ヒーロー? いいえ、時を操るメイド長ですわ! (作者不在証明)
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第1話 雄英高校入試試験 ―前編―

 

 

 

 

1.

 

 

 

 

 

 

 天気は快晴。心はやや曇天。

 紅魔館のメイド、十六夜咲夜は国立雄英高等学校、その正門前に立ちすくんでいた。

 

 この日は雄英高校の入試試験日当日。正門前に立ち止まり巨大な校舎を見上げる彼女は色んな意味で悪目立ちしていた。

 身も蓋もないが、まず第一に通行の邪魔である。ましてや緊張で注意が散漫になりがちな受験生なら尚更。ぶつかりそうになって寸前で回避した生徒も1人や2人ではない。

 次いで彼女の容姿。見目麗しい白銀の髪の外国産美少女など、ここでなく街中で見かけたとしても10人中10人が振り返る。さらにそんな彼女が、この日本で日常生活を送る上でまず見かけないであろう(しかし誰もが知っている)服装に身を包んでいるのだ。――そう、メイド服。

……所謂そういうお店のコスプレメイドさんなのではないかとそこら中から視線を集めているのだが、彼女が気にしている様子は一切なかった。

 

 

 

――しかし、ここで漸く勇気ある一人の少女が声をかける事に成功する。……というかこれ以上、あと数分でも突っ立っていれば不審者を取り締まりに教師が出張ってきていたであろうことは想像に難くない。

 

 

 

「あの、大丈夫ですか……? 道に迷ったとかでしたら、案内しますけど」

 

 振り向くと、茶髪のショートボブの少女が咲夜を不思議そうな顔で見つめていた。

 

「…………」

「って、あ、あれ? もしかして日本語通じない!? えっと……あ、あーゆーひあ? す、すぴーくじゃぱにーず?」

 

……とても偏差値79の高校を受験するとは思えないレベルの英語力を披露してしまった少女ではあるが、そもそもが学校で習う英語の授業と実際の外国人との会話というのは全くの別ジャンルと言っても過言ではない。だから本日の少女の筆記試験が絶望的だとかそういうことでは決してないのだ。きっと。恐らく。

 

「――大丈夫。日本語は分かるわ。勝手に中に入っていいものかどうかが分からなくて。軽く途方に暮れていたところ」

 

 とは言うものの、半分以上は気分が乗らずというか、咲夜にとって未知数過ぎて足踏みしていた、というのが正解である。

 

「わ、わあ……めっちゃ日本語上手! 受験生のお姉さんですか? 忘れ物届けにきたとか?」

「違うわ。私は入試試験を受けに来たの。きっとあなたと同い年ね」

「嘘!! 同い年!? ……さ、流石外人さん、大人っぽい……」

 

 なんだかキラキラした目で見つめられているが、咲夜としてはあまりそういった自覚を持ち合わせていない。実際どのくらい持ち合わせていないかというと現状の通り、高校の入試会場にメイド服で参上するくらいには、だ。

 屋敷の仕事を取り仕切る完全で瀟洒なメイド長であっても、そこから一歩踏み出せば文句なしに一端の世間知らずでしかなかった。

 

「あ……私、麗日お茶子っていいます。あなたは?」

「私? 私は……、咲夜。――十六夜咲夜(いざよいさくや)と申します」

 

 彼女、十六夜咲夜はそう言った。

 どこか自慢気な表情で。誇るように。自身の名前を。

 誰かに自分の名前を語るのは、これが()()()だったから。

 

 

 

 

 

 

2.

 

 

 

 

 

 

「へえー、十六夜咲夜さん……綺麗な名前だね。見た感じ外国の人だと思ってたけど、もしかしてハーフだったりするの?」

「いいえ。この名前は、この国に来た時にお嬢様が名付けてくださった物なの。……私が何より大事にしている、宝物ですわ」

「うん、私もとっても素敵だと思う!

――にしても、お嬢様に、その格好に、やっぱり十六夜さんって……本物のメイドさんだったりする?」

「……逆にこの国には本物じゃないメイドがいるのかしら?」

 

 不思議そうな顔をしつつ、麗日の疑問に答えを返す。

 

「まあ、お嬢様にお仕えする従者という意味で、本物のメイドね。紅魔館のメイド長よ」

「ふおぉ……私生のメイドさん見たの生まれて初めてだよ! 十六夜さんもやっぱりヒーローに憧れて雄英高校に?」

「いや、えっと……それは……」

 

 それを語るには深い……いや、割と浅いかもしれない……。

 そんなやんごとなき事情があるのだが――

 

 

 

 

 

 

3.

 

 

 

 

 

 

――半年前。

 

 レミリア・スカーレット――咲夜が従事し忠誠を誓う紅魔館の主。

 青みがかった銀髪、人形の様に美しく整った顔立ち。血濡れたかの如き真紅の瞳と、薄く開かれた唇が織り成す表情は、無邪気で幼い少女の様にも、婀娜めいた艶女の様にも見える。

 10歳にも満たないような小柄な体躯は、背中を裂くその異形の翼によって、まるで悪魔の如き輪郭を作り出していた。

 魅了(チャーム)でもかけたかの如く、見るもの全てを妖しげに引き込む存在感。その性格は非常に尊大かつ我が儘で、まさに夜の王と呼ぶに相応しい風格を持つお嬢様。

 

 

 

「――――咲夜、あなた雄英高校ってとこで女子高生やってきなさい」

「………………はい?」

 

……で、あるのだが、この見た目非常に愛らしい幼女は、脈絡なく突拍子もない事を言い出し周囲を振り回しまくるという悪癖を持っていた。

 そしてこの日の台詞はその中でも最たるものだった、と後に咲夜は語っている。

 

「あの、申し訳ありませんお嬢様。良く……聞こえなかったのですが、もう一度仰っていただけますか?」

「雄英高校でJKをやってくるのよ」

 

「……お嬢様。失礼ながら全く意味が分かりませんわ」

 

 改めて聞いてみたものの、余りにも分からなさすぎたので取り敢えずにこやかに一刀両断した。というかJKってなんだ。

――それこそ主人の為なら命でさえも惜しくない程、レミリアに心からの忠誠を誓っている咲夜ではあるが、言いたいことをきっちり言わせてもらうのもメイド長の務めである。崇拝と忠誠は違うのだ。

 

「知らないの? 遅れてるわね咲夜。この国ではJK――女子高生という存在に大層なブランド価値を見出だしているそうよ」

「はあ、女子高生…………え? 私がですか!?」

「お前以外に誰がいるのよ。パチェは喘息持ちの引きこもりだし、小悪魔はそのパチェのお守り。フランは論外で、私はほら、この館の主人だから」

 

 咲夜の脳裏に、名前すら出してもらえなかった哀れな中国、もとい紅魔館の門番の顔が浮かぶものの、目下己に差し迫った危機の方が重要だとばかりに一瞬で頭から叩き出す。

――まあ、要するに主は咲夜に、ここ日本で学生をやってこいと仰っているわけだった。

 

「その、お言葉ですがお嬢様。私、高校どころか学校にすら行ったことがありませんわ。――それに私がいない間、この館のお仕事はどなたにお任せするおつもりですか?」

「大丈夫よ。いざとなったらパチェの魔法にちょちょいとお任せしてもらうから」

 

「――ちょっと、誰の魔法にお任せするって? 私は貴方と違って忙しいんだから、そんな暇はないわよ」

 

 先程まで2人のやり取りには我関せずとばかりに本を読み漁っていた少女――紫がかった長髪をリボンで束ね、ゆったりとしたネグリジェの様な服を着ている。瞳の下に薄らと見える隈はいかにも不健康そうだ。

 彼女――レミリア・スカーレットの友人、パチュリー・ノーレッジが面倒くさそうに口を挟む。

 

「別にいいじゃないそれくらい。もしかして貴方がJKやりたかった?」

「冗談言わないで頂戴。それに、確か雄英ってヒーロー科が有名なところでしょう? 国内でも特に倍率が高いっていう」

 

 レミリアの突飛な思い付きがこちらに飛び火しては堪らない。

 こういう時のレミリアに関わると録なことにならない、というのはもはや紅魔館住人全員の共通認識であった。

 

「いいじゃないか、ヒーロー。JKだけでなくプロのヒーローまでいるとなれば、この館に更なる箔がつくこと間違いなしね」

「……あのねぇ、レミィ。悪魔の館のメイドがヒーローってどうなのよ。――そうでなくとも貴方世間一般的には(ヴィラン)なのよ? 昔ロンドンで()()()した時のこと覚えてる?」

 

 呆れ顔で溜め息を吐き出すパチュリーの言葉に、キョトンとした表情で返すレミリア。

……無言ながらにこれ以上ないほどの明瞭な回答であった。

 

「レミィ……貴方ね。あの時私がどれだけ苦労したか分かってるのかしら……?

好き勝手暴れまくる貴方を追いかけて人払いの結界を張って、目撃者の記憶を可能な限り消してまわって……。あの後体調崩して1週間寝込んだの、まさか忘れたとは言わせないわよ……?」

 

 パチュリーが怨嗟に満ちた台詞と共にこれ以上ない程の剣呑な目付きで、レミリアに恨みがましい視線を送る。

 

「――お、思い出したってば!! 怒らないでよパチェ!? また喘息酷くなるわよ!?」

 

 額に青筋を浮かべたパチュリーを見て、流石に雲行きが怪しくなってきたのを察したのか必死で宥め賺すレミリア。

――1人くらい咬み応えのある奴がいれば私だって忘れたりしなかったわよ……などとブツブツ呟いてはいたが。

 

「――と、とにかく! 咲夜には雄英高校に行ってもらうわ! 館の仕事なら下っ端メイド隊が(頭数だけは)揃ってるから平気よ。貴方なら学校に通いながらでも()()()()()()()()()()に最低限の仕事はこなせるでしょ?」

「あの子達に仕事を任せるのは些か、以上に不安ですけれど……まあ、お嬢様がそこまで言うのでしたら……」

 

 なんだかんだで主人の申し出に寛容な咲夜は、例に漏れず押しきられ、今回の我が儘も聞き入れてしまった。

 ここまで来ると最早抵抗は無意味だとばかりに、パチュリーも呆れ顔で受け入れモードに移項し始める。

 

「けれど、お嬢様? 私はこの前日本語を覚えたばかりですし、この国の名門高なのでしょう? 私に備わっているメイド教養だけでなんとかなるものなのでしょうか?」

「それもそうねぇ……この屋敷に来てから、ある程度の座学は美鈴とパチェに教わったのよね。だったら……」

 

 主人とその従者が揃って視線を向ける先には……紅魔館の知識人、パチュリー・ノーレッジの姿。

 視線の交錯は数秒。先に折れたのはやはり――

 

「――分かったわよ……それくらいなら私が教えてあげるわよ……。いくら難関と言っても、試験は中学までの履修範囲に毛が生えた程度のレベルでしょうし。まあ、幸い貴方、頭の出来は悪くないわけだしね。実技試験なんかもあるみたいだけど、そっちは自分で何とかしなさい」

「ありがと、パチェ」

「感謝いたしますわ。パチュリー様」

 

「よく言うわよ……本当に」

 

 

 

 

 

 

4.

 

 

 

 

 

 

「はぁ……喋ってたら喉が渇いたわ。咲夜、紅茶を入れてきて頂戴。()()()()()()()()

「――、承りました。パチュリー様」

 

 未だに渋い顔をしているパチュリーから溜め息混じりの要求を受け、室内を後にする咲夜。

 1人減った室内には、レミリアとパチュリー。彼女達2人以外の姿はない。

 

 

 

「――どうしたのかしら? わざわざ咲夜を下がらせて。情事に耽るにしては、まだ少し早い時間帯じゃなくって?」

 

 薄く笑みを浮かべるレミリアにパチュリーが答える。

 

「ええ、どこかの誰かさんに聞きたい事があってね」

「ふぅん。一体なにかしら?」

「あの娘をわざわざ高校に行かせること。その理由について、かしらね」

 

 目の前の友人の瞳が一瞬だけ揺らいだのを、パチュリーは見逃さなかった。

 

「――だから、言ったじゃない。この屋敷からJK、及びヒーローを生み出して、更なる勢力の拡大を目指すのよ」

「それさっきも聞いたけど、勢力拡大してどうするってのよ。別に貴方、世界征服なんかには興味なかったわよね?」

「んぐ……き、気分よ。唐突に! やってみてももいいかって思ったのよ!」

「気紛れで世界を征服しようとするのも貴方ぐらいでしょうね……」

 

 というか先程あからさまに、んぐ、とか聞こえたのだが。まあ、今ここでそれを指摘するのは野暮というものだろう――ただし、追及をやめるとは言っていない。先程のせめてもの意趣返しである。

 

「脈絡がないのは貴方らしいけど、今回はいつも以上に無理矢理すぎたわね。箔をつけるとか、その程度の理由じゃ咲夜を手放す理由にはならないわ。貴方も知ってるでしょう、咲夜が来る前の屋敷の惨状を……。下っ端のメイド達は全然役に経たないし、美鈴もメイド隊よりはマシとは言え、脳味噌が筋肉と昼寝で構成されてる奴はどう考えてもメイド向きじゃないわ。外部からプロを雇ったところで、ウチでの()()()()知ったらもれなく全員逃げ出すし……」

 

 さきほど不適な笑みを浮かべていた友人からむぅ、とか、うぐぅ、とか猫を踏んづけでもしたかの様な呻き声が聞こえてくるが、総じて無視を貫く。咲夜の家庭教師をするのは目の前の友人ではなくパチュリーなのだ。授業料だと思って甘んじて受け止めてもらいたい。

 

「――まあ、いつもの気まぐれ、というのは実際その通りなんでしょうね。けれど、その目的はヒーロー云々というよりも、咲夜に一度くらい普遍的な学校生活を送らせてあげよう、ってところかしら? 相変わらず身内には甘いのね、レミィ」

 

 

 

「…………パチェ、あなたやっぱり性格悪いわ……」

 

 軽く羞恥の残った恨みがましい視線で睨みつけるレミリアと、反対に達成感で満ち足りた表情のパチュリーであった。

 

「――あら、お褒めに預り光栄ですわ。貴方(悪魔)程じゃあないけれど、ね」

 

 

 

 しばらく顰めっ面でそっぽを向いていたレミリアだったが、不意に悪戯を思い付いた様な顔で口端を引き上げる。

 

「……仕方がないから咲夜の事は勝手にそう思ってればいいわ。――でも、実はそれだけじゃあないんだ。ちょっと()()()()()()()があってね」

「まだあるの? 今度はなにかしら……ここまで来たら全部話してくれても問題ないと思うわよ」

「ふふん、意地悪なパチェには当分教えてやらないよ。お得意の推理で答えでも求めてみるんだね」

「はいはい、悪かったわよ。それはヒーローだとか敵だとかに関係してることなのよね」

 

 水を得た魚の如く生き生きとしだしたレミリアと、苦笑いで茶番劇に付き合うパチュリー。

 

「ああ。咲夜がヒーローの真似事をしてれば、それの情報も自ずと集まってくるだろうさ。――それまで、答え合わせはお預けだ」

 

 レミリアは不適な笑みを浮かべる。まだ見ぬ演目をその瞳に見据えながら。

――漆黒に覆われた夜空に、白く輝く月はない。

 悪魔が住む紅魔の屋敷の一角、三日月のように歪められた真っ赤な唇が、そこにあるだけ。

 

 

 

 

 

 

5.

 

 

 

 

 

 

 かくして……十六夜咲夜は今、こうして着々とJKへ至る為の準備を整え、ついに雄英高校――その入試試験会場の入り口に突っ立っているのだった。

 

(まさか、ヒーローには興味ないけどお嬢様に命じられて来ました、なんて言うわけにもいかないわよね……)

 

「――って、よく考えたらそんな事聞くまでもなかったよね!? ヒーローに興味ないのにわざわざ雄英に行く変な人なんていないもん!」

 

 言い訳を考える咲夜……もとい変な人を放って勝手に自己解決する麗日だった。

安心すると同時に複雑な気持ちになる咲夜だったが、対外的に見てもメイド服を着た変な人なので別に間違った風評ではない。

 

「ああ! それよりもうすぐ試験始まっちゃうよ! 早く行かないと失格になっちゃうかも!」

 

 改めて周囲を見渡して見れば、先程まで試験会場へと足を進めていた受験生達が殆ど見当たらず、巨大な校舎の前で佇むのは咲夜と麗日のみとなっていた。

 

「確か試験開始は9時からだったかしら。……まだ15分()あるわね」

「15分()()ないの!? 十六夜さん、早く行こう! 校舎の中で迷わないといいけど……!」

「それに関しては問題ないと思われますわ。それでは、行きましょうか」

 

 迷いなく足を踏み出す昨夜だったが、数歩程歩いたところで不意に振り返り、

 

 

 

「――ああ、それと。言い忘れていましたわ。麗日、お茶子さん。あなたのお名前も、とても可愛らしいですわよ」

 

 麗日は同性ながら、その儚げで美しい微笑みに見惚れ、数秒程呆けていただろうか――――言いたいことを言ってさっさと校舎へと歩き出してしまっている咲夜に気付き、自身も慌てて駆け出すのだった。

 

 

 

 

 

 

0.

 

 

 

 

 

 

西暦1888年――

平和の象徴が世界に名を轟かせるずっと前。

個性を以てして悪を取り締まる者達、そんな彼等に職業としての立ち位置が確立され、脚光を浴び始めて間もない時代。

 

無作為に暴れ回り犯罪を犯す(ヴィラン)、それらを防ごうと秩序を守るヒーロー。

世界が最も不安定に揺れ動いていた時代。

世界が最も混沌に満ちていた争いの時代。

 

そんな折、歴史に刻まれた数多くの事件の内の1つに、こんな話がある。

 

 

 

――曰く、大英帝国イギリス、その首都ロンドン。その全土が紅い霧に覆われた。

 

――曰く、ロンドンにて名を馳せていた個性持ちが悉く襲われ、無惨にもその命を散らした。敵も、ヒーローも、一切の区別なく。

 

――曰く、心臓を貫かれた者。四肢を引き千切られた者。頭を潰された者。夥しい量の血の海の中、その体内に血液を一滴も残さずに死んでいた者。その現場は悉くが鮮烈だった。

 

――曰く、真偽不明の流れる噂。その殺人鬼は見目麗しい少女であった。

 

――曰く、国から救援を受けた他国のヒーローが駆け付けた頃、紅い霧は既に消え去り、皮肉にも街の犯罪係数は歴代最下を下回っていた。それも当然の話だろう。暴れる敵もそれを取り締まるヒーローも――その全てが殺し尽くされていたのだから。

 

――曰く、組織か個人かすら分からない、その敵は歴史上に真紅の事件を刻み付け、以降その姿を現すことはなかった。

 

――曰く、ロンドンを血で染めたその敵の名を『スカーレットデビル』

 

 

 

この事件の名は――――紅霧異変。

大英帝国イギリスにおける、歴代最悪の虐殺事件である。

 

 

 

 



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第2話 雄英高校入試試験 ―後編―

※文章がおかしくなっていたので、修正後に再投稿いたしました。


 

 

 

 

1.

 

 

 

 

 

 

『今日は俺のライヴにようこそーーー!! エヴィバディセイヘイ!!』

 

 

 

…………シーン、などという陳腐なオノマトペが宙に浮かびあがりそうだった。衣擦れの音一つ響かない痛いほどの沈黙が講堂を支配している。別にシリアスな場面でもないのに。

 このレベルの静寂は学級会議で生徒全員の目を閉じさせ、ガラスを割った犯人を吊し上げようとする魔女裁判くらいのものだろう。

 

『こいつぁシヴィーーー!! 受験生のリスナー! 実技試験の概要をサクッとプレゼンするぜ!! アーユーレディ!?――――』

 

 どうしてこんなにもシヴィーなのか。

……それはきっとこの場にいるのが受験生のリスナーだからである。

 

『――――YEAHHHH!!!!』

 

 たっぷり溜め打ちしたYEAHH!、の掛け声は完全に沈黙に掻き消されていた。

 きっとこの世界が漫画であれば『YEAHH!』の文字よりも数倍巨大な『シーン!!』がコマ内に堂々と君臨している筈だ。

 

 それ以降も、プレゼント・マイクというらしい雄英高校教師、兼プロヒーローは盛大に空回りしつつ実技試験の解説を続けていく。

 しかし、相も変わらずリスナーのノリの悪さは破壊的である。咲夜にいたってはもはや変な話し方をする人だな、ぐらいにしか思っていない。

 

「――俺からは以上だ!! 最後にリスナーへ、我が校の“校訓”をプレゼントしよう。かの英雄ナポレオン=ボナパルトは言った! 『真の英雄とは人生の不幸を乗り越えていく者』と!! “Plus Ultra(更に向こうへ)”!! ――それでは皆、良い受難を!!」

 

 

 

 

 

 

2.

 

 

 

 

 

 

 説明が終了した後は、一校舎としてはあまりにも広すぎる敷地内で、各々指定の演習会場へと向かうべくバスに乗り込む。

 咲夜が振り分けられたのはA組。1つの会場につき、凡そ40人前後の受験生が振り分けられているようだった。

 

「――これは……また随分と広大な敷地ね。この演習会場1つだけで市街地並の大きさだわ」

 

 流石のメイド長も驚きを隠せないようで、目の前に広がるビル、及び建物群を見上げている。

 もちろん他の受験生達も一様に驚いているようだ。規格外の巨大さを誇る演習会場と――ついでに、規格外の様相(メイド服)を誇る受験生に対して。

 

 

 

 

 

 

3.

 

 

 

 

 

 

――唐突だが、試験における開始合図とはなんなのだろうか。

 今回の入試試験に限らず、その競争において公平を期すため。またはその計測における不確定要素を極力排除するため。

要するに、計測要素以外での“足並みを揃える”こと。それにおける1つの要因が開始合図なのだろう。

 

 

『――はい、スタート!!』

 

 弛緩した空気の不意を突くように、拡声器を通した教師の声が受験生へと伝播する。

 少しのざわめきと大きな戸惑い。唐突すぎて聞き逃した者、未だその言葉を上手く噛み砕けていない者。

――しかし、その全員に共通するのは、集団を生きていくに当り誰もが身に付ける群衆心理の制動。

 まだ誰も動きを見せていない――

 自分だけが先走っていいものなのか――

 そもそもあれは本当に開始の合図だったのだろうか――

 戸惑いは意思を揺らがせる。決断の一歩を踏み出すことの出来ないまま、受験生達は一種の膠着状態へと陥る。

 

 

 

 

 

 

「――爆、速……ターボ!!」

 

――その少年以外は。

 ツンツン頭と凶悪な目付きが特徴的な少年、爆豪勝己に迷いはなかった。

 彼は周りの人間など一切見ていなかった。というより眼中になかった。

――とはいえ、流石の爆豪でも今までの人生で培ってきた常識というものを持ち合わせている。不意討ち気味のスタートに対しいち早く行動を起こせたのはひとえに優れた、というより常軌を逸した反射神経。そして驚異的な思考スピードに寄る物が大きい。

……そもそも高校の入試試験である。普通に考えてこんな適当な感じの不意討ちスタートを採用するなど誰も思わない。早とちりの結果フライング行為で減点、などとなってしまったら笑い話では済まされないのだ。

 

『どうしたのー!? もう試験は始まってるわよ! 実戦じゃ敵はよーいドンなんてしてくれないんだから! ほら、走った走った!!』

 

 爆豪の飛び出しを正しく認識するが先か、雄英教師の催促が耳に届いたが先か。ともかく先頭を行く爆豪を追い掛けるかのように残りの受験生達も一斉に駆け出す。

 いかなる時でも即座に対応できる緊張感の有無。周囲に惑わされない精神性。雄英側としては、試験開始と同時に有望株を見出だそうとしていたのだろうが、ここで迷わず飛び出せるのはよっぽどの唯我独尊か、自身の判断に絶対の自信を持っている者。

――あるいは一般常識を持ち合わせていない世間知らずぐらいだろう。

 

 

 

 

 

 

4.

 

 

 

 

 

 

 先程まで多数の受験生のざわめきで満たされていた演習会場入り口。不意討ちの開始合図という先制攻撃を食らい、会場入り口からは僅かに届く熱気と破砕音が聞こえるばかりとなる。

 あっという間に演習会場入り口はもぬけの殻となった。

 

 

 

 

 

 

――――否、1()()()()()()()()()

 

 十六夜咲夜。幸か不幸か、一般常識など大して持ち合わせていない彼女は、当然の如くその合図を正しい意味で認識していた。

 どころか教師の“はい、スタート!!”を聞いた時点で、どうして誰も動き出さないのかしら、などと場違い極まる感想さえ抱いていたのだから。

 では何故彼女はこうして今もスタート地点に立ち止まっているのか。時間は有限。課されたタイムリミットは僅か10分。それはこの試験において決して長いものではないだろう。

 では何故か?

――答えは簡単。彼女にとって、時間は有限ではないから。

 

『――ちょっと、そこのメイド服のあなた! 試験始まってるわよー! 早く出発しないと!!』

 

「……ええ、言われなくとも。そろそろ始めるつもりでしたわ」

 

 その言葉通りに彼女は動き出す――。

 

 そう、動いた。

 ()()()動き出し、そして()()()動きを止める。

 何もかもが停止した世界で、彼女1人だけが優雅に歩みを進めている。

 

 ここは彼女の為の世界。

 誰もが気付けない。

 彼女の承認なくしては。

 

 

 

 

 

 

5.

 

 

 

 

 

 

「とはいえ、ここからどうしようかしらね……」

 

 停止した時間の中、意気揚々と進軍を開始した咲夜だったが、実のところ実技試験攻略に対しての目処が明確に立っているというわけではなかった。

 彼女の個性は時間操作。およそ個人が持ち合わせていい能力の範疇を大きく逸脱している、人の手には有り余る個性。

 それこそ、正面から相対して彼女に勝てる人間など、世界規模で見てもそうはいないだろう。

 

 

 

――しかし、それはあくまで人間相手の話。いくら時を止められるといってもいきなり、あそこに見える高層ビル一瞬でぶち壊して頂戴、などと言われても不可能である。

 もちろん重火器などを用いればその限りではないのだろうが、完全で瀟洒な従者を称する彼女は、あまりそういった無粋な兵器を使う事を良しとしていない。

 咲夜が戦闘に用いる主武装がナイフと自身の肉体のみである以上、時間操作の能力がアドバンテージとして働くのは、それらで制圧できるレベル、もしくはそれ以下の物理的耐久力を持った相手だけなのだ。平常時で攻撃が通らない相手にじゃあ時を止めればどうにかなるのか、と問われても答えは当然“NO”なのだから。

 

「あら……想像していたよりも大きいのね。今回の標的は」

 

 咲夜が開始合図を聞いても動こうとしなかったのには、勿論れっきとした理由がある。

 彼女にとって時間という制約が無視できる物である以上、そもそも急ぐ理由にはならないし、他の受験生達がどう対応しているのかを参考にしてからの方が効率がいいと思ったからだ。

 

 

 

 咲夜がプレゼント・マイクのライヴ……もとい実技試験の解説で重要視したポイントはたった1つだけ。

 

 それは『持ち込みは自由』という言葉。

 周囲の受験生達も各々個性をサポートする装備の様な物を身に付けていた。

 人間相手ではない以上、体術以外に直接的な攻撃手段のない彼女には武器が必要になる。

――それは当然、ナイフ。色々と間違っているが、彼女はメイドの基本装備として身体中、メイド服の至るところに凶器を隠し持っている。

……もちろんここ日本でそんな物を持っていては、一瞬で警察のお世話になること間違いなしであった。それは恐らく雄英高校だろうと同じ事だろう。

 しかしそこは十六夜咲夜。基本的に彼女は投げたナイフを毎回せっせと回収しており、今回も証拠が残らなければ別に構わないのではないか、と安易な結論に至っていた。

 

 

 

 仮想敵の細かな造形や受験生達の戦闘の様子を観察しながら、最短ルートで人の少ない地点へと辿り着く。

 

「……ここら辺でいいかしら?」

 

 そこらを彷徨っている仮想敵の位置もここまでの道程で大凡は頭の中に入っている。

 あとは頭の中で構築したルートに従って、時間内に()()()()()()潰せばいいだけ。

 

――そして時は動き出す。

 受験生が、

 仮想敵が、

 世界の全てが。

 

 

 

 しかして、その間隙を認識できているのは彼女のみ。それ以外の人間は違和感すら抱いていない。

――いや、正確には1人だけいる。

 今さっきまでゴール地点で佇んでいたメイド服の少女が唐突に姿を消したのである。先程の開始合図とは逆に不意を突かれた形になった教師が驚愕を露にしていた。

 

 

 

 そして時間停止を解除した咲夜の目の前、そこには粗野な口調の仮想敵が1機。

 足となる移動手段はホイール1つのみ。加えて掘削機の様な左右のアーム。そこに複数の銃身による回転式機関銃――いわゆるガトリング砲がそれぞれ搭載されている。

 

「まずは1ポイント敵ね」

 

 狙いは2点、明らかにセンサーとして稼働している赤いレンズ。頭部と下半身のホイール部分の2箇所だ。

 咲夜の手から離れた銀色のナイフは、狙い通り寸分違わぬ位置に突き刺さりレンズを破壊する。

 

 

 

 

 

 

『――センサーガヤラレタ!! 前ガ見エネエエェ!!』

 

――しかし、仮想敵はその動きを止めることなく、逆に闇雲に暴れまわって街を破壊していた。

 これではヒーローとしては大分不味い展開と言えるだろう。こちらの攻撃によって更に無差別な被害を広げてしまっては、減点対象と成り得る可能性すらある。

 

(仮想敵を倒したとされる条件は『行動不能』だったかしら。――明らかに行動不能にはなってないわよね、あれ)

 

 試験要項には仮想敵は特殊合金製のカーボン装甲で造られていると記載されていた。同時に壊れやすい、とも。

 しかし、いくら壊れやすく造られているとはいえ、流石にナイフの投擲で破壊できる程に脆くはないだろう。

 

(――どうする? もちろんナイフ以外の手持ちは無し。普通にナイフを投げたとしても恐らくあの装甲は抜けない)

 

どうする?――どうすればいいか。

ナイフを手に。

逡巡はコンマ1秒の僅かな時間。

十六夜咲夜は至って単純な解答を選択した。

 

 

 

 

 

 

――瞬間、仮想敵の頭部を繋ぐ首が弾け飛び。

基幹となる胴体には風穴が空いていた。

 

 

 

 

 

 

6.

 

 

 

 

 

 

 誰でも分かる話だろう。投げナイフが通じない敵。そんな敵の装甲を貫くにはどうすればいいか。

 何のことはない。拍子抜けする程に、至極普遍的な計算式。速度を上げれば運動エネルギーも増加する。

 

 

 

――つまり、装甲を貫ける程の速さでナイフを投擲すればいい。

 

狙うは頭部を繋ぎ止める細長い首。そして胴体。

 

 

 

――“マジックスターソード”

 

 ナイフに流れる時間を加速させることによって高速で打ち出されたそれは、容易く装甲を貫通する。

 宙に舞う仮想敵の頭が地面に叩き付けられ破砕音を響かせると同時、残った首から下も力を失ったかのように崩れ落ちる。

 

「取り敢えず1ポイント獲得ね。当初の予定とは少しずれてしまったけど…………まあ、特に問題は無いでしょう」

 

 そのまま咲夜は足を止めることなく、即座に次の標的を仕留めるべく演習会場を駆け抜けていく。

 

 

 

 貫通して遥か彼方に飛んでいったナイフを思い、後の回収が面倒になると内心ぼやきながら。

 

 

 

 

 

 

7.

 

 

 

 

 

 

「よっし、30ポイント!!」

 

「これで27ポイント目……!」

 

 

 

 実技試験も終盤。咲夜のポイントも現在40後半と着々と点数を重ねていた。

 

(それにしても……さっきから自分のポイントを口に出して数えている受験生が多いわね。まさかバカ正直に自分の保有ポイントを言いふらす人間もいないだろうし……まあ、駆け引きを交えたブラフだと考える方が自然でしょうね。であれば――)

 

 と、なにやら1人いらぬ心理戦を繰り広げようとしている彼女はさておき、

 

 

 

「邪魔だモブ共! 俺の前に立つんじゃねえ!!」

 

 ヒーローらしからぬ暴言を吐き散らしながら、テンション的な意味合いで随分とフィーバーしているらしい爆豪。

 視界に収まる限りの仮想敵を片っ端から破壊していく、他の受験生と比較しても明らかに逸脱した戦闘能力。

 

「あいつ、すげえな……あのペースだと既に50か60いってんじゃねえか?」

「ああ……確かにな、俺達も負けてられねえ!」

 

 

 

 掌の爆破からなる純粋な破壊力、爆風を応用した機動力、ピーキーな空中機動に耐えうる強靭な身体能力。些か精神面に問題を抱えているとはいえ、その姿は多くの受験生達の注目を集めていた。

 

「――退け雑魚がぁ!! そいつは俺の獲物だ!!」

 

……とにかく、()()の問題であってほしいと切に願うばかりである。

 

 

 

 

 

 

 そして、試験の終わりは着々と近付いてきていた。

 

『試験時間は残り2分よー!!』

 

 迫るタイムリミットを告げる教師の声が演習会場に響き渡る。

 それと同時――何か巨大な建造物が動き出したかのような音。轟く地響きが地面を揺らし、受験生達を巨大な影で覆い隠す。

その正体こそ、

 

「――まさか、あれが0ポイント敵だっていうの? どこに隠れているかと思ったら、流石に大きすぎない……?」

 

 そう、プレゼント・マイク曰くのお邪魔虫こと、実技試験におけるステージギミック。その巨体を目にした受験生は、咲夜を含めて誰もが足を止め硬直している。

 

 そして、誰が早いか1人が動き出すと、堰を切ったかのように我先にと一斉に駆け出した。

……もちろん、そのお邪魔虫とは逆方向に向かって。

 

 

 

 またも1人残された咲夜。図らずも数分前の試験開始時と全く同じ光景であった。

 

「――まあ、倒す必要のない0ポイントですし。私もさっさと逃げましょう」

 

 基本的に彼女は無駄な戦闘はしない主義である。闘争本能をギラつかせ、特攻隊よろしくカミカゼするつもりなど毛頭なかった。

 挑戦する者がいなければ、そしてある程度距離を取れば。そのステージギミックは注釈で“ただしビルよりでっかいよ”が付く鈍重な鉄塊でしかなく。

 

……なにやら派手な登場をした割に特に一波乱あるわけでもなく、(見せ場のなかったお邪魔虫にとって)無慈悲にも呆気なく、実技試験は幕を閉じたのだった。

 

 

 

 

 

 

8.

 

 

 

 

 

 

「これで、ようやく入試試験終了ね。()()1()0()()()()()()ナイフを回収しに行きましょう」

 

 朝から続いた試験の漸くの終わりに、受験会場特有の張り詰めた空気が緩やかに弛緩していく。

 試験さえ終われば、1日かけて共に同じ辛苦を乗り越えた受験生に対して不思議と親近感が湧くもので。試験中とは一転、笑顔でお互いを労い合う受験生達の姿がそこらに散見された。

 

(計算を間違えていなければだけど、60ポイントくらいは稼げたかしら? 確か推薦枠を除いたヒーロー科の定員は36人。実技試験の会場は全部で7つだから……単純計算で、それぞれの会場の上位5名が合格することになるわけね。もちろん筆記試験の出来なんかも関わってくるんだろうけど――)

 

 

 

「――ねえねえ、あなたは試験どうだった!?」

 

 試験が終わろうとも生真面目に思案を巡らせる咲夜だったが、横合いから不意に投げ掛けられるフレンドリーな口調によってその思考は唐突に遮られる事となった。

 

「あ、ごめんね、急に話し掛けて。私、芦戸三奈。実はバスの中で見た時からずっと気になってたんだー。えっと、それメイド服だよね? そういう制服の学校なの?」

「――え、ええ、まあ。制服と言えば制服、ですわね」

 

(紅魔館の、という意味では間違った事は言っていないわよね……)

 

 麗日と違い、割と勢いよく距離を詰めてくる芦戸に内心では結構戸惑っていた咲夜だったが、彼女の疑問に対し一先ずは無難な答えを返す事に成功する。

 

「へー、すごいね。育成学校みたい感じなんだ? 私は結田付中学。残念ながら取り立てて言うこともない普通の学校なんだけどね」

 

「……普通が何より尊い物だと言いますわ。それは失ってから気付く類の話かもしれませんけれど。

――失礼、自己紹介が遅れてしまいましたね。私は十六夜咲夜と申します。以後、お見知りおきを」

「こちらこそよろしく、十六夜さん! そういえば試験中に十六夜さんが戦ってるトコ見たんだけど、凄かったね! ナイフ投げてて超カッコよかった!」

「どうもありがとう。……って、面と向かって言われると、少し照れるわね」

 

 その後も試験の鬱憤を晴らすかのように矢継ぎ早にトークを繰り出す芦戸に若干押されながらも、比較的和やかな会話は演習会場に雄英の看護教諭が現れるまで続いた。

 

 

 

「はいお疲れ様~お疲れ様~」

 

 間延びした声で労いつつ、手当たり次第にドイツ産某クマ型グミを分け与えていく高齢……ではなく妙齢の女性。彼女こそ雄英の屋台骨と称される妙齢ヒロイン、リカバリーガールだ。

 彼女の個性は治癒力の超活性化らしく、怪我を負った受験生に次々と治療を施している。

 聞けば分かる通りの強力な個性ではあるものの、その発動条件は唇で吸い付くというかなり衝撃的な絵面であった。女性だから良いものの、これがもしオッサンなどであったらと考えると戦慄を禁じ得ない。確実に通報案件である。

 

 

 

「――はいはい、ちゃっちゃといくよ。他に怪我した子は? あんた達は痛い所とかあるかね?」

「あ、私ちょっと転んじゃった。足とか肘とか擦りむいてる…………で、でも別に絆創膏貼ればすぐ治るから! かすり傷だから! 大じょう――!」

 

 拒否する暇もなかった芦戸に訪れるショッキングシーンから必死で視線を逸らす咲夜だったが、ふとリカバリーガールがこちらを食い入るように見つめている事に気付く。

 

「――わ、私は平気ですよ? どこにも怪我はしていませんわ!」

 

 少々焦りつつ治療の必要が無いことを必死にアピールする咲夜。

 しかし同時に、自分を見つめる老婆の何処か険しい表情と、憂いに満ちた視線による戸惑いも大きかった。それこそ彼女と出会ったのは今日が初めてなわけで、当然そんな顔で見つめられる心当たりもなかった。

 治療を終え地味に凹んでいる芦戸を尻目に、咲夜の方へと近付いてくるリカバリーガール。

 

「本当に怪我はないのかい? ……ならいいんだよ。頑張ったね」

 

 そう言って咲夜の手にグミを大量に握らせ、他の受験生の元へと歩いていった。

 

「……一体なんだったのかしら?」

 

 

 

 その疑問に答える声はない。

 仮初めの街に、散らばる機械兵の残骸に交じった彼女の声が沈んで消えていく。

 

――こうして、彼女の雄英高校入試試験は本当の意味で終わりを迎えたのだった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 余談だが、ナイフを全部回収するのに戦闘よりも長い時間が掛かったというのは秘密である。

 

 

 

 

 

 

9.

 

 

 

 

 

 

 あの後、芦戸と2言3言会話を交わし(彼女曰く、お互い合格してるといいね! だそうだ)、紅魔館へと帰宅した咲夜だったが、一般的な受験生と違い試験の合否判定に特に思い悩むこともなく、通常通りの業務をこなしつつ1週間――

 

 

 

「――咲夜さーん! お届け物ですよー!」

 

 慌ただしい足音と共に何処か間の抜けた声が近付いて来る。

 

「……美鈴、あなた門番のお仕事はどうしたのよ」

「今はそんなこと気にしてられませんよ! 咲夜さんが学校に行けるかどうかの分水嶺なんですから! 大体今までここが攻め込まれた事なんて1度もないじゃないですか」

「今日が安心だったからといって、明日もそうだとは限らないでしょうに……」

「もー、いいからいいから。早く開けましょうよ!」

 

 咲夜宛の手紙を持ってきた彼女こそ、ここ紅魔館の門番、紅美鈴(ホンメイリン)である。

 サイドに三つ編みを垂らした赤い髪は腰まで伸ばしている……というよりは勝手に伸びています、と言った方が正しい感じのストレートヘア。

 女性にしてはやや高めの身長と、緑を基調とした華人服から見え隠れする素足。衣服を内からはち切れんばかりに押し上げる豊かな双丘。脚や腕など、所々の筋肉の付き具合から見て取れる鍛え上げられた肉体。

 すらりと引き締まった脚線美と豊満なバストが織り成すスタイルは、どこぞのスーパーモデルに負けず劣らずの超絶プロポーションを体現していた。

 

「もう……分かったわよ。お嬢様とパチュリー様をお呼びしてくるから、ちょっと待ってなさい」

 

……こちらのメイド長に至っては冷静というか、もはや今から学校の合格通知を開こうという人間の態度ではない。完全に他人事である。

 

 

 

 

 

 

10.

 

 

 

 

 

 

「何なのよ……こんな早い時間に……」

「私も今日中に読もうと思ってた本がまだ残っているのだけれど……」

 

 寝ぼけ眼を擦りつつフラフラと部屋に入ってくるレミリアと、若干不機嫌そうなパチュリー。

 なおパチュリーに関しては大体いつもこんな感じである。寝不足も相まった目付きの悪さは平常運転なのだ。

 

「ようやく来ましたね、お二方!」

 

 そんなこと今は気にしていられない、とばかりに、サボりを敢行している筈の美鈴が堂々と主人を迎え入れる。どうやら勢いで押し切ろうという算段らしかった。

 

「あなた今日は一段とテンションが高いわね……」

「というかお前、門番が仕事を放棄するんじゃないよ」

 

 パチュリーとレミリアの最もな言い分もなんのその。今の彼女に敵はいなかった。

 

「まあまあ、落ち着いてください! 今さっき雄英高校から咲夜さん宛の通知書が届いたんですよ!」

 

 取り敢えずお前が落ち着けと言わんばかりの2人の視線であったが、雄英高校からの手紙と聞いて目の色を一変させる。

 

「ん……おお! ついに来たか! 余りに遅いから今日の夜にでも直接学校に乗り込んでやろうかと思っていたところだ」

「それはやめときなさい。洒落にならないわ。――なんでもいいけど、開けるなら早くして頂戴。まあ……私が教えたんだから合格していない筈はないでしょうけれど」

 

 時系列的にはまだ随分と先の筈の雄英高校襲撃イベント。それを図らずも数ヶ月前の段階で強行しようとしていたトンデモお嬢様と、何だかんだで結果を気にしていたパチュリーであった。

 

「そういうわけで――咲夜さん、どうぞ! 開けてください!」

 

 美鈴から手紙を手渡される――が、なんだろう、これは。咲夜としては特に感慨もなく、普通に合格通知を受け取り、その結果を報告して終了という感じを想定していたのに。それが何やら3人共大いに期待を寄せているというか。

――そうなると、先程まで何とも思っていなかった手紙を開封するだけの行為。それにやたらと重い重責が圧し掛かっているような気がしてならない。

 つまり、ここにきて漸く緊張というものを感じていた。いくらなんでも遅すぎるという話ではあるが。

――ただし、そこはメイド長。

 内心の緊張をひた隠し、表面上は平然と。瀟洒に。完全に。今時珍しい封蝋をゆっくりと開けていく――

 

 

 

「――これは……なにかしら?」

 

 出てきたのは数枚の書類と……用途不明な、スピーカー? らしき物体。

……手紙の封に反して随分と現代的なテクノロジーが同梱されていたわね、とは恐らくこの場にいる全員の言。

 使い道の分からない物体を持ってても仕方がないと一旦机に置き、まずは書類を確認しようとしたその瞬間、

 

 

『私が投影された!!』

 

 

 

 

 

 

「…………誰だこいつ?」

「どこかで見たことあるような気もするわね」

 

「――いやいや、オールマイトですよ! オールマイト! 有名人です!」

 

 三者三様、いきなり空中に現れた劇画調の彫りの深いマッチョの顔面どアップに困惑を隠せない。

 なお、緊張でガチガチになっていた咲夜がいきなりのド迫力に飛び上がる程ビビっていたのはどうやら誰にも見られずに済んだらしい。

 

 

 

 

 

 

11.

 

 

 

 

 

 

 取り敢えず一旦落ち着こうと、口から飛び出さんばかりにドックンドックンと暴れまわる心臓の鼓動を必死で押さえ付け、周囲を改めて観察してみる。

 どうやら得体の知れない機械からランプの魔神よろしくの筋肉達磨が登場したわけではないらしく……小型の平面投影式ホログラフィ――いわゆるスクリーンレスの空中投影ディスプレイの様であった。

 

『まずは初めまして、十六夜少女! どうして雄英高校からの手紙に私がいるのか気になったかい? ――それは私が今年から、ここ雄英に勤めることになったからなんだ』

 

 からなんだ……と言われても、正直咲夜にはこの男性が誰なのか分かっておらず、曖昧な反応を返すしかない。

 

『あー、まあ取り敢えずそこは置いておこう。すまんね、先程から担当の人が巻きで頼むとうるさいんだ。君が気になっているのはこれだろう? ずばり試験の合否! 先に結論から言ってしまおう。十六夜咲夜くん、君は――――』

 

 彼の芝居掛かった口調によって、否応なしに部屋の緊張感が高まっていく。そして――

 

 

 

『――――合格! おめでとう、文句無しの一発合格だ!』

 

 その言葉を聞いて流れ落ちる様に、一気に空気が弛緩する。咲夜も表立って喜びを露にするわけではなかったが、ホッと一安心していた。

 

『筆記試験はほぼ満点。実技試験でも常に冷静に立ち回り、並み居る受験生達の上位10人に君臨する文句無しの好成績! 素晴らしいポテンシャルだ! 私も新学期に君と会えるのを楽しみにしているよ!』

 

 明らかに画風の違う決めポーズを最後に、台風の様な勢いのメッセージは終了した。

 

「咲夜さん、おめでとうございます!」

「私が教えたんだもの。合格してなきゃ逆におかしいわ」

「まあ、当然の結果よね」

 

「お嬢様、パチュリー様……ありがとうございます。……それと美鈴も」

「ちょっと、ついでみたいに言わないでくださいよ! 私だって応援してたのにー!」

「はいはい、感謝してるわよ。ありがとね、美鈴」

 

 大袈裟に泣き付いてくる美鈴を引き剥がし、雑にあしらう。咲夜としても別に感謝していないわけではないのだが……こう、素で接してくる美鈴に改まって礼を言うとなると、主人とその友人にするのとはまた違った感じの気恥ずかしさがあるのだ。

 

「それにしても、オールマイトが教師だなんて羨ましいですね。私も1度くらいは生で見てみたいものです――――あっ、そうだ! 私も女子高生になれば合法的に会えるのでは!?」

 

 目を輝かせた美鈴がレミリアに素早く熱視線を送るものの、そんな牛みたいな乳した学生がいるかとあえなく一蹴。撃沈した。

 

 

 

――そんなこんなで、いつにも増して賑やかな夜が更けていき、紅魔館の1日は始まろうとしていた。

 残り2ヶ月……新学期までの長いようで短い期間に思いを馳せる。

 ほんの少しの期待と高揚を胸に抱き、十六夜咲夜は今日もメイドとしての業務に取り掛かるのだった。

 

 

 



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第3話 入学初日 個性把握テスト

えー、まず一言。心底遅くなりました。
生存報告も兼ねて取り敢えず3話目です。
読んでくれている人がいるかどうかはともかく、これからも気長にお付き合いください。



ところで前回から随分と間が空いてしまったので、これまでの内容を忘れてしまっている方もいるのではないでしょうか?
ええ、一体全体誰のせいだと言う話ですね。
半年間も放置するとは、けしからん奴もいたもんです。

それはともかく、そんな方は是非とも1話2話と併せて斜め下45度方向(欲を言えば蛇行運転)で流し読み返してみては如何でしょう。そこまで長いお話でもないので。

――つまりそんな感じの第3話です。


 

 

 

 

0.

 

 

 

 

 

 

「――実技総合の成績が出ました」

 

 

 

「ご苦労。しかし、救助ポイント0で実技1位通過とはな……」

「ああ、あの子は目に見えて突出していたからなぁ。強力な個性もそうだが、10分間の試験時間中、後半他が鈍っていくのに対し最初から最後まで全くペースを落とさなかった。タフネスの賜物だな」

 

「それとは対照的に(ヴィラン)ポイント0で8位の彼。()()に立ち向かったのは過去にもいたけど……ブッ飛ばしちゃったのは久しく見てないね」

「俺なんて思わず“YEAHH!”って叫んじゃったからなー」

「……しかし、自身の攻撃による衝撃で甚大な負傷。まるで個性が発現したばかりの幼児ではないか」

「妙な奴だ。あそこ以外はずっと典型的な不合格者だったのに」

 

「妙な奴と言えば、4位の彼女も中々じゃないか? スタート地点でいきなり姿を消したかと思えば、一瞬で会場の端っこの方に現れるんだもんな。驚いたよ。しかもその後の迷いの無い挙動……まるで、会場に配置されている仮想敵の位置を()()()()()()()()()()()()動きだった」

「ワープ・探知系の個性かと思いきや、今度は武器を用いて次々と仮想敵を破壊していくときた。あの破壊力を鑑みるに、あれにも何らかの個性を併用している可能性が高い。ワープだけでもかなり希少な個性だが――彼女は他にどんな個性を持っているんだ?」

 

「……それが、海外からの留学生らしくて、個性届を発行していないそうなんですよ」

「日本だと小中の入学時における一斉診断もあるし、国単位で個性の登録が推奨されている――とはいえ、世界的に見ればそこら辺が義務化されていない国だってあるだろうな」

 

 

 

「――どちらにせよ、今年もまた面白い奴等が集まったもんだ」

 

 

 

 

 

 

1.

 

 

 

 

 

 

 柔らかく、撫でるような風が木々を揺らす。暖かな陽射しと穏やかな気温。

 季節は春――始まりの季節である。

 

 

 

「ここに来るのは入試試験以来ね……」

 

 紅魔館のメイド長、十六夜咲夜は実に数ヶ月振りとなる雄英高校、その正門前に再び訪れていた。以前と違う点として、今度こそ真新しい学校指定の制服をきっちりと着込んでいる。

 

「朝から良い天気だったし、上手くやっていけるといいんだけれど」

 

 ちなみにだが、彼女の毎日における良いお天気判断基準は門番のシエスタという名のサボリにおける眠りの深さである。

 陽気な天気に呑気な屋敷の門番は溢れる眠気を抑えることが出来ないらしい。当然メイド長も溢れる殺気を抑えることが出来ないのだった。

 美鈴がうっかり永遠の眠りにつくのもそう遠い日の話ではないのかもしれない。

 

――それはともかくとして、本日。初の登校日である。もちろん学校に辿り着くまでの通学路は得てして順風満帆とは言い難いもので。初めての電車で運悪く朝の通勤ラッシュに呑み込まれ、その他巻き起こる数々のトラブル。抜け方の分からない改札機や迷路の如き路線図にいつの間にか消えていた財布、厚顔にも新学期から婦女子を付け狙う痴漢など。……最後のは彼女に原因があるとは言い難い出来事だが、それらをここで語り尽くすには些か余白が足りないようなので割愛する。

 

 そんな何やかんやの末。というか結果。入学1日目にして既に彼女は電車通学をすっぱりと完全に諦めていた。無理だと悟った。十六夜咲夜は無駄な戦闘はしない女なのだ。

 

 

 

 

 

 

2.

 

 

 

 

 

 

 学校に着いてもいない段階から早くも疲労困憊となりつつある彼女だったが、校舎内に関しては1度訪れているということもあり、無事に(今朝の電車通学と比すれば大抵の道行は無事の範疇に収まってしまうだろうが)自身の教室へと辿り着く事が出来た。

 現在の時刻はHR開始の5分前。控えめに言ってもギリギリである。本当であればもっと早くに到着している筈だったのだ。予想だにしていなかったアクシデントのおかげで、当初の予定からは少々ズレが生じてしまっている。

 1-A教室の入り口には、咲夜が縦に3人並んでも優に出入りができそうな巨大なドア。

 ここで立ち止まっていても仕方がないのでドアに手を掛け横に引くと、見た目とは裏腹、想像以上に軽い感触が返ってくる。流石と言うべきか、どうやら細かな所まで最新の設備を取り入れているようだった。

 

 

 

 咲夜が教室へ入ると、まずは超至近距離に男子生徒の後頭部。あわや衝突する寸前で足を止める。

 既に生徒の大半が揃っていたようで、各々座っている生徒や立ち上がり会話をしている生徒など、新しく教室へ入ってきた咲夜に視線が一気に集中する。

……しかし、入り口付近で会話をしていたらしいモサモサ頭の男子生徒のモサモサで視界が著しくモサモサしていた咲夜の方からは、教室内の全容の極一部しか把握することができない。

――けれど、その極一部の中には偶然にも見覚えのある顔もあり、

 

「わあ、十六夜さんだ! よかったー、お互い合格してたみたいだね!!」

 

 紫っぽいピンクの肌に、頭から伸びる2本の触覚。いち早く咲夜に話し掛けてきたのは、実技試験の際に知り合った少女、芦戸三奈である。

 それと同時、咲夜の入室に気付いたのか、ようやくモサモサ頭の男子生徒が振り向いた。

……と思ったら、顔を仰け反らせ、後ろにいた眼鏡の男子生徒を盛大に巻き込みつつ教室の端の方まで転がっていった。

 素早いバックステップだとかそういう次元の話ではない。どう言い繕ってもただ単に吹き飛んだだけである。

 もちろん、クラスメイトの突然の奇行に首を傾げている彼女が何かしたわけではないのだが、その行動の理由を彼に求めるのは些か酷というものだろう。振り向いた先、鼻先数cmの距離に銀髪美少女の顔があったら誰でも驚く。

 現に咲夜の容姿を目にした生徒の何人かは、どこか納得したかの様な表情で頷いていた。

(とはいえ彼の場合だと、至近距離にあるのが女子の顔だと気付いた時点で既に直立背面発射式の人間砲弾と化していたので、正確には咲夜の容姿を正しく認識していた訳ではない)

 

 

 

「――え、ええ。久し振りね、芦戸さん。また会えて嬉しいわ」

 

 突然行われたエキセントリックな背面跳びに戸惑いつつも、一先ずは芦戸に挨拶を返し、件の少年の元へと歩いていく。

 

「ごめんなさい、驚かせてしまったみたいね。大丈夫? 立てるかしら?」

「あ……すみません、ありが――」

 

 倒れている男子生徒の手を掴み、身体を起こそうと視線を合わせた瞬間、今度は石化でもしたのかと見紛う程の硬直っぷりを見せる。うっかり自身の能力を使ってしまったのではないかと咲夜に思わせる程の素晴らしい硬化具合であった。

――かと思いきや、今度は顔を真っ赤に爆発させ跳ね起きながら、そのまま数メートル程後退る。訪れるのは微妙な沈黙と、中途半端に開いた距離感。

 

 

 

「……あの、もしかして、何か気に障るような事をしてしまったかしら?」

 

 朝の登校時、既に自身と一般常識における認識の差というものを死ぬほど痛感していた彼女は、また何か的外れな行動を取ってしまったのかと若干ショックを受けながらも、目の前の少年に尋ねる。

 

「い、いや、あのっ……! 決してそういう訳ではなく……! 単に驚いてしまったというか、えっと……その……!」

 

 

 

「あ、そのモサモサ頭は! あの時の、地味目の人!」

 

 モサモサ頭の少年が真っ赤な顔を隠しながらしどろもどろな説明をしていたのだが、ドアを開けて入ってきた第三者の介入によりその言葉は遮られる。

 

「プレゼント・マイクの言ってた通り受かったんだね! そりゃそうだ! パンチ凄かったもん!! 助けてくれてありがとう!!」

 

 麗日お茶子。咲夜の見覚えのある少女パート2である。そしてそれは麗日の方も同じだったようで、

 

「あれ、十六夜さんもいる! よかったー、知り合い2人もいたよ」

 

 そのまま世間話に入ろうと口を開きかけた麗日だったが、その瞬間。

 またもや後ろ……いや、()()()横槍を入れる者がいた。

 

 

 

「――お友達ごっこしたいなら他所へ行け」

 

 それは…………芋虫。

 いや、違う。もちろんミノムシでもない。寝袋にすっぽり収まった人間である。

 

「ここは……ヒーロー科だぞ」

 

 おもむろに取り出したゼリー飲料を飲み干しながら言うセリフではない。10秒チャージもかくやとばかりに一息で胃袋の中へと流し込んでいた。

 図らずも登校初日にしてクラスメイトの心は一片の曇りもなく一つになっていた。

 すなわち――『なんだ、こいつ?』と。

 

 

 

 

 

 

3.

 

 

 

 

 

 

 信じがたいことに、先程とんでもない格好で教室に現れた小汚いおっさんが、咲夜達のクラスの担任だったらしい。

 相澤消太と名乗った教師は自己紹介もそこそこ、体操服に着替えて外に出ろとの指示を言い渡す。その際に寝袋から直接体操着を取り出した気がするのだが、突っ込んだら負けなのかと誰も言及することはなかった。

 

 

 

――そういうわけで、場面は一転してグラウンドである。

 

『個性把握……テストォ!?』

 

 幾人かが揃って驚愕の声を上げる。それも当然の反応といえるだろう。普通の学校であれば、登校初日に行われるのはまず入学式やガイダンス他。それをすっ飛ばしていきなり実力把握テストを受けさせようというのだ。

 相澤は生徒からの不満気な抗議も聞く耳持たずといった感じで、取り合おうとはしない。

 

「ヒーローになるならそんな悠長な行事に出る時間は無いよ――雄英は“自由”な校風が売り文句。そしてそれは“先生側”もまた然り」

 

 今ここで何か言っても無駄だと悟ったのか一様に黙りこむ生徒一同。……大して疑問も抱かず、そんなものかと受け入れている生徒も中には約1名程いたが。

 

「お前達も中学の頃からやってるだろ? “個性”禁止の体力テスト。国は未だ画一的な記録を取って平均を作り続けている。合理的じゃない。……まあ、文部科学省の怠慢だよ」

 

 一度言葉を区切り、目の前に並んだ1-A生徒全員を見渡す。一通り視線が往復したあと、目的の人物を見つけたのか1人の少年に声を掛ける。

 

「実技入試成績のトップは爆豪だったな。中学の時、ソフトボール投げ何mだったか覚えてるか?」

「……67m」

「じゃあ“個性”を使ってやってみろ。円から出なきゃ何してもいい。思いっきりな」

 

 相澤が爆豪に投げ渡したのは、計測用なのだろう、何らかの機械が埋め込まれたソフトボールの球。

 

「んじゃまあ――――死ねぇぇ!!!」

 

 

 

……明らかにおかしい掛け声はともかくとして、爆風で吹き飛ばしたらしいソフトボールは雲一つない青空へキラリと消えていった。

 毎話似たような感じで吹き飛ばされる黴菌の悪魔であれば律儀に別れの挨拶を残していくのだろうが、残念ながら彼はただのソフトボールである。喋ることはできない。

 

「……まずは自分の『最大限』を知る。それがヒーローの素地を形成する合理的手段」

 

 相澤が先程のソフトボール投げの飛距離が表示された携帯端末を見せると、生徒の間から歓声が上げる。

 

「何だこれ!! ()()()()()()()!()

「705mってマジかよ……」

「“個性”思いっきり使えるんだ!! 流石ヒーロー科!!」

 

「…………面白そう、か」

 

 そんな中、ぼそりと呟いた相澤の声が、いやにはっきりと生徒の耳に届く。

 

「ヒーローになるための3年間、そんな腹積もりで過ごす気でいるのかい?

――よし、8種目トータル成績最下位の者は見込み無しと判断し……除籍処分としよう」

 

 

 

 余りにも突拍子もない宣告。一拍開けて、

 

『――はあぁぁぁぁぁぁぁぁ!!??』

 

 と、生徒の悲痛な叫び声がグラウンドを揺るがす。

 しかし、相澤はそれを気にした風も無しに堂々と言ってのける。

 

 

 

「生徒の如何は俺達の“自由”

 

ようこそ。これが――雄英高校ヒーロー科だ」

 

 

 

 

 

 

4.

 

 

 

 

 

 

「最下位除籍って……! 入学初日ですよ!? いや、初日じゃなくても……理不尽すぎます!!」

 

 麗日がクラスメイト全員の意志を内包したかの様な言葉をぶつける。これに関しては咲夜も同意見である。もしもの場合、一体どういう顔でお嬢様に報告すればいいというのか。

 その上、どんな素行不良を働けば入学初日で退学などという事態に陥るのかと、美鈴にすら呆れられてしまいそうである。それは普通に嫌だった。

 

「自然災害……大事故……身勝手な敵たち……いつどこから来るかわからない厄災。日本は理不尽にまみれている。――そういう理不尽を覆していくのがヒーローだ。放課後マックで談笑したかったのならお生憎。これから3年間、雄英は君達に全力で苦難を与え続ける。“Plus(プルス)Ultra(ウルトラ)”さ。全力で乗り越えて来い」

 

 腹を括ったのか、その言葉を受け生徒達の顔付きも変わる。

 動揺と困惑から、強い意志を秘めた決意の表情へと。

 

 

 

「――さて、デモンストレーションは終わり。こっからが本番だ」

 

 

 

 

 

 

5.

 

 

 

 

 

 

 第一種目は50m走らしく、既に何人かは準備運動を始めている。

 

「十六夜さん、よろしくね。出席番号順に2人ずつ走るみたい」

「ええ、こちらこそ。お互い頑張りましょう」

 

 咲夜の出席番号は5番。6番目の麗日と一緒に走る事になる。

 

「十六夜さんは中学の頃の体力テストどうだった? 私の個性だと50m走はあんまり伸びないかなー」

「……それなんだけど、この前まで海外にいたから体力テスト? というのを受けたことがないのよね」

「――うそ!? 十六夜さん体力テストやったことないの!?」

 

 先程更衣室で着替えていた際、麗日と即座に意気投合していた芦戸も話に入ってくる。

 

「え、ええ。そんなにポピュラーなテストなの?」

「ん? ……うーん。日本では皆やったことあるだろうけど、外国ではどうなのかな……?」

 

 麗日達の説明によると、体力テストはソフトボール投げ、立ち幅跳び、50m走、持久走、握力、反復横とび、上体起こし、長座体前屈、の計8種目の各得点を合計したものが結果となるらしい。

 また、普段の測定時は個性の使用が禁止されているが、今回は使ってもいい、というより最大限使いこなして記録を伸ばさなければいけないようだ。

 

 

 

「――あ、最初の人達が走るみたいだよ」

 

 麗日の指差す方向を見ると、確かに眼鏡の男子生徒と両生類っぽい女子生徒がスタート位置にについていた。スタートの合図は計測ロボットがやるらしく、不自然に甲高い合成音声の後、スターターピストルの発砲音を模した電子音声が50m走の口火を切る。

 弾かれた様に大地を蹴り出す2人。特に眼鏡を掛けた男子生徒に関しては、随分と速く走るものだと咲夜も素直に感心していた。

 その後も次々と生徒達が計測を終えていく中、遂に咲夜と麗日の順番となる。

 

「はー、ちょっと緊張してきた……」

 

 そう言いながらも、意外とリラックスした表情で身体のあちこちをペタペタ触っている麗日。

 

「麗日さん。それは、何かの儀式なの?」

 

 当然、疑問に思った咲夜からの質問が飛ぶ。確かに、スポーツ選手などが試合前によくやる精神統一の儀に見えなくもない。いわゆる掌に人の文字を書いて呑み込む系のアレである。

 

「あ、これは私の個性でね、触った物に掛かってる重力を軽くできるんだ。だから服とか靴とか、少しでも軽くしとこうと思って」

「へえ……そういう個性もあるのね」

 

 競技用のレーンにて両者が並び、クラウチングスタートの姿勢を取る。

 

 

 

「……十六夜さん、どしたの?」

 

 ただし、その姿勢を取っていたのは麗日のみであった。

 

――クラウチングスタートの利点は、低い重心からの圧倒的な加速にある。

 とはいえ利き脚を撃鉄として使用する以上、片足で一気に身体全体を前に押し出すだけの筋力も必要となる。それに加えて地面を蹴った後の不安定な前傾姿勢でもバランスを崩さない程度の体幹も必須。理想的な姿勢ではあるものの、特に筋肉量の少ない女子、他に慣れたスタート姿勢がある者など、使えば誰もが速く走れるフォームというわけではない。

そういう意味ではスタンディングスタートで走る人間がいてもおかしくはないのかもしれない……が、()()()()()()

 十六夜咲夜はただ自然体で直立しているだけ。スタンディングスタートどころか、ただの棒立ちにしか見えない立ち姿である。

 

「――私はこのままで大丈夫よ。始めて頂戴」

 

 その声を受けて、計測ロボットがスタートの合図を始める。

 

『位置ニツイテ、ヨーイ……』

 

 

 

――真実、一瞬だった。

 発砲音がグラウンドに響いた瞬間、それは終了していた。

 音の波が空気を伝わり、鼓膜を揺らした直後。

 麗日お茶子が足に力を込める更に前。

 既に彼女は50m先の地点で佇んでいたのだ。

 

 

 

 

 

 

『――0秒07!!』

 

 

 

 

 

 

6.

 

 

 

 

 

 

 今は廃れたオリンピック競技の陸上種目。

 一般的には、当然、スタートの反応速度は速ければ速いほどいいと思われがちだが、実は違う。開始の号砲が響いてから、選手が地を蹴るまでの瞬間、そこには0.1秒の壁が存在するのだ。

 “スタートの号砲から0.1秒以内に走り出した選手はフライングとなる”

 陸上競技における規定の1つである。

 このルールは医学的な観点から、人間の神経伝達速度に基づいているとされる。音が耳に、耳から脳に、脳から脚の筋肉に。という様に、耳で聞いた音を認識して脚の筋肉を動かすには、最低でも0.1秒以上の時間が必要とされるらしい。

……最も、この規定に関しても以前から疑問の声は挙がっており、脳との距離が近い腰回りの筋肉を使って動き出した場合や、タイムロス無しで脳内から脊髄までを電気信号が伝った場合、あるいは神経伝達速度が特別速い人間の存在など、様々な研究結果が提出されている。

 

 

 

『――0秒07!!』

 

……と、ここまで長々と説明してきたが、実を言うと咲夜の0.1秒の壁を越えた記録に特段意外な真実が隠されている……というわけではないのだ。残念なことに。

 彼女の反応速度は速い部類ではあるものの、一般的な範囲を逸脱する程ではない。念のため言っておくと、もちろん山勘を張ったわけでもない。

 

 それは呆気ないほど簡素な理由。つまり、これは陸上競技ではないし、なんなら彼女は走ってすらいない。

 神経伝達速度もなにも、彼女は脳から筋肉へ命令を送る必要が無いのだ。聴覚野から受け取った情報を脳内で認識したと同時、同じく脳内にて能力を発動させた。それだけの話である。

 

 

 

 

 

 

「――嘘だろ!? 0秒出たぞ!!」

「すげえ……ワープ系の個性とか初めて見た」

 

 文字通り一瞬で50m走を終わらせた咲夜に周囲が騒然とする。

 それは麗日も例外ではなく――というか一番驚いていた。あわや空間が捻じ曲りスタート地点からスタート地点までの50mを走ってしまったのではないかと思ったくらいだった。

 隣で棒立ちしていた筈の咲夜だったのに、何故かゴールに近付くにつれてスタート前と同じ様な姿勢で立っている咲夜の背中が見えて来るのだ。ホラーというか……場面が場面ならどこぞの怪談にでもなっていそうな話である。無限ループ系は怖い。

 

「――ハッ、ハァ……、びっくりしたぁ……十六夜さん、いつの間にか、ゴールしてるんだもん」

 

 結局7秒台でゴールした麗日が、途切れ途切れ、息を切らしながら咲夜に話し掛けてくる。

 

「ふふっ、ごめんなさい。ちょっと驚かそうかと思って」

 

 見ようによっては冷たくも見える怜悧な外見とは裏腹に、茶目っ気に溢れた笑みを浮かべている咲夜であった。

 その鋭い雰囲気とのギャップに打たれたクラスメイトが何人か頬を染めていたが、実のところ彼女はかなりマイペースな性格をしており、ズレた感性も相まって結構な天然具合を披露してしまうこともある。

 得てして常識的とは言い難い紅魔館の面々に囲まれて過ごしたのだから、至極当然の帰結だと言えなくもないのだが。

そういう風に、()()()()は形作られている。

 

 

 

 

 

 

7.

 

 

 

 

 

 

 派手な演出で初回から生徒達の度肝を抜いた咲夜だったが、その後の種目で咲夜が能力を活用する機会は精々が持久走くらいであり(それに関してはまたも一瞬で1500mを終了させ周囲を驚かせていたのだが)、それ以外の種目については純粋な身体能力で挑むに留めている。

――実際にはもう幾つか能力を応用して記録を伸ばせそうな種目もあったのだが、計測機器がきちんと反応してくれない可能性もあったため自重したのである。

 

 

 

 そういうわけで――例のモサモサ頭の少年(爆豪という生徒にデクと呼ばれていた)のソフトボール投げの際に一悶着あったものの、彼女達は概ね順調に各種目の計測を終え、結果発表の時間を待っていた。

 

 

 

「――んじゃ、パパっと結果発表。トータルは単純に各種目の評定を合計した数だ。口頭で説明すんのは時間の無駄なので一括開示する」

 

 生徒達の神妙な顔付きの中、1-Aクラス21名の体力テストの結果が空中に浮かび上がる。

 果たして、十六夜咲夜。

 彼女の順位は、上から7番目であった。数種目しか能力を使っていないにしては比較的安全圏だと言えるだろう。

 無事に最下位を免れ、除籍の危機は一先ず回避できたと安堵の表情を浮かべる。……そして当然、その次は除籍の危機を回避できなかった哀れなクラスメイト(もうすぐクラスメイトではなくなるのかもしれないが)の名前を確認する。

 21番目、最下位は――緑谷出久。恐らくはあのモサモサ頭の少年だろう。この時点での咲夜の彼に対する印象というのは、他の初対面の生徒達と比較して殆ど変わる物はなく、精々が行動が予測できない面白い人、という程度の認識である。

……しかし、だからといって何も感じないというわけではなく。周囲から漂う、自分の順位を喜ぼうにも喜べない重苦しい雰囲気の中、咲夜も同様に自身の中に多少なりとも遣る瀬ない思いが存在しているのを感じ取っていた。

 これが高校生活なのだ。見込み無しと判断されれば即座に切り捨てられる。JKとはこんなにもシビアな世界観で生きているのかと改めて気を引き締める咲夜であった。

 

 

 

「――あ、ちなみに除籍はウソな」

 

 だから何気無く、本当に何気無い事の様にそんなことを口にする相澤に、他の生徒達と同じく目を大きく見開いた呆け顔を晒してしまったのも、仕方の無い事だと言えるのかもしれない。

 

「君らの最大限を引き出す――合理的虚偽」

 

 その言葉を正しく理解すると同時、『はあぁぁぁぁぁぁああ!?』と、生徒の間からある種当然とも言える困惑の叫び声が上がった。

 

 

 

「あんなのウソに決まってるじゃない。ちょっと考えればわかりますわ……」

 

 女子にしては高めの身長の少女が呆れ顔で何か呟いていたが、ちょっとした自己嫌悪に陥っている咲夜の耳には届かない。

 なにが『シビアな世界観』だ。馬鹿ではなかろうかと30秒前の自分を罵ってやりたい気分だった。

 

「これにて終わりだ。教室にカリキュラム等の書類あるから目ぇ通しとけ。――緑谷、後でリカバリーガールのとこ行って治してもらえ。明日からもっと過酷な試練の目白押しだからな」

 

 そう言って緑谷に保健室利用許可を示す用紙を手渡し、生徒達に背を向ける。そのままグラウンドから立ち去るかと思いきや、何かを思い出したのか足を止め、

 

「十六夜は後で職員室まで来い。少し話したい事がある」

 

 と、それだけ言い残し、今度こそグラウンドを後にする。

 残されたのは未だ気の抜けた様な、どこか呆然自失な表情で立ち竦む1-Aクラスの面々だけであった。

 

 

 

 

 

 

8.

 

 

 

 

 

 

 そして現在、十六夜咲夜はたった1人、無駄に横幅の広い廊下を歩いていた。教室へ戻るクラスメイト達と途中で別れ、職員室へと向かっている最中である。

 

「やっぱり何度見ても広い校舎よね。厳重なセキュリティに豊富な施設群……学校ってどこもこんなものなのかしら」

 

――無論こんなものであるわけがない。ここが特別豪華なだけである。国立なのに大丈夫なのかと思わないでもないが。

 もっとも広さと言うのであれば、咲夜の住む紅魔館も一邸宅としてはかなりの大きさを誇るものだろう。近くて見えぬは睫とも言うが、彼女としてはあまりそういった自覚を持ち合わせてはいないらしい。

 

「ここね……職員室。どこに行くにも遠くて困っちゃうわ」

 

 漸く辿り着いた職員室の扉を開けると、予想通り教室より二回り程大きい空間に教師用のデスクが所狭しと並べられていた。予想外だったのはその広さの空間に対しての人数。デスクに座り書類とにらめっこしているかソファで湯飲みを傾けているかの精々2、3人である。

 本日解放されたであろう生徒の教室と違い、室内の調度品や各々の机回りなど、幾ばくか雑然とした印象を受ける空間だったのでその不自然さは際立って見えた。

 

――もっとも、種明かしをしてしまえば、単に殆どの教師と生徒が入学式という名の一年に一度の式典に出席しているから、というのが答えなのだが。

 ちなみに入学早々クラス単位でサボタージュを決め込んだクラスもあったようだが、そもそも入学式という概念すら知り得ない咲夜にとっては知るよしもない事柄であった。

 

「――十六夜、こっちだ。わざわざ呼びつけて悪かったな」

 

 所在無げに立ち尽くす咲夜だったが、来訪者に気付いた教師の内の1人が声を掛ける。

 言うまでもなく彼女の担任。自由の名のもとに入学式の主賓席をぽっかり1クラス分物理的にぶち抜いた張本人、相澤消太が手招きをしていた。

 

 

 

 

 

 

9.

 

 

 

 

 

 

「それで、相澤先生。呼び出した理由を聞かせてもらえますか?」

 

 うっかりボロを出してしまったのかと、自然表情が硬くなる。思想やら来歴やら、果ては出自に至るまで色々と後ろ暗さには事欠かないメイド長であった。

 

「何、そんなに身構えなくてもいい。お前の個性に関して聞いておきたい事がある」

 

「――あ、えっと、個性……ですか?」

 

 不覚にも戸惑いの表情を浮かべてしまう。てっきり主人の友人がでっち上げたプロフィールに不備があったとか、そもそもヒーローという物に対しての関心の薄さを見抜かれたのでは、という事を危惧していた咲夜にとっては些か拍子抜けな質問だったことは否めない。

 

「ああ。日本だと大体の奴は個性届けを発行しているんだが、海外で育ったお前はそうじゃないみたいだからな。これから教師として面倒を見ていくわけだし、こちらとしては生徒の能力を把握しておきたいって話だ」

 

 

 

(……正直、戦う前から自分の能力が露呈しているなんて考えたくもない話だけれど。しかし、一般的に個性というのは届け出を出しているのが普通なのかしら? だとしたらパチュリー様が個性に関する申告をしなかったのには何か意味が……?)

 

 あるいはただ単に面倒臭がって必要最低限の記述しかしなかったのかもしれない。いずれにしても主人の判断を仰いだほうがいいのではと、相澤の質問に答えあぐねていた。

 

 

 

――その瞬間、ふと今朝の出来事を思い出す。

 学校に通うという事で数日前から昼間の住人となっていた咲夜。早朝、彼女と入れ違いにベッドに潜るレミリアからの言葉。

 いつもの不適な微笑を浮かべ、ただ一言。

 

 

 

――楽しんできなさい、と。

 

 

 

……そうだ。そうだった。

――ならば、己の成すべき事は一つ。主人の言葉を、遵守するだけ。

 ここで変に誤魔化すよりも、ありのままの事実を話す。

 そちらの方が、彼女の命令に添う形になるのではないかと思ったのだ。

 純粋に、そちらの方が面白いと、思ってしまったのだ。

 

(まあ、能力を知られた程度で狼狽えているようでは紅魔館のメイド長の名折れですわよね)

 

 

 

「どうした、十六夜。何か言えないような事情でもあるのか?」

 

「――いいえ。勿論、お答えしますわ。というより相澤先生。既にある程度見当が付いているのではないですか?」

 

 別にカマをかけているわけではない。そもそも、咲夜とてそこまで頑なに能力を秘匿しようというつもりもないのだ。もちろん大っぴらに喧伝するような事もないが、バレようがバレまいが能力の特性上、それが勝負の結果に影響するということは殆どないのだから。

 

「……まあ、今日の体力テストと実技試験の様子を見た限りでは、瞬間移動。学校側としても、今のところなにがしかの空間操作系の個性だという認識で一致しているが」

 

「流石ですわ。当たらずとも、遠からず。実際間違ってはいませんが、しかし付け加えるとするならば、時間操作、でしょうか」

 

「――時間だと!?」

 

 その言葉を聞き、相澤の表情にも驚きが浮かぶ。静かな室内に、その声はやけに大きく響いた。

 

「…………時間を操るなど、そんな個性は聞いたことがない。世界規模で見てもだ。それは――」

 

 それは。

 そんなモノは。

 1人の人間に与えられた力として、あまりにも――

 

 

 

「私としては、空間を介する個性がある以上、時間を操る個性があってもおかしくないのではないかと思っているのですけれど……」

 

「しかしっ――いや……そうだな。実例が存在するからには、それを疑っても仕方がない。……時間操作というのは、時間の流れが止まった世界でお前だけが自由に動けるという認識で合っているか?」

 

「はい。ですが、停止した世界の中で自由にやりたい放題出来るというわけではありません」

 

「それはどういう意味だ? 相手を身動きの出来ない状況に追い込んだのなら、既に勝敗は決してしまっているようなものだと思うが」

 

「ええ、確かに時間を止めた空間で動けるのは私だけですが、その止まった世界には私自身も干渉することが出来ません。例えば……そうですね、今この瞬間私が時間を止めたとしても、その状態で相澤先生を攻撃することは出来ません。殴ろうが、ボールペンを突き刺そうが、先生には傷一つ付きません。詳しい事は私にも分かりませんが、時間の流れが止まった世界における物質は、座標ごと存在そのものが停止、もとい固定されているような感覚です。絶対に壊れない壁を相手に独り相撲をしている様なものですわ」

 

「……さりげなく恐ろしいことを言う奴だな。だが、そうなると俺が想像していた程に出鱈目な力ではないのか? 勿論強力な個性であることに変わりはないが」

 

「そのかわり、もう少し限定的に、世界ではなく物質に流れる時間を操作することも可能です。投擲した武器を停止させてから時間差で射出したり、流れる時間を加速させて高速で打ち出したり、それとは逆に時間の流れを遅らせる、ということも出来ます。ですので……止まった時の中での攻撃手段は実はそう多くはないんです。相手に掛かった時間停止を解除して止まった世界に引きずり込むか、あるいは投擲した武器を相手に当たる直前で停止させ、時間停止の解除と同時に刺さるようにするか。もっとも前者に至ってはただの真っ向勝負になってしまいますし、後者の場合も……()()()ありませんが、時間が動きだしたと同時とてつもない反応速度で見切られてしまうことも、ないわけではありません」

 

――当然のことながら、()()()あることではない。というより咲夜としても、そんな馬鹿みたいな芸当をしでかす相手が何人もいたら反応に困る。

 

「……訂正しよう、十分に出鱈目な個性だよ。そこまで細かい応用が効くとはな。逆に止まった時の中で特定の対象の時間の流れを操作することも出来るとは……――いや、それも考えてみれば当然の話か。最初の説明を聞いた限りだとお前以外の全てが停止するという話だったが、だとしたらお前は時間を止めた瞬間に身動きが出来なくなるどころか、呼吸すら出来ずに窒息するだろうからな」

 

「それは、どういうことでしょう? 窒息というのは……」

 

「考えてもみろ。俺やそこの机の時間が止まっている時、それは分子単位で完全に凍結し、かつ絶対に崩れない結合状態なのと同じことらしい。であるならば空気の流れ、そこにある酸素や窒素分子の動きまで停止している世界で、まともに動くことが可能だと思うか?」

 

「ああ、なるほど。言われてみればその通りです。……と、なると。どうして私は普通に動けているのでしょうか?」

 

 今気付きましたとばかりにパチンと手を合わせた後、不思議そうに思案する咲夜を呆れ顔で見つめる相澤だった。

 

「……お前が意識的に操作していないのであれば、恐らく自身の生命維持に必要な要素を無自覚に選定しているということだろうな。世界中の空気全てなのか、お前の周囲何mの空間なのかは知らんが。……というより前提として、止まった時の世界で既存の物理法則が働いているかどうかも定かでない以上、ただの推測にすぎん。

――しかし、そんな強力な個性だ。まさか使用制限や限界が全く無い、などとは言わんだろうな?」

 

「ええ……それは勿論。局所的な時間操作は別として、私が停止した世界を作り出せる時間は――1日につき、合計1時間。また、一度発動した後に連続で時を止める事も出来ません。止まった世界で経過した時間と同じだけの時間がインターバルとして必要になります」

 

 純粋な事実である。ブラフとして、自身の能力の最大よりも幾分か劣ったラインを曝け出すのが駆け引きの常套手段だが、これに関しては止められる時間が30分だろうが1時間だろうが、咲夜以外に経過時間を認識できる人間などいないのだから。

 

「なるほどな。となるとお前は時を止めた世界の中で経過した時間を数えているのか? あるいはそれが身体の限界として分かるものなのか?」

 

「数えている、の方ですわ」

 

 そう言った咲夜が取り出したのは、銀の懐中時計。

 

「この時計は止まった時の中でのみ時を刻みます。パチュ――、仕事場の上司の友人から頂いた物で、勿論普通の時計としての機能も持ち合わせているので、常に重宝していますわ」

 

 十六夜咲夜はそんな銀色の時計を大事そうに掌に収めながら、幸せそうな微笑みを浮かべるのだった。

 

 

 






※ご注意ください。後書きです※



えー、それでは続いて二言目。本当に切実に遅くなりました。
もし仮に本作を待っていた方がいた場合は素直にごめんなさい。これからも頻度的な意味で期待せずにお待ち頂けると嬉しいです。









※こっから今回のお話について※



「なんだよ! 前回の話で『彼女にとって、時間は有限ではない』とかキメ顔で言ってた癖に!! バリバリ有限じゃないか!!」
そう仰りたい諸兄もいらっしゃるのではないでしょうか。



――ええ、その通りです。実はバリバリ有限でした。あとキメ顔なのは斧乃木ちゃんです。僕じゃないです。

いえーい。ピースピース。

あれは言うなればヒロアカ合宿時の1000000%と同じなのです。要は雰囲気です。ノリです。気合いです。カレーライスです(?)

といった感じで、既に察しの良い読者様方はお気付きでしょうが、この作品では咲夜さんに能力制限かかってます。無双展開を期待していた方には非常にごめんなさい。
(だってあれ目立ったデメリットもなしに時空間操り放題とか完璧チートなんですもの。まさしく弾幕ごっこくらいでしか成立しないパワーバランス)

紅魔館に関しても空間は未拡張で普通の広さです。その分、咲夜さんの仕事も時間を止めてやっているわけではなく、普通に人間にできる範囲内での仕事量です。
ところで未拡張という言葉にはそこはかとないエロスを感じますね。下手したら拡張済みよりもえっちなワードなのでは。

とはいえ多少弱体化したところで十分に強い能力なので。5秒しか時間を止められないのに実質的にシリーズ通してのラスボスと化してる某吸血鬼さんもいらっしゃるわけですし。
その他の細かい設定、及び解釈なんかは後々判明していくと思われます。ある程度出たら他の紅魔勢と一緒にまとめて設定集?的な物をお出しするかも。

それとスペルなんかは基本的に原作基準でいくつもりです。オリジナルとか他作品から持ってきたりとかは、恐らく無いと思われます。
あと技名叫ぶのはデフォ。ロマンだから仕方ないね。
君の(厨二)ハートにスピア・ザ・グングニル!!






それでは、長々と失礼致しました。
たまにこういう後書きなどが入る可能性がございます。
そういうのがあまり好きではない方は後書きの部分だけ印刷してお尻拭きにでも使ってみてください。出力する紙にもよりますが、きっと何とも言えない気分になることでしょう。



敬具




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