から、赤雷が放たれた。

 密着状態からの赤雷はクロコダイルの顔面を焼き、眼球に通電させ、強烈な痛みを発生させる。

 

「デルタの、赤い雷!? デルタギアがアイツの肉体に適合し、雷の異能を……!?」

 

 ある程度の適合をすれば、デルタギアは持ち主がいかな凡人であろうと異能を与える。

 それはオルフェノクと比べれば微々たるものだが、どんな者でも得られる異能だ。

 長瀬に力を与える銀の魔具、その名はデルタギア。

 装着者の心に試練を与え、装着者の心を試す呪いのベルトである。

 

 長瀬は驚く冴子の心の隙を突き、その手の中からデルタギアを奪い返す。

 

「千翼も、イユも! ……俺の中で、まだ生きてる!

 俺の心の中にしか、もう生きてねえ!

 生きたいって願ったアイツを……ほんの少しでも、俺の中で生かしてやるために!

 俺は生きる! 少しでも長く生きる!

 何の役にも立たねえクソダッセエ俺が、ほんのちょっとでも、あいつの夢を叶えるんだよ!」

 

 何の夢も無くただなんとなく稼げるからと動画投稿者なんてものをやっていた、そんな長瀬が、生きたいという夢を見ていた千翼を見て抱いた夢。

 千翼の夢は、夢が覚めて彼の命と共に終わっても、未だ長瀬と共にある。

 

「あいつと同じで、生きることが―――俺の夢だぁッ!!」

 

 死を見て来たから、死にたくない。

 生きたかった奴の分まで、精一杯今を生きる。

 永遠には生きられなくても、全ての障害を越えて生き続けるのが彼の夢。

 

「俺が生きてる今日は、あいつらが生きたかった明日なんだッ!」

 

 笑ってしまいそうなくらいに頭の悪い、熱い罪悪感(ゆうじょう)の夢だった。

 

「頭が悪いわね。死にたくないのなら、この状況では頭を下げて命乞いをするべきよ」

 

「バカかよオバサン。

 俺は死にたくねえんじゃねえ、生きたいんだ。

 死なないための選択じゃなく、生きるための選択をしてきた千翼みたいにな」

 

「チヒロ……?」

 

 "死にたくない"の究極系が『何をしてでも死にたくない』であるならば、"生きたい"の究極系は『こういう風に生きていたい』だ。

 生きたいと決めた。

 なら、もう生き方を曲げることはない。

 

「来いやラッキークローバー。てめえらまとめて狩ってやる!」

 

「ふん、無様な虚勢ですね」

 

「あ? ビビってんのか琢磨? ん?」

 

「……その安い挑発、後悔させてあげましょう」

 

 歩み寄ってくる三人のラッキークローバー。

 彼らは死を与えることで、生きたいという長瀬の夢を折ろうとしている。

 長瀬がデルタギアを装着し、起動させようとしたその時、その両肩に手が乗せられた。

 

「お前の夢、確かに聞いたぜ」

 

 長瀬が首を右後ろに傾ける。そこには、乾巧が居た。

 長瀬が首を左後ろに傾ける。そこには、木場勇治が居た。

 

「そいつは、時々すっげえ切なくなるが、時々すっげえ熱くなるんだよな」

 

「夢は絶やせば呪いになる。彼らがやろうとしていることは、許せない」

 

「二人とも……」

 

 頼れる仲間が二人加わり、これで三対三の構図。

 加わったのは二人だけだが、長瀬にとっては二万人の味方が来てくれた以上に、心強い援軍だった。

 

「助かったぜ、乾さん」

 

「仲間の命くらい守ってやらねえと、何のために仲間やってんのか分からねえだろ?」

 

 巧の腰にファイズギアが巻かれる。

 

「君の夢を、僕達に守らせてくれ」

 

 木場の顔に、うっすらとオルフェノクの意匠が浮かぶ。

 

「……ああ!」

 

 二億人の援軍よりも、ずっとずっと心強かった。

 

「「 変身! 」」

 

 巧はファイズに。長瀬はデルタに。木場はホースオルフェノクに。

 それぞれ変わって、眼前の敵に殴りかかっていく。

 巧は冴子に。長瀬はJに。木場は琢磨に。

 戦いの組み合わせが、分かりやすく三つに分かたれた。

 

「……チャコヲ預カッテクレテ、Thank you. コレデ、因縁ハ終ワリ」

 

「それで終わりにできちまうんだよな、お前は!」

 

 デルタの拳が、クロコダイルを殴……ろうとして、届かず逆に殴り倒される。

 

「ぐあっ!」

 

 クロコダイルオルフェノクは、一度死んで進化した。

 剛強態となったクロコダイルは戦闘力が1.5倍に増強され、死ぬ前とは違い武器の生成能力を獲得している。

 ワニの口を模した奇形武器は一種の長物であり、デルタの拳を届かせないのだ。

 

(デルタの武装は銃しかねえ!)

 

 長瀬はデルタギアに触れ、歯噛みする。

 彼には与り知らぬことだが、デルタギアは最初期型のライダーズギアだ。

 そのため拡張性がなく、武装も少ない。

 ファイズやカイザのようにブレードユニットやパンチングユニットを備えていないため、こうした武器持ちとの接近戦がやや不利になってしまうのだ。

 

 長瀬は舌打ちし、後ろに跳んで銃を撃つ。

 デルタの高い火力はクロコダイルの身を削ったが、クロコダイルの硬い表皮はまるで死に至る様子がない。

 センチピードかロブスターなら、これで仕留められそうなものなのに。

 

「クソッ」

 

 銃撃の嵐をダメージ覚悟で突っ込んで来るクロコダイル。

 デルタは銃を収めて拳を構えるが、その時すっ飛んできたセンチピードの棘付き鞭が、クロコダイルの側頭部を強打した。

 

「グッ!?」

 

「!」

 

「す、すみませんMr.J! 木場、貴様!」

 

 琢磨が振るうセンチピードの鞭を、木場が剣で弾いてクロコダイルにぶつけたのだ。

 これはタイマンが三つある、という類の戦いではない。

 近くには仲間が居てくれる。

 ピンチには仲間が助けてくれる。

 そういう類の戦いなのだ。

 

「うおおおおおおおッ!!」

 

 助走をつけ、長瀬は胴体をぶち抜くつもりで全力の右ストレートを叩き込んだ。

 クロコダイルは武器を盾にして防いだが、強烈な一撃に手が痺れてしまう。

 長瀬は距離を取っての銃撃戦を性に合わないと切って捨て、武装数で不利になる近接戦をあえて選択。距離を詰めての拳のラッシュを選択した。

 

 デルタギアが、長瀬の闘争本能を引き上げていく。

 クロコダイルの反撃の痛みもあるはずなのに、長瀬は昂ぶる闘争心でそれを凌駕し、腰の引けた様子がまるでない。

 長瀬はデルタギアに闘争本能機能(デモンズ・スレート)を実装した開発者の意図を、今この瞬間に正しく体現していた。

 

 そも、闘争本能とは何か?

 多くの動物には何故そんなものが生まれつき備わっているのか?

 それは、戦うためだ。食うためだ。守るためだ。

 自分を食おうとする敵を倒し、生きるために敵を殺し食い、大切なものをあらゆるものから守るために、闘争本能は多くの生物に備わっている。

 

 デルタギアは、それを引き出す。

 ギアへの依存症、凶暴性の常態化、心への悪影響など心弱い者が起こす不具合に過ぎない。

 この機能が持つ真の価値は、獣の強さを人の理性が従えることが可能であるという一点にある。

 

(乾さんが、木場が来てくれたんだ。

 ダッセェ姿は見せられねえ。逆に守ってやるくらいの気概で行かなきゃ、届かねえ!)

 

 奇しくも長瀬の戦闘スタイルは、長瀬の世界で長瀬が幾度となく見て来た、獣の肉体を人の心で制御するというものに成り始めていた。

 千翼のスタイルを、彼は無自覚に真似していた。

 彼にその自覚が無いのは、千翼は剣を好んで使い銃は使わなかったが、デルタには剣がなく銃がメインウェポンだからだろう。

 

 長瀬がそう言った通り、千翼はまだ彼の中で生きている。生き続けている。

 長瀬の命が、続く限りは。

 

「ヅゥ」

 

「こいつで、トドメだ!」

 

 長瀬はミッションメモリーを銃に装填、クロコダイルを蹴り倒し、必殺技を使用可能になった銃口を向ける。

 殴って弱らせてから、隙のある必殺技を撃ってトドメ、となるはずだった。

 長瀬はそうしていると思っていた。

 

 だが、それは全て戦闘巧者の誘導でしかない。

 長瀬がエネルギーを充填した銃を前に向けた瞬間、クロコダイルが武器を投げた。

 そして投げたと同時に跳躍する。

 そう、クロコダイルは殴り合いの最中わざと弱ったふりをして、長瀬が迂闊に銃を構える瞬間を引き出したのだ。

 

(こいつ、まだ余力を―――!?)

 

 このままでは、クロコダイルの武器が銃に当たり、銃を取り落としてしまう。

 デルタの必殺技は銃にしかセットされていない。

 決め手を失えば、あとはデルタのエネルギーが切れるまでジリ貧だ。

 クロコダイルの武器が迫り、その後ろに迫り来るクロコダイルも見え、どうすると長瀬が思考した瞬間―――ファイズがぶん投げた剣が、横合いからクロコダイルの武器に衝突、叩き落とした。

 

「っ!」

 

 自分も冴子と戦っている最中だろうに。

 長瀬はそちらを見ることもなく感謝して、必殺のマーカーを発射する。

 

「サンキュー、助かった!」

 

 ファイズの横槍を予想もしていなかったクロコダイルの胸部を、マーカーと共にデルタの飛び蹴りがぶち抜いた。

 

「Oh……shit……!」

 

「悪いな、今日のところは……俺達の連携の勝ちってことに、しといてくれ!」

 

 クロコダイルオルフェノク、二度目の死。

 これで残るは最後の命ただ一つ。

 最終形態・凶暴態へと至ったクロコダイルオルフェノクが、デルタを睨んだ。

 

「Mr.J、琢磨君、撤退よ。これ以上の戦いは村上君が許さないわ」

 

 だが、先程の一発が閉幕の一撃となったらしい。

 流れが悪いと判断した冴子の指示で、ラッキークローバー達は闇夜に消えていく。

 冴子は冷たい殺意を長瀬に向け、Jは小さな犬を抱きかかえ愛おしそうにその頭を撫で、琢磨は長瀬を忌々しそうに睨み、姿を消していった。

 

「……」

 

 デルタの拳を握り、長瀬は冴子の言葉を思い出す。

 

―――意図的に他の動物を絶滅させる生物なんて、人間だけよ

 

 ああ、そうなのだろう。

 オルフェノクを絶滅させようと考えるのは人間だけで、人間を絶滅させるとすればオルフェノクしか居ないだろう。

 "アイツを滅ぼさないと俺達が滅ぼされる"という合意に似た理解がこの二種族間にある限り、もうその関係性はどうしようもない。

 

 長瀬とて、蚊を絶滅させたいと思ったことはある。

 草加は、叶うならオルフェノクを絶滅させたいと思っている。

 アマゾンという怪物もまた、人間の手で絶滅しかけたことがある。

 人間は、自分達を脅かす獣を絶滅させたいと、自然に思うものなのだろうか。

 

「……当たり前だろ、って言う奴、いっぱい居ると思うぜ」

 

 思うものなのだと、少なくとも長瀬は思っている。

 

 オルフェノクも、アマゾンも、どちらもどうしようもないくらい『怪物』で、『人間』で。

 

 人類を絶滅させかねない怪物にはどれほどの罪があるのかを、長瀬は自分の心に問いかけた。

 

 

 




 人食いの化物が、尊い人の命を脅かすからこそ罪深いとするならば、『尊い人の命』とやらが世界からなくなった時、その化物は罪深い存在ではなくなるのか
 人の命を尊いと言う人類が消え去った世界で、人の命は尊いという概念は世界に残るのか


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王の目覚め

 鈴木照夫はその日、何故かいつもより早く眠くなってしまった。

 遅くても夜九時までには寝る生活が、照夫の日常。今日はミュージックステーションを見る気にもなれないくらい、早くに眠くなってしまった様子だ。

 晩御飯を食べて、海堂と一緒に歯を磨き、照夫は布団に入る。

 

 お腹いっぱいだ。

―――腹が、減ったぞ。

 僕はとってもとっても、満足している。

―――足りない。

 頼りになる大人が周りにいっぱい居て。

―――美味そうな餌が周りにいっぱい居て。

 ああ。

―――ああ。

 食べたい。

―――食べたい。

 

 『照夫の心』と、『照夫の影』が、同時に照夫の中で言葉を発している。

 照夫は眠り、照夫の体は立ち上がる。

 照夫は夢を見始めて、照夫の体は歩き始めた。

 

 オルフェノクの王は、オルフェノクを捕食する。

 オルフェノクを捕食することで初めて完全体となる。

 宿主の意志にかかわらず、『オルフェノクの王』としての部分は固有の意志を持ち動き、餌となるオルフェノクを探し始めた。

 照夫の影から、影を泥のようにかきわけて、ずぶりと『アークオルフェノク』が生えてくる。

 

 巧を、木場を、海堂を、今の照夫の体は餌としてしか見ていない。

 人間に対し一種の捕食者として存在するオルフェノクだが、オルフェノクの王はそのオルフェノクに対してすら捕食者として在ることができる。

 食うか、食われるか。それが世界の基本法則。

 食うのではなく殺すことで増減するというオルフェノクの中で、王は唯一、『捕食』という行為をもってオルフェノクと関係する者なのだ。

 

 ただしそれは、照夫の意識が表層に出ていない時に限る。

 

「どした照夫?」

 

「……ほえ?」

 

 いつの間にかアークオルフェノクは消え、長瀬が照夫の肩を叩き、照夫は夢から覚めていた。

 

「……んにゃ」

 

「寝ぼけてここまで歩いてきたのか? バッカだな、お前」

 

「バカ、バカ、うるさい、ねむい……」

 

「そうか。ほら、寝ろよ」

 

「ねむいんだけどねむくない……」

 

「あーほら途中で起きてきちまうからだろ、メンドくせえ」

 

 中途半端に眠気が飛んでしまった照夫は、居間に戻っていく長瀬の後をトコトコ付いて行く。

 長瀬は少し、かつての仲間のタクとケンタのことを思い出した。

 前日にゲームのやりすぎのせいで一睡もせず、拠点で昼寝して起きて来た時、タクとケンタがこんな顔をしていた覚えがある。

 楽しかった頃の記憶だ。

 懐かしくも暖かな記憶だ。

 千翼は人間を人食いの怪物に変える化物で、タクは事故のような不運で人食いの怪物となり、ケンタは長瀬の目の前で足を食われたが、それで色褪せる想い出でもない。

 

 人間のモモの肉を噛み潰すとどういう音が出るか、モモの肉を食いちぎられた隙間から見える骨がどんな色か、長瀬は今でも鮮明に思い出せる。

 だが、それはそれ、これはこれ。

 

「ヒロキは何してるのー」

 

「動画編集」

 

「動画編集? ……あ、テレビの人がやってるやつかな」

 

「……俺の世界だとその単語から真っ先に連想するのはアマチュア投稿者なんだがな」

 

 ハァ、と長瀬は溜め息一つ。

 

「編集してなにするの」

 

「YouTubeに投稿……したかったんだけどなあ」

 

「?」

 

 長瀬はファイズ達が悪のオルフェノクを倒し、人を守り、そうした動画を撮影して動画投稿サイトにアップロード、世の中に波紋を呼ぶことを企んでいた。

 どの道、オルフェノクの存在は発覚する。

 それは遅いか速いかの違いでしかない。

 人を殺す化物の存在は、社会にオルフェノク排斥運動を引き起こすだろう。

 

 その前にファイズ達のような仮面の戦士の存在や、木場といった善のオルフェノクの存在をアピールすれば、少なくとも第一印象は悪くなくなるはずだ。

 悪いことをすればファイズに殺られる、と思わせられれば、オルフェノクへの抑止力になる。

 良いオルフェノクになっていいんだ、人間の味方をしてもいいんだ、と木場を見て思うオルフェノクが出てくれば、なおいい。

 人間を悪のオルフェノクから守ってくれるのは善良なオルフェノクだけだ、という戦力評価が生まれてくれればもう言うことはない。

 

 が。

 この世界は、長瀬の世界基準で言えば2003年頃の世界観にあたる。

 YouTubeの設立が2005年。日本での普及と人気沸騰が2006年。

 動画投稿で利益を得るユーチューバーの発祥が2007年、一般ユーザーへの仕様解放及びユーチューバーの爆発的増加が2011年と言われる。

 アフィリエイトプログラムの創始が1999年、大手アフィリエイトがいくつか出て来た頃が2005年とくれば、もう誰でも察することができるだろう。

 

 かつて怪物(アマゾン)狩りで、ネット業界トップクラスのアフィリエイト収入を得ていたカリスマユーチューバー・長瀬裕樹が活躍できる舞台は、この世界にはまるでないのであった。

 

 ただ、舞台はないが、動画編集のテクニックは長瀬の手に残っている。

 身に付いた技が消えることはない。

 長瀬はとりあえず撮影した仲間達の戦闘シーンを編集し、一本の動画に仕上げることに成功していた。

 

「とりあえずこれはテレビ局に送ることにした」

 

「ふーん」

 

 長瀬が撮影に使ったのは、デルタギアが普段銃として稼働させているデジタルビデオカメラ型マルチウェポン・デルタムーバーである。

 X線、サーモグラフィー、暗視と多様な撮影機構を搭載した優れものだ。

 上手く使えば人間の体内の病巣を見ることも、体温から敵の状態を見抜くことも、夜間に一方的に敵を倒すことも可能だろう。

 デルタはフォトンブラッドの発光のために夜間の隠密戦闘は難しいが、生身の時こそこのツールの多機能性は輝くのである。

 

(意外と手に馴染むんだよな、これが)

 

 デジタルビデオカメラ型のマルチウェポンは、デルタのみに搭載されている。

 ファイズ、カイザにも似たマルチウェポンはあるが、ビデオカメラはデルタだけだ。

 動画撮影&投稿者だった長瀬からすれば、そこに奇妙な縁を感じた。

 照夫は編集された動画を覗き込む。

 

「うわぁ、皆かっこいい。あ、このファイズ良い感じ」

 

「だろ? ま、自慢じゃねえが……

 俺達ほど『怪物を倒す仮面のヒーロー』の撮影経験がある奴とか居ないと思うぜ」

 

 何気なく、かつ無自覚に、長瀬は言った。

 『俺達』とは長瀬が未だ、かつて組んでいた四人のチームのことを想っていることを示す。

 もう、長瀬以外の誰もが長瀬の傍に居なくても。

 『怪物を倒す仮面のヒーロー』とは、長瀬が仲間であった千翼を怪物だと思うと同時に、世の平和を守るヒーローとしても見ていたということを示す。

 もう、その千翼がこの世には居なくても。

 

 長瀬が千翼をヒーローと呼んだことはない。

 千翼が生きていたなら、ずっと呼ぶことはなかっただろう。

 死んでしまったから、心の片隅にあった千翼に対する小さな想いが、口元からポロリと溢れてしまった。ついうっかり、ヒーローと呼んでしまった。

 

 長瀬は僅かに誇らしく、少しだけ悲しい気持ちになって、ちょっとばかり後悔した。

 

 今自分が関わってる仮面の戦士はちゃんと動画でヒーローにしてやろう、と心に決めた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 長瀬が動画を送りつけたのは、いわゆる『怪奇系・都市伝説系』の番組だった。

 

 都市伝説、というものがある。

 これは伝言形式で伝わっていく内に、噂が真実となり、でまかせが怪談となり、創作が恐怖となるというものだ。口裂け女やトイレの花子さんがこれにあたる。

 有名な都市伝説であれば、その発祥は1930年代にまで遡れる。

 不幸の手紙が1960年代末期に広まり始め、1990年代末期にチェーンメールが発生し、2000年代に入ってネット掲示板に都市伝説が書き込まれるようになる。

 2007年前後には都市伝説関連の商業書籍の数も、ピークに達していた。

 

 この世界は2003年相当の世界である。

 当然、世の中はノストラダムスの大予言が隆盛させたオカルトブームの興奮冷めやらぬ、という時代である。

 一例を挙げると、コトリバコや八尺様を始めとする有名な都市伝説の七割ほどは、2003年から2010年までの期間に生み出されている。

 この世界ではこれから数年間、インターネットを媒介とした都市伝説ブーム(創作奇譚ブーム)が始まる可能性が高いというわけだ。

 

 長瀬が目を付けた怪奇系の番組は、この時代において一つの特徴を持つ。

 それすなわち、信じられないような怪奇映像でも"面白ければいい"のノリで公共の電波に乗せて垂れ流し、結構多くの人に"これマジの映像だよ!"と信じられるということだ。

 

 ちょっと霊の手っぽいものが映っている写真なら、なんでも公共の電波で流す。

 視聴者の結構な数がそれを信じる。

 そういう空気が、まだ時代には残っていた。

 

 怪奇生物チュパカブラやら、幻の生物ツチノコやら、そういったものを大真面目に追い求めていたこの時代の番組スタッフが、オルフェノクとファイズ達の戦いを見逃すはずもなかった。

 

「おい昨日のアレ見たか?」

「見た見た、あれマジかな?」

「マジだろ」

「赤いやつが好きだな俺」

 

「会社も学校もこの話題で持ちきりだと息子からメールが来ましたよ」

「職場で話すことかね」

「いえいえ、重要なことですよ。我々も狙われるかもしれません」

「夜道帰るのは怖いですね。どうします課長」

「……しばらくは大通り以外の夜道は歩かないようにするよ」

 

「怖いよぅやっちゃん」

「へっ、こんな怪物なんてことねえよ。俺は空手習ってんだぜ?」

「その無根拠な自信が怖い」

「ケーサツに任せとけよケーサツに。銃あるから殺ってくれるだろ」

「ばっかお前、番組の前半見てなかったのか? 銃弾なんて跳ね返されただろ」

 

「この人らウチの近所にいねーかなー」

「いやないだろ。これバトってる場所どう見ても関東の映像じゃん」

「守ってくんねーかなー」

「このスマートな黄色に守って欲しい」

「俺はむしろこの馬の怪物の方がカッコよくて好きだなあ」

「この馬の怪物は味方でいいのか?」

「むしろこの馬が一番人間守ろうとしてんじゃん、録画見直した方がいいぜ」

 

 幽霊が番組で語られた程度なら、リアリストも鼻で笑ってやり過ごしただろう。

 が、この映像は長瀬が適宜カットのみでテンポよく仕上げた動画であり、デルタギアによって撮影された高画質動画である。

 人々はまことしやかに、これを真実であるように語った。

 するとリアリストはでっちあげだ、デマだ、作り物だとケチつけを始める。

 だがそれを更に否定するように、日本各地でオルフェノクの目撃証言がわっと出て来た。

 

 別に誰かが記憶を操作しているというわけでもない。

 自然発生したオルフェノクのことを、目撃者はちゃんと覚えている。

 ただ、騒ぎそうな目撃者はスマートブレインが消していて、オルフェノクを近くで見た人間のほとんどはその場で殺され、遠目に見た人間は皆自分の目の方を疑っていた。

 そういうこれまでの歴史があった。

 この報道をきっかけに、目撃情報が改めて噴出したというだけのこと。

 

 世の中に突如現れたオルフェノクという存在に対し、人々は案の定両極端な反応をした。

 

 何せ、人間だ。

 人間が怪物に変じたものなのだ。

 『人間』と見た者には、話せば分かると言う者も多かった。

 『怪物』と見た者には、直ちに全国民検査を行い見つかったオルフェノクを殺すべきだと言う者も多かった。

 怪物になれる人間と見るか、人間社会に潜む怪物と見るかで、根本的な認識がとんでもなくズレこんでしまったのである。

 

 各種団体も動き始めた。

 テレビ局には問い合わせが殺到し、オルフェノクが柔軟に受け止められるよう長瀬が言葉を選んだ説明文書が動画に添付され、毎週放映のたびにその説明文書が読み上げられた。

 この状況に真っ先に適応し、的確に動いたのがスマートブレインである。

 

「村上社長、どうなさいますか」

 

「そうですね」

 

 スマートブレイン社長、村上(むらかみ)峡児(きょうじ)は部下に指示を求められていた。

 どこか平静でない部下とは対照的に、村上は涼し気な顔で資料を眺めている。

 やがて資料を指で弾き、部下と正面から向き合った。

 

「乗ってやりましょう」

 

「乗ってやる、とは?」

 

「報道機関への手配と、エージェントに工作の指示を。

 オルフェノクに対する国民感情を好転させます。

 人を殺さないオルフェノクの処刑を一時中断。

 管理下のオルフェノクに殺人を控えるよう通達してください」

 

「了解しました」

 

「人員を手配し、発覚しない殺人を行える環境も作っておいてください。

 オルフェノクには息抜きの殺人も必要だ。警察の報道干渉との衝突は避けるように」

 

 社長室から出ていく部下の背中を見送り、村上は眉間を揉んだ。

 

「やってくれる」

 

 取るに足らないと思っていた雑魚に利用された、そういう心境だ。

 

 今現在、オルフェノクは人間と全面戦争を起こす準備が無い。

 失楽園(パラダイスロスト)にて人間から世界の主権を奪えるだけの戦力が無い。

 だから今こういう流れにされてしまうと、スマートブレインはオルフェノク擁護の工作を行い、人間がオルフェノクを排斥しない流れを作っていく以外の選択肢が無い。

 ()()()()()のだ、スマートブレインは。

 

 村上は社長室のテレビをつける。

 顔を隠したオルフェノクが「他の人殺しオルフェノクに狙われた」「何故こうなったのか分からない」「人間としてひっそりと暮らしたい」と顔を隠しインタビューを受けていた。

 このオルフェノクは、スマートブレインの仕込みではない。

 スマートブレインでさえ認識していなかった隠れオルフェノクだ。

 こんな隠れオルフェノクが、日本全土にあとどれほど居るのだろうか?

 

 何にせよ、これでまたオルフェノクへの同情、融和路線の声は強まるだろう。

 

「ただ、見方によっては大一番が近いとも言える。

 情報操作であと数ヶ月は民衆をコントロール、と仮定して……

 その期間で王を確保し、覚醒させれば、騒動が収まる前に人間を滅亡させられるだろう」

 

 ここからは情報戦だ。

 警察はオルフェノク排斥の流れに持っていこうとする。

 スマートブレインはオルフェノク擁護の流れに持っていこうとする。

 両者共に組織の総力をあげてそこにかかりきりになってしまう数ヶ月の内に、決定的にチェックメイトに持って行きたいところである。

 

「この数ヶ月で、どう転がしたものか」

 

 村上はテレビ越しに人間の愚かさを見る。

 集まることで更に愚かになる人間の特徴を見る。

 テレビの中では、オルフェノクを甘く見ている人間達が、人権論をふりかざしてオルフェノク擁護論を展開し、反論をその身に受けていた。

 

 彼らは『オルフェノクの総理大臣が国を支配している未来』を想像することもないのだろうな、と思い、村上は冷めた笑みを浮かべていた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 海堂はバイクに跨り、電気店の店頭テレビの番組を眺めていた。

 今やテレビはどこもかしこもオルフェノク一色だ。

 この時間帯にオルフェノク特集をやっていないのは、アニメを垂れ流しているテレ東くらいのものである。

 

 今海堂が眺めているのは、オルフェノクと警察の武装に対する討論会だ。

 どうやら日本の警察機構に対する意見、自衛隊に対する意見などの討論まで勃発したらしい。

 果ては警察と自衛隊の武装強化による戦争国家化の可能性の議論、銃武装の推進は銃社会化の前兆になるという議論まで始まっていて、もうしっちゃかめっちゃかだ。

 

 まあ、オルフェノクに警官の銃が通用しない動画が流れていてはしょうがない。

 「今の銃に価値がないだろ」と言う人も、「市民を守るためにもっと強い銃を」と言う人も、「いやオルフェノク全てに現在の銃が通用しないと決まったわけではないのに早計だ」と言う人もいるのは、当然である。

 そしておおまか、議論はオルフェノクに都合がいい方向に進んでいた。

 

 照夫の手を取り佇む長瀬が、海堂の横で、番組を見ながらほくそ笑んでいた。

 

「ちゅうか、マジでスマートブレインが長瀬の誘いに乗ってくるとは俺様も思わなかったぜ」

 

「スマートブレインはオルフェノク排斥運動なんて起こしたくねえはずだ。

 だってよ、奴らはずっと社会の影に隠れてコソコソしてた。

 人間と正面切ってやり合って勝てる状況なら、コソコソはしねえだろ?」

 

「そうなんかね」

 

「そうなんだよ。なにしろ奴らは強い生物だからな」

 

「……?」

 

「人間より自分はツエー、って思ってんだろ?

 じゃあ勝てる時になったら普通に勝ちに来る。

 滅ぼせるなら普通に滅ぼしに来る。

 人間が社会の一番上に居ること自体が、オルフェノクにとっちゃ屈辱のはずだ」

 

「あー、そりゃそうかもな」

 

 オルフェノクがまだ人間を滅ぼそうとしていないということが、逆説的にオルフェノクの戦力不足を証明している。

 コトが大きくなれば、スマートブレインは必ず"オルフェノクにとっての最善手"を打ってくる。そんなことは分かりきっていた。

 長瀬の知る限り、『悪辣で有能な大人』はいつもそうであったから。

 

「戦力揃ってないのに人間と真正面からやり合うのはタルいだろ。

 じゃあ人間に面従腹背してりゃあいい。最後に背中刺して人間絶滅させればクソ楽だ」

 

「ちゅうか、スマートブレインは昔からそうしてたんだろうな」

 

 オルフェノクに牛耳られた世界的大企業、なんてものをこの人間社会の中に成立させるのに、過去のオルフェノクがどれだけ耐え忍んできたか。

 ちょっと想像もしたくない。

 オルフェノクが会社を立ち上げたのか、オルフェノクが会社を乗っ取ったのか、長瀬にはまるで分からないが、そこには臥薪嘗胆を通り越した妄執じみたものが感じられた。

 

「かわいそうだって」

 

 照夫が、テレビの中のコメンテーターの言葉をリピートする。

 

「ナオヤ、ヒロキ。

 オルフェノクってかわいそうなのかな。

 僕らって……かわいそうなのかな。

 生まれて来たのが間違いだって言ってる人も、かわいそうだって言ってる人もいる」

 

 テレビの中では、『人間』が妄想と想像で好き勝手に『オルフェノク』を語っている。

 人間が、自分勝手にオルフェノクがどういう生き物なのか、自分達の主観だけで決めつけようとしている。

 

「僕ら、怖いものなのか、かわいそうなものなのか、どっちなんだろう」

 

 悩む照夫の髪を、長瀬がくしゃっとかき混ぜた。

 

「オルフェノクがかわいそうな生き物だろうとそうでなかろうと、お前には関係ねえぞ。

 お前が決めろ。お前がかわいそうかどうかなんてお前が決めていいんだ。好きに決めてやれ」

 

「ヒロキ……」

 

「でもな、死ぬな。

 死ぬのだけはダメだ。

 死んじまった奴は問答無用で『かわいそうな奴』になっちまう。

 罪深さとか抜きにして、強制的にかわいそうな奴にされるんだ。嫌なら死ぬな」

 

「ん」

 

 照夫も死ねば同情される。悲劇の子供としてかわいそうな奴だと思われることだろう。オルフェノクの王でありながら、その死は悲しまれるに違いない。

 だが、それだけだ。

 幸せでも何でもない。あるのは呪われた生が終わったという救いだけ。

 それに納得できる人も居れば、できない人も居る。

 海堂と長瀬は、納得できない方の人だった。

 

「いいねえ、長瀬の生きてりゃ勝ちって意見。

 そりゃ俺様も同意見だ。

 乾やら木場やら草加やらが死んでぼっちになっても、俺様は生き残ってみせるぞ」

 

「一人だけ生き残んのはつれーぞ、ナオヤ」

 

「はっはっは、俺様はナッイーブな長瀬とは違うのだよ、長瀬とは」

 

 ひょうきんな海堂の言い草に、照夫がくすっと笑う。

 

「ナオヤ、なんかお腹すいた」

 

「お前一時間前にラーメン食べたばっかだろ!?

 かーっ、これだからガキンチョは! 育ち盛りなんだからもうよぉ!」

 

「……? そういえばお腹いっぱいだ」

 

「お前なあ」

 

 首を傾げる照夫をよそに、長瀬のポケットのデルタフォンにワン切りが入る。

 予定していた、巧からの合図だ。

 

「時間だ。行くぞナオヤ。照夫、メシはまた後でな」

 

「あいよ」

「はーい」

 

 草加から借りたサイドカー・サイドバッシャーに照夫を乗せ、先行する海堂のバイクに付いて行くように長瀬も発進する。

 

 草加は「傷一つ付けるなよ」と言って長瀬に貸した。

 ケツの穴の小せえ野郎だな、と長瀬は思った。

 草加は「汚すな。汚していなくても洗って返せ」と言って長瀬に貸した。

 女々しいなこいつ、と長瀬は思った。

 「無視していいぞ」と巧は言い、草加のバイクをベチンと叩き、またいつものように草加から殺意と憎悪を向けられていた。

 この人男らしいぜ、と長瀬は感心した。

 

 そんなこんなで、長瀬は草加のバイクを駆っていた。

 

 彼らの役目は、照夫を安全な地点まで連れて行くことだ。

 今、彼らが居るこの区画は、恐ろしいくらいに混沌としている。

 人間を襲う複数のオルフェノク。そのオルフェノクを止めようとするスマートブレイン。オルフェノクをまとめて射殺せんとする警察組織。

 そしてどさくさ紛れに照夫を確保しようとする、スマートブレインと警察組織の精鋭。

 巧、草加、木場はそれら全てを敵に回し、人間を守るため戦っていた。

 

 長瀬と海堂はこのどさくさに紛れて、誰にも見つからないように隣の県まで行く予定なのだ。

 やがて彼らは人気もない、民家も少ない一直線の道に入り、周囲を警戒しながら並走する。

 

「ナオヤ、野良猫は日本の侵略的外来種ワースト100に登録されてるって知ってたか?」

 

「へ、マジか?」

 

「俺の世界でもそうだったし、この世界でもそうらしいぞ」

 

 時刻は夕方。人の顔が見分け辛く、かつバイクのライトをつけなくてもいいためにバイクの位置が分かりやすくもならない、絶妙な時間帯だ。

 海堂と長瀬のバイクは突き進む。

 

「ずーっと昔に海の向こうからやってきて、野生化、定着。

 鳥や小動物を捕食するんで生態系に影響を与える。

 だからまー、保健所が増えすぎないように気ぃ使ってんだってさ」

 

「長瀬の世界でも、こっちの世界でもか」

 

「どっちでもだな」

 

 2014年度の保健所持ち込み動物数は約15万頭、殺処分数は10万頭。

 保健所に持ち込まれた猫の殺処分率は75%前後で推移してるというデータもある。

 

「セクシャルマイノリティ。

 肌の色が違う人間。

 猫。

 オルフェノク。

 これら全部に味方してくれるやつらが居るだろ?」

 

「あー、人権団体とか愛護団体とかああいうのか」

 

「おう」

 

 現代日本において、猫は自然に影響を与えるものではあるが、ハンターのターゲットにされることは少ない。

 野良猫と飼い猫を間違えて殺してしまう危険性があり、猫を殺すと愛護団体がかわいそうだとうるさいからだ。

 人を食う熊の駆除にすら愛護団体は口を出すという。

 長瀬が期待しているのは、そういうノリだ。

 

 "殺すのはかわいそうだよ"という意見と、"罪を犯したオルフェノクは厳しく裁く"という姿勢、そして"オルフェノクの衝動的な殺人を防ぐシステム"が揃わなければ、この世界は人間とオルフェノクが共存する最低限の環境さえ獲得できない。

 

「多くは見てねえけど、『外国人のオルフェノク』も居るんだろ?」

 

「ちゅうか居ないわけがない。そりゃ居るだろうな、俺は見たことないが」

 

「アメリカの人権運動は日本とは比較になんねーぞ。

 差別意識も、それに対する反発も強い。

 ネットが今よりももっと普及した頃にはすげーことになるぜ」

 

 オルフェノクは日本にしか居ない? いや、そんなわけがない。

 外国にもオルフェノクが居て、外国人のオルフェノクも居る。

 当然、外国にもオルフェノク組織があり、オルフェノクの集まりがあるはずだ。

 今回の騒動はそれら全てに波紋を呼んでいるだろう。

 アメリカ、中国、ロシア辺りには、一体何人のオルフェノクが居るのだろうか。

 

 外国にも波紋は広がる。

 人間扱いされたい怪物は人種差別問題を引き起こし、怪物を受け入れられない過激な宗教は宗教問題を引き起こし、紛争は少年兵の代わりにオルフェノクを使うようになるかもしれない。

 とにもかくにも、波は大きく広がるだろう。

 オルフェノクは時に守られ、時に排斥されるようになっていくはずだ。

 

 話が世界スケールにまで広がれば、いつか既存の概念で世界を見ることも間違いになる、そんな時代も来るかもしれない。

 例えば、水棲のオルフェノクなら海だけで暮らすこともできるだろう。

 水中生物型のオルフェノク達で海底に街を作り、人間が手出しできないそこで、海中都市が発展していくなんてこともあるだろう。

 絶えず死からオルフェノクが生まれるこの世界なら、世界中から海底都市にオルフェノクが集まってくる、なんてことになっても不思議ではない。

 

 海に逃げ込んだオルフェノクを全部殺すことなんて、『深海は宇宙に並ぶ未知の宝庫』なんて言うこともある今の人類にできるはずもないのだ。

 

 世界は一気に変わっていく。

 村上社長は、その上で確信しているのだ。

 王さえ覚醒すれば、世界中のオルフェノクの蜂起によって、人の世界は滅び去ると。

 

「お、噂をすれば」

 

「人権団体さんだな」

 

 世界を変えたいのか変えたくないのか知らないが、とりあえずオルフェノクを殺すべしという人間に反対する、オルフェノク擁護派の人権団体様のお通りだ。

 プラカードを持って横断歩道を渡っている。

 

「彼らも我々と同じ人間だー!」

「人を殺すオルフェノクは、ただの殺人犯だ!

 化物だから殺したのではない!

 だが殺人犯が人間の中に居たから、人間全てが殺人犯だ、などと言う者は居ない!」

「誰も殺していない善良なオルフェノクを殺すことは、殺人だ!」

「警察はオルフェノクの説得と保護を推進しろー!」

 

 長瀬と海堂は赤信号で止まり、横断歩道の彼らを至近距離で見つめていたが、なんだか無性に呆れというか、虚しさを抱いてしまった。

 彼らはオルフェノクのことをロクに知らない。

 無知ゆえにオルフェノクを擁護している。

 オルフェノクの負の側面を見ないようにして、オルフェノクを守ろうとしているのだ。

 

 無論、長瀬はこういう人間がオルフェノク擁護に付いてくれると理解していたし、確信に近い予想もしていたが……実際に見てしまうと、何故かどっと疲れてしまう。

 無能な味方のデモ活動は、何故こうにも疲労感を引き起こすのか。

 

(ま、やれるだけ論争やってくれ。

 俺はナオヤや照夫に力貸すが、この世界の人間じゃねえしな。

 この世界のことはこの世界の奴らが一番話し合うべきだろうし)

 

 信号の色が変わり始める。

 長瀬はハンドルの握りを強め、照夫を気遣って柔らかめのスタートを切ろうとして、気付く。

 イカれた様子のイカれた男が、人権団体の前に立ちはだかり、腕を振り上げていた。

 男が腕を振り下ろした瞬間、男の姿がオルフェノクに変わる。

 

 本体身長が2mとないのに、右手だけが4m近くにまで肥大化した、奇怪巨腕の蟹型オルフェノクであった。

 突如巨大になった右腕が、人権団体の者達を何人もまとめて叩き潰す。

 

「お……オルフェノクだあああああ!」

「なんで!? なんで!? 私達はオルフェノクのために……」

「皆逃げて!」

 

「いらねーってんだよ!

 てめえらの擁護も、てめえらの同情も、てめえらの命もな! ひゃははは!」

 

 薙ぎ払うように振るわれた第二撃で、彼らはあわや全滅の憂き目にあいそうになったが、そこでオルフェノクの右腕を横合いから赤い雷が貫いた。

 オルフェノクの右腕が痺れ、人権団体の者達は守られる。

 

「変身!」

 

《 Standing by 》

 

「俺様の方にゃ掛け声はいらんが、ノリだ! 変身!」

 

《 Complete 》

 

 そして跳び込んで来た長瀬・デルタと海堂・スネークオルフェノクの同時キックが、蟹のオルフェノクを蹴り飛ばし、距離を空ける。

 人権団体の者達の表情が、ぱあっと明るくなった。

 

「あ、あなたは……テレビの!

 悪のオルフェノクから人を守る、仮面の騎士と善のオルフェノク!」

 

「早く逃げろォ!」

 

「はいィ!」

 

 四の五の言わせぬ長瀬の叫び。人権団体の者達は二の句もなく駆け出し逃げ出していく。

 その後を追おうとする蟹を、長瀬が銃を突きつけ静止した。

 

「悪いな、今ここの信号は赤になった。渡るのは諦めてくれや」

 

「さっきの赤いのはなんだ? けけっ、冬の静電気みたいだったぜ」

 

「そうかそうか、んじゃもっと強烈なやつを撃ち込んでやるよ」

 

 引き金にかけた指が動く。ぶち抜いてやる、と長瀬は思考し。

 

 

 

「おなか、すいた」

 

 

 

 背後からの声に、その思考が霧散した。

 

「……照夫?」

 

 振り返った長瀬が見たのは、異様な雰囲気で、夢を見ているような表情で、焦点の合っていない目で、蟹のオルフェノクを見つめている照夫の姿。

 照夫と蟹の間には何もない。

 何も無かったはずなのに、一瞬で光の鞭が現れ、鞭は蟹の心臓を貫いた。

 

「……あ……え? なに……これ?」

 

 呆然とする蟹のオルフェノクの肉体が死に、青い炎がその体を燃やし始める。

 

「うそだろ……いや、だって……俺はオルフェ……誰よりも、強―――」

 

 そしてその死体も、死体を燃やす青い炎も、まとめて石化した。

 照夫の影が伸び、そこからオルフェノクの王―――アークオルフェノクが現れる。

 アークオルフェノクは石化した蟹のオルフェノクを、そのままバリボリと捕食し始めた。

 

「食ってる……!?」

 

 アマゾンが人を食べるような姿だ、と長瀬は戦慄した。

 これはヤバい。

 これは、()()()()()()()()()()()()()()()()()

 長瀬の中で、そんな確信が生まれた。

 

「長瀬、止めろ! そいつが照夫の表層意識を乗っ取ってる!」

 

「ナオヤ、こいつが王ってことでいいんだよな!?」

 

「ああ! まだ覚醒は不完全だ、強すぎるってことはない! ちゅうかこいつ……」

 

 オルフェノクの王はオルフェノク一体を食い切っても満足せず、海堂に目をつけていた。

 要するに、おかわりだ。

 この王様は、まだお腹一杯になっていない。

 その空腹は満たされていない。

 

「俺狙っとるー!?」

 

「ナオヤ下がれ! ここは俺が……」

 

 アークオルフェノクは光球を生成し、片手でそれを発射した。

 

「ファイア!」

 

《 Burst Mode 》

 

 長瀬は狙いを定め、コマンドを入力して光弾十二連射。

 一発、二発、と当たっていくが、アークオルフェノクの光球は止まらない。

 十発当たったにもかかわらず止まらない。

 光球はそのまま直進し、横に跳んで避けたデルタの脇スレスレの場所を通り過ぎ、向こうにあったコンクリ製の家屋を二つ三つまとめて粉砕・消滅させた。

 

(嘘だろ、これで完全じゃねえのかよ……!?)

 

 少なくとも火力は馬鹿げている。

 長瀬は照夫と、照夫の影から生え照夫の横に立つアークオルフェノクを睨む。

 あのアークオルフェノクだけを、何とか粉砕することができれば。

 

「長瀬! 十秒保たせろ! 隙作ってやる!」

 

「シクんなよナオヤ!」

 

「俺様を信じろっての!」

 

 海堂は脇の排水口にするりと潜り込む。

 海堂はあまり使用しないが、スネークオルフェノクには体を軟体化させ、5cmの隙間があればそこをくぐり抜けられる能力を持つ。

 長い、長い十秒が始まった。

 

 長瀬はアークオルフェノクに銃を撃ちまくる。

 倒すためではない、アークオルフェノクの攻撃を減らすためだ。

 そうでもしなければ、光球を連発してくるアークオルフェノクを相手にして、十秒も生きられる気がしなかった。

 

(秒数なんて数えてられねえ、数えてられる余裕がねえ!

 先のことなんて考えられねえ、この瞬間に生きてるのが奇跡以外のなんだってんだ!

 まだか、まだかナオヤ……! そうかやべえ、デルタは盾にできる剣とかもねえんだ……!)

 

 生きるか死ぬかの瀬戸際で、長瀬はなんとか十秒間を生き残る。

 

「待たせたな!」

 

 そして、排水溝を通って背後を取った海堂が、後ろから照夫を引っ張った。

 アークオルフェノクは、スネークオルフェノク程度の腕力で動かせるはずもないが、照夫が動けば影も動く。影が動けばアークも動く。

 アークは体勢を崩し、ぐらりとふらつき、隙を見せる。

 

「ファイア!」

 

《 Burst Mode 》

 

 そこにデルタの十二連射の直撃を食らい、アークオルフェノクは苦悶の声を漏らしていた。

 

「チェック!」

 

《 Exceed Charge 》

 

 デルタのエネルギーチャージが始まる。

 アークはぐらつく体勢を立て直し、急所を守る防御の構えだ。

 長瀬はデルタのチャージが行われるほんの少しの間に、照夫の顔を見た。

 

 アークオルフェノクが表に出ているからか、照夫の表情は微動だにしない。

 そもそも意識が表出していない。

 照夫は今、自分自身の体を自由に使うことすら許されていないのだ。

 死体のような照夫の表情に、長瀬は心底腹が立った。

 

「照夫。テメエ、そんなツラで生きてくつもりかよ」

 

 色んなものに腹が立ったが、何に一番腹が立っているのか、長瀬自身にもよく分かっていなかった。

 叫ぶ。

 長瀬は叫ぶ。

 死んだようなツラで何もしていない照夫に向けて、叫ぶ。

 

 

 

「『死んでるように生きたくない』、くらいは言って見せろ!」

 

 

 

 その叫びが、照夫の手を優しく握る海堂の手が、照夫の心を呼び覚ました。

 

「……ぁ」

 

 グラッ、とアークオルフェノクの体が揺れ、膝が折れる。

 照夫が肉体の主導権を取り戻し、アークを抑えにかかったのだ。

 迫る銀色の三角錐を回避する手段は、もうアークに残されてはいない。照夫の強い意識がアークの肉体を止め、その胸部に三角錐と飛び蹴りが突き刺さる。

 

「くたばれ寄生虫バッタ野郎ッ!」

 

 かくして、デルタの最強最大の一撃が、オルフェノクの王を貫いた。

 倒されたアークオルフェノクは、死することも燃えることもなく、照夫の影の中に還っていく。

 完全に覚醒していない、完全に自分を表に出していない王は、顕現化した自分の体を破壊されても、本当の死には至らないようだ。

 王は最後に、言葉を残す。

 

『何も殺さず生きられない。それが王の宿命だ』

 

 それは照夫の中のオルフェノクとしての部分が、照夫の中の人間としての部分に告げる、警告のような忠告だった。

 照夫は右手を見る。

 海堂がその手を握ってくれていた。

 照夫は左手を見る。

 小さな手は大人の手と比べてしまうと、何とも小さく頼りない。

 

 何もできない、と照夫は人間としての自分を見て、思う。

 何かをしてしまう、と照夫はオルフェノクとしての自分を見て、思う。

 その上で、心の底からこう思った。

 

「……生きたい」

 

 生きたい、と。

 何もできない自分だけど、何かをしてしまうかもしれない自分だけど、それでも生きていたい。

 それが、照夫の本音だった。

 

「生きていたい……」

 

 まだ年齢一桁だというのに、残酷な現実と運命に翻弄されなお絶望せず、照夫は『生きたい』という祈りを胸に抱いていた。

 

「僕が僕のまま、生きていたい……

 誰にも殺されないで、誰も殺さないで、生きていたい……

 生きたい……僕は、死にたくなんかなくて、生きていたい……!」

 

 泣きそうになっている照夫の頭を、長瀬はくしゃくしゃにしながら撫でる。

 

「何からだって守ってやるよ、照夫。お前自身からだって、守ってやる」

 

 海堂が照夫の手を握った手を、ブンブンと上下に振る。

 

「ちゅうか、今更だな、うん」

 

 ありがとう、と照夫は言おうとしたが、なんだか泣けてきてしまって。

 大声で泣き喚いてしまって。

 泣き疲れて、そのまま眠ってしまって。

 

 起きた頃にはありがとうと言おうとしていたことを忘れてしまっていたが、彼らに対する感謝の気持ちだけは、照夫の胸にずっと残ってくれていた。

 

 

 



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彷徨える魂

 オルフェノクは書籍によっては
『星の外敵と戦うため生まれて来た者』
『地球の意志が人と競わせ、人を進化させるために生み出した』
『地球の動植物を記録した一種のノアの方舟』
 であると語られていたりします。
 じゃあ幻想にしか存在しないドラゴンを模したオルフェノクって、地球意志すら予想できなかったイレギュラーか、"人類の幻想をモデルにしたオルフェノク"かのどっちかなのかもしれないんですよね……


 世の中、程良く不真面目に生きている人間が最もタフだ。

 シビアな環境では大抵の場合、物事を真面目に考えすぎる人間より、そうでない人間の方がタフに生き残るものである。

 人間だオルフェノクだ、と苦悩する者も居れば、そうでない者も居る。

 

 案の定、オルフェノクの能力を金で売る集団が生まれ始めた。

 定職についていないオルフェノクの若者の集まりが警備事業を始めたり、紛争地帯でオルフェノクの仲間を抱える傭兵が名を売り始める、などのことが起き始めていた。

 オルフェノクの襲撃や犯罪は、オルフェノクの味方でしか防げない。

 商売になるのは当然の流れであった。

 他にも開き直ったオルフェノクがアメリカで銀行強盗を行い、良心からそれを止めたオルフェノクが居て、地元警察に感謝状を送られ……と、まあ、事例は枚挙に暇がない。

 

 世界は大きなうねりの中にあった。

 オルフェノクと人間の間には、対立に発展しうる緊張が生まれている。

 だがそれでも、オルフェノク達に統一された意志など、存在しようはずもなかった。

 協調の総意も敵対の総意も、彼らの中には無かったのである。

 

「オルフェノク、なんでこんなまとまりがねえんだろうな」

 

 長瀬はテレビでオルフェノクに関する良い話、悪い話、面白いニュースから嫌になるニュースまで色々と見て、朝飯を食べている巧に話を振った。

 巧は味噌汁をふーふーしている。

 "乾巧が猫舌だ"ということは、新参の長瀬ですら知っている周知の事実だ。

 そのためか、熱い味噌汁が出た朝飯を、まだ巧だけが食べきっていなかった。

 

「まとめる人間が居ないからだろ」

 

 よく冷ました味噌汁を巧がすする。

 巧は一匹狼気質のくせに――あるいは一匹狼気質だからか――今のオルフェノクが一丸となっていない、まとまりのない状況の理由を、なにがなしに理解していた。

 

「俺や木場からしてオルフェノクはこう、人間のコミュニティから微妙に浮いてるだろ?」

 

「まあ……そだな」

 

「結局『オルフェノク』って括りで引っ張っていく奴が居ない。

 リーダーが居ないからまとまりがない。普通の話だ。

 現にリーダーがあって組織があるスマートブレインはそれなりにまとまってんだろ」

 

「あ、確かに」

 

「組織ってのはな、最終的にリーダーシップに相応なもんになる。

 良いリーダーが所属している集団は勝手に膨らむ。

 デカい集団に悪いリーダーが就任すると組織は瓦解して、リーダーに相応の小ささになる」

 

「カリスマ無いリーダーには大勢がついて行かねえし、反乱も起こすしな。

 乾さんは知らねえ奴だが、俺の世界にも武装蜂起された路地裏不良ヘッドとか居たわ」

 

「お前絵に描いたような不良少年してんな……」

 

 人類史が何千年・何万年あったかは定かでないが、その間一度もオルフェノクは地上の覇権を取っていない。それはそのまま、"オルフェノクの王が現れたことがない"という証明になる。

 オルフェノクが一丸となって人類の駆逐に成功したことはまだ一度もない。

 一丸になれたことがそもそもない。

 今、人間を守るオルフェノクが一定数居ることからもそれは明白だろう。

 

 今のオルフェノク達は、王無き烏合の衆なのだ。

 

「あ、乾さん、昨日の木場がテレビ映ってるぜ」

 

「お、マジかよ。録画しようぜ録画」

 

「え? 臭いセリフ言ってたら記録しといて後で軽くからかおうって? 乾さんも人が悪ぃ……」

 

「そこまで言ってねえよ」

 

 準ハッタリヤンキーな二人がたくあんをかじりながら、二人きりでテレビ画面の木場を眺め始めた。

 

『皆様、これは現実の出来事です! ご覧ください!

 馬のオルフェノクが、一人で複数のオルフェノクを相手取っています!』

 

『皆逃げて! テレビの人も、早く! 俺一人じゃ、抑えきれないんだ!』

 

『ありがとう親切なお馬さん……!』

『クソ、近寄んなクソ馬!

 お前もどうせ油断させて人間襲おうとしてるんだろ!

 俺はてめえの演技なんかに騙されねえからな! ざまあみろ!』

『ハッ、まさかこの人が私が待ち望んでいた白馬の王子様……?』

 

 数体のオルフェノクを敵に回しても、木場は互角に戦えている。

 逃げ惑う市民、撮影に励むテレビの人間、その全てを守りながら、である。

 木場を罵る者、木場に感謝する者。

 木場を信じる者、木場を信じない者。

 木場に何の迷惑もかけない者から、この場を撮影のため動かない者、あるいは腰が抜けて動けずに木場に迷惑をかけてしまう者まで、多様な人間全てを、木場は守り抜いていた。

 

「木場、いいやつだな」

 

「俺も乾さんも、こう、赤の他人にこっ恥ずかしい善意のセリフ言うと照れ入るしな」

 

「あいつに照れはねえのか」

 

「心はあるんじゃね?

 乾さんと違って、ほら……木場は人間の悪いところ超嫌悪してるしさ」

 

 テレビ画面の中で、木場が自分を罵倒する人間を庇って敵の攻撃を受けてしまう。

 

『近寄るな馬の化物! お前になんか触られたくないんだよ!』

 

『……っ! あなたがオルフェノクである俺を嫌ってもいい。

 俺のことを恐れてもいい。でも、生きて欲しい。

 嫌いで嫌いで仕方なくても、今は俺の願いを聞いてくれ! 生きて欲しいんだ!』

 

『―――っ』

 

 言葉に詰まった木場に敵対的な人間を、テレビ局の人が無理やり手を引き、避難させていた。

 

「あれ素で言ってんだぜ、木場」

「あれを素で言えるから木場なんだと俺は思うんだよ、乾さん」

 

 巧は自分が他人を裏切ってしまうことを恐れる人間で、木場は他人が自分を裏切ることを恐れる人間である。

 だからこそ巧は一匹狼で、人と関わることを進んでしない性情になったのだが、木場はむしろそこから人に関わる自分を――人を守る自分を――選んだ。

 

 それは脆くとも尊い意志で、儚くも勇気のある決断だった。

 

「しかしアレだな、木場と草加が同じことで喜んでるの面白いと思わないか、長瀬」

 

「おいおい、そんなの同意するしかねえじゃねえか乾さん」

 

 テレビの中で木場が敵オルフェノクを撃退し、人々から賞賛と批判の両方を浴びせかけられる。 木場は人々の声から逃げるように駆け出し、そこで記録映像の放映は終わり、テレビ画面はスタジオに戻された。

 こういった光景がそこかしこにあるのが今の日本だ。

 現在の日本の形に対し、木場と草加は正反対の思考で、同様に喜びの感情を抱いていた。

 

 草加はこの流れで、人間が一丸となりオルフェノクの排除に動くと考えていた。

 草加は人間が排他的で、性格が悪く、自分よりも優れた生物種を許せず、オルフェノクの危険性を無視できないはずだと考えていたからだ。

 何故なら、自分がそういう人間だからである。

 

 木場はこの流れで、人間がオルフェノクを徐々に受け入れてくれると考えていた。

 木場は人間がある程度の寛容さを持ち、人とオルフェノクの差もいずれは受け入れられ、話し合うことで分かり合えると考えていたからだ。

 何故なら、自分がそういう人間だからである。

 

 だから、草加と木場は正反対の信念と目的を持っているくせに、このあやふやな世界情勢を同様に喜んでいた。

 

「ちょっと笑うな。真理と啓太郎が居たら変な顔しそうだ」

 

「俺の世界だったら『草加生えるわ』とか動画にコメントされてそうだ」

 

「ネットスラングか? 世界が違うんだから分かるように話せよ」

 

「悪ぃ」

 

 巧と長瀬がたくあんをかじる。

 今この隠れ家には巧・長瀬・照夫しか居ないが、草加と木場が居たらどうなっていたことやら。

 

「この流れでオルフェノクと人間の戦争が始まる、って草加は思ってる。

 オルフェノクと人間は和解できる、って木場は思ってる。

 だけどよ、なんか……

 人間と人間の戦い、オルフェノクとオルフェノクの戦いが同時に始まってる気がしねえか?」

 

「……かもしれねえけど、それも乾さんのただの予想だろ?」

 

「まあな」

 

 "何でオルフェノクの危険性が分からないんだ"と他の人間を憎んでいる人間が居る。

 "何故同じ人間であるのに寛容になれないんだ"と他の人間を憎んでいる人間が居る。

 "好き勝手生きて何が悪い"と人の心を失ったオルフェノクが言う。

 "人の心を失ったオルフェノクは殺す以外にない"と人の心持つオルフェノクが言う。

 

 皆が皆、主張はバラバラ、陣営もバラバラ。

 長瀬は個々人の主張を頭の中で整理している内に、ふと気付く。

 "ああ、こりゃスマートブレインが都合のいい流れ作ってんのかな?"と。

 少なくとも、オルフェノクの迫害はしばらく始まりそうになかった。

 

「お、メールだ。長瀬、こっち来い」

 

「どっすか皆の状況は」

 

「海堂は排気口から怪しい施設に侵入。

 草加は何か見つけたが夕方に帰ってから話するってよ。

 木場は……ちょっと暴れてるオルフェノクを見つけて、手間取っちまったらしい」

 

「妙なものを見つけた、って情報がいくつもの場所で見つかると厄介だよなー。

 俺達の最大の弱点は、片手で数えられるくらいしか仲間がいないってことだろうよ」

 

 数日前、長瀬の手元にテレビ局から情報が届いた。

 曰く、視聴者からの通報で、スマートブレインが一部施設に厳重に警備された何かを運び込み、深夜には警察と銃撃戦を行っていた、というのだ。

 それも関東の複数箇所で。

 

 何かが起きている、何かが起こされようとしている、そんな気配がある。

 けれどそれが何かが分からない。

 長瀬達は探りを入れることを決め、照夫の護衛担当と調査担当を分担し、調査担当の木場・草加・海堂がこっそりとスマートブレインの施設に探りを入れていた。

 

 人間の情報提供者がくれた情報には草加が対応。

 オルフェノクの情報提供者がくれた情報には木場が対応。

 匿名の情報提供者がくれた情報には、狭い場所に入ってこっそり確認できる海堂が対応。

 警察やスマートブレインの罠の可能性も考慮し、ちょっとでも何かを感じたら即時全員撤退という前提での行動である。

 

「長瀬、勘でいい。今回のこれはどういうことだと思う?」

 

「25%の確率で、俺らを施設に誘き寄せて叩く罠。

 25%の確率で、俺らを分断してから叩く罠。

 残る五割は本当に何かが始まってて、俺達が何も知れてないっていう可能性だな」

 

「そんなもんか」

 

 罠の可能性も考慮して、照夫の警護に付いていた長瀬と巧。

 巧は慣れた様子だが、長瀬は仲間が敵の罠にかかっていないか、仲間が少ないこのタイミングで敵が攻めて来ないか、色々と心配で気が気でない。

 長瀬が頭を掻いていると、寝ぼけまなこの照夫が遅めに起床してくる。

 その頃には巧も味噌汁を飲み終わっていた。

 

「おあよー……」

 

「寝坊助野郎め。お前今何時だと思ってんだ」

 

「うっさいばーか……ヒロキのばーか……」

 

「うわすっげえ眠そうな声。顔洗ってこい顔」

 

「そうする……」

 

 むにゃむにゃと、照夫がキッチンの水道で顔を洗い始める。

 巧はテレビを見ていたが、ふと顔を横に向け、席を立ち窓の外を覗き始めた。

 

「長瀬、お客さんだ」

 

「! スマートブレインか? 警察か?」

 

「……中学生の女の子に見えるな。同行者は、今のところ居ないように見える」

 

「女の子? それなら敵じゃない……いや、オルフェノクなら、子供でも脅威か」

 

 隠れ家に、女の子が近付いてくる。

 長瀬は女の子が隠れ家の入り口を視界に入れる前に、ドアを半開きにした。

 女の子は隠れ家のインターホンを鳴らし、ドアが半開きになっているのを見て、少し悩んだようだが意を決して恐る恐る家へと入る。

 

 長瀬はその子の背後から首を極め、耳元でデルタの雷撃をバチッと鳴らした。

 首という急所に腕を回され、耳元の電気音からスタンガンの類を連想したのか、女の子の姿勢が硬くなった。

 

「動くな」

 

「わひゃっ」

 

「何が目的だ? ここがどこだか分かってんのか?」

 

「分かってます、分かってますよ! オルフェノクの王様に会いに来たんです!」

 

 オルフェノクの王。

 それは、まだ一般には広く知られていないし、長瀬もテレビに教えていない存在だ。

 それを知っているという時点で、なんらかの警察組織かオルフェノクの関係者であることは、語るまでもなく明白である。

 

「私の父が警察の関係者で、王様の隠れてる地域候補のリストってのがあって!

 それを頼りに私が個人的に調べてたら、偶然見つかったんです! 本当です!」

 

「本当だな?」

 

「それにほら、私オルフェノクですから!

 王様って言うなら、オルフェノクの味方なんですよね!? 私も王様の味方ですよ!」

 

「……何?」

 

 自分がオルフェノクであることを名乗る?

 警察関係者の身内のくせにオルフェノク?

 いや、そもそもの話、()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()

 

「私王様に、殺して欲しくてここに来たんです!」

 

 オルフェノクの王の敵ではなく、王を利用しようとする者でもなく、王の守護者でもなく。

 

 例えるならば、王に捧げられる人柱として、彼女は照夫の前に現れた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 彼女は、ショウリョウバッタのオルフェノクであった。名をエミリと言う。

 

「エミリ。エミリって呼んで。私の名前はそれだけ覚えてればいいよ、王様」

 

「う、うん」

 

「しかしちっちゃいね、王様」

 

「うっ……ば、バーカ!」

 

「うーん、外見的にも精神的にも小学生かぁ……いや私も二年前までは小学生だったけど」

 

 中学生女子が小学生男子の頭を撫でている光景は、なんというか微笑ましい。

 両方オルフェノクなのだが、まあそれは置いておこう。

 

 エミリは今難しい立ち位置に居る己の身の上を語った。

 彼女は警察の、それも話に聞く限りではオルフェノクに対応する機関のメンバーの娘である。

 現在、警察は全体の指針としては犯罪を犯したオルフェノクのみを攻撃している。オルフェノクに対する対応も、人間の犯罪者に対応するマニュアルの流用だ。

 だが、秘密機関の方は違う。

 こちらは真っ昼間から銃をぶっ放し、罪がなくともオルフェノクは確保し、法の範疇をぶっちぎってオルフェノクの人体実験を行っていた。

 

 半ば国や警察の制御を外れている過激派なのだ、この機関は。

 当然メンバーの娘がオルフェノクとなったなら、そこに問題が発生する。

 

(わたし)がオルフェノクだと発覚したら、すぐ大変な事になります。そういうルールなんです」

 

 メンバーである父が異動、免職になる程度なら良い。

 娘を実験材料として誘拐される程度ならまだ平均的。

 最悪、父を人質にして娘が逃げられないようにするくらいはするだろう。

 過激派は、そのくらいはする。

 彼らのオルフェノクに対する攻撃性は本物だ。

 

「その前に、私は死んでおかないと……

 お父さんに迷惑がかかるか、最悪お父さんが罪悪感で自殺しちゃう可能性だって……」

 

 で、あるからして、娘が死を選ぶのはさして変なことでもない。

 献身的で痛ましい慈愛の心、家族を愛する娘の心が、話を聞いていた彼らの胸を打つ。

 だが長瀬は、その言葉を額面通りには受け取れなかった。

 

「本当にそうか?」

 

「え?」

 

「人間がそんな簡単に死を選べるわけがねえ。

 適当に自分の命を捨てられるわけがねえ。

 死を選べたとしても、ちっとは不安や恐怖があるはずだ。

 お前はなんというか……死にたいから死のうとしてる、ように見える」

 

 長瀬に人並み以上の観察力があるから気付けたのか? いや、違う。

 "それだけを理由に生きることを諦められるわけがない"という決めつけ、"生はそんな簡単に諦められるものであって欲しくない"という願望。

 その二つが、長瀬にエミリの言葉を疑わせた。

 運が良いのか悪いのか、その洞察は正解だった。

 

「……うん。

 私、死んじゃいたいんだ。

 人の命は一個しかないから良いもので、蘇るのは何か、違うと思うんだ。それが私の命でも」

 

 エミリは語るつもりがなかった内心を、長瀬の追求によってついつい漏らしてしまう。

 

「私は生きていたくない。

 でもこのまま、何もなく、無為に死にたくなかった。何か意味が欲しかった」

 

「……お前、王に()()()()()()()のか。

 意味のある死が何か考えて、それで出した答えがそれか」

 

「意味のある生も要らない。意味のない死も要らない。

 ただ、ちゃんと終わりたいの。

 他のオルフェノクがどうか知らないけど、私はこの醜い延長戦をちゃんと終わらせたい」

 

 この少女にとって、オルフェノクとして生きている今の自分は、ゾンビにしか見えなかった。

 

「随分スレてるというか、達観してんな。第二の人生楽しんだっていいだろうに」

 

「『死んで』心がどこも壊れない人って、それだけで特別じゃないかな」

 

「……」

 

「私は特別じゃなかった。特別な存在で居たいとも思わない。嫌なの、今の自分の生が」

 

 少女は苦悩していない。

 少女は迷ってすらいない。

 一度確かな死を迎え、オルフェノクとして蘇った彼女は『それはない』と確固たる想いを抱き、今の自分の生を否定するようになった。

 そしてオルフェノクの王様に会うことで、何か意味のある死を求めたのだ。

 

 意味なく死にたくない。

 誰かの死を意味のないものにしたくない。

 皆の死が意味のあるものだと信じたい。

 そういう風に、『無価値な死』を否定したがる人間は一定数居る。

 巧や、長瀬や、エミリがまさにそれだった。

 

「生きていたくないのか」

 

「はい、私はそーです。

 どうしてもというなら、意味ある死の方は妥協して諦めます。

 でも生きてるのはやだな。私気分的には、老衰死直前の老人みたいなものだから」

 

「殺して欲しいのか?」

 

「できれば意味ある形でね」

 

 生きるか死ぬかを選ぶことはない。

 死ぬことだけはもう決めているから、彼女はどう死ぬかだけを選ぶのだ。

 照夫はそんな彼女の願いを、猛烈に拒絶した。

 

「……や、やだよ。僕は、オルフェノクなんて食べない。人間も殺さない」

 

「私は人間判定? オルフェノク判定?」

 

「どっちでも殺したりしない。

 僕は……人間の仲間も、オルフェノクの仲間も居るんだ」

 

 照夫は長瀬と巧の服の裾を掴んで、ぎゅっと握った。

 長瀬と巧が暖かな感情を顔に浮かべて、エミリは何故か嬉しそうな顔をする。

 "私達の王様が良い人でよかった"と、彼女の中のオルフェノクとしての部分が安堵する。

 

「照夫君は優しい子なんだね」

 

「ふぇ? い、いやいや! 僕が優しくなんてないよ!」

 

 照夫は中学生のお姉さんに頭を撫でられ、顔を赤くした。

 男子高校生・長瀬の非鈍感センサーが、何やら甘酸っぱいものをピキーンと察知する。

 鈍感フリーター主人公タイプの巧は何も気付かなかった。

 

(照夫に春が来たのか、これ? いや分からん、確証が持てない)

 

 もしそうなら、これが照夫の初恋になるのかもしれない。

 不謹慎ながらも、長瀬は他人の色恋事案にちょっとばかりワクワクしていた。

 

(だけど、そうだな。

 オルフェノクにだって誰かに恋をしたり、好きになったりする権利はある)

 

 人でないものが恋をして何が悪いのか。誰かを好きになって何が悪いのか。

 長瀬は"そういうもの"の肯定者でもある。

 怪物の恋も、異形の愛も、それが"死体だから愛せる"といったような歪んだものでも、長瀬は心情的に否定できない。否定することはないのだ。

 

「なあ、エミリって言ったかお前」

 

「はいな、私の名前はエミリで合ってます」

 

「お前さ―――」

 

 その瞬間。

 

 飛んで来た銃弾を長瀬が放った雷撃が叩き落とせた理由は、10%の幸運と90%の偶然だった。

 直感的に、何かが飛んで来たことを察知したがゆえの迎撃。

 おそらく長瀬の生涯で二回と見れない、偶然と幸運に恵まれたがための神業であった。

 

「!?」

 

「あっれー、当たらないなあ。やっぱこういうオモチャはつまんないや」

 

 銃を撃ったのは、エミリと同年代の少年だった。

 銃には正確に射撃するための姿勢というものがある。

 だがその少年は、そういった姿勢を一切取らず、銃は上下逆さまにして小指で引き金を引き、照準を合わせるという行為を一切していなかった。

 していなかったのに、銃弾は見事命中する軌道を通っていた。

 それこそが異常。

 異常な構えと撃ち方から正常な弾道が放たれたという異常だ。

 

 それすなわち、この少年が一切の理を用いず、感覚だけで銃弾を当てられたということを意味していた。

 少年は、何も持っていない手の平を長瀬達に向ける。

 

「避けろッ!」

 

 迫る死を、巧と長瀬だけが察知した。

 長瀬が照夫を、巧がエミリを抱えて跳ぶ。

 すると、彼らを狙って飛んだ『何か』が流れ弾として隠れ家へと衝突し、そのど真ん中を筒状に抉り、灰状に崩壊させていった。

 

 照夫とエミリが目を白黒させ、絶句する。

 少年が生身で放った今の物質は、『物質消滅化細胞』と名付けられていた。

 

「なにこれ!?」

 

「さ、本番開始だ。君達も早く変身するといいよ」

 

 攻撃してきた少年が、邪悪に笑う。

 加虐性に満ちた笑み。

 残虐性に満ちた笑み。

 攻撃性に満ちた笑み。

 少年の周囲に在った全ての命が身の危険を感じ、羽虫は飛び去り、アリは巣を捨て逃げ、鳥犬猫が一目散に逃げ出していく。

 

 少年の容姿が、ドラゴンオルフェノクへと変貌していた。

 

「ドラゴンオルフェノク……! なんでここが分かった!?」

 

 ゆったりと、ドラゴンオルフェノクが歩く。

 その足が踏みつけた地面が、ただそれだけで『即死』に至り、ドラゴンオルフェノクの足の形に灰化していた。

 ドラゴンオルフェノクは肩を竦める。

 

「今、スマートブレインは警察を手中に収めておきたいんだよね。

 だからほら、警察のアレな機関の人達の家族、皆さらって人質にしようって話があってさ」

 

 ねっとりとした話し方が、人の心に絶望と脅威の実感を塗り込めていく。

 

「でも、まさか君達が見つかるなんてね。

 僕は結構運が良いみたいだ。

 人さらいなんて面倒臭いことはやりたくなかったから、その子は殺すつもりだったし」

 

「……っ!」

 

 要はこのドラゴンオルフェノク、警察の家族を全員人質に取ってしまえというスマートブレインの大きな計画の過程で、偶然彼らを見つけてしまったということだ。

 なんという幸運か。

 生物的強者は豪運も備えているものだとは言うが、これは流石に度が過ぎている。

 無軌道に歩いているだけで敵を見つけられそうだ、と思えるレベルだ。

 

「変身!」

 

《 Standing by 》

 

《 Complete 》

 

 巧と長瀬の反応は早い。

 二人は素早く変身を終え、照夫とエミリを庇い立った。

 

「逃げろ! こいつはお前らを庇いながら守れる相手じゃない!」

 

「で、でも」

 

 ドラゴンオルフェノクに殴り掛かるデルタだが、ドラゴンは「軽いなぁ」の一言で拳を受け止めて、逆にデルタを殴り飛ばす。

 吹っ飛んだ長瀬(デルタ)が金属製のポールにぶつかり、ポールがひしゃげてその衝撃が地面を揺らした。

 

「ぐああっ! 逃げろ、照夫!」

 

 逃げろ、と言われてもどっちに逃げれば良いのかさえ分からない。

 右か? 左か? おろおろしている照夫の手を引き、走り出したのはエミリだった。

 

「走って照夫君!」

 

「う、うん!」

 

 もはや照夫の護衛に誰かを付ける、なんて余裕はない。

 アクセルフォームを上回るドラゴンオルフェノクに、皆で仲良く背中を見せれば、即追いつかれて全員まとめて八つ裂きだ。

 逃がす役と足止め役が居なければ、照夫を逃がすことさえ叶わない。

 

「逃さないよ。ファイズやデルタも悪くないけど……

 今日の僕は、王様と遊んでもらいたい気分なんだよね」

 

「長瀬、合わせろ!」

「ああ、行くぜ乾さん!」

 

 ドラゴンオルフェノクは重装甲と豪腕を活かし、ファイズとデルタの連携をものともせずに蹴散らしていく。

 その腕の一振りを例えるならば、戦闘機の速度で体当りする戦車の如し。

 

「くっ」

「ぐあっ!」

 

「警察だ! 動くなオルフェノク!」

「総員、銃構え!」

「腕の武装じみた箇所は避け、胴を狙え!」

 

 照夫達が逃げ、ドラゴンの力を振るう北崎がそれを追ったせいで、警察までもが戦いに介入を始めてくる。戦場は街の一角へと移行した。

 だが、ライダーズギアですら壁や路面にめり込まされているこの戦場で、通常兵器しか持たない人間に抗うすべなどない。

 

「撃てぇっ!」

 

「あーあ、萎える雑魚が出て来ちゃったなあ」

 

 ドラゴンオルフェノクの表皮に銃弾が当たり、それらが弾かれ、弾かれた直後に灰化する。

 警官達は目を剥いた。

 何故、金属が灰になる?

 これこそが、北崎の持つ無数の固有能力の中でも最も恐ろしいものだ。

 

 北崎に触れた物は灰化する。

 生物・物質問わず灰化する。

 北崎はあまりにも強すぎるため、この能力を自分で制御することができず、触れたものを片っ端から強制的に灰化してしまう。

 ラッキークローバーのような最上級オルフェノクであっても、これをレジストし無効化することは不可能。ライダーズギアでさえも完全無効は不可能という代物であった。

 

 北崎に触れれば、銃弾ですら灰になる。

 警官達の必死の迎撃も虚しく、北崎は銃弾の中を突っ切り、腕を振る。

 腕に触れた警官が5、6人まとめてぐちゃぐちゃのミンチに変わり、灰化した。

 

 北崎の怪物性に残りの警官も思わず怯む。

 更に北崎が目と鼻の先で『人間の姿』に戻ったことで、警官は全員呆けてしまった。

 予想できない北崎の行動に皆の動きが止まる。

 状況を理解しようとし、最適な行動を取ろうとする"当たり前の思考"が警官達にある限り、彼らは北崎に対応できない。

 

 北崎は、ただ気まぐれで、ただ最強である、それだけのオルフェノクなのだから。

 

「はい、終わり」

 

 北崎は人間の姿で警官隊に突っ込み、両の手を振るう。

 砂で出来た脆い城を、子供が笑いながらはたいて壊すように、北崎は数十人の警官を灰にした。無邪気に、無造作に、素手で叩いて、砕いて散らして灰にした。

 しゃらりと、路面に人間だった灰が積み上がる。

 残り数人の警官は、現実を受け入れられず自分の目を疑った。

 

「―――は?」

 

「もしかして、人間(きみたち)さ」

 

 北崎のような、『最も強い者』の一角に数えられるオルフェノクであれば。

 人間と違う姿を人に見せ付けなくてもいい。

 人間の姿のまま異能を行使すればいい。

 北崎ならば人間と同じ姿のまま、格の違いを見せつけられる。

 「これが人間と共存するなんて不可能だ」「だって、あまりにも強すぎる」「恐ろしい」と人間にひと目で理解させ、その心を折ることができる。

 

「僕を同種の延長線上に居ると思ってない? 僕と君達、絶対的に同格ではないんだけどな」

 

 電柱の根本に北崎が触れると、根本が灰化し電柱が倒れる。

 倒れた電柱に残りの警官数人も潰され、あえなく警官隊は全滅した。

 エミリに手を引かれ逃げる照夫の後を追い、再度変身したドラゴンオルフェノクはとうとう人が多く居る街の区画に入ってしまう。

 

「わあああああっ!」

「オルフェノクだ! 逃げろ!」

「あいつらやっぱ……化物で……ごぶっ、げほっ」

 

 殺戮、惨劇、虐殺、それら全ての表現が生温いほどの破壊が始まった。

 竜の角から雷が迸り、人も物も砕けていく。

 物理的に砕くのみならず、雷撃は物質を伝い、着弾点から離れた場所に居た者も感電死させる。

 物質消滅化細胞は壁や建物に隠れた人間も容易に撃ち抜く。

 どこに隠れようが、生き残ることなどできようもない。

 そして、追いつかれれば殴られる。

 殴られれば当然死に、撫でるように触れるだけでも、人は全て灰になった。

 

「ひっ……こ、来ないで、化物っ!」

 

 OLらしき成人女性にドラゴンオルフェノクが手を伸ばし、その手を満身創痍のデルタが銃撃にて弾く。

 

「やめろぉッ!」

 

 光弾はドラゴンの手を大して動かせもしなかったが、長瀬の叫びと合わせて北崎の気を引くことには成功したようだ。

 擦り傷だらけのデルタが、ドラゴンを止めるべくがむしゃらに引き金を引き、襲われていた女性は脇目もふらず駆け出し逃げた。

 

「テメエ、無意味に殺してんじゃねえ!」

 

「そうかなぁ? 大抵の場合、殺しに意味なんてないよ。

 カッとなって人間が人間が殺した時、その殺しに意味なんて無いじゃない?」

 

 北崎は笑う。

 殺害に意味はなく、死に意味はなく、自分以外の全ての命に意味がないとでも言わんばかりの声色で笑う。

 逃げる照夫は、その声を遠くに聞き、肌を泡立たせた。

 "お前は生まれてきたことが罪だ"と言われ慣れた照夫ですら、"君の命に意味は無い"という強烈な意志がこもった北崎の声は、とてつもなくおぞましく感じられてしまう。

 

 ドラゴンオルフェノクは瞬時に竜人態へと変わって高速移動でデルタに接近し、至近距離で豪腕の魔人態へと変わり、デルタの腹を殴り飛ばした。

 長瀬の胃の内容物が逆流しかける。

 

「うぐあっ!」

 

《 Start up 》

 

 長瀬が殴り倒されている間に、巧はファイズ・アクセルフォームで千倍加速の救助活動を実行していた。

 アクセルフォームの限界時間は10秒、千倍ならば単純計算で二時間半以上はある。

 時間加速ではないためにそこまで都合良くはいかないが、それでも巧一人だけで、この近辺の人間を全員避難させるには十分だった。

 

《 3 2 1 Time out 》

 

 フラフラと立ち上がるデルタへ追撃するドラゴンの魔爪を、割って入ったファイズが赤く輝く剣にて受け止めるものの、そこであえなく時間切れ。

 

《 Reformation 》

 

 ファイズの切り札たるアクセルフォームの残り時間は、露と消えてしまった。

 

「いいの? それ、連発できる力じゃないだろうに、僕を倒すのに使わないなんて」

 

「お前に山ほど殺されるよりはマシだ」

 

 巧がドラゴンの右脇へ切りかかり、それを囮として何者かが、反対側からドラゴンの左側頭部へと殴り掛かる。

 北崎は苦もなく、二方向からの攻撃を両方受け止めた。

 

「へえ、人型に変形するバイクか」

 

 ファイズが愛用するバイク・オートバジンは人型に変形可能なバリアブルビークルである。

 人型に変更すれば、自前のAIでファイズを守る鋼鉄の兵士と成るのだ。

 理論上、黄金に見えるほどに高められた最高質のフォトンブラッドを用いたライダーズギアをもってしても、オートバジンの腕力には敵わない。

 オートバジンはそういう風に作られている。

 その上で、ドラゴンオルフェノクの腕力には敵わない。

 

 ゆえに、ファイズは連携で攻めた。

 ファイズはバジンに殴らせつつ、バジンの巨体を影にして攻める。

 

(ふぅん)

 

 ファイズが右からバジンの背後に回れば、バジンが邪魔で北崎はファイズの姿を見失う。

 右から出るか? 左から出るか?

 巧は北崎に二択を強いて、時にバジンを飛び越えて上から、時にバジンの股下をくぐるようにして下から、ドラゴンオルフェノクを攻め立てた。

 

「乾さん!」

 

 更にそこにデルタの援護射撃が加わる。

 バジンがドラゴンの腕を掴み止め、デルタの光弾がドラゴンの顔面に当たり視界を塞いだその瞬間に、ファイズは既に北崎の背後を取っていた。

 

《 Exceed Charge 》

 

 ファイズの握るパンチングユニットが、炸裂と同時に火を吹いた。

 赤きフォトンブラッドが熱と毒にて竜の肌を焼く。

 狙うは、強力過ぎるために多くの格闘技で禁止されている、腎臓部位へ衝撃が伝わる背面打ち……すなわち、キドニーブローであった。

 

「ダメだなぁ、そんなんじゃ百回打ち込んでも僕は殺せないよ」

 

 だが、届かない。

 人間を超越し、オルフェノクさえ超越した、最上級オルフェノクでも持ち合わせていないであろう超反応。もはや異次元の存在という表現すらおこがましい。

 ドラゴンオルフェノクは、背中とファイズの攻撃の間に自分の腕を挟み込むだけの一動作にて、ファイズ必殺の攻撃を遮断していた。

 

「まだまだァ!」

 

 長瀬がまた引き金を連続で引き始めた頃、エミリは照夫の手を引き走っていた。

 目指す場所なんて無い。

 安全な目的なんて無い。

 ただひたすらに、ドラゴンオルフェノクから離れることだけを志向した逃走だ。

 

 風に乗って人だった灰、建造物だった灰が彼女らを追い越していく。

 直接死体は見えずとも、灰の量だけで『北崎がどれだけ破壊し、殺したのか』を察することは容易であった。

 

「信じらんない、何アイツ……!? 照夫君、走るのもっと頑張って!」

 

「わ、分かった!」

 

 走って、休憩して、走って、また休憩して。

 年齢一桁の照夫と小柄なエミリでは、いつまでも走り続けることなどできない。

 休み休み逃げ続け、北崎の姿を最後に見た時からもう一時間は経っただろうか。

 電気店の店頭ラジオが緊急ニュースを垂れ流し、ドラゴンオルフェノクの大暴れがまだ続いているということを教えてくれる。

 

「意味も無い殺戮、意味の無い死……なんて、酷い」

 

 エミリは意味のある死を求めて王に会いに来ただけあって、北崎の無意味な殺戮を、無意味な一般人の死を、耐え難い苦痛として受け止めているようだ。

 本気の同情が、本気の悲しみが、本気の義憤が垣間見える。

 だが照夫は、その義憤を否定した。

 

「違う。意味があったって殺すのは悪いことだよ。

 意味があっても無くても、死ぬのは悲しいことだよ」

 

「……そうかもね。うん、照夫君はいい子だ」

 

 意味の無い殺戮と死は悲劇。だがそうでなくとも、殺人と死は悲劇となるものだ。

 長瀬の考え方は、多少なりと照夫に伝わっているようだ。

 照夫が垣間見せた確固たる死生観に、エミリは思わず微笑んで、少年の頭を撫でる。

 

「ねえ、エミリ」

 

「なぁに?」

 

「なんで……僕に()()()()()()()の? それって、意味のある死なの?」

 

「そりゃもう、意味のある死よ。殺すんじゃなくて、食べるんだから」

 

 文明の発達と共に、人間が獲得し、喪失し、変性した価値観がある。

 それが、『捕食と殺害』だ。

 生き物が生き物を食らうのは自然の摂理だが、人間はいつしか殺人よりも被捕食を身近なものに感じなくなり、殺人よりも食人を忌避するようになった。

 意味の無い殺人はあっても、意味の無い捕食など無いというのに。

 

「私、ご飯の前にはちゃんと元になった動物や植物に感謝してる。君はしてないの?」

 

「いただきますは言ってるよ」

 

「よろしい。ま、普通に生きてる分にはそれで十分よ。

 生き物は皆食べたり食べられたりしながら生きてる。例外はほとんどナシ」

 

「うん」

 

「食べるっていうのは、生きるってこと。

 食べるっていうのは、他の命を犠牲にして自分の命を続けること。

 食べるっていうのは、食べられた命が、食べた命の一部になるっていうこと」

 

 食べるということは、命が繋がるということだ。それが、どんなにグロテスクでも。

 

「自分で首を吊るより、そういうサイクルの一つになった方が、意味のある死でしょ?」

 

「……エミリはそれでいいの? 怖くないの?」

 

「怖くないわけじゃないよ。

 でも私は、『こんな怪物(オルフェノク)』になって生きてる、今の自分の方が怖い。

 人の心なんて次の瞬間にはなくなっていそうで、気が付けば人を殺しそう」

 

「……!」

 

「私は意味もなく死にたくないけど……

 でも、私がオルフェノクになってしまったら……

 きっと、駄菓子を食べるように人を殺してしまう。

 それで殺された人はどうなるの? その死は、本当に無意味なんじゃないの?」

 

 快楽殺人の被害者の死に、何の意味があろうか。

 オルフェノクの殺害を生殖と解釈すればまだ意味のある死と取れなくもないが、それでもレイプの結果としての殺害と変わりはない。

 その解釈でも、オルフェノクの殺害は性欲の発散でしかないからだ。

 

 ただここでもまた、照夫はエミリとは違う価値観、違う解釈を持っていた。

 

「違う。オルフェノクに殺されたその人達も、きっと、意味もなく死んでなんてないよ」

 

「意味? 例えば私がオルフェノクとして誰かを衝動的に殺して、その死に意味はあるの?」

 

「意味はある。きっとそう言う人が居る。僕はその人の言葉を信じてる」

 

「それは、誰?」

 

「乾巧さん……ファイズだよ」

 

 照夫を守る者達の中で、最も『中心人物』という呼称が似合うのは誰だろうか?

 共存の理想を掲げる木場か?

 決別の目標を掲げる草加か?

 照夫に誰よりも慕われる海堂か?

 いいや、違う。

 巧だ。ファイズだ。いつからか、何故か、彼らはそういう集団になっていた。

 

 巧の周りに人間の仲間が集まり、文句を言いながら草加が加わり、紆余曲折を経て木場が巧の隣りに座って、木場の仲間がそれに続いて……いつの間にか、そうなっていた。

 

「意味のある死なんてわざわざ探さなくてもいいんだよ、きっと。

 どこかに、誰か……その死を、意味のあるものにしてくれる人が居る限り。

 乾さんが言ってたんだ。

 色んな人、色んなオルフェノクと出会って、何人も死んだ。

 でも、その人達の中に意味無く死んだ人なんて、居ないって。乾さんはそう信じてる」

 

 誰もが死ぬ。いつかは死ぬ。争いの中で死ぬ。乾巧の前で死ぬ。

 

「誰かが死ぬたび強く、強く、『次こそは必ず守ってみせる』って思うようになったんだって」

 

 乾巧は、死を越えるたびに強くなった。力ではなく、その心が。

 

「生き残った人が、その死を無意味にしないと誓うんだ。

 死んだ人に、"無意味にしない"って約束するんだ。

 残された方の人が、その死を無意味にしない生き方を選ぶんだ」

 

「……それは、死んだ人の心構えじゃなくて、生きる人の心構えね」

 

「うん。僕もそう考えられる男になれたらいいなって」

 

 エミリは照夫の言葉に、雰囲気に、意志に、年齢不相応の重みを感じる。

 照夫の小さな体の向こう側に、エミリは何人もの男達の影を見た。

 

 海堂の蛇のような柔軟さ。

 木場の目標に向け止まらず突っ走る馬のような真っ直ぐさ。

 草加の諦めの悪さと、揺らがない信念の頑強さ。

 巧の優しさ、万事を受け止めて進み続ける心の強さ。

 そして、長瀬が世界を越えて持ち込んだ『凄惨さを下地とする死生観』。

 

 照夫は多くを見て、多くを聞き、多くを学んだ。

 小さくとも確かな成長を重ねてきた。

 今の彼には、いつか『王』に相応しい男と成り得る者の片鱗がある。

 

「照夫君もそういう風に志して生きているの?」

 

「僕じゃまだ無理だよ。

 だって僕、まだ守られてるだけの子供で、乾さん達みたいになれない」

 

 でもいつかはなりたい、と照夫は言う。

 そういうかっこいい男になるんだ、と照夫は言う。

 照夫は少し照れた様子で、うっすら頬を赤くして、チラチラと――こっそりと――エミリの顔色を伺う。というか、反応を窺っていた。

 

 エミリは照夫の挙動から、照夫の内心に気付いてしまう。

 要するに、照夫は好きな女の子の前だからカッコつけてるのだ。

 カッコつけて、好ましく思っている男達の真似をして、自分をそう変えようとしている。

 "女の子の前でカッコつける"という一行為が、照夫の中にあった成長の断片を繋ぎ合わせ、照夫に新たな成長をもたらそうとしていた。

 なんとまあ、不純と言うべきか、子供らしいと言うべきか。

 

 だが、それもまた良し。

 女の子の前でカッコつけようとすることも、立派でかっこいい自分になろうとすることも、真っ当な男の成長の一つであるのだから。

 

「照夫君もそういう男になれたら、とっても分かりやすいよね。

 だってそうじゃない?

 女の子な私は、君達男の子とは全然違う考え方をしてるってことだもの」

 

「そうかな? えへへ」

 

「ね、照夫君」

 

 男の子の中でも希少な考えを持つ照夫に、女の子の中でも希少な考えを持つエミリが手を差し伸べる。

 

「私が君の前で死んだら、君は私のことをずっと忘れないでいてくれる?」

 

 エミリの手が、照夫の手を取る。

 

「私の死が、私の存在が、君の中に残ってくれたらいいな」

 

 握る強さが、そのままエミリの気持ち。

 

「死なないで」

 

 照夫もまた、エミリの手を握り返した。

 

「死ぬことは悲しいことだよ。

 僕が死んだら、ナオヤやヒロキはいっぱい悲しむ。

 だから僕は絶対死なない。エミリも死んじゃったら、僕が悲しいよ」

 

 握り返すその強さが、そのまま照夫の気持ち。

 

「私はね、生きていることが悲しいの。辛いの。人間として死んだ時からずっとね」

 

 握り返す強さは、年の差があるにもかかわらず、照夫の方がずっと強かった。

 なのに、照夫は手の力を弱めてしまう。

 エミリの手はかすかに震え、その指は細く、照夫の手をこの上ないほどに優しく握っていた。

 もう、ダメなのか。

 ダメなのかもしれない。

 彼女は、もう自分の生を否定している。諦めているのではなく、否定しているのだ。

 

 これでは、"生きることを諦めないで"と言うこともできない。

 

「オルフェノクとして、生きていたくなんてないの」

 

 そうして、生きていたくない彼女の気持ちを勝手に代行しに来たかのように、『それ』は彼らに追いついた。

 

「見ぃつけた」

 

 北崎の小さな呟きを聞き逃さなかったのは、照夫もエミリもオルフェノクだったからだろう。

 少年少女はもうロクに動かなくなってきた足に鞭打ち、なけなしの体力を全てつぎ込みまた走り出した。フラフラの照夫の手を、エミリが引いていく。

 

「走って照夫君! 頑張って、あと少しだけでいいから!」

 

 エミリは生きていたくない。

 ゆえにこそ、彼女が今逃げているのは、"死にたくないから"ではない。

 "死なせたくないから"だ。エミリは照夫を死なせないためだけに、彼の手を引き逃げている。

 オルフェノクとなったことで、エミリは自分の生にも、この世界の全てにも絶望したが、彼女はその上で『他人を守ろう』と思える人間だったのだ。

 

「エミリ! 照夫! 止まるな、そのまま走れ!」

 

 ドラゴンオルフェノクが照夫の後頭部を掴もうとした瞬間―――二人に届く大声と、その巨体を跳ね飛ばすバイクが現れた。

 巧だ。

 巧がオートバジン・バイクモードで横合いから体当りし、ドラゴンを跳ね飛ばしたのだ。

 

 だが、巧は全身傷だらけで血を流しており、変身も解除されてしまっている。

 おそらくは一度負けてしまったのだろう。

 巧はファイズギアをまたも身につけ、子供が逃げる時間を稼ぐべく立ち向かった。

 

「変身!」

 

 だが、一人で敵う相手でもない。

 ファイズがこの異次元レベルに強いドラゴンオルフェノクに勝つには……アクセルフォームでさえも、力不足なのだ。

 

「君さあ、弱いくせにしつこいよ」

 

「お前さっき、俺のこいつを『百回打ち込んでも殺せない』って言ったな」

 

 この敵相手に出し惜しみなどありえない。

 ファイズは右手にパンチングユニットを装着し、腕時計型コントロールデバイスを操作した。

 加速形態への変化が始まる。

 

《 Complete 》

 

「じゃあ、試してやるよ! 耐えてみやがれ!」

 

《 Start up 》

 

 ファイズは瞬時にマッハ50にまで加速。

 

《 Exceed Charge 》

 

 北崎の全身に、必殺技と化した拳を十回だろうと百回だろうと叩き込むつもりで、インパクトの瞬間巧は拳を握り込んだ。

 だが一瞬遅れて、北崎も竜人態となりマッハ50にまで加速。

 ファイズの必殺拳は残像を打ち、空振った拳を加速状態の北崎が掴み、北崎は竜人態から魔神態へと姿を戻した。

 北崎はそのままノータイムでファイズを空へと放り投げる。

 

「んなっ―――」

 

「いくら加速しようが、体は一つだ。そこが変わらないなら意味は無いんじゃない?」

 

 ファイズは小細工を弄せば落下速度を上げたように見せかけられるが、アクセルフォームは時間加速ではない。

 落下速度は変わらないのだ。

 空高く投げ上げられれば、10秒間のリミットはすぐに訪れてしまう。

 

 ドラゴンオルフェノクは、自分の竜人態の劣化版でしかないファイズの加速形態の弱点を、よく理解していた。

 そして北崎は、照夫に戦いを挑もうとして……照夫とエミリを抱えてバイクにて逃走する、長瀬の離れた背中を見た。

 舌打ちの後、北崎は飛翔しその後を追うのだった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 長瀬が乗っていたバイクは、ジェットスライガー。

 ファイズ、カイザ、デルタが共通で使用できる、スマートブレイン製の量産型アタッキングビークルだ。

 一人乗りのバイクだが、仕方なく長瀬デルタが二人を抱え、無理な姿勢にて疾走する。

 

「……くっ、ぐっ、づっ」

 

 だが、それにも限界が来た。

 ほどなくジェットスライガーは広場に停止し、照夫とエミリが落ちないよう抱えていたデルタが倒れ込み、変身が強制解除されてしまう。

 長瀬の手を離れた二人は、変身解除によってあらわになった長瀬の姿を視認し、その体があまりに傷だらけであったことに驚愕する。

 

「ヒロキ! その怪我っ」

 

「死ななきゃ軽いもんだ。人間の体は死ななけりゃその内治るようになってんだよ」

 

 長瀬は立ち上がろうとするが、力足らずにまた転ぶ。

 ドラゴンオルフェノクの規格外の力が、装甲越しに長瀬の体にダメージを蓄積させてしまったのだ。おそらく、この傷だらけの体は見かけ以上にダメージを受けているのだろう。

 

「だけどな……死んだら、終わりだ。

 照夫、まだ頑張れるな? カッコつけろ。

 エミリ、照夫を頼む。距離は稼いだが、まだ足止めが足りてねえ」

 

「ヒロキ!」

「お兄さんその体じゃ……」

 

「行け! あのドラゴン野郎はおそらくすぐ追いついてくる!

 道中で、何の意味もなく、暇潰しに見かけた人間を殺しながら……!」

 

 遠雷が空に光を走らせる。

 あれは自然現象ではない。

 ドラゴンオルフェノクが、もののついでで人と物を壊しているという証明だ。

 

 北崎は人間に対する攻撃本能が薄い。

 なので、北崎は人間の子供と遊ぶこともあれば、大人の男性に道を訊くこともある。

 されどそれは、彼の人間性を保証しない。

 単に、北崎は気が向けば何だって壊すだけだ。人も、物も、オルフェノクも。

 

 王を守るべきスマートブレインのオルフェノクであるはずなのに、王と戦うこと、王を殺すことが目的である北崎の意志は、照夫にもしかと伝わっていた。

 

「ヒロキ、あいつの狙いは僕なんだ。オルフェノクの王と戦いたがってる、だから」

 

「だからなんだ? 犠牲になります、だなんて言うつもりか?」

 

 長瀬はバイクに寄りかかりながら立ち上がり、親指でエミリを指し示す。

 

「こいつに影響されたのかもしれねえけどな。

 意味ある死だったら上等だ、なんて考えるなよ」

 

「でも……」

 

「誰かを助けたら意味のある死か?

 人のために犠牲になったら意味のある死か?

 王様に食べられたらそれで意味のある死か?」

 

 過去に誰かの死を見たことが、今の自分の心の強さとなっている者は、巧だけではない。

 長瀬もまた、その一人だ。

 

「俺もお前も、意味のある死を迎えたら、その死は悲しくなくなるのか?」

 

「―――」

 

「違うだろ。意味があっても死は悲しくて、辛くて、痛くて、苦しいもんだろ」

 

 長瀬は血混じりの唾を吐き捨てる。

 そして、不器用に表情を作って、照夫とエミリの肩を叩いた。

 

「エミリが死ねば照夫が悲しいだろ。

 照夫が死ねば俺が悲しいだろ。そこは何も変わってねえじゃねえか」

 

 長瀬の言葉はシンプルで、魂をねじり込んだかのような重みがあり、つい先程エミリが聞かされた照夫の言葉もあって、ようやく彼女の価値観を揺らし始めた。

 

―――エミリも死んじゃったら、僕が悲しいよ

 

「……私が死んだら、照夫君は悲しいんだっけ」

 

 エミリの問いかけに、照夫が頷く。

 

「……うん。悲しい。僕が死んでも、ナオヤ達は同じように、きっと悲しんで……」

 

 少年少女の『生きたい』という意志を確かめ、長瀬はようやく屈託なく笑った。

 生きたいのならそれでいい。

 その気持ちになら、長瀬は味方をしてやれる。

 

「諦めるなよ。逃げろ、照夫。逃げろ、エミリ。

 俺はいっつも、『逃げろ』しか言えねえけど……俺は俺なりに、全力尽くすからよ」

 

 逃げる照夫とエミリに背を向け、長瀬はデルタのベルトを巻いた。

 逃げろ、と誰かに言うのは、これで何回目だろうか。

 いつもこういうことしかできないな、と長瀬は自嘲するが、気分だけは誇らしい。

 

 雷が避雷針代わりの木々へと命中し、炎上する木々の中に北崎は降り立った。

 長瀬は変身し、銃を撃ち、光弾の合間を抜けてきた竜に向けて拳を振るう。

 彼の拳は既に北崎に見切られている。

 無駄な抵抗。

 そう思われた一瞬に、長瀬はイユのことを思い出した。

 

 ある悲劇に見舞われ、人食いの怪物となった父に食われて殺され、死後に死体を兵器に改造された少女。

 長瀬はイユの笑顔の記憶がある。記憶の中の笑顔が可愛かったことを覚えている。

 されど長瀬の記憶には、今となってはその笑顔よりも、死体兵器として戦わされていた時のイユのことの方が、強烈に残ってしまっている。

 

 記憶の中のイユの体捌きを思わず真似た長瀬の拳は、最良のフェイントとして、ドラゴンオルフェノクの顎に刺さった。

 

「おっ……今の動き、さっきの戦いでの動きとちょっと違うね。まだ引き出しはある?」

 

「悪いな、千翼とイユの二人分しかねーんだよ……!」

 

 想い出の中にしか居ない仲間の力を借りて、長瀬は僅かな時間を稼ぐ。

 長瀬の中で、長瀬の仲間の一部はまだ生きていた。

 

 エミリに手を引かれ、照夫もまたひた走る。

 長瀬を置いていくことの不安があった。

 長瀬なら大丈夫だという信頼があった。

 相反する気持ちが、照夫の胸を引き裂かんばかりに痛めていた。

 

 二人は走る。

 

「ねえ、照夫君、私食べたら照夫君が王としてちゃんと覚醒するとかないかな!」

 

「!? 食べないって、言ってるでしょうーが!」

 

「あはは、ホント頑固なんだから!」

 

 エミリは何やら吹っ切れたようだ。

 彼女の中の人生観、あるいは死生観に、変化が生じ始めている。

 今この瞬間まで彼女が選んでいなかった何らかの選択を、彼女が進んで選びそうになっているくらいには。

 

「でもさ、私食べたら照夫君が強くなって、どうにかならないかなって思ってるのは本当!」

 

 命とは変わるものだ。

 他者の生に触れ、他者の死に触れ、誰も彼もが変わってゆく。

 

「私、思い出したんだ! お釈迦様のウサギの話!」

 

「ウサギ? ウサギがどうかしたのっ?」

 

「お釈迦様が、昔ウサギに生まれ変わった時のお話。

 あるところに、自分が生きるために他の命を食べようとしない聖者が居たの。

 聖者は飢えて死にそうで、ウサギを見ても食べようとせず、むしろ助けようとした。

 ウサギはその聖者を生かすために、聖者の焚き火の中に身を投げたんだ。

 つまり、自己犠牲。

 他を生かすために自分の命を投げ出す慈愛。

 聖者はウサギのその愛に感嘆し、いたく感銘を受け、本物の聖者になったんだって」

 

 何故、エミリはその話を、今思い出したのだろうか。

 

「オルフェノクの王様も、そうだったら、面白そうじゃない?

 他のオルフェノクが愛で自分の身を捧げたなら、王様は聖者に。

 そうでなく、王様が愛なくパクパク食って覚醒したら、王様は悪者になるとか」

 

「えー、それで自分の心の形が決まっちゃうのは、なんかやだな……」

 

「そだね。照夫君ならきっと、どんな道を進んでも、良い王様になれるよね」

 

 エミリの手を握るたびに、照夫は顔を赤くする。

 少年のそんな可愛らしさが、少女にとっては何故か無性に愛おしかった。

 

「沢山の人を救える聖者にも、立派な王様にも、なれるはず。優しささえ、忘れなければ」

 

 だから、彼女は選択をする。

 王はいい子だった。

 王はいい男にいつかなれる少年だった。

 王は、エミリが尊敬するに値する、エミリが後を任せるに値する『人間』だった。

 オルフェノクの王に相応しいと思える、命の価値を知る者だった。

 

 エミリは照夫を通りがかった軽トラの荷台に投げ込み、自身は一人北崎へと立ち向かう。

 竜人態へと姿を変えた超加速のドラゴンは、おそらくあと数秒で接敵する。

 

「エミリ!?」

 

「行って! 生きて! 私がオルフェノクになった意味は、ここにあったんだ!」

 

 数秒。

 超加速した北崎はほんの数秒で彼らに追いつき、エミリの視界内に現れた。

 エミリもショウリョウバッタのオルフェノクへと姿を変え、軽トラに乗せられた照夫を北崎が完全に見失うまで、時間を稼ごうとし――

 

(ほんのちょっとでも、時間さえ稼げれば……!)

 

 ――ドラゴンオルフェノクの蹴り一発で、まるでダルマ落としのように、体のど真ん中を『蹴り飛ばされた』。文字通りに蹴り飛ばされた。

 少女の胴体だけが、蹴りの衝撃ですっ飛んでいき、胸から上と腰から下の部分だけが、その場にぼとりと落下した。

 

「―――え」

 

 照夫が絶叫し、怪我も恐れず軽トラから飛び降りる。

 

「弱いっていうのは、悲しいね」

 

 北崎は人に踏み潰されたアリに同情するかのような言葉を吐き出し、エミリを殺したことに何も感じ入るものはなかったようだ。

 

「エミリ! エミリ!」

 

「たはー……しくっちゃったよ照夫君……油断……じゃなくて思い上がりかなー……」

 

「ああ、おなかが、エミリのおなかが……!」

 

「あのおにーさん達が戦えてたから……オルフェノクの私でも戦えるかな、なんてさ……」

 

「もう喋らないで!」

 

 エミリにはもう胸から下が何も無い。

 どくどくと血が流れ、消し飛んだ胴はどこにも見当たらず、腰から下は既に青い炎による自壊を始めていた。

 時を数えるまでもなく、切り離されたエミリの一部は灰となる。

 青い顔で、エミリは最後の願いを口にした。

 

「あのさ……私が死ぬ前に、私のこと、食べてくれない?」

 

「―――!?」

 

 エミリはもう助からない。

 助からない命なら、王の覚醒のために使ってやりたい。

 そう思った彼女だが……案の定、照夫から返って来たのは、強烈なまでの拒絶だった。

 

「ダメだ!」

 

「なんで?」

 

「僕は……僕はエミリを、殺したくない!」

 

「殺すんじゃないよ。食べるんだよ」

 

「一緒だッ!」

 

「一緒じゃないよ。それは一緒にしちゃいけないの」

 

 エミリの胸下の断面から漏れた血、こぼれた内臓が、青い炎となって燃え始めた。

 オルフェノクとしての死が近い。

 

「食べられて、その人の中で生きるようになるんだよ。

 私が今まで食べてきたものも、輝夫君が今まで食べてきたものも、同じ」

 

「でも!」

 

「食べられて、その人の中で生きるって、そんなに悪いことかな」

 

「でも!」

 

「誰でも良いわけじゃないよ。照夫君ならいいかなって、そう思っただけ」

 

「でも!」

 

「君に食べられて、君の中で生きていたい。それじゃ、ダメかな?」

 

「でもっ……! 僕はっ……!」

 

 少女は諭す。

 少年はでもと繰り返す。

 少女は青い顔で、少年の反応に困った顔をした。

 

「男の『でも』は運命の反逆に使った方がいいでしょう。

 うん、それが一番だ。

 『それがお前の運命だ』に『俺はそれでも』と返すのはかっこいいって、私は思うよ」

 

 でも、と言おうとして、照夫はその言葉を飲み込んだ。

 言ってはいけないと思った。

 言ったら呆れられてしまうと思った。

 言うなと言われた言葉を、言ってくれた女の子の前で言ってしまうのは、とても格好悪いことだと思えたから。

 

 好きな女の子の前で、照夫はカッコつけた。

 

「でも、私はお願いすることしか出来ない。決めるのは照夫君だよ」

 

「エミ、リ……!」

 

「思い出したくもない悲劇の想い出にするか。

 自分を強くした、胸に秘める悲しい想い出にするか。

 何もせず見送った想い出にするか。

 私を食べた想い出にするか。

 ……他の誰のものでもない、君の人生だもん。君が、決めないと」

 

 お腹が空いたと、照夫は思った。恋のような空腹だった。愛のような飢餓だった。

 

「私、君の中で生きていたい。君とずっと一緒に居たい。それが、私の今の願い」

 

 食べたくない。殺したくない。そんな感情を、意志一つでねじ伏せる。

 食べたい。オルフェノクを食べて覚醒したい。そんな衝動を、意思一つでねじ伏せる。

 心一つで、エミリの覚悟に向き合ってゆく。

 

「だから、お願い」

 

 鈴木照夫は、彼女を食べた。彼女のフルネームすら知らないままに。

 

「優しい王様になってね。十年後も、二十年後も、皆に好かれて、皆を守れるような―――」

 

 生まれて初めて好きになった女の子の願いだったから。

 初恋の女の子の願いだったから。

 照夫はその願いを、叶えてやりたかったのだ。

 

 たとえ、自分が胸に秘めた『生きて欲しい』という願いを、自分自身で踏み躙ることになったとしても。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 涙があふれた。

 心がこぼれた。

 胸には外に繋がる穴が空いていないから、胸で膨らんだ気持ちは目から溢れ出る。

 照夫の足元に、透明な雫がぽたぽたと垂れて止まらない。

 

 エミリのオルフェノク体を捕食し終えた照夫のオルフェノク体が消失し、涙を流す照夫の前で、北崎は少しだけ残っていたエミリの死体の残骸を踏み砕いた。

 

「これはもう、食い残しのゴミでしょ」

 

「―――お前っ!」

 

 照夫は怒りのままに、ドラゴンオルフェノクに殴りかかった。

 それは生まれて初めてと言っていいほどに熱い、極大の熱量を孕んだ激情だった。

 生まれて初めての、全身全霊を込めた敵意だった。

 生まれて初めての、天地を砕かんばかりの殺意だった。

 照夫が『この敵を絶対に許さない』という確固たる意志で拳を振り上げ、敵の膝に叩きつけたのも、生まれて初めての"明確な攻撃"であったと言えよう。

 

 何もかもが初めてで、だからか威力は大して無くて。

 北崎はつまらなそうにして、撫でるように照夫の頬を張った。

 強烈に頬を叩かれた照夫は、地面に転がされてしまう。

 

「あぐっ!」

 

「ダメだなぁ……本当ダメだなぁ、それでも僕らの王様?」

 

 転がした照夫の首を掴み、北崎は無造作に持ち上げた。

 首を締める鈍い痛みが、照夫に悲鳴を上げさせる。

 北崎に触れられても灰にならないのは、流石オルフェノクの王といったところか。

 

 だが、ダメだ。

 王はまだ覚醒していない。

 原因は心の状態か、オルフェノクの生贄不足か、あるいは両方か。

 何にせよ、未覚醒の王では北崎を倒すことは敵わない。

 

 北崎が照夫とエミリの会話に何の茶々も入れなかったのは、照夫がエミリを捕食し、王として何らかの覚醒を見せるのを待っていたからだ。

 王と戦いたい。北崎の目的など、それだけだ。

 だからこそ、オルフェノクの精神性も、オルフェノクの姿も見せない、今の照夫に腹が立ってしまう。少年の頬を流れる涙など、目にするだけで反吐が出そうだった。

 

「ヤダなぁ、まだ手間をかけないと覚醒しそうにないなんて」

 

 北崎は自分のために、そして照夫のために、オルフェノクの心のレクチャーを始める。

 

「大事なのはイメージと、最初の心の持ちようだよ。

 僕のような姿に、オルフェノクに相応の心。

 一度志ざせば簡単だ。人間の心なんて簡単に捨てて、君は完全なオルフェノクになれる」

 

 さ、やってみて、と北崎は軽い口調で言った。

 北崎は照夫の心をまるで理解していない。人よりオルフェノクの方が上等だと思っている。だからこのレクチャーは、北崎にしては珍しく、僅かな善意が混じっていた。

 口調は軽く、ノリも軽く、北崎の言動には一切の重みが無い。

 

(ガキだ)

 

 照夫は思う。

 

(こいつは多分―――僕よりも、ガキなんだ)

 

 幼稚で、飽きっぽく、自分勝手で、全ての価値は自分の中にあり、弱い者いじめは好きだけど、人間もオルフェノクも等しく加虐する。

 自分を楽しませるものだけに興味を持ち、それ以外に何も興味を持たない。

 命の価値を知らない。

 守るものを持たない。

 死者から何も継承しない。

 生者から何も学ばない。

 

 照夫の目には、北崎が自分よりずっと幼く見えた。

 

「ならない」

 

「うん?」

 

「僕は、お前みたいには、ならない……!」

 

 "こんな風にはなりたくない"と、照夫は北崎を睨む。

 なりたい自分があった。エミリに見せたカッコつけの自分があった。エミリが肯定してくれた自分があった。なりたくない自分が、照夫の中で怪物として蠢いていた。

 だからこそ、照夫は心を失った怪物になることを否定する。

 

「お前に殺されるとしても、『でも』! お前の思い通りになんてなるか、バーカ!」

 

 今なら照夫にも分かる。

 オルフェノクは、どこか何かがおかしな生物だ。

 生まれて来てはならなかった生物、とまでは思わないが、どこか何かが変である。

 

 オルフェノクに殺された人間は灰になる。

 死んだオルフェノクも灰になる。

 よって死体が残らないために……()()()()()()()()()()()()()()()のだ。

 食うために殺し、殺した後に食うという自然の摂理が、絶対的に成立しない。

 

 食うか食われるか、という自然のルールから外れているのだ、オルフェノクは。

 人類の長い歴史の中で初めて、王である照夫はその事実に気付く。

 オルフェノクは何かが違う。

 この地球上で、オルフェノクだけが、通常の生物とは違う何かとして生み出されている。

 照夫は、オルフェノクの王が持つべき視点の一端に触れていた。

 

 だが、北崎からすればそんなことはどうでもいい。

 北崎は照夫が自分を見下していることに気付いていた。

 照夫の目が、自分をガキと見ていることに気付いていた。

 かすかな苛立ちを覚え、オルフェノクの姿にもならない照夫を、北崎は失望の目で見る。

 

 子供のようだった北崎の喋りが、ほんの数秒、低くドスの利いた声に変わった。

 

「そうか。じゃあもう死んでいいぞ」

 

 その瞬間、三つの人影が同時に動いた。

 北崎が照夫の首を折ろうと力を込める。

 照夫が諦めず、自分の首を掴んでいた竜の右手、その手首に肘を叩きつける。

 そして竜の右腕に、叩きつけられた赤い雷。

 

 雷が僅かに竜の握力を緩め、するりと落ちた照夫を、直下で長瀬が受け止めた。

 

「悪い、遅れた」

 

「……ヒロキ!」

 

 照夫は自分を受け止めた長瀬を見て、一瞬だけ喜んだが、すぐに顔を青くした。

 長瀬のシャツがびっしょり濡れている。水ではない。長瀬の血に染まっているのだ。

 黒いシャツであるためか、血はそこまで目立って見えないが、肌に張り付いたシャツを見れば出血量も窺える。

 これはもはや、致死量の二歩手前ほどの出血量に至っている。

 

 それが、照夫に長瀬の死を意識させ、エミリの死を再度認識させた。

 

「ヒロキ……エミリを……死にそうになってたエミリを、僕が、食べちゃった」

 

 後悔が滲み出る。

 百度あの場面を繰り返しても、照夫は百度彼女を食うだろう。

 だが、それでも、後悔が消えることはない。

 悔いているのだ。彼女を食べたことを。それは、照夫が望んで得た後悔でもあった。

 

「食べたくなかった……食べたくなかったんだ。

 でも、それしかなかった。

 僕が彼女にしてあげられることなんて、食べてあげることしかなくてっ……!」

 

 長瀬は青息吐息で、照夫を優しく抱きしめる。

 

「王様が居ないから、こうなってるのかな。

 僕がちゃんと王様してないから……

 だったら……僕がするべきことは……僕が生まれた意味は……」

 

 照夫は変わった。

 自分が生まれて来たことが罪、だなんてもう言いもしない。

 その代わりに、『自分が生まれてきた意味』について考えるようになった。

 長瀬にはそれが、なんだか嬉しく感じられた。

 

「辛かったな。よく頑張った。お前、男だよ」

 

 泣いている少年に、長瀬は言うべきことを言う。

 

「今は少し休んでろ。罪悪感で自分の未来を決めても、ロクなことねえぞ」

 

 未来を決める意志は、光のような意志であるべきだ。闇のような意志ではいけない。

 死にたくない、ではなく、生きたい、という気持ちを抱えて行くのであればなおさらに。

 

「したいように生きろ。なりたい自分になれ。

 俺もまだよく分かってねえけど、それが『生きる』ってことなんだ」

 

 長瀬は照夫を地面に降ろし、少年を守るように立つ。

 手にはデルタギア。

 所有者に"その闘争本能をどう扱うか"を問いかける、銀の力。

 

「俺もまだ、探してるんだ。あいつらの分まで生きる、最高にイカした生き方を」

 

 長瀬もまだ、旅の途中だ。彼もまた人生という旅の半ばで、生きていく道を探している。

 

 その横に、同じくまだ旅の途中である乾巧が、ファイズギアを手にして立った。

 

「ああ、見つけようぜ……長瀬、照夫。俺達の答えを、俺達の人生で」

 

 長瀬も巧も満身創痍。

 いや、限りなく瀕死に近いと言っていい。

 戦えるのはあと一回、攻勢に出るのもあと一回が限度だろう。

 血の着いた未起動のデルタギアとファイズギアを見やり、北崎は鼻で笑った。

 

「今日一日で何回僕に痛めつけられたか覚えてる?

 そんな体で僕に勝てるとでも思ってるのかな。だとしたら、すっごく馬鹿だけど」

 

「バカが負けるだなんて、誰が決めたんだ?」

 

 巧の挑発が、北崎の子供な癇に障る。

 

「何で勝てると思っちゃうかなあ。一番強い、この僕に」

 

「分からねえか? 分からねえよな。お前にはもう、人の心が無いんだもんな」

 

「要らないよ、そんなもの。そんなものがなくても僕は最強なんだ」

 

「なら、覚えとけ。お前が今要らないって言った『それ』が、今お前を倒してやる」

 

「それは楽しみだ。

 『それ』は強いのかな? 鋭いのかな? 鉄を砕く爪か牙は備えているのかな」

 

 これが正真正銘、この夜を飾る最後の一戦。

 

「鉄より強くて、爪より鋭く、牙よりかってえもんだ……覚えとけ!」

 

 二人は同時に、ライダーズギアを起動した。

 

「「 変身! 」」

 

 銀光と赤光、二つの光が夜を切り裂く。

 

 余計に動き回る体力は残っていない。

 無駄に撹乱に動いていけば出血で死ぬ。

 アタックチャンスは、長瀬と巧で合わせて一回。それが限界だった。

 

「策はあるのか? 長瀬」

 

「希望ならある。あいつ、ずっとオルフェノクの姿になったままだ」

 

「ああ、そうだな」

 

「俺達、警察、逃げる一般人。

 北崎の奴はその全部に攻撃してきた。

 対し、俺達は偶然とはいえ休み休み交代交代で戦った。

 あいつの疲労は、俺達が交代交代で積み重ねたダメージは、全部ちゃんと蓄積してる」

 

「なるほどな……そういや、北崎の奴は、今日の戦いで一回も休憩してねえのか」

 

「ああ。だからかあいつ、最初の時ほど切れ味のある動きをしてない」

 

 そして、付け入る隙もある。

 

「俺が動きを止める。乾さんは俺を巻き込むのを躊躇わず、最強の一撃を頼む」

 

「……わかった。死ぬなよ、長瀬」

 

「確実に決めてくれよ、乾さん!」

 

 ファイズにトドメを任せ、デルタが前に出る。

 長瀬の体はもう限界だ。

 走れば足の骨が軋みを上げ、方向転換に地面を踏んだだけで肉は痛み、心拍数が上がるだけで出血が再開される。開いた傷口は、デルタのスーツの内側を血で汚した。

 

「ヤダなぁ、熱くなっちゃって」

 

 デルタが正面から突っ込んで来たのを嘲笑い、それを真正面から粉砕しようとした慢心が、北崎の足元を掬った。

 

《 Jet Sliger Come Closer 》

 

 長瀬が密かにデルタフォンで呼び出していたバイク・ジェットスライガーが、時速1000km超でデルタの下に駆けつけんとし、その過程でドラゴンオルフェノクを跳ねた。

 

「!?」

 

 一回こっきりの大道芸。

 跳ね飛ばされた北崎は僅かな痛みを覚えるも、空中で姿勢を整え着地しようとする。

 が、そのタイミングで何故か左膝と右手が動かなくなった。

 語るまでもない。

 つい先程、照夫が殴った二つの部分が、そのまま機能不全を起こしていたのだ。

 

(手と足が石になったみたいだ……!)

 

 北崎は、エミリの残骸をゴミのように踏み躙った。

 注意深く見ていたなら、気付けたはずだ。エミリの死体が石化していたことに。

 オルフェノクの王に捕食されたオルフェノクは、灰化ではなく石化する。

 王は捕食対象のオルフェノクを石化させる能力を持っているのだ。

 

 北崎は未覚醒のその能力を受け、右手左足が擬似的に石化を始めていたのである。

 そんな状態を知ってか知らずか、長瀬は一気に距離を詰め、北崎の顔面に銃口を突きつけた。

 

「この距離なら! ファイア!」

 

《 Burst Mode 》

 

 至近距離からのフォトンブラッド十二連射。

 これを全て顔面に直撃させてなお、ドラゴンオルフェノクは倒れない。倒せない。

 だが、そんなことは長瀬も巧も百も承知だ。

 

「……っ」

 

「今だ乾さんッ!」

 

 顔を抑えた北崎の背後に、デルタが回って羽交い締めにする。

 それと同時、ファイズは右手のパンチングユニット、左手の加速コントロールユニットを操作していた。

 

《 Complete 》

《 Exceed Charge 》

《 Start up 》

 

 加速とパンチ。ファイズは力を二つに絞り、この二つだけに集中力の全てを注ぐ。

 

 十秒間の千倍速が始まった。そして長瀬が抑えている以上、ドラゴンは今加速できない。

 

「三度目の正直、だ」

 

 フォトンブラッドが充填されたパンチングユニットが、北崎のみぞおちに突き刺さる。

 一発? 十発? 百発? 否。その程度の数では収まらない。

 

「なっ、がっ、ガッ!」

 

 十秒間の千倍速は、巧の余力全てを吸い上げ、千を超える回数拳を叩き込む。

 

 そして一撃一撃が、純粋破壊力では測れないフォトンブラッドの威力上昇効果を得ていた。

 

「くッ―――ぎッ―――アッ―――!?」

 

 殴って、殴って、殴って。

 ファイズの拳が千回以上叩き込まれて。

 それ相応のフォトンブラッドも叩き込まれて。

 

 ―――先に倒れたのは、ライダーの方だった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 北崎を羽交い締めにしていたデルタが倒れる。

 もはや長瀬は、北崎を捕まえておくこともできないほどにボロボロだった。

 巧がドラゴンオルフェノクを千度殴った衝撃が、ドラゴンオルフェノク越しに一部伝わり、それがトドメのダメージとなってしまったくらいに、ボロボロだった。

 

「長瀬!」

 

「くっ……は、ははっ……そっちの方が、先にダメになっちゃった、みたいだね……!」

 

《 Time out 》

 

 アクセルフォームも時間切れ。

 ドラゴンオルフェノクを倒しきれずに、加速形態の時間は終わる。

 北崎は勝利を確信し、倒れた長瀬をデルタのスーツごと踏み潰そうとし―――倒れる。

 

「あ……れ? おかしい、な」

 

「何もおかしくなんかねえよ」

 

 決着だ。

 ファイズは倒れず、ドラゴンオルフェノクはもう立てない。

 長瀬の気合の拘束と、巧の意地の連続拳打が、とうとう北崎から戦う力を奪い去っていた。

 

「長瀬は耐えたんだ。お前が負けるまで……俺達が、勝つまで」

 

「馬鹿な……そんな、馬鹿な!」

 

 北崎は倒れたまま、自分の横で変身解除して倒れたままの長瀬を睨む。

 立ち上がろうとしても立ち上がれない。

 照夫の怒り、長瀬の気合、巧の維持が、最強のオルフェノクの喉に牙を立てたのだ。

 

「こんな雑魚に、僕が……!」

 

「ザコで悪かったな、クズ野郎」

 

 長瀬は倒れたまま、北崎に中指おっ立てて挑発した。

 なんとまあ、その場のノリで生きている男だ。

 こんな挑発に意味は無いだろうに、やらずにはいられなかったのだろうか。

 

「……ん? ああ、思い出した。君……そうだ、社長の村上くんが言ってた……長瀬裕樹?」

 

「社長の村上? ……スマートブレインの社長か? テメエ、何の事言ってやがる」

 

「ふふ……ダメじゃないか。携帯電話の背面に、血の着いたプリクラなんか貼っちゃ」

 

「あ? そんなの俺の勝手だろうが。あいつらの血だ、汚いとか思わねえよ」

 

 何故それを知っているのか? 長瀬は嫌な予感を伴う疑問を持った。

 確かに長瀬の携帯電話の背面には、千翼とイユのツーショット写真が貼ってある。

 だが長瀬はこちらの世界で携帯電話を滅多に表に出さない。

 この世界では通話もインターネットも使えないからだ。

 だから、長瀬の携帯の存在を知っている者がそもそも多くない。

 

 いや、そもそも、何故スマートブレインの社長が、長瀬の携帯の話を北崎にしたのか?

 

「君さ、何で今生きてると思う? ()()()()()()()()()()

 

「―――!?」

 

「君はオルフェノクの記号を埋め込まれて蘇生したんだ。九死に一生を得たわけじゃない」

 

 オルフェノクの記号。

 それは、死んだ人間に手術で埋め込めば蘇生し、記号に適合すればその人間をオルフェノクへと変え、記号の相性次第ではオルフェノク専用のライダーズギアの使用も可能とするものだ。

 長瀬は"生き残った"のではない。

 長瀬は"生き返った"のだ。

 あの日琢磨に殺され、オルフェノクの記号を埋め込まれ、蘇生していたのである。

 

「君の携帯のプリクラさ、血が着いてたよね。

 血だから当然細胞も付着してた。

 ま、死んでたけど……村上君はそれを研究して、『溶原性細胞』って呼んでたね」

 

「……ま、さか」

 

「村上君言ってたよ。

 死んだ細胞に極小サイズのオルフェノクの記号を埋め込んだら、また動き出したって。

 細胞はオルフェノクの記号に適合して、()()()()()()()したんだって。

 凄いよねえ、細胞単位でオルフェノク化って。生きたいって欲求が細胞レベルで凄いんだね」

 

 ()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()

 長瀬が居た人とアマゾンの世界で、死者が生者と化すことはない。

 だがこの世界では、それがあり得る。

 

 溶原性細胞は、千翼という少年が保有していた細胞だ。

 これは僅かに水に混ざっただけで、その水を飲んだ人間を、人食いの怪物・アマゾンに変化させてしまう。

 その汚染力と影響力は、切断された腕を山の中に埋めただけで、山を水源とした天然水の全てが汚染されたほど。濾過も殺菌も完全無意味で、最終的に万単位の人間が人食いとなった。

 

 溶原性細胞は、人間の細胞を自分と同質の細胞へと変質させる。

 溶原性細胞が一つ二つ体内に侵入しただけで、人間の細胞数十兆個があっという間に変質、溶原性細胞の近似種になってしまうのだ。

 ならば。

 そのオリジナルである溶原性細胞が、オルフェノク化していたら、どうなるのか?

 

「お前ら……お前ら! それを、千翼の細胞を、どうするつもりだぁッ!」

 

「村上君はばら撒くって言ってたけど?」

 

「―――」

 

「面白そうだよね。

 だってこれ、"オルフェノクになる才能がない人"も、オルフェノクになるんでしょ?」

 

 仮に、人間を殺し生き残ればオルフェノクに変える毒があったとしよう。

 2003年の推定地球人口は60億。

 60億の内30億がこの毒を飲まされたとしても、オルフェノク化成功率を考えれば、まだまだ人間がオルフェノクに勝つ可能性はある。

 

 だがこの『オルフェノク溶原性細胞』がばら撒かれたとしよう。

 これは毒よりもずっと人間に飲ませやすい上、60億の内30億が飲まされた場合、即座に30億のオルフェノクが発生するため、その時点で人類は詰みだ。

 溶原性細胞は細胞ごと作り変える。

 オルフェノク化に失敗した人間が死ぬのは、急激な進化に体が耐えきれず、肉体の方が崩壊してしまうからだ。

 全ての細胞構造が変異するなら、その手の問題が発生することはない。

 

 長瀬はこの世界に希望を運んできた。

 巧達には仲間という希望を。

 照夫には人生の指針という希望を。

 そしてオルフェノク達には、世界を支配するチャンスという希望を。

 全員に等しく、彼は希望を運んでしまった。

 

「君のおかげで始まるんだよ、人間の失楽園(パラダイスロスト)が! はははははっ!」

 

「ふざけんなッ! あいつの細胞を、そんなことに利用されてたまるかッ!」

 

 長瀬はぶっ殺してやる、と言わんばかりの形相で北崎に突っかかるが、指一本動かせない。

 この夜、長瀬は精神が肉体を凌駕してからも戦い続け、もはや怒りで体を動かせる領域をとっくの昔に突破してしまっていたのだ。

 怒りに叫ぶのが関の山で、北崎に何を仕掛けることもできやしない。

 

「千翼はな、あいつはな、ようやく眠れたんだ!

 死んでようやく責められなくなったんだ! それを、それを……!」

 

 それでも、長瀬にとって、その企みは許せないことだった。

 

「まあ、僕らの知ったことじゃないですね」

 

「!」

 

 そんな長瀬と北崎の二人に、何かが巻き付き引き寄せた。

 巧と照夫が止めようとするが間に合うはずもない。

 棘が無かったがために気付くのが遅れたが、長瀬と北崎を捕縛して引き寄せたのは、センチピードオルフェノクの鞭だった。

 

「琢磨っ……!」

 

「みじめな格好ですねえ、長瀬裕樹。あ、違いますか。これからもっとみじめになるんでしたね」

 

 琢磨は先程の長瀬の叫びと、その怒りの意味を理解したのか、サディスティックな笑みを浮かべて長瀬を煽った。

 

「後はファイズギアと王を回収して……いやあ、楽な仕事でした」

 

 琢磨は北崎をスマートブレイン製の車に乗せ、長瀬を鞭で縛ったまま、新たに生成した鞭を振るった。

 狙うは巧の腰のファイズギア。

 ファイズギアを取り上げ、王を確保する鞭が、大気の中を翻り――

 

「無様だな、乾」

 

 ――割って入ったカイザの光剣により、巧を狙った鞭は一拍の内に両断された。

 

「草加雅人!」

「草加!」

 

「オルフェノクが大暴れしてると聞いて駆けつけてみれば、随分な有様だ」

 

「うるせえ」

 

 琢磨は舌打ちする。

 いつもこうだ。長瀬が来る前から、いつもこうだった。

 巧の背中は草加が守り、草加の背中は巧が守る。

 二人が両方揃っていると、いつでもどこでも何をやっても、確実に仕留め損なうのだ。

 

「全く、普段は仲が悪いというのに、ここぞという時にはいつもこうだ……」

 

 琢磨は巧と草加のコンビに、一種の恐怖のようなものを感じていた。

 北崎と一緒に長瀬も後部座席に放り込み、琢磨は逃げの一手を打つ。

 

「今日のところは北崎さんの負けということでいいです。ですが、それ以上は譲れません」

 

 草加は追うか追わないかを迷ったが、血まみれの巧が変身解除して倒れ込んだのを見て、追いかけることを諦めた。

 

「チッ」

 

 代わりに草加は舌打ちし、救急車を手配する。

 照夫は長瀬がさらわれた現実を理解するのが遅れたが、理解するなりすぐに叫んだ。

 

「ヒロキーっ!」

 

 叫んでも、仲間は戻って来ない。

 巧の口の中に苦い後味が残る。勝てた、だなんて口が裂けても言えない気分だ。

 何せ、また仲間がさらわれてしまったのだから。

 

「悪いな草加、助かった」

 

「そんなことを言ってる場合じゃない。厄介なことになったぞ、乾」

 

「? どうした、何があった」

 

「木場、海堂とはもう連絡を取った。俺達三人が見つけたものは同じだったらしい」

 

 情報の確度を上げるには、複数のルートから確認された情報を、すり合わせればいい。

 

「来月初めに、奴ら何かを世界規模で散布するようだ。

 信じられない規模の何かが蓄積されたタンクと、航空機が用意されていたぞ」

 

「……マジかよ」

 

 だが、この情報の確度は上がって欲しくなかっただろう。人なら誰しも、そうであるはずだ。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 長瀬は牢の中で目が覚めた。

 

 頭の中がはっきりするまでの数秒で、すっかり癖になった確認を行う。

 ここはどこか? 少なくとも、知っている場所ではない。牢だ。

 自分の腰にデルタギアがあるかを確認。無い。デルタギアは取り上げられたようだ。

 長瀬が目覚めたことに、同じ牢の中に放り込まれていた男が気付いたようだ。

 

「あ、目が覚めたんだ」

 

 男は若いが、どことなく頼りない雰囲気と、優しそうな物腰を併せ持つ青年だった。

 

「君、名前は?」

 

「長瀬裕樹だ。あんたは?」

 

「三原修二。君と同じく、スマートブレインに捕まってしまった人間だ」

 

 力を取り上げられ、長瀬はまた無力となり。

 

 捕まえられた牢の中で、新たな出会いと巡り合っていた。

 

 

 




 『エミリ』はバラアマゾンの恋人の名前を貰いました。多分誰も名前覚えてない系のキャラ


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旅の終わり

 色んな事情のせいでめちゃくちゃ更新が遅れてすみません。許してください、なんでもしますから!

【前回までのあらすじ】
 多くを見て王として覚醒しつつある照夫
 ドラゴンオルフェノクとファイズ(巧)&デルタ(長瀬)の死闘。血反吐を吐くような、死人ありきの激闘にライダーは勝利
 明かされる『オルフェノク化溶原性細胞』という脅威
 だが長瀬は誘拐され、投獄されてしまう。投獄された先には三原という男が居て……


 三原修二。

 乾巧にファイズギアを与えた園田真理や、カイザギアの使い手である草加雅人と同じ、養護施設・流星塾出身の青年である。

 他に候補が多くなかったとはいえ、草加が選んでデルタギアを渡した男でもあった。

 

 三原は以前の戦いで敗北し、スマートブレインに捕縛された巧達の仲間の一人である。

 捕縛された際、海堂がデルタギアだけは回収して身内で回し使っていたのだが、それが長瀬の手に渡ったのは巡り合わせと言う他無い。

 長瀬から見れば、三原はデルタの正統使用者にして先代使用者にあたるのだ。

 巧や草加から、三原の人柄等は伝え聞いていた。

 

「あんたが三原か」

 

 長瀬はずっと捕まっていたままだった三原に、外の現状を伝える。

 三原が捕まってからの外の戦況は激動の一言と言っていい。

 最後の大舞台が始まる直前だと知り、三原は少なからず驚いていた。

 そして、自分の代わりに戦ってくれていた長瀬に感謝する。

 

「君が今のデルタをやってくれてたんだな」

 

「悪い。あんたが使ってたデルタギア、勝手に借りちまってる。しかも奪われちまった」

 

「いや、いいさ。むしろ俺が戦う役目を押し付けてしまったようで、申し訳ないくらいだ」

 

 長瀬が拍子抜けしてしまうような柔らかく、戦意のない対応。

 

「戦わなくて済むなら、それが一番だと俺は思うしさ」

 

「……なんか変わってんな、あんた」

 

「そう?」

 

 三原という男は、驚くほど戦意の薄い男だった。

 敵対種に対する怒りも薄い。自分を狙う敵に対してすらロクに闘争心を向けていない。自衛のために戦う、という生物の基本的本能さえ薄いような男だった。

 三原は戦うより帰る・逃げるの男である。

 脅威に抗うのではなく、脅威から逃げる男なのだ。

 

 デルタギアが長瀬にとって『残酷に抗う力』なら、三原にとっては『外敵を遠ざける力』なのだろう。

 闘争心に呑まれる者、闘争心を乗りこなす者、闘争心を抑え込む者、生物のほとんどが持つ闘争心との付き合い方は人次第だが、三原ほど闘争心が薄い者も珍しい。

 だがその闘争心の薄さは、三原の人柄の良さや温厚さに繋がるものであり、少なくとも長瀬の目には好ましいものとして映った。

 

「くそっ、牢屋なんかに入れやがって。見張りは居ねえが……なんとか出られねえもんか」

 

「見張りが居ないのは、オルフェノクは数がさほど多くないのもあるのかもな。

 なんにせよ、俺も長瀬君も早く脱出しないと。多分だけど、時間が無い気がする」

 

「どういうことだ? 三原は何か知ってんのか?」

 

「明日、何かの運送が始まるらしい。

 翌月初めに何か始まるらしいが……悪い、盗み聞きじゃ、それ以上のことは分からなかった」

 

「……!」

 

 確証はないが、確信する長瀬。

 明日始まるというのは、間違いなくオルフェノク化した溶原性細胞の運搬だ。

 世界各地に散布されるタイミングの直前で阻止してはもう間に合わない。

 その前、オルフェノク溶原性細胞が各地に運搬される前に、それを保有している研究所を焼き払うか何かしなければ、確実に手遅れになるだろう。

 タイムリミットは、既にあと24時間を切っている。

 

「やべえ、早くここを出て乾さん達と合流しねえと!

 ……いや、ここがスマートブレインのどっかの拠点なら……

 そうだ、溶原性細胞の運搬ルートの情報があるかもしれねえ。それを探してみるか」

 

「長瀬君、落ち着け。

 俺達はここに入れられる時に身体検査されてるんだ。

 牢屋から脱出できるような道具は、当然全部取り上げられてて……」

 

「あらよっと」

 

 長瀬はデルタギア由来の赤雷をフルパワーでぶちかます。

 電子ロックなのか物理錠なのかさえ不明なまま、鍵はぶっ壊れ牢の入り口は解放された。

 

「ほれ」

 

「ええぇ……」

 

「むしろアンタは俺の前任のデルタ使用者なのにこれ使えないのか……?」

 

「……いいじゃないか別に、使えなくたって。俺は雷親父じゃないんだ」

 

「は!? デルタの雷ってそういうのなのか!?

 これ闘争心とか怒りとかの具現なのか!? マジで!?」

 

「俺がデルタについてそんなに詳しいわけないだろ! やめてくれ!」

 

 デルタの雷に変な推論が付けられそうになっていた。まあ、それはそれとして。

 牢を脱出した長瀬と三原は、自分達の牢があった地下三階のフロアから、あっという間に地下二階の中央にまで移動する。

 赤外線センサーも、監視カメラも、見張りもなかった。

 おそらくだが、フロア単位で簡易牢の類だったのだろう。

 が、それにしても、長瀬と三原に対する警戒はあまりにも少なかった。

 

「ザル警備にもほどがあるなぁ」

 

「三原、あんた虫とかザリガニとかをケースから逃したことないか?」

 

「え? ああ、9歳の時に一回……いや、その後も一回やったことあったな。それがどうした」

 

「子供って、逃げるって思わねえんだよな。

 カブトムシとか、ザリガニとかが蓋を押し上げて逃げるって想像もしねえんだ。

 逃げて初めて、『ああ捕らえておくのにこれじゃ足りなかったんだな』って思う」

 

「うん、確かに」

 

「『逃げ出せるなんて思わなかった』って子供は言うわけだ。

 つまりな、俺達は、オルフェノクにとっちゃカゴに放り込んだ虫程度に思われてんだよ」

 

「!」

 

「甘く見られて、弱く見られて、下に見られてるんだ」

 

 子供は"これが逃げる"だなんて思いもしない。虫に対して。

 オルフェノクは"これが逃げる"だなんて思いもしない。人に対して。

 この二つの違いなんて、虫かごが牢屋に変わった……それくらいしかない。

 

「一泡、吹かせてやろうぜ」

 

「……ああ!」

 

 実際には三原が長々とこの牢屋に捕まっていたせいで、デルタの装着者でもこの牢レベルの設備で十分捕まえておけるんだな! とオルフェノク側が誤認した、というのもある。

 ともかく、幸運が重なったというわけだ。

 長瀬と三原は速攻で周囲を探索する。

 誰にも見つからないように、どこをどう行けば良いのかを探るために。

 

「長瀬君、あったぞ。これがフロアの地図じゃないか?」

 

「よっし、ツイてるな。ここをこう行けば脱出が……ん?

 なあ三原、この地図のこの部分、一般職員進入禁止って書いてあるのは……」

 

「言ってみるかい? 危険があるか、急所があるか、虎穴に入らずんばってやつだな」

 

 『誰も入ってはいけない』ではなく、『一般職員が入ってはいけない』のであれば、その場所には二通りの可能性が考えられる。

 一つは、専門職の人間しか入ることを許されない場所。

 一般職員が入れば最悪火傷では済まない炉心などがそれにあたる。

 そしてもう一つの可能性が、『多くの人間に見られると不味いもの』がある場所だ。

 金庫室、極秘のデータサーバー、機密文書保管室などがそれにあたる。

 

 二人がそこを探索しに行くのは、至極当然の流れであった。

 

 

 

 

 

 長瀬は武器があることを期待していた。

 オルフェノクをデルタの雷で倒し切ることは難しく、素手の自分と三原だけでは、敵に見つかった時に切り抜けられないからだ。

 三原は一発逆転の溶原性細胞全滅スイッチとかないかなあと期待していた。

 そんなものがあるわけないが、あればいいなとちょっと期待していたわけだ。

 

 が、二人の予想は大きく外れる。

 一般職員の侵入が許されていなかったそこには牢があり、服も肉体もボロボロにされた男が放り込まれており、長瀬の雷でも壊せなさそうな合金の鉄格子があった。

 頑丈な檻の中には、三原のよく知る者が一人、捕らえられていたのだ。

 

「と……父さん!?」

 

「……修二か」

 

 彼の名は、花形。

 草加や三原を引き取り、養護施設・流星塾にて彼らを育てた男である。

 その年齢は既に老人の域に片足を踏み入れているが、加齢による惚けた様子は一切なく、むしろ若者よりも頑強そうな印象を感じさせていた。

 それだけに、服も肉体もボロボロにされた風体が、異様な印象を際立たせている。

 

「三原、あんたの親父か?」

 

「あ、ああ。俺達流星塾生みんなの父親で……ライダーズギアを作って、送ってくれた人だ」

 

「!」

 

 『父さん』という三原の言葉に、長瀬は複雑な表情と反応を見せる。

 長瀬は親からの愛を受け取れなかったことでグレた不良であり、長瀬の仲間だった千翼は父に命を狙われ――最終的には父に殺され――、長瀬と千翼の仲間も総じて親と上手く行かなかった子供達であった。

 俯瞰的に、概念的に見れば、だが。

 アマゾンを巡る物語は、生みの親(にんげん)生まれた子(アマゾン)の関係性で成立する子殺しの物語であり、親喰らいの物語である。

 

(……父親、か)

 

 長瀬は知るよしもないが、花形はオルフェノクである。

 オルフェノクは全て殺すべきだと主張している草加だが、父がオルフェノクであると知った時、草加は花形を殺すのを躊躇った。

 その後も何度か殺す機会があったものの、草加は父を自らの手で殺すことを僅かに躊躇った。

 あの草加が、だ。

 親殺しを行わせないだけの愛が、花形と流星塾生の間にはあるのである。

 

「修二。積もる話はこのあたりにしよう。

 そこの君は……修二の仲間か?

 修二を助けてやってくれ。修二は優しいが、そこは長所でもあるのだ」

 

「……ああ、いいぜ。心配症な父親だな」

 

「性分でな。

 愛する子達を戦いの場に送り込む、最悪な父親だ……

 だが、できれば、生き残って欲しいと……そう願っている」

 

 花形は自嘲の笑みを浮かべ、なんと突然に自分の右手親指を噛みちぎり、それを長瀬に投げて渡した。

 壊れ無さそうな牢の格子の間を抜け、親指がキャッチした長瀬の手に収まる。

 

「父さん!?」

「!? あんた、何を」

 

「お前達が持っているその地図の、E-A-752と書かれている場所に向かえ。

 そこの入り口から見て右手奥の壁を指で探れば、感触の違う部分がある。そこを壊せ。

 そこに隠された金庫を私の指紋で開けば、そこにお前達に必要な物が入っている」

 

 指を噛みちぎった出血と痛みか、花形は顔を青くしている。

 だが、その眼光は揺るぎない。

 分厚い人生が打ち立てた強固な信念が、初対面の長瀬をも圧倒する覚悟を見せていた。

 指を噛みちぎることさえ些事でしかなくなる、そんな覚悟を。

 

「ハンパねえな。何があんたをそうさせるんだ?」

 

「私は……滅ぶべき種族と、生き残るべき種族があるということを、知っているだけだ」

 

 ただ、花形は願っていた。

 ライダーズギアを手にした、愛する子らとその仲間達の勝利を。

 

「修二、頼んだぞ」

 

「……ああ、父さん!」

 

「それと、真理から伝言だ。

 彼女は別の場所に連れて行かれてしまったが……

 その前に、乾君に伝えて欲しいと、伝言を頼まれた」

 

「真理が?」

 

 長瀬は話に聞いただけで会ったことはないが、おそらく園田真理のことだろう、と考える。

 乾巧にファイズギアを渡し、今の照夫護衛チームを引き合わせ、巧・木場・草加間に微妙な不和をもたらしたと海堂から聞いていた。

 

「『闇を切り裂き、光をもたらして』だ。修二、伝言を頼んだぞ」

 

「……うん、分かった。確かに伝える」

 

 いい伝言だ、と長瀬は思った。

 助けて、でもなく、頑張って、でもなく。

 大雑把に進むべき道を示す伝言は、真理から巧へ向かう『あいつなら細かいこと言わなくても大丈夫』という信頼……それを、一言にまとめたもののようだった。

 

「あんた、大丈夫なのか?

 俺と三原は自由に動けるが、牢の中で怪我したあんたは……」

 

「気にするな。どうせこの牢は破れん。私はここで皆を信じて待つとしよう」

 

 花形は牢の壁に腰掛け、瞳を閉じる。

 

「いつか燃え尽きるからこそ命だ。

 永遠の命などあってはならない。

 人はその短い人生を輝かせなければならない。

 だからこそ、子供達は燃え尽きる前に輝く流星のように―――私はそう祈り、そう名付けた」

 

 だから信じられるのだ、と花形は言った。

 先程まで心配そうにしていた三原の目の色が、勇気の色に一瞬で染まる。

 

 その親子関係を長瀬は心底羨ましく思い、己の本心を吐き捨てるように唾を吐いた。

 嫌いなわけではない。

 憎いわけでもない。

 長瀬が花形と三原を見れていられなかったのは、ただ単に、羨ましかったからだ。

 自分や千翼が望んでも得られなかったものが、彼らの間にあったことが、ただひたすらに羨ましかった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 花形に指示された場所に向かい、指示された場所を調べ、そこに隠されていた頑丈な金庫を開ける長瀬と三原。

 長瀬はそこまで期待していなかったが、中の物を見て目を見開く。

 その中に隠されていたのはなんと、『四本目のベルト』であった。

 

「こ、こいつは……ベルト!?」

 

「簡易装着型のベルト! 父さん、もしもの時のためにこんなものを隠してたのか!」

 

 そのベルトの名はスマートバックル。

 後期開発系統量産型のライダーズギアであり、これを用いることで"ライオトルーパー"へと変身することが可能なベルト型ツールだ。

 

 ベルト・ジェネレーターの携帯電話・各武器の一式をケースで運ばなければならないファイズギア等と違い、ベルト一本で全てを持ち運べるのが魅力的なベルトではある。

 その分装備は貧弱で、ここまでの窮地でもなければ使う者はおるまい。

 ファイズ・カイザ・デルタのどれと比べても性能は遥かに劣る。

 だが―――()()()()()()()()()()()()()で見れば、十分過ぎるほどの武器だった。

 

 本来ならばスマートブレインに反逆した者を殺すシステムが組み込まれているのだが、花形がそれを取り除いたこのベルトは、長瀬と三原が手にしたか細い希望であった。

 

「こっちは何だろう」

 

「色合いからしてファイズの強化武器とかか? まあ、ついでに持って行こうぜ」

 

 二人はベルトを手に入れまた移動を始めるが、徐々に建物の中をうろつく敵が増えてきた。

 

「おい、脱走した人間は居たか」

「いや居ないな」

「くそ、早く見つけないと……」

「手柄を立てておけば欠員が出た時、次期ラッキークローバーも狙えるからな」

 

 長瀬と三原の脱走が発覚し、二人を探すオルフェノクがどんどん来ているのだ。

 このままでは見つかるのも時間の問題だろう。

 で、あるならば、いっそこちらから仕掛けるのも手である。

 

「俺が先に使う。三原、俺が先にやられたら後は頼む」

 

「ああ。気をつけろよ、長瀬君」

 

 長瀬はベルトを腰に巻き、曲がり角で待ち構えた。

 三原は邪魔にならないよう隠れる。

 二人を探すオルフェノクが四人、廊下をオルフェノク体でゆっくりと歩いている。

 長瀬は曲がり角で待ち、じっくりと、焦りを抑えながら待つ。

 

(もう少し……もう少し、近くに来い……)

 

 そして曲がり角の前にオルフェノク達が差し掛かった、その瞬間。

 

(ここだ!)

 

 変身しつつ曲がり角から飛び出して、長瀬はオルフェノク達に襲いかかった。

 

《 Complete 》

 

「! 例の人間だ! 殺っちまえ!」

 

 四体のオルフェノクが同時に対応し、『ライオトルーパー』となった長瀬へ攻撃しようとして、こんがらがった。

 ここの廊下は狭い。

 全身に棘やら角やら触手やらが生えているオルフェノクが、武器を出してまで敵を攻撃しようとすれば、まず間違いなく仲間に先に当たってしまうくらいに。

 

「邪魔や! オレの剣が振れへんやろが!」

「おい肩がぶつかったぞ気をつけろ!」

「ここの廊下なんでこんな狭いんだよ!」

「しまった! こいつ、狙ってここで仕掛けて―――!?」

 

 だからこそ、長瀬は地図を見てここを襲撃の場所に選んだのだ。

 

 ライオトルーパーの固有武装・アクセレイガンの刃がオルフェノクの喉に突き刺さる。

 千度の高熱を発する刃が、秒間六百万回の振動にて喉をバターのように切り裂いた。

 首の2/3を切断され、名も無きオルフェノクが死に至る。

 残り三体。

 

「銃とナイフの一体型武器か。悪くねえ」

 

 襲いかかるオルフェノクの剣、槍をアクセレイガンの刃で受け流し、長瀬はアクセレイガンをガンモードへと切り替えた。

 拳銃であり、ナイフでもある。

 それこそが変形武器アクセレイガンの最大の強みと言えるだろう。

 剣を受け流せる強度を保ったまま、アクセレイガンは至近距離から敵へとフォトンブラッドの火を吹いた。

 

「強い奴が作った武器だ、手応えで分かる!」

 

「ふぉ、フォトンブラッドだ! 簡易版でもヤベえぞ!」

 

 ライオトルーパーはオルフェノクに対して有効であるフォトンブラッドを扱えない。

 だが発射する銃弾だけは、フォトンバンクという貯蓄カートリッジにより、フォトンブラッドで構成されている。

 ゆえにこそ、一定の威力は保証されているのだ。

 デルタで慣れた長瀬のフォトンブラッド銃撃により、三体のオルフェノクは押し込まれながら肌を焼かれていった。

 

「そらっ!」

 

 多様な場面で多用できる。

 それこそが『武器として優れている』ということだ。

 長剣とナイフが戦えばまず長剣が勝つだろうが、大抵の軍隊は長剣ではなくナイフの方を武装として採用している。

 "対人戦闘ではリーチが長い武器の方が強い"という当たり前の強みと比べても、なお優秀と判断されるほどに、ナイフの汎用性は評価されているのである。

 

 銃技術が発展した今日において、単純なリーチを求めるならば、銃を併用すればいい。

 

「一体、二体、三体ッ!」

 

 長瀬の攻め手に、銃剣武装・アクセレイガンはよく馴染む。

 あっという間に、ナイフの刃は残り三体の喉も切り裂き、その命を死に至らせた。

 今のオルフェノク達が三下の雑魚だったというのもあるが、長瀬にとってはライオトルーパーが一定の性能を備えていたことの方が大きかった。

 

「デルタほど強くないが、十分だな」

 

 千度の高熱刃を秒間六百万回の振動で叩きつけるこの武装は、普通に強い。

 複数の武器を効果的に使い分ける必要もなく、一つの武器を銃と剣で使い分けるだけな仕様もシンプルな使いやすさに直結している。

 デルタのパンチ力が3.5t、キック力が8t。

 ファイズのパンチ力が2.5t、キック力が5t。

 そしてライオトルーパーのパンチ力が2t、キック力が4tだ。

 長瀬の体感を基準にしても、ライオトルーパーの身体能力はさほど悪くない。

 

「移動するぞ三原。あんまうろうろもしてられねえ」

 

「待ってくれ長瀬君。こいつらの持ち物を調べればもしかしたら……あった!

 カードキーだ! こいつらの職員用カードキーがあれば、入れる部屋が増えるぞ!」

 

「! でかした! なんか慣れてんな、あんた」

 

「へへっ、草加に連れられてから俺がどんだけ望まない戦いに参加させられたと思う?」

 

「……お、おう」

 

 灰になったオルフェノクの残骸からカードキーを回収する三原の背中には、望まずして修羅場の経験を積み重ねてしまった者の哀愁が漂っていた。

 フォトンブラッドを再充填するため、一旦変身を解除した長瀬を三原が導く。

 三原の慎重な性格は、ルート選びでも有効に発揮されていた。

 

「そこを右」

 

「りょーかい」

 

 進んで、進んで。

 重要そうなデータがありそうな部屋にあたりをつけ、そこまで移動したところで。

 

「……げっ」

 

 目的の部屋の前に立つ、『ハゲタカオルフェノク』の姿を二人は目にした。

 長瀬はその姿に見覚えがある。

 長瀬が琢磨に殺され、オルフェノクの記号を埋め込まれて蘇生した後、目覚めて最初に目にしたオルフェノクだ。

 要するに、長瀬を蘇生させたと思わせるオルフェノクの研究者である。

 

 猛禽のオルフェノクとして襲いかかって来たかのオルフェノクは、長瀬の巴投げで吹き抜けに落とされたのだが……流石はオルフェノク。死んでいなかったらしい。

 長瀬のかつてのクラスメイト星埜(ほしの)イユを捕食殺害した、アマゾン化したイユの父親が『ハゲタカアマゾン』だったことを考えれば、世界を越えて因果は巡ると言ったところか。

 ハゲタカオルフェノクは、長瀬を目にして獰猛に笑う。

 

「ようこそ。溶原性細胞の散布作戦データは、この部屋の中だ。」

 

「お前を倒さないとそれは手に入らない、と。シンプルだな」

 

「ああ、シンプルだとも。お前達が私に勝てない、ということも含めてな」

 

 笑って、腰に『デルタのベルト』を巻いた。

 

 思わず一歩引いた長瀬の顔を見て、ハゲタカオルフェノクは露骨な殺意を見せる。

 

「マジかよこの野郎!」

 

「あの時はよくもくだらない抵抗をしてくれたな、人間風情が!」

 

 このオルフェノクはなんとも心の狭いことに、あの時のことをまだ根に持っていた。

 その上でデルタギアをこっそり持ち出し、人質扱いの長瀬を密かに抹殺しにやって来たのだ。

 なんとまあ、能力はともかくとして性格面は問題児極まりない。

 

「変身!」

 

《 Standing by 》

 

 ベルトを巻くのは敵が先でも、変身過程が簡略化されたスマートバックルならば、後追いで変身しても追いつける。

 

《 Complete 》

《 Complete 》

 

 ただし、スペックまでは追いつけない。

 

 デルタが銃を抜き、ライオトルーパーが銃を抜き、ハゲタカと長瀬の視線がぶつかる場所で二つの銃弾が衝突したが、デルタの銃弾が一方的に押し勝つ結果に終わった。

 

「―――!」

 

 突き抜けて来るデルタのフォトンブラッド弾。

 初めから押し負けることを予想していた長瀬は横っ飛びに避け、避けた先で追撃の光弾を切り払った。

 ……振動する切断剣の切れ味が、一部融けて消失する。

 千度の高温で切り裂くナイフの刃は、千度程度では変形すらしないはずなのに。

 

「げっ」

 

「これが、デルタの力! ……溺れる、溺れるのが心地良いぞ! 溺れる力だッ!」

 

 ナイフに当たれば熱融解で切れ味が損なわれ、装甲への被弾はおそらく死に繋がり、当たった壁は溶け落ちる。それがデルタの銃撃だった。

 敵にして初めて思い知る、デルタの『純粋に出力が高い』という恐ろしさ。

 そして、純粋に出力の高いフォトンブラッドの恐ろしさ。

 長瀬は幾度となく放たれる光弾を時に避け、時に切り払うので精一杯だ。

 

「クソッタレ、やべえ!」

 

 そも、ライオトルーパーは基礎出力こそ低い量産型だが、装甲自体はカイザやオートバジンと同じソルメタル228によって作られている。

 ソルメタル製の装甲は絶対零度から2000℃までの温度変化に耐え、金属の粘り強さとダイヤモンドの硬度を併せ持つ、戦車砲でも敵わないように設計された理想装甲だ。

 最強じゃないか、と思う者も居るだろう。

 が、このソルメタルを超える超合金ルナメタルでさえも、ファイズの剣(ファイズエッジ)のフォトンブラッドであれば溶断が可能……となると、話は違う。

 

 ソルメタルは強力だ。

 だがそれ以上にフォトンブラッドが強力なのだ。

 ライオトルーパーが強力で、それ以上にデルタが強力であるのと同じように。

 フォトンブラッドのジェネレーターを持たないライオトルーパーでは、デルタの相手は少々……いや、かなり分が悪い。

 

「くぅたぁばぁれぇやぁッ!!」

 

「野郎、オルフェノクのくせにデルタに闘争本能を暴走させられて……あづっ!」

 

 装甲が焼ける。

 空気が焼ける。

 フォトンブラッドが通り過ぎた空気の温度を、重さを、匂いを変えていく。

 ファイズアクセルフォームのスペックを成立させるほどの銀のフォトンブラッドが、悪夢のような銀色が、満点の星空のように視界を埋め尽くす。

 ソルメタルの多重構造で頭と胴を守るライオトルーパーでなければ、防御重視のこのギアでなければ、長瀬はとっくの昔に死んでいてもおかしくはなかった。

 

(熱い……!)

 

 耐久温度限界42度の人間に、ライダーズギアがぶつかる数千度の戦いはあまりにも厳しい。

 装甲があって初めて耐えられる、焦熱地獄の殺し合いだ。

 この領域の戦いでは、何よりも気力が物を言う。

 後方から戦いを見守っていた三原には、今の長瀬がどう苦しんでいるのかが手に取るように分かっていた。

 

(マズい、このままじゃ……一か八か、やるしかない!)

 

 とはいえ三原にできることは多くない。

 あるのは、父の花形がスマートバックルと一緒に隠していたファイズの強化ツールと思しき謎の道具のみ。

 三原はそれがよく分からないまま、それを投げた。

 

「苦し紛れも甚だしいわッ!」

 

 何もしないよりはマシだ、という諦めの悪い三原の行動をハゲタカが笑う。

 そして投げた物を撃つ。

 デルタの銃弾は投げられたそれを貫通―――せず、逆に一方的に弾かれてしまった。

 

「な」

 

「―――」

 

 驚愕するハゲタカの前で、長瀬が前に跳びそれをキャッチする。

 長瀬の目がそれの表面を見回してみても、焼け跡の一つすら残ってはいない。

 

「何が何だか分からねえが、諦めなきゃ奇跡ってのは起こるもんだな……!」

 

「くっ」

 

 かくして長瀬は、それを盾にしてデルタの銃弾の雨の中に飛び込んだ。

 何発防いでも傷付く様子は全く無い。

 つまり、カラーリングからファイズの強化武器かもしれないと推測されたこの謎の機械は―――()()()()()()()()()()()()()()()ならば、一切傷付かないように出来ているということだ。

 何故か備わっていた異常な耐熱。

 奇しくも、奇跡的に、三原の破れかぶれの行動が、デルタに対し詰めの一手として機能した。

 

「捕まえたぜ、デルタ!」

 

 ライオトルーパーの腕が、背後からデルタを羽交い締めにする。

 

「離せ人間! 貴様なぞに……!」

 

 デルタのパンチ力が3.5t、キック力が8t。

 ライオトルーパーのパンチ力が2t、キック力が4t。

 身体能力はせいぜい1.5倍から2倍。

 人間とオルフェノクならともかく、デルタとライオの身体能力の差などその程度だ。

 ならば、関節の位置を意識してさえいれば、一定時間抑えることは難しくない。

 

 互いに変身無しで戦っていたなら、ハゲタカもこんな無様なことにはならなかっただろうに。

 

「ライダーズギアは、構造さえよく知ってりゃ奪い取るのは難しくないんだよ!」

 

 その隙に三原が飛びかかり、ハゲタカオルフェノクからデルタのベルトをひったくった。

 

「や、やめろ!」

 

 オルフェノクの体表からデルタの装甲が消失していくのと、三原が手慣れた動作でデルタギアを腰に装着するのはほぼ同時。

 三原が変身に手間取ることなどあろうはずもない。

 彼は、デルタへの変身に手慣れているがゆえに。

 

「変身!」

 

《 Standing by 》

 

 戦力比の逆転は、一瞬だった。

 

《 Complete 》

 

 ハゲタカオルフェノクが飛ぶようにして逃げる。

 彼の視線の先には、肩を並べるライオトルーパーとデルタの姿。

 

「こ、こうなれば……!」

 

「どうもならねえよ、もうな!」

 

 一瞬一撃。

 ハゲタカオルフェノクの腕による一撃はかわされ、ライオトルーパーのボディブローが腹に、デルタの銃撃が眉間に当たる。

 オルフェノクが怯んだ一瞬、長瀬のラリアットが首を打ち、三原の狙撃が鳩尾を撃つ。

 ぐらり、と揺れたオルフェノクの体が膝をつく。

 

「おのれぇッ……!」

 

 そしてデルタのバーストモード一斉射撃が、オルフェノクの胸に大穴を空けた。

 

「へっ、デルタさえ取り戻せば笑っちまうくらい楽勝、だった――」

 

 だが、決着の瞬間、長瀬の体も同時にぐらりと揺れる。

 こちらは膝をつくことさえ出来ずに、床に倒れ込んでしまった。

 

「――な」

 

「長瀬くん!」

 

 連戦。この世界に来てからの連戦は長瀬の体に慢性的な負荷をもたらした。

 牢に放り込まれる前のドラゴンオルフェノクとの連戦、この施設での連戦は、長瀬の体に急性の負荷をもたらした。

 人間の体は数時間でそれらを癒せるような都合のいい構造はしていない。

 

(っ)

 

 そして、三原も万全の体調とは言えない。

 ここに監禁される直前敵との戦闘で受けたダメージが完治したとは言い難く、狭い牢の中で運動不足と栄養不足のダブルパンチを食らってもいた、というのが三原の現状だ。

 長瀬よりはマシかもしれないが、長瀬よりマシでしかない。

 二人の変身が解除され、三原もまた壁に寄りかかって息を整え始めた。

 

 幸い、重要な情報がありそうな部屋は目の前である。

 

「ラッキーだったな、三原」

 

 幸運は重なった。このタイミングでデルタを取り返せたのは、望外の幸運である。

 

「俺達が仮にここから脱出できなくても―――これで、希望が繋がったかもしれないぜ」

 

 変身ツールを取り戻すことと、仲間との連絡手段を取り戻すことがイコールなのが、この世界のライダーズギアなるものの特徴であった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 それは長瀬達にとっては希望、スマートブレインにとっては厄介事であった。

 スマートブレインのオルフェノク化溶原性細胞の運搬経路、保管施設、量産予定工場の場所の情報が全て乾巧達の下へ届けられていく。

 貴重な情報を届けられた男達は、戦うべき戦場へと駆けた。

 

「薄汚いオルフェノクの計画なんて、必ず阻止してみせる」

 

 離陸準備を始めたスマートブレインの航空機を、サイドバッシャーに跨るカイザ/草加が睨む。

 

「そんな悪夢は、絶対に起こさせない」

 

 山中に隠された工場と無数の車両に向け、木場がオルフェノクの大剣を掲げる。

 

「ちゅうか、加減ってものを知れって話よ、スマートブレインは」

 

「だね」

 

 海堂と照夫が地下のスマートブレイン施設の車両にせっせせっせと爆弾を仕込んでいく。

 

「馬鹿みたいに群れてるな、お前らは」

 

 そして乾巧は、出て来なくなったドラゴンオルフェノク以外のラッキークローバー達と、幾度となく衝突していた。

 

 戦いの場が散る。

 散っていった脅威がライダー達によって潰されていく。

 まるで、人間が三つ葉の草原から四つ葉を見つけ出して摘んでいくように、野望の芽が摘まれていく。

 

「守れ! 助けろ! 阻止するんだ! ……ここで負けたら、人間なんて絶滅するぞ!」

 

 戦いに戦いを継いでいくような、そんな激闘の数時間が始まっていた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 長瀬と三原は、仲間達が世界を守るために戦う中、必死に脱出のため走り続けていた。

 

「変身!」

「変身!」

 

 ライオトルーパーとデルタの武装が、人の心を失った怪物達の命を断っていく。

 脱出しなければ世界を救うために戦えもしない。

 だが、速攻で脱出するには施設内のオルフェノクが多すぎる。

 長瀬と三原は消耗しながら、敵と戦わないよう回り道しつつ、それでも削れる時間と体力に歯噛みする。出口まで、あと少しだ。

 

「よし、出口だ! もう少しだぞ三原!」

 

「帰ろう、家に帰るんだ……! 正直に言うと、もう戦いたくない!」

 

「……なんつーか、戦う覚悟を語るより、戦いが嫌だって叫ぶ方が力入ってんなお前……」

 

 そうして出口に辿り着き―――彼らの前に、十体のオルフェノクを従えた琢磨逸郎が現れた。

 

「やあ」

 

「げっ」

 

 敵を見るだけで目眩がしたのは、ここで待ち伏せされたという最悪ゆえか、それともいい加減長瀬の体調が限界を迎えていたからか。

 

「ここに張っていた甲斐があった。さあ、殺して差し上げましょう」

 

「暇なのかよ、ラッキークローバー」

 

「いいえ、暇ではありません。

 君達の仲間が計画を邪魔してくれたおかげでてんてこ舞いですよ。

 ただ、まあ……僕はそこまで人間の絶滅を必死でやろうとするタイプの者でもないので」

 

 琢磨が瞼を下ろせば蘇る、嫌な思い出。

 デルタギアの最初の所有者がデルタギアを使って、琢磨を襲った時の記憶だ。

 それのせいで琢磨はしばらくべそをかきながら震え、デルタに襲われる悪夢を見ては飛び起き、デルタの強さを恐れてビクビク過ごすハメになったという。

 その恐怖が、今は長瀬の手の中にあった。琢磨は目を大きく見開く。

 

「だが、それとこれとは話が別だ。

 僕を恐れさせたデルタのベルト……

 それを手にした君……

 他の誰かが君を殺してしまう前に! ここで着けたい決着がある!」

 

「そうかよ……変身!」

 

「突っ切るぞ長瀬君!」

 

 長瀬はデルタに、三原はライオトルーパーに。

 それぞれ変身したことに違和感を持ったのはおそらく、交戦経験の多い琢磨だけだったろう。

 他のオルフェノクは違和感を持たなかったが、デルタの使用期間が長い三原がデルタを使うと予想していた琢磨は少し意外そうな顔をする。

 だがその理由はすぐに判明した。

 琢磨が目を疑い、目を擦る。

 

(なんと)

 

 長瀬/デルタが前に出る。その後ろから三原/ライオが銃を撃つ。

 近接戦は思い切りがよく喧嘩慣れした長瀬の方が明らかに強く、そんな長瀬にデルタを持たせることで前衛に強力な圧力が生まれていた。

 銀の拳が風を切り、オルフェノクを片っ端から殴り飛ばす。

 そして琢磨の配下オルフェノク達が怖気付き、下がった瞬間―――長瀬と三原はベルトを外し、互いに向かって投げた。

 

(こんな連携を組み上げていたとは)

 

 敵オルフェノクにベルトを取られない軌道での、綺麗なトス。

 今度は長瀬がライオトルーパーに、三原がデルタへと変わる。

 

「変身!」

 

 ベルトを交換すれば、また流れるように戦いが再開された。

 長瀬/ライオが敵の攻撃を止める前衛を努め、後方から三原/デルタが銃撃で敵の急所を撃ち抜いていく。射撃は明らかに三原の方が上手かった。

 デルタが撃ち抜くまでの足止めならば、ライオトルーパーの性能でも十分過ぎる。

 そう、琢磨が驚いたのは、こうして流動的に『前衛と後衛の性能バランス』を変化させる変幻自在の連携に対してであった。

 

「残り五体!」

 

「気張って行こう!」

 

 スタンディングバイ、コンプリート、機械音声が連続する。

 二人の変身者が二つのベルトを使って居るため、敵オルフェノク達は合計四種類の組み合わせとなる戦法の変化に対応しきれていない。

 長瀬がデルタの時は、フィニッシャーはデルタの拳だ。

 三原がデルタの時は、フィニッシャーはデルタの銃だ。

 簡単に対応できると言い切るには、デルタの基礎出力が高すぎる。

 

「くっ……悪い、今目を離しちまった! 今あの人間のどっちがデルタだ!?」

「格闘が強い方だ! 迂闊に近付いたらっ、ぐああああっ!?」

「馬鹿野郎、しっかりしろ!」

 

 長瀬の格闘という長所と、三原の射撃という長所をデルタで均等に強化し、ライオトルーパーの『長期戦だと弾丸が尽きる』という短所をこまめな変身解除で補う。

 こう言うと正しい表現とは言えないかもしれないが、今や二人は"二人で一人のデルタ"であるというわけだ。

 二人が等しくデルタに適合したがゆえのフォーメーション、であると言えよう。

 あっという間に、琢磨配下のオルフェノクは残り一体まで追い詰められていた。

 

「面白い」

 

 そこでようやく、重い腰を上げた琢磨が参戦する。

 

 琢磨は長瀬と三原の連携に少し心奪われていただけで、手加減してやる約束もなければ、待ってやる義理もない。

 

「長瀬君!」

 

「悪い、そっちの足止め頼む!」

 

 三原は最後の一体の足止めをして、長瀬が琢磨の迎撃に移った。

 全力で握れなくなってきた拳を握る長瀬。デルタが拳を握る力を増強する。

 琢磨がセンチピードの拳を握る。

 二人は全力で踏み込み、全力で拳を握り、体ごとぶつかるようにして互いの腹へと拳を叩き込んだ。

 

「かっ」

「ふっ」

 

 一瞬、長瀬の意識が飛ぶ。

 意識が飛んで、昔戦場で特殊部隊の隊長・黒崎に言われた言葉が蘇る。

 

―――ヒーローごっこやめて、さっさとママのところ帰れ

 

 意識が戻る。

 自分と千翼が一緒に怪物を狩っていた頃、そんなことを言われた記憶が、長瀬の腑抜けた体に気合を入れてくれた。

 

 長瀬の膝が度重なるダメージで笑う。デルタのパワーアシストがそれを補正する。

 琢磨の足が地面を擦るように走る。

 デルタの足とオルフェノクの足が、互いの脇腹を強烈に蹴り込んだ。

 

「があっ」

「ぎぃっ」

 

 長瀬の意識が飛ぶ。

 

―――親が子供殺すのかよ!

―――親だからな……殺すんだよ

 

 意識が戻る。

 長瀬が仲間を虐めるクソ親に抗った時の記憶が蘇って、少し嫌な気持ちになってしまった。

 ああ、嫌だ、嫌だと思いながらも地を踏みしめる。

 デルタが銃を抜き、センチピードが鞭を抜く。

 容赦なく急所狙いの二人の攻め手は、互いの喉を正確に撃ち、正確に打つ。

 デルタの喉が鞭で打たれた音と、センチピードの喉が銃で撃たれた音が、重なった。

 

「っ!」

「ッ!」

 

 長瀬の意志がまた飛んで、イユという少女を後ろに乗せてバイクを走らせた記憶が蘇る。

 

―――住んでた街とか……学校とか……そこに行く。……楽しかった場所……

 

 死ねない。

 その強い想いが、命と一緒に飛びそうになっていた意識を引き戻す。

 

(やべえ)

 

 踏み込み、琢磨の胸を蹴り飛ばす。

 浅い。吹き飛ばしただけだ。胸抉るようなダメージがない。

 琢磨は苦悶の声一つ漏らさず、距離を測ってジリジリと動き、長瀬は肩で息をする。

 長瀬の思考は焦燥に包まれていた。

 

(体の、どこにも、怪我なんてねえけど……これ、多分―――)

 

 長瀬の一般人とそう変わらない肉体が悲鳴を上げている。

 強い意志を持っていなければ、気絶したらそのまま死んでしまいそうな気すらした。

 意識と一緒に命まで飛んでしまいそうな、気を抜けば命も一緒に抜けてしまいそうな、そんなギリギリの領域の戦闘。

 ギリギリの領域の狭間に、長瀬は己の記憶を見た。

 

(―――走馬灯だ)

 

 長瀬は知っている。

 人間が走馬灯と呼ぶものの正体を知っている。

 人間の死体が、オートで生前の記憶を再生しようとすることを、知っている。

 星埜イユを見てきたから、知っている。

 

 これが見えているということは、自分の体が死体(イユ)に近付いているということだ。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 生まれ生まれ生まれ生まれて生のはじめに暗く、死に死に死に死んで死の終わりに冥し。

 戦いの中では、いつも生と死の境界が曖昧になる。

 琢磨逸郎は、デルタの光を睨んでそう思った。

 この銀光は、喰らえば死にそうで怖すぎる。

 

 魔を討つ銀弾。

 魔物退治には、銀の銃弾こそが相応しい。

 デルタを銀の銃弾撃ちとして作った者は、間違いなくこれを魔物退治に特化させている。

 今は自分が魔物なのだと、琢磨は自嘲するように鞭を振るった。

 その鞭の合間を、闘争本能を高められた動きで長瀬/デルタが野獣のように跳び抜ける。

 

「あああああああッ!」

 

「そう、それだ、長瀬裕樹。

 デルタギアが闘争本能を高めても、頑なに一線を越えないその精神性。

 それは闘争本能を中途半端に抑え込まず、獣の精神性として解き放つがゆえなのか?

 人が獣のように戦うことに違和感も忌避感も持たない、その在り方が!

 おそらくは適性の無い人間がデルタギアを乗りこなすための、最適解の一つなのだろう!」

 

 獣の銀の銃撃を、センチピードが小刻みに跳んで回避する。

 反撃に振った鞭が外れて大木を真中からへし折った。

 

 半端に理性で乗りこなそうとする者に、デルタは向かない。

 三原のように闘争本能がほとんど無い優しき適性者でないのなら、長瀬のように獣を参考にしたスタイルを貫くのが最適解なのかもしれない。

 デルタの制御は崖を飛び越えるのに似ている。

 半端に飛べば落ちるし、堕ちる。

 ならば初めから飛ばないか、思いっきり跳んで崖を飛び越えるかするしかないだろう。

 

「ファイア! ぶち抜けデルタァ!」

 

《 Burst Mode 》

 

 野獣だ。

 獣は人間のように闘争本能を抑えることなどしない。

 人間は本能を抑え理性で"人体に最適化された技"を使うものだが、獣は人型をしていても本能を滾らせ"敵を食らう業"を用いて動く。

 アマゾンなる怪物は、皆そうだった。

 己の中に巣食う獣を手懐けていた。

 今ここにいる長瀬の戦闘スタイルもそれである。

 

 その動きは人間であるにもかかわらず、時に人外であるオルフェノクよりも獣らしい。

 

「さあ、来い、来い、長瀬裕樹!」

 

 銀光の銃弾を鞭が叩いて落とし、路面がフォトンブラッドで蒸発する。

 

「僕は……ラッキークローバー。上の上の認定を受けたオルフェノク!」

 

「んだよ自慢かよ! 知らねえってんだよ!」

 

「ああ、自慢だ! 僕はオルフェノクの中の最上級種!

 そして……そして! 僕より弱いラッキークローバーなど、一人も居ない!」

 

「―――!」

 

「僕は最強の中の最弱だ! 無敵にも最強にもなれない、それだけの!」

 

 ガギン、と鞭のトゲがデルタの装甲を削る。

 ジュッ、とデルタの銃弾がセンチピードの肩を焼く。

 

「上には上が居るんだ……僕の上にも……誰の上にも……!」

 

 人間社会も、オルフェノク社会も、上には上が居る。

 琢磨はエリートの中の雑魚、大物の中の小物、最強の中の最弱だ。

 彼本人が言う通り、彼が最強と呼ばれることも無敵になることもないだろう。

 

「僕はね、別に人間社会の中に溶け込んでもいいんだ。

 どうでもいいんだ、そんなことは。

 人間なんて生きていても死んでいてもどうでもいい。何かしようとも思わない」

 

「は? 何が言いてえ……いや、何がしてえんだ、お前」

 

「……別に」

 

 二人の攻撃がすれ違い、空を切る。

 

「何をしたいとも思わない。

 僕に理想なんて無い。夢なんて物はない。渇望する目標もない。

 村上社長や冴子さんのように、人間の居ない世界を(こいねが)っているわけでもない」

 

「……人を散々殺しといて、その言い草かよ! くたばれ!」

 

 怒りのこもったフォトンブラッド弾が、琢磨の脛を撃ち抜き、焼き切る。

 

「ぐっ……!」

 

「ふざけんなよてめえ……んな小物みたいな思考じゃ、殺された人間も浮かばれねえよ!」

 

「強くなっても強くなっても上がいる。

 僕は僕を虐めようとする者が居なければいい。

 僕はもう最強になんてなる気もない。

 そう……そのくらいしか望んでいない。

 僕は、多分、僕を見下す奴が皆死ぬことくらいしか望んでない」

 

「てめえより強い奴が存在してる限り、その望みは叶わねえんだろ! 分かってんだよ!」

 

 足を撃たれて膝を折った琢磨へ放たれた追撃の銃撃を、琢磨は鞭を盾として防ぐ。

 

「なら、君はなんだ」

 

「あ?」

 

「僕は言った。僕は語った。これが僕の全てだ。

 だが君は何だ?

 何がしたい?

 君は何がしたいんだ。

 君だけだ、戦う理由が全く見えないのは。

 目的が見えないのに、得することもないのに……君は必死に戦ってる」

 

 長瀬は外様である。

 この世界に本来何の因縁もない。

 世界を救う義理などないはずなのだ。

 長瀬からすれば戦う理由など腐るほどあるのだが、琢磨にはその理由がほとんど見えない。

 何故ならば、どこで誰に勝とうと、長瀬は物理的に何か得する事柄が一つも無いからだ。

 

「得するから戦ってんじゃねえよ!

 そんな理由で戦ってるのは……恵まれてるやつだけだ!

 生きたいってだけで戦ってるやつも!

 そこにそいつが生きてるのが許せないやつも!

 ……後悔してるから、今でも自分が許せねえから、過去を見ながら戦ってるやつだって!」

 

 千翼を思い返しながら、長瀬は拳を叩きつける。

 

「後ろ向きですねぇ!」

 

 琢磨は自分のためだけに、拳を叩きつける。

 

 オルフェノクの人生には何がある?

 あらゆるスポーツで最強、戦争に行っても無敵、犯罪者になれば警官にも止められず、オルフェノクの足より遅い車両の開発のために学問を修める意味もなく。

 けれど、肉体的な戦闘力を除けば大体が人間と変わらない。

 強さだ。

 人間とオルフェノクの一番分かりやすい差は、肉体的な強さである。

 琢磨もまた、自分がどう生きていくかを、自分の強さと弱さを前提に決めていくしかなくて。

 

「強さが全て、それなら分かりやすい」

 

 オルフェノクの中でも上の上の強さを持つラッキークローバー。

 強さだけで選ばれるラッキークローバー。

 その中で最弱と見なされているセンチピードオルフェノクの琢磨は、どうすればいい?

 最強の中の最弱は、『強さを絶対視する生き方』を迷いなく選べるものなのか?

 少なくとも、琢磨はそこに迷いを持ってしまっていた。

 

 強さだけが全ての世界に琢磨が飛び込めば、そこには弱すぎる人間の群れと、デルタやドラゴンオルフェノク等の強者達が待っている。

 戦えば死。

 自分より強い相手に戦いを挑めば、その先には死しかないはずなのだ。

 

「なら、自分より強い者に果敢に挑めるのは何だ。

 僕が絶対に選びそうにないその生き方を自然に選ぶ君は、君達は、何だ!」

 

 なのに、巧も、草加も、木場も、海堂も、長瀬も。

 誰もが自分より強い相手に挑むことを躊躇わない。

 弱い者いじめの時はイキイキとしていて、強い相手を前にすると気が引ける琢磨は、鞭に魂を込めるようにして強打する。

 心を込めた言葉を同時に叩きつける。

 強さとは何か? 迷う琢磨は、長瀬に問いかけていた。

 

「何故だ。

 何がしたい?

 何を想ってる?

 何を抱えてるんだ?

 あの恐ろしい北崎さん(ドラゴンオルフェノク)にさえ、何故君は立ち向かえる!」

 

 最強の中の最強であるドラゴンオルフェノクを、巧と長瀬は曲がりなりにも倒した。

 最強の中の最弱である琢磨には、彼らの持つ立ち向かう勇気も、絶対強者を倒す心の力も、何もかもが理解の範囲外だったのだ。

 胸を打つようなショックだったのだ。

 自分はこのままでいいのか、と思うほどに。

 ラッキークローバーでいいのか、と思うほどに。

 何もかも投げ出して人間社会の中に紛れ込むようにして逃げようか、と思ってしまうほどに。

 

 蘇りかけた"人間的な弱さ"を振り払うように頭を振って、全力の右ストレートを放つセンチピードオルフェノクに、長瀬は綺麗なクロスカウンターを合わせた。

 

「ぐあっ……!?」

 

「俺に頭の良い理由なんて求めてんじゃねえ!」

 

 流れるように前蹴りに繋げ、浮いた琢磨に銀の銃弾を叩き込む。

 

「づっ!」

 

「クソ親が仲間を殺そうとしてたのを見て!

 その首に何も考えねえでショットガンぶち込んだことだってあるっ!」

 

 長瀬は走馬灯と現実の間を行ったり来たりした時に、記憶の中で自分がやっていたそれをなぞるように、琢磨の首に銃口を突きつけ引き金を引く。

 

「ア゛ッ!?」

 

「ムカついた、で十分だろうがッ!!」

 

 あと一撃。

 ここで倒れた琢磨にあと一撃決定的なものを叩き込めば、勝てる。

 だがその一撃を加えるのにおそらくあと数分が必要で、遠くからスマートブレインの車両が疾走する音と、オルフェノクを片付けた三原がバイクに乗って慌てた様子でやって来た。

 時間切れだ。

 ここで琢磨にトドメを刺せるほどの余裕はない。

 

「長瀬君! これ以上ここに居たら、スマートブレインの援軍がまた……」

 

「……分かった!」

 

 三原がどこぞよりかっぱらって来たバイクに長瀬が乗り込み、逃走する二人の姿が見えなくなった頃、倒れた琢磨の周りにスマートブレインの名も無きオルフェノク達が駆けつけた。

 

「クソ、人間いねえ」

「大丈夫です。作戦が成功すれば、他の塵芥諸共に全滅する人間ですから」

「琢磨様!」

「ラッキークローバーが負けるなんて……」

 

 周りが騒いでいるが、琢磨は何一つとして聞いていない。

 

「……ムカ、ついた?」

 

 その脳裏には、長瀬の言葉がいつまで経ってもリピートされていた。

 

「それだけで……強者に立ち向かえるだなんて……そんな……」

 

 勇者は龍に立ち向かう。

 御伽噺において、勇者は龍を討つもの。龍は勇者に討たれるものだ。

 されどいつだって小悪党は、竜に食われる小物でしかない。

 

 龍を倒して、龍を超えて、最後に残るのは勇者の役目。

 

 けれど琢磨は、どこまで行ってもドラゴンに踏みつけにされる者でしかなく―――

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 バイクを運転する三原、その後ろで三原にしがみついていた長瀬。

 だがしがみつく力は徐々に弱っていき、ずるりとバイクから転がり落ちてしまった。

 デルタの装甲が彼の命を守ってくれたが、衝撃で外れかかっていたデルタのベルトが外れ、変身が解けてしまう。

 

「長瀬君!」

 

 三原も変身を解除し、バイクを止めて長瀬に駆け寄る。

 

「大丈夫か!?」

 

「……う」

 

「流石に無茶をしすぎだ。これ以上の消耗は命に関わるぞ」

 

 長瀬をどこかに寝かせようと考える三原だが、長瀬も三原も、その場所に見覚えがあった。

 

「ここは……」

 

 長瀬はここで琢磨に殺された。

 つまり、別の世界からここに来た覚えがある。

 三原は以前、ここにディケイドとディエンドという異世界の仮面ライダーが来て、オルフェノクが全人類のオルフェノク化計画をやろうとしていたのを阻止してくれたのを思い出していた。

 つまり、別の世界から誰かが来たのを見た覚えがある。

 

「三原、ここ、俺が初めて来た場所だ」

 

「え?」

 

「……こっからなら、元の世界に帰れたりしてな。ははは」

 

 ここは世界境界が存在する場所である、ということだ。

 ここからなら元の世界に戻れるかもしれない。

 ここからなら別の世界に旅立てるかもしれない。

 とはいえ、それも机上の空論だ。

 影山冴子が展望を語っていた事柄に過ぎない。

 

 長瀬は元の世界に帰れるかどうかを試してもいないが、この世界の人間がここから別の世界に行けるかどうかについては、少なくとも現時点では不可能なのだろう。

 でなければ、長瀬がスマートブレインに狙われていたはずがない。

 冴子がああいう言い方をするはずがない。

 

 ここに世界境界があるとして、それを知り、ここに注目している人間は多くないだろう。

 それこそ、長瀬の携帯電話の一部から千翼の血の痕跡を見つけ、それを利用したような。

 別世界を使って人間とオルフェノクの仕分けを企んでいるような。

 そんな、極まった差別主義者(レイシスト)のような人間くらいしか注目していないはずだ。

 

「長い足掻きでしたね。長瀬裕樹君」

 

「!」

「!」

 

 だからこそ、絶望だった。

 

 静かに現れた人間差別主義者(レイシスト)の極致が、デルタギアを拾い上げる。

 

「だが、君はここで終わりだ」

 

 三原が長瀬を庇うように立つが、それで何かが変わるわけでもない。

 絶望。

 それは、絶望だった。

 ファイズ、カイザ、デルタのベルトが揃っていても勝てるかどうか分からない威圧感。

 絶対に見逃してはくれないだろうという確信。

 命が圧される圧迫感。

 人型の怪物。

 ()()は、デルタのベルトを手にし柔らかな微笑みに穏やかな殺意を揺蕩えていた。

 

「村上……峡児……!」

 

「! スマートブレインの、現社長……!?」

 

「ええ」

 

 彼の名は、村上峡児。

 

 ドラゴンオルフェノクと同じ、切れば決着に繋がる切り札。

 そしてスマートブレインの現社長であるがために、切りたくとも切れない切り札であった。

 だが、一度切られたならばその切れ味は保証されている。

 

「デルタのベルトは回収させていただきました。

 ファイズやカイザなど、あなたがたの仲間も全員位置を把握しています。

 園田真理、菊池啓太郎、長田結花、阿部里奈……他のメンバーも移送済みです」

 

「……う、あ」

 

「駒が全て見えた状態のチェスならば、指し手が読み違いをしない限り不確定要素はありえない」

 

「……舐めんな! オルフェノク!」

 

 その一瞬に、長瀬と三原は神業と言っていい連携を見せた。

 長瀬がデルタの雷を放つ。三原がベルトを巻く。

 雷が村上社長に命中する。三原が変身を完了する。

 そして、三原が変身完了と共に出現した銃を抜き撃ち、光弾を村上に命中させた。

 

 連戦に継ぐ連戦。

 長瀬も三原も戦闘なんてどだい無理な状態であり、攻撃が成立した事自体が奇跡だ。

 ならば、そこでコンマ一秒のズレも許さない神業連携を成立させたこの攻勢は、奇跡中の奇跡と評しても過言ではなかっただろう。

 なのに。

 

 雷も、光弾も、村上・人間態の周囲を舞う薔薇に、受け止められてしまっていた。

 

「薔、薇?」

 

「優れたオルフェノクは生身のままでも力を行使することができる。

 あなたがたが、お望みとあらば……

 ライオトルーパーとデルタの残滓程度、人間態でも制圧可能なことをお見せしましょうか?」

 

 ダメだ。

 これは、ダメだ。

 『兵器』を叩きつけているはずなのに、この薔薇を散らせるイメージが湧いてこない。

 暖簾に腕押し、石に針。

 まるで、山を殴っているような気分だ。

 長瀬のか細い体力が尽き、雷は途切れる。三原の銃弾も撃ち尽くした。

 なのに村上の薔薇は散らず、花弁の一つに傷もついていない。

 その上彼の手の中には、拾い上げたデルタギアさえ握られていた。

 

「ちく、しょう」

 

 戦って、戦って、戦って。ここが終着点。

 長瀬裕樹のあがきはこんな場所で終わってしまうのか?

 違う、と叫びたくとも、この運命を覆すだけの力は二人にはない。

 既に二人の力はどうしようもないくらいに尽きている。

 村上の抜け目の無さのせいで、仲間が助けてくれる可能性も残されていない。

 

「長瀬裕樹君。ここが君の、旅の終わりだ」

 

 終わり、だった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 ここで一つ、余計な話をしよう。

 世界移動とはなんなのか?

 平行世界とはなんなのか?

 それは、世界は可能性レベルで見れば無数に分岐していて、それを移動できるのであれば、どんな可能性でも目にすることができるということでもある。

 

 長瀬が頑張っても、千翼を助けられない世界があった。

 その世界では千翼とイユが死に、長瀬は仲間であった千翼と、クラスメイトであるイユが一緒に散った死に様を、最後まで目にすることはなかった。

 その世界における人類は、総じて平和を勝ち取る道に乗れたと言える。

 

 長瀬が頑張って、千翼を助けられた世界があった。

 長瀬の奮闘は奇跡に奇跡が重なり幸運と偶然まで倍増しで乗っかったのもあって、天文学的確率を引当て千翼とイユを逃しきったが、その代わりに長瀬が死に果てることとなった。

 そんな畸形を極めた世界も、平行世界のどこかにはある。

 その世界におけるアマゾンは、総じて勝者となる道に乗れたと言える。

 

 長瀬はここではない世界からやってきた。

 

 アマゾン'sの世界から、Φ'sの世界にやって来た。

 

 

 

 

 

 終わり、だった。

 

「長瀬裕樹君。ここが君の、旅の終わりだ」

 

 村上の手から薔薇が飛ぶ。

 人を容易に殺せる薔薇だ。

 長瀬に終わりをもたらす薔薇だ。

 以後の人生から自由を奪い尽くす薔薇だ。

 千翼との出会いと別れから一区切りを置いた長瀬の旅、彼の心が何かを探し続けた異世界の旅の終わりは、ここにあった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「アマゾン」

 

《 NEO 》

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 旅が終わる。

 何かを探し続けた長瀬の心の旅に、終わりをもたらすものがやって来る。

 村上の背後に現れた『彼』は、長瀬を攻撃していた村上の胴体を容赦なくぶち抜いた。

 臓物が漏れる。

 血が吹き出す。

 吹っ飛んだ肉は地に転がった。

 "アマゾン・ネオ?"と耳にした音声を単純にリピートした村上の思考が、あまりの痛みに一瞬シャットダウンされる。

 

 そして、村上の背後に現れた青色が、胴体をぶち抜いた右腕を横に振る。

 村上の鳩尾から脇腹にかけての部分が一直線に、吹っ飛んだ。

 

「か―――は―――あ――!?」

 

「……千翼?」

 

 村上の手からデルタがこぼれ落ちる。

 脇腹から内臓がこぼれ落ちる。

 転がり落ちたデルタギアが長瀬の手元に転がっていくのと、『千翼』から逃げるように跳んだ村上社長がオルフェノクへと変身したのは、果たしてどちらが先だったろうか。

 

「ああああああああああああああッ!!??」

 

 延命のための変身。

 人間態の時に負った重症を、変身による身体変化で補うという荒業の中の荒業。

 普通のオルフェノクならば絶対的に不可能だろうが、村上ならばできる。

 彼は曲がりなりにも最強の一角。

 完全に成功した奇襲で致命傷を与えたならば、どんなに強いオルフェノクだって倒せるだろう……だが、村上を倒しきれるかどうかは、怪しいものだ。

 それほどまでに、村上は強い。

 

 その強さが分かっていないはずがないだろうに、千翼は村上にトドメを刺すことではなく、長瀬裕樹に話しかけることを優先した。

 

「夢かな、これ」

 

 千翼の声を聞き、何故か長瀬の中に湧き上がるものがあった。

 体力ではない。

 体力も、気力も、体を動かしてくれるものはもうとっくに全て底をついている。

 ならば、この体に漲る言葉で形容し難い力は何なのか。

 

「……ヒロキはあの時、俺とイユを庇って、4Cに蜂の巣にされてたはずなのに」

 

 千翼は亡霊を見るような目で長瀬を見ている。

 長瀬は亡霊を見るような目で千翼を見ている。

 二人の目が合い、二人は同時に事情を察した。

 

「夢ってことにしとこうぜ。俺も……俺も、千翼に何もしてやれなくて、死なせたクズだ」

 

「……そっか」

 

 長瀬は立ち上がる。力の尽きた体で立ち上がる。

 そして、取り戻したデルタギアを腰に巻いた。

 

「変身!」

 

《 Standing by 》

 

(変身、変身か。変わるから、変身)

 

 デルタギアを操作して、デルタの姿へ。

 

(分かんねえ。何が何だか分かんねえ。だけど―――俺の中で今、何かが変わった)

 

《 Complete 》

 

 長瀬の外側がデルタへ変わり……彼の内側もまた、それ以上の変化を果たしていた。

 

 心の中にあった未練が、燃え落ちていく。

 "俺が千翼を救えた世界もあったんだな"という想いが。

 "俺が間違えて千翼を守っちまった世界もあったんだな"という想いが。

 彼の中の後悔を、別の形に変えていく。

 

「行くぞ千翼ォ!」

 

「ああ!」

 

 ここに、長瀬裕樹と千翼の共闘は成った。

 千翼はこれを夢なのだろうかと言った。

 しからばこの二人の呼称には、『夢のタッグ』の呼び名こそがふさわしい。

 

「こんな、拙い、連携で!」

 

 だが、村上社長は強かった。

 人間態で胴体に致命傷を与えられてなお強かった。

 ローズオルフェノクへと姿を変えた村上は、薔薇の花弁を解き放つ。

 

 バラの花弁は銃弾より速く舞い、蜂よりも柔軟かつ鋭い軌道で飛び回り、ウォーターカッターよりも鋭い切れ味を見せる。

 大気が、路面が、建物が、木々が、シュレッダーにかけられたかのようにみじん切りになっていく光景は、長瀬と千翼に『死』を見せる。

 更には二人を追い込むべく、回避行動を取る二人の周囲で度々大爆発を起こしていた。

 

「ちっ、またこれかよ!」

 

 花びらの斬撃結界を突破してデルタとアマゾンネオが接近するものの、ローズオルフェノクの姿が消える。

 ローズオルフェノクの固有能力、瞬間移動だ。

 瞬間移動で二人の頭上を取った村上は、念動力で二人を転ばせ地に押し付ける。

 

「くうっ!」

「ぐあっ!」

 

「成功したのは最初の奇襲だけだ! 明確な実力の差を、思い知るがいい!」

 

 なんとか念動力をかわした二人だが、村上は絶え間なく不可視の衝撃波を放ってきた。

 衝撃波にてマンホールが切断され、車が平面になるまで潰され、木は地面ごと陥没する。

 更には先程の殺人花弁が周囲から囲むように飛来し、地面からは鉄を貫通する茨が何百本と生え動き回り、空中には捕縛用の茨型リングまで発生してきた。

 おかしい。

 内臓の多くを落としてきたのに、この攻撃能力。

 ローズオルフェノクの攻撃能力は、負傷した今でさえオルフェノクの一軍に匹敵した。

 

「ファイア!」

 

《 Burst Mode 》

 

「ヒロキ、頭下げて!」

 

《 NEEDLE LOADING 》

 

 長瀬が銃で千翼を襲う攻撃を撃ち落とし、千翼が腕に生成したニードルガンで長瀬を襲う攻撃を撃ち落としていく。

 互いの死角は互いが守る。

 二人で力を合わせることで、二人はなんとか村上の暴威に食い下がっていた。

 

 だが、それも僅かな時間のみ。

 

「無駄だ、人間と怪物の共闘が成ったところで、そんなものが何になる!」

 

 念動力が二人を捉え、僅かな隙に爆発する花弁を叩き込んでいく村上。

 技そのものは優雅だが、奇襲で冷静さを僅かに損なった村上の様子に美しさはない。

 美しい薔薇を束ねて人を殴るような醜悪さ。

 そこに、村上の本質の欠片があった。

 

「っ」

「ぐあああああっ!!」

 

 長瀬と千翼が力を合わせても、村上に一撃すら当てられない。

 最初の千翼の奇襲が全てで、あれ以降はダメージの欠片も無いというのが現実だ。

 足りない。

 スペックにしろ、仲間の数にしろ、村上を倒すには足りていない。

 何か補うものがなければ、長瀬と千翼の夢のコンビでは村上にトドメを刺しきれない。

 

「ここで終われ! お前達に先など無い!」

 

 薔薇の花弁が舞う中で、長瀬と千翼の目が合って――

 

 ――二人の心が、視線を通して重なり合い、二人の想い出が蘇り――

 

 ――ただ一つの、正解を導き出した。

 

《 BLADE LOADING 》

 

《 Exceed Charge 》

 

 一呼吸の間に、全てが変わる。

 その瞬間までの二人の連携の質がLV10だとすれば、一瞬にしてLV3000にまで上昇した。

 連携の隙が消えた。

 連携の継ぎ目が消えた。

 連携の欠点が消えた。

 

 アマゾンネオの腕に剣が生え、長瀬の銃に大量のエネルギーがチャージされる。

 

 隙間の無い連携はローズオルフェノクに余計なことをさせず、ローズオルフェノクの攻撃を柔らかく受け流し、長瀬の銃口が村上を捉えた。

 放たれた銀のポインティングマーカーが、村上の体を拘束する。

 

(来るか、デルタの決め技!)

 

 そう、この拘束から、ポインティングマーカーを蹴り込むデルタの飛び蹴りは、ライダーズギア最強格の必殺技であり――

 

(……何?)

 

 ――その飛び蹴りが放たれることは、無かった。

 

《 AMAZON BREAK 》

 

 飛び蹴りを防ぎ、耐えようとしていたローズオルフェノクが、来ない飛び蹴りに拍子抜けして力を抜いたその一瞬。

 ポインティングマーカーに拘束されたままの村上を、千翼/アマゾンネオの腕剣が成した必殺技が、深く深く切り裂いた。

 

「あ」

 

 拘束された状態でとっさに身を捩って致命傷を避けたのは、流石村上といったところか。

 村上の胸が横一文字に切り裂かれたが、刃は心臓にも肺にも届いていなかった。

 だが傷は深く、村上は一瞬で急激に上昇した二人の連携レベルに驚愕させられる。

 

「な……何故だ……何故、急に、こんな……連携の妙が……!?」

 

 デルタとネオが、肩を並べて毅然と立つ。

 

「ヒロキは、ずっと撮影係だった。俺は戦闘係だった」

 

「千翼はずっと戦ってた。俺はそれを撮影して、編集して、アップするユーチューバーだった」

 

「俺はヒロキが戦ってるのを見たことがない。

 見たことがあるのは、誰かに抱きついて食い下がってることくらいだ」

 

「俺はロクに戦ってないが、千翼の戦いは最初からずっと見てたんだ」

 

 千翼は幼少期、母と別れてから政府機関の研究所に捕まり、そこを脱走した直後に長瀬に拾われ衣食住の世話をして貰っていた。

 長瀬は千翼と共に怪物(アマゾン)狩りを始め、それを撮影してアップロードし、アフィリエイト広告を得ていた。

 普通のものを食べられなかった千翼は、長瀬が政府機関に殴り込みをしてかっぱらってきた特殊食材のみを食べ、生き長らえていたという。

 

 研究所から脱走してからの千翼の戦いは、全て長瀬の見守る中にあった。

 

「いつも、見られてた」

 

「いつも、見てた」

 

「ヒロキは俺に同情してた。俺を助けてくれた。

 ……人喰いの怪物な俺を、"食われるんじゃないか"って怯えた目で時々見てた」

 

「俺は、千翼を助けてやりたかった。

 俺は千翼が怖かった。俺は千翼に同情してた。

 ……戦いの時も、そうじゃない時も、千翼に食われるかもしれないってずっと思ってた」

 

「でも、ヒロキは俺を見捨てなかった」

 

「でも、俺は千翼を見捨てられなかった」

 

 食う者(アマゾン)食われる者(にんげん)

 二人の間にあったのは、親と真っ当な関係を築けなかった者同士の、人間らしい共感。

 そして、危なっかしい仲間意識。

 見る者(にんげん)見られる者(アマゾン)という関係性は、いつ崩れてもおかしくない積み木のようなものだった。

 

「俺がヒロキに合わせてもダメだ。だからもうヒロキには合わせない」

 

「俺は千翼をずっと見てきた。千翼は俺をずっとは見てなかった。

 なら、俺の方だけが千翼に合わせるようにすりゃ、多分何やっても上手く行く」

 

「なんだ……なんだそれは!?」

 

 村上には理解できない。

 こんな、砂上の楼閣のような絆があるのか?

 危ういのに確かな連携という矛盾したものがあるものなのか?

 長瀬が一方的に千翼に合わせる連携は、剥き出しの肉塊のような気持ち悪さがあった。

 

 長瀬と千翼は友達にはならなかった。なれなかった。

 背中を預け合うこともなく、命を守り合うこともなかった。

 深い相互理解もなく、最高の仲間であったとも言い難い。

 泣きたくなるくらい、()()()()()()()()()()()()()

 

 けれど。

 

 どの世界でも、逃げた千翼の衣食住と居場所は長瀬が用意した。

 しからば千翼が生き残った世界線において、長瀬が千翼を助けなかった世界は存在せず。

 長瀬の助けを借りずに、千翼が生き延びた世界は無い。

 人は、それを運命とも呼ぶのだろう。

 長瀬と千翼が力を合わせて運命を覆すことはない。二人が背中を合わせて敵と戦うこともない。それもまた運命だ。

 

 千翼と長瀬は、悠と仁という運命の壁を二人で越えて行くことはできない。

 

 ゆえに、これは夢だ。

 すぐに目覚める、目覚めれば消える、朝露のような夢。

 『現実』にはありえなかった夢。

 "千翼と一緒に戦えたなら"と思ったこともある、長瀬裕樹の愚昧な夢。

 

 スマートブレインという悪を討ち、世界を守る、儚い夢の守り人達。

 

「行くぞ、ヒロキ!」

 

「合わせてやるよ、千翼ォ!」

 

 千翼と長瀬が二人揃って勝者となることは、人類にとって悪夢でしかないけれど……この世界にいい夢をもたらすことくらいなら、許されている。

 

《 Exceed Charge 》

 

 銀の三角錐(ポインティングマーカー)が村上を捉え、二人が息を合わせて飛び上がる。

 

《 AMAZON STRIKE 》

 

 デルタのベルトとネオのベルトが駆動音を響かせて、二人の足に必殺の力を宿らせる。

 陳皮な言い方になるが、あえてこう言おう。

 ―――ダブルライダーキックだ、と。

 

「ふざけるなあああああああああああッ!!」

 

「「 うおおおおおおおおおおおおおッ!! 」」

 

 防御のため、散布される薔薇の花弁。

 花弁は密集しミサイルさえも防ぐ壁となる。

 鉄壁。

 無敵。

 最強。

 ありったけの"強い"形容詞で飾り立てられた、強くも美しい薔薇の壁を蹴り込んで、突き抜けて……二人の必殺技が、村上峡児を貫いた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 まだ戦いは終わっていない。

 ファイズやカイザは、人を守るオルフェノク達は、まだどこかで戦っていることだろう。

 けれどもすぐそこへ向かうのは無理だ。

 長瀬には少し、休憩が要る。

 

 長瀬は地面に座り込み、千翼の背中に背を預けてぐったりしていた。

 千翼は地面に座り込み、長瀬に背を貸してぐったりしていた。

 三原が自分もヘトヘトだろうに、二人の足元に飲み水を置いていく。

 

「ありがとな、千翼」

 

「いいさ、ヒロキには……

 ……どんな世界のヒロキにも、結構世話になったから」

 

「そうかよ」

 

 長瀬が照れ臭そうに笑って、千翼が感慨深そうに呟く。

 

「ヒロキが言ってくれたんだ。

 『生まれたことが消えない罪というなら、俺が背負ってやる』って。

 あの言葉が嬉しかったから、俺はお前を助けるよ。本当に……嬉しかったんだ」

 

「―――」

 

「だから、俺は今ここに来れたんだと思う」

 

 世界線A、千翼に何もしてやれなかったと思っている長瀬は、息を飲んだ。

 世界線B、長瀬に命がけで助けられ、今でも人類を脅かしてしまっている人類の敵・千翼は記憶に想いを馳せた。

 世界の流れに正義など無い。

 正解など無い。

 "そういう世界があった"、それが全てだ。

 

 だから、長瀬は千翼の言葉を噛み締めて、そういう世界があることに思いを馳せて、ごちゃごちゃになった自分の中の想いの全てを、一つの結論として口に出す。

 

「千翼、お前に色んな奴が思ってたんだってさ。

 お前が生まれたことが間違いだったって。

 お前が生まれたことが罪だったって。

 生まれて来なけりゃ良かったんだって。

 だけど、俺は思う。お前を助けた長瀬裕樹じゃねえけど、言わせてくれ」

 

 この千翼が来た世界の長瀬裕樹としてではなく。

 この千翼が知らない、どこか遠くの世界の長瀬裕樹として。

 

「お前がくれた日々は、怖かったけど楽しかった。

 お前が生まれて来てくれて、嬉しかった。

 お前が生まれて来たことが罪だったとしても、お前が生まれて来たことは間違いじゃなかった」

 

 そう、そうだ。

 

 千翼の宿敵である水澤悠も、千翼の父である鷹山仁も、千翼が生きていてはいけないと断言していた。

 

 それでも、二人共―――千翼が生まれて来なければ良かったのに、とは言わなかった。

 

「……ありがとう、ヒロキ。俺、お前を助けに来たんだ。最後まで付き合うよ」

 

「サンキュー。あとちょっとだが、悪いな。付き合ってくれ」

 

 長瀬の言葉が、千翼のどこかに響いたのだろうか。

 千翼もまた、心の中で何かが変わったような顔をしていた。

 長瀬の隣に千翼は居るが、彼が幸せになってほしいと願った千翼はもう居ない

 

 長瀬は千翼の命を守ってやれなかった。

 守ってやるとも言えなかった。

 友にさえなれなかった。

 それらは全て手遅れである。

 

 けれど、千翼の溶原性細胞の悪用を止めることなら、してやれる。

 死後に千翼の細胞(したい)を悪用しようとする奴を倒すくらいならしてやれる。

 どこかの世界の別の世界の千翼になら、言葉をあげられる。

 

 千翼の死後も彼の心と尊厳ならば守ってやれる―――長瀬裕樹は、そう思うのだ。

 

 

 




 イユのパパ(ハゲタカアマゾン)を演じたおじさんと琢磨君(センチピード)を演じた青年は同じ人です。どちらも同じ山崎潤でございます

 次回、最終回
 話数はともかく一話ごとの文字数が膨れる膨れる


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やがて星が降る

 ウルトラ長回し仮面ライダーver.


 スマートブレインの大部隊が、陸路を埋め尽くす勢いで溶原性細胞タンクを運搬していく。

 運搬車両はタンク部位を増設された改造ジェットスライガー。

 デルタが乗るバイクとほぼ同一の、量産型アタッキングビークル。

 バイクを駆るのはライオトルーパー。

 オルフェノクが長瀬達と同じ鎧を守り、堅固な陣形と強固な装甲を見せながら陸路を往った。

 

 さながら彼らは鉄の河。

 途切れる未来が見えて来すらしない獣の流れ。

 彼ら自身もそう思っていただろうが、間もなく彼らはそれがただの幻想でしかないことを突きつけられた。

 

「ありえねえ! なんだこいつら! 止まらねえぞ!」

 

 ただの一人も、ここから帰れない。

 

 一人、また一人と、鉄の河が先端から潰されていく。獣の流れが一匹づつ順番に潰されていく。ファイズとカイザ、最強の連携を見せる二人が片っ端から駆逐しているのだ。

 

《 Exceed Charge 》

 

《 Exceed Charge 》

 

 カイザの剣先をファイズの動きが隠し、ファイズの剣先をカイザの動きが隠し、二人の必殺斬撃が同時にライオトルーパー達の胴を両断した。

 河や山こそ切れないだろうが、オルフェノクで出来た河や山なら二人は容易に両断する。息をするように叩き潰せる。

 彼らは戦士だ。

 元人間であるオルフェノクを倒すことの苦悩も乗り越え、それさえ自らの強さの糧とした、本物の迷わぬ戦士。

 

「乾、手が遅れているな? やはり、オルフェノクは所詮オルフェノク。

 同族をこんなにも連続で倒すのは気が引けると、そういうわけだ……」

 

「お前のいちゃもんは聞き飽きた。いい加減レパートリー増やしてみろよ草加」

 

「……」

 

「……」

 

「ふん」

 

「はっ」

 

 二人同時に銃を抜き、二人同時に引き金を引き、二人同時にオルフェノクを仕留める。

 二人が言い争っているところを襲おうとしても、オルフェノク達は敵わない。

 隙だらけのはずなのに、巧の隙を狙えば草加に殴られ、草加の隙を狙えば巧に蹴られる。

 

 二人が互いを思いやっているから? いいや、違う。

 こんなにも仲が悪いのに互いを思いやってなどいるだなんてちゃんちゃらおかしい。

 ただ二人は、片割れがそう簡単にはやられないと信じているし、こいつになら背中を預けてもいいと思っているし、敵はこの野郎の死角を狙ってくるだろうと確信しているだけである。

 

「背後を取れ背後を! 数で勝ってるんだぞ! 人間ごときに手こずるな!」

「無理だ! さっきの見ただろ!」

「片方の背後を取った奴がもう片方に切り捨てられたの見てないのか!」

「二人まとめて攻撃したら、二人同時に反撃して来やがってぇ……!」

 

 強い。

 無敵ではないが、巧&草加を倒せる未来が見えないのであれば彼らにとっては同じこと。

 "好ましく思っていても友人にはなれなかった"者達の連携が長瀬と千翼の連携ならば、"互いが嫌いだが信頼はできる"のが巧と草加の連携である。

 

 二人が揃っていれば絶対的に負けない、というわけではない。

 この二人が共闘して押し切られた時もある。

 だが総合的に見れば、この二人は共闘時に爆発的な強さを発揮する。

 それこそ、人外の怪物達が彼らを最強だと嘯いても何ら違和感が無いほどに。

 

 特にここ一番の勝負強さは、ドラゴンオルフェノクにも痛打を通しそうな域のものがあった。

 

「草加! 細胞全部焼いたぞ!」

 

「こっちも今、最後のオルフェノクにトドメを刺したところだ」

 

 加え、彼らの持つフォトンブラッドは対オルフェノク……否、対生物としては最上級の力を持つ高熱の毒だ。

 保存液に漬けられた改造溶原性細胞でも、剣を液に刺せば一瞬で煮殺せる。

 敵の一掃も、細胞の処理も、ファイズとカイザが揃っていれば息をするが如くに容易だ。

 

「長瀬は? 三原はどうした? 乾の方にも続報は来てないのか」

 

「いや、スマートブレインの情報をくれたあれっきりだな。無事だといいんだが……」

 

「長瀬は根が強い。三原はあれでしぶとい。乾よりは信頼できる」

 

「はいはい、そうかよ」

 

 やがて彼らが待ち受けていると、新たなスマートブレインの輸送部隊がやって来る。

 だが巧達に粉砕された仲間達の亡骸を見て、一瞬で散開とルート変更を選んだ。なんとまあ、優秀な教育が施されているようだ。

 新たな輸送部隊は二手に別れ、巧達から見て遠方の交差点で左右に散開した。

 巧と草加の意志が無言で疎通する。

 

「草加、右を頼んだ。俺は左に行く」

 

「偉そうに指図をするな」

 

 特に揉めることもなく、二人はスムーズに二手に分かれる。

 そこからは二人の独壇場だ。

 一人になっても、ライオトルーパーに負けるような二人ではない。ライオトルーパーで彼らを仕留めたければ万の兵士が必要だ。

 そしてライオトルーパーを使うようなオルフェノクの素の戦闘能力で、ファイズとカイザに勝つ可能性など微塵も無い。

 

「うらぁっ!」

 

 長瀬達はライオトルーパーを四苦八苦して駆使し、オルフェノク達を片付けていったが、そのライオトルーパーをファイズ・アクセルフォームがボウリングのピン倒しのように倒していく。

 それはもう、ポンポンと倒していく。

 巧が敵を全滅させるのに少し遅れて、草加も敵を全滅させてゆく。

 

「お前達は生きていてはいけない魔物だ」

 

 無情極まりない攻勢。

 巧はオルフェノクも皆元は人間だという苦悩を昔抱えていたが、草加は親や仲間や自分がオルフェノクとそう変わりないのではという苦悩こそあれ、赤の他人には然程同情しもしない。

 赤の他人のオルフェノクなら、人の心を持っていても殺せる。

 迷いなく。

 躊躇いなく。

 カイザの刃は、怪物の首を刎ねるのだ。

 

「ひっ、カイザ……た、助け―――」

 

「お前達は人間の世界に百害あって一利なし……だよなぁ?」

 

 最後の一人の首も刎ね、カイザはふぅと息を吐く。

 スマートブレインの作戦は全面的に妨害できている気がするが、果たしてここからどう転がるだろうか。

 先が読めない以上、どさくさに紛れて人質扱いの真理達を助けたいというのが草加の本音だ。

 そうやって、面倒な事柄は全部巧や木場に押し付けて、真理を助ける白馬の王子様役と真理の好感度だけを独占する……そういうシナリオを、草加は思い描いていた。

 

「さて」

 

 オルフェノクの死体(はい)を踏みつけにした草加が顎に手を当てる。

 その胸から、何かが生えた。

 それは光だった。

 それは刃だった。

 1000mは離れた場所から伸びた光の刃が、背後からカイザの胸を貫いていた。

 心臓は焼き切れ、草加の命が断ち切られる。

 

「じゃあ君は、オルフェノクの世界に百害あって一利なしだよね」

 

「……あ」

 

 カイザを遥か遠くから刺した誰かが、近寄って来る。

 草加にも聞き覚えのある声と、スーツ越しにも感じる圧倒的強者の威圧感。

 それが、"オーガギアを装着した北崎/ドラゴンオルフェノク"であると、草加は正確に理解できてはいなかった。

 だが霞む目で北崎を睨み、その声から襲撃者が北崎であることを理解する。

 

「きた、ざき……!」

 

「うん? 心臓を潰したのに、しぶといなぁ」

 

 草加は残る力を全て振り絞り、川に飛び降りる。

 川に落ちた草加を見て、北崎は特に根拠もなく死んだと確信した。

 オーガギアを外し、手の中で弄り始めた北崎の影に重なるように、どこからともなく影山冴子が現れる。

 

「うん、いい玩具だ。

 デルタを使ったこともあるけど、こっちの方がずっといい。

 遊んでいて楽しいし……何より、僕がこれまで以上に最強になった気がする」

 

「ファイズとカイザ、駒が孤立した隙を狙って片方を何が何でも落とす……

 それが村上くんの出した条件よ。

 条件を満たし、カイザの方を仕留めた以上、オーガギアは貴方が自由に使っていいわ」

 

「返せって言われてももう返さないけどね」

 

「いいのよ、どうせ誰も使えないわ。

 それは心・技・体の全てにおいて優れたオルフェノクでなければ、扱う前に死ぬらしいから」

 

 北崎は冴子の言をおべっかだと思い、鼻で笑った。

 

「僕の心が優れてる? 冴子さんは、そう思うんだぁ」

 

 冴子もまた、北崎に対し『心・技・体の全てにおいて優れた』という褒め言葉が似合わないことを認識し、自嘲気味に笑った。

 

「心は強ければそれでいいのよ、きっと。

 善でも、悪でも。誠実でも、幼稚でも。柔和でも、残虐でも。

 要はオーガギアで体と心が壊れず、その力を扱える技があればいいの」

 

 北崎の手の中にあるのは、オーガギア。

 最後期開発の一品にして最後に作られたライダーズギア。

 フォトンブラッドは"神か魔を思わせる黄金"と視認される、最強のオルフェノクしか使えない最強のライダーズギア、という目標を目指して作られたベルトであった。

 

 凄まじく余談であり、この物語において語る必要もないことであるが。

 このオーガギアは、この世界に先日来訪した仮面ライダーディエンドが、『555の世界』という場所からかつて盗んだベルトの一本を村上社長が奪い、それを元に作ったものである。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 村上社長が血を吐いた。

 バラの花弁を集めて作った薔薇分身を使い、念動力に他能力を併用することで擬似的な重力レンズを作り光を捻じ曲げ、自分がダブルライダーキックで倒されたように見せたのだ。

 だが最後の一撃をかわせたというだけで、村上が瀕死であることに変わりはない。

 

 あのアマゾンネオの一撃が、とにかく重かった。

 ファイズ・カイザ・デルタの必殺キックを同時に食らっても死なないだけの頑丈さを持つ村上だが、アマゾンネオの一撃には容易にぶち抜かれ、切り裂かれてしまった。

 グロテスクの申し子とでも言うべきか。

 アマゾンネオの必殺技の殺意には、原始の獣性すら感じたものだ。

 そこにデルタの攻撃まで相まって、攻撃の殺意は倍増しというものである。

 

「はあっ……はあっ……ごほっ」

 

 オーガギアは届いただろうか、計画通り敵の数は減らせているだろうか、そんなことばかり考えてしまう村上。

 

(嫌な流れだな……この計画が失敗すれば……このままの流れだと……)

 

 世界の流れは変わりつつある。

 スマートブレインの力で流れを制御しても、人間とオルフェノクの大戦争が起こる可能性は非常に高い。

 ここで人間を皆殺しにしておきたかった。

 可能な限りオルフェノクの数を増やしておきたかった。

 でなければ、オルフェノクの未来がどうなるか分からない。

 村上は人間を甘く見てはいなかった。

 他の雑魚雑多なオルフェノク達が自分の力に酔い、オルフェノク達が皆で立ち上がれば圧勝だと思っているのに対し、村上は頂点に近い強さを持ちつつも一切思い上がっていない。

 

 オルフェノク化溶原性細胞が駄目なら、もう王の覚醒に期待するしかなくなってしまう。

 

(だが、王は)

 

 されど村上の心の中には、もう以前ほどの王への期待がない。

 

 村上はビルの壁に背中を預け、息を整える。

 出血はもう止まった。

 体力と生命力は底をついたまま、心だけがいつも通りの強さを保っている。

 オルフェノク体への変身は今だけは遠慮したい、というのが彼の本音だろう。

 今は静かに、基礎生命力の強い自分の体が再生されるのを待っている、といったところか。

 

 やがて何者かがやって来る。

 人間だったなら殺し、オルフェノクだったなら助力を求める。

 そう決めて待ち受けた村上は、やって来た者の顔を見て溜め息を吐いた。

 照夫が居た。木場が居た。海堂が居た。

 チェックメイトを覚悟し、村上は全ての楽観を捨てる。

 

(王は……)

 

「村上社長」

 

 照夫の目を見る村上。幼かった照夫の目つきは、もうかつての幼さを残していない。

 

 一丁前に、男らしい目をしていた。

 

(この期に及んで、王はこんな目をしている)

 

 照夫の今の人生は、火事になった建物から海堂の手によって助けられたことから始まった。

 やがて海堂に連れられて、照夫は多くの人と出会う。

 三原と一緒に、園田真理や菊池啓太郎といったただの人間が優しくしてくれた。

 巧がぶっきらぼうに気遣ってくれた。

 草加が"人間の悪い面"を見せてくれた。

 スマートブレインが"オルフェノクの悪い面"を見せてくれた。

 木場が理想を見せてくれた。

 

 そして、長瀬裕樹と出会い、自らを変えていく道を選び―――エミリという少女と死別した。

 

 出会いこそが、照夫を変えた。

 

(強い人間のような、目を)

 

 その目が村上は気に食わない。

 照夫の中に見えるのは、現実に流されるだけの弱い子供の『願い』ではなく、現実に抗う『信念』だった。

 

「オルフェノクの王よ……私を喰らいなさい」

 

「……」

 

「私も少し、譲歩するとしよう。

 私を喰えば、君は王として完成する。

 オルフェノクの頂点に立つにふさわしい王の精神性が、目覚めなかったのは……

 ごほっ、ごほっ!

 残念、だが……君が王として覚醒した後、オルフェノクらしい心を身に付けることを期待する」

 

「……」

 

「人間は醜い。

 君も必ず絶望する。

 その未来を信じて、今はこれを受け入れよう。さあ、我が身を食べるといい」

 

 王は村上を喰えば王の力を完成させるだろう。

 村上は照夫の捕食量を正確に計測しており、自分が最後のひと押しになると理解していた。

 今の照夫がスマートブレインに対抗するため、力を求めているはずだと予測していた。

 だから村上には分からない。

 村上は照夫を王として見ていて、照夫を照夫として見ていなかったから。

 

「食べないよ」

 

「……何?」

 

「僕はもうオルフェノクを食べない。

 自分のために人もオルフェノクも殺さない。

 何も殺さず生きられないのが、生物の宿命だと言われても、もうしないと決めたんだ」

 

 照夫の語りに淀みはなく、木場と海堂は何も言わない。

 男達は少年の語るその言葉を、ただ静かに聞いている。

 

「自分の中の自分と向き合って分かった。

 人間の心でオルフェノクの心と向き合って分かった。

 王の本質は、『命を貰うこと』だ。それはオルフェノクの王である僕も例外じゃない」

 

「命を……貰う?」

 

「一人ぼっちなら王様じゃない。

 人間の王様も、オルフェノクの王様も同じだ。

 王様っていうのは、付き従う同族に命を預けられて、初めて王様なんだ」

 

 頂点に立ち、下に連なる命の全てを己がものとするのが王である。

 国民全ての命は王のものであり、王は自分の物となった命全てを守り、手の中の命全てに最大多数の最大幸福を約束する義務がある。

 

 王には権利がある。

 その命を己のためだけに食い潰すか、その命のために走るかを。

 オルフェノクの王は、オルフェノク達の命を握り締めて在ることを定められた者だ。

 それはオルフェノクを食って覚醒する者という意味であり、同時に全てのオルフェノクの未来に責任を持つ者であるという意味でもある。

 

「僕はオルフェノクと人間の共存を目指す。

 そのためなら、共存できる場所だって作る。

 共存できる国だって作ってみせる。そう決めたんだ」

 

「……!?」

 

「僕を守ってくれる皆に誓った。

 僕が食べたエミリにそう誓った。

 そして、他の誰でもなく僕自身に、"絶対に"と誓ったんだ!」

 

 始まりは、木場勇治が目指した理想。

 その理想をぶっきらぼうに海堂が好きになり、いつからか巧がそれを継ぎ。

 人間とオルフェノクの共存という理想は、ようやく王の手の中へと届いたのだ。

 

■■■■■■■■

 

「思い出したくもない悲劇の想い出にするか。

 自分を強くした、胸に秘める悲しい想い出にするか。

 何もせず見送った想い出にするか。

 私を食べた想い出にするか。

 ……他の誰のものでもない、君の人生だもん。君が、決めないと」

 

「私、君の中で生きていたい。君とずっと一緒に居たい。それが、私の今の願い」

 

「だから、お願い」

 

「優しい王様になってね。十年後も、二十年後も、皆に好かれて、皆を守れるような―――」

 

■■■■■■■■

 

 エミリの残した言葉が蘇る。

 

■■■■■■■■

 

「辛かったな。よく頑張った。お前、男だよ」

 

「今は少し休んでろ。罪悪感で自分の未来を決めても、ロクなことねえぞ」

 

「したいように生きろ。なりたい自分になれ。

 俺もまだよく分かってねえけど、それが『生きる』ってことなんだ」

 

「俺もまだ、探してるんだ。あいつらの分まで生きる、最高にイカした生き方を」

 

■■■■■■■■

 

 長瀬がくれた言葉が蘇る。

 照夫は見つけたのだ。

 望まずしてオルフェノクの王などというものに選ばれた、まだ十年にも満たない人生の中で、照夫は自分が進むべき道を見つけた。

 進むべき道と、進みたい道と、進まなければならない道が一つに重なってくれたことが、彼の人生で最も幸運なことだったかもしれない。

 

「オルフェノクは滅ぼさせない。

 人類は滅びさせない。

 どちらの種も、滅びゆく種になんてさせない!」

 

「……戯言を!

 スマートブレインの頂点に立っても、私に見えたものは変わらなかった!

 オルフェノクは短命!

 急激な進化に肉体の方が耐えられないからだ!

 その上、人間は自分よりも優れた種の存在を認められない!

 必ず排除行動に移る!

 滅びを回避するには、オルフェノクの王の力で、全てのオルフェノクを不老不死にするしか!」

 

「敵を種族ごと滅ぼすのも、不老不死を当たり前にするのも、間違っている!」

 

「それが、生存競争というものだ! 王よ!」

 

「絶滅戦争以外の落とし所を見つけるのが、人間の心だよ! 村上社長!

 それができない怪物の心は! 人間の心よりもずっとダメなものなんだ!」

 

 照夫がひとまわりも、ふたまわりも大きく見える。

 この年齢の子供に見えない言い草と理屈の構築は、王として正しく覚醒したがゆえの効果なのだろうか?

 

「貴方は、オルフェノクの王として旧人類を滅ぼす役目を―――」

 

「そんな役目は果たさない!

 オルフェノクの未来も、人間の未来も、悪いものになんてさせない!

 僕にそんな運命があるとしても、そんな運命を僕は一切合切受け入れるもんか!」

 

 怪物の役割が、人と生存競争を行うことならば。

 救世主の役割が、闇を切り裂き光をもたらすことならば。

 王の役割は、多くが共存できる、皆が笑って暮らせる居場所を作ること。

 

「僕がどう生きようが、僕の勝手だ!

 僕の生き方を人間が決めるな! オルフェノクが決めるな!

 誰にもそれは決めさせない! それを決めていいのは、僕だけだ!」

 

 "未来に自分はこうなりたい"という叫びを、『夢』以外の何と呼べばいいのか。

 

「僕の未来は、僕が決める!」

 

「―――」

 

 王が掲げた夢に、村上が圧倒される。

 村上もそういう夢を見たことがないわけではない。

 いや、むしろ村上は、照夫のような夢を見て夢破れてしまったせいで、誰よりも残酷で無慈悲な人間になってしまった男だった。

 だからこそ、"嘲笑"ではなく、"共感"が湧いてしまった。

 子供のようなその決意に、思わず共感してしまったのである。

 いや、照夫はまだ子供なのだが、それはひとまず脇に置いておこう。

 

「あなたの力を貸してほしい。村上社長」

 

「……何、だって?」

 

「あなたの助けがなくても、僕達は理想を叶えるために動き出す。

 でもあなたの助けがあれば、きっとずっとやりやすくなる。

 スマートブレイン社長の立場と……何より、あなたの力があれば」

 

 スマートブレインの社長の席は、弱いオルフェノクでは座れない。

 かといって強いだけでも座れない。

 根本的に頭が良く、判断力があり、下から慕われるカリスマが必要だ。

 村上社長はあらゆる面で優れており、"オルフェノクと人間の共存を実現させるために最も役立つ優秀な人物は誰?"という問いに能力面だけを見て応えるなら、間違いなく村上が挙げられる。

 

「王……まさか、私に会いに来た目的は……」

 

「スマートブレインを、人間とオルフェノクの架け橋にしたい」

 

 彼を味方につければ、スマートブレインの力もいくらか味方に付けられる。

 スマートブレインも相当な数の離反者が出るだろうが、それだけだ。

 スマートブレインは元より人殺しを推奨し、人を殺すオルフェノクを支援し、人殺しを嫌がるオルフェノクを処刑して、オルフェノクの組織化と思考の一極化を目指した企業である。

 

 オルフェノクの意に沿わないオルフェノクが常に一定数居る、という時点で、スマートブレインの権力構造は暴力を前提としている。

 スマートブレインに殺されたくないから従っているだけのオルフェノク、スマートブレインが金をくれるから人間の敵やってるだけのオルフェノクは、どれほど多く居るのだろうか。

 村上が照夫の理想に賛同すれば、その者達がそっくりそのまま味方になるかもしれない。

 前社長の花形も味方になってくれるかもしれない。

 可能性レベルの話で言えば、十分に期待できる『かもしれない』だ。

 

 スマートブレインは生まれ変わるかもしれない。

 村上がここで、首を縦に振ったなら。

 

「……」

 

 だが村上は首を振らない。縦にも、横にもだ。

 

「……」

 

 村上のこれまでの人生が、首を縦にも横にも振らせない。

 人間が嫌いだ。

 オルフェノクの未来を守らなければ。

 そんなフレーズが村上の心中をぐるぐると回っている。

 

「……」

 

 村上がここに座り込んでから、どのくらい時間が経っただろうか。

 照夫と木場と海堂がここに来てから、どのくらい時間が経っただろうか。

 村上に照夫が助力を求めてから、どのくらい時間が経っただろうか。

 

 いつからか、一人、また一人と両陣営の人間がやって来て、双方の睨み合いに加わっていく。

 王の問いかけに村上が答えるのを待つ沈黙の輪に加わっていく。

 気が付けば、巧が居た。Mr.Jと冴子と北崎が居た。

 遅れて三原、そして長瀬と千翼もやって来た。

 草加と琢磨の姿は見えない。

 

「……王よ。私は、信頼に足る根拠が欲しい」

 

「信頼に足る根拠? ……分かった」

 

 照夫に知識はない。交渉の技術はない。

 だが、人間とオルフェノクの光と闇は嫌になるほど見つめてきた。

 照夫は何かを決めた様子で、仲間達の方を振り返る。

 

「これを、最終決戦にしよう」

 

 巧や長瀬達が、戦いの構えを取った。

 同時にラッキークローバー達も構える。

 戦う構えを取っていないのは、瀕死の村上と王の覇気を見せる照夫のみ。

 

「村上社長。あなた達が勝てば好きにすればいい。

 でも僕達が勝ったら、僕達に従ってもらう。僕達と同じものを目指してもらう」

 

「力で従える、と?」

 

「僕さ、なんか何も知らずに振り回されてたけどさ。

 落ち着いて見てたら何となく分かるよ。

 スマートブレインのオルフェノクの上下関係って、基本は強さだ」

 

「……その通り。全くその通りですよ。

 私は社長に就任するまでその辺りの認識が甘かったことを、とても良く覚えています」

 

 くくく、と村上が笑う。照夫の返答は正解だったらしい。

 力は何よりもシンプルな権力の裏付けだ。

 暴力はスマートブレインの最も分かりやすい"従える力"だ。

 なればこそ、戦いこそが従属を押し付ける最適解となる。

 

「僕は、あなた達を不老不死になんてしてやらない!

 人間を滅ぼしてもやらない!

 君達オルフェノクが望むまま暴力を振るえる場所も与えてやらない!

 だけど僕は、オルフェノクを誰も差別しない居場所をあげると約束する!」

 

 僕が欲しいから、と叫び、告げる。

 

「あなた達は、ここで僕に負けたなら、僕が掲げる王の旗の下に加われ!

 人間とオルフェノクの共存のため、君達の居場所を作るため。

 あなた達の命を、僕が貰う! 王として! 一緒に―――生きていこうッ!」

 

 なんとまあ、強欲な。

 照夫は他のオルフェノクを本能に任せて喰らうが如く、この場の全員の人生を喰らおうとしていた。その命を己が物としようとしていた。その全てを幸せにするために。

 王の言葉に、オルフェノクの心が揺らぐ。

 村上は不思議な笑みを浮かべ、負けた方が従うという、この最終決戦のルールを受け入れた。

 

「いいでしょう」

 

 冴子が驚いた顔で振り返る。

 

「村上君!?」

 

「これはスマートブレイン現社長としての決定です。

 嫌なら嫌と言って結構。

 この戦場からどこぞへと去ってくれて結構。

 その時点から貴女はラッキークローバーではなくなりますが、それは仕方がありません」

 

 村上は不思議な笑みを引っ込め、挑発的な笑みを冴子に見せる。

 

「その上で言いましょう。上の上のオルフェノク、ラッキークローバーの諸君」

 

 冴子だけでなく、その後ろのMr.Jと北崎の目も見る。

 

「あの世の中を知らない理想家の王を全力で叩き潰し、現実の厳しさを教えてやりなさい」

 

 最高の社長がくれた、最高のテンションで戦える、最高のエールだった。

 

「了解したわ」

 

 冴子が髪をかき上げる。

 これは運命の決戦だ。世界の命運ですらも、ここの勝敗が決めるだろう。

 

 今の彼らを見る限り、人間とオルフェノクの共存に力を貸してくれそうな気配はない。

 けれども、もしも。

 世界で最も強いオルフェノク集団であるこの『現実』さえも、王の力が越えていけるなら。

 王を信じられない誰かさんが、王を少し信じてみるくらいの奇跡は、起きるかもしれない。

 

「ここで決着をつけましょう? ふふふ」

 

 冴子の体が、ロブスターオルフェノクへと変わる。

 

「ちゅうか、あれだな。

 照夫ちゃんのためにも木場の理想ってやつを叶えて見せないと、って感じだな」

 

「……こうなるとは、実は思っても見なかった。

 照夫くんが、オルフェノクの王が、自分の意志で俺と同じような理想を抱いてくれるなんて」

 

「嬉しいのか? 木場」

 

「ああ。嬉しいんだ、海堂」

 

 木場がホースオルフェノクに、海堂がスネークオルフェノクに変わる。

 

「チャコ、ドコカへ」

 

 飼い犬を手放し、犬は大切にするけども人の命を大事にしない、Mr.Jがクロコダイルオルフェノクの最強形態へと変わる。

 

「ヒロキ、人間と怪物の共存の夢だってさ」

 

「ああ」

 

「なんか、儚い感じだ。でもそりゃそうだよな。

 怪物の夢じゃなくて人の夢なんだから。人の夢は儚くて当たり前なんだ」

 

「……ああ」

 

「アマゾン」 《 NEO 》

 

 場違いなほど落ち着いた様子で、けれど何か感嘆した声色で、千翼もまたアマゾンネオへと姿を変える。

 

「三原、その手に持ってるのはなんだ?」

 

「乾さん、父さんからの預かりものです。

 多分ファイズの……あ、そうだ! 真理からも伝言が!」

 

「!」

 

「『闇を切り裂き、光をもたらして』だとか」

 

「……あんにゃろう。きっついんだよ、あいつの期待に応えるのは」

 

「乾さんならできますよ。真理もそう信じてるはずです」

 

「だろうな。あいつはそういう奴だ」

 

 苦笑する巧が、三原から受け取ったツールにファイズフォンをセットする。

 

「いいねえ……最高に、楽しい遊びになりそうだ」

 

 北崎が笑い、腰にオーガのベルトを巻いた。

 

 巧がファイズのベルトを巻く。

 長瀬がデルタのベルトを巻く。

 三原がライオのベルトを巻く。

 

「「「「 変身ッ! 」」」」

 

 変身は同時。

 声は揃って、全てのライダーが変身を完了する。

 

「勝負だ! さあ、来やがれっ!」

 

 誰かがそう叫び、誰かがその叫びに攻撃で応え、最後の決戦が始まった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 風がビームで出来ている台風というのは、こういうものなのだろか。

 戦場を眺め長瀬は思う。

 三原と長瀬が持って来た者は、彼らの推測通りファイズを強化するツール。ファイズブラスターと呼ばれるものであった。

 最強のオーガと、最弱のファイズは、この一手にて性能面では完全に互角となった。

 当然、その攻撃と攻撃がぶつかり合えば、ただごとでない破壊が生まれる。

 

《 Exceed Charge 》

 

《 Exceed Charge 》

 

「ははははははは! 楽しい! こんなにも楽しいなんてね、ファイズ!」

 

「こっちは楽しくねえよ、全くな!」

 

 四方八方、上下左右がフォトンブラッドで薙ぎ払われていく。焼き切られていく。

 長瀬はそれを、風がビームで出来ている台風と心中で表現した。

 全身からフォトンブラッドを発するファイズ・ブラスターフォームが重戦車のように戦い、北崎はスーツの下を龍人態に変え超高速移動からの斬撃を放ち、二つが切り結ぶ。

 

(く、援護を……!)

 

 長瀬は北崎に銃の照準を合わせるが、すぐ近くに迫っているクロコダイルオルフェクを見て、銃口を下げた。

 

「っ!」

 

「上バカリ見テイルノハ危ナイ」

 

 かわした長瀬の耳元をクロコダイルの武器が通過し、僅かにかすって、デルタの装甲が削れて落ちる。

 デルタの銃弾がクロコダイルの腹にあたって怯ませられたが、それだけだ。

 

「ヒロキ!」

 

 接近されてピンチになった長瀬を救う、横から跳んで来た千翼のインターセプト。

 千翼はクロコダイルの腕を掴んで投げて、長瀬から離れるようにしながらクロコダイルとの交戦に入った。

 

(援護、援護しねえと!)

 

 長瀬はまたオーガに照準を合わせようとして、木場と海堂を追い詰める冴子の姿が目に入り、冴子を撃って仲間の援護を行った。

 そこで突然空から降って来た、オーガの1kmサイズの巨大剣。

 ビルを切り、大地を抉り、コンクリートを粉砕する光剣の一撃に、長瀬はがむしゃらに跳んで回避するしか無かった。

 

「……!」

 

 視線を移す。

 今はクロコダイルと三原&木場が戦っており、冴子と千翼&海堂が戦っており、オーガとファイズが激しい空中戦を繰り広げている。

 目の前の敵だけに集中すると、他の戦いの場所から流れ弾が飛んで来る、そんな戦場。

 

(笑えるレベルに乱戦だ!)

 

 そして立ち上がる長瀬には、新たな敵が襲い掛かってくる始末。

 

 物陰から飛んで来た"琢磨の鞭"を長瀬が防げたのは、八割がた運のお陰であった。

 

「ここでお前かよ……!」

 

「水臭いじゃないか。僕を除け者にして最終決戦だなんて!」

 

 デルタの拳が、センチピードの鞭を弾く。

 

 目の前の敵に集中しないといけない。

 周りを見ている余裕なんて無い。

 けれど周りと無関係ではいられない。

 周りを見なければ死ぬ。

 『人生』そのものを形にしたような鬩ぎ合いが満ちる、そんな戦場だった。

 

「チィッ!」

 

 長瀬が琢磨に前蹴りを放ち、運良くそれが腹に入った。

 一瞬で周りを見渡すと、巧がクロコダイルの武器と鍔迫り合いを吟じていて、それを背後からオーガ/北崎が狙っていた。

 黄金の剣が、ファイズブラスターフォームの背中を狙う。

 巧はそれに気付いていない。

 

「!」

 

 助けなくては、そう思った。

 

「乾さん!」

 

 だが長瀬の叫びも、銃弾も、巧には届かない。

 引き金が引かれる前に、戦いの最中に脇へ気を取られた長瀬の首を琢磨が狙う。

 

「危ない!」

 

 そこで長瀬を助けるべく、三原が長瀬に飛びついた。

 ライオがデルタを押し倒す形になり、攻撃は外れたものの、ファイズへの確殺攻撃はこれでもう止められない。

 

「乾さ―――」

 

 オーガが剣を突き出す。

 狙うは当然巧の心臓。

 北崎の技量により、剣は寸分違わず心臓を貫き、巧の命を奪う……はずだった。

 

 胸に穴の空いたカイザが、割って入らなければ、確実にそうなっていた。

 

「……草加!?」

 

 カイザは剣ではなく、オーガの手元を撃って弾くことで妨害を成立させた。

 剣先は明後日の方向に行き、巧は草加に救われたことを認識する。

 巧が声を上げても草加は何も応えない。

 いや、応えられないのだ。

 多くの言葉を語るほどの余裕は、もう草加には残されていなかったから。

 

「おい草加! その怪我は……胸の穴は!」

 

 草加はカイザの剣を握り締めたまま、巧の心配する声を無視して、仲間の『人間』だけを選んで声を張り上げる。

 

「長瀬! 三原! 最後の勝者はお前達がなれ!

 ……オルフェノクではなく、人間が勝者になって、全てを決めろ!」

 

「草加!」

 

 もうオルフェノクが勝ち名乗りを上げないのであればなんでもいい、と言わんばかりの、支離滅裂なオルフェノク差別思考。

 オルフェノクの未来を決める戦いですら、オルフェノクが勝利者となって良い気分になるのは許せないと言わんばかりだ。

 そして、草加は巧の胸を殴る。

 

「乾! 真理を必ず取り戻せ! 必ずだ!

 薄汚いオルフェノクでも、それくらいはできるだろう……!」

 

 もう時間がない。

 あと一分も生きられないことは、草加自身が一番よく分かっていた。

 だから彼の心残りは、ただ一つだけ。

 気に入らない人間を排除できなかったことでもなく。

 オルフェノクを皆殺しにできなかったことでもなく。

 一番大切な女性を、園田真理を、自分の手で助けられなかったことだけだ。

 

「できるな!」

 

「……ああ!」

 

 だから託した。

 一番嫌いな男に。

 一番死んでほしいと思っている男に。

 一番信じている男に。

 信頼と嫌悪と拒絶と侮蔑を込めて、憎しみの言葉を叩きつけるようにして、草加は巧に真理の救出を託した。

 

「化けて出て来るなよ、草加」

 

「ふざけるな、俺が死んで貴様が―――」

 

 巧のふざけた口調に、草加は最大限の嫌味を言って、巧の心に胸抉るトラウマを刻みつけようとして……命が尽きる、実感を覚えた。

 そして、殴る。

 もはや何の力も残ってない拳で、巧の顔面を殴る。

 カイザのパンチはブラスターファイズの防御力に阻まれ、巧を殴った草加の方が崩れ落ち、カイザの変身が解除された。

 草加は動かない。

 後に残るは、ベルトを巻いた死体が一つ。

 

 オーガのフォトンブラッドで心臓を焼き潰されただけの草加の死体は、オルフェノク化することもなく、燃え尽きて死体になることもなく、ただその場に残っていた。

 

「……最後の最後に嫌味言おうとして、言い切れなくて、八つ当たりで殴ってくとかなんだよ」

 

 言葉だけで巧を傷付けようとして、その時間がないから殴って、最後の最後まで他人に迷惑と傷を上乗せすることしかしなかった。

 けれど、"死にたくない"と言う事もなく。

 "助けてくれ"とすがりつくこともなく。

 最後の最後まで、草加は草加だった。

 

「草加っ……!」

 

 巧が嘆き、切りかかってきたオーガの剣を受け止める。

 

「あのさぁ、もっと僕と遊んでよ!」

 

「くそったれ、もう少し死を悼ませろこの野郎!」

 

 ブラスターファイズが腹を蹴り飛ばされ、北崎オーガは剣を伸ばしてその場で一回転。

 設定上無限に伸長する高熱大剣であるオーガストランザーは、ただそれだけで広域を切り払う戦術兵器と化し、木場・海堂・千翼を衝撃波にて吹っ飛ばした。

 

「うわっ!」

「ぐっ!」

「アブねっ……!?」

 

 直接当てる必要はない。

 超高エネルギーというものは、物質に当てればそれだけで急激な熱変性やプラズマ化等を引き起こし、大爆発を誘発する。

 オーガの一撃ともなれば、これだけでオルフェノクを殺害可能だろう。

 この戦場において、数で劣るスマートブレインを優勢に持ち込んでいるのは間違いなく、高速戦闘形態でオーガギアを操る北崎一人であった。

 

 長瀬は攻撃範囲に運良く入っていなかったが、仲間を助けようと動き出したタイミングで、余計なものを目にしてしまう。

 琢磨が、その手の鞭で器用に、草加の死体からカイザギアを引き剥がしていた。

 

「お前……他人の遺品を!」

 

 素早く琢磨はベルトを巻いて、仲間を助けに行こうとする長瀬の前に立ちはだかる。

 

《 Standing by 》

 

「変身」

 

《 Complete 》

 

 装着されたカイザのスーツは、電子レベルにまで分解されて送還・再転送されたためか、あるいは別のソルメタルをあてがったのか、傷一つ無い綺麗な姿だ。

 琢磨がそれを纏っている。

 長瀬と戦うために纏っている。

 全ては、彼との決着のために。

 

「つれないな。まだ僕との戦いは終わってないというのに」

 

「しつけえな!」

 

 長瀬が元の世界で千翼と組んでいた仲良しチームの名前は、TEAM X(キス)

 相対するは仮面ライダーΧ(カイザ)

 この世界での戦いの最後を飾るに相応しい、奇縁の激突だった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 ただただ、心をぶつけ合う。信念をぶつけ合う。

 人間も、オルフェノクも、自らが信じる何かのために。

 

「あああああああっ!」

 

「はははははははっ!」

 

《 Blade Mode 》

 

 ファイズの手の中に赤き光の剣が、オーガの手の中に黄金の剣が握られる。

 衝突。

 閃光。

 爆発。

 オーガの一閃はファイズブラスターを、ファイズの一閃はオーガのベルトを粉砕した。

 

「っ!?」

 

 武器を砕いた北崎と、要のベルトを砕いた巧。

 信念の差と気合の差が、ストレートに出た形になった。

 北崎はオルフェノク体が露出し、ファイズはノーマルファイズに戻り、なおも二人の激突は止まらない。

 

「ちゅうか、やべえだろこういうの!」

「援護します!」

 

 海堂と三原が北崎に単身挑む巧を援護し。

 

「Oh」

 

「ここは通さない! 頑張れ、乾君!」

 

 木場がクロコダイルオルフェクから、巧の背中を懸命に守る。

 

《 BLADE LOADING 》

 

 そして千翼は、冴子と切り結んでの剣技勝負に持ち込まれていた。

 力や速さが活かせない、いやらしい剣技。

 柔の勝負に持ち込まれた上、千翼の体表はオーガのフォトンブラッドでところどころ焼かれており、そういう理由でも動きのキレが悪かった。

 

「くっ」

 

「あら、激しい。でも、女性の扱いに慣れていない子に激しく求められるのも悪くないわね」

 

 冴子は急所に斬撃を誘い、それを柔らかく受け流す。

 急所を躊躇なく抉りに来る千翼には幾度となくヒヤリとさせられるが、急所を囮にすることで危なげなく獣の猛攻をしのぎ切っていた。

 冴子の影がほくそ笑む。

 千翼の獣性が、冴子の悪い癖を引き出してしまう。

 

「ねえ、貴方、スマートブレインの味方につかない?」

 

「なんだよ、戦ってる最中に!」

 

「貴方は人間の味方より、人間の敵の方が似合っているわよ、絶対に」

 

 クリーンヒットな一言に千翼の攻め手が一瞬緩み、冴子の斬撃が装甲を削った。

 

「つっ」

 

「お友達が人間だから?

 そんなくだらない感情は捨ててしまいなさい。

 人に怪物と呼ばれるということは、人間以下であるということじゃないわ。

 それは人間以上の存在であるということの証。存分に誇り、人間の恐怖を楽しみなさい」

 

 冴子はオルフェノクとしての自分を誇っていた。

 自分が人間の上位互換であることを確信していた。

 人間の「怪物」という罵倒を、褒め言葉のように受け止める精神性を完成させていた。

 

「そっか」

 

 千翼の心の中は、冴子への軽蔑と尊敬が入り混じっていた。

 声は静かで、声色の中に僅かな哀れみと羨みがあるのが分かる。

 

「羨ましいよ、あんたが」

 

「ふふ、貴方も苦労してきたみたいね」

 

「うん……そうだな。

 俺は……人間になりたくて、人間でいたくて、人間以外は嫌で。

 ずっと怪物が嫌いで、自分が怪物(アマゾン)なことが嫌で、好きになった女の子は人間だった」

 

「切り捨ててしまいなさいな、自分の中の人としての部分なんて」

 

「本当に羨ましいよ」

 

 千翼の言葉に、嘘はない。

 

「オルフェノクっていうのは、人殺しの怪物である自分を肯定できるんだな」

 

「―――」

 

 人殺しの怪物である自分を肯定できるか、できないか。

 冴子と千翼の間にある最大の違いはそれで、冴子の誘惑に千翼が毛の先ほどにも心揺らがなかった理由もそこにある。

 冴子は千翼に"自分が怪物であること"を肯定させようとし、肯定の言葉を探すがすぐには見つからず、千翼を誘惑するための言葉を探してしまう。

 思考に集中力を割いてしまう。

 結果、隙を生んでしまう。

 気に入った男を配下に加えようとする冴子の悪癖が、最悪の形で噛み合った。

 

《 AMAZON SLASH 》

 

「ッ!」

 

 ―――大切断。

 アマゾンズドライバーの代名詞、腕に付属した刃を用いての残酷無比な斬撃必殺技が迫る。

 

(斬撃なら、流せる!)

 

 剣を武器とするロブスターオルフェノクにとって、斬撃を受け流すのは専門と言っていいレベルの得意事項だ。

 隙を突かれた冴子だが、冷静に剣で斬撃を受け流そうとする。

 力を真正面から受け止めないように。

 力をよそに逃がすように。

 切断力を発生させないように。

 冴子は、千翼の力を技で受ける。

 

 経験と技で構築された神業の受けを、千翼は力でぶち抜いた。

 

「……ぁ」

 

 人の延長の形でしか無いロブスターオルフェノクの体で、剣という人間の武器を扱う冴子の受け流しは、どこまで行っても"究極に近い人の技"でしかなく。

 全身全霊を込めた獣の一撃は、受けきれない。

 

「か、はっ」

 

 だが千翼もただでは済まない。

 冴子は千翼の力を受け流しつつ、クロスカウンターのように剣を叩き込んでいた。

 剣は千翼の装甲に食い込み、冴子が千翼の突撃力を逆利用したのもあって、千翼の体に見かけ以上のダメージを叩き込んでいた。

 

 冴子は受け流しきれなかった大切断を受け、致命傷寸前の深手を負う。

 千翼は自分の力も利用されたカウンターを受け、かなり深いダメージを食らう。

 すなわち相打ち。二人は倒れ、死にはしなかったもののそのまま動かなくなった。

 

 その直上を、ファイズ・アクセルフォームとドラゴンオルフェノク・龍人態の超高速戦闘が飛び越え、通り過ぎて行く。

 

「おらァ!」

 

「はっ、はっ、はっ!」

 

 ソニックブームが生まれる戦場の中心では、ライオトルーパーの三原と連携し、海堂が意外なまでの意地を見せ、クロコダイルオルフェノクを仕留めていた。

 

「ラッキークローバー、一人、落としたぞ……!」

 

「海堂さん!」

 

 そして、海堂も倒れる。

 クロコダイルを殺せはしなかったものの、蛇の毒で戦闘不能にまで追い込んだらしい。相手がラッキークローバーなことを考えれば間違いなく大金星だ。

 だが、その代償として海堂もまた戦闘不能に陥ってしまう。

 三原も火を吹いているライオのベルトを外し、投げ捨てた。

 頂上決戦にして最終決戦であるこの戦いに、ライオトルーパーの性能では流石に付いて行けなかったのだろう。

 

 そして三原が投げ捨てたライオのベルトの残骸を踏み砕きながら、魔人態のドラゴンオルフェノクと、北崎に連携して攻撃を仕掛ける巧&木場が駆け抜けた。

 

「乾君!」

 

「木場! 左任せた!」

 

 長瀬にも仲間達の声は聞こえているが、そちらの方を向く余裕がない。

 仲間の誰が残っているのか、敵の誰が倒れているのか、それさえも分からない。

 長瀬はデルタの手足を武器とし、銃剣を武器とするカイザの猛攻にひたすら耐えていた。

 

「見えなくとも、聞こえているだろう、長瀬裕樹!」

 

 カイザの剣がデルタの複眼部分(ファインダー)をかすり、表面一部を軽く焼き潰す。

 

「これら起こる人間とオルフェノクの戦争は、こうなるだろう。

 一対一の鮮やかな決闘なんて無い。

 一対多の燃える共闘なんて無い。

 どこまでも混濁していて、誰が誰を倒したのか、誰が誰を殺したのかすら曖昧で……」

 

 ガガガガガ、とデルタの連射がカイザの顔面を直撃し、複眼の片方を焼き潰す。

 

「……それでいて、殺されたという遺恨は残る。

 何が何だか分からない混沌の中で、憎しみだけが募るのさ」

 

 突き出されたカイザのパンチングユニットを、デルタが銃口で殴って弾き。

 

「そういう世界は嫌だ、って顔してるぜ。琢磨」

 

 後ろに跳んだデルタの銃弾を、カイザが銃撃で撃ち落とす。

 

「ああ、そうだ。僕がそういう世界を望んでいると言えば嘘になる」

 

「だったら!」

 

「知ったことか! どうせ起きるさ!

 君達がここで勝とうが! スマートブレインが勝とうが! その地獄は必ず来る!」

 

 長瀬のミドルキックが脇腹に、琢磨のハイキックが側頭部に、同時に当たった。

 

「だから教えてくれ。

 君が教えてくれ。

 僕はこのカイザギアを使った場合、その地獄でどのくらい強く在れる……!?」

 

「―――!」

 

 強さを、力を、戦いを語りながら、長瀬と琢磨は全身全霊の攻撃をぶつけ合う。

 止めない。

 止まらない。

 止められない。

 攻撃を止めれば殺される。

 攻撃を止めれば自分が自分でなくなる。

 攻撃を止めれば、この敵に自分の信念と人生を否定されてしまう。

 

 そう言わんばかりの、ノーガードでのせめぎ合いであった。

 

「誰にも言ってないが、君だけに教えよう!

 僕はムカデのオルフェノクであることがあまり好きじゃない!

 もう少しでいいから、強い生き物や特別な生き物が良かったと度々思う!」

 

「知るかよ!」

 

 そういうところを気にするから、仲間に小物臭く見られるというのに。

 が、琢磨のその思考もそこまで変なものではない。

 脱皮を能力として昇華・顕現させ、他のオルフェノクにない複数の命という規格外の個性を得たクロコダイルオルフェク。

 幻想を体現する、特例を極めたドラゴンオルフェノク。

 そして、生育環境次第では脱皮の繰り返しにより不老不死を体現できるとも言われるロブスターを模した、運命的な何かを暗示するロブスターオルフェノク。

 ラッキークローバーの中で、ムカデな琢磨は逆の意味で目立ってしまう……と、本人は落ち込んだりナーバスになったりした時に思ったりするというわけだ。

 

 強いのに。

 琢磨も強いはずなのに。

 その強さに自信を持って良いはずなのに。

 この環境では、大物らしい振る舞いなどできようはずもない。

 

「小物であると言えばいい!

 雑魚だと笑えばいい!

 情けないと見下せばいいさ!

 僕は……僕らしく生きてみせる! 僕の未来は、僕が決める!」

 

 カイザがデルタの腕を掴み、投げる。

 流れるような投げはダメージこそ無いが、デルタを路面に転がした。

 

《 Exceed Charge 》

 

「君に勝つ! ここで! 僕が! 長瀬裕樹に! デルタに! 勝つッ!」

 

 カイザブレイガンに溜め込まれたフォトンブラッドが、拘束弾として放たれる。

 当たれば一瞬後には微塵切り、そういう性質を持った拘束弾だ。

 

《 Burst Mode 》

 

「負けねえよ」

 

 だからこそ、当たってやらない。

 デルタのフォトンブラッド十二連射が、拘束弾を打ち砕く。

 

「そうだろ、千翼ォ!」

 

 長瀬と琢磨は互いに踏み込み、拳を振り上げる。

 

「琢磨。強くても、弱くても、どっちだってよかったんだ、俺は!」

 

 突き出される二つの拳。

 デルタの右拳とカイザの左拳が衝突し、デルタの拳が打ち勝った。

 

「ダチが居て、仲間が居て、一人じゃない場所がありゃ、俺はそれだけでよかった……!」

 

 のけぞったカイザの腹に、デルタのつま先が刺さる。

 

「……っ! 要らない、そんなものは!」

 

 続けて跳んできたデルタの拳を、琢磨は蹴りで受け止めた。

 デルタのパンチ力は3.5t、キック力は8t。

 カイザのパンチ力は3t、キック力は7t。

 基礎出力に差があっても、足なら拳に一方的に打ち勝てる。

 知にて力を制する一手によって、今度は長瀬の方がのけぞらされた。

 

「僕には、どんな相手も虐げられる、誰にも虐げられない、力があればよかった……!」

 

 風切る頭突き。

 カイザの頭突きが凄まじい速度でデルタの額へと当たり、両者の額部分が砕けた。

 砕けかけの仮面は一部の衝撃を貫通させてしまう。

 仮面の下には人間の額とオルフェノクの額。徹った衝撃の差など比ぶべくもない。

 

「ッ」

 

 痛みが、苦しみが、疲労が、今の自分が何をしているかさえもあやふやにする。

 銃、剣、腕、足、動かせるものを片っ端から動かして攻める。

 デルタとカイザ、長瀬と琢磨の削り合いは止まらない。

 

「くあうッ!」

 

 そして、二人の間にドラゴンオルフェノクが転がって来た。

 転がしたのは巧と木場。ファイズとホースオルフェノクのダブルキックが、足を切られて機動力を殺された北崎を蹴り飛ばしたのである。

 疲弊した北崎が、琢磨の目の前で足を震わせながら立ち上がろうとして――

 

「邪魔だ!」

 

「ぎっ!?」

 

 ――仲間のはずの琢磨に、蹴り飛ばされて、どかされる。

 

「……お前、あいつ怖かったんじゃねえのかよ、琢磨」

 

「後悔なら後でするさ。

 今はそんなことどうでもいい。ああ、でも……

 普段僕をいじめてたあいつを蹴り飛ばせたのは、なんだか凄く気持ちいいっ!」

 

「お前……思考が小物臭いよな、本当に!」

 

 戦いは続く。

 最後の一人が残るまで続く。

 一人、一人とまた倒れ、今や満身創痍の長瀬と琢磨が殴り合い、ズタボロの巧と北崎が立つのみとなった。

 戦いを見守るオルフェノクの王と、スマートブレインの社長。

 集団の頂点に位置する二人だけが戦いに参加していない。

 が、そんな二人を気にすることもなく、男達は戦っていた。

 

 男達は自分の信念、想い、覚悟、激情、全てをぶつけ合っている。

 

「あああああああああッ!!」

 

 四人分の魂を絞り出すような叫びが共鳴し、響き合う。

 

「くたばれえええええッ!!」

 

 全身全霊、手加減抜きで殴り込む。壊れろ、倒れろ、くたばれ、と想いを込めながら。

 

「長瀬裕樹ィ!」

 

「なんだッ!」

 

「ここで……君を倒して、自分の中の全てに決着をつけてやる!」

 

 琢磨は脚部にカイザポインターをセットし、マニュアルに無い操作をした。

 

《 Exceed Charge 》

 

 必殺技の発動コマンドを、何度も連続して入力したのである。

 

《 Exceed Charge Exceed Charge Exceed Charge Exceed Charge 》

 

 カイザギアを壊す気か、と言われても仕方のない操作。

 どうでもいいのだ。琢磨はここで勝てるなら、もはやギアが壊れようがどうでもいい。

 ギアの破壊すらも覚悟で、過剰なフォトンブラッドを詰め込んでいく。

 

「受けて立ってやる。チェック」

 

《 Exceed Charge 》

 

 長瀬は借り物のデルタを壊すわけにはいかないのもあって、フォトンブラッドのチャージは一回のみ。

 されども負けを受け入れる気などない。

 針の穴に心の先を通すように、心の先を尖らせてゆく。

 

「最後の勝者になるのは、僕だッ!」

 

 二人の視界の外側で、巧が最後の一撃を叩き込む。

 ドラゴンオルフェノクの肉体がゆっくり倒れ、倒しきったファイズも尻もちをついた。

 北崎が倒れた音を合図とし、二人は最後の一撃を放つ。

 

 最後に残った二人の内、勝者となるのは―――?

 

「うおおおおおおおおッッ!!!」

「あああああああああッッ!!!」

 

 あまりにも濃い、黄色の四角錐が放たれる。

 カイザのポインティングマーカーがデルタを狙う。

 美しい色合いの、青紫が混じった銀の三角錐が放たれる。

 デルタのポインティングマーカーがカイザを狙う。

 

 四角錐と三角錐は、1mmのズレもなくその先端をぶつけ合った。

 ポインティングマーカー同士が互いを捉え合ってしまい、空中で押し合いながら鍔迫り合いの如く静止する。

 示し合わせたかのように、そこにカイザとデルタが同時に飛び込んだ。

 ポインティングマーカーの鍔迫り合いが、飛び蹴りの鍔迫り合いへと移行する。

 

「う……く……あっ……!」

「ぐ……ぬ……がっ……!」

 

 互角。

 二人の力は完全に拮抗し、黄と銀どちらも一歩も引かない。

 

「負け、るか……!」

 

 力に差はなく、ゆえに力以外の部分で差が出始める。

 銀の三角錐の先端は鋭く、ブレもない。

 対し黄の四角錐の先端は、徐々にほどけて鋭さを失い始めた。

 ポインティングマーカーに過剰なフォトンブラッドを注ぎ、無理をしたせいでもあるが……それ以上に、琢磨と長瀬の集中力に差が生まれ始めたことが原因だった。

 

「琢磨、てめえの負けられない理由が、どんなに強くたってっ……!」

 

 光を蹴り込む長瀬と琢磨の集中力の差が、力の差に直結している。

 

 意志と意志のぶつけ合いが、意志の強さをポインティングマーカーの強度に反映される。

 

「自分のために負けられないお前に、他人のために負けられない俺が!」

 

 銀が、黄を貫く。他人を想う強い意志が、自分のために戦う強い意志を粉砕する。

 

「負けて、やれるかッ―――!!」

 

 かくしてデルタは押し勝ち、長瀬の一撃はカイザのベルトを貫いた。

 命は奪わず、ベルトのみが砕かれる。

 

 小物の一撃は強かった。

 小物の意地は、強者も倒す強き信念と化していた。

 これまでの長瀬裕樹の一撃では、死力を尽くしても敵わぬほどに。

 だが、今の一撃なら打ち勝てる。

 今の長瀬なら打ち勝てる。

 多くの出会いが、旅の終わりが、ただのガキであった長瀬の一撃に『本物』を宿した。

 

 『小物』に打ち勝つからこそ『本物』。世界はいつも、そうして回っている。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 琢磨は路面に転がり、空を見上げる。

 胸ポケットからメガネを取り出すが、割れていた。

 それが今の自分には相応しいような気がして、割れた眼鏡を顔にかける。

 

「……ふぅ」

 

 自分を見下ろすデルタが、変身を解いて長瀬裕樹の姿に戻った。

 最後に立っていたのは長瀬。

 最後に立っていたのは人間。

 最後に残ったのは照夫の仲間で、ゆえに戦いは照夫の勝利となった。

 これがこの世界の未来を変えた、と琢磨はなんとなくに思う。

 

 倒れたままの琢磨と、見下ろす長瀬の視線がぶつかった。

 

「琢磨、死にそうではねえよな?」

 

「ああ、問題はない。……負けた、か。

 本当に、土百足(ジムカデ)のようで……地百足(ジムカデ)のような、人生ですよ……」

 

 琢磨が自嘲する。

 土百足(ジムカデ)はメジャーな虫のムカデであり、地百足(ジムカデ)は植物である。

 土百足が地を這い人に踏み潰される虫であるのと同じように、ムカデの名を関する地百足も地を這う植物で、人に踏まれる運命にある植物である。

 情けない姿で地を這い、汚らしく泥にまみれ、何度も何度も踏みつけにされ……けれども、踏まれたくらいでは死なず、しぶとく生き残る。

 それが、ジムカデだ。

 琢磨がそうそう死ぬものか。

 大物は派手に絢爛に散るが、しぶとく最後まで生き残り『最後に生き残った者という名の勝者』となるのが、小物の特権なのだから。

 

「強かったよ、お前。

 ドラゴンオルフェノクと同じくらい、戦っててしんどかった。

 お前は小物だとしても、弱くはねえ。

 今日の気合いを見せれば、大抵の奴には勝てるさ。俺の言葉を信じろ」

 

「……むず痒いな、そういう、褒め言葉は……」

 

 きっと琢磨は何があっても最後まで生き残るだろう。

 仮に草加が死んでも、木場が死んでも、巧が死んでも、海堂だけは生き残るのと同じように。

 得てして大物よりも小物の方が長生きするものだ。

 そして戦いが決着した今、二人の大物も言葉で決着をつけねばならない。

 

「村上社長」

 

 沈黙を守り、今まで動きも見せなかった照夫が、村上に語りかけた。

 

 村上は何故か、愉快そうに笑っている。

 

「貴方は、完全なオルフェノクの王になれるのですか?」

 

「うん」

 

 照夫の姿が、アークオルフェノクの姿へと変わった。

 一瞬にして凄まじい威圧感、存在感、強者感が吹き出して行く。

 ローズオルフェノクである村上も、ドラゴンオルフェノクである北崎も、完成したこのアークオルフェノクには敵わないだろう。

 ブラスターファイズでも一対一でなら倒すのは難しい。

 ブラスターと同格のオーガでも、おそらく一対一では分が悪いだろう。

 

 照夫の姿が人間のものに戻る。

 照夫は間違いなく、この戦場で最強だった。

 長瀬達と最初から共闘していたなら、戦いは一方的な勝利で終わっていたに違いない。

 なればこそ、その力を最終決戦においても振るわなかったことに、意味があった。

 

「笑える話だ。

 貴方は我々に力を示せば良かった。

 ならば自分の力を使って、ここで私達を叩きのめしても良かった。

 そうしなかったのは……王よ、貴方がここで見せたかったのは、自分の力ではなかったからだ」

 

 力を見せろと村上は促した。

 照夫は応え、村上に見せる力を選んだ。

 

「貴方は集団の力を見せた。

 自分の力で我々スマートブレインを従えるのではなく……

 人間とオルフェノクの力を合わせた、集団の力を見せたかったわけだ……」

 

 村上はこのやり口に、照夫に秘められた王の資質を見た。

 

「この私を、村上峡児とその部下を、説得し納得させるために」

 

 照夫はオルフェノクの居場所、国、そういったものを作ることを約束した。

 そしてこの戦いで、"王が一人で強大な力を使い国を作る"のではなく、"王が皆の力を束ねて皆の居場所を作る"という基本指針を見せつけたのだ。

 王は一人ではない。

 王は仲間と共に行く。

 長瀬を始めとする王の仲間達は、王の手を煩わせることもなく、王の期待に応えてみせた。

 

 軍の先頭に立つのも王なら、軍を信じて任せて自分は何もしないというのも王である。

 

「いいでしょう。当座の話になりますが、貴方の理想に従ってあげましょう」

 

 倒れたまま動けない北崎と冴子が、凄い目で村上を睨んだ。

 琢磨とMr.Jはどこか受け入れたような顔をしている。

 ラッキークローバーですら意見が真っ二つ。

 これから先、村上社長はさぞかし苦労することだろう。

 

「ただし、私も一つの社運を預かる身。

 損切りは前提です。

 貴方がたの理想が敵わないと判断したその時は、切り捨てるということを忘れずに」

 

「……ありがとう! 村上さん!」

 

 村上が照夫の頼れる仲間となった。

 けれども安心しきった背中を見せれば、村上が背中を刺してくることもあるだろう。

 信用できないが、信頼しないとやっていけない優秀な仲間。

 まあ、照夫にとっては今更だ。

 草加に殺されるかもといつも思いながら過ごしていた照夫にとっては、今更である。

 

 図太くも優しい王として、鈴木照夫は完成した。

 

 周りの強い男達や、今は亡きエミリが、幼い少年に望んだ以上に、いい男になった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 村上が真理などの人質解放を行った頃、フラっとその男は現れた。

 

「あれ? 終わっちゃったんだ。様子見に来ただけなんだけど」

 

 長瀬が盛大にギョッとする。

 人間もオルフェノクも置いてけぼりにする超スピードで再生した千翼が、長瀬を庇うようにして駆け込んで来た。

 長瀬は疑問を口にする。

 

「え、突然現れて誰だよお前。

 最終決戦が終わってから出て来る新キャラかよ」

 

「んー、いや初対面じゃない奴も居るけど……というか君、助かったんだね」

 

「……?」

 

 長瀬の記憶の片隅で、死にかけの時に聞いた記憶が、うっすらとした記憶が蘇る。

 

■■■■■■■■

 

「こーら鳴滝、攻撃避けた僕が悪いみたいに言うんじゃない。

 しかしこれは……不幸な世界の迷子かな?

 空いてた世界の穴に偶然足を踏み入れてしまったのか……普段から幸薄そうだねぇ」

 

「このままじゃ死ぬ……いや、もう九割がた死んでるのかな。

 こりゃまいった、選べる手段がそう多くないじゃないか。さて」

 

■■■■■■■■

 

 こいつ、あの時琢磨と戦ってたやつだ、と。

 長瀬は世界移動直後に琢磨とこの男の戦いに巻き込まれ、センチピードの鞭に殺され、オルフェノクの記号を埋め込まれて蘇生したのだ。

 その後、なんやかんやでデルタに適合して、今に至る。

 つまり大体の事柄の原因が、この謎の男なのである。

 

「いや、知り合いに怒られてね。

 君らを元の世界にポイして、ここの世界の穴を塞ぎに来たんだよ」

 

「……あんた、名前は?」

 

「名乗るほどの者じゃない。通りすがりの仮面ライダーだ、覚えておきたまえ」

 

 男は名乗りもせず、世界に穴を空けて千翼と長瀬の帰還を促す。

 マクガフィンのような男だ。自分の身の上を深く語る気がまるで無い。

 

「ほら、付いて来たまえ。道なりに進んで行けば元の世界に帰れるから」

 

 男は一足先に、世界の穴へ足を踏み入れた。

 

「帰れる、のか?」

 

 長瀬は反射的に帰ろうとし、自分の方を見ている"この世界での仲間達の視線"に気付き、ひとまず踏み止まった。

 照夫の前に屈み、少年と目を合わせる。

 

「照夫、もう大丈夫か?」

 

 少年が乞うたなら、もう少しこの世界に残って力を貸してもいい、と長瀬は思った。

 少年にその気はない。

 これ以上、善意で力を貸してくれた長瀬に助けを求める気は無い。

 長瀬にありがとうと言いたかった。

 長瀬にごめんなさいと言いたかった。

 助けられたことにありがとうを、巻き込んでしまったことにごめんなさいを、言いたかった。

 

 だけれども、必要な言葉はそれではない。

 照夫が長瀬に聞かせるべき言葉は、"長瀬はもう要らない"という意志表示。

 

「うん、もう大丈夫」

 

「そうか」

 

「じゃあ、俺はもう要らないな」

 

 この世界の戦いから、長瀬を解放するための一言だった。

 長瀬の目から、この世界に残って戦うという意志が消える。

 これでいい。

 この世界の問題は、最後には絶対に、この世界の者達だけで解決すべきことなのだから。

 

「ヒロキ」

 

 照夫が右手を差し出す。

 長瀬が、その手を握り返す。

 

「頑張れよ」

 

 長瀬が照夫を一人の男として認めざるを得ないほどに、いい顔で、いい握手であった。

 

 照夫の手を離し、長瀬は三原にデルタを返す。

 

「借りてたデルタ、返す」

 

「今までデルタとして戦ってくれて、ありがとう」

 

 三原の感謝を受け取り、長瀬は木場の前に立つ。

 

「綺麗事、貫けよ。綺麗事をやり遂げた奴はかっこいいと、俺は思う」

 

「ああ。理想を語った責任を、俺は果たすよ」

 

 心配の要らなくなった木場の笑顔を横目に、長瀬は海堂に歩み寄る。

 

「照夫の面倒ちゃんと見ろよ。

 照夫のお兄ちゃんか、お父さんか、どっちかは知らないが」

 

「ちゅうか、お前に言われなくてもやるってんだよ。……気を付けて帰んな」

 

 ぶっきらぼうな海堂の想いを受け取り、長瀬は草加の死体を見下ろす。

 

「……」

 

 手を合わせ、草加の冥福を祈り、長瀬はまた倒れたままの琢磨を見下ろしに行った。

 

「おい、琢磨。負けたんだ、ちゃんと照夫に従えよ」

 

「分かってる。ああ、くそ、またパシリか何かさせられるのは嫌だな……」

 

「しっかりやれよ。真理さん? とかの人質がちゃんと解放されたかの確認もしっかり頼む」

 

「僕は君のパシリじゃないぞ……!?」

 

 そして最後に、巧の下へ。

 

「乾さん。頼みがあるんだ」

 

「何だ? 言ってみろ」

 

「『生まれたことが罪なら、俺が背負ってやる』

 って言ってたよな。

 その言葉、絶対に撤回しないでくれ。

 ずっと照夫を守ってやってくれ。あの言葉は、俺の心にも響いたんだ」

 

「……ああ」

 

 巧の拳と、長瀬の拳が、軽く打ち合わされる。

 

「照夫君だっけ?」

 

「あなたは……千翼さん?」

 

「頑張って。君の願いが叶ったら……俺は、嬉しい」

 

「……うん!」

 

 人間と共存不能な怪物である千翼から、人間との共存を目指す怪物の照夫へエールが送られ、それで別れの挨拶も一区切り。

 

「じゃあな、皆」

 

 長瀬と千翼が、肩を並べて世界の穴へと歩を進める。

 

「俺の方こそありがとう、だ。

 この世界に、この世界で出会った人達に、この世界であった戦いに……」

 

 良い旅、良い出会い、良い決着、良い物語。

 長瀬は記憶を思い返して、それらをもう一度堪能する。

 

「俺はようやく、捜し物を見つけられたんだから」

 

 消えていく長瀬の背中に、照夫は叫んだ。

 

「ありがとうっ! さようならっ!」

 

 長瀬は背中を向けたまま、拳を突き上げる。

 照夫も同様に突き上げる。

 長瀬の姿が完全に消え、世界の穴もかき消える。

 

「……さようなら……」

 

 生まれたことが罪だった子供達の物語が、ほんの少しだけ交差したこの戦いは、こうして明確な終わりを迎えるのだった。

 

 

 

 

 

 千翼は死体しか愛せない化物で。

 長瀬は生者しか愛せない人間だ。

 その愛は怪物にとって当たり前で、人間にとって当たり前のもの。

 千翼は異常で、長瀬は平凡だ。

 同じ世界に生きるには色々と問題があって、同じ運命の道を進んで行くことはできない。

 二人の片方が死んだ世界へと、彼らは帰らなければならないのだ。

 

「お、世界の分かれ道」

 

「そっちがヒロキの世界で、こっちが俺の世界かな」

 

「だろうな。千翼、そっちの世界のイユにもよろしく言っといてくれよ」

 

 こうして千翼と別れる日が来るなんて、長瀬は思っても見なかった。

 

 千翼の差し出した手をグッと握って、胸の痛みを誇らしさで押し込んでいく。

 

 別れの握手が物悲しい。

 

「またな……じゃ、ないか。さよならだな、千翼。もう会うことも無いだろうしよ」

 

 長瀬は手を離して、拳を握る。千翼は優しげに笑った。

 

「死んでるように生きるなよ、ヒロキ。

 死にたくない、じゃなくて、生きたい、の方がきっといい。

 ヒロキは時々つまんなそうな顔してることがあるからさ、気を付けなよ」

 

「言うじゃねえかこのやろう」

 

 長瀬の世界ではこれからアマゾンに厳しい世界が来るだろう。

 千翼の世界ではこれから人間に厳しい世界が来るだろう。

 どちらの世界でも、人間とアマゾンが憎み合う闘争の時代がやって来る。

 されども、人間とアマゾンである二人の間に憎しみは無い。

 

 友達にはなれなかったけど、きっとここには友情があった。

 

「さよなら、ヒロキ」

 

「さよなら、千翼」

 

 背中を向けて、別々の道を行く。

 

 長瀬は世界の穴をくぐり終え、元の世界に戻って来た。

 スマートブレインから取り戻した携帯電話の日付を見る。

 電波で日付と時間が調整されて、長瀬がこの世界を出ていった時刻から、まだ一時間も経っていないことが分かった。

 あの世界での戦いの日々は、こちらの世界での一時間にも相当しなかったらしい。

 

「帰って来た……か」

 

 とりあえず帰る。

 帰って、飯食って、シャワーを浴びて、ぐっすりと寝る。

 疲れもあって丸一日眠ってしまった。

 寝ぼけまなこで起きた長瀬は、着替えてコンビニへと向かう。

 

 コンビニでジュースの缶を三本買って、携帯でグーグルマップを起動。

 目的地の位置を把握し、そこに向かってバイクを走らせる。

 辿り着いた場所は墓地。

 『星野家之墓』と書かれた墓石を見つけ、『星埜イユ』の文字を見つけて、長瀬は「ここだ」と呟いた。

 

「しばらく来てなくて悪かった。色々、思い出してキツかったからさ」

 

 墓を綺麗にする。

 墓に水をかける。

 気温の低いこの季節に墓の水掃除はこたえたが、長瀬はそれを苦にも思わない様子で掃除を完遂する。

 

「イユ、そこに居るなら、悪いが千翼も連れて来てくれ。聞かせたい話があるんだ」

 

 掃除を終えた長瀬は墓の前に座り込み、三つの缶の口を開けて墓に並べる。

 一つは自分の分。

 一つはイユの分。

 一つは千翼の分。

 墓の向こうに誰かが居ると信じて、長瀬は墓石に向けて語りかけた。

 

「夢みたいな、あの旅の話を」

 

 戦いの日々。

 出会った人達。

 別の世界との千翼との対面。

 一つ一つの事柄を、長瀬は詳細まで余すことなく語り切り、そこに感じた自分の思いも語ってゆく。

 家を出た時間が遅かったのもあって、ほどなく空に星が見える時間がやって来てしまった。

 

 やがて、空に星が降る。

 流れ星に早口で"千翼とイユが幸せに生まれ変わりますように"と三連続で言おうとして、言い切れなくて、長瀬は千翼とイユに謝った。

 謝って笑った。

 空に降る小さな星の話も、長瀬は始める。

 

 流れ星が消えるまでに三回願いを言えば、その願いは叶うという。

 

 空を見上げていると、偶然また流れ星が落ちて来て、今度は長い時間空を横切る。長瀬は慌てて超高速でもう一度"千翼とイユが幸せに生まれ変わりますように"と叫ぶ。

 三回言えた。

 言えてしまった。

 長瀬は笑う。

 

 この願いが叶えばいいなと、長瀬は思った。

 

 またいつか、やがて、星は降る。人は星に願いを捧げる。

 

 優しい願いを胸に抱える人間が、この星の上に息づいている限り。

 

 

 




 これにて終わり。一話の平均文字数を少なめに抑えたいと言っていた過去の自分はなんだったのか

 空にはやがて星が降る。小さな星の話しようぜ!


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