TSしてレイジー・レイジーのおともだち (k-san)
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宮本フレデリカ
宮本フレデリカ――1


 このまま寝て起きたら大木(おおき)(とおる)が目を覚ますんじゃないかと思う夜でも、実際に寝て起きてみたら安代(あしろ)そらが目を覚ます。そのたびに俺は頭をぼりぼり掻いて、これからも『安代そら』として生きていかなくちゃいけないんだなってため息をつく。

 もちろん()()()()にいまさら文句を垂れるつもりはないし、そもそも一度死んだ身の上だから、転生して性別が変わってしまったことやそれによって生じる不便は甘んじて受け入れる所存でいる。ただちょっと、もしかしたらいままでの日々は全部夢で、端っから死んでなどいなくて、起きたら前世の自分に戻っているんじゃないかと期待――とはまた違うが、そう思う日もあるというだけで。

 

 そんな生活を十余年と続けてきた。俺もいよいよ中学生だ。

 就職なんてめんどくせえなあと思っていた俺は、どうせやるなら面白そうなことがしたいなんて社会をなめたような甘ったれの戯言を心中で唱え、幼少期から絵を描いてみたり小説を読み込んで執筆してみたり楽器にほんの少しだけ触れてみたりと主に創作方面でやりたいことを片っ端からやってみた。

 幼いころから創作に触れている人間はその業界で強い。それを理解しやり直しの機会まで与えられた俺は、他にはない大きなアドバンテージを持っている。だから利用した。ただ興味の幅を広げすぎて若干器用貧乏になった気もするが、まあ同年代のなかでは突出したもんを作れる自負はある。

 

 しかし弊害もあった。

 技術を磨くことばかり考えるあまり、人間関係を犠牲にしてしまったのだ。

 俺は前世でも根暗で友達が少なかったが、しかし人間関係を軽視していたわけではなくて、人並みに寂しいと感じることもあるし、『友達』は普遍的に価値のある代物だと考えている。

 幼少期は周りが低年齢すぎて一緒に遊ぶのが馬鹿らしかったが……もっと早くから気づいてキャラづくりに勤しんでいればよかった。後悔先に立たず。しかし――あとからならなんでも言える。それをいつまでもぐちぐち考えたってしょうがない。

 それに――それに、どうせ一回死んでるわけなんだし、まあどうなったっていいじゃんなんて諦念があった。そうやって結局問題を放棄した。

 

 ――そんな折である。

 中学校に入学してからもそんな考えでしかも生来の人見知り気質も相まり教室では本ばかり読んでいた俺にどうしてか話しかけてくるだなんて酔狂でなければ点数稼ぎとしか思えないようなことをするやつがいた。

 

 そいつは名を宮本(みやもと)フレデリカという。

 

 フランス人と日本人のハーフ。眩しい金髪でファッションに明るく顔も可愛くておしゃべりな女子。口から産まれてきたんじゃないかってくらいよく喋りしかもその中身は意味のないくだらないものばかり。思いっきりクラスカーストの上位に君臨する存在である。

 そんな彼女がなぜ話しかけてくれるのか、最初のころは謎だった。前述のとおり俺は人見知りなため、リア充とは程遠く、友達もいない――正直かなり正反対な二人だったと思う。

 だから入学してすぐ、彼女が俺の席の前に立ったときは戸惑った。

 

 

【挿絵表示】

 

 

 宮本は休み時間に一人で読書していた俺のところまで来て、「そらちゃん何読んでるのー?」と切り出してきた。俺は少しどもりながら、「す、『すべてがFになる』」とだけ簡潔に答える。「なんか難しそー」の一言で本の話題は流れ、お互いに簡単な自己紹介と質問をする時間が設けられた。そのとき俺は、宮本の髪が金色で顔の作りも外国人のそれだったために、もう答え飽きたであろう気の効かない質問をした。

 

 

 えーっと、たしか――

 

 

 ○

 

 

 ――何人(なにじん)なのかと訊ねたら「フランス人と宮本人のハーフだよ~♪」と返された。

 宮本人ってなんだ。

 

 とんちんかんな返答を行った彼女――宮本フレデリカは、影のない笑顔で楽しそうにしている。陽気なリア充の顔だが、何かこっちは特別製な気がした。

 一方の俺はぶっきらぼうで友達もいないようなやつだった。そんな俺になんの目的があってこの派手な金髪娘は話しかけてきたんだろう? 金か?

 そういえば、なんとなくこの少女に既視感が――。

 

 宮本は続けた。

 

「じゃあじゃあ、そらちゃんはナニジンなの?」

 

「見てわかると思うけど……」

 

「え、安代人!?」

 

「日本人だけどね!」

 

 その理屈だと『フランス』の血はどっから来るんだよ。っていうか俺も『日本そら』って名前になるのか……?

 宮本フレデリカ理論、恐るべし。

 

 そんなこんなが宮本との初絡み。

 以降も宮本は何かと俺に話しかけてきた。

 

「牛乳を飲んだらね~白いおひげが生えてきたんだけど指で拭ったらなくなったからアタシの人差し指はカミソリかもしれない!」「お昼ご飯を食べたら眠たくなるのって、食べたものがお腹のなかでお昼寝してるからなのかなあ?」「オーウ・フレデリカ・ジャパニーズ・シカハナセマセーン・イングリッシュ・ノー」「今日はいい天気だね! 一緒に雨宿りしよーよ♪」「アン・ドゥ・トロロ! ……食べた~い」「わーお! そらちゃん絵が上手だねー☆ すごーい!」

 

「――なんていうか、宮本って喋らなければ美人だよね」

 

 これは宮本と知り合って二ヶ月目の俺の台詞。

 大分実感がこもっている。

 宮本は、

 

「それって喋ったらもっと美人ってことだよねー? やったー♪」

 

 と笑った。

 相変わらずの陽気さに、俺も何も言わず苦笑した。

 

 それからさらに一ヶ月。

 

「そらちゃんってなんかミステリアスだよねー」

 

「そうか? 俺は宮本みたいな人間が案外謎が多いみたいに思っちゃうけど」

 

「アタシは宮本フレデリカでフランスと日本の血が流れてて金髪でママ似でお喋りで……」

 

「あー、ごめん。謎とかなかった、うん」

 

「やっぱり?」

 

 この頃になると俺は宮本フレデリカの行動論理をだいたい把握できるようになっていた。

 

 とどのつまり宮本はクラス全体の調和を求めていたのだ。誰か一人でも欠けてはならない。ワン・フォー・オール。オール・フォー・ワン。誰か一人でも浮いてはならない。

 だから俺のように教室で一人本ばかり読んでいるような根暗女子は、放っておいたらすぐに孤立してしまって、自然と宮本みたいな優しい人の目をかける時間が長くなる。

 

 宮本は、俺に特別な友情や好感を向けていたわけではなかった。

 『みんなと仲良し』を本当に実践していたのが宮本で、そんな宮本にとって俺は『みんな』のうちの一人で。

 それに気づいてから、宮本と友達になるのは諦めた。

 ただ、別に宮本を邪険にしたわけじゃない。彼女が話しかければ応対するし、たまにものの貸し借りもある。何もかもいつも通りのままだった。

 もちろん表だけでなく腹の中でだって宮本のお節介を余計だなんて感じたことはない。それが『俺だから』特別に向けられた友好でなくとも、話しかけてくれるのはやっぱり嬉しかったし、どちらかといえば――いや、はっきり、俺は宮本に感謝していたから。

 

 そうして宮本とは『時々一緒に話す間柄』以上の距離を詰めることもなく二年生となり、また同じクラスになって「クラスおんなじだねーやったー♪」と少しばかり話す機会が増え、しかし三年生になってクラスが別になると今度こそ会話が激減した。

 やはり俺に対して特別な親愛を抱いていたわけじゃあなかったようだ。クラスが別々になってはっきり証明された。それでもまれに俺のクラスにまでわざわざ出向いて話し相手になってくれるのだからやっぱり宮本は優しい人だし、俺もそのたび、何か()()()()()ような嬉しさに包まれた。

 

「――宮本は優しいね」

 

「えー、そんなこと――まああるかもしれないけどそらちゃんにそう言われるようなことアタシしたかなあ?」

 

 そして卒業式。

 クラスの一員としては記念的とも事務的とも言える記録を残せた俺だったが、案の定『誰かの友達として』は何も出来なかったので、さまざまな親子で形成された学校正門の人混みを縫うようにして潜り抜け、誰よりも先に帰路についた。

 

 昼の閑散とした道をとぼとぼと歩くぼっちの女子()

 

 だけど、そこはやっぱり宮本で、卒業式に一人さっさと帰る俺を発見するや否やすぐさま追いかけ、暖かい言葉と最後の思い出を残してくれた。その上、目を丸くして宮本の優しさを受ける俺に、「このあと暇?」とまで訊ねてくれた。

 俺は宮本からのカラオケやらお茶やらの誘いを丁重に辞し、涙を見せないようにさっさと別れ、家についてからちょっとだけ泣いた。

 

 友達はいなかったけど、宮本のおかげでなんだかんだ楽しい中学校生活だった。

 ありがとう、宮本。

 

 それから高校に進学。

 心機一転、華々しい高校デビューを画策していた俺は、宮本と再会。「むむ! そなたはもしやそらちゃん?」「宮本か!?」どうもお互い試験のときは気づかなかったらしい。

 なんというか……。

 

 涙返せ。

 

 ――まあ。

 

「そらちゃん、また同じクラスだねー」

 

「おう……」

 

 まんざらじゃないけどさ。



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宮本フレデリカ――2

「そらちゃんの顔を見てるとなんだか安心してくるんだよねー☆ はっ、もしかしてそらちゃんアタシのママ!?」

 

 なぜや。

 

 高校一年生になると宮本との絡みが中学生の頃とは比でないくらい激増した。数少ない中学生のときからの知り合いで、しかも何かとクラスが一緒になることが多かったからこその変化だろう。主に休み時間、ひっきりなしというほどでもないが、よく声をかけてくれた。

 ただ、卑屈に聞こえるかもしれないが、これも『俺だから』ではない。宮本はあくまでもなんとなく流れで俺と付き合っているに過ぎないのだ。証拠に、宮本と放課後に顔を合わせたことがほとんどない。

 

 だけど、それでもいい。

 

 ああそういえば、宮本との関係で中学生のときとは大きく変わったものがある。

 ――連絡先だ。

 入学式のすぐあとに、宮本の方から交換を持ちかけてきた。「そらちゃーんLINEこーかんしよー♪」俺は喜んで了承し、晴れてLINEのともだちが四人になった(内ひとつは公式アカウント)。超嬉しい。

 

 以降、時おり夜にLINEが来て、だいたい五通ずつくらい送りあって寝る。

 そんな日は大抵、宮本からトークがたくさん送られてきて、喜びながらも返信に悩む夢を見る。我ながらわかりやすい夢を見るもんだ。

 動物属性的になんか犬っぽい。もしかして前世は犬だったり――って、人間だったか。

 

 こうして高校一年生になってさらに宮本と話す機会が増えて連絡先まで手に入れた俺であったが、それでも彼女を友達だと思うことはなかった。はい、ぼっち特有の面倒くさいあれです。友達の定義に対して要求が多いやつ。

 宮本はやはり、『自分のため』ではなく『相手のため』に俺と交流していたのだった。

 友達ってのはもっと対等なもんだと思っている。これじゃあ友達とは言えんわな。

 

 俺自身は宮本と友達になりたいと思っているし、本当にそうなれたらどれほど嬉しいのかも想像にかたくないんだけど、まあ、相互で認めあってこその関係だからな。友達って。

 俺一人の片想いじゃあ、しかたない。

 

 

 

 もちろん、入学前に画策していた華々しい高校デビューとやらは夢のままに終わった。見た目に変化があるわけじゃないし、人当たりも立ち位置もそのまま。それでいままで友達がいなかったのに、いきなり友達ができるわけないじゃないか……。

 そう、高校デビューなんて、俺には初めから過ぎた夢だったんだ。

 

 身の程をわきまえた俺は、今日も今日とて一人本を読んでいる。

 題名は『バトル・ロワイアル』。

 とある中学校の生徒四十二人が最後の一人になるまで殺し合うという衝撃的な内容が話題となった問題作だ。深作欣二監督によって映画化もされている。

 ……あのシーンで流れたG線上のアリアは絶対エヴァからの引用だと思うんだけど、どうだろう。どちゃくそかっけえから好きだけど。

 

 ちなみにこれ、めちゃくちゃ分厚くて、バッグに入れたら窮屈だ。

 もしかしてこれを読んでるようだから俺はぼっちなのかな?

 

「わっ! 何それすっごくごつーい! えーっと、…………ばったーら……ろやれ……?」

 

「『バトル・ロワイアル』」簡潔に題名だけを言う。

 

「ばとるろわいある? なんだかぶっそーな名前だねー」

 

 実際に物騒な小説だから。

 

 読書をする俺のそばに来て読んでいる本の表紙を覗き込んで自然な感じに話しかけてきたのは言わずもがな宮本フレデリカ。

 何やら新感覚で前衛的な題名らしき単語を口にしていたが、たしかロワイアルってフランス語だったよな? というか表紙の中央に「バトル・ロワイアル」とカタカナで書いてあるはずなんだが――宮本には見えなかったのだろうか。

 

「どんな話なの?」

 

「ええと……」

 

 人の暗部なんて一切知らないような天然で陽気なこの娘に、バトル・ロワイアルがいったいどういう話であるのかと、そしてそんな物語がこの世に存在している事実そのものを懇切丁寧に縷々逐一解説説明するのはさすがに俺では憚られた。

 だから、

 

「いや、俺、ネタバレとか好きじゃないから。映画もあるし、観てみれば?」

 

 という上級者向けの会話テクニックで質問を上手くかわす。

 おかげで宮本の純粋な心は守られた。

 

「おー! じゃあ今度たっちゃんで借りて観てみるね!」

 

「たっちゃん?」

 

 誰だ。

 

 んで、日曜日。

 最近買ったペンタブレットとフリーのペイントツールでデジタルイラストの練習をしていたら、

 

『フレちゃんはいまなにも信じられません。。。』

 

 と、宮本から天変地異の前触れとでも言うべき非現実的なLINEが送られてきて、驚きのあまり俺は何回も何回も目を擦って何回も何回も名前の欄を睨んだのだがそこにある「フフフフフ」の文字はまったく変化しなかった。

 慌てて返信する。

 

『どうした』

 

 既読。

 

『どうされちゃったんだよ』

 

 ちょっと意味が……。

 本当にどうした。

 

『どういう意味?』

 

 既読。

 

『どうかしたのはそらちゃんだってことだよー!!!』

 

『ごめん、よくわからん』

 

 既読。

 

『そらちゃんがあたしにしてきたってこと!』

 

「はあ?」

 

 俺が?

 

 宮本に?

 

 何を?

 

「あっ」

 

 俺は、ここにきてようやく、今週学校で自分が何をしでかしたのか思い出した。

 そういや宮本にバトロワを勧めたんだった。

 

 あー……あれ観たのか。

 うん、すまん。

 

『バトロワ面白かった?』

 

 既読。

 

『こわかった!!』

 

 やっぱり?

 

『でも最後まで見たあたしは偉いと思う』『えへん』

 

『うん、偉い。』

 

 既読。

 

『でしょでしょ』

 

 次の日、宮本は例によって本を読む俺のところにやって来て「今日は何読んでるの?」と訊いた。俺は「『告白』」と題名だけ簡潔に答える。「映画もあるみたいだけど、観る?」

 

「観ないよ!」

 

 ちゃんと学んだようだった。

 

 

 そんな感じの学校生活を×二百日分くらい送って俺と宮本は共に二年生へと進級した。

 二年生になってからは再びクラスが別々になり、宮本とはまた疎遠になるのか……と残念がっていた俺に、宮本は「中学と一緒だねー」と笑い「じゃあ三年でまたおんなじクラスになれるよね。中学生のときは二回一緒だったもん」と笑った。

 

 意外にも宮本はちょくちょく俺のところに顔を出してくれた。

 

「この間ねー、お家でぴょんぴょん跳ねてたら、ちょうどその瞬間に地震が来て、パパとママに『揺らすな』って怒られちゃったんだけど、アタシもつい『ごめん』って謝っちゃったんだよねー」

 

 そう言って笑う宮本に俺も心の底から笑顔を見せる。

 宮本の笑顔には人を安心させる力がある。

 

 二年生最大のイベントといえば修学旅行。

 空港行って飛行機乗って沖縄についてまずは集団行動。那覇空港から直接ホテルには向かわずまずはあちこちでの平和学習をしてからようやくホテルに行って食事してそしてベッドイン。疲れた。

 ただ教室が一緒なだけの女子と共同で使う部屋はなんだか気まずいが、あちらも俺をいないものとして扱い、必要以上に接触してこなかったので助かった。ベッドの上で本を読む。していたら、部屋に宮本がやって来た。「こんばんデリカ~☆」←ウケた。

 宮本は本当に友達が多いようで、俺ではただ教室が一緒なだけで関係が終わってしまう女子たちとも楽しそうに親しそうに会話をしていた。俺抜きで盛り上がる室内。しかし、だんだん俺が孤立していくと宮本は抜群のタイミングで話を振ってどうにか俺を孤独の大海から救ってくれた。

 しばらくすると宮本たちは枕投げを始めた。修学旅行の定番だ。俺はそれを尻目に一人早寝と洒落込んだのだが、誰かが(おそらく宮本)投げた枕が俺の後頭部に激突すると俺も参戦することになった。

 

「死ねぇぇえええ!」

 

 もちろんオチは教師の登場による終戦。

 翌日、夜のテンションって怖ぇなあと省みる俺に、宮本が「安代軍曹! 昨夜はお疲れ様でありました!」と声をかけてきた。

 

 二日目はバスに揺られて美ら海水族館に行ったが、俺はあんまり水族館とかに興味がなかったので、適当に班に合わせて行動して帰った。途中で宮本に会ったがちょっと話す程度に留まった。

 

「イルカはいるかーい!?」

 

「…………」

 

「イカはいかがぁ!?」

 

「…………」

 

「そのサメた顔やめて、シャークに障るから!」

 

「…………」

 

「…………あ」

 

「…………」

 

「…………マンタ、一緒に見に行く?」

 

「……いや、いいよ」

 

 三日目は自由行動。

 班で国際通りを中心にお土産屋さんを回った。俺はお菓子御殿とやらで適当に紅芋タルトを買って、それを家族へのお土産とした。

 その後、メンバーに許可をもらって途中で見かけたアニメイトへ直行。道中で偶然宮本と会う。

 

「あ、そらちゃん♪ お土産選んでるの?」

 

「ううん、もう買ったよ」

 

「そうなの? じゃあアタシもついてっていい?」

 

「いいけど……」

 

 そんな流れであっという間に行動を共にすることになった。

 

 しかしサブカル系に明るいとは思えない宮本を連れてアニメイトに行くのはなんだかなあ……。

 なんて考えが表情に出ていたのだろうか、宮本は「別にどこに行ってもいいんだよ?」と気を利かせてきた。

 

「じゃあ、遠慮なく」

 

「レッツ・ゴー♪」

 

 アニメイト国際通り店は小さなビルの四階にあった。エレベーターに乗って、四階を押し、到着を待っていると、まだエレベーターが動いている段階から騒がしい音が聞こえてきた。

 

「うわあ」

 

 というのはアニメイトにやって来た感慨というよりは沖縄に来てまでアニメイトに来た自分に対する呆れである。

 

「わー! なんか初めての感覚」

 

 宮本は楽しそうにしていた。人や棚で狭く窓もない青い店内は確かにあまりない感覚を届けてくれるかもしれない。

 

 とりあえず端から端まで棚を確認する。DVD・CD・グッズ・クリアファイル・コミック・ラノベ。うおお、やっぱアニメイトはどこの店舗も楽しいな。

 

「なんか、すごいねー」

 

 なんだかよくわからないといった風だが、楽しそうではある。ただ宮本くらいになると楽しくなくても楽しそうにできるんじゃないかと思えるから、うん、調子に乗ってはいけない。

 さっさとラノベと画材とそれからこれは少し悩んだがクリップスタジオのパッケージ版を取って、レジに並んだ。本日最大の出費である。すまん、母。

 

「そらちゃんいま何買ったの?」

 

 大きな箱を中に入れたために直線が浮かぶ買い物袋を指して、宮本が訊いた。

 

「絵を描くソフト」

 

「えー!? ソフトで絵を描くってどういうこと?」

 

 宮本にはぴんと来ないようだった。

 

 それから宮本とは別れて一人になって俺はジュンク堂に行って班メンバーと合流して自由行動の時間を終えた。こうして修学旅行は幕を閉じるが、飛行機に乗って雲の上まで昇って空を眺めながら気づいた。

 俺の修学旅行での一番の思い出、宮本とアニメイトに行ったことじゃん。なんかあほみてえ。っていうかやっぱり宮本が関わっていることが俺にとって一番思い出深くなるんだなぁ。

 ま、宮本の一番の思い出はきっと他にあるんだろうけどさ。そんな寂しいことを考えながら二年生最大のイベントは終了。

 

 その後は特に何事もなく、気づいたら終業式。

 宮本との仲は少しは深まっただろうが、本質的なところで変化があったかといえば、そんなことはまったくなかった一年だった。

 まあ中学のときに友達になるのは諦めたんだし、それにこのままでも俺は十分に楽しい。だからこのまま進級して、残りのもう一年を宮本と一緒に楽しく――

 

 そこで愚か者()はようやく思い至った。

 

 ――あれ?

 なんで俺、宮本におんぶにだっこなのを当然のように考えているんだ?

 

 考えてみれば宮本は俺の友達ではない。実質的な話ではなく、俺がいままで変な理屈をつけて認めてこなかったことだ。なのにそんな相手からの施しを、俺はどうして当たり前のように受けようとしているのだろうか。

 宮本と友達になれないのは、宮本が誰にでも優しくしているからなんて言って、俺を『みんな』の内の一人としか見てないからとか言って、じゃあ俺は一度でも宮本に歩み寄ろうとしたことがあったか?

 俺が一度でも宮本のいるクラスに足を運んだことがあったか?

 

 なかった。

 

 『俺だから』じゃないからと言って、『対等』じゃないからと言って。対等じゃなければ、俺から宮本に働きかけるべきだったのに。

 それなのになんで俺は、教室で一人本を読んで、宮本が話しかけてくるのを待ってるんだ?

 これって当然じゃないよな?

 

 あれ?

 俺がぼっちなのって、読んでる小説のせいでも人見知りのせいでもなくて、ただただ俺の人間性の問題なんじゃないの?

 

 

 ○

 

 

 三年生になると宮本が予言した通り再び宮本と同じクラスになった。喜ぶ自分が本当は最低なクズ野郎だと知っているからこの気持ちも不純なもののような気がして自己嫌悪に陥る。「中学のときと一緒だねー」といつか聞いた台詞を宮本が言う。俺は「そうだな」と軽く答える。頭の中ではあのときの自問がまだぐるぐると廻っている。

 

 だが、俺の頭ではいくら考えても答えは出なかった。

 

 ただわかったのは、俺が中学のときに宮本と友達になるのを一人合点で諦めていなければ、宮本とは高校卒業後にも親しくできる友人になれていたかもしれないということと、残りの一年でそこまで距離を詰めるのは不可能だということ。

 気づくのが遅過ぎた。



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宮本フレデリカ――3

 三年生になって一ヶ月くらい経つと自己嫌悪は薄まり自罰的思考も鳴りを潜め自分のなかで自分に対する折り合いのようなものがついてきた。

 当初は宮本に話しかけられるたび胸を焼くような感覚と罪悪感に襲われていたのだが、いまではそれもなくなっている。

 ぶっちゃけ俺がどう思おうが動かなければ何も変わらないし、何も変わらないなら変わらないであと一年は宮本と一緒にいられるのだ。それなら余計な罪悪感で今後を潰さないためにも、このことは忘れるようにした。

 ただ、これからは少しずつでもいいから俺の方から宮本に話しかけていこうと思う。それが俺のできる最大限だ。

 

 

 ○

 

 

 三年生になると進路に忙しくなる。その緊張感は高校受験の比ではない。

 俺は就職めんどくさい組で進路活動を半ば放棄しているようなものだが、早いやつはもう――さらに早いやつは一年二年の時点で――すでに動いているようだった。立派なもんだ。電撃大賞応募を就活にしようかなとか寝ぼけたことを考えている俺とはえらい違いである。

 宮本はどちらかといえば早く動いている方だ。短大のデザイン科を目指しているようで、たびたび進路室に顔を出している。まあ宮本はおしゃれだからな。本人の興味関心的にもセンス的にもデザインは向いていると思う。そう遠回しに告げると、「そらちゃんがデレたー♪」と。デレとらん。

 まあファッションだとかデザインだとか俺にはよくわからん世界だが、きっと宮本のセンスなら大丈夫だろう。

 

 俺も俺で動き始めている。

 

 デジタルイラストがそこそこものになってきて文章力もまあまあになってきた今日この頃。俺はとある計画に乗り出した。何ヵ月も前からずっと画策していたことだ。

 まずはとあるサイトで入念に下調べをする。規格を何度も何度も確認してから、ワードソフトを開きテキストを入力する。

 行動は慎重すぎるくらいに慎重だった。片付けの最中に本を読んでしまうようなもので、たとえ作業中だろうと思い出せばサイトを開き見積りをしてにやにや笑っていた。

 たまにクリスタで落書きをしながら、俺は計画を進めた。

 

 一ヶ月後。

 

 とうとう出来上がってしまった……、とうとう。

 到着予定日を何度も反芻して、興奮に心臓を高鳴らせる。一ヶ月間、俺は頑張った。みんなが進路活動で頭を悩ませているというこの時期にいったい何をしているんだろうかと疑問に思うことは多々あったが、俺はやり遂げたのだ。

 本日十回目くらいの郵便受け確認で、ついにそれは手元に届いた。

 

「うおおおお!」

 

 俺は声をあげて開封する。

 

 現れたのは一冊の本。

 

 ああ……本だ…………本当に本だ。俺自身で執筆し、イラストも書いた小説。それが実際に本の形になって届いた。

 

「うわあ……すげえ本物だよ……」

 

 ついこの間描いたばかりのイラストが印刷されている表紙を撫でながら、感動にうちひしがれる。物語のヒロイン。名を朝霧あさぎという。終盤で悲惨な死に方をするが、それも含めて世界で一番かわいいうちの子だ。

 早速読んで、寝る前には読了する。が、翌朝になるとまたページをめくって、結局学校にまで持ってきてしまった。ぶっちゃけ自慢したいという心理もある。

 

 休み時間、俺はいつものように本を読んでいた。ただし読んでいる本はいつもと違う。何を隠そう「俺が書いた」本だ。本を見て、周りを見て、視線の動きを忙しなくする。

 うわあああ言いてえ! これ俺が作った本だぜって言いてえ! 言いふらして回りてえ!

 だが商業デビューしたわけでもない人間が趣味で作った本をほとんど他人といって差し支えない人間数十人に自発的に見せて回るのも変だ。叫び出したい衝動を抑えて、読書をするにとどめる。

 そうだ。こんなときこそ宮本だ。その高レベルのエアリーディングスキルを活かしていつもこっちに来て話しかけてくるように、今日も俺にこう言うのだ。「今日は何を読んでいるの?」と。

 ちらちら宮本の方を見ながら「さあ来い宮本!」と思う。だがそんな日に限って宮本は友人と談笑に興じている。ちょくちょく宮本に目をやって合図をし始める始末だが、結局宮本は俺に気づかず仕舞いだった。

 だんだんと一人宮本を意識している自分が虚しく感じられるようになる。俺はいったい何をしているんだろう。なんで俺はこんなにも馬鹿なんだろう。うぐぐ、自分がとんでもない間抜けに思えてくる。もうこれ死んだ方がいいな。

 ちくしょう、友達ってやつが憎たらしくなるよ。

 

 宮本の友人に羨望も含めた憎悪を向ける。とは言えこの時点ではまだ冗談めかしたネタのようなもんだったが、夏のとある日にあることがきっかけで思いっきりこじれることになる。

 

 六月某日。その日宮本は目指している短大のオープンキャンパスで三時間目から欠席していた。

 ただでさえ友達のいない俺に、宮本のいない学校は窮屈すぎる。

 五時間目の授業中。自習で出席確認のために教師が一度来て帰ったきりの教室は無法状態だった。スマホをいじるやつ。友達と向かい合って談笑するやつ。なぜかカードゲームを始めるやつ。

 もちろん真面目に課題に取り組むやつのが多数だが、こういうのは羽目を外しているやつが一番声がでかいもんだ。

 

 そして問題は起きた。 

 

 俺の右後ろでゲラゲラ笑っている女子グループ。面子の四人はどいつもクラスカースト的に上位に位置するやつらで、宮本と話している姿をよく見かける。フラッシュバックする宮本の笑顔。その隣の誰か。とどのつまり宮本の友達ってことだな。

 そいつらは教師がいなくなるとすぐに四人で集まって大きな声で喋り始めた。

 内容は誰々の恋人がどうとかどこのお店がいいとかバイト先でイケメンのお客様がどうしたとか、まあ右から入れば左から出てすり抜けていくような話ばかり。

 最初はまったく興味がなかったが、しばらくすると、

 

「でさー、そういえばこの間フレデリカがぁ~」

 

 楽しそうなノリが流れに流れて、話題は宮本のことに。知ってる名前だからか、俺の耳はいつになく反応する。

 ふむ、週末に宮本と遊びに行ったとな。何それ羨ましい。えっ、宮本の家? いいなー! とかなんとかのんきなことを思っていられたのはほんの束の間だった。話は二転三転した末、ちょっとした拍子で空気が変わる。

 

「――でもフレデリカってー、テンション高すぎてちょっとついていけなくなるときがあるよね~」

 

 苦労人ポジションの笑い話――とかだったならよかった。それなら俺も何も不満に思うことなく時間は過ぎていただろう。しかし現実ってのは自然に二択を任せたら悪い方を採っていくのが常で。その声色には明らかな人一人分の悪意が込められていた。

 

 えーっと。

 それはもしかして、陰口とかいうやつですか?

 

 肺のところで煙が燻りだした。体が重い。

 怒りがわいてくる。

 

 あのなあ、お前、宮本の友達なんだろ? 俺が羨ましくて妬ましくてたまらない宮本の友達だろ? なのになんでそんなことが言えるんだよ。精神分裂症か? わけがわからない。

 おい、お前ら三人。そいつお前の友達だろ? んで、宮本とも友達だろ? なんか言ってやれよ。友達を悪く言うのはやめろって――友達が人を悪く言ってるのは見たくないって、な? ほら――

 

 ――だなんて思いながらも、本当のところそういう展開がありえないのはわかっていた。こんなの、どこにでもありふれていることで、前世で何回も見てきたことで。だから次に三人がどういう反応をするのは、答え合わせを待たずとも簡単に予測することができていた。

 

「わかるわー」

 

「芸人でも目指してんのかな? でもそんなに面白くはないよね」

 

「それ!」

 

 はあ?

 

 信じがたいというか、案の定というか、周りの女子どもは宮本への愚痴に同調し始めた。四人は宮本といつも仲良くしているはずなのに。宮本の親しい友達なはずなのに。話はどんどん面白くない方へ転がっていく。

 

「なんていうか頭空っぽだよね~」「そーそーなんにも考えてない感じ!」「よく見たらそんなに可愛くなくない?」「ハーフってだけでなんか特別だと思ってそう」「あーっぽいわ~」「たまにテンション高すぎて薬でもキメてんじゃないかって思うわ」「何それ~」

 

 ゲラゲラゲラゲラ。

 

 本人がいないのをいいことに言いたい放題だった。

 こいつら、そんなことを考えながら――我慢して宮本と付き合っていたのか? まったく理解できないな。陰口なんて叩くやつは、どんなに表面上は友人関係を取り繕えても結局裏では友達の悪口言ってんだから、自分が言われないなんて保証ができなくて、お互い不信になるだけだろうに。私は裏であなたの悪口も言ってますよと宣伝しているようなもんだ。渦中にいると、そんな簡単なことも俯瞰できなくなるのか? あるいはそういう世界だと知った上で身を投じているのか。

 この分だと何もしていない俺ですら陰口を叩かれていそうだな。想像して気分が悪くなる。が、不思議なことに宮本が陰口を叩かれていることの方が俺には不快だった。俺みたいなやつとは違って、俺みたいなやつに手を差し伸べてくれる優しい人間なんだ。そんな宮本が悪く言われるのは耐えられなかった。

 

 でもじゃあ、どうする?

 こいつらに言うか? 「宮本の陰口はやめろ」って。俺が? こいつらに? 言えるわけがない。ぼっちの俺が、クラスカースト上位の連中に。

 本当は言いたいさ。お前ら心底気持ち悪いぞって。当人の前で言えないことを裏で言ってて恥ずかしくないのかって。じゃあ自分はマシな人間なのかって。そんな正論の数々を思い付く限りぶちまけてやりたい!

 だが、言えない。言えるわけがない。

 前世でもそうだった。ほとんどの人間がそうであったように、陰口を言う連中の声が耳に入ってきて不快になり心中でどれだけ愚痴と正論を吐こうとも、陰口を叩いているやつらがそうしているように俺も本人に直接物申すことはしなかった。それが普通だ。どこにでもある光景。別に罪ではない。傍観は同罪じゃないから。

 

 そう。耐えるしかないんだ、この時間を。どうせたったの一時間だし、そもそも論を言えば宮本は友達ではない。

 誰かが人の陰口を叩くたびに正義を燃やしていてはキリがないんだ。だからイライラを胸中で愚痴りながら解消してこの時間をやり過ごすしかない。

 それでいいじゃないか。俺に得なんて一切ないんだから。宮本が実害を被ったわけじゃないんだから。

 

 

 

 ――――でもさあ。

 

 

 『どうせ』なんて言うなら、俺なんてどうせ一回死んでるわけだしなあ。

 どうせ一回死んでるんだから、俺がどうなったところで別になんでもよくね?

 

 そう、思った瞬間だった。

 

「きっもち悪ぅーい」

 

 と誰かが言った。どうやら俺が言ったみたいだ。

 俺は俺に驚く。だが俺は止まらなかった。

 

「宮本がいなくなったとたんに言いたい放題かぁ。面と向かって言うことはできないのかね?」

 

 教室が、しんと静まり返った。陰口で盛り上がっていた女子グループは、開いた口が塞がらないといった調子で目を丸くしている。

 うう、胃が痛い。めちゃくちゃ怖い。しかし言ってしまった手前、引くことはできない。

 

「だいたいさあ、他人を悪く言う前に自分を省みろって話だよねぇ。こんなところで陰口叩いてるようなやつらの性格なんて自明だけどさ、お前らがあげつらえた宮本の悪いとこ、全部お前らに当てはまるんじゃねえの? こっえー! なあ、自分でどう思う?」

 

「――は? いきなりなんなの? 調子の――」

 

「――ってああ! そっかそっか! 自分でわかるわけないよな! 性格の悪いやつが自分の性格が悪いこと自覚できるわけないか、うんうん。滑稽だなぁー、可哀想に。自分が一番性格悪いのわかってないんだ」

 

 相手の発言を促しておいて、噛みつこうとしているのに気づいた瞬間言葉を被せる。我ながらウザいやり方だな。

 

「あんたらのいまの姿親に見せてやりたいわー。俺が親で娘がこんなんだったら絶対泣くね」

 

「クズ……」

 

「あんた性格悪いね」

 

「きっも」

 

「調子乗んなよ」

 

 四人が口々に罵倒してくる。俺は呼吸がしにくいのを誤魔化しながら侮蔑するように笑って見せる。

 

「はっ! 全部そっくりお返しします。お前らはどんなに理詰めで問い詰めたところで自分に都合のいいようにしか考えねえからな~。ほんと理不尽だわイライラする」

 

「てっめえ!」

 

 四人のうちの一人が勢いよく立って俺に迫ってきた。

 

「殴りたいの? 別にいいけど、殴れば?」

 

 俺は右頬を前面に出して煽る。

 相手は悔しそうにしてだけど俺の言う通りにするのが癪なのか結局殴らなかった。

 

「あんたクソだね。性格悪すぎでしょ。根暗のくせに……。そんなんだから友達いないんじゃない? いっつも本ばっかり読んでさあ」

 

「友達の悪口言ってるようなやつらに言われちゃあおしまいだなあ。四人で集まっていない一人のこと悪く言う関係が友達ならそんなのなくてもいいし。お前、いない友達のこと悪く言い合いながら、自分がいないときもおんなじ風に盛り上がってるかもしれないって考えたことないの?」

 

「は? 意味わかんない。何言ってんの」

 

「マジかよ脳みそチンパンか。じゃあいいわ。理解してもらうのは諦めます。だからもう言いたいことだけ言うことにするね――」語気を強めて、「――俺の聞こえるところでこそこそと俺の友達を悪く言うのやめろよ。不快なんだよ。俺の好きな人が理不尽に侮辱されるのは。この理屈はわかるよな?」

 

 問いかけるが、返事はない。誰も彼もが押し黙っている。構わず続ける。

 

「どうせ俺がなんて言おうが勉強できなくてプライドもなくて自分が悪いことを微塵も認められないお前らは俺の陰口を叩くんだろうな。それはいいよもう。何言っても通じないし。でもさあ、これだけは覚えておけ。俺の友達の陰口を叩くのはこれっきりにしろ。もしもまた宮本の陰口が耳に入ってきたら、ぶっ殺すからな。それができるなら――あとは勝手にしろ」

 

 それを最後に俺の言いたいことは終わった。心臓がばくばく鳴っている。変な汗が出てる。内側で気持ち悪い炎が揺れて肺が辛いのにも関わらず肌表面はさーっと冷たくなっていっている。絶対後悔する。あとになってこんなこと言わなきゃよかったって思うに決まってる。ってかもう後悔してる。でも言っちゃったもんは取り消せない。もう取り返しはつかない。どうにもならない。ならあとはどうにでもなればいい。

 

 俺が黙ってしばらくはみんなも黙っていたのだが誰かがぽつりとこぼした「なんなの」って台詞が雫となって水面(みなも)に垂れて悪意の波紋は広がっていった。

 

 ひそひそひそと。あるいはまったく隠す気のないむしろ聞かせているような罵詈雑言まで耳に届く。

 ほらなやっぱり案の定。

 どう言葉を尽くそうが反感を抱かせた時点で結局はこうなるんだよ。

 

 あーあもう、言わなきゃよかったじゃんかー!



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宮本フレデリカ――4

日間ランキングに載ってました。嬉しい。ありがとうございますのそらさん。


【挿絵表示】



 女子四人に啖呵を切った次の日、登校中に宮本に遭遇。宮本は俺を見かけるや否や走り出して、「そらちゃーん♪」ぐえっ。抱きついてきた。

 

「今日も元気だなあ」

 

 と俺は鬱屈した感情を隠してのんきな感じの感想をぽつり。

 すると宮本は突然「そらちゃん……?」と訝しげにこちらの顔色を伺ってきた。まるで俺の様子がおかしいのを心配するように。――まさか、たったいまので? 俺は焦って「便所行ってくるから先に教室行って」と逃げる。が、宮本は「そらちゃん!」と俺を引き留める。

 

「いいから先行ってて」

 

「でもそらちゃん」

 

「俺は構わんからさ」

 

「そうじゃなくて!」

 

 そうじゃなくてなんだ。俺は首を傾げる。

 

「そっち男子トイレだよ」

 

「うおっ」

 

 マジかよ久しぶりに間違えた。

 

 トイレにしばらくこもって宮本と時間差で教室に入ると騒がしかったのが急に静まり返ったとかそういうことは特になく教室はいつも通りに騒がしかった。どうやら宮本には昨日の出来事を悟らせない方向で行くつもりらしい。宮本が話の軸だったとはいえ、直接関わったわけじゃないし、宮本はクラスカースト的には最上位の存在なわけだから、今回の問題は底辺の俺を切り離すだけに留まるのが後腐れなく処理できると判断したのだろう。賢明だ。俺もそうしたかったので都合がいい。

 昨日の四人はあんなことがあっても宮本と当たり前のように談笑していた。虫酸が走る。クソが。だがここで突っかかっても不幸になるのは宮本なので俺は何も言わない。

 

 悶々としたものを胸に抱え無言で席につく。筆箱を取り出してからバッグをかばんかけに引っ提げる。そしてため息をひとつ。

 

「…………はあ」

 

 ――置き勉、やめた方がいいかもしれんなあ。

 

 悲惨になった引き出しの中身を見ながらそんなことを思った。

 

 

 ○

 

 

 女子を敵に回したら怖い。前世から思っていたことだけど、本当に敵に回してみてつくづくそう実感した。

 もうかれこれ一か月の間、影での嫌がらせが止まらない。

 俺が目を離した隙にものを盗んだりこそこそとそれでいてしかし確かに俺に聞こえるように悪口を言ったり宮本の死角であるいは宮本が席を外しているときに俺にものを投げたりとなかなか酷いもんだった。まあそれ以外にもされた嫌がらせはまだまだあるんだけどそのすべてを挙げるとキリがないのでここでやめる。ともかく、やつらの手口の多彩さには目を見張るものがある。

 なかでも一番頭にきたのは置いていた読みかけの小説を駄目にされたことだが――ったく、あいつら、小説が一冊いくらするのか知らんのかね。どうせ本屋に寄ったこともないんだろう。そんなんだから最低限の理解力も身につかないんだよ。一番心にきたのはまた別の嫌がらせなんだけどね。最近はずっとそのことに悩んでいる。

 

 ……それにしても、一人の人間に対し悪意を一ヶ月間も維持し続けて彼女らは疲れたりはしないのだろうか。一つの感情を誰かに継続して向け続けるのはなかなか骨のいることで、大変なエネルギーが必要だと思うのだが……。彼女らのいったいどこからそんな気力が湧き出てくるんだろう。どこに無限の泉があるんだ? まったく不思議な話だ。

 それが創作や勉強その他に対するモチベーションの泉なら最高なのに。

 俺にもちょっとその元気をわけてくれよ。

 

 

 彼女らは俺が何をされても顔色ひとつ変えないのが気に入らないようだった。日が経つに連れて嫌がらせはその熾烈(しれつ)さを増していき、ついにその矛先は俺自身にまで向かうようになった。

 こないだ廊下を歩いていたらすれ違いざま蹴られたし、後ろの女は授業中に背中をシャーペンで容赦なくつついてくるし。言っとくが、地味だけどそれ、立派な犯罪だからな?

 

 顔色ひとつ変えない人間は嫌がらせが効いていないとでも思っているのか?

 

 冗談じゃない。

 

 いくら俺が表情筋をぴくりともさせないからって、だから何も感じていないし動じてもいないなんて思うなよ。

 俺だって人間だよ。ロボットじゃねえんだから何されても堪えられるわけじゃない。本当は辛い。嫌味のひとつひとつだけで胃が痛くなる。裏で何を言われているのか想像するだけで吐き気がしてくる。でもお前らの嫌がらせに屈するのが癪だから我慢してるだけに決まってるだろうが。そんなこともわかんないとか馬鹿じゃねえのか。

 

 それでも、宮本がいたから。宮本がいたから俺は一ヶ月もこんな最悪を堪え忍ぶことができた。だけどそれも、いつまでもは続かなかった。まさか宮本の存在が引き金になるとは思わなかった。

 

 終わりはあっけなく訪れた。

 

 昼休みの時間。いつもみたいにひそひそ悪口を言われて、いつもみたいに紙くずを投げられて、俺はストレスをためていた。ああまた始まった。宮本がふらっと教室を出たとたんにこれだよ。めんどくさいなあ。もうちょっとは俺の気持ちを想像してみろよ、自分がされたら嫌だろうが。このバッグ投げつけてやろうか。パンパンに膨れ上がったバッグを掴み、やめる。

 だんだんとイラついてきた俺は、少しばかり意趣返ししてやろうと考える。この紙くずをなんでもない顔で拾い、ごみ箱に捨てるのだ。せいぜい悔しがってくれればいいくらいの考えでそれを拾う。その際、ちょっとした拍子にその中身が見えてしまった。次の瞬間、俺のなかで何かがぶち切れた。

 でもそれは爆弾じゃない。俺は激昂して暴れたわけでも、力任せに叫びだしたわけでもなく――むしろ全身からへなへなと力が抜けて、立っていられなくなって床にしゃがみこんで、それから大きな声でわあわあと泣いてしまった。

 十何年かぶりに号泣してしまった。

 

 断っておくが、俺が今日に限って泣き出したのはその日の嫌がらせが特別凄まじかったからではない。あったのはいつも通りの悪意だ。ただ、いままで溜めてきたものが今日のをきっかけに溢れ出しただけで。

 

『宮本はお前に迷惑してんだよ』

 

 紙くずにはそう書かれていた。それは、独りよがりとはいえ宮本のために怒り、宮本が拠り所だった俺にとって一番想像したくないことだった。

 

 いままで俺をいじめてきたやつらも涙には弱いのか戸惑った様子でいる。クラスの雰囲気が悪くなってなんだなんだと外から見物客がやってくる。何十人もの人間が俺の無様を目撃している。俺はいたたまれなくなって逃げ出した。もう教室にはいられなかった。教室を出るとき目を丸くした宮本と遭遇した。一瞬頭のなかが真っ白になる。宮本も言葉に詰まっている。俺は構わず走った。

 

 まだ二時ごろに手ぶらでしかも泣きながら帰ってきた俺に母はどうしたのかと血相を変えて訊いてきたが無視して部屋に入ってドアを閉めた。いまは誰にも会いたくないし何も聞きたくない。どうか一人にしてほしかった。できるなら、このまま。

 暗い自室のベッドの上で丸まって布団をかぶる。しばらく教室での出来事が頭の中をぐるぐると回る。

 泣いてしまった。教室で。人が見ているのに。しかもよりによって宮本に見られてしまった。すれ違った瞬間のあの宮本の顔が忘れられない。目に焼き付いたまま離れない。忘れたいのに。考えたくないのに。それに、宮本を疑ってしまった。あの言葉がきっかけで泣いたってことは、つまり俺は宮本のことを信じられていないということだ。

 

 ほら……やっぱり後悔したじゃないか。予想通り。あんなこと、言わなきゃよかったんだ。どうせ俺が何も言わずとも宮本に損はなかっただろうし、あれはこの世界の『普通』で、特別なことじゃない。それを俺は――衝動のまま投げやりになって、怒鳴って。考えなしに行動するからこんなことになったんだ。いまさら何言ったって遅いけどさ。

 そうだ。明日の学校はどうしようか。どんな顔で教室に入ればいいんだろう。あんな醜態を晒して。宮本にも見られてしまって。どうしたらいつも通りに登校できるんだろうか。

 あーあ、学校行きたくねえなあ。

 

 

 しばらく布団にくるまったままでいたらいつのまにか泣き疲れて寝てしまっていた。

 起きた頃には外は真っ暗になっていて日の光が射し込まないので明かりのない室内は何も見えず自分の姿すら見えない。肉体を手放して意識だけがここにあるみたいな感覚になった。暗闇のなかはまるで死んだみたいで精神的に参っていた俺は布団を頭からかぶったけど寝れなかったので仕方なく電気のスイッチを探して明かりをつけた。時計を見ると時刻は二十三時。こりゃ寝れないわけだ。

 何をするでもなくベッドの上で膝を抱えていると朝になった。いつもならすぐに支度するところだけど今日は学校にいくつもりがないのでのんびりパソコンでも開く。八時半になっても部屋から出ない俺に母がドア越しに「学校に行かないの?」と訊いてきたが俺はぶっきらぼうに「行かない」と答えた。すると「そういえば昨日、クラスの子がそらのバッグを持ってきてくれたんだけど」と声がして俺はほぼほぼ反射的に立ち上がった。誰が届けてくれたのかなんて考えなくてもわかる。宮本だ。宮本がわざわざ届けに来てくれたんだ。でもそのとき俺は眠っていた……。罪悪感に襲われるが、(かぶり)を振って振り払う。どうせどんな顔をして会っていいかわからず、まともに応対できなかったんだ。これでいい。立ち尽くしていた俺に母が「……ちゃんとお礼言いなさいよ」と言って部屋の前から去る気配がした。もちろん言いたいさ、その機会に恵まれれば。

 

 ずっと部屋にこもり続けるのも退屈なので散歩もかねてツタヤでDVDを借りてきた。計十二本。うち一本を取り出してパソコンで再生する。

 タイトルは『レザボア・ドッグス』。意味はわからん。すでに一度観ているが、それぞれのキャラが上手い具合に立っていてこれがなかなか面白い。特にホワイトが好きだ。結局は犯罪者なわけだが、とにかくいい男なんだ。「お前は医者か!?」とかどちゃくそかっけー。あとはブロンドの登場シーンも最高にクール。カメラの引きが気持ちいい。オープニングもスタイリッシュで、それからさ、それから――――

 ――何やってんだ、俺。

 こんなことしてたって、しょうがないのに。

 

 映画を観終わって、他のを観る気力が起きなくてツイッターを眺める。タイムラインの様々なツイートを流しながら、虚無感に水をやる。俺はどうしてこんなことをしているんだろう。この時間がいったいなんになるんだろう。でもじゃあ意義のある時間が存在するのか? と言われれば、たしかに意義のある時間なんてないように思えてくるが。そうやって人生を浪費していると、部屋のドアがノックされた。今度はなんだろうか。

 

「何?」

 

 ドアの方を向きもしないで言った。

 すぐに返事は返ってくる。

 

「……そらちゃん?」

 

 宮本の声だった。反射的に立ち上がる。

 首を絞められたような感じがして、急速に喉が乾いていく。舌がぴりぴりする。

 

「宮本か……?」

 

「うん、アタシだよー」

 

 相変わらずの陽気な声。だけど取り繕っているのがわかる。

 宮本も緊張している。

 

 しかしなんだって宮本が俺の家に――って、いや、そうだった。そういや昨日も来てたんだっけな。ここに。俺の家なんて知らないはずだが、まあバッグを持っていくためって名目で担任にでも訊いたのだろう。だが昨日来たわけはわかるとして、今日はなんのためなんだ? なんのために再び俺の家になんかやって来たんだ? 理由なんてないはずだが……。

 

「……なんだ?」

 

「あのね、そらちゃん今日、学校にいなかったから、心配になっちゃって」

 

 宮本は一言一言を用心深く確かめるように言う。

 俺は黙っている。

 

「それでね、月曜日学校に来てーってまでは言えないけど、ふつーに部屋から出て、ふつーにアタシとお喋りしてほしいなーって」

 

「無理だよ。あんな顔見せちゃったんだ。合わせる顔がない」

 

 それに、宮本を信じられなかった。

 

「合わせる顔がないって?」

 

「恥ずかしいんだよ。俺は、公衆の面前で泣きっ面晒すのは最低だと思ってる。自分を被害者にして、相手を悪者にしてしまうんだ」

 

 俺は、宮本に対する不信は伏せて答える。

 

「……話、聞いたよ? アタシのために怒ってくれたんだよね。ありがとう。そらちゃんは悪くないんだよ」

 

 知られていたのか。いよいよ自分が悲劇のヒロインにでもなった気がして、気持ち悪い。この自己嫌悪すら免罪符みたいで気持ち悪い。

 

 俺は言い返す。

 

「それでもさ。泣くっていうのはお互いにどんな経緯があったとしても、それを全部無視して、相手を否応なく悪人にしてしまう、卑怯なものなんだ」

 

「でも、そらちゃんは相手を悪者にしようとして泣いたわけじゃないんでしょ? 本当は泣くのを我慢して、だけど堪えられなくて泣いちゃったんでしょ? …………それにね、泣くのって全然悪いことじゃないんだよ。赤ちゃんはねー、産まれてくるときたくさん泣いて、泣けば泣くほど祝福されるんだよ。逆に泣かないと心配されちゃったり。赤ちゃんはいっぱい泣くほど愛されるんだよ」宮本の優しい声。「だから泣くのは悪いことじゃないんだよ」

 

「……俺赤ちゃんじゃないし」

 

「そうだけど――あれれ?」

 

 宮本は不思議そうに声を上げた。きょとんとして、可愛く首をかしげているところが容易に想像される。俺は少し笑ってしまった。

 やっぱり、宮本のいつも通りの謎理論は安心する。赤ん坊が泣くのと俺が昨日泣いたのをどうして『だから』で結び付けられるのか俺にはさっぱりわからないが、宮本にとってはそれが正しいんだろう。ただちょっと言語で説明しづらいというか。

 彼女の論理が人類共通のものになれば、きっと世界は平和になると思う。

 

 ただ、彼女の言うことがその通りだとしても、それでもいま宮本と顔を合わせるのは気まずい。あの教室から走って逃げだして引きこもってしまった以上、やはり合わせる顔なんてないんだ。でも彼女を拒絶するのは気が引ける。こんな風に差し伸べられる手を、強く叩いて弾くなんて俺にはできない。だから、

 

「……俺は、大丈夫だよ、宮本。本当はもう、落ち着いているんだ。どんなに理屈をつけてもさ、やっぱ泣いてるところを見られたのは恥ずかしくて……。それでちょっと教室に顔を出すのが気まずいっていうか。でもしばらくしたらこの気持ちにも整理がつく。そしたらすぐに学校に行けるようになる。遠い話じゃない」

 

「そうなの?」

 

 本当はそうじゃないけど、そうやって誤魔化した。

 

「そうなんだ。だから無理に連れ出そうとしなくてもいいんだ」

 

「そっかー……。うん、わかった。そらちゃんは強いんだね」

 

 そんなことないと叫びだしたかったが、それを言ってしまうとここで誤魔化した意味がなくなるので言わない。

 そのあと宮本は昨日の出来事には一切触れることなくしばらくくだらない話をして帰った。

 あんな風に言ったが、俺は学校に行くつもりはない。たぶん退学すると思う。宮本とも会えない。でももういい。どうでもいい。

 宮本が帰ったあと俺は何もする気になれなくて風呂に入ってご飯を食べてすぐ寝た。

 

 ――土曜日。

 時間が有り余っているので借りているDVDを消化していたら、

 

「やっほーそらちゃん」

 

 と宮本の声がした。俺はどきりとして叫ぶように言う。

 

「えっ! なんで宮本!?」

 

「来ちゃった☆」

 

 じゃねえよなんで来たんだよ。

 昨日来て俺の言葉に納得して帰ったはずだ。もうここに来る理由はないだろう。それともまだ説得を継続しようというのだろうか。

 

「何しに来たんだ?」

 

 わざわざ休日を返上してまで。

 尋ねると、宮本は、

 

「んー? 何しに来たってわけでもないんだけどねー。あっ、そういえば――」

 

 と、昨日の帰り際に話していたようななんてことない雑談を始めた。パリジャンのスーツはパリパリだとか、どこどこで可愛いお洋服を見つけたとか。しばらくぶっ通しで喋り続けて、満足すると帰る。しかし次の日にはまたやって来て、やはりとにかく喋り通して帰る。そんな日が毎日続く。

 

「前にねー、そらちゃんの真似して小説買って読んでたらママが『オー・ラ・ラ・ラ!』って! アタシの読書でフランス語思い出しちゃった!」「そらちゃん! 昨日、お家でフレちゃんテーマ曲を作ってきたんだけど、聞いてくれる? いくよー! フンフンフフーンフンフフー、フレデリカ~♪ ……どーかな!?」「エッフェル塔と東京タワーのどちらかを応援することになったらどっちをとる? って訊かれたときねー、何を応援するのかわからないし、なんで競争してるんだろーって思ったからとりあえず『フレーフレーフレデリカー!』って誤魔化したんだけど、あの人なんでアタシにイギリスのこと訊いてきたんだろうね?」「あ、そうそうそういえばこの間モデルの仕事やってみたんだー。お洋服着てー、ポーズをとってパシャパシャーって! でもどんなにアタシがトークしてもそっちは残んないからなんか違うなーって思ったんだけどね。だから本当は『あーっ! カタツムリツーンツーン♪』って言ってるところを撮った写真なのに、雑誌で『カレのほっぺをツーンツーン☆ ちょっぴり悪戯っ子ファッション』って書かれてたんだよー。アタシのカレはカタツムリ☆」

 

 いったいなんの目的があるんだろう? 金か? なんて、宮本はそんな人間ではないのだけど。しかしこんなにぶっ通しで喋っててよく話のネタが尽きないなーと感心する。

 でも実際、なんのために宮本は毎日俺の部屋を訪ねてくるんだろうか。登校の催促か? 直接言えないから、楽しい近況を語ることで「学校に行きたい」と思わせる狙いがあるのか。だとしたら、ちょっと鬱陶しい。

 悶々とした日々が続く。宮本と最初に家で喋ってからちょうど一週間目の金曜日。俺はついに言った。

 

「そうやって毎日毎日俺んとこに来て、何が目的なんだよ! そんなに俺を外に連れ出したいのか!?」

 

 怒鳴ってしまった。

 叫んだあとに、俺はすぐ我に帰って申し訳なくなる。俺を外に連れ出そうと働きかけるのは宮本の優しさなのに。本当は毎日毎日俺の家に来てくれるのを感謝しなきゃいけないのに。俺は宮本に当たり散らしてしまった。謝ろう。宮本に、ごめんって。でも言葉が出てこない。謝らないといけないのに。一度出してしまったものを引っ込めない。俺は本当に最――

 

「へっ? なんで外に連れ出すって話が出てくるの?」

 

「……え?」

 

 宮本のすっとんきょうな声。ショックを受けたというよりは、まるでとんちんかんな受け答えをされたみたいな反応だった。俺もわけがわからなくなる。

 

「えっと、宮本は、俺を外に連れ出すために――そんで最終的には俺を学校に連れ戻すために、毎日ここに通ってるんだろ?」

 

「えーっ? 全然違うよー! もしかしてそらちゃん、いままでそんな風に思ってたの?」

 

「じゃ、じゃあ……なんで?」

 

「なんでって言われても……うーん。確かにそらちゃんには早く外に出てきてほしいし、学校でまた一緒にお喋りとかしたいけど、前にそらちゃんが『もう大丈夫』って、『すぐに学校に行けるようになる』って言ってたから、そこはいいんだよね。そらちゃんのこと、信じてるから、アタシが特別何かしなくてもいいって思ってるよ」

 

 目頭が熱くなった。俺がその場しのぎで言った誤魔化しを、宮本は本気で信じてくれていたのだ。それなのに俺は、宮本の裏を想像して、宮本の安心感を怖がっていた――。情けない自分に怒りがわいてくる。

 でも、それ以上に宮本の気持ちが嬉しかった。

 

 だが、それならより一層、なんのつもりでここにやって来ているのか。恐る恐る確かめてみる。

 

「……な、なあ、宮本」

 

「なーに?」

 

「それならさ、結局、なんの目的でいつも俺のところに来てくれてるんだ?」

 

 俺の質問に、呆れたような声が返ってくる。

 

「だからー目的とかじゃないんだよー。もー。牛じゃないけどー。アタシはただ、そらちゃんとお話ししたいから、そうするために来てるだけなんだよ? 本当にそれだけ。だから言っちゃえば、そらちゃんとお話しするのがここに来る目的になるんだけどね。あ、あとね、そらちゃんは『来てくれてる』って言ってるけど、アタシは『来てあげてる』だなんて思ってないよ。アタシがしたくてしてることだから。そらちゃんにドア越しでもいいから会いたいんだよ。だってそらちゃんはアタシの――」

 

 

 ――友達だから。

 

 

 

 …………。

 

「…………え、どうしたの急に。なんで静かなの!? もしかして違った!? あ、アタシたち友達だよね? 一方通行じゃないよね!? えーっとえーっと――って、そらちゃん!?」

 

 ドアを開けると、宮本が真ん丸な目をさらに丸くしてこっちを見た。久しぶりに見た宮本は以前とまったく変わらなくて安心する。でも、この安心感すら、いつか裏切られるんじゃないかと思うと怖い。俺が変わらないと思っているものは、端から見方が違っているんじゃないだろうか。つまり、宮本が優しい人間だからって、それが宮本が裏で陰口を言わない証拠にはならないのかもしれないという不安。しかしそんな不安を否定する材料が見つからない。あの四人が宮本の陰口を言っているのを見てからは、ことさらそう感じる。

 

「……信じられないんだ」

 

 ぽつりと呟く俺を宮本の目がじっと見つめている。

 

「本人の見えないところで友達を悪く言うやつらを見てさ、わからなくなった。あいつら、陰口を言っておいて、それでも相手のことを友達だって本心から思ってるんだ。それで矛盾してないんだ。もしかしたら、どんなに優しいと思ってる人間でも――いや、実際に優しい人間でも、友達のことを裏で悪く言っているんじゃないかって思うと、宮本ですら信じられなくなる。友達の陰口で盛り上がらない人間なんて、この世にいないのかもしれないって思うと、誰とも干渉したくなくなる」

 

「……そらちゃんは、裏でアタシの悪口を言ったこと、あるの?」

 

「あるわけない」俺は、首を横に振って強く否定した。「そんなわけない」

 

「そっか。でも、それをアタシが確かめることはできないよね」

 

 そうだ。そういう問題なのだ。いくら俺が宮本の悪口を言ったことなんてないと主張しても、宮本はそれを確認するすべを持たないし、逆もまた然りだ。

 だが宮本が言いたいのはそれとは別のことらしい。ゆっくり続けた。

 

「でもさ、仮にそらちゃんの言うことが本当なんだとしたら、そらちゃんだけは自分の潔白を信じられるってことだよね。だったら――」

 

 宮本は俺を指差して、

 

「ほら――いたじゃん! 友達を悪く言わない人。こーんなに近くに! そらちゃんが証拠なんだよ、友達を信じられる。アタシもね、自分を信じられるから、みんなを信じられるんだー」

 

 友達の陰口を言うことは、自らも裏で陰口を言われているかもしれないという不安に繋がる。俺は四人にそう言った。宮本はほとんど同じことを、丸っきり逆の視点で見ていた。自分が友達を悪く言わないことで、友達を信じられる。俺にはなかった発想だ。

 

 俺は考える。

 こんな俺ですら、宮本の陰口を言ったことがない。これは自分のことだから絶対に信じられる。なら、こんな俺ですらしないことを、この純度100%の天然癒し系金髪娘がするだろうか?

 もちろんこんな考え方が絶対の根拠になんてならないが――ひとつの折り合いをつけるための判断材料にはなる。

 

 俺は宮本を、信じられた。それに気づいた瞬間、どっと肩の力が抜ける。

 

「お、俺っ……宮本のこと――信じられる……!」

 

「うん、うん、アタシもそらちゃんのこと信じてるよー」

 

 俺は感極まって泣いてしまった。また宮本に泣いているのを見られてしまった。最近は泣いてばかりいる。でも、恥ずかしいが嫌とは思わなかった。

 宮本は俺を抱き締めて背中をさすって慰めの言葉をかけてくれたが、だんだんその声に震えが混じってきて、最終的に宮本まで泣き出してしまった。

 俺んちの廊下はもはや収拾がつかない状態になっていて、様子を見に来た母が呆然としてしまう。なんだか間抜けな構図だなーと思った瞬間に涙が引っ込んでしまった。「……ご飯できたけど、宮本さんも食べる?」母が訊いた。涙を拭きながら、「……いいんですか?」

 

「もう作っちゃったから」

 

「あ、じゃあ――ちょっとママに訊いてから……」

 

 と、宮本はスマホを取り出して、

 

「もしもし、ママ?」「いまね、友達の家に来てるんだけど」「うん、そう。――で、その友達のお母さんからご飯食べないかって誘われて――」「うん、そう。いいかな?」「オッケー! じゃあね♪」通話を切って、こちらを向いて、「――――いただきます!」

 

 なんか、宮本と夕飯を食うことになった。

 

 リビングで宮本と一緒に野菜炒めを食べる。刺身もある。なんか、不思議な感覚だ。

 宮本は普段もっとおしゃれな食事をしていそうだが、口に合うだろうか。もやしをパクパク食べる宮本に、自分が作ったわけでもないのにそんな不安を抱いた。それも美味しそうな顔をする宮本を見てすぐに吹き飛んだが。

 宮本は食事の最中でもおしゃべりがやまないが、箸を休め休めなので見た目には下品ではない。ただし行儀がいいとは言えないけど。

 

「もやしって漢字で書くと燃やしなんだよ! たぶん」「パパとママは久しぶりにアツアツディナーだって♪ おでんかな?」「昔ねー、テレビの端に出てた『アナグロ』って文字をアナグロって読んでて、いまでもパパにからかわれるんだよねー。………………あれ? いま、アタシ『アナログ』って言ってた?」

 

 宮本の陽気な喋りに母が笑う。俺も笑う。

 俺はふと、思ったことをこぼした。

 

「本当に、宮本は喋らなければ美人なのになあ」

 

「それって、喋れば超美人ってこと?」

 

 身を乗り出して訊いてくる宮本。

 

「ん。――まあ、そうかもな」

 

 俺は否定しなかった。

 宮本は嬉しそうに目を見開いて、

 

「そらちゃんがデレたー!」

 

「ちょ、デレてねえから!」

 

「ツンデレだー! やほー♪」

 

「おい!」

 

 そんでもって夕食は終わって、「泊まってくの?」という母の一言で宮本が一泊していくことになった。宮本を俺の部屋に上げて、まあ何か特別なことがあるわけでもない。ただ友達と夜を一緒に過ごすってそれだけで興奮してこない? 普段は会わないはずの時間帯にその人と一緒なんだから。

 宮本は俺の部屋をぐるりと見まわして「わー! 本がいっぱいー!」と本棚を触ったり「これまな板?」とペンタブで絵を描いてみたり「初めまして、今晩一泊させていただく宮本です。よろしくお願いいたします」とフィギュアに話しかけたりフリーダムだった。

 他にあんまりやることもないので借りてきた映画を観る。『2001年宇宙の旅』。宮本は「ふーん?」とわけがわからなさそうにして、俺もわけがわからなかった。なんじゃこれ。ネットで解説サイトを見て宮本と一緒に深く頷く。んなもんよくわかるよなー。考察班はすげえ。

 

 そんな感じで夜は更けていく。なんとなく時間を確認して、「11:46」という表示を見て、DVDを見て、そして悲鳴を上げる。

 

「ああああ!」

 

「どすこい! どうしたの!?」

 

「そういえばこれ、返却日今日だ!」

 

 レシートを失くしたので正確な返却日はわからないが、先週の金曜日に借りてきたものなので、ということは最終返却日は今日となる。だが残された時間はあと十四――いや十三分。急いで返しに行かないと、延滞料金を払うはめになる。

 

「早くツタヤに返しに行かないと……!」

 

「たっちゃんに行くんだね!」

 

 たっちゃんお前だったのかよ。一年半越しの謎が解けてすっきりする、が――いまはそんなことを気にしている場合じゃない!

 

「すまん、俺行ってくるわ!」

 

 勢いよく部屋を飛び出す。

 

「あ、じゃあアタシも!」

 

 宮本もなぜかついてきた。

 俺と宮本は全速力で最寄りのツタヤまで走った。外は真っ暗で、人の通りがほとんどない。深夜徘徊は指導対象だが、ここは目をつむってくれ。

 

 感覚的に十五分くらい走って――それだと間に合わなかったことになるが――ツタヤにたどり着いた。俺はDVDを返却ポストに投函して、スマホで時間確認。時刻は「11:56」。

 

「間に合ったー!」

 

「はーっ! はー。ふう……よかったね♪」

 

「ああ、もう間に合わないかと思ったよ……。ありがとな、わざわざついてきてくれて」

 

「ううん、アタシがそうしたかっただけだもん」

 

 そのやりとりは、俺がながらく望んでいたものだった。俺がながらく望んでいた『青春』。

 宮本と俺が友達関係にあるかどうか、それはもう疑う余地のないことだが、その友達と青春を送れるかどうかと言えば、それはまた別問題だった。友達を作るのと青春を送るのではハードルの高さが全然違っていて、そして俺の価値観における青春とは友達の存在が前提だった。

 

 なんつーか、これ、青春っぽくね?

 

「……俺、リア充になったのかもしれん」

 

「え? 何? リア王?」

 

 やべ、声に出てたか。

 

「いや、なんでもない」誤魔化して、話題を探す。んー……あ、そうだ。「そういえば、バッグありがとな」

 

「ん? あっ、バッグね。どういたしましてー。……ところであれ、すっごく重たかったんだけど、何が入ってたの?」

 

 げっ。そういやそうだった。たしかあの日、俺、バッグにあれ入れてたんだっけか。うわー、なんてタイミングで俺は逃げだしたんだ。

 誤魔化して話題転換した先の話でまた誤魔化す。

 

「いや、ただの本だよ。ただの」

 

「ふーん?」

 

 一応嘘はついてない。宮本は俺の反応に不思議そうに首をかしげていたが、深く追究しようとはしなかった。

 ほっと一息つく。

 

 ――言えるわけねえよなあ。クラスの連中に『聲の形』を全巻読ませて、いじめについて考えてもらおうとしてただなんてあほみたいな計画。言えるわけねえよ。

 あんときはストレスで馬鹿だったんだ。



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安代そら――1

 フンフンフフーンフンフフー、フレデリカ~♪ フンフンフフ……って、あ、もう始まってるの!? あわわ――ごほん!

 

 ……えー、本日はお日柄もよく、いいお散歩日和でしてー。蝉の鳴き声が近づき、この頃は一層暑くなっておりますが、皆様はいかがお過ごしでしょうか? ワタクシ、宮本フレデリカは超ハッピーの元気一杯にございますわよー♪

 

 ……え、違う? 丁寧語崩れてる?

 

 あーもう、丁寧語って難しいね! あともーちょっとだけ『淑女宮本さん』ごっこやってたかったのになぁ。

 まー無理しても『こんなのフレちゃんじゃなーい!』『もっとフレッシュな100%フレちゃんでいてくれー』『フレッツフレッシュフレンドリー』って声が聞こえてきそうだからこの辺で切り上げるけどね☆ やっぱりアタシは自然なままが一番なのかなー? なーんて話をシキちゃんにしたら、「フレちゃんがフレちゃんであることはたとえフレちゃんであっても変えることはできないんだよ~」って返されるんだろうけどー。

 

 あのね、シキちゃんはねー、すっごく面白い子なんだよ~。この前なんかね、「新しい洗剤の香りを作る~」って言って事務所で洗剤の試作を始めたんだけど、それがなんと『ガイネン』というのをそのまま香りにしてしまおうって思い付きで、しかもそのガイネンっていうのがね――っとと、そうじゃないや。危ない危ない。今日はそれとはまた違う話をするんだった。

 シキちゃんが事務所でガイネンの香りの洗剤を作ろうとして沖縄のヤンバルクイナが少し増えた話はまた別の機会に。

 

 今日はね、ある友達の紹介をするんだ。アタシのとってもとーっても大事な友達。

 といっても今日紹介するのは亜子ちゃんでも真由美ちゃんでもさっき出てきたシキちゃんでもなくて。

 そらちゃんっていう中学校時代からの友達なんだよー♪

 

 そらちゃん。

 安代そらちゃん。

 

 そらちゃんを一言で説明するとそーだねー、うーん、そらちゃんは……その、なんと言えばいいのかな……つまりね――――わかんない!

 だってそらちゃんについてだったら話せることがあれやこれやらたくさん出てくるんだもーん! ぜーんぶひっくるめて一言にするなんて、アタシにはできないよー。

 

 どーしよーかなぁー……。むむむ。

 

 ……んー、なになに? ふむふむ……あ、それいいね☆ じゃあ、そうしよっか!

 そらちゃんについて一つ言えること……そらちゃんのたくさんあるうちのたった一面をね、アタシの言葉で説明してみよー!

 

 じゃあ早速。

 そらちゃんと言われればまず浮かんでくる大きな部分を言うとね――うーん、そらちゃんは……その、なんと言えばいいのかな……つまりね――――変わった子かな!

 あはっ♪ 『わかんない!』って言うと思った? 違うよ~ちゃんと出てくるんだよ~! やったーフレちゃんの勝ちーい☆ というわけで、賞品の特別製洗剤豪華一年分はお預けね!

 

 そうそう、そらちゃんの何が変わってるのかだったね。んーと、そらちゃんの何が変わってるかって言うと、ときおり不思議なことを言うところかなー。

 たとえばね、アタシが『世界中のこどもたちが』を歌っていたら、

 

「地球上の子供がみんな一ヶ所に集められて同時に笑っているのを観測したら、世界が処理落ちしそうだな……」

 

 って呟いたの!

 この歌の歌詞にそんな感想を言う人ってなかなかいないよね! みんなの知り合いにはいる? そらちゃんみたいな人! アタシはそらちゃんしか知らない! っていうか意味がわかんない!

 前にそのときのことをふと思い出してシキちゃんに話してみたら、「ああ、量子力学のシミュレーテッド・リアリティだね」って言い始めてますますわけがわからなかった。「この世界はあたしたち人類以上の高度な文明を持つ存在がコンピュータでシミュレートしている世界なんじゃないのか? って仮説だねー。これがわりと馬鹿にできない話なんだけど……」と、ここでシキちゃんはアタシの顔を見て、「……簡単にゆーとこの世界はコンピュータ・ゲームかもしれないってことだよ~」

 

 この世界がゲーム?

 ということはアタシもゲームのキャラクターなのかなあ? それならちゃんとゲームのキャラクターっぽく振る舞わないとね!

 

「急にぼー立ちになってどーしたの、フレちゃん?」

 

「へい、お嬢ちゃん! 『西の町』に行きたいって? だったら諦めるこったな! あそこへの道は『ドクドクバチの大群』でとてもじゃねえが通れっこねえ。『虫除け松明』を持っていれば別かもしれないが……」

 

「むむっ? フレちゃん今度は何ごっこかな? いーよいーよ! あたしもまざろーっ♪」

 

「へい、お嬢ちゃん! 『西の町』に行きたいって? だったら諦めるこったな! あそこへの道は『ドクドクバチの大群』でとてもじゃねえが通れっこねえ。『虫除け松明』を持っていれば別かもしれないが……」

 

「ゲームのキャラだね! よーし――虫除け松明を手に入れよう!」

 

 シキちゃんの冒険はここから思わぬ展開へ――って、なんの話だっけ? 変な子? アタシ変な子じゃないよ! え、そうじゃない? そらちゃんの…………あ、そーだった!

 そらちゃんの話だよ! うん、まあ他にもいろいろあるんだけどね。たまに男子トイレに入ろうとするとか、本を読みながらニヤニヤチラチラこっちを見たりとか。そのときは幸恵ちゃんって子とお話ししていて、アタシがそらちゃんに話しかけた方がいいのかなーって思ったんだけど、でも幸恵ちゃんと話していたし、それに何か話しかけづらいものがあって、そうこうしているうちに休み時間が終わっちゃって結局話しかけることはしなかったんだよね。あれなんだったのかな?

 あと修学旅行で沖縄に行ったときそらちゃんと一緒に『アニメイト』ってお店に行ったんだけど、帰宅してアニメイトが全国にあることを知ってなんで沖縄に行ってまでアニメイトに行くんだろーって思ったなぁ。コンビニとはわけが違うよね!

 

 そらちゃんの変わってるとこはこんな感じ。面白いでしょ? でもそらちゃんは変わってるだけじゃなくて落ち着いてて可愛くてかっこよくてなにより誰かのために怒ったり泣いたりできるすっごーく優しい人なんだよ。優しすぎて考え込んじゃうのがタマニキズだけどね。うん。

 …………あれ、タマニキズって一つの単語じゃないの? え、そーなの!? へえ~☆

 また一つ勉強になりました。

 

 変わってるところばっか言うのもなんだか申し訳ないし、他のエピソードも話そっか。

 

 んー、じゃあ何から話そうかなあ。何から聞きたい? 落ち着いてるところ? 可愛いところ? かっこいいところ? 優しいところ?

 

 どーしよーかなあ……。

 

 そうだ。もう時系列に沿って話しちゃおっか! そうしよっか! その方がやりやすいしいっぱい話せるしたぶんアタシの印象のなかのそらちゃんも伝わりやすいよね!

 

 そらちゃんと初めて話したのはねー、中学校のね、入学式から少し経ってからだったかな。

 

 そらちゃんは読書家なんだけど、それが中学生のころからそうでー、あのときもそらちゃんは厚い文庫本を読んでた。アタシは休み時間に本を読んでたそらちゃんのところまで行って、「そらちゃん何読んでるのー?」って言ったんだー。そらちゃんは、「す、『すべてがFになる』」って答えた。初めて聞いた名前だし、難しそうだったから素直に「なんか難しそー」って言ったら、なんとなく話が流れちゃった。で、「フレちゃんだよー」って言って、「そらちゃんだよー」って言われて、まあお互いに名前を知ってるみたいだったけど、一応の自己紹介。そのときそらちゃんは、アタシが金髪で外国人っぽい顔をしてるからかよく訊かれる質問をした。

 

 えーっと、たしか――

 

 

 ○

 

 

 ――ナニジンなのかって訊かれたから、「フランス人と宮本人のハーフだよ~♪」って返しておいた。

 でも宮本人ってなんだろーね~?

 

 言ったアタシですらよくわからない返答だったから、言われたそらちゃんはもっとわかんないだろーなー。やっぱり困った顔してる。

 このまま続ける。

 

「じゃあじゃあ、そらちゃんはナニジンなの?」

 

「見てわかると思うけど……」

 

「え、安代人!?」

 

「日本人だけどね!」

 

 そらちゃんは意外とツッコミ気質みたい。

 

 

 表に出ているか出ていないのかの違いはあるんだけどね、誰だって絶対に面白いところがあって、アタシはいろんな人の面白いところを知るのが好きだった。特に、それを表に出さない人の面白い部分は何かしら他とは変わってて、しかも意外性があるから面白いのがもーっと面白い。んー、なんか日本語がおかしーような気がするけどアタシってばほらフランス人と日本人のハーフだから勘弁してちょーだいっ♪

 

 だからアタシはできるだけ多くの人と話した。そらちゃんもそうだった。

 

 そらちゃんは教室で一人大人しく本を読んでいた子だったけど、そんなそらちゃんにも必ず面白い一面があるはずで、それはそらちゃんのなかに隠されているけど、アタシから積極的に話しかければ見られると思った。

 実際、その通り。ビンゴビンゴ!

 そらちゃんはあんまり自分から人に話しかけることはしなかったけど、こっちから話しかけたらちゃんと口を開いて返事もくれるし、けっこうツッコミとか入れてくる。それで、アタシが絶対に思いつかないようなことや、いままで見聞きもしてこなかったような世界を教えてくれた。

 たまに刺激が強すぎてびっくりすることもあるけどねー。

 

 一年と二年のころはだからときおりそらちゃんの席の方まで行って話しかけたりしていた。

 

 でも三年生になってからはクラスが別々になって話す機会が減った。アタシはたまに思い出したときにだけそらちゃんのところに行くようになった。

 そんなある日、そらちゃんが突然こう言ったんだよね。

 

「宮本は優しいね」

 

 まー自分でもそんなに悪い子じゃないつもりではいたけど、改めて優しいって言われるようなことをした覚えがなかったから、「えー、そんなこと――まああるかもしれないけどそらちゃんにそう言われるようなことアタシしたかなあ?」って返した。

 まんざらでもなかったけど♪

 

 それから一年はあっという間に過ぎて、中学校を卒業。

 卒業式の最後にそらちゃんと会ったけど、そらちゃんはぱぱっと帰っちゃった。歩くとき上を向いてたのはやっぱり前向きに歩んでいこうって決意ひょーめーだったのかな?

 アタシはそんなそらちゃんの背中を見ながら、これでそらちゃんともお別れかぁと寂しく思っていた。

 

 でも高校生になったらそらちゃんとすぐに再会できてアタシたちは同じ高校に入学したことがわかった。

 

「むむ! そなたはもしやそらちゃん?」

 

「宮本か!?」

 

 そらちゃんはすっごく驚いてた。

 アタシも驚いていたけど、それよりも嬉しいって気持ちの方が強くてそらちゃんに抱き着いて

 

「ねーねーこれって運命かなー?」

 

 って喜んだ。

 そらちゃんは「たはは」って声を漏らしてたけどたははってフランス語で「ター・ハ・ハ」で日本語にすると「嬉しい」って意味がたぶんあると思うからそらちゃんも喜んでくれていたんだと思う。

 

 

 高校一年生になってアタシたちはまた同じクラスになってやっぱり運命を感じてアタシは中学のときよりいっぱいそらちゃんに話しかけるようになった。

 

「二年生になったら修学旅行があるでしょ?」

 

「うん」

 

「しかも沖縄だって~」

 

「らしいね」

 

「アタシね、沖縄に行ったら一度食べてみたいものが前からあって――」

 

「沖縄そばとか?」

 

「ノンノン。そらちゃん、甘いよー! サーターアンダギーより読みが甘いよ~。食べたことないけど」

 

「じゃあなんなんだ?」

 

「へちまだよ~」

 

「え、へちま!?」

 

「そう! べりー・べりー・へちま♪」

 

「へちまって食えるの?」

 

「ええっ、へちまって食べられるんだよ? 沖縄ではなーべらーって言って、みそ煮にするんだってー(作者注※味噌汁に入れても美味しいです!)

 

「想像できねえ……。たわし食うのかよ。硬くないのか?」

 

「ヘイ、硬くなる前に収穫して調理するのだよ、キミ」

 

「へー、詳しいな」

 

「沖縄旅行、めいいっぱい楽しむためだからね!」

 

「努力家だよね」

 

 

 二年生になるとクラスが別になった。けど中学三年生のときよりも積極的にそらちゃんのクラスに足を運んだ。

 

 二年生と言えば、やっぱり修学旅行だよねー。

 アタシは修学旅行をうんと楽しむために一年生の頃から下調べして「行きたいとこリスト」「やりたいことリスト」を作ったり準備をしてたんだよー。なんでもそうだけど、準備って大事。

 

 沖縄に到着して一日目の、お日様がハローって顔を出しているうちは平和学習でいろんなところを回った。平和の礎で手を合わせてうーとーとー。

 お月様がばんはーって手を振るとついにホテル! 広いホールに集まってみんなでディナー! 食べたいものを自由に取るビュッフェスタイルで、アタシはスパゲティーをちょこんとお皿に載せてデザートを多めに取って食べた。ぱくり。美味しー♪

 そらちゃんのお皿を覗いてみたら、エビピラフと炒飯と白米を等分して入れてカレーをかけてその上に揚げ物をいくつか載っけて食べてた。……わあ。

 

「……やっほーそらちゃん」

 

 アタシが声をかけると、そらちゃんは口のなかのものを飲み込んで、

 

「ん、宮本か。お、カルボナーラ美味そうだな」

 

 とアタシのお皿を覗きこんだ。

 

「……一口食べる?」

 

「あー……いや、いいよ。宮本もカレー食うか?」

 

「アタシも遠慮しとこーかなー」

 

「そっか。美味いんだけどな」

 

「デザートいっぱい食べたいから」

 

 アタシとは比べ物にならない勢いでカレーを飲み込んで、そらちゃんはおかわりを取りに行った。口一杯に頬張るところはリスみたいで可愛かったけど、乙女の顔ではないと思うよ……。

 

 お風呂は二クラスずつ一緒に入った。そらちゃんのクラスと一緒になったんだけど(運命感じちゃうよね)、そらちゃんはどうしてかお風呂に入りたがらなくてちょっとひと悶着あった。

 お風呂が嫌いなのかな。そう思ってたら、裸を見られるのが恥ずかしーって!

 

 …………☆

 

「そーらちゃんっ☆」

 

 アタシが近づくと、そらちゃんが大慌てでお風呂に浸かった。

 

「み、みみみ、宮本っ!?」

 

「んっふふふ~♪」

 

「ちょ、近いって!」

 

 そらちゃんは露骨に顔を逸らす。

 

「ああああ! やめっ」

 

「…………えいっ」

 

「ひゃぃ!?」

 

「あははー! そらちゃん可愛い声~」

 

 からかうとそらちゃんは顔を真っ赤にしてお風呂を出た。のぼせた……わけじゃないよね? やり過ぎちゃったかなあ。

 

 あとでそらちゃんと顔を合わせたら少し赤くなって視線を逸らした。そらちゃん、乙女だ。

 

 それから寝る時間になって消灯したあと、アタシはこっそり抜け出していろんな部屋を回って最後にそらちゃんもいる部屋へ。「こんばんデリカ~☆」って言ったら部屋のみんなが笑いだしたんだけどアタシ挨拶しただけだよね?

 

 最初はみんなとわいわい楽しくお喋りしてたのに、気付いたら枕投げが始まってた。

 みんなが投げる枕をひょいひょい拾って、手元にすべての枕が集まると猛攻撃!「とりゃりゃ!」って投げてるとそらちゃんが寝ようとしたからほんの悪戯心で当ててみる。

 するとそらちゃんが「がばっ!」って起き上がって鬼のような形相になった。

 

「死ねぇぇえええ!」

 

 って荒れるそらちゃんの姿はまさに鬼軍曹……。

 

 翌朝、目を擦るそらちゃんに「安代軍曹! 昨夜はお疲れさまでありました!」と声をかけたらあのときの鬼の目付きが一瞬だけ甦ってぶるりとした。ひー。

 

 

 二日目の行き先は美ら海水族館!

 ただ、この日は残念だけどそらちゃんとは会わなかったから話すことがありません……。とりあえず、マンタが可愛かったってだけ言っておこうかな。

 

 

 三日目は自由行動!

 国際通りで班のお友達と一緒にお土産を買った。そういえばナノちゃんがちんこすこうってお菓子を買ってたなー。見たとき爆笑しちゃった☆ アタシも買おうどうか悩んだけど普通にちんすこう買った方がいいと思ったから雪塩ちんすこうを買った。でもやっぱり買いたかったのか未練がましくちらりと振り返ってしまう。ちんこすこう……

 

 途中でそらちゃんを見かけたから班を抜けて声をかけた。

 

「あ、そらちゃん♪ お土産選んでるの?」

 

「ううん、もう買ったよ」

 

「そうなの? じゃあアタシもついてっていい?」

 

「いいけど……」

 

 って流れでそらちゃんと行動を共にすることになった。

 

 そんなこんなでそらちゃんとアニメイトってところに行って、別れて、班と合流して飛行機乗って帰って来て修学旅行は終わり。

 楽しかったなあ!

 

 そのあとは特別なイベントもなく終業式はあっという間にやってきてアタシもついに三年生。

 

 

 三年生になるとそらちゃんとまた同じクラスになった。

 始業式が終わってすぐにそらちゃんのところに行って、

 

「中学のときと一緒だねー」

 

 と言う。

 でも「そうだな」と答えるそらちゃんの顔はなんだか浮かなかった。

 

 それからしばらくはどこか様子のおかしいそらちゃんだったけど、ちょっとずつ元に戻っていって安心した。

 

 だけどそれもアタシがオープンキャンパスで早退した次の日から崩れていった。その日のそらちゃんは以前の比じゃないくらい魂が抜けてますって感じで、元気がない気がした。アタシが声をかけて抱き着いたら、「今日も元気だなあ」って自分は全然元気ありませんよって声が返ってきた。いや、変化はそんなにわかりやすいものじゃなかったんだけど、それでも中学生のころから付き合っていれば一目リョーゼンの変化。ただクラスメイトにはそらちゃんの変化がわからないようだった。中学生のころからそらちゃんと付き合っているのはアタシくらいだし、しょうがないけど。

 

 アタシはどうしていいかわからなかった。できることと言えば、そらちゃんに話しかけることくらい。これでそらちゃんが少しでも元気を出してくれたらいいなーって、アタシはとにかく喋った。なぜかそらちゃんの「ありがとう」と「ごめん」が増えた。

 

 アタシはこのとき、そらちゃんの様子が浮かない原因を追究するべきだったのかもしれない。

 

 ある日、廊下の方で咲良ちゃんとお喋りしてたら、「ひっ、ぐ……ぅ……ううう……うあああっ、わあああ」って聞き覚えのある声で聞いたことのないような声が聞こえてきたから、おっかなびっくり教室を覗きに行ったらそらちゃんが床にへたり込んで泣いていた。

 

「うううう! うっ、ううううん」

 

 アタシは、そらちゃんが泣くのをこのとき初めて見た。

 苦しそうに悔しそうにしゃくりあげて、涙を拭う。

 

 そらちゃんは立ち上がって、走り出した。アタシの方に近づいてくるそらちゃん。教室を出たところで、そらちゃんはとうとうアタシに気づくけど、すぐに横を通り抜けて去っていった。その場の全員の視線が走るそらちゃんの背中に向いていた。その間、アタシは何もできなかった。

 

 

 そらちゃんがいなくなった教室で、アタシは考える。

 そらちゃんはどうして泣いてしまったんだろう。何がそらちゃんを追い詰めたんだろう。それはそらちゃんが最近元気がないのと関係があるんだろうか。考えたところで、答えは出ない。

 一人でわからないことを考えたってしょうがないから、五時間目の休み時間にエリカちゃんにずばりと訊く。

 

「安代さん……名前は言えないんだけど、ある子に喧嘩売っちゃって……それでこの一か月近くずっといじめられてて……」

 

 気が遠のいてしまいそうだった。まさかそらちゃんがいじめられていたなんて……。しかも一か月。最近ずっと元気がなかったのも、きっとそのせいだ。

 でも違和感がある。そらちゃんが喧嘩を売ったことが発端というけど、そらちゃんは考えもなく人を攻撃するような子じゃない。絶対に理由があるはず。

 

「どうしてそらちゃんはその人に喧嘩を売っちゃったの?」

 

 アタシが訊くと、エリカちゃんはとても言いにくそうにした。それでもやがておずおずと口を開いてくれる。「……そ、その……フレちゃんの悪口言ってるのに、怒って……」

 

 キーンコーンカーンコーン キーンコーンカーンコーン

 

「あっ、遅れちゃうよ! 行こっ!」

 

 

 ……ショックだった。

 

 そらちゃんの身に何かが起きているのはなんとなく察していた。何が原因かはわからなかったけど……。

 でも、蓋を開けてみたらこうだ。

 そらちゃんは、アタシのために怒って、いじめられて、泣いたんだ。

 原因はアタシだった。

 

 それに気づけずにいたことが、ショックだった。

 

 

 放課後。

 そらちゃんのお家に行こうと思ったけどよく考えたらそらちゃんのお家がどこにあるか知らなかった。アタシはそらちゃんのバッグ(めっちゃ重い!)を返しに行くという名目で三木先生からそらちゃんちの住所を聞き出す。

 

 ……アタシは、そらちゃんがどこに住んでいるのかも知らなかった。

 

 そらちゃんのお家につく。マンションの四階。ピンポーン。そらちゃんのお母さんっぽい女性が出てくる。

 

「えーっと……安代さんのお宅ですか?」

 

「はい」

 

「そらちゃんは帰ってきてますか?」

 

「ええ、はい。あなたはそらのクラスメイト?」

 

「はい。そらちゃん、バッグを忘れたみたいで」

 

 アタシはそらちゃんのバッグを差し出す。受け取ったそらちゃんのお母さん(おそらく)は、「重っ」て言ってバッグを落としかけて、脇に置いた。そして「ありがとう」と頭を下げる。

 

「あのー、そらちゃんに会えませんか?」

 

 おそるおそる訊ねたら、お母さん(仮)は頭を上げた。

 

「……上がっていく?」

 

「お願いします!」

 

 勧められるまま玄関で靴を脱いで、初めてそらちゃんちに入った。

 ここがそらちゃんのお家かあって変なわくわく感が少しあるけど、緊張の方が強い。お母さん(でいいやもう)のあとに続きながらキョロキョロ。

 ある部屋の前で立ち止まる。

 そらちゃんのお母さんは、ドアを軽くノックして「そら」と声をかけた。返事はない。「そら? クラスメイトが来てるよ」と言うが、やはり返事はない。

 

 拒絶、されているのかな。

 

 会ったら会ったでどうしようか悩んでいたけど、これはこれで気分が沈む……。いや、いやいやいや! 単に寝ているだけかもしれないし、うん、確かめようのないことで悩んでもしょうがないよね!

 きっとそらちゃんは疲れちゃってすぴーすぴー眠っちゃっているのだ。

 無理があるかもしれないけど、いまはそれでいい。

 

「ごめんね。今日はだめみたい」

 

 そらちゃんのお母さんが申し訳なさそうに言う。

 

「あの、明日も来ていいですか?」

 

 アタシがそう言うと、そらちゃんのお母さんがドーナツみたいに目を丸くした。

 それから、小さく頷く。

 

「ありがとーございますっ!」

 

 そらちゃんのお母さんにバッグを預けて、その日は帰った。

 

 家に帰ってアタシは思う。

 いまさら動いたって、遅すぎるんじゃないだろうか。本当にそらちゃんのことを思っていたのなら、もっともっと早いうちに動くべきだったんじゃないか。

 ……でも、遅すぎたからと言ってそこで止まったらどうしようもない。

 ここで止まったら、いつか、「あのとき遅すぎたって諦めたからこうなったんだ」って、「いまさら動いたって遅すぎる」って、そう思う日が来るかもしれない。だから、遅すぎても動かないといけないんだ。

 

 次の日、帰りのホームルームが終わるとすぐさまそらちゃんの家に直行した。ピンポーン。そらちゃんのお母さんが出てくる。なかに入れてもらって、今日はアタシ一人でそらちゃんの部屋の前へ。ドアをノックする。コンコン

 今日は反応してくれるかな…………そう一人でドキドキする。

 

「何?」

 

 そらちゃんの声だ!

 いつにも増してぶっきらぼう成分が多く含まれているのは、アタシをお母さんだと思っているからだろうか。

 

「……そらちゃん?」

 

 そらちゃんの名前を呼ぶと、ドアの向こうからガタって物音がして、一瞬静かになった。緊張感がタカマル……。

 

「宮本か……?」

 

 返事がくる。とりあえず、拒絶はされなくて安心した。

 

「うん、アタシだよー」

 

「……なんだ?」

 

 そらちゃんの声が強ばってる。

 

「あのね、そらちゃん今日、学校にいなかったから、心配になっちゃって」

 

 この辺は少し慎重になって言葉を選んだ。何がそらちゃんの琴線に触れるかわからない。

 

「それでね、月曜日学校に来てーってまでは言えないけど、ふつーに部屋から出て、ふつーにアタシとお喋りしてほしいなーって」

 

「無理だよ。あんな顔見せちゃったんだ。合わせる顔がない」

 

 合わせる顔?

 

「合わせる顔がないって?」

 

 合わせる顔がないというのは、後ろめたい気持ちがあるときに使う言葉だったと思うけど、そらちゃんがアタシに何かしたっけな。

 

「恥ずかしいんだよ。俺は、公衆の面前で泣きっ面晒すのは最低だと思ってる。自分を被害者にして、相手を悪者にしてしまうんだ」

 

 あ、泣いたこと! でも、そらちゃんが言うほど泣くのは悪いことじゃないと思うんだけどなぁ。それに、そらちゃんが泣いた原因の元をたどれば、そらちゃんのことを最低だなんて絶対に思えない。

 

「……話、聞いたよ? アタシのために怒ってくれたんだよね。ありがとう。そらちゃんは悪くないんだよ」

 

「それでもさ。泣くっていうのはお互いにどんな経緯があったとしても、それを全部無視して、相手を否応なく悪人にしてしまう、卑怯なものなんだ」

 

 どうもそらちゃんはお話を難しく考えすぎているようだ。それに、自分に厳しすぎる気もする。もうちょっと簡単に、自分に優しく考えてもいいと思うのに。アタシは言う。「でも、そらちゃんは相手を悪者にしようとして泣いたわけじゃないんでしょ? 本当は泣くのを我慢して、だけど堪えられなくて泣いちゃったんでしょ?」続けて、アタシは深く考えずに思いつくまま直感を口にする。「…………それにね、泣くのって全然悪いことじゃないんだよ。赤ちゃんはねー、産まれてくるときたくさん泣いて、泣けば泣くほど祝福されるんだよ。逆に泣かないと心配されちゃったり。赤ちゃんはいっぱい泣くほど愛されるんだよ。だから泣くのは悪いことじゃないんだよ」

 

 ん? あれ、アタシ、いま、かなりいいこと言ってるんじゃないかな!? うんうん、そうだよ! すっごくいいこと言ってるよ!

 

「……俺赤ちゃんじゃないし」

 

 なーんて思っていたら、突っ込みが入る。

 

「そうだけど――あれれ?」

 

 あれ? アタシは首を傾げる。ややこしく考えるそらちゃんを慰めようとして、アタシの方がわけわかんなくなった。

 そーしていたら、ドアの向こうの空気がちょっとやわらかくなって、でも少し寂しい感じがした。

 

 そらちゃんが言う。

 

「……俺は、大丈夫だよ、宮本。本当はもう、落ち着いているんだ。どんなに理屈をつけてもさ、やっぱ泣いてるところを見られたのは恥ずかしくて……。それでちょっと教室に顔を出すのが気まずいっていうか。でもしばらくしたらこの気持ちにも整理がつく。そしたらすぐに学校に行けるようになる。遠い話じゃない」

 

「そうなの?」

 

「そうなんだ。だから無理に連れ出そうとしなくてもいいんだ」

 

「そっかー……。うん、わかった。そらちゃんは強いんだね」

 

 どうやらアタシが出るまでもなかったみたい。

 そらちゃんはアタシがこうして出向かなくとも、自分で自分の気持ちに向き合えて、自分で自分の心を救えてたんだ。

 

 それがわかって、なんだか急にほっとする。肩の力が抜ける。

 んー、そしたらアタシはどうしよっか。このまま帰ろっかなー。でもせっかくそらちゃんのお家に来たわけだし、もうちょっとここにいたいかも。

 そうだ、そらちゃんが学校に来れなくて会えなかった分を、この時間で埋め合わせしよう。

 

 アタシは口を開く。

 

「――あ、そういえば今日ね」

 

 今日あったこととかアタシが普段思ってることとかそんなとりとめのない話をしていたらけっこう時間が経ってて、アタシは家に帰った。こうしてみるとまだまだ話し足りないし何かあるたびにまず「あ、これそらちゃんに話そっかな」って思うようになる。

 だから次の日もアタシはそらちゃんのお家に行ってそらちゃんとお喋りすることにした。

 

「やっほーそらちゃん」

 

「えっ! なんで宮本!?」

 

「来ちゃった☆」

 

 そらちゃんは突然やって来たアタシにすっごく驚いてた。

 やったーびっくりどっきりサプライズ大成功~♪

 

「何しに来たんだ?」

 

 と訊かれるけどなんだかぴんと来ない質問。

 

「んー? 何しに来たってわけでもないんだけどねー。あっ、そういえば――」

 

 アタシが話したのはあとから何を話したか思い出そうとしてもさっぱり出てこないようなお茶とお菓子が必要な話。茶飲み話って言うんだっけ?

 それをね、毎日そらちゃんの家に行ってぺちゃくちゃぺちゃくちゃーって! アタシの舌がここまでよく回るなんてアタシですら思ってなかった。ぐるぐるぐる……。

 

 そんな日がけっこう続いて、金曜日。

 アタシがいつもみたいにそらちゃんちにやって来て夏休みの計画なんか話してたら、そらちゃんが大きな声で「そうやって毎日毎日俺んとこに来て、何が目的なんだよ! そんなに俺を外に連れ出したいのか!?」って言った。

 でもアタシはそらちゃんがなんの話をしているのか心当たりがなくて、それが声に出てしまう。

 

「へっ? なんで外に連れ出すって話が出てくるの?」

 

「……え?」

 

 アタシが聞き返すと、そらちゃんまでもがハテナって声を出した。

 むむむ、なんだか話が噛み合っていない気配……。

 

「えっと、宮本は、俺を外に連れ出すために――そんで最終的には俺を学校に連れ戻すために、毎日ここに通ってるんだろ?」

 

「えーっ? 全然違うよー! もしかしてそらちゃん、いままでそんな風に思ってたの?」

 

 シンガーだよシンガー! そらちゃん! そんな風に思ってたなんて! アタシが毎日ここに来ているのはただアタシがお喋りしたいだけで…………シンガー? 歌手?

 ………………心外?

 

「じゃ、じゃあ……なんで?」

 

「なんでって言われても……うーん。確かにそらちゃんには早く外に出てきてほしいし、学校でまた一緒にお喋りとかしたいけど、前にそらちゃんが『もう大丈夫』って、『すぐに学校に行けるようになる』って言ってたから、そこはいいんだよね。そらちゃんのこと、信じてるから、アタシが特別何かしなくてもいいって思ってるよ」

 

 こうして言ってみるとわかるけど、アタシのなかで当然のことって、言葉にするのが難しいよね。

 アタシが言うと、そらちゃんがおずおず、「……な、なあ、宮本」って。アタシは「なーに?」って返す。

 

「それならさ、結局、なんの目的でいつも俺のところに来てくれてるんだ?」

 

 あれれ? さっきのじゃ伝わらなかったかな? やっぱり言葉って難しいねー。

 でもそらちゃんもそらちゃんだよ。「目的」だなんて、なんでそんなおかしな言い回しをするんだろう?

 

「だからー目的とかじゃないんだよー。もー。牛じゃないけどー。アタシはただ、そらちゃんとお話ししたいから、そうするために来てるだけなんだよ? 本当にそれだけ。だから言っちゃえば、そらちゃんとお話しするのがここに来る目的になるんだけどね。あ、あとね、そらちゃんは『来てくれてる』って言ってるけど、アタシは『来てあげてる』だなんて思ってないよ。アタシがしたくてしてることだから。そらちゃんにドア越しでもいいから会いたいんだよ。だってそらちゃんはアタシの友達だから」

 

 アタシは、アタシのなかの当然を改めて口にする。今度はもっとわかりやすく、説明的で、そのせいで長くなっちゃったけど。そらちゃんに伝わるかな?

 アタシが言うと、向こうが静かになる。……あれれ、もしかして何か間違えたかな。そらちゃんがおへそ曲げちゃうようなこと……うーん、牛? 違うか。もしかして…………はっ、友達の部分!?

 

「…………え、どうしたの急に。なんで静かなの!? もしかして違った!? あ、アタシたち友達だよね? 一方通行じゃないよね!? えーっとえーっと――」不安になって声を荒げていたら、そらちゃんがドアを開けて出てきた。出てきた。出てきた!?

 

「って、そらちゃん!?」

 

 アタシは叫ぶ。

 

 久しぶりに見たそらちゃんは、ちょっと疲れた顔をしていた。ずっとお家のなかにいて、運動したわけでもないのに。じゃあ、疲れているのは心なのかもしれない。

 

「……信じられないんだ」

 

 そらちゃんが言った。

 重い声だった。

 

「本人の見えないところで友達を悪く言うやつらを見てさ、わからなくなった。あいつら、陰口を言っておいて、それでも相手のことを友達だって本心から思ってるんだ。それで矛盾してないんだ。もしかしたら、どんなに優しいと思ってる人間でも――いや、実際に優しい人間でも、友達のことを裏で悪く言っているんじゃないかって思うと、宮本ですら信じられなくなる。友達の陰口で盛り上がらない人間なんて、この世にいないのかもしれないって思うと、誰とも干渉したくなくなる」

 

 そっか。

 そらちゃんは、綺麗好きなんだ。

 だからときどき人を許せなくなることがあって、自分を許せなくなることがある。そうしているうちに、誰も信じられなくなって、人を信じられない自分が嫌になる。ますます自分が許せなくなる。

 でも、人を信じるのが怖いって――人を信じられない自分が嫌になるって、それはつまり誰よりも人を信じたいということで。

 疑わないことを信じることって勘違いしている人たちより、それはずっと先に進んだ尊い気持ちだ。

 

「……そらちゃんは、裏でアタシの悪口を言ったこと、あるの?」

 

 アタシは、ありえないとほぼ確信していながらも、訊いた。

 

「あるわけない。そんなわけない」

 

 そらちゃんはすぐに否定してくれる。それも、力強く。

 嬉しい。

 信じられる。

 

「そっか。でも、それをアタシが確かめることはできないよね」

 

 そう。アタシはそらちゃんの言うことを確かめることはできない。そらちゃんもそれで悩んでいる。

 

 だけどね、そらちゃん。

 それが真実かどうか確かめることができなくても、人を信じることはできるんだよ。

 だって、アタシはそらちゃんのこと信じてるもん。

 

 

 アタシはそう伝えたい!

 

 

「……でもさ、仮にそらちゃんの言うことが本当なんだとしたら、そらちゃんだけは自分の潔白を信じられるってことだよね。だったら――」

 

 言って、そらちゃんを指差す。

 

「ほら――いたじゃん! 友達を悪く言わない人。こーんなに近くに! そらちゃんが証拠なんだよ、友達を信じられる。アタシもね、自分を信じられるから、みんなを信じられるんだー」

 

 アタシはアタシを信じてる。だからそらちゃんを信じてる。アタシが信じてるそらちゃんだから、きっとそらちゃんも自分を信じることができる。そしたらそらちゃんもアタシを信じられるかもしれない。

 そうやって信頼は回っていく。

 お互いに高めあえる。

 

 

 そらちゃんは、途端に肩を震わせて床にくずおれた。鼻をすする音が聞こえる。

 アタシはそらちゃんの肩に手を置く。あったかい。

 

「お、俺っ……宮本のこと――信じられる……!」

 

「うん、うん、アタシもそらちゃんのこと信じてるよー」

 

 泣くそらちゃんの背中に腕を回して慰める。でも、そうやって慰めているアタシもだんだんこみ上げてくるものを我慢できなくなって、途中から泣いてしまった。

 そらちゃんの名前を呼びながら、しゃくり上げる。

 

「うっ……、宮本ぉ」

 

「そらちゃん……っ、ぐすっ……早く……気づいてあげられなくて、ごめんね……っ!」

 

「おっ、俺も……怒鳴ったりして……ごめん……っ」

 

「アタシもっ、そらちゃん、……そらちゃんのっ、ぐすっ、そらちゃんの私服見てうわって思っちゃってごめん……」

 

「は?」

 

 それにしても、なんでアタシまで泣いているんだろう。

 そらちゃんが泣いてアタシまで泣いちゃったら収集つかなくなっちゃうのに。

 

 

 …………あ、そっか。

 

 アタシいままで、そらちゃんに友達って言ったことなかったんだ。

 今日初めて面と向かって言えた。それが拒まれなかったことに、安心してるんだ。

 

 

「……そらちゃん、ありがとう」

 

 何に? って聞かれる。

 

 たくさん、だよ。

 

 

 ○

 

 

 それからアタシはそらちゃんのお母さんの一言で一泊することになってー、それからそれからそらちゃんのお家に初めてお泊りすることになったんだーっ。

 そらちゃんとの夕飯。そらちゃんのお部屋探索。映画鑑賞。何もかも新鮮でドキドキ♪

 日付が変わる直前には、そらちゃんと一緒にたっちゃんまで走った。

 

 え? たっちゃん? たっちゃんはたっちゃんだよ。

 

 うん、まーそんな感じでね、そらちゃんはアタシのただの友達じゃなくて、どこか特別な感じのある友達なんだよねー。

 お互いに友達って認め合えるまでは長かったけど、その分繋がりはとっても強い。

 

 いまでもね、そらちゃんとはよく一緒に遊んだりするんだよ。

 そらちゃんはね、アイドル自体にはあんまり興味ないみたいだけど、(でもラブライブだったかな、それは観てた)ときおりアタシの活動を応援してるって言ってくれる。

 やっぱりね、そらちゃんってツンデレだと思うんだよ。言っても絶対に「ツンデレじゃねえし!」って否定するんだけどー。

 

 

 さて、そらちゃんについてだったら話せることがまだまだ山ほどあるんだけど、今日はこの辺にしておこっか。

 そらちゃんの話に関しては一区切りついたし、喋る機会は他にもある。それにほら、一度に全部話しちゃったらもったいないじゃん☆

 

 これからもね、そらちゃんとの思い出とかどんどん語っていくよー。

 だから今後もアタシとそらちゃんの茶飲み話をお楽しみにー!

 

 そんなわけで、宮本フレデリカでしたー。じゃあねー!

 フンフンフフーンフンフフー、フレデリカ~♪ フンフンフフ……

 

 

 

 

 ○

 

 

 

 

 お仕事でカメラを向けられる。レンズの奥をじーっと見て、そこに友達の存在を確かめる。

 ……そらちゃん。アタシはね、いつもテレビの向こう側にいるそらちゃんに向けて、お喋りしてるんだよ。

 

 

 あの日、あのとき、ドアの向こう側にいるそらちゃんに向けて語ったくだらない話を、いまでもべりー・べりー――れいじー・れいじーに続けている。

 

 



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一ノ瀬志希(休止)
一ノ瀬志希――1


メリークリスマス。
あと、お気に入り1000件突破ありがとうございます。何か記念的なことをした方がいいでしょうか。


 抽象って実は悪いことじゃないんだよねーってあたし=一ノ瀬(いちのせ)志希(しき)=あたしは思う。たとえば人は「本質をしっかり捉えろ」とか「本質が大事」とかそんなことを言ったりするよね。その通り。物事の本質って、とても大切なことだ。だけどね、ふたを開けてみれば“本質”っていうのはわりと抽象的であったりする。だってさ、考えてみてよ。人間の本質は人それぞれで無限にあるのにそれを表す言葉は圧倒的に数が足りていないんだよ? はてさて我々は人の本質を一つ一つ的確でしかも他とは絶対に被らない言葉を用い明確にすることは可能でしょーか? ……なーんて答えは考えるまでもないか。できるわけないよね。あたしにもできないし神様にだってできっこない。だから本質を表現するには漠然とした間口の広い言葉をあてがうしかないんだよ。あたしは元学者だけど、だからこそなんでもかんでも定量化することにちゃんと危機感を持っている。なんでも数字にしたらいいってもんじゃない。漫画とかで頭のいいキャラが出てくるとなぜか過剰なまでに数値化と定量化を好むキャラに書かれがちだけど、あれ“頭がいい”をかなり勘違いしているんじゃないかな。あのさ、本質っていうのはアナログなんだからもっと定性的に捉えなきゃ。言葉でデジタルにしちゃあいけない。せめて抽象化して少しでも言葉の持つ記号性を薄めなくちゃ。デジタルの究極系こそ<0と1><無か有><善か悪><大と小><白か黒>といった融通の利かない二極だからね。コンピュータじゃないんだよ。まあデジタルにもわかりやすく明確って利点があるんだけど――だからコンピュータには二進法が使われているんだね――それはともかく、抽象っていうのは悪いことじゃない。人はもっと抽象に理解を覚えるべきだよ。

 

 ……だけどそれだって、適切じゃない場面がある。

 正確には、それだけではダメな場面、か。具体性と抽象性を上手く使い分けなければいけない場面。

 

 たとえば仕事とか。

 コミュニケーションとか。

 

 

 

 ○

 

 

 

 ――あなたの言っていることは理解できません。

 

 

 ――君の自由は勝手すぎる。

 

 

 ――それだからお前は、     

 

 

 

 ○

 

 

 

 そんなこんなであたしは日本に帰ってきた。自由大国なんて大層な肩書きを掲げているアメリカだけど、やっぱり学舎に行けば窮屈を強いられるのはどこの国も変わんないんだな。

 あたしにはいわゆるキョーチョーセーというやつがないらしい。なんてゆーか昔っから個人主義なところがあってさ。まあそれがわかってたから個人プレーの極致みたいな偏見のあった学者を、それも自由大国のアメリカでやってみたんだけど……あては完全に外れてた。報告、連絡、相談。共有、共有、共有。集団の世界だよ、あれ。結果あたしは輝かしい(らしい)成果とギスギスした空気を作るだけ作ってまるで逃亡するみたいに日本に帰国したのだ。

 きっとあたしには場の本質ってやつを捉える力が欠けているんだと思う。つまり空気が読めない。「曖昧は素晴らしー」「でもあたしには難しー」。そ、わかっていてもできないんだ。“危機感を持っている”だなんて笑っちゃうね。にゃはは。ぜんぶ経験談だった。あたしは空気が読めないから、それでいろいろ苦労して、苦悩させて。さっきの理屈だってほぼほぼ嫉妬と変わらない羨望だった。

 湧き上がる黒い感情を憧れに変換して今までを生きてきた。それももうやめよーかな。飽きたし。

 そうだ! いっそ全部“曖昧”のせいにしてしまおうか。定量化も数値化もできないお前たちの曖昧さ加減がすべて悪いんだ! って。空気は抽象的なのに、実際のコミュニケーションでは具体性を求められるそのちぐはぐさが悪いんだ! って。そんな風に当たったってなんにもならないんだけどさ。

 ねえ。みんなはどうしてそこまで上手に生きていけるの? こんなにも複雑な世間でどうやってそう簡単に解を導き出しているの? あたしにはとても真似できないや。キミたちは人生のギフテッドだね、すごーい!

 

 とかなんとか早速も欝々としているあたしだけど帰国して真っ先にタバスコを買いに行ったのは笑いどころかな。手元にタバスコがないと調子狂うんだよね。

 そんでもってキャリーバッグをがらがら言わせながら向かった先はアメリカにもあった某ハンバーガーチェーン。そこでちょうどいいサイズのチーズバーガーにタバスコをたっぷりかけてがぶり。うん、美味し~♪ あのね、あっちだとなんでもかんでもビッグサイズだから食後が大変なんだよ。それに比べるとここのハンバーガーは食べやすくていーね。ポテトとコーラの量はチョット物足りないけど……。最初はLサイズってオーダーをSサイズと聞き間違えたのかと思って「Lですよ」「はい?」「Lです」と店員さんにとある世界一の名探偵の通称で嘘自己紹介をしてしまった。万が一彼女がキラなら自室に戻ったところで「くそっ、やられた」って悔しがるんだろうけどまあ99.9%くらいの確率であたしが恥をかくだけで終わる。そういえば商品を受けとるときにちょっとアメリカンが抜けきっていないのに気づいて一人で苦笑しちゃったのもここに付け加えておこうか。日本円の小銭を見てチップの風習はここにはないって思い出したんだー。まーその日はいろいろとカルチャーショックに翻弄されたけれども故郷のあちこちを散策することによって少しずつ勝手を思い出していって一日を終えるころには完全にばっく・とぅ・ざ・じゃぱにーず。新しいお家でいつもは夜更かしするところを疲れていたから素直にベッドにダーイブしてしゅ~りょ~。おやすみグッナイいい夢見たぜ。……本当、現実が悲しくなるくらいいい夢だったなあ。

 それから一週間のうちになんとなく高校デビュー! あっちでは飛び級で大学に通っていたわけだから本当は高校に行かなくとも大して問題はないんだけど、とりあえず暇つぶしでね、行ってみることにしたの。うん、変化? 化学変――ああ生活の変化のこと? そーだねー、転入で何が変わったかと言えば、そうだ、花のJKという箔がつきました。どんどんぱふぱふ~♪ ちなみにJKとはジャックナイフの略ではない、常考。

 あーあ、たのしー。

 

 

 

 

 最近の朝はほとんどいつも冷凍のピザをレンジでチンしてタバスコかけてコップにミルクとガムシロップぶちこんでいただきますしてる。ピザにタバスコはずっと前からお世話になっている食べ方だけどミルクにガムシロップは最近試して気に入った飲み方で、ああ脳が喜んでるなあってケミカルな味だからみんなも一度試してみない? え、いい? そう……。まあ、今回のことでやっぱり何事も試してみるのが大事なんだなってあたしは思いましたまる。

 そーだそーだ、そういえば一昨日、テレビとゆーものを買ったんだったー。大学生活は別に研究一辺倒ってわけでもなかったんだけど、単純にテレビに興味がなかったから今まで所持していなかった。ただ日本の高校生活においてテレビは必需品らしく(ねえねえー。んー、何ー? あんさー、昨日のアレ見たー? アレー? ああー! アレねー? 見た見たー! 見たー? うんー、星井美希がねー。そーそー!)、だからというわけでもないけど、ほんの少ーし買ってみなくともないかなって気にさせられた。でもこれはあたしの考えが足りてなかったんだってすぐにわかった。とゆーのもイマドキのナウでヤングな高校生にはテレビよりインターネットの方がバカウケらしいのだ(え~ピカリさんが炎上~? 嘘~わたしピカリさん結構好きなのに~。わたしもー。つーかなんでいちいち文句言うんだろうねー関係ない癖に。ほんとそーアンチって死んだ方がいいよねー。ねー。マジ意味わかんない)。あじゃぱー。まあさっきも言った通りこの画面付きラジオを買ったのは同級生たちと話を合わせるためじゃないから別にいいんだケド。いや強がりとかじゃなく。退屈しのぎ、暇潰しには一役買っているかなー。あと生活のBGMとか(無音状態は苦手なんだよね)。

 

 

 

 ○

 

 

 ところであたしは『ドラえもん』が大好きだ。日本じゃあ知らない人を探す方が難しいんじゃないかってくらい知名度の高い藤子・F・不二雄のSF(すこし・不思議)漫画で毎話示唆に富んだエピソードなのが特徴。『ドラえもん』のいいとこはね、教訓めいているけど同時に夢で溢れているところ! この「夢で溢れている」ってゆーのが大事なんだよね~。どうも人に説教してやろーって作品はそこを忘れがちになっちゃうんだけど、『ドラえもん』は違う。ドラえもんがポケットをごそごそしてなかからひみつ道具をちゃっちゃらちゃっちゃっちゃーっちゃちゃーするときのわくわく感は太陽が真上に昇ったときの位置より高いし、それからのび太くんやしずかちゃんジャイアンスネ夫が空を飛んだり遠くへ行ったり時間旅行したりするのは観ていてとっても楽しい。もちろん欲に目がくらんだのび太くんが道具を悪用することで最後にしっぺ返しが来るというお約束もオチとして完璧だしギャグとしてしっかりしているし教えられるものがあっていい。だからあたしは『ドラえもん』が大好きだった。

 小学生のとき平和学習の授業で「戦争をなくすためにみんなに読んでほしい本」というテーマの推薦文を書かされたことがある。『ほんのなまえ』『ほんのさくしゃ』『ほんのあらすじ』『このほんをおすすめするりゆう』『せんそうをなくすためにあなたはどうする?』という五項目を学校あるいは家で埋めて授業中に発表するといった形式だ。クラスのみんなは『かわいそうなぞう』『はだしのゲン』『広島の原爆』『火垂るの墓(アニメをそのまま本にしたやつ)』『まっ黒なおべんとう』『ひろしまのピカ』などそういった戦争関連の名著を紹介していった。なかにはあたしが知ってるのもあったし知らないのもあった。『はだしのゲン』の紹介が多くてみんな同じようなことばかり言ってるから(ぼくがこの本をおすすめするのは、この本を読んで戦争はいけないことだと思ったからです。戦争は悪いことです。戦争は――)途中で聞き飽きちゃったりもしたけど、読んだことがない本はあとで読もうと思うくらいには真面目に授業に臨んでいた。だからこれはふざけていたわけではなくて、あたしはいたって真面目だったことをここに強く主張しておきたい。あたしが紹介したのはやはり『ドラえもん』だった。配られたプリントにはこう書いた。『ドラえもん』『藤子・F・不二雄』『勉強に運動に何をやっても結果を残せない野比のび太のもとに、ある日22世紀からやって来たネコ型ロボット・ドラえもんが訪ねてくる。ドラえもんによるとのび太はこれからダメダメな人生を歩み未来の家族にまで迷惑をかけてしまうらしい。悲惨な未来を変えるために、ドラえもんはのび太のお世話係になる。』『あたしがドラえもんをおすすめする理由は、ドラえもんには夢があるからです。夢が溢れる人間は心が満たされているので争いを好みません。なぜなら、満たされている人間は奪うことをせず、奪うことがないなら、大きな争い事も起こりえないからです。また、そうした略奪行為の是非や、「悪いことをしたらしっぺ返しがある」という因果応報がこの漫画では教訓として描かれています。戦争に関する直接的な言及もあり、なかでも「どっちも、自分が正しいと思ってるよ。戦争なんてそんなもんだよ。」という台詞は戦争の本質、そしてその奥にある「正義」をたった一言でぴしゃりと言い当てています。ドラえもんはとても考えさせられる奥の深い漫画でありながら、同時に夢や希望・友情と言ったその他の普遍的な価値のあるものを教えてくれる素晴らしい作品です。反戦という評価軸でも、「戦争でない」という形で平和の豊かさを教えてくれるなら、それは「戦争」という形で戦争の悲惨さを訴える作品と同等の価値があると思います。だからあたしはみんなにドラえもんをおすすめします。』『人間の「権利」をきちんと規定して、それを侵さない範囲での価値観の相違を認めること。それを世界中で共有できれば、戦争を限りなくなくせると思う。つまりは全人類の画一化で、それは「文化の違い」や「他者の価値観」を認めることの否定に繋がり本末転倒な感もあるけれど、文化の違いと他者の価値観を否定せずに、心の芯の部分でひとつの大切な倫理観を共有することは理に反しないと思う。その第一歩として、まずはあたしが、隣にいる子の考えを認めること。それが戦争を限りなくなくすためにあたしにできることです。』。まーぶっちゃけ綺麗なことばっかり言ってるけどわりと本心だ。これが『戦争をなくすことは可能でしょうか』とかそんな問いならあたしは先生が『戦争をなくすことはできます』なんて答えを求めていたとしてもそんなの知らんこっちゃないよって『不可能です』と書いていただろう。人は争うことで成長するのだ。あっ、いまのは別に人間は醜いのだーって話じゃなくて単なる事実の話だからね。そもそも人間だけが争うわけじゃないし。ただ、異種を見下して優越感に浸ったり人は醜いとか自己嫌悪めいたことを考えて自罰に酔ったりする動物は人間だけってのは覚えといてー。美醜なんてものは本当は存在しなくて、人が勝手に決めているだけだから。たとえば草食動物が肉食動物の群れに寄ってたかって襲われたところでその最後まで相手を卑怯だと思うことはないだろう。閑話休題。戦争は悲惨だというのは平和国に生まれた人間としては当たり前の考えではあるけれど、それが何を発展させたのか、いまの平和を作ったのはなんなのか、それらを無視した意見を述べるだけで戦争を語ったことはならない。でもこの場合は『平和のためにおすすめしたい本』『戦争をなくすためにできること』といった平和の持続と戦争をなくすための方法論を求めていたわけだから上記の現実は書かなくてもよかったのだ。あたしは立ち上がりプリントの内容を頭のなかでわかりやすくまとめながら言った。「あたしがみんなにおすすめしたい本は、藤子・F・不二雄の『ドラえもん』です」教室がざわめく。クラスメイトがけらけらと笑う。あたしがギャグを言っているのだと思ったんだろう。みんなのけらけらを聞きながらあたしは首をかしげて、「どうしてドラえもんを――」続きを口にしようとする。すると先生が、「――一ノ瀬さん、真面目に言いなさい」って遮った。あたしはあっけにとられる。真面目に言いなさい? つまりあたしは真面目じゃないってこと? それは違う。あたしは言う。「先生、あたしは真面目です」言い返すと先生がむっとして、「ふざけてるじゃないか」と。「ふざけてません」「いいかげんにしなさい。叱られたんだから、素直に言うことを聞きなさい」「まずはあたしの発表を聞いてから判断してくれませんか?」「いいや、聞きたくない。戦争だぞ? 人がたくさん亡くなっているんだ。そういう場でドラえもんだなんて、馬鹿げてる。平和を馬鹿にしてる」「先生、あたしは――」平和を馬鹿になんかしていません。「――とにかく! ドラえもんはやめなさい。発表はいいから、今日中に図書室で別の本を借りて新しいプリントを書きなさい」「でも、あたしはドラえもんが――」本当に平和のためになると思っているんです。「――まだ言うのか! 一ノ瀬、ずっと真面目でいろとは言わんが、時と場所を考えろ。いまはふざけていいときじゃない。戦争なんだ」「だからあたしは――」ふざけているつもりはないんです。「――もういい! あとで職員室に来なさい!」「…………――」……………………。「――…………はい」あたしは諦めて席について後ろの子の発表を聞いた。ぼくははだしのゲンをよんでせんそうの…………。

 結局、あたしの推薦文を認めてくれたのは図書室司書の明美先生だけだった。明美先生はあたしの書いたプリントを読んで目を見開いて、「本当にあなたが書いたの?」と訊ねてきた。あたしは頷く。

「ねえ、明美先生」

「何かしら?」

「あたしって、最低なんですか?」

 明美先生はしばらく絶句した。

「……田辺先生にそう言われたの?」

「このプリントにドラえもんって書いたら最低なんでしょうか」

 あたしが言うと、明美先生は屈んであたしに目線を合わせた。

「そんなこと、絶対にないわ。たしかに戦争本の紹介でドラえもんって書いてあるのを見たときは驚いたけど、ちゃんと中身が伴っていて、深く納得できるいい文章だった」明美先生はあたしの頭を撫でて、「芥川龍之介の話を思い出しちゃった」

「芥川龍之介?」

 疑問符は芥川龍之介ではなく彼のエピソードにかかっている。人物については当時から知っていた。

「昔の小説家よ」

「『蜘蛛の糸』でしょ?」

「よく知ってるわね」

 明美先生は撫でる力を強くしてあたしの頭をわしゃわしゃした。うにゃあ。

「少年芥川の話よ。当時は…………たしか小学三年生だったらしいから、ちょうどいまの一ノ瀬さんと同じ学年ね」

 そう前置きして明美先生は芥川龍之介の少年時代のエピソードを語った。それは芥川龍之介の感性の鋭さを象徴する話だ。明美先生は最後にこう締めくくった。

「感性が人一倍鋭いあなたは、他人と同じものを見てもまったく違ったものが見えたりするでしょうね。でも、本当に大事なのは人と同じかどうかとか違うかどうかじゃなくて、豊かかどうかなのよ。ドラえもんから平和の尊さを見出だせるあなたの心はとっても豊か。覚えておいて」

 あたしは静かに頷いた。

 その後、あたしは校内で実施された知能検査によりギフテッドであることが判明した。

 

 

 ○

 

 

 転入から二週間してすぐさまさまー・ばけーしょんが始まった。なんか転入するタイミングを間違えたような気がする。気がするっていうか完全に失敗した。クラスの色が決定されたかどうかくらいの変な時期にやって来て浮いちゃってどうにか挽回する間もなく長期休暇とは運命の神様もなかなか可愛げがない。いや自分で決めたことだけど。

 今日のあたしは昼から実験の材料を買うためにふら~っと外に出ていた。一人暮らしのあたしは最近はほとんど誰とも会わずに自分の時間を楽しんでいる。睡眠食事実験エトセトラエトセトラ――まあ要するに退屈ってことなんだけどさ。

 買い物袋をぶらぶらさせながら道を歩く。一人『チューリップ』を口ずさむ。『チューリップ』はあたしの好きな曲だ。ドラえもんもそうだけど子供向けの物語や童謡は平易かつ簡潔な言葉で真理を突いてくるからあなどれない。たぶん普段から「子供のために」と考えている人たちは子供が馬鹿でないことをよーく知っているのだろう。うん、たしかに子供は語彙が乏しいから言語による表現を知らないけどその分思考がアナログなんだよね。人間は大人になるにつれて言葉を覚えていくから思考や感情表現がデジタル化していく。発想に波状の自由がなくなっていく。

 『チューリップ』を歌ってもまだ退屈が忘れられないのですれ違う人たちをちらりと見ながらなんとなくバックグラウンドとかそーぞーしてみたりする。いまの松葉づえの人は幼少期から本が好きでいつも本ばかり読んでいる本の虫なんだけど中学のときに出会った女の子に一目惚れして冒険することを覚えてそれからは少しばかり挑戦的に生きるようになって最近飛び込みに挑戦して骨折って大人しくしてる。で、このサングラスの人は産まれた直後に「ほうな~♪」と唄って母親と看護婦と医者を失神させて誘拐されて美しすぎて顔を晒すと人を失神させてしまうから両目をスプーンでくりぬかれて手術の末に目玉が取り外し可能になって双子にペットにされて事件を解いて時空を超えて愛を欲する三位一体の探偵神だ。

 そんな感じでわき目を振りまくってふらふら歩いていたら、

「あうっ!」

「わっ!」

 人にぶつかった。体がよろめく。

 ――瞬間、何やら嗅いだことのない不思議な香りが鼻孔を突き抜けた。それまでのゆーうつとか悩みとかをすべて一発で吹っ飛ばすような好奇心を激しく刺激する香り。

 

 キョーミ深い観察対象、発見しちゃったかもしんない!



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一ノ瀬志希――2

先日、某所にて投下した志希さんをこちらにも……↓

【挿絵表示】



 肩で風を切りながら、俺は橋の上を歩いていた。頭んなかでエリック・サティの『グノシエンヌ』が鳴り響いている。タタタッタンタン、タン……。

 バカヤローという幼い声とともに、俺の横を数人の子供たちが走り抜けた。どっかで怒鳴り声が聞こえる。

 元気だなーって思いながら走る子供の背中を振り返っていたら、堂々と道の真ん中を歩いていたもんだから人にぶつかってしまった。

 

「あうっ!」

 

「わっ!」

 

 俺は尻餅をつく。

 

「いてて……あっ、大丈夫ですか」

 

 尻をさすって、それから相手の存在を思い出して起き上がろうとしたら、俺の頭上に大きな影が落ちた。見上げると、黒いスーツを着たオールバックのデカブツが、俺に黒い塊を向けている。

 ――拳銃だ。

 銃口が俺を捉えている。

 

「え、ちょっ! 冗談だろ!?」

 

 叫んで逃げようとしたところで、ぱんと乾いた音が連続して響いた。

 

「う……あ……」

 

 胸のあたりが熱い。見ると、胸に三つの穴が開いていて、穴からは血が出ていた。絶叫して倒れる。

 

「うぎゃあああああ!」

 

 嘘だろ!? 死にたくねえよ! 死にたくねえよ……。

 

 もがき苦しむ自分を、俺はなぜか客観的に見ていた。幽体離脱というやつだろうか。

 視界は四角いフレームで縁取られていて、狭い。下三分の一くらいに手作り感溢れる白抜きの古めかしい書体で文字が表示される。

 

 平 2* · 7 · 30 午後

 安代そら 死亡

 

 そして、血が沸き暴れるような猛々しい『仁義なき戦いのテーマ』が流れる。

 

 パワワ~ パワワ~

 

 な、なんだよ、これ……。

 最後の力を振り絞って男を見上げると、視認の連続性が突如として失われ、カットが切り替わったように男の全身が映る。

 男は言った。

 

「ファッキンジャップくらいわかるよバカヤロー」

 

 

「知らねえよバカヤロー!」

 

 叫びながら勢いよく起き上がる。「わわっ!」と驚く声が聞こえてきた。

 ――宮本だ。

 部屋のなかでは大音量の『仁義なき戦いのテーマ』が流れている。音のする方を見ると、俺の音楽プレイヤーが起動していた。俺はおもむろに宮本の方を向いて睨む。

 

「お、おはよー☆」

 

「おはよう。で、これは何?」

 

「この曲? いい曲だよね~。なんてタイトルなの?」

 

「『仁義なき戦いのテーマ』」

 

「へー! 音はテレビでよく聞くんだけど、名前は知らなかったな~」

 

「いやいや、そうじゃなくてさ。なんの目的があって俺の部屋に来て大音量で音楽流してるのかって」

 

「ああ、これ? モーニングコール♪」

 

 オーケイわかった。明日は俺のが先に起きて最高のモーニングコールを決めてやる。絶対だからな。

 一人かたく決心して音楽プレイヤーを止める。と、その前に……。

 再生する曲をいま流れている曲のひとつ手前に戻す。エリック・サティの『グノシエンヌ』が流れる。

 

 なるほど、どうりであんな夢を見るわけだ。

 うん、すっきり。

 

 

 ○

 

 

 時間の流れは速いもんで、高校三年生になったと思ったらもう夏休み。

 本日、七月三十日。現在は岩手にある母の実家に滞在している。夏休みいっぱいは祖母の住むここで過ごす予定だ。

 ちなみに、岩手の実家には俺と祖母の他に宮本もいた。夏休みいっぱいとまではいかないが、一週間ほど泊まっていく予定らしい。

 宮本が祖母の家に泊まることになったいきさつは省略するが、まあ「母の提案」とだけ言っておこう。

 その母はもうここにはいない。俺をここに送って一泊してからそそくさと帰った。迎えのときにまた来ると言っていた。

 

 さて。

 宮本に叩き起こされた俺は、しばらくは宮本が提案してきた『愛してるゲーム』なるもので時間を潰していた。

 愛してるゲームとは、じゃんけんで勝った方が相手に「愛してるよ」と囁き、その台詞に照れて吹き出したら負け、というゲームだ。宮本が教えてくれた。

「じゃんけんぽんっ!」()「あ……ちぇっ」(宮本)「いえー! アタシの勝ちー♪」()「ぐぬぬ……」(宮本)「えー、じゃあ~宮本フレデリカ、行きます! ……こほん。……愛してるよ♪」()「うっ」(宮本)「あーっ! そらちゃん顔真っ赤ー! かわい~」()「あ、赤くねえし!」(赤くない)

 

 ――とまあ、そんな流れでゲームは十回ほど行われた。

 宮本がじゃんけんに勝って愛してると囁いても俺は笑わなかったので負けなしだったが、しかし宮本にからかわれるから心は磨り減る。

 逆に宮本は愛してると言われたらすごく嬉しそうに笑うので俺は全勝だったけど宮本は素直に嬉しそうだし言ってる俺の方が恥ずかしくてそれを宮本にからかわれるからもうどうやっても俺の負けみたいなもんだった。

 試合に勝てても勝負に勝てない……。

 

 なんか、神経をごっと削られた。

 

 そんで八時になって祖母がやって来て朝飯の時間だと告げた。宮本と居間へ向かう。テーブルの上にはすでに食事が用意されていた。白米と卵焼きと海苔と味噌汁。

 

 さっさと椅子について手を合わせる。

 

「いただきま~す♪」

 

「いただきます」

 

 俺と宮本と祖母とで朝食を食う。

 

「のり~♪ のり食べて今日もノリノリ~♪ ノリスケおじさんはだからノリノリ~? こいのぼり~♪ アイロニー♪」

 

 皮肉ってどうする。

 宮本は歌いながら白米に海苔を巻いて食べる。ぱくり。「美味し~♪」いつもながら調子がいい。

 そんな宮本とは対照的に俺と祖母は黙々と箸を運ぶ。

 

「……」

 

「……」

 

「……あ、ばあちゃん取って」

 

「はい」

 

「ありがと」

 

 祖母から醤油を受け取って卵焼きにかける。

 していると、宮本が静かになっているのに気づく。見ると、宮本が俺の顔をじーっと凝視していた。口元を探ってみるが、何かついている気配はなし。

 

「じーっ」

 

「どうした?」

 

「前から思ってたんだけどね、そらちゃんって味が濃いのが好きなの?」

 

「んー、まあそうかもね」

 

 言いながらさらに醤油をかける。

 その様子を宮本はやはり興味深そうに眺めていた。

 

 なんとなく居心地が悪い。

 

 朝食を終えて歯を磨いてシャワーを浴びて自室に直帰。俺が浴室から出たら今度は宮本がシャワーを浴びる番で、その間俺は暇だからパソコンでゲームをしながら待つ。武装してプレイヤー同士でキルしあうバトルロワイアル的なゲームだ。

 まずは一戦。

 

「……おっ?」

 

 ぶっちゃけると俺はこのゲームがそんなに得意じゃないのだが、今日の俺はどうにも調子がよくいい成績が残せた。いつもならここらでキレているところなのだが、上手くいくことほど楽しいものはない。機嫌がよくなってきて、もう一戦交える。

 

「おっ! おおっ!」

 

 やはり調子がいいらしくたしかな手ごたえを感じる。ずどどどどっ。だんだん乗ってきた俺は、上機嫌に歌を口ずさみながら一人キルする。曲目は『雨に唄えば』。

 

「ふんふふっふ♪ ふんふふんふふっふ♪」

 

「……そらちゃーん?」

 

「わっほい!」

 

 突然の呼びかけに驚いて振り向くと、部屋の入口に湯上り姿の宮本がいた。いつからそうしていたのか。どことなく難しい表情をしている。

 俺はわざと死んでゲームをやめて、宮本に向いた。

 

「難しい顔して、どうした?」

 

「いや、なんていうかその、ね――」

 

 非常に歯切れが悪い。

 

「なんなんだ?」

 

「えーっとね、実はアタシその歌があんまり好きじゃなくて……」

 

「歌? ――ああ、雨に唄えば? なんでまた」

 

 どちらかと言えば宮本が好みそうな曲に思えるのだが。

 不思議なこともあるもんだ。

 

「嫌なものを思い出すっていうか……なんていうか……っていうか相手を倒しながら歌うものじゃないし……うーん」

 

 答えにくそうにしている宮本の返事を待ちながら、俺は見当をつける。

 

「あ、わかった」

 

「え?」

 

「『時計じかけのオレンジ』だろ?」

 

 俺が言うと、宮本のさっきまでの険しい表情が一瞬で吹き飛び、とたんに瞳を輝かせた。

 

「え!? すっごい! よくわかったね! エスパー?」

 

 …………。

 なんていうか、素直だよなー……。

 

「いや、雨に唄えばで嫌なものを思い出すっつったら、時計じかけのオレンジしかないでしょ……」宮本ならなおさら。

 

「んー、っていうかそれ雨に唄えばって題名だったんだねー。知らなかったけど、まあそうなのかもしれないね」

 

「っていうか俺的にはなんで宮本が時計じかけのオレンジなんか観たのかって方が気になるんだけど」

 

「やっぱり疑問に思っちゃう?」

 

 俺は頷いた。

 

「あのねー、前にそらちゃんがアタシに映画を勧めたことがあったでしょ?」

 

「ああ、あったね」

 

 バトル・ロワイアル。

 

「そのあとからねー、たまーにだけど自発的にたっちゃんにDVDを借りに行くようになったんだー。それで、ラブロマンスのコーナーに行ったら――あ、そのときはゲオだったんだけど――『傑作』ってシールが貼られてて、タイトルにオレンジってなんか可愛い単語が入ってるDVDがあったから、どーいう映画かもよく見ずに借りちゃって……で、それが『時計じかけのオレンジ』で……」

 

「ラブロマンス!? 時計じかけのオレンジが!?」

 

 俺は声を上げて笑う。

 あれはどう考えてもバイオレンスかSFのコーナーに置くべきだろう。ギリギリのところでコメディでもいいけど。

 

「もー、笑わないでよぉ」

 

 とか言いつつ宮本もちょっと笑っている。

 

「ふ、だって、あれラブロマンスじゃないじゃん。ふふふ。……で、どうだった?」

 

「パパとママも一緒に観たから気まずくって気まずくって大変だったよ!」

 

「家族で!? ふふふっ! ふっふっふっふ! あははは! あはははははははっ! ひ、ひい……家族で……! はははは!」

 

「パパもママも内容よりアタシが時計じかけのオレンジを借りてきたことに驚いて、パパなんか『オー・ラ・ラ・ラ!』って! 日本人なのに!」

 

「いっ、息がっ! はははっ! くる、苦しい……! ははっ! あははははははっ!」

 

 笑いすぎて息ができなくなって、落ち着くまでにけっこうな時間を要した。

 

「すー、はー、すー、はー」

 

 とちょっと大袈裟に息を整える。

 

「そういえばそらちゃんがこんなに爆笑するのって初めて見たかも」

 

「まあ学校じゃあんまり笑えないからなぁ」

 

 人前だとついつい我慢してしまう。

 でも、実はクラスのお調子者がギャグをしていると、こっそり笑っちゃうことがある。ツボに入ったときなんか大変だ。

 無表情おばけみたいな評価で、笑うことなんかないって周囲から思われているだろう俺だけど、本当は教室でも一人でニヤついたり吹き出したりしている。

 

「まあ、そーいうわけでフレちゃんは雨に唄えばが苦手なのです」

 

「宮本は時計じかけのオレンジとか絶対に無理そうだもんな」

 

「そーそー。そらちゃんも観たことあるの?」

 

「うん。っていうか俺は好きだよ、オレンジ」

 

「えーっ! あれがー?」

 

 宮本が真ん丸な目をさらに真ん丸にして、口許を押さえながら言う。

 ……やはり異人種間での相互理解はありえない夢なのか。

 

 

 

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「いやいや、面白いだろオレンジ。そりゃあ合わない人にはとことん合わないだろうけどさ」

 

「んー、そうだね! ごめんね、好きな人もいるよね」

 

 俺が言うと、宮本はあっさりと自らの発言を取り下げた。

 こういうとこ、宮本は本当に素直だよなぁ。自分の好き嫌いで強情に否定しないの、美点だ。きっと彼女なら異人種間の相互理解――ひいては世界平和の橋渡しとなるだろう。

 

 ……よーし。

 

「ところで」

 

「ん?」

 

「ここに時計じかけのオレンジのDVDがあるのですが……」

 

「やめて!」

 

 ガチのトーンだった。

 

 

 ○

 

 

 TS――トランスセクシャルの略。

 トランスセクシャルとは、性転換――つまり産まれた時点での性から異性になることを指す。

 ただし、ここでいうTSとはLGBT的な意味合いのものではなく創作のジャンルとしてのTSだ。

 ある日目覚めたらいきなり女の子になっていたとか死んで転生したら女の子としての人生を歩むことになったとか、そんな感じ。

 つまるところ俺の身に起こった現象のことである。

 

 これは俺の持論なんだが、男というのは多かれ少なかれ、意識的であれ無意識的であれ、内にTS願望を持っているんじゃないかと思う。ジャンルとしてのTSが嫌いな人間でもそもそも知らない人間でも、TSに求める願望――というか願望から生まれたTSなのか?――の本質的な部分を、男性はみな共有しているのではないかと。

 つまりさ、TSの本質っていうのは「オタサーの姫的欲求」なんじゃないか。俺はそう睨んでいる。内輪のなかでちやほやされたいって願望こそが、TSがジャンルとして存在している理由なんじゃないのだろうか。

 そういやどっかで「思春期特有の性の悩みについて書かないのにどうしてTSを書いているのか」って意見を見かけたことがあるんだけど、あれってお門違いな意見だよな。TSはあくまで美少女になってちやほやされたいって願望なんだよ。願望を満たすための物語。願望を満たすための物語ってのは、自分にとって都合のいい創作で、TSはその舞台装置であるわけだから、都合の悪いリアリティは省略される。

 俺は物語には『省略されたリアリティ』と『排除されたリアリティ』があると考えている。

 省略されたリアリティってのは物語においてあえてぼかされていたり深く書かれなかった部分で、二次創作するうえで丹念に追っかけると味と深みが出るもの。排除されたリアリティは明らかに明確な意思で排除された部分で、二次創作するうえで追っかけると棲み分けを徹底しなくちゃいけない創作になるもの。例えば「アイドルのマネージャーになって、アイドルと二人三脚でトップを目指す」って作品があるとすれば、『省略されるリアリティ』はマネージャーやプロダクションなどのお仕事の裏側的な部分になるだろう。ここをしっかり書いてみた創作は受けるんじゃないか? んで、『排除されるリアリティ』はおそらく枕営業だとかその辺になるだろう。SSを書こうもんなら叩かれ、エロ同人の世界でくらいしか求められない、そんなジャンルになると見た。

 二次創作でリアリティを追究するとき、それが単に描かれなかったリアリティなのか、それとも描かなかったリアリティなのかの見極めは非常に大事だ。光しかない世界に闇を落とすことで影が生まれ、リアリティレベルは一段と高まるかもしれない。太陽があって影が存在しない世界は不自然だ。だけど、映画監督・小津安二郎は画面からあえて汚いものを払拭し綺麗な世界を撮ったという。それがあえて排除されたリアリティなら、わざわざ追究する必要はないのだ。汚いリアルを見せるために作られた作品なのか、夢を見せるために作られた作品なのか。それぞれが判断して、二次創作に臨んでほしい。

 もちろん創作は自由だ。誰がどう好き勝手にやってもいい。俺が他人にとやかく言う筋合いなんてない。押し付けるつもりはない。だが、忘れないでほしい。自由とは制限で成り立っていて、自由にはそれぞれのモラルが必要なのだということを。

 

 ――なんでモラルの話になってるんだ?

 そうだ、TSだよ。んでさ、「思春期特有の性の悩み」ってのは、TSというジャンルにおいては『省略されたリアリティ』なんだよな。作品のコンセプトによってはあえて追究しなくてもいい部分。例えば、『魔法少女まどか☆マギカ』ではそれまでにない魔法少女の闇にスポットが当てられダークなSFが展開された。それは魔法少女というジャンルにおいて『省略されたリアリティ』を追求した結果の産物である。そんな魔法少女ものの作品で、これまでのスタンダード通りに女の子に夢を見せる物語が展開されていたとして、「どうして魔法少女ではダークファンタジー要素を描くことによって作品に深みを与えることができるのにそれをしないんですか?」と意見するのは明らかにお門違いだろう。それは本来、いままで描かれなかった部分で、日の目を見たときに面白かったってだけで、スタンダードではないのだ。

 ぶっちゃけて言うとさ、「思春期特有の性の悩み」が見たければTSは醜女でも書いた方がいいよ。わざわざ美少女に書く必要なんてない。もっと言えば、LGBTについて書いた作品でも読んだ方が深いしテーマ性があるし意欲的な作品を評価するきっかけが得られるという点で意味がある。質の高い思春期の性の悩みが読みたければ、次からそーしてください。

 わざわざあんな意見を人に送り付けたってことはTSについて一家言あるんだろうけど……まあ、なんだ、頑張れ。

 

 ……うわ、言いたいことありすぎて散らかっちゃってるな。

 話を本筋に戻すけど、TSの本質ってのは「オタサーの姫的欲求」ひいては「内輪でちやほやされたい欲求」だ。

 俺は転生以前よりTSについてそう分析し、もしも自分がTSすることになったら――なんて妄想を繰り広げていた。……まさか本当にTSすることになるとは思ってもいなかったけれど。

 いろいろ考えた結果、動画配信がその最たる例ではないかと思った。

 アイドルもありかなって考えたんだけど、なんとなくさ、ニコ動とかで実況配信して、コメントとかたくさんもらってちやほやされるのが一番オタサーの姫的欲求を満たせるんじゃないかって思ったんだ。まあこの感覚は人それぞれ個人おのおのだ。俺は動画配信者の可能性を妄想したときに一番ぴんと来た。

 だから俺は転生して自分の性が女だと知ったとき、未来の可能性に「動画配信者」という夢を見た。

 

 もしも、俺が将来的に美少女になれたとしたら、動画配信やってちやほやされてー。

 そう考えた。

 

 そんなこんなで十八年。俺ももう高校三年生だ。現在夏休みで、学校はそもそも不登校気味。ならば、そろそろいい頃合いなんじゃないかと思う。

 動画配信者を始める、いい頃合いなんじゃないかと!

 

 正直言って、俺はそんなに悪い容姿じゃないと思う。まー美少女ってほどではないけれど(宮本はもろ美少女でこんなに可愛い女の子が現実にいるんだーって感じなんだけど)、そこそこ整った顔立ちである。うん、悪くない。

 充分だ。この顔なら、TSの本懐たるオタサーの姫的欲求を満たすための動画配信を行うに不足ない。

 

 何をするでもなくごろごろしていた俺は、立ち上がって同じくごろごろしていた宮本に言う。

 

「なー、宮本」

 

「なーに?」

 

「俺、ちょっと出かけてくるわ」

 

 俺が言うと、宮本が勢いよく立ち上がって、

 

「じゃあアタシも行く!」

 

 と。

 

「いや、宮本は留守番しててくんない?」

 

「えー?」唇をとがらせて、不満そうにする。

 

「すぐ帰ってくるからさ」

 

「わかったよー。すぐ帰って来てね?」

 

「オーケイ」

 

 ってやり取りを残して俺は最寄りの家電量販店に向かった。

 

 ……いや、夏休みに友達とお泊り会って状況で、俺はなぜ電気店に向かっているんだろう。こんなのはいつでもできることなのに。まあ、言っても二人とも自室でごろごろしていただけなんだけれども。

 

 

 ○

 

 

 俺はひとり橋の上を歩いていた。イヤフォンから流れる音楽は『グノシエンヌ』。この曲を聴いてると肩を切って歩きたくなるよな。『その男、凶暴につき』の影響だ。

 

 タタタッタンタン、タン……。

 

 と。

 

「あうっ!」

 

「わっ!」

 

 向かい側の歩道を歩くサングラスの男をなんとなく見ていたら、人にぶつかった。

 

 俺は尻餅をついて、起き上がろうとする。そのとき、今朝の夢を思い出した。

 夢の中で俺は……。

 俺の頭上に影が落ちた。胸に空いた三つの穴がフラッシュバックして、俺は腕を前面に出して体を庇いながら、咄嗟に「撃たないで!」と命乞いをした。

 

「すんません命だけは!」

 

「え、ちょっと、だいじょーぶ?」

 

 それは女の声だった。

 我に返って上を見上げる。

 

 うっかり見惚れるほどの美少女がいた。赤みがかった髪の毛は癖がついている。暑いのかスタイルなのか服は肌蹴ていて、目の毒だ。左手にビニール袋を提げている。

 

 しばらくぼーっとして、それから自分の言動を思い出し顔が真っ赤になる。

 撃たないでって、何言ってんだ俺は! 馬鹿なのか!? 恥ずかしい……。

 ぐう。

 

「お♪ 顔真っ赤! キミ、可愛いね~。あっ、ナンパじゃないよー。どっちかと言うとむしろシキちゃんはコウハだから~ってこの口調だと説得力ないか」

 

 なんかめちゃくちゃに捲し立ててくる……。

 その、シキ? って子は俺に手を差し伸べた。素直に手を取って、立ち上がる。

 

「あ、ありがとうございます。……すいません、よそ見してて」

 

「いいっていいって、あたしも同じだからさ。おあいこってことで」

 

 なんかこのノリ、誰かさんを思い出すな……。金髪でハーフでお喋りな何本何デリカさんを……。まあちょっと似て非なるノリだけれど。

 俺は謝罪もほどほどに立ち去ろうとする。しかしシキとやらはその場に留まって俺の近くから離れようとしない。

 どころか、

 

「すん、すんすん」

 

 なんか匂いを嗅ぎ始めたんですけど!?

 

「あの……」

 

「キミ、なんというか、すん、香しい匂いだよね~。不思議な香り……。なんだろう、不一致の匂い?」

 

 俺の困惑を無視して、そいつは俺の匂いを嗅ぎ続ける。

 

「ちょっ」

 

「LGBT……トランスジェンダー? いや、トランスセクシュアル的な……でもちょっと系統が違うというか……ぜんっぜんわっかんない! すごいすごい! なにこれ!」

 

 トランスセクシュアル。その単語に思い当たる節があってどきりとする。文脈的にこいつが言ってるのはLGBTの方だろうけど、俺の身に起きたTSという現象に関連する単語を、出会って即言い当てられたのには言いようのない危うさを感じた。

 というか、どうしてそんな単語が出てくるんだ!?

 どうにも何かを見透かされているような気がして、目の前の女が怖くなる。

 

「キミ、オンナノコ? オトコノコ?」

 

「お、女だけど……」

 

 いや、何を馬鹿正直に答えているんだ、俺。

 つい男って言わなかったあたりは、まああれだけど。でもそれはそれで複雑というか、なんてーか、女であることも板についてきたよなぁ。

 

「そうだよねそうだよね! うん、匂いは確かに女の子なんだよね~。でもどこかオトコノコ的なフェロモン的な精神的な何かがほわんってしてるとゆーか……。なのにトランスセクシュアルのそれとは何かが違ってて……キミ、何者?」

 

「い、いや! いきなりなんなんだよ! そっちこそ何者だ!?」

 

「あー、まあそうだよね。うん。ごめんごめん。あたし、一ノ瀬志希ってゆーんだ。希望を志すってね。キミは?」

 

 一ノ瀬はそう自己紹介をした。それでも俺は名乗らない。名乗るには一ノ瀬とやらはあまりにも怪しすぎるのだ。

 ふと、ビニール袋に目が行く。

 ビニール袋には、容量がいっぱいいっぱいになるほどの大量の液体洗剤が詰め込まれていて、しかし同じ商品はひとつとしてない。

 

 ……いや、怪しすぎるって。




お気に入り1000件突破ありがとうございますってことで描いたそらさんなんですけど、途中でどう考えてもありがとうって顔じゃないことに気づいて没にしました。↓


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供養です。


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一ノ瀬志希――3

 小学五年生になって再び戦争本の紹介をさせられることになってあたしは『ドラえもん』を紹介しようか悩んだのだけど悩んでいるときに担任の及川先生があたしを呼び出して言った。

「今度の道徳の授業なんだが……」

「うん」

「この本で書いてみないか?」

 と言って先生が差し出してきたのは『日本のいちばん長い日』という小説だった。ぱらぱらって捲ってみる。小学五年生が推薦文を書くにはちょっとばかしフクザツな内容かもしれない。っていうか、あれ、あたしの意見はどうなるんだろうか。先生はさらにこう付け加えた。「これは一ノ瀬にしか提案してないんだけどな」

 その台詞と口元に添えられた人差し指があたしにとっていったいどんな価値があるのだろう?

 

 小学三年生のときの知能検査であたしはギフテッドであることが判明したのだけどその次の日からあたしの評価と言うか見る目の雰囲気が変わった。あたし自身は何も変わっていないのに、肩書きが目に見えるようになっただけであたしを見る目が変わったのだ。当時のあたしにとってそれはとてもとても奇妙なことだった。

 あたしの成績はもともと良好だった。けど、態度や意欲の点でケチをつけられることがままあって。まあそれはそれで先生の判断なのだからあたしがどうこう言うつもりはなかったんだけど……でもギフテッドであることが判明した翌年の通知表は意欲点も悪くなかった。つまりこういうことなのだ。「ギフテッドだから人と違う」「IQが違うからかみ合わない」→そして許されると。ふーん。つまり態度すらあたしが天才と言う肩書きを所有しているか否かで評価が変わってくるのだ。そういえば三年生のころ道徳の授業で田辺先生がドラえもんを勧めるあたしに「ふざけるな」と言った。もしもあのとき、あたしがギフテッドだってことが周知の事実となっていたら先生はあたしに「ふざけるな」と言ったのかな? それともドラえもんを勧めるあたしを「ギフテッドゆえの感性の違い」と捉え、真面目に授業を受けていると判断したのだろーか? でもあたしのIQが115でもあたしはいまのあたしのような思考や判断をしていたかもしれないし、回転の速度や切り口の鋭さ、それと思索の深さに違いはあれど、考えの方向性はIQの高低では変わらなかったかもしれないよ? あたしがギフテッドじゃなくても、あたしはあのときドラえもんを勧めていたかもしれないのに。あたしの感性は、ギフテッドという評価軸を失った途端に色褪せ輝きを失い廃れてしまう。

 そう。

 あたしの感性はギフテッドでなければ成り立たないものだったのだ。

 

 それから及川先生はあたしにいろいろ言ってあたしもいろいろ頷いたのだけどどんな会話だったのかは憶えていない。とりあえずあたしが去るときに放った及川先生の言葉だけはなぜか印象に残っている。

「期待しているからな、天才」

 その台詞とウインクがあたしにとっていったいどんな価値があるのだろう?

 

 

 ○

 

 

 その、女の子なのか男の子なのかどうにも判然としない、だけど少なくとも体の性は女の子って不思議な匂いのするその子は、見るからにあたしを警戒していた。一緒に橋の上を歩きながら、その子は鋭い目つきであたしをねめつける。んー、ま、そーなるよねー。初対面でいきなりくんかくんかだもんなあ。そりゃ身構えるよ。……っていうかあれ、それ、不審者って言うんじゃないの?

 …………。

 実験いち。

「そーいえばこのあたり不審者が多いって聞くから気を付けた方がいいよ~」本当は聞いたことないけど。

「へーそーなんだー本当だーでももー遅いけどなー」

 暗にお前が不審者だと言われた。……あーあ、やっぱり不審者って思われてるね、これ。あと、この子ちょっとツッコミ気質がありそうだ。

 実験いちしゅーりょー。

 あたしとその子――不便だね。便宜的に紫ちゃんって呼ぶことにしよう(匂いがなんか紫色してたから)――は現在、橋を渡った先の都心へと続く歩道を歩いていた。さっきまであたしがいた方向。話によると紫ちゃんは家電量販店に向かっているようだ。「ふーん、何を買うの?」「いや、それは……」紫ちゃんは言いにくそうにしている。まあ警戒されてるもんね。「言いたくないんだったらいいんだけど」「っていうか、一ノ瀬サン? どーしてあとをつけてくるのでしょーか」「キミにキョーミがあるんだよ~。ねーねー、今日一日だけでも観察させて?」「嫌だよ、人を実験対象みたいに」けっこう的を射ている。「じゃー目的をすいこーするまででいいからさー。お家までは着いていかないよ」「……」「お願い、紫ちゃん」「紫ちゃん?」猫なで声で言ったら、さっきまでの渋面が不思議と驚きと興味に変わった。たぶん猫なで声は関係ないけど。「俺のことか?」こっちはこっちで“俺”という人称に強い興味が湧いたのだけど、話が混沌となるから抑える。「そだよ。名前わかんないんだもん」「だからってなんで紫?」「匂いが紫だからー」「匂いに色があるのか?」「うん、なんとなくだけどねー」「あー、共感覚ってやつか」「そそ、そんな感じ~。逆に見たものから匂いを感じることもあるよ」「へー!」「ところで紫ちゃんは……」「――そら」「へっ?」「安代そらだよ」それが紫ちゃんの名前だって理解するのに0.2秒くらいかかった。――そら。――そら。――そらちゃん!

「そらちゃーん!」ってあたしはそらちゃんの背中に突進して腕を回した。うなじをはすはす。「はすはす」「ちょっ!」なーるほどなーそらちゃんはいわゆるツンデレさんというやつなんだ~それもチョロい。ツンデレチョロインかーわい~♪ はすはすを続けていたら「や、やめろぉぉ!」と言われたのであっさりやめて直立するとそらちゃんは逆にギョッとした。にゃはは、反応面白~い♪

「しーん」

「あのー、一ノ瀬さん?」

「しーん」

「えーっと……」

「しーん」

「あ、その、いまのは――」

「えいっ」ふにっ。そらちゃんの頬を指でつつく。「ぎゃっ!?」そらちゃんは肩をびくつかせて頬を押さえる。ぎろりとあたしを睨むその目は、元来の目つきの鋭さがさらに増して凶悪と言えるほどの光を孕んでいた。うう、こわ~……。すぐに諦めたようなため息をついて元の調子に戻ったのだけど。どうも苦労人のようだ。

 なが~いため息を終えて、そらちゃんがあたしに再び向き直った。そして、言う。「で、何を言いかけたの?」「何をって?」何か言おうとしたっけ? あたしは首を傾げる。はて。「いや、俺になんか言ってたじゃん」あっ、そうだった! “俺”だよ! 俺! 俺おれ! ←ノットオレオレ詐欺。あっ、そうだ、いまなんとなく思い付いたんだけどオレオ詐欺ってどうかな? もしもし、俺オレオだけど……ばあちゃん俺をもっとミルクにつけてくれよ! ミルクに! そうそう……いち、に……美味しくなったぁ~! ←? ……話を俺に戻そう。「いや、そらちゃん俺って言うんだなーって」「あー、…………なんか癖なんだよなー」おや? 人称について指摘したら、そらちゃんの発汗量がほんの少し増えた(汗の匂いが濃くなったのですぐわかる)。何か後ろめたい事情がありそうだけど、それ以上は下世話なので(というか現時点でもそうなんだけど)やめる。あたしも普段ならこんな風に追究したりはしないんだけどそらちゃんはセクシュアル・マイノリティの類いではないようなので特に隠し事はないかなって深く訊きすぎちゃった。「んー、まあ言うほど珍しくはないよね」「そうかな。まあ、たしかに指摘されたことないけど」じゃああたしが第一号か。なんか悪いことした気分になるにゃあ。「なんとなく癖で俺って人もいるよね~」「そ、そうそう!」あたしが助け船を出すと(ピンチを作ったのもあたしだから自作自演だけど)そらちゃんは食いぎみになって頷いた。うわ……。わかりやすい……。それじゃーあたしでなくとも焦りを見抜けちゃうよ。

 なんか――危ういなあ……。

 でも同時に何か隙のようなものが感じられてとても親しみやすい。うん、ギャップだね。どっちかってゆーと表向きはつんつんしているから、こーゆー隙のあるところにきゅんってしちゃう。なるほど、この子の匂いとはまた別のなんとなーく構いたくなる雰囲気にはこんなからくりがあったのかあ。

 ――とかなんとか思いながらあたしはちょっとぞっとする。

 気づいたらそらちゃんを観察――そして()()している自分に、ぞっとする。

 あたしは大抵のことは観察していると理屈がわかってしまうので三分で飽きが来てしまう。理解できているものから受ける刺激はできていないそれと比べてどうしても薄くなっちゃうからだ。だから、あたしはキョーミのあるものは理解したいけど理解してしまえば楽しめなくなっちゃうパラドックスを抱えている。まあでも世の中の物事なんてみんなそんなもんだ。みんなはゴールを目指して走っているけどゴールテープを切っちゃったら楽しい競技はお終い。なんだって同じ。ただあたしはキョーミに対する熱と理解の速さが比例しちゃっているだけで。

 だから目の前のそらちゃんもいずれはぜーんぶわかっちゃって飽きちゃってちゃんちゃん。でも、そんな冷たい人間関係なんてあたしは嫌だなー。一緒にいて面白いと思える相手といつか飽きちゃうことが前提で付き合うなんて嫌だ。それなら誰とも関わらない方がいい。一生自分の殻に閉じこもっていた方がいい。なのに、あたしはまたいつも通り目の前のそらちゃんを解析しちゃっている。すでに一部を理解しちゃっている。それがたまらなく怖くて、ぞっとする。

 自重しよう――あたしたちはまだ初対面で出会って十五分も経っていない仲だ。

 そんなこんなであたしは裏でちょっと距離感を見つめ直しつつそらちゃんとてくてく歩くのだった。二十分後、家電量販店に到着する。

 

 

 ○

 

 

 『日本のいちばん長い日』を基に様々な資料をかき集めてさらにいくつもの書籍を読んで多角的な視点から筆を執ったあたしの超大作はもちろんあたし自身の意思ではなく教師のウケを想定して書かれたものだ。そもそも『日本のいちばん長い日』の推薦文を書くという時点であたしの意思の介在する余地はなくて、端っから教師の傀儡(くぐつ)なのだからそれなら徹底的に教師に媚び(へつら)ってしまおうなんて投げやりで諦念に近い考えがあった。で、授業当日。あたしは読点と改行を限りなく排除したギチギチな文体で書いてきた原稿用紙十五枚分の推薦文と言うか意見文を発表した。同級生たちはあたしの言っていることをよく理解できていなかったようだけど、とにかく圧倒されたらしくてあたしは惜しみない称賛を受けた。及川先生も喜んで褒めちぎって手のひらが痛そうなくらい勢いのある拍手の雨をあたしに浴びせまくった。やったー。でもあたしがみんなに紹介したかったのはドラえもんだ。教訓があって笑いがあって毒があって夢があるドラえもんだ。あたしの推薦文をお気に召した及川先生はバックの教師陣にあたしの文の出来を吹聴して回って大きな発表の場を設けてくださった。あたしはあたしの意思の介在しない推薦文でどんどん事が大きくなっていくのを滑稽に感じつつそれを体育館で発表して全校生徒のスタンディングオベーションが巻き起こってでもやっぱりなんか違うなーって思って作文コンクールに出品されて大変優秀な成績を残した(らしい)ときもあたしは結局ぴんと来なかった。どーしてあたしの意思の介在しない“これ”にみんなはお熱なのだろう。わからない。そしてコンクールの表彰式の日がやって来てなんだなんだと偉い人がやって来てあたしのことを表彰して壇上に上がって賞状を受け取るあたしに教室でもらったときと比べものにならないくらいの拍手が起きたとき、あたしはようやく目が覚めてはっとしてはっきりと思った。違う、あたしがみんなに紹介したかったのはドラえもんだ! あたしじゃないあたしがどうしてみんなに評価されちゃうの!? 知能指数だなんてデジタル的定量的な数字でしか見えない「ギフテッド」って言葉であたしを表さないで! もっと定性的なあたしの本質を褒めてよ! 曖昧でも抽象的でもいいからさ……。

 

 

 ○

 

 

「価値ってなんだろうね?」「意味ってなんだろうね?」「感性ってなんだろうね?」「天才ってなんだろうね?」「意見ってなんだろうね?」「称賛ってなんだろうね?」「曖昧ってなんだろうね?」「自由ってなんだろうね?」「期待ってなんだろうね?」「理解ってなんだろうね?」「自分ってなんだろうね?」「満足ってなんだろうね?」「必要ってなんだろうね?」「本質ってなんだろうね?」「戦争ってなんだろうね?」「疑問ってなんだろうね?」「興味ってなんだろうね?」「好きってなんだろうね?」

 ??????????

 わっかんな~い!

 

 

 ○

 

 

 …………賞状を受け取ったあたしはあたしの座っていた席に賞状を置いて表彰式がまだ終わっていないのにも(かか)わらずふらーっと外へ出た。あたしの記念すべき人生初失踪の瞬間。なーんか、もー飽きちゃったにゃあ~。わかってしまえることにも、わかってしまえないことにも。世の中わかることだらけで、いろんなことがわかってくると、全然わかってないことがわかってくる。わかることだらけでわからないことだらけだ。めんどくさ~い。

 そんでもって表彰式の次の日あたしは学校で及川先生に「失望したよ、一ノ瀬」と言われて「そーですか」と返した。

 その台詞と表情はあたしにとって一切のどんな価値もなかった。




先日、国語の授業課題で作文を提出したら、担当教諭に「ものを書くの好きでしょ?」といった具合に趣味を看破され、言葉に詰まりました。そういえば去年も、保健体育のテストに意見文を書く項目があって、そこで書いた文章がなぜか数学の先生にまで伝わり、謎の絶賛と「普段から文章が好きで書いてるでしょ?」ってありがたい言葉を頂戴する~なんて出来事がありました(ちなみにテーマは「男女間の友情はありえるか?」です。私がどっち派なのかはご想像にお任せします)。こういうのってわかるものなんですね。怖かった。


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一ノ瀬志希――4

 っていうかこの人なんでついてきているんだろう。

 というのは家電量販店に到着したときの俺の感想。一ノ瀬は、いろいろと俺に話しかけながら結局目的地までついてきた。めちゃくちゃ喋るしからかうし抱き着くし――宮本と親しくなかったら俺、このノリについていけなかっただろうなあ。心のなかで感謝する。

 

 俺は暑さではあんまり汗をかかないから、夏深き青空の下でもたいして不便はしないんだけど(実際のところ、あんまり汗をかかないというのもよくないらしい)、一ノ瀬はさらに汗をかかない体質らしくて、暑さを感じているのかどうか見た目からはわからなかった。俺はこれでもちゃんと暑さを感じていて、だから家電量販店の自動ドアが開いて冷えた空気が逆流してきたときは命を吹き込まれたミイラのような気分になった。

 っていうか一ノ瀬、いくら俺が汗っかきじゃなくてもまったくかかないわけじゃないんだからこんな暑い日に抱き着いたりしないでくれよ。けっこう気にしてるんだぞ、そういうの。

 それを暗に仄めかすと、

 

「いい匂いのする人の汗はいい匂い~」

 

 と「絵が上手い人の絵は上手い」みたいなことを返されてだめだこりゃと思った。

 

 

 家電量販店の3FはたくさんのPC周辺機器が並んでいた。隣の一ノ瀬は存外、機械類に疎いわけではないようで、吟味するような目で周囲を見ていた。

 ふむ、目的のものは大抵ここで買えるだろう。

 小さい頃から貯金してきたお金を、先程、一ノ瀬と出会う前にコンビニで下してきた。諭吉さんフィーバー。本などで散財することもよくある俺が、それでもなんとか守り抜いてきたお金は、今日このときのために蓄えられたのだ。

 惜しみなく使っていくぞ。

 

 まず、実況を始めるにあたってゲーム画面を録画できなければ話にならない。PCゲームならデスクトップキャプチャソフトひとつでこと足りるだろうが、テレビゲームはそうもいかない。なのでまずはキャプチャボードを見繕う。これがあればテレビゲームの録画も可能。実況するなら必須アイテムと言えるだろう。

 んで、次はオーディオインターフェースを買う。こいつはステレオミキサーの機能を使うために必要な外部機器だ。ま、ステレオミキサー機能なんて今どきの動画配信ソフトなら大抵ついているらしいが、本格的なことをしたければこいつが必要になる。あと、接続できるマイクの幅が広がって(ダイナミックマイクとコンデンサマイク)、おまけに音質もよくなる。とりあえず録音環境を整えるためのものだと思ってくれて構わない。

 と、ここで一ノ瀬が訊いてきた。

 

「それってキャプチャっていうくらいだからキャプチャするためのもので、そっちはオーディオインターフェイスだよね? 面白い組み合わせだねー。でもキャプチャするためにわざわざ外部機器なんて買う必要あるかなあ? キャプチャソフトでじゅーぶんじゃない?」

 

「PCならそうかもしれないけどね」

 

「PCならってことは……PC以外……PC以外? ……あ、わかった。もしかしてビデオゲームのキャプチャに使うとか?」

 

 とてつもない飲み込みの早さだった。

 様子を見たところ一ノ瀬は機械類には多少明るいようだが、ゲーム配信という発想が出るほどネットの実況界隈に明るくないらしい。それでもキャプチャボードをほとんどノーヒントでゲームに繋げられるのだから、なるほどどうやら頭の回転が速いようだ。

 

「よく見当がつくな……」

 

 一ノ瀬が主人公の探偵小説とか面白そうだな、なんて。

 ちょっと読んでみたい。

 

「まーね。でもオーディオインターフェイスがわかんないよねー。そのキャプチャ――」キャプチャボード、と俺は言う。「キャプチャボードね。キャプチャボードとオーディオインターフェイスを組み合わせて使う場面なんてあんまり想像つかないからさ。それとも二つは関係ないのかな? あっ、楽器とかやってる?」

 

「まあ、ちょっと。でもこいつは楽器のために買うわけじゃない」

 

「んー、なんだろー」

 

 と言いつつ俺に直接訊くことはない一ノ瀬。

 もしかしたら自分で当ててみたいのかもしれない。俺もそういうことはある。

 

 なんて会話を続けながら俺は次の場所へ行く。

 次に選ぶのはマイク。やはり実況配信を行うならできるだけクリアな音声を届けたい。せっかくオーディオインターフェースを買うのだからダイナミックマイクかコンデンサマイクがいいよな。コンデンサマイクは性能は高いがその分繊細でどうも扱いが難しいと事前調査で明らかになっているので、俺はできるだけ良質なダイナミックマイクを選んだ。あと、ビデオカメラに外付けする用のマイクも買う。そんでマイクを立てるためのマイクスタンド、ポップノイズを軽減するためのポップガードを手に取る。

 

「ずいぶん本格的だねー。もしかして歌のレコーディングかな?」

 

 次はビデオカメラだ。実況者とは言えゲーム配信ばかりじゃ芸がないだろう。例えば料理配信をするやつもいるし。料理配信をする予定はないが、あると便利だろうからできるだけいいやつを選ぶ。

 

「……カメラ? なんかいきなりわかんなくなっちゃったな。脈絡ないんじゃない?」

 

 と、ヘッドフォンやらなんやら、いま現在すでに持っている周辺機器を強化する意味でいろいろ選んで終了。俺と一ノ瀬でレジに並んで購入。

 その間一ノ瀬はずっと推理を続けていた。

 それから、俺も一ノ瀬の推理には興味があったので、店を出る前に入り口周辺で立ち止まって、一ノ瀬の考えがまとまるのを待つ。

 

「んー、なんだろーねー。もしかしてそれぞれ違う用途で買ってるの?」

 

「いや、全部同じ目的だよ」

 

「同じ目的ー? うーん……。録画にー録音にー……インターフェイスだからパソコン使うだろうし、ゲーム画面をキャプチャってことだから結局これもパソコンに取り込むのかな……。……っていうか録音? ゲームを? 音はキャプチャされないの? ……あ、もしかしてキャプチャボードってゲーム画面を動画形式で保存するわけじゃなくて、パソコンの画面でビデオゲームができるってアイテムなわけ?」

 

「そうそう」

 

 とか相槌を打ちつつ俺は驚愕。

 うわ、すげえ。なんでこの情報量でわかっちゃうんだろう。

 すごい勢いで答えに肉薄している。もしかして本当にゲーム実況配信という解にまでたどり着くんじゃないだろうか。

 なんだか悪いことをしたわけでもないのに意味もなくドキドキしてきた。

 

「ってことは音声もパソコンから流れるのかな~。そうするとゲームの音自体はキャプチャでなんとかすればいいわけだから、わざわざマイクを買うのは自分の声も別で録るためで……? なんで自分の声? っていうかパソコンでゲームすることに意味があるのかな? 自分のプレイを保存したい? そういう趣味がある? ……なんか違うような……。録音……録画……なんか、ここまで来るとまるでテレビ番組の撮影だね…………テレビ? ……テレビ……テレビ……あ! わかった!」

 

 と、一ノ瀬がすっきりしたような声を上げた。

 早いな。本当にわかったんだろうか。いや、でもテレビって言ってたぞ。

 

「お、言ってみて」

 

 俺が促すと、一ノ瀬は答えた。

 

「つまりさ、そらちゃんは――パソコンでテレビのチャンネルみたいなものを作ろうとしてるんでしょ? 自分のプレイを保存して何度も観るっていうのは、ちょっと不自然だから――まあそういう人もいるっちゃあいるんだろうけど――つまりこれは自分が観るためじゃなくて、人に見せるための準備ってこと。ただ自分のゲームプレイを見せるだけじゃあ面白くないから、自分のコメントも一緒に付け加えながら見てもらうって感じかな。そのためのマイクなんじゃない? パソコン――インターネットを通じて世界中に自分のゲームプレイを見せようってわけだ。動画サイトなんてものもあるし、いまはテレビチャンネルなんて作ろうと思えば個人でも作れちゃうんだね。なるほど面白いなぁ」

 

 おお! 本当に当ててしまった。

 口ぶりからするとおそらく一ノ瀬はゲーム実況配信という概念をそもそも知らなさそうだ。にも拘らず、この限定された情報で、ゲームプレイを世界中に実況配信するという目的を看破できるなんて……。小さな頭に脳みそいっぱい詰まってんだなあ。

 しかしテレビチャンネルというのは面白い表現だな。たしかにこれって言い換えたら個人がテレビのようなコンテンツを各々で作れるようになった――ってことなのかもしれない。

 

「キャプチャボードとオーディオインターフェイスの特性上、その場その場での調整を想定しているね? じゃあリアルタイムでの送信も考えてるのかな。あと、ビデオカメラを買うくらいだから、ゲーム以外にもいろいろやる予定っぽいね。こうなると本当に個人制作のテレビ番組みたいだね~」

 

「正解だよ。こういうのゲーム実況って言うんだけど……」

 

「やった~! あったりー! どんどんぱふぱふ~♪」

 

 答え合わせをすると、一ノ瀬が大げさに喜んだ。こういうところもなんか宮本とノリが似てるなー。でもやっぱり、何か本質的な部分で違うんだけど。

 一通り喜ぶと、一ノ瀬はこう締めくくった。

 

「コンピュータがパーソナルな機械になってから、世界はどんどん内側に閉じていってる……。それでも、人間は誰かと繋がりたいって思っちゃうんだねー。案外、人間は一生自分の殻のなかに閉じこもれそうで、真の意味では不可能なんだろうね」

 

 そういう話でしたっけ?

 なんか、それっぽい感じの難しいまとめに入った……。

 

 

 俺と一ノ瀬は外に出て、そして別れた。

 最初から家まではついてこないと約束していたので、一ノ瀬は家電量販店を出るとすぐに「じゃあね~面白かったよ~」と言って行方をくらました。なんか、嵐のような人だったな……。

 なんだかんだ面白かったから、ちょっと寂しい気もする。あの強烈なキャラクターはしばらく忘れられそうにもない。

 まあ、どうせここにいられるのはほんの一時なんだ。こういう一期一会もある。

 俺はコンビニに寄ってサングラスを買ってさっと家に帰った。

 

 

 ○

 

 

 ただいまーつって「おかえり~」って宮本が現れると、本当に不思議な感覚に陥る。

 俺は両手のレジ袋を床に置いて、靴を脱いだ。宮本がこちらに駆け寄って来て、レジ袋の中身を見る。

 

「わっ! なんかいっぱい買ってきたね! すご~い! ……なーに、これ? スパイ大作戦?」

 

「ただのPC周辺機器だよ」

 

「んー、ま、いっか」

 

 あまり興味がないようだった。

 玄関を抜けてレジ袋を持って宮本と廊下を歩く。

 

「それにしても遅いよー! もーフレちゃん退屈だったんだよ~。そらちゃんがいないからー。すぐに帰って来るって言ったのにー!」

 

「ごめん……」俺が苦笑して謝ると、「すんすん」宮本が俺の周りをうろちょろして鼻をすすり始めた。すんすん、すんすん、と、一ノ瀬を思い出すしぐさだ。

 

「すんすん」

 

「み、宮本?」

 

 戸惑っていたら、宮本が思いがけない低い声で、

 

「すんすん……他の女の匂いがするー!」

 

「えっ!?」

 

 どきりとした。

 宮本の言ってる内容もそうだし、匂いってワードもそうだ。ピンポイントで一ノ瀬が俺に投げたキーワードを言い当ててきた。それに実際、女と一緒にいたわけだし。

 宮本の発言は、まるで俺と一ノ瀬のやり取りを見てきたようだった。

 

「アタシに隠れて浮気したでしょー!」

 

 などと突飛なことを言う宮本に、俺はしかし恐怖を抱く。

 

「み、宮本?」

 

「信じてたのに……」

 

 言って、ふらふらと近づいてくる宮本が怖い。

 俺は「ごめんなさい許して!」と叫んで顔を守るようにばつの字を作った。

 必死の命乞い。

 

 すると宮本の歩みがぴたっとやんで、困惑したように

 

「そ、そらちゃん? じょーだんだよ?」

 

 と。

 

 俺はほっと胸をなでおろす。

 そうか、冗談か……。心臓に悪い……。

 っていうかなんだよ、浮気って……。俺たち付き合ってねえし。そもそも俺が誰と会ってたって責められる謂れはないし。俺もなんで本気にしてんだよ……。

 

「え、なんで? なんでこんなに驚くの? フレちゃん逆にびっくりなんだけど」

 

「いや、実は本当に女の人と会ったからさ。図星でビビった」

 

「へー! そうだったんだー。アタシもしかしたらシックス・センスに目覚めたのかもねー。んっふっふ、灰色の脳細胞が冴え渡ります~」

 

 ちょっと国籍が違うかな。

 

 

 宮本と自室に戻って、買ってきたものを全部出した。キャプチャボード、カメラ、マイク、オーディオインターフェースなどなど……。今日買ってきたものの確認がしたい。

 宮本は俺のしていることが気になるのか興味深そうにこっちを見ていた。

 ゲームを持ってきていないのでキャプチャボードは不要だが、とりあえず動作確認ができそうなオーディオインターフェースとマイクを取り出す。

 

「そらちゃん歌うたうの?」

 

「歌わないよ」

 

 と言いつつもやっぱり歌ってみようかなとも考える。

 

 オーディオインターフェースをパソコンに繋ぐ。それからオーディオインターフェースの方にマイクを繋ぐ。

 調整を済ませると、買ってきたヘッドフォンを早速パソコンに繋いで装着する。「あ、あ」と声を出して録音。再生。

 

『あ、あ』

 

「きっも!」

 

 うわ! なんだこれ、なんだこのボソボソ喋っている奇妙な女の声は! 俺の声なのか!? これが俺の声なのか!?

 うう、いまのは精神的ダメージけっこう大きかったぞ。実況配信やめようかなってちらっと思ったが、かなりの大金を払った手前そんな決断は下せない。

 でももう二度と喋りたくねえなあ……。

 

 俺は自信を失くして、縋るように宮本に確認する

 

「な、なあ宮本。俺の声ってきもいか?」

 

「そらちゃんの? んー、べつに普通だと思うけどな」

 

 本当だよな!?

 信じていいんだよな!?

 信じるぞ!?

 

 ……あ、そうだ。

 俺はあることを思いついて、ヘッドフォンのアダプタを抜く。

 それから宮本に訊いた。

 

「……宮本ー、ちょっと歌ってみるか?」

 

「アタシが? 面白そー! 歌う歌う!」

 

 宮本は身を乗り出して提案を受けた。マイクを渡して、録音の説明をする。とはいえ操作をするのは俺で、宮本には歌いだしのタイミングだけを考えてもらう。

 

「なんか歌うの決まった?」

 

「んー、じゃ、決めた! いこっ!」

 

 よし。

 俺は録音を開始して、宮本に合図を送る。

 宮本が歌ったのは、『エージェント夜を往く』というアイドルソングだった。最近巷で流行っている765プロの……誰の曲だったかまではわからん。アイドルには詳しくない。

 ……けっこう上手いな。

 まあ、宮本のような交友関係の広いタイプの人間はよく仲間内でカラオケに行くだろうから、そこそこの歌唱力が身につくんだろうな。

 

 サビまで歌って、録音を終了させた。

 

「再生するか?」

 

「お願いします……」

 

 なぜか神妙な空気で宮本は頷いた。神聖な儀式のような……まあごっこ遊びみたいなもんだろう。

 俺は録音した音声を再生する。流れる宮本の声。さっきとあまり変わらない。

 ――しかし、

 

「えーーーーっ!? これアタシの声!?」

 

 甲高い悲鳴が聞こえたと思ったらやはり宮本だった。

 宮本は身を悶えさせながら俺に再生中止を求める。「ちょ、ちょっと待って! 待って……。止めて!」俺はBメロに入る直前で再生を停止させた。

 

「何これ、いまの誰の声? 本当にアタシの声なの……?」

 

 めっちゃショック受けてる……。

 

「いや、いつもと同じで――」

 

「いつもと同じ!? いつもこんな声聞かれてたの!?」

 

「じゃなくて! いつもと同じで普通に可愛い声だと思うんだけど!」

 

 俺が叫ぶと、宮本が俺の肩を掴んで揺さぶる。

 

「ほんとだよね!? 信じていいんだよね!? 信じるよ!?」

 

 宮本の確認は真に迫っていて、俺は首を縦に何度も振って頷くしかなかった。もちろん俺の言葉に嘘はなくて、宮本の声は声優もかくやと言わんばかりのキュートボイスだ。

 そんな地獄みたいな様子を見て俺は確信する。誰が聞いても録音した自分の声と言うのはきついものなんだな。

 じゃあ、俺の声も、宮本が普通と言っている以上、悪いものではないんだろう。

 

 よかった――

 

 なんて。

 俺はかなりいやらしい方法で自信を回復させた。――が、その代償はけっこう大きくて、俺は宮本をなんとか慰め、自信を回復させ、それからお詫びのプリンを買いに再び夏深き青空の下を駆けることとなったのだった。



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一ノ瀬志希――5

 そらちゃんと別れたあとあたしはお家に戻って買ってきた洗剤をテーブルの上に並べて何か実験を始めようとしたけどしばらく余韻に浸っていたかったからやめた。そらちゃんのあのよくわからない謎で奇妙で興味深い匂いを、洗剤の香りで上書きしたくなかった。キミはキミョーでキョーミ深い。なんちゃってにゃはは。そらちゃんの匂いはいい匂いっていうか不思議なんだよね。まるでこの世の存在じゃないみたいな、あたしがいままでサンプリングしてきたどの匂いのパターンとも違う、解き明かしたくなる魅力がある。パターン。まるで機械だ。中国語の部屋という思考実験を思い出す。どうでもいいけど。あたしの思考は言葉で編まれていない。……で、なんの話だったっけ? ――なーんて三つ歩いたら忘れる鶏かってにゃっは~♪ セルフツッコミを入れながらテレビをつける。やっていたのはワイドショー。ふーん何々? へえ~ある事務所のアイドルの大半が彼氏持ちでしかもそのカップル同士で交友関係と言えるかどうかちょっと曖昧なくらいの謎の繋がり(リンク)が出来上がってたのにファンが怒ったんだって~。観ながら他人の恋愛にどーしてこの人たちがとやかく言ってんだろーファンじゃないの?って最初は思ってたんだけど、コメンテーターの説明でアイドル文化を理解して納得する。なるほど最初から恋愛しないを標榜して活動していたのか。まあそりゃあ怒る人も出るよねだってお金出してた人は馬鹿らしいもん。あたしはどーでもいーけど~。どーでもいいのでテレビを消す。物理的に。はぁ! んでもってベッドに仰向けに飛び込んで目を閉じて感覚を研ぎ澄ます。まだ鼻孔にある残り香を堪能じゃないけど感じながら思考する。この匂いはなんなのだろう。あの子はいったいなんだったんだろう。紫。赤と青の中和。赤と青――女と男。象徴的だ。でもわからないな。いままで嗅いできたセクシュアル・マイノリティの大半からは、ほんの少しの願望が感じ取れた。ハンニバル・レクター風に言うなら“渇望”。つまり男になりたいっていう願望。女になりたいっていう願望。だけどなんだろう、そらちゃんの匂いから願望あるいは憧れは欠片も感じられなかった。ただただ事実だけがそこにあったのだ。なのに女であり男である。わかんないなー。どうしてこの二つが両立できるんだろう。新人類? なんて言っちゃったら鼻一つでその人のパーソナリティを嗅ぎ取ろうとしているあたしも充分新人類的なんだろうけど。まーわかんないものはわかんないものとして理解するしかないよねー。そらちゃんの紫色に答えを与える作業はいまのあたしにはできない。情報不足。でもそれでいい。そういうものなんだから。それより、またそらちゃんと会えないかな~。

 

 

 ○

 

 

 ――盛大な拍手の音が遠くから聞こえてきた。誰かを称賛するような。それは少しずつ近づいてきて、あたしの耳元で鳴り響くようになる。ぱちぱちぱち。あたしは耳を塞ぐ。音はどんどんどんどん近づいてくる。ぱちぱちぱち。最終的には頭のなかで直接鳴り響いているのではないかと言うほど迫って大きくなった。頭が痛い。頭が痛い。ぱちぱちぱち――ぱちぱちぱちぱち――ぱちぱちぱちぱちぱちぱちぱちぱち――頭が痛い――やめて――止まって――ぱちぱちぱち――痛い――ぱちぱちぱちぱち――ぱちぱちぱちぱちぱちぱちぱちぱち――!

「や――っ!」はっと目を覚ましたあたしは勢いよく上体を起こした。赤い――赤い壁紙が目に入る。「はーっ……はっ……はぁ……」見慣れない部屋ぐるぐる見回す。毒々しい色合いだけど小奇麗な部屋。キャリーバッグ。――どこだ? と、そんな思考とほぼほぼ同時に思い出す。ああ、そうだった。引っ越したんだった。「ふぅーっ」荒い息を整える。汗をぬぐう。ふかふかのベッド。慣れないベッド。ぽんぽんと優しく叩きながらベッドから降りた。

 ――どうやら、いつの間にか寝ていたようだ。さっき着いたばかりの新天地に疲れていたのかもしれないな。ベッドのすぐ脇に揃えていた靴を履いて荷物の整理を始める。

 

 小学校を卒業したあたしは海をびゅびゅびゅびゅ~ん!って越えてアメリカ合衆国にやって来た。日本での学校生活に限界を感じたあたしは、自由大国を謳うアメリカに夢を見たのだ。日本のカリキュラムは画一的で無個性を押し付けるようで息苦しい。たしかに、本来個性というのは画一のなかで生まれるもの。みんなに好き放題させてAやらBやらCやらを作らせるのではなく、みんなに同じAを作らせてそれでも抜きんでてしまったものを個性というのだ。違いを発見するためにそれ以外の条件を同一にするのは実験でも同じ。だから個性を育てる学校で無個性を強要してしまうパラドックスは仕方ないことなのかもしれない。でも、あたしにはそれが合わなかった。だから海を飛び越えた。それに。――それに、アメリカにはダッドがいる。物心ついたときから研究一辺倒で、最低限の思い出しかないけど、それでもたしかに血の繋がったあたしのダッドが。あたしは輝かしいダッドとの思い出を羅列して期待する。きっとダッドなら。父娘(おやこ)なら。もしかしたら本質的な部分で理解しあえるかもしれない。そんな、希望的観測があった。楽観的推測があった。で、最終的にどうなったかって? …………うん。にゃっはっは。

 アメリカにやってきたあたしはアメリカのスクールに通うようになってそこでいろんな人に出会ったのだけど人間なんてどこ行ったって文化の相違はあれど本質的な部分で何も変わらないんだなーってのがわかった。そりゃ同じ人間なんだもの、当たり前だ。みつを。だけどまあ、「自由」であろうとする文化的な意識は日本にないもので住み心地はまあまあなのかもしれないね。レベルもさ、アメリカなら授業が物足りなければすぐ上に行けるじゃん。そういう意味でも、まあやりやすいではあった。どんどん飛び級してどんどん追い越していくからあたしはモンスターシキなんてあだ名されて友達もそんなにいなくてだんだん楽しくなくなっていったけど。勉強自体は好きなんだけどねー。中学二年生になるころには高等教育が修了して大学の勉強を始めていろんな本を読んでたまにダッドに会いに行ってた。ダッドはあたしに優しくてだけどあたしに構うときはいつも机の方を気にしていた。そわそわしていた。いまにして思えば本当は机に向かいたいのにあたしが話しかけてくるからとりあえず構っている感じだった。当時のあたしはそんなこともわからなかったけどでも無意識の部分で何か相手にされていないような感じには気づいていたのかもしれなくてだからなんとなく学校生活にも焦りが生じ始めていた。あたしがあのとき図書館に通ってたくさん勉強をするようになったのはそういう意味があったんだなーって最近になって思い至った。あたしはダッドに構ってほしくて褒めてほしくてだから勉強してダッドに追いついて並んで歩こうと思ったのだ。楽しいはずの勉強は、強迫観念に則った行為に成りかけていた。勉強、勉強、勉強。でも息苦しいのは苦手だから肩の力は抜いて~。大学が単に勉強する場所でなく研究する場所になって来たのは日本では高等教育を受ける年齢になったころ。勉強も好きだけど研究はもっと好きだったから研究を始めてからは楽しい日々だった。ダッドに近づけて一安心ってのもある。あのころのあたしが研究していたのはざっくばらんに言うと匂いのデジタル化だ。機械が匂いを読み取るって意味ではなくて、人間に化学物質以外のある視覚的な刺激を与えることで特定の匂いを喚起させる~ってのを実現するための研究だった。ほら、特定の匂いをある行為と関連付けることによって特定の匂いを嗅ぐたびにその行為を思い出すようになるってパブロフの犬的な現象があるでしょ? あれの逆をやってみよーって思ったの。この研究には最低でも脳科学とコンピュータ・サイエンスと匂いの化学の知識が必要で、あたし一人で成せるものではなかったからダッドにお願いして三つの分野でたくさんの学者を召集して合同研究と相成ったのだけどここであたしのシキイズムが発揮されることとなった。幾人ものお偉いさんが集まって睨めっこしながらむむむ……って研究にぼっとーするのも面白くなかったから場を和ませるためにも(というかあたしにとってやり易くするためにあたし好みに場を整えようとした)フレンドリーにぺちゃくちゃーってしてたら「あなたの言っていることは理解できません」って言われてあたしは笑顔のままかたまって「あそう」ってなってまー合わない人もいる怒らせるつもりはなかったけど相手が怒ってしまった以上あたしが悪いのかなーってぺこり。でもこんなのは序の口でどーしても朝に起きられなくてたまーに遅刻したり(←あたしが悪い)あたしが進めている分野の報告をときたま忘れちゃったり(←あたしが悪い)ときどき失踪したり(←あたしが悪い)唐突にがっずぃーらを観に映画館まで行ってやっぱり遅刻したり(←ゴジラが悪い)して周りがおかんむりってことがままあった。それでもあたしがいる間は全然滞りなく研究は進んでいたんだけどあたしがビョーキになっちゃってしばらく休むことになって治ったから復帰してそれから趣味で個人的に進めてた匂いと人間性の関連付けのためのサンプリングで研究に遅刻したある日「君の自由は勝手すぎる」ってきょーじゅに怒鳴られた。どーもあたしが病気でいなかった間研究が一向に進まなくて彼らは途方に暮れてそこであたしの存在の大きさに気づかされてプライドを壊されたらしいのだ。あたしは彼の剣幕に何も言えなくなってとりあえずぺこってしたんだけど彼らの一度壊されたプライドはあたしのそばにいるのが怖かったらしくて彼らは次々にプロジェクトから降りていってあたしは研究を半ばで放棄した。うーむ。人間関係とはなかなか上手くいかないね。けっこうショックを受けたあたしはダッドに慰めてほしかったんだろう、ダッドの研究室に行ったらダッドは機嫌が悪くてあたしが何々ってうろちょろしてたらついにダッドが怒鳴った。「それだからお前は――!」それだからお前は、  。これだからあたしは。どうも、あたしの好き勝手のせいでダッドは被害を被ったらしい。プロジェクトのメンバーはダッドからの紹介で構成されていたからね。あのとき、ダッドがあたしになんと言ったのかは思い出したくもないから言わないけども、あたしに帰国を決意させるのに充分過ぎる内容だったとだけ言っておこう。あたしは即決で帰国することにした。このことに周囲の人々はまたモンスターシキが好き勝手やってるぞって反応で突然の帰国も彼女の奇特な行動の範疇だと捉えられた。だから帰国前日にとりあえずお世話になった人にふらーって声をかけていたら、「シキは人生楽しそうだね」ってちょっぴり皮肉っぽく言われてさ。

 うん。そりゃあ、楽しいよ。楽しいに決まってる。

 そうでもなきゃ、やってらんないもん、こんなの。

 

 

 ○

 

 

 はっと目が覚めて上体を起こす。見慣れてきた部屋の白い壁紙が目に入る。あたし一人の室内は静寂で満ちている。

 ――どうやら、いつの間にか寝ていたようだ。

 あたしは、ベッドから足を提げ、脇に並べている靴を履――こうとして苦笑する。

 日本では室内は土足厳禁だ。

 

 

 外はすでに夜になっていて、涼しい風が心地よかった。ラフなかっこにスリッパで散歩に興じる。持ち物はお財布と鍵と誰にも繋がらないケータイ。五分前までは外出するつもりはなかったんだけど、なんとなく思い至って即行動に移した。とくに意味らしい意味はない。

 面白いものないかなあ――面白いといえば、そらちゃん、そらちゃんにまた偶然会えないかなって、そんな風に考えながら歩くんだけど、昨日の今日でまた会えるわけもなかった。

 ふらーって歩いているとさ、脳がびびってわかりやすく刺激されるわけじゃないけど、あとでふと立ち返ったときよく回ってたなーって思うから歩行と思考はなんらかの結びつきがあるんじゃないかと思う。歩くときって考えるくらいしかすることなくて手持ち無沙汰だからさ。この感じがいい。何かと取りざたされる歩きスマホってやつはその手持ち無沙汰感を取っ払ってしまうからあたしにはそれが一番問題だったりする。歩くと人は前に進む。思考は前に進む。思考は歩く。考えることはかなり散らかってるけど。

 実際かなり散らかってる。今日のテーマは『ピッツァにタバァスコどばー』→『どんな死を死ぬのが人として一番幸福なのだろうか』→『PIN-PON-PON-PIN-PON』→『おやつの時間=三時なのはなぜかネットを使わずに考えてみよう』→『機能不全家族とアダルトチルドレンとギフテッド』→『お腹空いたなぁ』→『そういえば今日は何も食べてないや』→『ピザ買いに行こう』→『あ、タバスコ持ってない』→『う~ん、ピザ美味しい』。

 とかなんとか思考を進めているうちに物理的に歩行も進んでいて思考が面白い場所に辿り着いたな~って思ったらいつの間にか知らない場所に来ていた。やはり思考と歩行には面白い結びつきがあるようだ。

 ここはどこだろう? わからない。わからないけど、最終的にはグーグルさんがあたしの味方をしてくれるので困らない。これこそが散歩の醍醐味だ。さてさて今日は朝になるまで歩き倒そうかな~。ただただ足の赴くまま流れるまま進んでいこう。

 ――って思ってたら気づいたら自宅についてた。なるほど、最終的にはここに立ち返るってことか。あたしの思考も、何か原点回帰を求めているのかな?

 原点ってなんだろう……。それとも、考えたって堂々巡りだよーって暗示? ま、いーや。

 

 

 ○

 

 

 はっと目が覚めて上体を起こす。見慣れない部屋の乳白色の壁紙が目に入る。――いや、見慣れた部屋だ。なんで見慣れない部屋だなんて思ったんだろう。起きて、なんとなく本棚に並ぶ『ドラえもん』を眺める。あたしを呼ぶ声がする。

 ――どうやら、いつの間にか寝ていたようだ。

「志希~、起きてるー?」ママの声だ。あたしは目を擦りながら言う。「起きてるよー」

 

 

 ○

 

 

 はっと目が覚めて上体を起こす。

 いまなんじ?




そろそろ先に進みたい。


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一ノ瀬志希――6

前月のあらすじ:高校を卒業しました。



(※10/8追記)
中々更新されませんが、生きています。
単純に筆が進まないだけです……。




「つまりね、あんまりカラフルな色合いは本当に慣れた人じゃないと扱いが難しいってこと!」

 

 言って、宮本は俺にグレーのトップスを押し付けた。

 トップスを胸に抱いて、視線を落とす。装飾のないシンプルな作りだが、俺の持っているいずれの服とも雰囲気が違う。やはり宮本がセレクトしたからか? 俺は服装に頓着しないので、所持している服はみなすべからく親が選んでいるものになるが……。

 ちなみに、持ってるのはほとんどが何書いてんだかわからんTシャツな。

 

 本日、八月二日。

 俺と宮本はデパート内の服屋にいた。宮本に先導してもらって店内を練り歩く。目的は、俺がファッションについて最低限の感覚を身につけること。

 宮本としてはもっと本格的な店を回ってじっくり教えたかったようだったが、初心者にいきなり叩きこむのは酷だと判断したらしい。まずは身近なところから勉強しよう、とは宮本の弁だった。

 宮本の判断は正しい。あまり広いとは言えないテナントでさえ、俺は目を回して、宮本の言うことに頷くしかできないのだから。

 

 しかしなあ……服ってこんなに高いのか。値札に印字された「¥3,672」との表記に嘆息する。

 相場についてはよくわからないが、こんなものなのか。

 

「宮本はどうなんだ? けっこうカラフルな服とか持ってそうだけど」

 

「アタシも、大抵は基本を抑えてるよ。基本のなかに、遊びを入れるんだからね」

 

 なるほど、それはなんにでも言える普遍的な真理だ。

 芸術には明るくないから印象で語るが、ピカソの絵画は常識をかなり外しているように見えて、本人は相当に基礎を積んでいる。それと結局は同じなのだろう。

 

「遊びだらけーとか、すっごく冒険して挑戦的なコーデをすることもあるけどね! でもね、それは、基本をよーく理解した人が、慣れて、その上でさらに先を行きたいってときにするべきだから。だからそらちゃんはまず、この基本を憶えて。色は、二三色に抑えてー、メインになるものが六、メインを引き立てるのが三、アクセントカラーが一の割合で考えるといいよ」

 

「ろく、さん、いち、に、さん……」

 

「そのコーデむっさイ(6:3:1)ーね! で憶えるといいよ!」

 

 そのコーデ寒いね! って言ってるみたいだ……。

 銀座をザギンと言ったり、寿司をシースーと言ったりするノリのあれ。

 

「具体的にどんな組み合わせとかがある?」

 

「んーとねー……。そうだね、例えば全体をモノトーンで統一してー、ベルトだけ真っ赤っかとか面白そーだよね♪」

 

「あ、それはなんか想像しやすいな」

 

 コントラストが鮮やかで、赤がいっそう映えそうだ。

 今度のイラストのネタにしようかな。画面全体は白黒だけど一点だけ赤……って感じで。

 

 俺が相槌を打つと、しかし宮本は小さく唸り出した。

 

「でも、んー……そらちゃんは違うかな?」

 

 と思案顔になる。

 

 言われて、想像のなかで宮本の言ったままの格好をしているモデルの隣に、同じ格好をした俺の姿を並べてみる。

 …………。

 たしかに、俺には合わないかもな。すらっと身長の高いモデル体型で、クールな、それでいて女性らしいやつじゃないと着こなせなさそうだ。

 小柄な俺には当てはまりそうもない。

 

「そらちゃんはむしろ……」

 

 呟きながら、ハンガーラックを探る宮本。

 目ぼしいものを引っ張って、俺の上半身に合わせた。

 

「うん! こっちだね!」

 

 宮本が選んだのは、真っ赤なセーターだった。うんと明るいやつ。

 

「目立つんじゃないか……? 色は抑えるんだろ?」

 

「目立たせるんだよ! そらちゃんは小柄だから、目線を上に引き寄せるために、トップスは目立つ色にした方がいいの。あとは、縦じま模様とかいいかもね♪ すらっと見えるから」

 

 なるほどなー。考えてんだ。

 宮本の話を聞いていると、けっこう数字が出てくる。計算されているし、定石もあらかた決まっているようだ。

 単純にセンスを磨くしかないと思っていたファッションだが、案外理屈なんだなぁ。

 そこのところ、絵を描くのと似ている。

 

「色を抑えるって言うのはね、しっちゃかめっちゃかいろいろな色でごちゃ混ぜにしちゃだめってこと! 毒々しい色合いになっちゃうからね。ほら、警戒色♪ そらちゃん危険物じゃないでしょ~? え……もしかして混ぜるな危険!?」

 

「……それはファッションでは?」

 

「そーだね! ……コーデに慣れないうちは、とにかく混ぜるな危険! それだけ憶えておいて! この赤いニットを着るなら、あとは控えめにねー。主役の色を前提として、この赤色のために他を組み立てるって考えた方がわかりやすいかな」

 

 あー。映画で言うと『キッズ・リターン』みたいな。

 あの映画のほとんどはラストシーンに集約されている――というかラストシーンのためにあるようなもので、ラストシーンを魅せるためにそれまでの物語が構築されていると言っても過言ではない。北野監督のすごいのは、ラストシーンこそを撮りたかっただろうに――いや、ラストシーンを映えさせるために、か、それまでの物語を疎かにしないで、しっかり面白く作っているところだ。

 

 んで、宮本の言っていることも、つまりはそういうことなのだろう。魅せたい箇所をしっかり考えて、主役のためのコーデをしっかり組み立てろってことだ。

 

 講師の教えを自分流にしっかり胸に刻んで、俺ははっきりと言う。「了解です、先生」

 

「うむ、素直でよろしい!」

 

 宮本は厳かに頷いた。

 

 そうして宮本のレクチャーを受けながら俺は上下一着分の服を選んだ。

 鏡の前に立って自分の全身を眺める。

 うおお。なんか、俺じゃないみたいだ。いつもと雰囲気が全然違う。なんだろう――「俺なんかが」って思ってしまって、気取っているようで、気恥ずかしい。

 

「うん、似合ってるよ!」

 

「なんか恥ずかしい……」

 

「全然いいよ! そらちゃんショートケーキの苺みたいに可愛いから、ちゃんとコーデを考えたら向かうところ敵なしだよ!」

 

 いまさらながら、宮本の比喩は独特だ。

 

「アタシの説明だけだと限界があるから、今後は雑誌を買っていろんな人のファッションを見たり、実際にお店に足を運んで何度も試着して自分の好みとか合うものとかセンスとか磨いてね」

 

「わかった」

 

 と頷きつつファッションってやっぱめんどくせえんだなあとも思う。

 

 そして選んだ服をレジに持っていって(え、一万超えんの!? そんなもんだよー。高ぇよ……。じゃあアタシのいま着てる服の値段聞きたい……? え、こわ。いいよ言わなくて! さん……うわああああああああああ!)購入。

 服って……高いんだな。

 

 

 ○

 

 

 実のところ今日をもって宮本は帰る手筈となっている。

 宮本にも家の用事があるし、進路活動がある。夏休み中ずっと俺といられるわけじゃない。

 だから宮本は、最後にどうしても俺にファッションについて教えたかったと。それで俺は宮本に引っ張られてデパートへショッピングに。

 俺の私服を見た瞬間から、宮本はずっと物申したかったらしい。

 

 俺は、宮本と一緒に選んだ服を身にまとって、宮本を駅まで送った。

 券売機で切符を買って改札口の前まで来ると、宮本は振り返って、

 

「そらちゃん……きっとまた、会えるからね……」

 

「きっとじゃなくても会えるだろ」

 

 なんだよ今生の別れみたいに。

 

 ペンギンのようなちまちました足取りで前に進む。別れを惜しんでくれているのだろうか。

 最後に宮本はハンカチで涙を拭うふりをして、

 

「じゃあね……そらちゃん……およよ」

 

 と泣き真似をしながら改札を通った。

 俺は手を振って「じゃあなー」と言う。

 

 それから宮本は何度かこちらをちらちら振り返ったが、やがて先へ進んでいった。

 ひとりになった俺は、駅を後にしてからやっぱり振り返った。さっきまではなんともなかったが、宮本ともしばらくお別れかぁと思ったとたんに寂しく感じられた。

 俺ももっと別れを惜しんでおけばよかったかな……。ちょっと強がりが過ぎたかもしれない。

 

 駅から離れて、とぼとぼ市内を散策する。

 宮本と選んだ、いつもと違う服。せっかくおしゃれな格好をしているのだから、なんとなくしばらく外を歩いていたかった。別に見せびらかしたいとかそういうわけではないんだけど。――いや、見せびらかしたいのかな?

 特に何かするわけでもなく一時間半くらいぶらぶらして、家路につく。すると帰路にあった公園が目についた。慣れない格好でたくさん歩いたから疲れた。ベンチにでも座って休憩しよう。

 

「ふう……」

 

 ベンチに座って、ぼーっとする。

 

 公園はひっそりとしていて人の気配はなかった。

 いまどきの子供は公園で遊んだりしないのだろうか。それともこの公園が不人気なだけか?

 ふと視線を周囲に向けると、茂みのあたりに怪しい影があった。

 どきりとして注視したら、見覚えのあるシルエットだった。

 

「……」

 

 そいつは茂みから公園の外――歩道を覗いていた。怪しさ全開。思いっきり不審者。

 俺は無言のままそいつに近づいて、背中に声をかけた。

 

「何、やってんだ?」

 

「ふぁ~、ねむねむ……んー? そらちゃん? おっひさ~♪ あのねー、暇だったからねー、前に会ったそらちゃんって子と出くわさないかなぁって思ってたんだけどー」

 

 それは出くわすと言うんじゃなくて待ち伏せと言うんじゃないか?

 

「でもなかなか通らないね~。ま、簡単に会えるなんてあたしも思ってないけどさ」

 

「そっか。まあ頑張れよ」

 

 なんかこじらせていたので応援だけしてベンチに戻った。

 するとそいつ――一ノ瀬は俺のあとについてきて、さりげなく隣に座ってきた。

 

「とゆーわけであたしの相手をするのだっ♪」

 

「……」

 

 逃げられなかった。

 まあ本心から逃げようと思っていたわけじゃないけどさ。本気だったら全速力で走る。

 

「にゃっはは~♪ また会えるなんて運命だね~奇遇だね~! 嬉しいよ~」

 

「いや、待ち伏せしてたんだろ?」

 

 それを運命だとか奇遇だとか言ったら、俺、持ってる辞書燃やすよ? 必要ないし。

 

「ん? そらちゃん、お洋服の雰囲気が前と違うね~。……すんすん、すんすん。すん。……なるほどなるほど、お友達に選んでもらったんだね?」

 

 ……なんでわかんだろって一瞬凍りついたが、よく考えたら違いは一目瞭然なんだから大した推理力ではない。

 

「そうだけど」

 

「似合ってるよ~♪ うん! そらちゃんはちゃーんとおめかししたらいっとーべっぴんさんだねぇー。にゃはーいい匂いしそーっ!」

 

「うげっ!?」

 

 突然抱きつかれた!

 変な声が出る。

 

「くんかくんか、はすはす」

 

「ちょっ! くるし……っ! やめっ」

 

 体が柔らかくて! 息が! できない!

 くすぐったい!

 

「ん~やーっぱ不思議な香り~♪ 志希ちゃんサンプルにはないねーこれ」

 

「ぷはっ!」

 

 ようやく解放された……。

 というかなんだかんだ言ってる一ノ瀬も、すっげえ女の子のいい匂いがする。俺には刺激が強すぎるやつ。

 

 ちょっとぼーっとしてきた。

 

「ちょーっとだけサンプリングさせてくんない? 汗を一滴いただいても……」

 

「嫌だよ!」

 

 普通に嫌すぎる……。

 

「え? 何? 変態なの? 匂いフェチ? 体液フェチ?」

 

 俺は立ち上がって一ノ瀬から身を遠ざける。

 一ノ瀬は笑って、

 

「まあ匂いフェチなのは否定しないけどね~」

 

 …………。

 いや、人の嗜好を否定するのはよくないよな。

 気を落ち着けてベンチに座り直す。

 

「まあ、いいけどさ……いきなり抱き着くのやめてくれよ」

 

チョロっ

 

「んあ?」

 

「なんでもー。しっかし今日は暑いねー!」

 

 と言いながらベンチから離れてブランコまで駆ける。

 なんかはぐらかされているような気がしないでもないが、気のせいか。

 一ノ瀬は子供みたいにはしゃいですいすいブランコを漕いだ。

 

「うわ~これ懐かし~」

 

 楽しそうにしている一ノ瀬を見て、俺も好奇心を刺激される。周りに人はいないし……迷惑にはならないよな?

 ブランコの座に腰を掛けて、チェーンを握る。地面を蹴って、ブランコを漕ぐ。

 

 ぶらん――ぶらん――ぶらん――ぶらん――ぶらん。

 

「…………」

 

 俺は何も言うことがなくなって、ブランコを漕ぐのをやめた。

 ものすごい虚無しかなかった。

 

「……」

 

「にゃっはー♪ これ目を閉じるとスリル満点だよ~!」

 

 隣の一ノ瀬がなんか言っている。

 が、わざわざもう一度虚無感に浸ることはないと思い、遠慮する。

 

「そらちゃんもやってみなよー!」

 

 それでもなお強く勧めてくるので、まあ少しくらいなら……という気にさせられた。

 ……一回だけだぞ?

 

 

 ○

 

 

「うわああああ! 怖ぇ!」

 

「でしょー?」

 

「うわああああああ!」

 

 目を閉じて勢いよくブランコを漕ぐと、何が起きているのか視覚ではわからないのに体が空に投げ出されている感じがしてかなりスリリングだ。

 けっこう楽しい!

 

「うわああああああ!」

 

「にゃははははーっ♪」

 

 ぶらん――ぶらん――ぶらん――ぶらん――ぶらん。

 

 

 ○

 

 

「ぜぇーはぁー……ぜぇー」

 

「そらちゃんだいぶはしゃいだね……」

 

 目を閉じてブランコに乗るのが思いの外楽しかったので息が切れるまで漕ぎまくってしまった。

 ブランコ漕ぐのもけっこう疲れるんだな……。

 

 俺は子供か。

 

「童心に帰れたんじゃない?」

 

 いや、ほんといくつだよ……俺。

 やっぱ前世の年齢プラス今世の年齢がイコール精神年齢なんてあてにならないんだなぁ。

 前世で十五で死んだとしたら、来世で十五になるまでは環境的・扱い的に精神的な成熟はできないのかもしれない。少なくとも、引きこもりのようなほとんど年を重ねるだけに等しい、かなり緩やかな成長になるだろう。十五歳の人間が一歳児の扱われ方で成長できるはずないんだ。

 まあそもそも精神年齢ってIQみたいな算出方法だった気がするしな。大体、前世の年齢+今世の年齢=精神年齢なんてファンタジー的現象をあらかじめ想定していないとでないような計算式の解が、創作以外から発案されるわけない。

 

「俺、子供なのかな……」

 

 呟くと、一ノ瀬の表情が少し変わった――ように見えた。

 

「いいじゃん、子供。children」うわ、発音いい。「あたしはね、本当に頭がいいのはまだまだちっちゃな子供だと思うよ」

 

 ふむ。

 十で神童十五で才子二十過ぎればただの人……って話か?

 そういや『すべてがFになる』でも、人は大人になるにつれて馬鹿になるようにできてるって話があったな。

 

「子供はね、全身を使ってものを考えるでしょ? そこに余計な装飾も、代替もない……純なんだよ。だから、そらちゃん、そらちゃんの素直さはむしろ、長所と考えるべきじゃないかな?」

 

 限定的な素直だけどな。

 自分が捻くれてることは一応、自覚してる。

 

「善処します……」

 

「うむ、素直でよろしい!」

 

 厳かな口調で言った。

 空気ががらりと変わって、楽し気な笑顔になる。

 

「まあそんなことよりさー、すんすん、ちょっと汗かいたよね? 一滴……」

 

 一ノ瀬が顔をこっちに近づけて鼻を鳴らした。

 謀られた! こいつ……策士だ!

 

「ジョーダンだよジョーダン、マイケル・ジョーダン。さすがに嫌がってる人の汗を採取したりしないって」

 

「ならいきなり抱き着いたり匂いを嗅ぐのをやめてもらえませんかね」

 

「善処しまーす」

 

「そこは断言してくれないかなあ!」

 

「マイケル・ジョーダンに免じて……」

 

「知らねえよ誰だよ!」

 

「まああたしも名前くらいしか知らないんだけど。バスケ選手?」

 

 あ、実在するのかマイケル・ジョーダン。口から出まかせ言ってんのかと思った。

 

 無知から繰り出したツッコミに恥ずかしくなる。

 俺は話題を変えた。

 

「んでさあ、結局、なんで俺なんか待ち伏せしてたの?」

 

「まーぶっちゃけるとあたし友達いないから夏休み暇なんだよね~」

 

 ずいぶんなことをあっけらかんと言うやつだな……。

 俺も人のことをとやかく言える身分じゃないけどさ。

 ――あ、でも俺には宮本という友達がいるからぼっちではないのか。ふふん。

 

「最近ガッコに転入してきたばっかだからさー」

 

「へー、転校生か。……あー、馴染めなかったのか……」

 

「そーそー」

 

 すでに人間関係が完成されている輪の中に新参が上手く馴染めないというのはよく聞く話だ。

 

「でもね、目はどうして前にあるか知ってる?」

 

「? 目ん玉ついてるとこが前なんじゃねえの?」

 

 っていうかいきなりなんだ。

 

「ぶぶー! あ~不正解! 残念不正解! 模範解答は『前へ前へと進むため』。ちなみに間違いの模範解答は『後ろにあったら髪の毛が邪魔だから』」

 

「なんだそりゃ。間違いに模範があんのかよ」

 

「あるんだよ。間違えるんなら間違えるんでちゃんと間違えないと。……まあ、というわけで志希ちゃんは前へ前へと進むわけです」

 

 ……なんかうやむやにされてないか?

 

「前へ前へ。教室で失敗したのなら外で友達を作ればいい。ってな感じで思ってたところにぐーぜんそらちゃんがやって来たからさー、この出会いを逃すわけにはいかねーぜってことで、そらちゃんがいそうなあたりをぶらーってしてたんだよ」

 

「ふうん、じゃ、ケータイの番号でも交換するか?」

 

 なんてことないような雰囲気を出しながら、実は内心ドキドキで提案してみた。

 しかし一ノ瀬は、

 

「あたしケータイ持ってないからいいや」

 

 と、あっさり断る。

 

「ケータイ持ってないって――俺の言うケータイってスマホも含んでるぞ」

 

「スマホも持ってないんだよ~」

 

 なんてこった。いまどきケータイもスマホも持たない若者がいるなんて。

 つーか俺も油断してあっさり連絡先交換を持ち掛けたけど、そうだよ、不審者なんだよ。何言ってんだよあぶねーよ。

 気をつけよう。

 

「あれか、『いつでもどこでも繋がれるものに縛られたくない』ってやつか。なんか、そういうのってかっこいいよな」

 

「買うのを思い付かなかっただけだけど」

 

 さいですか。

 

 ……恥ずかしくなんかありませんけど?

 

「あれ? そらちゃん顔赤いよ? ダイジョーブ?」

 

「な、なんでもないっ」

 

「本当に~?」

 

「ホントだよ!」

 

「そお?」一ノ瀬は小首を傾げて、「くあぁ~!」あくびをした。それから、「……ところで、お腹減らない?」と俺に尋ねた。

 

「ひる食ってねえのか?」

 

「そーなんだよねぇ~」

 

「あ、じゃあ俺も食ってないからちょうどいいな。一緒でいいってんなら、どっか食いに行かない?」

 

「ホント? リアリィ!? じゃピザ食べにいこーよ! ピザ!」

 

 ピザ?

 真っ先にピザが出てくるのってなんか面白いな。

 そう言えばしばらく食ってなかったな、ピザ。

 

「いいぜ。でも店知ってんの?」

 

「とーぜん! 駅とスーパーと騒音とピザ屋さんの有無は不動産屋が提示するべき大事な立地条件だよ」

 

 家を探しに来たら真っ先にピザ屋の話をしてくる不動産屋は嫌だな……。

 

 

 そんでもってピザ屋。

 俺はたったひとつで具が四種類も味わえるクォーターピザを、一ノ瀬は和風のピザを注文した。

 

 それぞれ違う具の1/8ピザを四枚重ねていただく。

 うん、やっぱ四枚も重ねるとボリュームが違うな! 一度に四度美味しいし。

 

「…………」

 

 なんか一ノ瀬がこっちを凝視していたので口のなかのものを飲み込んで訊く。

 

「どうした?」

 

「……」

 

「俺の顔になんかついてるか? もしもーし」

 

「……いや、なんでもない」

 

 言って、一ノ瀬は自分のピザに視線を落とした。

 なんだったんだ、いまの……。

 

 気を取り直してピザを口に運ぶ。それからなんとなく一ノ瀬を眺める。一ノ瀬は、どこからともなくタバスコを取り出して、ピザにかけた。

 タバスコをたっぷりとかけられた刺激物を、一ノ瀬は躊躇なく口に入れて咀嚼する。美味しそうにすらしている。

 

「うん、美味し~♪」

 

「…………」

 

「そらちゃん? どーかした?」

 

「いや、タバスコ……」

 

「? かける?」

 

 絶対に嫌だ。

 

「い、いや、いい」

 

「案外かけてみると美味しいかもよ? 何事も試してみないとわかんないもんだよ」

 

 試さなくても食いもんじゃないってことくらいはわかる。

 まあ、言ってることは基本的に正論なので否定しづらいが。

 

「まあそうかもしれないけど……」

 

「あたしだってこうして食べてるわけだしさ」

 

 たしかに、一ノ瀬だって食べてるわけだし、ワンチャン……。

 いや、でも、うーん。

 

「…………じゃあ、ちょっとだけ……」

 

 結局食べることにして、控えめにピザを差し出すと、一ノ瀬がタバスコをちょちょちょとかけて、俺のピザが赤く染め上げられた。

 ……すっげえ食べたくない。

 

 ピザを口元まで運んで、それ以上のアクションが起こせない。渋面のまま、口に含むのをためらう。――が、食べ物を粗末にするのはいけない。覚悟を決めて、大きな一口。

 パクリ。

 ……………………っ!?

 

「ぐあああああああああっ! 死ぬ! 死ぬ! 死ぬーーーっ! ――って、けっこう美味いな」

 

 美味しいなんて絶対にありえないと思っていたから、なんか演技みたいに悶え苦しんでしまった。思い込みって怖いな……。

 一ノ瀬は俺のリアクションがツボに入ったのか、うつ伏せで顔を腕のなかに埋め、空いた方の手で握りこぶしを作りテーブルをどんどん叩いていた。

 ……笑いすぎだろ。

 

「あっははは! そらちゃんっ! 何やってんのそらちゃん~! もうね、最っ高! 最高に面白いよ! ふっ、ふふふ、そらちゃん~あはははははははっ! し、死ぬ! あたしが笑い死ぬ~!」

 

 爆笑する一ノ瀬を尻目に、俺は黙々とピザを食べる。

 そのうち笑い声はやんで、一ノ瀬はゆっくりと顔を上げた。……うわ、笑い過ぎで顔真っ赤だ。

 呼吸も髪も乱れてるし。

 

「あー、笑い死ぬかと思った」

 

「そしたら俺、人殺しじゃん」

 

「《殺人事件発生、ただしトリックは最強ギャグ!》みたいな?」

 

 何それめっちゃ面白そう。バカミスの究極系みたいな。でもそれで推理長編を一本書いて発表したらめっちゃ叩かれそうだな。

 ……いや、だけど批判を怖がって創作ができるかってんだ。

 馬鹿らしいけどそれが魅力のネタなんだし、ちょっと考えてみようかな……。

 

 コズミックとかわりと好きなんだよね、俺。

 一年間に千二百の密室で千二百の殺人事件を起こすって、すごくね?

 

「っていうかいまのって葵井(あおいい)の真似か?」

 

「アオイイ?」

 

 小説ならカタカナで表記されているだろう発音を確かめるような口調で一ノ瀬は言った。きょとんとしている。

 どうやら偶然らしい。

 

 ちなみに『クビシメロマンチスト』って小説のキャラクターな。作者は西尾維新。

 

「いや、小説のキャラクターなんだけど……違ってるんならいいや」

 

「ふーん。あたしついこないだまでアメリカにいたからさ、日本のノベルはいまいちわかんないや。ジャパニーズコミックならあっちでも好きな人いるし、あたしもアメリカにいる間は日本の動向が気になってときどき読んでたけどね」

 

「え、アメリカにいたの?」

 

 これは驚いた。じゃあ一ノ瀬はいわゆる帰国子女というやつなのか。あ、そういえば英語の発音が綺麗だったよな――どうりで。

 

「うん」

 

「じゃあ転校ってのもアメリカから帰って来てこっちの高校に入ったってことか」

 

「そーそー」

 

「へ~。帰国子女としゃべるのは初めてだよ。なんでこんな中途半端な時期に帰ってきたんだ?」

 

 俺が問うと、

 

「飽きちゃったから」

 

 と簡潔に、悪戯っぽく笑いながら言った。

 俺も笑う。

 

「なんだそれ、つまらんアプリゲーじゃないんだから」

 

「しかたないじゃん、飽きちゃったんだも~ん」

 

「ま、飽きたんならしかたないな」

 

「うんうん。そらちゃんは話がわかっていいね~」

 

「いや、実は俺もさ、高校中退しようかなあって思ってるとこだったから、似たような心境なのかなって」

 

「え? 学校やめちゃうの?」

 

「うん。夏休みが終わったら少し顔を出してやめるつもり」

 

 顔を出すのは宮本との約束だ。

 

「そーなんだ。でもま、勉強とか学校とかって基本《楽しいもの》だからさ、楽しくなくなったらやめちゃうのが正解かもね。意味ないもん」

 

 勉強とか学校が楽しいもの?

 普通、逆だと思うが――いや、冷静に考えればそうかもしれない。

 人は好きなこと・興味深いことを探求し突き詰めたから発展したんだ。それが勉強であり、体系付けたのが学問。教えるのが学校。

 だから、それらは楽しいものでなければ意味がない。

 

「極端な考え方するんだな」

 

「そらちゃんも似たような考えじゃないの?」

 

「んー、俺の場合は行く意味がないからって消極的なもんじゃなくて、行きたくないからやめるって積極的な動機だから、そういう考え方はなかったな」

 

「あ~、なるほどね。それじゃああたしと違う」

 

「うん。でもうっかり共感しちゃうくらいには面白い考え方してると思うよ。ちゃらんぽらんな雰囲気のわりに思索家なんだな」

 

「ちゃらんぽらんは余計だけど――そんなに面白いかな? んー、じゃあ、作文とか小説とか書いてみたらけっこういいやつが書けるかもねー?」

 

 言いながら一ノ瀬はどこか自嘲的だった。

 なんだろう、いまの雰囲気は。――気のせいか?

 

 ――いや、それよりも、だ。

 

「小説かぁ、いいんじゃないか?」

 

「え?」

 

 俺には一ノ瀬の言う内容の方に興味があった。

 

「いや、小説! 俺も一ノ瀬が書いたやつなら読んでみたいよ。興味がある」

 

 こんなに面白い考えをしていて、実際に面白いやつの書いた小説が面白くないわけがない。とびきり変わってて、地頭もよさそうで、おまけに共感覚と来たもんだから、他にない鋭い感性を持ち合わせていそうだ。

 言語感覚も悪くないし、論理的思考能力なんて言わずもがなだ。

 

 俺は一ノ瀬の書く小説が読みたい。

 

 だが、一ノ瀬は俺の台詞に困ったように笑った。

 

「自分で言っといてなんだけど、小説を書くなんて考えたことないなぁ」

 

「そうか? なんだかんだいけそうだと思うけど……」

 

「ないと思うけどなぁ」

 

「そうか……あ、そうだ、映画もよさそうだな」

 

 必ずしも小説でなくていい。創作物ならそれで。

 

「あたしが映画監督? にゃはは。それこそ絶対ナイナイ」

 

 しかし一ノ瀬はにべもない。

 俺はピザをかじりつつ言う。

 

「まあ《飽きちゃった》じゃ済まされないもんな」

 

「そうそう。あたしみたいなのが監督じゃあ一緒に作る人が不安になっちゃうよ」

 

「俺がプロデューサーで、一ノ瀬みたいな面白いやつを映画監督に抜てきできたら、絶対に逃がさないんだけどな」

 

 第一にその映画が観たいから。第二にそんな人物の映画作りに関わりたいから。

 

 まあ、俺は映画プロデューサーじゃないし、一ノ瀬は映画監督じゃないからこんな仮定に意味はないけど――

 

「……いいね、それ」

 

「え?」

 

 一ノ瀬が小声で何かをつぶやいたので聞き返す。だが、返事はなかった。彼女は勢いよくテーブルを叩いて、一方的に言った。

 

「そうだよ! 面白そうじゃん!」一ノ瀬は興奮しているらしく、身を思いっきり乗り出して鼻息を俺に吹きかけた。「あたしとそらちゃんで作ろうよ、映画を!」

 

 えーっと。

 

 

 ……服にタバスコついてますよ。




時間がかかってすみませんでした。
忙しかったわけではなく、納得できるものが書けなかったのが更新が大幅に遅れた理由です。
妥協して書き上げ、投稿後に改稿することにしました。


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短編
新米ドジっ娘メイド☆あしろん


お久しぶりです。
最終更新から実に二年ぶりとなります。

これまで待ってくださった方、申し訳ありませんでした。
そしてこんなにもお待ちくださり、ありがとうございました。

読者の皆様の声を頂き、こうして最新話を更新することができました。本当に皆様のおかげです。

ありがとうございます。


ただ、本エピソードのサブタイトルを見ていただければわかる通り、このお話は前回のエピソードから連続する内容ではございません。

TSレイジーを連載していた頃、私は高校生でした。TSレイジーは、当時の私の考える「面白い」を不細工に、しかし勢いよく詰め込んだ作品です。
しかし成人したいま、かつての自分と同じような小説を書ける気がしません。
長編の再開は厳しく、今後はリハビリも兼ねてときどきこうして短編を投下していこうと思います。

長編のTSレイジーを楽しみに待ってくださっている方には、さらに待ってもらうかたちになってしまいます。

作者の力が及ばず、申し訳ありません。








 誰だよメイド喫茶なんて案を入れたやつは。ラノベじゃねえんだぞ。

 

 文化祭を二か月後に控えた九月の上旬。じりじりと迫り来る文化祭に向け、我らが1-B組はロングホームルームの時間に出し物決めをおこなった。まず各々で考えた案を匿名で箱の中に入れ、黒板に書き出したうえで投票をする。

 その結果、俺らのクラスは模擬店を開くことが決定した。

 

 しかしその模擬店の内容というのが……。

 

 そう、メイド喫茶だ。

 

 なんだよ、メイド喫茶って。

 文化祭でメイド喫茶だなんて、ライトノベルの世界でしか行われないイベントだと思ってたぜ……。

 

 案を出したやつも出したやつだが、投票の結果メイド喫茶が採用されてしまうこのクラスはどこかおかしい。

 案を出したのはどうせ悪乗りした男子のうちの誰かなんだろうが、意外にも女子からのウケは良さそうに見えた。不快感を露わにする人はとくにいず、むしろ賑々(にぎにぎ)しく盛り上がっていた。存外メイド服とか一度は着てみたいんだろうか、女子って。

 

 なんというか……わかんないな。

 

 そんなこんなでメイド喫茶の開店(オープン)が決まった我がクラスだが、ひとつ問題がある。

 俺だ。

 この俺、安代そらはこう見えても元男なのだ。今世ではなにがどうなってかその理屈は知らんが、女として生きている。しかし、あくまでも前世では男だったのだ(お使いの脳は正常です)。

 メイド服なんて、着れるか? この俺が。無理に決まってる。

 だが今世での俺は女なのだ。出し物がメイド喫茶である以上、女子ならばみな平等にメイド服を着なければならない。

 なんだ、この状況は。

 

 ちくしょう! 誰だか知らんが、恨むぜ!

 

 

 

 ホームルームが終わり、昼休み。弁当を食べていると、宮本がやって来る。宮本は俺のひとつ前の空席を借りて座る。もはや当たり前になりつつある。まだ完全に慣れたわけじゃないが、もう戸惑うことはなくなった。

 

「フンフンフフーフンフフ~♪」

 

「えらく上機嫌だな」

 

 鼻歌なんか歌って全身で喜びやら楽しみやらを表現してるかの(ごと)くの宮本に、俺はチキン南蛮をひとかけら箸でつかみながら言った。

 

「だってーメイド喫茶でしょ~。ってことはー、そらちゃんのメイド服が見れるわけでしょ~☆」

 

「ぶふっ!」ちょうどものを飲み込もうとしているところだったのでむせた。「んふっ、なっ、なに言ってんだよ、俺のメイド服見たってなんも楽しくねえだろ」

 

「え~そらちゃんのメイド服でしょ~? 絶対可愛いよー☆」

 

「可愛くねえよ」

 

「可愛いよ~!」

 

「いや、だって、べつに俺……美人じゃねえし……」

 

「そんなことないよ! そらちゃんはぁ~すごぉーーく可愛い女の子だよー?」

 

 そ、そうなのか……?

 

 大した容姿でもないと思っていたが、実はけっこう…………だったりするのか!?

 

 な、なんか、まんざらでもないな……。

 

「……えっと、その……マジで?」

 

「うんうん! ほんとだよ! だから、メイド服だってバッチリ☆ 似合うに決まってるよ~!」

 

「そ、そうか……似合ってるのか……って」

 

 いやいや! なに流されてんの!

 お前は元男だろ!

 

「とにかく! 俺はメイド服なんか着たくない」

 

「え~。絶対似合うのに~」

 

「そもそも、そんなこと言う宮本はメイド服着れるの?」

 

「着れるよ? 服なんだから当たり前じゃん~!」

 

「や、そういう意味じゃなく、恥ずかしくないのかって……」

 

「オモシロそーじゃん! あ、もしかしてそらちゃんは恥ずかしくて着たくないの?」

 

「そりゃそうだろ! 恥ずかしいよ、メイド服なんて……」

 

「恥ずかしがるから恥ずかしいんだよ~!」

 

 なんだそのトートロジーは、と思いかけたが、よくよく考えたらなるほど確かに真理かもしれない。

 上手く言えないが、メイドというシチュエーションそのものを恥ずかしがることで「恥じらいメイド」だなんてものが誕生し、それを客観視したときキャラクターがメタ化されてそれ自体が恥ずかしいものと見做されてしまう……という羞恥の悪循環が生まれてるんじゃないだろうか。

 

「ま、まあしょせん服だしな……」

 

 それに物は考えようだ。

 そもそもメイド服というものは一般的な装いよりも露出が少ない格好なのだ。というか「露出を減らす」ということが目的化され生まれた服なので、それを恥ずかしいと思うのが変だ。

 

 メイド服は恥ずかしくない。メイド服は恥ずかしくない!

 大丈夫、ただの服なんだ。メイド服なんてどんとこいだ!

 

 

 

 ○

 

 

 ――は、恥ずかしい……!

 

 それからメニューを決めたりコンセプトを決めたりしながらも日々は過ぎていき、今日で文化祭当日。

 予定は変更されることなく、めでたくメイド喫茶はオープンした。

 

 メイド喫茶は家庭科教室の厨房と調理実習以外の通常の授業で使う普通教室を借りて実現した。

 

 俺ももちろん予定通りメイド服を着せられ、給仕として働かされる。

 着付けをしたのは宮本だ。俺は鏡の前でメイドとして()()()()()()()()自分を傍観して顔から火を噴くような羞恥心で心臓を暴れさせていた。

 

 支給されたメイド服はクラシカルなタイプでアニメや漫画で見られるような露出の激しいそれではなかったが、それでも恥ずかしいもんは恥ずかしい。

 

「ンフフフ~やっぱり思った通りそらちゃん可愛い~☆」

 

 などと言う宮本もメイド服姿であるが、そこに恥じらいは一切なく堂々としている。まあ宮本は元々のルックスがいいからな。恥じらいが生まれるべくもないのか。

 

「じゃー次はお化粧だねー」

 

「け、化粧?」声が裏返る。「べつにいいって!」

 

「もっともーっと可愛くなるよっ! ね? どうせ人前に出るなら可愛いほうがいいでしょ?」

 

「うう……」

 

 と言って宮本はコスメを取り出し俺の顔に化粧を(ほどこ)す。あ、うわっ、他人に顔(いじ)られるとくすぐってえ!

 

 くすぐったいのが終わり、鏡を見せられると、そこには紛れもない()()()がいた。

 大きな変化があったわけではない。暗かった顔が多少明るく血色が良くなり艶が生まれたくらいの変化しかないが――それは先程までの安代そらとは明確に違う、紛れもない()()()だった。

 

 

【挿絵表示】

 

 

「やっぱりそらちゃん、ちゃんとしたらもーっと可愛くなったねー」

 

 やめてくれ! 恥ずかしい。

 

 そうやって褒め殺しにされてもどう反応したらいいかわかんねえんだよ。

 

 

 

 そんなこんなで宮本による改造でメイド・安代そらの準備は整えられ、メイド喫茶の営業時間になる。

 接客するメイドはみんな入口(正確には厨房と普通教室を繋ぐ廊下のドアの前)でずらりと並び、客――いやご主人さまのご来客――ではなくてご帰宅を待っている。

 

 どいつもこいつも一種のロールプレイングに興じるということが新鮮なのだろう、右も左も楽しそうだが、そのなかで俺一人だけが緊張のあまり肩で呼吸をしていた。

 

「はあ……はあ……」

 

 い、息が……。

 

 こんな調子で接客なんかできるのか……?

 

 不安になった俺は、脳内で客が来たときのシミュレーションをおこなう。シミュレーションといっても、来店の挨拶は「お帰りなさいませご主人さま」で統一されているので、それを暗唱するだけだ。

 大丈夫、その一言を言ってしまえばそれで済む簡単な仕事だ。なにも緊張することはない。

 

 

 お帰りなさいませご主人さま……

 

 お帰りなさいませご主人さま……

 

 お帰りなさいませご主人さま……

 

 お帰りなさいませご主人さま……

 

 お帰りなさいませご主人さま……

 

 

 

 

 

 それからも繰り返し繰り返し、脳内で何度も復唱していると、初となる男性の客が入ってきた。

 

 

 うわっ! マジで来やがった!

 

 だが俺は脳内で何度もリハーサルをおこなってきたんだ! 練習通りのセリフを言うだけ。

 

 さあ行くぜ! 耳の穴かっぽじってよぉーく聞けよ!

 

 

 いいか、言うぜ。言うぜ――

 

 

 ……って。

 

 あれ。

 

 

 セリフ、なんだっけ?

 

 

 

 

 空白。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 あっ、あっ……

 

 

 なにか……なんでもいいからなにか言え!

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「おっ、お帰りなさいまへっ! おれにするっ!? や、それとも、わたっ、わたしにするかっ!!?」

 

 

 

 

 

 

 

 ああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああ!

 

 

 

 失敗した失敗した失敗した!

 ドジった! ドジったよちくしょう!

 なんだわたしにする?って! ああ!? 選択肢他に用意してねえじゃねえかこのくそビッチが!

 くそ! くそ! もういやだ! 死にたい! いますぐっ、いますぐ死なせてくれ! 頼む! 死なせてくれよおおお!!

 

 客は俺の第一声に気圧されたようで、ぎこちない笑顔を浮かべて首をふるふると横に振った。それに伴い俺の両サイドに並ぶメイドたちの方からも「やらかした」という空気が流れて気まずくなりかけた。

 

 ……が、

 

「お帰りなさいませ~ご主人サ・マっ☆ ささっ、ご主人様の席を案内するよ~」

 

 と宮本が率先して客の案内をすると、周囲から安堵のため息とともにどっと笑いが起きた。

 

「安代さんしっかり~」「ドンマイ!」「あはは、安代さん顔真っ赤だよ~」「フレちゃんファインプレーだったね」「ご飯かお風呂はないのー?」「ちょっと張り切りすぎちゃったね~」「安代さんってけっこう面白いね!」

 

 俺はこくこくと無言でうなずくしかできなかった。

 

 

 

 その後。

 

「宮本」

 

「なにー?」

 

 たまたま俺と宮本の手が空いているタイミングを見計らって、俺は厨房で宮本に声をかけた。

 

「さっきはありがとな」

 

「え? さっきって? フレちゃんなにかしたっけ?」

 

 宮本は人差し指を顎に当て首を傾げて上目遣い。

 

「ほら、最初の客が来たとき、俺、テンパって変なこと言っただろ。それを宮本がフォローしてくれて……」

 

「あー! なーんだ! あれはただのお仕事だよ? そらちゃんがお礼を言うことじゃないよ~」

 

「それでも助かったから、ありがとう」

 

「んふふ~じゃー受け取っておこうかな~♪」

 

「ああ」

 

 と、そこで新しい客が入口の前で入店を決めかねているのに気づく。入店するかは分からないが、待機しておいた方がいいだろう。

 

 入口の前に向かおうとして、宮本に呼びかけられる。

 

「そらちゃーん」

 

「……なに?」

 

 宮本は曇りのない笑顔で、

 

「アタシはね~、()()()()()()ほしいかな~☆」

 

 一瞬その意味をわかりかねるが、気づいた瞬間顔が真っ赤になるのが分かるほど熱くなった。

 

「ななな! なに言ってんだよ宮本!?」

 

「あはは~ジョーダンだよ~? ジョーダン!」

 

「マジでやめてくれ!」

 

 あんまり俺をからかわないでくれよ……。

 

 と、俺は心臓をドキドキさせながら、入店を決めた客のもとへ駆けつける。

 

「いらっしゃいませ~お客さま!」

 

 …………あ。

 

 メイドのキャラどこ行ったよ。

 




リハビリと言った通りまだ手探りな感がありますね。


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