イカの惑星 (り け ん)
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プロローグ
混乱 絶望


ノリと勢いで書いたものです。
それなのに原作要素は今回ほとんど出てきません。



むしろ何も知らないで見た人は何の二次小説か分かるのだろうか。



僕を育ててくれたお父さん、お母さん。

今までありがとう。

 

 

 

僕はこれから、宇宙人に人体実験されるようです。

多分、もう帰ることはなさそうです。

どうか、お元気で。

 

 

 

 

 

扉を開けて入ってきた明らかに人間ではない『何者か』を見つめ、彼は薄ぼんやりとそんなことを思った。

 

正直、これが「宇宙人による誘拐」ではなく「宇宙人によって誘拐された夢」だと思えたら、どれほどよかっただろう。

しかし残念ながら、この見知らぬ部屋で見知らぬ天井を見つめて起き上がってからの二分間で、

これが夢ではないことの証明を自分自身で何度も繰り返してしまったのだ。

 

しかし常人よりも少々楽観的な思考を持つ彼は、見知らぬ部屋で目覚めたこの状況が現実であると認識しても、無闇に混乱したり泣き喚くようなことはしなかった。

 

とにもかくにもまずは現状確認して、それからどうするかゆっくり…とかなんとか考えてた時に突然入って来た『人間でない生物』のご登場に、さしもの彼といえども思考が停止した。

 

『人間でない生物』とは言ったが、全体的な外見としては殆ど人間からは外れてはいない。

 

きちんと二本の足と二本の腕。腰もお腹も胸も首も顔も、そして顔の各パーツの数も人間となんら変わりない。

服装も実際に人間が来ているようなものだ。

 

ただ、違っていたのは髪。

というより、頭から女性の髪のように伸びているあれは、明らかに髪ではない。

見た感じ凄くプニプニしてそうな緑の色合いの「何か」が二房、頭上から両側に垂れている。

非常に人間の髪っぽいが、とにかくあれは髪ではない。

さらに言うならば耳の形も人間のそれではない。トゲの如く横に突っ張った耳は、

まるで頭を横から何かが貫通しているようにも見えるほどだ。

 

まあただ、この程度であればまだ

「何かのコスプレ」とギリ片付けられる範囲ではある。

(遠目から見た質感でも既に、作りものとはとても思えないリアルさが漂ってはいたが)

 

ただ決定的に人間と違っていたのは「頭身」

人間と言えば基本的に8頭身前後のバランスであると言われている。

が、目の前に現れたこの人間似の生物は、背がちっちゃく頭でっかち。

ざっと見積もった頭身は3〜3.5頭身。

どこかのマスコットキャラクターのような出で立ちである。

 

 

こんなん人間な訳ないやんけ。

 

 

いかにコスプレしようと人間にはそう簡単に頭身を伸び縮みする能力はない。

あったらいいなと思うコスプレイヤーは数知れずだろう。

億が一、ちっちゃい子供に作りものの頭部を被せる手段もなくはないが、

その場合現代の技術では到底不可能な程リアルで、顔のパーツまで動くような被り物を被っているこの子は宇宙人ではなく未来人ということになる。

 

 

 

どっちにしたって大して変わらんわボケ。

 

 

宇宙人に誘拐されようと未来人に誘拐されようと、色々な意味で絶望的な点は何一つ変わらない。

 

しかしまあ、恐らくこの生物は、宇宙人であろうと思う。

何故かというと、目の前の生物がこちらの姿を認めた瞬間、目を輝かせながら口元に笑みを浮かべ

(あくまで地球人の彼視点)て喋った言葉。

 

 

「∇“! \ > @ [ _ ” ?」

 

 

 

日 本 語 で お k

 

 

言語が違う。

彼は地球上の言語全てを把握している訳ではないが、先入観抜きで考えてみても、とても地球上の言語だとは思えない。

 

字面だと分かりにくいかも知れないが、とにかく「ふにゃほにゃにゃみにゅふにぇちにぃょ」的な語感であった。

こちらが無言でいる間に色々喋っている言葉がとにかくふにゃらかふにゃらかしている。

 

 

 

 

えっと、これはどうしたものかと彼は考える。

見た感じだけで言えば日本語なんぞ通じそうにない。いやしかしあれはきっと宇宙人。

そして宇宙人ならばきっと未知の言語である日本語も解読してくれるはず…!

 

 

そんな一途の望みをかけ、彼は思い切って言葉を口にする。

 

 

「あー…ゴホン。えーっと…

誠に申し訳ないのですが…日本語で話して頂けると…」

 

少し高めになってしまった声である程度喋った所で、

目の前の生物が無言でキョトンとしている顔を見て、彼は察した。

 

 

あ、これ言葉通じてねえや。

 

 

 

 

それから一分間。二人の間で言葉の応酬が行われたが、無駄な結果に終わっただけに留まった。

 

「〜? 〜〜〜?」

 

「あのう・・・どうかお願いですから日本語を…」

 

「〜! 〜〜~!?」

 

「う、うーん…と…Can you speak Japanese?」

 

「~~? 〜〜〜〜」

 

「…ああいや…もー結構です…」

 

彼は早々に諦めた。

それでも目の前の生物は、何やら必死に話しかけ続けていたが、

彼がただ首を振るだけのリアクションしかしないことを見て、ようやく諦めたらしい。

疲れたように肩を落とすと、少々大袈裟な身振り手振りで「ここで待ってて」的なジェスチャーをした。

 

あの生き物が去った後には、彼の混乱も多少落ち着いてきた。

何だか、思った以上に思った通りにならない。あの宇宙人に好き勝手人体実験させられるかと思ったら

何だか必死にコミュニケーション取ろうとしたり。

自分で地球人を攫っておきながら、地球の言葉を話そうとしないのは解せないことだ。

まるで自分に宇宙語が通じると思っているかのように……

 

 

自分に……宇宙語が……

 

 

と、ここで彼はちょっと嫌な気を覚えた。

先ほどまでの激動のお陰で全く気づかなかったが…

なんか…色々と変だ。 主に、頭が。

 

部屋には鏡らしきものはない。

彼は、震える右手で恐る恐る頭部に手を伸ばす。

 

そんな馬鹿なことが。

きっと気のせいだ。

この変な感覚も、きっと…

 

 

 

 

 

ぷに。

 

 

ぷにぷに。

 

 

ぷにぷにぷに。

 

 

 

「……」

 

本来なら、髪の毛がある場所。

その場所から手に返ってくる感触は、ぷにぷにとした反発力。

 

 

「……」

 

 

頭をすーっと辿っていくと、耳の後ろあたりで何かが頭からぶら下がっているのがわかる。

大体、分かっていた。分かりたくないものを分かっていた。

そこにあったのも、ぷにぷにという感触のする太い何か。

 

 

 

「……なんじゃこりゃー!?」

 

 

扉の向こうで、皿が割れるような音が響いた。

 

 

 

彼の人生でもベスト3に入るレベルの大声を出した後、何々これはどういうことと再び混乱を彼が支配した。

 

しかしその直後、先ほどの生き物が赤い汁のついた包丁を持って部屋に飛び込んできたのを見た彼は真っ青になり、一瞬で土下座の体勢に移行した。

その生き物はちょっと怒っているようでもあったが、見事な彼の土下座を見ると、苦笑いしながら戻ってった。

 

そしてまもなく、その生き物が持ってきたのは、湯気立つ赤いスープであった。

渡されても、正直怪しさ満点すぎて食べる気がしなかったが、正直ちょっと空腹でもあったし、

あの生き物がめっちゃずいずい押してくるので、仕方なくゆっくりとスプーンで一杯口に運ぶ。

 

 

普通に美味かった。トマトの味がした。

 

 

 

 

何だかめっちゃニコニコしている隣の謎生き物を横目にスープを少しずつ頂く。

それと同時に脳をフル回転させて考えを纏める。

 

とりあえず下した結論は「宇宙人に誘拐された俺氏は、

人体改造によって宇宙人と同じ体にされてしまった」という風に落ち着いた。

先程宇宙語で話し掛けてきたのも、宇宙人の体になれば宇宙語を理解できるかという実験と考えれば辻褄が合う。

 

しかしそんな実験にしては、物々しい設備も研究者らしい宇宙人もそんなに見受けられず、

このカジュアルな格好の女宇宙人(女性みたいな髪っぽいのと、膨らんだ胸部から判断)のみである。

いや、しかしひょっとしたらこの一般的っぽい部屋も監視機能つきの実験部屋で、

特殊な薬品を混ぜた料理を食べさせた過程と結果を観察している…。

幸運か不幸か、そんな嫌な妄想をした時には既にスープは全部腹のなかに収まっていた。

 

女宇宙人はニコニコしながら皿を受け取るとまたドアの向こう側に消えた。

そんな彼女とは対照的に、彼は普段の楽観的考えも何処へやら、

目の前の暗黒未来に頭を悩ませていた。

 

 

 

 

宇宙人が増えた。

スープを平らげてから大凡三十分後。

彼が絶望にウンウンと身を震わせていると、あの女宇宙人が新たな宇宙人をもう一人引き連れてやってきた。

彼の見立てでは、あの宇宙人は男。

あの女宇宙人より短い頭のぷにぷに…恐らく彼と同じくらいの長さの物を頭の後ろで纏めている。

色は女宇宙人とは違い、クリーム色である。ついでに肌が少し浅黒い。

 

そして、目が大分鋭い。

そんな目でじっと見つめられた彼の心臓は縮み上がった。

そのから低い男性気質な声で話しかけられた。(ただし、相変わらずのほにゃらか宇宙語である)

 

ワンチャン日本語が分かる宇宙人であることに賭けて真面目に話しかけて見るの、

やはり徒労に終わった。

 

男宇宙人は話しかけを早々に切り上げて、隣の女宇宙人との会話を開始する。

その様子を彼は黙って見ていたが、こうしてみると明るそうな女宇宙人はともかく、

クールそうな男宇宙人も身振り手振りがなかなかに激しい。

この宇宙人はみんなアメリカ人気質なのだろうか。

 

 

 

二人の宇宙人の表情も身振りもコロコロ変わるが、総合して悩ましい表情の方が多い。

チラチラこっちを見ているあたり、言葉は分からなくても

多分自分のことについて話していることは容易に想像がつく。

 

自分から誘拐しておいて、言葉が通じなくて困るとか

おっちょこちょいにも程があるだろ、マジでアメリカ人かお前らと思う彼。

まあ確かによくよく見ればアメリカ的なアニメキャラクターに見えなくもない。

今ここは現実の世界のはずなんだが。

 

 

やがて男宇宙人がポケットから何かを取り出したかと思えば、そのエルフ的長い耳に当てて話し始めた。あれは電話なのだろうか。確かにスマホのような見た目であった。

…何だか先端が矢印っぽい形をしていることを除けば。

 

 

そして通話を終えたらしい男宇宙人は女宇宙人に二言三言話すと、部屋から退出した。

後に残ったのは、彼と例の女宇宙人。

 

 

「…あーはい…あはは…」

 

 

相変わらず興味深そうな表情でこちらに話しかけてくる女宇宙人に、彼は曖昧な笑みで応対する。

内心はよく言葉の通じない自分に話しかけるもんだなと正直辟易気味であった。

 

 

 

 

 

そうした言葉と笑顔(上っ面のみ)のやり取りが続くこと十分後、再び部屋のドアが開いた。

 

彼はドアの方を向いた。まずあの男宇宙人の鋭い目と目が合った。

思わず下を向いた彼。その瞬間、彼はベッドに座ったまま器用にも飛び上がった。

 

 

新たな宇宙人がそこに4体ほどいた。しかし、今まで自分が出会ってきた宇宙人とは似ても似つかないNew宇宙人であった。

 

まずそもそも人間の形をしていない。形として彼が最初に思い浮かんだのは一般的な火星人イメージであるタコ型宇宙人。

それに一番近い風貌だ。

ただ、色が全く違う。火星を表すような赤色ではなく、ファンタジー世界のスライムを表すかのような水色であった。

饅頭のような形の大きい顔部分には某漫画のような二つ繋がった目しかない。

体部分には4体それぞれTシャツのようなものや白衣のようなものまで個性を表すかのように身に纏っている。腕部分には細く長い触手。そして下半身にはその触手の短いものが何本も生えており、それが足の用をなしているようだ。全体的な身長は男宇宙人の半分もないくらいであろうか。彼が最初に目に入らなかった理由の一つである。

 

 

とにかく、新種宇宙人の登場で混乱した彼の脳内に最悪な想像がよぎる。

 

 

(ま、まさか宇宙人間の実験材料受け渡し!? 言葉が通じない俺は用済み!? これから本格的人体実験に回される!?)

 

 

楽観的もクソもない考えが彼の脳内を占める中、ビチョピチョみたいな小さい足音を立てて近づく新宇宙人×4。こちらを見つめてくる目を見つけて固まったまま数秒経つと、近くの女宇宙人が指で肩をトントン叩いてきた。

彼はまた驚いて飛び上がった。

 

彼が驚いたことに驚いたのか、女宇宙人はピャッ! みたいな悲鳴をあげて飛び退る。

が、自分が驚かせてしまったことを認識したらしい彼女は、彼の前で手を合わせて謝るような動作をした。

 

その後、彼女は自らの口の前で手をパクパク動かすジェスチャーを彼に見せた。

 

 

「…? え、喋ろ…と? でも何を…」

 

 

そんな風にジェスチャーを解釈した彼が呟いたその瞬間、彼の視線の隅である新型宇宙人が大きく跳ねたのを見て、また彼はビックリしてしまった。

どうも今日で彼の心臓は過剰運動をしてしまっている様だ。

 

その白黒のTシャツを着た新型宇宙人はふにゃむにゃと何かを喋りながら、ベッドの上に飛び乗ってきた。

その後、あの男宇宙人が部屋にあった机を動かし、ベッドに横づけしてきた。

その上には、紙とペン──彼が見た限りは──が2セットそこに置いてあった。

 

一体何だ何だと訝しむ彼だが、その時そのうちのペンの一本に青い触手が巻きついた。

紙ペンセットに目をずっと向けていた彼はまたビックリする羽目になったが、

よく見れば先ほどの新型宇宙人がその長い腕を使い器用にペンを手に取っているのだ。

まるで胡散臭いマジシャンを見るような顔を前に、そのクラゲはペンを紙の上に走らせる。

 

 

 

『 こ ん に ち は 』

 

 

彼の思考は停止した。その停止した思考のまま、ほぼ脊髄的反射で

もう一個のペンを手に取って『こんにちは』という字を返した。

それを確認した新型宇宙人の目が輝いたように見えた。そしてその瞬間に彼の思考の束縛は解かれた。

 

 

…日本語だ。

……日本語だ!

言葉が…通じるんだ!

 

 

そこから彼は怒涛の想いを書き綴る。

 

 

『日本語! 日本語が通じるんですね! 書けるんですね! 通じるんですねっ!! ここはどこなんですか!? 見渡す限り宇宙人ばっかりでああもう人間はどこなんですか!? 俺の同族は!? 人類は!? いや同族というよりというかなんか俺人間じゃなくなってるんですですけど一体何がどう何され何々何なんですかっ!? もうほにゃらかばっかりのぷにぷにでもう頭がおかしくなってしまいそうで!というかもうなっちゃってますけど!これから俺はどうなるんですか!?まっまさか貴重な地球人サンプルとしてあんなことやこんなことをああもう世にも恐ろしいいっそくっ殺』

 

 

『 お ち つ い て ください』

 

 

彼はご丁寧にビックリマークまで書き出すほど狂乱ぶりだったが、

妙に達筆な新型宇宙人からの自制の文字を見て、ようやくペンを沈めた。

 

新型宇宙人は、彼が収まったのを見て、いそいそとメッセージを再開する。

 

 

『たくさん かくにん ひつようです。 あなたが どうして こだいのげんごを つかえるのか。

どうして はなせるのか。 なぞです。わたしたち みんな しりたいです』

 

 

その新型宇宙人が書いた言葉を四、五回反復しているうちに彼の脳が段々静まると同時に、

恐ろしい予想が冷や水のように彼の体内を駆け巡った。

 

 

震える手で、彼はペンを取った。

あの相手が平仮名で書いているのに配慮して、こちらも平仮名で。

 

 

『…あの、まずしつもんしてもいいですか?』

 

『 ど う ぞ 』

 

『こだいのげんごって、なんのことですか?』

 

『あなた と わたし が いま かいている この げんご の こと です』

 

『…どうしてこれが、こだいのげんごなのですか?』

 

 

 

 

 

 

 

『それは おおよそ12000ねんまえ に このげんごをつかう ぶんめいが

そんざいしていた ことが あきらかになっているからです』

 

 

 

 

 

 

 

その衝撃たるや。

彼はよろよろとベッドに再び倒れこんだ。

 

 

嘘だ。

そんな。

そんな馬鹿な。

 

 

呼吸が上がる。

胸が締め付けられる。

目が滲んでくる。

 

 

震える手で、彼は気を失う前にと最後の質問を書き記した。

 

 

 

 

 

『この、ほしの、なまえは』

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

なんてことだ

 

 

 

 

 

『このげんごで あらわす ならば』

 

 

 

 

 

ここは

 

 

 

 

 

『ちきゅう』

 

 

 

 

 

だったのか

 

 

 

 

 

 

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僕を育ててくれたお父さん、お母さん。

死に目にも会えない、親不孝者で本当にごめんなさい。

 

 

自己満足かもしれないけど、一万二千年も遅れちゃったけど

いつかお墓だけでも、たてたいと思います。

 

 

そして、こんな体になっちゃったけど

自分が人間だという意志だけは、ずっと心に秘めて

この世界を生きていこうと思います。




前半は色々と『リアル』を目標として書いてはいるのですが
難しいですね。


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理解 奮起

Pixiv漁りが趣味なのですが、なんていうかやたらアレ系が多いので、
この小説もアレ系な設定だけ入れときました。
一応言っておくと、アレな展開にする気は全くありません。
怪しい描写はするやもしれませんが、健全な小説を目指しています。


 

 

 

 

 

人間の文明は、一万二千年前に全て滅んだ。

その事実を聞いただけで、正直今日の彼は限界だった。

 

思いっきりぶん殴られたような衝撃で頭がクラクラする。

視界が滲んでボヤける。息が苦しく、もう何も情報を得ることを体が拒否している。

 

 

 

傍の紙に震える字で、『すみませんが、きょうはどうかやすませてください』と書いて

目の前の火星人型生物(宇宙人は撤回)に伝えた。

あの生物は、『わかりました。またあした おうかがいします』という返事を書いた。

それを見た瞬間、彼は再びベッドに倒れこんだ。

 

 

 

意識が、闇に閉ざされていく。

 

 

 

 

 

 

こんなことになる前の、最後の晩のことを、夢にみた。

剣道部の練習でヘトヘトになった俺に、母さんは焼きそばを作って迎えてくれた。

また、俺より遥かに疲れた表情で帰ってきた父さんは、それでも笑顔で俺の誕生日プレゼントの話をした。

きっとびっくりするだろうから、期待してくれていいぞと、自信満々の笑みを見せてくれた。

 

 

 

 

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結局、俺の誕生日は来ることなく、父さんのプレゼントはこの手に届くことはなかった。

 

 

 

 

 

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無意識のうちに流れた涙が頬を濡らした感触で、目を覚ました彼が見たものは

最初に出会ったあの女性型生物の顔であった。

こちらが突然目を覚ましたことで、びっくりして仰け反った。

 

というか驚いたのは彼の方でもある。めっちゃ顔近かった。

そしてなぜか頬が赤く染まっていた。その理由は後に彼も知ることになる。

彼にとっては知りたくもないものだったが。

 

 

で、その顔を赤くした女性生物は何やらわちゃわちゃ言葉を残して足早に部屋を去ってった。

今一度部屋で一人になった彼は上体を起こす。体の方は普通に動く。心の方はボロボロである。

あんな目覚めを経験した以上、もはや夢だったんじゃないかと頬をつねることすら無駄だ。

 

 

 

(これから…どうなる?)

 

 

プニョプニョする頭に触れながら眉を顰める彼。

正直何も考えが浮かばない。というより考えるも何も、自分はこの世界について何も知らない。

おそらく、自分は天涯孤独の身。今こうしてここにいるのも一時的なものなんだろう。

 

自分の常識が通じるなら、この後は保護施設みたいなとこ行き?

 

いやいや、昨日のクラゲ型生物との軽い会話の内容から考えるに、

まだ俺の言うことを信用してくれるとは限らない。

向こうは、俺が人間の言葉を喋る理由を知りたがっていた。しかしかと言って、

それで「いやーじつはおれってにんげんなんですけど」なんて言って、信じてくれるか?

 

自分の常識が通じるなら、こういう奴は普通精神病院とかそういうとこへ…

 

なんだかお先真っ暗な想像しかできずに、彼は頭を抱える。プニプニの反発が手にかえってくる。

七分近くヌンヌン唸っていたが、やがてキッパリと顔を上げた。

 

 

─もう、なるようになれだ。

 

─自分は死んだと思うんだ。

 

─どんな目にあっても、死ぬよりマシだ。マシなんだ。

 

─どうなったって、構うもんか。

 

 

 

腕を組んでフンスッと口を結ぶが、その体は微妙に震えていた。

 

 

 

 

 

こうして(震えながら)覚悟を決めた彼の前で、ガチャリと扉が開いた。

中に入ってきたのはあの女性型生物と昨日の日本語が書けるクラゲ型生物。

 

 

はっと目が合ったので彼は軽く会釈する。

…が、この別生物達に頭を下げるこの行為が

挨拶のジェスチャーとして通じるか分からないと気づいたが、

幸運なことに二人の生物は特に戸惑いもなくスムーズに頭を下げた。

 

 

 

女性型生物がうんしょうんしょと机と椅子をベッドの隣に横付けし、

紙とペン二本をセッティング。

椅子に飛び乗ったクラゲ型生物(今日は白衣っぽい物を着ている)が、

昨日と同じくその一本の触手を器用に使い、紙に文字を書いた。

 

 

『おはよう ございます』

 

 

 

流石にもう、むやみに驚くようなことにはならない。

彼もゆっくりペンをとって、返事を書いた。

 

 

 

『おはようございます』

 

 

 

 

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それ以降の筆談は、比較的スムーズに進んだ。

とは言ってもやはり筆談は時間がかかる。

そして何より、交わし合いたい情報がお互いに多すぎた。

 

 

正直彼としては一刻も早くこの世界のイロハを教えて欲しかったのだが、

向こうとしても、何故彼が古代語の一部…つまり、日本語を喋れるのか知りたいらしい。

だから彼も「わかりました。できるかぎりこたえます」と返答した。

こんな状況で、下手に我を張ってもしょうがない。

彼らにとっては自分の方がイレギュラーな存在なのだから、自分は下手に出るべきだろう。

 

 

質問にも、とにかく全て正直に話すことにした。

こんな状況で黙秘したり嘘をついたりしたほうが余計エラいことになりそうだし、

第一この世界の住人が納得できるような嘘を吐く自身がない。

常識一つとっても何が違うのか分からないから当然である。

 

 

自分には、「人間」としてのハッキリとした記憶がある。

ただし、それ以外何も覚えていないし、分からない。

 

そう伝えると、「それは おどろきました」との返事がきた。

尤も、驚いているようには見えない。というか、顔部分に目しかないもんだから

感情表現が全くもってわからないのが困りものである。

 

 

 

 

そうしたらクラゲ生物は『それは おこまりでしょう ちからに なります』と書いてくれたので、彼は目を疑った。

『しんじてくれるのですか』と慌てて返事をしたら、

『もちろん です』と答えたので、正直(´;ω;`)ブワッっとなりかけた。

 

とりあえず、こちらの力になってくれるのであれば、その厚意に甘える他ない。

あとでいくらでも質問に答えるから、まず先にこちらから質問させてくださいと頼むと、

それにも快く応じてくれた。

 

 

なので、彼も遠慮なく質問を書き連ねた。とりあえず、目下知るべきことは

「一体彼ら(自分を含めて)はどういう生物なのか」と言ったことだ。

今考えてみれば、された側からしてみれば馬鹿馬鹿しい質問だったに違いない。

それでもクラゲ型生物君は丁寧に説明してくれた。

 

 

非常に驚いたことに、クラゲ型生物は本当に自分のことを「クラゲ」と名乗った。

太古に存在した同名の水生生物が長い年月で進化した存在が自分達の一族である、と。

まさかクラゲ型生物と揶揄していたが本当にクラゲの進化体だとは思わなんだ。

 

さらに、クラゲ型生物改めクラゲさんは教えてくれた。

海面上昇でごく僅かになった陸地には、水生生物から進化した

あらゆる種族たちが暮らしていると。

つまり彼らも立派な地球生まれ地球育ちの生き物だったというわけだ。

宇宙人扱いしてゴメンと思う彼。

 

 

 

 

しかし、そこで彼は疑問を思い浮かべた。

何を隠そうそれはこの世界で最初に出会った女性型生物や男性型生物のこと。

このクラゲさんは確かにクラゲの進化体と言われれば納得できるほど

クラゲの面影バリバリだが、あの女性型生物は、完璧な人型だ。

そりゃあ初見で宇宙人だと思っちゃうほどには人からかけ離れているが、

かと言って、水生生物の進化体と言われても首を捻らざるを得ない。

 

 

だがその瞬間のグッドタイミングで、クラゲさんが彼の疑問に先取りして答えた。

 

 

『かのじょのしゅぞくは このこだいごでかくなら

「いんくりんぐ」 われわれは 「いか」 とよんでいます』

 

 

いか…

 

イカ……?

 

 

烏賊!?

 

 

彼は、右側をみた。矢印型のスマホらしきものを弄っている女性生物を見た。

頭の中で自分のイメージするイカを思い浮かべる。

 

 

何一つ重ならない。

 

 

 

いやいや、と彼は首を振った。生命の進化の形態に口出しできるほど彼は進化論に詳しくない。

ここは無駄に疑問を呈したりせずスルーを決め込むのがお利口に違いないと彼は自らに言い聞かせた。

 

 

 

『ちなみに、じぶんは』

 

『かのじょと おなじ いか です すくなくとも みかけのうえでは』

 

 

 

はいそうですよね。ぷにぷに髪のお陰で鏡がなくても八割察しはついてましたとも。

現実を再確認した彼は再び頭痛を覚えた。

しかしもはやこれから先はこの程度で頭痛を覚えている暇は無いほどの驚きが待ち受けてるに違いないのだ。

 

 

 

世界の基礎の基礎くらいだろうか。とりあえず軽い現状確認はできた。

しかし、世界を知ればそれでいいという訳にはいかない。心配なのは、今後のことだ。

 

 

『ありがとうございます。とりあえず、しりたいことは、すこしりかいしました』と、彼は前置きした上で『しかしながら、ふあんです。じぶんには、なにもありません。どうやっていきていけばいいのか』と書いた。

 

 

正直、彼は結構ドキドキしてる。このクラゲさんには色々教えてこそもらっているが、

はたしてイカ一匹(一人?)の世話までしてくれるかどうか。

というか正直な話、なんだかここまで一応順調に進んではいる。いるのがちょっと怖い。

『塞翁が馬』『禍福は糾える縄の如し』を座右の銘(暫定)としている彼にとっては

そろそろ不幸が訪れてもおかしくないと身構えているのだ。

諺抜きにして真面目に考えても、普通の人間家庭基準でいえば、

いきなり現れた人一人を養うことをヨシとする家庭はなかなかないだろう。

ひょっとしたら、「しらねえよ どこかひとり たびにでも でろ」とか書かれるかもしれないのだ。

 

 

内心のガクブルを必死に押さえつけている間に書かれたクラゲの返事は、

「そのこと なのですが」と変に言葉を濁している。

「?」と首を傾げていると、急にクラゲさんはスマホを弄る女性生物改め女性イカに

水生生物言語(暫定呼び名)で話しかけた。

そのしばしの会話の間、「そういえば、クラゲやイカの間で言語の違いってないのかな…」などと彼は考えていた。

 

 

やがて、会話が終わったクラゲさんが、再びペンを手にとった。

 

 

『かのじょが このいえにすんでも いいと いってます』

 

 

 

え?

 

 

彼女?

 

 

 

彼は、右側をみた。女性イカはこちらを見た。綺麗な笑顔でサムズアップを返してきた。

あ、サムズアップもそういうジェスチャーとして定着してるのね。

いやいやいや、そうじゃなくて。

 

 

 

『い、いいのですか。その、ひとりふえるとせいかつひとか』

 

『そのぶんのかね であれば わたしが ふたんしても かまいません』

 

 

えっ。と一瞬思った彼だったが、クラゲさんの言葉には続きがあった。

 

 

『ただし じょうけんとしては ぜひあなたに てつだってほしい のです』

 

『わたしの こだいごの けんきゅうのため あなたから いろいろと こだいげんごについて おしえてほしいです』

 

『は はい! そのていどなら おやすいごようです!』

 

 

思わずビックリマークを付けてしまうほど慌てて返事を書く彼。初期に想定していた人体実験系に比べればなんて優遇処置なのだろう。日本語教えるだけで衣食住が保証されるとは。

 

 

…ん。待て。俺が心配しているのは果たしてそういうことだけなのか?

 

 

 

彼は、右側をみた。女性イカはこちらを見た。満面の笑みでピースサインを返してきた。

あ、ピースもそういうジェスチャーとして定着してるのね。

いやいやいや、そうじゃなくて。

 

 

『こういうことをきくのは しつれいかもしれませんが、』

 

『にんげんのせかいでは、その、だんせいとじょせいが、いっしょにくらすのは』

 

『かなり したしいなかでないと』

 

 

ちょっとしどろもどろな感じだが、とりあえずニュアンスは伝わったようだ。

これを見たクラゲさんは、30秒ほどペンを持ったまま動かなかった。不思議に思う彼をよそに、

クラゲさんはようやくゆっくりとペンを動かし始めた。

 

 

 

『つたえるべきか すこしまよいましたが』

 

 

 

なんか不穏な書き出しだと、彼は少々不安を覚えた。

 

 

 

『かのじょは あなたをきにいっているようです』

 

 

 

ん、俺を気にいる…? 会話すらまともにできていないんだが…。

 

 

『もっというなら かのじょは まちがいは おこさないと いってますが  

しょうしょう あなたに こうふん しているように みえます』

 

 

はい…?

 

 

こうふん…?

 

 

あなたに、興奮…?

 

 

 

俺に、興奮?

 

 

 

 

「はああああああ!?」

 

 

何、何何何何何!? なんだよ興奮って!? なに!? そういう気に入ってる!? 

女から男にそんな感情あるの!?

しかも「間違いは起こさない」ってなんだよ!? 余計に怖いわ!

間違いが起こりかねないの!?

 

 

 

…いやいやいや。落ち着け俺。と彼はかぶりを振った。

意味深な書き方のせいで勝手にそっち方面だと思い込んでいたが、

そう決めつけるのは早計である。

これはきっと水生生物同士の隠語みたいなものに違いない。

きっと興奮ってのはまた別の意味を表すに違いないんだ。

 

 

『あの……その こうふん というのは どういうこうふんなのですか?』

 

 

『そっちょくにいえば せいてきな こうふんです』

 

 

 

 

 

 

_人人人人人人人人人人人人_

>せいてきな こうふんです<

 ̄YYYYYYYYYYYY ̄

 

 

 

 

 

 

この瞬間、彼の座右の銘に『知らぬが仏』という諺が追加された。

もう俺、あの女性イカを直視できない。

女性から性的な興奮を得られてしまうなんて、男からすれば大半の場合ご褒美みたいなもんだが、

残念ながら俺が性的興奮を向けられているのは女性の「イカ」なのだ。

正直不気味でしょうがない。

 

震える腕を奮い起こし、彼は文字を書く。毒を食らわば皿までと、真実を知るべく。

 

 

『こういうことは、めずらしくないのですか…?』

 

『われわれくらげは せいべつがそんざいしないので りかいしがたいのですが

いかたちは きほんてきに せいにかんしては おおらか だといわれてます』

 

 

大らかすぎない!? 初対面の人(イカ)に性的興奮を覚えるって!?

大らかどころか性教育不足だよ!

 

 

『きほんてきには だんじょのかっぷるですが おとこどうしや

おんなどうしの かっぷるも めずらしくない らしいです』

 

 

あーそーですか。それ、凄くいいことだと思います。俺にとって以外は。

この世界において、大事な掟を一つ学ぶことができたようだ。

それは『下半身大事に』ということだ。

 

 

クラゲさんは続けて紙に『ほかに ききたいことは ありますか』と書いた。

彼は死んだ目をしながらも、とりあえず『いまはいいです』とだけ返事をした。

 

 

とにかく、少々危険な世界ではあるものの。生活の心配はしなくてもよいことが明らかになった。

この世界を、俺はどう生きていこう。何を目標にしよう。

 

 

元の世界へ帰ること? どうやって?

タイムマシンでもあれば、帰れるかもしれない。果たしてあるのか?

無いとは言い切れない。しかしそこまで考えて首を振った。

大体、タイムマシンなんて出来ていたら

目の前のクラゲさんが古代語の解読のために俺を必要とするわけがない。

ということは、基本的に元の世界へ帰るのは諦めたほうが良いという訳である。

 

未練は山ほどある。だけれども、ここまで絶望的な状況を見せつけられたら、

もういっそ開き直りかけてる。その代わり、彼にはとある意地が生まれた。

 

 

 

 

─生きてやる。

 

──もうこうなったら、何が何でも生きてやるのだ。

 

───元の世界で生きれなかった分、いや、その倍以上の時間を、生きてやる。

 

────何があったって、死ぬもんか。絶対。

 

 

 

 

 

腕を組んでフンスッと口を結ぶ。もう、体は震えていなかった。

 

 

 

 

 

そんな彼を前に、クラゲさんは『そうですか それでは こちらのしつもんを

さいかいしていいですか』と聞いてきた。

ああそういえば、本来クラゲさんの質問のターンだったと思いながら、『はい』と書いた。

 

 

 

『とても だいじなことを きいてませんでした』

 

 

『あなたの おなまえは なんですか』

 

 

 

 

 

 

 

 

 

『おれのなまえは、やまうち そうや おれのことばできちんとかくなら、山内 聡也 です』

 

 

 

 

 

 

*

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天国のお父さん、お母さん。

俺は、なんとしてでも生きます。イカとしてでも。

だから、もうちょっと待ってて欲しいんです。

もう1万年以上も待たせちゃってるけど、本当にごめんなさい。

ただ心配なのは、俺が天国に行くときは、人間に戻れるのでしょうか。



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イカの世界と苦難 ブキ開発編
烏賊 日常


もうちょっと言語習得シーンとかの詳しい描写したかったよ。
誰かイカ語の辞書をくれ。


改行が雑で読みにくいかも知れません。
ご了承ください。


目が覚めた。

寝起きは非常に頭がクラクラぼんやりする。

が、なんとか気力を振り絞り頭を二、三回振れさえすればスッキリ目が醒める。

そのスッキリした頭のまま、耳を澄ます。彼女はまだ起きていないようだ。

彼と彼女は起きる時間が大体一緒だ。きっと彼女もすぐ起きてくるに違いない。

 

 

 

しかし、正直彼女に構っている暇はない。

一度構ったらその構いが終わるのはいつになるのやら。

 

 

 

頭の『ゲソ』を後ろに纏め、とりあえず部屋を出れば、そこはリビング。結構広い。

毎度の習慣として、心の中で軽く感謝をしてから冷蔵庫を開ける。

小さなチョコパンと野菜ジュースだけ頂いて部屋に戻る。

 

そうして頂いた朝飯を食べながら、勉強机にてテキストと音楽プレイヤー、

それにヘッドホンを引き出しから取り出す。

このテキストも残り二割だ。文字の方はまだいいがこっちは…。

 

苦手なのは確かだが、自分には今更嫌だとワガママ言える立場ではない。

彼は無言でヘッドホンを装着し、音楽プレイヤーをセット。彼が『人間』であったころは、

どちらかといえばイヤホン派なのだが、『この世界』ではヘッドホンが全体的に人気らしい。

そして、彼はイヤホンを買ってくれと言える立場でもないことは自覚している。

 

 

 

そして、彼の日課が始まった。

軽い朝飯を食べながら、耳から流れる言葉を必死で脳内で分解し、理解する。

そして同時にテキストに眼を走らせる。

 

 

 

聞き取れなかった部分を何度もプレイヤーでリピートしたり、

時々テキストにペンを走らせること1時間30分後。

お隣の部屋から悲鳴が聞こえた。

 

 

ああそう言えば起きるの遅かったなと彼が思うのと同時に、

ドッテンバッタンガッチャンと大慌ての音がヘッドホンを超えて輪唱する。

 

 

今なんか割れ物落とさなかったかと、流石に心配になった彼は勉強を一時中断。

ドアを開けて部屋を出た先で彼が見たものは、寝間着のまま裸足をコップの破片から守りつつ散らばった『ギア』をなんとか集めようと奮闘している彼女の姿だった。

 

 

 

「って、ちょっと危ないですからっ! 俺がやるんで下がっててください!」

 

 

彼は慌ててリビングの端からミニ箒とチリトリを持って駆けつける。

 

 

「あ〜ゴメン〜! ありがとう『ソウ』君! あ、そのパイロットゴーグル取って!」

 

「え? パイ…? あ、いやゴーグル…はいはい、これですね? ていうかまずちゃんと着替えるのが先でしょ! ここはかたしておきますから!」

 

「ほんっとにゴメンね! あ〜もう今日こそはチョウザメエリアのリベンジしようと思ったのに! 時間終わっちゃう!」

 

 

悲鳴が聞こえた時から大体予想はしていたがやはり寝坊だったようだ。パタパタと自室に戻る彼女を見て、起こしてあげればよかったかなと、『ソウ』は破片を掃除しながら少々罪悪感を覚えた。

そして流石の早着替えと言うべきか、ものの二分で身支度を整えた彼女が部屋から飛び出してきた。

『ソウ』が彼女の早着替えを知っていなかったら、彼女は彼が片付け損ねた破片を踏む羽目になっていたかもしれないが、

それを予測した彼の手際のいい片付けによってなんとか悲劇はまぬがれた。

 

 

「じゃ、じゃあ『ユイ』行ってくるから! 夕方にはちゃんと帰ってくるからねー!」

 

「はいはい。行ってらっしゃいー」

 

 

ドタバタしてた喧騒も、彼女が扉を開けて飛び出していったことで収まったようだ。

破片をゴミ袋に収めて一息つくと、もうさっきまでが嘘のように静まり返った家に戻る。

彼にとっては、この家の状態が一番慣れており、長く過ごした時間である。

 

 

最後に、彼女が閉め忘れていったドアの鍵を内側から閉め、

もう一度ぐるりとリビングを確認してから、『ソウ』は自室へ勉強をしに戻っていった。

 

 

 

冷蔵庫の側面に貼ってあるカレンダーが指す日付は、9月19日。

彼がこの世界で目覚めてから、ちょうど三ヶ月が経過していた。

 

 

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彼はこの三ヶ月、文字通りこの家に缶詰状態だった。

といっても、周辺の人物からそれを強要されたわけではなく、あくまで彼の意志で、である。

 

何が何でもこの世界で生き延びてやる、と決意した彼がまず始めようと思いたったのは、この世界の言語勉強である。

もはや元の世界へ帰る方法など微塵も思い浮かばない身。時間なんて山ほどある。

勉強は苦手。かつての英語の成績も正直良いとは言えぬものであったが、この世界においてそんな弱気は吐いていられない。

 

 

そんなわけで、この世界の良き理解者である古代言語学者クラゲさんやこの家の持ち主である女性イカ…『ユイ』の協力も得て、彼の挑戦が始まった。

子供用から学生用までの…日本語で言うならば『国語』の教科書をタダで調達してもらったり、イカの言葉はイカに学ぶのが一番であると、ユイにわざわざ会話練習に付き合ってもらったり…。

もちろんクラゲさんとした約束の通り、合間合間を縫って日本語──主に漢字や文法──を逆にクラゲさんに教えたりしていた。

 

 

未知なる言語のお勉強。いかに辛く険しい道であろうことは彼も重々承知していた。

…だが、意外なことに、彼が想像していたよりあまり大変ではなかった。

 

 

その理由の一つに、このイカ言語がかなり英語や日本語に『似ていた』というのが理由の一つにある。

明らかに日本語のカタカナらしき字や英単語らしき文字があり*1、大抵それらの意味は実際に人間世界の意味と同じだったりすることが多々あるのだ。

 

無論、あくまで『似ている』というだけであり、この特徴に気づくまではかなり解読と理解に時間を費やしたものだ。

しかし一度特徴を覚えてしまうことによって、文字学習の時間はかなり短縮された。

筆談ならば、普通のイカとも会話できるレベルまですでに到達済みだ。

 

 

しかし現実、そうそう上手くはいかぬものである。

確かに文法、文字はほとんど問題なかった。問題があったのは発音・会話である。

 

 

とにかく聞き取りにくい、喋りにくい。

どうも平均的に喋るスピードが日本語よりも早く、しかも一語一語の区切りが非常に分かりづらい。

どうやらこのやたら刹那的な発音がイカ族の特徴のようだ。

 

 

この三ヶ月間の勉強のうち、六割は発音・会話・リスニングの勉強時間と言ってもいい。

とにかくイカ族言語を聞きまくり、自分で脳内翻訳をノートに書き、答え合わせ。

合間を縫ってユイとも積極的に会話練習。ご飯を食べながらでも、発音やアクセントの訂正は続く。

最終的には静かな空間においてもイカ言語の幻聴が聞こえる副作用こそあったものの、

今現在においては、同居人との会話は支障なくできる程には進歩を見せている。

 

 

そんなイカとの同化勉強を続けていく中、その勉強以外にもう一つ。彼が欠かさず行っていることがある。

毎日の日記。それも日本語で、である。

 

 

彼は、人間の世界へ帰ることを既に諦めている。

しかし、彼はどうしても人間であることを諦められなかった。

 

 

 

この世界においては、イカとしての名前である『ソウ』を名乗っている。

それでも彼は、自分が『山内 聡也』であることを忘れたくなかった。

 

 

もし、自分の母国語を忘れる気持ちで勉強に打ち込めば、もっと早くイカ語を覚えられたかもしれない。

でも、でも、それでも。

 

 

 

俺は、人間でいたい。

例え今はイカでも、俺は、人間を、忘れたくはない。

 

 

 

 

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*

 

 

 

 

夕方には帰ってくると言ったユイだが、空に星が瞬き始めても、彼女は未だ帰ってきていない。

もっとも、彼女が夕方に帰ると言って実際に有言実行する確率はせいぜい四割程度だ。

 

日が沈んだ後に「ごめーん! ついついバトルやりすぎちゃったー!」という軽い謝罪と共に

帰宅することが大半なので、多少遅くても彼は気にしない。

 

 

 

「…それにしても、遅くね?」

 

 

 

時計の針が示す時間は、夜の10時。これ以上夕飯を待っていたら夜食になってしまう。

いや、問題なのはご飯よりも彼女の方だ。今までどんなに遅くても8時より遅くなったことはなかったのに。

ひょっとして、事件か何かに巻き込まれたんじゃないだろうか…。

 

 

不安を覚えて探しに行こうかとも一瞬考えたが、すぐに脳内で却下する。

三ヶ月ずっと缶詰で、外の景色すら知らない自分がどうやって探しに行くのか。

一応イカ語は使えるから、手当たり次第にそこらのイカに頼むという手も無くないが、

ちょっとばかりリスクが高い。引きこもりかつイカ歴三ヶ月の元人間には正直キツい。

 

もはや自分が心配したところでできることはなさそうだ。

今はただ、無事に帰ってくることを祈るしかない。

とりあえず、こんな時間では彼女の夕飯を期待するのはやめておくべきだ。

冷凍食品ならいくつかあった。今日はそれを食べて…と考えて席を立ったその瞬間に、ドアの開く音が。

 

 

「あ、お帰りなさい」

 

 

ドアの方へ視線を向けると、確かにユイは帰ってきていた。

ただし、やっぱりと言うべきか普通に帰ってきている訳ではなかった。

 

 

「…て、あれ。『クロ』さん?」

 

「……ソウか。久しぶり、だな」

 

 

玄関にいたのはもう一人、少し色黒で鋭い目を持つイカ、『クロ』である。

そう、初めてこの世界に来たあの日。ユイと共にいたイカの一人だ。

後で聞いた話によると、古代言語学者のクラゲさんを連れてくるのを提案したのもクロらしい。

 

 

久しぶりという言の通り、この三ヶ月の間クロと会った回数は片手で足りるほどだ。

それでも来た日には彼の会話練習を一日中手伝ってくれたりと、大いに助けてもらっている。

口調はぶっきらぼうだが、発音やアクセントの教え方も優しく丁寧だ。

 

どうやらユイとはちょっとした付き合いらしいのだが、ユイ曰く最近は非常に付き合いが悪く

探してもどこ行ったか分からないしもうー!とか言ってプンプンしていたのを覚えている。

 

ユイは怒っていても、ソウにとってクロというイカは口数が少ないながらも、優しいイカだという印象だった。

 

 

玄関に現れたそのクロの肩に寄りかかって、だらりとなっているのは…ユイであった。

 

 

「え? あ、あれ! ユイさんどうしたんですか!?」

 

 

まさか本当によからぬ事件にあったのかと思い、慌てて近寄った。

すると、「ヒック」というしゃっくりの音が。

 

 

 

「…え?」

 

「………うぃぃ………ヒックゥ……」

 

 

 

顔が赤い。それにこの変な匂いに、だらしない顔。

…まさか。

 

 

 

「ユイが酔い潰れていたものでな……一人では帰れんだろうから、連れてきておいた」

 

「あ、そ、それはどうも……」

 

 

 

まさかの酒飲みが原因であった。心配してソンした。と彼は独り言ちた。

それにしても、見た目が子供向けアニメキャラクター的だったもので、てっきり勘違いしていたが

もしかするとユイはもう酒が飲める年齢なのかもしれない。

…聞くには少し勇気が必要であるが。

 

 

「うぁ〜…にゃ〜にがじゃ〜んとホコ持てぇだあ……

こちとら好きでぇ持ってると思うにゃよう…!」

 

「…とりあえず、このアホをベッドに寝かせておく」

 

「あっ、はい」

 

 

さらっとアホ呼ばわりする辺り、それほど親密と言うべきか、それとも案外毒舌というべきか。

いつもより三割くらい低い呂律の回らない声を漏らすユイを背負いながら、クロがユイの私室へ運んでいく。

…酔い止め薬とかないのかな、と薬入れの棚を探してみるが、それっぽいものは見当たらない。

クロはすぐに部屋から出てきた。

 

 

「あ、あの…大丈夫なんですか?」

 

「自業自得だ。酒に弱いくせにあんなに飲んで…二日酔いくらいがいい罰みたいなものだろう。

もし声が響いてうるさいようだったら、そこらの布で猿轡にでもしとけばいい」

 

「い、いや流石にそこまでは…」

 

 

猿轡て。どうしてこのイカはユイにやたら厳しいのだろうか。

しかし、もし嫌っているのであればわざわざ酔い潰れているところを家まで運んではこないだろう。

この二人の関係性は、自分が思うより複雑怪奇なのかもしれない。

 

 

 

「…それと、軽い飯を買ったからここに置いておく。もしもう夕飯を済ませていたら、明日の朝飯にでもしてくれ」

 

「は、はい。あ、ありがとうございます!」

 

 

 

まさか、ご飯まで買ってくれているとは思わなかった。

思わずピシッと固くなって頭を下げると、手をさっと挙げて家から去っていった。

去り方まで妙にクールだ。

 

 

 

机の上に置かれていたビニール袋からおにぎりを取り出してモグモグ。

シャケチーズというなんとも微妙な味わいのおにぎりを咀嚼しながら、ちらりとユイの部屋へ視線を向ける。

元高校生には二日酔いの辛さは分からないが、聞く限りだと相当な苦しみのはず。

大丈夫かな、と心配してのことだったが…

 

 

 

 

「あの野郎〜! 今度スライドぶちゅけて無理矢理にでもホコ持たせてぇやろうがあ〜!」

 

 

 

 

 

…マジで猿轡をつけようかなと、心の隅で検討し始めるソウであった。

 

 

 

 

*

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*

 

 

 

 

 

次の日。

ソウは昨日より少々遅い時間に目を覚ました。

頭を振って目を醒ます儀式を行って思い出した。そういえばユイが二日酔いで苦しんでいるはずだと。

流石に昨日猿轡させるのは良心が咎めたが(代わりにソウの睡眠時間が1時間ほど犠牲になった)

それ抜きにしても、きっと今頃ヌンヌン唸っているに違いないと今日の勉強はとりあえず後回しで、

彼女の部屋を見に行こうと立ち上がる。

しかし、リビングの扉を開けると…

 

 

 

 

「あっ! おっはよー! ソウ君! 爽やかな朝だねー!」

 

 

「…おはよう」

 

 

 

そこでは冷蔵庫から朝飯の材料を取り出しているユイの姿が!

さらに昨日ユイと夕飯をこの家に運んでくれたクロの姿が!

 

 

 

 

 

 

 

 

 

あっれー?

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「え? あ、お、おはようございます…っていうか、ユイさん大丈夫なんですか?」

 

 

 

うん、まず疑問を順番に解決しよう。ソウは早速尋ねることにする。

二日酔いって朝起きてすぐ回復するものなの?ていうか実はユイさん酒強い?

あれ、でも昨日クロさんは『酒に弱い』って…?

 

 

 

「いやー、実は昨日夜中一回起きてね。流石にベッドから出れなかったんだけど、

枕元に薬と水が置いてあってさ。 多分それ飲んだお陰だよ。クロ君、ありがとうねっ!」

 

 

「……ああ」

 

 

 

ああなるほど、クロさんが酔いの薬を…それのお陰で二日酔いせずに…

ってあれ、クロさん確か『二日酔いくらいがいい罰みたいなもの』って言ってた気がするんだけど…

 

 

首を傾げてソウがクロへ視線を流す。その視線を受けたクロが視線をソウに返す。

その視線の具体的な意味は分かりかねたが、とりあえずそのことについて言及するのは控えることにした。

きっと何か重大な何かがあったんだろう、何か。

 

で、次の疑問。

 

 

 

「で、クロさんは今日、どうして……」

 

「…呼ばれた」

 

 

 

黒い半袖に、何かの競技用みたいな手袋をはめたクロの一言で、大体理解した。この家にクロを呼ぶイカなんて、一人しかいない。

というか昨日は酔って寝ていたはずだから、まさか朝っぱらから電話して呼んだのか。

そしてクロさんはそれに律儀に応じて朝からこうして家に来たのか。

今までほとんどこの家には来ないほど、忙しそうだったあのクロさんが。

 

 

…やっぱりこの二人、思った以上に親密なのかもしれない。

 

 

 

「そうそう! 今日、ユイたちは重大な決議を行うべく、こうして集まったのであります!」

 

 

芝居かかった口調と共に、ユイはテーブルにご飯やら卵焼きやらサラダやらを滑り込ませる。

とりあえずいつものように感謝の気持ちを心で唱え、もちろん口でも「いただきます」は忘れず、箸に手を伸ばす。

 

 

しかし、さっきユイが言った「重大な決議」とやらが気になって、手に持った箸が止まる。

たった三人の集まりで少々大げさな響きに聞こえるが、よくよく考えたらここに自分が呼ばれている時点で

おそらく自分絡みの「重大な決議」に違いない。そう思うと、気になって仕方がない。

 

 

まさか今更この家から出てけ、とかではないだろう…とは思える程度には、

彼の楽観的思考感は回復している。

しかし、ならばどういう話なのかと言われると、予想がつかない。

 

 

 

ソウはユイに視線を向ける。その視線を受けたユイはにっこりと微笑んだ。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「その決議とは! つまり! 我らがチーム、『インカーネイション』復活の決定でございますっ!」

 

「……え?」

 

「……」

 

 

 

間抜けな声が出てしまうソウ。一方クロは特に驚いた様子もなく、ただ小さくため息をついただけである。

 

 

 

「はいっ。じゃーチーム、インカーネイションの再結成に賛成の人ー! はーい!」

 

「え…えっと…」

 

「……」

 

 

これは果たして、手を挙げるべきなのであろうか。

しかしクロは視線を逸らして動かない。え、これはユイかクロかどっちに追従すべきなのか。

 

 

そんなソウの葛藤をよそに、ユイは一通りぐるりと周囲を見渡すと、満足そうに頷いた。

 

 

 

「よしっ! 賛成半数により、インカーネイション再結成、ここに決定ー!」

 

 

「…え、え、ええ?」

 

「……」

 

 

 

一体どういうことなのか。軽くツッコミどころが二つも増えた。

イエーイとクルクル回るユイを遠目に、クロが小声でソウに補足する。

 

 

 

「あいつの脳内では、常に自分自身が二票分だからな。チームリーダー権限とやらで」

 

「いや、あの…半数で可決って…俺ら二人が反対したらどうするんですか…?」

 

「票が同数の場合は、チームリーダー権限とやらであいつの票が入っている意見が優先されるとのことだ」

 

「は、はあ…」

 

 

 

マジかよチームリーダー権限すげえ。

…ていうか、ちょっと待って。

 

 

 

「あのう…チームって、何のチームなんですか?」

 

「え? そりゃあもう、チームって言ったら、それはもう『ナワバリバトル』のチームのことに決まってるんだよー!」

 

「バトル……って、ひょっとしてユイさんが毎朝行ってるやつ…?」

 

「そうそう、それ!」

 

 

 

 

 

 

 

ナワバリバトル。それについて、ソウはあまり詳しくない。

知っていることと言えば、ユイが毎日出かけて行うイカ世界のスポーツみたいなものということくらい。

文章問題の例文にもちょくちょく出ていた記憶がある。

ユイはバトルの話を夕飯時によくするが、八割専門用語らしき言葉なので、正直右から左に聞き流していた。

テレビでもよくやっているらしいが、ソウは本当に部屋に籠って勉強づくしだったので、

試合の様子も一切見たことないし、もちろんルールも全くの門外漢。

 

 

「えっと…まさかとは思うんですけど……俺、に?」

 

「そのとーり! 君こそが、ユイたちの希望! 三人目のホープなのですよ!」

 

 

ふんすっと腰に手を当てて偉そうである。さすがチームリーダーを名乗るだけはあるが…

 

 

「い、いやいやいや! ちょっと待ってくださいよ! そんな、いきなりスポーツのチームに入れなんて言われても…」

 

「ダイジョーブダイジョーブ! そんな難しいものじゃないし、すぐ慣れるって! 何より、ユイたちがついている!」

 

 

とても昨日酔い潰れてたとは思えないハイテンションで胸をはるユイ。

いや、そんな。と反論しようとしたが、うまく口が動かない。

 

 

正直、自分としては拒否したい。

まさか前世の剣道経験が役立つスポーツとも思えないし、

転んでボロボロ恥かき笑われ迷惑バリバリな気しかしない。

だが、果たしてそんなに素直に断れるか…何より、ユイには衣食住の恩があるのだ。

でも今君ニートだよね? とか言われたら、反論の言葉を失ってしまう。

 

 

それに…ユイだって、俺の…『ソウ』の事情は知っているはずである。

あの古代言語学者クラゲさんと話し合った結果、真偽はどうあれとりあえず

『前世の記憶を持つが、その代わりそれ以外の記憶を失ったイカ』という扱いになっている。

昨日のことのように思い出せるほど、はっきりとした覚えがある自分としては、

これが前世の記憶だなんて言われても正直納得はできない。

が、これは他のイカを納得させるための方便のようなものなので、それは今はどうでもいい。

 

 

そして、ユイは少々抜けているところがないとは言えないが、バカではないと思う。

記憶喪失である自分をわざわざ誘ったということは、そこには何か考えがあるのかもしれない。

 

 

 

…ないかもしれないと言われると、否定できないところが怖い。

 

 

 

その真偽を測りかねて思わず向かった視線の先は、とりあえずユイよりは信憑性の高そうなクロさん。クロは、ちらりとソウの方へ目を向けると、小さく自分の考えを口にした。

 

 

「…まあ、どのチームに入るか否かということは一旦置いておくにしても…だ。

バトルを経験すること自体は、悪くない選択肢だと、俺は思う」

 

 

「そ…そうなんですか?」

 

 

その疑問に、クロは体をソウの方に向けて説明する。

 

 

「さっき、お前はバトルのことを『スポーツ』と例えたが、それは半分正しく、半分違う。

…とは言っても、どういうジャンルかと言われれば、少々説明に困る…が、

あえて言うならば『お金がもらえる遊び』と言ったところか…」

 

「…遊び……?」

 

 

 

首を捻るソウに、クロは頷いて話を続ける。

 

 

 

「…確かにある程度の熟練者や、バトルのルールによっては、そこで行われる試合は真剣な戦い。つまりはスポーツのようなものだ。だがまた他のルールによっては、全くバトルを経験したことのない初心者同士でも、楽しく遊べるものもある」

 

「……な、なるほど…」

 

「…例え負けたとしても、初心者同士の遊びでケチをつけるやつなんていない。そして勝てればお金も手に入る。…合うか合わないかは、とりあえず一度体験してから…というのも悪くないと思う」

 

「う、うーん…」

 

 

 

なんというか、話を聞く限りでは自分が思ったよりも気楽なもののようだ。

…なんだろう。唐突にユイに言われたら不安でしかないのに、クロの倫理的説明を聞くと

なんかやってもいいかもしれないって気になってくる。当然と言えば当然だが。

 

 

 

「そして、将来は我がインカーネイションのニューエースに…」

 

「それは置いておけ」

 

 

ピシャリとクロに止められ、頰を膨らませブーたれるユイ。

しかし、気分高揚のユイは一瞬で気を切り替えると、バッとソウの手を取った。

 

 

「と、いうーわけで! ささ、早速ユイと一緒にナワバリでも…」

 

「ちょっと待て」

 

 

気を取り直したユイのアプローチも、いつの間にかユイの後ろに回り込んでいたクロの横槍が入る。二度目の邪魔に、ユイの顔が半分般若のようになる。

ちなみに、ソウの気持ちとしてはもうちょっと思考の猶予が欲しいなあと思っていたところのなので、気持ち的にはクロ寄りである。

 

 

「もう! クロ君ったらいちいち邪魔しないでよー!」

 

「…お前は少し、頭を働かせろ。ソウは、記憶喪失なんだぞ」

 

「そんなの知ってるよー! 記憶喪失でも糖質でも、まずはやってみてこそでしょー!」

 

 

ワーワー騒ぐユイを片手で押さえつけたクロがソウの方へ向き直った。

 

 

「で……ソウは、『イカ状態』になれるのか?」

 

「……はい?」

 

 

ソウは、その時聞き間違いだと思った。

もう一度言ってくれるようにお願いすること2回。だが、何度聞いても同じようにしか聞き取れない。

 

 

「あのう……『イカ状態』って、言いました?」

 

「…やはり、知らないのか」

 

「は…はい……多分」

 

 

向こうの方ではユイが「えー? 嘘でしょ?」とか言っている。

しかしソウからすれば、こっちの方が嘘と言いたい気持ちである。

何だよ『イカ状態』って。そもそも俺たちが既にイカなのではなかったのか?

イカがイカ状態になるって…?

 

 

と、その瞬間。ぽちゃんという、この場では到底聞こえないような音が

聞こえたと同時に、クロの姿が消えた。

 

 

「……え?」

 

 

「………こういう、ことだ」

 

 

姿は見えねど、クロの声が…聞こえた。

声が聞こえた場所…足元には……『イカ』がいた。

 

 

 

いや、厳密には。まるで水棲生物、『イカ』をアニメ風にデフォルメしたような、

可愛らしいとも不気味とも言える『イカ』のような生き物が、足元でソウを見上げていた。

 

 

「っっっっっ!!!???!???」

 

 

 

びっくりした。びっくりしすぎて椅子から転がり落ちた。

そして、ソウは床に頭を強打した。

 

 

 

 

「きゃー! ソ、ソウ君!?」

 

 

慌ててソウに駆け寄ったユイ。

クロもまた『イカ状態』を解除して『ヒト状態』に戻ると、ソウに近づく。

 

 

脱力したソウの体を抱えて死んじゃいやあとわんわん喚くユイをスルーし、クロは状態を確認する。

 

 

「…気絶しているだけだ。まさかあれほど驚くとは思わなかった…..悪いことをした」

 

「ほ、本当だよ……イカ状態を知らないなんて…そんなことあるの?」

 

「それが『記憶喪失』ってものだろう。…ナワバリをやらせるにしても、イカ潜伏無しは流石にきつい。教えるならそこからだ。…いや、とりあえず今はその話はいい。念のため、医者に見せる。ユイ、総合病院の方に連絡入れとけ」

 

「え、あ、うん……」

 

 

さしものユイも真面目なテンションになって、トテテと電話の方にかけていく。

クロは、未だ目を回しているソウの容体を軽く確認した後、昨日のユイのように、よっこらせと背中にソウを背負った。

 

 

*1
『カ』『マ』や『RADIO』に似た文字が実際のゲーム内において確認されている。




ソウ

性別:男
ゲソの色:水色
誕生日:11月20日
座右の銘:一撃必殺
イカになってよかったなと思う時:餅が上手く嚙み切れるようになっていた時


ソウを除く各イカの名前にはきちんと由来があります。
死ぬほど暇な時だけ予想ごっこしましょう。


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体験 勧誘

ファミ通のスプラ開発者インタビューで「クラゲ達には基本的に自我がない(意訳)」というこの小説の根本を揺るがす設定が飛び出てビビリ中。
しかしよくよく考えたら、スプラの設定をモロ無視しているのは今更なことので気にしないことにした。

これはそういう小説です。お気をつけください。


「うーん…まだ固い感じするよねえ…。ユイの感覚としてはね、もっとこう…体を思いっきり

ぐにゃぐにゃさせて沈めながら地面に突撃! …みたいな!」

 

「その文言はもういい。ソウ、あまり間に受けすぎるな。

これ以上床に頭ぶつけるとまた記憶飛ぶぞ」

 

「ぶー! 人のアドバイスを役立たずみたいにー! じゃあクロ君が教えてあげなよ!」

 

「……そうだな。イメージとしては…やはり『溶ける』ことを念頭に置くのが重要だと思う。筋肉は本来固体だがそれが液体となりて全身が床に落ちるのを想像し…」

 

「……本当に、申し訳ないのですが、俺には、溶けるという概念が全く実感できないのです…」

 

 

 

痛む頭を押さえながらソウが返答すると、クロは困ったように眉をひそめた。

 

 

 

 

 

 

側から見れば、劇的な崩れ落ち方の練習にしか見えない光景であったが、

もちろんそんなアホみたいな練習ではないしこの三人のイカは至極真面目である。

今、ソウが一生懸命に取り組んでいるのは『イカ化』である。

 

 

 

 

ナワバリバトル。通称『バトル』というスポーツ…いや、クロの言葉を借りるなら『遊び』か。

クロからの説明を受けたソウは、バトルをするのも悪くはないとは思っていた。

 

クラゲさんからの支援があるとはいえ、これでは実質ニートと変わりない。

ソウの良心が痛む音が時々聞こえてくるような日々が続いているのだ。

 

彼女…つまりユイには、とてもお世話になっている。

衣食住の恩は、非常に大きい。彼女の好意がなければどうなっていたことやら。

最初の方はクラゲさんからの怪しいアドバイスによって、正直警戒心マシマシだったが、時々飛んでくる熱のこもっている視線さえ除けば、至って健全な生活であったのだった。

 

そんな恩義あるユイが喜んでくれるのであれば…自分から取り組んでみるのもよいと思うのだ。

それに、聞いたところによれば気楽なものでもあるらしいし、まあなんとかなるだろうと楽観的思考をしていた。

 

 

 

しかしそんな考えは、今まさに崩れ去っている最中である。

まさか、ここにきて人間とイカの生物的違いを徹底的に見せつけられるとは。

 

 

 

「…すまない。俺たちにとっては、このイカ状態の方が子供の頃から慣れているのでな。

正直、感覚的なアドバイス以上には、役に立てそうにない」

 

 

机の上に乗った紫色のイカ型生命体…もとい、クロは心底申し訳なさそうな声色で答えると。ぴょんと机から飛び降りたかと思えば、ぽちゃんという水滴のような音とともにほぼ一瞬で人間の形へ戻った。

身長でいうとほぼ倍近い変化だ。一体どうなっているのか。イカの神秘としか言いようがない。

 

 

 

クロの説明によれば、元々イカというのは…当たり前のようだが、このイカ状態で生まれてくるという。

そこから徐々に体が人型に近づいて、やがて『ヒト状態』と『イカ状態』を使い分けられるようになって、初めて一人前として認められるらしいのだ。

 

 

つまりは、このイカ化というのはきちんと生まれた時からイカとして過ごしてさえいれば、できて当たり前のことというわけだ。

おそらくユイやクロからしてみれば、大の大人に「ハイハイ」のやり方を教えているようなものなのだろう。これは、二人が困って当たり前だ。まあそのハイハイすらできないソウは今もっと困っているわけだが。

 

 

「ムムム…こーなったら、このユイが力づくで…」

 

「やめろ」

 

 

手をワキワキさせながら不穏なワードを漏らすユイを、クロが頭を引っ叩いて制する。

 

 

「え〜…でもこのままじゃソウ君がバトルできないじゃん!」

 

「逆にソウを急かすのもよくないだろう。イカ化はおって練習すればいい。今は…そうだな、なら『さんぽ』するのはどうだ?」

 

「あっ、そっか! それいーね! よっし、そうと決まったらほら行こうソウ君!」

 

「は、はい? さ、散歩……ですか?」

 

 

ソウを置いてけぼりにしてはしゃぐユイだが、クロからはしっかりと補足が入る。

 

 

「『さんぽ』とは、一応バトルの公式用語だ。分かりやすくいうならば…試合会場の下見…と言ったところか」

 

「はあ…その…下見って、公式で認められてるのですか?」

 

「そうだ。バトルには多種多様なステージがあり、各ステージによって立ち回りは大きく変わる。そういった立ち回りの研究や練習は、本気で勝ちに行く者達…いわゆる『ガチ勢』にとっては、必須となるからな」

 

「…そうですか」

 

 

なんか、ステージだのガチ勢だの、まるでゲームの話をしているみたいだ。

いや、というよりは本当に彼らにとっては『バトル』とやらはゲームに近いのかもしれない。

本気でやる人と、遊びでやる人がいる点で、確かにバトルとゲームは共通してる。

 

 

 

 

そんなわけで、この日。

ソウは早着替えをしたユイに強く腕を引っ張られながら、初めてイカ世界へ足を一歩踏み出した。

 

 

 

 

*

*

*

*

*

*

 

 

 

 

大通りに出た途端、イカ達の声が大量に交差し始める。

ソウの元高校生の記憶の中より、大通りに走っている車の数は少なく、車道も狭めだ。

その分大きいのが歩道。歩いているイカの数は、車と同じく少ない気がする。

 

が、なんか平均的に声が大きい。

普通の街中の会話より1.5倍くらいの大きさで喋っているイカが大多数なせいか、一般的な都会に比べて数は少なめなのに、賑やかさは都会に負けてないくらいである。

そして、歩道に並ぶ建物も…平均的にちょっと低めなのは、イカと人の身長差を反映しているというべきか。

それでも、『都会』よりの『街』くらいには賑やかな様である。

 

 

 

そうして大通りをまっすぐ歩くこと20分。

 

 

 

「着いたー! ソウ君、ここここ! ここがデカ・タワー前広場だよ!」

 

 

鼻歌歌いながら歩いていたユイは、大通りに着いた途端テンションが1.8倍くらいになった。

もっとも、テンションが1.8倍くらいなのは、ユイだけではないようだ。

 

 

「ねえ見て! 私もとうとうイカすための第一歩を踏み出したわ!」

「ああ、あの髪型手術受けたの? へえ、いいんじゃない?」

 

「どーよ見たか! この輝くA +の称号を!」

「おお、マジかよ! クッソ、これは俺も負けてられんなぁ!」

 

「おめえアメフラシ抱え落ちしすぎ! 最後あそこで打ってたら絶対カウントリード防げてたのに!」

「そ、そんなこと言ったって…あのリールガンのイカのエイムがやばすぎなんだよ…」

 

「あの武器すっごいよね。どーにかして手に入れられないかな…」

「やめとけやめとけ。あのクマサン商会を探って帰ってきたイカはいないって噂だぜ…」

 

 

ここの広場のイカも声量が1.8倍だ。

言葉の意味の殆どはソウには理解できなかったが、きっとバトルとやらの用語なのだろう。

ちなみにクロに関しては、テンションの変化は見られず寡黙なままだ。

 

広場は全体的にカフェみたいに椅子や机がおしゃれに設置されており、居並ぶ店の内部から声が漏れるほど、活気に満ちている。

 

 

そしてユイがちらりと漏らした『デカ・タワー』とやらは、ぶっちゃけすぐ分かる。

なるほど名前に恥じないデカさ。…だが、四角いパーツが危なげに積み重なったような外見で、正直ちょっと歪すぎやしないかとソウは思った。

 

 

しかし、ユイに手を引かれ入ったその内部は、結構まともだった。

外部は『デカ・タワー』で、中は『ヒロビロ・タワー』みたいな感じだ。

思った以上に奥行きがあった。大きな病院のロビー、みたいな感じである。

 

イカは確かにたくさんいたが、広さに対して人数は少ない。

静かに待っているイカとかが多い印象から、おそらく待ち合わせとかに使う場所なのかもしれない。

 

 

 

「ソウ君、こっちこっち!」

 

「こら待て」

 

 

エレベーターの方に走り去ろうとするユイの首根っこを引っ掴むクロ。

カエルみたいな悲鳴をあげるユイ。

 

 

「ソウはここに来るのは初めてだろう。登録が必要だ。そして、ソウの保護者はお前だろう」

 

「あっ、そーだそーだ! 受付行かなきゃ!」

 

 

ユイはぴゅーと向きを180度変えて受付に走っていった。

結構静かめな場所なのにユイがドタバタして大丈夫かなとも心配するソウ。

 

 

「あっ…登録って……俺も行った方がいいんじゃないですか…?」

 

「いや、一応保護者であるユイがいれば大半の登録は済む。

ソウは…向こうの方で証明写真を取って…最後は指紋だけ登録すれば十分だろう」

 

 

そして、クロに連れられて証明写真機で写真をとった。

途中「クロく〜ん! ここ何て書くんだっけ〜?」とユイに呼ばれて一時受付の方に行ったが、幸運にも証明写真機の方は人間世界とほぼ変わらない仕組みだったため、一人でも問題なかった。

あとは受付の方で証明写真を提出し、機械に親指を押し付けて指紋を取ることで案外スムーズに終わった。

 

 

「ほらソウ君! これ君のマイイカカードだよ!」

 

「あ、ありがとうございます」

 

「そのカードは戸籍と同じくらい重要だから、無くさないようにな」

 

「えっ、は、はい」

 

 

まさかの戸籍なみの重要さと聞いて、ちょっとビビるソウ。

自分の緊張した顔が印刷された写真が貼られたカードを取りあえずポケットにしまった。

 

 

 

「で、はいこれ! ソウ君のわかばシューターと初期ギア!」

 

「…はい? わかば…? ギア…?」

 

「…意味合いとしては、試合のユニフォームと、試合の武器だな。

最初のうちは、これで戦うんだ」

 

 

戦う。

その言葉を聞いて受け取った布袋の重さがちょっと重くなった気がした。

 

 

*

*

*

*

*

*

 

 

 

 

「きゃー! 似合ってるよソウ君! かわいー!」

 

「そ、そうですか…ね?」

 

 

更衣室から出てきたソウを、ユイは黄色い声を挙げて出迎えた。

ユニフォームという言葉通り、確かにそれらしいものであった。

白いヘッドバンドと黄色い半袖Tシャツ。ぴっちりした黒いズボンに白いスニーカー。

そしてクロに教えられながら背中に取り付けた『インクタンク』なるもの。

手には危なげに抱えた「わかばシューター」なるコミカルおもちゃ銃みたいなもの。

 

 

 

「なっつかしいなあ…やっぱりこの初心者ギアは心が癒されるわ〜。

そしてそれがソウ君となると…グヘヘへへ…」

 

「………」

 

「ソウが怯えてるだろ。やめんか」

 

 

実際は怯えてるというよりドン引きの方だったが、ニュアンスは一応間違ってはいないだろう。

 

 

「そういえば…ユニフォームって言ってましたけど、お二人は?」

 

「お、いい質問だね。ふふん、実はこの服装もギアという名のユニフォームなのさ!」

 

「そ、そうなんですか?」

 

 

頭のパイロットゴーグルに手を添えて得意げなユイ。

そういえば、ユイとクロの手にも武器のようなものをいつの間にか携えている。

二人とも銃みたいなものだが、ユイは両手にそれそれ銃身が長く赤いもの。

クロは銃口がとても大きく、かつユイと同じように長い大きな銃に見える。

 

 

「…ギアは、バトルの人気要素の一つとも言える。つまりはファッションとしても使え、自由度の高い服装でできるスポーツとしてな。まあ、他にも意味合いはあるんだが」

 

「はあ…なるほど」

 

 

そんな説明を受けつつ、エレベーターで4階へ移動。

ただ、思った以上に4階の構造はシンプルであった。

 

 

簡易的な受付と、待機のために誂えたようなソファー。そんな場所を抜けると、まるでカラオケ店のように部屋が立ち並ぶ通路だ。

 

クロとユイは、そんな部屋の中で水色の表示があるドアの部屋に入っていく。ソウも続く。

部屋の中はさらにカラオケ店のようにシンプルである。

確かにカラオケ機に似たような機械はあるが、違う点としてはテレビやソファー。テーブルがないこと。

そして機械の手前には、何だか黄色の…4人くらいは立てそうな台?立ち場?みたいなのがある。

 

 

「…ああ、そういえばクロ君……これで」

 

「ん? ………そうか。それは、忘れていたな」

 

 

その部屋で、ユイとクロは何かお互い納得したように頷いている。

今回ばかりはクロの補足がなく、置いてけぼりになるソウ。

 

 

「え、えっと…?」

 

「ソウ君、こっちこっち!」

 

 

ユイに手を引かれ、その黄色い立ち場にクロと共に、三人で立つ。

クロはソウとユイのマイイカカードを受け取り、自分のも含めて三枚を機械に差し込む。

そして、足元の立ち場では何やら白い矢印のようなものがグルグル回っている。

 

 

 

「な、何が…?」

 

「…アドバイスとしては…息を止めて、目を閉じるといいかもしれん」

 

「…え?」

 

 

その言葉を脳が理解し、体に実行の指令を出すまでもなく……

 

 

 

 

 

 

「………っ!?」

 

 

 

体が『溶けた』

いや、そうとしか本当に表現しようがなかった。

体が液体のように地面に張り付く。それでいて前方がはっきり見えているのが不思議だ。

手だの、足だの、顔も目も今の自分は自覚できないというのに。

 

 

 

 

そして、自分の視界が真っ白になった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「さー! 到着! ここは私のお気に入りステージ! コンブトラックだよー!」

 

「それより、ソウ。大丈夫か?」

 

 

 

いつの間にか、体が元に戻っていたソウは、心臓バクバクの汗だくで膝をついていた。

体が未知なる状態になるのは、相当な恐怖だ。

 

 

「か、か、か、体が……」

 

「落ち着け…それが『イカ状態』だ。…こうやって、ステージへ転送される時は

一旦イカ状態になって転送されるからな」

 

「こ、心の準備が……したかっ…た…」

 

「…本当にすまない。そこまで狼狽するものだとは思わなかった」

 

 

俺もここまで新感覚だとは思わなかった。流石一万年二千年の神秘は伊達ではない。

自然に驚異を覚えつつ、心配してくれているユイとクロの背中すりすりによって、ソウの心が平常心を取り戻すのに軽く7分はかかった。

 

 

*

*

*

*

*

*

 

 

 

それからはユイとクロによる「ナワバリバトル」の指南が行われた。

指南とは言っても、実際は簡単な説明だった。

 

 

制限時間まで床を塗り合い、最終的に塗った面積が多い方が勝ち。

なんだかんだ言っても、これさえ知っていれば試合はできるのだと言う。

 

ソウの予想する試合会場とは違う、一見すると公的施設に見えるこの場所で

銃から出るインクで塗りたくるのはなんか罪悪感を感じなくもないが、

クロ曰く「少なくとも『ここ』はナワバリバトルのために作られた場所であることは間違いないし、それにイカのインクは一定時間経てば消えるから、迷惑もかからない」とのことらしい。

何だか、まるでゲームみたいに都合がいいなという感想を抱いてしまうソウ。

 

 

 

さらに塗り塗り散歩をしながら、二人によるルール解説は続く。

バトルは4対4で行い、二つのチームは適当に色分けがされる。

実際今この「さんぽ」においても、いつの間にか三人の頭のゲソの色、そしてインクの色は黄色になっていた。

 

 

そしてもう一つ重要な要素として、「相手を倒す」ということを聞いた。

なんでも、ある程度相手にインクを当てると、その相手を倒すことができるらしい。

相手を倒すことを『キル』といい、逆に相手に倒されることは『デス』というとのこと。

なんか用語が物騒なんじゃないかとは思った。

 

 

倒した相手は一定時間たてば、「リスポーン地点」と呼ばれる所で復活するという。

しかし、よりたくさん敵を倒せば人数有利の時間が多くなるため、勝負にも勝ちやすい。

キルは試合の重要な指標であるとはクロの言だ。

 

 

実はこの後、キルデスの体験をするために別の部屋に移動するはずだったが、予定が変わった。

というのもインクに滑ってソウがコケた時、無意識にイカ化していた出来事をきっかけとし、イカ化へのコツを掴むことができたのだ。

そうして、数十回のインクへの突撃を繰り返した結果、ソウもまた自在にイカ状態になれるようになったのだ。

 

 

まるで、初めて自転車に乗ることができた時のようだった。

こうして自在にイカ化できるようになって初めて、最初の時にユイやクロに言われたイカ化のアドバイスがまんざら適当でもないことがよくわかった。

正直このイカ化とやらは自転車に乗ることほど気持ちよくはない。

むしろ気持ち悪い。ただ、こうしてバトルを続けて行けば、嫌でも慣れてしまうかもしらん。

 

さらにその後の時間、ずっと練習していたことがある。

ナワバリバトルのテクニック、「イカダッシュ」である。

なんでも、イカ状態になるとインクの中を泳ぐことができ、

走るよりも早く移動できるということ。

これまたツッコミどころのあるトンデモ情報だが、もうなんか一々狼狽しても仕方がないので、自分の理解の外の情報に関しては、全部「一万二千年の神秘」として片付けることにした。

 

 

ただ、インクの中を泳ぐことに関しては…ちょっと楽しかった。

イカ状態になってインクに潜った時…人間形態でいうと後ろ足に当たる部分?を平泳ぎのように動かすことで、普通に泳ぐよりも3倍くらいの推進力で泳げる。

水たまりにも満たない浅さでどうやって泳ぐのか…これも「一万二千年の神秘」である。

 

泳ぎまわるのは楽しかったが、少々泳ぎすぎて疲れた。

現役のイカ二人によれば、長い間外出ていない久しぶりの運動だから仕方ないとフォローをもらった。

確かにそれもあるだろうが、やっぱり元人間がイカの動きに慣れていないというのが一番大きいと思う。

 

 

 

そんなわけで、一時間とちょっとしか満たない時間だったが、

ソウのナワバリバトルへの、第一歩は無事踏み出したといえる。

 

 

 

 

「ふむふむ。いやーでも、ソウくんなかなか筋がいいと思うよ!」

 

「そ、そうですかね…?」

 

「確かに、初めてにしてはスムーズなイカダッシュだった。ただ、イカとしてはまだスタートラインより後ろに立っていることを忘れないようにな」

 

「き、肝に銘じておきます…」

 

 

クロからは忠告をもらったが、正直イカとしてスタートラインに立ちたいかと言われれば首を捻るしかない。

いやしかし、この取り組みは元々恩返しを含めた金を稼ぐ仕事のようなものだと考えれば、

これからも真面目に取り組むべきであろう。これを楽しく遊べる日は、来るのだろうか。

 

 

「それで…今日は、後どうするんですか?」

 

「そうだな……そろそろ昼飯の時間だ。どこか、食べに行くか?」

 

「あっ、じゃあユイこの間テレビでやってた

デコレーションラーメン屋の「クシクラ」行きたーい!」

 

「…そこ確か値段高いとこだよな。言っておくが、ソウの分は奢るつもりだがお前は範囲外だ」

 

「えー! そんなの聞いてないよー!」

 

「聞いてないも何も、まだ何も言ってない。そもそも別にお前、金に困ってないだろ」

 

「…いいもん! 自腹すればいいんでしょ! クロ君のケチー!」

 

「えっちょっとユイさん危な」

 

 

 

涙を輝かせながら、だっと走り去ろうとしたユイだが

数歩も走らないうちに前方に立ち止まっていた別のイカの背中に衝突した。

 

 

「ふぎゃ! いったーい、おしり打ったー!」

 

「…自業自得だバカ。今度からは前を向いて走れ」

 

「……えっと…その、だ、大丈夫ですか…?」

 

 

 

ソウは目の前で繰り広げられるギャグ的光景にオロロとしながらも

ユイとその犠牲となった他人のイカの両方を心配する声をかける。

 

 

 

ただ、そのユイがぶつかったイカは。

イカ一匹が追突してきたにも関わらず、声をあげることなく振り向き、

ソウの目の前まで来ると、ソウをじっと見つめている。

 

 

 

「……」

 

「………んん?」

 

 

 

ゲソの色は小豆色。青いクラゲがドットで描かれている黒い帽子と、さらに黒いジャケットの男イカだ。

もちろん、ソウには面識がない。そもそも面識があるイカはユイとクロだけなのだから。

それなのにも、関わらず。

 

 

 

「…君、ひょっとしてソウ君かの?」

 

「……え? なんで」

 

 

 

まさか、名前を言い当てられるとは思わなかった。

驚きとちょっとだけ恐怖が湧き上がってきたと同時に、その男イカの背後に影が二つ。

 

 

「ちょーっとそこのボーイ君? うちのソウ君が何か?」

 

「……」

 

 

え、何ちょっと怖い。

今までの明るさはどこやら、無表情になっているユイ。

クロの無表情は今まで通りだが、その目には警戒の色が見える。

もはやソウには、この見知らぬイカに名前を呼ばれた恐怖よりも、

そのイカの背後に立つ二人のイカに対する恐怖の方が大きくなってきた。

 

 

しかし、そんな黒い影を背後に抱えても、その見知らぬイカは動じない。

むしろニッと笑って二人に向き直る。

 

 

「君たちはソウ君の保護者じゃな? いやはや、怪しいものではないんじゃ。

わしは、この子をスカウトをしようかと思って、声をかけたのじゃよ」

 

 

ソウから見ても、クロと同じくらいの年齢に見えるそのイカはやけにジジくさい言葉で答えた。

しかし、その『スカウト』という言葉に、ユイの目はさらにギラついた。

 

 

「い・っ・て・お・き・ま・す・け・ど・ね。この子は、ユイのだいじーなチームの一員なの!

あなたがどこのチームか知らないけど! 絶対渡す気ないんだからね!」

 

 

べーっだ! と言ってソウ君を自分の手元に手繰り寄せるユイ。

ああそっか。俺を他チームに引き抜かれると思ったからあんなに警戒してたのかとぼんやり理解したソウ。

 

しかし、その見知らぬイカは軽く微笑みながら返事をする。

 

 

 

「お嬢さん。実はの、わしはチームのスカウトに来たわけではないのじゃよ」

 

「…え?」

 

 

 

間抜けな声を喉の奥から出すユイに対し、そのイカはゆっくりとポケットから何かを取り出した。

 

 

 

 

「わしが所属しているのは『カンブリアームズ』

…ナワバリバトルを支える仕事、体験してみるのは如何かな?」

 

 

 

 

掲げられたネームプレートには「ブキ開発アシスタント 『スイト』」の文字が

シンプルに書かれていた。

 

 

 

 

 

 




ユイ

性別:女
ゲソの色:緑色
誕生日:5月13日
持ち武器・名前の由来:デュアルスイーパー
ソウが好きな理由:ショタコンの魂が囁きかけてくるから


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仕事 決意

第三話からの後書きをちょっと変更してどうでもいい裏設定追加しました。


カンブリアームズ。

それは、ナワバリバトル総合本部から唯一公認を受けている武器メーカー。

バトルで許されるブキはこのメーカーのモノのみ。バトルを嗜むものなら必ずお世話になる

イカ達にとって馴染み深い名前であるのだ。

 

 

 

「じゃがのう……実は今、ブキ開発サポートの人員がちょいと不足しておるのじゃ」

 

 

「そう、なんですか?」

 

 

 

オーソドックスな味噌ラーメンを啜りながら、

十分ほど前に出会った老人口調で喋るイカ…スイトは、重い溜息をついた。

深刻そうな顔を横目に、ソウも目の前の醤油ラーメンを一口。

人間世界のものとほぼ変わらないその味に、懐かしみを覚えた。

ちなみにソウ横の席では、ユイがタワーのごとくデコレーションされたラーメンを前にはしゃぎながら写真をとっている。スイトが三人と一緒に話すついでにお昼も奢ってくれるという話を受け、ユイの機嫌は先ほどと一転してしまっているようだ。

 

 

 

「ふむ…ちなみに、そのブキ開発サポートには今何人が所属しているんだ?」

 

 

 

スイトの隣の席で中華そばを啜っていたクロが疑問を呈した。

 

 

 

「実はのう…現在はワシ一人なんじゃよ」

 

 

「ええっ。あの…それって、ちょいと不足どころじゃないんじゃ…」

 

 

「ふぉふぉ、そうかもしれんのう」

 

 

 

朗らかに笑うが、それは笑い事なのだろうか。

最初に聞いた印象からすると、マクドナルドとかユニクロとかの

超大手有名企業と同じくらい大きなものだと思っていたのだが…。

そんな会社が開発部の人員一人しかいないとか、にわかには信じがたいものである。

 

 

 

「…では、なぜソウの名前を知っていた?」

 

 

「なあに、本に載っておったからの。偶然知っただけじゃよ」

 

 

「え、え、えええ! 本!? 何、俺本に載っているんですか!?」

 

 

「クラゲ系雑誌じゃからな。イカの中ではあまり読まれんよ。

まあ、ワシは暇な時よく嗜むがのう」

 

 

 

さらなるクロの疑問の答えに、ソウは驚愕した。

確かにクラゲさんは資料用と称してソウの書いた日本語をよく写真に撮ってた。

その際、カメラがこっちに向いている気がしなくもなかったが、

まさか俺を撮る必要なんてあるまいと思い、無視していた。

しかしよくよく考えたら、「前世の記憶を持ち、かつ過去の出来事を記憶し、文明が滅んだ古代の文字を完璧に再現する男」なんて、日本基準で考えても記事にならない方がおかしいではないか。完全に油断していた。

 

まさか変なこと書かれていないだろうな。

今すぐラーメン屋飛び出して自分が載ってる本を片っ端から確認したい

衝動に襲われるソウだったが、なんとか自制の念を働かせた。

その横でクロが無言のまま、胸の内でその雑誌の検索と購入を検討しているのをソウが知る余地はなかった。

 

 

 

「前世の記憶を持つイカ……クラゲの中では、信じなかったり、批判する者もいるようじゃがのう。少なくともわしは、君の言葉や論理について考えてみても、信用に値すると思ったのじゃ。

そして、そんな君だからこそ、是非開発サポートとを手伝って欲しいと思ったから声を掛けた、というわけじゃ」

 

 

「…は、はあ……でも正直、開発とかそういうのは経験なくて……」

 

 

「心配なのは分かるが、安心せい。難しい仕事ではないからのう。

この仕事に必要なのは若さくらいじゃわい。ほっほっほ」

 

 

 

笑うスイトだが、その際さっき食べたラーメンが気管に入ったのかゴホゴホ咽せている。

大丈夫だろうか。

ソウが心配して背中をさすっている時、ようやく写真に満足したらしいユイが派手な色のラーメンを啜りながらスイトの言葉に突っ込んだ。

 

 

 

「ちょっとちょっと。なーにが「若さ」よ! ジジくさい言葉遣いして誤魔化そうったってそーはいかないんだからね! 若さだなんてあんたがいれば充分でしょ! ソウ君まで連れていくこたないでしょ!」

 

 

 

どうやらスイトがカンブリアームズの者だと知っても、ソウを連れていかれるのはいい気がしないらしい。確かに最初っからソウにチーム指南をする気満々だったから、その時間が減るのは好ましくないのはわかる。

 

ただ、敵愾心満々のユイの言葉に対し、スイトは笑いを堪えるのが大変といった様子だった。

 

 

 

「おお、そういえばまだ話しておらんかったのう。

実はの、わしは先日68回目の誕生日を迎えたばかりでな」

 

 

「は、あ、ああっ!?」

 

 

「っ!? ゴホッ……」

 

 

「ぶふっ! かっごほってええっ!?」

 

 

 

衝撃の事実を聞いたユイは素っ頓狂な声を上げたが、その時運悪くラーメンを食していたクロとソウは思わず口のラーメンを丼に戻す羽目になった。周りに吹き出してしまわなかっただけ幸運かもしれない。

というより普段寡黙なクロですらラーメン吹き出すくらい驚いたということは、やはり一応自分の感性は正しかったのだとソウはほんのちょびっとだけ安心感を覚えた。

 

男二人が咽せながら口元を拭き、ユイは信じられないという顔で固まっている。

その様子を見てスイトはますますニヤニヤ笑いを深める。

 

 

 

「疑うなら、いくらでも証拠は残っとるぞ。マイイカカードに保険証に年金手帳に運転免許証…はこの間返納したから無いがのう。ほっほっほ」

 

 

 

ずらずらとどこからか証明書を掲げてみせるスイト。他はともかく年金手帳なんかを持ち運んでいたり、こうして反応を楽しそうにみている辺り、年齢を言い忘れていたことを含めて確信犯(誤用的意味)だったのではないかと疑うソウ。

 

 

 

「ば、ば、ば、バカ言ってんじゃないわよ! そんな見た目でどこが68歳よっ!」

 

 

 

「そんな驚かんでも。ただ単にわしの趣味の一つが若作りだった。それだけのことじゃ。まあ少々やりすぎたお陰で、かかりつけの医者からは『寿命が20年近く縮んでいる』とまで言われてしまったがのう。ほっほっほ」

 

 

 

このショタジジイ……いやショタは言い過ぎにしても、この少年ジジイはよく笑う。だが問題は笑いですまないような事態になっているということだ。そのかかりつけの医者とやらの言葉を信じるのであれば、今のスイトの残り寿命は長くないのではないだろうか。しかも無理に体の寿命を縮めているのだから、下手したら突然ポックリも……ソウはちょっとハラハラした。

年上じゃが、呼び捨てでもフランクに話してもらっても構わんよ。より若い気分になれるからのう、と笑うスイトを見て、クロが呟く。

 

 

 

「…そうか……その若作り……スイト…思い出した。

だいぶ前、一時期雑誌で取り上げられていた」

 

 

 

「おや、見てくれていたとはのう。いやはや、恥ずかしいやら嬉しいやらじゃな」

 

 

 

「子供の頃にな。…正直、カンブリアームズ開発サポートというのは聞いたことがなかった…

だから最初は半信半疑だったが、どうやら間違いないようだな」

 

 

 

何か納得したらしいクロは、一つ頷いてラーメンのスープを啜る。

 

 

 

「こらクロ君何納得してるの!

このボーイが有名だろうがなんだろうが、私は納得しませんからね!」

 

 

 

「…無論、俺の納得もお前の納得も関係ない。結局のところは、ソウが納得するかどうか、だ」

 

 

 

「えっ、あ、そう、ですよね」

 

 

 

……とは、言ったものの。判断がつかない。

このスイトという青年ジジイ。クロによれば本当に怪しい人ではないらしいし、

それに…難しいものではないというバイト…ちょっと興味がある。

今日、バトルというものを経験…と言ってもイカとしてのスタートラインにも立っていないらしいが、

とにかく、ちょっと人間としての経験が通用しないもので、不安感が拭えなかった。

 

そんなナワバリバトルに今からいきなり練習を繰り返すよりも、そのナワバリバトルを支える仕事というバイト…それから始めてみて、まずはそのバトルについて勉強から始めてみるほうが良いのではないかと思っている。いきなりやるよりも、まずは予習から始める。これは人間の時からの癖である。

 

ただ、そもそもナワバリバトルは恩人のユイが喜んでくれるならと、始めようと考えたものである。そのユイが今スイトに対し否定的な態度なのがちょっと引け目に感じてしまうのだ。

 

 

 

「ダメよソウ君! 知らないおじいさんについて行くなんてお母さん許しませんからね!」

 

 

「いつからソウのお母さんになったんだお前は」

 

 

 

…あんなこと言ってるし。

 

 

 

 

「ほっほっほ。まあ具体的な仕事も分からないなら不安になるのも仕方あるまいて。

なら、このご飯の後は職場見学会へと洒落込むのはどうかの?」

 

「職場…」

 

「見学会?」

 

 

 

ユイとソウの声がハモる。スイトは味噌ラーメンのスープを飲み干すと、ニコリと笑った。

 

 

 

「やはり、何事も体験してみるのが一番じゃろう。決めるのは、それからでも遅くなかろうて」

 

 

 

 

*

*

*

*

*

*

 

 

 

 

 

店は思った以上に小さかった。一見すると田舎の靴屋さん、といった感じであった。

だが、田舎の靴屋さんにしては、人…もといイカが多い。

狭い店内であるだけあって、なおさら多く見える。

ただそれにしても、最初の「ナワバリバトル総合本部から唯一公認を受けている武器メーカー」という説明からすると、これでも小規模な方に見える。店もイカの数も。

それに入った時にちょっと疑問に思ったのが、自分たちと同じく店に入ったイカのうち、居並ぶブキをスルーして直行で店の奥の扉へ向かうイカが多いことだ。トイレにしては結構な人数が向かってる気がするが…。

 

 

 

 

「いらっしゃいでし〜。ん、スイト君。今日は休みを取ってたはずじゃなかったでしか?」

 

「こんにちは店長。いやはや、今日は…若きイカにわしの職場を見せてあげようと思うてな」

 

 

 

ん? どこの誰と話しているんだとソウは一瞬勘ぐったが、スイトが道を開けたことで答えははっきりした。

どうやら身長の問題でソウ達からは見えなかったらしい。

 

 

 

「…君は初めてみるイカでしね! 初めましてでし!

ボクはカンブリアームズ二号店店長、ブキチでし!」

 

 

何の種族かはソウには分からなかったが、とりあえず出てきたのはイカでもクラゲでもない、

双眼鏡のようなデザインのメガネをかけた人型生物であった。

それにしてもどうしてイカ以外の生物はこうも背が低いのだろうか。

いや二つしか事例を見てないし、イカも人間基準からすれば小さいものだが。

 

 

ブキチと名乗ったその人(仮)は、じっとソウを見上げると、期待に満ちた眼差しになった。

 

 

 

「…うん、一見するとまだイカしてないでしが、

君の眼には他のイカとは違う輝きが宿ってるでし!」

 

「そ、そうですかねー…」

 

「もちろんでし! 君ならきっといい…」

 

 

 

「ブキチ店長〜! ランク上がったからこの武器買いたいんですけど〜!」

 

「はいはい! 今説明するでしー!」

 

「あ、え?」

 

 

気がつくと、ブキチは目の前にいなかった。

慌てて辺りを見渡すと、奥の方で別の女性イカ相手に販促を行っている姿が見えた。

待て、どんなスピードだコレ。

 

 

 

「ほっほっほ。仕方ないのう。ほれ、行こうかお三方」

 

 

「うん」

 

 

「ああ」

 

 

「えっちょっ……いいんすか店長さんにちゃんと挨拶しないで」

 

 

 

 

「いやあ、店長はああなると止まらんのじゃよ。今日はイカの出入りも多いようじゃし、店長も忙しくなるじゃろう。先に見学会を済ました方がよかろうて」

 

 

「ブキチ君の話って長いんだよね〜」

 

 

「あ、そうですか……」

 

 

 

なんか店長にしては客にも店員にも、微妙に呆れられてる気がする。ソウは思った。

 

 

 

 

 

 

 

「あれー? ここって試し打ち場?」

 

「そうじゃな。ただし、わしら職員専用の、な」

 

 

 

やってきた場所…つまり先ほど多くのイカ向かっていった扉の先…そのさらに奥の、よくある「関係者以外立ち入り禁止」の扉の向こうだった。ただし、その場所はユイやクロ達にとっても見覚えのある場所のようであった。

 

 

縦に伸びた倉庫のような部屋に、ちょっぴりイカ風味なアクセントがつけられた等身大風船が複数。ドア無しに続いている隣の大部屋には同じく等身大風船が三つ。ただしこの風船。左右にゆっくり移動を繰り返す妙にハイテクな風船である。

 

 

ちなみに、ユイやクロもよく利用しているという試し打ち場との違い。それは部屋の隅にある大きめの机と、椅子。そしてさらに言うならば、その試し打ち場の隣に併設された部屋…そこにはバトルの全ブキのみならず、各ブキのパーツと思しきもの、それになにやら見たことのないブキが所狭しと並んでいた。

 

 

 

 

「試し打ち場もよう使うが、まあ主な仕事場は…ここじゃな」

 

 

 

そう言って紹介したこのブキ部屋…単なるブキ倉庫のように見えるが、よくよく見ると部屋の机の前に…大きなガチャガチャの受け取り口のようなものがある。スイトはそこに近寄り、その場所を開いて確認する。

 

 

「おお、運が良いの。ちょうど今、修理依頼が一つ来ているみたいじゃな」

 

 

そう言って、よっこらしょっとスイトが取り出したのは…ソウの見たことのないブキ。

後方部の大きなタンクに細くて長い銃口が特徴的なブキだ。しかし、当然クロやユイは知っているようだ。

 

 

「…リッター4K、だな。しかし…修理ということは…」

 

 

「そうじゃ。名目上は開発サポートじゃが、

こうして修理の依頼もこなすのも仕事のうちなのじゃよ」

 

 

 

うんこらせ、と持ってきたリッター4K…それと、同じく受け取り口にあったらしい、小さなメモを机の上に置くスイト。

 

 

 

「えー、君が直してるの? ユイ、全部ブキチ君が修理してると思ってた」

 

「そうは言ってものう、ハイカラスクエア中のイカのブキ管理やお客対応を店長一人でしてたら過労死してしまうでの。ある程度の分担作業は必要と言うものじゃ」

 

 

 

スイトは机のメモを一瞥する。そして一つ頷くと部屋の右側に並ぶ棚の方へ向かった。

 

 

 

「それに…ブキの修理はそう難しいことではない。

まず、店長からのメモを頼りに修理部品を見繕うんじゃ」

 

 

 

そう言ってスイトは棚から取り出したのは、リッター4Kの後方部のタンクと同じもの。

それを持って席に戻り、机の引き出しから数本の工具を取り出す。

 

 

 

「次に、専用の工具で故障部分の部品を取り外し、新しいのと交換する」

 

 

 

その工具を用い、カチャカチャと弄ること数分。

後ろのタンクは取り外され、新しいものをとりつけた。

 

 

 

「ほれ、これで完成じゃ」

 

 

「…確かに、なんだか簡単そうですね」

 

 

「実際に簡単なものじゃよ」

 

 

 

タンクの接合部分を叩いて確認するスイト。と、ここでクロが疑問を呈する。

 

 

 

「しかし…その故障しているパーツの修理自体はしないのか?」

 

 

「うむ…修理はわしでもできないことはないが、万が一のことがあるからのう。わしが部品を取り替える方が早くて確実じゃ。無論、引き取った部品は後に店長が完璧に直してくれるがのう」

 

 

と、疑問を丁寧に解消したところで、スイトの目がソウに向いた。

 

 

「…これで問題はないはずじゃが、念のためきちんと動くか試すのは一応義務なんでの……

ソウ君、やってもらえるかね?」

 

 

「え、あ、俺…ですか?」

 

 

「うむ、職場体験ってやつじゃな」

 

 

 

そんなわけでちょっと緊張しつつ、武器を両手に最初の部屋へ。

このたくさん立っているイカ風船。どうやらマトに使うらしい。

きちんと等身大のマトを使う辺り、本当の競技らしさが出ている。

 

インクタンクを背負い、スイトに教えてもらったやり方で構える。

 

 

 

「ソウ君は右利きじゃな。なら左手でここを持って…右手のここが引き金じゃな。で、この武器はチャージして放つため…先ずは引き金を引いてチャージするんじゃ」

 

 

「は、はい……うわ、銃口から何か…光?」

 

 

「これは射線を表すレーザーサイト。これで狙いを定めて撃つのじゃ」

 

 

「はあ、なるほど……なんだかゲームみたい…」

 

 

 

そんな感想を持ちつつ、そのレーザーをイカ風船の一個に当てる。チャージしている間にしていたキュィーンという音が止まり、今度はピッっという音がなった。

 

 

 

「今の音でチャージ完了…じゃが、リッター4Kは反動が強いからの。初めは撃つ前に誰か…」

 

 

「はいはいユイが押さえておくからー!」

 

 

「あっうわちょっと」

 

 

 

突如後ろから抑えられて…というよりほぼほぼ抱きついてきたユイで危うく倒れそうになったが、何気にユイはきちんと体を抑えるという役目はしっかり果たしていたおかげで、倒れることはなかった。

 

 

 

そして、ずれてしまった狙いを再びイカ風船に合わせ…教えられた通り……引き金を、離す。

 

 

 

 

 

 

ドゴォン、という爆発音かと聞き間違うかごとき轟音。風船が割れる濃い音。

そして、両手に返ってくる反動。

スイトに言われていた通り、ユイに抑えてもらわなければ絶対こけてた。しかし、ユイのお陰で銃口から出てくるインクが斜線の通り、イカ風船に命中したのをしっかりと見た。

 

 

ただ、打った直後の衝撃はそれなりにあったため、ソウは一瞬放心状態になってしまった。

 

 

 

「…どうじゃ、初めてのチャージャーは?」

 

 

「あっ…ええ…っと」

 

 

 

スイトに話しかけられ、放心状態から帰ってきたソウ。

未だソウに抱きついたまま何故か緊迫感のある視線を背後から送るユイの視線を感じながら、

ソウは正直に答える。

 

 

 

「…凄かった、って思いました」

 

 

 

バトルのノウハウは今までいくつか教えてもらったが、正直まだ楽しさというものは掴み切れていなかった。

強いていうのであれば「イカダッシュ」が少々疲れながらも楽しかったくらいだろうか。

 

 

 

だが今の射撃。あの瞬間、ソウは今までにない感覚が体を走ったのを覚えている。

イカダッシュの『楽しさ』では表現に足りない。少々大げさな言い方をするならば、

それは『快感』もしくは『爽快感』

撃った瞬間の衝撃もさることながら、『強大なパワーで敵を一撃で倒す』という行為そのものに対する憧れからきたのかもしれない、とソウは後に自己分析した。

昔から、ゲームなどでソウは『一撃必殺』の文字に憧れを抱いていた。

というより、正確にはロマンを追い求めがちだった。

手数よりも一撃重視。性能よりもかっこよさ。そのこだわりは人一倍強かった。

 

 

 

「ほほう、どうやらリッター4Kを気に入ったようじゃな」

 

 

「ちょ、ダメよソウくん! リッターなんて!」

 

 

「…はい?」

 

 

 

ようやくソウから離れたと思ったら、ソウの前に回ってまくし立てるユイ。

 

 

 

「ダメダメダメ! リッターなんてソウ君にはふさわしくない! これとっても難しい武器なんだから、下手に使うと散々な目にあって野良だと周りからイジメられかねないよ!」

 

 

「えっ」

 

 

 

思った以上にユイの真剣な反発を喰らい、面食らうソウ。

 

 

 

「おやおや、お嬢さんはお詳しい割に、どうやらお気に召さないようじゃの」

 

 

「ユイは…まあ『あるチーム』のせいで嫌いになってしまったブキがいくつかあってな」

 

 

「ふーむ……なるほど、トラウマスイッチじゃったというわけか」

 

 

「ばっ、トラウマなんかじゃないわよっ!

あのガールがしつよーにユイばっか狙うのが腹立つってだけなんだから!」

 

 

 

なんだかよく分からないが、ユイにもなんか事情があるらしい。

 

 

 

「だがまあ…お嬢さんの言うことはあながち間違ってはおらんよ」

 

「そうなんですか?」

 

「うむ。リッター4Kは数ある武器の中でも最高クラスの射程を誇る。しかしその分インク効率が非常に悪いため、うまく敵をキルできなければ、試合に貢献できん。しかし、この超射程では…並みのイカでは動く敵に掠らせることすら難しいじゃろう」

 

「リッター4Kは確かに見た目がカッコよく、人気ブキの一つではあるんじゃが…いかんせん扱いが難しすぎるため、本当に使いこなせていると言えるイカは一握り。他のイカは諦めて別のチャージャーを持つか、上手くキルできない試合を重ねながら必死になって練習を続けるかの、どちらかじゃな」

 

 

「うぐっ……」

 

 

 

スイトからのご教授を受けると、急に手元のブキがずっしりと重く感じられる。

なるほどロマンは大事である。だが、ロマンを求めて全てを捨てるほどソウは愚かではない。

おそらく、このブキを追い求めるならば色んなものを捨てて取り組む必要があるだろう。

ソウはとりあえず大人しくスイトにブキを返した。

 

 

 

「おお、ありがとうの。…それでの、実はこの開発サポートの大まかな仕事はこんな感じじゃ」

 

「え、これだけ…なのですか?」

 

「いや正確に言うと、客の出入りが少なくなる夜になってから今度は店長のブキ開発サポートが数時間…こっちの方が本職みたいなものじゃが…昼間の仕事はこれだけなのじゃ」

 

「それも、今日みたいにブキ修理サポートが無ければ、暇な時間になるのう。もっとも、この店はブキの即日修理をウリにしているからのう。特定の曜日以外はこうして待機してないといけないんじゃがな」

 

 

 

 

「そして…ここにはバトルに使える全てのブキがあり、試し打ち練習にも使えるマトがある。

それに加えて長いヒマな時間…有効利用ができるとは思わんかね?」

 

 

「…!」

 

 

 

このセリフ…スイトの言いたいことが、スーッと身にしみて来るようにソウには感じた。

そしてそれは、ユイやクロにも同じだったらしい。

 

 

 

「ちょっと! ソウ君に関してはこの私が…」

 

 

「ちなみに、君はどの程度バトルを経験したのかね?」

 

 

 

そして、ここに来て初めて発揮された老人特有スキル「穏やかなスルー」により、ユイの主張は受け流された。哀れユイさん、と心の中で悲哀の感情を覚えながら、ソウは答えた。

 

 

 

「ええっとルールは大体…ただ、他はわかばシューター? だかでインクを塗って…今日はあとイカダッシュの練習をして…それっきりです」

 

 

「ほほう…なるほど。となると、あとはサブやスペシャル…スーパージャンプなど…まだまだ、学ぶことはいっぱいありそうじゃな。そしてそれらは、全てこの試し打ち場で学ぶことができるでのう」

 

 

「そう、ですか」

 

 

「おまけに、ここには全てのブキの試し打ちができる…本来ならナワバリバトルで経験を積んでいない未熟なイカには売ってくれないようなブキもあるが…ソウ君がブキの修理まで手伝ってくれるというのなら、それを理由に実際に触れて動かしても文句は言われまいて。ブキの修理には何よりブキへの理解が必要じゃからな」

 

 

「将来のうちから自分の相棒となるブキを品定めできる…

これは他のイカには決してない、大きなアドバンテージじゃ」

 

 

「なるほど…それは、いいかもしれませんね」

 

 

アドバンテージを得られる、という部分に心惹かれるソウ。

なんだかセンター試験を受ける予定の人間がセンター試験問題作成に関わる、みたいな反則スレスレ気分になってしまうが、自分は元々人間という時点でハンデを背負っているようなものだ。ここで先取り予習をしてようやくイーブンといったところではないだろうか。

 

だが、ユイは流石に納得してはくれなかった。

 

 

「ちょっとー! 今日会ったばっかのあんたなんかに、ソウの教育を任せてたまるもんですか! これは私たちのチームの問題なんだから、部外者には任せらんないわよ!」

 

 

「教育はおまけで、あくまで仕事のお誘いなんじゃが…まあ確かに、わしみたいな見知らぬイカからよからぬことを教えられはしないかと、不安になる気持ちもわかる。じゃから、最後に仕事の利点のアピールだけして、後はソウ君の判断に任せるとするかのう」

 

 

「利点…?」

 

 

「そうじゃ。利点というよりも、仕事において一番大事な…『給料』の話じゃよ。ソウ君は、ナワバリバトルにおいてどの程度お金がもらえるかは知っておるかな?」

 

 

「い、いえ…」

 

 

そういえば前にクロさんが「ナワバリバトルはお金ももらえる」と言っていたが…流石に具体的にどの程度の金額かは聞かされていない。

 

 

「では、説明するとしよう。ナワバリバトルは3分間。勝とうが負けようが、とりあえず三分間戦い抜けば300G*1は貰える。さらに、同じく勝ち負けに関わらず、試合の塗りポイントに応じておカネが貰える。多くて800、少なくても真面目にやれば600…平均すると700じゃな」

 

「つまり、最低でもナワバリバトル一戦で900Gを稼げると考えて…さらに勝てれば勝利ボーナスとして600Gが貰えるから、1500Gじゃな。ここは更に多めに考えて、ナワバリバトルの天才児設定のソウ君はナワバリバトルに全戦全勝してると仮定しようかの」

 

「え? は、はい」

 

 

なんだか現実的な話をしていたと思ったが、突然突拍子なくなったとソウは感じた。しかし、この無理な仮定をした意味を、ソウはすぐに思い知ることになる。

 

 

「さて…この数字をそのまま60分に置き換えるのは無理じゃな。マッチングの時間やら休憩やらあるじゃろうからな。よって3分の試合を1時間に15回するとした時…全勝の場合の時給は、1500×15=2万2500Gとなるのう」

 

 

「…はい」

 

 

飄々とした感じで宙を見ながら喋っていたスイトが、ここでソウに向き直った。

 

 

「そこで、じゃ。この開発サポートの時給、君に5万Gを出そう」

 

「……はい?」

 

 

 

 

「ほっほっほ、ちょっと多めに取り付けたつもりじゃが、若き君にはまだ物足りなかったかね? 仕方ない、多少わしの給料からも奮発して六万Gに…」

 

 

「ちょちょちょちょちょっと待って下さい! いや足りないとかそういうのじゃなくて…多すぎませんかっ!?」

 

 

「…そうかね?」

 

 

首をひねるスイト…その本当に不思議そうな顔……えっ、これ普通の反応なの?

慌てて後ろの二人を見る…

 

 

「ぐぬぬ……このジジイ、ソウ君をカネの輝きで釣ろうって魂胆ねっ!」

 

 

ユイはハンカチを噛んで引っ張りそうな表情をしているが、金額自体にそこまで驚いている様子はない。おまけにクロに至っては完全な無表情だ。判断つかない。

 

 

「元々この条件で新聞にも広告は乗せておるんじゃがなあ…面接に来るイカすらおらんのじゃよ」

 

 

「え…そんなこと……まさか、お金が問題な訳ではないですよね?」

 

 

 

まさかとは思うが自分の金銭感覚が間違ってはいないだろうか、

と不安になるけれども、杞憂だったようだ。

 

 

「もちろん、給料に関しては妥協を惜しまない破格の数字にしてるのじゃが、仕事内容がのう…」

 

 

「仕事……特に難しいことはないのではなかったのですか?」

 

 

「いやはや、イカ達にとっては簡単か難しいかは問題ではない、全て『楽しいか』どうかでの。イカにとってのナワバリバトルは、遺伝的に刻まれた生きる目的であり、本能なんじゃ。」

 

 

「給料は良いが、地道な武器の修理や試し打ちをする仕事か、貰えるおカネにばらつきがあれど、楽しい戦いを繰り広げられるバトルか…ほとんどのイカは、後者を選ぶ。ナワバリバトルだけでも充分生活を支えるだけお金は貰えるし、ハイカラスクエアは物価も安いからのう」

 

 

「この仕事に自ら打ち込もうとするのは、わしのような変わり種くらいじゃが…今のハイカラスクエアには、その変わり種のイカすら、いなくなろうとしている」

 

 

「今のイカ達からは敬遠される仕事…しかし、今のイカ達にとって確実に必要な仕事…それがこの、ブキ開発サポートじゃ」

 

 

「もちろん、いい意味でじゃが……人間としての前世を持つ変わり種の君は……ソウ君は、希望じゃよ。少々大げさかもしれんがの」

 

 

「だから、わしはお願いしたい……君に、武器の開発サポートの仕事を、な」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「分かりました。是非、俺にその仕事をやらせて下さい」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「……ありがとう」

 

 

 

 

 

 

「……そうか」

 

「ソウ君……そんなっ」

 

 

 

ユイが少し絶望を滲ませた声を上げるが、その言葉が続くより早くソウはユイに向き直った。

 

 

 

「…ユイさん、すみません。…でも、これだけは言わせて下さい」

 

 

「っ…」

 

 

 

ソウのまっすぐな視線を受け、ユイは頬を紅潮させ、息を詰まらせて黙る。

 

 

 

「俺、ユイさんのチーム…『インカーネイション』に、入ります」

 

 

「…!」

 

 

「そしてユイさんのチームで、ニューエースとして…胸を張れる存在になるために、ここで修行したいんです」

 

 

「お願いします……俺は必ず、ユイさんのチームメンバーとして

恥じない強さを持って、帰ってきます......だから、どうか」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「ずるいや……ソウ君」

 

 

 

ポツリと、ユイは下を向いて呟いた。

 

 

 

「…ソウ君と離れ離れになるの…とっても、とっても嫌なのに…」

 

 

「そんな顔で…言われたら……断れるわけ…ないじゃん」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「ユイさん…」

 

 

 

 

ユイは、くるっと背中を向けた。その時、一滴の涙が試し打ち場のライトの光に反射してキラリと映った。

 

 

 

 

「絶対……帰ってきてね。…約束、だからね」

 

 

 

 

ユイは、振り返ることなく、走り去っていった。

将来のチームメイトに、自分が大好きなイカに、自分の泣き顔を、見せたくなくて。

 

 

諦念を胸に燻らせながら、彼女は走った。

 

 

 

 

 

 

*

*

*

*

*

*

*

*

*

*

*

*

 

 

 

 

 

 

「……スイト」

 

「なんじゃ…クロ君」

 

「この仕事……住み込みで働くのか?」

 

 

 

 

 

「いいや、終わりは確かに夜までかかるが、どんなに遅くても夜9時過ぎることはないはずじゃよ、ほっほっほ」

 

 

「なるほど……つまり、別にソウとユイは離れ離れにはならないということだな」

 

 

「…そうですね。でもあの雰囲気だと、なんか家に帰りづらいです」

 

 

「お前も結構、勘違いさせやすい言葉を言っていた気がするが……まさか無意識でか?」

 

 

「えーと…まあなんか、ユイさんを説得させるために真面目そうなこと言っとこうかなーってなったら…口が回って」

 

 

「…そうか」

 

 

 

 

*1
正式なお金の名称は「ゲソコイン」中には「ゴールド」と呼ぶイカも存在する。




クロ

性別:男
ゲソの色:クリーム色
誕生日:9月6日
持ち武器・名前の由来:.96ガロン
嫌いな色:黒
黒が嫌いな理由:子供の頃、故郷の街で怪しい団体に誘拐され、『マックロクロスケダンス』なるものを行う儀式に参加させられたから


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新武器 創造

前半唐突な試合パート。
スプラ試合を書く練習したかった。図まで入れる気合いの入れっぷり。疲れた。




インクアーマーのモーションはイカそれぞれに固有のがあるって考えたら、ロマンあるよね


「ラッキー! 初っ端クロ君と一緒だー!」

 

「……」

 

 

ユイが隣で全身を使い喜びを表現している中、クロはただ黙って

ステージと野良のチーム編成を確認する。

 

 

 

(ガンガゼ野外音楽堂。チームはユイと…

ホクサイにスプラチャージャー持ちか…なら、俺とユイは…)

 

 

他二人のメンバーが持つブキを確認した所で、

クロはユイに向けて一瞬ハンドサインを出した。手のひらを下にして、下げるサインだ。

 

ユイはそれを見て頷き、ぐっとサムズアップを返す。

 

 

 

 

 

 

 

 

R E A D Y ?

 

 

 

 

 

 

 

「みんな、よろしくー!」

 

「よろしく」

 

「よろしく、お願いします...」

 

「おう、よろしくな!」

 

 

 

 

 

 

 

G O !

 

 

 

 

 

野良(内二人はチームメイト)同士の挨拶が済み、ナワバリバトル開始の合図が告げられた。

正面の塗りを進めつつ中央へ向かうホクサイを持つガールと、

自陣中央手前の高台を目指すスプチャを持つボーイ。

 

 

そんな中、ユイはさっきとは一転、緊迫感のある表情で右サイドから塗りを始める。

それらの大まかな動きを確認したクロは、左サイドへ向かう。

 

 

 

 

 

最初にクロがユイに出したハンドサイン。

あれは、チーム「インカーネイション」の時に使っていたもので、

それが指し示す意味は至極単純、「塗れ」である。

 

ユイのブキ、「デュアルスイーパー」は『塗り』と『味方のキル補助』を得意とする。

直接的なキルに関しては他に存在する塗りブキよりも得意な方ではあるが、

何よりユイがキルを得意としない。

よってユイの仕事は現状では二択となるのだが、他の野良メンバーが近距離、遠距離とそれぞれキルを得意とするブキを持っていたため、塗り役を任せることにしたのだ。

 

 

ガチマッチならいざ知らず、今はナワバリバトルだ。塗りを疎かにすることは出来ない。

無論、それはクロも一緒である。

 

 

 

「…よし」

 

 

 

左サイドの前高台に到着したクロ。

右手にスプリンクラーを投げて塗りを補助しつつ、辺りを確認する。

 

 

先ほどのスプチャのボーイは、自陣中心の高台に陣取ったようだ。

ガンガゼにおけるチャージャーの定位置として知られているここは、

ステージ中央に幅を効かせられる代わりに、敵にも登られやすく油断はできない。

 

だが、そこはステージ中央へ向かいつつあるホクサイのガールとユイがカバーするだろう。

そして、クロの役目は。

 

 

 

「…来たか。シャープマーカー…だな」

 

 

敵のイカを確認したクロは、軽く息を止めた。

金網を歩いている敵の動きを観察すること、一秒にも満たなかったが。

 

 

 

 

一発。

 

 

 

…二発。

 

 

 

 

 

それで充分だった。左サイドの高台のクロに気づかなかった敵イカは、

哀れデスすることになった。

 

 

 

「……」

 

 

 

銃口を下ろし、軽く息を吐いて成功を実感するクロ。

もっとも、これも一秒にも満たないわけだが。

 

 

 

高台のチャージャーは、台の中央にある障害物のせいで、左サイドの視界が制限される。

そこで、左サイドの敵の存在を察知し、早めに対処できるイカが必要なのだ。

 

 

【挿絵表示】

 

 

 

 

 

まずは、一人。

 

 

これ以上左から攻め上がってくる敵はいないようだ。

クロの今いる位置は、左の敵を対処するには最適な位置だが、全体的に見ればカバーできる範囲が狭いため

ここで芋っているのは得策ではない。

 

初動の左を潰したので、前線を押し上げるためにクロは高台から

先ほどまで敵がいた左サイドの網場にイカジャンプで飛び乗り、中央へ向かう。

 

…しかしその前に、もう一人の敵イカを見定めた。手に持つのはプロモデラーMG。ユイのデュアルスイーパー以上に、キル性能を犠牲にして、塗りに特化したブキだ。

 

ユイとホクサイのガールが丁寧な自陣塗りを行なっているのをいいことに、中央の確保に移っているようだ。あの塗りスピードでは速攻で制圧を済ますだろう。

 

チャージャーのボーイが牽制の射撃を行うも、二発とも塗りつつ綺麗に躱したばかりか、サブウェポンの「キューバンボム」で高台のボーイを上手く退かしてしまった。

このままでは本陣まで侵入を許しかねない。

 

 

 

一応ユイやホクサイのガールも控えてはいるが、その前に。

 

 

 

クロは壁の向こうから対象を確認。狙いを定める。

 

 

 

 

一発。

 

 

 

……二発。

 

 

 

 

「…む」

 

 

今度は、シャープマーカーの敵の時のようにはいかなかったようだ。

 

 

極力死角となっている位置から飛び出したクロだが、あのプロモデラーのボーイは視界の端でクロを捉えたらしい。

 

それのみならず、上手く体を捻って倒しながらイカ化することで、一発目もカス当たりで済ませ、二発目は完全にかわしきってしまった。

いくら並の弾速と最低クラスの連射速度を持つ96ガロン相手と(いえど)も、あの距離と一瞬の時間でかわすとは大したものだ。と、心の中で感心するクロ。

 

 

置き土産とばかりにクロに向けてキューバンボムを投げつけつつ、後退するモデラーのボーイ。

流石に対面戦闘力の低いブキでこれ以上の深入りは避けるつもりらしい。

 

クロも積極的に追うつもりはない。

長射程のシューターは余程のことがない限り強く前線に出るべきではないからだ。

ましてやクロの96ガロンは緊急時即座に逃げられるようなブキではないのだから。

 

キューバンボムの爆発を冷静にかわしつつ、中央にスプリンクラーを設置。

中央の塗り返しにかかる。

 

と、そこで自陣塗りを終えたユイが中央に到着した。

 

 

 

「おっ、敵いないね! クロ君さっすがー!」

 

「油断するな。俺がキルしたやつはもうリスポーンしてるはずだ。警戒にあたってくれ」

 

「わかってるわかってるー」

 

 

 

お気楽な様子で、ユイはスプリンクラーの塗りを埋める形で塗りつつ、

サブのポイントセンサーを投げつつ敵の把握に努める。これもチーム時代からのユイの役目だ。

 

チャージャーのボーイも高台の定ポジションに復帰した。

とりあえず中央はあの二人に任せることにする。

 

 

 

 

クロが警戒すべきは裏どり。

中央以外にも自陣へ侵入可能なルートは両端にある。

ここから回り込まれて敵陣を攻めていた味方が全滅、というのは

このガンガゼ野外音楽堂ではよくあるパターンとなる。

だが、両端の位置が離れすぎて、クロ一人では完全なカバーは不可能である。

どちらの裏どりもケアできるような中央の後方で警戒に回るのが妥当だが…

 

 

 

「ぴぎゃっ!」

 

 

「…!」

 

 

 

今、右サイドから聞こえたガールの悲鳴。

ユイの声ではない。あのホクサイを持ったガールが、デスしたという証。

 

 

 

「遅かったか…!」

 

 

 

クロが視線を向けた右サイド。そこにいたのは、パブロを構えた敵のボーイ。

まさか、パブロでホクサイ相手に勝ったのか。いや、奇襲による不意打ちと見るべきか。

とにかく。あのままユイが後ろを取られれば確実にやられる。ここは自分が相手をしなくては。

 

 

 

「きゃー!」

 

 

「っ!」

 

 

 

右サイドへ向かおうとしたクロの足が、ユイの悲鳴を聞いて止まった。

そしてそこから一瞬遅れて中央の広場からこちらに向かって流れてきたのは、複数のカーリングボム。

 

 

 

「『カーリングボムピッチャー』…あのプロモデラーか」

 

 

 

全武器中、唯一プロモデラーMGのみが持つスペシャル。平面的な場所において圧倒的な塗り能力を発揮する。

あれではいくらユイのデュアルスイーパーといえども塗りで対抗はできない。

ピッチャーを使っている、がら空きの本人をうまくキルできればいいのだが、ユイではそれも望み薄だ。

 

 

 

 

【挿絵表示】

 

 

 

 

 

「もう無理無理無理! 突然カーリングピッチャーなんてひきょーだよー!」

 

 

「…っ! ユイっ! 後ろだっ!」

 

 

「…え」

 

 

塗りでインクを極限まで使い切り、必死にスライドで中央から降りてきたユイを迎えたのは不幸にも、敵のパブロの洗礼であった。

急な事態を察知したチャージャーのボーイが、そちらに射線を向けるも…

 

 

 

「うぎゃーっ!」

 

「うぐっ!」

 

 

 

聞こえたのは、ボーイとガール二人分の悲鳴。

結構ガールにしては中々濃い悲鳴をあげてユイはデスすることとなった。

ただし、チャージャーボーイのとっさの機転で、どうにかパブロの敵も倒すことができたようだ。

 

 

 

しかし、一息ついている暇はない。

中央のみならず、自陣近くまでカーリングボムによって侵食されてしまっている。

これ以上相手を進めないために、せめてあのプロモデラーだけは倒しておかなくては…

 

 

 

 

「んなっ!?」

 

「…!」

 

 

 

今度聞こえた悲鳴と破裂音は…後方。それも上部から。

危険を察したクロは体をひねり、高台を確認しつつ左サイドへの退避を行う。

 

 

 

その高台にいたのは、もはや味方のボーイではなく、スプラローラーを持った敵のボーイであった。

 

 

 

 

(…馬鹿な! いつの間に回り込んで……そうか、あのカーリングボムピッチャーの時に!)

 

 

 

 

スプラローラーのサブウェポンは、カーリングボム。

プロモデラーのカーリングボムピッチャーに紛れて自身のカーリングボムを使ってイカダッシュで移動。

クロ達がパブロやプロモデラーに気を取られている隙に素早く後ろに回ったに違いない。

 

 

 

 

 

 

【挿絵表示】

 

 

 

 

 

 

(味方がここまで落ちた今…すべきことは『時間稼ぎ』だ。

だが、ここまで攻め込まれては後方へ下がってもすぐ追いつかれる。居場所もバレているためリスジャンも間に合わない)

 

 

(…ここは、多少の危険をおかしてでも、敵陣の方へ退避を狙ってみるか)

 

 

高台からローラーを振り下ろしつつ、こちらへ攻撃してくるローラーを避け、

左サイドから敵陣へ向かう。そう、自分たちでいうと裏ルートに当たる道だ。

 

あのローラーが追いかけてくるかは半々と言ったところだが…

イカジャンプで敵陣地へ着地したクロがちらりと確認したところ、ローラーがこちらまでくる様子は見えない。

どうやら、こちらの制圧の方を優先しているらしい。また距離を取られた以上、長射程シューター相手には返り討ちにされる可能性を見越してのことだろう。

 

 

敵陣地へ侵入できたとはいえ、一人で塗れる範囲などたかがしれてるし、侵入はモロバレである。

きっとすぐにも追っ手が来る。

 

 

 

 

 

 

 

クロの思考はそこで中断された。

その理由は、視界が一瞬で薄い紫色に染まったからだ。

そして、体がズシリと重くなるこの感触。

 

 

 

この瞬間クロは…大げさに言うならば、自分の運命を悟った。

そして同時に、クロの中で一つのカウントが刻まれた。

 

 

 

 

(……ユイ、復帰、完了)

 

 

 

 

クロは、目を閉じ、右手の拳を大きく掲げた。

その右拳から、紫インクの空気が後方へ伝播する。

 

 

 

 

 

 

しかしその直後、正確無比のエイムから放たれるシャープマーカーの連続射撃を身に浴び、

クロの体は一瞬で爆発融解した。

 

 

 

 

 

 

*

*

*

*

*

*

*

*

*

*

*

*

 

 

 

 

 

 

 

 

 

10

 

9

 

8

 

7

 

6

 

5

 

4

 

3

 

2

 

1

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

Finish!

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

52.8%-47.2%

 

 

 

 

 

You win!

 

 

 

*

*

*

*

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*

*

*

*

*

*

*

 

 

 

 

 

 

「いやー! 一時はどーなることかと思ったけど、

クロ君のインクアーマーのお陰だね!」

 

「…そうだな」

 

 

 

個室のロビーで、指でデュアルスイーパーをクルクル回しながら、ユイは上機嫌であった。

 

 

 

 

あの時、クロがキルされる直前、何とかスペシャルを発動させて全員に付与することに成功していた。

前線の味方が全員キルされた状況で、クロはもはやあのままずっと生き残ることを考えてはいなかった。ただ、自分に溜まっていたスペシャル『インクアーマー』をより多くのイカに付与させ、逆転の糸口とするため、ユイのリスポーンが終わるまでは最低限生き延びるつもりだった。

 

 

その目論見は上手くいったことは、何よりこの試合結果が示している。

キルが苦手なユイでも、せめてインクアーマーがあるときは積極的に前に出るように

チーム時代からクロは何度も厳命していた。

その甲斐あって、何とか逆転に持ち込むことができたのだ。

 

一度制圧した盤面でも、クロとチャージャーのボーイの狙撃が主に功を奏し、再逆転されることはなかった。

 

 

 

「やー、やっぱりクロ君いるだけでバトルが捗るねー!

もうユイ、クロ君無しじゃ生きていけない体になっちゃう!」

 

「変な表現するんじゃない」

 

 

 

ぽこりと頭を叩くが、ユイにはいまひとつのようだ。

実を言うと、ユイとクロがこうして共にバトルをするのは数週間ぶりであるため、

多少ユイがキャッキャするのも仕方のないところもある。

 

 

 

 

「じゃーあ! クロ君次いこ! 次も勝とうね!」

 

「…同じチームになるとは限らんのだがな」

 

「ダイジョーブだって! ユイとクロ君は運命の赤い糸で結ばれてるんだから!」

 

「だから、変な表現をするなと…」

 

 

 

 

その時、個室ロビーのドアの取っ手が、控えめにガチャリと音をたてた。

ユイとクロが視線を向けると、これまた控えめにそーっとドアが開く。

 

 

 

 

「…えーっと……ユイさん達ですよ…ね」

 

 

 

「ソ、ソウ君ー! ソウ君だぁー!」

 

「え、うわちょ」

 

 

 

ドアの向こうのイカの姿を見るや否や、

未だドアが半開きなのにも関わらず頭から突撃するユイ。

当然ながらソウの体よりも先にドアの取っ手がユイの頭に接触する。

 

 

 

「久しぶりだな、ソウ」

 

「あ…お久しぶりです、クロさん。数週間ぶり、ですかね」

 

「そうだな、あれからちょうど三週間だ」

 

 

 

痛がって蹲るユイの頭上で懐かしの挨拶を交わすイカ二人(うち一人は元人間だが)

しかしユイも早々と復活し、部屋に入ったソウに迫っていく。

 

 

「ソ、ソウ君仕事は!? っていうかここにいるってことはひょっとして…!」

 

「いや、スイトさんから『仕事は今のところ大丈夫そうだから、

そろそろ本当の試合も見てみたらどうか』と言われたので。

そしたら、ちょうどお二人が試合に…」

 

「え? え? 見ちゃったの!? ユイの試合! きゃー! 嬉し恥ずかしー!」

 

 

 

何だかよく分からない感情の発露を精一杯表現している感じのユイ。

しかしユイにとって大事なのは、そんな自分の感情より今目の前にいるソウのことである。

 

 

 

「ね、ね、ソウ君! お仕事ないなら久しぶりに二人っきりでお茶でも…!」

 

「…いいのか、ユイ?」

 

「ほえ?」

 

 

 

ソウの手を取りウキウキになりかけるユイだが、クロからの一声に振り向く。

 

 

 

「お前、テンタクルズのチケット分、今日稼ぐんじゃなかったか?」

 

「………」

 

 

ぴしり、という擬音語がつく勢いでユイが固まった。

相変わらずなリアクションだなあとソウがぼんやり思ってる間に、クロの言葉が重なっていく。

 

 

「俺を見るなり無理矢理引っ張ってきて言ったよな。何が何でも今日で稼がないとマズイって」

 

「………」

 

「俺はアイドルに詳しくないから知らなかったが…

何でも超人気チケットのため値も跳ね上がってるし、早急に買う必要があるらしいな」

 

「…………」

 

「普段稼いでた金はどうしたかと聞いたら、ここ最近のグルメ巡りで散財してほとんど吹っ飛んだんだとな。だから何としてでも、今日中にライブチケット分をバトルで稼ぐ必要があると熱弁してたばっかりだろう」

 

「……………………」

 

「で、この後ソウとお茶した後……チケット稼げる見込みはあるのか?」

 

 

 

 

「……うわーん! 私にソウ君とヒメちゃんを天秤にかけろなんて、神様は残酷すぎるよー!」

 

 

 

 

床にひれ伏してさめざめと泣くユイを見ていると、流石のソウも憐憫の情を覚えてしまう。

実際の内容はちょっとしょうもなさが拭えないが。

 

 

 

 

「ええっと…だ、大丈夫ですよユイさん。何も休みは今日だけじゃありませんから…

いつかユイさんとお茶する時間取りますから、安心してください」

 

「ぐすっ……本当? …約束してくれる?」

 

「はい、約束です」

 

 

 

 

涙を流すユイの肩を支え、強く抱き寄せるソウ。

側から見れば完全にラブロマンスの1シーンである。

ソウがかつて人間だった時にはこんなことは死んでもしないはずだが、

自分の体とは思えない異種生物の体で異種生物の体に対してすることに関してはハードルが下がるらしい。

もっとも、こういうことをあざとさ狙いでやっているというよりも、

ただユイを落ち着かせようとして半分無意識にやっている辺り、天然気味である。

 

 

そんな約束ができたところで、クロが疑問を口にする。

 

 

「ところで、ソウはこの後はどうする予定なんだ?」

 

「…いや……まだ特には…」

 

「そうか…時間が空いているなら、少しどこかで話をしないか?」

 

「え…いい、ですけど」

 

 

 

久しぶりにしても、いつも一歩引いた位置から見てる印象のあるクロにしては、

珍しく積極的な申し出だなあと内心で感想を抱きながらも、同意するソウ。

しかしそんな話を聞いてユイが黙ってはいなかった。

 

 

 

 

「あー! ずるいよクロ君! 抜け駆けしてソウ君とお茶するなんて! 大体一緒にバトル手伝ってくれる約束はー!?」

 

「約束した覚えはない。無理矢理ユイが連れてきただけだろう。

それよりいいのか? 早くバトルを重ねないとチケット分間に合わないぞ」

 

「むむむむむー! ソ、ソウ君! 次こそは! 次こそはユイとお茶だからねー!」

 

 

 

 

精一杯の主張を最後に、ユイはワープ台からナワバリバトルへ旅立っていった。

この後の試合においては、ユイは鬼神の如き活躍(普段比80%増し)を見せたという。

 

 

 

 

*

*

*

*

*

*

*

*

*

*

*

*

 

 

 

 

 

 

 

「なんか…オシャレな喫茶店ですね…」

 

「…昔の同僚に教えてもらった店でな。…少し、気に入っている。

俺みたいなボーイにはちょっと似合わんのは自覚してるがな」

 

「そ、それは考えすぎでは…」

 

 

 

てっきりソウの思い込みでクロはコーヒー系を飲むのかなと思っていたが、

意外にもクロは美味しそうにホットオレンジを嗜んでいる。

ソウもココアを一口飲み、気になった情報から会話を始めていく。

 

 

「同僚ってことは、仕事仲間ですか?」

 

「そうだな...今は野良のプレイヤーをやっている。贔屓目なしに見ても、あのリッター4Kを扱う腕前は一級と言える」

 

「…リッター4K……ですか」

 

 

 

その言葉を聞いたソウの視線が少し宙を泳いだのをクロは見逃さなかった。

だが、クロはその様子に直接触れることはせず、さり気なく話題を気になる方へ持っていく。

 

 

「どうだ、仕事の方は? ちゃんとやれてるのか?」

 

「…はい、スイトさんの教え方が丁寧なので…俺でもちゃんと働けている、と思います」

 

 

ソウの表情はクロからの声を受けて、普通の表情に戻った。

いや、クロが数週間ぶりにみるソウの表情は、以前よりもオドオドした様子は消え、

少し自然体に近づいているように見えた。

 

「うむ…となると、ブキの修理もできるようになったのか?」

 

「はい、一通りは…あとはインクタンクとかサブやスペシャルの出現機構部分とかも…もちろん、部品交換だけですけど」

 

「…ほう」

 

 

「一通り」「サブ」「スペシャル」という言葉がソウの口から出たところで、

クロはソウの知識のほどが少々気になってきたようだ。

 

 

「96ガロンデコのサブスペ構成は、なんだ?」

 

「え? え、えっと…『スプラッシュシールド』と『スーパーチャクチ』です」

 

 

脈絡もない突然の質問にも結構しっかり答えるあたり、素直だなとクロは感じた。

そして、質問はどんどん重なっていく。

 

「射撃を連打したボトルカイザーと96ガロンはどちらの方が有効射程は長い?」

 

「それは…ボトルカイザーの方だと」

 

「では、バケットスロッシャーとヴァリアブルローラーの縦振りではどちらの方が塗り射程が長い?」

 

「…ヴァリアブルローラー、です」

 

「キューバンボムとジャンプビーコン、インク消費が多いのはどっちだ?」

 

「…確かビーコンの方がちょっと多かったような…」

 

「…なら、インクアーマーを発動させるための必要SPが一番多いブキは何だ?」

 

「えっと…あれだ、あのZAP…黒い方」

 

 

ほう、とクロは感心した声を漏らした。

 

 

「まさか、サブやスペシャルのことまで正確に把握しているとはな。

俺の想像以上に、よく勉強しているようだな」

 

「いやあ…何回も試し打ちとか色々やってると、自然に覚えちゃうんですよね」

 

 

 

ソウは答えるが、それにしてもバトルについて素人だった状態から、たったの三週間でここまでブキの特徴を把握しきっているのは『自然に覚えた』程度ではないことは明らかである。

かつてソウがイカ語を覚えるために三ヶ月も篭り切って勉強したことを考えれば、

この三週間にもソウの努力の跡も窺えるだろう。

 

 

 

「バトルの指南も教わるという話だったはずだが…そちらはどんな感じだ?」

 

「えっとですね。今はスーパージャンプの練習…のはずだったんですが、

そもそもイカの信号とやらの察知が…」

 

「……できないのか」

 

 

 

小さくこくりと頷くソウ。だが、どうも納得がいかないのか表情が暗めになっている。

 

 

 

「なんですかイカって…信号を発するなんて、どんな生き物ですか…」

 

「そういう生き物なんだろう」

 

「というか、イカの信号が分かるってことは、

後ろからこっそり忍び寄るイカとかも丸わかりなんですか?」

 

「そうだな。まあ、その筋の達人とかでもない限り、誰の信号かまでは分からんがな」

 

「達人がとかいるんですか……イカって謎すぎる…」

 

 

生命の神秘の前にむむむと唸ってしまうソウの姿に、内心クロは少し微笑ましく感じていた。

表情には噯にも出さないが。

 

 

そして、自らの知りたいことへの質問を投げつける。

 

 

「なら…最近、困っていることはないか?」

 

「困っていること……ですか」

 

 

その言葉を受けて、明らかにソウの様子が変わる。

視線が泳ぎ、眉根が寄る。

言うべきか否か、迷っているように見える。

 

クロは、押しの一言をソウにかける。

 

 

「…力になれるかも知れない、迷っているなら、話して欲しい」

 

「えー、いやあ、その、困ってる、と言うほどじゃないんですけど…….」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

『不満が、あるのじゃな?』

 

『…え?』

 

『遠慮することはないぞ。その不満、絵でも言葉でも、自分の形で、表現してみてはどうじゃ?』

 

 

 

 

 

 

 

「満面の笑みで、スイトにそう言われたと?」

 

「……はい」

 

 

すごくバツの悪そうな顔をして頷くソウ。

クロはふむ、と顎に手をあてる。

 

 

「で、不満があるのか?」

 

「いやいやいやいや! とんでもないです!

こんなにたくさん色んなこと教えていただいてるのに、仕事に不満なんて…!」

 

「ん……まあ、そうだろうな。仕事に、不満はないだろうな」

 

 

 

 

 

「ソウ、お前が持っている不満は『ブキ』に、だろ?」

 

「…え」

 

 

目を見開くソウ。どうして、という言葉が小さく口から漏れる。

クロは気にせず、言葉を綴る。

 

 

「まあ、『不満』という言葉は少々大げさすぎるにしても

『こんなブキがあればいいのに』という…欲望、みたいなものだろう」

 

 

「…なぜ、分かったのですか?」

 

「勘だ」

 

「…勘ですかっ!」

 

 

 

いつも思慮深そうなクロの口からでた予想外の言葉に、思わず突っ込んでしまったソウ。

クロはふっと笑って、言葉を重ねる。

 

 

「だが、全くの勘ではない。スイトがお前をスカウトした意味…

それはお前のブキへの発想を期待して、だと俺は考えていた」

 

「そう、なんですか」

 

 

正直、ソウにはそんな風に考えられる心当たりがなく、首を傾げてしまう。

 

 

「…あの日、俺がスイトについて言ったこと、覚えてるか?」

 

「えっと……それは確か…スイトさんが『雑誌で取り上げられてる』って」

 

「さすが、よく覚えてるな」

 

 

 

心の底から感心したような声を出すクロ。

 

 

 

「そして、その雑誌に載っていたのは、スイトの若作りだけではなかった。

そこで載っていたスイトの紹介は、『ブキ発案者』としてだった」

 

「ス、スイトさんって、ブキの発案してたんですか…」

 

 

 

その情報は、ソウはスイト本人からも聞いたことはなかった。

確かにブキに関しては博識な印象だったが、それはイカとしての平均的知識ではなく、

ブキ開発者としての知識だったのかもしれない。

 

 

 

「彼が開発していたブキは『スパイガジェット』…まあ、ソウには説明は不要だろうな」

 

「あのオート射撃ができる黒いシェルターですよね…そうか、あれ、スイトさんが…」

 

「そのスイトが、『前世の記憶』というどのイカにも持っていない経験、

それを持つ『そんな君だからこそ』スイトはお前を選んだ。その経験から、新しいブキへの発想を導けると感じたからだろうな」

 

「……」

 

「そしてそれは、あのブキチも同じらしい」

 

「…え。それは、どういう……」

 

 

 

予想外の名前が出たことで、ソウの目がますます丸くなる。

 

 

 

「ブキチが初めて会ったお前に言った言葉は、単なるお世辞として言ったわけではない」

 

 

 

 

 

『君の眼には他のイカとは違う輝きが宿ってるでし!』

 

 

 

 

 

「ナワバリバトル関係の店の店員は、イカを見る目があってな」

 

「バトルを経験していない半人前のイカに関しては、基本的に対応が冷たい」

 

「それはブキチも例外ではない。そんなブキチがお前に掛けた言葉は、一体何を期待しているのか」

 

「そしてお前が、何を、どんなブキを、望んでいるのか」

 

 

 

 

 

 

 

「…見せてやっては、どうだ?」

 

 

 

 

 

 

 

*

*

*

*

*

*

*

*

*

*

*

*

 

 

 

 

 

 

 

 

「ほう、なるほど……これが、ソウ君の考えたブキ…」

 

「……はい」

 

 

 

自分の創作物を目の前の一人に見せるのは、思ったよりドキドキして、恥ずかしい。

 

 

 

「いい意味でいえば、味のある絵。悪い意味でいえば、下手じゃな」

 

「…それは言わないで欲しかったです……」

 

「ほっほっほ、申し訳ないのう」

 

 

オブラートに包むことはなく、案外バッサリいかれてしまって、ソウは危うく涙が出そうになってしまう。

 

 

「だが……ソウ君の気持ち、やりたいこと…それはよく、伝わってくるのう」

 

 

そんなスイトの言葉に、ソウは顔を上げる。

 

 

「このコンセプトは…恐らく、『チャージャー』かの?」

 

「…はい」

 

 

 

ソウは、恥ずかしさを滲ませながらも、自分のブキを自分の言葉で説明する。

 

 

 

「自分でも体験しましたが…チャージャーって、当てるの難しいですよね」

 

「スイトさん曰く、普通のイカでもチャージャーは上級者向けで、慣れるのも大変だと」

 

「でも…当たって敵を倒すのは、すごく…楽しいというか、爽快感がありますよね。それがチャージャーの人気の秘密でもある」

 

「だから…自分なりに、初心者でも当てられる…こういうチャージャーができないかと……考えてたんです」

 

 

 

 

「なるほどなるほど…となると…このブキが目指すのはさしずめ『近距離型チャージャー』と言った感じかの。あの『武器』をモチーフにしている点も…殺しに特化しているという点では、チャージャーをリスペクトしていると言えるかもしれんのう」

 

「や、これを選んだのは完全に俺の趣味です…」

 

 

男のロマンを体現したブキの真意を明かしたソウは、やはり恥ずかしそうだ。

 

 

「ただ、ここまで無駄のないフォルムだと、チャージャーのインク圧縮機構の搭載スペースをどこにするかという問題があるのう…」

 

 

 

「店長は、どう考えますかな…?」

 

 

 

そこでソウとスイトは、非常に真剣な顔でソウの書いた図を見ているブキチに視線を向けた。

スイトの問いかけからきっかり三分間後に、ブキチは顔を上げた。

 

 

 

「…とても、面白いでし!」

 

 

にっこり笑ったその顔に、ソウの緊張が一気にほぐれる。

 

 

 

「インクの機構に関しては、少々異例気味になるけど、開発のあてはあるでし!」

 

「開発許可をもらうためには、色んな課からのOKが降りる必要があるでし。……ただ、僕からも強く口添えさせてもらうでし!」

 

 

 

 

 

 

「若きイカの発想から生まれたブキ。僕としてもぜひ形にしたいでし!」

 

「無論、新ブキの開発にはたくさんの調整が必要でし!許可が取れた暁には、君にも死ぬほど付き合ってもらうでしよ!」

 

 

 

 

 

「…はいっ! 任せてください!」




スイト

性別:男
ゲソの色:小豆色
誕生日:8月13日
持ち武器・名前の由来:スパイガジェット
スパイガジェット開発経緯:老人でも持てるくらい軽く、敵の攻撃をできるだけ受けずに塗れるブキが欲しいと思った。
自分の愛用しているスパイガジェット:妻が作ったシールが取っ手に貼られている。



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新武器 発表 危険

皆さんの温かい感想に支えられだりゃーっ!って書きました。
普段に比べてめっちゃ長くなってますが、どうしてもこの引きで終わらせたかったから許してください。

あといつものことながら、スプラの設定に全力で喧嘩を売りに行ってます。


ハイカラスクエアでとあるイカが、鼻歌を歌いながら闊歩していた。

 

ただそれだけのことなのだが、そのイカはハイカラスクエアを歩く他のイカの視線の7割を引きつけていた。その理由は、頭の後ろに揺れる『真っ白な』ゲソ。

イカの中でも非常に珍しい色のゲソを持つスーツ姿のそのボーイは、集められる視線も気にせず上機嫌で歩いている。

 

そしてその白イカの後ろから付き添って歩く、同じくスーツ姿のボーイとガール。二人はそんな白イカを見て話し合う。

 

 

 

「課長ったら、ここしばらく見なかったほどご機嫌ね」

 

「よっぽど会うのが楽しみなんだろーな。例のブキ発案者に」

 

 

 

部下の言葉を聞いたのか、鼻歌を中断した「課長」がくるっと振り向いてニッコリ。

 

 

 

「そりゃーそーでしょ! なんてったって知る人ぞ知ると言われてる『伝説のショタ』と遂に対面できるんだから! ああ、今までは特定の時間でしか姿を現さず、その余りのレア度からいつしか話しかけるのもタブーとなり、草葉の影から「Yes!ショタ No!タッチ」の精神で見守るしかなかったあのショタと! 仕事上の役得で! 会話できる! 話せる! これが楽しみでなくてなんというの!」

 

「ああ、やっぱりそっち方面かよ…」

 

「むしろそっち方面しかないでしょうよ…」

 

 

 

呆れたようにコメントする二人に、課長はしっかり反論する。

 

 

 

「いやいや、そんなことないって。ちゃんとブキ開発者としても興味津々さ。新たなブキを発案できるほど、博識なショタ。うーん、すごくいいと思うよ。『ショタは無知だからこそいいのであって〜』というショタコンもいるがそれは言語道断。一見ショタらしくない要素でもそれを『ギャップ』として愛せていくほどでなければ真のショタコンとは言えないからね」

 

 

「結局そっち方面に戻ってる件について」

 

「その件に関しては分かりきってたことなので特にコメントはありません」

 

 

 

無表情で掛け合いする二人の言葉には、諦めと呆れの声色がよくわかる。しかし当の課長は分かってか分からずか、再び前方を向いて歩みを再開する。

 

 

 

「よっし! グズグズせずに行こう! 夢と希望のショタコンロードへ!」

 

「課長、向かうのはショタコンロードではなくカンブリアームズですからね」

 

「課長に会うショタにとってはどっちかというと悪夢と絶望になってますけどね、毎回」

 

 

付き添いの二人のイカのツッコミ気味の言葉は、快晴の空に飲み込まれていった。

 

 

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*

 

 

 

「お久しぶりでございますな。ナタ課長殿」

 

「スイト君、本当に久しぶりだね!

いやー、スイト君ったら初めて会った時から変わらないよねー。本当羨ましい! 」

 

 

店に入った直後、カウンターから出迎えたスイトに、ナタ課長は笑顔で挨拶する。その「羨ましい」という心からの賞賛にスイトも満更ではなさそうだ。

 

 

 

「ほっほっほ、寿命を二十年犠牲にする覚悟があれば誰でもできる手術ですからのう。よろしければ、わしからお医者様を紹介しましょうかの?」

 

「うーん、魅力的な提案だけど、それはまた追々検討するとして…スイト君は珍しく店番かい?」

 

「はい。わしとしてもブキ調整を手伝ってあげたいのは山々なのじゃが…

歳のせいで長くは手伝ってあげられないのじゃ…辛いものですわい、ほっほっほ」

 

 

 

そうやって朗らかなスイトだが、その理由が「歳のせいだけではない」ことくらいナタ課長も、後ろの二人のイカにも、よく分かっていることであった。

 

 

 

「そうか…じゃ、早速ブキ調整の方を見に行ってくるよ」

 

「いってらっしゃいませ…ただし、口説くのはほどほどにしてやってはくれませんかのう…ソウ君もきっと疲れてるはずなのでな」

 

「…………はっはっは。もちろんだよ。気遣いのできないボーイは嫌われちゃうからねー」

 

 

 

課長の返事に不自然な間があったことに関しては、

もはや付き添いのイカ達には突っ込む気すらしなかった。

 

 

 

 

 

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「ソウ君! これで試して見るでし!」

 

「はいっ! …っ!」

 

「……もう一回!」

 

「はい!」

 

「次、斜め上を狙って頼むでし!」

 

「はいっ! …おっ…と、わ」

 

「ん、今『アレ』がおかしな方向に作用したでしね! 修正するでし!」

 

「はい! どうぞ!」

 

「……今のはきっと…ここが問題でし…なら、こっちの角度を…よしっ、これで試してみるでし!」

 

 

 

 

「お盛んなところゴメンねー。ちょっといいかな、ブキチ課長…いや、今は店長の方が正確かな?」

 

 

 

テンション高めなブキチの頭を、ポンと抑えて、課長はブキチの興奮を冷ました。

 

 

 

「おっとナタ君、こんにちはでし! 思ったより早く来たでしね」

 

「えっと、どちら様でしょうか?」

 

 

 

突然の訪問者に応対するブキチと、見たことのないイカの登場に首を傾げて相手を伺うソウ。その白いゲソの課長の目が一瞬きらめいたと思った次の瞬間に、ソウの両手は課長の手に包まれていた。

 

 

 

「やあ、会いたかったよ! 伝説のショタ!」

 

「はい?」

 

「…ゴホン、初めまして。ソウ君だね。僕の名前はナタ。

今このハイカラスクエア中でもっとも殺害予告を受けるイカさ」

 

「は、え、え、ええ?」

 

「課長、本能を抑えたのはいいとして、その自己紹介はどうにかならなかったんですか?」

 

 

 

この謎の白イカの謎についていけないソウだが、部下のイカは慣れているせいかツッコミでフォローしていく。

 

 

 

「えー、でもさ。僕といえばこれじゃない? ほら、一番印象に残る自己紹介じゃん」

 

「いやいや、もっとあるじゃないですか。課長なんだから、まさにそこ説明しましょうよ」

 

「…課長、ですか?」

 

 

 

疑問を持ったソウの言葉には、課長はテンションを増し増しで応答する。

 

 

 

「そう! 実はね、僕は一応役職持ちなんだよね。

『バトルレギュレーション調整課』…聞いたことはあるかな?」

 

「…いいえ、すいません」

 

「うん、まあそーだよね。イカ達ってナワバリバトルは好きだけど、その裏方に関しては興味ないもんねー」

 

「そ、れは…」

 

 

 

自虐するような、どこか諦めの篭った言葉に、ソウは少し言葉に詰まった。だが、ナタ課長はニッコリ笑ってソウに説明を提供する。

 

 

 

「まあ平たく言えばね、メイン、サブ、スペシャル、ギア。

バトルに関わる全ての要素を出来うる限り平等に。それが、僕らの主な仕事さ」

 

「平等……ですか」

 

「そう。どのブキも、みんな違って、みんないい。このブキを持てば最強ってのはダメ。あのギアパワーあればこのギアパワー要らないってのもダメ。どのブキ持ってどのギア着ても、みんな平等に勝つ可能性が与えられる。その調整を日々検討しているのが、僕たち『バトルレギュレーション調整課』ってことさ」

 

「な、なるほど……そ、それじゃあ、あの…さっきの殺害予告ってのは…?」

 

「うん、それね。あー、ソウ君ってさ。バトルは…まだ未経験かな?」

 

「は、はい」

 

「そーだよね。そーだとね、ちょっと理解しがたいかもしれないねー」

 

 

 

苦笑いしたナタ課長は、指を立てて説明する。

 

 

 

「あのね…僕ら、結構やってるのよ。例えば、あるブキが他のブキより強すぎるせいでバランスが悪いから、そのブキを弱体化して調整する、みたいなことをさ」

 

「はあ……え、ま、まさか……殺害予告って……それで!?」

 

「ふふふ…バトルに命をかけてるイカってさ、案外たくさんいるんだよ。そんなイカからすれば、自分のブキが弱くなっちゃあ、面白くないよね。ただ面白いのはさ、当のイカたちは誰がどう弱体化を決めてるかを知らないから、その誰とも知らない『自分のブキの弱体化を決めたイカ』に殺害予告を送ってるのさ。もちろん宛先が分からないからナワバリバトル本部に直接ね! ハッハッハ!」

 

 

 

ワザとなくらい大声で笑うので、本当に面白いと思っているかどうかはソウには分からなかった。ただ、少なくともソウにとっては殺害予告がくるほど殺伐としている状況は少なくとも笑い事ではないことのように感じる。

 

 

 

「…と、僕の身の上話はこれくらいでいいとして」

 

 

 

ナタ課長は大笑いを引っ込め、ソウの右手にある『ブキ』と、背中のインクタンクの隣についている『長方形型の機械』に視線を向ける。

 

 

 

「今日ここに来たのは、あくまで仕事。ブキチ店長から聞いた、

新しく開発されるブキとやらを見定めなきゃいけないわけだけど…」

 

「…それ、かい? 君の新しい『ブキ』は」

 

「…はい」

 

 

ふむ、とナタ課長は何かを考えるように顎に手をあてる。

 

 

 

「ブキチ店長。調整はどのくらい?」

 

「ほぼ最終形に近づいてきてるでし! あとは『発射』中の姿勢制御のためのインク量調整さえ終われば、あとはちょっとした微調整を入れて完成でし!」

 

「なるほど…じゃあ今の状態でいいから…ソウ君、一発頼むよ」

 

「……分かりました」

 

 

 

ソウが、静かにブキを持ち直す。

それを受けて、ナタ課長の部下のイカのうちボーイが遠巻きにソウの左側に移動し、クリップボードとペンを構えた。ガールはソウの後方から確認を行い、肝心のナタ課長はソウの正面…ただしもちろん充分距離をとって、真剣な表情で真っ向からソウを見つめる。

 

 

ブキチ店長を合わせた合計4人の視線を一身に浴びつつも、ソウは静かに『ブキ』を構え…小さく、息を吐く。

 

キーン、という妙に鋭い、今までのチャージャーのどれとも違う、

金属音のようなチャージ音が静かな試し打ち場に鳴り響く。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

バシュッ!

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

それは…まさしく『一閃』

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「…へえ」

 

 

ナタ課長は、ニヤリと笑った。

 

 

 

 

ソウがブキを下ろして構えを解く。

その場にできたインク跡をボーイが丁寧にクリップボードに書き表し、見たままの情報もメモっていく。後方でソウの動きを確認をしていたガールが、ポツリと呟いた。

 

 

 

「背中の『アレ』……まさか、『ブースター』?」

 

「…ご名答でし」

 

 

 

してやったりの顔はブキチ。ナタ課長は心底楽しそうな表情でソウに近づく。

 

 

 

「…かっこいいけれど、その無駄のないフォルム。それゆえに、チャージャーとして不可欠なインク圧縮機構をどこに搭載するかという問題。そして、いくら『近距離型のチャージャー』というコンセプトとはいえ、最初の設計のままでは射程距離があまりにも短すぎるがゆえ、バトルでの使用は難しすぎるという問題。…その二つを同時に解決する案が、『インク圧縮機構と連動したブースターを、背中のインクタンクと一緒に取り付ける』…というわけだね」

 

 

 

そう、先ほどブキを使ったソウの立ち位置は…前方に大きく移動していた。

それは背負われているインクタンクの隣の銀色の長方形型機械…それからインクが勢いよく吹き出すことで推進力を生み出したのだ。それは、マニューバのスライドやスペシャルウェポン『ジェットパック』のインク噴出機構のような。

それと同時にこの機械はチャージャーのインク圧縮機構も備えており、それがブキと繋がっていることでチャージによる高圧力発射を可能にしている。

言うならば、ブキの一部を背中に背負っているとも表現できる。

 

 

 

「なるほど…ブキそのものにインク圧縮機構をつけるよりも、

体に装着するタイプにして後にブキと接続すればいい…と」

 

「うんうん。元々ブキの形がスリムなのもあって、

こうした方が違和感も少ないし、何よりカッコ良くていいよ」

 

 

 

ガールの呟きを捕捉する形でナタ課長が説明し、ソウの持つブキを触って確認する。ついでにソウの肌へのタッチを忘れていない。

 

 

 

「移動しながら攻撃、というのも斬新ですね。一応類例として『クアッドホッパー』系列の存在もありますが、あれは追撃と牽制の二つの用途を使い分けていくタイプ…こちらは、とにかく最初の一撃でのキルだけを目的に距離を詰めていく…まさに、殺意のブキですね」

 

「相手から見れば攻撃と同時に一瞬で距離を詰められる訳だから、マニューバーのスライドと同じ感覚での対処はダメだよね。攻撃後の位置関係まで念頭に置いて対処しないといけないのは、難しいだろーね。ただ、こちらはチャージしながら近距離で戦わないといけないって点を考えると、これくらいの強化要素は妥当だと思うよ」

 

「あのう……俺の体も触ってるのは、何か深い意味が?」

 

「ないないない。ないから、安心して触られててね」

 

「あ、安心できません…よ」

 

 

 

手が服の中まで及ぶ直前で流石に身の危険を感じたため、ソウは慌ててスルリとナタ課長から離れる。課長が非常に残念そうな顔をしているのがなおさらガチっぽくて震えた。

 

 

 

「で、さ……そのブキの方……もうちょい、射程伸ばしたらどうかな?」

 

「…いいんでしか?」

 

 

 

首を傾げるブキチに、ナタは付き添いボーイの書いたデータを確認しながら、一つ頷いて答える。

 

 

 

「まあ、環境バランスを考えてみても、まだ強化しても妥当なラインだと思うよ。チャージャーとしては()()()()()()を抱えている点を踏まえても、ね」

 

「一回見ただけでそこに気づくのは流石でしね、ナタ君」

 

「ブキチ店長の大まかな説明で、大体予想はついてたさ。ま、その点に関してはサブスペでフォローできるようにするか、あるいは…ってところかな」

 

 

 

 

「けど、まだ調整はあるんでしょ? もうちょっと僕らも付き合わせてもらうよ。仕事だからね」

 

「わかったでし! じゃ、ソウ君ブキを貸して欲しいでし! ブースターの出力を調整するでし!」

 

「は、はい!」

 

 

 

この怪しい白イカ、いや『バトルレギュレーション調整課』課長、ナタ。彼の言ったもうちょっとは全然『もうちょっと』ではなかったことを知ったのは、深夜になってからであった。

 

 

 

 

 

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表で店番してたスイトすらも退勤し、とっぷりと夜が更けた頃。

 

 

 

「ふー、まあ大分かかったけどここまで決めるべきことを決めたんだ。

これなら明後日には実装許可の出願にいけると思うよ!」

 

「いやー、久々の武器開発ともなると、テンション上がってしまったでしねー」

 

「………」

 

「大丈夫でしょうか? ソウさん」

 

 

 

笑い合うブキチ店長とナタ課長の背後で、パイプ椅子に座って燃え尽きたポーズ状態のソウを、ナタ課長の部下のボーイとガールが心配する。

 

 

「はっはっは、ソウ君ったらまだまだ若いんだから、僕がこんなに元気なのに君がこのくらいでへこたれてるのはよくないよ」

 

「うう……が、頑張ります…」

 

「ソウさん、ずっとブキの試運転してたあなたと、ただ指示と検討だけをしていた自分を同一視する課長の言葉は気にしないでいいです」

 

 

 

ヨロヨロと立ち上がるソウを抑えながら課長の部下ガールがフォローの言葉を吐く。

 

 

 

 

「とは言っても、こんなに夜になっちゃ危ないでしょ。

この店、緊急用に泊まるスペースあったよね、泊まっていったら?」

 

「……いいえ、今日は帰りたいと思います」

 

 

 

 

ナタ課長の申し出はもっともであったが、ソウは帰りたい理由があった。

というのも、先程から緊急用として貰っていたイカの形をしたスマホ(ユイとクロにしか繋がらない超簡易タイプ)がユイのメール着信を知らせて震えているのだ。

 

ユイはソウに対してやたら「過保護」である。こうして仕事としてカンブリアームズを通勤すること三週間。未だユイの心配は尽きることなく、職場への到着メール、仕事中問題ないかの確認メール、仕事場を出たという確認メールなど、とにかくソウの安全管理にいとまがない。

 

今日にいたっても、帰りが遅くなるということは事前に出かける前にも言っておいたはずなのに、スマホにはユイが自分のことを心配するメールと帰りを催促するメールが溜まるばかりである。

 

この上今日は職場に泊まるなどと連絡しようものならどうなるか。ソウの予想では、ユイなら自分を引きずってでも取り返すべくこのカンブリアームズまで乗り込みかねない。そうすれば、職場のみんなにも迷惑がかかる。

 

とにかく、そうしてナタ課長の提案を断るが、思いのほか課長は引き下がらなかった。

 

 

 

 

「いやいやいや、さすがに危ないって。外こんな真っ暗だよ?」

 

「だ、大丈夫ですよ。今までも夜に帰ってましたし、帰り道もちゃんと覚えていますから」

 

「でもこんな深夜に帰ったことないでしょ? 悪い奴らに襲われちゃうかもしれないじゃない!」

 

「わ、悪い奴ら? い、いや襲われるなんてまさか…俺なんかを襲う人はいないでしょう」

 

「…『俺なんか』って……いや、じゃあせめて付き添いをさ。僕じゃなくても、僕の部下が送っても…」

 

「大丈夫です! すいません、急いでいるので、失礼します!」

 

「え、ちょちょっと」

 

 

 

 

震えるスマホと脳裏に浮かぶユイの顔が段々大きくなってくる妄想に押されて、ナタ課長の制止も聞かず、ソウは弾けるように一礼して試し打ち部屋から退出した。

 

 

沈黙が流れること数秒。固まったナタ課長に部下のボーイが声をかける。

 

 

 

「課長。俺らも帰って、今日の業務報告書纏めなきゃ…」

 

「…急用ができた」

 

「は?」

 

 

 

予想外の返事に怪訝な顔になるボーイだが、そんな部下を気にせず、ナタ課長は回れ右をする。

 

 

 

 

「ごめーん! 今日の分の報告書は明日の分と纏めて出すよ! あ、君たちも今日はこのまま解散でいいよ! じゃーね!」

 

「あ、ちょっと課長!」

 

 

 

先ほどのソウと同じく、制止を聞かずに飛び出していくナタ課長。

この試し打ち場に残ったのは、課長の部下二人と、完成形の新ブキを抱えたブキチ。

 

 

 

「…課長ったら、こんな夜更けに何の用だよ…?」

 

「大方今日ソウさんに会ったお陰でショタコンパワーとやらの収まりがつかなくて、専属のショタでも愛でに行ったんじゃないかしら」

 

「なるほどなあ。しかし、あんだけ筋金入りのショタコンなのに、どんなショタにも絶対に手は出さないって大した紳士だよな」

 

「そういうのを俗に変態紳士というのよ」

 

 

好き勝手に感想を漏らす二人を尻目に、ブキチは手にブキを抱えながら、ぽつりと呟いた。

 

 

「うーん、悪い予感がするでしね…」

 

 

 

 

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「…やっぱ、歩いて帰るか」

 

 

結局1分もランニングが持たなかったソウは、広場を抜けた所で息を切らしていた。

 

ちょくちょく休みながらとはいえ、軽く100回は超すほどのブキの試射、それを深夜まで続けていたら、さすがに体は疲れる。それを抜きにしても、なんだか人間の時も疲れやすいとソウは思っていた。

 

 

 

(やっぱ体が小さいから、かな)

 

 

 

元々この世界のイカは人間に比べて小さい。その中でソウはさらにもう一回りだけ小さかった。

今のところ、小さいことでメリットを感じたことはほぼない。強いて言うならば足が速くなったような気がするくらいだ。

 

ソウは震える携帯を取り出す。

起動することでとりあえず震えは収まり、ユイからのメールが表示される。

相変わらずソウを心配する言葉が並ぶメールに対し返信。今から帰る旨を伝える。

 

 

 

「…ふう」

 

 

 

メールのを終えて、電源ボタンを押してスマホをスリープモードにした。

 

 

 

 

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ソウが気がつかなかったのは、疲れだの、携帯に注意を向けてただの、そんな理由の前にまず『油断』が挙げられるだろう。

 

 

まさか、自分を襲うやつなんて、いるわけないと。

まさか、自分をつけていて、後ろから忍び寄っているやつなんて、いるわけないと。

 

 

 

まさか、携帯を切った瞬間に後ろから口を塞がれて、羽交い締めにされるわけなんて……ないと。

 

 

 

 

 

「っっ!!」

 

 

 

 

 

最初は、脳が動かなかった。突然すぎることのせいである。

だが、手から離れたスマホが床に落ちる音で、ようやく今おかれている状況を理解した。

 

 

 

ただ、理解した所で…口を塞いで首を抑える一人と、ソウの両手を掴んで抑える一人が背後にいることがわかった所で……ソウの抵抗は一切の無駄だった。いくらもがいても、ただ襲撃者にそのまま引きずられていくのを止めるどころか、時間稼ぎにすらならなかった。

 

 

 

 

 

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ソウの体がようやく解放されたのは、とある路地裏の突き当たりだった。

解放されたとは言っても、抑えが解かれたというだけ。

自由の身になったというわけではなく、背後の壁と目の前の襲撃者二人によって完全に袋小路となっていた。

 

 

 

投げ出された体からなんとか起き上がろうとした瞬間、唐突な光によってソウの目はくらんだ。

襲撃者の一人から、突如発せられた光。恐らくは懐中電灯の類だろう。

真っ向から光を向けられ、目が慣れないうちに襲撃者がずいっと顔を近づける気配がした。頭突きでもかましてやろうとしたが、頭はしっかり手で抑えられているという徹底ぶりだ。

 

 

 

 

「…間違いねえな。写真の通りだ」

 

 

 

 

襲撃者の呟きが聞こえた。それと同時に、目立つことを避けるためか懐中電灯の光は消えた。せっかくの光だったが、目が慣れないうちに光が消えてしまったため、結局襲撃者の顔は見えなかった。

 

 

暗闇で目が慣れると、襲撃者の輪郭だけはようやく見えるようにはなったが、

顔はどっちにしろ見えない。

ソウは精一杯の勇気を振り絞って、体を起こしつつ口を開く。

 

 

 

 

 

「…なんで……俺を?」

 

 

「へえ。思ったより冷静なんだな、お前」

 

 

 

 

 

先ほど顔を確認してきた方の襲撃者が、面白そうな声を出す。

それに加えて、もう一人の襲撃者の方が冷たい声を出す。

 

 

 

 

 

 

「お前は知る必要はない。…もっとも、これから間も無く知ることになるがな」

 

「そういうことだ。さあて、静かなところに来た所で、ゆっくり簀巻きにして連れていくとするか」

 

「!」

 

 

 

 

 

 

ニヤリと笑った襲撃者の片方が、何かを取り出した。

ビビビという聞き慣れた音から、ソウはガムテープと推測した。

そして、さっきの「連れていく」というセリフ。

 

 

 

 

 

間違いない。何のためかはまだ確証はないが、こいつら誘拐犯だ。

 

 

 

 

 

そう確信した瞬間、ソウは動いた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「おおおおおお!」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

無意識に雄叫びをあげて、ソウは相手へ突進して強行突破を図る。少なくとも、両手でガムテープを広げている一人目を不意打ちで突破すれば、何とかなる。いや、何とかしなくてはならない。

 

 

 

 

 

 

 

 

しなくてはならない……はず、だったが。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

余裕の表情の襲撃者は、両手が塞がっているまま器用にソウの突撃を躱し…

そして、後ろに控えていたもう一人の襲撃者が、一瞬でソウを地に叩きつけた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「あっ、がぁっ…ああっ!」

 

 

 

胸に強い衝撃を受け、呼吸が一瞬止まって痛む。

顎にも衝撃が来たせいで、脳が揺れてグワングワンする。

ソウの脳は、また一瞬止まった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「…こういう状況に置かれたショタがとる行動はなあ……大きく言って、二つだ」

 

 

 

 

 

 

相変わらず舐め切ったような、楽しんでいるような声が聞こえ、

ソウの心はスポンジのように絶望を吸って黒くなっていく。

 

 

 

 

 

 

「怯えて言いなりになるか……お前みたいに、無駄に抵抗するか。

…どちらも、それなりに、たくさん見てきたぜ」

 

 

 

 

 

 

襲撃者がガムテープでソウの手を縛る。冷たい感触がソウの手首を伝って…全身に広がって、心臓を凍らせる感触を覚えた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

先ほど働いていた「こいつらは誘拐犯」だと分析する冷静な思考。

「何とかしなくてはならない」という勇気。

 

 

 

それらは全部、叩きつけられた体への衝撃と一緒に壊れてしまっていた。

代わりに残ったのは、ただただ『恐怖』だけであった。

 

 

 

恐怖なら、今までも感じていた。具体的には、まさにこの世界に来た初日。

しかしあれはあまりの奇想天外、常識外れのことすぎたのもあり、思考が停止したことも多々あったり、恐怖と驚愕がほぼ半々に入り混じった感情が常だったと言える。

 

 

 

今のこの感情。それは純粋な『恐怖』だけである。

誘拐というソウのいる現実世界でも起こっている犯罪。

身近に起こり得て、その恐ろしさを充分理解できている犯罪。

 

 

 

 

 

…そして、それに対抗ができないと身を以て味わっている今。脳は全身で警告を鳴らす。危険だと。

その警告をもとに体を動かす。しかし、抑えつけられた今、抵抗ができない。好転しない状況の中、脳は警告を鳴らし続ける。危険だと、危険だと。

 

 

無理だと分かっていても、生物の防衛本能から、脳が警告を辞めることはない。危険、危険、危険。どうにもできない。危険。危険。危険。

 

 

 

そうして狂った脳の警告が、『恐怖』となってソウを襲った。

お化け屋敷だのホラー映画だの、偽りの恐怖とは何もかも違う、警告の嵐の恐怖。生物の本能に訴える、絶対に抑えられない感情。

 

 

 

 

 

 

 

 

その恐怖が決壊し、意味の分からない言葉として口から漏れ出すより早く、

襲撃者の手によって口にガムテープが貼られる。

 

 

そのガムテープを貼った張本人の襲撃者は、わざわざ懐中電灯でソウの顔を照らして、覗き込む。

 

 

 

 

 

「…おいおい、そんな怯えた目をするなよ。ゾクゾクしちゃうじゃねえか…ふふっ」

 

 

 

 

 

明らかに狂気染みた言葉と含み笑いを漏らす襲撃者。

そんな時ソウを抑えていたもう一人の襲撃者が声をかけてきた。

 

 

 

 

 

 

「……あまり遊ぶな。()()()をお待たせするわけにはいかんのだぞ」

 

「そりゃそーだ。じゃ、とっとと済ませちまうか」

 

 

 

 

 

 

女王様。

恐怖に支配された脳でも、その言葉だけはしっかりと刻み込まれた。

 

 

 

*

*

*

*

*

*

 

 

 

だがその時、その言葉よりもソウの耳に刻み込まれたものがあった。

ドゴォン、という小さな爆発にも似たような音。

それはソウにも聞いたことがあり、

そしてこんなところで聞くのはあり得ないはずの音であった。

 

 

 

「…誰だ!」

 

 

 

襲撃者が声を上げ、音が聞こえてきた路地の入り口の方へ懐中電灯を向ける。床に転がっていたソウは、何とか顔だけをあげて光が示した人影を見た。

 

 

 

「…ガールか」

 

 

 

ソウを抑えていた襲撃者が呟いた。

光に目が慣れてきたソウが見ると、確かにそこにいたのは無表情のガールのイカだった。ただし、ソウには見覚えがない。

唯一既視感を覚えたのは、頭につけているギア。あれは、ユイがいつもつけているのと同じパイロットゴーグルであった。

 

しかしそれ以外は全く知らない。

頭の左側に長く垂れた真っ青なゲソも、黒いジャケットと靴も。

 

 

いや、もう一つだけ、既視感を覚えるのがあった。

そのガールが銃口を上に向けて掲げているブキ…『リッター4K』

 

さっきの聞き覚えのある音は、リッター4Kの射撃音だった。そして銃口の向きと、彼女の足元にできた青いインク溜まりから、彼女が真上に向けてリッターを射撃したのがわかる。

 

 

 

 

「おうおうおう。いっちょ前にリッター構えてる嬢ちゃんよ、どうしたんだい?」


 

 

 

舐め切った態度の方の襲撃者が、ガムテープを放り出してリッターのガールに近づく。目の前まで迫られ、脅すように懐中電灯を向けられても、そのガールは一歩も動かず、表情を変えない。

 

 

 

「ひょっとして、俺らを撃とうとしてパニクっちったか? そいつは残念だったなあ。もうちょいナワバリで練習した方がいいと思うぜえ?」

 

「……」

 

 

 

煽るようなセリフを聞いても、ガールは上に構えたリッターを目の前に向けることすらせず、ただ静かに立ち尽くしていた。…が、数秒後に小さく呟いた。

 

 

 

「…全く、私を君たち犯罪者と一緒にするな」

 

「はあ?」

 

 

 

ガールにしては低い声。そして、襲撃者からは意味が分からなかったのか

怪訝な顔のまま首をひねる。

 

 

 

「バトルでもないのにイカをキルするのは犯罪行為だ。私は犯罪行為をするつもりはない」

 

「ほーう。思ったよりお利口さんじゃねえか。…だが、大人しく見て見ぬ振りして逃げてりゃ、もっとお利口だったかもなあ…ククッ」

 

 

 

懐中電灯を右手に持ったまま、襲撃者は左手で折りたたみナイフを取り出した。そのナイフを向けられても、リッターのガールは相変わらず怯まない。

 

 

 

「…犯罪行為はしないと言ったが、犯罪行為を見逃すつもりは毛頭ないのでな」

 

 

 

「ふん……面白いこと言うじゃねえか、嬢ちゃん。

だが、キルもできないで、どう見逃さないって言うんだい?」

 

 

 

 

 

 

 

 

「なに……答えは簡単だ」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「…上だっ!」

 

「……なにっ!?」

 

 

 

 

ソウを抑えていた二人目の襲撃者の警告により、リッターのガールと対面していた襲撃者が上を向く。

 

向けられた懐中電灯の光の先には一人のイカ。そして、そこから伸びる真っ黒な射線。

 

 

 

 

 

 

 

撃破逮捕(アレストキル)ができる仲間に捕まえさせる。…単純で合理的な、解決策だ」

 

 

 

 

 

 

 

その言葉が放たれた瞬間、爆発音にも似たチャージャー特有の射撃音と共に、黒いインクの爆発が発生した。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

懐中電灯が地面に転がり、無意味な所を照らす。

襲撃者の衣服や折り畳みナイフが黒インク溜まりに落ち……数秒でそのインクの中に沈んで消えていった。

 

黒インクを浴びたリッターのガールは、落ち着いた表情でハンカチを取り出し自らの体にかかった黒インクを拭き取って行く。

 

 

 

 

「……くそっ!」

 

 

 

 

もう一人の襲撃者が、ソウから手を離して弾かれたように駆け出した。

逃走を図るつもりであったのか、はたまた突然の乱入者を無力化しようとしたのか…だがいずれにせよ、彼が数歩動いた瞬間

 

 

 

 

 

ドゴォン!

 

 

 

 

 

 

二度目の、黒インクの爆発。『無駄に抵抗』した襲撃者の体はあっけなく黒インクの水溜りへと変わり、衣服はインクに沈んで消えた。

 

全て、一瞬であった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

恐怖に染まっていたソウは、未だ混乱の渦中にあった。

頭が正常に働いていないのだ。そのため、いま起こったこともほとんど理解できていない。

 

 

 

そんな恐怖の氷をソウの脳が溶かしたのは、ソウに近づく一人のイカを認識した時だった。最初は、分からなかった。懐中電灯の光もないし、無言で近づいてくるイカに未だ恐怖していた。

だが、優しく体を起こされ、口のガムテープがそのイカによって剥がされた時。奥のリッターのガールがこちらに懐中電灯を向けて来たことで、そのイカの顔が照らされる。

 

 

 

 

 

「……クロ…さ、ん」

 

「……じっとしていろ」

 

 

 

 

 

クロだった。

ゲソが黒いことと、持っているのがいつも使っているの96ガロンではなく、黄色と黒のコーディングが施された『ヒーローチャージャー レプリカ』であることを除けば、その顔も、声も、間違いなくクロであった。

 

 

 

 

 

(助かった……助かったん、だ…)

 

 

 

 

他のガムテープをクロが剥がしている間、ようやくソウは自らが助かったことを実感した。恐怖一色で体全体を凍らせていた氷が、溶けていく感触。そうして溶けてった氷は水という安心感として、再び体に満ちていく。

 

やがて、クロが全てのガムテープを剥がしたことで文字通り完全にソウの体は解放された。

 

 

 

「…立てるか?」

 

「…はい………あ」

 

 

 

全く意図せず、目元から一滴の涙が溢れ出た。

 

 

水という安心感が身体中に満ちたのみならず、涙という形で現実の自分にも現れてしまったのだ。この世界で目覚めてしまった初日ですら流さなかった涙。この世界に来て、二度目の涙であった。

ちなみに一度目は、ユイの料理を手伝うために玉ねぎを包丁で切った時である。

 

 

 

 

 

 

 

ソウの涙を見たクロは、突如ソウを抱き寄せた。

 

 

 

 

「…クロ…さん」

 

「助けが遅れて…本当にすまなかった。もう、大丈夫だからな」

 

 

 

 

 

すまなかった、というクロの言葉が、ソウの脳裏に反芻される。

この時、クロが責任を感じているということをソウは感じた。

 

 

 

 

そんな、とソウは思った。

今回のことは、完全に自分のせいだ。ユイの過剰なくらいの心配に、その意味を考えすらせず、鬱陶しさすら感じ始めていた自分。泊まった方がいいという職場のイカ達の勧めを振り切って、深夜に出てきてしまった自分。

 

 

 

 

俺を誘拐するやつなんて、いるわけがない。

そんなの、人間世界の常識じゃないか。

そんなの、人間の俺の話じゃないか。

 

 

 

自分の勝手な判断で、自分で勝手に危険な目にあって、

クロの手を煩わせた挙句、責任まで感じさせてしまった。

 

ソウは、強い自責の念に駆られた。

 

 

 

 

「全くだ。私が彼を見つけていなかったら、一体どうなっていたことだろうな」

 

 

「…それについては、感謝している。お前のリッターの射撃音のお陰で、迅速にここへ駆けつけることができた。助かったぞ、ピース」

 

 

「感謝もいいが、これからきちんと気を配ってやることだ。また狙われる可能性は充分にあるのだからな」

 

 

「ああ。無論、そのつもりだ」

 

 

 

 

こうして落ち着いたところで、クロの体から離れたソウは

ようやくクロが「ピース」と呼ぶもう一人のイカに注意を向ける余裕ができた。

 

 

肩に担いでいるのは、最初にクロが心を奪われたブキ、リッター4K。

ユイと同じパイロットゴーグルというギアを頭につけており、あとは黒いジャケットと黒い靴。

青いゲソのガールは、クロと親しく…というレベルかは分からないが、少なくとも初対面同士の会話ではないことは明らかである。

 

 

 

「クロもそうだが、君も君だ」

 

 

 

と、そんな風にソウが考えてるうちに、いつの間にか件のガール…ピースが目の前に来ていた。その低い声は妙に威圧感があり、ソウは内心ビビった。

 

 

 

「帰りが遅くなるのならば、事前に迎えを頼むなりなんなり方法はあったはずだろう。世の中、君みたいなイカを無理にでも自分のものにしようとするショタコンはいくらでもいる。周りがいくら注意していても、君自身が何より注意しなければ何も意味がないのだ。以後は充分に気をつけた方が身のためだ」

 

「は、はひ…」

 

 

 

ビビったままかしこまってしまうソウ。そしてこのガールの言葉によって、

ソウは今やっと自分が拐われそうになった理由を知った。

 

 

 

(そうだ……そういえば、俺、今はショタだったっけか…)

 

 

 

正直ここ最近、全然自覚することはなかった。

そういえば最初の頃、ユイがソウに性的興奮を抱いてたとか衝撃的な事実が聞かされたことがあった。あの時はイカのことをよく知らなかったのもあって、「イカやべえ」ってなったものだ。

が、その他のイカ…クロやスイトなどは全然そんな様子はなかったので、

ただユイが変なだけなのだと思っていた。不安の種であったユイも最初は怪しい目つきだったが、一緒に暮らして行くうち、やたら過保護で構いたがりなことを除けば至って健全な関係であった。

 

 

しかし、違ったのだ。というより、ソウの認識が誤っていた。

自分に興奮していたユイが変なイカなのではなかった。

あくまでユイはショタコンの一角であり、そしてショタコンにとってのソウは、興奮の対象であることが至って普通だったということなのだ。

 

 

そして、その予想が正しければ、というか今目の前のガールに言われている通り、ソウはその悪いショタコンに目をつけられたというわけだ。

 

 

 

「ふむ、分かったのならそれでいい」

 

 

 

ニヤッと笑ったことで、ガールの威圧感が薄れてソウのビビリが多少引っ込む。

 

 

 

「私の名はピース。クロの元同僚だ。…まあ、今は気ままにバトルとバイトをするただのイカだ」

 

「あ、どうもご丁寧に。俺はソウと言います」

 

「よろしくな。いつかバトルで戦う日が楽しみだ。…ところでクロ、証人聴取があるのだろう。私個人としては、できるだけ早く済ませておきたい」

 

「…ああ。ソウも済まない。すぐ終わるから、もう少しだけ付き合ってもらえるか」

 

「えっと、何かあるのですか?」

 

「今の誘拐犯、一応俺がアレストキル…まあつまり、現行犯で逮捕したことになる。…が、今回は事前調査なしの突発的な逮捕だ。誤認逮捕でないことを証明するため、証人に事情聴取を行う必要がある。」

 

「なるほど……でも、ということは……クロさんの職業って…」

 

 

 

 

 

 

「…()()本職は警察官だ。インクリング犯罪対策課に属している」

 

 

 

 

 

 

 

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それから、二日後の昼過ぎ。

 

 

「ほう、あのボーイがブキの発案者とはな…イカは見かけによらないものだな」

 

 

「…そうだな」

 

 

 

 

先日、ソウとクロが午後を過ごしたカフェ。今そこには、クロと…かの『同僚』 ピースが午後の時間を過ごしていた。

 

 

 

「ということは、今日も職場でそのブキを開発中…ってところか?」

 

「いや、その段階はもう過ぎた…今日は、ナワバリバトルを管理する重役達に、

完成したブキのお披露目をするらしい」

 

「…それは大役だな。一昨日あんな目にあっているというのに。精神的に疲弊してはいないのか?」

 

 

 

意外そうに目を見開くピース。対してクロはいつも通りの無表情だが、どこか影がある表情である。

 

 

 

「さすがに今朝は緊張していたようだが、昨日一日充分に休息させたお陰か、少なくとも一昨日の事件によるトラウマやショックはないようだ」

 

「そうか……その割には、何か思うところがありそうな顔をしているようだが?」

 

「…分かるもの、なんだな」

 

 

 

「君は一見、感情が掴みにくいのは確かだ。だが、多少なりとも付き合いがあるイカが観察力を働かせれば…逆に分かりやすい」

 

「……そうか」

 

 

 

感情が分かりやすいと言われ、複雑な感情を抱いてしまうクロ。

そして、それも目の前のピースにも何と無く感じ取られている。

 

 

 

「…ソウは適切な警戒心を身につけるようになった。ソウに関しては心配はない」

 

「心配しているのは、別な要素……例えば『女王様』とやらを信望している誘拐犯のこと……か?」

 

「さすが、察しがいいな」

 

「私もインクリング犯罪対策課に勤務していたあの頃は、無駄ではないということだ」

 

 

 

クロは納得したように頷くと、本題に移る。

 

 

 

「先ほど署に寄ったのだが……あの誘拐犯二人、既に釈放された後だった」

 

「…なんだと?」

 

 

 

ピースは、眉根を寄せて怪訝な顔をする。

 

 

 

「まさか、無罪放免になった訳ではないだろうな?」

 

「いや、罪自体は認められた…だが厳重注意の上、仮の釈放と相成ったらしい」

 

「馬鹿な。いくらなんでも誘拐未遂だぞ、処罰が軽過ぎるだろう。それに『女王様』という首謀者の存在について割れてもいないのだろう? そんな状況で重要な容疑者を釈放するなど…」

 

「ありえない。無論、署長とてそんなつもりは毛頭なかった。…だが、今回の釈放は署長の意向ではない」

 

「…どういうことだ?」

 

 

 

 

体を乗り出し、問い詰めるピース。

元警察官の彼女としても、不本意な犯人の釈放は気にくわないのだろう。そしてそれはクロも一緒である。もはや初対面の人でも分かるくらい苦々しい表情になっているクロは、半分吐き捨てるように答えた。

 

 

 

 

「ある人物からの口添えがあった。容疑者は充分反省しているだろうから解放するように、とな」

 

「…そんな馬鹿げた理由で容疑者を釈放できるほど…そして署長の意向すらも捻じ曲げる口添え……か」

 

 

 

 

 

 

 

 

「…そうだ。具体的な名前こそ伏せられていたが……間違いなく、このハイカラスクエアにおける最高権力…ナワバリバトル総本部の重役」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「おそらく…まさに今日、ソウが会いにいく連中のうちの誰か、だろうな」

 

 

 

 

 

 

 

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「うー…大丈夫ですかね…俺みたいなのが、そんな偉い人達と会うなんて…」

 

「何も心配はいらないでし! 何も取って食われる訳でもないでし! それに、説明はボクに任せて、君はただ一回か二回試し打ちするだけで、あとは立ってるだけで大丈夫でし!」

 

「そ、そうですよね……すーっ…はーっ…」

 

 

 

息を落ち着かせて、目の前の大きな両開きドアの前に立つ。

今のソウは、私服とは違うナワバリバトル用の『ギア』というオシャレとユニフォームを兼ねたらしい独自の服装に着替えていた。結び目が前に向けられた黒いハチマキ、タコにも似た薄いマークとロゴが描かれた黒のTシャツと、二つのベルトのようなもので留められている黒い靴。

最近の『アップデート』とやらで新しく追加されたギアらしく、本来ナワバリバトルを一戦も経験していないソウには到底買えない代物だが、せっかくのお披露目ということで今回は特別らしい。

全身真っ黒なコーディネートなのは、『無情な戦士』というのをイメージしているらしいが、ショタの自分がそういう服を着ても果たしてイメージ通りになるのだろうか、ソウは疑問に思っている。

 

そしてこの扉の先。

この向こうに、ナワバリバトルの全てを司るとも言える重役達がいると教えられているため、ソウは結構ビビっている。

しかし、ブキの認可はほぼ通っているためこれはハッキリ言って通過儀礼のようなものらしいし、実際この儀礼を経験したらしいスイトからもなんども教えてもらって予習している(本当に立って試し打ちするだけ)なので、きっと大丈夫だと自己暗示をかけていくソウ。

 

 

 

 

(…それに、一昨日の事件……あんな目に遭ったことに比べれば、こんなこと屁でもないっ!)

 

 

 

 

そう思うと、突然勇気が湧いてきた。

 

 

 

 

「分かりました……ブキチさん、行きましょう!」

 

「了解でし! それでは、いざ、お披露目!」

 

 

 

 

 

ブキチの手によって、大きな扉が開かれた。

 

 

 

 

 

 

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その向こうでコの字型の机に座って、ソウを待ち受けていたのは7人の重役達。このハイカラスクエアにおける、最高権力といっても過言ではない。

 

 

 

 

 

 

一人目。

 

ブキやギア全体を吟味し、流行に合わせた外見デザインを提案したり、この大陸全域のありとあらゆる場所を、ナワバリバトルの「ステージ」として新たに再構築し、イカ達に提供することを目的とした『バトルデザイン設計課』の課長を務めるクラゲ

『ハナガサ』

 

独特な模様のTシャツをきたこのクラゲは、興味深そうに扉の向こうに視線を向けた。

 

 

 

 

 

二人目。

 

バトルを求めるイカ達のマッチングシステム、ガチマッチにおけるオブジェクトの発注及び管理、『バトル用仮想ステージ』へイカ達を転送するワープシステム、バトル中におけるイカ達のリスポーンシステム、そして、塗り面積を一瞬で判断し、バトルの勝敗を判断するシステム。

バトルという競技を確立するために必要不可欠なシステムの常時点検と修復を専門とするのが、『バトルシステム管理課』 そしてこの場にいるのはその課長補佐を務めるクラゲ『オワン』

 

この課の真の課長であり、そしてこのシステムの発案及び開発者である『哺乳類』は、今は、いや今だけでなく常に、デカ・タワーの前で、迷えるイカ達を導いている。

 

 

 

 

 

三人目。

 

エスカベースに存在する、バトルのギアを扱う三つの公認店。アタマ屋「エボシ・エボシ」、フク屋「フエール・ボン・クレー」、クツ屋「ドゥーラック」そして特殊なギアを扱うオンラインショップである「ゲソタウン」。それに加えイカ達に対しクリーニングなどギアパワー関連の商売や取り寄せサービスなどを提供しているスパイキー。

 

これら5つに流通するギアの全管理及び、ギアの二重購入を防ぐためイカそれぞれが持つギアの管理を総括しているのが『バトルギア管理課』 そしてその課長 『ダウニー』

普段から本部ではなく、カフェでのんびり仕事をこなす自由人として知られている。

 

今いるこの場では一応唯一のウニ族である。が、今の所開いたドアの向こうに興味を示している様子はない。

 

 

 

 

四人目。

 

非常にワクワクした表情で扉の向こうを見守っているのは、一昨日ソウが出会った白いゲソのボーイ。

バトルにおけるイカ達の不平等を無くすためにブキのメイン、サブ、SP、またギアパワーの性能検討、調整を主な仕事として行なっている『バトルレギュレーション調整課』の課長、『ナタ』である。

先日のように新たなブキの性能を検討するのも、立派な仕事の一つであった。

 

 

 

 

五人目。

 

上記の重役達が綺麗に両端の机に着席してる中、それから離れた端っこに着席している…いや『置かれている』と言った方が正しいか。

本来なら着席しているはずの席は空白で、その椅子の後ろにはスーツ姿のボーイとガールが一人ずつ、無表情で控えている。

そしてその空白の席の机には……アンテナのついた木彫りの熊の置物。

 

 

それは通信機能のついた置物。

地上の生物からは『害魚』とされていた『シャケ』と呼ばれている生物を

イカ達に倒させる代わりに報酬を与えるビジネスを展開したことで、イカ達から多大な支持を得ており、職務内容上ナワバリバトルの総本部とも関係が深いため、個人企業でありながら唯一この場に列席を許され、それでいて通信機越しにしか話さないため正体不明の謎多き人物。

『クマサン商会』 会長の『クマサン』

 

 

 

 

こうした人物達が左右に列席する中、中央奥に二人並んで控えているのは

この面々の中でも特に重要な地位に立つイカである。

 

 

六人目。

 

 

頭部の右側が痛々しく白い包帯でグルグル巻きにされている、片目のガール。唯一垂れている左側のゲソを指で揉みながら、前を見据えている。

彼女こそ、ナワバリバトルに関する総括を行っている『ナワバリバトル総本部長』『リサ』

 

 

 

七人目。

 

 

その隣、黒縁眼鏡をかけており左腕を失っているボーイ。

右手持ったペンを回しながら机の上の書類を眺めている彼はナワバリバトル本部だけでなく、このハイカラスクエア全体の自治と責任を預かる『ハイカラスクエア町長』『イリグ』である。

 

 

 

 

こうした人物達が列席する中、扉の向こうからまず一歩踏み出したのは八人目の重役。カンブリアームズの店長であり、かつ『バトルブキ管理課』の課長、『ブキチ』が声をあげる。

 

 

 

「お待たせしたでしー! それじゃあみんなお待ちかね、ブキをお披露目に入るでしー!」

 

 

 

テンション高めのブキチの声を合図に、まずソウが一歩だけ踏み出す。

 

 

 

「みんなも知っての通り、今回のブキはとある一人のイカの発想から生まれたブキでし!」

 

 

 

「ブキ種は厳密にはチャージャーの亜種でし。…しかしナタ課長と協議した結果、あえてチャージャーとは新しい区分として登録することにしたでし!」

 

 

 

さらにもう一歩、ソウが踏み出す。

 

 

 

「確かに『チャージをする』という一点だけを注目すれば、チャージャーに属すべきかもしれないでし! しかし、攻撃範囲などブキそのものの性能及び用途、役割の差。そして何より見た目の斬新さを考慮して、新規のイカ達が分かりやすく直感的にブキを可愛がってもらえるようになると踏んでの考えでし!」

 

 

「それでは早速、みんなの目に公開するでし!」

 

 

 

その言葉が、合図。

ソウは奥歯を噛み締め、扉の向こうへ姿を表した。

 

 

 

 

ソウに集められる視線。ブキチの声が木霊する。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「そのブキ種は『セイバー』

そしてこの『セイバー』の第一号となるブキの名前は『イカネサダ・心』

サブウェポンは『カーリングボム』 スペシャルは『バブルランチャー』!きっとみんなに可愛がってもらえるでし!」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

ソウは、背中のインク圧縮機構と繋がっている黒い『鞘』から『刀』を抜いてみせた。鈍い色の刀身が、部屋の電気に照らされ妖しく光った。

 

 

 

 




ナタ

性別:男
ゲソの色:白色
持ちブキ:??????
名前の由来:????
ショタコンパワーとは:ショタを愛することを極めた者に宿るパワー。
絶大な力を手にしているが、きちんと溜まった欲望を処理しないと暴走する危険性を秘めている。



ピース

性別:女
ゲソの色:真っ青
登場経緯:許可をもらってフレンドさんのイカを友情出演
筆者の自分語り:このフレンドさんとの鬼ごっこでリッターを相手に逃げ回ろうとするも
ボコボコにされる。


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新武器 性能 初戦開始

前回と比べると短い? 前回ハッスルしすぎただけです。ハイ。
なお、今回は二話更新となっています。


その刃が晒された瞬間、口の無いクラゲ族であるはずのハナガサから、ほうというため息が漏れた。鈍い光が部屋の光に反射され、どことなく妖めかしい雰囲気が漂っている。

 

「刀身の材質に関しては、『パブロ』の筆毛部分に加えて、最近巷で流行していた新素材を加えて硬質化してメッキを施したでし!しかし、元の素材自体が非常に柔軟性を持っているため、これでイカの体が物理的に傷つくことはないでし! 体を傷つけない柔らかさと『刀』という体系に極限まで近づけるバランスの試行錯誤は非常に難しく、それでいてやりがいがあったでし!」

 

その言葉を受けて、ソウは軽く刀を振ってみる。それで刀身が柔らかく揺れることで、それ自身はまるでゴムのようで、殺傷力がないことはよくわかる。しかし静止しているその様はまるで触れただけで紙を切り裂けそうなほど鋭さを感じられる『武器』を模した『ブキ』に感じられる。これはメッキの塗装技術にもブキチのブキ造りの才能が垣間見える。

 

 

「まだまだ製作については話し足りない部分はあるでしが、ここは敢えて割愛し、今回のメインとなる『ブキの性能』について説明したいと思うでし!」

 

 

その言葉を機に、ソウは背中部分を重役達に向ける。

隻腕の町長、イリグは背中のインクタンクの隣についていた長方形のそれを見て軽く目を見開く。クマサンの像の背後に控えてるスーツ姿のガールが、懐からメモ帳とボールペンを取り出して構えた。

 

 

「これは『ブースター』れっきとしたブキの一部でし!外見の親和性を考慮した結果、ブキに直接接合する形ではなく後付けの接続形式という形を取ったでし!」

 

 

刀をしまったソウは、鞘部分を外してみる。パキンという音を立てて、鞘の後方部分にあるブースターとの接合部分が明らかになる。ソウがカチン、という音で再びブースターと鞘を接続させたところで、ブキチの説明が再開する。

 

「このブースターの起動と同時に鞘と刃に圧縮されたインクが解放されるでし! こうすることで、ブースターで体が前進すると同時に刀が鞘から飛び出すでし! 無論、飛んでいかないようしっかりと柄を握って振り抜くことで、広範囲の一確攻撃が可能になるでし!」

 

その言葉が終わると、天井から唸るような機械音が聞こえてきたと思うや否や、大きなスクリーンがゆっくりと降りてきた。

 

 

「それでは続いて、実際の塗り跡を見てもらうでし! これが試験インクを用いて行った『イカネサダ・心』の攻撃範囲でし!」

「また、参考までに標準的なシューターである『スプラシューター』と、チャージャー中最短射程である『スクイックリン』も列挙して比べて見るでし!」

 

スクリーンの画面が三分割され、三つの画像が映し出された。

 

 

 

【挿絵表示】

 

 

 

 

【挿絵表示】

 

 

 

 

【挿絵表示】

 

 

 

重役達は、画面を食い入るように見つめたまま、動かない。耳をすませば、クマサンの後ろに控えているガールがメモを取る音しか聞こえない。

 

「さらに、より分かりやすく塗り範囲と有効射程を表した図も、こちらに乗せておくでし! 青が有効射程。緑が塗り射程と思ってくれればいいでし!」

 

 

 

【挿絵表示】

 

 

 

大きく映し出された射程比較図を前に、ブキチが説明を再開する。

 

 

「図を見て一目瞭然なように、このブキ一番の特徴は『広範囲一確攻撃』でし! 一確攻撃と言えば、ローラーやブラスター…そしてチャージャーの十八番というのが今まで常識でし! しかしこのブキは自力で接近する必要があるローラーと違い、スプラシューターの射程ほど先にいる相手にも、背中のブースターで距離を詰め、一瞬で確定攻撃を繰り出せるようになったでし!」

 

「その上、眼を見張るべきその攻撃範囲の広さ! これがチャージャーにない利点でし! 命中させるのに一定の習熟度が必要だったチャージャーと違い、このブキは手軽に一撃撃破の快感が味わえる、ある意味チャージャー初級者の入門編と位置づけることもできるブキとなっているでし! …ゼー…ハー」

 

 

ここまで一人で朗々と演説し続けたブキチも、流石に息が切れたらしい。一分ほど息を整えていると、重役達の方から声があがった。

 

 

「ブキチ課長、そのブキの利点についてはよく分かりました。…次は、逆の点に関して、説明を始めてください」

 

 

重厚な声の主は、ハイカラスクエア町長のイリグ。ブキチは息を整え頭を持ち直して答える。

 

 

「ハァー…無論、そのつもりでし!このブキにも他のブキと同じく、欠点を持ち合わせているでし!」

 

「第1の問題点は、『チャージ時間による隙』でし! このブキのチャージ時間は0.5秒。『14式竹筒銃』は0.25秒、『スクイックリン』は0.75秒。でしからちょうどその二つの中間ということでしね!」

 

「これは決して短くないチャージ時間でし! しかも通常のチャージャーであれば、長射程だからこそ敵の攻撃が届かない安全な場所でチャージするというコンセプトのもと成り立ってるでしが、セイバーはブースターがあるとはいえ、チャージしながらスプラシューター並みの射程距離まで近づかないといけないのはかなり危険でし! 特に自分より射程の長い相手には上手く立ち回らないといい的になってしまうでし!」

 

「…なら、チャージキープはどう?」

 

 

続いて鈴を転がしたような声で疑問点を挟んだのは、ナワバリバトル総本部長であるリサである。ブキチは即座に対応する。

 

 

「チャージキープについては、ソイチューバー系列以外のチャージャーと同じく、1.25秒確保してあるでし! ただし、イカ状態からヒト状態に移行する際にかかるブースターの再起動ラグを鑑みると、チャージキープ射撃時の前隙は全チャージャー中で最も大きくなってしまっているでし…。しかし、このブキを上手く扱うにはチャージキープは他のチャージャーよりも重要になってくると見てるでし!」

 

「…なるほどね」

 

 

相変わらず自分のゲソを指で弄りながら、リサは納得したように頷いた。そしてその後は、視線が一点に固定された。…それはブキチのでもスクリーンにでもなく、ソウにである。この時点では、というかしばらくはソウはここで立っているだけでいい、とのことだったか、偉いイカ一人からやたら見つめられていることに気づいてからは、汗だくである。しかし当然ブキチはそんなことには気付かず、説明を続ける。

 

 

「そしてもう一つ、とても大きな欠点があるでし! それは『高台への対処の困難さ』でし!」

 

「…ソレハ、ドウイウコトデス?」

 

 

バトルシステム管理課の課長補佐 オワンが片言のイカ語で首を傾げる 。(見かけ的には頭を傾げると言った方が正しそうだ)

 

 

「その理由は、このブースターにあるでし! 実は前述したブースターにおける移動距離は、あくまでセイバーを『真正面』に向かって放った時だけでし! 上に角度をつけて放とうとすると、その分ブースターの移動インクが減るため、移動距離が減少するでし!」

 

「90度、つまり真上に向かって放とうとすれば移動距離はゼロになるでし! 45度の角度で放てば真正面…つまり0度の時と比べ移動距離は半分になる…と考えてもらえばいいでし!」

 

 

ブキチの説明に、今度はバトルレギュレーション調整課のナタが補足を行う。

 

 

「まっ、これがチャージャーと別カテゴリ扱いにした一番の理由なんだよねー。イカに角度をつけようと射程や威力が一切減少しないチャージャーと違って、セイバーは寧ろ高台は大の苦手。高いところ狙おうとすると射程が極端に短くなっちゃうんだもん。セイバーが得意なのは、寧ろ本来チャージャーが苦手とする平地での真っ向勝負。ここまで運用の仕方がはっきり分かれている以上、キチンとチャージャーとは区分を分けた方がいいと、うちの課も判断したんだよ」

 

 

相変わらずお気楽な様子のナタ課長は、補足を終えるとニコニコしながらソウを見つめる。ソウの汗が倍になる。

 

 

「ふむ…そういえば、フルチャージの時の正確なダメージと、ノーチャージ、半チャージの時のデータについても、説明が欲しいところだね」

 

 

通信機から聞こえてくるようなざらついた低い声に、ソウはギョッとした。その時ようやく初めて、あの机に乗っていたのはクマの置物を模した通信機だということに気がついた。

 

 

「おっと、そうでしね! 大事なことを忘れてたでし! フルチャージの時のダメージは180! 『リッター4K』及び『ソイチューバー』と同等のダメージでし!」

 

「そしてノンチャージの場合、角度の有無に関わらず、ブースターによる移動距離は0での発射。そして半チャージ時はチャージの割合に応じて、ブースターの移動距離が変動するでし! 無論ダメージに関しても大幅に落ち、フルチャージでない限り、ダメージ割合は40〜80の間で上下するでし!」

 

「ほう…今の説明を聞く限りでは、塗り面積はどうやらフルチャージの時と大差ないようだね」

 

 

クマサンの的を射た発言に、ブキチは嬉しそうだ。

 

 

「そう! よく気づいたでしね! チャージの有無で変わるのはあくまで『ブースターでの移動距離』と『ダメージ』の二点のみでし! 刀を振るった場合に発生する塗り範囲はノーチャージでもフルチャージでも変わらないでし!」

 

「つまりは、塗りを行う際はノーチャージが遥かに効率がいいでし! 無論、他の塗りブキに比べば塗り効率は劣るでしが、塗りを補助する意味では、必ず覚えておきたいことでし!」

 

「ふむ…なるほどね…」

 

 

クマサンは納得の意を示したようだ。ただし後方に控えているガールのメモは止まらない。ちなみにボーイの方はあいも変わらず石像のように動かぬままだ。

 

 

「うんうん、ブキチ課長ありがとうねー。新ブキの説明はこのくらいでいいっしょー。後ちょっとだけ、こっちの説明の時間くれる?」

 

「おっと、分かったでし! それではナタ君、お願いでし!」

 

「はいはーいっと」

 

 

ブキチから譲られて今度立ち上がったナタ課長は、辺りを一瞥して、話し始める。

 

 

「それで、最初に言った通りこのブキにつけるサブウェポンは『カーリングボム』そしてスペシャルは『バブルランチャー』に決定したんだー」

 

「今回このコンセプトとしては新ブキであるセイバーの『短所を補う』のではなく『長所を伸ばす』形を目指したんだー。もし、『短所を補う』形なら、一番苦手な高台対策用に『スプラッシュボム』や『キューバンボム』もしくは『ハイパープレッサー』とかをつけるんだけどねー」

 

「このブキの長所はさっきも言ったけど『平地での真っ向勝負』 よって平地での高速移動を補助する目的で『カーリングボム』を付属することに決定、さらに『バブルランチャー』に関してはね…さっき長所を伸ばすとか言っちゃっておいてあれなんだけど…それとはちょっと違う実装意図があってね」

 

「ほら、『バブルランチャー』が実装されてるブキってさ、今はほとんど遠距離ブキじゃない? 強いて言うなら『ロングブラスターカスタム』や『ボトルカイザーフォイル』は中射程…と言っていいかもしれないけどね」

 

「だからさ、今回はもうちょっと前線に赴いてバブルを展開する立ち回りをして欲しいなって思って、この前線向けブキにつけたんだよねー。カーリングボムで前線に急行して、バブルを使ってインクの攻撃から味方を守る思いやりの『心』ってねー…うーん、いいドラマ…」

 

 

ナタ課長は何かうっとりしている。見た目によらずロマンチストだなあとソウはぼんやり感じた。

 

 

「…なるほど。よく分かりました。皆さんは、他に質問はありますか?」

 

 

ここで、町長のイリグがまとめに入る。周辺の人物を一望して、反応がないことを確認する。

 

 

「…よろしい、それでは採決をとります」

 

「新ブキ『セイバー』種、『イカネサダ・心』の実装について。賛成の者は挙手を」

 

 

その瞬間、ソウの心臓は一瞬キュンッとなった。一番不安に思っていた瞬間なのだが、それは所詮杞憂にすぎなかった。町長以外の7人全員が、手を挙げていた。(ちなみにクマサンの方は後ろに控えているガールが賛成の挙手をしていた)あの一番無関心そうにしていたウニの人でさえ、手を挙げている。ソウは心身に染み渡る安心感を噛みしめた。

 

 

「よろしい…では、『イカネサダ・心』の実装をここに決定します」

 

 

その言葉と同時に、パチパチと軽い拍手が沸き起こる。人数が少ないため控えめではあるが、やはりソウは嬉しかった。この自分が認められた感じは、凄く心地いい。実際に皆がどう思っているかは置いといて。

 

 

「資料によれば、このブキはまだ仮デザインとのことなので…バトルデザイン設計課は、今回の性能説明を元に最終デザインの確定を行ってください」

 

「ハイ! 承知しましタ!」

 

「実装日に関しては、次回の実装で四つのブキと一緒に発表するか、それとも次々回の四つの枠に組み込むか…その点は総本部とレギュレーション調整課で競技の上、決定してください」

 

「ええ、了解」

 

「はいはーい、お任せ!」

 

 

数名から確認を取った後、町長は最後に締めの宣言を行う。

 

 

「それでは、これにて新ブキ登録の採決を終了します」

 

 

ソウは、大きく安堵の息を吐いた。

 

 

 

なんかこういう偉い人たちより早く帰っちゃうのは失礼じゃないかなと心の中でソウが迷っている矢先、まっさきにウニの人がスマホをいじりながら立ち上がって退出する。なんか、学校でもこういうクラスメイトいるなあとぼんやり思うソウ。続いて、ブキチがソウの腰を叩いて(おそらく肩を叩くのは身長的に難しいのだろう)サムズアップを示すや否やそそくさと退出した。恐らくは店の業務の方に早く戻りたいのだろうとソウは推測した。さらにクマの置物(型の通信機)を持ったガールと、それに追随するボーイという形で二人が退出する。と、それを見ていたら、今度はナタ課長が満面の笑みで近づいてきた。

 

 

「お疲れ様、ソウ君! やー、わざわざ来てくれて本当ありがとうね! 君のブキについては、僕も頑張って一刻も早く実装できるよう、調整するからねっ!」

 

「は、はい、ありがとうございます」

 

 

あいも変わらずウィンクまでするこのテンションの高さにはちょっと辟易しがちだが、正直自分のブキのために尽力してくれると言ってくれるのは悪い気がしない、というか非常にありがたく思える。なんだかんだ言って、悪いイカではないのは確かなのだから。

 

 

「いやー、この後『ソウ君ブキ実装記念パーティ』でも開こうかと思ったんだけど、この後僕は仕事が山積みでさー…ん?」

 

「…あ」

 

 

ナタのソウに対する上機嫌の語りが中断したわけは、彼の真後ろにいつの間にか静かに立っていたイカに気づいたからだ。隻眼の瞳でじっとソウを見つめているのは、先ほどからずっとだ。それは、ナワバリバトル総本部長であるリサ。ソウにとっては今日が初対面であるはずであった。

 

 

「あ、あの…俺に、何か?」

 

 

ソウはいささか不安感を覚えながら尋ねるが、リサはそれには答えない。しかしその代わり、すっとソウの真横に歩み寄ったかと思うと、驚きで固まっているソウの耳へ、あの綺麗な声で小さく呟いた。

 

 

「…どうか、お爺様と、仲良くしてね」

 

「…え」

 

 

それについてソウが問い返す暇もなく、彼女はスッと出口の向こうへ消えていった。

間抜けに口を開けたまま固まるソウを見て、先ほどの言葉が聞こえていなかったナタは、首を傾げて呟いた。

 

 

「なーに? まさか、リサちゃんもソウ君に惚れちゃったのかな?」

 

 

 

 

*

*

*

*

*

*

 

 

 

 

「ほっほっほ、その通り。リサはのう、わしの孫娘じゃよ」

 

「そ、そうなんですか」

 

「へえー、あんた立派な孫娘を持っているのねえ」

 

「………」

 

 

スイトから驚きの事実を聞き、ソウはううむと唸る。一方ユイは呑気な感想を漏らして目の前の分割ピザをモグモグと食べている。クロは二切れ食べただけでまさかのギブアップなのか、さっきから水だけしか飲んでいない。

 

 

「リサは総本部長として忙しくてのう…わしとは時々メールのやりとりをするだけしか時間が取れておらなんだが…相変わらず心配性じゃなあ。心配せずとも、ソウ君はわしには勿体無いくらい、掛け替えのない友だと思っておるよ」

 

「きょ、恐縮でございます…」

 

「全くよ。ソウ君はお爺さんには勿体無いくらいなんだから、仲良くしなさいよ」

 

「…なんでお前が上から目線なんだ」

 

 

そんな四人がたわいもない会話をしているここは、イタリアという国が既にないはずなのにやたらイタリアン風のファミレスである。実はブキのお披露目会を終えて一旦店によってスイトにその報告をしたら、なんとさっきナタが漏らした『ソウ君ブキ実装記念パーティ』をマジでやろうとスイトが言い出したのだ。わしが全部奢るから君の友達も連れて来なさい、と言われて、今この状況に至る。

それにしてもこの世界でもピザが生きているとは思わなかった。羊も山羊もいない世界でチーズをどうしているのか甚だ謎だが、あとで知った限りではこのピザに乗っているものはチーズに限りなく似せた『チーズに似た何か』らしい。(イカ語の発音を見る限りではこれを『チーズ』としているらしいが)しかし実際本物のチーズと見分けのつかないレベルに美味しい。ユイといえば、奢りなのをいいことにドンドンに平らげている。

 

 

「そんなことよりさ! ソウ君のブキってランクいくつで解放されるんだろうね?」

 

「え、どうなん…でしょう?」

 

「ふむう、恐らくこれはこれから決まる段階じゃろうな…わしの拙い予想だと、ランク一桁台に盛り込んでくるのではないかと考えてはおる。シューター、ローラー、マニューバー、スピナー、チャージャー、シェルターは全て一桁のランクで一種類は手に入るからのう。『イカネサダ・心』が『セイバー』という新しいカテゴリとして実装されるなら、その一番目も一桁台のどれかの段階だとわしは思うのう」

 

「なーるほど! だったらソウ君! 実装されてすぐブキが手に入れられるようにさ、ランク10までをとりあえず目標として上げておこうよ!」

 

「え、あ、バトル…ですよね」

 

「やっぱり不安かのう?」

 

 

首を傾げたスイトに、ソウは正直に心のうちを吐露する。

 

 

「…まあ、正直。スイトさんに色々教えてもらっても…やっぱりいざ実戦ってなると、上手くできるのかなってのは…」

 

「…大丈夫だ。前にも言ったがナワバリバトルは所詮、『遊び』と思えばいい。上手くできなかったところで、笑うやつはいないし、恥にもならない」

 

「ほっほっほ。その通りじゃよ。わしも最初のうちはボロ負け続きじゃった。でも、何十回も負けて行くうちに、本当に自然に勝てるようになるんじゃ。何も考えなくてもな。無意識に体が勝ちにいこうとするのじゃよ。まずは、何も考えず挑戦してみるといい」

 

「…そう、ですね」

 

 

みんなの暖かい言葉は、ソウの心の微かな不安を少しずつ消していくようであった。それに付随して、スイトから教わったバトルに関する多くの自信が、ソウの自信を裏づけていく。昔は正直分からないことだらけだと不安が強かったが、『知っている』ってだけでこうもやる気が違うものだと、ソウは今まさに実感していた。

 

 

「よし、じゃこのあと早速バトル行こう! ソウ君の初陣だよ!」

 

「はいっ! …あの、バトルする時ってひょっとして…?」

 

「あ、そうなんだよねー…多分ユイたちはソウくんとランクが違いすぎるから、多分マッチングしないんだよね…」

 

「そ、そうですよねー…」

 

「だ、大丈夫! ユイ達見守ってるから! ずっとソウ君の側にいるから! 何かあったらすぐ駆けつけるから!」

 

「ありがとう、ございます…」

 

 

 

ちょっとだけ、不安が復活してしまった。

 

 

 

 

*

*

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*

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*

*

 

 

 

 

ワープの感覚は、あの日以来二回目である。

当然ながら、ソウには慣れていないはずであったが、『スーパージャンプ』の感覚と非常に似ていた。スーパージャンプであれば、試し打ち場にジャンプビーコンを置いて何度も体験した。正直、最初は吐きそうになった。ていうか吐いた。しかしそれも最初の話。

 

 

イカ状態から、ヒト状態へ。

眼下に広がるのは、起伏のある道。ガラス張りの建物。自動車に橋。都会の緑化対策のように中途半端気味に植えられた木々。奥の方にはさらに広大なビルや建物が立ち並んでいるが、そこまでは入れないことは、ソウは予習で知っていた。あくまで勝負するのは、バトルデザイン設計課が定めたステージの塗り範囲でのみ。

 

ソウは手元の「わかばシューター」を強く握りしめ、深呼吸した。サブの出し方も、スペシャルの出し方も教わった。スーパージャンプもOK。マップを見る方法は…うん、知ってる。シグナルの出し方…は、この時ソウはまだ知らなかった。

 

 

 

R E A D Y ?

 

 

 

 

「よろしく、お願いしまーす!」

 

「よろしくっ! 頑張ろうぜ!」

 

「OK! よろしくっ!」

 

ソウにとって、同チーム元気一杯のイカ達のテンションは少々圧倒された。

しかし、挨拶を返すのは礼儀だと、人間の頃からも、きっちり教わっている。

息を吸い、ソウは元気な声で他のチームメイトに挨拶を返す。

 

 

 

「…よし! よろしく、お願いしますっ!」

 

 

 

 

 

 

 

G O !

 




リサ

性別:女
ゲソの色:小豆色
持ちブキ:?????????????
名前の由来:???????
包帯について:カッコいい巻き方が知りたい
お爺様について:自分よりも綺麗な太ももしてる



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一章 エピローグ

今回は二話更新となっています。
今回も、もうちょっとハッスルします。


「やあやあ、こんにちはー! いや、初めましてだよね? でも知ってるよ、君。ソウ君の友達でしょー?」

 

「……」

 

「どうしたのかな? 突然面会申し出てくるなんて。これでもちょっと忙しいんだけど…でもま、他ならぬソウ君の友達なら、いいけどねー」

 

「………」

 

「で、ボクに何の用かな? ひょっとして、ボクを殺しにきたとか? …うーん、君のブキは.96ガロンだよね。そんな悪い調整してないはずだけどねー…あっ、ひょっとしてスプリンクラー弱体化の恨み? うわー、それは本当にごめんだけどさー。流石にスプリンクラー持ちと無しとでナワバリバトルにおけるポイント格差の激しさを見逃すわけにはいかなくて…」

 

「ソウを襲うように、連中に指示したのは、お前か?」

 

「──」

 

「…答えろ」

 

「───ふふっ」

 

「……答えろと言っている」

 

「あ、いやあゴメンゴメン…しかし唐突だねえ。どうして僕にそんなことを?」

 

「…ソウを襲撃した連中……あいつらを釈放するように指示を出したのは、お前だな?」

 

「えー、なんか誤解してない? さっきからそんな根拠のない決めつけをされても…」

 

「…たった一言で、容疑者を釈放できるほどの権力を持つ者は…限られる」

 

「いや、そりゃそうだけどさあ…」

 

「可能性がある全員に対し、釈放要求が入った時間帯のアリバイを調べた」

 

「…………へえ」

 

「その結果…お前だけだった。その時間帯に何をしていたのか、ハッキリとした裏付けが取れなかったのは」

 

「あちゃー…そっかあ…一人くらいアリバイがはっきりしてない人いるかなあーって思ってたんだけどなあ」

 

「…貴様、その発言は」

 

「うんうん、OK。そこは認めるよ。あの二人を釈放するように指示したのは…僕だよ」

 

「…ならば」

 

「おっと、その『ならば』の先まで認めるとは言ってないよー。ボクはただあの二人は初犯だし、反省してるし、それなら許してあげてもいいんじゃないかなーって思っただけなんだからさ」

 

「……っ」

 

「それでいいじゃん。…何がダメなの? 大体、連中の言う首謀者は『女王様』でしょ? 僕なんてバリバリボーイじゃん」

 

「どうとでも理屈はつけられる。…ただのコードネームかもしれない。それに今の時代、性転換手術なんてリスクなしで何度でもできるだろう」

 

「んー、まあそうだよね。でもさ、可能だからと言ってやってるとは限らないよねえ」

 

「…ソウが襲撃される直前、お前は突然姿を眩ましたようだな」

 

「いやーそうなんだよ。どうしても一人で仕上げなくちゃならない仕事を思い出したんだよねー」

 

「その仕事とは、どんなものだ?」

 

「はい企業秘密。一般イカはそこまで踏み込んじゃだめだよー」

 

「言っておくが…俺は一般イカではない。俺は…」

 

「警察官。…だけど、僕にとっては一般イカと変わらないよ。確たる嫌疑なしで、強制捜査する? いや、できてるならとっくにしてるよね? 今のこの状況は、『できていないから』こそでしょ?」

 

「…………っ」

 

「……ふふっ…あはははっ…」

 

「何が、おかしい…」

 

「いやはや、笑いたくもなるよ。だって君、流石に焦りすぎだもん」

 

「…!」

 

「実はね、ソウ君が現れる前から、君の警察での評判はそれなりに聞いてるんだ。とにかく冷静で、確実な捜査方法をモットーとしているってね。そんな評判を知っていたからこそ、君がこんな強引な捜査をするってギャップがね、面白いんだ」

 

「……」

 

「あー、いやいや。でも笑うのは失礼かなって思うよ。多分さ、君。ソウ君のことで、怒り心頭なんだよね。普段の捜査方法すら思わず覆っちゃうほどにさ。何が何でも犯人を捕まえてやるって意気込み過ぎちゃったんだね。そりゃ確かに現時点で怪しいのは僕だもの。でも証拠がない。普段の君なら、証拠がない以上こうやって突撃してきたりなんてしないだろうけど、怒りで冷静な思考が幾分奪われていた君は、僕の口から自白させようと、こうして来たわけなんだよね、違うかな?」

 

「………」

 

「やー、何も恥じることじゃないよ。若い時は過ちを犯してナンボって言うしね。そして、君がソウ君を辱めようとした奴らに対し怒りを覚えているのもよく分かるよ。…たださ、ちょっと考え方を変えてみない?」

 

「…何が言いたい」

 

「ソウ君はさ、あの時ちょっと危機感が足りなさすぎたと、僕は思ったんだよね。僕はショタコンだからさ、ショタの価値は凄くよくわかるんだ。いかに多くのショタコンにとって求められるかもね。そして、今時のショタはそれを自分でも理解して、危機管理をしなくちゃならない。ショタコンの犯罪は多いからね。でも、ソウ君はそれを理解していない。自分なんて、価値がないと思ってる」

 

「……」

 

「謙虚は美徳だよ。でも、ソウ君の場合は謙虚じゃない、ただの無知だ。無知は油断を生む。その油断は、気づいたときには結局全て手遅れになるのさ」

 

「……」

 

「僕はそうなるのがとても悲しかった。ショタはやはり汚れずに、ただ輝いているのを見るのが一番だからね。僕がソウ君の無知を嘆いているときに『たまたま』ソウ君を襲う事件が起きて、『たまたま』助けとなる元警察官が通りかかって、そして『結果として』ソウ君にちゃんとした危機意識が芽生えた。これはとても喜ばしいことだと、僕は思ってるよ」

 

「……お前」

 

「おっと、まさかとは思うけどこんな発言で証拠とか取らないでよー。今の発言には、言葉通りの意図しかないんだからね。あ、そうだ。そもそも言い忘れてたけど、この部屋集音機器類全部正常に作動しないよー。タイプによっちゃあぶっ壊れてるから、ちゃんと専門店に見てもらうんだよー」

 

「っ………!」

 

「あははっ、そんなにビックリしないでよー。僕は今このハイカラスクエア中でもっとも殺害予告を受けるイカだよ? 盗聴対策には人一倍敏感なのさ。…で、他には用ある? 別にスプリンクラーの恨み晴らしたいんなら、ここで勝負してもいいけど…」

 

「いや……いい。失礼する」

 

「あら、そう? いやいや、君の意外な一面を見れて楽しかったよ。…あっ、そうだ。今日は君に質問攻めされてたしね、最後に僕からも質問させてよ」

 

「…なんだ」

 

 

 

 

 

「やっぱり、復活するのかな? チーム『インカーネーション』 僕の好きなチームの一つだから、気になってるんだよねー。ソウ君も加わるならば、そりゃもうご贔屓にするよ」

 

「…少なくとも、うちのリーダーは本気のようだ」

 

「あはっ、そっかあ。目標は? かつてと同じく『ナワバリの高み』? それとも、夢は大きく『五高』の制覇とか乗り出しちゃう?」

 

「さあな……だが、うちのリーダーなら、どんな無謀な目標でも容易に打ち立てそうだ」

 

「無謀? …そうかなあ。僕はそんなことないと思うよ…君らならきっと、『五高』の制覇くらい、できそうな気がするんだけどなあ」

 

「……失礼する」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

足音は少々荒々しかったが、閉まる扉の音は、静かだった。

 

 

 

*

*

*

*

*

*

*

*

*

*

*

*

 

 

 

 

 

「…そして、ついでに『私』を倒すところまで、登りつめちゃいそうなんだよねえ。怖いなあ。…でも、楽しみだなあ」

 

 

 




イリグ

性別:男
ゲソの色:桃色
持ちブキ:ナシ
名前の由来:インクリング
自信があること:右腕の腕力
左腕がなくて良かったこと:風になびく空っぽの袖に格好良さを見出したこと
左腕がなくて困ったこと:妻の義手の勧めがやかましいこと


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立ちはだかる因縁 チーム「絶対制圧」編
二章 プロローグ


決めた! 章の初めと終わりは2話更新!


まあただ、プロローグという名の元、意味深なこと書きたいだけです。


「…それは、確かなの?」

 

 

電気もついていない、暗い部屋。

ベッドから上半身を起こして問いかけるガールの姿から、彼女が寝起きであることが伺える。彼女が問いかけている先は、ドアの近くで片膝をついて頭をたれているガールに向けてだ。

 

 

「ええ、『ショタコン連盟』有志からの情報です。間違いありません。かの『伝説』の名を冠するショタ…『ソウ』が、ここ最近ナワバリバトルに相当な頻度で参加しています」

 

「そして、その彼が暮らしている場所の特定も確実です……『あのガール』の家、です」

 

 

『あのガール』という言葉を口にした瞬間、頭を垂れていたガールの顔が歪む。しかし、この暗い部屋に置いてそれを見ることができるイカはいない。

 

 

「そう…」

 

 

ベッドの上のガールは、何かを考えるように宙へ視線を彷徨わせた。

そして、視線をまたドアの近くにいるガールへ戻した。

 

 

「…あなたは、どうしたい?」

 

「わ、わわわ私ですか? 私は…もちろんお姉さまの意思に…」

 

「いいえ、(わたくし)は、あなたの意思を聞きたい…正直な、ね」

 

「……う」

 

 

問われたガールは、唇を噛み躊躇するような素振りであったが、やがてきっと顔を上げてはっきりと口にした。

 

 

「戦いたいです! まだ、私はあの時の雪辱を果たしていません…!あのチームが復活するというのなら…奴らを倒して、再び『高み』へ登りたいのです!」

 

「そう。なら、私たちのチームも、復活しましょうか」

 

「…へ?」

 

 

思わず惚けた声を出してしまったガールに、暗い部屋ながらも、ベッドの上のガールは微笑みを向ける。

 

 

「負けっぱなしは、私も良くないと思うわ。最近は静かに暮らすのもいいなって思ってたけど…もう一回、みんなでワイワイしながら『高み』を目指すのも…楽しいし、ね」

 

「そ、そ、そ、そうですか! このリツコ、感慨の極みです! お姉さま!」

 

「ふふ、あなたが喜んでくれるのも、嬉しいわ」

 

「ももももったいないお言葉で…」

 

 

慌てふためくガール…「リツコ」を見て、ベッドの上のガール、は少し楽しんでいるようにも見える。

ひとしきり上品に笑った後、今度は別の問いをかける。

 

 

「そういえば…あの娘は?」

 

「ああ…あいつなら今日また路地で大道芸してると思いますよ。全く…せっかく我がチームに勧誘したというのに、特訓プラベには全然顔を出さずに、芸の練習ばっかり…」

 

「そうねえ…でも、あの娘はあなたも認めるほどの実力を持っているでしょう? しっかりチームで仕事を果たしてくれるのであれば、自由にしていてくれても私は構いませんよ」

 

「それはそうですけどぉ…もうちょっとチームとしての規律も大事で…」

 

「ああそうそう…チームと言えば…実は私、ぜひともチームメンバーに迎えたい子が、一人いるんですよね」

 

「っ!!??」

 

 

リツコは跪く姿勢が崩れて倒れるほど、驚いた。

ベッドの上のガールはそんな反応を楽しみつつも、言葉を紡ぐ。

 

 

「…ただ……その子は…あなたにとっては、辛いかもしれない…」

 

「ど、どういうことですかっ!? 私は、姉上様が望むイカならなんでも受け入れ…」

 

 

 

 

 

 

 

「『二重(ふたえ)』」

 

「!!!」

 

 

ベッドの上のガールが呟いた言葉に、地面に転がっていたリツコは更にびっくり仰天した。今度ばかりはベッドの上のガールは面白がることはなく、神妙な顔つきで言葉続ける。

 

 

「…『ショタコン連盟』にとっては、特別な言葉…よね? 連盟が定める『特別指定ショタ』…それぞれにつけられた二つ名...その一つ」

 

「私は『二重のショタ』……彼を、我がチームに迎えたい」

 

「………」

 

 

リツコは、視線を落として、俯いた。

 

 

「分かっています…。『YESショタ NOタッチ』の規約…直接的に犯さなくても、身内が『特別指定ショタ』と親しい関係になる時点でも、『ショタコン連盟』からは村八分の目に会わされる…」

 

「あくまでこれは、私の、独りよがりな希望です…もし、あなたが望まないのであれば…」

 

「いいえ!」

 

 

ベッドの上のガールの言葉を、リツコは強い言葉で遮った。

 

 

「ショタコン連盟が何ですか! 例え連盟から外されようとも! ショタを愛でることなど一人でもできます! 規律に縛られるショタ愛なんてクソ喰らえです! 私は…私の意思で! 『二重のショタ』を迎え入れたいと、思います」

 

「……ありがとう」

 

 

ベッドの上のガールは、目を閉じてリツコに頭を下げた。顔を上げてくださいとまたもや慌てるリツコ。

 

 

「あなたにはわざわざ言うまでもないでしょうけど……『二重のショタ』…彼の扱いには、気をつけた方がいいです。肝に銘じておきましょう」

 

「…無論です」

 

 

リツコは、神妙な顔をして頷いた。

 

 

ベッドから降りたガールは、部屋のカーテンを開けた。

明るい日差しを受けて目を細めた撫子色のゲソをしたガールは、ポツリと呟いた。

 

 

 

 

 

「チーム『絶対制圧』…いよいよ、目覚めの時ってことね」




ショタコンへの理解を深めるために、ショタコンの人々へインタビューしたいと思いました。


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結成 特訓

決めた! 章の初めと終わりは2話更新!

相変わらずの独自設定モリモリ。過去にほんのちょびっとだけ迫る...。


あと一分!

 

 

 

まるでゲームのBGMように鳴り響く音楽が、焦燥感を煽るような速いテンポのミュージックに切り替わる。

 

 

初めての頃は鳴り響く音楽の中で試合するという習わしに随分驚いた記憶がある。しかし案外慣れるのは早かった。

それに、今のように残り時間を音楽が変わることによって知らせてくれるのはありがたい。いちいちタイマーなどを確認するよりはよっぽど戦いやすい。こういう工夫においてはイカって時折人間より頭がいいのではと思ってしまう。

 

 

実は、こうして試合中に音楽を鳴らす最たる理由は「テンション上がるから」というだけに他ならないという事実を、彼はまだ知らない。

 

 

 

彼は、片目をギュッと一瞬だけ瞑ると、すぐに目を開ける。

 

 

 

(…ん、負けてる。ただ、まだピンチではない…)

 

 

 

彼がまばたきをすれば、その片目に投影されていた「マップ」が消える。

このコンタクトに映像を映す超技術は、間違いなく人間の技術を遥かに超えている。話に聞く限りであったバトルを体験するたびに驚きが積み重なっていくものだが、同時に「慣れ」も恐ろしい勢いで積み重なる。

「慣れって怖い」という名言(?)を生み出した人は、きっと賢人に違いないと思うようになってしまった。

 

 

 

(中央高台取られてるんだよな…ただ、俺がいってもこのブキじゃあ…)

 

 

 

高台で睨みを利かせているのは、バケットスロッシャーデコ。

中射程によるインクの振り撒きと、高い位置から遠投するスプリンクラーによって中央の塗りをたった一人で大きく広げているのだ。

 

このステージ、『海女美術大学』においては、高台の影響力が非常に高い。

何としてもどかしたいとこではあるが、気づかれずに登ったところで、対面戦闘力の低いこのブキで向かっても返り討ちが関の山。少々心苦しいが、高台から退かすことのできる_こちらのチームのチャージャーや、ロボットボム持ちのパラシェルターソレーラに任せるしかない。

 

 

彼は彼で、自分にできることをやるしかない。

 

 

(…敵四人、一人も落ちていない。そしてあの高台のイカ以外は、こちらの自陣に向かっている……)

 

 

自陣が攻められようとしている。本来であれば、全力で止めに行くべきではあるのだが…今彼がいる位置的に、自陣防衛に戻ろうとしても、必ず中央高台のバケデコに気づかれる。下手に突っ切ろうとしても、追ってこられて背後を取られようものならまともに自陣防衛の援護もできまい。

 

 

(…耐えてくれるのを願って…俺は、ポイントを稼ぐっ)

 

 

彼は、潜伏状態から一気にイカジャンプして、即座に敵陣へのスロープの壁に隠れる。

そっと中央を確認する。あのバケデコには気づかれていない。

 

 

彼は、スローブを登って敵陣に到着するや否やブキを展開した。

バケットスロッシャーより短い射程だが、それでいてスロッシャーより広い塗りと早めのオート射撃によって、歩き撃ちの効率的なインクの飛沫が敵陣をどんどん塗りかえていく。それでいてサブウェポンも展開するのを忘れない。

 

 

(あっ…やっぱ気づかれたかっ)

 

 

バケデコのボーイがこちらを向いたのを確認した彼は肝を冷やした。元々バレるのは覚悟していたものの、こういう気づかれたっ!っていうのは分かっていても冷やっとするものだ。

 

あのボーイは、こちらを向いてイカ状態になった。高台からイカジャンプで飛べばこちらには一直線で来れる。自陣荒らしをする彼を咎めようとする算段だろう。こちらのインクで足場を確保しており、彼のブキにとって有利な平地。これで迎え撃ったとしても勝てるかは五分五分と言ったところか。それだけ彼のブキの正面戦闘力は低い。

 

 

そもそも、彼は気づかれたとしても戦う意志は毛頭なかった。彼が敵陣荒らしをしていたのは、ただ試合の塗りポイントを稼ぐためだけではなかった。

 

 

(『トラップ』も設置したし、あのバケデコが塗り返すのは少し時間がかかる…)

 

 

牽制としてメインブキの射撃を敵に向けつつ、彼は遠い自陣の方を視認する。

敵と味方、複数のイカがインクを撃ち、かわしつつ戦っているが、彼が注目したのは一点。ボトルカイザーを持つ敵イカからの攻撃を必死に防ごうとしている。視認状態なら、彼にとってもやりやすい。彼は『淡く光る』頭を軽く抑えた。

 

 

 

彼は、イカ状態になった。

そのまま、自分が先ほど視認した位置とそこからここまでの距離と感覚を強く脳内でイメージする。慣れていればここら辺大雑把でもほぼほぼ問題ないらしいが、彼はまだそこまでの域には達していない…と自分では思っている。

 

 

 

 

イカ状態の足の部分に思いっきり力とインクを貯め、放つ。

 

 

 

 

バシューンッ!という派手な音と共に、彼は飛んだ。

ずっと練習してきた…よりも実際の試合での経験で体に叩き込んだ成果…『スーパージャンプ』である。

 

 

 

最初期の頃は、本当にただ飛ぶ感覚に慣れるので精一杯だった。しかし、今はそれだけではダメである。飛ぶ体。視界の中で流れるステージの風景。着地点に近づにつれ、そのスピードが緩くなっていく。視線に着地点のマーカーが見える時点で、彼は一瞬での状況把握を強いられる。

 

 

彼は視線を下に向けて確認する。

自分のジャンプマーカーを挟んで、未だ敵のボトルカイザーと、味方のパラシェルターソレーラの攻防が続いている。二人とも必死なのか、マーカーこそ見えていても上空のこちらに視線を向ける様子はない。

 

 

 

(…いけるっ!)

 

 

 

必要なのは、状況を確認。そしてそれを踏まえての判断。彼は、今それを実践したのだ。

 

 

 

緩やかな軌道を持って空中を飛んだはずの彼が、突如空中の一点で止まった。

 

 

その地点はマーキング地点の一番上。彼は、拳を思いっきり振りかぶるようにして構えた。自分の体に感じる「インクのうねり」のようなものを、真下の空間に全てぶつけるイメージ。

 

 

そう、この『スペシャル』を発動させるためには、背中のインクタンクを通じて『イメージ』を明確に思い描くこと。自分のイメージを読み取ることで発動するスペシャルということで、彼が習得するのが難しかった部類のスペシャルである。

 

 

しかし、現在の彼にとっては最も多用なしているスペシャルであり、

今この瞬間、この試合においては、このスペシャルが『鍵』となる。

 

 

 

着地点のマーカーを中心に、波紋状に何重も広がる輪の印。

それを見たボトルカイザーの敵イカが、慌てて逃げようとする動きをみせる。だが、所詮「動きをみせる」程度であって、「動く」ことはできなかった。

 

 

それを視認してからでは、決して間に合うことはないのだ。

 

 

 

(スパジャンからの……『スーパーチャクチ』!!)

 

 

 

 

 

 

 

 

一瞬だけ爆発するように巻き上がった緑色のインクの奔流によって、敵のイカ二人が一瞬にして溶け去った。

 

 

(あれ、もう一人いた…ま、ラッキーだったってことか)

 

 

チャクチした足元周辺で二人分の悲鳴が聞こえたことで、ちょっと首を捻ってしまうが、バトルにおいては一人キルしようが二人キルしようが気にすべきことではない。非情なようだが、それが現実である。彼はすぐに頭を切り替える。

 

 

「助かったー! ありがとねー!」

 

 

先ほどまで敵に苦戦していたらしい、パラシェルターソレーラを持ったガールが笑顔でお礼を言うと、さっと彼の横を駆けていく。彼女の背中に展開されているのは、『スプラッシュボムピッチャー』

微かに流れる軽快な音楽とは裏腹に、実際は殺意にまみれたボムを大量にばらまく恐ろしいスペシャルだ。あれなら、先ほど制圧された中央陣地を一気に取り返せる。

 

ただし…その恐ろしいスペシャルを存分に生かすためには、彼女をボム投げに集中させなくてはならない。

 

 

そのためには…残る一つの不安要素を自らの手で止めなくてはならない。

 

 

(今キルしたのが二人…俺が荒らした敵陣を塗り返している奴が今一人…そして、あと一人は…!)

 

 

味方の悲鳴が、後方から聞こえた。

 

 

後方にいたあの味方は確か、ジェットスイーパーを持っていたボーイだ。

彼は、自らのブキを握りしめて後ろを確認した。こちらに向かってイカダッシュしてくる敵が一人。

 

 

先ほどチラリと見えたあのブキは…ボールドマーカーだった。

 

 

(近距離ブキなら…倒せるかもしれない…!)

 

 

射程の上では、こちらが勝ち。というより、ボールドマーカーに負ける射程の武器の方が皆無なのだが。

ぐっ、とボールドマーカーの進路方向へ立ち塞がった。

 

 

彼は確認した。遠目から敵のボールドマーカーが、最適化されたように滑らかな動きでサブウェポン「カーリングボム」をこちらに向かって滑らせるのを。

 

 

(やっぱりノーチャージ…ならちょうどこの位置…ここなら、ボムの爆風は届かない)

 

 

 

 

カーリングボムは攻撃力こそボムの中でも最低ランクだが、「塗り」と「移動」の二点においては他のボムの追随を許さない。溜めることで攻撃力を上げる使い方もできるが、使いこなすのは難しい。一般的に、試合ではもっぱらノーチャージでカーリングボムを投げ、移動のための塗り跡を作るのが主流であった。

 

 

彼は「特に」それを知っていた。そして、それに加え彼にはカーリングの移動距離というものを体感で理解できるほどの知識と経験を持っていた。

今彼が立っているこの位置は、爆発のインクが一滴たりともかからない計算しつくされた場所なのだ。

 

 

まっすぐ塗られる塗り跡。かすかに見えるインクのしぶきは、敵がセンプク移動している証。

そこを狙い撃つ…というのは、彼は未だ苦手である。自分のセンプク移動すらも的確に射抜くチャージャー持ちなどに出会うと、やられながらも感嘆の気持ちを抱いてしまうほどだ。

 

しかし、今回は無理に狙い撃つ必要はない。そもそも狙い撃ったところでこのブキでは一発でキルができるわけではない。なので彼の狙いはあくまで大まかに、カーリングボムの軌跡を分断する形で、一発射撃する。これで、相手はセンプクを中断して姿を表すしかない。姿を表したなら、あとは純粋なタイマン勝負…

 

 

 

 

しかし、彼にはその姿を視認することはできなかった。

なぜならインクから飛び出した影が()()()()()()()()()()()()()()()()()()からだ。

 

 

 

広がる波紋の印。

その一瞬で、彼は全てを理解した。何せ、先ほど自分がかましたのと同じ…『スペシャル』

 

 

 

(な、なんでっ!? スペシャル溜まってなかったはずなのにっ!)

 

 

 

確かに、カーリングボムを投げる直前の敵イカの頭は、淡く光る様子はなかった。だが、対応のための時間が少ないこともあり、少なくともこの試合中はすっかり失念していた。

 

「カーリングボムの塗りでようやく」スペシャルが溜まる可能性を。

 

 

 

彼の目前で、紫色の「スーパーチャクチ」が炸裂した。

 

 

 

 

 

(うわっ! …くそっ…してやられた…! てかあいつどこ行った!?)

 

 

 

しかし、至近距離でのスーパーチャクチを受けても、彼はデスを免れていた。彼の『シェルター』部分は非常に脆い。しかしその代わり、いかに威力が高い攻撃でも一撃だけなら確実に防ぐのだ。

 

 

 

 

だが、実を言うとこの場面においては、一回防御しきったところで彼の運命は変わらないとも言える。チャクチによって周りに広がったインクに視界が閉ざされたその隙に、敵の姿を完全に見失ってしまったからだ。

 

 

彼の手元のブキは、『シェルター』部分が破損したキル力の低い中射程塗りブキ『スパイガジェット』

対して先ほど見失った相手のブキは近距離においては最凶とも言えるキル能力を発揮する『ボールドマーカー』

 

 

 

 

(あっ…やっぱ、もうダメか)

 

 

 

真横から突きつけられたラッパ型銃口を、横目でチラリと視認した彼は自らの運命を察した。

 

 

 

 

だが、コンタクトに映し出される透明な数字のカウントダウンの数字が、この試合に残された時間は数秒であることを示している。

中央戦場は背後になっているため、彼は見えない。だが、あの『スプラッシュボムピッチャー』が塗りを広げたなら、きっと…

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

_人人人人人人人人人人人人人人人人_

> ボールドマーカーでやられた! <

 ̄Y^Y^Y^Y^Y^Y^Y^Y^Y^Y^Y^Y^Y^Y ̄

 

 

 

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Finish!

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

58.1%-41.9%

 

 

 

 

 

You win!

 

 

 

 

 

 

 

 

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「ふうむ…それで、使い心地はどうだったかな?」

 

「…正直難しいです。あっ、でも使ってて面白いと思いました」

 

 

 

スイトの問いに対し、作業台に乗せられたパブロを手に取りながらソウが答える。輪の形をした工具にパブロをはめ込み、毛の部分と持ち手の部分を分離するその作業は非常にスムーズだが、頭の中では先ほどまでの数試合における、「スパイガジェット」の使用感を頭に思い起こしていた。

 

 

 

「まあ…スパイガジェットはメインの塗り効率こそブキの方でも上位じゃが…サブの『トラップ』と『スーパーチャクチ』は、むしろガチマッチで輝く組み合わせじゃからなあ」

 

「ガチマッチは…ちょっとまだいく勇気はないんですよね…。でも、シェルター開きながら攻撃できるのはすごくいいです…なんていうか、こう、精神的に…」

 

「ほっほっほ。確かに、傘が開いておると気持ちを強く持って前に出れるからのう…そうじゃな、もしメインのスパイガジェット が気に入ったんなら、マイナーチェンジの『スパイガジェットソレーラ』がちょうどナワバリ向けのサブスペ構成じゃから、いいと思うぞい」

 

「なるほど…確か、『スパイガジェットソレーラ』はランク19になったら購入許可が出るんでしたよね」

 

 

パブロの傷んだ毛の部分をリサイクルBOXに入れ、新しい毛の部分を付け替えながら、ソウは視線を彷徨わせ思考した。

 

 

 

「うむ。…ただまあ、ソウ君があとランクを6上げるより早く…あれが実装されるじゃろうなあ」

 

「…『イカネサダ・心』」

 

 

 

修理の終わったパブロを、表の店と繋がる挿入口へ設置し終わったソウが、後方を顧みる。

通常の試し打ち部屋とは違い、壁に居並ぶ数々のブキの中で、隅っこの位置に佇む刀の形をしたブキ。

ソウはここに来るたび、無意識のうちにあの『イカネサダ・心』を探して見てしまうため、今では一目で見つけることができるようになってしまっている。

 

 

「…月初めに実装でしたっけ。それにしても、ランク9で実装…個人的には、早いと思うんですけど…」

 

「扱いは少々難しいからのう。気持ちは分かる。だが、既存の『シューター』『ローラー』『チャージャー』『マニューバー』『ブラスター』『スロッシャー』『スピナー』『シェルター』などの武器カテゴリーは全て、ランク一桁台で少なくとも一種類は買えるようになっておってな。『セイバー』もそれに倣うということじゃろう」

 

「例え使いこなすのが難しくとも、早い段階から様々なタイプのブキに触れておくというのも理に適っているとわしは思うよ。ブキというのはまず、使ってみて初めて理解できるものじゃからな」

 

「…それは、その通りですね」

 

 

ランク13に至るまでナワバリバトルを重ねてきたソウは、心の底からその言葉に同意を示す。

予習を是とするソウは、この部屋においてブキの試し打ちをたくさん行ってきた。スイトからもナワバリバトルの知識、理論、テクニックの指導などを積極的に受けてきた。その経験は、ソウにも「やれるのではないか」という自信を抱かせたものだ。

 

 

しかし、最初の記念すべき一戦。ソウは惨敗を喫することになった。

 

 

やはりいくら練習を重ねても、実践で体がその通り動くとは限らなかった。

ユイなんかは「味方運がなかっただけ」とフォローしてくれたが、後から見たリザルト結果ではソウは同チーム内で三番目にデスが多かったのだ。

その最たる原因はやはり「リスポーン」だったとソウは自己分析している。

『元人間』であるソウにとって、やられた瞬間に体が溶けて「きっと幽霊ってこんな感じだろうな」というくらいにスッカスカになった体が宙を舞って、リスポーン地点に吸い込まれた瞬間、身体中にスライムが塗りたくられるような感触と共に再び体が復活するという感覚が正直気持ち悪く、思ったように動けなかったのだ。

 

 

「『イカネサダ・心』は、確かに何度も試し打ちしたから、手には馴染んでいるんですが…実戦で使ったときに本当に馴染むかどうかは…分かりませんからね」

 

「うむ。じゃが、別の見方をするならばブキというものは、長く使い続けて初めて手に馴染むもの…とも言える」

 

「例え最初のうちは扱いが難航したとしても…本当にそのブキが好きなら…近いうちに、応えてくれるとわしは思うよ。だから、深く考えずに好きだと思うブキを使うのが、一番かもしれんのう」

 

 

スイトは、顎に手を当てて思案するように呟いた。

 

 

 

 

 

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夕方。

 

いつもの終業時間より早くカンブリアームズを後にしたソウは、手元に紙包みを抱えて歩いていた。その様子はちょっとソワソワしており、足取りも心なしか速めである。

 

それもそのはず。ソウが持っている紙包みに入っているのは、『イカネサダ・心』。無論、今の段階では未だ実装どころか、一般のイカに情報公開すらなされていない代物である。

 

 

 

どうしてそれをソウがこうして外へ持ち出しているのかと言えば、実はブキチの計らいであった。

 

 

「本部には話を通しておいたでし! ソウ君、君にこれをプレゼントでし!」

 

 

そう言って渡された紙包みの中身が『イカネサダ・心』だと知った時には、ビックリ仰天して大声が出てしまったほどだ。だが、「しー!」と言ってブキチが慌てて止めたことから分かるように、気軽に公表していいものではないようだ。

 

 

「正式実装となるまで、使用は試し打ち場、もしくはプライベートマッチだけでお願いするでし! ロビーへ持って行く際にも、極力イカ目に触れないよう、紙包みの状態で持っていくようにお願いするでし! 無論、ソウ君のチームメンバー以外のイカに無闇矢鱈と話すこともNGでし!本部のイカに何か言われたら、この紙包みのカンブリアームズタグを見せれば承知してくれるはずでし! あくまで特別に許可をもらったにすぎないから、下手なことはしないようによろしくお願いするでし!」

 

 

 

小声でこうまで念を押されてしまっては、ソウも神妙な顔をして頷くしかない。

自分のためにこうして許可をとってくれたブキチ店長に対し、ソウは何度も頭を下げて感謝の意を示した。…ただし、『イカネサダ・心』の正式価格9000Gは、しっかりと取られた。そこに文句は一切ないが、ちゃんと忘れないあたり商魂たくましいとは強く思った。

 

 

ソウはとりあえず家に帰って、ユイにプライベートマッチの練習を頼もうかと思っていた。

クロの連絡先もソウは持っているため、同じようにお願いすることも考えていた。しかし、クロは滅多に姿を表さないことから、忙しいイメージがある。大分前にクロの職業が『警察官』であることを知ってからは、尚更である。そのため今回はちょっと遠慮しようとしていた。

それに比べてユイの自由人ぶりを見ていると、気兼ねなくお願いができる。…いや、もちろん貶す気持ちはソウには毛頭なく、むしろその付き合いやすさはユイの長所の一つだと考えている。…しかし、ソウ個人としては未だ素の態度で会話できるほどは打ち解けていない。やはり、完全に養ってもらっている関係である以上、ソウはどうしても遠慮しがちになってしまうのだ。それでも、頼みごとを頼もうと考えられるほどの関係にはなっていた。

 

 

ソウは未だソワソワしながらも、心の片隅では微かな高揚感を抱えていた。

 

 

 

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「ただいまー………ユイさん?」

 

 

ドアを開けたソウは、いつも騒がしいくらいの出迎えをしてくれるユイの声が聞こえないので、一瞬留守かと思った。しかし、玄関にも聞こえるほど大きなテレビからの音で、ユイに自分の声が聞こえていないだけかと察した。

 

 

リビングに向かってみると、ユイが食い入るようにテレビを見ている後ろ姿を確認した。そのまま後ろから声をかけると驚かせてしまうと思ったソウは、ソファーを回り込んで横から声をかけようとする。

 

 

 

 

「……うわっ」

 

 

 

かけようと思った。が、口から出たのは驚愕の声であった。

その理由は、ユイがあまりにも『酷い顔』をしていたからだ。

 

具体的に言うならば、耳まで裂けんばかりに口角を上げて歯を剥き出しにし、顔は真っ赤で目も釣り上がって…。とにかく「全力で目の前の存在を憎んでいる」ことが全面的に現れている顔であった。

 

 

ソウは、かつて『山内 聡也』であった人間時代を思い出していた。

高校のクラスメイトが、どういう理由かカバンの中にしまっていたエロ同人誌を別のクラスメイトが偶然見つけてしまい、そこから騒ぎになってクラス中にそれが晒されてしまったことがあった。その時同人誌を晒されたクラスメイトが、ちょうど今のユイのような顔をしていたのを覚えている。

…あの時は本当修羅場だった。

 

 

「あっ。ソウ君! お帰りー!」

 

 

ソウの声に気づいたユイが顔を向けると、その表情は一気に花が咲いたように晴れやかになる。だが怒りで紅潮した顔と悔し涙の名残が、まるで嬉し泣きをしていたかのような錯覚を呼び起こす。

 

 

「ユ、ユイさん……えーっと…何かあったんですか?」

 

「あ、そうそう! そうなのよー! これはもう緊急事態! 緊急事態なのー!」

 

 

そう叫んだユイは、部屋着のまま家から飛び出していった。

 

 

 

 

 

 

緊急事態…ソウがその言葉を聞いて思い浮かぶのは、台風とか地震とかの災害だが…なんかあのユイの様子からして、そういう系統の話ではなさそうだが。

 

 

 

『…新しき高みへ舞い戻ったこのチームへ、期待が高まるところですね。さて、次のニュースです…』

 

 

ユイが見ていたニュースとやらも既に次へ移ってしまったようで、一体なんの話だったのかソウにはサッパリである。ソウが首を傾げている間に、意外にも早くドアが開く音がした。

 

 

 

「はあーはあー…お待たせー! ソウ君!」

 

 

 

帰ってきたのは、もちろんユイであった。ただし、ユイ「だけ」ではなかった。

 

 

 

「…………」

 

「クロ…さんも?」

 

「……ああ、ソウ。久しぶりだな」

 

 

 

会うたびに久しぶりの挨拶。ユイに手を引かれてやってきたのは、ある意味ソウの恩人、いや恩イカであるクロであった。

ユイに(結構乱暴に)引きづられながらもクロはソウに挨拶する時以外、右手に開いた雑誌から視線を離さない。ソウの分析では、おそらく雑誌を立ち読みか買い読みか、とにかく読書中にユイに連れ去られたものだと思われる。しかし、あの冷静さというか、達観してるというか、ユイに振り回されることをもう受け入れているその姿勢には、ある意味感嘆の気持ちを抱いてしまう。

 

 

 

「さてっ! それじゃあ始めよっか!」

 

「ええっと…何を?」

 

「決まってる! チーム『インカーネイション』の緊急作戦会議だよ!」

 

「………」

 

 

食卓のテーブルに着いたユイ。クロも同じく適当な席に着くが、相変わらず無言で雑誌をめくっている。なんというか、スルースキルが半端ない。

ソウもまたテーブルについた。緊急作戦会議とは、一体何をするのやら。

 

 

 

 

「さて…諸君」

 

 

ユイは、肘をついて両手を組んだかと思えばその上に顎を乗せた。

アレだ。アニメとかで会議の中心人物がよくやる偉そう感のあるポーズだ。

口調もそれっぽいのに変わってるが、もちろんユイには似合ってない。なにせちょっと無理してる感が…。

 

 

 

「あろうことか、ユイたちは、先をこされてしまったようだ。…知ってるかね、あの、憎っくきチームが…」

 

「???」

 

「ん、ああ……こいつのことか」

 

 

なりきりモードが発動したユイ。全く話の内容が分からず首を傾げるソウ。

しかしそこでクロが、手元の雑誌のとある1ページを開いて机の上に投げ出した。

 

 

「………あーーーーーーーー!!! これこれこれこれええええ!!! あんのガールども一丁前にインタビューなんぞ受けやがって!」

 

 

 

なりきりモードが一瞬にして崩れ、発狂しだすユイ。

相変わらず話が読めないソウは、クロの示した雑誌を首を伸ばして見る。

 

 

 

「…かつて『ガチヤグラの高み』にいたあのチーム《絶対制圧》の復活……破竹の勢いで勝ち進み、本日遂に『ガチエリアの高み』を達成…」

 

 

そのページに書かれていたのは、《絶対制圧》とやらのチームのリーダー、サブリーダーへのインタビュー記事であった。

リーダーは上品な流し目をしているお淑やかそうなガール。副リーダーもガールだったが、少し気が強そうな性格が垣間見える表情であった。インタビューの内容はざっとしか読んでいないが、新しく入ったメンバーが云々と言ったことをメインとして話している。

 

 

「…確かに、懐かしい名前だな。あいつらも、妙なタイミングで復活したものだ」

 

「この…『絶対制圧』ってチーム…ライバルか何かですか…?」

 

「そのとーりっ! なのに…なのに…! あろうことかユイ達に先んじて…高みへ行くとはー!」

 

 

地団駄を踏んで悔しがるユイを差し置き、とりあえずソウはクロへ質問する。

 

 

「そのライバルチームに関してはともかく…その、『高み』というのは…用語か何かですか?」

 

「そうだな……ソウは、『リーグマッチ』を知っているか?」

 

「ああ…えっと…予めチームを申請して、そのチーム固定でやる試合ですよね。…それくらいしか知りませんけど」

 

「それだけ知っていれば充分だ。…『高み』というのは、簡単に言うならば『リーグマッチの各ルールで一番の実力を持っている』ことを示す用語だ」

 

「…はあ。なるほど」

 

 

 

まだよく分からないソウに、クロの詳細に迫った解説は続く。

クロ曰く『高み』というのはあくまで非公式用語で、クロが今日持って来た雑誌──これはハイカラスクエア中で9割のイカが読んでいると言われるほどに桁違いの発行部数を持つ超人気ナワバリバトル専門誌なのだが──その雑誌が定めた『リーグマッチの最強チーム』のことである。

 

『リーグマッチ』には『ナワバリ』『ガチエリア』『ガチヤグラ』『ガチホコ』『ガチアサリ』の五つのルールを用いたチーム戦が常時開催されている。そのそれぞれのルールにおいて、全チーム中最高の勝率を誇っている五つのチームがそれぞれの『高み』という言葉で表現されている。

 

この『高み』というのは不動の地位ではなく、一定の条件──すなわち、ある程度の試合数を経て、勝率が現在の高みにいるチームと同等以上になった時──初めて他のチームが高みのチームへの挑戦権が得られる。そして、二本先取での試合の元、高みのチームを倒せば新たな高みの称号を得る。こうした昇格戦は、テレビで特別に枠をとって放送されるほど、ハイカラスクエア中で注目が集まる。それが今回、ガチエリアの高みへと登りつめたチーム『絶対制圧』というワケだ。

 

 

ただ、例えばガチホコとガチアサリ両方の高みの称号をもらったチームなどがいて、そうしたチームは『二冠』ならぬ『二高』と称されるらしい。

実際に、過去に『ガチエリア』『ガチヤグラ』『ガチホコ』『ガチアサリ』の四つの高みを制した『四高』が存在したらしいのだが、未だ全ての高みを制覇した『五高』たるチームはおらず、全てのチームが『五高』の称号を得るために日々リーグマッチで戦っているという。

 

 

 

「まあ…あの『絶対制圧』と『インカーネイション』がライバルだなんて話になったのも、高み関係でな…チームというより、実際はユイと向こうのチャージャーポジのガールとの確執が問題だったというか…」

 

「…ひょっとして、ユイさん達の『インカーネイション』って…高みにいたんですか?」

 

「そーなのよう! 何を隠そう、私たちはかつてガチナワバリの高みにいてー! あの頃は私のファンも結構いたんだから!」

 

「は、はあ…」

 

 

このユイにファン…と聞くと何かモヤモヤしてこないこともないが、イカの美醜は正直自分ではよく分からないし、ひょっとしたらユイは美人ならぬ美イカとして人気だったのかもしれない。まあもしくはただ単に強いチームだからファンがつくというだけかもしれないが。ただ「あの頃は」と言うことは…今は、悲しいことになっているのかもしれない。

 

 

「ユイの言う通り、当時は俺たちのチームはナワバリの高みにいた。ああ、もちろん他にチームメンバーが二人いてだな。…そして、『絶対制圧』の連中も…ガチヤグラの高みに、いたな」

 

「…ん、でもなんか、今回の『絶対制圧』って…ガチエリアの高みですよね。ガチヤグラから転向したのでしょうか?」

 

「さすがに他のチームの事情はよく知らん……と言いたいところだが、心当たりがある」

 

「と…言うと?」

 

 

クロは昔を思い出すように、視線を宙に彷徨わせながら語る。ちなみにユイは騒ぎ疲れたのか、机の上でイカ状態になってだらけているようだ。

 

 

「…俺はその時場にいなかったからよく知らないが…何やら『絶対制圧』のメンバーの一人と、ユイが喧嘩をしたらしくてな…俺たちチームメンバーが全く知らないうちに、バトルで決着をつけようとか話になったらしい」

 

「ううー…あいつがいけないんだよー……あのガールが列に割り込んでなきゃ…『期間限定数量限定販売等身大ヒメちゃん抱き枕』が手に入ったって言うのにー! 今に至るまで未だ再販されてないんだよあれー!」

 

 

イカ状態のままおんおんと嘆き悲しむユイ。なんかしょーもないきっかけではないかとは思っていたが大まか予想通り…いや、本人やマニアにとってすれば重大問題なんだろう。軽んずるのはよくない。…それにしてももうちょっとなんか…。

 

 

「…きっかけについては今ユイが自白した通りらしいが、とにかく決着をつけることになってな…。平等を期すため、お互いの『高み』とも違う…『ガチエリア』で勝負することになった」

 

「…結果は? …まさか、まけ」

 

「勝ったさ。……正直、運に左右された場面も多々あった、がな」

 

「あ、そう…ですか」

 

 

少し意外だった。ユイがあそこまであのチームを憎んでいたのは、てっきり過去にそう言った試合で負けたからそれを根に持っていたのかと思っていたのだが。

 

 

「別の高みにいるチーム同士が...それぞれとは別のルールでの戦いなんて異例らしくてな。当時はやたら周辺が騒ぎ立てていたのを覚えている。…俺たちに負けたせいかは定かではいが、それから間も無くして『絶対制圧』は解散したと聞いた」

 

「そのせいだよー! そのせいで…ユイは…嫌がらせを受けて…」

 

「嫌がらせ…?」

 

 

ちょっと穏やかでない言葉に、ソウは眉を潜める。

いや、嫌がらせと一口に言っても内容と規模は様々だから、一概に判断することはできないが…

 

 

「あんのガール…! あれからしばらくずっとユイのバトルに引っ付いてきてー! 敵になれば執拗にユイだけを狙いやがってー! 味方になれば味方らしい行動せずー! 露骨に私へ敵を誘導してきたりさー!」

 

「一度お前がガチギレして暴力沙汰にまでなった時、俺がどれだけ苦労したか…」

 

 

クロがこめかみを押さえて唸る。嫌な記憶を思い出しているクロの苦悩した表情は新鮮である。相変わらずユイは机の上でグダッているが、あのユイがガチギレしたというのは、ソウにはとても想像がつかない。

…ユイにとっては、相当苦痛を感じた出来事だったかもしれない。

 

 

 

人間形態に戻ったユイは、食卓を叩いて力説する。

 

「と! に! か! く! ユイ達にはもうのんびりしてる時間はない! あの『絶対制圧』がこうして高みまできたってことは、間違いなくこの『インカーネイション』への挑戦状! ユイ達は今すぐにでも、決起しなくちゃならないのよ! さあ! 早速奴らに勝つために特訓を…」

 

「それはいいが……四対三で、戦うのか?」

 

「……え?」

 

 

クロの問いに、ユイは一瞬呆けた顔になる。その言葉の意味を、ユイが理解して飲み込むのにちょうど一分。

ユイの顔が、驚愕に引きつった。

 

 

「あーーー! そうじゃん! ユイ達まだ三人しかいないじゃん!」

 

「数を数えることすらできてなかったのかお前は…」

 

 

クロはほとほと呆れたようにため息をつく。しかし、ここでちょっと気になったソウが疑問を呈する。

 

 

「そーいえば…前にユイさん達のチームにいた人…いやイカ達はどうしたんですか?」

 

「…一人は作物の品種改良の研究所に就職し、もう一人は声優育成学校に入学した。…元々、それぞれ別の目的で来ていたイカも、ユイが無理矢理スカウトしたものだからな。彼らがチームを抜けるのを止めることはしなかった」

 

「うえーん…リルちゃーん…ツンくーん…どっちか戻ってきてよー…」

 

 

さめざめと泣くユイ。この様子から察するに、抜けていったチームメンバーには相当未練があるようだ。片や研究者、片や声優志望であるというのに、バトルの腕は相当のものであったということだろう。ナワバリの高みにまで上り詰めるほどであったというし。

 

しかし、ユイはきっと顔をあげると

 

「それじゃあ、すべきことは決まったね! ズバリ、最後のメンバー集め! よしっ! そうと決まれば早速バトルの原石を探しに…」

 

 

 

 

 

 

 

 

「あ、あの…!」

 

 

ソウは、ここでチームリーダーユイの言葉を遮った。ユイの言葉がピタリと止まり、ユイのみならず、クロの視線までが集う中でソウは紙包みを掲げた。

 

 

 

「これ、ブキチ店長からもらいました……特別に先行で俺に販売してくれた…『イカネサダ・心』です」

 

「…ほう」

 

「へー! すごーい! じゃ、ソウ君もついに持ちブキ手に入れて本格始動ってこと!?」

 

 

ユイは目を輝かせ、クロは意外だというふうに少し目を見開く。

 

 

「あの…だから……個人的には、ちょっと…対人戦の練習したいなって…今日、お願いしようかと思っていたのですが…」

 

「あー…なるほど、ねえ」

 

「………」

 

 

ソウの申し出に、二人のチームメイトは真剣に思案するような表情になった。

 

 

 

ソウは、初めてユイに真っ向から反抗する形で意見を述べた。

反抗というより、自分の望みをぶつけたといった感じであるが。

 

それほどまでに、ソウは手元の『イカネサダ・心』について、まさに心を持っていかれていた。

 

 

 

『例え最初のうちは扱いが難航したとしても…本当にそのブキが好きなら…近いうちに、応えてくれるとわしは思うよ』

 

 

 

あと数週間待てば、『イカネサダ・心』はナワバリバトルやガチマッチでも使える。

しかし、ソウは待ちきれなかった。一刻も早く、このブキが「応えてくれる」時が迎えられるように。自分がこのブキが上手くなれば、チームにも貢献できる…と少し自惚れている気もするが、それなら少しワガママを言ってもいいのではないか、とソウは勇気を出してお願いを口にしたのだ。

 

 

「うーん…正直いってユイはなあー…対面苦手だから練習相手になるか不安だよー…クロ君、ソウ君に付き合ってもらっていい?」

 

「構わないが…じゃ、最後のメンバー集めは、お前一人でするか?」

 

「あー! いやー…それはー………うー…有識者クロ君の…メンバー集めアドバイスも…聞きたいかなーって」

 

「…まあ、やはりそうなるだろうな」

 

 

クロはあらかじめ予想していたかのように呟いて、また思案する顔に戻る。

かつてユイがチームリーダー権限で『インカーネイション』再結成を強行採決した時の記憶から察するに、ユイの独断で最後のチームメンバーも全部決めるものだと思っていたが、意外にもクロの意見を重要視したいという風であった。

…ひょっとして「前にユイさん達のチームにいたイカ」も、クロが見つけて、ユイが勧誘したとか、そんな感じだろうか。

 

 

 

「……わかった。ならば…」

 

 

 

クロが、何かを思い出したかのように、呟いた。

 

 

 

 

「ソウには…それなりの腕を持つ、専属講師をつけるか」

 

 

 

 

*

*

*

*

*

*

*

*

*

*

*

*

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「…ここっ!」

 

 

ソウが背中のブースターの勢いに乗って進み、目の前を『イカネサダ・心』で切り払った。…だが、その刃が届く瞬間、相手の姿が浮き上がり、刀は虚しく空を切った。

 

 

(…ジェットパックっ!)

 

 

一瞬の抜刀後硬直。逃げるのが間に合わず、空中からの巨大なるインクの一撃がソウの体を襲う。…が、そのインクの弾はソウがギリギリダメージでデスしないような…少々離れた位置に着弾した。

 

 

「今の一撃は少々危なかった…な」

 

「私とてジェットパックは久しぶりに使った。大分動きが鈍った私に交わされてしまうようでは、まだまだだ。相手のスペシャルが溜まっているのを確認したら、もっと早い段階での踏み込みが大事だ」

 

 

空中から聞こえてくる、パイロットゴーグルをかけた黒いコーディネートのガールの声。久しぶり。ソウにはとてもそんな風に思えないほど上手い。確かに、あの時から彼女は『リッター4K』使いだとは思っていたけど…

 

 

「…ブキには各々特徴があり、それぞれに対応の仕方が存在する。…だが、まずはあらゆるブキのスタンダードに近い、この『スプラシューターコラボ』に、ある程度対応できるようになってもらう」

 

「こういう1対1の鍛錬は…私も初めてではあるのだが…」

 

「クロからの頼みだ。…私の知識と経験を使って、全力でお前を鍛える。ついて来い」

 

 

ジェットパックが切れ、目の前に着地した彼女を前に、ソウは思わず神妙な顔になって何度も頷いた。

 

 

「…よし! では、リスポーン地点にジャンプ。そこから再び、対面開始だ!」

 

 

二人は、同時にスーパージャンプの構えに入った。

 

 

 

 

 

元クロの同僚。そして現専属講師、ピース。

イカ世界初心者。そして現ランク13、ソウ。

 

 

 

 

二人の特訓は、一日中続く。

 




原作改変点
・リーグマッチに「ナワバリ」が存在する。


むしろ存在してください。お願いします。


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出会い 友達

「あー…ごめんねえ。僕、ソロの方がいいかなーって…」

 

「そ、そう…なんだ…。わ、わかったよ」

 

「すまんな…時間を取らせた」

 

「あはは…それじゃあ…ね?」

 

 

 

軽く会釈してスタスタと歩き去っていくボーイを、ユイとクロは静かに眺めていた。そのボーイが階段を降り、姿が見えなくなった時、クロがポツリと呟いた。

 

 

 

「…これで10人目、だな」

 

「……チクショォォォォォー!」

 

 

 

相変わらずガールに似つかわしくない悲鳴を上げ、ユイはロビーのど真ん中で膝から崩れ落ちた。

 

 

*

*

*

*

*

*

*

 

 

 

未だ昼をちょっと過ぎた時間帯、まだまだ活気が絶えないデカ・タワー前広場だが、角のテーブルの空間で一人暗いオーラをプンプン放って突っ伏している人影…いやイカ影がある。無論、それはユイであった。

その向かいに座るクロは、そのブラックオーラを平然とした面持ちで受け流しつつ、ロブズ・10・プラーのショートジャンプオレンジを味わっていた。

 

 

「うわーん…なんで…どいつもこいつも断るのよお…」

 

「理由はちゃんと言っていたと思うが」

 

「納得できないよう! 何よ『面倒臭そう』とか、『一人が好きだから』とか、もうちょっと具体的に言ってよー!」

 

「…『キミは僕のタイプじゃないから』って言ったやつもいたな」

 

「……チクショォォォォォー! なによ! 顔か!? 胸か!? ゲソツヤか!? 外面しか見ないキザボーイがああああ!」

 

 

怨嗟の声を挙げて泣きじゃくるユイを見て、クロは(この内面じゃ、どっちしろダメだな)と冷静かつ残酷な結論を下していた。

無論、ここまで勧誘が上手くいかないのはユイの容姿が主な理由ではない。バトルにおけるチームというのは、大抵フレンドと遊んでいるうちに自然とチーム結成の流れになるとか、あるいは別の関係で集まっているイカ達がバトルをするにあたりチームを組む…など、とにかく既存の関係が元となってチームが生まれるパターンが多数であり、ユイのようにいきなりチームメンバーを直接的にスカウトするというのは珍しいことである。その上、今現在はチームバトルのリーグマッチより個人参加で即興チームを組むガチマッチ…通称「野良」人口の方が多いというのも向かい風なのだ。

 

 

活気が絶えるどころか、ますます賑わってくる広場を尻目にクロが尋ねる。

 

 

「で、今日のところはどうするんだ? またスカウトしに行くか?」

 

「ううう…ユイ、もう今日は気分がブルーで立ち上がれなさそう…クロくーん、なんか良さそうなイカ見つけたら尾行して住所突き止めておいてよー。それで、明日一緒に訪ねようよー」

 

「気分がブルーになるのは構わんが、思考がブラックになってもらっては困る。第一、明日は俺はいけん。外せない仕事があるからな」

 

「そんなあ! クロ君! 仕事とユイどっちが大切なの!?」

 

「基本的には、仕事だな」

 

「チクショォォォォォー!」

 

 

顔を覆って天を仰ぐ本日三回目のユイの叫び。もはやテレビの芸人のネタのようになっている。仕事と私どっちが大事なの発言といい、またどっかのテレビに影響されているに違いないと、クロは分析した。

 

 

「それが嫌だったら、俺が空いてる今日のうちにやるだけやるしかないだろう。ほら立て」

 

「うええ…ユイ、元気が出ないよう…クロくーん、なんか元気が出るようなことやってよー…一発芸とか」

 

「やらん」

 

「…ひどいや、クロ君」

 

 

ひどいと言われる筋合いはないと言いたいクロだが、ここまでぐずってるユイを見ると少し困ってくる。やはり何人のイカにも断れられたのは大分こたえているようだ。

感情の起伏が激しいユイのことだから、ちょっと何か面白い出来事があれば持ち直すだろう。クロは一発芸以外の選択肢を求めて、軽く辺りを見渡す。

 

 

 

 

 

すると、クロの視線が一つの人だかりを捉えた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「ユイ、ちょっとアレを見てみろ」

 

「なーにー? クロくーん…」

 

 

寝起きのようなふにゃふにゃした声で、クロに連れられ人だかりに近づく。

背の低いクラゲが固まっている場所の後ろに立つことで、人が集まっているその中央部がよく見えてくる。

 

 

 

 

 

「ご安心くださーい! これはあくまでこの私が手作りをしたパラシェルターに似た何か! エセのシェルター! 名付けてエシェルターなのです! 決してブキチ店長を脅して複数強請ってきたわけじゃありませんで、はい! ま、ブキを取られるくらいなら、あのブキチ店長は何かトンデモナイ最終兵器持ち出してきそうですよねーははっ!」

 

 

聞こえてくるマシンガントーク。本人曰く「エシェルター」という普通のブキより小さなパラシェルターを三つ、両手で掴んでいる、一人のガール。スカイグリーンという言葉が適切であろう薄い緑色のゲソをしており、瞳も同様の色をしているようだ。

 

満面の笑みを浮かべたガールのマシンガントークは続く。

 

 

「残念ながらトンデモ最終兵器は私は持っておりませーん! しかし、しかしですね! 私は皆様に笑顔を届ける大道芸人! ブキチ店長のようにブキを作る材料と技術がなくても、この鍛えに鍛えた技術と体がありまして、はい! そしてここはやはりナワバリバトルの本場ハイカラスクエア! この技術と体を使ってハイカラスクエアに住む皆様に笑顔を届ける演目として選んだのがこれ! エシェルターによるパフォーマンス!」

 

「普通のパラシェルターと違う点は様々!お話ししたいところではありますがー! 校長先生もびっくりの私のロングトークばっかり聞かされているお客さんが寝てしまってはたまらない! …本番に移りましょう! いきますよー! 瞬き厳禁!」

 

 

そう叫んだガールが、右手に一本、左手に二本のパラシェルターを構えた。

 

 

「3! 2! 1! そぉおれっ!」

 

 

ガールの右手首のスナップにより、エシェルターがくるりと宙を舞う。

それに一瞬遅れて左手首のスナップ。左手のエシェルターが手を離れて飛ぶ。

 

右手から飛んだエシェルターが左手に収まる直前、左手のもう一つのエシェルターが空を舞う。

右手と左手で捕まったエシェルターが、三本目が落ちるより前に宙を飛ぶ。

常に空中に一本のエシェルター。落ちてくる二本のエシェルターは的確にキャッチされ、また宙を舞う。

 

 

そう、これはエシェルターを使ったジャグリング。

 

 

「おおー!!」

 

 

周りのギャラリーから歓声が飛ぶ。クラゲなんぞはそのふにゃふにゃな触手で音の出ない拍手をする。さっきまでブラックオーラを出していたユイも、今では目を見開いて注目している。

ジャグリングを披露するガールの視線は宙に固定されたまま、それでも笑顔でトークは欠かさない。

 

 

「ありがとうございますー! いやーいいです! これ! みなさんの声援があればあるほどもう集中力が溢れて止まらない!!素晴らしいこれ新記録行くかもですっ!」

 

「おっと! はいみなさんご注目ー! ドライアイの人は辛いかもしれないですけど、瞬きしない方がいいですよー! もうまもなく、みなさんビックリすること掛け合い! 私は辛くなること請け合い! でも大丈夫! 練習しましたから! 自分を信じろ! 頑張れ私ってね!」

 

 

淀みなくジャグリングを続けながら、語る言葉にユイを含むギャラリーは耳を集中させ、視線は言うまでもなく釘付けである。

 

 

「ああ、そろそろ! そろそろっすねー! 3! 2! 1! はい!」

 

 

 

その合図と同時に、宙を待っているエシェルターが、開いた。

さらにガールの両手のエシェルターが宙を舞うと、それもまた開く。

 

 

ギャラリーがどよめく。

傘が開いた状態で落ちてくる。あれでは受け止められない、と一瞬ギャラリーの脳にちらつく未来。しかし、それすらも裏切るのが、大道芸人であった。

 

 

「よいしょっ! はいっ! はいっ!」

 

 

気合の声と共に、エシェルターが宙を舞う。

開いたシェルターは、落ちることはなかったのだ。

 

開いた傘の部分が落ちてくればそれを手で弾く形で宙にあげ、傘の柄の部分が下に落ちてくればそれを掴んで繊細なコントロールを持って投げ回す。

 

傘が開いたことによる面積の広がり。よほど上手く投げなければ傘同士がぶつかり変な方向へ飛び散ってしまうだろう。しかし、大道芸人のガールは絶妙な投げ操作によって傘の開いたエシェルター三つを華麗に宙へ舞わせていたのだ。

 

 

ギャラリーのどよめきがやがて心底感心したようなため息がその場を支配する。パフォーマンスにつられ、新規のギャラリーまでどんどん増えていく始末。

 

 

 

やがて、フィニッシュの時。そこでも見せ場を忘れない大道芸人。

落ちてくる傘の柄の部分。ガールはそれを「手の甲」で受け止めた。

 

 

絶妙にバランスを取りつつ、右手の甲、左手の甲にそれぞれエシェルターを立てる。そして特に高く宙を待っていた最後のエシェルターはなんと、彼女の頭の上に危なげに着地した。

 

 

「……はい!」

 

 

 

フィニッシュとして、体の三点に傘を立てて見せたガール。

それは数秒も持たずして傘は地に落ちてしまうが、誰も気にしなかった。

今しがた見せたパフォーマンスに、ギャラリーは大満足の歓声をあげていた。

 

 

「ウッソでしょ! どうやったらあんなことできるの!? はー…すっごいわあ…」

 

 

ユイも、その一人であった。

熱狂の拍手を繰り返しながら、その技術の高さを素直に賞賛し、また感嘆していたようであった。

 

 

大道芸人は笑顔のまま、さあ続きましてと言いつつ床のケースからゴソゴソと道具を取り出そうとする。あの様子では、まだまだ芸は続きそうだ。

 

 

 

「……」

 

 

クロは、人だかりから離れたところにいた。

元々クロは大道芸には興味がない。だが、あの様子ならユイの気を取り戻させることは成功したようだ。レベルの高い大道芸でよかったと思う。ただ、ユイが熱中しすぎてスカウトの件を忘れていそうなことは懸念しているが。

 

 

あれならしばらく放っておいても大丈夫だろう。芸に夢中なユイに自分が話しかければ、逆に鬱陶しがられるだけに違いない。

クロは、自分の席に座ってショートジャンプオレンジを飲み干そうとした。

 

 

だが、そのカップを持った手がふと止まる。

大道芸が行われている方角とはちょうど反対のところ。つまり、デカ・タワー前の入り口付近にまた、イカ溜まりができていた。もっとも、大道芸の周りの数には及ばないほどではあったが。

 

 

クロがそちらに視線を止めたその一瞬。

囲まれたその中で、ちらりと見えたとある一人のイカの顔。

それを認識したクロは、弾かれたように立ち上がった。

 

 

「…!」

 

 

その勢いで倒れたカップからショートジャンプオレンジが溢れるのにも関わらず、クロはそちらの方へ向かって足を進めた。

 

 

 

近くにつれ、イカたちのざわめきがクロの耳に飛び込んでくる。

 

 

「久しぶりに見たぜ。あいつらだよな…『ガチヤグラの高み』にいったチームって…」

 

「やばい。あいつらマジやばいよ…うちらのチーム、ストレートでノックアウトされた」

 

「なんだよお前らのチーム情けねえな……俺ら、カウント3しか取れなかった…」

 

「隙がねえんだよ…どこをどう逃げても射線だらけで気が狂いそうになった」

 

「ていうか、ありえねえだろ……なんで…」

 

 

 

 

 

「『全員チャージャー編成』で、なんであんなにつえーんだよあいつら…」

 

 

 

 

 

 

クロは、イカ勢から羨望と畏怖の視線を向けられているそのチームの進行方向。その先に回り込んで、立ち止まった。

 

 

それぞれブキを背負った四人のイカは、突如目の前に現れたクロへ視線を向ける。そのうち三人は、訝しげな表情や不思議そうな顔を向けてきた。

 

だが唯一…スプラスコープコラボの入ったケースを背負った、一般人より一回り大きい体格のイカ。水浅葱色のゲソを後頭部にまとめ、首元に垂らしているボーイだけは、目を見開いた驚きの表情でいた。

 

 

「…クロか?」

 

「お久しぶりです。 コラスさん」

 

 

敬意を乗せた言葉を発したクロは、丁寧に頭を下げた。

 

 

 

 

*

*

*

*

*

*

 

 

 

 

二人が案内された喫煙席に座り、店員から注文を聞かれるより早く二人は自らの希望を口にする。

 

 

「ホットオレンジ」

 

「…カフェオレで」

 

「かしこまりましたー」

 

 

妙齢のガールが笑顔のまま、一礼して去っていく。

一息ついた水浅葱色のゲソを持つボーイ…コラスは頭のギア、『ステカセヘッドホン』を外して首にかけ、着ている服のギア…『FA-01 オモテ』のポケットからタバコを一箱取り出した。

 

現在販売されているタバコの中でもマイナー中のマイナー種『デスイカレット』を咥え、ライターで火をつける。ふーっと一服しているコラスに、クロは改めて頭を下げる。

 

 

「…ご無沙汰しておりました。ご友人と一緒におられた所をお邪魔して申し訳ありません」

 

「あいつらは友人なんて関係じゃねえよ。それに、そう慇懃にしなくてもいい。俺はもうお前の上司でもなんでもないんだからな」

 

「いえ…あなたが職を退いた後でも…俺にとっての師であることには、変わりありませんから」

 

「やれやれ…お前にそう思われるのは、悪い気がしねえな」

 

 

かすかに口角を上げながら、ゆらゆら登る自らのタバコの煙を見つめるコラス。このボーイこそ、クロが警察官職において最初に教えを受けた上司。クロが得た射撃技術の大半が、コラスの教えによるものである。それゆえ、クロが敬意を持って接する数少ないイカの一人である。

 

 

「…最初聞いた時には耳を疑いましたが…コラスさんが、チームを組んでバトルをやっているのは本当だったのですね」

 

「ああ…まあ、な」

 

 

その口ぶりが、どことなくぎこちないのをクロは感じとった。

クロが「耳を疑う」とまで感想を漏らした理由。コラスの人柄を知っているクロは、どうしても彼がバトルを行うとは考えられなかったからだ。

 

 

その理由の一つが、今コラスが吸っているタバコである。

警察官時代、コラスは自他共に認める超ヘビースモーカーであった。そしてそれが健在であることは今クロの目の前の光景を見れば明らかである。

 

だが問題は、「タバコの禁止」がバトルのルールとして制定されていることである。ポイ捨てによる火事の可能性。それがないようなステージだとしても、タバコの吸い殻がそこらに捨てられるような有様になってはステージの雰囲気がぶち壊しである。

 

 

そして何より、コラスは単独行動を好む、いわゆる『一匹鮫』*1な気質であった。同じ警察組織において、気心のしれた仲間はいくつもいたが、それでも作戦の際は必ず単独での行動案を提出し、それに基づいて動くことを徹底する信念を持つボーイであった。

 

警察官の役割においてはナワバリバトル関係のトラブルの調査、巡視もあるため、一般のイカに紛れてバトルに参加することを奨励しているのだが、コラスはそれも辞退している。

 

 

「バトルはどうにも俺の性に合わないんでな。俺みたいな奴が紛れては逆に浮いてしまうだけだろう」

 

 

その立場を考えればワガママな発言には変わりない。だがそのワガママの分、コラスは作戦立案や人員配置などの総合戦略において手腕を発揮している身であるため、その程度のワガママも組織内では許容されていたのだ。

 

 

そんなコラスが、少なくとも警察官であるクロが見たことのないイカ達とチームを組んで、『ガチヤグラの高み』に登り詰めるまで活躍をしている。それが、クロにとっては甚だ疑問であった。

 

 

「…クロ」

 

 

視線を下げたコラスから、低く真剣な声がクロに投げかけられる。

 

 

「俺がチームを組んでまでバトルしてる理由…お前も気になるだろう。だが…こればっかりは、お前にも教えるわけにはいかん。名誉に関わる問題だ……分かってくれ」

 

「分かりました。コラスさんが、そう言われるのなら」

 

「…すまねえな」

 

 

バツの悪そうに顔を背けたコラス。だが、それも一瞬。気を取り直したコラスは、再びタバコを一服吸い込むと、正面に向き直った。

 

 

「次は、俺から聞いてもいいか? …ああ、答えたくない質問なら、答えなくていい。俺みたいにな」

 

「はい…大丈夫です」

 

「そうか…いや、話したいのはまさにそれだ。お前、今『大丈夫』なのか?」

 

「……それは…どういう」

 

 

最初、本気で意味が分からなかったクロだが、コラスは続けて補足する。

 

 

「そのまんまだ。お前、ただでさえ普通の警察官任務に加えて、あの『極秘任務』にもついている身だろ?」

 

「……」

 

 

その補足の言葉を聞いて、今度はクロの視線が少し下がる。

 

 

「それに加えて…俺のチームにいる噂好きのガールから、お前らのことも少し聞いている。…かつて『ナワバリの高み』にいたチーム…『インカーネイション』が復活しようとしてるだの…な」

 

「……あくまで噂だと聞き流していたが、それは本当か?」

 

 

コラスの問いに、クロはこくりと頷いた。

それを見たコラスは、煙を吐き出しながら眉根を潜めて言葉を続ける。

 

 

「クロ、お前は昔っから『妥協』という言葉を知らない。無論、妥協してはいけない場面も多々あるが、それを同じくらい妥協をしなくてはいけない場面も存在するもんだ。3羽の鳥を追ったところで、1羽も得られないのが関の山」

 

「…わかって…います」

 

 

クロが絞り出した声は、かつてユイやソウの前では見せたことのないほど…迷いと苦痛が浮かび上がるような、そんな声であった。

 

 

「…それでも、俺は…選ぶことは…あのチームを見捨てることは、できません」

 

「………」

 

 

クロが続けて絞り出した、強い決意を表す言葉を、コラスは黙って聞いている。

 

 

「…どうしても、気になるんです。うちのチームメンバー。…特に、ユイが」

 

「…あのお気楽そうなチームリーダーか」

 

「はい。感情を抑えるのが苦手なお調子者で…よく笑うし、よく泣くんです。…泣いてる姿をみると、放っておけないし、笑ってる姿を見ると…何でしょうね、この感情……悪くない、と思ってしまうんです」

 

「つまり……そいつが『好き』っていうことか?」

 

「…………」

 

 

コラスが切り出した言葉に対して、意外にも沈思黙考するのみであった。

猛烈に反論するであろうとコラスは思っていたのだが、思った以上にクロは自分の感情について鈍感なようだ。

 

 

「まあいい。…あくまで、3羽の鳥を追いかけるというならば、俺は止めねえ。だが…無理はしないように、自分の体について充分気をつけることだ。欲を出すなら、それなりの対策はするこったな」

 

「…肝に銘じておきます」

 

 

クロは、また静かに頭を下げた。

いつものチームメンバーの前では決して明かされることのなかったクロの心。かつての上司を前にしたこの時間は、クロにとってのカウンセリングと言える時間となった。

 

 

 

 

*

*

*

*

*

*

 

 

 

 

 

 

「さて…私はこれからガチマッチへ行くが…君はどうする?」

 

「俺…は、ナワバリでもうちょっと練習してから、帰るつもりです」

 

「そうか…ああ、忘れるところだった。明日はロビーに…そうだな、1時集合でどうだ?」

 

「あ、それで大丈夫です」

 

「よし。では、私はこれで。また明日な」

 

「はい。き、今日はありがとうございました!」

 

 

ガチマッチエントリーの為、一人用の部屋に入っていくピースの背中に向けてソウは一礼を返した。

厳重に包まれた『イカネサダ・心』を手に抱えながら、ロビーの中のソファーに座ったソウはふーっと思いっきり息を吐いて脱力した。

 

 

 

*

*

*

*

*

*

 

 

 

 

 

昨日の夕方に引き続き、行われている練習。ピース曰く本武器ではない『スプラシューターコラボ』vsバトルでの出陣は初めてである『イカネサダ・心』との対面勝負。

 

 

結果として…ソウが勝てたのは多くて三割、という感じであった。

ピースより告げられたソウの問題点は『臆病』ということであった。

 

 

 

「大分、私に対して先手を取るのが上手くなってきたようだな」

 

「『イカネサダ・心』は、チャージャーとほぼ同等のキルスピードに加え、スプラシューター系列より微かに長い1確射程を持つ。普通のシューター相手なら、先手さえ取れればほぼ確実にキルできるはずだ」

 

「なのに、君は何度も私に返り討ちにあっている。なぜか? …射程範囲外で打っているからだ」

 

 

 

ソウにとって『イカネサダ・心』は何度も試し打ちをして手に馴染んだブキ。射程を見誤るようなことは本来ないはずであった。だがしかし、こうして対面の勝負してみると話は別だ。

 

実際に自分をキルせんと襲いかかってくる敵を前にすると、どうしても焦ってくる。先手必勝とばかりに慌てて切り払おうとする。しかしそれはピースには届かずに、逆に射撃後の隙を突かれて、スプラシューターコラボのインクの前にソウは哀れにも露と消える。

 

かつてユイがソウの前で「ユイのデュアルスイーパーより敵のデュアルスイーパーの方が射程が長い」などと支離滅裂な思考・発言をしていたのを見て、ソウは何を言ってんだこいつみたいな感情になっていたが、今ならユイの気持ちもわかると感じてしまう。ほぼ同じ射程のはずなのに、自分のは届かず相手のが届いてしまうのならユイのように考えてしまうのも仕方ない。

 

ただ今回の場合はユイのような錯覚の問題とは違う。ソウが臆病なゆえに射程範囲外で打ってしまっているという明確な問題点があるのだ。

 

 

「通常のシューターを使うならば、先手必勝で射程外から撃ったとしても…まあ、避けるべきミスとは言っても、それほど痛手ではない。なぜなら、シューターなら歩き撃ちで距離を詰められるし、先手を取れば相手よりも撃ち合いに勝てる可能性も大幅に上がる」

 

「だが『イカネサダ・心』はあくまでチャージャーと同じ一発一発の勝負だ。歩き撃ちなんて概念はない。その上、射撃後硬直がある以上、射程外で撃つことによる危険度は他のシューターの比じゃない。十中八九その隙をキルされて終いだ。今まで私にそうされたように」

 

「そもそもチャージャーと同等のスピードでキルが取れるのであれば、射程内にさえ捉えておけば撃ち合いに負けるなんてことはまずありえない。どうせ敵を一瞬でキルできるブキなのだから、むしろ一発や二発はシューターの弾を受ける覚悟で立ち回ったほうがいい。多少のダメージを受けたとしても、射程内にさえ敵を捉えればその瞬間に君の勝ちなのだから」

 

 

告げられた問題点と改善点は、ソウにとっても理解しやすい内容で教えられた。しかし、だからと言ってすぐ矯正できるかといえばまた話は違ってくる。

ソウの場合は、未だスパイガジェットの挙動に引っ張られつつあった。

 

 

スパイガジェットの場合、シェルター部分を盾にしつつ攻撃をするため、基本的に敵のインクを食らいながら撃ち合う...ということにはならない。シェルターが壊れるような事態であれば、それは十中八九危険な状態。そのまま無理に撃ち合って仮にキルが取れたとしても、その後の立ち回りには不利である。よって、ソウはシェルターが壊れれば即座に撤退し、シェルター部分が回復し次第再び前線へ…という立ち回りがメインとなっている。

よって、通常のシューター持ちと比べれば、敵の攻撃を食らう経験が少ない…もっと適切に言うのであれば、『敵の攻撃を食らう前提の立ち回り』ができないのである。

 

 

今日の特訓でできた目標は、『敵の攻撃を食らう前提の立ち回り』をできるようにすることである。無論、今日のうちにその目標をクリアすることは叶わなかった。いつも使っているスパイガジェットのシェルターが目に見えて存在しないことで、いつもよりつい逃げ腰になってしまうのだ。

 

 

(…結局は慣れ…なのか? うーん、インクって当たっても痛いわけじゃないんだが…なんであんなにびびってしまうんだろう、俺…剣道部の時は、竹刀にビビるなんて入部当初でもなかったんだがなあ…何が問題だ? やっぱシューターが銃っぽいから…とかか?)

 

 

体はソファーに脱力した状態で預けたまま、ソウの脳内では解決の見込みのない疑問をぐるぐると回していた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「お前えええ!! どうしてくれるんだよ!!! おい!!!」

 

 

 

突如ロビーに響き渡った叫び声に、ソウの頭の中は驚愕によって一気に弾け、さっきまでの疑問はどこかにすっ飛んでしまった。

 

ソファーから脱力したままずり落ちた情けない体勢から、なんとか持ち直したソウが声の方に視線を向ける。

 

 

 

ソウが見たのは、想像以上に穏やかではなかった。

 

 

 

 

二人の男…イカ風に言うならボーイ…がいる。だが、その力関係は初見のソウから見ても明らかであった。

 

ガチマッチに参加するための個室のドアの前で、ガタイのいいボーイが小さいボーイの胸倉を掴み、怒鳴りつけている。いや、怒鳴っている方のボーイが特別ガタイがいいわけではない。怒鳴られている方のボーイが小さいが故に、一瞬ソウは「ガタイがいい」と勘違いしたのだ。そのボーイの小ささでいえば、ソウよりもさらにもうひと回り小さいくらいである。

 

怒鳴られているその小さなボーイの瞳には遠目でも分かるくらいに大粒の涙が浮かんでいる。明らかに萎縮して泣いているのにも関わらず、もう一人のボーイの叱責は続く。

 

 

「やる気あんのかお前!? フルで戦ってたったの3キルだあ!? しかもイカリング見たら全部アシストキルじゃねえかっ!! どうしてくれんだ!あと一勝すりゃあウデマエ上がってリセットしたってのに、お前がまじめにやらなかったせいで割れちまったんだぞ! そんなクソブキ担いでんだったらバトルなんかやめちまえっ!!」

 

「ひっ…う、うう…っ…」

 

 

怒鳴り声に比例して、小柄なボーイの瞳に浮かぶ涙と嗚咽の数がさらに多くなる。そのボーイの頭にかぶっているサンサンサンバイザーがずり落ち、ドアの近くに立てかけられていた細長いケース─おそらくボーイのブキケースだろう─が倒れる。

 

 

 

 

さすがにこれは、見て見ぬ振りはできない。

 

ソウが姿勢を直して立ち上がろうとした瞬間、

通路の奥からもう一人のイカが走ってくる姿が見えた。

 

 

「はぁ…はぁ…あー…やっと見つけたあ…もうなーにやってんのよ。アサリの時間の間にウデマエ上げちゃうんでしょ? だったら早くやっちゃおうよー」

 

 

もめている所に追いついたのはこれまたソウの見知らぬガールであった。肩で息をしながら、怒鳴り散らしていたボーイに向かって話しかける。知り合いなのだろうが。

 

 

「お前はこんな奴が許せるのか! こんな不真面目なガキでさえなけりゃ...俺は今頃Xいけてたのによ!!!」

 

「もー。いちいち戦犯一人一人にキレてたらキリがないよ。そもそも、昇格直前までヒビをピキピキ作ってたのが悪いんでしょー。そんなあんたがX行ったってフルボッコにされてまたS+に落ちるのがオチよー。...落ちだけに」

 

 

ガールの言葉を聞いたボーイが「ああ!?」と額に青筋を立ててガールの方を向く。その際、胸倉を掴んでいた手は勢いよく離され、小柄なボーイは地面に転がった。

小さな呻き声を発する小柄なボーイに構わず、第三者のガールに向かって喧嘩腰のボーイ。

 

 

「何上手いこと言った気になってんだてめえ!! てめえだってほんの一週間前までS+だったろうが! X底辺程度でドヤ顔してんじゃねえぞ!」

 

「べーっだ。底辺でもあんたより上の存在ですよーだ」

 

「上等だ!! ぶっ殺してやる! 今すぐプラベに来い!!」

 

「はいはいわかったわかった…まったく血の気が盛んなんだから...」

 

 

殺気立ったボーイと呆れた様子のガールは、揃ってロビー先のエレベーターへと消えていった。

 

 

 

 

…倒れている小柄なボーイを残して。

 

 

 

「え、ええ!?」

 

 

ソウは思わず声が出るほど驚いた。あのガールが怒っているボーイを宥めたことで内心胸を撫で下していたのに、当たり散らされている小柄なボーイのことは一切無視するとは思わなかった。

 

 

ということは、少なくともあのボーイとガールは知り合いでも、小柄なボーイの方は面識がない。ウデマエという言葉から察するに、おそらくはガチマッチ。小柄なボーイが野良で合流した程度の面識なのだろう。…一度同じチームになったとはいえ、ほぼ初対面からあそこまで激怒するなんて…ソウはまた一段とガチマッチへの敷居が高くなるのを感じた。

 

 

…しかしそんなことより、問題はあの倒れている小柄なボーイのことだ。

死んだように動かないが…まさかとは思うけど、いやまさか死んでるわきゃないと思うが…

 

 

 

ソウはキョロキョロと辺りを見渡し、何か用事があったのか席を外しているらしいロビーの受付を含め、この場に自分以外のイカがいないことを確認した。そして、小柄なボーイの方へ駆け寄った。

 

 

「…え、えーっと……大丈夫?」

 

「うっ…ぐす……ひっ…くっ……」

 

 

近づくとよりはっきり聞こえる、嗚咽と涙。

死んでいないのは本当によかったが、こんな子供(今の自分も子供の範疇だが)を放っておくのは本当にいけないことなくらいはわかる。

 

でも、かといって…

 

 

 

「……どうしよう」

 

 

泣いている子供への対応なんて、ソウは未だ経験したことはなかった。

 

 

 

 

*

*

*

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*

*

 

 

 

「すみません…突然押しかけちゃって…」

 

「ほっほっほ。構わんよ、ちょうど一通りの修理が終わったところじゃ」

 

 

結局のところ、ソウが頼ったのは年の功…すなわちスイトであった。

ぐずっているボーイをおんぶし、おそらくボーイのものと思われるケース&自分の『イカネサダ・心』を持った手一杯な状態で、やってきたのは仕事場。すなわちカンブリアームズのスタッフ用試し打ち兼修理場であった。

正直職場に泣いている子供を引き込むなんて非常識なのではないかと思ったが、数少ない知り合いであるユイやクロが近くにいない上、ちょっとデカ・タワーから出るだけでやたら視線を感じるので、早々に避難したいという気持ちが強かったのだ。

 

ソウがやたら視線を感じた理由は二つ。一つは、さっきまで『ガチヤグラの高み』のチームが通っていたため、たくさんのイカがデカ・タワー前に集まっていたこと。そしてもう一つは、その中にいくらか紛れ込んでいたショタコンの熱い視線が原因である。しかしそんな事情はソウが知るよしもない。いや、知らない方が幸せと言うべきか。

 

閑話休題(それはともかく)、この状況でスイトの元へ赴いたのは間違いではないとソウは思った。

スイトは未だ涙が収まらないボーイを抱き寄せ、「よーしよしよし。いい子だからなあ…」と背中をポンポン叩いてあやしている。

スイトからすれば泣いている孫をあやす感覚なのだろうが、スイトは飛んでもない年齢詐欺な見た目のジジイ。傍目から見たら兄と弟の関係にしか見えなかった。

 

 

 

しかしそのかいあって、ボーイが落ち着きを取り戻すのも比較的早かった。

 

 

 

*

*

*

*

*

*

 

 

 

 

「あのう…ごめんなさい。なんか、迷惑かけちゃった…みたいで」

 

「ほっほっほ。大丈夫じゃよ。孫をあやすのは慣れてるからのう」

 

 

青年姿のスイトからそんな返事をされ、未だ頬に涙の後を残したボーイは不思議そうな顔をした。

 

 

 

*

*

*

*

*

*

 

 

 

 

小柄なボーイは、ユーロと名乗った。そして、自分を連れてきてくれたイカがソウだとスイトから教えられると、こちらに向かって90度近いお辞儀をしてきた。

 

 

「助けてくれて、ありがとうございます。ソウさん」

 

「あ、ああ……ぶ、無事で…何より、だ」

 

 

ちょっと言葉にどもってしまった。それというのも、この世界に来て以来、ずっと敬語で喋っていたからだ。

これまで知り合いになったイカ…やその他生物はみんな年上っぽかったため、敬語のイカ語がすっかり定着してしまっていたが、もちろんこれはソウの素ではない。

 

流石に自分より小さい相手に敬語を使うのは不自然だと思ったソウは、ほぼその身に定着してきたイカ語を駆使して初めてのタメ語チャレンジだったのだが、結局不自然にどもってしまい、口調も素のものというよりクロを真似した感じになってしまった。

 

そんなソウの様子を面白そうに見ていたスイトだが、今度はユーロの方へ向き直って問いかける。

 

 

 

「話を聞くに、君は他のイカに絡まれていたとのことじゃが…何かあったのかのう」

 

「あ、いえ……僕が、悪いんです。試合で、僕が役に立たなかったから……」

 

 

 

悲しそうに眉根を寄せて俯くユーロ。かぶり直したサンサンサンバイザーで顔が隠れる。その体は、軽く震えていた。

 

 

「僕…今日からは……いつものブキとは、別のを使おうかなって…思っただけけど……やっぱり、うまく、動けなくて……そしたら、『バトルなんかやめちまえっ!』って…」

 

「あんなこと…言われたの、初めてだから……怖く、て……ぐすっ」

 

 

あの時のことを思い出したのか、また泣き出しそうになるユーロ。

またスイトが抱き寄せて背中をポンポンさせて落ち着かせる。

 

 

*

*

*

*

*

*

 

 

ランク13までのナワバリ経験者であるソウだが、今まであんなことを言われた経験はまだない。

というかそもそも、あんなことをするのは相当面倒臭いはずなのだ。

 

 

なぜかというと、ナワバリやガチマッチでやる場合、参加するイカは空いている好きな個室に入り、その中の転送装置を使って参加する。

そのような参加者の中からランダムでマッチングされる。ということは、偶然同じチームになった他の野良プレイヤーを探そうとすると、まずそのプレイヤーが入っている個室を探さなくてはならない。

バトルの本拠地であるこのハイカラスクエアにおいては参加者が多い分、デカ・タワー個室数もハンパない多さだ。もし仮にソウなら、どんなにムカついても結局面倒臭くなって諦めるに違いない。

ソウが見た時は、怒鳴るボーイとユーロは部屋の外にいた。ユーロのブキケースも外に出ていたということは、おそらくユーロは部屋を出ようとしていたところを、偶然にも怒り心頭のあのボーイに見つかってしまったということだろうか。

 

 

 

「ふーむ…あまりに気にしなさんな。運が悪かったと思う他ないわい。わざと負けようとしたならともかく、君は一所懸命やったんじゃろ? なら、自分に責任を感じることはない。実戦で何度も失敗し、負けてこそ、バトルは強くなるもんじゃ」

 

「……はい」

 

 

 

さすがは年長者。若干見た目にあっていない老人特有のゆっくりした深い声だが、それはユーロを落ち着かせるのに効果的であった。やっぱりスイトを頼って正解だったとソウは思った。クロはいい人…いやいいイカだがあんまり泣いている子供をあやすのに向いていないのではないかと思う。ユイは……どうだろう。案外あの性格ならあやすのも元気にするのもうまくいくのかもしれない。

 

 

スイトによってユーロが落ち着きを取り戻している間、ソウが気になっていたのは、ユーロの近くに落ちていたブキケース。一応持ってきたが、ユーロのそばに置いてあっただけで、彼の持ち物かどうかはっきりしているわけじゃないため、確認をしようとそれを持ち上げた。

 

 

(…細い……この形…ってことは)

 

 

 

 

 

「え、えーっと…ユーロ…くん?」

 

「は、はい?」

 

「この…パブロ、君の?」

 

「!!」

 

 

ソウが青いケースを指し示したのを見たユーロが驚きの表情に変わったと思ったら、残像が見えるほどのスピードでソウが持っていたケースをひったくられた。

 

 

 

突然の行動に目を白黒させるソウ&スイト。手にケースを抱えたユーロは、ちょっと顔を赤くして答えた。

 

 

「ぱ、ぱ、パブロじゃないですこれ! パブロ・ヒューですから…!」

 

「え、あ、ご、ごめん……間違えちゃって」

 

「あ、いいいいいえ! 僕の方こそごめんなさい! 勢いよくとっちゃって…。持ってきてくれて、ありがとうございます…」

 

 

必死で奪い取ったことが恥ずかしいのか、何度も何度も頭を下げて謝る。

なるほど、確かにマイナーチェンジ版の可能性を無視してパブロと決めつけたのは早計だった。しかし、ソウにはどうもブキをとった時のユーロの必死さが気にかかった。ブキを他人に触られるのが嫌だったのか、それともパブロと間違えられたことが嫌だったのか…。

 

 

「まあまあ、とにかく怒られただけで、大した怪我をしなかったのは不幸中の幸いじゃ。何か困ったことがあったら、ナワバリバトル本部の人に話しなさい。力になってくれるじゃろう」

 

「…はい。分かりました。…今日は、本当にありがとうございました。スイトさん、ソウさん」

 

「ほっほっほ。まあ、気をつけてお帰り」

 

「あ、おう。…元気でな」

 

 

 

相変わらず90度近いお辞儀をしたユーロは、ケースを手に背を向けて部屋からでようとする……

 

 

 

 

 

 

しかし、ユーロはなんとドアが開いた瞬間に突如回れ右し、ソウの方に駆け寄ってきたではないか。

あまりに素早くスムーズに向かってきたもので、思わずホッと一息ついていたソウはびっくりして逆に変な息が出てしまった。

 

 

 

「あ、あの! ソウさん! ………あっ、え、ええっと…」

 

「ど、どうした……んだ?」

 

 

ソウをびっくりさせるほど勢いよく戻ってきたのはいいが、どうやら勢いだけできたらしく、肝心の用を口に出そうとしても言葉が詰まってしまうらしい。

 

 

時間にして10秒ほど。口がうまく動かないのか、それとも言い出すべきか迷っているのか、ずっとどもっていたままだった。だが、そのうちユーロはきっぱりと顔をあげ、ソウの目を正面から見据えた。

 

 

 

「…ぼ、僕と…フレンドになってください!」

 

 

 

決意の言葉と共に、ユーロは本日三回目の直角お辞儀で頼み込んだ。

 

*1
人間世界でいう「一匹狼」と同義




感想、評価、誤字報告。全て非常に嬉しいです。
読んでくださる皆さんに感謝です。



この気持ちが強すぎて、前書き後書きに書くことがない...。


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協力 驚愕

一話に纏めようと思ったら長くなっちゃったから、先に前半を投稿するの巻です。
後半は比較的すぐ投稿できると思います。


形勢不利と見て、一旦自陣に撤退したソウが見たのは、味方のカーボンローラーのイカが敵のN-ZAP85によって爆散する瞬間であった。

 

 

(…これで、二人落ちか)

 

 

ソウが内心でどうしたものかと唸っていると、ピコンピコンというジャンプマーカーの存在を示す音が、耳元に鳴り響く。

そのマーカーの上に着地してきたそのイカは、あんまりにも慌てていたためか着地する際に少し態勢を崩して膝をついた。

 

 

「あ、わわ…と。…ど、どうしよう、ソウ。中央とられちゃったよ…僕のブキじゃ、とても…」

 

「そうみたいだな…他の二人のイカも今はやられてるし…俺もあんまり、強気で切り込むのは賛成しないな」

 

 

ソウは、軽い牽制のために金網にそうように『カーリングボム』を投げつつ、思案顔をする。と、ここでソウは隣にいるイカ…ユーロの頭をみて、あることに気づいた。

 

 

「ユーロ、スペシャル溜まってるんだな。さっき吐いたばっかりな気がするけど」

 

「あ、本当だ…いやあ、パブロ・ヒューってほら、スペシャルの回転率がウリみたいなものだから…」

 

 

ちょっと恥ずかしげに頬をかくユーロ。そう、確かにユーロの言う通り、パブロ・ヒューはスペシャルウェポン”イカスフィア”を使うために必要なポイントは僅か160P。これは他のイカスフィア持ちのブキと比べても最少の値である。メインとサブの塗り性能も合間って、スペシャルの溜めにおいては他のブキと一、二を争うレベルとなる。

 

それを確認したソウは、今一度中央の様子を顧みた後、ユーロに向き直り神妙な顔で提案する。

 

 

「じゃ、やるっきゃないな。例のアレ」

 

「あ、あれを? …でも、今度はうまくいくかなあ……今までも成功率半々程度だったし…」

 

 

不安を隠せないユーロの手を、ソウは両手でぎゅっと包み込んだ。

 

 

「大丈夫。この打開の難しいフジツボスポーツクラブで成功率半々なら、充分やる価値はある。…スイトさんも言ってただろ? 『実戦で何度も失敗し、負けてこそ、バトルは強くなる』って。失敗を恐れちゃダメだ。勝てる可能性へ向かって、頑張らなきゃな」

 

「…うん。そう…だね。よし、僕、やるよ!」

 

 

決意したように頷くユーロをみて、ソウは内心ホッとした。

というのも、これまでのバトルにおいて、ユーロは基本的に及び腰の態度であった。ソウが見たところ、どうにもユーロは『失敗』というものを極端に恐れているように思えた。

 

その度にソウはスイトの言葉を引用しながらユーロを説得しているのだが、だんだんユーロが思い切って決断してくれる時間が短くなってきたように感じ、ソウは内心微かに安心していた。

 

 

「じゃあ…いってくるよ。最大時間で、できるだけ引きつけるように…だよね」

 

「おう、頼んだ」

 

「…任せて!」

 

 

ぐっ、と拳を握ったユーロは、勢いよく自陣の壁から飛び出し、手元のパブロ・ヒューと共に金網の橋を駆け抜けて中央へ向かった。

無論、金網を渡り切るより早く、中央を陣取っていた敵のイカ達の目に止まる。

それぞれのブキがユーロに向けられた時を見計らい、ユーロは前転するかのように体を丸めた。

 

 

 

 

 

その時、ユーロが一瞬だけ自チームのインクの色と同じ、オレンジの光に包まれる。そして次の瞬間には、ユーロの周りに丸いプラスチックのような守り…『イカスフィア』が形成された。

 

 

 

メインもサブも使えない状態のユーロは、コロコロとスフィアを内部から動かして突進する。

少々間抜けな姿だが、しかしこのスペシャルウェポン、ただ身を守るためのものではない。その証拠に、コロコロと向かってくるスフィアを前にした一人の敵イカは、素早くイカダッシュして中央から離れる。ターゲットを定めたユーロは、その敵のイカダッシュの飛沫を正確に見極めて追いかけていく。イカスフィアを使えば、敵インクの上だろうと難なく進むことが可能だ。

 

 

 

狙いを定めたイカだが、ユーロは決して適当にターゲットを決めたわけではない。決め手は、あのイカの持ちブキがヴァリアブルローラーであったこと。

 

 

イカスフィアは、決して無敵ではない。インクの攻撃を連続で受け続ければ、ノックバック…つまり思うように前に進めなくなる上に、耐久力以上の攻撃を受ければ、スフィアを剥がされてしまうこともあり得る。

そのため、イカスフィアの天敵は継続射撃ができるシューター・マニューバーや、攻撃力の高いボム持ちのブキだ。

 

ヴァリアブルローラーは、そのいずれにも該当しない。

ローラーの場合、振り下ろしによる至近距離攻撃か、縦振りによる隙のある中距離攻撃の二択だ。いずれもイカスフィアに対して強く出る事は出来ない。

ただ、ヴァリアブルローラーが持つスペシャル”スプラッシュボムピッチャー”による連続ボム攻撃だけは懸念すべきだが、相手にスペシャルが溜まっていない事は、しっかり確認していたのだ。

 

 

ターゲットになってない敵イカも一度中央から離れ、ユーロが狙いを定めた敵イカは金網下の通路を使って逃げきらんとする。

 

 

【挿絵表示】

 

 

 

ユーロの切り込みによって、中央につけいる隙が生まれた。だが、まだソウは動かない。じっと、その時を待つ。

コロコロスフィアに追い立てられた敵イカは、サイドに存在する壁の方へ退避する。壁を巧みに使って、イカスフィアの持続時間一杯まで耐えきろうというのだろう。

 

確かにイカスフィアの”爆発”は、壁を超えては貫通しない。壁を上手く使って立ち回れば防ぐのはたやすい。

無論、ユーロもそれを理解していた。

 

 

 

“だからこそ” ユーロはいとも簡単にターゲットを見捨てると共に、スフィアのまま中央へ戻っていった。

 

 

【挿絵表示】

 

 

 

そして、そろそろスフィアの時間が切れる。

 

 

 

 

ピーッという鋭い警告のような音と共に、ユーロの入っているスフィアの内部が自らのインクの色で満たされた瞬間…強烈なインクの爆発が発生した。

 

 

…しかし、敵イカは充分に距離をとっていたため、一人もデスする事はなかった。その代わり、たった一人で孤立したユーロを袋叩きにしようと、敵のイカ三人がワラワラとよってくる。

 

 

 

 

「わーーー!」

 

 

 

情けない悲鳴を上げながら、中央から降りて逃げるユーロ。

幸いにも、パブロ系列の機動性を持ってすれば、乱れ打つインクの弾から逃げるのは比較的簡単である。しかし、このステージにおいては自由に逃げ切れる場所は限られている。もし複数人を持って追いかけてこられれば、さしものパブロと言えど危険である。

 

しかし、実際には誰一人として追撃してくる事はなかった。

その理由は一つ。突如中央に現れたジャンプマーカーに、気を取られていたからだ。

 

 

【挿絵表示】

 

 

 

敵イカ達はその時、こう思った。さっきキルしてやったイカが、慌ててジャンプしてこようとしているのだろうと。そう考えるのは何も不思議なことではない。特にさっきデスしたイカが復帰した頃合いとなれば尚更だ。

 

そうして焦って飛んできたイカを着地狩りすることは容易である。マニューバー相手なら話は別だが、少なくとも相手の編成にマニューバーがいないことは、度重なる撃ち合いを元に敵イカ達は把握していた。

 

しかし、彼らは一つ失念していた。

マニューバーこそ確かにいないが、ジャンプマーカーが見えた時に警戒しなくてはならないもう一つの存在…『スーパーチャクチ』を。

 

 

 

敵イカがそれを忘れていたからこそ、『受けとめて☆ラブメテオ!』は成功するのだ。

 

 

【挿絵表示】

 

 

 

インクの大渦によって、二人の敵イカは倒されてリスポーン地点へ吸い込まれていった。

 

 

 

ソウが言った『例のアレ』とは何のことはない。ただの『スーパージャンプからのスーパーチャクチ』である。いつも野良で時折狙っているソウの…いや、チャクチを使うイカなら誰もが考える打開手段の一つである。

 

ただし、普段のソウと違うのは、連携のとれる知り合いの味方がいたこと。

 

イカスフィアが未だ上手く動かせない、と嘆くユーロに対して、ソウが提案したのがスフィアとチャクチのスペシャルコンボ。

これも特に難しいことはない。ただスフィアで一人をキルしようと付け狙うのではなく、ユーロがわざと目立つところでスフィアを起爆させて敵の注意を引きつける。そこへソウがスーパージャンプを狙うことでジャンプマーカーを敵に視認させ、着地狩りを狙わせる。そして、スーパーチャクチによる逆狩りを狙う、と言ったわけである。

 

 

…『スーパージャンプからのスーパーチャクチ』のことを、ユーロが『受けとめて☆ラブメテオ!』と表現した際には、ソウは何とも言えない表情になったものだが。

無論これはユーロが命名したのなく、ユーロが大好きなとある有名ユニットが命名したものであるのだが、ソウはそこら辺を突っ込んで聞かなかったため、『ユーロのネーミングセンスは方向性がおかしい』とソウに誤解されることとなった。

 

 

名前の話はともかく、この作戦をソウが思いついた時には、画期的だと思ったものだ。だが、先ほどユーロが不安げに言ったように成功率はせいぜい半々だったのだ。

 

理由は単純。少しでも『受けとめて☆ラブメテオ!』を警戒しているイカがいれば、当然失敗に終わるからだ。

ある程度ジャンプマーカーから距離をとって着地狩りを狙っているイカは、ダメージこそ与えられても倒すまでには及ばない。

 

特に天敵なのはチャージャーやスピナーであり、ダメージを与えるどころか遠距離から安全に『チャクチ狩り』をされてしまうだけに終わることも普通にあった。

 

こうして画期的だと思っていたご自慢の戦法は、思ったより万能ではないという事実を実戦から理解したソウだが、それでもこうした打開しなくてはならない場面に対しては、やらねばならないと決断する必要がある。

 

そのたびに『友達』であるユーロを説得するのは、もはや試合における恒例行事となりつつあった。

 

 

 

 

 

チャクチによって、二人のデスを確認したソウの元に、大きくUターンしてきたユーロが、パブロ・ヒューを滑らせつつ駆け寄ってきた。

 

 

「ハア…ハア…や、やった…の?」

 

「ああ、二人倒した。ユーロが上手く誘導してくれたおかげだ。ありがとな!」

 

「あ、う、うん! じゃ、じゃあ今のうち中央塗っちゃうね!」

 

「了解! あ、ただ仕留め損ねたやつが左サイドにいる! 今から向かうけど、ひょっとしたら倒せないかもしれないから、一応警戒頼む!」

 

「うん…じゃなくて…了解!」

 

 

ビシッと律儀にソウの同じように返事をすると、筆を思いっきり振りまくることでインクを思い切りばら撒くことで自らのチームのナワバリを広げにかかる。

 

ソウの方はと言えば…ユーロに伝えた通り、左サイドの方へ向き直る。

一応、横目で常に注意はしていたため、少なくともこっそり抜け出して金網下の通路へ退避している…ということはないはずである。恐らくは、壁裏で注意を伺っていることであろう。

 

普段のソウであれば、自信のない打ち合いに自らもつれ込むよりも、あそこに敵がいることをそれとなく味方に伝えつつ、自分は塗りに徹して勝ちに行くだろう。

 

しかし、今回はそれではダメなのだ。他のチームのイカ達には申し訳ないと強く思っているが、今日のナワバリバトルにおいては『勝利』は二番目の目標に過ぎない。

一番目の目標のために、ソウは『いつもとは違うブキ』を持っているのだから。

 

 

「よっし…行くぞっ!」

 

 

決意を持って、カーリングボムを左サイドに向かって放つ。しかし、そのままカーリングの塗り後をイカダッシュして一気に距離を詰めることはしない。あくまで牽制。センプク状態から炙り出すための一手であった。

 

 

(…スパジャン前に確認した限りでは…あの壁裏にいるやつは、さっきまでユーロが追い回していたヴァリアブルローラー使い。…サブウェポンは…確か)

 

 

そこまで思考したところで、敵が隠れる壁の右側にサブウェポン『スプラッシュシールド』が展開される。

それとぶつかったソウのカーリングボムは、未だ走行距離を残しているにも関わらず、あえなく爆散した。

 

 

(そうだ、スプラッシュシールド! …シールドの影から縦振りで道を作って逃げる気か?)

 

 

ヴァリアブルローラー最大の特徴といえば、『変形機構が組み込まれたローラー』である。

「スプラローラー」より早く、「カーボンローラー」より強い横振り。

「スプラローラー」より長く、「ダイナモローラー」より早い縦振り。

スピードこそ遅いものの、状況に応じた塗り方法を他のローラーよりも柔軟に操れる器用なブキだ。見た目のフォルムも実はソウの好みに近い。

 

敵はスプラッシュシールドによってこちらの攻撃を封鎖し、自分は長射程シューター並みの塗り範囲を誇るヴァリアブルローラーの縦振りを用いて、ここから離脱するための道を作るのではないか、とソウは推測していた。

おそらく敵側としては、このまま壁裏で応戦するのは好ましくないだろう。確かにローラーであれば、壁を使った奇襲は得意とするところだが、敵に位置バレしてるとなればその強みは半減するからである。

 

 

 

しかし、そんなソウの推測はあっけなく崩れ去ることとなる。

壁を越えるようにして飛んできた『スプラッシュボム』によって。

 

 

「っ!!」

 

 

危うく体を思いっきり仰け反らした勢いのまま自分のインクに戻って退避することで、なんとか避けるまでに至った。だが、敵の紫色のインクが体にかかり、言葉にするのが難しい倦怠感がソウの体を襲う。

 

 

(やばい…スペシャル溜まっていたか!)

 

 

ソウが敵の本当の狙いを察したその間にも、壁裏から次々と飛んでくるスプラッシュボムが2つ、3つ、4つ。

無論、これは敵のスペシャル”スプラッシュボムピッチャー”である。

 

 

周辺にばら撒かれる三角錐のボムの数々。ソウは顔を強張らせ、中央へ撤退しようとした。…が、すぐに立ち止まって、再び壁の方へ体を向けた。

 

 

(…逃げちゃダメじゃないか。…やるしかない。強くなるために)

 

(……打ち取る! 『敵の攻撃を受ける覚悟』で!)

 

 

ソウは、毅然とした表情でカーリングボムを壁の左側に向かって放つ。

 

ボムピッチャー系列のスペシャルを発動している相手に対して真っ向から仕留めにいくのは、普通では無謀な行動として認識される。

 

 

起爆まで時間のかかる”キューバンボムピッチャー”や”カーリングボムピッチャー”ならばそれなりに合理性のある行動ではあるが、それでも相手の対応次第では返り討ちにあうケースも少なくない。まして今回のソウの相手はより危険性の高い”スプラッシュボムピッチャー”だ。

 

ただし、ソウが向かっていったのは何も勝算がない訳ではなかった。

敵はデスを恐れているのか壁越しにしかボムを投げてこない。つまりは、こちらが接近している様子が見えていないということだ。

 

後はボムをかいくぐり、敵が気付く前にこちらが懐に潜り込めば...!

 

 

 

ソウは、周辺で破裂するボムから飛散するインクを極力交わしつつ、自らが投げたカーリングボムの軌跡に沿ってイカダッシュする。

あのカーリングボムは反射によって壁裏に向かって滑り込む。その跡についていけば、あのヴァリアブルローラー使いの元へ切り込める。

 

 

だが、そのボムはあくまで『囮』であった。

ソウの狙いはあくまで、右側。先程敵が張ったスプラッシュシールドが、ソウのボムが与えたダメージと合わせて、時間経過で切れる頃合い。

 

イカダッシュしていたソウが、サブウェポンが発射できるギリギリの量までインクが回復した瞬間に、二発目の『本命』を放った。

 

カーリングの軌跡が、今度は反射して右側から侵入できるように。

 

『スプラッシュシールド』は、一度に二つは設置できない。

そのためあのヴァリアブルローラー使いはとりあえず、(ソウから見て)右の方をシールドで封鎖した上で”スプラッシュボムピッチャー”で最期の塗りを狙いにかかった。

そんなかのボーイも、シールドを置いていない左側をしっかり警戒していても、右側に関しては注意が薄い筈だ。シールドが万能ではなく、時間経過で消えるという事実をしっかり理解していても、「シールドを設置しておいた」という事実からくる安心感が、右側の注意を逸らしている筈である。

 

ソウは、それに賭けた。

 

 

カーリングボムに沿って右側から回り込んだソウが見たのは、敵であるヴァリアブルローラー使いの”背中”であった。上手くいった。敵はソウが最初に放った囮のカーリングボムの爆発に気を取られ、ソウの目前で無防備な姿を晒していた。

 

だが、ソウが敵をキルすべく一歩踏駆け出した瞬間に、気配を察したが、それとも偶然か、敵のヴァリアブルローラー使いが振り返ったではないか。

 

 

「なあっ!?」

 

「っ! うおおお!」

 

 

驚きの声を上げた敵のボーイの顔を見て、ソウも一瞬顔を歪めるが、後戻りをしてはいけない。今日のバトルで身につけるべきは『覚悟』 最悪刺し違えても敵をキルする覚悟で動くことを学びに来たのだから。

 

 

雄叫びを上げたソウは、思いっきり前につんのめる勢いでブキを前に詰めていく。カーリングボム二連打のせいでソウのインクタンクはカツカツ。歩き打ちで距離を詰めても、敵に届く寸前でインクが切れたら大変だ。

 

だから、そのトリガーを引くのは、確実に倒せる距離まで近づいてからだ。

 

敵は、とっさにヴァリアブルローラーを振り上げた。ここまで接近されると、スプラッシュボムは遠くに転がって相手をキルしきれない可能性がある。確実に倒すためのメインウェポンによる迎撃を狙ったのだろう。

 

だが…

 

 

(俺の方が…早いはず…!)

 

 

思いっきり腕を突き出して、敵に銃口を向けるソウ。

 

 

(届け……『ボールドマーカー』!!)

 

 

ソウは、引き金を引いた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

【挿絵表示】

 

 

 

 

 

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Finish!

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

57.3%-33.5%

 

 

 

 

 

You win!

 

 

 

 

 

 

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「いやー、今日バトルに付き合ってくれて本当にありがとうな。お陰でランク14になれたよ」

 

「え、嘘!? ソウってまだランク10台だったの?」

 

「…ええ、初心者で悪うござんしたね」

 

「あ、いやいやいやそういう意味じゃないよ! とてもランク10台とは思えないほど上手いって意味だから!」

 

「…そうか?」

 

 

ちょっとぶすっとした顔になってしまったソウだが、ユーロのフォローで褒められたのは悪い気がしない。ちょっとだけ嬉しかった。

 

 

 

ぶすっとするなんてこと、ソウがこの世界に来てから初めてであろう。ユイにもクロにも見せたことのない表情を、このユーロの前ではよく見せる。今やソウは、出会って数時間程度であるユーロを前にして、もっとも素に近い態度でいることができていた。

 

その理由は、やはり『言葉』と『バトル』であろう。

 

助けられた恩からか、フレンドになってくださいと敬語でお願いしたユーロを見ていると、ソウはかつての…というより今までの自分を見ているような気持ちになっていた。

 

 

──わかった。フレンドになろう。

 

 

ソウが答えると、ユーロの顔はパアアという効果音がつきそうなくらいの笑顔になった。

ただし、とソウは続けた。

 

 

──これから『友達』になるなら、敬語はなしで行こうか。もちろん、お互い呼び捨てでな。

 

 

その提案は、ユーロに気を使ったというより、ぶっちゃけ自分自身のためという方が大きかった、というのは否定しない。

つまるところ、ソウも欲しかったのだ。自然な態度と口調で接せる『友達』が。

恩人であるユイやクロ、スイトは今更そういう対象として接することはできない。たとえ本人達が快く了承してくれたとしても、ソウの心の中における『恩人』というカテゴライズは早々覆るものではない。

 

 

ソウの提案に対して、ユーロは一瞬意外そうに目を見開いたが、すぐに「うん…わかったよ」と言って微笑んだ。

 

 

言葉というのはすごいもので、それからお互い素の口調で会話していくにつれて、どんどん打ち解けていった。

それに加えてバトルで同じチームになった時、声を掛け合って連携したりナイスのシグナルを送り合うことによる一体感は、より二人の距離を近くしていった。

 

友達と一緒にやるナワバリバトルは、普段の野良バトルよりずっと楽しく思えていた。

 

 

(…ユイさんやクロさんと一緒にバトルできたら、二人とも『友達』に慣れる日が、くる…かもな)

 

「……どうしたの?」

 

「あ、いや…なんでも、ない」

 

 

ちょっと深く思案しすぎたため、隣で歩くユーロに心配されてしまった。

ちなみに今はもうバトルを終え、自らのブキが入ったケースを背負ってロビーの方へ向かう最中である。

 

 

「それにしても、ソウってボールド上手いんだねー…扱いが難しいブキだってよく聞くのに」

 

「や、俺もボールドそのものに慣れている訳じゃないんだけどな…。ただ、サブスペに関しては大分練習と実戦を繰り返したから…な」

 

 

少々照れたように、視線を逸らしつつ答えるソウ。

 

カーリングボムに慣れているのは、ソウが原案のブキである『イカネサダ・心』のサブウェポンであるから。

そしてスーパーチャクチに慣れているのは、ここしばらくのナワバリバトルにおける相棒ブキであった『スパイガジェット』のスペシャルであるからであった。

 

そもそも今回相棒ブキである『スパイガジェット』を持たずに『ボールドマーカー』を使ったのは、「敵の攻撃を受ける覚悟」を身につけるためであった。

 

 

『ボールドマーカー』はその射程の短さから、他のブキよりも敵へ接近する必要性が高まる。それこそ、「敵の攻撃を受ける覚悟」がなければ、ボールドマーカーで敵を倒すことはできないだろう。それでいて、イカネサダ・心と同じサブウェポンを持つボールドマーカーは練習ブキとして適切であると判断したのだ。

本当であれば、イカネサダ・心と同じサブスペを持っている『ロングブラスターカスタム』が練習ブキとして適切だとは考えたが、あれが買えるのはランク18にならないと無理ということで、妥協の練習ブキとしてのボールドマーカーなのだ。ここまで使ってみたソウとしては、このブキもなかなか自分の身の丈に合っていると感じていた。

 

 

そんなこんなで会話していると、やがてデカ・タワー 一階のロビーに到着した。バトルを行うイカ同士の待ち合わせに使われることが多いこの空間は、今日の時間にもそれなりのイカがいる。

 

 

「…で、ユーロの待ち人って…いるのか?」

 

「うーんと、ね。まだ来てない…みたい」

 

 

キョロキョロと辺りを見渡すユーロ。

そう、今日楽しい二人のナワバリバトルを途中で切り上げたのは、ユーロが「あるイカ達と待ち合わせをしているから」と心底申し訳なさそうに伝えたからであった。

ソウの内心では確かにまだちょっとバトルし足りなかった感があったが、だからと言ってワガママを言うような真似はせず、ただ「わかったよ」と返事をした。それでもちょっとガッカリしたことは表情に出てしまったらしく、ユーロは慌てて「今度、また一緒にバトルしよう! 絶対! 約束だから!」と言ってくれた。

気を遣わせてしまったかな、とソウは心配になったが、ユーロがまた一緒にバトルしようと言ってくれたことは嬉しかった。

 

待ち人についてはソウは特に掘り下げて聞くつもりはなかったが、とりあえずロビーの適当なところに座って待ってるか、と二人で結論づけたその瞬間であった。

 

 

「ねえ、あれって……おーい! ソウくーん!」

 

「え…ユイさん!?」

 

 

まさかユーロの待ち人が来るより早く、ソウの待ち人が来るとは思わなかった…いや特に待っていた訳ではないが。とにかくソウが振り向くと、入り口からブンブンと手を振って駆け寄ってくるユイの姿と、それに追随してゆっくりと歩いてくるのはクロの姿が見えた。

 

ソウの元へたどり着いたユイは、ソウに勢いよく抱きつくという強烈なスキンシップを行う。

半日以上ソウから離れていると、ユイはおおよそ八割近い確率でこのようにやってくるため、ソウもある程度心構えができていたし、何回も繰り返されるうちにユイの勢い余った体当たり抱擁を受け止められるくらいの筋力もついてきたので、別に困ったことではなかった。

 

 

「もー聞いてよソウ君ったら! さっきすっごい面白い芸を見たんだよー! あーソウ君にも見せてあげたかったよー…ソウ君は? ひょっとしてずっと修行してたの?」

 

「あー、そうですね…まあただ途中からはちょっと…他のイカと…」

 

「他のイカ? それ…っ…て……」

 

 

疑問を突き詰めようとしたユイの言葉が、だんだんと薄く尻窄みになって消えていく。どうしたのかと一瞬ソウは訝しんだが、その理由はすぐに知れた。

 

ソウの体に抱きついているユイは、しばらく目を閉じてソウの小さな体の感触を存分に堪能していたのだろう。だがそんなユイが目を開ければ、目の前にはもう一人、もっと小さい体のイカがいる。

 

困惑顔のそのイカは、言うまでもなくユーロ。ユイが大好きないわゆる『ショタ』である。

 

 

「…かわいい」

 

「はい?」

 

 

夢うつつ、と言った感じの声を発したユイは、一旦ソウから離れてユーロの真ん前に立った。ますます対応に困ったユーロの目をじっと見つめ、ユイはパッとその小さな手を取った。

 

 

「決めた。ユイ、決めたよ。そう、これは運命に違いないよ!」

 

「え、ええと…あの…」

 

「君が! 君こそが! 私たちの最後のホープ! 希望の四人目っていたああああい!」

 

「お前は初対面のイカに迫るのをやめろ」

 

 

途中から追いついてきたクロのチョップによって、ユイは涙目で蹲る。

ちょっとばかし恐怖を感じたらしいユーロは、こそこそとソウの側によって小声で尋ねる。

 

 

「えっと…ソウの知り合いのイカ?」

 

「あー…その…チームメイト…かな。まだ正式かどうか、分からないケド…」

 

「チームメイト?」

 

 

首を傾げたユーロに対し、痛みから復活したユイが機敏に反応する。

 

 

「そう! ユイ達はチーム『インカーネイション』! 最後のメンバーを探すべく、こうしてロビーへやってきたところ、こうして君と出会ったのは、まさしく運命! 是非ともユイ達と一緒に…」

 

「え…ちょちょちょっと! 待ってください! 『インカーネイション』って……あなた達が?」

 

「もちろん! そして、このユイこそがチームリーダーで…」

 

「……嘘、ソウ……も、なの?」

 

「あ、ああ…」

 

 

コクリと頷いて肯定するソウだが…それにしても、あまりにもユーロの動揺ぶりが激しいのに気になった。

ユイの朗々たる名乗りも耳に入っていない様子のユーロは……なんというか、ただ思いかけず有名人に会って驚き、狼狽している…にしては非常に顔が青くなっている。ソウと…そしてクロもまた、そんなユーロの様子を訝しむ。

 

 

 

「ソウ…あ、ええっと……その」

 

 

 

ユーロが、おぼつかない言葉でソウへ何かを告げようとした時、

 

 

 

 

 

 

「おい、ユーロ。誰だそのイカ達は?」

 

 

 

 

 

 

ソウ達の背後から、聞いたことのないガールの声が飛んできた。

その声に呼応してユイ、クロ、ソウの『インカーネイション』の面々が一斉に振り向いた。

 

 

「………」

 

「………」

 

「………あ」

 

 

 

 

「………あ」

 

 

 

 

 

 

「「ああああああああああああ!!!!!?????」」

 

 

 

ユイと、声をかけてきたガールは、お互い指を差しながら絶叫した。




試合描写におけるバトル理論に関しては、実際のゲームと大いに差異があるかと思います。ご了承下さい...。


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不敵 愛好家

短期間に二話投稿しています。
前話を見逃している方はご注意ください。


「ウキー! ここで会ったが百年目! 今度こそ、その気品さのカケラもない野蛮人顔を私のインクで塗りあげてやるわ!」

 

「シャー! 何よあんたに気品さがあるとでも思っているの!? その思い上がった脳みそをあたしのインクで洗濯すれば少しはましになるのかしらね!」

 

 

突然猿と蛇の鳴き声のごとき威嚇をしながら掴みあって斬新な罵声を言い合う二人のガール。ていうか、この世界には猿も蛇もいないんだったな…とソウは認識を改めた。

いや、というか今ユイの頬をウニョーンと引っ張っているあの向日葵色のゲソをしたガール、実を言うと、ソウはどこかで見たような見てないような…。

背中にはユーロのものと同じくらい細長いケース。頭にはサッカーバンド、服のギアはFCカラスミというサッカーのユニフォームみたいなギアだ。一体どこで見たのかなとソウが首を捻るかたわら、流石に大騒ぎしているとロビー中からの視線が痛いとのことで、クロが一旦抑えようと一歩踏み出した、その時だった。

 

 

「おやめなさい。リツコ」

 

 

ゆっくりで、それでいて凛とした更なる第三者の声がこの場に投げかけられた。

 

 

「あ、も、申し訳ありません! 姉上様!」

 

「おいこら逃げるな……むぎゃ!」

 

「ユイもいい加減やめんか。周りに迷惑だ」

 

 

リツコ、と呼ばれたガールは「姉上様」と呼んだガールの言葉を聞いて大人しく手を離す。なおもリツコに噛み付こうとするユイに関しては、クロが暴力的にそれを押しとどめた。

 

 

そしてその「姉上様」とやらは、スーツケースの形をした巨大なブキケースをゴロゴロと転がして、『インカーネイション』の面々と対峙する形で立ち止まる。

彼女のゲソの色は薄いピンク色…いわゆる「撫子色」というやつであった。シャツノゾキピンクのギアに加え、頭につけられたイカクリップと足のピンクビーンズという全身ピンク仕様という中々な派手さである。

 

そんな派手さとは対照的な、ゆっくりと落ち着いた声でリツコは目の前のクロに声を掛ける。

 

 

「ごきげんよう…チーム『インカーネイション』のお二方。お元気なようで何よりです」

 

「…元気なのは、そちらも同じようだな。…チーム『絶対制圧』のリーダー、ナラユ」

 

「ええ…ちょっと前までは風邪気味ではありましたが…お陰様で」

 

 

クロとピンクのガールとの会話は、単なる世間話に聞こえる。しかしソウにとっては、今の会話に重大な情報が含まれていたことを聞き逃さなかった。

 

 

(チーム『絶対制圧』のリーダー…あのイカが…)

 

(そうか…どこかで見たことあると思ってたけど…確かにあの雑誌の顔と一緒だ)

 

 

この前見たクロの雑誌に載っていたチーム『絶対制圧』の記事。そこにあったチームリーダーと副リーダーの写真と、目の前にいる二人のガールは同一人物であった。この世界に来て当初は、イカはぶっちゃけどれもこれも同じ顔に見えたのだが、今となっては見分けるのもの慣れたものである。

 

 

(ん、ということは……)

 

(ユーロのさっきの反応…そういうこと…なのか?)

 

 

ソウは、チラリと隣のユーロに視線を向けた。ユーロの顔は青さこそ引いてきたが、隣のソウも見えていない様子で視線を彷徨わせ続けている。ちなみに手を出すことを禁じられたユイとリツコは、未だお互いにガルルルと野生の威嚇を行なっていた。

 

 

ソウが『インカーネイション』のメンバーだと聞いて狼狽していたユーロ。

それ加え、『絶対制圧』の副リーダーのリツコが、ユーロの名前を呼んでいたこと。

 

そしてこの間。クロから聞いた話によると、『インカーネイション』と『絶対制圧』の二つのチームは…というより、主にユイとリツコの間では…それなりに確執があったらしいということ。

 

 

ソウの頭の中で思い浮かんだ推測が、結論という一本の線へと結びつこうとした、その時だった。

 

 

 

「あ…あの! すいませんっ!」

 

 

 

ソウも聞いたことのないような大声を、ユーロが発したことで両チーム全員の視線が一人のイカに集まった。視線を集めたユーロは、その視線の持ち主の一人の前に歩き、立った。

 

 

「リーダー……お願いが、あるんです」

 

「…何かしら? ユーロ」

 

 

『絶対制圧』のリーダー、ナラユは…ユーロを眼の前にした一瞬…笑顔を潜め、真面目な表情で向き合った。

 

 

「僕…友達ができたんです…」

 

「…ここにいる……チーム『インカーネイション』メンバーの……ソウと」

 

 

ユーロが一歩引いて、視線でソウを指し示す。覚悟していたとはいえ、突然指名されたソウは体を硬くした。

ソウの姿を捉えたナラユは微かに目を見開き、副リーダーのリツコは「何ィ!?」とオーバーなリアクションを見せた。ユイは未だ状況を上手く飲み込めずにキョロキョロし、クロは黙ってそれぞれのイカの様子を俯瞰している。

 

 

ユーロは慎重に言葉を選ぶかのように、ゆっくりと気持ちを紡いでいく。

 

 

「イケないことだとは、分かっています……副リーダーがいつも言っていた、必ず打ち滅ぼしたいライバルチーム…インカーネイションのイカと交流を持つ…なんてことは」

 

 

そんなユーロの独白を聞き、ユイは「言ってくれるじゃないの」とリツコを睨み、リツコは「フンッ」と鼻を鳴らした。

 

 

「…でもっ! ソウは、僕のことを助けてくれた恩人なんです! 今日も一緒に、たくさんバトルして、仲良くなって…これからもずっと、友達でいたいと心から思っているんです!」

 

「……お願いします。…ソウと、友達になることを…許してください……」

 

「……」

 

口をキュッと結んで頭を下げるユーロを、ナラユは黙って見つめている。

 

ここまで真摯に自分のことを言われるとソウはちょっと気恥ずかしくなってきたものの、ユーロがここまで強く想っていてくれたことには、正直少し胸が熱くなった。まさかここまで友達同士の友情をひしひしと感じる時がくるとは思わなかった。

 

 

「…困った子ね」

 

 

ナラユがため息と共に発した言葉を聞いて、ユーロの体がビクンッと震えた。

 

 

 

 

そしてユーロの目線まで屈んだナラユは、そっとユーロの顔に手を添えて、顔を上げさせた。

 

 

「いいこと? 友達を作るのに、誰かの許可なんて必要ないのよ?」

 

「…え?」

 

 

目を丸くするユーロに、ナラユはにっこり笑って言葉を紡ぐ。

 

 

「あなたが友達になりたい、と心から思ったなら…その人が誰であれ、私たちに止める権利なんてないわ。例え、私たちのライバルチームのメンバーでも、お伽話に出てくるような悪いタコでも…ね」

 

「他でもない…君が選んだ友達だもの。悪い子じゃないと信じるわ。…あなたもそうでしょ? リツコ」

 

 

同意を求められたリツコは、ソウの方をチラリと見て……いや、じーっと見て……あろうことか、頬が一瞬赤くなったかと思いきや、パッとナラユの方へ向き直った。

 

 

「ええ! 姉上様の言う通りです! うちのユーロが選んだ友達ですもの! もうさいっこうに可愛いですよ! はい!」

 

 

その感想は、明らかにリツコ自身による判断材料が入り混じっていた。

ソウはあの一瞬だけリツコから向けられた、熱のこもった視線を知っている。昔…いや、今も時々、ユイから同じような視線を向けられることがあるからだ。

 

 

自チームのリーダー、副リーダーともに認められたユーロは、目尻に微かな涙を浮かべながら「ありがとうございます…!」と感極まった表情で再び頭を下げた。

 

 

ソウも、内心ホッとした。あの優しそうな『絶対制圧』のリーダーだから大丈夫だとは思ってはいたが、もしも…という疑念は頭の隅にあったため、それが完全に取っ払われることになって本当によかったと思っている。

 

 

(…そういえば、俺も…ユイさんに許可とか取らなきゃダメか? …流れ的に)

 

 

ソウはチラリとユイの様子を確認した。するとユイの方は、「ああ〜ソウ君にも劣らぬ可愛さじゃないあのショタ…いやーん、もうユイにはソウ君もあの子も優劣つけらんない〜」とか言いながらクネクネしていたため、これは聞くまでもないと勝手に判断することにした。

 

 

許可をもらったユーロは、未だ嬉し涙の後を顔に残しながらソウに向き直った。

 

 

「…ソウ。…こんな僕だけど…これからも、友達になってくれる?」

 

「……当たり前だろ。せっかくできた友達と別れるなんて、そんな悲しいことはなしだぞ」

 

 

ソウとユーロ。二人は改めて絆を確認するかのように、握手を交わした。

 

 

二方向から、「尊い…」という呟きが聞こえてきた。

 

 

 

 

 

「さて…熱い友情を確認しあったところで、大事な話に移りましょうか」

 

 

ナラユの声は、さほど大きくないゆったりとした声なのに、この場にいる双方のチームのイカの注目を集めた。

 

 

「バトルの日取りは、いつにしましょうか?」

 

「…へ」

 

 

ナラユの疑問に、ユイは呆けた顔をした。

ソウはその言葉だけではまだどういう話か飲み込めずにいたが、クロが静かに補足の問いを投げかけた。

 

 

「つまり…あんたらチーム『絶対制圧』は…俺たち、チーム『インカーネイション』と戦いたいと…そういうことか?」

 

「ええ…私達のチームが再び立ち上がった大きな理由の一つ…それこそが、あなた達『インカーネイション』へのリベンジなのですから」

 

「…とのことだが、ユイ」

 

「え、あ、うん! そー…だねえ…」

 

 

ユイはようやく状況を理解したようだが、言葉の歯切れが悪い。

同じく状況を理解したソウには、ユイがどもる理由はよく分かる。

 

何せ、試合をしたいと申し込まれても…こっちには、未だメンバーがあと一人足りないのだ。

確かここ二日間ユイとクロがメンバー探しに奔走していたと聞いていたが…ユイのこの様子を見る限りでは、まだ実を結んでいないようである。

…ソウの方もバトルに関しては、まだまだ課題だらけである身であるが。

 

 

まさか因縁深いライバルチームを前にして、「まだメンバーが足りてなくて〜」とは言いづらいらしく、ひたすらに言葉を濁そうとするユイを見て、クロが助け舟を出す。

 

 

「…バトルの日取りを決めるのは、気が早くはないか? 第一…そちらはチーム四人…揃っているのか?」

 

 

クロの言葉を聴いて、ソウもようやく気づいた。そういえば確かに、向こうのチーム『絶対制圧』も今は三人しかいない。だが、クロ達は既に知っているはずだ。チーム『絶対制圧』は既に活動を開始しており、チーム戦もできるほどにメンバーは揃っていることを。一見すると答えの分かりきったこの問いは、少しでもいずれ対戦することになろう相手の情報を引き出そうとする画策なのだろうか。

しかし、その問いを受けたナラユは余裕の笑みを崩さなかった。

 

 

「ご心配には及びませんわ。…すでに四人目のメンバーは、決まっております」

 

「…ほう。それは、今どこに?」

 

 

ナラユの答えを受けたクロは、少々声のトーンを変えて尋ねる。

問いかけられたナラユは、静かにあたりを見渡すと、ポツリと呟いた。

 

 

「おかしいですわね。もう着いているはずですが…」

 

「…ああー! あれです! 姉上様! あいつ、あんなところにいました!」

 

「あらそう? それはよかったわ」

 

 

ナラユが手を合わせて喜んでいる傍、リツコはロビーの隅へ向かって駆け出していった。クロは黙って駆け出していったリツコを視線で追い、ユイとソウはポカンとしている。

 

 

 

リツコはすぐ戻ってきた。右手に一人のガールを引きずりながら。

 

 

 

「こらクララ! なーんで隅っこでぼーっとしてたのよ! 集まるときはちゃんと集まりなさい全く!」

 

「…私、疲れてる、から」

 

 

 

連れてきたのは、「クララ」と呼ばれるスカイグリーン色のゲソとそれと同色の瞳をしたガール。クロに劣らぬほどの無表情であり、声も小さく素っ気ない。その頭につけられているギア「ヤキフグビスケットバンダナ」は本来活発な印象を与えるギアであるが、このガールがつけてもその効果はなさそうである。

 

 

連れてこられたガールを見たユイは、んんん〜?という唸り声を上げながら、首を捻った。

 

 

「そのガール……どっかで見たことあるような…?」

 

 

ユイがそう呟くと、クララがゆったりとユイの方向へ視線を向ける。

すると、クララが端的に言葉を紡いだ。

 

 

「あ、さっきのお客さん。こんにちは」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「…は?」

 

 

ユイは、向けられた言葉に対して「?」マークを返すことしかできなかった。「お客さん」って一体なんのお客だって? このユイが?

彼女には全く身に覚えがなかった。

だが…クロが、珍しく驚愕の色を残した表情のまま、代わりに返答した。

 

 

「まさか…さっきあっちの広場で…大道芸してたイカか?」

 

「うん」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「えええええええええええ!!!!!?????」

 

 

ユイの大声に、両チームのほとんどが数センチ飛び上がった。

ソウは一体何の話か今度ばかりは本気で分からなかったし、ユーロは「クララさんの芸…もう一回見に行きたいなあ」と呑気なセリフを呟いていた。

 

 

「ちょちょちょ! 嘘でしょあんた! キャラ違いすぎるでしょ!? 絶対違うイカでしょ!」

 

「いや、同じイカ。これは、芸やってると…喉と表情筋が、痛いから。芸やってる時以外は…休息期間…なのだ」

 

「……そ、そう」

 

 

説明されたユイは、驚きが去って静かになった。

いや、あのクララというイカの顔をじーっと覗き込んでいる様子からすると、ただ単に自分の記憶と実際のクララとの変化を確かめるために静かになったかもしれない。

 

やがて納得したのか、ユイが顔を離すと今度はポツリと呟いた。

 

 

「えっと……あの芸…凄かった、です」

 

「ありがとう」

 

「それで…その、よければ…サインを」

 

「はい」

 

「え、えええ!? 嘘、いつの間に、どこから!?」

 

「私 大道芸人。大道芸は、手品も、含むもの」

 

「うわあ! 凄いですっ! ありがとうございます! ユイ、これ一生大事にしますね!」

 

 

ソウも聞いたことのない敬語口調で、喜びを露わにするユイ。

どうやら、ユイは自分が尊敬するような相手に対しては態度と口調がちゃんと変わるようである。どんな相手に対してもマイペースを貫くタイプだと心の中で勝手に判断していたソウは少し驚いていた。

 

 

「…とまあ、このように…私達はメンバーが揃っているため…お気遣いなく。いつでも勝負を受ける準備は整っております。なんでしたら…今からでも」

 

 

ナラユの穏やかな微笑み。しかしその言葉には、ソウにも分かるほどの力強さがこめられているのを感じた。

ソウの人間時代。単なる高校の部活動といえども、その部長…特に運動部ともなれば、それなりの雰囲気と強さが垣間見えたものだ。

 

まがいなりにも、彼女は『バトル』を行うチームを率いるリーダー。生半可な柔らかさだけでは、その上に立つことはできない存在なのだ。…ソウはヒシヒシと、この場の雰囲気を実感していた。

 

 

 

ナラユの言葉を聞いたユイが、クララのサインを抱えたまま一瞬ピクリと震えた。クロはそんなユイを一瞥した後、代わりにナラユの前に立った。

 

 

「…悪いが、こちらはより万全の状態で試合に臨みたい。…今はまだ、戦えない」

 

「そう…それは残念ですわね」

 

 

ナラユの微笑みは微かな失望を表した表情となり、先ほどの声に込められていた闘争心も引っ込んでしまったようだ。

 

 

「そうしましたら、都合の良い日取りが決まりましたら教えていただけるとありがたいですわ。フレンドコード交換は…まだですよね? バトルに合流したりすることはありませんので、あくまで連絡用として、交換していただいた方が、滞りなく連絡できると思いますわ」

 

「…そうだな。…なら、俺のフレンドコードを」

 

「いや…いいよ、クロ君」

 

 

クロとナラユの会話に割って入ったのは、サインを抱えたままのユイであった。

 

 

「ユイが交換する。向こうのリーダーが直々に連絡したいって言ってるんだから…こっちも、リーダーであるユイが出なくちゃ、しまらないでしょ」

 

「…そうか。なら任せた」

 

 

スマホを取り出したユイと入れ替わりになる形で、クロが一歩下がる。

二人のリーダーがスマホで通信している間、クロが「あいつも少しはリーダーの自覚が戻ってきたか」とポツリと呟いていたのがソウにも聞こえた。

確かに、さっきユイが発したセリフは、いつものお気楽な雰囲気とは少し違う感じの言葉であった。ひょっとすると、ナラユの言葉の裏に秘められていた闘争心がユイにも伝播したのだろうか。

 

 

フレンドコード…通称フレコを交換し終えた両リーダーはスマホをしまい、お互いに笑顔を交わし合う。

 

 

「それでは…その万全な状態とやらが整いましたら、いつでもご連絡ください。私達『絶対制圧』は…より完全な状態をもって、迎えさせていただきますわ」

 

「…上等! ユイ達『インカーネイション』は、どんなチームが相手でも、絶対勝つんだからね!」

 

 

無論、その笑顔は嬉しさや喜びによるものではなく…因縁深いライバルチームを前にした、不敵な笑みであった。

 

 

 

 

*

*

*

*

*

*

 

 

 

 

「どーしよークロ君! 早く最後のメンバー見つけないと! ああもうどうしよう! どうしよう! もうやだなんであいつらだけメンバー揃ってユイ達はまだなのよー!」

 

「…いい加減落ち着け」

 

 

家のリビングでぐるぐると歩き回りつつ大騒ぎしているユイに、ソファーに座ったクロが静かに注意する。

今この場には、あの不敵な笑みを浮かべたユイはどこにもおらず、代わりに不安と焦りからパニックになっているユイがいた。

 

 

(やっぱユイさん、内心めっちゃ慌ててたのかな)

 

 

おそらくは改めてチーム同士対面したことで、今二つのチームにある差というものを実感してしまったのだろう。

考えてみれば、向こうは既に『ガチエリアの高み』にまで返り咲いたチームとして知名度を上げている身である。

一方こちらは『高み』に返り咲くどころか、チームとしてのメンバーすら足りない状況なのだ。ユイのように焦る方がむしろ正しいのではないかという思いさえ浮かんでくる。

 

 

「どうしようと言われてもな…別に試合までの期限が決まっているわけじゃない。地道に一人ずつ野良のイカに声をかけていくしかないだろう」

 

「それじゃー遅いよー!その間にあいつらはドンドン練習して…チームとしての完成度が高まっていっちゃうんだよー! うだうだしてると、追いつけなくなっちゃうんだよー!」

 

 

膝から崩れ落ちて大げさに嘆くユイに対し、クロは視線をそらしたものの…無表情のままのその顔には、悩みの表情が浮かんでいた。

いつもは明るい─大体ユイのお陰でだが─この家に暗い雰囲気が漂い始めた。

 

ソウは、この暗い雰囲気を払拭するために自分にできることが何かないかと考えてはみたものの、ものの数秒で諦めた。

自分のようなイカの素人がチームの人事に口を出すような真似をしてはかえって迷惑だろう。自分にできることはただ一つ。ブキの練習によって、少しでもチームの戦力として完成することだろう。

 

 

そんなことを考えていたせいか…ソウはしばらく気づかなかった。

スボンのポケットに入っていた自分の携帯が震えていたことに。

 

 

「えっ嘘、誰……あ、ひょっとして…」

 

 

ソウが携帯の通知に気づかなかったのは、そもそもソウの携帯にメールや電話をする相手がユイとクロしかいなかったからだ。…ただし、それも昨日までの話。

今日、ソウの連絡先リストに新たな名前が一つ増えていたのだ。

 

 

「も…もしもし? ユーロか?」

 

『もしもし? はい、ユーロです。…いやあ、ちょっと緊張しちゃった。あまり電話しないものでさ』

 

 

はは、と笑う電話の向こうの声は、間違いなく今日出会って友達になったばかりの、ユーロのものであった。

しかしソウの脳裏にまず思い浮かんだのは「?」マークであった。

電話をかけてきた相手がユーロだと分かった瞬間から、ずっと「一体何の用で電話してきたのか」ということを必死で考えてみたが、ソウには全くもって心当たりはなかった。何せ、言いたいことがあるならさっき言うタイミングはたくさんあったはずなのだから。

 

 

「…どうした? 何か問題でも…?」

 

『あ、いやいや違うんだ…。大したことじゃない…っていう訳じゃないんだけど…その…』

 

「…単刀直入に言って、大丈夫だぞ?」

 

 

相変わらず昔のソウのようにはっきりしない物言いに、ソウが補助のために先を促す言葉を伝える。

それによって、ユーロの口調も改まったものになる。

 

 

『うん…ごめんね。…あのさ、ソウが……あのインカーネイションのメンバーだって知ってさ…』

 

『だから…その、お願いがあって』

 

「…お願い?」

 

 

 

 

 

 

『うん…チーム インカーネイションのみんなに…会ってほしい、イカがいるんだ』

 

 

 

 

*

*

*

*

*

*

 

 

 

 

 

次の日。

時間にして午前7時─本当は午前6時には到着したかったが、ユイが寝坊してしまったため─ユイとソウは、カンブリアームズ ハイカラスクエア店舗に訪れていた。

ホントはクロも一緒に来て欲しいところではあったが、外せない仕事があるらしいのでそこは断念することにした。

 

 

「ねえねえ、早く入ろうよソウ君!」

 

「あ、はい…そうですね」

 

 

朝っぱらからテンションの高いユイに押され、ソウは仕事で通い慣れた店に足を踏み入れる。比較的朝早いため、中にいるイカは数える程もいない。それゆえ、カウンターに立つカンブリアームズ店長…ブキチとすぐに目があった。

 

 

「おやソウ君! こんにちはでし! 手伝いに来てくれたでしか?」

 

「おはようございます、ブキチ店長。あー、今日はですね、すいませんが別の用事でですね…ブキチ店長に聞きたいことが…」

 

「ほう! 何でしか? 言ってみるでし!」

 

 

そう、今日チーム インカーネイションの二人が揃ってここに来たのは別の用事…すなわち、昨日のユーロから電話で伝えられた『お願い』なのだ。わざわざチームを指名して、会ってほしいイカがいると。

 

最初ユイがそのことを聞いた時、いかに大好物のショタからのお願いといえど、突然見知らぬイカと会って欲しいというのはアヤシイことだと、眉を顰めていた。

しかし、ユーロからの事情を聞くと、ユイの猜疑心は一気に吹っ飛んだ。

 

 

 

───そのイカ…ガールなんだけど、チーム インカーネイションの大ファンなんだ。

 

 

 

このような事実を聞いたユイに、猜疑心なんて残るわけがなかった。

会いに行こう! 今すぐ! と言って小躍りするユイを見て、それでいいのかとソウは内心首を傾げたが、かと言ってユーロが嘘をついているとは思いたくない。今は信じて会いに行こう、と考えた。

 

ただ、とユーロは電話の向こうで心配そうな声で言った。

 

 

 

───ただ…僕、そのイカとは前にフレンド解消しちゃったから…今は連絡取れないんだ。…だけど、ソウ達なら会えるタイミングはある。…あのイカが、昔からずっとやってたっていう『日課』を、今も続けているなら…。

 

 

 

そう、ユーロの言うイカに会いに行くために、特に待ち合わせとかしている訳ではない。連絡先も何も知らないのだから。

このカンブリアームズに来たのは、そのガールの『日課』とやらの存在を確かめるため。

 

 

 

「えーっとですね…確か、『午前六時から九時までの三時間…毎日ずっと試し打ち部屋に籠っている』アクアマリン色のゲソをしたガールを知りませんか?」

 

「…ああ、はいはい! サイクちゃんでしね! もちろん知ってるでし! 普段から店に来てくれるイカの名前は全部覚えているでしが、彼女の場合は決まった時間に毎日試し打ち場を使ってくれてるので、しっかり記憶に残ってるでし! 今ちょうど試し打ち場を使っているはずでし!」

 

 

 

ブキチの言葉を聞いて、ソウとユイは思わず顔を見合わせて頷いてしまった。ビンゴだ。ブキチの言っていた名前も、ユーロから聞いた名前と一致する。

 

 

「ブキチ店長。実は、そのイカの忘れ物を預かっていて…彼女、今すごく困っているらしいから、すぐ手渡して上げたいんですけど…」

 

「おっと、それは大変でしね! 了解でし! 部屋の合鍵を貸してあげるでし!」

 

 

そそくさとカウンターから控え室に下がっていったブキチを見て、ソウは内心ホッとした。もちろん、今ブキチに語った理由は嘘である。

 

なぜわざわざ嘘をついたかと言うと、試し打ち場は個人に即興で用意されるプライベートな空間である。バトルにおける戦法の研究や、射撃訓練には一人で集中できる空間が人気であり、おいそれと他人に邪魔されないように、基本的に試し打ち場を借り受けると、ドアを閉めるための鍵も預けられる。

 

いくら職員とはいえ、いや職員だからこそその立場を利用して、私用のために試し打ち場にいるイカに会いたいとブキチに頼んでも、断られる可能性がある。入り口でそのイカを出待ちするのも不確定だ。何せ、ソウ達は当人の顔を知らないのだ。

 

なので、確実に会うためには該当する試し打ち場へ突撃する。そのために嘘をついたのだ。

ソウの心の中で、葛藤がなかったとはいえない。しかし、元来ソウは楽観的な性格である。一度割り切れば、罪悪感こそ覚えても躊躇はしなかった。無論、謝る時にはしっかり謝る覚悟はあった。

 

やがて、ジャラジャラと鍵の束を持ってきたブキチから、一つの鍵を受け取った。

 

 

「はい、じゃあこれ! 彼女がいる部屋番は106でし!」

 

「ありがとうございます、ブキチ店長!」

 

 

鍵を受け取ったソウは頭を下げて礼をすると、ユイを連れて試し打ち場へ急いだ。

 

 

 

*

*

*

*

*

*

 

 

 

立ち並ぶ数字の書かれた扉のうち、ソウとユイは目的の部屋…すなわち、106番の試し打ち場の前へたどり着いた。

ドアの向こうからは時折破裂音が─おそらくなんらかのボムの音が─聞こえてきた。

 

 

意味があるのかはともかく、ユイが声を潜めてソウに囁く。

 

 

「すごいね。毎日三時間もずっと試し打ち場で練習してるなんて…間違いないよ。絶対『できる』イカだよ!」

 

「…そうですね」

 

 

正直、ソウもそこはユイに同意している身だ。

一体いつからこの日課を続けているかは定かではないが、毎日三時間の練習ってだけでも、すごいことだ。

高校の部活もそれくらいはやるものだが、あれはチームの様々な練習を繰り返すもの。一方、チームも特に組んでいないらしい、あのガールはたった一人で三時間。試し打ち場で練習しているのだ。具体的な練習内容はソウも知らないことだが、途中で飽きたり嫌になったりしないだけで、ソウからすれば感嘆に値する。

 

チームメンバー探しに難航していたユイは、少々自暴自棄になっており、今回会うイカをスカウトする気満々であった。ただ、一応昨日クロからは、「ユイの意見に流されるだけじゃなく、お前自身の目で見てそのイカを判断しろ」とアドバイスをもらっている。

 

 

「え、でも俺…イカを見る目とか、バトルがうまいとか…そういうの何も分からないんですけど…」

 

「構わん。お前はもうチーム インカーネイションの一員なんだ。直感でもいい。このイカと自分は仲良くできそうかどうか、その程度でもいい。自分の意見をしっかりもって、物事を判断するんだ」

 

 

クロから言われた「チーム インカーネイションの一員」という言葉に、ソウは自分の心持ちを見直した。

 

 

(そうだ…俺は、チームの一員なんだ…あのユイさんですら、リーダーとしての自覚を持って行動している。…俺も、チームの一員として、自分にできることをとにかくチャレンジしていかないと)

 

 

「ソウ君…じゃ、開けるよ」

 

 

鍵を差し込み、回すユイ。

ソウがコクリと頷いたのと、ギーッという音を立ててゆっくりと扉が開いたのが同時だった。

 

 

 

 

 

 

「お邪魔しまーす…あれ?」

 

「…いない、ですか?」

 

 

扉を開けた時点で、イカの姿は見えなかった。

まずソウ達の目に映るのは、イカ風船の形をした5つのマト。いずれも固定されたものであり、その周辺の床にはアクアマリンの色をしたインクが飛び散っている様子が見える。

 

しかしかといってこの試し打ち場にかのイカ…サイクがいないという訳ではなさそうだ。

その証拠に、凹の字型の試し打ち場の左側…こちらからは壁に隔てられて死角となっている向こう側─あそこには横にスライドする動くマトがある─の方で相変わらずインクの爆発音が聞こえるからだ。

 

 

「ソウ君、どうやらユイの大ファンのイカはあっちにいるみたいだね」

 

 

別にチームインカーネイションのファンというだけで、ユイのファンかどうかはまだ定かではないが…。

ソウはそれより、部屋のとある一点に非常に気になるものを発見していた。

 

 

「ユイさん…あれ」

 

「え、何ソウ君……え、あれって…」

 

 

ソウが指差した先をユイが見ると、ユイの目も丸くなる。

壁際に無造作に転がっているソレは…

 

 

「ホ、ホクサイ? …なんで?」

 

 

ユイが首を傾げるが、首を傾げたいのはソウも同じであった。

試し打ち場は未購入のブキを含めて試射ができる代わりに、盗難防止のために持ち込めるブキは一個のみ。別のブキを試射したい時はいちいち入れ替えなくてはならない。

 

つまりここにメインウェポンが転がっているということは…向こうにいるガールは、サブウェポンとスペシャルしか使えないはず…サブウェポンに特化した練習なのだろうか?

 

 

とりあえず、職業柄放って置けないソウは転がっているホクサイを拾い上げると、ユイの元へ駆け戻った。

 

ユイは何やら潜入捜査でもしてるかの如く壁に背を張り付けていた。

メインを放り出して壁の向こうで延々と爆発を起こしているガールに対し、大分不信感が生まれてしまったようだ。

 

 

「ソウ君、いくよ…そーっと…覗いてみよう」

 

 

何もそこまで慎重になることはないんじゃないか、とソウは思ったが…確かにこんな状況で試し打ち場にいるガールが何をやってるかは非常に疑問ではある。とりあえずこっそり覗いてみて様子を伺うのも悪くはない。…完全に不審者な気がするケド。

 

 

ソウとユイは二人揃ってそっと、体を伸ばして壁の向こうを見た。

 

 

 

 

 

そこで見た光景は、あまりにも予想外だった。

 

 

 

 

「へへへ〜可愛いなあ〜」

 

 

 

そこには、ガールがいた。

ユーロから聞いた通りアクアマリン色のゲソをしており、床に腹ばいになって頬杖をついている。

 

服のギアはキングパーカー グレープ。口元についているギアは怖さを増幅させることで有名なイカスカルマスク。ただし、その口から漏れでる呟きはまるでいくつものハートマークが飛び交っているかの如くほわほわしていて柔らかいものであった。

 

そして腹ばいの彼女がうっとりした視線を向けている先で動いている『ソレ』は…ちょうど一気に膨らんだかと思うと一瞬で爆発した。

 

 

「ああ〜ん…『ロボム』ちゃんかわいい〜! それもういっか〜い!」

 

 

夢心地な表情で、背中のインクタンクから生成されたサブウェポン…『ロボットボム』を掴み、目前の動くマトに投げる。

 

地面に落ちたロボットボムは、動くマトを標的としての捕捉し、歩き出す。しかし動くマトの左右移動のスピードはロボットボムの歩行速度より速いために…ロボットボムが起爆した時には、そのマトは多少インクがかかっただけで、破裂することはなかった。それを見たアクアマリン色のゲソをしたガール…サイクは、またイカスカルマスクの下から甘美なる声を出してくねる。

 

 

「ああ〜いいよ〜。届かない敵を必死に追いかけて身を散らすロボムちゃん…とっても健気で可愛いよお〜…もう一回、いこう〜!」

 

 

腹ばいのまま器用にくねくねしたサイクは、またもやロボボムをマトに向かってぶん投げる。すると今度は上手いこと、マトが移動の方向を変える転換点に起爆のタイミングが重なったため、マトはロボットボムの爆発をモロに受けて爆発四散した。

 

 

「きゃー! ロボムちゃーん!! 凄い凄い〜! あのマトを見事とらえて倒すなんて! やっぱりロボムちゃん最高だわ〜! あんな可愛い顔して強いなんて最高ー! もう一回見せて! もう一回!」

 

 

腹這いのままパチパチと拍手しつつ脚をバタバタさせて興奮したサイクは、またもやロボットボムをマトに向かって投げた。

 

 

 

「………………」

 

「………………」

 

 

一方、その影ではチームインカーネイションの二人が、絶句していた。というか、ドン引きしていた。

 

 

「…まさか」

 

「……」

 

 

ユイとソウは、一丸となって同じ想像をしていた。そして、その想像は正しかった。

 

 

 

毎日三時間。午前六時から午前九時までの三時間。毎日ずっと『ロボットボム』を眺めることが日課の彼女。

 

このガールこそが、ユーロの元友達。

そしてチーム インカーネイションの大ファンである、サイクであった。




リツコ

性別:女
ゲソの色:向日葵色
推し:ヒメちゃん
憎し:ユイ
座右の銘:射程は正義


謝罪すべき点:他キャラと名前がややこしいため、こっそり初登場時と名前を変えています。申し訳ありません。


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四人目 切札

大変お待たせしました。


「え? え、えええ!? う、嘘…本物…? 本物の…チーム『インカーネイション』のリーダー……ユイ様!?」

 

「…うん。その通り、だけど…」

 

「……きゃーっ!! 嘘! 嘘!? きゃーっ! サインッ! サインが!あー、持ってないっ!! どうしようっあーとりあえず握手ください! あーだめ幸せで死んじゃう!」

 

 

スカルマスクを口元につけた、アクアマリン色のゲソのガール…サイクが、甘くて黄色い声を出しながらユイに詰め寄っていく。なんていうか、テンションの上がってる様子はユイさんのとそっくりだなとソウは思った。

それに対応するユイはというと、タジタジ状態である。恐らくは、出会う前に抱いていた「毎朝三時間も練習する真面目で勤勉な自分のファンのイカ」というイメージがひっくり返され、「毎朝三時間もロボットボムを眺めて興奮している自分のファンのイカ」と相対することになり、念願のファンを前にしても動揺が隠しきれないのだろう。

 

それでも、ファンであるサイクの期待に応えて握手したり、極度の興奮であまり体をなしていないサイクからの質問の群れに対応しているうちに、ユイの方から質問を発せるようになるくらいには落ち着いてきたようだ。

 

 

「ね、君。…ユイ達の……チーム『インカーネイション』のファンなの?」

 

「え、ええ! ええ、ええ! そりゃもう大ファン中の大ファンですよ! 特に、メンバーの中でもイチオシのユイ様と…本物のユイ様とこんなところで出会えるなんて…感無量ですっ!」

 

「そ、そう? メンバーの中で、ユイがイチオシ…なの?」

 

「もっちろんですよーっ! 私の人生の中で、ユイ様の存在は大いなる信仰ですよ!

私にとって()()()()()()()()()ユイ様は大好きですっ!」

 

「────」

 

 

その瞬間、ユイはメデューサの目でも見たかのごとく、固まった。

 

 

メデューサの目のごときセリフを放った本人は「…? どーしたんですか?」と無垢な瞳で首を傾げているため、おそらく悪意はないと思われる。

だが、肝心のユイといえば「ボムより下…ボムより下…」と呟き続けている様子からして、ロボットボムの下に順位づけられたショックは大分大きいようである。

 

 

仕方ない、と思ったソウが、固まっているユイの前に出てサイクと対面した。

 

 

「…えーっと……あなたがサイクさん…ですよ、ね?」

 

「あ、うん。そうだけど…君は?」

 

 

先程までの興奮しきった様子は一旦引き、青色の瞳は純粋な疑問を表しながらソウを見つめる。

ソウはゴホンと軽く咳払いして、先程まで呆然としていたために乾いていた喉の調子を整えると、素に近い口調で言葉を切り出した。

 

 

「俺の名前はソウ。実は、ユーロっていうイカから紹介されてきたんだけど…」

 

「…えっ? ユーロ…が?」

 

 

意外そうな顔をして、目を見開くサイク。ユーロの名前を聞いて驚いている様子ではあったが、それ以外の感情は読み取れなかった。正直、ユーロから「前にフレンドを解消した」と聞いていたから、二人には何か複雑な事情があるんじゃないかと微かに心配していたために、負の感情を見せてこなかったことに少し安堵していた。

 

その代わり、サイクは強い疑問を抱えているようであり、矢継早に質問を繰り返してきた。

 

 

「あなた、ユ、ユーロに会ったの!?」

 

「そ、そうだけど…いや、つい最近、友達に…」

 

「え、友達? ユーロと?」

 

「…う、うん」

 

「……怖く、なかった?」

 

「怖い…?」

 

「いや、ほら…外見とか、雰囲気とか」

 

 

サイクから尋ねられる質問は、ソウにとって全く要領を得なかった。

ユーロが、怖い雰囲気? ソウに言わせれば、むしろユーロの方が怖いものを苦手としてそうなくらい、弱気な物腰のイカだった記憶しかない。まるで、この世界に来たばっかりの頃の自分みたいに。

 

 

「いや、全然。…大人しくて優しいイカだったけど」

 

「…そ、そう…なんだ。ご、ごめんね、急に。今の質問、全部忘れて」

 

「は、はあ…」

 

 

そんなこと言われても無理がある、とソウは思った。ここにきてユーロの謎が増えるとは思わなかった。怖い…ああ見えて、実は何か裏が…と、そこまで考えた時点で、ソウは小さく首を振って考えを追い出した。自分がユーロと友達でありたいと思うならば、余計に詮索するものではないだろう。

 

 

「でも…その話を聞いて、安心した。ユーロ、元気してるみたいね。あ、それで…どうしてユーロが私を紹介したのか、まだ聞いてなかったよね」

 

「あ、そうそう。そのこと、なんだが…えーっと…」

 

 

どうやって切り出そうかと一瞬迷ったソウだったが、遠回しに伝えられるほどソウはイカ語を上手く扱えるわけではない。ここは率直に用件を伝えることを選んだ。

 

 

「その……実は、チーム『インカーネイション』の新しいメンバーを探しているんだけど」

 

「へー……え……え?」

 

 

何かの可能性を察したのか段々とサイクの体と表情が、固まってくる。

言って大丈夫かな、という心配がソウの脳裏に浮かんだが、言葉を止めるには間に合わなかった。

 

 

「で、まだ決まった訳じゃないんだけど…もしよかったら、興味ないかなって…インカーネイションの仲間に、なってくれないかなと思って、今日会いに来た訳なんだ、け、ど…」

 

「────」

 

 

たどたどしくソウが放った言葉は、おそらくは途中から彼女に聞こえていなかったようだ。

サイクの脳は、「自分が」「チームインカーネイションのメンバーに」と言う二点の言葉を受け入れた時点で、ユイと同じようなループ状態に陥った。

 

「私がインカーネイションに…私がインカーネイションに…」と恍惚の表情で呟き続けるサイク。

その向こうでは未だ「ボムより下…ボムより下…」と俯いて呟き続けるユイ。

 

 

ソウは心神喪失状態となった二人のガールを交互に見て、ちょっとした不安を覚えた。

 

 

 

 

*

*

*

*

*

*

 

 

 

 

 

 

とりあえず、必死に体を揺らすことでなんとか意識を取り戻させた二人のガールと共に、ソウはカンブリアームズを後にした。

 

 

「ねえねえ、あなたってガチマのウデマエどれくらいなの?」

 

「はい! ユイ様! 私はエリアA+で、ヤグラSです。 アサリはまだAですが…ホコはこの間S+になりました!」

 

「へー、すごいじゃない! 私ホコは苦手だからね…でもアサリとヤグラならユイ得意なの! 今度ペアリグマで一緒にやらない?」

 

「は、はわっ…ユイ様と、二人っきりでリグマなんて、私幸せで昇天…い、いや例え死んでも昇天しても全身全霊でやらせていただきますっ!」

 

 

後ろの二人のガールは、すっかり意気投合してしまっているようだ。これはもう、ユイの中ではサイクのインカーネイションへの内定が確定しているのだろうか。ユイがその気なら…と一瞬ソウは思ったが、クロに言われた「自分の意見をしっかりもって判断しろ」と言われていたことを思い出す。

 

だが正直、今のところサイクというイカについて、まだ表面上でしか知り合えていない。クロから「直感でもいい」とも言われているが、せっかくだからやはりできる限りお互いのことをより深く知り合っておくべきではないかとソウは考えた。とりあえず、だいぶ前にクロと一緒に行ったオシャレな喫茶店の元へ行こうと、二人に提案しようとするソウだったが、

 

 

「…あ、あ、あれ、は…あそこに、いらっしゃるの、は…」

 

「?」

 

「?」

 

 

何やら、サイクが別の方向を見て震えている。それにつられて、ユイとソウもそちらの方向を確認すると…

 

 

「あそこにいらっしゃるのは! チームインカーネイションにおける圧倒的キラー! まるで魔法のように鮮やかな軌道を描き、敵を撃ち抜くあの方の.96ガロンはまさに魔弾のごとく! 幾度もの窮地に陥ったチームを、敵をキルすることによって道を切り開いてきた白き死神! 救世主! ああ間違いない! 幾度ものインカーネイションの試合を欠かさずに確認してきた私の目に狂いはない! あれは、あの方は…!」

 

「あっ、クロくーん」

 

「え、クロさん?」

 

 

もはや平常運転と認識されたサイクの興奮ぶりは置いておくとして、その視線の先にいたのは確かにクロであった。

クロもこちらの方を見て、片手を軽く挙げて応じる。

 

 

「クロさん、今日の仕事っていうのは…もういいんですか?」

 

「夜までかかる予定だったが、上司…いやちょっと適切な言い方ではないか……ま、とにかく今日は早めに終わっていいと言われてしまったからな…それで」

 

 

歩み寄ってきたクロが、サイクの前に止まる。興奮で震えていたサイクが「ひうっ!?」と声をあげ、口につけていたイカスカルマスクがずり落ちる勢いで跳ねた。

 

 

「君が…話に聞いていた?」

 

「は、はぃ!! 私、サイクと申しますです! この度、チームインカーネイションに入社いたしましたです!」

 

「そうか…もう知っているかも知れんが、俺の名前はクロ。よろしくな、サイク」

 

「はいいっ! 不束者ですが、どうか、どうかよろしくお願いしますっ!」

 

 

どうやら、ユイと同じくインカーネイションの旧メンバーであるクロに対しても強い敬愛の念があるらしく、ガチガチの緊張状態で対応するサイク。入社だの、「不束者ですが」という結婚式じみた挨拶だの、ツッコミたいポイントは多々あるけれども。

 

 

「そうか…これで一旦は揃ったと、言うわけだな」

 

「うん! これでチーム『インカーネイション』! 完全復活だよー!」

 

「おお…まさか再びこの日が訪れようとは…しかも私が…私がその一員に…うう、夢なら覚めないで…」

 

 

小躍りして喜ぶユイに、外れたスカルマスクをハンカチ代わりにして熱い目頭を押さえるサイク。

感情の起伏が激しいチームの二大看板が、カンブリアームズに出入りするイカの視線を引きつけており、ソウは正直ちょっと恥ずかしい気持ちになった。

 

 

「静かにしろユイ。あまり目立つのは困る。場所を変えるぞ」

 

「えー、いいじゃんクロ君。チームインカーネイションの復活なんだよ! むしろ大々的にアピールしていかなきゃ!」

 

「…それはまだ早い。()()()()()()()()()今、目立つのは避けるんだ」

 

「ぶー」

 

 

 

 

 

「…?」

 

 

ソウは首を傾げた。

クロの「勝つためにも」という言葉が引っかかる。ソウのように目立つのは恥ずかしいから静かにしろというのならば分かるが、「勝つためにも目立つのは避けろ」とは…どういうことなのだろうか。

 

 

「話は後だ。…ロビーへ行こう」

 

「え、ロビーで話すの?」

 

「そうだ。…話の後は、タワーの施設を使いたいからな」

 

 

クロがチームインカーネイションのために何を考えているのか。

ソウ達の心に疑問が浮かばないわけではなかったが、少なからずのクロに対する信頼から、三人のメンバーはクロと共にデカ・タワーの扉をくぐった。

 

 

 

*

*

*

*

*

*

 

 

 

ロビーの端の二つのソファーに、四人向かい合う形で座る。クロが「さて…」と呟いて話を切り出した。

 

 

「三人とも自己紹介は…済ませてあるみたいだな。なら…ユイにまずやってもらいたいことがある」

 

「え、ユイに? 何?」

 

「大事なことだ。…メンバーが決まった以上、対戦相手…チーム『絶対制圧』と試合の打ち合わせをしなければならんだろう」

 

「あ、そっかー! それ大事だね!」

 

 

クロの言葉を受けて、ポンと手を叩いたユイがいそいそとスマホを取り出す。未だ詳しい事情を知らないらしいサイクが目をパチクリさせて「え? …『絶対制圧』…試合…?」と呟いていたので、ソウはサイクに今回の簡単な事情を耳打ちして教えた。

 

 

「そっか…あの『絶対制圧』と…」

 

「知ってるのか?」

 

「もちろん! 私、初期からのインカーネイションのファンだったから! 当然、あの伝説の試合である『絶対制圧』との戦いもリアルタイムで観てたんだからね! …あの試合、どっちも本当にレベル高くて、凄かった…から。はは、そっか、あのチームとこれから戦うんだね…ちょっと、緊張してきたかも」

 

 

サイクは数分前までの高テンションは何処へやら、体をブルリと震わせている。それを見たソウも釣られて、少しだけ体が強張るのを感じた。自分はその試合とやらを見てないが、一見盲信的に思えるサイクがあの絶対制圧のチームをも「レベルが高い」と称して緊張している様子を目の当たりにすると、これから赴く試合に対する緊張感も高まってしまう。

 

一方、勢いよくスマホを操作しようとするユイだが、ふとその手が止まり、眉根を寄せた表情になってクロの方へ向き合う。

 

 

「ねークロ君。いくらメンバーが集まったって言っても、ユイたちまだ何にもチームとして練習してない状態なんだよ。私達がチームとして完璧な状態になってから試合の日取りを決めるべきじゃないの?」

 

 

ユイにしては…というのはちょっと失礼だが、ユイの示した懸念は確かに一理あると言えるものであった。というよりも、普段楽観的でもいざ何かを取り組む際には用心深く行きたい性格のソウからしても、どっちかといえばユイに賛成したい身である。それに加え、ソウの隣のサイクも、軽く頷いている。

 

 

だが、クロは小さく首を振った。

 

 

「一般的にはそうだが…今回は事情が違う。『絶対制圧』は俺たちよりも早くチームとしての練習を重ねていて、一歩リードされている状況といえる。こちらがじっくりと練習を重ねているうちに、向こうは更に練度を上げ続けていくだろう。差を埋めるのは難しい」

 

「でもでもでも! だからってとっとと試合の日取り決めても、『れんど』の低いユイ達じゃますます勝てないんじゃないー?」

 

「いや…こちらにも策がある。練度の差を埋めるための…一種の『賭け』がな」

 

「…賭け?」

 

 

首を捻るソウをクロが少し一瞥した後、またユイに向き直った。

 

 

「ユイ、今から『絶対制圧』のリーダーへ電話して、試合の詳細を決めて欲しいんだが…その際に、いくつかの条件を向こうに伝えてほしい」

 

「じょ、条件…? そんなもの、あっちが受け入れてくれるのかなー?」

 

「なに。試合に有利不利を齎すような条件ではない。それに、元々向こうからふっかけてきた勝負だ。ある程度の条件は受け付けてくれるだろう。最悪、受け入れないのなら戦わないと言い張ってもいい」

 

「うわー、クロ君強気ー」

 

「チームリーダーたるもの、強気であって欲しいものだからな」

 

「わかるー! じゃ、ユイ頑張って強気に行くから、条件教えて!」

 

 

ユイが身を乗り出してクロに迫る。クロは冷静にその体を押しのけると、少し声を潜めて話し始める。

 

 

「まず一つ。試合の日取りは『11月01日から11月05日』のいずれかということ」

 

「うんうん」

 

「次に…試合のステージは、『ランダム』で選出すること」

 

「ほうほう」

 

「最後に…『この試合は完全に非公開で行い…試合をしたこともその内容も、決して外部に漏らさないようにすること』ということだ」

 

「うんう……へ?」

 

 

最初は大人しく条件を聞き入れていたユイだが、最後の条件には思わず首を捻ってしまったらしい。もっとも、ソウとサイクに至っては最初っから首を捻りっぱなしだったが。

 

 

「最後の条件は特に重要だ。当日、誓約書も書いてもらう必要がある」

 

「えー! クロ君、今回の試合非公開にする気なのー!? せっかくユイ達が『高み』に返り咲いて、再デビューを華麗に飾る試合なのに! まさかクロ君、ユイ達が負けた時のことを考えて、恥をかかないようにするつもりじゃないでしょーね!?」

 

「違う。そもそも今回の試合に勝ったところで『高み』には返り咲けん。正式に『高み』へ挑むためには、条件が必要だっただろう」

 

「え、あ、あー…そう、だったっけ?」

 

 

腕を組んで唸るユイ。ソウも前に聞いた記憶を頑張って取り出そうとしたが、先に手を挙げたのはサイクだった。

 

 

「私、知ってます! 確かリーグマッチのチーム戦である程度の試合数…直近50戦で勝率が『高み』のチームと同等以上になった時に、初めて挑戦権が得られる…ですよね!」

 

「その通りだ。それを満たさない俺たちが挑むということは、どっちにしろ単なる非公式的な試合だ。…そして、だからこその『賭け』ができるんだ」

 

「…一体、どういうことですか?」

 

 

首を傾げるソウ。細かい日程指定。ステージのランダム指定。そして、試合の徹底した非公開。必ず何か意図があるものだと思うが、今のソウには全く想像がつかなかった。…無論、クロの言う『賭け』についても。

 

 

「その話については後だ。ユイ、連絡を頼む。まずは向こうが素直に条件を飲んでくれることが前提だからな」

 

「おっす! りょーかい! 任せて! …あ、でも、試合形式って指定しなくていいの? ほら、何のガチルールで勝負するかってさ」

 

「それくらいは向こうに任せていいだろう。…ま、予想はつくがな。今の『絶対制圧』が何の『高み』にいるかを見ればな」

 

「あー、そうだね! ほんじゃ、電話するねー!」

 

 

ユイは一度ソファーから立って、スマホを持ってトテテテとロビーの隅へ走っていった。

 

 

 

*

*

*

*

*

*

 

 

 

思ったよりすぐ、ユイはソファーに戻ってきた。

 

 

「...終わったよ。なんか、すごいスムーズに話進んだ」

 

 

 

【試合日程:11月04日 14:00にロビーにて集合 15:30に試合開始】

【試合形式:ガチエリア】

【ステージ:当日ランダムにて設定】

【試合は完全非公開。試合内容の口外も禁止】

【当日はお互いにその旨を記した誓約書を作成すること】

 

 

 

「どうやら、条件は受け入れてくれたようだな」

 

「もう完全にイエスマン状態だったよー。ねーねー、それよりこんな条件わざわざつけた理由を教えてよー」

 

「そうだな…。順番に説明…と言いたいが、まずは二つ目の条件から説明していくか」

 

 

ソファーに体を預けたクロは、軽くロビー内を見渡して敵チームである『絶対制圧』のメンバーの姿がいないことを確認すると、一息吐いて語り始めた。

 

 

「二つ目の『ステージをランダムに指定』というのは...『絶対制圧』の対策パターンを安定させないための条件だ」

 

「対策パターン…ですか?」

 

「そうだ。チーム『絶対制圧』はその名の通り、どんどん前線を押し上げて突破の難しい強固な陣形を組んで、制圧にかかるのが主戦法のチームだ。かつては、並みのチーム相手ならばリスキル直前まで制圧できるほどの完成度だった」

 

「そこまでの完成度を誇っていた理由の一つは、徹底した『ステージごとの対策』だ。ステージそれぞれにおいて効果的な動き方とフォーメーションを予め研究、実行していたからこその強さが、『絶対制圧』をかつての『高み』に登らせていたと、俺は分析している」

 

 

 

 

「…なるほど、だから…ステージをランダムにすることで、その『ステージごとの対策』をできる限り絞られないようにした、と…」

 

「ああ。…だが、向こうがあっさりと条件を飲んだということは、向こうも想定内だったということだろうな。少なからず全てのステージの対策は訓練しているのだろう。…気休めかもしれんが、予めステージを指定してガチガチに対策を練られるよりはマシだろう」

 

 

 

「そして、一つ目と三つ目の条件だが…この二つの理由は繋がっている。…最初の日付指定だが、より俺たちが練習するための時間を稼ぐためなら、11月06日を指定すれば一番良かったのだがな。そこまで細かく指定すると、向こうに勘繰られるかもしれんからな。念の為、日程調整の意味も兼ねて、少しだけ幅をもたせた」

 

「…?」

 

「…?」

 

 

ユイとソウが首を捻るなか、サイクがポツリと呟いた。

 

 

「ひょっとして、『11月07日のアップデート』と関係が?」

 

「え?」

 

「…あ!」

 

 

 

「その通り。『アップデートの前に試合をすること』そのための、日付指定だ」

 

 

 

クロがサイクに言い渡した正解。

一つのピースが当てはまったことにより、ソウの脳内において次々と必要となるピースが思い浮かび、当てはまっていく。

 

 

 

──…月初めに実装でしたっけ。

 

──正式実装となるまで、使用は試し打ち場、もしくはプライベートマッチだけでお願いするでし!

 

──じゃ、ソウ君もついに持ちブキ手に入れて本格始動ってこと!?

 

 

…ひょっとして。

 

 

 

「『イカネサダ・心』のために…?」

 

「そうだ」

 

 

 

クロが、ソウの目を見据えた。

 

 

「チーム『絶対制圧』に対して、練習期間や練度で負けている俺たちが、唯一明確に持っているアドバンテージ。敵のイカに決して知られることのない、対策の取りようのないブキの使い手が、俺たちチーム『インカーネイション』に、一人いる」

 

「ははーん…なるほど、ねー」

 

「…? …?」

 

 

ユイの輝く瞳とサイクの疑問の瞳からの視線が集ってきて、ソウの体はよりカチンコチンに緊張して固まった。思わず喉が渇き、唾を飲み込む。「使い手」だなんて中々過大な言われ方をされている気がする。

これは…自分は、『期待』されているんだ。一見異常のないように見える自分の体にのしかかる重さ、体の節々の動きを阻害する何か、これこそが目に見えない『期待』…もとい、『プレッシャー』なのだろう。人間時代、ソウは剣道部に所属していた。だが、自分に才能があったとは言えない程度の腕前であり、顧問や家族からも『期待』なんてされたことはない。強いていうなら、テストの点数などでは家族から期待されたことはあったけれども…ここまで『プレッシャー』を感じるほどの『期待』は初体験だ。

 

苦しくない…と言えば嘘になるが、この重い感触の中で微かな高揚感が体に満ちているように感じた。

 

重い期待だが…やってやる、というチャレンジ精神もあるのだろう。だが何より、大恩あるユイ達の期待に応えたいという思い…が一番だろう。ソウは、心のうちでやる気と決意に燃えていた。

 

 

 

「向こうが条件を飲んでくれたことで、ソウを切り札とする準備は整った。…そして、俺たちインカーネイションが勝つための鍵はもう一人…サイクがいる」

 

「あっ、は、はい! 私ですか!?」

 

 

突然指名され、疑問の表情が一気に驚きに変わるが…またすぐ一瞬で表情を引き締めたサイク。

 

 

「俺とユイのブキ、それに基本の立ち回りに関しては既に相手に割れている。相手に割れていないインカーネイションの新しいメンバー二人…ソウとサイク。お前達二人に、インカーネイションの勝利がかかっていると言っても過言ではない」

 

「ふふふーん。ソウくん、サイクちゃん。期待してるからね〜」

 

「…はい!」

 

「はわっ! もち、もちろんでございます! 全身全霊で頑張らせて頂きます! はい!」

 

 

頬に拳を当ててニコニコのユイから期待の言葉を投げかけられ、ソウは固くなりつつも元気よく、サイクは半分空回りになりながらも、ある意味ソウを上回る気合を持って、返事をした。

 

 

「とはいえ…俺たちはまだソウのブキの立ち回りとその力を見ていない…サイクについても、ユイやソウはその動きを少し見たかもしれんが、俺はまだ見ていないな」

 

「あー、はは…そーだ、ねー」

 

 

少し乾いた笑いを漏らすユイ。実際サイクについてユイとソウが見たのは、大分アブノーマルな性癖の一端だったのだが、それをクロが知るのはいつの日か。

 

 

「そこでだ。簡単でもいいから、把握しておきたいんだ。ソウとサイク。二人のブキとその立ち回り。バトルの癖に至るまで、できる限り細かく、な」

 

「はい……ということは」

 

 

ソウの視線が、自然とロビーの奥へ逸れる。バトルをするためのステージへ誘う上階へのエレベーターに。

 

 

 

「プライベートマッチで、ソウとサイクで1on1をやってみてほしい。…そこまで気を張る必要はない。あくまで普段通り、1対1で敵と対面した時を想定して戦ってみてくれ」

 

 

 

クロから下されたミッションを受けて、思わずソウとサイクは顔を見合わせた。




クララ

性別:女
ゲソの色:スカイグリーン色
毎朝の日課:表情筋トレーニング
毎晩の日課:のど飴13個舐め
座右の銘:芸が身を滅ぼす直前までを極めるのが楽しい。


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会議 問題

解説回って、多分需要はないよね...
でもつい書いちゃう。こんなに長くする予定はなかったんです! 信じてください!


例によって、バトルの理論は実際のゲームとは差異があります。ご了承ください。


サイクには、特技がある。それは、ロボットボムを愛するあまり身につけた技能の一つ。

とは言うものの、普段のナワバリバトルではほとんど役に立たない。この技能は強く気を張って集中することが必須なのだ。ナワバリバトルもガチマッチもそこまでの余裕は与えられない。

 

 

役に立つとすれば…今のような1on1の戦闘においてだ。

 

 

ホクサイを滑らせて速やかに中央へ到達したサイクは…【Bバスパーク】の中央高台に背中をつけると…インクタンクから素早く小さな足のついたロボットボムを思いっきり高台の反対側へ投げた。サイクの着るキングパーカー グレープについたサブギアパワー『サブ性能アップ』の効力によって、通常よりも高い軌道を描いて、高台の向こう側に着地した。

 

着地した瞬間、不思議な音と共にロボットボムが立ち上がって起動する。そしてサイクが一層集中を高めるのは、この瞬間。

 

 

 

(…動いた! ということはこの範囲内にいて…音的にロボムちゃんが壁に突っかかってる! なら、ソウは高台に登っている最中か…もしくは既に高台に潜んでいるということ…)

 

 

ロボットボムは、着地して起動した際に一瞬だけ移動範囲を示すサークルを展開。そのサークル内に敵のイカがいれば歩いて一定時間追い掛けた後に爆発。いなければその場で爆発する能力を持ったサブウェポンだ。そしてロボットボムは着地の際、そして歩いて移動する際にもそれぞれ独特の音を鳴らす。通常、この音はロボットボムに狙われた側が察知するための判断材料となるのが普通だが、ロボットボムを愛するサイクにとっては、別の意味を持たせることができる。

 

 

すなわち、敵の正確な索敵。ロボットボムの起動から、それがどちらへ向かって歩いているかまで、音のみで正確に把握できるのは、集中が必要とはいえ、特殊能力といっても過言ではないほどの特技である。

 

さて、とサイクは思考を巡らす。高台に陣取っている敵をこのホクサイで仕留めようとなった時、選択肢は二つ。一つはロボットボムで敵を高台から引きずり下ろし、降りてきた所を追撃で仕留めるか。もしくは自ら高台に登って、狭い足場での一対一の戦いと洒落込むか。

 

安定策を取るならば前者だ。だが前者の策にもそれ相応の欠点がある。高台にロボットボムを投げ込まれれば、十中八九降りてくるだろうが、問題はどっちの方向に降りてくるかが分からないということだ。自分の予想と違う所に降りて逃げられたら、また見失う羽目になり、索敵からやり直しだ。

 

一瞬の思考の流れを経て、サイクは決断した。すなわち、高台の上での1対1という決断を。

 

サイクには自信があった。手元に持つホクサイは近距離でのキルには自信がある。キルタイムこそ若干長いが、インクを振りまきつつ筆を当てるという独特な攻撃方法から、敵は視界を遮られ物理的な衝撃を受けてしまい、反撃が難しいのだ。それでも基本的には高台に先に陣取られた方が有利なのは事実。普通の試合ならば、サイクはこのような決断はしなかっただろう。今回の決断を後押ししたのは、プライベートマッチの待機部屋で自分のことを見ているであろう憧れの存在…チームインカーネイションのリーダー、ユイと副リーダー(的立場)のクロに、いい所を見せたいという無意識でのハリキリがあった。

 

 

ここに到達した時に、素早く高台の壁面は塗っておいた。今サイクがいるこの場所から登れば、1秒もかからず到達できる。

サイクは、目をキッと光らせると、イカ状態になって壁面に突撃した。

 

ここからはスピード勝負。だが、それでいてできうる限りのフェイントを。

ただ壁面をまっすぐに登るのではなく、微妙にカーブして到達する場所をずらす。

 

 

そして、サイクは勢いよく高台の上へ到達した。

 

 

倒すべき敵、いる。それは当然ソウのことなのだが、一度到達した以上それを確認する時間すら惜しい。

サイクの目にはただの倒すべきイカとしか映っていない。そのイカ影に向かって、サイクはホクサイを振るった。射程ギリギリまで離れている場合はホクサイを四発振らないと倒せないが、この狭い高台の場ならば、三発以内で敵をキルできる範囲に収まっている。

 

 

一発。二発。こちらに向かってさしたるインクの抵抗もない内に、サイクは先制攻撃を決めた。サイクの口元が微かに弧を描く。経験上、ここまで先制を決めたら『勝ち』だと。

 

無意識の笑みを湛えたままトドメのホクサイの一発を振るうサイクの体が_____

 

 

 

爆散した。

 

 

 

 

 

高台の上に広がったのは、サイクに与えられた紫のインクではなく、緑のインク。

サイクの身につけていたギアが緑のインクに沈んでいき、自らのインクのほとんどを失ったサイクはイカ状態の幽霊のような状態となり、リスポーン地点に吸い込まれていく。

 

確信の勝利から、一気にデスヘ叩き込まれ…半ば呆然としたままリスポーンへ向かうサイクの眼下には、刀を鞘に収めるイカの姿があった。

 

 

 

_人人人人人人人人人人人人人人人人_

>  イカネサダ・心できられた!  <

 ̄Y^Y^Y^Y^Y^Y^Y^Y^Y^Y^Y^Y^Y^Y ̄

 

 

 

 

 

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*

 

 

 

 

 

「な、なんなのあのブキー!? 見たことないんだけど!? 何、クマサン印の何かなの!? ソウはクマサンの手の者だったの?」

 

「…ク、クマサン…? い、いや…ちょっとワケアリなもので…」

 

 

ガクガクとソウの胸元を掴んで揺らすサイク。ソウには半分理解できない言葉を投げかけられ、曖昧な言葉でソウは応対した。

ちなみに、今チームインカーネイション達がいるこの場所はもはやデカ・タワー内部のプライベートマッチ部屋ではない。ぴったり三分間の1on1の模擬戦を終えたソウとサイクは、クロから「見たいものは見れた。ご苦労だった」と労いの言葉をかけられた後、四人揃ってユイの自宅へ移動したのだ。

 

 

到着当初こそ、サイクが感慨のあまり五体投地のような崇め方をユイの自宅の前でしてたために時間はかかったが、いざ落ち着いてクロが議題を切り出そうとすると、ソウが持っていた謎なブキに対しての詰問をサイクが行ったのだ。

 

 

「ソウが持っていたのは『イカネサダ・心』というブキ。…『11月07日のアップデート』で正式実装されるブキだ。今週末にでも情報は出るだろう。…縁あって、ソウはこうして実物を手に入れている」

 

 

クロが代わりに返答するのを聞いて、サイクはようやくソウから手を離して大人しく椅子に座った。

 

 

「そんなことが…でも、正式実装されていないブキで戦う気なんですか? それ、大丈夫なんですか…?」

 

「無論、正式試合ならダメに決まっている。だからこそ、試合は完全非公開のプライベートマッチで行うんだ」

 

「…なるほど。だからあの条件付けだったという訳ですね! 流石クロ様です…!」

 

 

全ての事情を把握したサイクは、尊敬の眼差しでクロを見つめる。そんな視線を受けながらも、クロは特に動じることなく何やら使い込まれた様子のノートを取り出してめくり始めた。

 

「さて…と。ソウの『イカネサダ・心』とサイクの『ホクサイ』の大まかな扱い方は確認した。それを踏まえた上で少し確認したい。…サイク」

 

「は…はい!」

 

「先ほどの1on1ではホクサイを使っていたが…それがお前の本ブキなのか?」

 

「…えっと、ですね」

 

 

一瞬、奇妙な問いだとソウは傍らで聞いていて思った。最初に出会った時も(ロボットボムばっかり見つめていたとはいえ)ホクサイを持っていたし、その後の1on1でもホクサイを使い続けている様子から、てっきりホクサイをメインとするイカかとソウは思っていた。だが、クロはソウより多くのイカを見てきた分、少し違和感を覚えていた。この三分間を経て、近距離キル特化型ブキを使い込む者特有の、潜伏接近の行動がイマイチぎこちないように思えたのだ。

 

果たして、クロの予感は当たっていた。

 

 

「本ブキ、というには少し違いますね…。私は、ロボットボムを持つブキは全て練習してますけど…一番使っているのは『もみじシューター』ですね。なんといっても、ロボムちゃんを一番多く投げれる上に、普通は貧弱なメインブキを使って、ロボムちゃんとの連携で敵をキルするのが楽しいのなんのって…」

 

 

少しばかり、うっとりとした様子のサイクだったが、すぐに姿勢を正して言葉を続けた。

 

 

「でも、今のインカーネイション…ユイ様とクロ様がいて、リル様とツン様がいないという現状を顧みた結果…自分はもみじシューターではなく、二番目に使い慣れてるこのホクサイを使うべきだと判断いたしましたです!」

 

「...なるほどな。よく俺たちのことを見ているようだ」

 

「はっ! お褒めに預かって光栄です!」

 

 

サイクの言葉を聞きつつ、ノートにメモを取るクロ。このやりとりを聞いてるソウは、首を傾げるばかりであった。過去のインカーネイションを知る者たちにしか分からない会話なのだろう。ユイも何かを理解したのか、ニコニコニヤニヤしている。後でどういう意味か聞いてみよう、と考えたソウだったが、後回しにできるほど軽い問題ではなかった。

 

 

「ふむ。ならソウ、せっかくの機会だ。チームのことを知ってもらうために、一つ質問だ」

 

「は…はい!?」

 

「ユイは…強いと思うか?」

 

 

今さっきのサイクとのやりとりとは全く脈絡のないように思える質問に、ソウは目を白黒させた。問いの真意が分からない。周りを見れば、ユイが非常にワクワクした期待の目線。サイクのニヤニヤした顔。

ソウは、口を引き結んで考える。正直普段のわちゃわちゃしたユイさんを見てるだけでは、とても強そうには思えないのが本音だ。毎日家に帰ってきたユイはバトルの愚痴を吐くのが日課のようなものであるし。だが見ただけの印象ではなく、あくまで客観的な事実だけを踏まえてソウは判断することにした。

 

 

「強い…と思います。何せ、あのナワバリの『高み』にいたチームのリーダーなのですから」

 

「へへへ〜、ソウ君に褒められると嬉しいね〜」

 

「なら、次の問題だ。ユイは『何が』強いと思う?」

 

「な、何が…ですか」

 

 

デレデレしてるユイはスルーして、続けざまに発せられた第二問。今度はYesかNoのクイズではなく、Whatを問うクイズなのだ。

ユイの『強み』とは何か? これのヒントとなり得る既存情報は少ない。ソウがユイの試合を見たのは一度か二度しかない。その時の自分は、ブキの知識こそあれどまだバトルについての知識は乏しく、漠然とした思いでしか試合を見ていなかったため殆ど記憶に残っていない。他に残っている情報といえば、ユイの持ちブキがデュアルスイーパーであるということくらいか。

 

ブキの知識だけは豊富なソウのことなので、当然デュアルスイーパーのことは知っている。赤いボディに長い銃口が特徴的な「マニューバー」と呼ばれる二丁拳銃式のブキだ。その一番の特徴といえば、マニューバーの中でも最長の射程だろう。他のマニューバーより危険を犯して接近する必要もなく、それに加えてマニューバーの特徴である「スライド」を駆使する事で「攻め」にも「逃げ」にもより柔軟に対応できるメインウェポンだ。

 

ただし、長い射程の代償として単発威力の低さ、キルタイムの遅さ、通常射撃での精度の低さなどが重なっているため、他のマニューバーに比べキル性能には少々難がある。マイナーチェンジ版である「デュアルスイーパーカスタム」では、それを補うサブウェポンとしてスプラッシュボムが付属しているが、ユイの持つ通常の「デュアルスイーパー」の持つサブウェポンはポイントセンサー。味方の補助としては有能だが、自らの弱点を補うには少々力不足なサブウェポンだ。

 

これだけの情報でも大分絞れそうなものだが、そうは問屋が卸さない。あくまでブキの特徴がソレというだけで、使い手によって個性は様々。味方のアシストが劇的に上手いのかもしれないし、塗りに特化した運用をしているのかもしれない。もしくは、キルが苦手気味なブキでもあえてキルをするのが得意ということもありえなくもないのだ。

 

 

頭を抱えて深く悩み始めたソウを見かねたのか、クロが声を発した。

 

 

「ヒントは、もう出ている。さっきのサイクが言ってたことを思い出してみろ」

 

「サイク…が…」

 

 

そういえば、何か言っていた。確かあれは、サイクが自らのブキについて聞かれた時。

 

 

 

──今のインカーネイション…ユイ様とクロ様がいて、リル様とツン様がいないという現状を顧みた結果…

 

──自分はもみじシューターではなく、二番目に使い慣れてるこのホクサイを使うべきだと判断いたしましたです!

 

 

 

クロが言うヒントとは、おそらくこの言葉を置いて他にあるまい。彼女は、もみじシューターを持つべきではなく、ホクサイを持つべきだと言っていた。見方を変えれば、「このチームインカーネイションにもみじシューターはいらない」という推論が導きだせる。

 

もみじシューターといえば、わかばシューターのマイナーチェンジ版。拡散してインクを発射する故にキル性能は低いが、何と言ってもそのインク効率が非常に良いが故に、長時間塗り続けられることが何よりのウリとなるメインウェポンだ。それに加えてもみじシューターは、スペシャルウェポンの「アメフラシ」を有しており、わかばシューターよりもなお塗りに特化したブキと言える。

 

そんな塗りブキを、今のインカーネイションには「いらない」とサイクが判断した。それがヒントになっているという、ことは…

 

 

 

「ユイさんは…『塗り』が強い…と思います」

 

「…正解だ」

 

 

頷いてみせたクロを確認して、ソウはホッと一息ついた。確かにユイのイメージからすれば、キルが得意というより塗りが得意と言われた方が納得できる。だが、クロから「しかし」という言葉が続けて出たことで、またソウの体が硬くなる。

 

 

「100点満点、というわけにはいかないな。…ま、これまでのヒントだけで満点の答えを導き出すのは難しい。だからこそ、うちのチームリーダーのことを知るための、最後の問題を出そう」

 

「は、はい」

 

「ふっふふ〜ん。ソウ君わかるかな〜?」

 

 

頬杖ついて非常に楽しそうにしているユイ。どうも自分の題材についてソウが一所懸命に考えてくれている様子が嬉しいらしい。クロはしばらく視線を宙に彷徨わせた後に、手に持ったノートの最初の方のページを開いた。

 

 

「俺たちチームインカーネイションは、結成してからの試合の結果をずっとデータとして記録してきた。解散までに行った試合は何百に登るが…試合数が三百に達した時点で、一度総合的な成績の集計を行ったことがある」

 

「…はい」

 

「そこで問題だ。…三百の試合数を経て、ユイの『デス数』は合計で一体いくつか?」

 

「デス数…」

 

「そうだ。ぴったり当てろとは言わん。10程度の誤差なら正解とするから、予想してみろ」

 

 

これはまた、予想外の質問を向けられてソウは一瞬戸惑った。だが、誤差も許容範囲内だとフォローもしてもらえたことで、少し落ち着いて考えられるようになった。ここは、少なからず経験している自分の試合から推定してみようとソウは試みた。同時に、サイクも何やらブツブツと呟いて同じように考えているようだ。

 

 

まだまだイカとしては未熟な身である自分の場合、1試合で3~5デスはする。できるだけ死なない立ち回りを心得るべきスパイガジェットですら、ソウにとっては2デス以内に収められれば大健闘と言っていいほどだ。最近、『イカネサダ・心』の特訓の一環としてボールドマーカーを使用していたが、その時はデス数が6やら7やらと嵩む事もあった。

 

自分のデータをそのまま当てはめれれば、1試合で平均4デスすると考えて、300試合でおおよそ1200デスはするという計算になる。無論、これは自分のデータの話であって、求められるのはユイのデータだ。ユイは果たして1試合で平均何回デスするのか? 流石に自分より多いということはないだろう。ならば2デスか? 1デスか? だが…自分が試合を経験していく中で、自分よりもランクが高い相手とも何度も相対したが…1デス以内で試合を終えたような相手とは、これまで片手で足りる回数しか見たことはない。だが、かつて存在したことは事実。

 

ならば、ユイならば300試合に渡って、1デスを平均とするほどの素晴らしいリザルトを叩き出している可能性が高い。ならば答えは300デスとなるわけだが…ソウはここでもう一声必要なのではないかと考えた。こうしたクイズというものは、得てして受け手側を驚かせるために、多少オーバーな答えを用意しているものだ。ならば、ここは思い切ってさらに半分削って…

 

 

「150…だと、思います」

 

「ふむ、なるほどな」

 

 

一つ頷いたクロ。正解とも間違いとも取れないような反応なため、ソウはまた緊張してきた。クロが答えを発表するために再び口を開くより早く、サイクが手をあげた。

 

 

「はいはい! 私計算終わりました! ユイ様のデス数、25です!」

 

「………………えっ」

 

 

お隣のサイクから信じられないような数字が出てきて、ソウは驚愕のあまり固まった。

そして固まったソウの耳に、さらに信じられない言葉が襲いかかってきた。

 

 

「うーん、サイクちゃん惜しい! 正解はねー、27なんだよー!」

 

「はわっ! そ、そうでしたか! どこか計算間違ってたみたいです…すいません!」

 

「いいよいいよー。むしろ少なく見てくれてユイ嬉しいよー」

 

「…………」

 

 

全ての時間が止まったソウを、クロが30秒間たっぷり揺らすことでようやく戻ってきた。

それでも、サイクとキャッキャしてるユイを、今までとは違う畏怖の念で見ているソウの様子を見て、クロは軽く苦笑してソウに語りかける。

 

 

「普段のユイの様子からは想像もつかんだろうが…伊達に『高み』まで登りつめたチームのリーダーではないということだ。ユイにはイカ外*1と言えるほどの才能がある。つまり、敵の攻撃を避けつつ、塗り続けられるという才能。ユイは異常な程の察知能力を持っていてな。背後を狙うリッター4Kの射程すらも察知して、敵が攻撃するよりも早くスライドによる回避行動に移れる。ユイをキルしようとするのは俺でも容易ではない。リッター4Kスコープの最大射程の先でキルするか、もしくは狙いを含まない偶然の射撃で倒すかくらいしか、方法はないだろう」

 

「うーむ…ユイさんって、本当に凄いイカだったんですね…」

 

「でしょー!」

 

 

自慢げに胸を張るユイ。だが、今のソウから見れば胸を張るだけの人物…もといイカとしてふさわしい程の実力を持つ人物であると認識していた。それと同時に、これまでの軽い言動や態度から知らぬうちにユイの実力を疑っていた自分を恥じた。クロは、続けて言葉を発する。

 

 

「しかし、だ。今目前に控えている対『絶対制圧』戦。これにおいては、こうしたユイの才能はむしろ問題点となってしまうということに注意がいる。…実際に、以前の戦いではその弱点が如実に表れてしまった」

 

「弱点…ですか?」

 

「うむ。ユイの才能はナワバリバトルにおいてはこの上なく有能だ。だが…これから控えているのは、ナワバリバトルではない。『ガチエリア』の戦いとなる。そうなった場合、何が問題か……分かるか?」

 

 

 

なんと、さっき最後の問題に答えたばっかりだと言うのに、思いがけぬ第四問が生まれてしまった。半分クイズ大会になってしまっているが、しかしチームの理解を深める上でもそうだし、何といっても問題に関して真剣に考えたいと思えるだけの面白さがある。ガチエリアというのはルールだけは大雑把に聞いたことある。ナワバリバトルとは違い、指定されたエリアを一定時間確保できるか否かを争うルールだ。ナワバリバトルよりも、塗るべき場所が限定されてる時に、回避の才能があるユイが抱える問題とは……何か。

 

ユイは…敵の攻撃を何よりも素早く察知して逃げ、塗り続けることができる。エリアでも同じように塗り続ければ、問題なんてないように思えるが…いや待て。当然相手も警戒すべきエリアの場所は分かっている訳で…警戒もしてるに決まっている。そんな時、ユイが塗ろうとしたら…

 

 

「…エリアを塗ろうとしても、敵が警戒している以上、強行突破して塗りに行くのが難しい…とかですかね。ユイさんは敵の攻撃を察知して避けるのが得意ということですが…そんな中で敵の元へ塗りにいっても、避けるのに精一杯で塗りに専念できないのではないのではないかと」

 

「…今度の回答は、100点満点だな」

 

 

お墨付きをもらって、ホッとするソウ。一方で先ほどまで胸を張っていたユイが段々と萎縮し、バツの悪い表情になってくる。

 

 

「敵のいるところは避け、敵のいないところを見定めて塗り続けていく。ナワバリならばそれは有効な戦術だが、ガチエリアは違う。敵がいるところ…すなわちエリアを防衛している敵に対して積極的に向かっていかなくては勝ち目はない。かつてのユイのように、敵に狙われたら即逃げるのではなく、敵に狙われつつも前に出て塗る。それがガチエリアの鉄則だ」

 

 

そんなクロの評論を聞いて、ソウは口を引き結んでムスッとしてるユイにちらりと視線を向けた。なんというか、今の話を聞いて、ソウはユイに対して少しだけ親近感を覚えた。

 

『攻撃を受ける覚悟で敵に向かうこと』が課題となるソウと、『敵に狙われつつ前に出て塗ること』が課題になっているユイ。おそらくどちらにとっても必要なのは敵に対する恐怖心を振り払うこと。奇しくも二人して似たような課題を抱えていたことに、ソウは微かな驚きもあった。これなら、いっそのこと最初からユイと一緒に特訓していればよかったのか、とも思えてきた。

 

 

「う〜、それ言われると辛いけどさ〜。ユイだってクロ君に言われた通り、ここ前からずっと頑張ってきてるんだからねー!」

 

「ユイさんも、特訓しているんですか?」

 

「そのとーり! ユイだって負けてらんないからねー!」

 

 

ソウからすれば初耳であった。するとクロがノートを閉じて机の上に置き、今度はポケットからイカ型のスマホを取り出して起動する。確認しているのは、最近の試合成績表のようだ。

 

 

「ユイのここ最近行ってきた試合数の平均デス数は3.6。一見するとパッとしない数字だが、あのユイがこれだけのデス数を重ねているということは、敵をひたすら避けて塗り続ける従来の動きではなく、敵の懐に潜り込んで塗っていくという動きができているという証拠だ。この動きの癖をつけたまま、イカにデス数を減らして塗り続けられるか。そこが肝になってくるだろう」

 

「パッとしないは余計ー! …でも任せて! 何とか敵に向かっていけるようにはなったし、その上でうまく躱せるコツを気がしないでもないから! きっと試合当日までにはモノにしてみせるよっ!」

 

「ユイ様かっこいいですー!」

 

 

確かに自信たっぷりになったユイはカッコいいといえばカッコいい方だ。言葉の内容に若干の不安は残っているが。しかしそれでもユイは自分の弱点をしっかり理解した上での特訓をやっていたというのもまた意外だった。やはり自分は、ユイのことも、チームインカーネイションのみんなのことも、知らなさすぎるということを改めて知った。

 

 

「大分話は逸れたが…つまり、チームインカーネイションはユイに塗りを一任する。無論、臨機応変に他のメンバーも補助していく必要はあるがな。ユイがエリアを塗り、俺たちがそれを全力でサポートする。それが俺たちチームインカーネイションの基本戦術となる」

 

「みんなお願い! その分ユイも頑張るからねー!」

 

「もちろんです! このサイクにお任せを! ユイ様にはインク一滴触れさせません!」

 

「は、はい。サポート…つまりユイさんが塗りに専念できるように、俺たちが敵を倒していく…ってことですよね」

 

「そうだ。それができればベストだな」

 

 

 

頷いたクロはスマホをしまうと、再びノートを手に取った。そして複数の色ペンを用意したかと思えば、おもむろにノートに何かを記し始めた。

 

 

「ある程度のイメージとしては……こんな感じだ。例として『エンガワ河川敷』のステージにおける、俺たちインカーネイションの簡単な基本配置案を考えた」

 

 

 

【挿絵表示】

 

 

 

 

クロが開いて示したノートを、残り三人のイカが身を乗り出して見つめた。オーソドックスな四方向配置のようだ。が、ソウは見た瞬間少しだけ疑問に思った。近〜中距離ブキ持ちである自分は、より前の方に配置されるべきなのではないかと思っていたからだ。

 

 

「前線は俺とサイクで行く。サイクのロボットボムと俺の遠距離射撃で敵の誘導と混乱を狙いつつ、隙あらばサイクが敵の懐に潜り込んでキルを狙う。ユイはエリアの塗りはもちろんのこと、俺たち前線の塗りの補助も担ってもらう。そして…ソウは後方で、裏取りの警戒と防衛の役目だ」

 

「……」

 

 

裏取りという言葉はソウにとって聞きなれないものだった。言葉だけでもなんとなく分かるような分からないような……。そんな感情を持ったソウの顔をちらりと見たクロは、ステージ図へ新たに書き足し始めた。

 

 

「裏取り、というのは通常の戦線とは別のルートから隠密的に侵入して攻撃することを言う。この『エンガワ河川敷』の場合で言うと、敵が攻める通常ルートが青だとすると、裏取りとして使われるルートはこの赤いところになるな」

 

 

 

【挿絵表示】

 

 

 

 

「なるほど…………いや、でも…」

 

「どうした?」

 

 

思わずソウはぎくりとした。今の「でも」は無意識に出てしまった言葉だ。クロに拾われることはちょっと想定してなかった。それに加え、クロは生来の無表情というか真剣な表情…のおかげで、ちょっとした問いかけでもソウはびっくりしてしまう。疑問に思ってることがあるのは確かだが、自分ごときの疑問とかクロさん達にとっては取るに足らないものかもしれない。ただ、聞くは一時の恥、聞かぬは一生の恥とも言う。ここは思い切って一言。

 

 

「あの、クロさんが仰っていたように…イカネサダ・心が勝つための鍵になるのなら…自分は前線に出た方がいいんじゃないかって思ったので…。け、決して前に出たいからというわけじゃないんですケド…」

 

「なるほどな。それもまた、一理ある」

 

 

クロは腕を組み、上体を椅子の背もたれに預けた。ふう、と一息つくと再び言葉を続けた。

 

 

「ソウの言う通り、ある意味で切り札とも言えるイカネサダ・心を前線で戦わせて、敵の混乱を誘うのもまた手。だが俺は、ソウが切り札だからこそ、あえて後方の裏取り対策を任せたいと考えた」

 

「えー? ユイ、どちらかといえばあいつらにうちのソウ君見せびらかしたい派なんだけどなー!」

 

 

声高なユイの主張を普通にスルーしたクロが次に向いたのは、サイクの方。

 

 

「サイク、敵が通常攻めてくるルートと、裏取りルート。この二つの違いは、なんだと思う?」

 

「は、はいっ!? わた、私ですかっ! えっと…その…」

 

 

完全に、サイクは不意をつかれた形となった。今の今までソウに対する講義が主だったことをいいことに、ずっとユイにぼーっと見とれていたサイクは、大慌て状態になった。それでも一所懸命に適切な答えを導かんと、頭のエンジンをフル回転させるサイク。

 

 

「えーっとですね…私が思うに、その…裏取りルートは、普通は使ったりしないようなルートだからこそ、裏取りと呼ばれるものだと思いまして…」

 

「そうか。ならば、なぜ裏取りルートは普通に使われないんだ?」

 

「な、なぜ……ですか。そーですね…ちょっと待ってください、えっとお…」

 

 

なかなか深くまで突っ込まれた質問に少しギョッとした様子のサイクだったが、キッチリ30秒指をくるくる視線をうろうろしているうちに、求められている答えを探し当てた。

 

 

「なぜ普通に使われないかといえば…例えばこの『エンガワ河川敷』ですと、この赤いルートは他に比べて明らかに遠回りですよね。エリアに早く向かうためには普通は青いルートを使った方が良い。つまり、裏取りルートは通常よりも遠回りだから使われない…これが答えだと私は思い…ます」

 

「ふむ。まあ実際は様々な理由こそあれど、今の答えで概ね正解だな」

 

 

ホッと胸をなで下ろすサイク。クロは再びノートをみんなに見せるように広げ、先ほどサイクが述べた赤い裏取りラインを指でなぞった。

 

 

「サイクの言う通り、裏取りのルートは基本的に遠回りで、普通に攻めていこうと思うならばまず使われないルートとなる。だからこそ『いざ』という時に使えば敵の不意をつける訳だが…少なくとも、そのルートをメインとして使うのは非効率であり、避けるべきことなのは間違いない」

 

「だからこそ、俺はそのルートの封鎖をソウに頼みたいと考えた。その理由は、敵にソウの対策をとらせない為。この一言に尽きる」

 

「えー? それってどういう意味ー?」

 

 

少々不服そうなユイに対し、クロの仮定を交えた丁寧な解説が始まる。

 

 

「例えば、だ。先ほどソウが提案した通り、ソウを積極的に前線へ赴かせたとしよう。確かに敵は未知のブキを前に最初は混乱するだろう。だが、チーム『絶対制圧』だってバカじゃあない。その場で対応策を考えることくらいはしてくるだろう。…と、なってくると前線で戦っているソウは相手にとって観察しやすい。つまり、それだけ対応策を練られやすいということだ」

 

「ふーん…? 確かに…?」

 

「なるほど…言われてみればクロ様の言う通りです!」

 

 

クロに言われ、ソウも考える。イカネサダ・心は確かに情報が割れていない分、チームインカーネイションの切り札と言える存在だが、かと言って特別に強いブキというわけでもない。他のブキと同様に、相性が悪いブキもあれば、弱点だって当然ある。クロが懸念しているのは、そういう点を早期に見抜かれてしまっては、もはやイカネサダ・心に切り札と言えるほどの力はなくなってしまうことを意味する。

 

 

「対して、ソウを裏取りルートの警戒に当たらせた場合…この時の一番大きなメリットは、ソウの手の内を極力晒さないようにしつつルートの封鎖が可能な点だ」

 

「もし、敵が対抗策を考えるためにソウを狙いにくるとするならば、それは即ち敵にとって非効率な裏取りルートを使って何度もソウと戦闘を行わなくてはならないということ。そうした選択を敵がしてくるとするならば、俺たちにとっては僥倖。相手が非効率な手を打ってきている間、俺たちの戦闘を有利に進められるはずだ」

 

「逆に相手がソウの攻略を諦めたとするならば、それもまた僥倖。『いざ』という時に不意をつかれる裏取りルートからの侵入を懸念せずに、本ルートからの防衛に集中することができるからだ」

 

 

クロの理論はソウにとっても理解しやすく、また納得もいくものだった。つまり、クロは切り札であるソウを切り札のままにしておくために、あえて後方での堅実なルートの封鎖を任せたということだろう。敵にとって未知なる存在であるからこそイカネサダ・心は脅威となり得る。ならばできるだけ未知の存在として置いておこうということだ。そう考えてみたら確かに、と頷ける話だ。自分で言っといてなんだが、バシバシ前線に出ろと言われるよりは後詰めでいてくれ、と言われる方が気が楽ではある。

 

 

「よって、俺としては最初の布陣案…サイクが最前線。同じ前線に置いて俺が前後のカバーを兼任し、ユイは全体的な塗りを行う。そしてソウが裏取りルートの封鎖。この案で行きたいと思うが…異論はあるか?」

 

「はい! 異議なしですクロ様!」

 

「うーん、まあクロ君がそういうならいっかー。異議なーし」

 

「…はい。俺もそれでいいと思います」

 

 

 

三人の同意,,,それも心から理解した上での同意を得て、クロは頷いた。これでようやく議論が一つ前に進んだ。クロはちらりと壁にかかった時計を見ると、ノートを閉じて立ち上がった。

 

 

「一つ、議論が進んだな。ところでサイク、今日はあとどれくらいまで付き合える?」

 

「き、今日ですか…。えっと、もうすぐ夜中になっちゃいますけど…」

 

「うむ…すまない。もっと明確に質問しよう。今日、ここに泊まれるか?」

 

「泊ま…る…?」

 

「ああ、試合の日まであまり余裕がない。こうした集まれた日には、対インカーネイション用の作戦会議をみっちりやっておきたいと思うんでな。もちろん、無理にとは言わないが…」

 

 

今日の何度も見た、サイクの惚け顔。ここまでくると、ソウもサイクの脳内でどのような恍惚が広がっているか想像がついてしまう。多分、憧れのユイの家に宿泊する喜びを噛み締めているのだろう。だが、実際のサイクの脳内では、そこからさらに派生して「憧れのユイとの添い寝」まで妄想が膨らんでいることまでは想定できてなかった。

 

 

「…ああ、是非…! 是非お願いします…! 私を、ここに泊まらせてください…! なんでもします! 頑張ります!」

 

「そうか。それは何よりだ」

 

 

そんなサイクの感情の起伏を知ってかしらずかクロは素っ気なく頷いた。そして、今から休憩ついでに夕飯を済ませて、また対策ミーティングを始めようと、クロは今日この後の予定を語った。それを聞いてユイが腕を振るうべく喜び勇んで台所へ駆け込み、同じくサイクも料理の腕を見せようとばかりにユイへ追随して駆け出す。

 

ソウも一瞬台所へ手伝いへ行った方がいいかと思ったが…ふと、ここまでの会議で生じた欲求を解消したい気持ちが湧いてきた。会議の中で初めて知った、ユイの戦闘スタイル。今までの自分は、そういうことを知ろうともしてなかった。そんな自分は、このままでいいのかと思ったのだ。試合に向けた作戦会議も重要だが、チームインカーネイションの一員になるということは、まずチームメンバーを知ることがスタート地点なのではないだろうか。ましてや、自分はリーダーであるユイの戦い方を知らなかった。このままではいけないと、ソウは考えた。

 

 

「クロさん、あの…」

 

「ん、どうした?」

 

「昔のインカーネイション……ユイさんやクロさんがどんな風に戦っていたのか、もっと詳しく知りたいです。おしえてくれませんか?」

 

「…ふむ。勉強熱心だな」

 

 

 感心したような声を出したクロは、チラリと台所の方を見て…軽く伸びをしつつ答えた。

 

 

「まあ、まだ焦るな。休憩の時はしっかり休め。…その話も、夕飯後にすることにしよう。勝つために、な」

 

 

 

 

チームインカーネイションとして過ごす、四人の夜はまだ長い。

 

勝つために、彼らは語り尽くす。

*1
人外という意味




ナラユ

性別:女
ゲソの色:撫子色
好きな色:ピンク
初めてピンクが似合ってると言ってくれた人:リツコ
座右の銘:やるならば、徹底的に。


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服装 銀色

フェスが復活するというのに
この小説が復活しないままでいいはずはないと思いました。

リハビリがてらなので短めです。



「え、ソウってフク屋行ったことないの? アタマ屋とクツ屋も?」

 

「お恥ずかしながら……」

 

 

実際、ソウはこの時に至るまでそうした店に行ったことがないのを恥と思ったことはないのだが、目の前のサイクがまるで宇宙人でも見たかのような顔をしているのを見て、思わずそんな風に返してしまった。実際ソウの正体を考えてみれば、サイク達イカにとっては宇宙人と言われても仕方がないのだが。幸いそこはまだ知られていない。

 

 

「でもそれじゃあ、ソウの着ているキングオクトTブラックベロアとか、クロヤキフグバンダナはどうしたの?」

 

「ああ、これは貰い物。なんていうか…仕事の関係で貰ったやつなんだ」

 

「へ? ギアって、基本的にイカが他人に譲渡したり売買したりするのって禁止されてるはずだけど…誰から貰ったの?」

 

「……えっ」

 

 

ソウはギクリとした。もちろん、図星だから驚いたのではなく、ソウにとって初耳であったから驚いたのである。

 

 

「えっと、その…貰ったのは、ナワバリバトル本部の人からだ。公式から貰ったものだし、大丈夫なはず…だけど」

 

「ふーん…?」

 

 

サイクの声色からは、まだ完全に疑惑が晴れていないであろうことがよく伝わってきた。が、彼女はそれ以上追求するつもりはなさそうだ。

実際、嘘は言っていない。ソウが普段身につけているバトルのギア…「クロヤキフグバンダナ」「キングオクトTブラックベロア」「イカボウズジェットブラック」は、公式から貰ったもの。初めて着たのは、自らが考案したブキをナワバリバトルに関わる重役達に披露した時だ。イカネサダ・心をブキとして実装する承認を得るためのお披露目会。その時の衣装として支給されたのだ。当時はまだ公式に実装されていないものだったが、実装されたのを機にソウにプレゼントされたのだ。

 

とりあえずバトルを始めるにあたってわかばシューターと共に支給されたギア…いわゆる「初期ギア」と呼ばれるものよりは高価なものだということはソウにも分かったし、せっかく貰ったものだからということでソウはずっとこの黒いコーディネーションでバトルしていた。つまるところ、ソウはバトルのギアを二セットしか持っていない。

 

しかし、勝つためにはギアにも拘らないといけないとクロは言った。

 

 

 

「どんなギアパワーをつけるかも大事な戦術の一つとなる。どういったギアパワーをどう組み合わせていくかで、立ち回りを柔軟に変えていく必要があるからだ」

 

「今ソウが身につけているギアのギアパワーについてだが…ソウには悪いが、俺たちが決めた作戦と立ち回りとは合致していない。時間がない以上、『厳選』までするのは無理だとしてもせめてメインのギアパワーは…少し違うものが欲しい」

 

 

 

それがクロの依頼だった。つまり今日は、貴重な特訓の時間を割いてまでソウのギアの買い出しに出かけたのだ。同行しているサイクは、ファッション指導の命をユイから受けて同行していた。ちなみにユイはガチマッチで自主練中。チーム全体の指導を行なっているクロが、どうしても外せない仕事があるらしく、夜まで帰れないらしい。故に、今日は一度チームはバラバラになって、各々やるべきことをやろう、ということになったのだ。

 

 

「とにかく…その真っ黒コーディネートは、適切なイカが着ればそりゃーイカすだろうけどさ…正直、ソウには似合ってないと思うな、私は。チーム「インカーネイション」の一員なら、性能もコーディネートも更にイカしたものにしなきゃ、ね!」

 

「う…うん」

 

 

遠回しにファッションが似合ってないと言われ、ソウは複雑な表情になった。今まで似合ってない服装でバトルしてたかと思えば、まああまり良い心地はしない。人間の頃のソウはどちらかといえば服には頓着しない方ではあったが、郷に入っては郷に従えとも言う。イカになってはイカに従い、ファッションにも気を使うべきなのかもしれない。

 

 

「だからさ、早速行こう! 今朝、ソウにちょうど似合いそうで、ギアパワーもぴったりなギアをフク屋で見かけたんだよ! 今ならまだ売れてないかもしれないし、さ!」

 

「わ、分かった。分かったからそんな引っ張らなくても…」

 

 

ファッションのことになると、妙にテンションの上がってしまったサイクに強めに腕を引っ張られ、全体的に白を基調した壁面が目立つフク屋「フエール・ボン・クレー」に連れ込まれようとする

 

 

その瞬間。

 

 

 

ソウの視界に、銀色が舞った。

 

 

(へ…?)

 

 

一瞬。そう、ほんの一瞬だけソウの視界の端で銀色の何かが波打った。目の錯覚とはとても思えないほどはっきりしていて、でもあの銀色が一体何なのか…その一瞬では理解できずに、ソウの視界は自動ドアによって閉ざされた。

 

 

*

*

*

*

*

*

 

 

「よく買い フク買い 購入ありがたし。また来るよろし。我 いとをかし」

 

「ははは…ありがとうございました」

 

「はーい、ビゼン店長またね」

 

 

不思議なことに、イカ語で日本古語を再現した口ぶりのクラゲ…ビゼン店長に見送られ、ソウとサイクは店を後にした。かつて純粋な日本人だったソウですらまともに扱えない日本古語を、あろうことかイカ語で再現しているクラゲの店長には正直畏怖の念を感じる。

 

店から出た途端、グルッとソウの目の前に回り込んでジーっとソウの胸元…もとい、トップス全体を見るサイク。

 

 

「うん、いいね! やっぱりソウみたいな小さいボーイは、Tシャツ系が似合うよ」

 

「そ、そうですか…」

 

 

やっぱり「小さい子」扱いされるのはどうもまだ慣れないが…似合ってると言われてはまあ、悪い気はしない。ソウがフク屋で購入して早速着用しているのは、「バンドT WETFLOOR」という藍色を基調としたTシャツで、胸元の大きな白いマークが目立つ。名前の通り、どうやらどこかの音楽バンドをテーマとした服らしいのだが、サイク曰く

 

 

「あー、Wet Floorね。バトルのBGMとかも演奏してるくらい有名なバンドらしいけど、私はあんまり興味ないんだよね。ほら、私はロボムちゃんとチームインカーネイション一筋だから、さ!」

 

 

…とのことである。それは一筋ではなく二筋と呼ぶべきではないかという疑問は置いといて。

もちろん、ソウに至ってはこのWet Floorというバンドのことを全く知らない。そんな全く知らないバンドの服を着ることに違和感を覚えないでもないが、どうもこのイカ世界においては、あまりそういうことは考えずに「テキトー」なノリが推奨…というかそういう風潮が強いことはなんとなく感じとっていたため、ソウもまた深く考えることは放棄した。

 

 

「さ、次アタマ屋いこ! Tシャツときたらアタマはやっぱりサンバイザー系が個人的にオススメなんだけど、いいギアつきのやつ今日売ってるかな〜」

 

「はは…」

 

 

当人のソウより数段テンションの高いままのサイクに連れられ、もはやなされるがままの着せ替え人形としてズルズルとアタマ屋の「エボシ・エボシ」に連れ込まれる

 

 

はず、だったが。

 

 

「…え? あれ? ソウ、どうしたの?」

 

 

今の今まで一切抵抗がなかったソウの体が突然、石像のように硬直したために逆にサイクの方が危うく体勢を崩されかけてしまう。驚きに目をパチクリさせて、サイクは改めてソウに目を向けると彼は何やら遠くを見つめてボーッとしているように見える。

 

 

「ちょっと、ソウったら!」

 

「…はっ!」

 

 

サイクによって頬をベチベチ強めに連打されることによって、ソウはなんとか意識がまともに戻ってきたようである。

 

 

「もう! 急にボーッとしてどうしたの? こっちに気づかなかったら、一瞬ロボムちゃんをけしかけようかと思っちゃったよ!」

 

「え、あ…ごめん。いや、ちょっとあっちにいるイカが気になって…」

 

「……へえー? なーに、一目惚れってヤツ?」

 

「いやいや…そういうのじゃなくて…ほら、あそこのイカ…」

 

 

 

「銀色のゲソのイカなんて、今まで見たことがなくて…ちょっと目を奪われたんですよね」

 

「へ? 嘘、銀色のイカなんているの? どこ、どこ?」

 

「ほら、あっち。てすりの方に座ってる…」

 

 

ソウが指差す方向を、目を細めてジイッと注視するサイク…だったが

 

 

「…いなくない?」

 

「え? いや、いる…じゃない。あそこの手すりに座って足をぶらぶらしてる…ガールが…」

 

「いや…そもそも、あそこの手すりに、イカ影一つ見当たらないんだけど…?」

 

「…へ」

 

 

困惑のサイクの声を聞いたソウの方は、より困惑を深め…それでいて、心の底がヒヤリと凍えるような感覚を覚えた。

また、違う形で硬直したソウに向けてサイクは少しばかり心配そうに声をかける。

 

 

「大丈夫? ソウ…なんか、疲れてるの?」

 

 

 

*

*

*

*

*

*

*

*

*

*

*

*

 

 

「〜♪」

 

「…あのう」

 

「〜 〜♪」

 

「…あの!」

 

「〜♪ 〜♪」

 

「あ! の!」

 

「〜♪ …?」

 

 

結局、ほぼ怒鳴り声に近い声になってしまったソウの呼びかけにようやく、鼻歌を歌っていた銀色のガールが反応する素振りを見せた。ただ…その反応は至極奇妙なものだった。

 

 

「…な〜に? やけにうるさいわねえ……」

 

 

全く、声が聞こえてきた方を見ようとしない。声の出所を全く気にしないかのように辺りを全体的にキョロキョロ見渡して…なんと、声をかけてきたソウそのものすら視線からスルーした。だが、辺りを見渡すその視線の動きが数往復した時、ようやくジッと銀色のガールを見つめるソウのことを認識する。

 

 

認識のその瞬間、ガールの銀色の瞳が大きく見開かれる。ソウは一人、視線を一切外さずガールを見据える。

 

そこからガールはまず、自分の後ろをクルリと振り向いてみる。誰もいない。

 

次にガールは正面に向き直る。自分を見つめる小さなボーイ、ソウと目が合う。

 

じーっと、ソウを見つめてくる。ソウも見つめ返す。

 

一歩、こちらに向かって踏み出してくる。ソウは見つめられ続け気まずくなるも、視線は一応逸らさない。

 

コテ、と首を傾ける銀色のガール。つられて首が曲がるソウ。

 

 

ここまでの過程を得て、ようやく銀色のガールの喉から…掠れ切った驚愕の声が漏れた。

 

 

「あ…なた、ひょっとして、私が、見えてるの!?」

 

「…ハ、ハイ」

 

 

銀色のガールの言葉を聞いたソウは「ああ…やっぱりそういう系か…」と、ゲンナリした。

ただでさえ異種族異世界なこの場所で、まさか更に心霊的イベントまで起こるとは、到底予想外だった。

 

 

 

*

*

*

*

*

*

 

 

 

 

 

 

「それにしても、変ねえ…」

 

 

ようやく銀色のガールとのコミュニケーションが取れたソウであったが、こちらが何か言うよりも早く顎に手を当てて思案顔のまま何やら呟いている。さっき大分驚いてた割りには、急にいたく冷静だ。ソウの方がまだ驚き冷めやらぬというのに。

 

 

「今の今まで、私を見ることができたイカはいないのに…あなた一体何者? ホントにイカ?」

 

「うっ…」

 

 

ジトッとした視線と共に語られるガールの疑惑は、見事なまでに的を射ていた。初見でソウが普通のイカではないことを見抜いたのはこのガールが初めてではなかろうか。だが、普通のイカでないのはソウだけではないのは明らかだ。

 

 

「そ、そういうあなたこそ、何者なんですか? どうしてあなたの姿は…他のイカには見えないんですか?」

 

「あー…….どうしてだろう? 理由は分からないけど…多分、私がイカじゃないから見えないとか…じゃない?」

 

「イ……イカじゃ、ない?」

 

 

何やら妙な言葉を耳にして、ソウの目が見開かれる。だって、その珍しい銀色のゲソと瞳を除けばどこからどう見ても、イカにしか見えないけど…いや、まさか…。

 

 

「ひょっとして…”人間”…?」

 

「はぁ? 何それ?」

 

 

あっさりと否定と同等の意味の言葉を吐かれ、ソウは安心したような落胆したような複雑な表情になった。外見はイカでも、中身は別のもの…もしかして、自分と同じ存在なのではないかと一瞬期待して口に出したが、その期待は全くアテが外れたようだ。考えてみれば、その理論だったら自分も幽霊状態になってなくてはおかしい。だから違くて当然とも言える。

 

ちょっと羞恥で顔を赤らめながらも「で、結局あなたは何なんですか?」と無理矢理話題を逸らすと「内緒♪」と悪戯っ子の笑みで答えた。なんだか、どっと疲れを感じたソウ。

 

 

「そんなことより、あなたちょっとイカしてなくない? アタマとフクのバランスが取れてないわよ」

 

「ほっといてくださいよ!」

 

 

今度は全く別ベクトルからディスられてしまい、思わず声を上げてしまうソウ。というのも、実は先ほどまでサイクと一緒にやっていたギア選びを半ば無理矢理中断し、サイクとは既に別れていたのだ。理由はもちろん、自分にしか見えない謎の銀色のガールが気になって気になってしょうがなかったからだ。そのため、青い服に黒のハチマキと黒い靴のコーディネートのままだったのだ。ガールが気になったせいで中途半端なギアのまま来たというのにそれをガール当人から指摘されてしまっては、なんだかやるせない気持ちだ。

 

 

「ふーん、じゃあそれは放っときましょ。ね、あなたの名前は?」

 

「…ソウ、って言います。えっと、あなたは…」

 

「私の名前? 秘密ー」

 

「また!?」

 

 

口を尖らせてまたもや黙秘を貫く彼女。こちらはファッションをディスられながらも名前を教えたのに、こちらはガールの情報をほとんど何も貰えない。このワガママっぷりにはもはやソウも呆気に取られるしかない。

 

 

「ふふふ…悪いわね。私の名前を呼んでいいのは『あのイカ』だけって…もう、決めてるのよ」

 

「……?」

 

 

だが、そんなガールの口からサラリと漏れた言葉は、ソウにとってはなんとも不可解なものだった。

 

 

「ええっと…確認しますけど、今まであなたの姿を見れたイカは僕だけ…なんですよね?」

 

「もちろん。さっき言った通りよ」

 

「なのに、あなたの名前を呼んでいいイカが別にいる…と?」

 

「そう言ってるじゃない」

 

「???」

 

 

…いや、おかしい。

自分以外このガールの姿を見れないというのに、ガールがいう『あのイカ』というのはどうやってガールの名前を呼ぶと…? いつかガールの姿を見初めて名前を呼んで欲しいとか、そういう願望なのだろうか…? ソウにはよく分からなくなった。

 

 

「名前は教えられないけど…なんだったら、テキトーな名前つけて呼んだっていいわよ」

 

「へ? テキトーなって…」

 

「ま、もう金輪際二度と会わないつもりなら…そんなもんいらないかもねー」

 

 

銀色のガールは相変わらずてすりの上に座って足をブラブラさせながら、悪戯っ子のような笑みを浮かべている。「もう金輪際、二度と会わない」のか否か…今ここで決めろ、と。なんだかそう言外に言われてるようにソウは感じてしまう。

 

確かに、この銀色のガールはユイにも負けず劣らずマイペースなワガママ屋のイメージが、ソウの脳内に染みついてしまった。だけど…改めてこのガールの容姿を見てると、なんだか心揺さぶれるほどの”美しさ”を感じる。顔のパーツの組み合わせによるイカの美醜はまだ理解の外だが、このガールのゲソと瞳の”銀色”は…素直に美しいと感じる。銀色のゲソは水銀を思わせるような滑らかさを持ちながら、日の光を綺麗に反射している。そして、同じような輝きを持つ銀色の瞳も、見つめているとなんだか吸い込まれそうで…

 

 

「………”ギン”」

 

「え?」

 

「あなたのこと、そう呼んでいいですか?」

 

 

彼女の瞳を見ていると、自然と口をついてでた言葉…”ギン”

それが自分の呼び名だと聞いた彼女は、心底面白そうに微笑んでみせた。

 

 

「ふふふ…見たまんまの名前ね」

 

「い、いいじゃないですか。あなたが『テキトーな名前』って言ったんですから」

 

「何もダメとは言ってないわよ。…私も”自分の色”好きだからね。じゃ、これからは”ギン”って呼んでね」

 

「…はい」

 

「あと…敬語じゃなくてもいいわよ。絶対、私よりソウの方が年上なんだから」

 

「そう? それならいいけど……ん? でも、ギンはどう見ても俺より上には見えない…」

 

 

ガール…ギンに言われてすぐに言葉を改めるも、「絶対ソウの方が年上」という謎の確信の理由がよく分からない。ソウが年齢を自白してないのもそうだし、見た目がショタのソウと外見年齢がユイとほぼ同じに見えるギンとで、ソウの方が年上とはとても思えないが…いや、スイトの例もあるから、意外のこの世界の外見年齢は油断ならないのかもしれない。というか、ギンは自称”イカではない”らしいので、ますます外見の信用がならなくなってくる。

 

 

「ま、という訳で…」

 

 

そう呟いたギンは、ひょいと手すりから降りてソウの隣に立つ。そして相変わらずソウの目を真っ向から見つめながらニッコリと笑う。

 

 

「ちょうどいいわ。せっかくこうして話せる初めてのイカだもの。ぜひ…あなたの話を聞かせてちょうだい」

 

「…いや、いいけど……どっちかといえば、ギンの話の方が聞きたい…」

 

「あー、悪いけど…私はロクに話せる話題がないのよねー。だから、あなたのお話でお願いね♪」

 

 

また悪戯っ子のようにニッコリと笑うギンを見て、新たな疲労感がドッとソウから湧いてくる。

これは──ユイやサイクとは別ベクトルに、疲れるタイプのガールだなと強く実感した。

 



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